夏目漱石 カーライル博物館 カーライル博物館 夏目漱石  公園の片隅に通りがかりの人を相手に演説をしている者がある。向うから来た釜形の尖った帽子を被ずいて古ぼけた外套を猫背に着た爺さんがそこへ歩みを佇めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子のたたずめる前に出て来る。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人と人が言囃すのは御前の事かと問う。なるほど世間ではわしの事をチェルシーの哲人と云うようじゃ。セージと云うは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はからからと笑う。村夫子はなるほど猫も杓子も同じ人間じゃのにことさらに哲人などと異名をつけるのは、あれは鳥じゃと渾名すると同じようなものだのう。人間はやはり当り前の人間で善かりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑う。  余は晩餐前に公園を散歩するたびに川縁の椅子に腰を卸して向側を眺める。倫敦に固有なる濃霧はことに岸辺に多い。余が桜の杖に頤を支えて真正面を見ていると、遥かに対岸の往来を這い廻る霧の影は次第に濃くなって五階立の町続きの下からぜんぜんこの揺曳くものの裏に薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引き出したるように窈然たる空の中にとりとめのつかぬ鳶色の影が残る。その時この鳶色の奥にぽたりぽたりと鈍き光りが滴るように見え初める。三層四層五層共に瓦斯を点じたのである。余は桜の杖をついて下宿の方へ帰る。帰る時必ずカーライルと演説使いの話しを思いだす。かの溟濛たる瓦斯の霧に混ずる所が往時この村夫子の住んでおったチェルシーなのである。  カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。  文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、なお下ってカーライルと同時代にはリ・ハントなどがもっとも著名である。ハントの家はカーライルの直近傍で、現にカーライルがこの家に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書いてある。またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸がすぐ傍の川端に向いた通りにある。しかしこれらは皆すでに代がかわって現に人が這入っているから見物は出来ぬ。ただカーライルの旧廬のみは六ペンスを払えば何人でもまた何時でも随意に観覧が出来る。  チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。  毎日のように川を隔てて霧の中にチェルシーを眺めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵りを叩いた。  庵りというと物寂びた感じがある。少なくとも瀟洒とか風流とかいう念と伴う。しかしカーライルの庵はそんな脂っこい華奢なものではない。往来から直ちに戸が敲けるほどの道傍に建てられた四階造の真四角な家である。  出張った所も引き込んだ所もないのべつに真直に立っている。まるで大製造場の煙突の根本を切ってきてこれに天井を張って窓をつけたように見える。  これが彼が北の田舎から始めて倫敦へ出て来て探しに探し抜いて漸々の事で探し宛てた家である。彼は西を探し南を探しハンプステッドの北まで探してついに恰好の家を探し出す事が出来ず、最後にチェイン・ローへ来てこの家を見てもまだすぐに取きめるほどの勇気はなかったのである。四千万の愚物と天下を罵った彼も住家には閉口したと見えて、その愚物の中に当然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知してその意向を確めた。細君の答に「御申越の借家は二軒共不都合もなき様被存候えば私倫敦へ上り候迄双方共御明け置願度若し又それ迄に取極め候必要相生じ候節は御一存にて如何とも御取計らい被下度候とあった。カーライルは書物の上でこそ自分独りわかったような事をいうが、家をきめるには細君の助けに依らなくては駄目と覚悟をしたものと見えて、夫人の上京するまで手を束ねて待っていた。四五日すると夫人が来る。そこで今度は二人してまた東西南北を馳け廻った揚句の果やはりチェイン・ローが善いという事になった。両人がここに引き越したのは千八百三十四年の六月十日で、引越の途中に下女の持っていたカナリヤが籠の中で囀ったという事まで知れている。夫人がこの家を撰んだのは大に気に入ったものかほかに相当なのがなくてやむをえなんだのか、いずれにもせよこの煙突のごとく四角な家は年に三百五十円の家賃をもってこの新世帯の夫婦を迎えたのである。カーライルはこのクロムウェルのごときフレデリック大王のごときまた製造場の煙突のごとき家の中でクロムウェルを著わしフレデリック大王を著わしディスレリーの周旋にかかる年給を擯けて四角四面に暮したのである。  余は今この四角な家の石階の上に立って鬼の面のノッカーをコツコツと敲く。しばらくすると内から五十恰好の肥った婆さんが出て来て御這入りと云う。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入初であった。なるべく丁寧に書くつもりであったが例に因ってはなはだ見苦しい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云うから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。これは昔し客間であったそうだ。色々なものが並べてある。壁に画やら写真やらがある。大概はカーライル夫婦の肖像のようだ。後ろの部屋にカーライルの意匠に成ったという書棚がある。それに書物が沢山詰まっている。むずかしい本がある。下らぬ本がある。古びた本がある。読めそうもない本がある。そのほかにカーライルの八十の誕生日の記念のために鋳たという銀牌と銅牌がある。金牌は一つもなかったようだ。すべての牌と名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命と対照して考えると妙な感じがする。それから二階へ上る。ここにまた大きな本棚があって本が例のごとくいっぱい詰まっている。やはり読めそうもない本、聞いた事のなさそうな本、入りそうもない本が多い。勘定をしたら百三十五部あった。この部屋も一時は客間になっておったそうだ。ビスマークがカーライルに送った手紙と普露西の勲章がある。フレデリック大王伝の御蔭と見える。細君の用いた寝台がある。すこぶる不器用な飾り気のないものである。  案内者はいずれの国でも同じものと見える。先っきから婆さんは室内の絵画器具について一々説明を与える。五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出任せに喋舌っているようである。しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を言っているのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たがしまいには面倒になったから御前は御前で勝手に口上を述べなさい、わしはわしで自由に見物するからという態度をとった。婆さんは人が聞こうが聞くまいが口上だけは必ず述べますという風で別段厭きた景色もなく怠る様子もなく何年何月何日をやっている。  余は東側の窓から首を出してちょっと近所を見渡した。眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向うも石の高塀で仕切られてその形はやはり四角である。四角はどこまでもこの家の附属物かと思う。カーライルの顔は決して四角ではなかった。彼はむしろ懸崖の中途が陥落して草原の上に伏しかかったような容貌であった。細君は上出来の辣韮のように見受けらるる。今余の案内をしている婆さんはあんぱんのごとく丸るい。余が婆さんの顔を見てなるほど丸いなと思うとき婆さんはまた何年何月何日を誦し出した。余は再び窓から首を出した。  カーライル云う。裏の窓より見渡せば見ゆるものは茂る葉の木株、碧りなる野原、及びその間に点綴する勾配の急なる赤き屋根のみ。西風の吹くこの頃の眺めはいと晴れやかに心地よし。  余は茂る葉を見ようと思い、青き野を眺めようと思うて実は裏の窓から首を出したのである。首はすでに二返ばかり出したが青いものも何にも見えぬ。右に家が見える。左りに家が見える。向にも家が見える。その上には鉛色の空が一面に胃病やみのように不精無精に垂れかかっているのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の続きを朗らかに読誦している。  カーライルまた云う倫敦の方を見れば眼に入るものはウェストミンスター・アベーとセント・ポールズの高塔の頂きのみ。その他幻のごとき殿宇は煤を含む雲の影の去るに任せて隠見す。 「倫敦の方」とはすでに時代後れの話である。今日チェルシーに来て倫敦の方を見るのは家の中に坐って家の方を見ると同じ理窟で、自分の眼で自分の見当を眺めると云うのと大した差違はない。しかしカーライルは自ら倫敦に住んでいるとは思わなかったのである。彼は田舎に閑居して都の中央にある大伽藍を遥かに眺めたつもりであった。余は三度び首を出した。そして彼のいわゆる「倫敦の方」へと視線を延ばした。しかしウェストミンスターも見えぬ、セント・ポールズも見えぬ。数万の家、数十万の人、数百万の物音は余と堂宇との間に立ちつつある、漾いつつある、動きつつある。千八百三十四年のチェルシーと今日のチェルシーとはまるで別物である。余はまた首を引き込めた。婆さんは黙然として余の背後に佇立している。  三階に上る。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寝台が横わっている。青き戸帳が物静かに垂れて空しき臥床の裡は寂然として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工はただ無器用で素朴であるというほかに何らの特色もない。その上に身を横えた人の身の上も思い合わさるる。傍らには彼が平生使用した風呂桶が九鼎のごとく尊げに置かれてある。  風呂桶とはいうもののバケツの大きいものに過ぎぬ。彼がこの大鍋の中で倫敦の煤を洗い落したかと思うとますますその人となりが偲ばるる。ふと首を上げると壁の上に彼が往生した時に取ったという漆喰製の面型がある。この顔だなと思う。この炬燵櫓ぐらいの高さの風呂に入ってこの質素な寝台の上に寝て四十年間やかましい小言を吐き続けに吐いた顔はこれだなと思う。婆さんの淀みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。  宜しければ上りましょうと婆さんがいう。余はすでに倫敦の塵と音を遥かの下界に残して五重の塔の天辺に独坐するような気分がしているのに耳の元で「上りましょう」という催促を受けたから、まだ上があるのかなと不思議に思った。さあ上ろうと同意する。上れば上るほど怪しい心持が起りそうであるから。  四階へ来た時は縹渺として何事とも知らず嬉しかった。嬉しいというよりはどことなく妙であった。ここは屋根裏である。天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣のごとき形ちをしてその一番高い背筋を通して硝子張りの明り取りが着いている。このアチックに洩れて来る光線は皆頭の上から真直に這入る。そうしてその頭の上は硝子一枚を隔てて全世界に通ずる大空である。眼に遮るものは微塵もない。カーライルは自分の経営でこの室を作った。作ってこれを書斎とした。書斎としてここに立籠った。立籠って見て始めてわが計画の非なる事を悟った。夏は暑くておりにくく、冬は寒くておりにくい。案内者は朗読的にここまで述べて余を顧りみた。真丸な顔の底に笑の影が見える。余は無言のままうなずく。  カーライルは何のためにこの天に近き一室の経営に苦心したか。彼は彼の文章の示すごとく電光的の人であった。彼の癇癖は彼の身辺を囲繞して無遠慮に起る音響を無心に聞き流して著作に耽るの余裕を与えなかったと見える。洋琴の声、犬の声、鶏の声、鸚鵡の声、いっさいの声はことごとく彼の鋭敏なる神経を刺激して懊悩やむ能わざらしめたる極ついに彼をして天に最も近く人にもっとも遠ざかれる住居をこの四階の天井裏に求めしめたのである。  彼のエイトキン夫人に与えたる書翰にいう「此夏中は開け放ちたる窓より聞ゆる物音に悩まされ候事一方ならず色々修繕も試み候えども寸毫も利目無之夫より篤と熟考の末家の真上に二十尺四方の部屋を建築致す事に取極め申候是は壁を二重に致し光線は天井より取り風通しは一種の工夫をもって差支なき様致す仕掛に候えば出来上り候上は仮令天下の鶏共一時に鬨の声を揚げ候とも閉口仕らざる積に御座候」  かくのごとく予期せられたる書斎は二千円の費用にてまずまず思い通りに落成を告げて予期通りの功果を奏したがこれと同時に思い掛けなき障害がまたも主人公の耳辺に起った。なるほど洋琴の音もやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなくなったが下層にいるときは考だに及ばなかった寺の鐘、汽車の笛さては何とも知れず遠きより来る下界の声が呪のごとく彼を追いかけて旧のごとくに彼の神経を苦しめた。  声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸においてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論を著せり、余は反って活力を弔う文を草せんとす。物を打つ音、物を敲く音、物の転がる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人我説をきかば笑うべし。されど世に理窟をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正にこの輩なる事を忘るるなかれ。彼らの頭脳の組織は麁にして覚り鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対である。余がかくのごとく回想しつつあった時に例の婆さんがどうです下りましょうかと促がす。  一層を下るごとに下界に近づくような心持ちがする。冥想の皮が剥げるごとく感ぜらるる。階段を降り切って最下の欄干に倚って通りを眺めた時にはついに依然たる一個の俗人となり了ってしまった。案内者は平気な顔をして厨を御覧なさいという。厨は往来よりも下にある。今余が立ちつつある所よりまた五六段の階を下らねばならぬ。これは今案内をしている婆さんの住居になっている。隅に大きな竈がある。婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草を燻らすのみにて二時間の間一言も交えなかったのであります」という。天上に在って音響を厭いたる彼は地下に入っても沈黙を愛したるものか。  最後に勝手口から庭に案内される。例の四角な平地を見廻して見ると木らしい木、草らしい草は少しも見えぬ。婆さんの話しによると昔は桜もあった、葡萄もあった。胡桃もあったそうだ。カーライルの細君はある年二十五銭ばかりの胡桃を得たそうだ。婆さん云う「庭の東南の隅を去る五尺余の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられております。ニロは千八百六十年二月一日に死にました。墓標も当時は存しておりましたが惜しいかなその後取払われました」と中々精しい。  カーライルが麦藁帽を阿弥陀に被って寝巻姿のまま啣え煙管で逍遥したのはこの庭園である。夏の最中には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕を張りその下に机をさえ出して余念もなく述作に従事したのはこの庭園である。星明かなる夜最後の一ぷくをのみ終りたる後、彼が空を仰いで「嗚呼余が最後に汝を見るの時は瞬刻の後ならん。全能の神が造れる無辺大の劇場、眼に入る無限、手に触るる無限、これもまた我が眉目を掠めて去らん。しかして余はついにそを見るを得ざらん。わが力を致せるや虚ならず、知らんと欲するや切なり。しかもわが知識はただかくのごとく微なり」と叫んだのもこの庭園である。  余は婆さんの労に酬ゆるために婆さんの掌の上に一片の銀貨を載せた。ありがとうと云う声さえも朗読的であった。一時間の後倫敦の塵と煤と車馬の音とテームス河とはカーライルの家を別世界のごとく遠き方へと隔てた。 底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年10月27日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:LUNA CAT 2000年8月31日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 琴のそら音 琴のそら音 夏目漱石 「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋灯の穂を細めながら尋ねた。  津田君がこう云った時、余ははち切れて膝頭の出そうなズボンの上で、相馬焼の茶碗の糸底を三本指でぐるぐる廻しながら考えた。なるほど珍らしいに相違ない、この正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日まで津田君の下宿を訪問した事はない。 「来よう来ようと思いながら、つい忙がしいものだから――」 「そりゃあ、忙がしいだろう、何と云っても学校にいたうちとは違うからね、この頃でもやはり午後六時までかい」 「まあ大概そのくらいさ、家へ帰って飯を食うとそれなり寝てしまう。勉強どころか湯にも碌々這入らないくらいだ」と余は茶碗を畳の上へ置いて、卒業が恨めしいと云う顔をして見せる。  津田君はこの一言に少々同情の念を起したと見えて「なるほど少し瘠せたようだぜ、よほど苦しいのだろう」と云う。気のせいか当人は学士になってから少々肥ったように見えるのが癪に障る。机の上に何だか面白そうな本を広げて右の頁の上に鉛筆で註が入れてある。こんな閑があるかと思うと羨ましくもあり、忌々しくもあり、同時に吾身が恨めしくなる。 「君は不相変勉強で結構だ、その読みかけてある本は何かね。ノートなどを入れてだいぶ叮嚀に調べているじゃないか」 「これか、なにこれは幽霊の本さ」と津田君はすこぶる平気な顔をしている。この忙しい世の中に、流行りもせぬ幽霊の書物を澄まして愛読するなどというのは、呑気を通り越して贅沢の沙汰だと思う。 「僕も気楽に幽霊でも研究して見たいが、――どうも毎日芝から小石川の奥まで帰るのだから研究は愚か、自分が幽霊になりそうなくらいさ、考えると心細くなってしまう」 「そうだったね、つい忘れていた。どうだい新世帯の味は。一戸を構えると自から主人らしい心持がするかね」と津田君は幽霊を研究するだけあって心理作用に立ち入った質問をする。 「あんまり主人らしい心持もしないさ。やっぱり下宿の方が気楽でいいようだ。あれでも万事整頓していたら旦那の心持と云う特別な心持になれるかも知れんが、何しろ真鍮の薬缶で湯を沸かしたり、ブリッキの金盥で顔を洗ってる内は主人らしくないからな」と実際のところを白状する。 「それでも主人さ。これが俺のうちだと思えば何となく愉快だろう。所有と云う事と愛惜という事は大抵の場合において伴なうのが原則だから」と津田君は心理学的に人の心を説明してくれる。学者と云うものは頼みもせぬ事を一々説明してくれる者である。 「俺の家だと思えばどうか知らんが、てんで俺の家だと思いたくないんだからね。そりゃ名前だけは主人に違いないさ。だから門口にも僕の名刺だけは張り付けて置いたがね。七円五十銭の家賃の主人なんざあ、主人にしたところが見事な主人じゃない。主人中の属官なるものだあね。主人になるなら勅任主人か少なくとも奏任主人にならなくっちゃ愉快はないさ。ただ下宿の時分より面倒が殖えるばかりだ」と深くも考えずに浮気の不平だけを発表して相手の気色を窺う。向うが少しでも同意したら、すぐ不平の後陣を繰り出すつもりである。 「なるほど真理はその辺にあるかも知れん。下宿を続けている僕と、新たに一戸を構えた君とは自から立脚地が違うからな」と言語はすこぶるむずかしいがとにかく余の説に賛成だけはしてくれる。この模様ならもう少し不平を陳列しても差し支はない。 「まずうちへ帰ると婆さんが横綴じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」 「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって無雑作な事を言う。 「僕は廃してもいいが婆さんが承知しないから困る。そんな事は一々聞かないでもいいから好加減にしてくれと云うと、どう致しまして、奥様の入らっしゃらない御家で、御台所を預かっております以上は一銭一厘でも間違いがあってはなりません、てって頑として主人の云う事を聞かないんだからね」 「それじゃあ、ただうんうん云って聞いてる振をしていりゃよかろう」津田君は外部の刺激のいかんに関せず心は自由に働き得ると考えているらしい。心理学者にも似合しからぬ事だ。 「しかしそれだけじゃないのだからな。精細なる会計報告が済むと、今度は翌日の御菜について綿密な指揮を仰ぐのだから弱る」 「見計らって調理えろと云えば好いじゃないか」 「ところが当人見計らうだけに、御菜に関して明瞭なる観念がないのだから仕方がない」 「それじゃ君が云い付けるさ。御菜のプログラムぐらい訳ないじゃないか」 「それが容易く出来るくらいなら苦にゃならないさ。僕だって御菜上の智識はすこぶる乏しいやね。明日の御みおつけの実は何に致しましょうとくると、最初から即答は出来ない男なんだから……」 「何だい御みおつけと云うのは」 「味噌汁の事さ。東京の婆さんだから、東京流に御みおつけと云うのだ。まずその汁の実を何に致しましょうと聞かれると、実になり得べき者を秩序正しく並べた上で選択をしなければならんだろう。一々考え出すのが第一の困難で、考え出した品物について取捨をするのが第二の困難だ」 「そんな困難をして飯を食ってるのは情ない訳だ、君が特別に数奇なものが無いから困難なんだよ。二個以上の物体を同等の程度で好悪するときは決断力の上に遅鈍なる影響を与えるのが原則だ」とまた分り切った事をわざわざむずかしくしてしまう。 「味噌汁の実まで相談するかと思うと、妙なところへ干渉するよ」 「へえ、やはり食物上にかね」 「うん、毎朝梅干に白砂糖を懸けて来て是非一つ食えッて云うんだがね。これを食わないと婆さんすこぶる御機嫌が悪いのさ」 「食えばどうかするのかい」 「何でも厄病除のまじないだそうだ。そうして婆さんの理由が面白い。日本中どこの宿屋へ泊っても朝、梅干を出さない所はない。まじないが利かなければ、こんなに一般の習慣となる訳がないと云って得意に梅干を食わせるんだからな」 「なるほどそれは一理あるよ、すべての習慣は皆相応の功力があるので維持せらるるのだから、梅干だって一概に馬鹿には出来ないさ」 「なんて君まで婆さんの肩を持った日にゃ、僕はいよいよ主人らしからざる心持に成ってしまわあ」と飲みさしの巻煙草を火鉢の灰の中へ擲き込む。燃え残りのマッチの散る中に、白いものがさと動いて斜めに一の字が出来る。 「とにかく旧弊な婆さんだな」 「旧弊はとくに卒業して迷信婆々さ。何でも月に二三返は伝通院辺の何とか云う坊主の所へ相談に行く様子だ」 「親類に坊主でもあるのかい」 「なに坊主が小遣取りに占いをやるんだがね。その坊主がまた余計な事ばかり言うもんだから始末に行かないのさ。現に僕が家を持つ時なども鬼門だとか八方塞りだとか云って大に弱らしたもんだ」 「だって家を持ってからその婆さんを雇ったんだろう」 「雇ったのは引き越す時だが約束は前からして置いたのだからね。実はあの婆々も四谷の宇野の世話で、これなら大丈夫だ独りで留守をさせても心配はないと母が云うからきめた訳さ」 「それなら君の未来の妻君の御母さんの御眼鏡で人撰に預った婆さんだからたしかなもんだろう」 「人間はたしかに相違ないが迷信には驚いた。何でも引き越すと云う三日前に例の坊主の所へ行って見て貰ったんだそうだ。すると坊主が今本郷から小石川の方へ向いて動くのははなはだよくない、きっと家内に不幸があると云ったんだがね。――余計な事じゃないか、何も坊主の癖にそんな知った風な妄言を吐かんでもの事だあね」 「しかしそれが商売だからしようがない」 「商売なら勘弁してやるから、金だけ貰って当り障りのない事を喋舌るがいいや」 「そう怒っても僕の咎じゃないんだから埓はあかんよ」 「その上若い女に祟ると御負けを附加したんだ。さあ婆さん驚くまい事か、僕のうちに若い女があるとすれば近い内貰うはずの宇野の娘に相違ないと自分で見解を下して独りで心配しているのさ」 「だって、まだ君の所へは来んのだろう」 「来んうちから心配をするから取越苦労さ」 「何だか洒落か真面目か分らなくなって来たぜ」 「まるで御話にも何もなりゃしない。ところで近頃僕の家の近辺で野良犬が遠吠をやり出したんだ。……」 「犬の遠吠と婆さんとは何か関係があるのかい。僕には聯想さえ浮ばんが」と津田君はいかに得意の心理学でもこれは説明が出来悪いとちょっと眉を寄せる。余はわざと落ちつき払って御茶を一杯と云う。相馬焼の茶碗は安くて俗な者である。もとは貧乏士族が内職に焼いたとさえ伝聞している。津田君が三十匁の出殻を浪々この安茶碗についでくれた時余は何となく厭な心持がして飲む気がしなくなった。茶碗の底を見ると狩野法眼元信流の馬が勢よく跳ねている。安いに似合わず活溌な馬だと感心はしたが、馬に感心したからと云って飲みたくない茶を飲む義理もあるまいと思って茶碗は手に取らなかった。 「さあ飲みたまえ」と津田君が促がす。 「この馬はなかなか勢がいい。あの尻尾を振って鬣を乱している所は野馬だね」と茶を飲まない代りに馬を賞めてやった。 「冗談じゃない、婆さんが急に犬になるかと、思うと、犬が急に馬になるのは烈しい。それからどうしたんだ」としきりに後を聞きたがる。茶は飲まんでも差し支えない事となる。 「婆さんが云うには、あの鳴き声はただの鳴き声ではない、何でもこの辺に変があるに相違ないから用心しなくてはいかんと云うのさ。しかし用心をしろと云ったって別段用心の仕様もないから打ち遣って置くから構わないが、うるさいには閉口だ」 「そんなに鳴き立てるのかい」 「なに犬はうるさくも何ともないさ。第一僕はぐうぐう寝てしまうから、いつどんなに吠えるのか全く知らんくらいさ。しかし婆さんの訴えは僕の起きている時を択んで来るから面倒だね」 「なるほどいかに婆さんでも君の寝ている時をよって御気を御つけ遊ばせとも云うまい」 「ところへもって来て僕の未来の細君が風邪を引いたんだね。ちょうど婆さんの御誂え通りに事件が輻輳したからたまらない」 「それでも宇野の御嬢さんはまだ四谷にいるんだから心配せんでもよさそうなものだ」 「それを心配するから迷信婆々さ、あなたが御移りにならんと御嬢様の御病気がはやく御全快になりませんから是非この月中に方角のいい所へ御転宅遊ばせと云う訳さ。飛んだ預言者に捕まって、大迷惑だ」 「移るのもいいかも知れんよ」 「馬鹿あ言ってら、この間越したばかりだね。そんなにたびたび引越しをしたら身代限をするばかりだ」 「しかし病人は大丈夫かい」 「君まで妙な事を言うぜ。少々伝通院の坊主にかぶれて来たんじゃないか。そんなに人を威嚇かすもんじゃない」 「威嚇かすんじゃない、大丈夫かと聞くんだ。これでも君の妻君の身の上を心配したつもりなんだよ」 「大丈夫にきまってるさ。咳嗽は少し出るがインフルエンザなんだもの」 「インフルエンザ?」と津田君は突然余を驚かすほどな大きな声を出す。今度は本当に威嚇かされて、無言のまま津田君の顔を見詰める。 「よく注意したまえ」と二句目は低い声で云った。初めの大きな声に反してこの低い声が耳の底をつき抜けて頭の中へしんと浸み込んだような気持がする。なぜだか分らない。細い針は根まで這入る、低くても透る声は骨に答えるのであろう。碧瑠璃の大空に瞳ほどな黒き点をはたと打たれたような心持ちである。消えて失せるか、溶けて流れるか、武庫山卸しにならぬとも限らぬ。この瞳ほどな点の運命はこれから津田君の説明で決せられるのである。余は覚えず相馬焼の茶碗を取り上げて冷たき茶を一時にぐっと飲み干した。 「注意せんといかんよ」と津田君は再び同じ事を同じ調子で繰り返す。瞳ほどな点が一段の黒味を増す。しかし流れるとも広がるとも片づかぬ。 「縁喜でもない、いやに人を驚かせるぜ。ワハハハハハ」と無理に大きな声で笑って見せたが、腑の抜けた勢のない声が無意味に響くので、我ながら気がついて中途でぴたりとやめた。やめると同時にこの笑がいよいよ不自然に聞かれたのでやはりしまいまで笑い切れば善かったと思う。津田君はこの笑を何と聞いたか知らん。再び口を開いた時は依然として以前の調子である。 「いや実はこう云う話がある。ついこの間の事だが、僕の親戚の者がやはりインフルエンザに罹ってね。別段の事はないと思って好加減にして置いたら、一週間目から肺炎に変じて、とうとう一箇月立たない内に死んでしまった。その時医者の話さ。この頃のインフルエンザは性が悪い、じきに肺炎になるから用心をせんといかんと云ったが――実に夢のようさ。可哀そうでね」と言い掛けて厭な寒い顔をする。 「へえ、それは飛んだ事だった。どうしてまた肺炎などに変じたのだ」と心配だから参考のため聞いて置く気になる。 「どうしてって、別段の事情もないのだが――それだから君のも注意せんといかんと云うのさ」 「本当だね」と余は満腹の真面目をこの四文字に籠めて、津田君の眼の中を熱心に覗き込んだ。津田君はまだ寒い顔をしている。 「いやだいやだ、考えてもいやだ。二十二や三で死んでは実につまらんからね。しかも所天は戦争に行ってるんだから――」 「ふん、女か? そりゃ気の毒だなあ。軍人だね」 「うん所天は陸軍中尉さ。結婚してまだ一年にならんのさ。僕は通夜にも行き葬式の供にも立ったが――その夫人の御母さんが泣いてね――」 「泣くだろう、誰だって泣かあ」 「ちょうど葬式の当日は雪がちらちら降って寒い日だったが、御経が済んでいよいよ棺を埋める段になると、御母さんが穴の傍へしゃがんだぎり動かない。雪が飛んで頭の上が斑になるから、僕が蝙蝠傘をさし懸けてやった」 「それは感心だ、君にも似合わない優しい事をしたものだ」 「だって気の毒で見ていられないもの」 「そうだろう」と余はまた法眼元信の馬を見る。自分ながらこの時は相手の寒い顔が伝染しているに相違ないと思った。咄嗟の間に死んだ女の所天の事が聞いて見たくなる。 「それでその所天の方は無事なのかね」 「所天は黒木軍についているんだが、この方はまあ幸に怪我もしないようだ」 「細君が死んだと云う報知を受取ったらさぞ驚いたろう」 「いや、それについて不思議な話があるんだがね、日本から手紙の届かない先に細君がちゃんと亭主の所へ行っているんだ」 「行ってるとは?」 「逢いに行ってるんだ」 「どうして?」 「どうしてって、逢いに行ったのさ」 「逢いに行くにも何にも当人死んでるんじゃないか」 「死んで逢いに行ったのさ」 「馬鹿あ云ってら、いくら亭主が恋しいったって、そんな芸が誰に出来るもんか。まるで林屋正三の怪談だ」 「いや実際行ったんだから、しようがない」と津田君は教育ある人にも似合ず、頑固に愚な事を主張する。 「しようがないって――何だか見て来たような事を云うぜ。おかしいな、君本当にそんな事を話してるのかい」 「無論本当さ」 「こりゃ驚いた。まるで僕のうちの婆さんのようだ」 「婆さんでも爺さんでも事実だから仕方がない」と津田君はいよいよ躍起になる。どうも余にからかっているようにも見えない。はてな真面目で云っているとすれば何か曰くのある事だろう。津田君と余は大学へ入ってから科は違うたが、高等学校では同じ組にいた事もある。その時余は大概四十何人の席末を汚すのが例であったのに、先生は然として常に二三番を下らなかったところをもって見ると、頭脳は余よりも三十五六枚方明晰に相違ない。その津田君が躍起になるまで弁護するのだから満更の出鱈目ではあるまい。余は法学士である、刻下の事件をありのままに見て常識で捌いて行くよりほかに思慮を廻らすのは能わざるよりもむしろ好まざるところである。幽霊だ、祟だ、因縁だなどと雲を攫むような事を考えるのは一番嫌である。が津田君の頭脳には少々恐れ入っている。その恐れ入ってる先生が真面目に幽霊談をするとなると、余もこの問題に対する態度を義理にも改めたくなる。実を云うと幽霊と雲助は維新以来永久廃業した者とのみ信じていたのである。しかるに先刻から津田君の容子を見ると、何だかこの幽霊なる者が余の知らぬ間に再興されたようにもある。先刻机の上にある書物は何かと尋ねた時にも幽霊の書物だとか答えたと記憶する。とにかく損はない事だ。忙がしい余に取ってはこんな機会はまたとあるまい。後学のため話だけでも拝聴して帰ろうとようやく肚の中で決心した。見ると津田君も話の続きが話したいと云う風である。話したい、聞きたいと事がきまれば訳はない。漢水は依然として西南に流れるのが千古の法則だ。 「だんだん聞き糺して見ると、その妻と云うのが夫の出征前に誓ったのだそうだ」 「何を?」 「もし万一御留守中に病気で死ぬような事がありましてもただは死にませんて」 「へえ」 「必ず魂魄だけは御傍へ行って、もう一遍御目に懸りますと云った時に、亭主は軍人で磊落な気性だから笑いながら、よろしい、いつでも来なさい、戦さの見物をさしてやるからと云ったぎり満州へ渡ったんだがね。その後そんな事はまるで忘れてしまっていっこう気にも掛けなかったそうだ」 「そうだろう、僕なんざ軍さに出なくっても忘れてしまわあ」 「それでその男が出立をする時細君が色々手伝って手荷物などを買ってやった中に、懐中持の小さい鏡があったそうだ」 「ふん。君は大変詳しく調べているな」 「なにあとで戦地から手紙が来たのでその顛末が明瞭になった訳だが。――その鏡を先生常に懐中していてね」 「うん」 「ある朝例のごとくそれを取り出して何心なく見たんだそうだ。するとその鏡の奥に写ったのが――いつもの通り髭だらけな垢染みた顔だろうと思うと――不思議だねえ――実に妙な事があるじゃないか」 「どうしたい」 「青白い細君の病気に窶れた姿がスーとあらわれたと云うんだがね――いえそれはちょっと信じられんのさ、誰に聞かしても嘘だろうと云うさ。現に僕などもその手紙を見るまでは信じない一人であったのさ。しかし向うで手紙を出したのは無論こちらから死去の通知の行った三週間も前なんだぜ。嘘をつくったって嘘にする材料のない時ださ。それにそんな嘘をつく必要がないだろうじゃないか。死ぬか生きるかと云う戦争中にこんな小説染みた呑気な法螺を書いて国元へ送るものは一人もない訳ださ」 「そりゃ無い」と云ったが実はまだ半信半疑である。半信半疑ではあるが何だか物凄い、気味の悪い、一言にして云うと法学士に似合わしからざる感じが起こった。 「もっとも話しはしなかったそうだ。黙って鏡の裏から夫の顔をしけじけ見詰めたぎりだそうだが、その時夫の胸の中に訣別の時、細君の言った言葉が渦のように忽然と湧いて出たと云うんだが、こりゃそうだろう。焼小手で脳味噌をじゅっと焚かれたような心持だと手紙に書いてあるよ」 「妙な事があるものだな」手紙の文句まで引用されると是非共信じなければならぬようになる。何となく物騒な気合である。この時津田君がもしワッとでも叫んだら余はきっと飛び上ったに相違ない。 「それで時間を調べて見ると細君が息を引き取ったのと夫が鏡を眺めたのが同日同刻になっている」 「いよいよ不思議だな」この時に至っては真面目に不思議と思い出した。「しかしそんな事が有り得る事かな」と念のため津田君に聞いて見る。 「ここにもそんな事を書いた本があるがね」と津田君は先刻の書物を机の上から取り卸しながら「近頃じゃ、有り得ると云う事だけは証明されそうだよ」と落ちつき払って答える。法学士の知らぬ間に心理学者の方では幽霊を再興しているなと思うと幽霊もいよいよ馬鹿に出来なくなる。知らぬ事には口が出せぬ、知らぬは無能力である。幽霊に関しては法学士は文学士に盲従しなければならぬと思う。 「遠い距離において、ある人の脳の細胞と、他の人の細胞が感じて一種の化学的変化を起すと……」 「僕は法学士だから、そんな事を聞いても分らん。要するにそう云う事は理論上あり得るんだね」余のごとき頭脳不透明なるものは理窟を承わるより結論だけ呑み込んで置く方が簡便である。 「ああ、つまりそこへ帰着するのさ。それにこの本にも例が沢山あるがね、その内でロード・ブローアムの見た幽霊などは今の話しとまるで同じ場合に属するものだ。なかなか面白い。君ブローアムは知っているだろう」 「ブローアム? ブローアムたなんだい」 「英国の文学者さ」 「道理で知らんと思った。僕は自慢じゃないが文学者の名なんかシェクスピヤとミルトンとそのほかに二三人しか知らんのだ」  津田君はこんな人間と学問上の議論をするのは無駄だと思ったか「それだから宇野の御嬢さんもよく注意したまいと云う事さ」と話を元へ戻す。 「うん注意はさせるよ。しかし万一の事がありましたらきっと御目に懸りに上りますなんて誓は立てないのだからその方は大丈夫だろう」と洒落て見たが心の中は何となく不愉快であった。時計を出して見ると十一時に近い。これは大変。うちではさぞ婆さんが犬の遠吠を苦にしているだろうと思うと、一刻も早く帰りたくなる。「いずれその内婆さんに近づきになりに行くよ」と云う津田君に「御馳走をするから是非来たまえ」と云いながら白山御殿町の下宿を出る。  我からと惜気もなく咲いた彼岸桜に、いよいよ春が来たなと浮かれ出したのもわずか二三日の間である。今では桜自身さえ早待ったと後悔しているだろう。生温く帽を吹く風に、額際から煮染み出す膏と、粘り着く砂埃りとをいっしょに拭い去った一昨日の事を思うと、まるで去年のような心持ちがする。それほどきのうから寒くなった。今夜は一層である。冴返るなどと云う時節でもないに馬鹿馬鹿しいと外套の襟を立てて盲唖学校の前から植物園の横をだらだらと下りた時、どこで撞く鐘だか夜の中に波を描いて、静かな空をうねりながら来る。十一時だなと思う。――時の鐘は誰が発明したものか知らん。今までは気がつかなかったが注意して聴いて見ると妙な響である。一つ音が粘り強い餅を引き千切ったように幾つにも割れてくる。割れたから縁が絶えたかと思うと細くなって、次の音に繋がる。繋がって太くなったかと思うと、また筆の穂のように自然と細くなる。――あの音はいやに伸びたり縮んだりするなと考えながら歩行くと、自分の心臓の鼓動も鐘の波のうねりと共に伸びたり縮んだりするように感ぜられる。しまいには鐘の音にわが呼吸を合せたくなる。今夜はどうしても法学士らしくないと、足早に交番の角を曲るとき、冷たい風に誘われてポツリと大粒の雨が顔にあたる。  極楽水はいやに陰気なところである。近頃は両側へ長家が建ったので昔ほど淋しくはないが、その長家が左右共闃然として空家のように見えるのは余り気持のいいものではない。貧民に活動はつき物である。働いておらぬ貧民は、貧民たる本性を遺失して生きたものとは認められぬ。余が通り抜ける極楽水の貧民は打てども蘇み返る景色なきまでに静かである。――実際死んでいるのだろう。ポツリポツリと雨はようやく濃かになる。傘を持って来なかった、ことによると帰るまでにはずぶ濡になるわいと舌打をしながら空を仰ぐ。雨は闇の底から蕭々と降る、容易に晴れそうにもない。  五六間先にたちまち白い者が見える。往来の真中に立ち留って、首を延してこの白い者をすかしているうちに、白い者は容赦もなく余の方へ進んでくる。半分と立たぬ間に余の右側を掠めるごとく過ぎ去ったのを見ると――蜜柑箱のようなものに白い巾をかけて、黒い着物をきた男が二人、棒を通して前後から担いで行くのである。おおかた葬式か焼場であろう。箱の中のは乳飲子に違いない。黒い男は互に言葉も交えずに黙ってこの棺桶を担いで行く。天下に夜中棺桶を担うほど、当然の出来事はあるまいと、思い切った調子でコツコツ担いで行く。闇に消える棺桶をしばらくは物珍らし気に見送って振り返った時、また行手から人声が聞え出した。高い声でもない、低い声でもない、夜が更けているので存外反響が烈しい。 「昨日生れて今日死ぬ奴もあるし」と一人が云うと「寿命だよ、全く寿命だから仕方がない」と一人が答える。二人の黒い影がまた余の傍を掠めて見る間に闇の中へもぐり込む。棺の後を追って足早に刻む下駄の音のみが雨に響く。 「昨日生れて今日死ぬ奴もあるし」と余は胸の中で繰り返して見た。昨日生まれて今日死ぬ者さえあるなら、昨日病気に罹って今日死ぬ者は固よりあるべきはずである。二十六年も娑婆の気を吸ったものは病気に罹らんでも充分死ぬ資格を具えている。こうやって極楽水を四月三日の夜の十一時に上りつつあるのは、ことによると死にに上ってるのかも知れない。――何だか上りたくない。しばらく坂の中途で立って見る。しかし立っているのは、ことによると死にに立っているのかも知れない。――また歩行き出す。死ぬと云う事がこれほど人の心を動かすとは今までつい気がつかなんだ。気がついて見ると立っても歩行いても心配になる、このようすでは家へ帰って蒲団の中へ這入ってもやはり心配になるかも知れぬ。なぜ今までは平気で暮していたのであろう。考えて見ると学校にいた時分は試験とベースボールで死ぬと云う事を考える暇がなかった。卒業してからはペンとインキとそれから月給の足らないのと婆さんの苦情でやはり死ぬと云う事を考える暇がなかった。人間は死ぬ者だとはいかに呑気な余でも承知しておったに相違ないが、実際余も死ぬものだと感じたのは今夜が生れて以来始めてである。夜と云うむやみに大きな黒い者が、歩行いても立っても上下四方から閉じ込めていて、その中に余と云う形体を溶かし込まぬと承知せぬぞと逼るように感ぜらるる。余は元来呑気なだけに正直なところ、功名心には冷淡な男である。死ぬとしても別に思い置く事はない。別に思い置く事はないが死ぬのは非常に厭だ、どうしても死にたくない。死ぬのはこれほどいやな者かなと始めて覚ったように思う。雨はだんだん密になるので外套が水を含んで触ると、濡れた海綿を圧すようにじくじくする。  竹早町を横ぎって切支丹坂へかかる。なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。坂の上へ来た時、ふとせんだってここを通って「日本一急な坂、命の欲しい者は用心じゃ用心じゃ」と書いた張札が土手の横からはすに往来へ差し出ているのを滑稽だと笑った事を思い出す。今夜は笑うどころではない。命の欲しい者は用心じゃと云う文句が聖書にでもある格言のように胸に浮ぶ。坂道は暗い。滅多に下りると滑って尻餅を搗く。険呑だと八合目あたりから下を見て覘をつける。暗くて何もよく見えぬ。左の土手から古榎が無遠慮に枝を突き出して日の目の通わぬほどに坂を蔽うているから、昼でもこの坂を下りる時は谷の底へ落ちると同様あまり善い心持ではない。榎は見えるかなと顔を上げて見ると、あると思えばあり、無いと思えば無いほどな黒い者に雨の注ぐ音がしきりにする。この暗闇な坂を下りて、細い谷道を伝って、茗荷谷を向へ上って七八丁行けば小日向台町の余が家へ帰られるのだが、向へ上がるまでがちと気味がわるい。  茗荷谷の坂の中途に当るくらいな所に赤い鮮かな火が見える。前から見えていたのか顔をあげる途端に見えだしたのか判然しないが、とにかく雨を透してよく見える。あるいは屋敷の門口に立ててある瓦斯灯ではないかと思って見ていると、その火がゆらりゆらりと盆灯籠の秋風に揺られる具合に動いた。――瓦斯灯ではない。何だろうと見ていると今度はその火が雨と闇の中を波のように縫って上から下へ動いて来る。――これは提灯の火に相違ないとようやく判断した時それが不意と消えてしまう。  この火を見た時、余ははっと露子の事を思い出した。露子は余が未来の細君の名である。未来の細君とこの火とどんな関係があるかは心理学者の津田君にも説明は出来んかも知れぬ。しかし心理学者の説明し得るものでなくては思い出してならぬとも限るまい。この赤い、鮮かな、尾の消える縄に似た火は余をしてたしかに余が未来の細君をとっさの際に思い出さしめたのである。――同時に火の消えた瞬間が露子の死を未練もなく拈出した。額を撫でると膏汗と雨でずるずるする。余は夢中であるく。  坂を下り切ると細い谷道で、その谷道が尽きたと思うあたりからまた向き直って西へ西へと爪上りに新しい谷道がつづく。この辺はいわゆる山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の歯を吸い落すほどに濘る。暗さは暗し、靴は踵を深く土に据えつけて容易くは動かぬ。曲りくねってむやみやたらに行くと枸杞垣とも覚しきものの鋭どく折れ曲る角でぱたりとまた赤い火に出くわした。見ると巡査である。巡査はその赤い火を焼くまでに余の頬に押し当てて「悪るいから御気を付けなさい」と言い棄てて擦れ違った。よく注意したまえと云った津田君の言葉と、悪いから御気をつけなさいと教えた巡査の言葉とは似ているなと思うとたちまち胸が鉛のように重くなる。あの火だ、あの火だと余は息を切らして馳け上る。  どこをどう歩行いたとも知らず流星のごとく吾家へ飛び込んだのは十二時近くであろう。三分心の薄暗いランプを片手に奥から駆け出して来た婆さんが頓狂な声を張り上げて「旦那様! どうなさいました」と云う。見ると婆さんは蒼い顔をしている。 「婆さん! どうかしたか」と余も大きな声を出す。婆さんも余から何か聞くのが怖しく、余は婆さんから何か聞くのが怖しいので御互にどうかしたかと問い掛けながら、その返答は両方とも云わずに双方とも暫時睨み合っている。 「水が――水が垂れます」これは婆さんの注意である。なるほど充分に雨を含んだ外套の裾と、中折帽の庇から用捨なく冷たい点滴が畳の上に垂れる。折目をつまんで抛り出すと、婆さんの膝の傍に白繻子の裏を天井に向けて帽が転がる。灰色のチェスターフィールドを脱いで、一振り振って投げた時はいつもよりよほど重く感じた。日本服に着換えて、身顫いをしてようやくわれに帰った頃を見計って婆さんはまた「どうなさいました」と尋ねる。今度は先方も少しは落ついている。 「どうするって、別段どうもせんさ。ただ雨に濡れただけの事さ」となるべく弱身を見せまいとする。 「いえあの御顔色はただの御色では御座いません」と伝通院の坊主を信仰するだけあって、うまく人相を見る。 「御前の方がどうかしたんだろう。先ッきは少し歯の根が合わないようだったぜ」 「私は何と旦那様から冷かされても構いません。――しかし旦那様雑談事じゃ御座いませんよ」 「え?」と思わず心臓が縮みあがる。「どうした。留守中何かあったのか。四谷から病人の事でも何か云って来たのか」 「それ御覧遊ばせ、そんなに御嬢様の事を心配していらっしゃる癖に」 「何と云って来た。手紙が来たのか、使が来たのか」 「手紙も使も参りは致しません」 「それじゃ電報か」 「電報なんて参りは致しません」 「それじゃ、どうした――早く聞かせろ」 「今夜は鳴き方が違いますよ」 「何が?」 「何がって、あなた、どうも宵から心配で堪りませんでした。どうしてもただごとじゃ御座いません」 「何がさ。それだから早く聞かせろと云ってるじゃないか」 「せんだって中から申し上げた犬で御座います」 「犬?」 「ええ、遠吠で御座います。私が申し上げた通りに遊ばせば、こんな事にはならないで済んだんで御座いますのに、あなたが婆さんの迷信だなんて、あんまり人を馬鹿に遊ばすものですから……」 「こんな事にもあんな事にも、まだ何にも起らないじゃないか」 「いえ、そうでは御座いません、旦那様も御帰り遊ばす途中御嬢様の御病気の事を考えていらしったに相違御座いません」と婆さんずばと図星を刺す。寒い刃が闇に閃めいてひやりと胸打を喰わせられたような心持がする。 「それは心配して来たに相違ないさ」 「それ御覧遊ばせ、やっぱり虫が知らせるので御座います」 「婆さん虫が知らせるなんて事が本当にあるものかな、御前そんな経験をした事があるのかい」 「あるだんじゃ御座いません。昔しから人が烏鳴きが悪いとか何とか善く申すじゃ御座いませんか」 「なるほど烏鳴きは聞いたようだが、犬の遠吠は御前一人のようだが――」 「いいえ、あなた」と婆さんは大軽蔑の口調で余の疑を否定する。「同じ事で御座いますよ。婆やなどは犬の遠吠でよく分ります。論より証拠これは何かあるなと思うとはずれた事が御座いませんもの」 「そうかい」 「年寄の云う事は馬鹿に出来ません」 「そりゃ無論馬鹿には出来んさ。馬鹿に出来んのは僕もよく知っているさ。だから何も御前を――しかし遠吠がそんなに、よく当るものかな」 「まだ婆やの申す事を疑っていらっしゃる。何でもよろしゅう御座いますから明朝四谷へ行って御覧遊ばせ、きっと何か御座いますよ、婆やが受合いますから」 「きっと何かあっちゃ厭だな。どうか工夫はあるまいか」 「それだから早く御越し遊ばせと申し上げるのに、あなたが余り剛情を御張り遊ばすものだから――」 「これから剛情はやめるよ。――ともかくあした早く四谷へ行って見る事にしよう。今夜これから行っても好いが……」 「今夜いらしっちゃ、婆やは御留守居は出来ません」 「なぜ?」 「なぜって、気味が悪くっていても起ってもいられませんもの」 「それでも御前が四谷の事を心配しているんじゃないか」 「心配は致しておりますが、私だって怖しゅう御座いますから」  折から軒を繞る雨の響に和して、いずくよりともなく何物か地を這うて唸り廻るような声が聞える。 「ああ、あれで御座います」と婆さんが瞳を据えて小声で云う。なるほど陰気な声である。今夜はここへ寝る事にきめる。  余は例のごとく蒲団の中へもぐり込んだがこの唸り声が気になって瞼さえ合わせる事が出来ない。  普通犬の鳴き声というものは、後も先も鉈刀で打ち切った薪雑木を長く継いだ直線的の声である。今聞く唸り声はそんなに簡単な無造作の者ではない。声の幅に絶えざる変化があって、曲りが見えて、丸みを帯びている。蝋燭の灯の細きより始まって次第に福やかに広がってまた油の尽きた灯心の花と漸次に消えて行く。どこで吠えるか分らぬ。百里の遠きほかから、吹く風に乗せられて微かに響くと思う間に、近づけば軒端を洩れて、枕に塞ぐ耳にも薄る。ウウウウと云う音が丸い段落をいくつも連ねて家の周囲を二三度繞ると、いつしかその音がワワワワに変化する拍子、疾き風に吹き除けられて遥か向うに尻尾はンンンと化して闇の世界に入る。陽気な声を無理に圧迫して陰欝にしたのがこの遠吠である。躁狂な響を権柄ずくで沈痛ならしめているのがこの遠吠である。自由でない。圧制されてやむをえずに出す声であるところが本来の陰欝、天然の沈痛よりも一層厭である、聞き苦しい。余は夜着の中に耳の根まで隠した。夜着の中でも聞える。しかも耳を出しているより一層聞き苦しい。また顔を出す。  しばらくすると遠吠がはたとやむ。この夜半の世界から犬の遠吠を引き去ると動いているものは一つもない。吾家が海の底へ沈んだと思うくらい静かになる。静まらぬは吾心のみである。吾心のみはこの静かな中から何事かを予期しつつある。されどもその何事なるかは寸分の観念だにない。性の知れぬ者がこの闇の世からちょっと顔を出しはせまいかという掛念が猛烈に神経を鼓舞するのみである。今出るか、今出るかと考えている。髪の毛の間へ五本の指を差し込んでむちゃくちゃに掻いて見る。一週間ほど湯に入って頭を洗わんので指の股が油でニチャニチャする。この静かな世界が変化したら――どうも変化しそうだ。今夜のうち、夜の明けぬうち何かあるに相違ない。この一秒を待って過ごす。この一秒もまた待ちつつ暮らす。何を待っているかと云われては困る。何を待っているか自分に分らんから一層の苦痛である。頭から抜き取った手を顔の前に出して無意味に眺める。爪の裏が垢で薄黒く三日月形に見える。同時に胃嚢が運動を停止して、雨に逢った鹿皮を天日で乾し堅めたように腹の中が窮窟になる。犬が吠えれば善いと思う。吠えているうちは厭でも、厭な度合が分る。こう静かになっては、どんな厭な事が背後に起りつつあるのか、知らぬ間に醸されつつあるか見当がつかぬ。遠吠なら我慢する。どうか吠えてくれればいいと寝返りを打って仰向けになる。天井に丸くランプの影が幽かに写る。見るとその丸い影が動いているようだ。いよいよ不思議になって来たと思うと、蒲団の上で脊髄が急にぐにゃりとする。ただ眼だけを見張って、たしかに動いておるか、おらぬかを確める。――確かに動いている。平常から動いているのだが気がつかずに今日まで過したのか、または今夜に限って動くのかしらん。――もし今夜だけ動くのなら、ただごとではない。しかしあるいは腹工合のせいかも知れまい。今日会社の帰りに池の端の西洋料理屋で海老のフライを食ったが、ことによるとあれが祟っているかもしれん。詰らん物を食って、銭をとられて馬鹿馬鹿しい廃せばよかった。何しろこんな時は気を落ちつけて寝るのが肝心だと堅く眼を閉じて見る。すると虹霓を粉にして振り蒔くように、眼の前が五色の斑点でちらちらする。これは駄目だと眼を開くとまたランプの影が気になる。仕方がないからまた横向になって大病人のごとく、じっとして夜の明けるのを待とうと決心した。  横を向いてふと目に入ったのは、襖の陰に婆さんが叮嚀に畳んで置いた秩父銘仙の不断着である。この前四谷に行って露子の枕元で例の通り他愛もない話をしておった時、病人が袖口の綻びから綿が出懸っているのを気にして、よせと云うのを無理に蒲団の上へ起き直って縫ってくれた事をすぐ聯想する。あの時は顔色が少し悪いばかりで笑い声さえ常とは変らなかったのに――当人ももうだいぶ好くなったから明日あたりから床を上げましょうとさえ言ったのに――今、眼の前に露子の姿を浮べて見ると――浮べて見るのではない、自然に浮んで来るのだが――頭へ氷嚢を載せて、長い髪を半分濡らして、うんうん呻きながら、枕の上へのり出してくる。――いよいよ肺炎かしらと思う。しかし肺炎にでもなったら何とか知らせが来るはずだ。使も手紙も来ない所をもって見るとやっぱり病気は全快したに相違ない、大丈夫だ、と断定して眠ろうとする。合わす瞳の底に露子の青白い肉の落ちた頬と、窪んで硝子張のように凄い眼がありありと写る。どうも病気は癒っておらぬらしい。しらせはまだ来ぬが、来ぬと云う事が安心にはならん。今に来るかも知れん、どうせ来るなら早く来れば好い、来ないか知らんと寝返りを打つ。寒いとは云え四月と云う時節に、厚夜着を二枚も重ねて掛けているから、ただでさえ寝苦しいほど暑い訳であるが、手足と胸の中は全く血の通わぬように重く冷たい。手で身のうちを撫でて見ると膏と汗で湿っている。皮膚の上に冷たい指が触るのが、青大将にでも這われるように厭な気持である。ことによると今夜のうちに使でも来るかも知れん。  突然何者か表の雨戸を破れるほど叩く。そら来たと心臓が飛び上って肋の四枚目を蹴る。何か云うようだが叩く音と共に耳を襲うので、よく聞き取れぬ。「婆さん、何か来たぜ」と云う声の下から「旦那様、何か参りました」と答える。余と婆さんは同時に表口へ出て雨戸を開ける。――巡査が赤い火を持って立っている。 「今しがた何かありはしませんか」と巡査は不審な顔をして、挨拶もせぬ先から突然尋ねる。余と婆さんは云い合したように顔を見合せる。両方共何とも答をしない。 「実は今ここを巡行するとね、何だか黒い影が御門から出て行きましたから……」  婆さんの顔は土のようである。何か云おうとするが息がはずんで云えない。巡査は余の方を見て返答を促す。余は化石のごとく茫然と立っている。 「いやこれは夜中はなはだ失礼で……実は近頃この界隈が非常に物騒なので、警察でも非常に厳重に警戒をしますので――ちょうど御門が開いておって、何か出て行ったような按排でしたから、もしやと思ってちょっと御注意をしたのですが……」  余はようやくほっと息をつく。咽喉に痞えている鉛の丸が下りたような気持ちがする。 「これは御親切に、どうも、――いえ別に何も盗難に罹った覚はないようです」 「それなら宜しゅう御座います。毎晩犬が吠えておやかましいでしょう。どう云うものか賊がこの辺ばかり徘徊しますんで」 「どうも御苦労様」と景気よく答えたのは遠吠が泥棒のためであるとも解釈が出来るからである。巡査は帰る。余は夜が明け次第四谷に行くつもりで、六時が鳴るまでまんじりともせず待ち明した。  雨はようやく上ったが道は非常に悪い。足駄をと云うと歯入屋へ持って行ったぎり、つい取ってくるのを忘れたと云う。靴は昨夜の雨でとうてい穿けそうにない。構うものかと薩摩下駄を引掛けて全速力で四谷坂町まで馳けつける。門は開いているが玄関はまだ戸閉りがしてある。書生はまだ起きんのかしらと勝手口へ廻る。清と云う下総生れの頬ペタの赤い下女が俎の上で糠味噌から出し立ての細根大根を切っている。「御早よう、何はどうだ」と聞くと驚いた顔をして、襷を半分はずしながら「へえ」と云う。へえでは埓があかん。構わず飛び上って、茶の間へつかつか這入り込む。見ると御母さんが、今起き立の顔をして叮嚀に如鱗木の長火鉢を拭いている。 「あら靖雄さん!」と布巾を持ったままあっけに取られたと云う風をする。あら靖雄さんでも埓があかん。 「どうです、よほど悪いですか」と口早に聞く。  犬の遠吠が泥棒のせいときまるくらいなら、ことによると病気も癒っているかも知れない。癒っていてくれれば宜いがと御母さんの顔を見て息を呑み込む。 「ええ悪いでしょう、昨日は大変降りましたからね。さぞ御困りでしたろう」これでは少々見当が違う。御母さんのようすを見ると何だか驚いているようだが、別に心配そうにも見えない。余は何となく落ちついて来る。 「なかなか悪い道です」とハンケチを出して汗を拭いたが、やはり気掛りだから「あの露子さんは――」と聞いて見た。 「今顔を洗っています、昨夕中央会堂の慈善音楽会とかに行って遅く帰ったものですから、つい寝坊をしましてね」 「インフルエンザは?」 「ええありがとう、もうさっぱり……」 「何ともないんですか」 「ええ風邪はとっくに癒りました」  寒からぬ春風に、濛々たる小雨の吹き払われて蒼空の底まで見える心地である。日本一の御機嫌にて候と云う文句がどこかに書いてあったようだが、こんな気分を云うのではないかと、昨夕の気味の悪かったのに引き換えて今の胸の中が一層朗かになる。なぜあんな事を苦にしたろう、自分ながら愚の至りだと悟って見ると、何だか馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいと思うにつけて、たとい親しい間柄とは云え、用もないのに早朝から人の家へ飛び込んだのが手持無沙汰に感ぜらるる。 「どうして、こんなに早く、――何か用事でも出来たんですか」と御母さんが真面目に聞く。どう答えて宜いか分らん。嘘をつくと云ったって、そう咄嗟の際に嘘がうまく出るものではない。余は仕方がないから「ええ」と云った。 「ええ」と云った後で、廃せば善かった、――一思いに正直なところを白状してしまえば善かったと、すぐ気がついたが、「ええ」の出たあとはもう仕方がない。「ええ」を引き込める訳に行かなければ「ええ」を活かさなければならん。「ええ」とは単簡な二文字であるが滅多に使うものでない、これを活かすにはよほど骨が折れる。 「何か急な御用なんですか」と御母さんは詰め寄せる。別段の名案も浮ばないからまた「ええ」と答えて置いて、「露子さん露子さん」と風呂場の方を向いて大きな声で怒鳴って見た。 「あら、どなたかと思ったら、御早いのねえ――どうなすったの、――何か御用なの?」露子は人の気も知らずにまた同じ質問で苦しめる。 「ああ何か急に御用が御出来なすったんだって」と御母さんは露子に代理の返事をする。 「そう、何の御用なの」と露子は無邪気に聞く。 「ええ、少しその、用があって近所まで来たのですから」とようやく一方に活路を開く。随分苦しい開き方だと一人で肚の中で考える。 「それでは、私に御用じゃないの」と御母さんは少々不審な顔つきである。 「ええ」 「もう用を済ましていらしったの、随分早いのね」と露子は大に感嘆する。 「いえ、まだこれから行くんです」とあまり感嘆されても困るから、ちょっと謙遜して見たが、どっちにしても別に変りはないと思うと、自分で自分の言っている事がいかにも馬鹿らしく聞える。こんな時はなるべく早く帰る方が得策だ、長座をすればするほど失敗するばかりだと、そろそろ、尻を立てかけると 「あなた、顔の色が大変悪いようですがどうかなさりゃしませんか」と御母さんが逆捻を喰わせる。 「髪を御刈りになると好いのね、あんまり髭が生えているから病人らしいのよ。あら頭にはねが上っててよ。大変乱暴に御歩行きなすったのね」 「日和下駄ですもの、よほど上ったでしょう」と背中を向いて見せる。御母さんと露子は同時に「おやまあ!」と申し合せたような驚き方をする。  羽織を干して貰って、足駄を借りて奥に寝ている御父っさんには挨拶もしないで門を出る。うららかな上天気で、しかも日曜である。少々ばつは悪かったようなものの昨夜の心配は紅炉上の雪と消えて、余が前途には柳、桜の春が簇がるばかり嬉しい。神楽坂まで来て床屋へ這入る。未来の細君の歓心を得んがためだと云われても構わない。実際余は何事によらず露子の好くようにしたいと思っている。 「旦那髯は残しましょうか」と白服を着た職人が聞く。髯を剃るといいと露子が云ったのだが全体の髯の事か顋髯だけかわからない。まあ鼻の下だけは残す事にしようと一人できめる。職人が残しましょうかと念を押すくらいだから、残したって余り目立つほどのものでもないにはきまっている。 「源さん、世の中にゃ随分馬鹿な奴がいるもんだねえ」と余の顋をつまんで髪剃を逆に持ちながらちょっと火鉢の方を見る。  源さんは火鉢の傍に陣取って将棊盤の上で金銀二枚をしきりにパチつかせていたが「本当にさ、幽霊だの亡者だのって、そりゃ御前、昔しの事だあな。電気灯のつく今日そんな箆棒な話しがある訳がねえからな」と王様の肩へ飛車を載せて見る。「おい由公御前こうやって駒を十枚積んで見ねえか、積めたら安宅鮓を十銭奢ってやるぜ」  一本歯の高足駄を穿いた下剃の小僧が「鮓じゃいやだ、幽霊を見せてくれたら、積んで見せらあ」と洗濯したてのタウエルを畳みながら笑っている。 「幽霊も由公にまで馬鹿にされるくらいだから幅は利かない訳さね」と余の揉み上げを米噛みのあたりからぞきりと切り落す。 「あんまり短かかあないか」 「近頃はみんなこのくらいです。揉み上げの長いのはにやけてておかしいもんです。――なあに、みんな神経さ。自分の心に恐いと思うから自然幽霊だって増長して出たくならあね」と刃についた毛を人さし指と拇指で拭いながらまた源さんに話しかける。 「全く神経だ」と源さんが山桜の煙を口から吹き出しながら賛成する。 「神経って者は源さんどこにあるんだろう」と由公はランプのホヤを拭きながら真面目に質問する。 「神経か、神経は御めえ方々にあらあな」と源さんの答弁は少々漠然としている。  白暖簾の懸った座敷の入口に腰を掛けて、さっきから手垢のついた薄っぺらな本を見ていた松さんが急に大きな声を出して面白い事がかいてあらあ、よっぽど面白いと一人で笑い出す。 「何だい小説か、食道楽じゃねえか」と源さんが聞くと松さんはそうよそうかも知れねえと上表紙を見る。標題には浮世心理講義録有耶無耶道人著とかいてある。 「何だか長い名だ、とにかく食道楽じゃねえ。鎌さん一体これゃ何の本だい」と余の耳に髪剃を入れてぐるぐる廻転させている職人に聞く。 「何だか、訳の分らないような、とぼけた事が書いてある本だがね」 「一人で笑っていねえで少し読んで聞かせねえ」と源さんは松さんに請求する。松さんは大きな声で一節を読み上げる。 「狸が人を婆化すと云いやすけれど、何で狸が婆化しやしょう。ありゃみんな催眠術でげす……」 「なるほど妙な本だね」と源さんは煙に捲かれている。 「拙が一返古榎になった事がありやす、ところへ源兵衛村の作蔵と云う若い衆が首を縊りに来やした……」 「何だい狸が何か云ってるのか」 「どうもそうらしいね」 「それじゃ狸のこせえた本じゃねえか――人を馬鹿にしやがる――それから?」 「拙が腕をニューと出している所へ古褌を懸けやした――随分臭うげしたよ――……」 「狸の癖にいやに贅沢を云うぜ」 「肥桶を台にしてぶらりと下がる途端拙はわざと腕をぐにゃりと卸ろしてやりやしたので作蔵君は首を縊り損ってまごまごしておりやす。ここだと思いやしたから急に榎の姿を隠してアハハハハと源兵衛村中へ響くほどな大きな声で笑ったやりやした。すると作蔵君はよほど仰天したと見えやして助けてくれ、助けてくれと褌を置去りにして一生懸命に逃げ出しやした……」 「こいつあ旨え、しかし狸が作蔵の褌をとって何にするだろう」 「大方睾丸でもつつむ気だろう」  アハハハハと皆一度に笑う。余も吹き出しそうになったので職人はちょっと髪剃を顔からはずす。 「面白え、あとを読みねえ」と源さん大に乗気になる。 「俗人は拙が作蔵を婆化したように云う奴でげすが、そりゃちと無理でげしょう。作蔵君は婆化されよう、婆化されようとして源兵衛村をのそのそしているのでげす。その婆化されようと云う作蔵君の御注文に応じて拙がちょっと婆化して上げたまでの事でげす。すべて狸一派のやり口は今日開業医の用いておりやす催眠術でげして、昔からこの手でだいぶ大方の諸君子をごまかしたものでげす。西洋の狸から直伝に輸入致した術を催眠法とか唱え、これを応用する連中を先生などと崇めるのは全く西洋心酔の結果で拙などはひそかに慨嘆の至に堪えんくらいのものでげす。何も日本固有の奇術が現に伝っているのに、一も西洋二も西洋と騒がんでもの事でげしょう。今の日本人はちと狸を軽蔑し過ぎるように思われやすからちょっと全国の狸共に代って拙から諸君に反省を希望して置きやしょう」 「いやに理窟を云う狸だぜ」と源さんが云うと、松さんは本を伏せて「全く狸の言う通だよ、昔だって今だって、こっちがしっかりしていりゃ婆化されるなんて事はねえんだからな」としきりに狸の議論を弁護している。して見ると昨夜は全く狸に致された訳かなと、一人で愛想をつかしながら床屋を出る。  台町の吾家に着いたのは十時頃であったろう。門前に黒塗の車が待っていて、狭い格子の隙から女の笑い声が洩れる。ベルを鳴らして沓脱に這入る途端「きっと帰っていらっしゃったんだよ」と云う声がして障子がすうと明くと、露子が温かい春のような顔をして余を迎える。 「あなた来ていたのですか」 「ええ、お帰りになってから、考えたら何だか様子が変だったから、すぐ車で来て見たの、そうして昨夕の事を、みんな婆やから聞いてよ」と婆さんを見て笑い崩れる。婆さんも嬉しそうに笑う。露子の銀のような笑い声と、婆さんの真鍮のような笑い声と、余の銅のような笑い声が調和して天下の春を七円五十銭の借家に集めたほど陽気である。いかに源兵衛村の狸でもこのくらい大きな声は出せまいと思うくらいである。  気のせいかその後露子は以前よりも一層余を愛するような素振に見えた。津田君に逢った時、当夜の景況を残りなく話したらそれはいい材料だ僕の著書中に入れさせてくれろと云った。文学士津田真方著幽霊論の七二頁にK君の例として載っているのは余の事である。 底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年10月27日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:LUNA CAT 2000年8月31日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 倫敦塔 倫敦塔 夏目漱石  二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊わすのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。  行ったのは着後間もないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは固より知らん。まるで御殿場の兎が急に日本橋の真中へ抛り出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾が神経の繊維もついには鍋の中の麩海苔のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。  しかも余は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く宛もなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、恐々ながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは用達のため出あるかねばならなかった。無論汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い倫敦を蜘蛛手十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの人に尋ねる、何人でも合点の行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである。 「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。来るに来所なく去るに去所を知らずと云うと禅語めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって吾家に帰ったかいまだに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである。「塔」その物の光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、後はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失したる中間が会釈もなく明るい。あたかも闇を裂く稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地がする。倫敦塔は宿世の夢の焼点のようだ。  倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。過去と云う怪しき物を蔽える戸帳が自ずと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。  この倫敦塔を塔橋の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた古えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺め入った。冬の初めとはいいながら物静かな日である。空は灰汁桶を掻き交ぜたような色をして低く塔の上に垂れ懸っている。壁土を溶し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず無理矢理に動いているかと思わるる。帆懸舟が一隻塔の下を行く。風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつまでも同じ所に停っているようである。伝馬の大きいのが二艘上って来る。ただ一人の船頭が艫に立って艪を漕ぐ、これもほとんど動かない。塔橋の欄干のあたりには白き影がちらちらする、大方鴎であろう。見渡したところすべての物が静かである。物憂げに見える、眠っている、皆過去の感じである。そうしてその中に冷然と二十世紀を軽蔑するように立っているのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、いやしくも歴史の有らん限りは我のみはかくてあるべしと云わぬばかりに立っている。その偉大なるには今さらのように驚かれた。この建築を俗に塔と称えているが塔と云うは単に名前のみで実は幾多の櫓から成り立つ大きな地城である。並び聳ゆる櫓には丸きもの角張りたるものいろいろの形状はあるが、いずれも陰気な灰色をして前世紀の紀念を永劫に伝えんと誓えるごとく見える。九段の遊就館を石で造って二三十並べてそうしてそれを虫眼鏡で覗いたらあるいはこの「塔」に似たものは出来上りはしまいかと考えた。余はまだ眺めている。セピヤ色の水分をもって飽和したる空気の中にぼんやり立って眺めている。二十世紀の倫敦がわが心の裏から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が幻のごとき過去の歴史を吾が脳裏に描き出して来る。朝起きて啜る渋茶に立つ煙りの寝足らぬ夢の尾を曳くように感ぜらるる。しばらくすると向う岸から長い手を出して余を引張るかと怪しまれて来た。今まで佇立して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった。長い手はなおなお強く余を引く。余はたちまち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐいぐい牽く。塔橋を渡ってからは一目散に塔門まで馳せ着けた。見る間に三万坪に余る過去の一大磁石は現世に浮游するこの小鉄屑を吸収しおわった。門を入って振り返ったとき、 憂の国に行かんとするものはこの門を潜れ。 永劫の呵責に遭わんとするものはこの門をくぐれ。 迷惑の人と伍せんとするものはこの門をくぐれ。 正義は高き主を動かし、神威は、最上智は、最初愛は、われを作る。 我が前に物なしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。 この門を過ぎんとするものはいっさいの望を捨てよ。 という句がどこぞで刻んではないかと思った。余はこの時すでに常態を失っている。  空濠にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔がある。これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向へ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に鐘塔が峙つ。真鉄の盾、黒鉄の甲が野を蔽う秋の陽炎のごとく見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、壁上を歩む哨兵の隙を見て、逃れ出ずる囚人の、逆しまに落す松明の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心傲れる市民の、君の政非なりとて蟻のごとく塔下に押し寄せて犇めき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。祖来る時は祖を殺しても鳴らし、仏来る時は仏を殺しても鳴らした。霜の朝、雪の夕、雨の日、風の夜を何べんとなく鳴らした鐘は今いずこへ行ったものやら、余が頭をあげて蔦に古りたる櫓を見上げたときは寂然としてすでに百年の響を収めている。  また少し行くと右手に逆賊門がある。門の上には聖タマス塔が聳えている。逆賊門とは名前からがすでに恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである。彼らが舟を捨ててひとたびこの門を通過するやいなや娑婆の太陽は再び彼らを照らさなかった。テームスは彼らにとっての三途の川でこの門は冥府に通ずる入口であった。彼らは涙の浪に揺られてこの洞窟のごとく薄暗きアーチの下まで漕ぎつけられる。口を開けて鰯を吸う鯨の待ち構えている所まで来るやいなやキーと軋る音と共に厚樫の扉は彼らと浮世の光りとを長えに隔てる。彼らはかくしてついに宿命の鬼の餌食となる。明日食われるか明後日食われるかあるいはまた十年の後に食われるか鬼よりほかに知るものはない。この門に横付につく舟の中に坐している罪人の途中の心はどんなであったろう。櫂がしわる時、雫が舟縁に滴たる時、漕ぐ人の手の動く時ごとに吾が命を刻まるるように思ったであろう。白き髯を胸まで垂れて寛やかに黒の法衣を纏える人がよろめきながら舟から上る。これは大僧正クランマーである。青き頭巾を眉深に被り空色の絹の下に鎖り帷子をつけた立派な男はワイアットであろう。これは会釈もなく舷から飛び上る。はなやかな鳥の毛を帽に挿して黄金作りの太刀の柄に左の手を懸け、銀の留め金にて飾れる靴の爪先を、軽げに石段の上に移すのはローリーか。余は暗きアーチの下を覗いて、向う側には石段を洗う波の光の見えはせぬかと首を延ばした。水はない。逆賊門とテームス河とは堤防工事の竣功以来全く縁がなくなった。幾多の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は昔しの名残りにその裾を洗う笹波の音を聞く便りを失った。ただ向う側に存する血塔の壁上に大なる鉄環が下がっているのみだ。昔しは舟の纜をこの環に繋いだという。  左りへ折れて血塔の門に入る。今は昔し薔薇の乱に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草のごとく人を薙ぎ、鶏のごとく人を潰し、乾鮭のごとく屍を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。アーチの下に交番のような箱があって、その側らに甲形の帽子をつけた兵隊が銃を突いて立っている。すこぶる真面目な顔をしているが、早く当番を済まして、例の酒舗で一杯傾けて、一件にからかって遊びたいという人相である。塔の壁は不規則な石を畳み上げて厚く造ってあるから表面は決して滑ではない。所々に蔦がからんでいる。高い所に窓が見える。建物の大きいせいか下から見るとはなはだ小さい。鉄の格子がはまっているようだ。番兵が石像のごとく突立ちながら腹の中で情婦とふざけている傍らに、余は眉を攅め手をかざしてこの高窓を見上げて佇ずむ。格子を洩れて古代の色硝子に微かなる日影がさし込んできらきらと反射する。やがて煙のごとき幕が開いて空想の舞台がありありと見える。窓の内側は厚き戸帳が垂れて昼もほの暗い。窓に対する壁は漆喰も塗らぬ丸裸の石で隣りの室とは世界滅却の日に至るまで動かぬ仕切りが設けられている。ただその真中の六畳ばかりの場所は冴えぬ色のタペストリで蔽われている。地は納戸色、模様は薄き黄で、裸体の女神の像と、像の周囲に一面に染め抜いた唐草である。石壁の横には、大きな寝台が横わる。厚樫の心も透れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の触るる場所だけ光りを射返す。この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三四、一人は十歳くらいと思われる。幼なき方は床に腰をかけて、寝台の柱に半ば身を倚たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてある頁の上に右の手を置く。象牙を揉んで柔かにしたるごとく美しい手である。二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。  兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。 「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人こそ幸あれ。日毎夜毎に死なんと願え。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るる……」 弟は世に憐れなる声にて「アーメン」と云う。折から遠くより吹く木枯しの高き塔を撼がして一度びは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける。雪のごとく白い蒲団の一部がほかと膨れ返る。兄はまた読み初める。 「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日ありと頼むな。覚悟をこそ尊べ。見苦しき死に様ぞ恥の極みなる……」 弟また「アーメン」と云う。その声は顫えている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方へ歩みよりて外の面を見ようとする。窓が高くて背が足りぬ。床几を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠れる犬の生血にて染め抜いたようである。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様に逢いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。  忽然舞台が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然として立っている。面影は青白く窶れてはいるが、どことなく品格のよい気高い婦人である。やがて錠のきしる音がしてぎいと扉が開くと内から一人の男が出て来て恭しく婦人の前に礼をする。 「逢う事を許されてか」と女が問う。 「否」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの掟なればぜひなしと諦めたまえ。私の情売るは安き間の事にてあれど」と急に口を緘みてあたりを見渡す。濠の内からかいつぶりがひょいと浮き上る。  女は頸に懸けたる金の鎖を解いて男に与えて「ただ束の間を垣間見んとの願なり。女人の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云う。  男は鎖りを指の先に巻きつけて思案の体である。かいつぶりはふいと沈む。ややありていう「牢守りは牢の掟を破りがたし。御子らは変る事なく、すこやかに月日を過させたもう。心安く覚して帰りたまえ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然と鳴る。 「いかにしても逢う事は叶わずや」と女が尋ねる。 「御気の毒なれど」と牢守が云い放つ。 「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。  舞台がまた変る。  丈の高い黒装束の影が一つ中庭の隅にあらわれる。苔寒き石壁の中からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って朦朧とあたりを見廻す。しばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から湧いて出る。櫓の角に高くかかる星影を仰いで「日は暮れた」と背の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える。「人殺しも多くしたが今日ほど寝覚の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事止めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「絞める時、花のような唇がぴりぴりと顫うた」「透き通るような額に紫色の筋が出た」「あの唸った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。  空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら一件と手を組んで散歩する時を夢みている。  血塔の下を抜けて向へ出ると奇麗な広場がある。その真中が少し高い。その高い所に白塔がある。白塔は塔中のもっとも古きもので昔しの天主である。竪二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角楼が聳えて所々にはノーマン時代の銃眼さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位をせまったのはこの塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立って彼が天下に向って譲位を宣告したのはこの塔中である。その時譲りを受けたるヘンリーは起って十字を額と胸に画して云う「父と子と聖霊の名によって、我れヘンリーはこの大英国の王冠と御代とを、わが正しき血、恵みある神、親愛なる友の援を藉りて襲ぎ受く」と。さて先王の運命は何人も知る者がなかった。その死骸がポント・フラクト城より移されて聖ポール寺に着した時、二万の群集は彼の屍を繞ってその骨立せる面影に驚かされた。あるいは云う、八人の刺客がリチャードを取り巻いた時彼は一人の手より斧を奪いて一人を斬り二人を倒した。されどもエクストンが背後より下せる一撃のためについに恨を呑んで死なれたと。ある者は天を仰いで云う「あらずあらず。リチャードは断食をして自らと、命の根をたたれたのじゃ」と。いずれにしてもありがたくない。帝王の歴史は悲惨の歴史である。  階下の一室は昔しオルター・ロリーが幽囚の際万国史の草を記した所だと云い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を膝頭で結んだ右足を左りの上へ乗せて鵞ペンの先を紙の上へ突いたまま首を少し傾けて考えているところを想像して見た。しかしその部屋は見る事が出来なかった。  南側から入って螺旋状の階段を上るとここに有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴかぴか光っている。日本におったとき歴史や小説で御目にかかるだけでいっこう要領を得なかったものが一々明瞭になるのははなはだ嬉しい。しかし嬉しいのは一時の事で今ではまるで忘れてしまったからやはり同じ事だ。ただなお記憶に残っているのが甲冑である。その中でも実に立派だと思ったのはたしかヘンリー六世の着用したものと覚えている。全体が鋼鉄製で所々に象嵌がある。もっとも驚くのはその偉大な事である。かかる甲冑を着けたものは少なくとも身の丈七尺くらいの大男でなくてはならぬ。余が感服してこの甲冑を眺めているとコトリコトリと足音がして余の傍へ歩いて来るものがある。振り向いて見るとビーフ・イーターである。ビーフ・イーターと云うと始終牛でも食っている人のように思われるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である。絹帽を潰したような帽子を被って美術学校の生徒のような服を纏うている。太い袖の先を括って腰のところを帯でしめている。服にも模様がある。模様は蝦夷人の着る半纏についているようなすこぶる単純の直線を並べて角形に組み合わしたものに過ぎぬ。彼は時として槍をさえ携える事がある。穂の短かい柄の先に毛の下がった三国志にでも出そうな槍をもつ。そのビーフ・イーターの一人が余の後ろに止まった。彼はあまり背の高くない、肥り肉の白髯の多いビーフ・イーターであった。「あなたは日本人ではありませんか」と微笑しながら尋ねる。余は現今の英国人と話をしている気がしない。彼が三四百年の昔からちょっと顔を出したかまたは余が急に三四百年の古えを覗いたような感じがする。余は黙して軽くうなずく。こちらへ来たまえと云うから尾いて行く。彼は指をもって日本製の古き具足を指して、見たかと云わぬばかりの眼つきをする。余はまただまってうなずく。これは蒙古よりチャーレス二世に献上になったものだとビーフ・イーターが説明をしてくれる。余は三たびうなずく。  白塔を出てボーシャン塔に行く。途中に分捕の大砲が並べてある。その前の所が少しばかり鉄柵に囲い込んで、鎖の一部に札が下がっている。見ると仕置場の跡とある。二年も三年も長いのは十年も日の通わぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるるかと思うと地下よりもなお恐しきこの場所へただ据えらるるためであった。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思うまもなく、目がくらんで物の色さえ定かには眸中に写らぬ先に、白き斧の刃がひらりと三尺の空を切る。流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。烏が一疋下りている。翼をすくめて黒い嘴をとがらせて人を見る。百年碧血の恨が凝って化鳥の姿となって長くこの不吉な地を守るような心地がする。吹く風に楡の木がざわざわと動く。見ると枝の上にも烏がいる。しばらくするとまた一羽飛んでくる。どこから来たか分らぬ。傍に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を眺めている。希臘風の鼻と、珠を溶いたようにうるわしい目と、真白な頸筋を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした。小供は女を見上げて「鴉が、鴉が」と珍らしそうに云う。それから「鴉が寒むそうだから、麺麭をやりたい」とねだる。女は静かに「あの鴉は何にもたべたがっていやしません」と云う。小供は「なぜ」と聞く。女は長い睫の奥に漾うているような眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽います」といったぎり小供の問には答えない。何か独りで考えているかと思わるるくらい澄している。余はこの女とこの鴉の間に何か不思議の因縁でもありはせぬかと疑った。彼は鴉の気分をわが事のごとくに云い、三羽しか見えぬ鴉を五羽いると断言する。あやしき女を見捨てて余は独りボーシャン塔に入る。  倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は悲酸の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の建立にかかるこの三層塔の一階室に入るものはその入るの瞬間において、百代の遺恨を結晶したる無数の紀念を周囲の壁上に認むるであろう。すべての怨、すべての憤、すべての憂と悲みとはこの怨、この憤、この憂と悲の極端より生ずる慰藉と共に九十一種の題辞となって今になお観る者の心を寒からしめている。冷やかなる鉄筆に無情の壁を彫ってわが不運と定業とを天地の間に刻みつけたる人は、過去という底なし穴に葬られて、空しき文字のみいつまでも娑婆の光りを見る。彼らは強いて自らを愚弄するにあらずやと怪しまれる。世に反語というがある。白というて黒を意味し、小と唱えて大を思わしむ。すべての反語のうち自ら知らずして後世に残す反語ほど猛烈なるはまたとあるまい。墓碣と云い、紀念碑といい、賞牌と云い、綬賞と云いこれらが存在する限りは、空しき物質に、ありし世を偲ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを傷ましむる媒介物の残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う。未来の世まで反語を伝えて泡沫の身を嘲る人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだ後は墓碑も建ててもらうまい。肉は焼き骨は粉にして西風の強く吹く日大空に向って撒き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする。  題辞の書体は固より一様でない。あるものは閑に任せて叮嚀な楷書を用い、あるものは心急ぎてか口惜し紛れかがりがりと壁を掻いて擲り書きに彫りつけてある。またあるものは自家の紋章を刻み込んでその中に古雅な文字をとどめ、あるいは盾の形を描いてその内部に読み難き句を残している。書体の異なるように言語もまた決して一様でない。英語はもちろんの事、以太利語も羅甸語もある。左り側に「我が望は基督にあり」と刻されたのはパスリユという坊様の句だ。このパスリユは千五百三十七年に首を斬られた。その傍に JOHAN DECKER と云う署名がある。デッカーとは何者だか分らない。階段を上って行くと戸の入口に T. C. というのがある。これも頭文字だけで誰やら見当がつかぬ。それから少し離れて大変綿密なのがある。まず右の端に十字架を描いて心臓を飾りつけ、その脇に骸骨と紋章を彫り込んである。少し行くと盾の中に下のような句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴えしむ。時も摧けよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」。次には「すべての人を尊べ。衆生をいつくしめ。神を恐れよ。王を敬え」とある。  こんなものを書く人の心の中はどのようであったろうと想像して見る。およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える身体は目に見えぬ縄で縛られて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに塗抹した人々は皆この死よりも辛い苦痛を甞めたのである。忍ばるる限り堪えらるる限りはこの苦痛と戦った末、いても起ってもたまらなくなった時、始めて釘の折や鋭どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の裏に不平を洩らし、平地の上に波瀾を画いたものであろう。彼らが題せる一字一画は、号泣、涕涙、その他すべて自然の許す限りの排悶的手段を尽したる後なお飽く事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう。  また想像して見る。生れて来た以上は、生きねばならぬ。あえて死を怖るるとは云わず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは耶蘇孔子以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。何の理窟も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄に繋がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき運命を眼前に控えておった。いかにせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼らの胸裏に起る疑問であった。ひとたびこの室に入るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人しかない。彼らは遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今に亘る大真理は彼らに誨えて生きよと云う、飽くまでも生きよと云う。彼らはやむをえず彼らの爪を磨いだ。尖がれる爪の先をもって堅き壁の上に一と書いた。一をかける後も真理は古えのごとく生きよと囁く、飽くまでも生きよと囁く。彼らは剥がれたる爪の癒ゆるを待って再び二とかいた。斧の刃に肉飛び骨摧ける明日を予期した彼らは冷やかなる壁の上にただ一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る横縦の疵は生を欲する執着の魂魄である。余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度に背の毛穴から身の内に吹き込むような感じがして覚えずぞっとした。そう思って見ると何だか壁が湿っぽい。指先で撫でて見るとぬらりと露にすべる。指先を見ると真赤だ。壁の隅からぽたりぽたりと露の珠が垂れる。床の上を見るとその滴りの痕が鮮やかな紅いの紋を不規則に連ねる。十六世紀の血がにじみ出したと思う。壁の奥の方から唸り声さえ聞える。唸り声がだんだんと近くなるとそれが夜を洩るる凄い歌と変化する。ここは地面の下に通ずる穴倉でその内には人が二人いる。鬼の国から吹き上げる風が石の壁の破れ目を通って小やかなカンテラを煽るからたださえ暗い室の天井も四隅も煤色の油煙で渦巻いて動いているように見える。幽かに聞えた歌の音は窖中にいる一人の声に相違ない。歌の主は腕を高くまくって、大きな斧を轆轤の砥石にかけて一生懸命に磨いでいる。その傍には一挺の斧が抛げ出してあるが、風の具合でその白い刃がぴかりぴかりと光る事がある。他の一人は腕組をしたまま立って砥の転るのを見ている。髯の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人参のような色に見える。「こう毎日のように舟から送って来ては、首斬り役も繁昌だのう」と髯がいう。「そうさ、斧を磨ぐだけでも骨が折れるわ」と歌の主が答える。これは背の低い眼の凹んだ煤色の男である。「昨日は美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう。「いや顔は美しいが頸の骨は馬鹿に堅い女だった。御蔭でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけに轆轤を転ばす、シュシュシュと鳴る間から火花がピチピチと出る。磨ぎ手は声を張り揚げて歌い出す。   切れぬはずだよ女の頸は恋の恨みで刃が折れる。 シュシュシュと鳴る音のほかには聴えるものもない。カンテラの光りが風に煽られて磨ぎ手の右の頬を射る。煤の上に朱を流したようだ。「あすは誰の番かな」とややありて髯が質問する。「あすは例の婆様の番さ」と平気に答える。 生える白髪を浮気が染める、骨を斬られりゃ血が染める。 と高調子に歌う。シュシュシュと轆轤が回わる、ピチピチと火花が出る。「アハハハもう善かろう」と斧を振り翳して灯影に刃を見る。「婆様ぎりか、ほかに誰もいないか」と髯がまた問をかける。「それから例のがやられる」「気の毒な、もうやるか、可愛相にのう」といえば、「気の毒じゃが仕方がないわ」と真黒な天井を見て嘯く。  たちまち窖も首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシャン塔の真中に茫然と佇んでいる。ふと気がついて見ると傍に先刻鴉に麺麭をやりたいと云った男の子が立っている。例の怪しい女ももとのごとくついている。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いたように云う。女は例のごとく過去の権化と云うべきほどの屹とした口調で「犬ではありません。左りが熊、右が獅子でこれはダッドレー家の紋章です」と答える。実のところ余も犬か豚だと思っていたのであるから、今この女の説明を聞いてますます不思議な女だと思う。そう云えば今ダッドレーと云ったときその言葉の内に何となく力が籠って、あたかも己れの家名でも名乗ったごとくに感ぜらるる。余は息を凝らして両人を注視する。女はなお説明をつづける。「この紋章を刻んだ人はジョン・ダッドレーです」あたかもジョンは自分の兄弟のごとき語調である。「ジョンには四人の兄弟があって、その兄弟が、熊と獅子の周囲に刻みつけられてある草花でちゃんと分ります」見るとなるほど四通りの花だか葉だかが油絵の枠のように熊と獅子を取り巻いて彫ってある。「ここにあるのは Acorns でこれは Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです。下の方に忍冬が描いてありましょう。忍冬は Honeysuckle だから Henry に当るのです。左りの上に塊っているのが Geranium でこれは G……」と云ったぎり黙っている。見ると珊瑚のような唇が電気でも懸けたかと思われるまでにぶるぶると顫えている。蝮が鼠に向ったときの舌の先のごとくだ。しばらくすると女はこの紋章の下に書きつけてある題辞を朗らかに誦した。 Yow that the beasts do wel behold and se, May deme with ease wherefore here made they be Withe borders wherein …………………………………… 4 brothers' names who list to serche the grovnd. 女はこの句を生れてから今日まで毎日日課として暗誦したように一種の口調をもって誦し了った。実を云うと壁にある字ははなはだ見悪い。余のごときものは首を捻っても一字も読めそうにない。余はますますこの女を怪しく思う。  気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。銃眼のある角を出ると滅茶苦茶に書き綴られた、模様だか文字だか分らない中に、正しき画で、小く「ジェーン」と書いてある。余は覚えずその前に立留まった。英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を濺がぬ者はあるまい。ジェーンは義父と所天の野心のために十八年の春秋を罪なくして惜気もなく刑場に売った。蹂み躙られたる薔薇の蕊より消え難き香の遠く立ちて、今に至るまで史を繙く者をゆかしがらせる。希臘語を解しプレートーを読んで一代の碩学アスカムをして舌を捲かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見するの好材料として何人の脳裏にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。  始は両方の眼が霞んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど双眼鏡の度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその景色がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の端には男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、瞬たくまにズッと近づいて余から五六間先ではたと停る。男は前に穴倉の裏で歌をうたっていた、眼の凹んだ煤色をした、背の低い奴だ。磨ぎすました斧を左手に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き手巾で目隠しをして両の手で首を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台は日本の薪割台ぐらいの大きさで前に鉄の環が着いている。台の前部に藁が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色の髪を時々雲のように揺らす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面、なよやかなる頸の辺りに至まで、先刻見た女そのままである。思わず馳け寄ろうとしたが足が縮んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分違わぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握りの髪が軽くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真との道に入りたもう心はなきか」と問う。女屹として「まこととは吾と吾夫の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹んだ、煤色の、背の低い首斬り役が重た気に斧をエイと取り直す。余の洋袴の膝に二三点の血が迸しると思ったら、すべての光景が忽然と消え失せた。  あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に化かされたような顔をして茫然と塔を出る。帰り道にまた鐘塔の下を通ったら高い窓からガイフォークスが稲妻のような顔をちょっと出した。「今一時間早かったら……。この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。塔橋を渡って後ろを顧みたら、北の国の例かこの日もいつのまにやら雨となっていた。糠粒を針の目からこぼすような細かいのが満都の紅塵と煤煙を溶かして濛々と天地を鎖す裏に地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。  無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人が鴉が五羽いたでしょうと云う。おやこの主人もあの女の親類かなと内心大に驚ろくと主人は笑いながら「あれは奉納の鴉です。昔しからあすこに飼っているので、一羽でも数が不足すると、すぐあとをこしらえます、それだからあの鴉はいつでも五羽に限っています」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔を見たその日のうちに打ち壊わされてしまった。余はまた主人に壁の題辞の事を話すと、主人は無造作に「ええあの落書ですか、つまらない事をしたもんで、せっかく奇麗な所を台なしにしてしまいましたねえ、なに罪人の落書だなんて当になったもんじゃありません、贋もだいぶありまさあね」と澄ましたものである。余は最後に美しい婦人に逢った事とその婦人が我々の知らない事やとうてい読めない字句をすらすら読んだ事などを不思議そうに話し出すと、主人は大に軽蔑した口調で「そりゃ当り前でさあ、皆んなあすこへ行く時にゃ案内記を読んで出掛けるんでさあ、そのくらいの事を知ってたって何も驚くにゃあたらないでしょう、何すこぶる別嬪だって?――倫敦にゃだいぶ別嬪がいますよ、少し気をつけないと険呑ですぜ」ととんだ所へ火の手が揚る。これで余の空想の後半がまた打ち壊わされた。主人は二十世紀の倫敦人である。  それからは人と倫敦塔の話しをしない事にきめた。また再び見物に行かない事にきめた。  この篇は事実らしく書き流してあるが、実のところ過半想像的の文字であるから、見る人はその心で読まれん事を希望する、塔の歴史に関して時々戯曲的に面白そうな事柄を撰んで綴り込んで見たが、甘く行かんので所々不自然の痕迹が見えるのはやむをえない。そのうちエリザベス(エドワード四世の妃)が幽閉中の二王子に逢いに来る場と、二王子を殺した刺客の述懐の場は沙翁の歴史劇リチャード三世のうちにもある。沙翁はクラレンス公爵の塔中で殺さるる場を写すには正筆を用い、王子を絞殺する模様をあらわすには仄筆を使って、刺客の語を藉り裏面からその様子を描出している。かつてこの劇を読んだとき、そこを大に面白く感じた事があるから、今その趣向をそのまま用いて見た。しかし対話の内容周囲の光景等は無論余の空想から捏出したもので沙翁とは何らの関係もない。それから断頭吏の歌をうたって斧を磨ぐところについて一言しておくが、この趣向は全くエーンズウォースの「倫敦塔」と云う小説から来たもので、余はこれに対して些少の創意をも要求する権利はない。エーンズウォースには斧の刃のこぼれたのをソルスベリ伯爵夫人を斬る時の出来事のように叙してある。余がこの書を読んだとき断頭場に用うる斧の刃のこぼれたのを首斬り役が磨いでいる景色などはわずかに一二頁に足らぬところではあるが非常に面白いと感じた。のみならず磨ぎながら乱暴な歌を平気でうたっていると云う事が、同じく十五六分の所作ではあるが、全篇を活動せしむるに足るほどの戯曲的出来事だと深く興味を覚えたので、今その趣向そのままを蹈襲したのである。但し歌の意味も文句も、二吏の対話も、暗窖の光景もいっさい趣向以外の事は余の空想から成ったものである。ついでだからエーンズウォースが獄門役に歌わせた歌を紹介して置く。 The axe was sharp, and heavy as lead, As it touched the neck, off went the head!           Whir―whir―whir―whir! Queen Anne laid her white throat upon the block, Quietly waiting the fatal shock; The axe it severed it right in twain, And so quick―so true―that she felt no pain.           Whir―whir―whir―whir! Salisbury's countess, she would not die As a proud dame should―decorously. Lifting my axe, I split her skull, And the edge since then has been notched and dull.           Whir―whir―whir―whir! Queen Catherine Howard gave me a fee, ― A chain of gold―to die easily: And her costly present she did not rue, For I touched her head, and away it flew!           Whir―whir―whir―whir! この全章を訳そうと思ったがとうてい思うように行かないし、かつ余り長過ぎる恐れがあるからやめにした。 二王子幽閉の場と、ジェーン所刑の場については有名なるドラロッシの絵画がすくなからず余の想像を助けている事を一言していささか感謝の意を表する。 舟より上る囚人のうちワイアットとあるは有名なる詩人の子にてジェーンのため兵を挙げたる人、父子同名なる故紛れ易いから記して置く。 塔中四辺の風致景物を今少し精細に写す方が読者に塔その物を紹介してその地を踏ましむる思いを自然に引き起させる上において必要な条件とは気がついているが、何分かかる文を草する目的で遊覧した訳ではないし、かつ年月が経過しているから判然たる景色がどうしても眼の前にあらわれにくい。したがってややともすると主観的の句が重複して、ある時は読者に不愉快な感じを与えはせぬかと思うところもあるが右の次第だから仕方がない。(三十七年十二月二十日) 底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年10月27日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:LUNA CAT 2000年8月31日公開 2004年2月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 一夜 一夜 夏目漱石 「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と髯ある人が二たび三たび微吟して、あとは思案の体である。灯に写る床柱にもたれたる直き背の、この時少しく前にかがんで、両手に抱く膝頭に険しき山が出来る。佳句を得て佳句を続ぎ能わざるを恨みてか、黒くゆるやかに引ける眉の下より安からぬ眼の色が光る。 「描けども成らず、描けども成らず」と椽に端居して天下晴れて胡坐かけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語にて即興なれば間に合わすつもりか。剛き髪を五分に刈りて髯貯えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室の中なる女を顧みる。  竹籠に熱き光りを避けて、微かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。 「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬほどは艶なる居ずまいとなる。 「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝抱く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈らん。贈らん誰に」と女は態とらしからぬ様ながらちょと笑う。やがて朱塗の団扇の柄にて、乱れかかる頬の黒髪をうるさしとばかり払えば、柄の先につけたる紫のふさが波を打って、緑り濃き香油の薫りの中に躍り入る。 「我に贈れ」と髯なき人が、すぐ言い添えてまたからからと笑う。女の頬には乳色の底から捕えがたき笑の渦が浮き上って、瞼にはさっと薄き紅を溶く。 「縫えばどんな色で」と髯あるは真面目にきく。 「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱の方を見る。愁を溶いて錬り上げし珠の、烈しき火には堪えぬほどに涼しい。愁の色は昔しから黒である。  隣へ通う路次を境に植え付けたる四五本の檜に雲を呼んで、今やんだ五月雨がまたふり出す。丸顔の人はいつか布団を捨てて椽より両足をぶら下げている。「あの木立は枝を卸した事がないと見える。梅雨もだいぶ続いた。よう飽きもせずに降るの」と独り言のように言いながら、ふと思い出した体にて、吾が膝頭を丁々と平手をたてに切って敲く。「脚気かな、脚気かな」  残る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちょと解しがたき話しの緒をたぐる。 「女の夢は男の夢よりも美くしかろ」と男が云えば「せめて夢にでも美くしき国へ行かねば」とこの世は汚れたりと云える顔つきである。「世の中が古くなって、よごれたか」と聞けば「よごれました」と扇に軽く玉肌を吹く。「古き壺には古き酒があるはず、味いたまえ」と男も鵞鳥の翼を畳んで紫檀の柄をつけたる羽団扇で膝のあたりを払う。「古き世に酔えるものなら嬉しかろ」と女はどこまでもすねた体である。  この時「脚気かな、脚気かな」としきりにわが足を玩べる人、急に膝頭をうつ手を挙げて、叱と二人を制する。三人の声が一度に途切れる間をククーと鋭どき鳥が、檜の上枝を掠めて裏の禅寺の方へ抜ける。ククー。 「あの声がほととぎすか」と羽団扇を棄ててこれも椽側へ這い出す。見上げる軒端を斜めに黒い雨が顔にあたる。脚気を気にする男は、指を立てて坤の方をさして「あちらだ」と云う。鉄牛寺の本堂の上あたりでククー、ククー。 「一声でほととぎすだと覚る。二声で好い声だと思うた」と再び床柱に倚りながら嬉しそうに云う。この髯男は杜鵑を生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしょか」と女が問をかける。別に恥ずかしと云う気色も見えぬ。五分刈は向き直って「あの声は胸がすくよだが、惚れたら胸は痞えるだろ。惚れぬ事。惚れぬ事……。どうも脚気らしい」と拇指で向脛へ力穴をあけて見る。「九仞の上に一簣を加える。加えぬと足らぬ、加えると危うい。思う人には逢わぬがましだろ」と羽団扇がまた動く。「しかし鉄片が磁石に逢うたら?」「はじめて逢うても会釈はなかろ」と拇指の穴を逆に撫でて澄ましている。 「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と仔細らしく髯を撚る。「わしは歌麻呂のかいた美人を認識したが、なんと画を活かす工夫はなかろか」とまた女の方を向く。「私には――認識した御本人でなくては」と団扇のふさを繊い指に巻きつける。「夢にすれば、すぐに活きる」と例の髯が無造作に答える。「どうして?」「わしのはこうじゃ」と語り出そうとする時、蚊遣火が消えて、暗きに潜めるがつと出でて頸筋にあたりをちくと刺す。 「灰が湿っているのか知らん」と女が蚊遣筒を引き寄せて蓋をとると、赤い絹糸で括りつけた蚊遣灰が燻りながらふらふらと揺れる。東隣で琴と尺八を合せる音が紫陽花の茂みを洩れて手にとるように聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷の灯さえちらちら見える。「どうかな」と一人が云うと「人並じゃ」と一人が答える。女ばかりは黙っている。 「わしのはこうじゃ」と話しがまた元へ返る。火をつけ直した蚊遣の煙が、筒に穿てる三つの穴を洩れて三つの煙となる。「今度はつきました」と女が云う。三つの煙りが蓋の上に塊まって茶色の球が出来ると思うと、雨を帯びた風が颯と来て吹き散らす。塊まらぬ間に吹かるるときには三つの煙りが三つの輪を描いて、黒塗に蒔絵を散らした筒の周囲を遶る。あるものは緩く、あるものは疾く遶る。またある時は輪さえ描く隙なきに乱れてしまう。「荼毘だ、荼毘だ」と丸顔の男は急に焼場の光景を思い出す。「蚊の世界も楽じゃなかろ」と女は人間を蚊に比較する。元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされてしもうた。話しかけた男は別に語りつづけようともせぬ。世の中はすべてこれだと疾うから知っている。 「御夢の物語りは」とややありて女が聞く。男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。読みさした所に象牙を薄く削った紙小刀が挟んである。巻に余って長く外へ食み出した所だけは細かい汗をかいている。指の尖で触ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気てはたまらん」と眉をひそめる。女も「じめじめする事」と片手に袂の先を握って見て、「香でも焚きましょか」と立つ。夢の話しはまた延びる。  宣徳の香炉に紫檀の蓋があって、紫檀の蓋の真中には猿を彫んだ青玉のつまみ手がついている。女の手がこの蓋にかかったとき「あら蜘蛛が」と云うて長い袖が横に靡く、二人の男は共に床の方を見る。香炉に隣る白磁の瓶には蓮の花がさしてある。昨日の雨を蓑着て剪りし人の情けを床に眺むる莟は一輪、巻葉は二つ。その葉を去る三寸ばかりの上に、天井から白金の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が――すこぶる雅だ。 「蓮の葉に蜘蛛下りけり香を焚く」と吟じながら女一度に数弁を攫んで香炉の裏になげ込む。「蛸懸不揺、篆煙遶竹梁」と誦して髯ある男も、見ているままで払わんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。ただ風吹く毎に少しくゆれるのみである。 「夢の話しを蜘蛛もききに来たのだろ」と丸い男が笑うと、「そうじゃ夢に画を活かす話しじゃ。ききたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を読む気もなしに開く。眼は文字の上に落つれども瞳裏に映ずるは詩の国の事か。夢の国の事か。 「百二十間の廻廊があって、百二十個の灯籠をつける。百二十間の廻廊に春の潮が寄せて、百二十個の灯籠が春風にまたたく、朧の中、海の中には大きな華表が浮かばれぬ巨人の化物のごとくに立つ。……」  折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。話し手ははたと話をやめる。残るはちょと居ずまいを直す。誰も這入って来た気色はない。「隣だ」と髯なしが云う。やがて渋蛇の目を開く音がして「また明晩」と若い女の声がする。「必ず」と答えたのは男らしい。三人は無言のまま顔を見合せて微かに笑う。「あれは画じゃない、活きている」「あれを平面につづめればやはり画だ」「しかしあの声は?」「女は藤紫」「男は?」「そうさ」と判じかねて髯が女の方を向く。女は「緋」と賤しむごとく答える。 「百二十間の廻廊に二百三十五枚の額が懸って、その二百三十二枚目の額に画いてある美人の……」 「声は黄色ですか茶色ですか」と女がきく。 「そんな単調な声じゃない。色には直せぬ声じゃ。強いて云えば、ま、あなたのような声かな」 「ありがとう」と云う女の眼の中には憂をこめて笑の光が漲ぎる。  この時いずくよりか二疋の蟻が這い出して一疋は女の膝の上に攀じ上る。おそらくは戸迷いをしたものであろう。上がり詰めた上には獲物もなくて下り路をすら失うた。女は驚ろいた様もなく、うろうろする黒きものを、そと白き指で軽く払い落す。落されたる拍子に、はたと他の一疋と高麗縁の上で出逢う。しばらくは首と首を合せて何かささやき合えるようであったが、このたびは女の方へは向わず、古伊万里の菓子皿を端まで同行して、ここで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云う。 「八畳の座敷があって、三人の客が坐わる。一人の女の膝へ一疋の蟻が上る。一疋の蟻が上った美人の手は……」 「白い、蟻は黒い」と髯がつける。三人が斉しく笑う。一疋の蟻は灰吹を上りつめて絶頂で何か思案している。残るは運よく菓子器の中で葛餅に邂逅して嬉しさの余りか、まごまごしている気合だ。 「その画にかいた美人が?」と女がまた話を戻す。 「波さえ音もなき朧月夜に、ふと影がさしたと思えばいつの間にか動き出す。長く連なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」 「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲は疾くにやんで新たなる一曲を始めたと見える。あまり旨くはない。 「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると 「ビステキの化石を食わせるぞ」と一人が云う。 「造り花なら蘭麝でも焚き込めばなるまい」これは女の申し分だ。三人が三様の解釈をしたが、三様共すこぶる解しにくい。 「珊瑚の枝は海の底、薬を飲んで毒を吐く軽薄の児」と言いかけて吾に帰りたる髯が「それそれ。合奏より夢の続きが肝心じゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。 「描けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて軽く銀椀を叩く。葛餅を獲たる蟻はこの響きに度を失して菓子椀の中を右左りへ馳け廻る。 「蟻の夢が醒めました」と女は夢を語る人に向って云う。 「蟻の夢は葛餅か」と相手は高からぬほどに笑う。 「抜け出ぬか、抜け出ぬか」としきりに菓子器を叩くは丸い男である。 「画から女が抜け出るより、あなたが画になる方が、やさしゅう御座んしょ」と女はまた髯にきく。 「それは気がつかなんだ、今度からは、こちが画になりましょ」と男は平気で答える。 「蟻も葛餅にさえなれば、こんなに狼狽えんでも済む事を」と丸い男は椀をうつ事をやめて、いつの間にやら葉巻を鷹揚にふかしている。  五月雨に四尺伸びたる女竹の、手水鉢の上に蔽い重なりて、余れる一二本は高く軒に逼れば、風誘うたびに戸袋をすって椽の上にもはらはらと所択ばず緑りを滴らす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。  床柱に懸けたる払子の先には焚き残る香の煙りが染み込んで、軸は若冲の蘆雁と見える。雁の数は七十三羽、蘆は固より数えがたい。籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠れる人が振り向きながら眺める。  女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇を軽く揺がせば、折々は鬢のあたりに、そよと乱るる雲の影、収まれば淡き眉の常よりもなお晴れやかに見える。桜の花を砕いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「私も画になりましょか」と云う。はきと分らねど白地に葛の葉を一面に崩して染め抜きたる浴衣の襟をここぞと正せば、暖かき大理石にて刻めるごとき頸筋が際立ちて男の心を惹く。 「そのまま、そのまま、そのままが名画じゃ」と一人が云うと 「動くと画が崩れます」と一人が注意する。 「画になるのもやはり骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらしょうともせず、膝に乗せた右手をいきなり後ろへ廻わして体をどうと斜めに反らす。丈長き黒髪がきらりと灯を受けて、さらさらと青畳に障る音さえ聞える。 「南無三、好事魔多し」と髯ある人が軽く膝頭を打つ。「刹那に千金を惜しまず」と髯なき人が葉巻の飲み殻を庭先へ抛きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋を伝う雨点の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間にやら消えた。 「夜もだいぶ更けた」 「ほととぎすも鳴かぬ」 「寝ましょか」  夢の話しはつい中途で流れた。三人は思い思いに臥床に入る。  三十分の後彼らは美くしき多くの人の……と云う句も忘れた。ククーと云う声も忘れた。蜜を含んで針を吹く隣りの合奏も忘れた、蟻の灰吹を攀じ上った事も、蓮の葉に下りた蜘蛛の事も忘れた。彼らはようやく太平に入る。  すべてを忘れ尽したる後女はわがうつくしき眼と、うつくしき髪の主である事を忘れた。一人の男は髯のある事を忘れた。他の一人は髯のない事を忘れた。彼らはますます太平である。  昔し阿修羅が帝釈天と戦って敗れたときは、八万四千の眷属を領して藕糸孔中に入って蔵れたとある。維摩が方丈の室に法を聴ける大衆は千か万かその数を忘れた。胡桃の裏に潜んで、われを尽大千世界の王とも思わんとはハムレットの述懐と記憶する。粟粒芥顆のうちに蒼天もある、大地もある。一世師に問うて云う、分子は箸でつまめるものですかと。分子はしばらく措く。天下は箸の端にかかるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。  また思う百年は一年のごとく、一年は一刻のごとし。一刻を知ればまさに人生を知る。日は東より出でて必ず西に入る。月は盈つればかくる。いたずらに指を屈して白頭に到るものは、いたずらに茫々たる時に身神を限らるるを恨むに過ぎぬ。日月は欺くとも己れを欺くは智者とは云われまい。一刻に一刻を加うれば二刻と殖えるのみじゃ。蜀川十様の錦、花を添えて、いくばくの色をか変ぜん。  八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくのごとく一夜を過した。彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである。  なぜ三人が落ち合った? それは知らぬ。三人はいかなる身分と素性と性格を有する? それも分らぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? 三人とも一時に眠くなったからである。 (三十八年七月二十六日) 底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年10月27日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 ※底本本文では、「」は、「虫+嘯のつくり」とつくってある。しかし、底本の注記では、つくりにくさかんむりのある「」が用いられている。下記の異本とも照合の上、当該の箇所は「」で入力した。    「倫敦塔・幻影の盾」岩波文庫、岩波書店    1930(昭和5)年12月20日第1刷発行    1990(平成2)年4月16日第23刷改版発行    1997(平成9)年9月5日第30刷発行    「倫敦塔・幻影の盾」新潮文庫、新潮社    1952(昭和27)年7月10日初版発行    1968(昭和43)年9月15日20刷改版発行    1997(平成9)年4月25日69刷発行 入力:柴田卓治 校正:LUNA CAT 2000年9月11日公開 2011年12月5日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 創作家の態度 創作家の態度 夏目漱石  演題は「創作家の態度」と云うのであります。態度と云うのは心の持ち方、物の観方くらいに解釈しておいて下されば宜しい。この、心の持ち方、物の観方で十人、十色さまざまの世界ができまたさまざまの世界観が成り立つのは申すまでもない。一例を上げて申すと、もし諸君が私に向って月の形はどんなだと聞かれれば、私はすぐに丸いと答える。諸君も定めし御異存はなかろうと思う。ところがこの間ある西洋人の書いたものを見たら、我々は普通月を半円形のものと解しているとあったのみか、なぜまんまるなものと思っていぬかと云う訳までが二三行つけ加えてあったんで、少し驚いたくらいであります。我々は教育の結果、習慣の結果、ある眼識で外界を観、ある態度で世相を眺め、そうしてそれが真の外界で、また真の世相と思っている。ところが何かの拍子で全然種類の違った人――商人でも、政事家でもあるいは宗教家でも何でもよろしい。なるべく縁の遠い関係の薄い先生方に逢って、その人々の意見を聞いて見ると驚ろく事があります。それらの人の世界観に誤謬があるので驚くと云うよりも、世の中はこうも観られるものかと感心する方の驚ろき方であります。ちょうど前に述べた我々が月の恰好に対する考えの差と同じであります。こう云うと人間がばらばらになって、相互の心に統一がない、極めて不安な心持になりますが、その代り、誰がどう見ても変らない立場におって、申し合せたように一致した態度に出る事もたくさんあるから、そう苦になるほどの混雑も起らないのであります。(少なくとも実際上)ジェームスと云う人が吾人の意識するところの現象は皆撰択を経たものだと云う事を論じているうちに、こんな例を挙げています。――撰択の議論はとにかく、その例がここの説明にはもっとも適切だと思いますから、ちょっと借用して弁じます。今ここに四角があるとする。するとこの四角を見る立場はいろいろである。横からも、竪からも、筋違からも、眼の位置と、角度を少し変えれば千差万別に見る事ができる。そうしてそのたびたびに四角の恰好が違う。けれども我々が四角に対する考は申し合せたように一致している。あらゆる見方、あらゆる恰好のうちで、たった一つ。――すなわち吾人の視線が四角形の面に直角に落ちる時に映じた形を正当な四角形だと心得ている。これを私の都合の好いように言い換えると、吾人は四角形を観る態度においてことごとく一致しているのであります。また別の例を申しますと彫刻などで云う foreshortening と云う事があります。誰でも心得ている事でありますが、人が手でも足でも前の方に出している姿勢を、こちらから眺めると、実際の手や足よりも短かく見えます。けれども本来はあれより長いものだと思って見ています。だから画心のない吾々が手や足を描こうとすると本来そのままの足や手を、方向のいかんにかかわらず、紙の上にあらわしたくなる。あらわして見るとどうも釣合がわるい。悪いけれども腹が承知をしないで妙な矛盾を感ずる。小供のかいた画を見るとこの心持ちが思い切って正直に出ています。これもこの際都合のいいように翻訳して云いますと、吾々が手や足の長さに対する態度はちゃんと申し合せたように一致していると云う事になります。  してみると世界は観様でいろいろに見られる。極端に云えば人々個々別々の世界を持っていると云っても差支ない。同時にその世界のある部分は誰が見ても一様である。始めから相談して、こう見ようじゃありませんかと、規約の束縛を冥々のうちに受けている。そこで人間の頭が複雑になればなるほど、観察される事物も複雑になって来る。複雑になるんではないが、単純なものを複雑な頭でいろいろに見るから、つまりは物自身が複雑に変化すると同様の結果に陥るのであります。これを前の言葉に戻して云うと、世が進むに従って、複雑な世界と複雑な世界観ができて、そうして一方ではこの複雑なものが統一される区域も拡がって来るのであります。  そこで創作家も一種の人間でありますから各々勝手な世界観を持って、勝手な世界を眺めているに違ない。しかしながらすでに創作家と云う名を受けて、官吏とか商人とか、法律家とかから区別される以上は、この名称は単に鈴木とか、山田とか云う空名と見る訳には行かない。内実においてそれ相当の特性があって他の職業と区別されているのかも知れない。だから、この人々の立場を研究して見たらば、多少の御参考になりはすまいかと思ってこの演題を掲げた訳であります。  そこで、この問題を研究するの方法について述べますと、第一には歴史的の研究があります。これは創作家の世界観の纏ってあらわれた著作そのものを比較して、その特性を綜合した上で、これに一種の名称(自然派とか浪漫派とか)を与えて、それから年代を追ってその発展を迹づけるのであります。いわゆる文学史であります。この間中からして、日本で大分自然派の論が盛になりましていろいろの雑誌にその説明などがたくさん出て、私なども大分利益を受けました。我々日本人が仏蘭西の自然派はこう発達したの、独乙の自然派は今こんな具合だのという事を承知したのは、全くこの歴史研究の御蔭で至極結構な事と思います。  ただこの種の研究について私の飽き足らないところを云うと、あるいは下のような弊がありはすまいかと思われます。  (一)[#(一)は縦中横] 歴史の研究によって、自家を律せんとすると、相当の根拠を見出す前に、現在すなわち新という事と、価値という事を同一視する傾が生じやすくはないかと思われます。すべての心的現象は過程であるからして、Bという現象は、Aという現象に次いで起るのはもちろんであります。したがってBの価値はBの性質のみによって定まらない、Bの前に起ったAと云う現象のために支配せられている事ももちろんであります。腹が減るという現象が心に起ればこそ飯が旨いという現象が次いで起るので、必ずしも料理が上等だから旨かったとばかりは断言できにくいのであります。そこで吾々はAと云う現象を心裡に認めると、これに次いで起るべきBについては、その性質やら、強度やら、いろいろな条件について出来得る限りの撰択をする、またせねばならぬ訳であります。ちょうど車を引いて坂を下りかけたようなもので前の一歩は後の一歩を支配する。後の一歩は前の一歩の趨勢に応ずるような調子で出て行かなければ旨く行かない。人間の歴史はこう云う連鎖で結びつけられているのだから、けっして切り放して見てもその価値は分りません。仰山に言うと一時間の意識はその人の生涯の意識を包含していると云っても不条理ではありません。したがって人には現在が一番価値があるように思われる。一番意味があるごとく感ぜられる。現在がすべての標準として適当だと信じられる。だから明日になると何だ馬鹿馬鹿しい、どうして、あんな気になれたかと思う事がよくあります。昔し恋をした女を十年たって考えると、なぜまあ、あれほど逆上られたものかなあと感心するが、当時はその逆上がもっともで、理の当然で、実に自然で、絶対に価値のある事としか思われなかったのであります。一国の歴史で申しても、一国内の文学だけの歴史で申してもこれと同様の因果に束縛されているのはもちろんであります。現代の仏蘭西人が革命当時の事を考えたら無茶だと思うかも知れず。また浪漫派の勝利を奏したエルナニ事件を想像しても、ああ熱中しないでもよかろうくらいには感ずるだろうと思います。がこれが因果であって見れば致し方がない。ただ気をつけてしかるべき事は、自分の心的状態がまだそんな廻り合せにならないのに、人の因果を身に引き受けて、やきもき焦るのは、多少他の疝気を頭痛に病むの傾きがあるように思います。ところが歴史的研究だけを根本義として自己の立脚地を定めようとすると、わるくするとこの弊に陥り安いようであります。というものは現に研究している事が自分の歴史なら善かろうが人の歴史である。人はそれぞれ勝手な因を蒔いて果を得て、現在を標準として得意である。それを遠くから研究して、彼の現在が、こうだから自分の現在もそうしなければならないとなると、少し無理ができます。自己の傾向がそこへ向いていないのに、向いていると同様の仕事をしなければならなくなる。云わば御付合になる。酷評を加えると自分から出た行為動作もしくは立場でなくって、模傚になる。物真似に帰着する。もとより我々は物真似が好きに出来上っているから、しても構わない。時と場合によると物真似をする方がその間の手数と手続と、煩瑣な過程を抜きにして、すぐさま結局だけを応用する事ができるから非常に調法で便利であります。現に電信、電話、汽車、汽船を始めとして、およそ我国に行われるいわゆる文明の利器というものはことごとく物真似から出来上ったものであります。至極よろしい。人に餅を搗かして、自分が寝ながらにしてこれを平げるの観があって、すこぶる痛快であります。がこの現象をすぐ応用して、文学などにも持って行ける、また持って行かなければならないと結論しては、少し寸法が違ってるように思います。と云うものは理学工学その他の科学もしくはその応用は研究の年代を重ねるに従って、一定の方向に向って発達するもので、どの国民がやり出しても、同程度の頭で同程度の勉強をする以上は一日早くやれば早くやった方が勝になるような学問で、しかも一日後れたものは、必ず、一日早く進んだものの後を(一筋道である)通過しなければならない性質のものであります。歩く道が一筋で、さきが進んでいる以上は、こっちの到着点も明らかに分っているんだから、できるだけ早く甲を脱いで降参する方が得策であります。真似をすると云うと人聞が悪いが骨を折らないで、旨い汁を吸うほど結構な事はない。この点において私は模傚に至極賛成である。しかし人間の内部の歴史になると、またその内部の歴史が外面にあらわれた現象になると、そう簡単には行きませんようです。風俗でも習慣でも、情操でも、西洋の歴史にあらわれたものだけが風俗と習慣と情操であって、外に風俗も習慣も情操もないとは申されない。また西洋人が自己の歴史で幾多の変遷を経て今日に至った最後の到着点が必ずしも標準にはならない。(彼らには標準であろうが)ことに文学に在ってはそうは参りません。多くの人は日本の文学を幼稚だと云います。情けない事に私もそう思っています。しかしながら、自国の文学が幼稚だと自白するのは、今日の西洋文学が標準だと云う意味とは違います。幼稚なる今日の日本文学が発達すれば必ず現代の露西亜文学にならねばならぬものだとは断言できないと信じます。または必ずユーゴーからバルザック、バルザックからゾラと云う順序を経て今日の仏蘭西文学と一様な性質のものに発展しなければならないと云う理由も認められないのであります。幼稚な文学が発達するのは必ず一本道で、そうして落ちつく先は必ず一点であると云う事を理論的に証明しない以上は現代の西洋文学の傾向が、幼稚なる日本文学の傾向とならねばならんとは速断であります。またこの傾向が絶体に正しいとも論結はできにくいと思います。一本道の科学では新すなわち正と云う事が、ある程度において言われるかも知れませんが、発展の道が入り組んでいろいろ分れる以上はまた分れ得る以上は西洋人の新が必ずしも日本人に正しいとは申しようがない。しかしてその文学が一本道に発達しないものであると云う事は、理窟はさておいて、現に当代各国の文学――もっとも進歩している文学――を比較して見たら一番よく分るだろうと思います。近頃のように交通機関の備った時代ですら、露西亜文学は依然として露西亜風で、仏蘭西文学はやはり仏蘭西流で、独乙、英吉利もまたそれぞれに独乙英吉利的な特長があるだろうと思います。したがって文学は汽車や電車と違って、現今の西洋の真似をしたって、さほど痛快な事はないと思います。それよりも自分の心的状態に相当して、自然と無理をしないで胸中に起って来る現象を表現する方がかえって、自分のものらしくって生命があるかも知れません。  もっとも日本だって孤立して生存している国柄ではない。やっぱり西洋と御付合をして大分ばた臭くなりつつある際だから、西洋の現代文学を研究して、その歴史的の由来を視て、ははあ西洋人は、今こんな立場で書いてるなくらいは心得ておかなくっちゃなりません。たとえ夢中に真似をするのが悪いと云っても、先方の立場その他を参考にするのはもちろん必要であります。文学は前申したような特色のものではありますが、その特色の中には一本調子に発達する科学の影響がたくさん流れ込んで来ますから、定数として動かすべからざるこの要素が、いかに科学の進歩に連れて文学の各局部を冒しているかを見るのは、科学思想の発達しない日本人が、いたずらに自己の傾向ばかりふり廻していては、分らないので、そう頑張っていてはついには正宗の名刀で速射砲と立合をするような奇観を呈出するかも知れません。  して見ると歴史的研究は前のような弊もあるが、けっして閑却すべからざるものでありますから、私の希望を云うと、歴史を研究するならばその研究の結果して、綜合的に現代精神とはこんなもので、この精神がないものはほとんど文学として通用しないものだと云う事を指摘して事実の上に証明したいのであります。私の現代精神と云うのは、今月もしくは先月新らしくできた作物そのものについて、この作物は現代精神をあらわしている云々というような論じ方ではありません。過去一二世紀に渡って、(もしくはもっと溯っても、よろしい)、人の心を動かした有名な傑作を通覧してその特性(一つでなくてもよろしい。また矛盾併立していても差支ない)を見出して行く事であります。そうすると一年や十年の流行以上に比較的永久な創作の要素がざっと明暸になるだろうと思います。少なくとも吾々の子もしくは孫時代までは変らない特性が出てくるだろうと思います。もし標準が必要とあるならば、これでこそ多少の標準ができるとも云い得るでしょう。こう云う手数をして現代精神を極めたからと云って、それより以前に出たものには現代精神がないと云う訳にはならない。たとえばダンテの神曲に見えるような考を持っている人は今の世にはたくさんない。また神曲の真似をした作物を出そうと云う男もありますまい。しかしあの神曲のうちから、現代精神を引き出せばいくらでも出て来るにきまっている。今の人の心に訴える箇所はすなわち現代精神であります。デカメロンそのままを春陽堂から出版したって読み手はないにきまっている。しかしあの中に現代精神すなわち種々な点において吾人を動かす自然派のような所はいくらでもあります。ずっと昔に溯ってホーマーはどうです。全体から云うとむしろ馬鹿気ている。誰もイリアッドが書いて見たいと云う人もあるまいが、そのイリアッドがやはり現代の人に読み得るところ、読んで面白いところ、読んで拍案の概があるところ、浪漫的なところ、が少なくはなかろうと思う。こう考えて見ると作物は時代の新旧ばかりで評をするよりも現代精神にリファーして評価すべき事となります。そうしてこの現代精神は実を云うと、読者がめいめい胸の中にもっている。ただ茫乎漠然たるある標準になって這入っているのだから、私の申出しはこの茫乎漠然たるものを歴史的の研究で、もっと明暸に、もっと一般に通用するものにしたいと云う動議にほかならんのであります。諸君の御存じのブランデスと云う人の書いた十九世紀文学の潮流という書物があります。読んで見るとなかなか面白い。独乙の浪漫派だとか、英吉利の自然派だとか表題をつけて、その表題の下に、いくたりも人間の頭数を並べて論じてあります。これで面白いのでありますが、私が読んで妙に思ったのは、こう一題目の下に括られてしまっては括られた本人が押し込められたなり出る事ができないような気がした事です。英吉利の自然派はけっして独乙の浪漫派と一致する事は許さぬ。一点も共通なところがあってはならぬと云わぬばかりの書き方のように感じられました。無論ブランデスの評した作家はかくのごとく水と油のように区別のあったものかも知れない。しかしながら、こう書かれると自然派へ属するものは浪漫派を覗いちゃならない。浪漫派へ押し込めたものは自然派へ足を出しちゃ駄目だと、あたかも先天的にこんな区別のあるごとく感ぜられて、後世の筆を執って文壇に立つものも截然とどっちかに片づけなければならんかのごとき心持がしますからして、ちょっと誤解を生じやすくなります。さればといってこの二派が先天的に哲理上こう違うから微塵も一致するものでないという理窟も書いてなし、また理論上文芸の流派は是非こう分化するものだとも教えてくれない。ただ著者が諸家の詩歌文章を説明する条りを、そうですかそうですかと聞いているようなものでありました。しかしこれは少し困る。例えば学派を分けてあれは早稲田派だ、これは大学派だとしてすましているようなものであります。それほど判然たる区別があるかないか分らないが、よしあったにしても早稲田派と大学派は或る点において同じ説を吐いてはならないと圧しつけるのみか、たとい実際は同じ説でも、なに違ってるよ。早稲田だもの、大学だものとただ名前だけできめてしまう弊が起りやすい。私の現代精神の綜合と云うのは、この弊を救うためで、一方ではこの窮窟な束縛を解くと同時に、名に叶うたる実を有する主義主張を並立せしめようとするためであります。  けれども、こういう研究は私にはちょっと臆劫でなかなかできないから、歴史的に行くと自然現代の西洋作家を実価以上に買い被る弊が起りやすいだろうと思います。そこで歴史的研究以外の立場から創作家の態度を御話する事にしました。  (二)[#(二)は縦中横] もう一つ歴史的研究に対して非難したいのは、ちと哲学者じみますが、こう云う事であります。すべての歴史は与えられた事実であります。すでに事実である以上は人間の力でどうする事もできない。儼として存在しているから、この点において争うべからざる真であります。しかしながらこれが唯一の真であるかと云うのが問題なのであります。言葉を改めて云うと人類発展の痕迹はみんな一筋道に伸びて来るものだろうかとの疑問であります。もしそうだと云う断定ができれば日本の歴史すなわち西洋の歴史、西洋の歴史すなわち希臘の歴史と云う事に帰着します。けれども多数の人は、これら各国の歴史を皆事実と首肯すると共に、ことごとく差違あるものと見傚すだろうと考えます。もっともこの各国の歴史から共通の径路を抽象して人類の発展の方向は必ず、こういう筋を通るものだとは云われましょう。しかしそれだからといって日本も、支那も、英吉利も、独乙も、同じ現象を同じ順序に過去で繰り返しているとは参らんのであります。あまり雲を攫むような議論になりますから、もう少し小さな領分で例を引いて御話を致しますが、日本の絵画のある派は西洋へ渡って向うの画家にはなはだ珍重されているし、また日本からはわざわざ留学生を海外に出して西洋の画を稽古しています。そうして御互に敬服しあっています。両方で及ばないところがあるからでしょう。それは、どうでも善いが、日本の画を元のままで抛っておいて、西洋の画を今の通打ち遣っておいたら、両方の歴史がいつか一度は、どこかで出逢う事があるでしょうか。日本にラファエルとかヴェラスケスのような人間が出て、西洋に歌麿や北斎のごとき豪傑があらわれるでしょうか。ちと無理なようであります。それよりも適当な解釈は、西洋にラファエルやヴェラスケスが出たればこそ今日のような歴史が成立し、また歌麿や北斎が日本に生れたから、浮世絵の歴史がああ云う風になったと逆に論じて行く方がよくはないかと存じます。したがってラファエルが一人出なかったら、西洋の絵画史はそれだけ変化を受けるし、歌麿がいなかったら、風俗画の様子もよほど趣が異なっているでしょう。すると同じ絵の歴史でもラファエルが出ると出ないとで二通り出来上ります。(事実が一通り、想像が一通り)風俗画の方もその通り、歌麿のあるなしで事実の歴史以外にもう一つ想像史が成立する訳であります。ところでこのラファエルや歌麿は必ず出て来なければならない人間であろうか。神の思召だと云えばそれまでだが、もしそう云う御幣を担がずに考えて見ると、三分の二は僥倖で生れたと云っても差支ない。もしラファエルの母が、ラファエルの父の所へ嫁に行く代りにほかの男へ嫁いだら、もうラファエルは生れっこない。ラファエルが小さい時腕でも挫いたら、もう画工にはなれない。父母が坊主にでもしてしまったら、やはりあれだけの事業はできない。よしあれだけの事業をしても生涯人に知らせなかったらけっして後世には残らない。して見ると西洋の絵画史が今日の有様になっているのは、まことに危うい、綱渡りと同じような芸当をして来た結果と云わなければならないのでしょう。少しでも金合が狂えばすぐほかの歴史になってしまう。議論としてはまだ不充分かも知れませんが実際的には、前に云ったような意味から帰納して絵画の歴史は無数無限にある、西洋の絵画史はその一筋である、日本の風俗画の歴史も単にその一筋に過ぎないという事が云われるように思います。これは単に絵画だけを例に引いて御話をしたのでありますが、必ずしも絵画には限りますまい。文学でも同じ事でありましょう。同じ事であるとすると、与えられた西洋の文学史を唯一の真と認めて、万事これに訴えて決しようとするのは少し狭くなり過ぎるかも知れません。歴史だから事実には相違ない。しかし与えられない歴史はいく通りも頭の中で組み立てる事ができて、条件さえ具足すれば、いつでもこれを実現する事は可能だとまで主張しても差支ないくらいだと私は信じております。  そこで西洋の文学史を唯一の真と認めてかかるのは誤っていると、私は申したいのでありますが、ただそれだけなら別にここに述べ立てる必要もない。いざとなると西洋の歴史に支配されるかも知れませんが、普通頭の中で判断すれば西洋の文学史と日本の文学史とは現に二筋であって、両方とも事実で両方とも真であるのは誰が見ても分りやすい事でありますから、その辺はどうでも構いません。また一般に申して西洋の方が進んでいるから万事手本にするんだと言う人があっても構いません。私も至極御同感であります。ただ歴史の解釈を私のようにした上で、西洋を手本にしたら間違が少なかろうと思うのであります。そうしないと弊が出てくる。そうしてその弊に陥って悟らずにいる事があります。  たとえば十九世紀の前半に英国にスコットなる人があらわれて、たくさん小説をかきました。この人の作が一時期を画するような新現象であるために世人はこれをロマンチシズムの代表者と見傚しました。それで差し支ないのですけれども、一度こういう風に推し立てられると、スコットは浪漫主義で浪漫主義はスコットであると云う風にアイデンチファイされるようになります。アイデンチファイされると、スコットの作に見われた要素はことごとく浪漫主義を構成するに必要でかつ充分(necessary and sufficient)なものと認められます。なるほどスコットの作中には中世主義もあります、冒険談もあります。種々な意味に解釈される浪漫主義の特色を含んでおりますが、困る事には多少の写実的分子も交っているのです。ところが写実主義というものは別に旗幟を翻がえして浪漫派の向を張ってるんだから、両々対立の勢のためにせっかくスコットのもっている写実的分子を引き抜いて写実派の中へ入れてやる事ができなくなってしまう。また写実派の中に散見し得る浪漫的分子を切り放して、浪漫派の中に入れる事も困難になってしまう。そこでこの名称のために誤まられて彼らの作品は精製した金や銀のように純粋な性質で自然に存在していると思うようになります。ところが実際は大概まざりものなのであります。だから本来を云うなら、ここに浪漫主義なら浪漫主義、自然主義なら自然主義の定義があって、何人の作物でも構わないからして、この定義に叶っただけを持って来てこの主義のうちへ打ち込むのが当然であろうと思われます。例えば白なら白と云う属性の概念があって、白墨、白紙、白旗、雪などという出来上ったもののうちから白と云う属性だけを引き抜いてこの概念の下に詰め込むのが至当でありましょう。しかるにただ色だけが白いからと云って、色の白いものは形や質や温度その他のいかんに関せずことごとく白のうちへ入れて、しかも外へ出る事を許さなかったら、統一のできるのは白という属性だけであるにも関せず、人はすべての点において統一されているかのごとく誤解を抱くのであります。白いものは白で区別しても差し支ないから、これと同時に、形や質の点においても区別して、一個の具体を二重にも三重にも融通の利くように取り扱わなくっては真相には達せられんはずであります。また一例を云うと、ここに一人の男がある。この人は学校へ出る。その時には教師の仲間へ入れて見なければなりません。筆を執る。その時には著作家の群に伍するものと認めるのが至当であります。家へ帰る。すると夫とも親ともして種類別をしなければならない。この人は一人であるけれどもこれほどの種類へ編入される資格があるのであります。作物もその通りであります。これを分解し、これを綜合して、同一物のある部分を各適当な主義に編入するのが穏当であります。そんな錯雑した作物がないと云うのは過去の歴史だけを眼中に置いた議論でこれから先に作物の性質が、どのくらいに複雑な性質をかねてくるかを窮めない早計の議論かと思います。よし過去の作物だけについて検して見てもその作全体もしくはその人の作物総体をある一主義のもとに一括し得て妥当と認めらるるほどの単調なものばかりはないはずであります。しかるに歴史に束縛されるとこの分類が旨く行かない。なぜと云うと文学史で云う何々主義と云うのは理論から出たのでなくして、個人の作物から出たのであって、その作物の大体を鷲攫みにして、そうしてもっとも顕著に見える特性だけを目懸けて名を下したまでであります。元祖がすでにそうであるからして、継いで起るものの分類も、みんなこの格で何主義のもとに押し込められてしまう。厳正な類別でなくって、人別になってしまう。厳正な類別をやるには人を離れて、作をほごして、出来上ったものを取り崩してかからなければなりません。因襲の結果歴史的の研究はこの方法を吾人に教えないのであります。つまりは幾通りとなく成立し得べき歴史のうちで実際に発展した歴史だけに重きを置いて、しかもほとんど偶然に出現した人間の作そのものを全き成体で取り崩す事のできないものと見傚した上でその特色の著るしきものだけに何主義の名をもってする弊であります。だからこの際理論の方から這入れば成立し得るあらゆる歴史に通用する議論が立てられますし、またはユーゴーとか、バルザックとか云う名前で代表している作物を、一塊りの堅牢体で、塊まりとして取り扱うよりほかに手のつけられないものだと云う観念を脱する便宜もあり、また従来実際に発展した歴史から出て来た何々主義より以外には主義は存在し得べからざるものであるとの誤解もなくなるだろうと思います。  (三)[#(三)は縦中横] もう一つ歴史的研究についての危険を一言単簡に述べておきたいと思います。主義を本位にして動かすべからざるものと見ますと、前申した通り作家(すなわち作物)を取り崩してかからんと不都合が生ずるごとく、作家(すなわち作物)を本位として動かすべからざるものとすると、今度は主義の方にもって融通をつけなければなりますまい。融通をつけると云うと、一つの作物のうちには同時にいろいろな主義を含んでいる場合が多い、少なくとも含んでいる場合があり得るのですから、かような作物を批評したり分解したり説明したりする際には、一主義のもとに窮窟に律し去る習慣を改めて、歴史的には矛盾するごとくに見傚されている主義でも構わないから、これを併立せしめて、いやしくもその作物のある部分を説明するに足る以上はこれを列挙して憚からんようにしなければ、やはり前段同様の不都合に陥る訳であります。しかし歴史的関係から作物はそれ自身に whole なものとして取り扱われておりますし、何主義と云う名はこの whole な作物を掩う名称として用いられておりますから、妙な現象が起って参ります。ここに甲の人があってAと云う作物を出す。するとこの作物にB主義と云う名がつく。(多くの場合においてはこう一言に纏められないにもかかわらず)次に乙なる人が出て来てA′[#「A′」は縦中横]と云う作物を公けにする。すると批評家がAとA′[#「A′」は縦中横]の類似の点を認めて、やはりB主義に入れてしまう。あるいは作家自身が自らB主義と名乗る場合もありましょう。どちらでも同じ事であります。第三に丙と云う男が出てA″[#「A″」は縦中横]を書く。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]と似ているところからやはりB主義に纏められる。こう云う風にして、漸次にAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]まで行ったとすると、どんなものでありましょう。甲と乙とは別人であります。乙と丙とも別人であります。別人である以上はいくら真似を仕合ったところで全然同性質のものができる訳がない。いわんや各自が本来の傾向に従って、個性を発揮して懸った日には、どこかに異分子が混入して来る訳になります。しかもこの異分子もまたB主義の名に掩われてしだいしだいに流転して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。芭蕉が死んでから弟子共が正風の本家はおれだ我だと争った話があります。なるほど正風の旗を翻えすのは、天下を挟んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思われません。今私の申す弊は全く理知的の事で実利問題とは全く没交渉ではありますが、転々承継した主義を一徹に主張すると、少なくともその形迹だけは芭蕉以後の正風争いと同価値に終るようになりはせぬかと思われます。もっともこんな事は我々の日常よくある事で、友人と一時間も議論をしているといつの間にか出立地を忘れて、飛んでもない無関係の問題に火花を散らしながら毫も気がつかない場合は珍しくないようです。AとA′[#「A′」は縦中横]とは似ている。だから双方共B主義でもまあよろしい。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]とも似ている。だから双方共まあB主義でよろしい。降ってAn-1[#「An-1」は縦中横、「n-1」は上付き小書き]とAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]とを比較するとやはり似ている。だから双方とも依然としてB主義で差支ないようなものの、最初のAと最終のAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]を対照した時に始めて困る。何だかB主義では足りないような心持がします。スコットの浪漫趣味とモリスの浪漫趣味とは大分違うようです。モリスはチョーサーに似ていると云います。そのチョーサーは詩人ではあるが写実派と云う方が適当であります。すると浪漫主義を中世主義と解釈せぬ以上はスコットとモリスとを同じ浪漫派に入れるのが妙になって来ます。今度はモリスとゴーチェを比較する。誰が見ても同じ範疇では律せられそうもない。それでも双方共浪漫家で通用しています。ある人の説によると仏蘭西の自然派は浪漫派を極端まで発展させたもので、けっして別途の径路をたどるものではないと申します。そうなると自然派は浪漫派の出店みたようなものになってしまいます。イブセンを捕まえて自然派だと云う人があります。どうもイブセンとモーパサンとはいっしょにならないように思われます。そうかと思うとイブセンを浪漫派だと申す人があります。しかしイブセンとユーゴーとはとうてい同じ畠のものじゃないようであります。要するに二三の主義をどこまでも押し通して、あらゆる作物をどっちかへ片づけようとする無理から起ったものじゃないかと考えられます。イブセンならイブセンを本位として、説明するには、在来の何々主義(しかもそのうちの一つ)で足りると思うのは、また足りなければならないと思い定めてかかるのは、やはり歴史的研究の弊を受けたものではなかろうかと愚考致します。それで少々出立地を変えて見たら、この窮屈を破ると同時にこの曖昧をも幾分か避けられるだろうと思います。  (四)[#(四)は縦中横] もう一つ申して本題に入るつもりでありますが、これは純粋なる歴史的研究とは云えないかも知れません。今まで述べた三カ条はみな文学史に連続した発展があるものと認めて、旧を棄てて漫りに新を追う弊とか、偶然に出て来た人間の作のために何主義と云う名を冠して、作そのものを是非この主義を代表するように取り扱った結果、妥当を欠くにもかかわらずこれをあくまでも取り崩しがたき whole と見傚す弊や、あるいは漸移の勢につれてこの主義の意義が変化を受けて混雑を来す弊を述べたのであります。ここに申す事は歴史に関係はありますが、歴史の発展とはさほど交渉はないように思われます。すなわち作物を区別するのに、ある時代の、ある個人の特性を本として成り立った某々主義をもってする代りに、古今東西に渉ってあてはまるように、作家も時代も離れて、作物の上にのみあらわれた特性をもってする事であります。すでに時代を離れ、作家を離れ、作物の上にのみあらわれた特性をもってすると云う以上は、作物の形式と題目とに因って分つよりほかに致し方がありません。まず形式からして作物を区別すると詩と散文とになります。これは誰でも知っている事で改めて云うほどの必要も認めません。詩と散文と区別したからと云って創作家の態度がちょっと髣髴しにくいのです。分けないよりましかも知れないが、分けたところで大した利益も出て来ないようです。次に問題からして作物の種類別をすると、まず出来事を書いたものを叙事詩(これは希臘の作を土台にして付けた名だから、我々は叙事文と云っても構いません)と名づけたり。自己の感情を咏じたものだから抒情詩(これも抒情文としてもよろしい)と申したり。性格を描いたり、人生を写したりするんで、小説とか戯曲とかの部類に編入したり。あるいは静物を模写するんで叙景文と号するような分類法であります。この分類になると多少細かになりますから、詩と散文の区別より幾分か創作家の態度を窺う事ができて、ずいぶん重宝ではありますが、これとても与えられた作物を与えられたなりに取り扱うだけで、その特性を概括するにとどまってしまいやすいから、それより以上に溯って、もう少し奥から、こう云う立場で、こう変化すると小説ができる、こう変化すると抒情詩ができるとまでは漕ぎつけていないのが多い。そこまで漕ぎつけない以上は、頭から、結果と見られべき作物を棄てて源因と認めべき或物の方から説明して、溯る代りに、流を下ってくる方が善い訳になります。つまり角があるから牛で、鱗があるから魚だと云う代りに、発生学から出立して、どんな具合に牛ができ、どんな具合に魚ができるかを究めた方が、何だか事件が落着したような心持が致します。  私が創作家の態度と題して、歴史の発展に論拠を置かず、また通俗の分類法なる叙事詩抒情詩等の区別を眼中に置かないで、単に心理現象から説明に取りかかろうと思うのはこれがためであります。  それで創作家の態度と云うと、前申した通り創作家がいかなる立場から、どんな風に世の中を見るかと云う事に帰着します。だからこの態度を検するには二つのものの存在を仮定しなければなりません。一つは作家自身で、かりにこれを我と名づけます。一つは作家の見る世界で、かりにこれを非我と名づけます。これは常識の許すところであるから、別に抗議の出よう訳がない。またこの際は常識以上に溯って研究する必要を認めませんから、これから出立するつもりでありますが、今申した我と云うものについて一言弁じて後の伏線を張っておきたいと思います。もっとも弁ずると申しても哲学者の云う“Transcendental I”だの、心理学者の論ずる Ego の感じだのというむずかしい事ではありません。ただ我と云うものは常に動いているもので(意識の流が)そうして続いているものだから、これを区別すると過去の我と現在の我とになる訳であります。もっともどこで過去が始まって、どこから現在になるんだと議論をし出すと際限がありません。古代の哲学者のように、空を飛んで行く矢へ指をさして今どこにいると人に示す事ができないから、必竟矢は動いていないんだなどという議論もやれないでもありません。そう、こだわって来ては際限がありませんが、十年前の自分と十年後の自分を比較して過去と現在に区別のできないものはありませんから、こう分けて差し支ないだろうと思います。そこで――現在の我が過去の我をふり返って見る事ができる。これは当然の事で記憶さえあれば誰でもできる。その時に、我が経験した内界の消息を他人の消息のごとくに観察する事ができる。事ができると云うのですから、必ずそうなると云うのでもなければ、またそう見なくてはならないと云うのでもありません。例えば私が今日ここで演説をする。その時の光景を家へ帰ってから寝ながら考えて見ると、私が演説をしたんじゃない、自分と同じ別人がしたように思う事もできる――できませんか。それじゃ、こういうなあどうでしょう。去年の暮に年が越されない苦しまぎれに、友人から金を借りた。借りる当時は痛切に借りたような気がしたが、今となってみると何だか自分が借りたような気がしない。――いけませんか。それじゃ私が小供の時に寝小便をした。それを今日考えてみると、その時の心持は幾分か記憶で思い出せるが、どうも髯をはやした今の自分がやったようには受取れない。これはあなた方も御同感だろうと思います。なお溯りますと――もうたくさんですか、しかしついでだから、もう一つ申しましょう。私はこの年になるが、いまだかつて生れたような心持がした事がない。しかし回顧して見るとたしかに某年某月の午の刻か、寅の時に、母の胎内から出産しているに違いない。違いないと申しながら、泣いた覚もなければ、浮世の臭もかいだ気がしません。親に聞くとたしかに泣いたと申します。が私から云わせると、冗談云っちゃいけません。おおかたそりゃ人違いでしょうと云いたくなります。そこで我々内界の経験は、現在を去れば去るほど、あたかも他人の内界の経験であるかのごとき態度で観察ができるように思われます。こう云う意味から云うと、前に申した我のうちにも、非我と同様の趣で取り扱われ得る部分が出て参ります。すなわち過去の我は非我と同価値だから、非我の方へ分類しても差し支ないと云う結論になります。  かように我と非我とを区別しておいて、それから我が非我に対する態度を検査してかかります。心理学者の説によりますと、我々の意識の内容を構成する一刻中の要素は雑然尨大なものでありまして、そのうちの一点が注意に伴れて明暸になり得るのだと申します。これは時を離れて云う事であります。前に一刻中と云ったのは、まあ形容の語と思っていただけばよろしい。例えば私がこの演壇に立ってちょっと見廻わすと、千余人の顔が一度に眼に這入る。這入ったと云う感じはありますが、何となく同じ顔で、悪く云うと眼も鼻も揃っていない人が並んでおいでになる。あながち私が度胸が据らないで眼がちらちらするばかりではない。こう、漠然たるのが本来で、心理学者の保証するところであります。しかしこの際は不幸にして、別段私の注意を惹くものがないから、ただ漠然たるのみで、別に明暸なるところがありません。もし演壇のすぐ前に美くしい衣装を着けた美くしい婦人でもおられたら、その周囲六尺ばかりは大いに明暸になるかも知れませんが、惜しい事においでにならんから、完全に私の心理状態を説明する訳に参りません。そこでこの漠然たる限界の広い内容を意識界と云って、そのうちで比較的明暸な点を焦点と申します。これは前申した通り時間の経過に重きを置かない simultaneous の場合でありますが、時間の経過上についても同様の事が申されます。しかしこれを説明するとくどくなりますから略します。また想像で心に思い浮べる事物もほぼ同様に見傚されるだろうと考えますから略します。それから前に申した例は単に分りやすいために視覚から受ける印象のみについて説明したものでありますから、実際は非常に区域の広いものと御承知を願います。  まず我々の心を、幅のある長い河と見立ると、この幅全体が明らかなものではなくって、そのうちのある点のみが、顕著になって、そうしてこの顕著になった点が入れ代り立ち代り、長く流を沿うて下って行く訳であります。そうしてこの顕著な点を連ねたものが、我々の内部経験の主脳で、この経験の一部分が種々な形で作物にあらわれるのであるから、この焦点の取り具合と続き具合で、創作家の態度もきまる訳になります。一尺幅を一尺幅だけに取らないで、そのうちの一点のみに重きを置くとすると勢い取捨と云う事ができて参ります。そうしてこの取捨は我々の注意(故意もしくは自然の)に伴って決せられるのでありますから、この注意の向き案排もしくは向け具合がすなわち態度であると申しても差支なかろうと思います。(注意そのものの性質や発達はここには述べません)私が先年倫敦におった時、この間亡くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。さすが画伯だけあって、違ったものだ、先生は色で世界が出来上がってると考えてるんだなと大に悟りました。するとまた私の下宿に退職の軍人で八十ばかりになる老人がおりました。毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子を拾って来る。もっとも日本の飯杓子のような大きなものではありません。小供の玩具にするブリッキ製の匙であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、いまだかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これを叮嚀に室の中へ並べます。何でもよほどの数になっておりました。で私は感心しました。ほかの事に感心した訳でもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上ってるのに尠なからず感心したのであります。これはただに一例であります。詳しく云うと講演の冒頭に述べたごとく十人十色で、いくらでも不思議な世界を任意に作っているようであります。中にもカントとかヘーゲルとかいう哲学者になるととうてい普通の人には解し得ない世界を建立されたかのごとく思われます。  こう複雑に発展した世界を、出来上ったものとして、一々御紹介する事は、とてもできませんから、分りやすいため、極めて単純な経験で一般の人に共通なものを取って、経験者の態度がいかに分岐して行くかと云う事を御話して、その態度の変化がすなわち創作家の態度の変化にも応用ができるものだと云う意味を説明しようと思います。極めて単純な所だけ、大体の点のみしか申されませんが、幾分か根本義の解釈にもなろうかと存じて、思い立った訳であります。  まず吾人の経験でもっとも単純なものは sensation であります。近頃の心理学では、この字に一種限定的の意味を附して、ある単純なる全部経験の一方面をあらわす事になっておりますが、私は便宜のため全部経験の意義に用います。ただ便宜のために用いるのですから、実際の衝突のない事は私の説明を御聞になれば御分りになるだろうと思います。それからある心理学者は sensation は分解の結果到着する単純な経験で、現実な吾人の経験はもっと複雑なところから始まっているじゃないかと云ってるようですが、それも構いません。ただ sensation が単純な経験をあらわせば、私の目的には宜しいのであります。もし不都合なら、そんな字を借用しないでもよろしい。面倒な事を云わないで、例でもって御話をすれば、早く合点が行かれますから、すぐさま例に取りかかります。  時々酒問屋の前などを御通りになると、目暗縞の着物で唐桟の前垂を三角に、小倉の帯へ挟んだ番頭さんが、菰被りの飲口をゆるめて、樽の中からわずかばかりの酒を、もったいなそうに猪口に受けて舌の先へ持って行くところを御覧になる事があるでしょう。商売柄だけに旨い事をするなと見ていると、酒の雫が舌へ触るか、触らないうちにぷっと吐いてしまいます。そうして次の樽からまた同じように受けて、同じように舌の先へ落しては、次へ次へと移って行きます。けれども何遍同じ事を繰り返してもけっして飲まない。飲んだら好さそうなものですが、ことごとく吐き出してしまいます。そこで今度は同じ番頭が店から家へ帰って、神さんと御取膳か何かで、晩酌をやる。すると今度は飲みますね。けっして吐き出しません。ことによると飲み足りないで、もう一本なんて、赤い手で徳久利を握って、細君の眼の前へぶらつかせる事があるかも知れません。まずこの二た通りの酒の呑み方(もっとも一方は呑み方ではない、吐いてしまうから吐き方かも知れませんが)――吐き方なら吐き方でもよろしい。この呑み方と吐き方を比較して見ると面白い。研究と申すほどの大袈裟な文字はいかがわしいが、説明のしようによると、なかなかえらく聞えるようにできますから御慰みになります。まず第一には、御店で舐めた酒と、長火鉢の傍でぐびぐびやった酒とは、この番頭にとって同じ経験であります。もっとも焼酎とベルモット、ビールと白酒では同じ経験とも申されませんが、同種、同類、同価の酒を店で吐いて、家で飲んだとすれば、吐くと飲むとの相違があるだけで、舌の当りは同じ事だと見るのが順当だから、つまりこの男は同じ味覚の経験を繰り返した訳になります。ここまでは誰が見ても同じ経験であります。それならどこまでも同じだろうかと云うと、違っています。店で試しに口へ当てて見るのは、この酒はどんな質で、どう口当りがして、売ればいくらくらいの相場で、舌触りがぴりりとして、後が淡泊して、頭へぴんと答えて、灘か、伊丹か、地酒か濁酒かが分るため、言い換れば酒の資格を鑑別するためであります。これが晩酌の方で見ると趣が違います。そりゃ時と場合によると、今日の酒は大分善いね、一升九十銭くらいするねくらいの事は云いながら、舌をぴちゃぴちゃ鳴らすかも知れませんが、何も九十銭を研究している訳でも何でもありゃしないのです。だから九十銭が一円でもただ旨く飲めさえすりゃ結構なんです。こういう点から云うと、両方が変っています。酒の味を利用して酒の性質を知ろうというのが番頭の仕事で、酒の味を旨がって、口舌の満足を得るというのが晩酌の状態であります。双方とも同じ経験に違いない。ただその経験の処置が異なっています。言葉を換えて云うと同様の経験について、眼の付け所が違う、注意の向け方が違っている。最後にこの講演に大事な言葉を用いて申しますと、態度が違っております。(ここのところが少しヴントなどと違ってるかも知れません。ヴントのような専門の大家に対して異説を立てるのははなはだ恐縮ですが、私のは、こう行かないと説明になりませんから、こうしておきます。またこうしても、実際上差支ないと信じます)  もう一歩進んで、この態度が違っていると云う事を説明しますと、番頭の方は酒の味を外へ抛げ出す態度であります。すなわち自分の味覚をもって、自分以外のもの、(最前申した非我)の一部分を知る料に使うのであります。譬喩で云うと、酒の味が舌の先から飛び出して、酒の中へ潜んで落ち着く方角に働くのであります。晩酌の方はこれが反対の方向に働いております。非我のうちに酒と云うものがあって、その酒が、ある因縁で、外から飛び込んで来て、我を冒かした、もしくは我が冒されたと承知するのであります。詰めて云うと、一は我から非我へ移る態度で、一は非我から我へ移る態度であります。一は非我が主、我が賓という態度で、一は我が主、非我が賓と云う態度とも云えます。番頭から云うと酒の味自身が酒の属性になるのだから、これを属性的の経験とも云えましょう。晩酌から云うと酒の味が自己の幸不幸(あまり大袈裟なら快不快)になるんだから感受的とでも云えましょう。洋語で云うと affective と申したら妥当だろうと思います。あるいは番頭の、自己にあらざる酒に重きを置く点から云えば客観的態度とも名づけられましょうし、晩酌の、自己に受くる刺激を、密切な自己の一部分と見傚す点から云えば、主観的とも申されましょう。または番頭の態度が非我を明らめようとする態度であるから、主知主義と云って善かろうと思いますし、晩酌の態度が、我に感ずる態度であるから、主感主義と云って善かろうと思います。(ここに云う両主義は便宜のため私が拵えたのだから、かの心理学の一派を代表する主意説とは切り離して見ていただきたい)  これでたいてい御分りになったろうと思いますが、なお念のために、もう少し複雑で時間の経過を含んでいる例を御話ししておきたいと考えます。かつて西洋の石版業の事を書いたものを見た事がありますが、その中に彼らの技巧は驚ろくべきものだとありました。なぜ驚ろくべきものかと申すと、彼らは原画を一目見るや否や、この色とこの色を、これだけの割合で、こう混ぜれば、この調子が出ると、すぐに呑み込んでしまう。それからその通りにやる、はたしてその通りの調子が出る。まずこんな具合なんだそうです。ところが画工の方はどうかと云うと、まず腹の中で、ここへこんな調子を出して、面白味を付けようと思う。それから絵の具を交ぜる――もしイムプレショニストなら単純な色を並べて、すぐに画布へ塗り付ける。そうして思い通りの調子を出す。今この両人を比較して見ますと、ある手段に訴えて、目的(すなわち思い通りの色)に到着するのだから、そこまでは同じ事と見傚して差支ないのです。しかし両人が工夫の結果同じ色彩に到着しても、到着した時の態度は大に違うと云わなければなりません。画工の方はこの色彩を楽しむのであります。いい effect が出たと云って嬉しがるのであります。この楽みを除いては、いろいろの工夫を積んでこの結果に達するまでの知識は無用なのであります。しかしこの知識をある意味において自得していないと、どうあってもこの結果が出せない。出せなければ楽しむ訳に参らんからやむをえずこの過程を冥々のうちにあるいは理論的に覚え込むのであります。しかるに、石版屋の方では、注文を受けて原画と同じような調子を出せば、それで万事が了するので、その結果が網膜を刺激しようが、連想を呼び起そうがいっこう構わんので、必竟ずるに彼の興味は色彩そのものに存するのであります。何と何と何がどんな割合に調合されてこの色彩が出来上ったんだなと見分けがつけばよろしいのであります。したがって彼の重んずるところは色彩から受ける楽みよりも、いかにしてこの色彩を生じ得るかの知識もっと纏めて云えばこの色彩の知識にあると云っても無理ではありません。さてこの両人も出来上った色を経験すると云えば同じ経験をしたに違いない。ただ石版屋の方はこの経験を我から放出して、非我の属性たる色と認め、かつ属性として他の色と区別するに引き易えて、画家は同一経験を、画面より我に向って反射し来ったる一種の刺激と見傚し、この色がいかに我を冒すかの点にのみ留意するのであります。だから石版屋の方を客観的態度で主知主義とし、画工の方を主観的態度で主感主義と名けてよかろうと思います。  まずこれで客観、主観、主知、主感の解釈ができましたが、これは極めて単純なる経験について云う事で、その経験は一の全き経験でありますから、この経験に対する注意の向け方、すなわち態度一つで、こう両面に分解はできますようなものの、この両極端の態度を取って、いずれへか片づけなければならないように人間が出来上っていると思うのは中庸を失した議論であります。分りやすいためにこそ、こう截然たる区別はつけましたが、こう明暸に離れる場合は、あらゆる場合の両端に各一つずつしかないと合点しても間違ではなかろうと思います。その中間に横っている多数の場合は皆この両面を兼ねているでしょう。もし兼ねているのが不都合ならば或る比例において入り交っていると云うが好いでしょう。  そうすると私は、何だかいらざる駄弁を弄した、独りよがりの心理学者のようになります。それでは少々心細いから、もう少しこの両方面を研究して御話ししたいと思う。すなわちこの単純な経験において両面を区別しておく方が適当であると御納得の参るように、この両面が漸々右と左へ分れて発展する結果ついには大変違ったものになりうると云う事を説明したいと思います。  説明はなるべく単簡な方が宜ろしいから、ここに一つの物でも、人でもあるとする。この物か人は与えられたものとします。すると、以上の両態度でこれに対すると、これを叙述する方法が双方共にどう発展するかという問題であります。  その前にちょっと御断わりをしておきますが、ここではAならAを与えてあると見て、その与えられたAをいかに叙述して行くかと云うのですから、叙述家にAを撰択する権利がない事になります。しかしながら前に我々の心を幅のある河に喩えた時、この川幅の一点だけが明暸になるから、明暸になった一点だけが意識の焦点になって、他は皆茫々の裡に通過してしまう。そうしてその焦点は注意のもっとも強い所にできる、そうして注意はすなわち態度であると申しました。だから心の態度は撰択淘汰の権を有しております。ここにAを与えられたとするのは、心の態度にAを撰択する権利がないと云う意味ではありません。すでに撰択せられたるAについての話であります。  本来ならば前に申した両態度がいかなる風に、いかなる性質の焦点を作るかを論じなければならんはずであります。しかしそうすると大変複雑な問題になりますし、また撰択の態度は、すなわち撰択されたものを叙述する態度と同じ事で、双方とも傾向に相違はないと考えます。前に云った色好きの浅井先生のような人に、エストミンスター・アベーが眼に着いたとすると、先生は自分の勝手でこの寺院を撰択した訳になりますが、さてこれを叙述する段になれば(腹の中で叙述しても、口で叙述しても、または筆で叙述しても)撰択した時の態度をもって細かに局部に向うだけの事であります。ただ叙述の際にある連想だとか、ある概念だとかある記号だとかアベー以外の材料をもって来て、アベーの色を説明するかも知れませんが、説明の道具に使われる材料もまた同じ態度で撰択したものでありますから、つまりは同じ事だろうと思います。(もっとも例外は出て来ます。態度が中途で代る事もあり得ます。しかしこれは些細の事として御見逃しを願いたい)  そこでAを与えられたものと見て、これを叙述する様子がだんだんに分れて遠ざかるところだけを御話しをしたい。Aそのものは何だか分らないのですが、これを叙述する方法は主知(客観)の態度に三つ、主感(主観)の態度に三つ、そうして両方を一つずつ結びつけて対にする事ができるかと思います。当っている当っていないはもちろん大切でありますが、比較すると、よく対がとれているところに私は興味があるのでありますし、叙述となるとすでに文学の領分に、いつの間にか這入っておりますから、私の思いついたままを御参考に供します。  第一段は叙述が、一歩客観主観の両面へ展開した時の状態で、この左右の扉を対と見るところに興味があるのであります。この時期における客観的叙述を私は perceptual と名づけようかと思います。すなわち前に申した酒の味よりもやや複雑な感覚的属性が纏まって一体を構成しているものを、綜合された一体と認めて、認めたままを叙述する意味に用いるつもりであります。例えばここに洋卓があると、この洋卓は堅い、黒い、ニスの臭のする、四角で足のある、云々と一々にその属性を認めて、認めた属性を綜合して始めて叙述が成立する訳であります。ところがかように属性を結びつけると云う事が、前に申した酒の味のときよりも一層客観性をたしかにする事だろうと思われます。と云うものは視覚、聴覚その他を単に主観的態度で取り扱っていると色はついに色で、音はどこまでも音で、この色とこの音は同一体の非我が兼ね有していると云う事実には比較的無頓着でいられます。したがって色も非我の属性であり、音も非我の属性であると云う以上に、この色もこの音も同一非我の属性であると綜合すれば、前よりは一段とその物の存在を確かにする意味になるから、客観的態度に重きを置いた叙述と云わねばなりません。ただ注意すべき事はこの際主観的分子が無くなったと解釈してはならんのであります。現に色を視、音を聞く以上は、この経験を綜合して我以外に抛げ出すと、抛げ出さざるとに論なく、色も音も依然として、一方では主観的事実であります。  これで私のいわゆる perceptual な叙述の意味は大概御分りになりましたろう。ところが、属性が複雑になるに従って、叙述が長たらしくなります。長たらしくなると、叙述をする当人も迷惑であり、叙述を聴くものは一度に纏めかねるようになります。したがってこの叙述を簡単にするためには、勢い叙述されべき物に類似のもので、聞く人の頭の中に、すでに纏って這入っているものを持ち出して代理をさせるのが便利になります。例えばを見た事のない西洋人にを説明するよりも赤茄子のようだと話す方が早解りがするようなものであります。もちろんこの代理になる赤茄子の考が先方の頭のなかになくては駄目で、考がある以上は、その考え次第では、第二段に述べる conceptual な叙述を予想した事になりますが、これはその場合に至ってなるべく不都合のないように説明してみましょう。とかくにこの代理のものを用いると云う事は、純粋の叙述ではない、方便であるから、あまり厳密に考えると少しは破綻が出そうであります。しかし実際的にはほとんど、私の主意を害する事のないのみか、かえって私の考を明暸に御分らせ申す結果になりますから、こう致しておきたい。のみならず、こうしておくと、片一方の主観的の方と比較するときに大変な好都合になるのであります。  そうすると、帰着するところは、perceptual な叙述のもっとも簡便な形式は洋卓は唐机のごとしとか、は赤茄子のごとしとか、驢は騾のごとしとか、すべて眼に見、耳に聞き、手に触れ、口に味わい、鼻に嗅いで得たる形相をもって叙述する事になります。その一般の形式をAはBのごとしとしておきます。  Perceptual な叙述に対する、主観的方面の叙述は何であるかと云うと、私はちょっと名前に窮するから、しばらく在来の修辞学に用いている直喩(simile)という語を借用致します。しかし全然従来の simile とも思われないようですから、そのつもりで聞いていただきたい。普通修辞学者の説によると、似たものを似たもので説明するんだそうです。これだけならばを赤茄子で説明したり、洋卓を唐机で説明するのと別段の相違もないようです。ところが実際の例を見ると、大分これとは趣を異にしているのがあります。あの人の心は石のようだ。あの男は虎のようだ。などと云うのがあります。そこでは私は第一段の主観的叙述をあらわすに simile と云う字を借用しました。これは普通 simile の下に取り扱われている叙述のあるものが、私のいわゆる第一段の主観的叙述と同傾向を有しているからと云うだけに過ぎません。さて今申した、あの人の心は石のようだと云う例をとって、調べて見ると、心と石を並べても比較しようがありません。またあの男は虎のようだと云う例にしてもその通り、虎と人間とはとうていいっしょになりようがない。けれども別に無理とも思わないで使っています。してみるとどこか似たところがあるに違ない。その似たところを考えて見たらこの両面の叙述の差が判然するだろうと思います。人の心を石に比較するのに、比較にならんように思うのは、我々が石についての経験を、我から非我の世界に抛げ出す態度、すなわち我以外に一塊の動かすべからざる石と名づくるものが存在していると見傚すからではありますまいか。すでに抛げ出されて石と名づけられたる以上、我の態度が我から非我に向って働らく以上は、石はどこまでも石で、どうしても人の心に比較されよう訳がないのであります。我々の石についての経験は堅いとか、冷たいとか、素気ないとかいう属性から構成されているのは無論でありますが、いやしくもこの属性が石の属性で、石の意義を明暸ならしむるものと相場がきまってしまえば、もう融通は利きません。どうしても石を離れる事ができなくなります。石を離れる事ができないとすると、まるで性質の違った心を形容する訳には参りません。堅いのは石が堅いので、冷たいのもやはり石が冷たいんだから、その堅さ冷さを石から奪って、心に与える訳には参りません。しかしひとたび立場を変えて、その堅さ冷たさを石から経験したとすれば、自分が石を認めたんでなくって、石が自分を冒したとすれば、冷たいのは自分の冷たさで、堅いのも自分の堅さであるから、ひとたび石の経験に触れるや否や、石を離れて冷たい、堅いと云う心持ちだけになるから、いやしくもこれと同じ心持を起すものならば、移して何へでも使う事ができます。それで、あの人の心は石のようだと云う叙述が意味のあるものとなります。これは全く性質の違った比較をする場合で、むしろ極端であります。比較するものと比較されるものとの属性が一点もしくは一以上の諸点において、似ていれば似ているだけ客観的比較に近づく訳ですからして、漸々 perceptual の叙述に縁がついて参ります。例えば先刻のあの人は虎のようだというような simile でも石と心の比較に比べると、幾分かは perceptual の方面へ向いております。なぜと云うと、虎は動物であり、人も動物であるという点において、すでに客観的価値のある比較であります。何も動物と云う概念がなくても構いません、寝るところが似ている、物を食うところが似ている、歩くところが似ている以上は、客観的価値があります。いくら皮膚が似ていなくっても、足の恰好が似ていなくっても、髯の数が似ていなくっても、似ているところがあるだけそれだけ客観的価値のある比較であります。しかしながら、もし以上の点において類似を主張するならば、よりよき類似を主張する比較物はいくらでもあるはずであります。例えばあの人は父に似ているとかまたは母のごとしとか云う方が虎のごとしと云うよりも遥かに穏当であります。立派な perceptual な叙述ができるはずであります。しかるにこれを棄てて客観的価値のもっとも少ない虎を持って来たのは、すべての不類似のうちに獰猛の一点を撰択してもっとも大切な類似と認めたからであります。さてこの撰択は前に云った通り我々の注意できまるので、云い換えると我々の態度で決せられるのであります。ではこの際の態度は客観か主観かと云う問題になります。獰猛を客観的に虎の属性と見傚せば獰猛はついに虎の獰猛であって、どうしても虎を離れる事はできません。その代り人間の獰猛もまた客観視する事ができますからして双方共我を離れたものとして比較ができます。しかし同一経験の方向を逆にして虎より受くる獰猛、人より受くる獰猛として、双方から来る心持だけを比較すると、主観の態度であります。だからこの場合においては、両方に見る事ができて、両方共正しいのであります。しかしながら実際はどうかと云うと、個人の習慣及びその時の模様によって、変化のあるのは無論でありますが、多くの場合に、多くの人が、多く主観の方に重きを置いているように思われます。だから私はこの種の比較に用いる虎なら虎を、客観的価値のもっとも少ないものであると云う訳で、また客観的価値のある局部をも主観的態度で注意する傾向があると云う訳で、この方面の叙述と見るのであります。石の例と虎の例でも分るごとくすでに主観の程度には厚薄があります。なお進んで月が鎌のようだと云う叙述に至るとまた一歩 perceptual の方へ近づいております。(面倒だから解剖は致しません)。かようにして漸々客観的価値を増すに従って、ついには perceptual の叙述に達するのであります。  Perceptual の叙述と、simile(私のいわゆる)との対はまずかようなものであります。前者は客観で知を主とし、後者は主観で感を主とするのが特性であります。しかし常態を申すと双方が幾分か交り合っている事は、例に因って説明した通であります。  これから第二段の対に移ります。第二段の片扉で客観態度の方を conceptual な叙述と名づけたいと思います。それから片扉の主観態度の方をやはり在来の修辞学の言葉を借りて metaphor としておきます。意味はこれから説明します。  あるものを二度見てははああれだなと合点するのを recognition と申します。二度以上たびたび見て、やっぱりあれだなと承知するのを cognition と申します。もし一つものをたびたび見る代りに同種類の甲乙をたびたび見た上で、やはり同種類の丙に逢った時、これはこの種類の代表者もしくはその一つであると認めるのは conception の力であります。隣りの斑はこうであった。向うの白はこうであった。どこそこの犬はこうであったの経験が重なると、すべての犬はこうであったと纏って参ります。それがもう一層固まると、こうであったが変じて、かくあらねばならぬとまで高じて参ります。かくあらねばならぬとなった時に、犬なら犬全体に通じての考ができます。かくあらねばならぬ考だから、本人はまだ見ぬ犬にも、いまだ生れぬ犬にもこれを適用致します。さてこの概念を抱いて往来を歩いていると、たちまちわんと吠えられる事があります。当人はさっそくにははあ鳴いたな。これ犬なりと断じます。私はこのこれ犬なりの叙述を conceptual な叙述と申したいのであります。犬は一匹であります。耳が垂れて、尾が巻いて、わんわん云う声を出しているかも知れません。しかし単にそれだけ見たり聞いたりしただけでは、種属全体に通用する犬と云う断案は出て来ません。だからこの際における犬は、頭の中に前から存在している犬の一匹もしくは代表者であります。固より頭のなかに這入っている犬は、犬と云う名前で這入っているか、または抽象的な関係的知識になって這入っているだけだから、形を具えてはおりません、形を具えている犬はいつでも代表的な一匹の犬になってしまうのは無論でありますが、個々特別の場合を綜合して成立ったものであるという点において、すでに密切な主観的意味を失っております。personal element が亡くなっております。犬はかくあるべきものという事を云い換えると、すべての人は犬をかく考うべきはずだという事になります。すなわち他人はどうでも自分はこうという立場を離れております。誰にでも通用するもの、結局は客観的にたしかなものという事になります。それだから犬の概念は頭の中にあるだけにもかかわらず、その価値は頭以外すなわち非我の世界に抛出されて始めて分るものであります。その代り例の主観的な分子は、perceptual の叙述に比べると全く欠乏して参ります。ただ吾人の知識が非我の世界において広くなったと云う事は云われます。けれども犬と云えば、すぐに一匹の犬を思い出すのが通例であるから、理窟からいうほど主観的分子は欠けていない場合が多いので、その点においては第一段の perceptual な叙述とつながっております。(この場合においてもこれは犬なりというのはもっとも単簡なる形式を撰んだものであります)。  今度は対の片扉なる主観の方面すなわち metaphor に移って申します。これは御承知の通り simile の変化したもので、修辞学者は大胆なる simile と評しております。あの人の心は石のようだと云う代りに、あの人の心は石だと断じ、あの人は虎だと云い切る類であります。第一段の比較に対して、ここでは心を石と同一視し、人を虎と同一視するのであります。だから simile よりも一層客観的不類似の点を無視した訳になります。だからその点において一層主観的態度の叙述と見傚して差支ありますまい。(その他の点は simile の所と同様の議論でありますから略します)  第三段になると妙な対ができると思います。ここになると双方共が象徴に帰してしまうのであります。本来を云うと、犬と云うのも記号で、心を石だと云うのも一種の象徴でありますから、第三段になって正式にあらわれるのはすでに前から胚胎しておったものであります。客観の態度から出る象徴の、もっとも面白い例は数字の記号であるものを代表する事であります。例えば x2+y2=r2[#「x2」、「y2」、「x2」はそれぞれ縦中横、すべての「2」は上付き小書き]とあればこの関係で円を叙述する事になるそうです。私の知っている数学者はこの式さえ見れば円が眼に浮ぶと云いました。恐ろしいものです。しかしこの式の意味を解しても、円が眼に浮ぶようになるのはちょっと暇がかかるだろうと思われます。それから x=A cos 2πnt は一種の振動をあらわしたり、λ=597μμ とあると光波の長さで光の色をあらわすのだそうで、まことに不可思議の至のように思われますが、いずれも長くかかって説明すべきものを、手数を省くために、かようにつづめたものであります。だから比較的に非常に込みいった、客観的関係が畳み込まれているには相違ありません。それがためこれらを了解する非我の世界における知識は大分広く深くなるでありましょうが、その代り我自身だけに関する経験すなわち主観の部分は全くないと云っても差し支ありません。ただし x2+y2=r2[#「x2」、「y2」、「x2」はそれぞれ縦中横、すべての「2」は上付き小書き]はいかな円でも円でさえあればあらわしているのだから、取も直さず円の概念に当ります。のみならずある人はこの式を見ればすぐに一個の円が眼に浮ぶと云うのですから、この人にとっては、この公式は perceptual な叙述の代りにもなります。まことに重宝な式であります。しかしいかな数学好きの友人もこの式を見て好い心持だとか不愉快だとか申さない所をもって見ますと、主観的方面の叙述とはほとんど縁がない式のように思われます。これから翻って主観の方の象徴を述べます。これは歴史的に申すと、私の知らない仏蘭西の詩人や何かを引用しなければなりませんので、少々迷惑致します。しかし前もって申し上げた通り、これは文学史上の御話でないのだから、相成るべくは手製の例で御勘弁を願いたいと思います。つまりは、この態度にかなっていれば、どんな例でも構わんくらいで御聞き下さい。すでにあの人の心は石のようだと云っても、あの人の心は石だと云っても、石をもって心を代表するという点から見ますと、やはり主観方面に属する一種の象徴に違ありません。けれども、それが一歩進んで、心と石を並べないで、石と云ってすぐ心を思い起させる叙述に至ったときに、私はこれを始めて第三段の主観的象徴と申したいと思います。もちろん形式はこの叙述に叶っていましてもいっこう主観の分子を含んでおらんのがありますがそれは御注意を致しておきます。例えば茶柱が来客を代表したり、嚏が人の噂を代表したりするようなものであります。これは偶然の約束から成立した象徴でありますから、ここに云う種類には属しない訳であります。もっとも器械的の象徴も馬鹿にならんもので、習慣の結果茶柱を見て来客の時のような心持になったり、嚏をして、人の噂を耳にするような気分が起る人がないとも限りません。そう云う人にはこんな象徴もやはり主観的価値のあるものであります。だから本人の気の持ちよう一つでは、仁参が御三どんの象徴になって瓢箪が文学士の象徴になっても、ことごとく信心がらの鰯の頭と同じような利目があります。なお進むと、烏鳴きが凶事の記号になったり、波の音が永劫をあらわす響と聞えたり、星の輝きが人間の運命を黙示する光りに見えたりします。こうなると漸々主観的価値が増してくるのみならず、解剖の結果全く得手勝手な象徴でないと云う事も証明ができます。このくらいならばまだ、大した事はありません。第二段第一段とつながっているくらいのものでありますが、層々展開して極端に至ると妙な現象に到着します。ちょっとその説明を致します。我々は我々の気分(主観の内容)を非我の世界から得ます。しかし非我の世界は器械的法則の平衡を待って始めて落ちつくものであります。もしこの平衡を失えばすぐに崩れてしまいます。したがって自分がこういう気分になりたいと思った時に、その気分を起してくれる非我の世界の形相が具っておらん事があります。つまり非我の世界を支配する器械的法則が我の気分に応じて働いてはくれません。そこでこの法則の運行と、自分の気分と合体した時、すなわち自分がかくなりたいとかねがね希望していたかのごとき気分を生ずるときの非我の形相を、常住の公式に翻訳しようとするのが我々の欲望であります。例えば時鳥平安城を筋違にと云う俳句があります。平安城は器械的法則の平衡を保って存在しているのだから、そうむやみに崩れてはしまいません。それすら明治の今日には見る事ができません。いわんや時鳥は早い鳥であります。またその鳥が筋違に通るところも、始終はありません。おやといううちに時鳥も筋違も消えてしまいます。消えてしまう以上はその時の気分になりたくってもちょっとなれないから、平安城を筋違にという瞬間の働きをさも永久の状態のごとく、保存に便にするように纏めておきます。さてかように纏った気分が(客観的に云うと形相)だんだん頭のなかへ溜って参ると仮定します。そうしてそれが入り乱れるとします。広くなり深くなると見ます。すると一種奇妙な気分になります。この気分を構成する一部一部は、非我の世界にこれに相応する形相を発見しもしくは想像する事ができますが、この全体の気分に応じたものを客観的に拈出しようとするととうてい駄目であります。花でも足りない。女でも面白くない。ああでもない、こうでもない、ともがくようになります。これを形容して、よく西洋人などの云う口調を借りて申しますと、無限の憧憬(infinite longing)とかになるのでしょう。私は昔し大学におった頃この字を見て何の事だか分りませんでした。それでもありがたがってふり廻していました。今でも実は分りません。私は解釈だけはできますが、本当のところ infinite longing と云うものを持っていないのだから、是非もございません。しかし私のように説明すればともかくも形容の詞なのですから、それで差支ございますまい。とにかく、そんな形容を使わなければならない気分が起りまして、煩悶致します。煩悶してどうか発表したいとするが発表できない。できないでしまえばそれまででありますが、せめて不完全ながら十の一でもあらわそうとすると、是非とも象徴に訴えなければなりません。十のものを十だけあらわさないで――あらわさないと云っては間違になります。あらわせないのです。でやむをえず一だけにしてやめておく叙述であります。無論気分を気分としてあらわすなら、大に悲しいとか、少々嬉しいとか云うだけで、始めから表わせる表わせないの議論をする必要がないのですが、この深いような、広いような、複雑なような気分の対象を、客観的なる非我の世界に見出そうとすると十の気分を一の形相で代表させて、残る九はこの象徴を通じて思い起すようにしなければなりません。しかしながら元来これは本人すら無理な事をしているのですから、他人にはよほど通用しにくくなる訳であります。一を聞いて十を知ると云う事がありますが、一を見て十を感ずる人でなければできない事です。しかも一を見て十を感ずる、その感じかたが、云いあらわした本人と一致しているかどうかに至るとはなはだむずかしい問題であります。要するに象徴として使うものは非我の世界中のものかも知れませんが、その暗示するところは自己の気分であります。要するにおれの気分であって、非常に厳密に言うと他人の気分ではない、外物の気分では無論ない。という傾向のあるところから、この種の象徴を主観的態度の第三段に置いて、数学の公式などの対と見立てました。(シモンズの仏蘭西の象徴派を論じた文のなかに、こんな句があります。「我々が林中の木を一本一本に叙述するの煩を避けて、自然を怖れて逃がれんとするがごとくもてなすと、ますます自然に近くなります。また普通の俗人は日常の雑事を捉えて実在に触れていると考えておりますが、これらの煩瑣な事件を掃蕩してしまうと、ますます人間に近くなるものであります。世界に先って生じ、世界に後れて残るべき人間の本体に近づくものであります」この人はまたカーライルの語を引用しています。「真正の象徴は明らかにまた直接に、無限をあらわしている。無限は象徴によって有限と合体する。眼に見えるようになる。あたかも達せらるるかのごとくに見える」この二人の言葉は多少 infinite longing と同じく、いささか形容の言葉のようにも思われますが、御参考のために、ここに引いておきます)  これで主観客観の三対併せて、六通りの叙述の説明を済ましました。そこでこれだけ説明すればあらゆる文学書中に出て来るすべてのものを説明し尽したとはけっして申すつもりではありません。しかしながらこれだけ説明すれば、吾人の経験の取扱い方の一般は分るだろうと思います。客観主観の両態度の意味と、その態度によって、叙述の様子がだんだんに左右へ離れて行く模様が分るだろうと思います。それが普通の人の分れ具合でまた創作家の分れ具合であります。だからつまるところは創作家の態度も常人の態度も同じ事に帰着してしまいます。何だつまらない、それがどうしたんだとおっしゃる方が、あるかも知れません。なるほどつまらない。私もつまらないと思います。しかしここまで解剖して見て始めてつまらない事が分ったので、それまでは私も諸君と同じようにいっこう不得要領であったのです。しかしつまらないながらもこういう事だけは云い得るようになりました。この六通りの叙述は極端から極端までずうとつながっています。どこで、どれが終って、どこで、どれが始まったと云う事ができないように続いています。それをほかの言葉で翻訳すると、客観主観いずれの態度にしても、このうちの一と通りに限らねばならないという理由もなし、また限ったが便利だという事もなし、その時その場合で変化しても差支ないのみならず、変化するのが順当で、変化しなければ窮窟であると云う事だけはたしかのように思われます。もっとも客観の極端に至ると科学者だけに通用する叙述になり、主観の極端になると、少数の詩人のみに限られる叙述になりますから、例外になります。しかし常人はこの両極の間を自由勝手にうろうろしているものであります。そうして創作家もまた常人と同じようにその辺のいい加減な所を上下しているものであります。  そこで、かの西洋の文学史に起った何派もしくは何主義というものは、その傾向から推して、これらの客観的態度の三叙述、もしくは主観的態度の三叙述の左右へ排列されるものだろうかと思います。まず写実派、自然派、のようなものは前者に属し、浪漫派、理想派などと云うものは後者に属するのではなかろうかと思います。私はこれらの諸派を歴史的に研究して、こんなものだと断定するのではありません。私が創作家の態度を極端まで左右に展開さしてその傾向を確めていると、西洋にはこういう派がある、ああいう派があるという話だから、それならばとその性質を大略聞いて見て、それならば、私の解剖した両翼の方へその派の名前を結びつけて排列してみよう、見ればこう左右に割って置かれはしないかというまでであります。したがって私はこの解剖によって、歴史的に起った自然派や浪漫派の定義を下す意は毛頭ありません。すなわちこの左右の両翼が自然派もしくは浪漫派とアイデンチカルのものという考はまるでないのであります。私は心理状態の解剖から出立する。だからできるだけ単純にまたできるだけ根本的に片づけ得るように解剖して来たのであります。しかるにかの自然派もしくは浪漫派と名くるものはその中に含まれたる多くの書物の特性をあらわしておって、大分複雑であるのみならず、その内容を形づくっている文章がすでに純粋に何々派をあらわしておらんから、とうてい私の展開させた両翼と全然一致しようがないのであります。けれども大体の傾向を云えば、こう分布排列しても無理はないと思います。  ところで普通の人間は今申す通り、この両極端の間をうろついております。それのみならず、この六通りのうちの一叙述をえらんだところで、えらんだのは当人で、これを聞くものまたは読むものはその隣りの叙述と受取るかも知れません。例えば月が眉のようだという叙述を本人は perceptual と思って述べていても、聞く人は simile と受けるかも知れません。第三者がこれを見て、どっちが間違っているとも評されません。双方共正しいとしなければなりません。そこでこう云う事は云われないでしょうか。自然派と浪漫派とは本来の傾向から云うとやはり左右に展開しているようですが或るところになると、どっちとでも解釈ができるもので、要は読者の態度いかんによって決せられるものだと云う事は。一句や二句の例ではありません。ちと比例を失するような大きな例になるかも知れませんが、ちょっと御判断を願うために御話を致します。独乙で浪漫主義の熾に起った時、御承知の通り、有名なカロリーネと云うシュレーゲルの細君がありました。この細君が夫の朋友のシェリングと親しい仲になりまして、とうとう夫と手を切って、シェリングといっしょになります。しかもその時この女は自分の手紙のうちに、縁はこれにて切れ申候。始めより二世かけてとは固より思い設けず候と書きました。しかもシュレーゲルといっしょになったのがすでに二度目なのですから、シェリングの所へ行くと三度目の細君になるのです。それで亭主の方はどうかと云うと、離婚を申し込まれた時は侠気を起してさっそく承知したのみならず、離別後も常にシェリングと親密な音信をしていたそうであります。もう一つこんな御話があります。東京近傍の在ですが、ある宿に一軒の荒物屋がありまして、荒物屋の向うに反物屋がありましたそうで。ところがその荒物屋の神さんが、どういう仔細か、その家を離別致して、すぐ向うの反物屋へ嫁に行ったそうです。それで、嫁に行った明くる日から、店先へ坐って、もとの亭主と往来を隔てて向きあっているんだそうです。私にこの話をして聞かせたものはあさましいと云わぬばかりな顔をして、田舎のものは呑気なものだと云って笑っていました。この二つの話を取って調べて見ますとよほど似ております。しかし前のは浪漫派の中心で起った事で、後のは――何派だかちょっと困りますが、まあ自然派の作にでもありそうに見えます。しかし事実はどうしても同じなんだから致し方がない。それじゃ同じものが、どうして浪漫派になったり、自然派になったりするんでしょう。まあ説明するとこんな訳じゃありませんか。浪漫派の人は主観的傾向に重きを置くもので、愛はその傾向のもっとも顕著なるものでしたがってもっとも神聖なものであります。愛と云う分子があればこそ結婚とか夫婦同棲とかいう形式の内容に意味がある訳だから、この内容がなくなる以上は、どんな形式だって構やしません。三下り半を請求する方もその覚悟、やる方もその了見だから双方共洒然として形式のために煩わされないのであります。ところが反物屋の方になると愛に重きを置いた出来事かも知れないが、始めから愛のない結婚で出ても引いても同じ事なのかも知れない。それはどう解釈するにしても、我々はそう云う動機を見るのじゃない、普通の約束的の徳義を破壊した行為だという点を認めるのであります。徳義を棄てた露骨の人性かもしくは野性がそのまま出た所作だと見るのであります。カロリーネの方は離縁したり結婚したりするのを善い事、美くしい姿と思ってやるのです。反物屋の神さんはそんな事を考えちゃ――まあいないでしょう。だから見るものの方でも、そんな人間もあるかね、はあそうかねと一つの事実として認めるのであります。だからこの二つの話を叙述する時には、ただ叙する時の態度が違うのであります。ところがさっき申した通り「眉のような月」と云う叙述が、どっちの態度にもなる訳ですから、この結婚問題の叙述もまたどっちの態度にも受け取られるかも知れない。いくら反物屋の神さんを書いても主観的の叙述だと人が読むかも知れず、カロリーネの嫁入事件を写しても客観的の叙述だと解されないとも限りません。して見ると自然派と浪漫派もある場合には、客観主観の叙述が合し得るごとくに合し得るものと見ても差支ない、かと思います。(もっともこれは一句や二句の叙述でありませんから、「眉のような月」のように、きっぱりとは参りません。ただ両態度の傾向を推して極端まで持って行った御話ですからその辺は御斟酌を願います)  これは一つの態度が両様に認められ得ると云う例でありますが、もう一つ前節の最初に申した我々の態度は常に両極の間をぶらついて、いるもので、けっして片っ方づけられるものでないと云う事を御話をしてそれから、議論の歩を進めたいと思います。これも分りやすいためになるべく単簡に通俗な例で説明致します。普通用談の際は無論雑談の際でも、我々は滅多に主観的な叙述を用いてはいないと思っています。詩的な、浪漫的な句は筆を執って紙にでも咏懐の辞を書き下す時に限るように考えています。ところが実際は大違で、談笑の際始終この種の叙述をやっております。腹の虫が承知しないなどと云うのもその一つであります。腹のなかに虫はおりません。よしおったところで、承知しない虫はおりません。承知しない虫がいたって誰が相談なんかするものですか。あるいは腹が立つと申します。腹が立つと云ったって、元来坐りもしない腹が立ちようがないじゃありませんか。あるいは眼が廻るとも云うようですが、今日までまだ眼玉の廻転している人に逢った事がありません。それにもかかわらず三句とも皆通用しています。これは皆主観的態度で話し主観的態度で聞いているのであります。この態度で話せばこそ、聞けばこそ通用するのであります。大袈裟に云うと御互が浪漫派だから合点ができるのであります。簡単を尊んで、短かい句だけで説明しましたが、もっと長くなっても精神に変りはありません。この態度で行く方が大分便利な事があります。その代り徹頭徹尾浪漫派ではやはり辟易します。「君富士山へ登ったそうじゃないか」「うん登った」「どんなだい」「どんなの、こんなのって大変さ」「どうして」「まず足は棒になる、腹は豆腐になる」「へえー」「それから耳の底でダイナマイトが爆発して、眼の奥で大火事が始まったかと思うと頭葢骨の中で大地震が揺り出した」こんな人に逢ったらたまりません。少々気が触れてるんじゃないかしらといささか警戒を加えたくなります。してみると、我々の文句長く云えば叙述はやっぱり前に説明した六通りの中間を左へ出たり右へ出たりして好い加減に都合の好いところで用を足しているに違ない。創作家もやっぱりその通りであります。論より証拠自然派でも浪漫派でも構わないから、一冊の本を取って来て、一句ごとに五六頁順々に調べて見ると分ります。浪漫的な句はたくさん出て来ます。浪漫的な句が嫌な人だって、腹を立てちゃいけない、眼が廻っては怪しからん、是非腹の虫を殺してしまえとまで主張する人はないでしょう。浪漫派の書物もその通り、けっして、のべつ浪漫ずくめでは済まないのです。諸君は、あるいは、そりゃただ句の話じゃないか、一篇一章もその議論で行けるかいと御尋ねになるかも知れません。さよう一篇一章一巻となると私も少し困却致します。しかし降参する必要もないだろうと思います。と云うのは私の考では一句でも叙述、二句でも叙述、三句続いても叙述の気なので、しかもその叙述には前に説明したような種類以外の叙述すなわち回想とか批判とかいうものまでも含められるだけ含めるつもりなのですから、応用はこれで思ったよりも存外広いのであります。  ここで一歩進めます。客観的態度の三叙述を通じて考えて見ますと、いずれも非我の世界における(冒頭に説明したごとく我も非我と見傚す事ができますが)ある関係を明かにする用を務めております。知識を与うるのが主になっております。だからして一言にして云うと真を発揮するのが本職であります。本職と云う意味は、同時に主観的の内職もできると云うつもりで用いた言葉であります。もしこの内職がある程度まで併行していなければ、この種の叙述の価値は大分減じます。大学の教授が私立大学をやめると収入がよほど違うようなものであります。現に真専門の x2+y2=r2[#「x2」、「y2」、「x2」はそれぞれ縦中横、すべての「2」は上付き小書き]氏のごときに至っては、ほとんど文学を休めて、理学の方で月給を貰わなければ立行かん姿であります。ただ真を本職とする創作家のために都合の好い事は真そのもに付着している別途の感情を有している事であります。例えば(前の例で説明して見ますと)は赤茄子のごとしと云うと無論 simile を内職の内職くらいにしておりますが、本職は固よりの性質を明かにするためです。を葡萄や梨と区別するためであります。今を赤茄子で説明すると、その説明がうまくできたかできないか、よくをあらわし得たか得ないか、うまい比較物をもって来たか来ないか、と赤茄子が実によく似ている似ないで、はあなるほどと思う程度が大分違います。このはあなるほどが何時でもいろいろな程度で食っ付いて廻るのであります。simile の方でもこのはあなるほどは無論必要でありますが、それは内職で、本業を云うと、石の冷たさ堅さを自得して、その自得した気分で人の心を感ずるのでありますから、石と人の心を比較してどこまで妥当なりや否やはむしろ第二義の問題かも知れないのであります。と赤茄子の例はもっとも簡単なものでありますが、もう少し複雑になると、このはあなるほどだけで一篇の小説ができます。(因果律を発揮した場合)。これに反して馬琴のような小説は主観的分子はいくらでもありますが、この方面の融通が利かないから、つまりは静御前は虎のごとしなどと云う simile を使っているようなもので、ついに読む事ができなくなるのであります。君の云うはあなるほどはなるほど分ったが、そりゃやはり主観じゃないかと云われるかも知れない。そうだと申すよりほかに致し方がないが、これは客観的関係を明めるにつけて出るので、似る、移る、因が果になる等の事実を認めて感心した時の話であって、すでに明らめられたる客観的関係を味うのとは方向が違うのであります。三勝半七酒屋の段というものを知らないから、始めて聞いて見てははあと感心するのと、もう一遍酒屋を聞いて来ようかと出かけて、ははあと感心するのとは、同じ感心でも、性質が違います。この客観的に非我の関係を明めるにつけて生ずる付属物を intellectual sentiment と云います。付属物とは下等なものという意味ではありません。否むしろこの方が文学の領域内では必要なのであります。しかし客観的態度を主として、真の発揮に追陪して起るものでありますし、かつは創作家の態度を主観(主感)、客観(主知)と分けた以上は、今またこの intellectual sentiment を主観の部に編入するといたずらに混雑を引き起しますからやはり附属物としておきます。それでも少し混雑して御分りにくいかも知れません。私の説明の下手なところは御詫を致します。(場合に依っては intellectual sentiment と云うのがあまり仰山でありますが面倒だから、これですべてを兼ねさせます)  客観すなわち主知の方は以上の通りであるが、主観すなわち主感の方はと申すと、真を発揮するに対して、美、善、壮に対する情操を維持するか涵養するか助長するのが目的であります。この三者の解釈は詳しく述べる事ができません。美と云う事を大きく解すると、善も壮も掩っても構いません。のみならず真をさえ包んでもいいでしょう。それは人の勝手であります。受持の範囲をきめて名をつけるだけの事であります。私はごく単純に耳目を喜ばす美しいもの、美しい音くらいで御免蒙ります。もっとも美醜を通じて同範囲のものを入れます。善もその通り善悪を通じ含ませるのみならず、直接に道徳に関係のない希望とか、愛とかいうものも入れるつもりです。壮は意志の発現(発現でなくっても発現のポテンシャリチーを認めた時も無論入れます)に対する情操を入れます。上は壮烈もしくは壮大より下は卑劣もしくは繊弱に至るまで入れます。するとこれは前の善の範囲に或所まで入り込みます。すべての感情が多くの場合において意志を促がすもの、または意志に変化する傾向のあるものとの学説に従えば、この二範疇はある点においていっしょに出合うものでしょうが、壮とは行為所作に対するこちらの受け方を本位として立てたので、善とは善悪その他の諸情そのものに対するこちらの受け方を本位として立てた、範疇のつもりであります。御相談では片っ方へ編入してもよろしゅうございます。それから人間の所為を離れていわゆる物質界に意志の発現もしくはそのポテンシャリチーを認めた場合には、この意志は変じて物理上の energy のようなものになります。少なくとも人間の意志とは趣を異にして参ります。かように壮の発現もしくは潜伏が物質界に移るとすると、美の範疇と接近して参ります。それ故時宜によっては、これも美のなかへ押し込んでも構いません。まず不完全ながら善、美、壮、の解釈はこうと致して、この三者に対する我の受け方を叙述するのがこの方面の文学の目的であります。ところが我の受け方は千差万別に錯雑して参りますが、総括すると快不快の二字に帰着致します、好悪の二字に落ちて参ります。すなわち善に逢って善を好み、悪を見て悪を悪み、美に接して美を愛し、醜に近づいて醜を忌み、壮を仰いで壮を慕い、弱を目して弱を賤しむの類であります。固より善、美、壮の考は人により時により、相違はあります、また、三が冒し合わないとも限りますまい。現に前に述べたカロリーネの話でも愛に従うのを善とすれば、あの話を読んで充分満足の気分になれましょうし、また夫に従うのを善とすれば、どうも不快な話になります。しかしどう浮世が引っ繰り返っても、三者に対する情操のない世はないはずで、いかに無頓着な人間でもこの点において全然好悪を持っていない人はありません。もしあれば社会が維持できないばかりであります。一歩進んで云えば社会は改良できない訳であります。器械的の改良すなわち法律が細かくなるとか巡査の数を殖す事はできますが、肝心の人間の行為を支配する根本の大部分を閑却して世の中が運転する訳がありません。これがために、これらの情操を維持し、助長する事を目的にする文学が成立するのであります。  私は客観主観両方面の文学の目的とするところを一言述べました。ここに目的と云うのは叙述家自らが、叙述以前にかかる目的を有しておらなければならんという意味ではありません。その結果だけがこう云う目的に叶っているだけでもいっこう差支ないのであります。我々が結婚するようなもので、何も必ず子を産む了見で嫁を貰うとは限りません。しかし事実は多くの場合において、あたかも子を産む事を目的にして結婚をしたように見えます。さればといって子孫を作る目的で嫁を貰ってならんと云う理由もありませんから、結果が同じならどうでも構わないでしょう。私はこの目的を眼中に置かないで、おのずからこの目的に叶うような述作をやる人を art for art 派の芸術家と云いたいと思います。俗に art for art 派と云うと何だか、ことさらに道徳を無視する作家のみを指すようですが、たとい道徳的情操を鼓吹したって、始めから、この目的を本位として、述作にとりかからずに、出来上った結果だけがおのずからこの目的にかなっていたらやはり art for art の作家かと思います。ユーゴーの攻撃のごときは固より歴史的にああいう必要もあったのでしょうが、私のように解釈したらあれほど議論をする必要もなかろうと思います。同時に最初から一定の目的をもって出立したって構わない訳かと存じます。普通この立場を非難する人の説はこうなんだろうと思います。作そのものが芸術家の目的であるのに、作以前にある目的を立てておいて、その目的のために、作を道具に使えば無理ができるから、作の価値に影響を及ぼしてくるところに弊がある。――はたしてこうならば至極ごもっともであります。しかしあらかじめ胸中にある目的を立てるのと、作そのものを目的にするのとはこの場合において、そんなに判然たる区別はありません。刀は人を殺す道具であります。すると人を殺すという所作が目的になります。だから二つのものは全く違います。しかし斬るという働きを考えたらばどうでしょう。方便でしょうか目的でしょうか。刀を使うという方から云えば方便でありますが、殺す方から見れば、目的にもなりましょう。云い換えると、斬ると云う働きが一歩進むごとに、殺すと云う目的が一歩ずつ達せられるので、斬り了った時に目的は終局に帰するのだからして、斬るのと殺すのはそう差違はありません。述作と述作の目的とは斬ると殺すくらいの差じゃなかろうかと思います。述作そのものを方便としたって、方便と共に目的も修了せられる訳ではないでしょうか。少なくとも、今述べたような目的をもってならば最初からその心得で述作に取りかかっても、ただ述作だけを目懸けて取りかかっても同じ事だと私は思ってるのであります。だから art for art 派でも、そうでなくっても差支ない。要するに述作の目的は以上のように区別ができると云うのであります。  述作の二態度とその目的とするところは今申した通でありますが、ただ御注意までに一言しておきたいのは、こんな事であります。こう分けるとちょっと、一方に属するものは、他方に属してはならん。どっちか片づけて旗幟を鮮明にしなければ済まないように見えるかも知れませんが、そう見えてはかえって迷惑なので、すでに誤解を防ぐためカロリーネの例や馬琴の例をひいて、機会のあるたびに二三度弁じておきましたが、改めて御断わりを致しておきたいのは、真を写すものは純粋なる真のみを写してはいません。またおられんのであります。またいかに情緒に訴える人でも全く真を離れての叙述は――少なくとも長い叙述は――できないのであります。ズーデルマンのマグダと云う脚本をつい近頃になって読みましたが、これはマグダという女が、父の意に悖って、押しつけられた御聟さんを嫌って、家を出奔した話であります。さて家を飛び出してから諸所を流浪する間に、ある男と親しい仲になって、子を生んで、それからその男に棄てられます。男はマグダの故郷に帰って、立派な紳士になりすましていると同時に、マグダは以太利で有名な唄い手になる。回り回って故郷へ興行に来る。父母と和解する。ところが流浪中の不品行が曝露して、また騒動が起ろうとすると、昔し棄てた男が出て来て正当に婚儀を申し込む。ここでめでたく市が栄えれば平凡極まる趣向でありますが、いざという間際になって、聟になろうという男が昔の事――互の間に子があると云う事――だけは、今の身分にかかわるから、どうか公けにしずにおいてくれと頼む。マグダはここまでは納得したようなものの、そんな関係を内々にして夫婦になれるものかと大いに怒って、どう頼んでも聞き入れない。父は御前が承知してくれないと、家の恥辱になる。いたずら娘を持ったと云われては、世間へ顔向けができない。妹だって御前の身内だと云われては、誰も貰い手がない。だから、どうか承知して男の云う事を承知してやれと逼る。マグダはどうあっても聞かない。父はついに憤死する。これが結末であります。この一段があるので、昔から見馴れた恋愛談の陳腐なものとは趣を異にするようになりますが、結婚問題が破裂するところがあればこそはあなるほどと云わせる事ができるのです。はあなるほどというのは取も直さず新らしかったと云う意味であります。新らしい因果を見てもっともだ今の世の中にはこんな因果があるだろうと思うからです。今の人々の腹の中には行為にこそ、ここまで出さなくっても、約束的な姑息手段に堪えないで、マグダと同じような似たものが、あるだろう、あり得るはずだと認めるだけの眼をもって読んで行くからであります。この点においてこの劇は固より真を発揮したものであります。しかしこの劇はそれだけよりほかに能事のないものであろうかと考えてみますると、大にあるでしょう。第一はこの相手の男の我儘なところ、過去の非を塗り潰して好い子になろうと云う精神が出ているから、読者はその点において憎悪とか軽蔑とかの念を起さなければならないはずでしょう。しかし世の中は虚偽でも上部さえ形式に合っていれば、人が許すものだから、互の終りを全くして幸福を得ようとするには、過去の不品行を蔵すに若くはないという男の苦心を察して見ると多少は気の毒であります。どこまでも習慣的制裁を墨守して娘の恥を雪ぐためには、ともかくも公けに結婚させてしまわなければならないと思い乱れる父親にも同情があります。最後に娘が一徹に、たとい世間からどう云われても、社会的地位を失っても、そんな俗習に圧しつけられて、偽わりの結婚をして、可愛い子を生涯日蔭ものにするのはけっしていやだと、あくまでも約束的習慣に抵抗するところは、たといその情操に全然一致しない人までも、幾分か壮と感ずるでしょう。この数者があればこそ劇も面白くなるのでありますが、これは、みんな主観の方の情操であります。これで見ますと真だけの作と思ってたものに存外、他の分子が這入っている事が御分りになりましょう。これに反していかに主観的の作物でも全然真を含んでいないものはありません。もし含んでいなかったらとうてい読み得ないにきまっています。かの infinite longing ですらこれを叙述する時には単に吁とか嗟乎では云いつくせないので、不足ながら客観的形相をかりてこれを髣髴させようとするのであります。それについてこんな話があります。これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。以太利のさるヴァイオリニストが旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留しておりました時、妙齢の埃及の美人に見染められまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁の娘があるので、いよいよ結婚の期が逼った頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳いている上に忽然とかの美人があらわれました。身体も服装も透き通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮かであります。ただ常よりは非常に蒼白いのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷を見上げながら美くしい声で唄をうたいました。それが奇麗に波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄い心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれと安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑って、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいます。それから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分の郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入って行って、とうとう行き方知れずになったとありました。――話はこれでおしまいです。私はこの話を読むと何となく妙な気分になりました。その気分が妙になるところにこの話の価値はあるのですから、どの畠のものであるかは分っております。しかし真には乏しい。実事物語としてかいてありましたが、どうもその方の価値は乏しい。真とか真でないと云う事は、たくさんの人の経験が一致して存在していると認めるか、また天下に一人でもいいからその存在を認めたものがあって、これが真だと云った時に、他のものがこれを認識しなくてはならんものであります、また本人は真だと証明し得るものでなくてはなりません。出来得るものならば実験ででも証明し得るものの方がたしかには相違ないのであります。ところがこの幽霊談になるとなかなか容易には証明できない。できるようになるかも知れませんが、今のところではまず嘘に近い方であります。しかしながら胸中の恋とか、なつかしさとか云うものは、たとい人に見せられないまでも、よし人が想像してくれないまでも、また好い加減に甲、乙、丙、丁のだれの胸の中にも存在しているんだろうぐらいに推察しているにもかかわらず、自分だけにとってはこれほどたしかなものはありません。これほど切実な経験はありません。だからやっぱり真だろうと云われると、ごもっともと云わなければなりません。ただ自分に真なものすなわち人に真なものになって、始めて世間に通用する真が成立するのだから、この切実な経験を誰が見ても動かすべからざる真にもり立てようとするには、これを客観的に安置する必要が起って参ります。そこで私はこの演説の冒頭に自分の過去の経験も非我の経験と見傚す事ができると云ってあらかじめ予防線を張っておきました。刻下の感じこそ、我の所有で、また我一人の所有でありますが、回顧した感じは他人のものであると申しました。少なくとも自分に縁故のもっとも近い他人のものとして取り扱う事ができると申しました。愛と云うと一字であります。自分の愛と人の愛と云えば、たとい分量性質が同じでもついに所有者が違って参ります。愛の見当が違います。方角が違います。したがって自己の過去の愛と他人の愛とは等しく非我の経験と見傚し得ます。この点において主観的なる愛そのものを一歩離れて眺める事ができます。ただ困る事は、時により場合により増減があって、変化の度が著るしく眼につくんで、それがため客観的価値が大分下落致します。のみならず悲しい事には、いくら客観的に見る事ができても、客観的に写す事ができない性質のものであります。ある坊さんに、あなたちょっと魂を手の平へ乗せて見せておくれんかと云われて、弱った人があります。これが私なら、魂と云う字を手の平へ書いて坊さんに見せてやろうと思います。それと同じ事で客観的に愛が見られるなら、客観的に愛を書いて見ろと云われるなら、ただ愛とかいて見せます。甘いとか、辛いとか書くのと同じ意味で書いて見せます。白いとか黒いとかいう意味で書いて見せます。しかし愛の一字じゃいけないから、もっと長く分るように書いて見ろと云われるなら、それじゃ小説でもかこうと申します。それが茶かすようで気に入らなければ、そんな無理を云わないで、誰それの愛を書けと明暸に所有主を示して貰いたい、いくら僕が愛の客観的存在を認めても、ただの愛はかけない、根こぎにして引っこ抜いた愛だけはかけない、根こぎにして引っこ抜いた鉢植の松を描けという難題と同じ事だからと云ってごめんこうむります。それじゃ主観の叙述はほとんどなくなる訳だとまたおっしゃるかも知れませぬが、前から何遍も申す通り無論あるところでは主観も客観も双方一致しているので、書き手の心持、読み手の心持で判ずるよりほかに手のつけようのない場合がいくらでもあります。だから形式の上ではついに要領を得なくなります。しかしちょうど好い機会だから、今の幽霊の話を説明かたがたこの疑点をも明らかにしておきましょう。今申すごとくたとい愛の客観的存在を公認しても、これを叙述する時には、その愛の所有者と結びつけなければなりません。五官に訴え得るように取り扱わなければなりません。同時に愛を主観的の経験としてもやはり同様の手段に訴えなければ叙述ができません。しかしそれだから同じ事に帰着すると結論するのは少し誤っております。前の方は非我の事相のうちに愛を認めて、これを描出するので、後の方は我の愛を認めたる上、これを非我の世界に抛げ出すのであります。すなわちその本位とするところは、我が味うところの愛という情操で、この無形無臭の情操に相応するような非我の事相を創設するのであります。非我の事相は自然から与えられたもので、一厘も動かすべからずとして、その一分子たる愛を叙して来るのと、我の切実に経験する愛を与えられたるものとして、もっとも適当にこれを叙述せんがために、非我の事相を任意に建立するのとの差になります。したがって両者はある点において一致するのはもちろんでありますが、極端に至ると大に趣を異にするのであります。先ほど述べた幽霊の恋物語のようなものはその極端の例の一つだと思います。ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終せるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基いた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまいます。この下落が烈しくなるととうてい読めなくなります。馬鹿馬鹿しくなります。例えば今の話しでも、もし船のあとを跟けるものが、幽霊でなくって、本当の女が、波の上をあるいて来て、ちょいと、あなたとか何とか云って手招ぎでもしたらそれこそ奇蹟になります。幽霊ならば、有るとも無いとも証明ができないだけで済みますが、生きた人間が波の上を歩いては明かに自然の法則を破っております。いくら、かくあれかしと思ったって、冗談じゃない、おのろけも好い加減にした方がよかろうと申したくなります。人を馬鹿にするにもほどがあらあね、まるで小供だと思っていやがると本を抛げ出すかも知れません。(西遊記、アレビヤン・ナイト、もしくはシェーヴィング・オブ・シャグパットのようなものの面白味は別問題として論じなければなりません)して見ると私が前段に申した意味が自から御明暸になりましたろう。すなわちいかな主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう截然と片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。この幽霊のごときは極端の極端の例であるから、積極的に真を含んでおらんとも云えましょうが、むやみに真を打ち壊しているものでないと云う事だけは、さきの説明で明らかでありましょう。しかも読んで馬鹿馬鹿しくならんのは全くそのお蔭である以上は、真の分子がいかに叙述の上に大切であるかが分るでありましょう。  客観、主観、両態度の目的と関係はほぼ説きつくしましたから、これから両者の特性について少し述べたいと思います。すでに両者の関係やら目的を述べる際にも自然の勢で、不知不識の間にこの問題に触れているのはもちろんでありますから、その辺は御斟酌の上御聞を願います。  さて客観的態度から出た句もしくは節、もしくは章、大きく云えば一篇――そう純粋に行くものでないのはたいてい御分りになりましたろうが、まああると仮定して――それからかの歴史的に発達した自然派写実派――これも厳密に議論したら純粋のものが、あるかどうか存じませんが、まああるとして、この二派をこの方面に編入しておいて論じます。もっとも自然派も写実派も、真本位ではないと主張されると、それまでで、やめにするだけであります。または真本位だけれど御前のいわゆる真じゃないと云われると、やっぱりやめにしなければなりません。がたいていのところで真の解釈は折合がつきそうに思いますし、かつ歴史を眼中に置かないで立てた私の議論と、全く歴史的に起った流派とを、結びつけられれば、結びつけて考えますと、大分諸君にも私にも興味があるからこう致したので、よしや自然派や写実派がこの部門から脱走致しても、私の議論はやっぱり議論になるだろうとは思われます。そこでこの部門の主要な目的は前に申すごとく真を発揮するに存する事は別に繰り返す必要もございますまい。すでに真が目的である以上は好悪の念を取りのけなければなりません。取捨と云う事を廃さなくってはなりません。と云うと諸君はこうおっしゃるかも知れない。真が目的なら真を好むのだろう、よし好まないまでも、偽を悪む訳だろう。真を取り偽を棄てるのは自然の数じゃないか。なるほどそうであります。しかし文字の上でこそ真偽はありますが、非我の世界、すなわち自然の事相には真偽はありません。昨日は雨が降った、今日は天気になった。雨が真で、天気が偽だとなると少し、天気が迷惑するように思われます。これを逆にして、それじゃ雨の方が偽だと云っても、雨の方が苦情を云うだろうと思います。だから大千世界の事実は、すでにその事実たるの点においてことごとく真なのであります。この事実は真だから好きだ、この事実は偽だから嫌だと、どうしても取捨はできない訳であります。真偽取捨の生ずる場合は、この客観の事相を写し取った作物そのものについてこそ云われべきものであります。詳しく云えば、傍観者がこの作物を自然そのものと比較するとき、もしくは甲の作と乙の作とを自然を標準として対照する時に始めて真偽ができ、取捨ができ、好悪が生ずるのであります。だから客観的態度で叙述した詩文には偽があるかも知れません、またあるはずであります。けれども客観的態度で向う世界には、偽は始めから存在しておらん、少なくとも真だけだとしなければ、最初から真の価値を認めないのと同様の結果に陥ります。だからいやしくも真を本位として筆をとる以上は好悪の念を挟む余地がない事になります。したがって取捨はないと一般に帰着致します。たとえば隣りに醜くい女がいる。見ても厭になるとおっしゃる。それはどうでも御随意でありましょうが、いくら醜くっても何でも現にいるものはいるに相違ありません。醜くいから戸籍に載せないとなった日には、区役所の調べはまるで当にならない事になります。偽りになります。気に喰わない生徒だからと云って点数表から省いたら、学校ほど信用のできない所はなくなるでしょう。して見ると、真を写す文字ほど公平なものはない。一視同仁の態度で、忌憚なく容赦なく押して行くべきはずのものであります。ブルンチェルがバルザックを論じたうちにこんな句があります。自然派作家には、蛆よりも象の方を大切だと考える権利がない。もちろん生物学上の発達から云ったら、象の方が重要な位地を占めているかも知れないが、何もこれは自然派作家が自分の意志で随意に重要にした訳ではない。――面白い句であります。(ブルンチェルのバルザック論はもちろん一人の著者についての議論でありますから系統的に理論は述べてありませんが、こういう点に関してはなはだ有益の参考書でありますから御一読を願います。この取捨のない意味なども、実はバルザック論のところどころにあるのを私が、纏めて布衍して行くくらいなものであります。この人は同書にまた、我、浪漫派、抒情主義などと云う字を使って説明をしております。しかし二者を截然区別のあるごとく論じているのが欠点かと思われます。)すでに公平無視の立場でありますから、問題の撰択がない。撰択がないと云うのは、意識界に落つるものがことごとく焦点になってしまうと云う訳ではありません。意識界のどの部分も比較的自由に焦点になり得ると云う意味であります。毛嫌をしないと云う事であります。あるものだけに注意が向いて、その他には頑強の抵抗があって、気が向けられないというような状態におらない事を指すのであります。だからもう一つ言葉を換えて云うと叙述すべき事相に自己の評価を与えて優劣の差別をつけないと云う事にもなります。例えば美くしい女と差し向いになる。――ありがたい。――女が恋の物語をする。――嬉しい。――ところで急に女が欠伸をする。――と急に厭になる。厭になったからと云って、そこだけ抜きにしてしまったら、抜かしただけが事実に叶わなくなる。しかし事実を書くからには、真を写すと云うからには、いたずらに好悪の念だけで欠伸を棄てべきものではないはずでありましょう。真に妨げなきものとして略すとこそ云うべきでありましょう。また別の例を挙げて見ますと、ここに一人の医者があります。ある患者の病症を確めるために検尿をやる、あるいは検便をやる。わきから見るとずいぶんきたない話であります。しかし本人は別に留意する気色もなく、熱心に検査をする。尿なり便なりの成分を確めるまでは是非やります。もし、きたないから好加減にしてやめると云う医者があったらそれこそ大変であります。医者の職分を忘れたものであります。医者ばかりではありません、学者でもそうであります。動物学者が御苦労にも泥溝の中から一滴の水を取って来て、しきりに顕微鏡で眺めています。たくさん虫が見えるでしょう。しかしみんな裸体に違ない、のみならず時々はいかがわしい状態をするかもしれない。覗き込んでいる動物学者がこの有様を見て、いやこれは大変だ風紀に害があるから、もう研究をやめよう。と云う馬鹿もないでしょうが、あったらどうでしょう。非常に道徳心の高い動物学者には相違ないでしょうが、しかし真理の研究者としてはほとんど三文の価値もないと申さなければなりません。文学者もその通りかと存じます。真を目的とする以上は、真を回避するのは卑怯であります。露骨に書かなければなりません。大胆に忌憚なく筆を着けなくっては、真に対して面目のない事になります。(この点において善、美、壮に対する情操と時々衝突を起す事は文芸の哲学的基礎において述べましたし、前段においても一方が強くなると、一方が弱くなる事実を例証しましたから御記憶を願います)けれども真に向って進む人が必ずしも好悪のない人とは申されません。真に向って進む間だけ好悪の念を脱却するのであります。尿を検査する医師がいつでも尿に無頓着とは受け取れません。無頓着ならば食卓の上に便器があっても平然として食事ができるはずであります。虫の交尾するところを研究する動物学者だって、虫以外の万事までにその態度を応用する勇気はないでしょう。ただ真を研究する時だけ他を忘れ得るほどに真に熱中するのであると解釈しなければなりません。真を写す文学者もこの医者や動物学者と同じ態度で、平生は依然として善意に拘泥し、美醜に頓着し、壮劣に留意する人間である事は争うべからざるの事実であります。柳は緑、花は紅、そのほかに何の奇があると云います。しかし実際はこう素気ない世の中ではありません。柳に舟を繋ぎたくなったり、花の下で扇を翳したくなるのが人情であります。  そこでこう云う事が起ります。真を描く文学は、真を究めさえすればよろしいとなる。その結果他の情操と衝突しても、まあ好いとする。――読者の方では好いとしないかも知れませんが――しかしながら真は取捨なき事相であります。公平の叙述であります。好悪の念を離れたる描写であります。したがって褒貶の私意を寓しては自家撞着の窮地に陥いります。ことに作以外の実際において、約束的にせよ善に与し悪を忌み、美を愛し、醜を嫌うものが、単に作物の上においてのみ矛を逆まにして悪を鼓吹し、醜を奨励する態度を示すのは、ただに標準を誤まるのみならず、誤まった標準を逆に使用している点において二重の自殺と云われても仕方がありますまい。書籍を買う条件で国から為替を取り寄せて、これを別途に支弁するからが、すでに間違っているのに、使い道もあろうに身を持ち崩すために使い果したとあっては、申し訳が立つ立たないの段ではありません、頭のよくない人だと云われても仕方があるまいと思います。幸い今日の日本には、こう云う作家は見当りませんが、自然派の趨勢一つでは、向後この種の作物がいつ何時あらわれて来ないとも限りませんから、御互に用心をしたら善かろうと存じていささか愚存をつけ加えました。  真を写す文学の特性はほぼこれで明暸になりましたから、進んで善、美、壮を叙してこれに対する情操を維持しもしくは助長する文学の特性に移ります。しかしこれは前段と相待って分明になるべき関係的のものでありますから、私の申し上げべき事の影法師はすでに諸君の御認めになったはずであります。すなわち客観的態度の公平なるに対して、この態度の不公平――不公平と云うとおかしく聞えますが、好悪に支配せられる事であります。意識の幅の一カ所だけが焦点にならなくてはならないのが原則で、この焦点は注意できまるのでありますから、もし好悪が注意に関係するとすれば、好悪のはげしいものには注意が余計集まる訳になります。したがって好悪が焦点を支配致します。さてこの意識の内容を紙へ写す際には好は好、悪は悪で判然と明暸に意識された事でありますから、勢い悪の方すなわち嫌な事、厭なもの、は避けるようになるか、もしくはこれを叙述するにしても嫌いなように写します。厭だと云う意味が分るようにして写します。最後には自己の好きなもの、面白いものを引き立てるための道具として写します。したがって叙述が評価的叙述になります。もっとも評価はあらわでない含蓄的の場合が多いかも知れませんが、ともかくも好悪の両面を記述して、しかも公平に記述すると云う事は、あたかも冷熱の二性を写して、湯と水を同一視しろと云う注文と同じ事で、それ自身において矛盾であります。もし双方を叙する以上は勢い評価せねばならぬ事となります。のみか、たとい好きな方面だけを撰ぶにしても、撰ばれたものがことごとく一様の価値として作者の眼に映らない以上は、やはり表向きでも、内々でもいいから、評価のあらわれるようにしなければなりません。この意味で(差等をつけると云う意味)、この種の文学ではブルンチェルのいわゆる無取捨と云う事が不可能になるのであります。撰択と云う事が、あながちに甲はとる、乙は捨てると云う意味だと思うと誤解が生じやすうございますからちょっと弁じておきました。こう云う性質の文学であるからして、この種の文学には、真を写す文学に見出し難い特徴が出て参ります。すなわち作物を通じて著者の趣味を洞察する事ができると云う便宜であります。もし我々の趣味がいわゆる人格の大部を構成するものと見傚し得るならば、作を通して著者自身の面影を窺がう事ができると云っても差し支ないでありましょう。それで著書の趣味が深厚博大であればあるほど、深厚博大の趣味があらわれる訳になりますから、えらい人がこの種の文学をかいて、えらい人の人格に感化を受けたいと云う人が出て来て、双方がぴたり合えば、深厚博大の趣味が波動的に伝って行って、一篇の著書も大いなる影響を与える事ができます。しかし個人に重きを置かない社会にあっては、ヒーローを首肯わない世においては、自他の懸隔差等を無視する平等観の盛んな時代においては、崇拝畏敬の念を迷信の残り物のごとく取り扱う国柄においては、思うほどの功果の出て来ないのはもちろんであります。したがって著作家は立派な趣味を育成したり、高尚な嗜好を涵養したり、通俗以上の気品を修得する事が不必要になって参ります。つまりは事相に対する評価を、世間が著作家に対して要求しないからであります。御前方は真相を与えればいい、評価の方はこちらで引き受けるからと云う読者ばかりになるからであります。我々の知りたいのは事実である、著者は事実を与える媒介者として、重きを置く必要はあろうが、著者自身の人格や、趣味や、評価は、かえって迷惑だと云う読者ばかりになるからであります。迷惑は聞えておりますが、迷惑と感じる人が、各々自己に相当の評価的標準を具して、その標準で評価しつつ作に向うか向わないかが疑問であります。もし向わないとすると、(全然この態度を滅却する事は不可能でありますが、もし真を本位として著作に向うと、思ったよりも評価的神経は遅鈍になります)その結果は人間がだんだん不具になります。自己の趣味は――趣味のない人は全然ありませんが――同趣味のものと、接触するために、涵養を受けるので、また異趣味のものに逢着するために啓発されるので、また高い趣味に引きつけられるがために、向上化するのであります。そうして世の中の運転は七分以上この趣味の発現に因るのでありますから、この趣味が孤立して立枯れの姿になると、世の中の進行はとまります。とまらない部分は器械のように進行するのみであります。「誰さんは金が欲しいために、奥さんを離別しました」「そうか、それも一つの事実さね」「あの男は芸者を受け出すために泥棒をしたそうです」「はあ、それも一つの事実さね」「誰さんは、ちっとも約束を守らないで困りますよ」「なるほどそれも一つの事実だね」――こう事実ずくめで、ひどい奴だとも感心な男だとも思わなかった日には、懐手をして、世の中を眺めているだけで、善にも移らないし、悪をも避けないし、壮挙をも企て得ないし、下劣をも恥じないし、花晨月夕の興も尽きはてようし、夫婦としても、朋友としても、親子としても、通用しない人間になるでしょう。  ここまで来て、気がついて見ると、客観、主観両方面の文学には妙な差違が籠っております。純乎として真のみをあとづけようとする文学に在っては、人間の自由意思を否定しております。たとえばここに甲があって、ある憤りの結果、乙を殺す。罪を恐れて逃げる。後悔して自殺する。と仮定すると、憤りが源因で人を殺して、人を殺したのが源因で、罪を恐れるようになって、それがまた源因になって、後悔して、後悔の結果ついに自殺した事になりますから、かくのごとく層々発展して来る因果の纏綿は皆自然の法則によってできたものと見なければなりません。殺すのも、恐れるのも、悔ゆるのも、自殺するのも、けっして当人が勝手にやった訳ではない。殺して見ると、厭でも応でも恐れなくっちゃいられなくなり、恐れると、どんなに避けようとしても悔恨の念が生じ、悔恨の念は是非共自殺させなければやまないように逼って来る。この階段を踏んで死ななければならないような運命をもって生れた男と見傚すよりほかに致し方がなくなります。さっき用いた言葉で分るように申しますと、この男の所作は評価を離れたものになります。毀誉褒貶の外に立つべき所作であります。柳は緑花は紅流の死に方であります。したがって人殺しをした本人を責める訳にも、自殺をした本人を褒める訳にも参らなくなります。もし責めるなら自然を責めなくってはなりません。褒めるにしても自然を褒めるより致し方がなくなります。人間に義務を負わせる代りに、神か何かに義務を負わせなければならなくなります。ところが情操を本位とする文学になると、好悪があり、評価があるんだから、篇中人物の行為は自由意志で発現されたものと判じてかからなければならない。右へも行ける。左へも行ける。のに彼は右を棄てて左へ行った。だから、えらいとなります。感心だとなります。彼自身の意志の働らきで、やった行為であればこそ、その行為者に全部の責任を負わせる事ができ、できるからその責任者たる当人が責められる資格もあり、また褒められる資格もあるのであります。もし自分がやったんじゃない、因果の法則がしでかしたのだと、たかを括っていたらば、行為そのものに善悪その他の属性を認め得るにしても、行為をあえてしたる本人には罪も徳もない訳になります。こうなって来ると人間の考が大分違って来なければなりません。自分は自然に生みつけられて、自然の命ずる通りをやるんだから、罪を犯しても、悪を働らいても仕方がない。恨んでくれるな、嫉んで貰うまいと落ちて来る。だから大きな顔をして、不都合な事を立ちふるまうようになるでしょう。それでは御互が迷惑する。社会が崩れて来る。文学の目的が直接にこの弊を救うにあるかどうかは問題外としても情操文学がこの陥欠を補う効果を有し得る事はたしかであります。しかもこの情操の供給を杜絶すれば、吾人に大切な涵養物を奪われたると一般で日に日に痩せ果てるばかりであります。  両種の文学の特性は以上のごとくであります。以上のごとくでありますから、双方共大切なものであります。けっして一方ばかりあれば他方は文壇から駆逐してもよいなどと云われるような根柢の浅いものではありません。また名前こそ両種でありますから自然派と浪漫派と対立させて、畳を堅うし濠を深こうして睨み合ってるように考えられますが、その実敵対させる事のできるのは名前だけで、内容は双方共に往ったり来たり大分入り乱れております。のみならず、あるものは見方読方ではどっちへでも編入のできるものも生ずるはずであります。だから詳しい区別を云うと、純客観態度と純主観態度の間に無数の変化を生ずるのみならず、この変化のおのおののものと他と結びつけて雑種を作ればまた無数の第二変化が成立する訳でありますから、誰の作は自然派だとか、誰の作は浪漫派だとか、そう一概に云えたものではないでしょう。それよりも誰の作のここの所はこんな意味の浪漫的趣味で、ここの所は、こんな意味の自然派趣味だと、作物を解剖して一々指摘するのみならず、その指摘した場所の趣味までも、単に浪漫、自然の二字をもって単簡に律し去らないで、どのくらいの異分子が、どのくらいの割合で交ったものかを説明するようにしたら今日の弊が救われるかも知れないと思います。今日の日本の批評は山県は長州人だ大山は薩州人だというような具合に傾いていはしないかと考えられます。それよりも山県はこんな人、大山はこんな人と解剖しまた綜合する方が二元帥を評する適当の方法かと存じます。それでも長州薩州は地図の上で動かすべからざる面積を持っておりますから、まだ混雑が少ないようですが、歴史の流を沿うて漂いついた二派は名前は昔の通りですが内容は始終変っておりますからなお不都合であります。だから、もし作物を本位としないで、主義を本位とするならば主義の意義を確然と定めて、そうしてその主義のもとに、その主義に叶う局部(作物の)を排列して、この主義の実例とするが適当だろうと思います。一つの作物と、一つの主義をアイデンチフワイしなければ気がすまないような考は是非共改める事に致したいと思います。これから先き文学上の作物の性質は異分子の結合でいよいよ複雑になって参りますから、幾多の変態を認めなければならないのは無論の事であります。したがって、二三の主義を終古一定のものとして、万事をこれで律せんとするのみならず、律せんとする尺度の年々に移り行くのを咎めないのは、将来出現の作家には不便宜の極で、かつ批評家の無責任を表白するものではないかと存じます。  客観、主観両面の目的、特性、必要、関係等はほぼ述べ終りました。以上は大体の御話であります。固より普遍的の論で一般に通ずる説とは信じますが、今日の日本においていずれが比較的必要かと云うと、少しは特別の問題になりますから、この点を一応調べた上、演説の局を結ぼうかと思います。情操文学の目的は情操を維持し、啓発し、また向上化するにあるとは私の前に述べた通りであります。さて与えられたる情操は与えられたる事相に附着しております。たとえば孝と云う情操は親子の関係に附着しております。ところが親子の関係は社会上複雑な源因からして、わが日本では著るしく変って参りました。この関係が変われば、孝と云う情操の評価もしだいに変らなければならない訳になります。しかるに旧来の親子関係に附着したままの評価を与えて、孝を叙述していると、在来の孝心を維持するか、もしくは不孝のものを啓発するか、または一層孝心を深くするための叙述になります。今日は孝の時代でないから親を粗末にして好いと誰も云うものはありませんが、昔のように絶対的評価をつけて叙述するのは、どうでありましょう。孝と云う字は現に勅語にもあって大切な情操には相違ございませんが、昔日のように親が絶対的権威を弄する事を社会の有様が許さない以上は、多少その辺に注意を払った適度の評価をしなければなりますまい。もしこれを在来のままで絶対評価をもって叙述すると時勢後れになります。せっかくの目的が達せられなくなります。昔は親のために身を苦海に沈めるのを孝と云ったかも知れない。今日の我々から見ても孝かも知れないが、よし娘が拒絶したって、事柄が事柄だから不孝とは思いますまい。それだけ孝の評価が下落したのであります。これを西洋人に云わせると、頭からてんで想像し得られないと云います。西洋へ行くと孝の評価がまた一段下がるのであります。こういう風に評価が変って行くのはつまるところ、前に云った社会状態の変化に基いた結果にほかならんのでありますから、この状態の変化を知りさえすれば、旧来の評価を墨守する必要がなくなります。これを知らねばこそ煩悶が起ったり矛盾が起ったりして苦しむのであります。こういう時に誰か眼の明きらかな人が、この状態の変化を知らせる、――すなわち客観的に叙述すれば、読者ははあなるほどと思うので、大変な解脱になります。(こんな単純な場合では解脱にもなりますまいが、まあ例ですからそのつもりで御聞きを願います)それで読む人はありがたがる。書く人は成功する。ばかりじゃない、傍から見ても、旧来の評価を無理に維持しようとする情操文学よりも必要の度が多いでしょう。  次に日本では情操文学も揮真文学も双方発達しておりませんのは、いくら己惚の強い私も充分に認めねばなりませんが、昔から今日まで出版された文学書の統計を取って見たら、無論情操文学に属するものが過半でありましょう。のみならず作物の価値から云ってもこの系統に属する方が優っているようであります。それは当然の事で客観的叙述は観察力から生ずるもので、観察力は科学の発達に伴って、間接にその空気に伝染した結果と見るべきであります。ところが残念な事に、日本人には芸術的精神はありあまるほどあったようですが、科学的精神はこれと反比例して大いに欠乏しておりました。それだから、文学においても、非我の事相を無我無心に観察する能力は全く発達しておらなかったらしいと思います。くどくなりますから、例も引きませんが、これだけで充分御合点は参るだろうと存じます。これを別方面の言葉で云うと、子はみんな孝行のもの、妻は必ず貞節あるものと認めていたらしいのであります。だから芝居でも小説でも非常な孝行ものや貞節ものが、あたかも隣り近所に何人でもいるかのごとき様子であらわれて参るのみならず、見物や読者もまた実際にいくたりでも存在しているうちの代表者だと云わぬばかりの顔つきで、これに対していたのであります。いたのでありますと云うと私が元禄時代から生きていたように当りますが、どうもそうに違いないと思います。あんな芝居や書物を見る人は、真面目に熱心に我を忘れて釣り込まれていたに違ないんでしょう。それでなければ今日まで伝わる前にとくに湮滅してしまうはずであります。そうすると、ある御嬢さんは朝顔になったり、ある細君は御園になったり、またある若旦那は信乃や権八の気でいたんでしょう。そりゃ満足でしょう。自己の情操を満足させるという点から云ったら満足に違ない。自分ばかりじゃない、自分の子や女房や夫をこんなものだと考えていたら定めし満足に違いない。もっともあの時代に出てくる悪党はまた非常なものでとうてい想像ができないような悪党が出て来ますが、これは善人を引き立てるためなんだから、こちらには誰もなろうと志願するものはないから安心です。それじゃ善と悪の混血児はというとほとんど出て来ないんだから、至極単簡で重宝であります。こう云う訳で一家町内芝居へ出てくるような善人で成り立っていたのであります。それじゃ天下太平なものでありそうだのに、やっぱり夫婦喧嘩も兄弟喧嘩もありました。あったに違なかろうと、まあ思うのです。しかもこの喧嘩が彼らが完全なる善人であったと云う証拠になるから、不思議であります。ちとパラドックスになり過ぎますが、およそ喧嘩のもとは御互を完全の人間と認めて、さてやってみると案外予期に反するから起るのであります。だから喧嘩をするためには理想が必要であります。次にこの理想と実際とは一致しているものだと認める事が必要であります。今日も喧嘩は毎日ありますが、何も理想的人物でないから癪に障るというような野暮は中学生徒のうちにも、まあないようで至極便利になりました。その代り人間の相場はいささか下落致したようなものの結句こっちが住み安いかのように存ぜられます。ところが旧幕時代には、みんな理想的人物をもって目され、理想的人物をもって任じていたのでありますから、大変窮屈でございましたろう。何ぞと云うと、町人のくせになかと胸打などを喰います。女房のくせに何だむやみにふくれてなどとどやされます。子供のくせに何だ親に向って口答をしてなどとやり込められます。とかく何々のくせにと、くせが流行した世の中であります。癖にの流行る世の中ほど理想の一定した世の中はないのであります。町人はかくあるべきもの、女房はかくすべきもの、子供はかく仕えべきものと、杓子定規で相場がきまっております。もっともこれは双方合意の上でなければ成立しない訳でありますから、町人の方でも、子供の方でも、女房の方でも、どんな理想的人物をもって予期されても、立派にその予期を充たすつもりでいたのであります。したがって自分は天下一の孝行者で、天下一の貞女で、天下一の町人――は、ちとおかしいが、何しろ立派なものと心得ていたんでしょう。この己惚れていれば世話はない。たいていの事が否応なしに進行します。万事が腹の底で済んでしまいます。それで上部だけはどこまでも理想通りの人物を標榜致します。ちと偽善になるようですが、悪徳の天真瀾漫よりは取り扱いやすいから結構です。中には腹の底で済んだなとさえ気がつかないでいるものもたくさんあったそうです。  この有様で御維新まで進んで参りました。それから科学が泰西から飛んで参りました。今日まで約四十年立ったので、大分趣が変って参りました。科学の訓練を経た眼で、人を見たり、自分を見たりする事が大分流行って参りました。しかしこの精神が一般に行き渡っていないため、かつはあまり大切でないため今日まであまり進歩しておりません。なぜ大切でないかと考えて見ると面白いのであります。自分で自分の腹の中を検査して見ると、そう自慢になる事ばかりはありゃしません。自分ながらあさましい事もたくさん出て来ます。しかしいくら浅間しいものが見当った見当ったと云って触れて歩いたって、自分の恥になるばかりで、あまり発明家として尊敬を払っては貰えません。だからせっかく発見しても黙ってる方が得策であります。骨を折って、探がし当てて、自分一人で気持をわるくして、そうして苦い顔をして塞いでいるのも、あまり景気のいいものでもありませんから、つい遠慮が無沙汰になりがちで、吾身で吾身が分ったような、分らないような心持でその日その日とぶらついております。こうしていれば、いつまで己惚れていたって、変事が起らない限りは大丈夫、己惚れつづけに己惚れて死ねますから、せっかく土をかけた所を掘り返して腐った死骸をふんふん嗅いで見るなんて、むく犬の所作をするには及ばん仕儀になります。私もその一人であります。私の妻もその一人であります。折々はあれでも令夫人かと思う事もありますから、向うでも、あれがわが郎君かと愛想をつかす事もあるんでしょう。それでも私は立派な夫のつもりですましていますから、奥方の方でも天下の賢妻をもって自任しておられる事と存じます。かようの己惚は存外多いもので、諸君まで私共の仲間へ引き入れるのは恐縮でありますが、なるべく勢力範囲を拡張しておく方が勝手でありますから、遠慮のないところを申しますと、滔々たる天下皆然りと申しても差支ないかも知れません。腹の奥の方では博士を宛にしていながら、口の先では熱烈な恋だなどと云うのがあります。そうかと思うと持参金が欲しいような気分を打ち消して、なにあの令嬢の淑徳を慕うのさとすましきっています。それで偽善でも何でもない、両方共真面目だから面白いものです。そこで我々のような観察力の鈍いものは、なるべく修養の功を積んで、それから、大胆な勇猛心を起して、赤裸々なところを恐れずに書く事を力める必要が出て参ります。  それでは今日の文学に客観的態度が必要ならば、客観的態度によって、どんな事を研究したらよかろうと云う問題になります。私は私の気のついた数カ条を御参考のために述べて、結末をつけます。  第一は性格の描写についてであります。これは小説とか劇とかに必要なもので、作家がこの点において成功すれば、過半の仕事はすでに結了したものとまで思われております。そこで俗に成功した性格とはどんなものかと調べて見ると活動の二字に帰着してしまいます。またどう考えてもこの二字以外には出られないように思います。しかし、活動にもいろいろあるがいかなる意味の活動か一と口に云えるかと聞かれると、少し臆断過ぎるようですが、私はこう答えても差支ないと考えます。普通の小説で、成功したものと称せられている性格の活動は大概矛盾のないと云う事と同一義に帰着する。これを他の言葉で云いますと、ある人が根本的にあるものを握っていて、千態万状の所作にことごとくこのあるものを応用する。したがって所作は千態万状であるが、これを奇麗に統一する事ができる。しかもこれを統一するとこのあるものに落ちてしまう。なお言い換えると、描写された性格が一字もしくは二三字の記号につづまってしまう。勇気のある人、親切な人、吝嗇な人と云った風に簡単になる、すなわち覚えやすくなる。まあ、こんなものではなかろうかと思います。つまりは、一篇の小説に一定の意味があって、この意味を一句につづめ得るのを愉快に思うように、同じく一句につづめ得る性格をかき終せたものが成功したような趣が大分あります。しかしこの意味で成功した性格は、個人性格の全面を写し出したものではありません。(特別の場合を除いては)個人の全面性格のある顕著な特性を任意に抽出して、抽出しただけを始めから終まで貫ぬかして、作家にも読者にも都合のいい性格を創造したものであります。しかも自然の法則に従って創造したものではなくって、小説の世界に便宜を与うるために、ある程度まで自然の法則を破って、創造したものであります。普通の場合において、個人の性格中のある特性が、その個人の生涯を貫ぬいている事は事実であります。がこの特性だけで人物が出来上っておらん事も事実であります。のみか、この特性に矛盾反対するような形相をたくさん備えているのが一般の事実であります。だから諺にも近侍の眼から見れば英雄もまた凡人に過ぎずと申します。極めて簡単で例にならんほどの例でありますが、人事には大変冷淡な人が、健康だけには恐ろしく神経過敏に見える事があります。家族には無愛想極まっても朋友にはこの上なく叮嚀な男もございます。こう云う点を詳しく調べてみたらば、あるいは矛盾のある方が自然の性格で、ない方が小説の性格とまで云われはしますまいか。  そこで小説家、戯曲家うちでもこの点に注意し出して、ついに矛盾の性行をかくようになりました。そうして読者もこれを首肯するようになりました。柔順であった妻君が、ある事情のもとに、急に夫に反抗して、今までに夢想し得なかった女丈夫になるというような例であります。しかしこれは在来の叙述を一歩複雑の方面へ進めたものに過ぎません。と云うのは、明かに矛盾した特性をことさらに並べて、対照の結果読者の注意をこの二焦点に集注するからであります。だから性格の複雑という事だけを眼中に置いて見ると、これはまだまだ単調のものであります。だからあくまでも客観的に性格の全局面を描出しようとすれば、今までの小説や戯曲にあらわれたよりも遥かに種々な形相が出て来る訳であります。そうして形相が異なるに従って、相互の間に一致がないように見えて来るのは、やむをえぬ結果であります。したがって描写が客観的に微妙であればあるほど、纏まりがつかぬ性格ができやすいでしょう。一言にして蔽う事のできない性格になりやすい、記憶に不便な性格になりやすいでしょう。要するに大変できのわるい、下手にかいた性格のように見えてくるでしょう。従来のかき方は、ここに風邪を引いた人があるとすると、その人の生涯を通じて、風邪を引いた部分だけを抽き抜いて書くのですから、分りやすく明暸になる代りにははなはだ単調にして有名なる風邪引き男が創造されてしまいます。本来を云うと病気の時と、丈夫な時と、病気でも丈夫でもない時と三通りかいて、始めてその人の健康の全局面が、あらわれると云わなければなりません。しかし、そうすると、どうしても散漫に見えます。要領を得ないように見えて来ます。風邪でもこの通りですが、性格はこれよりも遥かに複雑であります。例えばAなる性格の第一行為をA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]とすると、A1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]からして類推のできるA2A3A4[#「An」はそれぞれ縦中横、数字は上付き小書き]を順次に描出して行けば、全局面は無論出て来ない。たいていは一特質の重複に近くなります。もしA1A2A3A4[#「An」はそれぞれ縦中横、数字は上付き小書き]が因果の法則で連結されておって、この諸行為の内容に密接な類似を示すときは、重複が変じて発展となります。発展ではあるがA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]が基点であって、そのA1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]は全性格の一特性であるからして、A1[#「A1」は縦中横、「1」は上付き小書き]の発展もまた全性格の発展と見傚す訳には参りません。私はこの種の重複でも発展でも文学上価値のないものと断言するのではないのですが、そちらはすでに大分ある事だから、全性格の描写と云う方に客観的態度をもって少しく進んでみたら開拓の余地がたくさんあるだろうと思います。その代り在来の小説を読んだ眼から見れば、散漫になります、滅裂になりやすいです、または神秘的に変じましょう。しかし吾人が客観的描写に興味を有してくると、漸々この散漫と滅裂と神秘を妙に思わないような時機が到着しはせまいかと思われます。言葉を換えて云うと形式の打破をある程度まで意に留めなくなりはせまいかと考えるのです。しかし一応は御断りを致しておきます。吾々の世界はすでに冒頭において述べた通り撰択の世界であります。光線にしても、音響にしても、一定の振動数以上もしくは以下のものは、見る事も聞く事もできない有様でございます。性格の全部と云ったところで、全部がことごとく観察され得るとは申しません。無論比較的と云う文字を挿入して御考を願うよりほかに致し方がありません。それから客観的態度で時間の内容を写して行くと(ある一物につき)この連続が因果になるには相違ありませんから、いくら散漫でも滅裂でも神秘でも因果を離れるとは申されません。ただその因果が、因果の律にまとめられるほどに、経験上熟知されていないから、散漫で滅裂で神秘と見るまでの事であります。だからこの種の因果の経験を繰り返して、その中から因果の律を抽象する事ができると同時に、散漫は統一に帰し、神秘は明白になります。(性格の描写に関連して研究の価あるのはムードの観察であります。ムードの描写は昔の小説にはほとんどないと思います。しかもこのムードから面白い行為が出て、たしかに興味のある結果を生じます。ムードと性格の関係その他は今は述べません。また述べられるだけに頭が整っておりません)  性格の解剖についでは、心理状態の解剖であります。最も性格と関係があるのは無論でありますが、一言にして云うと今日の人の心的状態は昔しの人の心的状態より大分複雑になっておりますからして、同一の行為でも、その動機が遥かに趣を異にしている訳で、そこを観察したら、充分開拓の余地があると申す意味でございます。例えばここに一人の男があって人殺しをする。なぜ人殺しをしたかと云うに人殺しが目的ではない、ほんの方便で、人殺しをしたあとの心持ちを痛切に味わってみたいというような芸術家が出て来たとするならば――まだあんまり出ないようですが――どうでしょう。いくら説明したって元禄時代の人物には分らないにきまっている。というものはこの男の人殺しに対する評価は、人殺しから生ずる自己の心裏の経験に対する評価より遥かに相場が安いのであります。平たく云えば人殺しと云う事をさほどわるく思っていない。のみならずわざと罪を犯しておいて、犯したあとの心持を痛切に味わうというような込みいった考えはとうてい大石良雄や室鳩巣などに分るものではありません。もちろん今の人にでも分らんかも知れませんが、今の人ならばほぼ想像はつきますから、それまで複雑なのに違ありません。また恋と云う一字でもこの頃になると恋という一字では不充分なくらい種類ができはしまいかと思われます。すでに沙翁のかいたものでも分ければ幾通りにも分けられる恋が書いてありますが、近代に至るとその区別がますます微細になりはせぬかと思われます。ゴンクールの書いたラフォースタンと云う小説のなかにはこんなのがあります。有名な女優があって、この女優がある英国の貴族と慇懃を通じたままそれぎり幾年か音信不通の姿でおりましたところ、貴族の方では急に親が死んで、莫大の遺産を相続するような都合になったので、今は結婚その他の点についても何人も喙を挟む事のできない身分でありますから、多年恋着していた婦人を正式に迎えるのはこの時と云うので、狂うばかりに喜んで、仏蘭西へ渡りますと、女の方も固より深い仲の事でありましたから、泣いて分れたその日の通り大事に男の事を思いつづけていた折で、無論異存のあるはずはございません。めでたく結婚致します。それだけだとこれも陳腐なのですが、これから先が山であります。さて結婚をしてみると夫の方では金に不足のない身ではあるし、女房を女優にしておくのは何となく心配ですから、もう廃業したら善かろうと云う相談を持ちかけます。ところが細君の方はもともと役者が性に合っている訳なんだからかどうか分りませんが、何となく廃めたくなかったのであります。しかし可愛い男の云う事だから、厭な心を抑えて亭主の意に従います。それから二人で非常な贅沢をやります。嬉しい中でいっしょになって、金を使いたいだけ使うんだから、幸福でなければならないはずですが、そこが妙なもので、細君が女優をやめてからというものは何となく気色が勝れなくなります。いくら夫が機嫌をとっても浮き立ちません。と云って固々憎い男ではないんだから粗略にする訳はない。しんそこ夫の事はいとしく思っているのであります。ただ心が陽気になれないだけなのですが、夫の方では最愛の細君の一顰一笑も千金より重い訳ですから、捨ておかれんと云うので慰藉かたがた以太利へ旅行に出かけます。しかるに男は出先で病気に懸ります。細君は看病に怠りはございませんが、定業はしかたのないものでとうとう死んでしまいます。その死ぬ少し前に例の通り細君が看病のため枕辺へ寄り添いますと、男はいつになく荒々しい調子で、手をもって細君を突き退けるばかりに、押し返して、御前は必竟芸術家だ。本当の恋はできない女だと云うのです。それが結末であります。御前は必竟芸術家だ本当の恋はできない女だ。これが一種の恋でありましょう。有名なルージンの恋も普通一般の恋ではありません。ルージン一流の恋であります。ズーデルマンの書いたフェリシタスの恋などはもっとも特色を帯びた一種の恋のように思います。これが日本の昔であってみると、大概似たもののように見えます。八重垣姫の恋も、御駒才三の恋も、御染久松の恋も、まあ似たり寄ったりであります。なぜ似たり寄ったりかというと、異種類の恋はなかったと解釈する事もできますしまた、観察力が鈍かったからだと断定する事ができますが、まず両方と見ておきましょう。がまずざっと、こんな訳でありますから、かように複雑になりつつある吾々の心のうちをよく観察したら、いろいろ面白い描写ができる事だろうと思います。  あまり長くなりますから、あとはなるべく手短かに指摘して通り過ぎるくらいに致します。次には、人生の局部を描写して、これを一句にまとめ得るような意味を与える事であります。落語家のいわゆる落ちをつけた小説のようなものになります。これは近頃大分流行致しておりますから、別段布衍する必要もございますまい。ただ御注意だけに留めておきます。前の例などもここに応用ができます。「御前は必竟芸術家だ。本当の恋はできない」これが一篇の主意の落着するところであります。ただし落ちを取る目的は綜合にあるので、前の二カ条は解剖が主でありますから、目的の方角は反対になります。だからちょっと区別しておきました。  次には、人生において、容易に注意を払っておかなかった現象、したがって滅多にない事という意味にもなりますが、この方面にも大分新らしい材料がある事と思われます。この間友人からこんな話を聞きました。その男の国での事でありますが、ある芸妓がある男と深い関係になっていたのだそうで。その両人がある時船遊びに出ました。そこいらを漕ぎ廻った末、都合のいい磯へ船をもあいまして、男が舟を棄てて岸へ上りました。ところが岸辺に神社か何かあると見えて、磯からすぐに崖になって、崖のなかから石段が海の方へ細長くついております。男はその石段を登ったんだそうです。女は船のなかから、石段を上って行く男の後姿を見ていたそうです。その後姿を見ていた時、急に自分の情夫に愛想をつかしてしまったんだと友人は話しましたが、その源因は私にも、友人にも、本人の芸者にも無論分りません。これと類似の例をゼームスの宗教的経験と云う本や、スターバックの宗教心理学で見た事がありますが、個人の経歴譚として聞いたのはこれが始めてであります。これはあまり突飛な例かも知れませんが、こんな経験で文学の形になってあらわれておらないものが大分あるだろうから、そういう研究をしたら材料はずいぶん出て来はすまいかと思っております。  このほか因果の関係で人の気につかなかった事やら、類型を脱した個性をかく方面やらいろいろあるだろうと思いますが、この三四カ条は理論上これこれに分れると云うのでなくって、ただ思いついた事を列べたまででありますが、どこで切っても同じ事でありますからこれでやめておきましょう。しかし今日の吾邦に比較的客観態度の叙述が必要であると云う事は、向後何年つづく事か明らかには分りません。西洋では illuminism が盛に行われた、十八世紀の反動として十九世紀の前半に浪漫的趣味の勃興を来しました。それが変化してまた客観的態度に復して参りました。二十世紀はどうなるか分りません。この二潮流が押しつ押されつしているうちに、つまりは両方が一種の意味において一様に発達して参ります。そうして発達した両方が交り合って雑種の雑種というようなものが、いくらでもその間に起って参ります。右へ行ったり左へ寄ったりするのは、つまり態度だけの話で、この態度から出る叙述はけっして繰り返されるものではありません。どこか変って参ります。杜撰ながら自分の考では、世間一般の科学的精神が、情操の勢力より比較的強くなって、平衡を失いかけるや否や、文壇では情操文学が隆起して参りますし、また情操の勢力が科学的精神を圧迫するほどに隆起してくると、客観文学が是非とも起って参る訳だと考えます。文壇はこの二つの勢力が互に消長して、平衡を回復し、回復するかと思うと平衡を失して永久に発展するものでありましょう。であるから同時同刻にせよ西洋の文学にあらわれた態度が、必ず日本の態度の模範になる理由は認められません。前段に申した今日吾邦における客観文学の必要とは、我邦現在の一般の教育状態からして案出した愚考に過ぎんのであります。しかしながら、やはり同一の立場から見て、ほとんど純客観に近い態度の文学を必要と認めるほど情操の勢力は社会を威圧しているようには思われませんから、いたずらに客観にのみ重きを置く文学は不必要に近いように思われます。維新後今日までの趨勢を見ますと、猛烈なる情操に始まって四十年間しだいしだいに情操の降下を経験しておりますから、現時はまだ客観に重きを置く方を至当と存じますが、向後日清戦役もしくは日露戦争のごとき不規則なる情操の勃張を促がす機会なく日本の歴史が平静に進行するときは、情操は久しからずして科学的精神の圧迫を蒙る事は明らかでありますから、情操文学は近き未来において必ず起るべき運命をもっている事と存じます。ただし未来の情操文学はいかなる内容をもって、いかなる評価をなすやに至っては固より測りがたいのはもちろんでありますが、それまでに発展した客観描写を利用してこれを評価の方面に使うのは争うべからざる運命と存じます。これを結末の一句としてこの講演を終ります。 ――明治四十一年二月東京青年会館において述―― 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 ※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。 入力:柴田卓治 校正:大野 晋 2000年8月24日公開 2004年2月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 趣味の遺伝 趣味の遺伝 夏目漱石           一  陽気のせいで神も気違になる。「人を屠りて餓えたる犬を救え」と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応えて百里に余る一大屠場を朔北の野に開いた。すると渺々たる平原の尽くる下より、眼にあまる狗の群が、腥き風を横に截り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。狂える神が小躍りして「血を啜れ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐くの舌は暗き大地を照らして咽喉を越す血潮の湧き返る音が聞えた。今度は黒雲の端を踏み鳴らして「肉を食え」と神が号ぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度に咆え立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つの脛を啣えて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々たる雲を貫ぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛むに適している。狂う神の作った犬には狂った道具が具わっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせと牙を鳴らして骨にかかる。ある者は摧いて髄を吸い、ある者は砕いて地に塗る。歯の立たぬ者は横にこいて牙を磨ぐ。  怖い事だと例の通り空想に耽りながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場はいっぱいの人で凱旋門を通して二間ばかりの路を開いたまま、左右には割り込む事も出来ないほど行列している。何だろう?  行列の中には怪し気な絹帽を阿弥陀に被って、耳の御蔭で目隠しの難を喰い止めているのもある。仙台平を窮屈そうに穿いて七子の紋付を人の着物のようにいじろじろ眺めているのもある。フロック・コートは承知したがズックの白い運動靴をはいて同じく白の手袋をちょっと見たまえと云わぬばかりに振り廻しているのは奇観だ。そうして二十人に一本ずつくらいの割合で手頃な旗を押し立てている。大抵は紫に字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振ったのも見える。この旗さえ見たらこの群集の意味も大概分るだろうと思って一番近いのを注意して読むと木村六之助君の凱旋を祝す連雀町有志者とあった。ははあ歓迎だと始めて気がついて見ると、先刻の異装紳士も何となく立派に見えるような気がする。のみならず戦争を狂神のせいのように考えたり、軍人を犬に食われに戦地へ行くように想像したのが急に気の毒になって来た。実は待ち合す人があって停車場まで行くのであるが、停車場へ達するには是非共この群集を左右に見て誰も通らない真中をただ一人歩かなくってはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見しはしまいが、たださえ人の注視をわれ一人に集めて往来を練って行くのはきまりが悪るいのに、犬に喰い残された者の家族と聞いたら定めし怒る事であろうと思うと、一層調子が狂うところを何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上まで漕ぎつけたのは少し苦しかった。  場内へ這入って見るとここも歓迎の諸君で容易に思う所へ行けぬ。ようやくの事一等の待合へ来て見ると約束をした人は未だ来ておらぬらしい。暖炉の横に赤い帽子を被った士官が何かしきりに話しながら折々佩剣をがちゃつかせている。その傍に絹帽が二つ並んで、その一つには葉巻の煙りが輪になってたなびいている。向うの隅に白襟の細君が品のよい五十恰好の婦人と、傍きの人には聞えぬほどな低い声で何事か耳語いている。ところへ唐桟の羽織を着て鳥打帽を斜めに戴いた男が来て、入場券は貰えません改札場の中はもういっぱいですと注進する。大方出入の者であろう。室の中央に備え付けたテーブルの周囲には待ち草臥れの連中が寄ってたかって新聞や雑誌をひねくっている。真面目に読んでるものは極めて少ないのだから、ひねくっていると云うのが適当だろう。  約束をした人はなかなか来ん。少々退屈になったから、少し外へ出て見ようかと室の戸口をまたぐ途端に、背広を着た髯のある男が擦れ違いながら「もう直です二時四十五分ですから」と云った。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋の将士が見られる。こんな機会は容易にない、ついでだからと云っては失礼かも知れんが実際余のように図書館以外の空気をあまり吸った事のない人間はわざわざ歓迎のために新橋までくる折もあるまい、ちょうど幸だ見て行こうと了見を定めた。  室を出て見ると場内もまた往来のように行列を作って、中にはわざわざ見物に来た西洋人も交っている。西洋人ですらくるくらいなら帝国臣民たる吾輩は無論歓迎しなくてはならん、万歳の一つくらいは義務にも申して行こうとようやくの事で行列の中へ割り込んだ。 「あなたも御親戚を御迎いに御出になったので……」 「ええ。どうも気が急くものですから、つい昼飯を食わずに来て、……もう二時間半ばかり待ちます」と腹は減ってもなかなか元気である。ところへ三十前後の婦人が来て 「凱旋の兵士はみんな、ここを通りましょうか」と心配そうに聞く。大切の人を見はぐっては一大事ですと云わぬばかりの決心を示している。腹の減った男はすぐ引き受けて 「ええ、みんな通るんです、一人残らず通るんだから、二時間でも三時間でもここにさえ立っていれば間違いっこありません」と答えたのはなかなか自信家と見える。しかし昼飯も食わずに待っていろとまでは云わなかった。  汽車の笛の音を形容して喘息病みの鯨のようだと云った仏蘭西の小説家があるが、なるほど旨い言葉だと思う間もなく、長蛇のごとく蜿蜒くって来た列車は、五百人余の健児を一度にプラットフォームの上に吐き出した。 「ついたようですぜ」と一人が領を延すと 「なあに、ここに立ってさえいれば大丈夫」と腹の減った男は泰然として動ずる景色もない。この男から云うと着いても着かなくても大丈夫なのだろう。それにしても腹の減った割には落ちついたものである。  やがて一二丁向うのプラットフォームの上で万歳! と云う声が聞える。その声が波動のように順送りに近づいてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云い懸けた尻尾を埋めて余の左右に並んだ同勢は一度に万―歳! と叫んだ。その声の切れるか切れぬうちに一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦けた、胡麻塩髯の小作りな人である。左右の人は将軍の後を見送りながらまた万歳を唱える。余も――妙な話しだが実は万歳を唱えた事は生れてから今日に至るまで一度もないのである。万歳を唱えてはならんと誰からも申しつけられた覚は毛頭ない。また万歳を唱えては悪るいと云う主義でも無論ない。しかしその場に臨んでいざ大声を発しようとすると、いけない。小石で気管を塞がれたようでどうしても万歳が咽喉笛へこびりついたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない。――しかし今日は出してやろうと先刻から決心していた。実は早くその機がくればよいがと待ち構えたくらいである。隣りの先生じゃないが、なあに大丈夫と安心していたのである。喘息病みの鯨が吼えた当時からそら来たなとまで覚悟をしていたくらいだから周囲のものがワーと云うや否や尻馬についてすぐやろうと実は舌の根まで出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通った。将軍の日に焦けた色が見えた。将軍の髯の胡麻塩なのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった。なぜ?  なぜか分るものか。なにゆえとかこのゆえとか云うのは事件が過ぎてから冷静な頭脳に復したとき当時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。なにゆえが分るくらいなら始めから用心をして万歳の逆戻りを防いだはずである。予期出来ん咄嗟の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の万歳は余の支配権以外に超然として止まったと云わねばならぬ。万歳がとまると共に胸の中に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫ばかり涙が落ちた。  将軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。しかし遼東の風に吹かれ、奉天の雨に打たれ、沙河の日に射り付けられれば大抵なものは黒くなる。地体黒いものはなお黒くなる。髯もその通りである。出征してから白銀の筋は幾本も殖えたであろう。今日始めて見る我らの眼には、昔の将軍と今の将軍を比較する材料がない。しかし指を折って日夜に待佗びた夫人令嬢が見たならば定めし驚くだろう。戦は人を殺すかさなくば人を老いしむるものである。将軍はすこぶる瘠せていた。これも苦労のためかも知れん。して見ると将軍の身体中で出征前と変らぬのは身の丈くらいなものであろう。余のごときは黄巻青帙の間に起臥して書斎以外にいかなる出来事が起るか知らんでも済む天下の逸民である。平生戦争の事は新聞で読まんでもない、またその状況は詩的に想像せんでもない。しかし想像はどこまでも想像で新聞は横から見ても縦から見ても紙片に過ぎぬ。だからいくら戦争が続いても戦争らしい感じがしない。その気楽な人間がふと停車場に紛れ込んで第一に眼に映じたのが日に焦けた顔と霜に染った髯である。戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果――たしかに結果の一片、しかも活動する結果の一片が眸底を掠めて去った時は、この一片に誘われて満洲の大野を蔽う大戦争の光景がありありと脳裏に描出せられた。  しかもこの戦争の影とも見るべき一片の周囲を繞る者は万歳と云う歓呼の声である。この声がすなわち満洲の野に起った咄喊の反響である。万歳の意義は字のごとく読んで万歳に過ぎんが咄喊となるとだいぶ趣が違う。咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深い情が籠っている。人間の音声には黄色いのも濁ったのも澄んだのも太いのも色々あって、その言語調子もまた分類の出来んくらい区々であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯の件、談判の件、懸引の件、挨拶の件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞に入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜に迷惑を懸けるのはよくせきの事でなければならぬ。咄喊はこのよくせきを煎じ詰めて、煮詰めて、缶詰めにした声である。死ぬか生きるか娑婆か地獄かと云う際どい針線の上に立って身震いをするとき自然と横膈膜の底から湧き上がる至誠の声である。助けてくれと云ううちに誠はあろう、殺すぞと叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐りもなければ懸引もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪さしてワーと鳴る。万歳の助けてくれの殺すぞのとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境に入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。  将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎と見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。居は気を移すと云う孟子の語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。ただ場外に群がる数万の市民が有らん限りの鬨を作って停車場の硝子窓が破れるほどに響くのみである。余の左右前後の人々はようやくに列を乱して入口の方へなだれかかる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分としていつでも損をする。寄席がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買う時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、この場合にも先例に洩れず首尾よく人後に落ちた。しかも普通の落ち方ではない。遥かこなたの人後だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損った時なら何とも思わないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損うのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声はこの時四方から大濤の岸に崩れるような勢で余の鼓膜に響き渡った。もうたまらない。どうしても見なければならん。  ふと思いついた事がある。去年の春麻布のさる町を通行したら高い練塀のある広い屋敷の内で何か多人数打ち寄って遊んででもいるのか面白そうに笑う声が聞えた。余はこの時どう云う腹工合かちょっとこの邸内を覗いて見たくなった。全く腹工合のせいに相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿気た了見の起る訳がない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因のいかんに因って変化出没する訳には行かぬ。しかし今云う通り高い土塀の向う側で笑っているのだから壁に穴のあいておらぬ限りはとうてい思い通り志望を満足する事は何人の手際でも出来かねる。とうてい見る事が叶わないと四囲の状況から宣告を下されるとなお見てやりたくなる。愚な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓ってこの町を去らずと決心した。しかし案内も乞わずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業だ。と云って案内を乞うて這入るのはなおいやだ。この邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。そうするには高い山から見下すか、風船の上から眺めるよりほかに名案もない。しかし双方共当座の間に合うような手軽なものとは云えぬ。よし、その儀ならこっちにも覚悟がある。高等学校時代で練習した高飛の術を応用して、飛び上がった時にちょっと見てやろう。これは妙策だ、幸い人通りもなし、あったところが自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁はない。やるべしと云うので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がった。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首どころではない肩までが思うように出た。この機をはずすととうてい目的は達せられぬと、ちらつく両眼を無理に据えて、ここぞと思うあたりを瞥見すると女が四人でテニスをしていた。余が飛び上がるのを相図に四人が申し合せたようにホホホと癇の高い声で笑った。おやと思ううちにどたりと元のごとく地面の上に立った。  これは誰が聞いても滑稽である。冒険の主人公たる当人ですらあまり馬鹿気ているので今日まで何人にも話さなかったくらい自ら滑稽と心得ている。しかし滑稽とか真面目とか云うのは相手と場合によって変化する事で、高飛びその物が滑稽とは理由のない言草である。女がテニスをしているところへこっちが飛び上がったから滑稽にもなるが、ロメオがジュリエットを見るために飛び上ったって滑稽にはならない。ロメオくらいなところでは未だ滑稽を脱せぬと云うなら余はなお一歩を進める。この凱旋の将軍、英名嚇々たる偉人を拝見するために飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だって構うものか。見たいものは、誰が何と云っても見たいのだ。飛び上がろう、それがいい、飛び上がるにしくなしだと、とうとうまた先例によって一蹴を試むる事に決着した。先ず帽子をとって小脇に抱い込む。この前は経験が足りなかったので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買いたての中折帽が挨拶もなく宙返りをして、一間ばかり向へ転がった。それをから車を引いて通り掛った車夫が拾って笑いながらえへへと差し出した事を記憶している。こんどはその手は喰わぬ。これなら大丈夫と帽子を確と抑えながら爪先で敷石を弾く心持で暗に姿勢を整える。人後に落ちた仕合せには邪魔になるほど近くに人もおらぬ。しばし衰えた、歓声は盛り返す潮の岩に砕けたようにあたり一面に湧き上がる。ここだと思い切って、両足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑うほど脚力をふるって跳ね上った。  幌を開いたランドウが横向に凱旋門を通り抜けようとする中に――いた――いた。例の黒い顔が湧き返る声に囲まれて過去の紀念のごとく華やかなる群衆の中に点じ出されていた。将軍を迎えた儀仗兵の馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中にそれようとするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。  見えたと思うより早く余が足はまた停車場の床の上に着いた。すべてが一瞬間の作用である。ぱっと射る稲妻の飽くまで明るく物を照らした後が常よりは暗く見えるように余は茫然として地に下りた。  将軍の去ったあとは群衆も自から乱れて今までのように静粛ではない。列を作った同勢の一角が崩れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所がだんだん薄くなる。気早な連中はもう引き揚げると見える。ところへ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は褪めて、ゲートルの代りには黄な羅紗を畳んでぐるぐると脛へ巻きつけている。いずれもあらん限りの髯を生やして、出来るだけ色を黒くしている。これらも戦争の片破れである。大和魂を鋳固めた製作品である。実業家も入らぬ、新聞屋も入らぬ、芸妓も入らぬ、余のごとき書物と睨めくらをしているものは無論入らぬ。ただこの髯茫々として、むさくるしき事乞食を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶わぬ。彼らは日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表している。人類の精神は算盤で弾けず、三味線に乗らず、三頁にも書けず、百科全書中にも見当らぬ。ただこの兵士らの色の黒い、みすぼらしいところに髣髴として揺曳している。出山の釈迦はコスメチックを塗ってはおらん。金の指輪も穿めておらん。芥溜から拾い上げた雑巾をつぎ合せたようなもの一枚を羽織っているばかりじゃ。それすら全身を掩うには足らん。胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨の枚数は自由に読めるくらいだ。この釈迦が尊ければこの兵士も尊といと云わねばならぬ。昔し元寇の役に時宗が仏光国師に謁した時、国師は何と云うた。威を振って驀地に進めと吼えたのみである。このむさくろしき兵士らは仏光国師の熱喝を喫した訳でもなかろうが驀地に進むと云う禅機において時宗と古今その揆を一にしている。彼らは驀地に進み了して曠如と吾家に帰り来りたる英霊漢である。天上を行き天下を行き、行き尽してやまざる底の気魄が吾人の尊敬に価せざる以上は八荒の中に尊敬すべきものは微塵ほどもない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれるくらい黒いのがいる。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒を砧で打ったような髯――この気魄は這裏に磅として蟠まり瀁として漲っている。  兵士の一隊が出てくるたびに公衆は万歳を唱えてやる。彼らのあるものは例の黒い顔に笑を湛えて嬉し気に通り過ぎる。あるものは傍目もふらずのそのそと行く。歓迎とはいかなる者ぞと不審気に見える顔もたまには見える。またある者は自己の歓迎旗の下に立って揚々と後れて出る同輩を眺めている。あるいは石段を下るや否や迎のものに擁せられて、あまりの不意撃に挨拶さえも忘れて誰彼の容赦なく握手の礼を施こしている。出征中に満洲で覚えたのであろう。  その中に――これがはからずもこの話をかく動機になったのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人いた。顔は他の先生方と異なるところなく黒い、髯も延びるだけ延ばしておそらくは去年から持ち越したものと思われるが目鼻立ちはほかの連中とは比較にならぬほど立派である。のみならず亡友浩さんと兄弟と見違えるまでよく似ている。実はこの男がただ一人石段を下りて出た時ははっと思って馳け寄ろうとしたくらいであった。しかし浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年余も厄介になっている。だからいくら浩さんだと思いたくっても思えるはずがない。ただ人情は妙なものでこの軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して、浩さんがこの軍曹の代りに無事で還って来たらさぞ結構であろう。御母さんも定めし喜ばれるであろうと、露見する気づかいがないものだから勝手な事を考えながら眺めていた。軍曹も何か物足らぬと見えてしきりにあたりを見廻している。ほかのもののように足早に新橋の方へ立ち去る景色もない。何を探がしているのだろう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教えて遣りたいと思ってなお目を放さずに打ち守っていると、どこをどう潜り抜けたものやら、六十ばかりの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖にぶら下がった。軍曹は中肉ではあるが背は普通よりたしかに二寸は高い。これに反して婆さんは人並はずれて丈が低い上に年のせいで腰が少々曲っているから、抱き着いたとも寄り添うたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、その中からこのありさまを叙するに最も適当なる詞を探したなら必ずぶら下がるが当選するにきまっている。この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下す。婆さんはやっと迷児を見つけたと云う体で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったままである。近辺に立つ見物人は万歳万歳と両人を囃したてる。婆さんは万歳などには毫も耳を借す景色はない。ぶら下がったぎり軍曹の顔を下から見上げたまま吾が子に引き摺られて行く。冷飯草履と鋲を打った兵隊靴が入り乱れ、もつれ合って、うねりくねって新橋の方へ遠かって行く。余は浩さんの事を思い出して悵然と草履と靴の影を見送った。           二  浩さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戦死した。二十六日は風の強く吹く日であったそうだ。遼東の大野を吹きめぐって、黒い日を海に吹き落そうとする野分の中に、松樹山の突撃は予定のごとく行われた。時は午後一時である。掩護のために味方の打ち出した大砲が敵塁の左突角に中って五丈ほどの砂煙りを捲き上げたのを相図に、散兵壕から飛び出した兵士の数は幾百か知らぬ。蟻の穴を蹴返したごとくに散り散りに乱れて前面の傾斜を攀じ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足を容るる余地もない。ところを梯子を担い土嚢を背負って区々に通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争う者のために奪われて、後より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺めるとただ一筋の黒い河が山を裂いて流れるように見える。その黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかかって、すべてが消え失せたと思うくらい濃い煙が立ち揚る。怒る野分は横さまに煙りを千切って遥かの空に攫って行く。あとには依然として黒い者が簇然と蠢めいている。この蠢めいているもののうちに浩さんがいる。  火桶を中に浩さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の浅黒い髭の濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乗った話をするときは、相手の頭の中には浩さんのほか何もない。今日の事も忘れ明日の事も忘れ聴き惚れている自分の事も忘れて浩さんだけになってしまう。浩さんはかように偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くにきまっていると思っていた。だから蠢めいているなどと云う下等な動詞は浩さんに対して用いたくない。ないが仕方がない。現に蠢めいている。鍬の先に掘り崩された蟻群の一匹のごとく蠢めいている。杓の水を喰った蜘蛛の子のごとく蠢めいている。いかなる人間もこうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里を馳け抜ける野分、八方を包む煙り、鋳鉄の咽喉から吼えて飛ぶ丸――これらの前にはいかなる偉人も偉人として認められぬ。俵に詰めた大豆の一粒のごとく無意味に見える。嗚呼浩さん! 一体どこで何をしているのだ? 早く平生の浩さんになって一番露助を驚かしたらよかろう。  黒くむらがる者は丸を浴びるたびにぱっと消える。消えたかと思うと吹き散る煙の中に動いている。消えたり動いたりしているうちに、蛇の塀をわたるように頭から尾まで波を打ってしかも全体が全体としてだんだん上へ上へと登って行く、もう敵塁だ。浩さん真先に乗り込まなければいけない。煙の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが靡いている。風の強いためか、押し返されるせいか、真直ぐに立ったと思うと寝る。落ちたのかと驚ろくとまた高くあがる。するとまた斜めに仆れかかる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人数集まって揉みに揉んで騒いでいる中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。この天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奥様と撰ぶところなくいっこう目立たぬのは不平な者だ。己れの子が己れの家庭にのさばっている間は天にも地にも懸替のない若旦那である。この若旦那が制服を着けて学校へ出ると、向うの小間物屋のせがれと席を列べて、しかもその間に少しも懸隔のないように見えるのはちょっと物足らぬ感じがするだろう。余の浩さんにおけるもその通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ気が済まん。擂鉢の中に攪き廻される里芋のごとく紛然雑然とゴロゴロしていてはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構わん、旗を振ろうが、剣を翳そうが、とにかくこの混乱のうちに少しなりとも人の注意を惹くに足る働をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんにきまっている。どう間違ったって浩さんが碌々として頭角をあらわさないなどと云う不見識な事は予期出来んのである。――それだからあの旗持は浩さんだ。  黒い塊りが敵塁の下まで来たから、もう塁壁を攀じ上るだろうと思ううち、たちまち長い蛇の頭はぽつりと二三寸切れてなくなった。これは不思議だ。丸を喰って斃れたとも見えない。狙撃を避けるため地に寝たとも見えない。どうしたのだろう。すると頭の切れた蛇がまた二三寸ぷつりと消えてなくなった。これは妙だと眺めていると、順繰に下から押し上る同勢が同じ所へ来るや否やたちまちなくなる。しかも砦の壁には誰一人としてとりついたものがない。塹壕だ。敵塁と我兵の間にはこの邪魔物があって、この邪魔物を越さぬ間は一人も敵に近く事は出来んのである。彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂を登りつめた揚句、この壕の端まで来て一も二もなくこの深い溝の中に飛び込んだのである。担っている梯子は壁に懸けるため、背負っている土嚢は壕を埋めるためと見えた。壕はどのくらい埋ったか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなってとうとう浩さんの番に来た。いよいよ浩さんだ。しっかりしなくてはいけない。  高く差し上げた旗が横に靡いて寸断寸断に散るかと思うほど強く風を受けた後、旗竿が急に傾いて折れたなと疑う途端に浩さんの影はたちまち見えなくなった。いよいよ飛び込んだ! 折から二竜山の方面より打ち出した大砲が五六発、大空に鳴る烈風を劈いて一度に山腹に中って山の根を吹き切るばかり轟き渡る。迸しる砂煙は淋しき初冬の日蔭を籠めつくして、見渡す限りに有りとある物を封じ了る。浩さんはどうなったか分らない。気が気でない。あの煙の吹いている底だと見当をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望むように密に蔽い重なる濃き者は、烈しき風の捲返してすくい去ろうと焦る中に依然として凝り固って動かぬ。約二分間は眼をいくら擦っても盲目同然どうする事も出来ない。しかしこの煙りが晴れたら――もしこの煙りが散り尽したら、きっと見えるに違ない。浩さんの旗が壕の向側に日を射返して耀き渡って見えるに違ない。否向側を登りつくしてあの高く見えるの上に翩々と翻っているに違ない。ほかの人ならとにかく浩さんだから、そのくらいの事は必ずあるにきまっている。早く煙が晴れればいい。なぜ晴れんだろう。  占めた。敵塁の右の端の突角の所が朧気に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁も見え出した。しかし人影はない。はてな、もうあすこらに旗が動いているはずだが、どうしたのだろう。それでは壁の下の土手の中頃にいるに相違ない。煙は拭うがごとく一掃に上から下まで漸次に晴れ渡る。浩さんはどこにも見えない。これはいけない。田螺のように蠢めいていたほかの連中もどこにも出現せぬ様子だ。いよいよいけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立った。五秒は十秒と変じ、十秒は二十、三十と重なっても誰一人の塹壕から向うへ這い上る者はない。ないはずである。塹壕に飛び込んだ者は向へ渡すために飛び込んだのではない。死ぬために飛び込んだのである。彼らの足が壕底に着くや否や穹窖より覘を定めて打ち出す機関砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬く間に彼らを射殺した。殺されたものが這い上がれるはずがない。石を置いた沢庵のごとく積み重なって、人の眼に触れぬ坑内に横わる者に、向へ上がれと望むのは、望むものの無理である。横わる者だって上がりたいだろう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がりたくても、手足が利かなくては上がれぬ。眼が暗んでは上がれぬ。胴に穴が開いては上がれぬ。血が通わなくなっても、脳味噌が潰れても、肩が飛んでも身体が棒のように鯱張っても上がる事は出来ん。二竜山から打出した砲煙が散じ尽した時に上がれぬばかりではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して二十の砲砦がことごとく日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就して乃木将軍がめでたく凱旋しても上がる事は出来ん。百年三万六千日乾坤を提げて迎に来ても上がる事はついにできぬ。これがこの塹壕に飛び込んだものの運命である。しかしてまた浩さんの運命である。蠢々として御玉杓子のごとく動いていたものは突然とこの底のない坑のうちに落ちて、浮世の表面から闇の裡に消えてしまった。旗を振ろうが振るまいが、人の目につこうがつくまいがこうなって見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、壕の底では、ほかの兵士と同じように冷たくなって死んでいたそうだ。  ステッセルは降った。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。しかし浩さんはまだ坑から上って来ない。図らず新橋へ行って色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、背の低い軍曹の御母さんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんはなぜ壕から上がって来んのだろうと思った。浩さんにも御母さんがある。この軍曹のそれのように背は低くない、また冷飯草履を穿いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて御母さんが新橋へ出迎えに来られたとすれば、やはりあの婆さんのようにぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている御母さんだ。塹壕に飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆の天気は晴であろうとも曇であろうとも頓着はなかろう。しかし取り残された御母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、垂れ籠めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢う。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴っぽくなる。洗湯で年頃の娘が湯を汲んでくれる、あんな嫁がいたらと昔を偲ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪の中から折れたと同じようなものでしめ括りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一が帰って来たらばと、皺だらけの指を日夜に折り尽してぶら下がる日を待ち焦がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪は増したかも知れぬが将軍は歓呼の裡に帰来した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差し支えはない。右の腕を繃帯で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然として坑から上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。  幸い今日は閑だから浩さんのうちへ行って、久し振りに御母さんを慰めてやろう? 慰めに行くのはいいがあすこへ行くと、行くたびに泣かれるので困る。せんだってなどは一時間半ばかり泣き続けに泣かれて、しまいには大抵な挨拶はし尽して、大に応対に窮したくらいだ。その時御母さんはせめて気立ての優しい嫁でもおりましたら、こんな時には力になりますのにとしきりに嫁々と繰り返して大に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善かろうと御免蒙りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云うから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと云う。なるほど亡友の日記は面白かろう。元来日記と云うものはその日その日の出来事を書き記るすのみならず、また時々刻々の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、いかに親友の手帳でも断りなしに目を通す訳には行かぬが、御母さんが承諾する――否先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで云おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい余の手際では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と面会の約束をした刻限も逼っているから、これは追って改めて上がって緩々拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易の体である。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭とは云わない。元々木や石で出来上ったと云う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいは優に表し得る男であるがいかんせん性来余り口の製造に念が入っておらんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましと啜り上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に体裁を繕ろって半間に調子を合せようとするとせっかくの慰藉的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰する事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその内として、まず今日は見合せよう。  訪問は見合せる事にしたが、昨日の新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友を弔ってやらねばならん。悼亡の句などは出来る柄でない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺参りだ。浩さんは松樹山の塹壕からまだ上って来ないがその紀念の遺髪は遥かの海を渡って駒込の寂光院に埋葬された。ここへ行って御参りをしてきようと西片町の吾家を出る。  冬の取っ付きである。小春と云えば名前を聞いてさえ熟柿のようないい心持になる。ことに今年はいつになく暖かなので袷羽織に綿入一枚の出で立ちさえ軽々とした快い感じを添える。先の斜めに減った杖を振り廻しながら寂光院と大師流に古い紺青で彫りつけた額を眺めて門を這入ると、精舎は格別なもので門内は蕭条として一塵の痕も留めぬほど掃除が行き届いている。これはうれしい。肌の細かな赤土が泥濘りもせず干乾びもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色ほどありがたいものはない。西片町は学者町か知らないが雅な家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。学者がそれだけ殖えたのか、あるいは学者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境内へ来ると、平生は学者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活が羨しくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚なところが頼母しい。神無月の松の落葉とか昔は称えたものだそうだが葉を振った景色は少しも見えない。ただ蟠った根が奇麗な土の中から瘤だらけの骨を一二寸露わしているばかりだ。老僧か、小坊主か納所かあるいは門番が凝性で大方日に三度くらい掃くのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき当りが本堂で、その右が庫裏である。本堂の正面にも金泥の額が懸って、鳥の糞か、紙を噛んで叩きつけたのか点々と筆者の神聖を汚がしている。八寸角の欅柱には、のたくった草書の聯が読めるなら読んで見ろと澄してかかっている。なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之かも知れない。えらそうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏がある。ただし化の字は余のつけたのではない。聞くところによるとこの界隈で寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はないそうだ。しかし何が化けたって、こんなに高くはなりそうもない。三抱もあろうと云う大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振って、から坊主になって、野分のなかに唸っているのだが、今年は全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。下から仰ぐと目に余る黄金の雲が、穏かな日光を浴びて、ところどころ鼈甲のように輝くからまぼしいくらい見事である。その雲の塊りが風もないのにはらはらと落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間もまたすこぶる長い。枝を離れて地に着くまでの間にあるいは日に向いあるいは日に背いて色々な光を放つ。色々に変りはするものの急ぐ景色もなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って来る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳して遊んでいるように思われる。閑静である。――すべてのものの動かぬのが一番閑静だと思うのは間違っている。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解できる。しかもその一点が動くと云う感じを過重ならしめぬくらい、否その一点の動く事それ自らが定寂の姿を帯びて、しかも他の部分の静粛なありさまを反思せしむるに足るほどに靡いたなら――その時が一番閑寂の感を与える者だ。銀杏の葉の一陣の風なきに散る風情は正にこれである。限りもない葉が朝、夕を厭わず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧もここまでは手が届かぬと見えて、当座は掃除の煩を避けたものか、または堆かき落葉を興ある者と眺めて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。  しばらく化銀杏の下に立って、上を見たり下を見たり佇んでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入り込んだ。この寺は由緒のある寺だそうでところどころに大きな蓮台の上に据えつけられた石塔が見える。右手の方に柵を控えたのには梅花院殿瘠鶴大居士とあるから大方大名か旗本の墓だろう。中には至極簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書で彫ってある。小供だから小さい訳だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者は、年々御客様となって、あの剥げかかった額の下を潜るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否や急に古る仏となってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家は寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所を狭めずに、先祖代々の墓の中に新仏を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人である。  浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆内でだいぶ幅の利く方である。墓はいつ頃出来たものか確とは知らぬが、何でも浩さんの御父さんが這入り、御爺さんも這入り、そのまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝の地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地があって石段を二つ踏んで行き当りの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。極めて分りやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例のごとく例の路をたどって半分ほど来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の詣るべき墓の方を見た。  見ると! もう来ている。誰だか分らないが後ろ向になってしきりに合掌している様子だ。はてな。誰だろう。誰だか分りようはないが、遠くから見ても男でないだけは分る。恰好から云ってもたしかに女だ。女なら御母さんか知らん。余は無頓着の性質で女の服装などはいっこう不案内だが、御母さんは大抵黒繻子の帯をしめている。ところがこの女の帯は――後から見ると最も人の注意を惹く、女の背中いっぱいに広がっている帯は決して黒っぽいものでもない。光彩陸離たるやたらに奇麗なものだ。若い女だ! と余は覚えず口の中で叫んだ。こうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退くべきものかちょっと留って考えて見た。女はそれとも知らないから、しゃがんだまま熱心に河上家代々の墓を礼拝している。どうも近寄りにくい。さればと云って逃げるほど悪事を働いた覚はない。どうしようと迷っていると女はすっくら立ち上がった。後ろは隣りの寺の孟宗藪で寒いほど緑りの色が茂っている。その滴たるばかり深い竹の前にすっくりと立った。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出したように白く映る。眼の大きな頬の緊った領の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端をつかんでいる。そのハンケチの雪のように白いのが、暗い竹の中に鮮かに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれたほかは、あっと思った瞬間に余の眼には何物も映らなかった。  余がこの年になるまでに見た女の数は夥しいものである。往来の中、電車の上、公園の内、音楽会、劇場、縁日、随分見たと云って宜しい。しかしこの時ほど驚ろいた事はない。この時ほど美しいと思った事はない。余は浩さんの事も忘れ、墓詣りに来た事も忘れ、きまりが悪るいと云う事さえ忘れて白い顔と白いハンケチばかり眺めていた。今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途端に、茫然として佇ずんでいる余の姿が眼に入ったものと見えて、石段の上にちょっと立ち留まった。下から眺めた余の眼と上から見下す女の視線が五間を隔てて互に行き当った時、女はすぐ下を向いた。すると飽くまで白い頬に裏から朱を溶いて流したような濃い色がむらむらと煮染み出した。見るうちにそれが顔一面に広がって耳の付根まで真赤に見えた。これは気の毒な事をした。化銀杏の方へ逆戻りをしよう。いやそうすればかえって忍び足に後でもつけて来たように思われる。と云って茫然と見とれていてはなお失礼だ。死地に活を求むと云う兵法もあると云う話しだからこれは勢よく前進するにしくはない。墓場へ墓詣りをしに来たのだから別に不思議はあるまい。ただ躊躇するから怪しまれるのだ。と決心して例のステッキを取り直して、つかつかと女の方にあるき出した。すると女も俯向いたまま歩を移して石段の下で逃げるように余の袖の傍を擦りぬける。ヘリオトロープらしい香りがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織の背中からしみ込んだような気がした。女が通り過ぎたあとは、やっと安心して何だか我に帰った風に落ちついたので、元来何者だろうとまた振り向いて見る。すると運悪くまた眼と眼が行き合った。こんどは余は石段の上に立ってステッキを突いている。女は化銀杏の下で、行きかけた体を斜めに捩ってこっちを見上げている。銀杏は風なきになおひらひらと女の髪の上、袖の上、帯の上へ舞いさがる。時刻は一時か一時半頃である。ちょうど去年の冬浩さんが大風の中を旗を持って散兵壕から飛び出した時である。空は研ぎ上げた剣を懸けつらねたごとく澄んでいる。秋の空の冬に変る間際ほど高く見える事はない。羅に似た雲の、微かに飛ぶ影も眸の裡には落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り尽せはしまいと思われるのがこの空である。無限と云う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限に遐かに、無限に静かな空を会釈もなく裂いて、化銀杏が黄金の雲を凝らしている。その隣には寂光院の屋根瓦が同じくこの蒼穹の一部を横に劃して、何十万枚重なったものか黒々と鱗のごとく、暖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍と古き墳墓が寂寞として存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪を後ろに背負って立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣の色と、その衣を真中から輪に截った帯の色がいちじるしく目立つ。縞柄だの品物などは余のような無風流漢には残念ながら記述出来んが、色合だけはたしかに華やかな者だ。こんな物寂びた境内に一分たりともいるべき性質のものでない。いるとすればどこからか戸迷をして紛れ込んで来たに相違ない。三越陳列場の断片を切り抜いて落柿舎の物干竿へかけたようなものだ。対照の極とはこれであろう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返って余が詣る墓のありかを確かめて行きたいと云う風に見えたが、生憎余の方でも女に不審があるので石段の上から眺め返したから、思い切って本堂の方へ曲った。銀杏はひらひらと降って、黒い地を隠す。  余は女の後姿を見送って不思議な対照だと考えた。昔し住吉の祠で芸者を見た事がある。その時は時雨の中に立ち尽す島田姿が常よりは妍やかに余が瞳を照らした。箱根の大地獄で二八余りの西洋人に遇った事がある。その折は十丈も煮え騰る湯煙りの凄じき光景が、しばらくは和らいで安慰の念を余が頭に与えた。すべての対照は大抵この二つの結果よりほかには何も生ぜぬ者である。在来の鋭どき感じを削って鈍くするか、または新たに視界に現わるる物象を平時よりは明瞭に脳裏に印し去るか、これが普通吾人の予期する対照である。ところが今睹た対象は毫もそんな感じを引き起さなかった。相除の対照でもなければ相乗の対照でもない。古い、淋しい、消極的な心の状態が減じた景色はさらにない、と云ってこの美くしい綺羅を飾った女の容姿が、音楽会や、園遊会で逢うよりは一と際目立って見えたと云う訳でもない。余が寂光院の門を潜って得た情緒は、浮世を歩む年齢が逆行して父母未生以前に溯ったと思うくらい、古い、物寂びた、憐れの多い、捕えるほど確とした痕迹もなきまで、淡く消極的な情緒である。この情緒は藪を後ろにすっくりと立った女の上に、余の眼が注がれた時に毫も矛盾の感を与えなかったのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍と剥げた額、化銀杏と動かぬ松、錯落と列ぶ石塔――死したる人の名を彫む死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟無礙の一種の感動を余の神経に伝えたのである。  こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価のないところをかいたのである。もし文士がわるければ断って置く。余は文士ではない、西片町に住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうや否や門の戸を続け様に敲くものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢の管を捲くようなたわいもない事を呂律の廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの傍で都々逸を歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽を挿んだために今までの凄愴たる光景が多少和らげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍のおかしみを与えると云う訳でもない。それでは何らの功果もないかと云うと大変ある。劇全体を通じての物凄さ、怖しさはこの一段の諧謔のために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖である。恐懼である、悚然として粟を肌に吹く要素になる。その訳を云えば先ずこうだ。  吾人が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるるのは言を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量に因って高下増減するのも争われぬ事実であろう。絹布団に生れ落ちて御意だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾を買い、金で邸宅、朋友、従五位まで買った連中は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨んで高を括った鼻先を虚空遥かに反り返えす。一度の経験でも御多分には洩れん。箔屋町の大火事に身代を潰した旦那は板橋の一つ半でも蒼くなるかも知れない。濃尾の震災に瓦の中から掘り出された生き仏はドンが鳴っても念仏を唱えるだろう。正直な者が生涯に一返万引を働いても疑を掛ける知人もないし、冗談を商売にする男が十年に半日真面目な事件を担ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆、毒婦、兇漢の行為動作を刻意に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽に至って冥々の際読者の心に生ずる唯一の惰性は怖と云う一字に帰着してしまう。過去がすでに怖である、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然と己れを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこの怖に関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものが陸に上った後までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀が案山子を例の爺さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖の一字をどこまでも引張って、怖を冠すべからざる辺にまで持って行こうと力むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖化せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔とは受け取れまい。  世間には諷語と云うがある。諷語は皆表裏二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫の渾名に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜するのはますます人を愚にした待遇法で、他を称揚するのは熾に他を罵倒した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀一つで人を愚弄するよりは、履物を揃えて人を揶揄する方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目がくっついている。大笑の奥には熱涙が潜んでいる。雑談の底には啾々たる鬼哭が聞える。とすれば怖と云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語のうちに身の毛もよだつほどの畏懼の念はあるはずだ。元来諷語は正語よりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえ厭う美人の根性を透見して、毒蛇の化身すなわちこれ天女なりと判断し得たる刹那に、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層怖るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物の方が定石の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜をあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレを躍るものがあったらこのカッポレは非常に物凄かろう。これも一種の諷語であるからだ。マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院の美人も解けるはずだ。  百花の王をもって許す牡丹さえ崩れるときは、富貴の色もただ好事家の憐れを買うに足らぬほど脆いものだ。美人薄命と云う諺もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染とか、繻珍とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出である立派である、春景色である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖が忽然と本来の面目を変じて蕭条たる周囲に流れ込んで、境内寂寞の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏の黄葉は淋しい。まして化けるとあるからなお淋しい。しかしこの女が化銀杏の下に横顔を向けて佇んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯して索寞の観を添えるのか。これも諷語だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。  御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。家から折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でも括りつけてはないかと葉裏まで覗いて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸けて名前だけでも聞いて見ようか、それも妙だ。いっその事黙って後を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月塹壕に飛び込んだぎり、今日まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖で敲いても、手で揺り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝ているだろう。こんな美人が、こんな美しい花を提げて御詣りに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞き糺さなくてはならん。何でも蚊でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股に飛び下りて化銀杏の落葉を蹴散らして寂光院の門を出て先ず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母さんに逢って話をして見よう、ことによったら容子が分るかも知れない。           三  六畳の座敷は南向で、拭き込んだ椽側の端に神代杉の手拭懸が置いてある。軒下から丸い手水桶を鉄の鎖で釣るしたのは洒落れているが、その下に一叢の木賊をあしらった所が一段の趣を添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠でその間に梅の木が三四本見える。垣に結うた竹の先に洗濯した白足袋が裏返しに乾してあってその隣りには如露が逆さまに被せてある。その根元に豆菊が塊まって咲いて累々と白玉を綴っているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。 「今年は暖たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」 「へえ、白いのが好きでしたかな」 「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」 「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院の花筒に挿んであるのは正にこの種のこの色の菊である。 「御叔母さん近頃は御寺参りをなさいますか」 「いえ、せんだって中から風邪の気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れる間はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀になりましてね」 「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいい時候ですから……」 「御親切にありがとう存じます。親戚のものなども心配して色々云ってくれますが、どうもあなた何分元気がないものですから、それにこんな婆さんを態々連れてあるいてくれるものもありませず」  こうなると余はいつでも言句に窮する。どう云って切り抜けていいか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引っ張ったが、御母さんは少々不平の気味である。さあしまったと思ったが別に片附けようもないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいている四十雀を眺めていた。御母さんも話の腰を折られて無言である。 「御親類の若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいいですがね」と云いながら不調法なる余にしては天晴な出来だと自分で感心して見せた。 「生憎そんな娘もおりませず。それに人の子にはやはり遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰って置いたら、こんな時にはさぞ心丈夫だろうと思います。ほんに残念な事をしました」  そら娶が出た。くるたびによめが出ない事はない。年頃の息子に嫁を持たせたいと云うのは親の情としてさもあるべき事だが、死んだ子に娶を迎えて置かなかったのをも残念がるのは少々平仄が合わない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になって見ないから分らないがどうも一般の常識から云うと少し間違っているようだ。それは一人で侘しく暮らすより気に入った嫁の世話になる方が誰だって頼りが多かろう。しかし嫁の身になっても見るがいい。結婚して半年も立たないうちに夫は出征する。ようやく戦争が済んだと思うと、いつの間にか戦死している。二十を越すか越さないのに、姑と二人暮しで一生を終る。こんな残酷な事があるものか。御母さんの云うところは老人の立場から云えば無理もない訴だが、しかし随分我儘な願だ。年寄はこれだからいかぬと、内心はすこぶる不平であったが、滅多な抗議を申し込むとまた気色を悪るくさせる危険がある。せっかく慰めに来ていつも失策をやるのは余り器量のない話だ。まあまあだまっているに若くはなしと覚悟をきめて、反って反対の方角へと楫をとった。余は正直に生れた男である。しかし社会に存在して怨まれずに世の中を渡ろうとすると、どうも嘘がつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめるつもりでいる。 「実際残念な事をしましたね。全体浩さんはなぜ嫁をもらわなかったんですか」 「いえ、あなた色々探しておりますうちに、旅順へ参るようになったもので御座んすから」 「それじゃ当人も貰うつもりでいたんでしょう」 「それは……」と云ったが、それぎり黙っている。少々様子が変だ。あるいは寂光院事件の手懸りが潜伏していそうだ。白状して云うと、余はその時浩さんの事も、御母さんの事も考えていなかった。ただあの不思議な女の素性と浩さんとの関係が知りたいので頭の中はいっぱいになっている。この日における余は平生のような同情的動物ではない。全く冷静な好奇獣とも称すべき代物に化していた。人間もその日その日で色々になる。悪人になった翌日は善男に変じ、小人の昼の後に君子の夜がくる。あの男の性格はなどと手にとったように吹聴する先生があるがあれは利口の馬鹿と云うものでその日その日の自己を研究する能力さえないから、こんな傍若無人の囈語を吐いて独りで恐悦がるのである。探偵ほど劣等な家業はまたとあるまいと自分にも思い、人にも宣言して憚からなかった自分が、純然たる探偵的態度をもって事物に対するに至ったのは、すこぶるあきれ返った現象である。ちょっと言い淀んだ御母さんは、思い切った口調で 「その事について浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」 「嫁の事ですか」 「ええ、誰か自分の好いたものがあるような事を」 「いいえ」と答えたが、実はこの問こそ、こっちから御母さんに向って聞いて見なければならん問題であった。 「御叔母さんには何か話しましたろう」 「いいえ」  望の綱はこれぎり切れた。仕方がないからまた眼を庭の方へ転ずると、四十雀はすでにどこかへ飛び去って、例の白菊の色が、水気を含んだ黒土に映じて見事に見える。その時ふと思い出したのは先日の日記の事である。御母さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるいは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一応目を通したら何か手懸りがあろう。御母さんは女の事だから理解出来んかも知れんが、余が見ればこうだろうくらいの見当はつくわけだ。これは催促して日記を見るに若くはない。 「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」 「ええ、あれを見ないうちは何とも思わなかったのですが、つい見たものですから……」と御母さんは急に涙声になる。また泣かした。これだから困る。困りはしたものの、何か書いてある事はたしかだ。こうなっては泣こうが泣くまいがそんな事は構っておられん。 「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しましょう」と勢よく云ったのは今から考えて赤面の次第である。御母さんは起って奥へ這入る。  やがて襖をあけてポッケット入れの手帳を持って出てくる。表紙は茶の革でちょっと見ると紙入のような体裁である。朝夕内がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢でぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中を見ようとすると表の戸がからからと開いて、頼みますと云う声がする。生憎来客だ。御母さんは手真似で早く隠せと云うから、余は手帳を内懐に入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまが入らっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町の往来へ出る。  伝通院の裏を抜けて表町の坂を下りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相を究めて、全体の成行が明瞭になりさえすればこの不自然も自ずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければならん。それにしても昨日あの女のあとを付けなかったのは残念だ。もし向後あの女に逢う事が出来ないとするとこの事件は判然と分りそうにもない。入らぬ遠慮をして流星光底じゃないが逃がしたのは惜しい事だ。元来品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の体面を傷けざる範囲内において泥棒根性を発揮せんとせっかくの紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるそうだ。よしこれからはもう少し下品になってやろう。とくだらぬ事を考えながら柳町の橋の上まで来ると、水道橋の方から一輌の人力車が勇ましく白山の方へ馳け抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云うわずかの間であるから、余が冥想の眼をふとあげて車の上を見た時は、乗っている客はすでに眼界から消えかかっていた。がその人の顔は? ああ寂光院だと気が着いた頃はもう五六間先へ行っている。ここだ下品になるのはここだ。何でも構わんから追い懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追い懸けるのは余り下品すぎる。気狂でなくってはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車はおらんかなと四方を見廻したが生憎一輌もおらん。そのうちに寂光院は姿も見えないくらい遥かあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思われるまで下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然として西片町へ帰って来た。  とりあえず、書斎に立て籠って懐中から例の手帳を出したが、何分夕景ではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを点ける。下女が御飯はと云って来たから、めしは後で食うと追い返す。さて一頁から順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも倥偬の際に分陰を偸んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜来風邪の気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨散弾に中る。テントに仆れかかる。血痕を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念※[#感嘆符三つ、231-5]」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控であるから、毫も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところが大に気に入った。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝くだの、暴慢なる露人だの、醜虜の胆を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心の寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食み出している。郵の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※[#「郷-即のへん」、232-1]だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやく漕ぎつけたがそのほかは裏から見ても逆さまに見てもどうしても読めない。とうとう断念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日一睡もせんので勤務中坑内仮寝。郵便局で逢った女の夢を見る」  余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほど経て夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てからこれで三度見た」  余は日記をぴしゃりと敲いてこれだ! と叫んだ。御母さんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘だの残酷だのと心中で評したのは、こっちが悪るいのだ。なるほどこんな女がいるなら、親の身として一日でも添わしてやりたいだろう。御母さんが嫁がいたらいたらと云うのを今まで誤解して全く自分の淋しいのをまぎらすためとばかり解釈していたのは余の眼識の足らなかったところだ。あれは自分の我儘で云う言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思い通りにさせてやりたかったと云う謎なのだ。なるほど男は呑気なものだ。しかし知らん事なら仕方がない。それは先ずよしとして元来寂光院がこの女なのか、あるいはあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢ったと云うのはほかの女なのか、これが疑問である。この疑問はまだ断定出来ない。これだけの材料でそう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容れる余地もなくては、すべての判断はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢ったとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買うか、為替を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼る時に傍にいたあの女が、どう云う拍子かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五分ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃れたる者は枚挙に遑あらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼った」今度は言文一致である。「軍人が軍さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死に損なったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か来て墓参りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑静な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。丸に中って仆れるまで旗を振って進むつもりだ。御母さんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。  余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気に懸ってたまらない。あの車は白山の方へ向いて馳けて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものを探ねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食を済ましてその晩はそれぎり寝る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々として海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入ったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかった。  翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身が入らない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日の菊が鮮やかに竹藪の緑に映じて雪の団子のように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町の辺をぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸りもない。その晩は疲労のため寝る事だけはよく寝た。しかし朝になって授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人を捕まえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに学生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、緩るりと探究するに若くなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶焦慮もせず、例の通り静かに書斎に入って、せんだって中からの取調物を引き続いてやる事にした。  近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥する訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の学説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分生涯の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡で近頃出版になった英吉利のリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど開けると、今度は寂光院が襲って来る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母さんの切り下げの被布姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心して懸った仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入る。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して来る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして来た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには当人を捕えて聞き糺すよりほかに方法はあるまいとのみ速断して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋流に駒込近傍を徘徊したのである。しかしこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果と称えていた。因果は諦らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因を極めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女を捕まえて日記中の女と同人か別物かを明にした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯る代りに、昔から今に繰りさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。  そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺さんも御爺さんの御父さんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家来と云う事だけ分ればそれで充分手懸りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服装をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は当分埓があかない。抛って置いて自然天然寂光院に往来で邂逅するのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定が中るとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の学問に対してもっとも興味ある材料を給与する貢献的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快になる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しも疚ましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相当のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。  あくる日学校で和歌山県出の同僚某に向って、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。因ってその人物を承わると、もとは家老だったが今では家令と改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常藩邸に出入する人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。 「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」 「うん何でも知っている。維新の時なぞはだいぶ働いたそうだ。槍の名人でね」  槍などは下手でも構わん。昔し藩中に起った異聞奇譚を、老耄せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。 「まだ家令を務めているくらいなら記憶はたしかだろうな」 「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」 「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」 「いつでもして上げる」と云うと傍に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中るか外れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。  二三日は何の音沙汰もなく過ぎたが、御面会をするから明日三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時は大に嬉しかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日の下に引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣はない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方こんなものだろうと独りでいい加減にきめて見る。自宅の渋柿は八百屋から買った林檎より旨いものだ。  翌日は学校が午ぎりだから例刻を待ちかねて麻布まで車代二十五銭を奮発して老人に逢って見る。老人の名前はわざと云わない。見るからに頑丈な爺さんだ。白い髯を細長く垂れて、黒紋付に八王子平で控えている。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云う。まるで小供扱だ。これから大発明をして学界に貢献しようと云う余に対してはやや横柄である。今から考えて見ると先方が横柄なのではない、こっちの気位が高過ぎたから普通の応接ぶりが横柄に見えたのかも知れない。  それから二三件世間なみの応答を済まして、いよいよ本題に入った。 「妙な事を伺いますが、もと御藩に河上と云うのが御座いましたろう」余は学問はするが応対の辞にはなれておらん。藩というのが普通だが先方の事だから尊敬して御藩と云って見た。こんな場合に何と云うものか未だに分らない。老人はちょっと笑ったようだ。 「河上――河上と云うのはあります。河上才三と云うて留守居を務めておった。その子が貢五郎と云うてやはり江戸詰で――せんだって旅順で戦死した浩一の親じゃて。――あなた浩一の御つき合いか。それはそれは。いや気の毒な事で――母はまだあるはずじゃが……」と一人で弁ずる  河上一家の事を聞くつもりなら、わざわざ麻布下りまで出張する必要はない。河上を持ち出したのは河上対某との関係が知りたいからである。しかしこの某なるものの姓名が分らんから話しの切り出しようがない。 「その河上について何か面白い御話はないでしょうか」  老人は妙な顔をして余を見詰めていたが、やがて重苦しく口を切った。 「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある。どの河上の事を御尋ねか」 「どの河上でも構わんです」 「面白い事と云うて、どんな事を?」 「どんな事でも構いません。ちと材料が欲しいので」 「材料? 何になさる」厄介な爺さんだ。 「ちと取調べたい事がありまして」 「なある。貢五郎と云うのはだいぶ慷慨家で、維新の時などはだいぶ暴ばれたものだ――或る時あなた長い刀を提げてわしの所へ議論に来て、……」 「いえ、そう云う方面でなく。もう少し家庭内に起った事柄で、面白いと今でも人が記憶しているような事件はないでしょうか」老人は黙然と考えている。 「貢五郎という人の親はどんな性質でしたろう」 「才三かな。これはまた至って優しい、――あなたの知っておらるる浩一に生き写しじゃ、よく似ている」 「似ていますか?」と余は思わず大きな声を出した。 「ああ、実によく似ている。それでその頃は維新には間もある事で、世の中も穏かであったのみならず、役が御留守居だから、だいぶ金を使って風流をやったそうだ」 「その人の事について何か艶聞が――艶聞と云うと妙ですが――ないでしょうか」 「いや才三については憐れな話がある。その頃家中に小野田帯刀と云うて、二百石取りの侍がいて、ちょうど河上と向い合って屋敷を持っておった。この帯刀に一人の娘があって、それがまた藩中第一の美人であったがな、あなた」 「なるほど」うまいだんだん手懸りが出来る。 「それで両家は向う同志だから、朝夕往来をする。往来をするうちにその娘が才三に懸想をする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまうと騒いだのだて――いや女と云うものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くじゃ」 「ふん、それで思う通りに行きましたか」成蹟は良好だ。 「で帯刀から人をもって才三の親に懸合うと、才三も実は大変貰いたかったのだからその旨を返事する。結婚の日取りまできめるくらいに事が捗どったて」 「結構な事で」と申したがこれで結婚をしてくれては少々困ると内心ではひやひやして聞いている。 「そこまでは結構だったが、――飛んだ故障が出来たじゃ」 「へええ」そう来なくってはと思う。 「その頃国家老にやはり才三くらいな年恰好なせがれが有って、このせがれがまた帯刀の娘に恋慕して、是非貰いたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出来たあとだ。いかに家老の勢でもこればかりはどうもならん。ところがこのせがれが幼少の頃から殿様の御相手をして成長したもので、非常に御上の御気に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿様の御意でその方の娘をあれに遣わせと云う御意が帯刀に下りたのだて」 「気の毒ですな」と云ったが自分の見込が着々中るので実に愉快でたまらん。これで見ると朋友の死ぬような凶事でも、自分の予言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪を引くぞと忠告をした時に、忠告をされた当人が吾が言を用いないでしかもぴんぴんしていると心持ちが悪るい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間はかようにわがままなものだから、余一人を責めてはいかん。 「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帯刀が娘に因果を含めて、とうとう河上方を破談にしたな。両家が従来の通り向う合せでは、何かにつけて妙でないと云うので、帯刀は国詰になる、河上は江戸に残ると云う取り計をわしのおやじがやったのじゃ。河上が江戸で金を使ったのも全くそんなこんなで残念を晴らすためだろう。それでこの事がな、今だから御話しするようなものの、当時はぱっとすると両家の面目に関わると云うので、内々にして置いたから、割合に人が知らずにいる」 「その美人の顔は覚えて御出でですか」と余に取ってはすこぶる重大な質問をかけて見た。 「覚えているとも、わしもその頃は若かったからな。若い者には美人が一番よく眼につくようだて」と皺だらけの顔を皺ばかりにしてからからと笑った。 「どんな顔ですか」 「どんなと云うて別に形容しようもない。しかし血統と云うは争われんもので、今の小野田の妹がよく似ている。――御存知はないかな、やはり大学出だが――工学博士の小野田を」 「白山の方にいるでしょう」ともう大丈夫と思ったから言い放って、老人の気色を伺うと 「やはり御承知か、原町にいる。あの娘もまだ嫁に行かんようだが。――御屋敷の御姫様の御相手に時々来ます」  占めた占めたこれだけ聞けば充分だ。一から十まで余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院はこの小野田の令嬢に違ない。自分ながらかくまで機敏な才子とは今まで思わなかった。余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後に認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔てて脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。ちょっと見てすぐ惚れるような男女を捕えて軽薄と云う、小説だと云う、そんな馬鹿があるものかと云う。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、逆かさにする訳にもならん。不思議な現象に逢わぬ前ならとにかく、逢うた後にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話しによると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生出入して互に顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の標榜する趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違はないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。 「さっき浩一の名前をおっしゃったようですが、浩一は存生中御屋敷へよく上がりましたか」 「いいえ、ただ名前だけ聞いているばかりで、――おやじは先刻御話をした通り、わしと終夜激論をしたくらいな間柄じゃが、せがれは五六歳のときに見たぎりで――実は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷へ出入する機会もそれぎり絶えてしもうて、――その後は頓と逢うた事がありません」  そうだろう、そう来なくっては辻褄が合わん。第一余の理論の証明に関係してくる。先ずこれなら安心。御蔭様でと挨拶をして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思ったものか、余を送り出して玄関に立ったまま、余が門を出て振り返るまで見送っていた。  これからの話は端折って簡略に述べる。余は前にも断わった通り文士ではない。文士ならこれからが大に腕前を見せるところだが、余は学問読書を専一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいているひまがない。新橋で軍隊の歓迎を見て、その感慨から浩さんの事を追想して、それから寂光院の不思議な現象に逢ってその現象が学問上から考えて相当の説明がつくと云う道行きが読者の心に合点出来ればこの一篇の主意は済んだのである。実は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢い込んで出来るだけ精密に叙述して来たが、慣れぬ事とて余計な叙述をしたり、不用な感想を挿入したり、読み返して見ると自分でもおかしいと思うくらい精しい。その代りここまで書いて来たらもういやになった。今までの筆法でこれから先を描写するとまた五六十枚もかかねばならん。追々学期試験も近づくし、それに例の遺伝説を研究しなくてはならんから、そんな筆を舞わす時日は無論ない。のみならず、元来が寂光院事件の説明がこの篇の骨子だから、ようやくの事ここまで筆が運んで来て、もういいと安心したら、急にがっかりして書き続ける元気がなくなった。  老人と面会をした後には事件の順序として小野田と云う工学博士に逢わなければならん。これは困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持って行ったら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機会で博士の妹に逢わせてもらった。妹は余の推量に違わず例の寂光院であった。妹に逢った時顔でも赤らめるかと思ったら存外淡泊で毫も平生と異なる様子のなかったのはいささか妙な感じがした。ここまではすらすら事が運んで来たが、ただ一つ困難なのは、どうして浩さんの事を言い出したものか、その方法である。無論デリケートな問題であるから滅多に聞けるものではない。と云って聞かなければ何だか物足らない。余一人から云えばすでに学問上の好奇心を満足せしめたる今日、これ以上立ち入ってくだらぬ詮議をする必要を認めておらん。けれども御母さんは女だけに底まで知りたいのである。日本は西洋と違って男女の交際が発達しておらんから、独身の余と未婚のこの妹と対座して話す機会はとてもない。よし有ったとしたところで、むやみに切り出せばいたずらに処女を赤面させるか、あるいは知りませぬと跳ねつけられるまでの事である。と云って兄のいる前ではなおさら言いにくい。言いにくいと申すより言うを敢てすべからざる事かも知れない。墓参り事件を博士が知っているならばだけれど、もし知らんとすれば、余は好んで人の秘事を暴露する不作法を働いた事になる。こうなるといくら遺伝学を振り廻しても埓はあかん。自ら才子だと飛び廻って得意がった余も茲に至って大に進退に窮した。とどのつまり事情を逐一打ち明けて御母さんに相談した。ところが女はなかなか智慧がある。  御母さんの仰せには「近頃一人の息子を旅順で亡くして朝、夕淋しがって暮らしている女がいる。慰めてやろうと思っても男ではうまく行かんから、おひまな時に御嬢さんを時々遊びにやって上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡的口吻を弄して旨を伝えると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母さんと御嬢さんとは時々会見をする。会見をするたびに仲がよくなる。いっしょに散歩をする、御饌をたべる、まるで御嫁さんのようになった。とうとう御母さんが浩さんの日記を出して見せた。その時に御嬢さんが何と云ったかと思ったら、それだから私は御寺参をしておりましたと答えたそうだ。なぜ白菊を御墓へ手向けたのかと問い返したら、白菊が一番好きだからと云う挨拶であった。  余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは塹壕へ飛び込んだきり上って来ない。誰も浩さんを迎に出たものはない。天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。余はこの両人の睦まじき様を目撃するたびに、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。 底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年10月27日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:LUNA CAT 2000年9月11日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 感嘆符三つ    231-5    --> 夏目漱石 それから それから 夏目漱石 一の一  誰か慌たゞしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下つてゐた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従つて、すうと頭から抜け出して消えて仕舞つた。さうして眼が覚めた。  枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちてゐる。代助は昨夕床の中で慥かに此花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣が静かな所為かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはづれに正しく中る血の音を確かめながら眠に就いた。  ぼんやりして、少時、赤ん坊の頭程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈を聴いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確に打つてゐた。彼は胸に手を当てた儘、此鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像して見た。是が命であると考へた。自分は今流れる命を掌で抑へてゐるんだと考へた。それから、此掌に応へる、時計の針に似た響は、自分を死に誘ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生きてゐられたなら、――血を盛る袋が、時を盛る袋の用を兼ねなかつたなら、如何に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生を味はひ得るだらう。けれども――代助は覚えず悚とした。彼は血潮によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生きたがる男である。彼は時々寐ながら、左の乳の下に手を置いて、もし、此所を鉄槌で一つ撲されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。  彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中から両手を出して、大きく左右に開くと、左側に男が女を斬つてゐる絵があつた。彼はすぐ外の頁へ眼を移した。其所には学校騒動が大きな活字で出てゐる。代助は、しばらく、それを読んでゐたが、やがて、惓怠さうな手から、はたりと新聞を夜具の上に落した。夫から烟草を一本吹かしながら、五寸許り布団を摺り出して、畳の上の椿を取つて、引つ繰り返して、鼻の先へ持つて来た。口と口髭と鼻の大部分が全く隠れた。烟りは椿の瓣と蕊に絡まつて漂ふ程濃く出た。それを白い敷布の上に置くと、立ち上がつて風呂場へ行つた。  其所で叮嚀に歯を磨いた。彼は歯並の好いのを常に嬉しく思つてゐる。肌を脱いで綺麗に胸と脊を摩擦した。彼の皮膚には濃かな一種の光沢がある。香油を塗り込んだあとを、よく拭き取つた様に、肩を揺かしたり、腕を上げたりする度に、局所の脂肪が薄く漲つて見える。かれは夫にも満足である。次に黒い髪を分けた。油を塗けないでも面白い程自由になる。髭も髪同様に細く且つ初々しく、口の上を品よく蔽ふてゐる。代助は其ふつくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映してゐた。丸で女が御白粉を付ける時の手付と一般であつた。実際彼は必要があれば、御白粉さへ付けかねぬ程に、肉体に誇を置く人である。彼の尤も嫌ふのは羅漢の様な骨骼と相好で、鏡に向ふたんびに、あんな顔に生れなくつて、まあ可かつたと思ふ位である。其代り人から御洒落と云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。 一の二  約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜りながら焼麺麭に牛酪を付けてゐると、門野と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団の傍へ置きながら、 「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。此書生は代助を捕まへては、先生先生と敬語を使ふ。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへゝゝ、だつて先生と、すぐ先生にして仕舞ふので、已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて、今では、此男に限つて、平気に先生として通してゐる。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである。 「学校騒動の事ぢやないか」と代助は落付いた顔をして麺麭を食つて居た。 「だつて痛快ぢやありませんか」 「校長排斥がですか」 「えゝ、到底辞職もんでせう」と嬉しがつてゐる。 「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事でもあるんですか」 「冗談云つちや不可ません。さう損得づくで、痛快がられやしません」  代助は矢つ張り麺麭を食つてゐた。 「君、あれは本当に校長が悪らしくつて排斥するのか、他に損得問題があつて排斥するのか知つてますか」と云ひながら鉄瓶の湯を紅茶々碗の中へ注した。 「知りませんな。何ですか、先生は御存じなんですか」 「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得にならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」 「へえ、左様なもんですかな」と門野は稍真面目な顔をした。代助はそれぎり黙つて仕舞つた。門野は是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様なもんですかなで押し通して澄ましてゐる。此方の云ふことが応へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所が漠然として、刺激が要らなくつて好いと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日ごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野は何時でも、左様でせうか、とか、左様なもんでせうか、とか答へる丈である。決して為ませうといふ事は口にしない。又かう、怠惰ものでは、さう判然した答が出来ないのである。代助の方でも、門野を教育しに生れて来た訳でもないから、好加減にして放つて置く。幸ひ頭と違つて、身体の方は善く動くので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野の御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野とは頗る仲が好い。主人の留守などには、よく二人で話をする。 「先生は一体何を為る気なんだらうね。小母さん」 「あの位になつて入らつしやれば、何でも出来ますよ。心配するがものはない」 「心配はせんがね。何か為たら好ささうなもんだと思ふんだが」 「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探しなさる御積りなんでせうよ」 「いゝ積りだなあ。僕も、あんな風に一日本を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮して居たいな」 「御前さんが?」 「本は読まんでも好いがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」 「夫はみんな、前世からの約束だから仕方がない」 「左様なものかな」  まづ斯う云ふ調子である。門野が代助の所へ引き移る二週間前には、此若い独身の主人と、此食客との間に下の様な会話があつた。 一の三 「君は何方の学校へ行つてるんですか」 「もとは行きましたがな。今は廃めちまいました」 「もと、何処へ行つたんです」 「何処つて方々行きました。然しどうも厭きつぽいもんだから」 「ぢき厭になるんですか」 「まあ、左様ですな」 「で、大して勉強する考もないんですか」 「えゝ、一寸有りませんな。それに近頃家の都合が、あんまり好くないもんですから」 「家の婆さんは、あなたの御母さんを知つてるんだつてね」 「えゝ、もと、直近所に居たもんですから」 「御母さんは矢っ張り……」 「矢っ張りつまらない内職をしてゐるんですが、どうも近頃は不景気で、余まり好くない様です」 「好くない様ですつて、君、一所に居るんぢやないですか」 「一所に居ることは居ますが、つい面倒だから聞いた事もありません。何でも能くこぼしてる様です」 「兄さんは」 「兄は郵便局の方へ出てゐます」 「家は夫丈ですか」 「まだ弟がゐます。是は銀行の――まあ小使に少し毛の生えた位な所なんでせう」 「すると遊んでるのは、君許りぢやないか」 「まあ、左様なもんですな」 「それで、家にゐるときは、何をしてゐるんです」 「まあ、大抵寐てゐますな。でなければ散歩でも為ますかな」 「外のものが、みんな稼いでるのに、君許り寐てゐるのは苦痛ぢやないですか」 「いえ、左様でもありませんな」 「家庭が余つ程円満なんですか」 「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」 「だつて、御母さんや兄さんから云つたら、一日も早く君に独立して貰ひたいでせうがね」 「左様かも知れませんな」 「君は余つ程気楽な性分と見える。それが本当の所なんですか」 「えゝ、別に嘘を吐く料簡もありませんな」 「ぢや全くの呑気屋なんだね」 「えゝ、まあ呑気屋つて云ふもんでせうか」 「兄さんは何歳になるんです」 「斯うつと、取つて六になりますか」 「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。兄さんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」 「其時に為つて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、何しろ、どうか為るだらうと思つてます」 「其外に親類はないんですか」 「叔母が一人ありますがな。こいつは今、浜で運漕業をやつてます」 「叔母さんが?」 「叔母が遣つてる訳でもないんでせうが、まあ叔父ですな」 「其所へでも頼んで使つて貰つちや、どうです。運漕業なら大分人が要るでせう」 「根が怠惰もんですからな。大方断わるだらうと思つてるんです」 「さう自任してゐちや困る。実は君の御母さんが、家の婆さんに頼んで、君を僕の宅へ置いて呉れまいかといふ相談があるんですよ」 「えゝ、何だかそんな事を云つてました」 「君自身は、一体どう云ふ気なんです」 「えゝ、成るべく怠けない様にして……」 「家へ来る方が好いんですか」 「まあ、左様ですな」 「然し寐て散歩する丈ぢや困る」 「そりや大丈夫です。身体の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」 「風呂は水道があるから汲まないでも可い」 「ぢや、掃除でもしませう」  門野は斯う云ふ条件で代助の書生になつたのである。 一の四  代助はやがて食事を済まして、烟草を吹かし出した。今迄茶箪笥の陰に、ぽつねんと膝を抱へて柱に倚り懸つてゐた門野は、もう好い時分だと思つて、又主人に質問を掛けた。 「先生、今朝は心臓の具合はどうですか」  此間から代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。 「今日はまだ大丈夫だ」 「何だか明日にも危しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取つ付かれるかも知れませんよ」 「もう病気ですよ」  門野は只へえゝと云つた限、代助の光沢の好い顔色や肉の豊かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の頭は、牛の脳味噌で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。話をすると、平民の通る大通りを半町位しか付いて来ない。たまに横町へでも曲ると、すぐ迷児になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼の神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞たがる。其上頑強一点張りの肉体を笠に着て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野にはそんな事は丸で分らない。 「門野さん、郵便は来て居なかつたかね」 「郵便ですか。斯うつと。来てゐました。端書と封書が。机の上に置きました。持つて来ますか」 「いや、僕が彼方へ行つても可い」  歯切れのわるい返事なので、門野はもう立つて仕舞つた。さうして端書と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日午前会ひたし、と薄墨の走り書の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋の名と平岡常次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。 「もう来たのか、昨日着いたんだな」と独り言の様に云ひながら、封書の方を取り上げると、是は親爺の手蹟である。二三日前帰つて来た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙が着いたら来てくれろと書いて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。 「君、電話を掛けて呉れませんか。家へ」 「はあ、御宅へ。何て掛けます」 「今日は約束があつて、待ち合せる人があるから上がれないつて。明日か明後日屹度伺ひますからつて」 「はあ。何方に」 「親爺が旅行から帰つて来て、話があるから一寸来いつて云ふんだが、――何親爺を呼び出さないでも可いから、誰にでも左様云つて呉れ給へ」 「はあ」  門野は無雑作に出て行つた。代助は茶の間から、座敷を通つて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除が出来てゐる。落椿も何所かへ掃き出されて仕舞つた。代助は花瓶の右手にある組み重ねの書棚の前へ行つて、上に載せた重い写真帖を取り上げて、立ちながら、金の留金を外して、一枚二枚と繰り始めたが、中頃迄来てぴたりと手を留めた。其所には廿歳位の女の半身がある。代助は眼を俯せて凝と女の顔を見詰めてゐた。 二の一  着物でも着換へて、此方から平岡の宿を訪ね様かと思つてゐる所へ、折よく先方から遣つて来た。車をがら/\と門前迄乗り付けて、此所だ/\と梶棒を下さした声は慥かに三年前分れた時そつくりである。玄関で、取次の婆さんを捕まへて、宿へ蟇口を忘れて来たから、一寸二十銭借してくれと云つた所などは、どうしても学校時代の平岡を思ひ出さずにはゐられない。代助は玄関迄馳け出して行つて、手を執らぬ許りに旧友を座敷へ上げた。 「何うした。まあ緩くりするが好い」 「おや、椅子だね」と云ひながら平岡は安楽椅子へ、どさりと身体を投げ掛けた。十五貫目以上もあらうと云ふわが肉に、三文の価値を置いてゐない様な扱かひ方に見えた。それから椅子の脊に坊主頭を靠たして、一寸部屋の中を見廻しながら、 「中々、好い家だね。思つたより好い」と賞めた。代助は黙つて巻莨入の蓋を開けた。 「それから、以後何うだい」 「何うの、斯うのつて、――まあ色々話すがね」 「もとは、よく手紙が来たから、様子が分つたが、近頃ぢや些とも寄さないもんだから」 「いや何所も彼所も御無沙汰で」と平岡は突然眼鏡を外して、脊広の胸から皺だらけの手帛を出して、眼をぱち/\させながら拭き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝と其様子を眺めてゐた。 「僕より君はどうだい」と云ひながら、細い蔓を耳の後へ絡みつけに、両手で持つて行つた。 「僕は相変らずだよ」 「相変らずが一番好いな。あんまり相変るものだから」  そこで平岡は八の字を寄せて、庭の模様を眺め出したが、不意に語調を更へて、 「やあ、桜がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違ふ」と云つた。話の具合が何だか故の様にしんみりしない。代助も少し気の抜けた風に、 「向ふは大分暖かいだらう」と序同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法外に熱した具合で、 「うん、大分暖かい」と力の這入つた返事があつた。恰も自己の存在を急に意識して、はつと思つた調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨に火を点けた。其時婆さんが漸く急須に茶を注れて持つて出た。今しがた鉄瓶に水を射して仕舞つたので、煮立るのに暇が入つて、つい遅くなつて済みませんと言訳をしながら、洋卓の上へ盆を載せた。二人は婆さんの喋舌てる間、紫檀の盆を見て黙つてゐた。婆さんは相手にされないので、独りで愛想笑ひをして座敷を出た。 「ありや何だい」 「婆さんさ。雇つたんだ。飯を食はなくつちやならないから」 「御世辞が好いね」  代助は赤い唇の両端を、少し弓なりに下の方へ彎げて蔑む様に笑つた。 「今迄斯んな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」 「君の家から誰か連れて呉れば好いのに。大勢ゐるだらう」 「みんな若いの許りでね」と代助は真面目に答へた。平岡は此時始めて声を出して笑つた。 「若けりや猶結構ぢやないか」 「兎に角家の奴は好くないよ」 「あの婆さんの外に誰かゐるのかい」 「書生が一人ゐる」  門野は何時の間にか帰つて、台所の方で婆さんと話をしてゐた。 「それ限りかい」 「それ限りだ。何故」 「細君はまだ貰はないのかい」  代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になつた。 「妻を貰つたら、君の所へ通知位する筈ぢやないか。夫よりか君の」と云ひかけて、ぴたりと已めた。 二の二  代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業して後、一年間といふものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。其時分は互に凡てを打ち明けて、互に力に為り合ふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。この娯楽が変じて実行となつた事も少なくないので、彼等は双互の為めに口にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうして其犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤めてゐる銀行の、京坂地方のある支店詰になつた。代助は、出立の当時、新夫婦を新橋の停車場に送つて、愉快さうに、直帰つて来給へと平岡の手を握つた。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其眼鏡の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。家へ帰つて、一日部屋に這入つたなり考へ込んでゐた。嫂を連れて音楽会へ行く筈の所を断わつて、大いに嫂に気を揉ました位である。  平岡からは断えず音信があつた。安着の端書、向ふで世帯を持つた報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あつた。手紙の来るたびに、代助は何時も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書くときは、何時でも一種の不安に襲はれる。たまには我慢するのが厭になつて、途中で返事を已めて仕舞ふ事がある。たゞ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来る場合に限つて、安々と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。  そのうち段々手紙の遣り取りが疎遠になつて、月に二遍が、一遍になり、一遍が又二月、三月に跨がる様に間を置いて来ると、今度は手紙を書かない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為に封筒の糊を湿す事があつた。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭も胸も段々組織が変つて来る様に感ぜられて来た。此変化に伴つて、平岡へは手紙を書いても書かなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。現に代助が一戸を構へて以来、約一年余と云ふものは、此春年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らした丈である。  それでも、ある事情があつて、平岡の事は丸で忘れる訳には行かなかつた。時々思ひ出す。さうして今頃は何うして暮してゐるだらうと、色々に想像して見る事がある。然したゞ思ひ出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日迄過して来た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。其手紙には近々当地を引き上げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思つてくれては困る。少し考があつて、急に職業替をする気になつたから、着京の上は何分宜しく頼むとあつた。此何分宜しく頼むの頼むは本当の意味の頼むか、又は単に辞令上の頼むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあつたのは争ふべからざる事実である。代助は其時はつと思つた。  それで、逢ふや否や此変動の一部始終を聞かうと待設けて居たのだが、不幸にして話が外れて容易に其所へ戻つて来ない。折を見て此方から持ち掛けると、まあ緩つくり話すとか何とか云つて、中々埒を開けない。代助は仕方なしに、仕舞に、 「久し振りだから、其所いらで飯でも食はう」と云ひ出した。平岡は、それでも、まだ、何れ緩くりを繰返したがるのを、無理に引張つて、近所の西洋料理へ上つた。 二の三  両人は其所で大分飲んだ。飲む事と食ふ事は昔の通りだねと言つたのが始りで、硬い舌が段々弛んで来た。代助は面白さうに、二三日前自分の観に行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭が夜の十二時を相図に、世の中の寐鎮まる頃を見計つて始る。参詣人が長い廊下を廻つて本堂へ帰つて来ると、何時の間にか幾千本の蝋燭が一度に点いてゐる。法衣を着た坊主が行列して向ふを通るときに、黒い影が、無地の壁へ非常に大きく映る。――平岡は頬杖を突いて、眼鏡の奥の二重瞼を赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃広い御成街道を通つて、深夜の鉄軌が、暗い中を真直に渡つてゐる上を、たつた一人上野の森迄来て、さうして電燈に照らされた花の中に這入つた。 「人気のない夜桜は好いもんだよ」と云つた。平岡は黙つて盃を干したが、一寸気の毒さうに口元を動かして、 「好いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似が出来る間はまだ気楽なんだよ。世の中へ出ると、中々それ所ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所でこんな答をした。 「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」  平岡は酔つた眼を心持大きくした。 「大分考へが違つて来た様だね。――けれども其苦痛が後から薬になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」 「そりや不見識な青年が、流俗の諺に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」 「だつて、君だつて、もう大抵世の中へ出なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」 「世の中へは昔から出てゐるさ。ことに君と分れてから、大変世の中が広くなつた様な気がする。たゞ君の出てゐる世の中とは種類が違ふ丈だ」 「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」 「無論食ふに困る様になれば、何時でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を嘗めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」  平岡の眉の間に、一寸不快の色が閃めいた。赤い眼を据ゑてぷか/\烟草を吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、少し調子を穏やかにした。―― 「僕の知つたものに、丸で音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒ぢや飯が食へないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしてゐるより外に全く暇がない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所に音楽会があらうと、どんな名人が外国から来やうと聞に行く機会がない。つまり楽といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」  平岡は巻莨の灰を、皿の上にはたきながら、沈んだ暗い調子で、 「うん、何時迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其重い言葉の足が、富に対する一種の呪咀を引き摺つてゐる様に聴えた。 二の四  両人は酔つて、戸外へ出た。酒の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにゐる。 「少し歩かないか」と代助が誘つた。平岡も口程忙がしくはないと見えて、生返事をしながら、一所に歩を運んで来た。通を曲つて横町へ出て、成る可く、話の為好い閑な場所を撰んで行くうちに、何時か緒口が付いて、思ふあたりへ談柄が落ちた。  平岡の云ふ所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいて見た。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しやうと思つた位であつたが、地位が夫程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭の中に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時も取り合はなかつた。六※[#濁点付き小書き平仮名つ、25-10]かしい理窟抔を持ち出すと甚だ御機嫌が悪い。青二才に何が分るものかと云ふ様な風をする。其癖自分は実際何も分つて居ないらしい。平岡から見ると、其相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくつて、寧ろ相手にするのが怖いからの様に思はれた。其所に平岡の癪はあつた。衝突しかけた事も一度や二度ではない。  けれども、時日を経過するに従つて、肝癪が何時となく薄らいできて、次第に自分の頭が、周囲の空気と融和する様になつた。又成るべくは、融和する様に力めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変つて来た。時々は向ふから相談をかける事さへある。すると学校を出たての平岡でないから、先方に解らない、且つ都合のわるいことは成るべく云はない様にして置く。 「無暗に御世辞を使つたり、胡麻を摺るのとは違ふが」と平岡はわざ/\断つた。代助は真面目な顔をして、「そりや無論さうだらう」と答へた。  支店長は平岡の未来の事に就て、色々心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中つてゐるから、其時は一所に来給へ抔と冗談半分に約束迄した。其頃は事務にも慣れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇が自然となくなつて、又勉強が却つて実務の妨をする様に感ぜられて来た。  支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関といふ男を信任して、色々と相談相手にして居つた。所が此男がある芸妓と関係つて、何時の間にか会計に穴を明けた。それが曝露したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放つて置くと、支店長に迄多少の煩が及んで来さうだつたから、其所で自分が責を引いて辞職を申し出た。  平岡の語る所は、ざつと斯うであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上になればなる程旨い事が出来るものでね。実は関なんて、あれつ許の金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」といふ句があつたのから推したのである。 「ぢや支店長は一番旨い事をしてゐる訳だね」と代助が聞いた。 「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁して仕舞つた。 「それで其男の使ひ込んだ金は何うした」 「千に足らない金だつたから、僕が出して置いた」 「よく有つたね。君も大分旨い事をしたと見える」  平岡は苦い顔をして、ぢろりと代助を見た。 「旨い事をしたと仮定しても、皆使つて仕舞つてゐる。生活にさへ足りない位だ。其金は借りたんだよ」 「さうか」と代助は落ち付き払つて受けた。代助は何んな時でも平生の調子を失はない男である。さうして其調子には低く明らかなうちに一種の丸味が出てゐる。 「支店長から借りて埋めて置いた」 「何故支店長がぢかに其関とか何とか云ふ男に貸して遣らないのかな」  平岡は何とも答へなかつた。代助も押しては聞かなかつた。二人は無言の儘しばらくの間並んで歩いて行つた。 二の五  代助は平岡が語つたより外に、まだ何かあるに違ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil admirari の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚する程の山出ではなかつた。彼の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。  代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗ひ浚ひ自分の弱点を打ち明けては、徒らに馬糞を投げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想を尽かされるよりは黙つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯う取れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言で歩いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視する程度に於て、あるひは其れ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視し始めたのである。けれども両人が十五六間過ぎて、又話を遣り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更になかつた。最初に口を切つたのは代助であつた。 「それで、是から先何うする積かね」 「さあ」 「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業が可いかも知れないね」 「さあ。事情次第だが。実は緩くり君に相談して見様と思つてゐたんだが。何うだらう、君の兄さんの会社の方に口はあるまいか」 「うん、頼んで見様、二三日内に家へ行く用があるから。然し何うかな」 「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」 「夫も好いだらう」  両人は又電車の通る通へ出た。平岡は向ふから来た電車の軒を見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひ出した。代助はさうかと答へた儘、留めもしない、と云つて直分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄歩いて来た。そこで、 「三千代さんは何うした」と聞いた。 「難有う、まあ相変らずだ。君に宜しく云つてゐた。実は今日連れて来やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺れたんで頭が悪いといふから宿屋へ置いて来た」  電車が二人の前で留まつた。平岡は二三歩早足に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼の乗るべき車はまだ着かなかつたのである。 「子供は惜しい事をしたね」 「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好かつた」 「其後は何うだい。まだ後は出来ないか」 「うん、未だにも何にも、もう駄目だらう。身体があんまり好くないものだからね」 「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可いかも知れない」 「夫もさうさ。一層君の様に一人身なら、猶の事、気楽で可いかも知れない」 「一人身になるさ」 「冗談云つてら――夫よりか、妻が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未だだらうかつて気にしてゐたぜ」  所へ電車が来た。 三の一  代助の父は長井得といつて、御維新のとき、戦争に出た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人を已めてから、実業界に這入つて、何か彼かしてゐるうちに、自然と金が貯つて、此十四五年来は大分の財産家になつた。  誠吾と云ふ兄がある。学校を卒業してすぐ、父の関係してゐる会社へ出たので、今では其所で重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人の子供が出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹は縫といつて三つ違である。  誠吾の外に姉がまだ一人あるが、是はある外交官に嫁いで、今は夫と共に西洋にゐる。誠吾と此姉の間にもう一人、それから此姉と代助の間にも、まだ一人兄弟があつたけれども、それは二人とも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。  代助の一家は是丈の人数から出来上つてゐる。そのうちで外へ出てゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃一戸を構へた代助ばかりだから、本家には大小合せて四人残る訳になる。  代助は月に一度は必ず本家へ金を貰ひに行く。代助は親の金とも、兄の金ともつかぬものを使つて生きてゐる。月に一度の外にも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯つたり、書生と五目並をしたり、嫂と芝居の評をしたりして帰つて来る。  代助は此嫂を好いてゐる。此嫂は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継ぎ合せた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西にゐる義妹に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物を取寄せて、それを四五人で裁つて、帯に仕立てゝ着て見たり何かする。後で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。夫から西洋の音楽が好きで、よく代助に誘ひ出されて聞に行く。さうかと思ふと易断に非常な興味を有つてゐる。石龍子と尾島某を大いに崇拝する。代助も二三度御相伴に、俥で易者の許迄食付いて行つた事がある。  誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々球を投げてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年夏の初めに、多くの焼芋屋が俄然として氷水屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓を食ふものは誠太郎である。氷菓がないときには、氷水で我慢する。さうして得意になつて帰つて来る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番先へ這入つて見たいと云つてゐる。叔父さん誰か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。  縫といふ娘は、何か云ふと、好くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃はイオリンの稽古に行く。帰つて来ると、鋸の目立ての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決して遣らない。室を締め切つて、きい/\云はせるのだから、親は可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々そつと戸を明けるので、好くつてよ、知らないわと叱られる。  兄は大抵不在勝である。ことに忙がしい時になると、家で食ふのは朝食位なもので、あとは、何うして暮してゐるのか、二人の子供には全く分らない。同程度に於て代助にも分らない。是は分らない方が好ましいので、必要のない限りは、兄の日々の戸外生活に就て決して研究しないのである。  代助は二人の子供に大変人望がある。嫂にも可なりある。兄には、あるんだか、ないんだか分らない。会に兄と弟が顔を合せると、たゞ浮世話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣つてゐる。陳腐に慣れ抜いた様子である。 三の二  代助の尤も応へるのは親爺である。好い年をして、若い妾を持つてゐるが、それは構はない。代助から云ふと寧ろ賛成な位なもので、彼は妾を置く余裕のないものに限つて、蓄妾の攻撃をするんだと考へてゐる。親爺は又大分の八釜し屋である。小供のうちは心魂に徹して困却した事がある。しかし成人の今日では、それにも別段辟易する必要を認めない。たゞ応へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共大した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処した時の心掛けでもつて、代助も遣らなくつては、嘘だといふ論理になる。尤も代助の方では、何が嘘ですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は小供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分親爺と組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、此肝癪がぱたりと已んで仕舞つた。それから以後ついぞ怒つた試しがない。親爺はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇つてゐる。  実際を云ふと親爺の所謂薫育は、此父子の間に纏綿する暖かい情味を次第に冷却せしめた丈である。少なくとも代助はさう思つてゐる。所が親爺の腹のなかでは、それが全く反対に解釈されて仕舞つた。何をしやうと血肉の親子である。子が親に対する天賦の情合が、子を取扱ふ方法の如何に因つて変る筈がない。教育の為め、少しの無理はしやうとも、其結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺は、固く斯う信じてゐた。自分が代助に存在を与へたといふ単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考へた親爺は、その信念をもつて、ぐん/\押して行つた。さうして自分に冷淡な一個の息子を作り上げた。尤も代助の卒業前後からは其待遇法も大分変つて来て、ある点から云へば、驚ろく程寛大になつた所もある。然しそれは代助が生れ落ちるや否や、此親爺が代助に向つて作つたプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかつたのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至つては、今に至つて全く気が付かずにゐる。  親爺は戦争に出たのを頗る自慢にする。稍もすると、御前抔はまだ戦争をした事がないから、度胸が据らなくつて不可んと一概にけなして仕舞ふ。恰も度胸が人間至上な能力であるかの如き言草である。代助はこれを聞かせられるたんびに厭な心持がする。胆力は命の遣り取りの劇しい、親爺の若い頃の様な野蛮時代にあつてこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云へば、古風な弓術撃剣の類と大差はない道具と、代助は心得てゐる。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がつて然るべき能力が沢山ある様に考へられる。御父さんから又胆力の講釈を聞いた。御父さんの様に云ふと、世の中で石地蔵が一番偉いことになつて仕舞ふ様だねと云つて、嫂と笑つた事がある。  斯う云ふ代助は無論臆病である。又臆病で恥づかしいといふ気は心から起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺の使嗾で、夜中にわざ/\青山の墓地迄出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなつて、蒼青な顔をして家へ帰つて来た。其折は自分でも残念に思つた。あくる朝親爺に笑はれたときは、親爺が憎らしかつた。親爺の云ふ所によると、彼と同時代の少年は、胆力修養の為め、夜半に結束して、たつた一人、御城の北一里にある剣が峰の天頂迄登つて、其所の辻堂で夜明をして、日の出を拝んで帰つてくる習慣であつたさうだ。今の若いものとは心得方からして違ふと親爺が批評した。  斯んな事を真面目に口にした、又今でも口にしかねまじき親爺は気の毒なものだと、代助は考へる。彼は地震が嫌である。瞬間の動揺でも胸に波が打つ。あるときは書斎で凝と坐つてゐて、何かの拍子に、あゝ地震が遠くから寄せて来るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷いてゐる坐蒲団も、畳も、乃至床板も明らかに震へる様に思はれる。彼はこれが自分の本来だと信じてゐる。親爺の如きは、神経未熟の野人か、然らずんば己れを偽はる愚者としか代助には受け取れないのである。 三の三  代助は今此親爺と対坐してゐる。廂の長い小さな部屋なので、居ながら庭を見ると、廂の先で庭が仕切られた様な感がある。少なくとも空は広く見えない。其代り静かで、落ち付いて、尻の据り具合が好い。  親爺は刻み烟草を吹かすので、手のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々灰吹をぽん/\と叩く。それが静かな庭へ響いて好い音がする。代助の方は金の吸口を四五本手烙の中へ並べた。もう鼻から烟を出すのが厭になつたので、腕組をして親爺の顔を眺めてゐる。其顔には年の割に肉が多い。それでゐて頬は痩けてゐる。濃い眉の下に眼の皮が弛んで見える。髭は真白と云はんよりは、寧ろ黄色である。さうして、話をするときに相手の膝頭と顔とを半々に見較べる癖がある。其時の眼の動かし方で、白眼が一寸ちらついて、相手に妙な心持をさせる。  老人は今斯んな事を云つてゐる。―― 「さう人間は自分丈を考へるべきではない。世の中もある。国家もある。少しは人の為に何かしなくつては心持のわるいものだ。御前だつて、さう、ぶら/\してゐて心持の好い筈はなからう。そりや、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出るものだからな」 「左様です」と代助は答へてゐる。親爺から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云ふ習慣になつてゐる。代助に云はせると、親爺の考は、万事中途半端に、或物を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。しかのみならず、今利他本位でやつてるかと思ふと、何時の間にか利己本位に変つてゐる。言葉丈は滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談である。それを基礎から打ち崩して懸かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めより成るべく触らない様にしてゐる。所が親爺の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得てゐるので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来る。そこで代助も已を得ず親爺といふ老太陽の周囲を、行儀よく廻転する様に見せてゐる。 「それは実業が厭なら厭で好い。何も金を儲ける丈が日本の為になるとも限るまいから。金は取らんでも構はない。金の為に兎や角云ふとなると、御前も心持がわるからう。金は今迄通り己が補助して遣る。おれも、もう何時死ぬか分らないし、死にや金を持つて行く訳にも行かないし。月々御前の生計位どうでもしてやる。だから奮発して何か為るが好い。国民の義務としてするが好い。もう三十だらう」 「左様です」 「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」  代助は決してのらくらして居るとは思はない。たゞ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。親爺が斯んな事を云ふたびに、実は気の毒になる。親爺の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日を利用しつゝある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出してゐるのが、全く映らないのである。仕方がないから、真面目な顔をして、 「えゝ、困ります」と答へた。老人は頭から代助を小僧視してゐる上に、其返事が何時でも幼気を失はない、簡単な、世帯離れをした文句だものだから、馬鹿にするうちにも、どうも坊ちやんは成人しても仕様がない、困つたものだと云ふ気になる。さうかと思ふと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もぢ付かず尋常極まつてゐるので、此奴は手の付け様がないといふ気にもなる。 三の四 「身体は丈夫だね」 「二三年このかた風邪を引いた事もありません」 「頭も悪い方ぢやないだらう。学校の成蹟も可なりだつたんぢやないか」 「まあ左様です」 「夫で遊んでゐるのは勿体ない。あの何とか云つたね、そら御前の所へ善く話しに来た男があるだらう。己も一二度逢つたことがある」 「平岡ですか」 「さう平岡。あの人なぞは、あまり出来の可い方ぢやなかつたさうだが、卒業すると、すぐ何処かへ行つたぢやないか」 「其代り失敗て、もう帰つて来ました」  老人は苦笑を禁じ得なかつた。 「どうして」と聞いた。 「詰り食ふ為に働らくからでせう」  老人には此意味が善く解らなかつた。 「何か面白くない事でも遣つたのかな」と聞き返した。 「其場合々々で当然の事を遣るんでせうけれども、其当然が矢っ張り失敗になるんでせう」 「はあゝ」と気の乗らない返事をしたが、やがて調子を易へて、説き出した。 「若い人がよく失敗といふが、全く誠実と熱心が足りないからだ。己も多年の経験で、此年になる迄遣つて来たが、どうしても此二つがないと成功しないね」 「誠実と熱心があるために、却つて遣り損ふこともあるでせう」 「いや、先ないな」  親爺の頭の上に、誠者天之道也と云ふ額が麗々と掛けてある。先代の旧藩主に書いて貰つたとか云つて、親爺は尤も珍重してゐる。代助は此額が甚だ嫌である。第一字が嫌だ。其上文句が気に喰はない。誠は天の道なりの後へ、人の道にあらずと附け加へたい様な心持がする。  其昔し藩の財政が疲弊して、始末が付かなくなつた時、整理の任に当つた長井は、藩侯に縁故のある町人を二三人呼び集めて、刀を脱いで其前に頭を下げて、彼等に一時の融通を頼んだ事がある。固より返せるか、返せないか、分らなかつたんだから、分らないと真直に自白して、それがために其時成功した。その因縁で此額を藩主に書いて貰つたんである。爾来長井は何時でも、之を自分の居間に掛けて朝夕眺めてゐる。代助は此額の由来を何遍聞かされたか知れない。  今から十五六年前に、旧藩主の家で、月々の支出が嵩んできて、折角持ち直した経済が又崩れ出した時にも、長井は前年の手腕によつて、再度の整理を委託された。其時長井は自分で風呂の薪を焚いて見て、実際の消費高と帳面づらの消費高との差違から調べにかゝつたが、終日終夜この事丈に精魂を打ち込んだ結果は、約一ヶ月内に立派な方法を立て得るに至つた。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計をしてゐる。  斯う云ふ過去の歴史を持つてゐて、此過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考へる事を敢てしない長井は、何によらず、誠実と熱心へ持つて行きたがる。 「御前は、どう云ふものか、誠実と熱心が欠けてゐる様だ。それぢや不可ん。だから何にも出来ないんだ」 「誠実も熱心もあるんですが、たゞ人事上に応用出来ないんです」 「何う云ふ訳で」  代助は又返答に窮した。代助の考によると、誠実だらうが、熱心だらうが、自分が出来合の奴を胸に蓄はへてゐるんぢやなくつて、石と鉄と触れて火花の出る様に、相手次第で摩擦の具合がうまく行けば、当事者二人の間に起るべき現象である。自分の有する性質と云ふよりは寧ろ精神の交換作用である。だから相手が悪くつては起り様がない。 「御父さんは論語だの、王陽明だのといふ、金の延金を呑んで入らつしやるから、左様いふ事を仰しやるんでせう」 「金の延金とは」  代助はしばらく黙つてゐたが、漸やく、 「延金の儘出て来るんです」と云つた。長井は、書物癖のある、偏窟な、世慣れない若輩のいひたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにも拘はらず、取り合ふ事を敢てしなかつた。 三の五  それから約四十分程して、老人は着物を着換えて、袴を穿いて、俥に乗つて、何処かへ出て行つた。代助も玄関迄送つて出たが、又引き返して客間の戸を開けて中へ這入つた。是は近頃になつて建て増した西洋作りで、内部の装飾其他の大部分は、代助の意匠に本づいて、専門家へ注文して出来上つたものである。ことに欄間の周囲に張つた模様画は、自分の知り合ひの去る画家に頼んで、色々相談の揚句に成つたものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物を展開した様な、横長の色彩を眺めてゐたが、どう云ふものか、此前来て見た時よりは、痛く見劣りがする。是では頼もしくないと思ひながら、猶局部々々に眼を付けて吟味してゐると、突然嫂が這入つて来た。 「おや、此所に入らつしやるの」と云つたが、「一寸其所らに私の櫛が落ちて居なくつて」と聞いた。櫛は長椅子の足の所にあつた。昨日縫子に貸して遣つたら、何所かへ失なして仕舞つたんで、探しに来たんださうである。両手で頭を抑へる様にして、櫛を束髪の根方へ押し付けて、上眼で代助を見ながら、 「相変らず茫乎してるぢやありませんか」と調戯つた。 「御父さんから御談義を聞かされちまつた」 「また? 能く叱られるのね。御帰り匆々、随分気が利かないわね。然し貴方もあんまり、好かないわ。些とも御父さんの云ふ通りになさらないんだもの」 「御父さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしてゐるんです」 「だから猶始末が悪いのよ。何か云ふと、へい/\つて、さうして、些とも云ふ事を聞かないんだもの」  代助は苦笑して黙つて仕舞つた。梅子は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。脊のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃い、唇の薄い女である。 「まあ、御掛けなさい。少し話し相手になつて上げるから」  代助は矢っ張り立つた儘、嫂の姿を見守つてゐた。 「今日は妙な半襟を掛けてますね」 「これ?」  梅子は顎を縮めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見やうとした。 「此間買つたの」 「好い色だ」 「まあ、そんな事は、何うでも可いから、其所へ御掛けなさいよ」  代助は嫂の真正面へ腰を卸した。 「へえ掛けました」 「一体今日は何を叱られたんです」 「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為に尽すには驚ろいた。何でも十八の年から今日迄のべつに尽してるんだつてね」 「それだから、あの位に御成りになつたんぢやありませんか」 「国家社会の為に尽して、金が御父さん位儲かるなら、僕も尽しても好い」 「だから遊んでないで、御尽しなさいな。貴方は寐てゐて御金を取らうとするから狡猾よ」 「御金を取らうとした事は、まだ有りません」 「取らうとしなくつても、使ふから同じぢやありませんか」 「兄さんが何とか云つてましたか」 「兄さんは呆れてるから、何とも云やしません」 「随分猛烈だな。然し御父さんより兄さんの方が偉いですね」 「何うして。――あら悪らしい、又あんな御世辞を使つて。貴方はそれが悪いのよ。真面目な顔をして他を茶化すから」 「左様なもんでせうか」 「左様なもんでせうかつて、他の事ぢやあるまいし。少しや考へて御覧なさいな」 「何うも此所へ来ると、丸で門野と同じ様になつちまふから困る」 「門野つて何です」 「なに宅にゐる書生ですがね。人に何か云はれると、屹度左様なもんでせうか、とか、左様でせうか、とか答へるんです」 「あの人が? 余っ程妙なのね」 三の六  代助は一寸話を已めて、梅子の肩越に、窓掛の間から、奇麗な空を透かす様に見てゐた。遠くに大きな樹が一本ある。薄茶色の芽を全体に吹いて、柔らかい梢の端が天に接く所は、糠雨で暈されたかの如くに霞んでゐる。 「好い気候になりましたね。何所か御花見にでも行きませうか」 「行きませう。行くから仰しやい」 「何を」 「御父さまから云はれた事を」 「云はれた事は色々あるんですが、秩序立てて繰り返すのは困るですよ。頭が悪いんだから」 「まだ空つとぼけて居らつしやる。ちやんと知つてますよ」 「ぢや、伺ひませうか」  梅子は少しつんとした。 「貴方は近頃余つ程減らず口が達者におなりね」 「何、姉さんが辟易する程ぢやない。――時に今日は大変静かですね。どうしました、小供達は」 「小供は学校です」  十六七の小間使が戸を開けて顔を出した。あの、旦那様が、奥様に一寸電話口迄と取り次いだなり、黙つて梅子の返事を待つてゐる。梅子はすぐ立つた。代助も立つた。つゞいて客間を出やうとすると、梅子は振り向いた。 「あなたは、其所に居らつしやい。少し話しがあるから」  代助には嫂のかう云ふ命令的の言葉が何時でも面白く感ぜられる。御緩と見送つた儘、又腰を掛けて、再び例の画を眺め出した。しばらくすると、其色が壁の上に塗り付けてあるのでなくつて、自分の眼球の中から飛び出して、壁の上へ行つて、べた/\喰つ付く様に見えて来た。仕舞には眼球から色を出す具合一つで、向ふにある人物樹木が、此方の思ひ通りに変化出来る様になつた。代助はかくして、下手な個所々々を悉く塗り更へて、とう/\自分の想像し得る限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚と坐つてゐた。所へ梅子が帰つて来たので、忽ち当り前の自分に戻つて仕舞つた。  梅子の用事と云ふのを改まつて聞いて見ると、又例の縁談の事であつた。代助は学校を卒業する前から、梅子の御蔭で写真実物色々な細君の候補者に接した。けれども、何づれも不合格者ばかりであつた。始めのうちは体裁の好い逃口上で断わつてゐたが、二年程前からは、急に図迂々々しくなつて、屹度相手にけちを付ける。口と顎の角度が悪いとか、眼の長さが顔の幅に比例しないとか、耳の位置が間違つてるとか、必ず妙な非難を持つて来る。それが悉く尋常な言草でないので、仕舞には梅子も少々考へ出した。是は必竟世話を焼き過ぎるから、付け上つて、人を困らせるのだらう。当分打遣つて置いて、向ふから頼み出させるに若くはない。と決心して、夫からは縁談の事をついぞ口にしなくなつた。所が本人は一向困つた様子もなく、依然として海のものとも、山のものとも見当が付かない態度で今日迄暮して来た。  其所へ親爺が甚だ因念の深いある候補者を見付けて、旅行先から帰つた。梅子は代助の来る二三日前に、其話を親爺から聞かされたので、今日の会談は必ずそれだらうと推したのである。然し代助は実際老人から結婚問題に付いては、此日何にも聞かなかつたのである。老人は或はそれを披露する気で、呼んだのかも知れないが、代助の態度を見て、もう少し控えて置く方が得策だといふ了見を起した結果、故意と話題を避けたとも取れる。  此候補者に対して代助は一種特殊な関係を有つてゐた。候補者の姓は知つてゐる。けれど名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至つては全く知らない。何故その女が候補者に立つたと云ふ因念になると又能く知つて居る。 三の七  代助の父には一人の兄があつた。直記と云つて、父とはたつた一つ違ひの年上だが、父よりは小柄なうへに、顔付眼鼻立が非常に似てゐたものだから、知らない人には往々双子と間違へられた。其折は父も得とは云はなかつた。誠之進といふ幼名で通つてゐた。  直記と誠之進とは外貌のよく似てゐた如く、気質も本当の兄弟であつた。両方に差支のあるときは特別、都合さへ付けば、同じ所に食つ付き合つて、同じ事をして暮してゐた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火を分つた位親しかつた。  丁度直記の十八の秋であつた。ある時二人は城下外の等覚寺といふ寺へ親の使に行つた。これは藩主の菩提寺で、そこにゐる楚水といふ坊さんが、二人の親とは昵近なので、用の手紙を、此楚水さんに渡しに行つたのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであつたが、楚水さんに留められて、色々話してゐるうちに遅くなつて、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中は大分雑沓してゐた。二人は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲らうとする角で、川向ひの方限りの某といふものに突き当つた。此某と二人とは、かねてから仲が悪かつた。其時某は大分酒気を帯びてゐたと見えて、二言三言いひ争ふうちに刀を抜いて、いきなり斬り付けた。斬り付けられた方は兄であつた。已を得ず是も腰の物を抜いて立ち向つたが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴もの丈あつて、酩酊してゐるにも拘はらず、強かつた。黙つてゐれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。さうして二人で滅茶苦茶に相手を斬り殺して仕舞つた。  其頃の習慣として、侍が侍を殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟は其覚悟で家へ帰つて来た。父も二人を並べて置いて順々に自分で介錯をする気であつた。所が母が生憎祭で知己の家へ呼ばれて留守である。父は二人に切腹をさせる前、もう一遍母に逢はしてやりたいと云ふ人情から、すぐ母を迎にやつた。さうして母の来る間、二人に訓戒を加へたり、或は切腹する座敷の用意をさせたり可成愚図々々してゐた。  母の客に行つてゐた所は、その遠縁にあたる高木といふ勢力家であつたので、大変都合が好かつた。と云ふのは、其頃は世の中の動き掛けた当時で、侍の掟も昔の様には厳重に行はれなかつた。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であつた。ので高木は母とともに長井の家へ来て、何分の沙汰が公向からある迄は、当分其儘にして、手を着けずに置くやうにと、父を諭した。  高木はそれから奔走を始めた。さうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某の親は又、存外訳の解つた人で、平生から倅の行跡の良くないのを苦に病んでゐたのみならず、斬り付けた当時も、此方から狼藉をしかけたと同然であるといふ事が明瞭になつたので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかつた。兄弟はしばらく一間の内に閉ぢ籠つて、謹慎の意を表して後、二人とも人知れず家を捨てた。  三年の後兄は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となつた。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。さうして妻を迎へて、得といふ一字名になつた。其時は自分の命を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になつてゐた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思つて色々勧めて見たが応じなかつた。此養子に子供が二人あつて、男の方は京都へ出て同志社へ這入つた。其所を卒業してから、長らく亜米利加に居つたさうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になつてゐる。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁に行つた。代助の細君の候補者といふのは此多額納税者の娘である。 「大変込み入つてるのね。私驚ろいちまつた」と嫂が代助に云つた。 「御父さんから何返も聞いてるぢやありませんか」 「だつて、何時もは御嫁の話が出ないから、好い加減に聞いてるのよ」 「佐川にそんな娘があつたのかな。僕も些つとも知らなかつた」 「御貰なさいよ」 「賛成なんですか」 「賛成ですとも。因念つきぢやありませんか」 「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方が貰ひ好い様だな」 「おや、左様なのがあるの」  代助は苦笑して答へなかつた。 四の一  代助は今読み切つた許の薄い洋書を机の上に開けた儘、両肱を突いて茫乎考へた。代助の頭は最後の幕で一杯になつてゐる。――遠くの向ふに寒さうな樹が立つてゐる後に、二つの小さな角燈が音もなく揺めいて見えた。絞首台は其所にある。刑人は暗い所に立つた。木履を片足失くなした、寒いと一人が云ふと、何を? と一人が聞き直した。木履を失くなして寒いと前のものが同じ事を繰り返した。Mは何処にゐると誰か聞いた。此所にゐると誰か答へた。樹の間に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿つぽい風が其所から吹いて来る。海だとGが云つた。しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持つた、白い手――手套を穿めない――を角燈が照らした。読上げんでも可からうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた。……もう只一人になつたとKが云つた。さうして溜息を吐いた。Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。只一人になつて仕舞つた。……  海から日が上つた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつた頸、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡に濡れた舌を積み込んで元の路へ引き返した。……  代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所迄頭の中で繰り返して見て、竦と肩を縮めた。斯う云ふ時に、彼が尤も痛切に感ずるのは、万一自分がこんな場に臨んだら、どうしたら宜からうといふ心配である。考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何にも残酷である。彼は生の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に往つたり来たりする苦悶を心に描き出しながら凝と坐つてゐると、脊中一面の皮が毛穴ごとにむづ/\して殆んど堪らなくなる。  彼の父は十七のとき、家中の一人を斬り殺して、それが為め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語つてゐる。父の考では兄の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父に頼む筈であつたさうだが、能くそんな真似が出来るものである。父が過去を語る度に、代助は父をえらいと思ふより、不愉快な人間だと思ふ。さうでなければ嘘吐だと思ふ。嘘吐の方がまだ余っ程父らしい気がする。  父許ではない。祖父に就ても、こんな話がある。祖父が若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、他の嫉妬を受けて、ある夜縄手道を城下へ帰る途中で、誰かに斬り殺された。其時第一に馳け付けたものは祖父であつた。左の手に提灯を翳して、右の手に抜身を持つて、其抜身で死骸を叩きながら、軍平確かりしろ、創は浅いぞと云つたさうである。  伯父が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿に踏み込まれて、伯父は二階の廂から飛び下りる途端、庭石に爪付いて倒れる所を上から、容赦なく遣られた為に、顔が膾の様になつたさうである。殺される十日程前、夜中、合羽を着て、傘に雪を除けながら、足駄がけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時旅宿の二丁程手前で、突然後から長井直記どのと呼び懸けられた。伯父は振り向きもせず、矢張り傘を差した儘、旅宿の戸口迄来て、格子を開けて中へ這入た。さうして格子をぴしやりと締めて、中から、長井直記は拙者だ。何御用か。と聞いたさうである。  代助は斯んな話を聞く度に、勇ましいと云ふ気持よりも、まづ怖い方が先に立つ。度胸を買つてやる前に、腥ぐさい臭が鼻柱を抜ける様に応へる。  もし死が可能であるならば、それは発作の絶高頂に達した一瞬にあるだらうとは、代助のかねて期待する所である。所が、彼は決して発作性の男でない。手も顫へる、足も顫へる。声の顫へる事や、心臓の飛び上がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死に易くなるのは眼に見えてゐるから、時には好奇心で、せめて、其近所迄押し寄せて見たいと思ふ事もあるが、全く駄目である。代助は此頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、丸で違つてゐるのに驚ろかずにはゐられない。 四の二  代助は机の上の書物を伏せると立ち上がつた。縁側の硝子戸を細目に開けた間から暖かい陽気な風が吹き込んで来た。さうして鉢植のアマランスの赤い瓣をふら/\と揺かした。日は大きな花の上に落ちてゐる。代助は曲んで、花の中を覗き込んだ。やがて、ひよろ長い雄蕊の頂きから、花粉を取つて、雌蕊の先へ持つて来て、丹念に塗り付けた。 「蟻でも付きましたか」と門野が玄関の方から出て来た。袴を穿いてゐる。代助は曲んだ儘顔を上げた。 「もう行つて来たの」 「えゝ、行つて来ました。何ださうです。明日御引移りになるさうです。今日是から上がらうと思つてた所だと仰しやいました」 「誰が? 平岡が?」 「えゝ。――どうも何ですな。大分御忙がしい様ですな。先生た余つ程違つてますね。――蟻なら種油を御注ぎなさい。さうして苦しがつて、穴から出て来る所を一々殺すんです。何なら殺しませうか」 「蟻ぢやない。斯うして、天気の好い時に、花粉を取つて、雌蕊へ塗り付けて置くと、今に実が結るんです。暇だから植木屋から聞いた通り、遣つてる所だ」 「なある程。どうも重宝な世の中になりましたね。――然し盆栽は好いもんだ。奇麗で、楽しみになつて」  代助は面倒臭いから返事をせずに黙つてゐた。やがて、 「悪戯も好加減に休すかな」と云ひながら立ち上がつて、縁側へ据付の、籐の安楽椅子に腰を掛けた。夫れ限りぽかんと何か考へ込んでゐる。門野は詰らなくなつたから、自分の玄関傍の三畳敷へ引き取つた。障子を開けて這入らうとすると、又縁側へ呼び返された。 「平岡が今日来ると云つたつて」 「えゝ、来る様な御話しでした」 「ぢや待つてゐやう」  代助は外出を見合せた。実は平岡の事が此間から大分気に掛つてゐる。  平岡は此前、代助を訪問した当時、既に落ち付いてゐられない身分であつた。彼自身の代助に語つた所によると、地位の心当りが二三ヶ所あるから、差し当り其方面へ運動して見る積りなんださうだが、其二三ヶ所が今どうなつてゐるか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿を訪ねた事が二返あるが、一度は留守であつた。一度は居つたには居つた。が、洋服を着た儘、部屋の敷居の上に立つて、何か急しい調子で、細君を極め付けてゐた。――案内なしに廊下を伝つて、平岡の部屋の横へ出た代助には、突然ながら、たしかに左様取れた。其時平岡は一寸振り向いて、やあ君かと云つた。其顔にも容子にも、少しも快よさゝうな所は見えなかつた。部屋の内から顔を出した細君は代助を見て、蒼白い頬をぽつと赤くした。代助は何となく席に就き悪くなつた。まあ這入れと申し訳に云ふのを聞き流して、いや別段用ぢやない。何うしてゐるかと思つて一寸来て見た丈だ。出掛けるなら一所に出様と、此方から誘ふ様にして表へ出て仕舞つた。  其時平岡は、早く家を探して落ち付きたいが、あんまり忙しいんで、何うする事も出来ない、たまに宿のものが教へてくれるかと思ふと、まだ人が立ち退かなかつたり、あるひは今壁を塗つてる最中だつたりする。などと、電車へ乗つて分れる迄諸事苦情づくめであつた。代助も気の毒になつて、そんなら家は、宅の書生に探させやう。なに不景気だから、大分空いてるのがある筈だ。と請合つて帰つた。  夫から約束通り門野を探しに出した。出すや否や、門野はすぐ恰好なのを見付けて来た。門野に案内をさせて平岡夫婦に見せると、大抵可からうと云ふ事で分れたさうだが、門野は家主の方へ責任もあるし、又其所が気に入らなければ外を探す考もあるからと云ふので、借りるか借りないか判然した所を、もう一遍確かめさしたのである。 「君、家主の方へは借りるつて、断わつて来たんだらうね」 「えゝ、帰りに寄つて、明日引越すからつて、云つて来ました」 四の三  代助は椅子に腰を掛けた儘、新らしく二度の世帯を東京に持つ、夫婦の未来を考へた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変つてゐる。彼の経歴は処世の階子段を一二段で踏み外したと同じ事である。まだ高い所へ上つてゐなかつた丈が、幸と云へば云ふ様なものゝ、世間の眼に映ずる程、身体に打撲を受けてゐないのみで、其実精神状態には既に狂ひが出来てゐる。始めて逢つた時、代助はすぐ左様思つた。けれども、三年間に起つた自分の方の変化を打算して見て、或は此方の心が向に反響を起したのではなからうかと訂正した。が、其後平岡の旅宿へ尋ねて行つて、座敷へも這入らないで一所に外へ出た時の、容子から言語動作を眼の前に浮べて見ると、どうしても又最初の判断に戻らなければならなくなつた。平岡は其時顔の中心に一種の神経を寄せてゐた。風が吹いても、砂が飛んでも、強い刺激を受けさうな眉と眉の継目を、憚らず、ぴくつかせてゐた。さうして、口にする事が、内容の如何に関はらず、如何にも急しなく、且つ切なさうに、代助の耳に響いた。代助には、平岡の凡てが、恰も肺の強くない人の、重苦しい葛湯の中を片息で泳いでゐる様に取れた。 「あんなに、焦つて」と、電車へ乗つて飛んで行く平岡の姿を見送つた代助は、口の内でつぶやいだ。さうして旅宿に残されてゐる細君の事を考へた。  代助は此細君を捕まへて、かつて奥さんと云つた事がない。何時でも三千代さん/\と、結婚しない前の通りに、本名を呼んでゐる。代助は平岡に分れてから又引き返して、旅宿へ行つて、三千代さんに逢つて話しをしやうかと思つた。けれども、何だか行けなかつた。足を停めて思案しても、今の自分には、行くのが悪いと云ふ意味はちつとも見出せなかつた。けれども、気が咎めて行かれなかつた。勇気を出せば行かれると思つた。たゞ代助には是丈の勇気を出すのが苦痛であつた。夫で家へ帰つた。其代り帰つても、落ち付かない様な、物足らない様な、妙な心持がした。ので、又外へ出て酒を飲んだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことに其晩はしたゝかに飲んだ。 「あの時は、何うかしてゐたんだ」と代助は椅子に倚りながら、比較的冷やかな自己で、自己の影を批判した。 「何か御用ですか」と門野が又出て来た。袴を脱いで、足袋を脱いで、団子の様な素足を出してゐる。代助は黙つて門野の顔を見た。門野も代助の顔を見て、一寸の間突立つてゐた。 「おや、御呼になつたんぢやないですか。おや、おや」と云つて引込んで行つた。代助は別段可笑しいとも思はなかつた。 「小母さん、御呼びになつたんぢやないとさ。何うも変だと思つた。だから手も何も鳴らないつて云ふのに」といふ言葉が茶の間の方で聞えた。夫から門野と婆さんの笑ふ声がした。  其時、待ち設けてゐる御客が来た。取次に出た門野は意外な顔をして這入つて来た。さうして、其顔を代助の傍迄持つて来て、先生、奥さんですと囁やく様に云つた。代助は黙つて椅子を離れて坐敷へ這入つた。 四の四  平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛の判然映る女である。一寸見ると何所となく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似てゐる。帰京後は色光沢がことに可くないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助は少し驚ろいた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様ぢやない、始終斯うなんだと云はれた時は、気の毒になつた。  三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶら/\してゐたが、何うしても、はか/″\しく癒らないので、仕舞に医者に見て貰つたら、能くは分らないが、ことに依ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様だとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しづゝ、後戻りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為か、一年許りするうちに、好い案排に、元気が滅切りよくなつた。色光沢も殆んど元の様に冴々して見える日が多いので、当人も喜こんでゐると、帰る一ヶ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為ではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなつてゐない。弁の作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。――是は三千代が直に代助に話した所である。代助は其時三千代の顔を見て、矢っ張り何か心配の為ぢやないかしらと思つた。  三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼を持つてゐる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据ゑて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼の働らきと判断してゐた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代の斯う云ふ眼遣を見た。さうして今でも善く覚えてゐる。三千代の顔を頭の中に浮べやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、此黒い、湿んだ様に暈された眼が、ぽつと出て来る。  廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた。さうして奇麗な手を膝の上に畳ねた。下にした手にも指輪を穿めてゐる。上にした手にも指輪を穿めてゐる。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を盛つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。  三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思はず瞬を一つした。  汽車で着いた明日平岡と一所に来る筈であつたけれども、つい気分が悪いので、来損なつて仕舞つて、それからは一人でなくつては来る機会がないので、つい出ずにゐたが、今日は丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間来て呉れた時は、平岡が出掛際だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な詫をして、 「待つてゐらつしやれば可かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。けれども其調子は沈んでゐた。尤も是は此女の持調子で、代助は却つて其昔を憶ひ出した。 「だつて、大変忙しさうだつたから」 「えゝ、忙しい事は忙しいんですけれども――好いぢやありませんか。居らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」  代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。例なら調戯半分に、あなたは何か叱られて、顔を赤くしてゐましたね、どんな悪い事をしたんですか位言ひかねない間柄なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後から其場を取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸出なかつた。 四の五  代助は烟草へ火を点けて、吸口を啣へた儘、椅子の脊に頭を持たせて、寛ろいだ様に、 「久し振りだから、何か御馳走しませうか」と聞いた。さうして心のうちで、自分の斯う云ふ態度が、幾分か此女の慰藉になる様に感じた。三千代は、 「今日は沢山。さう緩りしちやゐられないの」と云つて、昔の金歯を一寸見せた。 「まあ、可いでせう」  代助は両手を頭の後へ持つて行つて、指と指を組み合せて三千代を見た。三千代はこゞんで帯の間から小さな時計を出した。代助が真珠の指輪を此女に贈ものにする時、平岡は此時計を妻に買つて遣つたのである。代助は、一つ店で別々の品物を買つた後、平岡と連れ立つて其所の敷居を跨ぎながら互に顔を見合せて笑つた事を記憶してゐる。 「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思つてたら。――少し寄り道をしてゐたものだから」 と独り言の様に説明を加へた。 「そんなに急ぐんですか」 「えゝ、成り丈早く帰りたいの」  代助は頭から手を放して、烟草の灰をはたき落した。 「三年のうちに大分世帯染ちまつた。仕方がない」  代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処かに苦い所があつた。 「あら、だつて、明日引越すんぢやありませんか」  三千代の声は、此時急に生々と聞えた。代助は引越の事を丸で忘れてゐた。 「ぢや引越してから緩くり来れば可いのに」  代助は相手の快よささうな調子に釣り込まれて、此方からも他愛なく追窮した。 「でも」と云つた、三千代は少し挨拶に困つた色を、額の所へあらはして、一寸下を見たが、やがて頬を上げた。それが薄赤く染まつて居た。 「実は私少し御願があつて上がつたの」  疳の鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐ其用事の何であるかを悟つた。実は平岡が東京へ着いた時から、いつか此問題に出逢ふ事だらうと思つて、半意識の下で覚悟してゐたのである。 「何ですか、遠慮なく仰しやい」 「少し御金の工面が出来なくつて?」  三千代の言葉は丸で子供の様に無邪気であるけれども、両方の頬は矢つ張り赤くなつてゐる。代助は、此女に斯んな気恥づかしい思ひをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思つた。  段々聞いて見ると、明日引越をする費用や、新らしく世帯を持つ為めの金が入用なのではなかつた。支店の方を引き上げる時、向ふへ置き去りにして来た借金が三口とかあるうちで、其一口を是非片付けなくてはならないのださうである。東京へ着いたら一週間うちに、どうでもすると云ふ堅い約束をして来た上に、少し訳があつて、他の様に放つて置けない性質のものだから、平岡も着いた明日から心配して、所々奔走してゐるけれども、まだ出来さうな様子が見えないので、已を得ず三千代に云ひ付けて代助の所に頼みに寄したと云ふ事が分つた。 「支店長から借りたと云ふ奴ですか」 「いゝえ。其方は何時迄延ばして置いても構はないんですが、此方の方を何うかしないと困るのよ。東京で運動する方に響いて来るんだから」  代助は成程そんな事があるのかと思つた。金高を聞くと五百円と少し許である。代助はなんだ其位と腹の中で考へたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金に不自由しない様でゐて、其実大いに不自由してゐる男だと気が付いた。 「何でまた、そんなに借金をしたんですか」 「だから私考へると厭になるのよ。私も病気をしたのが、悪いには悪いけれども」 「病気の時の費用なんですか」 「ぢやないのよ。薬代なんか知れたもんですわ」  三千代は夫以上を語らなかつた。代助も夫以上を聞く勇気がなかつた。たゞ蒼白い三千代の顔を眺めて、その中に、漠然たる未来の不安を感じた。 五の一  翌日朝早く門野は荷車を三台雇つて、新橋の停車場迄平岡の荷物を受取りに行つた。実は疾うから着いて居たのであるけれども、宅がまだ極らないので、今日迄其儘にしてあつたのである。往復の時間と、向ふで荷物を積み込む時間を勘定して見ると、何うしても半日仕事である。早く行かなけりや、間に合はないよと代助は寐床を出るとすぐ注意した。門野は例の調子で、なに訳はありませんと答へた。此男は、時間の考などは、あまりない方だから、斯う簡便な返事が出来たんだが、代助から説明を聞いて始めて成程と云ふ顔をした。それから荷物を平岡の宅へ届けた上に、万事奇麗に片付く迄手伝をするんだと云はれた時は、えゝ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行つた。  それから十一時過迄代助は読書してゐた。が不図ダヌンチオと云ふ人が、自分の家の部屋を、青色と赤色に分つて装飾してゐると云ふ話を思ひ出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、此二色に外ならんと云ふ点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云ふものは、成るべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云ふのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。  代助は何故ダヌンチオの様な刺激を受け易い人に、奮興色とも見傚し得べき程強烈な赤の必要があるだらうと不思議に感じた。代助自身は稲荷の鳥居を見ても余り好い心持はしない。出来得るならば、自分の頭丈でも可いから、緑のなかに漂はして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれ丈が好い気持に出来てゐると思つた。つまり、自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。  代助は縁側へ出て、庭から先にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散つて、今は新芽若葉の初期である。はなやかな緑がぱつと顔に吹き付けた様な心持ちがした。眼を醒す刺激の底に何所か沈んだ調子のあるのを嬉しく思ひながら、鳥打帽を被つて、銘仙の不断着の儘門を出た。  平岡の新宅へ来て見ると、門が開いて、がらんとしてゐる丈で、荷物の着いた様子もなければ、平岡夫婦の来てゐる気色も見えない。たゞ車夫体の男が一人縁側に腰を懸けて烟草を呑んでゐた。聞いて見ると、先刻一返御出になりましたが、此案排ぢや、どうせ午過だらうつて又御帰りになりましたといふ答である。 「旦那と奥さんと一所に来たかい」 「えゝ御一所です」 「さうして一所に帰つたかい」 「えゝ御一所に御帰りになりました」 「荷物もそのうち着くだらう。御苦労さま」と云つて、又通りへ出た。  神田へ来たが、平岡の旅館へ寄る気はしなかつた。けれども二人の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸顔を出した。夫婦は膳を並べて飯を食つてゐた。下女が盆を持つて、敷居に尻を向けてゐる。其後から、声を懸けた。  平岡は驚ろいた様に代助を見た。其眼が血ばしつてゐる。二三日能く眠らない所為だと云ふ。三千代は仰山なものゝ云ひ方だと云つて笑つた。代助は気の毒にも思つたが、又安心もした。留めるのを外へ出て、飯を食つて、髪を刈つて、九段の上へ一寸寄つて、又帰りに新宅へ行つて見た。三千代は手拭を姉さん被りにして、友禅の長繻絆をさらりと出して、襷がけで荷物の世話を焼いてゐた。旅宿で世話をして呉れたと云ふ下女も来てゐる。平岡は縁側で行李の紐を解いてゐたが、代助を見て、笑ひながら、少し手伝はないかと云つた。門野は袴を脱いで、尻を端折つて、重ね箪笥を車夫と一所に坐敷へ抱へ込みながら、先生どうです、此服装は、笑つちや不可ませんよと云つた。 五の二  翌日、代助が朝食の膳に向つて、例の如く紅茶を呑んでゐると、門野が、洗ひ立ての顔を光らして茶の間へ這入つて来た。 「昨夕は何時御帰りでした。つい疲れちまつて、仮寐をしてゐたものだから、些とも気が付きませんでした。――寐てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分人が悪いな。全体何時頃なんです、御帰りになつたのは。夫迄何所へ行つて居らしつた」と平生の調子で苦もなく※舌[#「口+堯」、U+5635、71-2]り立てた。代助は真面目で、 「君、すつかり片付迄居て呉れたんでせうね」と聞いた。 「えゝ、すつかり片付けちまいました。其代り、何うも骨が折れましたぜ。何しろ、我々の引越と違つて、大きな物が色々あるんだから。奥さんが坐敷の真中へ立つて、茫然、斯う周囲を見回してゐた様子つたら、――随分可笑なもんでした」 「少し身体の具合が悪いんだからね」 「どうも左様らしいですね。色が何だか可くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好いですね。昨夕一所に湯に入つて驚ろいた」  代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本書いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人宛で、先達て送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿宛で、タナグラの安いのを見付けて呉れといふ依頼である。  昼過散歩の出掛けに、門野の室を覗いたら又引繰り返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕寐つかれないで大変難義したのである。例に依つて、枕の傍へ置いた袂時計が、大変大きな音を出す。夫が気になつたので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いて来る。其音を聞きながら、つい、うと/\する間に、凡ての外の意識は、全く暗窖の裡に降下した。が、たゞ独り夜を縫ふミシンの針丈が刻み足に頭の中を断えず通つてゐた事を自覚してゐた。所が其音が何時かりん/\といふ虫の音に変つて、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕の夢を此所迄辿つて来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。  代助は、何事によらず一度気にかゝり出すと、何処迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿気さ加減の程度を明らかに見積る丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方が猶眼に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何にして夢に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜、蒲団へ這入つて、好い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所だ、斯うして眠るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼が冴えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇を検査する為に蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味する為に独楽を抑へる様なもので、生涯寐られつこない訳になる。と解つてゐるが晩になると又はつと思ふ。  此困難は約一年許りで何時の間にか漸く遠退いた。代助は昨夕の夢と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己の一部分を切り放して、其儘の姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す方が趣があると思つたからである。同時に、此作用は気狂になる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂にはなれないと信じてゐたのである。 五の三  それから二三日は、代助も門野も平岡の消息を聞かずに過ごした。四日目の午過に代助は麻布のある家へ園遊会に呼ばれて行つた。御客は男女を合せて、大分来たが、正賓と云ふのは、英国の国会議員とか実業家とかいふ、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけた其細君とであつた。これは中々の美人で、日本抔へ来るには勿体ない位な容色だが、何処で買つたものか、岐阜出来の絵日傘を得意に差してゐた。  尤も其日は大変な好い天気で、広い芝生の上にフロツクで立つてゐると、もう夏が来たといふ感じが、肩から脊中へ掛けて著るしく起つた位、空が真蒼に透き通つてゐた。英国の紳士は顔をしかめて空を見て、実に美くしいと云つた。すると細君がすぐ、ラツヴレイと答へた。非常に疳の高い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であつたので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思つた。  代助も二言三言此細君から話しかけられた。が三分と経たないうちに、遣り切れなくなつて、すぐ退却した。あとは、日本服を着て、わざと島田に結つた令嬢と、長らく紐育で商業に従事してゐたと云ふ某が引き受けた。此某は英語を喋舌る天才を以て自ら任ずる男で、欠かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣つて、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽みにしてゐる。何か云つては、あとでさも可笑しさうに、げら/\笑ふ癖がある。英国人が時によると怪訝な顔をしてゐる。代助はあれ丈は已めたら可からうと思つた。令嬢も中々旨い。是は米国婦人を家庭教師に雇つて、英語を使ふ事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考へながら、つく/″\感心して聞いてゐた。  代助が此所へ呼ばれたのは、個人的に此所の主人や、此英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父と兄との社交的勢力の余波で、招待状が廻つて来たのである。だから、万遍なく方々へ行つて、好い加減に頭を下げて、ぶら/\してゐた。其中に兄も居た。 「やあ、来たな」と云つた儘、帽子に手も掛けない。 「何うも、好い天気ですね」 「あゝ。結構だ」  代助も脊の低い方ではないが、兄は一層高く出来てゐる。其上この五六年来次第に肥満して来たので、中々立派に見える。 「何うです、彼方へ行つて、ちと外国人と話でもしちや」 「いや、真平だ」と云つて兄は苦笑ひをした。さうして大きな腹にぶら下がつてゐる金鎖を指の先で弄つた。 「何うも外国人は調子が可いですね。少し可すぎる位だ。あゝ賞められると、天気の方でも是非好くならなくつちやならなくなる」 「そんなに天気を賞めてゐたのかい。へえ。少し暑過ぎるぢやないか」 「私にも暑過ぎる」  誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾を出して額を拭いた。両人共重い絹帽を被つてゐる。  兄弟は芝生の外れの木蔭迄来て留つた。近所には誰もゐない。向ふの方で余興か何か始まつてゐる。それを、誠吾は、宅にゐると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。 「兄の様になると、宅にゐても、客に来ても同じ心持ちなんだらう。斯う世の中に慣れ切つて仕舞つても、楽しみがなくつて、詰らないものだらう」と思ひながら代助は誠吾の様子を見てゐた。 「今日は御父さんは何うしました」 「御父さんは詩の会だ」  誠吾は相変らず普通の顔で答へたが、代助の方は多少可笑しかつた。 「姉さんは」 「御客の接待掛りだ」  また嫂が後で不平を云ふ事だらうと考へると、代助は又可笑しくなつた。 五の四  代助は、誠吾の始終忙しがつてゐる様子を知つてゐる。又その忙しさの過半は、斯う云ふ会合から出来上がつてゐるといふ事実も心得てゐる。さうして、別に厭な顔もせず、一口の不平も零さず、不規則に酒を飲んだり、物を食つたり、女を相手にしたり、してゐながら、何時見ても疲れた態もなく、噪ぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服してゐる。  誠吾が待合へ這入つたり、料理茶屋へ上つたり、晩餐に出たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行つたり、新橋に人を送つたり、横浜に人を迎へたり、大磯へ御機嫌伺ひに行つたり、朝から晩迄多勢の集まる所へ顔を出して、得意にも見えなければ、失意にも思はれない様子は、斯う云ふ生活に慣れ抜いて、海月が海に漂ひながら、塩水を辛く感じ得ない様なものだらうと代助は考へてゐる。  其所が代助には難有い。と云ふのは、誠吾は父と異つて、嘗て小六※[#濁点付き小書き平仮名つ、77-6]かしい説法抔を代助に向つて遣つた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云ふ窮窟なものは、てんで、これつ許も口にしないんだから、有んだか、無いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的に打ち壊して懸つた試もない。実に平凡で好い。  だが面白くはない。話し相手としては、兄よりも嫂の方が、代助に取つて遥かに興味がある。兄に逢ふと屹度何うだいと云ふ。以太利に地震があつたぢやないかと云ふ。土耳古の天子が廃されたぢやないかと云ふ。其外、向ふ島の花はもう駄目になつた、横浜にある外国船の船底に大蛇が飼つてあつた、誰が鉄道で轢かれた、ぢやないかと云ふ。みんな新聞に出た事許である。其代り、当らず障らずの材料はいくらでも持つて居る。いつ迄経つても種が尽きる様子が見えない。  さうかと思ふと。時にトルストイと云ふ人は、もう死んだのかね抔と妙な事を聞く事がある。今日本の小説家では誰が一番偉いのかねと聞く事もある。要するに文芸には丸で無頓着で且つ驚ろくべく無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立つて平気で聞くんだから、代助も返事がし易い。  斯う云ふ兄と差し向ひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁がなくつて、気楽で好い。たゞ朝から晩迄出歩いてゐるから滅多に捕まへる事が出来ない。嫂でも、誠太郎でも、縫子でも、兄が終日宅に居て、三度の食事を家族と共に欠かさず食ふと、却つて珍らしがる位である。  だから木蔭に立つて、兄と肩を比べた時、代助は丁度好い機会だと思つた。 「兄さん、貴方に少し話があるんだが。何時か暇はありませんか」 「暇」と繰り返した誠吾は、何にも説明せずに笑つて見せた。 「明日の朝は何うです」 「明日の朝は浜迄行つて来なくつちやならない」 「午からは」 「午からは、会社の方に居る事はゐるが、少し相談があるから、来ても緩くり話しちやゐられない」 「ぢや晩なら宜からう」 「晩は帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日の晩帝国ホテルへ呼ぶ事になつてるから駄目だ」  代助は口を尖がらかして、兄を凝と見た。さうして二人で笑ひ出した。 「そんなに急ぐなら、今日ぢや、何うだ。今日なら可い。久し振りで一所に飯でも食はうか」  代助は賛成した。所が倶楽部へでも行くかと思ひの外、誠吾は鰻が可からうと云ひ出した。 「絹帽で鰻屋へ行くのは始てだな」と代助は逡巡した。 「何構ふものか」  二人は園遊会を辞して、車に乗つて、金杉橋の袂にある鰻屋へ上つた。 五の五  其所は河が流れて、柳があつて、古風な家であつた。黒くなつた床柱の傍の違ひ棚に、絹帽を引繰返しに、二つ並べて置いて見て、代助は妙だなと云つた。然し明け放した二階の間に、たつた二人で胡坐をかいてゐるのは、園遊会より却つて楽であつた。  二人は好い心持に酒を飲んだ。兄は飲んで、食つて、世間話をすれば其外に用はないと云ふ態度であつた。代助も、うつかりすると、肝心の事件を忘れさうな勢であつた。が下女が三本目の銚子を置いて行つた時に、始めて用談に取り掛つた。代助の用談と云ふのは、言ふ迄もなく、此間三千代から頼まれた金策の件である。  実を云ふと、代助は今日迄まだ誠吾に無心を云つた事がない。尤も学校を出た時少々芸者買をし過ぎて、其尻を兄になすり付けた覚はある。其時兄は叱るかと思ひの外、さうか、困り者だな、親爺には内々で置けと云つて嫂を通して、奇麗に借金を払つてくれた。さうして代助には一口の小言も云はなかつた。代助は其時から、兄に恐縮して仕舞つた。其後小遣に困る事はよくあるが、困るたんびに嫂を痛めて事を済ましてゐた。従つて斯う云ふ事件に関して兄との交渉は、まあ初対面の様なものである。  代助から見ると、誠吾は蔓のない薬鑵と同じことで、何処から手を出して好いか分らない。然しそこが代助には興味があつた。  代助は世間話の体にして、平岡夫婦の経歴をそろ/\話し始めた。誠吾は面倒な顔色もせず、へえ/\と拍子を取る様に、飲みながら、聞いてゐる。段々進んで三千代が金を借りに来た一段になつても、矢っ張りへえ/\と合槌を打つてゐる丈である。代助は、仕方なしに、 「で、私も気の毒だから、何うにか心配して見様つて受合つたんですがね」と云つた。 「へえ。左様かい」 「何うでせう」 「御前金が出来るのかい」 「私や一文も出来やしません。借りるんです」 「誰から」  代助は始めから此所へ落す積だつたんだから、判然した調子で、 「貴方から借りて置かうと思ふんです」と云つて、改めて誠吾の顔を見た。兄は矢っ張り普通の顔をしてゐた。さうして、平気に、 「そりや、御廃しよ」と答へた。  誠吾の理由を聞いて見ると、義理や人情に関係がない許ではない、返す返さないと云ふ損得にも関係がなかつた。たゞ、そんな場合には放つて置けば自から何うかなるもんだと云ふ単純な断定である。  誠吾は此断定を証明する為めに、色々な例を挙げた。誠吾の門内に藤野と云ふ男が長屋を借りて住んでゐる。其藤野が近頃遠縁のものゝ息子を頼まれて宅へ置いた。所が其子が徴兵検査で急に国へ帰らなければならなくなつたが、前以て国から送つてある学資も旅費も藤野が使ひ込んでゐると云ふので、一時の繰り合せを頼みに来た事がある。無論誠吾が直に逢つたのではないが、妻に云ひ付けて断らした。夫でも其子は期日迄に国へ帰つて差支なく検査を済ましてゐる。夫から此藤野の親類の何とか云ふ男は、自分の持つてゐる貸家の敷金を、つい使つて仕舞つて、借家人が明日引越すといふ間際になつても、まだ調達が出来ないとか云つて、矢っ張り藤野から泣き付いて来た事がある。然し是も断らした。夫でも別に不都合はなく敷金は返せてゐる。――まだ其外にもあつたが、まあ斯んな種類の例ばかりであつた。 「そりや、姉さんが蔭へ廻つて恵んでゐるに違ない。ハヽヽヽ。兄さんも余っ程呑気だなあ」 と代助は大きい声を出して笑つた。 「何、そんな事があるものか」  誠吾は矢張当り前の顔をしてゐた。さうして前にある猪口を取つて口へ持つて行つた。 六の一  其日誠吾は中々金を貸して遣らうと云はなかつた。代助も三千代が気の毒だとか、可哀想だとか云ふ泣言は、可成避ける様にした。自分が三千代に対してこそ、さう云ふ心持もあるが、何にも知らない兄を、其所迄連れて行くのには一通りでは駄目だと思ふし、と云つて、無暗にセンチメンタルな文句を口にすれば、兄には馬鹿にされる、ばかりではない、かねて自分を愚弄する様な気がするので、矢っ張り平生の代助の通り、のらくらした所を、彼方へ行つたり此方へ来たりして、飲んでゐた。飲みながらも、親爺の所謂熱誠が足りないとは、此所の事だなと考へた。けれども、代助は泣いて人を動かさうとする程、低級趣味のものではないと自信してゐる。凡そ何が気障だつて、思はせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障なものはないと自覚してゐる。兄には其辺の消息がよく解つてゐる。だから此手で遣り損なひでもしやうものなら、生涯自分の価値を落す事になる。と気が付いてゐる。  代助は飲むに従つて、段々金を遠ざかつて来た。たゞ互が差し向ひであるが為めに、旨く飲めたと云ふ自覚を、互に持ち得る様な話をした。が茶漬を食ふ段になつて、思ひ出した様に、金は借りなくつても好いから、平岡を何処か使つて遣つて呉れないかと頼んだ。 「いや、さう云ふ人間は御免蒙る。のみならず此不景気ぢや仕様がない」と云つて誠吾はさく/\飯を掻き込んでゐた。  明日眼が覚めた時、代助は床の中でまづ第一番に斯う考へた。 「兄を動かすのは、同じ仲間の実業家でなくつちや駄目だ。単に兄弟の好丈では何うする事も出来ない」  斯う考へた様なものゝ、別に兄を不人情と思ふ気は起らなかつた。寧ろその方が当然であると悟つた。此兄が自分の放蕩費を苦情も云はずに弁償して呉れた事があるんだから可笑しい。そんなら自分が今茲で平岡の為に判を押して、連借でもしたら、何うするだらう。矢っ張り彼の時の様に奇麗に片付けて呉れるだらうか。兄は其所迄考へてゐて、断わつたんだらうか。或は自分がそんな無理な事はしないものと初から安心して借さないのかしらん。  代助自身の今の傾向から云ふと、到底人の為に判なぞを押しさうにもない。自分もさう思つてゐる。けれども、兄が其所を見抜いて金を貸さないとすると、一寸意外な連帯をして、兄がどんな態度に変るか、試験して見たくもある。――其所迄来て、代助は自分ながら、あんまり性質が能くないなと心のうちで苦笑した。  けれども、唯一つ慥な事がある。平岡は早晩借用証書を携へて、自分の判を取りにくるに違ない。  斯う考へながら、代助は床を出た。門野は茶の間で、胡坐をかいて新聞を読んでゐたが、髪を濡らして湯殿から帰つて来る代助を見るや否や、急に坐三昧を直して、新聞を畳んで坐蒲団の傍へ押し遣りながら、 「何うも『煤烟』は大変な事になりましたな」と大きな声で云つた。 「君読んでるんですか」 「えゝ、毎朝読んでます」 「面白いですか」 「面白い様ですな。どうも」 「何んな所が」 「何んな所がつて。さう改たまつて聞かれちや困りますが。何ぢやありませんか、一体に、斯う、現代的の不安が出てゐる様ぢやありませんか」 「さうして、肉の臭ひがしやしないか」 「しますな。大いに」  代助は黙つて仕舞つた。 六の二  紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰を懸けて、茫然庭を眺めてゐると、瘤だらけの柘榴の枯枝と、灰色の幹の根方に、暗緑と暗紅を混ぜ合はした様な若い芽が、一面に吹き出してゐる。代助の眼には夫がぱつと映じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。  代助の頭には今具体的な何物をも留めてゐない。恰かも戸外の天気の様に、それが静かに凝と働らいてゐる。が、其底には微塵の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪の中で、いくら虫が動いても、乾酪が元の位置にある間は、気が付かないと同じ事で、代助も此微震には殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射して来る度に、椅子の上で、少し宛身体の位置を変へなければならなかつた。  代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまり口にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。  代助は露西亜文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚してゐる。  理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可かつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂大疑現前抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、斯う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口に生れ過ぎた男である。  代助は門野の賞めた「煤烟」を読んでゐる。今日は紅茶々碗の傍に新聞を置いたなり、開けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金に不自由のない男だから、贅沢の結果あゝ云ふ悪戯をしても無理とは思へないが、「煤烟」の主人公に至つては、そんな余地のない程に貧しい人である。それを彼所迄押して行くには、全く情愛の力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子といふ女にも、誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動かす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人だと思ふ。けれども要吉の特殊人たるに至つては、自分より遥かに上手であると承認した。それで此間迄は好奇心に駆られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼を通さない事がよくある。  代助は椅子の上で、時々身を動かした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた。やがて、紅茶を呑んで仕舞つて、例の通り読書に取りかゝつた。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁の中頃まで来て急に休めて頬杖を突いた。さうして、傍にあつた新聞を取つて、「煤烟」を読んだ。呼吸の合はない事は同じ事である。それから外の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる。それが中々強い言葉で出てゐる。代助は斯う云ふ記事を読むと、是は大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出した。 六の三  午過になつてから、代助は自分が落ち付いてゐないと云ふ事を、漸く自覚し出した。腹のなかに小さな皺が無数に出来て、其皺が絶えず、相互の位地と、形状とを変へて、一面に揺いてゐる様な気持がする。代助は時々斯う云ふ情調の支配を受ける事がある。さうして、此種の経験を、今日迄、単なる生理上の現象としてのみ取り扱つて居つた。代助は昨日兄と一所に鰻を食つたのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行て見やうかと思ひ出したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかつた。婆さんに着物を出さして、着換へやうとしてゐる所へ、甥の誠太郎が来た。帽子を手に持つた儘、恰好の好い円い頭を、代助の頭へ出して、腰を掛けた。 「もう学校は引けたのかい。早過ぎるぢやないか」 「ちつとも早かない」と云つて、笑ひながら、代助の顔を見てゐる。代助は手を敲いて婆さんを呼んで、 「誠太郎、チヨコレートを飲むかい」と聞いた。 「飲む」  代助はチヨコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯だした。 「誠太郎、御前はベースボール許遣るもんだから、此頃手が大変大きくなつたよ。頭より手の方が大きいよ」  誠太郎はにこ/\して、右の手で、円い頭をぐる/″\撫でた。実際大きな手を持つてゐる。 「叔父さんは、昨日御父さんから奢つて貰つたんですつてね」 「あゝ、御馳走になつたよ。御蔭で今日は腹具合が悪くつて不可ない」 「又神経だ」 「神経ぢやない本当だよ。全たく兄さんの所為だ」 「だつて御父さんは左様云つてましたよ」 「何て」 「明日学校の帰りに代助の所へ廻つて何か御馳走して貰へつて」 「へえゝ、昨日の御礼にかい」 「えゝ、今日は己が奢つたから、明日が向ふの番だつて」 「それで、わざ/\遣つて来たのかい」 「えゝ」 「兄の子丈あつて、中々抜けないな。だから今チヨコレートを飲まして遣るから可いぢやないか」 「チヨコレートなんぞ」 「飲まないかい」 「飲む事は飲むけれども」  誠太郎の注文を能く聞いて見ると、相撲が始まつたら、回向院へ連れて行つて、正面の最上等の所で見物させろといふのであつた。代助は快よく引き受けた。すると誠太郎は嬉しさうな顔をして、突然、 「叔父さんはのらくらして居るけれども実際偉いんですつてね」と云つた。代助も是には一寸呆れた。仕方なしに、 「偉いのは知れ切つてるぢやないか」と答へた。 「だつて、僕は昨夕始めて御父さんから聞いたんですもの」と云ふ弁解があつた。  誠太郎の云ふ所によると、昨夕兄が宅へ帰つてから、父と嫂と三人して、代助の合評をしたらしい。小供のいふ事だから、能く分らないが、比較的頭が可いので、能く断片的に其時の言葉を覚えてゐる。父は代助を、どうも見込がなささうだと評したのださうだ。兄は之に対して、あゝ遣つてゐても、あれで中々解つた所がある。当分放つて置くが可い。放つて置いても大丈夫だ、間違はない。いづれ其内に何か遣るだらうと弁護したのださうだ。すると嫂がそれに賛成して、一週間許り前占者に見てもらつたら、此人は屹度人の上に立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのださうだ。  代助はうん、それから、と云つて、始終面白さうに聞いて居たが、占者の所へ来たら、本当に可笑しくなつた。やがて着物を着換て、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡の家を訪ねた。 六の四  平岡の家は、此十数年来の物価騰貴に伴れて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表してゐる、尤も粗悪な見苦しき構へである。とくに代助には左様見えた。  門と玄関の間が一間位しかない。勝手口も其通りである。さうして裏にも、横にも同じ様な窮屈な家が建てられてゐる。東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割乃至三割の高利に廻さうと目論で、あたぢけなく拵へ上げた、生存競争の記念である。  今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所に此種の家が散点してゐる、のみならず、梅雨に入つた蚤の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつゝある。代助はかつて、是を敗亡の発展と名づけた。さうして、之を目下の日本を代表する最好の象徴とした。  彼等のあるものは、石油缶の底を継ぎ合はせた四角な鱗で蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中に柱の割れる音で眼を醒まさないものは一人もない。彼等の戸には必ず節穴がある。彼等の襖は必ず狂ひが出ると極つてゐる。資本を頭の中へ注ぎ込んで、月々其頭から利息を取つて生活しやうと云ふ人間は、みんな斯ういふ所を借りて立て籠つてゐる。平岡も其一人である。  代助は垣根の前を通るとき、先づ其屋根に眼が付いた。さうして、どす黒い瓦の色が妙に彼の心を刺激した。代助には此光のない土の板が、いくらでも水を吸ひ込む様に思はれた。玄関前に、此間引越のときに解いた菰包の藁屑がまだ零れてゐた。座敷へ通ると、平岡は机の前へ坐つて、長い手紙を書き掛けてゐる所であつた。三千代は次の部屋で簟笥の環をかたかた鳴らしてゐた。傍に大きな行李が開けてあつて、中から奇麗な長繻絆の袖が半分出かかつてゐた。  平岡が、失敬だが鳥渡待つて呉れと云つた間に、代助は行李と長繻絆と、時々行李の中へ落ちる繊い手とを見てゐた。襖は明けた儘閉て切る様子もなかつた。が三千代の顔は陰になつて見えなかつた。  やがて、平岡は筆を机の上へ抛げ付ける様にして、座を直した。何だか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳を赤くしてゐた。眼も赤くしてゐた。 「何うだい。此間は色々難有う。其後一寸礼に行かうと思つて、まだ行かない」  平岡の言葉は言訳と云はんより寧ろ挑戦の調子を帯びてゐる様に聞こえた。襯衣も股引も着けずにすぐ胡坐をかいた。襟を正しく合せないので、胸毛が少し出ゝゐる。 「まだ落ち付かないだらう」と代助が聞いた。 「落ち付く所か、此分ぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かし出した。  代助は平岡が何故こんな態度で自分に応接するか能く心得てゐた。決して自分に中るのぢやない、つまり世間に中るんである、否己れに中つてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた。けれども代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた。たゞ腹が立たない丈である。 「宅の都合は、どうだい。間取の具合は可ささうぢやないか」 「うん、まあ、悪くつても仕方がない。気に入つた家へ這入らうと思へば、株でも遣るより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派な家はみんな株屋が拵へるんだつて云ふぢやないか」 「左様かも知れない。其代り、あゝ云ふ立派な家が一軒立つと、其陰に、どの位沢山な家が潰れてゐるか知れやしない」 「だから猶住み好いだらう」  平岡は斯う云つて大いに笑つた。其所へ三千代が出て来た。先達てはと、軽く代助に挨拶をして、手に持つた赤いフランネルのくる/\と巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。 「何ですか、それは」 「赤※[#小書き平仮名ん、94-8]坊の着物なの。拵へた儘、つい、まだ、解かずにあつたのを、今行李の底を見たら有つたから、出して来たんです」と云ひながら、附紐を解いて筒袖を左右に開いた。 「こら」 「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊して雑巾にでもして仕舞へ」 六の五  三千代は小供の着物を膝の上に乗せた儘、返事もせずしばらく俯向いて眺めてゐたが、 「貴方のと同じに拵へたのよ」と云つて夫の方を見た。 「是か」  平岡は絣の袷の下へ、ネルを重ねて、素肌に着てゐた。 「是はもう不可ん。暑くて駄目だ」  代助は始めて、昔の平岡を当面に見た。 「袷の下にネルを重ねちやもう暑い。繻絆にすると可い」 「うん、面倒だから着てゐるが」 「洗濯をするから御脱ぎなさいと云つても、中々脱がないのよ」 「いや、もう脱ぐ、己も少々厭になつた」  話は死んだ小供の事をとう/\離れて仕舞つた。さうして、来た時よりは幾分か空気に暖味が出来た。平岡は久し振りに一杯飲まうと云ひ出した。三千代も支度をするから、緩りして行つて呉れと頼む様に留めて、次の間へ立つた。代助は其後姿を見て、どうかして金を拵へてやりたいと思つた。 「君何所か奉公口の見当は付いたか」と聞いた。 「うん、まあ、ある様な無い様なもんだ。無ければ当分遊ぶ丈の事だ。緩くり探してゐるうちには何うかなるだらう」  云ふ事は落ち付いてゐるが、代助が聞くと却つて焦つて探してゐる様にしか取れない。代助は、昨日兄と自分の間に起つた問答の結果を、平岡に知らせやうと思つてゐたのだが、此一言を聞いて、しばらく見合せる事にした。何だか、構へてゐる向ふの体面を、わざと此方から毀損する様な気がしたからである。其上金の事に付いては平岡からはまだ一言の相談も受けた事もない。だから表向挨拶をする必要もないのである。たゞ、斯うして黙つてゐれば、平岡からは、内心で、冷淡な奴だと悪く思はれるに極つてゐる。けれども今の代助はさう云ふ非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はさう熱烈な人間ぢやないと考へてゐる。三四年前の自分になつて、今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひ回してゐた。渡金を金に通用させ様とする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。と今は考へてゐる。  代助が真鍮を以て甘んずる様になつたのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来たしたといふ様な、小説じみた歴史を有つてゐる為ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によつて、次第々々に渡金を自分で剥がして来たに過ぎない。代助は此渡金の大半をもつて、親爺が捺摺り付けたものと信じてゐる。其時分は親爺が金に見えた。多くの先輩が金に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自分の渡金が辛かつた。早く金になりたいと焦つて見た。所が、他のものゝ地金へ、自分の眼光がぢかに打つかる様になつて以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思はれ出した。  代助は同時に斯う考へた。自分が三四年の間に、是迄変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化してゐるだらう。昔しの自分なら、可成平岡によく思はれたい心から、斯んな場合には兄と喧嘩をしても、父と口論をしても、平岡の為に計つたらう、又其計つた通りを平岡の所へ来て事々しく吹聴したらうが、それを予期するのは、矢っ張り昔しの平岡で、今の彼は左程に友達を重くは見てゐまい。  それで肝心の話は一二言で已めて、あとは色々な雑談に時を過ごすうちに酒が出た。三千代が徳利の尻を持つて御酌をした。 六の六  平岡は酔ふに従つて、段々口が多くなつて来た。此男はいくら酔つても、中/\平生を離れない事がある。かと思ふと、大変に元気づいて、調子に一種の悦楽を帯びて来る。さうなると、普通の酒家以上に、能く弁する上に、時としては比較的真面目な問題を持ち出して、相手と議論を上下して楽し気に見える。代助は其昔し、麦酒の壜を互の間に並べて、よく平岡と戦つた事を覚えてゐる。代助に取つて不思議とも思はれるのは、平岡が斯う云ふ状態に陥つた時が、一番平岡と議論がしやすいと云ふ自覚であつた。又酒を呑んで本音を吐かうか、と平岡の方からよく云つたものだ。今日の二人の境界は其時分とは、大分離れて来た。さうして、其離れて、近づく路を見出し悪い事実を、双方共に腹の中で心得てゐる。東京へ着いた翌日、三年振りで邂逅した二人は、其時既に、二人ともに何時か互の傍を立退いてゐたことを発見した。  所が今日は妙である。酒に親しめば親しむ程、平岡が昔の調子を出して来た。旨い局所へ酒が回つて、刻下の経済や、目前の生活や、又それに伴ふ苦痛やら、不平やら、心の底の騒がしさやらを全然痲痺して[#「痲痺して」は底本では「痳痺して」]仕舞つた様に見える。平岡の談話は一躍して高い平面に飛び上がつた。 「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働らいてゐる。又是からも働らく積だ。君は僕の失敗したのを見て笑つてゐる。――笑はないたつて、要するに笑つてると同じ事に帰着するんだから構はない。いゝか、君は笑つてゐる。笑つてゐるが、其君は何も為ないぢやないか。君は世の中を、有の儘で受け取る男だ。言葉を換えて云ふと、意志を発展させる事の出来ない男だらう。意志がないと云ふのは嘘だ。人間だもの。其証拠には、始終物足りないに違ない。僕は僕の意志を現実社会に働き掛けて、其現実社会が、僕の意志の為に、幾分でも、僕の思ひ通りになつたと云ふ確証を握らなくつちや、生きてゐられないね。そこに僕と云ふものゝ存在の価値を認めるんだ。君はたゞ考へてゐる。考へてる丈だから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きてゐる。此大不調和を忍んでゐる所が、既に無形の大失敗ぢやないか。何故と云つて見給へ。僕のは其不調和を外へ出した迄で、君のは内に押し込んで置く丈の話だから、外面に押し掛けた丈、僕の方が本当の失敗の度は少ないかも知れない。でも僕は君に笑はれてゐる。さうして僕は君を笑ふ事が出来ない。いや笑ひたいんだが、世間から見ると、笑つちや不可ないんだらう」 「何笑つても構はない。君が僕を笑ふ前に、僕は既に自分を笑つてゐるんだから」 「そりや、嘘だ。ねえ三千代」  三千代は先刻から黙つて坐つてゐたが、夫から不意に相談を受けた時、にこりと笑つて、代助を見た。 「本当でせう、三千代さん」と云ひながら、代助は盃を出して、酒を受けた。 「そりや嘘だ。おれの細君が、いくら弁護したつて、嘘だ。尤も君は人を笑つても、自分を笑つても、両方共頭の中で遣る人だから、嘘か本当か其辺はしかと分らないが……」 「冗談云つちや不可ない」 「冗談ぢやない。全く本気の沙汰であります。そりや昔の君はさうぢや無かつた。昔の君はさうぢや無かつたが、今の君は大分違つてるよ。ねえ三千代。長井は誰が見たつて、大得意ぢやないか」 「何だか先刻から、傍で伺がつてると、貴方の方が余っ程御得意の様よ」  平岡は大きな声を出してハヽヽと笑つた。三千代は燗徳利を持つて次の間へ立つた。 六の七  平岡は膳の上の肴を二口三口、箸で突つついて、下を向いた儘、むしや/\云はしてゐたが、やがて、どろんとした眼を上げて、云つた。―― 「今日は久し振りに好い心持に酔つた。なあ君。――君はあんまり好い心持にならないね。何うも怪しからん。僕が昔の平岡常次郎になつてるのに、君が昔の長井代助にならないのは怪しからん。是非なり給へ。さうして、大いに遣つて呉れ給へ。僕も是から遣る。から君も遣つて呉れ給へ」  代助は此言葉のうちに、今の自己を昔に返さうとする真卒な又無邪気な一種の努力を認めた。さうして、それに動かされた。けれども一方では、一昨日、食つた麺麭を今返せと強請られる様な気がした。 「君は酒を呑むと、言葉丈酔払つても、頭は大抵確かな男だから、僕も云ふがね」 「それだ。それでこそ長井君だ」  代助は急に云ふのが厭になつた。 「君、頭は確かい」と聞いた。 「確だとも。君さへ確なら此方は何時でも確だ」と云つて、ちやんと代助の顔を見た。実際自分の云ふ通りの男である。そこで代助が云つた。―― 「君はさつきから、働らかない/\と云つて、大分僕を攻撃したが、僕は黙つてゐた。攻撃される通り僕は働らかない積だから黙つてゐた」 「何故働かない」 「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間に立つて僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂有の儘の世界を、有の儘で受取つて、其中僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外の人を、此方の考へ通りにするなんて、到底出来た話ぢやありやしないもの――」  代助は一寸息を継いだ。さうして、一寸窮屈さうに控えてゐる三千代の方を見て、御世辞を遣つた。 「三千代さん。どうです、私の考は。随分呑気で宜いでせう。賛成しませんか」 「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化して入らつしやる様よ」 「へええ。何処ん所を」 「何処ん所つて、ねえ貴方」と三千代は夫を見た。平岡は股の上へ肱を乗せて、肱の上へ顎を載せて黙つてゐたが、何にも云はずに盃を代助の前に出した。代助も黙つて受けた。三千代は又酌をした。 六の八  代助は盃へ唇を付けながら、是から先はもう云ふ必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考へ直させる為の弁論でもなし、又平岡から意見されに来た訪問でもない。二人はいつ迄立つても、二人として離れてゐなければならない運命を有つてゐるんだと、始めから心付てゐるから、議論は能い加減に引き上げて、三千代の仲間入りの出来る様な、普通の社交上の題目に談話を持つて来やうと試みた。  けれども、平岡は酔ふとしつこくなる男であつた。胸毛の奥迄赤くなつた胸を突き出して、斯う云つた。 「そいつは面白い。大いに面白い。僕見た様に局部に当つて、現実と悪闘してゐるものは、そんな事を考へる余地がない。日本が貧弱だつて、弱虫だつて、働らいてるうちは、忘れてゐるからね。世の中が堕落したつて、世の中の堕落に気が付かないで、其中に活動するんだからね。君の様な暇人から見れば日本の貧乏や、僕等の堕落が気になるかも知れないが、それは此社会に用のない傍観者にして始めて口にすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、さうなるんだ。忙がしい時は、自分の顔の事なんか、誰だつて忘れてゐるぢやないか」  平岡は※舌[#「口+堯」、U+5635、104-10]つてるうち、自然と此比喩に打つかつて、大いなる味方を得た様な心持がしたので、其所で得意に一段落をつけた。代助は仕方なしに薄笑ひをした。すると平岡はすぐ後を附加へた。 「君は金に不自由しないから不可ない。生活に困らないから、働らく気にならないんだ。要するに坊ちやんだから、品の好い様なこと許かり云つてゐて、――」  代助は少々平岡が小憎しくなつたので、突然中途で相手を遮ぎつた。 「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくつちや名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れてゐる」  平岡は不思議に不愉快な眼をして、代助の顔を窺つた。さうして、 「何故」と聞いた。 「何故つて、生活の為めの労力は、労力の為めの労力でないもの」 「そんな論理学の命題見た様なものは分らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云つてくれ」 「つまり食ふ為めの職業は、誠実にや出来悪いと云ふ意味さ」 「僕の考へとは丸で反対だね。食ふ為めだから、猛烈に働らく気になるんだらう」 「猛烈には働らけるかも知れないが誠実には働らき悪いよ。食ふ為の働らきと云ふと、つまり食ふのと、働らくのと何方が目的だと思ふ」 「無論食ふ方さ」 「夫れ見給へ。食ふ方が目的で働らく方が方便なら、食ひ易い様に、働らき方を合せて行くのが当然だらう。さうすりや、何を働らいたつて、又どう働らいたつて、構はない、只麺麭が得られゝば好いと云ふ事に帰着して仕舞ふぢやないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から掣肘される以上は、其労力は堕落の労力だ」 「まだ理論的だね、何うも。夫で一向差支ないぢやないか」 「では極上品な例で説明してやらう。古臭い話だが、ある本で斯んな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱へた所が、始めて、其料理人の拵へたものを食つて見ると頗る不味かつたんで、大変小言を云つたさうだ。料理人の方では最上の料理を食はして、叱られたものだから、其次からは二流もしくは三流の料理を主人にあてがつて、始終褒められたさうだ。此料理人を見給へ。生活の為に働らく事は抜目のない男だらうが、自分の技芸たる料理其物のために働らく点から云へば、頗る不誠実ぢやないか、堕落料理人ぢやないか」 「だつて左様しなければ解雇されるんだから仕方があるまい」 「だからさ。衣食に不自由のない人が、云はゞ、物数奇にやる働らきでなくつちや、真面目な仕事は出来るものぢやないんだよ」 「さうすると、君の様な身分のものでなくつちや、神聖の労力は出来ない訳だ。ぢや益遣る義務がある。なあ三千代」 「本当ですわ」 「何だか話が、元へ戻つちまつた。是だから議論は不可ないよ」と云つて、代助は頭を掻いた。議論はそれで、とう/\御仕舞になつた。 七の一  代助は風呂へ這入た。 「先生、何うです、御燗は。もう少し燃させませうか」と門野が突然入り口から顔を出した。門野は斯う云ふ事には能く気の付く男である。代助は、凝と湯に浸つた儘、 「結構」と答へた。すると、門野が、 「ですか」と云ひ棄てゝ、茶の間の方へ引き返した。代助は門野の返事のし具合に、いたく興味を有つて、独りにや/\と笑つた。代助には人の感じ得ない事を感じる神経がある。それが為時々苦しい思もする。ある時、友達の御親爺さんが死んで、葬式の供に立つたが、不図其友達が装束を着て、青竹を突いて、柩のあとへ付いて行く姿を見て可笑しくなつて困つた事がある。又ある時は、自分の父から御談義を聞いてゐる最中に、何の気もなく父の顔を見たら、急に吹き出したくなつて弱り抜いた事がある。自宅に風呂を買はない時分には、つい近所の銭湯に行つたが、其所に一人の骨骼の逞ましい三助がゐた。是が行くたんびに、奥から飛び出して来て、流しませうと云つては脊中を擦る。代助は其奴に体をごし/\遣られる度に、どうしても、埃及人に遣られてゐる様な気がした。いくら思ひ返しても日本人とは思へなかつた。  まだ不思議な事がある。此間、ある書物を読んだら、ウエーバーと云ふ生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減したり、随意に変化さしたと書いてあつたので、平生から鼓動を試験する癖のある代助は、ためしに遣つて見たくなつて、一日に二三回位怖々ながら試してゐるうちに、何うやら、ウエーバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした。  湯のなかに、静かに浸つてゐた代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上へ持つて行つたが、どん/\と云ふ命の音を二三度聞くや否や、忽ちウエーバーを思ひ出して、すぐ流しへ下りた。さうして、其所に胡坐をかいた儘、茫然と、自分の足を見詰めてゐた。すると其足が変になり始めた。どうも自分の胴から生えてゐるんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所に無作法に横はつてゐる様に思はれて来た。さうなると、今迄は気が付かなかつたが、実に見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃に延びて、青い筋が所々に蔓つて、如何にも不思議な動物である。  代助は又湯に這入つて、平岡の云つた通り、全たく暇があり過ぎるので、こんな事迄考へるのかと思つた。湯から出て、鏡に自分の姿を写した時、又平岡の言葉を思ひ出した。幅の厚い西洋髪剃で、顎と頬を剃る段になつて、其鋭どい刃が、鏡の裏で閃く色が、一種むづ痒い様な気持を起さした。是が烈敷なると、高い塔の上から、遥かの下を見下すのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終つた。  茶の間を抜け様とする拍子に、 「何うも先生は旨いよ」と門野が婆さんに話してゐた。 「何が旨いんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野は、 「やあ、もう御上りですか。早いですな」と答へた。此挨拶では、もう一遍、何が旨いんだと聞かれもしなくなつたので、其儘書斎へ帰つて、椅子に腰を掛けて休息してゐた。  休息しながら、斯う頭が妙な方面に鋭どく働き出しちや、身体の毒だから、些と旅行でもしやうかと思つて見た。一つは近来持ち上つた結婚問題を避けるに都合が好いとも考へた。すると又平岡の事が妙に気に掛つて、転地する計画をすぐ打ち消して仕舞つた。それを能く煎じ詰めて見ると、平岡の事が気に掛るのではない、矢っ張り三千代の事が気にかかるのである。代助は其所迄押して来ても、別段不徳義とは感じなかつた。寧ろ愉快な心持がした。 七の二  代助が三千代と知り合になつたのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃であつた。代助は長井家の関係から、当時交際社会の表面にあらはれて出た、若い女の顔も名も、沢山に知つてゐた。けれども三千代は其方面の婦人ではなかつた。色合から云ふと、もつと地味で、気持から云ふと、もう少し沈んでゐた。其頃、代助の学友に菅沼と云ふのがあつて、代助とも平岡とも、親しく附合つてゐた。三千代は其妹である。  此菅沼は東京近県のもので、学生になつた二年目の春、修業の為と号して、国から妹を連れて来ると同時に、今迄の下宿を引き払つて、二人して家を持つた。其時妹は国の高等女学校を卒業した許で、年は慥十八とか云ふ話であつたが、派出な半襟を掛けて、肩上をしてゐた。さうして程なくある女学校へ通ひ始めた。  菅沼の家は谷中の清水町で、庭のない代りに、椽側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。それがまた、錆た鉄の様に、頗る異しい色をしてゐた。其一本は殆んど枯れ掛かつて、上の方には丸裸の骨許残つた所に、夕方になると烏が沢山集まつて鳴いてゐた。隣には若い画家が住んでゐた。車もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居であつた。  代助は其所へ能く遊びに行つた。始めて三千代に逢つた時、三千代はたゞ御辞儀をした丈で引込んで仕舞つた。代助は上野の森を評して帰つて来た。二返行つても、三返行つても、三千代はたゞ御茶を持つて出る丈であつた。其癖狭い家だから、隣の室にゐるより外はなかつた。代助は菅沼と話しながら、隣の室に三千代がゐて、自分の話を聴いてゐるといふ自覚を去る訳に行かなかつた。  三千代と口を利き出したのは、どんな機会であつたか、今では代助の記憶に残つてゐない。残つて居ない程、瑣末な尋常の出来事から起つたのだらう。詩や小説に厭いた代助には、それが却つて面白かつた。けれども一旦口を利き出してからは、矢っ張り詩や小説と同じ様に、二人はすぐ心安くなつて仕舞つた。  平岡も、代助の様に、よく菅沼の家へ遊びに来た。あるときは二人連れ立つて、来た事もある。さうして、代助と前後して、三千代と懇意になつた。三千代は兄と此二人に食付いて、時々池の端抔を散歩した事がある。  四人は此関係で約二年足らず過ごした。すると菅沼の卒業する年の春、菅沼の母と云ふのが、田舎から遊びに出て来て、しばらく清水町に泊つてゐた。此母は年に一二度づつは上京して、子供の家に五六日寐起する例になつてゐたんだが、其時は帰る前日から熱が出だして、全く動けなくなつた。それが一週間の後窒扶斯と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為附添として一所に病院に移つた。病人の経過は、一時稍佳良であつたが、中途からぶり返して、とう/\死んで仕舞つた。それ許ではない。窒扶斯が、見舞に来た兄に伝染して、是も程なく亡くなつた。国にはたゞ父親が一人残つた。  それが母の死んだ時も、菅沼の死んだ時も出て来て、始末をしたので、生前に関係の深かつた代助とも平岡とも知り合になつた。三千代を連れて国へ帰る時は、娘とともに二人の下宿を別々に訪ねて、暇乞旁礼を述べた。  其年の秋、平岡は三千代と結婚した。さうして其間に立つたものは代助であつた。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連なつて貰つたのだが、身体を動かして、三千代の方を纏めたものは代助であつた。  結婚して間もなく二人は東京を去つた。国に居た父は思はざるある事情の為に余儀なくされて、是も亦北海道へ行つて仕舞つた。三千代は何方かと云へば、今心細い境遇に居る。どうかして、此東京に落付いてゐられる様にして遣りたい気がする。代助はもう一返嫂に相談して、此間の金を調達する工面をして見やうかと思つた。又三千代に逢つて、もう少し立ち入つた事情を委しく聞いて見やうかと思つた。 七の三  けれども、平岡へ行つた所で、三千代が無暗に洗ひ浚い※舌[#「口+堯」、U+5635、112-13]り散らす女ではなし、よしんば何うして、そんな金が要る様になつたかの事情を、詳しく聞き得たにした所で、夫婦の腹の中なんぞは容易に探られる訳のものではない。――代助の心の底を能く見詰めてゐると、彼の本当に知りたい点は、却つて此所に在ると、自から承認しなければならなくなる。だから正直を云ふと、何故に金が入用であるかを研究する必要は、もう既に通り越してゐたのである。実は外面の事情は聞いても聞かなくつても、三千代に金を貸して満足させたい方であつた。けれども三千代の歓心を買ふ目的を以て、其手段として金を拵へる気は丸でなかつた。代助は三千代に対して、それ程政略的な料簡を起す余裕を有つてゐなかつたのである。  其上平岡の留守へ行き中てゝ、今日迄の事情を、特に経済の点に関して丈でも、充分聞き出すのは困難である。平岡が家にゐる以上は、詳しい話の出来ないのは知れ切つてゐる。出来ても、それを一から十迄真に受ける訳には行かない。平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄を張つてゐる。見栄の入らない所でも一種の考から沈黙を守つてゐる。  代助は、兎も角もまづ嫂に相談して見やうと決心した。さうして、自分ながら甚だ覚束ないとは思つた。今迄嫂にちび/\、無心を吹き掛けた事は何度もあるが、斯う短兵急に痛め付けるのは始めてゞである。然し梅子は自分の自由になる資産をいくらか持つてゐるから、或は出来ないとも限らない。夫で駄目なら、又高利でも借りるのだが、代助はまだ其所迄には気が進んでゐなかつた。たゞ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強ひられて、それを断わり切れない位なら、一層此方から進んで、直接に三千代を喜ばしてやる方が遥かに愉快だといふ取捨の念丈は殆んど理窟を離れて、頭の中に潜んでゐた。  生暖かい風の吹く日であつた。曇つた天気が何時迄も無精に空に引掛つて、中々暮れさうにない四時過から家を出て、兄の宅迄電車で行つた。青山御所の少し手前迄来ると、電車の左側を父と兄が綱曳で急がして通つた。挨拶をする暇もないうちに擦れ違つたから、向ふは元より気が付かずに過ぎ去つた。代助は次の停留所で下りた。  兄の家の門を這入ると、客間でピアノの音がした。代助は一寸砂利の上に立ち留つたが、すぐ左へ切れて勝手口の方へ廻つた。其所には格子の外に、ヘクターと云ふ英国産の大きな犬が、大きな口を革紐で縛られて臥てゐた。代助の足音を聞くや否や、ヘクターは毛の長い耳を振つて、斑な顔を急に上げた。さうして尾を揺かした。  入口の書生部屋を覗き込んで、敷居の上に立ちながら、二言三言愛嬌を云つた後、すぐ西洋間の方へ来て、戸を明けると、嫂がピヤノの前に腰を掛けて両手を動かして居た。其傍に縫子が袖の長い着物を着て、例の髪を肩迄掛けて立つてゐた。代助は縫子の髪を見るたんびに、ブランコに乗つた縫子の姿を思ひ出す。黒い髪と、淡紅色のリボンと、それから黄色い縮緬の帯が、一時に風に吹かれて空に流れる様を、鮮かに頭の中に刻み込んでゐる。  母子は同時に振り向いた。 「おや」  縫子の方は、黙つて馳けて来た。さうして、代助の手をぐい/\引張つた。代助はピヤノの傍迄来た。 「如何なる名人が鳴らしてゐるのかと思つた」  梅子は何にも云はずに、額に八の字を寄せて、笑ひながら手を振り振り、代助の言葉を遮ぎつた。さうして、向ふから斯う云つた。 「代さん、此所ん所を一寸遣つて見せて下さい」  代助は黙つて嫂と入れ替つた。譜を見ながら、両方の指をしばらく奇麗に働かした後、 「斯うだらう」と云つて、すぐ席を離れた。 七の四  それから三十分程の間、母子して交る/″\楽器の前に坐つては、一つ所を復習してゐたが、やがて梅子が、 「もう廃しませう。彼方へ行つて、御飯でも食ませう。叔父さんもゐらつしやい」と云ひながら立つた。部屋のなかはもう薄暗くなつてゐた。代助は先刻から、ピヤノの音を聞いて、嫂や姪の白い手の動く様子を見て、さうして時々は例の欄間の画を眺めて、三千代の事も、金を借りる事も殆んど忘れてゐた。部屋を出る時、振り返つたら、紺青の波が摧けて、白く吹き返す所丈が、暗い中に判然見えた。代助は此大濤の上に黄金色の雲の峰を一面に描かした。さうして、其雲の峰をよく見ると、真裸な女性の巨人が、髪を乱し、身を躍らして、一団となつて、暴れ狂つてゐる様に、旨く輪廓を取らした。代助はルキイルを雲に見立てた積で此図を注文したのである。彼は此雲の峰だか、又巨大な女性だか、殆んど見分けの付かない、偉な塊を脳中に髣髴して、ひそかに嬉しがつてゐた。が偖出来上つて、壁の中へ嵌め込んでみると、想像したよりは不味かつた。梅子と共に部屋を出た時は、此ルキイルは殆んど見えなかつた。紺青の波は固より見えなかつた。たゞ白い泡の大きな塊が薄白く見えた。  居間にはもう電燈が点いてゐた。代助は其所で、梅子と共に晩食を済ました。子供二人も卓を共にした。誠太郎に兄の部室からマニラを一本取つて来さして、夫を吹かしながら、雑談をした。やがて、小供は明日の下読をする時間だと云ふので、母から注意を受けて、自分の部屋へ引き取つたので、後は差し向になつた。  代助は突然例の話を持ち出すのも、変なものだと思つて、関係のない所からそろ/\進行を始めた。先づ父と兄が綱曳で車を急がして何所へ行つたのだとか、此間は兄さんに御馳走になつたとか、あなたは何故麻布の園遊会へ来なかつたのだとか、御父さんの漢詩は大抵法螺だとか、色々聞いたり答へたりして居るうちに、一つ新しい事実を発見した。それは外でもない。父と兄が、近来目に立つ様に、忙しさうに奔走し始めて、此四五日は碌々寐るひまもない位だと云ふ報知である。全体何が始つたんですと、代助は平気な顔で聞いて見た。すると、嫂も普通の調子で、さうですね、何か始つたんでせう。御父さんも、兄さんも私には何にも仰しやらないから、知らないけれどもと答へて、代さんは、それよりか此間の御嫁さんをと云ひ掛けてゐる所へ、書生が這入つて来た。  今夜も遅くなる、もし、誰と誰が来たら何とか屋へ来る様に云つて呉れと云ふ電話を伝へた儘、書生は再び出て行つた。代助は又結婚問題に話が戻ると面倒だから、時に姉さん、些御願があつて来たんだが、とすぐ切り出して仕舞つた。  梅子は代助の云ふ事を素直に聞いて居た。代助は凡てを話すに約十分許を費やした。最後に、 「だから思ひ切つて貸して下さい」と云つた。すると梅子は真面目な顔をして、 「さうね。けれども全体何時返す気なの」と思ひも寄らぬ事を問ひ返した。代助は顎の先を指で撮んだ儘、じつと嫂の気色を窺つた。梅子は益真面目な顔をして、又斯う云つた。 「皮肉ぢやないのよ。怒つちや不可ませんよ」  代助は無論怒つてはゐなかつた。たゞ姉弟から斯ういふ質問を受けやうと予期してゐなかつた丈である。今更返す気だの、貰う積りだのと布衍すればする程馬鹿になる許だから、甘んじて打撃を受けてゐた丈である。梅子は漸やく手に余る弟を取つて抑えた様な気がしたので、後が大変云ひ易かつた。―― 七の五 「代さん、あなたは不断から私を馬鹿にして御出なさる。――いゝえ、厭味を云ふんぢやない、本当の事なんですもの、仕方がない。さうでせう」 「困りますね、左様真剣に詰問されちや」 「善ござんすよ。胡魔化さないでも。ちやんと分つてるんだから。だから正直に左様だと云つて御仕舞なさい。左様でないと、後が話せないから」  代助は黙つてにや/\笑つてゐた。 「でせう。そら御覧なさい。けれども、それが当り前よ。ちつとも構やしません。いくら私が威張つたつて、貴方に敵ひつこないのは無論ですもの。私と貴方とは今迄通りの関係で、御互ひに満足なんだから、文句はありやしません。そりや夫で好いとして、貴方は御父さんも馬鹿にして入らつしやるのね」  代助は嫂の態度の真卒な所が気に入つた。それで、 「えゝ、少しは馬鹿にしてゐます」と答へた。すると梅子は左も愉快さうにハヽヽヽと笑つた。さうして云つた。 「兄さんも馬鹿にして入らつしやる」 「兄さんですか。兄さんは大いに尊敬してゐる」 「嘘を仰しやい。序だから、みんな打ち散けて御仕舞なさい」 「そりや、或点では馬鹿にしない事もない」 「それ御覧なさい。あなたは一家族中悉く馬鹿にして入らつしやる」 「どうも恐れ入りました」 「そんな言訳はどうでも好いんですよ。貴方から見れば、みんな馬鹿にされる資格があるんだから」 「もう、廃さうぢやありませんか。今日は中中きびしいですね」 「本当なのよ。夫で差支ないんですよ。喧嘩も何も起らないんだから。けれどもね、そんなに偉い貴方が、何故私なんぞから御金を借りる必要があるの。可笑しいぢやありませんか。いえ、揚足を取ると思ふと、腹が立つでせう。左様なんぢやありません。それ程偉い貴方でも、御金がないと、私見た様なものに頭を下げなけりやならなくなる」 「だから先きから頭を下げてゐるんです」 「まだ本気で聞いてゐらつしやらないのね」 「是が私の本気な所なんです」 「ぢや、それも貴方の偉い所かも知れない。然し誰も御金を貸し手がなくつて、今の御友達を救つて上げる事が出来なかつたら、何うなさる。いくら偉くつても駄目ぢやありませんか。無能力な事は車屋と同なしですもの」  代助は今迄嫂が是程適切な異見を自分に向つて加へ得やうとは思はなかつた。実は金の工面を思ひ立つてから、自分でも此弱点を冥々の裡に感じてゐたのである。 「全く車屋ですね。だから姉さんに頼むんです」 「仕方がないのね、貴方は。あんまり、偉過て。一人で御金を御取んなさいな。本当の車屋なら貸して上げない事もないけれども、貴方には厭よ。だつて余りぢやありませんか。月々兄さんや御父さんの厄介になつた上に、人の分迄自分に引受けて、貸してやらうつて云ふんだから。誰も出し度はないぢやありませんか」  梅子の云ふ所は実に尤もである。然し代助は此尤を通り越して、気が付かずにゐた。振り返つて見ると、後の方に姉と兄と父がかたまつてゐた。自分も後戻りをして、世間並にならなければならないと感じた。家を出る時、嫂から無心を断わられるだらうとは気遣つた。けれども夫が為めに、大いに働らいて、自から金を取らねばならぬといふ決心は決して起し得なかつた。代助は此事件を夫程重くは見てゐなかつたのである。 七の六  梅子は、此機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しやうと力めた。所が代助には梅子の腹がよく解つてゐた。解れば解る程激する気にならなかつた。そのうち話題は金を離れて、再び結婚に戻つて来た。代助は最近の候補者に就て、此間から親爺に二度程悩まされてゐる。親爺の論理は何時聞いても昔し風に甚だ義理堅いものであつたが、其代り今度は左程権柄づくでもなかつた。自分の命の親に当る人の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰つて呉れと云ふんである。さうすれば幾分か恩が返せると云ふんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、丸で筋の立たない主張であつた。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持つてゐなかつた事丈は慥かである。だから父の云ふ事の当否は論弁の限にあらずとして、貰へば貰つても構はないのである。代助は此二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になつた如く、結婚に対しても、あまり重きを置く必要を認めてゐない。佐川の娘といふのは只写真で知つてゐる許であるが、夫丈でも沢山な様な気がする。――尤も写真は大分美くしかつた。――従つて、貰ふとなれば、左様面倒な条件を持ち出す考も何もない。たゞ、貰ひませうと云ふ確答が出なかつた丈である。  その不明晰な態度を、父に評させると、丸で要領を得てゐない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死の間に横はる一大要件と見傚して、あらゆる他の出来事を、これに従属させる考の嫂から云はせると、不可思議になる。 「だつて、貴方だつて、生涯一人でゐる気でもないんでせう。さう我儘を云はないで、好い加減な所で極めて仕舞つたら何うです」と梅子は少し焦れつたさうに云つた。  生涯一人でゐるか、或は妾を置いて暮すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。只、今の彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持てなかつた事は慥である。是は、彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ないのと、彼の頭が普通以上に鋭どくつて、しかも其鋭さが、日本現代の社会状況のために、幻像打破の方面に向つて、今日迄多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐるのとに帰着するのである。が代助は其所迄解剖して考へる必要は認めてゐない。たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明かな事実を握つて、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でゐる。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時か之を成立させ様と喘る努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。  代助は固より斯んな哲理を嫂に向つて講釈する気はない。が、段々押し詰られると、苦し紛れに、 「だが、姉さん、僕は何うしても嫁を貰はなければならないのかね」と聞く事がある。代助は無論真面目に聞く積だけれども、嫂の方では呆れて仕舞ふ。さうして、自分を茶にするのだと取る。梅子は其晩代助に向つて、平生の手続を繰り返した後で、斯んな事を云つた。 「妙なのね、そんなに厭がるのは。――厭なんぢやないつて、口では仰しやるけれども、貰はなければ、厭なのと同なしぢやありませんか。それぢや誰か好きなのがあるんでせう。其方の名を仰やい」  代助は今迄嫁の候補者としては、たゞの一人も好いた女を頭の中に指名してゐた覚がなかつた。が、今斯う云はれた時、どう云ふ訳か、不意に三千代といふ名が心に浮かんだ。つゞいて、だから先刻云つた金を貸して下さい、といふ文句が自から頭の中で出来上つた。――けれども代助はたゞ苦笑して嫂の前に坐つてゐた。 八の一  代助が嫂に失敗して帰つた夜は、大分更けてゐた。彼は辛うじて青山の通りで、最後の電車を捕まえた位である。それにも拘はらず彼の話してゐる間には、父も兄も帰つて来なかつた。尤も其間に梅子は電話口へ二返呼ばれた。然し、嫂の様子に別段変つた所もないので、代助は此方から進んで何にも聞かなかつた。  其夜は雨催の空が、地面と同じ様な色に見えた。停留所の赤い柱の傍に、たつた一人立つて電車を待ち合はしてゐると、遠い向ふから小さい火の玉があらはれて、それが一直線に暗い中を上下に揺れつつ代助の方に近いて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗り込んで見ると、誰も居なかつた。黒い着物を着た車掌と運転手の間に挟まれて、一種の音に埋まつて動いて行くと、動いてゐる車の外は真暗である。代助は一人明るい中に腰を掛けて、どこ迄も電車に乗つて、終に下りる機会が来ない迄引つ張り廻される様な気がした。  神楽坂へかゝると、寂りとした路が左右の二階家に挟まれて、細長く前を塞いでゐた。中途迄上つて来たら、それが急に鳴り出した。代助は風が家の棟に当る事と思つて、立ち留まつて暗い軒を見上げながら、屋根から空をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲はれた。戸と障子と硝子の打ち合ふ音が、見る/\烈しくなつて、あゝ地震だと気が付いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦んでゐた。其時代助は左右の二階家が坂を埋むべく、双方から倒れて来る様に感じた。すると、突然右側の潜り戸をがらりと開けて、小供を抱いた一人の男が、地震だ/\、大きな地震だと云つて出て来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した。  家へ着いたら、婆さんも門野も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人とも自分程には感じなかつたらうと考へた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置し様かと思案して見た。然し分別を凝らす迄には至らなかつた。父と兄の近来の多忙は何事だらうと推して見た。結婚は愚図々々にして置かうと了簡を極めた。さうして眠に入つた。  其明日の新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数が大分多くなつて来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立てる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下したのだとあつた。  日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をした後の半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。  代助は自分の父と兄の関係してゐる会社に就ては何事も知らなかつた。けれども、いつ何んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、父も兄もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜敷い吟味をされたなら、両方共拘引に価する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰が見ても尤と認める様に、作り上げられたとは肯はなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞ貰つた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。父と兄の如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室を造つて、拵え上げたんだらうと代助は鑑定してゐた。 八の二  代助は斯う云ふ考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかつた。父と兄の会社に就ても心配をする程正直ではなかつた。たゞ三千代の事丈が多少気に掛つた。けれども、徒手で行くのが面白くないんで、其うちの事と腹の中で料簡を定めて、日々読書に耽つて四五日過した。不思議な事に其後例の金の件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云つて来なかつた。代助は心のうちに、あるひは三千代が又一人で返事を聞きに来る事もあるだらうと、実は心待に待つてゐたのだが、其甲斐はなかつた。  仕舞にアンニユイを感じ出した。何処か遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜して、芝居でも見やうと云ふ気を起した。神楽坂から外濠線へ乗つて、御茶の水迄来るうちに気が変つて、森川丁にゐる寺尾といふ同窓の友達を尋ねる事にした。此男は学校を出ると、教師は厭だから文学を職業とすると云ひ出して、他のものゝ留めるにも拘らず、危険な商買をやり始めた。やり始めてから三年になるが、未だに名声も上らず、窮々云つて原稿生活を持続してゐる。自分の関係のある雑誌に、何でも好いから書けと逼るので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一ヶ月の間雑誌屋の店頭に曝されたぎり、永久人間世界から何処かへ、運命の為めに持つて行かれて仕舞つた。それぎり代助は筆を執る事を御免蒙つた。寺尾は逢ふたんびに、もつと書け書けと勧める。さうして、己を見ろと云ふのが口癖であつた。けれども外の人に聞くと、寺尾ももう陥落するだらうと云ふ評判であつた。大変露西亜ものが好で、ことに人が名前を知らない作家が好で、なけなしの銭を工面しては新刊物を買ふのが道楽であつた。あまり気焔が高かつた時、代助が、文学者も恐露病に罹つてるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評返した事がある。すると寺尾は真面目な顔をして、戦争は何時でもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちや詰らんぢやないか。矢っ張り恐露病に罹つてる方が、卑怯でも安全だ、と答へて矢っ張り露西亜文学を鼓吹してゐた。  玄関から座敷へ通つて見ると、寺尾は真中へ一貫張の机を据ゑて、頭痛がすると云つて鉢巻をして、腕まくりで、帝国文学の原稿を書いてゐた。邪魔ならまた来ると云ふと、帰らんでもいゝ、もう今朝から五五、二円五十銭丈稼いだからと云ふ挨拶であつた。やがて鉢巻を外して、話を始めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒し始めた。代助はそれを面白く聞いてゐた。然し腹の中では、寺尾の事を誰も賞めないので、其対抗運動として、自分の方では他を貶すんだらうと思つた。ちと、左様云ふ意見を発表したら好いぢやないかと勧めると、左様は行かないよと笑つてゐる。何故と聞き返しても答へない。しばらくして、そりや君の様に気楽に暮せる身分なら随分云つて見せるが――何しろ食ふんだからね。どうせ真面目な商買ぢやないさ。と云つた。代助は、夫で結構だ、確かり遣り玉へと奨励した。すると寺尾は、いや些とも結構ぢやない。どうかして、真面目になりたいと思つてゐる。どうだ、君ちつと金を借して僕を真面目にする了見はないかと聞いた。いや、君が今の様な事をして、夫で真面目だと思ふ様になつたら、其時借してやらうと調戯つて、代助は表へ出た。  本郷の通り迄来たが惓怠の感は依然として故の通りである。何処をどう歩いても物足りない。と云つて、人の宅を訪ねる気はもう出ない。自分を検査して見ると、身体全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗つて、今度は伝通院前迄来た。車中で揺られるたびに、五尺何寸かある大きな胃嚢の中で、腐つたものが、波を打つ感じがあつた。三時過ぎにぼんやり宅へ帰つた。玄関で門野が、 「先刻御宅から御使でした。手紙は書斎の机の上に載せて置きました。受取は一寸私が書いて渡して置きました」と云つた。 八の三  手紙は古風な状箱の中にあつた。其赤塗の表には名宛も何も書かないで、真鍮の環に通した観世撚の封じ目に黒い墨を着けてあつた。代助は机の上を一目見て、此手紙の主は嫂だとすぐ悟つた。嫂は斯う云ふ旧式な趣味があつて、それが時々思はぬ方角へ出てくる。代助は鋏の先で観世撚の結目を突つつきながら、面倒な手数だと思つた。  けれども中にあつた手紙は、状箱とは正反対に、簡単な言文一致で用を済してゐた。此間わざ/\来て呉れた時は、御依頼通り取り計ひかねて、御気の毒をした。後から考へて見ると、其時色々無遠慮な失礼を云つた事が気にかゝる。どうか悪く取つて下さるな。其代り御金を上げる。尤もみんなと云ふ訳には行かない。二百円丈都合して上げる。から夫をすぐ御友達の所へ届けて御上げなさい。是は兄さんには内所だから其積でゐなくつては不可ない。奥さんの事も宿題にするといふ約束だから、よく考へて返事をなさい。  手紙の中に巻き込めて、二百円の小切手が這入つてゐた。代助は、しばらく、それを眺めてゐるうちに、梅子に済まない様な気がして来た。此間の晩、帰りがけに、向から、ぢや御金は要らないのと聞いた。貸して呉れと切り込んで頼んだ時は、あゝ手痛く跳ね付けて置きながら、いざ断念して帰る段になると、却つて断わつた方から、掛念がつて駄目を押して出た。代助はそこに女性の美くしさと弱さとを見た。さうして其弱さに付け入る勇気を失つた。此美しい弱点を弄ぶに堪えなかつたからである。えゝ要りません、何うかなるでせうと云つて分れた。それを梅子は冷かな挨拶と思つたに違ない。其冷かな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作の裏に、何処にか引つ掛つてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した。  代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈暖かい言葉を使つて感謝の意を表した。代助が斯う云ふ気分になる事は兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起らなかつたのである。  代助はすぐ三千代の所へ出掛け様かと考へた。実を云ふと、二百円は代助に取つて中途半端な額であつた。是丈呉れるなら、一層思ひ切つて、此方の強請つた通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気も出た。が、それは代助の頭が梅子を離れて三千代の方へ向いた時の事であつた。その上、女は如何に思ひ切つた女でも、感情上中途半端なものであると信じてゐる代助には、それが別段不平にも思へなかつた。否女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる所置よりも、同情の弾力性を示してゐる点に於て、快よいものと考へてゐた。だから、もし二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて、父であつたとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、却つて不愉快な感に打たれたかも知れないのである  代助は晩食も食はずに、すぐ又表へ出た。五軒町から江戸川の縁を伝つて、河を向へ越した時は、先刻散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じてゐなかつた。坂を上つて伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が、寺と寺の間から、汚ない烟を、雲の多い空に吐いてゐた。代助はそれを見て、貧弱な工業が、生存の為に無理に吐く呼吸を見苦しいものと思つた。さうして其近くに住む平岡と、此烟突とを暗々の裏に連想せずにはゐられなかつた。斯う云ふ場合には、同情の念より美醜の念が先に立つのが、代助の常であつた。代助は此瞬間に、三千代の事を殆んど忘れて仕舞つた位、空に散る憐れな石炭の烟に刺激された。  平岡の玄関の沓脱には女の穿く重ね草履が脱ぎ棄てゝあつた。格子を開けると、奥の方から三千代が裾を鳴らして出て来た。其時上り口の二畳は殆んど暗かつた。三千代は其暗い中に坐つて挨拶をした。始めは誰が来たのか、よく分らなかつたらしかつたが、代助の声を聞くや否や、何方かと思つたら……と寧ろ低い声で云つた。代助は判然見えない三千代の姿を、常よりは美しく眺めた。 八の四  平岡は不在であつた。それを聞いた時、代助は話してゐ易い様な、又話してゐ悪い様な変な気がした。けれども三千代の方は常の通り落ち付いてゐた。洋燈も点けないで、暗い室を閉て切つた儘二人で坐つてゐた。三千代は下女も留守だと云つた。自分も先刻其所迄用達に出て、今帰つて夕食を済ました許りだと云つた。やがて平岡の話が出た。  予期した通り、平岡は相変らず奔走してゐる。が、此一週間程は、あんまり外へ出なくなつた。疲れたと云つて、よく宅に寐てゐる。でなければ酒を飲む。人が尋ねて来れば猶飲む。さうして善く怒る。さかんに人を罵倒する。のださうである。 「昔と違つて気が荒くなつて困るわ」と云つて、三千代は暗に同情を求める様子であつた。代助は黙つてゐた。下女が帰つて来て、勝手口でがた/\音をさせた。しばらくすると、胡摩竹の台の着いた洋燈を持つて出た。襖を締める時、代助の顔を偸む様に見て行つた。  代助は懐から例の小切手を出した。二つに折れたのを其儘三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛けた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてゞあつた。 「先達て御頼の金ですがね」  三千代は何にも答へなかつた。たゞ眼を挙げて代助を見た。 「実は、直にもと思つたんだけれども、此方の都合が付かなかつたものだから、遂遅くなつたんだが、何うですか、もう始末は付きましたか」と聞いた。  其時三千代は急に心細さうな低い声になつた。さうして怨ずる様に、 「未ですわ。だつて、片付く訳が無いぢやありませんか」と云つた儘、眼をつて凝と代助を見てゐた。代助は折れた小切手を取り上げて二つに開いた。 「是丈ぢや駄目ですか」  三千代は手を伸ばして小切手を受取つた。 「難有う。平岡が喜びますわ」と静かに小切手を畳の上に置いた。  代助は金を借りて来た由来を、極ざつと説明して、自分は斯ういふ呑気な身分の様に見えるけれども、何か必要があつて、自分以外の事に、手を出さうとすると、丸で無能力になるんだから、そこは悪く思つて呉れない様にと言訳を付け加へた。 「それは、私も承知してゐますわ。けれども、困つて、何うする事も出来ないものだから。つい無理を御願して」と三千代は気の毒さうに詫を述べた。代助はそこで念を押した。 「夫丈で、何うか始末が付きますか。もし何うしても付かなければ、もう一遍工面して見るんだが」 「もう一遍工面するつて」 「判を押して高い利のつく御金を借りるんです」 「あら、そんな事を」と三千代はすぐ打ち消す様に云つた。「それこそ大変よ。貴方」  代助は平岡の今苦しめられてゐるのも、其起りは、性質の悪い金を借り始めたのが転々して祟つてゐるんだと云ふ事を聞いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通つてゐたのだが、三千代が産後心臓が悪くなつて、ぶら/\し出すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、夫程烈しくもなかつたので、三千代はたゞ交際上已を得ないんだらうと諦めてゐたが、仕舞にはそれが段々高じて、程度が無くなる許なので三千代も心配をする。すれば身体が悪くなる。なれば放蕩が猶募る。不親切なんぢやない。私が悪いんですと三千代はわざ/\断わつた。けれども又淋しい顔をして、責めて小供でも生きてゐて呉れたら嘸可かつたらうと、つく/″\考へた事もありましたと自白した。  代助は経済問題の裏面に潜んでゐる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方から問ふのを控えた。帰りがけに、 「そんなに弱つちや不可ない。昔の様に元気に御成んなさい。さうして些と遊びに御出なさい」と勇気をつけた。 「本当ね」と三千代は笑つた。彼等は互の昔を互の顔の上に認めた。平岡はとう/\帰つて来なかつた。 八の五  中二日置いて、突然平岡が来た。其日は乾いた風が朗らかな天を吹いて、蒼いものが眼に映る、常よりは暑い天気であつた。朝の新聞に菖蒲の案内が出てゐた。代助の買つた大きな鉢植の君子蘭はとう/\縁側で散つて仕舞つた。其代り脇差程も幅のある緑の葉が、茎を押し分けて長く延びて来た。古い葉は黒ずんだ儘、日に光つてゐる。其一枚が何かの拍子に半分から折れて、茎を去る五寸許の所で、急に鋭く下つたのが、代助には見苦しく見えた。代助は鋏を持つて椽に出た。さうして其葉を折れ込んだ手前から、剪つて棄てた。時に厚い切り口が、急に煮染む様に見えて、しばらく眺めてゐるうちに、ぽたりと椽に音がした。切口に集つたのは緑色の濃い重い汁であつた。代助は其香を嗅がうと思つて、乱れる葉の中に鼻を突つ込んだ。椽側の滴は其儘にして置いた。立ち上がつて、袂から手帛を出して、鋏の刃を拭いてゐる所へ、門野が平岡さんが御出ですと報せて来たのである。代助は其時平岡の事も三千代の事も、丸で頭の中に考へてゐなかつた。只不思議な緑色の液体に支配されて、比較的世間に関係のない情調の下に動いてゐた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えて仕舞つた。さうして、何だか逢ひたくない様な気持がした。 「此方へ御通し申しませうか」と門野から催促された時、代助はうんと云つて、座敷へ這入つた。あとから席に導かれた平岡を見ると、もう夏の洋服を着てゐた。襟も白襯衣も新らしい上に、流行の編襟飾を掛けて、浪人とは誰にも受け取れない位、ハイカラに取り繕ろつてゐた。  話して見ると、平岡の事情は、依然として発展してゐなかつた。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日斯うして遊んで歩く。それでなければ、宅に寐てゐるんだと云つて、大きな声を出して笑つて見せた。代助もそれが可からうと答へたなり、後は当らず障らずの世間話に時間を潰してゐた。けれども自然に出る世間話といふよりも、寧ろある問題を回避する為の世間話だから、両方共に緊張を腹の底に感じてゐた。  平岡は三千代の事も、金の事も口へ出さなかつた。従がつて三日前代助が彼の留守宅を訪問した事に就ても何も語らなかつた。代助も始めのうちは、わざと、その点に触れないで澄してゐたが、何時迄経つても、平岡の方で余所々々しく構へてゐるので、却つて不安になつた。 「実は二三日前君の所へ行つたが、君は留守だつたね」と云ひ出した。 「うん。左様だつたさうだね。其節は又難有う。御蔭さまで。――なに、君を煩はさないでも何うかなつたんだが、彼奴があまり心配し過て、つい君に迷惑を掛けて済まない」と冷淡な礼を云つた。それから、 「僕も実は御礼に来た様なものだが、本当の御礼には、いづれ当人が出るだらうから」と丸で三千代と自分を別物にした言分であつた。代助はたゞ、 「そんな面倒な事をする必要があるものか」と答へた。話は是で切れた。が又両方に共通で、しかも、両方のあまり興味を持たない方面に摺り滑つて行つた。すると、平岡が突然、 「僕はことによると、もう実業は已めるかも知れない。実際内幕を知れば知る程厭になる。其上此方へ来て、少し運動をして見て、つくづく勇気がなくなつた」と心底かららしい告白をした。代助は、一口、 「それは、左様だらう」と答へた。平岡はあまり此返事の冷淡なのに驚ろいた様子であつた。が、又あとを付けた。 「先達ても一寸話したんだが、新聞へでも這入らうかと思つてる」 「口があるのかい」と代助が聞き返した。 「今、一つある。多分出来さうだ」  来た時は、運動しても駄目だから遊んでゐると云ふし、今は新聞に口があるから出様と云ふし、少し要領を欠いでゐるが、追窮するのも面倒だと思つて、代助は、 「それも面白からう」と賛成の意を表して置いた。 八の六  平岡の帰りを玄関迄見送つた時、代助はしばらく、障子に身を寄せて、敷居の上に立つてゐた。門野も御附合に平岡の後姿を眺めてゐた。が、すぐ口を出した。 「平岡さんは思つたよりハイカラですな。あの服装ぢや、少し宅の方が御粗末過る様です」 「左様でもないさ。近頃はみんな、あんなものだらう」と代助は立ちながら答へた。 「全たく、服装丈ぢや分らない世の中になりましたからね。何処の紳士かと思ふと、どうも変ちきりんな家へ這入てますからね」と門野はすぐあとを付けた。  代助は返事も為ずに書斎へ引き返した。椽側に垂れた君子蘭の緑の滴がどろ/\になつて、干上り掛つてゐた。代助はわざと、書斎と座敷の仕切を立て切つて、一人室のうちへ這入つた。来客に接した後しばらくは、独坐に耽るが代助の癖であつた。ことに今日の様に調子の狂ふ時は、格別その必要を感じた。  平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた。逢ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。誰に逢つても左んな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過なかつた。大地は自然に続いてゐるけれども、其上に家を建てたら、忽ち切れ/\になつて仕舞つた。家の中にゐる人間も亦切れ切れになつて仕舞つた。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。  代助と接近してゐた時分の平岡は、人に泣いて貰ふ事を喜こぶ人であつた。今でも左様かも知れない。が、些ともそんな顔をしないから、解らない。否、力めて、人の同情を斥ける様に振舞つてゐる。孤立しても世は渡つて見せるといふ我慢か、又は是が現代社会に本来の面目だと云ふ悟りか、何方かに帰着する。  平岡に接近してゐた時分の代助は、人の為に泣く事の好きな男であつた。それが次第々々に泣けなくなつた。泣かない方が現代的だからと云ふのではなかつた。事実は寧ろ之を逆にして、泣かないから現代的だと言ひたかつた。泰西の文明の圧迫を受けて、其重荷の下に唸る、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、真によく人の為に泣き得るものに、代助は未だ曾て出逢はなかつた。  代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪の念を催ふした。さうして向ふにも自己同様の念が萌してゐると判じた。昔しの代助も、時々わが胸のうちに、斯う云ふ影を認めて驚ろいた事があつた。其時は非常に悲しかつた。今は其悲しみも殆んど薄く剥がれて仕舞つた。だから自分で黒い影を凝と見詰めて見る。さうして、これが真だと思ふ。已を得ないと思ふ。たゞそれ丈になつた。  斯う云ふ意味の孤独の底に陥つて煩悶するには、代助の頭はあまりに判然し過てゐた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏むべき必然の運命と考へたからである。従つて、自分と平岡の隔離は、今の自分の眼に訴へて見て、尋常一般の径路を、ある点迄進行した結果に過ないと見傚した。けれども、同時に、両人の間に横たはる一種の特別な事情の為、此隔離が世間並よりも早く到着したと云ふ事を自覚せずにはゐられなかつた。それは三千代の結婚であつた。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時に悔る様な薄弱な頭脳ではなかつた。今日に至つて振り返つて見ても、自分の所作は、過去を照らす鮮かな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に頭を下げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故三千代を貰つたかと思ふ様になつた。代助は何処かしらで、何故三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。  代助は書斎に閉ぢ籠つて一日考へに沈んでゐた。晩食の時、門野が、 「先生今日は一日御勉強ですな。どうです、些と御散歩になりませんか。今夜は寅毘沙ですぜ。演芸館で支那人の留学生が芝居を演つてます。どんな事を演る積ですか、行つて御覧なすつたら何うです。支那人てえ奴は、臆面がないから、何でも遣る気だから呑気なもんだ。……」と一人で喋舌つた。 九の一  代助は又父から呼ばれた。代助には其用事が大抵分つてゐた。代助は不断から成るべく父を避けて会はない様にしてゐた。此頃になつては猶更奥へ寄り付かなかつた。逢ふと、叮嚀な言葉を使つて応対してゐるにも拘はらず、腹の中では、父を侮辱してゐる様な気がしてならなかつたからである。  代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得てゐた。  この二つの因数は、何処かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較べる日の来る迄は、此平衡は日本に於て得られないものと代助は信じてゐた。さうして、斯ゝる日は、到底日本の上を照らさないものと諦めてゐた。だからこの窮地に陥つた日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはたゞ頭の中に於て、罪悪を犯さなければならない。さうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かゝる侮辱を加ふるにも、又加へらるゝにも堪へなかつた。  代助の父の場合は、一般に比べると、稍特殊的傾向を帯びる丈に複雑であつた。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。此教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据ゑて、事実の発展によつて証明せらるべき手近な真を、眼中に置かない無理なものであつた。にも拘はらず、父は習慣に囚へられて、未だに此教育に執着してゐる。さうして、一方には、劇烈な生活慾に冒され易い実業に従事した。父は実際に於て年々此生活慾の為に腐蝕されつゝ今日に至つた。だから昔の自分と、今の自分の間には、大いな相違のあるべき筈である。それを父は自認してゐなかつた。昔の自分が、昔通りの心得で、今の事業を是迄に成し遂げたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲を狭める事なしに、現代の生活慾を時々刻々に充たして行ける訳がないと代助は考へた。もし双方を其儘に存在させ様とすれば、之を敢てする個人は、矛盾の為に大苦痛を受けなければならない。もし内心に此苦痛を受けながら、たゞ苦痛の自覚丈明らかで、何の為の苦痛だか分別が付かないならば、それは頭脳の鈍い劣等な人種である。代助は父に対する毎に、父は自己を隠蔽する偽君子か、もしくは分別の足らない愚物か、何方かでなくてはならない様な気がした。さうして、左う云ふ気がするのが厭でならなかつた。  と云つて、父は代助の手際で、何うする事も出来ない男であつた。代助には明らかに、それが分つてゐた。だから代助は未だ曾て父を矛盾の極端迄追ひ詰めた事がなかつた。  代助は凡ての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じてゐた。始めから頭の中に硬張つた道徳を据ゑ付けて、其道徳から逆に社会的事実を発展させ様とする程、本末を誤つた話はないと信じてゐた。従つて日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考へた。彼等は学校で昔し風の道徳を教授してゐる。それでなければ一般欧洲人に適切な道徳を呑み込ましてゐる。此劇烈なる生活慾に襲はれた不幸な国民から見れば、迂遠の空談に過ぎない。此迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時、昔の講釈を思ひ出して笑つて仕舞ふ。でなければ馬鹿にされた様な気がする。代助に至つては、学校のみならず、現に自分の父から、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭の中に起した。代助はそれを恨めしく思つてゐる位であつた。  代助は此前梅子に礼を云ひに行つた時、梅子から一寸奥へ行つて、挨拶をしてゐらつしやいと注意された。代助は笑ひながら御父さんはゐるんですかと空とぼけた。ゐらつしやるわと云ふ確答を得た時でも、今日はちと急ぐから廃さうと帰つて来た。 九の二  今日はわざ/\其為に来たのだから、否でも応でも父に逢はなければならない。相変らず、内玄関の方から廻つて座敷へ来ると、珍らしく兄の誠吾が胡坐をかいて、酒を呑んでゐた。梅子も傍に坐つてゐた。兄は代助を見て、 「何うだ、一盃遣らないか」と、前にあつた葡萄酒の壜を持つて振つて見せた。中にはまだ余程這入つてゐた。梅子は手を敲いて洋盞を取り寄せた。 「当てゝ御覧なさい。どの位古いんだか」と一杯注いだ。 「代助に分るものか」と云つて、誠吾は弟の唇のあたりを眺めてゐた。代助は一口飲んで盃を下へ下した。肴の代りに薄いウエーファーが菓子皿にあつた。 「旨いですね」と云つた。 「だから時代を当てゝ御覧なさいよ」 「時代があるんですか。偉いものを買ひ込んだもんだね。帰りに一本貰つて行かう」 「御生憎様、もう是限なの。到来物よ」と云つて梅子は椽側へ出て、膝の上に落ちたウエーフアーの粉を払いた。 「兄さん、今日は何うしたんです。大変気楽さうですね」と代助が聞いた。 「今日は休養だ。此間中は何うも忙し過て降参したから」と誠吾は火の消えた葉巻を口に啣えた。代助は自分の傍にあつた燐寸を擦つて遣つた。 「代さん貴方こそ気楽ぢやありませんか」と云ひながら梅子が椽側から帰つて来た。 「姉さん歌舞伎座へ行きましたか。まだなら、行つて御覧なさい。面白いから」 「貴方もう行つたの、驚ろいた。貴方も余っ程怠けものね」 「怠けものは可くない。勉強の方向が違ふんだから」 「押の強い事ばかり云つて。人の気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾は赤い瞼をして、ぽかんと葉巻の烟を吹いてゐた。 「ねえ、貴方」と梅子が催促した。誠吾はうるささうに葉巻を指の股へ移して、 「今のうち沢山勉強して貰つて置いて、今に此方が貧乏したら、救つて貰ふ方が好いぢやないか」と云つた。梅子は、 「代さん、あなた役者になれて」と聞いた。代助は何にも云はずに、洋盞を姉の前に出した。梅子も黙つて葡萄酒の壜を取り上げた。 「兄さん、此間中は何だか大変忙しかつたんだつてね」と代助は前へ戻つて聞いた。 「いや、もう大弱りだ」と云ひながら、誠吾は寐転んで仕舞つた。 「何か日糖事件に関係でもあつたんですか」と代助が聞いた。 「日糖事件に関係はないが、忙しかつた」  兄の答は何時でも此程度以上に明瞭になつた事がない。実は明瞭に話したくないんだらうけれども、代助の耳には、夫が本来の無頓着で、話すのが臆怯なためと聞える。だから代助はいつでも楽に其返事の中に這入てゐた。 「日糖も詰らない事になつたが、あゝなる前に何うか方法はないもんでせうかね」 「左うさなあ。実際世の中の事は、何が何うなるんだか分らないからな。――梅、今日は直木に云ひ付けて、ヘクターを少し運動させなくつちや不可いよ。あゝ大食をして寐て許ゐちや毒だ」と誠吾は眠さうな瞼を指でしきりに擦つた。代助は、 「愈奥へ行つて御父さんに叱られて来るかな」と云ひながら又洋盞を嫂の前へ出した。梅子は笑つて酒を注いだ。 「嫁の事か」と誠吾が聞いた。 「まあ、左うだらうと思ふんです」 「貰つて置くがいゝ。さう老人に心配さしたつて仕様があるものか」と云つたが、今度はもつと判然した語勢で、 「気を付けないと不可よ。少し低気圧が来てゐるから」と注意した。代助は立ち掛けながら、 「まさか此間中の奔走からきた低気圧ぢやありますまいね」と念を押した。兄は寐転んだ儘、 「何とも云へないよ。斯う見えて、我々も日糖の重役と同じ様に、何時拘引されるか分らない身体なんだから」と云つた。 「馬鹿な事を仰しやるなよ」と梅子が窘めた。 「矢っ張り僕ののらくらが持ち来たした低気圧なんだらう」と代助は笑ひながら立つた。 九の三  廊下伝ひに中庭を越して、奥へ来て見ると、父は唐机の前へ坐つて、唐本を見てゐた。父は詩が好で、閑があると折々支那人の詩集を読んでゐる。然し時によると、それが尤も機嫌のわるい索引になる事があつた。さう云ふときは、いかに神経のふつくら出来上つた兄でも、成るべく近寄らない事にしてゐた。是非顔を合せなければならない場合には、誠太郎か、縫子か、何方か引張て父の前へ出る手段を取つてゐた。代助も椽側迄来て、そこに気が付いたが、夫程の必要もあるまいと思つて、座敷を一つ通り越して、父の居間に這入つた。  父はまづ眼鏡を外した。それを読み掛けた書物の上に置くと、代助の方に向き直つた。さうして、たゞ一言、 「来たか」と云つた。其語調は平常よりも却つて穏な位であつた。代助は膝の上に手を置きながら、兄が真面目な顔をして、自分を担いたんぢやなからうかと考へた。代助はそこで又苦い茶を飲ませられて、しばらく雑談に時を移した。今年は芍薬の出が早いとか、茶摘歌を聞いてゐると眠くなる時候だとか、何所とかに、大きな藤があつて、其花の長さが四尺足らずあるとか、話は好加減な方角へ大分長く延びて行つた。代助は又其方が勝手なので、いつ迄も延ばす様にと、後から後を付けて行つた。父も仕舞には持て余して、とう/\、時に今日御前を呼んだのはと云ひ出した。  代助はそれから後は、一言も口を利かなくなつた。只謹んで親爺の云ふことを聴いてゐた。父も代助から斯う云ふ態度に出られると、長い間自分一人で、講義でもする様に、述べて行かなくてはならなかつた。然し其半分以上は、過去を繰り返す丈であつた。が代助はそれを、始めて聞くと同程度の注意を払つて聞いてゐた。  父の長談義のうちに、代助は二三の新しい点も認めた。その一つは、御前は一体是からさき何うする料簡なんだと云ふ真面目な質問であつた。代助は今迄父からの注文ばかり受けてゐた。だから、其注文を曖昧に外す事に慣れてゐた。けれども、斯う云ふ大質問になると、さう口から出任せに答へられない。無暗な事を云へば、すぐ父を怒らして仕舞ふからである。と云つて正直を自白すると、二三年間父の頭を教育した上でなくつては、通じない理窟になる。何故と云ふと、代助は今此大質問に応じて、自分の未来を明瞭に道破る丈の考も何も有つてゐなかつたからである。彼はそれが自分に取つては尤もな所だと思つてゐた。から、父が、其通りを聞いて、成程と納得する迄には、大変な時間がかゝる。或は生涯通じつこないかも知れない。父の気に入る様にするのは、何でも、国家の為とか、天下の為とか、景気の好い事を、しかも結婚と両立しない様な事を、述べて置けば済むのであるが、代助は如何に、自己を侮辱する気になつても、是ばかりは馬鹿気てゐて、口へ出す勇気がなかつた。そこで已を得ないから、実は色々計画もあるが、いづれ秩序立てゝ来て、御相談をする積であると答へた。答へた後で、実に滑稽だと思つたが仕方がなかつた。  代助は次に、独立の出来る丈の財産が欲しくはないかと聞かれた。代助は無論欲しいと答へた。すると、父が、では佐川の娘を貰つたら好からうと云ふ条件を付けた。其財産は佐川の娘が持つて来るのか、又は父が呉れるのか甚だ曖昧であつた。代助は少し其点に向つて進んで見たが、遂に要領を得なかつた。けれども、それを突き留める必要がないと考へて已めた。  次に、一層洋行する気はないかと云はれた。代助は好いでせうと云つて賛成した。けれども、これにも、矢っ張り結婚が先決問題として出て来た。 「そんなに佐川の娘を貰ふ必要があるんですか」と代助が仕舞に聞いた。すると父の顔が赤くなつた。 九の四  代助は父を怒らせる気は少しもなかつたのである。彼の近頃の主義として、人と喧嘩をするのは、人間の堕落の一範鋳になつてゐた。喧嘩の一部分として、人を怒らせるのは、怒らせる事自身よりは、怒つた人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云ふ点に於て、大切なわが生命を傷ける打撃に外ならぬと心得てゐた。彼は罪悪に就ても彼れ自身に特有な考を有つてゐた。けれども、それが為に、自然の儘に振舞ひさへすれば、罰を免かれ得るとは信じてゐなかつた。人を斬つたものゝ受くる罰は、斬られた人の肉から出る血潮であると固く信じてゐた。迸しる血の色を見て、清い心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである。代助は夫程神経の鋭どい男であつた。だから顔の色を赤くした父を見た時、妙に不快になつた。けれども此罪を二重に償ふために、父の云ふ通りにしやうと云ふ気は些とも起らなかつた。彼は、一方に於て、自己の脳力に、非常な尊敬を払ふ男であつたからである。  其時父は頗る熱した語気で、先づ自分の年を取つてゐる事、子供の未来が心配になる事、子供に嫁を持たせるのは親の義務であると云ふ事、嫁の資格其他に就ては、本人よりも親の方が遥かに周到な注意を払つてゐると云ふ事、他の親切は、其当時にこそ余計な御世話に見えるが、後になると、もう一遍うるさく干渉して貰ひたい時機が来るものであるといふ事を、非常に叮嚀に説いた。代助は慎重な態度で、聴いてゐた。けれども、父の言葉が切れた時も、依然として許諾の意を表さなかつた。すると父はわざと抑えた調子で、 「ぢや、佐川は已めるさ。さうして誰でも御前の好なのを貰つたら好いだらう。誰か貰ひたいのがあるのか」と云つた。是は嫂の質問と同様であるが、代助は梅子に対する様に、たゞ苦笑ばかりしてはゐられなかつた。 「別にそんな貰ひたいのもありません」と明らかな返事をした。すると父は急に肝の発した様な声で、 「ぢや、少しは此方の事も考へて呉れたら好からう。何もさう自分の事ばかり思つてゐないでも」と急調子に云つた。代助は、突然父が代助を離れて、彼自身の利害に飛び移つたのに驚ろかされた。けれども其驚ろきは、論理なき急劇の変化の上に注がれた丈であつた。 「貴方にそれ程御都合が好い事があるなら、もう一遍考へて見ませう」と答へた。  父は益機嫌をわるくした。代助は人と応対してゐる時、何うしても論理を離れる事の出来ない場合がある。夫が為め、よく人から、相手を遣り込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云ふと、彼程人を遣り込める事の嫌な男はないのである。 「何も己の都合許で、嫁を貰へと云つてやしない」と父は前の言葉を訂正した。「そんなに理窟を云ふなら、参考の為、云つて聞かせるが、御前はもう三十だらう、三十になつて、普通のものが結婚をしなければ、世間では何と思ふか大抵分るだらう。そりや今は昔と違ふから、独身も本人の随意だけれども、独身の為に親や兄弟が迷惑したり、果は自分の名誉に関係する様な事が出来したりしたら何うする気だ」  代助はたゞ茫然として父の顔を見てゐた。父は何の点に向つて、自分を刺した積りだか、代助には殆んど分らなかつたからである。しばらくして、 「そりや私のことだから少しは道楽もしますが……」と云ひかけた。父はすぐ夫を遮ぎつた。 「そんな事ぢやない」  二人は夫限りしばらく口を利かずにゐた。父は此沈黙を以て代助に向つて与へた打撃の結果と信じた。やがて、言葉を和らげて、 「まあ、よく考へて御覧」と云つた。代助ははあと答へて、父の室を退ぞいた。座敷へ来て兄を探したが見えなかつた。嫂はと尋ねたら、客間だと下女が教へたので、行つて戸を明けて見ると、縫子のピヤノの先生が来てゐた。代助は先生に一寸挨拶をして、梅子を戸口迄呼び出した。 「あなたは僕の事を何か御父さんに讒訴しやしないか」  梅子はハヽヽヽと笑つた。さうして、 「まあ御這入んなさいよ。丁度好い所だから」と云つて、代助を楽器の傍迄引張つて行つた。 十の一  蟻の座敷へ上がる時候になつた。代助は大きな鉢へ水を張つて、其中に真白なリリー、オフ、ゼ、レーを茎ごと漬けた。簇がる細かい花が、濃い模様の縁を隠した。鉢を動かすと、花が零れる。代助はそれを大きな字引の上に載せた。さうして、其傍に枕を置いて仰向けに倒れた。黒い頭が丁度鉢の陰になつて、花から出る香が、好い具合に鼻に通つた。代助は其香を嗅ぎながら仮寐をした。  代助は時々尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。それが劇しくなると、晴天から来る日光の反射にさへ堪へ難くなる事があつた。さう云ふ時には、成る可く世間との交渉を稀薄にして、朝でも午でも構はず寐る工夫をした。其手段には、極めて淡い、甘味の軽い、花の香をよく用ひた。瞼を閉ぢて、瞳に落ちる光線を謝絶して、静かに鼻の穴丈で呼吸してゐるうちに、枕元の花が、次第に夢の方へ、躁ぐ意識を吹いて行く。是が成功すると、代助の神経が生れ代つた様に落ち付いて、世間との連絡が、前よりは比較的楽に取れる。  代助は父に呼ばれてから二三日の間、庭の隅に咲いた薔薇の花の赤いのを見るたびに、それが点々として眼を刺してならなかつた。其時は、いつでも、手水鉢の傍にある、擬宝珠の葉に眼を移した。其葉には、放肆な白い縞が、三筋か四筋、長く乱れてゐた。代助が見るたびに、擬宝珠の葉は延びて行く様に思はれた。さうして、それと共に白い縞も、自由に拘束なく、延びる様な気がした。柘榴の花は、薔薇よりも派出に且つ重苦しく見えた。緑の間にちらり/\と光つて見える位、強い色を出してゐた。従つて是も代助の今の気分には相応らなかつた。  彼の今の気分は、彼に時々起る如く、総体の上に一種の暗調を帯びてゐた。だから余りに明る過るものに接すると、其矛盾に堪えがたかつた。擬宝珠の葉も長く見詰めてゐると、すぐ厭になる位であつた。  其上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれ出した。其不安は人と人との間に信仰がない源因から起る野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質であつた。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、神のある国では、人が嘘を吐くものと極めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるといふ事を発見した。さうして、彼は之を一に日本の経済事情に帰着せしめた。  四五日前、彼は掏摸と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人や二人ではなかつた。他の新聞の記す所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥るかも知れないさうである。代助は其記事を読んだとき、たゞ苦笑した丈であつた。さうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思つた。  代助が父に逢つて、結婚の相談を受けた時も、少し是と同様の気がした。が、これはたゞ父に信仰がない所から起る、代助に取つて不幸な暗示に過ぎなかつた。さうして代助は自分の心のうちに、かゝる忌はしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかつた。それが事実となつて眼前にあらはれても、矢張り父を尤もだと肯ふ積りだつたからである。  代助は平岡に対しても同様の感じを抱いてゐた。然し平岡に取つては、それが当然な事であると許してゐた。たゞ平岡を好く気になれない丈であつた。代助は兄を愛してゐた。けれども其兄に対しても矢張り信仰は有ち得なかつた。嫂は実意のある女であつた。然し嫂は、直接生活の難関に当らない丈、それ丈兄よりも近付き易いのだと考へてゐた。  代助は平生から、此位に世の中を打遣つてゐた。だから、非常な神経質であるにも拘はらず、不安の念に襲はれる事は少なかつた。さうして、自分でもそれを自覚してゐた。夫が、何う云ふ具合か急に揺き出した。代助は之を生理上の変化から起るのだらうと察した。そこである人が北海道から採つて来たと云つて呉れたリリー、オフ、ゼ、レーの束を解いて、それを悉く水の中に浸して、其下に寐たのである。 十の二  一時間の後、代助は大きな黒い眼を開いた。其眼は、しばらくの間一つ所に留まつて全く動かなかつた。手も足も寐てゐた時の姿勢を少しも崩さずに、丸で死人のそれの様であつた。其時一匹の黒い蟻が、ネルの襟を伝はつて、代助の咽喉に落ちた。代助はすぐ右の手を動かして咽喉を抑へた。さうして、額に皺を寄せて、指の股に挟んだ小さな動物を、鼻の上迄持つて来て眺めた。其時蟻はもう死んでゐた。代助は人指指の先に着いた黒いものを、親指の爪で向へ弾いた。さうして起き上がつた。  膝の周囲に、まだ三四匹這つてゐたのを、薄い象牙の紙小刀で打ち殺した。それから手を叩いて人を呼んだ。 「御目醒ですか」と云つて、門野が出て来た。 「御茶でも入れて来ませうか」と聞いた。代助は、はだかつた胸を掻き合せながら、 「君、僕の寐てゐるうちに、誰か来やしなかつたかね」と、静かな調子で尋ねた。 「えゝ、御出でした。平岡の奥さんが。よく御存じですな」と門野は平気に答へた。 「何故起さなかつたんだ」 「余まり能く御休でしたからな」 「だつて御客なら仕方がないぢやないか」  代助の語勢は少し強くなつた。 「ですがな。平岡の奥さんの方で、起さない方が好いつて、仰しやつたもんですからな」 「それで、奥さんは帰つて仕舞つたのか」 「なに帰つて仕舞つたと云ふ訳でもないんです。一寸神楽坂に買物があるから、それを済まして又来るからつて、云はれるもんですからな」 「ぢや又来るんだね」 「さうです。実は御目覚になる迄待つてゐやうかつて、此座敷迄上つて来られたんですが、先生の顔を見て、あんまり善く寐てゐるもんだから、こいつは、容易に起きさうもないと思つたんでせう」 「また出て行つたのかい」 「えゝ、まあ左うです」  代助は笑ひながら、両手で寐起の顔を撫でた。さうして風呂場へ顔を洗ひに行つた。頭を濡らして、椽側迄帰つて来て、庭を眺めてゐると、前よりは気分が大分晴々した。曇つた空を燕が二羽飛んでゐる様が大いに愉快に見えた。  代助は此前平岡の訪問を受けてから、心待に、後から三千代の来るのを待つてゐた。けれども、平岡の言葉は遂に事実として現れて来なかつた。特別の事情があつて、三千代がわざと来ないのか、又は平岡が始めから御世辞を使つたのか、疑問であるが、それがため、代助は心の何処かに空虚を感じてゐた。然し彼は此空虚な感じを、一つの経験として日常生活中に見出した迄で、其原因をどうするの、斯うするのと云ふ気はあまりなかつた。此経験自身の奥を覗き込むと、それ以上に暗い影がちらついてゐる様に思つたからである。  それで彼は進んで平岡を訪問するのを避けてゐた。散歩のとき彼の足は多く江戸川の方角に向いた。桜の散る時分には、夕暮の風に吹かれて、四つの橋を此方から向へ渡り、向から又此方へ渡り返して、長い堤を縫ふ様に歩いた。が其桜はとくに散て仕舞つて、今は緑蔭の時節になつた。代助は時々橋の真中に立つて、欄干に頬杖を突いて、茂る葉の中を、真直に通つてゐる、水の光を眺め尽して見る。それから其光の細くなつた先の方に、高く聳える目白台の森を見上て見る。けれども橋を向へ渡つて、小石川の坂を上る事はやめにして帰る様になつた。ある時彼は大曲の所で、電車を下る平岡の影を半町程手前から認めた。彼は慥に左様に違ないと思つた。さうして、すぐ揚場の方へ引き返した。  彼は平岡の安否を気にかけてゐた。まだ坐食の不安な境遇に居るに違ないとは思ふけれども、或は何の方面かへ、生活の行路を切り開く手掛りが出来たかも知れないとも想像して見た。けれども、それを確める為に、平岡の後を追ふ気にはなれなかつた。彼は平岡に面するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になつた。と云つて、たゞ三千代の為にのみ、平岡の位地を心配する程、平岡を悪んでもゐなかつた。平岡の為にも、矢張り平岡の成功を祈る心はあつたのである。 十の三  斯んな風に、代助は空虚なるわが心の一角を抱いて今日に至つた。いま先方門野を呼んで括り枕を取り寄せて、午寐を貪ぼつた時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなつた頭を、出来るならば、蒼い色の付いた、深い水の中に沈めたい位に思つた。それ程彼は命を鋭く感じ過ぎた。従つて熱い頭を枕へ着けた時は、平岡も三千代も、彼に取つて殆んど存在してゐなかつた。彼は幸にして涼しい心持に寐た。けれども其穏やかな眠のうちに、誰かすうと来て、又すうと出て行つた様な心持がした。眼を醒まして起き上がつても其感じがまだ残つてゐて、頭から拭ひ去る事が出来なかつた。それで門野を呼んで、寐てゐる間に誰か来はしないかと聞いたのである。  代助は両手を額に当てゝ、高い空を面白さうに切つて廻る燕の運動を椽側から眺めてゐたが、やがて、それが眼ま苦しくなつたので、室の中に這入つた。けれども、三千代が又訪ねて来ると云ふ目前の予期が、既に気分の平調を冒してゐるので、思索も読書も殆んど手に着かなかつた。代助は仕舞に本棚の中から、大きな画帖を出して来て、膝の上に広げて、繰り始めた。けれども、それも、只指の先で順々に開けて行く丈であつた。一つ画を半分とは味はつてゐられなかつた。やがてブランギンの所へ来た。代助は平生から此装飾画家に多大の趣味を有つてゐた。彼の眼は常の如く輝を帯びて、一度は其上に落ちた。それは何処かの港の図であつた。背景に船と檣と帆を大きく描いて、其余つた所に、際立つて花やかな空の雲と、蒼黒い水の色をあらはした前に、裸体の労働者が四五人ゐた。代助は是等の男性の、山の如くに怒らした筋肉の張り具合や、彼等の肩から脊へかけて、肉塊と肉塊が落ち合つて、其間に渦の様な谷を作つてゐる模様を見て、其所にしばらく肉の力の快感を認めたが、やがて、画帖を開けた儘、眼を放して耳を立てた。すると勝手の方で婆さんの声がした。それから牛乳配達が空壜を鳴らして急ぎ足に出て行つた。宅のうちが静かなので、鋭どい代助の聴神経には善く応へた。  代助はぼんやり壁を見詰めてゐた。門野をもう一返呼んで、三千代が又くる時間を、云ひ置いて行つたか何うか尋ねやうと思つたが、あまり愚だから憚かつた。それ許ではない、人の細君が訪ねて来るのを、それ程待ち受ける趣意がないと考へた。又それ程待ち受ける位なら、此方から何時でも行つて話をすべきであると考へた。此矛盾の両面を双対に見た時、代助は急に自己の没論理に恥ぢざるを得なかつた。彼の腰は半ば椅子を離れた。けれども彼はこの没論理の根底に横はる色々の因数を自分で善く承知してゐた。さうして、今の自分に取つては、この没論理の状態が、唯一の事実であるから仕方ないと思つた。且、此事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題を繋ぎ合はして出来上つた、自己の本体を蔑視する、形式に過ぎないと思つた。さう思つて又椅子へ腰を卸した。  それから三千代の来る迄、代助はどんな風に時を過したか、殆んど知らなかつた。表に女の声がした時、彼は胸に一鼓動を感じた。彼は論理に於て尤も強い代りに、心臓の作用に於て尤も弱い男であつた。彼が近来怒れなくなつたのは、全く頭の御蔭で、腹を立てる程自分を馬鹿にすることを、理智が許さなくなつたからである。が其他の点に於ては、尋常以上に情緒の支配を受けるべく余儀なくされてゐた。取次に出た門野が足音を立てゝ、書斎の入口にあらはれた時、血色のいゝ代助の頬は微かに光沢を失つてゐた。門野は、 「此方にしますか」と甚だ簡単に代助の意向を確めた。座敷へ案内するか、書斎で逢ふかと聞くのが面倒だから、斯う詰めて仕舞つたのである。代助はうんと云つて、入口に返事を待つてゐた門野を追ひ払ふ様に、自分で立つて行つて、椽側へ首を出した。三千代は椽側と玄関の継目の所に、此方を向いてためらつて居た。 十の四  三千代の顔は此前逢つた時よりは寧ろ蒼白かつた。代助に眼と顎で招かれて書斎の入口へ近寄つた時、代助は三千代の息を喘ましてゐることに気が付いた。 「何うかしましたか」と聞いた。  三千代は何にも答へずに室の中に這入て来た。セルの単衣の下に襦袢を重ねて、手に大きな白い百合の花を三本許提げてゐた。其百合をいきなり洋卓の上に投げる様に置いて、其横にある椅子へ腰を卸した。さうして、結つた許の銀杏返を、構はず、椅子の脊に押し付けて、 「あゝ苦しかつた」と云ひながら、代助の方を見て笑つた。代助は手を叩いて水を取り寄せ様とした。三千代は黙つて洋卓の上を指した。其所には代助の食後の嗽をする硝子の洋盃があつた。中に水が二口許残つてゐた。 「奇麗なんでせう」と三千代が聞いた。 「此奴は先刻僕が飲んだんだから」と云つて、洋盃を取り上げたが、躇した。代助の坐つてゐる所から、水を棄てやうとすると、障子の外に硝子戸が一枚邪魔をしてゐる。門野は毎朝椽側の硝子戸を一二枚宛開けないで、元の通りに放つて置く癖があつた。代助は席を立つて、椽へ出て、水を庭へ空けながら、門野を呼んだ。今ゐた門野は何処へ行つたか、容易に返事をしなかつた。代助は少しまごついて、又三千代の所へ帰つて来て、 「今すぐ持つて来て上げる」と云ひながら、折角空けた洋盃を其儘洋卓の上に置いたなり、勝手の方へ出て行つた。茶の間を通ると、門野は無細工な手をして錫の茶壺から玉露を撮み出してゐた。代助の姿を見て、 「先生、今直です」と言訳をした。 「茶は後でも好い。水が要るんだ」と云つて、代助は自分で台所へ出た。 「はあ、左様ですか。上がるんですか」と茶壺を放り出して門野も付いて来た。二人で洋盃を探したが一寸見付からなかつた。婆さんはと聞くと、今御客さんの菓子を買ひに行つたといふ答であつた。 「菓子がなければ、早く買つて置けば可いのに」と代助は水道の栓を捩つて湯呑に水を溢らせながら云つた。 「つい、小母さんに、御客さんの呉る事を云つて置かなかつたものですからな」と門野は気の毒さうに頭を掻いた。 「ぢや、君が菓子を買に行けば可いのに」と代助は勝手を出ながら、門野に当つた。門野はそれでも、まだ、返事をした。 「なに菓子の外にも、まだ色々買物があるつて云ふもんですからな。足は悪し天気は好くないし、廃せば好いんですのに」  代助は振り向きもせず、書斎へ戻つた。敷居を跨いで、中へ這入るや否や三千代の顔を見ると、三千代は先刻代助の置いて行つた洋盃を膝の上に両手で持つてゐた。其洋盃の中には、代助が庭へ空けたと同じ位に水が這入つてゐた。代助は湯呑を持つた儘、茫然として、三千代の前に立つた。 「何うしたんです」と聞いた。三千代は例の通り落ち付いた調子で、 「難有う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だつたから」と答へて、リリー、オフ、ゼ、レーの漬けてある鉢を顧みた。代助は此大鉢の中に水を八分目程張つて置いた。妻楊枝位な細い茎の薄青い色が、水の中に揃つてゐる間から、陶器の模様が仄かに浮いて見えた。 「何故あんなものを飲んだんですか」と代助は呆れて聞いた。 「だつて毒ぢやないでせう」と三千代は手に持つた洋盃を代助の前へ出して、透かして見せた。 「毒でないつたつて、もし二日も三日も経つた水だつたら何うするんです」 「いえ、先刻来た時、あの傍迄顔を持つて行つて嗅いで見たの。其時、たつた今其鉢へ水を入れて、桶から移した許だつて、あの方が云つたんですもの。大丈夫だわ。好い香ね」  代助は黙つて椅子へ腰を卸した。果して詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかつた。よし前者とした所で、詩を衒つて、小説の真似なぞをした受売の所作とは認められなかつたからである。そこで、たゞ、 「気分はもう好くなりましたか」と聞いた。 十の五  三千代の頬に漸やく色が出て来た。袂から手帛を取り出して、口の辺を拭きながら話を始めた。――大抵は伝通院前から電車へ乗つて本郷迄買物に出るんだが、人に聞いて見ると、本郷の方は神楽坂に比べて、何うしても一割か二割物が高いと云ふので、此間から一二度此方の方へ出て来て見た。此前も寄る筈であつたが、つい遅くなつたので急いで帰つた。今日は其積で早く宅を出た。が、御息み中だつたので、又通り迄行つて買物を済まして帰り掛けに寄る事にした。所が天気模様が悪くなつて、藁店を上がり掛けるとぽつ/\降り出した。傘を持つて来なかつたので、濡れまいと思つて、つい急ぎ過ぎたものだから、すぐ身体に障つて、息が苦しくなつて困つた。―― 「けれども、慣れつこに為てるんだから、驚ろきやしません」と云つて、代助を見て淋しい笑ひ方をした。 「心臓の方は、まだ悉皆善くないんですか」と代助は気の毒さうな顔で尋ねた。 「悉皆善くなるなんて、生涯駄目ですわ」  意味の絶望な程、三千代の言葉は沈んでゐなかつた。繊い指を反して穿めてゐる指環を見た。それから、手帛を丸めて、又袂へ入れた。代助は眼を俯せた女の額の、髪に連なる所を眺めてゐた。  すると、三千代は急に思ひ出した様に、此間の小切手の礼を述べ出した。其時何だか少し頬を赤くした様に思はれた。視感の鋭敏な代助にはそれが善く分つた。彼はそれを、貸借に関係した羞恥の血潮とのみ解釈した。そこで話をすぐ他所へ外した。  先刻三千代が提げて這入て来た百合の花が、依然として洋卓の上に載つてゐる。甘たるい強い香が二人の間に立ちつゝあつた。代助は此重苦しい刺激を鼻の先に置くに堪へなかつた。けれども無断で、取り除ける程、三千代に対して思ひ切つた振舞が出来なかつた。 「此花は何うしたんです。買て来たんですか」と聞いた。三千代は黙つて首肯いた。さうして、 「好い香でせう」と云つて、自分の鼻を、瓣の傍迄持つて来て、ふんと嗅いで見せた。代助は思はず足を真直に踏ん張つて、身を後の方へ反らした。 「さう傍で嗅いぢや不可ない」 「あら何故」 「何故つて理由もないんだが、不可ない」  代助は少し眉をひそめた。三千代は顔をもとの位地に戻した。 「貴方、此花、御嫌なの?」  代助は椅子の足を斜に立てゝ、身体を後へ伸した儘、答へをせずに、微笑して見せた。 「ぢや、買つて来なくつても好かつたのに。詰らないわ、回り路をして。御負に雨に降られ損なつて、息を切らして」  雨は本当に降つて来た。雨滴が樋に集まつて、流れる音がざあと聞えた。代助は椅子から立ち上がつた。眼の前にある百合の束を取り上げて、根元を括つた濡藁をり切つた。 「僕に呉れたのか。そんなら早く活けやう」と云ひながら、すぐ先刻の大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水を跳ねて、飛び出しさうになる。代助は滴る茎を又鉢から抜いた。さうして洋卓の引出から西洋鋏を出して、ぷつり/\と半分程の長さに剪り詰めた。さうして、大きな花を、リリー、オフ、ゼ、レーの簇がる上に浮かした。 「さあ是で好い」と代助は鋏を洋卓の上に置いた。三千代は此不思議に無作法に活けられた百合を、しばらく見てゐたが、突然、 「あなた、何時から此花が御嫌になつたの」と妙な質問をかけた。  昔し三千代の兄がまだ生きてゐる時分、ある日何かのはづみに、長い百合を買つて、代助が谷中の家を訪ねた事があつた。其時彼は三千代に危しげな花瓶の掃除をさして、自分で、大事さうに買つて来た花を活けて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向直つて眺めさした事があつた。三千代はそれを覚えてゐたのである。 「貴方だつて、鼻を着けて嗅いで入らしつたぢやありませんか」と云つた。代助はそんな事があつた様にも思つて、仕方なしに苦笑した。 十の六  そのうち雨は益深くなつた。家を包んで遠い音が聴えた。門野が出て来て、少し寒い様ですな、硝子戸を閉めませうかと聞いた。硝子戸を引く間、二人は顔を揃えて庭の方を見てゐた。青い木の葉が悉く濡れて、静かな湿り気が、硝子越に代助の頭に吹き込んで来た。世の中の浮いてゐるものは残らず大地の上に落ち付いた様に見えた。代助は久し振りで吾に返つた心持がした。 「好い雨ですね」と云つた。 「些とも好かないわ、私、草履を穿いて来たんですもの」  三千代は寧ろ恨めしさうに樋から洩る雨点を眺めた。 「帰りには車を云ひ付けて上げるから可いでせう。緩りなさい」  三千代はあまり緩り出来さうな様子も見えなかつた。まともに、代助の方を見て、 「貴方も相変らず呑気な事を仰しやるのね」と窘めた。けれども其眼元には笑の影が泛んでゐた。  今迄三千代の陰に隠れてぼんやりしてゐた平岡の顔が、此時明らかに代助の心の瞳に映つた。代助は急に薄暗がりから物に襲はれた様な気がした。三千代は矢張り、離れ難い黒い影を引き摺つて歩いてゐる女であつた。 「平岡君は何うしました」とわざと何気なく聞いた。すると三千代の口元が心持締つて見えた。 「相変らずですわ」 「まだ何にも見付らないんですか」 「その方はまあ安心なの。来月から新聞の方が大抵出来るらしいんです」 「そりや好かつた。些とも知らなかつた。そんなら当分夫で好いぢやありませんか」 「えゝ、まあ難有いわ」と三千代は低い声で真面目に云つた。代助は、其時三千代を大変可愛く感じた。引き続いて、 「彼方の方は差し当り責められる様な事もないんですか」と聞いた。 「彼方の方つて――」と少し逡巡つてゐた三千代は、急に顔を赧らめた。 「私、実は今日夫で御詫に上つたのよ」と云ひながら、一度俯向いた顔を又上げた。  代助は少しでも気不味い様子を見せて、此上にも、女の優しい血潮を動かすに堪えなかつた。同時に、わざと向ふの意を迎へる様な言葉を掛けて、相手を殊更に気の毒がらせる結果を避けた。それで静かに三千代の云ふ所を聴いた。  先達ての二百円は、代助から受取るとすぐ借銭の方へ回す筈であつたが、新らしく家を持つた為、色々入費が掛つたので、つい其方の用を、あのうちで幾分か弁じたのが始りであつた。あとはと思つてゐると、今度は毎日の活計に追はれ出した。自分ながら好い心持はしなかつたけれども、仕方なしに困るとは使ひ、困るとは使して、とう/\荒増亡くして仕舞つた。尤もさうでもしなければ、夫婦は今日迄斯うして暮らしては行けなかつたのである。今から考へて見ると、一層の事無ければ無いなりに、何うか斯うか工面も付いたかも知れないが、なまじい、手元に有つたものだから、苦し紛れに、急場の間に合はして仕舞つたので、肝心の証書を入れた借銭の方は、いまだに其儘にしてある。是は寧ろ平岡の悪いのではない。全く自分の過である。 「私、本当に済まない事をしたと思つて、後悔してゐるのよ。けれども拝借するときは、決して貴方を瞞して嘘を吐く積ぢやなかつたんだから、堪忍して頂戴」と三千代は甚だ苦しさうに言訳をした。 「何うせ貴方に上げたんだから、何う使つたつて、誰も何とも云ふ訳はないでせう。役にさへ立てば夫で好いぢやありませんか」と代助は慰めた。さうして貴方といふ字をことさらに重く且つ緩く響かせた。三千代はたゞ、 「私、夫で漸く安心したわ」と云つた丈であつた。  雨が頻なので、帰るときには約束通り車を雇つた。寒いので、セルの上へ男の羽織を着せやうとしたら、三千代は笑つて着なかつた。 十一の一  何時の間にか、人が絽の羽織を着て歩く様になつた。二三日、宅で調物をして庭先より外に眺めなかつた代助は、冬帽を被つて表へ出て見て、急に暑さを感じた。自分もセルを脱がなければならないと思つて、五六町歩くうちに、袷を着た人に二人出逢つた。左様かと思ふと新らしい氷屋で書生が洋盃を手にして、冷たさうなものを飲んでゐた。代助は其時誠太郎を思ひ出した。  近頃代助は元よりも誠太郎が好きになつた。外の人間と話してゐると、人間の皮と話す様で歯痒くつてならなかつた。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も相手を歯痒がらせる様に拵えられてゐた。是も長年生存競争の因果に曝された罰かと思ふと余り難有い心持はしなかつた。  此頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがつてゐるが、それは、全く此間浅草の奥山へ一所に連れて行つた結果である。あの一図な所はよく、嫂の気性を受け継いでゐる。然し兄の子丈あつて、一図なうちに、何処か逼らない鷹揚な気象がある。誠太郎の相手をしてゐると、向ふの魂が遠慮なく此方へ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であつた。  誠太郎は此春から中学校へ行き出した。すると急に脊丈が延びて来る様に思はれた。もう一二年すると声が変る。それから先何んな径路を取つて、生長するか分らないが、到底人間として、生存する為には、人間から嫌はれると云ふ運命に到着するに違ない。其時、彼は穏やかに人の目に着かない服装をして、乞食の如く、何物をか求めつゝ、人の市をうろついて歩くだらう。  代助は堀端へ出た。此間迄向の土手にむら躑躅が、団団と紅白の模様を青い中に印してゐたのが、丸で跡形もなくなつて、のべつに草が生い茂つてゐる高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、何処迄もつゞいてゐる。空は奇麗に晴れた。代助は電車に乗つて、宅へ行つて、嫂に調戯つて、誠太郎と遊ばうと思つたが、急に厭になつて、此松を見ながら、草臥る所迄堀端を伝つて行く気になつた。  新見付へ来ると、向から来たり、此方から行つたりする電車が苦になり出したので、堀を横切つて、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐる/\回つて歩いてゐるうちに、かく目的なしに歩いてゐる事が、不意に馬鹿らしく思はれた。目的があつて歩くものは賤民だと、彼は平生から信じてゐたのであるけれども、此場合に限つて、其賤民の方が偉い様な気がした。全たく、又アンニユイに襲はれたと悟つて、帰りだした。神楽坂へかゝると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしてゐた。其音が甚しく金属性の刺激を帯びてゐて、大いに代助の頭に応へた。  家の門を這入ると、今度は門野が、主人の留守を幸ひと、大きな声で琵琶歌をうたつてゐた。夫でも代助の足音を聞いて、ぴたりと已めた。 「いや、御早うがしたな」と云つて玄関へ出て来た。代助は何にも答へずに、帽子を其所へ掛けた儘、椽側から書斎へ這入つた。さうして、わざ/\障子を締め切つた。つゞいて湯呑に茶を注いで持つて来た門野が、 「締めときますか。暑かありませんか」と聞いた。代助は袂から手帛を出して額を拭いてゐたが、矢っ張り、 「締めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締めて出て行つた。代助は暗くした室のなかに、十分許ぽかんとしてゐた。  彼は人の羨やむ程光沢の好い皮膚と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を有つた男であつた。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかつた位、健康に於て幸福を享けてゐた。彼はこれでこそ、生甲斐があると信じてゐたのだから、彼の健康は、彼に取つて、他人の倍以上に価値を有つてゐた。彼の頭は、彼の肉体と同じく確であつた。たゞ始終論理に苦しめられてゐたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大弓の的の様に、二重もしくは三重にかさなる様に感ずる事があつた。ことに、今日は朝から左様な心持がした。 十一の二  代助が黙然として、自己は何の為に此世の中に生れて来たかを考へるのは斯う云ふ時であつた。彼は今迄何遍も此大問題を捕へて、彼の眼前に据ゑ付けて見た。其動機は、単に哲学上の好奇心から来た事もあるし、又世間の現象が、余りに複雑な色彩を以て、彼の頭を染め付けやうと焦るから来る事もあるし、又最後には今日の如くアンニユイの結果として来る事もあるが、其都度彼は同じ結論に到着した。然し其結論は、此問題の解決ではなくつて、寧ろ其否定と異ならなかつた。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかつた。之と反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであつた。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、其人間の自由な活動を、既に生れる時に奪つたと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作つたものでなければならない。けれども、如何な本人でも、之を随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向つて発表したと同様だからである。  此根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としてゐた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考へたいから考へる。すると考へるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考へたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てゝ、活動するのは活動の堕落になる。従つて自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である。  だから、代助は今日迄、自分の脳裏に願望、嗜欲が起るたび毎に、是等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在してゐた。二個の相容れざる願望嗜欲が胸に闘ふ場合も同じ事であつた。たゞ矛盾から出る一目的の消耗と解釈してゐた。これを煎じ詰めると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動してゐたのである。さうして、他を偽らざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得てゐた。  此主義を出来る丈遂行する彼は、其遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲はれて、自分は今何の為に、こんな事をしてゐるのかと考へ出す事がある。彼が番町を散歩しながら、何故散歩しつゝあるかと疑つたのは正に是である。  其時彼は自分ながら、自分の活力の充実してゐない事に気がつく。餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自ら其行動の意義を中途で疑ふ様になる。彼はこれをアンニユイと名けてゐた。アンニユイに罹ると、彼は論理の迷乱を引き起すものと信じてゐた。彼の行為の中途に於て、何の為と云ふ、冠履顛倒の疑を起させるのは、アンニユイに外ならなかつたからである。  彼は立て切つた室の中で、一二度頭を抑えて振り動かして見た。彼は昔から今日迄の思索家の、屡繰り返した無意義な疑義を、又脳裏に拈定するに堪えなかつた。その姿のちらりと眼前に起つた時、またかと云ふ具合に、すぐ切り棄てゝ仕舞つた。同時に彼は自己の生活力の不足を劇しく感じた。従つて行為其物を目的として、円満に遂行する興味も有たなかつた。彼はたゞ一人荒野の中に立つた。茫然としてゐた。  彼は高尚な生活欲の満足を冀ふ男であつた。又ある意味に於て道義欲の満足を買はうとする男であつた。さうして、ある点へ来ると、此二つのものが火花を散らして切り結ぶ関門があると予想してゐた。それで生活欲を低い程度に留めて我慢してゐた。彼の室は普通の日本間であつた。是と云ふ程の大した装飾もなかつた。彼に云はせると、額さへ気の利いたものは掛けてなかつた。色彩として眼を惹く程に美しいのは、本棚に並べてある洋書に集められたと云ふ位であつた。彼は今此書物の中に、茫然として坐つた。良あつて、これほど寐入つた自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物を何うかしなければならぬと、思ひながら、室の中をぐる/\見廻した。それから、又ぽかんとして壁を眺めた。が、最後に、自分を此薄弱な生活から救ひ得る方法は、たゞ一つあると考へた。さうして口の内で云つた。 「矢つ張り、三千代さんに逢はなくちや不可ん」 十一の三  彼は足の進まない方角へ散歩に出たのを悔いた。もう一遍出直して、平岡の許迄行かうかと思つてゐる所へ、森川町から寺尾が来た。新らしい麦藁帽を被つて、閑静な薄い羽織を着て、暑い/\と云つて赤い顔を拭いた。 「何だつて、今時分来たんだ」と代助は愛想もなく云ひ放つた。彼と寺尾とは平生でも、この位な言葉で交際してゐたのである。 「今時分が丁度訪問に好い刻限だらう。君、又昼寐をしたな。どうも職業のない人間は、惰弱で不可ん。君は一体何の為に生れて来たのだつたかね」と云つて、寺尾は麦藁帽で、しきりに胸のあたりへ風を送つた。時候はまだ夫程暑くないのだから、此所作は頗る愛嬌を添へた。 「何の為に生れて来やうと、余計な御世話だ。夫より君こそ何しに来たんだ。又「此所十日許の間」ぢやないか、金の相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なく先へ断つた。 「君も随分礼義を知らない男だね」と寺尾は已を得ず答へた。けれども別段感情を害した様子も見えなかつた。実を云ふと、此位な言葉は寺尾に取つて、少しも無礼とは思へなかつたのである。代助は黙つて、寺尾の顔を見てゐた。それは、空しい壁を見てゐるより以上の何等の感動をも、代助に与へなかつた。  寺尾は懐から汚ない仮綴の書物を出した。 「是を訳さなけりやならないんだ」と云つた。代助は依然として黙つてゐた。 「食ふに困らないと思つて、さう無精な顔をしなくつて好からう。もう少し判然として呉れ。此方は生死の戦だ」と云つて、寺尾は小形の本をとん/\と椅子の角で二返敲いた。 「何時迄に」  寺尾は、書物の頁をさら/\と繰つて見せたが、断然たる調子で、 「二週間」と答へた後で、「何うでも斯うでも、夫迄に片付なけりや、食へないんだから仕方がない」と説明した。 「偉い勢だね」と代助は冷かした。 「だから、本郷からわざ/\遣つて来たんだ。なに、金は借りなくても好い。――貸せば猶好いが――夫より少し分らない所があるから、相談しやうと思つて」 「面倒だな。僕は今日は頭が悪くつて、そんな事は遣つてゐられないよ。好い加減に訳して置けば構はないぢやないか。どうせ原稿料は頁で呉れるんだらう」 「なんぼ、僕だつて、さう無責任な翻訳は出来ないだらうぢやないか。誤訳でも指摘されると後から面倒だあね」 「仕様がないな」と云つて、代助は矢っ張り横着な態度を維持してゐた。すると、寺尾は、 「おい」と云つた。「冗談ぢやない、君の様に、のらくら遊んでる人は、たまには其位な事でも、しなくつちや退屈で仕方がないだらう。なに、僕だつて、本の善く読める人の所へ行く気なら、わざ/\君の所迄来やしない。けれども、左んな人は君と違つて、みんな忙しいんだからな」と少しも辟易した様子を見せなかつた。代助は喧嘩をするか、相談に応ずるか何方かだと覚悟を極めた。彼の性質として、斯う云ふ相手を軽蔑する事は出来るが、怒り付ける気は出せなかつた。 「ぢや成るべく少しに仕様ぢやないか」と断つて置いて、符号の附けてある所丈を見た。代助は其書物の梗概さへ聞く勇気がなかつた。相談を受けた部分にも曖昧な所は沢山あつた。寺尾は、やがて、 「やあ、難有う」と云つて本を伏せた。 「分らない所は何する」と代助が聞いた。 「なに何かする。――誰に聞いたつて、さう善く分りやしまい。第一時間がないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如く天から極めてゐた。  相談が済むと、寺尾は例によつて、文学談を持ち出した。不思議な事に、さうなると、自己の翻訳とは違つて、いつもの通り非常に熱心になつた。代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだらうと考へて、寺尾の矛盾を可笑しく思つた。けれども面倒だから、口へは出さなかつた。  寺尾の御蔭で、代助は其日とう/\平岡へ行きはぐれて仕舞つた。 十一の四  晩食の時、丸善から小包が届いた。箸を措いて開けて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であつた。代助はそれを腋の下に抱へ込んで、書斎へ帰つた。一冊づゝ順々に取り上げて、暗いながら二三頁、捲る様に眼を通したが何処も彼の注意を惹く様な所はなかつた。最後の一冊に至つては、其名前さへ既に忘れてゐた。何れ其中読む事にしやうと云ふ考で、一所に纏めた儘、立つて、本棚の上に重ねて置いた。椽側から外を窺うと、奇麗な空が、高い色を失ひかけて、隣の梧桐の一際濃く見える上に、薄い月が出てゐた。  そこへ門野が大きな洋燈を持つて這入つて来た。それには絹縮の様に、竪に溝の入つた青い笠が掛けてあつた。門野はそれを洋卓の上に置いて、又椽側へ出たが、出掛に、 「もう、そろ/\蛍が出る時分ですな」と云つた。代助は可笑な顔をして、 「まだ出やしまい」と答へた。すると門野は例の如く、 「左様でしやうか」と云ふ返事をしたが、すぐ真面目な調子で、「蛍てえものは、昔は大分流行たもんだが、近来は余り文士方が騒がない様になりましたな。何う云ふもんでせう。蛍だの烏だのつて、此頃ぢやついぞ見た事がない位なもんだ」と云つた。 「左様さ。何う云ふ訳だらう」と代助も空つとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野は、 「矢っ張り、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでせう」と云ひ終つて、自から、えへゝゝと、洒落の結末をつけて、書生部屋へ帰つて行つた。代助もつゞいて玄関迄出た。門野は振返た。 「また御出掛ですか。よござんす。洋燈は私が気を付けますから。――小母さんが先刻から腹が痛いつて寐たんですが、何大した事はないでせう。御緩り」  代助は門を出た。江戸川迄来ると、河の水がもう暗くなつてゐた。彼は固より平岡を訪ねる気であつた。から何時もの様に川辺を伝はないで、すぐ橋を渡つて、金剛寺坂を上つた。  実を云ふと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢つてゐた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取つた時であつた。それには、第一に着京以来御世話になつて難有いと云ふ礼が述べてあつた。それから、――其後色々朋友や先輩の尽力を辱うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣つて見たい様な気がする。然し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断では宜しくあるまいと思つて、一応御相談をすると云ふ意味が後に書いてあつた。代助は、其当時平岡から、兄の会社に周旋してくれと依頼されたのを、其儘にして、断わりもせず今日迄放つて置いた。ので、其返事を促がされたのだと受取つた。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡過ると云ふ考もあつたので、翌日出向いて行つて、色々兄の方の事情を話して当分、此方は断念して呉れる様に頼んだ。平岡は其時、僕も大方左様だらうと思つてゐたと云つて、妙な眼をして三千代の方を見た。  いま一遍は、愈新聞の方が極まつたから、一晩緩り君と飲みたい。何日に来て呉れといふ平岡の端書が着いた時、折悪く差支が出来たからと云つて散歩の序に断わりに寄つたのである。其時平岡は座敷の真中に引繰り返つて寐てゐた。昨夕どこかの会へ出て、飲み過ごした結果だと云つて、赤い眼をしきりに摩つた。代助を見て、突然、人間は何うしても君の様に独身でなけりや仕事は出来ない。僕も一人なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次の間で、こつそり仕事をしてゐた。  三遍目には、平岡の社へ出た留守を訪ねた。其時は用事も何もなかつた。約三十分許り椽へ腰を掛けて話した。  夫から以後は可成小石川の方面へ立ち回らない事にして今夜に至たのである。代助は竹早町へ上つて、それを向ふへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云ふ軒燈のすぐ前へ来た。格子の外から声を掛ると、洋燈を持つて下女が出た。が平岡は夫婦とも留守であつた。代助は出先も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗つて、本郷迄来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入つて、麦酒をぐい/\飲んだ。 十一の五  翌日眼が覚めると、依然として脳の中心から、半径の違つた円が、頭を二重に仕切つてゐる様な心持がした。斯う云ふ時に代助は、頭の内側と外側が、質の異なつた切り組み細工で出来上つてゐるとしか感じ得られない癖になつてゐた。夫で能く自分で自分の頭を振つてみて、二つのものを混ぜやうと力めたものである。彼は今枕の上へ髪を着けたなり、右の手を固めて、耳の上を二三度敲いた。  代助は斯ゝる脳髄の異状を以て、かつて酒の咎に帰した事はなかつた。彼は小供の時から酒に量を得た男であつた。いくら飲んでも、左程平常を離れなかつた。のみならず、一度熟睡さへすれば、あとは身体に何の故障も認める事が出来なかつた。嘗て何かのはづみに、兄と競り飲みをやつて、三合入の徳利を十三本倒した事がある。其翌日代助は平気な顔をして学校へ出た。兄は二日も頭が痛いと云つて苦り切つてゐた。さうして、これを年齢の違だと云つた。  昨夕飲んだ麦酒は是に比べると愚なものだと、代助は頭を敲きながら考へた。幸に、代助はいくら頭が二重になつても、脳の活動に狂を受けた事がなかつた。時としては、たゞ頭を使ふのが臆劫になつた。けれども努力さへすれば、充分複雑な仕事に堪えるといふ自信があつた。だから、斯んな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪い影響を与へるものとしては、悲観する余地がなかつた。始めて、こんな感覚があつた時は驚ろいた。二遍目は寧ろ新奇な経験として喜んだ。この頃は、此経験が、多くの場合に、精神気力の低落に伴ふ様になつた。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になつた。代助にはそこが不愉快だつた。  床の上に起き上がつて、彼は又頭を振つた。朝食の時、門野は今朝の新聞に出てゐた蛇と鷲の戦の事を話し掛けたが、代助は応じなかつた。門野は又始まつたなと思つて、茶の間を出た。勝手の方で、 「小母さん、さう働らいちや悪いだらう。先生の膳は僕が洗つて置くから、彼方へ行つて休んで御出」と婆さんを労つてゐた。代助は始めて婆さんの病気の事を思ひ出した。何か優しい言葉でも掛ける所であつたが、面倒だと思つて已めにした。  食刀を置くや否や、代助はすぐ紅茶々碗を持つて書斎へ這入つた。時計を見るともう九時過であつた。しばらく、庭を眺めながら、茶を啜り延ばしてゐると、門野が来て、 「御宅から御迎が参りました」と云つた。代助は宅から迎を受ける覚がなかつた。聞き返して見ても、門野は車夫がとか何とか要領を得ない事を云ふので、代助は頭を振り/\玄関へ出て見た。すると、そこに兄の車を引く勝と云ふのがゐた。ちやんと、護謨輪の車を玄関へ横付にして、叮嚀に御辞義をした。 「勝、御迎つて何だい」と聞くと、勝は恐縮の態度で、 「奥様が車を持つて、迎に行つて来いつて、御仰いました」 「何か急用でも出来たのかい」  勝は固より何事も知らなかつた。 「御出になれば分るからつて――」と簡潔に答へて、言葉の尻を結ばなかつた。  代助は奥へ這入つた。婆さんを呼んで着物を出させやうと思つたが、腹の痛むものを使ふのが厭なので、自分で簟笥の抽出を掻き回して、急いで身支度をして、勝の車に乗つて出た。  其日は風が強く吹いた。勝は苦しさうに、前の方に曲んで馳けた。乗つてゐた代助は、二重の頭がぐる/\回転するほど、風に吹かれた。けれども、音も響もない車輪が美くしく動いて、意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙に運んで行く有様が愉快であつた。青山の家へ着く時分には、起きた頃とは違つて、気色が余程晴々して来た。 十一の六  何か事が起つたのかと思つて、上り掛けに、書生部屋を覗いて見たら、直木と誠太郎がたつた二人で、白砂糖を振り掛けた苺を食つてゐた。 「やあ、御馳走だな」と云ふと、直木は、すぐ居ずまひを直して、挨拶をした。誠太郎は唇の縁を濡らした儘、突然、 「叔父さん、奥さんは何時貰ふんですか」と聞いた。直木はにや/\してゐる。代助は一寸返答に窮した。已を得ず、 「今日は何故学校へ行かないんだ。さうして朝つ腹から苺なんぞを食つて」と調戯ふ様に、叱る様に云つた。 「だつて今日は日曜ぢやありませんか」と誠太郎は真面目になつた。 「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。  直木は代助の顔を見てとう/\笑ひ出した。代助も笑つて、座敷へ来た。そこには誰も居なかつた。替え立ての畳の上に、丸い紫檀の刳抜盆が一つ出てゐて、中に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様画が染め付けてあつた。からんとした広い座敷へ朝の緑が庭から射し込んで、凡てが静かに見えた。戸外の風は急に落ちた様に思はれた。  座敷を通り抜けて、兄の部屋の方へ来たら、人の影がした。 「あら、だつて、夫ぢや余まりだわ」と云ふ嫂の声が聞えた。代助は中へ這入つた。中には兄と嫂と縫子がゐた。兄は角帯に金鎖を巻き付けて、近頃流行る妙な絽の羽織を着て、此方を向いて立つてゐた。代助の姿を見て、 「そら来た。ね。だから一所に連れて行つて御貰よ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固より分らなかつた。すると、梅子が代助の方に向き直つた。 「代さん、今日貴方、無論暇でせう」と云つた。 「えゝ、まあ暇です」と代助は答へた。 「ぢや、一所に歌舞伎座へ行つて頂戴」  代助は嫂の此言葉を聞いて、頭の中に、忽ち一種の滑稽を感じた。けれども今日は平常の様に、嫂に調戯ふ勇気がなかつた。面倒だから、平気な顔をして、 「えゝ宜しい、行きませう」と機嫌よく答へた。すると梅子は、 「だつて、貴方は、最早、一遍観たつて云ふんぢやありませんか」と聞き返した。 「一遍だらうが、二遍だらうが、些とも構はない。行きませう」と代助は梅子を見て微笑した。 「貴方も余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助は益滑稽を感じた。  兄は用があると云つて、すぐ出て行つた。四時頃用が済んだら芝居の方へ回る約束なんださうである。それ迄自分と縫子丈で見てゐたら好ささうなものだが、梅子は夫が厭だと云つた。そんなら直木を連れて行けと兄から注意された時、直木は紺絣を着て、袴を穿いて、六づかしく坐つてゐて不可ないと答へた。夫で仕方がないから代助を迎ひに遣つたのだ、と、是は兄が出掛の説明であつた。代助は少々理窟に合はないと思つたが、たゞ、左様ですかと答へた。さうして、嫂は幕の相間に話し相手が欲いのと、夫からいざと云ふ時に、色々用を云ひ付けたいものだから、わざ/\自分を呼び寄せたに違ないと解釈した。  梅子と縫子は長い時間を御化粧に費やした。代助は懇よく御化粧の監督者になつて、両人の傍に附いてゐた。さうして時々は、面白半分の冷かしも云つた。縫子からは叔父さん随分だわを二三度繰り返された。  父は今朝早くから出て、家にゐなかつた。何処へ行つたのだか、嫂は知らないと云つた。代助は別に知りたい気もなかつた。たゞ父のゐないのが難有かつた。此間の会見以後、代助は父とはたつた二度程しか顔を合せなかつた。それも、ほんの十分か十五分に過ぎなかつた。話が込み入りさうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしてゐた。父は座敷の方へ出て来て、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなつた。おれの顔さへ見れば逃げ支度をすると云つて怒つた。と嫂は鏡の前で夏帯の尻を撫でながら代助に話した。 「ひどく、信用を落したもんだな」  代助は斯う云つて、嫂と縫子の蝙蝠傘を抱げて一足先へ玄関へ出た。車はそこに三挺并んでゐた。 十一の七  代助は風を恐れて鳥打帽を被つてゐた。風は漸く歇んで、強い日が雲の隙間から頭の上を照らした。先へ行く梅子と縫子は傘を広げた。代助は時々手の甲を額の前に翳した。  芝居の中では、嫂も縫子も非常に熱心な観客であつた。代助は二返目の所為といひ、此三四日来の脳の状態からと云ひ、左様一図に舞台ばかりに気を取られてゐる訳にも行かなかつた。堪えず精神に重苦しい暑を感ずるので、屡団扇を手にして、風を襟から頭へ送つてゐた。  幕の合間に縫子が代助の方を向いて時々妙な事を聞いた。何故あの人は盥で酒を飲むんだとか、何故坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであつた。梅子はそれを聞くたんびに笑つてゐた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思ひ出した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋に富んでゐるので、楽に見物が出来ないと書いてあつた。代助は其時、役者の立場から考へて、何もそんな人に見て貰ふ必要はあるまいと思つた。作者に云ふべき小言を、役者の方へ持つてくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠理が聴きたいと云ふ愚物と同じ事だと云つて門野に話した。門野は依然として、左様なもんでせうかなと云つてゐた。  小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であつた。さうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕に就てのみ用ひべきものと狭義に解釈してゐた。だから梅子とは大いに話が合つた。時々顔を見合して、黒人の様な批評を加へて、互に感心してゐた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭が来てゐた。幕の途中でも、双眼鏡で、彼方を見たり、此方を見たりしてゐた。双眼鏡の向ふ所には芸者が沢山ゐた。そのあるものは、先方でも眼鏡の先を此方へ向けてゐた。  代助の右隣には自分と同年輩の男が丸髷に結た美くしい細君を連れて来てゐた。代助は其細君の横顔を見て、自分の近付のある芸者によく似てゐると思つた。左隣には男連が四人許ゐた。さうして、それが、悉く博士であつた。代助は其顔を一々覚えてゐた。其又隣に、広い所を、たつた二人で専領してゐるものがあつた。その一人は、兄と同じ位な年恰好で、正しい洋服を着てゐた。さうして金縁の眼鏡を掛けて、物を見るときには、顎を前へ出して、心持仰向く癖があつた。代助は此男を見たとき、何所か見覚のある様な気がした。が、ついに思ひ出さうと力めても見なかつた。其伴侶は若い女であつた。代助はまだ廿になるまいと判定した。羽織を着ないで、普通よりは大きく廂を出して、多くは顎を襟元へぴたりと着けて坐つてゐた。  代助は苦しいので、何返も席を立つて、後の廊下へ出て、狭い空を仰いだ。兄が来たら、嫂と縫子を引き渡して早く帰りたい位に思つた。一遍は縫子を連れて、其所等をぐる/\運動して歩いた。仕舞には些と酒でも取り寄せて飲まうかと思つた。  兄は日暮とすれ/\に来た。大変遅かつたぢやありませんかと云つた時、帯の間から、金時計を出して見せた。実際六時少し回つた許であつた。兄は例の如く、平気な顔をして、方々見回してゐた。が、飯を食ふ時、立つて廊下へ出たぎり、中々帰つて来なかつた。しばらくして、代助は不図振り返つたら、一軒置いて隣りの金縁の眼鏡を掛けた男の所へ這入つて、話をしてゐた。若い女にも時々話しかける様であつた。然し女の方では笑ひ顔を一寸見せる丈で、すぐ舞台の方へ真面目に向き直つた。代助は嫂に其人の名を聞かうと思つたが、兄は人の集る所へさへ出れば、何所へでも斯の如く平気に這入り込む程、世間の広い、又世間を自分の家の様に心得てゐる男であるから、気にも掛けずに黙つてゐた。  すると幕の切れ目に、兄が入口迄帰つて来て、代助一寸来いと云ひながら、代助を其金縁の男の席へ連れて行つて、愚弟だと紹介した。それから代助には、是が神戸の高木さんだと云つて引合した。金縁の紳士は、若い女を顧みて、私の姪ですと云つた。女はしとやかに御辞義をした。其時兄が、佐川さんの令嬢だと口を添へた。代助は女の名を聞いたとき、旨く掛けられたと腹の中で思つた。が何事も知らぬものゝ如く装つて、好加減に話してゐた。すると嫂が一寸自分の方を振り向いた。 十一の八  五六分して、代助は兄と共に自分の席に返つた。佐川の娘を紹介される迄は、兄の見え次第逃げる気であつたが、今では左様不可なくなつた。余り現金に見えては、却つて好くない結果を引き起しさうな気がしたので、苦しいのを我慢して坐つてゐた。兄も芝居に就ては全たく興味がなささうだつたけれども、例の如く鷹揚に構えて、黒い頭を燻す程、葉巻をゆらした。時々評をすると、縫子あの幕は綺麗だらう位の所であつた。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木に就ても、佐川の娘に就ても、何等の質問も掛けず、一言の批評も加へなかつた。代助には其澄した様子が却つて滑稽に思はれた。彼は今日迄嫂の策略にかゝつた事が時々あつた。けれども、只の一返も腹を立てた事はなかつた。今度の狂言も、平生ならば、退屈紛らしの遊戯程度に解釈して、笑つて仕舞たかも知れない。夫許ではない。もし自分が結婚する気なら、却つて、此狂言を利用して、自ら人巧的に、御目出度喜劇を作り上げて、生涯自分を嘲けつて満足する事も出来た。然し此姉迄が、今の自分を、父や兄と共謀して、漸々窮地に誘なつて行くかと思ふと、流石がに此所作をたゞの滑稽として、観察する訳には行かなかつた。代助は此先、嫂が此事件を何う発展させる気だらうと考へて、少々弱つた。家のものゝ中で、嫂が一番斯んな計画に興味をもつてゐたからである。もし嫂が此方面に向つて代助に肉薄すればする程、代助は漸々家族のものと疎遠にならなければならないと云ふ恐れが、代助の頭の何処かに潜んでゐた。  芝居の仕舞になつたのは十一時近くであつた。外へ出て見ると、風は全く歇んだが、月も星も見えない静かな晩を、電燈が少し許り照らしてゐた。時間が遅いので茶屋では話をする暇もなかつた。三人の迎は来てゐたが、代助はつい車を誂へて置くのを忘れた。面倒だと思つて、嫂の勧を斥けて、茶屋の前から電車に乗つた。数寄屋橋で乗り易え様と思つて、黒い路の中に、待ち合はしてゐると、小供を負つた神さんが、退儀さうに向から近寄つて来た。電車は向ふ側を二三度通つた。代助と軌道の間には、土か石の積んだものが、高い土手の様に挟まつてゐた。代助は始めて間違つた所に立つてゐる事を悟つた。 「御神さん、電車へ乗るなら、此所ぢや不可ない。向側だ」と教へながら歩き出した。神さんは礼を云つて跟いて来た。代助は手探でもする様に、暗い所を好加減に歩いた。十四五間左の方へ濠際を目標に出たら、漸く停留所の柱が見付つた。神さんは其所で、神田橋の方へ向いて乗つた。代助はたつた一人反対の赤坂行へ這入つた。  車の中では、眠くて寐られない様な気がした。揺られながらも今夜の睡眠が苦になつた。彼は大いに疲労して、白昼の凡てに、惰気を催うすにも拘はらず、知られざる何物かの興奮の為に、静かな夜を恣にする事が出来ない事がよくあつた。彼の脳裏には、今日の日中に、交る/″\痕を残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度に散らついてゐた。さうして、それが何の色彩であるか、何の運動であるか慥かに解らなかつた。彼は眼を眠つて、家へ帰つたら、又ヰスキーの力を借りやうと覚悟した。  彼は此取り留めのない花やかな色調の反照として、三千代の事を思ひ出さざるを得なかつた。さうして其所にわが安住の地を見出した様な気がした。けれども其安住の地は、明らかには、彼の眼に映じて出なかつた。たゞ、かれの心の調子全体で、それを認めた丈であつた。従つて彼は三千代の顔や、容子や、言葉や、夫婦の関係や、病気や、身分を一纏にしたものを、わが情調にしつくり合ふ対象として、発見したに過ぎなかつた。 十一の九  翌日代助は但馬にゐる友人から長い手紙を受取つた。此友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰つたぎり、今日迄ついぞ東京へ出た事のない男であつた。当人は無論山の中で暮す気はなかつたんだが、親の命令で已を得ず、故郷に封じ込められて仕舞つたのである。夫でも一年許の間は、もう一返親父を説き付けて、東京へ出る出ると云つて、うるさい程手紙を寄こしたが、此頃は漸く断念したと見えて、大した不平がましい訴もしない様になつた。家は所の旧家で、先祖から持ち伝へた山林を年々伐り出すのが、重な用事になつてゐるよしであつた。今度の手紙には、彼の日常生活の模様が委しく書いてあつた。それから、一ヶ月前町長に挙げられて、年俸を三百円頂戴する身分になつた事を、面白半分、殊更に真面目な句調で吹聴して来た。卒業してすぐ中学の教師になつても、此三倍は貰へると、自分と他の友人との比較がしてあつた。  此友人は国へ帰つてから、約一年許りして、京都在のある財産家から嫁を貰つた。それは無論親の云ひ付であつた。すると、少時して、直子供が生れた。女房の事は貰つた時より外に何も云つて来ないが、子供の生長には興味があると見えて、時々代助の可笑くなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、此子供に対して、満足しつゝある友人の生活を想像した。さうして、此子供の為に、彼の細君に対する感想が、貰つた当時に比べて、どの位変化したかを疑つた。  友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送つてくれた。代助は其返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣つた。すると其返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評が屹度あつた。けれども、それが長くは続かなかつた。仕舞には受取つたと云ふ礼状さへ寄こさなかつた。此方からわざ/\問ひ合せると、書物は難有く頂戴した。読んでから礼を云はうと思つて、つい遅くなつた。実はまだ読まない。白状すると、読む閑がないと云ふより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云へば、読んでも解らなくなつたのである。といふ返事が来た。代助は夫から書物を廃めて、其代りに新らしい玩具を買つて送る事にした。  代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向を有つてゐた此旧友が、当時とは丸で反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色を出してゐると云ふ事実を、切に感じた。さうして、命の絃の震動から出る二人の響を審かに比較した。  彼は理論家として、友人の結婚を肯つた。山の中に住んで、樹や谷を相手にしてゐるものは、親の取り極めた通りの妻を迎へて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来すものと断定した。其原因を云へば、都会は人間の展覧会に過ぎないからであつた。彼は此前提から此結論に達する為に斯う云ふ径路を辿つた。  彼は肉体と精神に於て美の類別を認める男であつた。さうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考へた。あらゆる美の種類に接触して、其たび毎に、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼は是を自家の経験に徴して争ふべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつゝあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂不義の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終嘗めなければならない事になつた。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を撰んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分らないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。  此所迄考へた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮んだ。其時代助はこの論理中に、或因数を数へ込むのを忘れたのではなからうかと疑つた。けれども、其因数は何うしても発見する事が出来なかつた。すると、自分が三千代に対する情合も、此論理によつて、たゞ現在的のものに過ぎなくなつた。彼の頭は正にこれを承認した。然し彼の心は、慥かに左様だと感ずる勇気がなかつた。 十二の一  代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。避暑にはまだ間があつた。凡ての娯楽には興味を失つた。読書をしても、自己の影を黒い文字の上に認める事が出来なくなつた。落付いて考へれば、考へは蓮の糸を引く如くに出るが、出たものを纏めて見ると、人の恐ろしがるもの許であつた。仕舞には、斯様に考へなければならない自分が怖くなつた。代助は蒼白く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為に、しばらく旅行しやうと決心した。始めは父の別荘に行く積であつた。然し、是は東京から襲はれる点に於て、牛込に居ると大した変りはないと思つた。代助は旅行案内を買つて来て、自分の行くべき先を調べて見た。が、自分の行くべき先は天下中何処にも無い様な気がした。しかし、代助は無理にも何処かへ行かうとした。それには、支度を調へるに若くはないと極めた。代助は電車に乗つて、銀座迄来た。朗かに風の往来を渡る午後であつた。新橋の勧工場を一回して、広い通りをぶら/\と京橋の方へ下つた。其時代助の眼には、向ふ側の家が、芝居の書割の様に平たく見えた。青い空は、屋根の上にすぐ塗り付けられてゐた。  代助は二三の唐物屋を冷かして、入用の品を調へた。其中に、比較的高い香水があつた。資生堂で練歯磨を買はうとしたら、若いものが、欲しくないと云ふのに自製のものを出して、頻に勧めた。代助は顔をしかめて店を出た。紙包を腋の下に抱へた儘、銀座の外れ迄遣つて来て、其所から大根河岸を回つて、鍛冶橋を丸の内へ志した。当もなく西の方へ歩きながら、是も簡便な旅行と云へるかも知れないと考へた揚句、草臥れて車をと思つたが、何処にも見当らなかつたので又電車へ乗つて帰つた。  家の門を這入ると、玄関に誠太郎のらしい履が叮嚀に并べてあつた。門野に聞いたら、へえ左様です、先方から待つて御出ですといふ答であつた。代助はすぐ書斎へ来て見た。誠太郎は、代助の坐る大きな椅子に腰を掛けて、洋卓の前で、アラスカ探検記を読んでゐた。洋卓の上には、蕎麦饅頭と茶盆が一所に乗つてゐた。 「誠太郎、何だい、人のゐない留守に来て、御馳走だね」と云ふと、誠太郎は、笑ひながら、先づアラスカ探検記をポツケツトへ押し込んで、席を立つた。 「其所に居るなら、ゐても構はないよ」と云つても、聞かなかつた。  代助は誠太郎を捕まえて、例の様に調戯ひ出した。誠太郎は此間代助が歌舞伎座でした欠伸の数を知つてゐた。さうして、 「叔父さんは何時奥さんを貰ふの」と、又先達てと同じ様な質問を掛けた。  此日誠太郎は、父の使に来たのであつた。其口上は、明日の十一時迄に一寸来て呉れと云ふのであつた。代助はさう/\父や兄に呼び付けられるが面倒であつた。誠太郎に向つて、半分怒つた様に、 「何だい、苛いぢやないか。用も云はないで、無暗に人を呼びつけるなんて」と云つた。誠太郎は矢っ張りにや/\してゐた。代助はそれぎり話を外へそらして仕舞つた。新聞に出てゐる相撲の勝負が、二人の題目の重なるものであつた。  晩食を食つて行けと云ふのを学校の下調があると云つて辞退して誠太郎は帰つた。帰る前に、 「それぢや、叔父さん、明日は来ないんですか」と聞いた。代助は已を得ず、 「うむ。何うだか分らない。叔父さんは旅行するかも知れないからつて、帰つてさう云つて呉れ」と云つた。 「何時」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日明日のうちと答へた。誠太郎はそれで納得して、玄関迄出て行つたが、沓脱へ下りながら振り返つて、突然 「何処へ入らつしやるの」と代助を見上げた。代助は、 「何処つて、まだ分るもんか。ぐる/\回るんだ」と云つたので、誠太郎は又にや/\しながら、格子を出た。 十二の二  代助は其夜すぐ立たうと思つて、グラツドストーンの中を門野に掃除さして、携帯品を少し詰め込んだ。門野は少なからざる好奇心を以て、代助の革鞄を眺めてゐたが、 「少し手伝ひませうか」と突立つたまゝ聞いた。代助は、 「なに、訳はない」と断わりながら、一旦詰め込んだ香水の壜を取り出して、封被を剥いで、栓を抜いて、鼻に当てゝ嗅いで見た。門野は少し愛想を尽した様な具合で、自分の部屋へ引き取つた。二三分すると又出て来て、 「先生、車を左様云つときますかな」と注意した。代助はグラツドストーンを前へ置いて、顔を上げた。 「左様、少し待つて呉れ給へ」  庭を見ると、生垣の要目の頂に、まだ薄明るい日足がうろついてゐた。代助は外を覗きながら、是から三十分のうちに行く先を極めやうと考へた。何でも都合のよささうな時間に出る汽車に乗つて、其汽車の持つて行く所へ降りて、其所で明日迄暮らして、暮らしてゐるうちに、又新らしい運命が、自分を攫ひに来るのを待つ積であつた。旅費は無論充分でなかつた。代助の旅装に適した程の宿泊を続けるとすれば、一週間も保たない位であつた。けれども、さう云ふ点になると、代助は無頓着であつた。愈となれば、家から金を取り寄せる気でゐた。それから、本来が四辺の風気を換えるのを目的とする移動だから、贅沢の方面へは重きを置かない決心であつた。興に乗れば、荷持を雇つて、一日歩いても可いと覚悟した。  彼は又旅行案内を開いて、細かい数字を丹念に調べ出したが、少しも決定の運に近寄らないうちに、又三千代の方に頭が滑つて行つた。立つ前にもう一遍様子を見て、それから東京を出やうと云ふ気が起つた。グラツドストーンは今夜中に始末を付けて、明日の朝早く提げて行かれる様にして置けば構はない事になつた。代助は急ぎ足で玄関迄出た。其音を聞き付けて、門野も飛び出した。代助は不断着の儘、掛釘から帽子を取つてゐた。 「又御出掛ですか。何か御買物ぢやありませんか。私で可ければ買つて来ませう」と門野が驚ろいた様に云つた。 「今夜は已めだ」と云ひ放した儘、代助は外へ出た。外はもう暗かつた。美くしい空に星がぽつ/\影を増して行く様に見えた。心持の好い風が袂を吹いた。けれども長い足を大きく動かした代助は、二三町も歩かないうちに額際に汗を覚えた。彼は頭から鳥打を脱つた。黒い髪を夜露に打たして、時々帽子をわざと振つて歩いた。  平岡の家の近所へ来ると、暗い人影が蝙蝠の如く静かに其所、此所に動いた。粗末な板塀の隙間から、洋燈の灯が往来へ映つた。三千代は其光の下で新聞を読んでゐた。今頃新聞を読むのかと聞いたら、二返目だと答へた。 「そんなに閑なんですか」と代助は座蒲団を敷居の上に移して、椽側へ半分身体を出しながら、障子へ倚りかゝつた。  平岡は居なかつた。三千代は今湯から帰つた所だと云つて、団扇さへ膝の傍に置いてゐた。平生の頬に、心持暖い色を出して、もう帰るでせうから、緩くりしてゐらつしやいと、茶の間へ茶を入れに立つた。髪は西洋風に結つてゐた。  平岡は三千代の云つた通りには中々帰らなかつた。何時でも斯んなに遅いのかと尋ねたら、笑ひながら、まあ左んな所でせうと答へた。代助は其笑の中に一種の淋しさを認めて、眼を正して、三千代の顔を凝と見た。三千代は急に団扇を取つて袖の下を煽いだ。  代助は平岡の経済の事が気に掛つた。正面から、此頃は生活費には不自由はあるまいと尋ねて見た。三千代は左様ですねと云つて、又前の様な笑ひ方をした。代助がすぐ返事をしなかつたものだから、 「貴方には、左様見えて」と今度は向ふから聞き直した。さうして、手に持つた団扇を放り出して、湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に広げて見せた。其指には代助の贈つた指環も、他の指環も穿めてゐなかつた。自分の記念を何時でも胸に描いてゐた代助には、三千代の意味がよく分つた。三千代は手を引き込めると同時に、ぽつと赤い顔をした。 「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と云つた。代助は憐れな心持がした。 十二の三  代助は其夜九時頃平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入の中に有るものを出して、三千代に渡した。其時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼は先づ何気なく懐中物を胸の所で開けて、中にある紙幣を、勘定もせずに攫んで、是を上げるから御使なさいと無雑作に三千代の前へ出した。三千代は、下女を憚かる様な低い声で、 「そんな事を」と、却つて両手をぴたりと身体へ付けて仕舞つた。代助は然し自分の手を引き込めなかつた。 「指環を受取るなら、これを受取つても、同じ事でせう。紙の指環だと思つて御貰ひなさい」  代助は笑ひながら、斯う云つた。三千代はでも、余りだからとまだ躇した。代助は、平岡に知れると叱られるのかと聞いた。三千代は叱られるか、賞められるか、明らかに分らなかつたので、矢張り愚図々々してゐた。代助は、叱られるなら、平岡に黙つてゐたら可からうと注意した。三千代はまだ手を出さなかつた。代助は無論出したものを引き込める訳に行かなかつた。已を得ず、少し及び腰になつて、掌を三千代の胸の傍迄持つて行つた。同時に自分の顔も一尺許の距離に近寄せて、 「大丈夫だから、御取んなさい」と確りした低い調子で云つた。三千代は顎を襟の中へ埋める様に後へ引いて、無言の儘右の手を前へ出した。紙幣は其上に落ちた。其時三千代は長い睫毛を二三度打ち合はした。さうして、掌に落ちたものを帯の間に挟んだ。 「又来る。平岡君によろしく」と云つて、代助は表へ出た。町を横断して小路へ下ると、あたりは暗くなつた。代助は美くしい夢を見た様に、暗い夜を切つて歩いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家の門前に来た。けれども門を潜る気がしなかつた。彼は高い星を戴いて、静かな屋敷町をぐる/\徘徊した。自分では、夜半迄歩きつゞけても疲れる事はなからうと思つた。兎角するうち、又自分の家の前へ出た。中は静かであつた。門野と婆さんは茶の間で世間話をしてゐたらしい。 「大変遅うがしたな。明日は何時の汽車で御立ちですか」と玄関へ上るや否や問を掛けた。代助は、微笑しながら、 「明日も御已めだ」と答へて、自分の室へ這入つた。そこには床がもう敷いてあつた。代助は先刻栓を抜いた香水を取つて、括枕の上に一滴垂らした。夫では何だか物足りなかつた。壜を持つた儘、立つて室の四隅へ行つて、そこに一二滴づゝ振りかけた。斯様に打ち興じた後、白地の浴衣に着換えて、新らしい小掻巻の下に安かな手足を横たへた。さうして、薔薇の香のする眠に就いた。  眼が覚めた時は、高い日が椽に黄金色の震動を射込んでゐた。枕元には新聞が二枚揃えてあつた。代助は、門野が何時、雨戸を引いて、何時新聞を持つて来たか、丸で知らなかつた。代助は長い伸を一つして起き上つた。風呂場で身体を拭いてゐると、門野が少し狼狽へた容子で遣つて来て、 「青山から御兄いさんが御見えになりました」と云つた。代助は今直行く旨を答へて、奇麗に身体を拭き取つた。座敷はまだ掃除が出来てゐるか、ゐないかであつたが、自分で飛び出す必要もないと思つたから、急ぎもせずに、いつもの通り、髪を分けて剃を中て、悠々と茶の間へ帰つた。そこでは流石にゆつくりと膳につく気も出なかつた。立ちながら紅茶を一杯啜つて、タヱルで一寸口髭を摩つて、それを、其所へ放り出すと、すぐ客間へ出て、 「やあ兄さん」と挨拶をした。兄は例の如く、色の濃い葉巻の、火の消えたのを、指の股に挟んで、平然として代助の新聞を読んでゐた。代助の顔を見るや否や、 「此室は大変好い香がする様だが、御前の頭かい」と聞いた。 「僕の頭の見える前からでせう」と答へて、昨夜の香水の事を話した。兄は、落ち付いて、 「はゝあ、大分洒落た事をやるな」と云つた。 十二の四  兄は滅多に代助の所へ来た事のない男であつた。たまに来れば必ず来なくつてならない用事を持つてゐた。さうして、用を済ますとさつさと帰つて行つた。今日も何事か起つたに違ないと代助は考へた。さうして、それは昨日誠太郎を好加減に胡魔化して返した反響だらうと想像した。五六分雑談をしてゐるうちに、兄はとう/\斯う云ひ出した。 「昨夕誠太郎が帰つて来て、叔父さんは明日から旅行するつて云ふ話だから、出て来た」 「えゝ、実は今朝六時頃から出やうと思つてね」と代助は嘘の様な事を、至極冷静に答へた。兄も真面目な顔をして、 「六時に立てる位な早起の男なら、今時分わざわざ青山から遣つて来やしない」と云つた。改めて用事を聞いて見ると、矢張り予想の通り肉薄の遂行に過ぎなかつた。即ち今日高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞ふ筈だから、代助にも列席しろと云ふ父の命令であつた。兄の語る所によると、昨夕誠太郎の返事を聞いて、父は大いに機嫌を悪くした。梅子は気を揉んで、代助の立たない前に逢つて、旅行を延ばさせると云ひ出した。兄はそれを留めたさうである。 「なに彼奴が今夜中に立つものか、今頃は革鞄の前へ坐つて考へ込んでゐる位のものだ。明日になつて見ろ、放つて置いても遣つて来るからつて、己が姉さんを安心させたのだよ」と誠吾は落付払つてゐた。代助は少し忌々しくなつたので、 「ぢや、放つて置いて御覧なされば好いのに」と云つた。 「所が女と云ふものは、気の短かいもので、御父さんに悪いからつて、今朝起きるや否や、己をせびるんだからね」と誠吾は可笑い様な顔もしなかつた。寧ろ迷惑さうに代助を眺めてゐた。代助は行くとも、行かないとも決答を与へなかつた。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返して仕舞ふ勇気も出なかつた。其上午餐を断つて、旅行するにしても、もう自分の懐中を当にする訳には行かなかつた。矢張り、兄とか嫂とか、もしくは父とか、いづれ反対派の誰かを痛めなければ、身動が取れない位地にゐた。そこで、即かず離れずに、高木と佐川の娘の評判をした。高木には十年程前に一遍逢つた限であつたが、妙なもので、何処かに見覚があつて、此間歌舞伎座で眼に着いた時は、はてなと思つた。これに反して、佐川の娘の方は、つい先達て、写真を手にした許であるのに、実物に接しても、丸で聯想が浮ばなかつた。写真は奇体なもので、先づ人間を知つてゐて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定める方は中々六づかしい。是を哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云ふ真理に帰着する。 「私は左様考へた」と代助が云つた。兄は成程と答へたが別段感心した様子もなかつた。葉巻の短かくなつて、口髭に火が付きさうなのを無暗に啣へ易えて、 「それで、必ずしも今日旅行する必要もないんだらう」と聞いた。  代助はないと答へざるを得なかつた。 「ぢや、今日餐を食ひに来ても好いんだらう」  代助は又好いと答へない訳に行かなかつた。 「ぢや、己はこれから、一寸他所へ回るから、間違のない様に来てくれ」と相変らず多忙に見えた。代助はもう度胸を据ゑたから、何うでも構はないといふ気で、先方に都合の好い返事を与へた。すると兄が突然、 「一体何うなんだ。あの女を貰ふ気はないのか。好いぢやないか貰つたつて。さう撰り好みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間は男女に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、左様でもなかつたのかい。――まあ、どうでも好いから、成る可く年寄を怒らせない様に遣つてくれ」と云つて帰つた。  代助は座敷へ戻つて、しばらく、兄の警句を咀嚼してゐた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考へられない。だから、結婚を勧める方でも、怒らないで放つて置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好い結論を得た。 十二の五  兄の云ふ所によると、佐川の娘は、今度久し振に叔父に連れられて、見物旁上京したので、叔父の商用が済み次第又連れられて国へ帰るのださうである。父が其機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結び付けやうと企だてたのか、又は先達ての旅行先で、此機会をも自発的に拵えて帰つて来たのか、どつちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかつた。自分はたゞ是等の人と同じ食卓で、旨さうに午餐を味はつて見せれば、社交上の義務は其所に終るものと考へた。もしそれより以上に、何等の発展が必要になつた場合には、其時に至つて、始めて処置を付けるより外に道はないと思案した。  代助は婆さんを呼んで着物を出さした。面倒だと思つたが、敬意を表するために、紋付の夏羽織を着た。袴は一重のがなかつたから、家へ行つて、父か兄かのを穿く事に極めた。代助は神経質な割に、子供の時からの習慣で、人中へ出るのを余り苦にしなかつた。宴会とか、招待とか、送別とかいふ機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えてゐた。其中には伯爵とか子爵とかいふ貴公子も交つてゐた。彼は斯んな人の仲間入をして、其仲間なりの交際に、損も得も感じなかつた。言語動作は何処へ出ても同じであつた。外部から見ると、其所が大変能く兄の誠吾に似てゐた。だから、よく知らない人は、此兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じてゐた。  代助が青山に着いた時は、十一時五分前であつたが、御客はまだ来てゐなかつた。兄もまだ帰らなかつた。嫂丈がちやんと支度をして、座敷に坐つてゐた。代助の顔を見て、 「あなたも、随分乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなり遣り込めた。梅子は場合によると、決して論理を有ち得ない女であつた。此場合にも、自分が代助を出し抜いた事には丸で気が付いてゐない挨拶の仕方であつた。それが代助には愛嬌に見えた。で、直そこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にゐると聞いたが、わざと行かなかつた。強ひられたとき、 「今に御客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。其時挨拶をすれば好からう」と云つて、矢っ張り平常の様な無駄口を叩いてゐた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口を切らなかつた。梅子は何とかして、話を其所へ持つて行かうとした。代助には、それが明らかに見えた。だから、猶空とぼけて讐を取つた。  其うち待ち設けた御客が来たので、代助は約束通りすぐ父の所へ知らせに行つた。父は、案のじよう、 「左様か」とすぐ立ち上がつた丈であつた。代助に小言を云ふ暇も何も無かつた。代助は座敷へ引き返して来て、袴を穿いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこで悉く顔を合はせた。父と高木とが第一に話を始めた。梅子は重に佐川の令嬢の相手になつた。そこへ兄が今朝の通りの服装で、のつそりと這入つて来た。 「いや、何うも遅くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振り返つて、 「大分早かつたね」と小さな声を掛けた。  食堂には応接室の次の間を使つた。代助は戸の開いた間から、白い卓布の角の際立つた色を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸席を立つて、次の入口を覗きに行つた。それは父に、食卓の準備が出来上つた旨を知らせる為であつた。 「では何うぞ」と父は立ち上がつた。高木も会釈して立ち上がつた。佐川の令嬢も叔父に継いで立ち上がつた。代助は其時、女の腰から下の、比較的に細く長い事を発見した。食卓では、父と高木が、真中に向き合つた。高木の右に梅子が坐つて、父の左に令嬢が席を占めた。女同志が向き合つた如く、誠吾と代助も向き合つた。代助は五味台を中に、少し斜に反れた位地から令嬢の顔を眺める事になつた。代助は其頬の肉と色が、著るしく後の窓から射す光線の影響を受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作つた様に思つた。其代り耳に接した方は、明らかに薄紅であつた。殊に小さい耳が、日の光を透してゐるかの如くデリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼を有したゐた。此二つの対照から華やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であつた。 十二の六  食卓は、人数が人数だけに、左程大きくはなかつた。部屋の広さに比例して、寧ろ小さ過る位であつたが、純白な卓布を、取り集めた花で綴つて、其中に肉刀と肉匙の色が冴えて輝いた。  卓上の談話は重に平凡な世間話であつた。始のうちは、それさへ余り興味が乗らない様に見えた。父は斯う云ふ場合には、よく自分の好きな書画骨董の話を持ち出すのを常としてゐた。さうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前に陳べたものである。父の御蔭で、代助は多少斯道に好悪を有てる様になつてゐた。兄も同様の原因から、画家の名前位は心得てゐた。たゞし、此方は掛物の前に立つて、はあ仇英だね、はあ応挙だねと云ふ丈であつた。面白い顔もしないから、面白い様にも見えなかつた。それから真偽の鑑定の為に、虫眼鏡などを振り舞はさない所は、誠吾も代助も同じ事であつた。父の様に、こんな波は昔の人は描かないものだから、法にかなつてゐない抔といふ批評は、双方共に、未だ嘗て如何なる画に対しても加へた事はなかつた。  父は乾いた会話に色彩を添へるため、やがて好きな方面の問題に触れて見た。所が一二言で、高木はさう云ふ事に丸で無頓着な男であるといふ事が分つた。父は老巧の人だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかつた。父は已を得ず、高木に何んな娯楽があるかを確めた。高木は特別に娯楽を持たない由を答へた。父は万事休すといふ体裁で、高木を誠吾と代助に托して、しばらく談話の圏外に出た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋やら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行つた。さうして、其中に自然令嬢の演ずべき役割を拵えた。令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移つた。最後にエマーソンやホーソーンの名が出た。代助は、高木に斯う云ふ種類の知識があるといふ事を確めたけれども、たゞ確めた丈で、それより以上に深入もしなかつた。従つて文学談は単に二三の人名と書名に終つて、少しも発展しなかつた。  梅子は固より初から断えず口を動かしてゐた。其努力の重なるものは、無論自分の前にゐる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあつた。令嬢は礼義上から云つても、梅子の間断なき質問に応じない訳に行かなかつた。けれども積極的に自分から梅子の心を動かさうと力めた形迹は殆んどなかつた。たゞ物を云ふときに、少し首を横に曲げる癖があつた。それすらも代助には媚を売るとは解釈出来なかつた。  令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始めは琴を習つたが、後にはピヤノに易えた。イオリンも少し稽古したが、此方は手の使い方が六※[#濁点付き小書き平仮名つ、218-1]かしいので、まあ遣らないと同じである。芝居は滅多に行つた事がなかつた。 「先達ての歌舞伎座は如何でした」と梅子が聞いた時、令嬢は何とも答へなかつた。代助には夫が劇を解しないと云ふより、劇を軽蔑してゐる様に取れた。それだのに、梅子はつゞけて、同じ問題に就いて、甲の役者は何うだの、乙の役者は何だのと評し出した。代助は又嫂が論理を踏み外したと思つた。仕方がないから、横合から、 「芝居は御嫌ひでも、小説は御読みになるでせう」と聞いて芝居の話を已めさした。令嬢は其時始めて、一寸代助の方を見た。けれども答は案外に判然してゐた。 「いえ小説も」  令嬢の答を待ち受けてゐた、主客はみんな声を出して笑つた。高木は令嬢の為に説明の労を取つた。その云ふ所によると、令嬢の教育を受けたミス何とか云ふ婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒の様に仕込まれてゐるのださうであつた。だから余程時代後れだと、高木は説明のあとから批評さへ付け加へた。其時は無論誰も笑はなかつた。耶蘇教に対して、あまり好意を有つてゐない父は、 「それは結構だ」と賞めた。梅子は、さう云ふ教育の価値を全く解する事が出来なかつた。にも拘はらず、 「本当にね」と趣味に適はない不得要領の言葉を使つた。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与へない様に、すぐ問題を易えた。 「ぢや英語は御上手でせう」  令嬢はいゝえと云つて、心持顔を赤くした。 十二の七  食事が済んでから、主客は又応接間に戻つて、話を始めたが、蝋燭を継ぎ足した様に、新らしい方へは急に火が移りさうにも見えなかつた。梅子は立つて、ピヤノの蓋を開けて、 「何か一つ如何ですか」と云ひながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかつた。 「ぢや、代さん、皮切に何か御遣り」と今度は代助に云つた。代助は人に聞かせる程の上手でないのを自覚してゐた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟臭く、しつこくなる許だから、 「まあ、蓋を開けて御置なさい。今に遣るから」と答へたなり、何かなしに、無関係の事を話しつゞけてゐた。  一時間程して客は帰つた。四人は肩を揃へて玄関迄出た。奥へ這入る時、 「代助はまだ帰るんぢやなからうな」と父が云つた。代助はみんなから一足後れて、鴨居の上に両手が届く様な伸を一つした。それから、人のゐない応接間と食堂を少しうろ/\して座敷へ来て見ると、兄と嫂が向き合つて何か話をしてゐた。 「おい、すぐ帰つちや不可ない。御父さんが何か用があるさうだ。奥へ御出」と兄はわざとらしい真面目な調子で云つた。梅子は薄笑ひをしてゐる。代助は黙つて頭を掻いた。  代助は一人で父の室へ行く勇気がなかつた。何とか蚊とか云つて、兄夫婦を引張つて行かうとした。それが旨く成功しないので、とう/\其所へ坐り込んで仕舞つた。所へ小間使が来て、 「あの、若旦那様に一寸、奥迄入つしやる様に」と催促した。 「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦に斯ういふ理窟を述べた。――自分一人で父に逢ふと、父があゝ云ふ気象の所へ持つて来て、自分がこんな図法螺だから、殊によると大いに老人を怒らして仕舞ふかも知れない。さうすると、兄夫婦だつて、後から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。其方が却つて迷惑になる訳だから、骨惜をせずに今一寸一所に行つて呉れたら宜からう。  兄は議論が嫌な男なので、何んだ下らないと云はぬ許の顔をしたが、 「ぢや、さあ行かう」と立ち上がつた。梅子も笑ひながらすぐに立つた。三人して廊下を渡つて父の室に行つて、何事も起らなかつたかの如く着坐した。  そこでは、梅子が如才なく、代助の過去に父の小言が飛ばない様な手加減をした。さうして談話の潮流を、成るべく今帰つた来客の品評の方へ持つて行つた。梅子は佐川の令嬢を大変大人しさうな可い子だと賞めた。是には父も兄も代助も同意を表した。けれども、兄は、もし亜米利加のミスの教育を受けたと云ふのが本当なら、もう少しは西洋流にはき/\しさうなものだと云ふ疑を立てた。代助は其疑にも賛成した。父と嫂は黙つてゐた。そこで代助は、あの大人しさは、羞恥む性質の大人さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだらうと説明した。父はそれも左うだと云つた。梅子は令嬢の教育地が京都だから、あゝなんぢやないかと推察した。兄は東京だつて、御前見た様なの許はゐないと云つた。此時父は厳正な顔をして灰吹を叩いた。次に、容色だつて十人並より可いぢやありませんかと梅子が云つた。是には父も兄も異議はなかつた。代助も賛成の旨を告白した。四人は夫から高木の品評に移つた。温健の好人物と云ふ事で、其方はすぐ方付いて仕舞つた。不幸にして誰も令嬢の父母を知らなかつた。けれども、物堅い地味な人だと云ふ丈は、父が三人の前で保証した。父はそれを同県下の多額納税議員の某から確めたのださうである。最後に、佐川家の財産に就ても話が出た。其時父は、あゝ云ふのは、普通の実業家より基礎が確りしてゐて安全だと云つた。  令嬢の資格が略定まつた時、父は代助に向つて、 「大した異存もないだらう」と尋ねた。其語調と云ひ、意味と云ひ、何うするかね位の程度ではなかつた。代助は、 「左様ですな」と矢っ張り煮え切らない答をした。父はじつと代助を見てゐたが、段々皺の多い額を曇らした。兄は仕方なしに、 「まあ、もう少し善く考へて見るが可い」と云つて、代助の為に余裕を付けて呉れた。 十三の一  四日程してから、代助は又父の命令で、高木の出立を新橋迄見送つた。其日は眠い所を無理に早く起されて、寐足らない頭を風に吹かした所為か、停車場に着く頃、髪の毛の中に風邪を引いた様な気がした。待合所に這入るや否や、梅子から顔色が可くないと云ふ注意を受けた。代助は何にも答へずに、帽子を脱いで、時々濡れた頭を抑えた。仕舞には朝奇麗に分けた髪がもぢや/\になつた。  プラツトフオームで高木は突然代助に向つて、 「何うです此汽車で、神戸迄遊びに行きませんか」と勧めた。代助はたゞ難有うと答へた丈であつた。愈汽車の出る間際に、梅子はわざと、窓際に近寄つて、とくに令嬢の名を呼んで、 「近い内に又是非入らつしやい」と云つた。令嬢は窓のなかで、叮嚀に会釈したが、窓の外へは別段の言葉も聞えなかつた。汽車を見送つて、又改札場を出た四人りは、それぎり離れ/″\になつた。梅子は代助を誘つて青山へ連れて行かうとしたが、代助は頭を抑えて応じなかつた。  車に乗つてすぐ牛込へ帰つて、それなり書斎へ這入つて、仰向に倒れた。門野は一寸其様子を覗きに来たが、代助の平生を知つてゐるので、言葉も掛けず、椅子に引つ掛けてある羽織丈を抱へて出て行つた。  代助は寐ながら、自分の近き未来を何うなるものだらうと考へた。斯うして打遣つて置けば、是非共嫁を貰はなければならなくなる。嫁はもう今迄に大分断つてゐる。此上断れば、愛想を尽かされるか、本当に怒り出されるか、何方かになるらしい。もし愛想を尽かされて、結婚勧誘をこれ限り断念して貰へれば、それに越した事はないが、怒られるのは甚だ迷惑である。と云つて、進まぬものを貰ひませうと云ふのは今代人として馬鹿気てゐる。代助は此ヂレンマの間に徊した。  彼は父と違つて、当初からある計画を拵らえて、自然を其計画通りに強ひる古風な人ではなかつた。彼は自然を以て人間の拵えた凡ての計画よりも偉大なものと信じてゐたからである。だから父が、自分の自然に逆らつて、父の計画通りを強ひるならば、それは、去られた妻が、離縁状を楯に夫婦の関係を証拠立てやうとすると一般であると考へた。けれども、そんな理窟を、父に向つて述べる気は、丸でなかつた。父を理攻にする事は困難中の困難であつた。其困難を冒した所で、代助に取つては何等の利益もなかつた。其結果は父の不興を招く丈で、理由を云はずに結婚を拒絶するのと撰む所はなかつた。  彼は父と兄と嫂の三人の中で、父の人格に尤も疑を置いた。今度の結婚にしても、結婚其物が必ずしも父の唯一の目的ではあるまいと迄推察した。けれども父の本意が何処にあるかは、固より明らかに知る機会を与へられてゐなかつた。彼は子として、父の心意を斯様に揣摩する事を、不徳義とは考へなかつた。従つて自分丈が、多くの親子のうちで、尤も不幸なものであると云ふ様な考は少しも起さなかつた。たゞ是がため、今日迄の程度より以上に、父と自分の間が隔つて来さうなのを不快に感じた。  彼は隔離の極端として、父子絶縁の状態を想像して見た。さうして其所に一種の苦痛を認めた。けれども、其苦痛は堪え得られない程度のものではなかつた。寧ろそれから生ずる財源の杜絶の方が恐ろしかつた。  もし馬鈴薯が金剛石より大切になつたら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考へてゐた。向後父の怒に触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に噛り付かなければならない。さうして其償には自然の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた。  彼は寐ながら、何時迄も考へた。けれども、彼の頭は何時迄も何処へも到着する事が出来なかつた。彼は自分の寿命を極める権利を持たぬ如く、自分の未来をも極め得なかつた。同時に、自分の寿命に、大抵の見当を付け得る如く、自分の未来にも多少の影を認めた。さうして、徒らに其影を捕捉しやうと企てた。 十三の二  其時代助の脳の活動は、夕闇を驚ろかす蝙蝠の様な幻像をちらり/\と産み出すに過ぎなかつた。其羽搏の光を追ひ掛けて寐てゐるうちに、頭が床から浮き上がつて、ふわ/\する様に思はれて来た。さうして、何時の間にか軽い眠に陥つた。  すると突然誰か耳の傍で半鐘を打つた。代助は火事と云ふ意識さへまだ起らない先に眼を醒ました。けれども跳ね起きもせずに寐てゐた。彼の夢に斯んな音の出るのは殆んど普通であつた。ある時はそれが正気に返つた後迄も響いてゐた。五六日前彼は、彼の家の大いに揺れる自覚と共に眠を破つた。其時彼は明らかに、彼の下に動く畳の様を、肩と腰と脊の一部に感じた。彼は又夢に得た心臓の鼓動を、覚めた後迄持ち伝へる事が屡あつた。そんな場合には聖徒の如く、胸に手を当てゝ、眼を開けた儘、じつと天井を見詰めてゐた。  代助は此時も半鐘の音が、じいんと耳の底で鳴り尽して仕舞ふ迄横になつて待つてゐた。それから起きた。茶の間へ来て見ると、自分の膳の上に簀垂が掛けて、火鉢の傍に据ゑてあつた。柱時計はもう十二時回つてゐた。婆さんは、飯を済ました後と見えて、下女部屋で御櫃の上に肱を突いて居眠りをしてゐた。門野は何処へ行つたか影さへ見えなかつた。  代助は風呂場へ行つて、頭を濡らしたあと、独り茶の間の膳に就いた。そこで、淋しい食事を済して、再び書斎に戻つたが、久し振りに今日は少し書見をしやうと云ふ心組であつた。  かねて読み掛けてある洋書を、栞の挟んである所で開けて見ると、前後の関係を丸で忘れてゐた。代助の記憶に取つて斯う云ふ現象は寧ろ珍らしかつた。彼は学校生活の時代から一種の読書家であつた。卒業の後も、衣食の煩なしに、講読の利益を適意に収め得る身分を誇りにしてゐた。一頁も眼を通さないで、日を送ることがあると、習慣上何となく荒癈の感を催ふした。だから大抵な事故があつても、成るべく都合して、活字に親んだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領の様な気がした。  代助は今茫然として、烟草を燻らしながら、読み掛けた頁を二三枚あとへ繰つて見た。そこに何んな議論があつて、それが何う続くのか、頭を拵える為に一寸骨を折つた。其努力は艀から桟橋へ移る程楽ではなかつた。食ひ違つた断面の甲に迷付いてゐるものが、急に乙に移るべく余儀なくされた様であつた。代助はそれでも辛抱して、約二時間程眼を頁の上に曝してゐた。が仕舞にとう/\堪え切れなくなつた。彼の読んでゐるものは、活字の集合として、ある意味を以て、彼の頭に映ずるには違ないが、彼の肉や血に廻る気色は一向見えなかつた。彼は氷嚢を隔てゝ、氷に食ひ付いた時の様に物足らなく思つた。  彼は書物を伏せた。さうして、こんな時に書物を読むのは無理だと考へた。同時にもう安息する事も出来なくなつたと考へた。彼の苦痛は何時ものアンニユイではなかつた。何も為るのが慵いと云ふのとは違つて、何か為なくてはゐられない頭の状態であつた。  彼は立ち上がつて、茶の間へ来て、畳んである羽織を又引掛た。さうして玄関に脱ぎ棄てた下駄を穿いて馳け出す様に門を出た。時は四時頃であつた。神楽坂を下りて、当もなく、眼に付いた第一の電車に乗つた。車掌に行先を問はれたとき、口から出任せの返事をした。紙入を開けたら、三千代に遣つた旅行費の余りが、三折の深底の方にまだ這入つてゐた。代助は乗車券を買つた後で、札の数を調べて見た。  彼は其晩を赤坂のある待合で暮らした。其所で面白い話を聞いた。ある若くて美くしい女が、去る男と関係して、其種を宿した所が、愈子を生む段になつて、涙を零して悲しがつた。後から其訳を聞いたら、こんな年で子供を生ませられるのは情ないからだと答へた。此女は愛を専らにする時機が余り短か過ぎて、親子の関係が容赦もなく、若い頭の上を襲つて来たのに、一種の無定を感じたのであつた。それは無論堅気の女ではなかつた。代助は肉の美と、霊の愛にのみ己れを捧げて、其他を顧みぬ女の心理状体として、此話を甚だ興味あるものと思つた。 十三の三  翌日になつて、代助はとう/\又三千代に逢ひに行つた。其時彼は腹の中で、先達て置いて来た金の事を、三千代が平岡に話したらうか、話さなかつたらうか、もし話したとすれば何んな結果を夫婦の上に生じたらうか、それが気掛りだからと云ふ口実を拵らえた。彼は此気掛が、自分を駆つて、凝と落ち付かれない様に、東西に引張回した揚句、遂に三千代の方に吹き付けるのだと解釈した。  代助は家を出る前に、昨夕着た肌着も単衣も悉く改めて気を新にした。外は寒暖計の度盛の日を逐ふて騰る頃であつた。歩いてゐると、湿つぽい梅雨が却つて待ち遠しい程熾んに日が照つた。代助は昨夕の反動で、此陽気な空気の中に落ちる自分の黒い影が苦になつた。広い鍔の夏帽を被りながら、早く雨季に入れば好いと云ふ心持があつた。其雨季はもう二三日の眼前に逼つてゐた。彼の頭はそれを予報するかの様に、どんよりと重かつた。  平岡の家の前へ来た時は、曇つた頭を厚く掩ふ髪の根元が息切れてゐた。代助は家に入る前に先づ帽子を脱いだ。格子には締りがしてあつた。物音を目的に裏へ回ると、三千代は下女と張物をしてゐた。物置の横へ立て掛けた張板の中途から、細い首を前へ出して、曲みながら、苦茶々々になつたものを丹念に引き伸ばしつゝあつた手を留めて、代助を見た。一寸は何とも云はなかつた。代助も、しばらくは唯立つてゐた。漸くにして、 「又来ました」と云つた時、三千代は濡れた手を振つて、馳け込む様に勝手から上がつた。同時に表へ回れと眼で合図をした。三千代は自分で沓脱へ下りて、格子の締を外しながら、 「無用心だから」と云つた。今迄日の透る澄んだ空気の下で、手を動かしてゐた所為で、頬の所が熱つて見えた。それが額際へ来て何時もの様に蒼白く変つてゐる辺に、汗が少し煮染み出した。代助は格子の外から、三千代の極めて薄手な皮膚を眺めて、戸の開くのを静かに待つた。三千代は、 「御待遠さま」と云つて、代助を誘ふ様に、一足横へ退いた。代助は三千代とすれ/\になつて内へ這入つた。座敷へ来て見ると、平岡の机の前に、紫の座蒲団がちやんと据ゑてあつた。代助はそれを見た時一寸厭な心持がした。土の和れない庭の色が黄色に光る所に、長い草が見苦しく生えた。  代助は又忙がしい所を、邪魔に来て済まないといふ様な尋常な云訳を述べながら、此無趣味な庭を眺めた。其時三千代をこんな家へ入れて置くのは実際気の毒だといふ気が起つた。三千代は水いぢりで爪先の少しふやけた手を膝の上に重ねて、あまり退屈だから張物をしてゐた所だと云つた。三千代の退屈といふ意味は、夫が始終外へ出てゐて、単調な留守居の時間を無聊に苦しむと云ふ事であつた。代助はわざと、 「結構な身分ですね」と冷かした。三千代は自分の荒涼な胸の中を代助に訴へる様子もなかつた。黙つて、次の間へ立つて行つた。用簟笥の環を響かして、赤い天鵞絨で張つた小さい箱を持つて出て来た。代助の前へ坐つて、それを開けた。中には昔し代助の遣つた指環がちやんと這入つてゐた。三千代は、たゞ 「可でせう、ね」と代助に謝罪する様に云つて、すぐ又立つて次の間へ行つた。さうして、世の中を憚かる様に、記念の指環をそこ/\に用簟笥に仕舞つて元の坐に戻つた。代助は指環に就ては何事も語らなかつた。庭の方を見て、 「そんなに閑なら、庭の草でも取つたら、何うです」と云つた。すると今度は三千代の方が黙つて仕舞つた。それが、少時続いた後で代助は又改ためて聞いた。 「此間の事を平岡君に話したんですか」  三千代は低い声で、 「いゝえ」と答へた。 「ぢや、未だ知らないんですか」と聞き返した。  其時三千代の説明には、話さうと思つたけれども、此頃平岡はついぞ落ち付いて宅にゐた事がないので、つい話しそびれて未だ知らせずにゐると云ふ事であつた。代助は固より三千代の説明を嘘とは思はなかつた。けれども、五分の閑さへあれば夫に話される事を、今日迄それなりに為てあるのは、三千代の腹の中に、何だか話し悪い或蟠まりがあるからだと思はずにはゐられなかつた。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人にして仕舞つたと代助は考へた。けれども夫は左程に代助の良心を螫すには至らなかつた。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡も此結果に対して明かに責を分たなければならないと思つたからである。 十三の四  代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねて見た。三千代は例によつて多くを語る事を好まなかつた。然し平岡の妻に対する仕打が結婚当時と変つてゐるのは明かであつた。代助は夫婦が東京へ帰つた当時既にそれを見抜いた。夫から以後改まつて両人の腹の中を聞いた事はないが、それが日毎に好くない方に、速度を加へて進行しつゝあるのは殆んど争ふべからざる事実と見えた。夫婦の間に、代助と云ふ第三者が点ぜられたがために、此疎隔が起つたとすれば、代助は此方面に向つて、もつと注意深く働らいたかも知れなかつた。けれども代助は自己の悟性に訴へて、さうは信ずる事が出来なかつた。彼は此結果の一部分を三千代の病気に帰した。さうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与へたものと断定した。又其一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。凡てを概括した上で、平岡は貰ふべからざる人を貰ひ、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した。代助は心の中で痛く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心を動かすが為に、平岡が妻から離れたとは、何うしても思ひ得なかつた。  同時に代助の三千代に対する愛情は、此夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつゝある事もまた一方では否み切れなかつた。三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度迄進んでゐたかは、しばらく措くとしても、彼は現在の三千代には決して無頓着でゐる訳には行かなかつた。彼は病気に冒された三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は小供を亡くなした三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は夫の愛を失ひつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は生活難に苦しみつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。但し、代助は此夫婦の間を、正面から永久に引き放さうと試みる程大胆ではなかつた。彼の愛はさう逆上してはゐなかつた。  三千代の眼のあたり、苦しんでゐるのは経済問題であつた。平岡が自力で給し得る丈の生活費を勝手の方へ回さない事は、三千代の口吻で慥であつた。代助は此点丈でもまづ何うかしなければなるまいと考へた。それで、 「一つ私が平岡君に逢つて、能く話して見やう」と云つた。三千代は淋しい顔をして代助を見た。旨く行けば結構だが、遣り損なへば益三千代の迷惑になる許だとは代助も承知してゐたので、強ひて左様しやうとも主張しかねた。三千代は又立つて次の間から一封の書状を持つて来た。書状は薄青い状袋へ這入つてゐた。北海道にゐる父から三千代へ宛たものであつた。三千代は状袋の中から長い手紙を出して、代助に見せた。  手紙には向ふの思はしくない事や、物価の高くて活計にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云ふ事や、――凡て憐れな事ばかり書いてあつた。代助は叮嚀に手紙を巻き返して、三千代に渡した。其時三千代は眼の中に涙を溜めてゐた。  三千代の父はかつて多少の財産と称へらるべき田畠の所有者であつた。日露戦争の当時、人の勧に応じて、株に手を出して全く遣り損なつてから、潔よく祖先の地を売り払つて、北海道へ渡つたのである。其後の消息は、代助も今此手紙を見せられる迄一向知らなかつた。親類はあれども無きが如しだとは三千代の兄が生きてゐる時分よく代助に語つた言葉であつた。果して三千代は、父と平岡ばかりを便に生きてゐた。 「貴方は羨ましいのね」と瞬きながら云つた。代助はそれを否定する勇気に乏しかつた。しばらくしてから又、 「何だつて、まだ奥さんを御貰ひなさらないの」と聞いた。代助は此問にも答へる事が出来なかつた。 十三の五  しばらく黙然として三千代の顔を見てゐるうちに、女の頬から血の色が次第に退ぞいて行つて、普通よりは眼に付く程蒼白くなつた。其時代助は三千代と差向で、より長く坐つてゐる事の危険に、始めて気が付いた。自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆つて、準縄の埒を踏み超えさせるのは、今二三分の裡にあつた。代助は固より夫より先へ進んでも、猶素知らぬ顔で引返し得る、会話の方を心得てゐた。彼は西洋の小説を読むたびに、そのうちに出て来る男女の情話が、あまりに露骨で、あまりに放肆で、且つあまりに直線的に濃厚なのを平生から怪んでゐた。原語で読めば兎に角、日本には訳し得ぬ趣味のものと考へてゐた。従つて彼は自分と三千代との関係を発展させる為に、舶来の台詞を用ひる意志は毫もなかつた。少なくとも二人の間では、尋常の言葉で充分用が足りたのである。が、其所に、甲の位地から、知らぬ間に乙の位置に滑り込む危険が潜んでゐた。代助は辛うじて、今一歩と云ふ際どい所で、踏み留まつた。帰る時、三千代は玄関迄送つて来て、 「淋しくつて不可ないから、又来て頂戴」と云つた。下女はまだ裏で張物をしてゐた。  表へ出た代助は、ふら/\と一丁程歩いた。好い所で切り上げたといふ意識があるべき筈であるのに、彼の心にはさう云ふ満足が些とも無かつた。と云つて、もつと三千代と対座してゐて、自然の命ずるが儘に、話し尽して帰れば可かつたといふ後悔もなかつた。彼は、彼所で切り上げても、五分十分の後切り上げても、必竟は同じ事であつたと思ひ出した。自分と三千代との現在の関係は、此前逢つた時、既に発展してゐたのだと思ひ出した。否、其前逢つた時既に、と思ひ出した。代助は二人の過去を順次に溯ぼつて見て、いづれの断面にも、二人の間に燃る愛の炎を見出さない事はなかつた。必竟は、三千代が平岡に嫁ぐ前、既に自分に嫁いでゐたのも同じ事だと考へ詰めた時、彼は堪えがたき重いものを、胸の中に投げ込まれた。彼は其重量の為に、足がふらついた。家に帰つた時、門野が、 「大変顔の色が悪い様ですね、何うかなさいましたか」と聞いた。代助は風呂場へ行つて、蒼い額から奇麗に汗を拭き取つた。さうして、長く延び過ぎた髪を冷水に浸した。  それから二日程代助は全く外出しなかつた。三日目の午後、電車に乗つて、平岡を新聞社に尋ねた。彼は平岡に逢つて、三千代の為に充分話をする決心であつた。給仕に名刺を渡して、埃だらけの受付に待つてゐる間、彼はしばしば袂から手帛を出して、鼻を掩ふた。やがて、二階の応接間へ案内された。其所は風通しの悪い、蒸し暑い、陰気な狭い部屋であつた。代助は此所で烟草を一本吹かした。編輯室と書いた戸口が始終開いて、人が出たり這入つたりした。代助の逢ひに来た平岡も其戸口から現はれた。先達て見た夏服を着て、相変らず奇麗な襟とカフスを掛けてゐた。忙しさうに、 「やあ、暫く」と云つて代助の前に立つた。代助も相手に唆かされた様に立ち上がつた。二人は立ちながら一寸話をした。丁度編輯のいそがしい時で緩くり何うする事も出来なかつた。代助は改めて平岡の都合を聞いた。平岡はポツケツトから時計を出して見て、 「失敬だが、もう一時間程して来てくれないか」と云つた。代助は帽子を取つて、又暗い埃だらけの階段を下りた。表へ出ると、夫でも涼しい風が吹いた。  代助はあてもなく、其所いらを逍遥いた。さうして、愈平岡と逢つたら、どんな風に話を切り出さうかと工夫した。代助の意は、三千代に刻下の安慰を、少しでも与へたい為に外ならなかつた。けれども、夫が為に、却つて平岡の感情を害する事があるかも知れないと思つた。代助は其悪結果の極端として、平岡と自分の間に起り得る破裂をさへ予想した。然し、其時は何んな具合にして、三千代を救はうかと云ふ成案はなかつた。代助は三千代と相対づくで、自分等二人の間をあれ以上に何うかする勇気を有たなかつたと同時に、三千代のために、何かしなくては居られなくなつたのである。だから、今日の会見は、理知の作用から出た安全の策と云ふよりも、寧ろ情の旋風に捲き込まれた冒険の働きであつた。其所に平生の代助と異なる点があらはれてゐた。けれども、代助自身は夫に気が付いてゐなかつた。一時間の後彼は又編輯室の入口に立つた。さうして、平岡と一所に新聞社の門を出た。 十三の六  裏通りを三四丁来た所で、平岡が先へ立つて或家に這入つた。座敷の軒に釣忍が懸つて、狭い庭が水で一面に濡れてゐた。平岡は上衣を脱いで、すぐ胡坐をかいた。代助は左程暑いとも思はなかつた。団扇は手にした丈で済んだ。  会話は新聞社内の有様から始まつた。平岡は忙しい様で却つて楽な商買で好いと云つた。其語気には別に負惜みの様子も見えなかつた。代助は、それは無責任だからだらうと調戯つた。平岡は真面目になつて、弁解をした。さうして、今日の新聞事業程競争の烈しくて、機敏な頭を要するものはないと云ふ理由を説明した。 「成程たゞ筆が達者な丈ぢや仕様があるまいよ」と代助は別に感服した様子を見せなかつた。すると、平岡は斯う云つた。 「僕は経済方面の係りだが、単にそれ丈でも中々面白い事実が挙がつてゐる。ちと、君の家の会社の内幕でも書いて御覧に入れやうか」  代助は自分の平生の観察から、斯んな事を云はれて、驚ろく程ぼんやりしては居なかつた。 「書くのも面白いだらう。其代り公平に願ひたいな」と云つた。 「無論嘘は書かない積だ」 「いえ、僕の兄の会社ばかりでなく、一列一体に筆誅して貰ひたいと云ふ意味だ」  平岡は此時邪気のある笑ひ方をした。さうして、 「日糖事件丈ぢや物足りないからね」と奥歯に物の挟まつた様に云つた。代助は黙つて酒を飲んだ。話は此調子で段々はずみを失ふ様に見えた。すると平岡は、実業界の内状に関聯するとでも思つたものか、何かの拍子に、ふと、日清戦争の当時、大倉組に起つた逸話を代助に吹聴した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納める筈になつてゐた。それを毎日何頭かづつ、納めて置いては、夜になると、そつと行つて偸み出して来た。さうして、知らぬ顔をして、翌日同じ牛を又納めた。役人は毎日々々同じ牛を何遍も買つてゐた。が仕舞に気が付いて、一遍受取つた牛には焼印を押した。所がそれを知らずに、又偸み出した。のみならず、それを平気に翌日連れて行つたので、とう/\露見して仕舞つたのださうである。  代助は此話を聞いた時、その実社会に触れてゐる点に於て、現代的滑稽の標本だと思つた。平岡はそれから、幸徳秋水と云ふ社会主義の人を、政府がどんなに恐れてゐるかと云ふ事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人宛昼夜張番をしてゐる。一時は天幕を張つて、其中から覗つてゐた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へ来たと、夫から夫へと電話が掛つて東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使つてゐる。同じ仲間の飴屋が、大道で飴細工を拵えてゐると、白服の巡査が、飴の前へ鼻を出して、邪魔になつて仕方がない。  是も代助の耳には、真面目な響を与へなかつた。 「矢っ張り現代的滑稽の標本ぢやないか」と平岡は先刻の批評を繰り返しながら、代助を挑んだ。代助はさうさと笑つたが、此方面にはあまり興味がないのみならず、今日は平生の様に普通の世間話をする気でないので、社会主義の事はそれなりにして置いた。先刻平岡の呼ばうと云ふ芸者を無理に已めさしたのも是が為であつた。 「実は君に話したい事があるんだが」と代助は遂に云ひ出した。すると、平岡は急に様子を変へて、落ち付かない眼を代助の上に注いだが、卒然として、 「そりや、僕も疾うから、何うかする積なんだけれども、今の所ぢや仕方がない。もう少し待つて呉れ玉へ。其代り君の兄さんや御父さんの事も、斯うして書かずにゐるんだから」と代助には意表な返事をした。代助は馬鹿馬鹿しいと云ふより、寧ろ一種の憎悪を感じた。 「君も大分変つたね」と冷かに云つた。 「君の変つた如く変つちまつた。斯う摺れちや仕方がない。だから、もう少し待つて呉れ給へ」と答へて、平岡はわざとらしい笑ひ方をした。 十三の七  代助は平岡の言語の如何に拘はらず、自分の云ふ事丈は云はうと極めた。なまじい、借金の催促に来たんぢやない抔と弁明すると、又平岡が其裏を行くのが癪だから、向ふの疳違は、疳違で構はないとして置いて、此方は此方の歩を進める態度に出た。けれども第一に困つたのは、平岡の勝手元の都合を、三千代の訴へによつて知つたと切り出しては、三千代に迷惑が掛るかも知れない。と云つて、問題が其所に触れなければ、忠告も助言も全く無益である。代助は仕方なしに迂回した。 「君は近来斯う云ふ所へ大分頻繁に出はいりをすると見えて、家のものとは、みんな御馴染だね」 「君の様に金回りが好くないから、さう豪遊も出来ないが、交際だから仕方がないよ」と云つて、平岡は器用な手付をして猪口を口へ着けた。 「余計な事だが、それで家の方の経済は、収支償なふのかい」と代助は思ひ切つて猛進した。 「うん。まあ、好い加減にやつてるさ」  斯う云つた平岡は、急に調子を落して、極めて気のない返事をした。代助は夫限食ひ込めなくなつた。已を得ず、 「不断は今頃もう家へ帰つてゐるんだらう。此間僕が訪ねた時は大分遅かつた様だが」と聞いた。すると、平岡は矢張問題を回避する様な語気で、 「まあ帰つたり、帰らなかつたりだ。職業が斯う云ふ不規則な性質だから、仕方がないさ」と、半ば自分を弁護するためらしく、曖昧に云つた。 「三千代さんは淋しいだらう」 「なに大丈夫だ。彼奴も大分変つたからね」と云つて、平岡は代助を見た。代助は其眸の内に危しい恐れを感じた。ことによると、此夫婦の関係は元に戻せないなと思つた。もし此夫婦が自然の斧で割き限に割かれるとすると、自分の運命は取り帰しの付かない未来を眼の前に控えてゐる。夫婦が離れゝば離れる程、自分と三千代はそれ丈接近しなければならないからである。代助は即座の衝動の如くに云つた。―― 「そんな事が、あらう筈がない。いくら、変つたつて、そりや唯年を取つた丈の変化だ。成るべく帰つて三千代さんに安慰を与へて遣れ」 「君はさう思ふか」と云ひさま平岡はぐいと飲んだ。代助は、たゞ、 「思ふかつて、誰だつて左様思はざるを得んぢやないか」と半ば口から出任せに答へた。 「君は三千代を三年前の三千代と思つてるか。大分変つたよ。あゝ、大分変つたよ」と平岡は又ぐいと飲んだ。代助は覚えず胸の動悸を感じた。 「同なじだ、僕の見る所では全く同じだ。少しも変つてゐやしない」 「だつて、僕は家へ帰つても面白くないから仕方がないぢやないか」 「そんな筈はない」  平岡は眼を丸くして又代助を見た。代助は少し呼吸が逼つた。けれども、罪あるものが雷火に打たれた様な気は全たくなかつた。彼は平生にも似ず論理に合はない事をたゞ衝動的に云つた。然しそれは眼の前にゐる平岡のためだと固く信じて疑はなかつた。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それを便に、自分を三千代から永く振り放さうとする最後の試みを、半ば無意識的に遣つた丈であつた。自分と三千代の関係を、平岡から隠す為の、糊塗策とは毫も考へてゐなかつた。代助は平岡に対して、左程に不信な言動を敢てするには、余りに高尚であると、優に自己を評価してゐた。しばらくしてから、代助は又平生の調子に帰つた。 「だつて、君がさう外へ許出てゐれば、自然金も要る。従つて家の経済も旨く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなる丈ぢやないか」  平岡は、白襯衣の袖を腕の中途迄捲り上げて、 「家庭か。家庭もあまり下さつたものぢやない。家庭を重く見るのは、君の様な独身者に限る様だね」と云つた。 十三の八  此言葉を聞いたとき、代助は平岡が悪くなつた。あからさまに自分の腹の中を云ふと、そんなに家庭が嫌なら、嫌でよし、其代り細君を奪つちまふぞと判然知らせたかつた。けれども二人の問答は、其所迄行くには、まだ中中間があつた。代助はもう一遍外の方面から平岡の内部に触れて見た。 「君が東京へ着たてに、僕は君から説教されたね。何か遣れつて」 「うん。さうして君の消極な哲学を聞かされて驚ろいた」  代助は実際平岡が驚ろいたらうと思つた。その時の平岡は、熱病に罹つた人間の如く行為に渇いてゐた。彼は行為の結果として、富を冀つてゐたか、もしくは名誉、もしくは権勢を冀つてゐたか。夫でなければ、活動としての行為其物を求めてゐたか。それは代助にも分らなかつた。 「僕の様に精神的に敗残した人間は、已を得ず、あゝ云ふ消極な意見も出すが。――元来意見があつて、人がそれに則るのぢやない。人があつて、其人に適した様な意見が出て来るのだから、僕の説は僕丈に通用する丈だ。決して君の身の上を、あの説で、何うしやうの斯うしやうのと云ふ訳ぢやない。僕はあの時の君の意気に敬服してゐる。君はあの時自分で云つた如く、全く活動の人だ。是非共活動して貰ひたい」 「無論大いに遣る積だ」  平岡の答はたゞ此一句限であつた。代助は腹の中で首を傾けた。 「新聞で遣る積かね」  平岡は一寸躇した。が、やがて、判然云ひ放つた。―― 「新聞にゐるうちは、新聞で遣る積だ」 「大いに要領を得てゐる。僕だつて君の一生涯の事を聞いてゐるんぢやないから、返事はそれで沢山だ。然し新聞で君に面白い活動が出来るかね」 「出来る積だ」と平岡は簡明な挨拶をした。  話は此所迄来ても、たゞ抽象的に進んだ丈であつた。代助は言葉の上でこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届ける事は些とも出来なかつた。代助は何となく責任のある政府委員か弁護士を相手にしてゐる様な気がした。代助は此時思ひ切つた政略的な御世辞を云つた。それには軍神広瀬中佐の例が出て来た。広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加はつて斃れたため、当時の人から偶像視されて、とう/\軍神と迄崇められた。けれども、四五年後の今日に至つて見ると、もう軍神広瀬中佐の名を口にするものも殆んどなくなつて仕舞つた。英雄の流行廃はこれ程急劇なものである。と云ふのは、多くの場合に於て、英雄とは其時代に極めて大切な人といふ事で、名前丈は偉さうだけれども、本来は甚だ実際的なものである。だから其大切な時機を通り越すと、世間は其資格を段々奪ひにかゝる。露西亜と戦争の最中こそ、閉塞隊は大事だらうが、平和克復の暁には、百の広瀬中佐も全くの凡人に過ぎない。世間は隣人に対して現金である如く、英雄に対しても現金である。だから、斯う云ふ偶像にも亦常に新陳代謝や生存競争が行はれてゐる。さう云ふ訳で、代助は英雄なぞに担がれたい了見は更にない。が、もし茲に野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的の剣の力よりも、永久的の筆の力で、英雄になつた方が長持がする。新聞は其方面の代表的事業である。  代助は此所迄述べて見たが、元来が御世辞の上に、云ふ事があまり書生らしいので、自分の内心には多少滑稽に取れる位、気が乗らなかつた。平岡は其返事に、 「いや難有う」と云つた丈であつた。別段腹を立てた様子も見えなかつたが、些とも感激してゐないのは、此返事でも明かであつた。  代助は少々平岡を低く見過ぎたのに恥ぢ入つた。実は此側から、彼の心を動かして、旨く油の乗つた所を、中途から転がして、元の家庭へ滑り込ませるのが、代助の計画であつた。代助は此迂遠で、又尤も困難の方法の出立点から、程遠からぬ所で、蹉跌して仕舞つた。 十三の九  其夜代助は平岡と遂に愚図々々で分れた。会見の結果から云ふと、何の為に平岡を新聞社に訪ねたのだか、自分にも分らなかつた。平岡の方から見れば、猶更左様であつた。代助は必竟何しに新聞社迄出掛て来たのか、帰る迄ついに問ひ詰めづに済んで仕舞つた。  代助は翌日になつて独り書斎で、昨夕の有様を何遍となく頭の中で繰り返した。二時間も一所に話してゐるうちに、自分が平岡に対して、比較的真面目であつたのは、三千代を弁護した時丈であつた。けれども其真面目は、単に動機の真面目で、口にした言葉は矢張好加減な出任せに過ぎなかつた。厳酷に云へば、嘘許と云つても可かつた。自分で真面目だと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段である。平岡から見れば、固より真摯なものとは云へなかつた。まして、其他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へ落し込まうと、たくらんで掛つた、打算的のものであつた。従つて平岡を何うする事も出来なかつた。  もし思ひ切つて、三千代を引合に出して、自分の考へ通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もつと強い事が云へた。もつと平岡を動揺る事が出来た。もつと彼の肺腑に入る事が出来た。に違ない。其代り遣り損へば、三千代に迷惑がかゝつて来る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。  代助は知らず/\の間に、安全にして無能力な方針を取つて、平岡に接してゐた事を腑甲斐なく思つた。もし斯う云ふ態度で平岡に当りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯してゐたと云はなければならない。  代助は昔の人が、頭脳の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りに動かし得たのを羨ましく思つた。自分の頭が、その位のぼんやりさ加減であつたら、昨夕の会談にも、もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事が出来たかも知れない。彼は人から、ことに自分の父から、熱誠の足りない男だと云はれてゐた。彼の解剖によると、事実は斯うであつた。人間は熱誠を以て当つて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。夫よりも、ずつと下等なものである。其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒つて、己れを高くする山師に過ぎない。だから彼の冷淡は、人間としての進歩とは云へまいが、よりよく人間を解剖した結果には外ならなかつた。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味して見て、其あまりに、狡黠くつて、不真面目で、大抵は虚偽を含んでゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである。と、彼は断然信じてゐた。  此所で彼は一のヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失つたものと等しいと考へた。其他のあらゆる中途半端の方法は、偽に始つて、偽に終るより外に道はない。悉く社会的に安全であつて、悉く自己に対して無能無力である。と考へた。  彼は三千代と自分の関係を、天意によつて、――彼はそれを天意としか考へ得られなかつた。――醗酵させる事の社会的危険を承知してゐた。天意には叶ふが、人の掟に背く恋は、其恋の主の死によつて、始めて社会から認められるのが常であつた。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄然とした。  彼は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像して見た。其時は天意に従ふ代りに、自己の意志に殉する人にならなければ済まなかつた。彼は其手段として、父や嫂から勧められてゐた結婚に思ひ至つた。さうして、此結婚を肯ふ事が、凡ての関係を新にするものと考へた。 十四の一  自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張つた方針の下に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達して居る事を切に自覚した。  彼は結婚問題に就て、まあ能く考へて見ろと云はれて帰つたぎり、未だに、それを本気に考へる閑を作らなかつた。帰つた時、まあ今日も虎口を逃れて難有かつたと感謝したぎり、放り出して仕舞つた。父からはまだ何とも催促されないが、此二三日は又青山へ呼び出されさうな気がしてならなかつた。代助は固より呼び出される迄何も考へずにゐる気であつた。呼び出されたら、父の顔色と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心組であつた。代助はあながち父を馬鹿にする了見ではなかつた。あらゆる返事は、斯う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来るのが本当だと思つてゐた。  もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前迄押し詰められた様な気持がなかつたなら、代助は父に対して無論さう云ふ所置を取つたらう。けれども、代助は今相手の顔色如何に拘はらず、手に持つた賽を投げなければならなかつた。上になつた目が、平岡に都合が悪からうと、父の気に入らなからうと、賽を投げる以上は、天の法則通りになるより外に仕方はなかつた。賽を手に持つ以上は、又賽が投げられ可く作られたる以上は、賽の目を極めるものは自分以外にあらう筈はなかつた。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。父も兄も嫂も平岡も、決断の地平線上には出て来なかつた。  彼はたゞ彼の運命に対してのみ卑怯であつた。此四五日は掌に載せた賽を眺め暮らした。今日もまだ握つてゐた。早く運命が戸外から来て、其手を軽く敲いて呉れれば好いと思つた。が、一方では、まだ握つてゐられると云ふ意識が大層嬉しかつた。  門野は時々書斎へ来た。来る度に代助は洋卓の前に凝としてゐた。 「些と散歩にでも御出になつたら如何です。左様御勉強ぢや身体に悪いでせう」と云つた事が一二度あつた。成程顔色が好くなかつた。夏向になつたので、門野が湯を毎日沸かして呉れた。代助は風呂場に行くたびに、長い間鏡を見た。髯の濃い男なので、少し延びると、自分には大層見苦しく見えた。触つて、ざら/\すると猶不愉快だつた。  飯は依然として、普通の如く食つた。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈托とで、排泄機能に変化を起した。然し代助はそれを何とも思はなかつた。生理状態は殆んど苦にする暇のない位、一つ事をぐる/\回つて考へた。それが習慣になると、終局なく、ぐる/\回つてゐる方が、埒の外へ飛び出す努力よりも却つて楽になつた。  代助は最後に不決断の自己嫌悪に陥つた。已を得ないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断らうかと迄考へて、覚えず驚ろいた。然し三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾して見様かといふ気は、ぐる/\回転してゐるうちに一度も出て来なかつた。  縁談を断る方は単独にも何遍となく決定が出来た。たゞ断つた後、其反動として、自分をまともに三千代の上に浴せかけねば已まぬ必然の勢力が来るに違ないと考へると、其所に至つて、又恐ろしくなつた。  代助は父からの催促を心待に待つてゐた。しかし父からは何の便もなかつた。三千代にもう一遍逢はうかと思つた。けれども、それ程の勇気も出なかつた。  一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人の上に及ぼしさうもないと云ふ考が、段々代助の脳裏に勢力を得て来た。既に平岡に嫁いだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、此上自分に既婚者の資格を与へたからと云つて、同様の関係が続かない訳には行かない。それを続かないと見るのはたゞ表向の沙汰で、心を束縛する事の出来ない形式は、いくら重ねても苦痛を増す許である。と云ふのが代助の論法であつた。代助は縁談を断るより外に道はなくなつた。 十四の二  斯う決心した翌日、代助は久し振りに髪を刈つて髯を剃つた。梅雨に入つて二三日凄まじく降つた揚句なので、地面にも、木の枝にも、埃らしいものは悉くしつとりと静まつてゐた。日の色は以前より薄かつた。雲の切れ間から、落ちて来る光線は、下界の湿り気のために、半ば反射力を失つた様に柔らかに見えた。代助は床屋の鏡で、わが姿を映しながら、例の如くふつくらした頬を撫でゝ、今日から愈積極的生活に入るのだと思つた。  青山へ来て見ると、玄関に車が二台程あつた。供待の車夫は蹴込に倚り掛つて眠つた儘、代助の通り過ぎるのを知らなかつた。座敷には梅子が新聞を膝の上へ乗せて、込み入つた庭の緑をぼんやり眺めてゐた。是もぽかんと眠むさうであつた。代助はいきなり梅子の前へ坐つた。 「御父さんは居ますか」  嫂は返事をする前に、一応代助の様子を、試験官の眼で見た。 「代さん、少し瘠せた様ぢやありませんか」と云つた。代助は又頬を撫でて、 「そんな事も無いだらう」と打ち消した。 「だつて、色沢が悪いのよ」と梅子は眼を寄せて代助の顔を覗き込んだ。 「庭の所為だ。青葉が映るんだ」と庭の植込の方を見たが、「だから貴方だつて、矢っ張り蒼いですよ」と続けた。 「私、此二三日具合が好くないんですもの」 「道理でぽかんとして居ると思つた。何うかしたんですか。風邪ですか」 「何だか知らないけれど生欠許り出て」  梅子は斯う答へて、すぐ新聞を膝から卸すと、手を鳴らして、小間使を呼んだ。代助は再び父の在、不在を確めた。梅子は其問をもう忘れてゐた。聞いて見ると、玄関にあつた車は、父の客の乗つて来たものであつた。代助は長く懸ゝらなければ、客の帰る迄待たうと思つた。嫂は判然しないから、風呂場へ行つて、水で顔を拭いて来ると云つて立つた。下女が好い香のする葛の粽を、深い皿に入れて持つて来た。代助は粽の尾をぶら下げて、頻りに嗅いで見た。  梅子が涼しい眼付になつて風呂場から帰つた時、代助は粽の一つを振子の様に振りながら、今度は、 「兄さんは何うしました」と聞いた。梅子はすぐ此陳腐な質問に答へる義務がないかの如く、しばらく椽鼻に立つて、庭を眺めてゐたが、 「二三日の雨で、苔の色が悉皆出た事」と平生に似合はぬ観察をして、故の席に返つた。さうして、 「兄さんが何うしましたつて」と聞き直した。代助は先の質問を繰り返した時、嫂は尤も無頓着な調子で、 「何うしましたつて、例の如くですわ」と答へた。 「相変らず、留守勝ですか」 「えゝ、えゝ、朝も晩も滅多に宅に居た事はありません」 「姉さんは夫で淋しくはないですか」 「今更改まつて、そんな事を聞いたつて仕方がないぢやありませんか」と梅子は笑ひ出した。調戯ふんだと思つたのか、あんまり小供染みてゐると思つたのか殆んど取り合ふ気色はなかつた。代助も平生の自分を振り返つて見て、真面目に斯んな質問を掛けた今の自分を、寧ろ奇体に思つた。今日迄兄と嫂の関係を長い間目撃してゐながら、ついぞ其所には気が付かなかつた。嫂も亦代助の気が付く程物足りない素振は見せた事がなかつた。 「世間の夫婦は夫で済んで行くものかな」と独言の様に云つたが、別に梅子の返事を予期する気もなかつたので、代助は向の顔も見ず、たゞ畳の上に置いてある新聞に眼を落した。すると梅子は忽ち、 「何ですつて」と切り込む様に云つた。代助の眼が、其調子に驚ろいて、ふと自分の方に視線を移した時、 「だから、貴方が奥さんを御貰ひなすつたら、始終宅に許ゐて、たんと可愛がつて御上げなさいな」と云つた。代助は始めて相手が梅子であつて、自分が平生の代助でなかつた事を自覚した。それで成るべく不断の調子を出さうと力めた。 十四の三  けれども、代助の精神は、結婚謝絶と、其謝絶に次いで起るべき、三千代と自分の関係にばかり注がれてゐた。従つて、いくら平生の自分に帰つて、梅子の相手になる積でも、梅子の予期してゐない、変つた音色が、時々会話の中に、思はず知らず出て来た。 「代さん、貴方今日は何うかしてゐるのね」と仕舞に梅子が云つた。代助は固より嫂の言葉を側面へ摺らして受ける法をいくらでも心得てゐた。然るに、それを遣るのが、軽薄の様で、又面倒な様で、今日は厭になつた。却つて真面目に、何処が変か教へて呉れと頼んだ。梅子は代助の問が馬鹿気てゐるので妙な顔をした。が、代助が益頼むので、では云つて上げませうと前置をして、代助の何うかしてゐる例を挙げ出した。梅子は勿論わざと真面目を装つてゐるものと代助を解釈した。其中に、 「だつて、兄さんが留守勝で、嘸御淋しいでせうなんて、あんまり思遣りが好過ぎる事を仰しやるからさ」と云ふ言葉があつた。代助は其所へ自分を挟んだ。 「いや、僕の知つた女に、左様云ふのが一人あつて、実は甚だ気の毒だから、つい他の女の心持も聞いて見たくなつて、伺つたんで、決して冷かした積ぢやないんです」 「本当に? 夫や一寸何てえ方なの」 「名前は云ひ悪いんです」 「ぢや、貴方が其旦那に忠告をして、奥さんをもつと可愛がるやうにして御上になれば可いのに」  代助は微笑した。 「姉さんも、さう思ひますか」 「当り前ですわ」 「もし其夫が僕の忠告を聞かなかつたら、何うします」 「そりや、何うも仕様がないわ」 「放つて置くんですか」 「放つて置かなけりや、何うなさるの」 「ぢや、其細君は夫に対して細君の道を守る義務があるでせうか」 「大変理責めなのね。夫や旦那の不親切の度合にも因るでせう」 「もし、其細君に好きな人があつたら何うです」 「知らないわ。馬鹿らしい。好きな人がある位なら、始めつから其方へ行つたら好いぢやありませんか」  代助は黙つて考へた。しばらくしてから、姉さんと云つた。梅子は其深い調子に驚ろかされて、改ためて代助の顔を見た。代助は同じ調子で猶云つた。 「僕は今度の縁談を断らうと思ふ」  代助の巻烟草を持つた手が少し顫へた。梅子は寧ろ表情を失つた顔付をして、謝絶の言葉を聞いた。代助は相手の様子に頓着なく進行した。 「僕は今迄結婚問題に就いて、貴方に何返となく迷惑を掛けた上に、今度も亦心配して貰つてゐる。僕ももう三十だから、貴方の云ふ通り、大抵な所で、御勧め次第になつて好いのですが、少し考があるから、この縁談もまあ已めにしたい希望です。御父さんにも、兄さんにも済まないが、仕方がない。何も当人が気に入らないと云ふ訳ではないが、断るんです。此間御父さんによく考へて見ろと云はれて、大分考へて見たが、矢っ張り断る方が好い様だから断ります。実は今日は其用で御父さんに逢ひに来たんですが、今御客の様だから、序と云つては失礼だが、貴方にも御話をして置きます」  梅子は代助の様子が真面目なので、何時もの如く無駄口も入れずに聞いてゐたが、聞き終つた時、始めて自分の意見を述べた。それが極めて簡単な且つ極めて実際的な短かい句であつた。 「でも、御父さんは屹度御困りですよ」 「御父さんには僕が直に話すから構ひません」 「でも、話がもう此所迄進んでゐるんだから」 「話が何所迄進んでゐやうと、僕はまだ貰ひますと云つた事はありません」 「けれども判然貰はないとも仰しやらなかつたでせう」 「それを今云ひに来た所です」  代助と梅子は向ひ合つたなり、しばらく黙つた。 十四の四  代助の方では、もう云ふ可き事を云ひ尽くした様な気がした。少なくとも、是より進んで、梅子に自分を説明しやうといふ考は丸で無かつた。梅子は語るべき事、聞くべき事を沢山持つてゐた。たゞ夫が咄嗟の間に、前の問答に繋がり好く、口へ出て来なかつたのである。 「貴方の知らない間に、縁談が何れ程進んだのか、私にも能く分らないけれど、誰にしたつて、貴方が、さう的確御断りなさらうとは思ひ掛けないんですもの」と梅子は漸くにして云つた。 「何故です」と代助は冷かに落ち付いて聞いた。梅子は眉を動かした。 「何故ですつて聞いたつて、理窟ぢやありませんよ」 「理窟でなくつても構はないから話して下さい」 「貴方の様にさう何遍断つたつて、詰り同じ事ぢやありませんか」と梅子は説明した。けれども、其意味がすぐ代助の頭には響かなかつた。不可解の眼を挙げて梅子を見た。梅子は始めて自分の本意を布衍しに掛かつた。 「つまり、貴方だつて、何時か一度は、御奥さんを貰ふ積なんでせう。厭だつて、仕方がないぢやありませんか。其様何時迄も我儘を云つた日には、御父さんに済まない丈ですわ。だからね。何うせ誰を持つて行つても気に入らない貴方なんだから、つまり誰を持たしたつて同じだらうつて云ふ訳なんです。貴方には何んな人を見せても駄目なんですよ。世の中に一人も気に入る様なものは生きてやしませんよ。だから、奥さんと云ふものは、始めから気に入らないものと、諦らめて貰ふより外に仕方がないぢやありませんか。だから私達が一番好いと思ふのを、黙つて貰へば、夫で何所も彼所も丸く治まつちまふから、――だから、御父さんが、殊によると、今度は、貴方に一から十迄相談して、何か為さらないかも知れませんよ。御父さんから見れば夫が当り前ですもの。さうでも、為なくつちや、生きてる内に、貴方の奥さんの顔を見る事は出来ないぢやありませんか」  代助は落ち付いて嫂の云ふ事を聴いてゐた。梅子の言葉が切れても、容易に口を動かさなかつた。若し反駁をする日には、話が段々込み入る許で、此方の思ふ所は決して、梅子の耳へ通らないと考へた。けれども向ふの云ひ分を肯ふ気は丸でなかつた。実際問題として、双方が困る様になる許と信じたからである。それで、嫂に向つて、 「貴方の仰しやる所も、一理あるが、私にも私の考があるから、まあ打遣つて置いて下さい」と云つた。其調子には梅子の干渉を面倒がる気色が自然と見えた。すると梅子は黙つてゐなかつた。 「そりや代さんだつて、小供ぢやないから、一人前の考の御有な事は勿論ですわ。私なんぞの要らない差出口は御迷惑でせうから、もう何にも申しますまい。然し御父さんの身になつて御覧なさい。月々の生活費は貴方の要ると云ふ丈今でも出して入らつしやるんだから、つまり貴方は書生時代よりも余計御父さんの厄介になつてる訳でせう。さうして置いて、世話になる事は、元より世話になるが、年を取つて一人前になつたから、云ふ事は元の通りには聞かれないつて威張つたつて通用しないぢやありませんか」  梅子は少し激したと見えて猶も云ひ募らうとしたのを、代助が遮つた。 「だつて、女房を持てば此上猶御父さんの厄介に為らなくつちや為らないでせう」 「宜いぢやありませんか、御父さんが、其方が好いと仰しやるんだから」 「ぢや、御父さんは、いくら僕の気に入らない女房でも、是非持たせる決心なんですね」 「だつて、貴方に好いたのがあればですけれども、そんなのは日本中探して歩いたつて無いんぢやありませんか」 「何うして、夫が分ります」  梅子は張の強い眼を据ゑて、代助を見た。さうして、 「貴方は丸で代言人の様な事を仰しやるのね」と云つた。代助は蒼白くなつた額を嫂の傍へ寄せた。 「姉さん、私は好いた女があるんです」と低い声で云ひ切つた。 十四の五  代助は今迄冗談に斯んな事を梅子に向つて云つた事が能くあつた。梅子も始めはそれを本気に受けた。そつと手を廻して真相を探つて見た抔といふ滑稽もあつた。事実が分つて以後は、代助の所謂好いた女は、梅子に対して一向利目がなくなつた。代助がそれを云ひ出しても、丸で取り合はなかつた。でなければ、茶化してゐた。代助の方でも夫で平気であつた。然し此場合丈は彼に取つて、全く特別であつた。顔付と云ひ、眼付と云ひ、声の低い底に籠る力と云ひ、此所迄押し逼つて来た前後の関係と云ひ、凡ての点から云つて、梅子をはつと思はせない訳に行かなかつた。嫂は此短い句を、閃めく懐剣の如くに感じた。  代助は帯の間から時計を出して見た。父の所へ来てゐる客は中々帰りさうにもなかつた。空は又曇つて来た。代助は一旦引き上げて又改ためて、父と話を付けに出直す方が便宜だと考へた。 「僕は又来ます。出直して来て御父さんに御目に掛る方が好いでせう」と立ちにかかつた。梅子は其間に回復した。梅子は飽く迄人の世話を焼く実意のある丈に、物を中途で投げる事の出来ない女であつた。抑える様に代助を引き留めて、女の名を聞いた。代助は固より答へなかつた。梅子は是非にと逼つた。代助は夫でも応じなかつた。すると梅子は何故其女を貰はないのかと聞き出した。代助は単純に貰へないから、貰はないのだと答へた。梅子は仕舞に涙を流した。他の尽力を出し抜いたと云つて恨んだ。何故始から打ち明けて話さないかと云つて責めた。かと思ふと、気の毒だと云つて同情して呉れた。けれども代助は三千代に就ては、遂に何事も語らなかつた。梅子はとう/\我を折つた。代助の愈帰ると云ふ間際になつて、 「ぢや、貴方から直に御父さんに御話なさるんですね。それ迄は私は黙つてゐた方が好いでせう」と聞いた。代助は黙つてゐて貰ふ方が好いか、話して貰ふ方が好いか、自分にも分らなかつた。 「左様ですね」と躇したが、「どうせ、断りに来るんだから」と云つて嫂の顔を見た。 「ぢや、若し話す方が都合が好ささうだつたら話しませう。もし又悪るい様だつたら、何にも云はずに置くから、貴方が始から御話なさい。夫が宜いでせう」と梅子は親切に云つて呉れた。代助は、 「何分宜しく」と頼んで外へ出た。角へ来て、四谷から歩く積で、わざと、塩町行の電車に乗つた。練兵場の横を通るとき、重い雲が西で切れて、梅雨には珍らしい夕陽が、真赤になつて広い原一面を照らしてゐた。それが向を行く車の輪に中つて、輪が回る度に鋼鉄の如く光つた。車は遠い原の中に小さく見えた。原は車の小さく見える程、広かつた。日は血の様に毒々しく照つた。代助は此光景を斜めに見ながら、風を切つて電車に持つて行かれた。重い頭の中がふら/\した。終点迄来た時は、精神が身体を冒したのか、精神の方が身体に冒されたのか、厭な心持がして早く電車を降りたかつた。代助は雨の用心に持つた蝙蝠傘を、杖の如く引き摺つて歩いた。  歩きながら、自分は今日、自ら進んで、自分の運命の半分を破壊したのも同じ事だと、心のうちに囁いだ。今迄は父や嫂を相手に、好い加減な間隔を取つて、柔らかに自我を通して来た。今度は愈本性を露はさなければ、それを通し切れなくなつた。同時に、此方面に向つて、在来の満足を求め得る希望は少なくなつた。けれども、まだ逆戻りをする余地はあつた。たゞ、夫には又父を胡魔化す必要が出て来るに違なかつた。代助は腹の中で今迄の我を冷笑した。彼は何うしても、今日の告白を以て、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかつた。さうして、それから受ける打撃の反動として、思ひ切つて三千代の上に、掩つ被さる様に烈しく働き掛けたかつた。  彼は此次父に逢ふときは、もう一歩も後へ引けない様に、自分の方を拵えて置きたかつた。それで三千代と会見する前に、又父から呼び出される事を深く恐れた。彼は今日嫂に、自分の意思を父に話す話さないの自由を与へたのを悔いた。今夜にも話されれば、明日の朝呼ばれるかも知れない。すると今夜中に三千代に逢つて己れを語つて置く必要が出来る。然し夜だから都合がよくないと思つた。 十四の六  角上を下りた時、日は暮れ掛かつた。士官学校の前を真直に濠端へ出て、二三町来ると砂土原町へ曲がるべき所を、代助はわざと電車路に付いて歩いた。彼は例の如くに宅へ帰つて、一夜を安閑と、書斎の中で暮すに堪えなかつたのである。濠を隔てゝ高い土手の松が、眼のつゞく限り黒く並んでゐる底の方を、電車がしきりに通つた。代助は軽い箱が、軌道の上を、苦もなく滑つて行つては、又滑つて帰る迅速な手際に、軽快の感じを得た。其代り自分と同じ路を容赦なく往来する外濠線の車を、常よりは騒々敷悪んだ。牛込見附迄来た時、遠くの小石川の森に数点の灯影を認めた。代助は夕飯を食ふ考もなく、三千代のゐる方角へ向いて歩いて行つた。  約二十分の後、彼は安藤坂を上つて、伝通院の焼跡の前へ出た。大きな木が、左右から被さつてゐる間を左りへ抜けて、平岡の家の傍迄来ると、板塀から例の如く灯が射してゐた。代助は塀の本に身を寄せて、凝と様子を窺つた。しばらくは、何の音もなく、家のうちは全く静であつた。代助は門を潜つて、格子の外から、頼むと声を掛けて見様かと思つた。すると、椽側に近く、ぴしやりと脛を叩く音がした。それから、人が立つて、奥へ這入つて行く気色であつた。やがて話声が聞えた。何の事か善く聴き取れなかつたが、声は慥に、平岡と三千代であつた。話声はしばらくで歇んで仕舞つた。すると又足音が椽側迄近付いて、どさりと尻を卸す音が手に取る様に聞えた。代助は夫なり塀の傍を退いた。さうして元来た道とは反対の方角に歩き出した。  しばらくは、何処を何う歩いてゐるか夢中であつた。其間代助の頭には今見た光景ばかりが煎り付く様に踊つてゐた。それが、少し衰へると、今度は自己の行為に対して、云ふべからざる汚辱の意味を感じた。彼は何の故に、斯ゝる下劣な真似をして、恰かも驚ろかされたかの如くに退却したのかを怪しんだ。彼は暗い小路に立つて、世界が今夜に支配されつゝある事を私かに喜んだ。しかも五月雨の重い空気に鎖されて、歩けば歩く程、窒息する様な心持がした。神楽坂上へ出た時、急に眼がぎら/\した。身を包む無数の人と、無数の光が頭を遠慮なく焼いた。代助は逃げる様に藁店を上つた。  家へ帰ると、門野が例の如く漫然たる顔をして、 「大分遅うがしたな。御飯はもう御済みになりましたか」と聞いた。  代助は飯が欲しくなかつたので、要らない由を答へて、門野を追ひ帰す様に、書斎から退ぞけた。が、二三分立たない内に、又手を鳴らして呼び出した。 「宅から使は来やしなかつたかね」 「いゝえ」  代助は、 「ぢや、宜しい」と云つた限であつた。門野は物足りなさうに入口に立つてゐたが、 「先生は、何ですか、御宅へ御出になつたんぢや無かつたんですか」 「何故」と代助は六づかしい顔をした。 「だつて、御出掛になるとき、そんな御話でしたから」  代助は門野を相手にするのが面倒になつた。 「宅へは行つたさ。――宅から使が来なければそれで、好いぢやないか」  門野は不得要領に、 「はあ左様ですか」と云ひ放して出て行つた。代助は、父があらゆる世界に対してよりも、自分に対して、性急であるといふ事を知つてゐるので、ことによると、帰つた後から直使でも寄こしはしまいかと恐れて聞き糺したのであつた。門野が書生部屋へ引き取つたあとで、明日は是非共三千代に逢はなければならないと決心した。  其夜代助は寐ながら、何う云ふ手段で三千代に逢はうかと云ふ問題を考へた。手紙を車夫に持たせて宅へ呼びに遣れば、来る事は来るだらうが、既に今日嫂との会談が済んだ以上は、明日にも、兄か嫂の為に、向ふから襲はれないとも限らない。又平岡のうちへ行つて逢ふ事は代助に取つて一種の苦痛があつた。代助は已を得ず、自分にも三千代にも関係のない所で逢ふより外に道はないと思つた。  夜半から強く雨が降り出した。釣つてある蚊帳が、却つて寒く見える位な音がどう/\と家を包んだ。代助は其音の中に夜の明けるのを待つた。 十四の七  雨は翌日迄晴れなかつた。代助は湿つぽい椽側に立つて、暗い空模様を眺めて、昨夕の計画を又変えた。彼は三千代を普通の待合抔へ呼んで、話をするのが不愉快であつた。已むなくんば、蒼い空の下と思つてゐたが、此天気では夫も覚束なかつた。と云つて、平岡の家へ出向く気は始めから無かつた。彼は何うしても、三千代を自分の宅へ連れて来るより外に道はないと極めた。門野が少し邪魔になるが、話のし具合では書生部屋に洩れない様にも出来ると考へた。  午少し前迄は、ぼんやり雨を眺めてゐた。午飯を済ますや否や、護謨の合羽を引き掛けて表へ出た。降る中を神楽坂下迄来て青山の宅へ電話を掛けた。明日此方から行く積であるからと、機先を制して置いた。電話口へは嫂が現れた。先達ての事は、まだ父に話さないでゐるから、もう一遍よく考へ直して御覧なさらないかと云はれた。代助は感謝の辞と共に号鈴を鳴らして談話を切つた。次に平岡の新聞社の番号を呼んで、彼の出社の有無を確めた。平岡は社に出てゐると云ふ返事を得た。代助は雨を衝いて又坂を上つた。花屋へ這入つて、大きな白百合の花を沢山買つて、夫を提げて、宅へ帰つた。花は濡れた儘、二つの花瓶に分けて挿した。まだ余つてゐるのを、此間の鉢に水を張つて置いて、茎を短かく切つて、はぱ/\放り込んだ。それから、机に向つて、三千代へ手紙を書いた。文句は極めて短かいものであつた。たゞ至急御目に掛つて、御話ししたい事があるから来て呉れろと云ふ丈であつた。  代助は手を打つて、門野を呼んだ。門野は鼻を鳴らして現れた。手紙を受取りながら、 「大変好い香ですな」と云つた。代助は、 「車を持つて行つて、乗せて来るんだよ」と念を押した。門野は雨の中を乗りつけの帳場迄出て行つた。  代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩ふ強い香の中に、残りなく自己を放擲した。彼は此嗅覚の刺激のうちに、三千代の過去を分明に認めた。其過去には離すべからざる、わが昔の影が烟の如く這ひ纏はつてゐた。彼はしばらくして、 「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云つた。斯う云ひ得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故もつと早く帰る事が出来なかつたのかと思つた。始から何故自然に抵抗したのかと思つた。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。其生命の裏にも表にも、慾得はなかつた、利害はなかつた、自己を圧迫する道徳はなかつた。雲の様な自由と、水の如き自然とがあつた。さうして凡てが幸であつた。だから凡てが美しかつた。  やがて、夢から覚めた。此一刻の幸から生ずる永久の苦痛が其時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失つた。彼は黙然として、我と吾手を眺めた。爪の甲の底に流れてゐる血潮が、ぶる/\顫へる様に思はれた。彼は立つて百合の花の傍へ行つた。唇が瓣に着く程近く寄つて、強い香を眼の眩う迄嗅いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽せて、失心して室の中に倒れたかつた。彼はやがて、腕を組んで、書斎と座敷の間を往つたり来たりした。彼の胸は始終鼓動を感じてゐた。彼は時々椅子の角や、洋卓の前へ来て留まつた。それから又歩き出した。彼の心の動揺は、彼をして長く一所に留まる事を許さなかつた。同時に彼は何物をか考へる為に、無暗な所に立ち留まらざるを得なかつた。  其内に時は段々移つた。代助は断えず置時計の針を見た。又覗く様に、軒から外の雨を見た。雨は依然として、空から真直に降つてゐた。空は前よりも稍暗くなつた。重なる雲が一つ所で渦を捲いて、次第に地面の上へ押し寄せるかと怪しまれた。其時雨に光る車を門から中へ引き込んだ。輪の音が、雨を圧して代助の耳に響いた時、彼は蒼白い頬に微笑を洩しながら、右の手を胸に当てた。 十四の八  三千代は玄関から、門野に連れられて、廊下伝ひに這入つて来た。銘仙の紺絣に、唐草模様の一重帯を締めて、此前とは丸で違つた服装をしてゐるので、一目見た代助には、新らしい感じがした。色は不断の通り好くなかつたが、座敷の入口で、代助と顔を合せた時、眼も眉も口もぴたりと活動を中止した様に固くなつた。敷居に立つてゐる間は、足も動けなくなつたとしか受取れなかつた。三千代は固より手紙を見た時から、何事をか予期して来た。其予期のうちには恐れと、喜と、心配とがあつた。車から降りて、座敷へ案内される迄、三千代の顔は其予期の色をもつて漲つてゐた。三千代の表情はそこで、はたと留まつた。代助の様子は三千代に夫丈の打衝を与へる程に強烈であつた。  代助は椅子の一つを指さした。三千代は命ぜられた通りに腰を掛けた。代助は其向に席を占めた。二人は始めて相対した。然し良少時くは二人とも、口を開かなかつた。 「何か御用なの」と三千代は漸くにして問ふた。代助は、たゞ、 「えゝ」と云つた。二人は夫限で、又しばらく雨の音を聴いた。 「何か急な御用なの」と三千代が又尋ねた。代助は又、 「えゝ」と云つた。双方共何時もの様に軽くは話し得なかつた。代助は酒の力を借りて、己れを語らなければならない様な自分を恥ぢた。彼は打ち明けるときは、必ず平生の自分でなければならないものと兼て覚悟をして居た。けれども、改たまつて、三千代に対して見ると、始めて、一滴の酒精が恋しくなつた。ひそかに次の間へ立つて、例のヰスキーを洋盃で傾け様かと思つたが、遂に其決心に堪えなかつた。彼は青天白日の下に、尋常の態度で、相手に公言し得る事でなければ自己の誠でないと信じたからである。酔と云ふ牆壁を築いて、其掩護に乗じて、自己を大胆にするのは、卑怯で、残酷で、相手に汚辱を与へる様な気がしてならなかつたからである。彼は社会の習慣に対しては、徳義的な態度を取る事が出来なくなつた、其代り三千代に対しては一点も不徳義な動機を蓄へぬ積であつた。否、彼をして卑吝に陥らしむる余地が丸でない程に、代助は三千代を愛した。けれども、彼は三千代から何の用かを聞かれた時に、すぐ己れを傾ける事が出来なかつた。二度聞かれた時に猶躇した。三度目には、已を得ず、 「まあ、緩くり話しませう」と云つて、巻烟草に火を点けた。三千代の顔は返事を延ばされる度に悪くなつた。  雨は依然として、長く、密に、物に音を立てゝ降つた。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立の儘、白百合の香の中に封じ込められた。 「先刻表へ出て、あの花を買つて来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随いて室の中を一回した。其後で三千代は鼻から強く息を吸ひ込んだ。 「兄さんと貴方と清水町にゐた時分の事を思ひ出さうと思つて、成るべく沢山買つて来ました」と代助が云つた。 「好い香ですこと」と三千代は翻がへる様に綻びた大きな花瓣を眺めてゐたが、夫から眼を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。 「あの時分の事を考へると」と半分云つて已めた。 「覚えてゐますか」 「覚えてゐますわ」 「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結つてゐましたね」 「だつて、東京へ来立だつたんですもの。ぢき已めて仕舞つたわ」 「此間百合の花を持つて来て下さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」 「あら、気が付いて。あれは、あの時限なのよ」 「あの時はあんな髷に結ひ度なつたんですか」 「えゝ、気迷れに一寸結つて見たかつたの」 「僕はあの髷を見て、昔を思ひ出した」 「さう」と三千代は恥づかしさうに肯つた。  三千代が清水町にゐた頃、代助と心安く口を聞く様になつてからの事だが、始めて国から出て来た当時の髪の風を代助から賞められた事があつた。其時三千代は笑つてゐたが、それを聞いた後でも、決して銀杏返しには結はなかつた。二人は今も此事をよく記臆してゐた。けれども双方共口へ出しては何も語らなかつた。 十四の九  三千代の兄と云ふのは寧ろ豁達な気性で、懸隔てのない交際振から、友達には甚く愛されてゐた。ことに代助は其親友であつた。此兄は自分が豁達である丈に、妹の大人しいのを可愛がつてゐた。国から連れて来て、一所に家を持つたのも、妹を教育しなければならないと云ふ義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情合と、現在自分の傍に引き着けて置きたい欲望とからであつた。彼は三千代を呼ぶ前、既に代助に向つて其旨を打ち明けた事があつた。其時代助は普通の青年の様に、多大の好奇心を以て此計画を迎へた。  三千代が来てから後、兄と代助とは益親しくなつた。何方が友情の歩を進めたかは、代助自身にも分らなかつた。兄が死んだ後で、当時を振り返つて見る毎に、代助は此親密の裡に一種の意味を認めない訳に行かなかつた。兄は死ぬ時迄それを明言しなかつた。代助も敢て何事をも語らなかつた。斯くして、相互の思はくは、相互の間の秘密として葬られて仕舞つた。兄は在生中に此意味を私に三千代に洩らした事があるかどうか、其所は代助も知らなかつた。代助はたゞ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得た丈であつた。  代助は其頃から趣味の人として、三千代の兄に臨んでゐた。三千代の兄は其方面に於て、普通以上の感受性を持つてゐなかつた。深い話になると、正直に分らないと自白して、余計な議論を避けた。何処からか arbiter elegantiarum と云ふ字を見付出して来て、それを代助の異名の様に濫用したのは、其頃の事であつた。三千代は隣りの部屋で黙つて兄と代助の話を聞いてゐた。仕舞にはとう/\ arbiter elegantiarum と云ふ字を覚えた。ある時其意味を兄に尋ねて、驚ろかれた事があつた。  兄は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。代助を待つて啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来る丈与へる様に力めた。代助も辞退はしなかつた。後から顧みると、自ら進んで其任に当つたと思はれる痕迹もあつた。三千代は固より喜んで彼の指導を受けた。三人は斯くして、巴の如くに回転しつゝ、月から月へと進んで行つた。有意識か無意識か、巴の輪は回るに従つて次第に狭まつて来た。遂に三巴が一所に寄つて、丸い円にならうとする少し前の所で、忽然其一つが欠けたため、残る二つは平衡を失なつた。  代助と三千代は五年の昔を心置なく語り始めた。語るに従つて、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返つて来た。二人の距離は又元の様に近くなつた。 「あの時兄さんが亡くならないで、未だ達者でゐたら、今頃私は何うしてゐるでせう」と三千代は、其時を恋しがる様に云つた。 「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」 「別な人にはなりませんわ。貴方は?」 「僕も同じ事です」  三千代は其時、少し窘める様な調子で、 「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、 「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。三千代は忽ち視線を外らした。さうして、半ば独り言の様に、 「だつて、あの時から、もう違つてゐらしつたんですもの」と云つた。  三千代の言葉は普通の談話としては余りに声が低過た。代助は消えて行く影を踏まへる如くに、すぐ其尾を捕えた。 「違やしません。貴方にはたゞ左様見える丈です。左様見えたつて仕方がないが、それは僻目だ」  代助の方は通例よりも熱心に判然した声で自己を弁護する如くに云つた。三千代の声は益低かつた。 「僻目でも何でも可くつてよ」  代助は黙つて三千代の様子を窺つた。三千代は始めから、眼を伏せてゐた。代助には其長い睫毛の顫へる様が能く見えた。 十四の十 「僕の存在には貴方が必要だ。何うしても必要だ。僕は夫丈の事を貴方に話したい為にわざ/\貴方を呼んだのです」  代助の言葉には、普通の愛人の用ひる様な甘い文彩を含んでゐなかつた。彼の調子は其言葉と共に簡単で素朴であつた。寧ろ厳粛の域に逼つてゐた。但、夫丈の事を語る為に、急用として、わざ/\三千代を呼んだ所が、玩具の詩歌に類してゐた。けれども、三千代は固より、斯う云ふ意味での俗を離れた急用を理解し得る女であつた。其上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持つてゐなかつた。代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与へなかつたのは、事実であつた。三千代がそれに渇いてゐなかつたのも事実であつた。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代は顫へる睫毛の間から、涙を頬の上に流した。 「僕はそれを貴方に承知して貰ひたいのです。承知して下さい」  三千代は猶泣いた。代助に返事をする所ではなかつた。袂から手帛を出して顔へ当てた。濃い眉の一部分と、額と生際丈が代助の眼に残つた。代助は椅子を三千代の方へ摺り寄せた。 「承知して下さるでせう」と耳の傍で云つた。三千代は、まだ顔を蔽つてゐた。しやくり上げながら、 「余りだわ」と云ふ声が手帛の中で聞えた。それが代助の聴覚を電流の如くに冒した。代助は自分の告白が遅過ぎたと云ふ事を切に自覚した。打ち明けるならば三千代が平岡へ嫁ぐ前に打ち明けなければならない筈であつた。彼は涙と涙の間をぼつ/\綴る三千代の此一語を聞くに堪えなかつた。 「僕は三四年前に、貴方に左様打ち明けなければならなかつたのです」と云つて、憮然として口を閉ぢた。三千代は急に手帛を顔から離した。瞼の赤くなつた眼を突然代助の上につて、 「打ち明けて下さらなくつても可いから、何故」と云ひ掛けて、一寸躇したが、思ひ切つて、「何故棄てゝ仕舞つたんです」と云ふや否や、又手帛を顔に当てゝ又泣いた。 「僕が悪い。堪忍して下さい」  代助は三千代の手頸を執つて、手帛を顔から離さうとした。三千代は逆はうともしなかつた。手帛は膝の上に落ちた。三千代は其膝の上を見た儘、微かな声で、 「残酷だわ」と云つた。小さい口元の肉が顫ふ様に動いた。 「残酷と云はれても仕方がありません。其代り僕は夫丈の罰を受けてゐます」  三千代は不思議な眼をして顔を上げたが、 「何うして」と聞いた。 「貴方が結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身でゐます」 「だつて、夫は貴方の御勝手ぢやありませんか」 「勝手ぢやありません。貰はうと思つても、貰へないのです。それから以後、宅のものから何遍結婚を勧められたか分りません。けれども、みんな断つて仕舞ひました。今度も亦一人断りました。其結果僕と僕の父との間が何うなるか分りません。然し何うなつても構はない、断るんです。貴方が僕に復讐してゐる間は断らなければならないんです」 「復讐」と三千代は云つた。此二字を恐るゝものゝ如くに眼を働かした。「私は是でも、嫁に行つてから、今日迄一日も早く、貴方が御結婚なされば可いと思はないで暮らした事はありません」と稍改たまつた物の言ひ振であつた。然し代助はそれに耳を貸さなかつた。 「いや僕は貴方に何所迄も復讐して貰ひたいのです。それが本望なのです。今日斯うやつて、貴方を呼んで、わざ/\自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方から復讐されてゐる一部分としか思やしません。僕は是で社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はさう生れて来た人間なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、貴方の前に懺悔する事が出来れば、夫で沢山なんです。是程嬉しい事はないと思つてゐるんです」 十四の十一  三千代は涙の中で始めて笑つた。けれども一言も口へは出さなかつた。代助は猶己れを語る隙を得た。―― 「僕は今更こんな事を貴方に云ふのは、残酷だと承知してゐます。それが貴方に残酷に聞えれば聞える程僕は貴方に対して成功したも同様になるんだから仕方がない。其上僕はこんな残酷な事を打ち明けなければ、もう生きてゐる事が出来なくなつた。つまり我儘です。だから詫るんです」 「残酷では御座いません。だから詫まるのはもう廃して頂戴」  三千代の調子は、此時急に判然した。沈んではゐたが、前に比べると非常に落ち着いた。然ししばらくしてから、又 「たゞ、もう少し早く云つて下さると」と云ひ掛けて涙ぐんだ。代助は其時斯う聞いた。―― 「ぢや僕が生涯黙つてゐた方が、貴方には幸福だつたんですか」 「左様ぢやないのよ」と三千代は力を籠めて打ち消した。「私だつて、貴方が左様云つて下さらなければ、生きてゐられなくなつたかも知れませんわ」  今度は代助の方が微笑した。 「夫ぢや構はないでせう」 「構はないより難有いわ。たゞ――」 「たゞ平岡に済まないと云ふんでせう」  三千代は不安らしく首肯いた。代助は斯う聞いた。―― 「三千代さん、正直に云つて御覧。貴方は平岡を愛してゐるんですか」  三千代は答へなかつた。見るうちに、顔の色が蒼くなつた。眼も口も固くなつた。凡てが苦痛の表情であつた。代助は又聞いた。 「では、平岡は貴方を愛してゐるんですか」  三千代は矢張り俯つ向いてゐた。代助は思ひ切つた判断を、自分の質問の上に与へやうとして、既に其言葉が口迄出掛つた時、三千代は不意に顔を上げた。其顔には今見た不安も苦痛も殆んど消えてゐた。涙さへ大抵は乾いた。頬の色は固より蒼かつたが、唇は確として、動く気色はなかつた。其間から、低く重い言葉が、繋がらない様に、一字づゝ出た。 「仕様がない。覚悟を極めませう」  代助は脊中から水を被つた様に顫へた。社会から逐ひ放たるべき二人の魂は、たゞ二人対ひ合つて、互を穴の明く程眺めてゐた。さうして、凡てに逆つて、互を一所に持ち来たした力を互と怖れ戦いた。  しばらくすると、三千代は急に物に襲はれた様に、手を顔に当てて泣き出した。代助は三千代の泣く様を見るに忍びなかつた。肱を突いて額を五指の裏に隠した。二人は此態度を崩さずに、恋愛の彫刻の如く、凝としてゐた。  二人は斯う凝としてゐる中に、五十年を眼のあたりに縮めた程の精神の緊張を感じた。さうして其緊張と共に、二人が相並んで存在して居ると云ふ自覚を失はなかつた。彼等は愛の刑と愛の賚とを同時に享けて、同時に双方を切実に味はつた。  しばらくして、三千代は手帛を取つて、涙を奇麗に拭いたが、静かに、 「私もう帰つてよ」と云つた。代助は、 「御帰りなさい」と答へた。  雨は小降になつたが、代助は固より三千代を独り返す気はなかつた。わざと車を雇はずに、自分で送つて出た。平岡の家迄附いて行く所を、江戸川の橋の上で別れた。代助は橋の上に立つて、三千代が横町を曲る迄見送つてゐた。夫から緩くり歩を回らしながら、腹の中で、 「万事終る」と宣告した。  雨は夕方歇んで、夜に入つたら、雲がしきりに飛んだ。其中洗つた様な月が出た。代助は光を浴びる庭の濡葉を長い間椽側から眺めてゐたが、仕舞に下駄を穿いて下へ降りた。固より広い庭でない上に立木の数が存外多いので、代助の歩く積はたんと無かつた。代助は其真中に立つて、大きな空を仰いだ。やがて、座敷から、昼間買つた百合の花を取つて来て、自分の周囲に蒔き散らした。白い花瓣が点々として月の光に冴えた。あるものは、木下闇に仄めいた。代助は何をするともなく其間に曲んでゐた。  寐る時になつて始めて座敷へ上がつた。室の中は花の香がまだ全く抜けてゐなかつた。 十五の一  三千代に逢つて、云ふべき事を云つて仕舞つた代助は、逢はない前に比べると、余程心の平和に接近し易くなつた。然し是は彼の予期する通りに行つた迄で、別に意外の結果と云ふ程のものではなかつた。  会見の翌日彼は永らく手に持つてゐた賽を思ひ切つて投げた人の決心を以て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日から一種の責任を帯びねば済まぬ身になつたと自覚した。しかも夫は自ら進んで求めた責任に違いなかつた。従つて、それを自分の脊に負ふて、苦しいとは思へなかつた。その重みに押されるがため、却つて自然と足が前に出る様な気がした。彼は自ら切り開いた此運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整へた。父の後には兄がゐた、嫂がゐた。是等と戦つた後には平岡がゐた。是等を切り抜けても大きな社会があつた。個人の自由と情実を毫も斟酌して呉れない器械の様な社会があつた。代助には此社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡てと戦ふ覚悟をした。  彼は自分で自分の勇気と胆力に驚ろいた。彼は今日迄、熱烈を厭ふ、危きに近寄り得ぬ、勝負事を好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見傚してゐた。徳義上重大な意味の卑怯はまだ犯した事がないけれども、臆病と云ふ自覚はどうしても彼の心から取り去る事が出来なかつた。  彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其中のある号で、Mountain Accidents と題する一篇に遭つて、かつて心を駭かした。夫には高山を攀ぢ上る冒険者の、怪我過が沢山に並べてあつた。登山の途中雪崩れに圧されて、行き方知れずになつたものゝ骨が、四十年後に氷河の先へ引懸つて出た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立つた大きな平岩を越すとき、肩から肩の上へ猿の様に重なり合つて、最上の一人の手が岩の鼻へ掛かるや否や、岩が崩れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なつて、真逆様に四番目の男の傍を遥かの下に落ちて行つた話などが、幾何となく載せてあつた間に、錬瓦の壁程急な山腹に、蝙蝠の様に吸ひ付いた人間を二三ヶ所点綴した挿画があつた。其時代助は其絶壁の横にある白い空間のあなたに、広い空や、遥かの谷を想像して、怖ろしさから来る眩暈を、頭の中に再現せずには居られなかつた。  代助は今道徳界に於て、是等の登攀者と同一な地位に立つてゐると云ふ事を知つた。けれども自ら其場に臨んで見ると、怯む気は少しもなかつた。怯んで猶予する方が彼に取つては幾倍の苦痛であつた。  彼は一日も早く父に逢つて話をしたかつた。万一の差支を恐れて、三千代が来た翌日、又電話を掛けて都合を聞き合せた。父は留守だと云ふ返事を得た。次の日又問ひ合せたら、今度は差支があると云つて断られた。其次には此方から知らせる迄は来るに及ばんといふ挨拶であつた。代助は命令通り控えてゐた。其間嫂からも兄からも便は一向なかつた。代助は始めは家のものが、自分に出来る丈長い、反省再考の時間を与へる為の策略ではあるまいかと推察して、平気に構へてゐた。三度の食事も旨く食つた。夜も比較的安らかな夢を見た。雨の晴間には門野を連れて散歩を一二度した。然し宅からは使も手紙も来なかつた。代助は絶壁の途中で休息する時間の長過ぎるのに安からずなつた。仕舞に思ひ切つて、自分の方から青山へ出掛けて行つた。兄は例の如く留守であつた。嫂は代助を見て気の毒さうな顔をした。が、例の事件に就ては何にも語らなかつた。代助の来意を聞いて、では私が一寸奥へ行つて御父さんの御都合を伺つて来ませうと云つて立つた。梅子の態度は、父の怒りから代助を庇う様にも見えた。又彼を疎外する様にも取れた。代助は両方の何れだらうかと煩つて待つてゐた。待ちながらも、何うせ覚悟の前だと何遍も口のうちで繰り返した。  奥から梅子が出て来る迄には、大分暇が掛つた。代助を見て、又気の毒さうに、今日は御都合が悪いさうですよと云つた。代助は仕方なしに、何時来たら宜からうかと尋ねた。固より例の様な元気はなく悄然とした問ひ振りであつた。梅子は代助の様子に同情の念を起した調子で、二三日中に屹度自分が責任を以て都合の好い時日を知らせるから今日は帰れと云つた。代助が内玄関を出る時、梅子はわざと送つて来て、 「今度こそ能く考へて入らつしやいよ」と注意した。代助は返事もせずに門を出た。 十五の二  帰る途中も不愉快で堪らなかつた。此間三千代に逢つて以後、味はう事を知つた心の平和を、父や嫂の態度で幾分か破壊されたと云ふ心持が路々募つた。自分は自分の思ふ通りを父に告げる、父は父の考へを遠慮なく自分に洩らす、それで衝突する、衝突の結果はどうあらうとも潔よく自分で受ける。是が代助の予期であつた。父の仕打は彼の予期以外に面白くないものであつた。其仕打は父の人格を反射する丈夫丈多く代助を不愉快にした。  代助は途すがら、何を苦んで、父との会見を左迄に急いだものかと思ひ出した。元来が父の要求に対する自分の返事に過ぎないのだから、便宜は寧ろ、是を待ち受ける父の方にあるべき筈であつた。其父がわざとらしく自分を避ける様にして、面会を延ばすならば、それは自己の問題を解決する時間が遅くなると云ふ不結果を生ずる外に何も起り様がない。代助は自分の未来に関する主要な部分は、もう既に片付けて仕舞つた積でゐた。彼は父から時日を指定して呼び出される迄は、宅の方の所置を其儘にして放つて置く事に極めた。  彼は家に帰つた。父に対しては只薄暗い不愉快の影が頭に残つてゐた。けれども此影は近き未来に於て必ず其暗さを増してくるべき性質のものであつた。其他には眼前に運命の二つの潮流を認めた。一つは三千代と自分が是から流れて行くべき方向を示してゐた。一つは平岡と自分を是非共一所に捲き込むべき凄じいものであつた。代助は此間三千代に逢つたなりで、片片の方は捨てゝある。よし是から三千代の顔を見るにした所で、――また長い間見ずにゐる気はなかつたが、――二人の向後取るべき方針に就て云へば、当分は一歩も現在状態より踏み出す了見は持たなかつた。此点に関して、代助は我ながら明瞭な計画を拵えてゐなかつた。平岡と自分とを運び去るべき将来に就ても、彼はたゞ何時、何事にでも用意ありと云ふ丈であつた。無論彼は機を見て、積極的に働らき掛ける心組はあつた。けれども具体的な案は一つも準備しなかつた。あらゆる場合に於て、彼の決して仕損じまいと誓つたのは、凡てを平岡に打ち明けると云ふ事であつた。従つて平岡と自分とで構成すべき運命の流は黒く恐ろしいものであつた。一つの心配は此恐ろしい暴風の中から、如何にして三千代を救ひ得べきかの問題であつた。  最後に彼の周囲を人間のあらん限り包む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかつた。事実として、社会は制裁の権を有してゐた。けれども動機行為の権は全く自己の天分から湧いて出るより外に道はないと信じた。かれは此点に於て、社会と自分との間には全く交渉のないものと認めて進行する気であつた。  代助は彼の小さな世界の中心に立つて、彼の世界を斯様に観て、一順其関係比例を頭の中で調べた上、 「善からう」と云つて、又家を出た。さうして一二丁歩いて、乗り付けの帳場迄来て、奇麗で早さうな奴を択んで飛び乗つた。何処へ行く当もないのを好加減な町を名指して二時間程ぐる/\乗り廻して帰つた。  翌日も書斎の中で前日同様、自分の世界の中心に立つて、左右前後を一応隈なく見渡した後、 「宜しい」と云つて外へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶら/\歩いて帰つた。  三日目にも同じ事を繰り返した。が、今度は表へ出るや否や、すぐ江戸川を渡つて、三千代の所へ来た。三千代は二人の間に何事も起らなかつたかの様に、 「何故夫から入らつしやらなかつたの」と聞いた。代助は寧ろ其落ち付き払つた態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据ゑてあつた蒲団を代助の前へ押し遣つて、 「何でそんなに、そわ/\して居らつしやるの」と無理に其上に坐らした。  一時間ばかり話してゐるうちに、代助の頭は次第に穏やかになつた。車へ乗つて、当もなく乗り回すより、三十分でも好いから、早く此所へ遊びに来れば可かつたと思ひ出した。帰るとき代助は、 「又来ます。大丈夫だから安心して入らつしやい」と三千代を慰める様に云つた。三千代はたゞ微笑した丈であつた。 十五の三  其夕方始めて父からの報知に接した。其時代助は婆さんの給仕で飯を食つてゐた。茶碗を膳の上へ置いて、門野から手紙を受取つて読むと、明朝何時迄に御出の事といふ文句があつた。代助は、 「御役所風だね」と云ひながら、わざと端書を門野に見せた。門野は、 「青山の御宅からですか」と叮嚀に眺めてゐたが、別に云ふ事がないものだから、表を引つ繰り返して、 「何うも何ですな。昔の人は矢っ張り手蹟が好い様ですな」と御世辞を置き去りにして出て行つた。婆さんは先刻から暦の話をしきりに為てゐた。みづのえだのかのとだの、八朔だの友引だの、爪を切る日だの普請をする日だのと頗る煩いものであつた。代助は固より上の空で聞いてゐた。婆さんは又門野の職の事を頼んだ。十五円でも宜いから何方へ出して遣つて呉れないかと云つた。代助は自分ながら、何んな返事をしたか分らない位気にも留めなかつた。たゞ心のうちでは、門野所か、この己が危しい位だと思つた。  食事を終るや否や、本郷から寺尾が来た。代助は門野の顔を見て暫らく考へてゐた。門野は無雑作に、 「断りますか」と聞いた。代助は此間から珍らしくある会を一二回欠席した。来客も逢はないで済むと思ふ分は両度程謝絶した。  代助は思ひ切つて寺尾に逢つた。寺尾は何時もの様に、血眼になつて、何か探してゐた。代助は其様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかつた。翻訳だらうが焼き直しだらうが、生きてゐるうちは何処迄も遣る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果して何の位の仕事に堪えるだらうと思ふと、代助は自分に対して気の毒になつた。さうして、自分が遠からず、彼よりも甚く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確だと諦めてゐたから、彼は侮蔑の眼を以て寺尾を迎へる訳には行かなかつた。  寺尾は、此間の翻訳を漸くの事で月末迄に片付けたら、本屋の方で、都合が悪いから秋迄出版を見合せると云ひ出したので、すぐ労力を金に換算する事が出来ずに、困つた結果遣つて来たのであつた。では書肆と契約なしに手を着けたのかと聞くと、全く左様でもないらしい。と云つて、本屋の方が丸で約束を無視した様にも云はない。要するに曖昧であつた。たゞ困つてゐる事丈は事実らしかつた。けれども斯う云ふ手違に慣れ抜いた寺尾は、別に徳義問題として誰にも不満を抱いてゐる様には見えなかつた。失敬だとか怪しからんと云ふのは、たゞ口の先許で、腹の中の屈托は、全然飯と肉に集注してゐるらしかつた。  代助は気の毒になつて、当座の経済に幾分の補助を与へた。寺尾は感謝の意を表して帰つた。帰る前に、実は本屋からも少しは前借はしたんだが、それは疾の昔に使つて仕舞つたんだと自白した。寺尾の帰つたあとで、代助はあゝ云ふのも一種の人格だと思つた。たゞ斯う楽に活計てゐたつて決して為れる訳のものぢやない。今の所謂文壇が、あゝ云ふ人格を必要と認めて、自然に産み出した程、今の文壇は悲しむべき状況の下に呻吟してゐるんではなからうかと考へて茫乎した。  代助は其晩自分の前途をひどく気に掛けた。もし父から物質的に供給の道を鎖された時、彼は果して第二の寺尾になり得る決心があるだらうかを疑つた。もし筆を執つて寺尾の真似さへ出来なかつたなら、彼は当然餓死すべきである。もし筆を執らなかつたら、彼は何をする能力があるだらう。  彼は眼を開けて時々蚊帳の外に置いてある洋燈を眺めた。夜中に燐寸を擦つて烟草を吹かした。寐返りを何遍も打つた。固より寐苦しい程暑い晩ではなかつた。雨が又ざあ/\と降つた。代助は此雨の音で寐付くかと思ふと、又雨の音で不意に眼を覚ました。夜は半醒半睡のうちに明け離れた。 十五の四  定刻になつて、代助は出掛けた。足駄穿で雨傘を提げて電車に乗つたが、一方の窓が締め切つてある上に、革紐にぶら下がつてゐる人が一杯なので、しばらくすると胸がむかついて、頭が重くなつた。睡眠不足が影響したらしく思はれるので、手を窮屈に伸ばして、自分の後丈を開け放つた。雨は容赦なく襟から帽子に吹き付けた。二三分の後隣の人の迷惑さうな顔に気が付いて、又元の通りに硝子窓を上げた。硝子の表側には、弾けた雨の珠が溜つて、往来が多少歪んで見えた。代助は首から上を捩ぢ曲げて眼を外面に着けながら、幾たびか自分の眼を擦すつた。然し何遍擦つても、世界の恰好が少し変つて来たと云ふ自覚が取れなかつた。硝子を通して斜に遠方を透かして見るときは猶左様いふ感じがした。  弁慶橋で乗り換えてからは、人もまばらに、雨も小降りになつた。頭も楽に濡れた世の中を眺める事が出来た。けれども機嫌の悪い父の顔が、色々な表情を以て彼の脳髄を刺戟した。想像の談話さへ明かに耳に響いた。  玄関を上つて、奥へ通る前に、例の如く一応嫂に逢つた。嫂は、 「鬱陶しい御天気ぢやありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んで呉れた。然し代助は飲む気にもならなかつた。 「御父さんが待つて御出でせうから、一寸行つて話をして来ませう」と立ち掛けた。嫂は不安らしい顔をして、 「代さん、成らう事なら、年寄に心配を掛けない様になさいよ。御父さんだつて、もう長い事はありませんから」と云つた。代助は梅子の口から、こんな陰気な言葉を聞くのは始めてであつた。不意に穴倉へ落ちた様な心持がした。  父は烟草盆を前に控えて、俯向いてゐた。代助の足音を聞いても顔を上げなかつた。代助は父の前へ出て、叮嚀に御辞儀をした。定めて六づかしい眼付をされると思ひの外、父は存外穏かなもので、 「降るのに御苦労だつた」と労はつて呉れた。其時始めて気が付いて見ると、父の頬が何時の間にかぐつと瘠けてゐた。元来が肉の多い方だつたので、此変化が代助には余計目立つて見えた。代助は覚えず、 「何うか為さいましたか」と聞いた。  父は親らしい色を一寸顔に動かした丈で、別に代助の心配を物にする様子もなかつたが、少時話してゐるうちに、 「己も大分年を取つてな」と云ひ出した。其調子が何時もの父とは全く違つてゐたので、代助は最前嫂の云つた事を愈重く見なければならなくなつた。  父は年の所為で健康の衰へたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助に洩らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨脹の反動を受けて、自分の経営にかゝる事業が不景気の極端に達してゐる最中だから、此難関を漕ぎ抜けた上でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱してゐるより外に仕方がないのだと云ふ事情を委しく話した。代助は父の言葉を至極尤もだと思つた。  父は普通の実業なるものゝ困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主の、一見地味であつて、其実自分等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事を述べた。さうして、此比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させやうと力めた。 「さう云ふ親類が一軒位あるのは、大変な便利で、且つ此際甚だ必要ぢやないか」と云つた。代助は、父としては寧ろ露骨過ぎる此政略的結婚の申し出に対して、今更驚ろく程、始めから父を買ひ被つてはゐなかつた。最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かつたのを、寧ろ快よく感じた。彼自身も、斯んな意味の結婚を敢てし得る程度の人間だと自ら見積てゐた。  其上父に対して何時にない同情があつた。其顔、其声、其代助を動かさうとする努力、凡てに老後の憐れを認める事が出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかつた。私は何うでも宜う御座いますから、貴方の御都合の好い様に御極めなさいと云ひたかつた。 十五の五  けれども三千代と最後の会見を遂げた今更、父の意に叶ふ様な当座の孝行は代助には出来かねた。彼は元来が何方付かずの男であつた。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露に抵抗した試がなかつた。解釈のしやうでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思はれる遣口であつた。彼自身さへ、此二つの非難の何れを聞いた時に、左様かも知れないと、腹の中で首を捩らぬ訳には行かなかつた。然し其原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両つの眼が付いてゐて、双方を一時に見る便宜を有してゐたからであつた。かれは此能力の為に、今日迄一図に物に向つて突進する勇気を挫かれた。即かず離れず現状に立ち竦んでゐる事が屡あつた。此現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのでなくて、却つて明白な判断に本いて起ると云ふ事実は、彼が犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解つたのである。三千代の場合は、即ち其適例であつた。  彼は三千代の前に告白した己れを、父の前で白紙にしやうとは想ひ到らなかつた。同時に父に対しては、心から気の毒であつた。平生の代助が此際に執るべき方針は云はずして明らかであつた。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与へる為の結婚を承諾するに外ならなかつた。代助は斯くして双方を調和する事が出来た。何方付かずに真中へ立つて、煮え切らずに前進する事は容易であつた。けれども、今の彼は、不断の彼とは趣を異にしてゐた。再び半身を埒外に挺でて、余人と握手するのは既に遅かつた。彼は三千代に対する自己の責任を夫程深く重いものと信じてゐた。彼の信念は半ば頭の判断から来た。半ば心の憧憬から来た。二つのものが大きな濤の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生れ変つた様に父の前に立つた。  彼は平生の代助の如く、成る可く口数を利かずに控えてゐた。父から見れば何時もの代助と異なる所はなかつた。代助の方では却つて父の変つてゐるのに驚ろいた。実は此間から幾度も会見を謝絶されたのも、自分が父の意志に背く恐があるから父の方でわざと、延ばしたものと推してゐた。今日逢つたら、定めて苦い顔をされる事と覚悟を極めてゐた。ことによれば、頭から叱り飛ばされるかも知れないと思つた。代助には寧ろ其方が都合が好かつた。三分の一は、父の暴怒に対する自己の反動を、心理的に利用して、判然断らうと云ふ下心さへあつた。代助は父の様子、父の言葉遣、父の主意、凡てが予期に反して、自分の決心を鈍らせる傾向に出たのを心苦しく思つた。けれども彼は此心苦しさにさへ打ち勝つべき決心を蓄へた。 「貴方の仰しやる所は一々御尤もだと思ひますが、私には結婚を承諾する程の勇気がありませんから、断るより外に仕方がなからうと思ひます」ととう/\云つて仕舞つた。其時父はたゞ代助の顔を見てゐた。良あつて、 「勇気が要るのかい」と手に持つてゐた烟管を畳の上に放り出した。代助は膝頭を見詰めて黙つてゐた。 「当人が気に入らないのかい」と父が又聞いた。代助は猶返事をしなかつた。彼は今迄父に対して己れの四半分も打ち明けてはゐなかつた。その御蔭で父と平和の関係を漸く持続して来た。けれども三千代の事丈は始めから決して隠す気はなかつた。自分の頭の上に当然落ちかゝるべき結果を、策で避ける卑怯が面白くなかつたからである。彼はたゞ自白の期に達してゐないと考へた。従つて三千代の名は丸で口へは出さなかつた。父は最後に、 「ぢや何でも御前の勝手にするさ」と云つて苦い顔をした。  代助も不愉快であつた。然し仕方がないから、礼をして父の前を退がらうとした。ときに父は呼び留めて、 「己の方でも、もう御前の世話はせんから」と云つた。座敷へ帰つた時、梅子は待ち構へた様に、 「何うなすつて」と聞いた。代助は答へ様もなかつた。 十六の一  翌日眼が覚めても代助の耳の底には父の最後の言葉が鳴つてゐた。彼は前後の事情から、平生以上の重みを其内容に附着しなければならなかつた。少なくとも、自分丈では、父から受ける物質的の供給がもう絶えたものと覚悟する必要があつた。代助の尤も恐るゝ時期は近づいた。父の機嫌を取り戻すには、今度の結婚を断るにしても、あらゆる結婚に反対してはならなかつた。あらゆる結婚に反対しても、父を首肯かせるに足る程の理由を、明白に述べなければならなかつた。代助に取つては二つのうち何れも不可能であつた。人生に対する自家の哲学の根本に触れる問題に就いて、父を欺くのは猶更不可能であつた。代助は昨日の会見を回顧して、凡てが進むべき方向に進んだとしか考へ得なかつた。けれども恐ろしかつた。自己が自己に自然な因果を発展させながら、其因果の重みを脊中に負つて、高い絶壁の端迄押し出された様な心持であつた。  彼は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思つた。けれども彼の頭の中には職業と云ふ文字がある丈で、職業其物は体を具えて現はれて来なかつた。彼は今日迄如何なる職業にも興味を有つてゐなかつた結果として、如何なる職業を想ひ浮べて見ても、只其上を上滑りに滑つて行く丈で、中に踏み込んで内部から考へる事は到底出来なかつた。彼には世間が平たい複雑な色分の如くに見えた。さうして彼自身は何等の色を帯びてゐないとしか考へられなかつた。  凡ての職業を見渡した後、彼の眼は漂泊者の上に来て、そこで留まつた。彼は明らかに自分の影を、犬と人の境を迷ふ乞食の群の中に見出した。生活の堕落は精神の自由を殺す点に於て彼の尤も苦痛とする所であつた。彼は自分の肉体に、あらゆる醜穢を塗り付けた後、自分の心の状態が如何に落魄するだらうと考へて、ぞつと身振をした。  此落魄のうちに、彼は三千代を引張り廻さなければならなかつた。三千代は精神的に云つて、既に平岡の所有ではなかつた。代助は死に至る迄彼女に対して責任を負ふ積であつた。けれども相当の地位を有つてゐる人の不実と、零落の極に達した人の親切とは、結果に於て大した差違はないと今更ながら思はれた。死ぬ迄三千代に対して責任を負ふと云ふのは、負ふ目的があるといふ迄で、負つた事実には決してなれなかつた。代助は惘然として黒内障に罹つた人の如くに自失した。  彼は又三千代を訪ねた。三千代は前日の如く静に落ち着いてゐた。微笑と光輝とに満ちてゐた。春風はゆたかに彼女の眉を吹いた。代助は三千代が己を挙げて自分に信頼してゐる事を知つた。其証拠を又眼のあたりに見た時、彼は愛憐の情と気の毒の念に堪えなかつた。さうして自己を悪漢の如くに呵責した。思ふ事は全く云ひそびれて仕舞つた。帰るとき、 「又都合して宅へ来ませんか」と云つた。三千代はえゝと首肯いて微笑した。代助は身を切られる程酷かつた。  代助は此間から三千代を訪問する毎に、不愉快ながら平岡の居ない時を択まなければならなかつた。始めはそれを左程にも思はなかつたが、近頃では不愉快と云ふよりも寧ろ、行き悪い度が日毎に強くなつて来た。其上留守の訪問が重なれば、下女に不審を起させる恐れがあつた。気の所為か、茶を運ぶ時にも、妙に疑ぐり深い眼付をして、見られる様でならなかつた。然し三千代は全く知らぬ顔をしてゐた。少なくとも上部丈は平気であつた。  平岡との関係に就ては、無論詳しく尋ねる機会もなかつた。会に一言二言夫となく問を掛けて見ても、三千代は寧ろ応じなかつた。たゞ代助の顔を見れば、見てゐる其間丈の嬉しさに溺れ尽すのが自然の傾向であるかの如くに思はれた。前後を取り囲む黒い雲が、今にも逼つて来はしまいかと云ふ心配は、陰ではいざ知らず、代助の前には影さへ見せなかつた。三千代は元来神経質の女であつた。昨今の態度は、何うしても此女の手際ではないと思ふと、三千代の周囲の事情が、まだ夫程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなつたのだと解釈せざるを得なかつた。 「すこし又話したい事があるから来て下さい」と前よりは稍真面目に云つて代助は三千代と別れた。 十六の二  中二日置いて三千代が来る迄、代助の頭は何等の新しい路を開拓し得なかつた。彼の頭の中には職業の二字が大きな楷書で焼き付けられてゐた。それを押し退けると、物質的供給の杜絶がしきりに踊り狂つた。それが影を隠すと、三千代の未来が凄じく荒れた。彼の頭には不安の旋風が吹き込んだ。三つのものが巴の如く瞬時の休みなく回転した。其結果として、彼の周囲が悉く回転しだした。彼は船に乗つた人と一般であつた。回転する頭と、回転する世界の中に、依然として落ち付いてゐた。  青山の宅からは何の消息もなかつた。代助は固よりそれを予期してゐなかつた。彼は力めて門野を相手にして他愛ない雑談に耽つた。門野は此暑さに自分の身体を持ち扱つてゐる位、用のない男であつたから、頗る得意に代助の思ふ通り口を動かした。それでも話し草臥れると、 「先生、将棋は何うです」抔と持ち掛けた。夕方には庭に水を打つた。二人共跣足になつて、手桶を一杯宛持つて、無分別に其所等を濡らして歩いた。門野が隣の梧桐の天辺迄水にして御目にかけると云つて、手桶の底を振り上げる拍子に、滑つて尻持を突いた。白粉草が垣根の傍で花を着けた。手水鉢の蔭に生えた秋海棠の葉が著るしく大きくなつた。梅雨は漸く晴れて、昼は雲の峰の世界となつた。強い日は大きな空を透き通す程焼いて、空一杯の熱を地上に射り付ける天気となつた。  代助は夜に入つて頭の上の星ばかり眺めてゐた。朝は書斎に這入つた。二三日は朝から蝉の声が聞える様になつた。風呂場へ行つて、度々頭を冷した。すると門野がもう好い時分だと思つて、 「何うも非常な暑さですな」と云つて、這入つて来た。代助は斯う云ふ上の空の生活を二日程送つた。三日目の日盛に、彼は書斎の中から、ぎら/\する空の色を見詰めて、上から吐き下す焔の息を嗅いだ時に、非常に恐ろしくなつた。それは彼の精神が此猛烈なる気候から永久の変化を受けつゝあると考へた為であつた。  三千代は此暑を冒して前日の約を履んだ。代助は女の声を聞き付けた時、自分で玄関迄飛び出した。三千代は傘をつぼめて、風呂敷包を抱へて、格子の外に立つてゐた。不断着の儘宅を出たと見えて、質素な白地の浴衣の袂から手帛を出し掛けた所であつた。代助は其姿を一目見た時、運命が三千代の未来を切り抜いて、意地悪く自分の眼の前に持つて来た様に感じた。われ知らず、笑ひながら、 「馳落でもしさうな風ぢやありませんか」と云つた。三千代は穏かに、 「でも買物をした序でないと上り悪いから」と真面目な答をして、代助の後に跟いて奥迄這入つて来た。代助はすぐ団扇を出した。照り付けられた所為で三千代の頬が心持よく輝やいた。何時もの疲れた色は何処にも見えなかつた。眼の中にも若い沢が宿つてゐた。代助は生々した此美くしさに、自己の感覚を溺らして、しばらくは何事も忘れて仕舞つた。が、やがて、此美くしさを冥々の裡に打ち崩しつゝあるものは自分であると考へ出したら悲しくなつた。彼は今日も此美くしさの一部分を曇らす為に三千代を呼んだに違なかつた。  代助は幾度か己れを語る事を躇した。自分の前に、これ程幸福に見える若い女を、眉一筋にしろ心配の為に動かさせるのは、代助から云ふと非常な不徳義であつた。もし三千代に対する義務の心が、彼の胸のうちに鋭どく働らいてゐなかつたなら、彼は夫から以後の事情を打ち明ける事の代りに、先達ての告白を再び同じ室のうちに繰り返して、単純なる愛の快感の下に、一切を放擲して仕舞つたかも知れなかつた。  代助は漸くにして思ひ切つた。 「其後貴方と平岡との関係は別に変りはありませんか」  三千代は此問を受けた時でも、依然として幸福であつた。 「あつたつて、構はないわ」 「貴方は夫程僕を信用してゐるんですか」 「信用してゐなくつちや、斯うして居られないぢやありませんか」  代助は目映しさうに、熱い鏡の様な遠い空を眺めた。 十六の三 「僕には夫程信用される資格がなささうだ」と苦笑しながら答へたが、頭の中は焙炉の如く火照つてゐた。然し三千代は気にも掛からなかつたと見えて、何故とも聞き返さなかつた。たゞ簡単に、 「まあ」とわざとらしく驚ろいて見せた。代助は真面目になつた。 「僕は白状するが、実を云ふと、平岡君より頼にならない男なんですよ。買ひ被つてゐられると困るから、みんな話して仕舞ふが」と前置をして、夫から自分と父との今日迄の関係を詳しく述べた上、 「僕の身分は是から先何うなるか分らない。少なくとも当分は一人前ぢやない。半人前にもなれない。だから」と云ひ淀んだ。 「だから、何うなさるんです」 「だから、僕の思ふ通り、貴方に対して責任が尽せないだらうと心配してゐるんです」 「責任つて、何んな責任なの。もつと判然仰しやらなくつちや解らないわ」  代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、たゞ貧苦が愛人の満足に価しないと云ふ事丈を知つてゐた。だから富が三千代に対する責任の一つと考へたのみで、夫より外に明らかな観念は丸で持つてゐなかつた。 「徳義上の責任ぢやない、物質上の責任です」 「そんなものは欲しくないわ」 「欲しくないと云つたつて、是非必要になるんです。是から先僕が貴方と何んな新らしい関係に移つて行くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」 「解決者でも何でも、今更左様な事を気にしたつて仕方がないわ」 「口ではさうも云へるが、いざと云ふ場合になると困るのは眼に見えてゐます」  三千代は少し色を変へた。 「今貴方の御父様の御話を伺つて見ると、斯うなるのは始めから解つてるぢやありませんか。貴方だつて、其位な事は疾うから気が付いて入つしやる筈だと思ひますわ」  代助は返事が出来なかつた。頭を抑えて、 「少し脳が何うかしてゐるんだ」と独り言の様に云つた。三千代は少し涙ぐんだ。 「もし、夫が気になるなら、私の方は何うでも宜う御座んすから、御父様と仲直りをなすつて、今迄通り御交際になつたら好いぢやありませんか」  代助は急に三千代の手頸を握つてそれを振る様に力を入れて云つた。―― 「そんな事を為る気なら始めから心配をしやしない。たゞ気の毒だから貴方に詫るんです」 「詫まるなんて」と三千代は声を顫はしながら遮つた。「私が源因で左様なつたのに、貴方に詫まらしちや済まないぢやありませんか」  三千代は声を立てゝ泣いた。代助は慰撫める様に、 「ぢや我慢しますか」と聞いた。 「我慢はしません。当り前ですもの」 「是から先まだ変化がありますよ」 「ある事は承知してゐます。何んな変化があつたつて構やしません。私は此間から、――此間から私は、若もの事があれば、死ぬ積で覚悟を極めてゐるんですもの」  代助は慄然として戦いた。 「貴方に是から先何したら好いと云ふ希望はありませんか」と聞いた。 「希望なんか無いわ。何でも貴方の云ふ通りになるわ」 「漂泊――」 「漂泊でも好いわ。死ねと仰しやれば死ぬわ」  代助は又竦とした。 「此儘では」 「此儘でも構はないわ」 「平岡君は全く気が付いてゐない様ですか」 「気が付いてゐるかも知れません。けれども私もう度胸を据ゑてゐるから大丈夫なのよ。だつて何時殺されたつて好いんですもの」 「さう死ぬの殺されるのと安つぽく云ふものぢやない」 「だつて、放つて置いたつて、永く生きられる身体ぢやないぢやありませんか」  代助は硬くなつて、竦むが如く三千代を見詰めた。三千代は歇私的里の発作に襲はれた様に思ひ切つて泣いた。 十六の四  一仕切経つと、発作は次第に収まつた。後は例の通り静かな、しとやかな、奥行のある、美くしい女になつた。眉のあたりが殊に晴/″\しく見えた。其時代助は、 「僕が自分で平岡君に逢つて解決を付けても宜う御座んすか」と聞いた。 「そんな事が出来て」と三千代は驚ろいた様であつた。代助は、 「出来る積です」と確り答へた。 「ぢや、何うでも」と三千代が云つた。 「さうしませう。二人が平岡君を欺いて事をするのは可くない様だ。無論事実を能く納得出来る様に話す丈です。さうして、僕の悪い所はちやんと詫まる覚悟です。其結果は僕の思ふ様に行かないかも知れない。けれども何う間違つたつて、そんな無暗な事は起らない様にする積です。斯う中途半端にしてゐては、御互も苦痛だし、平岡君に対しても悪い。たゞ僕が思ひ切つて左様すると、あなたが、嘸平岡君に面目なからうと思つてね。其所が御気の毒なんだが、然し面目ないと云へば、僕だつて面目ないんだから。自分の所為に対しては、如何に面目なくつても、徳義上の責任を負ふのが当然だとすれば、外に何等の利益がないとしても、御互の間に有た事丈は平岡君に話さなければならないでせう。其上今の場合では是からの所置を付ける大事の自白なんだから、猶更必要になると思ひます」 「能く解りましたわ。何うせ間違へば死ぬ積なんですから」 「死ぬなんて。――よし死ぬにしたつて、是から先何の位間があるか――又そんな危険がある位なら、なんで平岡君に僕から話すもんですか」  三千代は又泣き出した。 「ぢや能く詫ります」  代助は日の傾くのを待つて三千代を帰した。然し此前の時の様に送つては行かなかつた。一時間程書斎の中で蝉の声を聞いて暮した。三千代に逢つて自分の未来を打ち明けてから、気分が薩張りした。平岡へ手紙を書いて、会見の都合を聞き合せ様として、筆を持つて見たが、急に責任の重いのが苦になつて、拝啓以後を書き続ける勇気が出なかつた。卒然、襯衣一枚になつて素足で庭へ飛び出した。三千代が帰る時は正体なく午睡をしてゐた門野が、 「まだ早いぢやありませんか。日が当つてゐますぜ」と云ひながら、坊主頭を両手で抑えて椽端にあらはれた。代助は返事もせずに、庭の隅へ潜り込んで竹の落葉を前の方へ掃き出した。門野も已を得ず着物を脱いで下りて来た。  狭い庭だけれども、土が乾いてゐるので、たつぷり濡らすには大分骨が折れた。代助は腕が痛いと云つて、好加減にして足を拭いて上つた。烟草を吹いて、椽側に休んでゐると、門野が其姿を見て、 「先生心臓の鼓動が少々狂やしませんか」と下から調戯つた。  晩には門野を連れて、神楽坂の縁日へ出掛けて、秋草を二鉢三鉢買つて来て、露の下りる軒の外へ並べて置いた。夜は深く空は高かつた。星の色は濃く繁く光つた。  代助は其晩わざと雨戸を引かずに寐た。無用心と云ふ恐れが彼の頭には全く無かつた。彼は洋燈を消して、蚊帳の中に独り寐転びながら、暗い所から暗い空を透かして見た。頭の中には昼の事が鮮かに輝いた。もう二三日のうちには最後の解決が出来ると思つて幾度か胸を躍らせた。が、そのうち大いなる空と、大いなる夢のうちに、吾知らず吸収された。  翌日の朝彼は思ひ切つて平岡へ手紙を出した。たゞ、内々で少し話したい事があるが、君の都合を知らせて貰ひたい。此方は何時でも差支ない。と書いた丈だが、彼はわざとそれを封書にした。状袋の糊を湿めして、赤い切手をとんと張つた時には、愈クライシスに証券を与へた様な気がした。彼は門野に云ひ付けて、此運命の使を郵便函に投げ込ました。手渡しにする時、少し手先が顫へたが、渡したあとでは却つて茫然として自失した。三年前三千代と平岡の間に立つて斡旋の労を取つた事を追想すると丸で夢の様であつた。 十六の五  翌日は平岡の返事を心待に待ち暮らした。其明る日も当にして終日宅にゐた。三日四日と経つた。が、平岡からは何の便もなかつた。其中例月の通り、青山へ金を貰ひに行くべき日が来た。代助の懐中は甚だ手薄になつた。代助は此前父に逢つた時以後、もう宅からは補助を受けられないものと覚悟を極めてゐた。今更平気な顔をして、のそ/\出掛て行く了見は丸でなかつた。何二ヶ月や三ヶ月は、書物か衣類を売り払つても何うかなると腹の中で高を括つて落ち付いてゐた。事の落着次第緩くり職業を探すと云ふ分別もあつた。彼は平生から人のよく口癖にする、人間は容易な事で餓死するものぢやない、何うにかなつて行くものだと云ふ半諺の真理を、経験しない前から信じ出した。  五日目に暑を冒して、電車へ乗つて、平岡の社迄出掛けて行つて見て、平岡は二三日出社しないと云ふ事が分つた。代助は表へ出て薄汚ない編輯局の窓を見上げながら、足を運ぶ前に、一応電話で聞き合すべき筈だつたと思つた。先達ての手紙は、果して平岡の手に渡つたかどうか、夫さへ疑はしくなつた。代助はわざと新聞社宛でそれを出したからである。帰りに神田へ廻つて、買ひつけの古本屋に、売払ひたい不用の書物があるから、見に来てくれろと頼んだ。  其晩は水を打つ勇気も失せて、ぼんやり、白い網襯衣を着た門野の姿を眺めてゐた。 「先生今日は御疲ですか」と門野が馬尻を鳴らしながら云つた。代助の胸は不安に圧されて、明らかな返事も出なかつた。夕食のとき、飯の味は殆んどなかつた。呑み込む様に咽喉を通して、箸を投げた。門野を呼んで、 「君、平岡の所へ行つてね、先達ての手紙は御覧になりましたか。御覧になつたら、御返事を願ひますつて、返事を聞いて来て呉れ玉へ」と頼んだ。猶要領を得ぬ恐がありさうなので、先達てこれ/\の手紙を新聞社の方へ出して置いたのだと云ふ事迄説明して聞かした。  門野を出した後で、代助は椽側に出て、椅子に腰を掛けた。門野の帰つた時は、洋燈を吹き消して、暗い中に凝としてゐた。門野は暗がりで、 「行つて参りました」と挨拶をした。「平岡さんは御居でゞした。手紙は御覧になつたさうです。明日の朝行くからといふ事です」 「左様かい、御苦労さま」と代助は答へた。 「実はもつと早く出るんだつたが、うちに病人が出来たんで遅くなつたから、宜しく云つてくれろと云はれました」 「病人?」と代助は思はず問ひ返した。門野は暗い中で、 「えゝ、何でも奥さんが御悪い様です」と答へた。門野の着てゐる白地の浴衣丈がぼんやり代助の眼に入つた。夜の明りは二人の顔を照らすには余り不充分であつた。代助は掛けてゐる籐椅子の肱掛を両手で握つた。 「余程悪いのか」と強く聞いた。 「何うですか、能く分りませんが。何でもさう軽さうでもない様でした。然し平岡さんが明日御出になられる位なんだから、大した事ぢやないでせう」  代助は少し安心した。 「何だい。病気は」 「つい聞き落しましたがな」  二人の問答は夫で絶えた。門野は暗い廊下を引き返して、自分の部屋へ這入つた。静かに聞いてゐると、しばらくして、洋燈の蓋をホヤに打つける音がした。門野は灯火を点けたと見えた。  代助は夜の中に猶凝としてゐた。凝としてゐながら、胸がわく/\した。握つてゐる肱掛に、手から膏が出た。代助は又手を鳴らして門野を呼び出した。門野のぼんやりした白地が又廊下のはづれに現はれた。 「まだ暗闇ですな。洋燈を点けますか」と聞いた。代助は洋燈を断つて、もう一度、三千代の病気を尋ねた。看護婦の有無やら、平岡の様子やら、新聞社を休んだのは、細君の病気の為だか、何うだか、と云ふ点に至る迄、考へられる丈問ひ尽した。けれども門野の答は必竟前と同じ事を繰り返すのみであつた。でなければ、好加減な当ずつぽうに過ぎなかつた。それでも、代助には一人で黙つてゐるよりも堪え易かつた。 十六の六  寐る前に門野が夜中投函から手紙を一本出して来た。代助は暗い中でそれを受取つた儘、別に見様ともしなかつた。門野は、 「御宅からの様です。灯火を持つて来ませうか」と促がす如くに注意した。  代助は始めて洋燈を書斎に入れさして、其下で、状袋の封を切つた。手紙は梅子から自分に宛てた可なり長いものであつた。―― 「此間から奥さんの事で貴方も嘸御迷惑なすつたらう。此方でも御父様始め兄さんや、私は随分心配をしました。けれども其甲斐もなく先達て御出の時、とう/\御父さんに断然御断りなすつた御様子、甚だ残念ながら、今では仕方がないと諦らめてゐます。けれども其節御父様は、もう御前の事は構はないから、其積でゐろと御怒りなされた由、後で承りました。其後あなたが御出にならないのも、全く其為ぢやなからうかと思つてゐます。例月のものを上げる日には何うかとも思ひましたが、矢張り御出にならないので、心配してゐます。御父さんは打遣つて置けと仰います。兄さんは例の通り呑気で、困つたら其内来るだらう。其時親爺によく詫らせるが可い。もし来ない様だつたら、おれの方から行つてよく異見してやると云つてゐます。けれども、結婚の事は三人とももう断念してゐるんですから、其点では御迷惑になる様な事はありますまい。尤も御父さんは未だ怒つて御出の様子です。私の考では当分昔の通りになる事は、六づかしいと思ひます。それを考へると、貴方が入らつしやらない方が却つて貴方の為に宜いかも知れません。たゞ心配になるのは月々上げる御金の事です。貴方の事だから、さう急に自分で御金を取る気遣はなからうと思ふと、差し当り御困りになるのが眼の前に見える様で、御気の毒で堪りません。で、私の取計で例月分を送つて上げるから、御受取の上は是で来月迄持ち応へて入らつしやい。其内には御父さんの御機嫌も直るでせう。又兄さんからも、さう云つて頂く積です。私も好い折があれば、御詫をして上げます。それ迄は今迄通り遠慮して入らつしやる方が宜う御座います。……」  まだ後が大分あつたが、女の事だから、大抵は重複に過ぎなかつた。代助は中に這入つてゐた小切手を引き抜いて、手紙丈をもう一遍よく読み直した上、丁寧に元の如くに巻き収めて、無言の感謝を改めて嫂に致した。梅子よりと書いた字は寧ろ拙であつた。手紙の体の言文一致なのは、かねて代助の勧めた通りを用ひたのであつた。  代助は洋燈の前にある封筒を、猶つくづくと眺めた。古い寿命が又一ヶ月延びた。晩かれ早かれ、自己を新たにする必要のある代助には、嫂の志は難有いにもせよ、却つて毒になる許であつた。たゞ平岡と事を決する前は、麺麭の為に働らく事を肯はぬ心を持つてゐたから、嫂の贈物が、此際糧食としてことに彼には貴とかつた。  其晩も蚊帳へ這入る前にふつと、洋燈を消した。雨戸は門野が立てに来たから、故障も云はずに、其儘にして置いた。硝子戸だから、戸越しにも空は見えた。たゞ昨夕より暗かつた。曇つたのかと思つて、わざ/\椽側迄出て、透かす様にして軒を仰ぐと、光るものが筋を引いて斜めに空を流れた。代助は又蚊帳を捲つて這入つた。寐付かれないので団扇をはたはた云はせた。  家の事は左のみ気に掛からなかつた。職業もなるが儘になれと度胸を据ゑた。たゞ三千代の病気と、其源因と其結果が、ひどく代助の頭を悩ました。それから平岡との会見の様子も、様々に想像して見た。それも一方ならず彼の脳髄を刺激した。平岡は明日の朝九時頃あんまり暑くならないうちに来るといふ伝言であつた。代助は固より、平岡に向つて何う切り出さう抔と形式的の文句を考へる男ではなかつた。話す事は始めから極つてゐて、話す順序は其時の模様次第だから、決して心配にはならなかつたが、たゞ成る可く穏かに自分の思ふ事が向ふに徹する様にしたかつた。それで過度の興奮を忌んで、一夜の安静を切に冀つた。成るべく熟睡したいと心掛けて瞼を合せたが、生憎眼が冴えて昨夕よりは却つて寐苦しかつた。其内夏の夜がぽうと白み渡つて来た。代助は堪りかねて跳ね起きた。跣足で庭先へ飛び下りて冷たい露を存分に踏んだ。夫から又椽側の籐椅子に倚つて、日の出を待つてゐるうちに、うと/\した。 十六の七  門野が寐惚け眼を擦りながら、雨戸を開けに出た時、代助ははつとして、此仮睡から覚めた。世界の半面はもう赤い日に洗はれてゐた。 「大変御早うがすな」と門野が驚ろいて云つた。代助はすぐ風呂場へ行つて水を浴びた。朝飯は食はずに只紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、殆んど何が書いてあるか解らなかつた。読むに従つて、読んだ事が群がつて消えて行つた。たゞ時計の針ばかりが気になつた。平岡が来る迄にはまだ二時間あまりあつた。代助は其間を何うして暮らさうかと思つた。凝としてはゐられなかつた。けれども何をしても手に付かなかつた。責めて此二時間をぐつと寐込んで、眼を開けて見ると、自分の前に平岡が来てゐる様にしたかつた。  仕舞に何か用事を考へ出さうとした。不図机の上に乗せてあつた梅子の封筒が眼に付いた。代助は是だと思つて、強いて机の前に坐つて、嫂へ謝状を書いた。成るべく叮嚀に書く積であつたが、状袋へ入れて宛名迄認めて仕舞つて、時計を眺めると、たつた十五分程しか経つてゐなかつた。代助は席に着いた儘、安からぬ眼を空に据ゑて、頭の中で何か捜す様に見えた。が、急に起つた。 「平岡が来たら、すぐ帰るからつて、少し待たして置いて呉れ」と門野に云ひ置いて表へ出た。強い日が正面から射竦める様な勢で、代助の顔を打つた。代助は歩きながら絶えず眼と眉を動かした。牛込見附を這入つて、飯田町を抜けて、九段坂下へ出て、昨日寄つた古本屋迄来て、 「昨日不要の本を取りに来て呉れと頼んで置いたが、少し都合があつて見合せる事にしたから、其積で」と断つた。帰りには、暑さが余り酷かつたので、電車で飯田橋へ回つて、それから揚場を筋違に毘沙門前へ出た。  家の前には車が一台下りてゐた。玄関には靴が揃へてあつた。代助は門野の注意を待たないで、平岡の来てゐる事を悟つた。汗を拭いて、着物を洗ひ立ての浴衣に改めて、座敷へ出た。 「いや、御使で」と平岡が云つた。矢張り洋服を着て、蒸される様に扇を使つた。 「何うも暑い所を」と代助も自から表立た言葉遣をしなければならなかつた。  二人はしばらく時候の話をした。代助はすぐ三千代の様子を聞いて見たかつた。然しそれが何う云ふものか聞き悪かつた。其内通例の挨拶も済んで仕舞つた。話は呼び寄せた方から、切り出すのが順当であつた。 「三千代さんは病気だつてね」 「うん。夫で社の方も二三日休ませられた様な訳で。つい君の所へ返事を出すのも忘れて仕舞つた」 「そりや何うでも構はないが。三千代さんはそれ程悪いのかい」  平岡は断然たる答を一言葉でなし得なかつた。さう急に何うの斯うのといふ心配もない様だが、決して軽い方ではないといふ意味を手短かに述べた。  此前暑い盛りに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄つた明日の朝、三千代は平岡の社へ出掛ける世話をしてゐながら、突然夫の襟飾を持つた儘卒倒した。平岡も驚ろいて、自分の支度は其儘に三千代を介抱した。十分の後三千代はもう大丈夫だから社へ出て呉れと云ひ出した。口元には微笑の影さへ見えた。横にはなつてゐたが、心配する程の様子もないので、もし悪い様だつたら医者を呼ぶ様に、必要があつたら社へ電話を掛ける様に云ひ置いて平岡は出勤した。其晩は遅く帰つた。三千代は心持が悪いといつて先へ寐てゐた。何んな具合かと聞いても、判然した返事をしなかつた。翌日朝起きて見ると三千代の色沢が非常に可くなかつた。平岡は寧ろ驚ろいて医者を迎へた。医者は三千代の心臓を診察して眉をひそめた。卒倒は貧血の為だと云つた。随分強い神経衰弱に罹つてゐると注意した。平岡は夫から社を休んだ。本人は大丈夫だから出て呉れろと頼む様に云つたが、平岡は聞かなかつた。看護をしてから二日目の晩に、三千代が涙を流して、是非詫まらなければならない事があるから、代助の所へ行つて其訳を聞いて呉れろと夫に告げた。平岡は始めてそれを聞いた時には、本当にしなかつた。脳の加減が悪いのだらうと思つて、好し/\と気休めを云つて慰めてゐた。三日目にも同じ願が繰り返された。其時平岡は漸やく三千代の言葉に一種の意味を認めた。すると夕方になつて、門野が代助から出した手紙の返事を聞きにわざ/\小石川迄遣つて来た。 「君の用事と三千代の云ふ事と何か関係があるのかい」と平岡は不思議さうに代助を見た。 十六の八  平岡の話は先刻から深い感動を代助に与へてゐたが、突然此思はざる問に来た時、代助はぐつと詰つた。平岡の問は実に意表に、無邪気に、代助の胸に応へた。彼は何時になく少し赤面して俯向いた。然し再顔を上げた時は、平生の通り静かな悪びれない態度を回復してゐた。 「三千代さんの君に詫まる事と、僕の君に話したい事とは、恐らく大いなる関係があるだらう。或は同じ事かも知れない。僕は何うしても、それを君に話さなければならない。話す義務があると思ふから話すんだから、今日迄の友誼に免じて、快よく僕に僕の義務を果さして呉れ給へ」 「何だい。改たまつて」と平岡は始めて眉を正した。 「いや前置をすると言訳らしくなつて不可ないから、僕も成る可くなら卒直に云つて仕舞ひたいのだが、少し重大な事件だし、夫に習慣に反した嫌もあるので、若し中途で君に激されて仕舞ふと、甚だ困るから、是非仕舞迄君に聞いて貰ひたいと思つて」 「まあ何だい。其話と云ふのは」  好奇心と共に平岡の顔が益真面目になつた。 「其代り、みんな話した後で、僕は何んな事を君から云はれても、矢張り大人しく仕舞迄聞く積だ」  平岡は何にも云はなかつた。たゞ眼鏡の奥から大きな眼を代助の上に据ゑた。外はぎら/\する日が照り付けて、椽側迄射返したが、二人は殆んど暑さを度外に置いた。  代助は一段声を潜めた。さうして、平岡夫婦が東京へ来てから以来、自分と三千代との関係が何んな変化を受けて、今日に至つたかを、詳しく語り出した。平岡は堅く唇を結んで代助の一語一句に耳を傾けた。代助は凡てを語るに約一時間余を費やした。其間に平岡から四遍程極めて単簡な質問を受けた。 「ざつと斯う云ふ経過だ」と説明の結末を付けた時、平岡はたゞ唸る様に深い溜息を以て代助に答へた。代助は非常に酷かつた。 「君の立場から見れば、僕は君を裏切りした様に当る。怪しからん友達だと思ふだらう。左様思れても一言もない。済まない事になつた」 「すると君は自分のした事を悪いと思つてるんだね」 「無論」 「悪いと思ひながら今日迄歩を進めて来たんだね」と平岡は重ねて聞いた。語気は前よりも稍切迫してゐた。 「左様だ。だから、此事に対して、君の僕等に与へやうとする制裁は潔よく受ける覚悟だ。今のはたゞ事実を其儘に話した丈で、君の処分の材料にする考だ」  平岡は答へなかつた。しばらくしてから、代助の前へ顔を寄せて云つた。 「僕の毀損された名誉が、回復出来る様な手段が、世の中にあり得ると、君は思つてゐるのか」  今度は代助の方が答へなかつた。 「法律や社会の制裁は僕には何にもならない」と平岡は又云つた。 「すると君は当事者丈のうちで、名誉を回復する手段があるかと聞くんだね」 「左様さ」 「三千代さんの心機を一転して、君を元よりも倍以上に愛させる様にして、其上僕を蛇蝎の様に悪ませさへすれば幾分か償にはなる」 「夫が君の手際で出来るかい」 「出来ない」と代助は云ひ切つた。 「すると君は悪いと思つた事を今日迄発展さして置いて、猶其悪いと思ふ方針によつて、極端押して行かうとするのぢやないか」 「矛盾かも知れない。然し夫は世間の掟と定めてある夫婦関係と、自然の事実として成り上がつた夫婦関係とが一致しなかつたと云ふ矛盾なのだから仕方がない。僕は世間の掟として、三千代さんの夫たる君に詫まる。然し僕の行為其物に対しては矛盾も何も犯してゐない積だ」 十六の九 「ぢや」と平岡は稍声を高めた。「ぢや、僕等二人は世間の掟に叶ふ様な夫婦関係は結べないと云ふ意見だね」  代助は同情のある気の毒さうな眼をして平岡を見た。平岡の険しい眉が少し解けた。 「平岡君。世間から云へば、これは男子の面目に関はる大事件だ。だから君が自己の権利を維持する為に、――故意に維持しやうと思はないでも、暗に其心が働らいて、自然と激して来るのは已を得ないが、――けれども、こんな関係の起らない学校時代の君になつて、もう一遍僕の云ふ事をよく聞いて呉れないか」  平岡は何とも云はなかつた。代助も一寸控えてゐた。烟草を一吹吹いた後で、思ひ切つた。 「君は三千代さんを愛してゐなかつた」と静かに云つた。 「そりや」 「そりや余計な事だけれども、僕は云はなければならない。今度の事件に就て凡ての解決者はそれだらうと思ふ」 「君には責任がないのか」 「僕は三千代さんを愛してゐる」 「他の妻を愛する権利が君にあるか」 「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件ぢやない人間だから、心迄所有する事は誰にも出来ない。本人以外にどんなものが出て来たつて、愛情の増減や方向を命令する訳には行かない。夫の権利は其所迄は届きやしない。だから細君の愛を他へ移さない様にするのが、却つて夫の義務だらう」 「よし僕が君の期待する通り三千代を愛してゐなかつた事が事実としても」と平岡は強いて己を抑える様に云つた。拳を握つてゐた。代助は相手の言葉の尽きるのを待つた。 「君は三年前の事を覚えてゐるだらう」と平岡は又句を更へた。 「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」 「さうだ。其時の記憶が君の頭の中に残つてゐるか」  代助の頭は急に三年前に飛び返つた。当時の記憶が、闇を回る松明の如く輝いた。 「三千代を僕に周旋しやうと云ひ出したものは君だ」 「貰いたいと云ふ意志を僕に打ち明けたものは君だ」 「それは僕だつて忘れやしない。今に至る迄君の厚意を感謝してゐる」  平岡は斯う云つて、しばらく冥想してゐた。 「二人で、夜上野を抜けて谷中へ下りる時だつた。雨上りで谷中の下は道が悪かつた。博物館の前から話しつゞけて、あの橋の所迄来た時、君は僕の為に泣いて呉れた」  代助は黙然としてゐた。 「僕は其時程朋友を難有いと思つた事はない。嬉しくつて其晩は少しも寐られなかつた。月のある晩だつたので、月の消える迄起きてゐた」 「僕もあの時は愉快だつた」と代助が夢の様に云つた。それを平岡は打ち切る勢で遮つた。―― 「君は何だつて、あの時僕の為に泣いて呉れたのだ。なんだつて、僕の為に三千代を周旋しやうと盟つたのだ。今日の様な事を引き起す位なら、何故あの時、ふんと云つたなり放つて置いて呉れなかつたのだ。僕は君から是程深刻な復讐を取られる程、君に向つて悪い事をした覚がないぢやないか」  平岡は声を顫はした。代助の蒼い額に汗の珠が溜つた。さうして訴たへる如くに云つた。 「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛してゐたのだよ」  平岡は茫然として、代助の苦痛の色を眺めた。 「其時の僕は、今の僕でなかつた。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶へるのが、友達の本分だと思つた。それが悪かつた。今位頭が熟してゐれば、まだ考へ様があつたのだが、惜しい事に若かつたものだから、余りに自然を軽蔑し過ぎた。僕はあの時の事を思つては、非常な後悔の念に襲はれてゐる。自分の為ばかりぢやない。実際君の為に後悔してゐる。僕が君に対して真に済まないと思ふのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁して呉れ。僕は此通り自然に復讐を取られて、君の前に手を突いて詫まつてゐる」  代助は涙を膝の上に零した。平岡の眼鏡が曇つた。 十六の十 「どうも運命だから仕方がない」  平岡は呻吟く様な声を出した。二人は漸く顔を見合せた。 「善後策に就て君の考があるなら聞かう」 「僕は君の前に詫まつてゐる人間だ。此方から先へそんな事を云ひ出す権利はない。君の考から聞くのが順だ」と代助が云つた。 「僕には何にもない」と平岡は頭を抑えてゐた。 「では云ふ。三千代さんを呉れないか」と思ひ切つた調子に出た。  平岡は頭から手を離して、肱を棒の様に洋卓の上に倒した。同時に、 「うん遣らう」と云つた。さうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。 「遣る。遣るが、今は遣れない。僕は君の推察通り夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない。けれども悪んぢやゐなかつた。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方ぢやない。寐てゐる病人を君に遣るのは厭だ。病気が癒る迄君に遣れないとすれば、夫迄は僕が夫だから、夫として看護する責任がある」 「僕は君に詫つた。三千代さんも君に詫まつてゐる。君から云へば二人とも、不埒な奴には相違ないが、――幾何詫まつても勘弁出来んかも知れないが、――何しろ病気をして寐てゐるんだから」 「夫は分つてゐる。本人の病気に付け込んで僕が意趣晴らしに、虐待でもすると思つてるんだらうが、僕だつて、まさか」  代助は平岡の言を信じた。さうして腹の中で平岡に感謝した。平岡は次に斯う云つた。 「僕は今日の事がある以上は、世間的の夫の立場からして、もう君と交際する訳には行かない。今日限り絶交するから左様思つて呉れ玉へ」 「仕方がない」と代助は首を垂れた。 「三千代の病気は今云ふ通り軽い方ぢやない。此先何んな変化がないとも限らない。君も心配だらう。然し絶交した以上は已を得ない。僕の在不在に係はらず、宅へ出入りする事丈は遠慮して貰ひたい」 「承知した」と代助はよろめく様に云つた。其頬は益蒼かつた。平岡は立ち上がつた。 「君、もう五分許坐つて呉れ」と代助が頼んだ。平岡は席に着いた儘無言でゐた。 「三千代さんの病気は、急に危険な虞でもありさうなのかい」 「さあ」 「夫丈教へて呉れないか」 「まあ、さう心配しないでも可いだらう」  平岡は暗い調子で、地に息を吐く様に答へた。代助は堪えられない思がした。 「若しだね。若し万一の事がありさうだつたら、其前にたつた一遍丈で可いから、逢はして呉れないか。外には決して何も頼まない。たゞ夫丈だ。夫丈を何うか承知して呉れ玉へ」  平岡は口を結んだなり、容易に返事をしなかつた。代助は苦痛の遣り所がなくて、両手の掌を、垢の綯れる程揉んだ。 「夫はまあ其時の場合にしやう」と平岡が重さうに答へた。 「ぢや、時々病人の様子を聞きに遣つても可いかね」 「夫は困るよ。君と僕とは何にも関係がないんだから。僕は是から先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時丈だと思つてるんだから」  代助は電流に感じた如く椅子の上で飛び上がつた。 「あつ。解つた。三千代さんの死骸丈を僕に見せる積なんだ。それは苛い。それは残酷だ」  代助は洋卓の縁を回つて、平岡に近づいた。右の手で平岡の脊広の肩を抑えて、前後に揺りながら、 「苛い、苛い」と云つた。  平岡は代助の眼のうちに狂へる恐ろしい光を見出した。肩を揺られながら、立ち上がつた。 「左んな事があるものか」と云つて代助の手を抑えた。二人は魔に憑かれた様な顔をして互を見た。 「落ち付かなくつちや不可ない」と平岡が云つた。 「落ち付いてゐる」と代助が答へた。けれども其言葉は喘ぐ息の間を苦しさうに洩れて出た。  暫らくして発作の反動が来た。代助は己れを支ふる力を用ひ尽した人の様に、又椅子に腰を卸した。さうして両手で顔を抑えた。 十七の一  代助は夜の十時過になつて、こつそり家を出た。 「今から何方へ」と驚ろいた門野に、 「何一寸」と曖昧な答をして、寺町の通り迄来た。暑い時分の事なので、町はまだ宵の口であつた。浴衣を着た人が幾人となく代助の前後を通つた。代助には夫が唯動くものとしか見えなかつた。左右の店は悉く明るかつた。代助は眩しさうに、電気燈の少ない横町へ曲つた。江戸川の縁へ出た時、暗い風が微かに吹いた。黒い桜の葉が少し動いた。橋の上に立つて、欄干から下を見下してゐたものが二人あつた。金剛寺坂では誰にも逢はなかつた。岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道を塞いでゐた。  平岡の住んでゐる町は、猶静かであつた。大抵な家は灯影を洩らさなかつた。向ふから来た一台の空車の輪の音が胸を躍らす様に響いた。代助は平岡の家の塀際迄来て留つた。身を寄せて中を窺ふと、中は暗かつた。立て切つた門の上に、軒燈が空しく標札を照らしてゐた。軒燈の硝子に守宮の影が斜めに映つた。  代助は今朝も此所へ来た。午からも町内を彷徨いた。下女が買物にでも出る所を捕まへて、三千代の容体を聞かうと思つた。然し下女は遂に出て来なかつた。平岡の影も見えなかつた。塀の傍に寄つて耳を澄ましても、夫らしい人声は聞えなかつた。医者を突き留めて、詳しい様子を探らうと思つたが、医者らしい車は平岡の門前には留らなかつた。そのうち、強い日に射付けられた頭が、海の様に動き始めた。立ち留まつてゐると、倒れさうになつた。歩き出すと、大地が大きな波紋を描いた。代助は苦しさを忍んで這ふ様に家へ帰つた。夕食も食はずに倒れたなり動かずにゐた。其時恐るべき日は漸く落ちて、夜が次第に星の色を濃くした。代助は暗さと涼しさのうちに始めて蘇生つた。さうして頭を露に打たせながら、又三千代のゐる所迄遣つて来たのである。  代助は三千代の門前を二三度行つたり来たりした。軒燈の下へ来るたびに立ち留まつて、耳を澄ました。五分乃至十分は凝としてゐた。しかし家の中の様子は丸で分らなかつた。凡てが寂としてゐた。  代助が軒燈の下へ来て立ち留まるたびに、守宮が軒燈の硝子にぴたりと身体を貼り付けてゐた。黒い影は斜に映つた儘何時でも動かなかつた。  代助は守宮に気が付く毎に厭な心持がした。其動かない姿が妙に気に掛つた。彼の精神は鋭どさの余りから来る迷信に陥いつた。三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつゝあると想像した。三千代は今死につゝあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一遍自分に逢ひたがつて、死に切れずに息を偸んで生きてゐると想像した。代助は拳を固めて、割れる程平岡の門を敲かずにはゐられなくなつた。忽ち自分は平岡のものに指さへ触れる権利がない人間だと云ふ事に気が付いた。代助は恐ろしさの余り馳け出した。静かな小路の中に、自分の足音丈が高く響いた。代助は馳けながら猶恐ろしくなつた。足を緩めた時は、非常に呼息が苦しくなつた。  道端に石段があつた。代助は半ば夢中で其所へ腰を掛けたなり、額を手で抑えて、固くなつた。しばらくして、閉さいだ眼を開けて見ると、大きな黒い門があつた。門の上から太い松が生垣の外迄枝を張つてゐた。代助は寺の這入り口に休んでゐた。  彼は立ち上がつた。惘然として又歩き出した。少し来て、再び平岡の小路へ這入つた。夢の様に軒燈の前で立留つた。守宮はまだ一つ所に映つてゐた。代助は深い溜息を洩らして遂に小石川を南側へ降りた。  其晩は火の様に、熱くて赤い旋風の中に、頭が永久に回転した。代助は死力を尽して、旋風の中から逃れ出様と争つた。けれども彼の頭は毫も彼の命令に応じなかつた。木の葉の如く、遅疑する様子もなく、くるり/\と焔の風に巻かれて行つた。 十七の二  翌日は又燬け付く様に日が高く出た。外は猛烈な光で一面にいら/\し始めた。代助は我慢して八時過に漸く起きた。起きるや否や眼がぐらついた。平生の如く水を浴びて、書斎へ這入つて凝と竦んだ。  所へ門野が来て、御客さまですと知らせたなり、入口に立つて、驚ろいた様に代助を見た。代助は返事をするのも退儀であつた。客は誰だと聞き返しもせずに手で支へた儘の顔を、半分ばかり門野の方へ向き易へた。其時客の足音が椽側にして、案内も待たずに兄の誠吾が這入つて来た。 「やあ、此方へ」と席を勧めたのが代助にはやうやうであつた。誠吾は席に着くや否や、扇子を出して、上布の襟を開く様に、風を送つた。此暑さに脂肪が焼けて苦しいと見えて、荒い息遣をした。 「暑いな」と云つた。 「御宅でも別に御変りもありませんか」と代助は、左も疲れ果てた人の如くに尋ねた。  二人は少時例の通りの世間話をした。代助の調子態度は固より尋常ではなかつた。けれども兄は決して何うしたとも聞かなかつた。話の切れ目へ来た時、 「今日は実は」と云ひながら、懐へ手を入れて、一通の手紙を取り出した。 「実は御前に少し聞きたい事があつて来たんだがね」と封筒の裏を代助の方へ向けて、 「此男を知つてるかい」と聞いた。其所には平岡の宿所姓名が自筆で書いてあつた。 「知つてます」と代助は殆んど器械的に答へた。 「元、御前の同級生だつて云ふが、本当か」 「さうです」 「此男の細君も知つてるのかい」 「知つてゐます」  兄は又扇を取り上げて、二三度ぱち/\と鳴らした。それから、少し前へ乗り出す様に、声を一段落した。 「此男の細君と、御前が何か関係があるのかい」  代助は始めから万事を隠す気はなかつた。けれども斯う単簡に聞かれたときに、何うして此複雑な経過を、一言で答へ得るだらうと思ふと、返事は容易に口へは出なかつた。兄は封筒の中から、手紙を取り出した。それを四五寸ばかり捲き返して、 「実は平岡と云ふ人が、斯う云ふ手紙を御父さんの所へ宛ゝ寄こしたんだがね。――読んで見るか」と云つて、代助に渡した。代助は黙つて手紙を受取つて、読み始めた。兄は凝と代助の額の所を見詰めてゐた。  手紙は細かい字で書いてあつた。一行二行と読むうちに、読み終つた分が、代助の手先から長く垂れた。それが二尺余になつても、まだ尽きる気色はなかつた。代助の眼はちらちらした。頭が鉄の様に重かつた。代助は強いても仕舞迄読み通さなければならないと考へた。総身が名状しがたい圧迫を受けて、腋の下から汗が流れた。漸く結末へ来た時は、手に持つた手紙を巻き納める勇気もなかつた。手紙は広げられた儘洋卓の上に横はつた。 「其所に書いてある事は本当なのかい」と兄が低い声で聞いた。代助はたゞ、 「本当です」と答へた。兄は打衝を受けた人の様に一寸扇の音を留めた。しばらくは二人とも口を聞き得なかつた。良あつて兄が、 「まあ、何う云ふ了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」と呆れた調子で云つた。代助は依然として、口を開かなかつた。 「何んな女だつて、貰はうと思へば、いくらでも貰へるぢやないか」と兄がまた云つた。代助はそれでも猶黙つてゐた。三度目に兄が斯う云つた。―― 「御前だつて満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今迄折角金を使つた甲斐がないぢやないか」  代助は今更兄に向つて、自分の立場を説明する勇気もなかつた。彼はつい此間迄全く兄と同意見であつたのである。 十七の三 「姉さんは泣いてゐるぜ」と兄が云つた。 「さうですか」と代助は夢の様に答へた。 「御父さんは怒つてゐる」  代助は答をしなかつた。たゞ遠い所を見る眼をして、兄を眺めてゐた。 「御前は平生から能く分らない男だつた。夫でも、いつか分る時機が来るだらうと思つて今日迄交際つてゐた。然し今度と云ふ今度は、全く分らない人間だと、おれも諦らめて仕舞つた。世の中に分らない人間程危険なものはない。何を為るんだか、何を考へてゐるんだか安心が出来ない。御前は夫が自分の勝手だから可からうが、御父さんやおれの、社会上の地位を思つて見ろ。御前だつて家族の名誉と云ふ観念は有つてゐるだらう」  兄の言葉は、代助の耳を掠めて外へ零れた。彼はたゞ全身に苦痛を感じた。けれども兄の前に良心の鞭撻を蒙る程動揺してはゐなかつた。凡てを都合よく弁解して、世間的の兄から、今更同情を得やうと云ふ芝居気は固より起らなかつた。彼は彼の頭の中に、彼自身に正当な道を歩んだといふ自信があつた。彼は夫で満足であつた。その満足を理解して呉れるものは三千代丈であつた。三千代以外には、父も兄も社会も人間も悉く敵であつた。彼等は赫々たる炎火の裡に、二人を包んで焼き殺さうとしてゐる。代助は無言の儘、三千代と抱き合つて、此焔の風に早く己れを焼き尽すのを、此上もない本望とした。彼は兄には何の答もしなかつた。重い頭を支へて石の様に動かなかつた。 「代助」と兄が呼んだ。「今日はおれは御父さんの使に来たのだ。御前は此間から家へ寄り付かない様になつてゐる。平生なら御父さんが呼び付けて聞き糺す所だけれども、今日は顔を見るのが厭だから、此方から行つて実否を確めて来いと云ふ訳で来たのだ。それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし。又弁解も何もない、平岡の云ふ所が一々根拠のある事実なら、――御父さんは斯う云はれるのだ。――もう生涯代助には逢はない。何処へ行つて、何をしやうと当人の勝手だ。其代り、以来子としても取り扱はない。又親とも思つて呉れるな。――尤もの事だ。そこで今御前の話を聞いて見ると、平岡の手紙には嘘は一つも書いてないんだから仕方がない。其上御前は、此事に就て後悔もしなければ、謝罪もしない様に見受けられる。それぢや、おれだつて、帰つて御父さんに取り成し様がない。御父さんから云はれた通りを其儘御前に伝へて帰る丈の事だ。好いか。御父さんの云はれる事は分つたか」 「よく分りました」と代助は簡明に答へた。 「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯向いた儘顔を上げなかつた。 「愚図だ」と兄が又云つた。「不断は人並以上に減らず口を敲く癖に、いざと云ふ場合には、丸で唖の様に黙つてゐる。さうして、陰で親の名誉に関はる様な悪戯をしてゐる。今日迄何の為に教育を受けたのだ」  兄は洋卓の上の手紙を取つて自分で巻き始めた。静かな部屋の中に、半切の音がかさ/\鳴つた。兄はそれを元の如くに封筒に納めて懐中した。 「ぢや帰るよ」と今度は普通の調子で云つた。代助は叮嚀に挨拶をした。兄は、 「おれも、もう逢はんから」と云ひ捨てて玄関に出た。  兄の去つた後、代助はしばらくして元の儘じつと動かずにゐた。門野が茶器を取り片付けに来た時、急に立ち上がつて、 「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と云ふや否や、鳥打帽を被つて、傘も指さずに日盛りの表へ飛び出した。  代助は暑い中を馳けない許に、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上から真直に射下した。乾いた埃が、火の粉の様に彼の素足を包んだ。彼はぢり/\と焦る心持がした。 「焦る/\」と歩きながら口の内で云つた。  飯田橋へ来て電車に乗つた。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、 「あゝ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云つた。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従つて火の様に焙つて来た。是で半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだらうと思つた。  忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くる/\と回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあつた。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くる/\と渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはつと電車と摺れ違ふとき、又代助の頭の中に吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になつた。さうして、代助の頭を中心としてくるり/\と焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。 底本:「漱石全集 第六巻」岩波書店    1994(平成6)年5月9日発行 初出:「東京朝日新聞」、「大阪朝日新聞」    1909(明治42)年6月27日~10月4日 ※底本の本文は、漱石の自筆原稿によっています。 ※ルビは、漱石の原稿にあったルビのみ付け、岩波編集部が付けたルビは省きました。 ※ルビ、文字遣い、語句の混在は底本の通りとしました。 入力:Godot、野口英司、oto 校正:門田裕志、小林繁雄 2005年4月16日作成 2013年3月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 濁点付き小書き平仮名つ    25-10、77-6、218-1    --> 「口+堯」、U+5635    71-2、104-10、112-13    --> 小書き平仮名ん    94-8    --> ●図書カード 夏目漱石 模倣と独立 模倣と独立 夏目漱石  今日は図らず御招きに預りまして突然参上致しました次第でありますが、私は元この学校で育った者で、私にとってはこの学校は大分縁故の深い学校であります。にもかかわらず、今日までこういう、即ち弁論部の御招待に預って、諸君の前に立った事は御座いませんでした。尤も御依頼も御座いませんでした。また遣る気もありませんでした。ただ今私を御紹介下さった速水君は知人であります。昔は御弟子で今は友達――いや友達以上の偉い人であります。しかし、知り合ではありますけれども、速水さんから頼まれた訳でもありません。今度私が此処に現われたのは安倍能成という――これも偉い人で、やはり私の教えた人でありますが――その人が何でも弁論部の方と御懇意だというので、その安倍能成君を通じての御依頼であります。その時私は実は御断りをしたかった。というのは、近来頭の具合が悪い。というよりも、頭の働き方がこういう所へ参って、組織立った御話をするに適しないようになっております。――一口に言えば、面倒臭いので、一応は御断りを致したのであります。けれども私の断り方がよほど正直だったので、――是非遣らなければならないならば出るが、まあどうか許してもらいたい――こういう風に返辞をした。ところが是非遣らなければならんから出ろ、というのです。後から考えると、余り私が正直過ぎたと思います。尤も、是非遣らなければならんというのはどういう訳だ、といって問い詰めるほどの問題でもありませんから、遣らなければならんものとして出て参りました。安倍君は君子であります。頼んだ事は引き受けさせようという方の君子。速水君も君子であります。これは頼まない方の君子、遠慮された方の君子でありますが。そういう訳で今日は出ましたので、演説をする前に言訳がましい事をいうのは甚だ卑怯なようでありますけれども、大して面白い事も御話は出来ないと思いますし、また問題があっても、学校の講義見たように秩序の立った御話は出来兼ねるだろうと思います。安倍君曰く、何を言ったって構いません、喜んで聴いているでしょう。  それに、私は此校で教師をしていたことがあります。その時分の生徒は皆恐らく今此所には一人もいないでしょう、卒業したでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔といいますか、跡続ぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々虐めていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何とも思っておらんので、チャンと準備をして出て来るほど旨く行かなかった。  私は教師としてこの学校に四年間おりました。のみならずその以前には、貴方がたのように、生徒としてこの学校に――何年間おりましたか知らん――落第したと思っちゃいけません。元々私は此所へ這入って来たのじゃない。この学校が予備門といって丁度一ツ橋外にありました。今の高等商業のある界隈一面がこの学校兼大学であった。明治十七年、貴方がたがまだ生れない先、私は其所へ這入ったのです。それから――実は落第しております。落第して愚図愚図している内にこの学校が出来た。この学校が出来て最も新らしい所へいの一番に乗り込んだ者は私――だけではないが、その一人は確かに私である。われわれの教室は本館の一番北の外れの、今食堂になっている、あそこにありました。文科の教室で。それが明治二十二年位でした。その時分の事を今の貴方がたに比べると、われわれ時代の書生というものは乱暴で、よほど不良少年という傾き――人によるとむしろ気概があった。天下国家を以て任じて威張っておった。われわれの年配の人は、いつも今の若い者はというような事をいっては、自分たちの若い時が一番偉かったように思っているけれども、私はそうは思わない。今でもそうは思わない。貴方がたの前に立ってこうして御話をするときは、なおそう思わない。貴方がたの方がわれわれ時代の者よりよほど偉い。先刻から偉い偉いということを速水君が言われましたが、貴方がたの方が遥かに大人しい、能く出来ていると思います。われわれは実に乱暴であった。その悪戯の例はいくらもあります。それを御話するために此処へ登ったんじゃないが、如何にわれわれが悪かったかということを懺悔するために御話するのであるから、その真似をしちゃいけませんよ。現に彼処に教場に先生の机がある。先ず私たちは時間の合間合間に砂糖わりの豌豆豆を買って来て教場の中で食べる。その豌豆豆が残るとその残った豌豆豆を先生の机の抽斗の中に入れて置く。歴史の先生に長沢市蔵という人がいる。われわれがこれを渾名してカッパードシヤといっている。何故カッパードシヤというかというと、なんでもカッパードシヤとか何とかいう希臘の地名か何かある。今は忘れてしまいましたが、希臘の歴史を教える時、その先生がカッパードシヤカッパードシヤと一時間の内幾回となく繰り返す。それでカッパードシヤという渾名が付いた。この長沢先生の時間と覚えておりますが、その先生がカッパードシヤカッパードシヤとボールドへ書くので、そのカッパードシヤを書こうとしてチョークを捜すために抽斗を明けると、その抽斗の中から豆ががらがらと出て来たというような話がある。これは先生を侮辱した訳ではありません、また先生に見せるためにわざわざ遣ったのでもありませんが、とにかくよほど予備門などにおったわれわれ時代の書生の風儀は乱暴でありました。現にこの学校の中を下駄で歩くのです。私も下駄で始終歩いた一人で、今はついでだから話しますが、私が此所に這入った時に丁度杉浦重剛先生が校長で此所の呼び者になっていた。この時二十八歳だったかと思います。大変若くて呼び者であったが、暫くするとこういう貼出しが出ました。学校の中を下駄を穿いて歩いてはいけない。それは当然の事ですが、わざわざ貼り出さなければならんほど下駄を穿いて歩いていたものと私は考える。然るに貼出しがあって暫くしても、私は下駄を穿いて歩いていた。或日の事、丁度三時過ぎです。今頃で、もう誰もいまいと思って、下駄を穿いて、威張って歩けと思って、ドンドン歩いて行った。すると廊下を曲る途端に杉浦重剛さんにパタリと出会った。私は乱暴書生ではない。極く気の小さい大人しい者である。杉浦さんに出会ってどうしたと思います。私は急に下駄から飛び降りた。飛び降りたばかりではありません、飛び降りていきなり下駄を握って一目散に逃げ出しました。だから一口も叱られもせずまた捉まえられもせずに済んでしまった。これは唯自分で覚えているだけで人に話した事はありません、今日初めて位のものでありますが、この間或所で杉浦先生に久々ぶりで御目に掛った。大分先生も年を取っておられる。その時私が、先生こういう事を覚えて御出でですか、私は下駄を穿いて歩いてこうこうだったと御話したら、杉浦さんは、いやそれはどうも大変な違いだ、私は下駄を穿いて学校を歩くことは大賛成である、穿いちゃあならんという貼出しが出たのは、あれは文部省が悪い。とかく文部省はやかましい事を言うが、私はその下駄論者だったと言う。私も驚いて、杉浦さんが下駄論者だと仰しゃるのはどういう訳ですかと聞くと、先生の曰く、そもそも下駄は歯が二本しかない、それでいくら学校の中を下駄で歩いたところで、床に印する足跡というものは二本の歯の底だけである、しかるに靴は踵から爪先まで足の裏一面が着くじゃないか。もしこれが両方とも同じ程度に汚すのであるならば、学校の床を汚す面積は靴の方が下駄より遥かに偉大である、だから私はその下駄で差支ないということを切りに主張したが、どうも文部省の当局が分らないから、それでやむをえずああいう貼出しをした。それじゃ私は逃げる所でなかった大いに賞められて然るべきであった惜しい事をした、といって笑った。その時分は杉浦さんも二十八位でまだ若かったから暴論を吐いて文部省を弱らせたのでしょう。下駄の方が宜いという訳はないと考えるのです。まあそういうような時代を貴方がたが想像したら、随分乱暴な奴が沢山おったということが御分りになるでしょうが、実際今よりも悪い悪戯な奴が沢山おった。ストーブをドンドン焚いて先生を火攻にしたり、教場を真闇にして先生がいきなり這入って来ても何処も分らないような事をしたり、そういう所を経過して始めて此校へ這入ったものであります。  それから此校に二年ばかりおって、大学に入って、大分御無沙汰をして、それから外国に行きまして、外国から帰って来て、復た此校へ這入った。故郷へ錦を着るというほどでもないが、まあ教師になって這入った。そうして初めて教えたのが、今いう安倍能成君らであります。此校を出て、大学を出て、諸方を迂路ついている時に教えたのが、此処にいる速水君であります。速水君を教える時分は熊本で教員生活をしておった時で漂泊生でありました。速水君を教えていた時分は偉くなかった、あるいは偉い事を知らなかったか、どっちかでしょう。とにかく速水君を教えた事は確かであります。形式的に。無論偉くない人だから本統に啓発するほど教えなかったが、教場に立って先生と呼ばれ、生徒と呼んだことは確かにある。なお自白すれば、熊本に来たてであります。私の前に誰か英語を受持っておって、私はその後を引受けた。エドマンド・バークの何とかいう本でありますが、それは私の嫌な本です。これ位解らない本はない。演説でも英吉利人が解るものならば日本人が字引を引いて解らないことはないはずである。が、実際解らない本です。その解らない物を教えた時に丁度速水君が生徒だったから、偉くない偉くないという考えが何時までも退かないのかも知れません。それでその後英語も大分教えて年功を積みましたが、速水君に断りますが、その後発達した今日の私の英語の力でも、あのバークの論文はやはり解らない。嘘だと思うなら速水君があれを教えて御覧になれば直ぐ分る。――こんな下らない事を言って時間ばかり経って御迷惑でありましょうが、実は時間を潰すために、そういう事を言うのであります。大した問題もありませんから。  それで、先刻演題という話でしたが、演題というようなものはないから、何か好加減に一つ題は貴方がたの方で後で拵えて下さい。チョッと複雑過ぎて簡単な題にならんような高尚な事なんだろうと思う。何か御話しようと思いましたが、実は先刻申上げたような訳で、時間もなし、今日も人が来ますし、チッとも考えられない。それだからいう事は余り大した事ではありません。が、もう少しの間、極く雑としたところを御話して御免蒙る事にしましょう。  私はこの間文展を見に行きました。(私は御存知の通り、職業が職業ですから、御話する事は一般の事でも、あるいは文芸ということが例になったり、またその方から出立する事が多いかも知れませんから、その方に興味のない方には御気の毒ですが、まあ仕方がない、御聴きを願います。)で、今申しましたように、この間文展を見に行きました。それで文展を見てチョッと感じました。どうも私は文部省の展覧会に反対をしたり、博士を辞したり、甚だ文部省に受けが悪い人間でありますが今度の文展も公には書きませんでしたが、どうも大変面白くありませんでした。殊に私は日本画の方で、まあそうだと思います。西洋画の方についてもいえばいえますが、その方は後にして置いて、日本画の方について申します。  一向面白くなかった。あの画の内どれを見ても面白くない。中には例外はありますけれども、どれを見ても面白くない。唯面白くないといっても分らぬから、訳をいわなくちゃならんが、どれを見てもノッペリしている。ノッペリしているという意味は御手際が好いというので、褒めているのかといえば、そうではない。悪く言う意味で、御手際が大変好いのです。言葉を換えていえば、腕力はある、腕の力はある。それじゃ何処が悪いかと言えば、頭がない。頭がなくて手だけで描いている。職人見たようなものである。そうまでいうと御気の毒だから、それだけは公にしません。――これだけ公にしていれば沢山だが――私は別に画家や文展の非難を遣っているのではありません、画家を個人的に悪口を言っている訳ではありません。ただ感じた事についてチョッと必要だから申すのでありますが、唯ノッペリとしている。例えばシミがなく、マダラがなく、ムラがなく、仕上げが綺麗に出来ている。ああいう手際というものは、丁稚奉公をして五年十年遣らなければ出来ないでしょうけれども、それ以外に何かあるかと聞かれても、私には分らない。丁度人間でいいますと、やはり紳士というものに能く似ていると思う。紳士とはどんな者かというと、紳士というものは、唯ノッペリしている。顔ばかりじゃありません。マナーが――態度及び挙止動作が――ノッペリしている人間で、手を出して握手をしたりする。下層社会の女などがよくあの人は様子が宜いということをいうが、様子が宜い位で女に惚れられるのは、男子の不面目だと思います。様子が宜いというのは、人を外らさないということになる。唯御座なりを言うということになる。余りブッキラボーでない、当り触りが宜いというので御座います。鮮かで穏かで寔に宜い。それは悪い事とは思いません。そういう人に接している方が野蛮人に接しているよりは宜い。一口感情を害しても直ぐに擲られるというような人より宜い。それを攻撃する訳じゃありませんが、しかしそれだけでは人格問題じゃない。人格問題じゃないというのは――随分悪い事をして、人の金をただ取るとか、法律に触れるような事をしないまでも非道いずるい事をしたり、種々雑多な事をやって、立派な家に這入って、自動車なんぞに乗って、そうして会って見ると寔に調子が好くて、品が好くて、ノッペリしている。そうして人格というものはどうかというと、余り感服出来ない人が沢山ありましょう。それが紳士だと思ってはいけません。けれどもそういう者が紳士として通用している。つまり人格から出た品位を保っている本統の紳士もありましょうが、人格というものを度外に置いて、ただマナーだけを以て紳士だとして立派に通用している人の方が多いでしょう。まあ八割位はそうだろうと思います。それで文展の絵を見てどっちの方の紳士が多いかというと、人格の乏しい絵だ。人格の乏しい絵だといって、何も泥棒が絵描になっているというような訳ではない。そういう侮辱の意味じゃない。けれども尊敬した意味じゃ無論ない。大変どうも頭が――何といって宜いか――気高いというものがない。御覧になっても分る。気高いということは富士山や御釈迦様や仙人などを描いて、それで気高いという訳じゃない。仮令馬を描いても気高い。猫をかいたら――なお気高い。草木禽獣、どんな小さな物を描いても、どんなインシグニフィカントな物を描いても、気高いものはいくらもあります。そういうような意味の絵にはどうも欠乏し切っているのが文展である。これを逆にいうと、そういう絵を排斥しているのが文展である。こういう訳であるから、それが一列一帯にチャンと御手際だけは出来ておらないといけない。御手際が出来てない物は皆落第する――のですかどうか分らないが、とにかくそういうことを私は文展において認め、かつその文展における絵の特色と人間の特色と相対していわゆるゼントルマンに比較して考えたのであります。  それからその次に或人が外国から帰って展覧会を開いた、それを見に往きました。二人でありました。その一人の絵を見ると、油絵で西洋の色々な絵を描いている。アンプレッショニストのような絵も描いている。クラシカルな、ルーベンスなどに非常に能く似たような絵も描いている。仏蘭西派であるが、あれを公平に考えて見ると、彼の人は何処に特色があるだろう。他人の絵を描いている。自分というものが何処にもないようですね。巧い拙いにかかわらず、他人の描いたようなものはいくらでも描くんですが、それじゃ自分は何所にあるかというと、チョッと何所にあるか見えないような絵を展覧会で見せられました。その次にもう一つの外国から帰った人の絵を見た。それは品の宜い、大人しい絵でした。それで誰が見ても、まあ悪感情を催さない絵でありました。私はその中の一つを買って来て家の書斎に掛けようかと思いました。が、止しました。けれども、まあ買っても宜いとは思いました。何故買っても宜いといいますと、相当に出来ているからです。内へ持って来て掛けるのは何故かというと、英吉利風の絵なら絵を、相当に描きこなしておって、部屋の装飾として突飛でない、丁度平凡でチョッと好かろうと思ったから買って来ようかと思ったけれども、買って来ませんでした。その人の絵は誰が見ても習った絵だということが分る。習って或程度まで進んだ絵である。それだから見苦しくない、ということは分る。その代りその作者を俟って初めて描けるような絵は一つもないのです。例えばその内の一を選んで内に掛けるにしても、その特別なる画家を煩わさないでも、外の人に頼んでも、それと同じような絵が出来そうな絵でありました。それから私はもう一つ見ました。これは日本にいる人で、日本にいる人の或外国の絵でありました。前の二つは帝国ホテル及び精養軒という立派な料理屋で見ました。御客様もどうも華やかな人が多い。中には振袖を着ている女などがおりました、あんな女などに解るのかと思うほどでした。第三に見たのは、これはどうも反対ですね。所は読売新聞の三階でした。見物人はわれわれ位の紳士だけれども、何だか妙な、絵かきだか何だか妙な判じもののような者や、ポンチ画の広告見たような者や、長いマントを着て尖ったような帽子を被った和蘭の植民地にいるような者や、一種特別な人間ばかりが行っている。絵もそういう風な調子である。見物人も綺麗な人は一人もいない。どうもその絵はそれで或程度まではチャンと整うてはいないと思います。しかし、自分が自分の絵を描いている、という感じは確かにしました。しかしその色の汚い方の絵は未成品だと思います。それだから同情もありそれを描いた人に敬意も持ちますけれども、わざわざ金を出して内に買って来て書斎に掛けようと思わない絵ばかりでありました。  こういう風に色々違う絵があるからして、その点から出立して御話をしましょう。――それで文展の画家や西洋から帰って来た二人は自分で自分の絵を描かない。それから今の日本の方のは自分で自分の絵は描くけれども未成品である。感想はそれだけですがね。それについてそれをフィロソフィーにしよう――それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁にしようというのです。どういう風にこじつけるかが問題であります。それが旨く行けば聴かれそうな演説である。巧く行かなければそれだけの話である。まあどういう風に片付けるかという御手際の善悪などはどうでも宜いのですから。  人間という者は大変大きなものである。私なら私一人がこう立った時に、貴方がたはどう思います。どう思うといった所で漠然たるものでありますが、どう思いますか。偉い人と速水君は思うか知らんが、そんな意味じゃない。私は往来を歩いている一人の人を捉まえてこう観察する。この人は人間の代表者である。こう思います。そうでしょう神様の代表者じゃない、人間の代表者に間違いはない。禽獣の代表者じゃない、人間の代表者に違いない。従って私が茲処にこう立っていると、私はこれでヒューマン・レースをレプレゼントして立っているのである。私が一人で沢山ある人間を代表していると、それは不可ん君は猫だと意地悪くいうものがあるかも知れぬ。もし貴方がたがこういったら、そうしたら、いや猫じゃない、私はヒューマン・レースを代表しているのであると、こう断言するつもりである。異存はないでしょう。それならば、それで宜しい。  同時にそれだけかというとそうでもない。じゃ何を代表しているかというと、その一人の人は人間全体を代表していると同時にその人一人を代表している。詰らない話だがそうである。私はこうやって人間全体の代表者として立っていると同時に自分自身を代表して立っている。貴方がたでもなければ彼方がたでもない、私は一個の夏目漱石というものを代表している。この時私はゼネラルなものじゃない、スペシァルなものである。私は私を代表している、私以外の者は一人も代表しておらない。親も代表しておらなければ、子も代表しておらない、夫子自身を代表している。否夫子自身である。  そうすると、人間というものはそういう風に二通りを代表している――というと語弊があるかも知れませんが――二通りになるでしょう。其処です其処です、それをいわないと能く解らない。  それでこのヒューマン・レースの代表者という方から考えて、人間という者はどんな特色、どんな性質を持っているか。第一私は人間全体を代表するその人間の特色として、第一に模倣ということを挙げたい。人は人の真似をするものである。私も人の真似をしてこれまで大きくなった。私の所の小さい子供なども非常に人の真似をする。一歳違いの男の兄弟があるが、兄貴が何か呉れろといえば弟も何か呉れろという。兄が要らないといえば弟も要らないという。兄が小便がしたいといえば弟も小便をしたいという。それは実にひどいものです。総て兄のいう通りをする。丁度その後から一歩一歩ついて歩いているようである。恐るべく驚くべく彼は模倣者である。  近頃読んだ本でありませんがマンテガッツァの『フィジオロジー・エンド・エキスプレション』という本の中にイミテーションということについて例を沢山挙げてありましたが、私は今一々人間という者は真似をするものであるということの沢山な例を記憶しておりませんが、茲処に二つ三つあります。例えば、一人の人が往来で洋傘を広げて見ようとすると、同行している隣りの女もきっと洋傘を広げるという。こういう風に一般に或程度まではそうです。往来で空を眺めていると二人立ち三人立つのは訳はなくやる。それで空に何かあるかというと、飛行船が飛んでいる訳でも何でもない。けれども飛行船が飛んでいるとか何とかいえば、大勢の群集が必ず空を仰いで見る。その時に何か空中に飛行船でも認めしむることが出来ないとも限らない。  それほど人間という者は人の真似をするように出来ている情けないものであります。それでその、人の真似をするということは、子供の内から始まって、今言ったような些末の事柄ばかりでない、道徳的にもあるいは芸術的にも、社会上においてもそうである。無論流行などは人の真似をする。われわれが極く子供の内は東京の者はこんな薩摩飛白などは決して着せません。田舎者でなければ着ないものでした。それを今の書生は大抵皆薩摩飛白を着る。安いからか知りませんが、皆着るようになった。それから一時白い羽織の紐の毛糸か何かの長いのをこう――結んで胸から背負って頸に掛けておった。あれも一人遣るとああなるのであります。私たちの若い時は羽織の紋が一つしきゃないのを着て通人とか何とかいって喜んでいた。それが近頃は五つ紋をつけるようになった。それも大きなのが段々小さくなったようだが、近頃どの位になっているのか。私は羽織の紋が余り大きいから流行に後れぬように小さくした位それほど流行というものは人を圧迫して来る。圧迫するのじゃないが、流行にこっちから赴くのです。イミテーターとして人の真似をするのが人間の殆ど本能です。人の真似がしたくなるのです。こういう洋服でも二十年前の洋服は余り着られない。この間着ていた人を見たけれども可笑しいです。あまり見っとも宜いものではない。殊に女なんぞは、二十年前の女の写真なんぞは非常に可笑しい。本来の意味では可笑しいとは自分で思っていないけれども、熟々見ると、やはり模倣ということに重きを置く結果、どうもその自分と異った物、あるいは世間と異ったものは可笑しく見えるのであります。そういう風にそれを道徳上にも応用が出来ます。それから芸術上は無論の事ですね。そんな例は沢山挙げても宜いけれども、時間がないから略して置きます。とにかく大変人は模倣を喜ぶものだということ、それは自分の意志からです、圧迫ではないのです。好んで遣る、好んで模倣をするのです。  同時に世の中には、法律とか、法則とかいうものがあって、これは外圧的に人間というものを一束にしようとする。貴方がたも一束にされて教育を受けている。十把一からげにして教育されている。そうしないと始末に終えないから、やむをえず外圧的に皆さんを圧迫しているのである。これも一種の約束で、そうしないと教育上に困難であるからである。その約束、法則というものは政治上にも教育上にもソシャル・マナーの上にもある。飯を食べるのにサラサラグチャグチャは不可ないという。そういうのはこれは法則でしょう。それから道徳の法則、これは当り前の話で、金を借りればどうしても返さねばならぬようになっている。それから芸術上の法則というのがある。これがまた在来の日本画だとか、御能だとか、芝居の踊りだとかいうものには、非常に究屈な面倒な固まった法則があって、動かすことが出来ないようになっております。それらの例を一々挙げると宜いのですが、それは一々挙げません。例を省くと詰らないものになりますが、早く済みますから、詰らなくして早く切り上げてしまおうと思う。  それから、法則というものは社会的にも道徳的にもまた法律的にもあるが、最も劇しいのは軍隊である。芸術にでも総てそういうような一種の法則というものがあって、それを守らなければならぬように周囲が吾人に責めるのであります。一方ではイミテーション、自分から進んで人の真似をしたがる。一方ではそういう法則があって、外の人から自分を圧迫して人に従わせる。この二つの原因があって、人間というものの特殊の性というものは失われて、平等なものになる傾きがある。その意味で私なら私が、人間全体を代表することが出来る資格を有ち得るのであります。  私は人間を代表すると同時に私自身をも代表している。その私自身を代表しているという所から出立して考えて見ると、イミテーションという代りにインデペンデントという事が重きを為さなければならぬ。人がするから自分もするのではない。人がそうすれば――他人は朝飯に粥を食う俺はパンを食う。他人は蕎麦を食う俺は雑を食う、われわれは自分勝手に遣ろう御前は三杯食う俺は五杯食う、というようなそういう事はイミテーションではない。他人が四杯食えば俺は六杯食う。それはイミテーションでないか知らぬが、事によると故意に反対することもある。これは不可ない。世の中には奇人というものがありまして、どうも人並の事をしちゃあ面白くないから、何でも人とは反対をしなければ気が済まない。中には広告するためにやる奴もある。普通のことでは面白くないから、何か特別な事をして見たいというので、髪の毛を伸ばして見たり、冬夏帽を被って見たり――それは此処の生徒などにもよくある。が、あれは無頓着から来るのでしょう。人が冬帽を被っているという事に気が付けば自分も被りたくなるでしょう。故意に俺は夏帽を被るといった日にはよほど奇人となる。私のここにインデペンデントというのは、この故意を取り除ける。次には奇人を取り除ける。気が付かないのも勘定の中に這入らない。それじゃあどういうのがインデペンデントであるか。人間は自然天然に独立の傾向を有っている。人間は一方でイミテーション、一方で独立自尊、というような傾向を有っている。その内で区別して見れば、横着な奴と、横着でない奴と、横着でないけれども分らないから横着をやって、まあ朝八時に起きる所を自然天然の傾向で十時頃まで寐ている。それはインデペンデントには違いないが、甚だどうも結構でない事かも知れません。それは我儘、横着であるが自然でもある、インデペンデントともなるけれども、これも取り除けということになる。最後に残るのは――貴方がたの中で能く誘惑ということを言いましょう。人と歩調を合わして行きたいという誘惑を感じても、如何せんどうも私にはその誘惑に従う訳に行かぬ。丁度跛を兵式体操に引き出したようなもので、如何せんどうも歩調が揃わぬ。それは、諸君と行動を共にしたいけれども、どうもそう行かないので仕方がない。こういうのをインデペンデントというのです。勿論それは体質上のそういう一種のデマンドじゃない、精神的の――ポジチブな内心のデマンドである。あるいはこれが道徳上に発現して来る場合もありましょう。あるいは芸術上に発現して来る場合もありましょう。精神的になって来ると――そうですね、古臭い例を引くようでありますが、坊さんというものは肉食妻帯をしない主義であります。それを真宗の方では、ずっと昔から肉を食った、女房を持っている。これはまあ思想上の大革命でしょう。親鸞上人に初めから非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢のある思想を持たなければ、あれほどの大改革は出来ない。言葉を換えて言えば親鸞は非常なインデペンデントの人といわなければならぬ。あれだけのことをするには初めからチャンとした、シッカリした根柢がある。そうして自分の執るべき道はそうでなければならぬ、外の坊主と歩調を共にしたいけれども、如何せん独り身の僕は唯女房を持ちたい肉食をしたいという、そんな意味ではない。その時分に、今でもそうだけれども、思い切って妻帯し肉食をするということを公言するのみならず、断行して御覧なさい。どの位迫害を受けるか分らない。尤も迫害などを恐れるようではそんな事は出来ないでしょう。そんな小さい事を心配するようでは、こんな事は仕切れないでしょう。其所にその人の自信なり、確乎たる精神なりがある。その人を支配する権威があって初めてああいうことが出来るのである。だから親鸞上人は、一方じゃ人間全体の代表者かも知らんが、一方では著しき自己の代表者である。  今は古い例を挙げたが、今度はもっと新しい例を挙げれば、イブセンという人がある。イブセンの道徳主義は御承知の通り、昔の道徳というものはどうも駄目だという。何が駄目かといえば、あれは男に都合の宜いように出来たものである。女というものは眼中に置かないで、強い男が自分の権利を振り廻すために自分の便利を計るために、一種の制裁なり法則というものを拵えて、弱い女を無視してそれを鉄窓の中に押し込めたのが今日までの道徳というものであるといっている。それでイブセンの道徳というものは二色にしなければならぬのである。男の道徳、女の道徳というようにしなければならぬ。女の方から見ますれば、それが逆にまあならなければならないというのです。その思想、主義から出発して書いたものがイブセンの作の中にある。最も著しい例は、『ノラ』というようなものであります。それがイブセンという人は人間の代表者であると共に彼自身の代表者であるという特殊の点を発揮している。イミテーションではない。今までの道徳はそうだから、たといその道徳は不都合であるとは考えていても、別に仕様がないからまあそれに従って置こう、というような余裕のある、そんな自己ではない。もっと特別な猛烈な自己である。それがためイブセンは大変迫害を受けたという訳であります。無論事実不遇な人でありました。それのみならずあの人は特殊な人で、人間全体を代表しているというより彼自身を代表している方がよほど多い。そこで国を出て諸方を流浪して、偶に国へ帰っても評判が宜くないから、国へは滅多に帰らなかった。或時国へ帰って来た。国へ帰っても家がないから宿屋に泊っている。その時ブランデスという人がイブセンが来たから歓迎会を開こうというと、イブセンはそんな歓迎会などは御免蒙ると言っている。しかし折角の催しで人数も十二人だけだからといって、漸くイブセンを説き伏せた。面倒を省くためにイブセンの泊っている宿屋で、帝国ホテル見たようなところで開くということになり、それでいよいよ当日になって丁度宜い時刻になったから、ブランデスはイブセンの室に行ってドアーをコツコツと叩いて、衣服の用意は出来たかと外から聞いたら、イブセン曰く衣服などは持っておらぬ、自分は決して服装などは改めた事はない。シャツを着ている。シャツといっても露西亜辺では家の中ではこんな冬の日には温度が七十度位にしてある。本でも読む時は上衣をとっている。外に出る時はこういうものを着るでしょう。それでシャツを着ているのは宜いが、皆んなは燕尾服を着て来ているのだからというと、イブセンは自分の行李の中には燕尾服などは這入っていない、もし燕尾服を着なければならぬようなら御免蒙るという。御客を呼んで、その御客が揃っているのに、御免を蒙られては大変だから――そんなことを言わないでどうか出てもらいたい、それじゃ出るという事になったが、ブランデスが実は十二人だった所が、段々と人数が殖えて二十四人になったというと、そんな嘘を吐くならもう出ないという。実に手古摺らされたということをブランデス自身が書いている。そんな事で色々面倒なことがあった末、ようよう連れて行ってチャンと坐らせた。ところが大将大いにふくれていて一口も口を利かない、黙っている。まだ面白い話があるけれどもまあこれ位で切り上げてしまいましょう。とにかく人間を代表しても獣を代表しても、イブセンはイブセンを代表していると言った方が宜い。イブセンはイブセンなりと言った方が当っている。そういう特殊な人であります。この話は幼稚でありますが、今のイブセンの道徳の見解からいっても、イブセンはイミテーションという側の反対に立った人といわなければならない訳であります。  それで、人間にはこの二通りの人がある。というと、片方と片方は紅白見たように別れているように見えますが、一人の人がこの両面を有っているということが一番適切である。人間には二種の何とかがあるということを能くいうものですが、それは大変間違いだ。そうすると片方は片方だけの性格しか具えていないようになる。議論する人はそういう風になるから、あとがどうも事実から出発していない議論に陥ってしまう。とにかく二通りの人間があるということを言うが、これはこの両面を持っているというのが、これが本統の事でしょう。いくらオリヂナルの人でもイミテーションの分子を何処かに持っている。イミテーションの側に立って考えると、これはどういう人がイミテーターかというと、要するにイミテーターというものは人の真似をする。それだから自分に標準はない。あるいはあっても標準を立て通すだけの強い猛烈な勇気を欠いているか、どっちかなのである。しかしながらインデペンデントの側の方は、自分に一種の目安がある。アイデアル・センセーション、それが個人的になっておって、とにかくそれを言い現わし、それを実行しなければいても立ってもどうしてもいられない。風変りではあるが、人からいくら非難されても、御前は風変りだと言われても、どうしてもこうしなければいられない。藪睨みは藪睨みで、どうしても横ばかり見ている。これはインデペンデントの方の分子を余計有っている人である。だからこういう人というものは寔に厄介なもので、世の中の人と歩調を共にすることは出来ない。おい君湯に行こう、僕は水を被る、君散歩に行かないか、俺は行かない座禅をする、君飯を食わんか、僕はパンを食う、そういうようなインデペンデントな人になっては手が付けられない。到底一緒に住む事は困難である。しかし人に困難を与えるから気の毒な感じがないかというと、そうではない。唯そんな事は考えていられないのでしょう。それが本統のインデペンデントの人といわなければならぬ。厄介ではあるけれども、イミテートする人あるいは自己の標準を欠いていて差し障りのない方が間違いがなくて安心だというような人に比べれば、自己の標準があるだけでもこっちの方が恕すべく貴ぶべし――といったらどんな奴が出て来るか分らぬが、事実貴ぶべき人もありましょう。とにかくインデペンデントの人にはまあ恕すべきものがあると思うです。  元来私はこういう考えを有っています。泥棒をして懲役にされた者、人殺をして絞首台に臨んだもの、――法律上罪になるというのは徳義上の罪であるから公に所刑せらるるのであるけれども、その罪を犯した人間が、自分の心の径路をありのままに現わすことが出来たならば、そうしてそのままを人にインプレッスする事が出来たならば、総ての罪悪というものはないと思う。総て成立しないと思う。それをしか思わせるに一番宜いものは、ありのままをありのままに書いた小説、良く出来た小説です。ありのままをありのままに書き得る人があれば、その人は如何なる意味から見ても悪いということを行ったにせよ、ありのままをありのままに隠しもせず漏らしもせず描き得たならば、その人は描いた功徳に依って正に成仏することが出来る。法律には触れます懲役にはなります。けれどもその人の罪は、その人の描いた物で十分に清められるものだと思う。私は確かにそう信じている。けれどもこれは、世の中に法律とか何とかいうものは要らない、懲役にすることも要らない、そういう意味ではありませんよ。それは能く申しますると、如何に傍から見て気狂じみた不道徳な事を書いても、不道徳な風儀を犯しても、その経過を何にも隠さずに衒わずに腹の中をすっかりそのままに描き得たならば、その人はその人の罪が十分に消えるだけの立派な証明を書き得たものだと思っているから、さっきいったような、インデペンデントの主義標準を曲げないということは恕すべきものがあるといったような意味において、立派に恕すべきであるという事が出来ると、私は考えるのであります。  しかしこういう風にインデペンデントの人というものは、恕すべく或時は貴むべきものであるかも知れないけれども、その代りインデペンデントの精神というものは非常に強烈でなければならぬ。のみならずその強烈な上に持って来て、その背後には大変深い背景を背負った思想なり感情なりがなければならぬ。如何となれば、もし薄弱なる背景があるだけならば、徒にインデペンデントを悪用して、唯世の中に弊害を与えるだけで、成功はとても出来ないからである。  此処に成功という意味についても説明を要する。また強い背景という事についても説明を要するが、強い背景というものは何だというと、それは別なものではありません。例えば私なら私が世の中の仕来りに反したことを、断言し、宣言し、そうしてそれを実行する。その時に、もしそれが根柢のない事を遣っているならば、如何に私自身にはそれが必然の結果であり、私自身には必要であろうとも、人間として他の人のためにならない。何らの影響を与える事が出来ない。何らの影響を与える事が出来なければ、私は文字に現われたるインデペンデントであって、その文字に現われたるインデペンデントなことをして、最後に文字に現われたるインデペンデントで死ななければならない。人には何らの影響を与えざるのみならず、そのインデペンデントは人の感情を害し、法則というものに一種の波動を起して、人に一種の不愉快を醸させるに過ぎないのであります。それではどんな風な深い背景を有っていなければならないかというと、例えば非常に個人主義のような仏蘭西革命でも、明治改革でも宜しゅう御座います。徳川家が将軍に成った末で余り勢いは強くなかったけれども、とにかく将軍というものが政権を持っておってその上に天子様がおられるという。これは一般の法則でないという処から、習慣的に続いて来た幕府というものを引っ繰り返したというのは、その引っ繰り返るという時の人の胸中に同情があって、その同情を惹き起すという事が出来なければ、あれは成功は出来ないのである。だから徒にインデペンデントということは不可ない。人間の自覚というものは一歩先へ先へと来るものである。一歩遅れたら人より一歩遅れて歩行かなければならない。人は相当の時期が来ればその通りになるべき運命を持っているのだから、一歩先に啓発しなければならぬ。それが強い深い背景といえばいえる。それがなければ成功は出来ない。  成功ということについて歴史などの例を挙げたが、誤解されるといけないからここに手近い例をもう一つ挙げて置きたい。学校騒動があってその学校の校長さんが代る。この学校ではありませんよ。そうすると後に新しい校長さんが来ましょう。そうしてその学校騒動を鎮めに掛る。その時は色々思案もやりましょう計画も要りましょう。刷新も色々ありましょう。そうして旨く往けばあの人は成功したといわれる。成功したというと、その人の遣口が刷新でもなく、改革でもなく、整理でもなくても、その結果が宜いと、唯その結果だけを見て、あの人は成功した、なるほどあの人は偉いということになる。ところが騒動が益大きくなる。そうすると今まで遣ったその人の一切の事が非難せられる。同じ事を同じように遣っても、結果に行って好ければ成功だというが、同じ事をしても結果に行って悪いと、直ぐにあの人の遣口は悪いという。その遣方の実際を見ないで、結果ばかりを見ていうのである。その遣方の善し悪しなどは見ないで、唯結果ばかり見て批評をする。それであの人は成功したとか失敗したとかいうけれども、私の成功というのはそういう単純な意味ではない。仮令その結果は失敗に終っても、その遣ることが善いことを行い、それが同情に値いし、敬服に値いする観念を起させれば、それは成功である。そういう意味の成功を私は成功といいたい。十字架の上に磔にされても成功である。こういうのは余り宜い成功ではないかも知らぬが、成功には相違ない。これはテンポラルな意味で宗教的の意味ではない。乃木さんが死にましたろう。あの乃木さんの死というものは至誠より出でたものである。けれども一部には悪い結果が出た。それを真似して死ぬ奴が大変出た。乃木さんの死んだ精神などは分らんで、唯形式の死だけを真似する人が多いと思う。そういう奴が出たのは仮に悪いとしても、乃木さんは決して不成功ではない。結果には多少悪いところがあっても、乃木さんの行為の至誠であるということはあなた方を感動せしめる。それが私には成功だと認められる。そういう意味の成功である。だからインデペンデントになるのは宜いけれども、それには深い背景を持ったインデペンデントとならなければ成功は出来ない。成功という意味はそう言う意味でいっている。  それで人間というものには二通りの色合があるということは今申した通りですが、このイミテーションとインデペンデントですが、片方はユニテー――人の真似をしたり、法則に囚われたりする人である。片方は自由、独立の径路を通って行く。これは人間のそのバライエテーを形作っている。こういう両面を持っているのではありますけれども、先ず今日までの改正とか改革とか刷新とか名のつくものは、そういうような意味で、知識なり感情なり経験なりを豊富にされる土台は、インデペンデントな人が出て来なければ出来ない事である。もしそれが出来なかったならば、われわれはわれわれの過去の歴史を顧みて如何に貧弱であるかということを考えれば、その人は如何にわれわれの経験を豊富にしてくれたかということが能く分るのであります。その意味でインデペンデントというものは大変必要なものである。私はイミテーションを非難しているのではないけれども、人間の持って生れた高尚な良いものを、もしそれだけ取り去ったならば、心の発展は出来ない。心の発展はそのインデペンデントという向上心なり、自由という感情から来るので、われわれもあなた方もこの方面に修養する必要がある。そういうことをしないでも生きてはいられます。また自分の内心にそういう要求のないのに、唯その表面だけ突飛なことを遣る必要は無論ない。イミテーションで済まし得る人はそれで宜しい。インデペンデントで働きたい人はインデペンデントで遣って行くが宜しい。インデペンデントの資格を持っておって、それを抛って置くのは惜しいから、それを持っている人はそれを発達させて行くのが、自己のため日本のため社会のために幸福である。こういうのです。  繰り返して申しますが、イミテーションは決して悪いとは私は思っておらない。どんなオリヂナルの人でも、人から切り離されて、自分から切り離して、自身で新しい道を行ける人は一人もありません。画かきの人の絵などについて言っても、そう新しい絵ばかり描けるものではない。ゴーガンという人は仏蘭西の人ですが、野蛮人の妙な絵を描きます。仏蘭西に生れたけれども野蛮地に這入って行って、あれだけの絵を描いたのも、前に仏蘭西におった時に色々の絵を見ているから、野蛮地に這入ってからあれだけの絵を描くことが出来たのである。いくらオリヂナルの人でも前に外の絵を見ておらなかったならば、あれだけのヒントを得ることは出来なかったと思う。ヒントを得るということとイミテートするということとは相違があるが、ヒントも一歩進めばイミテーションとなるのである。しかしイミテーションは啓発するようなものではないと私は考えている。  それから、イミテーションは外圧的の法則であり、規則であるという点から、唯打ち毀して宜いというものではない。必要がなくなれば自然に毀れる。唯、利益、存在の意義の軽重によって、それが予期したより十年前に自ら倒れるか、十年後に倒れるかである。またオリヂナルの方が早く自然に滅亡するか、イミテーションの方が先に滅亡するかであって、大した違いはない。片方だけを悪いとは決して言わない。両方とも各存在するには存在すべき理由があって存在しているのである。殊に教育を受ける諸君の如きものに向って規則をなくしたらとても始末が付かない。また兵式体操なども出来ない。子供の内は親のいうことばかり聞いておっても、段々一人前になって来るとインデペンデントというものは自然に発達して来る。また発達しても然るべきような時期に到着するのであります。一概に唯インデペンデントであるということを主張するのではないのであります。  けれども近来の傾向を見て、世の中の調子を見て、大体はインデペンデントに賛成である。今日の状況を以て学校の規則を蔑視して自分勝手にしろというのではありません。それは別問題ですが、今の日本の現在の有様から見て、どっちに重きを置くべきかというと、インデペンデントという方に重きを置いて、その覚悟を以てわれわれは進んで行くべきものではないかと思う。われわれ日本人民は人真似をする国民として自ら許している。また事実そうなっている。昔は支那の真似ばかりしておったものが、今は西洋の真似ばかりしているという有様である。それは何故かというと、西洋の方は日本より少し先へ進んでいるから、一般に真似をされているのである。丁度あなた方のような若い人が、偉い人と思って敬意を持っている人の前に出ると、自分もその人のようになりたいと思う――かどうか知らんが、もしそう思うと仮定すれば、先輩が今まで踏んで来た径路を自分も一通り遣らなければ茲処に達せられないような気がする如く、日本が西洋の前に出ると茲処に達するにはあれだけの径路を真似て来なければならない、こういう心が起るものではないかと思う。また事実そうである。しかし考えるとそう真似ばかりしておらないで、自分から本式のオリヂナル、本式のインデペンデントになるべき時期はもう来ても宜しい。また来るべきはずである。  日露戦争というものは甚だオリヂナルなものであります。インデペンデントなものであります。あれをもう少し遣っておったならば負けたかも知れない。宜い時に切り上げた。その代り沢山金は取れなかった。けれどもとにかく軍人がインデペンデントであるということはあれで証拠立てられている。西洋に対して日本が芸術においてもインデペンデントであるという事ももう証拠立てられても可い時である。日本は動もすれば恐露病に罹ったり、支那のような国までも恐れているけれども、私は軽蔑している。そんなに恐しいものではないと思っている。これはあなた方を奨励するためにこういうことを言っているのである。それからまた日本人は雑誌などに出るちょっとした作物を見て、西洋のものと殆ど比較にならぬというが、それは嘘です。私の書いた小説なども雑誌に出ますが、それをいうのじゃない。間違えられては困る。それ以外のもので、文壇の偉い人の書いたものは大抵偉いのです。決して悪いものじゃありません。西洋のものに比べてちっとも驚くに足らぬ。唯竪に読むと横に読むだけの違いである。横に読むと大変巧いように見えるというのは誤解であります。自分でそれほどのオリヂナリテーを持っていながら、自分のオリヂナリテーを知らずに、あくまでもどうも西洋は偉い偉いと言わなくても、もう少しインデペンデントになって、西洋をやっつけるまでには行かないまでも、少しはイミテーションをそうしないようにしたい。芸術上ばかりではない。私は文芸に関係が深いからとかく文芸の方から例を引くが、その他においても決して追っ着かないものはない。金の問題では追っ着かないか知らぬが、頭の問題ではそんなものではないと思っている。あなた方も大学を御遣りになって、そうして益インデペンデントに御遣りになって、新しい方の、本当の新しい人にならなければ不可ない。蒸返しの新しいものではない。そういうものではいけない。  要するにどっちの方が大切であろうかというと、両方が大切である、どっちも大切である。人間には裏と表がある。私は私をここに現わしていると同時に人間を現わしている。それが人間である。両面を持っていなければ私は人間とはいわれないと思う。唯どっちが今重いかというと、人と一緒になって人の後に喰っ付いて行く人よりも、自分から何かしたい、こういう方が今の日本の状況から言えば大切であろうと思うのであります。  文展を見てもどうもそっちの方が欠乏しているように見えるので、特にそういう点に重きを置いて、御参考のために申し上げたような次第であります。 (第一高等学校校友会雑誌所載の筆記による) ――大正二年十二月十二日第一高等学校において―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 ※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。 入力:柴田卓治 校正:双沢薫 2001年3月26日公開 2004年2月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 子規の畫 子規の畫 夏目漱石  余は子規の描いた畫をたつた一枚持つてゐる。亡友の記念だと思つて長い間それを袋の中に入れて仕舞つて置いた。年數の經つに伴れて、ある時は丸で袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かつた。近頃不圖思ひ出して、あゝして置いては轉宅の際などに何處へ散逸するかも知れないから、今のうちに表具屋へ遣つて懸物にでも仕立てさせやうと云ふ氣が起つた。澁紙の袋を引き出して塵を拂いて中を檢べると、畫は元の儘濕つぽく四折に疊んであつた。畫の外に、無いと思つた子規の手紙も幾通か出て來た。余は其中から子規が余に宛てゝ寄こした最後のものと、夫から年月の分らない短いものとを選び出して、其中間に例の畫を挾んで、三を一纒めに表裝させた。  畫は一輪花瓶にした東菊で、圖柄としては極めて單簡な者である。傍に「是は萎み掛けた所と思ひ玉へ。下手いのは病氣の所爲だと思ひ玉へ。嘘だと思はゞ肱を突いて描いて見玉へ」といふ註釋が加へてある所を以て見ると、自分でもさう旨いとは考へて居なかつたのだらう。子規が此畫を描いた時は、余はもう東京には居なかつた。彼は此畫に、東菊活けて置きけり火の國に住みける君の歸り來るがねと云ふ一首の歌を添へて、熊本迄送つて來たのである。  壁に懸けて眺めて見ると如何にも淋しい感じがする。色は花と莖と葉と硝子の瓶とを合せて僅に三色しか使つてない。花は開いたのが一輪に蕾が二つだけである。葉の數を勘定して見たら、凡てゞやつと九枚あつた。夫に周圍が白いのと、表裝の絹地が寒い藍なので、どう眺めても冷たい心持が襲つて來てならない。  子規は此簡單な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかつた樣に見える。僅か三莖の花に、少くとも五六時間の手間を掛けて、何處から何處迄丹念に塗り上げてゐる。是程の骨折は、たゞに病中の根氣仕事として餘程の決心を要するのみならず、如何にも無雜作に俳句や歌を作り上げる彼の性情から云つても、明かな矛盾である。思ふに畫と云ふ事に初心な彼は當時繪畫に於ける寫生の必要を不折などから聞いて、それを一草一花の上にも實行しやうと企てながら、彼が俳句の上で既に悟入した同一方法を、此方面に向つて適用する事を忘れたか、又は適用する腕がなかつたのであらう。  東菊によつて代表された子規の畫は、拙くて且眞面目である。才を呵して直ちに章をなす彼の文筆が、繪の具皿に浸ると同時に、忽ち堅くなつて、穂先の運行がねつとり竦んで仕舞つたのかと思ふと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子が來て此幅を見た時、正岡の繪は旨いぢやありませんかと云つたことがある。余は其時、だつてあれ丈の單純な平凡な特色を出すのに、あの位時間と勞力を費さなければならなかつたかと思ふと、何だか正岡の頭と手が、入らざる働きを餘儀なくされた觀がある所に、隱し切れない拙が溢れてゐると思ふと答へた。馬鹿律氣なものに厭味も利いた風もあり樣はない。其處に重厚な好所があるとすれば、子規の畫は正に働きのない愚直ものゝ旨さである。けれども一線一畫の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、咄嗟に辨ずる手際がない爲めに、已を得ず省略の捷徑を棄てゝ、几帳面な塗抹主義を根氣に實行したとすれば、拙の一字は何うしても免れ難い。  子規は人間として、又文學者として、最も「拙」の缺乏した男であつた。永年彼と交際をした何の月にも、何の日にも、余は未だ曾て彼の拙を笑ひ得るの機會を捉へ得たた試がない。又彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さへ有たなかつた。彼の歿後殆ど十年にならうとする今日、彼のわざ/\余の爲に描いた一輪の東菊の中に、確に此一拙字を認める事の出來たのは、其結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余に取つては多大の興味がある。たゞ畫が如何にも淋しい。出來得るならば、子規の此拙な所をもう少し雄大に發揮させて、淋しさの償としたかつた。 ―明治四四、七、四― 底本:「漱石全集 第十七巻」岩波書店    1957(昭和32)年1月12日第1刷発行    1979(昭和54)年8月8日第4刷 入力:山田豊 校正:土屋隆 2005年9月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 僕の昔 僕の昔 夏目漱石  根津の大観音に近く、金田夫人の家や二弦琴の師匠や車宿や、ないし落雲館中学などと、いずれも『吾輩は描である』の編中でなじみ越しの家々の間に、名札もろくにはってない古べいの苦沙弥先生の居は、去年の暮れおしつまって西片町へ引き越された。君、こんどの僕の家は二階があるよと丸善の手代みたように群書堆裡に髭をひねりながら漱石子が話していられると、縁側でゴソゴソ音がする。見ていると三毛猫の大きなやつが障子の破れからぬうと首を突き出して、ニャンとこちらを向きながらないた。  あの猫はね、こっちへ引きこしてきてからも、もとの千駄木の家へおりおり帰って行くのだ。この間も道であいつが小便をたれているところをうまくとっつかまえて連れて戻った。やっぱしもとの家というものは恋しいものかなあ。――何、僕の故家かね、君、軽蔑しては困るよ。僕はこれでも江戸っ子だよ。しかしだいぶ江戸っ子でも幅のきかない山の手だ、牛込の馬場下で生まれたのだ。  父親は馬場下町の名主で小兵衛といった。別に何も商売はしていなかったのだ。何でもあの名主なんかいうものは庄屋と同じくゴタゴタして、収入などもかなりあったものとみえる。ちょうど、今、あの交番――喜久井町を降りてきた所に――の向かいに小倉屋という、それ高田馬場の敵討の堀部武庸かね、あの男が、あすこで酒を立ち飲みをしたとかいう桝を持ってる酒屋があるだろう。そこから坂のほうへ二三軒行くと古道具屋がある。そのたしか隣の裏をずっとはいると、玄関構えの朽ちつくした僕の故家があった。もう今は無くなったかもしれぬ。僕の家は武田信玄の苗裔だぜ。えらいだろう。ところが一つえらくないことがあるんだ。何でも何代目かの人が、君に裏切りとかをしたということだ。家の紋は井桁の中に菊の紋だ。今あのへんを喜久井町というのは、僕の父親がつけたので、家の紋から、菊井を喜久井とかえたのだそうな。こんなことはそうさなあ、明治の始めごろの話だぜ、名主というものがまだあった時分だろうな。  名主には帯刀ごめんとそうでないのとの二つがあったが、僕の父親はどっちだったか忘れてしまった。あの相模屋という大きな質屋と酒屋との間の長屋は、僕の家の長屋で、あの時分に玄関を作れるのは名主にだけは許されていたから、名主一名お玄関様という奇抜な尊称を父親はちょうだいしてさかんにいばっていたんだろう。  家は明治十四五年ごろまであったのだが、兄きらが道楽者でさんざんにつかって、家なんかは人手に渡してしまったのだ。兄きは四人あった。一番上のは当時の大学で化学を研究していたが死んだ。二番目のはずいぶんふるった道楽ものだった。唐棧の着物なんか着て芸者買いやら吉原通いにさんざん使ってこれも死んだ。三番目のが今、無事で牛込にいる。しかし馬場下の家にではない。馬場下の家は他人の所有になってから久しいものだ。  僕はこんなずぼらな、のんきな兄らの中に育ったのだ。また従兄にも通人がいた。全体にソワソワと八笑人か七変人のより合いの宅みたよに、一日芝居の仮声をつかうやつもあれば、素人落語もやるというありさまだ。僕は一番上の兄に監督せられていた。  一番上の兄だって道楽者の素質は十分もっていた。僕かね、僕だってうんとあるのさ、けれども何分貧乏とひまがないから、篤行の君子を気取って描と首っ引きしているのだ。子供の時分には腕白者でけんかがすきで、よくアバレ者としかられた。あの穴八幡の坂をのぼってずっと行くと、源兵衛村のほうへ通う分岐道があるだろう。あすこをもっと行くと諏訪の森の近くに越後様という殿様のお邸があった。あのお邸の中に桑木厳翼さんの阿母さんのお里があって鈴木とかいった。その鈴木の家の息子がおりおり僕の家へ遊びに来たことがあった。  僕の家の裏には大きな棗の木が五六本もあった。『坊っちゃん』に似ているって。あるいはそうかもしれんよ。『坊っちゃん』にお清という親切な老婢が出る。僕の家にも事実はあんな老婢がいて、僕を非常にかわいがってくれた。『坊っちゃん』の中に、お清からもらった財布を便所へ落とすと、お清がわざわざそれを拾ってもってきてくれる条があった。僕は下女に金をもらった覚えはないが、財布の一条は実地の話だった。僕の幼友だちで今、名を知られている人は、山口弘一という人だけだ。この人はたしか学習院の先生かなんかしていられるということだ。くわしくは知らぬ。  そのうちに僕は中学へはいったが、途中でよしてしまって、予備門へはいる準備のため駿河台にそのころあった成立学舎へはいった。そのころの友人にはだいぶえらくなったやつがある。それから予備門へはいった。山田美妙斎とは同級だったが、格別心やすうもしなかった。正岡とはその時分から友人になった。いっしょに俳句もやった。正岡は僕よりももっと変人で、いつも気に入らぬやつとは一語も話さない。孤峭なおもしろい男だった。どうした拍子か僕が正岡の気にいったとみえて、打ちとけて交わるようになった。上級では川上眉山、石橋思案、尾崎紅葉などがいた。紅葉はあまり学校のほうはできのよくない男で、交際も自分とはしなかった。それからしばらくすると紅葉の小説が名高くなりだした。僕はそのころは小説を書こうなんどとは夢にも思っていなかったが、なあにおれだってあれくらいのものはすぐ書けるよという調子だった。  ちょうど大学の三年の時だったか、今の早稲田大学、昔の東京専門学校へ英語の教師に行って、ミルトンのアレオパジチカというむずかしい本を教えさされて、大変困ったことがあった。あの早稲田の学生であって、子規や僕らの俳友の藤野古白は姿見橋――太田道灌の山吹の里の近所の――あたりの素人屋にいた。僕の馬場下の家とは近いものだから、おりおりやってきて熱烈な議論をやった。あの男は君も知っているだろう。精神錯乱で自殺してしまったよ。『新俳句』に僕があの男を追懐して、 思ひ出すは古白と申す春の人 という句を作ったこともあったっけ。――その後早稲田の雇われ教師もやめてしまった。むろん僕が大学学生中の話だぜ。その間僕は下宿をしたり、故家にいたり、あちらこちらに宿をかえていた。僕が大学を出たのは明治二十六年だ。元来大学の文科出の連中にも時期によってだいぶ変わっている。高山が出た時代からぐっと風潮が変わってきた。上田敏君もこの期に属している。この期にはなかなかやり手がたくさんいる。僕らはそのまえのいわゆる沈滞時代に属するのだ。  学校を出てから、伊予の松山の中学の教師にしばらく行った。あの『坊っちゃん』にあるぞなもしの訛を使う中学の生徒は、ここの連中だ。僕は『坊っちゃん』みたようなことはやりはしなかったよ。しかしあの中にかいた温泉なんかはあったし、赤手拭をさげてあるいたことも事実だ。もう一つ困るのは、松山中学にあの小説の中の山嵐という綽名の教師と、寸分も違わぬのがいるというので、漱石はあの男のことをかいたんだといわれてるのだ。決してそんなつもりじやないのだから閉口した。  松山から熊本の高等学校の教師に転じて、そこでしばらくいて、後に文部省から英国へ留学を命ぜられて、行って帰って来て、今は大学と一高と明治大学との講師をやっている。なかなか忙しいんだよ。  落語か。落語はすきで、よく牛込の肴町の和良店へ聞きにでかけたもんだ。僕はどちらかといえば子供の時分には講釈がすきで、東京中の講釈の寄席はたいてい聞きに回った。なにぶん兄らがそろって遊び好きだから、自然と僕も落語や講釈なんぞが好きになってしまったのだ。落語家で思い出したが、僕の故家からもう少し穴八幡のほうへ行くと、右側に松本順という人の邸があった。あの人は僕の子供の時分には時の軍医総監ではぶりがきいてなかなかいばったものだった。円遊やその他の落語家がたくさん出入りしておった。  ――ざっと僕の昔を話したらこんなものだ。この僕の昔の中には僕の今もだいぶはいっているようだね。まあよいようにやっておいてくれたまえ。 底本:「吾輩は猫である(他一編)」旺文社文庫、旺文社    1965(昭和40)年7月10日初版発行    1969(昭和44)年7月1日重版発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:土屋隆 2005年9月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 正岡子規 正岡子規 夏目漱石  正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。そうだなあ。なんでも僕が松山に居た時分、子規は支那から帰って来て僕のところへ遣って来た。自分のうちへ行くのかと思ったら、自分のうちへも行かず親族のうちへも行かず、此処に居るのだという。僕が承知もしないうちに、当人一人で極めて居る。御承知の通り僕は上野の裏座敷を借りて居たので、二階と下、合せて四間あった。上野の人が頻りに止める。正岡さんは肺病だそうだから伝染するといけないおよしなさいと頻りにいう。僕も多少気味が悪かった。けれども断わらんでもいいと、かまわずに置く。僕は二階に居る、大将は下に居る。其うち松山中の俳句を遣る門下生が集まって来る。僕が学校から帰って見ると、毎日のように多勢来て居る。僕は本を読む事もどうすることも出来ん。尤も当時はあまり本を読む方でも無かったが、兎に角自分の時間というものが無いのだから、止むを得ず俳句を作った。其から大将は昼になると蒲焼を取り寄せて、御承知の通りぴちゃぴちゃと音をさせて食う。それも相談も無く自分で勝手に命じて勝手に食う。まだ他の御馳走も取寄せて食ったようであったが、僕は蒲焼の事を一番よく覚えて居る。それから東京へ帰る時分に、君払って呉れ玉えといって澄まして帰って行った。僕もこれには驚いた。其上まだ金を貸せという。何でも十円かそこら持って行ったと覚えている。それから帰りに奈良へ寄って其処から手紙をよこして、恩借の金子は当地に於て正に遣い果し候とか何とか書いていた。恐らく一晩で遣ってしまったものであろう。  併し其前は始終僕の方が御馳走になったものだ。其うち覚えている事を一つ二つ話そうか。正岡という男は一向学校へ出なかった男だ。それからノートを借りて写すような手数をする男でも無かった。そこで試験前になると僕に来て呉れという。僕が行ってノートを大略話してやる。彼奴の事だからええ加減に聞いて、ろくに分っていない癖に、よしよし分ったなどと言って生呑込にしてしまう。其時分は常盤会寄宿舎に居たものだから、時刻になると食堂で飯を食う。或時又来て呉れという。僕が其時返辞をして、行ってもええけれど又鮭で飯を食わせるから厭だといった。其時は大に御馳走をした。鮭を止めて近処の西洋料理屋か何かへ連れて行った。  或日突然手紙をよこし、大宮の公園の中の万松庵に居るからすぐ来いという。行った。ところがなかなか綺麗なうちで、大将奥座敷に陣取って威張っている。そうして其処で鶉か何かの焼いたのなどを食わせた。僕は其形勢を見て、正岡は金がある男と思っていた。処が実際はそうでは無かった。身代を皆食いつぶしていたのだ。其後熊本に居る時分、東京へ出て来た時、神田川へ飄亭と三人で行った事もあった。これはまだ正岡の足の立っていた時分だ。  正岡の食意地の張った話というのは、もうこれ位ほか思い出せぬ。あの駒込追分奥井の邸内に居った時分は、一軒別棟の家を借りていたので、下宿から飯を取寄せて食っていた。あの時分は『月の都』という小説を書いていて、大に得意で見せる。其時分は冬だった。大将雪隠へ這入るのに火鉢を持って這入る。雪隠へ火鉢を持って行ったとて当る事が出来ないじゃないかというと、いや当り前にするときん隠しが邪魔になっていかぬから、後ろ向きになって前に火鉢を置いて当るのじゃという。それで其火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮て食うのだからたまらない。それから其『月の都』を露伴に見せたら、眉山、漣の比で無いと露伴もいったとか言って、自分も非常にえらいもののようにいうものだから、其時分何も分らなかった僕も、えらいもののように思っていた。あの時分から正岡には何時もごまかされていた。発句も近来漸く悟ったとかいって、もう恐ろしい者は無いように言っていた。相変らず僕は何も分らないのだから、小説同様えらいのだろうと思っていた。それから頻りに僕に発句を作れと強いる。其家の向うに笹藪がある。あれを句にするのだ、ええかとか何とかいう。こちらは何ともいわぬに、向うで極めている。まあ子分のように人を扱うのだなあ。  又正岡はそれより前漢詩を遣っていた。それから一六風か何かの書体を書いていた。其頃僕も詩や漢文を遣っていたので、大に彼の一粲を博した。僕が彼に知られたのはこれが初めであった。或時僕が房州に行った時の紀行文を漢文で書いて其中に下らない詩などを入れて置いた、それを見せた事がある。処が大将頼みもしないのに跋を書いてよこした。何でも其中に、英書を読む者は漢籍が出来ず、漢籍の出来るものは英書は読めん、我兄の如きは千万人中の一人なりとか何とか書いて居った。処が其大将の漢文たるや甚だまずいもので、新聞の論説の仮名を抜いた様なものであった。けれども詩になると彼は僕よりも沢山作って居り平仄も沢山知って居る。僕のは整わんが、彼のは整って居る。漢文は僕の方に自信があったが、詩は彼の方が旨かった。尤も今から見たらまずい詩ではあろうが、先ず其時分の程度で纏ったものを作って居ったらしい。たしか内藤さんと一緒に始終やって居たかと聞いている。  彼は僕などより早熟で、いやに哲学などを振り廻すものだから、僕などは恐れを為していた。僕はそういう方に少しも発達せず、まるでわからん処へ持って来て、彼はハルトマンの哲学書か何かを持ち込み、大分振り廻していた。尤も厚い独逸書で、外国にいる加藤恒忠氏に送って貰ったもので、ろくに読めもせぬものを頻りにひっくりかえしていた。幼稚な正岡が其を振り廻すのに恐れを為していた程、こちらは愈幼稚なものであった。  妙に気位の高かった男で、僕なども一緒に矢張り気位の高い仲間であった。ところが今から考えると、両方共それ程えらいものでも無かった。といって徒らに吹き飛ばすわけでは無かった。当人は事実をいっているので、事実えらいと思っていたのだ。教員などは滅茶苦茶であった。同級生なども滅茶苦茶であった。  非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。一つは僕の方がええ加減に合わして居ったので、それも苦痛なら止めたのだが、苦痛でもなかったから、まあ出来ていた。こちらが無暗に自分を立てようとしたら迚も円滑な交際の出来る男ではなかった。例えば発句などを作れという。それを頭からけなしちゃいかない。けなしつつ作ればよいのだ。策略でするわけでも無いのだが、自然とそうなるのであった。つまり僕の方が人が善かったのだな。今正岡が元気でいたら、余程二人の関係は違うたろうと思う。尤も其他、半分は性質が似たところもあったし、又半分は趣味の合っていた処もあったろう。も一つは向うの我とこちらの我とが無茶苦茶に衝突もしなかったのでもあろう。忘れていたが、彼と僕と交際し始めたも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生も大に寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知っていたので、話すに足るとでも思ったのであろう。それから大に近よって来た。  彼は僕には大抵な事は話したようだ。(其例一二省く)兎に角正岡は僕と同じ歳なんだが僕は正岡ほど熟さなかった。或部分は万事が弟扱いだった。従って僕の相手し得ない人の悪い事を平気で遣っていた。すれっからしであった。(悪い意味でいうのでは無い。)  又彼には政治家的のアムビションがあった。それで頻りに演説などをもやった。敢て謹聴するに足る程の能弁でも無いのに、よくのさばり出て遣った。つまらないから僕等聞いてもいないが、先生得意になってやる。  何でも大将にならなけりゃ承知しない男であった。二人で道を歩いていても、きっと自分の思う通りに僕をひっぱり廻したものだ。尤も僕がぐうたらであって、こちらへ行こうと彼がいうと其通りにして居った為であったろう。  一時正岡が易を立ててやるといって、これも頼みもしないのに占ってくれた。畳一畳位の長さの巻紙に何か書いて来た。何でも僕は教育家になって何うとかするという事が書いてあって、外に女の事も何か書いてあった。これは冷かしであった。一体正岡は無暗に手紙をよこした男で、それに対する分量は、こちらからも遣った。今は残っていないが、孰れも愚なものであったに相違ない。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「ホトトギス」    1908(明治41)年9月1日号 ※本作品は、底本中では「談話」の項におさめられている。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 『東洋美術図譜』 『東洋美術図譜』 夏目漱石  偉大なる過去を背景に持っている国民は勢いのある親分を控えた個人と同じ事で、何かに付けて心丈夫である。あるときはこの自覚のために驕慢の念を起して、当面の務を怠ったり未来の計を忘れて、落ち付いている割に意気地がなくなる恐れはあるが、成上りものの一生懸命に奮闘する時のように、齷齪とこせつく必要なく鷹揚自若と衆人環視の裡に立って世に処する事の出来るのは全く祖先が骨を折って置いてくれた結果といわなければならない。  余は日本人として、神武天皇以来の日本人が、如何なる事業をわが歴史上に発展せるかの大問題を、過去に控えて生息するものである。固より余一人の仕事は、余一人の仕事に違いないのだから、余一人の意志で成就もし破壊もするつもりではあるが、余の過去、――もっと大きくいえば、わが祖先が余の生れぬ前に残して行ってくれた過去が、余の仕事の幾分かを既に余の生れた時に限定してしまったような心持がする。自分は自分のする事についてあくまでも責任を負う料簡ではあるが、自分をしてこの責任を負わしむるものは自己以外には遠い背景が控えているからだろうと思う。  そう考えながら、新しい眼で日本の過去を振り返って見ると、少し心細いような所がある。一国の歴史は人間の歴史で、人間の歴史はあらゆる能力の活動を含んでいるのだから政治に軍事に宗教に経済に各方面にわたって一望したらどういう頼母しい回顧が出来ないとも限るまいが、とくに余に密接の関係ある部門、即ち文学だけでいうと、殆んど過去から得るインスピレーションの乏しきに苦しむという有様である。人は『源氏物語』や近松や西鶴を挙げてわれらの過去を飾るに足る天才の発揮と見認めるかも知れないが、余には到底そんな己惚は起せない。  余が現在の頭を支配し余が将来の仕事に影響するものは残念ながら、わが祖先のもたらした過去でなくって、かえって異人種の海の向うから持って来てくれた思想である。一日余は余の書斎に坐って、四方に並べてある書棚を見渡して、その中に詰まっている金文字の名前が悉く西洋語であるのに気が付いて驚いた事がある。今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地のない心持がした。 『東洋美術図譜』は余にこういう料簡の起った当時に出版されたものである。これは友人滝君が京都大学で本邦美術史の講演を依託された際、聴衆に説明の必要があって、建築、彫刻、絵画の三門にわたって、古来から保存された実物を写真にしたものであるから、一枚一枚に観て行くと、この方面において、わが日本人が如何なる過去をわれわれのために拵えて置いてくれたかが善く分る。余の如き財力の乏しいものには参考として甚だ重宝な出版である。文学において悲観した余はこの図譜を得たために多少心細い気分を取り直した。図譜中にある建築彫刻絵画ともに、あるものは公平に評したら下らないだろうと思う。あるものは『源氏物語』や近松や西鶴以下かも知れない。しかしその優れたものになると決して文学程度のものとはいえない。われわれ日本の祖先がわれわれの背景として作ってくれたといって恥ずかしくないものが大分ある。  西洋の物数奇がしきりに日本の美術を云々する。しかしこれは千人のうちの一人で、あくまでも物数奇の説だと心得て聞かなければならない。大体の上からいうと、そういう物数奇もやはり西洋の方が日本より偉いと思っているのだろう。余も残念ながらそう考える。もし日本に文学なり美術なりが出来るとすればこれからである。が、過去において日本人が既にこれだけの仕事をして置いてくれたという自覚は、未来の発展に少からぬ感化を与えるに違いない。だから余は喜んで『東洋美術図譜』を読者に紹介する。このうちから東洋にのみあって、西洋の美術には見出し得べからざる特長を観得する事が出来るならば、たといその特長が全体にわたらざる一種の風致にせよ、観得し得ただけそれだけその人の過去を偉大ならしむる訳である。従ってその人の将来をそれだけインスパイヤーする訳である。 ――明治四三、一、五『東京朝日新聞』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:福地博文 1999年8月4日公開 2003年10月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 イズムの功過 イズムの功過 夏目漱石  大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面な男が束にして頭の抽出へ入れやすいように拵えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫になったり、解くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。  同時に多くのイズムは、零砕の類例が、比較的緻密な頭脳に濾過されて凝結した時に取る一種の形である。形といわんよりはむしろ輪廓である。中味のないものである。中味を棄てて輪廓だけを畳み込むのは、天保銭を脊負う代りに紙幣を懐にすると同じく小さな人間として軽便だからである。  この意味においてイズムは会社の決算報告に比較すべきものである。更に生徒の学年成績に匹敵すべきものである。僅一行の数字の裏面に、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と成敗とが潜んでいる。  従ってイズムは既に経過せる事実を土台として成立するものである。過去を総束するものである。経験の歴史を簡略にするものである。与えられたる事実の輪廓である。型である。この型を以て未来に臨むのは、天の展開する未来の内容を、人の頭で拵えた器に盛終せようと、あらかじめ待ち設けると一般である。器械的な自然界の現象のうち、尤も単調な重複を厭わざるものには、すぐこの型を応用して実生活の便宜を計る事が出来るかも知れない。科学者の研究が未来に反射するというのはこのためである。しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直に与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、形骸のために器械の用をなすと一般だからである。その時わが精神の発展が自個天然の法則に遵って、自己に真実なる輪廓を、自らと自らに付与し得ざる屈辱を憤る事さえある。  精神がこの屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪廓がまさに崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過と見る。  過去はこれらのイズムに因って支配せられたるが故に、これからもまたこのイズムに支配せられざるべからずと臆断して、一短期の過程より得たる輪廓を胸に蔵して、凡てを断ぜんとするものは、升を抱いて高さを計り、かねて長さを量らんとするが如き暴挙である。  自然主義なるものが起って既に五、六年になる。これを口にする人は皆それぞれの根拠あっての事と思う。わが知る限りにおいては、またわが了解し得たる限りにおいては(了解し得ざる論議は暫く措いて)必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれども自然主義もまた一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪廓にして舶載した品物である。吾人がこの輪廓の中味を充するために生きているのでない事は明かである。吾人の活力発展の内容が、自然にこの輪廓を描いた時、始めて自然主義に意義が生ずるのである。  一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強く、また今少し根気よく猛進したなら、自ら覆るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、茫漠たる輪廓中の一小片を堅固に把持して、其処に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼らのために得策ではなかろうかと思う。 ――明治四三、七、二三『東京朝日新聞』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:福地博文 1999年8月4日公開 2003年10月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 戦争からきた行き違い 戦争からきた行き違い 夏目漱石  十一日の夜床に着いてからまもなく電話口へ呼び出されて、ケーベル先生が出発を見合わすようになったという報知を受けた。しかしその時はもう「告別の辞」を社へ送ってしまったあとなので私はどうするわけにもいかなかった。先生がまだ横浜のロシアの総領事のもとに泊まっていて、日本を去ることのできないのは、まったく今度の戦争のためと思われる。したがって私にこの正誤を書かせるのもその戦争である。つまり戦争が正直な二人を嘘吐きにしたのだといわなければならない。  しかし先生の告別の辞は十二日に立つと立たないとで変わるわけもなし、私のそれにつけ加えた蛇足な文句も、先生の去留によってその価値に狂いが出てくるはずもないのだから、われわれは書いたこと言ったことについて取り消しをだす必要は、もとより認めていないのである。ただ「自分の指導を受けた学生によろしく」とあるべきのを、「自分の指導を受けた先生によろしく」と校正が誤っているのだけはぜひ取り消しておきたい。こんなまちがいの起こるのもまた校正掛りを忙殺する今度の戦争の罪かもしれない。 底本:「硝子戸の中」角川文庫、角川書店    1954(昭和29)年6月10日初版発行    1994(平成6)年3月10日改版21版発行 入力:柴田卓治 校正:しず 1999年9月9日公開 2003年10月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 田山花袋君に答う 田山花袋君に答う 夏目漱石  本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。――「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往くつもりだとか聞いている。しかし云々」  小生はいまだかつて『三四郎』をズーデルマンの筆法で書くと云った覚えなし。誰かの話し違か、花袋君の聞違だろう。疎忽なものが花袋君の文を読むと、小生がズーデルマンの真似でもしているようで聞苦しい。『三四郎』は拙作かも知れないが、模擬踏襲の作ではない。  花袋君は六年前にカッツェンステッヒを翻訳せられて、翻訳の当時は非常に感服せられたが、今日から見ると、作為の痕迹ばかりで、全篇作者の拵えものに過ぎないと貶せられた。褒貶は固より花袋君の自由である。しかし今日より六年後に、小生の趣味が現今の花袋君の趣味に達すると、達せざるとも固より小生の自由である。これも疎忽ものが読むと、花袋君と小生の嗜好が一直線の上において六年の相違があるように受取られるから、御断りを致しておきたい。  花袋君がカッツェンステッヒに心酔せられた時分、同書を独歩君に見せたら、拵らえものじゃないかと云って通読しなかったと云って、痛く独歩君の眼識に敬服しておられる。花袋君が独歩君に敬服せらるると云う意味を漱石が独歩君に敬服すると云う意味に解釈するものはないからこの点は安心である。  愚見によると、独歩君の作物は「巡査」を除くのほかことごとく拵えものである。(小生の読んだものについて云う)ただしズーデルマンのカッツェンステッヒより下手な拵えものである。花袋君の「蒲団」も拵えものである。「生」は「蒲団」ほど拵えておられない。その代り満谷国四郎君の「車夫の家」のような出来栄えである。  拵えものを苦にせらるるよりも、活きているとしか思えぬ人間や、自然としか思えぬ脚色を拵える方を苦心したら、どうだろう。拵らえた人間が活きているとしか思えなくって、拵らえた脚色が自然としか思えぬならば、拵えた作者は一種のクリーエーターである。拵えた事を誇りと心得る方が当然である。ただ下手でしかも巧妙に拵えた作物(例えばジューマのブラック・チューリップのごときもの)は花袋君の御注意を待たずして駄目である。同時にいくら糊細工の臭味が少くても、すべての点において存在を認むるに足らぬ事実や実際の人間を書くのは、同等の程度において駄目である。花袋君も御同感だろうと思う。  小生は小説を作る男である。そうしてところどころで悪口を云われる男である。自分が悪口を云われる口惜し紛れに他人の悪口を云うように取られては、悪口の功力がないと心得て今日まで謹慎の意を表していた。しかし花袋君の説を拝見してちょっと弁解する必要が生じたついでに、端なく独歩花袋両君の作物に妄評を加えたのは恐縮である。  小生は日本の文芸雑誌をことごとく通読する余裕と勇気に乏しいものである。現に花袋君の主宰しておらるる「文章世界」のごときも拝見しておらん。向後花袋君及びその他の諸君の高説に対して、一々御答弁を致す機会を逸するかも知れない。その時漱石は花袋君及びその他の諸君の高説に御答弁ができかねるほど感服したなと誤解する疎忽ものがあると困る。ついでをもって、必ずしもしからざる旨をあらかじめ天下に広告しておく。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年6月14日公開 2003年11月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 文壇の趨勢 文壇の趨勢 夏目漱石  近頃は大分方々の雑誌から談話をしろしろと責められて、頭ががらん胴になったから、当分品切れの看板でも懸けたいくらいに思っています。現に今日も一軒断わりました。向後日本の文壇はどう変化するかなどという大問題はなかなか分りにくい。いわんや二三日前まで『文学評論』の訂正をしていて、頭が痺れたように疲れているから、早速に分別も浮びません。それに似寄った事をせんだってごく簡略に『秀才文壇』の人に話してしまった。あいにくこの方面も種切れです。が、まあせっかくだから――いつおいでになっても、私の談話が御役に立った試がないようだから――つまらん事でも責任逃れに話しましょう。  私が小説を書き出したのは、何年前からか確と覚えてもいないが、けっして古くはない。見方によればごく近頃であると云ってもよろしい。しかるに我が文壇の潮流は非常に急なもので、私よりあとから、小説家として、世にあらわれ、また一般から作家として認められたものが大分ある。今も続々出つつあるように思われる。私は多忙な身だから、ほかの人の作を一々通読する暇がない。たてこんで来ると、つい読み損って、それぎりにする事もあるが、できるだけは参考のため、研究のため、あるいは興味のため、目を通して見る。ところが年一年と日を経るに従って、みんな面白い。だんだん老熟の手腕が短篇のうちに行き渡って来たように思われる。妙な比較をするようだけれども近来日本の雑誌に出る創作物の価値は、英国の通俗雑誌に掲載せられる短篇ものよりも、ずっと程度の高いものと自分は信じている。だから日本の文壇は前途多望、大いに楽観すべき現象に充ちていると思います。  そこで今云った通り新参の私のあとから、すでに四五人の新進作家が出るくらいだから、そのあとからもまた出て来るに違ない。現に出つつあるんでしょう。また未来に出ようとして待ち構えている人も定めて多い事だろうと思います。して見るとこれらの四五の新進作家――必ずしもこれらの人に限る必要はないが――はまた新らしい競争者を得らるる事と信ずる。  この競争者の出かたである。出かたに二た通りある。一つは自分の縄張うちへ這入って来て、似寄った武器と、同種の兵法剣術で競争をやる。元来競争となるとたいていの場合は同種同類に限るようです。同種同類でないと、本当の比較ができないからでもあるし、ひとつ、あいつを乗り越してやろうと云う時は、裏道があってもかえって気がつかないで、やっぱり当の敵の向うに見える本街道をあとを慕って走け出すのが心理的に普通な状態であります。すると同圏内で競争が起ります。この競争の刺激によって、作物がだんだん深さを増して来る。種類が同じだから深さ以外に競争のしようがないのであります。  今一つの競争は圏外に新手が出る事であります。これから新たに文壇に顔を出そうと機を覗っている人、もしくはすでに打って出た人のうちで、今までのものとは径路を同じゅうする事を好まない事がないとも限らない。これは今までの作物に飽き足らぬか、もしくは、おれはおれだから是非一派を立てて見せると自己の特色に自信をおくか、または世間の注意を惹くには何か異様な武者ぶりを見せないと効力が少ないとか、いろいろの動機から起るだろうが、要するに模擬者でもなければ、同圏内の競争者でもない。すなわち圏外の敵である。この種の競争者が出て来ると、文壇の刺激は種類と種類の間に起る。種類が多ければ多いほど文壇は多趣多様になって、互に競り合が始まる訳である。  もしこの二種類の競争すなわち圏の内外に互に競争が同時に起るとすると、向後吾人の受くる作物は、この両個の刺激からして、在来のはますます在来の方向で深く発達したもの、新興のは新興の領分で出来得る限りを開拓して変化を添えるようなものになる。もっとも圏外の競争が烈しくなると、圏内の競争は比較的穏かになる。また圏内の競争が烈しい時は、比較的圏外が平和である。  圏内の競争が烈しくなるか、圏外の競争が烈しくなるか、どちらに傾くかは、読書界の傾向で大部きめられる問題であります。もし読書界が把住性が強くって、在来の作物からなお或物を予期しつつある間は、圏内の競争の方が烈しい。また読書界が推移性に支配されつつあって、何か新発展を希望する場合には圏外に優勢なものがあらわれ勝になる。もし読書界が両分されて半々になるときは圏内圏外共に相応の競争があって、相応の読者を有する訳になります。私は実際の作物にあたって、とかくの評をする事をしない。したがって向後の読書界がどういう作物をどう歓迎するかも云えない。ただ形式ばかりの話ではなはだつまらないが、各自この形式を実地にあてはめて見たらいろいろな鑑定ができるだろうと思う。  競争はとうてい免がれない。また競争がなければ作物は進歩しない。今日の作物がこれまで進歩したのは作家の天分にもよるだろうけれども大部分は競争の賜物だろうと考えます。英国の政党が立憲政治の始まった時から二派に分れている。あれは偶然のような必然のような歴史を有しているが相互に相互を研究し啓発すると云う大原則を政治上にうまく応用したものであります。もっともこれは圏外の競争の意味である。そうして、日本の作物が輓近四五年間に大変進歩したのは、全くこの圏外の競争心の結果ではなかろうかと思われる。  圏外の競争は一方において反撥を意味している。けれどもその反撥の裏面には同化の芽を含んでいる。反撥すると云う事がすでに対者を知らねばできない事になる。対者を知るためには一種の研究をしなければならない。その研究をして反撥し合っているうちに対者の立場やら長所やらを自然と認めなければならないようになる。その時にある程度の同化はどうしても起るべきはずである。文壇がこの期に達した時には混戦の状態に陥いる。混戦の状態に陥ると一騎打の競争よりほかになくなってしまう。日本の文壇がすでに混戦時代に達したか、あるいは達せんとしつつあるかは読者の判断に任せておきます。  いわゆる文明社界に住む人の特色は何だと纏めて云って御覧なさい。私にはこう見える。いわゆる文明社会に住む人は誰を捉まえてもたいてい同じである。教育の程度、知識の範囲、その他いろいろの資格において、ほぼ似通っている。だから誰かれの差別はない。皆同じである。が同時に一方から見ると文明社会に住む人ほど個人主義なものはない。どこまでも我は我で通している。人の威圧やら束縛をけっして肯わない。信仰の点においても、趣味の点においても、あらゆる意見においても、かつて雷同附和の必要を認めない。また阿諛迎合の必要を認めない。してみるといわゆる文明社界に生息している人間ほど平等的なるものはなく、また個人的なるものはない。すでに平等的である以上は圏を画して圏内圏外の別を説く必要はない。英国の二大政党のごときは単に採決に便宜なる約束的の団隊と見傚して差支ない。またすでに個人的である以上はどこまでも自己の特色を自己の特色として保存する必要がある。  文壇の諸公をいわゆる文明社会に住む人と見傚せば、勢いこの性質を具していなければならない。人間としてこの性質を帯びている以上は作物の上にも早晩この性質を発揮するのが天下の趨勢である。いわゆる混戦時代が始まって、彼我相通じ、しかも彼我相守り、自己の特色を失わざると共に、同圏異圏の臭味を帯びざるようになった暁が、わが文壇の歴史に一段落を告げる時ではなかろうかと思います。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年6月14日公開 2003年11月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 明治座の所感を虚子君に問れて 明治座の所感を虚子君に問れて 夏目漱石 ○虚子に誘われて珍らしく明治座を見に行った。芝居というものには全く無知無識であるから、どんな印象を受けるか自分にもまるで分らなかった。虚子もそこが聞きたいので、わざわざ誘ったのである。もっとも幼少の頃は沢村田之助とか訥升とかいう名をしばしば耳にした事を覚えている。それから猿若町に芝居小屋がたくさんあったかのように、何となく夢ながら承知している。しかも、あとから聞くと訥升が贔屓だったという話であるから驚ろく。それはおおかた嘘だろうと思う。物心がついてからは全く芝居には足を入れなかった。しかし自分の兄共は揃も揃って芝居好で、家にいると不断仮色などを使っているから、自分はこの仮色を通して役者を知っていた。それから今日までに団十郎をたった一遍見た事があるばかりである。もっとも新派劇は帰朝後三四遍見たが、けっして好じゃない。いつでも虚子に誘われて行くだけで、行ったあとでは大いに辟易するくらいである。 ○それで明治座へ行って、自分の枡へ這入ってみると、ただ四方八方ざわざわしていろいろな色彩が眼に映る感じが一番強かった。もっともこれは能とさほど性質において差違はないが、正面の舞台で女の生首を抱いたり箱へ入れたりしているのにその所作には一向同情がない。万事余計な事をしているように思われる。まるで西洋人が始めて日本の芝居を見たら、こうだろうと想像されるくらい妙な心持であった。全く魚の陸見物である。 ○それからだんだん慣れて来たら、ようやく役者の主意の存するところもほぼ分って来たので、幾分か彼我の胸裏に呼応する或ものを認める事ができたが、いかんせん、彼らのやっている事は、とうてい今日の開明に伴った筋を演じていないのだからはなはだ気の毒な心持がした。 ○その特色を一言で概括したら、どうなるだろうと考えると、――固よりいろいろあり、また例のごとく長々と説明したくなるが――極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったものをやってるからだろうと思う。例を挙げると、いくらもあるが、丸橋忠弥とかいう男が、酒に酔いながら、濠の中へ石を抛げて、水の深浅を測るところが、いかにも大事件であるごとく、またいかにも豪そうな態度で、またいかにも天下の智者でなくっちゃ、こんな真似はできないぞと云わぬばかりにもったいぶってやる。そのもったいぶるところを見物がわっと喝采するのである。が、常識から判断すれば誰にでも考えつく事で、誰にでもやれる事で、やったってしようのない事である。だからもったいぶり方はいくら芸術的にうまくできたって、うまくできればできるほどおかしくするだけである。それを心から感心して見るのは、どうしたって、本町の生薬屋の御神さんと同程度の頭脳である。こんな謀反人なら幾百人出て来たって、徳川の天下は今日までつづいているはずである。松平伊豆守なんてえ男もこれと同程度である。番傘を忠弥に差し懸けて見たりなんかして、まるで利口ぶった十五六の少年ぐらいな頭脳しかもっていない。だから、これらはまるで野蛮人の芸術である。子供がまま事に天下を取り競をしているところを書いた脚本である。世間見ずの坊ちゃんの浅薄愚劣なる世界観を、さもさも大人ぶって表白した筋書である。こんなものを演ぜねばならぬ役者はさぞかし迷惑な事だろうと思う。あの芸は、あれより数十倍利用のできる芸である。 ○油屋御こんなどもむやみに刀をすり更えたり、手紙を奪い合ったり、まるで真面目な顔をして、いたずらをして見せると同じである。 ○祐天なぞでも、あれだけの思いつきがあれば、もう少しハイカラにできる訳だ。不動の御利益が蛮からなんじゃない。神が出ても仏が出てもいっこう差支ないが、たかが如是我聞の一二句で、あれ程の人騒がせをやるのみならず、不動様まで騒がせるのは、開明の今日はなはだ穏かならぬ事と思う。あれじゃ不動様が安っぽくなるばかりだ。不動をあらたかにしようと思ったら、もう少し深い事情を原因におかなくっちゃいけない。その上祐天がちっとも愚鈍らしくない。いやに色気があって、そうして黄色い声を出す。のみならずむやみに泣いて愚痴ばかり並べている。あの山を上るところなどは一起一仆ことごとく誇張と虚偽である。鬘の上から水などを何杯浴びたって、ちっとも同情は起らない。あれを真面目に見ているのは、虚偽の因襲に囚われた愚かな見物である。 ○立ち廻りとか、だんまりとか号するものは、前後の筋に関係なき、独立したる体操、もしくは滑稽踊として賞翫されているらしい。筋の発展もしくは危機切逼という点から見たら、いかにも常識を欠いた暢気な行動である。もしくは過長の運動である。その代り単なる体操もしくは踊として見ればなかなか発達したものである。 ○御俊伝兵衛は大層面白かった。あれは他のもののように馬鹿気た点がない。芸術と、人情と、頭脳が、平均を保っている。また渾然融合している。幕の開いた時の感じもよかった。幕の閉まる時の人物の位置態度も大変よかった。そうして御俊も伝兵衛も綺麗であった。ただ与次郎なるものが少々やりすぎる。今一歩うち場に控えればあんな厭味は出ないはずである。 ○しまいの踊は綺麗で愉快だった。見ていて人情も頭脳もいらない。ただ芸術的に眼を喜ばせる単純なものであるから、そこが自分にはすこぶる結構であった。 ○最後に一言するが、自分は午後の一時から、夜の十一時まで明治座の中で暮した。時間から云うと大変なものである。これは日本の芝居が安過ぎるか、または見物が慾張り過ぎる証拠である。実を云うと自分はもっと早くすむ方が便利であった。ただ、まだあるものを途中で出るのはもったいないから、消極的に慾張ってしまいまでいたのである。自分と同感の人も大分あるだろうと思う。しかし見物が積極的に、この長時間に比例するほど慾張るが故、役者もやむをえず働らくとすれば役者ははなはだ気の毒である。同盟してもっと見物賃を上げるが好い。牛肉でも葱でも外の諸式はもっとぐっと高くなりつつある。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年6月14日公開 2003年11月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 虚子君へ 虚子君へ 夏目漱石  昨日は失敬。こう続けざまに芝居を見るのは私の生涯において未曾有の珍象ですが、私が、私に固有な因循極まる在来の軌道をぐれ出して、ちょっとでも陽気な御交際をするのは全くあなたのせいですよ。それにも飽き足らず、この上相撲へ連れて行って、それから招魂社の能へ誘うと云うんだから、あなたは偉い。実際善人か悪人か分らない。  私は妙な性質で、寄席興行その他娯楽を目的とする場所へ行って坐っていると、その間に一種荒涼な感じが起るんです。左右前後の綺羅が頭の中へ反映して、心理学にいわゆる反照聯想を起すためかとも思いますが、全くそうでもないらしいです。あんな場所で周囲の人の顔や様子を見ていると、みんな浮いて見えます。男でも女でもさも得意です。その時ふとこの顔とこの様子から、自分の住む現在の社会が成立しているのだという考がどこからか出て来て急に不安になるのです。そうして早々自分の穴へ帰りたくなるんです。  そのときはまだ好いが、次にきっと自分も人から見れば、やっぱり浮いた顔をして、得意な調子をふりまわしているんだろうと気がつくのです。そうするといかにも自分に対して面目なくなります。その次には、自分の浮気や得意はこの場限りで、もう少しすると平生の我に帰るのだが、ほかの人のは、これが常態であって、家へ帰っても、職務に従事しても、あれでやっているんだと己惚れます。すると自分はどうしてもここにいるべきではないとなる。宅へ帰って、一二時間黙坐して見たいなんて気が起ります。  そのくせ周囲の空気には名状すべからざる派出な刺激があって、一方からいうと前後を忘れ、自我を没して、この派出な刺激を痛切に味いたいのだから困ります。その意味からいうと、美々しい女や華奢な男が、天地神明を忘れて、当面の春色に酔って、優越な都会人種をもって任ずる様や、あるいは天下をわがもの顔に得意にふるまうのが羨ましいのです。そうかと云ってこの人造世界に向って猪進する勇気は無論ないです。年来の生活状態からして、私は始終山の手の竹藪の中へ招かれている。のみならず、この竹藪や書物のなかに、まるで趣の違った巣を食って生きて来たのです。その方が私の性に合う。それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割乃至七割は舞台で演ずる劇そのものに帰着するのかも知れません。あの劇がね、私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でないからだろうと思うんです。こう云うと、役者や見物を一概に罵倒するようでわるいから、ちょっと説明します。  この間帝国座の二宮君が来て、あなたの明治座の所感と云うものを読んだが、我々の神経は痲痺しているせいだか何だかあなたの口にするような非難はとうてい持ち出す余地がない、芝居になれたものの眼から見ると、筋なぞはどんなに無理だって、妙だって、まるで忘れて見ていますと云いました。なるほどそれが僕の素人であるところかも知れないと答えたようなものの、私は二宮君にこんな事を反問しました。僕は芝居は分らないが小説は君よりも分っている。その僕が小説を読んで、第一に感ずるのは大体の筋すなわち構造である。筋なんかどうでも、局部に面白い所があれば構わないと云う気にはとてもなれない。したがって僕がいかほど芝居通になったところで、全然君と同じ観察点に立って、芝居を見得るかどうだか疑問であるが、その辺はどうだろう。――話は要領を得ずにすんでしまったが、私にはやッぱり構造、譬えば波瀾、衝突から起る因果とか、この因果と、あの因果の関係とか云うものが第一番に眼につくんです。ところがそれがあんまり善くできていないじゃありませんか。あるものは私の理性を愚弄するために作ったと思われますね。太功記などは全くそうだ。あるものは平板のべつ、のっぺらぽうでしょう。楠なんとかいうのは、誰が見たってのっぺらぽうに違ない。あるものに至っては、私の人情を傷けようと思って故意に残酷に拵えさしたと思われるくらいです。きられ与三郎の――そう、もっともこれは純然たる筋じゃないが、まあ残酷なところがゆすりの原因になっているでしょう。  生涯の大勢は構わないその日その日を面白く暮して行けば好いという人があるように、芝居も大体の構造なんか眼中におく必要がない、局部局部を断片的に賞翫すればよいという説――二宮君のような説ですが、まあその説に同意してみたらどんなものでしょう。  それでも賞翫はできますが、それを賞翫するに、局部の内容を賞翫するのと、その内容を発現するために用うる役者の芸を賞翫するのと、ほとんど内容を離れた、内容の発現には比較的効能のない役者の芸を賞翫するのと三つあるようですね。  こうなっても芝居の好な人は、やっぱり内容に重きをおいていないようじゃありませんか。お富が海へ飛び込むところなぞは内容として、私には見るに堪えない。演り方が旨いとか下手いとか云う芸術上の鑑賞の余地がないくらい厭です。中村不折が隣りにいて、あのとき芸術上の批評を加えていたのを聞いて実に意外に思いました。ところが芝居の好きな人には私の厭だと思うところはいっこう応えないように見えますがどうでしょう。  光秀が妹から刀を受取って一人で引込むところは、内容として不都合がない。だから芸術上の上手下手を云う余地があったのです。あすこはあなたがたも旨いと云った。私も旨いと思います。ただし、あすこの芸術は内容を発現するための芸術でしょう。  第三の、内容とは比較的関係のない芸術になると、妙ですな。内容を賞翫して好いんだか、芸術を賞翫して好いんだか分りません。十段目に、初菊が、あんまり聞えぬ光よし様とか何とかいうところで品をしていると、私の隣の枡にいた御婆さんが誠実に泣いてたには感心しました。あのくらい単純な内容で泣ける人が今の世にもあるかと思ったらありがたかった。我々はもっとずっと、擦れてるから始末が悪い。と云ってあすこがつまらないんじゃない。かなり面白かった。けれどもその面白味はあの初菊という女の胴や手が蛇のように三味線につれて、ひなひなするから面白かったんで、人情の発現として泣く了簡は毛頭なかったんです。この点において私と芝居通の諸君と一致しているかどうだか伺います。御婆さんに賛成なさるか、私に同意なさるかで事はきまります。  忘れました。局部内容発現の芸術でもっとも旨かったのは蝙蝠安ですな。あれは旨い。本当にできてる。ゆすりをした経験のある男が正業について役者になったんでなければ、ああは行くまいと思いました。顔もごろつきそうな顔でしょう。あれが髭を生やして狩衣を着て楠正成の家来になってたから驚いた。  次に内容と全く独立した。と云うより内容のない芸術がありますが、あれは私にも少々分る。鷺娘がむやみに踊ったり、それから吉原仲の町へ男性、中性、女性の三性が出て来て各々特色を発揮する運動をやったりするのはいいですね。運動術としては男性が一番旨いんだそうですが、私はあの女性が好きだ、好い恰好をしているじゃありませんか。それに色彩が好い。  色彩は私には大変な影響を及ぼします。太功記の色彩などははなはだ不調和極まって見えます。加藤清正が金釦のシャツを着ていましたが、おかしかったですよ。光秀のうちは長屋ですな。あの中にあんな綺麗な着物を着た御嫁さんなんかがいるんだから、もったいない。光秀はなぜ百姓みたように竹槍を製造するんですか。  木更津汐干の場の色彩はごちゃごちゃして一見厭になりました。御成街道にペンキ屋の長い看板があるから見て、御覧なさい。  楠一族の色彩ははなはだよろしい。第一調和しているようです。正成の細君は品があってよござんす、あの子も好い。みんな好い色だ。  私の厭なところと、好なところを性質から区別して並べて御覧に入れました。これで私が芝居を見ている時の順慶流の気持が少し説明ができたつもりですが、まだこのほかにもなかなかあります。それは他日御面会の節に譲ります。不折は男性、女性、中性を見ずに帰りましたね。不折は奴的の画が好きなんだろうと思います。凡鳥君によろしく。以上。 六月十二日 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年6月14日公開 2003年11月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 マードック先生の『日本歴史』 マードック先生の『日本歴史』 夏目漱石        上  先生は約の如く横浜総領事を通じてケリー・エンド・ウォルシから自著の『日本歴史』を余に送るべく取り計われたと見えて、約七百頁の重い書物がその後日ならずして余の手に落ちた。ただしそれは第一巻であった。そうして巻末に明治四十三年五月発行と書いてあるので、余は始めてこの書に対する出版順序に関しての余の誤解を覚った。  先生はわが邦歴史のうちで、葡萄牙人が十六世紀に始めて日本を発見して以来織田、豊臣、徳川三氏を経て島原の内乱に至るまでの間、いわゆる西欧交通の初期とも称して然るべき時期を択んで、その部分だけを先年出版されたのである。だから順序からいうと、第二巻が最初に公けにされた訳になる。そうして去年五月発行とある新刊の方は、かえって第一巻に相当する上代以後の歴史であった。最後の巻、即ち十七世紀の中頃から維新の変に至るまでの沿革は、今なお述作中にかかる未成品に過ぎなかった。その上去年の第一巻とこれから出る第三巻目は、先生一個の企てでなく、日本の亜細亜協会が引き受けて刊行するのだという事が分った。従って先生の読んでくれといった新刊の緒論は、第三巻にあるのではなくて、やはり第一巻の第一篇の事だと知れた。それで先ず寄贈された大冊子の冒頭にある緒言だけを取り敢ず通覧した。  維新の革命と同時に生れた余から見ると、明治の歴史は即ち余の歴史である。余自身の歴史が天然自然に何の苦もなく今日まで発展して来たと同様に、明治の歴史もまた尋常正当に四十何年を重ねて今日まで進んで来たとしか思われない。自分が世間から受ける待遇や、一般から蒙る評価には、案外な点もあるいはあるといわれるかも知れないが、自分が如何にしてこんな人間に出来上ったかという径路や因果や変化については、善悪にかかわらず不思議を挟む余地がちっともない。ただかくの如く生れ、かくの如く成長し、かくの如き社会の感化を受けて、かくの如き人間に片付いたまでと自覚するだけで、その自覚以上に何らの驚ろくべき点がないから、従って何らの好奇心も起らない、従って何らの研究心も生じない。かかる理の当然一片の判断が自己を支配する如くに、同じく当り前さという観念が、やはり自己の生息する明治の歴史にも付け纏っている。海軍が進歩した、陸軍が強大になった、工業が発達した、学問が隆盛になったとは思うが、それを認めると等しく、しかあるべきはずだと考えるだけで、未だかつて「如何にして」とか「何故に」とか不審を打った試しがない。必竟われらは一種の潮流の中に生息しているので、その潮流に押し流されている自覚はありながら、こう流されるのが本当だと、筋肉も神経も脳髄も、凡てが矛盾なく一致して、承知するから、妙だとか変だとかいう疑の起る余地が天で起らないのである。丁度葉裏に隠れる虫が、鳥の眼を晦ますために青くなると一般で、虫自身はたとい青くなろうとも赤くなろうとも、そんな事に頓着すべき所以がない。こう変色するのが当り前だと心得ているのは無論である。ただ不思議がるのは当の虫ではなくて、虫の研究者である、動物学者である。  マードック先生のわれら日本人に対する態度はあたかも動物学者が突然青く変化した虫に対すると同様の驚嘆である。維新前は殆んど欧洲の十四世紀頃のカルチュアーにしか達しなかった国民が、急に過去五十年間において、二十世紀の西洋と比較すべき程度に発展したのを不思議がるのである。僅か五隻のペリー艦隊の前に為す術を知らなかったわれらが、日本海の海戦でトラファルガー以来の勝利を得たのに心を躍らすのである。        下  先生はこの驚嘆の念より出立して、好奇心に移り、それからまた研究心に落ち付いて、この大部の著作を公けにするに至ったらしい。だから日本歴史全部のうちで尤も先生の心を刺戟したものは、日本人がどうして西洋と接触し始めて、またその影響がどう働らいて、黒船着後に至って全局面の劇変を引き起したかという点にあったものと見える。それを一通り調べてもまだ足らぬ所があるので、やはり上代から漕ぎ出して、順次に根気よく人文発展の流を下って来ないと、この突如たる勃興の真髄が納得出来ないという意味から、次に上代以後足利氏に至るまでを第一巻として発表されたものと思われる。そうは断ってないけれども、緒論を読むとその辺の消息が多少窺われるような気もする。  従って緒論に現われた先生は、出来得る限りの範囲において、われらが最近五十年間の豹変に対する説明を、箇条がきの如くに与えておられる。その内にはちょっとわれらの思い設けぬ解釈さえある。西洋人が予期せざる日本の文明に驚ろくのは、彼らが開化という観念を誤まり伝えて、耶蘇教的カルチュアーと同意義のものでなければ、開化なる語を冠すべきものでないと自信していたからであるというが如きはその一例である。西洋の開化と耶蘇教的カルチュアーと密切の関係のある事は誰でも知っているが、耶蘇教的カルチュアーでなければ開化といえないとは、普通の日本人にどうしても考え得られない点である。けれどもそれが西洋人一般の判断だと、先生から注意されて見ると、なるほどと首肯せざるを得ない。こういう意味において、先生の著述は日本を外国に紹介する上に非常な利益があるばかりでなく、研究心に富んだ外国人が、われら自身を如何に観察しているかを知る便宜もまた甚だ少なくないのである。  西洋の雑誌を見ると、日本に関した著述の広告は、一週に一、二冊はきっと出ている。近頃ではこれらの書籍を蒐集しただけでも優に相応の図書館は一杯になるだろうと思われる位である。けれども真の観察と、真の努力と、真の同情と、真の研究から成ったものは極めて乏しいと断言しても差支はあるまい。余はこの乏しいものの一として、先生の歴史をわれら日本人に紹介する機会を得たのを愉快に思う。  歴史は過去を振返った時始めて生れるものである。悲しいかな今のわれらは刻々に押し流されて、瞬時も一所に徊して、われらが歩んで来た道を顧みる暇を有たない。われらの過去は存在せざる過去の如くに、未来のために蹂躙せられつつある。われらは歴史を有せざる成り上りものの如くに、ただ前へ前へと押されて行く。財力、脳力、体力、道徳力、の非常に懸け隔たった国民が、鼻と鼻とを突き合せた時、低い方は急に自己の過去を失ってしまう。過去などはどうでもよい、ただこの高いものと同程度にならなければ、わが現在の存在をも失うに至るべしとの恐ろしさが彼らを真向に圧迫するからである。  われらはただ二つの眼を有っている。そうしてその二つの眼は二つながら、昼夜ともに前を望んでいる。そうして足の眼に及ばざるを恨みとして、焦慮に焦慮て、汗を流したり呼息を切らしたりする。恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。夜番のために正宗の名刀と南蛮鉄の具足とを買うべく余儀なくせられたる家族は、沢庵の尻尾を噛って日夜齷齪するにもかかわらず、夜番の方では頻りに刀と具足の不足を訴えている。われらは渾身の気力を挙げて、われらが過去を破壊しつつ、斃れるまで前進するのである。しかもわれらが斃れる時、われらの烟突が西洋の烟突の如く盛んな烟りを吐き、われらの汽車が西洋の汽車の如く広い鉄軌を走り、われらの資本が公債となって西洋に流用せられ、われらの研究と発明と精神事業が畏敬を以て西洋に迎えらるるや否やは、どう己惚れても大いなる疑問である。マードック先生がわれらの現在に驚嘆してわれらの過去を研究されると同時に、われらはわれらの現在から刻々に追い捲られて、われらの未来をかくの如く悲観している。余はわれらの過去に対する先生の著書を紹介するのついでを以て、われらの運命に関しての未来観をも一言先生に告げて置きたいと思う。 ――明治四四、三、一六―一七『東京朝日新聞』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 1999年8月5日公開 2003年10月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 博士問題の成行 博士問題の成行 夏目漱石  二月二十一日に学位を辞退してから、二カ月近くの今日に至るまで、当局者と余とは何らの交渉もなく打過ぎた。ところが四月十一日に至って、余は図らずも上田万年、芳賀矢一二博士から好意的の訪問を受けた。二博士が余の意見を当局に伝えたる結果として、同日午後に、余はまた福原専門学務局長の来訪を受けた。局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。  翌十二日に至って、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左の書翰を送った。実は二カ月前に、余が局長に差出した辞退の申し出に対する返事なのである。 「復啓二月二十一日付を以て学位授与の儀御辞退相成たき趣御申出相成候処已に発令済につき今更御辞退の途もこれなく候間御了知相成たく大臣の命により別紙学位記御返付かたがたこの段申進候敬具」  余もまた余の所見を公けにするため、翌十三日付を以て、下に掲ぐる書面を福原局長に致した。 「拝啓学位辞退の儀は既に発令後の申出にかかる故、小生の希望通り取計らいかぬる旨の御返事を領し、再応の御答を致します。 「小生は学位授与の御通知に接したる故に、辞退の儀を申し出でたのであります。それより以前に辞退する必要もなく、また辞退する能力もないものと御考えにならん事を希望致します。 「学位令の解釈上、学位は辞退し得べしとの判断を下すべき余地あるにもかかわらず、毫も小生の意志を眼中に置く事なく、一図に辞退し得ずと定められたる文部大臣に対し小生は不快の念を抱くものなる事を茲に言明致します。 「文部大臣が文部大臣の意見として、小生を学位あるものと御認めになるのはやむをえぬ事とするも、小生は学位令の解釈上、小生の意思に逆って、御受をする義務を有せざる事を茲に言明致します。 「最後に小生は目下我邦における学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑒みて、現今の博士制度の功少くして弊多き事を信ずる一人なる事を茲に言明致します。 「右大臣に御伝えを願います。学位記は再応御手許まで御返付致します。敬具」  要するに文部大臣は授与を取り消さぬといい、余は辞退を取り消さぬというだけである。世間が余の辞退を認むるか、または文部大臣の授与を認むるかは、世間の常識と、世間が学位令に向って施す解釈に依って極まるのである。ただし余は文部省の如何と、世間の如何とにかかわらず、余自身を余の思い通に認むるの自由を有している。  余が進んで文部省に取消を求めざる限り、また文部省が余に意志の屈従を強いざる限りは、この問題はこれより以上に纏まるはずがない。従って落ち付かざる所に落ち着いて、歳月をこのままに流れて行くかも知れない。解決の出来ぬように解釈された一種の事件として統一家、徹底家の心を悩ます例となるかも分らない。  博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。  従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である。この事件の成行を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。 ――明治四四、四、一五『東京朝日新聞』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 1999年8月5日公開 2003年10月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 学者と名誉 学者と名誉 夏目漱石  木村項の発見者木村博士の名は驚くべき速力を以て旬日を出ないうちに日本全国に広がった。博士の功績を表彰した学士会院とその表彰をあくまで緊張して報道する事を忘れなかった都下の各新聞は、久しぶりにといわんよりはむしろ初めて、純粋の科学者に対して、政客、軍人、及び実業家に譲らぬ注意を一般社会から要求した。学問のためにも賀すべき事で、博士のためにも喜ばしき事に違ない。  けれども今より一カ月前に、この木村博士が何処に何をしているかを知っていたものは、全国を通じて僅か百人を出ぬ位であったろう。博士が忽然と著名になったのは、今までまるで人の眼に触れないで経過した科学界という暗黒な人世の象面に、一点急に輝やく場所が出来たと同じ事である。其所が明るくなったのは仕合せである。しかし其所だけが明るくなったのは不都合である。  一般の社会はつい二、三週間前まで博士の存在について全く神経を使わなかった。一般の社会は今日といえども科学という世界の存在については殆んど不関心に打ち過ぎつつある。彼らから見て闇に等しい科学界が、一様の程度で彼らの眼に暗く映る間は、彼らが根柢ある人生の活力の或物に対して公平に無感覚であったと非難されるだけで済むが、いやしくもこの暗い中の一点が木村項の名で輝やき渡る以上、また他が依然として暗がりに静まり返る以上、彼らが今まで所有していた公平の無感覚は、俄然として不公平な感覚と変性しなければならない。これまではただ無知で済んでいたのである。それが急に不徳義に転換するのである。問題は単に智愚を界する理性一遍の墻を乗り超えて、道義の圏内に落ち込んで来るのである。  木村項だけが炳として俗人の眸を焼くに至った変化につれて、木村項の周囲にある暗黒面は依然として、木村項の知られざる前と同じように人からその存在を忘れられるならば、日本の科学は木村博士一人の科学で、他の物理学者、数学者、化学者、乃至動植物学者に至っては、単位をすら充たす事の出来ない出来損ないでなければならない。貧弱なる日本ではあるが、余にはこれほどまでに愚図が揃って科学を研究しているとは思えない。その方面の知識に疎い寡聞なる余の頭にさえ、この断見を否定すべき材料は充分あると思う。  社会は今まで科学界をただ漫然と暗く眺めていた。そうしてその科学界を組織する学者の研究と発見とに対しては、その比較的価値所か、全く自家の着衣喫飯と交渉のない、徒事の如く見傚して来た。そうして学士会院の表彰に驚ろいて、急に木村氏をえらく吹聴し始めた。吹聴の程度が木村氏の偉さと比例するとしても、木村氏と他の学者とを合せて、一様に坑中に葬り去った一カ月前の無知なる公平は、全然破れてしまった訳になる。一旦木村博士を賞揚するならば、木村博士の功績に応じて、他の学者もまた適当の名誉を荷うのが正当であるのに、他の学者は木村博士の表彰前と同じ暗黒な平面に取り残されて、ただ一の木村博士のみが、今日まで学者間に維持せられた比較的位地を飛び離れて、衆目の前に独り偉大に見えるようになったのは少なくとも道義的の不公平を敢てして、一般の社会に妙な誤解を与うる好意的な悪結果である。  社会はただ新聞紙の記事を信じている。新聞紙はただ学士会院の所置を信じている。学士会院は固より己れを信じているのだろう。余といえども木村項の名誉ある発見たるを疑うものではない。けれども学士会院がその発見者に比較的の位置を与える工夫を講じないで、徒らに表彰の儀式を祭典の如く見せしむるため被賞者に絶対の優越権を与えるかの如き挙に出でたのは、思慮の周密と弁別の細緻を標榜する学者の所置としては、余の提供にかかる不公平の非難を甘んじて受ける資格があると思う。  学士会院が栄誉ある多数の学者中より今年はまず木村氏だけを選んで、他は年々順次に表彰するという意を当初から持っているのだと弁解するならば、木村氏を表彰すると同時に、その主意が一般に知れ渡るように取り計うのが学者の用意というものであろう。木村氏が五百円の賞金と直径三寸大の賞牌に相当するのに、他の学者はただの一銭の賞金にも直径一分の賞牌にも値せぬように俗衆に思わせるのは、木村氏の功績を表するがために、他の学者に屈辱を与えたと同じ事に帰着する。 ――明治四四、七、一四『東京朝日新聞』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 1999年8月13日公開 2003年10月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 鈴木三重吉宛書簡―明治三十九年 鈴木三重吉宛書簡―明治三十九年 夏目漱石           三〇五  明治三十九年一月一日 午前零時―五時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ 加計君の所へいつか手紙をやりたい。宿所を教へ玉へ  拜啓  御通知の柿昨三十日着直ちに一個試みた處非常にうまかつた。コロ柿は堅過ぎるがあれは丁度好加減です。小供にもやりました。君の神經衰弱は段々全快のよし結構小生の胃病も當分生命に別條はなささうです。君が芝居をやる抔は頗る見ものだらうと思ひます。全體何の役をやる積りか一寸御一報にあづかりたい。今日は大晦日だが至つて平穩借金とりも參らず炬燵で小説を讀んで居ます。ホトヽギスを見ましたか。裏の學校から抗議でもくれば又材料が出來て面白いと思つて居る。此學校の寄宿舍がそばにあつて其生徒が夜に入ると四隣の迷惑になる樣に騷動する。今夜も盛にやつて居る。此次は是でも生捕つてやりませう。仕舞には校長が何とか云つてくればいいと思ふ。喧嘩でもないと猫の材料が拂底でいかん。伊藤左千夫の野菊の墓といふのをよんだですか。あれは面白い。美くしい感じする。一昨日から雪今日も曇中々寒い。昨日は中川が來ました。  君が芝居をやる所を猫にかきたい。多々良三平と自認せる俣野義郎なるもの五六度も親展至急で大學へむけ猫中の取消を申し來る。新聞で廣告して取り消してやらうかと云つたら御免と云ふてきました。當人は人格を傷けられたとか何とか不平をいふて居る。呑氣なものである。人身攻撃も文學的滑稽も區別が出來ないで自ら大豪傑を以て任じて居るのは餘程氣丈の至りだと思ふ。  君早く出て來給へ  早稻田文學が出る。上田敏君抔が藝苑を出す。鴎外も何かするだらう。ゴチや/\メヤや/\其間に猫が浮きつ沈みつして居る。中々面白い。猫が出なくなると僕は片腕もがれた樣な氣がする。書齋で一人で力味んで居るより大に大天下に屁の樣な氣をふき出す方が面白い。來學年から是非出て來給へ  明日丸山通一といふ獨乙語の先生の所へ午飯に呼ばれた。何の因縁か分らないがまづ御馳走になる方が得策だと思つて承引した。  うれしきも悲しきも眼前の現象 月も花も刻下の風流。定業は何十年か知らないが、御駄佛となる迄はまづ/\此の如くであらうと思ふ 珍重         三十八年大晦日の夜 金      三重吉樣  今日野村傳四と上野を散歩したら、耶蘇教の戸外演説があつた。聞き手は一人もない。大晦日である。人間は衣食の爲めには狂氣じみた事も眞面目にやるものですな。其例澤山あり。           三一六  明治三十九年二月十一日 午前十一時―十二時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ  昨夜君の手紙がつきました。加計君が結婚をしたのは御目出たい。男爵の娘だなんてそんなものが山の中で役に立つでせうか。然しそれは餘計な事だ。とにかく御目出たい。君小説をかいたら送り玉へ。早く拜見仕りたい。近頃は色々な雜誌屋や何か來ていやになつて仕舞ふ。文章も作るひまがない。芝居は是からやるのですね。東京でも坪内さんの門下生がやりますよ。押入のなかで三味線をひくのは近世奇人傳にでもありそうだ。そんな事が出來れば病氣はまづ大丈夫ですね。猫の原書をかひにくるのは猫中の材料だ。色々な人があるものだ。大町といふ男が猫をよんで作者は氣の小さい陰氣な少し洒落氣のある男だと二度も三度も繰り返して居る。人民新聞といふのには僕が猫を作つて以來細君と仲が惡るくなつたとあるさうだ。すると高等學校で其きり拔きを大事に校長に御目にかける。内田魯庵といふ男は夏目君は金田夫人に談判されて迷惑して居るさうだとある男に話したさうだ。  僕も此位有名になれば申分はないと思ふ。昔はこんな事が氣にかゝつて一々正誤しないと心持ちがわるかつた。今では却つて面白い心持ちがする。是から文章でもかいてながく居ると益僕の惡口をいふものが出て來ます。仕舞には漱石は昨日死んださうだ。いや瘋癲院へ這入つた。華族の御孃さんから惚れられたなんて妙なのが出て來るでせう  今日は紀元節でいゝ天氣です、一昨日は雪でね。大變積つた。今日も道がわるい。昨夜は中川や何か四人ばかり來て夕飯をくつて快談をして暮らしました。  廣島といふ所はどんな所か行つて見たい。廣島のものには僕の朋友が少々ある昔は大分つき合つたものだ。猫のうちにある甘木先生も廣島の人だ。毎日役々としてくらすのが人間の目的だとあきらめて仕舞つたが本もよめず、樂に坐つてる事も出來ないとなると一寸弱りますね。  もつと何かかゝうと思ふがいやになつたからやめ。  加計によろしく云つてくれ給へ。妻君は美人ですか。 以上         二月十一日紀元節朝 金      三重吉樣           三三八  明治三十九年四月十一日 午後十一時―十二時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市江波村築島内鈴木三重吉へ  御手紙も小説も屆いて只今兩方とも拜見千鳥は傑作である。かう云ふ風にかいたものは普通の小説家に到底望めない。甚だ面白い。強いて難を云へば段落と順序が整然として居らん。第一回の藤さんと瀬川さんの會話が少々振はない。(其代りあとの會話は悉く活動して居る)。最後に舟を望んで藤さんを想像する所は少しくど過ぎる(其代り袂の貝をなげる所なぞはうまいものだ)。夫から法學士との問答もない方がいゝ。繪本の御姫さまは前後ともない方が明瞭である。尤もあれば妙な趣味は生ずる。壁の畫がねけ出すのも考へものだ 以上は僕の感じたわるい方だがそれを除いては悉くうまい。會話といひ所作といひ仕草といひ悉く結構である。一つ二つ取り出して云ふとほかゞまづい樣になるから云はない。總體が活動して居る。僕が島へ遊びに行つて何かかかうとしても到底こんなには書けまい。三重吉君萬歳だ。そこで千鳥を此次のホトヽギスへ出さうと思ふが多分御異存はないだらう。構ひますまいな。尤も緒言はぬく積りだ。  どうか面白いものをもつと澤山かいて屁鉾文士を驚ろかして呉れ玉へ。僕多忙でこまる。昨日から講義をかきかけたら半ページ出來た。講義を書くより千鳥をよむ方が面白い。加計の縁談は破談とやら氣の毒な事だ藤さんでも貰つてやり玉へ。血統なんて構やしないよ。別嬪でイオリンが上手ならわるい病氣なんか出やしない。大丈夫なものさ。先祖代々の血統を吟味したら日本中に確たる家柄は一軒もなくなる譯だ。序によろしく 以上         四月十一日夜 金      三重吉樣           三四〇  明治三十九年四月十五日 午前十一時―十二時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市江波村築島内鈴木三重吉へ  拜啓二三日前君に手紙を出すと同時に虚子に手紙を出して名作が出來たと知らせてやつたら大將今日來て千鳥を朗讀した。そこで虚子大人の意見なるものを御參考の爲めに一寸申し上げる ○全篇を通じて會話が振つて居らん。藤さんのホヽヽヽが多過ぎる藤さんが田舍言葉で瀬川さんが田舍言葉で掛合をしたらもつと活動するかも知れん(※[#「漱」の「欠」に代えて「攵」、309-15]石曰く虚子の云ふ所一理あり。然し主人公が田舍言葉でやつつけたら下女や何かの田舍言葉が引き立つまい。但し全篇を通じて若い男女の會話はあまり上出來にあらずと思ふ) ○虚子曰く章坊の寫眞や電話は嶄新ならずもつと活動が欲しい(※[#「漱」の「欠」に代えて「攵」、310-1]石曰く章坊の寫眞も電話も寫生的に面白く出來て居る) ○女と男が池の處へしやがんで對話する所未だ室に入らず。且つ其景色が陳腐なり(※[#「漱」の「欠」が「攵」、310-3]石曰く會話はあの位で上の部なるべし。池の景色鮒の動靜悉く寫生なり陳腐ならず) ○虚子曰く若い男女が相會して互に思ふはありふれた趣向なり但二日間の出來事と云ふに重きを置いて、それを讀者にわからせる樣につとめた所がよし。(漱石曰く趣向は陳腐にもあらず又陳腐でなき事もなし要するに技倆如何にて極る。此篇の大缺點はどうしても作り物であるといふ疑を起す點にあり。然し所々に寫生的の分子多きために不自然を一寸忘れさせるが手際なり)  虚子曰く狐の話面白し全篇あの調子で行けばえらいものなり(漱石曰く全篇大概はあの調子なり)  要するに虚子は寫生文としては寫生足らず、小説としては結構足らずと主張す。漱石は普通の小説家に是程寫生趣味を解したるものなしと主張す。  以上は虚子の評なり。君は固より僕に示す丈の積りだらうが僕以外の人の説も參考に聞く方が將來の作の上に利益があると思ふから一寸報知する。虚子と云ふ男は文章に熱心だからこんな事を云ふので僕が名作を得たと前觸が大き過ぎた爲め却つて缺點を擧げる樣になつたので、いゝ點は認めて居るのである。  それで原稿は一度君の許諾を得た上でと思つたが虚子が持つて歸ると云つたからやりましたよ。尤も長いから少々削るかも知れない。是も不平を云はずに我慢してくれ玉へ 以上         四月十四日夜 金      三重吉樣           三四六  明治三十九年五月三日 午前八時―九時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市江波村築島内鈴木三重吉へ [はがき]  寺田寅彦が千鳥をほめて好男子萬歳とかいて來た。四方太が手紙をよこして四方太抔は到底及ばない名文である傑作であると申して來た。僕も是で鼻が高い。あれにケチをつけた虚子は馬鹿と宣告してしまつた。 以上           三五〇  明治三十九年五月十六日 午前八時―九時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ [はがき]  拜啓寫眞は先日中川君から屆けてくれました。難有う。あの寫眞は大理石の像の樣には見えない。幽靈の樣だ。君の顏や咽喉の所があまりやせて居るせゐだらう。是も全く十七八の別嬪の祟と思ふ御用心           三五七  明治三十九年五月二十六日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ  拜啓漾虚集が出來ました一部あげます。諸々方々に誤字があり誤植がある樣だから見當つたら教へて頂戴  人間の價値は何かやつて見ないとどの位あるか分らない。君どうぞ勉強してやつてくれ玉へ。  然し世の中には駄目な事が分り切つて居ても眼が見えないのでうん/\やつてる奴がある。そんなものは教へてやつても説諭してやつても分りつこない。矢張自分が斃れる迄やつて念晴らしが出來ないと氣が濟まんものである。勝手に覺りがつく迄やらせるがいゝが、はたから見ると憫然なものだ。是は此間中からたつた一人で感じて居る事だが誰にも云はない。然し文藝上の事でも何でもない。  君にやり玉へといふのは文學の事だ自分で何か作つて見ないとどの位作れるものか自身にもわからない。いくら作つてもそのつぎの自分はどんな風にあらはれるか决して分るものでないから君も千鳥のあとに萬鳥でも億鳥でも大にかき給はん事を希望する。  僕も漾虚集丈でつきた譯でもないから是から又何ぞかく積りで居る。 以上         五月二十六日 夏目金之助      鈴木三重吉君  先日來卒業論文を漸く讀み了つた。中川のが一番えらい。あの人は勉強すると今に大學の教師として僕抔よりも遙かに適任者にない。しかも生意氣な所が毫もない。まことにゆかしい人である。只氣が弱いのが弱點である。           三六三  明治三十九年六月七日 (以下不明) 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ  昨夜君の所へ手紙をかいた處今朝君のを受けとつたから書き直す原稿料は遠慮なく御受取可然。小生抔は始めからあてにして原稿をかきます  漾虚集の誤字誤植御親切に御教示を蒙り難有候。實は僕も訂正の積で一度よんで誤の多いので驚ろいた位人が見たら定めし見苦しき事なるべし御蔭にて僕の見落したる分を大分直す事が出來て結構だ。どうか序にあとも教へて下さい  君は九月上京の事と思ふ神經衰弱は全快の事なるべく結構に候然し現下の如き愚なる間違つたる世の中には正しき人でありさへすれば必ず神經衰弱になる事と存候。是から人に逢ふ度に君は神經衰弱かときいて然りと答へたら普通の徳義心ある人間と定める事に致さうと思つてゐる  今の世に神經衰弱に罹らぬ奴は金持ちの魯鈍ものか、無教育の無良心の徒か左らずば、二十世紀の輕薄に滿足するひやうろく玉に候。  もし死ぬならば神經衰弱で死んだら名譽だらうと思ふ。時があつたら神經衰弱論を草して天下の犬どもに犬である事を自覺させてやりたいと思ふ。  大分あつたなつた。[#注記の「く」は底本では欠落]拙宅疊替なり。書齋をかへる時は大騷ぎ中川先生と今一人を手傳にたのみたいと思ふ 艸々不一         六月六日 金      三重吉樣           三六六  明治三十九年六月十九日 午後六時―七時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ [はがき]  漾虚集の誤植御報知難有候三版には大分正さねばならぬ。  神經衰弱論をかゝうと思つて居る。僕の結論によると英國人が神經衰弱で第一番に滅亡すると云ふのだが名論だらう。いづれ出たら讀んでくれ玉へ           三八九  明治三十九年八月十二日 午後十一時―十二時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より山口縣玖珂郡由宇村三國屋鈴木三重吉へ [はがき]  君は一人で大きな屋敷に居るよし。御大名の樣でよからうと思ふ。僕例の如く多忙長い手紙をかく餘暇なし。君文章をかきたいならどん/\御かきなさい。書いてわるければ其時修養がたりないとか何とかはじめてわかる也。かゝないうちはどんな名作が出來るかわからん。何でもどんどんやるべしと存候           四四〇  明治三十九年十月二十六日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區彌生町三番地小林第一支店鈴木三重吉へ [封筒表左側下に「第一信」とあり]  君の夜中にかいた手紙は今朝十一時頃よんだ。寺田も四方太もまあ御推察の通の人物でせう。松根はアレデ可愛らしい男ですよ。さうして貴族種だから上品な所がある。然しアタマは餘りよくない。さうして直むきになる。そこで四方太と逢はない。僕は何とも思はない。あれがハイカラならとくにエラクなつて居る。伯爵ノ伯父や叔母や、三井が親類でさうして三十圓の月給でキユキユしてゐるから妙だ。さうしてあの男は鷹揚である。人のうちへ來て坐り込んで飯時が來て飯を食ふに、恰も正當の事であるかの如き顏をして食ふ。「今日も時刻をハヅシテ御馳走ニナル」とか「どうも難有う御座います」とか云つた事がない。自分のうちで飯をくつた樣にしてゐるからいゝ。  君は森田の事丈は評して來ない。恐らく君に氣に入らんのだらう。あの男は松根と正反對である。一擧一動人の批判を恐れてゐる。僕は可成りあの男を反對にしやう/\と力めてゐる。近頃は漸くの事あれ丈にした。それでもまだあんなである。然るにあゝなる迄には深い源因がある。それで始めて逢つた人からは妙だが、僕からはあれが極めて自然であつて、而も大に可愛さうである。僕が森田をあんなにした責任は勿論ない。然しあれを少しでももつと鷹揚に無邪氣にして幸福にしてやりたいとのみ考へてゐる。  君をしかるつて、夫で澤山だ。そんなにほめる程の事もないが叱られる事もなからう。  僕の教訓なんて、飛んでもない事だ。僕は人の教訓になる樣な行をしては居らん。僕の行爲の三分二は皆方便的な事で他人から見れば氣違的である。それで澤山なのである。現在状態がつゞけば氣遣である。死んでから人が氣違ときめて仕舞つたつて少しも耻とも何とも思はない。現在状態が變化すれば此狂態もやめるかも知れぬ。さうしたら死んでから君子と云はれるかも知れん。つまり一人の人間がどうでもなる所が自分ながら愉快で人には分らないからいゝ。氣違にも、君子にも、學者にも一日のうちに是より以上の變化もして見せる。人が學者といふも、氣違といふも、君子と云ふも、月給さへ渡つてゐればちつとも差支ない。だから僕は僕一人の生活をやつてゐるので人に手本を示してゐるのではない。近頃の僕の所作を眞似られちや大變だ。 草々         十月二十六日 夏目金之助      鈴木三重吉樣           四四一  明治三十九年十月二十六日 (時間不明) 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區彌生町三番地小林第一支店鈴木三重吉へ [封筒表中央下に「第二信」とあり]  只一つ君に教訓したき事がある。是は僕から教へてもらつて决して損のない事である。 僕は小供のうちから青年になる迄世の中は結構なものと思つてゐた。旨いものが食へると思つてゐた。綺麗な着物がきられると思つてゐた。詩的に生活が出來てうつくしい細君がもてゝ。うつくしい家庭が〔出〕來ると思つてゐた。  もし出來なければどうかして得たいと思つてゐた。換言すれば是等の反對を出來る丈避け樣としてゐた。然る所世の中に居るうちはどこをどう避けてもそんな所はない。世の中は自己の想像とは全く正反對の現象でうづまつてゐる。  そこで吾人の世に立つ所はキタナイ者でも、不愉快なものでも、イやなものでも一切避けぬ否進んで其内へ飛び込まなければ何にも出來ぬといふ事である。  只きれいにうつくしく暮らす即ち詩人的にくらすといふ事は生活の意義の何分一か知らぬが矢張り極めて僅少な部分かと思ふ。で草枕の樣な主人公ではいけない。あれもいゝが矢張り今の世界に生存して自分のよい所を通さうとするにはどうしてもイブセン流に出なくてはいけない。  此點からいふと單に美的な文字は昔の學者が冷評した如く閑文字に歸着する。俳句趣味は此閑文字の中に逍遙して喜んで居る。然し大なる世の中はかゝる小天地に寐ころんで居る樣では到底動かせない。然も大に動かさゞるべからざる敵が前後左右にある。苟も文學を以て生命とするものならば單に美といふ丈では滿足が出來ない。丁度維新の當士勤王家が困苦をなめた樣な了見にならなくては駄目だらうと思ふ。間違つたら神經衰弱でも氣違いでも入牢でも何でもする了見でなくては文學者になれまいと思ふ。文學者はノンキに、超然と、ウツクシがつて世間と相遠かる樣な小天地ばかりに居ればそれぎりだが大きな世界に出れば只愉快を得る爲めだ抔とは云ふて居られぬ進んで苦痛を求める爲めでなくてはなるまいと思ふ。  君の趣味から云ふとオイラン憂ひ式でつまり。自分のウツクシイと思ふ事ばかりかいて、それで文學者だと澄まして居る樣になりはせぬかと思ふ。現實世界は無論さうはゆかぬ。文學世界も亦さう許りではゆくまい。かの俳句連虚子でも四方太でも此點に於ては丸で別世界の人間である。あんなの許りが文學者ではつまらない。といふて普通の小説家はあの通りである。僕は一面に於て俳諧的文學に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする樣な維新の志士の如き烈しい精神で文學をやつて見たい。それでないと何だか難をすてゝ易につき劇を厭ふて閑に走る所謂腰拔文學者の樣な氣がしてならん。  破戒にとるべき所はないが只此點に於テ他をぬく事數等であると思ふ。然し破戒ハ未ダシ。三重吉先生破戒以上の作ヲドン/\出シ玉へ 以上         十月二十六日 夏目金之助      鈴木三重吉樣           四六八  明治三十九年十二月八日 午後(以下不明) 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町福榮館鈴木三重吉へ   拜啓別紙山彦評森田白楊より送り來り候御參考の爲め入御覽候ホトヽギスを書き始めんと思へど大趣向にて纒らず切ればカタワとなる、時間はあらず困り入候 艸々         十二月八日 夏目金之助      鈴木三重吉樣           四七三  明治三十九年十二月九日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町二十七番地鳳明館中川芳太郎、鈴木三重吉へ [はがき] 僕の家主東京轉任で僕は追ひ出されるにつきよき家あれば見當り次第教へて下され 白楊先生の批評を見たりや         九日           四八六  明治三十九年十二月二十四日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町福榮館鈴木三重吉へ [はがき] 天氣ならば二十七日轉宅の筈どうか手傳に來てくれ玉へ。西片町十ロノ七ノアタリナリ。但シ千駄木へ御出張ヲ煩ハシタシ         十二月二十四日 底本:「漱石全集 第十八卷」漱石全集刊行会    1928(昭和3)年9月5日発行 ※底本(書簡集)から、明治39年の鈴木三重吉宛書簡のみを抜き出しました。 ※各書簡冒頭の番号は、底本に振られた通し番号です。 ※句点の有無は、底本通りとしました。 ※「[]」付きで添えられた底本の注は、そのまま入力しました。 ※底本で対象文字の右に添えられた、「原文通り」を意味する「原」と、「〔〕」付きで示された正しいと推定される表記を、XHTML版では、組み版通りに再現しました。 ※「漱」と「[#「漱」の「欠」に代えて「攵」]」の混在は底本通りです。 ※欠落を、「漱石全集 第十八巻」19368(昭和11)年12月10日発行を参照して、補いました。 入力:石塚一郎 校正:柳沢成雄 2002年10月12日作成 2006年6月30日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」は「/\」で表しました。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「漱」の「欠」に代えて「攵」    309-15、310-1    --> 「漱」の「欠」が「攵」    310-3    --> 夏目漱石 高浜虚子著『鶏頭』序 高浜虚子著『鶏頭』序 夏目漱石  小説の種類は分け方で色々になる。去ればこそ今日迄西洋人の作った作物を西洋人が評する場合に、便宜に応じて沢山な名をつけている。傾向小説、理想小説、浪漫派小説、写実派小説、自然派小説抔と云うのは、皆在来の述作を材料として、其著るしき特色を認めるに従って之を分類した迄である。種類は是丈で尽きたとは云えぬ。一たび見地を変れば新らしい名を発見するのは左迄困難でない。況んや向後の作物が旧来の傾向を繰返して満足せぬ限り、時と、場合と、作家の性癖と、発展の希望とによって生面を開きつつ推移する限り、何派、何主義と云う思いも寄らぬ名が続々出て来るのが当然である。  虚子の作物を一括して、是は何派に属するものだと在来ありふれた範囲内に押し込めるのは余の好まぬ所である。是は必ずしも虚子の作物が多趣多様で到底概括し得ぬからと云う意味ではない。又は虚子が空前の大才で在来西洋人の用を足して来た分類語では、其の作物に冠する資格がないと云う意味でもない。虚子の作物を読むにつけて、余は不図こんな考えが浮んだ。天下の小説を二種に区別して、其の区別に関聯して虚子の作物に説き及ぼしたらどうだろう。  所謂二種の小説とは、余裕のある小説と、余裕のない小説である。ただ是丈では殆んど要領を得ない。のみならず言句にまつわると褒貶の意を寓してあるかの様にも聞える。かたがた説明の要がある。  余裕のある小説と云うのは、名の示す如く逼らない小説である。「非常」と云う字を避けた小説である。不断着の小説である。此間中流行った言葉を拝借すると、ある人の所謂触れるとか触れぬとか云ううちで、触れない小説である。無論触れるとか触れないとか云う字が曖昧であって、しかも余は世間の人の用いる通り好加減な意味で用いて居るのだから、此字に対して明かな責任は持たない積りである。只ある人々の唱える意味に於て触れない小説と云ったら一番はや分りがするだろうと思って、曖昧ながらわざわざ此字面を拝借したのである。と云うものは、まず字の定義は御互の間に黙契があるとして、ある人々は触れなければ小説にならないと考えて居る。だから余はとくに触れない小説と云う一種の範囲を拵らえて、触れない小説も亦、触れた小説と同じく存在の権利があるのみならず、同等の成功を収め得るものだと主張するのである。  触れない小説の意味をもう少し説明しないと余の所存が貫徹しまいと思う。余は自己の考を述べて、こんな風にも小説は解釈が出来るものだと読者から認めて貰えば好い。喧嘩を売る料簡でもなし、売られた喧嘩を買う気もない。従がって思う通りを思う通りに述べて誤解のないように力めて置かなければならない。  個人の身の上でも、一国の歴史でも相互の関係(利害問題にせよ、徳義問題にせよ、其他種々な問題)から死活の大事件が起ることがある。すると渾身全国悉く其事件になり切って仕舞う。普通の人間の様に行屎走尿の用は足して居るが、用を足して居るか、居らぬか気が付かぬ位に逆上せて仕舞う。先達て友人が来てこんな話をした。小田原で暴風雨があった時、村の漁船が二三杯沖へ出て居て、どうしても濤を凌いで磯へ帰る事が出来ない。村中一人残らず渚へ出て焚火をして浮きつ沈みつする船を眺めて居る許りである。此方から繩を持って波を切って、向うの船へ投げ込んで、其繩を引いて陸へ上げるのが彼等の目的である。がそう思う様に目的は達せられんので晩からかけて翌日の午後の三時頃迄は村中浜へ総出の儘風の中、雨の中を立ち尽して居た。所が其長時間のうち誰一人として口を利いたものがない又誰一人として握り飯一つ食ったものがないとの事である。こうなると行屎走尿すら便じなくなる。余裕のない極端になる。大いに触れてくる。同時に眼前焦眉の事件以外何にも眼に這入らなくなる。世界が一本筋になる。平面になる。寝返りも出来ない様に窮屈になる。なっても構わないがそれ許りが小説になると云う議論がどうして出来る。世の中は広い。広い世の中に住み方も色々ある。其住み方の色々を随縁臨機に楽しむのも余裕である。観察するのも余裕である。味わうのも余裕である。此等の余裕を待って始めて生ずる事件なり事件に対する情緒なりは矢張依然として人生である。活溌々地の人生である。描く価値もあるし、読む価値もある。触れた小説と同じく小説になる。或人は浅いと云うかも知れない。浅いと云う点に於ては余も同感である。然し価値がないと云う意味に於て浅いと云うなら間違って居る。此場合に於ける深いとか浅いとか云うのは色の濃いとか薄いとか云うのと一般で、濃いから上等で薄いから下等と云う評価のつけられる訳のものでは勿論ない如く毫も作物を高下する索引にはならないのである。  護謨を延ばして、今少し引っ張ると切れると云う所迄構わず持って行く。悪いとは云わない。然し此所迄引っ張ってぴんとさせなくっちゃ駄目だよと云うに至っては、緊張の趣は解して居るが雍容の味は解し得ない人だと云われても仕方がない。のびない護謨もゆとりがあって面白いと云う人を屈服させる訳には行かない。  茶を品し花に灌ぐのも余裕である。冗談を云うのも余裕である。絵画彫刻に間を遣るのも余裕である。釣も謡も芝居も避暑も湯治も余裕である。日露戦争の永続せざる限り、世間がボルクマンの様な人間で充満しない限りは余裕だらけである。而して吾人も已を得ざる場合の外は此余裕を喜ぶものである。従って此等の余裕より生ずる材料は皆小説となって適当である。(喜ぶから小説になると云うと小説は娯楽の為めと云う意味になる。此を詳しく説明しようとすると小説の目的と云う議論になる。機会を見て余は此点に関する自己の意見を述べたいと思うが、今は詳説する遑がないから別に云わぬ。只小説は娯楽を目的にしてはならぬと云う議論は成立せぬ。従って娯楽も亦小説の一目的として存在し得るものだと許り一言して置く。)  以上は余裕ある小説の説明である。既に余裕ある小説を説明した以上は余裕なき小説も大概其意味が分った筈であるが。一言にして云うとセッパ詰った小説を云うのである。息の塞る様な小説を云うのである。一毫も道草を食ったり寄道をして油を売ってはならぬ小説を云うのである。呑気な分子、気楽な要素のない小説を云うのである。たとえばイブセンの脚本を小説に直した様なものを云うのである。大いに触れたものを云うのである。所謂イブセンの書いたもの抔は先ず吾人の一生の浮沈に関する様な非常な大問題をつらまえて来て其問題の解決がしてある。しかも其解決が普通の我々が解決する様な月並でなくってへえと驚ろく様な解決をさせる事がある。人は之を称して第一義の道念に触れるとも、人生の根元に徹するとも評して居る。成程吾々凡人より高く一隻眼を具して居ないとあんな御手際は覚束ない。只此点丈でも敬服の至りである。然し斯様に百尺竿頭に一歩を進めた解決をさせたり、月並を離れた活動を演出させたり、篇中の性格を裏返しにして人間の腹の底にはこんな妙なものが潜んで居ると云う事を読者に示そうとするには勢い篇中の人物を度外れな境界に置かねばならない。余裕をなくなさなくってはならない。セッパ詰らせなくってはいけない。そこで大抵は死活問題が出てくる。一世の浮沈問題が持ち上がって来る。(必ずとは云えない。人間は一寸風を引いたのが動機になって内的生活に一革命を起さぬとは限らぬ。然し大体の傾向はと云うと以上の如くである。)  斯様に小説を二つに分けて見た所で虚子の小説はどっちに属するかと云うと先ず前者即ち余裕のある方面に属すると思う。其余裕のある所が、ある一派の人から見て気に入らぬ所であろうと思われる。だからどんな所に余裕があると云う事を説明したらば、是等の人々の誤解を防いで、幾分か虚子の長所を発揮する方便になるだろうと思う。之を説明するには例を引くのが早分りである。  文章に低徊趣味と云う一種の趣味がある。是は便宜の為め余の製造した言語であるから他人には解り様がなかろうが先ず一と口に云うと一事に即し一物に倒して、独特もしくは連想の興味を起して、左から眺めたり右から眺めたりして容易に去り難いと云う風な趣味を指すのである。だから低徊趣味と云わないでも依々趣味、恋々趣味と云ってもよい。所が此趣味は名前のあらわす如く出来る丈長く一つ所に佇立する趣味であるから一方から云えば容易に進行せぬ趣味である。換言すれば余裕がある人でなければ出来ない趣味である。間人が買物に出ると途中で引かかる。交番の前で鼠をぶら下げて居る小僧を見たり、天狗連の御浚えを聴いたりして肝腎の買物は中々弁じない。所が忙がしい人になると、そんな余裕はない。買物に出たら買物が目的である。買物さえ買えば、それで目的は達せられたのである。小説も其通りである。篇中の人物の運命、ことに死ぬるか活きるかと云う運命丈に興味を置いて居ると自然と余裕はなくなってくる。従ってセッパ詰って低徊趣味は減じて来る。  そこで低徊趣味も客観的とか主観的とか区別すれば色々になるが、それは面倒だから暫らく云わぬとしても、虚子の小説には此余裕から生ずる低徊趣味が多いかと思う。或人は云うかも知らぬ虚子の小説は皆短篇である。所謂低徊趣味は長篇ならば兎に角、こんな短かいものにそんな趣味のあらわれる訳がないと。所が事実は反対である。長いものになると、そう単調に進行する事が出来んから、自然だれの作物でも余事が混入してくるし、又頁の数から云っても余裕は出来易い。だから長篇ものに所々此趣味が散点して居ても、取り立ててこれが作者の趣味だと言い切る訳には行かない。所が短篇ものになると頁数に限りがある。其限りがあるうちで人の眼につく様に此趣味を出すと云えば作者の嗜好は判然として争うべき余地はない。  虚子の風流懺法には子坊主が出てくる。所が此小坊主がどうしたとか、こうしたとか云うよりも祇園の茶屋で歌をうたったり、酒を飲んだり、仲居が緋の前垂を掛けて居たり、舞子が京都風に帯を結んで居たりするのが眼につく。言葉を換えると、虚子は小坊主の運命がどう変ったとか、どうなって行くとか云う問題よりも妓楼一夕の光景に深い興味を有って、其光景を思い浮べて恋々たるのである。此光景を虚子と共に味わう気がなくっては、始から風流懺法は物にならん。斑鳩物語も其の通である。所は奈良で、物寂びた春の宿に梭の音が聞えると云う光景が眼前に浮んで飽く迄これに耽り得る丈の趣味を持って居ないと面白くない。お道さんとか云う女がどうしましたねとお道さんの運命ばかり気にして居ては極めて詰らない。楽屋も其通り。なかに出てくる吉野さんよりも能の楽屋の景色や照葉狂言の楽屋の景色其物に興味がないと極めて物足らない小説になるかも知れぬ。勝敗は多少意味が違うが兎に角腕白な子供と爺さんの対話其物に低徊拍掌の感を起さなくては意味さえ分らなくなる。子供と爺さんが夫から先どうなったにも、こうなったにも丸で頭も尻尾もありゃしない。八文字に至っては其極端である。  こう云う立場からして読んで見ると虚子の小説は面白い所がある。我々が気の付かない所や言い得ない様な所に低徊趣味を発揮して居る。此集には見えないが京の隧道を舟で抜ける所抔は未だに余が頭に残って居る。其代り人間の運命と云う事を主にして見ると、あまり成功して居らん。只大内旅宿丈はうまく出来て居る。然しここには低徊趣味が全然欠乏している。(なぜ大内旅宿が成功して居るかを説明したいが、長くなるからやめる。大内旅宿抔は無余裕派の人で一言も批評をした事がない様であるが、あれは一見平凡な運命をかいたようで、そのうちに大いなる曲折と出来る限りの複雑の度を含んで居る。それであれ程の頁で済んで居るから低徊趣味のないのも無理はない。)  余は小説を区別して余裕派と非余裕派としてイブセンを後者の例に引いた。で前云った通り此種の小説の特色としては人生の死活問題を拉し来って、切実なる運命の極致を写すのを特色とする。読者は此点を挙げて此種の作物を謳歌し、余も亦此点に於て此種の作物に敬服する。所で此種の作物に対する賞讃の辞を聞くと第一義とか、意味が深いとか、痛切とか、深刻とか云って居る。余は此賞讃の辞に対して是非を争う料簡はない。ないがこれが小説の極致であるかと問われると、そうさなと首を傾けざるを得ない。成程是等の作物は第一義の道念に触れて居るかも知れぬ。然し其第一義というのは生死界中に在っての第一義である。どうしても生死を脱離し得ぬ煩脳底の第一義である。人生観が是より以上に上れぬとすると是が絶対的に第一義かも知れぬが、もし生死の関門を打破して二者を眼中に措かぬ人生観が成立し得るとすると今の所謂第一義は却って第二義に堕在するかも知れぬ。俳味禅味の論がここで生ずる。  余は禅というものを知らない。昔し鎌倉の宗演和尚に参して父母未生以前本来の面目はなんだと聞かれてがんと参ったぎりまだ本来の面目に御目に懸った事のない門外漢である。だからここに禅味抔という問題を出すのは自分が禅を心得て居るから云うのではない。智識のかいたものに悟とはこんなものであるとあるから果してそんなものなら、こう云う人生観が出来るだろう。こう云う人生観が出来るならば小説もこんな態度にかけるだろうと論ずるまでである。  禅坊主の書いた法語とか語録とか云うものを見ると魚が木に登ったり牛が水底をあるいたり怪しからん事許りであるうちに、一貫して斯う云う事がある。着衣喫飯の主人公たる我は何物ぞと考え考えて煎じ詰めてくると、仕舞には、自分と世界との障壁がなくなって天地が一枚で出来た様な虚霊皎潔な心持になる。それでも構わず元来吾輩は何だと考えて行くと、もう絶体絶命にっちもさっちも行かなくなる、其所を無理にぐいぐい考えると突然と爆発して自分が判然と分る。分るとこうなる。自分は元来生れたのでもなかった。又死ぬものでもなかった。増しもせぬ、減りもせぬ何んだか訳の分らないものだ。  しばらく彼等の云う事を事実として見ると、所謂生死の現象は夢の様なものである。生きて居たとて夢である。死んだとて夢である。生死とも夢である以上は生死界中に起る問題は如何に重要な問題でも如何に痛切な問題でも夢の様な問題で、夢の様な問題以上には登らぬ訳である。従って生死界中にあって最も意味の深い、最も第一義なる問題は悉く其光輝を失ってくる。殺されても怖くなくなる。金を貰っても難有くなくなる。辱しめられても恥とは思わなくなる。と云うものは凡て是等の現象界の奥に自己の本体はあって、此流俗と浮沈するのは徹底に浮沈するのではない。しばらく冗談半分に浮沈して居るのである。いくら猛烈に怒っても、いくらひいひい泣いても、怒りが行き留りではない、涙が突き当りではない。奥にちゃんと立ち退き場がある。いざとなれば此立退場へいつでも帰られる。しかも此立退場は不増である。不減である。いくら天下様の御威光でも手のつけ様のない安全な立退場である。此立退場を有って居る人の喜怒哀楽と、有たない人の喜怒哀楽とは人から見たら一様かも知れないが之を起す人之を受ける人から云うと莫大な相違がある。従って流俗で云う第一義の問題も此見地に住する人から云うと第二義以下に堕ちて仕舞う。従がって我等から云ってセッパ詰った問題も此人等から云うと余裕のある問題になる。  所謂禅味と云うものを解釈した人があるかないか知らないが、禅坊主の趣味だから禅味と云うのだろう。そうして禅坊主の悟りと云うものが彼等の云う通りのものであったなら余の解釈に間違はなかろうと思う。して見ると禅味と云う事は暗に余裕のある文学と云う意味に一致する。そうしてその余裕は生死以上に第一義を置くから出てくる。  余は虚子の小説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは果して前条の如く禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。只世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従がって所謂俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに方っては是丈の事を述べる必要があると思う。  尤も虚子もよく移る人である。現に集中でも秋風なんと云うのは大分風が違って居る。それでも比較的痛切な題目に対する虚子の叙述的態度は依然として余裕がある様である。虚子は畢竟余裕のある人かも知れない。   明治四十年十一月 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 ※底本はこの作品で「門<日」と「門<月」を使い分けており、「間《かん》を遣《や》る」と「間人《かんじん》」には、「門<月」をあてている。「門<月」は「閑」の意味で使用されている。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2003年5月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 『土』に就て 『土』に就て ――長塚節著『土』序―― 夏目漱石 「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。そうして其責任者は余であった。所が不幸にも余は「土」の完結を見ないうちに病気に罹って、新聞を手にする自由を失ったぎり、又「土」の作者を思い出す機会を有たなかった。  当初五六十回の予定であった「土」は、同時に意外の長篇として発達していた。途中で話の緒口を忘れた余は、再びそれを取り上げて、矢鱈な区切から改めて読み出す勇気を鼓舞しにくかったので、つい夫限に打ち遣ったようなものの、腹のなかでは私かに作者の根気と精力に驚ろいていた。「土」は何でも百五六十回に至って漸く結末に達したのである。  冷淡な世間と多忙な余は其後久しく「土」の事を忘れていた。所がある時此間亡くなった池辺君に会って偶然話頭が小説に及んだ折、池辺君は何故「土」は出版にならないのだろうと云って、大分長塚君の作を褒めていた。池辺君は其当時「朝日」の主筆だったので「土」は始から仕舞迄眼を通したのである。其上池辺君は自分で文学を知らないと云いながら、其実摯実な批評眼をもって「土」を根気よく読み通したのである。余は出版界の不景気のために「土」の単行本が出る時機がまだ来ないのだろうと答えて置いた。其時心のうちでは、随分「土」に比べると詰らないものも公けにされる今日だから、出来るなら何時か書物に纏めて置いたら作者の為に好かろうと思ったが、不親切な余は其日が過ぎると、又「土」の事を丸で忘れて仕舞った。  すると此春になって長塚君が突然尋ねて来て、漸く本屋が「土」を引受ける事になったから、序を書いて呉れまいかという依頼である。余は其時自分の小説を毎日一回ずつ書いていたので、「土」を読み返す暇がなかった。已を得ず自分の仕事が済む迄待ってくれと答えた。すると長塚君は池辺君の序も欲しいから序でに紹介して貰いたいと云うので、余はすぐ承知した。余の名刺を持って「土」の作者が池辺君の玄関に立ったのは、池辺君の母堂が死んで丁度三十五日に相当する日とかで、長塚君はただ立ちながら用事丈を頼んで帰ったそうであるが、それから三日して肝心の池辺君も突然亡くなって仕舞ったから、同君の序はとうとう手に入らなかったのである。  余は「彼岸過迄」を片付けるや否や前約を踏んで「土」の校正刷を読み出した。思ったよりも長篇なので、前後半日と中一日を丸潰しにして漸く業を卒えて考えて見ると、中々骨の折れた作物である。余は元来が安価な人間であるから、大抵の人のものを見ると、すぐ感心したがる癖があるが、此「土」に於ても全くそうであった。先ず何よりも先に、是は到底余に書けるものでないと思った。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだろうと物色して見た。すると矢張誰にも書けそうにないという結論に達した。  尤も誰にも書けないと云うのは、文を遣る技倆の点や、人間を活躍させる天賦の力を指すのではない。もし夫れ丈の意味で誰も長塚君に及ばないというなら、一方では他の作家を侮辱した言葉にもなり、又一方では長塚君を担ぎ過ぎる策略とも取れて、何方にしても作者の迷惑になる計である。余の誰も及ばないというのは、作物中に書いてある事件なり天然なりが、まだ長塚君以外の人の研究に上っていないという意味なのである。 「土」の中に出て来る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、ただ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同様に憐れな百姓の生活である。先祖以来茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多数の小作人を使用する長塚君は、彼等の獣類に近き、恐るべく困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠実に此「土」の中に収め尽したのである。彼等の下卑で、浅薄で、迷信が強くて、無邪気で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆んど余等(今の文壇の作家を悉く含む)の想像にさえ上りがたい所を、ありありと眼に映るように描写したのが「土」である。そうして「土」は長塚君以外に何人も手を着けられ得ない、苦しい百姓生活の、最も獣類に接近した部分を、精細に直叙したものであるから、誰も及ばないと云うのである。  人事を離れた天然に就いても、前同様の批評を如何な読者も容易に肯わなければ済まぬ程、作者は鬼怒川沿岸の景色や、空や、春や、秋や、雪や風を綿密に研究している。畠のもの、畔に立つ榛の木、蛙の声、鳥の音、苟くも彼の郷土に存在する自然なら、一点一画の微に至る迄悉く其地方の特色を具えて叙述の筆に上っている。だから何処に何う出て来ても必ず独特である。其独特な点を、普通の作家の手に成った自然の描写の平凡なのに比べて、余は誰も及ばないというのである。余は彼の独特なのに敬服しながら、そのあまりに精細過ぎて、話の筋を往々にして殺して仕舞う失敗を歎じた位、彼は精緻な自然の観察者である。  作としての「土」は、寧ろ苦しい読みものである。決して面白いから読めとは云い悪い。第一に作中の人物の使う言葉が余等には余り縁の遠い方言から成り立っている。第二に結構が大きい割に、年代が前後数年にわたる割に、周囲に平たく発達したがる話が、筋をくっきりと描いて深くなりつつ前へ進んで行かない。だから全体として読者に加速度の興味を与えない。だから事件が錯綜纏綿して縺れながら読者をぐいぐい引込んで行くよりも、其地方の年中行事を怠りなく丹念に平叙して行くうちに、作者の拵らえた人物が断続的に活躍すると云った方が適当になって来る。其所に聊か人を魅する牽引力を失う恐が潜んでいるという意味でも読みづらい。然し是等は単に皮相の意味に於て読みづらいので、余の所謂読みづらいという本意は、篇中の人物の心なり行なりが、ただ圧迫と不安と苦痛を読者に与える丈で、毫も神の作ってくれた幸福な人間であるという刺戟と安慰を与え得ないからである。悲劇は恐しいに違ない。けれども普通の悲劇のうちには悲しい以外に何かの償いがあるので、読者は涙の犠牲を喜こぶのである。が、「土」に至っては涙さえ出されない苦しさである。雨の降らない代りに生涯照りっこない天気と同じ苦痛である。ただ土の下へ心が沈む丈で、人情から云っても道義心から云っても、殆んど此圧迫の賠償として何物も与えられていない。ただ土を掘り下げて暗い中へ落ちて行く丈である。 「土」を読むものは、屹度自分も泥の中を引き摺られるような気がするだろう。余もそう云う感じがした。或者は何故長塚君はこんな読みづらいものを書いたのだと疑がうかも知れない。そんな人に対して余はただ一言、斯様な生活をして居る人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舎に住んで居るという悲惨な事実を、ひしと一度は胸の底に抱き締めて見たら、公等の是から先の人生観の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの参考として利益を与えはしまいかと聞きたい。余はとくに歓楽に憧憬する若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して、此「土」を読む勇気を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募る時分になったら、余は是非此「土」を読ましたいと思って居る。娘は屹度厭だというに違ない。より多くの興味を感ずる恋愛小説と取り換えて呉れというに違ない。けれども余は其時娘に向って、面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたいと思って居る。参考の為だから、世間を知る為だから、知って己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる為だから我慢して読めと忠告したいと思って居る。何も考えずに暖かく成長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心や宗教心は、皆此暗い影の奥から射して来るのだと余は固く信じて居るからである。  長塚君の書き方は何処迄も沈着である。其人物は皆有の儘である。話の筋は全く自然である。余が「土」を「朝日」に載せ始めた時、北の方のSという人がわざわざ書を余のもとに寄せて、長塚君が旅行して彼と面会した折の議論を報じた事がある。長塚君は余の「朝日」に書いた「満韓ところどころ」というものをSの所で一回読んで、漱石という男は人を馬鹿にして居るといって大いに憤慨したそうである。漱石に限らず一体「朝日新聞」の記者の書き振りは皆人を馬鹿にして居ると云って罵ったそうである。成程真面目に老成した、殆んど厳粛という文字を以て形容して然るべき「土」を書いた、長塚君としては尤もの事である。「満韓ところどころ」抔が君の気色を害したのは左もあるべきだと思う。然し君から軽佻の疑を受けた余にも、真面目な「土」を読む眼はあるのである。だから此序を書くのである。長塚君はたまたま「満韓ところどころ」の一回を見て余の浮薄を憤ったのだろうが、同じ余の手になった外のものに偶然眼を触れたら、或は反対の感を起すかも知れない。もし余が徹頭徹尾「満韓ところどころ」のうちで、長塚君の気に入らない一回を以て終始するならば、到底長塚君の「土」の為に是程言辞を費やす事は出来ない理窟だからである。  長塚君は不幸にして喉頭結核にかかって、此間迄東京で入院生活をして居たが、今は養生旁旅行の途にある。先達てかねて紹介して置いた福岡大学の久保博士からの来書に、長塚君が診察を依頼に見えたとあるから、今頃は九州に居るだろう。余は出版の時機に後れないで、病中の君の為に、「土」に就いて是丈の事を言い得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを読む義務はないと云ったと、わざわざ余に報知して来たものがあった。此時余は此文士は何の為に罪もない「土」の作家を侮辱するのだろうと思って苦々しい不愉快を感じた。理窟から云って、読まねばならない義務のある小説というものは、其小説の校正者か、内務省の検閲官以外にそうあろう筈がない。わざわざ断わらんでも厭なら厭で黙って読まずに居れば夫迄である。もし又名の知れない人の書いたものだから読む義務はないと云うなら、其人は只名前丈で小説を読む、内容などには頓着しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に対して、たとい無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があって然るべきだと思う。余は「土」の作者が病気だから、此場合には猶お更らそう云いたいのである。   明治四十五年五月 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 岡本一平著並画『探訪画趣』序 岡本一平著並画『探訪画趣』序 夏目漱石  私は朝日新聞に出るあなたの描いた漫画に多大な興味を有っている一人であります。いつか社の鎌田君に其話をして、あれなりにして捨ててしまうのは惜しいものだ、今のうちに纏めて出版したら可かろうにと云った事があります。其後あなた自身が見えた時、私はあなたに自分の描いたものはみんな保存してあるでしょうねと聞いたら、あなたは大抵散逸してしまったように答えられたので私は驚ろきました。尤もそういう私も随分無頓着な方で、俳句などになると、作れば作ったなりで、手帳にも何にも書き留めて置かないために、一寸短冊などを突きつけられて、忘れたものを思い出すのに骨の折れる場合もありますが、それは私がその道に重きを置いていない結果だから、仕方がありませんが、貴方の画は私の俳句よりも大事にして然るべきだと私はかねてから思っていたのだから、それを揃えて置かない貴方の料簡が私には解らなかったのです。  あなたは私に云われて始めて気が付いたように工場の中を探し廻ったというじゃありませんか。そうして漸くそれを出版する丈に纏めたのだそうですね。左右なればあなたの労力が単独に世間に紹介されるという点に於て、あなたも満足でしょう、最初勧誘した責任のある私も喜ばしく思います。私ばかりではありません、世の中には私と同感のものがまだ沢山あるに違ないのです。  普通漫画というものには二た通りあるようです。一つは世間の事相に頓着しない芸術家自身の趣味なり嗜好なりを表現するもので、一つは時事につれて其日々々の出来事を、ある意味の記事同様に描き去るのです。時と推し移る新聞には、無論後者の方が大切でしょうが、あなたはその方面に於ての成功者じゃなかろうかと私は考えるのです。私が最初あなたに勧めて、年中行事というようなものを順次にならべて一巻にしたら何うだろうと云ったのは、是がためなのです。見る人は無論あなたの画から、何時何んな事があったかの記憶を心のうちに呼び起すでしょう、しかも貴方の表現したような特別な観察点に立って、自分がいまだかつて経験しなかったような記憶を新らしくするでしょう。此二つの記憶が経となり緯となって、ただでは得られない愉快が頭の中に満ちて来るかも知れません。忙がしい我々は毎日々々蛇が衣を脱ぐように、我々の過去を未練なく脱いで、ひたすら先へ先へと進むようですが、たまには落ち付いて今迄通って来た途を振り向きたくなるものです。其時茫然と考えている丈では、眼に映る過去は、映らない時と大差なき位に、貧弱なものであります。あなたの太い線、大きな手、変な顔、すべてあなたに特有な形で描かれた簡単な画は、其時我々に過去は斯んなものだと教えて呉れるのです。過去はこれ程馬鹿気て、愉快で、変てこに滑稽に通過されたのだと教えて呉れるのです。我々は落付いた眼に笑を湛えて又齷齪と先へ進む事が出来ます。あなたの観察に皮肉はありますが、苦々しい所はないのですから。  もう一つあなたの特色を挙げて見ると、普通の画家は画になる所さえ見付ければ、それですぐ筆を執ります。あなたは左右でないようです。あなたの画には必ず解題が付いています。そうして其解題の文章が大変器用で面白く書けています。あるものになると、画よりも文章の方が優っているように思われるのさえあります。あなたは東京の下町で育ったから、斯ういう風に文章が軽く書きこなされるのかも知れませんが、いくら文章を書く腕があっても、画が其腕を抑えて働らかせないような性質のものならそれ迄です。面白い絵説の書ける筈はありません。だから貴方は画題を選ぶ眼で、同時に文章になる画を描いたと云わなければなりません。その点になると、今の日本の漫画家にあなたのようなものは一人もないと云っても誇張ではありますまい。私は此絵と文とをうまく調和させる力を一層拡大して、大正の風俗とか東京名所とかいう大きな書物を、あなたに書いて頂きたいような気がするのです。   六月十五日 夏目金之助    岡本一平様 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 ※吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、1914(大正3)年6月15日。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2002年5月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 木下杢太郎著『唐草表紙』序 木下杢太郎著『唐草表紙』序 夏目漱石  私は貴方から送って下さった校正刷五百八十頁を今日漸く読み了りました。漸くというと厭々読んだように聞こえるかも知れませんが、決してそんな訳ではないのです。多大の興味ばかりか、其興味に伴う利益をも受けながら、楽しく読み了ったのです。実をいうと私の都合もあり、又活字組込の関係もありして、長短十八篇の間を休み休み通り抜けたのは、批評を依頼した貴方にも御気の毒ですし、またそれを御約束した私にも多少の不便は出て来たに相違ありませんが、此陥欠を避ける手段は御互になかったのですから、それは双方で我慢する事にして、私の御作に対するざっとした考え丈を申し上げます。  まずあなたの特色として第一に私の眼に映ったのは、饒かな情緒を濃やかにしかも霧か霞のように、ぼうっと写し出す御手際です。何故ぼうっとしているかというと、あなたの筆が充分に冴えているに拘わらず、あなたの描く景色なり、小道具なりが、朧月の暈のように何等か詩的な聯想をフリンジに帯びて、其本体と共に、読者の胸に流れ込むからです。私は特に流れ込むという言葉を此所に用いました。もともと淡い影のような像ですから、胸を突つくのでも、鋭く刺すのでもない様です。あなたの書いたもののうちには、人が気狂になる所があります。人が短刀で自殺する所も、短銃で死ぬ所もあります。是等は大概裏から書くか、又は極簡単に叙し去って仕舞われるので、当り前の場合でも、それ程苦痛に近い強烈な刺戟を読者に与えないかも知れませんが、それでも、若し以上に述べたような詩的の雰囲気の中で事が起らなかったなら、ああした淡い好い感じは与えられますまい。  此ぼうっとした印象が、美的な快感を損わない程度の軽い哀愁として、読者の胸にいつの間にか忍び込む理由を、客観的に翻訳すると色々な物象として排列されます。其内で私は歴史的に読者の過去を蕩揺する、草双紙とか、薄暗い倉とか、古臭い行灯とか、または旧幕時代から連綿とつづいている旧家とか、温泉場とかを第一に挙げたいと思います。過去はぼんやりしたものです。そうして何処かに懐かしい匂いを持っています。あなたはそれを巧に使いこなして居るのでしょう。  単に歴史上の過去ばかりではありません、あなたは自分の幼時の追憶を、今から回顧して忘れられない美くしい夢のように叙述しています。私は一、二、三、四、と段々読んで行くうちに此種の情調が、私の周囲を蜘蛛の糸の如く取り巻いて、散文的な私を、何時の間にか夢幻の世界に連れ込んで行ったのをよく記憶しています。私の心は次第々々に其中に引き込まれて、遂に「珊瑚樹の根付」迄行って全くあなたの為に擒にされて仕舞ったのです。だから幼時の記憶として其儘を叙述していない「夷講の夜の事であった」に至って却って失望しようとしたのです。  私は此種の筆致を解剖して第二番目に遠くに聞こえる物売の声だの、ハーモニカの節だの、按摩の笛の音だのを挙げたいと思います。凡て声は聴いているうちにすぐ消えるのが常です。だから其所には現在がすぐ過去に変化する無常の観念が潜んでいます。そうして其過去が過去となりつつも、猶意識の端に幽霊のような朧気な姿となって佇立んでいて、現在と結び付いているのです。声が一種切り捨てられない夢幻的な情調を構成するのは是が為ではないでしょうか。新内とか端唄とか歌沢とか浄瑠璃とか、凡てあなたのよく道具に使われる音楽が、其上に専門的な趣をもって、読者の心を軽く且つ哀れに動かすのは勿論の事ですから申し上げる必要もないでしょう。然しあまり自分の好尚に溺れて遣り過ぎた痕迹を残したのもないとは云われません。第一編の「硝子問屋」の中にはその筆があまり濃く出過ぎてはいますまいか。  叙景に於てもあなたは矢張り同じ筆法で読者の眼を朦朧と惹き付ける事が好であるように見受けました。要するに水でも樹でも、人の顔でも凡てあなたの眼にうつるものは、決して彫刻的にあなたを刺戟していないように見えます。全く絵画的にあなたの眸を彩どるのだろうと思います。しかもアンプレショニストのそれの如く極めて柔かです。そうして何処かに判然しないチャームを持っています。だから私は「荒布橋」の冒頭に出てくる燕の飛ぶ様子や、「夷講」の酒宴の有様を叙するくだりに出会った時、大変驚ろいたのです。二つのものは平生のあなたの筆で書きこなされたものとは思えない位硬いのです。  要するに貴方の小説に有り余る程出てくるのは一種独特のムードでしょう。だから夫がまとまらない上に、筋が通らないとか、又は主人公の哲学観などが露骨に出てくると、一方が一方を殺して、少し平生の御手際に似合わない段違いのものが出来はしまいかと疑われます。「荒布橋」とか、「岡田君の日記」とか、「六月の夜」の一部分とかになると、其所に手荒で変に不調和なものが露われているようです。其代りよし気分丈のものでも筋のまとまらない「河岸の夜」といったような、(其中には六ずかしい議論も織り込まれてはいるが)ただ装飾的で左程他の情緒をそそる事の出来ないものもあると申し添えなければならなくなります。悪口の序だから、「北より南へ」という短篇の評も此処に付け加えて置きたいと思います。ああ云った調子のものは、アナトール・フランスの短篇に沢山あります。そうして遺憾ながら彼の方が貴方よりずっと旨いと思います。  あなたの作に就いて情調とか、ムードとか云うものを挙げて、それを具合好く説明すれば、既に大半の批評は出来上ったように考えられるのですが、其ムードを作り上げるために、河岸の寿司屋とか、通りの丸花とか、乃至は坊間の音曲など丈が道具になっているという意味では決してないのです。あなたの書き下す人間が、人間として一人前に活動しつつ、同時に其一篇のムードを構成している事は疑もない事実です。亮さんでも、京さんでも、彼等のする事は皆此両様の主意を同時に満足させてるではありませんか。「三人の従兄弟」などになると、其上に又親父さんの青年に対する反抗的な感情が一篇の主意もしくは哲理として後の方に出ています。  次にあなたの理解力に就いて一言其特色を述べたいと思います。あなたの頭の働らきは全く科学的でありながら、其濃やかな点が、あなたの情緒の描写によく調和して、綿密によく行き渡っています。そうして不思議にもそれが普通のありふれた作物のように、くだくだしくならないのです。いくら微細な心的現象の解剖でも、又は外観からくる人間の精密な描写でも、決して干乾びていません。必ず委曲要領をつくすのみならず、其所にあなたの独得の一種の趣が漂っているのです。私の見る所によると其趣はあなたの観察が突飛に走らない程度で、場合々々に適当な新らしい刺戟を読者に与え得るからだろうと思います。「霊岸島の自殺」や「船室」の前半の如きは、その方面のいい作例と見て差支ないでしょう。ことに前者に於て、ある男とある女の性的関係の階級等差が、あれ程細かく書いてありながら、些とも卑猥な心持を起させずに、ただ精緻な観察其物として、他をぐいぐい引き付けて行く処などは、何うしても旨いと云わなければなりません。此小説は主人公が東京へ出てからの心の変化に、前半程緻密な且つ穏当な、芸術的描写が欠けているため、多少のむらがあると思いますが、世間でいう小説の意味から批判すると、或は圧巻の作かも知れません。  要するに貴方の書き方は絹漉し豆腐のように、又婦人の餅肌のように柔らかなのです、上部ばかり手触りが好いのかと思うと、中味迄ふくふくしているのです。線でいうと、外の人の文章が直線で出来ているのに反して、あなたのは何処も婉曲な曲線の配合で成り立っているような気がします。しかも其曲線のカーヴが非常に細かいのです。外の人が一尺で継ぎ易える所を、あなたは僅か一寸か二寸の長さで細かに調子よく継ぎ足しては前へ進んで行くとしか形容出来ません。其所にあなたの作物には、他に発見する事の出来ないデリケートな美くしさが伏在しているのでしょう。もう一つ比喩を改めて云えば、あなたの文章は楷書でなくって悉く草書です。それも懐素のような奇怪な又飄逸なものではありません、もっと柔らかに、もっと穏やかに、そうして時々粋な所を仄かすといったような草書です。  此冗長な手紙が、もし貴方の小説集の序文として御役に立つならば何うぞ御使い下さい。私は貴方に対する愉快な義務として、それを認めたのですから。   一月十八日夜 夏目金之助    木下杢太郎様 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房    1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 ※吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、1915(大正4)年2月。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2003年5月11日修正 青空文庫作成ファイル:※底本では、促音、拗音のふりがなは普通の大きさの仮名になっている。(校正者記す) このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 『吾輩は猫である』中篇自序 『吾輩は猫である』中篇自序 夏目漱石 「猫」の稿を継ぐときには、大抵初篇と同じ程な枚数に筆を擱いて、上下二冊の単行本にしようと思って居た。所が何かの都合で頁が少し延びたので書肆は上中下にしたいと申出た。其辺は営業上の関係で、著作者たる余には何等の影響もない事だから、それも善かろうと同意して、先ず是丈を中篇として発行する事にした。  そこで序をかくときに不図思い出した事がある。余が倫敦に居るとき、忘友子規の病を慰める為め、当時彼地の模様をかいて遙々と二三回長い消息をした。無聊に苦んで居た子規は余の書翰を見て大に面白かったと見えて、多忙の所を気の毒だが、もう一度何か書いてくれまいかとの依頼をよこした。此時子規は余程の重体で、手紙の文句も頗る悲酸であったから、情誼上何か認めてやりたいとは思ったものの、こちらも遊んで居る身分ではなし、そう面白い種をあさってあるく様な閑日月もなかったから、つい其儘にして居るうちに子規は死んで仕舞った。  筺底から出して見ると、其手紙にはこうある。  僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雑誌ヘモ少シモ書カヌ。手紙ハ一切廃止。ソレダカラ御無沙汰シテマス。今夜ハフト思イツイテ特別ニ手紙ヲカク。イツカヨコシテクレタ君ノ手紙ハ非常ニ面白カッタ。近来僕ヲ喜バセタ者ノ随一ダ。僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガッテ居タノハ君モ知ッテルダロー。夫ガ病人ニナッテシマッタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヨウナ気ニナッテ愉快デタマラヌ。若シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)  画ハガキモ慥ニ受取タ。倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ。  不折ハ今巴里ニ居テコーランノ処ヘ通ッテ居ルソウジャナイカ。君ニ逢ウタラ鰹節一本贈ルナドトイウテ居タガ、モーソンナ者ハ食ウテシマッテアルマイ。  虚子ハ男子ヲ挙ゲタ。僕ガ年尾トツケテヤッタ。  錬郷死ニ非風死ニ皆僕ヨリ先ニ死ンデシマッタ。  僕ハ迚モ君ニ再会スルハ出来ヌト思ウ。万一出来タトシテモ其時ハ話モ出来ナクナッテルデアロー。実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ。僕ノ日記ニハ「古白曰来」ノ四字ガ特書シテアル処ガアル。  書キタイハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉エ。   明治卅四年十一月六日灯下ニ書ス 東京 子規 拝   倫敦ニテ    漱石 兄  此手紙は美濃紙へ行書でかいてある。筆力は垂死の病人とは思えぬ程慥である。余は此手紙を見る度に何だか故人に対して済まぬ事をしたような気がする。書きたいことは多いが苦しいから許してくれ玉えとある文句は露佯りのない所だが、書きたいことは書きたいが、忙がしいから許してくれ玉えと云う余の返事には少々の遁辞が這入って居る。憐れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、待ち暮らした甲斐もなく呼吸を引き取ったのである。  子規はにくい男である。嘗て墨汁一滴か何かの中に、独乙では姉崎や、藤代が独乙語で演説をして大喝采を博しているのに漱石は倫敦の片田舎の下宿に燻って、婆さんからいじめられていると云う様な事をかいた。こんな事をかくときは、にくい男だが、書きたいことは多いが、苦しいから許してくれ玉え抔と云われると気の毒で堪らない。余は子規に対して此気の毒を晴らさないうちに、とうとう彼を殺して仕舞った。  子規がいきて居たら「猫」を読んで何と云うか知らぬ。或は倫敦消息は読みたいが「猫」は御免だと逃げるかも分らない。然し「猫」は余を有名にした第一の作物である。有名になった事が左程の自慢にはならぬが、墨汁一滴のうちで暗に余を激励した故人に対しては、此作を地下に寄するのが或は恰好かも知れぬ。季子は剣を墓にかけて、故人の意に酬いたと云うから、余も亦「猫」を碣頭に献じて、往日の気の毒を五年後の今日に晴そうと思う。  子規は死ぬ時に糸瓜の句を咏んで死んだ男である。だから世人は子規の忌日を糸瓜忌と称え、子規自身の事を糸瓜仏となづけて居る。余が十余年前子規と共に俳句を作った時に   長けれど何の糸瓜とさがりけり という句をふらふらと得た事がある。糸瓜に縁があるから「猫」と共に併せて地下に捧げる。   どつしりと尻を据えたる南瓜かな と云う句も其頃作ったようだ。同じく瓜と云う字のつく所を以て見ると南瓜も糸瓜も親類の間柄だろう。親類付合のある南瓜の句を糸瓜仏に奉納するのに別段の不思議もない筈だ。そこで序ながら此句も霊前に献上する事にした。子規は今どこにどうして居るか知らない。恐らくは据えるべき尻がないので落付をとる機械に窮しているだろう。余は未だに尻を持って居る。どうせ持っているものだから、先ずどっしりと、おろして、そう人の思わく通り急には動かない積りである。然し子規は又例の如く尻持たぬわが身につまされて、遠くから余の事を心配するといけないから、亡友に安心をさせる為め一言断って置く。   明治三十九年十月 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集第十巻」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2011年5月22日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 『吾輩は猫である』下篇自序 『吾輩は猫である』下篇自序 夏目漱石 「猫」の下巻を活字に植えて見たら頁が足りないから、もう少し書き足してくれと云う。書肆は「猫」を以て伸縮自在と心得て居るらしい。いくら猫でも一旦甕へ落ちて往生した以上は、そう安っぽく復活が出来る訳のものではない。頁が足らんからと云うて、おいそれと甕から這い上る様では猫の沽券にも関わる事だから是丈は御免蒙ることに致した。 「猫」の甕へ落ちる時分は、漱石先生は、巻中の主人公苦沙弥先生と同じく教師であった。甕へ落ちてから何カ月経ったか大往生を遂げた猫は固より知る筈がない。然し此序をかく今日の漱石先生は既に教師ではなくなった。主人苦沙弥先生も今頃は休職か、免職になったかも知れぬ。世の中は猫の目玉の様にぐるぐる廻転している。僅か数カ月のうちに往生するのも出来る。月給を棒に振るものも出来る。暮も過ぎ正月も過ぎ、花も散って、また若葉の時節となった。是からどの位廻転するかわからない、只長えに変らぬものは甕の中の猫の中の眼玉の中の瞳だけである。   明治四十年五月 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集第十巻」筑摩書房    1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2007年7月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 入社の辞 入社の辞 夏目漱石  大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤である。かく申す本人すら其の点に就ては驚いて居る。然しながら大学の様な栄誉ある位置を抛って、新聞屋になったから驚くと云うならば、やめて貰いたい。大学は名誉ある学者の巣を喰っている所かも知れない。尊敬に価する教授や博士が穴籠りをしている所かも知れない。二三十年辛抱すれば勅任官になれる所かも知れない。其他色々便宜のある所かも知れない。成程そう考えて見ると結構な所である。赤門を潜り込んで、講座へ這い上ろうとする候補者は――勘定して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程ひまを潰す位に多いだろう。大学の結構な事は夫でも分る。余も至極御同意である。然し御同意と云うのは大学が結構な所であると云う事に御同意を表したのみで、新聞屋が不結構な職業であると云う事に賛成の意を表したんだと早合点をしてはいけない。  新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差丈けである。  大学では四年間講義をした。特別の恩命を以て洋行を仰つけられた二年の倍を義務年限とすると此四月で丁度年期はあける訳になる。年期はあけても食えなければ、いつ迄も噛り付き、獅噛みつき、死んでも離れない積でもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかと云う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない、成功するか、しないか抔と考えて居られるものじゃない。博士や教授や勅任官抔の事を念頭にかけて、うんうん、きゅうきゅう云っていられるものじゃない。  大学で講義をするときは、いつでも犬が吠えて不愉快であった。余の講義のまずかったのも半分は此犬の為めである。学力が足らないからだ抔とは決して思わない。学生には御気の毒であるが、全く犬の所為だから、不平は其方へ持って行って頂きたい。  大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌抔を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念至極である。しかも余が閲覧室へ這入ると隣室に居る館員が、無暗に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉て、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学長がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である。  新聞の方では社へ出る必要はないと云う。毎日書斎で用事をすれば夫で済むのである。余の居宅の近所にも犬は大分居る、図書館員の様に騒ぐものも出て来るに相違ない。然しそれは朝日新聞とは何等の関係もない事だ。いくら不愉快でも、妨害になっても、新聞に対しては面白く仕事が出来る。雇人が雇主に対して面白く仕事が出来れば、是が真正の結構と云うものである。  大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他に二三軒の学校を馳あるいて、漸く其日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。其上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。夫丈けではない。教える為め、又は修養の為め書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。  新聞社の方では教師としてかせぐ事を禁じられた。其代り米塩の資に窮せぬ位の給料をくれる。食ってさえ行かれれば何を苦しんでザットのイットのを振り廻す必要があろう。やめるとなと云ってもやめて仕舞う。休めた翌日から急に脊中が軽くなって、肺臓に未曾有の多量な空気が這入って来た。  学校をやめてから、京都へ遊びに行った。其地で故旧と会して、野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった。鶯は身を逆まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から吐き出した。是も新聞屋になった御蔭である。  人生意気に感ずとか何とか云う。変り物の余を変り物に適する様な境遇に置いてくれた朝日新聞の為めに、変り物として出来得る限りを尽すは余の嬉しき義務である。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「朝日新聞」    1907(明治40)年5月3日 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 元日 元日 夏目漱石  元日を御目出たいものと極めたのは、一体何処の誰か知らないが、世間が夫れに雷同しているうちは新聞社が困る丈である。雑録でも短篇でも小説でも乃至は俳句漢詩和歌でも、苟くも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極っている。尤も師走に想像を逞しくしてはならぬと申し渡された次第でないから、節季に正月らしい振をして何か書いて置けば、年内に餅を搗いといて、一夜明けるや否や雑煮として頬張る位のものには違ないが、御目出たい実景の乏しい今日、御目出たい想像などは容易に新聞社の頭に宿るものではない。それを無理に御目出たがろうとすると、所謂太倉の粟陳々相依るという頗る目出度ない現象に腐化して仕舞う。  諸君子は已を得ず年にちなんで、鶏の事を書いたり、犬の事を書いたりするが、これは寧ろ駄洒落を引き延ばした位のもので、要するに元日及び新年の実質とは痛痒相冒す所なき閑事業である。いくら初刷だって、そんな無駄話で十頁も二十頁も埋られた日には、元日の新聞は単に重量に於て各社ともに競争する訳になるんだから、其の出来不出来に対する具眼の審判者は、読者のうちでただ屑屋丈だろうと云われたって仕方がない。  さればと云って、既に何十頁と事が極ってる上に、頭数を揃える方が便利だと云う訳であって見れば、たとい具眼者が屑屋だろうが経師屋だろうが相手を択んで筆を執るなんて贅沢の云われた家業じゃない。去年は「元旦」と見出を置いて一寸考えた。何も浮で来なかったので、一昨年の元日の事を書いた。一昨年の元日に虚子が年始に来たから、東北と云う謡をうたったところ、虚子が鼓を打ち出したので、余の謡が大崩になったという一段を編輯へ廻した。実は本当の元日なら、余の謡はもっと上手になってる訳だから、其の上手になった所を有の儘に告白したかったのだが、如何せん、筆を執ってる時は、元日にまだ間があったし、且虚子が年始に見えるとも見えないとも極まっていなかった上に、謡をうたう事も全然未定だったので、営業上已を得ず一年前の極めて告白し難い所を告白したのである。此の順で行くと此年は又去年の元日を読者に御覧に入れなければならん訳であるが、そうそう過去のまずい所ばかり吹聴するのは、如何にも現在の己に対して侮辱を加えるようで済まない気がするから故意と略した。それで猶のこと塞えた。  元日新聞へ載せるものには、どうも斯う云う困難が附帯して弱る。現に今原稿紙に向っているのは、実を云うと十二月二十三日である。家では餅もまだ搗かない。町内で松飾りを立てたものは一軒もない。机の前に坐りながら何を書こうかと考えると、書く事の困難以外に何だか自分一人御先走ってる様な気がする。それにも拘らず、書いてる事が何処となく屠蘇の香を帯びているのは、正月を迎える想像力が豊富なためではない。何でも接ぎ合わせて物にしなければならない義務を心得た文学者だからである。もし世間が元日に対する僻見を撤回して、吉凶禍福共にこもごも起り得べき、平凡且乱雑なる一日と見做して呉れる様になったら、余も亦余所行の色気を抜いて平常の心に立ち返る事が出来るから、たとい書く事に酔払いの調子が失せないにしても、もっと楽に片付けられるだろうと思う。尤もそうなれば、初刷の頁も平常に復する訳だから、とくに元日に限って書かねばならぬ必要も消滅するかも知れない。それも物淋しい様だが、昨今の如き元日に対して調子を合せた文章を書こうとするのは、丁度文部大臣が新しい材料のないのに拘らず、あらゆる卒業式に臨んで祝詞を読むと一般である。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「朝日新聞」    1910(明治43)年1月1日 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2003年5月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 余と万年筆 余と万年筆 夏目漱石  此間魯庵君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫では一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸が減ったから軸丈易えて呉れと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、是がまあ一番長い例らしいと話した。して見ると普通の場合ではいくら残酷に使っても大抵六七年の保証は付けられるのが、一般の万年筆の運命らしい。一本で夫程長く使えるものが日に百本も出ると云えば万年筆を需用する人の範囲は非常な勢を以て広がりつつあると見ても満更見当違いの観察とも云われない様である。尤も多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽が来て、又新しいのを手に入れたくなり、之を手に入れて少時すると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫から夫へと各種のペンや軸を試みて嬉しがるそうだが、是は今の日本に沢山あり得る道楽とも思えない。西洋では煙管に好みを有って、大小長短色々取り交ぜた一組を綺麗に暖炉の上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂という点から見れば、此煙管を飾る人も、盃を寄せる人も、瓢箪を溜める人も、皆同じ興味に駆られるので、同種類のもののうちで、素人に分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない。万年筆狂も性質から云えば、多少実用に近い点で、以上と区別の出来ない事もないが、強いて無くても済むものを五つも六つも取り揃えるのだから今挙げた種類の蒐集狂と大した変りのある筈がない。ただ其数に至っては、少なくとも目下の日本の状態では、西洋の煙管気狂の十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要に逼られて机上若くはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支あるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、兎に角高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争う可らざる事実の様である。  万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。固より一般の需要は十円内外の低廉な種類に限られているのだろうが、夫にしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品と認めなければならないものを愛玩[#「あいかん」はママ]するに適当な位進んで来たのか、又は座右に欠くべからざる必要品として価の廉不廉に拘わらず重宝がられるのか何方かでなければならない。然し今其源因を一つに片付けるのは愚の至として、又事実の許す如く、しばらく両方の因数が相合して此需要を引き起したとして、余はとくに余の見地から見て、後者の方に重きを置きたいのである。  自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人なのである。始めて万年筆を用い出してから僅か三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。尤も十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別として一本呉れたが、夫はまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似をしてすぐ壊して仕舞った。夫から外国にいる間は常にペンを使って事を足していたし、帰ってから原稿を書かなくてはならない境遇に置かれても、下手な字をペンでがしがし書いて済ましていた。それで三四年前になって何故万年筆に改めようと急に思い立ったか、其理由は今一寸思い出せないが、第一に便利という実際的な動機に支配されたのは事実に違ない。万年筆に就て何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。そうして夫をいまだに用いているのである。が、不幸にして余のペリカンに対する感想は甚だ宜しくなかった。ペリカンは余の要求しないのに印気を無暗にぽたぽた原稿紙の上へ落したり、又は是非墨色を出して貰わなければ済まない時、頑として要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。尤も持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。無精な余は印気がなくなると、勝手次第に机の上にある何んな印気でも構わずにペリカンの腹の中へ注ぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来嫌な余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑ました。其上無経験な余は如何にペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余は未だかつて彼を洗濯した試がなかった。夫でペリカンの方でも半ば余に愛想を尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限って、此正月「彼岸過迄」を筆するときは又一と時代退歩して、ペンとそうしてペン軸の旧弊な昔に逆戻りをした。其時余は始めて離別した第一の細君を後から懐かしく思う如く、一旦見棄たペリカンに未練の残っている事を発見したのである。唯のペンを用い出した余は、印気の切れる度毎に墨壺のなかへ筆を浸して新たに書き始める煩わしさに堪えなかった。幸にして余の原稿が夫程の手数が省けたとて早く出来上る性質のものでもなし、又ペンにすれば余の好むセピヤ色で自由に原稿紙を彩どる事が出来るので、まあ「彼岸過迄」の完結迄はペンで押し通す積でいたが、其決心の底には何うしても多少の負惜しみが籠っていた様である。  余の如く機械的の便利には夫程重きを置く必要のない原稿ばかり書いているものですら、又買い損なったか、使い損なったため、万年筆には多少手古擦っているものですら、愈万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもって見ると、其他の人が価の如何に拘わらず、毛筆を棄てペンを棄てて此方に向うのは向う必要があるからで、財力ある貴公子や道楽息子の玩具に都合のいい贅沢品だから売れるのではあるまい。  万年筆の丸善に於る需要をそう解釈した余は、各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらに就て一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑が酒を解する如く、筆を執る人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。ペリカン丈の経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外の万年筆も試してみる必要があるだろう。現に此原稿は魯庵君が使って見ろといってわざわざ贈って呉れたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡ぼしをした積なのである。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 ※吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、1912(明治45)年6月30日。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2005年11月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 夏目漱石 落第 落第 夏目漱石  其頃東京には中学と云うものが一つしか無かった。学校の名もよくは覚えて居ないが、今の高等商業の横辺りに在って、僕の入ったのは十二三の頃か知ら。何でも今の中学生などよりは余程小さかった様な気がする。学校は正則と変則とに別れて居て、正則の方は一般の普通学をやり、変則の方では英語を重にやった。其頃変則の方には今度京都の文科大学の学長になった狩野だの、岡田良平なども居って、僕は正則の方に居たのだが、柳谷卯三郎、中川小十郎なども一緒だった。で大学予備門(今の高等学校)へ入るには変則の方だと英語を余計やって居たから容易に入れたけれど、正則の方では英語をやらなかったから卒業して後更に英語を勉強しなければ予備門へは入れなかったのである。面白くもないし、二三年で僕は此中学を止めて了って、三島中洲先生の二松学舎へ転じたのであるが、其時分此処に居て今知られて居る人は京都大学の田島錦治、井上密などで、この間の戦争に露西亜へ捕虜になって行った内務省の小城なども居ったと思う。学舎の如きは実に不完全なもので、講堂などの汚なさと来たら今の人には迚も想像出来ない程だった。真黒になった腸の出た畳が敷いてあって机などは更にない。其処へ順序もなく坐り込んで講義を聞くのであったが、輪講の時などは恰度カルタでも取る様な工合にしてやったものである。輪講の順番を定めるには、竹筒の中へ細長い札の入って居るのを振って、生徒は其中から一本宛抜いてそれに書いてある番号で定めたものであるが、其番号は単に一二三とは書いてなくて、一東、二冬、三江、四支、五微、六魚、七虞、八斉、九佳、十灰と云った様に何処迄も漢学的であった。中には、一、二、三の数字を抜いて唯東、冬、江と韻許り書いてあるのもあって、虞を取れば七番、微を取れば五番ということが直に分るのだから、それで定めるのもあった。講義は朝の六時か七時頃から始めるので、往昔の寺子屋を其儘、学校らしい処などはちっともなかったが、其頃は又寄宿料等も極めて廉く――僕は家から通って居たけれど――慥か一カ月二円位だったと覚えて居る。  元来僕は漢学が好で随分興味を有って漢籍は沢山読んだものである。今は英文学などをやって居るが、其頃は英語と来たら大嫌いで手に取るのも厭な様な気がした。兄が英語をやって居たから家では少し宛教えられたけれど、教える兄は癇癪持、教わる僕は大嫌いと来て居るから到底長く続く筈もなく、ナショナルの二位でお終いになって了ったが、考えて見ると漢籍許り読んでこの文明開化の世の中に漢学者になった処が仕方なし、別に之と云う目的があった訳でもなかったけれど、此儘で過ごすのは充らないと思う処から、兎に角大学へ入って何か勉強しようと決心した。其頃地方には各県に一つ宛位中学校があって、之を卒業して来た者は殆んど無試験で大学予備門へ入れたものであるが、東京には一つしか中学はなし、それに変則の方をやった者は容易に入れたけれど、正則の方をやったものだと更に英語をやらなければならないので、予備門へ入るものは多く成立学舎、共立学舎、進文学舎、――之は坪内さんなどがやって居たので本郷壱岐殿坂の上あたりにあった――其他之に類する二三の予備校で入学試験の準備をしたものである。其処で僕も大いに発心して大学予備門へ入る為に成立学舎――駿河台にあったが、慥か今の蘇我祐準の隣だったと思う――へ入学して、殆んど一年許り一生懸命に英語を勉強した。ナショナルの二位しか読めないのが急に上の級へ入って、頭からスウヰントンの万国史などを読んだので、初めの中は少しも分らなかったが、其時は好な漢籍さえ一冊残らず売って了い夢中になって勉強したから、終にはだんだん分る様になって、其年(明治十七年)の夏は運よく大学予備門へ入ることが出来た。同じ中学に居っても狩野、岡田などは変則の方に居たから早く予備門へ入って進んで行ったのだが、僕などが予備門へ入るとしては二松学舎や成立学舎などにまごついて居た丈遅れたのである。  何とか彼んとかして予備門へ入るには入ったが、惰けて居るのは甚だ好きで少しも勉強なんかしなかった。水野錬太郎、今美術学校の校長をして居る正木直彦、芳賀矢一なども同じ級だったが、是等は皆な勉強家で、自ら僕等の怠け者の仲間とは違って居て、其間に懸隔があったから、更に近づいて交際する様なこともなく全然離れて居ったので、彼方でも僕等の様な怠け者の連中は駄目な奴等だと軽蔑して居たろうと思うが、此方でも亦試験の点許り取りたがって居る様な連中は共に談ずるに足らずと観じて、僕等は唯遊んで居るのを豪いことの如く思って怠けて居たものである。予備門は五年で、其中に予科が三年本科が二年となって居た。予科では中学へ毛の生えた様なことをするので、数学なども随分沢山あり、生理学だの動物植物鉱物など皆な英語の本でやったものである。だから読む方の力は今の人達より進んで居た様に思われるが、然し生徒の気風に至っては実に乱暴なもので、それから見ると今の生徒は非常に温順しい。皆な悪戯許りして居たものでストーヴ攻などと云って、教室の教師の傍にあるストーヴへ薪を一杯くべ、ストーブが真赤になると共に漢学の先生などの真面目な顔が熱いので矢張りストーヴの如く真赤になるのを見て、クスクス笑って喜んで居た。数学の先生がボールドに向って一生懸命説明して居ると、後から白墨を以って其背中へ怪しげな字や絵を描いたり、又授業の始まる前に悉く教室の窓を閉めて真暗な処に静まり返って居て、入って来る先生を驚かしたり、そんなこと許り嬉しがって居た。予科の方は三級、二級、一級となって居て、最初の三級は平均点の六十五点も貰ってやっとこさ通るには通ったが、矢張り怠けて居るから何にも出来ない。恰度僕が二級の時に工部大学と外国語学校が予備門へ合併したので、学校は非常にゴタゴタして随分大騒ぎだった。それがだんだん進歩して現今の高等学校になったのであるが、僕は其時腹膜炎をやって遂々二級の学年試験を受けることが出来なかった。追試験を願ったけれど、合併の混雑やなんかで忙しかったと見え、教務係の人は少しも取合って呉れないので、其処で僕は大いに考えたのである。学課の方はちっとも出来ないし、教務係の人が追試験を受けさせて呉れないのも、忙しい為もあろうが、第一自分に信用がないからだ。信用がなければ、世の中へ立った処で何事も出来ないから、先ず人の信用を得なければならない。信用を得るには何うしても勉強する必要がある。と、こう考えたので、今迄の様にうっかりして居ては駄目だから、寧そ初めからやり直した方がいいと思って、友達などが待って居て追試験を受けろと切りに勧めるのも聞かず、自分から落第して再び二級を繰返すことにしたのである。人間と云うものは考え直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、今迄少しも分らなかったものも瞭然と分る様になる。前には出来なかった数学なども非常に出来る様になって、一日親睦会の席上で誰は何科へ行くだろう誰は何科へ行くだろうと投票をした時に、僕は理科へ行く者として投票された位であった。元来僕は訥弁で自分の思って居ることが云えない性だから、英語などを訳しても分って居乍らそれを云うことが出来ない。けれども考えて見ると分って居ることが云えないと云う訳はないのだから、何でも思い切って云うに限ると決心して、其後は拙くても構わずどしどし云う様にすると、今迄は教場などで云えなかったこともずんずん云うことが出来る。こんな風に落第を機としていろんな改革をして勉強したのであるが、僕の一身にとって此落第は非常に薬になった様に思われる。若し其時落第せず、唯誤魔化して許り通って来たら今頃は何んな者になって居たか知れないと思う。  前に云った様に自ら落第して二級を繰返し、そして一級へ移ったのであるが、一級になるともう専門に依ってやるものも違うので、僕は二部の仏蘭西語を択んだ。二部は工科で僕は又建築科を択んだがその主意が中々面白い。子供心に異なことを考えたもので、其主意と云うのは先ずこうである。自分は元来変人だから、此儘では世の中に容れられない。世の中に立ってやって行くには何うしても根柢から之を改めなければならないが、職業を択んで日常欠く可からざる必要な仕事をすれば、強いて変人を改めずにやって行くことが出来る。此方が変人でも是非やって貰わなければならない仕事さえして居れば、自然と人が頭を下げて頼みに来るに違いない。そうすれば飯の喰外れはないから安心だと云うのが、建築科を択んだ一つの理由。それと元来僕は美術的なことが好であるから、実用と共に建築を美術的にして見ようと思ったのが、もう一つの理由であった。僕は落第したのだから水野、正木などの連中は一つ先へ進んで行って了ったのであるが、僕の残った級には松本亦太郎なども居って、それに文学士で死んだ米山と云う男が居った。之は非常な秀才で哲学科に居たが、大分懇意にして居たので僕の建築科に居るのを見て切りに忠告して呉れた。僕は其頃ピラミッドでも建てる様な心算で居たのであるが、米山は中々盛んなことを云うて、君は建築をやると云うが、今の日本の有様では君の思って居る様な美術的の建築をして後代に遺すなどと云うことは迚も不可能な話だ、それよりも文学をやれ、文学ならば勉強次第で幾百年幾千年の後に伝える可き大作も出来るじゃないか。と米山はこう云うのである。僕の建築科を択んだのは自分一身の利害から打算したのであるが、米山の論は天下を標準として居るのだ。こう云われて見ると成程そうだと思われるので、又決心を為直して、僕は文学をやることに定めたのであるが、国文や漢文なら別に研究する必要もない様な気がしたから、其処で英文学を専攻することにした。其後は変化もなく今日迄やって来て居るが、やって見れば余り面白くもないので、此頃は又、商売替をしたいと思うけれど、今じゃもう仕方がない。初めは随分突飛なことを考えて居たもので、英文学を研究して英文で大文学を書こうなどと考えて居たんだったが‥‥‥。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「中学文芸」    1906(明治39)年9月15日 ※底本は、本作品を「談話」の項におさめている。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 私の経過した学生時代 私の経過した学生時代 夏目漱石      一  私の学生時代を回顧して見ると、殆んど勉強という勉強はせずに過した方である。従ってこれに関して読者諸君を益するような斬新な勉強法もなければ、面白い材料も持たぬが、自身の教訓の為め、つまり這麼不勉強者は、斯ういう結果になるという戒を、思い出したまま述べて見よう。  私は東京で生れ、東京で育てられた、謂わば純粋の江戸ッ子である。明瞭記憶して居らぬが、何でも十一二の頃小学校の門(八級制度の頃)を卒えて、それから今の東京府立第一中学――其の頃一ツ橋に在った――に入ったのであるが、何時も遊ぶ方が主になって、勉強と云う勉強はしなかった。尤も此学校に通っていたのは僅か二三年に止り、感ずるところがあって自ら退いて了ったが、それには曰くがある。  此の中学というのは、今の完備した中学などとは全然異っていて、その制度も正則と、変則との二つに分れていたのである。  正則というのは日本語許りで、普通学の総てを教授されたものであるが、その代り英語は更にやらなかった。変則の方はこれと異って、ただ英語のみを教えるというに止っていた。それで、私は何れに居たかと云えば、此の正則の方であったから、英語は些しも習わなかったのである。英語を修めていぬから、当時の予備門に入ることが六カ敷い。これではつまらぬ、今まで自分の抱いていた、志望が達せられぬことになるから、是非廃そうという考を起したのであるが、却々親が承知して呉れぬ。そこで、拠なく毎日々々弁当を吊して家は出るが、学校には往かずに、その儘途中で道草を食って遊んで居た。その中に、親にも私が学校を退きたいという考が解ったのだろう、間もなく正則の方は退くことになったというわけである。      二  既に中学が前いう如く、正則、変則の二科に分れて居り、正則の方を修めた者には更に語学の力がないから、予備門の試験に応じられない。此等の者は、それが為め、大抵は或る私塾などへ入って入学試験の準備をしていたものである。  その頃、私の知っている塾舎には、共立学舎、成立学舎などというのがあった。これ等の塾舎は随分汚いものであったが、授くるところの数学、歴史、地理などいうものは、皆原書を用いていた位であるから、なかなか素養のない者には、非常に骨が折れたものである。私は正則の方を廃してから、暫く、約一年許りも麹町の二松学舎に通って、漢学許り専門に習っていたが、英語の必要――英語を修めなければ静止していられぬという必要が、日一日と迫って来た。そこで前記の成立学舎に入ることにした。  この成立学舎と云うのは、駿河台の今の曾我祐準さんの隣に在ったもので、校舎と云うのは、それは随分不潔な、殺風景極まるものであった。窓には戸がないから、冬の日などは寒い風がヒュウヒュウと吹き曝し、教場へは下駄を履いたまま上がるという風で、教師などは大抵大学生が学資を得るために、内職として勤めているのが多かった。  でも、当時此の塾舎の学生として居た者で、目今有要な地位を得ている者が少くない。一寸例を挙げて言って見ると、前の長崎高等商業学校長をしていた隈本有尚、故人の日高真実、実業家の植村俊平、それから新渡戸博士諸氏などで、此の外にも未だあるだろう。隈本氏は其の頃、教師と生徒との中間位のところに居たように思う。又新渡戸博士は、既に札幌農学校を済して、大学選科に通いながら、その間に来ていたように覚えて居る。何でも私と新渡戸氏とは隣合った席に居たもので、その頃から私は同氏を知っていたが、先方では気が付かなかったものと見え、つい此の頃のことである。同氏に会った折、 「僕は今日初めて君に会ったのだ」と初対面の挨拶を交わされたから、私は笑って、 「いや、私は貴君をば昔成立塾に居た頃からよく知っています」と云うと、 「ああ其那ことであったかね」と先方でも笑い出されたようなことである。      三  英語に就ては、その前私の兄がやっていたので、それについて少し許り習ったこともあるが、どうも六カ敷くて解らないから、暫らく廃して了った。その後少しも英語というものは学ばずにいた者が、兎に角成立学舎へ入ると、前いう通り大抵の者は原書のみを使っているという風だから、教わるというものの、もともと素養のない頭にはなかなか容易に解らない。従って非常に骨を折ったものであるが、規則立っての勉強も、特殊な記憶法も執ったわけではない。  又、英語は斯ういう風にやったらよかろうという自覚もなし、唯早く、一日も早くどんな書物を見ても、それに何が書いてあるかということを知りたくて堪らなかった。それで謂わば矢鱈に読んで見た方であるが、それとて矢張り一定の時期が来なければ、幾ら何と思っても解らぬものは解る道理がない。又、今のように比較的書物が完備していたわけでないから、多く読むと云っても、自然と書物が限られている。先ず自分で苦労して、読み得るだけの力を養う外ないと思って、何でも矢鱈に読んだようであるが、その読んだものも重にどういうものか、今判然と覚えていない。そうこうしている中に予科三年位から漸々解るようになって来たのである。  私は又数学に就ても非常に苦しめられたもので、数学の時間にはボールドの前に引き出されて、その儘一時間位立往生したようなことがよくあった。  これは、大学予備門の入学試験に応じた時のことであるが、確か数学だけは隣の人に見せて貰ったのか、それともこっそり見たのか、まアそんなことをして試験は漸っと済したが、可笑しいのは此の時のことで、私は無事に入学を許されたにも関らず、その見せて呉れた方の男は、可哀想にも不首尾に終って了った。      四  成立学舎では、凡そ一年程も通ったが、その翌年大学予備門の入学試験を受けて見ると、前いうたようにうまく及第した。丁度それが十七歳頃であったと思う。  一寸ここで、此の頃の予備門に就て話して置くが、始め予備門の方の年数が四カ年、大学の方が四カ年、都合大学を出るまでには八年間を要することになっていたが、私の入学する前後はその規定は変じて、大学三年、予備門五年と云うことになった。結局総体の年数から云えば前と聊か変りはないが、予備門丈けでいうと、一年年数が殖えたことになり、その予備門五年をも亦二つに分ち、予科三年、本科二年という順序でした。  それで、予科三年修了者と、その頃の中学卒業生とを比べて見ると、実際は予科の方が同じ普通学でも遙に進んでいたように思われた。即ち予科の方では動物、植物、その他のものでも大抵原書でやっていた位であるが、その時の予科修了者は、中学卒業生と同程度ということに見做されることになった。だから中学卒業生は、英語専修科というに一年入ると、直ぐ予備門本科に入学することが出来たのである。規則改正の結果、つまり斯ういうことになったので、予科を経てゆく者より、中学を卒業して入った者の方が二年だけ利益をすることになる。  私などは中学を途中で廃して、二松学舎、成立学舎などに通い、それから予科に入ったのであるから、非常に迂路をしたことになる。其那事ではむしろ其儘中学を卒えて予備門へ入った方が、年数の上から云っても利益であったが、私ばかりではない、私と同じような径路をもって進んだ人が沢山あった。その人達は先ず損した方の組である。  で、私は此の予備門に居る頃も殆んど勉強はしなかった。此の当時は家から通わずに、神田猿楽町の或る下宿屋に、今の南満鉄道の副総裁をして居る、中村是公という男と一所に下宿していたものであるが、朝は学校の始業時間が定って居るので、仕方なく一定の時間には起床したが、夜睡眠の時間などは千差万別で、殆んど一定しなかった。  矢張り、此の頃も学科に就て格別得意というものはなかった。中にも数学、英語と来ては最も苦しめられた方であるが、と云って勉強もせずに毎日々々自由な方針で遊び暮していた。従って学校の成績は次第に悪くなるばかりで、予科入学当時は、今の芳賀矢一氏などと同じ位のところで、可成一所にいた者であるが、私の方は不勉強の為め、下へ下へと下ってゆく許り。その外、当時の同級生には今の美術学校長正木直彦、専門学務局長の福原鐐二郎、外国語学校の水野繁太郎氏などがあって、それ等の人はなかなか出来る方であったが、私達遊び仲間の連中は総て不成績で、漸次、是等の諸氏と席の方が遠ざかるばかりであった。      五  不勉強位であったから、どちらかと云えば運動は比較的好きの方であったが、その運動も身体が虚弱であった為め、規則正しい運動を努めてやったというのではない。唯遊んだという方に過ぎないが、端艇競漕などは先ず好んで行った方であろう。前の中村是公氏などは、中々運動は上手の方で、何時もボートではチャンピオンになっていた位であるが、私は好きでやったと云っても、チャンピオンなどには如何してもなれなかった。  その他運動と云っても、当時は未だベースボールもなく、庭球もなかったから、普通体操位のもので、兵式体操はやらなかった。要するに運動というより気儘勝手に遊び暮したという方で、よく春の休みなどになると、机を悉皆取片附けて了って、足押、腕押などいう詰らぬ運動――遊びをしては騒いでいたものである。試験になってもそう心配はしない。「我豈に試験の点数などに関せんや」と云ったような考で、全く勉強と云う勉強はせずに居たから、頭脳は発達せず、成績はますます悪くなるばかり。一体私は頭の悪い方で――今でも然うだが――それに不勉強の方であったから、学校での信用も次第と無くなり、遂いに予科二年の時落第という運命に立ち至った。  落第して見ると誰も同じこと、さすがに可い気持はせぬ。それからは前と違って、真面目に勉強もするようになったが、矢張り人普通のことをやったまでで、特別に厳しい勉強を続けたというのではない。  教場へ出ていても前と異って、ただ非常に注意して教師のいわれるのを聞くようにしたと云う位のものであった。真面目に勉強し、学校に出ても真面目に教師のいうことを注意して聞くようにすれば、然う矢鱈に苦しまなくとも、普通ならやってゆかれることと思う。だから、私は仮令真面目な勉強をするようになった後でも、試験の前々から決して苦しむようなことはせず、試験のその前夜になって、始めて験べて置くというような方法を採っていた位である。      六  丁度予科の三年、十九歳頃のことであったが、私の家は素より豊かな方ではなかったので、一つには家から学資を仰がずに遣って見ようという考えから、月五円の月給で中村是公氏と共に私塾の教師をしながら予科の方へ通っていたことがある。  これが私の教師となった始めで、其私塾は江東義塾と云って本所に在った。或る有志の人達が協同して設けたものであるが、校舎はやはり今考えて見ても随分不潔な方の部類であった。  一カ月五円と云うと誠に少額ではあるが、その頃はそれで不足なくやって行けた。塾の寄宿舎に入っていたから、舎費即ち食糧費としては月二円で済み、予備門の授業料といえば月僅に二十五銭(尤も一学期分宛前納することにはなっていたが)それに書物は大抵学校で貸し与えたから、格別その方には金も要らなかった。先ず此の中から湯銭の少しも引き去れば、後の残分は大抵小遣いになったので、五円の金を貰うと、直ぐその残分丈けを中村是公氏の分と合せて置いて、一所に出歩いては、多く食う方へ費して了ったものである。  時間も、江東義塾の方は午後二時間丈けであったから、予備門から帰って来て教えることになっていた。だから、夜などは無論落ち附いて、自由に自分の勉強をすることも出来たので、何の苦痛も感ぜず、約一年許りもこうしてやっていたが、此の土地は非常に湿気が多い為め、遂い急性のトラホームを患った。それが為め、今も私の眼は丈夫ではない。親はそのトラホームを非常に心配して、「兎に角、そんな所なら無理に勤めている必要もなかろう」というので、塾の方は退き、予備門へは家から通うことにしたが、間もなくその江東義塾は解散になって了ったのである。  それから、後の学資はいうまでもなく、再び家から仰いでいたが、大学へ進むようになってからは、特に文部省から貸費を受けることとなり、一方では又東京専門学校の講師を勤めつつ、それ程、苦しみもなく大学を卒えたような次第で、要するに何の益するところもなく、私は学生時代を回顧して、むしろ読者諸君のために戒とならんことを望むものである。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「中学世界」    1909(明治42)年1月1日 ※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。 ※「教師となった始めで」は、底本では活字の欠けにより「教師となった始めて」と見える。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 予の描かんと欲する作品 予の描かんと欲する作品 夏目漱石  如何なるものを描かんと欲するかとの御質問であるが、私は、如何なるものをも書きたいと思う。自分の能力の許す限りは、色々種類の変化したものを書きたい。自分の性情に適したものは、なるべく多方面に亙って書きたい。然し、私のような人間であるから、それは単に希望丈けで、其希望通りに書くことは出来ないかも知れぬ。で、御質問に対して漠然としたお答えではあるが、大抵以上に尽きて居る。私は、或る主義主張があって、その主義主張を創作に依って世に示して居るのではない。であるから、斯う云うものを書いて斯うしたいと云う、局部的な考えは別にない。従って、社会一般に及ぼす影響とか、感化とか云うけれ共、それも、作物の種類、性質に依って自[#底本のルビは「おのず」]ら生じて来るものであるから、斯う云う方面の人を、斯う云う風に、斯う云う点で影響しようと云うのは、茲に判然と具象的に出来上ったものに就て云うことで、それを、作物の未だ出来上って居ない未来のことに就て、今茲に判然と云うことは出来ない。  では過去の作物に就て話せと云うのですか。では貴方の方で質問を呈出して下さい。それに就てお答えすることにします。『虞美人草』の藤尾の性格は、我儘に育った我の強い所から来たのか、自意識の強いモダーンな所から来たのかと云うのですか。それは両方に跨って居る。単に自意識の強いモダーンな所を見せようと云う、それを目的にして書いたなら、ああは書かなかったであろう。併し一面に於てはそれも含んで居る。柔順な女と、我の強い女を、藤尾と糸公に依って対照させ、そして、然うした性格の異る二個の女性の運命を書いて見せたのかと云うのかね。別に然んな考えはない。必ずしも自意識の強い女はああ云う風に終るもので、お糸のように順良な女は、ああ云う結果になると定ったものではない。従って、あの作に異った性格を有する二個の女性の運命が書いてあるからと云って、直にあの作に依って世間全体のああした性格の女性を説明し尽したと思われては困る。両方ともああ云う性格の女はああなると定っては居ない。唯、パティキュラー・ケースがああなると云う丈けで、全体がああ云う運命になると云うことは含んで居ない。  で、ああした二個の女性を描き、あの事件を発展させ、そしてああした終りになったのは、何か教訓的意味を含んで居るのではないかとのお尋ねであるが、一体教訓と言えば、所謂昔流の小説に於て、道徳上の制裁を、読者も、作者も予期して居た時代に、人の云々した世の中の教訓に合わして拵らえたのかとお聞きになるのならば、然うじゃないとお答えする。それは作家として茲に一種の教訓的の考えを頭に置いて、其考えに都合の好いように人物を造り、事件を発展させて作物を捏ね上げたと云うことは、自分で作家の資格を削り取ると同じことではあるまいか。けれ共、一種の作品が出来て、其作品が、作品として出来上る――即ち作品として外のモーチブに支配を受けないと云う意味、更に言葉を換えて詳しく云うならば、自分が利害関係の為めに作品を拵らえ上げたとか、或は私憤を洩らす為めに書き上げたとか、総べて目的の他にある所の作品は、私は作品として出来上ったとは言わない。作品として出来上ったと云う意味は、何物の支配命令も拘束も受けずに、作品其物を作り上げるを目的として作られた作品のことである。で、作品として出来上った所の其作品が、何かの教訓を読者に与えるなれば、敢て作家の辞する所でない。一向差支えないのである。だから読者が『虞美人草』を読んで、此の作は斯う云う教訓を書くために、それに合せるように殊更に作家が筆を曲げて書いたのだと云うことを感じるなれば、私は其作に殊更故意に書き上げた作為の痕跡が見える丈け、それ丈け多くの作品としては失敗したものであると言わねばならぬ。  けれ共、作品としては自然と出来上ったもので、故とらしく教訓を狙って書いたものではないが、自然と出来上った其作品の中に於て、余は如上の教訓を認め得たと云うなれば、私は作家として満足である。其作物に於て是非共現わさなければならぬと云う作家の一種の哲学に捉えられて、そして、事件の発展なり、性格の活動なりを、其自分の目的の都合の可いように、作家の私で殊更ああ云う結果に持ち来らしたと言われては、仮令、其現わさんとした哲学なり、教訓なりを現わす目的を如何に能く達しても、作家としての私の面目は潰れる訳になる。  イブセンを能く引合いに出すようであるが、イブセンのものを読むと、彼れは一種の哲学に依って其作品を作り上げて居るけれ共、然し、其作品を読んで、作家が一種の哲学に捉えられて書いた作品であるとは思われない。描き出されて居る人間が動いて居て、シチュエーションが自然に、殊更筆を曲げたような痕跡なく、あそこまで煎じ詰められて来て居るのであるから、吾々はイブセンを読んで、彼れは一種の哲学を発表する為めに、殊更な非芸術な作品を作ったとは思わない。イブセンの作に曲ぐ可らざる生命のあるものは其故だろうと思う。所が、バーナード・ショウになると、私は余り多くは読んで居ないが、兎に角自分の読んだだけの範囲で云うと、茲に一種の哲学なら哲学があって、それを現わす為めに、殊更な劇を組み立てたように思われる。即ち、其哲学に何処までも囚われて居る。哲学に圧迫された劇である。だから其処にイブセンとショウとの間に、大なる差違があるように思う。即ち同じく哲学を持ち乍ら、其哲学の為めに作り上げる作品が累いされて、直ちにそれが読者の目に見え透くか、或は自然に作り上げられた作品の中へ、其哲学が畳み込まれるかの別れる処は、ほんの僅かな一線で、其処が呼吸ものだと思う。私の『虞美人草』などは問題にもなるまいが、兎に角、其極く幽かな一線の別れ方に依って、作品として失敗する人と、成功する人とに別れるのである。  教訓的意味を芸術的作品に依って、得る必要はないと云うが、それは、教訓の為めに作品の価値を曲げては可けないので、自然な作品の中から、自[#底本のルビは「おのず」]ら教訓が浮いて来るなら一向差支えないと思われる。で、総ての文芸上の作品は、或る意味に於いて、必ず一種の教訓を持ち来すものである、と私は信じて居る。その教訓の意味とか、何う云う訳で教訓になるとか云うことに就て述べたいが、今は時間がないから略する。尤もこれは今度出版する『文学評論』の中に詳しく書いて置いた。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「新潮」    1909(明治42)年2月1日 ※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 夏目漱石 文士の生活 文士の生活 夏目漱石氏-収入-衣食住-娯楽-趣味-愛憎-日常生活-執筆の前後 夏目漱石  私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金を儲けて居るとか、種々な噂が世間にあるようだが、皆嘘だ。  巨万の富を蓄えたなら、第一こんな穢い家に入って居はしない。土地家屋などはどんな手続きで買うものか、それさえ知らない。此家だって自分の家では無い。借家である。月々家賃を払って居るのである。世間の噂と云うものは無責任なものだと思う。  先ず私の収入から考えて貰いたい。私にどうして巨万の富の出来よう筈があるか――と云うと、ではあなたの収入は?と訊かれるかも知れぬが、定収入といっては朝日新聞から貰って居る月給である。月給がいくらか、それは私から云って良いものやら悪いものやら、私にはわからぬ。聞きたければ社の方で聞いて貰いたい。それからあとの収入は著書だ。著書は十五六種あるが、皆印税になって居る。すると又印税は何割だと云うだろうが、私のは外の人のより少し高いのだそうだ。これを云って了っては本屋が困るかも知れぬ。一番売れたのは『吾輩は猫である』で、従来の菊判の本の外に此頃縮刷したのが出来て居る。此の両方合せて三十五版、部数は初版が二千部で二版以下は大抵千部である。尤も此三十五版と云うのは上巻で、中巻や下巻はもっと版数が少い。幾割の印税を取った処が、著書で金を儲けて行くと云う事は知れたものである。  一体書物を書いて売るという事は、私は出来るならしたくないと思う。売るとなると、多少慾が出て来て、評判を良くしたいとか、人気を取りたいとか云う考えが知らず知らずに出て来る。品性が、それから書物の品位が、幾らか卑しくなり勝ちである。理想的に云えば、自費で出版して、同好者に只で頒つと一番良いのだが、私は貧乏だからそれが出来ぬ。  衣食住に対する執着は、私だって無い事はない。いい着物を着て、美味い物を食べて、立派な家に住み度いと思わぬ事は無いが、只それが出来ぬから、こんな処で甘んじて居る。  美服は好きである。敢て流行を趁う考も無いし、もう年を取ったからしゃれても仕方が無いと思って居るので、妻の御仕着せを黙って着て居るが、女などがいい着物を着たのを見ると、成程いいと思う。   食物は酒を飲む人のように淡泊な物は私には食えない。私は濃厚な物がいい。支那料理、西洋料理が結構である。日本料理などは食べたいとは思わぬ。尤も此支那料理、西洋料理も或る食通と云う人のように、何屋の何で無くてはならぬと云う程に、味覚が発達しては居ない。幼穉な味覚で、油っこい物を好くと云う丈である。酒は飲まぬ。日本酒一杯位は美味いと思うが、二三杯でもう飲めなくなる。  其の代り菓子は食う。これとても有れば食うと云う位で、態々買って食いたいと云う程では無い。煎茶も美味いと思って飲むが、自分で茶の湯を立てる事は知らぬ。莨は吸って居る。一事止した事もあったが、莨を吸わぬ事が別に自慢にもならぬと思ったから、又吸い出した。余り吸って舌が荒れたり胃が悪くなったりすれば一寸止すが、癒れば又吸う。常に家に居て吸って居るのは朝日である。値段は幾らだか知らぬが、安いのであろうが、妻がこれ許り買って置くから、これを飲んで居る。外に出て買う時に限って敷島を吸うのは、十銭銀貨一つ投り出せば、釣銭が要らずに便利だからである。朝日よりも美味いか如何か、私には解らぬ。  家に対する趣味は人並に持って居る。此の間も麻布へ骨董屋をひやかしに出掛けた帰りに、人の家をひやかして来た。一寸眼に附く家を軒毎に覗き込んで一々点数を附けて見た。私は家を建てる事が一生の目的でも何でも無いが、やがて金でも出来るなら、家を作って見たいと思って居る。併し近い将来に出来そうも無いから、如何云う家を作るか、別に設計をして見た事はない。  此家は七間ばかりあるが、私は二間使って居るし、子供が六人もあるから狭い。家賃は三十五円である。家主は外との釣合があるから四十円だと云って呉れと云って居るが、別に嘘を云う事もないと思って、人には正直に三十五円だと云って居る。家主が怒るかも知れぬ。地坪は三百坪あるから、庭は狭い方では無い。然し植木は皆自分で入れたのだから、こんな庭の附いている家としたら、三十五円や四十円では借りられないだろう。植木屋と云うものは勝手なもので、一度手入れをさせたら、こっちで呼ばないのに、時々若い者を連れて仕事にやって来る。物の一月余りもこちこち其処辺をいじって居る事がある。別に断わるのも妙だと思って、何とも云わずに居るが、中々金がかかる。  私はもっと明るい家が好きだ。もっと奇麗な家にも住みたい。私の書斎の壁は落ちてるし、天井は雨洩りのシミがあって、随分穢いが、別に天井を見て行って呉れる人もないから、此儘にして置く。何しろ畳の無い板敷である。板の間から風が吹き込んで冬などは堪らぬ。光線の工合も悪い。此上に坐って読んだり書いたりするのは辛いが、気にし出すと切りが無いから、関わずに置く。此間或る人が来て、天井を張る紙を上げましょうと云って呉れたが、御免を蒙った。別に私がこんな家が好きで、こんな暗い、穢い家に住んで居るのではない。余儀なくされて居るまでである。  娯楽と云うような物には別に要求もない。玉突は知らぬし、囲碁も将棊も何も知らぬ。芝居は此頃何かの行掛り上から少し見た事は見たが、自然と頭の下るような心持で見られる芝居は一つも無かった。面白いとは勿論思わぬ。音楽も同様である。西洋音楽のいいのを聞いたら如何か知らぬが、私は今までそう云う西洋音楽を聞いた事の無い為か、未だ一度も良い書画を見る位の心持さえ起した事は無い。日本音楽などは尚更詰らぬものだと思う。只謡曲丈けはやって居る。足掛六七年になるが、これも怠けて居るから、どれ程の上達もして居ない。下がかりの宝生で、先生は宝生新氏である。尤も私は芸術のつもりでやって居るのではなく、半分運動のつもりで唸るまでの事である。   書画だけには多少の自信はある。敢て造詣が深いというのでは無いが、いい書画を見た時許りは、自然と頭が下るような心持がする。人に頼まれて書を書く事もあるが、自己流で、別に手習いをした事は無い。真の恥を書くのである。骨董も好きであるが所謂骨董いじりではない。第一金が許さぬ。自分の懐都合のいい物を集めるので、智識は悉無である。どこの産だとか、時価はどの位だとか、そんな事は一切知らぬ。然し自分の気に入らぬ物なら、何万円の高価な物でも御免を蒙る。  明窓浄机。これが私の趣味であろう。閑適を愛するのである。  小さくなって懐手して暮したい。明るいのが良い。暖かいのが良い。  性質は神経過敏の方である。物事に対して激しく感動するので困る。そうかと思うと、又神経遅鈍な処もある。意志が強くて押える力のある為めと云うのでは無かろう。全く神経の感じの鈍い処が何処かにあるらしい。  物事に対する愛憎は多い方である。手廻りの道具でも気に入ったの、嫌いなのが多いし、人でも言葉つき、態度、仕事の遣り口などで好きな人と嫌いな人がある。どんなのが好きで、どんなのが嫌いかと云う事は、何れ又記す機会があろうと思う。  朝は七時過ぎ起床。夜は十一時前後に寝るのが普通である。昼食後一時間位、転寝をする事があるが、これをすると頭の工合の大変よいように思う。出不精の方で余り出掛けぬが、時々散歩はする。俗用で外出を已むなくされる事も、偶には無いではない。人を訪問に出る事はあるが、年始とか盆とかの廻礼などは絶対にしない。又する必要はないと考えて居る。  執筆する時間は別にきまりが無い。朝の事もあるし、午後や晩の事もある。新聞の小説は毎日一回ずつ書く。書き溜めて置くと、どうもよく出来ぬ。矢張一日一回で筆を止めて、後は明日まで頭を休めて置いた方が、よく出来そうに思う。一気呵成と云うような書方はしない。一回書くのに大抵三四時間もかかる。然し時に依ると、朝から夜までかかって、それでも一回の出来上らぬ事もある。時間が十分にあると思うと、矢張長時間かかる。午前中きり時間が無いと思ってかかる時には、又其の切り詰めた時間で出来る。  障子に日影の射した処で書くのが一番いいが、此家ではそんな事が出来ぬから、時に日の当る縁側に机を持ち出して、頭から日光を浴びながら筆を取る事もある。余り暑くなると、麦藁帽子を被って書くような事もある。こうして書くと、よく出来るようである。凡て明るい処がよい。  原稿紙は十九字詰十行の洋罫紙で、輪廓は橋口五葉君に画いて貰ったのを春陽堂に頼んで刷らせて居る。十九字詰にしたのは、此原稿紙を拵らえた時に、新聞が十九字詰であったからである。用筆は最初Gの金ペンを用いた。五六年も用いたろう。其後万年筆にした。今用いて居る万年筆は二代目のでオノトである。別にこれがいいと思って使って居るのでも何でも無い。丸善の内田魯庵君に貰ったから、使って居るまでである。筆で原稿を書いた事は、未だ一度もない。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「大阪朝日新聞」    1914(大正3)年3月22日 ※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 処女作追懐談 処女作追懐談 夏目漱石  私の処女作――と言えば先ず『猫』だろうが、別に追懐する程のこともないようだ。ただ偶然ああいうものが出来たので、私はそういう時機に達して居たというまでである。  というのが、もともと私には何をしなければならぬということがなかった。勿論生きて居るから何かしなければならぬ。する以上は、自己の存在を確実にし、此処に個人があるということを他にも知らせねばならぬ位の了見は、常人と同じ様に持っていたかも知れぬ。けれども創作の方面で自己を発揮しようとは、創作をやる前迄も別段考えていなかった。  話が自分の経歴見たようなものになるが、丁度私が大学を出てから間もなくのこと、或日外山正一氏から一寸来いと言って来たので、行って見ると、教師をやって見てはどうかということである。私は別にやって見たいともやって見たくないとも思って居なかったが、そう言われて見ると、またやって見る気がないでもない。それで兎に角やって見ようと思ってそういうと、外山さんは私を嘉納さんのところへやった。嘉納さんは高等師範の校長である。其処へ行って先ず話を聴いて見ると、嘉納さんは非常に高いことを言う。教育の事業はどうとか、教育者はどうなければならないとか、迚も我々にはやれそうにもない。今なら話を三分の一に聴いて仕事も三分の一位で済まして置くが、その時分は馬鹿正直だったので、そうは行かなかった。そこで迚も私には出来ませんと断ると、嘉納さんが旨い事をいう。あなたの辞退するのを見て益依頼し度くなったから、兎に角やれるだけやってくれとのことであった。そう言われて見ると、私の性質として又断り切れず、とうとう高等師範に勤めることになった。それが私のライフのスタートであった。  茲で一寸話が大戻りをするが、私も十五六歳の頃は、漢書や小説などを読んで文学というものを面白く感じ、自分もやって見ようという気がしたので、それを亡くなった兄に話して見ると、兄は文学は職業にゃならない、アッコンプリッシメントに過ぎないものだと云って、寧ろ私を叱った。然しよく考えて見るに、自分は何か趣味を持った職業に従事して見たい。それと同時にその仕事が何か世間に必要なものでなければならぬ。何故というのに、困ったことには自分はどうも変物である。当時変物の意義はよく知らなかった。然し変物を以て自ら任じていたと見えて、迚も一々此方から世の中に度を合せて行くことは出来ない。何か己を曲げずして趣味を持った、世の中に欠くべからざる仕事がありそうなものだ。――と、その時分私の眼に映ったのは、今も駿河台に病院を持って居る佐々木博士の養父だとかいう、佐々木東洋という人だ。あの人は誰もよく知って居る変人だが、世間はあの人を必要として居る。而もあの人は己を曲ぐることなくして立派にやって行く。それから井上達也という眼科の医者が矢張駿河台に居たが、その人も丁度東洋さんのような変人で、而も世間から必要とせられて居た。そこで私は自分もどうかあんな風にえらくなってやって行きたいものと思ったのである。ところが私は医者は嫌いだ。どうか医者でなくて何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。で、私はいよいよそれにしようと決めた。  ところが丁度その時分(高等学校)の同級生に、米山保三郎という友人が居た。それこそ真性変物で、常に宇宙がどうの、人生がどうのと、大きなことばかり言って居る。ある日此男が訪ねて来て、例の如く色々哲学者の名前を聞かされた揚句の果に君は何になると尋ねるから、実はこうこうだと話すと、彼は一も二もなくそれを却けてしまった。其時かれは日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズの大寺院のような建築を天下後世に残すことは出来ないじゃないかとか何とか言って、盛んなる大議論を吐いた。そしてそれよりもまだ文学の方が生命があると言った。元来自分の考は此男の説よりも、ずっと実際的である。食べるということを基点として出立した考である。所が米山の説を聞いて見ると、何だか空々漠々とはしているが、大きい事は大きいに違ない。衣食問題などは丸で眼中に置いていない。自分はこれに敬服した。そう言われて見ると成程又そうでもあると、其晩即席に自説を撤回して、又文学者になる事に一決した。随分呑気なものである。  然し漢文科や国文科の方はやりたくない。そこで愈英文科を志望学科と定めた。  然し其時分の志望は実に茫漠極まったもので、ただ英語英文に通達して、外国語でえらい文学上の述作をやって、西洋人を驚かせようという希望を抱いていた。所が愈大学へ這入って三年を過して居るうちに、段々其希望があやしくなって来て、卒業したときには、是でも学士かと思う様な馬鹿が出来上った。それでも点数がよかったので、人は存外信用してくれた。自分も世間へ対しては多少得意であった。ただ自分が自分に対すると甚だ気の毒であった。そのうち愚図々々しているうちに、この己れに対する気の毒が凝結し始めて、体のいい往生となった。わるく云えば立ち腐れを甘んずる様になった。其癖世間へ対しては甚だ気が高い。何の高山の林公抔と思っていた。  その中、洋行しないかということだったので、自分なんぞよりももっとどうかした人があるだろうから、そんな人を遣ったらよかろうと言うと、まアそんなに言わなくても行って見たら可いだろうとのことだったので、そんなら行って見ても可いと思って行った。然し留学中に段々文学がいやになった。西洋の詩などのあるものをよむと、全く感じない。それを無理に嬉しがるのは、何だかありもしない翅を生やして飛んでる人のような、金がないのにあるような顔して歩いて居る人のような気がしてならなかった。所へ池田菊苗君が独乙から来て、自分の下宿へ留った。池田君は理学者だけれども、話して見ると偉い哲学者であったには驚いた。大分議論をやって大分やられた事を今に記憶している。倫敦で池田君に逢ったのは、自分には大変な利益であった。御蔭で幽霊の様な文学をやめて、もっと組織だったどっしりした研究をやろうと思い始めた。それから其方針で少しやって、全部の計画は日本でやり上げる積で西洋から帰って来ると、大学に教えてはどうかということだったので、そんならそうしようと言って大学に出ることになった。(是も今云った自分の研究にはならないから、最初は断ったのである。)  さて正岡子規君とは元からの友人であったので、私が倫敦に居る時、正岡に下宿で閉口した模様を手紙にかいて送ると、正岡はそれを『ホトトギス』に載せた。『ホトトギス』とは元から関係があったが、それが近因で、私が日本に帰った時(正岡はもう死んで居た)編輯者の虚子から何か書いて呉れないかと嘱まれたので、始めて『吾輩は猫である』というのを書いた。所が虚子がそれを読んで、これは不可ませんと云う。訳を聞いて見ると段々ある。今は丸で忘れて仕舞ったが、兎に角尤もだと思って書き直した。  今度は虚子が大いに賞めてそれを『ホトトギス』に載せたが、実はそれ一回きりのつもりだったのだ。ところが虚子が面白いから続きを書けというので、だんだん書いて居るうちにあんなに長くなって了った。というような訳だから、私はただ偶然そんなものを書いたというだけで、別に当時の文壇に対してどうこうという考も何もなかった。ただ書きたいから書き、作りたいから作ったまでで、つまり言えば、私がああいう時機に達して居たのである。もっとも書き初めた時と、終る時分とは余程考が違って居た。文体なども人を真似るのがいやだったから、あんな風にやって見たに過ぎない。  何しろそんな風で今日迄やって来たのだが、以上を綜合して考えると、私は何事に対しても積極的でないから、考えて自分でも驚ろいた。文科に入ったのも友人のすすめだし、教師になったのも人がそう言って呉れたからだし、洋行したのも、帰って来て大学に勤めたのも、『朝日新聞』に入ったのも、小説を書いたのも、皆そうだ。だから私という者は、一方から言えば、他が造って呉れたようなものである。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「文章世界」    1908(明治41)年9月15日 ※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2003年5月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎 文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎 夏目漱石  文芸が果して男子一生の事業とするに足るか何うかと云うことに答える前に、先ず文芸とは如何なるものであるか、と云うことを明かにしなければならぬ。文芸も見ように依って色々に見られるから、足るか足らぬかと争う前に、先ず相互の間に文芸とは如斯ものであると定めてかからねばなるまい。自分の云う文芸とは斯う云うものである。貴方の云う文芸とは然う云うものか、では男子一生の事業とするに足るとか、足らないとか論ずべきであって、若し、相互の間に文芸とは斯う云うものであると云うことを定めてかからない以上、其論は何時まで経っても終ることはない。それでは文芸とは如何なるものぞと文芸の定義を下すと云うことは、又些っと難かしいことで、とてもおいそれとそんな手早く出来ることではない。兎に角斯う云う問題は答えるに些っと答え難い。文芸其物を明らかにしてから言わねばならぬ。それなら、私は明らかであるか何うかと言えば、私は斯う答える。何人も満足せしめ得る程に明らかに自分は考えて居ないかも知れない、けれ共自分を満足せしむる丈けには、相当の考えを持って居る意である。其考えに依って此の問題を判断すると何うかと云うと、例の如く面倒くさくなる。斯う斯う斯うであるからして、私は文芸を以て男子一生の事業とするに足る、其理由を一々挙げて来なければならぬから、些っと手軽くは話されない。中々難かしくなる。然し、其理由は抜きにして、結論だけ言えと云うなら訳はなくなる。自分の文芸に対する考えに基づいて文芸と云う其職業を判断して見ると、世間に存在して居る如何なる立派なる職業を持って来て比較して見ても、それに劣るとは言えない。優るとは言えないかも知れないが、劣るとは言えない。文芸も一種の職業であって見れば、文芸が男子一生の事業とするに足らなくて、政治が男子の事業であるとか、宗教が男子一生の事業でなくて、豆腐屋が男子一生の事業であるとか、第一職業の優劣と云うことが何う云う標準を以て附けられるか、甚だ漠然たるもので、其標準を一つに限らない以上は、お互いに或る標準を打ち立てた上でなくては優劣は付くものでない。一般から標準を立てないで職業と職業とを比較するならば、総べての職業は皆同じで、其間に決して優劣はない。職業と云うことは、それを手段として生活の目的を得ると云うことである。世の中に存在する所の総ゆる職業は、其職業に依って、其職業の主が食って行かれると云うことを証明して居る。即ち、食って行かれないものなら、それは職業として存在し得られない。食って行ければこそ、世の中に職業として存在して居るのである。食って行き得る職業ならば、其職業は、職業としての目的を達し得たものと認めなければならぬ。で、職業としての目的を達し得た点に於て、総ゆる職業は平等で、優劣なぞのある道理はない。然う云う意味で言えば。車夫も大工も同じく優劣はない訳である。その如く大工と文学者にも又同じく優劣はない。又文学者も政治家も優劣はない。だから、若し文学者の職業が男子の一生の事業とするに足らぬと云うならば、政治家の職業も亦男子一生の事業とするに足らないとも言えるし、軍人の職業も男子の一生の事業とするに足らぬとも言える。それを又逆にして、若し、文学者の職業を男子一生の事業とするに足ると云うならば、大工も豆腐屋も下駄の歯入れ屋も男子一生の事業とするに足ると言っても差支えない。  けれ共、或る標準を立てると、其間に直ぐ優劣はついて来る。而して其優劣を定める標準は千差万別で、幾らでも出来る。例えば最も徳義に適ったものが最も好い職業であると、斯う云う標準も出来る。其徳義と云うものは、何う云う傾向を持ったものが徳義だとか、何う云う時代には何う云う傾向を持ったものが徳義だとか、只、徳義と云うものを割っただけでも、幾らでも出来て来るし、其他幾らでもある。又健康と云うことを標準として、身体に合ったものが好い職業であるとも言える。それならば労働者の方が文学者より偉い。最も危険に近いものが高尚な職業であると云う標準を立てるならば、軍人とか、探険家とか云うものが、一番偉くなる訳だ。或は、最も多い報酬を得る者が一番好い職業だと云う標準も立つ。然うすれば実業家が一番偉い職業になって了う。或は金以外評判と云うものが得られるのが一番好い職業だとも言われる。すれば芸人とか芸者とか、相撲取りとか云うものが一番好い職業である。其他其通りのことを列挙すれば幾らでも出て来る。際限の無い話である。従って文学は男子一生の事業とするに足るとか足らないとか云う問題も、要するに標準の立て方で、古今未曾有、無類飛び切り上等の職業ともなるし、天下最下等の愚劣な馬鹿気た職業となるかも知れない。だから標準の取り方で以て何うにでもなる。では貴方の標準は何所にあるかと、言われると大体の標準は定まって居るにした所で、時と場合に依って其標準が変り得る。例えば大晦日が来て金が一文も無く、最も痛切に金の入用を感ずる場合に、金の収入の少い文学者を職業として居れば、文学者ほど愚劣な職業はないと思うかも知れない。或は、私が身体の健康を害して、坐って居っては何うしても健全になれない。そして私が非常に健康と云うことに重きを置く場合に遭遇する。然うすると何うしても坐って居らなければならぬ文学者と云う者ほど、詰らない稼業はなくなって了う。で、然う云う風に標準は始終変って居るが、それでは、もっと大きな大体の標準を何所に置くかと云うことを話すことになると、前にも云ったように、文学の定義を定めてかからねばならず、文学とライフとの交渉を研究し、ライフの意味や価値を定めた上で、他の複雑した事業と比較して話さねばならぬ。それでは中々難かしくなって来るから、其所の所は言い得ない。結論だけを言うならば、それは極く簡単で、只、吾々が生涯従事し得る立派な職業であると私は考えて居るのだ。  何だか逃げ腰のような、ふわふわした答弁で、中までずんと突き入ってないので、何となく物足らない感じがあるかも知れない。それは中へ入って急所を突いた答えも、すれば出来ないではないが、それでは却って局部局部を挙げて論ずることになって不本意であるから、斯う云う全体を掩うたような答えをして置く。  で、今迄言ったような訳だから、文学は男子一生の事業とするに足らぬとか云う人が出て来ても、些っとも驚くことはない。又、文学は無類飛切の好い職業で、人生にとって之れ程意味あり、価値ある職業はないと云う人があっても、又決して喜ぶには当らない。文学に大きな価値があるとか無いとか、深い意味があるとか無いとか、両方で争って見た所で、それは要するに水掛け議論たるに過ぎない。本当に意味あり根柢のある論争ではない。各々の標準の立て方で、どちらも異った根拠に依っての議論であるから、何時果てる時はない。一見矛盾の如くにして、実は矛盾ではないのだ。例えば一方は箸の先端を見て箸は細いと云い、一方は箸の真中を見て箸は太いと云って居るのと同じことで、矛盾のようで実は矛盾でない。どちらにも根拠はある。先ずそれを争う前に、二人共箸の真中を見て、太い細いを論ずるのが本当の議論である。  今日の文学の価値に関しての議論が、其辺の微細な点まで極められた上での議論であるかどうか、或は、まだ可い加減に価値があるとかないとか云って居て、両方とも矛盾して居ないような気で、箸の真中と尖端の辺りを彷徨して居るのか、それは些っと考えて見ねばならぬ問題である。恐らく後者であろう。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 初出:「新潮」    1908(明治41)年11月1日号 ※底本は、「談話」の項におさめた本作品の表題に、かぎ括弧を付けて示している。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年5月10日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 長塚節氏の小説「土」 長塚節氏の小説「土」 夏目漱石  一方に斯んな考えがあった。――  好い所を世間から認められた諸作家の特色を胸に蔵して、其標準で新しい作物に向うと、まだ其作物を読まないうちに、早く既に型に堕在している。従ってわが評論は誠実でも、わが態度は独立でも、又わが言説の内容は妥当でも、始めから此方に定まった尺度を持っていて、其尺度で測ってならないもの迄も律したがる弊が出る。其結果は働きのない死んだ批評に陥って仕舞う事がよくある。  夫よりか、今日迄文壇に認められなかった、若くは顧みられなかった、新しい特殊な趣味を、ある作物のうちに発見して、それを天下に紹介する方が評家に取って痛快な場合が多い。又其特殊な趣味が容易に多数に肯われない所を、決然身を挺して唱道する所が、評家会心の点らしい。文壇はこれがために、新領土を手に入れたと同じ訳になるからである。  一方に又斯んな事実があった。――  近頃文芸の雑誌がしきりに殖える。毎月活版に組まれる創作の数も余程の数に上って来た。評論の筆を執るものが、一々それを熟読する機会を失った。余の如き自家の職業上、文芸の諸雑誌に一応眼を通すべき義務を感じていてさえ、多忙のため果さざる月が多い。   漸く手の隙いた頃を見計って、読み落した諸家の短篇物を読んで行くうちに、無名の人の筆に成ったもので、名声のある大家の作と比べて遜色のないもの、或はある意味から云って、却てそれよりも優れていると思われるものが間々出て来た。そうして当時の評論を調べて見ると、是等の作物が全く問題になって居ない。青木健作氏の「虻」抔は好例である。  型に入った批評家のために閑却され、多忙のため不公平を甘んずる批評家のために閑却されては、作家(ことに新進作家)は気の毒である。時と場合の許す限りそういう弊は矯正したい。「朝日」に長塚節氏の「土」を掲げるのも幾分か此主意である。  二三年前節氏の佐渡記行を読んで感服した事がある。記行文であったけれども普通の小説よりも面白いと思った。氏はまだ若い人である。しかも若い人に似合わず落ち付き払って、行くべき路を行って、少しも時好を追わない。是はわざと流行に反対したの何のという六ずかしい意味ではなくて、氏には本来芸術的な一片の性情があって、氏はただ其性情に従うの外、他を顧みる暇を有たないのである。余は其態度を床しく思った。  尤も今度載せる「土」の出来栄は、今から先を見越した様な予言が出来る程進行していない。最初余から交渉した時、節氏は自分の責任の重いのを気遣って長い間返事を寄こさなかった。夫から漸く遣って見様という挨拶が来た。夫から四十枚程原稿が来た。予告は此原稿と、氏の書信によって、草平氏が書いた。今の所余は「土」の一篇がうまく成功する事を氏のために、読者のために、且新聞のために祈るのみである。  有名な英国の碩学ミルは若い時、同じく若いテニソンをロンドン・リポジトリ紙上に紹介して、猶其次号にブラウニングを紹介しようとした。主筆から彼の批評は既に前号に載せたという返書を得て調べて見ると、頁の最後の一行にただ「ポーリン是は譫言なり」とあった。同雑誌の編輯者が一行余った処へ埋草に入れたものである。ブラウニングは後年人に語って、あの批評のために自分が世間に知られる機会が二十年後れたと云った。  余が新しい作家を紹介するのは、ミルを以て自ら任ずると云うより、かかる無責任な評論家の手から、望みのある人を救おうとする老婆心である。 底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房     1972(昭和47)年1月10日第1刷発行 ※吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、1910(明治43)年6月。 入力:Nana ohbe 校正:米田進 2002年4月27日作成 2003年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 『傳説の時代』序 『傳説の時代』序 夏目漱石  私はあなたが家事の暇を偸んで『傳説の時代』をとう/\仕舞迄譯し上げた忍耐と努力に少からず感服して居ります。書物になつて出ると餘程の頁數になるさうですが嘸骨の折れた事でせう。原書は私の手元にもあるから承知してゐますが、一寸見ると四六版の小形の册子に過ぎませんけれども、活字は細かし、上下は詰つてゐるし、讀むのにさへ隨分の時間は懸ります。況して一行毎に譯して行くとなつたら、それを專業にする男の手でもさう容易くは出來ません。況して夫の世話をしたり子供の面倒を見たり弟の出入に氣を配つたりする間に遣る家庭的な婦人の仕業としては全くの重荷に相違ありません。あなたは前後八ヶ月の日子を費やして思ひ立つた翻譯を成就したと云つて寧ろ其長きに驚ろかれるやうだが、私は却つて其迅速なのに感服したいのです。  出版に就て私の序文が御入用だとの仰は謹んで承りましたが、私はあらゆるミスに就て何事もいふ權利を有たない無學者なのだから少からず困却します。私は希臘の神話に就いて、あそこを少し、こゝを少し、と云つた風にうろ覺えに覺えてはゐますが、系統的には研究もせず、批判もせず、漫然と今日迄經過して來た事を、今日あなたの前に自白しなければならなくなりました。あなたの御譯しになつた原書は、今でもちやんと私の書架の中に飾つてあります。それを買つたのは何時の頃の事か覺えてゐない位ですから定めし古い昔だらうと思ひます。けれども其昔に買つた本を、今日迄まだ一度も眼を通した記憶がないのも慥かな事實ですから、私は希臘の神話にかけては、あなたよりも遙かに無知識なのです。立派な序文の書けやう筈がありません。  御存じの通り私は英文學出身のものですから、高等學校在學の頃から歐洲文學の根柢に横はる二つの寶庫(聖書と希臘神話)をいつか機會を見て思ふまゝ熟覽して置きたいといふ希望を抱いてゐましたが、御恥づかしい事に、此機會は永久に多忙な自分の眼前に遂に出現せずに濟んで仕舞ひました。  私が高等學校にゐる頃同級生に松本亦太郎(今の文學博士)といふ人がゐました。此人は其頃熱心な基督信者でしたが、ある時私に、聖書を日に何頁づゝとか讀むと、丁度三年目に新舊兩約全書を通讀する事になるといつて、それを日課として毎日怠らず繰返してゐるやうでした。私は其話を聞いた時、たとひ私が耶蘇教徒でないにせよ、バイブルは文學上必要の書物だから、さういふ課程をこしらへて、長い間に通讀したら嘸有益だらうと思つて、既に遣り始めようと迄決心した事があります。然し好きな事にばかり夢中になり易い、又厭な事に始終追ひ懸けられてゐた其頃の私には、ついに夫すら果さずじまひに終りました。夫だから、私のバイブルに於ける知識は非常に貧弱なものです。さうして私の希臘神話に於る知識も亦これに劣らぬ程憐なものなのに過ぎません。  それがため學校を出て教師をしてゐる時分には、よく雙方の故事故典で惱まされました。仕方なしにバイブルのコンコーダンスを左右に置いたりクラシカル字彙といふやうなものを机上に具へたりして、何うか斯うか御茶を濁して通りました。甚だ切ない事でした。切ない許ならまだしも、時によると、馬鹿々々しくて腹の立つ事さへありました。  あなたが何んな動機から神話を譯して御覽になつたかはまだ解らないが、恐らく文學を研究する人の手引草として許ではないでせう。今の人の手にする文學書にはーナスとかバツカスとかいふ呑氣な名前は餘り出て來ないやうです。希臘のミソロジーを知らなくても、イブセンを讀むには殆んど差支ないでせう。もつと皮肉にいふと、人生に切實な文學には遠い昔しの故事や故典は何うでも構はないといふ所に詰りは落ちて來さうです。あなたもそれは御承知でせう。それでゐてこんな夢のやうなものを八ヶ月もかゝつて譯したのは、恐らく餘りに切實な人生に堪へられないで、古い昔の、有つたやうな又無いやうな物語に、疲れ過ぎた現代的の心を遊ばせる積りではなかつたでせうか、もし左右ならば私も全く御同感です。其意味を面倒に述べ立てるのは大袈裟だから止しますが、私は自分で小説を書くと其あとが心持ちが惡い。それで呑氣な支那の詩などを讀んで埋め合せを付けてゐます。夫から大病中徒然を慰めるため繪(繪といふ名はちと分に過ぎるから、繪のやうなものと云つた方が適切ですが)其繪を描いて遊んでゐると、矢張り仙人だの坊主だの山水だのが天然自然題目になります。是もある意味に於てあなたの神話に丹精を盡したと同じ動機になるのではありますまいか。弱い神經衰弱症の人間が無暗に他の心を忖度して好い加減な事を申して濟みません。もし間違つたら御勘辨を願ひます。  最後に神樣の名前の發音に就いて一寸申上げます。あなたの發音法は大部分大陸讀方(コンチネンタル・メソツド)を用ゐられた樣ですが、日本で云ひ慣らされたバツカスとかーナスとか云ふのは英吉利讀にされたと見えますから其邊は一寸讀者に注意して置いて遣らないと惡いだらうと思ひます。夫から又羅甸讀にしてもクオンチチイを付けて發音しないで、のべつに羅馬字綴りの讀み方見たやうに遣つたのがあるなら、夫も序に斷つて置いて御遣んなさい。  序を書きたいのは山々ですが序らしい序が書けないので此手紙を書きました。若し序の代りにでも御用ひが出來るなら何うぞ御使ひ下さいまし。以上。   六月十日 夏目金之助     野上八重子樣 (大正二年) 底本:「ギリシア・ローマ神話」ブルフィンチ作、野上弥生子訳、岩波文庫、岩波書店    1978(昭和53)年8月16日改版第1刷発行    1988(昭和63)年8月15日第17刷発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:鈴木厚司 校正:kamille 2004年7月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 「自然を寫す文章」 「自然を寫す文章」 夏目漱石  自然を寫すのに、どういふ文體が宜いかといふ事は私には何とも言へない。今日では一番言文一致が行はれて居るけれども、句の終りに「である」「のだ」とかいふ言葉があるので言文一致で通つて居るけれども、「である」「のだ」を引き拔いたら立派な雅文になるのが澤山ある。だから言文一致は便利ではあらうが、何も別にこれでなければ自然は寫せぬといふ文體はあるまい。けれども漢文くづしの文體が可いか、言文一致の細かいところへ手の屆く文體が可いかといふ事は、韻致とか、精細とかいふ點に於て一寸考へものだらうとは思ふ。  韻致とか精細とか言ふ事は取りやうにもよるが、精細に描寫が出來て居て、しかも餘韻に富んで居るといふやうな文章はまだ私は見た事がない。或一つの風景について、テンからキリまで整然と寫せてあつて、それがいかにも目の前に浮動するやうな文章は恐らくあるまい。それは到底出來得べからざる事だらうとおもふ。私の考では自然を寫す――即ち敍事といふものは、なにもそんなに精細に緻細に寫す必要はあるまいとおもふ。寫せたところでそれが必ずしも價値のあるものではあるまい。例へばこの六疊の間でも、机があつて本があつて、何處に主人が居つて、何處に煙草盆があつて、その煙草盆はどうして、煙草は何でといふやうな事をいくら寫しても、讀者が讀むのに讀み苦しいばかりで何の價値もあるまいとおもふ。その六疊の特色を現はしさへすれば足りるとおもふ。ランプが薄暗かつたとか、亂雜になつて居つたとか言ふ事を、讀んでいかにも心に浮べ得られるやうに書けば足りる。畫でもさうだらう。西洋にもやはり畫家の方でさういふ議論も澤山あるし、日本の鳥羽僧正などの畫でも、別に些しも精細といふ點はないが、一寸點を打つても鴉に見え、一寸棒をくる/\と引つ張つてもそれが袖のやうに見える。それが又見るものの眼には非常に面白い。文章でもさうだ。鏡花などの作が人に印象を與へる事が深いといふのも矢張りかういふ點だらうとおもふ。一寸一刷毛でよいからその風景の中心になる部分を、すツと巧みになすつたやうなものが非常に面白い、目に浮ぶやうに見える。五月雨の景にしろ、月夜の景にしろ、その中の主要なる部分――といふよりは中心點を讀者に示して、それで非常に面白味があるといふやうに書くのは、文學者の手際であらうとおもふ。  だから長々しく敍景の筆を弄したものよりも、漢語や俳句などで、一寸一句にその中心點をつまんで書いたものに、多大の聯想をふくんだ、韻致の多いものがあるといふのは、畢竟こゝの消息だらうとおもふ。要するに、一部一厘もちがはずに自然を寫すといふ事は不可能の事ではあるし、又なし得たところが、別に大した價値のある事でもあるまい。その證據に、よく敍景などの文をよんで、精しく檢べて見ると、隨分名文の中に、前に西向きになつて居るものが後に東向きになつて居つたり、方角の矛盾などが隨分あるけれども、誰もそんな事を捉まへて議論するものも無ければ、その攻撃をしたものも聞かない。で、要するに自然にしろ、事物にしろ、之を描寫するに、その聯想にまかせ得るだけの中心點を捉へ得ればそれで足りるのであつて、細精でも面白くなければ何にもならんとおもふ。 ―明治三九、一一、一『新聲』― 底本:「漱石全集 第三十四巻」岩波書店    1957(昭和32)年10月12日第1刷発行    1960(昭和35)年7月30日第3刷発行 初出:「新聲」    1906(明治39)年11月1日号 入力:川向直樹 校正:小林繁雄 2003年12月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。 夏目漱石 西洋にはない 西洋にはない 夏目漱石  俳諧の趣味ですか、西洋には有りませんな。川柳といふやうなものは西洋の詩の中にもありますが、俳句趣味のものは詩の中にもないし、又それが詩の本質を形作つても居ない。日本獨特と言つていゝでせう。  一體日本と西洋とは家屋の建築裝飾なぞからして違つて居るので、日本では短冊のやうな小さなものを掛けて置いても一の裝飾になるが、西洋のやうな大きな構造ではあんな小ぽけなものを置いても一向目に立たない。  俳句に進歩はないでせう、唯變化するだけでせう。イクラ複雜にしたつて勸工場のやうにゴタ/\並べたてたつて仕樣がない。日本の衣服が簡便である如く、日本の家屋が簡便である如く、俳句も亦簡便なものである。 ―明治四四、六、一『俳味』― 底本:「漱石全集 第三十四巻」岩波書店    1957(昭和32)年10月12日第1刷発行    1960(昭和35)年7月30日第3刷発行 初出:「俳味」文教社    1911(明治44)年6月1日号 入力:川向直樹 校正:土屋隆 2005年9月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。 夏目漱石 点頭録 点頭録 夏目漱石        一  また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の間に斯う年齢を取つたものか不思議な位である。  此感じをもう少し強めると、過去は夢としてさへ存在しなくなる。全くの無になつてしまふ。実際近頃の私は時々たゞの無として自分の過去を観ずる事がしば/\ある。いつぞや上野へ展覧会を見に行つた時、公園の森の下を歩きながら、自分は或目的をもつて先刻から足を運ばせてゐるにも拘はらず、未だ曾て一寸も動いてゐないのだと考へたりした。是は耄碌の結果ではない。宅を出て、電車に乗つて、山下で降りて、それから靴で大地の上をしかと踏んだといふ記憶を慥かに有つた上の感じなのである。自分は其時終日行いて未だ曾て行かずといふ句が何処かにあるやうな気がした。さうして其句の意味は斯ういふ心持を表現したものではなからうかとさへ思つた。  これをもつと六づかしい哲学的な言葉で云ふと、畢竟ずるに過去は一の仮象に過ぎないといふ事にもなる。金剛経にある過去心は不可得なりといふ意義にも通ずるかも知れない。さうして当来の念々は悉く刹那の現在からすぐ過去に流れ込むものであるから、又瞬刻の現在から何等の段落なしに未来を生み出すものであるから、過去に就て云ひ得べき事は現在に就ても言ひ得べき道理であり、また未来に就いても下し得べき理窟であるとすると、一生は終に夢よりも不確実なものになつてしまはなければならない。  斯ういふ見地から我といふものを解釈したら、いくら正月が来ても、自分は決して年齢を取る筈がないのである。年齢を取るやうに見えるのは、全く暦と鏡の仕業で、其暦も鏡も実は無に等しいのである。  驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地を蔽ひ尽して儼存してゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至る迄此「我」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越してゐるといふ動かしがたい真境である。だから其処に眼を付けて自分の後を振り返ると、過去は夢所ではない。炳乎として明らかに刻下の我を照しつゝある探照燈のやうなものである。従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間並に年齢を取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。  生活に対する此二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象に就いて、自分は今何も説明する積はない。又解剖する手腕も有たない。たゞ年頭に際して、自分は此一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任せる覚悟をした迄である。  若し無に即して云へば、自分は今度の春を迎へる必要も何もない。否明治の始めから生れないのと同じやうなものである。然し有になづんで云へば、多病な身体が又一年生き延びるにつれて、自分の為すべき事はそれ丈量に於て増すのみならず、質に於ても幾分か改良されないとも限らない。従つて天が自分に又一年の寿命を借して呉れた事は、平常から時間の欠乏を感じてゐる自分に取つては、何の位の幸福になるか分らない。自分は出来る丈余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けてゐる。  趙州和尚といふ有名な唐の坊さんは、趙州古仏晩年発心と人に云はれた丈あつて、六十一になつてから初めて道に志した奇特な心懸の人である。七歳の童児なりとも、我に勝るものには我れ即ち彼に問はん、百歳の老翁なりとも我に及ばざる者には我れ即ち侘を教へんと云つて、南泉といふ禅坊さんの所へ行つて二十年間倦まずに修業を継続したのだから、卒業した時にはもう八十になつてしまつたのである。夫から趙州の観音院に移つて、始めて人を得度し出した。さうして百二十の高齢に至る迄化導を専らにした。  寿命は自分の極めるものでないから、固より予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の初発心の時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十迄生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。それで私は天寿の許す限り趙州の顰にならつて奮励する心組でゐる。古仏と云はれた人の真似も長命も、無論自分の分でないかも知れないけれども、羸弱なら羸弱なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於ての感謝の意を致して、自己の天分の有り丈を尽さうと思ふのである。  自分は点頭録の最初に是丈の事を云つて置かないと気が済まなくなつた。        二 軍国主義(一)  今度の欧洲戦争が爆発した当時、自分は或人から突然質問を掛けられた。 「何んな影響が出て来るでせう」 「左様」  自分は実際考へる暇を有たなかつた。けれども答へなければならなかつた。 「何んな影響が出て来るか、来て見なければ無論解りませんけれども、何しろ吾々が是はと驚ろくやうな目覚ましい結果は予期しにくいやうに思ひます。元来事の起りが宗教にも道義にも乃至一般人類に共通な深い根柢を有した思想なり感情なり欲求なりに動かされたものでない以上、何方が勝つた所で、善が栄えるといふ訳でもなし、又何方が負けたにした所で、真が勢を失ふといふ事にもならず、美が輝を減ずるといふ羽目にも陥る危険はないぢやありませんか」  自分はさう云ひ切つて仕舞つた。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が凄じい位猛烈な割に、案外落付いてゐられるのは、全く此見解が知らず/\胸の裡にあるからだらうと、私かに自分で自分を判断した。  実際此戦争から人間の信仰に革命を引き起すやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが為に美醜の標準に狂ひが出やうとは猶更懸念できない。何の方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂文明なるものゝ本流に、強い角度の方向転換が行はれる虞はないのである。  戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵斯んなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其仕懸の空前に大袈裟な丈に、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として却て思ひ出させる丈である。自分は常にあの弾丸とあの硝薬とあの毒瓦斯とそれからあの肉団と鮮血とが、我々人類の未来の運命に、何の位の貢献をしてゐるのだらうかと考へる。さうして或る時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿々々しくなる。最後に折々は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。左様した立場から眺めると、如何に凄じい光景でも、如何に腥ぐさい舞台でも、それに相応した内面的背景を具へて居ないといふ点に於て、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの軽浮なセンセーシヨナル小説だのと択ぶ所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々個々の頭上には、千差万別の悲劇が錯綜紛糾して、時々刻々に彼等の運命を変化しつゝあらうとも、それは当座限りの影響に過ない。永久に吾人一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は何処からも生れて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの空々しい事実なのである。(つゞく)        三 軍国主義(二)  然しもう少し低い見地に立つて、もつと手近な所を眺めると、此戦争の当然将来に齎すべき結果は、いくらでも吾々の視線の中に這入つて来なければならない。政治上にせよ、経済上にせよ、向後解決されべき諸問題は何の位彼等の前に横はつてゐるか分らないと云つても好い位である。  其中で事件の当初から最も自分の興味を惹いたもの、又現に惹きつゝあるものは、軍国主義の未来といふ問題に外ならなかつた。人道の為の争ひとも、信仰の為の闘ひとも、又意義ある文明の為の衝突とも見做す事の出来ない此砲火の響を、自分はたゞ軍国主義の発現として考へるより外に翻訳の仕様がなかつたからである。欧洲大乱といふ複雑極まる混乱した現象を、斯う鷲攫に纏めて観察した時、自分は始めて此戦争に或意味を附着する事が出来た。さうして重に其意味からばかり勝敗の成行を眺めるやうになつた。従つて個人としての同情や反感を度外に置くと、独逸だの仏蘭西だの英吉利だのといふ国名は、自分に取つてもう重要な言葉でも何でもなくなつて仕舞つた。自分は軍国主義を標榜する独逸が、何の位の程度に於て聯合国を打ち破り得るか、又何れ程根強くそれらに抵抗し得るかを興味に充ちた眼で見詰めるよりは、遥により鋭い神経を働かせつつ、独逸に因つて代表された軍国主義が、多年英仏に於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうかを観望してゐるのである。国土や領域や羅甸民族やチユトン人種や凡て具象的な事項は、今の自分に左した問題になつてゐない。  独逸は当初の予期に反して頗る強い。聯合軍に対して是程持ち応へやうとは誰しも思つてゐなかつた位に強い。すると勝負の上に於て、所謂軍国主義なるものゝ価値は、もう大分世界各国に認められたと云はなければならない。さうして向後独逸が成功を収めれば収める程、此価値は漸々高まる丈である。英吉利のやうに個人の自由を重んずる国が、強制徴兵案を議会に提出するのみならず、それが百五対四百三の大多数を以て第一読会を通過したのを見ても、其消息はよく窺はれるだらう。  かつてギッシングの書いたものを読んだら、小さいうち学校で体操を強ひられるのが、非常の苦痛と不快を彼に与へたといふ事が精しく述べてあつた末に、もしわが英国で本人の意思に逆つて迄も徴兵を強制するやうになつたと仮定したら、自分は何んな心持になるだらう、さういふ事実は万々起る筈はないのだけれども、たゞ想像して見てさへ堪へられないと附け加へてあつた。ギッシングのやうに独居を好む人は特別だと云ふかも知れないが、英国人の自由を愛する念と云つたら、殆ど第二の天性として一般に行き渡つてゐるのだから、強制徴兵に対する嫌悪の情は、誰しもギッシングに譲らないと見ても間違はないのである。其英国で無理にも国民を兵籍に入れやうとするのには至大の困難があると思はなければならない。其困難を冒して新しい議案が持ち出され、又其議案が過半の多数に因つて通過されたとすると、現に非常な変化が英国民の頭の中に起りつつある証拠になる。さうして此変化は既に独逸が真向に振り翳してゐる軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない。戦争がまだ片付かないうちに、英国は精神的にもう独逸に負けたと評しても好い位のものである。(つゞく)        四 軍国主義(三)  開戦の劈頭から首都巴里を脅かされやうとした仏蘭西人の脳裏には英国民よりも遥に深く此軍国主義の影響が刻み付けられたに違ない。たゞでさへ何うして独逸に復讐してやらうかと考へ続けに考へて来た彼等が、愈となると、却て其独逸の為に領土の一部分を蹂躪されるばかりか、政庁さへ遠い所へ移さなければならなくなつたのは、彼等に取つて甚だ痛ましい事実である。其事実を眼前に見た彼等の精神に、一種の強い感銘が起るのも亦必然の結果と云はなければなるまい。飛行船から投下された爆弾以外に、まだ寸土も敵兵に踏まれてゐない英国に比較すると、此精神的打撃は更に幾倍の深刻さを加へてゐると見るのが正に妥当の見解である。  不幸にして強制徴兵案の様に自分の想像を事実の上で直接確めて呉れる程の鮮やかな現象が、仏蘭西ではまだ起つてゐないから、自分は自分の臆説をさう手際よく実際に証明する訳に行かない。けれども戦争の経過につれて、彼等の公表する思想なり言説なりに現れて来る変化を迹付ければ、自分の考への大して正鵠を失つてゐない事丈は略慥なやうに思はれる。此間或雑誌で「力」といふ観念に就て独仏両者を比較したパラントといふ人の文章を読んだ時、自分は益其感を深くした。  彼は「力」といふ考への中に、独逸人の混入した不純な概念を列挙した末、仏蘭西のそれも矢張り変に歪んでしまつたといふ事を下の様に説いてゐる。 「仏蘭西では科学的に所謂「力」といふものが正義権利の観念と衝突した。ルーテル式独逸式ではないが、ルソー式、トルストイ式、四海同胞式、平和式、平等式、人道式なる此観念のために本来の「力」といふ考へがつい曲げられて不徳不仁の属性を帯びるやうになつてしまつた。そこで正義と人道と平和の為に此「力」といふものを軽蔑し且否定しなければならなくなつた。さうして美と正義を一致させ、美と調和を一致させる美学を建設した。奮闘も差別も自然の法則であるといふ事を忘れた。美其物も一種の「力」であり、又「力」の発現であるといふ事を忘れた。正義其物も本来の意味から云へば平衡を得た「力」に過ぎないといふ事を忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は却て転来的であるといふ事も忘れた。斯んな僻見に比べるとニーチエの方が何の位尤もであつたか分らない。……そこで吾々は何うしても「力」といふ観念をこゝで一新する必要がある。さうして本当の意味でもう一度それを評価の階段中に入れ易へなければならない。自然の法則を現すといふ点に於て「力」は科学的なものである。勝利を冀ふ人間の精神を現すといふ点に於て「力」は高尚なものである。吾々はもう権利と「力」とを対立させる事を已めなければ行けない。権利がなくつて負けるのはまだしもだが、権利がある上に負けるのは二重の敗北である。最大の損害である。無上の不幸である」  冗漫と難渋とを恐れて、わざと大意丈を抄訳した此一節を読んで見ても、相手の軍国主義が何んな風に仏蘭西の思想界の一部に食ひ入りつゝあるかが解るだらう。(つゞく)        五 軍国主義(四)  すると戦争のまだ落着しないうちから、年来独逸によつて標榜された軍国的精神なるものは既に敵国を動かし始めたのである。遠い東の果に住んでゐる吾々の視聴を刺戟する位強く彼等の心を動かし始めたのである。さうして此影響はたとひ今度の戦争が片付いても、容易に彼等の脳裏から拭ひ去る事が出来ないのである。単に過去の経験を痛切に記憶すべく余儀なくされた結果として拭ひ去る事が出来ないばかりでなく、未来に対する配慮からしても到底此影響を超越する訳には行かないのである。  待対世界の凡てのものが悉く条件つきで其存在を許されてゐる以上、向後に回復されべき欧洲の平和にも、亦絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。然し彼等が其平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強ひられるに至つては、彼等と雖も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上至極平和さうに見える。今迄彼等の享有した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後当分の間忘れる事の出来ないやうに遣付けられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又是から先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いものではない。又短いものではなからう。  普魯西人は文明の敵だと叫んで見たり、独逸人が傍にゐると食つた物が消化れないで困ると云つたりしたニーチエは、偉大なる「力」の主張者であつた。不思議にも彼の力説した議論の一面を、彼の最も忌み悪んだ独逸人が、今政治的に又国際的に、実行してゐるのである。さうして成効してゐるのである。軍国主義の精神には一時的以上の真理が何処かに伏在してゐると認めても差支ないかも知れない。  然し自分の軍国主義に対する興味は、此処迄観察して来ると其処で消えてしまはなければならない。自分はこれ以上同じ問題に就いて考へる必要を認めない。又手数も厭はしい気がする。自分はもつと高い場所に上りたくなる。もつと広い眼界から人間を眺めたくなる。さうして今独逸を縦横に且獰猛に活躍させてゐる此軍国主義なるものを、もつと遠距離から、もつと小さく観察したい。  将来に於ける人間の生存上赤裸々なる腕力の発現が、大仕掛の準備、即ち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的は他にあるが、それを遂行する手段として已を得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。然し戦争其物が面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様な此方面の天才ですら、夜打朝懸、軍さの懸引に興味は有つてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したり傷けたりしない程度に於て其本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命を賭にして此本能に飽満の悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しも云ひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等かの目的がなくてはならない、畢竟ずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。  何れの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも亦決して活力評価表の上に於て、決して上位を占むべきものでない事は明かである。  自分は独逸によつて今日迄鼓吹された軍国的精神が、其敵国たる英仏に多大の影響を与へた事を優に認めると同時に、此時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に斯く多大の影響を与へた事を悲しむものである。        六 トライチケ(一)  欧洲戦争が起つてから、独乙の学者思想家の言論を実際的に解釈するものが続々出て来た。  最初英吉利の雑誌にはニーチエといふ名前が頻りに見えた。ニーチエは今度の事件が起る十年も前、既に英語に翻訳されてゐる。英吉利の思想界にあつて別に新らしい名前でもない。然し彼等は其名前に特別な新らしい意味を着けた。さうして彼の思想を此大戦争の影響者である如くに言ひ出した。是は誰の眼にも映る程屡繰り返された。基督の道徳は奴隷の道徳であると罵つたのは正にニーチエであると同時に、ビスマークを憎みトライチケを侮つたのもニーチエであるとすると、彼が斯ういふ解釈を受けて満足するかどうかは疑問である。本人の思はく如何は別問題として、彼の唱道した超人主義の哲学が、此際独乙に取つて、何れ程役に立つてゐるかも遠方に生れた自分には殆んど見当が付かない。  仏蘭西の一批評家は「所謂独乙的発展」といふ題目の下に、ヘーゲルとビスマークとヰリアム二世の名を列挙した。彼はヘーゲルの様な純粋の哲学者を軍人政治家と結び付ける許りか、其思想が彼等軍人政治家の実行に深い関係を有してゐるのだといふ事を説明しやうと試みた。彼の云ふ所によると、普魯西の軍国主義はヘーゲルの観念論の結果に外ならんといふのである。――元来独乙のアイヂアリズムは観念の科学であつて、其観念なるものが又大いに感情的分子を含んでゐる。文字の示現通り単なる冥想や思索でなくつて、場合が許すならば、何時でも実行的に変化するのみならず、時としては侵略的にさへなりかねない程毒々しいものである。アイヂアリズムが論議の援助を受けて、主観客観の一致を発見したが最後、こゝに外界と内界の墻壁を破壊して、凡てを吸収し尽さなければ已まない事になる。アイヂアリズムから思ひも寄らない物質主義が現はれてくる。是は最初から無関心で出立しない哲学として、陥るべき当然の結果である。  此批評家の云ふ事が、果して真相の解釈であるか何うか、是も自分には分らない。唯遠くにゐて、其土地の空気を呼吸しない所為か、斯ういふ説明は自分から見て何うも切実でないやうな気がする。奇抜な事は突飛な位奇抜とは思ふが、それがため却つて成程と首肯しがたくなる位なものである。  例を挙げればまだ沢山あるが、さう一々も覚えてゐないから、まづ此位にして置いて、自分は一寸斯ういふ現象に就いてこゝに挿話的ながら考へて見たいと思ふ事がある。  英仏の評論家は現在の戦争を単に当面の事実としてばかり眺めてゐないのみならず、又それを政治上の問題としてばかり考へてゐないのみならず、其背後に必ず或思想家なり学者なりの言説を大いなる因子として数へたがつてゐる傾向に見える。実際欧洲の思想家や学者はそれ程実社会を動かしてゐるのだらうか。  自分は日露戦争が、我日本の生んだ大哲学者の影響を蒙つて発現したとは決して思はない。日清戦争も其通りである。戦争はとにかく、其他の小事件にせよ、我日本に起つた歴史的事実の背景に、思想家の思想を基点として据ゑ得るものは殆んどないやうに思ふ。現代の日本に在つて政治は飽く迄も政治である。思想は又何所迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら/\に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。山陽の日本外史が維新の大業に醗酵分となつて交り込んだのは、例外中の例外で、しかもそれは明治大正以前の事実に過ぎない。日本の思想家が貧弱なのだらうか。日本の政治家の眼界が狭いのだらうか。又は西洋の批評家の解釈に誇張が多過ぎるのだらうか。自分は三つとも否定する訳に行くまいと思ふ。さうして其内で西洋の批評家の誇張が一番少ないと思ふ。(つゞく)        七 トライチケ(二)  もしトライチケの名がニーチエやヘーゲルと同じ意味に於て此戦争の引合に出るならば、自分は少なくとも是丈の事を頭のうちに入れて置く方が便利だと考へる。さうすれば大した困難と誤解なしに、現下独乙に於る彼の地位が、比較的明瞭に想像され得るからである。  ニーチエやヘーゲルは此事件後に復活した名前ではない。只在来の名前に英仏人が新らしい意義を付けた丈である。疾うから知れてゐる彼等の内容を、一種の刺戟に充ちた異様の眼で、特別に眺めた丈である。トライチケも復活した名でないかも知れない。けれども前者と違つて、此際新らしい解釈を受ける必要のない名である。今迄のトライチケを今迄通りに見てゐれば、視線の角度を改める必要も手数も要らないで、すぐ彼と今度の戦争との関係が解るのである。彼の説はニーチエ程高踏的でなかつた。孤峰頂上から下界へ向つて命令するが如き態度で、詩のやうな哲学、又哲学のやうな詩を絶叫しはしなかつた。無論ヘーゲル程神秘の雲のうちに隠れて弁証の稲妻を双手に弄する人ではなかつた。彼は最初から確実に地上を歩いてゐた。のみならず彼の眼界は狭い独乙によつて東西南北共に仕切られてゐた。従つて今更新らしく彼を翻訳する必要もなければ又しやうとした所で其余地もないのである。たゞ当時の彼を当時の儘引き延ばして、今の戦争に連続させさへすれば、それで両者の関係は可なり判然するのである。自分はわざと両者の関係と云つた。実は彼が今次の大戦争に及ぼした影響と云ひたいのであるが、それはニーチエやヘーゲルの場合と同じく、影響の程度からいつて、自分には能く解らないから、仕方なしにさういふ言葉遣ひを遠慮した。しかも其上に前述べた通り、彼我国情の差違並びに批評家の誇張などを念頭に置いて、是からトライチケを一瞥しやうとするのである。  千八百三十四年ドレスデンに生れた彼は、父が軍籍に在つた関係から云つても、母が士官の娘であつた因縁から見ても、兵士たるべき運命を有つて生れたと同じ事であつた。小供の時、疱瘡に罹つたのと、それに引き続いて耳の病気に冒されたので、幸か不幸か、彼は彼の既定の行路を全然見捨てなければならなくなつた。  然し十四位から彼の父に送る手紙の中には、もう政治上の意見などがちらほら散見し始めたさうである。さうして十六になるかならない内に、彼はいつの間にか熱烈なる独乙統一論者になつて仕舞つた。無論普魯西を盟主としなければならないといふのが、彼の当初からの主張であつた。彼がライプチツヒに遊学した頃、教授の講義は碌に聴きもせず、手当り次第に一人ぼつちの乱読を恣まにした時ですら、書物から得る凡ての知識は、みな此普魯西中心の国家といふ大理想を構成する為に利用されたのである。  彼はマキアルを読んだ。正義だらうが道徳だらうが、国家の為ならば、何時犠牲に供しても差支ないものだといふ信念を抱くやうになつた。専政だらうが圧制だらうが、苟も国家の統一を維持し、又国家の威力を増進する以上は、いくら何う用ひても構はないものだといふ決論に到着した。さうして其意見を彼の父に書いて遣つた。是は彼がゲツチンゲンで修業してゐる頃で、年歯にすると二十二三の時の事である。(つゞく)        八 トライチケ(三)  東西南北どちらの方角を眺めても、彼の眼に映ずるものは悉く独乙の敵であつた。彼は魯西亜を軽蔑した。年来独乙の統一に反対する墺地利も、彼の憎悪を免かれなかつた。ミルトンとシエクスピヤを嘆美しながらも、それらの詩人を有する英吉利は、彼から見ると独乙の発展に妨害ある一種の邪魔物に過ぎなかつた。彼は到底一戦争しなければ済まないと考へた。さうして其戦争から真に強固にして健全な独乙が生れて来るといふ事を信じて疑はなかつた。  多数の聴講生を有する彼は、此目的をもつて大学で普国史を講じ出した。ごた/\した小邦はみんな取り潰してしまはなければならないといふ彼の本意は、此一事でも窺はれた。彼は自ら小邦に生れた事を忘れた。彼の父に対する義理も忘れた。彼は父に向つて云つた。 「親子の情合のために自分の信念を枉げる事は、私には何うしても出来ません」  彼は此言葉と共にライプチツヒを去つた。再び招かれて其所で演説を試みた時、彼は独乙統一のために、焔のやうな熱烈の言辞を二万の聴衆の上に浴せ掛けた。無邪気な彼等は呆然として驚ろいた。  所へビスマークが現はれた。さうしてビスマークは彼の要する理想の人物であつた。ビスマークの時めく普魯西政府は猶の事統一の中心にならねばならなかつた。彼の所謂「国家」とならねばならなかつた。「第一に自由、夫から統一」といふ叫び声を無意味なものとして聞き流した彼は、「第一に国家の権利、夫から国家」といふ旗幟を無遠慮に押し立てた。さうして其国家は即ち普魯西である。他の小邦は幾多の犠牲を甘んじても、此中央政府の意志と命令に従はなければならないといふのが彼の意見であつた。 「国家の実質とも見傚し得べき「力」を有たない小邦が、何で国家を代表する事が出来よう」  彼は斯ういつて、多くの小邦を睥睨した。其内には彼の故郷のサクソニーも無論含まれてゐた。  千八百六十七年ビスマークの力によつて成就された北独乙の聯合は、此意味から見て、彼の理想をある程度迄現実にしたものに違なかつた。其結果として凡てに課せられたる義務兵役と、其義務兵役から生ずる驚ろくべき多くの軍隊とは、支配権を有する普魯西に取つて大いなる力であつた。それを独乙勢力の増進に必要な条件、即ち西方発展策に応用したのが即ち普仏戦争なのである。  彼の教授を受けた多くの学生は其時従軍した。彼等の一人が熱烈な告別の辞を述べた時、「どんな犠牲を払つても勝て」と云つた彼は、忽ちヒーローとして青年から目されるやうになつた。彼は固より独乙の勝利を信じて疑はなかつたのである。さうして不思議の沈黙に陥つたかと思ふと、彼は負けた仏蘭西に課すべき条件の項目を其間に調べ出した。彼はアルサス、ローレンの歴史を研究した末、此二州は元々独乙のものであつたのだから、戦勝後は当然旧主の手に帰るべきものだといふ説を発表した。(つゞく)        九 トライチケ(四)  独乙は勝つた。独乙帝国は成立した。彼が十年の間夢に迄見た希望は遂に達せられた。 「統一の星は上つた。其途を妨ぐるものは災を蒙れ」  是が彼の言葉であつた。此光輝ある時期に際会しながら、猶且つ厭世哲学を説くハルトマンの如きは畢竟ずるに一種の精神病者に過ぎないと彼は断言した。其癖意志の肯定は国家として第一の義務であると主張する彼は、ハルトマンによつて復活されたる意志の哲学、即ち宇宙実在の中心点を意志の上に置く哲学によつて大いに動かされたのである。彼は実社界を至極手荒いものに考へた。仁義博愛は口に云ふべくして政治上に行ふべきものでないと信じた。斯くして彼はあらゆる人道的及び自由主義の運動に反対したのである。……  自分はトライチケの影響で今度の欧洲戦争が起つたとは云はない。彼の生時にあつてすら、彼はビスマークの顧問でもなければ又助言者でもなかつた。彼の主張とビスマークの実行とは寧ろ偶然に一致したのだらう。たとひ彼が鉄血宰相の謳歌者であつたにした所で、謳歌されるビスマークの方では、夫程彼の言論に動かされてゐなかつたかも知れない。それにも拘はらず結果から云へば、彼はビスマークの政治上で断行した事を、彼の学説と言論によつて一々裏書したと云つても差支ないのである。さうして今日の独乙が、社会主義者其他の反抗に関せず、当時の方針を基儘継続して、其極今度の大乱を引き起したとすれば、思想家としてトライチケの独乙に対する立場も亦自然明瞭になつた訳である。  是丈の関係を明かにすると、自分の癖として、又根本問題に立ち返つて、質問が起したくなる。 「トライチケの鼓吹した軍国主義、国家主義は畢竟独乙統一の為ではないか。其統一は四囲の圧迫を防ぐためではないか。既に統一が成立し、帝国が成立し、侵略の虞なくして独乙が優に存在し得た暁には撤回すべき性質のものではないか。もし永久に此主義で押し通すとならば、論理上此主義其物に価値がなくてはならない。さうして其価値によつて此主義の存在が保証されなければならない。そんな価値が果して何処から出て来るだらうか」  個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。徒らに他を傷める丈である。国と国とも同じ事で、単に勝つ見込があるからと云つて、妄りに干戈を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。勝つたものは勝つた後で、其損害を償ふ以上の貢献を、大きな文明に対してしなければならない筈である。少なくとも其心掛がなくてはならない筈である。自分は今の独乙にそれ丈の事を仕終せる精神と実力があるか何うかを危ぶまざるを得ないのである。するとトライチケの主張は独乙統一前には生存上有効でもあり必要でもあり合理的でもあつて、今の独乙には無効で不必要で不合理なものかも知れないといふ事に帰着する。  然しながら彼は云つた。―― 「ヰリアム帝は独乙に祖国を与へたるのみならず、より平衡を得たる又より合理的なる支配の下に文明世界を置いた。全世界を健全にするは独乙の事業なりと云つた詩人ガイベルの言葉は今に実現せられるだらう」  して見るとトライチケは、独乙が全欧のみならず、全世界を征服する迄、此軍国主義国家主義で押し通す積だつたかも知れない。然しながら、我々人類が悉く独乙に征服された時、我々は其報酬として独乙から果して何を給与されるのだらう。独乙もトライチケもまづ其所から説明してかゝらなければならない。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 底本の親本:    「点頭録六」「点頭録七」「点頭録八」「点頭録九」については原稿(岩波書店蔵)。    それ以外については「東京朝日新聞」。    掲載日は第一回から第五回までが、1916(大正5)年1月1日、10、12、13、14日である。 初出:「東京朝日新聞」および「大阪朝日新聞」。    「東京朝日新聞」に第一回が1916(大正5)年1月1日に発表された。    最終九回までの掲載日は、同10、12、13、14、17、19、20、21日である。    「大阪朝日新聞」では、1月1日のあと、12日から15日、18日から21日までの九回である。 ※ルビのうち亀甲かっこ〔〕付きのものは「漱石全集」編集部によるもので、現代仮名遣いである。 (例)墻壁 ※表題およびルビについて、底本の「後記」に次の記載がある(829ページ)。 「表題は原稿および新聞に従ったが、小見出しが同じものについては、「(一)」「(二)」などを補った。新聞は総ルビであるが、適宜削除した。」 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年1月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 『それから』予告 『それから』予告 夏目漱石  色々な意味に於てそれからである。「三四郎」には大学生の事を描たが、此小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれから後の男であるから此点に於ても、それからである。此主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさき何うなるかは書いてない。此意味に於ても亦それからである。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 初出:「大阪朝日新聞」    1909(明治42)年6月20日    「東京朝日新聞」    1909(明治42)年6月21日 ※初出時、「大阪朝日新聞」には「小説それから」として、「東京朝日新聞」には「新小説予告」「それから」として発表された。 ※底本のテキストは、初出(「東京朝日新聞」)による。 ※作品の表題「『それから』予告」は、底本編集部による。 ※底本には、初出のルビを「適宜削除した。」旨の記述がある。 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年3月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 『三四郎』予告 『三四郎』予告 夏目漱石  田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて是等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であつたら御互に不運と諦めるより仕方がない、たゞ尋常である、摩訶不思議は書けない。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 初出:「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」    1908(明治41)年8月19日 ※初出時、「東京朝日新聞」には「新作小説予告」「(九月一日より掲載)」「三四郎」として発表された。「大阪朝日新聞」においても同様だったが、掲載日の予告はなかった。 ※底本のテキストは、初出(「東京朝日新聞」)による。 ※作品の表題「『三四郎』予告」は、底本編集部による。 ※底本には、初出のルビを「適宜削除した。」旨の記述がある。 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年3月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 猫の広告文 猫の広告文 夏目漱石  吾輩は猫である。名前はまだない。主人は教師である。迷亭は美学者、寒月は理学者、いづれも当代の変人、太平の逸民である。吾輩は幸にして此諸先生の知遇を辱ふするを得てこゝに其平生を読者に紹介するの光栄を有するのである。……吾輩は又猫相応の敬意を以て金田令夫人の鼻の高さを読者に報道し得るを一生の面目と思ふのである。…… 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 初出:「東京朝日新聞」    1905(明治38)年11月15日 ※初出として掲げたもの以外にも、各紙に掲載された。それらの間には、わずかな異同がある。 ※底本のテキストは、「吾輩ハ猫デアル」の発行者の一人、服部国太郎宛葉書(天理大学附属天理図書館蔵)による。 ※亀甲かっこ〔〕付きのルビは底本編集部によるもので、現代仮名遣いである。 (例)知遇を辱ふするを得て 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年3月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 『煤煙』の序 『煤煙』の序 夏目漱石 「煤煙」が朝日新聞に出て有名になつてから後間もなくの話であるが、著者は夫を単行本として再び世間に公けにする計画をした。書肆も無論賛成で既に印刷に回して活字に組み込まうと迄した位である。所が其頃内閣が変つて、著書の検閲が急に八釜敷くなつたので、書肆は万一を慮つて、直接に警保局長の意見を確めに行つた。すると警保局長は全然出版に反対の意を仄めかした。もし押切つて発売に至る迄の手続をしやうものなら、必ず発売禁止になるものと解釈して、書肆は引下つた。著者は已を得ず煤煙の切抜帳を抱いて、大に詰まらながつてゐた。  所へある気の利いた男が出て来て、煤煙の全部を出版しやうとすればこそ災を招く恐れがあるので、そのうちの安全な部分丈を切り離して小冊子に纏たらどんなものだらうといふ新案を提出した。著者は多少思考を費した上、此説に同意して、直に煤煙の前半、即ち要吉が郷里に帰つて東京に出て来る迄の間を取敢ず第一巻として活版にする事に決心した。  著者の選択した部分は、煤煙の骨子でない所から云へば、著者に取つて遺憾かも知れないが、安全と云ふ点から見れば是程安全な章はない。誰が読んだつて差支ないんだから大丈夫である。其上余の視る所では、肝心の後編より却て出来が好い様に思はれる。余は煤烟全部を読み直す暇がないので、判然した判断を下すに躊躇するが、当時の新聞は連続して欠かさず眼を通したものだから、未だに残つてゐる、其時の印象は、恐らく余に取つて慥かなものだらうと考へる。其印象を平たく他に伝へ得る様な言葉に引き延ばして見ると斯うである。――煤煙の後篇はどうもケレンが多くつて不可ない。非常に痛切なことを道楽半分人に見せる為に書いてゐる様な気がする。所が前半には其弊が大分少い。一種の空気がずつと貫いて陰鬱な色が万遍なく自然に出てゐる。此意味に於て著者が前篇丈を世に公けにするのは余の賛成する所である。  此前篇の特色として、読者に注意したいのは、事件の充実と云ふ事である。それを少し布衍して云ふと、事件が走馬燈の如くに出てくると云ふ意味である。もう一つ外の言葉で説明すると、事件が発展的に叙せられないで、読者を圧迫する程ひし/\と並んで寄せ掛るのである。恰も金を接ぎ合せた様に寸分の隙間なく寄せてくる。従つて読者は息が継げない。事件に引き付けられて息が継げないと云つても嘘ではないが、実を云ふと、寧ろ苦しくつて息を継ぐ余裕を著書から与へられないのである。此状態は半ば事件其物の性質から出る事も序に注意したい。煤煙の主人公が郷里へ帰つてから又東京へ引き返す迄に、遭遇したり回想したりする事件は、決して尋常のものではない。悉く飛び離れて強烈な色采を有してゐるもの許である。要吉は犬の耳を塩漬にしてゐる女の夢を見たと書いてある。主人公は一場の夢に至る迄、何か天下を驚かす様な内容でなければ気が済まないのだとしか解釈出来ない。  夫だから読者の受ける感じの中には、著者が非常に苦心したなと云ふ自覚が起ると同時に、それが自分の額に反映して読む事が既に苦しくなる場合もある。又事件があまり派出に並んでゐるために、(其調子は厭に陰鬱ではあるけれども)殆んどセンセーシヨナルな安つぽい小説と脊中合せをしてゐる様な気も起る。  事件が是程充実してゐる割に性格が出てゐないのが不思議である。著者はあれ程性格が書いてあれば沢山ぢやないかと云ふかも知れないが、余の云ふ性格は要吉の特色を指すのである。篇中に書いてあるのは要吉の境遇である。是は濃く出てゐる。けれども其割から云ふと要吉は薄つぽいものである。何故と云へば、要吉の言動が、かゝる境遇の下に置かれたる普通の人のなすべき言動以外には一歩も出てゐないからである。要吉でなくつても、誰を捉へて来ても、斯う云ふ境遇の下に置いたら、矢つ張り要吉の通りに働くだらうと思はれるからである。従つて是は要吉であつて、明吉でも太吉でも半吉でもないといふ特殊の性格を与へてゐない。余は要吉の言動を読んで要吉と共に陰鬱にはなる、けれども成程要吉とはこんな種類の人間であると、著者から教へられた事がない。性格を上手にかく人は、これ程烈しい事件の下に主人公を置かないでも、淡々たる尋常の些事のうちに動かすべからざる其人の特色を発揮し得るものである。  以上は余が煤煙の前篇を読み直して得た感想である。其当否はいざ知らずとして、此書を読む人の参考に多少なりはすまいかと思て序文とした。其裏面に追随する長所に至つては、読者の一見してすぐ気の付く事のみだからわざと略した。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 初出:「東京朝日新聞 文芸欄」    1909(明治42)年11月25日 ※本稿は初出ののち、森田草平「煤烟 第一巻」金葉堂・如山堂、1910(明治43)年2月15日の序文として採録された。 ※底本のテキストは、初出による。 ※底本には、初出のルビを「適宜削除した。」旨の記述がある。 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年4月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 文芸とヒロイツク 文芸とヒロイツク 夏目漱石  自然主義といふ言葉とヒロイツクと云ふ文字は仙台平の袴と唐桟の前掛の様に懸け離れたものである。従つて自然主義を口にする人はヒロイツクを描かない。実際そんな形容のつく行為は二十世紀には無い筈だと頭から極めてかゝつてゐる。尤もである。  けれども実際世の中にない又は少ないと云ふ事実と、馬鹿げてゐる、滑稽であると云ふ事実とは違ふべき筈である。吾々の見渡した世間にさう眼につく程ごろ/\してゐない物のうちには、常人さへ唾棄して顧みなくなつた(従つて存在の権利を失つた)のも沢山あるだらうが、貴重なため容易に手に入りかねるのも随分あるべき訳である。ヒロイツクは後者に属すべきものと思ふ。  自然派の人が滅多にないからと云ふ理由でヒロイツクを描かないのは当を得てゐる。然し滅多にないからと云ふ言辞のもとにヒロイツクを軽蔑するのは論理の昏乱である。此派の人々は現実を描くと云ふ。さうして現実曝露の悲哀を感ずるといふ。客観の真相に着して主観の苦悶を覚ゆるといふ。一々賛成である。けれども此苦悶は意の如くならざる事相に即し、思ひの儘に行かぬ現象の推移に即し、もしくは斯くあれかし、斯くありたしとの希望を容れぬ自然の器械的なる進行に即して起る矛盾扞格の意に外ならぬ。云ひ換れば客観の世界が主観の世界と一致をかくが為である。現実が吾に伴はざるの恨みである。又云ひ換ればわが理想がわが頭の中に孤立して、世態とあまりに没交渉なるがためである。冷刻なる自然がわが知識と情操と意志を侮蔑して勝手に横着に非人間的に社会を動かして行くからである。  自然主義者の所謂主観の苦悶を斯く解釈するとき、理想の二字を彼等の主観中より取り去る事は困難とならねばならぬ。広義に於ける理想を抱かざるものが、自己又は他人の経過した現実を顧みて、之を悲しむの必要もなければ之に悶ゆるの理由もない筈である。  一たび此論断を肯つたとき、彼等は彼等の主観のうちに、又彼等の理想のうちに、彼等の平素排斥しつゝあるが如く見ゆる諸の善、諸の美、又もろ/\の壮と烈との存在を肯はねばならぬ。従つてヒロイツクは彼等の主張せんと欲して、現実に見出しがたきが為めに、これを描くを憚り、もしくは之を描くを恐るゝ一種の行為と云はねばならぬ。  彼等にしてもし現実中に此行為を見出し得たるとき、彼等の憚りも彼等の恐れも一掃にして拭ひ去るを得べきである。況んや彼等の軽蔑をや虚偽呼りをやである。余は近時潜航艇中に死せる佐久間艇長の遺書を読んで、此ヒロイツクなる文字の、我等と時を同くする日本の軍人によつて、器械的の社会の中に赫として一時に燃焼せられたるを喜ぶものである。自然派の諸君子に、此文字の、今日の日本に於て猶真個の生命あるを事実の上に於て証拠立て得たるを賀するものである。彼等の脳中よりヒロイツクを描く事の憚りと恐れとを取り去つて、随意に此方面に手を着けしむるの保証と安心とを与へ得たるを慶するものである。  往時英国の潜航艇に同様不幸の事のあつた時、艇員は争つて死を免かれんとするの一念から、一所にかたまつて水明りの洩れる窓の下に折り重つたまゝ死んでゐたといふ。本能の如何に義務心より強いかを証明するに足るべき有力な出来事である。本能の権威のみを説かんとする自然派の小説家はこゝに好個の材料を見出すであらう。さうして或る手腕家によつて、此一事実から傑出した文学を作り上げる事が出来るだらう。けれども現実はこれ丈である。其他は嘘であると主張する自然派の作家は、一方に於て佐久間艇長と其部下の死と、艇長の遺書を見る必要がある。さうして重荷を担ふて遠きを行く獣類と撰ぶ所なき現代的の人間にも、亦此種不可思議の行為があると云ふ事を知る必要がある。自然派の作物は狭い文壇の中にさへ通用すれば差支ないと云ふ自殺的態度を取らぬ限りは、彼等と雖亦自然派のみに専領されてゐない広い世界を知らなければならない。  病院生活をして約一ヶ月になる。人から佐久間艇長の遺書の濡れたのを其儘写真版にしたのを貰つて、床の上で其名文を読み返して見て「文芸とヒロイツク」と云ふ一篇が書きたくなつた。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 初出:「東京朝日新聞 文芸欄」    1910(明治43)年7月19日 ※底本のテキストは、直筆原稿(天理大学附属天理図書館蔵)による。 ※ルビのうち亀甲かっこ〔〕付きのものは底本編集部によるもので、現代仮名遣いである。 (例)尤もである 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年4月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。 夏目漱石 艇長の遺書と中佐の詩 艇長の遺書と中佐の詩 夏目漱石  昨日は佐久間艇長の遺書を評して名文と云つた。艇長の遺書と前後して新聞紙上にあらはれた広瀬中佐の詩が、此遺書に比して甚だ月並なのは前者の記憶のまだ鮮かなる吾人の脳裏に一種痛ましい対照を印した。  露骨に云へば中佐の詩は拙悪と云はんより寧ろ陳套を極めたものである。吾々が十六七のとき文天祥の正気の歌などにかぶれて、ひそかに慷慨家列伝に編入してもらひたい希望で作つたものと同程度の出来栄である。文字の素養がなくとも誠実な感情を有してゐる以上は(又如何に高等な翫賞家でも此誠実な感情を離れて翫賞の出来ないのは無論であるが)誰でも中佐があんな詩を作らずに黙つて閉塞船で死んで呉れたならと思ふだらう。  まづいと云ふ点から見れば双方ともに下手いに違ない。けれども佐久間大尉のは已を得ずして拙く出来たのである。呼吸が苦しくなる。部屋が暗くなる。鼓膜が破れさうになる。一行書くすら容易ではない。あれ丈文字を連らねるのは超凡の努力を要する訳である。従つて書かなくては済まない、遺さなくては悪いと思ふ事以外には一画と雖も漫りに手を動かす余地がない。平安な時あらゆる人に絶えず附け纏はる自己広告の衒気は殆ど意識に上る権威を失つてゐる。従つて艇長の声は尤も苦しき声である。又尤も拙な声である。いくら苦しくても拙でも云はねば済まぬ声だから、尤も娑婆気を離れた邪気のない事である。殆んど自然と一致した私の少い声である。そこに吾人は艇長の動機に、人間としての極度の誠実心を吹き込んで、其一言一句を真の影の如く読みながら、今の世にわが欺かれざるを難有く思ふのである。さうして其文の拙なれば拙なる丈真の反射として意を安んずるのである。  其上艇長の書いた事には嘘を吐く必要のない事実が多い。艇が何度の角度で沈んだ、ガソリンが室内に充ちた、チエインが切れた、電燈が消えた。此等の現象に自己広告は平時と雖ども無益である。従つて彼は艇長としての報告を作らんがために、凡ての苦悶を忍んだので、他によく思はれるがために、徒らな言句を連ねたのでないと云ふ結論に帰着する。又其報告が実際当局者の参考になつた効果から見ても、彼は自分のために書き残したのでなくて他の為に苦痛に堪へたと云ふ証拠さへ立つ。  広瀬中佐の詩に至つては毫も以上の条件を具へてゐない。已を得ずして拙な詩を作つたと云ふ痕跡はなくつて、已を得るにも拘はらず俗な句を並べたといふ疑ひがある。艇長は自分が書かねばならぬ事を書き残した。又自分でなければ書けない事を書き残した。中佐の詩に至つては作らないでも済むのに作つたものである。作らないでも済む時に詩を作る唯一の弁護は、詩を職業とするからか、又は他人に真似の出来ない詩を作り得るからかの場合に限る。(其外徒然であつたり、気が向いたりして作る場合は無論あるだらうが)中佐は詩を残す必要のない軍人である。しかも其詩は誰にでも作れる個性のないものである。のみならず彼の様な詩を作るものに限つて決して壮烈の挙動を敢てし得ない、即ち単なる自己広告のために作る人が多さうに思はれるのである。其内容が如何にも偉さうだからである。又偉がつてゐるからである。幸ひにして中佐はあの詩に歌つたと事実の上に於て矛盾しない最期を遂げた。さうして銅像迄建てられた。吾々は中佐の死を勇ましく思ふ。けれども同時にあの詩を俗悪で陳腐で生きた個人の面影がないと思ふ。あんな詩によつて中佐を代表するのが気の毒だと思ふ。  道義的情操に関する言辞(詩歌感想を含む)は其言辞を実現し得たるとき始めて他をして其誠実を肯はしむるのが常である。余に至つては、更に懐疑の方向に一歩を進めて、其言辞を実現し得たる時にすら、猶且其誠実を残りなく認むる能はざるを悲しむものである。微かなる陥欠は言辞詩歌の奥に潜むか、又はそれを実現する行為の根に絡んでゐるか何方かであらう。余は中佐の敢てせる旅順閉塞の行為に一点虚偽の疑ひを挟むを好まぬものである。だから好んで罪を中佐の詩に嫁するのである。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 初出:「東京朝日新聞 文芸欄」    1910(明治43)年7月20日 ※本作品で言及されている広瀬中佐(広瀬武夫:1868年-1904年(戦死))の詩とは、広瀬武夫が旅順港口閉塞作戦出発前に書き残した、次のものである。 「七生報国、一死心堅、再期成功、含笑上船」 ※底本のテキストは、初出による。 ※底本には、初出のルビを「適宜削除した。」旨の記述がある。 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年4月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。 夏目漱石 『心』予告 『心』予告 夏目漱石  今度は短篇をいくつか書いて見たいと思ひます、その一つ一つには違つた名をつけて行く積ですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心」と致して置きます。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 初出:「東京朝日新聞」    1914(大正3)年4月16日    「大阪朝日新聞」    1914(大正3)年4月17日 ※初出時には、「小説予告」「心」として発表された。 ※底本のテキストは、「東京朝日新聞社内、山本松之助宛書簡」1914(大正3)年3月30日付による。 ※作品の表題「『心』予告」は、底本編集部による。 ※ルビのうち亀甲かっこ〔〕付きのものは底本編集部によるもので、現代仮名遣いである。 (例)積ですが ※底本には次の記述がある。「「必要上」は、原稿では「必要用上」となっており、本全集本文のとおり訂正した(新聞も「必要上」)」 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年3月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 『心』自序 『心』自序 夏目漱石 『心』は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。  当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠らせる積だと読者に断わつたのであるが、其短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう/\その一篇丈を単行本に纏めて公けにする方針に模様がへをした。  然し此『先生の遺書』も自から独立したやうな又関係の深いやうな三個の姉妹篇から組み立てられてゐる以上、私はそれを『先生と私』、『両親と私』、『先生と遺書』とに区別して、全体に『心』といふ見出しを付けても差支ないやうに思つたので、題は元の儘にして置いた。たゞ中味を上中下に仕切つた丈が、新聞に出た時との相違である。  装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた。  木版の刻は伊上凡骨氏を煩はした。夫から校正には岩波茂雄君の手を借りた。両君の好意を感謝する。 大正三年九月 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 底本の親本:「心」岩波書店    1914(大正3)年9月20日 ※もとの表題は「序」。作品の表題「『心』自序」は、底本編集部による。 ※ルビのうち亀甲かっこ〔〕付きのものは底本編集部によるもので、現代仮名遣いである。 (例)差支 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年3月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で表しました。 夏目漱石 『心』広告文 『心』広告文 夏目漱石  自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。 底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店    1995(平成7)年4月19日発行 底本の親本:「漱石全集 第十一巻」岩波書店    1966(昭和41)年10月 初出:「時事新報」    1914(大正3)年9月26日 ※初出として掲げたもの以外にも、各紙に掲載された。 ※作品の表題「『心』広告文」は、底本編集部による。 入力:砂場清隆 校正:小林繁雄 2003年3月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 『吾輩は猫である』上篇自序 『吾輩は猫である』上篇自序 夏目漱石 「吾輩は猫である」は雑誌ホトトギスに連載した続き物である。固より纏った話の筋を読ませる普通の小説ではないから、どこで切って一冊としても興味の上に於て左したる影響のあろう筈がない。然し自分の考ではもう少し書いた上でと思って居たが、書肆が頻りに催促をするのと、多忙で意の如く稿を続ぐ余暇がないので、差し当り是丈を出版する事にした。  自分が既に雑誌へ出したものを再び単行本の体裁として公にする以上は、之を公にする丈の価値があると云う意味に解釈されるかも知れぬ。「吾輩は猫である」が果してそれ丈の価値があるかないかは著者の分として言うべき限りでないと思う。ただ自分の書いたものが自分の思う様な体裁で世の中へ出るのは、内容の価値如何に関らず、自分丈は嬉しい感じがする。自分に対しては此事実が出版を促がすに充分な動機である。  此書を公けにするに就て中村不折氏は数葉の画をかいてくれた。橋口五葉氏は表紙其他の模様を意匠してくれた。両君の御蔭に因って文章以外に一種の趣味を添え得たるは余の深く徳とする所である。  自分が今迄「吾輩は猫である」を草しつつあった際、一面識もない人が時々書信又は絵端書抔をわざわざ寄せて意外の褒辞を賜わった事がある。自分が書いたものが斯んな見ず知らずの人から同情を受けて居ると云う事を発見するのは非常に難有い。今出版の機を利用して是等の諸君に向って一言感謝の意を表する。  此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な文章であるから、たとい此一巻で消えてなくなった所で一向差し支えはない。又実際消えてなくなるかも知れん。然し将来忙中に閑を偸んで硯の塵を吹く機会があれば再び稿を続ぐ積である。猫が生きて居る間は――猫が丈夫で居る間は――猫が気が向くときは――余も亦筆を執らねばらぬ。   明治三十八年九月 底本:「夏目漱石全集第十巻」筑摩書房    1966(昭和41)年8月30日初版発行 入力:富田倫生 校正:林 幸雄 2008年7月22日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目金之助 坊っちやん 坊っちやん 夏目金之助 一  親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、いくら威張つても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさつて帰つて来た時、おやぢが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云つたから、此次は抜かさずに飛んで見せますと答へた。  親類のものから西洋製のナイフを貰つて奇麗な刃を日に翳して、友達に見せて居たら、一人が光る事は光るが切れさうもないと云つた。切れぬ事があるか、何でも切つて見せると受け合つた。そんなら君の指を切つて見ろと注文したから、何だ指位此通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かつたので、今だに親指は手に付いて居る。然し創痕は死ぬ迄消えぬ。  庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりに聊か許りの菜園があつて、真中に栗の木が一本立つて居る。是は命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに脊戸を出て落ちた奴を拾つてきて、学校で食ふ。菜園の西側が山城屋と云ふ質屋の庭続きで、此質屋に勘太郎といふ十三四の忰が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四っ目垣を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隠れて、とう/\勘太郎を捕まへてやつた。其時勘太郎は逃げ路を失つて、一生懸命に飛びかゝつて来た。向ふは二っ許り年上である。弱虫だが力は強い。鉢の開いた頭を、こつちの胸へ宛てゝぐい/\押した拍子に、勘太郎の頭がすべつて、おれの袷の袖の中に這入つた。邪魔になつて手が使へぬから無暗に手を振つたら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐら/\靡いた。仕舞に苦しがつて袖の中から、おれの二の腕へ食い付いた。痛かつたから勘太郎を垣根へ押しつけて置いて、足搦をかけて向へ斃してやつた。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四っ目垣を半分崩して、自分の領分へ真逆様に落ちて、ぐうと云つた。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になつた。其晩母が山城屋へ詫びに行つた序でに袷の片袖も取り返して来た。  此外いたづらは大分やつた。大工の兼公と肴屋の角をつれて、茂作の人参畠をあらした事がある。人参の芽が出揃はぬ処へ藁が一面に敷いてあつたから、其上で三人が半日相撲をとりつゞけに取つたら、人参がみんな踏みつぶされて仕舞つた。古川の持つて居る田圃の井戸を埋めて尻を持ち込まれた事もある。太い孟宗の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧き出て、そこいらの稲に水がかゝる仕掛であつた。其時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎう/\井戸の中へ挿し込んで、水が出なくなつたのを見届けて、うちへ帰つて飯を食つて居たら、古川が真赤になつて怒鳴り込んで来た。慥か罰金を出して済んだ様である。  おやぢは些ともおれを可愛がつて呉れなかつた。母は兄許り贔負にして居た。此兄はやに色が白くつて、芝居の真似をして女形になるのが好きだつた。おれを見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやぢが云つた。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云つた。成程碌なものにはならない。御覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。只懲役に行かないで生きて居る許りである。  母が病気で死ぬ二三日前台所で宙返りをしてへつついの角で肋骨を撲つて大に痛かつた。母が大層怒つて、御前の様なものゝ顔は見たくないと云ふから、親類へ泊りに行つて居た。するととう/\死んだと云ふ報知が来た。さう早く死ぬとは思はなかつた。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかつたと思つて帰つて来た。さうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの為めに、おつかさんが早く死んだんだと云つた。口惜しかつたから、兄の横っ面を張つて大変叱られた。  母が死んでからは、おやぢと兄と三人で暮して居た。おやぢは何にもせぬ男で、人の顔さへ見れば貴様は駄目だ/\と口癖の様に云つて居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやぢが有つたもんだ。兄は実業家になるとか云つて頻りに英語を勉強して居た。元来女の様な性分で、ずるいから、仲がよくなかつた。十日に一遍位の割で喧嘩をして居た。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しさうに冷やかした。あんまり腹が立つたから、手に在つた飛車を眉間へ擲きつけてやつた。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやぢに言付けた。おやぢがおれを勘当すると言ひ出した。  其時はもう仕方がないと観念して先方の云ふ通り勘当される積りで居たら、十年来召し使つて居る清と云ふ下女が、泣きながらおやぢに詫まつて、漸くおやぢの怒りが解けた。それにも関らずあまりおやぢを怖いとは思はなかつた。却つて此清と云ふ下女に気の毒であつた。此下女はもと由緒のあるものだつたさうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公迄する様になつたのだと聞いて居る。だから婆さんである。此婆さんがどう云ふ因縁か、おれを非常に可愛がつて呉れた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやぢも年中持て余してゐる――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――此おれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめて居たから、他人から木の端の様に取り扱はれるのは何とも思はない、却つて此清の様にちやほやしてくれるのを不審に考へた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよい御気性だ」と賞める事が時々あつた。然しおれには清の云ふ意味が分からなかつた。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだらうと思つた。清がこんな事を云ふ度におれは御世辞は嫌だと答へるのが常であつた。すると婆さんは夫だから好い御気性ですと云つては、嬉しさうにおれの顔を眺めて居る。自分の力でおれを製造して誇つてる様に見える。少々気味がわるかつた。  母が死んでから清は愈おれを可愛がつた。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思つた。つまらない、癈せばいゝのにと思つた。気の毒だと思つた。夫でも清は可愛がる。折々は自分の小遣で金鍔や紅梅焼を買つてくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れて置いて、いつの間にか寐て居る枕元へ蕎麦湯を持つて来てくれる。時には鍋焼饂飩さへ買つてくれた。只食ひ物許りではない。靴足袋ももらつた、鉛筆も貰つた。帳面も貰つた。是はずつと後の事であるが金を三円許り借してくれた事さへある。何も借せと云つた訳ではない。向で部屋へ持つて来て御小遣がなくて御困りでせう、御使ひなさいと云つて呉れたんだ。おれは無論入らないと云つたが、是非使へと云ふから、借りて置いた。実は大変嬉しかつた。其三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行つたら、すぽりと後架の中へ落して仕舞つた。仕方がないから、のそ/\出て来て実は是々だと清に話した所が、清は早速竹の棒を捜して来て、取つて上げますと云つた。しばらくすると井戸端でざあ/\音がするから、出て見たら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗つて居た。夫から口をあけて壱円札を改めたら茶色になつて模様が消えかゝつて居た。清は火鉢で乾かして、是でいゝでせうと出した。一寸かいで見て臭いやと云つたら、それぢや御出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持つて来た。此三円は何に使つたか忘れて仕舞つた。今に帰すよと云つたぎり、帰さない。今となつては十倍にして帰してやりたくても帰せない。  清が物を呉れる時には必ずおやぢも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌だと云つて人に隠れて自分丈得をする程嫌な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰ひたくはない。なぜ、おれ一人に呉れて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したもので御兄様は御父様が買つて御上げなさるから構ひませんと云ふ。是は不公平である。おやぢは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。然し清の眼から見るとさう見えるのだらう。全く愛に溺れて居たに違ない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単に是許ではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思ひ込んで居た。其癖勉強をする兄は色許り白くつて、迚も役には立たないと一人できめて仕舞つた。こんな婆さんに逢つては叶はない。自分の好きなものは必ずえらい人物になつて、嫌なひとは屹度落ち振れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云ふ了見もなかつた。然し清がなる/\と云ふものだから、矢っ張り何かに成れるんだらうと思つて居た。今から考へると馬鹿々々しい。ある時抔は清にどんなものになるだらうと聞いて見た事がある。所が清にも別段の考もなかつた様だ。只手車へ乗つて、立派な玄関のある家をこしらへるに相違ないと云つた。  夫から清はおれがうちでも持つて独立したら、一所になる気で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる様な気がして、うん置いてやると返事丈はして置いた。所が此女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹丁ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらへ遊ばせ、西洋間は一つで沢山です抔と勝手な計画を独りで並べて居た。其時は家なんか欲しくも何ともなかつた、西洋館も日本建も全く不用であつたから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答へた。すると、あなたは慾がすくなくつて、心が奇麗だと云つて又賞めた。清は何と云つても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間は此状態で暮して居た。おやぢには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰ふ、時々賞められる。別に望もない、是で沢山だと思つて居た。ほかの小供も一概にこんなものだらうと思つて居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合だと無暗に云ふものだから、それぢや可哀想で不仕合せなんだらうと思つた。其外に苦になる事は少しもなかつた。只おやぢが小使を呉れないには閉口した。  母が死んでから六年目の正月におやぢも卒中で亡くなつた。其年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があつて行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売つて財産を片付けて任地へ出立すると云ひ出した。おれはどうでもするが宜からうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにした所で、喧嘩をするから向でも何とか云ひ出すに極つて居る。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食つてられると覚悟をした。兄は夫から道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売つた。家屋敷はある人の周旋でさる金満家に譲つた。此方は大分金になつた様だが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつく迄神田の小川町へ下宿をして居た。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大に残念がつたが、自分のものでないから、仕様がなかつた。あなたがもう少し年をとつて入らつしやれば、こゝが御相続が出来ますものをとしきりに口説いて居た。もう少し年を取つて相続が出来るものなら、今でも相続が出来る筈だ。婆さんは何も知らないから年さへ取れば兄の家がもらへると信じて居る。  兄とおれは斯様に分れたが、困つたのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくつ付いて九州下り迄出掛ける気は毛頭なし、と云つて此時のおれは四畳半の安下宿に籠つて、夫すらもいざとなれば直ちに引き払はねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いて見た。どこかへ奉公でもする気かねと云つたらあなたが御うちを持つて、奥さまを御貰ひになる迄は、仕方がないから甥の厄介になりませうと漸く決心した返事をした。此甥は裁判所の書記で先づ今日には差支なく暮して居たから、今迄も清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清は仮令下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいゝと云つて応じなかつた。然し今の場合知らぬ屋敷へ奉公易をして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思つたのだらう。夫にしても早くうちを持ての、妻を貰への、来て世話をするのと云ふ。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだらう。  九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出して是を資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使ふがいゝ、其代りあとは構はないと云つた。兄にしては感心なやり方だ。何の六百円位貰はんでも困りはせんと思つたが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入つたから、礼を云つて貰つて置いた。兄は夫から五十円出して之を序に清に渡してくれと云つたから、異議なく引き受けた。二日立つて新橋の停車場で分れたぎり兄には其後一遍も逢はない。  おれは六百円の使用法に就て寐ながら考へた。商買をしたつて面倒くさくつて旨く出来るものぢやなし、ことに六百円位の金で商買らしい商買がやれる訳でもなからう。よしやれるとしても、今の様ぢや人の前へ出て教育を受けたと威張れないから詰り損になる許りだ。資本抔はどうでもいゝから、これを学資にして勉強してやらう。六百円を三に割つて一年に二百円宛使へば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。夫からどこの学校へ這入らうと考へたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云ふものは真平御免だ。新体詩などゝ来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌なものなら何をやつても同じ事だと思つたが、幸ひ物理学校の前を通り掛つたら生徒募集の広告が出て居たから、何も縁だと思つて規則書をもらつてすぐ入学の手続をして仕舞つた。今考へると是も親譲りの無鉄砲から起つた失策だ。  三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいゝ方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であつた。然し不思議なもので、三年立つたらとう/\卒業して仕舞つた。自分でも可笑しいと思つたが苦情を云ふ訳もないから大人しく卒業して置いた。  卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何の用だらうと思つて、出掛けて行つたら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行つてはどうだと云ふ相談である。おれは三年間学問はしたが実を云ふと教師になる気も、田舎へ行く考へも何もなかつた。尤も教師以外に何をしやうと云ふあてもなかつたから、此相談を受けた時、行きませうと即席に返事をした。是も親譲りの無鉄砲が祟つたのである。  引き受けた以上は赴任せねばならぬ。此三年間は四畳半に蟄居して小言は只の一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であつた。然しかうなると此四畳半も引き払はなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時許りである。今度は鎌倉所ではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先程小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。只行く許である。尤も少々面倒臭い。  家を畳んでからも清の所へは折々行つた。清の甥と云ふのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさへすれば、何くれと款待なして呉れた。清はおれを前へ置いて、色々おれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買つて役所へ通ふのだ抔と吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こつちは困つて顔を赤くした。夫も一度や二度ではない。折々おれが小さい時寐小便をした事迄持ち出すには閉口した。甥は何と思つて清の自慢を聞いて居たか分らぬ。只清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従の様に考へて居た。自分の主人なら甥の為にも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいゝ面の皮だ。  愈約束が極まつて、もう立つと云ふ三日前に清を尋ねたら、北向の三畳に風邪を引いて寐て居た。おれの来たのを見て、起き直るが早いか、坊っちやん何時家を御持ちなさいますと聞いた。卒業さへすれば金が自然とポツケツトの中に湧いて来ると思つて居る。そんなにえらい人をつらまへて、まだ坊っちやんと呼ぶのは愈馬鹿気て居る。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云つたら、非常に失望した容子で、胡魔塩の鬢の乱れを頻りに撫でた。余り気の毒だから「行く事は行くがぢき帰る。来年の夏休には屹度帰る」と慰めてやつた。夫でも妙な顔をして居るから「何か見やげを買つて来てやらう、何が欲しい」と聞いて見たら「越後の笹飴が食べたい」と云つた。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違ふ。「おれの行く田舎には笹飴はなさゝうだ」と云つて聞かしたら「そんなら、どつちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云ふと「箱根のさきですか手前ですか」と問ふ。随分持てあました。  出立の日には朝から来て、色々世話をやいた。来る途中小間物屋で買つて来た歯磨と楊子と手拭をズツクの革鞄に入れて呉れた。そんな者は入らないと云つても中々承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラツトフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔を昵と見て「もう御別れになるかも知れません。存分御機嫌やう」と小さな声で云つた。目に涙が一杯たまつて居る。おれは泣かなかつた。然しもう少しで泣く所であつた。汽車が余っ程動き出してから、もう大丈夫だらうと思つて、窓から首を出して、振り向いたら、矢っ張り立つて居た。何だか大変小さく見えた。 二  ぶうと云つて汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめてゐる。野蛮な所だ。尤も此熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見詰めて居ても眼がくらむ。事務員に聞いて見るとおれは此所へ降りるのださうだ。見た所では大森位な漁村だ。人を馬鹿にしてゐらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思つたが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗つたらう。外に大きな箱を四っ許積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がつて、いきなり、磯に立つて居た鼻たれ小僧をつらまへて中学校はどこだと聞いた。小僧は茫やりして、知らんがの、と云つた。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額程な町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。所へ妙な筒っぽうを着た男がきて、こつちへ来いと云ふから、尾いて行つたら、港屋とか云ふ宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃へて御上がりなさいと云ふので、上がるのがいやになつた。門口へ立つたなり中学校を教へろと云つたら、中学校は是から汽車で二里許り行かなくつちやいけないと聞いて、猶上がるのがいやになつた。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二っ引きたくつて、のそ/\あるき出した。宿屋のものは変な顔をして居た。  停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買つた。乗り込んで見るとマツチ箱の様な汽車だ。ごろ/\と五分許り動いたと思つたら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思つた。たつた三銭である。夫から車を傭つて、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直は一寸用達に出たと小使が教へた。随分気楽な宿直がゐるものだ。校長でも尋ね様かと思つたが、草臥れたから、車に乗つて宿屋へ連れて行けと車夫に云ひ付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ふうちへ横付にした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだから一寸面白く思つた。  何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くつて居られやしない。こんな部屋はいやだと云つたら生憎みんな塞がつて居りますからと云ひながら革鞄を抛り出した儘出て行つた。仕方がないから部屋の中へ這入つて汗をかいて我慢して居た。やがて湯に入れと云ふから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がつた。帰りがけに覗いて見ると涼しさうな部屋が沢山空いてゐる。失敬な奴だ。嘘をつきあがつた。それから下女が膳を持つて来た。部屋は熱つかつたが、飯は下宿のよりも大分旨かつた。給仕をしながら下女がどちらから御出になりましたと聞くから東京から来たと答へた。すると東京はよい所で御座いませうと云つたから当り前だと云つてやつた。膳を下げた下女が台所へ行つた時分、大きな笑ひ声が聞えた。くだらないから、すぐ寐たが、中々寐られない。熱い許りではない。騒々しい。下宿の五倍位八釜しい。うと/\としたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしや/\食つて居る。笹は毒だから、よしたらよからうと云ふと、いえ此笹が御薬で御座いますと云つて旨さうに食つて居る。おれがあきれ返つて大きな口を開いてハヽヽヽと笑つたら眼が覚めた。下女が雨戸を明けてゐる。相変らず空の底が突き抜けた様な天気だ。  道中をしたら茶代をやるものだと聞いて居た。茶代をやらないと粗末に取り扱はれると聞いて居た。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらない所為だらう。見すぼらしい服装をして、ズツクの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだらう。田舎者の癖に人を見括つたな。一番茶代をやつて驚かしてやらう。おれは是でも学資の余りを三十円程懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円程ある。みんなやつたつて是からは月給を貰ふんだから構はない。田舎者はしみつたれだから五円もやれば驚ろいて目を廻すに極つて居る。どうするか見ろと済して顔を洗つて、部屋へ帰つて待つてると、夕べの下女が膳を持つて来た。盆を持つて給使をしながら、やににや/\笑つてる。失敬な奴だ。顔のなかを御祭りでも通りやしまいし。是でも此下女の面より余っ程上等だ。飯を済ましてからにしやうと思つて居たが、癪に障つたから、中途で五円札を一枚出して、あとで是を帳場へ持つて行けと云つたら、下女は変な顔をして居た。夫から飯を済ましてすぐ学校へ出懸た。靴は磨いてなかつた。  学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分つて居る。四っ角を二三度曲がつたらすぐ門の前へ出た。門から玄関迄は御影石で敷きつめてある。きのふ此敷石の上を車でがら/\と通つた時は、無暗に仰山な音がするので少し弱つた。途中から小倉の制服を着た生徒に沢山逢つたが、みんな此門を這入つて行く。中にはおれより脊が高くつて強さうなのが居る。あんな奴を教へるのかと思つたら何だか気味が悪るくなつた。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、眼の大きな狸の様な男である。やに勿体ぶつて居た。まあ精出して勉強してくれと云つて、恭しく大きな印の捺つた辞令を渡した。此辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んで仕舞つた。校長は今に職員に紹介してやるから、一々其人に此辞令を見せるんだと言つて聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするより此辞令を三日間教員室へ張り付ける方がましだ。  教員が控所へ揃ふには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話す積だが、先づ大体の事を呑み込んで置いて貰はうと云つて、夫から教育の精神について長い御談義を聞かした。おれは無論いゝ加減に聞いて居たが、途中から是は飛んだ所へ来たと思つた。校長の云ふ様にはとても出来ない。おれ見た様な無鉄砲なものをつらまへて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくては行かんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つ位は誰でもするだらうと思つてたが、此様子ぢや滅多に口も聞けない、散歩も出来ない。そんな六※[#濁点付き小書き平仮名つ、265-6]かしい役なら雇ふ前からこれ/\だと話すがいゝ。おれは嘘をつくのが嫌だから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思ひ切りよく、こゝで断はつて帰つちまはうと思つた。宿屋へ五円やつたから、財布の中には九円なにがししかない。九円ぢや東京迄は帰れない。茶代なんかやらなければよかつた。惜しい事をした。然し九円だつて、どうかならない事はない。旅費は足りなくつても嘘をつくよりましだと思つて、到底あなたの仰やる通りにや、出来ません、此辞令は返しますと云つたら、校長は狸の様な眼をぱちつかせておれの顔を見て居た。やがて、今のは只希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知つて居るから心配しなくつてもいゝと云ひながら笑つた。その位よく知つてるなら、始めから威嚇さなければいゝのに。  さう、かうする内に喇叭が鳴つた。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃ひましたらうと云ふから、校長に尾いて教員控所へ這入つた。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけて居る。おれが這入つたのを見て、みんな申し合せた様におれの顔を見た。見世物ぢやあるまいし。夫から申し付けられた通り一人一人の前へ行つて辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかゞめた許りであつたが、念の入つたのは差し出した辞令を受け取つて一応拝見をして夫を恭しく返却した。丸で宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へ廻つて来た時には、同じ事を何返もやるので少々ぢれつたくなつた。向は一度で済む、こつちは同じ所作を十五返繰り返して居る。少しはひとの了見も察して見るがいゝ。  挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云ふのが居た。是は文学士ださうだ。文学士と云へば大学の卒業生だからえらい人なんだらう。妙に女の様な優しい声を出す人だつた。尤も驚ろいたのは此暑いのにフランネルの襯衣を着て居る。いくら薄い地には相違なくつても暑いには極つてる。文学士丈に御苦労千万な服装をしたもんだ。しかも夫が赤シヤツだから人を馬鹿にしてゐる。あとから聞いたら此男は年が年中赤シヤツを着るんださうだ。妙な病気があつたものだ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生の為めにわざ/\誂らへるんださうだが、入らざる心配だ。そんなら序に着物も袴も赤にすればいゝ。夫から英語の教師に古賀とか云ふ大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだが此男は蒼くふくれて居る。昔し小学校へ行く時分、浅井の民さんと云ふ子が同級生にあつたが、此浅井のおやぢが矢張り、こんな色つやだつた。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるのかと清に聞いて見たら、さうぢやありません、あの人はうらなりの唐茄子許り食べるから、蒼くふくれるんですと教へて呉れた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食つた酬だと思ふ。此英語の教師もうらなり許り食つてるに違ない。尤もうらなりとは何の事か今以て知らない。清に聞いて見た事はあるが、清は笑つて答へなかつた。大方清も知らないんだらう。夫からおれと同じ数学の教師に堀田と云ふのが居た。是は逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云ふべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、些と遊びに来給へアハヽヽヽと云つた。何がアハヽヽヽだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれは此時から此坊主に山嵐と云ふ渾名をつけてやつた。漢学の先生は流石に堅いものだ。昨日御着で、嘸御疲れで、夫でもう授業を御始めで、大分励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のある御爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べら/\した透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、御国はどちらでげす、え? 東京? 夫りや嬉しい、御仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云つた。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考へた。其ほか一人々々に就てこんな事を書けばいくらでもある。然し際限がないからやめる。  挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取つてもいゝ、尤も授業上の事は数学の主任と打ち合せをして置いて、明後日から課業を始めてくれと云つた。数学の主任は誰かと聞いて見たら例の山嵐であつた。忌々しい、こいつの下に働くのかおや/\と失望した。山嵐は「おい君どこに宿つてるか、山城屋か、うん、今に行つて相談する」と云ひ残して白墨を持つて教場へ出て行つた。主任の癖に向から来て相談するなんて不見識な男だ。然し呼び付けるよりは感心だ。  夫から学校の門を出て、すぐ宿へ帰らうと思つたが、帰つたつて仕方がないから、少し町を散歩してやらうと思つて、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布の聯隊より立派でない。大通りも見た。神楽坂を半分に狭くした位な道幅で町並はあれより落ちる。廿五万石の城下だつて高の知れたものだ。こんな所に住んで御城下だ抔と威張つてる人間は可哀想なものだと考へながらくると、いつしか山城屋の前へ出た。広い様でも狭いものだ。是で大抵は見尽したのだらう。帰つて飯でも食はうと門口を這入つた。帳場に坐つて居たかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出して来て御帰り……と板の間へ頭をつけた。靴を脱いで上がると、御座敷があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳の表二階で大きな床の間がついて居る。おれは生れてからまだこんな立派な坐敷へ這入つた事はない。此後いつ這入れるか分らないから、洋服を脱いで浴衣一枚になつて坐敷の真中へ大の字に寐て見た。いゝ心持ちである。  昼飯を食つてから早速清へ手紙をかいてやつた。おれは文章がまづい上に字を知らないから手紙をかくのが大嫌だ。又やる所もない。然し清は心配して居るだらう。難船して死にやしないか抔と思つちや困るから、奮発して長いのを書いてやつた。其文句はかうである。 「きのふ着いた。つまらん所だ。十五畳の坐敷に寐て居る。宿屋へ茶代を五円やつた。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寐られなかつた。清が笹飴を笹ごと食ふ夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行つてみんなにあだなをつけてやつた。校長は狸、教頭は赤しやつ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今に色々な事をかいてやる。左様なら」  手紙をかいて仕舞つたら、いゝ心持ちになつて眠気がさしたから、最前の様に坐敷の真中へのび/\と大の字に寐た。今度は夢も何も見ないでぐつすり寐た。この部屋かいと大きな声がするので眼が覚めたら、山嵐が這入つて来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大に狼狽した。受持ちを聞いて見ると別段六※[#濁点付き小書き平仮名つ、269-12]かしい事もなさゝうだから承知した。此位な事なら、明後日は愚、明日から始めろと云つたつて驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつ迄こんな宿屋に居る積りでもあるまい、僕がいゝ下宿を周旋してやるから移り玉へ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいゝから、今日見て、あす移つて、あさつてから学校へ行けば極りがいゝと一人で呑み込んで居る。成程十五畳敷にいつ迄居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料に払つても追つつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移るものなら、早く引き越して落ち付く方が便利だから、そこの所はよろしく山嵐に頼む事にした。すると山嵐は兎も角も一所に来て見ろと云ふから、行つた。町はづれの岡の中腹にある家で至極閑静だ。主人は骨董を売買するいか銀と云ふ男で、女房は亭主よりも四つ許り年嵩の女だ。中学校に居た時ヰツチと云ふ言葉を習つた事があるが此女房は正にヰツチに似て居る。ヰツチだつて人の女房だから構はない。とう/\明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町で氷水を一杯奢つた。学校で逢つた時はやに横風な失敬な奴だと思つたが、こんなに色々世話をしてくれる所を見ると、わるい男でもなさゝうだ。只おれと同じ様にせつかちで肝癪持らしい。あとで聞いたら此男が一番生徒に人望があるのださうだ。 三  愈学校へ出た。初めて教場へ這入つて高い所へ乗つた時は、何だか変だつた。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思つた。生徒は八釜しい。時々図抜けた大きな声で先生と云ふ。先生には答へた。今迄物理学校で毎日先生々々と呼びつけて居たが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥の差だ。何だか足の裏がむづ/\する。おれは卑怯な人間ではない、臆病な男でもないが、惜しい事に胆力が欠けて居る。先生と大きな声をされると、腹の減つた時に丸の内で午砲を聞いた様な気がする。最初の一時間は何だかいゝ加減にやつて仕舞つた。然し別段困つた質問も掛けられずに済んだ。控所へ帰つて来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかつた。  二時間目に白墨を持つて控所を出た時には何だか敵地へ乗り込む様な気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴ばかりである。おれは江戸っ子で華奢に小作りに出来て居るから、どうも高い所へ上がつても押しが利かない。喧嘩なら相撲取とでもやつて見せるが、こんな大僧を四十人も前へ並べて、只一枚の舌をたゝいて恐縮させる手際はない。然しこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思つたから、成るべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやつた。最初のうちは、生徒も烟に捲かれてぼんやりして居たから、それ見ろと益得意になつて、べらんめい調を用ゐてたら、一番前の列の真中に居た、一番強さうな奴が、いきなり起立して先生と云ふ。そら来たと思ひながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、まちつと、ゆる/\遣つて、おくれんかな、もし」と云つた。おくれんかな、もしは生温るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆつくり云つてやるが、おれは江戸っ子だから君等の言葉は使へない、分らなければ、分る迄待つてるがいゝと答へてやつた。此調子で二時間目は思つたより、うまく行つた。只帰りがけに生徒の一人が一寸此問題を解釈しておくれんかな、もし、と出来さうもない幾何の問題を持つて逼つたには冷汗を流した。仕方がないから何だか分らない此次教へてやると急いで引き揚げたら、生徒がわあと囃した。其中に出来ん/\と云ふ声が聞える。箆棒め、先生だつて、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云ふのに不思議があるもんか。そんなものが出来る位なら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰つて来た。今度はどうだと又山嵐が聞いた。うんと云つたが、うん丈では気が済まなかつたから、此学校の生徒は分らずやだなと云つてやつた。山嵐は妙な顔をして居た。  三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同少異であつた。最初の日に出た級は、いづれも少々づゝ失敗した。教師ははたで見る程ぢやないと思つた。授業は一※[#小書き平仮名と、272-10]通り済んだが、まだ帰れない、三時迄ぽつ然として待つてなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除して報知にくるから検分をするんださうだ。夫から、出席簿を一応しらべて漸く御暇が出る。いくら月給で買はれた身体だつて、あいた時間迄学校へ縛りつけて机と睨めつくらをさせるなんて法があるものか。然しほかの連中はみんな大人しく御規則通りやつてるから新参のおればかり、だゞを捏ねるのも宜しくないと思つて我慢して居た。帰りがけに、君何でも蚊んでも三時過迄学校にゐさせるのは愚だぜと山嵐に訴へたら、山嵐はさうさアハヽヽヽと笑つたが、あとから真面になつて、君あまり学校の不平を云ふと、いかんぜ。云ふなら僕丈に話せ、随分妙な人も居るからなと忠告がましい事を云つた。四っ角で分れたから詳しい事は聞くひまがなかつた。  夫からうちへ帰つてくると、宿の亭主が御茶を入れませうと云つてやつて来る。御茶を入れると云ふから御馳走をするのかと思ふと、おれの茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。此様子では留守中も勝手に御茶を入れませうを一人で履行して居るかも知れない。亭主が云ふには手前は書画骨董がすきで、とう/\こんな商買を内々で始める様になりました。あなたも御見受申す所大分御風流で居らつしやるらしい。ちと道楽に御始めなすつては如何ですと、飛んでもない勧誘をやる。二年前ある人の使に帝国ホテルへ行つた時は錠前直しと間違へられた事がある。ケツトを被つて、鎌倉の大仏を見物した時は車屋から親方と云はれた。其外今日迄見損はれた事は随分あるが、まだおれをつらまへて大分御風流で居らつしやると云つたものはない。大抵はなりや様子でも分る。風流人なんて云ふものは、画を見ても、頭巾を被るか短冊を持つてるものだ。このおれを風流人だ抔と真面目に云ふのは只の曲者ぢやない。おれはそんな呑気な隠居のやる様な事は嫌だと云つたら、亭主はへヽヽヽと笑ひながら、いえ始めから好きなものは、どなたも御座いませんが、一反此道に這入ると中々出られませんと一人で茶を注いで妙な手付をして飲んで居る。実はゆふべ茶を買つてくれと頼んで置いたのだが、こんな苦い濃い茶はいやだ。一杯飲むと胃に答へる様な気がする。今度からもつと苦くないのを買つてくれと云つたら、かしこまりましたと又一杯しぼつて飲んだ。人の茶だと思つて無暗に飲む奴だ。主人が引き下がつてから、あしたの下読をしてすぐ寐て仕舞つた。  それから毎日々々学校へ出ては規則通り働く、毎日々々帰つて来ると主人が御茶を入れませうと出てくる。一週間許りしたら学校の様子も一※[#小書き平仮名と、274-6]通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概は分つた。ほかの教師に聞いて見ると辞令を受けて一週間から一ヶ月位の間は自分の評番がいゝだらうか、悪るいだらうか非常に気に掛かるさうであるが、おれは一向そんな感じはなかつた。教場で折々しくぢると其時丈はやな心持だが三十分許り立つと奇麗に消えて仕舞ふ。おれは何事によらず長く心配しやうと思つても心配が出来ない男だ。教場のしくぢりが生徒にどんな影響を与へて、其影響が校長や教頭にどんな反応を呈するか丸で無頓着であつた。おれは前に云ふ通りあんまり度胸の据つた男ではないのだが、思ひ切りは頗るいゝ人間である。此学校がいけなければすぐどつかへ行く覚悟で居たから、狸も赤シヤツも、些とも恐しくはなかつた。まして教場の小僧共なんかには愛嬌も御世辞も使ふ気になれなかつた。学校はそれでいゝのだが下宿の方はさうはいかなかつた。亭主が茶を飲みに来る丈なら我慢もするが、色々なものを持つてくる。始めに持つて来たのは何でも印材で、十ばかり並べて置いて、みんなで三円なら安い物だ御買なさいと云ふ。田舎巡りのヘボ絵師ぢやあるまいし、そんなものは入らないと云つたら、今度は華山とか何とか云ふ男の花鳥の掛物をもつて来た。自分で床の間へかけて、いゝ出来ぢやありませんかと云ふから、さうかなと好加減に挨拶をすると、華山には二人ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、此幅はその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にして置きます。御買なさいと催促をする。金がないと断はると、金なんか、いつでも宜う御座いますと中々頑固だ。金があつても買はないんだと、其時は追っ払つちまつた。其次には鬼瓦位な大硯を担ぎ込んだ。是は端渓です、端渓ですと二遍も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたらすぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあつて、今時のものはみんな上層ですが、是は慥かに中層です、此眼を御覧なさい。眼が三っあるのは珍らしい。溌墨の具合も至極宜しい、試して御覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突きつける。いくらだと聞くと、持主が支那から持つて帰つて来て是非売りたいと云ひますから、御安くして三十円にして置きませうと云ふ。此男は馬鹿に相違ない。学校の方はどうか、かうか無事に勤まりさうだが、かう骨董責に逢つてはとても長く続きさうにない。  其うち学校もいやになつた。ある日の晩大町と云ふ所を散歩して居たら郵便局の隣りに蕎麦とかいて、下に東京と注を加へた看板があつた。おれは蕎麦が大好きである。東京に居つた時でも蕎麦屋の前を通つて薬味の香ひをかぐと、どうしても暖簾がくゞりたくなつた。今日迄は数学と骨董で蕎麦を忘れて居たが、かうして看板を見ると素通りが出来なくなる。序でだから一杯食つて行かうと思つて上がり込んだ。見ると看板程でもない。東京と断はる以上はもう少し奇麗にしさうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法きたない。畳は色が変つて御負けに砂でざら/\して居る。壁は煤で真黒だ。天井はランプの油烟で燻ぼつてるのみか、低くつて、思はず首を縮める位だ。只例々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付け丈は全く新しい。何でも古いうちを買つて二三日前から開業したに違なからう。ねだん付の第一号に天麩羅とある。おい天麩羅を持つてこいと大きな声を出した。すると此時迄隅の方に三人かたまつて、何かつる/\、ちゆ/\食つてた連中が、ひとしくおれの方を見た。部屋が暗いので、一寸気がつかなかつたが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶をしたから、おれも挨拶をした。其晩は久し振に蕎麦を食つたので、旨かつたから天麩羅を四杯平げた。  翌日何の気もなく教場へ這入ると、黒板一杯位な大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑つた。おれは馬鹿々々しいから、天麩羅を食つちや可笑しいかと聞いた。すると生徒の一人が、然し四杯は過ぎるぞな、もし、と云つた。四杯食はうが五杯食はうがおれの銭でおれが食ふのに文句があるもんかと、さつさと講義を済まして控所へ帰つて来た。十分立つて次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯也。但し笑ふ可らず。と黒板にかいてある。さつきは別に腹も立たなかつたが今度は癪に障つた。冗談も度を過ごせばいたづらだ。焼持の黒焦の様なもので誰も賞め手はない。田舎者は此呼吸が分からないから、どこ迄押して行つても構はないと云ふ了見だらう。一時間あるくと見物する町もない様な狭い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争の様に触れちらかすんだらう。憐れな奴等だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねつこびた、植木鉢の楓見た様な小人が出来るんだ。無邪気なら一所に笑つてもいゝが、こりやなんだ。小供の癖に乙に毒気を持つてる。おれはだまつて、天麩羅を消して、こんないたづらが面白いか、卑怯な冗談だ。君等は卑怯と云ふ意味を知つてるか、と云つたら、自分がした事を笑はれて怒るのが卑怯ぢやらうがな、もしと答へた奴がある。やな奴だ。わざ/\東京から、こんな奴を教へに来たのかと思つたら情なくなつた。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云つて、授業を始めて仕舞つた。夫から次の教場へ出たら天麩羅を食ふと減らず口が利き度なるものなりと書いてある。どうも始末に終へない。あんまり腹が立つたから、そんな生意気な奴は教へないと云つてすた/\帰つて来てやつた。生徒は休みになつて喜こんださうだ。かうなると学校より骨董の方がまだましだ。  天麩羅蕎麦もうちへ帰つて、一晩寐たらそんなに肝癪に障らなくなつた。学校へ出て見ると、生徒も出てゐる。何だか訳が分らない。夫から三日許りは無事であつたが、四日目の晩に住田と云ふ所へ行つて団子を食つた。此住田と云ふ所は温泉のある町で城下から汽車だと十分許り、歩行いて三十分で行かれる。料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓がある。おれの這入つた団子屋は遊廓の入口にあつて、大変うまいと云ふ評判だから、温泉に行つた帰りがけに一寸食つて見た。今度は生徒にも逢はなかつたから、誰も知るまいと思つて、翌日学校へ行つて、一時間目の教場へ這入ると団子二皿七銭とかいてある。実際おれは団子を二皿食つて七銭払つた。どうも厄介な奴等だ。二時間目にも屹度何かあると思ふと遊廓の団子旨い/\と書いてある。あきれ返つた奴等だ。団子が夫で済んだと思つたら今度は赤手拭と云ふのが評判になつた。何の事だと思つたら、詰らない来歴だ。おれはこゝへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めて居る。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉丈は立派なものだ。折角来たもんだから毎日這入つてやらうと云ふ気で、晩飯前に運動旁出掛る。所が行くときには必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。此手拭が湯に染つた上へ、赤い縞が流れ出したので、一寸見ると紅色に見える。おれは此手拭を行きも帰りも、汽車に乗つてもあるいても、常にぶら下げて居る。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云ふんださうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさい者だ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。其上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へ這入つた。すると四十円の月給で毎日上等へ這入るのは贅沢だと云ひ出した。余計な御世話だ。まだある。湯壺は花崗石を畳み上げて、十五畳敷位の広さに仕切つてある。大抵は十三四人漬つてるがたまには誰も居ない事がある。深さは立つて乳の辺まであるから、運動の為めに、湯の中を泳ぐのは中々愉快だ。おれは人の居ないのを見済しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡つて喜こんで居た。所がある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗いて見ると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまり有るまいから、此貼札はおれの為めに特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出て見ると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚ろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵して居る様に思はれた。くさ/\した。生徒が何を云つたつて、やらうと思つた事をやめる様なおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかへる様な所へ来たのかと思ふと情なくなつた。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。 四  学校には宿直があつて、職員が代る/\之をつとめる。但し狸と赤シヤツは例外である。何で此両人が当然の義務を免かれるのかと聞いて見たら、奏任待遇だからと云ふ。面白くもない。月給は沢山とる、時間は少ない、夫で宿直を逃がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらへて、それが当り前だと云ふ様な顔をしてゐる。よくまああんなに図迂/\しく出来るものだ。これに就ては大分不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人で不平を並べたつて通るものぢやないさうだ。一人だつて二人だつて正しい事なら通りさうなものだ。山嵐は might is right といふ英語を引いて説諭を加へたが、何だか要領を得ないから、聞き返して見たら強者の権利と云ふ意味ださうだ。強者の権利位なら昔から知つて居る。今更山嵐から講釈をきかなくつてもいゝ。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シヤツが強者だなんて、誰が承知するものか。議論は議論として此宿直が愈おれの番に廻つて来た。一体疳性だから夜具蒲団抔は自分のものへ楽に寐ないと寐た様な心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへ泊つた事は殆んどない位だ。友達のうちでさへ厭なら学校の宿直は猶更厭だ。厭だけれども、是が四十円のうちへ籠つてゐるなら仕方がない。我慢して勤めてやらう。  教師も生徒も帰つて仕舞つたあとで、一人ぽかんとして居るのは随分間が抜けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はづれの一室だ。一寸這入つて見たが、西日をまともに受けて、苦しくつて居たゝまれない。田舎丈あつて秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒の賄を取りよせて晩飯を済ましたが、まづいには恐れ入つた。よくあんなものを食つて、あれ丈に暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半には片付けて仕舞ふんだから豪傑に違ない。飯は食つたが、まだ日が暮れないから寐る訳に行かない。一寸温泉に行きたくなつた。宿直をして、外へ出るのはいゝ事だか、悪るい事だかしらないが、かうつくねんとして重禁錮同様な憂目に逢ふのは我慢の出来るもんぢやない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、一寸用達に出たと小使が答へたのを妙だと思つたが、自分に番が廻つて見ると思ひ当る。出る方が正しいのだ。おれは小使に一寸出てくると云つたら、何か御用ですかと聞くから、用ぢやない、温泉へ這入るんだと答へて、さつさと出掛けた。赤手拭を宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしやう。  夫から可成ゆるりと、出たり這入つたりして、漸く日暮方になつたから、汽車へ乗つて古町の停車場迄来て下りた。学校迄は是から四丁だ。訳はないとあるき出すと、向ふから狸が来た。狸は是から此汽車で温泉へ行かうと云ふ計画なんだらう。すた/\急ぎ足にやつてきたが、擦れ違つた時おれの顔を見たから、一寸挨拶をした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかつたですかねえと真面目くさつて聞いた。無かつたですかねえもないもんだ。二時間前おれに向つて今夜は始めての宿直ですね。御苦労さま。と礼を云つたぢやないか。校長なんかになると、いやに曲りくねつた言葉を使ふもんだ。おれは腹が立つたから、えゝ宿直です、宿直ですから、是から帰つて泊る事は慥かに泊りますと云ひ捨てゝ済ましてあるき出した。竪町の四っ角迄くると今度は山嵐に出っ喰はした。どうも狭い所だ。出てあるきさへすれば必ず誰かに逢ふ。「おい君は宿直ぢやないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答へたら、「宿直が無暗に出てあるくなんて、不都合ぢやないか」と云つた。「些とも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ」と威張つて見せた。「君のづぼらにも困るな、校長か教頭に出逢ふと面倒だぜ」と山嵐に似合はない事を云ふから「校長にはたつた今逢つた。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でせうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云つて、面倒臭いから、さつさと学校へ帰つて来た。  夫から日はすぐくれる。くれてから二時間許りは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、夫も飽きたから、寐られない迄も床へ這入らうと思つて、寐巻に着換えて、蚊帳を捲くつて、赤い毛布を跳ねのけて、頓と尻持を突いて、仰向けになつた。おれが寐るときに頓と尻持をつくのは小供の時からの癖だ。わるい癖だと云つて小川町の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ち込んだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚な事を長たらしく述べ立てるから、寐る時にどん/\音がするのはおれの尻がわるいのぢやない。下宿の建築が粗末なんだ。掛ヶ合ふなら下宿へ掛合へと凹ましてやつた。此宿直部屋は二階ぢやないから、いくら、どしんと倒れても構はない。成る可く勢よく倒れないと寐た様な心持ちがしない。あゝ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざら/\して蚤の様でもないからこいつあと驚ろいて、足を二三度毛布の中で振つて見た。するとざら/\と当つたものが、急に殖え出して臑が五六ヶ所、股が二三ヶ所、尻の下でぐちやりと踏み潰したのが一っ、臍の所迄飛び上がつたのが一つ――愈驚ろいた。早速起き上がつて、毛布をぱつと後ろへ抛ると、蒲団の中から、バツタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪るかつたが、バツタと相場が極まつて見たら急に腹が立つた。バツタの癖に人を驚ろかしやがつて、どうするか見ろと、いきなり括り枕を取つて、二三度擲きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく抛げつける割に利目がない。仕方がないから、又布団の上へ坐つて、煤掃の時に蓙を丸めて畳を叩く様に、そこら近辺を無暗にたゝいた。バツタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩だの、頭だの鼻の先だのへくつ付いたり、ぶつかつたりする。顔へ付いた奴は枕で叩く訳に行かないから、手で攫んで、一生懸命に擲きつける。忌々しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動く丈で少しも手答がない。バツタは擲きつけられた儘蚊帳へつらまつて居る。死にもどうもしない。漸くの事三十分許でバツタは退治た。箒を持つて来てバツタの死骸を掃き出した。小使が来て何ですかと云ふから、何ですかもあるもんか、バツタを床の中に飼つとく奴がどこの国にある。間抜め。と叱つたら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側へ抛り出したら、小使は恐る/\箒を担いで帰つて行つた。  おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だらうが、十人だらうが構ふものか。寐巻の儘腕まくりをして談判を始めた。 「なんでバツタなんか、おれの床の中へ入れた」 「バツタた何ぞな」と真先の一人がいつた。やに落ち付いて居やがる。此学校ぢや校長ばかりぢやない、生徒迄曲りくねつた言葉を使ふんだらう。 「バツタを知らないのか、知らなけりや見せてやらう」と云つたが、生憎掃き出して仕舞つて一匹も居ない。又小使を呼んで、「さつきのバツタを持つてこい」と云つたら、「もう掃溜へ棄てゝしまひましたが、拾つて参りませうか」と聞いた。「うんすぐ拾つて来い」と云ふと小使は急いで馳け出したが、やがて半紙の上へ十匹許り載せて来て「どうも御気の毒ですが、生憎夜で是丈しか見当りません。あしたになりましたらもつと拾つて参ります」と云ふ。小使迄馬鹿だ。おれはバツタの一つを生徒に見せて「バツタた是だ。大きなずう体をして、バツタを知らないた、何の事だ」と云ふと、一番左の方に居た、顔の丸い奴が「そりや、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「篦棒め、イナゴもバツタも同じもんだ。第一先生を捕まへてなもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食ふもんぢやない」とあべこべに遣り込めてやつたら「なもしと菜飯とは違ふぞな、もし」と云つた。いつ迄行つてもなもしを使ふ奴だ。 「イナゴでもバツタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バツタを入れて呉れと頼んだ」 「誰れも入れやせんがな」 「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」 「イナゴは温い所が好きぢやけれ、大方一人で御這入りたのぢやあろ」 「馬鹿あ云へ。バツタが一人で御這入りになるなんて――バツタに御這入りになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたづらをしたか、云へ」 「云へてゝ、入れんものを説明しやうがないがな」  けちな奴等だ、自分で自分のした事が云へない位なら、てんで仕ないがいゝ。証拠さへ挙がらなければ、しらを切る積りで図太く構へて居やがる。おれだつて中学に居た時分は少しはいたづらもしたもんだ。然しだれがしたと聞かれた時に、尻込みをする様な卑怯な事は只の一度もなかつた。仕たものは仕たので、仕ないものは仕ないに極つてる。おれなんぞは、いくら、いたづらをしたつて潔白なものだ。嘘を吐いて罰を逃げる位なら、始めからいたづらなんかやるもんか。いたづらと罰はつきもんだ。罰があるからいたづらも心持ちよく出来る。いたづら丈で罰は御免蒙るなんて下劣な根性がどこの国に流行ると思つてるんだ。金は借りるが、返す事は御免だと云ふ連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない。全体中学校へ何しに這入つてるんだ。学校へ這入つて、嘘を吐いて、胡魔化して、蔭でこせ/\生意気な悪いたづらをして、さうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違をして居やがる。話せない雑兵だ。  おれはこんな腐つた了見の奴等と談判するのは胸糞が悪るいから、「そんなに云はれなきや、聞かなくつていゝ。中学校へ這入つて、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云つて六人を逐っ放してやつた。おれは言葉や様子こそ余り上品ぢやないが、心はこいつらよりも遥かに上品な積りだ。六人は悠々と引き揚げた。上部丈は教師のおれより余っ程えらく見える。実は落ち付いて居る丈猶悪るい。おれには到底是程の度胸はない。  夫から又床へ這入つて横になつたら、さつきの騒動で蚊帳の中はぶん/\唸つて居る。手燭をつけて一匹宛焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣手をはづして、長く畳んで置いて部屋の中で横竪十文字に振ふつたら[#「振ふつたら」はママ]、環が飛んで手の甲をいやと云ふ程撲つた。三度目に床へ這入つた時は少々落ち付いたが中々寐られない。時計を見ると十時半だ。考へて見ると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行つても、こんなものを相手するなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。余っ程辛防強い朴念仁がなるんだらう。おれには到底やり切れない。それを思ふと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としては頗る尊とい。今迄はあんなに世話になつて別段難有いとも思はなかつたが、かうして、一人で遠国へ来て見ると、始めてあの親切がわかる。越後の笹飴が食ひたければ、わざ/\越後迄買ひに行つて食はしてやつても、食はせる丈の価値は充分ある。清はおれの事を慾がなくつて、真直な気性だと云つて、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢ひたくなつた。  清の事を考へながら、のつそつして居ると、突然おれの頭の上で、数で云つたら三四十人もあらうか、二階が落つこちる程どん、どん、どん、と拍子を取つて床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きな鬨の声が起つた。おれは何事が持ち上がつたのかと驚ろいて飛び起きた。飛び起きる途端にはゝあさつきの意趣返しに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事は悪るかつたと言つて仕舞はないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達に覚があるだらう。本来なら寐てから後悔してあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。たとひ、あやまらない迄も恐れ入つて、静粛に寐て居るべきだ。それを何だ此騒ぎは。寄宿舎を建てゝ豚でも飼つて置きあしまいし。気狂ひじみた真似も大抵にするがいゝ。どうするか見ろと、寐巻の儘宿直部屋を飛び出して、楷子段を三股半に二階迄躍り上がつた。すると不思議な事に、今迄頭の上で、慥かにどたばた暴れて居たのが、急に静まり返つて、人声所か足音もしなくなつた。是は妙だ。ランプは既に消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然と分らないが、人気のあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へ貫いた廊下には鼠一匹も隠れて居ない。廊下のはづれから月がさして、遥か向ふが際どく明るい。どうも変だ、己れは小供の時から、よく夢を見る癖があつて、夢中に跳ね起きて、わからぬ寐言を云つて、人に笑はれた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾つた夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がつて、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢で尋ねた位だ。其時は三日ばかりうち中の笑ひ草になつて大に弱つた。ことによると今のも夢かも知れない。然し慥かにあばれたに違ないがと、廊下の真中で考へ込んで居ると、月のさして居る向ふのはづれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまつて響いたかと思ふ間もなく、前の様に拍子を取つて、一同が床板を踏み鳴らした。夫れ見ろ夢ぢやない矢っ張り事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこつちも負けん位な声を出して、廊下を向へ馳けだした。おれの通る路は暗い、只はづれに見える月あかりが目標だ。おれが馳け出して二間も来たかと思ふと、廊下の真中で、堅い大きなものに向脛をぶつけて、あ痛いが頭へひゞく間に、身体はすとんと前へ抛り出された。こん畜生と起き上がつて見たが、馳けられない。気はせくが、足丈は云ふ事を利かない。じれつたいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静まり返つて、森として居る。いくら人間が卑怯だつて、こんなに卑怯に出来るものぢやない。まるで豚だ。かうなれば隠れて居る奴を引きずり出して、あやまらせてやる迄はひかないぞと、心を極めて寝室の一っを開けて中を検査し様と思つたが開かない。錠をかけてあるのか、机か何か積んで立て懸けてあるのか、押しても、押しても決して開かない。今度は向ふ合せの北側の室を試みた。開かない事は矢っ張り同然である。おれが戸をあけて中に居る奴を引つ捕らまへてやらうと、焦慮てると、又東のはづれで鬨の声と足拍子が始まつた。此野郎申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思つたが偖どうしていゝか分らない。正直に白状してしまふが、おれは勇気のある割合に智慧が足りない。こんな時にはどうしていゝか薩張りわからない。わからないけれども、決して負ける積りはない。此儘に済ましてはおれの顔にかゝはる。江戸っ子は意気地がないと云はれるのは残念だ。宿直をして鼻垂れ小僧にからかはれて、手のつけ様がなくつて、仕方がないから泣寐入りにしたと思はれちや一生の名折だ。是でも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生れからして違ふんだ。只智慧のない所が惜しい丈だ。どうしていゝか分らないのが困る丈だ。困つたつて負けるものか。正直だから、どうしていゝか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考へて見ろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさつて勝つ。あさつて勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つ迄こゝに居る。おれはかう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待つて居た。蚊がぶん/\来たけれども何ともなかつた。さつき、ぶつけた向脛を撫でゝ見ると、何だかぬら/\する。血が出るんだらう。血なんか出たければ勝手に出るがいゝ。其うち最前からの疲れが出て、ついうと/\寐て仕舞つた。何だか騒がしいので、眼が覚めた時はえっ糞しまつたと飛び上がつた。おれの坐つてた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立つて居る。おれは正気に返つて、はつと思ふ途端に、おれの鼻の先にある生徒の足を引っ攫んで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと仰向に倒れた。ざまを見ろ。残る一人が一寸狼狽した所を、飛びかゝつて、肩を抑へて二三度こづき廻したら、あつけに取られて、眼をぱち/\させた。さあおれの部屋迄来いと引つ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなく尾いて来た。夜はとうにあけて居る。  おれが宿直部屋へ連れて来た奴を詰問し始めると、豚は、打つても擲いても豚だから、只知らんがなで、どこ迄も通す了見と見えて、決して白状しない。其うち一人来る、二人来る、段々二階から宿直部屋へ集まつてくる。見るとみんな眠さうに瞼をはらして居る。けちな奴等だ。一晩位寐ないで、そんな面をして男と云はれるか。面でも洗つて議論に来いと云つてやつたが、誰も面を洗ひに行かない。  おれは五十人余りを相手に約一時間許り押問答をして居ると、ひよつくり狸がやつて来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますつて、わざ/\知らせに行つたのださうだ。是しきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。夫だから中学校の小使なんぞをして居るんだ。  校長は一※[#小書き平仮名と、291-7]通りおれの説明を聞いた、生徒の言草も一寸聞いた。追つて処分する迄は、今迄通り学校へ出ろ。早く顔を洗つて、朝飯を食はないと時間に間に合はないから、早くしろと云つて寄宿生をみんな放免した。手温るい事だ。おれなら即席に寄宿生をこと/″\く退校して仕舞ふ。こんな悠長な事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。其上おれに向つて、あなたも嘸御心配で御疲れでせう、今日は御授業に及ばんと云ふから、おれはかう答へた。「いへ、ちつとも心配ぢやありません。こんな事が毎晩あつても、命のある間は心配にやなりません。授業はやります、一晩位寐なくつて、授業が出来ない位なら、頂戴した月給を学校の方へ割戻します」校長は何と思つたものか、暫らくおれの顔を見詰めて居たが、然し顔が大分はれて居ますよと注意した。成程何だか少々重たい気がする。其上べた一面痒い。蚊が余っ程刺したに相違ない。おれは顔中ぼり/\掻きながら、顔はいくら※[#「月+鼓」、U+81CC、292-1]れたつて、口は慥かにきけますから、授業には差し支ませんと答へた。校長は笑ひながら、大分元気ですねと賞めた。実を云ふと賞めたんぢやあるまい、ひやかしたんだらう。 五  君釣りに行きませんかと赤シヤツがおれに聞いた。赤シヤツは気味の悪るい様に優しい声を出す男である。丸で男だか女だか分りやしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生ぢやないか。物理学校でさへおれ位な声が出るのに、文学士がこれぢや見つともない。  おれはさうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、小供の時、小梅の釣堀で鮒を三匹釣つた事がある。夫から神楽坂の毘沙門の縁日で八寸許りの鯉を針で引つかけて、しめたと思つたら、ぽちやりと落として仕舞つたが是は今考へても惜しいと云つたら、赤シヤツは顋を前の方へ突き出してホヽヽヽと笑つた。何もさう気取つて笑はなくつても、よささうなものだ。「夫れぢや、まだ釣の味は分らんですな。御望みならちと伝授しませう」と頗る得意である。だれが御伝授をうけるものか。一体釣や猟をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくつて、殺生をして喜ぶ訳がない。魚だつて、鳥だつて殺されるより生きてる方が楽に極まつてる。釣や猟をしなくつちや活計がたゝないなら格別だが、何不足なく暮して居る上に、生き物を殺さなくつちや寐られないなんて贅沢な話だ。かう思つたが向ふは文学士丈に口が達者だから、議論ぢや叶はないと思つて、だまつてた。すると先生此おれを降参させたと疳違して、早速伝授しませう。御ひまなら、今日どうです、一所に行つちや。吉川君と二人ぎりぢや、淋しいから、来給へとしきりに勧める。吉川君と云ふのは画学の教師で例の野だいこの事だ。此野だは、どういふ了見だか、赤シヤツのうちへ朝夕出入して、どこへでも随行して行く。丸で同輩ぢやない。主従見た様だ。赤シヤツの行く所なら、野だは必ず行くに極つて居るんだから、今更驚ろきもしないが、二人で行けば済む所を、なんで無愛想のおれへ口を掛けたんだらう。大方高慢ちきな釣道楽で、自分の釣る所をおれに見せびらかす積かなんかで誘つたに違ない。そんな事で見せびらかされるおれぢやない。鮪の二匹や三匹釣つたつて、びくともするもんか。おれだつて人間だ、いくら下手だつて糸さへ卸しや、何かかゝるだらう、こゝでおれが行かないと、赤シヤツの事だから、下手だから行かないんだ、嫌だから行かないんぢやないと邪推するに相違ない。おれはかう考へたから、行きませうと答へた。それから、学校を仕舞つて、一応うちへ帰つて、支度を整へて、停車場で赤シヤツと野だを待ち合せて、浜へ行つた。船頭は一人で、舟は細長い東京辺では見た事もない恰形である。さつきから船中見渡すが釣竿が一本も見えない。釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だらうと、野だに聞くと、沖釣には竿は用ゐません、糸丈でげすと顋を撫でゝ黒人じみた事を云つた。かう遣り込められる位ならだまつて居れば宜かつた。  船頭はゆつくり/\漕いでゐるが熟練は恐しいもので、見返へると、浜が小さく見える位もう出てゐる。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針の様に尖がつてる。向側を見ると青島が浮いてゐる。是は人の住まない島ださうだ。よく見ると石と松ばかりだ。成程石と松ばかりぢや住めつこない。赤シヤツは、しきりに眺望していゝ景色だと云つてる。野だは絶景でげすと云つてる。絶景だか何だか知らないが、いゝ心持には相違ない。ひろ/″\とした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思つた。いやに腹が減る。「あの松を見給へ、幹が真直で、上が傘の様に開いてターナーの画にありさうだね」と赤シヤツが野だに云ふと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合つたらありませんね。ターナーそつくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙つて居た。舟は島を右に見てぐるりと廻つた。波は全くない。是で海だとは受け取りにくい程平だ。赤シヤツの御蔭で甚だ愉快だ。出来る事なら、あの島の上へ上がつて見たいと思つたから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いて見た。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸ぢやいけないですと赤シヤツが異議を申し立てた。おれは黙つてた。すると野だがどうです教頭、是からあの島をターナー島と名づけ様ぢやありませんかと余計な発議をした。赤シヤツはそいつは面白い、吾々は是からさう云はうと賛成した。此吾々のうちにおれも這入つてるなら迷惑だ。おれには青島で沢山だ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちや。いゝ画が出来ますぜと野だが云ふと、マドンナの話はよさうぢやないかホヽヽヽと赤シヤツが気味の悪るい笑ひ方をした。なに誰も居ないから大丈夫ですと、一寸おれの方を見たが、わざと顔をそむけてにや/\と笑つた。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだらうが、小旦那だらうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよからうが、人に分らない事を言つて、分らないから聞いたつて構やしませんてえ様な風をする。下品な仕草だ。是で当人は私も江戸っ子でげす抔と云つてる。マドンナと云ふのは何でも赤シヤツの馴染の芸者の渾名か何かに違ないと思つた。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫れを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよからう。  此所らがいゝだらうと船頭は船をとめて、錨を卸した。幾尋あるかねと赤シヤツが聞くと、六尋位だと云ふ。六尋位ぢや鯛は六※[#濁点付き小書き平仮名つ、295-14]かしいなと、赤シヤツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆なものだ。野だは、なに教頭の御手際ぢやかゝりますよ。それになぎですからと御世辞を云ひながら、是も糸を繰り出して投げ入れる。何だか先に錘の様な鉛がぶら下がつてる丈だ。浮がない。浮がなくつて釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかる様なものだ。おれには到底出来ないと見てゐると、さあ君もやり玉へ糸はありますかと聞く。糸はあまる程ありますが、浮がありませんと云つたら、浮がなくつちや釣が出来ないのは素人ですよ。かうしてね、糸が水底へついた時分に、船縁の所で人指しゆびで呼吸をはかるんです、食ふとすぐ手に答へる。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかゝつたと思つたら何にもかゝらない、餌がなくなつてた許りだ。いゝ気味だ。教頭、残念な事をしましたね、今のは慥かに大ものに違なかつたんですが、どうも教頭の御手際でさへ逃げられちや、今日は油断ができませんよ。然し逃げられても何ですね。浮と睨めくらをしてゐる連中よりはましですね。丁度歯どめがなくつちや自転車へ乗れないのと同程度ですからねと野だは妙な事ばかり喋舌る。よつぽど撲りつけてやらうかと思つた。おれだつて人間だ、教頭ひとりで借り切つた海ぢやあるまいし。広い所だ。鰹の一匹位義理にだつて、かゝつて呉れるだらうと、どぼんと錘と糸を抛り込んで、いゝ加減に指の先であやつつてゐた。  しばらくすると、何だかぴく/\と糸にあたるものがある。おれは考へた。こいつは魚に相違ない。生きてるものでなくつちや、かうぴくつく訳がない。しめた、釣れたとぐい/\手繰り寄せた。おや釣れましたかね、後世恐るべしだと野だがひやかすうち、糸はもう大概手繰り込んで只五尺ばかり程しか、水に浸いて居らん。船縁から覗いて見たら、金魚の様な縞のある魚が糸にくつついて、右左へ漾いながら、手に応じて浮き上がつてくる。面白い。水際から上げるとき、ぽちやりと跳ねたから、おれの顔は潮水だらけになつた。漸くつらまへて、針をとらうとするが中々取れない。捕まへた手はぬる/\する。大に気味がわるい。面倒だから糸を振つて胴の間へ擲きつけたら、すぐ死んで仕舞つた。赤シヤツと野だは驚ろいて見てゐる。おれは海の中で手をざぶ/\と洗つて、鼻の先へあてがつて見た。まだ腥臭い。もう懲り/\だ、何が釣れたつて魚は握りたくない。魚も握られたくなからう。さう/\糸を捲いて仕舞つた。  一番槍は御手柄だがゴルキぢや、と野だが又生意気を云ふと、ゴルキと云ふと露西亜の文学者見た様な名だねと赤シヤツが洒落た。さうですね、丸で露西亜の文学者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が芝の写真師で、米のなる木が命の親だらう。一体此赤シヤツはわるい癖だ。誰を捕まへても片仮名の唐人の名を並べたがる。人には夫々専門があつたものだ。おれの様な数学の教師にゴルキだか車力だか見当がつくものか、少しは遠慮するがいゝ。云ふならフランクリンの自伝だとかプツシング、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも知つてる名を使ふがいゝ。赤シヤツは時々帝国文学とか云ふ真赤な雑誌を学校へ持つて来て難有さうに読んでゐる。山嵐に聞いて見たら、赤シヤツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんださうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。  それから赤シヤツと野だは一生懸命に釣つて居たが、約一時間許りのうちに二人で十五六上げた。可笑しい事に釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキ許りだ。鯛なんて薬にしたくつてもありやしない。今日は露西亜文学の大当りだと赤シヤツが野だに話してゐる。あなたの手腕でゴルキなんですから、私なんぞがゴルキなのは仕方がありません。当り前ですなと野だが答へてゐる。船頭に聞くと此小魚は骨が多くつて、まづくつて、とても食へないんださうだ。只肥料には出来るさうだ。赤シヤツと野だは一生懸命に肥料を釣つて居るんだ。気の毒の至りだ。おれは一匹で懲りたから、胴の間へ仰向けになつて、さつきから大空を眺めて居た。釣をするより此方が余っ程洒落て居る。  すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよく聞えない、又聞きたくもない。おれは空を見ながら清の事を考へて居る。金があつて、清をつれて、こんな奇麗な所へ遊びに来たら嘸愉快だらう。いくら景色がよくつても野だ抔と一所ぢや詰らない。清は皺苦茶だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たつて恥づかしい心持ちはしない。野だの様なのは、馬車に乗らうが、船に乗らうが、凌雲閣へのらうが、到底寄り付けたものぢやない。おれが教頭で、赤シヤツがおれだつたら、矢っ張りおれにへけつけ御世辞を使つて赤シヤツを冷かすに違ない。江戸っ子は軽薄だと云ふが成程こんなのが田舎巡りをして、私は江戸っ子でげすを繰り返して居たら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄の事だと田舎者が思ふに極まつてる。こんな事を考へて居ると、何だか二人がくす/\笑ひ出した。笑ひ声の間に何か云ふが途切れ/\で頓と要領を得ない。 「え? どうだか……」「……全くです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「バツタを……本当ですよ」  おれは外の言葉には耳も傾けなかつたが、バツタと云ふ野だの語を聴いた時は、思はず屹となつた。野だは何の為かバツタと云ふ言葉丈ことさら力を入れて、明瞭におれの耳に這入る様にして、其あとをわざとぼかして仕舞つた。おれは動かないで矢張り聞いて居た。 「又例の堀田が……」「さうかも知れない……」「天麩羅……ハヽヽヽヽ」「……煽動して……」「団子も?……」  言葉は斯様に途切れ/\であるけれども、バツタだの天麩羅だの、団子だのと云ふ所を以て推し測つて見ると、何でもおれの事に就て内所話しをして居るに相違ない。話すならもつと大きな声で話すがいゝ、又内所話をする位なら、おれなんか誘はなければいゝ。いけ好かない連中だ。バツタだらうが足踏だらうが、非はおれにある事ぢやない。校長が一と先づあづけろと云つたから、狸の顔にめんじて只今の所は控えて居るんだ。野だの癖に入らぬ批評をしやがる。毛筆でもしやぶつて引っ込んでるがいゝ。おれの事は、遅かれ早かれ、おれ一人で片付けて見せるから、差支はないが、又例の堀田がとか煽動してとか云ふ文句が気にかゝる。堀田がおれを煽動して騒動を大きくしたと云ふ意味なのか、或は堀田が生徒を煽動しておれをいぢめたと云ふのか方角がわからない。青空を見て居ると、日の光が段々弱つて来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香の烟の様な雲が、透き徹る底の上を静かに伸して行つたと思つたら、いつしか底の奥に流れ込んで、うすくもやを掛けた様になつた。  もう帰らうかと赤シヤツが思ひ出した様に云ふと、えゝ丁度時分ですね。今夜はマドンナの君に御逢ひですかと野だが云ふ。赤シヤツは馬鹿あ云つちやいけない、間違になると、船縁に身を倚たした奴を、少し起き直る。エヘヽヽヽ大丈夫ですよ。聞いたつて……と野だが振り返つた時、おれは皿の様な眼を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやつた。野だはまぼしさうに引き繰り返つて、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻いた。何と云ふ猪口才だらう。  船は静かな海を岸へ漕ぎ戻る。君釣はあまり好きでないと見えますねと赤シヤツが聞くから、えゝ寐て居て空を見る方がいゝですと答へて、吸ひかけた巻烟草を海の中へたゝき込んだら、ジユと音がして艪の足で掻き分けられた浪の上を揺られながら漾つていつた。「君が来たんで生徒も大に喜んで居るから、奮発してやつて呉れ給へ」と今度は釣には丸で縁故もない事を云ひ出した。「あんまり喜んでも居ないでせう」「いえ、御世辞ぢやない。全く喜んで居るんです、ね、吉川君」「喜んでる所ぢやない。大騒ぎです」と野だはにや/\と笑つた。こいつの云ふ事は一々癪に障るから妙だ。「然し君注意しないと、険呑ですよ」と赤シヤツが云ふから「どうせ険呑です。かうなりや険呑は覚悟です」と云つてやつた。実際おれは免職になるか、寄宿生を悉くあやまらせるか、どつちか一つにする了見で居た。「さう云つちや、取りつき所もないが――実は僕も教頭として君の為を思ふから云ふんだから、わるく取つちや困る」「教頭は全く君に好意を持つてるんですよ。僕も及ばずながら、同じ江戸っ子だから、可成長く御在校を願つて、御互に力にならうと思つて、是でも蔭ながら尽力して居るんですよ」と野だが人間並の事を云つた。野だの御世話になる位なら首を縊つて死んぢまはあ。 「夫でね、生徒は君の来たのを大変歓迎して居るんだが、そこには色々な事情があつてね。君も腹の立つ事もあるだらうが、こゝが我慢だと思つてまあ辛防してくれ玉へ。決して君の為にならない様な事はしないから」 「色々の事情た、どんな事情です」 「夫が少し込み入つてるんだが、まあ段々分りますよ。僕が話さないでも自然と分つて来るです、ね吉川君」 「えゝ中々込み入つてますからね。一朝一夕にや到底分りません。然し段々分ります、僕が話さないでも自然と分つて来るです」と野だは赤シヤツと同じ様な事を云ふ。 「そんな面倒な事情なら聞かなくてもいゝんですが、あなたの方から話し出したから伺ふんです」 「そりや御尤だ。こつちで口を切つて、あとをつけないのは無責任ですね。夫れぢや是丈の事を云つて置きませう。あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。所が学校と云ふものは中々情実のあるもので、さう書生流に淡泊には行かないですからね」 「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです」 「さあ君はさう率直だから、まだ経験に乏しいと云ふんですがね……」 「どうせ経験には乏しい筈です。履歴書にもかいときましたが二十三年四ヶ月ですから」 「さ、そこで思はぬ辺から乗ぜられる事があるんです」 「正直にして居れば誰が乗じたつて怖くはないです」 「無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云ふんです」  野だが大人しくなつたなと気が付いて、ふり向いて見るといつしか艫の方で船頭と釣の話をして居る。野だが居ないんで余っ程話しよくなつた。 「僕の前任者が、誰れに乗ぜられたんです」 「だれと指すと、其人の名誉に関係するから云へない。又判然と証拠のない事だから云ふと此方の落度になる。とにかく、折角君が来たもんだから、こゝで失敗しちや僕等も君を呼んだ甲斐がない。どうか気を付けてくれ玉へ」 「気を付けろつたつて、是より気の付け様はありません。わるい事をしなけりや好いんでせう」  赤シヤツはホヽヽヽと笑つた。別段おれは笑はれる様な事を云つた覚はない。今日只今に至る迄是でいゝと堅く信じて居る。考へて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励して居る様に思ふ。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちやんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。夫ぢや小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教へない方がいゝ。いつそ思ひ切つて学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世の為にも当人の為にもなるだらう。赤シヤツがホヽヽヽと笑つたのは、おれの単純なのを笑つたのだ。単純や真率が笑はれる世の中ぢや仕様がない。清はこんな時に決して笑つた事はない。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シヤツより余っ程上等だ。 「無論悪るい事をしなければ好いんですが、自分丈悪るい事をしなくつても、人の悪るいのが分らなくつちや、矢っ張りひどい目に逢ふでせう。世の中には磊落な様に見えても、淡泊な様に見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、滅多に油断の出来ないのがありますから……。大分寒くなつた。もう秋ですね、浜の方は靄でセピヤ色になつた。いゝ景色だ。おい、吉川君どうだい、あの浜の景色は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なある程こりや奇絶ですね。時間があると写生するんだが、惜しいですね。此儘にして置くのはと野だは大にたゝく。  港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒユーと鳴るとき、おれの乗つて居た舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなつた。御早う御帰りと、かみさんが、浜に立つて赤シヤツに挨拶をする。おれは船端から、やつと掛声をして磯へ飛び下りた。 六  野だは大嫌だ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまふ方が日本の為だ。赤シヤツは声が気に食はない。あれは持前の声をわざと気取つてあんな優しい様に見せてるんだらう。いくら気取つたつて、あの面ぢや駄目だ。惚れるものがあつたつてマドンナ位なものだ。然し教頭丈に野だより六※[#濁点付き小書き平仮名つ、305-3]かしい事を云ふ。うちへ帰つて、あいつの申し条を考へて見ると一応尤もの様でもある。判然とした事を云はないから、見当がつきかねるが、何でも山嵐がよくない奴だから用心しろと云ふのらしい。それなら、さうと確乎断言するがいゝ、男らしくもない。さうして、そんな悪るい教師なら、早く免職さしたらよからう。教頭なんて文学士の癖に意気地のないもんだ。蔭口をきくのでさへ、公然と名前が云へない位な男だから、弱虫に極まつてる。弱虫は親切なものだから、あの赤シヤツも女の様な親切ものなんだらう。親切は親切、声は声だから、声が気に入らないつて、親切を無にしちや筋が違ふ。夫にしても世の中は不思議なものだ、虫の好かない奴が親切で、気の合つた友達が悪漢だなんて、人を馬鹿にして居る。大方田舎だから万事東京のさかに行くんだらう。物騒な所だ。今に火事が氷つて、石が豆腐になるかも知れない。然し、あの山嵐が生徒を煽動するなんて、いたづらをしさうもないがな。一番人望のある教師だと云ふから、やらうと思つたら大抵の事は出来るかも知れないが、――第一そんな廻りくどい事をしないでも、ぢかにおれを捕まへて喧嘩を吹き懸けりや手数が省ける訳だ。おれが邪魔になるなら、実は是々だ、邪魔だから辞職してくれと云や、よさゝうなもんだ。物は相談づくでどうでもなる。向ふの云ひ条が尤もなら、明日にでも辞職してやる。こゝ許り米が出来る訳でもあるまい。どこの果へ行つたつて、のたれ死はしない積だ。山嵐も余っ程話せない奴だな。  こゝへ来た時第一番に氷水を奢つたのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢つてもらつちや、おれの顔に関はる。おれはたつた一杯しか飲まなかつたから一銭五厘しか払はしちやない。然し一銭だらうが五厘だらうが、詐欺師の恩になつては、死ぬ迄心持ちがよくない。あした学校へ行つたら、壱銭五厘返して置かう。おれは清から三円借りて居る。其三円は五年経つた今日迄まだ帰さない。返せないんぢやない、帰さないんだ。清は今に帰すだらう抔と、苟めにもおれの懐中をあてにはして居ない。おれも今に帰さう抔と他人がましい義理立てはしない積だ。こつちがこんな心配をすればする程清の心を疑ぐる様なもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。帰さないのは清を踏みつけるのぢやない、清をおれの片破れと思ふからだ。清と山嵐とは固より比べ物にならないが、たとひ氷水だらうが、甘茶だらうが、他人から恵を受けて、だまつて居るのは向ふを一※[#小書き平仮名と、306-12]角の人間と見立てゝ、其人間に対する厚意の所作だ。割前を出せば夫丈の事で済む所を、心のうちで難有いと恩に着るのは銭金で買へる返礼ぢやない。無位無官でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊とい御礼と思はなければならない。  おれは是でも山嵐に一銭五厘奮発させて、百万両より尊とい返礼をした気で居る。山嵐は難有いと思つて然るべきだ。それに裏へ廻つて卑劣な振舞をするとは怪しからん野郎だ。あした行つて一銭五厘返して仕舞へば借も貸もない。さうして置いて喧嘩をしてやらう。  おれはこゝ迄考へたら、眠くなつたからぐう/\寐て仕舞つた。あくる日は思ふ仔細があるから、例刻より早ャ目に出校して山嵐を待ち受けた。所が中々出て来ない。うらなりが出て来る。漢学の先生が出て来る。野だが出て来る。仕舞には赤シヤツ迄出て来たが、山嵐の机の上は白墨が一本竪に寐て居る丈で閑静なものだ。おれは、控所へ這入るや否や返さうと思つて、うちを出る時から、湯銭の様に手の平へ入れて一銭五厘、学校迄握つて来た。おれは膏っ手だから、開けて見ると一銭五厘が汗をかいて居る。汗をかいてる銭を返しちや、山嵐が何とか云ふだらうと思つたから、机の上へ置いてふう/\吹いて又握つた。所へ赤シヤツが来て昨日は失敬、迷惑でしたらうと云つたから、迷惑ぢやありません、御蔭で腹が減りましたと答へた。すると赤シヤツは山嵐の机の上へ肱を突いて、あの盤台面をおれの鼻の側面へ持つて来たから、何をするのかと思つたら、君昨日帰りがけに船の中で話した事は、秘密にしてくれ玉へ。まだ誰にも話しやしますまいねと云つた。女の様な声を出す丈に心配性な男と見える。話さない事は慥かである。然し是から話さうと云ふ心持ちで、既に一銭五厘手の平に用意して居る位だから、こゝで赤シヤツから口留めをされちや、些と困る。赤シヤツも赤シヤツだ。山嵐と名を指さないにしろ、あれ程推察の出来る謎をかけて置きながら、今更其謎を解いちや迷惑だとは教頭とも思へぬ無責任だ。元来ならおれが山嵐と戦争をはじめて鎬を削つてる真中へ出て堂々とおれの肩を持つべきだ。夫でこそ一校の教頭で、赤シヤツを着て居る主意も立つと云ふもんだ。  おれは教頭に向つて、まだ誰にも話さないが、是から山嵐と談判する積だと云つたら、赤シヤツは大に狼狽して、君そんな無法な事をしちや困る。僕は堀田君の事に就いて、別段君に何も明言した覚はないんだから――君がもし茲で乱暴を働いてくれると、僕は非常に迷惑する。君は学校に騒動を起す積りで来たんぢやなからうと妙に常識をはづれた質問をするから、当り前です、月給をもらつたり、騒動を起したりしちや、学校の方でも困るでせうと云つた。すると赤シヤツはそれぢや昨日の事は君の参考丈にとめて、口外してくれるなと汗をかいて依頼に及ぶから、よろしい、僕も困るんだが、そんなにあなたが迷惑ならよしませうと受け合つた。君大丈夫かいと赤シヤツは念を押した。どこ迄女らしいんだか奥行がわからない。文学士なんて、みんなあんな連中なら詰らんものだ。辻褄の合はない、論理に欠けた注文をして恬然として居る。然も此おれを疑ぐつてる。憚りながら男だ。受け合つた事を裏へ廻つて反古にする様なさもしい了見は持つてるもんか。  所へ両隣りの机への[#「机への」はママ]所有主も出校したんで、赤シヤツは早々自分の席へ帰つて行つた。赤シヤツは歩るき方から気取つてる。部屋の中を往来するのでも、音を立てない様に靴の底をそつと落す。音を立てないであるくのが自慢になるもんだとは、此時から始めて知つた。泥棒の稽古ぢやあるまいし、当り前にするがいゝ。やがて始業の喇叭がなつた。山嵐はとう/\出て来ない。仕方がないから、一銭五厘を机の上へ置いて教場へ出掛けた。  授業の都合で一時間目は少し後れて、控所へ帰つたら、ほかの教師はみんな机を控へて話をして居る。山嵐もいつの間にか来て居る。欠勤だと思つたら遅刻したんだ。おれの顔を見るや否や今日は君の御蔭で遅刻したんだ。罰金を出し玉へと云つた。おれは机の上にあつた一銭五厘を出して、是をやるから取つて置け。先達て通町で飲んだ氷水の代だと山嵐の前へ置くと、何を云つてるんだと笑ひかけたが、おれが存外真面目で居るので、詰らない冗談をするなと銭をおれの机の上へ掃き返した。おや山嵐の癖にどこ迄も奢る気だな。 「冗談ぢやない本当だ。おれは君に氷水を奢られる因縁がないから、出すんだ。取らない法があるか」 「そんなに壱銭五厘が気になるなら取つてもいゝが、なぜ思ひ出した様に、今時分返すんだ」 「今時分でも、いつ時分でも返すんだ。奢られるのが、いやだから返すんだ」  山嵐は冷然とおれの顔を見てふんと云つた。赤シヤツの依頼がなければ、こゝで山嵐の卑劣をあばいて大喧嘩をしてやるんだが、口外しないと受け合つたんだから動きがとれない。人がこんなに真赤になつてるのにふんと云ふ理窟があるものか。 「氷水の代は受け取るから、下宿は出て呉れ」 「壱銭五厘受け取れば夫でいゝ。下宿を出やうが、出まいが、おれの勝手だ」 「所が勝手でない、昨日、あすこの亭主が来て君に出て貰ひたいと云ふから、其訳を聞いたら、亭主の云ふのは尤もだ。夫でももう一応慥かめる積りで今朝あすこへ寄つて詳しい話を聞いてきたんだ」  おれには山嵐の云ふ事が何の意味だか分らない。 「亭主が君に何を話したんだか、おれが知つてるもんか。さう自分丈で極めたつて仕様があるか。訳があるなら、訳から話すが順だ。てんから亭主の云ふ方が尤もだなんて失敬千万な事を云ふな」 「うん、そんなら云つてやらう。君は乱暴であの下宿で持て余まされて居るんだ。いくら下宿の女房だつて、下女たあ違ふぜ。足を出して拭かせるなんて、威張り過ぎるさ」 「おれが、いつ下宿の女房に足を拭かせた」 「拭かせたかどうだか知らないが、兎に角向ふぢや、君に困つてるんだ。下宿料の十円や十五円は懸物を一幅売りや、すぐ浮いてくるつて云つてたぜ」 「利いた風な事をぬかす野郎だ。そんなら、なぜ置いた」 「なぜ置いたか、僕は知らん、置く事は置いたんだが、いやになつたんだから、出ろと云ふんだらう。君出てやれ」 「当り前だ。居てくれと手を合せたつて、居るものか。一体そんな云ひ懸りを云ふ様な所へ周旋する君からしてが不埒だ」 「おれが不埒か、君が大人しくないんだか、どつちかだらう」  山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌な大きな声を出す。控所に居た連中は何事が始まつたかと思つて、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋を長くしてぼんやりして居る。おれは、別に恥づかしい事をした覚はないんだから、立ち上がりながら、部屋中一通り見巡はしてやつた。みんなが驚ろいてるなかに野だ丈は面白さうに笑つて居た。おれの大きな眼が、貴様も喧嘩をする積りかと云ふ権幕で、野だの干瓢づらを射貫いた時に、野だは突然真面目な顔をして、大につゝしんだ。少し怖はかつたと見える。其うち喇叭が鳴る。山嵐も、おれも喧嘩を中止して教場へ出た。  午後は、先夜おれに対して無礼を働いた寄宿生の処分法に就ての会議だ。会議と云ふものは生れて始めてだから頓と容子が分らないが、職員が寄つて、たかつて自分勝手な説をたてゝ、夫を校長が好い加減に纏めるのだらう。纏めると云ふのは黒白の決しかねる事柄に就て云ふべき言葉だ。この場合の様な、誰が見たつて、不都合としか思はれない事件に会議をするのは暇潰しだ。誰が何と解釈したつて異説の出様筈がない。こんな明白なのは即座に校長が処分して仕舞へばいゝのに。随分決断のない事だ。校長つてものが、これならば、何の事はない、煮え切らない、愚図の異名だ。  会議室は校長室の隣りにある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。黒い皮で張つた椅子が二十脚ばかり、長いテーブルの周囲に並んで一寸神田の西洋料理屋位な格だ。其テーブルの端に校長が坐つて、校長の隣りに赤シヤツが構へる。あとは勝手次第に席に着くんださうだが、体操の教師丈はいつも席末に謙遜すると云ふ話だ。おれは様子が分らないから、博物の教師と漢学の教師の間へ這入り込んだ。向ふを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔はどう考へても劣等だ。喧嘩はしても山嵐の方が遥かに趣がある。おやぢの葬式の時に、小日向の養源寺の座敷にかゝつてた懸物は此顔によく似て居る。坊主に聞いて見たら韋駄天と云ふ怪物ださうだ。今日は怒つてるから、眼をぐる/\廻しちや、時々おれの方を見る。そんな事で威嚇かされて堪まるもんかと、おれも負けない気で、矢っ張り眼をぐりつかせて、山嵐をにらめてやつた。おれの眼は恰好はよくないが、大きい事に於ては大抵な人には負けない。あなたは眼が大きいから役者になると屹度似合ひますと清がよく云つた位だ。  もう大抵御揃でせうかと校長が云ふと、書記の川村と云ふのが一っ二っと頭数を勘定して見る。一人足りない。一人不足ですがと考へてゐたが、是は足りない筈だ。唐茄子のうらなり君が来て居ない。おれとうらなり君とはどう云ふ宿世の因縁かしらないが、此人の顔を見て以来どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼につく、途中をあるいて居ても、うらなり先生の様子が心に浮ぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼い顔をして湯壺のなかに※[#「月+鼓」、U+81CC、313-9]れて居る。挨拶をするとへえと恐縮して頭を下げるから気の毒になる。学校へ出てうらなり君程大人しい人は居ない。滅多に笑つた事もないが、余計な口をきいた事もない。おれは君子と云ふ言葉を書物の上で知つてるが、是は字引にある許りで、生きてるものではないと思つてたが、うらなり君に逢つてから始めて、矢っ張り正体のある文字だと感心した位だ。  此位関係の深い人の事だから、会議室へ這入るや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ気がついた。実を云ふと、此男の次へでも坐はらうかと、ひそかに目標にして来た位だ。校長はもうやがて見えるでせうと、自分の前にある紫の伏紗包をほどいて、蒟蒻版の様な者を読んで居る。赤シヤツは琥珀のパイプを絹ハンケチで磨き始めた。此男は是が道楽である。赤シヤツ相当の所だらう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語き合つて居る。手持無沙汰なのは鉛筆の尻に着いて居る、護謨の頭でテーブルの上へしきりに何か書いて居る。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。只うんとかあゝと云ふ許りで、時々怖い眼をして、おれの方を見る。おれも負けずに睨め返す。  所へ待ちかねた、うらなり君が気の毒さうに這入つて来て少々用事がありまして、遅刻致しましたと慇懃に狸に挨拶をした。では会議を開きますと狸は先づ書記の川村君に蒟蒻版を配布させる。見ると最初が処分の件、次が生徒取締の件、其他二三ヶ条である。狸は例の通り勿体ぶつて、教育の生霊と云ふ見えでこんな意味の事を述べた。「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳の致す所で、何か事件がある度に、自分はよく是で校長が勤まるとひそかに慚愧の念に堪へんが、不幸にして今回も亦かゝる騒動を引き起したのは、深く諸君に向つて謝罪しなければならん。然し一たび起つた以上は仕方がない、どうにか処分をせんければならん、事実は既に諸君の御承知の通であるからして、善後策について腹蔵のない事を参考の為めに御述べ下さい」  おれは校長の言葉を聞いて成程校長だの狸だのと云ふものは、えらい事を云ふもんだと感心した。かう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎だとか、不徳だとか云ふ位なら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職になつたら、よさゝうなもんだ。さうすればこんな面倒な会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云つても分つてる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりや、おれでもない、生徒丈に極つてる。もし山嵐が煽動したとすれば、生徒と山嵐を退治れば夫で沢山だ。人の尻を自分で脊負い込んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹れ散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくつちや出来る芸当ぢやない。彼はこんな条理に適はない議論を吐いて、得意気に一同を見廻した。所が誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏がとまつてるのを眺めて居る。漢学の先生は蒟蒻版を畳んだり、延ばしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめて居る。会議と云ふものが、こんな馬鹿気たものなら、欠席して昼寐でもして居る方がましだ。  おれは、ぢれつたく成つたから、一番大に弁じてやらうと思つて、半分尻をあげかけたら、赤シヤツが何か云ひ出したから、やめにした。見るとパイプを仕舞つて、縞のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云つて居る。あの手巾は屹度マドンナから巻き上げたに相違ない。男は白い麻を使ふもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いて甚だ教頭として不行届であり、且つ平常の徳化が少年に及ばなかつたのを深く慚づるのであります。でかう云ふ事は、何か陥欠があると起るもので、事件其物を見ると何だか生徒丈がわるい様であるが、其真相を極めると責任は却つて学校にあるかも知れない。だから表面上にあらはれた所丈で厳重な制裁を加へるのは、却つて未来の為めによくないかとも思はれます。且つ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考はなく、半ば無意識にこんな悪戯をやる事はないとも限らん。で固より処分法は校長の御考にある事だから、私の容喙する限ではないが、どうか其辺を御斟酌になつて、なるべく寛大な御取計を願ひたいと思ひます」  成程狸が狸なら、赤シヤツも赤シヤツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんぢやない、教師が悪るいんだと公言して居る。気狂が人の頭を撲り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんださうだ。難有い仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲でも取るがいゝ、半ば無意識に床の中へバツタを入れられて堪るもんか。此様子ぢや寐頸をかゝれても、半ば無意識だつて放免する積だらう。  おれはかう考へて、何か云はうかなと考へて見たが、云ふなら人を驚ろかす様に滔々と述べたてなくつちや詰らない、おれの癖として、腹が立つたときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞つて仕舞ふ。狸でも赤シヤツでも人物から云ふと、おれよりも下等だが、弁舌は中々達者だから、まづい事を喋舌つて揚足を取られちや面白くない。一寸腹案を作つて見様と、胸のなかで文章を作つてる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへら/\調で「実に今回のバツタ事件及び咄喊事件は吾々心ある職員をして、ひそかに吾校将来の前途に危惧の念を抱かしむるに足る珍事でありまして、吾々職員たるものは此際奮つて自ら省みて、全校の風紀を振粛しなければなりません。それで只今校長及び教頭の御述べになつた御説は、実に肯綮に中つた剴切な御考へで私は徹頭徹尾賛成致します。どうか成るべく寛大の御処分を仰ぎたいと思ひます」と云つた。野だの云ふ事は言語はあるが意味がない。漢語をのべつに陳列するぎりで訳が分らない。分つたのは徹頭徹尾賛成致しますと云ふ言葉だけだ。  おれは野だの云ふ意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立つたから、腹案も出来ないうちに起ち上がつて仕舞つた。「私は徹頭徹尾反対です……」と云つたがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢な、処分は大嫌です」とつけたら、職員が一同笑ひ出した。「一体生徒が全然悪るいです。どうしても詫まらせなくつちあ、癖になります。退校さしても構ひません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思つて……」と云つて着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰抔をすると却つて反動を起していけないでせう。矢っ張り教頭の仰しやる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云つた。左隣りの漢学は穏便説に賛成と云つた。歴史も教頭と同説だと云つた。忌々しい、大抵のものは赤シヤツ党だ。こんな連中が寄り合つて学校を立てゝ居りや世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シヤツが勝ちを制したら、早速うちへ帰つて荷作りをする覚悟で居た。どうせ、こんな手合を弁口で屈伏させる手際はなし、させた所で、いつ迄御交際を願ふのは、此方で御免だ。学校に居ないとすればどうなつたつて構ふもんか。また何か云ふと笑ふに違ない。だれが云ふもんかと澄して居た。  すると今迄だまつて聞いて居た山嵐が奮然として、起ち上がつた。野郎又赤シヤツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見てゐると、山嵐は硝子窓を振はせる様な声で「私は教頭及び其他諸君の御説には全然不同意であります。と云ふものは此事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏を軽侮して之を翻弄し様とした所為とより外には認められんのであります。教頭は其源因を教師の人物如何に御求めになる様でありますが失礼ながら夫は失言かと思ひます。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、未だ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃であります。此短かい二十日間に於て生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があつて、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加へる理由もありませうが、何等の源因もないのに新来の先生を愚弄する様な軽薄な生徒を寛仮しては学校の威信に関はる事と思ひます。教育の精神は単に学問を授ける許りではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにあると思ひます。もし反動が恐しいの、騒動が大きくなるのと姑息な事を云つた日には此弊風はいつ矯正出来るか知れません。かゝる弊風を杜絶する為めにこそ吾々はこの校に職を奉じて居るので、之を見逃がす位なら始めから教師にならん方がいゝと思ひます。私は以上の理由で、寄宿生一同を厳罰に処する上に、当該教師の面前に於て公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云ひながら、どんと腰を卸した。一同はだまつて何にも言はない。赤シヤツは又パイプを拭き始めた。おれは何だか非常に嬉しかつた。おれの云はうと思ふ所をおれの代りに山嵐がすつかり言つてくれた様なものだ。おれはかう云ふ単純な人間だから、今迄の喧嘩は丸で忘れて、大に難有いと云ふ顔を以て、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面をしてゐる。  しばらくして山嵐は又起立した。「只今一寸失念して言ひ落しましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれた様であるが、あれは以ての外の事と考へます。苟しくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎める者のないのを幸に、場所もあらうに温泉抔へ入湯に行く抔と云ふのは大な失体である。生徒は生徒として、此点に就ては校長からとくに責任者に御注意あらん事を希望します」  妙な奴だ、ほめたと思つたら、あとからすぐ人の失策をあばいて居る。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知つて、そんな習慣だと思つて、つい温泉迄行つて仕舞つたんだが、成程さう云はれて見ると、これはおれが悪るかつた。攻撃されても仕方がない。そこでおれは又起つて「私は正に宿直中に温泉へ行きました。是は全くわるい。あやまります」と云つて着席したら、一同が又笑ひ出した。おれが何か云ひさへすれば笑ふ。つまらん奴等だ。貴様等に是程自分のわるい事を公けにわるかつたと断言出来るか、出来ないから笑ふんだらう。  夫から校長は、もう大抵御意見もない様でありますから、よく考へた上で処分しませうと云つた。序だから其結果を云ふと、寄宿生は一週間の禁足になつた上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければ其時辞職して帰る所だつたが、なまじい、おれの云ふ通になつたのでとう/\大変な事になつて仕舞つた。夫はあとから話すが、校長は此時会議の引き続きだと号してこんな事を云つた。生徒の風儀は、教師の感化で正していかなくてはならん、其一着手として、教師は可成飲食店抔に出入しない事にしたい。尤も送別会抔の節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとへば蕎麦屋だの、団子屋だの――と云ひかけたら又一同が笑つた。野だが山嵐を見て天麩羅と云つて目くばせをしたが山嵐は取り合はなかつた。いゝ気味だ。  おれは脳がわるいから、狸の云ふことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行つて、中学の教師が勤まらなくつちや、おれ見た様な食ひ心棒にや到底出来つ子ないと思つた。それなら夫でいゝから、初手から蕎麦と団子の嫌なものと注文して雇ふがいゝ。だんまりで辞令を下げて置いて、蕎麦を食ふな、団子を食ふなと罪な御布令を出すのは、おれの様な外に道楽のないものに取つては大変な打撃だ。すると赤シヤツが又口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流に位するものだからして、単に物質的の快楽ばかり求める可きものでない。其方に耽るとつい品性にわるい影響を及ぼす様になる。然し人間だから、何か娯楽がないと、田舎へ来て狭い土地では到底暮せるものではない。其で釣に行くとか、文学書を読むとか、又は新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚な精神的娯楽を求めなくつてはいけない……」  だまつて聞いてると勝手な熱を吹く。沖へ行つて肥料を釣つたり、ゴルキが露西亜の文学者だつたり、馴染の芸者が松の木の下に立つたり、古池へ蛙が飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食つて団子を呑み込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シヤツの洗濯でもするがいゝ。あんまり腹が立つたから「マドンナに逢ふのも精神的娯楽ですか」と聞いてやつた。すると今度は誰も笑はない。妙な顔をして互に眼と眼を見合せてゐる。赤シヤツ自身は苦しさうに下を向いた。夫れ見ろ。利いたらう。只気の毒だつたのはうらなり君で、おれが、かう云つたら蒼い顔を益蒼くした。 七  おれは即夜下宿を引き払つた。宿へ帰つて荷物をまとめて居ると、女房が何か不都合でも御座いましたか、御腹の立つ事があるなら、云つて御呉れたら改めますと云ふ。どうも驚ろく。世の中にはどうして、こんな要領を得ない者ばかり揃つてるんだらう。出て貰ひたいんだか、居て貰ひたいんだか分りやしない。丸で気狂だ。こんな者を相手に喧嘩をしたつて江戸っ子の名折れだから、車屋をつれて来てさつさと出て来た。  出た事は出たが、どこへ行くと云ふあてもない。車屋が、どちらへ参りますと云ふから、だまつて尾いて来い、今にわかる、と云つて、すた/\やつて来た。面倒だから山城屋へ行かうかとも考へたが、又出なければならないから、つまり手数だ。かうして歩行いてるうちには下宿とか、何とか看板のあるうちを目付け出すだらう。さうしたら、そこが天意に叶つたわが宿と云ふ事にしやう。とぐる/\、閑静で住みよさゝうな所をあるいてるうち、とう/\鍛冶屋町へ出て仕舞つた。こゝは士族屋敷で下宿屋抔のある町ではないから、もつと賑やかな方へ引き返さうかとも思つたが、不図いゝ事を考へ付いた。おれが敬愛するうらなり君は此町内に住んで居る。うらなり君は土地の人で先祖代々の屋敷を控えてゐる位だから、此辺の事情には通じて居るに相違ない。あの人を尋ねて聞いたら、よさゝうな下宿を教へてくれるかも知れない。幸一度挨拶に来て勝手は知つてるから、捜がしてあるく面倒はない。こゝだらうと、いゝ加減に見当をつけて、御免/\と二返許り云ふと、奥から五十位な年寄が、古風な紙燭をつけて、出て来た。おれは若い女も嫌ではないが、年寄を見ると何だかなつかしい心持ちがする。大方清がすきだから、其魂が方々の御婆さんに乗り移るんだらう。是は大方うらなり君の御母さんだらう、切り下げの品格のある婦人だが、よくうらなり君に似て居る。まあ御上がりと云ふ所を、一寸御目にかゝりたいからと主人を玄関迄呼び出して、実は是々だが君どこか心当りはありませんかと尋ねて見た。うらなり先生夫は嘸御困りで御座いませう、としばらく考へて居たが、此裏町に萩野と云つて老人夫婦ぎりで暮らして居るものがある、いつぞや座敷を明けて置いても無駄だから、慥かな人があるなら借してもいゝから周旋してくれと頼んだ事がある。今でも借すかどうか分らんが、まあ一所に行つて聞いて見ませうと、親切に連れて行つてくれた。其夜から萩野の家の下宿人となつた。驚いたのは、おれがいか銀の座敷を引き払ふと、翌日から入れ違に野だが平気な顔をして、おれの居た部屋を占領した事だ。さすがのおれも是にはあきれた。世の中はいかさま師許りで、御互に乗せつこをして居るのかも知れない。いやになつた。  世間がこんなものなら、おれも負けない気で、世間並にしなくつちや、遣り切れない訳になる。巾着切りの上前をはねなければ三度の御膳が戴けないと、事が極まればかうして、生きてるのも考へ物だ。と云つてぴん/\した達者なからだで、首を縊つちや先祖へ済まない上に外聞がわるい。考へると物理学校抔へ這入つて、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本にして牛乳屋でも始めればよかつた。さうすれば清もおれの傍を離れずに済むし、おれも遠くから婆さんの事を心配しずに暮される。一所に居るうちは、さうでもなかつたが、かうして田舎へ来て見ると清は矢っ張り善人だ。あんな気立のいゝ女は日本中さがして歩行いたつて滅多にはない。婆さん、おれの立つときに、少々風邪を引いて居たが今頃はどうしてるか知らん。先達ての手紙を見たら嘸喜んだらう。それにしても、もう返事がきさうなものだが――おれはこんな事許り考へて二三日暮して居た。  気になるから、宿の御婆さんに、東京から手紙は来ませんかと時々尋ねて見るが、聞くたんびに何にも参りませんと気の毒さうな顔をする。こゝの夫婦はいか銀とは違つて、もとが士族だけに双方共上品だ。爺さんが夜るになると、変な声を出して謡をうたふには閉口するが、いか銀の様に御茶を入れませうと無暗に出て来ないから大きに楽だ。御婆さんは時々部屋へ来て色々な話をする。どうして奥さんをお連れなさつて、一所に御出でなんだのぞなもしなどゝ質問をする。奥さんがある様に見えますかね。可哀想に是でもまだ二十四ですぜと云つたら、それでも、あなた二十四で奥さんが御有りなさるのは当り前ぞなもしと冒頭を置いて、どこの誰さんは二十で御嫁を御貰ひたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人御持ちたのと、何でも例を半ダース許り挙げて反駁を試みたには恐れ入つた。それぢや僕も二十四で御嫁を御貰ひるけれ、世話をして御呉れんかなと田舎言葉を真似て頼んで見たら、御婆さん正直に本当かなもしと聞いた。 「本当の本当のつて僕あ、嫁が貰ひ度って仕方がないんだ」 「左様ぢやらうがな、もし。若いうちは誰もそんなものぢやけれ」此挨拶には痛み入つて返事が出来なかつた。 「然し先生はもう、御嫁が御有りなさるに極つとらい。私はちやんと、もう、睨らんどるぞなもし」 「へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか」 「何故しててゝ。東京から便りはないか、便りはないかてゝ、毎日便りを待ち焦がれて御いでるぢやないかなもし」 「こいつあ驚いた。大変な活眼だ」 「中りましたらうがな、もし」 「さうですね。中つたかも知れませんよ」 「然し今時の女子は、昔と違ふて油断が出来んけれ、御気を御付けたがえゝぞなもし」 「何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらへて居ますかい」 「いゝえ、あなたの奥さんは慥かぢやけれど……」 「それで、漸と安心した。夫ぢや何を気を付けるんですい」 「あなたのは慥か――あなたのは慥かぢやが――」 「何処に不慥かなのが居ますかね」 「こゝ等にも大分居ります。先生、あの遠山の御嬢さんを御存知かなもし」 「いゝえ、知りませんね」 「まだ御存知ないかなもし。こゝらであなた一番の別嬪さんぢやがなもし。あまり別嬪さんぢやけれ、学校の先生方はみんなマドンナ/\と言ふといでるぞなもし。まだ御聞きんのかなもし」 「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思つてた」 「いゝえ、あなた。マドンナと云ふと唐人の言葉で、別嬪さんの事ぢやらうがなもし」 「さうかも知れないね。驚いた」 「大方画学の先生が御付けた名ぞなもし」 「野だがつけたんですかい」 「いゝえ、あの吉川先生が御付けたのぢやがなもし」 「其マドンナが不慥なんですかい」 「其マドンナさんが不慥なマドンナさんでな、もし」 「厄介だね。渾名の付いてる女にや昔から碌なものは居ませんからね。さうかも知れませんよ」 「ほん当にさうぢやなもし。鬼神の御松ぢやの、妲妃の御百ぢやのてゝ怖い女が居りましたなもし」 「マドンナも其同類なんですかね」 「其マドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたを此所へ世話をして御呉れた古賀先生なもし――あの方の所へ御嫁に行く約束が出来て居たのぢやがなもし――」 「へえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな艶福のある男とは思はなかつた。人は見懸けによらない者だな。ちつと気を付けやう」 「所が、去年あすこの御父さんが、御亡くなりて、――夫迄は御金もあるし、銀行の株も持つて御出るし、万事都合がよかつたのぢやが――夫からと云ふものは、どう云ふものか急に暮し向きが思はしくなくなつて――詰り古賀さんがあまり御人が好過ぎるけれ、御欺されたんぞなもし。それや、これやで御輿入も延びて居る所へ、あの教頭さんが御出でゝ、是非御嫁にほしいと御云ひるのぢやがなもし」 「あの赤シヤツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシヤツは只のシヤツぢやないと思つてた。それから?」 「人を頼んで懸合ふてお見ると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事が出来かねて――まあよう考へて見やう位の挨拶を御したのぢやがなもし。すると赤シヤツさんが、手蔓を求めて遠山さんの方へ出入をおしる様になつて、とう/\あなた、御嬢さんを手馴付けてお仕舞ひたのぢやがなもし。赤シヤツさんも赤シヤツさんぢやが、御嬢さんも御嬢さんぢやてゝ、みんなが悪るく云ひますのよ。一反古賀さんへ嫁に行くてゝ承知をしときながら、今更学士さんが御出だけれ、其方に替へよてゝ、それぢや今日様へ済むまいがなもし、あなた」 「全く済まないね。今日様所か明日様にも明後日様にも、いつ迄行つたつて済みつこありませんね」 「夫で古賀さんに御気の毒ぢやてゝ、御友達の堀田さんが教頭の所へ意見をしに御行きたら、赤シヤツさんが、あしは約束のあるものを横取りする積はない。破約になれば貰ふかも知れんが、今の所は遠山家と只交際をして居る許りぢや、遠山家と交際をするのに別段古賀さんに済まん事もなからうと御云ひるけれ、堀田さんも仕方がなしに御戻りたさうな。赤シヤツさんと堀田さんは、それ以来折合がわるいと云ふ評判ぞなもし」 「よく色々な事を知つてますね。どうして、そんな詳しい事が分るんですか。感心しちまつた」 「狭いけれ何でも分りますぞなもし」  分り過ぎて困る位だ。此容子ぢやおれの天麩羅や団子の事も知つてるかも知れない。厄介な所だ。然し御蔭様でマドンナの意味もわかるし、山嵐と赤シヤツの関係もわかるし、大に後学になつた。只困るのはどつちが悪る者だか判然しない。おれの様な単純なものには白とか黒とか片づけて貰はないと、どつちへ味方をしていゝか分らない。 「赤シヤツと山嵐たあ、どつちがいゝ人ですかね」 「山嵐て何ぞなもし」 「山嵐と云ふのは堀田の事ですよ」 「そりや強い事は堀田さんの方が強さうぢやけれど、然し赤シヤツさんは学士さんぢやけれ、働らきはある方ぞな、もし。夫から優しい事も赤シヤツさんの方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がえゝといふぞなもし」 「つまり何方がいゝんですかね」 「つまり月給の多い方が豪いのぢやらうがなもし」  是ぢや聞いたつて仕方がないから、やめにした。夫から二三日して学校から帰ると、御婆さんがにこ/\して、へえ御待ち遠さま。やつと参りました。と一本の手紙を持つて来てゆつくり御覧と云つて出て行つた。取り上げて見ると清からの便りだ。符箋が二三枚ついてるから、よく調べると、山城屋から、いか銀の方へ廻して、いか銀から、萩野へ廻つて来たのである。其上山城屋では一週間許り逗留して居る。宿屋丈に手紙迄泊る積なんだらう。開いて見ると、非常に長いもんだ。坊っちやんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかゝうと思つたが、生憎風邪を引いて一週間許り寐て居たものだから、つい遅くなつて済まない。其上今時の御嬢さんの様に読み書きが達者でないものだから、こんなまづい字でも、かくのに余っ程骨が折れる。甥に代筆を頼まうと思つたが、折角あげるのに自分でかゝなくつちや、坊っちやんに済まないと思つて、わざ/\下たがきを一返して、それから清書をした。清書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日かゝつた。読みにくいかも知れないが、是でも一生懸命にかいたのだから、どうぞ仕舞迄読んでくれ。と云ふ冒頭で四尺ばかり何やら蚊やら認めてある。成程読みにくい。字がまづい許ではない、大抵平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読をつけるのに余っ程骨が折れる。おれは焦っ勝ちな性分だから、こんな長くて、分りにくい手紙は五円やるから読んでくれと頼まれても断はるのだが、此時ばかりは真面目になつて、始から終迄読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、又頭から読み直して見た。部屋のなかは少し暗くなつて、前の時より見にくゝなつたから、とう/\椽鼻へ出て腰をかけながら鄭寧に拝見した。すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、仕舞ぎはには四尺あまりの半切れがさらり/\と鳴つて、手を放すと、向ふの生垣迄飛んで行さうだ。おれはそんな事には構つて居られない。坊っちやんは竹を割つた様な気性だが、只肝癪が強過ぎてそれが心配になる。――ほかの人に無暗に渾名なんかつけるのは人に恨まれるもとになるから、矢鱈に使つちやいけない、もしつけたら、清丈に手紙で知らせろ。――田舎者は人がわるいさうだから、気をつけて苛い目に遭はない様にしろ。――気候だつて東京より不順に極つてるから、寐冷をして風邪を引いてはいけない。坊っちやんの手紙はあまり短過ぎて、容子がよくわからないから、此次には責めて此手紙の半分位の長さのを書いてくれ。――宿屋へ茶代を五円やるのはいゝが、あとで困りやしないか、田舎へ行つて頼りになるのは御金ばかりだから、なるべく倹約して、万一の時に差支へない様にしなくつちやいけない。――御小遣がなくて困るかも知れないから、為替で十円あげる。――先達て坊っちやんからもらつた五十円を、坊っちやんが、東京へ帰つて、うちを持つ時の足しにと思つて、郵便局へ預けて置いたが、此十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。――成程女と云ふものは細かいものだ。  おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考へ込んで居ると、しきりの襖をあけて、萩野の御婆さんが晩めしを持つてきた。まだ見て御出でるのかなもし。えつぽと長い御手紙ぢやなもし、と云つたから、えゝ大事な手紙だから、風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳についた。見ると今夜も薩摩芋の煮つけだ。こゝのうちは、いか銀よりも鄭寧で、親切で、しかも上品だが、惜しい事に食ひ物がまづい。昨日も芋一昨日も芋で今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、かう立てつゞけに芋を食はされては命がつゞかない。うらなり君を笑ふ所か、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になつちまふ。清ならこんな時に、おれの好きな鮪のさし身か、蒲鉾のつけ焼を食はせるんだが、貧乏士族のけちん坊と来ちや仕方がない。どう考へても清と一所でなくつちあ駄目だ。もしこの学校に長くでも居る模様なら、東京から召び呼せてやらう。天麩羅蕎麦を食つちやならない、団子を食つちやならない、夫で下宿に居て芋許り食つて黄色くなつて居ろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗坊主だつて、是よりは口に栄耀をさせて居るだらう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗から生卵を二つ出して、茶碗の縁でたゝき割つて、漸く凌いだ。生卵でも営養をとらなくつちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。  今日は、清の手紙で湯に行く時間が遅くなつた。然し毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持がわるい。汽車にでも乗つて出懸様と、例の赤手拭をぶら下げて停車場迄来ると二三分前に発車した許りで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島を吹かして居ると、偶然にもうらなり君がやつて来た。おれはさつきの話を聞いてから、うらなり君が猶更気の毒になつた。平常から天地の間に居候をして居る様に、小さく構へてゐるのが如何にも憐れに見えたが、今夜は憐れ所の騒ぎではない。出来るならば月給を倍にして、遠山の御嬢さんと明日から結婚さして、一ヶ月許り東京へでも遊びにやつて遣りたい気がした矢先だから、や御湯ですか、さあ、こつちへ御懸けなさいと威勢よく席を譲ると、うらなり君は恐れ入つた体裁で、いえ構ふておくれなさるな、と遠慮だか何だか矢っ張立つてる。少し待たなくつちや出ません、草臥れますから御懸けなさいと又勧めて見た。実はどうかして、そばへ懸けて貰ひたかつた位に気の毒で堪らない。それでは御邪魔を致しませうと漸くおれの云ふ事を聞いて呉れた。世の中には野だ見た様に生意気な、出ないで済む所へ必ず顔を出す奴も居る。山嵐の様におれが居なくつちや日本が困るだらうと云ふ様な面を肩の上へ載せてる奴もゐる。さうかと思ふと、赤シヤツの様にコスメチツクと色男の問屋を以て自ら任じてゐるのもある。教育が生きてフロツクコートを着ればおれになるんだと云はぬ許りの狸もゐる。皆々夫れ相応に威張つてるんだが、このうらなり先生の様に在れどもなきが如く、人質に取られた人形の様に大人しくしてゐのは見た事がない。顔はふくれて居るが、こんな結構な男を捨てゝ赤シヤツに靡くなんて、マドンナも余っ程気の知れないおきやんだ。赤シヤツが何ダース寄つたつて、これ程立派な旦那様が出来るもんか。 「あなたは、何所か悪いんぢやありませんか。大分たいぎさうに見えますが……」 「いえ、別段是と云ふ持病もないですが……」 「そりや結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」 「あなたは大分御丈夫の様ですな」 「えゝ瘠せても病気はしません。病気なんてものあ大嫌ですから」  うらなり君は、おれの言葉を聞いてにや/\と笑つた。  所へ入口で若々しい女の笑声が聞えたから、何心なく振り反つて見るとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、脊の高い美人と、四十五六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立つて居る。おれは美人の形容抔が出来る男でないから何にも云へないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握つて見た様な心持ちがした。年寄の方が脊は低い。然し顔はよく似て居るから親子だらう。おれは、や、来たなと思ふ途端に、うらなり君の事は全然忘れて、若い女の方ばかり見てゐた。すると、うらなり君が突然おれの隣から、立ち上がつて、そろ/\女の方へ歩行き出したんで、少し驚いた。マドンナぢやないかと思つた。三人は切符所の前で軽く挨拶してゐる。遠いから何を云つてるのか分らない。  停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいゝがなと、話し相手が居なくなつたので待ち遠しく思つて居ると、又一人あはてゝ場内へ馳け込んで来たものがある。見れば赤シヤツだ。何だかべら/\然たる着物へ縮緬の帯をだらしなく巻きつけて、例の通り金鎖りをぶらつかして居る。あの金鎖りは贋物である。赤シヤツは誰も知るまいと思つて、見せびらかして居るが、おれはちやんと知つてる。赤シヤツは馳け込んだなり、何かきよろ/\して居たが、切符売下所の前に話して居る三人へ慇懃に御辞儀をして、何か二こと、三こと、云つたと思つたら、急にこつちへ向いて、例の如く猫足にあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思つて心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計は慥かしらんと、自分の金側を出して、二分程ちがつてると云ひながら、おれの傍へ腰を卸した。女の方はちつとも見返らないで杖の上へ顋をのせて、正面ばかり眺めて居る。年寄の婦人は時々赤シヤツを見るが、若い方は横を向いた儘である。いよ/\マドンナに違ない。  やがて、ピユーと汽笛が鳴つて、車がつく。待ち合せた連中はぞろ/\吾れ勝に乗り込む。赤シヤツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗つたつて威張れる所ではない。住田まで上等が五銭で下等が三銭だから、僅か二銭違ひで上下の区別がつく。かう云ふおれでさへ上等を奮発して白切符を握つてるんでもわかる。尤も田舎者はけちだから、たつた二銭の出入でも頗る苦になると見えて、大抵は下等へ乗る。赤シヤツのあとからマドンナとマドンナの御袋が上等へ這入り込んだ。うらなり君は活版で押した様に下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立つて、何だか躊躇の体であつたが、おれの顔を見るや否や思ひ切つて、飛び込んで仕舞つた。おれは此時何となく気の毒でたまらなかつたから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなからう。  温泉へ着いて、三階から、浴衣のなりで湯壺へ下りて見たら、又うらなり君に逢つた。おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉が塞がつて饒舌れない男だが、平常は随分弁ずる方だから、色々湯壺のなかでうらなり君に話しかけて見た。何だか憐れぽくつて堪らない。こんな時に一口でも先方の心を慰めてやるのは、江戸っ子の義務だと思つてる。所が生憎うらなり君の方では、うまい具合にこつちの調子に乗つてくれない。何を云つても、えとかいえとかぎりで、しかも其えといえが大分面倒らしいので、仕舞にはとう/\切り上げて、こつちから御免蒙つた。  湯の中では赤シヤツに逢はなかつた。尤も風呂の数は沢山あるのだから、同じ汽車で就いても、同じ湯壺で逢ふとは極まつて居ない。別段不思議にも思はなかつた。風呂を出て見るといゝ月だ。町内の両側に柳が植つて、柳の枝が丸るい影を往来の中へ落して居る。少し散歩でもしやう。北へ登つて町のはづれへ出ると、左に大きな門があつて、門の突き当りが御寺で、左右が妓楼である。山門のなかに遊廓があるなんて、前代未聞の現象だ。一寸這入つて見たいが又狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾をかけた、小さな格子窓の平屋はおれが団子を食つて、しくぢつた所だ。丸提灯に汁粉、御雑煮とかいたのがぶらさがつて、提灯の火が、軒端に近い一本の柳の幹を照らしてゐる。食ひたいなと思つたが我慢して、通り過ぎた。  食ひたい団子の食へないのは情ない。然し自分の許嫁が他人に心を移したのは、猶情ないだらう。うらなり君の事を思ふと、団子は愚か、三日位断食しても不平はこぼせない訳だ。本当に人間程宛にならないものはない。あの顔を見ると、どうしたつて、そんな不人情な事をしさうには思へないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜の水※[#「月+鼓」、U+81CC、338-1]れの様な古賀さんが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊だと思つた山嵐は生徒を煽動したと云ふし。生徒を煽動したのかと思ふと、生徒の処分を校長に逼るし。厭味で練りかためた様な赤シヤツが存外親切で、おれに余所ながら注意をしてくれるかと思ふと、マドンナを胡魔化したり。胡魔化したのかと思ふと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云ふし。いか銀が難癖をつけて、おれを追ひ出すかと思ふと、すぐ野だ公が入れ替つたり――どう考へても宛にならない。こんな事を清にかいてやつたら定めて驚く事だらう。箱根の向だから化物が寄り合つてるんだと云ふかも知れない。  おれは、性来構はない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日迄凌いで来たのだが、此所へ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒に思ひ出した。別段際だつた大事件にも出逢はないのに、もう五つ六つ年を取つた様な気がする。早く切り上げて東京へ帰るのが一番よからう。抔と夫から夫へ考へて、いつか石橋を渡つて野芹川の堤へ出た。川と云ふとえらさうだが実は一間位な、ちよろ/\した流で、土手に沿ふて十二丁程下ると相生村へ出る。村には観音様がある。  温泉の町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかゞやいて居る。太鼓が鳴るのは遊廓に相違ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水の様にやたらに光る。ぶら/\土手の上をあるきながら、約三丁も来たと思つたら、向に人影が見え出した。月に透かして見ると影は二つある。温泉へ来て村へ帰る若い衆かも知れない。夫にして唄もうたはない。存外静かだ。  段々歩行いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二っの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間位の距離に逼つた時、男が忽ち振り向いた。月は後からさして居る。其時おれは男の様子を見て、はてなと思つた。男と女は又元の通りにあるき出した。おれは考があるから、急に全速力で追つ懸けた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆる/\歩を移して居る。今は話し声も手に取る様に聞える。土手の幅は六尺位だから、並んで行けば三人が漸くだ。おれは苦もなく後ろから追ひ付いて、男の袖を擦り抜けざま、二足前へ出した踵をぐるりと返して男の顔を覗き込んだ。月は正面からおれの五分刈の頭から顋の辺り迄、会釈もなく照す。男はあつと小声に云つたが、急に横を向いて、もう帰らうと女を促がすが早いか、温泉の町の方へ引き返した。  赤シヤツは図太くて胡魔化す積か、気が弱くて名乗り損なつたのかしら。所が狭くて困つてるのは、おれ許りではなかつた。 八  赤シヤツに勧められて釣に行つた帰りから、山嵐を疑ぐり出した。無い事を種に下宿を出ろと云はれた時は、愈不埒な奴だと思つた。所が会議の席では案に相違して滔々と生徒厳罰論を述べたから、おや変だなと首を捩つた。萩野の婆さんから、山嵐が、うらなり君の為に赤シヤツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍つた。此様子ではわる者は山嵐ぢやあるまい、赤シヤツの方が曲つてるんで、好加減な邪推を実しやかに、しかも遠廻しに、おれの頭の中へ浸み込ましたのではあるまいかと迷つてる矢先へ、野芹川の土手で、マドンナを連れて散歩なんかして居る姿を見たから、それ以来赤シヤツは曲者だと極めて仕舞つた。曲者だか何だかよくは分らないが、とも角も善い男ぢやない。表と裏とは違つた男だ。人間は竹の様に真直でなくつちや頼母しくない。真直なものは喧嘩をしても心持がいゝ。赤シヤツの様なやさしいのと親切なのと、高尚なのと、琥珀のパイプとを自慢さうに見せびらかすのは油断が出来ない、滅多に喧嘩も出来ないと思つた。喧嘩をしても、回向院の相撲の様な心持のいゝ喧嘩は出来ないと思つた。さうなると一銭五厘の出入で控所全体を驚ろかした議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。会議の時に金壺眼をぐりつかせて、おれを睨めた時は憎い奴だと思つたが、あとで考へると、それも赤シヤツのねち/\した猫撫声よりはましだ。実はあの会議が済んだあとでよつぽど仲直りをしやうかと思つて、一こと二こと話しかけて見たが、野郎返事もしないで、まだ眼を剥つて見せたから、此方も腹が立つて其儘にして置いた。  夫れ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘は未だに机の上に乗つて居る。ほこりだらけになつて乗つて居る。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持つて帰らない。此一銭五厘が二人の間の墻壁になつて、おれは話さうと思つても話せない、山嵐は頑として黙つてる。おれと山嵐には一銭五厘が祟つた。仕舞には学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になつた。  山嵐とおれが絶交の姿となつたに引き易へて、赤シヤツとおれは依然として在来の関係を保つて、交際をつゞけて居る。野芹川で逢つた翌日抔は、学校へ出ると第一番におれの傍へ来て、君今度の下宿はいゝですかの、又一所に露西亜文学を釣りに行かうぢやないかのと色々な事を話しかけた。おれは少々憎らしかつたから、昨夕は二返逢ひましたねと云つたら、えゝ停車場で――君はいつでもあの時分出掛けるのですか、遅いぢやないかと云ふ。野芹川の土手でも御目に懸りましたねと喰らはしてやつたら、いゝえ僕はあつちへは行かない、湯に這入つて、すぐ帰つたと答へた。何もそんなに隠さないでもよからう、現に逢つてるんだ。よく嘘をつく男だ。是で中学の教頭が勤まるなら、おれなんか大学総長がつとまる。おれは此時から愈赤シヤツを信用しなくなつた。信用しない赤シヤツとは口をきいて、感心して居る山嵐とは話をしない。世の中は随分妙なものだ。  ある日の事赤シヤツが一寸君に話があるから、僕のうち迄来てくれと云ふから、惜しいと思つたが温泉行きを欠勤して四時頃出掛けて行つた。赤シヤツは一人ものだが、教頭丈に下宿はとくの昔に引き払つて立派な玄関を構へて居る。家賃は九円五十銭ださうだ。田舎へ来て九円五十銭払へばこんな家へ這入れるなら、おれも一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやらうと思つた位な玄関だ。頼むと云つたら、赤シヤツの弟が取次に出て来た。此弟は学校の生徒で、おれに代数と算術を教はる至つて出来のわるい子だ。其癖渡りものだから生れ付いての田舎者よりも人が悪るい。  赤シヤツに逢つて用事を聞いて見ると、大将例の琥珀のパイプで、きな臭い烟草をふかしながら、こんな事を云つた。「君が来てくれてから、前任者の時代よりも成蹟がよくあがつて、校長も大にいゝ人を得たと喜んで居るので――どうか学校でも信頼して居るのだから、其積りで勉強していたゞきたい」 「へえ、さうですか、勉強つて今より勉強は出来ませんが――」 「今の位で充分です。只先達て御話しゝた事ですね、あれを忘れずに居て下さればいゝのです」 「下宿の世話なんかするものあ剣呑だと云ふ事ですか」 「さう露骨に云ふと、意味もない事になるが――まあ善いさ――精神は君にもよく通じて居る事と思ふから。そこで君が今の様に出精して下されば、学校の方でも、ちやんと見て居るんだから、もう少しゝて都合さへつけば、待遇の事も多少はどうにかなるだらうと思ふんですがね」 「へえ、俸給ですか。俸給なんかどうでもいゝんですが、上がれば上がつた方がいゝですね」 「それで幸ひ今度転任者が一人出来るから――尤も校長に相談して見ないと無論受け合へない事だが――其俸給から少しは融通が出来るかも知れないから、それで都合をつける様に校長に話して見やうと思ふんですがね」 「どうも難有ふ。だれが転任するんですか」 「もう発表になるから話しても差し支ないでせう。実は古賀君です」 「古賀さんは、だつてこゝの人ぢやありませんか」 「こゝの地の人ですが、少し都合があつて――半分は当人の希望です」 「どこへ行くんです」 「日向の延岡で――土地が土地だから一級俸上つて行く事になりました」 「誰か代りが来るんですか」 「代りも大抵極まつてるんです。其代りの具合で君の待遇上の都合もつくんです」 「はあ、結構です。然し無理に上がらないでも構ません」 「とも角も僕は校長に話す積りです。夫で校長も同意見らしいが、追つては君にもつと働らいて頂だかなくつてはならん様になるかも知れないから、どうか今から其積りで覚悟をしてやつて貰ひたいですね」 「今より時間でも増すんですか」 「いゝえ、時間は今より減るかも知れませんが――」 「時間が減つて、もつと働くんですか、妙だな」 「一寸聞くと妙だが、――判然とは今言ひにくひが――まあつまり、君にもつと重大な責任を持つて貰ふかも知れないと云ふ意味なんです」  おれには一向分らない。今より重大な責任と云へば、数学の主任だらうが、主任は山嵐だから、やつこさん中々辞職する気遣はない。夫に、生徒の人望があるから転任や免職は学校の得策であるまい。赤シヤツの談話はいつでも要領を得ない。要領は得なくつても用事は是で済んだ。夫から少し雑談をして居るうちに、うらなり君の送別会をやる事や、就てはおれが酒を飲むかと云ふ問や、うらなり先生は君子で愛すべき人だと云ふ事や――赤シヤツは色々弁じた。仕舞に話をかへて君俳句をやりますかと来たから、こいつは大変だと思つて、俳句はやりません、左様ならと、そこ/\に帰つて来た。発句は芭蕉か髪結床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝貌やに釣瓶をとられて堪るものか。  帰つてうんと考へ込んだ。世間には随分気の知れない男が居る。家屋敷は勿論、勤める学校に不足のない故郷がいやになつたからと云つて、知らぬ他国へ苦労を求めに出る。夫も花の都の電車が通つてる所なら、まだしもだが、日向の延岡とは何の事だ。おれは船つきのいゝ此所へ来てさへ、一ヶ月立たないうちにもう帰りたくなつた。延岡と云へば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シヤツの云ふ所によると船から上がつて、一日馬車へ乗つて、宮崎へ行つて、宮崎から又一日車へ乗らなくつては着けないさうだ。名前を聞いてさへ、開けた所とは思へない。猿と人とが半々に住んでる様な気がする。いかに聖人のうらなり君だつて、好んで猿の相手になりたくもないだらうに、何と云ふ物数奇だ。  所へ不相変婆さんが夕食を運んで出る。今日も亦芋ですかいと聞いて見たら、いえ今日は御豆腐ぞなもしと云つた。どつちにしたつて似たものだ。 「御婆さん古賀さんは日向へ行くさうですね」 「ほん当に御気の毒ぢやがな、もし」 「御気の毒だつて、好んで行くんなら仕方がないですね」 「好んで行くて、誰がぞなもし」 「誰がぞなもしつて、当人がさ。古賀先生が物数奇に行くんぢやありませんか」 「そりやあなた、大違ひの勘五郎ぞなもし」 「勘五郎かね。だつて今赤シヤツがさう云ひましたぜ。夫が勘五郎なら赤シヤツは嘘つきの法螺右衛門だ」 「教頭さんが、さう御云ひるのは尤もぢやが、古賀さんの御往きともないのも尤もぞなもし」 「そんなら両方尤もなんですね。御婆さんは公平でいゝ。一体どう云ふ訳なんですい」 「今朝古賀のお母さんが見えて、段々訳を御話したがなもし」 「どんな訳を御話したんです」 「あそこも御父さんが御亡くなりてから、あたし達が思ふ程暮し向が豊かになうて御困りぢやけれ、御母さんが校長さんに御頼みて、もう四年も勤めて居るものぢやけれ、どうぞ毎月頂くものを、今少しふやして御呉れんかてゝ、あなた」 「成程」 「校長さんが、ようまあ考へて見とこうと御云ひたげな。夫で御母さんも安心して、今に増給の御沙汰があろぞ、今月か来月かと首を長くし待つて御いでた所へ、校長さんが一寸来て来れと古賀さんに御云ひるけれ、行つて見ると、気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。然し延岡になら空いた口があつて、其方なら毎月五円余分にとれるから、御望み通りでよからうと思ふて、其手続きにしたから行くがえゝと云はれたげな。――」 「ぢや相談ぢやない、命令ぢやありませんか」 「左様よ。古賀さんはよそへ行つて月給が増すより、元の儘でもえゝから、こゝに居りたい。屋敷もあるし、母もあるからと御頼みたけれども、もうさう極めたあとで、古賀さんの代りは出来て居るけれ仕方がないと校長が御云ひたげな」 「へん人を馬鹿にしてら、面白くもない。ぢや古賀さんは行く気はないんですね。どうれで変だと思つた。五円位上がつたつて、あんな山の中へ猿の御相手をしに行く唐変木はまづないからね」 「唐変木て、先生なんぞなもし」 「何でもいゝでさあ、――全く赤シヤツの作略だね。よくない仕打だ。まるで欺撃ですね。それでおれの月給を上げるなんて、不都合な事があるものか。上げてやるつたつて、誰が上がつて遣るものか」 「先生は月給が御上りるのかなもし」 「上げてやるつて云ふから、断はらうと思ふんです」 「何で、御断はりるのぞなもし」 「何でも御断はりだ。御婆さん、あの赤シヤツは馬鹿ですぜ。卑怯でさあ」 「卑怯でもあんた、月給を上げておくれたら、大人しく頂いて置く方が得ぞなもし。若いうちはよく腹の立つものぢやが、年をとつてから考へると、も少しの我慢ぢやあつたのに惜しい事をした。腹立てた為めにこないな損をしたと悔むのが当り前ぢやけれ、お婆の言ふ事をきいて、赤シヤツさんが月給をあげてやろと御言ひたら、難有うと受けて御置なさいや」 「年寄の癖に余計な世話を焼かなくつてもいゝ。おれの月給は上がらうと下がらうとおれの月給だ」  婆さんはだまつて引き込んだ。爺さんは呑気な声を出して謡をうたつてる。謡といふものは読んでわかる所を、やに六※[#濁点付き小書き平仮名つ、348-13]かしい節をつけて、わざと分らなくする術だらう。あんなものを毎晩飽きずに唸る爺さんの気が知れない。おれは謡所の騒ぎぢやない。月給を上げてやらうと云ふから、別段欲しくもなかつたが、入らない金を余して置くのも勿体ないと思つて、よろしいと承知したのだが、転任したくないものを無理に転任させて其男の月給の上前を跳ねるなんて不人情な事が出来るものか。当人がもとの通りでいゝと云ふのに延岡下り迄落ちさせるとは一体どう云ふ了見だらう。太宰権帥でさへ博多近辺で落ちついたものだ、河合又五郎だつて相良でとまつてるぢやないか。とにかく赤シヤツの所へ行つて断はつて来なくつちあ気が済まない。  小倉の袴をつけて又出掛けた。大きな玄関へ突つ立つて頼むと云ふと、又例の弟が取次に出て来た。おれの顔を見てまた来たかと云ふ眼付をした。用があれば二度だつて三度だつて来る。よる夜なかだつて叩き起さないとは限らない。教頭の所へ御機嫌伺ひにくる様なおれと見損つてるか。是でも月給が入らないから返しに来んだ。すると弟が今来客中だと云ふから、玄関でいゝから一寸御目にかゝりたいと云つたら奥へ引き込んだ。足元を見ると、畳付きの薄っぺらな、のめりの駒下駄がある。奥でもう万歳ですよと云ふ声が聞える。御客とは野だだなと気がついた。野だでなくては、あんな黄色い声を出して、こんな芸人じみた下駄を穿くものはない。  しばらくすると、赤シヤツがランプを持つて玄関迄出て来て、まあ上がり給へ、外の人ぢやない吉川君だ、と云ふから、いえ、此所で沢山です。一寸話せばいゝんです、と云つて、赤シヤツの顔を見ると金時の様だ。野だ公と一杯飲んでると見える。 「さつき僕の月給をあげてやると云ふ御話でしたが、少し考が変つたから断はりに来たんです」  赤シヤツはランプを前へ出して、奥の方からおれの顔を眺めたが、咄嗟の場合返事をしかねて茫然として居る。増給を断はる奴が世の中にたつた一人飛び出して来たのを不審に思つたのか、断はるにしても、今帰つた許りで、すぐ出直して来なくてもよさゝうなものだと、呆れ返つたのか、又は双方合併したのか、妙な口をして突っ立つた儘である。 「あの時承知したのは、古賀君が自分の希望で転任すると云ふ話でしたからで……」 「古賀君は全く自分の希望で半ば転任するんです」 「さうぢやないんです、こゝに居たいんです。元の月給でもいゝから、郷里に居たいのです」 「君は古賀君から、さう聞いたのですか」 「そりや当人から、聞いたんぢやありません」 「ぢや誰から御聞きです」 「僕の下宿の婆さんが、古賀さんの御母さんから聞いたのを今日僕に話したのです」 「ぢや、下宿の婆さんがさう云つたのですね」 「まあさうです」 「それは失礼ながら少し違ふでせう。あなたの仰やる通りだと、下宿屋の婆さんの云ふ事は信ずるが、教頭の云ふ事は信じないと云ふ様に聞えるが、さう云ふ意味に解釈して差支ないでせうか」  おれは一寸困つた。文学士なんてものは矢っ張りえらいもんだ。妙な所へこだわつて、ねち/\押し寄せてくる。おれはよく親父から貴様はそゝっかしくて駄目だ/\と云はれたが、成程少々そゝつかしい様だ。婆さんの話を聞いてはつと思つて飛び出して来たが、実はうらなり君にもうらなりの御母さんにも逢つて詳しい事情は聞いて見なかつたのだ。だからかう文学士流に斬り付けられると、一寸受け留めにくい。  正面からは受け留めにくいが、おれはもう赤シヤツに対して不信任を心の中で申し渡して仕舞つた。下宿の婆さんもけちん坊の慾張り屋に相違ないが、嘘は吐かない女だ、赤シヤツの様に裏表はない。おれは仕方がないから、かう答へた。 「あなたの云ふ事は本当かも知れないですが――とにかく増給は御免蒙ります」 「それは益可笑しい。今君がわざ/\御出に成つたのは増俸を受けるには忍びない、理由を見出したからの様に聞えたが、其理由が僕の説明で取り去られたにも関はらず増俸を否まれるのは少し解しかねる様ですね」 「解しかねるかも知れませんがね。とに角断りますよ」 「そんなに否なら強ひてと迄は云ひませんが、さう二三時間のうちに、特別の理由もないのに豹変しちや、将来君の信用にかゝはる」 「かゝはつても構はないです」 「そんな事はない筈です、人間に信用程大切なものはありませんよ。よしんば今一歩譲つて、下宿の主人が……」 「主人ぢやない、婆さんです」 「どちらでも宜しい。下宿の婆さんが君に話した事を事実とした所で、君の増給は古賀君の所得を削つて得たものではないでせう。古賀君は延岡へ行かれる。其代りがくる。其代りが古賀君よりも多少低給で来てくれる。夫剰余を君に廻はすと云ふのだから、君は誰にも気の毒がる必要はない筈です。古賀君は延岡で只今よりも栄進される、新任者は最初からの約束で安くゝる。それで君が上がられゝば、是程都合のいゝ事はないと思ふですがね。いやなら否でもいゝが、もう一返うちでよく考へて見ませんか」  おれの頭はあまりえらくないのだから、何時もなら、相手がかう云ふ巧妙な弁舌を揮へば、おやさうかな、それぢや、おれが間違つてたと恐れ入つて引きさがるのだけれども、今夜はさうは行かない。こゝへ来た最初から赤シヤツは何だか虫が好かなかつた。途中で親切な女見た様な男だと思ひ返した事はあるが、それが親切でも何でもなさゝうなので、反動の結果今ぢや余っ程厭になつて居る。だから先がどれ程うまく論理的に弁論を逞くしやうとも、堂々たる教頭流におれを遣り込め様とも、そんな事は構はない。議論のいゝ人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。表向は赤シヤツの方が重々尤もだが、表向がいくら立派だつて、腹の中迄惚れさせる訳には行かない。金や威力や理窟で人間の心が買へる者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌で働らくものだ。論法で働らくものぢやない。 「あなたの云ふ事は尤もですが、僕は増給がいやになつたんですから、まあ断はります。考へたつて同じ事です。左様なら」と云ひすてゝ門を出た。頭の上には天の川が一筋かゝつて居る。 九  うらなり君の送別会のあると云ふ日の朝、学校へ出たら、山嵐が突然、君先達はいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出る様に話して呉れと頼んだから、真面目に受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いて見ると、あいつは悪るい奴で、よく偽筆へ贋落款抔を押して売りつけるさうだから、全く君の事も出鱈目に違ない。君に懸物や骨董を売りつけて、商売にしやうと思つてた所が、君が取り合はないで儲けがないものだから、あんな作りごとをこしらへて胡魔化したのだ。僕はあの人物を知らなかつたので君に大変失敬した勘弁し給へと長々しい謝罪をした。  おれは何とも云はずに、山嵐の机の上にあつた、壱銭五厘をとつておれの蝦蟇口のなかへ入れた。山嵐は君それを引き込めるのかと不審さうに聞くから、うんおれは君に奢られるのが、いやだつたから、是非返す積りで居たが、其後段々考へて見ると、矢っ張奢つて貰ふ方がいゝ様だから、引き込ますんだと説明した。山嵐は大きな声をしてアハヽヽと笑ひながら、そんなら、何故早く取らなかつたのだと聞いた。実は取らう/\と思つてたが、何だか妙だから其儘にして置いた。近来は学校へ来て一銭五厘を見るのが苦になる位いやだつたと云つたら、君は余っ程負け惜しみの強い男だと云ふから、君は余っ程剛情張りだと答へてやつた。それから二人の間にこんな問答が起つた。 「君は一体どこの産だ」 「おれは江戸っ子だ」 「うん、江戸っ子か、道理で負け惜みが強いと思つた」 「君はどこだ」 「僕は会津だ」 「会津っぽか、強情な訳だ。今日の送別会へ行くのかい」 「行くとも、君は?」 「おれは無論行くんだ。古賀さんが立つ時は、浜迄見送りに行かうと思つてる位だ」 「送別会は面白いぜ、出て見玉へ。今日は大に飲む積だ」 「勝手に飲むがいゝ。おれは肴を食つたら、すぐ帰る。酒なんか飲む奴は馬鹿だ」 「君はすぐ喧嘩を吹き懸ける男だ。成程江戸っ子の軽跳な風を、よく、あらはしてる」 「何でもいゝ、送別会へ行く前に一寸おれのうちへ御寄り、話しがあるから」  山嵐は約束通りおれの下宿へ寄つた。おれは此間から、うらなり君の顔を見る度に気の毒で堪らなかつたが、愈送別の今日となつたら、何だか憐れつぽくつて、出来る事なら、おれが代りに行つてやりたい様な気がしだした。それで送別会の席上で、大に演説でもして其行を盛にしてやりたいと思ふのだが、おれのべらんめえ調ぢや、到底物にならないから、大きな声を出す山嵐を雇つて、一番赤シヤツの荒胆を挫いでやらうと考へ付いたから、わざ/\山嵐を呼んだのである。  おれは先づ冒頭としてマドンナ事件から説き出したが、山嵐は無論マドンナ事件はおれより詳しく知つて居る。おれが野芹川の土手の話をして、あれは馬鹿野郎だと云つたら、山嵐が君はだれを捕まへても馬鹿呼はりをする。今日学校で自分の事を馬鹿と云つたぢやないか。自分が馬鹿なら、赤シヤツは馬鹿ぢやない。自分は赤シヤツの同類ぢやないと主張した。夫ぢや赤シヤツは腑抜けの呆助だと云つたら、さうかも知れないと山嵐は大に賛成した。山嵐は強い事は強いが、こんな言葉になると、おれより遥かに字を知つて居ない。会津っぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだらう。  夫から増給事件と将来重く登用すると赤シヤツが云つた話をしたら山嵐はふゝんと鼻から声を出して、それぢや僕を免職する考だなと云つた。免職する積だつて、君は免職になる気かと聞いたら、誰がなるものか、自分が免職になるなら、赤シヤツも一所に免職させてやると大に威張つた。どうして一所に免職させる気かと押し返して尋ねたら、そこはまだ考へて居ないと答へた。山嵐は強さうだが、智慧はあまりなさゝうだ。おれが増給を断はつたと話したら、大将大きに喜んで流石江戸っ子だ、えらいと賞めてくれた。  うらなりが、そんなに厭がつてゐるなら、何故留任の運動をしてやらなかつたと聞いて見たら、うらなりから話を聞いた時は、既にきまつて仕舞つて、校長へ二度、赤シヤツへ一度行つて談判して見たがどうする事も出来なかつたと話した。夫に就ても古賀があまり好人物過ぎるから困る。赤シヤツから話があつた時、断然断はるか、一応考へて見ますと逃げればいゝのに、あの弁舌に胡魔化されて、即席に許諾したものだから、あとから御母さんが泣きついても、自分が談判に行つても役に立たなかつたと非常に残念がつた。  今度の事件は全く赤シヤツが、うらなりを遠けて、マドンナを手に入れる策略なんだらうとおれが云つたら、無論さうに違ない。あいつは大人しい顔をして、悪事を働いて、人が何か云ふと、ちやんと逃道を拵らへて待つてるんだから、余っ程奸物だ。あんな奴にかゝつては鉄拳制裁でなくつちや利かないと、瘤だらけの腕をまくつて見せた。おれは序でだから、君の腕は強さうだな柔術でもやるかと聞いて見た。すると大将二の腕へ力瘤を入れて、一寸攫んで見ろと云ふから、指の先で揉んで見たら、何の事はない湯屋にある軽石の様なものだ。  おれは余り感心したから、君その位の腕なら、赤シヤツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだらうと聞いたら、無論さと云ひながら、曲げた腕を伸ばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるり/\と皮のなかで廻転する。頗る愉快だ。山嵐の証明する所によると、かんじん綯りを二本より合せて、この力瘤の出る所へ巻きつけて、うんと腕を曲げると、ぷつりと切れるさうだ。かんじよりなら、おれにも出来さうだと云つたら、出来るものか、出来るならやつて見ろと来た。切れないと外聞がわるいから、おれは見合せた。  君どうだ、今夜の送別会に大に飲んだあと、赤シヤツと野だを撲つてやらないかと面白半分に勧めて見たら、山嵐はさうだなと考へて居たが、今夜はまあよさうと云つた。何故と聞くと、今夜は古賀に気の毒だから――それにどうせ撲る位なら、あいつらの悪るい所を見届て現場で撲らなくつちや、こつちの落度になるからと、分別のありさうな事を附加した。山嵐でもおれよりは考へがあると見える。  ぢや演説をして古賀君を大にほめてやれ、おれがすると江戸っ子のぺら/\になつて重みがなくていけない。さうして、きまつた所へ出ると、急に溜飲が起つて咽喉の所へ、大きな丸が上がつて来て言葉が出ないから、君に譲るからと云つたら、妙な病気だな、ぢや君は人中ぢや口は利けないんだね、困るだらう、と聞くから、何そんなに困りやしないと答へて置いた。  さうかうするうち時間が来たから、山嵐と一所に会場へ行く。会場は花晨亭と云つて、当地で第一等の料理屋ださうだが、おれは一度も足を入れた事がない。もとの家老とかの屋敷を買ひ入れて、其儘開業したと云ふ話だが、成程見懸からして厳めしい構だ。家老の屋敷が料理屋になるのは、陣羽織を縫ひ直して、胴着にする様なものだ。  二人が着いた頃には、人数ももう大概揃つて、五十畳の広間に二っ三っ人間の塊まりが出来て居る。五十畳丈に床は素敵に大きい。おれが山城屋で占領した十五畳敷の床とは比較にならない。尺を取つて見たら二間あつた。右の方に、赤い模様のある瀬戸物の瓶を据えて、其中に松の大きな枝が挿してある。松の枝を挿して何にする気か知らないが、何ヶ月立つても散る気遣がないから、銭が懸らなくつて、よからう。あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物ぢやありません、伊万里ですと云つた。伊万里だつて瀬戸物ぢやないかと、云つたら、博物はえへゝゝゝと笑つて居た。あとで聞いて見たら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云ふのださうだ。おれは江戸っ子だから、陶器の事を瀬戸物といふのかと思つて居た。床の真中に大きな懸物があつて、おれの顔位な大きさな字が二十八字かいてある。どうも下手なものだ。あんまり不味いから、漢学の先生に、なぜあんなまづいものを例々と懸けて置くんですと尋ねた所、先生があれは海屋と云つて有名な書家のかいた者だと教へてくれた。海屋だか何だか、おれは今だに下手だと思つて居る。  やがて書記の川村がどうか御着席をと云ふから、柱があつて靠りかゝるのに都合のいゝ所へ坐つた。海屋の懸物の前に狸が羽織、袴で着席すると、左に赤シヤツが同じく羽織袴で陣取つた。右の方は今日の主人公だと云ふのでうらなり先生、是も日本服で控へて居る。おれは洋服だから、かしこまるのが窮屈だつたから、すぐ胡坐をかいた。隣りの体操教師は黒づぼんで、ちやんとかしこまつて居る。体操の教師丈にいやに修業が積んで居る。やがて御膳が出る。徳利が並ぶ。幹事が立つて、一言開会の辞を述べる。夫から狸が立つ、赤シヤツが起つ。悉く送別の辞を述べたが、三人共申し合せた様にうらなり君の、良教師で好人物な事を吹聴して、今回去られるのは洵に残念である、学校としてのみならず、個人として大に惜しむ所であるが、御一身上の御都合で、切に転任を御希望になつたのだから致し方がないと云ふ意味を述べた。こんな嘘をついて送別会を開いて、それでちつとも恥かしいとも思つて居ない。ことに赤シヤツに至つて三人のうちで一番うらなり君をほめた。此良友を失ふのは実に自分に取つて大なる不幸であると迄云つた。しかも其いひ方がいかにも、尤もらしくつて、例のやさしい声を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始めて聞いたものは、誰でも屹度だまされるに極つてる。マドンナも大方此手で引掛けたんだらう。赤シヤツが送別の辞を述べ立てゝゐる最中、向側に坐つて居た山嵐がおれの顔を見て一寸稲光をさした。おれは返電として、人指し指でべつかんこうをして見せた。  赤シヤツが席に復するのを待ちかねて、山嵐がぬつと立ち上がつたから、おれは嬉しかつたので、思はず手をぱち/\と拍つた。すると狸を始め一同が悉くおれ方を見たには少々困つた。山嵐は何を云ふかと思ふと只今校長始めことに教頭は古賀君の転任を非常に残念がられたが、私は少々反対で古賀君が一日も早く当地を去られるのを希望して居ります。延岡は僻遠の地で、当地に比べたら物質上の不便はあるだらう。が、聞く所によれば風俗の頗る淳朴な所で、職員生徒悉く上代樸直の気風を帯びて居るさうである。心にもない御世辞を振り蒔いたり、美しい顔をして君子を陥れたりするハイカラ野郎は一人もないと信ずるからして、君の如き温良篤厚の士は必ず其地方一般の歓迎を受けられるに相違ない。吾輩は大に古賀君の為めに此転任を祝するのである。終りに臨んで君が延岡に赴任されたら、其地の淑女にして、君子の好逑となるべき資格あるものを択んで一日も早く円満なる家庭をかたぢ作つて、かの不貞無節なる御転婆を事実の上に於て慚死せしめん事を希望します。えへん/\と二っばかり大きな咳払ひをして席に着いた。おれは今度も手を叩かうと思つたが、又みんながおれの面を見るといやだから、やめにして置いた。山嵐が坐ると、今度はうらなり先生が起つた。先生は御鄭寧に、自席から、座敷の端の末座迄行つて、慇懃に一同に挨拶をした上、今般は一身上の都合で九州へ参る事になりましたに就て、諸先生方が小生の為に此盛大なる送別会を御開き下さつたのは、まことに感銘の至りに堪へぬ次第で――ことに只今は校長、教頭其他諸君の送別の辞を頂戴して、大いに難有く服膺する訳であります。私は是から遠方へ参りますが、何卒従前の通り御見捨なく御愛顧の程を願ひます。とへえつく張つて席に戻つた。うらなり君はどこ迄人が好いんだか、殆んど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされてゐる校長や、教頭に恭しく御礼を云つてゐる。それも義理一遍の挨拶ならだが、あの様子や、あの言葉つきや、あの顔つきから云ふと、心から感謝してゐるらしい。こんな聖人に真面目に御礼を云はれたら、気の毒になつて、赤面しさうなものだが狸も赤シヤツも真面目に謹聴して居る許りだ。  挨拶が済んだら、あちらでもチユー、こちらでもチユー、と云ふ音がする。おれも真似をして汁を飲んで見たがまづいもんだ。口取に蒲鉾はついてるが、どす黒くて竹輪の出来損ないである。刺身も並んでるが、厚くつて鮪の切り身を生で食ふと同じ事だ。それでも隣り近所の連中はむしや/\旨さうに食つて居る。大方江戸前の料理を食つた事がないんだらう。  其うち燗徳利が頻繁に往来し始めたら、四方が急に賑やかになつた。野だ公は恭しく校長の前へ出て盃を頂いてる。いやな奴だ。うらなり君は順々に献酬をしてて、一巡周る積と見える。甚だ御苦労である。うらなり君がおれの前へ来て、一つ頂戴致しませうと袴のひだを正して申し込まれたから、おれも窮屈にヅボンの儘かしこまつて、一盃差し上げた。折角参つて、すぐ御別れになるのは残念ですね。御出立はいつです、是非浜迄御見送をしませうと云つたら、うらなり君はいえ御用多の所決して夫には及びませんと答へた。うらなり君が何と云つたつて、おれは学校を休んで送る気で居る。  夫から一時間程するうちに席上は大分乱れて来る。まあ一杯、おや僕が飲めと云ふのに……などと呂律の巡りかねるのも一人二人出来て来た。少退屈したから便所へ行つて、昔し風な庭を星明りにすかして眺めて居ると山嵐が来た。どうだ、最前の演説はうまかつたらう。と大分得意である。大賛成だが一ヶ所気に入らないと抗議を申し込んだら、どこが不賛成だと聞いた。 「美しい顔をして人を陥れる様なハイカラ野郎は延岡に居らないから……と君は云つたらう」 「うん」 「ハイカラ野郎丈では不足だよ」 「ぢや何と云ふんだ」 「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モヽンガーの、岡っ引きの、わん/\鳴けば犬も同然な奴とでも云ふがいゝ」 「おれにはさう舌は廻らない。君は能弁だ。第一単語を大変沢山知つてる。それで演舌が出来ないのは不思議だ」 「なにこれは喧嘩のときに使はうと思つて、用心の為に取つて置く言葉さ。演舌となつちや、かうは出ない」 「さうかな、然しぺら/\出るぜ。もう一遍やつて見給へ」 「何遍でもやるさ、いゝか。――ハイカラ野郎のペテン師の、イカサマ師の……」  と云ひかけて居ると、椽側をどたばた云はして、二人ばかり、よろ/\しながら馳け出して来た。 「両君そりやひどい、――逃げるなんて、――僕が居るうちは決して逃さない、さあのみ玉へ。――いかさま師? ――面白い、いかさま面白い。――さあ飲み玉へ」  とおれと山嵐をぐい/\引つ張つて行く。実は此両人共便所に来たのだが、酔つてるもんだから、便所へ這入るのを忘れて、おれ等を引つ張るのだらう。酔つ払ひは目の中る所へ用事を拵へて、前の事はすぐ忘れて仕舞ふんだらう。 「さあ、諸君、いかさま師を引つ張つて来た。さあ飲ましてくれ玉へ。いかさま師をうんと云ふ程、酔はしてくれ玉へ。君逃げちやいかん」  と逃げもせぬ、おれを壁際へ圧し付けた。諸方を見廻して見ると、膳の上に満足な肴の乗つて居るのは一つもない。自分の分を奇麗に食ひ尽して、五六間先へ遠征に出た奴も居る。校長はいつ帰つたか姿が見えない。  所へ御座敷はこちら? と芸者が三四人這入つて来た。おれも少し驚ろいたが、壁際へ押し付けられて居るんだから、凝として只見て居た。すると今迄床柱へもたれて例の琥珀のパイプを自慢さうに啣へて居た、赤シヤツが急に起つて、座敷を出にかゝつた。向から這入つて来た芸者の一人が、行き違ひながら、笑つて挨拶をした。その一人は一番若くて一番奇麗な奴だ。遠くで聞えなかつたが、おや今晩は位云つたらしい。赤シヤツは知らん顔をして出て行つたぎり、顔を出さなかつた。大方校長のあとを追懸けて帰つたんだらう。  芸者が来たら座敷中急に陽気になつて、一同が鬨の声を揚げて歓迎したのかと思ふ位、騒々しい。さうして或る奴はなんこを攫む。その声の大きな事、丸で居合抜の稽古の様だ。こつちでは拳を打つてる。よっ、はっ、と夢中で両手を振る所は、ダーク一座の操人形より余っ程上手だ。向ふの隅ではおい御酌だ、と徳利を振つて見て、酒だ/\と言ひ直して居る。どうも八釜しくて騒々しくつて堪らない。其うちで手持無沙汰に下を向いて考へ込んでるのはうらなり君許りである。自分の為に送別会を開いてくれたのは、自分の転任を惜んでくれるんぢやない。みんなが酒を呑んで遊ぶ為だ。自分独りが手持無沙汰で苦しむ為だ。こんな送別会なら、開いてもらはない方が余っ程ましだ。  しばらくしたら、銘々胴間声を出して何か唄ひ始めた。おれの前へ来た一人の芸者が、あんた、なんぞ、唄ひなはれ、と三味線を抱へたから、おれは唄はない、貴様唄つて見ろと云つたら、金や太鼓でねえ、迷子の迷子の三太郎と、どんどこ、どんのちやんちきりん。叩いて廻つて逢はれるものならば、わたしなんぞも、金や太鼓でどんどこ、どんのちやんちきりんと叩いて廻つて逢ひたい人がある、と二た息にうたつて、おゝしんどと云つた。おゝしんどなら、もつと楽なものをやればいゝのに。  すると、いつの間にか傍へ来て坐つた、野だが、鈴ちやん逢ひたい人に逢つたと思つたら、すぐ御帰りで、御気の毒さま見た様でげすと相変らず噺し家見た様な言葉使ひをする。知りまへんと芸者はつんと済ました。野だは頓着なく、たま/\逢ひは逢ひながら……と、いやな声を出して義太夫の真似をやる。おきなはれやと芸者は平手で野だの膝を叩いたら野だは恐悦して笑つてる。此芸者は赤シヤツに挨拶をした奴だ。芸者に叩かれて笑ふなんて、野だも御目出度い者だ。鈴ちやん僕が紀伊の国を踊るから、一つ弾いて頂戴と云ひ出した。野だは此上まだ踊る気で居る。  向ふの方で漢学の御爺さんが歯のない口を歪めて、そりや聞えません伝兵衛さん、御前とわたしのその中は……と迄は無事に済したが、それから? と芸者に聞いて居る。爺さんなんて物覚のわるいものだ。一人が博物を捕まへて、近頃こないなのが、でけましたぜ、弾いて見まほうか。よう聞いて、居なはれや――花月巻、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはイオリン、半可の英語でぺら/\と、I am glad to see you と唄ふと、博物は成程面白い、英語入りだねと感心して居る。  山嵐は馬鹿に大きな声を出して、芸者、芸者と呼んで、おれが剣舞をやるから、三味線を弾けと号令を下した。芸者はあまり乱暴な声なので、あつけに取られて返事もしない。山嵐は委細構はず、ステツキを持つて来て、踏破千山万岳烟と真中へ出て独りで隠し芸を演じて居る。所へ野だが既に紀伊の国を済まして、かつぽれを済まして、棚の達磨さんを済して丸裸の越中褌一つになつて、棕梠箒を小脇に抱い込んで、日清談判破裂して……と座敷中練りあるき出した。まるで気違だ。  おれはさつきから苦しさうに袴も脱がず控えて居るうらなり君が気の毒でたまらなかつたが、なんぼ自分の送別会だつて、越中褌の裸踊迄羽織袴で我慢して見て居る必要はあるまいと思つたから、そばへ行つて、古賀さんもう帰りませうと退去を勧めて見た。するとうらなり君は今日は私の送別会だから、私が先へ帰つては失礼です、どうぞ御遠慮なくと動く景色もない。なに構ふもんですか、送別会なら送別会らしくするがいゝです、あの様を御覧なさい。気狂会です。さあ行きませうと、勧まないのを無理に勧めて、座敷を出かゝる所へ、野だが箒を振り/\進行して来て、や御主人が先へ帰るとはひどい。日清談判だ。帰せないと箒を横にして行く手を塞いだ。おれはさつきから肝癪が起つてる所だから、日清談判なら貴様はちやん/\だらうと、いきなり拳骨で、野だの頭をぽかりと喰はしてやつた。野だは二三秒の間毒気を抜かれた体で、ぼんやりして居たが、おや是はひどい。御撲になつたのは情ない。この吉川を御打擲とは恐れ入つた。愈以て日清談判だ。とわからぬ事をならべて居る所へ、うしろから山嵐が何か騒動が始まつたと見て取つて、剣舞をやめて、飛んで来たが、此ていたらくを見て、いきなり頸筋をうんと攫んで引き戻した。日清……いたい。いたい。どうも是は乱暴だと振りもがく所を横に捩つたら、すとんと倒れた。あとはどうなつたか知らない。途中でうらなり君に別れて、うちへ帰つたら十一時過ぎだつた。 十  祝勝会で学校は御休みだ。練兵場で式があると云ふので、狸は生徒を引卒して参列しなくてはならない。おれも職員の一人として一所にくつついて行くんだ。町へ出ると日の丸だらけで、まぼしい位である。学校の生徒は八百人もあるのだから、体操の教師が隊伍を整へて、一組一組の間を少しづゝ明けて、それへ職員が一人か二人宛監督として割り込む仕掛けである。仕掛だけは頗る巧妙なものだが、実際は頗る不手際である。生徒は小供の上に、生意気で、規律を破らなくつては生徒の体面にかゝはると思つてる奴等だから、職員が幾人ついて行つたつて何の役に立つもんか。命令も下さないのに勝手な軍歌をうたつたり、軍歌をやめるとワーと訳もないのに鬨の声を揚げたり、丸で浪人が町内をねりあるいてる様なものだ。軍歌も鬨の声も揚げない時はがや/\何か喋舌つてる。喋舌らないでも歩行けさうなもんだが、日本人はみんな口から先へ生れるのだから、いくら小言を云つたつて聞きつこない。喋舌るのも只喋舌るのではない、教師のわる口を喋舌るんだから、下等だ。おれは宿直事件で生徒を謝罪さして、まあ是ならよからうと思つて居た。所が実際は大違ひである。下宿の婆さんの言葉を借りて云へば、正に大違ひの勘五郎である。生徒があやまつたのは心から後悔してあやまつたのではない。只校長から、命令されて、形式的に頭を下げたのである。商人が頭許りさげて、狡い事をやめないのと一般で生徒も謝罪丈はするが、いたづらは決してやめるものでない。よく考へて見ると世の中はみんな此生徒の様なものから成立して居るかも知れない。人があやまつたり詫びたりするのを、真面目に受けて勘弁するのは正直過ぎる馬鹿と云ふんだらう。あやまるのも仮りにあやまるので、勘弁するのも仮りに勘弁するのだと思つてれば差し支ない。もし本当にあやまらせる気なら、本当に後悔する迄叩きつけなくてはいけない。  おれが組と組の間に這入つて行くと、天麩羅だの、団子だの、と云ふ声が堪へずする。而も大勢だから、誰が云ふのだか分らない。よし分つてもおれの事を天麩羅と云つたんぢやありません、団子と申したのぢやありません、それは先生が神経衰弱だから、ひがんで、さう聞くんだ位云ふに極まつてる。こんな卑劣な根性は封建時代から、養成した此土地の習慣なんだから、いくら云つて聞かしたつて、教へてやつたつて、到底直りつこない。こんな土地に一年も居ると、潔白なおれも、この真似をしなければならなく、なるかも知れない。向でうまく言ひ抜けられる様な手段で、おれの顔を汚すのを抛つて置く、樗蒲一はない。向が人ならおれも人だ。生徒だつて、小供だつて、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰として何か返報をしてやらなくつては義理がわるい。所がこつちから返報をする時分に尋常の手段で行くと、向から逆捩を食はして来る。貴様がわるいからだと云ふと、初手から逃げ路が作つてある事だから滔々と弁じ立てる。弁じ立てゝ置いて、自分の方を表向き丈立派にして夫からこつちの非を攻撃する。もと/\返報にした事だから、こちらの弁護は向ふの非が挙がらない上は弁護にならない。つまりは向から手を出して置いて、世間体はこつちが仕掛けた喧嘩の様に見傚されて仕舞ふ。大変な不利益だ。夫なら向ふのやるなり、愚迂多良童子を極め込んで居れば、向は益増長する許り、大きく云へば世の中の為にならない。そこで仕方がないから、こつちも向の筆法を用ゐて捕まへられないで、手の付け様のない返報をしなくてはならなくなる。さうなつては江戸っ子も駄目だ。駄目だが一年もかうやられる以上は、おれも人間だから駄目でも何でも左様ならなくつちや始末がつかない。どうしても早く東京へ帰つて清と一所になるに限る。こんな田舎に居るのは堕落しに来て居る様なものだ。新聞配達をしたつて、こゝ迄堕落するよりはましだ。  かう考へて、いや/\、附いてくると、何だか先鋒が急にがや/\騒ぎ出した。同時に列はぴたりと留まる。変だから、列を右へはづして、向ふを見ると、大手町を突き当つて薬師町へ曲がる角の所で、行き詰つたぎり、押し返したり、押し返されたりして揉み合つて居る。前方から静かに静かにと声を涸らして来た体操教師に何ですと聞くと、曲り角で中学校と師範学校が衝突したんだと云ふ。  中学と師範とはどこの県下でも犬と猿の様に仲がわるいさうだ。なぜだかわからないが、丸で気風が合はない。何かあると喧嘩をする。大方狭い田舎で退屈だから、暇潰しにやる仕事なんだらう。おれは喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて、面白半分に馳け出して行つた。すると前の方にゐる連中は、しきりに何だ地方税の癖に、引き込めと、怒鳴つてる。後ろからは押せ押せと大きな声を出す。おれは邪魔になる生徒の間をくゞり抜けて、曲がり角へもう少しで出様とした時に、前へ! と云ふ高く鋭どい号令が聞えたと思つた。師範学校の方は粛々として進行を始めた。先を争つた衝突は、折合がついたには相違ないが、つまり中学校が一歩を譲つたのである。資格から云ふと師範学校の方が上ださうだ。  祝勝の式は頗る簡単なものであつた。旅団長が祝詞を読む、知事が祝詞を読む。参列者が万歳を唱へる。それで御仕舞だ。余興は午后にあると云ふ話だから、一先づ下宿へ帰つて、此間中から、気に掛つてゐた、清への返事をかきかけた。今度はもつと詳しく書いてくれとの注文だから、可成念入に認めなくつちやならない。然しいざとなつて、半切を取り上げると、書く事は沢山あるが、何から書き出していゝか、わからない。あれに仕様か、あれは面倒臭い。これにしやうか、是は詰らない。何か、すら/\と出て、骨が折れなくつて、さうして清が面白がる様なものはないかしらん、と考へて見ると、そんな注文通りの事件は一つもなささうだ。おれは墨を磨つて、筆をしめして、巻紙を睨めて、――巻紙を睨めて、筆をしめして、墨を磨つて――同じ所作を同じ様に何返も繰り返したあと、おれには、とても手紙はかけるものではないと、諦らめて硯の蓋をして仕舞つた。手紙なんぞをかくのは面倒臭い。矢っ張り東京迄出掛けて行つて、逢つて話をする方が簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文通りの手紙をかくのは三七日の断食よりも苦しい。  おれは筆と巻紙を抛り出して、ごろりと転がつて肱枕をして庭の方を眺めて見たが、矢っ張り清の事が気にかゝる。其時おれはかう思つた。かうして遠くへ来て迄、清の身の上を案じてゐてやりさへすれば、おれの真心は清に通じるに違ない。通じさへすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事で暮してると思つてるだらう。たよりは死んだ時か、病気の時か、何か事の起つた時にやりさへすればいゝ訳だ。  庭は十坪程の平庭で、是と云ふ植木もない。只一本の蜜柑があつて、塀のそとから、目標になる程高い。おれはうちへ帰ると、いつでも此蜜柑を眺める。東京を出た事のないものには蜜柑の生つてゐる所は頗る珍らしいものだ。あの青い実が段熟してきて、黄色になるんだらうが、定めて奇麗だらう。今でも最う半分色の変つたのがある。婆さんに聞いて見ると、頗る水気の多い、旨ひ蜜柑ださうだ。今に熟たら、たんと召し上がれと云つたから、毎日少し宛食つてやらう。もう三週間もしたら、充分食へるだらう。まさか三週間内に此所を去る事もなからう。  おれが蜜柑の事を考へて居る所へ、偶然山嵐が話しにやつて来た。今日は祝勝会だから、君と一所に御馳走を食はうと思つて牛肉を買つて来たと、竹の皮の包を袂から引きずり出して、座敷の真中へ抛り出した。おれは下宿で芋責豆腐責になつてる上、蕎麦屋行き、団子屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐ婆さんから鍋と砂糖をかり込んで、煮方に取りかゝつた。  山嵐は無暗に牛肉を頬張りながら、君あの赤シヤツが芸者に馴染のある事を知つてるかと聞くから、知つてるとも、此間うらなりの送別会の時に来た一人がさうだらうと云つたら、さうだ僕は此頃漸く勘づいたのに、君は中々敏捷だと大にほめた。 「あいつは、ふた言目には品性だの、精神的娯楽だのと云ふ癖に、裏へ廻つて、芸者と関係なんかつけとる、怪しからん奴だ。夫もほかの人が遊ぶのを寛容するならいゝが、君が蕎麦屋へ行つたり、団子屋へ這入るのさへ取締上害になると云つて、校長の口を通して注意を加へたぢやないか」 「うん、あの野郎の考ぢや芸者買は精神的娯楽で、天麩羅や、団子は物質的娯楽なんだらう。精神的娯楽なら、もつと大べらにやるがいゝ。何だあの様は。馴染の芸者が這入つてくると、入れ代りに席をはづして、逃げるなんて、どこ迄も人を胡魔化す気だから気に食はない。さうして人が攻撃すると、僕は知らないとか、露西亜文学だとか、俳句が新体詩の兄弟分だとか云つて、人を烟に捲く積りなんだ。あんな弱虫は男ぢやないよ。全く御殿女中の生れ変りか何かだぜ。ことによると、彼奴のおやぢは湯島のかげまかも知れない」 「湯島のかげまた何だ」 「何でも男らしくないもんだらう。――君そこの所はまだ煮えて居ないぜ。そんなのを食ふと条虫が湧くぜ」 「さうか、大抵大丈夫だらう。それで赤シヤツは人に隠れて、温泉の町の角屋へ行つて、芸者と会見するさうだ」 「角屋つて、あの宿屋か」 「宿屋兼料理屋さ。だからあいつを一番へこます為には、彼奴が芸者をつれて、あすこへ這入り込む所を見届けて置いて面詰するんだね」 「見届ける、つて、夜番でもするのかい」 「うん、角屋の前に枡屋と云ふ宿屋があるだらう。あの表二階をかりて、障子へ穴をあけて、見て居るのさ」 「見て居るときに来るかい」 「来るだらう。どうせ一と晩ぢやいけない。二週間許りやる積りでなくつちや」 「随分疲れるぜ。僕あ、おやぢの死ぬとき一週間許り徹夜して看病した事があるが、あとでぼんやりして、大に弱つた事がある」 「少し位身体が疲れたつて構はんさ。あんな奸物をあの儘にして置くと、日本の為にならないから、僕が天に代つて誅戮を加へるんだ」 「愉快だ。さう事が極まれば、おれも加勢してやる。夫で今夜から夜番をやるのかい」 「まだ枡屋に懸合つてないから、今夜は駄目だ」 「それぢや、いつから始める積りだい」 「近々のうちやるさ。いづれ君に報知をするから、さうしたら、加勢して呉れ給へ」 「よろしい、いつでも加勢する。僕は計略は下手だが、喧嘩とくると是で中々すばしこいぜ」  おれと山嵐がしきりに赤シヤツ退治の計略を相談して居ると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田先生に御目にかゝりたいてゝ御出でたぞなもし。今御宅へ参じたのぢやが、御留守ぢやけれ、大方こゝぢやらうてゝ捜し当てゝ御出でたのぢやがなもしと、閾の所へ膝を突いて山嵐の返事を待つてる。山嵐はさうですかと玄関迄出て行つたが、やがて帰つて来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかつて誘ひに来たんだ。今日は高知から、何とか踊りをしに、わざ/\こゝ迄多人数乗り込んで来てゐるのだから、是非見物しろ、滅多に見られない踊だと云ふんだ、君も一所に行つて見給へと山嵐は大に乗り気で、おれに同行を勧める。おれは踊なら東京で沢山見て居る。毎年八幡様の御祭りには屋台が町内へ廻つてくるんだから汐酌みでも何でもちやんと心得て居る。土佐っぽの馬鹿踊なんか、見たくもないと思つたけれども、折角山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になつて門へ出た。山嵐を誘に来たものは誰かと思つたら赤シヤツの弟だ。妙な奴が来たもんだ。  会場へ這入ると、回向院の相撲か本門寺の御会式の様に幾流れとなく長い旗を所々へ植え付けた上に、世界万国の国旗を悉く借りて来た位、縄から縄、綱から綱へ渡しかけて、大きな空が、いつになく賑やかに見える。東の隅に一夜作りの舞台を設けて、こゝで所謂高知の何とか踊りをやるんださうだ。舞台を右へ半町許りくると葭簀の囲ひをして、活花が陳列してある。みんなが感心して眺めて居るが、一向くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げて嬉しがるなら、脊虫の色男や、跛の亭主を持つて自慢するがよからう。  舞台とは反対の方面で、頻りに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳とかいてある。天主の松の上をふわ/\飛んで衛所のなかへ落ちた。次は、ぽんと音がして、黒い団子が、しゆつと秋の空を射抜く様に揚がると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青い烟が傘の骨の様に開いて、だら/\と空中に流れ込んだ。風船がまた上がつた。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜いた奴が風に揺られて、温泉の町から、相生村の方へ飛んでいつた。大方観音様の境内へでも落ちたらう。  式の時は左程でもなかつたが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚ろいた位うぢや/\して居る。利口な顔はあまり見当らないが、数から云ふと慥に馬鹿に出来ない。其うち評判の高知の何とか踊が始まつた。踊といふから藤間か何ぞのやる踊りかと早合点して居たが、是は大間違であつた。  いかめしい向ふ鉢巻をして、立っ付け袴を穿いた男が十人許り宛、舞台の上に三列に並んで、其三十人が悉く抜き身を携げて居るには魂消た。前列と後列の間は僅か一尺五寸位だらう、左右の間隔は夫より短かいとも長くはない。たつた一人列を離れて舞台の端に立つてるのがある許りだ。此仲間外れの男は袴丈はつけて居るが、向ふ鉢巻は倹約して、抜身の代りに、胸へ太鼓を懸けて居る。太鼓は大神楽の太鼓と同じ物だ。此男がやがて、いやあ、はあゝと呑気な声を出して、妙な謡をうたひながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんと叩く。歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。三河万歳と普陀洛やの合併したものと思へば大した間違にはならない。  歌は頗る悠長なもので、夏分の水飴の様に、だらしがないが、句切りをとる為めにぼこぼんを入れるから、のべつの様でも拍子は取れる。此拍子に応じて三十人の抜き身がぴか/\と光るのだが、是は又頗る迅速な御手際で、拝見して居ても冷々する。隣りも後ろも一尺五寸以内に生きた人間が居て、其人間が又切れる抜き身を自分と同じ様に振り舞はすのだから、余っ程調子が揃はなければ、同志撃を始めて怪我をする事になる。夫れも動かないで刀丈前後とか上下とかに振るのなら、まだ危険もないが、三十人が一度に足踏をして横を向く時がある。ぐるりと廻る事がある。膝を曲げる事がある。隣りのものが一秒でも早過ぎるか、遅過ぎれば、自分の鼻は落ちるかも知れない。隣りの頭はそがれるかも知れない。抜き身の動くのは自由自在だが、其動く範囲は一尺五寸立方のうちにかぎられた上に、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。こいつは驚いた、中々以て汐酌や関の戸の及ぶ所でない。聞いて見ると、是は甚だ熟練の入るもので容易な事では、かう云ふ風に調子が合はないさうだ。ことに六※[#濁点付き小書き平仮名つ、379-1]かしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生ださうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰の曲げ方も、悉くこのぼこぼん君の拍子一つで極まるのださうだ。傍で見て居ると、此大将が一番呑気さうに、いやあ、はあゝと気楽にうたつてるが、其実は甚だ責任が重くつて非常に骨が折れるとは不思議なものだ。  おれと山嵐が感心のあまり此踊を余念なく見物して居ると、半丁許り、向の方で急にわつと云ふ鬨の声がして、今迄穏やかに諸所を縦覧して居た連中が、俄かに波を打つて、右左りに揺き始める。喧嘩だ/\と云ふ声がすると思ふと、人の袖を潜り抜けて来た赤シヤツの弟が、先生又喧嘩です、中学の方で今朝の意趣返しをするんで、又師範の奴と決戦を始めた所です、早く来て下さいと云ひながら又人の波のなかへ潜り込んでどつかへ行つて仕舞つた。  山嵐は世話の焼ける小僧だ又始めたのか、いゝ加減にすればいゝのにと逃げる人を避けながら、一散に馳け出した。見て居る訳にも行かないから取り鎮める積だらう。おれは無論の事逃げる気はない。山嵐の踵をふんであとからすぐ現場へ馳けつけた。喧嘩は今が真最中である。師範の方は五六十人もあらうか、中学は慥かに三割方多い。師範は制服をつけてゐるが、中学は式後大抵は日本服に着換へてゐるから、敵味方はすぐわかる。然し入り乱れて組んづ、解れつ戦つてるから、どこから、どう手を付けて引き分けていゝか分らない。山嵐は困つたなと云ふ風で、暫らく此乱雑な有様を眺めて居たが、かうなつちや仕方がない。巡査がくると面倒だ。飛び込んで分け様と、おれの方を見て云ふから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈しさうな所へ躍り込んだ。止せ/\。そんな乱暴をすると学校の体面に関はる。よさないかと、出る丈の声を出して、敵と味方の分界線らしい所を突き貫け様としたが、中々さう旨くは行かない。一二間這入つたら、出る事も引く事も出来なくなつた。目の前に比較的大きな師範生が、十五六の中学生と組み合つてゐる。止せと云つたら、止さないかと、師範生の肩を以て、無理に引き分け様とする途端にだれか知らないが、下からおれの足をすくつた。おれは不意を打たれて、握つた肩を放して、横に倒れた。堅い靴でおれの脊中の上へ乗つた奴がある。両手と膝を突いて下から、跳ね起きたら、乗つた奴は右の方へころがり落ちた。起き上がつて見ると、三間許り向ふに山嵐の大きな身体が生徒の間に挟まりながら、止せ/\、喧嘩は止せ/\と揉み返されてるのが見えた。おい到底駄目だと云つて見たが聞えないのか返事もしない。  ひゆうと風を切つて飛んで来た石が、いきなりおれの頬骨へ中つたなと思つたら、後ろからも脊中を棒でどやした奴がある。教師の癖に出て居る、打て/\と云ふ声がする。教師は二人だ。大きい奴と、小さい奴だ。石を抛げろ。と云ふ声もする。おれは、なに生意気な事をぬかすな、田舎者の癖にと、いきなり、傍に居た師範生の頭を張りつけてやつた。石が又ひゆうと来る。今度はおれの五分刈の頭を掠めて後ろの方へ飛んで行つた。山嵐はどうなつたか、見えない。かうなつちや仕方がない。始めは喧嘩をとめに這入つたんだが、どやされたり、石をなげられたりして、恐れ入つて引き下がるうんでれがんがあるものか。おれを誰だと思ふんだ。身長は小さくつても喧嘩の本場で修業を積んだ兄さんだと無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりして居ると、やがて巡査だ巡査だ逃げろ/\と云ふ声がした。今迄葛練りの中で泳いでる様に身動きも出来なかつたのが、急に楽になつたと思つたら、敵も味方も一度に引き上げて仕舞つた。田舎者でも退却は巧妙だ。クロパトキンより旨い位である。  山嵐はどうしたかと見ると、紋付の一重羽織をずた/\にして、向ふの方で鼻を拭いて居る。鼻柱をなぐられて大分出血したんださうだ。鼻がふくれ上がつて真赤になつて頗る見苦しい。おれは飛白の袷を着て居たから泥だらけになつたけれども、山嵐の羽織程な損害はない。然し頬ぺたがぴり/\して堪らない。山嵐は大分血が出て居るぜと教へてくれた。  巡査は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、捕まつたのは、おれと山嵐丈である。おれらは姓名をつげて、一部始終を話したら、とも角も警察迄来いと云ふから、警察へ行つて、署長の前で事の顛末を述べて下宿へ帰つた。 十一  あくる日眼が覚めて見ると、身体中痛くて堪らない。久しく喧嘩をしつけなかつたから、こんなに答へるんだらう。これぢやあんまり自慢も出来ないと床の中で考へて居ると、婆さんが四国新聞を持つて来て枕元へ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀なんだが、男がこれしきの事に閉口たれて仕様があるものかと無理に腹這になつて、寐ながら、二頁を開けて見ると驚ろいた。昨日の喧嘩がちやんと出て居る。喧嘩の出て居るのは驚ろかないのだが、中学の教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾して此騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあつて生徒を指揮したる上、漫りに師範生に向つて暴行を擅にしたりと書いて、次にこんな意見が附記してある。本県の中学は昔時より善良温順の気風を以て全国の羨望する所なりしが、軽薄なる二豎子の為めに吾校の特権を毀損せられて、此不面目を全市に受けたる以上は、吾人は奮然として起つて其責任を問はざるを得ず。吾人は信ず、吾人が手を下す前に、当局者は相当の処分を此無頼漢の上に加へて、彼等をして再び教育界に足を入るゝ余地なからしむる事を。さうして一字毎にみんな黒点を加へて、御灸を据えた積りで居る。おれは床の中で、糞でも喰らへと云ひながら、むつくり飛び起きた。不思議な事に今迄身体の関節が非常に痛かつたのが、飛び起きると同時に忘れた様に軽くなつた。  おれは新聞を丸めて、庭へ抛げつけたが、夫でもまだ気に入らなかつたから、わざ/\後架へ持つて行つて棄てゝ来た。新聞なんて無暗な嘘を吐くもんだ。世の中に何が一番法螺を吹くと云つて、新聞程の法螺吹きはあるまい。おれの云つて然る可き事をみんな向ふで並べて居やがる。それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某と云ふ名前の人があるか考へて見ろ。是でも歴然とした姓もあり名もあるんだ。系図が見たけりや、多田満仲以来の先祖を一人残らず拝ましてやらあ。――顔を洗つたら、頬ぺたが急に痛くなつた。婆さんに鏡をかせと云つたら、けさの新聞を御見たかなもしと聞く。読んで後架へ棄てゝ来た。欲しけりや拾つて来いと云つたら、驚いて引き下がつた。鏡で顔を見ると昨日と同じ様に傷がついてゐる。是でも大事な顔だ、顔へ傷まで付けられた上へ生意気なる某などゝ、某呼ばはりをされゝば沢山だ。  今日の新聞に辟易して学校を休んだ抔と云はれちや一生の名折れだから、飯を食つていの一号に出頭した。出てくる奴も、出てくる奴も、おれの顔を見て笑つてゐる。何が可笑しいだ。貴様達にこしらへて貰つた顔ぢやあるまいし。其うち、野だが出て来て、いや昨日は御手柄で、――名誉の御負傷でげすか、と送別会の時に撲つた返報と心得たのか、いやに冷かしたから、余計な事を言はずに絵筆でも舐めて居ろと云つてやつた。するとこりや恐れ入りやした。然し嘸御痛い事でげせうと云ふから、痛からうが痛くなからうがおれの面だ。貴様の世話になるもんかと怒鳴りつけてやつたら、向ふ側の自席へ着いて、矢っ張りおれの顔を見て、隣りの歴史の教師と何か内所話をしては笑つてゐる。  夫から山嵐が出頭した。山嵐の鼻に至つては紫色に膨脹して、掘つたら中から膿が出さうに見える。自惚の所為か、おれの顔より余っ程手ひどく遣られてゐる。おれと山嵐は机を並べて、隣り同志の近しい仲で、御負けに其机が部屋の戸口から真正面にあるんだから運がわるい。妙な顔が二つ塊まつてゐる。ほかの奴は退屈にさへなると屹度此方ばかり見る。飛んだ事でと口で云ふが、心のうちでは此馬鹿がと思つてるに相違ない。夫でなければ、あゝ云ふ風に私語合つてはくす/\笑ふ訳がない。教場へ出ると生徒は拍手を以て迎へた。先生万歳と云ふものが二三人あつた。景気がいゝんだか、馬鹿にされてるんだか分らない。おれと山嵐がこんなに注意の焼点となつてるなかに、赤シヤツ許は平常の通り傍へ来て、どうも飛んだ災難でした。僕は君等に対して御気の毒でなりません。新聞の記事は校長とも相談して、正誤を申し込む手続きにして置いたから、心配しなくつてもいゝ。僕の弟が堀田君を誘に行つたから、こんな事が起つたので、僕は実に申し訳がない。それで此件に就ては飽く迄尽力する積だから、どうかあしからず抔と半分謝罪的な言葉を並べて居る。校長は三時間目に校長室から出て来て、困つた事を新聞がかき出しましたね。六※[#濁点付き小書き平仮名つ、385-1]かしくならなければいゝがと多少心配さうに見えた。おれには心配なんかない、先で免職をするなら、免職される前に辞表を出して仕舞ふ丈だ。然し自分がわるくないのにこつちから身を引くのは法螺吹きの新聞屋を益増長させる訳だから、新聞屋を正誤させて、おれが意地にも務めるのが順当だと考へた。帰りがけに新聞に談判に行かうと思つたが、学校から取消の手続はしたと云ふから、やめた。  おれと山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計つて、嘘のない、所を一応説明した。校長と教頭はさうだらう、新聞屋が学校に恨を抱いて、あんな記事をことさらに掲げたんだらうと論断した。赤シヤツはおれらの行為を弁解しながら控所を一人ごとに廻つてあるいて居た。ことに自分の弟が山嵐を誘ひ出したのを自分の過失であるかの如く吹聴して居た。みんなは全く新聞屋がわるい、怪しからん、両君は実に災難だと云つた。  帰りがけに山嵐は、君赤シヤツは臭いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、今日から臭くなつたんぢやなからうと云ふと、君まだ気が付かないか、きのふわざ/\、僕等を誘ひ出して喧嘩のなかへ、捲き込んだのは策だぜと教へてくれた。成程そこ迄は気がつかなかつた。山嵐は粗暴な様だが、おれより智慧のある男だと感心した。 「あゝやつて喧嘩をさせて置いて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかゝせたんだ。実に奸物だ」 「新聞迄も赤シヤツか。そいつは驚いた。然し新聞が赤シヤツの云ふ事をさう容易く聴くかね」 「聴かなくつて。新聞屋に友達が居りや訳はないさ」 「友達が居るのかい」 「居なくても訳ないさ。嘘をついて、事実是々だと話しや、すぐ書くさ」 「ひどいもんだな。本当に赤シヤツの策なら、僕等は此事件で免職になるかも知れないね」 「わるくすると、遣られるかも知れない」 「そんなら、おれは明日辞表を出してすぐ東京へ帰つちまはあ。こんな下等な所に頼んだつて居るのはいやだ」 「君が辞表を出したつて、赤シヤツは困らない」 「それもさうだな。どうしたら困るだらう」 「あんな奸物の遣る事は、何でも証拠の挙がらない様に、挙がらない様にと工夫するんだから、反駁するのは六※[#濁点付き小書き平仮名つ、386-14]かしいね」 「厄介だな。それぢや濡衣を着るんだね。面白くもない。天道是耶非かだ」 「まあ、もう二三日様子を見様ぢやないか。夫で愈となつたら、温泉の町で取つて抑へるより仕方がないだらう」 「喧嘩事件は、喧嘩事件としてか」 「さうさ。こつちはこつちで向ふの急所を抑へるのさ」 「それもよからう。おれは策略は下手なんだから、万事宜しく頼む。いざとなれば何でもする」  おれと山嵐は是で分れた。赤シヤツが果して山嵐の推察通りをやつたのなら、実にひどい奴だ。到底智慧比べで勝てる奴ではない。どうしても腕力でなくつちや駄目だ。成程世界に戦争は絶えない訳だ。個人でも、とどの詰りは腕力だ。  あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、披いて見ると、正誤所か取り消も見えない。学校へ行つて狸に催促すると、あした位出すでせうと云ふ。明日になつて六号活字で少さく取消が出た。然し新聞屋の方で正誤は無論して居らない。又校長に談判すると、あれより手続のしやうはないのだと云ふ答だ。校長なんて狸の様な顔をして、いやにフロツク張つてゐるが存外無勢力なものだ。虚偽の記事を掲げた田舎新聞一つ詫まらせる事が出来ない。あんまり腹が立つたから、それぢや私が一人で行つて主筆に談判すると云つたら、それは行かん、君が談判すれば又悪口を書かれる許りだ。つまり新聞屋にかゝれた事は、うそにせよ、本当にせよ、詰りどうする事も出来ないものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭を加へた。新聞がそんな者なら、一日も早く打つ潰して仕舞つた方が、われ/\の利益だらう。新聞にかゝれるのと、泥鼈に喰ひつかれるとが似たり寄つたりだとは今日只今狸の説明に因つて始めて承知仕つた。  夫から三日許りして、ある日の午後、山嵐が憤然とやつて来て、愈時機が来た、おれは例の計画を断行する積だと云ふから、さうかそれぢやおれもやらうと、即坐に一味徒党に加盟した。所が山嵐が、君はよす方がよからうと首を傾けた。何故と聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと云はれたかと尋ねるから、いや云はれない。君は? と聴き返すと、今日校長室で、まことに気の毒だけれども、事情已を得んから処決してくれと云はれたとの事だ。 「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓を叩き過ぎて、胃の位地が顛倒したんだ。君とおれは、一所に、祝勝会へ出てさ、一所に高知のぴか/\踊りを見てさ、一所に喧嘩をとめに這入つたんぢやないか。辞表を出せといふなら公平に両方へ出せと云ふがいゝ。なんで田舎の学校はさう理窟が分らないんだらう。焦慮いな」 「それが赤シヤツの指金だよ。おれと赤シヤツとは今迄の行懸り上到底両立しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思つてるんだ」 「おれだつて赤シヤツと両立するものか。害にならないと思ふなんて生意気だ」 「君はあまり単純過ぎるから、置いたつて、どうでも胡魔化されると考へてるのさ」 「猶悪いや。誰が両立してやるものか」 「夫に先達て古賀が去つてから、まだ後任が事故の為に到着しないだらう。其上に君と僕を同時に追ひ出しちや、生徒の時間に明きが出来て、授業にさし支へるからな」 「夫ぢやおれを間のくさびに一席伺はせる気なんだな。こん畜生、だれが其手に乗るものか」  翌日おれは学校へ出て校長室へ入つて談判を始めた。 「何で私に辞表を出せと云はないんですか」 「へえ?」と狸はあつけに取られて居る。 「堀田には出せ、私には出さないで好ゝと云ふ法がありますか」 「それは学校の方の都合で……」 「其都合が間違つてまさあ。私が出さなくつて済むなら堀田だつて、出す必要はないでせう」 「其辺は説明が出来かねますが――堀田君は去られても已を得んのですが、あなたは辞表を御出しになる必要を認めませんから」  成程狸だ、要領を得ない事ばかり並べて、しかも落ち付き払つてる。おれは仕様がないから 「それぢや私も辞表を出しませう。堀田君一人辞職させて、私が安閑として、留まつて居られると思つて入らつしやるかも知れないが、私にはそんな不人情な事は出来ません」 「それは困る。堀田も去りあなたも去つたら、学校の数学の授業が丸で出来なくなつて仕舞ふから……」 「出来なくなつても私の知つた事ぢやありません」 「君さう我儘を云ふものぢやない、少しは学校の事情も察して呉れなくつちや困る。夫れに、来てから一月立つか立たないのに辞職したと云ふと、君の将来の履歴に関係するから、其辺も少しは考へたらいゝでせう」 「履歴なんか構ふもんですか、履歴より義理が大切です」 「そりや御尤――君の云ふ所は一々御尤だが、わたしの云ふ方も少しは察して下さい。君が是非辞職すると云ふなら辞職されてもいゝから、代りのある迄どうかやつて貰ひたい。とにかく、うちでもう一返考へ直して見て下さい」  考へ直すつて、直し様のない明々白々たる理由だが、狸が蒼くなつたり、赤くなつたりして、可愛想になつたから一と先考へ直す事として引き下がつた。赤シヤツには口もきかなかつた。どうせ遣っ付けるなら塊めて、うんと遣っ付ける方がいゝ。  山嵐に狸と談判した模様を話したら、大方そんな事だらうと思つた。辞表の事はいざとなる迄其儘にして置いても差支あるまいとの話だつたから、山嵐の云ふ通りにした。どうも山嵐の方がおれよりも利巧らしいから万事山嵐の忠告に従ふ事にした。  山嵐は愈辞表を出して、職員一同に告別の挨拶をして浜の港屋迄下つたが、人に知れない様に引き返して、温泉の町の枡屋の面二階へ潜んで、障子へ穴をあけて覗き出した。是を知つてるものはおれ許りだらう。赤シヤツが忍んで来ればどうせ夜だ。しかも宵の口は生徒や其他の目があるから、少なくとも九時過ぎに極つてる。最初の二晩はおれも十一時頃迄張番をしたが、赤シヤツの影も見えない。三日目には九時から十時半迄覗いたが矢張り駄目だ。駄目を踏んで夜なかに下宿へ帰る程馬鹿気た事はない。四五日すると、うちの婆さんが少心配を始めて、奥さんの御有りるのに、夜遊びはおやめたがえゝぞなもしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊が違ふ。こつちのは天に代つて誅戮を加へる夜遊びだ。とは云ふものゝ一週間も通つて、少しも験が見えないと、いやになるもんだ。おれは性急な性分だから、熱心になると徹夜でもして仕事をするが、其代り何によらず長持ちのした試しがない。如何に天誅党でも飽きる事に変りはない。六日目には少々いやになつて、七日目にはもう休まうかと思つた。そこへ行くと山嵐は頑固なものだ。宵から十二時過迄は眼を障子へつけて、角屋の丸ぼやの瓦斯燈の下を睨めつきりである。おれが行くと今日は何人客があつて、泊りが何人、女が何人と色々な統計を示すのには驚ろいた。どうも来ない様ぢやないかと云ふと、うん、慥かに来る筈だがと時々腕組をして溜息をつく。可愛想に、もし赤シヤツが此所へ一度来て来れなければ、山嵐は生涯天誅を加へる事は出来ないのである。  八日目には七時頃から下宿を出て、先づ緩るりと湯に入つて、夫から町で鶏卵を八っ買つた。是は下宿の婆さんの芋責に応ずる策である。其玉子を四つ宛左右の袂へ入れて、例の赤手拭を肩へ乗せて、懐手をしながら、枡屋の楷子段を登つて山嵐の座敷の障子をあけると、おい有望々々と韋駄天の様な顔は急に活気を呈した。昨夜迄は少し塞ぎの気味で、はたで見て居るおれさへ、陰気臭いと思つた位だが、此顔色を見たら、おれも急にうれしくなつて、何も聞かない先から、愉快々々と云つた。 「今夜七時半頃あの小鈴と云ふ芸者が角屋へ這入つた」 「赤シヤツと一所か」 「いゝや」 「それぢや駄目だ」 「芸者は二人づれだが、――どうも有望らしい」 「どうして」 「どうしてつて、あゝ云ふ狡い奴だから、芸者を先へよこして、後から忍んでくるかも知れない」 「さうかも知れない。もう九時だらう」 「今九時十二分許りだ」と帯の間からニツケル製の時計を出して見ながら云つたが「おい洋燈を消せ、障子へ二つ坊主頭が写つては可笑しい。狐はすぐ疑ぐるから」  おれは一貫張の机の上にあつた置き洋燈をふつと吹きけした。星明りで障子丈は少々あかるい。月はまだ出て居ない。おれと山嵐は一生懸命に障子へ面をつけて、息を凝らして居る。チーンと九時半の柱時計が鳴つた。 「おい来るだらうかな。今夜来なければ僕はもう厭だぜ」 「おれは銭のつゞく限りやるんだ」 「銭つていくらあるんだい」 「今日迄で八日分五円六十銭払つた。いつ飛び出しても都合のいゝ様に毎晩勘定するんだ」 「夫は手廻しがいゝ。宿屋で驚いてるだらう」 「宿屋はいゝが、気が放せないから困る」 「其代り昼寐をするだらう」 「昼寐はするが、外出が出来ないんで窮屈で堪らない」 「天誅も骨が折れるな。是で天網恢々疎にして洩らしちまつたり、何かしちや、詰らないぜ」 「なに今夜は屹度くるよ。――おい見ろ/\」と小声になつたから、おれは思はずどきりとした。黒い帽子を戴いた男が、角屋の瓦斯燈を下から見上げた儘暗い方へ通り過ぎた。違つて居る。おや/\と思つた。其うち帳場の時計が遠慮もなく十時を打つた。今夜もとう/\駄目らしい。  世間は大分静かになつた。遊廓で鳴らす太鼓が手に取る様に聞える。月が温泉の山の後からのつと顔を出した。往来はあかるい。すると、下の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突き留める事は出来ないが、段々近付いて来る模様だ。からん/\と駒下駄を引き擦る音がする。眼を斜めにするとやつと二人の影法師が見える位に近付いた。 「もう大丈夫ですね。邪魔ものは追つ払つたから」正しく野だの声である。「強がる許りで策がないから、仕様がない」是は赤シヤツだ。「あの男もべらんめえに似て居ますね。あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊つちやんだから愛嬌がありますよ」「増給がいやだの辞表が出したいのつて、ありやどうしても神経に異状があるに相違ない」おれは窓をあけて、二階から飛び下りて、思ふ様打ちのめして遣らうと思つたが、やつとの事で辛防した。二人はハヽヽヽと笑ひながら、瓦斯燈の下を潜つて、角屋の中へ這入つた。 「おい」 「おい」 「来たぜ」 「とう/\来た」 「是で漸く安心した」 「野だの畜生、おれの事を勇み肌の坊っちやんだと抜かしやがつた」 「邪魔物と云ふのは、おれの事だぜ。失敬千万な」  おれと山嵐は二人の帰路を要撃しなければならない。然し二人はいつ出て来るか見当がつかない。山嵐は下へ行つて今夜ことによると夜中に用事があつて出るかも知れないから、出られる様にして置いてくれと頼んで来た。今思ふと、よく宿のものが承知したものだ。大抵なら泥棒と間違られる所だ。  赤シヤツの来るのを待ち受けたのはつらかつたが、出て来るのを凝として待つてるのは猶つらい。寐る訳には行かないし、始終障子の隙から睨めて居るのもつらいし、どうも、かうも心が落ちつかなくつて、是程難儀な思をした事は未だにない。いつその事角屋へ踏み込んで現場を取つて抑へ様と発議したが、山嵐は一言にして、おれの申し出を斥けた。自分共が今時分飛び込んだつて、乱暴者だと云つて途中で遮られる。訳を話して面会を求めれば居ないと逃げるか、別室へ案内をする。不用意の所へ踏み込めると仮定した所で何十とある座敷のどこに居るか分るものではない、退屈でも出るのを待つより外に策はないと云ふから、漸くの事でとう/\朝の五時迄我慢した。  角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾けた。一番汽車はまだないから、二人とも城下迄あるかなければならない。温泉の町をはづれると一丁許りの杉並木があつて左右は田甫になる。それを通りこすとこゝかしこに藁葺があつて、畠の中を一筋に城下迄通る土手へ出る。町さへはづれゝば、どこで追ひ付いても構はないが、可成なら、人家のない、杉並木で捕まへてやらうと、見えがくれについて来た。町を外れると急に馳け足の姿勢で、はやての様に後ろから、追ひ付いた。何が来たかと驚ろいて振り向く奴を待てと云つて肩に手をかけた。野だは狼狽の気味で逃げ出さうと云ふ景色だつたから、おれが前へ廻つて行手を塞いで仕舞つた。 「教頭の職をもつてるものが何で角屋へ行つて泊つた」と山嵐はすぐ詰りかけた。 「教頭は角屋へ泊つて悪るいと云ふ規則がありますか」と赤シヤツは依然として鄭寧な言葉を使つてる。顔の色は少々蒼い。 「取締上不都合だから、蕎麦屋や団子屋へさへ這入つて行かんと、云ふ位謹直な人が、なぜ芸者と一所に宿屋へとまり込んだ」野だは隙を見ては逃げ出さうとするからおれはすぐ前に立ち塞がつて「べらんめえの坊つちやんた何だ」と怒鳴り付けたら「いえ君の事を云つたんぢやないんです、全くないんです」と鉄面皮に言訳がましい事をぬかした。おれは此時気がついて見たら、両手で自分の袂を握つてる。追つかける時に袂の中の卵がぶら/\して困るから、両手で握りながら来たのである。おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、やつと云ひながら、野だの面へ擲き付けた。玉子がくちやりと割れて鼻の先から黄味がだら/\流れだした。野だは余っ程仰天した者と見えて、わつと言ひながら、尻持をついて、助けて呉れと云つた。おれは食ふ為めに玉子は買つたが、打つける為めに袂へ入れてる訳ではない。只肝癪のあまりに、いつぶつけるともなしに打つけて仕舞つたのだ。然し野だが尻持を突いた所を見て始めて、おれの成功した事に気がついたから、此畜生、此畜生と云ひながら残る六つを無茶苦茶に擲き付けたら、野だは顔中黄色になつた。  おれが玉子をたゝきつけて居るうち、山嵐と赤シヤツはまだ談判最中である。 「芸者を連れて僕が宿屋へ泊つたと云ふ証拠がありますか」 「宵に貴様のなじみの芸者が角屋へ這入つたのを見て云ふ事だ。胡魔化せるものか」 「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊つたのである。芸者が宵に這入らうが、這入るまいが、僕の知つた事ではない」 「だまれ、」と山嵐は拳骨を食はした。赤シヤツはよろ/\したが「是は乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴へるのは無法だ」 「無法で沢山だ」とまたぽかりと撲ぐる。「貴様の様な奸物はなぐらなくつちや、答へないんだ」とぽか/\なぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。仕舞には二人とも杉の根方にうづくまつて動けないのか、眼がちら/\するのか、逃げ様ともしない。 「もう沢山か、沢山でなけりや、まだ撲つてやる」とぽかん/\と両人でなぐつたら、「もう沢山だ」と云つた。野だに貴様も沢山かと聞いたら「無論沢山だ」と答えた。 「貴様等は奸物だから、かうやつて天誅を加へるんだ。これに懲りて以来つゝしむがいゝ。いくら言葉巧みに弁解が立つても正義は許さんぞ」と山嵐が云つたら両人共だまつてゐた。ことによると口をきくのが退儀なのかも知れない。 「おれは逃げも隠れもせん。今夜五時迄は浜の港屋に居る。用があるなら、巡査なりなんなり、よこせ」と山嵐が云ふから、おれも「おれも逃げも隠れもしないぞ。堀田と同じ所に待つてるから警察へ訴へたければ、勝手に訴へろ」と云つて、二人してすた/\あるき出した。  おれが下宿へ帰つたのは七時少し前である。部屋へ這入るとすぐ荷作りを始めたら、婆さんが驚ろいて、どう御しるのぞなもしと聞いた。御婆さん、東京へ行つて奥さんを連れてくるんだと答へて勘定をすまして、すぐ汽車へ乗つて浜へ来て港屋へ着くと、山嵐は二階で寐て居た。おれは早速辞表を書かうと思つたが、何と書いていゝか分らないから、私儀都合有之辞職の上東京へ帰り申候につき左様御承知被下度候以上とかいて校長宛にして郵便で出した。  汽船は夜六時の出帆である。山嵐もおれも疲れて、ぐう/\寐込んで眼が覚めたら、午後二時であつた。下女に巡査は来ないかと聞いたら参りませんと答へた。赤シヤツも野だも訴へなかつたなあと二人で大きに笑つた。  其夜おれと山嵐は此不浄な地を離れた。船が岸を去れば去る程いゝ心持ちがした。神戸から東京迄は直行で新橋へ着いた時は、漸く娑婆へ出た様な気がした。山嵐とはすぐ分れたぎり今日迄逢ふ機会がない。  清の事を話すのを忘れて居た。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げた儘、清や帰つたよと飛び込んだら、あら坊っちやん、よくまあ、早く帰つて来て下さつたと涙をぽた/\と落した。おれも余り嬉しかつたからもう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云つた。  其後ある人の周旋で街鉄の技手になつた。月給は二十五円で、屋賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくつても至極満足の様子であつたが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹つて死んで仕舞つた。死ぬ前日おれを呼んで坊つちやん後生だから清が死んだら、坊っちやんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちやんの来るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。 底本:「漱石全集 第二巻」岩波書店    1994(平成6)年1月10日発行 初出:「ホトトギス 第九巻第七号」ほとゝぎす発行所    1906(明治39)年4月1日発行 ※底本のテキストは、「坊っちやんの原稿複製版」(番町書房、1970(昭和45)年4月15日発行)を翻刻したものです。 ※「一人一人」と「一人々々」、「矢っ張り」と「矢っ張」、「坊っちやん」と「坊ちゃん」と「坊ちやん」、「四っ」と「四つ」、「二っ」と「二つ」、「一つ」と「一っ」、「赤しやつ」と「赤シヤツ」、「麹丁」と「麹町」、「本当」と「ほん当」、「驚いた」と「驚ろいた」、「積」と「積り」、「悪るい」と「悪い」、「夜」と「夜る」、「小供」と「子供」、「来たんだ」と「来んだ」、「そゝっかし」と「そゝつかし」、「話」と「話し」、「追っ払つ」と「追つ払つ」、「夜」と「夜る」、「誰も」と「誰れも」、「夜遊」と「夜遊び」の混在は、底本通りです。 ※〔 〕内の編集部によるルビは省略しました。 ※底本巻末の松村昌家氏・相原和邦氏による注解は省略しました。 入力:岡山勝美 校正:富田晶子 2023年1月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 濁点付き小書き平仮名つ    265-6、269-12、295-14、305-3、348-13、379-1、385-1、386-14    --> 小書き平仮名と    272-10、274-6、291-7、306-12    --> 「月+鼓」、U+81CC    292-1、313-9、338-1    --> ●図書カード 夏目漱石 「額の男」を讀む 「額の男」を讀む 夏目漱石 「それから」を脱稿したから取あへず前約を履行しやうと思つて「額の男」を讀んだ。讀んで仕舞つて愈批評をかく段になると忽ち胃に打撃を受けた。さうして二三日の間は殆ど人と口を利く元氣もない程の苦痛に囚へられた。漸く床の上に起き直つて、小机を蒲團の傍まで引張つて來て胃の膨滿を抑へながら、原稿紙に向かつた時は、もう世の中が秋の色を帶びてゐた。時機を失して著者に對しては甚だ濟まないと思つたが、書かないよりは増しだらうと己惚れて所感を記す事にした。 「額の男」の著者が普通の小説家を以て任ずる人でない事は云ふまでもない。從つて尋常の小説を書く積りで、「額の男」を書いたのでない事丈は誰の目にも明らかである。こゝ迄は此の書を一寸二三頁でも引剥がしたものにはすぐ氣がつく。けれども其れ以上の問題になると中々分からない、「額の男」を通讀して其の批評を書くつもりの余にも述作上にあらはれたる如是閑とは如何なる人で、如何なる意味で此の書を著はして、又何が故にかゝる調子の變つたものを公にして、又何が故に斯う云ふ變り方を選んだものであるか甚だ不明瞭である。それ所ではない。此書の普通の小説と變つてゐる所はどこが特色だらうと思つて、一寸人に説明したくても容易に判然たる即答が浮かんで來ない位である。  して見ると、此の書が普通の小説と、どういう風に違つてゐるといふ箇所を擧げる丈でも既に一角の批評である。決して無益な事とは思はれない。それを極粗末ながら一言で述べて見たい。  普通の小説に於て興味の中心となるものは篇中人物の關係甲が如何にして乙に移り行くかを讀者に指示する所にある。此の關係甲が移らんとして移り得ぬ場合や、又は乙に行くべくして却て丙に行く場合や、又は甲から動いて再び甲に戻る場合は皆此のうちに含まれた特別の場合にある。偖此甲が乙に移るには昔風の運命といふものが手傳ふかも知れない、又今の人が唱へる神祕的な要素が働くかも知れない、或は偶然な外界の事情に制せられるかも知れない、若しくは篇中人物の主義の有無、教育の高低、地位の上下と其の意志の強弱とによつて制せられるかも知れない。  此れ等の要素が入り亂れて、人物がどう動くかといふ有樣を、篤と納得させる樣に書き卸して行く所に、讀者の興味が集中して來るのである。  して見ると普通の小説では、移ると云ふ事が主眼になる。如何に旨く移る、如何に自然に移る、如何に讀者を啓發する樣に移る、如何に讀者を驚かす樣に移る、如何に讀者の頭を屈伏させる樣に必然に移る、――是等が此の興味を圍繞する諸條件である。  所が「額の男」を見ると此の移るといふ事が殆どない。篇中人物の關係は始めから終わり迄略同樣である。よし多少の變化があつても、書中に書いてある諸條件から因果律で押し轉がされて移つたものではない。頁以外から抛げ込まれた外發的の因數で移つて居る。だから「額の男」の興味は、普通の小説のそれの如く、篇中人物の關係甲が乙に移る所に存すとは云はれない。  では「額の男」の興味は何處にあるか、余の見る所では、全く篇中人物の意見其のものゝ興味である。篇中人物の意見と云ふ意味は、まあ斯うである。――普通の小説の中で第一流の作と稱せられるものゝうちでも篇中人物の抱いてゐる意見丈拾つて讀むと極めて詰らないものがある。それはその筈で、隨分下等社會の勞働者や、山の中の無教育ものが雄篇大作の主人公にならんとは限らぬからである。必竟は以上述べた理由で、普通の小説の面白味は篇中人物の意見で左迄に支配されないからそんな事は第二義第三義に落ちて仕舞ふのである。だから若し昔風の婆さんや姐さん、もしくは裏店の神さん、もしくは黒人上りの女房抔を捕へるとすると、其の會話の内容は自然貧弱でなければならない。唯其の貧弱な會話が、前後相竢つて始めて人間として有意義な一種の響きを傳へるからそれで凡てが償はれるのである。  もし其の斷片的の意見(會話にあらはれたる)を拾つて其の價値を穿鑿したら實に馬鹿氣たものになつて仕舞ふ。  所が「額の男」に出て來る會話――しかも此會話は常に人物の意見を代表する以外に何事をも進行させてゐないが此の會話は會話としてそれ丈に色彩がある。無論意見としての色彩だから他の色彩と混同してはならんが、あんなに社會上、人事上、學問上に於て意見を持つた人が寄り合つて、さうして始めから仕舞迄意見の交換を遣つて居る小説はあるまい。さうして其意見が悉く奇拔なひねくれたもの許りである。眼新しい耳新しいもの許りである。「額の男」の興味は全く此連續した一調子變つた意見から出る刺激だと云はなければならない。  余は此の連續不斷の意見を逐一に讀みながら、深く如是閑君の才氣の煥發縱横なるに感服した一人である。他の作家をして片言隻句すら容易に纏めしむる餘裕を與へぬ先に如是閑君は滔々として常人の思も寄らぬ事を、五頁でも六頁でも繋げて行く、實に驚くべき才力である。  然し一言如是閑君に忠告したい。あの意見は、世の中を傍觀する、頭腦的な遊藝に似た所がある。ヰツトは無論あり餘る程あるが、惜しいかな眞正の意味に於いての眞理、摯實なる觀察としての概括とはどうも受けとり惡い。  いくら社會上人事上重大な問題に渉つても、派出で華奢な感が先へ立つてならない。無論さう云ふ場所も場面も必要には相違なかろうが「額の男」はあまりに其の色彩で蹂躙されて居る。  だから讀者の方では、難有い教訓を得て啓發されたと思ふよりも、やあ又面白く地口たな才子だなと感ずる。又警句を吐いて人を驚かさうとして居るものと考へる。  尤も此警句の中には決して安つぽいもの許はない。且君の學問の範圍、知識の領域に至つては我々老生をして眞に感服せしむる丈の素養は十分認められるが如何にせん一面から話すと以上の弊を帶びてゐる樣な氣がするから己むを得ない。  もう一つ申したいのは、――普通の小説でも篇中の人物が中々意見家である場合がある。其の意見家の場合が單に意見として興味を惹く場合は如是閑君の場合と同一であるが、其の時は此の意見なるものは單に裝飾的道具に使用されてゐる。だから小説の本義とは殆ど沒交渉である。最前述べた、小説の興味の中心に影響してくる樣な意見になると、單なる意見では濟まなくなる。其の人物の意見が篇中人物の關係を動かして來なくてはならなくなる。言葉を換へていふと、意見が人物の頭の奧へ飛び込んで其處で、一仕事しでかさなければ效目がなくなつてくる。斯うなつた時に、平面で敍述された意見が漸く立方體に變化して奧行きのある樣な心持ちがするのである。余は如是閑君の篇中の人物の取り/″\に面白い意見を面白いと思つたから讀んだにも拘わらず其意見は遂に仕舞迄平面でのべつに平たい感じがした。それは全く此の原因だらふと思ふ。然し既に普通の小説でないと斷りながら、普通の小説の資格を以て再び「額の男」に向ふのは我ながら矛盾である。たゞ是は如是閑君の御參考に申す迄である。  以上は「額の男」を讀んだ時の感じを後から考へて理窟を附したものである。斯う明らさまに理窟を附けてみると、如是閑君に濟まない樣な失禮な箇條も出て來たが仕方がない。我々批評家は好い加減な事を云つて作家に媚びるよりも、自分の思ひ通りを、作家の前に披瀝して、潔く罪を作家に得た方が自分に對しても作家に對しても義務ある所爲と考へる。  夫れから余も批評もやるが創作もやる。此の「額の男」の批評中で移して余自身の小説の上に持つて來て非難しても構はないものもあるかも知れない。如是閑君も其の邊は御容赦あつて、一體御前の小説は何うだ抔と遣り込められざらん事を希望する。 ――明治四二、九、五『大阪朝日新聞』―― 底本:「漱石全集 第十一卷 評論 雜篇」岩波書店    1966(昭和41)年10月24日第1刷発行    1975(昭和50)年10月9日第2刷発行 初出:「大阪朝日新聞」    1909(明治42)年9月5日 入力:ちゃお 校正:笹平健一 2010年12月5日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 京に着ける夕 京に着ける夕 夏目漱石  汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七條のプラツトフオームの上に振り落す。余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱつと吐いて、暗い國へ轟と去つた。  唯さへ京は淋しい所である。原に眞葛、川に加茂、山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく昔の儘の原と川と山である。昔の儘の原と川と山の間にある、一條、二條、三條をつくして、九條に至つても十條に至つても、皆昔の儘である。數へて百條に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しからう。此の淋しい京を、春寒の宵に、疾く走る汽車から會釋なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が盡きて、家が盡きて、燈が盡きる北の果迄通らねばならぬ。 「遠いよ」と主人が後から云ふ。「遠いぜ」と居士が前から云ふ。余は中の車に乘つて顫へてゐる。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思はなかつた。昨日迄は擦れ合ふ身體から火花が出て、むく/\と血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて總身に浸み出はせぬかと感じた。東京は左程に烈しい所である。此の刺激の強い都を去つて、突然と太古の京へ飛び下りた余は、恰も三伏の日に照り附けられた燒石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだ樣なものだ。余はしゆつと云ふ音と共に、倏忽とわれを去る熱氣が、靜なる[#「靜なる」は底本では「静なる」]京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。 「遠いよ」と云つた人の車と、「遠いぜ」と云つた人の車と、顫へて居る余の車は長き轅を長く連ねて、狹く細い路を北へ北へと行く。靜かな夜を、聞かざるかと輪を鳴らして行く。鳴る音は狹き路を左右に遮られて、高く空に響く。かんからゝん、かんからゝん、と云ふ。石に逢へばかゝん、かゝらんと云ふ。陰氣な音ではない。然し寒い響である。風は北から吹く。  細い路を窮屈に兩側から仕切る家は悉く黒い。戸は殘りなく鎖されてゐる。所々の軒下に大きな小田原提燈が見える。赤くぜんざいとかいてある。人氣のない軒下にぜんざいは抑も何を待ちつゝ赤く染まつて居るのかしらん。春寒の夜を深み、加茂川の水さへ死ぬ頃を見計らつて桓武天皇の亡魂でも食ひに來る氣かも知れぬ。  桓武天皇の御宇に、ぜんざいが軒下に赤く染め拔かれてゐたかは、わかり易からぬ歴史上の疑問である。然し赤いぜんざいと京都とは到底離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召し給へる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁で互に結びつけられて居る。始めて京都に來たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規と一所であつた。麩屋町の柊屋とか云ふ家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映つたのは、此の赤いぜんざいの大提燈である。此の大提燈を見て、余は何故か是れが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至る迄決して動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が當時に受けた第一印象で又最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食つた事がない。實はぜんざいの何物たるかをさへ辨へぬ。汁粉であるか小豆で[#「小豆で」は底本では「煮小豆で」]あるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稻妻の迅かなる閃きのうちに思ひ出す。同時に――あゝ子規は[#「あゝ子規は」は底本では「あの子規は」]死んで仕舞つた。絲瓜の如く干枯びて死んで仕舞つた。――提燈は未だに暗い軒下にぶらぶらしてゐる。余は寒い首を縮めて京都を南から北へ拔ける。  車はかんからゝんに桓武天皇の亡魂を驚かし奉つて、しきりに馳ける。前なる居士は默つて乘つて居る。後なる主人も言葉をかける氣色がない。車夫は只細長い通りを何處迄もかんからゝんと北へ走る。成程遠い。遠い程風に當らねばならぬ。馳ける程顫へねばならぬ。余の膝掛と洋傘とは余が汽車から振り落されたとき居士が拾つて仕舞つた。洋傘は拾はれても雨が降らねば入らぬ。此の寒いのに膝掛を拾はれては東京を出るとき二十二圓五十錢を奮發した甲斐がない。  子規と來たときは斯樣に寒くはなかつた。子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行いた事を記憶してゐる。其の時子規はどこからか夏蜜柑を買うて來て、之を一つ食へと云つて余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房毎に裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようて居ると、いつの間にやら幅一間位の小路に出た。此の小路の左右に並ぶ[#「並ぶ」は底本では「竝ぶ」]家には門並方一尺許りの穴を戸にあけてある。さうして其の穴の中から、もし/\と云ふ聲がする。始めは偶然だと思うてゐたが行く程に、穴のある程に、申し合せた樣に、左右の穴からもし/\と云ふ。知らぬ顏をして行き過ぎると穴から手を出して捕まへさうに烈しい呼び方をする。子規を顧みて何だと聞くと妓樓だと答へた。余は夏蜜柑を食ひながら、目分量で一間幅の道路を中央から等分して、其の等分した線の上を、綱渡りをする氣分で、不偏不黨に練つて行つた。穴から手を出して制服の尻でも捕まへられては容易ならんと思つたからである。子規は笑つて居た。膝掛をとられて顫へてゐる今の余を見たら、子規は又笑ふであらう。然し死んだものは笑ひたくても、顫へてゐるものは笑はれたくても、相談にはならん。  かんからゝんは長い橋の袂を左へ切れて長い橋を一つ渡つて、ほのかに見える白い河原を越えて、藁葺とも思はれる不揃な家の間を通り拔けて、梶棒を横に切つたと思つたら、四抱か五抱もある大樹の幾本となく提燈の火にうつる鼻先で、ぴたりと留まつた。寒い町を通り拔けて、よくよく寒い所へ來たのである。遙なる頭の上に見上げる空は、枝の爲に遮られて、手の平程の奧に料峭たる星の影がきらりと光を放つた時、余は車を降りながら、元來何處へ寢るのだらうと考へた。 「是れが加茂の森だ」と主人が云ふ。「加茂の森がわれ/\の庭だ」と居士が云ふ。大樹を繞ぐつて、逆に戻ると玄關に燈が見える。成程家があるなと氣がついた。  玄關に待つ野明さんは坊主頭である。臺所から首を出した爺さんも坊主頭である。主人は哲學者である。居士は洪川和尚の會下である。さうして家は森の中にある。後は竹藪である。顫へながら飛び込んだ客は寒がりである。  子規と來て、ぜんざいと京都を同じものと思つたのはもう十五六年の昔になる。夏の夜の月圓きに乘じて、清水の堂を徘徊して、明かならぬ夜の色をゆかしきものゝ樣に、遠く眼を微茫の底に放つて、幾點の紅燈に夢の如く柔かなる空想を縱まゝに醉はしめたるは、制服の釦を眞鍮と知りつゝも、黄金と強ひたる時代である。眞鍮は眞鍮と悟つたとき、われ等は制服を捨てゝ赤裸の儘世の中へ飛び出した。子規は血を嘔いて新聞屋となる、余は尻を端折つて西國へ出奔する。御互の世は御互に物騷になつた。物騷の極子規はとう/\骨になつた。其の骨も今は腐れつゝある。子規の骨が腐れつゝある今日に至つて、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋にならうとは思はなかつたらう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに來たと聞いたら、圓山へ登つた時を思ひ出しはせぬかと云ふだらう。新聞屋になつて、糺の森の奧に、哲學者と、禪居士と、若い坊主頭と、古い坊主頭と、一所に、[#「一所に、」は底本では「一所に」]ひつそり閑と暮して居ると聞いたら、それはと驚くだらう。矢つ張り氣取つてゐるんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であつた。  若い坊さんが「御湯に御這入り」と云ふ。主人と居士は余が顫へてゐるのを見兼ねて「公、まづ這入れ」と云ふ。加茂の水の透き徹るなかに全身を[#「全身を」は底本では「全體を」]浸けたときは齒の根が合はぬ位であつた。湯に入つて顫へたものは古往今來澤山あるまいと思ふ。湯から出たら「公先づ眠れ」と云ふ。若い坊さんが厚い蒲團を十二疊の部屋に擔ぎ込む。「郡内か」と聞いたら「太織だ」と[#「「太織だ」と」は底本では「「太織」だと」]答へた。「公の爲に新調したのだ」と説明がある上は安心して、わがものと心得て、差支なしと考へた故、御免を蒙つて寢る。  寢心地は頗る嬉しかつたが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、悉く蒲團なので肩のあたりへ糺の森の風がひやり/\と吹いて來る。車に寒く、湯に寒く、果は蒲團に迄寒かつたのは心得ぬ。京都では袖のある夜着はつくらぬものゝ由を主人から承つて、京都はよく/\人を寒がらせる所だと思ふ。  眞夜中頃に、枕頭の違棚に据ゑてある、四角の紫檀製の枠に嵌め込まれた十八世紀の置時計が、チーンと銀椀を[#「銀椀を」は底本では「銀椀の」]象牙の箸で打つ樣な音を立てゝ鳴つた。夢のうちに此の響を聞いて、はつと眼を醒ましたら、時計はとくに鳴り已んだが、頭のなかはまだ鳴つてゐる。しかも其の鳴りかたが、次第に細く、次第に遠く、次第に濃かに、耳から、耳の奧へ、耳の奧から、腦のなかへ、腦のなかから、心の底へ浸み渡つて、心の底から、心のつながる所で、しかも心の尾いて行く事の出來ぬ、遐かなる國へ拔け出して行く樣に思はれた。此涼しき鈴の音が、わが肉體を貫いて、わが心を透して無限の幽境に赴くからは、身も魂も氷盤の如く清く、雪甌の如く冷かでなくてはならぬ。太織の夜具のなかなる余は愈寒かつた。  曉は高い欅の梢に鳴く烏で再度の夢を破られた。此の烏はかあとは鳴かぬ。きやけえ、くうと曲折して鳴く。單純なる烏ではない。への字烏、くの字烏である。加茂の明神がかく鳴かしめて、うき我れをいとゞ寒がらしめ玉ふの神意かも知れぬ。  かくして太織の蒲團を離れたる余は、顫へつゝ窓を開けば、依稀たる細雨は、濃かに糺の森を罩めて、糺の森はわが家を遶りて、わが家の寂然たる十二疊は、われを封じて、余は幾重ともなく寒いものに取り圍まれてゐた。 春寒の社頭に鶴を夢みけり 底本:「現代紀行文學全集 第四卷 西日本篇」修道社    1958(昭和33)年4月15日発行 初出:「大阪朝日新聞」    1907(明治40)年4月9日~11日 ※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。 入力:岡村和彦 校正:きりんの手紙 2019年1月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 それから それから 夏目漱石 一  誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。  枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちている。代助は昨夕床の中で慥かにこの花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣が静かな所為かとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはずれに正しく中る血の音を確かめながら眠に就いた。  ぼんやりして、少時、赤ん坊の頭程もある大きな花の色を見詰めていた彼は、急に思い出した様に、寐ながら胸の上に手を当てて、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈を聴いてみるのは彼の近来の癖になっている。動悸は相変らず落ち付いて確に打っていた。彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像してみた。これが命であると考えた。自分は今流れる命を掌で抑えているんだと考えた。それから、この掌に応える、時計の針に似た響は、自分を死に誘う警鐘の様なものであると考えた。この警鐘を聞くことなしに生きていられたなら、――血を盛る袋が、時を盛る袋の用を兼ねなかったなら、如何に自分は気楽だろう。如何に自分は絶対に生を味わい得るだろう。けれども――代助は覚えずぞっとした。彼は血潮によって打たるる掛念のない、静かな心臓を想像するに堪えぬ程に、生きたがる男である。彼は時々寐ながら、左の乳の下に手を置いて、もし、此所を鉄槌で一つ撲されたならと思う事がある。彼は健全に生きていながら、この生きているという大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さえある。  彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中から両手を出して、大きく左右に開くと、左側に男が女を斬っている絵があった。彼はすぐ外の頁へ眼を移した。其所には学校騒動が大きな活字で出ている。代助は、しばらく、それを読んでいたが、やがて、惓怠そうな手から、はたりと新聞を夜具の上に落した。それから烟草を一本吹かしながら、五寸ばかり布団を摺り出して、畳の上の椿を取って、引っ繰り返して、鼻の先へ持って来た。口と口髭と鼻の大部分が全く隠れた。烟りは椿の弁と蕊に絡まって漂う程濃く出た。それを白い敷布の上に置くと、立ち上がって風呂場へ行った。  其所で叮嚀に歯を磨いた。彼は歯並の好いのを常に嬉しく思っている。肌を脱いで綺麗に胸と脊を摩擦した。彼の皮膚には濃かな一種の光沢がある。香油を塗り込んだあとを、よく拭き取った様に、肩を揺かしたり、腕を上げたりする度に、局所の脂肪が薄く漲って見える。かれはそれにも満足である。次に黒い髪を分けた。油を塗けないでも面白い程自由になる。髭も髪同様に細くかつ初々しく、口の上を品よく蔽うている。代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映していた。まるで女が御白粉を付ける時の手付と一般であった。実際彼は必要があれば、御白粉さえ付けかねぬ程に、肉体に誇を置く人である。彼の尤も嫌うのは羅漢の様な骨骼と相好で、鏡に向うたんびに、あんな顔に生れなくって、まあ可かったと思う位である。その代り人から御洒落と云われても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えている。  約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜りながら焼麺麭に牛酪を付けていると、門野と云う書生が座敷から新聞を畳んで持って来た。四つ折りにしたのを座布団の傍へ置きながら、 「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。この書生は代助を捕まえては、先生々々と敬語を使う。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへへへ、だって先生と、すぐ先生にしてしまうので、已を得ずそのままにして置いたのが、いつか習慣になって、今では、この男に限って、平気に先生として通している。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云うことを、書生を置いてみて、代助も始めて悟ったのである。 「学校騒動の事じゃないか」と代助は落付いた顔をして麺麭を食っていた。 「だって痛快じゃありませんか」 「校長排斥がですか」 「ええ、到底辞職もんでしょう」と嬉しがっている。 「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事でもあるんですか」 「冗談云っちゃ不可ません。そう損得ずくで、痛快がられやしません」  代助はやっぱり麺麭を食っていた。 「君、あれは本当に校長が悪らしくって排斥するのか、他に損得問題があって排斥するのか知ってますか」と云いながら鉄瓶の湯を紅茶茶碗の中へ注した。 「知りませんな。何ですか、先生は御存じなんですか」 「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得にならないと思って、あんな騒動をやるもんかね。ありゃ方便だよ、君」 「へえ、そんなもんですかな」と門野は稍真面目な顔をした。代助はそれぎり黙ってしまった。門野はこれより以上通じない男である。これより以上は、いくら行っても、へえそんなもんですかなで押し通して澄ましている。此方の云うことが応えるのだか、応えないのだかまるで要領を得ない。代助は、其所が漠然として、刺激が要らなくって好いと思って書生に使っているのである。その代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日ごろごろしている。君、ちっと、外国語でも研究しちゃどうだなどと云う事がある。すると門野は何時でも、そうでしょうか、とか、そんなもんでしょうか、とか答えるだけである。決して為ましょうという事は口にしない。又こう、怠惰ものでは、そう判然した答が出来ないのである。代助の方でも、門野を教育しに生れて来た訳でもないから、好加減にして放って置く。幸い頭と違って、身体の方は善く動くので、代助はそこを大いに重宝がっている。代助ばかりではない、従来からいる婆さんも門野の御蔭でこの頃は大変助かる様になった。その原因で婆さんと門野とは頗る仲が好い。主人の留守などには、よく二人で話をする。 「先生は一体何を為る気なんだろうね。小母さん」 「あの位になっていらっしゃれば、何でも出来ますよ。心配するがものはない」 「心配はせんがね。何か為たら好さそうなもんだと思うんだが」 「まあ奥様でも御貰いになってから、緩っくり、御役でも御探しなさる御積りなんでしょうよ」 「いい積りだなあ。僕も、あんな風に一日本を読んだり、音楽を聞きに行ったりして暮していたいな」 「御前さんが?」 「本は読まんでも好いがね。ああ云う具合に遊んでいたいね」 「それはみんな、前世からの約束だから仕方がない」 「そんなものかな」  まずこう云う調子である。門野が代助の所へ引き移る二週間前には、この若い独身の主人と、この食客との間に下の様な会話があった。 「君は何方の学校へ行ってるんですか」 「もとは行きましたがな。今は廃めちまいました」 「もと、何処へ行ったんです」 「何処って方々行きました。然しどうも厭きっぽいもんだから」 「じき厭になるんですか」 「まあ、そうですな」 「で、大して勉強する考えもないんですか」 「ええ、一寸有りませんな。それに近頃家の都合が、あんまり好くないもんですから」 「家の婆さんは、あなたの御母さんを知ってるんだってね」 「ええ、もと、直近所に居たもんですから」 「御母さんはやっぱり……」 「やっぱりつまらない内職をしているんですが、どうも近頃は不景気で、余まり好くない様です」 「好くない様ですって、君、一所に居るんじゃないですか」 「一所に居ることは居ますが、つい面倒だから聞いた事もありません。何でも能くこぼしてる様です」 「兄さんは」 「兄は郵便局の方へ出ています」 「家はそれだけですか」 「まだ弟がいます。これは銀行の――まあ小使に少し毛の生えた位な所なんでしょう」 「すると遊んでるのは、君ばかりじゃないか」 「まあ、そんなもんですな」 「それで、家にいるときは、何をしているんです」 「まあ、大抵寐ていますな。でなければ散歩でも為ますかな」 「外のものが、みんな稼いでるのに、君ばかり寐ているのは苦痛じゃないですか」 「いえ、そうでもありませんな」 「家庭が余っ程円満なんですか」 「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」 「だって、御母さんや兄さんから云ったら、一日も早く君に独立して貰いたいでしょうがね」 「そうかも知れませんな」 「君は余っ程気楽な性分と見える。それが本当の所なんですか」 「ええ、別に嘘を吐く料簡もありませんな」 「じゃ全くの呑気屋なんだね」 「ええ、まあ呑気屋って云うもんでしょうか」 「兄さんは何歳になるんです」 「こうっと、取って六になりますか」 「すると、もう細君でも貰わなくちゃならないでしょう。兄さんの細君が出来ても、やっぱり今の様にしている積りですか」 「その時に為ってみなくっちゃ、自分でも見当が付きませんが、何しろ、どうか為るだろうと思ってます」 「その外に親類はないんですか」 「叔母が一人ありますがな。こいつは今、浜で運漕業をやってます」 「叔母さんが?」 「叔母が遣ってる訳でもないんでしょうが、まあ叔父ですな」 「其所へでも頼んで使って貰っちゃ、どうです。運漕業なら大分人が要るでしょう」 「根が怠惰もんですからな。大方断わるだろうと思ってるんです」 「そう自任していちゃ困る。実は君の御母さんが、家の婆さんに頼んで、君を僕の宅へ置いてくれまいかという相談があるんですよ」 「ええ、何だかそんな事を云ってました」 「君自身は、一体どう云う気なんです」 「ええ、なるべく怠けない様にして……」 「家へ来る方が好いんですか」 「まあ、そうですな」 「然し寐て散歩するだけじゃ困る」 「そりゃ大丈夫です。身体の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」 「風呂は水道があるから汲まないでも可い」 「じゃ、掃除でもしましょう」  門野はこう云う条件で代助の書生になったのである。  代助はやがて食事を済まして、烟草を吹かし出した。今まで茶箪笥の陰に、ぽつねんと膝を抱えて柱に倚り懸っていた門野は、もう好い時分だと思って、又主人に質問を掛けた。 「先生、今朝は心臓の具合はどうですか」  この間から代助の癖を知っているので、幾分か茶化した調子である。 「今日はまだ大丈夫だ」 「何だか明日にも危しくなりそうですな。どうも先生みた様に身体を気にしちゃ、――仕舞には本当の病気に取っ付かれるかも知れませんよ」 「もう病気ですよ」  門野は只へええと云ったぎり、代助の光沢の好い顔色や肉の豊かな肩のあたりを羽織の上から眺めている。代助はこんな場合になると何時でもこの青年を気の毒に思う。代助から見ると、この青年の頭は、牛の脳味噌で一杯詰っているとしか考えられないのである。話をすると、平民の通る大通りを半町位しか付いて来ない。たまに横町へでも曲ると、すぐ迷児になってしまう。論理の地盤を竪に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼の神経系に至っては猶更粗末である。あたかも荒縄で組み立てられたるかの感が起る。代助はこの青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さえある。それでいて彼は平気にのらくらしている。しかもこののらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞たがる。その上頑強一点張りの肉体を笠に着て、却って主人の神経的な局所へ肉薄して来る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払う租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となった報に受ける不文の刑罰である。これ等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為れた。否、ある時はこれ等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さえある。門野にはそんな事はまるで分らない。 「門野さん、郵便は来ていなかったかね」 「郵便ですか。こうっと。来ていました。端書と封書が。机の上に置きました。持って来ますか」 「いや、僕が彼方へ行っても可い」  歯切れのわるい返事なので、門野はもう立ってしまった。そうして端書と郵便を持って来た。端書は、今日二時東京着、ただちに表面へ投宿、取敢えず御報、明日午前会いたし、と薄墨の走り書の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋の名と平岡常次郎という差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。 「もう来たのか、昨日着いたんだな」と独り言の様に云いながら、封書の方を取り上げると、これは親爺の手蹟である。二三日前帰って来た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、この手紙が着いたら来てくれろと書いて、あとには京都の花がまだ早かったの、急行列車が一杯で窮屈だったなどという閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べていた。 「君、電話を掛けてくれませんか。家へ」 「はあ、御宅へ。何て掛けます」 「今日は約束があって、待ち合せる人があるから上がれないって。明日か明後日きっと伺いますからって」 「はあ。何方に」 「親爺が旅行から帰って来て、話があるから一寸来いって云うんだが、――何親爺を呼び出さないでも可いから、誰にでもそう云ってくれ給え」 「はあ」  門野は無雑作に出て行った。代助は茶の間から、座敷を通って書斎へ帰った。見ると、奇麗に掃除が出来ている。落椿も何所かへ掃き出されてしまった。代助は花瓶の右手にある組み重ねの書棚の前へ行って、上に載せた重い写真帖を取り上げて、立ちながら、金の留金を外して、一枚二枚と繰り始めたが、中頃まで来てぴたりと手を留めた。其所には二十歳位の女の半身がある。代助は眼を俯せて凝と女の顔を見詰めていた。 二  着物でも着換えて、此方から平岡の宿を訪ね様かと思っている所へ、折よく先方から遣って来た。車をがらがらと門前まで乗り付けて、此所だ此所だと梶棒を下さした声は慥かに三年前分れた時そっくりである。玄関で、取次の婆さんを捕まえて、宿へ蟇口を忘れて来たから、一寸二十銭貸してくれと云った所などは、どうしても学校時代の平岡を思い出さずにはいられない。代助は玄関まで馳け出して行って、手を執らぬばかりに旧友を座敷へ上げた。 「どうした。まあ緩くりするが好い」 「おや、椅子だね」と云いながら平岡は安楽椅子へ、どさりと身体を投げ掛けた。十五貫目以上もあろうと云うわが肉に、三文の価値を置いていない様な扱かい方に見えた。それから椅子の脊に坊主頭を靠たして、一寸部屋の中を見廻しながら、 「中々、好い家だね。思ったより好い」と賞めた。代助は黙って巻莨入の蓋を開けた。 「それから、以後どうだい」 「どうの、こうのって、――まあ色々話すがね」 「もとは、よく手紙が来たから、様子が分ったが、近頃じゃ些とも寄さないもんだから」 「いや何所も彼所も御無沙汰で」と平岡は突然眼鏡を外して、脊広の胸から皺だらけの手帛を出して、眼をぱちぱちさせながら拭き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝とその様子を眺めていた。 「僕より君はどうだい」と云いながら、細い蔓を耳の後へ絡みつけに、両手で持って行った。 「僕は相変らずだよ」 「相変らずが一番好いな。あんまり相変るものだから」  そこで平岡は八の字を寄せて、庭の模様を眺め出したが、不意に語調を更えて、 「やあ、桜がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違う」と云った。話の具合が何だか故の様にしんみりしない。代助も少し気の抜けた風に、 「向うは大分暖かいだろう」と序同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法外に熱した具合で、 「うん、大分暖かい」と力の這入った返事があった。あたかも自己の存在を急に意識して、はっと思った調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨に火を点けた。その時婆さんが漸く急須に茶を淹れて持って出た。今しがた鉄瓶に水を注してしまったので、煮立るのに暇が入って、つい遅くなって済みませんと言訳をしながら、洋卓の上へ盆を載せた。二人は婆さんの喋舌てる間、紫檀の盆を見て黙っていた。婆さんは相手にされないので、独りで愛想笑いをして座敷を出た。 「ありゃ何だい」 「婆さんさ。雇ったんだ。飯を食わなくっちゃならないから」 「御世辞が好いね」  代助は赤い唇の両端を、少し弓なりに下の方へ彎げて蔑む様に笑った。 「今までこんな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」 「君の家から誰か連れて来れば好のに。大勢いるだろう」 「みんな若いのばかりでね」と代助は真面目に答えた。平岡はこの時始めて声を出して笑った。 「若けりゃ猶結構じゃないか」 「とにかく家の奴は好くないよ」 「あの婆さんの外に誰かいるのかい」 「書生が一人いる」  門野は何時の間にか帰って、台所の方で婆さんと話をしていた。 「それぎりかい」 「それぎりだ。何故」 「細君はまだ貰わないのかい」  代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になった。 「妻を貰ったら、君の所へ通知位する筈じゃないか。それよりか君の」と云いかけて、ぴたりと已めた。  代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業して後、一年間というものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。その時分は互に凡てを打ち明けて、互に力に為り合う様なことを云うのが、互に娯楽の尤もなるものであった。この娯楽が変じて実行となった事も少なくないので、彼等は双互の為めに口にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでいると確信していた。そうしてその犠牲を即座に払えば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云う陳腐な事実にさえ気が付かずにいた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤めている銀行の、京坂地方のある支店詰になった。代助は、出立の当時、新夫婦を新橋の停車場に送って、愉快そうに、直帰って来給えと平岡の手を握った。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云ったが、その眼鏡の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急にこの友達を憎らしく思った。家へ帰って、一日部屋へ這入ったなり考え込んでいた。嫂を連れて音楽会へ行く筈の所を断わって、大いに嫂に気を揉ました位である。  平岡からは断えず音便があった。安着の端書、向うで世帯を持った報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あった。手紙の来るたびに、代助は何時も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書くときは、何時でも一種の不安に襲われる。たまには我慢するのが厭になって、途中で返事を已めてしまう事がある。ただ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来る場合に限って、安々と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。  そのうち段々手紙の遣り取りが疎遠になって、月に二遍が、一遍になり、一遍が又二月、三月に跨がる様に間を置いて来ると、今度は手紙を書かない方が、却って不安になって、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為に封筒の糊を湿す事があった。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭も胸も段々組織が変って来る様に感ぜられて来た。この変化に伴って、平岡へは手紙を書いても書かなくっても、まるで苦痛を覚えない様になってしまった。現に代助が一戸を構えて以来、約一年余と云うものは、この春年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らしただけである。  それでも、ある事情があって、平岡の事はまるで忘れる訳には行かなかった。時々思い出す。そうして今頃はどうして暮しているだろうと、色々に想像してみる事がある。然しただ思い出すだけで、別段問い合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日まで過して来た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。その手紙には近々当地を引き上げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思ってくれては困る。少し考があって、急に職業替をする気になったから、着京の上は何分宜しく頼むとあった。この何分宜しく頼むの頼むは本当の意味の頼むか、又は単に辞令上の頼むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあったのは争うべからざる事実である。代助はその時はっと思った。  それで、逢うや否やこの変動の一部始終を聞こうと待設けていたのだが、不幸にして話が外れて容易に其所へ戻って来ない。折を見て此方から持ち掛けると、まあ緩っくり話すとか何とか云って、中々埒を開けない。代助は仕方なしに、仕舞に、 「久し振りだから、其所いらで飯でも食おう」と云い出した。平岡は、それでも、まだ、何れ緩くりを繰返したがるのを、無理に引張って、近所の西洋料理へ上った。  両人は其所で大分飲んだ。飲む事と食う事は昔の通りだねと言ったのが始りで、硬い舌が段々弛んで来た。代助は面白そうに、二三日前自分の観に行った、ニコライの復活祭の話をした。御祭が夜の十二時を相図に、世の中の寐鎮まる頃を見計って始る。参詣人が長い廊下を廻って本堂へ帰って来ると、何時の間にか幾千本の蝋燭が一度に点いている。法衣を着た坊主が行列して向うを通るときに、黒い影が、無地の壁へ非常に大きく映る。――平岡は頬杖を突いて、眼鏡の奥の二重瞼を赤くしながら聞いていた。代助はそれから夜の二時頃広い御成街道を通って、深夜の鉄軌が、暗い中を真直に渡っている上を、たった一人上野の森まで来て、そうして電燈に照らされた花の中に這入った。 「人気のない夜桜は好いもんだよ」と云った。平岡は黙って盃を干したが、一寸気の毒そうに口元を動かして、 「好いだろう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似が出来る間はまだ気楽なんだよ。世の中へ出ると、中々それどころじゃない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云った。代助にはその調子よりもその返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考えている。其所でこんな答をした。 「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思っている。苦痛があるだけじゃないか」  平岡は酔った眼を心持大きくした。 「大分考えが違って来た様だね。――けれどもその苦痛が後から薬になるんだって、もとは君の持説じゃなかったか」 「そりゃ不見識な青年が、流俗の諺に降参して、好加減な事を云っていた時分の持説だ。もう、とっくに撤回しちまった」 「だって、君だって、もう大抵世の中へ出なくっちゃなるまい。その時それじゃ困るよ」 「世の中へは昔から出ているさ。ことに君と分れてから、大変世の中が広くなった様な気がする。ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ」 「そんな事を云って威張ったって、今に降参するだけだよ」 「無論食うに困る様になれば、何時でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を甞めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」  平岡の眉の間に、一寸不快の色が閃めいた。赤い眼を据えてぷかぷか烟草を吹かしている。代助は、ちと云い過ぎたと思って、少し調子を穏やかにした。―― 「僕の知ったものに、まるで音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寐ている。だから何所に音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞きに行く機会がない。つまり楽という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から云わせると、これ程憐れな無経験はないと思う。麺麭に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者の積りだ」  平岡は巻莨の灰を、皿の上にはたきながら、沈んだ暗い調子で、 「うん、何時までもそう云う世界に住んでいられれば結構さ」と云った。その重い言葉の足が、富に対する一種の呪詛を引き摺っている様に聴えた。  両人は酔って、戸外へ出た。酒の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにいる。 「少し歩かないか」と代助が誘った。平岡も口程忙がしくはないと見えて、生返事をしながら、一所に歩を運んで来た。通を曲って横町へ出て、なるべく、話の為好い閑な場所を選んで行くうちに、何時か緒口が付いて、思うあたりへ談柄が落ちた。  平岡の云う所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいてみた。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しようと思った位であったが、地位がそれ程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭の中に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時も取り合わなかった。むずかしい理窟などを持ち出すと甚だ御機嫌が悪い。青二才に何が分るものかと云う様な風をする。その癖自分は実際何も分っていないらしい。平岡から見ると、その相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくって、寧ろ相手にするのが怖いからの様に思われた。其所に平岡の癪はあった。衝突しかけた事も一度や二度ではない。  けれども、時日を経過するに従って、肝癪が何時となく薄らいできて、次第に自分の頭が、周囲の空気と融和する様になった。又なるべくは、融和する様に力めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変って来た。時々は向うから相談をかける事さえある。すると学校を出たての平岡でないから、先方に解らない、かつ都合のわるいことはなるべく云わない様にして置く。 「無暗に御世辞を使ったり、胡麻を摺るのとは違うが」と平岡はわざわざ断った。代助は真面目な顔をして、「そりゃ無論そうだろう」と答えた。  支店長は平岡の未来の事に就て、色々心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中っているから、その時は一所に来給えなどと冗談半分に約束までした。その頃は事務にも慣れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇が自然となくなって、又勉強が却って実務の妨をする様に感ぜられて来た。  支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関という男を信任して、色々と相談相手にしておった。ところがこの男がある芸妓と関係って、何時の間にか会計に穴を明けた。それが曝露したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放って置くと、支店長にまで多少の煩が及んで来そうだったから、其所で自分が責を引いて辞職を申し出た。  平岡の語る所は、ざっとこうであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上になればなる程旨い事が出来るものでね。実は関なんて、あれっばかりの金を使い込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」という句があったのから推したのである。 「じゃ支店長は一番旨い事をしている訳だね」と代助が聞いた。 「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁してしまった。 「それでその男の使い込んだ金はどうした」 「千に足らない金だったから、僕が出して置いた」 「よく有ったね。君も大分旨い事をしたと見える」  平岡は苦い顔をして、じろりと代助を見た。 「旨い事をしたと仮定しても、皆使ってしまっている。生活にさえ足りない位だ。その金は借りたんだよ」 「そうか」と代助は落ち付き払って受けた。代助はどんな時でも平生の調子を失わない男である。そうしてその調子には低く明らかなうちに一種の丸味が出ている。 「支店長から借りて埋めて置いた」 「何故支店長がじかにその関とか何とか云う男に貸して遣らないのかな」  平岡は何とも答えなかった。代助も押しては聞かなかった。二人は無言のまましばらくの間並んで歩いて行った。  代助は平岡が語ったより外に、まだ何かあるに違ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽までその真相を研究する程の権利を有っていないことを自覚している。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎていた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil admirari の域に達してしまった。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢って喫驚する程の山出ではなかった。彼の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅いで嬉しがる様に退屈を感じてはいなかった。否、これより幾倍か快よい刺激でさえ、感受するを甘んぜざる位、一面から云えば、困憊していた。  代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中で、もうこれ程に進化――進化の裏面を見ると、何時でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――していたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもって、依然として旧態を改めざる三年前の初心と見ているらしい。こう云う御坊っちゃんに、洗い浚い自分の弱点を打ち明けては、徒らに馬糞を投げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想を尽かされるよりは黙っている方が安全だ。――代助には平岡の腹がこう取れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言で歩いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を子供視する程度に於て、あるいはそれ以上の程度に於て、代助は平岡を子供視し始めたのである。けれども両人が十五六間過ぎて、又話を遣り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更になかった。最初に口を切ったのは代助であった。 「それで、これから先どうする積りかね」 「さあ」 「やっぱり今までの経験もあるんだから、同じ職業が可いかも知れないね」 「さあ。事情次第だが。実は緩くり君に相談してみようと思っていたんだが。どうだろう、君の兄さんの会社の方に口はあるまいか」 「うん、頼んでみよう、二三日内に家へ行く用があるから。然しどうかな」 「もし、実業の方が駄目なら、どっか新聞へでも這入ろうかと思う」 「それも好いだろう」  両人は又電車の通る通へ出た。平岡は向うから来た電車の軒を見ていたが、突然これに乗って帰ると云い出した。代助はそうかと答えたまま、留めもしない、と云って直分れもしなかった。赤い棒の立っている停留所まで歩いて来た。そこで、 「三千代さんはどうした」と聞いた。 「難有う、まあ相変らずだ。君に宜しく云っていた。実は今日連れて来ようと思ったんだけれども、何だか汽車に揺れたんで頭が悪いというから宿屋へ置いて来た」  電車が二人の前で留まった。平岡は二三歩早足に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼の乗るべき車はまだ着かなかったのである。 「子供は惜しい事をしたね」 「うん。可哀想な事をした。その節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好かった」 「その後はどうだい。まだ後は出来ないか」 「うん、未だにも何にも、もう駄目だろう。身体があんまり好くないものだからね」 「こんなに動く時は子供のない方が却って便利で可いかも知れない」 「それもそうさ。一層君の様に一人身なら、猶の事、気楽で可いかも知れない」 「一人身になるさ」 「冗談云ってら――それよりか、妻が頻りに、君はもう奥さんを持ったろうか、未だだろうかって気にしていたぜ」  ところへ電車が来た。 三  代助の父は長井得といって、御維新のとき、戦争に出た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きている。役人を已めてから、実業界に這入って、何かかにかしているうちに、自然と金が貯って、この十四五年来は大分の財産家になった。  誠吾と云う兄がある。学校を卒業してすぐ、父の関係している会社へ出たので、今では其所で重要な地位を占める様になった。梅子という夫人に、二人の子供が出来た。兄は誠太郎と云って十五になる。妹は縫といって三つ違である。  誠吾の外に姉がまだ一人あるが、これはある外交官に嫁いで、今は夫と共に西洋にいる。誠吾とこの姉の間にもう一人、それからこの姉と代助の間にも、まだ一人兄弟があったけれども、それは二人とも早く死んでしまった。母も死んでしまった。  代助の一家はこれだけの人数から出来上っている。そのうちで外へ出ているものは、西洋に行った姉と、近頃一戸を構えた代助ばかりだから、本家には大小合せて五人残る訳になる。  代助は月に一度は必ず本家へ金を貰いに行く。代助は親の金とも、兄の金ともつかぬものを使って生きている。月に一度の外にも、退屈になれば出掛けて行く。そうして子供に調戯ったり、書生と五目並べをしたり、嫂と芝居の評をしたりして帰って来る。  代助はこの嫂を好いている。この嫂は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継ぎ合せた様な一種の人物である。わざわざ仏蘭西にいる義妹に注文して、むずかしい名のつく、頗る高価な織物を取寄せて、それを四五人で裁って、帯に仕立てて着てみたり何かする。後で、それは日本から輸出したものだと云う事が分って大笑いになった。三越陳列所へ行って、それを調べて来たものは代助である。それから西洋の音楽が好きで、よく代助に誘い出されて聞に行く。そうかと思うと易断に非常な興味を有っている。石龍子と尾島某を大いに崇拝する。代助も二三度御相伴に、俥で易者の許まで食付いて行った事がある。  誠太郎と云う子は近頃ベースボールに熱中している。代助が行って時々球を投げてやる事がある。彼は妙な希望を持った子供である。毎年夏の初めに、多くの焼芋屋が俄然として氷水屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓を食うものは誠太郎である。氷菓がないときには、氷水で我慢する。そうして得意になって帰って来る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番先へ這入ってみたいと云っている。叔父さん誰か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。  縫という娘は、何か云うと、好くってよ、知らないわと答える。そうして日に何遍となくリボンを掛け易える。近頃はヴァイオリンの稽古に行く。帰って来ると、鋸の目立ての様な声を出して御浚いをする。ただし人が見ていると決して遣らない。室を締め切って、きいきい云わせるのだから、親は可なり上手だと思っている。代助だけが時々そっと戸を明けるので、好くってよ、知らないわと叱られる。  兄は大抵不在勝である。ことに忙がしい時になると、家で食うのは朝食位なもので、あとは、どうして暮しているのか、二人の子供には全く分らない。同程度に於て代助にも分らない。これは分らない方が好ましいので、必要のない限りは、兄の日々の戸外生活に就て決して研究しないのである。  代助は二人の子供に大変人望がある。嫂にも可なりある。兄には、あるんだか、ないんだか分らない。たまに兄と弟が顔を合せると、ただ浮世話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣っている。陳腐に慣れ抜いた様子である。  代助の尤も応えるのは親爺である。好い年をして、若い妾を持っているが、それは構わない。代助から云うと寧ろ賛成な位なもので、彼は妾を置く余裕のないものに限って、蓄妾の攻撃をするんだと考えている。親爺は又大分のやかまし屋である。子供のうちは心魂に徹して困却した事がある。しかし成人の今日では、それにも別段辟易する必要を認めない。ただ応えるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共大した変りはないと信じている事である。それだから、自分の昔し世に処した時の心掛けでもって、代助も遣らなくっては、嘘だという論理になる。尤も代助の方では、何が嘘ですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は子供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分親爺と組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、この肝癪がぱたりと已んでしまった。それから以後ついぞ怒った試しがない。親爺はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇っている。  実際を云うと親爺の所謂薫育は、この父子の間に纏綿する暖かい情味を次第に冷却せしめただけである。少なくとも代助はそう思っている。ところが親爺の腹のなかでは、それが全く反対に解釈されてしまった。何をしようと血肉の親子である。子が親に対する天賦の情合が、子を取扱う方法の如何に因って変る筈がない。教育の為め、少しの無理はしようとも、その結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺は、固くこう信じていた。自分が代助に存在を与えたという単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考えた親爺は、その信念をもって、ぐんぐん押して行った。そうして自分に冷淡な一個の息子を作り上げた。尤も代助の卒業前後からはその待遇法も大分変って来て、ある点から云えば、驚ろく程寛大になった所もある。然しそれは代助が生れ落ちるや否や、この親爺が代助に向って作ったプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかったのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至っては、今に至って全く気が付かずにいる。  親爺は戦争に出たのを頗る自慢にする。稍もすると、御前などはまだ戦争をした事がないから、度胸が据らなくって不可んと一概にけなしてしまう。あたかも度胸が人間至上な能力であるかの如き言草である。代助はこれを聞かせられるたんびに厭な心持がする。胆力は命の遣り取りの劇しい、親爺の若い頃の様な野蛮時代にあってこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云えば、古風な弓術撃剣の類と大差はない道具と、代助は心得ている。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がって然るべき能力が沢山ある様に考えられる。御父さんから又胆力の講釈を聞いた。御父さんの様に云うと、世の中で石地蔵が一番偉いことになってしまう様だねと云って、嫂と笑った事がある。  こう云う代助は無論臆病である。又臆病で耻ずかしいという気は心から起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺の使嗾で、夜中にわざわざ青山の墓地まで出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなって、蒼青な顔をして家へ帰って来た。その折は自分でも残念に思った。あくる朝親爺に笑われたときは、親爺が憎らしかった。親爺の云う所によると、彼と同時代の少年は、胆力修養の為め、夜半に結束して、たった一人、御城の北一里にある剣が峯の天頂まで登って、其所の辻堂で夜明をして、日の出を拝んで帰ってくる習慣であったそうだ。今の若いものとは心得方からして違うと親爺が批評した。  こんな事を真面目に口にした、又今でも口にしかねまじき親爺は気の毒なものだと、代助は考える。彼は地震が嫌である。瞬間の動揺でも胸に波が打つ。あるときは書斎で凝と坐っていて、何かの拍子に、ああ地震が遠くから寄せて来るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷いている坐蒲団も、畳も、乃至床板も明らかに震える様に思われる。彼はこれが自分の本来だと信じている。親爺の如きは、神経未熟の野人か、然らずんば己れを偽わる愚者としか代助には受け取れないのである。  代助は今この親爺と対坐している。廂の長い小さな部屋なので、居ながら庭を見ると、廂の先で庭が仕切られた様な感がある。少なくとも空は広く見えない。その代り静かで、落ち付いて、尻の据り具合が好い。  親爺は刻み烟草を吹かすので、手のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々灰吹をぽんぽんと叩く。それが静かな庭へ響いて好い音がする。代助の方は金の吸口を四五本手焙の中へ並べた。もう鼻から烟を出すのが厭になったので、腕組をして親爺の顔を眺めている。その顔には年の割に肉が多い。それでいて頬は痩けている。濃い眉の下に眼の皮が弛んで見える。髭は真白と云わんよりは、寧ろ黄色である。そうして、話をするときに相手の膝頭と顔とを半々に見較べる癖がある。その時の眼の動かし方で、白眼が一寸ちらついて、相手に妙な心持をさせる。  老人は今こんな事を云っている。―― 「そう人間は自分だけを考えるべきではない。世の中もある。国家もある。少しは人の為に何かしなくっては心持のわるいものだ。御前だって、そう、ぶらぶらしていて心持の好い筈はなかろう。そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出るものだからな」 「そうです」と代助は答えている。親爺から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云う習慣になっている。代助に云わせると、親爺の考えは、万事中途半端に、或物を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有していない。しかのみならず、今利他本位でやってるかと思うと、何時の間にか利己本位に変っている。言葉だけは滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談である。それを基礎から打ち崩して懸かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めよりなるべく触らない様にしている。ところが親爺の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得ているので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来る。そこで代助も已を得ず親爺という老太陽の周囲を、行儀よく回転する様に見せている。 「それは実業が厭なら厭で好い。何も金を儲けるだけが日本の為になるとも限るまいから。金は取らんでも構わない。金の為にとやかく云うとなると、御前も心持がわるかろう。金は今まで通り己が補助して遣る。おれも、もう何時死ぬか分らないし、死にゃ金を持って行く訳にも行かないし。月々御前の生計位どうでもしてやる。だから奮発して何か為るが好い。国民の義務としてするが好い。もう三十だろう」 「そうです」 「三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな」  代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えているだけである。親爺がこんな事を云うたびに、実は気の毒になる。親爺の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日を利用しつつある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出しているのが、全く映らないのである。仕方がないから、真面目な顔をして、 「ええ、困ります」と答えた。老人は頭から代助を小僧視している上に、その返事が何時でも幼気を失わない、簡単な、世帯離れをした文句だものだから、馬鹿にするうちにも、どうも坊ちゃんは成人しても仕様がない、困ったものだと云う気になる。そうかと思うと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もじ付かず、尋常極まっているので、此奴は手の付け様がないという気にもなる。 「身体は丈夫だね」 「二三年このかた風邪を引いた事もありません」 「頭も悪い方じゃないだろう。学校の成蹟も可なりだったんじゃないか」 「まあそうです」 「それで遊んでいるのは勿体ない。あの何とか云ったね、そら御前の所へ善く話しに来た男があるだろう。己も一二度逢ったことがある」 「平岡ですか」 「そう平岡。あの人なぞは、あまり出来の可い方じゃなかったそうだが、卒業すると、すぐ何処かへ行ったじゃないか」 「その代り失敗て、もう帰って来ました」  老人は苦笑を禁じ得なかった。 「どうして」と聞いた。 「つまり食う為に働らくからでしょう」  老人にはこの意味が善く解らなかった。 「何か面白くない事でも遣ったのかな」と聞き返した。 「その場合々々で当然の事を遣るんでしょうけれども、その当然がやっぱり失敗になるんでしょう」 「はああ」と気の乗らない返事をしたが、やがて調子を易えて、説き出した。 「若い人がよく失敗というが、全く誠実と熱心が足りないからだ。己も多年の経験で、この年になるまで遣って来たが、どうしてもこの二つがないと成功しないね」 「誠実と熱心があるために、却って遣り損うこともあるでしょう」 「いや、先ないな」  親爺の頭の上に、誠者天之道也と云う額が麗々と掛けてある。先代の旧藩主に書いて貰ったとか云って、親爺は尤も珍重している。代助はこの額が甚だ嫌である。第一字が嫌だ。その上文句が気に喰わない。誠は天の道なりの後へ、人の道にあらずと附け加えたい様な心持がする。  その昔し藩の財政が疲弊して、始末が付かなくなった時、整理の任に当った長井は、藩侯に縁故のある町人を二三人呼び集めて、刀を脱いでその前に頭を下げて、彼等に一時の融通を頼んだ事がある。固より返せるか、返せないか、分らなかったんだから、分らないと真直に自白して、それがためにその時成功した。その因縁でこの額を藩主に書いて貰ったんである。爾来長井は何時でも、これを自分の居間に掛けて朝夕眺めている。代助はこの額の由来を何遍聞かされたか知れない。  今から十五六年前に、旧藩主の家で、月々の支出が嵩んできて、折角持ち直した経済が又崩れ出した時にも、長井は前年の手腕によって、再度の整理を委託された。その時長井は自分で風呂の薪を焚いてみて、実際の消費高と帳面づらの消費高との差違から調べにかかったが、終日終夜この事だけに精魂を打ち込んだ結果は、約一カ月内に立派な方法を立て得るに至った。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計をしている。  こう云う過去の歴史を持っていて、この過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考える事を敢てしない長井は、何によらず、誠実と熱心へ持って行きたがる。 「御前は、どう云うものか、誠実と熱心が欠けている様だ。それじゃ不可ん。だから何にも出来ないんだ」 「誠実も熱心もあるんですが、ただ人事上に応用出来ないんです」 「どう云う訳で」  代助は又返答に窮した。代助の考えによると、誠実だろうが、熱心だろうが、自分が出来合の奴を胸に蓄わえているんじゃなくって、石と鉄と触れて火花の出る様に、相手次第で摩擦の具合がうまく行けば、当事者二人の間に起るべき現象である。自分の有する性質と云うよりは寧ろ精神の交換作用である。だから相手が悪くっては起り様がない。 「御父さんは論語だの、王陽明だのという、金の延金を呑んでいらっしゃるから、そういう事を仰しゃるんでしょう」 「金の延金とは」  代助はしばらく黙っていたが、漸やく、 「延金のまま出て来るんです」と云った。長井は、書物癖のある、偏屈な、世慣れない若輩のいいたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにも拘わらず、取り合う事を敢てしなかった。  それから約四十分程して、老人は着物を着換えて、袴を穿いて、俥に乗って、何処かへ出て行った。代助も玄関まで送って出たが、又引き返して客間の戸を開けて中へ這入った。これは近頃になって建て増した西洋作りで、内部の装飾その他の大部分は、代助の意匠に本づいて、専門家へ注文して出来上ったものである。ことに欄間の周囲に張った模様画は、自分の知り合いのさる画家に頼んで、色々相談の揚句に成ったものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物を展開した様な、横長の色彩を眺めていたが、どう云うものか、この前来て見た時よりは、痛く見劣りがする。これでは頼もしくないと思いながら、猶局部々々に眼を付けて吟味していると、突然嫂が這入って来た。 「おや、此所にいらっしゃるの」と云ったが、「一寸其所らに私の櫛が落ちていなくって」と聞いた。櫛は長椅子の足の所にあった。昨日縫子に貸して遣ったら、何所かへ失なしてしまったんで、探しに来たんだそうである。両手で頭を抑える様にして、櫛を束髪の根方へ押し付けて、上眼で代助を見ながら、 「相変らず茫乎してるじゃありませんか」と調戯った。 「御父さんから御談義を聞かされちまった」 「また? 能く叱られるのね。御帰り々、随分気が利かないわね。然し貴方もあんまり、好かないわ。些とも御父さんの云う通りになさらないんだもの」 「御父さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしているんです」 「だから猶始末が悪いのよ。何か云うと、へいへいって、そうして、些とも云う事を聞かないんだもの」  代助は苦笑して黙ってしまった。梅子は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。脊のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃い、唇の薄い女である。 「まあ、御掛けなさい。少し話し相手になって上げるから」  代助はやっぱり立ったまま、嫂の姿を見守っていた。 「今日は妙な半襟を掛けてますね」 「これ?」  梅子は顎を縮めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見ようとした。 「此間買ったの」 「好い色だ」 「まあ、そんな事は、どうでも可いから、其所へ御掛けなさいよ」  代助は嫂の真正面へ腰を卸した。 「へえ掛けました」 「一体今日は何を叱られたんです」 「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為に尽すには驚ろいた。何でも十八の年から今日までのべつに尽してるんだってね」 「それだから、あの位に御成りになったんじゃありませんか」 「国家社会の為に尽して、金が御父さん位儲かるなら、僕も尽しても好い」 「だから遊んでないで、御尽しなさいな。貴方は寐ていて御金を取ろうとするから狡猾よ」 「御金を取ろうとした事は、まだ有りません」 「取ろうとしなくっても、使うから同じじゃありませんか」 「兄さんが何とか云ってましたか」 「兄さんは呆れてるから、何とも云やしません」 「随分猛烈だな。然し御父さんより兄さんの方が偉いですね」 「どうして。――あら悪らしい、又あんな御世辞を使って。貴方はそれが悪いのよ。真面目な顔をして他を茶化すから」 「そんなもんでしょうか」 「そんなもんでしょうかって、他の事じゃあるまいし。少しゃ考えて御覧なさいな」 「どうも此所へ来ると、まるで門野と同じ様になっちまうから困る」 「門野って何です」 「なに宅にいる書生ですがね。人に何か云われると、きっとそんなもんでしょうか、とか、そうでしょうか、とか答えるんです」 「あの人が? 余っ程妙なのね」  代助は一寸話を已めて、梅子の肩越に、窓掛の間から、奇麗な空を透かす様に見ていた。遠くに大きな樹が一本ある。薄茶色の芽を全体に吹いて、柔らかい梢の端が天に接く所は、糠雨で暈されたかの如くに霞んでいる。 「好い気候になりましたね。何所か御花見にでも行きましょうか」 「行きましょう。行くから仰しゃい」 「何を」 「御父さまから云われた事を」 「云われた事は色々あるんですが、秩序立てて繰り返すのは困るですよ。頭が悪いんだから」 「まだ空っとぼけていらっしゃる。ちゃんと知ってますよ」 「じゃ、伺いましょうか」  梅子は少しつんとした。 「貴方は近頃余っ程減らず口が達者におなりね」 「何、姉さんが辟易する程じゃない。――時に今日は大変静かですね。どうしました、子供達は」 「子供は学校です」  十六七の小間使が戸を開けて顔を出した。あの、旦那様が、奥様に一寸電話口までと取り次いだなり、黙って梅子の返事を待っている。梅子はすぐ立った。代助も立った。つづいて客間を出ようとすると、梅子は振り向いた。 「あなたは、其所に居らっしゃい。少し話しがあるから」  代助には嫂のこう云う命令的の言葉が何時でも面白く感ぜられる。御緩と見送ったまま、又腰を掛けて、再び例の画を眺め出した。しばらくすると、その色が壁の上に塗り付けてあるのでなくって、自分の眼球の中から飛び出して、壁の上へ行って、べたべた喰っ付く様に見えて来た。仕舞には眼球から色を出す具合一つで、向うにある人物樹木が、此方の思い通りに変化出来る様になった。代助はかくして、下手な個所々々を悉く塗り更えて、とうとう自分の想像し得る限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚と坐っていた。所へ梅子が帰って来たので、忽ち当り前の自分に戻ってしまった。  梅子の用事と云うのを改まって聞いてみると、又例の縁談の事であった。代助は学校を卒業する前から、梅子の御蔭で写真実物色々な細君の候補者に接した。けれども、何ずれも不合格者ばかりであった。始めのうちは体裁の好い逃口上で断わっていたが、二年程前からは、急に図迂々々しくなって、きっと相手にけちを付ける。口と顎の角度が悪いとか、眼の長さが顔の幅に比例しないとか、耳の位置が間違ってるとか、必ず妙な非難を持って来る。それが悉く尋常な言草でないので、仕舞には梅子も少々考え出した。これは必竟世話を焼き過ぎるから、付け上って、人を困らせるのだろう。当分打遣って置いて、向うから頼み出させるに若くはない。と決心して、それからは縁談の事をついぞ口にしなくなった。ところが本人は一向困った様子もなく、依然として海のものとも、山のものとも見当が付かない態度で今日まで暮して来た。  其所へ親爺が甚だ因縁の深いある候補者を見付けて、旅行先から帰った。梅子は代助の来る二三日前に、その話を親爺から聞かされたので、今日の会談は必ずそれだろうと推したのである。然し代助は実際老人から結婚問題に付いては、この日何にも聞かなかったのである。老人は或はそれを披露する気で、呼んだのかも知れないが、代助の態度を見て、もう少し控えて置く方が得策だという料簡を起した結果、故意と話題を避けたとも取れる。  この候補者に対して代助は一種特殊な関係を有っていた。候補者の姓は知っている。けれども名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至っては全く知らない。何故その女が候補者に立ったと云う因縁になると又能く知っている。  代助の父には一人の兄があった。直記と云って、父とはたった一つ違いの年上だが、父よりは小柄なうえに、顔付眼鼻立が非常に似ていたものだから、知らない人には往々双子と間違えられた。その折は父も得とは云わなかった。誠之進という幼名で通っていた。  直記と誠之進とは外貌のよく似ていた如く、気質も本当の兄弟であった。両方に差支のあるときは特別、都合さえ付けば、同じ所に食っ付き合って、同じ事をして暮していた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火を分った位親しかった。  丁度直記の十八の秋であった。ある時二人は城下外の等覚寺という寺へ親の使に行った。これは藩主の菩提寺で、そこにいる楚水という坊さんが、二人の親とは昵近なので、用の手紙を、この楚水さんに渡しに行ったのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであったが、楚水さんに留められて、色々話しているうちに遅くなって、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中は大分雑沓していた。二人は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲ろうとする角で、川向いの方限りの某というものに突き当った。この某と二人とは、かねてから仲が悪かった。その時某は大分酒気を帯びていたと見えて、二言三言いい争ううちに刀を抜いて、いきなり斬り付けた。斬り付けられた方は兄であった。已を得ずこれも腰の物を抜いて立向ったが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴ものだけあって、酩酊しているにも拘わらず、強かった。黙っていれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。そうして二人で滅茶苦茶に相手を斬り殺してしまった。  その頃の習慣として、侍が侍を殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟はその覚悟で家へ帰って来た。父も二人を並べて置いて順々に自分で介錯をする気であった。ところが母が生憎祭で知己の家へ呼ばれて留守である。父は二人に切腹をさせる前、もう一遍母に逢わしてやりたいと云う人情から、すぐ母を迎にやった。そうして母の来る間、二人に訓戒を加えたり、或は切腹する座敷の用意をさせたりなるべく愚図々々していた。  母の客に行っていた所は、その遠縁にあたる高木という勢力家であったので、大変都合が好かった。と云うのは、その頃は世の中の動き掛けた当時で、侍の掟も昔の様には厳重に行われなかった。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であった。ので高木は母とともに長井の家へ来て、何分の沙汰が公向からあるまでは、当分そのままにして、手を着けずに置くようにと、父を諭した。  高木はそれから奔走を始めた。そうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某の親は又、存外訳の解った人で、平生から倅の行跡の良くないのを苦に病んでいたのみならず、斬り付けた当時も、此方から狼藉をしかけたと同然であるという事が明瞭になったので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかった。兄弟はしばらく一間の内に閉じ籠って、謹慎の意を表して後、二人とも人知れず家を捨てた。  三年の後兄は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となった。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。そうして妻を迎えて、得という一字名になった。その時は自分の命を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になっていた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思って色々勧めてみたが応じなかった。この養子に子供が二人あって、男の方は京都へ出て同志社へ這入た。其所を卒業してから、長らく亜米利加に居ったそうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になっている。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁に行った。代助の細君の候補者というのはこの多額納税者の娘である。 「大変込み入ってるのね。私驚いちまった」と嫂が代助に云った。 「御父さんから何返も聞いてるじゃありませんか」 「だって、何時もは御嫁の話が出ないから、好い加減に聞いてるのよ」 「佐川にそんな娘があったのかな。僕も些っとも知らなかった」 「御貰なさいよ」 「賛成なんですか」 「賛成ですとも。因縁つきじゃありませんか」 「先祖の拵らえた因縁よりも、まだ自分の拵えた因縁で貰う方が貰い好い様だな」 「おや、そんなものがあるの」  代助は苦笑して答えなかった。 四  代助は今読み切ったばかりの薄い洋書を机の上に開けたまま、両肱を突いて茫乎考えた。代助の頭は最後の幕で一杯になっている。――遠くの向うに寒そうな樹が立っている後に、二つの小さな角燈が音もなく揺めいて見えた。絞首台は其所にある。刑人は暗い所に立った。木履を片足失くなした、寒いと一人が云うと、何を? と一人が聞き直した。木履を失くなして寒いと前のものが同じ事を繰り返した。Mは何処にいると誰か聞いた。此所にいると誰か答えた。樹の間に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿っぽい風が其所から吹いて来る。海だとGが云った。しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持った、白い手――手套を穿めない――を角燈が照らした。読上げんでも可かろうという声がした。その声は顫えていた。やがて角燈が消えた。……もう只一人になったとKが云った。そうして溜息を吐いた。Sも死んでしまった。Wも死んでしまった。Mも死んでしまった。只一人になってしまった。……  海から日が上った。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。そうして引き出した。長くなった頸、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡に濡れた舌を積み込んで元の路へ引き返した。……  代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所まで頭の中で繰り返してみて、ぞっと肩を縮めた。こう云う時に、彼が尤も痛切に感ずるのは、万一自分がこんな場に臨んだら、どうしたら宜かろうという心配である。考えると到底死ねそうもない。と云って、無理にも殺されるんだから、如何にも残酷である。彼は生の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に往ったり来たりする苦悶を心に描き出しながら凝と坐っていると、脊中一面の皮が毛穴ごとにむずむずして殆ど堪らなくなる。  彼の父は十七のとき、家中の一人を斬り殺して、それが為め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語っている。父の考では伯父の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父に頼む筈であったそうだが、能くそんな真似が出来るものである。父が過去を語る度に、代助は父をえらいと思うより、不愉快な人間だと思う。そうでなければ嘘吐だと思う。嘘吐の方がまだ余っ程父らしい気がする。  父ばかりではない。祖父に就ても、こんな話がある。祖父が若い時分、撃剣の同門の何とかいう男が、あまり技芸に達していた所から、他の嫉妬を受けて、ある夜縄手道を城下へ帰る途中で、誰かに斬り殺された。その時第一に馳け付けたものは祖父であった。左の手に提灯を翳して、右の手に抜身を持って、その抜身で死骸を叩きながら、軍平確かりしろ、創は浅いぞと云ったそうである。  伯父が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどやどやと、旅宿へ踏み込まれて、伯父は二階の廂から飛び下りる途端、庭石に爪付いて倒れる所を上から、容赦なく遣られた為に、顔が膾の様になったそうである。殺される十日程前、夜中、合羽を着て、傘に雪を除けながら、足駄がけで、四条から三条へ帰った事がある。その時旅宿の二丁程手前で、突然後から長井直記どのと呼び懸けられた。伯父は振り向きもせず、やはり傘を差したまま、旅宿の戸口まで来て、格子を開けて中へ這入た。そうして格子をぴしゃりと締めて、中から、長井直記は拙者だ。何御用か。と聞いたそうである。  代助はこんな話を聞く度に、勇ましいと云う気持よりも、まず怖い方が先に立つ。度胸を買ってやる前に、腥ぐさい臭が鼻柱を抜ける様に応える。  もし死が可能であるならば、それは発作の絶高頂に達した一瞬にあるだろうとは、代助のかねて期待する所であった。ところが、彼は決して発作性の男でない。手も顫える、足も顫える。声の顫える事や、心臓の飛び上がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云う心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死に易くなるのは眼に見えているから、時には好奇心で、せめて、その近所まで押し寄せてみたいと思う事もあるが、全く駄目である。代助はこの頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、まるで違っているのに驚ろかずにはいられなかった。  代助は机の上の書物を伏せると立ち上がった。縁側の硝子戸を細目に開けた間から暖かい陽気な風が吹き込んで来た。そうして鉢植のアマランスの赤い弁をふらふらと揺かした。日は大きな花の上に落ちている。代助は曲んで、花の中を覗き込んだ。やがて、ひょろ長い雄蕊の頂きから、花粉を取って、雌蕊の先へ持って来て、丹念に塗り付けた。 「蟻でも付きましたか」と門野が玄関の方から出て来た。袴を穿いている。代助は曲んだまま顔を上げた。 「もう行って来たの」 「ええ、行って来ました。何だそうです。明日御引移りになるそうです。今日これから上がろうと思ってた所だと仰しゃいました」 「誰が? 平岡が?」 「ええ。――どうも何ですな。大分御忙がしい様ですな。先生た余っ程違ってますね。――蟻なら種油を御注ぎなさい。そうして苦しがって、穴から出て来る所を一々殺すんです。何なら殺しましょうか」 「蟻じゃない。こうして、天気の好い時に、花粉を取って、雌蕊へ塗り付けて置くと、今に実が結るんです。暇だから植木屋から聞いた通り、遣ってる所だ」 「なある程。どうも重宝な世の中になりましたね。――然し盆栽は好いもんだ。奇麗で、楽しみになって」  代助は面倒臭いから返事をせずに黙っていた。やがて、 「悪戯も好加減に休すかな」と云いながら立ち上がって、縁側へ据付の、籐の安楽椅子に腰を掛けた。それぎりぽかんと何か考え込んでいる。門野はつまらなくなったから、自分の玄関傍の三畳敷へ引き取った。障子を開けて這入ろうとすると、又縁側へ呼び返された。 「平岡が今日来ると云ったって」 「ええ、来る様な御話しでした」 「じゃ待っていよう」  代助は外出を見合せた。実は平岡の事がこの間から大分気に掛っている。  平岡はこの前、代助を訪問した当時、既に落ち付いていられない身分であった。彼自身の代助に語った所によると、地位の心当りが二三カ所あるから、差し当りその方面へ運動してみる積りなんだそうだが、その二三カ所が今どうなっているか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿を訪ねた事が二返あるが、一度は留守であった。一度は居ったには居った。が、洋服を着たまま、部屋の敷居の上に立って、何か急しい調子で、細君を極め付けていた。――案内なしに廊下を伝って、平岡の部屋の横へ出た代助には、突然ながら、たしかにそう取れた。その時平岡は一寸振り向いて、やあ君かと云った。その顔にも容子にも、少しも快よさそうな所は見えなかった。部屋の内から顔を出した細君は代助を見て、蒼白い頬をぽっと赤くした。代助は何となく席に就き悪くなった。まあ這入れと申し訳に云うのを聞き流して、いや別段用じゃない。どうしているかと思って一寸来てみただけだ。出掛けるなら一所に出ようと、此方から誘う様にして表へ出てしまった。  その時平岡は、早く家を探して落ち付きたいが、あんまり忙しいんで、どうする事も出来ない、たまに宿のものが教えてくれるかと思うと、まだ人が立ち退かなかったり、あるいは今壁を塗ってる最中だったりする。などと、電車へ乗って分れるまで諸事苦情ずくめであった。代助も気の毒になって、そんなら家は、宅の書生に探させよう。なに不景気だから、大分空いてるのがある筈だ。と請合って帰った。  それから約束通り門野を探しに出した。出すや否や、門野はすぐ恰好なのを見付けて来た。門野に案内をさせて平岡夫婦に見せると、大抵可かろうと云う事で分れたそうだが、家主の方へ責任もあるし、又其所が気に入らなければ外を探す考もあるからと云うので、借りるか借りないか判然した所を、門野に、もう一遍確かめさしたのである。 「君、家主の方へは借りるって、断わって来たんだろうね」 「ええ、帰りに寄って、明日引越すからって、云って来ました」  代助は椅子に腰を掛けたまま、新らしく二度の世帯を東京に持つ、夫婦の未来を考えた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変っている。彼の経歴は処世の階子段を一二段で踏み外したと同じ事である。まだ高い所へ上っていなかっただけが、幸と云えば云う様なものの、世間の眼に映ずる程、身体に打撲を受けていないのみで、その実精神状態には既に狂いが出来ている。始めて逢った時、代助はすぐそう思った。けれども、三年間に起った自分の方の変化を打算してみて、或は此方の心が向うに反響を起したのではなかろうかと訂正した。が、その後平岡の旅宿へ尋ねて行って、座敷へも這入らないで一所に外へ出た時の、容子から言語動作を眼の前に浮べてみると、どうしても又最初の判断に戻らなければならなくなった。平岡はその時顔の中心に一種の神経を寄せていた。風が吹いても、砂が飛んでも、強い刺激を受けそうな眉と眉の継目を、憚ず、ぴくつかせていた。そうして、口にする事が、内容の如何に関わらず、如何にも急しなく、かつ切なそうに、代助の耳に響いた。代助には、平岡の凡てが、あたかも肺の強くない人の、重苦しい葛湯の中を片息で泳いでいる様に取れた。 「あんなに、焦って」と、電車へ乗って飛んで行く平岡の姿を見送った代助は、口の内でつぶやいた。そうして旅宿に残されている細君の事を考えた。  代助はこの細君を捕まえて、かつて奥さんと云った事がない。何時でも三千代さん三千代さんと、結婚しない前の通りに、本名を呼んでいる。代助は平岡に分れてから又引き返して、旅宿へ行って、三千代さんに逢って話しをしようかと思った。けれども、何だか行けなかった。足を停めて思案しても、今の自分には、行くのが悪いと云う意味はちっとも見出せなかった。けれども、気が咎めて行かれなかった。勇気を出せば行かれると思った。ただ代助にはこれだけの勇気を出すのが苦痛であった。それで家へ帰った。その代り帰っても、落ち付かない様な、物足らない様な、妙な心持がした。ので、又外へ出て酒を飲んだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことにその晩はしたたかに飲んだ。 「あの時は、どうかしていたんだ」と代助は椅子に倚りながら、比較的冷やかな自己で、自己の影を批判した。 「何か御用ですか」と門野が又出て来た。袴を脱いで、足袋を脱いで、団子の様な素足を出している。代助は黙って門野の顔を見た。門野も代助の顔を見て、一寸の間突立っていた。 「おや、御呼になったんじゃないのですか。おや、おや」と云って引込んで行った。代助は別段可笑しいとも思わなかった。 「小母さん、御呼びになったんじゃないとさ。どうも変だと思った。だから手も何も鳴らないって云うのに」という言葉が茶の間の方で聞えた。それから門野と婆さんの笑う声がした。  その時、待ち設けている御客が来た。取次に出た門野は意外な顔をして這入って来た。そうして、その顔を代助の傍まで持って来て、先生、奥さんですと囁やく様に云った。代助は黙って椅子を離れて座敷へ這入った。  平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛の判然映る女である。一寸見ると何所となく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似ている。帰京後は色光沢がことに可くないようだ。始めて旅宿で逢った時、代助は少し驚いた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思って、聞いてみたら、そうじゃない、始終こうなんだと云われた時は、気の毒になった。  三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はじき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、とかく具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶらぶらしていたが、どうしても、はかばかしく癒らないので、仕舞に医者に見て貰ったら、能くは分らないが、ことに依ると何とかいうむずかしい名の心臓病かも知れないと云った。もしそうだとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しずつ、後戻りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来るだけ養生に手を尽した所為か、一年ばかりするうちに、好い案排に、元気がめっきりよくなった。色光沢も殆んど元の様に冴々して見える日が多いので、当人も喜こんでいると、帰る一カ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為ではない。心臓は、それ程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなっていない。弁の作用に故障があるものとは、今は決して認められないという診断であった。――これは三千代が直に代助に話した所である。代助はその時三千代の顔を見て、やっぱり何か心配の為じゃないかしらと思った。  三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼を持っている。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据えて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助はこれを黒眼の働らきと判断していた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこう云う眼遣を見た。そうして今でも善く覚えている。三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿んだ様に暈された眼が、ぽっと出て来る。  廊下伝いに座敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた。そうして奇麗な手を膝の上に畳ねた。下にした手にも指輪を穿めている。上にした手にも指輪を穿めている。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を盛った当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。  三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思わず瞬を一つした。  汽車で着いた明日平岡と一所に来る筈であったけれども、つい気分が悪いので、来損なってしまって、それからは一人でなくっては来る機会がないので、つい出ずにいたが、今日は丁度、と云いかけて、句を切って、それから急に思い出した様に、この間来てくれた時は、平岡が出掛際だったものだから、大変失礼して済まなかったという様な詫をして、 「待っていらっしゃれば可かったのに」と女らしく愛想をつけ加えた。けれどもその調子は沈んでいた。尤もこれはこの女の持調子で、代助は却ってその昔を憶い出した。 「だって、大変忙しそうだったから」 「ええ、忙しい事は忙しいんですけれども――好いじゃありませんか。居らしったって。あんまり他人行儀ですわ」  代助は、あの時、夫婦の間に何があったか聞いてみようと思ったけれども、まず已めにした。例なら調戯半分に、あなたは何か叱られて、顔を赤くしていましたね、どんな悪い事をしたんですか位言いかねない間柄なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後からその場を取り繕う様に、いたましく聞えたので、冗談を云い募る元気も一寸出なかった。  代助は烟草へ火を点けて、吸口を啣えたまま、椅子の脊に頭を持たせて、寛ろいだ様に、 「久し振りだから、何か御馳走しましょうか」と聞いた。そうして心のうちで、自分のこう云う態度が、幾分かこの女の慰藉になる様に感じた。三千代は、 「今日は沢山。そう緩りしちゃいられないの」と云って、昔の金歯を一寸見せた。 「まあ、可いでしょう」  代助は両手を頭の後へ持って行って、指と指を組み合せて三千代を見た。三千代はこごんで帯の間から小さな時計を出した。代助が真珠の指輪をこの女に贈ものにする時、平岡はこの時計を妻に買って遣ったのである。代助は、一つ店で別々の品物を買った後、平岡と連れ立って其所の敷居を跨ぎながら互に顔を見合せて笑った事を記憶している。 「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思ってたら。――少し寄り道をしていたものだから」と独り言の様に説明を加えた。 「そんなに急ぐんですか」 「ええ、なりたけ早く帰りたいの」  代助は頭から手を放して、烟草の灰をはたき落した。 「三年のうちに大分世帯染ちまった。仕方がない」  代助は笑ってこう云った。けれどもその調子には何処かに苦い所があった。 「あら、だって、明日引越すんじゃありませんか」  三千代の声は、この時急に生々と聞えた。代助は引越の事をまるで忘れていたが、相手の快よさそうな調子に釣り込まれて、此方からも他愛なく追窮した。 「じゃ引越してから緩くり来れば可いのに」 「でも」と云った三千代は少し挨拶に困った色を、額の所へあらわして、一寸下を見たが、やがて頬を上げた。それが薄赤く染まっていた。 「実は私少し御願があって上がったの」  疳の鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐその用事の何であるかを悟った。実は平岡が東京へ着いた時から、いつかこの問題に出逢う事だろうと思って、半意識の下で覚悟していたのである。 「何ですか、遠慮なく仰しゃい」 「少し御金の工面が出来なくって?」  三千代の言葉はまるで子供の様に無邪気であるけれども、両方の頬はやっぱり赤くなっている。代助は、この女にこんな気耻ずかしい思いをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思った。  段々聞いてみると、明日引越をする費用や、新しく世帯を持つ為めの金が入用なのではなかった。支店の方を引き上げる時、向うへ置き去りにして来た借金が三口とかあるうちで、その一口を是非片付けなくてはならないのだそうである。東京へ着いたら一週間うちに、どうでもすると云う堅い約束をして来た上に、少し訳があって、他の様に放って置けない性質のものだから、平岡も着いた明日から心配して、所々奔走しているけれども、まだ出来そうな様子が見えないので、已を得ず三千代に云い付けて代助の所に頼みに寄したと云う事が分った。 「支店長から借りたと云う奴ですか」 「いいえ。その方は何時まで延ばして置いても構わないんですが、此方の方をどうかしないと困るのよ。東京で運動する方に響いて来るんだから」  代助はなるほどそんな事があるのかと思った。金高を聞くと五百円と少しばかりである。代助はなんだその位と腹の中で考えたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金に不自由しない様でいて、その実大いに不自由している男だと気が付いた。 「何でまた、そんなに借金をしたんですか」 「だから私考えると厭になるのよ。私も病気をしたので、悪いには悪いけれども」 「病気の時の費用なんですか」 「じゃないのよ。薬代なんか知れたもんですわ」  三千代はそれ以上を語らなかった。代助もそれ以上を聞く勇気がなかった。ただ蒼白い三千代の顔を眺めて、その中に、漠然たる未来の不安を感じた。 五  翌日朝早く門野は荷車を三台雇って、新橋の停車場まで平岡の荷物を受取りに行った。実は疾うから着いていたのだけれども、宅がまだ極らないので、今日までそのままにしてあったのである。往復の時間と、向うで荷物を積み込む時間を勘定してみると、どうしても半日仕事である。早く行かなけりゃ、間に合わないよと代助は寐床を出るとすぐ注意した。門野は例の調子で、なに訳はありませんと答えた。この男は、時間の考などは、あまりない方だから、こう簡便な返事が出来たんだが、代助から説明を聞いて始めてなるほどと云う顔をした。それから荷物を平岡の宅へ届けた上に、万事奇麗に片付くまで手伝をするんだと云われた時は、ええ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行った。  それから十一時過まで代助は読書していた。が不図ダヌンチオと云う人が、自分の家の部屋を、青色と赤色に分って装飾していると云う話を思い出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、この二色に外ならんと云う点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云うものは、なるべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云うのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。  代助は何故ダヌンチオの様な刺激を受け易い人に、奮興色とも見傚し得べき程強烈な赤の必要があるだろうと不思議に感じた。代助自身は稲荷の鳥居を見ても余り好い心持はしない。出来得るならば、自分の頭だけでも可いから、緑のなかに漂わして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木と云う人が海の底に立っている脊の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った。つまり、自分もああ云う沈んだ落ち付いた情調に居りたかったからである。  代助は縁側へ出て、庭から先にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散って、今は新芽若葉の初期である。はなやかな緑がぱっと顔に吹き付けた様な心持ちがした。眼を醒す刺激の底に何所か沈んだ調子のあるのを嬉しく思いながら、鳥打帽を被って、銘仙の不断着のまま門を出た。  平岡の新宅へ来て見ると、門が開いて、がらんとしているだけで、荷物の着いた様子もなければ、平岡夫婦の来ている気色も見えない。ただ車夫体の男が一人縁側に腰を懸けて烟草を呑んでいた。聞いてみると、先刻一返御出になりましたが、この案排じゃ、どうせ午過だろうって又御帰りになりましたという答である。 「旦那と奥さんと一所に来たかい」 「ええ御一所です」 「そうして一所に帰ったかい」 「ええ御一所に御帰りになりました」 「荷物もそのうち着くだろう。御苦労さま」と云って、又通りへ出た。  神田へ来たが、平岡の旅宿へ寄る気はしなかった。けれども二人の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸顔を出した。夫婦は膳を並べて飯を食っていた。下女が盆を持って、敷居に尻を向けている。その後から、声を懸けた。  平岡は驚ろいた様に代助を見た。その眼が血ばしっている。二三日能く眠らない所為だと云う。三千代は仰山なものの云い方だと云って笑った。代助は気の毒にも思ったが、又安心もした。留めるのを外へ出て、飯を食って、髪を刈って、九段の上へ一寸寄って、又帰りに新宅へ行ってみた。三千代は手拭を姉さん被りにして、友禅の長襦袢をさらりと出して、襷がけで荷物の世話を焼いていた。旅宿で世話をしてくれたと云う下女も来ている。平岡は縁側で行李の紐を解いていたが、代助を見て、笑いながら、少し手伝わないかと云った。門野は袴を脱いで、尻を端折って、重ね箪笥を車夫と一所に座敷へ抱え込みながら、先生どうです、この服装は、笑っちゃ不可ませんよと云った。  翌日、代助が朝食の膳に向って、例の如く紅茶を呑んでいると、門野が、洗い立ての顔を光らして茶の間へ這入って来た。 「昨夕は何時御帰りでした。つい疲れちまって、仮寐をしていたものだから、些とも気が付きませんでした。――寐ている所を御覧になったんですか、先生も随分人が悪いな。全体何時頃なんです、御帰りになったのは。それまで何所へ行っていらしった」と平生の調子で苦もなく饒舌立てた。代助は真面目で、 「君、すっかり片付まで居てくれたんでしょうね」と聞いた。 「ええ、すっかり片付けちまいました。その代り、どうも骨が折れましたぜ。何しろ、我々の引越と違って、大きな物が色々あるんだから。奥さんが座敷の真中へ立って、茫然、こう周囲を見回していた様子ったら、――随分可笑なもんでした」 「少し身体の具合が悪いんだからね」 「どうもそうらしいですね。色が何だか可くないと思った。平岡さんとは大違いだ。あの人の体格は好いですね。昨夕一所に湯に入って驚ろいた」  代助はやがて書斎へ帰って、手紙を二三本書いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人宛で、先達て送ってくれた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿宛で、タナグラの安いのを見付けてくれという依頼である。  昼過散歩の出掛けに、門野の室を覗いたら又引繰り返って、ぐうぐう寐ていた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなった。実を云うと、自分は昨夕寐つかれないで大変難義したのである。例に依って、枕の傍へ置いた袂時計が、大変大きな音を出す。それが気になったので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いて来る。その音を聞きながら、つい、うとうとする間に、凡ての外の意識は、全く暗窖の裡に降下した。が、ただ独り夜を縫うミシンの針だけが刻み足に頭の中を断えず通っていた事を自覚していた。ところがその音が何時かりんりんという虫の音に変って、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いている様になった。――代助は昨夕の夢を此所まで辿って来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。  代助は、何事によらず一度気にかかり出すと、何処までも気にかかる男であった。しかも自分でその馬鹿気さ加減の程度を明らかに見積るだけの脳力があるので、自分の気にかかり方が猶眼に付いてならない事があった。三四年前、平生の自分が如何にして夢に入るかと云う問題を解決しようと試みた事があった。夜、蒲団へ這入って、好い案排にうとうとし掛けると、ああ此所だ、こうして眠るんだなと思ってはっとする。すると、その瞬間に眼が冴えてしまう。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所だと思う。代助は殆んど毎晩の様にこの好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、この苦痛を逃れようと思った。のみならず、つくづく自分は愚物であると考えた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴えて、同時に回顧しようとするのは、ジェームスの云った通り、暗闇を検査する為に蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味する為に独楽を抑える様なもので、生涯寐られっこない訳になる。と解っているが晩になると又はっと思う。  この困難は約一年ばかりで何時の間にか漸く遠退いた。代助は昨夕の夢とこの困難とを比較してみて、妙に感じた。正気の自己の一部分を切り放して、そのままの姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す方が趣があると思ったからである。同時に、この作用は気狂になる時の状態と似ていはせぬかと考え付いた。代助は今まで、自分は激昂しないから気狂にはなれないと信じていたのである。  それから二三日は、代助も門野も平岡の消息を聞かずに過ごした。四日目の午過に代助は麻布のある家へ園遊会に呼ばれて行った。御客は男女を合せて、大分来たが、正賓と云うのは、英国の国会議員とか実業家とかいう、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけたその細君とであった。これは中々の美人で、日本などへ来るには勿体ない位な容色だが、何処で買ったものか、岐阜出来の絵日傘を得意に差していた。  尤もその日は大変な好い天気で、広い芝生の上にフロックで立っていると、もう夏が来たという感じが、肩から脊中へ掛けて著るしく起った位、空が真蒼に透き通っていた。英国の紳士は顔をしかめて空を見て、実に美くしいと云った。すると細君がすぐ、ラッヴレイと答えた。非常に疳の高い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であったので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思った。  代助も二言三言この細君から話しかけられた。が三分と経たないうちに、遣り切れなくなって、すぐ退却した。あとは、日本服を着て、わざと島田に結った令嬢と、長らく紐育で商業に従事していたと云う某が引き受けた。この某は英語を喋舌る天才を以て自から任ずる男で、欠かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣って、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽みにしている。何か云っては、あとでさも可笑しそうに、げらげら笑う癖がある。英国人が時によると怪訝な顔をしている。代助はあれだけは已めたら可かろうと思った。令嬢も中々旨い。これは米国婦人を家庭教師に雇って、英語を使う事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考えながら、つくづく感心して聞いていた。  代助が此所へ呼ばれたのは、個人的に此所の主人や、この英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父と兄との社交的勢力の余波で、招待状が廻って来たのである。だから、万遍なく方々へ行って、好い加減に頭を下げて、ぶらぶらしていた。その中に兄も居た。 「やあ、来たな」と云ったまま、帽子に手も掛けない。 「どうも、好い天気ですね」 「ああ。結構だ」  代助も脊の低い方ではないが、兄は一層高く出来ている。その上この五六年来次第に肥満して来たので、中々立派に見える。 「どうです、彼方へ行って、ちと外国人と話でもしちゃ」 「いや、真平だ」と云って兄は苦笑いをした。そうして大きな腹にぶら下がっている金鎖を指の先で弄った。 「どうも外国人は調子が可いですね。少し可すぎる位だ。ああ賞められると、天気の方でも是非好くならなくっちゃならなくなる」 「そんなに天気を賞めていたのかい。へえ。少し暑過ぎるじゃないか」 「私にも暑過ぎる」  誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾を出して額を拭いた。両人共重い絹帽を被っている。  兄弟は芝生の外れの木蔭まで来て留った。近所には誰もいない。向うの方で余興か何か始まっている。それを、誠吾は、宅にいると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。 「兄の様になると、宅にいても、客に来ても同じ心持ちなんだろう。こう世の中に慣れ切ってしまっても、楽しみがなくって、つまらないものだろう」と思いながら代助は誠吾の様子を見ていた。 「今日は御父さんはどうしました」 「御父さんは詩の会だ」  誠吾は相変らず普通の顔で答えたが、代助の方は多少可笑しかった。 「姉さんは」 「御客の接待掛りだ」  また嫂が後で不平を云う事だろうと考えると、代助は又可笑しくなった。  代助は、誠吾の始終忙しがっている様子を知っている。又その忙しさの過半は、こう云う会合から出来上がっているという事実も心得ている。そうして、別に厭な顔もせず、一口の不平も零さず、不規則に酒を飲んだり、物を食ったり、女を相手にしたり、していながら、何時見ても疲れた態もなく、噪ぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服している。  誠吾が待合へ這入ったり、料理茶屋へ上ったり、晩餐に出たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行ったり、新橋に人を送ったり、横浜に人を迎えたり、大磯へ御機嫌伺いに行ったり、朝から晩まで多勢の集まる所へ顔を出して、得意にも見えなければ、失意にも思われない様子は、こう云う生活に慣れ抜いて、海月が海に漂いながら、塩水を辛く感じ得ない様なものだろうと代助は考えている。  其所が代助には難有い。と云うのは、誠吾は父と異って、甞て小むずかしい説法などを代助に向って遣った事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云う窮屈なものは、てんで、これっぱかりも口にしないんだから、有んだか、無いんだか、殆んど要領を得ない。その代り、この窮屈な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいうものを積極的に打ち壊して懸った試もない。実に平凡で好い。  だが面白くはない。話し相手としては、兄よりも嫂の方が、代助に取って遥かに興味がある。兄に逢うときっとどうだいと云う。以太利に地震があったじゃないかと云う。土耳其の天子が廃されたじゃないかと云う。その外、向う島の花はもう駄目になった、横浜にある外国船の船底に大蛇が飼ってあった、誰が鉄道で轢かれた、じゃないかと云う。みんな新聞に出た事ばかりである。その代り、当らず障らずの材料はいくらでも持っている。いつまで経っても種が尽きる様子が見えない。  そうかと思うと。時にトルストイと云う人は、もう死んだのかねなどと妙な事を聞く事がある。今日本の小説家では誰が一番偉いのかねと聞く事もある。要するに文芸にはまるで無頓着でかつ驚ろくべき無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立って平気で聞くんだから、代助も返事がし易い。  こう云う兄と差し向いで話をしていると、刺激の乏しい代りには、灰汁がなくって、気楽で好い。ただ朝から晩まで出歩いているから滅多に捕まえる事が出来ない。嫂でも、誠太郎でも、縫子でも、兄が終日宅に居て、三度の食事を家族と共に欠かさず食うと、却って珍らしがる位である。  だから木蔭に立って、兄と肩を比べた時、代助は丁度好い機会だと思った。 「兄さん、貴方に少し話があるんだが。何時か暇はありませんか」 「暇」と繰り返した誠吾は、何にも説明せずに笑って見せた。 「明日の朝はどうです」 「明日の朝は浜まで行って来なくっちゃならない」 「午からは」 「午からは、会社の方に居る事はいるが、少し相談があるから、来ても緩くり話しちゃいられない」 「じゃ晩なら宜かろう」 「晩は帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日の晩帝国ホテルへ呼ぶ事になってるから駄目だ」  代助は口を尖がらかして、兄を凝と見た。そうして二人で笑い出した。 「そんなに急ぐなら、今日じゃ、どうだ。今日なら可い。久し振りで一所に飯でも食おうか」  代助は賛成した。ところが倶楽部へでも行くかと思いの外、誠吾は鰻が可かろうと云い出した。 「絹帽で鰻屋へ行くのは始めてだな」と代助は逡巡した。 「何構うものか」  二人は園遊会を辞して、車に乗って、金杉橋の袂にある鰻屋へ上った。  其所は河が流れて、柳があって、古風な家であった。黒くなった床柱の傍の違い棚に、絹帽を引繰返しに、二つ並べて置いて見て、代助は妙だなと云った。然し明け放した二階の間に、たった二人で胡坐をかいているのは、園遊会より却て楽であった。  二人は好い心持に酒を飲んだ。兄は飲んで、食って、世間話をすればその外に用はないと云う態度であった。代助も、うっかりすると、肝心の事件を忘れそうな勢であった。が下女が三本目の銚子を置いて行った時に、始めて用談に取り掛った。代助の用談と云うのは、言うまでもなく、この間三千代から頼まれた金策の件である。  実を云うと、代助は今日までまだ誠吾に無心を云った事がない。尤も学校を出た時少々芸者買をし過ぎて、その尻を兄になすり付けた覚はある。その時兄は叱るかと思いの外、そうか、困り者だな、親爺には内々で置けと云って嫂を通して、奇麗に借金を払ってくれた。そうして代助には一口の小言も云わなかった。代助はその時から、兄に恐縮してしまった。その後小遣に困る事はよくあるが、困るたんびに嫂を痛めて事を済ましていた。従ってこう云う事件に関して兄との交渉は、まあ初対面の様なものである。  代助から見ると、誠吾は蔓のない薬缶と同じことで、何処から手を出して好いか分らない。然しそこが代助には興味があった。  代助は世間話の体にして、平岡夫婦の経歴をそろそろ話し始めた。誠吾は面倒な顔色もせず、へえへえと拍子を取る様に、飲みながら、聞いている。段々進んで三千代が金を借りに来た一段になっても、やっぱりへえへえと合槌を打つだけである。代助は、仕方なしに、 「で、私も気の毒だから、どうにか心配してみようって受合ったんですがね」と云った。 「へえ。そうかい」 「どうでしょう」 「御前金が出来るのかい」 「私ゃ一文も出来やしません。借りるんです」 「誰から」  代助は始めから此所へ落す積りだったんだから、判然した調子で、 「貴方から借りて置こうと思うんです」と云って、改めて誠吾の顔を見た。兄はやっぱり普通の顔をしていた。そうして、平気に、 「そりゃ、御廃しよ」と答えた。  誠吾の理由を聞いてみると、義理や人情に関係がないばかりではない、返す返さないと云う損得にも関係がなかった。ただ、そんな場合には放って置けば自からどうかなるもんだと云う単純な断定であった。  誠吾はこの断定を証明する為めに、色々な例を挙げた。誠吾の門内に藤野と云う男が長屋を借りて住んでいる。その藤野が近頃遠縁のものの息子を頼まれて宅へ置いた。ところがその子が徴兵検査で急に国へ帰らなければならなくなったが、前以て国から送ってある学資も旅費も藤野が使い込んでいると云うので、一時の繰り合せを頼みに来た事がある。無論誠吾が直に逢ったのではないが、妻に云い付けて断らした。それでもその子は期日までに国へ帰って差支なく検査を済ましている。それからこの藤野の親類の何とか云う男は、自分の持っている貸家の敷金を、つい使ってしまって、借家人が明日引越すという間際になっても、まだ調達が出来ないとか云って、やっぱり藤野から泣き付いて来た事がある。然しこれも断らした。それでも別に不都合はなく敷金は返せている。――まだその外にもあったが、まあこんな種類の例ばかりであった。 「そりゃ、姉さんが蔭へ廻って恵んでいるに違ない。ハハハハ。兄さんも余っ程呑気だなあ」と代助は大きな声を出して笑った。 「何、そんな事があるものか」  誠吾はやはり当り前の顔をしていた。そうして前にある猪口を取って口へ持って行った。 六  その日誠吾は中々金を貸して遣ろうと云わなかった。代助も三千代が気の毒だとか、可哀想だとか云う泣言は、なるべく避ける様にした。自分が三千代に対してこそ、そう云う心持もあるが、何も知らない兄を、其所まで連れて行くのには一通りでは駄目だと思うし、と云って、無暗にセンチメンタルな文句を口にすれば、兄には馬鹿にされる、ばかりではない、かねて自分を愚弄する様な気がするので、やっぱり平生の代助の通り、のらくらした所を、彼方へ行ったり此方へ来たりして、飲んでいた。飲みながらも、親爺の所謂熱誠が足りないとは、此所の事だなと考えた。けれども、代助は泣いて人を動かそうとする程、低級趣味のものではないと自信している。凡そ何が気障だって、思わせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障なものはないと自覚している。兄にはその辺の消息がよく解っている。だからこの手で遣り損ないでもしようものなら、生涯自分の価値を落す事になる。と気が付いていた。  代助は飲むに従って、段々金を遠ざかって来た。ただ互が差し向いであるが為めに、旨く飲めたと云う自覚を、互に持ち得る様な話をした。が茶漬を食う段になって、思い出した様に、金は借りなくっても好いから、平岡を何処か使って遣ってくれないかと頼んだ。 「いや、そう云う人間は御免蒙る。のみならずこの不景気じゃ仕様がない」と云って誠吾はさくさく飯を掻き込んでいた。  明日眼が覚めた時、代助は床の中でまず第一番にこう考えた。 「兄を動かすのは、同じ仲間の実業家でなくっちゃ駄目だ。単に兄弟の好だけではどうする事も出来ない」  こう考えた様なものの、別に兄を不人情と思う気は起らなかった。寧ろその方が当然であると悟った。この兄が自分の放蕩費を苦情も云わずに弁償してくれた事があるんだから可笑しい。そんなら自分が今ここで平岡の為に判を押して、連借でもしたら、どうするだろう。やっぱりあの時の様に奇麗に片付けてくれるだろうか。兄は其所まで考えていて、断わったんだろうか。或は自分がそんな無理な事はしないものと初から安心して貸さないのかしらん。  代助自身の今の傾向から云うと、到底人の為に判なぞを押しそうにもない。自分もそう思っている。けれども、兄が其所を見抜いて金を貸さないとすると、一寸意外な連帯をして、兄がどんな態度に変るか、試験してみたくもある。――其所まで来て、代助は自分ながら、あんまり性質が能くないなと心のうちで苦笑した。  けれども、唯一つ慥な事がある。平岡は早晩借用証書を携えて、自分の判を取りにくるに違ない。  こう考えながら、代助は床を出た。門野は茶の間で、胡坐をかいて新聞を読んでいたが、髪を濡らして湯殿から帰って来る代助を見るや否や、急に坐三昧を直して、新聞を畳んで坐蒲団の傍へ押し遣りながら、 「どうも『煤烟』は大変な事になりましたな」と大きな声で云った。 「君読んでるんですか」 「ええ、毎朝読んでます」 「面白いですか」 「面白い様ですな。どうも」 「どんな所が」 「どんな所がって、そう改たまって聞かれちゃ困りますが。何じゃありませんか、一体に、こう、現代的の不安が出ている様じゃありませんか」 「そうして、肉の臭いがしやしないか」 「しますな。大いに」  代助は黙ってしまった。  紅茶茶碗を持った儘、書斎へ引き取って、椅子へ腰を懸けて、茫然庭を眺めていると、瘤だらけの柘榴の枯枝と、灰色の幹の根方に、暗緑と暗紅を混ぜ合わした様な若い芽が、一面に吹き出している。代助の眼にはそれがぱっと映じただけで、すぐ刺激を失ってしまった。  代助の頭には今具体的な何物をも留めていなかった。あたかも戸外の天気の様に、それが静かに凝と働らいていた。が、その底には微塵の如き本体の分らぬものが無数に押し合っていた。乾酪の中で、いくら虫が動いても、乾酪が元の位置にある間は、気が付かないと同じ事で、代助もこの微震には殆んど自覚を有していなかった。ただ、それが生理的に反射して来る度に、椅子の上で、少しずつ身体の位置を変えなければならなかった。  代助は近頃流行語の様に人が使う、現代的とか不安とか云う言葉を、あまり口にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云わずと知れていると考えたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分だけで信じていたからである。  代助は露西亜文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈していた。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見ていた。ダヌンチオによって代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断していた。だから日本の文学者が、好んで不安と云う側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚した。  理智的に物を疑う方の不安は、学校時代に、有ったにはあったが、ある所まで進行して、ぴたりと留って、それから逆戻りをしてしまった。丁度天へ向って石を抛げた様なものである。代助は今では、なまじい石などを抛げなければ可かったと思っている。禅坊さんの所謂大疑現前などと云う境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国であった。代助は、そう真率性急に万事を疑うには、あまりに利口に生れ過ぎた男であった。  代助は門野の賞めた「煤烟」を読んでいる。今日は紅茶茶碗の傍に新聞を置いたなり、開けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金に不自由のない男だから、贅沢の結果ああ云う悪戯をしても無理とは思えないが、「煤烟」の主人公に至っては、そんな余地のない程に貧しい人である。それを彼所まで押して行くには、全く情愛の力でなくっちゃ出来る筈のものでない。ところが、要吉という人物にも、朋子という女にも、誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動かす内面の力は何であろうと考えると、代助は不審である。ああいう境遇に居て、ああ云う事を断行し得る主人公は、恐らく不安じゃあるまい。これを断行するに躊躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があって然るべき筈だ。代助は独りで考えるたびに、自分は特殊人だと思う。けれども要吉の特殊人たるに至っては、自分より遥かに上手であると承認した。それでこの間までは好奇心に駆られて「煤烟」を読んでいたが、昨今になって、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思われ出したので、眼を通さない事がよくある。  代助は椅子の上で、時々身を動かした。そうして、自分では飽くまで落ち付いていると思っていた。やがて、紅茶を呑んでしまって、例の通り読書に取りかかった。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁の中頃まで来て急に休めて頬杖を突いた。そうして、傍にあった新聞を取って、「煤烟」を読んだ。呼吸の合わない事は同じ事である。それから外の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつつある生徒側の味方をしている。それが中々強い言葉で出ている。代助はこう云う記事を読むと、これは大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出した。  午過になってから、代助は自分が落ち付いていないと云う事を、漸く自覚し出した。腹のなかに小さな皺が無数に出来て、その皺が絶えず、相互の位地と、形状とを変えて、一面に揺いている様な気持がする。代助は時々こう云う情調の支配を受ける事がある。そうして、この種の経験を、今日まで、単なる生理上の現象としてのみ取り扱っておった。代助は昨日兄と一所に鰻を食ったのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行ってみようかと思い出したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかった。婆さんに着物を出さして、着換えようとしている所へ、甥の誠太郎が来た。帽子を手に持ったまま、恰好の好い円い頭を、代助の前へ出して、腰を掛けた。 「もう学校は引けたのかい。早過ぎるじゃないか」 「ちっとも早かない」と云って、笑いながら、代助の顔を見ている。代助は手を敲いて婆さんを呼んで、 「誠太郎、チョコレートを飲むかい」と聞いた。 「飲む」  代助はチョコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯だした。 「誠太郎、御前はベースボールばかり遣るもんだから、この頃手が大変大きくなったよ。頭より手の方が大きいよ」  誠太郎はにこにこして、右の手で、円い頭をぐるぐる撫でた。実際大きな手を持っている。 「叔父さんは、昨日御父さんから奢って貰ったんですってね」 「ああ、御馳走になったよ。御蔭で今日は腹具合が悪くって不可ない」 「又神経だ」 「神経じゃない本当だよ。全たく兄さんの所為だ」 「だって御父さんはそう云ってましたよ」 「何て」 「明日学校の帰りに代助の所へ廻って何か御馳走して貰えって」 「へええ、昨日の御礼にかい」 「ええ、今日は己が奢ったから、明日は向うの番だって」 「それで、わざわざ遣って来たのかい」 「ええ」 「兄の子だけあって、中々抜けないな。だから今チョコレートを飲まして遣るから好いじゃないか」 「チョコレートなんぞ」 「飲まないかい」 「飲む事は飲むけれども」  誠太郎の注文を能く聞いてみると、相撲が始まったら、回向院へ連れて行って、正面の最上等の所で見物させろというのであった。代助は快よく引き受けた。すると誠太郎は嬉しそうな顔をして、突然、 「叔父さんはのらくらしているけれども実際偉いんですってね」と云った。代助もこれには一寸呆れた。仕方なしに、 「偉いのは知れ切ってるじゃないか」と答えた。 「だって、僕は昨夕始めて御父さんから聞いたんですもの」と云う弁解があった。  誠太郎の云う所によると、昨夕兄が宅へ帰ってから、父と嫂と三人して、代助の合評をしたらしい。子供のいう事だから、能く分らないが、比較的頭が可いので、能く断片的にその時の言葉を覚えている。父は代助を、どうも見込がなさそうだと評したのだそうだ。兄はこれに対して、ああ遣っていても、あれで中々解った所がある。当分放って置くが可い。放って置いても大丈夫だ、間違はない。いずれその内に何か遣るだろうと弁護したのだそうだ。すると嫂がそれに賛成して、一週間ばかり前占者に見てもらったら、この人はきっと人の上に立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのだそうだ。  代助はうん、それから、と云って、始終面白そうに聞いていたが、占者の所へ来たら、本当に可笑しくなった。やがて着物を着換えて、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡の家を訪ねた。  平岡の家は、この十数年来の物価騰貴に伴れて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表した、尤も粗悪な見苦しき構えであった。とくに代助にはそう見えた。  門と玄関の間が一間位しかない。勝手口もその通りである。そうして裏にも、横にも同じ様な窮屈な家が建てられていた。東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割及至三割の高利に廻そうと目論で、あたじけなく拵え上げた、生存競争の記念であった。  今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所にこの種の家が散点している、のみならず、梅雨に入った蚤の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつつある。代助はかつて、これを敗亡の発展と名づけた。そうして、これを目下の日本を代表する最好の象徴とした。  彼等のあるものは、石油缶の底を継ぎ合わせた四角な鱗で蔽われている。彼等の一つを借りて、夜中に柱の割れる音で眼を醒まさないものは一人もない。彼等の戸には必ず節穴がある。彼等の襖は必ず狂いが出ると極っている。資本を頭の中へ注ぎ込んで、月々その頭から利息を取って生活しようと云う人間は、みんなこういう所を借りて立て籠っている。平岡もその一人であった。  代助は垣根の前を通るとき、先ずその屋根に眼が付いた。そうして、どす黒い瓦の色が妙に彼の心を刺激した。代助にはこの光のない土の板が、いくらでも水を吸い込む様に思われた。玄関前に、この間引越のときに解いた菰包の藁屑がまだ零れていた。座敷へ通ると、平岡は机の前へ坐って、長い手紙を書き掛けている所であった。三千代は次の部屋で箪笥の環をかたかた鳴らしていた。傍に大きな行李が開けてあって、中から奇麗な長襦袢の袖が半分出かかっていた。  平岡が、失敬だがちょっと待ってくれと云った間に、代助は行李と長襦袢と、時々行李の中へ落ちる繊い手とを見ていた。襖は明けたまま閉て切る様子もなかった。が三千代の顔は陰になって見えなかった。  やがて、平岡は筆を机の上へ抛げ付ける様にして、座を直した。何だか込み入った事を懸命に書いていたと見えて、耳を赤くしていた。眼も赤くしていた。 「どうだい。この間は色々難有う。その後一寸礼に行こうと思って、まだ行かない」  平岡の言葉は言訳と云わんより寧ろ挑戦の調子を帯びている様に聞こえた。襯衣も股引も着けずにすぐ胡坐をかいた。襟を正しく合せないので、胸毛が少し出ている。 「まだ落ち付かないだろう」と代助が聞いた。 「落ち付くどころか、この分じゃ生涯落ち付きそうもない」と、いそがしそうに烟草を吹かし出した。  代助は平岡が何故こんな態度で自分に応接するか能く心得ていた。決して自分に中るのじゃない、つまり世間に中るんである、否己れに中っているんだと思って、却って気の毒になった。けれども代助の様な神経には、この調子が甚だ不愉快に響いた。ただ腹が立たないだけである。 「宅の都合は、どうだい。間取の具合は可さそうじゃないか」 「うん、まあ、悪くっても仕方がない。気に入った家へ這入ろうと思えば、株でも遣るより外に仕様がなかろう。この頃東京に出来る立派な家はみんな株屋が拵えるんだって云うじゃないか」 「そうかも知れない。その代り、ああ云う立派な家が一軒立つと、その蔭に、どの位沢山な家が潰れているか知れやしない」 「だから猶住み好いだろう」  平岡はこう云って大いに笑った。其所へ三千代が出て来た。先達てはと、軽く代助に挨拶をして、手に持った赤いフランネルのくるくると巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。 「何ですか、それは」 「赤ん坊の着物なの。拵えたまま、つい、まだ、解かずにあったのを、今行李の底を見たら有ったから、出して来たんです」と云いながら、附紐を解いて筒袖を左右に開いた。 「こら」 「まだ、そんなものを仕舞っといたのか。早く壊して雑巾にでもしてしまえ」  三千代は小供の着物を膝の上に乗せたまま、返事もせずしばらく俯向いて眺めていたが、 「貴方のと同じに拵えたのよ」と云って夫の方を見た。 「これか」  平岡は絣の袷の下へ、ネルを重ねて、素肌に着ていた。 「これはもう不可ん。暑くて駄目だ」  代助は始めて、昔の平岡を当面に見た。 「袷の下にネルを重ねちゃもう暑い。襦袢にすると可い」 「うん、面倒だから着ているが」 「洗濯をするから御脱ぎなさいと云っても、中々脱がないのよ」 「いや、もう脱ぐ、己も少々厭になった」  話は死んだ小供の事をとうとう離れてしまった。そうして、来た時よりは幾分か空気に暖味が出来た。平岡は久し振りに一杯飲もうと云い出した。三千代も支度をするから、緩りして行ってくれと頼む様に留めて、次の間へ立った。代助はその後姿を見て、どうかして金を拵えてやりたいと思った。 「君何所か奉公口の見当は付いたか」と聞いた。 「うん、まあ、ある様な無い様なもんだ。無ければ当分遊ぶだけの事だ。緩くり探しているうちにはどうかなるだろう」  云う事は落ち付いているが、代助が聞くと却って焦って探している様にしか取れない。代助は、昨日兄と自分の間に起った問答の結果を、平岡に知らせようと思っていたのだが、この一言を聞いて、しばらく見合せる事にした。何だか、構えている向うの体面を、わざと此方から毀損する様な気がしたからである。その上金の事に付いては平岡からはまだ一言の相談も受けた事もない。だから表向挨拶をする必要もないのである。ただ、こうして黙っていれば、平岡からは、内心で、冷淡な奴だと悪く思われるに極っている。けれども今の代助はそう云う非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はそう熱烈な人間じゃないと考えている。三四年前の自分になって、今の自分を批判してみれば、自分は、堕落しているかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧してみると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使い回していた。鍍金を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。と今は考えている。  代助が真鍮を以て甘んずる様になったのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来たしたという様な、小説じみた歴史を有っている為ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によって、次第々々に鍍金を自分で剥がして来たに過ぎない。代助はこの鍍金の大半をもって、親爺が捺摺り付けたものと信じている。その時分は親爺が金に見えた。多くの先輩が金に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自分の鍍金が辛かった。早く金になりたいと焦ってみた。ところが、他のものの地金へ、自分の眼光がじかに打つかる様になって以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思われ出した。  代助は同時にこう考えた。自分が三四年の間に、これまで変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化しているだろう。昔しの自分なら、なるべく平岡によく思われたい心から、こんな場合には兄と喧嘩をしても、父と口論をしても、平岡の為に計ったろう、又その計った通りを平岡の所へ来て事々しく吹聴したろうが、それを予期するのは、やっぱり昔の平岡で、今の彼はさ程に友達を重くは見ていまい。  それで肝心の話は一二言で已めて、あとは色々な雑談に時を過ごすうちに酒が出た。三千代が徳利の尻を持って御酌をした。  平岡は酔うに従って、段々口が多くなって来た。この男はいくら酔っても、中々平生を離れない事がある。かと思うと、大変に元気づいて、調子に一種の悦楽を帯びて来る。そうなると、普通の酒家以上に、能く弁ずる上に、時としては比較的真面目な問題を持ち出して、相手と議論を上下して楽し気に見える。代助はその昔し、麦酒の壜を互の間に并べて、よく平岡と戦った事を覚えている。代助に取って不思議とも思われるのは、平岡がこう云う状態に陥った時が、一番平岡と議論がしやすいと云う自覚であった。又酒を呑んで本音を吐こうか、と平岡の方からよく云ったものだ。今日の二人の境界はその時分とは、大分離れて来た。そうして、その離れて、近づく路を見出し悪い事実を、双方共に腹の中で心得ている。東京へ着いた翌日、三年振りで邂逅した二人は、その時既に、二人ともに何時か互の傍を立退いていたことを発見した。  ところが今日は妙である。酒に親しめば親しむ程、平岡が昔の調子を出して来た。旨い局所へ酒が回って、刻下の経済や、目前の生活や、又それに伴う苦痛やら、不平やら、心の底の騒がしさやらを全然痳痺してしまった様に見える。平岡の談話は一躍して高い平面に飛び上がった。 「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働らいている。又これからも働らく積りだ。君は僕の失敗したのを見て笑っている。――笑わないたって、要するに笑ってると同じ事に帰着するんだから構わない。いいか、君は笑っている。笑っているが、その君は何も為ないじゃないか。君は世の中を、有のままで受け取る男だ。言葉を換えて云うと、意志を発展させる事の出来ない男だろう。意志がないと云うのは嘘だ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないに違ない。僕は僕の意志を現実社会に働き掛けて、その現実社会が、僕の意志の為に、幾分でも、僕の思い通りになったと云う確証を握らなくっちゃ、生きていられないね。そこに僕と云うものの存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えてるだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。何故と云って見給え。僕のはその不調和を外へ出したまでで、君のは内に押し込んで置くだけの話だから、外面に押し掛けただけ、僕の方が本当の失敗の度は少ないかも知れない。でも僕は君に笑われている。そうして僕は君を笑う事が出来ない。いや笑いたいんだが、世間から見ると、笑っちゃ不可ないんだろう」 「何笑っても構わない。君が僕を笑う前に、僕は既に自分を笑っているんだから」 「そりゃ、嘘だ。ねえ三千代」  三千代は先刻から黙って坐っていたが、夫から不意に相談を受けた時、にこりと笑って、代助を見た。 「本当でしょう、三千代さん」と云いながら、代助は盃を出して、酒を受けた。 「そりゃ嘘だ。おれの細君が、いくら弁護したって、嘘だ。尤も君は人を笑っても、自分を笑っても、両方共頭の中で遣る人だから、嘘か本当かその辺はしかと分らないが……」 「冗談云っちゃ不可ない」 「冗談じゃない。全く本気の沙汰であります。そりゃ昔の君はそうじゃ無かった。昔の君はそうじゃ無かったが、今の君は大分違ってるよ。ねえ三千代。長井は誰が見たって、大得意じゃないか」 「何だか先刻から、傍で伺がってると、貴方の方が余っ程御得意の様よ」  平岡は大きな声を出してハハハと笑った。三千代は燗徳利を持って次の間へ立った。  平岡は膳の上の肴を二口三口、箸で突っついて、下を向いたまま、むしゃむしゃ云わしていたが、やがて、どろんとした眼を上げて、云った。―― 「今日は久し振りに好い心持に酔った。なあ君。――君はあんまり好い心持にならないね。どうも怪しからん。僕が昔の平岡常次郎になってるのに、君が昔の長井代助にならないのは怪しからん。是非なり給え。そうして、大いに遣ってくれ給え。僕もこれから遣る。から君も遣ってくれ給え」  代助はこの言葉のうちに、今の自己を昔に返そうとする真率な又無邪気な一種の努力を認めた。そうして、それに動かされた。けれども一方では、一昨日、食った麺麭を今返せと強請られる様な気がした。 「君は酒を呑むと、言葉だけ酔払っても、頭は大抵確かな男だから、僕も云うがね」 「それだ。それでこそ長井君だ」  代助は急に云うのが厭になった。 「君、頭は確かい」と聞いた。 「確だとも。君さえ確なら此方は何時でも確だ」と云って、ちゃんと代助の顔を見た。実際自分の云う通りの男である。そこで代助が云った。―― 「君はさっきから、働らかない働らかないと云って、大分僕を攻撃したが、僕は黙っていた。攻撃される通り僕は働らかない積りだから黙っていた」 「何故働かない」 「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何と云ったって、何を為たって、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来している時分から怠けものだ。あの時は強いて景気をつけていたから、君には有為多望の様に見えたんだろう。そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣る事はいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでも出来て来るだろうと思う。然しこれじゃ駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分だけになっている。そうして、君の所謂有のままの世界を、有のままで受取って、その中僕に尤も適したものに接触を保って満足する。進んで外の人を、此方の考え通りにするなんて、到底出来た話じゃありゃしないもの――」  代助は一寸息を継いだ。そうして、一寸窮屈そうに控えている三千代の方を見て、御世辞を遣った。 「三千代さん。どうです、私の考は。随分呑気で宜いでしょう。賛成しませんか」 「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化していらっしゃる様よ」 「へええ。何処ん所を」 「何処ん所って、ねえ貴方」と三千代は夫を見た。平岡は股の上へ肱を乗せて、肱の上へ顎を載せて黙っていたが、何にも云わずに盃を代助の前に出した。代助も黙って受けた。三千代は又酌をした。  代助は盃へ唇を付けながら、これから先はもう云う必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考え直させる為の弁論でもなし、又平岡から意見されに来た訪問でもない。二人はいつまで立っても、二人として離れていなければならない運命を有っているんだと、始めから心付ているから、議論は能い加減に引き上げて、三千代の仲間入りの出来る様な、普通の社交上の題目に談話を持って来ようと試みた。  けれども、平岡は酔うとしつこくなる男であった。胸毛の奥まで赤くなった胸を突き出して、こう云った。 「そいつは面白い。大いに面白い。僕みた様に局部に当って、現実と悪闘しているものは、そんな事を考える余地がない。日本が貧弱だって、弱虫だって、働らいてるうちは、忘れているからね。世の中が堕落したって、世の中の堕落に気が付かないで、その中に活動するんだからね。君の様な暇人から見れば日本の貧乏や、僕等の堕落が気になるかも知れないが、それはこの社会に用のない傍観者にして始めて口にすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、そうなるんだ。忙がしい時は、自分の顔の事なんか、誰だって忘れているじゃないか」  平岡は饒舌ってるうち、自然とこの比喩に打つかって、大いなる味方を得た様な心持がしたので、其所で得意に一段落をつけた。代助は仕方なしに薄笑いをした。すると平岡はすぐ後を附加えた。 「君は金に不自由しないから不可ない。生活に困らないから、働らく気にならないんだ。要するに坊ちゃんだから、品の好い様なことばっかり云っていて、――」  代助は少々平岡が小憎らしくなったので、突然中途で相手を遮ぎった。 「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」  平岡は不思議に不愉快な眼をして、代助の顔を窺った。そうして、 「何故」と聞いた。 「何故って、生活の為めの労力は、労力の為めの労力でないもの」 「そんな論理学の命題みた様なものは分らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云ってくれ」 「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ」 「僕の考えとはまるで反対だね。食う為めだから、猛烈に働らく気になるんだろう」 「猛烈には働らけるかも知れないが誠実には働らき悪いよ。食う為の働らきと云うと、つまり食うのと、働らくのと何方が目的だと思う」 「無論食う方さ」 「それ見給え。食う方が目的で働らく方が方便なら、食い易い様に、働らき方を合せて行くのが当然だろう。そうすりゃ、何を働らいたって、又どう働らいたって、構わない、只麺麭が得られれば好いと云う事に帰着してしまうじゃないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から制肘される以上は、その労力は堕落の労力だ」 「まだ理論的だね、どうも。それで一向差支ないじゃないか」 「では極上品な例で説明してやろう。古臭い話だが、ある本でこんな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱えたところが、始めて、その料理人の拵えたものを食ってみると頗る不味かったんで、大変小言を云ったそうだ。料理人の方では最上の料理を食わして、叱られたものだから、その次からは二流もしくは三流の料理を主人にあてがって、始終褒められたそうだ。この料理人を見給え。生活の為に働らく事は抜目のない男だろうが、自分の技芸たる料理その物のために働らく点から云えば、頗る不誠実じゃないか、堕落料理人じゃないか」 「だってそうしなければ解雇されるんだから仕方があるまい」 「だからさ。衣食に不自由のない人が、云わば、物数奇にやる働らきでなくっちゃ、真面目な仕事は出来るものじゃないんだよ」 「そうすると、君の様な身分のものでなくっちゃ、神聖の労力は出来ない訳だ。じゃ益遣る義務がある。なあ三千代」 「本当ですわ」 「何だか話が、元へ戻っちまった。これだから議論は不可ないよ」と云って、代助は頭を掻いた。議論はそれで、とうとう御仕舞になった。 七  代助は風呂へ這入た。 「先生、どうです、御燗は。もう少し燃させましょうか」と門野が突然入り口から顔を出した。門野はこう云う事には能く気の付く男である。代助は、凝と湯に浸ったまま、 「結構」と答えた。すると、門野が、 「ですか」と云い棄てて、茶の間の方へ引き返した。代助は門野の返事のし具合に、いたく興味を有って、独りにやにやと笑った。代助には人の感じ得ない事を感じる神経がある。それが為時々苦しい思もする。ある時、友達の御親爺さんが死んで、葬式の供に立ったが、不図その友達が装束を着て、青竹を突いて、柩のあとへ付いて行く姿を見て可笑しくなって困った事がある。又ある時は、自分の父から御談義を聞いている最中に、何の気もなく父の顔を見たら、急に吹き出したくなって弱り抜いた事がある。自宅に風呂を買わない時分には、つい近所の銭湯に行ったが、其所に一人の骨骼の逞ましい三助がいた。これが行くたんびに、奥から飛び出して来て、流しましょうと云っては脊中を擦る。代助は其奴に体をごしごし遣られる度に、どうしても、埃及人に遣られている様な気がした。いくら思い返しても日本人とは思えなかった。  まだ不思議な事がある。この間、ある書物を読んだら、ウエバーと云う生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減したり、随意に変化さしたと書いてあったので、平生から鼓動を試験する癖のある代助は、ためしに遣ってみたくなって、一日に二三回位怖々ながら試しているうちに、どうやら、ウエバーと同じ様になりそうなので、急に驚ろいて已めにした。  湯のなかに、静かに浸っていた代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上へ持って行ったが、どんどんと云う命の音を二三度聞くや否や、忽ちウエバーを思い出して、すぐ流しへ下りた。そうして、其所に胡坐をかいたまま、茫然と、自分の足を見詰めていた。するとその足が変になり始めた。どうも自分の胴から生えているんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所に無作法に横わっている様に思われて来た。そうなると、今までは気が付かなかったが、実に見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃に延びて、青い筋が所々に蔓って、如何にも不思議な動物である。  代助は又湯に這入って、平岡の云った通り、全く暇があり過ぎるので、こんな事まで考えるのかと思った。湯から出て、鏡に自分の姿を写した時、又平岡の言葉を思い出した。幅の厚い西洋髪剃で、顎と頬を剃る段になって、その鋭どい刃が、鏡の裏で閃く色が、一種むず痒い様な気持を起さした。これが烈しくなると、高い塔の上から、遥かの下を見下すのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終った。  茶の間を抜けようとする拍子に、 「どうも先生は旨いよ」と門野が婆さんに話していた。 「何が旨いんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野は、 「やあ、もう御上りですか。早いですな」と答えた。この挨拶では、もう一遍、何が旨いんだと聞かれもしなくなったので、そのまま書斎へ帰って、椅子に腰を掛けて休息していた。  休息しながら、こう頭が妙な方面に鋭どく働き出しちゃ、身体の毒だから、些と旅行でもしようかと思ってみた。一つは近来持ち上った結婚問題を避けるに都合が好いとも考えた。すると又平岡の事が妙に気に掛って、転地する計画をすぐ打ち消してしまった。それを能く煎じ詰めてみると、平岡の事が気に掛るのではない、やっぱり三千代の事が気にかかるのである。代助は其所まで押して来ても、別段不徳義とは感じなかった。寧ろ愉快な心持がした。  代助が三千代と知り合になったのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃であった。代助は長井家の関係から、当時交際社会の表面にあらわれて出た、若い女の顔も名も、沢山に知っていた。けれども三千代はその方面の婦人ではなかった。色合から云うと、もっと地味で、気持から云うと、もう少し沈んでいた。その頃、代助の学友に菅沼と云うのがあって、代助とも平岡とも、親しく附合っていた。三千代はその妹である。  この菅沼は東京近県のもので、学生になった二年目の春、修業の為と号して、国から妹を連れて来ると同時に、今までの下宿を引き払って、二人して家を持った。その時妹は国の高等女学校を卒業したばかりで、年は慥十八とか云う話であったが、派手な半襟を掛けて、肩上をしていた。そうして程なくある女学校へ通い始めた。  菅沼の家は谷中の清水町で、庭のない代りに、縁側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。それがまた、錆た鉄の様に、頗る異しい色をしていた。その一本は殆ど枯れ掛かって、上の方には丸裸の骨ばかり残った所に、夕方になると烏が沢山集まって鳴いていた。隣には若い画家が住んでいた。車もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居であった。  代助は其所へ能く遊びに行った。始めて三千代に逢った時、三千代はただ御辞儀をしただけで引込んでしまった。代助は上野の森を評して帰って来た。二返行っても、三返行っても、三千代はただ御茶を持って出るだけであった。その癖狭い家だから、隣の室にいるより外はなかった。代助は菅沼と話しながら、隣の室に三千代がいて、自分の話を聴いているという自覚を去る訳に行かなかった。  三千代と口を利き出したのは、どんな機会であったか、今では代助の記憶に残っていない。残っていない程、瑣末な尋常の出来事から起ったのだろう。詩や小説に厭いた代助には、それが却って面白かった。けれども一旦口を利き出してからは、やっぱり詩や小説と同じ様に、二人はすぐ心安くなってしまった。  平岡も、代助の様に、よく菅沼の家へ遊びに来た。あるときは二人連れ立って、来た事もある。そうして、代助と前後して、三千代と懇意になった。三千代は兄とこの二人に食付いて、時々池の端などを散歩した事がある。  四人はこの関係で約二年足らず過ごした。すると菅沼の卒業する年の春、菅沼の母と云うのが、田舎から遊びに出て来て、しばらく清水町に泊っていた。この母は年に一二度ずつは上京して、子供の家に五六日寐起する例になっていたんだが、その時は帰る前日から熱が出だして、全く動けなくなった。それが一週間の後窒扶斯と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為附添として一所に病院に移った。病人の経過は、一時稍佳良であったが、中途からぶり返して、とうとう死んでしまった。そればかりではない。窒扶斯が、見舞に来た兄に伝染して、これも程なく亡くなった。国にはただ父親が一人残った。  それが母の死んだ時も、菅沼の死んだ時も出て来て、始末をしたので、生前に関係の深かった代助とも平岡とも知り合になった。三千代を連れて国へ帰る時は、娘とともに二人の下宿を別々に訪ねて、暇乞旁礼を述べた。  その年の秋、平岡は三千代と結婚した。そうしてその間に立ったものは代助であった。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連なって貰ったのだが、身体を動かして、三千代の方を纏めたものは代助であった。  結婚して間もなく二人は東京を去った。国に居た父は思わざるある事情の為に余儀なくされて、これもまた北海道へ行ってしまった。三千代は何方かと云えば、今心細い境遇に居る。どうかして、この東京に落付いていられる様にして遣りたい気がする。代助はもう一返嫂に相談して、この間の金を調達する工面をしてみようかと思った。又三千代に逢って、もう少し立ち入った事情を委しく聞いてみようかと思った。  けれども、平岡へ行ったところで、三千代が無暗に洗い浚い饒舌り散らす女ではなし、よしんばどうして、そんな金が要る様になったかの事情を、詳しく聞き得たにしたところで、夫婦の腹の中なんぞは容易に探られる訳のものではない。――代助の心の底を能く見詰めていると、彼の本当に知りたい点は、却って此所に在ると、自から承認しなければならなくなる。だから正直を云うと、何故に金が入用であるかと研究する必要は、もう既に通り越していたのである。実は外面の事情は聞いても聞かなくっても、三千代に金を貸して満足させたい方であった。けれども三千代の歓心を買う目的を以て、その手段として金を拵える気はまるでなかった。代助は三千代に対して、それ程政略的な料簡を起す余裕を有っていなかったのである。  その上平岡の留守へ行き中てて、今日までの事情を、特に経済の点に関してだけでも、充分聞き出すのは困難である。平岡が家にいる以上は、詳しい話の出来ないのは知れ切っている。出来ても、それを一から十まで真に受ける訳には行かない。平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄を張っている。見栄のいらない所でも一種の考から沈黙を守っている。  代助は、ともかくもまず嫂に相談してみようと決心した。そうして、自分ながら甚だ覚束ないとは思った。今まで嫂にちびちび、無心を吹き掛けた事は何度もあるが、こう短兵急に痛め付けるのは始めてである。然し梅子は自分の自由になる資産をいくらか持っているから、或は出来ないとも限らない。それで駄目なら、又高利でも借りるのだが、代助はまだ其所までには気が進んでいなかった。ただ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強いられて、それを断わり切れない位なら、一層此方から進んで、直接に三千代を喜ばしてやる方が遥かに愉快だという取捨の念だけは殆んど理窟を離れて、頭の中に潜んでいた。  生暖かい風の吹く日であった。曇った天気が何時までも無精に空に引掛って、中々暮れそうにない四時過から家を出て、兄の宅まで電車で行った。青山御所の少し手前まで来ると、電車の左側を父と兄が綱曳で急がして通った。挨拶をする暇もないうちに擦れ違ったから、向うは元より気が付かずに過ぎ去った。代助は次の停留所で下りた。  兄の家の門を這入ると、客間でピヤノの音がした。代助は一寸砂利の上に立ち留ったが、すぐ左へ切れて勝手口の方へ廻った。其所には格子の外に、ヘクターと云う英国産の大きな犬が、大きな口を革紐で縛られて臥ていた。代助の足音を聞くや否や、ヘクターは毛の長い耳を振って、斑な顔を急に上げた。そうして尾を揺かした。  入口の書生部屋を覗き込んで、敷居の上に立ちながら、二言三言愛嬌を云った後、すぐ西洋間の方へ来て、戸を開けると、嫂がピヤノの前に腰を掛けて両手を動かしていた。その傍に縫子が袖の長い着物を着て、例の髪を肩まで掛けて立っていた。代助は縫子の髪を見るたんびに、ブランコに乗った縫子の姿を思い出す。黒い髪と、淡紅色のリボンと、それから黄色い縮緬の帯が、一時に風に吹かれて空に流れる様を、鮮かに頭の中に刻み込んでいる。  母子は同時に振り向いた。 「おや」  縫子の方は、黙って馳けて来た。そうして、代助の手をぐいぐい引張った。代助はピヤノの傍まで来た。 「如何なる名人が鳴らしているのかと思った」  梅子は何にも云わずに、額に八の字を寄せて、笑いながら手を振り振り、代助の言葉を遮ぎった。そうして、向うからこう云った。 「代さん、此所ん所を一寸遣って見せて下さい」  代助は黙って嫂と入れ替った。譜を見ながら、両方の指をしばらく奇麗に働かした後、 「こうだろう」と云って、すぐ席を離れた。  それから三十分程の間、母子して交る交る楽器の前に坐っては、一つ所を復習していたが、やがて梅子が、 「もう廃しましょう。彼方へ行って、御飯でも食ましょう。叔父さんもいらっしゃい」と云いながら立った。部屋のなかはもう薄暗くなっていた。代助は先刻から、ピヤノの音を聞いて、嫂や姪の白い手の動く様子を見て、そうして時々は例の欄間の画を眺めて、三千代の事も、金を借りる事も殆んど忘れていた。部屋を出る時、振り返ったら、紺青の波が摧けて、白く吹き返す所だけが、暗い中に判然見えた。代助はこの大濤の上に黄金色の雲の峰を一面に描かした。そうして、その雲の峰をよく見ると、真裸な女性の巨人が、髪を乱し、身を躍らして、一団となって、暴れ狂っている様に、旨く輪廓を取らした。代助はヴァルキイルを雲に見立てた積りでこの図を注文したのである。彼はこの雲の峰だか、又巨大な女性だか、殆んど見分けの付かない、偉な塊を脳中に髣髴して、ひそかに嬉しがっていた。がさて出来上って、壁の中へ嵌め込んでみると、想像したよりは不味かった。梅子と共に部屋を出た時は、このヴァルキイルは殆んど見えなかった。紺青の波は固より見えなかった。ただ白い泡の大きな塊が薄白く見えた。  居間にはもう電燈が点いていた。代助は其所で、梅子と共に晩食を済ました。子供二人も卓を共にした。誠太郎に兄の部屋からマニラを一本取って来さして、それを吹かしながら、雑談をした。やがて、子供は明日の下読をする時間だと云うので、母から注意を受けて、自分の部屋へ引き取ったので、後は差し向になった。  代助は突然例の話を持ち出すのも、変なものだと思って、関係のない所からそろそろ進行を始めた。先ず父と兄が綱曳で車を急がして何所へ行ったのだとか、この間は兄さんに御馳走になったとか、あなたは何故麻布の園遊会へ来なかったのだとか、御父さんの漢詩は大抵法螺だとか、色々聞いたり答えたりしているうちに、一つ新しい事実を発見した。それは外でもない。父と兄が、近来目に立つ様に、忙しそうに奔走し始めて、この四五日は碌々寐るひまもない位だと云う報知である。全体何が始ったんですと、代助は平気な顔で聞いてみた。すると、嫂も普通の調子で、そうですね、何か始ったんでしょう。御父さんも、兄さんも私には何にも仰しゃらないから、知らないけれどもと答えて、代さんは、それよりかこの間の御嫁さんをと云い掛けている所へ、書生が這入って来た。  今夜も遅くなる、もし、誰と誰が来たら何とか屋へ来る様に云ってくれと云う電話を伝えたまま、書生は再び出て行った。代助は又結婚問題に話が戻ると面倒だから、時に姉さん、些御願があって来たんだが、とすぐ切り出してしまった。  梅子は代助の云う事を素直に聞いていた。代助は凡てを話すに約十分ばかり費やした。最後に、 「だから思い切って貸して下さい」と云った。すると梅子は真面目な顔をして、 「そうね。けれども全体何時返す気なの」と思いも寄らぬ事を問い返した。代助は顎の先を指で撮んだまま、じっと嫂の気色を窺った。梅子は益真面目な顔をして、又こう云った。 「皮肉じゃないのよ。怒っちゃ不可ませんよ」  代助は無論怒ってはいなかった。ただ姉弟からこういう質問を受けようと予期していなかっただけである。今更返す気だの、貰う積りだのと布衍すればする程馬鹿になるばかりだから、甘んじて打撃を受けていただけである。梅子は漸やく手に余る弟を取って抑えた様な気がしたので、後が大変云い易かった。―― 「代さん、あなたは不断から私を馬鹿にして御出なさる。――いいえ、厭味を云うんじゃない、本当の事なんですもの、仕方がない。そうでしょう」 「困りますね、そう真剣に詰問されちゃ」 「善ござんすよ。胡魔化さないでも。ちゃんと分ってるんだから。だから正直にそうだと云って御しまいなさい。そうでないと、後が話せないから」  代助は黙ってにやにや笑っていた。 「でしょう。そら御覧なさい。けれども、それが当り前よ。ちっとも構やしません。いくら私が威張ったって、貴方に敵いっこないのは無論ですもの。私と貴方とは今まで通りの関係で、御互いに満足なんだから、文句はありゃしません。そりゃそれで好いとして、貴方は御父さんも馬鹿にしていらっしゃるのね」  代助は嫂の態度の真率な所が気に入った。それで、 「ええ、少しは馬鹿にしています」と答えた。すると梅子はさも愉快そうにハハハハと笑った。そうして云った。 「兄さんも馬鹿にしていらっしゃる」 「兄さんですか。兄さんは大いに尊敬している」 「嘘を仰しゃい。序だから、みんな打ち散けて御しまいなさい」 「そりゃ、或点では馬鹿にしない事もない」 「それ御覧なさい。あなたは一家族中悉く馬鹿にしていらっしゃる」 「どうも恐れ入りました」 「そんな言訳はどうでも好いんですよ。貴方から見れば、みんな馬鹿にされる資格があるんだから」 「もう、廃そうじゃありませんか。今日は中々きびしいですね」 「本当なのよ。それで差支ないんですよ。喧嘩も何も起らないんだから。けれどもね、そんなに偉い貴方が、何故私なんぞから、御金を借りる必要があるの。可笑しいじゃありませんか。いえ、揚足を取ると思うと、腹が立つでしょう。そんなんじゃありません。それ程偉い貴方でも、御金がないと、私みた様なものに頭を下げなけりゃならなくなる」 「だから先きから頭を下げているんです」 「まだ本気で聞いていらっしゃらないのね」 「これが私の本気な所なんです」 「じゃ、それも貴方の偉い所かも知れない。然し誰も御金を貸し手がなくって、今の御友達を救って上げる事が出来なかったら、どうなさる。いくら偉くっても駄目じゃありませんか。無能力な事は車屋と同なしですもの」  代助は今まで嫂がこれ程適切な異見を自分に向って加え得ようとは思わなかった。実は金の工面を思い立ってから、自分でもこの弱点を冥々の裡に感じていたのである。 「全く車屋ですね。だから姉さんに頼むんです」 「仕方がないのね、貴方は。あんまり、偉過ぎて。一人で御金を御取んなさいな。本当の車屋なら貸して上げない事もないけれども、貴方には厭よ。だって余りじゃありませんか。月々兄さんや御父さんの厄介になった上に、人の分まで自分に引受けて、貸してやろうって云うんだから。誰も出したくはないじゃありませんか」  梅子の云う所は実に尤もである。然し代助はこの尤を通り越して、気が付かずにいた。振り返ってみると、後の方に姉と兄と父がかたまっていた。自分も後戻りをして、世間並にならなければならないと感じた。家を出る時、嫂から無心を断わられるだろうとは気遣った。けれどもそれが為めに、大いに働らいて、自から金を取らねばならぬという決心は決して起し得なかった。代助はこの事件をそれ程重くは見ていなかったのである。  梅子は、この機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しようと力めた。ところが代助には梅子の腹がよく解っていた。解れば解る程激する気にならなかった。そのうち話題は金を離れて、再び結婚に戻って来た。代助は最近の候補者に就て、この間から親爺に二度程悩まされている。親爺の論理は何時聞いても昔し風に甚だ義理堅いものであったが、その代り今度はさ程権柄ずくでもなかった。自分の命の親に当る人の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰ってくれと云うんである。そうすれば幾分か恩が返せると云うんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、まるで筋の立たない主張であった。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持っていなかった。だから父の云う事の当否は論弁の限にあらずとして、貰えば貰っても構わなかった。代助はこの二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になった如く、結婚に対しても、あまり重きを置く必要を認めていなかった。佐川の娘というのは只写真で知っているばかりであるが、それだけでも沢山な様な気がした。――尤も写真は大分美くしかった。――従って、貰うとなれば、そう面倒な条件を持ち出す考も何もなかった。ただ、貰いましょうと云う確答が出なかっただけである。  その不明晰な態度を、父に評させると、まるで要領を得ていない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死の間に横わる一大要件と見傚して、あるゆる他の出来事を、これに従属させる考えの嫂から云わせると、不可思議になる。 「だって、貴方だって、生涯一人でいる気でもないんでしょう。そう我儘を云わないで、好い加減な所で極めてしまったらどうです」と梅子は少し焦れったそうに云った。  生涯一人でいるか、或は妾を置いて暮すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画はまるでなかった。只、今の彼は結婚というものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持てなかった事は慥である。これは、彼の性情が、一図に物に向って集注し得ないのと、彼の頭が普通以上に鋭どくって、しかもその鋭さが、日本現代の社会状況のために、幻像打破の方面に向って、今日まで多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知っているのとの三カ条に、帰着するのである。が代助は其所まで解剖して考える必要は認めていなかった。ただ結婚に興味がないと云う、自己に明かな事実を握って、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でいた。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時かこれを成立させようと喘る努力を、不自然であり、不合理であり、かつあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。  代助は固よりこんな哲理を嫂に向って講釈する気はなかった。が、段々押し詰られると、苦し紛れに、 「だが、姉さん、僕はどうしても嫁を貰わなければならないのかね」と聞く事がある。代助は無論真面目に聞く積りだけれども、嫂の方では呆れてしまう。そうして、自分を茶にするのだと取る。梅子はその晩代助に向って、平生の手続を繰り返した後で、こんな事を云った。 「妙なのね、そんなに厭がるのは。――厭なんじゃないって、口では仰しゃるけれども、貰わなければ、厭なのと同なしじゃありませんか。それじゃ誰か好きなのがあるんでしょう。その方の名を仰ゃい」  代助は今まで嫁の候補者としては、ただの一人も好いた女を頭の中に指名していた覚がなかった。が、今こう云われた時、どう云う訳か、不意に三千代という名が心に浮かんだ。つづいて、だから先刻云った金を貸して下さい、という文句が自から頭の中で出来上った。――けれども代助はただ苦笑して嫂の前に坐っていた。 八  代助が嫂に失敗して帰った夜は、大分更けていた。彼は辛うじて青山の通りで、最後の電車を捕まえた位である。それにも拘わらず彼の話している間には、父も兄も帰って来なかった。尤もその間に梅子は電話口へ二返呼ばれた。然し、嫂の様子に別段変った所もないので、代助は此方から進んで何にも聞かなかった。  その夜は雨催の空が、地面と同じ様な色に見えた。停留所の赤い柱の傍に、たった一人立って電車を待ち合わしていると、遠い向うから小さい火の玉があらわれて、それが一直線に暗い中を上下に揺れつつ代助の方に近いて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗り込んで見ると、誰も居なかった。黒い着物を着た車掌と運転手の間に挟まれて、一種の音に埋まって動いて行くと、動いている車の外は真暗である。代助は一人明るい中に腰を掛けて、どこまでも電車に乗って、終に下りる機会が来ないまで引っ張り廻される様な気がした。  神楽坂へかかると、寂りとした路が左右の二階家に挟まれて、細長く前を塞いでいた。中途まで上って来たら、それが急に鳴り出した。代助は風が家の棟に当る事と思って、立ち留まって暗い軒を見上げながら、屋根から空をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲われた。戸と障子と硝子の打ち合う音が、見る見る烈しくなって、ああ地震だと気が付いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦んでいた。その時代助は左右の二階家が坂を埋むべく、双方から倒れて来る様に感じた。すると、突然右側の潜り戸をがらりと開けて、小供を抱いた一人の男が、地震だ地震だ、大きな地震だと云って出て来た。代助はその男の声を聞いて漸く安心した。  家へ着いたら、婆さんも門野も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人とも自分程には感じなかったろうと考えた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置しようかと思案してみた。然し分別を凝らすまでには至らなかった。父と兄の近来の多忙は何事だろうと推してみた。結婚は愚図々々にして置こうと了簡を極めた。そうして眠に入った。  その明日の新聞に始めて日糖事件なるものがあらわれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云う報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ痛快だと評していたが、代助にはそれ程痛快にも思えなかった。が、二三日するうちに取り調べを受けるものの数が大分多くなって来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立てる様になった。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。その説明には、英国大使が日糖株を買い込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下したのだとあった。  日糖事件の起る少し前、東洋汽船という会社は、一割二分の配当をした後の半期に、八十万円の欠損を報告した事があった。それを代助は記憶していた。その時の新聞がこの報告を評して信を置くに足らんと云った事も記憶していた。  代助は自分の父と兄の関係している会社に就ては何事も知らなかった。けれども、いつどんな事が起るまいものでもないとは常から考えていた。そうして、父も兄もあらゆる点に於て神聖であるとは信じていなかった。もしやかましい吟味をされたなら、両方共拘引に価する資格が出来はしまいかとまで疑っていた。それ程でなくっても、父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕だけで、誰が見ても尤と認める様に、作り上げられたとは肯わなかった。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与えた事がある。その時ただ貰った地面の御蔭で、今は非常な金満家になったものがある。けれどもこれは寧ろ天の与えた偶然である。父と兄の如きは、この自己にのみ幸福なる偶然を、人為的にかつ政略的に、暖室を造って、拵え上げたんだろうと代助は鑑定していた。  代助はこう云う考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかった。父と兄の会社に就ても心配をする程正直ではなかった。ただ三千代の事だけが多少気に掛った。けれども、徒手で行くのが面白くないんで、そのうちの事と腹の中で料簡を定めて、日々読書に耽って四五日過した。不思議な事にその後例の金の件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云って来なかった。代助は心のうちに、あるいは三千代が又一人で返事を聞きに来る事もあるだろうと、実は心待に待っていたのだが、その甲斐はなかった。  仕舞にアンニュイを感じ出した。何処か遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜して、芝居でも見ようと云う気を起した。神楽坂から外濠線へ乗って、御茶の水まで来るうちに気が変って、森川町にいる寺尾という同窓の友達を尋ねる事にした。この男は学校を出ると、教師は厭だから文学を職業とすると云い出して、他のものの留めるにも拘らず、危険な商売をやり始めた。やり始めてから三年になるが、未だに名声も上らず、窮々云って原稿生活を持続している。自分の関係のある雑誌に、何でも好いから書けと逼るので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一カ月の間雑誌屋の店頭に曝されたぎり、永久人間世界から何処かへ、運命の為めに持って行かれてしまった。それぎり代助は筆を執る事を御免蒙った。寺尾は逢うたんびに、もっと書け書けと勧める。そうして、己を見ろと云うのが口癖であった。けれども外の人に聞くと、寺尾ももう陥落するだろうと云う評判であった。大変露西亜ものが好で、ことに人が名前を知らない作家が好で、なけなしの銭を工面しては新刊物を買うのが道楽であった。あまり気が高かった時、代助が、文学者も恐露病に罹ってるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評返した事がある。すると寺尾は真面目な顔をして、戦争は何時でもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちゃつまらんじゃないか。やっぱり恐露病に罹ってる方が、卑怯でも安全だ、と答えてやっぱり露西亜文学を鼓吹していた。  玄関から座敷へ通って見ると、寺尾は真中へ一閑張の机を据えて、頭痛がすると云って鉢巻をして、腕まくりで、帝国文学の原稿を書いていた。邪魔ならまた来ると云うと、帰らんでもいい、もう今朝から五五、二円五十銭だけ稼いだからと云う挨拶であった。やがて鉢巻を外して、話を始めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒し始めた。代助はそれを面白く聞いていた。然し腹の中では、寺尾の事を誰も賞めないので、その対抗運動として、自分の方では他を貶すんだろうと思った。ちと、そう云う意見を発表したら好いじゃないかと勧めると、そうは行かないよと笑っている。何故と聞き返しても答えない。しばらくして、そりゃ君の様に気楽に暮せる身分なら随分云ってみせるが――何しろ食うんだからね。どうせ真面目な商売じゃないさ。と云った。代助は、それで結構だ、確かり遣りたまえと奨励した。すると寺尾は、いや些とも結構じゃない。どうかして、真面目になりたいと思っている。どうだ、君ちっと金を貸して僕を真面目にする了見はないかと聞いた。いや、君が今の様な事をして、それで真面目だと思う様になったら、その時貸してやろうと調戯って、代助は表へ出た。  本郷の通りまで来たが倦怠の感は依然として故の通りである。何処をどう歩いても物足りない。と云って、人の宅を訪ねる気はもう出ない。自分を検査してみると、身体全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗って、今度は伝通院前まで来た。車中で揺られるたびに、五尺何寸かある大きな胃嚢の中で、腐ったものが、波を打つ感じがあった。三時過ぎにぼんやり宅へ帰った。玄関で門野が、 「先刻御宅から御使でした。手紙は書斎の机の上に載せて置きました。受取は一寸私が書いて渡して置きました」と云った。  手紙は古風な状箱の中にあった。その赤塗の表には名宛も何も書かないで、真鍮の環に通した観世撚の封じ目に黒い墨を着けてあった。代助は机の上を一目見て、この手紙の主は嫂だとすぐ悟った。嫂にはこう云う旧式な趣味があって、それが時々思わぬ方角へ出てくる。代助は鋏の先で観世撚の結目を突っつきながら、面倒な手数だと思った。  けれども中にあった手紙は、状箱とは正反対に簡単な、言文一致で用を済していた。この間わざわざ来てくれた時は、御依頼通り取り計いかねて、御気の毒をした。後から考えてみると、その時色々無遠慮な失礼を云った事が気にかかる。どうか悪く取って下さるな。その代り御金を上げる。尤もみんなと云う訳には行かない。二百円だけ都合して上げる。からそれをすぐ御友達の所へ届けて御上げなさい。これは兄さんには内所だからその積りでいなくっては不可ない。奥さんの事も宿題にするという約束だから、よく考えて返事をなさい。  手紙の中に巻き込めて、二百円の小切手が這入っていた。代助は、しばらく、それを眺めているうちに、梅子に済まない様な気がして来た。この間の晩、帰りがけに、向うから、じゃ御金は要らないのと聞いた。貸してくれと切り込んで頼んだ時は、ああ手痛く跳ね付けて置きながら、いざ断念して帰る段になると、却って断わった方から、掛念がって駄目を押して出た。代助はそこに女性の美くしさと弱さとを見た。そうしてその弱さに付け入る勇気を失った。この美しい弱点を弄ぶに堪えなかったからである。ええ要りません、どうかなるでしょうと云って分れた。それを梅子は冷かな挨拶と思ったに違ない。その冷かな言葉が、梅子の平生の思い切った動作の裏に、何処にか引っ掛っていて、とうとうこの手紙になったのだろうと代助は判断した。  代助はすぐ返事を書いた。そうして出来るだけ暖かい言葉を使って感謝の意を表した。代助がこう云う気分になる事は兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起らなかったのである。  代助はすぐ三千代の所へ出掛けようかと考えた。実を云うと、二百円は代助に取って中途半端な額であった。これだけくれるなら、一層思い切って、此方の強請った通りにして、満足を買えばいいにと云う気も出た。が、それは代助の頭が梅子を離れて三千代の方へ向いた時の事であった。その上、女は如何に思い切った女でも、感情上中途半端なものであると信じている代助には、それが別段不平にも思えなかった。否女のこう云う態度の方が、却って男性の断然たる処置よりも、同情の弾力性を示している点に於て、快よいものと考えていた。だから、もし二百円を自分に贈ったものが、梅子でなくって、父であったとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、却って不愉快な感に打たれたかも知れないのである。  代助は晩食も食わずに、すぐ又表へ出た。五軒町から江戸川の縁を伝って、河を向うへ越した時は、先刻散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じていなかった。坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が、寺と寺の間から、汚ない烟を、雲の多い空に吐いていた。代助はそれを見て、貧弱な工業が、生存の為に無理に吐く呼吸を見苦しいものと思った。そうしてその近くに住む平岡と、この烟突とを暗々の裏に連想せずにはいられなかった。こう云う場合には、同情の念より美醜の念が先に立つのが、代助の常であった。代助はこの瞬間に、三千代の事を殆んど忘れてしまった位、空に散る憐れな石炭の烟に刺激された。  平岡の玄関の沓脱には女の穿く重ね草履が脱ぎ棄ててあった。格子を開けると、奥の方から三千代が裾を鳴らして出て来た。その時上り口の二畳は殆んど暗かった。三千代はその暗い中に坐って挨拶をした。始めは誰が来たのか、よく分らなかったらしかったが、代助の声を聞くや否や、何方かと思ったら……と寧ろ低い声で云った。代助は判然見えない三千代の姿を、常よりは美しく眺めた。  平岡は不在であった。それを聞いた時、代助は話してい易い様な、又話してい悪い様な変な気がした。けれども三千代の方は常の通り落ち付いていた。洋燈も点けないで、暗い室を閉て切ったまま二人で坐っていた。三千代は下女も留守だと云った。自分も先刻其所まで用達に出て、今帰って夕食を済ましたばかりだと云った。やがて平岡の話が出た。  予期した通り、平岡は相変らず奔走している。が、この一週間程は、あんまり外へ出なくなった。疲れたと云って、よく宅に寐ている。でなければ酒を飲む。人が尋ねて来れば猶飲む。そうして善く怒る。さかんに人を罵倒する。のだそうである。 「昔と違って気が荒くなって困るわ」と云って、三千代は暗に同情を求める様子であった。代助は黙っていた。下女が帰って来て、勝手口でがたがた音をさせた。しばらくすると、胡摩竹の台の着いた洋燈を持って出た。襖を締める時、代助の顔を偸む様に見て行った。  代助は懐から例の小切手を出した。二つに折れたのをそのまま三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛けた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてであった。 「先達て御頼の金ですがね」  三千代は何にも答えなかった。ただ眼を挙げて代助を見た。 「実は、直にもと思ったんだけれども、此方の都合が付かなかったものだから、遂遅くなったんだが、どうですか、もう始末は付きましたか」と聞いた。  その時三千代は急に心細そうな低い声になった。そうして怨ずる様に、 「未ですわ。だって、片付く訳が無いじゃありませんか」と云ったまま、眼をって凝と代助を見ていた。代助は折れた小切手を取り上げて二つに開いた。 「これだけじゃ駄目ですか」  三千代は手を伸ばして小切手を受取った。 「難有う。平岡が喜びますわ」と静かに小切手を畳の上に置いた。  代助は金を借りて来た由来を、極ざっと説明して、自分はこういう呑気な身分の様に見えるけれども、何か必要があって、自分以外の事に、手を出そうとすると、まるで無能力になるんだから、そこは悪く思ってくれない様にと言訳を付け加えた。 「それは、私も承知していますわ。けれども、困って、どうする事も出来ないものだから、つい無理を御願して」と三千代は気の毒そうに詫を述べた。代助はそこで念を押した。 「それだけで、どうか始末が付きますか。もしどうしても付かなければ、もう一遍工面してみるんだが」 「もう一遍工面するって」 「判を押して高い利のつく御金を借りるんです」 「あら、そんな事を」と三千代はすぐ打ち消す様に云った。「それこそ大変よ。貴方」  代助は平岡の今苦しめられているのも、その起りは、性質の悪い金を借り始めたのが転々して祟っているんだと云う事を聞いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通っていたのだが、三千代が産後心臓が悪くなって、ぶらぶらし出すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、それ程烈しくもなかったので、三千代はただ交際上已を得ないんだろうと諦めていたが、仕舞にはそれが段々高じて、程度が無くなるばかりなので三千代も心配をする。すれば身体が悪くなる。なれば放蕩が猶募る。不親切なんじゃない。私が悪いんですと三千代はわざわざ断わった。けれども又淋しい顔をして、せめて小供でも生きていてくれたらさぞ可かったろうと、つくづく考えた事もありましたと自白した。  代助は経済問題の裏面に潜んでいる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方から問うのを控えた。帰りがけに、 「そんなに弱っちゃ不可ない。昔の様に元気に御成んなさい。そうして些と遊びに御出なさい」と勇気をつけた。 「本当ね」と三千代は笑った。彼等は互の昔を互の顔の上に認めた。平岡はとうとう帰って来なかった。  中二日置いて、突然平岡が来た。その日は乾いた風が朗らかな天を吹いて、蒼いものが眼に映る、常よりは暑い天気であった。朝の新聞に菖蒲の案内が出ていた。代助の買った大きな鉢植の君子蘭はとうとう縁側で散ってしまった。その代り脇差程も幅のある緑の葉が、茎を押し分けて長く延びて来た。古い葉は黒ずんだまま、日に光っている。その一枚が何かの拍子に半分から折れて、茎を去る五寸ばかりの所で、急に鋭く下ったのが、代助には見苦しく見えた。代助は鋏を持って縁に出た。そうしてその葉を折れ込んだ手前から、剪って棄てた。時に厚い切り口が、急に煮染む様に見えて、しばらく眺めているうちに、ぽたりと縁に音がした。切口に集ったのは緑色の濃い重い汁であった。代助はその香を嗅ごうと思って、乱れる葉の中に鼻を突っ込んだ。縁側の滴はそのままにして置いた。立ち上がって、袂から手帛を出して、鋏の刃を拭いている所へ、門野が平岡さんが御出ですと報せて来たのである。代助はその時平岡の事も三千代の事も、まるで頭の中に考えていなかった。只不思議な緑色の液体に支配されて、比較的世間に関係のない情調の下に動いていた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えてしまった。そうして、何だか逢いたくない様な気持がした。 「此方へ御通し申しましょうか」と門野から催促された時、代助はうんと云って、座敷へ這入った。あとから席に導かれた平岡を見ると、もう夏の洋服を着ていた。襟も白襯衣も新らしい上に、流行の編襟飾を掛けて、浪人とは誰にも受け取れない位、ハイカラに取り繕ろっていた。  話してみると、平岡の事情は、依然として発展していなかった。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日こうして遊んで歩く。それでなければ、宅に寐ているんだと云って、大きな声を出して笑ってみせた。代助もそれが可かろうと答えたなり、後は当らず障らずの世間話に時間を潰していた。けれども自然に出る世間話というよりも、寧ろある問題を回避する為の世間話だから、両方共に緊張を腹の底に感じていた。  平岡は三千代の事も、金の事も口へ出さなかった。従って三日前代助が彼の留守宅を訪問した事に就ても何も語らなかった。代助も始めのうちは、わざと、その点に触れないで澄していたが、何時まで経っても、平岡の方で余所々々しく構えているので、却って不安になった。 「実は二三日前君の所へ行ったが、君は留守だったね」と云い出した。 「うん。そうだったそうだね。その節は又難有う。御蔭さまで。――なに、君を煩わさないでもどうかなったんだが、彼奴があまり心配し過ぎて、つい君に迷惑を掛けて済まない」と冷淡な礼を云った。それから、 「僕も実は御礼に来た様なものだが、本当の御礼には、いずれ当人が出るだろうから」とまるで三千代と自分を別物にした言分であった。代助はただ、 「そんな面倒な事をする必要があるものか」と答えた。話はこれで切れた。が又両方に共通で、しかも、両方のあまり興味を持たない方面に摺り滑って行った。すると、平岡が突然、 「僕はことによると、もう実業は已めるかも知れない。実際内幕を知れば知る程厭になる。その上此方へ来て、少し運動をしてみて、つくづく勇気がなくなった」と心底かららしい告白をした。代助は、一口、 「それは、そうだろう」と答えた。平岡はあまりこの返事の冷淡なのに驚ろいた様子であった。が、又あとを付けた。 「先達ても一寸話したんだが、新聞へでも這入ろうかと思ってる」 「口があるのかい」と代助が聞き返した。 「今、一つある。多分出来そうだ」  来た時は、運動しても駄目だから遊んでいると云うし、今は新聞に口があるから出ようと云うし、少し要領を欠いでいるが、追窮するのも面倒だと思って、代助は、 「それも面白かろう」と賛成の意を表して置いた。  平岡の帰りを玄関まで見送った時、代助はしばらく、障子に身を寄せて、敷居の上に立っていた。門野も御附合に平岡の後姿を眺めていた。が、すぐ口を出した。 「平岡さんは思ったよりハイカラですな。あの服装じゃ、少し宅の方が御粗末過ぎる様です」 「そうでもないさ。近頃はみんな、あんなものだろう」と代助は立ちながら答えた。 「全たく、服装だけじゃ分らない世の中になりましたからね。何処の紳士かと思うと、どうも変ちきりんな家へ這入てますからね」と門野はすぐあとを付けた。  代助は返事も為ずに書斎へ引き返した。縁側に垂れた君子蘭の緑の滴がどろどろになって、干上り掛っていた。代助はわざと、書斎と座敷の仕切を立て切って、一人室のうちへ這入った。来客に接した後しばらくは、独坐に耽るが代助の癖であった。ことに今日の様に調子の狂う時は、格別その必要を感じた。  平岡はとうとう自分と離れてしまった。逢うたんびに、遠くにいて応対する様な気がする。実を云うと、平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。  代助と接近していた時分の平岡は、人に泣いて貰う事を喜こぶ人であった。今でもそうかも知れない。が、些ともそんな顔をしないから、解らない。否、力めて、人の同情を斥ける様に振舞っている。孤立しても世は渡ってみせるという我慢か、又はこれが現代社会に本来の面目だと云う悟りか、何方かに帰着する。  平岡に接近していた時分の代助は、人の為に泣く事の好きな男であった。それが次第々々に泣けなくなった。泣かない方が現代的だからと云うのではなかった。事実は寧ろこれを逆にして、泣かないから現代的だと言いたかった。泰西の文明の圧迫を受けて、その重荷の下に唸る、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、真によく人の為に泣き得るものに、代助は未だ曾て出逢わなかった。  代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪の念を催うした。そうして向うにも自己同様の念が萌していると判じた。昔しの代助も、時々わが胸のうちに、こう云う影を認めて驚ろいた事があった。その時は非常に悲しかった。今はその悲しみも殆んど薄く剥がれてしまった。だから自分で黒い影を凝と見詰めてみる。そうして、これが真だと思う。已を得ないと思う。ただそれだけになった。  こう云う意味の孤独の底に陥って煩悶するには、代助の頭はあまりに判然し過ぎていた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏むべき必然の運命と考えたからである。従って、自分と平岡の隔離は、今の自分の眼に訴えてみて、尋常一般の経路を、ある点まで進行した結果に過ぎないと見傚した。けれども、同時に、両人の間に横たわる一種の特別な事情の為、この隔離が世間並よりも早く到着したと云う事を自覚せずにはいられなかった。それは三千代の結婚であった。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であった。それを当時に悔る様な薄弱な頭脳ではなかった。今日に至って振り返ってみても、自分の所作は、過去を照らす鮮かな名誉であった。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てて、その前に頭を下げなければならなかった。そうして平岡は、ちらりちらりと何故三千代を貰ったかと思うようになった。代助は何処かしらで、何故三千代を周旋したかと云う声を聞いた。  代助は書斎に閉じ籠って一日考えに沈んでいた。晩食の時、門野が、 「先生今日は一日御勉強ですな。どうです、些と御散歩になりませんか。今夜は寅毘沙ですぜ。演芸館で支那人の留学生が芝居を演ってます。どんな事を演る積りですか、行って御覧なすったらどうです。支那人てえ奴は、臆面がないから、何でも遣る気だから呑気なものだ。……」と一人で喋舌った。 九  代助は又父から呼ばれた。代助にはその用事が大抵分っていた。代助は不断からなるべく父を避けて会わない様にしていた。この頃になっては猶更奥へ寄り付かなかった。逢うと、叮寧な言葉を使って応対しているにも拘わらず、腹の中では、父を侮辱している様な気がしてならなかったからである。  代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近来急に膨張した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈していた。又これをこれ等新旧両慾の衝突と見傚していた。最後に、この生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得ていた。  この二つの因数は、何処かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較べる日の来るまでは、この平衡は日本に於て得られないものと代助は信じていた。そうして、かかる日は、到底日本の上を照らさないものと諦めていた。だからこの窮地に陥った日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはただ頭の中に於て、罪悪を犯さなければならない。そうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつつあるかを、互に黙知しつつ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かかる侮辱を加うるにも、又加えらるるにも堪えなかった。  代助の父の場合は、一般に比べると、稍特殊的傾向を帯びるだけに複雑であった。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。この教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据えて、事実の発展によって証明せらるべき手近な真を、眼中に置かない無理なものであった。にも拘わらず、父は習慣に囚えられて、未だにこの教育に執着している。そうして、一方には、劇烈な生活慾に冒され易い実業に従事した。父は実際に於て年々この生活慾の為に腐蝕されつつ今日に至った。だから昔の自分と、今の自分の間には、大きな相違のあるべき筈である。それを父は自認していなかった。昔の自分が、昔通りの心得で、今の事業をこれまでに成し遂げたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲を狭める事なしに、現代の生活慾を時々刻々に充たして行ける訳がないと代助は考えた。もし双方をそのままに存在させようとすれば、これを敢てする個人は、矛盾の為に大苦痛を受けなければならない。もし内心にこの苦痛を受けながら、ただ苦痛の自覚だけ明らかで、何の為の苦痛だか分別が付かないならば、それは頭脳の鈍い劣等な人種である。代助は父に対する毎に、父は自己を隠蔽する偽君子か、もしくは分別の足らない愚物か、何方かでなくてはならない様な気がした。そうして、そう云う気がするのが厭でならなかった。  と云って、父は代助の手際で、どうする事も出来ない男であった。代助には明らかに、それが分っていた。だから代助は未だ曾て父を矛盾の極端まで追い詰めた事がなかった。  代助は凡ての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じていた。始めから頭の中に硬張った道徳を据え付けて、その道徳から逆に社会的事実を発展させようとする程、本末を誤った話はないと信じていた。従って日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考えた。彼等は学校で昔し風の道徳を教授している。それでなければ一般欧洲人に適切な道徳を呑み込ましている。この劇烈なる生活慾に襲われた不幸な国民から見れば、迂遠の空談に過ぎない。この迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時、昔の講釈を思い出して笑ってしまう。でなければ馬鹿にされた様な気がする。代助に至っては、学校のみならず、現に自分の父から、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭の中に起した。代助はそれを恨めしく思っている位であった。  代助はこの前梅子に礼を云いに行った時、梅子から一寸奥へ行って、挨拶をしていらっしゃいと注意された。代助は笑いながら御父さんはいるんですかと空とぼけた。いらっしゃるわと云う確答を得た時でも、今日はちと急ぐから廃そうと帰って来た。  今日はわざわざその為に来たのだから、否でも応でも父に逢わなければならない。相変らず、内玄関の方から廻って座敷へ来ると、珍らしく兄の誠吾が胡坐をかいて、酒を呑んでいた。梅子も傍に坐っていた。兄は代助を見て、 「どうだ、一盃遣らないか」と、前にあった葡萄酒の壜を持って振って見せた。中にはまだ余程這入っていた。梅子は手を敲いて洋盞を取り寄せた。 「当てて御覧なさい。どの位古いんだか」と一杯注いだ。 「代助に分るものか」と云って、誠吾は弟の唇のあたりを眺めていた。代助は一口飲んで盃を下へ下した。肴の代りに薄いウエーファーが菓子皿にあった。 「旨いですね」と云った。 「だから時代を当てて御覧なさいよ」 「時代があるんですか。偉いものを買い込んだもんだね。帰りに一本貰って行こう」 「御生憎様、もうこれぎりなの。到来物よ」と云って梅子は縁側へ出て、膝の上に落ちたウエーファーの粉を払いた。 「兄さん、今日はどうしたんです。大変気楽そうですね」と代助が聞いた。 「今日は休養だ。この間中はどうも忙し過ぎて降参したから」と誠吾は火の消えた葉巻を口に啣えた。代助は自分の傍にあった燐寸を擦って遣った。 「代さん貴方こそ気楽じゃありませんか」と云いながら梅子が縁側から帰って来た。 「姉さん歌舞伎座へ行きましたか。まだなら、行って御覧なさい。面白いから」 「貴方もう行ったの、驚ろいた。貴方も余っ程怠けものね」 「怠けものは可くない。勉強の方向が違うんだから」 「押の強い事ばかり云って。人の気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾は赤い瞼をして、ぽかんと葉巻の烟を吹いていた。 「ねえ、貴方」と梅子が催促した。誠吾はうるさそうに葉巻を指の股へ移して、 「今のうち沢山勉強して貰って置いて、今に此方が貧乏したら、救って貰う方が好いじゃないか」と云った。梅子は、 「代さん、あなた役者になれて」と聞いた、代助は何にも云わずに、洋盞を姉の前に出した。梅子も黙って葡萄酒の壜を取り上げた。 「兄さん、この間中は何だか大変忙しかったんだってね」と代助は前へ戻って聞いた。 「いや、もう大弱りだ」と云いながら、誠吾は寐転んでしまった。 「何か日糖事件に関係でもあったんですか」と代助が聞いた。 「日糖事件に関係はないが、忙しかった」  兄の答は何時でもこの程度以上に明瞭になった事がない。実は明瞭に話したくないんだろうけれども、代助の耳には、それが本来の無頓着で、話すのが臆怯なためと聞える。だから代助はいつでも楽にその返事の中に這入ていた。 「日糖もつまらない事になったが、ああなる前にどうか方法はないんでしょうかね」 「そうさなあ。実際世の中の事は、何がどうなるんだか分らないからな。――梅、今日は直木に云い付けて、ヘクターを少し運動させなくっちゃ不可いよ。ああ大食をして寐てばかりいちゃ毒だ」と誠吾は眠そうな瞼を指でしきりに擦った。代助は、 「愈奥へ行って御父さんに叱られて来るかな」と云いながら又洋盞を嫂の前へ出した。梅子は笑って酒を注いだ。 「嫁の事か」と誠吾が聞いた。 「まあ、そうだろうと思うんです」 「貰って置くがいい。そう老人に心配さしたって仕様があるものか」と云ったが、今度はもっと判然した語勢で、 「気を付けないと不可よ。少し低気圧が来ているから」と注意した。代助は立ち掛けながら、 「まさかこの間中の奔走からきた低気圧じゃありますまいね」と念を押した。兄は寐転んだまま、 「何とも云えないよ。こう見えて、我々も日糖の重役と同じ様に、何時拘引されるか分らない身体なんだから」と云った。 「馬鹿な事を仰しゃるなよ」と梅子が窘めた。 「やっぱり僕ののらくらが持ち来たした低気圧なんだろう」と代助は笑いながら立った。  廊下伝いに中庭を越して、奥へ来て見ると、父は唐机の前へ坐って、唐本を見ていた。父は詩が好きで、閑があると折々支那人の詩集を読んでいる。然し時によると、それが尤も機嫌のわるい索引になる事があった。そう云うときは、いかに神経のふっくら出来上った兄でも、なるべく近寄らない事にしていた。是非顔を合せなければならない場合には、誠太郎か、縫子か、何方か引張て父の前へ出る手段を取っていた。代助も縁側まで来て、そこに気が付いたが、それ程の必要もあるまいと思って、座敷を一つ通り越して、父の居間に這入った。  父はまず眼鏡を外した。それを読み掛けた書物の上に置くと、代助の方に向き直った。そうして、ただ一言、 「来たか」と云った。その語調は平常よりも却って穏な位であった。代助は膝の上に手を置きながら、兄が真面目な顔をして、自分を担いだんじゃなかろうかと考えた。代助はそこで又苦い茶を飲ませられて、しばらく雑談に時を移した。今年は芍薬の出が早いとか、茶摘歌を聞いていると眠くなる時候だとか、何所とかに、大きな藤があって、その花の長さが四尺足らずあるとか、話は好加減な方角へ大分長く延びて行った。代助は又その方が勝手なので、いつまでも延ばす様にと、後から後を付けて行った。父も仕舞には持て余して、とうとう、時に今日御前を呼んだのはと云い出した。  代助はそれから後は、一言も口を利かなくなった。只謹んで親爺の云うことを聴いていた。父も代助からこう云う態度に出られると、長い間自分一人で、講義でもする様に、述べて行かなくてはならなかった。然しその半分以上は、過去を繰返すだけであった。が代助はそれを、始めて聞くと同程度の注意を払って聞いていた。  父の長談義のうちに、代助は二三の新しい点も認めた。その一つは、御前は一体これからさきどうする料簡なんだと云う真面目な質問であった。代助は今まで父からの注文ばかり受けていた。だから、その注文を曖昧に外す事に慣れていた。けれども、こう云う大質問になると、そう口から出任せに答えられない。無暗な事を云えば、すぐ父を怒らしてしまうからである。と云って正直を自白すると、二三年間父の頭を教育した上でなくっては、通じない理窟になる。代助はこの大質問に応じて、自分の未来を明瞭に道破るだけの考も何も有っていなかった。彼はそれが自分に取って尤もな所だと思っていた。けれども父に、その通りを話して、なるほどと納得させるまでには、大変な時間がかかる。或は生涯通じっこないかも知れない。父の気に入る様にするのは、何でも、国家の為とか、天下の為とか、景気の好い事を、しかも結婚と両立しない様な事を、述べて置けば済むのであるが、代助は如何に、自己を侮辱する気になっても、こればかりは馬鹿気ていて、口へ出す勇気がなかった。そこで已を得ないから、実は色々計画もあるが、いずれ秩序立てて来て、御相談をする積りであると答えた。答えた後で、実に滑稽だと思ったが仕方がなかった。  代助は次に、独立の出来るだけの財産が欲しくはないかと聞かれた。代助は無論欲しいと答えた。すると、父が、では佐川の娘を貰ったら好かろうと云う条件を付けた。その財産は佐川の娘が持って来るのか、又は父がくれるのか甚だ曖昧であった。代助は少しその点に向って進んでみたが、遂に要領を得なかった。けれども、それを突き留める必要がないと考えて已めた。  次に、一層洋行する気はないかと云われた。代助は好いでしょうと云って賛成した。けれども、これにも、やっぱり結婚が先決問題として出て来た。 「そんなに佐川の娘を貰う必要があるんですか」と代助が仕舞に聞いた。すると父の顔が赤くなった。  代助は父を怒らせる気は少しもなかったのである。彼の近頃の主義として、人と喧嘩をするのは、人間の堕落の一範疇になっていた。喧嘩の一部分として、人を怒らせるのは、怒らせる事自身よりは、怒った人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云う点に於て、大切なわが生命を傷ける打撃に外ならぬと心得ていた。彼は罪悪に就ても彼れ自身に特有な考を有っていた。けれども、それが為に、自然のままに振舞いさえすれば、罰を免かれ得るとは信じていなかった。人を斬ったものの受くる罰は、斬られた人の肉から出る血潮であると固く信じていた。迸しる血の色を見て、清い心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである。代助はそれ程神経の鋭どい男であった。だから顔の色を赤くした父を見た時、妙に不快になった。けれどもこの罪を二重に償うために、父の云う通りにしようと云う気は些とも起らなかった。彼は、一方に於て、自己の脳力に、非常な尊敬を払う男であったからである。  その時父は頗る熱した語気で、先ず自分の年を取っている事、子供の未来が心配になる事、子供に嫁を持たせるのは親の義務であると云う事、嫁の資格その他に就ては、本人よりも親の方が遥かに周到な注意を払っていると云う事、他の親切は、その当時にこそ余計な御世話に見えるが、後になると、もう一遍うるさく干渉して貰いたい時機が来るものであるという事を、非常に叮嚀に説いた。代助は慎重な態度で、聴いていた。けれども、父の言葉が切れた時も、依然として許諾の意を表さなかった。すると父はわざと抑えた調子で、 「じゃ、佐川は已めるさ。そうして誰でも御前の好きなのを貰ったら好いだろう。誰か貰いたいのがあるのか」と云った。これは嫂の質問と同様であるが、代助は梅子に対する様に、ただ苦笑ばかりしてはいられなかった。 「別にそんな貰いたいのもありません」と明らかな返事をした。すると父は急に肝の発した様な声で、 「じゃ、少しは此方の事を考えてくれたら好かろう。何もそう自分の事ばかり思っていないでも」と急調子に云った。代助は、突然父が代助を離れて、彼自身の利害に飛び移ったのに驚ろかされた。けれどもその驚ろきは、論理なき急劇の変化の上に注がれただけであった。 「貴方にそれ程御都合が好い事があるなら、もう一遍考えてみましょう」と答えた。  父は益機嫌をわるくした。代助は人と応対している時、どうしても論理を離れる事の出来ない場合がある。それが為め、よく人から、相手を遣り込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云うと、彼程人を遣り込める事の嫌いな男はないのである。 「何も己の都合ばかりで、嫁を貰えと云ってやしない」と父は前の言葉を訂正した。「そんなに理窟を云うなら、参考の為、云って聞かせるが、御前はもう三十だろう、三十になって、普通のものが結婚をしなければ、世間では何と思うか大抵分るだろう。そりゃ今は昔と違うから、独身も本人の随意だけれども、独身の為に親や兄弟が迷惑したり、果は自分の名誉に関係する様な事が出来したりしたらどうする気だ」  代助はただ茫然として父の顔を見ていた。父はどの点に向って、自分を刺した積りだか、代助には殆んど分らなかったからである。しばらくして、 「そりゃ私のことだから少しは道楽もしますが……」と云いかけた。父はすぐそれを遮ぎった。 「そんな事じゃない」  二人はそれぎりしばらく口を利かずにいた。父はこの沈黙を以て代助に向って与えた打撃の結果と信じた。やがて、言葉を和らげて、 「まあ、よく考えて御覧」と云った。代助ははあと答えて、父の室を退ぞいた。座敷へ来て兄を探したが見えなかった。嫂はと尋ねたら、客間だと下女が教えたので、行って戸を明けて見ると、縫子のピヤノの先生が来ていた。代助は先生に一寸挨拶をして、梅子を戸口まで呼び出した。 「あなたは僕の事を何か御父さんに讒訴しやしないか」  梅子はハハハハと笑った。そうして、 「まあ御這入んなさいよ。丁度好い所だから」と云って、代助を楽器の傍まで引張って行った。 十  蟻の座敷へ上がる時候になった。代助は大きな鉢へ水を張って、その中に真白な鈴蘭を茎ごと漬けた。簇がる細かい花が、濃い模様の縁を隠した。鉢を動かすと、花が零れる。代助はそれを大きな字引の上に載せた。そうして、その傍に枕を置いて仰向けに倒れた。黒い頭が丁度鉢の陰になって、花から出る香が、好い具合に鼻に通った。代助はその香を嗅ぎながら仮寐をした。  代助は時々尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。それが劇しくなると、晴天から来る日光の反射にさえ堪え難くなることがあった。そう云う時には、なるべく世間との交渉を稀薄にして、朝でも午でも構わず寐る工夫をした。その手段には、極めて淡い、甘味の軽い、花の香をよく用いた。瞼を閉じて、瞳に落ちる光線を謝絶して、静かに鼻の穴だけで呼吸しているうちに、枕元の花が、次第に夢の方へ、躁ぐ意識を吹いて行く。これが成功すると、代助の神経が生れ代った様に落ち付いて、世間との連絡が、前よりは比較的楽に取れる。  代助は父に呼ばれてから二三日の間、庭の隅に咲いた薔薇の花の赤いのを見るたびに、それが点々として眼を刺してならなかった。その時は、いつでも、手水鉢の傍にある、擬宝珠の葉に眼を移した。その葉には、放肆な白い縞が、三筋か四筋、長く乱れていた。代助が見るたびに、擬宝珠の葉は延びて行く様に思われた。そうして、それと共に白い縞も、自由に拘束なく、延びる様な気がした。柘榴の花は、薔薇よりも派手にかつ重苦しく見えた。緑の間にちらりちらりと光って見える位、強い色を出していた。従ってこれも代助の今の気分には相応らなかった。  彼の今の気分は、彼に時々起る如く、総体の上に一種の暗調を帯びていた。だから余りに明る過ぎるものに接すると、その矛盾に堪えがたかった。擬宝珠の葉も長く見詰めていると、すぐ厭になる位であった。  その上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲われ出した。その不安は人と人との間に信仰がない源因から起る野蛮程度の現象であった。彼はこの心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であった。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質であった。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じていた。相互が疑い合うときの苦しみを解脱する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈していた。だから、神のある国では、人が嘘を吐くものと極めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるという事を発見した。そうして、彼はこれを一に日本の経済事情に帰着せしめた。  四五日前、彼は掏摸と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人や二人ではなかった。他の新聞の記す所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥るかも知れないそうである。代助はその記事を読んだとき、ただ苦笑しただけであった。そうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思った。  代助が父に逢って、結婚の相談を受けた時も、少しこれと同様の気がした。が、これはただ父に信仰がない所から起る、代助に取って不幸な暗示に過ぎなかった。そうして代助は自分の心のうちに、かかる忌わしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかった。それが事実となって眼前にあらわれても、やはり父を尤もだと肯う積りだったからである。  代助は平岡に対しても同様の感じを抱いていた。然し平岡に取っては、それが当然の事であると許していた。ただ平岡を好く気になれないだけであった。代助は兄を愛していた。けれどもその兄に対してもやはり信仰は有ち得なかった。嫂は実意のある女であった。然し嫂は、直接生活の難関に当らないだけ、それだけ兄よりも近付き易いのだと考えていた。  代助は平生から、この位に世の中を打遣っていた。だから、非常な神経質であるにも拘わらず、不安の念に襲われる事は少なかった。そうして、自分でもそれを自覚していた。それが、どう云う具合か急に揺き出した。代助はこれを生理上の変化から起るのだろうと察した。そこである人が北海道から採って来たと云ってくれた鈴蘭の束を解いて、それを悉く水の中に浸して、その下に寐たのである。  一時間の後、代助は大きな黒い眼を開いた。その眼は、しばらくの間一つ所に留まって全く動かなかった。手も足も寐ていた時の姿勢を少しも崩さずに、まるで死人のそれの様であった。その時一匹の黒い蟻が、ネルの襟を伝わって、代助の咽喉に落ちた。代助はすぐ右の手を動かして咽喉を抑えた。そうして、額に皺を寄せて、指の股に挟んだ小さな動物を、鼻の上まで持って来て眺めた。その時蟻はもう死んでいた。代助は人指指の先に着いた黒いものを、親指の爪で向うへ弾いた。そうして起き上がった。  膝の周囲に、まだ三四匹這っていたのを、薄い象牙の紙小刀で打ち殺した。それから手を叩いて人を呼んだ。 「御目醒ですか」と云って、門野が出て来た。 「御茶でも入れて来ましょうか」と聞いた。代助は、はだかった胸を掻き合せながら、 「君、僕の寐ていたうちに、誰か来やしなかったかね」と、静かな調子で尋ねた。 「ええ、御出でした。平岡の奥さんが。よく御存じですな」と門野は平気に答えた。 「何故起さなかったんだ」 「余まり能く御休でしたからな」 「だって御客なら仕方がないじゃないか」  代助の語勢は少し強くなった。 「ですがな。平岡の奥さんの方で、起さない方が好いって、仰しゃったもんですからな」 「それで、奥さんは帰ってしまったのか」 「なに帰ってしまったと云う訳でもないんです。一寸神楽坂に買物があるから、それを済まして又来るからって、云われるもんですからな」 「じゃ又来るんだね」 「そうです。実は御目覚になるまで待っていようかって、この座敷まで上って来られたんですが、先生の顔を見て、あんまり善く寐ているもんだから、こいつは、容易に起きそうもないと思ったんでしょう」 「また出て行ったのかい」 「ええ、まあそうです」  代助は笑いながら、両手で寐起の顔を撫でた。そうして風呂場へ顔を洗いに行った。頭を濡らして、縁側まで帰って来て、庭を眺めていると、前よりは気分が大分晴々した。曇った空を燕が二羽飛んでいる様が大いに愉快に見えた。  代助はこの前平岡の訪問を受けてから、心待に後から三千代の来るのを待っていた。けれども、平岡の言葉は遂に事実として現れて来なかった。特別の事情があって、三千代がわざと来ないのか、又は平岡が始めから御世辞を使ったのか、疑問であるが、それがため、代助は心の何処かに空虚を感じていた。然し彼はこの空虚な感じを、一つの経験として日常生活中に見出したまでで、その原因をどうするの、こうするのと云う気はあまりなかった。この経験自身の奥を覗き込むと、それ以上に暗い影がちらついている様に思ったからである。  それで彼は進んで平岡を訪問するのを避けていた。散歩のとき彼の足は多く江戸川の方角に向いた。桜の散る時分には、夕暮の風に吹かれて、四つの橋を此方から向うへ渡り、向うから又此方へ渡り返して、長い堤を縫う様に歩いた。がその桜はとくに散てしまって、今は緑蔭の時節になった。代助は時々橋の真中に立って、欄干に頬杖を突いて、茂る葉の中を、真直に通っている、水の光を眺め尽して見る。それからその光の細くなった先の方に、高く聳える目白台の森を見上てみる。けれども橋を向うへ渡って、小石川の坂を上る事はやめにして帰る様になった。ある時彼は大曲の所で、電車を下る平岡の影を半町程手前から認めた。彼は慥にそうに違ないと思った。そうして、すぐ揚場の方へ引き返した。  彼は平岡の安否を気にかけていた。まだ坐食の不安な境遇に居るに違ないとは思うけれども、或はどの方面かへ、生活の行路を切り開く手掛りが出来たかも知れないとも想像してみた。けれども、それを確める為に、平岡の後を追う気にはなれなかった。彼は平岡に面するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になった。と云って、ただ三千代の為にのみ、平岡の位地を心配する程、平岡を悪んでもいなかった。平岡の為にも、やはり平岡の成功を祈る心はあったのである。  こんな風に、代助は空虚なるわが心の一角を抱いて今日に至った。いま先方門野を呼んで括り枕を取り寄せて、午寐を貪ぼった時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなった頭を、出来るならば、蒼い色の付いた、深い水の中に沈めたい位に思った。それ程彼は命を鋭く感じ過ぎた。従って熱い頭を枕へ着けた時は、平岡も三千代も、彼に取って殆んど存在していなかった。彼は幸にして涼しい心持に寐た。けれどもその穏やかな眠のうちに、誰かすうと来て、又すうと出て行った様な心持がした。眼を醒まして起き上がってもその感じがまだ残っていて、頭から拭い去る事が出来なかった。それで門野を呼んで、寐ている間に誰か来はしないかと聞いたのである。  代助は両手を額に当てて、高い空を面白そうに切って廻る燕の運動を縁側から眺めていたが、やがて、それが眼ま苦しくなったので、室の中に這入った。けれども、三千代が又訪ねて来ると云う目前の予期が、既に気分の平調を冒しているので、思索も読書も殆んど手に着かなかった。代助は仕舞に本棚の中から、大きな画帖を出して来て、膝の上に広げて、繰り始めた。けれども、それも、只指の先で順々に開けて行くだけであった。一つ画を半分とは味わっていられなかった。やがてブランギンの所へ来た。代助は平生からこの装飾画家に多大の趣味を有っていた。彼の眼は常の如く輝を帯びて、一度はその上に落ちた。それは何処かの港の図であった。背景に船と檣と帆を大きく描いて、その余った所に、際立って花やかな空の雲と、蒼黒い水の色をあらわした前に、裸体の労働者が四五人いた。代助はこれ等の男性の、山の如くに怒らした筋肉の張り具合や、彼等の肩から脊へかけて、肉塊と肉塊が落ち合って、その間に渦の様な谷を作っている模様を見て、其所にしばらく肉の力の快感を認めたが、やがて、画帖を開けたまま、眼を放して耳を立てた。すると勝手の方で婆さんの声がした。それから牛乳配達が空罎を鳴らして急ぎ足に出て行った。宅のうちが静かなので、鋭どい代助の聴神経には善く応えた。  代助はぼんやり壁を見詰めていた。門野をもう一返呼んで、三千代が又くる時間を、云い置いて行ったかどうか尋ねようと思ったが、あまり愚だから憚かった。そればかりではない、人の細君が訪ねて来るのを、それ程待ち受ける趣意がないと考えた。又それ程待ち受ける位なら、此方から何時でも行って話をすべきであると考えた。この矛盾の両面を双対に見た時、代助は急に自己の没論理に耻じざるを得なかった。彼の腰は半ば椅子を離れた。けれども彼はこの没論理の根底に横わる色々の因数を自分で善く承知していた。そうして、今の自分に取っては、この没論理の状態が、唯一の事実であるから仕方ないと思った。かつ、この事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題を繋ぎ合わして出来上った、自己の本体を蔑視する、形式に過ぎないと思った。そう思って又椅子へ腰を卸した。  それから三千代の来るまで、代助はどんな風に時を過したか、殆んど知らなかった。表に女の声がした時、彼は胸に一鼓動を感じた。彼は論理に於て尤も強い代りに、心臓の作用に於て尤も弱い男であった。彼が近来怒れなくなったのは、全く頭の御蔭で、腹を立てる程自分を馬鹿にすることを、理智が許さなくなったからである。がその他の点に於ては、尋常以上に情緒の支配を受けるべく余儀なくされていた。取次に出た門野が足音を立てて、書斎の入口にあらわれた時、血色のいい代助の頬は微かに光沢を失っていた。門野は、 「此方にしますか」と甚だ簡単に代助の意向を確めた。座敷へ案内するか、書斎で逢うかと聞くのが面倒だから、こう詰めてしまったのである。代助はうんと云って、入口に返事を待っていた門野を追い払う様に、自分で立って行って、縁側へ首を出した。三千代は縁側と玄関の継目の所に、此方を向いてためらっていた。  三千代の顔はこの前逢った時よりは寧ろ蒼白かった。代助に眼と顎で招かれて書斎の入口へ近寄った時、代助は三千代の息を喘ましていることに気が付いた。 「どうかしましたか」と聞いた。  三千代は何にも答えずに室の中に這入て来た。セルの単衣の下に襦袢を重ねて、手に大きな白い百合の花を三本ばかり提げていた。その百合をいきなり洋卓の上に投げる様に置いて、その横にある椅子へ腰を卸した。そうして、結ったばかりの銀杏返を、構わず、椅子の脊に押し付けて、 「ああ苦しかった」と云いながら、代助の方を見て笑った。代助は手を叩いて水を取り寄せようとした。三千代は黙って洋卓の上を指した。其所には代助の食後の嗽をする硝子の洋盃があった。中に水が二口ばかり残っていた。 「奇麗なんでしょう」と三千代が聞いた。 「此奴は先刻僕が飲んだんだから」と云って、洋盃を取り上げたが、躊躇した。代助の坐っている所から、水を棄てようとすると、障子の外に硝子戸が一枚邪魔をしている。門野は毎朝縁側の硝子戸を一二枚宛開けないで、元の通りに放って置く癖があった。代助は席を立って、縁へ出て、水を庭へ空けながら、門野を呼んだ。今いた門野は何処へ行ったか、容易に返事をしなかった。代助は少しまごついて、又三千代の所へ帰って来て、 「今すぐ持って来て上げる」と云いながら、折角空けた洋盃をそのまま洋卓の上に置いたなり、勝手の方へ出て行った。茶の間を通ると、門野は無細工な手をして錫の茶壺から玉露を撮み出していた。代助の姿を見て、 「先生、今直です」と言訳をした。 「茶は後でも好い。水が要るんだ」と云って、代助は自分で台所へ出た。 「はあ、そうですか。上がるんですか」と茶壺を放り出して門野も付いて来た。二人で洋盃を探したが一寸見付からなかった。婆さんはと聞くと、今御客さんの菓子を買いに行ったという答であった。 「菓子がなければ、早く買って置けば可いのに」と代助は水道の栓を捩って湯呑に水を溢らせながら云った。 「つい、小母さんに、御客さんの来る事を云って置かなかったものですからな」と門野は気の毒そうに頭を掻いた。 「じゃ、君が菓子を買に行けば可いのに」と代助は勝手を出ながら、門野に当った。門野はそれでも、まだ、返事をした。 「なに菓子の外にも、まだ色々買物があるって云うもんですからな。足は悪し天気は好くないし、廃せば好いんですのに」  代助は振り向きもせず、書斎へ戻った。敷居を跨いで、中へ這入るや否や三千代の顔を見ると、三千代は先刻代助の置いて行った洋盃を膝の上に両手で持っていた。その洋盃の中には、代助が庭へ空けたと同じ位に水が這入っていた。代助は湯呑を持ったまま、茫然として、三千代の前に立った。 「どうしたんです」と聞いた。三千代は例の通り落ち付いた調子で、 「難有う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だったから」と答えて、鈴蘭の漬けてある鉢を顧みた。代助はこの大鉢の中に水を八分目程張って置いた。妻楊枝位な細い茎の薄青い色が、水の中に揃っている間から、陶器の模様が仄かに浮いて見えた。 「何故あんなものを飲んだんですか」と代助は呆れて聞いた。 「だって毒じゃないでしょう」と三千代は手に持った洋盃を代助の前へ出して、透かして見せた。 「毒でないったって、もし二日も三日も経った水だったらどうするんです」 「いえ、先刻来た時、あの傍まで顔を持って行って嗅いでみたの。その時、たった今その鉢へ水を入れて、桶から移したばかりだって、あの方が云ったんですもの。大丈夫だわ。好い香ね」  代助は黙って椅子へ腰を卸した。果して詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかった。よし前者とした所で、詩を衒って、小説の真似なぞをした受売の所作とは認められなかったからである。そこで、ただ、 「気分はもう好くなりましたか」と聞いた。  三千代の頬に漸やく色が出て来た。袂から手帛を取り出して、口の辺を拭きながら話を始めた。――大抵は伝通院前から電車へ乗って本郷まで買物に出るんだが、人に聞いてみると、本郷の方は神楽坂に比べて、どうしても一割か二割物が高いと云うので、この間から一二度此方の方へ出て来てみた。この前も寄る筈であったが、つい遅くなったので急いで帰った。今日はその積りで早く宅を出た。が、御息み中だったので、又通りまで行って買物を済まして帰り掛けに寄る事にした。ところが天気模様が悪くなって、藁店を上がり掛けるとぽつぽつ降り出した。傘を持って来なかったので、濡れまいと思って、つい急ぎ過ぎたものだから、すぐ身体に障って、息が苦しくなって困った。―― 「けれども、慣れっこに為てるんだから、驚ろきゃしません」と云って、代助を見て淋しい笑い方をした。 「心臓の方は、まだすっかり善くないんですか」と代助は気の毒そうな顔で尋ねた。 「すっかり善くなるなんて、生涯駄目ですわ」  意味の絶望な程、三千代の言葉は沈んでいなかった。繊い指を反して穿めている指環を見た。それから、手帛を丸めて、又袂へ入れた。代助は眼を俯せた女の額の、髪に連なる所を眺めていた。  すると、三千代は急に思い出した様に、この間の小切手の礼を述べ出した。その時何だか少し頬を赤くした様に思われた。視感の鋭敏な代助にはそれが善く分った。彼はそれを、貸借に関した羞耻の血潮とのみ解釈した。そこで話をすぐ他所へ外した。  先刻三千代が提げて這入て来た百合の花が、依然として洋卓の上に載っている。甘たるい強い香が二人の間に立ちつつあった。代助はこの重苦しい刺激を鼻の先に置くに堪えなかった。けれども無断で、取り除ける程、三千代に対して思い切った振舞が出来なかった。 「この花はどうしたんです。買て来たんですか」と聞いた。三千代は黙って首肯いた。そうして、 「好い香でしょう」と云って、自分の鼻を、弁の傍まで持って来て、ふんと嗅いで見せた。代助は思わず足を真直に踏ん張って、身を後の方へ反らした。 「そう傍で嗅いじゃ不可ない」 「あら何故」 「何故って理由もないんだが、不可ない」  代助は少し眉をひそめた。三千代は顔をもとの位地に戻した。 「貴方、この花、御嫌なの?」  代助は椅子の足を斜に立てて、身体を後へ伸したまま、答えをせずに、微笑して見せた。 「じゃ、買って来なくっても好かったのに。つまらないわ、回り路をして。御負に雨に降られ損なって、息を切らして」  雨は本当に降って来た。雨滴が樋に集まって、流れる音がざあと聞えた。代助は椅子から立ち上がった。眼の前にある百合の束を取り上げて、根元を括った濡藁をり切った。 「僕にくれたのか。そんなら早く活けよう」と云いながら、すぐ先刻の大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水を跳ねて、飛び出しそうになる。代助は滴る茎を又鉢から抜いた。そうして洋卓の引出から西洋鋏を出して、ぷつりぷつりと半分程の長さに剪り詰めた。そうして、大きな花を、鈴蘭の簇がる上に浮かした。 「さあこれで好い」と代助は鋏を洋卓の上に置いた。三千代はこの不思議に無作法に活けられた百合を、しばらく見ていたが、突然、 「あなた、何時からこの花が御嫌になったの」と妙な質問をかけた。  昔し三千代の兄がまだ生きていた時分、ある日何かのはずみに、長い百合を買って、代助が谷中の家を訪ねた事があった。その時彼は三千代に危しげな花瓶の掃除をさして、自分で、大事そうに買って来た花を活けて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向直って眺めさした事があった。三千代はそれを覚えていたのである。 「貴方だって、鼻を着けて嗅いでいらしったじゃありませんか」と云った。代助はそんな事があった様にも思って、仕方なしに苦笑した。  そのうち雨は益深くなった。家を包んで遠い音が聴えた。門野が出て来て、少し寒い様ですな、硝子戸を閉めましょうかと聞いた。硝子戸を引く間、二人は顔を揃えて庭の方を見ていた。青い木の葉が悉く濡れて、静かな湿り気が、硝子越に代助の頭に吹き込んで来た。世の中の浮いているものは残らず大地の上に落ち付いた様に見えた。代助は久し振りで吾に返った心持がした。 「好い雨ですね」と云った。 「些とも好かないわ、私、草履を穿いて来たんですもの」  三千代は寧ろ恨めしそうに樋から洩る雨点を眺めた。 「帰りには車を云い付けて上げるから可いでしょう。緩りなさい」  三千代はあまり緩り出来そうな様子も見えなかった。まともに、代助の方を見て、 「貴方も相変らず呑気な事を仰しゃるのね」と窘めた。けれどもその眼元には笑の影が泛んでいた。  今まで三千代の陰に隠れてぼんやりしていた平岡の顔が、この時明らかに代助の心の瞳に映った。代助は急に薄暗がりから物に襲われた様な気がした。三千代はやはり、離れ難い黒い影を引き摺って歩いている女であった。 「平岡君はどうしました」とわざと何気なく聞いた。すると三千代の口元が心持締って見えた。 「相変らずですわ」 「まだ何にも見付らないんですか」 「その方はまあ安心なの。来月から新聞の方が大抵出来るらしいんです」 「そりゃ好かった。些とも知らなかった。そんなら当分それで好いじゃありませんか」 「ええ、まあ難有いわ」と三千代は低い声で真面目に云った。代助は、その時三千代を大変可愛く感じた。引続いて、 「彼方の方は差当り責められる様な事もないんですか」と聞いた。 「彼方の方って――」と少し逡巡っていた三千代は、急に顔を赧らめた。 「私、実は今日それで御詫に上ったのよ」と云いながら、一度俯向いた顔を又上げた。  代助は少しでも気不味い様子を見せて、この上にも、女の優しい血潮を動かすに堪えなかった。同時に、わざと向うの意を迎える様な言葉を掛けて、相手を殊更に気の毒がらせる結果を避けた。それで静かに三千代の云う所を聴いた。  先達ての二百円は、代助から受取るとすぐ借銭の方へ回す筈であったが、新らしく家を持った為、色々入費が掛ったので、ついその方の用を、あのうちで幾分か弁じたのが始りであった。あとはと思っていると、今度は毎日の活計に追われ出した。自分ながら好い心持はしなかったけれども、仕方なしに困るとは使い、困るとは使いして、とうとうあらまし亡くしてしまった。尤もそうでもしなければ、夫婦は今日までこうして暮らしては行けなかったのである。今から考えてみると、一層の事無ければ無いなりに、どうかこうか工面も付いたかも知れないが、なまじい、手元に有ったものだから、苦し紛れに、急場の間に合わしてしまったので、肝心の証書を入れた借銭の方は、いまだにそのままにしてある。これは寧ろ平岡の悪いのではない。全く自分の過である。 「私、本当に済まない事をしたと思って、後悔しているのよ。けれども拝借するときは、決して貴方を瞞して嘘を吐く積りじゃなかったんだから、堪忍して頂戴」と三千代は甚だ苦しそうに言訳をした。 「どうせ貴方に上げたんだから、どう使ったって、誰も何とも云う訳はないでしょう。役にさえ立てばそれで好いじゃありませんか」と代助は慰めた。そうして貴方という字をことさらに重くかつ緩く響かせた。三千代はただ、 「私、それで漸く安心したわ」と云っただけであった。  雨が頻なので、帰るときには約束通り車を雇った。寒いので、セルの上へ男の羽織を着せようとしたら、三千代は笑って着なかった。 十一  何時の間にか、人が絽の羽織を着て歩く様になった。二三日、宅で調物をして庭先より外に眺めなかった代助は、冬帽を被って表へ出てみて、急に暑さを感じた。自分もセルを脱がなければならないと思って、五六町歩くうちに、袷を着た人に二人出逢った。そうかと思うと新らしい氷屋で書生が洋盃を手にして、冷たそうなものを飲んでいた。代助はその時誠太郎を思い出した。  近頃代助は前よりも誠太郎が好きになった。外の人間と話していると、人間の皮と話す様で歯痒くってならなかった。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も相手を歯痒がらせる様に拵えられていた。これも長年生存競争の因果に曝された罰かと思うと、余り難有い心持はしなかった。  この頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがっているが、それは、全くこの間浅草の奥山へ一所に連れて行った結果である。あの一図な所はよく、嫂の気性を受け継いでいる。然し兄の子だけあって、一図なうちに、何処か逼らない鷹揚な気象がある。誠太郎の相手をしていると、向うの魂が遠慮なく此方へ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であった。  誠太郎はこの春から中学校へ行き出した。すると急に脊丈が延びて来る様に思われた。もう一二年すると声が変る。それから先どんな径路を取って、生長するか分らないが、到底人間として、生存する為には、人間から嫌われると云う運命に到着するに違ない。その時、彼は穏やかに人の目に着かない服装をして、乞食の如く、何物をか求めつつ、人の市をうろついて歩くだろう。  代助は堀端へ出た。この間まで向うの土手にむら躑躅が、団々と紅白の模様を青い中に印していたのが、まるで跡形もなくなって、のべつに草が生い茂っている高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、何処までもつづいている。空は奇麗に晴れた。代助は電車に乗って、宅へ行って、嫂に調戯って、誠太郎と遊ぼうと思ったが、急に厭になって、この松を見ながら、草臥る所まで堀端を伝って行く気になった。  新見付へ来ると、向うから来たり、此方から行ったりする電車が苦になり出したので、堀を横切って、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩いている事が、不意に馬鹿らしく思われた。目的があって歩くものは賤民だと、彼は平生から信じていたのであるけれども、この場合に限って、その賤民の方が偉い様な気がした。全たく、又アンニュイに襲われたと悟って、帰りだした。神楽坂へかかると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしていた。その音が甚しく金属性の刺激を帯びていて、大いに代助の頭に応えた。  家の門を這入ると、今度は門野が、主人の留守を幸いと、大きな声で琵琶歌をうたっていた。それでも代助の足音を聞いて、ぴたりと已めた。 「いや、御早うがしたな」と云って玄関へ出て来た。代助は何にも答えずに、帽子を其所へ掛けたまま、縁側から書斎へ這入った。そうして、わざわざ障子を締め切った。つづいて湯呑に茶を注いで持って来た門野が、 「締めときますか。暑かありませんか」と聞いた。代助は袂から手帛を出して額を拭いていたが、やっぱり、 「締めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締めて出て行った。代助は暗くした室のなかに、十分ばかりぽかんとしていた。  彼は人の羨やむ程光沢の好い皮膚と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を有った男であった。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかった位、健康に於て幸福を享けていた。彼はこれでこそ、生甲斐があると信じていたのだから、彼の健康は、彼に取って、他人の倍以上に価値を有っていた。彼の頭は、彼の肉体と同じく確であった。ただ始終論理に苦しめられていたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大弓の的の様に、二重もしくは三重にかさなる様に感ずる事があった。ことに、今日は朝からそんな心持がした。  代助が黙然として、自己は何の為にこの世の中に生れて来たかを考えるのはこう云う時であった。彼は今まで何遍もこの大問題を捕えて、彼の眼前に据え付けて見た。その動機は、単に哲学上の好奇心から来た事もあるし、又世間の現象が、余りに複雑な色彩を以て、彼の頭を染め付けようと焦るから来る事もあるし、又最後には今日の如くアンニュイの結果として来る事もあるが、その都度彼は同じ結論に到着した。然しその結論は、この問題の解決ではなくって、寧ろその否定と異ならなかった。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何な本人でも、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経験が、既にこれを天下に向って発表したと同様だからである。  この根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である。  だから、代助は今日まで、自分の脳裏に願望、嗜欲が起るたび毎に、これ等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在していた。二個の相容れざる願望嗜欲が胸に闘う場合も同じ事であった。ただ矛盾から出る一目的の消耗と解釈していた。これを煎じ詰めると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動していたのである。そうして、他を偽らざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得ていた。  この主義を出来るだけ遂行する彼は、その遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲われて、自分は今何の為に、こんな事をしているかと考え出す事がある。彼が番町を散歩しながら、何故散歩しつつあるかと疑ったのは正にこれである。  その時彼は自分ながら、自分の活力に充実していない事に気がつく。餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自らその行動の意義を中途で疑う様になる。彼はこれをアンニュイと名けていた。アンニュイに罹ると、彼は論理の迷乱を引き起すものと信じていた。彼の行為の中途に於て、何の為と云う、冠履顛倒の疑を起させるのは、アンニュイに外ならなかったからである。  彼は立て切った室の中で、一二度頭を抑えて振り動かしてみた。彼は昔から今日までの思索家の、屡繰り返した無意義な疑義を、又脳裏に拈定するに堪えなかった。その姿のちらりと眼前に起った時、またかと云う具合に、すぐ切り棄ててしまった。同時に彼は自己の生活力の不足を劇しく感じた。従って行為その物を目的として、円満に遂行する興味も有たなかった。彼はただ一人荒野の中に立った。茫然としていた。  彼は高尚な生活欲の満足を冀う男であった。又ある意味に於て道義欲の満足を買おうとする男であった。そうして、ある点へ来ると、この二つのものが火花を散らして切り結ぶ関門があると予想していた。それで生活欲を低い程度に留めて我慢していた。彼の室は普通の日本間であった。これと云う程の大した装飾もなかった。彼に云わせると、額さえ気の利いたものは掛けてなかった。色彩として眼を惹く程に美しいのは、本棚に並べてある洋書に集められたと云う位であった。彼は今この書物の中に、茫然として坐った。良あって、これほど寐入った自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物をどうかしなければならぬと、思いながら、室の中をぐるぐる見廻した。それから、又ぽかんとして壁を眺めた。が、最後に、自分をこの薄弱な生活から救い得る方法は、ただ一つあると考えた。そうして口の内で云った。 「やっぱり、三千代さんに逢わなくちゃ不可ん」  彼は足の進まない方角へ散歩に出たのを悔いた。もう一遍出直して、平岡の許まで行こうかと思っている所へ、森川町から寺尾が来た。新らしい麦藁帽を被って、閑静な薄い羽織を着て、暑い暑いと云って赤い顔を拭いた。 「何だって、今時分来たんだ」と代助は愛想もなく云い放った。彼は寺尾とは平生でも、この位な言葉で交際していたのである。 「今時分が丁度訪問に好い刻限だろう。君、又昼寐をしたな。どうも職業のない人間は、惰弱で不可ん。君は一体何の為に生れて来たのだったかね」と云って、寺尾は麦藁帽で、しきりに胸のあたりへ風を送った。時候はまだそれ程暑くないのだから、この所作は頗る愛嬌を添えた。 「何の為に生れて来ようと、余計な御世話だ。それより君こそ何しに来たんだ。又『此所十日ばかりの間』じゃないか、金の相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なく先へ断った。 「君も随分礼義を知らない男だね」と寺尾は已を得ず答えた。けれども別段感情を害した様子も見えなかった。実を云うと、この位な言葉は寺尾に取って、少しも無礼とは思えなかったのである。代助は黙って、寺尾の顔を見ていた。それは、空しい壁を見ているより以上の何等の感動をも、代助に与えなかった。  寺尾は懐から汚ない仮綴の書物を出した。 「これを訳さなけりゃならないんだ」と云った。代助は依然として黙っていた。 「食うに困らないと思って、そう無精な顔をしなくっても好かろう。もう少し判然としてくれ。此方は生死の戦だ」と云って、寺尾は小形の本を、とんとんと椅子の角で二返敲いた。 「何時までに」  寺尾は、書物の頁をさらさらと繰って見せたが、断然たる調子で、 「二週間」と答えた後で、「どうでもこうでも、それまでに片付なけりゃ、食えないんだから仕方がない」と説明した。 「偉い勢だね」と代助は冷かした。 「だから、本郷からわざわざ遣って来たんだ。なに、金は借りなくても好い。――貸せば猶好いが――それより少し分らない所があるから、相談しようと思って」 「面倒だな。僕は今日は頭が悪くって、そんな事は遣っていられないよ。好い加減に訳して置けば構わないじゃないか。どうせ原稿料は頁でくれるんだろう」 「なんぼ、僕だって、そう無責任な翻訳は出来ないだろうじゃないか。誤訳でも指摘されると後から面倒だあね」 「仕様がないな」と云って、代助はやっぱり横着な態度を維持していた。すると、寺尾は、 「おい」と云った。「冗談じゃない、君の様に、のらくら遊んでる人は、たまにはその位な事でも、しなくっちゃ退屈で仕方がないだろう。なに、僕だって、本の善く読める人の所へ行く気なら、わざわざ君の所まで来やしない。けれども、そんな人は君と違って、みんな忙しいんだからな」と少しも辟易した様子を見せなかった。代助は喧嘩をするか、相談に応ずるか何方かだと覚悟を極めた。彼の性質として、こう云う相手を軽蔑する事は出来るが、怒り付ける気は出せなかった。 「じゃなるべく少しにしようじゃないか」と断って置いて、符号の附けてある所だけを見た。代助はその書物の梗概さえ聞く勇気がなかった。相談を受けた部分にも曖昧な所は沢山あった。寺尾は、やがて、 「やあ、難有う」と云って本を伏せた。 「分らない所はどうする」と代助が聞いた。 「なにどうかする。――誰に聞いたって、そう善く分りゃしまい。第一時間がないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如くに天から極めていた。  相談が済むと、寺尾は例によって、文学談を持ち出した。不思議な事に、そうなると、自己の翻訳とは違って、いつもの通り非常に熱心になった。代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだろうと考えて、寺尾の矛盾を可笑しく思った。けれども面倒だから、口へは出さなかった。  寺尾の御蔭で代助はその日とうとう平岡へ行きはぐれてしまった。  晩食の時、丸善から小包が届いた。箸を措いて開けて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であった。代助はそれを腋の下に抱え込んで、書斎へ帰った。一冊ずつ順々に取り上げて、暗いながら二三頁、捲る様に眼を通したが何処も彼の注意を惹く様な所はなかった。最後の一冊に至っては、その名前さえ既に忘れていた。何れその中読む事にしようと云う考で、一所に纏めたまま、立って、本棚の上に重ねて置いた。縁側から外を窺うと、奇麗な空が、高い色を失いかけて、隣の梧桐の一際濃く見える上に、薄い月が出ていた。  そこへ門野が大きな洋燈を持って這入って来た。それには絹縮の様に、竪に溝の入った青い笠が掛けてあった。門野はそれを洋卓の上に置いて、又縁側へ出たが、出掛に、 「もう、そろそろ蛍が出る時分ですな」と云った。代助は可笑な顔をして、 「まだ出やしまい」と答えた。すると門野は例の如く、 「そうでしょうか」と云う返事をしたが、すぐ真面目な調子で、「蛍てえものは、昔は大分流行たもんだが、近来は余り文士方が騒がない様になりましたな。どう云うもんでしょう。蛍だの烏だのって、この頃じゃついぞ見た事がない位なもんだ」と云った。 「そうさ。どう云う訳だろう」と代助も空っとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野は、 「やっぱり、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでしょう」と云い終って、自から、えへへへと、洒落の結末をつけて、書生部屋へ帰って行った。代助もつづいて玄関まで出た。門野は振返た。 「また御出掛ですか。よござんす。洋燈は私が気を付けますから。――小母さんが先刻から腹が痛いって寐たんですが、何大した事はないでしょう。御緩り」  代助は門を出た。江戸川まで来ると、河の水がもう暗くなっていた。彼は固より平岡を訪ねる気であった。から何時もの様に川辺を伝わないで、すぐ橋を渡って、金剛寺坂を上った。  実を云うと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢っていた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取った時であった。それには、第一に着京以来御世話になって難有いと云う礼が述べてあった。それから、――その後色々朋友や先輩の尽力を辱うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣ってみたい様な気がする。然し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断では宜しくあるまいと思って、一応御相談をすると云う意味が後に書いてあった。代助は、その当時平岡から、兄の会社に周旋してくれと依頼されたのを、そのままにして、断わりもせず今日まで放って置いた。ので、その返事を促されたのだと受取った。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡過ぎると云う考もあったので、翌日出向いて行って、色々兄の方の事情を話して当分、此方は断念してくれる様に頼んだ。平岡はその時、僕も大方そうだろうと思っていたと云って、妙な眼をして三千代の方を見た。  いま一遍は、愈新聞の方が極まったから、一晩緩り君と飲みたい。何日に来てくれという平岡の端書が着いた時、折悪く差支が出来たからと云って散歩の序に断わりに寄ったのである。その時平岡は座敷の真中に引繰り返って寐ていた。昨夕どこかの会へ出て、飲み過ごした結果だと云って、赤い眼をしきりに摩った。代助を見て、突然、人間はどうしても君の様に独身でなけりゃ仕事は出来ない。僕も一人なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次の間で、こっそり仕事をしていた。  三遍目には、平岡の社へ出た留守を訪ねた。その時は用事も何もなかった。約三十分ばかり縁へ腰を掛けて話した。  それから以後はなるべく小石川の方面へ立ち回らない事にして今夜に至ったのである。代助は竹早町へ上って、それを向うへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云う軒燈のすぐ前へ来た。格子の外から声を掛けると、洋燈を持って下女が出た。が平岡は夫婦とも留守であった。代助は出先も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗って、本郷まで来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入って、麦酒をぐいぐい飲んだ。  翌日眼が覚めると、依然として脳の中心から、半径の違った円が、頭を二重に仕切っている様な心持がした。こう云う時に代助は、頭の内側と外側が、質の異なった切り組み細工で出来上っているとしか感じ得られない癖になっていた。それで能く自分で自分の頭を振ってみて、二つのものを混ぜようと力めたものである。彼は今枕の上へ髪を着けたなり、右の手を固めて、耳の上を二三度敲いた。  代助はかかる脳髄の異状を以て、かつて酒の咎に帰した事はなかった。彼は小供の時から酒に量を得た男であった。いくら飲んでも、さ程平常を離れなかった。のみならず、一度熟睡さえすれば、あとは身体に何の故障も認める事が出来なかった。甞て何かのはずみに、兄と競り飲みをやって、三合入の徳利を十三本倒した事がある。その翌日代助は平気な顔をして学校へ出た。兄は二日も頭が痛いと云って苦り切っていた。そうして、これを年齢の違だと云った。  昨夕飲んだ麦酒はこれに比べると愚なものだと、代助は頭を敲きながら考えた。幸に、代助はいくら頭が二重になっても、脳の活動に狂を受けた事がなかった。時としては、ただ頭を使うのが臆劫になった。けれども努力さえすれば、充分複雑な仕事に堪えるという自信があった。だから、こんな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪い影響を与えるものとしては、悲観する余地がなかった。始めて、こんな感覚があった時は驚ろいた。二遍目は寧ろ新奇な経験として喜んだ。この頃は、この経験が、多くの場合に、精神気力の低落に伴う様になった。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になった。代助にはそこが不愉快だった。  床の上に起き上がって、彼は又頭を振った。朝食の時、門野は今朝の新聞に出ていた蛇と鷲の戦の事を話し掛けたが、代助は応じなかった。門野は又始まったなと思って、茶の間を出た。勝手の方で、 「小母さん、そう働らいちゃ悪いだろう。先生の膳は僕が洗って置くから、彼方へ行って休んで御出」と婆さんを労っていた。代助は始めて婆さんの病気の事を思い出した。何か優しい言葉でも掛ける所であったが、面倒だと思って已めにした。  食刀を置くや否や、代助はすぐ紅茶茶碗を持って書斎へ這入った。時計を見るともう九時過であった。しばらく、庭を眺めながら、茶を啜り延ばしていると、門野が来て、 「御宅から御迎が参りました」と云った。代助は宅から迎を受ける覚がなかった。聞き返してみても、門野は車夫がとか何とか要領を得ない事を云うので、代助は頭を振り振り玄関へ出てみた。すると、そこに兄の車を引く勝と云うのがいた。ちゃんと、護謨輪の車を玄関へ横付にして、叮嚀に御辞義をした。 「勝、御迎って何だい」と聞くと、勝は恐縮の態度で、 「奥様が車を持って、迎に行って来いって、御仰いました」 「何か急用でも出来たのかい」  勝は固より何事も知らなかった。 「御出になれば分るからって――」と簡潔に答えて、言葉の尻を結ばなかった。  代助は奥へ這入った。婆さんを呼んで着物を出させようと思ったが、腹の痛むものを使うのが厭なので、自分で箪笥の抽出を掻き回して、急いで身支度をして、勝の車に乗って出た。  その日は風が強く吹いた。勝は苦しそうに、前の方に曲んで馳けた。乗っていた代助は、二重の頭がぐるぐる回転するほど、風に吹かれた。けれども、音も響もない車輪が美くしく動いて、意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙に運んで行く有様が愉快であった。青山の家へ着く時分には、起きた頃とは違って、気色が余程晴々して来た。  何か事が起ったのかと思って、上り掛けに、書生部屋を覗いてみたら、直木と誠太郎がたった二人で、白砂糖を振り掛けた苺を食っていた。 「やあ、御馳走だな」と云うと、直木は、すぐ居ずまいを直して、挨拶をした。誠太郎は唇の縁を濡らしたまま、突然、 「叔父さん、奥さんは何時貰うんですか」と聞いた。直木はにやにやしている。代助は一寸返答に窮した。已を得ず、 「今日は何故学校へ行かないんだ。そうして朝っ腹から苺なんぞを食って」と調戯う様に、叱る様に云った。 「だって今日は日曜じゃありませんか」と誠太郎は真面目になった。 「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。  直木は代助の顔を見てとうとう笑い出した。代助も笑って、座敷へ来た。そこには誰も居なかった。替え立ての畳の上に、丸い紫檀の刳抜盆が一つ出ていて、中に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様画が染め付けてあった。からんとした広い座敷へ朝の緑が庭から射し込んで、凡てが静かに見えた。戸外の風は急に落ちた様に思われた。  座敷を通り抜けて、兄の部屋の方へ来たら、人の影がした。 「あら、だって、それじゃ余まりだわ」と云う嫂の声が聞えた。代助は中へ這入った。中には兄と嫂と縫子がいた。兄は角帯に金鎖を巻き付けて、近頃流行る妙な絽の羽織を着て、此方を向いて立っていた。代助の姿を見て、 「そら来た。ね。だから一所に連れて行って御貰よ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固より分らなかった。すると、梅子が代助の方に向き直った。 「代さん、今日貴方、無論暇でしょう」と云った。 「ええ、まあ暇です」と代助は答えた。 「じゃ、一所に歌舞伎座へ行って頂戴」  代助は嫂のこの言葉を聞いて、頭の中に、忽ち一種の滑稽を感じた。けれども今日は平常の様に、嫂に調戯う勇気がなかった。面倒だから、平気な顔をして、 「ええ宜しい、行きましょう」と機嫌よく答えた。すると梅子は、 「だって、貴方は、最早、一遍観たって云うんじゃありませんか」と聞き返した。 「一遍だろうが、二遍だろうが、些とも構わない。行きましょう」と代助は梅子を見て微笑した。 「貴方も余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助は益滑稽を感じた。  兄は用があると云って、すぐ出て行った。四時頃用が済んだら芝居の方へ回る約束なんだそうである。それまで自分と縫子だけで見ていたら好さそうなものだが、梅子はそれが厭だと云った。そんなら直木を連れて行けと兄から注意された時、直木は紺絣を着て、袴を穿いて、むずかしく坐っていて不可ないと答えた。それで仕方がないから代助を迎いに遣ったのだ、と、これは兄が出掛の説明であった。代助は少々理窟に合わないと思ったが、ただ、そうですかと答えた。そうして、嫂は幕の合間に話し相手が欲いのと、それからいざと云う時に、色々用を云い付けたいものだから、わざわざ自分を呼び寄せたに違ないと解釈した。  梅子と縫子は長い時間を御化粧に費やした。代助は懇よく御化粧の監督者になって、両人の傍に附いていた。そうして時々は、面白半分の冷かしも云った。縫子からは叔父さん随分だわを二三度繰り返された。  父は今朝早くから出て、家にいなかった。何処へ行ったのだか、嫂は知らないと云った。代助は別に知りたい気もなかった。ただ父のいないのが難有かった。この間の会見以後、代助は父とはたった二度程しか顔を合せなかった。それも、ほんの十分か十五分に過ぎなかった。話が込み入りそうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしていた。父は座敷の方へ出て来て、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなった。おれの顔さえ見れば逃げ仕度をすると云って怒った。と嫂は鏡の前で夏帯の尻を撫でながら代助に話した。 「ひどく、信用を落したもんだな」  代助はこう云って、嫂と縫子の蝙蝠傘を提げて一足先へ玄関へ出た。車はそこに三挺并んでいた。  代助は風を恐れて鳥打帽を被っていた。風は漸く歇んで、強い日が雲の隙間から頭の上を照らした。先へ行く梅子と縫子は傘を広げた。代助は時々手の甲を額の前に翳した。  芝居の中では、嫂も縫子も非常に熱心な観客であった。代助は二返目の所為といい、この三四日来の脳の状態からと云い、そう一図に舞台ばかりに気を取られている訳にも行かなかった。絶えず精神に重苦しい暑を感ずるので、屡団扇を手にして、風を襟から頭へ送っていた。  幕の合間に縫子が代助の方を向いて時々妙な事を聞いた。何故あの人は盥で酒を飲むんだとか、何故坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであった。梅子はそれを聞くたんびに笑っていた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思い出した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋に富んでいるので、楽に見物が出来ないと書いてあった。代助はその時、役者の立場から考えて、何もそんな人に見て貰う必要はあるまいと思った。作者に云うべき小言を、役者の方へ持ってくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠璃が聴きたいと云う愚物と同じ事だと云って門野に話した。門野は依然として、そんなもんでしょうかなと云っていた。  小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であった。そうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕に就てのみ用いべきものと狭義に解釈していた。だから梅子とは大いに話が合った。時々顔を見合して、黒人の様な批評を加えて、互に感心していた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭が来ていた。幕の途中でも、双眼鏡で、彼方を見たり、此方を見たりしていた。双眼鏡の向う所には芸者が沢山いた。そのあるものは、先方でも眼鏡の先を此方へ向けていた。  代助の右隣には自分と同年輩の男が丸髷に結った美くしい細君を連れて来ていた。代助はその細君の横顔を見て、自分の近付のある芸者によく似ていると思った。左隣には男連が四人ばかりいた。そうして、それが、悉く博士であった。代助はその顔を一々覚えていた。その又隣に、広い所をたった二人で専領しているものがあった。その一人は、兄と同じ位な年恰好で、正しい洋服を着ていた。そうして金縁の眼鏡を掛けて、物を見るときには、顎を前へ出して、心持仰向く癖があった。代助はこの男を見たとき、何所か見覚のある様な気がした。が、ついに思い出そうと力めてもみなかった。その伴侶は若い女であった。代助はまだ二十になるまいと判定した。羽織を着ないで、普通よりは大きく廂を出して、多くは顎を襟元へぴたりと着けて坐っていた。  代助は苦しいので、何返も席を立って、後の廊下へ出て、狭い空を仰いだ。兄が来たら、嫂と縫子を引き渡して早く帰りたい位に思った。一遍は縫子を連れて、其所等をぐるぐる運動して歩いた。仕舞には些と酒でも取り寄せて飲もうかと思った。  兄は日暮とすれすれに来た。大変遅かったじゃありませんかと云った時、帯の間から、金時計を出して見せた。実際六時少し回ったばかりであった。兄は例の如く、平気な顔をして、方々見回していた。が、飯を食う時、立って廊下へ出たぎり、中々帰って来なかった。しばらくして、代助が不図振り返ったら、一軒置いて隣りの金縁の眼鏡を掛けた男の所へ這入って、話をしていた。若い女にも時々話しかける様であった。然し女の方では笑い顔を一寸見せるだけで、すぐ舞台の方へ真面目に向き直った。代助は嫂にその人の名を聞こうと思ったが、兄は人の集る所へさえ出れば、何所へでも斯の如く平気に這入り込む程、世間の広い、又世間を自分の家の様に心得ている男であるから、気にも掛けずに黙っていた。  すると幕の切れ目に、兄が入口まで帰って来て、代助一寸来いと云いながら、代助をその金縁の男の席へ連れて行って、愚弟だと紹介した。それから代助には、これが神戸の高木さんだと云って引合した。金縁の紳士は、若い女を顧みて、私の姪ですと云った。女はしとやかに御辞義をした。その時兄が、佐川さんの令嬢だと口を添えた。代助は女の名を聞いたとき、旨く掛けられたと腹の中で思った。が何事も知らぬものの如く装って、好加減に話していた。すると嫂が一寸自分の方を振り向いた。  五六分して、代助は兄と共に自分の席に返った。佐川の娘を紹介されるまでは、兄の見え次第逃げる気であったが、今ではそう不可なくなった。余り現金に見えては、却って好くない結果を引き起しそうな気がしたので、苦しいのを我慢して坐っていた。兄も芝居に就ては全たく興味がなさそうだったけれども、例の如く鷹揚に構えて、黒い頭を燻す程、葉巻をくゆらした。時々評をすると、縫子あの幕は綺麗だろう位の所であった。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木に就ても、佐川の娘に就ても、何等の質問を掛けず、一言の批評も加えなかった。代助にはその澄した様子が却って滑稽に思われた。彼は今日まで嫂の策略にかかった事が時々あった。けれども、只の一返も腹を立てた事はなかった。今度の狂言も、平生ならば、退屈紛らしの遊戯程度に解釈して、笑ってしまったかも知れない。そればかりではない。もし自分が結婚する気なら、却って、この狂言を利用して、自ら人巧的に、御目出度喜劇を作り上げて、生涯自分を嘲けって満足する事も出来た。然しこの姉までが、今の自分を、父や兄と共謀して、漸々窮地に誘なって行くかと思うと、さすがにこの所作をただの滑稽として、観察する訳には行かなかった。代助はこの先、嫂がこの事件をどう発展させる気だろうと考えて、少々弱った。家のものの中で、嫂が一番こんな計画に興味をもっていたからである。もし嫂がこの方面に向って代助に肉薄すればする程、代助は漸々家族のものと疎遠にならなければならぬと云う恐れが、代助の頭の何処かに潜んでいた。  芝居の仕舞になったのは十一時近くであった。外へ出て見ると、風は全く歇んだが、月も星も見えない静かな晩を、電燈が少しばかり照らしていた。時間が遅いので茶屋では話をする暇もなかった。三人の迎は来ていたが、代助はつい車を誂えて置くのを忘れた。面倒だと思って、嫂の勧を斥けて、茶屋の前から電車に乗った。数寄屋橋で乗り易え様と思って、黒い路の中に、待ち合わしていると、小供を負った神さんが、退儀そうに向うから近寄って来た。電車は向う側を二三度通った。代助と軌道の間には、土か石の積んだものが、高い土手の様に挟まっていた。代助は始めて間違った所に立っている事を悟った。 「御神さん、電車へ乗るなら、此所じゃ不可ない。向側だ」と教えながら歩き出した。神さんは礼を云って跟いて来た。代助は手探でもする様に、暗い所を好加減に歩いた。十四五間左の方へ濠際を目標に出たら、漸く停留所の柱が見付った。神さんは其所で、神田橋の方へ向いて乗った。代助はたった一人反対の赤坂行へ這入った。  車の中では、眠くて寐られない様な気がした。揺られながらも今夜の睡眠が苦になった。彼は大いに疲労して、白昼の凡てに、惰気を催おすにも拘わらず、知られざる何物かの興奮の為に、静かな夜を恣にする事が出来ない事がよくあった。彼の脳裏には、今日の日中に、交る交る痕を残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度に散らついていた。そうして、それが何の色彩であるか、何の運動であるか慥かに解らなかった。彼は眼を眠って、家へ帰ったら、又ウイスキーの力を借りようと覚悟した。  彼はこの取り留めのない花やかな色調の反照として、三千代の事を思い出さざるを得なかった。そうして其所にわが安住の地を見出した様な気がした。けれどもその安住の地は、明らかには、彼の眼に映じて出なかった。ただ、かれの心の調子全体で、それを認めただけであった。従って彼は三千代の顔や、容子や、言葉や、夫婦の関係や、病気や、身分を一纏にしたものを、わが情調にしっくり合う対象として、発見したに過ぎなかった。  翌日代助は但馬にいる友人から長い手紙を受取った。この友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰ったぎり、今日までついぞ東京へ出た事のない男であった。当人は無論山の中で暮す気はなかったんだが、親の命令で已を得ず、故郷に封じ込められてしまったのである。それでも一年ばかりの間は、もう一返親父を説き付けて、東京へ出る出ると云って、うるさい程手紙を寄こしたが、この頃は漸く断念したと見えて、大した不平がましい訴もしない様になった。家は所の旧家で、先祖から持ち伝えた山林を年々伐り出すのが、重な用事になっているよしであった。今度の手紙には、彼の日常生活の模様が委しく書いてあった。それから、一カ月前町長に挙げられて、年俸を三百円頂戴する身分になった事を、面白半分、殊更に真面目な句調で吹聴して来た。卒業してすぐ中学の教師になっても、この三倍は貰えると、自分と他の友人との比較がしてあった。  この友人は国へ帰ってから、約一年ばかりして、京都在のある財産家から嫁を貰った。それは無論親の云い付であった。すると、少時して、直子供が生れた。女房の事は貰った時より外に何も云って来ないが、子供の生長には興味があると見えて、時々代助が可笑くなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、この子供に対して、満足しつつある友人の生活を想像した。そうして、この子供の為に、彼の細君に対する感想が、貰った当時に比べて、どの位変化したかを疑った。  友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送ってくれた。代助はその返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣った。するとその返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。仕舞には受取ったと云う礼状さえ寄こさなかった。此方からわざわざ問い合せると、書物は難有く頂戴した。読んでから礼を云おうと思って、つい遅くなった。実はまだ読まない。白状すると、読む閑がないと云うより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云えば、読んでも解らなくなったのである。という返事が来た。代助はそれから書物を廃めて、その代りに新らしい玩具を買って送る事にした。  代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向を有っていたこの旧友が、当時とはまるで反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色を出していると云う事実を、切に感じた。そうして、命の絃の震動から出る二人の響を審かに比較した。  彼は理論家として、友人の結婚を肯った。山の中に住んで、樹や谷を相手にしているものは、親の取り極めた通りの妻を迎えて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来すものと断定した。その原因を云えば、都会は人間の展覧会に過ぎないからであった。彼はこの前提からこの結論に達する為にこう云う径路を辿った。  彼は肉体と精神に於て美の類別を認める男であった。そうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考えた。あらゆる美の種類に接触して、そのたび毎に、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼はこれを自家の経験に徴して争うべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつつあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂不義の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終甞めなければならない事になった。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を選んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分らないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。  此所まで考えた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮んだ。その時代助はこの論理中に、或因数は数え込むのを忘れたのではなかろうかと疑った。けれども、その因数はどうしても発見する事が出来なかった。すると、自分が三千代に対する情合も、この論理によって、ただ現在的のものに過ぎなくなった。彼の頭は正にこれを承認した。然し彼の心は、慥かにそうだと感ずる勇気がなかった。 十二  代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。避暑にはまだ間があった。凡ての娯楽には興味を失った。読書をしても、自己の影を黒い文字の上に認める事が出来なくなった。落付いて考えれば、考えは蓮の糸を引く如くに出るが、出たものを纏めて見ると、人の恐ろしがるものばかりであった。仕舞には、斯様に考えなければならない自分が怖くなった。代助は蒼白く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為に、しばらく旅行しようと決心した。始めは父の別荘に行く積りであった。然し、これは東京から襲われる点に於て、牛込に居ると大した変りはないと思った。代助は旅行案内を買って来て、自分の行くべき先を調べてみた。が、自分の行くべき先は天下中何処にも無い様な気がした。しかし、無理にも何処かへ行こうとした。それには、支度を調えるに若くはないと極めた。代助は電車に乗って、銀座まで来た。朗かに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧工場を一回して、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。その時代助の眼には、向う側の家が、芝居の書割の様に平たく見えた。青い空は、屋根の上にすぐ塗り付けられていた。  代助は二三の唐物屋を冷かして、入用の品を調えた。その中に、比較的高い香水があった。資生堂で練歯磨を買おうとしたら、若いものが、欲しくないと云うのに自製のものを出して、頻に勧めた。代助は顔をしかめて店を出た。紙包を腋の下に抱えたまま、銀座の外れまで遣って来て、其所から大根河岸を回って、鍛冶橋を丸の内へ志した。当もなく西の方へ歩きながら、これも簡便な旅行と云えるかも知れないと考えた揚句、草臥れて車をと思ったが、何処にも見当らなかったので又電車へ乗って帰った。  家の門を這入ると、玄関に誠太郎のらしい履が叮嚀に并べてあった。門野に聞いたら、へえそうです、先方から待って御出ですという答であった。代助はすぐ書斎へ来て見た。誠太郎は、代助の坐る大きな椅子に腰を掛けて、洋卓の前で、アラスカ探険記を読んでいた。洋卓の上には、蕎麦饅頭と茶盆が一所に乗っていた。 「誠太郎、何だい、人のいない留守に来て、御馳走だね」と云うと、誠太郎は、笑いながら、先ずアラスカ探険記をポッケットへ押し込んで、席を立った。 「其所にいるなら、いても構わないよ」と云っても、聞かなかった。  代助は誠太郎を捕まえて、例の様に調戯い出した。誠太郎はこの間代助が歌舞伎座でした欠伸の数を知っていた。そうして、 「叔父さんは何時奥さんを貰うの」と、又先達てと同じ様な質問を掛けた。  この日誠太郎は、父の使に来たのであった。その口上は、明日の十一時までに一寸来てくれと云うのであった。代助はそうそう父や兄に呼び付けられるのが面倒であった。誠太郎に向って、半分怒った様に、 「何だい、苛いじゃないか。用も云わないで、無暗に人を呼びつけるなんて」と云った。誠太郎はやっぱりにやにやしていた。代助はそれぎり話を外へそらしてしまった。新聞に出ている相撲の勝負が、二人の題目の重なるものであった。  晩食を食って行けと云うのを学校の下調があると云って辞退して誠太郎は帰った。帰る前に、 「それじゃ、叔父さん、明日は来ないんですか」と聞いた。代助は已を得ず、 「うむ。どうだか分らない。叔父さんは旅行するかも知れないからって、帰ってそう云ってくれ」と云った。 「何時」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日明日のうちと答えた。誠太郎はそれで納得して、玄関まで出て行ったが、沓脱へ下りながら振り返って、突然、 「何処へいらっしゃるの」と代助を見上げた。代助は、 「何処って、まだ分るもんか。ぐるぐる回るんだ」と云ったので、誠太郎は又にやにやしながら、格子を出た。  代助はその夜すぐ立とうと思って、グラッドストーンの中を門野に掃除さして、携帯品を少し詰め込んだ。門野は少なからざる好奇心を以て、代助の革鞄を眺めていたが、 「少し手伝いましょうか」と突立ったまま聞いた。代助は、 「なに、訳はない」と断わりながら、一旦詰め込んだ香水の壜を取り出して、封被を剥いで、栓を抜いて、鼻に当てて嗅いでみた。門野は少し愛想を尽した様な具合で、自分の部屋へ引取った。二三分すると又出て来て、 「先生、車をそう云っときますかな」と注意した。代助はグラッドストーンを前へ置いて、顔を上げた。 「そう、少し待ってくれ給え」  庭を見ると、生垣の要目の頂に、まだ薄明るい日足がうろついていた。代助は外を覗きながら、これから三十分のうちに行く先を極めようと考えた。何でも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、その汽車の持って行く所へ降りて、其所で明日まで暮らして、暮らしているうちに、又新らしい運命が、自分を攫いに来るのを待つ積りであった。旅費は無論充分でなかった。代助の旅装に適した程の宿泊を続けるとすれば、一週間も保たない位であった。けれども、そう云う点になると、代助は無頓着であった。愈となれば、家から金を取り寄せる気でいた。それから、本来が四辺の風気を換えるのを目的とする移動だから、贅沢の方面へは重きを置かない決心であった。興に乗れば、荷持を雇って、一日歩いても可いと覚悟した。  彼は又旅行案内を開いて、細かい数字を丹念に調べ出したが、少しも決定の運に近寄らないうちに、又三千代の方に頭が滑って行った。立つ前にもう一遍様子を見て、それから東京を出ようと云う気が起った。グラッドストーンは今夜中に始末を付けて、明日の朝早く提げて行かれる様にして置けば構わない事になった。代助は急ぎ足で玄関まで出た。その音を聞き付けて、門野も飛び出した。代助は不断着のまま、掛釘から帽子を取っていた。 「又御出掛ですか。何か御買物じゃありませんか。私で可ければ買って来ましょう」と門野が驚ろいた様に云った。 「今夜は已めだ」と云い放したまま、代助は外へ出た。外はもう暗かった。美くしい空に星がぽつぽつ影を増して行く様に見えた。心持の好い風が袂を吹いた。けれども長い足を大きく動かした代助は、二三町も歩かないうちに額際に汗を覚えた。彼は頭から鳥打を脱った。黒い髪を夜露に打たして、時々帽子をわざと振って歩いた。  平岡の家の近所へ来ると、暗い人影が蝙蝠の如く静かに其所、此所に動いた。粗末な板塀の隙間から、洋燈の灯が往来へ映った。三千代はその光の下で新聞を読んでいた。今頃新聞を読むのかと聞いたら、二返目だと答えた。 「そんなに閑なんですか」と代助は座蒲団を敷居の上に移して、縁側へ半分身体を出しながら、障子へ倚りかかった。  平岡は居なかった。三千代は今湯から帰った所だと云って、団扇さえ膝の傍に置いていた。平生の頬に、心持暖い色を出して、もう帰るでしょうから緩くりしていらっしゃいと、茶の間へ茶を入れに立った。髪は西洋風に結っていた。  平岡は三千代の云った通りには中々帰らなかった。何時でもこんなに遅いのかと尋ねたら、笑いながら、まあそんな所でしょうと答えた。代助はその笑の中に一種の淋しさを認めて、眼を正して、三千代の顔を凝と見た。三千代は急に団扇を取って袖の下を煽いだ。  代助は平岡の経済の事が気に掛った。正面から、この頃は生活費には不自由はあるまいと尋ねてみた。三千代はそうですねと云って、又前の様な笑い方をした。代助がすぐ返事をしなかったものだから、 「貴方には、そう見えて」と今度は向うから聞き直した。そうして、手に持った団扇を放り出して、湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に広げて見せた。その指には代助の贈った指環も、他の指環も穿めていなかった。自分の記念を何時でも胸に描いていた代助には、三千代の意味がよく分った。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。 「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と云った。代助は憐れな心持がした。  代助はその夜九時頃平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入の中に有るものを出して、三千代に渡した。その時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼は先ず何気なく懐中物を胸の所で開けて、中にある紙幣を、勘定もせずに攫んで、これを上げるから御使なさいと無雑作に三千代の前へ出した。三千代は、下女を憚かる様な低い声で、 「そんな事を」と、却って両手をぴたりと身体へ付けてしまった。代助は然し自分の手を引き込めなかった。 「指環を受取るなら、これを受取っても、同じ事でしょう。紙の指環だと思って御貰いなさい」  代助は笑いながら、こう云った。三千代はでも、余りだからとまだ躊躇した。代助は、平岡に知れると叱られるのかと聞いた。三千代は叱られるか、賞められるか、明らかに分らなかったので、やはり愚図々々していた。代助は、叱られるなら、平岡に黙っていたら可かろうと注意した。三千代はまだ手を出さなかった。代助は無論出したものを引き込める訳に行かなかった。已を得ず、少し及び腰になって、掌を三千代の胸の側まで持って行った。同時に自分の顔も一尺ばかりの距離に近寄せて、 「大丈夫だから、御取んなさい」と確りした低い調子で云った。三千代は顎を襟の中へ埋める様に後へ引いて、無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長い睫毛を二三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間に挟んだ。 「又来る。平岡君によろしく」と云って、代助は表へ出た。町を横断して小路へ下ると、あたりは暗くなった。代助は美くしい夢を見た様に、暗い夜を切って歩いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家の門前に来た。けれども門を潜る気がしなかった。彼は高い星を戴いて、静かな屋敷町をぐるぐる徘徊した。自分では、夜半まで歩きつづけても疲れる事はなかろうと思った。とかくするうち、又自分の家の前へ出た。中は静かであった。門野と婆さんは茶の間で世間話をしていたらしい。 「大変遅うがしたな。明日は何時の汽車で御立ちですか」と玄関へ上るや否や問を掛けた。代助は、微笑しながら、 「明日も御已めだ」と答えて、自分の室へ這入った。そこには床がもう敷いてあった。代助は先刻栓を抜いた香水を取って、括枕の上に一滴垂らした。それでは何だか物足りなかった。壜を持ったまま、立って室の四隅へ行って、そこに一二滴ずつ振りかけた。斯様に打ち興じた後、白地の浴衣に着換えて、新らしい小掻巻の下に安かな手足を横たえた。そうして、薔薇の香のする眠に就いた。  眼が覚めた時は、高い日が縁に黄金色の震動を射込んでいた。枕元には新聞が二枚揃えてあった。代助は、門野が何時、雨戸を引いて、何時新聞を持って来たか、まるで知らなかった。代助は長い伸を一つして起き上った。風呂場で身体を拭いていると、門野が少し狼狽えた容子で遣って来て、 「青山から御兄いさんが御見えになりました」と云った。代助は今直行く旨を答えて、奇麗に身体を拭き取った。座敷はまだ掃除が出来ているか、いないかであったが、自分で飛び出す必要もないと思ったから、急ぎもせずに、いつもの通り、髪を分けて剃を中て、悠々と茶の間へ帰った。そこではさすがにゆっくりと膳につく気も出なかった。立ちながら紅茶を一杯啜って、タオルで一寸口髭を摩って、それを、其所へ放り出すと、すぐ客間へ出て、 「やあ兄さん」と挨拶をした。兄は例の如く、色の濃い葉巻の、火の消えたのを、指の股に挟んで、平然として代助の新聞を読んでいた。代助の顔を見るや否や、 「この室は大変好い香がする様だが、御前の頭かい」と聞いた。 「僕の頭の見える前からでしょう」と答えて、昨夜の香水の事を話した。兄は、落ち付いて、 「ははあ、大分洒落た事をやるな」と云った。  兄は滅多に代助の所へ来た事のない男であった。たまに来れば必ず来なくってならない用事を持っていた。そうして、用を済ますとさっさと帰って行った。今日も何事か起ったに違ないと代助は考えた。そうして、それは昨日誠太郎を好加減に胡魔化して返した反響だろうと想像した。五六分雑談をしているうちに、兄はとうとうこう云い出した。 「昨夕誠太郎が帰って来て、叔父さんは明日から旅行するって云う話だから、出て来た」 「ええ、実は今朝六時頃から出ようと思ってね」と代助は嘘の様な事を、至極冷静に答えた。兄も真面目な顔をして、 「六時に立てる位な早起の男なら、今時分わざわざ青山から遣って来やしない」と云った。改めて用事を聞いてみると、やはり予想の通り肉薄の遂行に過ぎなかった。即ち今日高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞う筈だから、代助にも列席しろと云う父の命令であった。兄の語る所によると、昨夕誠太郎の返事を聞いて、父は大いに機嫌を悪くした。梅子は気を揉んで、代助の立たない前に逢って、旅行を延ばさせると云い出した。兄はそれを留めたそうである。 「なに彼奴が今夜中に立つものか、今頃は革鞄の前へ坐って考え込んでいる位のものだ。明日になってみろ、放って置いても遣って来るからって、己が姉さんを安心させたのだよ」と誠吾は落付払っていた。代助は少し忌々しくなったので、 「じゃ、放って置いて御覧なされば好いのに」と云った。 「ところが女と云うものは、気の短かいもので、御父さんに悪いからって、今朝起きるや否や、己をせびるんだからね」と誠吾は可笑い様な顔もしなかった。寧ろ迷惑そうに代助を眺めていた。代助は行くとも、行かないとも決答を与えなかった。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返してしまう勇気も出なかった。その上午餐を断って、旅行するにしても、もう自分の懐中を当にする訳には行かなかった。やはり、兄とか嫂とか、もしくは父とか、いずれ反対派の誰かを痛めなければ、身動が取れない位地にいた。そこで、即かず離れずに、高木と佐川の娘の評判をした。高木には十年程前に一遍逢ったぎりであったが、妙なもので、何処かに見覚があって、この間歌舞伎座で眼に着いた時は、はてなと思った。これに反して、佐川の娘の方は、つい先達て、写真を手にしたばかりであるのに、実物に接しても、まるで聯想が浮ばなかった。写真は奇体なもので、先ず人間を知っていて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定める方は中々むずかしい。これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云う真理に帰着する。 「私はそう考えた」と代助が云った。兄はなるほどと答えたが別段感心した様子もなかった。葉巻の短かくなって、口髭に火が付きそうなのを無暗に啣え易えて、 「それで、必ずしも今日旅行する必要もないんだろう」と聞いた。  代助はないと答えざるを得なかった。 「じゃ、今日餐を食いに来ても好いんだろう」  代助は又好いと答えない訳に行かなかった。 「じゃ、己はこれから、一寸他所へ廻るから、間違のない様に来てくれ」と相変らず多忙に見えた。代助はもう度胸を据えたから、どうでも構わないという気で、先方に都合の好い返事を与えた。すると兄が突然、 「一体どうなんだ。あの女を貰う気はないのか。好いじゃないか貰ったって。そう撰り好みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間は男女に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、そうでもなかったのかい。――まあ、どうでも好いから、なるべく年寄を怒らせない様に遣ってくれ」と云って帰った。  代助は座敷へ戻って、しばらく、兄の警句を咀嚼していた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考えられない。だから、結婚を勧める方でも、怒らないで放って置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好い結論を得た。  兄の云う所によると、佐川の娘は、今度久し振に叔父に連れられて、見物旁上京したので、叔父の商用が済み次第又連れられて国へ帰るのだそうである。父がその機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結び付けようと企てたのか、又は先達ての旅行先で、この機会をも自発的に拵えて帰って来たのか、どっちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかった。自分はただこれ等の人と同じ食卓で、旨そうに午餐を味わって見せれば、社交上の義務は其所に終るものと考えた。もしそれより以上に、何等かの発展が必要になった場合には、その時に至って、始めて処置を付けるより外に道はないと思案した。  代助は婆さんを呼んで着物を出さした。面倒だと思ったが、敬意を表するために、紋付の夏羽織を着た。袴は一重のがなかったから、家に行って、父か兄かのを穿く事に極めた。代助は神経質な割に、子供の時からの習慣で、人中へ出るのを余り苦にしなかった。宴会とか、招待とか、送別とかいう機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えていた。その中には伯爵とか子爵とかいう貴公子も交っていた。彼はこんな人の仲間入をして、その仲間なりの交際に、損も得も感じなかった。言語動作は何処へ出ても同じであった。外部から見ると、其所が大変能く兄の誠吾に似ていた。だから、よく知らない人は、この兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じていた。  代助が青山に着いた時は、十一時五分前であったが、御客はまだ来ていなかった。兄もまだ帰らなかった。嫂だけがちゃんと支度をして、座敷に坐っていた。代助の顔を見て、 「あなたも、随分乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなり遣り込めた。梅子は場合によると、論理を有ち得ない女であった。この場合にも、自分が代助を出し抜いた事にはまるで気が付いていない挨拶の仕方であった。それが代助には愛嬌に見えた。で、直そこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にいると聞いたが、わざと行かなかった。強いられたとき、 「今に御客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。その時挨拶をすれば好かろう」と云って、やっぱり平常の様な無駄口を叩いていた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口を切らなかった。梅子は何とかして、話を其所へ持って行こうとした。代助には、それが明らかに見えた。だから、猶空とぼけて讎を取った。  そのうち待ち設けた御客が来たので、代助は約束通りすぐ父の所へ知らせに行った。父は、案のじょう、 「そうか」とすぐ立ち上がっただけであった。代助に小言を云う暇も何も無かった。代助は座敷へ引き返して来て、袴を穿いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこで悉とく顔を合わせた。父と高木とが第一に話を始めた。梅子は重に佐川の令嬢の相手になった。そこへ兄が今朝の通りの服装で、のっそりと這入って来た。 「いや、どうも遅くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振り返って、 「大分早かったね」と小さな声を掛けた。  食堂には応接室の次の間を使った。代助は戸の開いた間から、白い卓布の角の際立った色を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸席を立って、次の入口を覗きに行った。それは父に、食卓の準備が出来上った旨を知らせる為であった。 「ではどうぞ」と父は立ち上がった。高木も会釈して立ち上がった。佐川の令嬢も叔父に継いで立ち上がった。代助はその時、女の腰から下の、比較的に細く長い事を発見した。食卓では、父と高木が、真中に向き合った。高木の右に梅子が坐って、父の左に令嬢が席を占めた。女同志が向き合った如く、誠吾と代助も向き合った。代助は五味台を中に、少し斜に反れた位地から令嬢の顔を眺める事になった。代助はその頬の肉と色が、著じるしく後の窓から射す光線の影響を受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作った様に思った。その代り耳に接した方は、明らかに薄紅であった。殊に小さい耳が、日の光を透しているかの如くデリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼を有していた。この二つの対照から華やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であった。  食卓は、人数が人数だけに、さ程大きくはなかった。部屋の広さに比例して、寧ろ小さ過ぎる位であったが、純白な卓布を、取り集めた花で綴って、その中に肉刀と肉匙の色が冴えて輝いた。  卓上の談話は重に平凡な世間話であった。始のうちは、それさえ余り興味が乗らない様に見えた。父はこう云う場合には、よく自分の好きな書画骨董の話を持ち出すのを常としていた。そうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前に陳べたものである。父の御蔭で、代助は多少この道に好悪を有てる様になっていた。兄も同様の原因から、画家の名前位は心得ていた。ただし、この方は掛物の前に立って、はあ仇英だね、はあ応挙だねと云うだけであった。面白い顔もしないから、面白い様にも見えなかった。それから真偽の鑑定の為に、虫眼鏡などを振り舞わさない所は、誠吾も代助も同じ事であった。父の様に、こんな波は昔の人は描かないものだから、法にかなっていないなどという批評は、双方共に、未だ甞て如何なる画に対しても加えた事はなかった。  父は乾いた会話に色彩を添えるため、やがて好きな方面の問題に触れてみた。ところが一二言で、高木はそう云う事にまるで無頓着な男であるという事が分った。父は老巧の人だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかった。父は已を得ず、高木にどんな娯楽があるかを確めた。高木は特別に娯楽を持たない由を答えた。父は万事休すという体裁で、高木を誠吾と代助に託して、しばらく談話の圏外に出た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋から、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行った。そうして、その中に自然令嬢の演ずべき役割を拵えた。令嬢はただ簡単に、必要な言葉だけを点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移った。最後にエマーソンやホーソーンの名が出た。代助は、高木にこう云う種類の知識があるという事を確めたけれども、ただ確めただけで、それより以上に深入もしなかった。従って文学談は単に二三の人名と書名に終って、少しも発展しなかった。  梅子は固より初から断えず口を動かしていた。その努力の重なるものは、無論自分の前にいる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあった。令嬢は礼義上から云っても、梅子の間断なき質問に応じない訳に行かなかった。けれども積極的に自分から梅子の心を動かそうと力めた形迹は殆んどなかった。ただ物を云うときに、少し首を横に曲げる癖があった。それすら代助には媚を売るとは解釈出来なかった。  令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始めは琴を習ったが、後にはピヤノに易えた。ヴァイオリンも少し稽古したが、この方は手の使い方がむずかしいので、まあ遣らないと同じである。芝居は滅多に行った事がなかった。 「先達ての歌舞伎座は如何でした」と梅子が聞いた時、令嬢は何とも答えなかった。代助にはそれが劇を解しないと云うより、劇を軽蔑している様に取れた。それだのに、梅子はつづけて、同じ問題に就いて、甲の役者はどうだの、乙の役者は何だのと評し出した。代助は又嫂が論理を踏み外したと思った。仕方がないから、横合から、 「芝居は御嫌いでも、小説は御読みになるでしょう」と聞いて芝居の話を已めさした。令嬢はその時始めて、一寸代助の方を見た。けれども答は案外に判然していた。 「いえ小説も」  令嬢の答を待ち受けていた、主客はみんな声を出して笑った。高木は令嬢の為に説明の労を取った。その云う所によると、令嬢の教育を受けたミス何とか云う婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒の様に仕込まれているのだそうであった。だから余程時代後れだと、高木は説明のあとから批評さえ付け加えた。その時は無論誰も笑わなかった。耶蘇教に対して、あまり好意を有っていない父は、 「それは結構だ」と賞めた。梅子は、そう云う教育の価値を全く解する事が出来なかった。にも拘わらず、 「本当にね」と趣味に適わない不得要領の言葉を使った。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与えない様に、すぐ問題を易えた。 「じゃ英語は御上手でしょう」  令嬢はいいえと云って、心持顔を赤くした。  食事が済んでから、主客は又応接間に戻って、話を始めたが、蝋燭を継ぎ足した様に、新らしい方へは急に火が移りそうにも見えなかった。梅子は立って、ピヤノの蓋を開けて、 「何か一つ如何ですか」と云いながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかった。 「じゃ、代さん、皮切に何か御遣り」と今度は代助に云った。代助は人に聞かせる程の上手でないのを自覚していた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟臭く、しつこくなるばかりだから、 「まあ、蓋を開けて御置なさい。今に遣るから」と答えたなり、何かなしに、無関係の事を話しつづけていた。  一時間程して客は帰った。四人は肩を揃えて玄関まで出た。奥へ這入る時、 「代助はまだ帰るんじゃなかろうな」と父が云った。代助はみんなから一足後れて、鴨居の上に両手が届く様な伸を一つした。それから、人のいない応接間と食堂を少しうろうろして座敷へ来て見ると、兄と嫂が向き合って何か話をしていた。 「おい、すぐ帰っちゃ不可ない。御父さんが何か用があるそうだ。奥へ御出」と兄はわざとらしい真面目な調子で云った。梅子は薄笑いをしている。代助は黙って頭を掻いた。  代助は一人で父の室へ行く勇気がなかった。何とかかとか云って、兄夫婦を引張って行こうとした。それが旨く成功しないので、とうとう其所へ坐り込んでしまった。所へ小間使が来て、 「あの、若旦那様に一寸、奥までいらっしゃる様に」と催促した。 「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦にこういう理窟を述べた。――自分一人で父に逢うと、父がああ云う気象の所へ持って来て、自分がこんな図法螺だから、殊によると大いに老人を怒らしてしまうかも知れない。そうすると、兄夫婦だって、後から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。その方が却て迷惑になる訳だから、骨惜をせずに今一寸一所に行ってくれたら宜かろう。  兄は議論が嫌な男なので、何んだ下らないと云わぬばかりの顔をしたが、 「じゃ、さあ行こう」と立ち上がった。梅子も笑いながらすぐに立った。三人して廊下を渡って父の室に行って、何事も起らなかったかの如く着坐した。  そこでは、梅子が如才なく、代助の過去に父の小言が飛ばない様な手加減をした。そうして談話の潮流を、なるべく今帰った来客の品評の方へ持って行った。梅子は佐川の令嬢を大変大人しそうな可い子だと賞めた。これには父も兄も代助も同意を表した。けれども、兄は、もし亜米利加のミスの教育を受けたというのが本当なら、もう少しは西洋流にはきはきしそうなものだと云う疑を立てた。代助はその疑にも賛成した。父と嫂は黙っていた。そこで代助は、あの大人しさは、羞耻む性質の大人さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだろうと説明した。父はそれもそうだと云った。梅子は令嬢の教育地が京都だから、ああなんじゃないかと推察した。兄は東京だって、御前みた様なのばかりはいないと云った。この時父は厳正な顔をして灰吹を叩いた。次に、容色だって十人並より可いじゃありませんかと梅子が云った。これには父も兄も異議はなかった。代助も賛成の旨を告白した。四人はそれから高木の品評に移った。温健の好人物と云う事で、その方はすぐ片付いてしまった。不幸にして誰も令嬢の父母を知らなかった。けれども、物堅い地味な人だと云うだけは、父が三人の前で保証した。父はそれを同県下の多額納税議員の某から確めたのだそうである。最後に、佐川家の財産に就ても話が出た。その時父は、ああ云うのは、普通の実業家より基礎が確りしていて安全だと云った。  令嬢の資格が略定まった時、父は代助に向って、 「大した異存もないだろう」と尋ねた。その語調と云い、意味と云い、どうするかね位の程度ではなかった。代助は、 「そうですな」とやっぱりえ切らない答をした。父はじっと代助を見ていたが、段々皺の多い額を曇らした。兄は仕方なしに、 「まあ、もう少し善く考えてみるが可い」と云って、代助の為に余裕を付けてくれた。 十三  四日程してから、代助は又父の命令で、高木の出立を新橋まで見送った。その日は眠い所を無理に早く起されて、寐足らない頭を風に吹かした所為か、停車場に着く頃、髪の毛の中に風邪を引いた様な気がした。待合所に這入るや否や、梅子から顔色が可くないと云う注意を受けた。代助は何にも答えずに、帽子を脱いで、時々濡れた頭を抑えた。仕舞には朝奇麗に分けた髪がもじゃもじゃになった。  プラットフォームで高木は突然代助に向って、 「どうですこの汽車で、神戸まで遊びに行きませんか」と勧めた。代助はただ難有うと答えただけであった。愈汽車の出る間際に、梅子はわざと、窓際に近寄って、とくに令嬢の名を呼んで、 「近い内に又是非いらっしゃい」と云った。令嬢は窓のなかで、叮嚀に会釈したが、窓の外へは別段の言葉も聞えなかった。汽車を見送って、又改札場を出た四人りは、それぎり離れ離れになった。梅子は代助を誘って青山へ連れて行こうとしたが、代助は頭を抑えて応じなかった。  車に乗ってすぐ牛込へ帰って、それなり書斎へ這入って、仰向に倒れた。門野は一寸その様子を覗きに来たが、代助の平生を知っているので、言葉も掛けず、椅子に引っ掛けてある羽織だけを抱えて出て行った。  代助は寐ながら、自分の近き未来をどうなるものだろうと考えた。こうして打遣って置けば、是非共嫁を貰わなければならなくなる。嫁はもう今までに大分断っている。この上断れば、愛想を尽かされるか、本当に怒り出されるか、何方かになるらしい。もし愛想を尽かされて、結婚勧誘をこれ限り断念して貰えれば、それに越した事はないが、怒られるのは甚だ迷惑である。と云って、進まぬものを貰いましょうと云うのは今代人として馬鹿気ている。代助はこのジレンマの間に徊した。  彼は父と違って、当初からある計画を拵らえて、自然をその計画通りに強いる古風な人ではなかった。彼は自然を以て人間の拵えた凡ての計画よりも偉大なものと信じていたからである。だから父が、自分の自然に逆らって、父の計画通りを強いるならば、それは、去られた妻が、離縁状を楯に夫婦の関係を証拠立てようとすると一般であると考えた。けれども、そんな理窟を、父に向って述べる気は、まるでなかった。父を理攻にする事は困難中の困難であった。その困難を冒したところで、代助に取っては何等の利益もなかった。その結果は父の不興を招くだけで、理由を云わずに結婚を拒絶するのと撰む所はなかった。  彼は父と兄と嫂の三人の中で、父の人格に尤も疑を置いた。今度の結婚にしても、結婚その物が必ずしも父の唯一の目的ではあるまいとまで推察した。けれども父の本意が何処にあるかは、固より明かに知る機会を与えられていなかった。彼は子として、父の心意を斯様に揣摩する事を、不徳義とは考えなかった。従って自分だけが、多くの親子のうちで、尤も不幸なものであると云う様な考は少しも起さなかった。ただこれがため、今日までの程度より以上に、父と自分の間が隔って来そうなのを不快に感じた。  彼は隔離の極端として、父子絶縁の状態を想像してみた。そうして其所に一種の苦痛を認めた。けれども、その苦痛は堪え得られない程度のものではなかった。寧ろそれから生ずる財源の杜絶の方が恐ろしかった。  もし馬鈴薯が金剛石より大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。向後父の怒に触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に噛り付かなければならない。そうしてその償には自然の愛が残るだけである。その愛の対象は他人の細君であった。  彼は寐ながら、何時までも考えた。けれども、彼の頭は何時までも何処へも到着する事が出来なかった。彼は自分の寿命を極める権利を持たぬ如く、自分の未来をも極め得なかった。同時に、自分の寿命に、大抵の見当を付け得る如く、自分の未来にも多少の影を認めた。そうして、徒らにその影を捕捉しようと企てた。  その時代助の脳の活動は、夕闇を驚ろかす蝙蝠の様な幻像をちらりちらりと産み出すに過ぎなかった。その羽搏の光を追い掛けて寐ているうちに、頭が床から浮き上がって、ふわふわする様に思われて来た。そうして、何時の間にか軽い眠に陥った。  すると突然誰か耳の傍で半鐘を打った。代助は火事と云う意識さえまだ起らない先に眼を醒ました。けれども跳ね起きもせずに寐ていた。彼の夢にこんな音の出るのは殆んど普通であった。ある時はそれが正気に返った後までも響いていた。五六日前彼は、彼の家の大いに揺れる自覚と共に眠を破った。その時彼は明らかに、彼の下に動く畳の様を、肩と腰と脊の一部に感じた。彼は又夢に得た心臓の鼓動を、覚めた後まで持ち伝える事が屡あった。そんな場合には聖徒の如く、胸に手を当てて、眼を開けたまま、じっと天井を見詰めていた。  代助はこの時も半鐘の音が、じいんと耳の底で鳴り尽してしまうまで横になって待っていた。それから起きた。茶の間へ来て見ると、自分の膳の上に簀垂が掛けて、火鉢の傍に据えてあった。柱時計はもう十二時廻っていた。婆さんは、飯を済ました後と見えて、下女部屋で御櫃の上に肱を突いて居眠りをしていた。門野は何処へ行ったか影さえ見えなかった。  代助は風呂場へ行って、頭を濡らしたあと、独り茶の間の膳に就いた。そこで、淋しい食事を済して、再び書斎に戻ったが、久し振りに今日は少し書見をしようと云う心組であった。  かねて読み掛けてある洋書を、栞の挟んである所で開けて見ると、前後の関係をまるで忘れていた。代助の記憶に取ってこう云う現象は寧ろ珍らしかった。彼は学校生活の時代から一種の読書家であった。卒業の後も、衣食の煩なしに、購読の利益を適意に収め得る身分を誇りにしていた。一頁も眼を通さないで、日を送ることがあると、習慣上何となく荒廃の感を催おした。だから大抵な事故があっても、なるべく都合して、活字に親しんだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領の様な気がした。  代助は今茫然として、烟草を燻らしながら、読み掛けた頁を二三枚あとへ繰ってみた。そこにどんな議論があって、それがどう続くのか、頭を拵える為に一寸骨を折った。その努力は艀から桟橋へ移る程楽ではなかった。食い違った断面の甲に迷付いているものが、急に乙に移るべく余儀なくされた様であった。代助はそれでも辛抱して、約二時間程眼を頁の上に曝していた。が仕舞にとうとう堪え切れなくなった。彼の読んでいるものは、活字の集合として、ある意味を以て、彼の頭に映ずるには違ないが、彼の肉や血に廻る気色は一向見えなかった。彼は氷嚢を隔てて、氷に食い付いた時の様に物足らなく思った。  彼は書物を伏せた。そうして、こんな時に書物を読むのは無理だと考えた。同時にもう安息する事も出来なくなったと考えた。彼の苦痛は何時ものアンニュイではなかった。何も為るのが慵いと云うのとは違って、何か為なくてはいられない頭の状態であった。  彼は立ち上がって、茶の間へ来て、畳んである羽織を又引掛た。そうして玄関に脱ぎ棄てた下駄を穿いて馳け出す様に門を出た。時は四時頃であった。神楽坂を下りて、当もなく、眼に付いた第一の電車に乗った。車掌に行先を問われたとき、口から出任せの返事をした。紙入を開けたら、三千代に遣った旅行費の余りが、三折の深底の方にまだ這入っていた。代助は乗車券を買った後で、札の数を調べてみた。  彼はその晩を赤坂のある待合で暮らした。其所で面白い話を聞いた。ある若くて美くしい女が、さる男と関係して、その種を宿した所が、愈子を生む段になって、涙を零して悲しがった。後からその訳を聞いたら、こんな年で子供を生ませられるのは情ないからだと答えた。この女は愛を専らにする時機が余り短か過ぎて、親子の関係が容赦もなく、若い頭の上を襲って来たのに、一種の無定を感じたのであった。それは無論堅気の女ではなかった。代助は肉の美と、霊の愛にのみ己れを捧げて、その他を顧みぬ女の心理状態として、この話を甚だ興味あるものと思った。  翌日になって、代助はとうとう又三千代に逢いに行った。その時彼は腹の中で、先達て置いて来た金の事を、三千代が平岡に話したろうか、話さなかったろうか、もし話したとすればどんな結果を夫婦の上に生じたろうか、それが気掛りだからと云う口実を拵らえた。彼はこの気掛が、自分を駆って、凝と落ち付かれない様に、東西を引張回した揚句、遂に三千代の方に吹き付けるのだと解釈した。  代助は家を出る前に、昨夕着た肌着も単衣も悉く改めて気を新にした。外は寒暖計の度盛の日を逐うて騰る頃であった。歩いていると、湿っぽい梅雨が却って待ち遠しい程熾んに日が照った。代助は昨夕の反動で、この陽気な空気の中に落ちる自分の黒い影が苦になった。広い鍔の夏帽を被りながら、早く雨季に入れば好いと云う心持があった。その雨季はもう二三日の眼前に逼っていた。彼の頭はそれを予報するかの様に、どんよりと重かった。  平岡の家の前へ来た時は、曇った頭を厚く掩う髪の根元が息切れていた。代助は家に入る前に先ず帽子を脱いだ。格子には締りがしてあった。物音を目的に裏へ回ると、三千代は下女と張物をしていた。物置の横へ立て掛けた張板の中途から、細い首を前へ出して、曲みながら、苦茶苦茶になったものを丹念に引き伸ばしつつあった手を留めて、代助を見た。一寸は何とも云わなかった。代助も、しばらくは唯立っていた。漸くにして、 「又来ました」と云った時、三千代は濡れた手を振って、馳け込む様に勝手から上がった。同時に表へ回れと眼で合図をした。三千代は自分で沓脱へ下りて、格子の締を外しながら、 「無用心だから」と云った。今まで日の透る澄んだ空気の下で、手を動かしていた所為で、頬の所が熱って見えた。それが額際へ来て何時もの様に蒼白く変っている辺に、汗が少し煮染み出した。代助は格子の外から、三千代の極めて薄手な皮膚を眺めて、戸の開くのを静かに待った。三千代は、 「御待遠さま」と云って、代助を誘う様に、一足横へ退いた。代助は三千代とすれすれになって内へ這入った。座敷へ来て見ると、平岡の机の前に、紫の座蒲団がちゃんと据えてあった。代助はそれを見た時一寸厭な心持がした。土の和れない庭の色が黄色に光る所に、長い草が見苦しく生えた。  代助は又忙がしい所を、邪魔に来て済まないという様な尋常な云訳を述べながら、この無趣味な庭を眺めた。その時三千代をこんな家へ入れて置くのは実際気の毒だという気が起った。三千代は水いじりで爪先の少しふやけた手を膝の上に重ねて、あまり退屈だから張物をしていた所だと云った。三千代の退屈という意味は、夫が始終外へ出ていて、単調な留守居の時間を無聊に苦しむと云う事であった。代助はわざと、 「結構な身分ですね」と冷かした。三千代は自分の荒涼な胸の中を代助に訴える様子もなかった。黙って、次の間へ立って行った。用箪笥の環を響かして、赤い天鵞絨で張った小さい箱を持って出て来た。代助の前へ坐って、それを開けた。中には昔し代助の遣った指環がちゃんと這入っていた。三千代は、ただ 「可いでしょう、ね」と代助に謝罪する様に云って、すぐ又立って次の間へ行った。そうして、世の中を憚かる様に、記念の指環をそこそこに用箪笥に仕舞って元の座に戻った。代助は指環に就ては何事も語らなかった。庭の方を見て、 「そんなに閑なら、庭の草でも取ったら、どうです」と云った。すると今度は三千代の方が黙ってしまった。それが、少時続いた後で代助は又改ためて聞いた。 「この間の事を平岡君に話したんですか」  三千代は低い声で、 「いいえ」と答えた。 「じゃ、未だ知らないんですか」と聞き返した。  その時三千代の説明には、話そうと思ったけれども、この頃平岡はついぞ落ち付いて宅にいた事がないので、つい話しそびれて未だ知らせずにいると云う事であった。代助は固より三千代の説明を嘘とは思わなかった。けれども、五分の閑さえあれば夫に話される事を、今日までそれなりに為てあるのは、三千代の腹の中に、何だか話し悪い或蟠まりがあるからだと思わずにはいられなかった。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人にしてしまったと代助は考えた。けれどもそれはさ程に代助の良心を螫すには至らなかった。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡もこの結果に対して明かに責を分たなければならないと思ったからである。  代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねてみた。三千代は例によって多くを語る事を好まなかった。然し平岡の妻に対する仕打が結婚当時と変っているのは明かであった。代助は夫婦が東京へ帰った当時既にそれを見抜いた。それから以後改まって両人の腹の中を聞いた事はないが、それが日毎に好くない方に、速度を加えて進行しつつあるのは殆んど争うべからざる事実と見えた。夫婦の間に、代助と云う第三者が点ぜられたがために、この疎隔が起ったとすれば、代助はこの方面に向って、もっと注意深く働らいたかも知れなかった。けれども代助は自己の悟性に訴えて、そうは信ずる事が出来なかった。彼はこの結果の一部分を三千代の病気に帰した。そうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与えたものと断定した。又その一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。凡てを概括した上で、平岡は貰うべからざる人を貰い、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した。代助は心の中で痛く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心を動かすが為に、平岡が妻から離れたとは、どうしても思い得なかった。  同時に代助の三千代に対する愛情は、この夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつつある事もまた一方では否み切れなかった。三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度まで進んでいたかは、しばらく措くとしても、彼は現在の三千代には決して無頓着でいる訳には行かなかった。彼は病気に冒された三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は小供を亡くなした三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は夫の愛を失いつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は生活難に苦しみつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。但し、代助はこの夫婦の間を、正面から永久に引き放そうと試みる程大胆ではなかった。彼の愛はそう逆上してはいなかった。  三千代の眼のあたり、苦しんでいるのは経済問題であった。平岡が自力で給し得るだけの生活費を勝手の方へ回さない事は、三千代の口吻で慥であった。代助はこの点だけでもまずどうかしなければなるまいと考えた。それで、 「一つ私が平岡君に逢って、能く話してみよう」と云った。三千代は淋しい顔をして代助を見た。旨く行けば結構だが、遣り損なえば益三千代の迷惑になるばかりだとは代助も承知していたので、強いてそうしようとも主張しかねた。三千代は又立って次の間から一封の書状を持って来た。書状は薄青い状袋へ這入っていた。北海道にいる父から三千代へ宛たものであった。三千代は状袋の中から長い手紙を出して、代助に見せた。  手紙には向うの思わしくない事や、物価の高くて活計にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云う事や、――凡て憐れな事ばかり書いてあった。代助は叮嚀に手紙を巻き返して、三千代に渡した。その時三千代は眼の中に涙を溜めていた。  三千代の父はかつて多少の財産と称えらるべき田畠の所有者であった。日露戦争の当時、人の勧に応じて、株に手を出して全く遣り損なってから、潔よく祖先の地を売り払って、北海道へ渡ったのである。その後の消息は、代助も今この手紙を見せられるまで一向知らなかった。親類はあれども無きが如しだとは三千代の兄が生きている時分よく代助に語った言葉であった。果して三千代は、父と平岡ばかりを便に生きていた。 「貴方は羨ましいのね」と瞬きながら云った。代助はそれを否定する勇気に乏しかった。しばらくしてから又、 「何だって、まだ奥さんを御貰いなさらないの」と聞いた。代助はこの問にも答える事が出来なかった。  しばらく黙然として三千代の顔を見ているうちに、女の頬から血の色が次第に退ぞいて行って、普通よりは眼に付く程蒼白くなった。その時代助は三千代と差向で、より長く坐っている事の危険に、始めて気が付いた。自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆って、準縄の埒を踏み超えさせるのは、今二三分の裡にあった。代助は固よりそれより先へ進んでも、猶素知らぬ顔で引返し得る、会話の方を心得ていた。彼は西洋の小説を読むたびに、そのうちに出て来る男女の情話が、あまりに露骨で、あまりに放肆で、かつあまりに直線的に濃厚なのを平生から怪んでいた。原語で読めばとにかく、日本には訳し得ぬ趣味のものと考えていた。従って彼は自分と三千代との関係を発展させる為に、舶来の台詞を用いる意志は毫もなかった。少なくとも二人の間では、尋常の言葉で充分用が足りたのである。が、其所に、甲の位地から、知らぬ間に乙の位置に滑り込む危険が潜んでいた。代助は辛うじて、今一歩と云う際どい所で、踏み留まった。帰る時、三千代は玄関まで送って来て、 「淋しくって不可ないから、又来て頂戴」と云った。下女はまだ裏で張物をしていた。  表へ出た代助は、ふらふらと一丁程歩いた。好い所で切り上げたという意識があるべき筈であるのに、彼の心にはそう云う満足が些とも無かった。と云って、もっと三千代と対坐していて、自然の命ずるがままに、話し尽して帰れば可かったという後悔もなかった。彼は、彼所で切り上げても、五分十分の後切り上げても、必竟は同じ事であったと思い出した。自分と三千代との現在の関係は、この前逢った時、既に発展していたのだと思い出した。否、その前逢った時既に、と思い出した。代助は二人の過去を順次に遡ぼってみて、いずれの断面にも、二人の間に燃る愛の炎を見出さない事はなかった。必竟は、三千代が平岡に嫁ぐ前、既に自分に嫁いでいたのも同じ事だと考え詰めた時、彼は堪えがたき重いものを、胸の中に投げ込まれた。彼はその重量の為に、足がふらついた。家に帰った時、門野が、 「大変顔の色が悪い様ですね、どうかなさいましたか」と聞いた。代助は風呂場へ行って、蒼い額から奇麗に汗を拭き取った。そうして、長く延び過ぎた髪を冷水に浸した。  それから二日程代助は全く外出しなかった。三日目の午後、電車に乗って、平岡を新聞社に尋ねた。彼は平岡に逢って、三千代の為に充分話をする決心であった。給仕に名刺を渡して、埃だらけの受付に待っている間、彼はしばしば袂から手帛を出して、鼻を掩うた。やがて、二階の応接間へ案内された。其所は風通しの悪い、蒸し暑い、陰気な狭い部屋であった。代助は此所で烟草を一本吹かした。編輯室と書いた戸口が始終開いて、人が出たり這入たりした。代助の逢いに来た平岡もその戸口から現われた。先達て見た夏服を着て、相変らず奇麗な襟とカフスを掛けていた。忙しそうに、 「やあ、暫く」と云って代助の前に立った。代助も相手に唆かされた様に立ち上がった。二人は立ちながら一寸話をした。丁度編輯のいそがしい時で緩くりどうする事も出来なかった。代助は改めて平岡の都合を聞いた。平岡はポッケットから時計を出して見て、 「失敬だが、もう一時間程して来てくれないか」と云った。代助は帽子を取って、又暗い埃だらけの階段を下りた。表へ出ると、それでも涼しい風が吹いた。  代助はあてもなく、其所いらを逍遥いた。そうして、愈平岡と逢ったら、どんな風に話を切り出そうかと工夫した。代助の意は、三千代に刻下の安慰を、少しでも与えたい為に外ならなかった。けれども、それが為に、却って平岡の感情を害する事があるかも知れないと思った。代助はその悪結果の極端として、平岡と自分の間に起り得る破裂をさえ予想した。然し、その時はどんな具合にして、三千代を救おうかと云う成案はなかった。代助は三千代と相対ずくで、自分等二人の間をあれ以上にどうかする勇気を有たなかったと同時に、三千代のために、何かしなくてはいられなくなったのである。だから、今日の会見は、理知の作用から出た安全の策と云うよりも、寧ろ情の旋風に捲き込まれた冒険の働きであった。其所に平生の代助と異なる点があらわれていた。けれども、代助自身はそれに気が付いていなかった。一時間の後彼は又編輯室の入口に立った。そうして、平岡と一所に新聞社の門を出た。  裏通りを三四丁来た所で、平岡が先へ立って或家に這入った。座敷の軒に釣荵が懸って、狭い庭が水で一面に濡れていた。平岡は上衣を脱いで、すぐ胡坐をかいた。代助はさ程暑いとも思わなかった。団扇は手にしただけで済んだ。  会話は新聞社内の有様から始まった。平岡は忙しい様で却って楽な商売で好いと云った。その語気には別に負惜みの様子も見えなかった。代助は、それは無責任だからだろうと調戯った。平岡は真面目になって、弁解をした。そうして、今日の新聞事業程競争の烈しくて、機敏な頭を要するものはないと云う理由を説明した。 「なるほどただ筆が達者なだけじゃ仕様があるまいよ」と代助は別に感服した様子を見せなかった。すると、平岡はこう云った。 「僕は経済方面の係りだが、単にそれだけでも中々面白い事実が挙がっている。ちと、君の家の会社の内幕でも書いて御覧に入れようか」  代助は自分の平生の観察から、こんな事を云われて、驚ろく程ぼんやりしてはいなかった。 「書くのも面白いだろう。その代り公平に願いたいな」と云った。 「無論嘘は書かない積りだ」 「いえ、僕の兄の会社ばかりでなく、一列一体に筆誅して貰いたいと云う意味だ」  平岡はこの時邪気のある笑い方をした。そうして、 「日糖事件だけじゃ物足りないからね」と奥歯に物の挟まった様に云った。代助は黙って酒を飲んだ。話はこの調子で段々はずみを失う様に見えた。すると平岡は、実業界の内状に関聯するとでも思ったものか、何かの拍子に、ふと、日清戦争の当時、大倉組に起った逸話を代助に吹聴した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納める筈になっていた。それを毎日何頭かずつ、納めて置いては、夜になると、そっと行って偸み出して来た。そうして、知らぬ顔をして、翌日同じ牛を又納めた。役人は毎日々々同じ牛を何遍も買っていた。が仕舞に気が付いて、一遍受取った牛には焼印を押した。ところがそれを知らずに、又偸み出した。のみならず、それを平気に翌日連れて行ったので、とうとう露見してしまったのだそうである。  代助はこの話を聞いた時、その実社会に触れている点に於て、現代的滑稽の標本だと思った。平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主義の人を、政府がどんなに恐れているかと云う事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人ずつ昼夜張番をしている。一時は天幕を張って、その中から覗っていた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っている。同じ仲間の飴屋が、大道で飴細工を拵えていると、白服の巡査が、飴の前へ鼻を出して、邪魔になって仕方がない。  これも代助の耳には、真面目な響を与えなかった。 「やっぱり現代的滑稽の標本じゃないか」と平岡は先刻の批評を繰り返しながら、代助を挑んだ。代助はそうさと笑ったが、この方面にはあまり興味がないのみならず、今日は平生の様に普通の世間話をする気でないので、社会主義の事はそれなりにして置いた。先刻平岡の呼ぼうと云う芸者を無理に已めさしたのもこれが為であった。 「実は君に話したい事があるんだが」と代助は遂に云い出した。すると、平岡は急に様子を変えて、落ち付かない眼を代助の上に注いだが、卒然として、 「そりゃ、僕も疾うから、どうかする積りなんだけれども、今の所じゃ仕方がない。もう少し待ってくれたまえ。その代り君の兄さんや御父さんの事も、こうして書かずにいるんだから」と代助には意表な返事をした。代助は馬鹿々々しいと云うより、寧ろ一種の憎悪を感じた。 「君も大分変ったね」と冷かに云った。 「君の変った如く変っちまった。こう摺れちゃ仕方がない。だから、もう少し待ってくれ給え」と答えて、平岡はわざとらしい笑い方をした。  代助は平岡の言語の如何に拘わらず、自分の云う事だけは云おうと極めた。なまじい、借金の催促に来たんじゃないなどと弁明すると、又平岡がその裏を行くのが癪だから、向うの疳違は、疳違で構わないとして置いて、此方は此方の歩を進める態度に出た。けれども第一に困ったのは、平岡の勝手元の都合を、三千代の訴えによって知ったと切り出しては、三千代に迷惑が掛るかも知れない。と云って、問題が其所に触れなければ、忠告も助言も全く無益である。代助は仕方なしに迂回した。 「君は近来こう云う所へ大分頻繁に出はいりをすると見えて、家のものとは、みんな御馴染だね」 「君の様に金回りが好くないから、そう豪遊も出来ないが、交際だから仕方がないよ」と云って、平岡は器用な手付をして猪口を口へ着けた。 「余計な事だが、それで家の方の経済は、収支償なうのかい」と代助は思い切って猛進した。 「うん。まあ、好い加減にやってるさ」  こう云った平岡は、急に調子を落して、極めて気のない返事をした。代助はそれぎり食い込めなくなった。已を得ず、 「不断は今頃もう家へ帰っているんだろう。この間僕が訪ねた時は大分遅かった様だが」と聞いた。すると、平岡はやはり問題を回避する様な語気で、 「まあ帰ったり、帰らなかったりだ。職業がこういう不規則な性質だから、仕方がないさ」と、半ば自分を弁護するためらしく、曖昧に云った。 「三千代さんは淋しいだろう」 「なに大丈夫だ。彼奴も大分変ったからね」と云って、平岡は代助を見た。代助はその眸の内に危しい恐れを感じた。ことによると、この夫婦の関係は元に戻せないなと思った。もしこの夫婦が自然の斧で割ききりに割かれるとすると、自分の運命は取り帰しの付かない未来を眼の前に控えている。夫婦が離れれば離れる程、自分と三千代はそれだけ接近しなければならないからである。代助は即座の衝動の如くに云った。―― 「そんな事が、あろう筈がない。いくら、変ったって、そりゃ唯年を取っただけの変化だ。なるべく帰って三千代さんに安慰を与えて遣れ」 「君はそう思うか」と云いさま平岡はぐいと飲んだ。代助は、ただ、 「思うかって、誰だってそう思わざるを得んじゃないか」と半ば口から出任せに答えた。 「君は三千代を三年前の三千代と思ってるか。大分変ったよ。ああ、大分変ったよ」と平岡は又ぐいと飲んだ。代助は覚えず胸の動悸を感じた。 「同なじだ、僕の見る所では全く同じだ。少しも変っていやしない」 「だって、僕は家へ帰っても面白くないから仕方がないじゃないか」 「そんな筈はない」  平岡は眼を丸くして又代助を見た。代助は少し呼吸が逼った。けれども、罪あるものが雷火に打たれた様な気は全たくなかった。彼は平生にも似ず論理に合わない事をただ衝動的に云った。然しそれは眼の前にいる平岡のためだと固く信じて疑わなかった。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それを便に、自分を三千代から永く振り放そうとする最後の試みを、半ば無意識的に遣っただけであった。自分と三千代の関係を、平岡から隠す為の、糊塗策とは毫も考えていなかった。代助は平岡に対して、さ程に不信な言動を敢てするには、余りに高尚であると、優に自己を評価していた。しばらくしてから、代助は又平生の調子に帰った。 「だって、君がそう外へばかり出ていれば、自然金も要る。従って家の経済も旨く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなるだけじゃないか」  平岡は、白襯衣の袖を腕の中途まで捲り上げて、 「家庭か。家庭もあまり下さったものじゃない。家庭を重く見るのは、君の様な独身者に限る様だね」と云った。  この言葉を聞いたとき、代助は平岡が悪くなった。あからさまに自分の腹の中を云うと、そんなに家庭が嫌なら、嫌でよし、その代り細君を奪っちまうぞと判然知らせたかった。けれども二人の問答は、其所まで行くには、まだ中々間があった。代助はもう一遍外の方面から平岡の内部に触れて見た。 「君が東京へ来たてに、僕は君から説法されたね。何か遣れって」 「うん。そうして君の消極な哲学を聞かされて驚ろいた」  代助は実際平岡が驚ろいたろうと思った。その時の平岡は、熱病に罹った人間の如く行為に渇いていた。彼は行為の結果として、富を冀っていたか、もしくは名誉、もしくは権勢を冀っていたか。それでなければ、活動としての行為その物を求めていたか。それは代助にも分らなかった。 「僕の様に精神的に敗残した人間は、已を得ず、ああ云う消極な意見も出すが。――元来意見があって、人がそれに則るのじゃない。人があって、その人に適した様な意見が出て来るのだから、僕の説は僕に通用するだけだ。決して君の身の上を、あの説で、どうしようのこうしようのと云う訳じゃない。僕はあの時の君の意気に敬服している。君はあの時自分で云った如く、全く活動の人だ。是非とも活動して貰いたい」 「無論大いに遣る積りだ」  平岡の答はただこの一句ぎりであった。代助は腹の中で首を傾けた。 「新聞で遣る積りかね」  平岡は一寸躊躇した。が、やがて、判然云い放った。―― 「新聞にいるうちは、新聞で遣る積りだ」 「大いに要領を得ている。僕だって君の一生涯の事を聞いているんじゃないから、返事はそれで沢山だ。然し新聞で君に面白い活動が出来るかね」 「出来る積りだ」と平岡は簡明な挨拶をした。  話は此所まで来ても、ただ抽象的に進んだだけであった。代助は言葉の上でこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届ける事は些とも出来なかった。代助は何となく責任のある政府委員か弁護士を相手にしている様な気がした。代助はこの時思い切った政略的な御世辞を云った。それには軍神広瀬中佐の例が出て来た。広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加わって斃れたため、当時の人から偶像視されて、とうとう軍神とまで崇められた。けれども、四五年後の今日に至って見ると、もう軍神広瀬中佐の名を口にするものも殆んどなくなってしまった。英雄の流行廃はこれ程急劇なものである。と云うのは、多くの場合に於て、英雄とはその時代に極めて大切な人という事で、名前だけは偉そうだけれども、本来は甚だ実際的なものである。だからその大切な時機を通り越すと、世間はその資格を段々奪いにかかる。露西亜と戦争の最中こそ、閉塞隊は大事だろうが、平和克復の暁には、百の広瀬中佐も全くの凡人に過ぎない。世間は隣人に対して現金である如く、英雄に対しても現金である。だから、こう云う偶像にもまた常に新陳代謝や生存競争が行われている。そう云う訳で、代助は英雄なぞに担がれたい了見は更にない。が、もしここに野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的の剣の力よりも、永久的の筆の力で、英雄になった方が長持がする。新聞はその方面の代表的事業である。  代助は此所まで述べてみたが、元来が御世辞の上に、云う事があまり書生らしいので、自分の内心には多少滑稽に取れる位、気が乗らなかった。平岡はその返事に、 「いや難有う」と云っただけであった。別段腹を立てた様子も見えなかったが、些とも感激していないのは、この返事でも明かであった。  代助は少々平岡を低く見過ぎたのに耻じ入った。実はこの側から、彼の心を動かして、旨く油の乗った所を、中途から転がして、元の家庭へ滑り込ませるのが、代助の計画であった。代助はこの迂遠で、又尤も困難の方法の出立点から、程遠からぬ所で、蹉跌してしまった。  その夜代助は平岡と遂に愚図々々で分れた。会見の結果から云うと、何の為に平岡を新聞社に訪ねたのだか、自分にも分らなかった。平岡の方から見れば、猶更そうであった。代助は必竟何しに新聞社まで出掛て来たのか、帰るまでついに問い詰めずに済んでしまった。  代助は翌日になって独り書斎で、昨夕の有様を何遍となく頭の中で繰り返した。二時間も一所に話しているうちに、自分が平岡に対して、比較的真面目であったのは、三千代を弁護した時だけであった。けれどもその真面目は、単に動機の真面目で、口にした言葉はやはり好加減な出任せに過ぎなかった。厳酷に云えば、嘘ばかりと云っても可かった。自分で真面目だと信じていた動機でさえ、必竟は自分の未来を救う手段である。平岡から見れば、固より真摯なものとは云えなかった。まして、その他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へ落し込もうと、たくらんで掛った、打算的のものであった。従って平岡をどうする事も出来なかった。  もし思い切って、三千代を引合に出して、自分の考え通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もっと強い事が云えた。もっと平岡を動揺る事が出来た。もっと彼の肺腑に入る事が出来た。に違ない。その代り遣り損えば、三千代に迷惑がかかって来る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。  代助は知らず知らずの間に、安全にして無能力な方針を取って、平岡に接していた事を腑甲斐なく思った。もしこう云う態度で平岡に当りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯していたと云わなければならない。  代助は昔の人が、頭脳の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、その結果遂に相手を、自分の思う通りに動かし得たのを羨ましく思った。自分の頭が、その位のぼんやりさ加減であったら、昨夕の会談にも、もう少し感激して、都合のいい効果を収める事が出来たかも知れない。彼は人から、ことに自分の父から、熱誠の足りない男だと云われていた。彼の解剖によると、事実はこうであった。――人間は熱誠を以て当って然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。それよりも、ずっと下等なものである。その下等な動機や行為を、熱誠に取り扱うのは、無分別な幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒って、己れを高くする山師に過ぎない。だから彼の冷淡は、人間としての進歩とは云えまいが、よりよく人間を解剖した結果には外ならなかった。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味してみて、そのあまりに、狡黠くって、不真面目で、大抵は虚偽を含んでいるのを知っているから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかったのである。と、彼は断然信じていた。  此所で彼は一のジレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然その反対に出でて、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失ったものと等しいと考えた。その他のあらゆる中途半端の方法は、偽に始って、偽に終るより外に道はない。悉く社会的に安全であって、悉く自己に対して無能無力である。と考えた。  彼は三千代と自分の関係を、天意によって、――彼はそれを天意としか考え得られなかった。――醗酵させる事の社会的危険を承知していた。天意には叶うが、人の掟に背く恋は、その恋の主の死によって、始めて社会から認められるのが常であった。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄然とした。  彼は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像してみた。その時は天意に従う代りに、自己の意志に殉ずる人にならなければ済まなかった。彼はその手段として、父や嫂から勧められていた結婚に思い至った。そうして、この結婚を肯う事が、凡ての関係を新にするものと考えた。 十四  自然の児になろうか、又意志の人になろうかと代助は迷った。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張った方針の下に、寒暑にさえすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達している事を切に自覚した。  彼は結婚問題に就て、まあ能く考えてみろと云われて帰ったぎり、未だに、それを本気に考える閑を作らなかった。帰った時、まあ今日も虎口を逃れて難有かったと感謝したぎり、放り出してしまった。父からはまだ何とも催促されないが、この二三日は又青山へ呼び出されそうな気がしてならなかった。代助は固より呼び出されるまで何も考えずに居る気であった。呼び出されたら、父の顔色と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心組であった。代助はあながち父を馬鹿にする了見ではなかった。あらゆる返事は、こう云う具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来るのが本当だと思っていた。  もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前まで押し詰められた様な気持がなかったなら、代助は父に対して無論そう云う所置を取ったろう。けれども、代助は今相手の顔色如何に拘わらず、手に持った賽を投げなければならなかった。上になった目が、平岡に都合が悪かろうと、父の気に入らなかろうと、賽を投げる以上は、天の法則通りになるより外に仕方はなかった。賽を手に持つ以上は、又賽が投げられ可く作られたる以上は、賽の目を極めるものは自分以外にあろう筈はなかった。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。父も兄も嫂も平岡も、決断の地平線上には出て来なかった。  彼はただ彼の運命に対してのみ卑怯であった。この四五日は掌に載せた賽を眺め暮らした。今日もまだ握っていた。早く運命が戸外から来て、その手を軽く敲いてくれれば好いと思った。が、一方では、まだ握っていられると云う意識が大層嬉しかった。  門野は時々書斎へ来た。来る度に代助は洋卓の前に凝としていた。 「些と散歩にでも御出になったら如何です。そう御勉強じゃ身体に悪いでしょう」と云った事が一二度あった。なるほど顔色が好くなかった。夏向になったので、門野が湯を毎日沸かしてくれた。代助は風呂場に行くたびに、長い間鏡を見た。髯の濃い男なので、少し延びると、自分には大層見苦しく見えた。触って、ざらざらすると猶不愉快だった。  飯は依然として、普通の如く食った。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈託とで、排泄機能に変化を起した。然し代助はそれを何とも思わなかった。生理状態は殆んど苦にする暇のない位、一つ事をぐるぐる回って考えた。それが習慣になると、終局なく、ぐるぐる回っている方が、埒の外へ飛び出す努力よりも却って楽になった。  代助は最後の不決断の自己嫌悪に陥った。已を得ないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断ろうかとまで考えて、覚えず驚ろいた。然し三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾してみようかという気は、ぐるぐる回転しているうちに一度も出て来なかった。  縁談を断る方は単独にも何遍となく決定が出来た。ただ断った後、その反動として、自分をまともに三千代の上に浴せかけねば已まぬ必然の勢力が来るに違ないと考えると、其所に至って、又恐ろしくなった。  代助は父からの催促を心待に待っていた。しかし父からは何の便もなかった。三千代にもう一遍逢おうかと思った。けれども、それ程の勇気も出なかった。  一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人の上に及ぼしそうもないと云う考が、段々代助の脳裏に勢力を得て来た。既に平岡に嫁いだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、この上自分に既婚者の資格を与えたからと云って、同様の関係が続かない訳には行かない。それを続かないと見るのはただ表向の沙汰で、心を束縛する事の出来ない形式は、いくら重ねても苦痛を増すばかりである。と云うのが代助の論法であった。代助は縁談を断るより外に道はなくなった。  こう決心した翌日、代助は久し振りに髪を刈って髯を剃った。梅雨に入って二三日凄まじく降った揚句なので、地面にも、木の枝にも、埃らしいものは悉くしっとりと静まっていた。日の色は以前より薄かった。雲の切れ間から、落ちて来る光線は、下界の湿り気のために、半ば反射力を失った様に柔らかに見えた。代助は床屋の鏡で、わが姿を映しながら、例の如くふっくらした頬を撫でて、今日から愈積極的生活に入るのだと思った。  青山へ来て見ると、玄関に車が二台程あった。供待の車夫は蹴込に倚り懸って眠ったまま、代助の通り過ぎるのを知らなかった。座敷には梅子が新聞を膝の上へ乗せて、込み入った庭の緑をぼんやり眺めていた。これもぽかんと眠むそうであった。代助はいきなり梅子の前へ坐った。 「御父さんは居ますか」  嫂は返事をする前に、一応代助の様子を、試験官の眼で見た。 「代さん、少し瘠せた様じゃありませんか」と云った。代助は又頬を撫でて、 「そんな事も無いだろう」と打ち消した。 「だって、色沢が悪いのよ」と梅子は眼を寄せて代助の顔を覗き込んだ。 「庭の所為だ。青葉が映るんだ」と庭の植込の方を見たが、「だから貴方だって、やっぱり蒼いですよ」と続けた。 「私、この二三日具合が好くないんですもの」 「道理でぽかんとしていると思った。どうかしたんですか。風邪ですか」 「何だか知らないけれど生欠ばかり出て」  梅子はこう答えて、すぐ新聞を膝から卸すと、手を鳴らして、小間使を呼んだ。代助は再び父の在、不在を確めた。梅子はその問をもう忘れていた。聞いてみると、玄関にあった車は、父の客の乗って来たものであった。代助は長く懸からなければ、客の帰るまで待とうと思った。嫂は判然しないから、風呂場へ行って、水で顔を拭いて来ると云って立った。下女が好い香のする葛の粽を、深い皿に入れて持って来た。代助は粽の尾をぶら下げて、頻りに嗅いでみた。  梅子が涼しい眼付になって風呂場から帰った時、代助は粽の一つを振子の様に振りながら、今度は、 「兄さんはどうしました」と聞いた。梅子はすぐこの陳腐な質問に答える義務がないかの如く、しばらく縁鼻に立って、庭を眺めていたが、 「二三日の雨で、苔の色がすっかり出た事」と平生に似合わぬ観察をして、故の席に返った。そうして、 「兄さんがどうしましたって」と聞き直した。代助が先の質問を繰り返した時、嫂は尤も無頓着な調子で、 「どうしましたって、例の如くですわ」と答えた。 「相変らず、留守勝ですか」 「ええ、ええ、朝も晩も滅多に宅に居た事はありません」 「姉さんはそれで淋しくはないですか」 「今更改まって、そんな事を聞いたって仕方がないじゃありませんか」と梅子は笑い出した。調戯うんだと思ったのか、あんまり小供染みていると思ったのか殆んど取り合う気色はなかった。代助も平生の自分を振り返ってみて、真面目にこんな質問を掛けた今の自分を、寧ろ奇体に思った。今日まで兄と嫂の関係を長い間目撃していながら、ついぞ其所には気が付かなかった。嫂もまた代助の気が付く程物足りない素振は見せた事がなかった。 「世間の夫婦はそれで済んで行くものかな」と独言の様に云ったが、別に梅子の返事を予期する気でもなかったので、代助は向うの顔も見ず、ただ畳の上に置いてある新聞に眼を落した。すると梅子は忽ち、 「何ですって」と切り込む様に云った。代助の眼が、その調子に驚ろいて、ふと自分の方に視線を移した時、 「だから、貴方が奥さんを御貰いなすったら、始終宅にばかりいて、たんと可愛がって御上げなさいな」と云った。代助は始めて相手が梅子であって、自分が平生の代助でなかった事を自覚した。それでなるべく不断の調子を出そうと力めた。  けれども、代助の精神は、結婚謝絶と、その謝絶に次いで起るべき、三千代と自分の関係にばかり注がれていた。従って、いくら平生の自分に帰って、梅子の相手になる積りでも、梅子の予期していない、変った音色が、時々会話の中に、思わず知らず出て来た。 「代さん、貴方今日はどうかしているのね」と仕舞に梅子が云った。代助は固より嫂の言葉を側面へ摺らして受ける法をいくらでも心得ていた。然るに、それを遣るのが、軽薄の様で、又面倒な様で、今日は厭になった。却って真面目に、何処が変か教えてくれと頼んだ。梅子は代助の問が馬鹿気ているので妙な顔をした。が、代助が益頼むので、では云って上げましょうと前置をして、代助のどうかしている例を挙げ出した。梅子は勿論わざと真面目を装っているものと代助を解釈した。その中に、 「だって、兄さんが留守勝で、さぞ御淋しいでしょうなんて、あんまり思遣りが好過ぎる事を仰しゃるからさ」と云う言葉があった。代助は其所へ自分を挟んだ。 「いや、僕の知った女に、そう云うのが一人あって、実は甚だ気の毒だから、つい他の女の心持も聞いてみたくなって、伺ったんで、決して冷かした積りじゃないんです」 「本当に? そりゃ一寸何てえ方なの」 「名前は云い悪いんです」 「じゃ、貴方がその旦那に忠告をして、奥さんをもっと可愛がるようにして御上になれば可いのに」  代助は微笑した。 「姉さんも、そう思いますか」 「当り前ですわ」 「もしその夫が僕の忠告を聞かなかったら、どうします」 「そりゃ、どうも仕様がないわ」 「放って置くんですか」 「放って置かなけりゃ、どうなさるの」 「じゃ、その細君は夫に対して細君の道を守る義務があるでしょうか」 「大変理責めなのね。そりゃ旦那の不親切の度合にも因るでしょう」 「もし、その細君に好きな人があったらどうです」 「知らないわ。馬鹿らしい。好きな人がある位なら、始めっから其方へ行ったら好いじゃありませんか」  代助は黙って考えた。しばらくしてから、姉さんと云った。梅子はその深い調子に驚ろかされて、改ためて代助の顔を見た。代助は同じ調子で猶云った。 「僕は今度の縁談を断ろうと思う」  代助の巻烟草を持った手が少し顫えた。梅子は寧ろ表情を失った顔付をして、謝絶の言葉を聞いた。代助は相手の様子に頓着なく進行した。 「僕は今まで結婚問題に就いて、貴方に何返となく迷惑を掛けた上に、今度もまた心配して貰っている。僕ももう三十だから、貴方の云う通り、大抵な所で、御勧め次第になって好いのですが、少し考があるから、この縁談もまあ已めにしたい希望です。御父さんにも、兄さんにも済まないが、仕方がない。何も当人が気に入らないと云う訳ではないが、断るんです。この間御父さんによく考えてみろと云われて、大分考えてみたが、やっぱり断る方が好い様だから断ります。実は今日はその用で御父さんに逢いに来たんですが、今御客の様だから、序と云っては失礼だが、貴方にも御話をして置きます」  梅子は代助の様子が真面目なので、何時もの如く無駄口も入れずに聞いていたが、聞き終った時、始めて自分の意見を述べた。それが極めて簡単なかつ極めて実際的な短かい句であった。 「でも、御父さんはきっと御困りですよ」 「御父さんには僕が直に話すから構いません」 「でも、話がもう此所まで進んでいるんだから」 「話が何所まで進んでいようと、僕はまだ貰いますと云った事はありません」 「けれども判然貰わないとも仰しゃらなかったでしょう」 「それを今云いに来た所です」  代助と梅子は向い合ったなり、しばらく黙った。  代助の方では、もう云う可き事を云い尽くした様な気がした。少なくとも、これより進んで、梅子に自分を説明しようという考えはまるで無かった。梅子は語るべき事、聞くべき事を沢山持っていた。ただそれが咄嗟の間に、前の問答に繋がり好く、口へ出て来なかったのである。 「貴方の知らない間に、縁談がどれ程進んだのか、私にも能く分らないけれど、誰にしたって、貴方が、そうきっぱり御断りなさろうとは思い掛けないんですもの」と梅子は漸くにして云った。 「何故です」と代助は冷かに落ち付いて聞いた。梅子は眉を動かした。 「何故ですって聞いたって、理窟じゃありませんよ」 「理窟でなくっても構わないから話して下さい」 「貴方の様にそう何遍断ったって、つまり同じ事じゃありませんか」と梅子は説明した。けれども、その意味がすぐ代助の頭には響かなかった。不可解の眼を挙げて梅子を見た。梅子は始めて自分の本意を布衍しに掛かった。 「つまり、貴方だって、何時か一度は、御奥さんを貰う積りなんでしょう。厭だって、仕方がないじゃありませんか。そう何時までも我儘を云った日には、御父さんに済まないだけですわ。だからね。どうせ誰を持って行っても気に入らない貴方なんだから、つまり誰を持たしたって同じだろうって云う訳なんです。貴方にはどんな人を見せても駄目なんですよ。世の中に一人も気に入る様なものは生きてやしませんよ。だから、奥さんと云うものは、始めから気に入らないものと、諦らめて貰うより外に仕方がないじゃありませんか。だから私達が一番好いと思うのを、黙って貰えば、それで何所も彼所も丸く治まっちまうから、――だから、御父さんが、殊によると、今度は、貴方に一から十まで相談して、何か為さらないかも知れませんよ。御父さんから見ればそれが当り前ですもの。そうでも、為なくっちゃ、生きてる内に、貴方の奥さんの顔を見る事は出来ないじゃありませんか」  代助は落ち付いて嫂の云う事を聴いていた。梅子の言葉が切れても、容易に口を動かさなかった。若し反駁をする日には、話が段々込み入るばかりで、此方の思う所は決して、梅子の耳へ通らないと考えた。けれども向うの云い分を肯う気はまるでなかった。実際問題として、双方が困る様になるばかりと信じたからである。それで、嫂に向って、 「貴方の仰しゃる所も、一理あるが、私にも私の考があるから、また打遣って置いて下さい」と云った。その調子には梅子の干渉を面倒がる気色が自然と見えた。すると梅子は黙っていなかった。 「そりゃ代さんだって、小供じゃないから、一人前の考の御有な事は勿論ですわ。私なんぞの要らない差出口は御迷惑でしょうから、もう何にも申しますまい。然し御父さんの身になって御覧なさい。月々の生活費は貴方の要ると云うだけ今でも出していらっしゃるんだから、つまり貴方は書生時代よりも余計御父さんの厄介になってる訳でしょう。そうして置いて、世話になる事は、元より世話になるが、年を取って一人前になったから、云う事は元の通りには聞かれないって威張ったって通用しないじゃありませんか」  梅子は少し激したと見えて猶も云い募ろうとしたのを、代助が遮った。 「だって、女房を持てばこの上猶御父さんの厄介に為らなくっちゃ為らないでしょう」 「宜いじゃありませんか、御父さんが、その方が好いと仰しゃるんだから」 「じゃ、御父さんは、いくら僕の気に入らない女房でも、是非持たせる決心なんですね」 「だって、貴方に好いたのがあればですけれども、そんなのは日本中探して歩いたって無いんじゃありませんか」 「どうして、それが分ります」  梅子は張の強い眼を据えて、代助を見た。そうして、 「貴方はまるで代言人の様な事を仰しゃるのね」と云った。代助は蒼白くなった額を嫂の傍へ寄せた。 「姉さん、私は好いた女があるんです」と低い声で云い切った。  代助は今まで冗談にこんな事を梅子に向って云った事が能くあった。梅子も始めはそれを本気に受けた。そっと手を廻して真相を探ってみたなどという滑稽もあった。事実が分って以後は、代助の所謂好いた女は、梅子に対して一向利目がなくなった。代助がそれを云い出しても、まるで取り合わなかった。でなければ、茶化していた。代助の方でもそれで平気であった。然しこの場合だけは彼に取って、全く特別であった。顔付と云い、眼付と云い、声の低い底に籠る力と云い、此所まで押し逼って来た前後の関係と云い、凡ての点から云って、梅子をはっと思わせない訳に行かなかった。嫂はこの短い句を、閃めく懐剣の如くに感じた。  代助は帯の間から時計を出して見た。父の所へ来ている客は中々帰りそうにもなかった。空は又曇って来た。代助は一旦引き上げて又改ためて、父と話を付けに出直す方が便宜だと考えた。 「僕は又来ます。出直して来て御父さんに御目に掛る方が好いでしょう」と立ちにかかった。梅子はその間に回復した。梅子は飽くまで人の世話を焼く実意のあるだけに、物を中途で投げる事の出来ない女であった。抑える様に代助を引き留めて、女の名を聞いた。代助は固より答えなかった。梅子は是非にと逼った。代助はそれでも応じなかった。すると梅子は何故その女を貰わないのかと聞き出した。代助は単純に貰えないから、貰わないのだと答えた。梅子は仕舞に涙を流した。他の尽力を出し抜いたと云って恨んだ。何故始から打ち明けて話さないかと云って責めた。かと思うと、気の毒だと云って同情してくれた。けれども代助は三千代に就ては、遂に何事も語らなかった。梅子はとうとう我を折った。代助の愈帰ると云う間際になって、 「じゃ、貴方から直に御父さんに御話なさるんですね。それまでは私は黙っていた方が好いでしょう」と聞いた。代助は黙っていて貰う方が好いか、話して貰う方が好いか、自分にも分らなかった。 「そうですね」と躊躇したが、「どうせ、断りに来るんだから」と云って嫂の顔を見た。 「じゃ、若し話す方が都合が好さそうだったら話しましょう。もし又悪るい様だったら、何にも云わずに置くから、貴方が始から御話なさい。それが宜いでしょう」と梅子は親切に云ってくれた。代助は、 「何分宜しく」と頼んで外へ出た。角へ来て、四谷から歩く積りで、わざと、塩町行の電車に乗った。練兵場の横を通るとき、重い雲が西で切れて、梅雨には珍らしい夕陽が、真赤になって広い原一面を照らしていた。それが向うを行く車の輪に中って、輪が回る度に鋼鉄の如く光った。車は遠い原の中に小さく見えた。原は車の小さく見える程、広かった。日は血の様に毒々しく照った。代助はこの光景を斜めに見ながら、風を切って電車に持って行かれた。重い頭の中がふらふらした。終点まで来た時は、精神が身体を冒したのか、精神の方が身体に冒されたのか、厭な心持がして早く電車を降りたかった。代助は雨の用心に持った蝙蝠傘を、杖の如く引き摺って歩いた。  歩きながら、自分は今日、自ら進んで、自分の運命の半分を破壊したのも同じ事だと、心のうちに囁いた。今までは父や嫂を相手に、好い加減な間隔を取って、柔らかに自我を通して来た。今度は愈本性を露わさなければ、それを通し切れなくなった。同時に、この方面に向って、在来の満足を求め得る希望は少なくなった。けれども、まだ逆戻りをする余地はあった。ただ、それには又父を胡魔化す必要が出て来るに違なかった。代助は腹の中で今までの我を冷笑した。彼はどうしても、今日の告白を以て、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかった。そうして、それから受ける打撃の反動として、思い切って三千代の上に、掩っ被さる様に烈しく働き掛けたかった。  彼はこの次父に逢うときは、もう一歩も後へ引けない様に、自分の方を拵えて置きたかった。それで三千代と会見する前に、又父から呼び出される事を深く恐れた。彼は今日嫂に、自分の意思を父に話す話さないの自由を与えたのを悔いた。今夜にも話されれば、明日の朝呼ばれるかも知れない。すると今夜中に三千代に逢って己れを語って置く必要が出来る。然し夜だから都合がよくないと思った。  津守を下りた時、日は暮れ掛かった。士官学校の前を真直に濠端へ出て、二三町来ると砂土原町へ曲がるべき所を、代助はわざと電車路に付いて歩いた。彼は例の如くに宅へ帰って、一夜を安閑と、書斎の中で暮すに堪えなかったのである。濠を隔てて高い土手の松が、眼のつづく限り黒く並んでいる底の方を、電車がしきりに通った。代助は軽い箱が、軌道の上を、苦もなく滑って行っては、又滑って帰る迅速な手際に、軽快の感じを得た。その代り自分と同じ路を容赦なく往来する外濠線の車を、常よりは騒々しく悪んだ。牛込見附まで来た時、遠くの小石川の森に数点の灯影を認めた。代助は夕飯を食う考もなく、三千代のいる方角へ向いて歩いて行った。  約二十分の後、彼は安藤坂を上って、伝通院の焼跡の前へ出た。大きな木が、左右から被さっている間を左りへ抜けて、平岡の家の傍まで来ると、板塀から例の如く灯が射していた。代助は塀の本に身を寄せて、凝と様子を窺った。しばらくは、何の音もなく、家のうちは全く静であった。代助は門を潜って、格子の外から、頼むと声を掛けてみようかと思った。すると、縁側に近く、ぴしゃりと脛を叩く音がした。それから、人が立って、奥へ這入って行く気色であった。やがて話声が聞えた。何の事か善く聴き取れなかったが、声は慥に、平岡と三千代であった。話声はしばらくで歇んでしまった。すると又足音が縁側まで近付いて、どさりと尻を卸す音が手に取る様に聞えた。代助はそれなり塀の傍を退いた。そうして元来た道とは反対の方角に歩き出した。  しばらくは、何処をどう歩いているか夢中であった。その間代助の頭には今見た光景ばかりが煎り付く様に踴っていた。それが、少し衰えると、今度は自己の行為に対して、云うべからざる汚辱の意味を感じた。彼は何の故に、斯かる下劣な真似をして、あたかも驚ろかされたかの如くに退却したのかを怪しんだ。彼は暗い小路に立って、世界が今夜に支配されつつある事を私かに喜んだ。しかも五月雨の重い空気に鎖されて、歩けば歩く程、窒息する様な心持がした。神楽坂上へ出た時、急に眼がぎらぎらした。身を包む無数の人と、無数の光が頭を遠慮なく焼いた。代助は逃げる様に藁店を上った。  家へ帰ると、門野が例の如く慢然たる顔をして、 「大分遅うがしたな。御飯はもう御済みになりましたか」と聞いた。  代助は飯が欲しくなかったので、要らない由を答えて、門野を追い帰す様に、書斎から退ぞけた。が、二三分立たない内に、又手を鳴らして呼び出した。 「宅から使は来やしなかったかね」 「いいえ」  代助は、 「じゃ、宜しい」と云ったぎりであった。門野は物足りなそうに入口に立っていたが、 「先生は、何ですか、御宅へ御出になったんじゃ無かったんですか」 「何故」と代助はむずかしい顔をした。 「だって、御出掛になるとき、そんな御話でしたから」  代助は門野を相手にするのが面倒になった。 「宅へは行ったさ。――宅から使が来なければそれで、好いじゃないか」  門野は不得要領に、 「はあそうですか」と云い放して出て行った。代助は、父があらゆる世界に対してよりも、自分に対して、性急であるという事を知っているので、ことによると、帰った後から直使でも寄こしはしまいかと恐れて聞き糺したのであった。門野が書生部屋へ引き取ったあとで、明日は是非とも三千代に逢わなければならないと決心した。  その夜代助は寐ながら、どう云う手段で三千代に逢おうかと云う問題を考えた。手紙を車夫に持たせて宅へ呼びに遣れば、来る事は来るだろうが、既に今日嫂との会談が済んだ以上は、明日にも、兄か嫂の為に、向うから襲われないとも限らない。又平岡のうちへ行って逢う事は代助に取って一種の苦痛があった。代助は已を得ず、自分にも三千代にも関係のない所で逢うより外に道はないと思った。  夜半から強く雨が降り出した。釣ってある蚊帳が、却って寒く見える位な音がどうどうと家を包んだ。代助はその音の中に夜の明けるのを待った。  雨は翌日まで晴れなかった。代助は湿っぽい縁側に立って、暗い空模様を眺めて、昨夕の計画を又変えた。彼は三千代を普通の待合などへ呼んで、話をするのが不愉快であった。已むなくんば、蒼い空の下と思っていたが、この天気ではそれも覚束なかった。と云って、平岡の家へ出向く気は始めから無かった。彼はどうしても、三千代を自分の宅へ連れて来るより外に道はないと極めた。門野が少し邪魔になるが、話のし具合では書生部屋に洩れない様にも出来ると考えた。  午少し前までは、ぼんやり雨を眺めていた。午飯を済ますや否や、護謨の合羽を引き掛けて表へ出た。降る中を神楽坂下まで来て青山の宅へ電話を掛けた。明日此方から行く積りであるからと、機先を制して置いた。電話口へは嫂が現れた。先達ての事は、まだ父に話さないでいるから、もう一遍よく考え直して御覧なさらないかと云われた。代助は感謝の辞と共に号鈴を鳴らして談話を切った。次に平岡の新聞社の番号を呼んで、彼の出社の有無を確めた。平岡は社に出ていると云う返事を得た。代助は雨を衝いて又坂を上った。花屋へ這入って、大きな白百合の花を沢山買って、それを提げて、宅へ帰った。花は濡れたまま、二つの花瓶に分けて挿した。まだ余っているのを、この間の鉢に水を張って置いて、茎を短かく切って、すぱすぱ放り込んだ。それから、机に向って、三千代へ手紙を書いた。文句は極めて短かいものであった。ただ至急御目に掛って、御話ししたい事があるから来てくれろと云うだけであった。  代助は手を打って、門野を呼んだ。門野は鼻を鳴らして現れた。手紙を受取りながら、 「大変好い香ですな」と云った。代助は、 「車を持って行って、乗せて来るんだよ」と念を押した。門野は雨の中を乗りつけの帳場まで出て行った。  代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩う強い香の中に、残りなく自己を放擲した。彼はこの嗅覚の刺激のうちに、三千代の過去を分明に認めた。その過去には離すべからざる、わが昔の影が烟の如く這い纏わっていた。彼はしばらくして、 「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云った。こう云い得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故もっと早く帰る事が出来なかったのかと思った。始から何故自然に抵抗したのかと思った。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。その生命の裏にも表にも、慾得はなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった。雲の様な自由と、水の如き自然とがあった。そうして凡てが幸であった。だから凡てが美しかった。  やがて、夢から覚めた。この一刻の幸から生ずる永久の苦痛がその時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失った。彼は黙然として、我と吾手を眺めた。爪の甲の底に流れている血潮が、ぶるぶる顫える様に思われた。彼は立って百合の花の傍へ行った。唇が弁に着く程近く寄って、強い香を眼の眩うまで嗅いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽せて、失心して室の中に倒れたかった。彼はやがて、腕を組んで、書斎と座敷の間を往ったり来たりした。彼の胸は始終鼓動を感じていた。彼は時々椅子の角や、洋卓の前へ来て留まった。それから又歩き出した。彼の心の動揺は、彼をして長く一所に留まる事を許さなかった。同時に彼は何物をか考える為に、無暗な所に立ち留まらざるを得なかった。  そのうちに時は段々移った。代助は断えず置時計の針を見た。又覗く様に、軒から外の雨を見た。雨は依然として、空から真直に降っていた。空は前よりも稍暗くなった。重なる雲が一つ所で渦を捲いて、次第に地面の上へ押し寄せるかと怪しまれた。その時雨に光る車を門から中へ引き込んだ。輪の音が、雨を圧して代助の耳に響いた時、彼は蒼白い頬に微笑を洩しながら、右の手を胸に当てた。  三千代は玄関から、門野に連れられて、廊下伝いに這入って来た。銘仙の紺絣に、唐草模様の一重帯を締めて、この前とはまるで違った服装をしているので、一目見た代助には、新らしい感じがした。色は不断の通り好くなかったが、座敷の入口で、代助と顔を合せた時、眼も眉も口もぴたりと活動を中止した様に固くなった。敷居に立っている間は、足も動けなくなったとしか受取れなかった。三千代は固より手紙を見た時から、何事をか予期して来た。その予期のうちには恐れと、喜と、心配とがあった。車から降りて、座敷へ案内されるまで、三千代の顔はその予期の色をもって漲っていた。三千代の表情はそこで、はたと留まった。代助の様子は三千代にそれだけの打衝を与える程に強烈であった。  代助は椅子の一つを指さした。三千代は命ぜられた通りに腰を掛けた。代助はその向うに席を占めた。二人は始めて相対した。然し良少時は二人とも、口を開かなかった。 「何か御用なの」と三千代は漸くにして問うた。代助は、ただ、 「ええ」と云った。二人はそれぎりで、又しばらく雨の音を聴いた。 「何か急な御用なの」と三千代が又尋ねた。代助は又、 「ええ」と云った。双方共何時もの様に軽くは話し得なかった。代助は酒の力を借りて、己れを語らなければならない様な自分を耻じた。彼は打ち明けるときは、必ず平生の自分でなければならないものと兼て覚悟をしていた。けれども、改たまって、三千代に対してみると、始めて、一滴の酒精が恋しくなった。ひそかに次の間へ立って、例のウィスキーを洋盃で傾けようかと思ったが、遂にその決心に堪えなかった。彼は青天白日の下に、尋常の態度で、相手に公言し得る事でなければ自己の誠でないと信じたからである。酔と云う牆壁を築いて、その掩護に乗じて、自己を大胆にするのは、卑怯で、残酷で、相手に汚辱を与える様な気がしてならなかったからである。彼は社会の習慣に対しては、徳義的な態度を取る事が出来なくなった。その代り三千代に対しては一点も不徳義な動機を蓄えぬ積りであった。否、彼をして卑吝に陥らしむる余地がまるでない程に、代助は三千代を愛した。けれども、彼は三千代から何の用かを聞かれた時に、すぐ己れを傾ける事が出来なかった。二度聞かれた時に猶躊躇した。三度目には、已を得ず、 「まあ、緩くり話しましょう」と云って、巻烟草に火を点けた。三千代の顔は返事を延ばされる度に悪くなった。  雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立のまま、白百合の香の中に封じ込められた。 「先刻表へ出て、あの花を買って来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随いて室の中を一回した。その後で三千代は鼻から強く息を吸い込んだ。 「兄さんと貴方と清水町にいた時分の事を思い出そうと思って、なるべく沢山買って来ました」と代助が云った。 「好い香ですこと」と三千代は翻がえる様に綻びた大きな花弁を眺めていたが、それから眼を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。 「あの時分の事を考えると」と半分云って已めた。 「覚えていますか」 「覚えていますわ」 「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結っていましたね」 「だって、東京へ来立だったんですもの。じき已めてしまったわ」 「この間百合の花を持って来て下さった時も、銀杏返しじゃなかったですか」 「あら、気が付いて。あれは、あの時ぎりなのよ」 「あの時はあんな髷に結いたくなったんですか」 「ええ、気迷れに一寸結ってみたかったの」 「僕はあの髷を見て、昔を思い出した」 「そう」と三千代は耻ずかしそうに肯った。  三千代が清水町にいた頃、代助と心安く口を聞く様になってからの事だが、始めて国から出て来た当時の髪の風を代助から賞められた事があった。その時三千代は笑っていたが、それを聞いた後でも、決して銀杏返しには結わなかった。二人は今もこの事をよく記憶していた。けれども双方共口へ出しては何も語らなかった。  三千代の兄と云うのは寧ろ豁達な気性で、懸隔てのない交際振から、友達には甚く愛されていた。ことに代助はその親友であった。この兄は自分が豁達であるだけに、妹の大人しいのを可愛がっていた。国から連れて来て、一所に家を持ったのも、妹を教育しなければならないと云う義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情合と、現在自分の傍に引き着けて置きたい欲望とからであった。彼は三千代を呼ぶ前、既に代助に向ってその旨を打ち明けた事があった。その時代助は普通の青年の様に、多大の好奇心を以てこの計画を迎えた。  三千代が来てから後、兄と代助とは益親しくなった。何方が友情の歩を進めたかは、代助自身にも分らなかった。兄が死んだ後で、当時を振り返ってみる毎に、代助はこの親密の裡に一種の意味を認めない訳に行かなかった。兄は死ぬ時までそれを明言しなかった。代助も敢て何事をも語らなかった。かくして、相互の思わくは、相互の間の秘密として葬られてしまった。兄は存生中にこの意味を私に三千代に洩らした事があるかどうか、其所は代助も知らなかった。代助はただ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得ただけであった。  代助はその頃から趣味の人として、三千代の兄に臨んでいた。三千代の兄はその方面に於て、普通以上の感受性を持っていなかった。深い話になると、正直に分らないと自白して、余計な議論を避けた。何処からか arbiter elegantiarum と云う字を見付出して来て、それを代助の異名の様に濫用したのは、その頃の事であった。三千代は隣りの部屋で黙って兄と代助の話を聞いていた。仕舞にはとうとう arbiter elegantiarum と云う字を覚えた。ある時その意味を兄に尋ねて、驚ろかれた事があった。  兄は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。代助を待って啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来るだけ与える様に力めた。代助も辞退はしなかった。後から顧みると、自ら進んでその任に当ったと思われる痕迹もあった。三千代は固より喜んで彼の指導を受けた。三人はかくして、巴の如くに回転しつつ、月から月へと進んで行った。有意識か無意識か、巴の輪は回るに従って次第に狭まって来た。遂に三巴が一所に寄って、丸い円になろうとする少し前の所で、忽然その一つが欠けたため、残る二つは平衡を失った。  代助と三千代は五年の昔を心置なく語り始めた。語るに従って、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返って来た。二人の距離は又元の様に近くなった。 「あの時兄さんが亡くならないで、未だ達者でいたら、今頃私はどうしているでしょう」と三千代は、その時を恋しがる様に云った。 「兄さんが達者でいたら、別の人になっている訳ですか」 「別な人にはなりませんわ。貴方は?」 「僕も同じ事です」  三千代はその時、少し窘める様な調子で、 「あら嘘」と云った。代助は深い眼を三千代の上に据えて、 「僕は、あの時も今も、少しも違っていやしないのです」と答えたまま、猶しばらくは眼を相手から離さなかった。三千代は忽ち視線を外らした。そうして、半ば独り言の様に、 「だって、あの時から、もう違っていらしったんですもの」と云った。  三千代の言葉は普通の談話としては余りに声が低過ぎた。代助は消えて行く影を踏まえる如くに、すぐその尾を捕えた。 「違やしません。貴方にはただそう見えるだけです。そう見えたって仕方がないが、それは僻目だ」  代助の方は通例よりも熱心に判然した声で自己を弁護する如くに云った。三千代の声は益低かった。 「僻目でも何でも可くってよ」  代助は黙って三千代の様子を窺った。三千代は始めから、眼を伏せていた。代助にはその長い睫毛の顫える様が能く見えた。 「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」  代助の言葉には、普通の愛人の用いる様な甘い文彩を含んでいなかった。彼の調子はその言葉と共に簡単で素朴であった。寧ろ厳粛の域に逼っていた。但、それだけの事を語る為に、急用として、わざわざ三千代を呼んだ所が、玩具の詩歌に類していた。けれども、三千代は固より、こう云う意味での俗を離れた急用を理解し得る女であった。その上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持っていなかった。代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与えなかったのは、事実であった。三千代がそれに渇いていなかったのも事実であった。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代は顫える睫毛の間から、涙を頬の上に流した。 「僕はそれを貴方に承知して貰いたいのです。承知して下さい」  三千代は猶泣いた。代助に返事をするどころではなかった。袂から手帛を出して顔へ当てた。濃い眉の一部分と、額と生際だけが代助の眼に残った。代助は椅子を三千代の方へ摺り寄せた。 「承知して下さるでしょう」と耳の傍で云った。三千代は、まだ顔を蔽っていた。しゃくり上げながら、 「余りだわ」と云う声が手帛の中で聞えた。それが代助の聴覚を電流の如くに冒した。代助は自分の告白が遅過ぎたと云う事を切に自覚した。打ち明けるならば三千代が平岡へ嫁ぐ前に打ち明けなければならない筈であった。彼は涙と涙の間をぼつぼつ綴る三千代のこの一語を聞くに堪えなかった。 「僕は三四年前に、貴方にそう打ち明けなければならなかったのです」と云って、憮然として口を閉じた。三千代は急に手帛から顔を離した。瞼の赤くなった眼を突然代助の上にって、 「打ち明けて下さらなくっても可いから、何故」と云い掛けて、一寸躇したが、思い切って、「何故棄ててしまったんです」と云うや否や、又手帛を顔に当てて又泣いた。 「僕が悪い。勘忍して下さい」  代助は三千代の手頸を執って、手帛を顔から離そうとした。三千代は逆おうともしなかった。手帛は膝の上に落ちた。三千代はその膝の上を見たまま、微かな声で、 「残酷だわ」と云った。小さい口元の肉が顫う様に動いた。 「残酷と云われても仕方がありません。その代り僕はそれだけの罰を受けています」  三千代は不思議な眼をして顔を上げたが、 「どうして」と聞いた。 「貴方が結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身でいます」 「だって、それは貴方の御勝手じゃありませんか」 「勝手じゃありません。貰おうと思っても、貰えないのです。それから以後、宅のものから何遍結婚を勧められたか分りません。けれども、みんな断ってしまいました。今度もまた一人断りました。その結果僕と僕の父との間がどうなるか分りません。然しどうなっても構わない、断るんです。貴方が僕に復讎している間は断らなければならないんです」 「復讎」と三千代は云った。この二字を恐るるものの如くに眼を働かした。「私はこれでも、嫁に行ってから、今日まで一日も早く、貴方が御結婚なされば可いと思わないで暮らした事はありません」と稍改たまった物の言い振であった。然し代助はそれに耳を貸さなかった。 「いや僕は貴方に何処までも復讎して貰いたいのです。それが本望なのです。今日こうやって、貴方を呼んで、わざわざ自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方から復讎されている一部分としか思やしません。僕はこれで社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はそう生れて来た人間なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、貴方の前に懺悔する事が出来れば、それで沢山なんです。これ程嬉しい事はないと思っているんです」  三千代は涙の中で始て笑った。けれども一言も口へは出さなかった。代助は猶己れを語る隙を得た。―― 「僕は今更こんな事を貴方に云うのは、残酷だと承知しています。それが貴方に残酷に聞こえれば聞こえる程僕は貴方に対して成功したも同様になるんだから仕方がない。その上僕はこんな残酷な事を打ち明けなければ、もう生きている事が出来なくなった。つまり我儘です。だから詫るんです」 「残酷では御座いません。だから詫まるのはもう廃して頂戴」  三千代の調子は、この時急に判然した。沈んではいたが、前に比べると非常に落ち着いた。然ししばらくしてから、又 「ただ、もう少し早く云って下さると」と云い掛けて涙ぐんだ。代助はその時こう聞いた。―― 「じゃ僕が生涯黙っていた方が、貴方には幸福だったんですか」 「そうじゃないのよ」と三千代は力を籠めて打ち消した。「私だって、貴方がそう云って下さらなければ、生きていられなくなったかも知れませんわ」  今度は代助の方が微笑した。 「それじゃ構わないでしょう」 「構わないより難有いわ。ただ――」 「ただ平岡に済まないと云うんでしょう」  三千代は不安らしく首肯いた。代助はこう聞いた。―― 「三千代さん、正直に云って御覧。貴方は平岡を愛しているんですか」  三千代は答えなかった。見るうちに、顔の色が蒼くなった。眼も口も固くなった。凡てが苦痛の表情であった。代助は又聞いた。 「では、平岡は貴方を愛しているんですか」  三千代はやはり俯つ向いていた。代助は思い切った判断を、自分の質問の上に与えようとして、既にその言葉が口まで出掛った時、三千代は不意に顔を上げた。その顔には今見た不安も苦痛も殆んど消えていた。涙さえ大抵は乾いた。頬の色は固より蒼かったが、唇は確として、動く気色はなかった。その間から、低く重い言葉が、繋がらない様に、一字ずつ出た。 「仕様がない。覚悟を極めましょう」  代助は背中から水を被った様に顫えた。社会から逐い放たるべき二人の魂は、ただ二人対い合って、互を穴の明く程眺めていた。そうして、凡てに逆って、互を一所に持ち来たした力を互と怖れ戦いた。  しばらくすると、三千代は急に物に襲われた様に、手を顔に当てて泣き出した。代助は三千代の泣く様を見るに忍びなかった。肱を突いて額を五指の裏に隠した。二人はこの態度を崩さずに、恋愛の彫刻の如く、凝としていた。  二人はこう凝としている中に、五十年を眼のあたりに縮めた程の精神の緊張を感じた。そうしてその緊張と共に、二人が相並んで存在しておると云う自覚を失わなかった。彼等は愛の刑と愛の賚とを同時に享けて、同時に双方を切実に味わった。  しばらくして、三千代は手帛を取って、涙を奇麗に拭いたが、静かに、 「私もう帰ってよ」と云った。代助は、 「御帰りなさい」と答えた。  雨は小降になったが、代助は固より三千代を独り返す気はなかった。わざと車を雇わずに、自分で送って出た。平岡の家まで附いて行く所を、江戸川の橋の上で別れた。代助は橋の上に立って、三千代が横町を曲るまで見送っていた。それから緩くり歩を回らしながら、腹の中で、 「万事終る」と宣告した。  雨は夕方歇んで、夜に入ったら、雲がしきりに飛んだ。その中洗った様な月が出た。代助は光を浴びる庭の濡葉を長い間縁側から眺めていたが、仕舞に下駄を穿いて下へ降りた。固より広い庭でない上に立木の数が存外多いので、代助の歩く積はたんと無かった。代助はその真中に立って、大きな空を仰いだ。やがて、座敷から、昼間買った百合の花を取って来て、自分の周囲に蒔き散らした。白い花弁が点々として月の光に冴えた。あるものは、木下闇に仄めいた。代助は何をするともなくその間に曲んでいた。  寐る時になって始めて再び座敷へ上がった。室の中は花の香がまだ全く抜けていなかった。 十五  三千代に逢って、云うべき事を云ってしまった代助は、逢わない前に比べると、余程心の平和に接近し易くなった。然しこれは彼の予期する通りに行ったまでで、別に意外の結果と云う程のものではなかった。  会見の翌日彼は永らく手に持っていた賽を思い切って投げた人の決心を以て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日から一種の責任を帯びねば済まぬ身になったと自覚した。しかもそれは自ら進んで求めた責任に違いなかった。従って、それを自分の脊に負うて、苦しいとは思えなかった。その重みに押されるがため、却って自然と足が前に出る様な気がした。彼は自ら切り開いたこの運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整えた。父の後には兄がいた、嫂がいた。これ等と戦った後には平岡がいた。これ等を切り抜けても大きな社会があった。個人の自由と情実を毫も斟酌してくれない器械の様な社会があった。代助にはこの社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡てと戦う覚悟をした。  彼は自分で自分の勇気と胆力に驚ろいた。彼は今日まで、熱烈を厭う、危きに近寄り得ぬ、勝負事を好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見傚していた。徳義上重大な意味の卑怯はまだ犯した事がないけれども、臆病と云う自覚はどうしても彼の心から取り去る事が出来なかった。  彼は通俗なある外国雑誌の購読者であった。その中のある号で、Mountain Accidents と題する一篇に遭って、かつて心を駭かした。それには高山を攀じ上る冒険者の、怪我過が沢山に並べてあった。登山の途中雪崩れに圧されて、行き方知れずになったものの骨が、四十年後に氷河の先へ引懸って出た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立った大きな平岩を越すとき、肩から肩の上へ猿の様に重なり合って、最上の一人の手が岩の鼻へ掛かるや否や、岩が崩れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なって、真逆様に四番目の男の傍を遥かの下に落ちて行った話などが、幾何となく載せてあった間に、煉瓦の壁程急な山腹に蝙蝠の様に吸い付いた人間を二三カ所点綴した挿画があった。その時代助はその絶壁の横にある白い空間のあなたに、広い空や、遥かの谷を想像して、怖ろしさから来る眩暈を、頭の中に再現せずにはいられなかった。  代助は今道徳界に於て、これ等の登攀者と同一な地位に立っていると云う事を知った。けれども自らその場に臨んでみると、怯む気は少しもなかった。怯んで猶予する方が彼に取っては幾倍の苦痛であった。  彼は一日も早く父に逢って話をしたかった。万一の差支を恐れて、三千代が来た翌日、又電話を掛けて都合を聞き合せた。父は留守だと云う返事を得た。次の日又問い合せたら、今度は差支があると云って断られた。その次には此方から知らせるまでは来るに及ばんという挨拶であった。代助は命令通り控えていた。その間嫂からも兄からも便は一向なかった。代助は始めは家のものが、自分に出来るだけ長い、反省再考の時間を与える為の策略ではあるまいかと推察して、平気に構えていた。三度の食事も旨く食った。夜も比較的安らかな夢を見た。雨の晴間には門野を連れて散歩を一二度した。然し宅からは使も手紙も来なかった。代助は絶壁の途中で休息する時間の長過ぎるのに安からずなった。仕舞に思い切って、自分の方から青山へ出掛けて行った。兄は例の如く留守であった。嫂は代助を見て気の毒そうな顔をした。が、例の事件に就ては何にも語らなかった。代助の来意を聞いて、では私が一寸奥へ行って御父さんの御都合を伺って来ましょうと云って立った。梅子の態度は、父の怒りから代助を庇う様にも見えた。又彼を疎外する様にも取れた。代助は両方の何れだろうかと煩って待っていた。待ちながらも、どうせ覚悟の前だと何遍も口のうちで繰り返した。  奥から梅子が出て来るまでには、大分暇が掛った。代助を見て、又気の毒そうに、今日は御都合が悪いそうですよと云った。代助は仕方なしに、何時来たら宜かろうかと尋ねた。固より例の様な元気はなく悄然とした問い振りであった。梅子は代助の様子に同情の念を起した調子で、二三日中にきっと自分が責任を以て都合の好い時日を知らせるから今日は帰れと云った。代助が内玄関を出る時、梅子はわざと送って来て、 「今度こそ能く考えていらっしゃいよ」と注意した。代助は返事もせずに門を出た。  帰る途中も不愉快で堪らなかった。この間三千代に逢って以後、味わう事を知った心の平和を、父や嫂の態度で幾分か破壊されたと云う心持が路々募った。自分は自分の思う通りを父に告げる、父は父の考えを遠慮なく自分に洩らす、それで衝突する、衝突の結果はどうあろうとも潔よく自分で受ける。これが代助の予期であった。父の仕打は彼の予期以外に面白くないものであった。その仕打は父の人格を反射するだけそれだけ多く代助を不愉快にした。  代助は途すがら、何を苦んで、父との会見をさまでに急いだものかと思い出した。元来が父の要求に対する自分の返事に過ぎないのだから、便宜は寧ろ、これを待ち受ける父の方にあるべき筈であった。その父がわざとらしく自分を避ける様にして、面会を延ばすならば、それは自己の問題を解決する時間が遅くなると云う不結果を生ずる外に何も起り様がない。代助は自分の未来に関する主要な部分は、もう既に片付けてしまった積りでいた。彼は父から時日を指定して呼び出されるまでは、宅の方の所置をそのままにして放って置く事に極めた。  彼は家に帰った。父に対しては只薄暗い不愉快の影が頭に残っていた。けれどもこの影は近き未来に於て必ずその暗さを増してくるべき性質のものであった。その他には眼前に運命の二つの潮流を認めた。一つは三千代と自分がこれから流れて行くべき方向を示していた。一つは平岡と自分を是非とも一所に捲き込むべき凄じいものであった。代助はこの間三千代に逢ったなりで、片片の方は捨ててある。よしこれから三千代の顔を見るにしたところで、――また長い間見ずにいる気はなかったが、――二人の向後取るべき方針に就て云えば、当分は一歩も現在状態より踏み出す了見は持たなかった。この点に関して、代助は我ながら明瞭な計画を拵えていなかった。平岡と自分とを運び去るべき将来に就ても、彼はただ何時、何事にでも用意ありと云うだけであった。無論彼は機を見て、積極的に働らき掛ける心組はあった。けれども具体的な案は一つも準備しなかった。あらゆる場合に於て、彼の決して仕損じまいと誓ったのは、凡てを平岡に打ち明けると云う事であった。従って平岡と自分とで構成すべき運命の流は黒く恐ろしいものであった。一つの心配はこの恐ろしい暴風の中から、如何にして三千代を救い得べきかの問題であった。  最後に彼の周囲を人間のあらん限り包む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかった。事実として、社会は制裁の権を有していた。けれども動機行為の権は全く自己の天分から湧いて出るより外に道はないと信じた。かれはこの点に於て、社会と自分との間には全く交渉のないものと認めて進行する気であった。  代助は彼の小さな世界の中心に立って、彼の世界を斯様に観て、一順その関係比例を頭の中で調べた上、 「善かろう」と云って、又家を出た。そうして一二丁歩いて、乗り付けの帳場まで来て、奇麗で早そうな奴を択んで飛び乗った。何処へ行く当もないのを好加減な町を名指して二時間程ぐるぐる乗り廻して帰った。  翌日も書斎の中で前日同様、自分の世界の中心に立って、左右前後を一応隈なく見渡した後、 「宜しい」と云って外へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶらぶら歩いて帰った。  三日目にも同じ事を繰り返した。が、今度は表へ出るや否や、すぐ江戸川を渡って、三千代の所へ来た。三千代は二人の間に何事も起らなかったかの様に、 「何故それからいらっしゃらなかったの」と聞いた。代助は寧ろその落ち付き払った態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据えてあった蒲団を代助の前へ押し遣って、 「何でそんなに、そわそわしていらっしゃるの」と無理にその上に坐らした。  一時間ばかり話しているうちに、代助の頭は次第に穏やかになった。車へ乗って、当もなく乗り回すより、三十分でも好いから、早く此所へ遊びに来れば可かったと思い出した。帰るとき代助は、 「又来ます。大丈夫だから安心していらっしゃい」と三千代を慰める様に云った。三千代はただ微笑しただけであった。  その夕方始めて父からの報知に接した。その時代助は婆さんの給仕で飯を食っていた。茶碗を膳の上へ置いて、門野から手紙を受取って読むと、明朝何時までに御出の事という文句があった。代助は、 「御役所風だね」と云いながら、わざと端書を門野に見せた。門野は、 「青山の御宅からですか」と叮嚀に眺めていたが、別に云う事がないものだから、表を引っ繰り返して、 「どうも何ですな。昔の人はやっぱり手蹟が好い様ですな」と御世辞を置き去りにして出て行った。婆さんは先刻から暦の話をしきりに為ていた。みずのえだのかのとだの、八朔だの友引だの、爪を切る日だの普請をする日だのと頗る煩いものであった。代助は固より上の空で聞いていた。婆さんは又門野の職の事を頼んだ。拾五円でも宜いから何方へ出して遣ってくれないかと云った。代助は自分ながら、どんな返事をしたか分らない位気にも留めなかった。ただ心のうちでは、門野どころか、この己が危しい位だと思った。  食事を終るや否や、本郷から寺尾が来た。代助は門野の顔を見て暫らく考えていた。門野は無雑作に、 「断りますか」と聞いた。代助はこの間から珍らしくある会を一二回欠席した。来客も逢わないで済むと思う分は両度程謝絶した。  代助は思い切って寺尾に逢った。寺尾は何時もの様に、血眼になって、何か探していた。代助はその様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかった。翻訳だろうが焼き直しだろうが、生きているうちは何処までも遣る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果してどの位の仕事に堪えるだろうと思うと、代助は自分に対して気の毒になった。そうして、自分が遠からず、彼よりも甚く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確だと諦めていたから、彼は侮蔑の眼を以て寺尾を迎える訳には行かなかった。  寺尾は、この間の翻訳を漸くの事で月末までに片付けたら、本屋の方で、都合が悪いから秋まで出版を見合わせると云い出したので、すぐ労力を金に換算する事が出来ずに、困った結果遣って来たのであった。では書肆と契約なしに手を着けたのかと聞くと、全くそうでもないらしい。と云って、本屋の方がまるで約束を無視した様にも云わない。要するに曖昧であった。ただ困っている事だけは事実らしかった。けれどもこう云う手違に慣れ抜いた寺尾は、別に徳義問題として誰にも不満を抱いている様にも見えなかった。失敬だとか怪しからんと云うのは、ただ口の先ばかりで、腹の中の屈托は、全然飯と肉に集注しているらしかった。  代助は気の毒になって、当座の経済に幾分の補助を与えた。寺尾は感謝の意を表して帰った。帰る前に、実は本屋からも少しは前借はしたんだが、それは疾の昔に使ってしまったんだと自白した。寺尾の帰ったあとで、代助はああ云うのも一種の人格だと思った。ただこう楽に活計ていたって決して為れる訳のものじゃない。今の所謂文壇が、ああ云う人格を必要と認めて、自然に産み出した程、今の文壇は悲しむべき状況の下に呻吟しているんではなかろうかと考えて茫乎した。  代助はその晩自分の前途をひどく気に掛けた。もし父から物質的に供給の道を鎖された時、彼は果して第二の寺尾になり得る決心があるだろうかを疑った。もし筆を執って寺尾の真似さえ出来なかったなら、彼は当然餓死すべきである。もし筆を執らなかったら、彼は何をする能力があるだろう。  彼は眼を開けて時々蚊張の外に置いてある洋燈を眺めた。夜中に燐寸を擦って烟草を吹かした。寐返りを何遍も打った。固より寐苦しい程暑い晩ではなかった。雨が又ざあざあと降った。代助はこの雨の音で寐付くかと思うと、又雨の音で不意に眼を覚ました。夜は半醒半睡のうちに明け離れた。  定刻になって、代助は出掛けた。足駄穿で雨傘を提げて電車に乗ったが、一方の窓が締め切ってある上に、革紐にぶら下がっている人が一杯なので、しばらくすると胸がむかついて、頭が重くなった。睡眠不足が影響したらしく思われるので、手を窮屈に伸ばして、自分の後だけを開け放った。雨は容赦なく襟から帽子に吹き付けた。二三分の後隣の人の迷惑そうな顔に気が付いて、又元の通りに硝子窓を上げた。硝子の表側には、弾けた雨の珠が溜って、往来が多少歪んで見えた。代助は首から上を捩じ曲げて眼を外面に着けながら、幾たびか自分の眼を擦すった。然し何遍擦っても、世界の恰好が少し変って来たと云う自覚が取れなかった。硝子を通して斜に遠方を透かして見るときは猶そういう感じがした。  弁慶橋で乗り換えてからは、人もまばらに、雨も小降りになった。頭も楽に濡れた世の中を眺める事が出来た。けれども機嫌の悪い父の顔が、色々な表情を以て彼の脳髄を刺戟した。想像の談話さえ明かに耳に響いた。  玄関を上って、奥へ通る前に、例の如く一応嫂に逢った。嫂は、 「鬱陶しい御天気じゃありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んでくれた。然し代助は飲む気にもならなかった。 「御父さんが待って御出でしょうから、一寸行って話をして来ましょう」と立ち掛けた。嫂は不安らしい顔をして、 「代さん、成ろう事なら、年寄に心配を掛けない様になさいよ。御父さんだって、もう長い事はありませんから」と云った。代助は梅子の口から、こんな陰気な言葉を聞くのは始めてであった。不意に穴倉へ落ちた様な心持がした。  父は烟草盆を前に控えて、俯向いていた。代助の足音を聞いても顔を上げなかった。代助は父の前へ出て、叮嚀に御辞儀をした。定めてむずかしい眼付をされると思いの外、父は存外穏かなもので、 「降るのに御苦労だった」と労わってくれた。  その時始めて気が付いて見ると、父の頬が何時の間にかぐっと瘠けていた。元来が肉の多い方だったので、この変化が代助には余計目立って見えた。代助は覚えず、 「どうか為さいましたか」と聞いた。  父は親らしい色を一寸顔に動かしただけで、別に代助の心配を物にする様子もなかったが、少時話しているうちに、 「己も大分年を取ってな」と云い出した。その調子が何時もの父とは全く違っていたので、代助は最前嫂の云った事を愈重く見なければならなくなった。  父は年の所為で健康の衰えたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助に洩らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の経営にかかる事業が不景気の極端に達している最中だから、この難関を漕ぎ抜けた上でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱しているより外に仕方がないのだと云う事情を委しく話した。代助は父の言葉を至極尤もだと思った。  父は普通の実業なるものの困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主の、一見地味であって、その実自分等よりはずっと鞏固の基礎を有している事を述べた。そうして、この比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させようと力めた。 「そう云う親類が一軒位あるのは、大変な便利で、かつこの際甚だ必要じゃないか」と云った。代助は、父としては寧ろ露骨過ぎるこの政略的結婚の申し出に対して、今更驚ろく程、始めから父を買い被ってはいなかった。最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かったのを、寧ろ快よく感じた。彼自身も、こんな意味の結婚を敢てし得る程度の人間だと自ら見積ていた。  その上父に対して何時にない同情があった。その顔、その声、その代助を動かそうとする努力、凡てに老後の憐れを認める事が出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかった。私はどうでも宜う御座いますから、貴方の御都合の好い様に御極めなさいと云いたかった。  けれども三千代と最後の会見を遂げた今更、父の意に叶う様な当座の孝行は代助には出来かねた。彼は元来が何方付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露に抵抗した試がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口であった。彼自身さえ、この二つの非難の何れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫かれた。即かず離れず現状に立ち竦んでいる事が屡あった。この現状維持の外観が、思慮の欠之から生ずるのでなくて、却って明白な判断に本いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである。三千代の場合は、即ちその適例であった。  彼は三千代の前に告白した己れを、父の前で白紙にしようとは想い到らなかった。同時に父に対しては、心から気の毒であった。平生の代助がこの際に執るべき方針は云わずして明らかであった。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与える為の結婚を承諾するに外ならなかった。代助はかくして双方を調和する事が出来た。何方付かずに真中へ立って、煮え切らずに前進する事は容易であった。けれども、今の彼は、不断の彼とは趣を異にしていた。再び半身を埒外に挺でて、余人と握手するのは既に遅かった。彼は三千代に対する自己の責任をそれ程深く重いものと信じていた。彼の信念は半ば頭の判断から来た。半ば心の憧憬から来た。二つのものが大きな濤の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生れ変った様に父の前に立った。  彼は平生の代助の如く、なるべく口数を利かずに控えていた。父から見れば何時もの代助と異なる所はなかった。代助の方では却って父の変っているのに驚ろいた。実はこの間から幾度も会見を謝絶されたのも、自分が父の意志に背く恐があるから父の方でわざと、延ばしたものと推していた。今日逢ったら、定めて苦い顔をされる事と覚悟を極めていた。ことによれば、頭から叱り飛ばされるかも知れないと思った。代助には寧ろその方が都合が好かった。三分の一は、父の暴怒に対する自己の反動を、心理的に利用して、きっぱり断ろうと云う下心さえあった。代助は父の様子、父の言葉遣、父の主意、凡てが予期に反して、自分の決心を鈍らせる傾向に出たのを心苦しく思った。けれども彼はこの心苦しさにさえ打ち勝つべき決心を蓄えた。 「貴方の仰しゃる所は一々御尤もだと思いますが、私には結婚を承諾する程の勇気がありませんから、断るより外に仕方がなかろうと思います」ととうとう云ってしまった。その時父はただ代助の顔を見ていた。良あって、 「勇気が要るのかい」と手に持っていた烟管を畳の上に放り出した。代助は膝頭を見詰めて黙っていた。 「当人が気に入らないのかい」と父が又聞いた。代助は猶返事をしなかった。彼は今まで父に対して己れの四半分も打ち明けてはいなかった。その御蔭で父と平和の関係を漸く持続して来た。けれども三千代の事だけは始めから決して隠す気はなかった。自分の頭の上に当然落ちかかるべき結果を、策で避ける卑怯が面白くなかったからである。彼はただ自白の期に達していないと考えた。従って三千代の名はまるで口へは出さなかった。父は最後に、 「じゃ何でも御前の勝手にするさ」と云って苦い顔をした。  代助も不愉快であった。然し仕方がないから、礼をして父の前を退がろうとした。ときに父は呼び留めて、 「己の方でも、もう御前の世話はせんから」と云った。座敷へ帰った時、梅子は待ち構えた様に、 「どうなすって」と聞いた。代助は答え様もなかった。 十六  翌日眼が覚めても代助の耳の底には父の最後の言葉が鳴っていた。彼は前後の事情から、平生以上の重みをその内容に附着しなければならなかった。少なくとも、自分だけでは、父から受ける物質的の供給がもう絶えたものと覚悟する必要があった。代助の尤も恐るる時期は近づいた。父の機嫌を取り戻すには、今度の結婚を断るにしても、あらゆる結婚に反対してはならなかった。あらゆる結婚に反対しても、父を首肯かせるに足る程の理由を、明白に述べなければならなかった。代助に取っては二つのうち何れも不可能であった。人生に対する自家の哲学の根本に触れる問題に就いて、父を欺くのは猶更不可能であった。代助は昨日の会見を回顧して、凡てが進むべき方向に進んだとしか考え得なかった。けれども恐ろしかった。自己が自己に自然な因果を発展させながら、その因果の重みを脊中に負って、高い絶壁の端まで押し出された様な心持であった。  彼は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思った。けれども彼の頭の中には職業と云う文字があるだけで、職業その物は体を具えて現われて来なかった。彼は今日まで如何なる職業にも興味を有っていなかった結果として、如何なる職業を想い浮べてみても、ただその上を上滑りに滑って行くだけで、中に踏み込んで内部から考える事は到底出来なかった。彼には世間が平たい複雑な色分の如くに見えた。そうして彼自身は何等の色を帯びていないとしか考えられなかった。  凡ての職業を見渡した後、彼の眼は漂泊者の上に来て、そこで留まった。彼は明らかに自分の影を、犬と人の境を迷う乞食の群の中に見出した。生活の堕落は精神の自由を殺す点に於て彼の尤も苦痛とする所であった。彼は自分の肉体に、あらゆる醜穢を塗り付けた後、自分の心の状態が如何に落魄するだろうと考えて、ぞっと身振をした。  この落魄のうちに、彼は三千代を引張り廻さなければならなかった。三千代は精神的に云って、既に平岡の所有ではなかった。代助は死に至るまで彼女に対して責任を負う積りであった。けれども相当の地位を有っている人の不実と、零落の極に達した人の親切とは、結果に於て大した差違はないと今更ながら思われた。死ぬまで三千代に対して責任を負うと云うのは、負う目的があるというまでで、負った事実には決してなれなかった。代助は惘然として黒内障に罹った人の如くに自失した。  彼は又三千代を訪ねた。三千代は前日の如く静に落ち着いていた。微笑と光輝とに満ちていた。春風はゆたかに彼女の眉を吹いた。代助は三千代が己を挙げて自分に信頼している事を知った。その証拠を又眼のあたりに見た時、彼は愛憐の情と気の毒の念に堪えなかった。そうして自己を悪漢の如くに呵責した。思う事は全く云いそびれてしまった。帰るとき、 「又都合して宅へ来ませんか」と云った。三千代はええと首肯いて微笑した。代助は身を切られる程酷かった。  代助はこの間から三千代を訪問する毎に、不愉快ながら平岡の居ない時を択まなければならなかった。始めはそれをさ程にも思わなかったが、近頃では不愉快と云うよりも寧ろ、行き悪い度が日毎に強くなって来た。その上留守の訪問が重なれば、下女に不審を起させる恐れがあった。気の所為か、茶を運ぶ時にも、妙に疑ぐり深い眼付をして、見られる様でならなかった。然し三千代は全く知らぬ顔をしていた。少なくとも上部だけは平気であった。  平岡との関係に就ては、無論詳しく尋ねる機会もなかった。たまに一言二言それとなく問を掛けてみても、三千代は寧ろ応じなかった。ただ代助の顔を見れば、見ているその間だけの嬉しさに溺れ尽すのが自然の傾向であるかの如くに思われた。前後を取り囲む黒い雲が、今にも逼って来はしまいかと云う心配は、陰ではいざ知らず、代助の前には影さえ見せなかった。三千代は元来神経質の女であった。昨今の態度は、どうしてもこの女の手際ではないと思うと、三千代の周囲の事情が、まだそれ程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなったのだと解釈せざるを得なかった。 「すこし又話したい事があるから来て下さい」と前よりは稍真面目に云って代助は三千代と別れた。  中二日置いて三千代が来るまで、代助の頭は何等の新しい路を開拓し得なかった。彼の頭の中には職業の二字が大きな楷書で焼き付けられていた。それを押し退けると、物質的供給の杜絶がしきりに踴り狂った。それが影を隠すと、三千代の未来が凄じく荒れた。彼の頭には不安の旋風が吹き込んだ。三つのものが巴の如く瞬時の休みなく回転した。その結果として、彼の周囲が悉く回転しだした。彼は船に乗った人と一般であった。回転する頭と、回転する世界の中に、依然として落ち付いていた。  青山の宅からは何の消息もなかった。代助は固よりそれを予期していなかった。彼は力めて門野を相手にして他愛ない雑談に耽った。門野はこの暑さに自分の身体を持ち扱っている位、用のない男であったから、頗る得意に代助の思う通り口を動かした。それでも話し草臥れると、 「先生、将棋はどうです」などと持ち掛けた。夕方には庭に水を打った。二人共跣足になって、手桶を一杯ずつ持って、無分別に其所等を濡らして歩いた。門野が隣の梧桐の天辺まで水にして御目にかけると云って、手桶の底を振り上げる拍子に、滑って尻持を突いた。白粉草が垣根の傍で花を着けた。手水鉢の蔭に生えた秋海棠の葉が著るしく大きくなった。梅雨は漸く晴れて、昼は雲の峰の世界となった。強い日は大きな空を透き通す程焼いて、空一杯の熱を地上に射り付ける天気となった。  代助は夜に入って頭の上の星ばかり眺めていた。朝は書斎に這入った。二三日は朝から蝉の声が聞える様になった。風呂場へ行って、度々頭を冷した。すると門野がもう好い時分だと思って、 「どうも非常な暑さですな」と云って、這入って来た。代助はこう云う上の空の生活を二日程送った。三日目の日盛に、彼は書斎の中から、ぎらぎらする空の色を見詰めて、上から吐き下すの息を嗅いだ時に、非常に恐ろしくなった。それは彼の精神がこの猛烈なる気候から永久の変化を受けつつあると考えた為であった。  三千代はこの暑を冒して前日の約を履んだ。代助は女の声を聞き付けた時、自分で玄関まで飛び出した。三千代は傘をつぼめて、風呂敷包を抱えて、格子の外に立っていた。不断着のまま宅を出たと見えて、質素な白地の浴衣の袂から手帛を出し掛けた所であった。代助はその姿を一目見た時、運命が三千代の未来を切り抜いて、意地悪く自分の眼の前に持って来た様に感じた。われ知らず、笑いながら、 「馳落でもしそうな風じゃありませんか」と云った。三千代は穏かに、 「でも買物をした序でないと上り悪いから」と真面目な答をして、代助の後に跟いて奥まで這入って来た。代助はすぐ団扇を出した。照り付けられた所為で三千代の頬が心持よく輝やいた。何時もの疲れた色は何処にも見えなかった。眼の中にも若い沢が宿っていた。代助は生々したこの美くしさに、自己の感覚を溺らして、しばらくは何事も忘れてしまった。が、やがて、この美くしさを冥々の裡に打ち崩しつつあるものは自分であると考え出したら悲しくなった。彼は今日もこの美くしさの一部分を曇らす為に三千代を呼んだに違なかった。  代助は幾度か己れを語る事を躊躇した。自分の前に、これ程幸福に見える若い女を、眉一筋にしろ心配の為に動かさせるのは、代助から云うと非常な不徳義であった。もし三千代に対する義務の心が、彼の胸のうちに鋭どく働らいていなかったなら、彼はそれから以後の事情を打ち明ける事の代りに、先達ての告白を再び同じ室のうちに繰り返して、単純なる愛の快感の下に、一切を放擲してしまったかも知れなかった。  代助は漸くにして思い切った。 「その後貴方と平岡との関係は別に変りはありませんか」  三千代はこの問を受けた時でも、依然として幸福であった。 「あったって、構わないわ」 「貴方はそれ程僕を信用しているんですか」 「信用していなくっちゃ、こうしていられないじゃありませんか」  代助は目映しそうに、熱い鏡の様な遠い空を眺めた。 「僕にはそれ程信用される資格がなさそうだ」と苦笑しながら答えたが、頭の中は焙炉の如く火照っていた。然し三千代は気にも掛からなかったと見えて、何故とも聞き返さなかった。ただ簡単に、 「まあ」とわざとらしく驚ろいて見せた。代助は真面目になった。 「僕は白状するが、実を云うと、平岡君より頼にならない男なんですよ。買い被っていられると困るから、みんな話してしまうが」と前置をして、それから自分と父との今日までの関係を詳しく述べた上、 「僕の身分はこれから先どうなるか分らない。少なくとも当分は一人前じゃない。半人前にもなれない。だから」と云い淀んだ。 「だから、どうなさるんです」 「だから、僕の思う通り、貴方に対して責任が尽せないだろうと心配しているんです」 「責任って、どんな責任なの。もっと判然仰しゃらなくっちゃ解らないわ」  代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、ただ貧苦が愛人の満足に価しないと云う事だけを知っていた。だから富が三千代に対する責任の一つと考えたのみで、それより外に明らかな観念はまるで持っていなかった。 「徳義上の責任じゃない、物質上の責任です」 「そんなものは欲しくないわ」 「欲しくないと云ったって、是非必要になるんです。これから先僕が貴方とどんな新らしい関係に移って行くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」 「解決者でも何でも、今更そんな事を気にしたって仕方がないわ」 「口ではそうも云えるが、いざと云う場合になると困るのは眼に見えています」  三千代は少し色を変えた。 「今貴方の御父様の御話を伺ってみると、こうなるのは始めから解ってるじゃありませんか。貴方だって、その位な事は疾うから気が付いていらっしゃる筈だと思いますわ」  代助は返事が出来なかった。頭を抑えて、 「少し脳がどうかしているんだ」と独り言の様に云った。三千代は少し涙ぐんだ。 「もし、それが気になるなら、私の方はどうでも宜う御座んすから、御父様と仲直りをなすって、今まで通り御交際になったら好いじゃありませんか」  代助は急に三千代の手頸を握ってそれを振る様に力を入れて云った。―― 「そんな事を為る気なら始めから心配をしやしない。ただ気の毒だから貴方に詫るんです」 「詫まるなんて」と三千代は声を顫わしながら遮った。「私が源因でそうなったのに、貴方に詫まらしちゃ済まないじゃありませんか」  三千代は声を立てて泣いた。代助は慰撫める様に、 「じゃ我慢しますか」と聞いた。 「我慢はしません。当り前ですもの」 「これから先まだ変化がありますよ」 「ある事は承知しています。どんな変化があったって構やしません。私はこの間から、――この間から私は、もしもの事があれば、死ぬ積りで覚悟を極めているんですもの」  代助は慄然として戦いた。 「貴方はこれから先どうしたら好いと云う希望はありませんか」と聞いた。 「希望なんか無いわ。何でも貴方の云う通りになるわ」 「漂泊――」 「漂泊でも好いわ。死ねと仰しゃれば死ぬわ」  代助は又ぞっとした。 「このままでは」 「このままでも構わないわ」 「平岡君は全く気が付いていない様ですか」 「気が付いているかも知れません。けれども私もう度胸を据えているから大丈夫なのよ。だって何時殺されたって好いんですもの」 「そう死ぬの殺されるのと安っぽく云うものじゃない」 「だって、放って置いたって、永く生きられる身体じゃないじゃありませんか」  代助は硬くなって、竦むが如く三千代を見詰めた。三千代は歇私的里の発作に襲われた様に思い切って泣いた。  一仕切経つと、発作は次第に収まった。後は例の通り静かな、しとやかな、奥行のある、美くしい女になった。眉のあたりが殊に晴々しく見えた。その時代助は、 「僕が自分で平岡君に逢って解決を付けても宜う御座んすか」と聞いた。 「そんな事が出来て」と三千代は驚ろいた様であった。代助は、 「出来る積りです」と確り答えた。 「じゃ、どうでも」と三千代が云った。 「そうしましょう。二人が平岡君を欺いて事をするのは可くない様だ。無論事実を能く納得出来る様に話すだけです。そうして、僕の悪い所はちゃんと詫まる覚悟です。その結果は僕の思う様に行かないかも知れない。けれどもどう間違ったって、そんな無暗な事は起らない様にする積りです。こう中途半端にしていては、御互も苦痛だし、平岡君に対しても悪い。ただ僕が思い切ってそうすると、あなたが、さぞ平岡君に面目なかろうと思ってね。其所が御気の毒なんだが、然し面目ないと云えば、僕だって面目ないんだから。自分の所為に対しては、如何に面目なくっても、徳義上の責任を負うのが当然だとすれば、外に何等の利益がないとしても、御互の間に有た事だけは平岡君に話さなければならないでしょう。その上今の場合ではこれからの所置を付ける大事の自白なんだから、猶更必要になると思います」 「能く解りましたわ。どうせ間違えば死ぬ積りなんですから」 「死ぬなんて。――よし死ぬにしたって、これから先どの位間があるか――又そんな危険がある位なら、なんで平岡君に僕から話すもんですか」  三千代は又泣き出した。 「じゃ能く詫ります」  代助は日の傾くのを待って三千代を帰した。然しこの前の時の様に送っては行かなかった。一時間程書斎の中で蝉の声を聞いて暮した。三千代に逢って自分の未来を打ち明けてから、気分がさっぱりした。平岡へ手紙を書いて、会見の都合を聞き合せ様として、筆を持ってみたが、急に責任の重いのが苦になって、拝啓以後を書き続ける勇気が出なかった。卒然、襯衣一枚になって素足で庭へ飛び出した。三千代が帰る時は正体なく午睡をしていた門野が、 「まだ早いじゃありませんか。日が当っていますぜ」と云いながら、坊主頭を両手で抑えて縁端にあらわれた。代助は返事もせずに、庭の隅へ潜り込んで竹の落葉を前の方へ掃き出した。門野も已を得ず着物を脱いで下りて来た。  狭い庭だけれども、土が乾いているので、たっぷり濡らすには大分骨が折れた。代助は腕が痛いと云って、好加減にして足を拭いて上った。烟草を吹いて、縁側に休んでいると、門野がその姿を見て、 「先生心臓の鼓動が少々狂やしませんか」と下から調戯った。  晩には門野を連れて、神楽坂の縁日へ出掛けて、秋草を二鉢三鉢買って来て、露の下りる軒の外へ並べて置いた。夜は深く空は高かった。星の色は濃く繁く光った。  代助はその晩わざと雨戸を引かずに寐た。無用心と云う恐れが彼の頭には全く無かった。彼は洋燈を消して、蚊帳の中に独り寐転びながら、暗い所から暗い空を透かして見た。頭の中には昼の事が鮮かに輝いた。もう二三日のうちには最後の解決が出来ると思って幾度か胸を躍らせた。が、そのうち大いなる空と、大いなる夢のうちに、吾知らず吸収された。  翌日の朝彼は思い切って平岡に手紙を出した。ただ、内々で少し話したい事があるが、君の都合を知らせて貰いたい。此方は何時でも差支ない。と書いただけだが、彼はわざとそれを封書にした。状袋の糊を湿めして、赤い切手をとんと張った時には、愈クライシスに証券を与えた様な気がした。彼は門野に云い付けて、この運命の使を郵便函に投げ込ました。手渡しにする時、少し手先が顫えたが、渡したあとでは却って茫然として自失した。三年前三千代と平岡の間に立って斡旋の労を取った事を追想するとまるで夢の様であった。  翌日は平岡の返事を心待に待ち暮らした。その明る日も当にして終日宅にいた。三日四日と経った。が、平岡からは何の便もなかった。その中例月の通り、青山へ金を貰いに行くべき日が来た。代助の懐中は甚だ手薄になった。代助はこの前父に逢った時以後、もう宅からは補助を受けられないものと覚悟を極めていた。今更平気な顔をして、のそのそ出掛て行く了見はまるでなかった。何二カ月や三カ月は、書物か衣類を売り払ってもどうかなると腹の中で高を括って落ち付いていた。事の落着次第緩くり職業を探すと云う分別もあった。彼は平生から人のよく口癖にする、人間は容易な事で餓死するものじゃない、どうにかなって行くものだと云う半諺の真理を、経験しない前から信じ出した。  五日目に暑を冒して、電車へ乗って、平岡の社まで出掛けて行ってみて、平岡は二三日出社しないと云う事が分った。代助は表へ出て薄汚ない編輯局の窓を見上げながら、足を運ぶ前に、一応電話で聞き合すべき筈だったと思った。先達ての手紙は、果して平岡の手に渡ったかどうか、それさえ疑わしくなった。代助はわざと新聞社宛でそれを出したからである。帰りに神田へ廻って、買いつけの古本屋に、売払いたい不用の書物があるから、見に来てくれろと頼んだ。  その晩は水を打つ勇気も失せて、ぼんやり、白い網襯衣を着た門野の姿を眺めていた。 「先生今日は御疲ですか」と門野がバケツを鳴らしながら云った。代助の胸は不安に圧されて、明らかな返事も出なかった。夕食のとき、飯の味は殆んどなかった。呑み込む様に咽喉を通して、箸を投げた。門野を呼んで、 「君、平岡の所へ行ってね、先達ての手紙は御覧になりましたか。御覧になったら、御返事を願いますって、返事を聞いて来てくれたまえ」と頼んだ。猶要領を得ぬ恐がありそうなので、先達てこれこれの手紙を新聞社の方へ出して置いたのだと云う事まで説明して聞かした。  門野を出した後で、代助は縁側に出て、椅子に腰を掛けた。門野の帰った時は、洋燈を吹き消して、暗い中に凝としていた。門野は暗がりで、 「行って参りました」と挨拶をした。「平岡さんは御居ででした。手紙は御覧になったそうです。明日の朝行くからという事です」 「そうかい、御苦労さま」と代助は答えた。 「実はもっと早く出るんだったが、うちに病人が出来たんで遅くなったから、宜しく云ってくれろと云われました」 「病人?」と代助は思わず問い返した。門野は暗い中で、 「ええ、何でも奥さんが御悪い様です」と答えた。門野の着ている白地の浴衣だけがぼんやり代助の眼に入った。夜の明りは二人の顔を照らすには余り不充分であった。代助は掛けている籐椅子の肱掛を両手で握った。 「余程悪いのか」と強く聞いた。 「どうですか、能く分りませんが。何でもそう軽そうでもない様でした。然し平岡さんが明日御出になられる位なんだから、大した事じゃないでしょう」  代助は少し安心した。 「何だい。病気は」 「つい聞き落しましたがな」  二人の問答はそれで絶えた。門野は暗い廊下を引き返して、自分の部屋へ這入った。静かに聞いていると、しばらくして、洋燈の蓋をホヤに打つける音がした。門野は灯火を点けたと見えた。  代助は夜の中に猶凝としていた。凝としていながら、胸がわくわくした。握っている肱掛に、手から膏が出た。代助は又手を鳴らして門野を呼び出した。門野のぼんやりした白地が又廊下のはずれに現われた。 「まだ暗闇ですな。洋燈を点けますか」と聞いた。代助は洋燈を断って、もう一度、三千代の病気を尋ねた。看護婦の有無やら、平岡の様子やら、新聞社を休んだのは、細君の病気の為だか、どうだか、と云う点に至るまで、考えられるだけ問い尽した。けれども門野の答は必竟前と同じ事を繰り返すのみであった。でなければ、好加減な当ずっぽうに過ぎなかった。それでも、代助には一人で黙っているよりも堪え易かった。  寐る前に門野が夜中投函から手紙を一本出して来た。代助は暗い中でそれを受取ったまま、別に見ようともしなかった。門野は、 「御宅からの様です、灯火を持って来ましょうか」と促がす如くに注意した。  代助は始めて洋燈を書斎に入れさして、その下で、状袋の封を切った。手紙は梅子から自分に宛てた可なり長いものであった。―― 「この間から奥さんの事で貴方もさぞ御迷惑なすったろう。此方でも御父様始め兄さんや、私は随分心配をしました。けれどもその甲斐もなく先達て御出の時、とうとう御父さんに断然御断りなすった御様子、甚だ残念ながら、今では仕方がないと諦らめています。けれどもその節御父様は、もう御前の事は構わないから、その積りでいろと御怒りなされた由、後で承りました。その後あなたが御出にならないのも、全くその為じゃなかろうかと思っています。例月のものを上げる日にはどうかとも思いましたが、やはり御出にならないので、心配しています。御父さんは打遣って置けと仰います。兄さんは例の通り呑気で、困ったらその内来るだろう。その時親爺によく詫らせるが可い。もし来ない様だったら、おれの方から行ってよく異見してやると云っています。けれども、結婚の事は三人とももう断念しているんですから、その点では御迷惑になる様な事はありますまい。尤も御父さんは未だ怒って御出の様子です。私の考では当分昔の通りになる事は、むずかしいと思います。それを考えると、貴方がいらっしゃらない方が却って貴方の為に宜いかも知れません。ただ心配になるのは月々上げる御金の事です。貴方の事だから、そう急に自分で御金を取る気遣はなかろうと思うと、差し当り御困りになるのが眼の前に見える様で、御気の毒で堪りません。で、私の取計らいで例月分を送って上げるから、御受取の上はこれで来月まで持ち応えていらっしゃい。その内には御父さんの御機嫌も直るでしょう。又兄さんからも、そう云って頂く積りです。私も好い折があれば、御詫をして上げます。それまでは今まで通り遠慮していらっしゃる方が宜う御座います。……」  まだ後が大分あったが、女の事だから、大抵は重複に過ぎなかった。代助は中に這入っていた小切手を引き抜いて、手紙だけをもう一遍よく読み直した上、丁寧に元の如くに巻き収めて、無言の感謝を改めて嫂に致した。梅子よりと書いた字は寧ろ拙であった。手紙の体の言文一致なのは、かねて代助の勧めた通りを用いたのであった。  代助は洋燈の前にある封筒を、猶つくづくと眺めた。古い寿命が又一カ月延びた。晩かれ早かれ、自己を新たにする必要のある代助には、嫂の志は難有いにもせよ、却って毒になるばかりであった。ただ平岡と事を決する前は、麺麭の為に働らく事を肯わぬ心を持っていたから、嫂の贈物が、この際糧食としてことに彼には貴とかった。  その晩も蚊帳へ這入る前にふっと、洋燈を消した。雨戸は門野が立てに来たから、故障も云わずに、そのままにして置いた。硝子戸だから、戸越しにも空は見えた。ただ昨夕より暗かった。曇ったのかと思って、わざわざ縁側まで出て、透かす様にして軒を仰ぐと、光るものが筋を引いて斜めに空を流れた。代助は又蚊帳を捲って這入った。寐付かれないので団扇をはたはた云わせた。  家の事はさのみ気に掛からなかった。職業もなるがままになれと度胸を据えた。ただ三千代の病気と、その源因とその結果が、ひどく代助の頭を悩ました。それから平岡との会見の様子も、様々に想像してみた。それも一方ならず彼の脳髄を刺激した。平岡は明日の朝九時頃あんまり暑くならないうちに来るという伝言であった。代助は固より、平岡に向ってどう切り出そうなどと形式的の文句を考える男ではなかった。話す事は始めから極っていて、話す順序はその時の模様次第だから、決して心配にはならなかったが、ただなるべく穏かに自分の思う事が向うに徹する様にしたかった。それで過度の興奮を忌んで、一夜の安静を切に冀った。なるべく熟睡したいと心掛けて瞼を合せたが、生憎眼が冴えて昨夕よりは却って寐苦しかった。その内夏の夜がぽうと白み渡って来た。代助は堪りかねて跳ね起きた。跣足で庭先へ飛び下りて冷たい露を存分に踏んだ。それから又縁側の籐椅子に倚って、日の出を待っているうちに、うとうとした。  門野が寐惚け眼を擦りながら、雨戸を開けに出た時、代助ははっとして、この仮睡から覚めた。世界の半面はもう赤い日に洗われていた。 「大変御早うがすな」と門野が驚ろいて云った。代助はすぐ風呂場へ行って水を浴びた。朝飯は食わずに只紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、殆んど何が書いてあるか解らなかった。読むに従って、読んだ事が群がって消えて行った。ただ時計の針ばかりが気になった。平岡が来るまでにはまだ二時間あまりあった。代助はその間をどうして暮らそうかと思った。凝としてはいられなかった。けれども何をしても手に付かなかった。せめてこの二時間をぐっと寐込んで、眼を開けて見ると、自分の前に平岡が来ている様にしたかった。  仕舞に何か用事を考え出そうとした。不図机の上に乗せてあった梅子の封筒が眼に付いた。代助はこれだと思って、強いて机の前に坐って、嫂へ謝状を書いた。なるべく叮嚀に書く積りであったが、状袋へ入れて宛名まで認めてしまって、時計を眺めると、たった十五分程しか経っていなかった。代助は席に着いたまま、安からぬ眼を空に据えて、頭の中で何か捜す様に見えた。が、急に起った。 「平岡が来たら、すぐ帰るからって、少し待たして置いてくれ」と門野に云い置いて表へ出た。強い日が正面から射竦める様な勢で、代助の顔を打った。代助は歩きながら絶えず眼と眉を動かした。牛込見附を這入って、飯田町を抜けて、九段坂下へ出て、昨日寄った古本屋まで来て、 「昨日不要の本を取りに来てくれと頼んで置いたが、少し都合があって見合せる事にしたから、その積りで」と断った。帰りには、暑さが余り酷かったので、電車で飯田橋へ回って、それから揚場を筋違に毘沙門前へ出た。  家の前には車が一台下りていた。玄関には靴が揃えてあった。代助は門野の注意を待たないで、平岡の来ている事を悟った。汗を拭いて、着物を洗い立ての浴衣に改めて、座敷へ出た。 「いや、御使で」と平岡が云った。やはり洋服を着て、蒸される様に扇を使った。 「どうも暑い所を」と代助も自から表立た言葉遣をしなければならなかった。  二人はしばらく時候の話をした。代助はすぐ三千代の様子を聞いてみたかった。然しそれがどう云うものか聞き悪かった。その内通例の挨拶も済んでしまった。話は呼び寄せた方から、切り出すのが順当であった。 「三千代さんは病気だってね」 「うん。それで社の方も二三日休ませられた様な訳で。つい君の所へ返事を出すのも忘れてしまった」 「そりゃどうでも構わないが、三千代さんはそれ程悪いのかい」  平岡は断然たる答を一言葉でなし得なかった。そう急にどうのこうのという心配もない様だが、決して軽い方ではないという意味を手短かに述べた。  この前暑い盛りに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄った明日の朝、三千代は平岡の社へ出掛ける世話をしていながら、突然夫の襟飾を持ったまま卒倒した。平岡も驚ろいて、自分の支度はそのままに三千代を介抱した。十分の後三千代はもう大丈夫だから社へ出てくれと云い出した。口元には微笑の影さえ見えた。横にはなっていたが、心配する程の様子もないので、もし悪い様だったら医者を呼ぶ様に、必要があったら社へ電話を掛ける様に云い置いて平岡は出勤した。その晩は遅く帰った。三千代は心持が悪いといって先へ寐ていた。どんな具合かと聞いても、判然した返事をしなかった。翌日朝起きて見ると三千代の色沢が非常に可くなかった。平岡は寧ろ驚ろいて医者を迎えた。医者は三千代の心臓を診察して眉をひそめた。卒倒は貧血の為だと云った。随分強い神経衰弱に罹っていると注意した。平岡はそれから社を休んだ。本人は大丈夫だから出てくれろと頼む様に云ったが、平岡は聞かなかった。看護をしてから二日目の晩に、三千代が涙を流して、是非詫まらなければならない事があるから、代助の所へ行ってその訳を聞いてくれろと夫に告げた。平岡は始めてそれを聞いた時には、本当にしなかった。脳の加減が悪いのだろうと思って、好し好しと気休めを云って慰めていた。三日目にも同じ願が繰り返された。その時平岡は漸やく三千代の言葉に一種の意味を認めた。すると夕方になって、門野が代助から出した手紙の返事を聞きにわざわざ小石川まで遣って来た。 「君の用事と三千代の云う事と何か関係があるのかい」と平岡は不思議そうに代助を見た。  平岡の話は先刻から深い感動を代助に与えていたが、突然この思わざる問に来た時、代助はぐっと詰った。平岡の問は実に意表に、無邪気に、代助の胸に応えた。彼は何時になく少し赤面して俯向いた。然し再顔を上げた時は、平生の通り静かな悪びれない態度を回復していた。 「三千代さんの君に詫まる事と、僕の君に話したい事とは、恐らく大いなる関係があるだろう。或は同じ事かも知れない。僕はどうしても、それを君に話さなければならない。話す義務があると思うから話すんだから、今日までの友誼に免じて、快よく僕に僕の義務を果さしてくれ給え」 「何だい。改たまって」と平岡は始めて眉を正した。 「いや前置をすると言訳らしくなって不可ないから、僕もなるべくなら率直に云ってしまいたいのだが、少し重大な事件だし、それに習慣に反した嫌もあるので、若し中途で君に激されてしまうと、甚だ困るから、是非仕舞まで君に聞いて貰いたいと思って」 「まあ何だい。その話と云うのは」  好奇心と共に平岡の顔が益真面目になった。 「その代り、みんな話した後で、僕はどんな事を君から云われても、やはり大人しく仕舞まで聞く積りだ」  平岡は何にも云わなかった。ただ眼鏡の奥から大きな眼を代助の上に据えた。外はぎらぎらする日が照り付けて、縁側まで射返したが、二人は殆んど暑さを度外に置いた。  代助は一段声を潜めた。そうして、平岡夫婦が東京へ来てから以来、自分と三千代との関係がどんな変化を受けて、今日に至ったかを、詳しく語り出した。平岡は堅く唇を結んで代助の一語一句に耳を傾けた。代助は凡てを語るに約一時間余を費やした。その間に平岡から四遍程極めて単簡な質問を受けた。 「ざっとこう云う経過だ」と説明の結末を付けた時、平岡はただ唸る様に深い溜息を以て代助に答えた。代助は非常に酷かった。 「君の立場から見れば、僕は君を裏切りした様に当る。怪しからん友達だと思うだろう。そう思われても一言もない。済まない事になった」 「すると君は自分のした事を悪いと思ってるんだね」 「無論」 「悪いと思いながら今日まで歩を進めて来たんだね」と平岡は重ねて聞いた。語気は前よりも稍切迫していた。 「そうだ。だから、この事に対して、君の僕等に与えようとする制裁は潔よく受ける覚悟だ。今のはただ事実をそのままに話しただけで、君の処分の材料にする考だ」  平岡は答えなかった。しばらくしてから、代助の前へ顔を寄せて云った。 「僕の毀損された名誉が、回復出来る様な手段が、世の中にあり得ると、君は思っているのか」  今度は代助の方が答えなかった。 「法律や社会の制裁は僕には何にもならない」と平岡は又云った。 「すると君は当時者だけのうちで、名誉を回復する手段があるかと聞くんだね」 「そうさ」 「三千代さんの心機を一転して、君を元よりも倍以上に愛させる様にして、その上僕を蛇蝎の様に悪ませさえすれば幾分か償にはなる」 「それが君の手際で出来るかい」 「出来ない」と代助は云い切った。 「すると君は悪いと思ってる事を今日まで発展さして置いて、猶その悪いと思う方針によって、極端まで押して行こうとするのじゃないか」 「矛盾かも知れない。然しそれは世間の掟と定めてある夫婦関係と、自然の事実として成り上がった夫婦関係とが一致しなかったと云う矛盾なのだから仕方がない。僕は世間の掟として、三千代さんの夫たる君に詫まる。然し僕の行為その物に対しては矛盾も何も犯していない積りだ」 「じゃ」と平岡は稍声を高めた。「じゃ、僕等二人は世間の掟に叶う様な夫婦関係は結べないと云う意見だね」  代助は同情のある気の毒そうな眼をして平岡を見た。平岡の険しい眉が少し解けた。 「平岡君。世間から云えば、これは男子の面目に関わる大事件だ。だから君が自己の権利を維持する為に、――故意に維持しようと思わないでも、暗にその心が働らいて、自然と激して来るのは已を得ないが、――けれども、こんな関係の起らない学校時代の君になって、もう一遍僕の云う事をよく聞いてくれないか」  平岡は何とも云わなかった。代助も一寸控えていた。烟草を一吹吹いた後で、思い切って、 「君は三千代さんを愛していなかった」と静かに云った。 「そりゃ」 「そりゃ余計な事だけれども、僕は云わなければならない。今度の事件に就て凡ての解決者はそれだろうと思う」 「君には責任がないのか」 「僕は三千代さんを愛している」 「他の妻を愛する権利が君にあるか」 「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件じゃない人間だから、心まで所有する事は誰にも出来ない。本人以外にどんなものが出て来たって、愛情の増減や方向を命令する訳には行かない。夫の権利は其所までは届きやしない。だから細君の愛を他へ移さない様にするのが、却って夫の義務だろう」 「よし僕が君の期待する通り三千代を愛していなかった事が事実だとしても」と平岡は強いて己を抑える様に云った。拳を握っていた。代助は相手の言葉の尽きるのを待った。 「君は三年前の事を覚えているだろう」と平岡は又句を更えた。 「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」 「そうだ。その時の記憶が君の頭の中に残っているか」  代助の頭は急に三年前に飛び返った。当時の記憶が、闇を回る松明の如く輝いた。 「三千代を僕に周旋しようと云い出したものは君だ」 「貰いたいと云う意志を僕に打ち明けたものは君だ」 「それは僕だって忘れやしない。今に至るまで君の厚意を感謝している」  平岡はこう云って、しばらく冥想していた。 「二人で、夜上野を抜けて谷中へ下りる時だった。雨上りで谷中の下は道が悪かった。博物館の前から話しつづけて、あの橋の所まで来た時、君は僕の為に泣いてくれた」  代助は黙然としていた。 「僕はその時程朋友を難有いと思った事はない。嬉しくってその晩は少しも寐られなかった。月のある晩だったので、月の消えるまで起きていた」 「僕もあの時は愉快だった」と代助が夢の様に云った。それを平岡は打ち切る勢で遮った。―― 「君は何だって、あの時僕の為に泣いてくれたのだ。なんだって、僕の為に三千代を周旋しようと盟ったのだ。今日の様な事を引き起す位なら、何故あの時、ふんと云ったなり放って置いてくれなかったのだ。僕は君からこれ程深刻な復讎を取られる程、君に向って悪い事をした覚がないじゃないか」  平岡は声を顫わした。代助の蒼い額に汗の珠が溜った。そうして訴える如くに云った。 「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたのだよ」  平岡は茫然として、代助の苦痛の色を眺めた。 「その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶えるのが、友達の本分だと思った。それが悪かった。今位頭が熟していれば、まだ考え様があったのだが、惜しい事に若かったものだから、余りに自然を軽蔑し過ぎた。僕はあの時の事を思っては、非常な後悔の念に襲われている。自分の為ばかりじゃない。実際君の為に後悔している。僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然に復讎を取られて、君の前に手を突いて詫まっている」  代助は涙を膝の上に零した。平岡の眼鏡が曇った。 「どうも運命だから仕方がない」  平岡は呻吟く様な声を出した。二人は漸く顔を見合せた。 「善後策に就て君の考があるなら聞こう」 「僕は君の前に詫まっている人間だ。此方から先へそんな事を云い出す権利はない。君の考えから聞くのが順だ」と代助が云った。 「僕には何にもない」と平岡は頭を抑えていた。 「では云う。三千代さんをくれないか」と思い切った調子に出た。  平岡は頭から手を離して、肱を棒の様に洋卓の上に倒した。同時に、 「うん遣ろう」と云った。そうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。 「遣る。遣るが、今は遣れない。僕は君の推察通りそれ程三千代を愛していなかったかも知れない。けれども悪んじゃいなかった。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方じゃない。寐ている病人を君に遣るのは厭だ。病気が癒るまで君に遣れないとすれば、それまでは僕が夫だから、夫として看護する責任がある」 「僕は君に詫った。三千代さんも君に詫まっている。君から云えば二人とも、不埒な奴には相違ないが、――幾何詫まっても勘弁出来んかも知れないが、――何しろ病気をして寐ているんだから」 「それは分っている。本人の病気に付け込んで僕が意趣晴らしに、虐待するとでも思ってるんだろうが、僕だって、まさか」  代助は平岡の言葉を信じた。そうして腹の中で平岡に感謝した。平岡は次にこう云った。 「僕は今日の事がある以上は、世間的の夫の立場からして、もう君と交際する訳には行かない。今日限り絶交するからそう思ってくれたまえ」 「仕方がない」と代助は首を垂れた。 「三千代の病気は今云う通り軽い方じゃない。この先どんな変化がないとも限らない。君も心配だろう。然し絶交した以上は已を得ない。僕の在不在に係わらず、宅へ出入りする事だけは遠慮して貰いたい」 「承知した」と代助はよろめく様に云った。その頬は益蒼かった。平岡は立ち上がった。 「君、もう五分ばかり坐ってくれ」と代助が頼んだ。平岡は席に着いたまま無言でいた。 「三千代さんの病気は、急に危険な虞でもありそうなのかい」 「さあ」 「それだけ教えてくれないか」 「まあ、そう心配しないでも可いだろう」  平岡は暗い調子で、地に息を吐く様に答えた。代助は堪えられない思いがした。 「もしだね。もし万一の事がありそうだったら、その前にたった一遍だけで可いから、逢わしてくれないか。外には決して何も頼まない。ただそれだけだ。それだけをどうか承知してくれたまえ」  平岡は口を結んだなり、容易に返事をしなかった。代助は苦痛の遣り所がなくて、両手の掌を、垢の綯れる程揉んだ。 「それはまあその時の場合にしよう」と平岡が重そうに答えた。 「じゃ、時々病人の様子を聞きに遣っても可いかね」 「それは困るよ。君と僕とは何にも関係がないんだから。僕はこれから先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時だけだと思ってるんだから」  代助は電流に感じた如く椅子の上で飛び上がった。 「あっ。解った。三千代さんの死骸だけを僕に見せる積りなんだ。それは苛い。それは残酷だ」  代助は洋卓の縁を回って、平岡に近づいた。右の手で平岡の脊広の肩を抑えて、前後に揺りながら、 「苛い、苛い」と云った。  平岡は代助の眼のうちに狂える恐ろしい光を見出した。肩を揺られながら、立ち上がった。 「そんな事があるものか」と云って代助の手を抑えた。二人は魔に憑かれた様な顔をして互を見た。 「落ち付かなくっちゃ不可ない」と平岡が云った。 「落ち付いている」と代助が答えた。けれどもその言葉は喘ぐ息の間を苦しそうに洩れて出た。  暫らくして発作の反動が来た。代助は己れを支うる力を用い尽した人の様に、又椅子に腰を卸した。そうして両手で顔を抑えた。 十七  代助は夜の十時過になって、こっそり家を出た。 「今から何方へ」と驚ろいた門野に、 「何一寸」と曖昧な答をして、寺町の通りまで来た。暑い時分の事なので、町はまだ宵の口であった。浴衣を着た人が幾人となく代助の前後を通った。代助にはそれが唯動くものとしか見えなかった。左右の店は悉く明るかった。代助は眩しそうに、電気燈の少ない横町へ曲った。江戸川の縁へ出た時、暗い風が微かに吹いた。黒い桜の葉が少し動いた。橋の上に立って、欄干から下を見下していたものが二人あった。金剛寺坂でも誰にも逢わなかった。岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道を塞いでいた。  平岡の住んでいる町は、猶静かであった。大抵な家は灯影を洩らさなかった。向うから来た一台の空車の輪の音が胸を躍らす様に響いた。代助は平岡の家の塀際まで来て留った。身を寄せて中を窺うと、中は暗かった。立て切った門の上に、軒燈が空しく標札を照らしていた。軒燈の硝子に守宮の影が斜めに映った。  代助は今朝も此所へ来た。午からも町内を彷徨いた。下女が買物にでも出る所を捕まえて、三千代の容体を聞こうかと思った。然し下女は遂に出て来なかった。平岡の影も見えなかった。塀の傍に寄って耳を澄ましても、それらしい人声は聞えなかった。医者を突き留めて、詳しい様子を探ろうと思ったが、医者らしい車は平岡の門前には留らなかった。そのうち、強い日に射付けられた頭が、海の様に動き始めた。立ち留まっていると、倒れそうになった。歩き出すと、大地が大きな波紋を描いた。代助は苦しさを忍んで這う様に家へ帰った。夕食も食わずに倒れたなり動かずにいた。その時恐るべき日は漸く落ちて、夜が次第に星の色を濃くした。代助は暗さと涼しさのうちに始めて蘇生った。そうして頭を露に打たせながら、又三千代のいる所まで遣って来たのである。  代助は三千代の門前を二三度行ったり来たりした。軒燈の下へ来るたびに立ち留まって、耳を澄ました。五分乃至十分は凝としていた。しかし家の中の様子はまるで分らなかった。凡てが寂としていた。  代助が軒燈の下へ来て立ち留まるたびに、守宮が軒燈の硝子にぴたりと身体を貼り付けていた。黒い影は斜に映ったまま何時でも動かなかった。  代助は守宮に気が付く毎に厭な心持がした。その動かない姿が妙に気に掛った。彼の精神は鋭さの余りから来る迷信に陥った。三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつつあると想像した。三千代は今死につつあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一遍自分に逢いたがって、死に切れずに息を偸んで生きていると想像した。代助は拳を固めて、割れる程平岡の門を敲かずにはいられなくなった。忽ち自分は平岡のものに指さえ触れる権利がない人間だと云う事に気が付いた。代助は恐ろしさの余り馳け出した。静かな小路の中に、自分の足音だけが高く響いた。代助は馳けながら猶恐ろしくなった。足を緩めた時は、非常に呼息が苦しくなった。  道端に石段があった。代助は半ば夢中で其所へ腰を掛けたなり、額を手で抑えて、固くなった。しばらくして、閉さいだ眼を開けて見ると、大きな黒い門があった。門の上から太い松が生垣の外まで枝を張っていた。代助は寺の這入り口に休んでいた。  彼は立ち上がった。惘然として又歩き出した。少し来て、再び平岡の小路へ這入った。夢の様に軒燈の前で立留まった。守宮はまだ一つ所に映っていた。代助は深い溜息を洩らして遂に小石川を南側へ降りた。  その晩は火の様に、熱くて赤い旋風の中に、頭が永久に回転した。代助は死力を尽して、旋風の中から逃れ出ようと争った。けれども彼の頭は毫も彼の命令に応じなかった。木の葉の如く、遅疑する様子もなく、くるりくるりとの風に巻かれて行った。  翌日は又燬け付く様に日が高く出た。外は猛烈な光で一面にいらいらし始めた。代助は我慢して八時過に漸く起きた。起きるや否や眼がぐらついた。平生の如く水を浴びて、書斎へ這入って凝と竦んだ。  所へ門野が来て、御客さまですと知らせたなり、入口に立って、驚ろいた様に代助を見た。代助は返事をするのも退儀であった。客は誰だと聞き返しもせずに手で支えたままの顔を、半分ばかり門野の方へ向き易えた。その時客の足音が縁側にして、案内も待たずに兄の誠吾が這入って来た。 「やあ、此方へ」と席を勧めたのが代助にはようようであった。誠吾は席に着くや否や、扇子を出して、上布の襟を開く様に、風を送った。この暑さに脂肪が焼けて苦しいと見えて、荒い息遣をした。 「暑いな」と云った。 「御宅でも別に御変りもありませんか」と代助は、さも疲れ果てた人の如くに尋ねた。  二人は少時例の通りの世間話をした。代助の調子態度は固より尋常ではなかった。けれども兄は決してどうしたとも聞かなかった。話の切れ目へ来た時、 「今日は実は」と云いながら、懐へ手を入れて、一通の手紙を取り出した。 「実は御前に少し聞きたい事があって来たんだがね」と封筒の裏を代助の方へ向けて、 「この男を知ってるかい」と聞いた。其所には平岡の宿所姓名が自筆で書いてあった。 「知ってます」と代助は殆んど器械的に答えた。 「元、御前の同級生だって云うが、本当か」 「そうです」 「この男の細君も知ってるのかい」 「知っています」  兄は又扇を取り上げて、二三度ぱちぱちと鳴らした。それから、少し前へ乗り出す様に、声を一段落した。 「この男の細君と、御前が何か関係があるのかい」  代助は始めから万事を隠す気はなかった。けれどもこう単簡に聞かれたときに、どうしてこの複雑な経過を、一言で答え得るだろうと思うと、返事は容易に口へは出なかった。兄は封筒の中から、手紙を取り出した。それを四五寸ばかり捲き返して、 「実は平岡と云う人が、こう云う手紙を御父さんの所へ宛て寄こしたんだがね。――読んでみるか」と云って、代助に渡した。代助は黙って手紙を受取って、読み始めた。兄は凝と代助の額の所を見詰めていた。  手紙は細かい字で書いてあった。一行二行と読むうちに、読み終った分が、代助の手先から長く垂れた。それが二尺余になっても、まだ尽きる気色はなかった。代助の眼はちらちらした。頭が鉄の様に重かった。代助は強いても仕舞まで読み通さなければならないと考えた。総身が名状しがたい圧迫を受けて、腋の下から汗が流れた。漸く結末へ来た時は、手に持った手紙を巻き納める勇気もなかった。手紙は広げられたまま洋卓の上に横わった。 「其所に書いてある事は本当なのかい」と兄が低い声で聞いた。代助はただ、 「本当です」と答えた。兄は打衝を受けた人の様に一寸扇の音を留めた。しばらくは二人とも口を聞き得なかった。良あって兄が、 「まあ、どう云う了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」と呆れた調子で云った。代助は依然として、口を開かなかった。 「どんな女だって、貰おうと思えば、いくらでも貰えるじゃないか」と兄がまた云った。代助はそれでも猶黙っていた。三度目に兄がこう云った。―― 「御前だって満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今まで折角金を使った甲斐がないじゃないか」  代助は今更兄に向って、自分の立場を説明する勇気もなかった。彼はついこの間まで全く兄と同意見であったのである。 「姉さんは泣いているぜ」と兄が云った。 「そうですか」と代助は夢の様に答えた。 「御父さんは怒っている」  代助は答をしなかった。ただ遠い所を見る眼をして、兄を眺めていた。 「御前は平生から能く分らない男だった。それでも、いつか分る時機が来るだろうと思って今日まで交際っていた。然し今度と云う今度は、全く分らない人間だと、おれも諦らめてしまった。世の中に分らない人間程危険なものはない。何を為るんだか、何を考えているんだか安心が出来ない。御前はそれが自分の勝手だから可かろうが、御父さんやおれの、社会上の地位を思ってみろ。御前だって家族の名誉と云う観念は有っているだろう」  兄の言葉は、代助の耳を掠めて外へ零れた。彼はただ全身に苦痛を感じた。けれども兄の前に良心の鞭撻を蒙る程動揺してはいなかった。凡てを都合よく弁解して、世間的の兄から、今更同情を得ようと云う芝居気は固より起らなかった。彼は彼の頭の中に、彼自身に正当な道を歩んだという自信があった。彼はそれで満足であった。その満足を理解してくれるものは三千代だけであった。三千代以外には、父も兄も社会も人間も悉く敵であった。彼等は赫々たる炎火の裡に、二人を包んで焼き殺そうとしている。代助は無言のまま、三千代と抱き合って、このの風に早く己れを焼き尽すのを、この上もない本望とした。彼は兄には何の答もしなかった。重い頭を支えて石の様に動かなかった。 「代助」と兄が呼んだ。「今日はおれは御父さんの使に来たのだ。御前はこの間から家へ寄り付かない様になっている。平生なら御父さんが呼び付けて聞き糺す所だけれども、今日は顔を見るのが厭だから、此方から行って実否を確めて来いと云う訳で来たのだ。それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし。又弁解も何もない、平岡の云う所が一々根拠のある事実なら、――御父さんはこう云われるのだ。――もう生涯代助には逢わない。何処へ行って、何をしようと当人の勝手だ。その代り、以来子としても取り扱わない。又親とも思ってくれるな。――尤もの事だ。そこで今御前の話を聞いてみると、平岡の手紙には嘘は一つも書いてないんだから仕方がない。その上御前は、この事に就て後悔もしなければ、謝罪もしない様に見受けられる。それじゃ、おれだって、帰って御父さんに取り成し様がない。御父さんから云われた通りをそのまま御前に伝えて帰るだけの事だ。好いか。御父さんの云われる事は分ったか」 「よく分りました」と代助は簡明に答えた。 「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯向いたまま顔を上げなかった。 「愚図だ」と兄が又云った。「不断は人並以上に減らず口を敲く癖に、いざと云う場合には、まるで唖の様に黙っている。そうして、陰で親の名誉に関わる様な悪戯をしている。今日まで何の為に教育を受けたのだ」  兄は洋卓の上の手紙を取って自分で巻き始めた。静かな部屋の中に、半切の音がかさかさ鳴った。兄はそれを元の如くに封筒に納めて懐中した。 「じゃ帰るよ」と今度は普通の調子で云った。代助は叮嚀に挨拶をした。兄は、 「おれも、もう逢わんから」と云い捨てて玄関に出た。  兄の去った後、代助はしばらく元のままじっと動かずにいた。門野が茶器を取り片付けに来た時、急に立ち上がって、 「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と云うや否や、鳥打帽を被って、傘も指さずに日盛りの表へ飛び出した。  代助は暑い中を馳けないばかりに、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上から真直に射下した。乾いた埃が、火の粉の様に彼の素足を包んだ。彼はじりじりと焦る心持がした。 「焦る焦る」と歩きながら口の内で云った。  飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、 「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様に焙って来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。  忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりとの息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。 底本:「それから」新潮文庫、新潮社    1948(昭和23)年11月30日発行    2010(平成22)年8月25日136刷改版    2013(平成25)年2月15日141刷 初出:「東京朝日新聞」、「大阪朝日新聞」    1909(明治42)年6月27日~10月4日 入力:富田倫生 校正:松永佳代 2013年6月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 「土」に就て 「土」に就て 夏目漱石 「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。さうして其責任者は余であつた。所が不幸にも余は「土」の完結を見ないうちに病氣に罹つて、新聞を手にする自由を失つたぎり、又「土」の作者を思ひ出す機會を有たなかつた。  當初五六十囘の豫定であつた「土」は、同時に意外の長篇として發達してゐた。途中で話の緒口を忘れた余は、再びそれを取り上げて、矢鱈な區切から改めて讀み出す勇氣を鼓舞しにくかつたので、つい夫限に打ち遣つたやうなものゝ、腹のなかでは私かに作者の根氣と精力に驚ろいてゐた。「土」は何でも百五六十囘に至つて漸く結末に達したのである。  冷淡な世間と多忙な余は其後久しく「土」の事を忘れてゐた。所がある時此間亡くなつた池邊君に會つて偶然話頭が小説に及んだ折、池邊君は何故「土」は出版にならないのだらうと云つて、大分長塚君の作を褒めてゐた。池邊君は其當時「朝日」の主筆だつたので「土」は始から仕舞迄眼を通したのである。其上池邊君は自分で文學を知らないと云ひながら、其實摯實な批評眼をもつて「土」を根氣よく讀み通したのである。余は出版界の不景氣のために「土」の單行本が出る時機がまだ來ないのだらうと答へて置いた。其時心のうちでは、隨分「土」に比べると詰らないものも公けにされる今日だから、出來るなら何時か書物に纏めて置いたら作者の爲に好からうと思つたが、不親切な余は其日が過ぎると、又「土」の事を丸で忘れて仕舞つた。  すると此春になつて長塚君が突然尋ねて來て、漸く本屋が「土」を引受ける事になつたから、序を書いて呉れまいかといふ依頼である。余は其時自分の小説を毎日一囘づゝ書いてゐたので、「土」を讀み返す暇がなかつた。已を得ず自分の仕事が濟む迄待つてくれと答へた。すると長塚君は池邊君の序も欲しいから序でに紹介して貰ひたいと云ふので、余はすぐ承知した。余の名刺を持つて「土」の作者が池邊君の玄關に立つたのは、池邊君の母堂が死んで丁度三十五日に相當する日とかで、長塚君はたゞ立ちながら用事丈を頼んで歸つたさうであるが、それから三日して肝心の池邊君も突然亡くなつて仕舞つたから、同君の序はとう/\手に入らなかつたのである。  余は「彼岸過迄」を片付けるや否や前約を踏んで「土」の校正刷を讀み出した。思つたよりも長篇なので、前後半日と中一日を丸潰しにして漸く業を卒へて考へて見ると、中々骨の折れた作物である。余は元來が安價な人間であるから、大抵の人のものを見ると、すぐ感心したがる癖があるが、此「土」に於ても全くさうであつた。先づ何よりも先に、是は到底余に書けるものでないと思つた。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだらうと物色して見た。すると矢張誰にも書けさうにないといふ結論に達した。  尤も誰にも書けないと云ふのは、文を遣る技倆の點や、人間を活躍させる天賦の力を指すのではない。もし夫れ丈の意味で誰も長塚君に及ばないといふなら、一方では他の作家を侮辱した言葉にもなり、又一方では長塚君を擔ぎ過ぎる策略とも取れて、何方にしても作者の迷惑になる計である。余の誰も及ばないといふのは、作物中に書いてある事件なり天然なりが、まだ長塚君以外の人の研究に上つてゐないといふ意味なのである。 「土」の中に出て來る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、たゞ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同樣に憐れな百姓の生活である。先祖以來茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多數の小作人を使用する長塚君は、彼等の獸類に近き、恐るべく困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠實に此「土」の中に收め盡したのである。彼等の下卑で、淺薄で、迷信が強くて、無邪氣で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆んど余等(今の文壇の作家を悉く含む)の想像にさへ上りがたい所を、あり/\と眼に映るやうに描寫したのが「土」である。さうして「土」は長塚君以外に何人も手を著けられ得ない、苦しい百姓生活の、最も獸類に接近した部分を、精細に直叙したものであるから、誰も及ばないと云ふのである。  人事を離れた天然に就いても、前同樣の批評を如何な讀者も容易に肯はなければ濟まぬ程、作者は鬼怒川沿岸の景色や、空や、春や、秋や、雪や風を綿密に研究してゐる。畠のもの、畔に立つ榛の木、蛙の聲、鳥の音、苟くも彼の郷土に存在する自然なら、一點一畫の微に至る迄悉く其地方の特色を具へて叙述の筆に上つてゐる。だから何處に何う出て來ても必ず獨特である。其獨特な點を、普通の作家の手に成つた自然の描寫の平凡なのに比べて、余は誰も及ばないといふのである。余は彼の獨特なのに敬服しながら、そのあまりに精細過ぎて、話の筋を往々にして殺して仕舞ふ失敗を歎じた位、彼は精緻な自然の觀察者である。  作としての「土」は、寧ろ苦しい讀みものである。決して面白いから讀めとは云ひ惡い。第一に作中の人物の使ふ言葉が余等には餘り縁の遠い方言から成り立つてゐる。第二に結構が大きい割に、年代が前後數年にわたる割に、周圍に平たく發達したがる話が、筋をくつきりと描いて深くなりつゝ前へ進んで行かない。だから全體として讀者に加速度の興味を與へない。だから事件が錯綜纏綿して縺れながら讀者をぐい/\引込んで行くよりも、其地方の年中行事を怠りなく丹念に平叙して行くうちに、作者の拵らへた人物が斷續的に活躍すると云つた方が適當になつて來る。其所に聊か人を魅する牽引力を失ふ恐が潛んでゐるといふ意味でも讀みづらい。然し是等は單に皮相の意味に於て讀みづらいので、余の所謂讀みづらいといふ本意は、篇中の人物の心なり行なりが、たゞ壓迫と不安と苦痛を讀者に與へる丈で、毫も神の作つてくれた幸福な人間であるといふ刺戟と安慰を與へ得ないからである。悲劇は恐しいに違ない。けれども普通の悲劇のうちには悲しい以外に何かの償ひがあるので、讀者は涙の犧牲を喜こぶのである。が、「土」に至つては涙さへ出されない苦しさである。雨の降らない代りに生涯照りつこない天氣と同じ苦痛である。たゞ土の下へ心が沈む丈で、人情から云つても道義心から云つても、殆んど此壓迫の賠償として何物も與へられてゐない。たゞ土を掘り下げて暗い中へ落ちて行く丈である。 「土」を讀むものは、屹度自分も泥の中を引き摺られるやうな氣がするだらう。余もさう云ふ感じがした。或者は何故長塚君はこんな讀みづらいものを書いたのだと疑がふかも知れない。そんな人に對して余はたゞ一言、斯樣な生活をして居る人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舍に住んで居るといふ悲慘な事實を、ひしと一度は胸の底に抱き締めて見たら、公等の是から先の人生觀の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの參考として利益を與へはしまいかと聞きたい。余はとくに歡樂に憧憬する若い男や若い女が、讀み苦しいのを我慢して、此「土」を讀む勇氣を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になつて、音樂會がどうだの、帝國座がどうだのと云ひ募る時分になつたら、余は是非此「土」を讀ましたいと思つて居る。娘は屹度厭だといふに違ない。より多くの興味を感ずる戀愛小説と取り換へて呉れといふに違ない。けれども余は其時娘に向つて、面白いから讀めといふのではない。苦しいから讀めといふのだと告げたいと思つて居る。參考の爲だから、世間を知る爲だから、知つて己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる爲だから我慢して讀めと忠告したいと思つて居る。何も考へずに暖かく生長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心や宗教心は、皆此暗い影の奧から射して來るのだと余は固く信じて居るからである。  長塚君の書き方は何處迄も沈着である。其人物は皆有の儘である。話の筋は全く自然である。余が「土」を「朝日」に載せ始めた時、北の方のSといふ人がわざ/″\書を余のもとに寄せて、長塚君が旅行して彼と面會した折の議論を報じた事がある。長塚君は余の「朝日」に書いた「滿韓ところ/″\」といふものをSの所で一囘讀んで、漱石といふ男は人を馬鹿にして居るといつて大いに憤慨したさうである。漱石に限らず一體「朝日」新聞の記者の書き振りは皆人を馬鹿にして居ると云つて罵つたさうである。成程眞面目に老成した、殆んど嚴肅といふ文字を以て形容して然るべき「土」を書いた、長塚君としては尤もの事である。「滿韓所々」抔が君の氣色を害したのは左もあるべきだと思ふ。然し君から輕佻の疑を受けた余にも、眞面目な「土」を讀む眼はあるのである。だから此序を書くのである。長塚君はたまたま「滿韓ところ/″\」の一囘を見て余の浮薄を憤つたのだらうが、同じ余の手になつた外のものに偶然眼を觸れたら、或は反對の感を起すかも知れない。もし余が徹頭徹尾「滿韓ところ/″\」のうちで、長塚君の氣に入らない一囘を以て終始するならば、到底長塚君の「土」の爲に是程言辭を費やす事は出來ない理窟だからである。  長塚君は不幸にして喉頭結核にかゝつて、此間迄東京で入院生活をして居たが、今は養生旁旅行の途にある。先達てかねて紹介して置いた福岡大學の久保博士からの來書に、長塚君が診察を依頼に見えたとあるから、今頃は九州に居るだらう。余は出版の時機に後れないで、病中の君の爲に、「土」に就いて是丈の事を云ひ得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを讀む義務はないと云つたと、わざ/\余に報知して來たものがあつた。其時余は此文士は何の爲に罪もない「土」の作家を侮辱するのだらうと思つて苦々しい不愉快を感じた。理窟から云つて、讀まねばならない義務のある小説といふものは、其小説の校正者か、内務省の檢閲官以外にさうあらう筈がない。わざ/\斷わらんでも厭なら厭で默つて讀まずに居れば夫迄である。もし又名の知れない人の書いたものだから讀む義務はないと云ふなら、其人は唯名前丈で小説を讀む、内容などには頓着しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に對して、たとひ無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があつて然るべきだと思ふ。余は「土」の作者が病氣だから、此場合には猶ほ更らさう云ひたいのである。 (明治四十五年五月) 底本:「長塚節名作選 一」春陽堂書店    1987(昭和62)年8月20日発行 底本の親本:「土」春陽堂    1912(明治45)年5月15日発行 入力:町野修三 校正:小林繁雄 2004年11月7日作成 2014年6月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 門 門 夏目漱石 一  宗助は先刻から縁側へ坐蒲團を持ち出して日當りの好ささうな所へ氣樂に胡坐をかいて見たが、やがて手に持つてゐる雜誌を放り出すと共に、ごろりと横になつた。秋日和と名のつく程の上天氣なので、徃來を行く人の下駄の響が、靜かな町丈に、朗らかに聞えて來る。肱枕をして軒から上を見上ると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでゐる。其空が自分の寐てゐる縁側の窮屈な寸法に較べて見ると、非常に廣大である。たまの日曜に斯うして緩くり空を見る丈でも大分違ふなと思ひながら、眉を寄せて、ぎら/\する日を少時見詰めてゐたが、眩しくなつたので、今度はぐるりと寐返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしてゐる。 「おい、好い天氣だな」と話し掛けた。細君は、 「えゝ」と云つたなりであつた。宗助も別に話がしたい譯でもなかつたと見えて、夫なり默つて仕舞つた。しばらくすると今度は細君の方から、 「ちつと散歩でも爲て入らつしやい」と云つた。然し其時は宗助が唯うんと云ふ生返事を返した丈であつた。  二三分して、細君は障子の硝子の所へ顏を寄せて、縁側に寐てゐる夫の姿を覗いて見た。夫はどう云ふ了見か兩膝を曲げて海老の樣に窮屈になつてゐる。さうして兩手を組み合はして、其中へ黒い頭を突つ込んでゐるから、肱に挾まれて顏がちつとも見えない。 「貴方そんな所へ寐ると風邪引いてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京の樣な、東京でない樣な、現代の女學生に共通な一種の調子を持つてゐる。  宗助は兩肱の中で大きな眼をぱち/\させながら、 「寐やせん、大丈夫だ」と小聲で答へた。  夫から又靜かになつた。外を通る護謨車のベルの音が二三度鳴つた後から、遠くで鷄の時音をつくる聲が聞えた。宗助は仕立卸しの紡績織の脊中へ、自然と浸み込んで來る光線の暖味を、襯衣の下で貪ぼる程味ひながら、表の音を聽くともなく聽いてゐたが、急に思ひ出した樣に、障子越しの細君を呼んで、 「御米、近來の近の字はどう書いたつけね」と尋ねた。細君は別に呆れた樣子もなく、若い女に特有なけたゝましい笑聲も立てず、 「近江のおほの字ぢやなくつて」と答へた。 「其近江のおほの字が分らないんだ」  細君は立て切つた障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、其先で近の字を縁側へ書いて見せて、 「斯うでしやう」と云つた限、物指の先を、字の留つた所へ置いたなり、澄み渡つた空を一しきり眺め入つた。宗助は細君の顏も見ずに、 「矢つ張り左樣か」と云つたが、冗談でもなかつたと見えて、別に笑もしなかつた。細君も近の字は丸で氣にならない樣子で、 「本當に好い御天氣だわね」と半ば獨り言の樣に云ひながら、障子を開けた儘又裁縫を始めた。すると宗助は肱で挾んだ頭を少し擡げて、 「何うも字と云ふものは不思議だよ」と始めて細君の顏を見た。 「何故」 「何故つて、幾何容易い字でも、こりや變だと思つて疑ぐり出すと分らなくなる。此間も今日の今の字で大變迷つた。紙の上へちやんと書いて見て、ぢつと眺めてゐると、何だか違つた樣な氣がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなつて來る。――御前そんな事を經驗した事はないかい」 「まさか」 「己丈かな」と宗助は頭へ手を當てた。 「貴方何うかして入らつしやるのよ」 「矢つ張り神經衰弱の所爲かも知れない」 「左樣よ」と細君は夫の顏を見た。夫は漸く立ち上つた。  針箱と糸屑の上を飛び越す樣に跨いで茶の間の襖を開けると、すぐ座敷である。南が玄關で塞がれてゐるので、突き當りの障子が、日向から急に這入つて來た眸には、うそ寒く映つた。其所を開けると、廂に逼る樣な勾配の崖が、縁鼻から聳えてゐるので、朝の内は當つて然るべき筈の日も容易に影を落さない。崖には草が生えてゐる。下からして一側も石で疊んでないから、何時壞れるか分らない虞があるのだけれども、不思議にまだ壞れた事がないさうで、その爲か家主も長い間昔の儘にして放つてある。尤も元は一面の竹藪だつたとかで、それを切り開く時に根丈は掘り返さずに土堤の中に埋て置いたから、地は存外緊つてゐますからねと、町内に二十年も住んでゐる八百屋の爺が勝手口でわざ/\説明して呉れた事がある。其時宗助はだつて根が殘つてゐれば、又竹が生えて藪になりさうなものぢやないかと聞き返して見た。すると爺は、それがね、あゝ切り開かれて見ると、さう甘く行くもんぢやありませんよ。然し崖丈は大丈夫です。どんな事があつたつて壞えつこはねえんだからと、恰も自分のものを辯護でもする樣に力んで歸つて行つた。  崖は秋に入つても別に色づく樣子もない。たゞ青い草の匂が褪めて、不揃にもぢや/\する許である。薄だの蔦だのと云ふ洒落たものに至つては更に見當らない。其代り昔の名殘りの孟宗が中途に二本、上の方に三本程すつくりと立つてゐる。夫が多少黄に染まつて、幹に日の射すときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味を眺められる樣な心持がする。宗助は朝出て四時過に歸る男だから、日の詰る此頃は、滅多に崖の上を覗く暇を有たなかつた。暗い便所から出て、手水鉢の水を手に受けながら、不圖廂の外を見上げた時、始めて竹の事を思ひ出した。幹の頂に濃かな葉が集まつて、丸で坊主頭の樣に見える。それが秋の日に醉つて重く下を向いて、寂そりと重なつた葉が一枚も動かない。  宗助は障子を閉てゝ座敷へ歸つて、机の前へ坐つた。座敷とは云ひながら客を通すから左樣名づける迄で、實は書齋とか居間とか云ふ方が穩當である。北側に床があるので、申譯の爲に變な軸を掛けて、其前に朱泥の色をした拙な花活が飾つてある。欄間には額も何もない。唯眞鍮の折釘丈が二本光つてゐる。其他には硝子戸の張つた書棚が一つある。けれども中には別に是と云つて目立つ程の立派なものも這入つてゐない。  宗助は銀金具の付いた机の抽出を開けて頻に中を檢べ出したが、別に何も見付け出さないうちに、はたりと締めて仕舞つた。夫から硯箱の葢を取つて、手紙を書き始めた。一本書いて封をして、一寸考へたが、 「おい、佐伯のうちは中六番町何番地だつたかね」と襖越に細君に聞いた。 「二十五番地ぢやなくつて」と細君は答へたが、宗助が名宛を書き終る頃になつて、 「手紙ぢや駄目よ、行つて能く話をして來なくつちや」と付け加へた。 「まあ、駄目迄も手紙を一本出して置かう。夫で不可なかつたら出掛けるとするさ」と云ひ切つたが、細君が返事をしないので、 「ねぇ、おい、夫で好いだらう」と念を押した。  細君は惡いとも云ひ兼たと見えて、其上爭ひもしなかつた。宗助は郵便を持つた儘、座敷から直ぐ玄關に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、座を立つたが、是は茶の間の縁傳ひに玄關に出た。 「一寸散歩に行つて來るよ」 「行つて入らつしやい」と細君は微笑しながら答へた。  三十分許して格子ががらりと開いたので、御米は又裁縫の手を已めて、縁傳ひに玄關へ出て見ると、歸つたと思ふ宗助の代りに、高等學校の制帽を被つた、弟の小六が這入つて來た。袴の裾が五六寸しか出ない位の長い黒羅紗のマントの釦を外しながら、 「暑い」と云つてゐる。 「だつて餘まりだわ。此御天氣にそんな厚いものを着て出るなんて」 「何、日が暮れたら寒いだらうと思つて」と小六は云譯を半分しながら、嫂の後に跟いて、茶の間へ通つたが、縫ひ掛けてある着物へ眼を着けて、 「相變らず精が出ますね」と云つたなり、長火鉢の前へ胡坐をかいた。嫂は裁縫を隅の方へ押し遺つて置いて、小六の向へ來て、一寸鐵瓶を卸して炭を繼ぎ始めた。 「御茶なら澤山です」と小六が云つた。 「厭?」と女學生流に念を押した御米は、 「ぢや御菓子は」と云つて笑ひかけた。 「有るんですか」と小六が聞いた。 「いゝえ、無いの」と正直に答へたが、思ひ出した樣に、「待つて頂戴、有るかも知れないわ」と云ひながら立ち上がる拍子に、横にあつた炭取を取り退けて、袋戸棚を開けた。小六は御米の後姿の、羽織が帶で高くなつた邊を眺めてゐた。何を探すのだか中々手間が取れさうなので、 「ぢや御菓子も廢しにしませう。それよりか、今日は兄さんは何うしました」と聞いた。 「兄さんは今一寸」と後向の儘答へて、御米は矢張り戸棚の中を探してゐる。やがてぱたりと戸を締めて、 「駄目よ。何時の間にか兄さんがみんな食べて仕舞つた」と云ひながら、又火鉢の向へ歸つて來た。 「ぢや晩に何か御馳走なさい」 「えゝ爲てよ」と柱時計を見ると、もう四時近くである。御米は「四時、五時、六時」と時間を勘定した。小六は默つて嫂の顏を見てゐた。彼は實際嫂の御馳走には餘り興味を持ち得なかつたのである。 「姉さん、兄さんは佐伯へ行つて呉れたんですかね」と聞いた。 「此間から行く行くつて云つてる事は云つてるのよ。だけど、兄さんも朝出て夕方に歸るんでせう。歸ると草臥れちまつて、御湯に行くのも大儀さうなんですもの。だから、さう責めるのも實際御氣の毒よ」 「そりや兄さんも忙がしいには違なからうけれども、僕もあれが極まらないと氣掛りで落ち付いて勉強も出來ないんだから」と云ひながら、小六は眞鍮の火箸を取つて火鉢の灰の中へ何かしきりに書き出した。御米は其動く火箸の先を見てゐた。 「だから先刻手紙を出して置いたのよ」と慰める樣に云つた。 「何て」 「そりや私もつい見なかつたの。けれども、屹度あの相談よ。今に兄さんが歸つて來たら聞いて御覽なさい。屹度左樣よ」 「もし手紙を出したのなら、其用には違ないでせう」 「えゝ、本當に出したのよ。今兄さんが其手紙を持つて、出しに行つた所なの」  小六はこれ以上辯解の樣な慰藉の樣な嫂の言葉に耳を借したくなかつた。散歩に出る閑があるなら、手紙の代りに自分で足を運んで呉れたらよささうなものだと思ふと餘り好い心持でもなかつた。座敷へ來て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁を剥つて見てゐた。 二  其所に氣の付かなかつた宗助は、町の角迄來て、切手と「敷島」を同じ店で買つて、郵便丈はすぐ出したが、其足で又同じ道を戻るのが何だか不足だつたので、啣え烟草の烟を秋の日に搖つかせながら、ぶら/\歩いてゐるうちに、どこか遠くへ行つて、東京と云ふ所はこんな所だと云ふ印象をはつきり頭の中へ刻み付けて、さうして夫を今日の日曜の土産に家へ歸つて寐やうと云ふ氣になつた。彼は年來東京の空氣を吸つて生きてゐる男であるのみならず、毎日役所の行通には電車を利用して、賑やかな町を二度づゝは屹度徃つたり來たりする習慣になつてゐるのではあるが、身體と頭に樂がないので、何時でも上の空で素通りをする事になつてゐるから、自分が其賑やかな町の中に活てゐると云ふ自覺は近來頓と起つた事がない。尤も平生は忙がしさに追はれて、別段氣にも掛からないが、七日に一返の休日が來て、心がゆつたりと落ち付ける機會に出逢ふと、不斷の生活が急にそわ/\した上調子に見えて來る。必竟自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京といふものを見た事がないんだといふ結論に到着すると、彼は其所に何時も妙な物淋しさを感ずるのである。  さう云ふ時には彼は急に思ひ出した樣に町へ出る。其上懷に多少餘裕でもあると、是で一つ豪遊でもして見樣かと考へる事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思ひ切つた極端に驅り去る程に、強烈の程度なものでないから、彼が其所迄猛進する前に、それも馬鹿々々しくなつて已めて仕舞ふ。のみならず、斯んな人の常態として、紙入の底が大抵の場合には、輕擧を戒める程度内に膨らんでゐるので、億劫な工夫を凝すよりも、懷手をして、ぶらりと家へ歸る方が、つい樂になる。だから宗助の淋しみは單なる散歩か觀工場縱覽位な所で、次の日曜迄は何うか斯うか慰藉されるのである。  此日も宗助は兎も角もと思つて電車へ乘つた。所が日曜の好天氣にも拘らず、平常よりは乘客が少ないので例になく乘心地が好かつた。其上乘客がみんな平和な顏をして、どれもこれも悠たりと落付いてゐる樣に見えた。宗助は腰を掛けながら、毎朝例刻に先を爭つて席を奪ひ合ひながら、丸の内方面へ向ふ自分の運命を顧みた。出勤刻限の電車の道伴程殺風景なものはない。革にぶら下がるにしても、天鵞絨に腰を掛けるにしても、人間的な優しい心持の起つた試は未だ甞てない。自分も夫で澤山だと考へて、器械か何ぞと膝を突き合せ肩を並べたかの如くに、行きたい所迄同席して不意と下りて仕舞ふ丈であつた。前の御婆さんが八つ位になる孫娘の耳の所へ口を付けて何か云つてゐるのを、傍に見てゐた三十恰好の商家の御神さんらしいのが、可愛らしがつて、年を聞いたり名を尋ねたりする所を眺めてゐると、今更ながら別の世界に來た樣な心持がした。  頭の上には廣告が一面に枠に嵌めて掛けてあつた。宗助は平生これにさへ氣が付かなかつた。何心なしに一番目のを讀んで見ると、引越は容易に出來ますと云ふ移轉會社の引札であつた。其次には經濟を心得る人は、衞生に注意する人は、火の用心を好むものは、と三行に並べて置いて其後に瓦斯竈を使へと書いて、瓦斯竈から火の出てゐる畫迄添へてあつた。三番目には露國文豪トルストイ伯傑作「千古の雪」と云ふのと、バンカラ喜劇小辰大一座と云ふのが、赤地に白で染め拔いてあつた。  宗助は約十分も掛かつて凡ての廣告を丁寧に三返程讀み直した。別に行つて見やうと思ふものも、買つて見たいと思ふものも無かつたが、たゞ是等の廣告が判然と自分の頭に映つて、さうして夫を一々讀み終せた時間のあつた事と、それを悉く理解し得たと云ふ心の餘裕が、宗助には少なからぬ滿足を與へた。彼の生活は是程の餘裕にすら誇りを感ずる程に、日曜以外の出入りには、落ち付いてゐられないものであつた。  宗助は駿河臺下で電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓硝子の中に美しく並べてある洋書に眼が付いた。宗助はしばらく其前に立つて、赤や青や縞や模樣の上に、鮮かに叩き込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解るが、手に取つて、中を檢べて見やうといふ好奇心はちつとも起らなかつた。本屋の前を通ると、屹度中へ這入つて見たくなつたり、中へ這入ると必ず何か欲しくなつたりするのは、宗助から云ふと、既に一昔し前の生活である。たゞ History of Gambling(博奕史)と云ふのが、殊更に美裝して、一番眞中に飾られてあつたので、それが幾分か彼の頭に突飛な新し味を加へた丈であつた。  宗助は微笑しながら、急忙しい通りを向側へ渡つて、今度は時計屋の店を覗き込んだ。金時計だの金鎖が幾つも並べてあるが、是もたゞ美しい色や恰好として、彼の眸に映る丈で、買ひたい了簡を誘致するには至らなかつた。其癖彼は一々絹糸で釣るした價格札を讀んで、品物と見較べて見た。さうして實際金時計の安價なのに驚ろいた。  蝙蝠傘屋の前にも一寸立ち留まつた。西洋小間物を賣る店先では、禮帽の傍に懸けてあつた襟飾りに眼が付いた。自分の毎日掛けてゐるのよりも大變柄が好かつたので、價を聞いて見樣かと思つて、半分店の中へ這入りかけたが、明日から襟飾りなどを懸け替た所が下らない事だと思ひ直すと、急に蟇口の口を開けるのが厭になつて行き過ぎた。呉服店でも大分立見をした。鶉御召だの、高貴織だの、清凌織だの、自分の今日迄知らずに過ぎた名を澤山覺えた。京都の襟新と云ふ家の出店の前で、窓硝子へ帽子の鍔を突き付ける樣に近く寄せて、精巧に刺繍をした女の半襟を、いつ迄も眺めてゐた。その中に丁度細君に似合さうな上品なのがあつた。買つて行つて遣らうかといふ氣が一寸起るや否や、そりや五六年前の事だと云ふ考が後から出て來て、折角心持の好い思ひ付をすぐ揉み消して仕舞つた。宗助は苦笑しながら窓硝子を離れて又歩き出したが、それから半町程の間は何だか詰らない樣な氣分がして、徃來にも店先にも格段の注意を拂はなかつた。  不圖氣が付いて見ると角に大きな雜誌屋があつて、其軒先には新刊の書物が大きな字で廣告してある。梯子の樣な細長い枠へ紙を張つたり、ペンキ塗の一枚板へ模樣畫見た樣な色彩を施こしたりしてある。宗助はそれを一々讀んだ。著者の名前も作物の名前も、一度は新聞の廣告で見た樣でもあり、又全く新奇の樣でもあつた。  此店の曲り角の影になつた所で、黒い山高帽を被つた三十位の男が地面の上へ氣樂さうに胡坐をかいて、えゝ御子供衆の御慰みと云ひながら、大きな護謨風船を膨らましてゐる。それが膨れると自然と達磨の恰好になつて、好加減な所に眼口迄墨で書いてあるのに宗助は感心した。其上一度息を入れると、何時迄も膨れてゐる。且指の先へでも、手の平の上へでも自由に尻が据る。それが尻の穴へ楊枝の樣な細いものを突つ込むとしゆうつと一度に收縮して仕舞ふ。  忙がしい徃來の人は何人でも通るが、誰も立ち留つて見る程のものはない。山高帽の男は賑やかな町の隅に、冷やかに胡坐をかいて、身の周圍に何事が起りつゝあるかを感ぜざるものゝ如くに、えゝ御子供衆の御慰みと云つては、達磨を膨らましてゐる。宗助は一錢五厘出して、其風船を一つ買つて、しゆつと縮ましてもらつて、それを袂へ入れた。奇麗な床屋へ行つて、髮を刈りたくなつたが、何處にそんな奇麗なのがあるか、一寸見付からないうちに、日が限つて來たので、又電車へ乘つて、宅の方へ向つた。  宗助が電車の終點迄來て、運轉手に切符を渡した時には、もう空の色が光を失ひかけて、濕つた徃來に、暗い影が射し募る頃であつた。降りやうとして、鐵の柱を握つたら、急に寒い心持がした。一所に降りた人は、皆な離れ/″\になつて、事あり氣に忙がしく歩いて行く。町のはづれを見ると、左右の家の軒から家根へかけて、仄白い烟りが大氣の中に動いてゐる樣に見える。宗助も樹の多い方角に向いて早足に歩を移した。今日の日曜も、暢びりした御天氣も、もう既に御仕舞だと思ふと、少し果敢ない樣な又淋しい樣な一種の氣分が起つて來た。さうして明日から又例によつて例の如く、せつせと働らかなくてはならない身體だと考へると、今日半日の生活が急に惜くなつて、殘る六日半の非精神的な行動が、如何にも詰らなく感ぜられた。歩いてゐるうちにも、日當の惡い、窓の乏しい、大きな部屋の模樣や、隣りに坐つてゐる同僚の顏や、野中さん一寸と云ふ上官の樣子ばかりが眼に浮かんだ。  魚勝と云ふ肴屋の前を通り越して、其五六軒先の露次とも横丁とも付かない所を曲ると、行き當りが高い崖で、其左右に四五軒同じ構の貸家が並んでゐる。つい此間迄は疎らな杉垣の奧に、御家人でも住み古したと思はれる、物寂た家も一つ地所のうちに混つてゐたが、崖の上の坂井といふ人が此所を買つてから、忽ち萱葺を壞して、杉垣を引き拔いて、今の樣な新らしい普請に建て易へて仕舞つた。宗助の家は横丁を突き當つて、一番奧の左側で、すぐの崖下だから、多少陰氣ではあるが、其代り通りからは尤も隔つてゐる丈に、まあ幾分か閑靜だらうと云ふので、細君と相談の上、とくに其所を擇んだのである。  宗助は七日に一返の日曜ももう暮れかゝつたので、早く湯にでも入つて、暇があつたら髮でも刈つて、さうして緩くり晩食を食はうと思つて、急いで格子を開けた。臺所の方で皿小鉢の音がする。上がらうとする拍子に、小六の脱ぎ棄てた下駄の上へ、氣が付かずに足を乘せた。曲んで位置を調へてゐる所へ小六が出て來た。臺所の方で、御米が、 「誰? 兄さん?」と聞いた。宗助は、 「やあ、來てゐたのか」と云ひながら座敷へ上つた。先刻郵便を出してから、神田を散歩して、電車を降りて家へ歸る迄、宗助の頭には小六の小の字も閃めかなかつた。宗助は小六の顏を見た時、何となく惡い事でもした樣に極りが好くなかつた。 「御米、御米」と細君を臺所から呼んで、 「小六が來たから、何か御馳走でもするが好い」と云ひ付けた。細君は、忙がしさうに臺所の障子を開け放した儘出て來て、座敷の入口に立つてゐたが、此分り切つた注意を聞くや否や、 「えゝ今直」と云つたなり、引き返さうとしたが、又戻つて來て、 「其代り小六さん、憚り樣。座敷の戸を閉てて、洋燈を點けて頂戴。今私も清も手が放せない所だから」と依頼んだ。小六は簡單に、 「はあ」と云つて立ち上がつた。  勝手では清が物を刻む音がする。湯か水をざあと流しへ空ける音がする。「奧樣是は何方へ移します」と云ふ聲がする。「姉さん、ランプの心を剪る鋏はどこにあるんですか」と云ふ小六の聲がする。しゆうと湯が沸つて七輪の火へ懸つた樣子である。  宗助は暗い座敷の中で默然と手焙へ手を翳してゐた。灰の上に出た火の塊まり丈が色づいて赤く見えた。其時裏の崖の上の家主の家の御孃さんがピヤノを鳴し出した。宗助は思ひ出した樣に立ち上がつて、座敷の雨戸を引きに縁側へ出た。孟宗竹が薄黒く空の色を亂す上に、一つ二つの星が燦めいた。ピヤノの音は孟宗竹の後から響いた。 三  宗助と小六が手拭を下げて、風呂から歸つて來た時は、座敷の眞中に眞四角な食卓を据ゑて、御米の手料理が手際よく其上に並べてあつた。手焙の火も出掛よりは濃い色に燃えてゐた。洋燈も明るかつた。  宗助が机の前の坐蒲團を引き寄せて、其上に樂々と胡坐を掻いた時、手拭と石鹸を受取つた御米は、 「好い御湯だつた事?」と聞いた。宗助はたゞ一言、 「うん」と答へた丈であつたが、其樣子は素氣ないと云ふよりも、寧ろ湯上りで、精神が弛緩した氣味に見えた。 「中々好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。 「然しあゝ込んぢや溜らないよ」と宗助が机の端へ肱を持たせながら、倦怠るさうに云つた。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退けて、家へ歸つてからの事だから、丁度人の立て込む夕食前の黄昏である。彼は此二三ヶ月間ついぞ、日の光に透かして湯の色を眺めた事がない。夫ならまだしもだが、稍ともすると三日も四日も丸で錢湯の敷居を跨がずに過して仕舞ふ。日曜になつたら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗な湯に首丈浸つて見樣と、常は考へてゐるが、偖其日曜が來て見ると、たまに悠くり寐られるのは、今日ばかりぢやないかと云ふ氣になつて、つい床のうちで愚圖々々してゐるうちに、時間が遠慮なく過ぎて、えゝ面倒だ、今日は已めにして、其代り今度の日曜に行かうと思ひ直すのが、殆んど惰性の樣になつてゐる。 「どうかして、朝湯に丈は行きたいね」と宗助が云つた。 「其癖朝湯に行ける日は、屹度寐坊なさるのね」と細君は調戲ふ樣な口調であつた。小六は腹の中で是が兄の性來の弱點であると思ひ込んでゐた。彼は自分で學校生活をしてゐるにも拘はらず、兄の日曜が、如何に兄にとつて貴といかを會得出來なかつた。六日間の暗い精神作用を、只此一日で、暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでゐる。だから遣りたい事があり過ぎて、十の二三も實行出來ない。否、其二三にしろ進んで實行にかゝると、却つてその爲に費やす時間の方が惜くなつて來て、つい又手を引込めて、凝としてゐるうちに日曜は何時か暮れて仕舞ふのである。自分の氣晴しや保養や、娯樂もしくは好尚に就いてゞすら、斯樣に節儉しなければならない境遇にある宗助が、小六の爲に盡さないのは、盡さないのではない、頭に盡す餘裕のないのだとは、小六から見ると、何うしても受取れなかつた。兄はたゞ手前勝手な男で、暇があればぶら/\して細君と遊んで許ゐて、一向頼りにも力にもなつて呉れない、眞底は情合に薄い人だ位に考へてゐた。  けれども、小六がさう感じ出したのは、つい近頃の事で、實を云ふと、佐伯との交渉が始まつて以來の話である。年の若い丈、凡てに性急な小六は、兄に頼めば今日明日にも方が付くものと、思ひ込んでゐたのに、何日迄も埒が明かないのみか、まだ先方へ出掛けても呉れないので、大分不平になつたのである。  所が今日歸りを待ち受けて逢つて見ると、其所が兄弟で、別に御世辭も使はないうちに、何處か暖味のある仕打も見えるので、つい云ひたい事も後廻しにして、一所に湯になんぞ這入つて、穩やかに打ち解けて話せる樣になつて來た。  兄弟は寛ろいで膳に就いた。御米も遠慮なく食卓の一隅を領した。宗助も小六も猪口を二三杯づゝ干した。飯に掛ゝる前に、宗助は笑ひながら、 「うん、面白いものが有つたつけ」と云ひながら、袂から買つて來た護謨風船の達磨を出して、大きく膨らませて見せた。さうして、それを椀の葢の上へ載せて、其特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がつて、ふわ/\した玉を見てゐた。仕舞に小六が、ふうつと吹いたら達磨は膳の上から疊の上へ落ちた。それでも、まだ覆らなかつた。 「それ御覽」と宗助が云つた。  御米は女だけに聲を出して笑つたが、御櫃の葢を開けて、夫の飯を盛ひながら、 「兄さんも隨分呑氣ね」と小六の方を向いて、半ば夫を辯護する樣に云つた。宗助は細君から茶碗を受取つて、一言の辯解もなく食事を始めた。小六も正式に箸を取り上げた。  達磨はそれぎり話題に上らなかつたが、これが緒になつて、三人は飯の濟む迄無邪氣に長閑な話をつゞけた。仕舞に小六が氣を換へて、 「時に伊藤さんも飛んだ事になりましたね」と云ひ出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の號外を見たとき、御米の働いてゐる臺所へ出て來て、「おい大變だ、伊藤さんが殺された」と云つて、手に持つた號外を御米のエプロンの上に乘せたなり書齋へ這入つたが、其語氣からいふと、寧ろ落ち付いたものであつた。 「貴方大變だつて云ふ癖に、些とも大變らしい聲ぢやなくつてよ」と御米が後から冗談半分にわざ/\注意した位である。其後日毎の新聞に伊藤公の事が五六段づゝ出ない事はないが、宗助はそれに目を通してゐるんだか、ゐないんだか分らない程、暗殺事件に就ては平氣に見えた。夜歸つて來て、御米が飯の御給仕をするとき抔に、「今日も伊藤さんの事が何か出てゐて」と聞く事があるが、其時には「うん大分出てゐる」と答へる位だから、夫の隱袋の中に疊んである今朝の讀殼を、後から出して讀んで見ないと、其日の記事は分らなかつた。御米もつまりは夫が歸宅後の會話の材料として、伊藤公を引合に出す位の所だから、宗助が進まない方向へは、たつて話を引張たくはなかつた。それで此二人の間には、號外發行の當日以後、今夜小六がそれを云ひ出した迄は、公けには天下を動かしつゝある問題も、格別の興味を以て迎へられてゐなかつたのである。 「どうして、まあ殺されたんでせう」と御米は號外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事を又小六に向つて聞いた。 「短銃をポン/\連發したのが命中したんです」と小六は正直に答へた。 「だけどさ。何うして、まあ殺されたんでせう」  小六は要領を得ない樣な顏をしてゐる。宗助は落付いた調子で、 「矢つ張り運命だなあ」と云つて、茶碗の茶を旨さうに飮んだ。御米はこれでも納得が出來なかつたと見えて、 「どうして又滿洲抔へ行つたんでせう」と聞いた。 「本當にな」と宗助は腹が張つて充分物足りた樣子であつた。 「何でも露西亞に秘密な用があつたんださうです」と小六が眞面目な顏をして云つた。御米は、 「さう。でも厭ねえ。殺されちや」と云つた。 「己見た樣な腰辯は、殺されちや厭だが、伊藤さん見た樣な人は、哈爾賓へ行つて殺される方が可いんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利いた。 「あら、何故」 「何故つて伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。たゞ死んで御覽、斯うは行かないよ」 「成程そんなものかも知れないな」と小六は少し感服した樣だつたが、やがて、 「兎に角滿洲だの、哈爾賓だのつて物騷な所ですね。僕は何だか危險な樣な心持がしてならない」と云つた。 「夫や、色んな人が落ち合つてるからね」  此時御米は妙な顏をして、斯う答へた夫の顏を見た。宗助もそれに氣が付いたらしく、 「さあ、もう御膳を下げたら好からう」と細君を促がして、先刻の達磨を又疊の上から取つて、人指指の先へ載せながら、 「どうも妙だよ。よく斯う調子好く出來るものだと思つてね」と云つてゐた。  臺所から清が出て來て、食ひ散らした皿小鉢を食卓ごと引いて行つた後で、御米も茶を入れ替へるために、次の間へ立つたから、兄弟は差向ひになつた。 「あゝ奇麗になつた。何うも食つた後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顏をした。勝手の方で清がしきりに笑つてゐる。 「何がそんなに可笑しいの、清」と御米が障子越に話し掛ける聲が聞えた。清はへえと云つて猶笑ひ出した。兄弟は何にも云はず、半ば下女の笑ひ聲に耳を傾けてゐた。  しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を兩手に持つて、又出て來た。藤蔓の着いた大きな急須から、胃にも頭にも應へない番茶を、湯呑程な大きな茶碗に注いで、兩人の前へ置いた。 「何だつて、あんなに笑ふんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顏は見ずに却つて菓子皿の中を覗いてゐた。 「貴方があんな玩具を買つて來て、面白さうに指の先へ乘せて入らつしやるからよ。子供もない癖に」  宗助は意にも留めない樣に、輕く「さうか」と云つたが、後から緩くり、 「是でも元は子供が有つたんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味はつてゐる風に付け足して、生温い眼を擧げて細君を見た。御米はぴたりと默つて仕舞つた。 「あなた御菓子食べなくつて」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、 「えゝ食べます」と云ふ小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立つて行つた。兄弟は又差向ひになつた。  電車の終點から歩くと二十分近くも掛る山の手の奧丈あつて、まだ宵の口だけれども、四隣は存外靜かである。時々表を通る薄齒の下駄の響が冴えて、夜寒が次第に増して來る。宗助は懷手をして、 「晝間は暖たかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿ぢやもう蒸汽を通してゐるかい」と聞いた。 「いえ、未です。學校ぢや餘つ程寒くならなくつちや蒸汽なんか焚きやしません」 「さうかい。夫ぢや寒いだらう」 「えゝ。然し寒い位何うでも構はない積ですが」と云つた儘、小六はすこし云ひ淀んでゐたが、仕舞にとう/\思ひ切つて、 「兄さん、佐伯の方は一體どうなるんでせう。先刻姉さんから聞いたら、今日手紙を出して下すつたさうですが」 「あゝ出した。二三日中に何とか云つて來るだらう。其上で又己が行くとも何うとも仕樣よ」  小六は兄の平氣な態度を心の中では飽足らず眺めた。然し宗助の樣子に何處と云つて、他を激させる樣な鋭どい所も、自らを庇護ふ樣な卑しい點もないので、喰つて掛る勇氣は更に出なかつた。たゞ 「ぢや今日迄あの儘にしてあつたんですか」と單に事實を確めた。 「うん、實は濟まないがあの儘だ。手紙も今日やつとの事で書いた位だ。何うも仕方がないよ。近頃神經衰弱でね」と眞面目に云ふ。小六は苦笑した。 「もし駄目なら、僕は學校を已めて、一層今のうち、滿洲か朝鮮へでも行かうかと思つてるんです」 「滿洲か朝鮮? ひどく又思ひ切つたもんだね。だつて、御前先刻滿洲は物騷で厭だつて云つたぢやないか」  用談はこんな所に徃つたり來たりして、遂に要領を得なかつた。仕舞に宗助が 「まあ、好いや、さう心配しないでも、何うかなるよ。何しろ返事の來次第、己がすぐ知らせてやる。其上で又相談するとしやう」と云つたので、談話に區切が付いた。  小六が歸りがけに茶の間を覗いたら、御米は何にもしずに、長火鉢に倚り掛かつてゐた。 「姉さん、左樣なら」と聲を掛けたら、「おや御歸り」と云ひながら漸く立つて來た。 四  小六の苦にしてゐた佐伯からは、豫期の通り二三日して返事があつたが、それは極めて簡單なもので、端書でも用の足りる所を、鄭重に封筒へ入れて三錢の切手を貼つた、叔母の自筆に過ぎなかつた。  役所から歸つて、筒袖の仕事着を、窮屈さうに脱ぎ易へて、火鉢の前へ坐るや否や、抽出から一寸程わざと餘して差し込んであつた状袋に眼が着いたので、御米の汲んで出す番茶を一口呑んだ儘、宗助はすぐ封を切つた。 「へえ、安さんは神戸へ行つたんだつてね」と手紙を讀みながら云つた。 「何時?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢の儘で聞いた。 「何時とも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには歸京仕るべく候間と書いてあるから、もうぢき歸つて來るんだらう」 「遠からぬうちなんて、矢つ張り叔母さんね」  宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかつた。讀んだ手紙を卷き納めて、投げる樣にそこへ放り出して、四五日目になる、ざら/\した腮を、氣味わるさうに撫で廻した。  御米はすぐ其手紙を拾つたが、別に讀まうともしなかつた。それを膝の上へ乘せた儘、夫の顏を見て、 「遠からぬうちには歸京仕るべく候間、何うだつて云ふの」と聞いた。 「何れ歸つたら、安之助と相談して何とか御挨拶を致しますと云ふのさ」 「遠からぬうちぢや曖昧ね。何時歸るとも書いてなくつて」 「いゝや」  御米は念の爲、膝の上の手紙を始めて開いて見た。さうして夫を元の樣に疊んで、 「一寸其状袋を」と手を夫の方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挾まつてゐる青い封筒を取つて細君に渡した。御米はそれをふつと吹いて、中を膨らまして手紙を収めた。さうして臺所へ立つた。  宗助は夫限手紙の事には氣を留めなかつた。今日役所で同僚が、此間英吉利から來遊したキチナー元帥に、新橋の傍で逢つたと云ふ話を思ひ出して、あゝ云ふ人間になると、世界中何處へ行つても、世間を騷がせる樣に出來てゐる樣だが、實際さういふ風に生れ付いて來たものかも知れない。自分の過去から引き摺つてきた運命や、又其續きとして、是から自分の眼前に展開されべき將來を取つて、キチナーと云ふ人のそれに比べて見ると、到底同じ人間とは思へない位懸け隔たつてゐる。  斯う考へて宗助はしきりに烟草を吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から襲つて來る樣な音がする。それが時々已むと、已んだ間は寂として、吹き荒れる時よりは猶淋しい。宗助は腕組をしながら、もうそろ/\火事の半鐘が鳴り出す時節だと思つた。  臺所へ出て見ると、細君は七輪の火を赤くして、肴の切身を燒いてゐた。清は流し元に曲んで漬物を洗つてゐた。二人とも口を利かずにせつせと自分の遣る事を遣つてゐる。宗助は障子を開けたなり、少時肴から垂る汁か膏の音を聞いてゐたが、無言の儘又障子を閉てゝ元の座へ戻つた。細君は眼さへ肴から離さなかつた。  食事を濟まして、夫婦が火鉢を間に向ひ合つた時、御米は又 「佐伯の方は困るのね」と云ひ出した。 「まあ仕方がない。安さんが神戸から歸る迄待つより外に道はあるまい」 「其前に一寸叔母さんに逢つて話をして置いた方が好かなくつて」 「さうさ。まあ其内何とか云つて來るだらう。夫迄打遣つて置かうよ」 「小六さんが怒つてよ。可くつて」と御米はわざと念を押して置いて微笑した。宗助は下眼を使つて、手に持つた小楊枝を着物の襟へ差した。  中一日置いて、宗助は漸く佐伯からの返事を小六に知らせてやつた。其時も手紙の尻に、まあ其内何うかなるだらうと云ふ意味を、例の如く付け加へた。さうして當分は此事件に就て肩が拔けた樣に感じた。自然の經過が又窮屈に眼の前に押し寄せて來る迄は、忘れてゐる方が面倒がなくつて好い位な顏をして、毎日役所へ出ては又役所から歸つて來た。歸りも遲いが、歸つてから出掛る抔といふ億劫な事は滅多になかつた。客は殆んど來ない。用のない時は清を十時前に寐かす事さへあつた。夫婦は毎夜同じ火鉢の兩側に向き合つて、食後一時間位話をした。話の題目は彼等の生活状態に相應した程度のものであつた。けれども米屋の拂を、此三十日には何うしたものだらうといふ、苦しい世帶話は、未だ甞て一度も彼等の口には上らなかつた。と云つて、小説や文學の批評は勿論の事、男と女の間を陽炎の樣に飛び廻る、花やかな言葉の遣り取りは殆んど聞かれなかつた。彼等は夫程の年輩でもないのに、もう其所を通り拔けて、日毎に地味になつて行く人の樣にも見えた。又は最初から、色彩の薄い極めて通俗の人間が、習慣的に夫婦の關係を結ぶために寄り合つた樣にも見えた。  上部から見ると、夫婦ともさう物に屈托する氣色はなかつた。それは彼等が小六の事に關して取つた態度に就て見ても略想像がつく。流石女丈に御米は一二度、 「安さんは、まだ歸らないんでせうかね。貴方今度の日曜位に番町迄行つて御覽なさらなくつて」と注意した事があるが、宗助は、 「うん、行つても好い」位な返事をする丈で、其行つても好い日曜が來ると、丸で忘れた樣に濟ましてゐる。御米もそれを見て、責める樣子もない。天氣が好いと、 「ちと散歩でもして入らつしやい」と云ふ。雨が降つたり、風が吹いたりすると、 「今日は日曜で仕合せね」と云ふ。  幸にして小六は其後一度もやつて來ない。此青年は、至つて凝り性の神經質で、斯うと思ふと何所迄も進んで來る所が、書生時代の宗助によく似てゐる代りに、不圖氣が變ると、昨日の事は丸で忘れた樣に引つ繰り返つて、けろりとした顏をしてゐる。其所も兄弟丈あつて、昔の宗助に其儘である。それから、頭腦が比較的明暸で、理路に感情を注ぎ込むのか、又は感情に理窟の枠を張るのか、何方か分らないが、兎に角物に筋道を付けないと承知しないし、また一返筋道が付くと、其筋道を生かさなくつては置かない樣に熱中したがる。其上體質の割合に精力がつゞくから、若い血氣に任せて大抵の事はする。  宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生して、自分の眼の前に活動してゐる樣な氣がしてならなかつた。時には、はら/\する事もあつた。又苦々しく思ふ折もあつた。さう云ふ場合には、心のうちに、當時の自分が一圖に振舞つた苦い記憶を、出來る丈屡呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼の前に据ゑ付けるのではなからうかと思つた。さうして非常に恐ろしくなつた。此奴も或は己と同一の運命に陷るために生れて來たのではなからうかと考へると、今度は大いに心掛りになつた。時によると心掛りよりは不愉快であつた。  けれども、今日迄宗助は、小六に對して意見がましい事を云つた事もなければ、將來に就て注意を與へた事もなかつた。彼の弟に對する待遇方はたゞ普通凡庸のものであつた。彼の今の生活が、彼の樣な過去を有つてゐる人とは思へない程に、沈んでゐる如く、彼の弟を取り扱ふ樣子にも、過去と名のつく程の經驗を有つた年長者の素振は容易に出なかつた。  宗助と小六の間には、まだ二人程男の子が挾まつてゐたが、何れも早世して仕舞つたので、兄弟とは云ひながら、年は十許り違つてゐる。其上宗助はある事情のために、一年の時京都へ轉學したから、朝夕一所に生活してゐたのは、小六の十二三の時迄である。宗助は剛情な聽かぬ氣の腕白小僧としての小六を未だに記憶してゐる。其時分は父も生きてゐたし、家の都合も惡くはなかつたので、抱車夫を邸内の長屋に住まはして、樂に暮してゐた。此車夫に小六よりは三つ程年下の子供があつて、始終小六の御相手をして遊んでゐた。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿のさきへ菓子袋を括り付けて、大きな柿の木の下で蝉の捕りくらをしてゐるのを、宗助が見て、兼坊そんなに頭を日に照らし付けると霍亂になるよ、さあ是を被れと云つて、小六の古い夏帽を出してやつた。すると、小六は自分の所有物を兄が無斷で他に呉れてやつたのが、癪に障つたので、突然兼坊の受取つた帽子を引つたくつて、それを地面の上へ抛げつけるや否や、馳け上がる樣に其上へ乘つて、くしやりと麥藁帽を踏み潰して仕舞つた。宗助は縁から跣足で飛んで下りて、小六の頭を擲り付けた。其時から、宗助の眼には、小六が小惡らしい小僧として映つた。  二年の時宗助は大學を去らなければならない事になつた。東京の家へも歸へれない事になつた。京都からすぐ廣島へ行つて、其所に半年ばかり暮らしてゐるうちに父が死んだ。母は父よりも六年程前に死んでゐた。だから後には二十五六になる妾と、十六になる小六が殘つた丈であつた。  佐伯から電報を受け取つて、久し振りに出京した宗助は、葬式を濟ました上、家の始末をつけ樣と思つて段々調べて見ると、有ると思つた財産は案外に少なくつて、却つて無い積の借金が大分あつたに驚ろかされた。叔父の佐伯に相談すると、仕方がないから邸を賣るが好からうと云ふ話であつた。妾は相當の金を遣つてすぐ暇を出す事に極めた。小六は當分叔父の家に引き取つて世話をして貰ふ事にした。然し肝心の家屋敷はすぐ右から左へと賣れる譯には行かなかつた。仕方がないから、叔父に一時の工面を頼んで、當座の片を付けて貰つた。叔父は事業家で色々な事に手を出しては失敗する、云はゞ山氣の多い男であつた。宗助が東京にゐる時分も、よく宗助の父を説き付けては、旨い事を云つて金を引き出したものである。宗助の父にも慾があつたかも知れないが、此傳で叔父の事業に注ぎ込んだ金高は決して少ないものではなかつた。  父の亡くなつた此際にも、叔父の都合は元と餘り變つてゐない樣子であつたが、生前の義理もあるし、又斯う云ふ男の常として、いざと云ふ場合には比較的融通の付くものと見えて、叔父は快よく整理を引き受けて呉れた。其代り宗助は自分の家屋敷の賣却方に就て一切の事を叔父に一任して仕舞つた。早く云ふと、急場の金策に對する報酬として土地家屋を提供した樣なものである。叔父は、 「何しろ、斯う云ふものは買手を見て賣らないと損だからね」と云つた。  道具類も積ばかり取つて、金目にならないものは、悉く賣り拂つたが、五六幅の掛物と十二三點の骨董品丈は、矢張り氣長に欲しがる人を探さないと損だと云ふ叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。凡てを差し引いて手元に殘つた有金は、約二千圓程のものであつたが、宗助は其内の幾分を、小六の學資として、使はなければならないと氣が付いた。然し月々自分の方から送るとすると、今日の位置が堅固でない當時、甚だ實行しにくい結果に陷りさうなので、苦しくはあつたが、思ひ切つて、半分丈を叔父に渡して、何分宜しくと頼んだ。自分が中途で失敗つたから、責めて弟丈は物にしてやりたい氣もあるので、此千圓が盡きたあとは、又何うにか心配も出來やうし又して呉れるだらう位の不慥な希望を殘して、又廣島へ歸つて行つた。  それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとう/\賣れたから安心しろと云ふ手紙が來たが、幾何に賣れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間程經つての返事に、優に例の立替を償ふに足る金額だから心配しなくても好いとあつた。宗助は此返事に對して少なからず不滿を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細は何れ御面會の節云々とあつたので、すぐにも東京へ行きたい樣な氣がして、實は斯う/\だがと、相談半分細君に話して見ると、御米は氣の毒さうな顏をして、「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云つて、例の如く微笑した。其時宗助は始めて細君から宣告を受けた人の樣に、しばらく腕組をして考へたが、何う工夫したつて、拔ける事の出來ない樣な位地と事情の下に束縛されてゐたので、つい夫成になつて仕舞つた。  仕方がないから、猶三四回書面で徃復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行で押した樣に何れ御面會の節を繰り返して來る丈であつた。 「是ぢや仕樣がないよ」と宗助は腹が立つた樣な顏をして御米を見た。三ヶ月ばかりして、漸く都合が付いたので、久し振りに御米を連れて、出京しやうと思ふ矢先に、つい風邪を引いて寐たのが元で、腸窒扶斯に變化したため、六十日餘りを床の上に暮らした上に、あとの三十日程は充分仕事も出來ない位衰へて仕舞つた。  病氣が本復してから間もなく、宗助は又廣島を去つて福岡の方へ移らなければならない身となつた。移る前に、好い機會だから一寸東京迄出たいものだと考へてゐるうちに、今度も色々の事情に制せられて、つい夫も遂行せずに、矢張り下り列車の走る方に自己の運命を托した。其頃は東京の家を疊むとき、懷にして出た金は、殆んど使ひ果たしてゐた。彼の福岡生活は前後二年を通じて、中々の苦鬪であつた。彼は書生として京都にゐる時分、種々の口實の下に、父から臨時隨意に多額の學資を請求して、勝手次第に消費した昔をよく思ひ出して、今の身分と比較しつゝ、頻りに因果の束縛を恐れた。ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己の榮華の頂點だつたんだと、始めて醒めた眼に遠い霞を眺める事もあつた。愈苦しくなつた時、 「御米、久しく放つて置いたが、又東京へ掛合つて見樣かな」と云ひ出した。御米は無論逆ひはしなかつた。たゞ下を向いて、 「駄目よ。だつて、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細さうに答へた。 「向ふぢや此方に信用がないかも知れないが、此方ぢや又向ふに信用がないんだ」と宗助は威張つて云ひ出したが、御米の俯目になつてゐる樣子を見ると、急に勇氣が挫ける風に見えた。こんな問答を最初は月に一二返位繰り返してゐたが、後には二月に一返になり、三月に一返になり、とう/\、 「好いや、小六さへ何うかして呉れゝば。あとの事は何れ東京へ出たら、逢つた上で話を付けらあ。ねえ御米、左うすると、爲やうぢやないか」と云ひ出した。 「それで、好ござんすとも」と御米は答へた。  宗助は佐伯の事をそれなり放つて仕舞つた。單なる無心は、自分の過去に對しても、叔父に向つて云ひ出せるものでないと、宗助は考へてゐた。從つて其方の談判は、始めから未だ嘗て筆にした事がなかつた。小六からは時々手紙が來たが、極めて短かい形式的のものが多かつた。宗助は父の死んだ時、東京で逢つた小六を覺えてゐる丈だから、いまだに小六を他愛ない小供位に想像するので、自分の代理に叔父と交渉させ樣抔と云ふ氣は無論起らなかつた。  夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪へかねて、抱き合つて暖を取る樣な具合に、御互同志を頼りとして暮らしてゐた。苦しい時には、御米が何時でも、宗助に、 「でも仕方がないわ」と云つた。宗助は御米に、 「まあ我慢するさ」と云つた。  二人の間には諦めとか、忍耐とか云ふものが斷えず動いてゐたが、未來とか希望と云ふものゝ影は殆んど射さない樣に見えた。彼等は餘り多く過去を語らなかつた。時としては申し合はせた樣に、それを回避する風さへあつた。御米が時として、 「其内には又屹度好い事があつてよ。さう/\惡い事ばかり續くものぢやないから」と夫を慰さめる樣に云ふ事があつた。すると、宗助にはそれが、眞心ある妻の口を藉りて、自分を飜弄する運命の毒舌の如くに感ぜられた。宗助はさう云ふ場合には何にも答へずにたゞ苦笑する丈であつた。御米が夫でも氣が付かずに、なにか云ひ續けると、 「我々は、そんな好い事を豫期する權利のない人間ぢやないか」と思ひ切つて投げ出して仕舞ふ。細君は漸く氣が付いて口を噤んで仕舞ふ。さうして二人が默つて向き合つてゐると、何時の間にか、自分達は自分達の拵えた過去といふ暗い大きな窖の中に落ちてゐる。  彼等は自業自得で、彼等の未來を塗抹した。だから歩いてゐる先の方には、花やかな色彩を認める事が出來ないものと諦らめて、たゞ二人手を携えて行く氣になつた。叔父の賣り拂つたと云ふ地面家作に就いても、固より多くの期待は持つてゐなかつた。時々考へ出した樣に、 「だつて、近頃の相場なら、捨賣にしたつて、あの時叔父の拵らへて呉れた金の倍にはなるんだもの。あんまり馬鹿々々しいからね」と宗助が云ひ出すと、御米は淋しさうに笑つて、 「又地面? 何時迄もあの事ばかり考へて入らつしやるのね。だつて、貴方が萬事宜しく願ひますと、叔父さんに仰しやつたんでせう」と云ふ。 「そりや仕方がないさ。あの場合あゝでも爲なければ方が付かないんだもの」と宗助が云ふ。 「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家と地面を貰つた積で入らつしやるかも知れなくつてよ」と御米が云ふ。  さう云はれると、宗助も叔父の處置に一理ある樣にも思はれて、口では、 「その積が好くないぢやないか」と答辯する樣なものゝ、此問題は其都度次第々々に背景の奧に遠ざかつて行くのであつた。  夫婦がこんな風に淋しく睦まじく暮らして來た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、學生時代には大變懇意であつた杉原と云ふ男に偶然出逢つた。杉原は卒業後高等文官試驗に合格して、其時既に或省に奉職してゐたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになつて、東京からわざ/\遣つて來たのである。宗助は所の新聞で、杉原の何時着いて、何處に泊つてゐるかを能く知つてはゐたが、失敗者としての自分に顧みて、成効者の前に頭を下げる對照を耻づかしく思つた上に、自分は在學當時の舊友に逢ふのを、特に避けたい理由を持つてゐたので、彼の旅館を訪ねる氣は毛頭なかつた。  所が杉原の方では、妙な引掛りから、宗助の此所に燻ぶつてゐる事を聞き出して、強いて面會を希望するので、宗助も已を得ず我を折つた。宗助が福岡から東京へ移れる樣になつたのは、全く此杉原の御蔭である。杉原から手紙が來て、愈事が極つたとき、宗助は箸を置いて、 「御米、とう/\東京へ行けるよ」と云つた。 「まあ結構ね」と御米が夫の顏を見た。  東京に着いてから二三週間は、眼の回る樣に日が經つた。新らしく世帶を有つて、新らしい仕事を始める人に、あり勝ちな急忙しなさと、自分達を包む大都の空氣の、日夜劇しく震盪する刺戟とに驅られて、何事をも凝と考へる閑もなく、又落ち付いて手を下す分別も出なかつた。  夜汽車で新橋へ着いた時は、久し振りに叔父夫婦の顏を見たが、夫婦とも灯の所爲か晴れやかな色には宗助の眼に映らなかつた。途中に事故があつて、着の時間が珍らしく三十分程後れたのを、宗助の過失でゞもあるかの樣に、待草臥れた氣色であつた。  宗助が此時叔母から聞いた言葉は、 「おや宗さん、少時御目に掛ゝらないうちに、大變御老けなすつた事」といふ一句であつた。御米は其折始めて叔父夫婦に紹介された。 「これが彼……」と叔母は逡巡つて宗助の方を見た。御米は何と挨拶のしやうもないので、無言の儘唯頭を下げた。  小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎ひに來てゐた。宗助は一眼其姿を見たとき、何時の間にか自分を凌ぐ樣に大きくなつた弟の發育に驚ろかされた。小六は其時中學を出て、是から高等學校へ這入らうといふ間際であつた。宗助を見て、「兄さん」とも「御歸りなさい」とも云はないで、たゞ不器用に挨拶をした。  宗助と御米は一週ばかり宿屋住居をして、夫から今の所に引き移つた。其時は叔父夫婦が色々世話を燒いて呉れた。細々しい臺所道具の樣なものは買ふ迄もあるまい、古いので可ければと云ふので、小人數に必要な丈一通り取り揃えて送つて來た。其上、 「御前も新世帶だから、嘸物要が多からう」と云つて金を六十圓呉れた。  家を持つて彼是取り紛れてゐるうちに、早半月餘も經つたが、地方にゐる時分あんなに氣にしてゐた家邸の事は、ついまだ叔父に言ひ出さずにゐた。ある時御米が、 「貴方あの事を叔父さんに仰やつて」と聞いた。宗助はそれで急に思ひ出した樣に、 「うん、未だ云はないよ」と答へた。 「妙ね、あれ程氣にして入らしつたのに」と御米がうす笑をした。 「だつて、落ち付いて、そんな事を云ひ出す暇がないんだもの」と宗助が辯解した。  又十日程經つた。すると今度は宗助の方から、 「御米、あの事は未だ云はないよ。どうも云ふのが面倒で厭になつた」と云ひ出《》した。 「厭なのを無理に仰やらなくつても可いわ」と御米が答へた。 「好いかい」と宗助が聞き返した。 「好いかいつて、もと/\貴方の事ぢやなくつて。私は先から何うでも好いんだわ」と御米が答へた。  其時宗助は、 「ぢや、鹿爪らしく云ひ出すのも何だか妙だから、其内機會があつたら、聞くとしやう。なに其内聞いて見る機會が屹度出て來るよ」と云つて延ばして仕舞つた。  小六は何不足なく叔父の家に寐起してゐた。試驗を受けて高等學校へ這入れゝば、寄宿へ入舍しなければならないと云ふので、其相談迄既に叔父と打合せがしてある樣であつた。新らしく出京した兄からは別段學資の世話を受けない所爲か、自分の身の上に就いては叔父程に親しい相談も持ち込んで來なかつた。從兄弟の安之助とは今迄の關係上大變仲が好かつた。却つて此方が兄弟らしかつた。  宗助は自然叔父の家に足が遠くなる樣になつた。たまに行つても、義理一遍の訪問に終る事が多いので、歸り路には何時も詰らない氣がしてならなかつた。仕舞には時候の挨拶を濟ますと、すぐ歸りたくなる事もあつた。かう云ふ時には三十分と坐つて世間話に時間を繋ぐのにさへ骨が折れた。向ふでも何だか氣が置けて窮屈だと云ふ風が見えた。 「まあ可いぢやありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、さうすると、猶更居にくい心持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで氣が咎める樣な不安を感ずるので、又行くやうになつた。折々は、 「何うも小六が御厄介になりまして」と此方から頭を下げて禮を云ふ事もあつた。けれども、それ以上は、弟の將來の學資に就ても、又自分が叔父に頼んで、留守中に賣り拂つて貰つた地所家作に就いても、口を切るのがつい面倒になつた。然し宗助が興味を有たない叔父の所へ、不精無精にせよ、時たま出掛けて行くのは、單に叔父甥の血屬關係を、世間並に持ち堪へるための義務心からではなくつて、いつか機會があつたら、片を付けたい或物を胸の奧に控へてゐた結果に過ぎないのは明かであつた。 「宗さんは何うも悉皆變つちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があつた。すると叔父は、 「左うよなあ。矢つ張り、あゝ云ふ事があると、永く迄後へ響くものだからな」と答へて、因果は恐ろしいと云ふ風をする。叔母は重ねて、 「本當に、怖いもんですね。元はあんな寐入つた子ぢやなかつたが――どうも燥急ぎ過ぎる位活溌でしたからね。それが二三年見ないうちに、丸で別の人見た樣に老けちまつて。今ぢや貴方より御爺さん/\してゐますよ」と云ふ。 「眞逆」と叔父が又答へる。 「いえ、頭や顏は別として、樣子がさ」と叔母が又辯解する。  こんな會話が老夫婦の間に取り換はされたのは、宗助が出京して以來一度や二度ではなかつた。實際彼は叔父の所へ來ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。  御米は何う云ふものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、曾つて叔父の家の敷居を跨いだ事がない。向から見えれば叔父さん叔母さんと丁寧に接待するが、歸りがけに、 「何うです、些と御出掛けなすつちや」などゝ云はれると、たゞ 「難有う」と頭を下げる丈で、遂ぞ出掛けた試はなかつた。流石の宗助さへ一度は、 「叔父さんの所へ一度行つて見ちや、何うだい」と勸めた事があるが、 「でも」と變な顏をするので、宗助は夫限決して其事を云ひ出さなかつた。  兩家族はこの状態で約一年ばかりを送つた。すると宗助よりも氣分は若いと許された叔父が突然死んだ。病症は脊髓腦膜炎とかいふ劇症で、二三日風邪の氣味で寐てゐたが、便所へ行つた歸りに、手を洗はうとして、柄杓を持つた儘卒倒したなり、一日經つか經たないうちに冷たくなつて仕舞つたのである。 「御米、叔父はとう/\話をしずに死んで仕舞つたよ」と宗助が云つた。 「貴方まだ、あの事を聞く積だつたの、貴方も隨分執念深いのね」と御米が云つた。  夫から又一年ばかり經つたら、叔父の子の安之助が大學を卒業して、小六が高等學校の二年生になつた。叔母は安之助と一所に中六番町に引き移つた。  三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行つた。そこに一月餘りも滯在してゐるうちに九月になり掛けたので、保田から向ふへ突切つて、上總の海岸を九十九里傳ひに、銚子迄來たが、そこから思ひ出した樣に東京へ歸つた。宗助の所へ見えたのは、歸つてから、まだ二三日しか立たない、殘暑の強い午後である。眞黒に焦げた顏の中に、眼だけ光らして、見違へる樣に蠻色を帶びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入つたなり横になつて、兄の歸りを待ち受けてゐたが、宗助の顏を見るや否や、むつくり起き上がつて、 「兄さん、少し御話があつて來たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた氣味で、暑苦しい洋服さへ脱ぎ更へずに、小六の話を聞いた。  小六の云ふ所によると、二三日前彼が上總から歸つた晩、彼の學資は此暮限り氣の毒ながら出して遣れないと叔母から申し渡されたのださうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以來、學校へも行けるし、着物も自然に出來るし、小遣も適宜に貰へるので、父の存生中と同じ樣に、何不足なく暮らせて來た惰性から、其日其晩迄も、ついぞ學資と云ふ問題を頭に思ひ浮べた事がなかつたため、叔母の宣告を受けた時は、茫然して兎角の挨拶さへ出來なかつたのだと云ふ。  叔母は氣の毒さうに、何故小六の世話が出來なくなつたかを、女丈に、一時間も掛かつて委しく説明して呉れたさうである。それには叔父の亡くなつた事やら、繼いで起る經濟上の變化やら、又安之助の卒業やら、卒業後に控えてゐる結婚問題やらが這入つてゐたのだと云ふ。 「出來るならば、責めて高等學校を卒業する迄と思つて、今日迄色々骨を折つたんだけれども」  叔母は斯う云つたと小六は繰り返した。小六は其時不圖兄が先年父の葬式の時に出京して、萬事を片付けた後、廣島へ歸るとき、小六に、御前の學資は叔父さんに預けてあるからと云つた事があるのを思ひ出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顏をして、 「そりや、あの時、宗さんが若干か置いて行きなすつた事は、行きなすつたが、夫はもう有りやしないよ。叔父さんの未だ生きて御出の時分から、御前の學資は融通して來たんだから」と答へた。  小六は兄から自分の學資が何れ程あつて、何年分の勘定で、叔父に預けられたかを、聞いて置かなかつたから、叔母から斯う云はれて見ると、一言も返し樣がなかつた。 「御前も一人ぢやなし、兄さんもある事だから能く相談をして見たら好いだらう。其代り私も宗さんに逢つて、篤くり譯を話しませうから。どうも、宗さんも餘まり近頃は御出でないし、私も御無沙汰許してゐるのでね、つい御前の事は御話をする譯にも行かなかつたんだよ」と叔母は最後に附け加へたさうである。  小六から一部始終を聞いた時、宗助はたゞ弟の顏を眺めて、一口、 「困つたな」と云つた。昔の樣に赫と激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける氣色もなければ、今迄自分に對して、世話にならないでも濟む人の樣に、餘所々々しく仕向けて來た弟の態度が急に方向を轉じたのを、惡いと思ふ樣子も見えなかつた。  自分の勝手に作り上げた美くしい未來が、半分壞れかゝつたのを、さも傍の人の所爲ででもあるかの如く心を亂してゐる小六の歸る姿を見送つた宗助は、暗い玄關の敷居の上に立つて、格子の外に射す夕日をしばらく眺めてゐた。  其晩宗助は裏から大きな芭蕉の葉を二枚剪つて來て、それを座敷の縁に敷いて、其上に御米と並んで涼みながら、小六の事を話した。 「叔母さんは、此方で、小六さんの世話をしろつて云ふ氣なんぢやなくつて」と御米が聞いた。 「まあ、逢つて聞いて見ないうちは、何う云ふ料簡か分らないがね」と宗助が云ふと、御米は、 「屹度左うよ」と答へながら、暗がりで團扇をはた/\動かした。宗助は何も云はずに、頸を延ばして、庇と崖の間に細く映る空の色を眺めた。二人は其儘しばらく默つて居たが、良あつて、 「だつて夫ぢや無理ね」と御米が又云つた。 「人間一人大學を卒業させるなんて、己の手際ぢや到底駄目だ」と宗助は自分の能力丈を明らかにした。  會話はそこで別の題目に移つて、再び小六の上にも叔母の上にも歸つて來なかつた。それから二三日すると丁度土曜が來たので、宗助は役所の歸りに、番町の叔母の所へ寄つて見た。叔母は、 「おや/\、まあ御珍らしい事」と云つて、何時もよりは愛想よく宗助を款待して呉れた。其時宗助は厭なのを我慢して、此四五年來溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固より出來る丈は辯解しない譯に行かなかつた。  叔母の云ふ所によると、宗助の邸宅を賣拂つた時、叔父の手に這入つた金は、慥には覺えてゐないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、猶四千五百圓とか四千三百圓とか餘つたさうである。所が叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行つたのだから、たとひ幾何餘らうと、餘つた分は自分の所得と見傚して差支ない。然し宗助の邸宅を賣つて儲けたと云はれては心持が惡いから、是は小六の名義で保管して置いて、小六の財産にして遣る。宗助はあんな事をして廢嫡に迄されかゝつた奴だから、一文だつて取る權利はない。 「宗さん怒つちや不可ませんよ。たゞ叔父さんの云つた通りを話すんだから」と叔母が斷つた。宗助は默つてあとを聞いてゐた。  小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑やかな表通りの家屋に變形した。さうして、まだ保險を付けないうちに、火事で燒けて仕舞つた。小六には始めから話してない事だから、其儘にして、わざと知らせずに置いた。 「さう云ふ譯でね、まことに宗さんにも、御氣の毒だけれども、何しろ取つて返しの付かない事だから仕方がない。運だと思つて諦らめて下さい。尤も叔父さんさへ生きてゐれば、又何うともなるんでせうさ。小六一人位そりや譯はありますまいよ。よしんば、叔父さんが居なさらない、今にしたつて、此方の都合さへ好ければ、燒けた家と同じ丈のものを、小六に返すか、それでなくつても、當人の卒業する迄位は、何うにかして世話も出來るんですけれども」と云つて叔母は又外の内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業に就てゞあつた。  安之助は叔父の一人息子で、此夏大學を出た許の青年である。家庭で暖かに育つた上に、同級の學生位より外に交際のない男だから、世の中の事には寧ろ迂濶と云つても可いが、其迂濶な所に何處か鷹揚な趣を具へて實社會へ顏を出したのである。專門は工科の器械學だから、企業熱の下火になつた今日と雖、日本中に澤山ある會社に、相應の口の一つや二つあるのは、勿論であるが、親讓りの山氣が何處かに潛んでゐるものと見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら專有の工場を月島邊に建てゝ、獨立の經營をやつてゐる先輩に出逢つたのが縁となつて、其先輩と相談の上、自分も幾分かの資本を注ぎ込んで、一所に仕事をして見樣といふ考になつた。叔母の内幕話と云つたのは其所である。 「でね、少し有つた株をみんな其方へ廻す事にしたもんだから、今ぢや本當に一文なし同然な仕儀でゐるんですよ。それは世間から見ると、人數は少なし、家邸は持つてゐるし、樂に見えるのも無理のない所でせうさ。此間も原の御母さんが來て、まあ貴方程氣樂な方はない、何時來て見ても萬年青の葉ばかり丹念に洗つてゐるつてね。眞逆左うでも無いんですけれども」と叔母が云つた。  宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりして兎角の返事が容易に出なかつた。心のなかで、是は神經衰弱の結果、昔の樣に機敏で明快な判斷を、すぐ作り上げる頭が失くなつた證據だらうと自覺した。叔母は自分の云ふ通りが、宗助に本當と受けられないのを氣にする樣に、安之助から持ち出した資本の高迄話した。それは五千圓程であつた。安之助は當分の間、僅かな月給と、此五千圓に對する利益配當とで暮らさなければならないのださうである。 「其配當だつて、まだ何うなるか分りやしないんでさあね。旨く行つた所で、一割か一割五分位なものでせうし、又一つ間違へば丸で烟にならないとも限らないんですから」と叔母が付け加へた。  宗助は叔母の仕打に、是と云ふ目立つた阿漕な所も見えないので、心の中では少なからず困つたが、小六の將來に就いて一口の掛合もせずに歸るのは如何にも馬鹿々々しい氣がした。そこで今迄の問題は其所に据ゑつきりにして置いて、自分が當時小六の學資として叔父に預けて行つた千圓の所置を聞き糺して見ると、叔母は、 「宗さん、あれこそ本當に小六が使つちまつたんですよ。小六が高等學校へ這入つてからでも、もう彼是七百圓は掛かつてゐるんですもの」と答へた。  宗助は序だから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書畫や骨董品の成行を確かめて見た。すると、叔母は、 「ありあ飛んだ馬鹿な目に逢つて」と云ひかけたが、宗助の樣子を見て、 「宗さん、何ですか、彼事はまだ御話をしなかつたんでしたかね」と聞いた。宗助がいゝえと答へると、 「おや/\、夫ぢや叔父さんが忘れちまつたんですよ」と云ひながら、其顛末を語つて聞かした。  宗助が廣島へ歸ると間もなく、叔父は其賣捌方を眞田とかいふ懇意の男に依頼した。此男は書畫骨董の道に明るいとかいふので、平生そんなものの賣買の周旋をして諸方へ出入するさうであつたが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某が何を欲しいと云ふから、一寸拜見とか、何々氏が斯う云ふ物を希望だから、見せませうとか號して、品物を持つて行つたぎり、返して來ない。催促すると、まだ先方から戻つて參りませんからとか何とか言譯をする丈で甞て埒の明いた試がなかつたが、とう/\持ち切れなくなつたと見えて、何處かへ姿を隱して仕舞つた。 「でもね、未だ屏風が一つ殘つてゐますよ。此間引越の時に、氣が付いて、こりや宗さんのだから、今度序があつたら屆けて上げたら可いだらうつて、安がさう云つてゐましたつけ」  叔母は宗助の預けて行つた品物には丸で重きを置いてゐない樣な、ものゝ云ひ方をした。宗助も今日迄放つて置く位だから、あまり其方面には興味を有ち得なかつたので、少しも良心に惱まされてゐる氣色のない叔母の樣子を見ても、別に腹は立たなかつた。それでも、叔母が、 「宗さん、何うせ家ぢや使つてゐないんだから、なんなら持つて御出なすつちや何うです。此頃は彼いふものが、大變價が出たと云ふ話ぢやありませんか」と云つたときは、實際それを持つて歸る氣になつた。  納戸から取り出して貰つて、明るい所で眺めると、慥かに見覺のある二枚折であつた。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、眞丸な月を銀で出して、其横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた邊から、葛の葉の風に裏を返してゐる色の乾いた樣から、大福程な大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつく/″\と見て、父の生きてゐる當時を憶ひ起さずにはゐられなかつた。  父は正月になると、屹度此屏風を薄暗い藏の中から出して、玄關の仕切りに立てて、其前へ紫檀の角な名刺入を置いて、年賀を受けたものである。其時は目出度からと云ふので、客間の床には必ず虎の双幅を懸けた。是は岸駒ぢやない岸岱だと父が宗助に云つて聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶してゐた。此虎の畫には墨が着いてゐた。虎が舌を出して谷の水を呑んでゐる鼻柱が少し汚されたのを、父は苛く氣にして、宗助を見る度に、御前此所へ墨を塗つた事を覺えてゐるか、是は御前の小さい時分の惡戲だぞと云つて、可笑しい樣な恨めしい樣な一種の表情をした。  宗助は屏風の前に畏まつて、自分が東京にゐた昔の事を考へながら、 「叔母さん、ぢや此屏風は頂戴して行きませう」と云つた。 「あゝ/\、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げませう」と叔母は好意から申し添えた。  宗助は然るべく叔母に頼んで、其日は夫で切り上げて歸つた。晩食の後御米と一所に又縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣を並べて、涼みながら、畫の話をした。 「安さんには、御逢ひなさらなかつたの」と御米が聞いた。 「あゝ、安さんは土曜でも何でも夕方迄、工場にゐるんださうだ」 「隨分骨が折れるでせうね」  御米は左う云つたなり、叔父や叔母の處置に就いては、一言の批評も加へなかつた。 「小六の事は何うしたものだらう」と宗助が聞くと、 「さうね」と云ふ丈であつた。 「理窟を云へば、此方にも云ひ分はあるが、云ひ出せば、とゞの詰りは裁判沙汰になる許りだから、證據も何もなければ勝てる譯のものぢやなし」と宗助が極端を豫想すると、 「裁判なんかに勝たなくたつても可いわ」と御米がすぐ云つたので、宗助は苦笑して已めた。 「つまりは己があの時東京へ出られなかつたからの事さ」 「さうして東京へ出られた時は、もうそんな事は何うでも可かつたんですもの」  夫婦はこんな話をしながら、又細い空を庇の下から覗いて見て、明日の天氣を語り合つて蚊帳に這入つた。  次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云つた通りを殘らず話して聞かせて、 「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかつたのは、短兵急な御前の性質を知つてる所爲か、夫ともまだ小供だと思つてわざと略して仕舞つたのか、其所は己にも分らないが、何しろ事實は今云つた通りなんだよ」と教えた。  小六には如何に詳しい説明も腹の足しにはならなかつた。たゞ、 「左うですか」と云つて六づかしい不滿な顏をして宗助を見た。 「仕方がないよ。叔母さんだつて、安さんだつて、さう惡い料簡はないんだから」 「そりや、分つてゐます」と弟は峻しい物の云ひ方をした。 「ぢや己が惡いつて云ふんだらう。己は無論惡いよ。昔から今日迄惡い所だらけな男だもの」  宗助は横になつて烟草を吹かしながら、是より以上は何とも語らなかつた。小六も默つて、座敷の隅に立てゝあつた二枚折の抱一の屏風を眺めてゐた。 「御前あの屏風を覺えてゐるかい」とやがて兄が聞いた。 「えゝ」と小六が答へた。 「一昨日佐伯から屆けて呉れた。御父さんの持つてたもので、おれの手に殘つたのは、今ぢや是だけだ。是が御前の學資になるなら、今すぐにでも遣るが、剥げた屏風一枚で大學を卒業する譯にも行かずな」と宗助が云つた。さうして苦笑しながら、 「此暑いのに、斯んなものを立てゝ置くのは、氣狂じみてゐるが、入れて置く所がないから、仕方がない」と云ふ述懷をした。  小六は此氣樂な樣な、愚圖の樣な、自分とは餘りに懸け隔つてゐる兄を、何時も物足りなくは思ふものゝ、いざといふ場合に、決して喧嘩はし得なかつた。此時も急に癇癪の角を折られた氣味で、 「屏風は何うでも好いが、是から先僕はどうしたもんでせう」と聞き出した。 「夫は問題だ。何しろ此年一杯に極まれば好い事だから、まあよく考へるさ。おれも考へて置かう」と宗助が云つた。  弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌である、學校へ出ても落付いて稽古も出來ず、下調も手に付かない樣な境遇は、到底自分には堪へられないと云ふ訴を切に遣り出したが、宗助の態度は依然として變らなかつた。小六があまり癇の高い不平を並べると、 「其位な事で夫程不平が並べられゝば、何處へ行つたつて大丈夫だ。學校を已めたつて、一向差支ない。御前の方が己より餘つ程えらいよ」と兄が云つたので、話は夫限頓挫して、小六はとう/\本郷へ歸つて行つた。  宗助はそれから湯を浴びて、晩食を濟まして、夜は近所の縁日へ御米と一所に出掛けた。さうして手頃な花物を二鉢買つて、夫婦して一つ宛持つて歸つて來た。夜露に中てた方が可からうと云ふので、崖下の雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。  蚊帳の中へ這入つた時、御米は、 「小六さんの事は何うなつて」と夫に聞くと、 「未だ何うもならないさ」と宗助は答へたが、十分許の後夫婦ともすや/\寐入つた。  翌日眼が覺めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考へる暇を有たなかつた。家へ歸つて、のつそりしてゐる時ですら、此問題を確的眼の前に描いて明らかにそれを眺める事を憚かつた。髮の毛の中に包んである彼の腦は、其煩はしさに堪えなかつた。昔は數學が好で、隨分込み入つた幾何の問題を、頭の中で明暸な圖にして見る丈の根氣があつた事を憶ひ出すと、時日の割には非常に烈しく來た此變化が自分にも恐ろしく映つた。  それでも日に一度位は小六の姿がぼんやり頭の奧に浮いて來る事があつて、その時丈は、彼奴の將來も何とか考へて置かなくつちやならないと云ふ氣も起つた。然しすぐあとから、まあ急ぐにも及ぶまい位に、自分と打ち消して仕舞ふのが常であつた。さうして、胸の筋が一本鉤に引つ掛つた樣な心を抱いて、日を暮らしてゐた。  其内九月も末になつて、毎晩天の河が濃く見へるある宵の事、空から降つた樣に安之助が遣つて來た。宗助にも御米にも思ひ掛けない程稀な客なので、二人とも何か用があつての訪問だらうと推したが、果して小六に關する件であつた。  此間月島の工場へひよつくり小六が遣つて來て云ふには、自分の學資に就ての詳しい話は兄から聞いたが、自分も今迄學問を遣つて來て、とう/\大學へ這入れず仕舞になるのは如何にも殘念だから、借金でも何でもして、行ける所迄行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談を掛けるので、安之助はよく宗さんにも話して見やうと答へると、小六は忽ちそれを遮ぎつて、兄は到底相談になつて呉れる人ぢやない、自分が大學を卒業しないから、他も中途で已めるのは當然だ位に考へてゐる。元來今度の事も元を糺せば兄が責任者であるのに、あの通り一向平氣なもので、他が何を云つても取り合つて呉れない。だから、たゞ頼りにするのは君丈だ。叔母さんに正式に斷わられながら、又君に依頼するのは可笑しい樣だが、君の方が叔母さんより話が分るだらうと思つて來たと云つて、中々動きさうもなかつたさうである。  安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事では大分心配して、近い中又家へ相談に來る筈になつてゐるんだからと慰めて、小六を歸したんだと云ふ。歸るときに、小六は袂から半紙を何枚も出して、缺席屆が入用だから是に判を押して呉れと請求して、僕は退學か在學か片が付く迄は勉強が出來ないから、毎日學校へ出る必要はないんだと云つたさうである。  安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して歸つて行つたが、小六の所置に就ては、兩人の間に具體的の案は別に出なかつた。何れ緩くりみんなで寄つて極めやう、都合がよければ小六も列席するが好からうといふのが別れる時の言葉であつた。二人になつたとき、御米は宗助に、 「何を考へて入らつしやるの」と聞いた。宗助は兩手を兵兒帶の間に挾んで、心持肩を高くしたなり、 「己ももう一返小六見た樣になつて見たい」と云つた。「此方ぢや、向が己の樣な運命に陷るだらうと思つて心配してゐるのに、向ぢや兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」  御米は茶器を引いて臺所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、又床を延べて寐た。夢の上に高い銀河が涼しく懸つた。  次の週間には、小六も來ず、佐伯からの音信もなく、宗助の家庭は又平日の無事に歸つた。夫婦は毎朝露の光る頃起きて、美しい日を廂の上に見た。夜は煤竹の臺を着けた洋燈の兩側に、長い影を描いて坐つてゐた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音丈が聞える事も稀ではなかつた。  夫でも夫婦は此間に小六の事を相談した。小六がもし何うしても學問を續ける氣なら無論の事、さうでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れてゐるが、左うすれば又佐伯へ歸るか、或は宗助の所へ置くより外に途はない。佐伯では一旦あゝ云ひ出した樣なものゝ、頼んで見たら、當分宅へ置く位の事は、好意上爲てくれまいものでもない。が、其上修業をさせるとなると、月謝小遣其他は宗助の方で擔任しなければ義理が惡い。所が夫は家計上宗助の堪える所でなかつた。月々の收支を事細かに計算して見た兩人は、 「到底駄目だね」 「何うしたつて無理ですわ」と云つた。  夫婦の坐つてゐる茶の間の次が臺所で、臺所の右に下女部屋、左に六疊が一間ある。下女を入れて三人の小人數だから、此六疊には餘り必要を感じない御米は、東向の窓側に何時も自分の鏡臺を置いた。宗助も朝起きて顏を洗つて、飯を濟ますと、此所へ來て着物を脱ぎ更へた。 「夫よりか、あの六疊を空けて、あすこへ來ちや不可なくつて」と御米が云ひ出した。御米の考へでは、斯うして自分の方で部屋と食物丈を分擔して、あとの所を月々幾何か佐伯から助て貰つたら、小六の望み通り大學卒業迄遣つて行かれやうと云ふのである。 「着物は安さんの古いのや、貴方のを直して上げたら、何うかなるでせう」と御米が云ひ添へた。實は宗助にも斯んな考が、多少頭に浮かんで居た。たゞ御米に遠慮がある上に、夫程氣が進まなかつたので、つい口へ出さなかつた迄だから、細君から斯う反對に相談を掛けられて見ると、固よりそれを拒む丈の勇氣はなかつた。  小六に其通りを通知して、御前さへそれで差支なければ、己がもう一遍佐伯へ行つて掛合つて見るがと、手紙で問ひ合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘に音を立てゝ遣つて來て、もう學資が出來でもした樣に嬉しがつた。 「何、叔母さんの方ぢや、此方で何時迄も貴方の事を放り出したまんま、構はずに置くもんだから、それで彼仰やるのよ。なに兄さんだつて、もう少し都合が好ければ、疾うにも何うにか爲たんですけれども、御存じの通りだから實際已むを得なかつたんですわ。然し此方から斯う云つて行けば、叔母さんだつて、安さんだつて、夫でも否だとは云はれないわ。屹度出來るから安心して居らつしやい。私受合ふわ」  御米にかう受合つて貰つた小六は、又雨の音を頭の上に受けて本郷へ歸つて行つた。しかし中一日置いて、兄さんは未だ行かないんですかと聞きに來た。又三日許過ぎてから、今度は叔母さんの所へ行つて聞いたら、兄さんはまだ來ないさうだから、成るべく早く行く樣に勸めて呉れと催促して行つた。  宗助が行く行くと云つて、日を暮らしてゐるうちに世の中は漸く秋になつた。その朗らかな或日曜の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後れるので、此要件を手紙に認めて番町へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行つて留守だと云ふ返事が來たのである。 五  佐伯の叔母の尋ねて來たのは、土曜の午後の二時過であつた。其日は例になく朝から雲が出て、突然と風が北に變つた樣に寒かつた。叔母は竹で編んだ丸い火桶の上へ手を翳して、 「何ですね、御米さん、此御部屋は夏は涼しさうで結構だが、是からはちと寒う御座んすね」と云つた。叔母は癖のある髮を、奇麗に髷に結つて、古風な丸打の羽織の紐を、胸の所で結んでゐた。酒の好きな質で、今でも少しづゝは晩酌を遣る所爲か、色澤もよく、でつぷり肥つてゐるから、年よりは餘程若く見える。御米は叔母が來るたんびに、叔母さんは若いのねと、後でよく宗助に話した。すると宗助が何時でも、若い筈だ、あの年になる迄、子供をたつた一人しか生まないんだからと説明した。御米は實際さうかも知れないと思つた。さうして斯う云はれた後では、折々そつと六疊へ這入つて、自分の顏を鏡に映して見た。其時は何だか自分の頬が見る度に瘠けて行く樣な氣がした。御米には自分と子供とを連想して考へる程辛い事はなかつたのである。裏の家主の宅に、小さい子供が大勢ゐて、夫が崖の上の庭へ出て、ブランコへ乘つたり、鬼ごつこを遣つたりして騷ぐ聲が、能く聞えると、御米は何時でも、果敢ない樣な恨めしい樣な心持になつた。今自分の前に坐つてゐる叔母は、たつた一人の男の子を生んで、その男の子が順當に育つて、立派な學士になつたればこそ、叔父が死んだ今日でも、何不足のない顏をして、腮などは二重に見える位に豐なのである。御母さんは肥つてるから劍呑だ、氣を付けないと卒中で遣られるかも知れないと、安之助が始終心配するさうだけれども、御米から云はせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享け合つてゐるものとしか思はれなかつた。 「安さんは」と御米が聞いた。 「えゝ漸くね、あなた。一昨日の晩歸りましてね。夫でつい/\御返事も後れちまつて、まことに濟みません樣な譯で」と云つたが、返事の方は夫なりにして、話は又安之助へ戻つて來た。 「あれもね、御蔭さまで漸く學校丈は卒業しましたが、是からが大事の所で、心配で御座います。――夫でも此九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあ幸と此分で勉強さへして行つて呉れゝば、此末ともに、さう惡い事も無からうかと思つてるんですけれども、まあ若いものゝ事ですから、是から先何う變化るか分りやしませんよ」  御米はたゞ結構で御座いますとか、御目出たう御座いますとか云ふ言葉を、間々に挾んでゐた。 「神戸へ參つたのも、全く其方の用向なので。石油發動機とか何とか云ふものを鰹船へ据ゑ付けるんだとかつてね貴方」  御米には丸で意味が分らなかつた。分らない乍らたゞへえゝと受けてゐると、叔母はすぐ後を話した。 「私にも何のこつたか、些とも分らなかつたんですが、安之助の講釋を聞いて始めて、おやさうかいと云ふ樣な譯でしてね。――尤も石油發動機は今以て分らないんですけれども」と云ひながら、大きな聲を出して笑つた。「何でも石油を焚いて、それで船を自由にする器械なんださうですが、聞いて見ると餘程重寶なものらしいんですよ。夫さへ付ければ、舟を漕ぐ手間が丸で省けるとかでね。五里も十里も沖へ出るのに、大變樂なんですとさ。所が貴方、此日本全國で鰹船の數つたら、夫こそ大したものでせう。その鰹船が一つ宛此器械を具へ付ける樣になつたら、莫大な利益だつて云ふんで、此頃は夢中になつて其方ばつかりに掛つてゐる樣ですよ。莫大な利益は有難いが、さう凝つて身體でも惡くしちや詰らないぢやないかつて、此間も笑つた位で」  叔母はしきりに鰹船と安之助の話をした。さうして大變得意の樣に見えたが、小六の事は中々云ひ出さなかつた。もう疾に歸る筈の宗助も何うしたか歸つて來なかつた。  彼は其日役所の歸り掛けに駿河臺下迄來て、電車を下りて、酸いものを頬張つた樣な口を穿めて一二町歩いた後、ある齒醫者の門を潛つたのである。三四日前彼は御米と差向ひで、夕飯の膳に着いて、話しながら箸を取つてゐる際に、何うした拍子か、前齒を逆にぎりゝと噛んでから、それが急に痛み出した。指で搖かすと、根がぐら/\する。食事の時には湯茶が染みる。口を開けて息をすると風も染みた。宗助は此朝齒を磨くために、わざと痛い所を避けて楊枝を使ひながら、口の中を鏡に照らして見たら、廣島で銀を埋めた二枚の奧齒と、研いだ樣に磨り減らした不揃の前齒とが、俄かに寒く光つた。洋服に着換える時、 「御米、己は齒の性が餘程惡いと見えるね。斯うやると大抵動くぜ」と下齒を指で動かして見せた。御米は笑ひながら、 「もう御年の所爲よ」と云つて白い襟を後へ廻つて襯衣へ着けた。  宗助は其日の午後とう/\思い切つて、齒醫者へ寄つたのである。應接間へ通ると、大きな洋卓の周圍に天鵞絨で張つた腰掛が并んでゐて、待ち合してゐる三四人が、うづくまる樣に腮を襟に埋めてゐた。それが皆女であつた。奇麗な茶色の瓦斯暖爐には火がまだ焚いてなかつた。宗助は大きな姿見に映る白壁の色を斜めに見て、番の來るのを待つてゐたが、あまり退屈になつたので、洋卓の上に重ねてあつた雜誌に眼を着けた。一二册手に取つて見ると、いづれも婦人用のものであつた。宗助は其口繪に出てゐる女の寫眞を、何枚も繰り返して眺めた。夫から「成効」と云ふ雜誌を取り上げた。其初めに、成效の祕訣といふ樣なものが箇條書にしてあつたうちに、何でも猛進しなくつては不可ないと云ふ一ヶ條と、たゞ猛進しても不可ない、立派な根底の上に立つて、猛進しなくつてはならないと云ふ一ヶ條を讀んで、それなり雜誌を伏せた。「成效」と宗助は非常に縁の遠いものであつた。宗助は斯ういふ名の雜誌があると云ふ事さへ、今日迄知らなかつた。それで又珍らしくなつて、一旦伏せたのを又開けて見ると、不圖假名の交らない四角な字が二行程並んでゐた。夫には風碧落を吹いて浮雲盡き、月東山に上つて玉一團とあつた。宗助は詩とか歌とかいふものには、元から餘り興味を持たない男であつたが、どう云ふ譯か此二句を讀んだ時に大變感心した。對句が旨く出來たとか何とか云ふ意味ではなくつて、斯んな景色と同じ樣な心持になれたら、人間も嘸嬉しからうと、ひよつと心が動いたのである。宗助は好奇心から此句の前に付いてゐる論文を讀んで見た。然し夫は丸で無關係の樣に思はれた。只此二句が雜誌を置いた後でも、しきりに彼の頭の中を徘徊した。彼の生活は實際此四五年來斯ういふ景色に出逢つた事がなかつたのである。  其時向ふの戸が開いて、紙片を持つた書生が野中さんと宗助を手術室へ呼び入れた。  中へ這入ると、其所は應接間よりも倍も廣かつた。光線が成るべく餘計取れる樣に明るく拵らへた部屋の二側に、手術用の椅子を四臺程据ゑて、白い胸掛をかけた受持の男が、一人づゝ別々に療治をしてゐた。宗助は一番奧の方にある一脚に案内されて、是へと云はれるので、踏段の樣なものの上へ乘つて、椅子へ腰を卸した。書生が厚い縞入の前掛で丁寧に膝から下を包んで呉れた。  斯う穩やかに寐かされた時、宗助は例の齒が左程苦になる程痛んでゐないと云ふ事を發見した。夫ばかりか、肩も脊も、腰の周りも、心安く落ち付いて、如何にも樂に調子が取れてゐる事に氣が付いた。彼はたゞ仰向いて天井から下つてゐる瓦斯管を眺めた。さうして此構と設備では、歸りがけに思つたより高い療治代を取られるかも知れないと氣遣つた。  所へ顏の割に頭の薄くなり過ぎた肥つた男が出て來て、大變丁寧に挨拶をしたので、宗助は少し椅子の上で狼狽た樣に首を動かした。肥つた男は一應容體を聞いて、口中を檢査して、宗助の痛いと云ふ齒を一寸搖つて見たが、 「何うも斯う弛みますと、到底元の樣に緊る譯には參りますまいと思ひますが。何しろ中がエソになつて居りますから」と云つた。  宗助は此宣告を淋しい秋の光の樣に感じた。もうそんな年なんでせうかと聞いて見たくなつたが、少し極りが惡いので、たゞ、 「ぢや癒らないんですか」と念を押した。  肥つた男は笑ひながら斯う云つた。―― 「まあ癒らないと申し上げるより外に仕方が御座んせんな。已を得なければ、思ひ切つて拔いて仕舞ふんですが、今の所では、まだ夫程でも御座いますまいから、たゞ御痛み丈を留めて置きませう。何しろエソ――エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中が丸で腐つて居ります」  宗助は、左うですかと云つて、たゞ肥つた男のなすが儘にして置いた。すると彼は器械をぐる/\廻して宗助の齒の根へ穴を開け始めた。さうして其中へ細長い針の樣なものを刺し通しては、其先を嗅いでゐたが、仕舞に糸程な筋を引き出して、神經が是丈取れましたと云ひながら、それを宗助に見せて呉れた。それから藥で其穴を埋めて、明日又入らつしやいと注意を與へた。  椅子を下りるとき、身體が眞直ぐになつたので、視線の位置が天井から不圖庭先に移つたら、其所にあつた高さ五尺もあらうと云ふ大きな鉢栽の松が宗助の眼に這入つた。其根方の所を、草鞋がけの植木屋が丁寧に薦で包んでゐた。段々露が凝つて霜になる時節なので、餘裕のあるものは、もう今時分から手廻しをするのだと氣が付いた。  歸りがけに玄關脇の藥局で、粉藥の儘含嗽劑を受取つて、それを百倍の微温湯に溶解して、一日十數回使用すべき注意を受けた時、宗助は會計の請求した治療代の案外廉なのを喜んだ。是ならば向ふで云ふ通り四五回通つた所が、さして困難でもないと思つて、靴を穿かうとすると、今度は靴の底が何時の間にか破れてゐる事に氣が付いた。  宅へ着いた時は一足違で叔母がもう歸つたあとであつた。宗助は、 「おゝ、左うだつたか」と云ひながら、甚だ面倒さうに洋服を脱ぎ更へて、何時もの通り火鉢の前に坐つた。御米は襯衣や洋袴や靴足袋を一抱にして六疊へ這入つた。宗助はぼんやりして、烟草を吹かし始めたが、向ふの部屋で、刷毛を掛ける音がし出した時、 「御米、佐伯の叔母さんは何とか云つて來たのかい」と聞いた。  齒痛が自から治まつたので、秋に襲はれる樣な寒い氣分は、少し輕くなつたけれども、やがて御米が隱袋から取り出して來た粉藥を、温ま湯に溶いて貰つて、しきりに含嗽を始めた。其時彼は縁側へ立つた儘、 「何うも日が短かくなつたなあ」と云つた。  やがて日が暮れた。晝間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口から寂としてゐた。夫婦は例の通り洋燈の下に寄つた。廣い世の中で、自分達の坐つてゐる所丈が明るく思はれた。さうして此明るい灯影に、宗助は御米丈を、御米は又宗助丈を意識して、洋燈の力の屆かない暗い社會は忘れてゐた。彼等は毎晩かう暮らして行く裡に、自分達の生命を見出してゐたのである。  此靜かな夫婦は安之助の神戸から土産に買つて來たと云ふ養老昆布の罐をがら/\振つて、中から山椒入りの小さく結んだ奴を撰り出しながら、緩くり佐伯からの返事を語り合つた。 「然し月謝と小遣位は都合して遣つて呉れても好ささうなもんぢやないか」 「それが出來ないんだつて。何う見積つても兩方寄せると、十圓にはなる。十圓と云ふ纏つた御金を、今の所月々出すのは骨が折れるつて云ふのよ」 「夫ぢや此年の暮迄二十何圓づゝか出して遣るのも無理ぢやないか」 「だから、無理をしても、もう一二ヶ月の所丈は間に合せるから、其内に何うかして下さいと、安さんが左う云ふんだつて」 「實際出來ないのかな」 「夫りや私には分らないわ。何しろ叔母さんが、左う云ふのよ」 「鰹舟で儲けたら、其位譯なささうなもんぢやないか」 「本當ね」  御米は低い聲で笑つた。宗助も一寸口の端を動かしたが、話はそれで途切れて仕舞つた。しばらくしてから、 「何しろ小六は家へ來ると極めるより外に道はあるまいよ。後は其上の事だ。今ぢや學校へは出てゐるんだね」と宗助が云つた。 「さうでせう」と御米が答へるのを聞き流して、彼は珍らしく書齋に這入つた。一時間程して、御米がそつと襖を開けて覗いて見ると、机に向つて、何か讀んでゐた。 「勉強? もう御休みなさらなくつて」と誘はれた時、彼は振り返つて、 「うん、もう寐よう」と答へながら立ち上つた。  寐る時、着物を脱いで、寐卷の上に、絞りの兵兒帶をぐる/\卷きつけながら、 「今夜は久し振に論語を讀んだ」と云つた。 「論語に何かあつて」と御米が聞き返したら、宗助は、 「いや何にもない」と答へた。それから、「おい、己の齒は矢つ張り年の所爲だとさ。ぐら/\するのは到底癒らないさうだ」と云ひつゝ、黒い頭を枕の上に着けた。 六  小六は兎も角も都合次第下宿を引き拂つて兄の家へ移る事に相談が調つた。御米は六疊に置き付けた桑の鏡臺を眺めて、一寸殘り惜しい顏をしたが、 「斯うなると少し遣場に困るのね」と訴へる樣に宗助に告げた。實際此所を取り上げられては、御米の御化粧をする場所が無くなつて仕舞ふのである。宗助は何の工夫も付かずに、立ちながら、向ふの窓側に据ゑてある鏡の裏を斜に眺めた。すると角度の具合で、其所に御米の襟元から片頬が映つてゐた。それが如何にも血色のわるい横顏なのに驚ろかされて、 「御前、何うかしたのかい。大變色が惡いよ」と云ひながら、鏡から眼を放して、實際の御米の姿を見た。鬢が亂れて、襟の後の邊が垢で少し汚れてゐた。御米はたゞ、 「寒い所爲なんでせう」と答へて、すぐ西側に付いてゐる一間の戸棚を明けた。下には古い創だらけの箪笥があつて、上には支那鞄と柳行李が二つ三つ載つてゐた。 「こんなもの、何うしたつて片付樣がないわね」 「だから其儘にして置くさ」  小六の此所へ引移つて來るのは、斯う云ふ點から見て、夫婦の何れにも、多少迷惑であつた。だから來ると云つて約束して置きながら、今だに來ない小六に對しては、別段の催促もしなかつた。一日延びれば延びた丈窮屈が逃げた樣な氣が何所かでした。小六にも丁度それと同じ憚があつたので、居られる限は下宿にゐる方が便利だと胸を極めたものか、つい一日/\と引越を前へ送つてゐた。其癖彼の性質として、兄夫婦の如く、荏苒の境に落付いてはゐられなかつたのである。  其内薄い霜が降りて、裏の芭蕉を見事に摧いた。朝は崖上の家主の庭の方で、鵯が鋭どい聲を立てた。夕方には表を急ぐ豆腐屋の喇叭に交つて、圓明寺の木魚の音が聞えた。日は益短かくなつた。さうして御米の顏色は、宗助が鏡の中に認めた時よりも、爽かにはならなかつた。夫が役所から歸つて來て見ると、六疊で寐てゐる事が一二度あつた。何うかしたかと尋ねると、たゞ少し心持が惡いと答へる丈であつた。醫者に見て貰へと勸めると、夫には及ばないと云つて取り合はなかつた。  宗助は心配した。役所へ出てゐても能く御米の事が氣に掛つて、用の邪魔になるのを意識する時もあつた。所がある日歸りがけに突然電車の中で膝を拍つた。その日は例になく元氣よく格子を明けて、すぐと勢よく今日は何うだいと御米に聞いた。御米が何時もの通り服や靴足袋を一纏めにして、六疊へ這入る後から追いて來て、 「御米、御前子供が出來たんぢやないか」と笑ひながら云つた。御米は返事もせずに俯向いてしきりに夫の脊廣の埃を拂つた。刷毛の音が已んでも中々六疊から出て來ないので、又行つて見ると、薄暗い部屋の中で、御米はたつた一人寒さうに、鏡臺の前に坐つてゐた。はいと云つて立つたが、其聲が泣いた後の聲の樣であつた。  其晩夫婦は火鉢に掛けた鐵瓶を、双方から手で掩ふ樣にして差し向つた。 「何うですな世の中は」と宗助が例にない浮いた調子を出した。御米の頭の中には、夫婦にならない前の、宗助と自分の姿が奇麗に浮んだ。 「ちつと、面白くしやうぢやないか。此頃は如何にも不景氣だよ」と宗助が又云つた。二人は夫から今度の日曜には一所に何所へ行かうか、此所へ行かうかと、しばらく夫許話し合つてゐた。夫から二人の春着の事が題目になつた。宗助の同僚の高木とか云ふ男が、細君に小袖とかを強請られた時、おれは細君の虚榮心を滿足させる爲に稼いでるんぢやないと云つて跳ね付けたら、細君がそりや非道い、實際寒くなつても着て出るものがないんだと辯解するので、寒ければ已を得ない、夜具を着るとか、毛布を被るとかして、當分我慢しろと云つた話を、宗助は可笑しく繰り返して御米を笑はした。御米は夫の此樣子を見て、昔が又眼の前に戻つた樣な氣がした。 「高木の細君は夜具でも構はないが、おれは一つ新らしい外套を拵えたいな。此間齒醫者へ行つたら、植木屋が薦で盆栽の松の根を包んでゐたので、つく/″\左う思つた」 「外套が欲しいつて」 「あゝ」  御米は夫の顏を見て、さも氣の毒だと云ふ風に、 「御拵らえなさいな。月賦で」と云つた。宗助は、 「まあ止さうよ」と急に侘しく答へた。さうして「時に小六は何時から來る氣なんだらう」と聞いた。 「來るのは厭なんでせう」と御米が答へた。御米には、自分が始めから小六に嫌はれてゐると云ふ自覺があつた。それでも夫の弟だと思ふので、成るべくは反を合せて、少しでも近づける樣に/\と、今日迄仕向けて來た。その爲か、今では以前と違つて、まあ普通の小舅位の親しみはあると信じてゐる樣なものゝ、斯んな場合になると、つい實際以上にも氣を回して、自分丈が小六の來ない唯一の原因の樣に考へられるのであつた。 「そりや下宿からこんな所へ移るのは好かあないだらうよ。丁度此方が迷惑を感ずる通り、向ふでも窮屈を感ずる譯だから。おれだつて、小六が來ないとすれば、今のうち思ひ切つて外套を作る丈の勇氣があるんだけれども」  宗助は男丈に思ひ切つて斯う云つて仕舞つた。けれども是丈では御米の心を盡してゐなかつた。御米は返事もせずに、しばらく默つてゐたが、細い腮を襟の中へ埋めた儘、上眼を使つて、 「小六さんは、まだ私の事を惡んでゐらつしやるでせうか」と聞き出した。宗助が東京へ來た當座は、時々是に類似の質問を御米から受けて、其都度慰めるのに大分骨の折れた事もあつたが、近來は全く忘れた樣に何も云はなくなつたので、宗助もつい氣に留めなかつたのである。 「又ヒステリーが始まつたね。好いぢやないか小六なんぞが、何う思つたつて。己さえ付いてれば」 「論語にさう書いてあつて」  御米は斯んな時に、斯ういふ冗談を云ふ女であつた。宗助は 「うん、書いてある」と答へた。夫で二人の會話が仕舞になつた。  翌日宗助が眼を覺ますと、亞鉛張の庇の上で寒い音がした。御米が襷掛の儘枕元へ來て、 「さあ、もう時間よ」と注意したとき、彼は此點滴の音を聞きながら、もう少し暖かい蒲團の中に温もつてゐたかつた。けれども血色の可くない御米の、甲斐々々しい姿を見るや否や、 「おい」と云つて直起き上つた。  外は濃い雨に鎖されてゐた。崖の上の孟宗竹が時々鬣を振ふ樣に、雨を吹いて動いた。此侘びしい空の下へ濡れに出る宗助に取つて、力になるものは、暖かい味噌汁と暖かい飯より外になかつた。 「又靴の中が濡れる。何うしても二足持つてゐないと困る」と云つて、底に小さい穴のあるのを仕方なしに穿いて、洋袴の裾を一寸許まくり上げた。  午過に歸つて來て見ると、御米は金盥の中に雜巾を浸けて、六疊の鏡臺の傍に置いてゐた。其上の所丈天井の色が變つて、時々雫が落ちて來た。 「靴ばかりぢやない。家の中迄濡れるんだね」と云つて宗助は苦笑した。御米は其晩夫の爲に置炬燵へ火を入れて、スコツチの靴下と縞羅紗の洋袴を乾かした。  明る日も亦同じ樣に雨が降つた。夫婦も亦同じ樣に同じ事を繰り返した。その明る日もまだ晴れなかつた。三日目の朝になつて、宗助は眉を縮めて舌打をした。 「何時迄降る氣なんだ。靴がじめ/\して我慢にも穿けやしない」 「六疊だつて困るわ、あゝ漏つちや」  夫婦は相談して、雨が晴れ次第、家根を繕つて貰ふ樣に家主へ掛け合ふ事にした。けれども靴の方は何とも仕樣がなかつた。宗助はきしんで這入らないのを無理に穿いて出て行つた。  幸に其日は十一時頃からからりと晴れて、垣に雀の鳴く小春日和になつた。宗助が歸つた時、御米は例より冴え/″\しい顏色をして、 「貴方、あの屏風を賣つちや不可なくつて」と突然聞いた。抱一の屏風は先達て佐伯から受取つた儘、元の通り書齋の隅に立てゝあつたのである。二枚折だけれども、座敷の位置と廣さから云つても、實は寧ろ邪魔な裝飾であつた。南へ廻すと、玄關からの入口を半分塞いで仕舞ふし、東へ出すと暗くなる、と云つて、殘る一方へ立てれば床の間を隱すので、宗助は、 「折角親爺の記念だと思つて、取つて來た樣なものゝ、仕樣がないね是ぢや、場塞げで」と零した事も一二度あつた。其都度御米は眞丸な縁の燒けた銀の月と、絹地から殆んど區別出來ない樣な穗芒の色を眺めて、斯んなものを珍重する人の氣が知れないと云ふ樣な見えをした。けれども、夫を憚つて、明白さまには何とも云ひ出さなかつた。たゞ一返 「是でも可い繪なんでせうかね」と聞いた事があつた。其時宗助は始めて抱一の名を御米に説明して聞かした。然しそれは自分が昔し父から聞いた覺のある、朧氣な記憶を好加減に繰り返すに過ぎなかつた。實際の畫の價値や、又抱一に就ての詳しい歴史などに至ると宗助にも其實甚だ覺束なかつたのである。  所がそれが偶然御米のために妙な行爲の動機を構成る原因となつた。過去一週間夫と自分の間に起つた會話に、不圖此知識を結び付けて考へ得た彼女は一寸微笑んだ。この日雨が上つて、日脚がさつと茶の間の障子に射した時、御米は不斷着の上へ、妙な色の肩掛とも、襟卷とも付かない織物を纏つて外へ出た。通りを二丁目程來て、それを電車の方角へ曲つて眞直に來ると、乾物屋と麺麭屋の間に、古道具を賣つてゐる可なり大きな店があつた。御米はかつて其所で足の疊み込める食卓を買つた記憶がある。今火鉢に掛けてある鐵瓶も、宗助が此所から提げて歸つたものである。  御米は手を袖にして道具屋の前に立ち留まつた。見ると相變らず新らしい鐵瓶が澤山並べてあつた。其外には時節柄とでも云ふのか火鉢が一番多く眼に着いた。然し骨董と名のつく程のものは、一つもない樣であつた。ひとり何とも知れぬ大きな龜の甲が、眞向に釣るしてあつて、其下から長い黄ばんだ拂子が尻尾の樣に出てゐた。それから紫檀の茶棚が一つ二つ飾つてあつたが、何れも狂の出さうな生なもの許であつた。然し御米にはそんな區別は一向映らなかつた。たゞ掛物も屏風も一つも見當らない事丈確かめて、中へ這入つた。  御米は無論夫が佐伯から受取つた屏風を、幾何かに賣り拂ふ積でわざ/\此所迄足を運んだのであるが、廣島以來かう云ふ事に大分經驗を積んだ御蔭で、普通の細君の樣な努力も苦痛も感ぜずに、思ひ切つて亭主と口を利く事が出來た。亭主は五十恰好の色の黒い頬の瘠た男で、鼈甲の縁を取つた馬鹿に大きな眼鏡を掛けて、新聞を讀みながら、疣だらけの唐金の火鉢に手を翳してゐた。 「さうですな、拜見に出ても可うがす」と輕く受合つたが、別に氣の乘つた樣子もないので、御米は腹の中で少し失望した。然し自分からが既に大した望を抱いて出て來た譯でもないので、斯う簡易に受けられると、此方から頼む樣にしても、見て貰はなければならなかつた。 「可うがす。ぢや後程伺ひませう。今小僧が一寸出て居りませんからな」  御米は此存在な言葉を聞いて其儘宅へ歸つたが、心の中では、果して道具屋が來るか來ないか甚だ疑はしく思つた。一人で何時もの樣に簡單な食事を濟まして、清に膳を下げさしてゐると、いきなり御免下さいと云つて、大きな聲を出して道具屋が玄關から遣つて來た。座敷へ上げて、例の屏風を見せると、成程と云つて裏だの縁だのを撫でてゐたが、 「御拂になるなら」と少し考へて、「六圓に頂いて置きませう」と否々さうに價を付けた。御米には道具屋の付けた相場が至當の樣に思はれた。けれども一應宗助に話してからでなくつては、餘り專斷過ぎると心付いた上、品物の歴史が歴史だけに、猶更遠慮して、何れ歸つたら能く相談して見た上でと答へた儘、道具屋を歸さうとした。道具屋は出掛に、 「ぢや、奧さん折角だから、もう一圓奮發しませう。夫で御拂ひ下さい」と云つた。御米は其時思ひ切つて、 「でも、道具屋さん、ありや抱一ですよ」と答へて、腹の中ではひやりとした。道具屋は、平氣で、 「抱一は近來流行ませんからな」と受け流したが、じろ/\御米の姿を眺めた上、 「ぢや猶能く御相談なすつて」と云ひ捨てゝ歸つて行つた。  御米は其時の模樣を詳しく話した後で、 「賣つちや不可なくつて」と又無邪氣に聞いた。  宗助の頭の中には、此間から物質上の欲求が、絶えず動いてゐた。たゞ地味な生活をしなれた結果として、足らぬ家計を足ると諦らめる癖が付いてゐるので、毎月極つて這入るものゝ外には、臨時に不意の工面をしてまで、少しでも常以上に寛ろいで見やうと云ふ働は出なかつた。話を聞いたとき彼は寧ろ御米の機敏な才覺に驚ろかされた。同時に果して夫丈の必要があるかを疑つた。御米の思はくを聞いて見ると、此所で十圓足らずの金が入れば、宗助の穿く新らしい靴を誂らへた上、銘仙の一反位は買へると云ふのである。宗助は夫もさうだと思つた。けれども親から傳はつた抱一の屏風を一方に置いて、片方に新らしい靴及び新らしい銘仙を並べて考へて見ると、此二つを交換する事が如何にも突飛で且滑稽であつた。 「賣るなら賣つて可いがね。どうせ家に在つたつて邪魔になる許だから。けれども己はまだ靴は買はないでも濟むよ。此間中見た樣に、降り續けに降られると困るが、もう天氣も好くなつたから」 「だつて又降ると困るわ」  宗助は御米に對して永久に天氣を保證する譯にも行かなかつた。御米も降らない前に是非屏風を賣れとも云ひかねた。二人は顏を見合して笑つてゐた。やがて、 「安過ぎるでせうか」と御米が聞いた。 「左うさな」と宗助が答へた。  彼は安いと云はれゝば、安い樣な氣がした。もし買手があれば、買手の出す丈の金は幾何でも取りたかつた。彼は新聞で、近來古書畫の入札が非常に高價になつた事を見た樣な心持がした。責めてそんなものが一幅でもあつたらと思つた。けれども夫は自分の呼吸する空氣の屆くうちには、落ちてゐないものと諦めてゐた。 「買手にも因るだらうが、賣手にも因るんだよ。いくら名畫だつて、己が持つてゐた分には到底さう高く賣れつこはないさ。然し七圓や八圓てえな、餘り安い樣だね」  宗助は抱一の屏風を辯護すると共に、道具屋をも辯護する樣な語氣を洩らした。さうしてたゞ自分丈が辯護に價しないものゝ樣に感じた。御米も少し氣を腐らした氣味で、屏風の話は夫なりにした。  翌日宗助は役所へ出て、同僚の誰彼に此話をした。すると皆申し合せた樣に、夫は價ぢやないと云つた。けれども誰も自分が周旋して、相當の價に賣拂つてやらうと云ふものはなかつた。又どう云ふ筋を通れば、馬鹿な目に逢はないで濟むといふ手續を教へて呉れるものもなかつた。宗助は矢張横町の道具屋に屏風を賣るより外に仕方がなかつた。それでなければ元の通り邪魔でも何でも座敷へ立てゝ置くより外に仕方がなかつた。彼は元の通りそれを座敷へ立てゝ置いた。すると道具屋が來て、あの屏風を十五圓に賣つてくれと云ひ出した。夫婦は顏を見合して微笑んだ。もう少し賣らずに置いて見樣ぢやないかと云つて、賣らずに置いた。すると道具屋が又來た。又賣らなかつた。御米は斷るのが面白くなつて來た。四度目には知らない男を一人連れて來たが、其男とこそこそ相談して、とう/\三十五圓に價を付けた。其時夫婦も立ちながら相談した。さうして遂に思ひ切つて屏風を賣り拂つた。 七  圓明寺の杉が焦げた樣に赭黒くなつた。天氣の好い日には、風に洗はれた空の端ずれに、白い筋の嶮しく見える山が出た。年は宗助夫婦を驅つて日毎に寒い方へ吹き寄せた。朝になると缺かさず通る納豆賣の聲が、瓦を鎖す霜の色を連想せしめた。宗助は床の中で其聲を聞きながら、又冬が來たと思ひ出した。御米は臺所で、今年も去年の樣に水道の栓が氷つて呉れなければ助かるがと、暮から春へ掛けての取越苦勞をした。夜になると夫婦とも炬燵にばかり親しんだ。さうして廣島や福岡の暖かい冬を羨やんだ。 「丸で前の本多さん見た樣ね」と御米が笑つた。前の本多さんと云ふのは、矢張り同じ構内に住んで、同じ坂井の貸家を借りてゐる隱居夫婦であつた。小女を一人使つて、朝から晩迄ことりと音もしない樣に靜かな生計を立てゝゐた。御米が茶の間で、たつた一人裁縫をしてゐると、時々御爺さんと云ふ聲がした。それは此本多の御婆さんが夫を呼ぶ聲であつた。門口抔で行き逢ふと、丁寧に時候の挨拶をして、ちと御話に入らつしやいと云ふが、遂ぞ行つた事もなければ、向ふからも來た試がない。從つて夫婦の本多さんに關する知識は極めて乏しかつた。たゞ息子が一人あつて、それが朝鮮の統監府とかで、立派な役人になつてゐるから、月々其方の仕送で、氣樂に暮らして行かれるのだと云ふ事丈を、出入の商人のあるものから耳にした。 「御爺さんは矢つ張り植木を弄つてゐるかい」 「段々寒くなつたから、もう已めたんでせう。縁の下に植木鉢が澤山並んでるわ」  話は夫から前の家を離れて、家主の方へ移つた。是は、本多とは丸で反對で、夫婦から見ると、此上もない賑やかさうな家庭に思はれた。此頃は庭が荒れてゐるので、大勢の小供が崖の上へ出て騷ぐ事がなくなつたが、ピヤノの音は毎晩の樣にする。折々は下女か何ぞの、臺所の方で高笑をする聲さへ、宗助の茶の間迄響いて來た。 「ありや一體何をする男なんだい」と宗助が聞いた。此問は今迄も幾度か御米に向つて繰り返されたものであつた。 「何にもしないで遊んでるんでせう。地面や家作を持つて」と御米が答へた。此答も今迄にもう何遍か宗助に向つて繰り返されたものであつた。  宗助は是より以上立ち入つて坂井の事を聞いた事がなかつた。學校を已めた當座は、順境にゐて得意な振舞をするものに逢ふと、今に見ろと云ふ氣も起つた。それが少時くすると、單なる憎惡の念に變化した。所が一二年此方は全く自他の差違に無頓着になつて、自分は自分の樣に生れ付いたもの、先は先の樣な運を持つて世の中へ出て來たもの、兩方共始から別種類の人間だから、たゞ人間として生息する以外に、何の交渉も利害もないのだと考へる樣になつてきた。たまに世間話の序として、ありや一體何をしてゐる人だ位は聞きもするが、それより先は、教へて貰ふ努力さへ出すのが面倒だつた。御米にもこれと同じ傾きがあつた。けれども其夜は珍らしく、坂井の主人は四十恰好の髯のない人であると云ふ事やら、ピヤノを彈くのは惣領の娘で十二三になると云ふ事やら、又外の家の小供が遊びに來ても、ブランコへ乘せて遣らないと云ふ事やらを話した。 「何故外の家の子供はブランコへ乘せないんだい」 「詰り吝なんでせう。早く惡くなるから」  宗助は笑ひ出した。彼は其位吝嗇な家主が、屋根が漏ると云へば、すぐ瓦師を寄こして呉れる、垣が腐つたと訴へればすぐ植木屋に手を入れさして呉れるのは矛盾だと思つたのである。  其晩宗助の夢には本多の植木鉢も坂井のブランコもなかつた。彼は十時半頃床に入つて、萬象に疲れた人の樣に鼾をかいた。此間から頭の具合がよくないため、寐付の惡いのを苦にしてゐた御米は、時々眼を開けて薄暗い部屋を眺めた。細い灯が床の間の上に乘せてあつた。夫婦は夜中燈火を點けて置く習慣が付いてゐるので、寐る時はいつでも心を細目にして洋燈を此所へ上げた。  御米は氣にする樣に枕の位置を動かした。さうして其度に、下にしてゐる方の肩の骨を、蒲團の上で滑らした。仕舞には腹這になつた儘、兩肱を突いて、しばらく夫の方を眺めてゐた。夫から起き上つて、夜具の裾に掛けてあつた不斷着を、寐卷の上へ羽織つたなり、床の間の洋燈を取り上げた。 「貴方々々」と宗助の枕元へ來て曲みながら呼んだ。其時夫はもう鼾をかいてゐなかつた。けれども、元の通り深い眠から來る呼吸を續けてゐた。御米は又立ち上つて、洋燈を手にした儘、間の襖を開けて茶の間へ出た。暗い部屋が茫漠手元の灯に照らされた時、御米は鈍く光る箪笥の環を認めた。夫を通り過ぎると黒く燻ぶつた臺所に、腰障子の紙丈が白く見えた。御米は火の氣のない眞中に、少時佇ずんでゐたが、やがて右手に當る下女部屋の戸を、音のしない樣にそつと引いて、中へ洋燈の灯を翳した。下女は縞も色も判然映らない夜具の中に、土龍の如く塊まつて寐てゐた。今度は左側の六疊を覗いた。がらんとして淋しい中に、例の鏡臺が置いてあつて、鏡の表が夜中丈に凄く眼に應へた。  御米は家中を一回回つた後、凡てに異状のない事を確かめた上、又床の中へ戻つた。さうして漸く眼を眠つた。今度は好い具合に、眼蓋のあたりに氣を遣はないで濟む樣に覺えて、少時するうちに、うと/\とした。  すると又不圖眼が開いた。何だかずしんと枕元で響いた樣な心持がする。耳を枕から離して考へると、それはある大きな重いものが裏の崖から自分達の寐てゐる座敷の縁の外へ轉がり落ちたとしか思はれなかつた。しかも今眼が覺めるすぐ前に起つた出來事で、決して夢の續ぢやないと考へた時、御米は急に氣味を惡くした。さうして傍に寐てゐる夫の夜具の袖を引いて、今度は眞面目に宗助を起し始めた。  宗助は夫迄全く能く寐てゐたが、急に眼が覺めると、御米が、 「貴方一寸起きて下さい」と搖つてゐたので、半分は夢中に、 「おい、好し」とすぐ蒲團の上へ起き直つた。御米は小聲で先刻からの樣子を話した。 「音は一遍した限なのかい」 「だつて今した許なのよ」  二人はそれで默つた。たゞ凝と外の樣子を伺つてゐた。けれども世間は森と靜であつた。いつまで耳を峙てゝゐても、再び物の落ちて來る氣色はなかつた。宗助は寒いと云ひ乍ら、單衣の寐卷の上へ羽織を被つて、縁側へ出て、雨戸を一枚繰つた。外を覗くと何にも見えない。たゞ暗い中から寒い空氣が俄かに肌に逼つて來た。宗助はすぐ戸を閉てた。  を卸して座敷へ戻るや否や、また蒲團の中へ潛り込んだが、 「何にも變つた事はありやしない。多分御前の夢だらう」と云つて、宗助は横になつた。御米は決して夢でないと主張した。慥に頭の上で大きな音がしたのだと固執した。宗助は夜具から半分出した顏を、御米の方へ振り向けて、 「御米、御前は神經が過敏になつて、近頃何うかしてゐるよ。もう少し頭を休めて能く寐る工夫でもしなくつちや不可ない」と云つた。  其時次の間の柱時計が二時を打つた。其音で二人とも一寸言葉を途切らして、默つて見ると、夜は更に靜まり返つた樣に思はれた。二人は眼が冴えて、すぐ寐付かれさうにもなかつた。御米が、 「でも貴方は氣樂ね。横になると十分經たないうちに、もう寐て入らつしやるんだから」と云つた。 「寐る事は寐るが、氣が樂で寐られるんぢやない。つまり疲れるからよく寐るんだらう」と宗助が答へた。  斯んな話をしてゐるうちに宗助は又寐入つて仕舞つた。御米は依然として、のつそつ床の中で動いてゐた。すると表をがら/\と烈しい音を立てゝ車が一臺通つた。近頃御米は時々夜明前の車の音を聞いて驚ろかされる事があつた。さうして夫を思ひ合はせると、何時も似寄つた刻限なので、必竟は毎朝同じ車が同じ所を通るのだらうと推測した。多分牛乳を配達するためか抔で、あゝ急ぐに違ないと極めてゐたから、此音を聞くと等しく、もう夜が明けて、隣人の活動が始つた如くに、心丈夫になつた。さう斯うしてゐると、何所かで鷄の聲が聞えた。又少時すると、下駄の音を高く立てゝ徃來を通るものがあつた。そのうち清が下女部屋の戸を開けて厠へ起きた模樣だつたが、やがて茶の間へ來て時計を見てゐるらしかつた。此時床の間に置いた洋燈の油が減つて、短かい心に屆かなくなつたので、御米の寐てゐる所は眞暗になつてゐた。其所へ清の手にした灯火の影が、襖の間から射し込んだ。 「清かい」と御米が聲を掛けた。  清は夫からすぐ起きた。三十分程經つて御米も起きた。又三十分程經つて宗助も遂に起きた。平常は好い時分に御米が遣つて來て、 「もう起きても可くつてよ」と云ふのが例であつた。日曜とたまの旗日には、それが、 「さあ最う起きて頂戴」に變る丈であつた。然し今日は昨夕の事が何となく氣にかゝるので、御米の迎に來ないうち宗助は床を離れた。さうして直崖下の雨戸を繰つた。  下から覗くと、寒い竹が朝の空氣に鎖されて凝としてゐる後から、霜を破る日の色が射して、幾分か頂を染めてゐた。其二尺程下の勾配の一番急な所に生えてゐる枯草が、妙に摺り剥けて、赤土の肌を生々しく露出した樣子に、宗助は一寸驚ろかされた。それから一直線に降りて、丁度自分の立つてゐる縁鼻の土が、霜柱を摧いた樣に荒れてゐた。宗助は大きな犬でも上から轉がり落ちたのぢやなからうかと思つた。然し犬にしては幾何大きいにしても、餘り勢が烈し過ぎると思つた。  宗助は玄關から下駄を提げて來て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲つて突き出してゐるので、いとゞ狹い崖下が、裏へ拔ける半間程の所は猶更狹苦しくなつてゐた。御米は掃除屋が來るたびに、此曲り角を氣にしては、 「彼所がもう少し廣いと可いけれども」と危險がるので、よく宗助から笑はれた事があつた。  其所を通り拔けると、眞直に臺所迄細い路が付いてゐる。元は枯枝の交つた杉垣があつて、隣の庭の仕切りになつてゐたが、此間家主が手を入れた時、穴だらけの杉葉を奇麗に取り拂つて、今では節の多い板塀が片側を勝手口迄塞いで仕舞つた。日當りの惡い上に、樋から雨滴ばかり落ちるので、夏になると秋海棠が一杯生える。其盛りな頃は青い葉が重なり合つて、殆んど通り路がなくなる位茂つて來る。始めて越した年は、宗助も御米も此景色を見て驚ろかされた位である。此秋海棠は杉垣のまだ引き拔かれない前から、何年となく地下に蔓つてゐたもので、古家の取り毀たれた今でも、時節が來ると昔の通り芽を吹くものと解つた時、御米は、 「でも可愛いわね」と喜んだ。  宗助が霜を踏んで、此記念の多い横手へ出た時、彼の眼は細長い路次の一點に落ちた。さうして彼は日の通はない寒さの中にはたと留まつた。  彼の足元には黒塗の蒔繪の手文庫が放り出してあつた。中味はわざ/\其所へ持つて來て置いて行つた樣に、霜の上にちやんと据つてゐるが、蓋は二三尺離れて、塀の根に打ち付けられた如くに引つ繰り返つて、中を張つた千代紙の模樣が判然見えた。文庫の中から洩れた、手紙や書付類が、其所いらに遠慮なく散らばつてゐる中に、比較的長い一通がわざ/\二尺許廣げられて、其先が紙屑の如く丸めてあつた。宗助は近付いて、此揉苦茶になつた紙の下を覗いて覺えず苦笑した。下には大便が垂れてあつた。  土の上に散らばつてゐる書類を一纏にして、文庫の中へ入れて、霜と泥に汚れた儘宗助は勝手口迄持つて來た。腰障子を開けて、清に 「おい是を一寸其所へ置いて呉れ」と渡すと、清は妙な顏をして、不思議さうにそれを受取つた。御米は奧で座敷へ拂塵を掛けてゐた。宗助はそれから懷手をして、玄關だの門の邊を能く見廻つたが、何處にも平常と異なる點は認められなかつた。  宗助は漸く家へ入つた。茶の間へ來て例の通り火鉢の前へ坐つたが、すぐ大きな聲を出して御米を呼んだ。御米は、 「起き拔けに何處へ行つて入らしつたの」と云ひながら奧から出て來た。 「おい昨夜枕元で大きな音がしたのは矢つ張夢ぢやなかつたんだ。泥棒だよ。泥棒が坂井さんの崖の上から宅の庭へ飛び下りた音だ。今裏へ回つて見たら、此文庫が落ちてゐて、中に這入つてゐた手紙なんぞが、無茶苦茶に放り出してあつた。御負に御馳走迄置いて行つた」  宗助は文庫の中から、二三通の手紙を出して御米に見せた。それには皆坂井の名宛が書いてあつた。御米は吃驚して立膝の儘、 「坂井さんぢや外に何か取られたでせうか」と聞いた。宗助は腕組をして、 「ことに因ると、まだ何か遣られたね」と答へた。  夫婦は兎も角もと云ふので、文庫を其所へ置いたなり朝飯の膳に着いた。然し箸を動かす間も泥棒の話は忘れなかつた。御米は自分の耳と頭の慥な事を夫に誇つた。宗助は耳と頭の慥でない事を幸福とした。 「さう仰しやるけれど、是が坂井さんでなくつて、宅で御覽なさい。貴方見た樣にぐう/\寐て入らしつたら困るぢやないの」と御米が宗助を遣り込めた。 「なに宅なんぞへ這入る氣遣はないから大丈夫だ」と宗助も口の減らない返事をした。  其所へ清が突然臺所から顏を出して、 「此間拵えた旦那樣の外套でも取られ樣ものなら、夫こそ騷ぎで御座いましたね。御宅でなくつて坂井さんだつたから本當に結構で御座います」と眞面目に悦の言葉を述べたので、宗助も御米も少し挨拶に窮した。  食事を濟ましても、出勤の時刻にはまだ大分間があつた。坂井では定めて騷いでるだらうと云ふので、文庫は宗助が自分で持つて行つて遣る事にした。蒔繪ではあるが、たゞ黒地に龜甲形を金で置いた丈の事で、別に大して金目の物とも思へなかつた。御米は唐棧の風呂敷を出してそれを包んだ。風呂敷が少し小さいので、四隅を對ふ同志繋いで、眞中にこま結びを二つ拵えた。宗助がそれを提げた所は、丸で進物の菓子折の樣であつた。  座敷で見ればすぐ崖の上だが、表から廻ると、通りを半町許來て、坂を上つて、又半町程逆に戻らなければ、坂井の門前へは出られなかつた。宗助は石の上へ芝を盛つて扇骨木を奇麗に植付けた垣に沿ふて門内に入つた。  家の内は寧ろ靜か過ぎる位しんとしてゐた。摺硝子の戸が閉てゝある玄關へ來て、ベルを二三度押して見たが、ベルが利かないと見えて誰も出て來なかつた。宗助は仕方なしに勝手口へ廻つた。其所にも摺硝子の嵌まつた腰障子が二枚閉ててあつた。中では器物を取り扱ふ音がした。宗助は戸を開けて、瓦斯七輪を置いた板の間に蹲踞んでゐる下女に挨拶をした。 「是は此方のでせう。今朝私の家の裏に落ちてゐましたから持つて來ました」と云ひながら、文庫を出した。  下女は「左樣で御座いましたか、どうも」と簡單に禮を述べて、文庫を持つた儘、板の間の仕切迄行つて、仲働らしい女を呼び出した。其所で小聲に説明をして、品物を渡すと、仲働はそれを受取つたなり、一寸宗助の方を見たがすぐ奧へ入つた。入れ違に、十二三になる丸顏の眼の大きな女の子と、其妹らしい揃のリボンを懸けた子が一所に馳けて來て、小さい首を二つ並べて臺所へ出した。さうして宗助の顏を眺めながら、泥棒よと耳語やつた。宗助は文庫を渡して仕舞へば、もう用が濟んだのだから、奧の挨拶はどうでも可いとして、すぐ歸らうかと考へた。 「文庫は御宅のでせうね。可いんでせうね」と念を押して、何にも知らない下女を氣の毒がらしてゐる所へ、最前の仲働が出て來て、 「何うぞ御通り下さい」と丁寧に頭を下げたので、今度は宗助の方が少し痛み入る樣になつた。下女は愈しとやかに同じ請求を繰り返した。宗助は痛み入る境を通り越して、遂に迷惑を感じ出した。所へ主人が自分で出て來た。  主人は予想通り血色の好い下膨の福相を具へてゐたが、御米の云つた樣に髭のない男ではなかつた。鼻の下に短かく刈り込んだのを生やして、たゞ頬から腮を奇麗に蒼くしてゐた。 「いや何うも飛んだ御手數で」と主人は眼尻に皺を寄せながら禮を述べた。米澤の絣を着た膝を板の間に突いて、宗助から色々樣子を聞いてゐる態度が、如何にも緩くりしてゐた。宗助は昨夕から今朝へ掛けての出來事を一通り掻い撮んで話した上、文庫の外に何か取られたものがあるかないかを尋ねて見た。主人は机の上に置いた金時計を一つ取られた由を答へた。けれども丸で他のものでも失くなした時の樣に、一向困つたと云ふ氣色はなかつた。時計よりは寧ろ宗助の叙述の方に多くの興味を有つて、泥棒が果して崖を傳つて裏から逃げる積だつたらうか、又は逃げる拍子に、崖から落ちたものだらうかと云ふ樣な質問を掛けた。宗助は固より返答が出來なかつた。  其所へ最前の仲働が、奧から茶や莨を運んで來たので、宗助は又歸りはぐれた。主人はわざ/\坐蒲團迄取り寄せて、とう/\其上へ宗助の尻を据ゑさした。さうして今朝早く來た刑事の話をし始めた。刑事の判定によると、賊は宵から邸内に忍び込んで、何でも物置かなぞに隱れてゐたに違ない。這入口は矢張り勝手である。燐寸を擦つて蝋燭を點して、それを臺所にあつた小桶の中へ立てゝ、茶の間へ出たが、次の部屋には細君と子供が寐てゐるので、廊下傳ひに主人の書齋へ來て、其所で仕事をしてゐると、此間生れた末の男の子が、乳を呑む時刻が來たものか、眼を覺まして泣き出したため、賊は書齋の戸を開けて庭へ逃げたらしい。 「平常の樣に犬がゐると好かつたんですがね。生憎病氣なので、四五日前病院へ入れて仕舞つたもんですから」と主人は殘念がつた。宗助も、 「夫は惜い事でした」と答へた。すると主人は其犬の種やら血統やら、時々獵に連れて行く事や、色々な事を話し始めた。 「獵は好ですから。尤も近來は神經痛で少し休んでゐますが。何しろ秋口から冬へ掛けて鴫なぞを打ちに行くと、どうしても腰から下は田の中へ浸つて、二時間も三時間も暮らさなければならないんですから、全く身體には好くない樣です」  主人は時間に制限のない人と見えて、宗助が、成程とか、左うですか、とか云つてゐると、何時迄も話してゐるので、宗助は已を得ず中途で立ち上がつた。 「是から又例の通り出掛けなければなりませんから」と切り上げると、主人は始めて氣が付いた樣に、忙がしい所を引き留めた失禮を謝した。さうして何れ又刑事が現状を見に行くかも知れないから、其時はよろしく願ふと云ふやうな事を述べた。最後に、 「何うかちと御話に。私も近頃は寧ろ閑な方ですから、又御邪魔に出ますから」と丁寧に挨拶をした。門を出て急ぎ足に宅へ歸ると、毎朝出る時刻よりも、もう三十分程後れてゐた。 「貴方何うなすつたの」と御米が氣を揉んで玄關へ出た。宗助はすぐ着物を脱いで洋服に着換ながら、 「あの坂井と云ふ人は餘つ程氣樂な人だね。金があるとあゝ緩くり出來るもんかな」と云つた。 八 「小六さん、茶の間から始めて。夫とも座敷の方を先にして」と御米が聞いた。  小六は四五日前とう/\兄の所へ引き移つた結果として、今日の障子の張替を手傳はなければならない事となつた。彼は昔し叔父の家に居た時、安之助と一所になつて、自分の部屋の唐紙を張り替へた經驗がある。其時は糊を盆に溶いたり、篦を使つて見たり、大分本式に遣り出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるといふ段になると、二枚とも反つ繰り返つて敷居の溝へ嵌まらなかつた。それから是も安之助と共同して失敗した仕事であるが、叔母の云付けで、障子を張らせられたときには、水道でざぶ/\枠を洗つたため、矢張り乾いた後で、惣體に歪が出來て非常に困難した。 「姉さん、障子を張るときは、餘程愼重にしないと失策るです。洗つちや駄目ですぜ」と云ひながら、小六は茶の間の縁側からびり/\破き始めた。  縁先は右の方に小六のゐる六疊が折れ曲つて、左には玄關が突き出してゐる。其向ふを塀が縁と平行に塞いでゐるから、まあ四角な圍内と云つて可い。夏になるとコスモスを一面に茂らして、夫婦とも毎朝露の深い景色を喜んだ事もあるし、又塀の下へ細い竹を立てゝ、それへ朝顏を絡ませた事もある。其時は起き拔けに、今朝咲いた花の數を勘定し合つて二人が樂にした。けれども秋から冬へ掛けては、花も草も丸で枯れて仕舞ふので、小さな砂漠見た樣に、眺めるのも氣の毒な位淋しくなる。小六は此霜ばかり降りた四角な地面を脊にして、しきりに障子の紙を剥がしてゐた。  時々寒い風が來て、後から小六の坊主頭と襟の邊を襲つた。其度に彼は吹き曝しの縁から六疊の中へ引つ込みたくなつた。彼は赤い手を無言の儘働らかしながら、馬尻の中で雜巾を絞つて障子の棧を拭き出した。 「寒いでせう、御氣の毒さまね。生憎御天氣が時雨れたもんだから」と御米が愛想を云つて、鐵瓶の湯を注ぎ注ぎ、昨日た糊を溶いた。  小六は實際こんな用をするのを、内心では大いに輕蔑してゐた。ことに昨今自分が已むなく置かれた境遇からして、此際多少自己を侮辱してゐるかの觀を抱いて雜巾を手にしてゐた。昔し叔父の家で、是と同じ事を遣らせられた時は、暇潰しの慰みとして、不愉快どころか却つて面白かつた記憶さへあるのに、今ぢや此位な仕事より外にする能力のないものと、強いて周圍から諦めさせられた樣な氣がして、縁側の寒いのが猶のこと癪に觸つた。  それで嫂には快よい返事さへ碌にしなかつた。さうして頭の中で、自分の下宿にゐた法科大學生が、一寸散歩に出る序に、資生堂へ寄つて、三つ入りの石鹸と齒磨を買ふのにさへ、五圓近くの金を拂ふ華奢を思ひ浮べた。すると何うしても自分一人がこんな窮境に陷るべき理由がない樣に感ぜられた。それから、斯んな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦が如何にも憫然に見えた。彼等は障子を張る美濃紙を買ふのにさへ氣兼をしやしまいかと思はれる程、小六から見ると、消極的な暮し方をしてゐた。 「斯んな紙ぢや、又すぐ破けますね」と云ひながら、小六は卷いた小口を一尺ほど日に透かして、二三度力任せに鳴らした。 「さう? でも宅ぢや小供がないから、夫程でもなくつてよ」と答へた御米は糊を含ました刷毛を取つてとん/\とんと棧の上を渡した。  二人は長く繼いだ紙を双方から引き合つて、成るべく垂るみの出來ない樣に力めたが、小六が時々面倒臭さうな顏をすると、御米はつい遠慮が出て、好加減に髮剃で小口を切り落して仕舞ふ事もあつた。從つて出來上つたものには、所々のぶく/\が大分目に付いた。御米は情なささうに、戸袋に立て懸けた張り立ての障子を眺めた。さうして心の中で、相手が小六でなくつて、夫であつたならと思つた。 「皺が少し出來たのね」 「何うせ僕の御手際ぢや旨くは行かない」 「なに兄さんだつて、さう御上手ぢやなくつてよ。それに兄さんは貴方より餘つ程無精ね」  小六は何にも答へなかつた。臺所から清が持つて來た含嗽茶碗を受け取つて、戸袋の前へ立つて、紙が一面に濡れる程霧を吹いた。二枚目を張つたときは、先に霧を吹いた分が略乾いて皺が大方平らになつてゐた。三枚目を張つたとき、小六は腰が痛くなつたと云ひ出した。實を云ふと御米の方は今朝から頭が痛かつたのである。 「もう一枚張つて、茶の間丈濟ましてから休みませう」と云つた。  茶の間を濟ましてゐるうちに午になつたので、二人は食事を始めた。小六が引き移つてから此四五日、御米は宗助のゐない午飯を、何時も小六と差向で食べる事になつた。宗助と一所になつて以來、御米の毎日膳を共にしたものは、夫より外になかつた。夫の留守の時は、たゞ獨り箸を執るのが多年の習慣であつた。だから突然この小舅と自分の間に御櫃を置いて、互に顏を見合せながら、口を動かすのが、御米に取つては一種異な經驗であつた。それも下女が臺所で働らいてゐるときは、未だしもだが、清の影も音もしないとなると、猶の事變に窮屈な感じが起つた。無論小六よりも御米の方が年上であるし、又從來の關係から云つても、兩性を絡み付ける艷つぽい空氣は、箝束的[#ルビの「けんそくてき」はママ]な初期に於てすら、二人の間に起り得べき筈のものではなかつた。御米は小六と差向に膳に着くときの此氣ぶつせいな心持が、何時になつたら消えるだらうと、心の中で私に疑ぐつた。小六が引き移る迄は、こんな結果が出やうとは、丸で氣が付かなかつたのだから猶更當惑した。仕方がないから成るべく食事中に話をして、責めて手持無沙汰な隙間丈でも補はうと力めた。不幸にして今の小六は、此嫂の態度に對して程の好い調子を出す丈の餘裕と分別を頭の中に發見し得なかつたのである。 「小六さん、下宿は御馳走があつて」  こんな質問に逢ふと、小六は下宿から遊びに來た時分の樣に、淡泊な遠慮のない答をする譯に行かなくなつた。已を得ず、 「なに左うでもありません」ぐらゐにして置くと、其語氣がからりと澄んでゐないので、御米の方では、自分の待遇が惡い所爲かと解釋する事もあつた。それが又無言の間に、小六の頭に映る事もあつた。  ことに今日は頭の具合が好くないので、膳に向つても、御米は何時もの樣に力めるのが退儀であつた。力めて失敗するのは猶厭であつた。それで二人とも障子を張るときよりも言葉少なに食事を濟ました。  午後は手が慣れた所爲か、朝に比べると仕事が少し果取つた。然し二人の氣分は飯前よりも却つて縁遠くなつた。ことに寒い天氣が二人の頭に應へた。起きた時は、日を載せた空が次第に遠退いて行くかと思れる程に、好く晴れてゐたが、それが眞蒼に色づく頃から急に雲が出て、暗い中で粉雪でも釀してゐる樣に、日の目を密封した。二人は交る/″\火鉢に手を翳した。 「兄さんは來年になると月給が上がるんでせう」  不圖小六が斯んな問を御米に掛けた。御米は其時疊の上の紙片を取つて、糊に汚れた手を拭いてゐたが、全く思も寄らないといふ顏をした。 「何うして」 「でも新聞で見ると、來年から一般に官吏の増俸があると云ふ話ぢやありませんか」  御米はそんな消息を全く知らなかつた。小六から詳しい説明を聞いて、始めて成程と首肯いた。 「全くね。是ぢや誰だつて、遣つて行けないわ。御肴の切身なんか、私が東京へ來てからでも、もう倍になつてるんですもの」と云つた。肴の切身の値段になると小六の方が全く無識であつた。御米に注意されて始めてそれ程無暗に高くなるものかと思つた。  小六に一寸した好奇心の出たため、二人の會話は存外素直に流れて行つた。御米は裏の家主の十八九時代に物價の大變安かつた話を、此間宗助から聞いた通り繰り返した。其時分は蕎麥を食ふにしても、盛かけが八厘、種ものが二錢五厘であつた。牛肉は普通が一人前四錢でロースは六錢であつた。寄席は三錢か四錢であつた。學生は月に七圓位國から貰へば中の部であつた。十圓も取ると既に贅澤と思はれた。 「小六さんも、其時分だと譯なく大學が卒業出來たのにね」と御米が云つた。 「兄さんも其時分だと大變暮し易い譯ですね」と小六が答へた。  座敷の張易が濟んだときにはもう三時過になつた。さう斯うしてゐるうちには、宗助も歸つて來るし、晩の支度も始めなくつてはならないので、二人はこれを一段落として、糊や髮剃を片けた。小六は大きな伸を一つして、握り拳で自分の頭をこん/\と叩いた。 「何うも御苦勞さま。疲れたでせう」と御米は小六を勞はつた。小六は夫よりも口淋しい思がした。此間文庫を屆けてやつた禮に、坂井から呉れたと云ふ菓子を、戸棚から出して貰つて食べた。御米は御茶を入れた。 「坂井と云ふ人は大學出なんですか」 「えゝ、矢張左樣なんですつて」  小六は茶を飮んで烟草を吹いた。やがて、 「兄さんは増俸の事をまだ貴方に話さないんですか」と聞いた。 「いゝえ、些とも」と御米が答へた。 「兄さん見た樣になれたら好いだらうな。不平も何もなくつて」  御米は特別の挨拶もしなかつた。小六は其儘起つて六疊へ這入つたが、やがて火が消えたと云つて、火鉢を抱えて又出て來た。彼は兄の家に厄介になりながら、もう少し立てば都合が付くだらうと慰めた安之助の言葉を信じて、學校は表向休學の體にして一時の始末をつけたのである。 九  裏の坂井と宗助とは文庫が縁になつて思はぬ關係が付いた。夫迄は月に一度此方から清に家賃を持たして遣ると、向から其受取を寄こす丈の交渉に過ぎなかつたのだから、崖の上に西洋人が住んでゐると同樣で、隣人としての親みは、丸で存在してゐなかつたのである。  宗助が文庫を屆けた日の午後に、坂井の云つた通り、刑事が宗助の家の裏手から崖下を檢べに來たが、其時坂井も一所だつたので、御米は始めて噂に聞いた家主の顏を見た。髭のないと思つたのに、髭を生やしてゐるのと、自分なぞに對しても、存外丁寧な言葉を使ふのが、御米には少し案外であつた。 「貴方、坂井さんは矢つ張り髭を生やしてゐてよ」と宗助が歸つたとき御米はわざ/\注意した。  それから二日ばかりして、坂井の名刺を添へた立派な菓子折を持つて、下女が禮に來たが、先達ては色々御世話になりまして、難有う存じます、何れ主人が自身に伺ふ筈で御座いますがと云ひ置いて、歸つて行つた。  其晩宗助は到來の菓子折の葢を開けて、唐饅頭を頬張りながら、 「斯んなものを呉れる所をもつて見ると、夫程吝でもないやうだね。他の家の子をブランコへ乘せて遣らないつて云ふのは嘘だらう」と云つた。御米も、 「屹度嘘よ」と坂井を辯護した。  夫婦と坂井とは泥棒の這入らない前より、是丈親しみの度が増した樣なものゝ、それ以上に接近しやうと云ふ念は、宗助の頭にも御米の胸にも宿らなかつた。利害の打算から云へば無論の事、單に隣人の交際とか情誼とか云ふ點から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇氣を有たなかつたのである。もし自然が此儘に無爲の月日を驅つたなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井になり、宗助は元の宗助になつて、崖の上と崖の下に互の家が懸け隔る如く、互の心も離れ離れになつたに違なかつた。  所がそれから又二日置いて、三日目の暮れ方に、獺の襟の着いた暖かさうな外套を着て、突然坂井が宗助の所へ遣つて來た。夜間客に襲はれ付けない夫婦は、輕微の狼狽を感じた位驚ろかされたが、座敷へ上げて話して見ると、坂井は丁寧に先日の禮を述べた後、 「御蔭で取られた品物が又戻りましたよ」と云ひながら、白縮緬の兵兒帶に卷き付けた金鎖を外して、兩葢の金時計を出して見せた。  規則だから警察へ屆ける事は屆けたが、實は大分古い時計なので、取られても夫程惜くもない位に諦らめてゐたら、昨日になつて、突然差出人の不明な小包が着いて、其中にちやんと自分の失くしたのが包んであつたんだと云ふ。 「泥棒も持ち扱かつたんでせう。それとも餘り金にならないんで、已を得ず返して呉れる氣になつたんですかね。何しろ珍らしい事で」と坂井は笑つてゐた。それから、 「何私から云ふと、實はあの文庫の方が寧ろ大切な品でしてね。祖母が昔し御殿へ勤めてゐた時分、戴いたんだとか云つて、まあ記念の樣なものですから」と云ふ樣な事も説明して聞かした。  其晩坂井はそんな話を約二時間もして歸つて行つたが、相手になつた宗助も、茶の間で聞いてゐた御米も、大變談話の材料に富んだ人だと思はぬ譯に行かなかつた。後で、 「世間の廣い方ね」と御米が評した。 「閑だからさ」と宗助が解釋した。  次の日宗助が役所の歸りがけに、電車を降りて横町の道具屋の前迄來ると、例の獺の襟を着けた坂井の外套が一寸眼に着いた。横顏を徃來の方へ向けて、主人を相手に何か云つてゐる。主人は大きな眼鏡を掛けた儘、下から坂井の顏を見上げてゐる。宗助は挨拶をすべき折でもないと思つたから、其儘行き過ぎやうとして、店の正面迄來ると、坂井の眼が徃來へ向いた。 「やあ昨夜は。今御歸りですか」と氣輕に聲を掛けられたので、宗助も愛想なく通り過ぎる譯にも行かなくなつて、一寸歩調を緩めながら、帽子を取つた。すると坂井は、用はもう濟んだと云ふ風をして、店から出て來た。 「何か御求めですか」と宗助が聞くと、 「いえ、何」と答へた儘、宗助と並んで家の方へ歩き出した。六七間來たとき、 「あの爺い、中々猾い奴ですよ。華山の[#「華山の」はママ]僞物を持つて來て押付やうとしやがるから、今叱り付て遣つたんです」と云い出した。宗助は始めて、此坂井も餘裕ある人に共通な好事を道樂にしてゐるのだと心付いた。さうして此間賣り拂つた抱一の屏風も、最初から斯う云ふ人に見せたら、好かつたらうにと、腹の中で考へた。 「あれは書畫には明るい男なんですか」 「なに書畫どころか、丸で何も分らない奴です。あの店の樣子を見ても分るぢやありませんか。骨董らしいものは一つも並んでゐやしない。もとが紙屑屋から出世してあれ丈になつたんですからね」  坂井は道具屋の素性を能く知つてゐた。出入の八百屋の阿爺の話によると、坂井の家は舊幕の頃何とかの守と名乘つたもので、此界隈では一番古い門閥家なのださうである。瓦解の際、駿府へ引き上げなかつたんだとか、或は引き上げて又出て來たんだとか云ふ事も耳にした樣であるが、それは判然宗助の頭に殘つてゐなかつた。 「小さい内から惡戲ものでね。あいつが餓鬼大將になつて能く喧譁をしに行つた事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事迄一口洩らした。それが又何うして華山の[#「華山の」はママ]贋物を賣り込まうと巧んだのかと聞くと、坂井は笑つて、斯う説明した。―― 「なに親父の代から贔屓にして遣つてるものですから、時々何だ蚊だつて持つて來るんです。所が眼も利かない癖に、只慾ばりたがつてね、まことに取扱ひ惡い代物です。それについ此間抱一の屏風を買つて貰つて、味を占めたんでね」  宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮ぎる譯に行かなかつたので、默つてゐた。坂井は道具屋がそれ以來乘氣になつて、自身に分りもしない書畫類をしきりに持ち込んで來る事やら、大坂出來の高麗燒を本物だと思つて、大事に飾つて置いた事やら話した末、 「まあ臺所で使ふ食卓か、たか/″\新の鐵瓶位しか、彼んな所ぢや買へたもんぢやありません」と云つた。  其内二人は坂の上へ出た。坂井は其所を右へ曲る、宗助は其所を下へ下りなければならなかつた。宗助はもう少し一所に歩いて、屏風の事を聞きたかつたが、わざ/\回り路をするのも變だと心付いて、夫なり分れた。分れる時、 「近い中御邪魔に出ても宣う御座いますか」と聞くと、坂井は、 「どうぞ」と快よく答へた。  其日は風もなく一仕切日も照つたが、家にゐると底冷のする寒さに襲はれるとか云つて、御米はわざ/\置炬燵に宗助の着物を掛けて、それを座敷の眞中に据ゑて、夫の歸りを待ち受けてゐた。  此冬になつて、晝のうち炬燵を拵らえたのは、其日が始めてゞあつた。夜は疾うから用ひてゐたが、何時も六疊に置く丈であつた。 「座敷の眞中にそんなものを据ゑて、今日は何うしたんだい」 「でも、御客も何もないから可いでせう。だつて六疊の方は小六さんが居て、塞がつてゐるんですもの」  宗助は始めて自分の家に小六の居る事に氣が付いた。襯衣の上から暖かい紡績織を掛けて貰つて、帶をぐる/\卷き付けたが、 「こゝは寒帶だから炬燵でも置かなくつちや凌げない」と云つた。小六の部屋になつた六疊は、疊こそ奇麗でないが、南と東が開いてゐて、家中で一番暖かい部屋なのである。  宗助は御米の汲んで來た熱い茶を湯呑から二口程飮んで、 「小六はゐるのかい」と聞いた。小六は固より居た筈である。けれども六疊はひつそりして人のゐる樣にも思はれなかつた。御米が呼びに立たうとするのを、用はないから可いと留めた儘、宗助は炬燵蒲團の中へ潛り込んで、すぐ横になつた。一方口に崖を控えてゐる座敷には、もう暮方の色が萠してゐた。宗助は手枕をして、何を考へるともなく、たゞ此暗く狹い景色を眺めてゐた。すると御米と清が臺所で働く音が、自分に關係のない隣の人の活動の如くに聞えた。そのうち、障子丈がたゞ薄白く宗助の眼に映る樣に、部屋の中が暮れて來た。彼はそれでも凝として動かずにゐた。聲を出して洋燈の催促もしなかつた。  彼が暗い所から出て、晩食の膳に着いた時は、小六も六疊から出て來て、兄の向ふに坐つた。御米は忙しいので、つい忘れたと云つて、座敷の戸を締めに立つた。宗助は弟に夕方になつたら、ちと洋燈を點けるとか、戸を閉てるとかして、忙しい姉の手傳でもしたら好からうと注意したかつたが、昨今引き移つた許のものに、氣まづい事を云ふのも惡からうと思つて已めた。  御米が座敷から歸つて來るのを待つて、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。其時宗助は漸く今日役所の歸りがけに、道具屋の前で坂井に逢つた事と、坂井があの大きな眼鏡を掛けてゐる道具屋から、抱一の屏風を買つたと云ふ話をした。御米は、 「まあ」と云つたなり、しばらく宗助の顏を見てゐた。 「ぢや屹度あれよ。屹度あれに違ないわね」  小六は始めのうち何にも口を出さなかつたが、段々兄夫婦の話を聞いてゐるうちに、略關係が明暸になつたので、 「全體幾何で賣つたのです」と聞いた。御米は返事をする前に一寸夫の顏を見た。  食事が終ると、小六はぢきに六疊へ這入つた。宗助は又炬燵へ歸つた。しばらくして御米も足を温めに來た。さうして次の土曜か日曜には坂井へ行つて、一つ屏風を見て來たら可いだらうと云ふ樣な事を話し合つた。  次の日曜になると、宗助は例の通り一週に一返の樂寐を貪ぼつたため、午前半日をとう/\空に潰して仕舞つた。御米は又頭が重いとか云つて、火鉢の縁に倚りかゝつて、何をするのも懶さうに見えた。斯んな時に六疊が空いてゐれば、朝からでも引込む場所があるのにと思ふと、宗助は小六に六疊を宛てがつた事が、間接に御米の避難場を取り上げたと同じ結果に陷るので、ことに濟まない樣な氣がした。  心持が惡ければ、座敷へ床を敷いて寐たら好からうと注意しても、御米は遠慮して容易に應じなかつた。それでは又炬燵でも拵えたら何うだ、自分も當るからと云つて、とう/\櫓と掛蒲團を清に云ひ付けて、座敷へ運ばした。  小六は宗助が起きる少し前に、何處かへ出て行つて、今朝は顏さへ見せなかつた。宗助は御米に向つて別段其行先を聞き糺しもしなかつた。此頃では小六に關係した事を云ひ出して、御米に其返事をさせるのが氣の毒になつて來た。御米の方から、進んで弟の讒訴でもする樣だと、叱るにしろ、慰さめるにしろ、却つて始末が好いと考へる時もあつた。  午になつても御米は炬燵から出なかつた。宗助は一層靜かに寐かして置く方が身體のために可からうと思つたので、そつと臺所へ出て、清に一寸上の坂井迄行つてくるからと告げて、不斷着の上へ、袂の出る短いインネスを纏つて表へ出た。  今迄陰氣な室にゐた所爲か、通へ來ると急にからりと氣が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時に緊縮する樣な冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覺えたので、宗助は御米もあゝ家にばかり置いては善くない、氣候が好くなつたら、ちと戸外の空氣を呼吸させる樣にしてやらなくては毒だと思ひながら歩いた。  坂井の家の門を入つたら、玄關と勝手口の仕切になつてゐる生垣の目に、冬に似合はないぱつとした赤いものが見えた。傍へ寄つてわざ/\檢べると、それは人形に掛ける小さい夜具であつた。細い竹を袖に通して、落ちない樣に、扇骨木の枝に寄せ掛けた手際が、如何にも女の子の所作らしく殊勝に思はれた。かう云ふ惡戯をする年頃の娘は固よりの事、子供と云ふ子供を育て上げた經驗のない宗助は、此小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有樣をしばらく立つて眺めてゐた。さうして二十年も昔に父母が、死んだ妹の爲に飾つた、赤い雛段と五人囃と、模樣の美くしい干菓子と、それから甘い樣で辛い白酒を思ひ出した。  坂井の主人は在宅ではあつたけれども、食事中だと云ふので、しばらく待たせられた。宗助は座に着くや否や、隣の室で小さい夜具を干した人達の騷ぐ聲を耳にした。下女が茶を運ぶために襖を開けると、襖の影から大きな眼が四つ程既に宗助を覗いてゐた。火鉢を持つて出ると、其後から又違つた顏が見えた。始めての所爲か、襖の開閉の度に出る顏が悉く違つてゐて、子供の數が何人あるか分らない樣に思はれた。漸く下女が退がりきりに退がると、今度は誰だか唐紙を一寸程細目に開けて、黒い光る眼丈を其間から出した。宗助も面白くなつて、默つて手招ぎをして見た。すると唐紙をぴたりと閉てゝ、向ふ側で三四人が聲を合して笑ひ出した。  やがて一人の女の子が、 「よう、御姉樣又何時もの樣に叔母さんごつこ爲ませうよ」と云ひ出した。すると姉らしいのが、 「えゝ、今日は西洋の叔母さんごつこよ。東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだからママつて云ふのよ。可くつて」と説明した。其時又別の聲で、 「可笑しいわね。ママだつて」と云つて嬉しさうに笑つたものがあつた。 「私夫でも何時も御祖母さまなのよ。御祖母さまの西洋の名がなくつちや不可ないわねえ。御祖母さまは何て云ふの」と聞いたものもあつた。 「御祖母さまは矢つ張りバヾで可いでせう」と姉が又説明した。  夫から當分の間は、御免下さいましだの、何方から入らつしやいましたのと盛に挨拶の言葉が交換されてゐた。其間にはちりん/\と云ふ電話の假聲も交つた。凡てが宗助には陽氣で珍らしく聞えた。  其所へ奧の方から足音がして、主人が此方へ出て來たらしかつたが、次の間へ入るや否や、 「さあ、御前達は此所で騷ぐんぢやない。彼方へ行つて御出。御客さまだから」と制した。其時、誰だかすぐに、 「厭だよ。御父つちやんべい。大きい御馬買つて呉れなくつちや、彼方へ行かないよ」と答へた。聲は小さい男の子の聲であつた。年が行かない爲か、舌が能く回らないので、抗辯のしやうが如何にも億劫で手間が掛かつた。宗助は其所を特に面白く思つた。  主人が席に着いて、長い間待たした失禮を詫びてゐる間に、子供は遠くへ行つて仕舞つた。 「大變御賑やかで結構です」と宗助が今自分の感じた通を述べると、主人はそれを愛嬌と受取つたものと見えて、 「いや御覽の如く亂雜な有樣で」と言譯らしい返事をしたが、それを緒に、子供の世話の燒けて、夥だしく手の掛る事などを色々宗助に話して聞かした。其中で綺麗な支那製の花籃のなかへ炭團を一杯盛つて床の間に飾つたと云ふ滑稽と、主人の編上の靴のなかへ水を汲み込んで、金魚を放したと云ふ惡戲が、宗助には大變耳新しかつた。然し、女の子が多いので服裝に物が要るとか、二週間も旅行して歸つてくると、急にみんなの脊が一寸づゝも伸びてゐるので、何だか後から追ひ付かれる樣な心持がするとか、もう少しすると、嫁入の支度で忙殺されるのみならず、屹度貧殺されるだらうとか云ふ話になると、子供のない宗助の耳には夫程の同情も起し得なかつた。却つて主人が口で子供を煩冗がる割に、少しもそれを苦にする樣子の顏にも態度にも見えないのを羨ましく思つた。  好い加減な頃を見計つて宗助は、先達て話のあつた屏風を一寸見せて貰へまいかと、主人に申し出た。主人は早速引き受けて、ぱち/\と手を鳴らして、召使を呼んだが、藏の中に仕舞つてあるのを取り出して來る樣に命じた。さうして宗助の方を向いて、 「つい二三日前迄其所へ立てゝ置いたのですが、例の子供が面白半分にわざと屏風の影へ集まつて、色々な惡戲をするものですから、傷でも付けられちや大變だと思つて仕舞ひ込んでしまひました」と云つた。  宗助は主人の此言葉を聞いた時、今更手數をかけて、屏風を見せて貰ふのが、氣の毒にもなり、又面倒にもなつた。實を云ふと彼の好奇心は、夫程強くなかつたのである。成程一旦他の所有に歸したものは、たとひ元が自分のであつたにしろ、無かつたにしろ、其所を突き留めた所で、實際上には何の効果もない話に違なかつた。  けれども、屏風は宗助の申し出た通り、間もなく奧から縁傳ひに運び出されて、彼の眼の前に現れた。さうして夫が豫想通りつい此間迄自分の座敷に立てゝあつた物であつた。此事實を發見した時、宗助の頭には、是と云つて大した感動も起らなかつた。たゞ自分が今坐つてゐる疊の色や、天井の柾目や、床の置物や、襖の模樣などの中に、此屏風を立てて見て、夫に、召使が二人がゝりで、藏の中から大事さうに取り出して來たと云ふ所作を付け加へて考へると、自分が持つてゐた時よりは慥に十倍以上貴とい品の樣に眺められた丈であつた。彼は即座に云ふ可き言葉を見出し得なかつたので、いたづらに、見慣れたものゝ上に、更に新らしくもない眼を据ゑてゐた。  主人は宗助を以てある程度の鑑賞家と誤解した。立ちながら屏風の縁へ手を掛けて、宗助の面と屏風の面とを比較してゐたが、宗助が容易に批評を下さないので、 「是は素性の慥なものです。出が出ですからね」と云つた。宗助は、たゞ 「成程」と云つた。  主人はやがて宗助の後へ回つて來て、指で其所此所を指しながら、品評やら説明やらした。其中には、さすが御大名丈あつて、好い繪の具を惜氣もなく使ふのが此畫家の特色だから、色が如何にも美事であると云ふ樣な、宗助には耳新らしいけれども、普通一般に知れ渡つた事も大分交つてゐた。  宗助は好い加減な頃を見計らつて、丁寧に禮を述べて元の席に復した。主人も蒲團の上に直つた。さうして、今度は野路や空云々といふ題句やら書體やらに就いて語り出した。宗助から見ると、主人は書にも俳句にも多くの興味を有つてゐた。何時の間に是程の知識を頭の中へ貯へ得らるゝかと思ふ位、凡てに心得のある男らしく思はれた。宗助は己れを耻ぢて、成るべく物數を云はない樣にして、たゞ向ふの話丈に耳を借す事を力めた。  主人は客が此方面の興味に乏しい樣子を見て、再び話を畫の方へ戻した。碌なものはないけれども、望ならば所藏の畫帖や幅物を見せても可いと親切に申し出した。宗助は折角の好意を辭退しない譯に行かなかつた。其代りに、失禮ですがと前置をして、主人が此屏風を手に入れるに就て、何れ程の金額を拂つたかを尋ねた。 「まあ掘出し物ですね。八十圓で買ひました」と主人はすぐ答へた。  宗助は主人の前に坐つて、此屏風に關する一切の事を自白しやうか、しまいかと思案したが、ふと打ち明けるのも一興だらうと心付いて、とう/\實は是々だと、今迄の顛末を詳しく話し出した。主人は時々へえ、へえと驚ろいた樣な言葉を挾んで聞いてゐたが、仕舞に、 「ぢや貴方は別に書畫が好きで、見に入らしつた譯でもないんですね」と自分の誤解を、さも面白い經驗でもした樣に笑い出した。同時に、さう云ふ譯なら、自分が直に宗助から相當の値で讓つて貰へば可かつたに、惜しい事をしたと云つた。最後に横町の道具屋をひどく罵しつて、怪しからん奴だと云つた。  宗助と坂井とは是から大分親しくなつた。 十  佐伯の叔母も安之助も其後頓と宗助の宅へは見えなかつた。宗助は固より麹町へ行く餘暇を有たなかつた。又夫丈の興味もなかつた。親類とは云ひながら、別々の日が二人の家を照らしてゐた。  たゞ小六丈が時々話しに出掛ける樣子であつたが、是とても、さう繁々足を運ぶ譯でもないらしかつた。それに彼は歸つて來て、叔母の家の消息を殆んど御米に語らないのを常として居つた。御米はこれを故意から出る小六の仕打かとも疑つた。然し自分が佐伯に對して特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動靜を耳にしない方を、却つて喜こんだ。  それでも時々は、先方の樣子を、小六と兄の對話から聞き込む事もあつた。一週間程前に、小六は兄に、安之助がまた新發明の應用に苦心してゐる話をした。それは印氣の助けを借らないで、鮮明な印刷物を拵らえるとか云ふ、一寸聞くと頗る重寶な器械に就てであつた。話題の性質から云つても、自分とは全く利害の交渉のない六づかしい事なので、御米は例の通り默つて口を出さずにゐたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、何うして印氣を使はずに印刷が出來るか抔と問ひ糺してゐた。  專門上の知識のない小六が、精密な返答をし得る筈は無論なかつた。彼はたゞ安之助から聞いた儘を、覺えてゐる限り念を入れて説明した。此印刷術は近來英國で發明になつたもので、根本的にいふと矢張り電氣の利用に過ぎなかつた。電氣の一極を活字と結び付けて置いて、他の一極を紙に通じて、其紙を活字の上へ壓し付けさへすれば、すぐ出來るのだと小六が云つた。色は普通黒であるが、手加減次第で赤にも青にもなるから色刷抔の場合には、繪の具を乾かす時間が省ける丈でも大變重寶で、是を新聞に應用すれば、印氣や印氣ロールの費を節約する上に、全體から云つて、少くとも從來の四分の一の手數がなくなる點から見ても、前途は非常に有望な事業であると、小六は又安之助の話した通りを繰り返した。さうして其有望な前途を、安之助が既に手の中に握つたかの如き口氣であつた。かつ其多望な安之助の未來のなかには、同じく多望な自分の影が、含まれてゐる樣に、眼を輝やかした。其時宗助は何時もの調子で、寧ろ穩やかに、弟の云ふ事を聞いてゐたが、聞いてしまつた後でも、別に是といふ眼立つた批評は加へなかつた。實際斯んな發明は、宗助から見ると、本當の樣でもあり、又嘘の樣でもあり、愈それが世間に行はれる迄は、贊成も反對も出來かねたのである。 「ぢや鰹船の方はもう止したの」と、今迄默つてゐた御米が、此時始めて口を出した。 「止したんぢやないんですが、あの方は費用が隨分掛るので、いくら便利でも、さう誰も彼も拵える譯に行かないんださうです」と小六が答へた。小六は幾分か安之助の利害を代表してゐる樣な口振であつた。夫から三人の間に、しばらく談話が交換されたが、仕舞に、 「矢張何をしたつて、さう旨く行くもんぢやあるまいよ」と云つた宗助の言葉と、 「坂井さん見た樣に、御金があつて遊んでゐるのが一番可いわね」と云つた御米の言葉を聞いて、小六は又自分の部屋へ歸つて行つた。  斯う云ふ機會に、佐伯の消息は折々夫婦の耳へ洩れる事はあるが、其外には、全く何をして暮らしてゐるか、互に知らないで過す月日が多かつた。  ある時御米は宗助に斯んな問を掛けた。 「小六さんは、安さんの所へ行くたんびに、小遣でも貰つて來るんでせうか」  今迄小六に就て、夫程の注意を拂つてゐなかつた宗助は、突然此問に逢つて、すぐ、「何故」と聞き返した。御米はしばらく逡巡つた末、 「だつて、此頃能く御酒を呑んで歸つて來る事があるのよ」と注意した。 「安さんが例の發明や、金儲けの話をするとき、其聞き賃に奢るのかも知れない」と云つて宗助は笑つてゐた。會話はそれなりでつい發展せずに仕舞つた。  越えて三日目の夕方に、小六はまた飯時を外して歸つて來なかつた。しばらく待ち合せてゐたが、宗助はついに空腹だとか云ひ出して、一寸湯にでも行つて、時間を延ばしたらといふ御米の小六に對する氣兼に頓着なく、食事を始めた。其時御米は夫に、 「小六さんに御酒を止める樣に、貴方から云つちや不可なくつて」と切り出した。 「そんなに意見しなければならない程飮むのか」と宗助は少し案外な顏をした。  御米は夫程でもないと、辯護しなければならなかつた。けれども實際は誰もゐない晝間のうち抔に、あまり顏を赤くして歸つて來られるのが、不安だつたのである。宗助は夫なり放つて置いた。然し腹の中では、果して御米の云ふ如く、何所かで金を借りるか、貰ふかして、夫程好きもしないものを、わざと飮むのではなからうかと疑ぐつた。  其うち年が段々片寄つて、夜が世界の三分の二を領する樣に押し詰つて來た。風が毎日吹いた。其音を聞いてゐる丈でも、生活に陰氣な響を與へた。小六はどうしても、六疊に籠つて、一日を送るに堪えなかつた。落ち付いて考へれば考へる程、頭が淋しくつて、居たゝまれなくなる許であつた。茶の間へ出て嫂と話すのは猶厭であつた。已を得ず外へ出た。さうして友達の宅をぐる/\回つて歩いた。友達も始のうちは、平生の小六に對する樣に、若い學生のしたがる面白い話を幾何でもした。けれども小六はさう云ふ話が盡きても、まだ遣つて來た。それで仕舞には、友達が、小六は、退屈の餘りに訪問をして、談話の復習に耽るものだと評した。たまには學校の下讀やら研究やらに追はれてゐる多忙の身だと云ふ風もして見せた。小六は友達からさう呑氣な怠けものゝ樣に取り扱はれるのを、大變不愉快に感じた。けれども宅に落ち付いては、讀書も思索も、丸で出來なかつた。要するに彼位の年輩の青年が、一人前の人間になる楷梯として、修むべき事、力むべき事には、内部の動搖やら、外部の束縛やらで、一切手が着かなかつたのである。  夫でも冷たい雨が横に降つたり、雪融の道がはげしく泥つたりする時は、着物を濡らさなければならず、足袋の泥を乾かさなければならない面倒があるので、如何な小六も時によると、外出を見合せる事があつた。さう云ふ日には、實際困却すると見えて、時々六疊から出て來て、のそりと火鉢の傍へ坐つて、茶などを注いで飮んだ。さうして其所に御米でもゐると、世間話の一つや二つはしないとも限らなかつた。 「小六さん御酒好き」と御米が聞いた事があつた。 「もう直御正月ね。貴方御雜いくつ上がつて」と聞いた事もあつた。  さう云ふ場合が度重なるに連れて、二人の間は少しづゝ近寄る事が出來た。仕舞には、姉さん一寸こゝを縫つて下さいと、小六の方から進んで、御米に物を頼む樣になつた。さうして御米が絣の羽織を受取つて、袖口の綻を繕つてゐる間、小六は何にもせずに其所へ坐つて、御米の手先を見詰めてゐた。これが夫だと、何時迄も默つて針を動かすのが、御米の例であつたが、相手が小六の時には、さう投遣に出來ないのが、又御米の性質であつた。だからそんな時には力めても話をした。話の題目で、稍ともすると小六の口に宿りたがるものは、彼の未來を何うしたら好からうと云ふ心配であつた。 「だつて小六さんなんか、まだ若いぢやありませんか。何をしたつて是からだわ。そりや兄さんの事よ。さう悲觀しても可いのわ」  御米は二度許り斯ういふ慰め方をした。三度目には、 「來年になれば、安さんの方で何うか都合して上るつて受合つて下すつたんぢやなくつて」と聞いた。小六は其時不慥な表情をして、 「そりや安さんの計畫が、口でいふ通り旨く行けば譯はないんでせうが、段々考へると、何だか少し當にならない樣な氣がし出してね。鰹船もあんまり儲からない樣だから」と云つた。御米は小六の憮然としてゐる姿を見て、それを時々酒氣を帶びて歸つて來る、何所かに殺氣を含んだ、しかも何が癪に障るんだか譯が分らないでゐて甚だ不平らしい小六と比較すると、心の中で氣の毒にもあり、又可笑しくもあつた。其時は、 「本當にね。兄さんにさへ御金があると、何うでもして上げる事が出來るんだけれども」と、御世辭でも何でもない、同情の意を表した。  其夕暮であつたか、小六は又寒い身體を外套に包んで出て行つたが、八時過に歸つて來て、兄夫婦の前で、袂から白い細長い袋を出して、寒いから蕎麥掻を拵らえて食はうと思つて、佐伯へ行つた歸りに買つて來たと云つた。さうして御米が湯を沸かしてゐるうちに、出しを拵えるとか云つて、しきりに鰹節を掻いた。  其時宗助夫婦は、最近の消息として、安之助の結婚がとう/\春迄延びた事を聞いた。此縁談は安之助が學校を卒業すると間もなく起つたもので、小六が房州から歸つて、叔母に學資の供給を斷わられる時分には、もう大分話が進んでゐたのである。正式の通知が來ないので、何時纏つたか、宗助は丸で知らなかつたが、たゞ折々佐伯へ行つては、何か聞いて來る小六を通じてのみ、彼は年内に式を擧げる筈の新夫婦を豫想した。其他には、嫁の里がある會社員で、有福な生計をしてゐる事と、其學校が女學館であるといふ事と、兄弟が澤山あると云ふ事丈を、同じく小六を通じて耳にした。寫眞にせよ顏を知つてるのは小六許であつた。 「好い器量?」と御米が聞いた事がある。 「まあ好い方でせう」と小六が答へた事がある。  其晩は何故暮のうちに式を濟まさないかと云ふのが、蕎麥掻の出來上る間、三人の話題になつた。御米は方位でも惡いのだらうと臆測した。宗助は押し詰つて日がないからだらうと考へた。獨り小六丈が、 「矢張り物質的の必要かららしいです。先が何でも餘程派出な家なんで、叔母さんの方でもさう單簡に濟まされないんでせう」と何時にない世帶染みた事を云つた。 十一  御米のぶら/\し出したのは、秋も半ば過ぎて、紅葉の赤黒く縮れる頃であつた。京都に居た時分は別として、廣島でも福岡でも、あまり健康な月日を送つた經驗のない御米は、此點に掛けると、東京へ歸つてからも、矢張り仕合せとは云へなかつた。この女には生れ故郷の水が、性に合はないのだらうと、疑ぐれば疑ぐられる位、御米は一時惱んだ事もあつた。  近頃はそれが段々落ち付いて來て、宗助の氣を揉む機會も、年に幾度と勘定が出來る位少なくなつたから、宗助は役所の出入に、御米は又夫の留守の立居に、等しく安心して時間を過す事が出來たのである。だから此年の秋が暮れて、薄い霜を渡る風が、つらく肌を吹く時分になつて、又少し心持が惡くなり出しても、御米は夫程苦にもならなかつた。始のうちは宗助にさへ知らせなかつた。宗助が見付けて、醫者に掛ゝれと勸めても、容易に掛からなかつた。  其所へ小六が引越して來た。宗助は其頃の御米を觀察して、體質の状態やら、精神の模樣やら、夫丈に能く知つてゐたから、成るべくは、人數を殖やして宅の中を混雜かせたくないとは思つたが、事情已を得ないので、成るが儘にして置くより外に、手段の講じやうもなかつた。たゞ口の先で、成るべく安靜にしてゐなくては不可ないと云ふ矛盾した助言は與へた。御米は微笑して、 「大丈夫よ」と云つた。此答を得た時、宗助は猶の事安心が出來なくなつた。所が不思議にも、御米の氣分は、小六が引越して來てから、ずつと引立つた。自分に責任の少しでも加はつたため、心が緊張したものと見えて、却つて平生よりは、甲斐々々しく夫や小六の世話をした。小六には夫が丸で通じなかつたが、宗助から見ると、御米が在來よりどれ程力めてゐるかが能く解つた。宗助は心のうちで、此まめやかな細君に新らしい感謝の念を抱くと同時に、かう氣を張り過ぎる結果が、一度に身體に障る樣な騷ぎでも引き起して呉れなければ可いがと心配した。  不幸にも、此心配が暮の二十日過になつて、突然事實になりかけたので、宗助は豫期の恐怖に火が點いた樣に、いたく狼狽した。其日は判然土に映らない空が、朝から重なり合つて、重い寒さが終日人の頭を抑え付けてゐた。御米は前の晩にまた寐られないで、休ませ損なつた頭を抱へながら、辛抱して働らき出したが、起つたり動いたりするたびに、多少腦に應へる苦痛はあつても、比較的明るい外界の刺戟に紛れた爲か、凝と寐てゐながら、頭丈が冴えて痛むよりは、却つて凌ぎ易かつた。兎角して夫を送り出す迄は、しばらくしたら又何時もの樣に折り合つて來る事と思つて我慢してゐた。所が宗助がゐなくなつて、自分の義務に一段落が着いたといふ氣の弛みが出ると等しく、濁つた天氣がそろ/\御米の頭を攻め始めた。空を見ると凍つてゐる樣であるし、家の中にゐると、陰氣な障子の紙を透して、寒さが浸み込んで來るかと思はれる位だのに、御米の頭はしきりに熱つて來た。仕方がないから、今朝あげた蒲團を又出して來て、座敷へ延べたまゝ横になつた。夫でも堪えられないので、清に濡手拭を絞らして頭へ乘せた。それが直生温くなるので、枕元に金盥を取り寄せて時々絞り易へた。  午迄こんな姑息手段で斷えず額を冷やして見たが、一向はか/″\しい驗もないので、御米は小六のために、わざ/\起きて、一所に食事をする根氣もなかつた。清にいひ付けて膳立をさせて、それを小六に薦めさした儘、自分は矢張り床を離れずにゐた。さうして、平生夫のする柔かい括枕を持つて來て貰つて、堅いのと取り替へた。御米は髮の損れるのを、女らしく苦にする勇氣にさへ乏しかつたのである。  小六は六疊から出て來て、一寸襖を開けて、御米の姿を覗き込んだが、御米が半ば床の間の方を向いて、眼を塞いでゐたので、寐付いたとでも思つたものか、一言の口も利かずに、又そつと襖を閉めた。さうして、たつた一人大きな食卓を專領して、始めからさら/\と茶漬を掻き込む音をさせた。  二時頃になつて、御米は漸つとの事、とろ/\と眠つたが、眼が覺めたら額を捲いた濡れ手拭が殆んど乾く位暖かになつてゐた。其代り頭の方は少し樂になつた。たゞ肩から脊筋へ掛けて全體に重苦しい樣な感じが新らしく加はつた。御米は何でも精を付けなくては毒だといふ考から、一人で起きて遲い午飯を輕く食べた。 「御氣分は如何で御座います」と清が御給仕をしながら、しきりに聞いた。御米は大分可い樣だつたので、床を上げて貰つて、火鉢に倚つたなり、宗助の歸りを待ち受けた。  宗助は例刻に歸つて來た。神田の通りで、門並旗を立てゝ、もう暮の賣出しを始めた事だの、勸工場で紅白の幕を張つて樂隊に景氣を付けさしてゐる事だのを話した末、 「賑やかだよ。一寸行つて御覽。なに電車に乘つて行けば譯はない」と勸めた。さうして自分は寒さに腐蝕された樣に赤い顏をしてゐた。  御米はかう宗助から勞はられた時、何だか自分の身體の惡い事を訴たへるに忍びない心持がした。實際又夫程苦しくもなかつた。それで何時もの通り何氣ない顏をして、夫に着物を着換さしたり、洋服を疊んだりして夜に入つた。  所が九時近くになつて、突然宗助に向つて、少し加減が惡いから先へ寐たいと云ひ出した。今迄平生の通り機嫌よく話してゐただけに、宗助は此言葉を聞いて一寸驚ろいたが、大した事でもないと云ふ御米の保證に、漸く安心してすぐ休む支度をさせた。  御米が床へ這入つてから、約二十分許の間、宗助は耳の傍に鐵瓶の音を聞きながら、靜な夜を丸心の洋燈に照らしてゐた。彼は來年度に一般官吏に増俸の沙汰があるといふ評判を思ひ浮べた。又其前に改革か淘汰が行はれるに違ないといふ噂に思ひ及んだ。さうして自分は何方の方へ編入されるのだらうと疑つた。彼は自分を東京へ呼んで呉れた杉原が、今も猶課長として本省にゐないのを遺憾とした。彼は東京へ移つてから不思議とまだ病氣をした事がなかつた。從つてまだ缺勤屆を出した事がなかつた。學校を中途で已めたなり、本は殆んど讀まないのだから、學問は人並に出來ないが、役所でやる仕事に差支へる程の頭腦ではなかつた。  彼は色々な事情を綜合して考へた上、まあ大丈夫だらうと腹の中で極めた。さうして爪の先で輕く鐵瓶の縁を敲いた。其時座敷で、 「貴方一寸」と云ふ御米の苦しさうな聲が聞えたので、我知らず立ち上がつた。  座敷へ來て見ると、御米は眉を寄せて、右の手で自分の肩を抑えながら、胸迄蒲團の外へ乘り出してゐた。宗助は殆んど器械的に、同じ所へ手を出した。さうして御米の抑えてゐる上から、固く骨の角を攫んだ。 「もう少し後の方」と御米が訴へるやうに云つた。宗助の手が御米の思ふ所へ落ち付く迄には、二度も三度も其所此所と位置を易えなければならなかつた。指で壓して見ると、頸と肩の繼目の少し脊中へ寄つた局部が、石の樣に凝つてゐた。御米は男の力一杯にそれを抑えて呉れと頼んだ。宗助の額からは汗が染み出した。それでも御米の滿足する程は力が出なかつた。  宗助は昔の言葉で早打肩といふのを覺えてゐた。小さい時祖父から聞いた話に、ある侍が馬に乘つて何處かへ行く途中で、急に此早打肩に冒されたので、すぐ馬から飛んで下りて、忽ち小柄を拔くや否や、肩先を切つて血を出したため、危うい命を取り留めたといふのがあつたが、其話が今明らかに記憶の燒點に浮んで出た。其時宗助は是はならんと思つた。けれども果して刄物を用ひて、肩の肉を突いて可いものやら、惡いものやら、決しかねた。  御米は何時になく逆上せて、耳迄赤くしてゐた。頭が熱いかと聞くと苦しさうに熱いと答へた。宗助は大きな聲を出して清に氷嚢へ冷たい水を入れて來いと命じた。氷嚢が生憎無かつたので、清は朝の通り金盥に手拭を浸けて持つて來た。清が頭を冷やしてゐるうち、宗助は矢張り精一杯肩を抑えてゐた。時々少しは可いかと聞いても、御米は微かに苦しいと答へる丈であつた。宗助は全く心細くなつた。思ひ切つて、自分で馳け出して醫者を迎に行かうとしたが、後が心配で一足も表へ出る氣にはなれなかつた。 「清、御前急いで通りへ行つて、氷嚢を買つて醫者を呼んで來い。まだ早いから起きてるだらう」  清はすぐ立つて茶の間の時計を見て、 「九時十五分で御座います」と云ひながら、それなり勝手口へ回つて、ごそ/\下駄を探してゐる所へ、旨い具合に外から小六が歸つて來た。例の通り兄には挨拶もしないで、自分の部屋へ這入らうとするのを、宗助はおい小六と烈しく呼び止めた。小六は茶の間で少し躊躇してゐたが、兄から又二聲程續けざまに大きな聲を掛けられたので、已を得ず低い返事をして、襖から顏を出した。其顏は酒氣のまだ醒めない赤い色を眼の縁に帶びてゐた。部屋の中を覗き込んで、始めて吃驚した樣子で、 「何うかなすつたんですか」と醉が一時に去つた樣な表情をした。  宗助は清に命じた通りを、小六に繰り返して、早くして呉れと急き立てた。小六は外套も脱がずに、すぐ玄關へ取つて返した。 「兄さん、醫者迄行くのは急いでも時間が掛かりますから、坂井さんの電話を借りて、すぐ來る樣に頼みませう」 「あゝ。左うして呉れ」と宗助は答へた。さうして小六の歸る間、清に何返となく金盥の水を易へさしては、一生懸命に御米の肩を壓し付けたり、揉んだりして見た。御米の苦しむのを、何もせずにたゞ見てゐるに堪えなかつたから、斯うして自分の氣を紛らしてゐたのである。  此時の宗助に取つて、醫者の來るのを今か今かと待ち受ける心ほど苛いものはなかつた。彼は御米の肩を揉みながらも、絶えず表の物音に氣を配つた。  漸く醫者が來たときは、始めて夜が明けた樣な心持がした。醫者は商買柄丈あつて、少しも狼狽へた樣子を見せなかつた。小さい折鞄を脇に引き付けて、落付き拂つた態度で、慢性病の患者でも取り扱ふ樣に緩くりした診察をした。其逼らない顏色を傍で見てゐた所爲か、わく/\した宗助の胸も漸く治まつた。  醫者は芥子を局部へ貼る事と、足を濕布で温める事と、夫から頭を氷で冷す事とを、應急手段として宗助に注意した。さうして自分で芥子を掻いて、御米の肩から頸の根へ貼り付けて呉れた。濕布は清と小六とで受持つた。宗助は手拭の上から氷嚢を額の上に當てがつた。  兎角するうち約一時間も經つた。醫者はしばらく經過を見て行かうと云つて、夫迄御米の枕元に坐つてゐた。世間話も折々は交へたが、大方は無言の儘二人共に御米の容體を見守る事が多かつた。夜は例の如く靜に更けた。 「大分冷えますな」と醫者が云つた。宗助は氣の毒になつたので、あとの注意を能く聞いた上、遠慮なく引き取つて呉れる樣にと頼んだ。其時御米は先刻よりは大分輕快になつてゐたからである。 「もう大丈夫でせう。頓服を一回上げますから今夜飮んで御覽なさい。多分寐られるだらうと思ひます」と云つて醫者は歸つた。小六はすぐ其後を追つて出て行つた。  小六が藥取に行つた間に、御米は、 「もう何時」と云ひながら、枕元の宗助を見上げた。宵とは違つて頬から血が退いて、洋燈に照らされた所が、ことに蒼白く映つた。宗助は黒い毛の亂れた所爲だらうと思つて、わざ/\鬢の毛を掻き上げて遣つた。さうして、 「少しは可いだらう」と聞いた。 「えゝ餘つ程樂になつたわ」と御米は何時もの通り微笑を洩らした。御米は大抵苦しい場合でも、宗助に微笑を見せる事を忘れなかつた。茶の間では、清が突伏したまゝ鼾をかいてゐた。 「清を寐かして遣つて下さい」と御米が宗助に頼んだ。  小六が藥取りから歸つて來て、醫者の云ひ付け通り服藥を濟ましたのは、もう彼是十二時近くであつた。それから二十分と經たないうちに、病人はすや/\寐入つた。 「好い塩梅だ」と宗助が御米の顏を見ながら云つた。小六もしばらく嫂の樣子を見守つてゐたが、 「もう大丈夫でせう」と答へた。二人は氷嚢を額から卸ろした。  やがて小六は自分の部屋へ這入る、宗助は御米の傍へ床を延べて何時もの如く寐た。五六時間の後冬の夜は錐の樣な霜を挾さんで、からりと明け渡つた。それから一時間すると、大地を染める太陽が、遮ぎるものゝない蒼空に憚りなく上つた。御米はまだすや/\寐てゐた。  そのうち朝餉も濟んで、出勤の時刻が漸く近づいた。けれども御米は眠りから覺める氣色もなかつた。宗助は枕邊に曲んで、深い寐息を聞ゝながら、役所へ行かうか休まうかと考へた。 十二  朝の内は役所で常の如く事務を執つてゐたが、折々昨夕の光景が眼に浮ぶに連れて、自然御米の病氣が氣に罹るので、仕事は思ふ樣に運ばなかつた。時には變な間違をさへした。宗助は午になるのを待つて、思ひ切つて宅へ歸つて來た。  電車の中では、御米の眼が何時頃覺めたらう、覺めた後は心持が大分好くなつたろう、發作ももう起る氣遣なからうと、凡て惡くない想像ばかり思ひ浮べた。何時もと違つて、乘客の非常に少ない時間に乘り合はせたので、宗助は周圍の刺戟に氣を使ふ必要が殆んどなかつた。それで自由に頭の中へ現はれる畫を何枚となく眺めた。其うちに、電車は終點に來た。  宅の門口迄來ると、家の中はひつそりして、誰もゐない樣であつた。格子を開けて、靴を脱いで、玄關に上がつても、出て來るものはなかつた。宗助は何時もの樣に縁側から茶の間へ行かずに、すぐ取付の襖を開けて、御米の寐てゐる座敷へ這入つた。見ると、御米は依然として寐てゐた。枕元の朱塗の盆に散藥の袋と洋杯が載つてゐて、其洋杯の水が半分殘つてゐる所も朝と同じであつた。頭を床の間の方へ向けて、左の頬と芥子を貼つた襟元が少し見える所も朝と同じであつた。呼息より外に現實世界と交通のない樣に思はれる深い眠も朝見た通りであつた。凡てが今朝出掛に頭の中へ収めて行つた光景と少しも變つてゐなかつた。宗助は外套も脱がずに、上から曲んで、すう/\いふ御米の寐息をしばらく聞いてゐた。御米は容易に覺めさうにも見えなかつた。宗助は昨夕御米が散藥を飮んでから以後の時間を指を折つて勘定した。さうして漸く不安の色を面に表はした。昨夕迄は寐られないのが心配になつたが、斯う前後不覺に長く寐る所を眼のあたりに見ると、寐る方が何かの異状ではないかと考へ出した。  宗助は蒲團へ手を掛けて二三度輕く御米を搖振つた。御米の髮が括枕の上で、波を打つ樣に動いたが、御米は依然としてすう/\寐てゐた。宗助は御米を置いて、茶の間から臺所へ出た。流し元の小桶の中に茶碗と塗椀が洗はない儘浸けてあつた。下女部屋を覗くと、清が自分の前に小さな膳を控えたなり、御櫃に倚りかゝつて突伏してゐた。宗助は又六疊の戸を引いて首を差し込んだ。其所には小六が掛蒲團を一枚頭から引被つて寐てゐた。  宗助は一人で着物を着換えたが、脱ぎ捨てた洋服も、人手を借りずに自分で疊んで、押入に仕舞つた。それから火鉢へ火を繼いで、湯を沸かす用意をした。二三分は火鉢に持たれて考へてゐたが、やがて立ち上がつて、先づ小六から起しに掛ゝつた。次に清を起した。二人とも驚ろいて飛び起きた。小六に御米の今朝から今迄の樣子を聞くと、實は餘り眠いので、十一時半頃飯を食つて寐たのだが、夫迄は御米も能く熟睡してゐたのだと云ふ。 「醫者へ行つてね。昨夜の藥を戴いてから寐出して、今になつても眼が覺めませんが差支ないでせうかつて聞いて來て呉れ」 「はあ」  小六は簡單な返事をして出て行つた。宗助は又座敷へ來て御米の顏を熟視した。起して遣らなくつては惡い樣な、又起しては身體へ障る樣な、分別の付かない惑を抱いて腕組をした。  間もなく小六が歸つて來て、醫者は丁度徃診に出掛ける所であつた、譯を話したら、では今から一二軒寄つてすぐ行かうと答へた、と告げた。宗助は醫者が見える迄、斯うして放つて置いて構はないのかと小六に問ひ返したが、小六は醫者が以上より外に何にも語らなかつたと云ふ丈なので、已を得ず元の如く枕邊に凝と坐つてゐた。さうして心の中で、醫者も小六も不親切過ぎる樣に感じた。彼は其上昨夕御米を介抱してゐる時に歸つて來た小六の顏を思ひ出して、猶不愉快になつた。小六が酒を呑む事は、御米の注意で始めて知つたのであるが、其後氣を付けて弟の樣子をよく見てゐると、成程何だか眞面目でない所もある樣なので、何時かみつちり異見でもしなければなるまい位に考へてはゐたが、面白くもない二人の顏を御米に見せるのが、氣の毒なので今日迄わざと遠慮してゐたのである。 「云ひ出すなら御米の寐てゐる今である。今ならどんな氣不味いことを双方で言ひ募つたつて、御米の神經に障る氣遣はない」  此所迄考へ付いたけれども、知覺のない御米の顏を見ると、又其方が氣掛になつて、すぐにでも起したい心持がするので、つい決し兼てぐづ/\してゐた。其所へ漸く醫者が來て呉れた。  昨夕の折鞄を又丁寧に傍へ引き付けて、緩くり卷烟草を吹かしながら、宗助の云ふことを、はあ/\と聞いてゐたが、どれ拜見致しませうと御米の方へ向き直つた。彼は普通の場合の樣に病人の脉を取つて、長い間自分の時計を見詰めてゐた。それから黒い聽診器を心臟の上に當てた。それを丁寧に彼方此方と動かした。最後に丸い穴の開いた反射鏡を出して、宗助に蝋燭を點けて呉れと云つた。宗助は蝋燭を持たないので、清に洋燈を點けさした。醫者は眠つてゐる御米の眼を押し開けて、仔細に反射鏡の光を睫の奧に集めた。診察は夫で終つた。 「少し藥が利き過ぎましたね」と云つて宗助の方へ向き直つたが、宗助の眼の色を見るや否や、すぐ、 「然し御心配になる事はありません。斯う云ふ場合に、もし惡い結果が起るとすると、屹度心臟か腦を冒すものですが、今拜見した所では双方共異状は認められませんから」と説明して呉れた。宗助はそれで漸く安心した。醫者は又自分の用ひた眠り藥が比較的新らしいもので、學理上、他の睡眠劑の樣に有害でない事や、また其効目が患者の體質に因つて、程度に大變な相違のある事などを語つて歸つた。歸るとき宗助は、 「では寐られる丈寐かして置いても差支ありませんか」と聞いたら、醫者は用さへなければ別に起す必要もあるまいと答へた。  醫者が歸つたあとで、宗助は急に空腹になつた。茶の間へ出ると、先刻掛けて置いた鐵瓶がちん/\沸つてゐた。清を呼んで、膳を出せと命ずると、清は困つた顏付をして、まだ何の用意も出來てゐないと答へた。成程晩食には少し間があつた。宗助は樂々と火鉢の傍に胡坐を掻いて、大根の香の物を噛みながら湯漬を四杯ほどつゞけ樣に掻き込んだ。それから約三十分程したら御米の眼がひとりでに覺めた。 十三  新年の頭を拵らえやうといふ氣になつて、宗助は久し振に髮結床の敷居を跨いだ。暮の所爲か客が大分立て込んでゐるので、鋏の音が二三ヶ所で、同時にちよき/\鳴つた。此寒さを無理に乘り越して、一日も早く春に入らうと焦慮るやうな表通の活動を、宗助は今見て來たばかりなので、其鋏の音が、如何にも忙しない響となつて彼の鼓膜を打つた。  しばらく煖爐の傍で烟草を吹かして待つてゐる間に、宗助は自分と關係のない大きな世間の活動に否應なしに捲き込まれて、已を得ず年を越さなければならない人の如くに感じた。正月を眼の前へ控えた彼は、實際是といふ新らしい希望もないのに、徒らに周圍から誘はれて、何だかざわ/\した心持を抱いてゐたのである。  御米の發作は漸く落ち付いた。今では平日の如く外へ出ても、家の事がそれ程氣に掛ゝらない位になつた。餘所に比べると閑靜な春の支度も、御米から云へば、年に一度の忙がしさには違なかつたので、或は何時も通の準備さへ拔いて、常よりも簡單に年を越す覺悟をした宗助は、蘇生つた樣にはつきりした妻の姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退いた時の如くに、胸を撫で卸した。然し其悲劇が又何時如何なる形で、自分の家族を捕へに來るか分らないと云ふ、ぼんやりした掛念が、折々彼の頭のなかに霧となつて懸かつた。  年の暮に、事を好むとしか思はれない世間の人が、故意と短い日を前へ押し出したがつて齷齪する樣子を見ると、宗助は猶の事この茫漠たる恐怖の念に襲はれた。成らうことなら、自分丈は陰氣な暗い師走の中に一人殘つてゐたい思さへ起つた。漸く自分の番が來て、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、不圖此影は本來何者だらうと眺めた。首から下は眞白な布に包まれて、自分の着てゐる着物の色も縞も全く見えなかつた。其時彼は又床屋の亭主が飼つてゐる小鳥の籠が、鏡の奧に映つてゐる事に氣が付いた。鳥が止り木の上をちらり/\と動いた。  頭へ香のする油を塗られて、景氣のいゝ聲を後から掛けられて、表へ出たときは、それでも清々した心持であつた。御米の勸通髮を刈つた方が、結局氣を新たにする効果があつたのを、冷たい空氣の中で、宗助は自覺した。  水道税の事で一寸聞き合せる必要が生じたので、宗助は歸り路に坂井へ寄つた。下女が出て來て、此方へと云ふから、何時もの座敷へ案内するかと思ふと、其所を通り越して、茶の間へ導びいていつた。すると茶の間の襖が二尺ばかり開いてゐて、中から三四人の笑ひ聲が聞えた。坂井の家庭は相變らず陽氣であつた。  主人は光澤の好い長火鉢の向側に坐つてゐた。細君は火鉢を離れて、少し縁側の障子の方へ寄つて、矢張此方を向いてゐた。主人の後に細長い黒い枠に嵌めた柱時計が懸つてゐた。時計の右が壁で、左が袋戸棚になつてゐた。其張交に石摺だの、俳畫だの、扇の骨を拔いたものなどが見えた。  主人と細君の外に、筒袖の揃ひの模樣の被布を着た女の子が二人肩を擦り付け合つて坐つてゐた。片方は十二三で、片方は十位に見えた。大きな眼を揃へて、襖の陰から入つて來た宗助の方を向いたが、二人の眼元にも口元にも、今笑つた許の影が、まだゆたかに殘つてゐた。宗助は一應室の内を見回して、此親子の外に、まだ一人妙な男が、一番入口に近い所に畏まつてゐるのを見出した。  宗助は坐つて五分と立たないうちに、先刻の笑聲は、此變な男と坂井の家族との間に取り換はされた問答から出る事を知つた。男は砂埃でざらつきさうな赤い毛と、日に燒けて生涯褪めつこない強い色を有つてゐた。瀬戸物の釦の着いた白木綿の襯衣を着て、手織の硬い布子の襟から財布の紐見たやうな長い丸打を懸けた樣子は、滅多に東京抔へ出る機會のない遠い山の國のものとしか受け取れなかつた。其上男は此寒いのに膝小僧を少し出して、紺の落ちた小倉の帶の尻に差した手拭を拔いては鼻の下を擦つた。 「是は甲斐の國から反物を脊負つてわざ/\東京迄出て來る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、 「何うか旦那、一つ買つて御呉」と挨拶をした。  成程銘仙だの御召だの、白紬だのが其所ら一面に取り散らしてあつた。宗助は此男の形裝や言葉遣の可笑しい割に、立派な品物を脊中へ乘せて歩行のを寧ろ不思議に思つた。主人の細君の説明によると、此織屋の住んでゐる村は燒石ばかりで、米も粟も収れないから、已を得ず桑を植ゑて蠶を飼ふんださうであるが、餘程貧しい所と見えて、柱時計を持つてゐる家が一軒丈で、高等小學へ通ふ小供が三人しかないという話であつた。 「字の書けるものは、此人ぎりなんださうですよ」と云つて細君は笑つた。すると織屋も、 「本當のこんだよ、奧さん。讀み書き算筆の出來るものは、己より外にねえんだからね。全く非道い所にや違ない」と眞面目に細君の云ふ事を首肯つた。  織屋は色々の反物を主人や細君の前へ突き付けては、「買つて御呉れ」といふ言葉をしきりに繰り返した。そりや高いよ幾何々々に御負けなどゝ云はれると、「値ぢやねえね」とか、「拜むからそれで買つて御呉れ」とか、「まあ目方を見て御呉れ」とか凡て異樣な田舍びた答をした。その度に皆が笑つた。主人夫婦は又閑だと見えて、面白半分に何時迄も織屋を相手にした。 「織屋、御前さうして荷を脊負つて、外へ出て、時分どきになつたら、矢張り御膳を食べるんだらうね」と細君が聞いた。 「飯を食はねえでゐられるもんぢやないよ。腹の減る事ちうたら」 「何んな所で食べるの」 「何んな所で食べるちうて、矢つ張り茶屋で食ふだね」  主人は笑ひながら茶屋とは何だと聞いた。織屋は、飯を食はす所が茶屋だと答へた。それから東京へ出立には飯が非常に旨いので、腹を据ゑて食ひ出すと、大抵の宿屋は叶はない、三度々々食つちや氣の毒だと云ふ樣な事を話して、また皆を笑はした。  織屋は仕舞に撚糸の紬と、白絽を一匹細君に賣り付けた。宗助は此押し詰つた暮に、夏の絽を買ふ人を見て餘裕のあるものは又格別だと感じた。すると、主人が宗助に向つて、 「何うです貴方も、序に何か一つ。奧さんの不斷着でも」と勸めた。細君もかう云ふ機會に買つて置くと、幾割か値安に買へる便宜を説いた。さうして、 「なに、御拂は何時でも可いんです」と受合つて呉れた。宗助はとう/\御米のために銘仙を一反買ふ事にした。主人はそれを散々値切つて三圓に負けさした。織屋は負けた後で又、 「全く値ぢやねえね。泣きたくなるね」と云つたので、大勢がまた一度に笑つた。  織屋は何處へ行つても斯ういふ鄙びた言葉を使つて通してゐるらしかつた。毎日馴染みの家をぐる/\回つて歩いてゐるうちには、脊中の荷が段々輕くなつて、仕舞に紺の風呂敷と眞田紐丈が殘る。其時分には丁度舊の正月が來るので、一先國元へ歸つて、古い春を山の中で越して、夫から又新らしい反物を脊負へる丈脊負つて出て來るのだと云つた。さうして養蠶の忙しい四月の末か五月の初迄に、それを悉皆金に換へて、又富士の北影の燒石許ころがつてゐる小村へ歸つて行くのださうである。 「宅へ來出してから、もう四五年になりますが、何時見ても同じ事で、少しも變らないんですよ」と細君が注意した。 「實際珍らしい男です」と主人も評語を添えた。三日も外へ出ないと、町幅が何時の間にか取り廣げられてゐたり、一日新聞を讀まないと、電車の開通を知らずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、斯う山男の特色を何處迄も維持して行くのは、實際珍らしいに違なかつた。宗助はつく/″\此織屋の容貌やら態度やら服裝やら言葉使やらを觀察して、一種氣の毒な思をなした。  彼は坂井を辭して、家へ歸る途中にも、折々インネスの羽根の下に抱へて來た銘仙の包を持ち易へながら、それを三圓といふ安い價で賣つた男の、粗末な布子の縞と、赤くてばさ/\した髮の毛と、其油氣のない硬い髮の毛が、何ういふ譯か、頭の眞中で立派に左右に分けられてゐる樣を、絶えず眼の前に浮べた。  宅では御米が宗助に着せる春の羽織を漸く縫ひ上げて、壓の代りに坐蒲團の下へ入れて、自分で其上へ坐つてゐる所であつた。 「貴方今夜敷いて寐て下さい」と云つて、御米は宗助を顧みた。夫から、坂井へ來てゐた甲斐の男の話を聞いた時は、御米も流石に大きな聲を出して笑つた。さうして宗助の持つて歸つた銘仙の縞柄と地合を飽かず眺めては、安い/\と云つた。銘仙は全く品の良いものであつた。 「何うして、さう安く賣つて割に合ふんでせう」と仕舞に聞き出した。 「なに中へ立つ呉服屋が儲け過ぎてるのさ」と宗助は其道に明るい樣な事を、此一反の銘仙から推斷して答へた。  夫婦の話はそれから、坂井の生活に餘裕のある事と、其餘裕のために、横町の道具屋などに意外な儲け方をされる代りに、時とすると斯う云ふ織屋などから、差し向き不用のものを廉價に買つて置く便宜を有してゐる事などに移つて、仕舞に其家庭の如何にも陽氣で、賑やかな模樣に落ちて行つた。宗助は其時突然語調を更へて、 「何金があるばかりぢやない。一つは子供が多いからさ。子供さへあれば、大抵貧乏な家でも陽氣になるものだ」と御米を覺した。  其云ひ方が、自分達の淋しい生涯を、多少自ら窘める樣な苦い調子を、御米の耳に傳へたので、御米は覺えず膝の上の反物から手を放して夫の顏を見た。宗助は坂井から取つて來た品が、御米の嗜好に合つたので、久し振りに細君を喜ばせて遣つた自覺があるばかりだつたから、別段そこには氣が付かなかつた。御米も一寸宗助の顏を見たなり其時は何にも云はなかつた。けれども夜に入つて寐る時間が來る迄御米はそれをわざと延ばして置いたのである。  二人は何時もの通り十時過床に入つたが、夫の眼がまだ覺めてゐる頃を見計らつて、御米は宗助の方を向いて話しかけた。 「貴方先刻小供がないと淋しくつて不可ないと仰しやつてね」  宗助は是に類似の事を普般的に云つた覺は慥かにあつた。けれどもそれは強がちに、自分達の身の上に就て、特に御米の注意を惹く爲に口にした、故意の觀察でないのだから、斯う改たまつて聞き糺されると、困るより外はなかつた。 「何も宅の事を云つたのぢやないよ」  此返事を受けた御米は、しばらく默つてゐた。やがて、 「でも宅の事を始終淋しい/\と思つてゐらつしやるから、必竟あんな事を仰しやるんでせう」と前と略似た樣な問を繰り返した。宗助は固よりさうだと答へなければならない或物を頭の中に有つてゐた。けれども御米を憚つて、それ程明白地な自白を敢てし得なかつた。此病氣上りの細君の心を休める爲には、却つてそれを冗談にして笑つて仕舞ふ方が善からうと考へたので、 「淋しいと云へば、そりや淋しくないでもないがね」と調子を易へて成るべく陽氣に出たが、其所で詰つたぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思ひ付けなかつた。已を得ず、 「まあ可いや。心配するな」と云つた。御米はまた何とも答へなかつた。宗助は話題を變へやうと思つて、 「昨夕も火事があつたね」と世間話をし出した。すると御米は急に、 「私は實に貴方に御氣の毒で」と切なさうに言譯を半分して、又それなり默つて仕舞つた。洋燈は何時もの樣に床の間の上に据ゑてあつた。御米は灯に背いてゐたから、宗助には顏の表情が判然分らなかつたけれども、其聲は多少涙でうるんでゐる樣に思はれた。今迄仰向いて天井を見てゐた彼は、すぐ妻の方へ向き直つた。さうして薄暗い影になつた御米の顏を凝と眺めた。御米も暗い中から凝と宗助を見てゐた。さうして、 「疾から貴方に打ち明けて謝罪まらう/\と思つてゐたんですが、つい言ひ惡かつたもんだから、夫なりにして置いたのです」と途切れ/\に云つた。宗助には何の意味か丸で解らなかつた。多少はヒステリーの所爲かとも思つたが、全然さうとも決しかねて、しばらく茫然してゐた。すると御米が思ひ詰めた調子で、 「私にはとても子供の出來る見込はないのよ」と云ひ切つて泣き出した。  宗助は此可憐な自白を何う慰さめて可いか分別に餘つて當惑してゐたうちにも、御米に對して甚だ氣の毒だといふ思が非常に高まつた。 「子供なんざ、無くても可いぢやないか。上の坂井さん見た樣に澤山生れて御覽、傍から見てゐても氣の毒だよ。丸で幼穉園の樣で」 「だつて一人も出來ないと極つちまつたら、貴方だつて好かないでせう」 「まだ出來ないと極りやしないぢやないか。是から生れるかも知れないやね」  御米は猶と泣き出した。宗助も途方に暮れて、發作の治まるのを穩やかに待つてゐた。さうして、緩くり御米の説明を聞いた。  夫婦は和合同棲といふ點に於て、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣人よりも不幸であつた。それも始から宿る種がなかつたのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取り落したのだから、更に不幸の感が深かつた。  始めて身重になつたのは、二人が京都を去つて、廣島に瘠世帶を張つてゐる時であつた。懷姙と事が極つたとき、御米は此新らしい經驗に對して、恐ろしい未來と、嬉しい未來を一度に夢に見る樣な心持を抱いて日を過ごした。宗助はそれを眼に見えない愛の精に、一種の確證となるべき形を與へた事實と、ひとり解釋して少なからず喜んだ。さうして自分の命を吹き込んだ肉の塊が、目の前に踴る時節を指を折つて樂しみに待つた。所が胎兒は、夫婦の豫期に反して、五ヶ月迄育つて突然下りて仕舞つた。其時分の夫婦の活計は苦しい苛い月ばかり續いてゐた。宗助は流産した御米の蒼い顏を眺めて、是も必竟は世帶の苦勞から起るんだと判じた。さうして愛情の結果が、貧のために打ち崩されて、永く手の裡に捕へる事の出來なくなつたのを殘念がつた。御米はひたすら泣いた。  福岡へ移つてから間もなく、御米は又酸いものを嗜む人となつた。一度流産すると癖になると聞いたので、御米は萬に注意して、つゝましやかに振舞つてゐた。其所爲か經過は至極順當に行つたが、どうした譯か、是といふ原因もないのに、月足らずで生れて仕舞つた。産婆は首を傾けて、一度醫者に見せる樣に勸めた。醫者に診て貰ふと、發育が充分でないから、室内の温度を一定の高さにして、晝夜とも變らない位、人工的に暖めなければ不可ないと云つた。宗助の手際では、室内に煖爐を据ゑ付ける設備をする丈でも容易ではなかつた。夫婦はわが時間と算段の許す限りを盡して、專念に赤兒の命を護つた。けれども凡ては徒勞に歸した。一週間の後、二人の血を分けた情の塊は遂に冷たくなつた。御米は幼兒の亡骸を抱いて、 「何うしませう」と啜り泣いた。宗助は再度の打撃を男らしく受けた。冷たい肉が灰になつて、其灰が又黒い土に和する迄、一口も愚癡らしい言葉は出さなかつた。其内何時となく、二人の間に挾まつてゐた影の樣なものが、次第に遠退いて程なく消えて仕舞つた。  すると三度目の記憶が來た。宗助が東京に移つて始ての年に、御米は又懷姙したのである。出京の當座は、大分身體が衰ろへてゐたので、御米は勿論、宗助もひどく其所を氣遣つたが、今度こそはといふ腹は兩方にあつたので、張のある月を無事に段々と重ねて行つた。所が丁度五月目になつて、御米は又意外の失敗を遣つた。其頃はまだ水道も引いてなかつたから、朝晩下女が井戸端へ出て水を汲んだり、洗濯をしなければならなかつた。御米はある日裏にゐる下女に云ひ付ける用が出來たので、井戸流の傍に置いた盥の傍迄行つて話をした序に、流を向へ渡らうとして、青い苔の生へてゐる濡れた板の上へ尻持を突いた。御米はまた遣り損なつたとは思つたが、自分の粗忽を面目ながつて、宗助にはわざと何事も語らずに其場を通した。けれども此震動が、何時迄經つても胎兒の發育に是といふ影響も及ぼさず、從つて自分の身體にも少しの異状を引き起さなかつた事が慥に分つた時、御米は漸く安心して、過去の失を改めて宗助の前に告げた。宗助は固より妻を咎める意もなかつた。たゞ、 「能く氣を付けないと危ないよ」と穩やかに注意を加へて過ぎた。  兎角するうちに月が滿ちた。愈生れるといふ間際迄日が詰つたとき、宗助は役所へ出ながらも、御米の事がしきりに氣に掛つた。歸りには何時も、今日はことによると留守のうちに抔と案じ續けては、自分の家の格子の前に立つた。さうして半ば豫期してゐる赤兒の泣聲が聞えないと、却つて何かの變でも起つたらしく感じて、急いで宅へ飛び込んで、自分と自分の粗忽を耻づる事があつた。  幸に御米の産氣づいたのは、宗助の外に用のない夜中だつたので、傍にゐて世話の出來ると云ふ點から見れば甚だ都合が好かつた。産婆も緩くり間に合ふし、脱脂綿其他の準備も悉く不足なく取り揃へてあつた。産も案外輕かつた。けれども肝心の小兒は、たゞ子宮を逃れて廣い所へ出たといふ迄で、浮世の空氣を一口も呼吸しなかつた。産婆は細い硝子の管の樣なものを取つて、小さい口の内へ強い呼息をしきりに吹き込んだが、効目は丸でなかつた。生れたものは肉丈であつた。夫婦は此肉に刻み付けられた、眼と鼻と口とを髣髴した。然し其咽喉から出る聲は遂に聞く事が出來なかつた。  産婆は出産のあつたつい一週間前に來て、丁寧に胎兒の心臟迄聽診して、至極御健全だと保證して行つたのである。よし産婆の云ふ事に間違があつて、腹の兒の發育が今迄のうちに何處かで止つてゐたにした所で、それが直取り出されない以上、母體は今日迄平氣に持ち應へる譯がなかつた。其所を段々調べて見て、宗助は自分が未だ嘗て聞いた事のない事實を發見した時に、思はず恐れ驚ろいた。胎兒は出る間際迄健康であつたのである。けれども臍帶纏絡と云つて、俗に云ふ胞を頸へ捲き付けてゐた。斯う云ふ異常の場合には、固より産婆の腕で切り拔けるより外に仕樣のないもので、經驗のある婆さんなら、取り上げる時に、旨く頸に掛ゝつた胞を外して引き出す筈であつた。宗助の頼んだ産婆も可成年を取つてゐる丈に、此位のことは心得てゐた。然し胎兒の頸を絡んでゐた臍帶は、時たまある如く一重ではなかつた。二重に細い咽喉を卷いてゐる胞を、あの細い所を通す時に外し損なつたので、小兒はぐつと氣管を絞められて窒息して仕舞つたのである。  罪は産婆にもあつた。けれども半以上は御米の落度に違なかつた。臍帶纏絡の變状は、御米が井戸端で滑つて痛く尻餠を搗いた五ヶ月前既に自ら釀したものと知れた。御米は産後の蓐中に其始末を聞いて、たゞ輕く首肯いたぎり何にも云はなかつた。さうして、疲勞に少し落ち込んだ眼を霑ませて、長い睫毛をしきりに動かした。宗助は慰さめながら、手帛で頬に流れる涙を拭いて遣つた。  是が子供に關する夫婦の過去であつた。此苦い經驗を甞めた彼等は、それ以後幼兒に就て餘り多くを語るを好まなかつた。けれども二人の生活の裏側は、此記憶のために淋しく染め付けられて、容易に剥げさうには見えなかつた。時としては、彼我の笑聲を通してさへ、御互の胸に、此裏側が薄暗く映る事もあつた。斯ういふ譯だから、過去の歴史を今夫に向つて新たに繰り返さうとは、御米も思ひ寄らなかつたのである。宗助も今更妻からそれを聞かせられる必要は少しも認めてゐなかつたのである。  御米の夫に打ち明けると云つたのは、固より二人の共有してゐた事實に就てではなかつた。彼女は三度目の胎兒を失つた時、夫から其折の模樣を聞いて、如何にも自分が殘酷な母であるかの如く感じた。自分が手を下した覺がないにせよ、考へ樣によつては、自分と生を與へたものの生を奪ふために、暗闇と明海の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であつたからである。斯う解釋した時、御米は恐ろしい罪を犯した惡人と己を見傚さない譯に行かなかつた。さうして思はざる徳義上の苛責を人知れず受けた。しかも其苛責を分つて、共に苦しんで呉れるものは世界中に一人もなかつた。御米は夫にさへ此苦しみを語らなかつたのである。  彼女は其時普通の産婦の樣に、三週間を床の中で暮らした。それは身體から云ふと極めて安靜の三週間に違なかつた。同時に心から云ふと、恐るべき忍耐の三週間であつた。宗助は亡兒のために、小さい柩を拵らえて、人の眼に立たない葬儀を營なんだ。しかる後、又死んだもののために小さな位牌を作つた。位牌には黒い漆で戒名が書いてあつた。位牌の主は戒名を持つてゐた。けれども俗名は兩親といへども知らなかつた。宗助は最初それを茶の間の箪笥の上へ載せて、役所から歸ると絶えず線香を焚いた。其香が六疊に寐てゐる御米の鼻に時々通つた。彼女の官能は當時それ程に鋭どくなつてゐたのである。しばらくしてから、宗助は何を考へたか、小さい位牌を箪笥の抽出の底へ仕舞つてしまつた。其所には福岡で亡くなつた小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に綿で包んで丁寧に入れてあつた。東京の家を疊むとき宗助は先祖の位牌を一つ殘らず携えて、諸所を漂泊するの煩はしさに堪えなかつたので、新らしい父の分丈を鞄の中に収めて、其他は悉く寺へ預けて置いたのである。  御米は宗助のする凡てを寐ながら見たり聞いたりしてゐた。さうして布團の上に仰向になつた儘、此二つの小さい位牌を、眼に見えない因果の糸を長く引いて互に結び付けた。それから其糸を猶遠く延ばして、是は位牌にもならずに流れて仕舞つた、始めから形のない、ぼんやりした影の樣な死兒の上に投げかけた。御米は廣島と福岡と東京に殘る一つ宛の記憶の底に、動かしがたい運命の嚴かな支配を認めて、其嚴かな支配の下に立つ、幾月日の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると觀じた時、時ならぬ呪咀の[#「呪咀の」はママ]聲を耳の傍に聞いた。彼女が三週間の安靜を、蒲團の上に貪ぼらなければならないやうに、生理的に強ひられてゐる間、彼女の鼓膜は此呪咀の[#「呪咀の」はママ]聲で殆んど絶えず鳴つてゐた。三週間の安臥は、御米に取つて實に比類のない忍耐の三週間であつた。  御米は此苦しい半月餘りを、枕の上で凝と見詰めながら過ごした。仕舞には我慢して横になつてゐるのが、如何にも苛かつたので、看護婦の歸つた明る日に、こつそり起きてぶら/\して見たが、それでも心に逼る不安は、容易に紛らせなかつた。退儀な身體を無理に動かす割に、頭の中は少しも動いて呉れないので、又落膽りして、ついには取り放しの夜具の下へ潛り込んで、人の世を遠ざける樣に、眼を堅く閉つて仕舞ふ事もあつた。  其内定期の三週間も過ぎて、御米の身體は自からすつきりなつた。御米は奇麗に床を拂つて、新らしい氣のする眉を再び鏡に照らした。それは更衣の時節であつた。御米も久し振に綿の入つた重いものを脱ぎ棄てゝ、肌に垢の觸れない輕い氣持を爽やかに感じた。春と夏の境をぱつと飾る陽氣な日本の風物は、淋しい御米の頭にも幾分かの反響を與へた。けれども、夫はたゞ沈んだものを掻き立てて、賑やかな光りのうちに浮かした迄であつた。御米の暗い過去の中に其時一種の好奇心が萠したのである。  天氣の勝れて美くしいある日の午前、御米は何時もの通り宗助を送り出してから直に、表へ出た。もう女は日傘を差して外を行くべき時節であつた。急いで日向を歩くと額の邊が少し汗ばんだ。御米は歩き/\、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思はず一番目の抽出の底に仕舞つてあつた、新らしい位牌に手が觸れた事を思ひつゞけて、とう/\ある易者の門を潛つた。  彼女は多數の文明人に共通な迷信を子供の時から持つてゐた。けれども平生は其迷信が又多數の文明人と同じ樣に、遊戲的に外に現はれる丈で濟んでゐた。それが實生活の嚴かな部分を冒す樣になつたのは、全く珍らしいと云はなければならなかつた。御米は其時眞面目な態度と眞面目な心を有つて、易者の前に坐つて、自分が將來子を生むべき、又子を育てるべき運命を天から與へられるだらうかを確めた。易者は大道に店を出して、徃來の人の身の上を一二錢で占なふ人と、少しも違つた樣子もなく、算木を色々に並べて見たり、筮竹を揉んだり數へたりした後で、仔細らしく腮の下の髯を握つて何か考へたが、終りに御米の顏をつく/″\眺めた末、 「貴方には子供は出來ません」と落ち付き拂つて宣告した。御米は無言の儘、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり碎いたりした。それから顏を上げて、 「何故でせう」と聞き返した。其時御米は易者が返事をする前に、又考へるだらうと思つた。所が彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまゝ、すぐ 「貴方は人に對して濟まない事をした覺がある。其罪が祟つてゐるから、子供は決して育たない」と云ひ切つた。御米は此一言に心臟を射拔かれる思があつた。くしやりと首を折つたなり家へ歸つて、其夜は夫の顏さへ碌々見上げなかつた。  御米の宗助に打ち明けないで、今迄過したといふのは、此易者の判斷であつた。宗助は床の間に乘せた細い洋燈の灯が、夜の中に沈んで行きさうな靜かな晩に、始めて御米の口から其話を聞いたとき、流石に好い氣味はしなかつた。 「神經の起つた時、わざ/\そんな馬鹿な所へ出掛るからさ。錢を出して下らない事を云はれて詰らないぢやないか。其後もその占の宅へ行くのかい」 「恐ろしいから、もう決して行かないわ」 「行かないが可い。馬鹿氣てゐる」  宗助はわざと鷹揚な答をして又寐て仕舞つた。 十四  宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかつた。一所になつてから今日迄六年程の長い月日をまだ半日も氣不味く暮した事はなかつた。言逆に顏を赤らめ合つた試は猶なかつた。二人は呉服屋の反物を買つて着た。米屋から米を取つて食つた。けれども其他には一般の社會に待つ所の極めて少ない人間であつた。彼等は、日常の必要品を供給する以上の意味に於て、社會の存在を殆んど認めてゐなかつた。彼等に取つて絶對に必要なものは御互丈で、其御互丈が、彼等にはまた充分であつた。彼等は山の中にゐる心を抱いて、都會に住んでゐた。  自然の勢として、彼等の生活は單調に流れない譯に行かなかつた。彼等は複雜な社會の煩を避け得たと共に、其社會の活動から出る樣々の經驗に直接觸れる機會を、自分と塞いで仕舞つて、都會に住みながら、都會に住む文明人の特權を棄てた樣な結果に到着した。彼等も自分達の日常に變化のない事は折々自覺した。御互が御互に飽きるの、物足りなくなるのといふ心は微塵も起らなかつたけれども、御互の頭に受け入れる生活の内容には、刺戟に乏しい或物が潛んでゐる樣な鈍い訴があつた。それにも拘はらず、彼等が毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日を倦まず渡つて來たのは、彼等が始から一般の社會に興味を失つてゐたためではなかつた。社會の方で彼等を二人限に切り詰めて、其二人に冷かな背を向けた結果に外ならなかつた。外に向つて生長する餘地を見出し得なかつた二人は、内に向つて深く延び始めたのである。彼等の生活は廣さを失なふと同時に、深さを増して來た。彼等は六年の間世間に散漫な交渉を求めなかつた代りに、同じ六年の歳月を擧げて、互の胸を堀ほ》り出した。彼等の命は、いつの間にか互の底に迄喰ひ入つた。二人は世間から見れば依然として二人であつた。けれども互から云へば、道義上切り離す事の出來ない一つの有機體になつた。二人の精神を組み立てる神經系は、最後の纖維に至る迄、互に抱き合つて出來上つてゐた。彼等は大きな水盤の表に滴たつた二點の油の樣なものであつた。水を彈いて二つが一所に集まつたと云ふよりも、水に彈かれた勢で、丸く寄り添つた結果、離れる事が出來なくなつたと評する方が適當であつた。  彼等は此抱合の中に、尋常の夫婦に見出し難い親和と飽滿と、それに伴なう倦怠とを兼ね具へてゐた。さうして其倦怠の慵い氣分に支配されながら、自己を幸福と評價する事丈は忘れなかつた。倦怠は彼等の意識に眠の樣な幕を掛けて、二人の愛をうつとり霞ます事はあつた。けれども簓で神經を洗はれる不安は決して起し得なかつた。要するに彼等は世間に疎い丈それ丈仲の好い夫婦であつたのである。  彼等は人並以上に睦ましい月日を渝らずに今日から明日へと繋いで行きながら、常は其所に氣が付かずに顏を見合はせてゐる樣なものゝ、時々自分達の睦まじがる心を、自分で確と認める事があつた。その場合には必ず今迄睦まじく過ごした長の歳月を溯のぼつて、自分達が如何な犧牲を拂つて、結婚を敢てしたかと云ふ當時を憶ひ出さない譯には行かなかつた。彼等は自然が彼等の前にもたらした恐るべき復讐の下に戰きながら跪づいた。同時に此復讐を受けるために得た互の幸福に對して、愛の神に一辯の香を焚く事を忘れなかつた。彼等は鞭たれつゝ死に赴くものであつた。たゞ其鞭の先に、凡てを癒やす甘い蜜の着いてゐる事を覺つたのである。  宗助は相當に資産のある東京ものゝ子弟として、彼等に共通な派出な嗜好を學生時代には遠慮なく充たした男である。彼は其時服裝にも、動作にも、思想にも、悉く當世らしい才人の面影を漲らして、昂い首を世間に擡げつゝ、行かうと思ふ邊りを濶歩した。彼の襟の白かつた如く、彼の洋袴の裾が奇麗に折り返されてゐた如く、其下から見える彼の靴足袋が模樣入のカシミヤであつた如く、彼の頭は華奢な世間向きであつた。  彼は生れ付理解の好い男であつた。從つて大した勉強をする氣にはなれなかつた。學問は社會へ出るための方便と心得てゐたから、社會を一歩退ぞかなくつては達する事の出來ない、學者といふ地位には、餘り多くの興味を有つてゐなかつた。彼はたゞ教場へ出て、普通の學生のする通り、多くのノートブツクを黒くした。けれども宅へ歸つて來て、それを讀み直したり、手を入れたりした事は滅多になかつた。休んで拔けた所さへ大抵は其儘にして放つて置いた。彼は下宿の机の上に、此ノートブツクを奇麗に積み上げて、何時見ても整然と秩序の付いた書齋を空にしては、外を出歩るいた。友達は多く彼の寛濶を羨んだ。宗助も得意であつた。彼の未來は虹の樣に美くしく彼の眸を照らした。  其頃の宗助は今と違つて多くの友達を持つてゐた。實を云ふと、輕快な彼の眼に映ずる凡ての人は、殆んど誰彼の區別なく友達であつた。彼は敵といふ言葉の意味を正當に解し得ない樂天家として、若い世をのび/\と渡つた。 「なに不景氣な顏さへしなければ、何處へ行つたつて驩迎されるもんだよ」と學友の安井によく話した事があつた。實際彼の顏は、他を不愉快にする程深刻な表情を示し得た試がなかつた。 「君は身體が丈夫だから結構だ」とよく何處かに故障の起る安井が羨ましがつた。此安井といふのは國は越前だが、長く横濱に居たので、言葉や樣子は毫も東京ものと異なる點がなかつた。着物道樂で、髮の毛を長くして眞中から分ける癖があつた。高等學校は違つてゐたけれども、講義のときよく隣合せに並んで、時々聞き損なつた所抔を後から質問するので、口を利き出したのが元になつて、つい懇意になつた。それが學年の始りだつたので、京都へ來て日のまだ淺い宗助には大分の便宜であつた。彼は安井の案内で新らしい土地の印象を酒の如く吸ひ込んだ。二人は毎晩の樣に三條とか四條とかいふ賑やかな町を歩いた。時によると京極も通り拔けた。橋の眞中に立つて鴨川の水を眺めた。東山の上に出る靜かな月を見た。さうして京都の月は東京の月よりも丸くて大きい樣に感じた。町や人に厭きたときは、土曜と日曜を利用して遠い郊外に出た。宗助は至る所の大竹藪に緑の籠る深い姿を喜んだ。松の幹の染めた樣に赤いのが、日を照り返して幾本となく並ぶ風情を樂しんだ。ある時は大悲閣へ登つて、即非の額の下に仰向きながら、谷底の流を下る櫓の音を聞いた。其音が鴈の鳴聲によく似てゐるのを二人とも面白がつた。ある時は、平八茶屋迄出掛けて行つて、そこに一日寐てゐた。さうして不味い河魚の串に刺したのを、かみさんに燒かして酒を呑んだ。其かみさんは、手拭を被つて、紺の立付見た樣なものを穿いてゐた。  宗助は斯んな新らしい刺戟の下に、しばらくは慾求の滿足を得た。けれども一と通り古い都の臭を嗅いで歩くうちに、凡てがやがて、平板に見えだして來た。其時彼は美くしい山の色と清い水の色が、最初程鮮明な影を自分の頭に宿さないのを物足らず思ひ始めた。彼は暖かな若い血を抱いて、其熱りを冷す深い緑に逢へなくなつた。さうかといつて、此情熱を焚き盡す程の烈しい活動には無論出會はなかつた。彼の血は高い脉を打つて、徒らにむづ痒く彼の身體の中を流れた。彼は腕組をして、坐ながら四方の山を眺めた。さうして、 「もう斯んな古臭い所には厭きた」と云つた。  安井は笑ひながら、比較のため、自分の知つてゐる或友達の故郷の物語をして宗助に聞かした。それは淨瑠璃の間の土山雨が降るとある有名な宿の事であつた。朝起きてから夜寐る迄、眼に入るものは山より外にない所で、丸で擂鉢の底に住んでゐると同じ有樣だと告げた上、安井は其友達の小さい時分の經驗として、五月雨の降りつゞく折抔は、小供心に、今にも自分の住んでゐる宿が、四方の山から流れて來る雨の中に浸かつて仕舞ひさうで、心配でならなかつたと云ふ話をした。宗助はそんな擂鉢の底で一生を過す人の運命ほど情ないものはあるまいと考へた。 「さう云ふ所に、人間がよく生きてゐられるな」と不思議さうな顏をして安井に云つた。安井も笑つてゐた。さうして土山から出た人物の中では、千兩凾を摩り替へて磔になつたのが一番大きいのだと云ふ一口話を矢張り友達から聞いた通り繰り返した。狹い京都に飽きた宗助は、單調な生活を破る色彩として、さう云ふ出來事も百年に一度位は必要だらうと迄思つた。  其時分の宗助の眼は、常に新らしい世界にばかり注がれてゐた。だから自然が一通四季の色を見せて仕舞つたあとでは、再び去年の記憶を呼び戻すために、花や紅葉を迎へる必要がなくなつた。強く烈しい命に生きたと云ふ證劵を飽迄握りたかつた彼には、活きた現在と、是から生れやうとする未來が、當面の問題であつたけれども、消えかゝる過去は、夢同樣に價の乏しい幻影に過ぎなかつた。彼は多くの剥げかゝつた社と、寂果た寺を見盡して、色の褪めた歴史の上に、黒い頭を振り向ける勇氣を失ひかけた。寐耄けた昔に徊する程、彼の氣分は枯れてゐなかつたのである。  學年の終りに宗助と安井とは再會を約して手を分つた。安井は一先郷里の福井へ歸つて、夫から横濱へ行く積りだから、もし其時には手紙を出して通知をしやう、さうして成るべくなら一所の汽車で京都へ下らう、もし時間が許すなら、興津あたりで泊つて、清見寺や三保の松原や、久能山でも見ながら緩くり遊んで行かうと云つた。宗助は大いに可からうと答へて、腹のなかでは既に安井の端書を手にする時の心持さへ豫想した。  宗助が東京へ歸つたときは、父は固よりまだ丈夫であつた。小六は子供であつた。彼は一年ぶりに殷んな都の炎熱と煤煙を呼吸するのを却つて嬉しく感じた。燬く樣な日の下に、渦を捲いて狂ひ出しさうな瓦の色が、幾里となく續く景色を、高い所から眺めて、是でこそ東京だと思ふ事さへあつた。今の宗助なら目を眩しかねない事々物々が、悉く壯快の二字を彼の額に燒き付けべく、其時は反射して來たのである。  彼の未來は封じられた蕾のやうに、開かない先は他に知れないばかりでなく、自分にも確とは分らなかつた。宗助はたゞ洋々の二字が彼の前途に棚引いてゐる氣がした丈であつた。彼は此暑い休暇中にも卒業後の自分に對する謀を忽かせにはしなかつた。彼は大學を出てから、官途に就かうか、又は實業に從はうか、それすら、まだ判然と心に極めてゐなかつたに拘はらず、何方の方面でも構はず、今のうちから、進める丈進んで置く方が利益だと心付いた。彼は直接父の紹介を得た。父を通して間接に其知人の紹介を得た。さうして自分の將來を影響し得る樣な人を物色して、二三の訪問を試みた。彼等のあるものは、避暑といふ名義の下に、既に東京を離れてゐた。あるものは不在であつた。又あるものは多忙のため時を期して、勤務先で會はうと云つた。宗助は日のまだ高くならない七時頃に、昇降器で煉瓦造の三階へ案内されて、其所の應接間に、もう七八人も自分と同じ樣に、同じ人を待つてゐる光景を見て驚ろいた事もあつた。彼は斯うして新らしい所へ行つて、新らしい物に接するのが、用向の成否に關はらず、今迄眼に付かずに過ぎた活きた世界の斷片を頭へ詰め込む樣な氣がして何となく愉快であつた。  父の云ひ付で、毎年の通り虫干の手傳をさせられるのも、斯んな時には、却つて興味の多い仕事の一部分に數へられた。彼は冷たい風の吹き通す土藏の戸前の濕つぽい石の上に腰を掛けて、古くから家にあつた江戸名所圖會と江戸砂子といふ本を物珍しさうに眺めた。疊迄熱くなつた座敷の眞中へ胡坐を掻いて、下女の買つて來た樟腦を、小さな紙片に取り分けては、醫者で呉れる散藥の樣な形に疊んだ。宗助は小供の時から、此樟腦の高い香と、汗の出る土用と、砲烙灸と、蒼空を緩く舞ふ鳶とを連想してゐた。  兎角するうちに節は立秋に入つた。二百十日の前には、風が吹いて、雨が降つた。空には薄墨の染んだ樣な雲がしきりに動いた。寒暖計が二三日下がり切りに下がつた。宗助はまた行李を麻繩で絡げて、京都へ向ふ支度をしなければならなくなつた。  彼は此間にも安井と約束のある事は忘れなかつた。家へ歸つた當座は、まだ二ヶ月も先の事だからと緩くり構へてゐたが、段々時日が逼るに從つて、安井の消息が氣になつてきた。安井は其後一枚の端書さへ寄こさなかつたのである。宗助は安井の郷里の福井へ向けて手紙を出して見た。けれども返事は遂に來なかつた。宗助は横濱の方へ問ひ合はせて見やうと思つたが、つい番地も町名も聞いて置かなかつたので、何うする事も出來なかつた。  立つ前の晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求通り、普通の旅費以外に、途中で二三日滯在した上、京都へ着いてからの當分の小遣を渡して、 「成る丈節儉しなくちや不可ない」と諭した。  宗助はそれを普通の子が普通の親の訓戒を聞く時の如くに聞いた。父は又、 「來年また歸つて來る迄は會はないから、隨分氣を付けて」と云つた。其歸つて來る時節には、宗助はもう歸れなくなつてゐたのである。さうして歸つて來た時は、父の亡骸がもう冷たくなつてゐたのである。宗助は今に至る迄其時の父の面影を思ひ浮べては濟まない樣な氣がした。  愈立つと云ふ間際に、宗助は安井から一通の封書を受取つた。開いて見ると、約束通り一所に歸る積でゐたが、少し事情があつて先へ立たなければならない事になつたからと云ふ斷を述べた末に、何れ京都で緩くり會はうと書いてあつた。宗助はそれを洋服の内懷に押し込んで汽車に乘つた。約束の興津へ來たとき彼は一人でプラツトフオームへ降りて、細長い一筋町を清見寺の方へ歩いた。夏も既に過ぎた九月の初なので、大方の避暑客は早く引き上げた後だから、宿屋は比較的閑靜であつた。宗助は海の見える一室の中に腹這になつて、安井へ送る繪端書へ二三行の文句を書いた。其内に、君が來ないから僕一人で此所へ來たといふ言葉を入れた。  翌日も約束通り一人で三保と龍華寺を見物して、京都へ行つてから安井に話す材料を出來る丈拵えた。然し天氣の所爲か、當にした連のないためか、海を見ても、山へ登つても夫程面白くなかつた。宿に凝としてゐるのは、猶退屈であつた。宗助は匆々に又宿の浴衣を脱ぎ棄てゝ、絞りの三尺と共に欄干に掛けて、興津を去つた。  京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、徃來の日影を知らずに暮らした。二日目になつて漸く學校へ出て見ると、教師はまだ出揃つてゐなかつた。學生も平日よりは數が不足であつた。不審な事には、自分より三四つ日前に歸つてゐるべき筈の安井の顏さへ何處にも見えなかつた。宗助はそれが氣にかゝるので、歸りにわざ/\安井の下宿へ回つて見た。安井の居る所は樹と水の多い加茂の社の傍であつた。彼は夏休み前から、少し閑靜な町外れへ移つて勉強する積だとか云つて、わざ/\此不便な村同樣な田舍へ引込んだのである。彼の見付出した家からが寂た土塀を二方に回らして、既に古風に片付いてゐた。宗助は安井から、其所の主人はもと加茂神社の神官の一人であつたと云ふ話を聞いた。非常に能辯な京都言葉を操る四十許の細君がゐて、安井の世話をしてゐた。 「世話つて、たゞ不味い菜を拵らえて、三度づゝ室へ運んで呉れる丈だよ」と安井は移り立てから此細君の惡口を利いてゐた。宗助は安井を此所に二三度訪ねた縁故で、彼の所謂不味い菜を拵らえる主を知つてゐた。細君の方でも宗助の顏を覺えてゐた。細君は宗助を見るや否や、例の柔かい舌で慇懃な挨拶を述べた後、此方から聞かうと思つて來た安井の消息を、却つて向ふから尋ねた。細君の云ふ所によると、彼は郷里へ歸つてから當日に至る迄、一片の音信さへ下宿へは出さなかつたのである。宗助は案外な思で自分の下宿へ歸つて來た。  夫から一週間程は、學校へ出るたんびに、今日は安井の顏が見えるか、明日は安井の聲がするかと、毎日漠然とした豫期を抱いては教室の戸を開けた。さうして毎日又漠然とした不足を感じては歸つて來た。尤も最後の三四日に於る宗助は早く安井に會ひたいと思ふよりも、少し事情があるから、失敬して先へ立つとわざ/\通知しながら、何時迄待つても影も見せない彼の安否を、關係者として寧ろ氣に掛けてゐたのである。彼は學友の誰彼に萬遍なく安井の動靜を聞いて見た。然し誰も知るものはなかつた。たゞ一人が、昨夕四條の人込の中で、安井によく似た浴衣がけの男を見たと答へた事があつた。然し宗助にはそれが安井だらうとは信じられなかつた。所が其話を聞いた翌日、即ち宗助が京都へ着いてから約一週間の後、話の通りの服裝をした安井が、突然宗助の所へ尋ねて來た。  宗助は着流しの儘麥藁帽を手に持つた友達の姿を久し振に眺めた時、夏休み前の彼の顏の上に、新らしい何物かゞ更に付け加へられた樣な氣がした。安井は黒い髮に油を塗つて、目立つ程奇麗に頭を分けてゐた。さうして今床屋へ行つて來た所だと言譯らしい事を云つた。  其晩彼は宗助と一時間餘りも雜談に耽つた。彼の重々しい口の利き方、自分を憚かつて、思ひ切れない樣な話の調子、「然るに」と云ふ口癖、凡て平生の彼と異なる點はなかつた。たゞ彼は何故宗助より先へ横濱を立つたかを語らなかつた。又途中何處で暇取つた爲、宗助より後れて京都へ着いたかを判然告げなかつた。然し彼は三四日前漸く京都へ着いた事丈を明かにした。さうして、夏休み前にゐた下宿へはまだ歸らずにゐると云つた。 「夫で何處に」と宗助が聞いたとき、彼は自分の今泊つてゐる宿屋の名前を、宗助に教へた。それは三條邊の三流位の家であつた。宗助は其名前を知つてゐた。 「何うして、其樣な所へ這入つたのだ。當分其所にゐる積なのかい」と宗助は重ねて聞いた。安井はたゞ少し都合があつてと許答へたが、 「下宿生活はもう已めて、小さい家でも借りやうかと思つてゐる」と思ひがけない計畫を打ち明けて、宗助を驚ろかした。  それから一週間ばかりの中に、安井はとう/\宗助に話した通り、學校近くの閑靜な所に一戸を構へた。それは京都に共通な暗い陰氣な作りの上に、柱や格子を黒赤く塗つて、わざと古臭く見せた狹い貸家であつた。門口に誰の所有とも付かない柳が一本あつて、長い枝が殆ど軒に觸りさうに風に吹かれる樣を宗助は見た。庭も東京と違つて、少しは整つてゐた。石の自由になる所だけに、比較的大きなのが座敷の眞正面に据ゑてあつた。其下には涼しさうな苔がいくらでも生えた。裏には敷居の腐つた物置が空の儘がらんと立つてゐる後に、隣の竹藪が便所の出入りに望まれた。  宗助の此處を訪問したのは、十月に少し間のある學期の始めであつた。殘暑がまだ強いので宗助は學校の徃復に、蝙蝠傘を用ひてゐた事を今に記憶してゐた。彼は格子の前で傘を疊んで、内を覗き込んだ時、粗い縞の浴衣を着た女の影をちらりと認めた。格子の内は三和土で、それが眞直に裏迄突き拔けてゐるのだから、這入つてすぐ右手の玄關めいた上り口を上らない以上は、暗いながら一筋に奧の方迄見える譯であつた。宗助は浴衣の後影が、裏口へ出る所で消へてなくなる迄其處に立つてゐた。それから格子を開けた。玄關へは安井自身が現れた。  座敷へ通つてしばらく話してゐたが、さつきの女は全く顏を出さなかつた。聲も立てず、音もさせなかつた。廣い家でないから、つい隣の部屋位にゐたのだらうけれども、居ないのと丸で違はなかつた。この影の樣に靜かな女が御米であつた。  安井は郷里の事、東京の事、學校の講義の事、何くれとなく話した。けれども、御米の事に就ては一言も口にしなかつた。宗助も聞く勇氣に乏しかつた。其日はそれなり別れた。  次の日二人が顏を合したとき、宗助は矢張り女の事を胸の中に記憶してゐたが、口へ出しては一言も語らなかつた。安井も何氣ない風をしてゐた。懇意な若い青年が心易立に話し合ふ遠慮のない題目は、是迄二人の間に何度となく交換されたにも拘はらず、安井はこゝへ來て、息詰つた如くに見えた。宗助も其所を無理にこぢ開ける程の強い好奇心は有たなかつた。從つて女は二人の意識の間に挾まりながら、つい話頭に上らないで、又一週間ばかり過ぎた。  其日曜に彼は又安井を訪ふた。それは二人の關係してゐる或會に就て用事が起つたためで、女とは全く縁故のない動機から出た淡泊な訪問であつた。けれども座敷へ上がつて、同じ所へ坐らせられて、垣根に沿ふた小さな梅の木を見ると、此前來た時の事が明らかに思ひ出された。其日も座敷の外は、しんとして靜であつた。宗助は其靜かなうちに忍んでゐる若い女の影を想像しない譯に行かなかつた。同時にその若い女は此前と同じ樣に、決して自分の前に出て來る氣遣はあるまいと信じてゐた。  此豫期の下に、宗助は突然御米に紹介されたのである。其時御米は此間の樣に粗い浴衣を着てはゐなかつた。是から餘所へ行くか、又は今外から歸つて來たと云ふ風な粧をして、次の間から出て來た。宗助にはそれが意外であつた。然し大した綺羅を着飾つた譯でもないので、衣服の色も、帶の光も、夫程彼を驚かす迄には至らなかつた。其上御米は若い女に有勝の嬌羞といふものを、初對面の宗助に向つて、あまり多く表はさなかつた。たゞ普通の人間を靜にして言葉寡なに切り詰めた丈に見えた。人の前へ出ても、隣の室に忍んでゐる時と、あまり區別のない程落付いた女だといふ事を見出した宗助は、それから推して、御米のひつそりしていたのは、穴勝耻かしがつて、人の前へ出るのを避けるため許でもなかつたんだと思つた。  安井は御米を紹介する時、 「是は僕の妹だ」といふ言葉を用ひた。宗助は四五分對坐して、少し談話を取り換はしてゐるうちに、御米の口調の何處にも、國訛らしい音の交つてゐない事に氣が付いた。 「今迄御國の方に」と聞いたら、御米が返事をする前に安井が、 「いや横濱に長く」と答へた。  其日は二人して町へ買物に出やうと云ふので、御米は不斷着を脱ぎ更へて、暑い所をわざ/\新らしい白足袋迄穿いたものと知れた。宗助は折角の出掛を喰ひ留めて、邪魔でもした樣に氣の毒な思をした。 「なに宅を持ち立てだものだから、毎日々々要るものを新らしく發見するんで、一週に一二返は是非都迄買ひ出しに行かなければならない」と云ひながら安井は笑つた。 「途迄一所に出掛けやう」と宗助はすぐ立ち上がつた。序に家の樣子を見てくれと安井の云ふに任せた。宗助は次の間にある亞鉛の落しの付いた四角な火鉢や、黄な安つぽい色をした眞鍮の藥鑵や、古びた流しの傍に置かれた新らし過ぎる手桶を眺めて、門へ出た。安井は門口へ錠を卸して、鍵を裏の家へ預けるとか云つて、走けて行つた。宗助と御米は待つてゐる間、二言、三言、尋常な口を利いた。  宗助は此三四分間に取り換はした互の言葉を、いまだに覺えてゐた。それは只の男が只の女に對して人間たる親みを表はすために、遣り取りする簡略な言葉に過ぎなかつた。形容すれば水の樣に淺く淡いものであつた。彼は今日迄路傍道上に於て、何かの折に觸れて、知らない人を相手に、是程の挨拶をどの位繰り返して來たか分らなかつた。  宗助は極めて短かい其時の談話を、一々思ひ浮べるたびに、其一々が、殆んど無着色と云つていゝ程に、平淡であつた事を認めた。さうして、斯く透明な聲が、二人の未來を、何うしてあゝ眞赤に、塗り付けたかを不思議に思つた。今では赤い色が日を經て昔の鮮かさを失つてゐた。互を焚き焦がしたは、自然と變色して黒くなつてゐた。二人の生活は斯樣にして暗い中に沈んでゐた。宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、此淡泊な挨拶が、如何に自分等の歴史を濃く彩つたかを、胸の中で飽迄味はひつゝ、平凡な出來事を重大に變化させる運命の力を恐ろしがつた。  宗助は二人で門の前に佇んでゐる時、彼等の影が折れ曲つて、半分許土塀に映つたのを記憶してゐた。御米の影が蝙蝠傘で遮ぎられて、頭の代りに不規則な傘の形が壁に落ちたのを記憶してゐた。少し傾むきかけた初秋の日が、じり/\二人を照り付けたのを記憶してゐた。御米は傘を差した儘、それ程涼しくもない柳の下に寄つた。宗助は白い筋を縁に取つた紫の傘の色と、まだ褪め切らない柳の葉の色を、一歩遠退いて眺め合はした事を記憶してゐた。  今考へると凡てが明らかであつた。從つて何等の奇もなかつた。二人は土塀の影から再び現はれた安井を待ち合はして、町の方へ歩いた。歩く時、男同志は肩を並べた。御米は草履を引いて後に落ちた。話も多くは男丈で受持つた。それも長くはなかつた。途中迄來て宗助は一人分れて、自分の家へ歸つたからである。  けれども彼の頭には其日の印象が長く殘つてゐた。家へ歸つて、湯に入つて、燈火の前に坐つた後にも、折々色の着いた平たい畫として、安井と御米の姿が眼先にちらついた。それのみか床に入つてからは、妹だと云つて紹介された御米が、果して本當の妹であらうかと考へ始めた。安井に問ひ詰めない限り、此疑の解決は容易でなかつたけれども、臆斷はすぐ付いた。宗助は此臆斷を許すべき餘地が、安井と御米の間に充分存在し得るだらう位に考へて、寐ながら可笑しく思つた。しかも其臆斷に、腹の中で徊する事の馬鹿々々しいのに氣が付いて、消し忘れた洋燈を漸くふつと吹き消した。  斯う云ふ記憶の、次第に沈んで痕迹もなくなる迄、御互の顏を見ずに過す程、宗助と安井とは疎遠ではなかつた。二人は毎日學校で出合ふ許でなく、依然として夏休み前の通り徃來を續けてゐた。けれども宗助が行くたびに、御米は必ず挨拶に出るとは限らなかつた。三返に一返位、顏を見せないで、始ての時の樣に、ひつそり隣りの室に忍んでゐる事もあつた。宗助は別にそれを氣にも留めなかつた。夫にも拘はらず、二人は漸く接近した。幾何ならずして冗談を云ふ程の親みが出來た。  其内又秋が來た。去年と同じ事情の下に、京都の秋を繰り返す興味に乏しかつた宗助は、安井と御米に誘はれて茸狩に行つた時、朗らかな空氣のうちに又新らしい香を見出した。紅葉も三人で觀た。嵯峨から山を拔けて高雄へ歩く途中で、御米は着物の裾を捲くつて、長襦袢丈を足袋の上迄牽いて、細い傘を杖にした。山の上から一町も下に見える流れに日が射して、水の底が明らかに遠くから透かされた時、御米は 「京都は好い所ね」と云つて二人を顧みた。それを一所に眺めた宗助にも、京都は全く好い所の樣に思はれた。  斯う揃つて外へ出た事も珍らしくはなかつた。家の中で顏を合はせる事は猶屡あつた。或時宗助が例の如く安井を尋ねたら、安井は留守で、御米ばかり淋しい秋の中に取り殘された樣に一人坐つてゐた。宗助は淋しいでせうと云つて、つい座敷に上り込んで、一つ火鉢の兩側に手を翳しながら、思つたより長話をして歸つた。或時宗助がぽかんとして、下宿の机に倚りかゝつた儘、珍らしく時間の使ひ方に困つてゐると、ふと御米が遣つて來た。其所迄買物に出たから、序に寄つたんだとか云つて、宗助の薦める通り、茶を飮んだり菓子を食べたり、緩くり寛ろいだ話をして歸つた。  斯んな事が重なつて行くうちに、木の葉が何時の間にか落ちて仕舞つた。さうして高い山の頂が、ある朝眞白に見えた。吹き曝しの河原が白くなつて、橋を渡る人の影が細く動いた。其年の京都の冬は、音を立てずに肌を透す陰忍な質のものであつた。安井は此惡性の寒氣に中てられて、苛いインフルエンザに罹つた。熱が普通の風邪よりも餘程高かつたので、始は御米も驚ろいたが、それは一時の事で、すぐ退いたには退いたから、是でもう全快と思ふと、何時迄立つても判然しなかつた。安井は黐の樣な熱に絡み付かれて、毎日其差し引きに苦しんだ。  醫者は少し呼吸器を冒されてゐる樣だからと云つて、切に轉地を勸めた。安井は心ならず押入の中の柳行李に麻繩を掛けた。御米は手提鞄に錠を卸した。宗助は二人を七條迄見送つて、汽車が出る迄室の中へ這入つて、わざと陽氣な話をした。プラツトフオームへ下りた時、窓の内から、 「遊びに來給へ」と安井が云つた。 「何うぞ是非」と御米が言つた。  汽車は血色の好い宗助の前をそろ/\過ぎて、忽ち神戸の方に向つて烟を吐いた。  病人は轉地先で年を越した。繪端書は着いた日から毎日の樣に寄こした。それに何時でも遊びに來いと繰り返して書いてない事はなかつた。御米の文字も一二行宛は必ず交つてゐた。宗助は安井と御米から屆いた繪端書を別にして机の上に重ねて置いた。外から歸るとそれが直眼に着いた。時々はそれを一枚宛順に讀み直したり、見直したりした。仕舞にもう悉皆癒つたから歸る。然し折角此所迄來ながら、此所で君の顏を見ないのは遺憾だから、此手紙が着き次第、一寸で可いから來いといふ端書が來た。無事と退屈を忌む宗助を動かすには、この十數言で充分であつた。宗助は汽車を利用して其夜のうちに安井の宿に着いた。  明るい燈火の下に三人が待設けた顏を合はした時、宗助は何よりも先づ病人の色澤の回復して來た事に氣が付いた。立つ前よりも却つて好い位に見えた。安井自身もそんな心持がすると云つて、わざ/\襯衣の袖を捲り上げて、青筋の入つた腕を獨で撫でてゐた。御米も嬉しさうに眼を輝かした。宗助にはその活溌な目遣が殊に珍らしく受取れた。今迄宗助の心に映じた御米は、色と音の撩亂する裏に立つてさへ、極めて落ち付いてゐた。さうして其落ち付きの大部分は矢鱈に動かさない眼の働らきから來たとしか思はれなかつた。  次の日三人は表へ出て遠く濃い色を流す海を眺めた。松の幹から脂の出る空氣を吸つた。冬の日は短い空を赤裸々に横切つて大人しく西へ落ちた。落ちる時、低い雲を黄に赤に竈の火の色に染めて行つた。風は夜に入つても起らなかつた。たゞ時々松を鳴らして過ぎた。暖かい好い日が宗助の泊つてゐる三日の間續いた。  宗助はもつと遊んで行きたいと云つた。御米はもつと遊んで行きませうと云つた。安井は宗助が遊びに來たから好い天氣になつたんだらうと云つた。三人は又行李と鞄を携へて京都へ歸つた。冬は何事もなく北風を寒い國へ吹き遣つた。山の上を明らかにした斑な雪が次第に落ちて、後から青い色が一度に芽を吹いた。  宗助は當時を憶ひ出すたびに、自然の進行が其所ではたりと留まつて、自分も御米も忽ち化石して仕舞つたら、却つて苦はなかつたらうと思つた。事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まつて、散り盡した櫻の花が若葉に色を易へる頃に終つた。凡てが生死の戰であつた。青竹を炙つて油を絞る程の苦しみであつた。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上がつた時は何處も彼所も既に砂だらけであつたのである。彼等は砂だらけになつた自分達を認めた。けれども何時吹き倒されたかを知らなかつた。  世間は容赦なく彼等に徳義上の罪を脊負した。然し彼等自身は徳義上の良心に責められる前に、一旦茫然として、彼等の頭が確であるかを疑つた。彼等は彼等の眼に、不徳義な男女として耻づべく映る前に、既に不合理な男女として、不可思議に映つたのである。其所に言譯らしい言譯が何にもなかつた。だから其所に云ふに忍びない苦痛があつた。彼等は殘酷な運命が氣紛に罪もない二人の不意を打つて、面白半分穽の中に突き落したのを無念に思つた。  曝露の日がまともに彼等の眉間を射たとき、彼等は既に徳義的に痙攣の苦痛を乘り切つてゐた。彼等は蒼白い額を素直に前に出して、其所にに似た烙印を受けた。さうして無形の鎖で繋がれた儘、手を携えて何處迄も、一所に歩調を共にしなければならない事を見出した。彼等は親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云へば一般の社會を棄てた。もしくは夫等から棄てられた。學校からは無論棄てられた。たゞ表向丈は此方から退學した事になつて、形式の上に人間らしい迹を留めた。  是が宗助と御米の過去であつた。 十五  此過去を負はされた二人は、廣島へ行つても苦しんだ。福岡へ行つても苦しんだ。東京へ出て來ても、依然として重い荷に抑えつけられてゐた。佐伯の家とは親しい關係が結べなくなつた。叔父は死んだ。叔母と安之助はまだ生きてゐるが、生きてゐる間に打ち解けた交際は出來ない程、もう冷淡の日を重ねて仕舞つた。今年はまだ歳暮にも行かなかつた。向からも來なかつた。家に引取つた小六さへ腹の底では兄に敬意を拂つてゐなかつた。二人が東京へ出たてには、單純な小供の頭から、正直に御米を惡んでゐた。御米にも宗助にもそれが能く分つてゐた。夫婦は日の前に笑み、月の前に考へて、靜かな年を送り迎へた。今年ももう盡きる間際迄來た。  通町では暮の内から門並揃の注連飾をした。徃來の左右に何十本となく並んだ、軒より高い笹が、悉く寒い風に吹かれて、さら/\と鳴つた。宗助も二尺餘りの細い松を買つて、門の柱に釘付にした。それから大きな赤い橙を御供の上に載せて、床の間に据ゑた。床には如何はしい墨畫の梅が、蛤の格好をした月を吐いて懸つてゐた。宗助には此變な軸の前に、橙と御供を置く意味が解らなかつた。 「一體是や、何う云ふ了見だね」と自分で飾り付けた物を眺めながら、御米に聞いた。御米にも毎年斯うする意味は頓と解らなかつた。 「知らないわ。たゞ左樣して置けば可いのよ」と云つて臺所へ去つた。宗助は、 「斯うして置いて、詰り食ふためか」と首を傾けて御供の位置を直した。  伸餠は夜業に俎を茶の間迄持ち出して、みんなで切つた。庖丁が足りないので、宗助は始から仕舞迄手を出さなかつた。力のある丈に小六が一番多く切つた。其代り不同も一番多かつた。中には見掛の惡い形のものも交つた。變なのが出來るたびに清が聲を出して笑つた。小六は庖丁の脊に濡布巾を宛がつて、硬い耳の所を斷ち切りながら、 「格好は何うでも、食ひさいすれば可いんだ」と、うんと力を入れて耳迄赤くした。  その外に迎年の支度としては、小殿原を熬つて、染を重詰にする位なものであつた。大晦日の夜に入つて、宗助は挨拶旁屋賃を持つて、坂井の家に行つた。わざと遠慮して勝手口へ回ると、摺硝子へ明るい灯が映つて、中はざわ/\してゐた。上り框に帳面を持つて腰を掛けた掛取らしい小僧が、立つて宗助に挨拶をした。茶の間には主人も細君もゐた。其片隅に印袢天を着た出入のものらしいのが、下を向いて、小さい輪飾をいくつも拵へてゐた。傍に讓葉と裏白と半紙と鋏が置いてあつた。若い下女が細君の前に坐つて、釣錢らしい札と銀貨を疊に並べてゐた。主人は宗助を見て、 「いや何うも」と云つた。「押し詰つて嘸御忙しいでせう。此通りごた/\です。さあ何うぞ此方へ。何ですな、御互に正月にはもう飽きましたな。いくら面白いものでも四十返以上繰り返すと厭になりますね」  主人は年の送迎に煩らはしい樣な事を云つたが、其態度には何處と指してくさ/\した所は認められなかつた。言葉遣は活溌であつた。顏はつや/\してゐた。晩食に傾けた酒の勢が、まだ頬の上に差してゐる如く思はれた。宗助は貰ひ烟草をして二三十分ばかり話して歸つた。  家では御米が清を連れて湯に行くとか云つて、石鹸入を手拭に包んで、留守居を頼む夫の歸を待ち受けてゐた。 「何うなすつたの、隨分長かつたわね」と云つて時計を眺めた。時計はもう十時近くであつた。其上清は湯の戻りに髮結の所へ回つて頭を拵える筈ださうであつた。閑靜な宗助の活計も大晦日には夫相應の事件が寄せて來た。 「拂はもう皆濟んだのかい」と宗助は立ちながら御米に聞いた。御米はまだ薪屋が一軒殘つてゐると答へた。 「來たら拂つて頂戴」と云つて懷の中から汚れた男持の紙入と、銀貨入の蟇口を出して、宗助に渡した。 「小六は何うした」と夫はそれを受取ながら云つた。 「先刻大晦日の夜の景色を見て來るつて出て行つたのよ。隨分御苦勞さまね。此寒いのに」と云ふ御米の後に追いて、清は大きな聲を出して笑つた。やがて、 「御若いから」と評しながら、勝手口へ行つて、御米の下駄を揃えた。 「何處の夜景を見る氣なんだ」 「銀座から日本橋通のだつて」  御米は其時もう框から下り掛けてゐた。すぐ腰障子を開ける音がした。宗助は其音を聞き送つて、たつた一人火鉢の前に坐つて、灰になる炭の色を眺めてゐた。彼の頭には明日の日の丸が映つた。外を乘り回す人の絹帽子の光が見えた。洋劍の音だの、馬の嘶だの、遣羽子の聲が聞えた。彼は今から數時間の後又年中行事のうちで、尤も人の心を新にすべく仕組まれた景物に出逢はなければならなかつた。  陽氣さうに見えるもの、賑かさうに見えるものが、幾組となく彼の心の前を通り過ぎたが、その中で彼の臂を把つて、一所に引張て行かうとするものは一つもなかつた。彼はたゞ饗宴に招かれない局外者として、醉ふ事を禁じられた如くに、又醉ふ事を免かれた人であつた。彼は自分と御米の生命を、毎年平凡な波瀾のうちに送る以上に、面前大した希望も持つてゐなかつた。かうして忙がしい大晦日に、一人家を守る靜かさが、丁度彼の平生の現實を代表してゐた。  御米は十時過に歸つて來た。何時もより光澤の好い頬を灯に照らして、湯の温のまだ拔けない襟を少し開ける樣に襦袢を重ねてゐた。長い襟首が能く見えた。 「何うも込んで込んで、洗ふ事も桶を取る事も出來ない位なの」と始めて緩くり息を吐いた。  清の歸つたのは十一時過であつた。是も綺麗な頭を障子から出して、たゞ今、どうも遲くなりましたと挨拶をした序に、あれから二人とか三人とか待ち合したと云ふ話をした。  たゞ小六丈は容易に歸らなかつた。十二時を打つたとき、宗助はもう寐やうと云ひ出した。御米は今日に限つて、先へ寐るのも變なものだと思つて、出來る丈話を繋いでゐた。小六は幸にして間もなく歸つた。日本橋から銀座へ出て夫から、水天宮の方へ廻つた所が、電車が込んで何臺も待ち合はしたために遲くなつたといふ言譯をした。  白牡丹へ這入つて、景物の金時計でも取らうと思つたが、何も買ふものがなかつたので、仕方なしに鈴の着いた御手玉を一箱買つて、さうして幾百となく器械で吹き上られる風船を一つ攫んだら、金時計は當らないで、こんなものが中つたと云つて、袂から倶樂部洗粉を一袋出した。それを御米の前に置いて、 「姉さんに上げませう」と云つた。それから鈴を着けた梅の花の形に縫つた御手玉を宗助の前に置いて、 「坂井の御孃さんにでも御上げなさい」と云つた。  事に乏しい一小家族の大晦日は、それで終りを告げた。 十六  正月は二日目の雪を率て注連飾の都を白くした。降り已んだ屋根の色が故に復る前、夫婦は亞鉛張の庇を滑り落る雪の音に幾遍か驚ろかされた。夜半にはどさと云ふ響が殊に甚しかつた。小路の泥濘は雨上りと違つて一日や二日では容易に乾かなかつた。外から靴を汚して歸つて來る宗助が、御米の顏を見るたびに、 「是や不可ない」と云ひながら玄關へ上つた。其樣子が恰も御米を路を惡くした責任者と見傚してゐる風に受取られるので、御米は仕舞に、 「何うも濟みません。本當に御氣の毒さま」と云つて笑ひ出した。宗助は別に返すべき冗談も有たなかつた。 「御米此所から出掛けるには、何處へ行くにも足駄を穿かなくつちやならない樣に見えるだらう。所が下町へ出ると大違だ。どの通もどの通もから/\で、却つて埃が立つ位だから、足駄なんぞ穿いちや極が惡くつて歩けやしない。つまり斯う云ふ所に住んでゐる我々は一世紀がた後れる事になるんだね」  こんな事を口にする宗助は別に不足らしい顏もしてゐなかつた。御米も夫の鼻の穴を潛る烟草の煙を眺める位な氣で、それを聞いてゐた。 「坂井さんへ行つて、さう云つて入らつしやいな」と輕い返事をした。 「さうして屋賃でも負けて貰ふ事にしやう」と答へた儘、宗助はついに坂井へは行かなかつた。  其坂井には元日の朝早く名刺を投げ込んだ丈で、わざと主人の顏を見ずに門を出たが、義理のある所を一日のうちに略片付て夕方歸つて見ると、留守の間に、坂井がちやんと來てゐたので恐縮した。二日は雪が降つた丈で何事もなく過ぎた。三日目の日暮に下女が使に來て、御閑ならば、旦那樣と奧さまと、夫から若旦那樣に是非今晩御遊びに入らつしやる樣にと云つて歸つた。 「何をするんだらう」と宗助は疑ぐつた。 「屹度歌加留多でせう。小供が多いから」と御米が云つた。「貴方行つて入らつしやい」 「折角だから御前行くが好い。己は歌留多は久しく取らないから駄目だ」 「私も久しく取らないから駄目ですわ」  二人は容易に行かうとはしなかつた。仕舞に、では若旦那がみんなを代表して行くが宜からうといふ事になつた。 「若旦那行つて來い」と宗助が小六に云つた。小六は苦笑ひして立つた。夫婦は若旦那と云ふ名を小六に冠らせる事を大變な滑稽のやうに感じた。若旦那と呼ばれて、苦笑ひする小六の顏を見ると、等しく聲を出して笑ひ出した。小六は春らしい空氣の中から出た。さうして一町程の寒さを横切つて、又春らしい電燈の下に坐つた。  其晩小六は大晦日に買つた梅の花の御手玉を袂に入れて、是は兄から差上げますとわざ/\斷つて、坂井の御孃さんに贈物にした。其代り歸りには、福引に當つた小さな裸人形を同じ袂へ入れて來た。其人形の額が少し缺けて、其所丈墨で塗つてあつた。小六は眞面目な顏をして、是が袖萩ださうですと云つて、それを兄夫婦の前に置いた。何故袖萩だか夫婦には分らなかつた。小六には無論分らなかつたのを、坂井の奧さんが叮嚀に説明して呉れたさうであるが、夫でも腑に落ちなかつたので、主人がわざ/\半切に洒落と本文を並べて書いて、歸つたら是を兄さんと姉さんに御見せなさいと云つて渡したとかいふ話であつた。小六は袂を探つて其書付を取り出して見せた。それに「此垣一重が黒鐵の」と認めた後に括弧をして、(此餓鬼額が黒缺の)とつけ加へてあつたので、宗助と御米は又春らしい笑を洩らした。 「隨分念の入つた趣向だね。一體誰の考だい」と兄が聞いた。 「誰ですかな」と小六は矢つ張り詰らなさうな顏をして、人形を其所へ放り出した儘、自分の室に歸つた。  それから二三日して、たしか七日の夕方に、また例の坂井の下女が來て、もし御閑なら何うぞ御話にと、叮嚀に主人の命を傳へた。宗助と御米は洋燈を點けて丁度晩食を始めた所であつた。宗助は其時茶碗を持ちながら、 「春も漸やく一段落が着いた」と語つてゐた。そこへ清が坂井からの口上を取り次いだので、御米は夫の顏を見て微笑した。宗助は茶碗を置いて、 「まだ何か催ふしがあるのかい」と少し迷惑さうな眉をした。坂井の下女に聞いて見ると、別に來客もなければ、何の支度もないといふ事であつた。其上細君は子供を連れて親類へ呼ばれて行つて留守だといふ話迄した。 「それぢや行かう」と云つて宗助は出掛けた。宗助は一般の社交を嫌つてゐた。已を得なければ會合の席などへ顏を出す男でなかつた。個人としての朋友も多くは求めなかつた。訪問はする暇を有たなかつた。たゞ坂井丈は取除であつた。折々は用もないのに此方からわざ/\出掛けて行つて、時を潰して來る事さへあつた。其癖坂井は世の中で尤も社交的の人であつた。此社交的な坂井と、孤獨な宗助が二人寄つて話が出來るのは、御米にさへ妙に見える現象であつた。坂井は、 「彼方へ行きませう」と云つて、茶の間を通り越して、廊下傳ひに小さな書齋へ入つた。其所には棕梠の筆で書いた樣な、大きな硬い字が五字ばかり床の間に懸つてゐた。棚の上に見事な白い牡丹が活けてあつた。その外机でも蒲團でも悉く綺麗であつた。坂井は始め暗い入口に立つて、 「さあ何うぞ」と云ひながら、何所かぴちりと捩つて、電氣燈を點けた。それから、 「一寸待ち給へ」と云つて、燐寸で瓦斯煖爐を焚いた。瓦斯煖爐は室に比例した極小さいものであつた。坂井はしかる後蒲團を薦めた。 「是が僕の洞窟で、面倒になると此所へ避難するんです」  宗助も厚い綿の上で、一種の靜かさを感じた。瓦斯の燃える音が微かにして次第に脊中からほか/\煖まつて來た。 「此所にゐると、もう何所とも交渉はない。全く氣樂です。悠くりして居らつしやい。實際正月と云ふものは豫想外に煩瑣いものですね。私も昨日迄で殆どへと/\に降參させられました。新年が停滯てゐるのは實に苦しいですよ。夫で今日の午から、とう/\塵世を遠ざけて、病氣になつてぐつと寐込んぢまいました。今しがた眼を覺まして、湯に入つて、それから飯を食つて、烟草を呑んで、氣が付いて見ると、家内が子供を連れて親類へ行つて留守なんでせう。成程靜かな筈だと思ひましてね。すると今度は急に退屈になつたのです。人間も隨分我儘なものですよ。然しいくら退屈だつて、此上御目出たいものを、見たり聞いたりしちや骨が折れますし、又御正月らしいものを呑んだり食つたりするのも恐れますから、それで、御正月らしくない、と云ふと失禮だが、まあ世の中とあまり縁のない貴方、と云つてもまだ失敬かも知れないが、つまり一口に云ふと、超然派の一人と話しがして見たくなつたんで、それでわざ/\使を上げた樣な譯なんです」と坂井は例の調子で、悉くすら/\したものであつた。宗助は此樂天家の前では、よく自分の過去を忘れる事があつた。さうして時によると、自分がもし順當に發展して來たら、斯んな人物になりはしなかつたらうかと考へた。  其所へ下女が三尺の狹い入口を開けて這入つて來たが、改ためて宗助に鄭重な御辭儀をした上、木皿の樣な菓子皿の樣なものを、一つ前に置いた。それから同じ物をもう一つ主人の前に置いて、一口もものを云はずに退がつた。木皿の上には護謨毬ほどな大きな田舍饅頭が一つ載せてあつた。それに普通の倍以上もあらうと思はれる楊枝が添へてあつた。 「何うです暖かい内に」と主人が云つたので、宗助は始めて此饅頭の蒸して間もない新らしさに氣が付いた。珍らしさうに黄色い皮を眺めた。 「いや出來たてぢやありません」と主人が又云つた。「實は昨夜ある所へ行つて、冗談半分に賞めたら、御土産に持つて入らつしやいと云ふから貰つて來たんです。其時は全く暖たかだつたんですがね。これは今上げやうと思つて蒸し返さしたのです」  主人は箸とも楊枝とも片の付かないもので、無雜作に饅頭を割つて、むしや/\食ひ始めた。宗助も顰に傚つた。  其間に主人は昨夕行つた料理屋で逢つたとか云つて妙な藝者の話をした。此藝者はポツケツト論語が好きで、汽車へ乘つたり遊びに行つたりするときは、何時でもそれを懷にして出るさうであつた。 「それでね孔子の門人のうちで、子路が一番好だつて云ふんですがね。其所謂を聞くと、子路と云ふ男は、一つ何か教はつて、それをまだ行はないうちに、又新らしい事を聞くと苦にする程正直だからだつて云ふんです。實の所私も子路はあまりよく知らないから困つたが、何しろ一人好い人が出來て、それと夫婦にならない前に、また新らしく好い人が出來ると苦になる樣なものぢやないかつて、聞いて見たんです……」  主人は斯んな事を甚だ氣樂さうに述べ立てた。其話の樣子からして考へると、彼はのべつに斯ういふ場所に出入して、其刺戟にはとうに麻痺しながら、因習の結果、依然として月に何度となく同じ事を繰り返してゐるらしかつた。よく聞き糺して見ると、しかく平氣な男も、時々は歡樂の飽滿に疲勞して、書齋のなかで精神を休める必要が起るのださうであつた。  宗助はさういふ方面に丸で經驗のない男ではなかつたので、強ひて興味を裝ふ必要もなく、たゞ尋常な挨拶をする所が、却つて主人の氣に入るらしかつた。彼は平凡な宗助の言葉のなかから、一種異彩のある過去を覗く樣な素振を見せた。然しそちらへは宗助が進みたがらない痕迹が少しでも出ると、すぐ話を轉じた。それは政略よりも寧ろ禮讓からであつた。從つて宗助には毫も不愉快を與へなかつた。  其内小六の噂が出た。主人は此青年に就いて、肉身の兄が見逃す樣な新らしい觀察を、二三有つてゐた。宗助は主人の評語を、當ると當らないとに論なく、面白く聞いた。そのなかに、彼は年に合はしては複雜な實用に適しない頭を有つてゐながら、年よりも若い單純な性情を平氣で露はす子供ぢやないかといふ質問があつた。宗助はすぐそれを首肯つた。然し學校教育丈で社會教育のないものは、いくら年を取つても其傾があるだらうと答へた。 「左樣、それと反對で、社會教育丈あつて學校教育のないものは、隨分複雜な性情を發揮する代りに、頭は何時迄も小供ですからね。却つて始末が惡いかも知れない」  主人は此所で一寸笑つたが、やがて、 「何うです、私の所へ書生に寄こしちや、少しは社會教育になるかも知れない」と云つた。主人の書生は彼の犬が病氣で病院へ這入る一ヶ月前とかに、徴兵檢査に合格して入營したぎり今では一人もゐないのださうであつた。  宗助は小六の所置を付ける好機會が、求めざるに先だつて、春と共に自から回つて來たのを喜こんだ。同時に、今迄世間に向つて、積極的に好意と親切を要求する勇氣を有たなかつた彼は、突然此主人の申し出に逢つて少し間誤つく位驚ろいた。けれども出來るなら成丈早く弟を坂井に預けて置いて、此變動から出る自分の餘裕に、幾分か安之助の補助を足して、さうして本人の希望通り、高等の教育を受けさしてやらうといふ分別をした。そこで打ち明けた話を腹藏なく主人にすると、主人は成程々々と聞いてゐる丈であつたが、仕舞に雜作なく、 「そいつは好いでせう」と云つたので、相談は略其座で纏まつた。  宗助は其所で辭して歸れば可かつたのである。又辭して歸らうとしたのである。所が主人からまあ緩くりなさいと云つて留められた。主人は夜は長い、まだ宵だと云つて時計迄出して見せた。實際彼は退屈らしかつた。宗助も歸れば只寐るより外に用のない身體なので、つい又尻を据ゑて、濃い烟草を新らしく吹かし始めた。仕舞には主人の例に傚つて、柔らかい坐蒲團の上で膝さへ崩した。  主人は小六の事に關聯して、 「いや弟などを有つてゐると、隨分厄介なものですよ。私も一人やくざなのを世話をした覺がありますがね」と云つて、自分の弟が大學にゐるとき金の掛つた事抔を、自分が學生時代の質朴さに比べて色々話した。宗助は此派出好な弟が、其後何んな徑路を取つて、何う發展したかを、氣味の惡い運命の意思を窺ふ一端として、主人に聞いて見た。主人は卒然 「冒險者」と、頭も尾もない一句を投げる樣に吐いた。  此弟は卒業後主人の紹介で、ある銀行に這入つたが、何でも金を儲けなくつちや不可ないと口癖の樣に云つてゐたさうで、日露戰爭後間もなく、主人の留めるのも聞かずに、大いに發展して見たいとかとなへて遂に滿洲へ渡つたのだと云ふ。其所で何を始めるかと思ふと、遼河を利用して、豆粕大豆を船で下す、大仕掛な運送業を經營して、忽ち失敗してしまつたのださうである。元より當人は、資本主ではなかつたのだけれども、愈といふ曉に、勘定して見ると大きな缺損と事が極つたので、無論事業は繼續する譯に行かず、當人は必然の結果、地位を失つたぎりになつた。 「それから後私も何うしたか能く知らなかつたんですが、其後漸く聞いて見ると、驚ろきましたね。蒙古へ這入つて漂浪いてゐるんです。何處迄山氣があるんだか分らないんで、私も少々劍呑になつてるんですよ。夫でも離れてゐるうちは、まあ何うかしてゐるだらう位に思つて放つて置きます。時たま音便があつたつて、蒙古といふ所は、水に乏しい所で、暑い時には徃來へ泥溝の水を撒くとかね、又はその泥溝の水が無くなると、今度は馬の小便を撒くとか、從つて甚だ臭いとか、まあそんな手紙が來る丈ですから、――そりあ金の事も云つて來ますが、なに東京と蒙古だから打遣つて置けば夫迄です。だから離れてさへゐれば、まあ可いんですが、其奴が去年の暮突然出て來ましてね」  主人は思ひ付いた樣に、床の柱に掛けた、綺麗な房の付いた一種の裝飾物を取り卸した。  それは錦の袋に這入つた一尺ばかりの刀であつた。鞘は何とも知れぬ緑色の雲母の樣なもので出來てゐて、其所々が三ヶ所程銀で卷いてあつた。中身は六寸位しかなかつた。從がつて刄も薄かつた。けれども鞘の格好は恰も六角の樫の棒の樣に厚かつた。よく見ると、柄の後に細い棒が二本並んで差さつてゐた。結果は鞘を重ねて離れない爲に銀の鉢卷をしたと同じであつた。主人は 「土産にこんなものを持つて來ました。蒙古刀ださうです」と云ひながら、すぐ拔いて見せた。後に差してあつた象牙の樣な棒も二本拔いて見せた。 「是や箸ですよ。蒙古人は始終是を腰へぶら下げてゐて、いざ御馳走といふ段になると、此刀を拔いて肉を切つて、さうして此箸で傍から食うんださうです」  主人はことさらに刀と箸を兩手に持つて、切つたり食つたりする眞似をして見せた。宗助はひたすらに其精巧な作りを眺めた。 「まだ蒙古人の天幕に使ふフエルトも貰ひましたが、まあ昔の毛氈と變つた所もありませんね」  主人は蒙古人の上手に馬を扱ふ事や、蒙古犬の瘠せて細長くて、西洋のグレー、ハウンドに似てゐる事や、彼等が支那人のために段々押し狹められて行く事や、――凡て近頃彼地から歸つたといふ弟に聞いた儘を宗助に話した。宗助は又自分の未だ曾て耳にした事のない話丈に、一々少なからぬ興味を有つてそれを聞いて行つた。其うちに、元來此弟は蒙古で何をしてゐるのだらうといふ好奇心が出た。そこで一寸主人に尋ねて見ると、主人は、 「冒險者」と再び先刻の言葉を力強く繰り返した。「何をしてゐるか分らない。私には、牧畜をやつてゐます。しかも成功してゐますと云ふんですがね、一向當にはなりません。今迄もよく法螺を吹いて私を欺したもんです。それに今度東京へ出て來た用事と云ふのが餘つ程妙です。何とか云ふ蒙古王のために、金を二萬圓許借りたい。もし貸してやらないと自分の信用に關わるつて奔走してゐるんですからね。その取始に捕まつたのは私だが、いくら蒙古王だつて、いくら廣い土地を抵當にするつたつて、蒙古と東京ぢや催促さへ出來やしませんもの。で、私が斷わると、蔭へ廻つて妻に、兄さんはあれだから大きな仕事が出來つこないつて、威張つてゐるんです。仕樣がない」  主人は此所で少し笑つたが、妙に緊張した宗助の顏を見て、 「何うです一遍逢つて御覽になつちや、わざ/\毛皮の着いただぶ/\したものなんか着て、一寸面白いですよ。何なら御紹介しませう。丁度明後日の晩呼んで飯を食はせる事になつてゐるから。――なに引つ掛つちや不可ませんがね。默つて向に喋舌らして、聞いてゐる分には、少しも危險はありません。たゞ面白い丈です」としきりに勸め出した。宗助は多少心を動かした。 「御出になるのは御令弟丈ですか」 「いや外に一人弟の友達で向から一所に來たものが、來る筈になつてゐます。安井とか云つて私はまだ逢つた事もない男ですが、弟が頻に私に紹介したがるから、實はそれで二人を呼ぶ事にしたんです」  宗助は其夜蒼い顏をして坂井の門を出た。 十七  宗助と御米の一生を暗く彩どつた關係は、二人の影を薄くして、幽靈の樣な思を何所かに抱かしめた。彼等は自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潛んでゐるのを、仄かに自覺しながら、わざと知らぬ顏に互と向き合つて年を過した。  當初彼等の頭腦に痛く應へたのは、彼等の過が安井の前途に及ぼした影響であつた。二人の頭の中で沸き返つた凄い泡の樣なものが漸く靜まつた時、二人は安井も亦半途で學校を退いたといふ消息を耳にした。彼等は固より安井の前途を傷けた原因をなしたに違なかつた。次に安井が郷里に歸つたといふ噂を聞いた。次に病氣に罹つて家に寐てゐるといふ報知を得た。二人はそれを聞くたびに重い胸を痛めた。最後に安井が滿洲に行つたと云ふ音信が來た。宗助は腹の中で、病氣はもう癒つたのだらうかと思つた。又は滿洲行の方が嘘ではなからうかと考へた。安井は身體から云つても、性質から云つても、滿洲や臺灣に向く男ではなかつたからである。宗助は出來る丈手を回して、事の眞疑を探つた。さうして、或る關係から、安井がたしかに奉天にゐる事を確め得た。同時に彼の健康で、活溌で、多忙である事も確め得た。其時夫婦は顏を見合せて、ほつといふ息を吐いた。 「まあ可からう」と宗助が云つた。 「病氣よりはね」と御米が云つた。  二人は夫から以後安井の名を口にするのを避けた。考へ出す事さへも敢てしなかつた。彼等は安井を半途で退學させ、郷里へ歸らせ、病氣に罹らせ、もしくは滿洲へ驅り遣つた罪に對して、如何に悔恨の苦しみを重ねても、何うする事も出來ない地位に立つてゐたからである。 「御米、御前信仰の心が起つた事があるかい」と或時宗助が御米に聞いた。御米は、たゞ、 「あるわ」と答へた丈で、すぐ「貴方は」と聞き返した。  宗助は薄笑ひをしたぎり、何とも答へなかつた。其代り推して、御米の信仰に就いて、詳しい質問も掛けなかつた。御米には、それが仕合せかも知れなかつた。彼女はその方面に、是といふ程判然した凝り整つた何物も有つてゐなかつたからである。二人は兎角して會堂の腰掛にも倚らず、寺院の門も潛らずに過ぎた。さうして只自然の惠から來る月日と云ふ緩和劑の力丈で、漸く落ち付いた。時々遠くから不意に現れる訴も、苦しみとか恐れとかいふ殘酷の名を付けるには、あまり微かに、あまり薄く、あまりに肉體と慾得を離れ過ぎる樣になつた。必竟ずるに、彼等の信仰は、神を得なかつたため、佛に逢はなかつたため、互を目標として働らいた。互に抱き合つて、丸い圓を描き始めた。彼等の生活は淋しいなりに落ち付いて來た。其淋しい落ち付きのうちに、一種の甘い悲哀を味はつた。文藝にも哲學にも縁のない彼等は、此味を舐め盡しながら、自分で自分の状態を得意がつて自覺する程の知識を有たなかつたから、同じ境遇にある詩人や文人などよりも、一層純粹であつた。――是が七日の晩に坂井へ呼ばれて、安井の消息を聞く迄の夫婦の有樣であつた。  其夜宗助は家に歸つて御米の顏を見るや否や、 「少し具合が惡いから、すぐ寐よう」と云つて、火鉢に倚りながら、歸を待ち受けてゐた御米を驚ろかした。 「何うなすつたの」と御米は眼を上げて宗助を眺めた。宗助は其所に突つ立つてゐた。  宗助が外から歸つて來て、こんな風をするのは、殆んど御米の記憶にない位珍らしかつた。御米は卒然何とも知れない恐怖の念に襲はれた如くに立ち上がつたが、殆んど器械的に、戸棚から夜具蒲團を取り出して、夫の云ひ付け通り床を延べ始めた。其間宗助は矢つ張り懷手をして傍に立つてゐた。さうして床が敷けるや否や、そこ/\に着物を脱ぎ捨てゝ、すぐ其中に潛り込んだ。御米は枕元を離れ得なかつた。 「何うなすつたの」 「何だか、少し心持が惡い。しばらく斯うして凝つとしてゐたら、能くなるだらう」  宗助の答は半ば夜着の下から出た。其聲が籠つた樣に御米の耳に響いた時、御米は濟まない顏をして、枕元に坐つたなり動かなかつた。 「彼所へ行つて居ても可いよ。用があれば呼ぶから」  御米は漸く茶の間へ歸つた。  宗助は夜具を被つた儘、ひとり硬くなつて眼を眠つてゐた。彼は此暗い中で、坂井から聞いた話を何度となく反覆した。彼は滿洲にゐる安井の消息を、家主たる坂井の口を通して知らうとは、今が今迄豫期してゐなかつた。もう少しの事で、其安井と同じ家主の家へ同時に招かれて、隣り合せか、向ひ合せに坐る運命にならうとは、今夜晩食を濟す迄、夢にも思ひ掛けなかつた。彼は寐ながら過去二三時間の經過を考へて、其クライマツクスが突如として如何にも不意に起つたのを不思議に感じた。且悲しく感じた。彼は是程偶然な出來事を借りて、後から斷りなしに足絡を掛けなければ、倒す事の出來ない程強いものとは、自分ながら任じてゐなかつたのである。自分の樣な弱い男を放り出すには、もつと穩當な手段で澤山でありさうなものだと信じてゐたのである。  小六から坂井の弟、それから滿洲、蒙古、出京、安井、――斯う談話の迹を辿れば辿る程、偶然の度はあまりに甚だしかつた。過去の痛恨を新にすべく、普通の人が滅多に出逢はない此偶然に出逢ふために、千百人のうちから撰り出されなければならない程の人物であつたかと思ふと、宗助は苦しかつた。又腹立しかつた。彼は暗い夜着の中で熱い息を吐いた。  此二三年の月日で漸く癒り掛けた創口が、急に疼き始めた。疼くに伴れて熱つて來た。再び創口が裂けて、毒のある風が容赦なく吹き込みさうになつた。宗助は一層のこと、萬事を御米に打ち明けて、共に苦しみを分つて貰はうかと思つた。 「御米、御米」と二聲呼んだ。  御米はすぐ枕元へ來て、上から覗き込むやうに宗助を見た。宗助は夜具の襟から顏を全く出した。次の間の灯が御米の頬を半分照らしてゐた。 「熱い湯を一杯貰はう」  宗助はとう/\言はうとした事を言ひ切る勇氣を失つて、嘘を吐いて胡魔化した。  翌日宗助は例の如く起きて、平日と變る事なく食事を濟ました。さうして給仕をして呉れる御米の顏に、多少安心の色が見えたのを、嬉しい樣な憐れな樣な一種の情緒を以て眺めた。 「昨夕は驚ろいたわ。何うなすつたのかと思つて」  宗助は下を向いて茶碗に注いだ茶を呑んだ丈であつた。何と答へていゝか、適當な言葉を見出さなかつたからである。  其日は朝からから風が吹き荒んで、折々埃と共に行く人の帽を奪つた。熱があると惡いから、一日休んだらと云ふ御米の心配を聞き捨てにして、例の通り電車へ乘つた宗助は、風の音と車の音の中に首を縮めて、たゞ一つ所を見詰めてゐた。降りる時、ひゆうといふ音がして、頭の上の針線が鳴つたのに氣が付いて、空を見たら、此猛烈な自然の力の狂ふ間に、何時もより明らかな日がのそりと出てゐた。風は洋袴の股を冷たくして過ぎた。宗助には其砂を捲いて向ふの堀の方へ進んで行く影が、斜めに吹かれる雨の脚の樣に判然見えた。  役所では用が手に着かなかつた。筆を持つて頬杖を突いた儘何か考へた。時々は不必要な墨を妄りに磨り卸ろした。烟草は無暗に呑んだ。さうしては、思ひ出した樣に窓硝子を通して外を眺めた。外は見るたびに風の世界であつた。宗助はたゞ早く歸りたかつた。  漸く時間が來て家へ歸つたとき、御米は不安らしく宗助の顏を見て、 「何うもなくつて」と聞いた。宗助は已を得ず、何うもないが、たゞ疲れたと答へて、すぐ炬燵の中へ入つたなり、晩食迄動かなかつた。其内風は日と共に落ちた。晝の反動で四隣は急にひつそり靜まつた。 「好い案排ね、風が無くなつて。晝間の樣に吹かれると、家に坐つてゐても何だか氣味が惡くつて仕樣がないわ」  御米の言葉には、魔物でもあるかの樣に、風を恐れる調子があつた。宗助は落ち付いて、 「今夜は少し暖たかい樣だね。穩やかで好い御正月だ」と云つた。飯を濟まして烟草を一本吸ふ段になつて、突然、 「御米、寄席へでも行つて見やうか」と珍らしく細君を誘つた。御米は無論否む理由を有たなかつた。小六は義太夫などを聞くより、宅に居て餠でも燒いて食つた方が勝手だといふので、留守を頼んで二人出た。  少し時間が遲れたので、寄席は一杯であつた。二人は坐蒲團を敷く餘地もない一番後の方に、立膝をする樣に割り込まして貰つた。 「大變な人ね」 「矢つ張り春だから入るんだらう」  二人は小聲で話しながら、大きな部屋にぎつしり詰つた人の頭を見回した。其頭のうちで、高座に近い前の方は、烟草の烟で霞んでゐる樣にぼんやり見えた。宗助には此累々たる黒いものが、悉く斯う云ふ娯樂の席へ來て、面白く半夜を潰す事の出來る餘裕のある人らしく思はれた。彼は何の顏を見ても羨ましかつた。  彼は高座の方を正視して、熱心に淨瑠璃を聞かうと力めた。けれどもいくら力めても面白くならなかつた。時々眼を外らして、御米の顏を偸み見た。見るたびに御米の視線は正しい所を向いてゐた。傍に夫のゐる事は殆んど忘れて眞面目に聽いてゐるらしかつた。宗助は羨やましい人のうちに御米迄勘定しなければならなかつた。  中入の時、宗助は御米に、 「何うだ、もう歸らうか」と云ひ掛けた。御米は其唐突なのに驚ろかされた。 「厭なの」と聞いた。宗助は何とも答へなかつた。御米は、 「何うでも可いわ」と半分夫の意に忤らはない樣な挨拶をした。宗助は折角連れて來た御米に對して、却つて氣の毒な心が起つた。とう/\仕舞迄辛抱して坐つてゐた。  家へ歸ると、小六は火鉢の前に胡坐を掻いて、脊表紙の反り返るのも構はずに、手に持つた本を上から翳して讀んでゐた。鐵瓶は傍へ卸したなり湯は生温るく冷めてしまつた。盆の上に燒き餘りの餠が三切か四片載せてあつた。網の下から小皿に殘つた醤油の色が見えた。  小六は席を立つて、 「面白かつたですか」と聞いた。夫婦は十分程身體を炬燵で暖めた上すぐ床へ入つた。  翌日になつても宗助の心に落付が來なかつた事は、略前の日と同じであつた。役所が退けて、例の通り電車へ乘つたが、今夜自分と前後して、安井が坂井の家へ客に來ると云ふ事を想像すると、何うしても、わざ/\其人と接近するために、こんな速力で、家へ歸つて行くのが不合理に思はれた。同時に安井はその後何んなに變化したらうと思ふと、餘所から一目彼の樣子が眺めたくもあつた。  坂井が一昨日の晩、自分の弟を評して、一口に「冒險者」と云つた、その音が今宗助の耳に高く響き渡つた。宗助は此一語の中に、あらゆる自暴と自棄と、不平と憎惡と、亂倫と悖徳と、盲斷と決行とを想像して、是等の一角に觸れなければならない程の坂井の弟と、それと利害を共にすべく滿洲から一所に出て來た安井が、如何なる程度の人物になつたかを、頭の中で描いて見た。描かれた畫は無論冒險者の字面の許す範圍内で、尤も強い色彩を帶びたものであつた。  斯樣に、墮落の方面をとくに誇張した冒險者を頭の中で拵え上た宗助は、其責任を自身一人で全く負はなければならない樣な氣がした。彼はたゞ坂井へ客に來る安井の姿を一目見て、其姿から、安井の今日の人格を髣髴したかつた。さうして、自分の想像程彼は墮落してゐないといふ慰藉を得たかつた。  彼は坂井の家の傍に立つて、向に知れずに、他を窺ふ樣な便利な場所はあるまいかと考へた。不幸にして、身を隱すべきところを思ひ付き得なかつた。若し日が落ちてから來るとすれば、此方が認められない便宜があると同時に、暗い中を通る人の顏の分らない不都合があつた。  そのうち電車が神田へ來た。宗助は何時もの通り其所で乘り換えて家の方へ向いて行くのが苦痛になつた。彼の神經は一歩でも安井の來る方角へ近づくに堪えなかつた。安井を餘所ながら見たいといふ好奇心は、始めから左程強くなかつた丈に、乘換の間際になつて、全く抑えつけられてしまつた。彼は寒い町を多くの人の如く歩いた。けれども多くの人の如くに判然した目的は有つてゐなかつた。其内店に灯が點いた。電車も燈火を照もした。宗助はある牛肉店に上がつて酒を呑み出した。一本は夢中に呑んだ。二本目は無理に呑んだ。三本目にも醉へなかつた。宗助は脊を壁に持たして、醉つて相手のない人の樣な眼をして、ぼんやり何處かを見詰めてゐた。  時刻が時刻なので、夕飯を食ひに來る客は入れ代り立ち代り來た。其多くは用辯的に飮食を濟まして、さつさと勘定をして出て行く丈であつた。宗助は周圍のざわつく中に默然として、他の倍も三倍も時を過ごした如くに感じた末、遂に坐り切れずに席を立つた。  表は左右から射す店の灯で明らかであつた。軒先を通る人は、帽も衣裝もはつきり物色する事が出來た。けれども廣い寒さを照らすには餘りに弱過ぎた。夜は戸毎の瓦斯と電燈を閑却して、依然として暗く大きく見えた。宗助は此世界と調和する程な黒味の勝つた外套に包まれて歩いた。其時彼は自分の呼吸する空氣さへ灰色になつて、肺の中の血管に觸れる樣な氣がした。  彼は此晩に限つて、ベルを鳴らして忙がしさうに眼の前を徃つたり來たりする電車を利用する考が起らなかつた。目的を有つて途を行く人と共に、拔目なく足を運ばす事を忘れた。しかも彼は根の締らない人間として、かく漂浪の雛形を演じつゝある自分の心を省みて、もし此状態が長く續いたら何うしたら可からうと、ひそかに自分の未來を案じ煩つた。今日迄の經過から推して、凡ての創口を癒合するものは時日であるといふ格言を、彼は自家の經驗から割り出して、深く胸に刻み付けてゐた。それが一昨日の晩にすつかり崩れたのである。  彼は黒い夜の中を歩るきながら、たゞ何うかして此心から逃れ出たいと思つた。其心は如何にも弱くて落付かなくつて、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知に見えた。彼は胸を抑えつける一種の壓迫の下に、如何にせば、今の自分を救ふ事が出來るかといふ實際の方法のみを考へて、其壓迫の原因になつた自分の罪や過失は全く此結果から切り放して仕舞つた。其時の彼は他の事を考へる餘裕を失つて、悉く自己本位になつてゐた。今迄は忍耐で世を渡つて來た。是からは積極的に人世觀を作り易へなければならなかつた。さうして其人世觀は口で述べるもの、頭で聞くものでは駄目であつた。心の實質が太くなるものでなくては駄目であつた。  彼は行く/\口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれども其響は繰り返す後からすぐ消えて行つた。攫んだと思ふ烟が、手を開けると何時の間にか無くなつてゐる樣に宗教とは果敢ない文字であつた。  宗教と關聯して宗助は坐禪といふ記臆を呼び起した。昔し京都にゐた時分彼の級友に相國寺へ行つて坐禪をするものがあつた。當時彼は其迂濶を笑つてゐた。「今の世に……」と思つてゐた。其級友の動作が別に自分と違つた所もない樣なのを見て、彼は益馬鹿々々しい氣を起した。  彼は今更ながら彼の級友が、彼の侮蔑に値する以上のある動機から、貴重な時間を惜まずに、相國寺へ行つたのではなからうかと考へ出して、自分の輕薄を深く耻ぢた。もし昔から世俗で云ふ通り安心とか立命とかいふ境地に、坐禪の力で達する事が出來るならば、十日や二十日役所を休んでも構はないから遣つて見たいと思つた。けれども彼は斯道にかけては全くの門外漢であつた。從つて、此より以上明瞭な考も浮ばなかつた。  漸く家へ辿り着いた時、彼は例の樣な御米と、例の樣な小六と、それから例の樣な茶の間と座敷と洋燈と箪笥を見て、自分丈が例にない状態の下に、此四五時間を暮してゐたのだといふ自覺を深くした。火鉢には小さな鍋が掛けてあつて、其葢の隙間から湯氣が立つてゐた。火鉢の傍には彼の常に坐る所に、何時もの坐蒲團を敷いて、其前にちやんと膳立がしてあつた。  宗助は糸底を上にしてわざと伏せた自分の茶碗と、此二三年來朝晩使ひ慣れた木の箸を眺めて、 「もう飯は食はないよ」と云つた。御米は多少不本意らしい風もした。 「おや左樣。餘り遲いから、大方何處かで召上がつたらうとは思つたけれど、若し未だゞと不可ないから」と云ひながら、布巾で鍋の耳を撮んで、土瓶敷の上に卸した。それから清を呼んで膳を臺所へ退げさした。  宗助は斯ういふ風に、何ぞ事故が出來て、役所の退出からすぐ外へ回つて遲くなる場合には、何時でも其顛末の大略を、歸宅早々御米に話すのを例にしてゐた。御米もそれを聞かないうちは氣が濟まなかつた。けれども今夜に限つて彼は神田で電車を降りた事も、牛肉屋へ上つた事も、無理に酒を呑んだ事も、丸で話したくなかつた。何も知らない御米は又平常の通り無邪氣に夫から夫へと聞きたがつた。 「何別に是といふ理由もなかつたのだけれども、――つい彼所いらで牛が食ひたくなつた丈の事さ」 「さうして御腹を消化す爲に、わざ/\此所迄歩るいて入らしつたの」 「まあ、左樣だ」  御米は可笑しさうに笑つた。宗助は寧ろ苦しかつた。しばらくして、 「留守に坂井さんから迎ひに來なかつたかい」と聞いた。 「いゝえ、何故」 「一昨日の晩行つたとき、御馳走するとか云つてゐたからさ」 「また?」  御米は少し呆れた顏をした。宗助は夫なり話を切り上げて寐た。頭の中をざわ/\何か通つた。時々眼を開けて見ると、例の如く洋燈が暗くして床の間の上に載せてあつた。御米はさも心地好ささうに眠つてゐた。つい此間迄は、自分の方が好く寐られて、御米は幾晩も睡眠の不足に惱まされたのであつた。宗助は眼を閉ぢながら、明らかに次の間の時計の音を聞かなければならない今の自分を更に心苦しく感じた。其時計は最初は幾つも續けざまに打つた。それが過ぎると、びんと只一つ鳴つた。其濁つた音が彗星の尾の樣にぼうと宗助の耳朶にしばらく響いてゐた。次には二つ鳴つた。甚だ淋しい音であつた。宗助は其間に、何とかして、もつと鷹揚に生きて行く分別をしなければならないと云ふ決心丈をした。三時は朦朧として聞えた樣な聞えない樣なうちに過ぎた。四時、五時、六時は丸で知らなかつた。たゞ世の中が膨れた。天が波を打つて伸び且つ縮んだ。地球が糸で釣るした毬の如くに大きな弧線を描いて空間に搖いた。凡てが恐ろしい魔の支配する夢であつた。七時過に彼ははつとして、此夢から覺めた。御米が何時もの通り微笑して枕元に曲んでゐた。冴えた日は黒い世の中を疾に何處かへ追ひ遣つてゐた。 十八  宗助は一封の紹介状を懷にして山門を入つた。彼はこれを同僚の知人の某から得た。其同僚は役所の徃復に、電車の中で洋服の隱袋から菜根譚を出して讀む男であつた。かう云ふ方面に趣味のない宗助は、固より菜根譚の何物なるかを知らなかつた。ある日一つ車の腰掛に膝を並べて乘つた時、それは何だと聞いて見た。同僚は小形の黄色い表紙を宗助の前に出して、こんな妙な本だと答へた。宗助は重ねて何んな事が書いてあるかと尋ねた。其時同僚は、一口に説明の出來る格好な言葉を有つてゐなかつたと見えて、まあ禪學の書物だらうといふ樣な妙な挨拶をした。宗助は同僚から聞いた此返事を能く覺えてゐた。  紹介状を貰ふ四五日前、彼は此同僚の傍へ行つて、君は禪學を遣るのかと、突然質問を掛けた。同僚は強く緊張した宗助の顏を見て頗る驚ろいた樣子であつたが、いや遣らない、たゞ慰み半分にあんな書物を讀む丈だと、すぐ逃げて仕舞つた。宗助は多少失望に弛んだ下唇を垂れて自分の席に歸つた。  其日歸りがけに、彼等は又同じ電車に乘り合はした。先刻宗助の樣子を、氣の毒に觀察した同僚は、彼の質問の奧に雜談以上のある意味を認めたものと見えて、前よりはもつと親切に其方面の話をして聞かした。然し自分は未だ嘗て參禪といふ事をした經驗がないと自白した。もし詳しい話が聞きたければ、幸ひ自分の知り合によく鎌倉へ行く男があるから紹介してやらうと云つた。宗助は車の中で其人の名前と番地を手帳に書き留めた。さうして次の日同僚の手紙を持つてわざ/\回り道をして訪問に出掛けた。宗助の懷にした書状は其折席上で認めて貰つたものであつた。  役所は病氣になつて十日許休む事にした。御米の手前も矢張り病氣だと取り繕つた。 「少し腦が惡いから、一週間程役所を休んで遊んで來るよ」と云つた。御米は此頃の夫の樣子の何處かに異状があるらしく思はれるので、内心では始終心配してゐた矢先だから、平生え切らない宗助の果斷を喜んだ。けれども其突然なのにも全く驚ろいた。 「遊びに行くつて、何處へ入らつしやるの」と眼を丸くしない許に聞いた。 「矢張鎌倉邊が好からうと思つてる」と宗助は落ち付いて答へた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とは殆んど縁の遠いものであつた。突然二つのものを結び付けるのは滑稽であつた。御米も微笑を禁じ得なかつた。 「まあ御金持ね。私も一所に連れてつて頂戴」と云つた。宗助は愛すべき細君のこの冗談を味ふ餘裕を有たなかつた。眞面目な顏をして、 「そんな贅澤な所へ行くんぢやないよ。禪寺へ留めて貰つて、一週間か十日、たゞ靜かに頭を休めて見る丈の事さ。それも果して好くなるか、ならないか分らないが、空氣の可い所へ行くと、頭には大變違ふと皆云ふから」と辯解した。 「そりや違ひますわ。だから行つて入らつしやいとも。今のは本當の冗談よ」  御米は善良な夫に調戯つたのを、多少濟まない樣に感じた。宗助は其翌日すぐ貰つて置いた紹介状を懷にして、新橋から汽車に乘つたのである。  其紹介状の表には釋宜道樣と書いてあつた。 「此間迄侍者をしてゐましたが、此頃では塔頭にある古い庵室に手を入れて、其所に住んでゐるとか聞きました。何うですか、まあ着いたら尋ねて御覽なさい。庵の名はたしか一窓庵でした」と書いて呉れる時、わざ/\注意があつたので、宗助は禮を云つて手紙を受取りながら、侍者だの塔頭だのといふ自分には全く耳新らしい言葉の説明を聞いて歸つたのである。  山門を入ると、左右には大きな杉があつて、高く空を遮つてゐるために、路が急に暗くなつた。其陰氣な空氣に觸れた時、宗助は世の中と寺の中との區別を急に覺つた。靜かな境内の入口に立つた彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の惡寒を催した。  彼はまづ眞直に歩るき出した。左右にも行手にも、堂の樣なものや、院の樣なものがちよい/\見えた。けれども人の出入は一切なかつた。悉く寂寞として錆び果てゝゐた。宗助は何處へ行つて、宜道のゐる所を教へて貰はうかと考へながら、誰も通らない路の眞中に立つて四方を見回した。  山の裾を切り開いて、一二丁奧へ上る樣に建てた寺だと見えて、後の方は樹の色で高く塞がつてゐた。路の左右も山續か丘續の地勢に制せられて、決して平ではない樣であつた。其小高い所々に、下から石段を疊んで、寺らしい門を高く構へたのが二三軒目に着いた。平地に垣を繞らして、點在してゐるのは、幾多もあつた。近寄つて見ると、何れも門瓦の下に、院號やら庵號やらが額にして懸けてあつた。  宗助は箔の剥げた古い額を一二枚讀んで歩いたが、不圖一窓庵から先へ探し出して、もし其所に手紙の名宛の坊さんがゐなかつたら、もつと奧へ行つて尋ねる方が便利だらうと思ひ付いた。それから逆戻りをして塔頭を一々調べに懸ると、一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあつた。丘外れなので、日當の好い、からりとした玄關先を控えて、後の山の懷に暖まつてゐる樣な位置に冬を凌ぐ氣色に見えた。宗助は玄關を通り越して庫裡の方から土間に足を入れた。上り口の障子の立てゝある所迄來て、たのむ/\と二三度呼んで見た。然し誰も出て來て呉れるものはなかつた。宗助はしばらく其所に立つた儘、中の樣子を窺つてゐた。何時迄立つてゐても音沙汰がないので、宗助は不思議な思ひをして、又庫裡を出て門の方へ引返した。すると石段の下から剃立の頭を青く光らした坊さんが上つて來た。年はまだ二十四五としか見えない若い色白の顏であつた。宗助は門の扉の所に待ち合はして、 「宜道さんと仰しやる方は此方に御出でせうか」と聞いた。 「私が宜道です」と若い僧は答へた。宗助は少し驚ろいたが、又嬉しくもあつた。すぐ懷中から例の紹介状を出して渡すと、宜道は立ちながら封を切つて、其場で讀み下した。やがて手紙を卷き返して封筒へ入れると、 「能うこそ」と云つて、叮嚀に會釋したなり、先に立つて宗助を導いた。二人は庫裡に下駄を脱いで、障子を開て内へ這入つた。其所には大きな圍爐裏が切つてあつた。宜道は鼠木綿の上に羽織つてゐた薄い粗末な法衣を脱いで釘に懸けて、 「御寒う御座いませう」と云つて、圍爐裏の中に深く埋けてあつた炭を灰の下から掘り出した。  此僧は若いに似合はず甚だ落付いた話振をする男であつた。低い聲で何か受答へをした後で、にやりと笑ふ具合などは、丸で女の樣な感じを宗助に與へた。宗助は心のうちに、この青年がどういふ機縁の元に、思ひ切つて頭を剃つたものだらうかと考へて、其樣子のしとやかな所を、何となく憐れに思つた。 「大變御靜な樣ですが、今日はどなたも御留守なんですか」 「いえ、今日に限らず、何時も私一人です。だから用のあるときは構はず明け放しにして出ます。今も一寸下迄行つて用を足して參りました。それがため折角御出の所を失禮致しました」  宜道は此時改めて遠來の人に對して自分の不在を詫びた。此大きな庵を、たつた一人で預かつてゐるさへ、相應に骨が折れるのに、其上に厄介が増したら嘸迷惑だらうと、宗助は少し氣の毒な色を外に動かした。すると宜道は、 「いえ、些とも御遠慮には及びません。道の爲で御座いますから」と床しい事を云つた。さうして、目下自分の所に、宗助の外に、まだ一人世話になつてゐる居士のある旨を告げた。此居士は山へ來てもう二年になるとかいふ話であつた。宗助はそれから二三日して、始めて此居士を見たが、彼は剽輕な羅漢の樣な顏をしてゐる氣樂さうな男であつた。細い大根を三四本ぶら下げて、今日は御馳走を買つて來たと云つて、それを宜道にてもらつて食つた。宜道も宗助も其相伴をした。此居士は顏が坊さんらしいので、時々僧堂の衆に交つて、村の御齋抔に出掛ける事があるとか云つて宜道が笑つてゐた。  其外俗人で山へ修業に來てゐる人の話も色々聞いた。中に筆墨を商ふ男がゐた。脊中へ荷を一杯負つて、二十日なり三十日なり、其所等中回つて歩いて、略賣り盡してしまふと山へ歸つて來て坐禪をする。それから少時して食ふものがなくなると、又筆墨を脊に載せて行商に出る。彼は此兩面の生活を、殆んど循環小數の如く繰り返して、飽く事を知らないのだと云ふ。  宗助は一見こだわりの無ささうな是等の人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて、其懸隔の甚だしいのに驚ろいた。そんな氣樂な身分だから坐禪が出來るのか、或は坐禪をした結果さういふ氣樂な心になれるのか迷つた。 「氣樂では不可ません。道樂に出來るものなら、二十年も三十年も雲水をして苦しむものはありません」と宜道は云つた。  彼は坐禪をするときの一般の心得や、老師から公案の出る事や、其公案に一生懸命噛り付いて、朝も晩も晝も夜も噛りつゞけに噛らなくては不可ない事やら、凡て今の宗助には心元なく見える助言を與へた末、 「御室へ御案内しませう」と云つて立ち上がつた。  圍爐裏の切つてある所を出て、本堂を横に拔けて、其外れにある六疊の座敷の障子を縁から開けて、中へ案内された時、宗助は始めて一人遠くに來た心持がした。けれども頭の中は、周圍の幽靜な趣と反照するためか、却つて町にゐるときよりも動搖した。  約一時間もしたと思ふ頃宜道の足音が又本堂の方から響いた。 「老師が相見になるさうで御座いますから、御都合が宜しければ參りませう」と云つて、丁寧に敷居の上に膝を突いた。  二人は又寺を空にして連立つて出た。山門の通りを略一丁程奧へ來ると、左側に蓮池があつた。寒い時分だから池の中はたゞ薄濁りに淀んでゐる丈で、少しも清淨な趣はなかつたが、向側に見える高い石の崖外れ迄、縁に欄干のある座敷が突き出して居る所が、文人畫にでもありさうな風致を添へた。 「彼所が老師の住んでゐられる所です」と宜道は比較的新らしい其建物を指した。  二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上つて、其正面にある大きな伽藍の屋根を仰いだまゝ直左りへ切れた。玄關へ差しかゝつた時、宜道は 「一寸失禮します」と云つて、自分丈裏口の方へ回つたが、やがて奧から出て來て、 「さあ何うぞ」と案内をして、老師のゐる所へ伴れて行つた。  老師といふのは五十格好に見えた。赭黒い光澤のある顏をしてゐた。其皮膚も筋肉も悉とく緊つて、何所にも怠のない所が、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫り付けた。たゞ唇があまり厚過るので、其所に幾分の弛みが見えた。其代り彼の眼には、普通の人間に到底見るべからざる一種の精彩が閃めいた。宗助が始めて其視線に接した時は、暗中に卒然として白刄を見る思があつた。 「まあ何から入つても同じであるが」と老師は宗助に向つて云つた。「父母未生以前本來の面目は何だか、それを一つ考へて見たら善かろう」  宗助には父母未生以前といふ意味がよく分らなかつたが、何しろ自分と云ふものは必竟何物だか、其本體を捕まへて見ろと云ふ意味だらうと判斷した。それより以上口を利くには、餘り禪といふものゝ知識に乏しかつたので、默つて又宜道に伴れられて一窓庵へ歸つて來た。  晩食の時宜道は宗助に、入室の時間の朝夕二回あることゝ、提唱の時間が午前である事などを話した上、 「今夜は未だ見解も出來ないかも知れませんから、明朝か明晩御誘ひ申しませう」と親切に云つて呉れた。夫から最初のうちは、詰めて坐はるのは難儀だから線香を立てゝ、それで時間を計つて、少し宛休んだら好からうと云ふ樣な注意もして呉れた。  宗助は線香を持つて、本堂の前を通つて自分の室と極つた六疊に這入つて、ぼんやりして坐つた。彼から云ふと所謂公案なるものゝ性質が、如何にも自分の現在と縁の遠い樣な氣がしてならなかつた。自分は今腹痛で惱んでゐる。其腹痛と言ふ訴を抱いて來て見ると、豈計らんや、其對症療法として、六づかしい數學の問題を出して、まあ是でも考へたら可からうと云はれたと一般であつた。考へろと云はれゝば、考へないでもないが、それは一應腹痛が治まつてからの事でなくては無理であつた。  同時に彼は勤を休んでわざ/\此所迄來た男であつた。紹介状を書いて呉れた人、萬事に氣を付けて呉れる宜道に對しても、あまりに輕卒な振舞は出來なかつた。彼は先づ現在の自分が許す限りの勇氣を提さげて、公案に向はうと決心した。それが何れの所に彼を導びいて、どんな結果を彼の心に持ち來すかは、彼自身と雖も全く知らなかつた。彼は悟といふ美名に欺かれて、彼の平生に似合はぬ冒險を試みやうと企てたのである。さうして、もし此冒險に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救ふ事が出來はしまいかと、果敢ない望を抱いたのである。  彼は冷たい火鉢の灰の中に細い線香を燻らして、教へられた通り坐蒲團の上に半跏を組んだ。晝のうちは左迄とは思はなかつた室が、日が落ちてから急に寒くなつた。彼は坐りながら、脊中のぞく/\する程温度の低い空氣に堪へなかつた。  彼は考へた。けれども考へる方向も、考へる問題の實質も、殆んど捕まえ樣のない空漠なものであつた。彼は考へながら、自分は非常に迂濶な眞似をしてゐるのではなからうかと疑つた。火事見舞に行く間際に、細かい地圖を出して、仔細に町名や番地を調べてゐるよりも、ずつと飛び離れた見當違の所作を演じてゐる如く感じた。  彼の頭の中を色々なものが流れた。其あるものは明らかに眼に見えた。あるものは混沌として雲の如くに動いた。何所から來て何所へ行くとも分らなかつた。たゞ先のものが消える、すぐ後から次のものが現はれた。さうして仕切りなしに夫から夫へと續いた。頭の徃來を通るものは、無限で無數で無盡藏で、決して宗助の命令によつて、留まる事も休む事もなかつた。斷ち切らうと思へば思ふ程、滾々として湧いて出た。  宗助は怖くなつて、急に日常の我を呼び起して、室の中を眺めた。室は微かな灯で薄暗く照らされてゐた。灰の中に立てた線香は、まだ半分程しか燃えてゐなかつた。宗助は恐るべく時間の長いのに始めて氣が付いた。  宗助はまた考へ始めた。すると、すぐ色のあるもの、形のあるものが頭の中を通り出した。ぞろ/\と群がる蟻の如くに動いて行く、あとから又ぞろ/\と群がる蟻の如くに現はれた。凝としてゐるのはたゞ宗助の身體丈であつた。心は切ない程、苦しい程、堪えがたい程動いた。  其内凝としてゐる身體も、膝頭から痛み始めた。眞直に延ばしてゐた脊髓が次第々々に前の方に曲つて來た。宗助は兩手で左の足の甲を抱える樣にして下へ卸した。彼は何をする目的もなく室の中に立ち上がつた。障子を明けて表へ出て、門前をぐる/\駈け回つて歩きたくなつた。夜はしんとしてゐた。寐てゐる人も起きてゐる人も何處にも居りさうには思へなかつた。宗助は外へ出る勇氣を失つた。凝と生きながら妄想に苦しめられるのは猶恐ろしかつた。  彼は思ひ切つて又新らしい線香を立てた。さうして又略前と同じ過程を繰り返した。最後に、もし考へるのが目的だとすれば、坐つて考へるのも寐て考へるのも同じだらうと分別した。彼は室の隅に疊んであつた薄汚ない蒲團を敷いて、其中に潛り込んだ。すると先刻からの疲れで、何を考へる暇もないうちに、深い眠りに落ちて仕舞つた。  眼が覺めると枕元の障子が何時の間にか明るくなつて、白い紙にやがて日の逼るべき色が動いた。晝も留守を置かずに濟む山寺は、夜に入つても戸を閉てる音を聞かなかつたのである。宗助は自分が坂井の崖下の暗い部屋に寐てゐたのでないと意識するや否や、すぐ起き上がつた。縁へ出ると、軒端に高く大霸王樹の影が眼に映つた。宗助は又本堂の佛壇の前を拔けて、圍爐裏の切つてある昨日の茶の間へ出た。其所には昨日の通り宜道の法衣が折釘に懸けてあつた。さうして本人は勝手の竈の前に蹲踞まつて、火を焚いてゐた。宗助を見て、 「御早う」と慇懃に禮をした。「先刻御誘ひ申さうと思ひましたが、よく御寢の樣でしたから、失禮して一人參りました」  宗助は此若い僧が、今朝夜明がたに既に參禪を濟まして、夫から歸つて來て、飯を炊いでゐるのだといふ事を知つた。  見ると彼は左の手で頻りに薪を差し易へながら、右の手に黒い表紙の本を持つて、用の合間々々に夫を讀んでゐる樣子であつた。宗助は宜道に書物の名を尋ねた。それは碧巖集といふ六づかしい名前のものであつた。宗助は腹の中で、昨夕の樣に當途もない考に耽つて、腦を疲らすより、一層其道の書物でも借りて讀む方が、要領を得る捷徑ではなからうかと思ひ付いた。宜道にさう云ふと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥した。 「書物を讀むのは極惡う御座います。有體に云ふと、讀書程修業の妨になるものは無い樣です。私共でも、斯うして碧巖抔を讀みますが、自分の程度以上の所になると、丸で見當が付きません。それを好加減に揣摩する癖がつくと、それが坐る時の妨になつて、自分以上の境界を豫期して見たり、悟を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべき所に頓挫が出來ます。大變毒になりますから、御止しになつた方が可いでせう。もし強いて何か御讀みになりたければ、禪關策進といふ樣な、人の勇氣を鼓舞したり激勵したりするものが宜しう御座いませう。それだつて、只刺戟の方便として讀む丈で、道其物とは無關係です」  宗助には宜道の意味がよく解らなかつた。彼は此生若い青い頭をした坊さんの前に立つて、恰も一個の低能兒であるかの如き心持を起した。彼の慢心は京都以來既に銷磨し盡してゐた。彼は平凡を分として、今日迄生きて來た。聞達程彼の心に遠いものはなかつた。彼はたゞ有の儘の彼として、宜道の前に立つたのである。しかも平生の自分より遙かに無力無能な赤子であると、更に自分を認めざるを得なくなつた。彼に取つては新らしい發見であつた。同時に自尊心を根絶する程の發見であつた。  宜道が竈の火を消して飯をむらしてゐる間に、宗助は臺所から下りて庭の井戸端へ出て顏を洗つた。鼻の先にはすぐ雜木山が見へた。其裾の少し平な所を拓いて、菜園が拵えてあつた。宗助は濡れた頭を冷たい空氣に曝して、わざと菜園迄下りて行つた。さうして、其所に崖を横に掘つた大きな穴を見出した。宗助は少時其前に立つて、暗い奧の方を眺めてゐた。やがて、茶の間へ歸ると、圍爐裏には暖かい火が起つて、鐵瓶に湯の沸る音が聞えた。 「手がないものだから、つい遲くなりまして御氣の毒です。すぐ御膳に致しませう。然しこんな所だから上げるものがなくつて困ります。其代り明日あたりは御馳走に風呂でも立てませう」と宜道が云つて呉れた。宗助は難有く圍爐裏の向に坐つた。  やがて食事を了えて、わが室へ歸つた宗助は、又父母未生以前と云ふ稀有な問題を眼の前に据ゑて、凝つと眺めた。けれども、もと/\筋の立たない、從がつて發展のしやうのない問題だから、いくら考へても何處からも手を出す事は出來なかつた。さうして、すぐ考へるのが厭になつた。宗助は不圖御米に此所へ着いた消息を書かなければならない事に氣が付いた。彼は俗用の生じたのを喜こぶ如くに、すぐ鞄の中から卷紙と封じ袋を取り出して、御米に遣る手紙を書き始めた。まづ此所の閑靜な事、海に近い所爲か、東京よりは餘程暖かい事、空氣の清朗な事、紹介された坊さんの親切な事、食事の不味い事、夜具蒲團の綺麗に行かない事、などを書き連ねてゐるうちに、はや三尺餘りの長さになつたので、其所で筆を擱いたが、公案に苦しめられてゐる事や、坐禪をして膝の關節を痛くしてゐる事や、考へるために益神經衰弱が劇しくなりさうな事は、噫にも出さなかつた。彼は此手紙に切手を貼つて、ポストに入れなければならない口實を求めて、早速山を下つた。さうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅かされながら、村の中をうろついて歸つた。  午には、宜道から話のあつた居士に會つた。此居士は茶碗を出して、宜道に飯を盛つて貰ふとき、憚かり樣とも何とも云はずに、たゞ合掌して禮を述べたり、相圖をしたりした。此位靜かに物事を爲るのが法だとか云つた。口を利かず、音を立てないのは、考への邪魔になると云ふ精神からださうであつた。それ程眞劍にやるべきものをと、宗助は昨夜からの自分が、何となく耻づかしく思はれた。  食後三人は圍爐裏の傍でしばらく話した。其時居士は、自分が坐禪をしながら、何時か氣が付かずにうと/\と眠つて仕舞つてゐて、はつと正氣に歸る間際に、おや悟つたなと喜ぶことがあるが、さて愈眼を開いて見ると、矢つ張り元の通の自分なので失望する許だと云つて、宗助を笑はした。斯う云ふ氣樂な考で、參禪してゐる人もあると思ふと、宗助も多少は寛ろいだ。けれども三人が分れ/\に自分の室に入る時、宜道が、 「今夜は御誘ひ申しますから、是から夕方迄しつかり御坐りなさいまし」と眞面目に勸めたとき、宗助は又一種の責任を感じた。消化れない堅い團子が胃に滯うつてゐる樣な不安な胸を抱いて、わが室へ歸つて來た。さうして又線香を焚いて坐はり出した。其癖夕方迄は坐り續けられなかつた。どんな解答にしろ一つ拵らへて置かなければならないと思ひながらも、仕舞には根氣が盡きて、早く宜道が夕食の報知に本堂を通り拔けて來て呉れゝば好いと、夫ばかり氣に掛かつた。  日は懊惱と困憊の裡に傾むいた。障子に映る時の影が次第に遠くへ立ち退くにつれて、寺の空氣が床の下から冷え出した。風は朝から枝を吹かなかつた。縁側に出て、高い庇を仰ぐと、黒い瓦の小口丈が揃つて、長く一列に見える外に、穩かな空が、蒼い光をわが底の方に沈めつゝ、自分と薄くなつて行く所であつた。 十九 「危險う御座います」と云つて宜道は一足先へ暗い石段を下りた。宗助はあとから續いた。町と違つて夜になると足元が惡いので、宜道は提灯を點けて僅一丁許の路を照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から二人の頭に蔽ひ被さる樣に空を遮つた。闇だけれども蒼い葉の色が二人の着物の織目に染み込む程に宗助を寒がらせた。提灯の灯にも其色が多少映る感じがあつた。其提灯は一方に大きな樹の幹を想像する所爲か、甚だ小さく見えた。光の地面に屆く尺數も僅であつた。照らされた部分は明るい灰色の斷片となつて暗い中にほつかり落ちた。さうして二人の影が動くに伴れて動いた。  蓮池を行き過ぎて、左へ上る所は、夜はじめての宗助に取つて、少し足元が滑かに行かなかつた。土の中に根を食つてゐる石に、一二度下駄の臺を引つ掛けた。蓮池の手前から横に切れる裏路もあるが、此方は凸凹が多くて、慣れない宗助には近くても不便だらうと云ふので、宜道はわざ/\廣い方を案内したのである。  玄關を入ると、暗い土間に下駄が大分並んでゐた。宗助は曲んで、人の履物を踏まない樣にそつと上へのぼつた。室は八疊程の廣さであつた。其壁際に列を作つて、六七人の男が一側に並んでゐた。中に頭を光らして、黒い法衣を着た僧も交つてゐた。他のものは大概袴を穿いてゐた。此六七人の男は上り口と奧へ通ずる三尺の廊下口を殘して、行儀よく鉤の手に並んでゐた。さうして、一言も口を利かなかつた。宗助は是等の人の顏を一目見て、まづ其峻刻なのに氣を奪はれた。彼等は皆固く口を結んでゐた。事ありげな眉を強く寄せてゐた。傍にどんな人がゐるか見向きもしなかつた。如何なるものが外から入つて來ても、全く注意しなかつた。彼等は活きた彫刻の樣に己れを持して、火の氣のない室に肅然と坐つてゐた。宗助の感覺には、山寺の寒さ以上に、一種嚴かな氣が加はつた。  やがて寂寞の中に、人の足音が聞えた。初は微かに響いたが、次第に強く床を踏んで、宗助の坐つてゐる方へ近付いて來た。仕舞に一人の僧が廊下口からぬつと現れた。さうして宗助の傍を通つて、默つて外の暗がりへ拔けて行つた。すると遠くの奧の方で鈴を振る音がした。  此時宗助と並んで嚴肅に控えてゐた男のうちで、小倉の袴を着けた一人が、矢張無言の儘立ち上がつて、室の隅の廊下口の眞正面へ來て着座した。其所には高さ二尺幅一尺程の木の枠の中に、銅鑼の樣な形をした、銅鑼よりも、ずつと重くて厚さうなものが懸つてゐた。色は蒼黒く貧しい灯に照らされてゐた。袴を着けた男は、臺の上にある撞木を取り上げて、銅鑼に似た鐘の眞中を二つ程打ち鳴らした。さうして、ついと立つて、廊下口を出て、奧の方へ進んで行つた。今度は前と反對に、足音が段々遠くの方へ去るに從つて、微かになつた。さうして一番仕舞にぴたりと何處かで留まつた。宗助は坐ながら、はつとした。彼は此袴を着けた男の身の上に、今何事が起りつゝあるだらうかを想像したのである。けれども奧はしんとして靜まり返つてゐた。宗助と並んでゐるものも、一人として顏の筋肉を動かすものはなかつた。たゞ宗助は心の中で、奧からの何物かを待ち受けた。すると忽然として鈴を振る響が彼の耳に應へた。同時に長い廊下を踏んで、此方へ近付く足音がした。袴を着けた男は又廊下口から現はれて、無言の儘玄關を下りて、霜の裡に消え去つた。入れ代つて又新らしい男が立つて、最前の鐘を打つた。さうして、又廊下を踏み鳴らして奧の方へ行つた。宗助は沈默の間に行はれる此順序を見ながら、膝に手を載せて、自分の番の來るのを待つてゐた。  自分より一人置いて前の男が立つて行つた時は、良暫くしてから、わつと云ふ大きな聲が、奧の方で聞えた。其聲は距離が遠いので、劇しく宗助の鼓膜を打つ程、強くは響かなかつたけれども、たしかに精一杯威を振つたものであつた。さうして只一人の咽喉から出た個人の特色を帶びてゐた。自分のすぐ前の人が立つた時は、愈わが番が回つて來たと云ふ意識に制せられて、一層落付を失つた。  宗助は此間の公案に對して、自分丈の解答は準備してゐた。けれども、それは甚だ覺束ない薄手のものに過ぎなかつた。室中に入る以上は、何か見解を呈しない譯に行かないので、已を得ず納まらない所を、わざと納まつた樣に取繕つた、其場限りの挨拶であつた。彼は此心細い解答で、僥倖にも難關を通過して見たい抔とは、夢にも思ひ設けなかつた。老師を胡麻化す氣は無論なかつた。其時の宗助はもう少し眞面目であつたのである。單に頭から割り出した、恰も畫にかいた餠の樣な代物を持つて、義理にも室中に入らなければならない自分の空虚な事を耻ぢたのである。  宗助は人のする如くに鐘を打つた。しかも打ちながら、自分は人並に此鐘を撞木で敲くべき權能がないのを知つてゐた。それを人並に鳴らして見る猿の如き己れを深く嫌忌した。  彼は弱味のある自分に恐れを抱きつゝ、入口を出て冷たい廊下へ足を踏み出した。廊下は長く續いた。右側にある室は悉く暗かつた。角を二つ折れ曲ると、向の外れの障子に灯影が差した。宗助は其敷居際へ來て留まつた。  室中に入るものは老師に向つて三拜するのが禮であつた。拜しかたは普通の挨拶の樣に頭を疊に近く下げると同時に、兩手の掌を上向に開いて、夫を頭の左右に並べたまゝ、少し物を抱へた心持に耳の邊迄上げるのである。宗助は敷居際に跪づいて形の如く拜を行なつた。すると座敷の中で、 「一拜で宜しい」と云ふ會釋があつた。宗助はあとを略して中へ入つた。  室の中はたゞ薄暗い灯に照らされてゐた。其弱い光は、如何に大字な書物をも披見せしめぬ程度のものであつた。宗助は今日迄の經驗に訴へて、これ位微かな燈火に、夜を營なむ人間を憶ひ起す事が出來なかつた。其光は無論月よりも強かつた。且月の如く蒼白い色ではなかつた。けれどももう少しで朦朧の境に沈むべき性質のものであつた。  此靜かな判然しない燈火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道の所謂老師なるものを認めた。彼の顏は例によつて鑄物の樣に動かなかつた。色は銅であつた。彼は全身に澁に似た柿に似た茶に似た色の法衣を纏つてゐた。足も手も見えなかつた。たゞ頸から上が見えた。其頸から上が、嚴肅と緊張の極度に安んじて、何時迄經つても變る恐を有せざる如くに人を魅した。さうして頭には一本の毛もなかつた。  此面前に氣力なく坐つた宗助の、口にした言葉はたゞ一句で盡きた。 「もつと、ぎろりとした所を持つて來なければ駄目だ」と忽ち云はれた。「其位な事は少し學問をしたものなら誰でも云へる」  宗助は喪家の犬の如く室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。 二十  障子の外で野中さん、野中さんと呼ぶ聲が二度程聞えた。宗助は半睡の裡にはいと應へた積であつたが、返事を仕切らない先に、早く知覺を失つて、又正體なく寐入つてしまつた。  二度目に眼が覺めた時、彼は驚ろいて飛び起きた。縁側へ出ると、宜道が鼠木綿の着物に襷を掛けて、甲斐々々しく其所いらを拭いてゐた。赤く凍んだ手で、濡雜巾を絞りながら、例の如く柔和しいにこやかな顏をして、 「御早う」と挨拶した。彼は今朝も亦とくに參禪を濟ました後、斯うして庵に歸つて働いてゐたのである。宗助はわざ/\呼び起されても起き得なかつた自分の怠慢を省みて、全く極の惡い思をした。 「今朝もつい寐忘れて失禮しました」  彼はこそ/\勝手口から井戸端の方へ出た。さうして冷たい水を汲んで出來る丈早く顏を洗つた。延び掛かつた髯が、頬の邊で手を刺す樣にざら/\したが、今の宗助にはそれを苦にする程の餘裕はなかつた。彼はしきりに宜道と自分とを對照して考へた。  紹介状を貰ふときに東京で聞いた所によると、此宜道といふ坊さんは、大變性質の可い男で、今では修業も大分出來上がつてゐると云ふ話だつたが、會つて見ると、丸で一丁字もない小廝の樣に丁寧であつた。かうして襷掛で働いてゐる所を見ると、何うしても一個の獨立した庵の主人らしくはなかつた。納所とも小坊主とも云へた。  此矮小な若僧は、まだ出家をしない前、たゞの俗人として此所へ修業に來た時、七日の間結跏したぎり少しも動かなかつたのである。仕舞には足が痛んで腰が立たなくなつて、厠へ上る折などは、やつとの事壁傳ひに身體を運んだのである。其時分の彼は彫刻家であつた。見性した日に、嬉しさの餘り、裏の山へ馳け上つて、草木國土悉皆成佛と大きな聲を出して叫んだ。さうして遂に頭を剃つてしまつた。  此庵を預かる樣になつてから、もう二年になるが、まだ本式に床を延べて、樂に足を延ばして寐た事はないと云つた。冬でも着物の儘壁に倚れて坐睡する丈だと云つた。侍者をしてゐた頃などは、老師の犢鼻褌迄洗はせられたと云つた。其上少しの暇を偸んで坐りでもすると、後から來て意地の惡い邪魔をされる、毒吐かれる、頭の剃り立てには何の因果で坊主になつたかと悔む事が多かつたと云つた。 「漸く此頃になつて少し樂になりました。しかし未だ先が御座います。修業は實際苦しいものです。さう容易に出來るものなら、いくら私共が馬鹿だつて、斯うして十年も二十年も苦しむ譯が御座いません」  宗助はたゞ惘然とした。自己の根氣と精力の足らない事を齒掻く思ふ上に、夫程歳月を掛けなければ成就出來ないものなら、自分は何しに此山の中迄遣つて來たか、それからが第一の矛盾であつた。 「決して損になる氣遣は御座いません。十分坐れば、十分の功があり、二十分坐れば二十分の徳があるのは無論です。其上最初を一つ奇麗に打ち拔いて置けば、あとは斯う云ふ風に始終此所に御出にならないでも濟みますから」  宗助は義理にも亦自分の室へ歸つて坐らなければならなかつた。  斯んな時に宜道が來て、 「野中さん提唱です」と誘つて呉れると、宗助は心から嬉しい氣がした。彼は禿頭を捕まへる樣な手の着け所のない難題に惱まされて、坐ながら凝と煩悶するのを、如何にも切なく思つた。どんなに精力を消耗する仕事でも可いから、もう少し積極的に身體を働らかしたく思つた。  提唱のある場所は、矢張り一窓庵から一町も隔つてゐた。蓮池の前を通り越して、それを左へ曲らずに眞直に突き當ると、屋根瓦を嚴めしく重ねた高い軒が、松の間に仰がれた。宜道は懷に黒い表紙の本を入れてゐた。宗助は無論手ぶらであつた。提唱と云ふのが、學校でいふ講義の意味である事さへ、此所へ來て始めて知つた。  室は高い天井に比例して廣く且つ寒かつた。色の變つた疊の色が古い柱と映り合つて、昔を物語る樣に寂び果てゝゐた。其所に坐つてゐる人々も皆地味に見えた。席次不同に思ひ々々の座を占めてはゐるが、高聲に語るもの、笑ふものは一人もなかつた。僧は皆紺麻の法衣を着て、正面の曲の左右に列を作つて向ひ合せに並んだ。其曲は朱で塗つてあつた。  やがて老師が現はれた。疊を見詰めてゐた宗助には、彼が何處を通つて、何處から此所へ出たか薩張分らなかつた。たゞ彼の落ち付き拂つて曲に倚る重々しい姿を見た。一人の若い僧が立ちながら、紫の袱紗を解いて、中から取り出した書物を、恭しく卓上に置く所を見た。又其禮拜して退ぞく態を見た。  此時堂上の僧は一齊に合掌して、夢窓國師の遺誡を誦し始めた。思ひ/\に席を取つた宗助の前後にゐる居士も皆同音に調子を合せた。聞いてゐると、經文の樣な、普通の言葉の樣な、一種の節を帶びた文字であつた。「我に三等の弟子あり。所謂猛烈にして諸縁を放下し、專一に己事を究明する之を上等と名づく。修業純ならず駁雜學を好む、之を中等と云ふ」云々といふ、餘り長くはないものであつた。宗助は始め夢窓國師の何人なるかを知らなかつた。宜道から此夢窓國師と大燈國師とは、禪門中興の祖であると云ふ事を教はつたのである。平生跛で充分に足を組む事が出來ないのを憤つて、死ぬ間際に、今日こそ己の意の如くにして見せると云ひながら、惡い方の足を無理に折つぺしよつて、結跏したため、血が流れて法衣を染ましたといふ大燈國師の話も其折宜道から聞いた。  やがて提唱が始まつた。宜道は懷から例の書物を出して頁を半ば擦らして宗助の前へ置いた。それは宗門無盡燈論と云ふ書物であつた。始めて聞きに出た時、宜道は、 「難有い結構な本です」と宗助に教へて呉れた。白隱和尚の弟子の東嶺和尚とかいふ人の編輯したもので、重に禪を修行するものが、淺い所から深い所へ進んで行く徑路やら、それに伴なふ心境の變化やらを秩序立てゝ書いたものらしかつた。  中途から顏を出した宗助には、能くも解せなかつたけれども、講者は能辯の方で、默つて聞いてゐるうちに、大變面白い所があつた。其上參禪の士を鼓舞する爲か、古來から斯道に苦しんだ人の閲歴譚抔を取り交ぜて一段の精彩を着けるのが例であつた。此日も其通りであつたが或所へ來ると、突然語調を改めて、 「此頃室中に來つて、何うも妄想が起つて不可ない抔と訴へるものがあるが」と急に入室者の不熱心を戒しめ出したので、宗助は覺えずぎくりとした。室中に入つて、其訴をなしたものは實に彼自身であつた。  一時間の後宜道と宗助は袖をつらねて又一窓庵に歸つた。其歸り路に宜道は、 「あゝして提唱のある時に、よく參禪者の不心得を諷せられます」と云つた。宗助は何も答へなかつた。 二十一  其内、山の中の日は、一日々々と經つた。御米からは可なり長い手紙がもう二本來た。尤も二本とも新たに宗助の心を亂す樣な心配事は書いてなかつた。宗助は常の細君思ひに似ず遂に返事を出すのを怠つた。彼は山を出る前に、何とか此間の問題に片を付けなければ、折角來た甲斐がない樣な、又宜道に對して濟まない樣な氣がしてゐた。眼が覺めてゐる時は、之がために名状し難い一種の壓迫を受けつゞけに受けた。從つて日が暮れて夜が明けて、寺で見る太陽の數が重なるにつけて、恰も後から追ひ掛けられでもする如く氣を焦つた。けれども彼は最初の解決より外に、一歩も此問題にちかづく術を知らなかつた。彼は又いくら考へても此最初の解決は確なものであると信じてゐた。たゞ理窟から割り出したのだから、腹の足には一向ならなかつた。彼は此確なものを放り出して、更に又確なものを求めやうとした。けれども左樣ものは少しも出て來なかつた。  彼は自分の室で獨り考へた。疲れると、臺所から下りて、裏の菜園へ出た。さうして崖の下に掘つた横穴の中へ這入つて、凝つと動かずにゐた。宜道は氣が散る樣では駄目だと云つた。段々集注して凝り固まつて、仕舞に鐵の棒の樣にならなくては駄目だと云つた。さう云ふ事を聞けば聞く程、實際にさうなるのが、困難になつた。 「既に頭の中に、さう仕樣と云ふ下心があるから不可ないのです」と宜道が又云つて聞かした。宗助は愈窮した。忽然安井の事を考へ出した。安井がもし坂井の家へ頻繁に出入でもする樣になつて、當分滿洲へ歸らないとすれば、今のうちあの借家を引き上げて、何處かへ轉宅するのが上分別だらう。こんな所に愚圖々々してゐるより、早く東京へ歸つて其方の所置を付けた方がまだ實際的かも知れない。緩くり構へて、御米にでも知れると又心配が殖える丈だと思つた。 「私の樣なものには到底悟は開かれさうに有りません」と思ひ詰めた樣に宜道を捕まへて云つた。それは歸る二三日前の事であつた。 「いえ信念さへあれば誰でも悟れます」と宜道は躊躇もなく答へた。「法華の凝り固まりが夢中に太鼓を叩く樣に遣つて御覽なさい。頭の巓邊から足の爪先迄が悉く公案で充實したとき、俄然として新天地が現前するので御座います」  宗助は自分の境遇やら性質が、夫程盲目的に猛烈な働を敢てするに適しない事を深く悲しんだ。况んや自分の此山で暮らすべき日は既に限られてゐた。彼は直截に生活の葛藤を切り拂ふ積りで、却つて迂濶に山の中へ迷ひ込んだ愚物であつた。  彼は腹の中で斯う考へながら、宜道の面前で、それ丈の事を言い切る力がなかつた。彼は心から此若い禪僧の勇氣と熱心と眞面目と親切とに敬意を表してゐたのである。 「道は近きにあり、却つて之を遠きに求むといふ言葉があるが實際です。つい鼻の先にあるのですけれども、何うしても氣が付きません」と宜道はさも殘念さうであつた。宗助は又自分の室に退いて線香を立てた。  斯う云ふ状態は、不幸にして宗助の山を去らなければならない日迄、目に立つ程の新生面を開く機會なく續いた。愈出立の朝になつて宗助は潔よく未練を抛げ棄てた。 「永々御世話になりました。殘念ですが、何うも仕方がありません。もう當分御眼に掛かる折も御座いますまいから、隨分御機嫌よう」と宜道に挨拶をした。宜道は氣の毒さうであつた。 「御世話どころか、萬事不行屆で嘸御窮屈で御座いましたらう。然し是程御坐りになつても大分違ひます。わざ/\御出になつた丈の事は充分御座います」と云つた。然し宗助には丸で時間を潰しに來た樣な自覺が明らかにあつた。それを斯う取り繕ろつて云つて貰ふのも、自分の腑甲斐なさからであると、獨り耻ぢ入つた。 「悟の遲速は全く人の性質で、それ丈では優劣にはなりません。入り易くても後で塞へて動かない人もありますし、又初め長く掛かつても、愈と云ふ場合に非常に痛快に出來るのもあります。決して失望なさる事は御座いません。たゞ熱心が大切です。亡くなられた洪川和尚などは、もと儒教をやられて、中年からの修業で御座いましたが、僧になつてから三年の間と云ふもの丸で一則も通らなかつたです。夫で私は業が深くて悟れないのだと云つて、毎朝厠に向つて禮拜された位でありましたが、後にはあのやうな知識になられました。これ抔は尤も好い例です」  宜道は斯んな話をして、暗に宗助が東京へ歸つてからも、全く此方を斷念しない樣にあらかじめ間接の注意を與へる樣に見えた。宗助は謹んで、宜道のいふ事に耳を借した。けれども腹の中では大事がもう既に半分去つた如くに感じた。自分は門を開けて貰ひに來た。けれども門番は扉の向側にゐて、敲いても遂に顏さへ出して呉れなかつた。たゞ、 「敲いても駄目だ。獨りで開けて入れ」と云ふ聲が聞えた丈であつた。彼は何うしたら此門の閂を開ける事が出來るかを考へた。さうして其手段と方法を明らかに頭の中で拵えた。けれども夫を實地に開ける力は、少しも養成する事が出來なかつた。從つて自分の立つてゐる場所は、此問題を考へない昔と毫も異なる所がなかつた。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り殘された。彼は平生自分の分別を便に生きて來た。其分別が今は彼に祟つたのを口惜く思つた。さうして始から取捨も商量も容れない愚なものゝ一徹一圖を羨んだ。もしくは信念に篤い善男善女の、知慧も忘れ思議も浮ばぬ精進の程度を崇高と仰いだ。彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもつて生れて來たものらしかつた。夫は是非もなかつた。けれども、何うせ通れない門なら、わざ/\其所迄辿り付くのが矛盾であつた。彼は後を顧みた。さうして到底又元の路へ引き返す勇氣を有たなかつた。彼は前を眺めた。前には堅固な扉が何時迄も展望を遮ぎつてゐた。彼は門を通る人ではなかつた。又門を通らないで濟む人でもなかつた。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であつた。  宗助は立つ前に、宜道と連れだつて、老師の許へ一寸暇乞に行つた。老師は二人を蓮池の上の、縁に勾欄の着いた座敷に通した。宜道は自ら次の間に立つて、茶を入れて出た。 「東京はまだ寒いでせう」と老師が云つた。「少しでも手掛りが出來てからだと、歸つたあとも樂だけれども。惜い事で」  宗助は老師の此挨拶に對して、丁寧に禮を述べて、又十日前に潛つた山門を出た。甍を壓する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後に聳えた。 二十二  家の敷居を跨いだ宗助は、己れにさへ憫然な姿を描いた。彼は過去十日間毎朝頭を冷水で濡らしたなり、未だ曾て櫛の齒を通した事がなかつた。髭は固より剃る暇を有たなかつた。三度とも宜道の好意で白米の炊いだのを食べたには食べたが、副食物と云つては、菜のたのか、大根のたの位なものであつた。彼の顏は自から蒼かつた。出る前よりも多少面窶れてゐた。其上彼は一窓庵で考へつゞけに考へた習慣がまだ全く拔け切らなかつた。何所かに卵を抱く牝鷄の樣な心持が殘つて、頭が平生の通り自由に働らかなかつた。其癖一方では坂井の事が氣に掛かつた。坂井と云ふよりも、坂井の所謂冒險者として宗助の耳に響いた其弟と、其弟の友達として彼の胸を騷がした安井の消息が氣にかゝつた。けれども彼は自身に家主の宅へ出向いてそれを聞き糺す勇氣を有たなかつた。間接にそれを御米に問ふことは猶出來なかつた。彼は山にゐる間さへ、御米が此事件に就いて何事も耳にして呉れなければ可いがと氣遣はない日はなかつた位である。宗助は年來住み慣れた家の座敷に坐つて、 「汽車に乘ると短かい道中でも氣の所爲か疲れるね。留守中に別段變つた事はなかつたかい」と聞いた。實際彼は短かい汽車旅行にさへ堪へかねる顏付をしてゐた。  御米は如何な場合にも夫の前に忘れなかつた笑顏さへ作り得なかつた。と云つて、折角保養に行つた轉地先から今歸つて來たばかりの夫に、行かない前より却つて健康が惡くなつたらしいとは、氣の毒で露骨に話し惡かつた。わざと活溌に、 「いくら保養でも、家へ歸ると、少しは氣疲が出るものよ。けれども貴方は餘まり爺々汚いわ。後生だから一休したら御湯に行つて頭を刈つて髭を剃つて來て頂戴」と云ひながら、わざ/\机の引出から小さな鏡を出して見せた。  宗助は御米の言葉を聞いて、始めて一窓庵の空氣を風で拂つた樣な心持がした。一たび山を出て家へ歸れば矢張り元の宗助であつた。 「坂井さんからは其後何とも云つて來ないかい」 「いゝえ何とも」 「小六の事も」 「いゝえ」  其小六は圖書館へ行つて留守だつた。宗助は手拭と石鹸を持つて外へ出た。  明る日役所へ出ると、みんなから病氣はどうだと聞かれた。中には少し瘠せた樣ですねと云ふものもあつた。宗助には夫が無意識の冷評の意味に聞えた。菜根譚を讀む男はたゞ何うです旨く行きましたかと尋ねた。宗助は此問にも大分痛い思をした。  其晩は又御米と小六から代る/″\鎌倉の事を根掘り葉掘り問はれた。 「氣樂でせうね。留守居も何も置かないで出られたら」と御米が云つた。 「それで一日幾何出すと置いて呉れるんです」と小六が聞いた。「鐵砲でも擔いで行つて、獵でもしたら面白からう」とも云つた。 「然し退屈ね。そんなに淋しくつちや。朝から晩迄寐て入らつしやる譯にも行かないでせう」と御米が又云つた。 「もう少し滋養物が食へる所でなくつちあ、矢つ張り身體に可くないでせう」と小六が又云つた。  宗助は其夜床の中へ入つて、明日こそ思ひ切つて、坂井へ行つて安井の消息をそれとなく聞き糺して、もし彼がまだ東京にゐて、猶しば/\坂井と徃復がある樣なら、遠くの方へ引越して仕舞はうと考へた。  次の日は平凡に宗助の頭を照らして、事なき光を西に落した。夜に入つて彼は、 「一寸坂井さん迄行つて來る」と云ひ捨てゝ門を出た。月のない坂を上つて、瓦斯燈に照らされた砂利を鳴らしながら潛戸を開けた時、彼は今夜此所で安井に落ち合ふ樣な萬一はまづ起らないだらうと度胸を据ゑた。それでもわざと勝手口へ回つて、御客來ですかと聞くことは忘れなかつた。 「能く御出です。何うも相變らず寒いぢやありませんか」と云ふ常の通り元氣の好い主人を見ると、子供を大勢自分の前へ並べて、其中の一人と掛聲をかけながら、じやん拳を遣つてゐた。相手の女の子の年は、六つ許に見えた。赤い幅のあるリボンを蝶々の樣に頭の上に喰付けて、主人に負けない程の勢で、小さな手を握り固めてさつと前へ出した。其斷然たる樣子と、其握り拳の小さゝと、之に反して主人の仰山らしく大きな拳骨が、對照になつて皆の笑を惹いた。火鉢の傍に見てゐた細君は、 「そら今度こさ雪子の勝だ」と云つて愉快さうに綺麗な齒を露はした。子供の膝の傍には白だの赤だの藍だのゝ硝子玉が澤山あつた。主人は、 「とう/\雪子に負けた」と席を外して、宗助の方を向いたが、「何うです又洞窟へでも引き込みますかな」と云つて立ち上がつた。  書齋の柱には例の如く錦の袋に入れた蒙古刀が振ら下がつてゐた。花活には何處で咲いたか、もう黄色い菜の花が插してあつた。宗助は床柱の中途を華やかに彩どる袋に眼を着けて、 「相變らず掛かつて居りますな」と云つた。さうして主人の氣色を頭の奧から窺つた。主人は、 「えゝ些と物數奇過ぎますね、蒙古刀は」と答へた。「所が弟の野郎そんな玩具を持つて來ては、兄貴を籠絡する積だから困りものぢやありませんか」 「御舍弟は其後何うなさいました」と宗助は何氣ない風を示した。 「えゝ漸く四五日前歸りました。ありや全く蒙古向ですね。御前の樣な夷狄は東京にや調和しないから早く歸れつたら、私もさう思ふつて歸つて行きました。何うしても、ありや萬里の長城の向側にゐるべき人物ですよ。さうしてゴビの沙漠の中で金剛石でも搜してゐれば可いんです」 「もう一人の御伴侶は」 「安井ですか、あれも無論一所です。あゝなると落ち付いちや居られないと見えますね。何でも元は京都大學にゐたこともあるんだとか云ふ話ですが。何うして、あゝ變化したものですかね」  宗助は腋の下から汗が出た。安井が何う變つて、どう落ち付かないのか、全く聞く氣にはならなかつた。たゞ自分が主人に安井と同じ大學にゐた事を、まだ洩らさなかつたのを天祐の樣に有難く思つた。けれども主人は其弟と安井とを晩餐に呼ぶとき、自分を此二人に紹介しやうと申し出た男である。辭退をして其席へ顏を出す不面目丈は漸と免かれた樣なものゝ、其晩主人が何かの機會につい自分の名を二人に洩らさないとは限らなかつた。宗助は後暗い人の、變名を用ひて世を渡る便利を切に感じた。彼は主人に向つて、「貴方はもしや私の名を安井の前で口にしやしませんか」と聞いて見たくて堪らなかつた。けれども、夫丈は何うしても聞けなかつた。  下女が平たい大きな菓子皿に妙な菓子を盛つて出た。一丁の豆腐位な大きさの金玉糖の中に、金魚が二疋透いて見えるのを、其儘庖丁の刄を入れて、元の形を崩さずに、皿に移したものであつた。宗助は一目見て、たゞ珍らしいと感じた。けれども彼の頭は寧ろ他の方面に氣を奪はれてゐた。すると主人が、 「何うです一つ」と例の通り先づ自分から手を出した。 「是はね、昨日ある人の銀婚式に呼ばれて、貰つて來たのだから、頗ぶる御目出度のです。貴方も一切位肖つても可いでせう」  主人は肖りたい名の下に、甘垂るい金玉糖を幾切か頬張つた。これは酒も呑み、茶も呑み、飯も菓子も食へる樣に出來た、重寶で健康な男であつた。 「何實を云ふと、二十年も三十年も夫婦が皺だらけになつて生きてゐたつて、別に御目出度もありませんが、其所が物は比較的な所でね。私は何時か清水谷の公園の前を通つて驚ろいた事がある」と變な方面へ話を持つて行つた。斯ういふ風に、夫から夫へと客を飽かせない樣に引張つて行くのが、社交になれた主人の平生の調子であつた。  彼の云ふ所によると、清水谷から辨慶橋へ通じる泥溝の樣な細い流の中に、春先になると無數の蛙が生れるのださうである。其蛙が押し合ひ鳴き合つて生長するうちに、幾百組か幾千組の戀が泥渠の中で成立する。さうして夫等の愛に生きるものが重ならない許に隙間なく清水谷から辨慶橋へ續いて、互に睦まじく浮てゐると、通り掛りの小僧だの閑人が、石を打ち付けて、無殘にも蛙の夫婦を殺して行くものだから、其數が殆んど勘定し切れない程多くなるのださうである。 「死屍累々とはあの事ですね。それが皆夫婦なんだから實際氣の毒ですよ。詰りあすこを二三丁通るうちに、我々は悲劇にいくつ出逢ふか分らないんです。夫を考へると御互は實に幸福でさあ。夫婦になつてるのが惡らしいつて、石で頭を破られる恐れは、まあ無いですからね。しかも双方ともに二十年も三十年も安全なら、全く御目出たいに違ありませんよ。だから一切位肖つて置く必要もあるでせう」と云つて、主人はわざと箸で金玉糖を挾んで、宗助の前に出した。宗助は苦笑しながら、それを受けた。  こんな冗談交りの話を、主人はいくらでも續けるので、宗助は已むを得ず或る邊までは釣られて行つた。けれども腹の中は決して主人の樣に太平樂には行かなかつた。辭して表へ出て、又月のない空を眺めた時は、其深く黒い色の下に、何とも知れない一種の悲哀と物凄さを感じた。  彼は坂井の家に、たゞ苟くも免かれんとする料簡で行つた。さうして、其目的を達するために、耻と不愉快を忍んで、好意と眞率の氣に充ちた主人に對して、政略的に談話を驅つた。しかも知らうと思ふ事は悉く知る事が出來なかつた。己れの弱點に付いては、一言も彼の前に自白するの勇氣も必要も認めなかつた。  彼の頭を掠めんとした雨雲は、辛うじて、頭に觸れずに過ぎたらしかつた。けれども、是に似た不安は是から先何度でも、色々な程度に於て、繰り返さなければ濟まない樣な虫の知らせが何處かにあつた。それを繰り返させるのは天の事であつた。それを逃げて回るのは宗助の事であつた。 二十三  月が變つてから寒さが大分緩んだ。官吏の増俸問題につれて必然起るべく、多數の噂に上つた局員課員の淘汰も、月末迄に略片付いた。其間ぽつり/\と首を斬られる知人や未知人の名前を絶えず耳にした宗助は、時々家へ歸つて御米に、 「今度は己の番かも知れない」と云ふ事があつた。御米はそれを冗談とも聞き、又本氣とも聞いた。稀には隱れた未來を故意に呼び出す不吉な言葉とも解釋した。それを口にする宗助の胸の中にも、御米と同じ樣な雲が去來した。  月が改つて、役所の動搖も是で一段落だと沙汰せられた時、宗助は生き殘つた自分の運命を顧りみて、當然の樣にも思つた。又偶然の樣にも思つた。立ちながら、御米を見下して、 「まあ助かつた」と六づかし氣に云つた。其嬉しくも悲しくもない樣子が、御米には天から落ちた滑稽に見えた。  又二三日して宗助の月給が五圓昇つた。 「原則通り二割五分増さないでも仕方があるまい。休められた人も、元給の儘でゐる人も澤山あるんだから」と云つた宗助は、此五圓に自己以上の價値をもたらし歸つた如く滿足の色を見せた。御米は無論の事心のうちに不足を訴へるべき餘地を見出さなかつた。  翌日の晩宗助はわが膳の上に頭つきの魚の、尾を皿の外に躍らす態を眺めた。小豆の色に染まつた飯の香を嗅いだ。御米はわざ/\清を遣つて、坂井の家に引き移つた小六を招いた。小六は、 「やあ御馳走だなあ」と云つて勝手から入つて來た。  梅がちらほらと眼に入る樣になつた。早いのは既に色を失なつて散りかけた。雨は烟る樣に降り始めた。それが霽れて、日に蒸されるとき、地面からも、屋根からも、春の記憶を新にすべき濕氣がむら/\と立ち上つた。脊戸に干した雨傘に、小犬がじやれ掛ゝつて、蛇の目の色がきら/\する所に陽炎が燃える如く長閑に思はれる日もあつた。 「漸く冬が過ぎた樣ね。貴方今度の土曜に佐伯の叔母さんの處へ回つて、小六さんの事を極めて入らつしやいよ。あんまり何時迄も放つて置くと又安さんが忘れて仕舞ふから」と御米が催促した。宗助は、 「うん、思ひ切つて行つて來よう」と答へた。小六は坂井の好意で、其所の書生に住み込んだ。其上に宗助と安之助が、不足の所を分擔する事が出來たらと小六に云つて聞かしたのは、宗助自身であつた。小六は兄の運動を待たずに、すぐ安之助に直談判をした。さうして、形式的に宗助の方から依頼すればすぐ安之助が引き受ける迄に自分で埒を明けたのである。  小康は斯くして事を好まない夫婦の上に落ちた。ある日曜の午宗助は久し振りに、四日目の垢を流すため横町の洗湯に行つたら、五十許の頭を剃つた男と、三十代の商人らしい男が、漸く春らしくなつたと云つて、時候の挨拶を取り換はしてゐた。若い方が、今朝始めて鶯の鳴聲を聞いたと話すと、坊さんの方が、私は二三日前にも一度聞いた事があると答へてゐた。 「まだ鳴きはじめだから下手だね」 「えゝ、まだ充分に舌が回りません」  宗助は家へ歸つて御米に此鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、 「本當に有難いわね。漸くの事春になつて」と云つて、晴れ/″\しい眉を張つた。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、然し又ぢき冬になるよ」と答へて、下を向いたまゝ鋏を動かしてゐた。 底本:「漱石全集 第四卷 三四郎 それから 門」岩波書店    1966(昭和41)年3月25日発行    1975(昭和50)年3月10日第2刷発行 初出:「朝日新聞」    1910(明治43)年3月1日~6月12日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「成効」と「成效」、「漸やく」「漸く」、「僞物」と「贋物」の混在は、底本通りです。 ※底本巻末の注解は省略しました。 入力:阿部哲也 校正:染川隆俊 2018年12月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 鬼哭寺の一夜 鬼哭寺の一夜 夏目漱石  百里に迷ふ旅心、  古りし伽藍に夜を明かす。  甍漏る音の雨さびて  憂きわれのみに世死したり。  風なく搖らぐ法幢の、  暗き方へと靡くとき、  佛も寒く御座すらん。  黄金と光る蛛の眼の、  闇を縫ふべき計、  銀糸に引く見れば  冥府の色より物凄し。  折しもあれや枕邊に、  物の寄り來る氣合して、  圓かならざる夢冴えつ、  夜半の燈に鬼氣青し、  吾を呼ぶなる心地して、  石を抱くと思ふ間に、  佛眼颯と血走れり。  立つは女か有耶無耶の  白きを透かす輕羅に  空しく眉の緑りなる  佛と見しは女にて、  女と見しは物の化か  細き咽喉に呪ひけん  世を隔てたる聲立てゝ  われに語るは歌か詩か 『昔し思へば珠となる  睫の露に君の影  寫ると見れば碎けたり  人つれなくて月を戀ひ  月かなしくて吾願  果敢なくなりぬ二十年  ある夜私かに念ずれば  天に迷へる星落ちて  闇をつらぬく光り疾く  古井の底に響あり  陽炎燃ゆる黒髮の  長き亂れの化しもせば  土に蘭麝の香もあらん  露乾て菫枯れしより  愛、紫に溶けがたく  恨、碧りと凝るを見よ  未了の縁に纏はれば  生死に渡る誓だに  塚も動けと泣くを聽け』   …………………  塚も動けと泣く聲に  塚も動きて秋の風  夜すがら吹いて曉の  茫々として明にけり  宵見し夢の迹見れば  草茫々と明にけり ――明治三十七年頃―― 底本:「漱石全集 第十二卷 初期の文章及詩歌俳句」岩波書店    1967(昭和42)年3月30日発行 ※底本巻末の編者による注解は省略しました。 入力:フクポー 校正:きゅうり 2017年11月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 從軍行 從軍行 夏目漱石 一 吾に讎あり、艨艟吼ゆる、       讎はゆるすな、男兒の意氣。 吾に讎あり、貔貅群がる、       讎は逃すな、勇士の膽。 色は濃き血か、扶桑の旗は、       讎を照さず、殺氣こめて。 二 天子の命ぞ、吾讎撃つは、       臣子の分ぞ、遠く赴く。 百里を行けど、敢て歸らず、       千里二千里、勝つことを期す。 粲たる七斗は、御空のあなた、       傲る吾讎、北方にあり。 三 天に誓へば、岩をも透す、       聞くや三尺、鞘走る音。 寒光熱して、吹くは碧血、       骨を掠めて、戞として鳴る。 折れぬ此太刀、讎を斬る太刀、       のり飮む太刀か、血に渇く太刀。 四 空を拍つ浪、浪消す烟、       腥さき世に、あるは幻影。 さと閃めくは、罪の稻妻、       暗く搖くは、呪ひの信旗。 深し死の影、我を包みて、       寒し血の雨、我に濺ぐ。 五 殷たる砲聲、神代に響きて、       萬古の雪を、今捲き落す。 鬼とも見えて、焔吐くべく、       劍に倚りて、眥裂けば、 胡山のふゞき、黒き方より、       銕騎十萬、※[#「くさかんむり/奔」、U+83BE、470-14]として來る。 六 見よ兵等、われの心は、       猛き心ぞ、蹄を薙ぎて。 聞けや殿原、これの命は、       棄てぬ命ぞ、彈丸を潛りて。 天上天下、敵あらばあれ、       敵ある方に、向ふ武士。 七 戰やまん、吾武揚らん、       傲る吾讎、茲に亡びん。 東海日出で、高く昇らん、       天下明か、春風吹かん。 瑞穗の國に、瑞穗の國を、       守る神あり、八百萬神。 ――明治三十七年五月十日『帝國文學』―― 底本:「漱石全集 第十二卷 初期の文章及詩歌俳句」岩波書店    1967(昭和42)年3月30日発行 初出:「帝国文学」    1904(明治37)年5月10日 入力:フクポー 校正:きゅうり 2019年12月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「くさかんむり/奔」、U+83BE    470-14    --> ●図書カード 夏目漱石 水底の感 水底の感 夏目漱石 水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、永く住まん、君と我。 黒髮の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。 うれし水底。清き吾等に、譏り遠く憂透らず。有耶無耶の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。 ――明治三十七年二月八日寺田寅彦宛の端書に―― 底本:「漱石全集 第十二卷 初期の文章及詩歌俳句」岩波書店    1967(昭和42)年3月30日発行 ※底本巻末の編者による注解は省略しました。 入力:フクポー 校正:きゅうり 2019年11月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目金之助 三四郎 三四郎 夏目金之助 一の一  うと/\として眼が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めてゐる。此爺さんは慥かに前の前の駅から乗つた田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、馳け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思つたら脊中に御灸の痕が一杯あつたので、三四郎の記憶に残つてゐる。爺さんが汗を拭いて、肌を入れて、女の隣りに腰を懸けた迄よく注意して見てゐた位である。  女とは京都からの相乗である。乗つた時から三四郎の眼に着いた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移つて、段京大坂へ近付いてくるうちに、女の色が次第に白くなるので何時の間にか故郷を遠退く様な憐れを感じてゐた。それで此女が車室に這入つて来た時は、何となく異性の味方を得た心持がした。此女の色は実際九州色であつた。  三輪田の御光さんと同じ色である。国を立つ間際迄は、御光さんは、うるさい女であつた。傍を離れるのが大いに難有かつた。けれども、斯うして見ると、御光さんの様なのも決して悪くはない。  唯顔立から云ふと、此女の方が余程上等である。口に締りがある。眼が判明してゐる。額が御光さんの様にだゞつ広くない。何となく好い心持に出来上つてゐる。それで三四郎は五分に一度位は眼を上げて女の方を見てゐた。時々は女と自分の眼が行き中る事もあつた。爺さんが女の隣りへ腰を掛けた時などは、尤も注意して、出来る丈長い間、女の様子を見てゐた。其時女はにこりと笑つて、さあ御掛けと云つて爺さんに席を譲つてゐた。夫からしばらくして、三四郎は眠くなつて寐て仕舞つたのである。  其寐てゐる間に女と爺さんは懇意になつて話を始めたものと見える。眼を開けた三四郎は黙つて二人の話を聞いて居た。女はこんな事を云ふ。――  小供の玩具は矢っ張り広島より京都の方が安くつて善いものがある。京都で一寸用があつて下りた序に、蛸薬師の傍で玩具を買つて来た。久し振で国へ帰つて小供に逢ふのは嬉しい。然し夫の仕送りが途切れて、仕方なしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉に居て長らく海軍の職工をしてゐたが戦争中は旅順の方に行つてゐた。戦争が済んでから一旦帰つて来た。間もなくあつちの方が金が儲かると云つて、又大連へ出稼ぎに行つた。始めのうちは音信もあり、月々のものも几帳面と送つて来たから好かつたが、此半歳許前から手紙も金も丸で来なくなつて仕舞つた。不実な性質ではないから、大丈夫だけれども、何時迄も遊んで食てゐる訳には行かないので、安否のわかる迄は仕方がないから、里へ帰つて待てゐる積だ。  爺さんは蛸薬師も知らず、玩具にも興味がないと見えて、始めのうちは只はい/\と返事丈してゐたが、旅順以後急に同情を催ふして、それは大いに気の毒だと云ひ出した。自分の子も戦争中兵隊にとられて、とう/\彼地で死んで仕舞つた。一体戦争は何の為にするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿気たものはない。世の好い時分に出稼ぎなどゝ云ふものはなかつた。みんな戦争の御蔭だ。何しろ信心が大切だ。生きて働らいてゐるに違ない。もう少し待つてゐれば屹度帰つて来る。――爺さんはこんな事を云つて、頻りに女を慰めて居た。やがて汽車が留つたら、では御大事にと、女に挨拶をして元気よく出て行つた。 一の二  爺さんに続いて下りたものが四人程あつたが、入れ易つて、乗つたのはたつた一人しかない。固から込み合つた客車でもなかつたのが、急に淋しくなつた。日の暮れた所為かも知れない。駅夫が屋根をどし/\踏んで、上から灯の点いた洋燈を挿し込んで行く。三四郎は思ひ出した様に前の停車場で買つた弁当を食ひ出した。  車が動き出して二分も立つたらうと思ふ頃例の女はすうと立つて三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行つた。此時女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入つた。三四郎は鮎の煮浸の頭を啣へた儘女の後姿を見送つてゐた。便所に行つたんだなと思ひながら頻りに食つてゐる。  女はやがて帰つて来た。今度は正面が見えた。三四郎の弁当はもう仕舞掛である。下を向いて一生懸命に箸を突込んで二口三口頬張つたが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい。もしやと思つて、ひよいと眼を挙げて見ると矢っ張り正面に立つてゐた。然し三四郎が眼を挙げると同時に女は動き出した。只三四郎の横を通つて、自分の座へ帰るべき所を、すぐと前へ来て、身体を横へ向けて、窓から首を出して、静かに外を眺め出した。風が強くあたつて、鬢がふわ/\する所が三四郎の眼に這入つた。此時三四郎は空になつた弁当の折を力一杯に窓から放り出した。女の窓と三四郎の窓は一軒置の隣であつた。風に逆つて抛げた折の蓋が白く舞ひ戻つた様に見えた時、三四郎は飛んだ事をしたのかと気が付いて、不途女の顔を見た。顔は生憎列車の外に出てゐた。けれども女は静かに首を引っ込めて更紗の手帛で額の所を丁寧に拭き始めた。三四郎は兎も角も謝まる方が安全だと考へた。 「御免なさい」と云つた。  女は「いゝえ」と答へた。まだ顔を拭いてゐる。三四郎は仕方なしに黙つて仕舞つた。女も黙つて仕舞つた。さうして又首を窓から出した。三四人の乗客は暗い洋燈の下で、みんな寐ぼけた顔をしてゐる。口を利いてゐるものは誰もない。汽車丈が凄じい音を立てゝ行く。三四郎は眼を眠つた。  しばらくすると「名古屋はもう直でせうか」と云ふ女の声がした。見ると何時の間にか向き直つて、及び腰になつて、顔を三四郎の傍迄持つて来てゐる。三四郎は驚ろいた。 「さうですね」と云つたが、始めて東京へ行くんだから一向要領を得ない。 「此分では後れますでせうか」 「後れるでせう」 「あんたも名古屋へ御下で……」 「はあ、下ります」  此汽車は名古屋留りであつた。会話は頗る平凡であつた。只女が三四郎の筋向ふに腰を掛けた許である。それで、しばらくの間は又汽車の音丈になつて仕舞ふ。  次の駅で汽車が留つた時、女は漸く三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内して呉れと云ひだした。一人では気味が悪いからと云つて、頻りに頼む。三四郎も尤もだと思つた。けれども、さう快よく引き受ける気にもならなかつた。何しろ知らない女なんだから、頗る躇したにはしたが、断然断わる勇気も出なかつたので、まあ好い加減な生返事をして居た。其うち汽車は名古屋へ着いた。 一の三  大きな行李は新橋迄預けてあるから心配はない。三四郎は手頃なズツクの革鞄と傘丈持つて改札場を出た。頭には高等学校の夏帽を被つてゐる。然し卒業したしるしに徽章丈はぎ取つて仕舞つた。昼間見ると其処丈色が新らしい。後から女が尾いて来る。三四郎は此帽子に対して少々極りが悪かつた。けれども尾いて来るのだから仕方がない。女の方では、此帽子を無論たゞの汚ない帽子と思つて居る。  九時半に着くべき汽車が四十分程後れたのだから、もう十時は過つてゐる。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口の様に賑やかだ。宿屋も眼の前に二三軒ある。たゞ三四郎にはちと立派過ぎる様に思はれた。そこで電気燈の点いてゐる三階作りの前を澄して通り越して、ぶら/\歩行いて行つた。無論不案内の土地だから何所へ出るか分らない。只暗い方へ行つた。女は何とも云はずに尾いて来る。すると比較的淋しい横町の角から二軒目に御宿と云ふ看板が見えた。之は三四郎にも女にも相応な汚ない看板であつた。三四郎は鳥渡振り返つて、一口女にどうですと相談したが、女は結構だと云ふんで、思ひ切つてずつと這入つた。上がり口で二人連ではないと断わる筈の所を、入らつしやい、――どうぞ御上り――御案内――梅の四番抔とのべつに喋舌られたので、已を得ず無言の儘二人共梅の四番へ通されて仕舞つた。  下女が茶を持つてくる間二人はぼんやり向ひ合つて坐つてゐた。下女が茶を持つて来て、御風呂をと云つた時は、もう此婦人は自分の連ではないと断わる丈の勇気が出なかつた。そこで手拭をぶら下げて、御先へと挨拶をして、風呂場へ出て行つた。風呂場は廊下の突き当りで便所の隣りにあつた。薄暗くつて、大分不潔の様である。三四郎は着物を脱いで、風呂桶の中へ飛び込んで、少し考へた。こいつは厄介だとぢやぶ/\遣つてゐると、廊下に足音がする。誰か便所へ這入つた様子である。やがて出て来た。手を洗ふ。それが済んだら、ぎいと風呂場の戸を半分開けた。例の女が入口から「ちいと流しませうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、 「いえ沢山です」と断わつた。然し女は出て行かない。却つて這入つて来た。さうして帯を解き出した。三四郎と一所に湯を使ふ気と見える。別に恥づかしい様子も見えない。三四郎は忽ち湯槽を飛び出した。そこそこに身体を拭いて座敷へ帰つて、坐蒲団の上に坐つて、少なからず驚ろいてゐると、下女が宿帳を持つて来た。  三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女の所へ行つて全く困つて仕舞つた。湯から出る迄待つて居れば好かつたと思つたが、仕方がない。下女がちやんと控えてゐる。已を得ず同県同郡同村同姓花二十三年と出鱈目を書いて渡した。さうして頻りに団扇を使つてゐた。  やがて女は帰つて来た。「どうも、失礼致しました」と云つてゐる。三四郎は「いゝや」と答へた。  三四郎は革鞄の中から帳面を取り出して日記をつけ出した。書く事も何にもない。女がゐなければ書く事が沢山ある様に思はれた。すると女は「一寸出て参ります」と云つて部屋を出て行つた。三四郎は益日記が書けなくなつた。何所へ行つたんだらうと考へ出した。 一の四  そこへ下女が床を延べに来る。広い蒲団を一枚しか持つて来ないから、床は二つ敷かなくては不可ないと云ふと、部屋が狭いとか、蚊帳が狭いとか云つて埒が明かない。面倒がる様にも見える。仕舞には只今番頭が一寸出ましたから、帰つたら聞いて持つて参りませうと云つて、頑固に一枚の蒲団を蚊帳一杯に敷いて出て行つた。  夫から、しばらくすると女が帰つて来た。どうも遅くなりましてと云ふ。蚊帳の影で何かしてゐるうちに、がらん/\といふ音がした。小供に見舞の玩具が鳴つたに違ない。女はやがて風呂敷包を元の通りに結んだと見える。蚊帳の向ふで「御先へ」と云ふ声がした。三四郎はたゞ「はあ」と答へた儘で、敷居に尻を乗せて、団扇を使つてゐた。いつそ此儘で夜を明かして仕舞ふかとも思つた。けれども蚊がぶん/\来る。外ではとても凌ぎ切れない。三四郎はついと立つて、革鞄の中から、キヤラコの襯衣と洋袴下を出して、それを素肌へ着けて、其上から紺の兵児帯を締めた。それから西洋手拭を二筋持つた儘蚊帳の中へ這入つた。女は蒲団の向ふの隅でまだ団扇を動かしてゐる。 「失礼ですが、私は疳性で他人の布団に寐るのが嫌だから……少し蚤除の工夫を遣るから御免なさい」  三四郎はこんな事を云つて、あらかじめ、敷いてある敷布の余つてゐる端を女の寐てゐる方へ向けてぐる/\捲き出した。さうして布団の真中に白い長い仕切りを拵らへた。女は向へ寐返りを打つた。三四郎は西洋手拭を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、其上に細長く寐た。其晩は三四郎の手も足も此幅の狭い西洋手拭の外には一寸も出なかつた。女とは一言も口を利かなかつた。女も壁を向いた儘凝として動かなかつた。  夜はやう/\明けた。顔を洗つて膳に向つた時、女はにこりと笑つて、「昨夜は蚤は出ませんでしたか」と聞いた。三四郎は「えゝ、難有う、御蔭さまで」と云ふ様な事を真面目に答へながら、下を向いて、御猪口の葡萄豆をしきりに突つつき出した。  勘定をして宿を出て、停車場へ着いた時、女は始めて、関西線で四日市の方へ行くのだと云ふ事を三四郎に話した。三四郎の汽車は間もなく来た。時間の都合で女は少し待ち合せる事となつた。改札場の際迄送つて来た女は、 「色々御厄介になりまして、……では御機嫌よう」と丁寧に御辞儀をした。三四郎は革鞄と傘を片手に持つた儘、空た手で例の古帽子を取つて、只一言、 「左様なら」と云つた。女は其顔を凝と眺めてゐたが、やがて落付いた調子で、 「あなたは余つ程度胸のない方ですね」と云つて、にやりと笑つた。三四郎はプラツト、フオームの上へ弾き出された様な心持がした。車の中へ這入つたら両方の耳が一層熱り出した。しばらくは凝つと小さくなつてゐた。やがて車掌の鳴らす口笛が長い列車の果から果迄響き渡つた。列車は動き出す。三四郎はそつと窓から首を出した。女はとくの昔に何処かへ行つて仕舞つた。大きな時計ばかりが眼に着いた。三四郎は又そつと自分の席に返つた。乗合は大分居る。けれども三四郎の挙動に注意する様なものは一人もない。只筋向ふに坐つた男が、自分の席に返る三四郎を一寸見た。 一の五  三四郎は此男に見られた時、何となく極りが悪かつた。本でも読んで気を紛らかさうと思つて、革鞄を開けて見ると、昨夜の西洋手拭が、上の所にぎつしり詰つてゐる。そいつを傍へ掻き寄せて、底の方から、手に障つた奴を何でも構はず引き出すと、読んでも解らないベーコンの論文集が出た。ベーコンには気の毒な位薄つぺらな粗末な仮綴である。元来汽車の中で読む了見もないものを、大きな行李に入れ損なつたから、片付ける序に提革鞄の底へ、外の二三冊と一所に放り込んで置いたのが、運悪く当選したのである。三四郎はベーコンの二十三頁を開いた。他の本でも読めさうにはない。ましてベーコン抔は無論読む気にならない。けれども三四郎は恭しく二十三頁を開いて、万遍なく頁全体を見廻してゐた。三四郎は二十三頁の前で一応昨夜の御浚をする気である。  元来あの女は何だらう。あんな女が世の中に居るものだらうか。女と云ふものは、ああ落付いて平気でゐられるものだらうか。無教育なのだらうか、大胆なのだらうか。それとも無邪気なのだらうか。要するに行ける所迄行つて見なかつたから、見当が付かない。思ひ切つてもう少し行つて見ると可かつた。けれども恐ろしい。別れ際にあなたは度胸のない方だと云はれた時には、喫驚した。二十三年の弱点が一度に露見した様な心持であつた。親でもあゝ旨く言ひ中てるものではない。……  三四郎は此所迄来て、更に悄然て仕舞つた。何所の馬の骨だか分らないものに、頭の上がらない位打された様な気がした。ベーコンの二十三頁に対しても甚だ申訳がない位に感じた。  どうも、あゝ狼狽しちや駄目だ。学問も大学生もあつたものぢやない。甚だ人格に関係してくる。もう少しは仕様があつたらう。けれども相手が何時でもあゝ出るとすると、教育を受けた自分には、あれより外に受け様がないとも思はれる。すると無暗に女に近付いてはならないと云ふ訳になる。何だか意気地がない。非常に窮屈だ。丸で不具にでも生れた様なものである。けれども……  三四郎は急に気を易へて、別の世界の事を思ひ出した。――是から東京に行く。大学に這入る。有名な学者に接触する。趣味品性の具つた学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間が喝采する。母が嬉しがる。と云ふ様な未来をだらしなく考へて、大いに元気を回復して見ると、別に二十三頁の中に顔を埋めてゐる必要がなくなつた。そこでひよいと頭を上げた。すると筋向ふにゐたさつきの男がまた三四郎の方を見てゐた。今度は三四郎の方でも此男を見返した。  髭を濃く生やしてゐる。面長の瘠ぎすの、どことなく神主じみた男であつた。たゞ鼻筋が真直に通つてゐる所丈が西洋らしい。学校教育を受けつゝある三四郎は、こんな男を見ると屹度教師にして仕舞ふ。男は白地の絣の下に、丁重に白い繻絆を重ねて、紺足袋を穿いてゐた。此服装から推して、三四郎は先方を中学校の教師と鑑定した。大きな未来を控へてゐる自分から見ると、何だか下らなく感ぜられる。男はもう四十だらう。是より先もう発展しさうにもない。 一の六  男はしきりに烟草をふかしてゐる。長い烟りを鼻の穴から吹き出して、腕組をした所は大変悠長に見える。さうかと思ふと無暗に便所か何かに立つ。立つ時にうんと伸をする事がある。さも退屈さうである。隣に乗り合せた人が、新聞の読み殻を傍に置くのに借りて看る気も出さない。三四郎は自から妙になつて、ベーコンの論文集を伏せて仕舞つた。外の小説でも出して、本気に読んで見様とも考へたが面倒だから、已めにした。それよりは前にゐる人の新聞を借りたくなつた。生憎前の人はぐう/\寐てゐる。三四郎は手を延ばして新聞に手を掛けながら、わざと「御明きですか」と髭のある男に聞いた。男は平気な顔で「明いてるでせう。御読みなさい」と云つた。新聞を手に取つた三四郎の方は却つて平気でなかつた。  開けて見ると新聞には別に見る程の事も載つてゐない。一二分で通読して仕舞つた。律義に畳んで元の場所へ返しながら、一寸会釈すると、向でも軽く挨拶をして、 「君は高等学校の生徒ですか」と聞いた。  三四郎は、被つてゐる古帽子の徽章の痕が、此男の眼に映つたのを嬉しく感じた。 「えゝ」と答へた。 「東京の?」と聞き返した時、始めて、 「いえ、熊本です。……然し……」と云つたなり黙つて仕舞つた。大学生だと云ひたかつたけれども、云ふ程の必要がないからと思つて遠慮した。相手も「はあ、さう」と云つたなり烟草を吹かしてゐる。何故熊本の生徒が今頃東京へ行くんだとも何とも聞いて呉れない。熊本の生徒には興味がないらしい。此時三四郎の前に寐てゐた男が「うん、成程」と云つた。それでゐて慥かに寐てゐる。独言でも何でもない。髭のある人は三四郎を見てにや/\と笑つた。三四郎はそれを機会に、 「あなたは何方へ」と聞いた。 「東京」とゆつくり云つた限である。何だか中学校の先生らしく無くなつて来た。けれども三等へ乗つてゐる位だから大したものでない事は明らかである。三四郎はそれで談話を切り上げた。髭のある男は腕組をした儘、時々下駄の前歯で、拍子を取つて、床を鳴らしたりしてゐる。余程退屈に見える。然し此男の退屈は話したがらない退屈である。  汽車が豊橋へ着いた時、寐てゐた男がむつくり起きて眼を擦りながら下りて行つた。よくあんなに都合よく眼を覚ます事が出来るものだと思つた。ことによると寐ぼけて停車場を間違へたんだらうと気遣ひながら、窓から眺めてゐると、決してさうでない。無事に改札場を通過して、正気の人間の様に出て行つた。三四郎は安心して席を向ふ側へ移した。是で髭のある人と隣り合せになつた。髭のある人は入れ換つて、窓から首を出して、水蜜桃を買つてゐる。  やがて二人の間に果物を置いて、 「食べませんか」と云つた。  三四郎は礼を云つて、一つ食べた。髭のある人は好きと見えて、無暗に食べた。三四郎にもつと食べろと云ふ。三四郎は又一つ食べた。二人が水蜜桃を食べてゐるうちに大分親密になつて色々な話を始めた。 一の七  其男の説によると、桃は果物のうちで一番仙人めいてゐる。何だか馬鹿見た様な味がする。第一核子の恰好が無器用だ。且つ穴だらけで大変面白く出来上つてゐると云ふ。三四郎は始めて聞く説だが、随分詰らない事を云ふ人だと思つた。  次に其男がこんな事を云ひ出した。子規は果物が大変好きだつた。且ついくらでも食へる男だつた。ある時大きな樽柿を十六食つた事がある。それで何ともなかつた。自分抔は到底子規の真似は出来ない。――三四郎は笑つて聞いてゐた。けれども子規の話丈には興味がある様な気がした。もう少し子規の事でも話さうかと思つてゐると、 「どうも好なものには自然と手が出るものでね。仕方がない。豚抔は手が出ない代りに鼻が出る。豚をね、縛つて動けない様にして置いて、其鼻の先へ、御馳走を並べて置くと、動けないものだから、鼻の先が段延びて来るさうだ。御馳走に届く迄は延びるさうです。どうも一念程恐ろしいものはない」と云つて、にやにや笑つてゐる。真面目だか冗談だか、判然と区別しにくい様な話し方である。 「まあ御互に豚でなくつて仕合せだ。さう欲しいものゝ方へ無暗に鼻が延びて行つたら、今頃は汽車にも乗れない位長くなつて困るに違ない」  三四郎は吹き出した。けれども相手は存外静かである。 「実際危険い。レオナルド、ダ、ンチと云ふ人は桃の幹に砒石を注射してね、其実へも毒が回るものだらうか、どうだらうかと云ふ試験をした事がある。所が其桃を食つて死んだ人がある。危険い。気を付けないと危険い」と云ひながら、散食ひ散らした水蜜桃の核子やら皮やらを、一纏めに新聞に包んで、窓の外へ抛げ出した。  今度は三四郎も笑ふ気が起らなかつた。レオナルド、ダ、ンチと云ふ名を聞いて少しく辟易した上に、何だか昨夕の女の事を考へ出して、妙に不愉快になつたから、謹しんで黙つて仕舞つた。けれども相手はそんな事に一向気が付かないらしい。やがて、 「東京は何所へ」と聞き出した。 「実は始めてで様子が善く分らんのですが……差し当り国の寄宿舎へでも行かうかと思つてゐます」と云ふ。 「ぢや熊本はもう……」 「今度卒業したのです」 「はあ、そりや」と云つたが御目出たいとも結構だとも付けなかつた。たゞ「すると是から大学へ這入るのですね」と如何にも平凡であるかの如くに聞いた。  三四郎は聊か物足りなかつた。其代り、 「えゝ」と云ふ二字で挨拶を片付た。 「科は?」と又聞かれる。 「一部です」 「法科ですか」 「いゝえ文科です」 「はあ、そりや」と又云つた。三四郎は此はあそりやを聞くたびに妙になる。向ふが大いに偉いか、大いに人を踏み倒してゐるか、さうでなければ大学に全く縁故も同情もない男に違ない。然しそのうちの何方だか見当が付かないので此男に対する態度も極めて不明瞭であつた。 一の八  浜松で二人とも申し合せた様に弁当を食つた。食つて仕舞つても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四五人列車の前を往つたり来たりしてゐる。其うちの一組は夫婦と見えて、暑いのに手を組み合せてゐる。女は上下とも真白な着物で、大変美くしい。三四郎は生れてから今日に至るまで西洋人と云ふものを五六人しか見た事がない。其うちの二人は熊本の高等学校の教師で、其二人のうちの一人は運悪く脊虫であつた。女では宣教師を一人知つてゐる。随分尖がつた顔で、鱚又はに類してゐた。だから、かう云ふ派出な奇麗な西洋人は珍らしい許りではない。頗る上等に見える。三四郎は一生懸命に見惚れてゐた。是では威張るのも尤もだと思つた。自分が西洋へ行つて、こんな人の中に這入つたら定めし肩身の狭い事だらうと迄考へた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いて見たが些とも分らない。熊本の教師とは丸で発音が違ふ様だ。  所へ例の男が首を後ろから出して、 「まだ出さうもないですかね」と言ひながら、今行き過ぎた、西洋の夫婦を一寸見て、 「あゝ美くしい」と小声に云つて、すぐに生欠伸をした。三四郎は自分が如何にも田舎ものらしいのに気が着いて、早速首を引き込めて、着坐した。男もつゞいて席に返つた。さうして、 「どうも西洋人は美くしいですね」と云つた。  三四郎は別段の答も出ないので只はあと受けて笑つてゐた。すると髭の男は、 「御互は憐れだなあ」と云ひ出した。「こんな顔をして、こんなに弱つてゐては、いくら日露戦争に勝つて、一等国になつても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いづれも顔相応の所だが、――あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでせう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。所が其富士山は天然自然に昔からあつたものなんだから仕方がない。我々が拵へたものぢやない」と云つて又にや/\笑つてゐる。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢ふとは思ひも寄らなかつた。どうも日本人ぢやない様な気がする。 「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、 「亡びるね」と云つた。熊本でこんな事を口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にも斯う云ふ思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。だから、ことによると自分の年齢の若いのに乗じて、他を愚弄するのではなからうかとも考へた。男は例の如くにや/\笑つてゐる。其癖言葉つきはどこ迄も落付いてゐる。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙つて仕舞つた。すると男が、かう云つた。 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切つたが、三四郎の顔を見ると耳を傾けてゐる。 「日本より頭の中の方が広いでせう」と云つた。「囚はれちや駄目だ。いくら日本の為めを思つたつて贔負の引き倒しになる許りだ」  此言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持ちがした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であつたと悟つた。  其晩三四郎は東京に着いた。髭の男は分れる時迄名前を明かさなかつた。三四郎は東京へ着きさへすれば、此位の男は到る所に居るものと信じて、別に姓名を尋ね様ともしなかつた。 二の一  三四郎が東京で驚ろいたものは沢山ある。第一電車のちん/\鳴るので驚ろいた。それから其ちん/\鳴る間に、非常に多くの人間が乗つたり降りたりするので驚ろいた。次に丸のうちで驚ろいた。尤も驚ろいたのは、何処迄行つても東京が無くならないと云ふ事であつた。しかも何処をどう歩るいても、材木が放り出してある、石が積んである、新らしい家が往来から二三間引っ込んでゐる、古い蔵が半分取り崩されて心細く前の方に残つてゐる。凡ての物が破壊されつゝある様に見える。さうして凡ての物が又同時に建設されつつある様に見える。大変な動き方である。  三四郎は全く驚ろいた。要するに普通の田舎者が始めて都の真中に立つて驚ろくと同じ程度に、又同じ性質に於て大いに驚ろいて仕舞つた。今迄の学問は此驚ろきを預防する上に於て、売薬程の効能もなかつた。三四郎の自信は此驚ろきと共に四割方減却した。不愉快でたまらない。  此劇烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日迄の生活は現実世界に毫も接触してゐない事になる。洞※[#濁点付き小書き平仮名か、293-12]峠で昼寐をしたと同然である。それでは今日限り昼寐をやめて、活動の割前が払へるかと云ふと、それは困難である。自分は今活動の中心に立つてゐる。けれども自分はたゞ自分の左右前後に起る活動を見なければならない地位に置き易へられたと云ふ迄で、学生としての生活は以前と変る訳はない。世界はかやうに動揺する。自分は此動揺を見てゐる。けれどもそれに加はる事は出来ない。自分の世界と、現実の世界は一つ平面に並んで居りながら、どこも接触してゐない。さうして現実の世界は、かやうに動揺して、自分を置き去りにして行つて仕舞ふ。甚だ不安である。  三四郎は東京の真中に立つて電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、かう感じた。けれども学生々活の裏面に横はる思想界の活動には毫も気が付かなかつた。――明治の思想は西洋の歴史にあらはれた三百年の活動を四十年で繰り返してゐる。  三四郎が動く東京の真中に閉ぢ込められて、一人で鬱ぎ込んでゐるうちに、国元の母から手紙が来た。東京で受取つた最初のものである。見ると色々書いてある。まづ今年は豊作で目出度と云ふ所から始まつて、身体を大事にしなくつては不可ないと云ふ注意があつて、東京のものはみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届く様にするから安心しろとあつて、勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出てゐるさうだから、尋ねて行つて、万事よろしく頼むがいゝで結んである。肝心の名前を忘れたと見えて、欄外と云ふ様な所に野々宮宗八どのとかいてあつた。此欄外には其外二三件ある。作の青馬が急病で死んだんで、作は大弱りでゐる。三輪田の御光さんが鮎をくれたけれども東京へ送ると途中で腐つて仕舞ふから、家内で食べて仕舞つた。等である。  三四郎は此手紙を見て、何だか古ぼけた昔から届いた様な気がした。母には済まないが、こんなものを読んでゐる暇はないと迄考へた。それにも拘はらず繰り返して二返読んだ。要するに自分がもし現実世界と接触してゐるならば、今の所母より外にないのだらう。其母は古い人で古い田舎に居る。其外には汽車の中で乗り合はした女がゐる。あれは現実世界の稲妻である。接触したと云ふには、あまりに短かくつて且あまりに鋭過ぎた。――三四郎は母の云ひ付通り野々宮宗八を尋ねる事にした。 二の二  あくる日は平生よりも暑い日であつた。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君は居るまいと思つたが、母が宿所を知らせて来ないから、聞き合せ旁行つて見様と云ふ気になつて、午後四時頃、高等学校の横を通つて弥生町の門から這入つた。往来は埃が二寸も積つてゐて、其上に下駄の歯や、靴の底や、草鞋の裏が奇麗に出来上つてる。車の輪と自転車の痕は幾筋だか分らない。むつとする程堪らない路だつたが、構内へ這入ると流石に樹の多い丈に気分が晴した。取っ付の戸をあたつて見たら錠が下りてゐる。裏へ廻つても駄目であつた。仕舞に横へ出た。念の為めと思つて推して見たら、旨い具合に開いた。廊下の四っ角に小使が一人居眠りをしてゐた。来意を通じると、しばらくの間は、正気を回復する為めに、上野の森を眺めてゐたが、突然「御出かも知れません」と云つて奥へ這入つて行つた。頗る閑静である。やがて又出て来た。「御出でやす。御這入んなさい」と友達見た様に云ふ。小使に食つ付いて行くと四っ角を曲がつて和土の廊下を下へ居りた。世界が急に暗くなる。炎天で眼が眩んだ時の様であつたが少時すると瞳が漸く落ち付いて、四辺が見える様になつた。穴倉だから比較的涼しい。左の方に戸があつて、其戸が明け放してある。其所から顔が出た。額の広い眼の大きな仏教に縁のある相である。縮の襯衣の上へ脊広を着てゐるが、脊広は所々に染がある。脊は頗る高い。瘠せてゐる所が暑さに釣り合つてゐる。頭と脊中を一直線に前の方へ延ばして、御辞儀をした。 「此方へ」と云つた儘、顔を室の中へ入れて仕舞つた。三四郎は戸の前迄来て室の中を覗いた。すると野々宮君はもう椅子へ腰を掛けてゐる。もう一遍「此方へ」と云つた。此方へと云ふ所に台がある。四角な棒を四本立てて、其上を板で張つたものである。三四郎は台の上へ腰を掛けて初対面の挨拶をする。それから何分宜敷願ひますと云つた。野々宮君は只はあ、はあと云つて聞いてゐる。其様子が幾分か汽車の中で水蜜桃を食つた男に似てゐる。一通り口上を述べた三四郎はもう何も云ふ事がなくなつて仕舞つた。野々宮君もはあ、はあ云はなくなつた。  部屋の中を見廻すと真中に大きな長い樫の机が置いてある。其上には何だか込み入つた、太い針線だらけの器械が乗つかつて、其傍に大きな硝子の鉢に水が入れてある。其外にやすりと小刀と襟飾が一つ落ちてゐる。最後に向の隅を見ると、三尺位の花崗石の台の上に、福神漬の缶程な込み入つた器械が乗せてある。三四郎は此缶の横腹に開いてゐる二つの穴に眼をつけた。穴が蟒蛇の眼玉の様に光つてゐる。野々宮君は笑ひながら光るでせうと云つた。さうして、斯う云ふ説明をして呉れた。 「昼間のうちに、あんな準備をして置いて、夜になつて、交通其他の活動が鈍くなる頃に、此静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの眼玉の様なものを覗くのです。さうして光線の圧力を試験する。此年の正月頃から取り掛つたが、装置が中々面倒なのでまだ思ふ様な結果が出て来ません。夏は比較的堪へ易いが、寒夜になると、大変凌ぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくて遣り切れない。……」  三四郎は大いに驚ろいた。驚ろくと共に光線にどんな圧力があつて、其圧力がどんな役に立つんだか、全く要領を得るに苦しんだ。 二の三  其時野々宮君は三四郎に、「覗いて御覧なさい」と勧めた。三四郎は面白半分、石の台の二三間手前にある望遠鏡の傍へ行つて、右の眼をあてがつたが、何にも見えない。野々宮君は「どうです、見えますか」と聞く。「一向見えません」と答へると、「うんまだ蓋が取らずにあつた」と云ひながら、椅子を立つて望遠鏡の先に被せてあるものを除けて呉れた。  見ると、ただ輪廓のぼんやりした明るいなかに、物差の度盛がある。下に2の字が出た。野々宮君がまた「どうです」と聞いた。「2の字が見えます」と云ふと、「今に動きます」と云ひながら向へ廻つて何かしてゐる様であつた。  やがて度盛が明るい中で動き出した。2が消えた。あとから3が出る。其あとから4が出る。5が出る。とう/\10迄出た。すると度盛がまた逆に動き出した。10が消え、9が消え、8から7、7から6と順々に1迄来て留つた。野々宮君は又「どうです」と云ふ。三四郎は驚ろいて、望遠鏡から眼を放して仕舞つた。度盛の意味を聞く気にもならない。  丁寧に礼を述べて穴倉を上がつて、人の通る所へ出て見ると世の中はまだかん/\してゐる。暑いけれども深い呼息をした。西の方へ傾いた日が斜めに広い坂を照らして、坂上の両側にある工科の建築の硝子窓が燃える様に輝やいてゐる。空は深く澄んで、澄んだなかに、西の果から焼ける火の焔が、薄赤く吹き返して来て、三四郎の頭の上迄熱つてゐる様に思はれた。横に照り付ける日を半分脊中に受けて、三四郎は左りの森の中へ這入つた。其森も同じ夕日を半分脊中に受けて入る。黒ずんだ蒼い葉と葉の間は染めた様に赤い。太い欅の幹で日暮しが鳴いてゐる。三四郎は池の傍へ来てしやがんだ。  非常に静かである。電車の音もしない。赤門の前を通る筈の電車は、大学の抗議で小石川を回る事になつたと国にゐる時分新聞で見た事がある。三四郎は池の端にしやがみながら、不図此事件を思ひ出した。電車さへ通さないと云ふ大学は余程社会と離れてゐる。  たま/\其中に這入つて見ると、穴倉の下で半年余りも光線の圧力の試験をしてゐる野々宮君の様な人もゐる。野々宮君は頗る質素な服装をして、外で逢へば電燈会社の技手位な格である。それで穴倉の底を根拠地として欣然とたゆまずに研究を専念に遣つてゐるから偉い。然し望遠鏡のなかの度盛がいくら動いたつて現実世界と交渉のないのは明らかである。野々宮君は生涯現実世界と接触する気がないのかも知れない。要するに此静かな空気を呼吸するから、自からあゝ云ふ気分にもなれるのだらう。自分もいつその事気を散らさずに、活きた世の中と関係のない生涯を送つて見様かしらん。  三四郎が凝として池の面を見詰めてゐると、大きな木が、幾本となく水の底に映つて、其又底に青い空が見える。三四郎は此時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠く且つ遥かな心持がした。然ししばらくすると、其心持のうちに薄雲の様な淋しさが一面に広がつて来た。さうして、野々宮君の穴倉に這入つて、たつた一人で坐つて居るかと思はれる程な寂寞を覚えた。熊本の高等学校に居る時分も是より静かな龍田山に上つたり、月見草ばかり生えてゐる運動場に寐たりして、全く世の中を忘れた気になつた事は幾度となくある。けれども此孤独の感じは今始めて起つた。  活動の劇しい東京を見たためだらうか。或は――三四郎は赤くなつた。汽車で乗り合はした女の事を思ひ出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界は危なくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰つて、母に手紙を書いてやらうと思つた。 二の四  不図眼を上げると、左手の岡の上に女が二人立つてゐる。女のすぐ下が池で、池の向ふ側が高い崖の木立で、其後ろが派出な赤錬瓦のゴシツク風の建築である。さうして落ちかゝつた日が、凡ての向ふから横に光を透してくる。女は此夕日に向いて立つてゐた。三四郎のしやがんでゐる低い陰から見ると岡の上は大変明るい。女の一人はまぼしいと見えて、団扇を額の所に翳してゐる。顔はよく分らない。けれども着物の色、帯の色は鮮かに分つた。白い足袋の色も眼についた。鼻緒の色はとにかく草履を穿いてゐる事も分つた。もう一人は真白である。是は団扇も何も持つて居ない。只額に少し皺を寄せて、対岸から生ひ被さりさうに、高く池の面に枝を伸した古木の奥を眺めてゐた。団扇を持つた女は少し前へ出てゐる。白い方は一歩土堤の縁から退がつてゐる。三四郎が見ると、二人の姿が筋違に見える。  此時三四郎の受けた感じは只奇麗な色彩だと云ふ事であつた。けれども田舎者だから、此色彩がどういふ風に奇麗なのだか、口にも云へず、筆にも書けない。たゞ白い方が看護婦だと思つた許りである。  三四郎は又見惚れてゐた。すると白い方が動き出した。用事のある様な動き方ではなかつた。自分の足が何時の間にか動いたといふ風であつた。見ると団扇を持つた女も何時の間にか又動いてゐる。二人は申し合せた様に用のない歩き方をして、坂を下りて来る。三四郎は矢っ張り見てゐた。  坂の下に石橋がある。渡らなければ真直に理科大学の方へ出る。渡れば水際を伝つて此方へ来る。二人は石橋を渡つた。  団扇はもう翳して居ない。左りの手に白い小さな花を持つて、それを嗅ぎながら来る。嗅ぎながら、鼻の下に宛てがつた花を見ながら、歩くので、眼は伏せてゐる。それで三四郎から一間許の所へ来てひよいと留つた。 「是は何でせう」と云つて、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目の洩らない程厚い葉を茂らして、丸い形に、水際迄張り出してゐた。 「是は椎」と看護婦が云つた。丸で子供に物を教へる様であつた。 「さう。実は生つてゐないの」と云ひながら、仰向いた顔を元へ戻す、其拍子に三四郎を一目見た。三四郎は慥かに女の黒眼の動く刹那を意識した。其時色彩の感じは悉く消えて、何とも云へぬ或物に出逢つた。其或物は汽車の女に「あなたは度胸のない方ですね」と云はれた時の感じと何所か似通つてゐる。三四郎は恐ろしくなつた。  二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若い方が今迄嗅いで居た白い花を三四郎の前へ落して行つた。三四郎は二人の後姿を凝と見詰めて居た。看護婦は先へ行く。若い方が後から行く。華やかな色の中に、白い薄を染め抜いた帯が見える。頭にも真白な薔薇を一つ挿してゐる。其薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪の中で際立つて光つてゐた。  三四郎は茫然してゐた。やがて、小さな声で「矛盾だ」と云つた。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの眼付が矛盾なのだか、あの女を見て、汽車の女を思ひ出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二途に矛盾してゐるのか、又は非常に嬉しいものに対して恐を抱く所が矛盾してゐるのか、――この田舎出の青年には、凡て解らなかつた。たゞ何だか矛盾であつた。  三四郎は女の落して行つた花を拾つた。さうして嗅いで見た。けれども別段の香もなかつた。三四郎は此花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いてゐる。すると突然向ふで自分の名を呼んだものがある。 二の五  三四郎は花から眼を放した。見ると野々宮君が石橋の向ふに長く立つてゐる。 「君まだ居たんですか」と云ふ。三四郎は答をする前に、立つてのそ/\歩いて行つた。石橋の上迄来て、 「えゝ」と云つた。何となく間が抜けてゐる。けれども野々宮君は、少しも驚ろかない。 「涼しいですか」と聞いた。三四郎は又 「えゝ」と云つた。  野々宮君は少時池の水を眺めてゐたが、右の手を隠袋へ入れて何か探し出した。隠袋から半分封筒が食み出してゐる。其上に書いてある字が女の手蹟らしい。野々宮君は思ふ物を探し宛てなかつたと見えて、元の通りの手を出してぶらりと下げた。さうして、かう云つた。 「今日は少し装置が狂つたので晩の実験は已めだ。是から本郷の方を散歩して帰らうと思ふが、君どうです一所にあるきませんか」  三四郎は快よく応じた。二人で坂を上がつて、岡の上へ出た。野々宮君はさつき女の立つてゐた辺で一寸留つて、向ふの青い木立の間から見える赤い建物と、崖の高い割に、水の落ちた池を一面に見渡して、 「一寸好い景色でせう。あの建築の角度の所丈が少し出てゐる。木の間から。ね。好いでせう。君気が付いてゐますか。あの建物は中々旨く出来てゐますよ。工科もよく出来てるが此方が旨いですね」  三四郎は野々宮君の鑑賞力に少々驚ろいた。実を云ふと自分には何方が好いか丸で分らないのである。そこで今度は三四郎の方が、はあ、はあと云ひ出した。 「それから、此木と水の感じがね。――大したものぢやないが、何しろ東京の真中にあるんだから――静かでせう。かう云ふ所でないと学問をやるには不可ませんね。近頃は東京があまり八釜間敷なり過ぎて困る。是が御殿」とあるき出しながら、左手の建物を指して見せる。「教授会を遣る所です。うむなに、僕なんか出ないで好いのです。僕は穴倉生活を遣つてゐれば済むのです。近頃の学問は非常な勢で動いてゐるので、少し油断すると、すぐ取り残されて仕舞ふ。人が見ると穴倉のなかで冗談をしてゐる様だが、是でも遣つてゐる当人の頭の中は劇烈に働いてゐるんですよ。電車より余っ程烈しく働らいてゐるかも知れない。だから夏でも旅行をするのが惜しくつてね」と言ひながら仰向いて大きな空を見た。空にはもう日の光りが乏しい。  青い空の静まり返つた、上皮に、白い薄雲が刷毛先で掻き払つた痕の様に、筋違に長く浮いてゐる。 「あれを知つてますか」と云ふ。三四郎は仰いで半透明の雲を見た。 「あれは、みんな雪の粉ですよ。かうやつて下から見ると、些とも動いて居ない。然し、あれで地上に起る颶風以上の速力で動いてゐるんですよ。――君ラスキンを読みましたか」  三四郎は憮然として読まないと答へた。野々宮君はたゞ 「さうですか」と云つた許りである。しばらくしてから、 「此空を写生したら面白いですね。――原口にでも話してやらうかしら」と云つた。三四郎は無論原口と云ふ画工の名前を知らなかつた。 二の六  二人はベルツの銅像の前から枳殻寺の横を電車の通りへ出た。銅像の前で、此銅像はどうですかと聞かれて三四郎は又弱つた。表は大変賑やかである。電車がしきりなしに通る。 「君電車は煩さくはないですか」と又聞かれた。三四郎は煩さいより凄まじい位である。然したゞ「えゝ」と答へて置いた。すると野々宮君は「僕もうるさい」と云つた。然し一向煩さい様にも見えなかつた。 「僕は車掌に教はらないと、一人で乗換が自由に出来ない。此二三年来無暗に殖えたのでね。便利になつて却つて困る。僕の学問と同じ事だ」と云つて笑つた。  学期の始まり際なので新らしい高等学校の帽子を被つた生徒が大分通る。野々宮君は愉快さうに、此連中を見てゐる。 「大分新らしいのが来ましたね」と云ふ。「若い人は活気があつて好い。時に君は幾何ですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いた通りを答へた。すると、 「それぢや僕より七つ許り若い。七年もあると、人間は大抵の事が出来る。然し月日は立ち易いものでね。七年位直ですよ」と云ふ。どつちが本当なんだか、三四郎には解らなかつた。  四っ角近くへ来ると左右に本屋と雑誌屋が沢山ある。そのうちの二三軒には人が黒山の様にたかつてゐる。さうして雑誌を読んでゐる。さうして買はずに行つて仕舞ふ。野々宮君は、 「みんな狡猾いなあ」と云つて笑つてゐる。尤も当人も一寸太陽を開けて見た。  四っ角へ出ると、左手の此方側に西洋小間物屋があつて、向側に日本小間物屋がある。其間を電車がぐるつと曲つて、非常な勢で通る。ベルがちん/\ちん/\云ふ。渡りにくい程雑沓する。野々宮君は、向ふの小間物屋を指して、 「あすこで一寸買物をしますからね」と云つて、ちりん/\と鳴る間を馳け抜けた。三四郎も食つ付いて、向ふへ渡つた。野々宮君は早速店へ這入つた。表に待つてゐた三四郎が、気が付いて見ると、店先の硝子張の棚に櫛だの花簪だのが列べてある。三四郎は妙に思つた。野々宮君が何を買つてゐるのかしらと、不審を起して、店の中へ這入つて見ると、蝉の羽根の様なリボンをぶら下げて、 「どうですか」と聞かれた。三四郎は此時自分も何か買つて、鮎の御礼に三輪田の御光さんに送つてやらうかと思つた。けれども御光さんが、それを貰つて、鮎の御礼と思はずに、屹度何だかんだと手前勝手の理窟を附けるに違ないと考へたから已めにした。  それから真砂町で野々宮君に西洋料理の御馳走になつた。野々宮君の話では本郷で一番旨い家ださうだ。けれども三四郎にはたゞ西洋料理の味がする丈であつた。然し食べる事はみんな食べた。  西洋料理屋の前で野々宮君に別れて、追分に帰る所を丁寧にもとの四っ角迄出て、左りへ折れた。下駄を買はうと思つて、下駄屋を覗き込んだら、白熱瓦斯の下に、真白に塗り立てた娘が、石膏の化物の様に坐つてゐたので、急に厭になつて已めた。それからうちへ帰る間、大学の池の縁で逢つた女の、顔の色ばかり考へてゐた。――其色は薄く餅を焦がした様な狐色であつた。さうして肌理が非常に細かであつた。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくつては駄目だと断定した。 三の一  学年は九月十一日に始まつた。三四郎は正直に午前十時半頃学校へ行つて見たが、玄関前の掲示場に講義の時間割がある許で学生は一人も居ない。自分の聴くべき分丈を手帳に書き留めて、それから事務室へ寄つたら、流石に事務員丈は出て居た。講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると云つてゐる。澄ましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がない様ですがと尋ねると、それは先生が居ないからだと答へた。三四郎は成程と思つて事務室を出た。裏へ廻つて、大きな欅の下から高い空を覗いたら、普通の空よりも明かに見えた。熊笹の中を水際へ下りて、例の椎の木の所迄来て、又しやがんだ。あの女がもう一遍通れば可い位に考へて、度々岡の上を眺めたが、岡の上には人影もしなかつた。三四郎はそれが当然だと考へた。けれども矢張りしやがんでゐた。すると午砲が鳴つたんで驚ろいて下宿へ帰つた。  翌日は正八時に学校へ行つた。正門を這入ると、取突の大通りの左右に植ゑてある銀杏の並木が眼に付いた。銀杏が向ふの方で尽きるあたりから、だら/\坂に下がつて、正門の際に立つた三四郎から見ると、坂の向ふにある理科大学は二階の一部しか出てゐない。其屋根の後ろに朝日を受けた上野の森が遠く輝やいてゐる。日は正面にある。三四郎は此奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏の並木が此方側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少し退がつて博物の教室がある。建築は双方共に同じで、細長い窓の上に、三角に尖つた屋根が突き出してゐる。其三角の縁に当る赤錬瓦と黒い屋根の接目の所が細い石の直線で出来てゐる。さうして其石の色が少し蒼味を帯びて、すぐ下にくる派出な赤錬瓦に一種の趣を添へてゐる。さうして此長い窓と、高い三角が横にいくつも続いてゐる。三四郎は此間野々宮君の説を聞いてから以来、急に此建物を難有く思つてゐたが、今朝は、此意見が野々宮君の意見でなくつて、初手から自分の持説である様な気がし出した。ことに博物室が法文科と一直線に並んでゐないで、少し奥へ引つ込んでゐる所が不規則で妙だと思つた。こんど野々宮君に逢つたら自分の発明として此説を持ち出さうと考へた。  法文科の右のはづれから半町程前へ突き出してゐる図書館にも感服した。よく分らないが何でも同じ建築だらうと考へられる。其赤い壁に添けて、大きな棕櫚の木を五六本植ゑた所が大いに好い。左り手のずつと奥にある工科大学は封建時代の西洋の御城から割り出した様に見えた。真っ四角に出来上つてゐる。窓も四角である。只四隅と入口が丸い。是は櫓を片取つたんだらう。御城丈に堅牢してゐる。法文科見た様に倒れさうでない。何だか脊の低い相撲取に似て居る。  三四郎は見渡す限り見渡して、此外にもまだ眼に入らない建物が沢山ある事を勘定に入れて、何所となく雄大な感じを起した。「学問の府はかうなくつてはならない。かう云ふ構があればこそ研究も出来る。えらいものだ」――三四郎は大学者になつた様な心持がした。  けれども教室へ這入つて見たら、鐘は鳴つても先生は来なかつた。其代り学生も出て来ない。次の時間も其通りであつた。三四郎は疳癪を起して教場を出た。さうして念の為めに池の周囲を二遍許り廻つて下宿へ帰つた。 三の二  夫から約十日許立てから、漸く講義が始まつた。三四郎が始めて教室へ這入て、外の学生と一所に先生の来るのを待つてゐた時の心持は実に殊勝なものであつた。神主が装束を着けて、是から祭典でも行はうとする間際には、かう云ふ気分がするだらうと、三四郎は自分で自分の了見を推定した。実際学問の威厳に打たれたに違ない。それのみならず先生が号鐘が鳴つて十五分立つても出て来ないので益予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいゝ御爺さんの西洋人が戸を開けて這入つて来て、流暢な英語で講義を始めた。三四郎は其時 answer と云ふ字はアングロ、サクソン語の and-swaru から出たんだと云ふ事を覚えた。それからスコツトの通つた小学校の村の名を覚えた。いづれも大切に筆記帳に記して置いた。其次には文学論の講義に出た。此先生は教室に這入つて、一寸黒板を眺めてゐたが、黒板の上に書いてある、Geschehen と云ふ字と Nachbild と云ふ字を見て、はあ独乙語かと云つて、笑ひながらさつさと消して仕舞つた。三四郎は之が為めに独乙語に対する敬意を少し失つた様に感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義を凡そ二十許り列べた。三四郎は是も大事に手帳に筆記して置いた。午後は大教室に出た。其教室には約七八十人程の聴講者が居た。従つて先生も演説口調であつた。砲声一発浦賀の夢を破つてと云ふ冒頭であつたから、三四郎は面白がつて聞いてゐると、仕舞には独乙の哲学者の名が沢山出て来て甚だ解しにくゝなつた。机の上を見ると、落第と云ふ字が美事に彫つてある。余程閑に任せて仕上げたものと見えて、堅い樫の板を奇麗に切り込んだ手際は素人とは思はれない。深刻の出来である。隣の男は感心に根気よく筆記をつゞけてゐる。覗いて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいてゐたのである。三四郎が覗くや否や隣の男はノートを三四郎の方に出して見せた。画は旨く出来てゐるが、傍に久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、何の事だか判じかねた。  講義が終つてから、三四郎は何となく疲労した様な気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見下してゐた。只大きな松や桜を植ゑて其間に砂利を敷いた広い道を付けた許であるが、手を入れ過ぎてゐない丈に、見てゐて心持が好い。野々宮君の話によると此所は昔はかう奇麗ではなかつた。野々宮君の先生の何とか云ふ人が、学生の時分馬に乗つて、此所を乗り廻すうちに、馬が云ふ事を聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引つかゝる。下駄の歯が鐙に挟まる。先生は大変困つてゐると、正門前の喜多床と云ふ髪結床の職人が大勢出て来て、面白がつて笑つてゐたさうである。其時分には有志のものが醵金して構内に厩をこしらへて、三頭の馬と、馬の先生とを飼つて置いた。所が先生が大変な酒呑で、とう/\三頭のうちの一番好い白い馬を売つて飲んで仕舞つた。それはナポレオン三世時代の老馬であつたさうだ。まさかナポレオン三世時代でも無からう。然し呑気な時代もあつたものだと考へてゐると、さつきポンチ画をかいた男が来て、 「大学の講義は詰らんなあ」と云つた。三四郎は好加減な返事をした。実は詰るか詰らないか、三四郎には些とも判断が出来ないのである。然し此時から此男と口を利く様になつた。 三の三  其日は何となく気が鬱して、面白くなかつたので、池の周囲を回る事は見合せて家へ帰つた。晩食後筆記を繰り返して読んで見たが、別に愉快にも不愉快にもならなかつた。母に言文一致の手紙をかいた。――学校は始まつた。是から毎日出る。学校は大変広い好い場所で、建物も大変美くしい。真中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近頃漸く乗り馴れた。何か買つて上げたいが、何が好いか分からないから、買つて上げない。欲しければ其方から云つて来て呉れ。今年の米は今に価が出るから、売らずに置く方が得だらう。三輪田の御光さんにはあまり愛想を善くしない方が好からう。東京へ来て見ると人はいくらでもゐる。男も多いが女も多い。と云ふ様な事をごた/\並べたものであつた。  手紙を書いて、英語の本を六七頁読んだら厭になつた。こんな本を一冊位読んでも駄目だと思ひ出した。床を取つて寐る事にしたが、寐つかれない。不眠症になつたら早く病院に行つて見て貰はう抔と考へてゐるうちに寐て仕舞つた。  翌日も例刻に学校へ行つて講義を聞いた。講義の間に今年の卒業生が何所其所へ幾何で売れたと云ふ話を耳にした。誰と誰がまだ残つてゐて、それがある官立学校の地位を競争してゐる噂だ抔と話してゐるものがあつた。三四郎は漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せる様な鈍い圧迫を感じたが、それはすぐ忘れて仕舞つた。寧ろ昇之助が何とかしたと云ふ方の話が面白かつた。そこで廊下で熊本出の同級生を捕まへて、昇之助とは何だと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教へて呉れた。夫から寄席の看板はこんなもので、本郷のどこにあると云ふ事迄云つて聞かせた上、今度の土曜に一所に行かうと誘つて呉れた。よく知つてると思つたら、此男は昨夜始めて、寄席へ這入つたのださうだ。三四郎は何だか寄席へ行つて昇之助が見度なつた。  昼飯を食ひに下宿へ帰らうと思つたら、昨日ポンチ画をかいた男が来て、おい/\と云ひながら、本郷の通りの淀見軒と云ふ所に引つ張つて行つて、ライスカレーを食はした。淀見軒と云ふ所は店で果物を売つてゐる。新らしい普請であつた。ポンチを画いた男は此建築の表を指して、是がヌーボー式だと教へた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものかと始めて悟つた。帰り路に青木堂も教はつた。矢張り大学生のよく行く所ださうである。赤門を這入つて、二人で池の周囲を散歩した。其時ポンチ画の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へ這入るのが嫌で講義が済むといつでも此周囲をぐる/\廻つてあるいたんだと、恰も小泉先生に教はつた様な事を云つた。何故控室へ這入らなかつたのだらうかと三四郎が尋ねたら、 「そりや当り前ださ。第一彼等の講義を聞いても解るぢやないか。話せるものは一人もゐやしない」と手痛い事を平気で云つたには三四郎も驚ろいた。此男は佐々木与次郎と云つて、専門学校を卒業して、ことし又撰科へ這入つたのださうだ。東片町の五番地の広田と云ふうちに居るから、遊びに来いと云ふ。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答へた。 三の四  それから当分の間三四郎は毎日学校へ通つて、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席して見た。それでも、まだ物足りない。そこで遂には専攻課目に丸で縁故のないもの迄へも折々は顔を出した。然し大抵は二度か三度で已めて仕舞つた。一ヶ月と続いたのは少しも無かつた。それでも平均一週に約四十時間程になる。如何な勤勉な三四郎にも四十時間はちと多過ぎる。三四郎は断へず一種の圧迫を感じてゐた。然るに物足りない。三四郎は楽しまなくなつた。  或日佐々木与次郎に逢つて其話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、眼を丸くして、「馬鹿々々」と云つたが、「下宿屋のまづい飯を一日に十返食つたら物足りる様になるか考へて見ろ」といきなり警句でもつて三四郎を打しつけた。三四郎はすぐさま恐れ入つて、「どうしたら善からう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいゝ」と与次郎が云つた。三四郎は何か寓意でもある事と思つて、しばらく考へて見たが、別に是と云ふ思案も浮ばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。其時与次郎はげら/\笑つて、 「電車に乗つて、東京を十五六返乗り回してゐるうちには自から物足りる様になるさ」と云ふ。 「何故」 「何故つて、さう、活きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちや、助からない。外へ出て風を入れるさ。其上に物足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩で且尤も軽便だ」  其日の夕方、与次郎は三四郎を拉して、四丁目から電車に乗つて、新橋へ行つて、新橋から又引き返して、日本橋へ来て、そこで下りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲つて、平の家と云ふ看板のある料理屋へ上がつて、晩食を食つて酒を呑んだ。其所の下女はみんな京都弁を使ふ。甚だ纏綿してゐる。表へ出た与次郎は赤い顔をして、又 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行つてやると云つて、又細い横町へ這入つて、木原店と云ふ寄席へ上がつた。此所で小さんといふ話し家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、又 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答へなかつた。然し満更物足りない心持もしなかつた。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢやない。何時でも聞けると思ふから安つぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。――円遊も旨い。然し小さんとは趣が違つてゐる。円遊の扮した太鼓持は、太鼓持になつた円遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物が丸で消滅して仕舞ふ。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したつて、人物は活溌々地に躍動する許りだ。そこがえらい。  与次郎はこんな事を云つて、又 「どうだ」と聞いた。実を云ふと三四郎には小さんの味ひが善く分らなかつた。其上円遊なるものは未だ嘗て聞いた事がない。従つて与次郎の説の当否は判定しにくい。然し其比較のほとんど文学的と云ひ得る程に要領を得たには感服した。  高等学校の前で分れる時、三四郎は、 「難有う、大いに物足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「是から先は図書館でなくつちや物足りない」と云つて片町の方へ曲がつて仕舞つた。此一言で三四郎は始めて図書館に這入る事を知つた。 三の五  其翌日から三四郎は四十時間の講義を殆んど、半分に減して仕舞つた。さうして図書館に這入つた。広く、長く、天井が高く、左右に窓の沢山ある建物であつた。書庫は入口しか見えない。此方の正面から覗くと奥には、書物がいくらでも備へ付けてある様に思はれる。立つて見てゐると、時々書庫の中から、厚い本を二三冊抱へて、出口へ来て左へ折れて行くものがある。職員閲覧室へ行く人である。中には必要の本を書棚から取り卸して、胸一杯にひろげて、立ちながら調べてゐる人もある。三四郎は羨やましくなつた。奥迄行つて二階へ上つて、それから三階へ上つて、本郷より高い所で、生きたものを近付けずに、紙の臭を嗅ぎながら、――読んで見たい。けれども何を読むかに至つては、別に判然した考がない。読んで見なければ分らないが、何かあの奥に沢山ありさうに思ふ。  三四郎は一年生だから書庫へ這入る権利がない。仕方なしに、大きな箱入りの札目録を、こゞんで一枚々々調べて行くと、いくら捲つても後から後から新らしい本の名が出て来る。仕舞に肩が痛くなつた。顔を上げて、中休みに、館内を見廻すと、流石に図書館丈あつて静かなものである。しかも人が沢山ゐる。さうして向ふの果にゐる人の頭が黒く見える。眼口は判然しない。高い窓の外から所々に樹が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考へた。それで其日は其儘帰つた。  次の日は空想をやめて、這入ると早速本を借りた。然し借り損なつたので、すぐ返した。後から借りた本は六※[#濁点付き小書き平仮名つ、319-10]かし過ぎて読めなかつたから又返した。三四郎はかう云ふ風にして毎日本を八九冊宛は必ず借りた。尤も会には少し読んだのもある。三四郎が驚ろいたのは、どんな本を借りても、屹度誰か一度は眼を通して居ると云ふ事実を発見した時であつた。それは書中此所彼所に見える鉛筆の痕で慥かである。ある時三四郎は念の為め、アフラ、ベーンと云ふ作家の小説を借りて見た。開ける迄は、よもやと思つたが、見ると矢張り鉛筆で丁寧にしるしが付けてあつた。此時三四郎はこれは到底遣り切れないと思つた。所へ窓の外を楽隊が通つたんで、つい散歩に出る気になつて、通りへ出て、とう/\青木堂へ這入つた。  這入つて見ると客が二組あつて、いづれも学生であつたが、向ふの隅にたつた一人離れて茶を飲んでゐた男がある。三四郎が不図其横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃を沢山食つた人の様である。向ふは気がつかない。茶を一口飲んでは烟草を一吸すつて、大変悠然構へてゐる。今日は白地の浴衣を已めて、背広を着てゐる。然し決して立派なものぢやない。光線の圧力の野々宮君より白襯衣丈が増しな位なものである。三四郎は様子を見てゐるうちに慥かに水蜜桃だと物色した。大学の講義を聞いてから以来、汽車の中で此男の話した事が何だか急に意義のある様に思はれ出した所なので、三四郎は傍へ行つて挨拶を仕様かと思つた。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは、烟草をふかし、烟草をふかしては茶を飲んでゐる。手の出し様がない。  三四郎は凝と其横顔を眺めてゐたが、突然手杯にある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。さうして図書館に帰つた。 三の六  其日は葡萄酒の景気と、一種の精神作用とで例になく面白い勉強が出来たので、三四郎は大いに嬉しく思つた。二時間程読書三昧に入つた後、漸く気が付いて、そろ/\帰る支度をしながら、一所に借りた書物のうち、まだ開けて見なかつた、最後の一冊を何気なく引つぺがして見ると、本の見返しの空いた所に、乱暴にも、鉛筆で一杯何か書いてある。 「ヘーゲルの伯林大学に哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、其説く所、云ふ所は、講義の為めの講義にあらずして、道の為めの講義となる。哲学の講義は茲に至つて始めて聞くべし。徒らに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨を以て、死したる紙の上に、空しき筆記を残すに過ぎず。何の意義かこれあらん。……余今試験の為め、即ち麺麭の為めに、恨を呑み涙を呑んで此書を読む。岑々たる頭を抑へて未来永劫に試験制度を呪咀する事を記憶せよ」  とある。署名は無論ない。三四郎は覚えず微笑した。けれども何所か啓発された様な気がした。哲学ばかりぢやない、文学も此通りだらうと考へながら、頁をはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」余程ヘーゲルの好きな男と見える。 「ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方より伯林に集まれる学生は、此講義を衣食の資に利用せんとの野心を以て集まれるにあらず。唯哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝ふると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現に外ならず。此故に彼等はヘーゲルを聞いて、彼等の未来を決定し得たり。自己の運命を改造し得たり。のつぺらぽうに講義を聴いて、のつぺらぽうに卒業し去る公等日本の大学生と同じ事と思ふは、天下の己惚なり。公等はタイプ、ライターに過ぎず。しかも慾張つたるタイプ、ライターなり。公等のなす所、思ふ所、云ふ所、遂に切実なる社会の活気運に関せず。死に至る迄のつぺらぽうなるかな。死に至る迄のつぺらぽうなるかな」  と、のつぺらぽうを二遍繰返してゐる。三四郎は黙然として考へ込んでゐた。すると、後から一寸肩を叩いたものがある。例の与次郎であつた。与次郎を図書館で見掛けるのは珍らしい。彼は講義は駄目だが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張通りに這入る事も少ない男である。 「おい、野々宮宗八さんが、君を探してゐた」と云ふ。与次郎が野々宮君を知らうとは思ひがけなかつたから、念の為め理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんと云ふ答を得た。早速本を置いて入口の新聞を閲覧する所迄出て行つたが、野々宮君が居ない。玄関迄出て見たが矢っ張り居ない。石階を下りて、首を延ばして其辺を見廻したが影も形も見えない。已を得ず引き返した。元の席へ来て見ると、与次郎が、例のヘーゲル論を指して、小さな声で、 「大分振つてる。昔しの卒業生に違ない。昔の奴は乱暴だが、どこか面白い所がある。実際此通りだ」とにや/\してゐる。大分気に入つたらしい。三四郎は 「野々宮さんは居らんぜ」と云ふ。 「先刻入口に居たがな」 「何か用がある様だつたか」 「ある様でもあつた」  二人は一所に図書館を出た。其時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓してゐる広田先生の、元の弟子でよく来る。大変な学問好きで、研究も大分ある。其道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知つてゐる。  三四郎は又、野々宮君の先生で、昔し正門内で馬に苦しめられた人の話を思ひ出して、或はそれが広田先生ではなからうかと考へ出した。与次郎に其事を話すと、与次郎は、ことによると、家の先生だ、そんな事を遣りかねない人だと云つて笑つてゐた。 三の七  其翌日は丁度日曜なので、学校では野々宮君に逢ふ訳に行かない。然し昨日自分を探してゐた事が気掛になる。幸ひまだ新宅を訪問した事がないから、此方から行つて用事を聞いて来様と云ふ気になつた。  思ひ立つたのは朝であつたが、新聞を読んで愚図々々してゐるうちに午になる。午飯を食べたから、出掛様とすると、久し振に熊本出の友人が来る。漸くそれを帰したのは彼是四時過ぎである。ちと遅くなつたが、予定の通り出た。  野々宮の家は頗る遠い。四五日前大久保へ越した。然し電車を利用すれば、すぐに行かれる。何でも停車場の近辺と聞いてゐるから、探すに不便はない。実を云ふと三四郎はかの平野家行以来飛んだ失敗をしてゐる。神田の高等商業学校へ行く積りで、本郷四丁目から乗つた所が、乗り越して九段迄来て、序でに飯田橋迄持つて行かれて、其所で漸く外濠線へ乗り換へて、御茶の水から、神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸を数寄屋橋の方へ向いて急いで行つた事がある。それより以来電車は兎角物騒な感じがしてならないのだが、甲武線は一筋だと、かねて聞いてゐるから安心して乗つた。  大久保の停車場を下りて、仲百人の通りを戸山学校の方へ行かずに、踏切りからすぐ横へ折れると、ほとんど三尺許りの細い路になる。それを爪先上りにだら/\と上ると、疎な孟宗藪がある。其藪の手前と先に一軒づゝ人が住んでゐる。野々宮の家は其手前の分であつた。小さな門が路の向に丸で関係のない様な位置に筋違に立つてゐた。這入ると、家が又見当違の所にあつた。門も入口も全く後から付けたものらしい。  台所の傍に立派な生垣があつて、庭の方には却つて仕切りも何にもない。只大きな萩が人の脊より高く延びて、座敷の縁側を少し隠してゐる許である。野々宮君は此縁側に椅子を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋の雑誌を読んでゐた。三四郎の這入つて来たのを見て、 「此方へ」と云つた。丸で理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭から這入るべきのか、玄関から廻るべきのか、三四郎は少しく躇してゐた。すると又 「此方へ」と催促するので、思ひ切つて庭から上る事にした。座敷は即ち書斎で、広さは八畳で、割合に西洋の書物が沢山ある。野々宮君は椅子を離れて坐つた。三四郎は、閑静な所だとか、割合に御茶の水迄早く出られるとか、望遠鏡の試験はどうなりましたとか、――締りのない当座の話をやつたあと、 「昨日私を探して御出だつたさうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒さうな顔をして、 「何実は何でもないですよ」と云つた。三四郎はたゞ「はあ」と云つた。 「それでわざ/\来て呉れたんですか」 「なに、さう云ふ訳でもありません」 「実は御国の御母さんがね、悴が色々御世話になるからと云つて、結構なものを送つて下さつたから、一寸あなたにも御礼を云はうと思つて……」 「はあ、さうですか。何か送つて来ましたか」 「えゝ赤い魚の粕漬なんですがね」 「ぢやひめいちでせう」  三四郎は詰らんものを送つたものだと思つた。しかし野々宮君はかのひめいちに就いて色々な事を質問した。三四郎は特に食ふ時の心得を説明した。粕共焼いて、いざ皿へ写すと云ふ時に、粕を取らないと味が抜けると云つて教へてやつた。  二人がひめいちに就て問答をしてゐるうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰らうと思つて挨拶をしかける所へ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を切つて、電報を読んだが、口のうちで、「困つたな」と云つた。 三の八  三四郎は澄してゐる訳にも行かず、と云つて無暗に立入つた事を聞く気にもならなかつたので、たゞ、 「何か出来ましたか」と棒の様に聞いた。すると野々宮君は、 「なに大した事でもないのです」と云つて、手に持つた電報を、三四郎に見せて呉れた。すぐ来てくれとある。 「何所かへ御出になるのですか」 「えゝ、妹が此間から病気をして、大学の病院に這入つてゐるんですが、其奴がすぐ来てくれと云ふんです」と一向騒ぐ気色もない。三四郎の方は却つて驚ろいた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院を一所に纏めて、それに池の周囲で逢つた女を加へて、それを一どきに掻き廻して、驚ろいてゐる。 「ぢや余程御悪いんですな」 「なに左様ぢやないんでせう。実は母が看病に行つてるんですが、――もし病気の為なら、電車へ乗つて馳けて来た方が早い訳ですからね。――なに妹の悪戯でせう。馬鹿だから、よくこんな真似をします。此所へ越してからまだ一遍も行かないものだから、今日の日曜には来ると思つて待つてゞもゐたのでせう、それで」と云つて首を横に曲げて考へた。 「然し御出になつた方が可いでせう。もし悪いと不可ません」 「左様。四五日行かないうちにさう急に変る訳もなささうですが、まあ行つて見るか」 「御出になるに若くはないでせう」  野々宮は行く事にした。行くと極めたに就ては、三四郎に依頼があると云ひ出した。万一病気の為めの電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所が殊の外物騒である。来合せたのが丁度幸だから、明日の課業に差支がなければ泊つて呉れまいか、尤も只の電報ならば直帰つてくる。前から分つてゐれば、例の佐々木でも頼む筈だつたが、今からではとても間に合はない。たつた一晩の事ではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだ分らない先から、関係もない人に、迷惑を掛けるのは我儘過ぎて、強ひてとは云ひかねるが、――無論野々宮はかう流暢には頼まなかつたが、相手の三四郎が、さう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知して仕舞つた。  下女が御飯はと云ふのを、「食はない」と云つた儘、三四郎に「失敬だが、君一人で、後で食つて下さい」と夕食迄置き去りにして、出て行つた。行つたと思つたら暗い萩の間から大きな声を出して、 「僕の書斎にある本は何でも読んで可いです。別に面白いものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」  と云つた儘消えてなくなつた。縁側迄見送つて三四郎が礼を述べた時は、三坪程な孟宗藪の竹が、疎な丈に一本宛まだ見えた。  間もなく三四郎は八畳敷の書斎の真中で小さい膳を控へて、晩食を食つた。膳の上を見ると、主人の言葉に違はず、かのひめいちが附いてゐる。久し振で故郷の香を嗅いだ様で嬉しかつたが、飯は其割に旨くなかつた。御給仕に出た下女の顔を見ると、是も主人の言つた通り、臆病に出来た眼鼻であつた。 三の九  飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になつて落ち付くと、野々宮君の妹の事が急に心配になつて来た。危篤な様な気がする。野々宮君の馳け付け方が遅い様な気がする。さうして妹が此間見た女の様な気がして堪らない。三四郎はもう一遍、女の顔付と眼付と、服装とを、あの時あの儘に、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、其傍に野々宮君を立たして、二三の会話をさせたが、兄では物足らないので、何時の間にか、自分が代理になつて、色々親切に介抱してゐた。所へ汽車が轟と鳴つて孟宗藪のすぐ下を通つた。根太の具合か、土質の所為か座敷が少し震へる様である。  三四郎は看病をやめて、座敷を見廻した。いか様古い建物と思はれて、柱に寂がある。其代り唐紙の立附が悪い。天井は真黒だ。洋燈許が当世に光つてゐる。野々宮君の様な新式な学者が、物数奇にこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。物数奇ならば当人の随意だが、もし必要に逼られて、郊外に自を放逐したとすると、甚だ気の毒である。聞く所によると、あれ丈の学者で、月にたつた五十五円しか、大学から貰つてゐないさうだ。だから已を得ず私立学校へ教へに行くのだらう。それで妹に入院されては堪るまい。大久保へ越したのも、或はそんな経済上の都合かも知れない。……  宵の口ではあるが、場所が場所丈にしんとしてゐる。庭の先で虫の音がする。独りで坐つてゐると、淋しい秋の初である。其時遠い所で誰か、 「あゝあゝ、もう少しの間だ」  と云ふ声がした。方角は家の裏手の様にも思へるが、遠いので確かりとは分らなかつた。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んで仕舞つた。けれども三四郎の耳には明らかに、此一句が、凡てに捨てられた人の、凡てから返事を予期しない、真実の独白と聞えた。三四郎は気味が悪くなつた。所へ又汽車が遠くから響いて来た。其音が次第に近付いて孟宗藪の下を通るときには、前の列車より倍も高い音を立てゝ過ぎ去つた。座敷の微震がやむ迄は茫然としてゐた三四郎は、石火の如く、先刻の嘆声と今の列車の響とを、一種の因果で結び付けた。さうして、ぎくんと飛び上がつた。其因果は恐るべきものである。  三四郎は此時、凝と座に着いてゐる事の極めて困難なのを発見した。脊筋から足の裏迄が疑惧の刺激でむづ/\する。立つて便所に行つた。窓から外を覗くと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだ様に静かである。それでも竹格子の間から鼻を出す位にして、暗い所を眺めてゐた。  すると停車場の方から提燈を点けた男が鉄軌の上を伝つて此方へ来る。話し声で判じると三四人らしい。提燈の影は踏切りから土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声丈になつた。けれども、其言葉は手に取る様に聞えた。 「もう少し先だ」  足音は向ふへ遠退いて行く。三四郎は庭先へ廻つて下駄を突掛けた儘孟宗藪の所から、一間余の土手を這ひ下りて、提燈のあとを追掛けて行つた。 三の十  五六間行くか行かないうちに、又一人土手から飛び下りたものがある。―― 「轢死ぢやないですか」  三四郎は何か答へやうとしたが一寸声が出なかつた。其うち黒い男は行き過ぎた。是は野々宮君の奥に住んでゐる家の主人だらうと、後を跟けながら考へた。半町程くると提燈が留つてゐる。人も留つてゐる。人は灯を翳した儘黙つてゐる。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上迄美事に引き千切つて、斜掛の胴を置き去りにして行つたのである。顔は無創である。若い女だ。  三四郎は其時の心持を未だに覚えてゐる。すぐ帰らうとして、踵を回らしかけたが、足がすくんで殆んど動けなかつた。土堤を這ひ上つて、座敷へ戻つたら、動悸が打ち出した。水を貰はうと思つて、下女を呼ぶと、下女は幸ひに何にも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、何だか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰つたんだなと覚つた。やがて土手の下ががや/\する。それが済むと又静かになる。殆んど堪え難い程の静かさであつた。  三四郎の眼の前には、あり/\と先刻の女の顔が見える。其顔と「あゝあゝ……」と云つた力のない声と、其二つの奥に潜んで居るべき筈の無残な運命とを、継ぎ合はして考へて見ると、人生と云ふ丈夫さうな命の根が、知らぬ間に、ゆるんで、何時でも暗闇へ浮き出して行きさうに思はれる。三四郎は慾も得も入らない程怖かつた。たゞ轟と云ふ一瞬間である。其前迄は慥かに生きてゐたに違ない。  三四郎は此時不図汽車で水蜜桃を呉れた男が、危ない/\、気を付けないと危ない、と云つた事を思ひ出した。危ない/\と云ひながら、あの男はいやに落付いて居た。つまり危ない/\と云ひ得る程に、自分は危なくない地位に立つてゐれば、あんな男にもなれるだらう。世の中にゐて、世の中を傍観してゐる人は此所に面白味があるかも知れない。どうもあの水蜜桃の食ひ具合から、青木堂で茶を呑んでは烟草を吸ひ、烟草を吸つては茶を呑んで、凝つと正面を見てゐた様子は、正に此種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家と云ふ字を使つて見た。使つて見て自分で旨いと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しやうかと迄考へ出した。あの凄い死顔を見るとこんな気も起る。  三四郎は室の隅にある洋机と、洋机の前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、其本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見廻して、此静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思つた。――光線の圧力を研究する為に、女を轢死させる事はあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作つた病気ではない。自から罹つた病気である。抔と夫から夫へと頭が移つて行くうちに、十一時になつた。中野行の電車はもう来ない。或は病気がわるいので帰らないのかしらと、又心配になる。所へ野々宮から電報が来た。妹無事、明日朝帰るとあつた。  安心して床に這入つたが、三四郎の夢は頗る危険であつた。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知つて家へ帰つて来ない。只三四郎を安心させる為に電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽はりで、今夜轢死のあつた時刻に妹も死んで仕舞つた。さうして其妹は即ち三四郎が池の端で逢つた女である。……  三四郎は明日例になく早く起きた。 三の十一  寐慣ない所に寐た床のあとを眺めて、烟草を一本吸んだが、昨夜の事は、凡て夢の様である。縁側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、今日は好い天気だ。世界が今朗らかに成つた許りの色をしてゐる。飯を済まして茶を飲んで、縁側に椅子を持ち出して新聞を読んでゐると、約束通り野々宮君が帰つて来た。 「昨夜、そこに轢死があつたさうですね」と云ふ。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎は自分の経験を残らず話した。 「それは珍らしい。滅多に逢へない事だ。僕も家に居れば好かつた。死骸はもう片付けたらうな。行つても見られないだらうな」 「もう駄目でせう」と一口答へたが、野々宮君の呑気なのには驚ろいた。三四郎は此無神経を全く夜と昼の差別から起るものと断定した。光線の圧力を試験する人の性癖が、かう云ふ場合にも、同じ態度であらはれてくるのだとは丸で気が付かなかつた。年が若いからだらう。  三四郎は話を転じて、病人の事を尋ねた。野々宮君の返事によると、果して自分の推測通り病人に異状はなかつた。只五六日以来行つてやらなかつたものだから、それを物足りなく思つて、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。今日は日曜だのに来て呉れないのは苛いと云つて怒つてゐたさうである。それで野々宮君は妹を馬鹿だと云つてゐる。本当に馬鹿だと思つてゐるらしい。此忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だと云ふのである。けれども三四郎には其意味が殆んど解らなかつた。わざ/\電報を掛けて迄逢ひたがる妹なら、日曜の一晩や二晩を潰したつて惜しくはない筈である。さう云ふ人に逢つて過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮す月日は寧ろ人生に遠い閑生涯と云ふべきものである。自分が野々宮君であつたならば、此妹の為めに勉強の妨害をされるのを却つて嬉しく思ふだらう。位に感じたが、其時は轢死の事を忘れてゐた。  野々宮君は昨夜よく寐られなかつたものだから茫然して不可ないと云ひ出した。今日は幸ひ午から早稲田の学校へ行く日で、大学の方は休みだから、それ迄寐やうと云つてゐる。「大分遅く迄起きてゐたんですか」と三四郎が聞くと、実は偶然高等学校で教はつた、もとの先生の広田といふ人が妹の見舞に来て呉れて、みんなで話をしてゐるうちに、電車の時間に後れて、つい泊る事にした。広田のうちへ泊るべきのを、又妹が駄々を捏ねて、是非病院に泊れと云つて聞かないから、已を得ず狭い所へ寐たら、何だか苦しくつて寐つかれなかつた。どうも妹は愚物だ。と又妹を攻撃する。三四郎は可笑くなつた。少し妹の為に弁護しやうかと思つたが、何だか言ひ悪いので已めにした。  其代り広田さんの事を聞いた。三四郎は広田さんの名前を是で三四遍耳にしてゐる。さうして、水蜜桃の先生と青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名を付けてゐる。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑はれたのも矢張り広田先生にしてある。所が今承つて見ると、馬の件は果して広田先生であつた。それで水蜜桃も必ず同先生に違ないと極めた。考へると、少し無理の様でもある。  帰るときに、序でだから、午前中に届けて貰ひたいと云つて、袷を一枚病院迄頼まれた。三四郎は大いに嬉しかつた。 三の十二  三四郎は新らしい四角な帽子を被つてゐる。此帽子を被つて病院に行けるのが一寸得意である。冴々しい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗つた。いつもの三四郎に似合はぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科の号鐘が鳴り出した。いつもなら手帳と印気壺を以て、八番の教室に這入る時分である。一二時間の講義位聴き損なつても構はないと云ふ気で、真直に青山内科の玄関迄乗り付けた。  上り口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当りを左へ曲ると東側の部屋だと教つた通り歩いて行くと、果してあつた。黒塗の札に野々宮よし子と仮名でかいて、戸口に懸けてある。三四郎は此名前を読んだ儘、しばらく戸口の所で佇んでゐた。田舎者だから敲するなぞと云ふ気の利いた事はやらない。 「此中にゐる人が、野々宮君の妹で、よし子と云ふ女である」  三四郎は斯う思つて立つてゐた。戸を開けて顔が見度もあるし、見て失望するのが厭でもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似てゐないのだから困る。  後ろから看護婦が草履の音を立てゝ近付いて来た。三四郎は思ひ切つて戸を半分程開けた。さうして中にゐる女と顔を見合せた。(片手に握りを把つた儘)  眼の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思ふ位に、額が広くつて顎が削けた女であつた。造作は夫丈である。けれども三四郎は、かう云ふ顔だちから出る、此時にひらめいた咄嗟の表情を生れて始めて見た。蒼白い額の後に、自然の儘に垂れた濃い髪が、肩迄見える。それへ東窓を洩れる朝日の光が、後から射すので、髪と日光の触れ合ふ境の所が菫色に燃えて、活きた暈を脊負つてる。それでゐて、顔も額も甚だ暗い。暗くて蒼白い。其中に遠い心持のする眼がある。高い雲が空の奥にゐて容易に動かない。けれども動かずにも居られない。たゞ崩れる様に動く。女が三四郎を見た時は、かう云ふ眼付であつた。  三四郎は此表情のうちに嬾い憂鬱と、隠さゞる快活との統一を見出した。其統一の感じは三四郎に取つて、最も尊き人生の一片である。さうして一大発見である。三四郎は握りを把つた儘、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出した儘、此刹那の感に自己を放下し去つた。 「御這入りなさい」  女は三四郎を待ち設けた様に云ふ。其調子には初対面の女には見出す事の出来ない、安らかな音色があつた。純粋の小供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、かうは出られない。馴々しいのとは違ふ。初から旧い相識なのである。同時に女は肉の豊でない頬を動かしてにこりと笑つた。蒼白いうちに、なつかしい暖味が出来た。三四郎の足は自然と部屋の内へ這入つた。其時青年の頭の裡[#ルビの「うら」はママ]には遠い故郷にある母の影が閃めいた。 三の十三  戸の後へ廻つて、始めて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。此婦人は三四郎の身体がまだ扉の影を出ない前から席を立つて待つてゐたものと見える。 「小川さんですか」と向から尋ねて呉れた。顔は野々宮君に似てゐる。娘にも似てゐる。然したゞ似てゐるといふ丈である。頼まれた風呂敷包を出すと、受取つて、礼を述べて、 「どうぞ」と云ひながら椅子をすゝめた儘、自分は寝台の向側へ回つた。  寝台の上に敷いた蒲団を見ると真白である。上へ掛けるものも真白である。それを半分程斜に捲ぐつて、裾の方が厚く見える所を、避ける様に、女は窓を背にして腰を掛けた。足は床に届かない。手に編針を持つてゐる。毛糸のたまが寝台の下に転がつた。女の手から長い赤い糸が筋を引いてゐる。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやらうかと思つた。けれども、女が毛糸には丸で無頓着でゐるので控へた。  御母さんが向側から、しきりに昨夜の礼を述べる。御忙がしい所を抔と云ふ。三四郎は、いゝえ、どうせ遊んでゐますからと云ふ。二人が話をしてゐる間、よし子は黙つてゐた。二人の話が切れた時、突然、 「昨夜の轢死を御覧になつて」と聞いた。見ると部屋の隅に新聞がある。三四郎が、 「えゝ」と云ふ。 「怖かつたでせう」と云ひながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て頸の長い女である。三四郎は怖いとも怖くないとも答へずに、女の頸の曲り具合を眺めてゐた。半分は質問があまり単純なので、答へに窮したのである。半分は答へるのを忘れたのである。女は気が付いたと見えて、すぐ頸を真直にした。さうして蒼白い頬の奥を少し紅くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考へた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向を見ると、長い廊下の果が四角に切れて、ぱつと明るく、表の緑が映る上り口に、池の女が立つてゐる。はつと驚ろいた三四郎の足は、早速の歩調に狂が出来た。其時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一歩前へ動いた。三四郎も誘はれた様に前へ動いた。二人は一筋道の廊下の何所かで擦れ違はねばならぬ運命を以て互ひに近付いて来た。すると女が振り返つた。明るい表の空気のなかには、初秋の緑が浮いてゐる許である。振り返つた女の眼に応じて、四角のなかに、現はれたものもなければ、これを待ち受けてゐたものもない。三四郎は其間に女の姿勢と服装を頭のなかへ入れた。  着物の色は何と云ふ名か分らない。大学の池の水へ、曇つた常磐木の影が映る時の様である。それを鮮やかな縞が、上から下へ貫ぬいてゐる。さうして其縞が貫ぬきながら波を打つて、互に寄つたり離れたり、重なつて太くなつたり、割れて二筋になつたりする。不規則だけれども乱れない上から三分一の所を、広い帯で横に仕切つた。帯の感じには暖味がある。黄を含んでゐるためだらう。  後を振り向いた時、右の肩が、後へ引けて、左の手が腰に添つた儘前へ出た。手帛を持つてゐる。其手帛の指に余つた所が、さらりと開いてゐる。絹の為だらう。――腰から下は正しい姿勢にある。 三の十四  女はやがて元の通りに向き直つた。眼を伏せて二足許三四郎に近付いた時、突然首を少し後に引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長の落付いた恰好である。目立つて黒い眉毛の下に活きてゐる。同時に奇麗な歯があらはれた。此歯と此顔色とは三四郎に取つて忘るべからざる対照であつた。  今日は白いものを薄く塗つてゐる。けれども本来の地を隠す程に無趣味ではなかつた。濃やかな肉が、程よく色づいて、強い日光に負げない様に見える上を、極めて薄く粉が吹いてゐる。てら/\照る顔ではない。  肉は頬と云はず顎と云はずきちりと締つてゐる。骨の上に余つたものは沢山ない位である。それでゐて、顔全体が柔かい。肉が柔らかいのではない、骨そのものが柔らかい様に思はれる。奥行の長い感じを起させる顔である。  女は腰を曲めた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚ろいたと云ふよりも、寧ろ礼の仕方の巧みなのに驚ろいた。腰から上が、風に乗る紙の様にふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度迄来て苦もなく確然と留つた。無論習つて覚えたものではない。 「一寸伺ひますが……」と云ふ声が白い歯の間から出た。きりゝとしてゐる。然し鷹揚である。たゞ夏のさかりに椎の実が生つてゐるかと人に聞きさうには思はれなかつた。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と云つて立ち留つた。 「十五号室はどの辺になりませう」  十五号は三四郎が今出て来た室である。 「野々宮さんの室ですか」  今度は女の方が「はあ」と云ふ。 「野々宮さんの部屋はね、其角を曲つて突き当つて、又左へ曲がつて、二番目の右側です」 「其角を……」と云ひながら女は細い指を前へ出した。 「えゝ、つい其先の角です」 「どうも難有う」  女は行き過ぎた。三四郎は立つたまゝ、女の後姿を見守つてゐる。女は角へ来た。曲がらうとする途端に振り返つた。三四郎は赤面する許りに狼狽した。女はにこりと笑つて、此角ですかと云ふ様な相図を顔でした。三四郎は思はず首肯いた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違へて室の番号を聞いたのかしらんと思つて、五六歩あるいたが、急に気が付いた。女に十五号を聞かれた時、もう一辺よし子の室へ後戻りをして、案内すればよかつた。残念な事をした。  三四郎は今更取つて帰す勇気は出なかつた。已を得ず又五六歩あるいたが、今度はぴたりと留つた。三四郎の頭の中に、女の結んでゐたリボンの色が映つた。其リボンの色も質も、慥かに野々宮君が兼安で買つたものと同じであると考へ出した時、三四郎は急に足が重くなつた。図書館の横をのたくる様に正門の方へ出ると、どこから来たか与次郎が突然声を掛けた。 「おい何故休んだ。今日は以太利人がマカロニーを如何にして食ふかと云ふ講義を聞いた」と云ひながら、傍へ寄つて来て三四郎の肩を叩いた。  二人は少し一所にあるいた。正門の傍へ来た時、三四郎は、 「君、今頃でも薄いリボンを掛けるものかな。あれは極暑に限るんぢやないか」と聞いた。与次郎はアハヽヽと笑つて、 「○○教授に聞くがいゝ。何でも知つてる男だから」と云つて取り合はなかつた。  正門の所で三四郎は具合が悪いから今日は学校を休むと云ひ出した。与次郎は一所に跟いて来て損をしたと云はぬ許りに教室の方へ帰つて行つた。 四の一  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いてゐると、遠方に聞える。わるくすると肝要な事を書き落す。甚しい時は他人の耳を損料で借りてゐる様な気がする。三四郎は馬鹿々々しくつて堪らない。仕方なしに、与次郎に向つて、どうも近頃は講義が面白くないと言ひ出した。与次郎の答はいつも同じ事であつた。―― 「講義が面白い訳がない。君は田舎者だから、今に偉い事になると思つて、今日迄辛防して聞いてゐたんだらう。愚の至りだ。彼等の講義は開闢以来こんなものだ。今更失望したつて仕方がないや」 「さう云ふ訳でもないが……」と三四郎は弁解する。与次郎のへら/\調と、三四郎の重苦しい口の利き様が、不釣合で甚だ可笑しい。  かう云ふ問答を二三度繰り返してゐるうちに、いつの間にか半月許り経過た。三四郎の耳は漸々借りものでない様になつて来た。すると今度は与次郎の方から、三四郎に向つて、 「どうも妙な顔だな。如何にも生活に疲れてゐる様な顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、此批評に対しても依然として、 「さう云ふ訳でもないが……」を繰り返してゐた。三四郎は世紀末抔と云ふ言葉を聞いて嬉しがる程に、まだ人工的の空気に触れてゐなかつた。またこれを興味ある玩具として使用し得る程に、ある社会の消息に通じてゐなかつた。たゞ生活に疲れてゐるといふ句が少し気に入つた。成程疲れ出した様でもある。三四郎は下痢の為め許りとは思はなかつた。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観のハイカラでもなかつた。それで此会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食慾は進む。二十三の青年が到底人生に疲れてゐる事が出来ない時節が来た。三四郎は能く出る。大学の池の周囲も大分廻つて見たが、別段の変もない。病院の前も何遍となく往復したが普通の人間に逢ふ許りである。又理科大学の穴倉へ行つて野々宮君に聞いて見たら、妹はもう病院を出たと云ふ。玄関で逢つた女の事を話さうと思つたが、先方が忙しさうなので、つい遠慮して已めて仕舞つた。今度大久保へ行つて緩くり話せば、名前も素性も大抵は解る事だから、焦かずに引き取つた。さうして、ふわ/\して諸方歩いてゐる。田端だの、道灌山だの、染井の墓地だの、巣鴨の監獄だの、護国寺だの、――三四郎は新井の薬師迄も行つた。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て、野々宮君の家へ廻らうと思つたら、落合の火葬場の辺で途を間違へて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗つて帰つた。汽車の中で見舞に買つた栗を一人で散々食つた。其余りは翌日与次郎が来て、みんな平げた。  三四郎はふわ/\すればする程愉快になつて来た。初めのうちは余り講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなつて筆記に困つたが、近頃は大抵に聴いてゐるから何ともない。講義中に色々な事を考へる。少し位落しても惜しい気も起らない。よく観察して見ると与次郎始めみんな同じ事である。三四郎は此位で好いものだらうと思ひ出した。  三四郎が色々考へるうちに、時々例のリボンが出て来る。さうすると気掛りになる。甚だ不愉快になる。すぐ大久保へ出掛けて見たくなる。然し想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくすると紛れて仕舞ふ。だから大体は呑気である。それで夢を見てゐる。大久保へは中々行かない。 四の二  ある日の午後三四郎は例の如くぶら付いて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴と云つて、此頃は東京の空も田舎の様に深く見える。かう云ふ空の下に生きてゐると思ふ丈でも頭は明確する。其上野へ出れば申し分はない。気が暢び/\して魂が大空程の大きさになる。それで居て身体惣体が緊つて来る。だらしのない春の長閑さとは違ふ。三四郎は左右の生垣を眺めながら、生れて始めての東京の秋を嗅ぎつゝ遣つて来た。  坂下では菊人形が二三日前開業したばかりである。坂を曲る時は幟さへ見えた。今はたゞ声丈聞える。どんちやん/\遠くから囃してゐる。其囃の音が、下の方から次第に浮き上がつて来て、澄み切つた秋の空気のなかへ広がり尽すと、遂には極めて稀薄な波になる。其又余波が三四郎の鼓膜の傍迄来て自然に留る。騒がしいといふよりは却つて好い心持である。  時に突然左りの横町から二人あらはれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と云ふ。  与次郎の声は今日に限つて、几帳面である。其代り連がある。三四郎は其連を見たとき、果して日頃の推察通り、青木堂で茶を飲んでゐた人が、広田さんであると云ふ事を悟つた。此人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで烟草を呑んで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、一層よく記憶に染みてゐる。いつ見ても神主の様な顔に西洋人の鼻を付けてゐる。今日も此間の夏服で、別段寒さうな様子もない。  三四郎は何とか云つて、挨拶をしやうと思つたが、あまり時間が経つてゐるので、どう口を利いていゝか分らない。たゞ帽子を取つて礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧過ぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎は何方付かずの中間に出た。すると与次郎が、すぐ、 「此男は私の同級生です。熊本の高等学校から始めて東京へ出て来た――」と聴かれもしない先から田舎ものを吹聴して置いて、それから三四郎の方を向いて、 「是が広田先生。高等学校の……」と訳もなく双方を紹介して仕舞つた。  此時広田先生は「知つてる、/\」と二返繰り返して云つたので、与次郎は妙な顔をしてゐる。然し、何故知つてるんですか抔と面倒な事は聞かなかつた。たゞちに、 「君、此辺に貸家はないか。広くて、奇麗な、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。汚なくつちや不可ないぜ」 「いや奇麗なのがある。大きな石の門が立つてゐるのがある」 「そりや旨い。どこだ。先生、石の門は可いですな。是非それに仕様ぢやありませんか」と与次郎は大いに進んでゐる。 「石の門は不可ん」と先生が云ふ。 「不可ん? そりや困る。何故不可です」 「何故でも不可ん」 「石の門は可いがな。新らしい男爵の様で可いぢやないですか、先生」  与次郎は真面目である。広田先生はにや/\笑つてゐる。とう/\真面目の方が勝つて、兎も角も見る事に相談が出来て、三四郎が案内をした。 四の三  横町を後へ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思はれる様な小路がある。其小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。真直に行くと植木屋の庭へ出て仕舞ふ。三人は入口の五六間手前で留つた。右手に可なり大きな御影の柱が二本立つてゐる。扉は鉄である。三四郎が是だと云ふ。成程貸家札が付いてゐる。 「こりや恐ろしいもんだ」と云ひながら、与次郎は鉄の扉をうんと推したが、錠が卸りてゐる。「一寸御待ちなさい聞いてくる」と云ふや否や、与次郎は植木屋の奥の方へ馳け込んで行つた。広田と三四郎は取り残された様なものである。二人で話を始めた。 「東京は如何です」 「えゝ……」 「広い許で汚ない所でせう」 「えゝ……」 「富士山に比較する様なものは何にもないでせう」  三四郎は富士山の事を丸で忘れてゐた。広田先生の注意によつて、汽車の窓から始めて眺めた富士は、考へ出すと、成程崇高なものである。たゞ今自分の頭の中にごた/\してゐる世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象を何時の間にか取り落してゐたのを恥づかしく思つた。すると、 「君、不二山を翻訳して見た事がありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然を翻訳すると、みんな人間に化けて仕舞ふから面白い。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎は翻訳の意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳する事の出来ない輩には、自然が毫も人格上の感化を与へてゐない」  三四郎はまだあとが有るかと思つて、黙つて聞いてゐた。所が広田さんは夫で已めて仕舞つた。植木屋の奥の方を覗いて、 「佐々木は何をしてゐるのか知ら。遅いな」と独り言の様に云ふ。 「見て来ませうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見に行つたつて、それで出て来る様な男ぢやない。それより此所に待つてる方が手間が掛らないでいゝ」と云つて枳殻の垣根の下に跼がんで、小石を拾つて、土の上へ何か描き出した。呑気な事である。与次郎の呑気とは方角が反対で、程度が略相似てゐる。  所へ植込の松の向から、与次郎が大きな声を出した。 「先生々々」  先生は依然として、何か描いてゐる。どうも燈明台の様である。返事をしないので、与次郎は仕方なしに出て来た。 「先生一寸見て御覧なさい。好い家だ。この植木屋で持つてるんです。門を開けさせても好いが、裏から廻つた方が早い」  三人は裏から廻つた。雨戸を明けて、一間々々見て歩いた。中流の人が住んで恥づかしくない様に出来てゐる。家賃が四十円で、敷金が三ヶ月分だと云ふ。三人はまた表へ出た。 「何で、あんな立派な家を見るのだ」と広田さんが云ふ。 「何で見るつて、たゞ見る丈だから好いぢやありませんか」と与次郎は云ふ。 「借りもしないのに……」 「なに借りる積で居たんです。所が家賃をどうしても弐十五円にしやうと云はない……」  広田先生は「当り前さ」と云つた限である。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。此間迄ある出入りの屋敷の入口にあつたのを、改築のとき貰つて来て、直あすこへ立てたのだと云ふ。与次郎丈に妙な事を研究して来た。 四の四  それから三人は元の大通りへ出て、動坂から田端の谷へ下りたが、下りた時分には三人ともただ歩いてゐる。貸家の事はみんな忘れて仕舞つた。ひとり与次郎が時々石の門の事を云ふ。麹町からあれを千駄木迄引いてくるのに、手間が五円程かゝつた抔と云ふ。あの植木屋は大分金持らしい抔とも云ふ。あすこへ四十円の貸家を建てゝ、全体誰が借りるだらう抔と余計なこと迄云ふ。遂には、今に借手がなくつて屹度家賃を下げるに違ないから、其時もう一遍談判して是非借りやうぢやありませんかと云ふ結論であつた。広田先生は別に、さういふ料簡もないと見えて、かう云つた。 「君が、あんまり余計な話ばかりしてゐるものだから、時間が掛つて仕方がない。好加減にして出て来るものだ」 「余程長くかゝりましたか。何か画をかいてゐましたね。先生も随分呑気だな」 「何方が呑気か分りやしない」 「ありや何の画です」  先生は黙つてゐる。其時三四郎が真面目な顔をして、 「燈台ぢやないですか」と聞いた。画手と与次郎は笑ひ出した。 「燈台は奇抜だな。ぢや野々宮宗八さんを画いて入らしつたんですね」 「何故」 「野々宮さんは外国ぢや光つてるが、日本ぢや真暗だから。――誰も丸で知らない。それで僅ばかりの月給を貰つて、穴倉へ立籠つて――、実に割に合はない商買だ。野々宮さんの顔を見る度に気の毒になつて堪らない」 「君なぞは自分の坐つてゐる周囲方二尺位の所をぼんやり照らす丈だから、丸行燈の様なものだ」  丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生れかな」と聞いた。三四郎は単簡に、 「僕は二十三だ」と答へた。 「そんなものだらう。――先生僕は丸行燈だの、雁首だのつて云ふものが、どうも嫌ですがね。明治十五年以後に生れた所為かも知れないが、何だか旧式で厭な心持がする。君はどうだ」と又三四郎の方を向く。三四郎は、 「僕は別段嫌でもない」と云つた。 「尤も君は九州の田舎から出た許だから、明治元年位の頭と同じなんだらう」  三四郎も広田も是に対して別段の挨拶をしなかつた。少し行くと古い寺の隣りの杉林を切り倒して、奇麗に地平をした上に、青ペンキ塗の西洋館を建てゝゐる。広田先生は寺とペンキ塗を等分に見てゐた。 「時代錯誤だ。日本の物質界も精神界も此通りだ。君、九段の燈明台を知つてゐるだらう」と又燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図絵に出てゐる」 「先生冗談云つちや不可ません。なんぼ九段の燈明台が旧いたつて、江戸名所図絵に出ちや大変だ」  広田先生は笑ひ出した。実は東京名所と云ふ錦絵の間違だと云ふ事が解つた。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残つてゐる傍に、階行社と云ふ新式の錬瓦作りが出来た。二つ並べて見ると実に馬鹿気てゐる。けれども誰も気が付かない、平気でゐる。是が日本の社会を代表してゐるんだと云ふ。  与次郎も三四郎も成程と云つた儘、御寺の前を通り越して、五六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、此所を抜けて道灌山へ出様と云ひ出した。抜けても可いのかと念を押すと、なに是は佐竹の下屋敷で、誰でも通れるんだから構はないと主張するので、二人共其気になつて門を潜つて、藪の下を通つて古い池の傍迄来ると、番人が出て来て、大変に三人を叱り付けた。其時与次郎はへい/\と云つて番人に詫まつた。  それから谷中へ出て、根津を廻つて、夕方に本郷の下宿へ帰つた。三四郎は近来にない気楽な半日を暮した様に感じた。 四の五  翌日学校へ出て見ると与次郎が居ない。午から来るかと思つたが来ない。図書館へも這入つたが矢っ張り見当らなかつた。五時から六時迄純文科共通の講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記をするには暗過ぎる。電燈が点くには早過ぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、室の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしてゐる。従つて暗闇で饅頭を食ふ様に、何となく神秘的である。三四郎は講義が解らない所が妙だと思つた。頬杖を突いて聴いてゐると、神経が鈍くなつて、気が遠くなる。これでこそ講義の価値がある様な心持がする。所へ電燈がぱつと点いて、万事が稍明瞭になつた。すると急に下宿へ帰つて飯が食ひたくなつた。先生もみんなの心を察して、好い加減に講義を切り上げて呉れた。三四郎は早足で追分迄帰つてくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向ふと、膳の上に、茶碗蒸と一所に手紙が一本載せてある。其上封を見たとき、三四郎はすぐ母から来たものだと悟つた。済まん事だが此半月あまり母の事は丸で忘れてゐた。昨日から今日へ掛けては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影も一向頭の中へ出て来なかつた。三四郎は夫で満足である。母の手紙はあとで緩くり覧る事として、取り敢ず食事を済まして、烟草を吹かした。其烟を見ると先刻の講義を思ひ出す。  そこへ与次郎がふらりと現はれた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家探しで学校所ぢやないさうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐつて先月中に越す筈の所を明後日の天長節迄待たしたんだから、どうしたつて明日中に探さなければならない。どこか心当りはないか」と云ふ。  こんなに忙しがる癖に、昨日は散歩だか、貸家探しだか分らない様にぶら/\潰してゐた。三四郎には殆んど合点が行かない。与次郎は之を解釈して、それは先生が一所だからさと云つた。「元来先生が家を探すなんて間違つてゐる。決して探した事のない男なんだが、昨日はどうかしてゐたに違ない。御蔭で佐竹の邸で苛い目に叱られて好い面の皮だ。――君何所かないか」と急に催促する。与次郎が来たのは全くそれが目的らしい。能く/\原因を聞いて見ると、今の持主が高利貸で、家賃を無暗に上げるのが、業腹だと云ふので、与次郎が此方から立退を宣告したのださうだ。それでは与次郎に責任がある訳だ。 「今日は大久保迄行つて見たが、矢っ張りない。――大久保と云へば、序に宗八さんの所へ寄つて、よし子さんに逢つて来た。可哀さうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――御母さんが君に宜しく云つて呉れつてことだ。しかし其後はあの辺も穏やかな様だ。轢死もあれぎりないさうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生から締りのない上に、今日は家探しで少し焦き込んでゐる。話が一段落つくと、相の手の様に、何所かないか/\と聞く。仕舞には三四郎も笑ひ出した。 四の六  そのうち与次郎の尻が次第に落ち付いて来て、燈火親しむべし抔といふ漢語さへ借用して嬉しがる様になつた。話題は端なく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名は何と云ふのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠が余計だ。字引にあるか知らん。妙な名を付けたものだね」と云ふ。 「高等学校の先生か」 「昔から今日に至る迄高等学校の先生。えらいものだ。十年一日の如しと云ふが、もう十二三年になるだらう」 「子供は居るのか」 「小供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚ろいた。あの年迄一人で居られるものかとも疑つた。 「何故奥さんを貰はないのだらう」 「そこが先生の先生たる所で、あれで大変な理論家なんだ。細君を貰つて見ない先から、細君はいかんものと理論で極つてゐるんださうだ。愚だよ。だから始終矛盾ばかりしてゐる。先生、東京程汚ない所はない様に云ふ。それで石の門を見ると恐れを作して、不可ん/\とか、立派過ぎるとかいふだらう」 「ぢや細君も試みに持つて見たら好からう」 「大いに佳しとか何とかいふかも知れない」 「先生は東京が汚ないとか、日本人が醜いとか云ふが、洋行でもした事があるのか」 「なにするもんか。あゝ云ふ人なんだ。万事頭の方が事実より発達してゐるんだから、あゝなるんだね。其代り西洋は写真で研究してゐる。巴理の凱旋門だの、倫敦の議事堂だの沢山持つてゐる。あの写真で日本を律するんだから堪らない。汚ない訳さ。それで自分の住んでる所は、いくら汚なくつても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗つて居つたぞ」 「汚ない/\つて不平を云やしないか」 「いや別に不平も云はなかつた」 「然し先生は哲学者だね」 「学校で哲学でも教へてゐるのか」 「いや学校ぢや英語丈しか受持つてゐないがね、あの人間が、自から哲学に出来上つてゐるから面白い」 「著述でもあるのか」 「何にもない。時々論文を書く事はあるが、ちつとも反響がない。あれぢや駄目だ。丸で世間が知らないんだから仕様がない。先生、僕の事を丸行燈だといつたが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たら好ささうなものだな」 「出たら好ささうなものだつて、――先生、自分ぢや何にも遣らない人だからね。第一僕が居なけりや三度の飯さへ食へない人なんだ」  三四郎は真逆と云はぬ許に笑ひ出した。 「嘘ぢやない。気の毒な程何にも遣らない人でね。何でも、僕が下女に命じて、先生の気に入る様に始末を付けるんだが――そんな瑣末な事は兎に角、是から大いに活動して、先生を一つ大学教授にして遣らうと思ふ」  与次郎は真面目である。三四郎は其大言に驚ろいた。驚ろいても構はない。驚ろいた儘に進行して、仕舞に、 「引越をする時は是非手伝に来て呉れ」と頼んだ。丸で約束の出来た家が、とうからある如き口吻である。さうして直帰つた。 四の七  与次郎の帰つたのは彼是十時近くである。一人で坐つて居ると、何処となく肌寒の感じがする。不図気が付いたら、机の前の窓がまだ閉てずにあつた。障子を明けると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、蒼い光りが射して、黒い影の縁が少し烟つて見える。檜に秋が来たのは珍らしいと思ひながら、雨戸を閉てた。  三四郎はすぐ床へ這入つた。三四郎は勉強家といふより寧ろ徊家なので、割合書物を読まない。其代りある掬すべき情景に逢ふと、何遍もこれを頭の中で新たにして喜こんでゐる。其方が命に奥行がある様な気がする。今日も、何時もなら、神秘的講義の最中に、ぱつと電燈が点く所などを繰返して嬉しがる筈だが、母の手紙があるので、まづ、それから片付始めた。  手紙には新蔵が蜂蜜を呉れたから、焼酎を混ぜて、毎晩盃に一杯づゝ飲んでゐるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵づゝ持つてくる。至つて正直ものだが、疳癪が強いので、時々女房を薪で擲る事がある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼ひ出した昔の事迄思ひ浮べた。それは五年程前である。裏の椎の木に蜜蜂が二三百疋ぶら下がつてゐたのを見付けて、すぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、悉く生捕にした。それから之を箱へ入れて、出入りの出来る様な穴を開けて、日当りの好い石の上に据ゑてやつた。すると蜂が段々殖えて来る。箱が一では足りなくなる。二つにする。又足りなくなる。三つにする。と云ふ風に殖して行つた結果、今では何でも六箱か七箱ある。其うちの一箱を年に一度づゝ石から卸して蜂の為に蜜を切り取ると云つてゐた。毎年夏休みに帰るたびに蜜を上げませうと云はない事はないが、ついに持つて来た例がなかつた。が今年は物覚が急に善くなつて、年来の約束を履行したものであらう。  平太郎が親爺の石塔を建てたから見に来て呉れろと頼みにきたとある。行つて見ると、木も草も生えてゐない庭の赤土の真中に、御影石で出来てゐたさうである。平太郎は其御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とか掛つて、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かには分らないが、貴所のとこの若旦那は大学校へ這入つてゐる位だから、石の善悪は屹度分る。今度手紙の序に聞いて見て呉れ、さうして十円も掛けて親爺の為に拵へてやつた石塔を賞て貰つてくれと云ふんださうだ。――三四郎は独りでくす/\笑ひ出した。千駄木の石門より余程烈しい。  大学の制服を着た写真を寄こせとある。三四郎は何時か撮つて遣らうと思ひながら、次へ移ると、案の如く三輪田の御光さんが出て来た。――此間御光さんの御母さんが来て、三四郎さんも近々大学を卒業なさる事だが、卒業したら宅の娘を貰つて呉れまいかと云ふ相談であつた。御光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地も大分あるし、其上家と家との今迄の関係もある事だから、さうしたら双方共都合が好いだらうと書いて、そのあとへ但し書が付けてある。――御光さんも嬉しがるだらう。――東京のものは気心が知れないから私はいやぢや。  三四郎は手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いた儘眼を眠つた。鼠が急に天井で暴れ出したが、やがて静まつた。 四の八  三四郎には三つの世界が出来た。一つは遠くにある。与次郎の所謂明治十五年以前の香がする。凡てが平穏である代りに凡てが寐坊気てゐる。尤も帰るに世話は入らない。戻らうとすれば、すぐに戻れる。たゞ、いざとならない以上は戻る気がしない。云はゞ立退場の様なものである。三四郎は脱ぎ棄てた過去を、此立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さへ此所に葬つたかと思ふと、急に勿体なくなる。そこで手紙が来た時丈は、しばらく此世界に徊して旧歓を温める。  第二の世界のうちには、苔の生えた錬瓦造りがある。片隅から片隅を見渡すと、向ふの人の顔がよく分らない程に広い閲覧室がある。梯子を掛けなければ、手の届きかねる迄高く積み重ねた書物がある。手摺れ、指の垢、で黒くなつてゐる。金文字で光つてゐる。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それから凡ての上に積つた塵がある。此塵は二三十年かゝつて漸く積つた貴とい塵である。静かな月日に打ち勝つ程の静かな塵である。  第二の世界に動く人の影を見ると、大抵不精な髭を生やしてゐる。あるものは空を見て歩いてゐる。あるものは俯向いて歩いてゐる。服装は必ず穢ない。生計は屹度貧乏である。さうして晏如としてゐる。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸して憚からない。このなかに入るものは、現世を知らないから不幸で、火宅を逃れるから幸である。広田先生は此内にゐる。野々宮君も此内にゐる。三四郎は此内の空気を略解し得た所にゐる。出れば出られる。然し折角解し掛けた趣味を思ひ切つて捨てるのも残念だ。  第三の世界は燦として春の如く盪いてゐる。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つ三鞭の盃がある。さうして凡ての上の冠として美くしい女性がある。三四郎はその女性の一人に口を利いた。一人を二遍見た。此世界は三四郎に取つて最も深厚な世界である。此世界は鼻の先にある。たゞ近づき難い。近づき難い点に於て、天外の稲妻と一般である。三四郎は遠くから此世界を眺めて、不思議に思ふ。自分が此世界のどこかへ這入らなければ、其世界のどこかに陥欠が出来る様な気がする。自分は此世界のどこかの主人公であるべき資格を有してゐるらしい。それにも拘はらず、円満の発達を冀ふべき筈の此世界が、却つて自らを束縛して、自分が自由に出入すべき通路を塞いでゐる。三四郎にはこれが不思議であつた。  三四郎は床のなかで、此三の世界を並べて、互に比較して見た。次に此三の世界を掻き混ぜて、其中から一つの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美くしい細君を迎へて、さうして身を学問に委ねるに越した事はない。  結果は頗る平凡である。けれども此結果に到着する前に色々考へたのだから、思索の労力を打算して、結論の価値を上下しやすい思索家自身から見ると、夫程平凡ではなかつた。  たゞかうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させる事になる。美くしい女性は沢山ある。美くしい女性を翻訳すると色々になる。――三四郎は広田先生にならつて、翻訳と云ふ字を使つて見た。――苟しくも人格上の言葉に翻訳の出来る限りは、其翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己の個性を完からしむる為に、なるべく多くの美しい女性に接触しなければならない。細君一人を知つて甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にする様なものである。  三四郎は論理を此所迄延長して見て、少し広田さんにかぶれたなと思つた。実際の所は、これ程痛切に不足を感じてゐなかつたからである。 四の九  翌日学校へ出ると講義は例によつて詰らないが、室内の空気は依然として俗を離れてゐるので、午後三時迄の間に、すつかり第二の世界の人となり終せて、さも偉人の様な態度を以て、追分の交番の前迄来ると、ぱつたり与次郎に出逢つた。 「アハヽヽ。アハヽヽ」  偉人の態度は是が為に全く崩れた。交番の巡査さへ薄笑ひをしてゐる。 「なんだ」 「なんだも無いものだ。もう少し普通の人間らしく歩くがいゝ。丸で浪漫的アイロニーだ」  三四郎には此洋語の意味がよく分らなかつた。仕方がないから、 「家はあつたか」と聞いた。 「その事で今君の所へ行つたんだ――明日愈引越す。手伝に来て呉れ」 「何所へ越す」 「西片町十番地への三号。九時迄に向へ行つて掃除をしてね。待つてゝ呉れ。あとから行くから。いゝか、九時迄だぜ。への三号だよ。失敬」  与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰つた。其晩取つて返して、図書館で浪漫的アイロニーと云ふ句を調べて見たら、独乙のシユレーゲルが唱へ出した言葉で、何でも天才と云ふものは、目的も努力もなく、終日ぶら/\ぶら付いて居なくつては駄目だと云ふ説だと書いてあつた。三四郎は漸く安心して、下宿へ帰つて、すぐ寐た。  翌日は約束だから、天長節にも拘はらず、例刻に起きて、学校へ行く積りで西片町十番地へ這入つて、への三号を調べて見ると、妙に細い通りの中程にある。古い家だ。  玄関の代りに西洋間が一つ突き出してゐて、それと鉤の手に座敷がある。座敷の後ろが茶の間で、茶の間の向が勝手、下女部屋と順に並んでゐる。外に二階がある。但し何畳だか分らない。  三四郎は掃除を頼まれたのだが、別に掃除をする必要もないと認めた。無論奇麗ぢやない。然し何と云つて、取つて捨てべきものも見当らない。強ひて捨てれば畳建具位なものだと考へながら、雨戸丈を明けて、座敷の縁側へ腰を掛けて庭を眺めて居た。  大きな百日紅がある。然し是は根が隣りにあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、此方の領分を冒してゐる丈である。大きな桜がある。是は慥かに垣根の中に生えてゐる。其代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話の妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊と見えて、一向咲いて居ない。此外には何にもない。気の毒な様な庭である。たゞ土丈は平らで、肌理が細かで甚だ美くしい。三四郎は土を見てゐた。実際土を見る様に出来た庭である。  そのうち高等学校で天長節の式の始まる号鐘が鳴り出した。三四郎は号鐘を聞きながら九時が来たんだらうと考へた。何もしないでゐても悪いから、桜の枯葉でも掃かうかしらんと漸く気が付いた時、箒がないといふ事を考へ出した。また縁側へ腰を掛けた。掛けて二分もしたかと思ふと、庭木戸がすうと明いた。さうして思も寄らぬ池の女が庭の中にあらはれた。 四の十  二方は生垣で仕切つてある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎は此狭い囲の中に立つた池の女を見るや否や、忽ち悟つた。――花は必ず剪つて、瓶裏に眺むべきものである。  此時三四郎の腰は縁側を離れた。女は折戸を離れた。 「失礼で御座いますが……」  女は此句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例の通り前へ浮かしたが、顔は決して下げない。会釈しながら、三四郎を見詰めてゐる。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時に其眼が三四郎の眸に映つた。  二三日前三四郎は美学の教師からグルーズの画を見せてもらつた。其時美学の教師が、此人の画いた女の肖像は悉く※[#濁点付き片仮名オ、369-5]ラプチユアスな表情に富んでゐると説明した。※[#濁点付き片仮名オ、369-5]ラプチユアス! 池の女の此時の眼付を形容するには是より外に言葉がない。何か訴へてゐる。艶なるあるものを訴へてゐる。さうして正しく官能に訴へてゐる。けれども官能の骨を透して髄に徹する訴へ方である。甘いものに堪え得る程度を超えて、烈しい刺激と変ずる訴へ方である。甘いと云はんよりは苦痛である。卑しく媚びるのとは無論違ふ。見られるものの方が是非媚びたくなる程に残酷な眼付である。しかも此女にグルーズの画と似た所は一つもない。眼はグルーズのより半分も小さい。 「広田さんの御移転になるのは、此方で御座いませうか」 「はあ、此所です」  女の声と調子に較べると、三四郎の答は頗るぶつきら棒である。三四郎も気が付いてゐる。けれども外に云ひ様がなかつた。 「まだ御移りにならないんで御座いますか」女の言葉は明確してゐる。普通の様に後を濁さない。 「まだ来ません。もう来るでせう」  女はしばし逡巡つた。手に大きな籃を提げてゐる。女の着物は例によつて、分らない。ただ何時もの様に光らない丈が眼についた。地が何だかぶつ/\してゐる。夫に縞だか模様だかある。その模様が如何にも出鱈目である。  上から桜の葉が時落ちて来る。其一つが籃の蓋の上に乗つた。乗つたと思ふうちに吹かれて行つた。風が女を包んだ。女は秋の中に立つてゐる。 「あなたは……」  風が隣りへ越した時分、女が三四郎に聞いた。 「掃除に頼まれて来たのです」と云つたが、現に腰を掛けてぽかんとしてゐた所を見られたのだから、三四郎は自分でも可笑しくなつた。すると女も笑ひながら、 「ぢや私も少し御待ち申しませうか」と云つた。其云ひ方が三四郎に許諾を求める様に聞えたので、三四郎は大いに愉快であつた。そこで「あゝ」と答へた。三四郎の料簡では、「ああ、御待ちなさい」を略した積である。女はそれでもまだ立つてゐる。三四郎は仕方がないから、 「あなたは……」と向で聞いた様な事を此方からも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎に呉れた。 四の十一  名刺には里見美禰子とあつた。本郷真砂町だから谷を越すとすぐ向である。三四郎が此名刺を眺めてゐる間に、女は椽に腰を卸した。 「あなたには御目に掛りましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔を挙げた。 「はあ。いつか病院で……」と云つて女も此方を向いた。 「まだある」 「それから池の端で……」と女はすぐ云つた。能く覚えてゐる。三四郎はそれで云ふ事がなくなつた。女は最後に、 「どうも失礼致しました」と句切りをつけたので、三四郎は、 「いゝえ」と答へた。頗る簡潔である。両人は桜の枝を見てゐた。梢に虫の食つた様な葉が僅ばかり残つてゐる。引越の荷物は中々遣つて来ない。 「何か先生に御用なんですか」  三四郎は突然かう聞いた。高い桜の枯枝を余念なく眺めて居た女は、急に三四郎の方を振り向く。あら喫驚した、苛いわ、といふ顔付であつた。然し答は尋常である。 「私も御手伝に頼まれました」  三四郎は此時始めて気が付いて見ると、女の腰を掛けてゐる椽に砂が一杯たまつてゐる。 「砂で大変だ。着物が汚れます」 「えゝ」と左右を眺めた限である。腰を上げない。しばらく椽を見廻はした眼を、三四郎に移すや否や、 「掃除はもうなすつたんですか」と聞いた。笑つてゐる。三四郎は其笑の中に馴れ易いあるものを認めた。 「まだ遣らんです」 「御手伝をして、一所に始めませうか」  三四郎はすぐに立つた。女は動かない。腰を掛けた儘、箒やハタキの在家を聞く。三四郎は、たゞ空手で来たのだから、どこにもない。何なら通りへ行つて買つて来やうかと聞くと、それは徒費だから、隣で借りる方が好からうと云ふ。三四郎はすぐ隣へ行つた。早速箒とハタキと、それから馬尻と雑巾迄借りて急いで帰つてくると、女は依然として故の所へ腰をかけて、高い桜の枝を眺めてゐた。 「あつて……」と一口云つた丈である。  三四郎は箒を肩へ担いで、馬尻を右の手にぶら下げて、「えゝ、ありました」と当り前の事を答へた。  女は白足袋の儘砂だらけの縁側へ上がつた。あるくと細い足の痕が出来る。袂から白い前垂を出して帯の上から締めた。其前垂の縁がレースの様に縢つてある。掃除をするには勿体ない程奇麗な色である。女は箒を取つた。 「一旦掃き出しませう」と云ひながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へ担いだ。奇麗な手が二の腕迄出た。担いだ袂の端からは美くしい襦袢の袖が見える。茫然として立つてゐた三四郎は、突然馬尻を鳴らして勝手口へ廻つた。 四の十二  美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾を掛ける。三四郎が畳を敲く間に、美禰子が障子をはたく。どうかかうか掃除が一通り済んだ時は二人共大分親しくなつた。  三四郎が馬尻の水を取り換に台所へ行つたあとで、美禰子がハタキと箒を持つて二階へ上つた。 「一寸来て下さい」と上から三四郎を呼ぶ。 「何ですか」と馬尻を提げた三四郎が、楷子段の下から云ふ。女は暗い所に立つてゐる。前垂だけが真白だ。三四郎は馬尻を提げた儘二三段上つた。女は凝としてゐる。三四郎は又二段上つた。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺許りの距離に来た。 「何ですか」 「何だか暗くつて分らないの」 「何故」 「何故でも」  三四郎は追窮する気がなくなつた。美禰子の傍を擦り抜けて上へ出た。馬尻を暗い縁側へ置いて戸を明ける。成程桟の具合が善く分らない。そのうち美禰子も上がつて来た。 「まだ開からなくつて」  美禰子は反対の側へ行つた。 「此方です」  三四郎はだまつて、美禰子の方へ近寄つた。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、馬尻に蹴爪づいた。大きな音がする。漸くの事で戸を一枚明けると、強い日がまともに射し込んだ。眩[#ルビの「まぼ」はママ]しい位である。二人は顔を見合せて思はず笑ひ出した。  裏の窓も開ける。窓には竹の格子が付いてゐる。家主の庭が見える。鶏を飼つてゐる。美禰子は例の如く掃き出した。三四郎は四つ這になつて、後から拭き出した。美禰子は箒を両手で持つた儘、三四郎の姿を見て、 「まあ」と云つた。  やがて、箒を畳の上へ抛げ出して、裏の窓の所へ行つて、立つた儘外面を眺めてゐる。そのうち三四郎も拭き終つた。濡れ雑巾を馬尻の中へぼちやんと擲き込んで、美禰子の傍へ来て、並んだ。 「何を見てゐるんです」 「中てゝ御覧なさい」 「鶏ですか」 「いゝえ」 「あの大きな木ですか」 「いゝえ」 「ぢや何を見てゐるんです。僕には分らない」 「私先刻からあの白い雲を見て居りますの」  成程白い雲が大きな空を渡つてゐる。空は限りなく晴れて、どこ迄も青く澄んでゐる上を、綿の光つた様な濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が烈しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地が透いて見える程に薄くなる。あるひは吹き散らされながら、塊まつて、白く柔らかな針を集めた様に、さゝくれ立つ。美禰子は其塊を指さして云つた。 「駝鳥の襟巻に似てゐるでせう」  三四郎はボーアと云ふ言葉を知らなかつた。それで知らないと云つた。美禰子は又、 「まあ」と云つたが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。其時三四郎は、 「うん、あれなら知つとる」と云つた。さうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあの位に動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、此間野々宮さんから聞いた通りを教へた。美禰子は、 「あらさう」と云ひながら三四郎を見たが、 「雪ぢや詰らないわね」と否定を許さぬ様な調子であつた。 「何故です」 「何故でも、雲は雲でなくつちや不可ないわ。かうして遠くから眺めてゐる甲斐がないぢやありませんか」 「さうですか」 「さうですかつて、あなたは雪でも構はなくつて」 「あなたは高い所を見るのが好の様ですな」 「えゝ」  美禰子は竹の格子の中から、まだ空を眺めてゐる。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。 四の十三  所へ遠くから荷車の音が聞える。今、静かな横町を曲つて、此方へ近付いて来るのが地響でよく分る。三四郎は「来た」と云つた。美禰子は「早いのね」と云つた儘凝としてゐる。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもある様に耳を澄してゐる。車は落付いた秋の中を容赦なく近付いて来る。やがて門の前へ来て留つた。  三四郎は美禰子を捨てゝ二階を馳け降りた。三四郎が玄関へ出るのと、与次郎が門を這入るのとが同時同刻であつた。 「早いな」と与次郎が先づ声を掛けた。 「遅いな」と三四郎が応へた。美禰子とは反対である。 「遅いつて、荷物を一度に出したんだから仕方がない。それに僕一人だから。余は下女と車屋許でどうする事も出来ない」 「先生は」 「先生は学校」  二人が話を始めてゐるうちに、車屋が荷物を卸し始めた。下女も這入つて来た。台所の方を下女と車屋に頼んで、与次郎と三四郎は書物を西洋間へ入れる。書物が沢山ある。並べるのは一仕事だ。 「里見の御嬢さんは、まだ来てゐないか」 「来てゐる」 「何所に」 「二階にゐる」 「二階に何をしてゐる」 「何をしてゐるか、二階にゐる」 「冗談ぢやない」  与次郎は本を一冊持つた儘、廊下伝ひに階子段の下迄行つて、例の通りの声で、 「里見さん、里見さん。書物を片付るから、一寸手伝つて下さい」と云ふ。 「たゞ今参ります」  箒とハタキを持つて、美禰子は静かに降りて来た。 「何をして居たんです」と下から与次郎が焦き立てる様に聞く。 「二階の御掃除」と上から返事があつた。  降りるのを待ち兼ねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力の卸した書物が一杯積んである。三四郎が其中へ、向ふむきに跼がんで、しきりに何か読み始めてゐる。 「まあ大変ね。是をどうするの」と美禰子が云つた時、三四郎は跼がみながら振り返つた。にや/\笑つてゐる。 「大変も何もありやしない。これを室の中へ入れて、片付けるんです。今に先生も帰つて来て手伝ふ筈だから訳はない。――君、跼がんで本なんぞ読み出しちや困る。後で借りて行つて緩くり読むがいゝ」と与次郎が小言を云ふ。  美禰子と三四郎が戸口で本を揃へると、それを与次郎が受取つて室の中の書棚へ並べるといふ役割が出来た。 「さう乱暴に、出しちや困る。まだ此続きが一冊ある筈だ」と与次郎が青い平たい本を振り廻す。 「だつて無いんですもの」 「なに無い事があるものか」 「有つた、有つた」と三四郎が云ふ。 「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリー、オフ、インテレクチユアル、デ※[#濁点付き片仮名エ、380-5]ロツプメント。あら有つたのね」 「あら有つたも無いもんだ。早く御出しなさい」 四の十四  三人は約三十分許根気に働いた。仕舞にはさすがの与次郎もあまり焦つ付かなくなつた。見ると書棚の方を向いて胡坐をかいて黙つてゐる。美禰子は三四郎の肩を一寸突つ付いた。三四郎は笑ひながら、 「おい如何した」と聞く。 「うん。先生もまあ、斯んなに入りもしない本を集めて如何する気かなあ。全く人泣かせだ。今之を売つて株でも買つて置くと儲かるんだが、仕方がない」と嘆息した儘、矢っ張り壁を向いて胡坐をかいてゐる。  三四郎と美禰子は顔を見合せて笑つた。肝心の主脳が動かないので、二人共書物を揃へるのを控へてゐる。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝の上に開いた。勝手の方では臨時雇の車夫と下女がしきりに論判してゐる。大変騒しい。 「一寸御覧なさい」と美禰子が小さな声で云ふ。三四郎は及び腰になつて、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪で香水の匂がする。  画はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になつて、魚の胴が、ぐるりと腰を廻つて、向ふ側に尾だけ出てゐる。女は長い髪を櫛で梳きながら、梳き余つたのを手に受けながら、此方を向いてゐる。背景は広い海である。 「人魚」 「人魚」  頭を擦り付けた二人は同じ事をさゝやいだ。此時胡坐をかいてゐた与次郎が何と思つたか、 「何だ、何を見てゐるんだ」と云ひながら廊下へ出て来た。三人は首を鳩めて画帖を一枚毎に繰つて行つた。色々な批評が出る。みんな好加減である。  所へ広田先生がフロツクコートで天長節の式から帰つて来た。三人は挨拶をするときに画帖を伏せて仕舞つた。先生が書物丈早く片付様といふので、三人が又根気に遣り始めた。今度は主人公がゐるので、さう油を売る事も出来なかつたと見えて、一時間後には、どうか、かうか廊下の書物が、書棚の中へ詰つて仕舞つた。四人は立ち並んで奇麗に片付いた書物を一応眺めた。 「あとの整理は明日だ」と与次郎が云つた。是で我慢なさいと云はぬ許である。 「大分御集めになりましたね」と美禰子が云ふ。 「先生是丈みんな御読みになつたですか」と最後に三四郎が聞いた。三四郎は実際参考の為め、この事実を確めて置く必要があつたと見える。 「みんな読めるものか、佐々木なら読むかもしれないが」  与次郎は頭を掻いてゐる。三四郎は真面目になつて、実は此間から大学の図書館で、少し宛本を借りて読むが、どんな本を借りても、必ず誰か目を通してゐる。試しにアフラ、ベーンといふ人の小説を借りて見たが、矢っ張りだれか読んだ痕があるので、読書範囲の際限が知りたくなつたから聞いて見たと云ふ。 「アフラ、ベーンなら僕も読んだ」  広田先生の此一言には三四郎も驚ろいた。 「驚ろいたな。先生は何でも人の読まないものを読む癖がある」と与次郎が云つた。  広田は笑つて座敷の方へ行く。着物を着換へる為だらう。美禰子も尾いて出た。あとで与次郎が、三四郎にかう云つた。 「あれだから偉大な暗闇だ。何でも読んでゐる。けれども些とも光らない。もう少し流行るものを読んで、もう少し出娑婆つて呉れると可いがな」  与次郎の言葉は決して冷評ではなかつた。三四郎は黙つて本箱を眺めてゐた。すると座敷から美禰子の声が聞えた。 「御馳走を上げるから、御二人とも入らつしやい」 四の十五  二人が書斎から廊下伝ひに、座敷へ来て見ると、座敷の真中に美禰子の持つて来た籃が据ゑてある。蓋が取つてある。中にサンドヰツチが沢山這入つてゐる。美禰子は其傍に坐つて、籃の中のものを小皿へ取り分けてゐる。与次郎と美禰子の問答が始つた。 「能く忘れずに持つて来ましたね」 「だつて、わざ/\御注文ですもの」 「其籃も買つて来たんですか」 「いゝえ」 「家にあつたんですか」 「えゝ」 「大変大きなものですね。車夫でも連れて来たんですか。序でに、少しの間置いて働らかせれば可いのに」 「車夫は今日は使に出ました。女だつて此位なものは持てますわ」 「あなただから持つんです。外の御嬢さんなら、まあ已めますね」 「さうでせうか。夫なら私も已めれば可かつた」  美禰子は食物を小皿へ取りながら、与次郎と応対してゐる。言葉に少しも淀がない。しかも緩くり落付いてゐる。殆んど与次郎の顔を見ない位である。三四郎は敬服した。  台所から下女が茶を持つてくる。籃を取り巻いた連中は、サンドヰツチを食ひ出した。少しの間は静であつたが、思ひ出した様に与次郎が又広田先生に話しかけた。 「先生、序だから一寸聞いて置きますが先刻の何とかベーンですね」 「アフラ、ベーンか」 「全体何です、そのアフラ、ベーンと云ふのは」 「英国の閨秀作家だ。十七世紀の」 「十七世紀は古過ぎる。雑誌の材料にやなりませんね」 「古い。然し職業として小説に従事した始めての女だから、それで有名だ」 「有名ぢや困るな。もう少し伺つて置かう。どんなものを書いたんですか」 「僕はオルノーコと云ふ小説を読んだ丈だが、小川さん、さういふ名の小説が全集のうちにあつたでせう」  三四郎は奇麗に忘れてゐる。先生に其梗概を聞いて見ると、オルノーコと云ふ黒ん坊の王族が英国の船長に瞞されて、奴隷に売られて、非常に難義をする事が書いてあるのださうだ。しかも是は作家の実見譚だとして後世に信ぜられてゐたといふ話である。 「面白いな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちやあ」と与次郎は又美禰子の方へ向つた。 「書いても可ござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」 「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でも可いぢやありませんか。九州の男で色が黒いから」 「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護する様に言つたが、すぐあとから三四郎の方を向いて、 「書いても可くつて」と聞いた。其眼を見た時に、三四郎は今朝籃を提げて、折戸からあらはれた瞬間の女を思ひ出した。自から酔つた心地である。けれども酔つて竦んだ心地である。どうぞ願ひます抔とは無論云ひ得なかつた。 四の十六  広田先生は例によつて烟草を呑み出した。与次郎は之を評して鼻から哲学の烟を吐くと云つた。成程烟の出方が少し違ふ。悠然として太く逞ましい棒が二本穴を抜けて来る。与次郎は其烟柱を眺めて、半分背を唐紙に持たした儘黙つてゐる。三四郎の眼はぼんやり庭の上にある。引越ではない。丸で小集の体に見える。談話も従つて気楽なものである。たゞ美禰子丈が広田先生の蔭で、先生がさつき脱ぎ棄てた洋服を畳み始めた。先生に和服を着せたのも美禰子の所為と見える。 「今のオルノーコの話だが、君は疎忽しいから間違へると不可ないから序に云ふがね」と先生の烟が一寸途切れた。 「へえ、伺つて置きます」と与次郎が几帳面に云ふ。 「あの小説が出てから、サヾーンといふ人が其話を脚本に仕組んだのが別にある。矢張り同じ名でね。それを一所にしちや不可ない」 「へえ、一所にしやしません」  洋服を畳んで居た美禰子は一寸与次郎の顔を見た。 「その脚本のなかに有名な句がある。Pity's akin to love といふ句だが……」それ丈で又哲学の烟を熾に吹き出した。 「日本にもありさうな句ですな」と今度は三四郎が云つた。外のものも、みんな有りさうだと云ひ出した。けれども誰にも思ひ出せない。では一つ訳して見たら好からうといふ事になつて、四人が色々に試みたが一向纏まらない。仕舞に与次郎が、 「これは、どうしても俗謡で行かなくつちや駄目ですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を呈出した。  そこで、三人が全然翻訳権を与次郎に委任する事にした。与次郎はしばらく考へてゐたが、 「少し無理ですがね、かう云ふなどうでせう。可哀想だた惚れたつて事よ」 「不可ん、不可ん、下劣の極だ」と先生が忽ち苦い顔をした。その云ひ方が如何にも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑ひ出した。此笑ひ声がまだ已まないうちに、庭の木戸がぎいと開いて、野々宮さんが這入つて来た。 「もう大抵片付いたんですか」と云ひながら、野々宮さんは縁側の正面の所迄来て、部屋のなかにゐる四人を覗く様に見渡した。 「まだ片付きませんよ」と与次郎が早速云ふ。 「少し手伝つて頂きませうか」と美禰子が与次郎に調子を合せた。野々宮さんはにや/\笑ひながら、 「大分賑やかな様ですね。何か面白い事がありますか」と云つて、ぐるりと後向に縁側へ腰を掛けた。 「今僕が翻訳をして先生に叱られた所です」 「翻訳を? どんな翻訳ですか」 「なに詰らない――可哀想だた惚れたつて事よと云ふんです」 「へえ」と云つた野々宮君は縁側で筋違に向き直つた。「一体そりや何ですか。僕にや意味が分らない」 「誰にだつて分らんさ」と今度は先生が云つた。 「いや、少し言葉をつめ過たから――当り前に延ばすと、斯うです。可哀想だとは惚れたと云ふ事よ」 「アハヽヽ。さうして其原文は何と云ふのです」 「Pity's akin to love」と美禰子が繰り返した。美くしい奇麗な発音であつた。  野々宮さんは、縁側から立つて、二三歩庭の方へ歩き出したが、やがて又ぐるりと向き直つて、部屋を正面に留つた。 「成程旨い訳だ」  三四郎は野々宮君の態度と視線とを注意せずには居られなかつた。 四の十七  美禰子は台所へ立つた。茶碗を洗つて、新らしい茶を注いで、縁側の端迄持つて出る。 「御茶を」と云つた儘、其所へ坐つた。「よし子さんは、どうなすつて」と聞く。 「えゝ、身体の方はもう回復しましたが」と又腰を掛けて茶を飲む。それから、少し先生の方へ向いた。 「先生、折角大久保へ越したが、又此方の方へ出なければならない様になりさうです」 「何故」 「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのが厭だといひ出しましてね。それに僕が夜実験をやるものですから、遅く迄待つてゐるのが淋しくつて不可ないんださうです。尤も今のうちは母が居るから構ひませんが、もう少しして、母が国へ帰ると、あとは下女丈になるものですからね。臆病もの二人では到底辛抱し切れないのでせう。――実に厄介だな」と冗談半分の嘆声を洩らしたが、「どうです里見さん、あなたの所へでも食客に置いて呉れませんか」と美禰子の顔を見た。 「何時でも置いて上げますわ」 「何方です。宗八さんの方をですか、よし子さんの方をですか」と与次郎が口を出した。 「何方でも」  三四郎丈黙つてゐた。広田先生は少し真面目になつて、 「さうして君はどうする気なんだ」 「妹の始末さへ付けば、当分下宿しても可いです。それでなければ、又何所かへ引越さなければならない。一層学校の寄宿舎へでも入れ様かと思ふんですがね。何しろ小供だから、僕が始終行けるか、向ふが始終来られる所でないと困るんです」 「それぢや里見さんの所に限る」と与次郎が又注意を与へた。広田さんは与次郎を相手にしない様子で、 「僕の所の二階へ置いて遣つても好いが、何しろ佐々木の様なものがゐるから」と云ふ。 「先生、二階へは是非佐々木を置いてやつて下さい」と与次郎自身が依頼した。野々宮君は笑ひながら、 「まあ、どうかしませう。――身長ばかり大きくつて馬鹿だから実に弱る。あれで団子坂の菊人形が見たいから、連れて行けなんて云ふんだから」 「連れて行つて御上げなされば可いのに。私だつて見たいわ」 「ぢや一所に行きませうか」 「えゝ是非。小川さんも入らつしやい」 「えゝ行きませう」 「佐々木さんも」 「菊人形は御免だ。菊人形を見る位なら活動写真を見に行きます」 「菊人形は可いよ」と今度は広田先生が云ひ出した。「あれ程に人工的なものは恐らく外国にもないだらう。人工的によく斯んなものを拵らへたといふ所を見て置く必要がある。あれが普通の人間に出来て居たら、恐らく団子坂へ行くものは一人もあるまい。普通の人間なら、どこの家でも四五人は必ずゐる。団子坂へ出掛けるには当らない」 「先生一流の論理だ」と与次郎が評した。 「昔し教場で教はる時にも、よく、あれで遣られたものだ」と野々宮君が云つた。 「ぢや先生も入らつしやい」と美禰子が最後に云ふ。先生は黙つてゐる。みんな笑ひ出した。  台所から婆さんが「どなたか一寸」と云ふ。与次郎は「おい」とすぐ立つた。三四郎は矢っ張り坐つてゐた。 「どれ僕も失礼しやうか」と野々宮さんが腰を上げる。 「あらもう御帰り。随分ね」と美禰子が云ふ。 「此間のものはもう少し待つて呉れ玉へ」と広田先生が云ふのを、「えゝ、宜うござんす」と受けて、野々宮さんが庭から出て行つた。其影が折戸の外へ隠れると、美禰子は急に思ひ出した様に「さう/\」と云ひながら、庭先に脱いであつた下駄を穿いて、野々宮の後を追掛た。表で何か話してゐる。  三四郎は黙つて坐つてゐた。 五の一  門を這入ると、此間の萩が、人の丈より高く茂つて、株の根に黒い影が出来てゐる。此黒い影が地の上を這つて、奥の方へ行くと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏迄上つて来る様にも思れる。夫程表には濃い日が当つてゐる。手洗水の傍に南天がある。是も普通よりは脊が高い。三本寄つてひよろ/\してゐる。葉は便所の窓の上にある。  萩と南天の間に縁側が少し見える。縁側は南天を基点として斜に向ふへ走つてゐる。萩の影になつた所は、一番遠いはづれになる。それで萩は一番手前にある。よし子は此萩の影にゐた。縁側に腰を掛けて。  三四郎は萩とすれ/\に立つた。よし子は縁から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎は今更その脊の高いのに驚ろいた。 「御這入りなさい」  依然として三四郎を待ち設けた様な言葉遣である。三四郎は病院の当時を思ひ出した。萩を通り越して縁鼻迄来た。 「御掛けなさい」  三四郎は靴を穿いてゐる。命の如く腰を掛けた。よし子は座布団を取つて来た。 「御敷きなさい」  三四郎は布団を敷いた。門を這入つてから、三四郎はまだ一言も口を開かない。此単純な少女はたゞ自分の思ふ通りを三四郎に云ふが、三四郎からは毫も返事を求めてゐない様に思はれる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持がした。命を聴く丈である。御世辞を使ふ必要がない。一言でも先方の意を迎へる様な事をいへば、急に卑しくなる。唖の奴隷の如く、さきの云ふが儘に振舞つてゐれば愉快である。三四郎は小供の様なよし子から小供扱ひにされながら、少しもわが自尊心を傷けたとは感じ得なかつた。 「兄ですか」とよし子は其次に聞いた。  野々宮を尋ねて来た訳でもない。尋ねない訳でもない。何で来たか三四郎にも実は分からないのである。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 「えゝ、何時でも夜遅くでなくつちや帰りません」  是は三四郎も知つてる事である。三四郎は挨拶に窮した。見ると縁側に絵の具函がある。描きかけた水彩がある。 「画を御習ひですか」 「えゝ、好きだから描きます」 「先生は誰ですか」 「先生に習ふ程上手ぢやないの」 「一寸拝見」 「是? 是まだ出来てゐないの」と描き掛を三四郎の方へ出す。成程自分のうちの庭が描き掛けてある。空と、前の家の柿の木と、這入り口の萩丈が出来てゐる。中にも柿の木は甚だ赤く出来てゐる。 「中々旨い」と三四郎が画を眺めながら云ふ。 「是が?」とよし子は少し驚ろいた。本当に驚ろいたのである。三四郎の様なわざとらしい調子は少しもなかつた。  三四郎は今更自分の言葉を冗談にする事も出来ず、又真面目にする事も出来なくなつた。何方にしても、よし子から軽蔑されさうである。三四郎は画を眺めながら、腹のなかで赤面した。 五の二  縁側から座敷を見廻すと、しんと静かである。茶の間は無論、台所にも人はゐない様である。 「御母さんはもう御国へ御帰りになつたんですか」 「まだ帰りません。近いうちに立つ筈ですけれど」 「今、入つしやるんですか」 「今一寸買物に出ました」 「あなたが里見さんの所へ御移りになると云ふのは本当ですか」 「何うして」 「何うしてつて――此間広田先生の所でそんな話がありましたから」 「まだ極りません。事によると、さうなるかも知れませんけれど」  三四郎は少しく要領を得た。 「野々宮さんは元から里見さんと御懇意なんですか」 「えゝ。御友達なの」  男と女の友達といふ意味かしらと思つたが、何だか可笑しい。けれども三四郎はそれ以上を聞き得なかつた。 「広田先生は野々宮さんの元の先生ださうですね」 「えゝ」  話しは「えゝ」で塞へた。 「あなたは里見さんの所へ入らつしやる方が可いんですか」 「私? さうね。でも美禰子さんの御兄いさんに御気の毒ですから」 「美禰子さんの兄さんがあるんですか」 「えゝ。宅の兄と同年の卒業なんです」 「矢っ張り理学士ですか」 「いゝえ、科は違ひます。法学士です。其又上の兄さんが広田先生の御友達だつたのですけれども、早く御亡くなりになつて、今では恭助さん丈なんです」 「御父さんや御母さんは」  よし子は少し笑ひながら、 「ないわ」と云つた。美禰子の父母の存在を想像するのは滑稽であると云はぬ許である。余程早く死んだものと見える。よし子の記憶には丸でないのだらう。 「さう云ふ関係で美禰子さんは広田先生のうちへ出入をなさるんですね」 「えゝ。死んだ兄さんが広田先生とは大変仲善だつたさうです。それに美禰子さんは英語がすきだから、時々英語を習ひに入らつしやるんでせう」 「此方へも来ますか」  よし子は何時の間にか、水彩画の続きを描き始めた。三四郎が傍にゐるのが丸で苦になつてゐない。それでゐて、能く返事をする。 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺屋根に影をつけたが、 「少し黒過ますね」と画を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、 「えゝ、少し黒過ます」と答へた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗ひながら、 「入らつしやいますわ」と漸く三四郎に返事をした。 「度々?」 「えゝ度々」とよし子は依然として画紙に向つてゐる。三四郎は、よし子が画のつゞきを描き出してから、問答が大変楽になつた。 五の三  しばらく無言の儘、画の中を覗いてゐると、よし子は丹念に藁葺家根の黒い影を洗つてゐたが、あまり水が多過ぎたのと、筆の使ひ方が中/\不慣なので、黒いものが勝手に四方へ浮き出して、折角赤く出来た柿が、蔭干の渋柿の様な色になつた。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワツトマンを成るべく遠くから眺めてゐたが、仕舞に、小さな声で、 「もう駄目ね」と云ふ。実際駄目なのだから、仕方がない。三四郎は気の毒になつた。 「もう御廃しなさい。さうして、又新らしく御描きなさい」  よし子は顔を画に向けた儘、尻眼に三四郎を見た。大きな潤のある眼である。三四郎は益気の毒になつた。すると女が急に笑ひ出した。 「馬鹿ね。二時間許り損をして」と云ひながら、折角描いた水彩の上へ、横縦に二三本太い棒を引いて、絵の具函の蓋をぱたりと伏せた。 「もう廃しませう。座敷へ御這入りなさい、御茶を上げますから」と云ひながら、自分は上へあがつた。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、矢っ張り縁側に腰を掛けてゐた。腹の中では、今になつて、茶を遣るといふ女を非常に面白いと思つてゐた。三四郎に度外れの女を面白がる積は少しもないのだが、突然御茶を上げますと云はれた時には、一種の愉快を感ぜぬ訳に行かなかつたのである。其感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかつた。  茶の間で話し声がする。下女は居たに違ない。やがて襖を開いて、茶器を持つて、よし子があらはれた。其顔を正面から見たときに、三四郎は又、女性中の尤も女性的な顔であると思つた。  よし子は茶を汲んで縁側へ出して、自分は座敷の畳の上へ坐つた。三四郎はもう帰らうと思つてゐたが、此女の傍にゐると、帰らないでも構はない様な気がする。病院では曾て此女の顔を眺め過ぎて、少し赤面させた為めに、早速引き取つたが、今日は何ともない。茶を出したのを幸ひに縁側と座敷で又談話を始めた。色々話してゐるうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞き出した。それは、自分の兄の野々宮が好か嫌かと云ふ質問であつた。一寸聞くと丸で頑是ない小供の云ひさうな事であるが、よし子の意味はもう少し深い所にあつた。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなる訳である。人情で物をみると、凡てが好き嫌ひの二つになる。研究する気なぞが起るものではない。自分の兄は理学者だものだから、自分を研究して不可ない。自分を研究すればする程、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あの位研究好の兄が、この位自分を可愛がつて呉れるのだから、それを思ふと、兄は日本中で一番好い人に違ないと云ふ結論であつた。  三四郎は此説を聞いて、大いに尤もな様な、又何所か抜けてゐる様な気がしたが、偖何所が抜けてゐるんだか、頭がぼんやりして、一寸分らなかつた。それで表向此説に対しては別段の批評を加へなかつた。たゞ腹の中で、これしきの女の云ふ事を、明瞭に批評し得ないのは、男児として腑甲斐ない事だと、いたく赤面した。同時に、東京の女学生は決して馬鹿に出来ないものだと云ふ事を悟つた。  三四郎はよし子に対する敬愛の念を抱いて下宿へ帰つた。端書が来てゐる。「明日午後一時頃から菊人形を見に参りますから、広田先生のうち迄入らつしやい。美禰子」  其字が、野々宮さんの隠袋から半分食み出してゐた封筒の上書に似てゐるので、三四郎は何遍も読み直して見た。 五の四  翌日は日曜である。三四郎は午飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光つた靴を穿いてゐる。静かな横町を広田先生の前迄来ると、人声がする。  先生の家は門を這入ると、左り手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかゝらずに、すぐ座敷の縁へ出られる。三四郎は要目垣の間に見える桟を外さうとして、ふと、庭のなかの話し声を耳にした。話しは野々宮と美禰子の間に起りつゝある。 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬ許りだ」是は男の声である。 「死んでも、其方が可いと思ひます」是は女の答である。 「尤もそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬ丈の価値は充分ある」 「残酷な事を仰しやる」  三四郎は此所で木戸を開けた。庭の真中に立つてゐた会話の主は二人とも此方を見た。野々宮はたゞ「やあ」と平凡に云つて、頭を首肯かせた丈である。頭に新らしい茶の中折帽を被つてゐる。美禰子は、すぐ、 「端書は何時頃着きましたか」と聞いた。二人の今迄遣つてゐた会話は、これで中絶した。  縁側には主人が洋服を着て腰を掛けて、相変らず哲学を吹いてゐる。是は西洋の雑誌を手にしてゐた。傍によし子がゐる。両手を後ろへ突いて、身体を空に持たせながら、伸ばした足に穿いた厚い草履を眺めてゐた。――三四郎はみんなから待ち受けられてゐたと見える。  主人は雑誌を抛げ出した。 「では行くかな。とう/\引張り出された」 「御苦労様」と野々宮さんが云つた。女は二人で顔を見合せて、他に知れない様な笑を洩らした。庭を出るとき、女が二人つゞいた。 「脊が高いのね」と美禰子が後から云つた。 「のつぽ」とよし子が一言答へた。門の側で並んだ時、「だから、なり丈草履を穿くの」と弁解をした。三四郎もつゞいて、庭を出様とすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所迄出て来た。 「行くのか」と聞く。 「うん、君は」 「行かない。菊細工なんぞ見て何になるものか。馬鹿だな」 「一所に行かう。家に居たつて仕様がないぢやないか」 「今論文を書いてゐる。大論文を書いてゐる。中々それ所ぢやない」  三四郎は呆れ返つた様な笑ひ方をして、四人の後を追掛た。四人は細い横町を三分の二程広い通りの方へ遠ざかつた所である。此一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が、熊本当時のそれよりも、ずつと意味の深いものになりつゝあると感じた。曾て考へた三個の世界のうちで、第二第三の世界は正に此一団の影で代表されてゐる。影の半分は薄黒い。半分は花野の如く明かである。さうして三四郎の頭のなかでは此両方が渾然として調和されてゐる。のみならず、自分も何時の間にか、自然と此経緯のなかに織り込まれてゐる。たゞそのうちの何所かに落ち付かない所がある。それが不安である。歩きながら考へると、今さき庭のうちで、野々宮と美禰子が話してゐた談柄が近因である。三四郎は此不安の念を駆る為めに、二人の談柄を再び剔抉出して見たい気がした。  四人は既に曲り角へ来た。四人とも足を留めて、振り返つた。美禰子は額に手を翳してゐる。 五の五  三四郎は一分かゝらぬうちに追付いた。追付いても誰も何とも云はない。只歩き出した丈である。しばらくすると、美禰子が、 「野々宮さんは、理学者だから、なほそんな事を仰しやるんでせう」と云ひ出した。話しの続きらしい。 「なに遣らなくつても同じ事です。高く飛ばうと云ふには、飛べる丈の装置を考へた上でなければ出来ないに極つてゐる。頭の方が先に要るに違ないぢやありませんか」 「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません」 「我慢しなければ、死ぬ許ですもの」 「さうすると安全で地面の上に立つてゐるのが一番好い事になりますね。何だか詰らない様だ」  野々宮さんは返事を已めて、広田先生の方を向いたが、 「女には詩人が多いですね」と笑ひながら云つた。すると広田先生が、 「男子の弊は却つて純粋の詩人になり切れない所にあるだらう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙つた。よし子と美禰子は何か御互の話を始める。三四郎は漸く質問の機会を得た。 「今のは何の御話しなんですか」 「なに空中飛行器の事です」と野々宮さんが無造作に云つた。三四郎は落語のおちを聞く様な気がした。  それからは別段の会話も出なかつた。又長い会話が出来かねる程、人がぞろ/\歩く所へ来た。大観音の前に乞食が居る。額を地に擦り付けて、大きな声をのべつに出して、哀願を逞しうしてゐる。時々顔を上げると、額の所丈が砂で白くなつてゐる。誰も顧るものがない。五人も平気で行き過ぎた。五六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。 「君あの乞食に銭を遣りましたか」 「いゝえ」と三四郎が後を見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合せて、相変らず大きな声を出してゐる。 「遣る気にならないわね」とよし子がすぐに云つた。 「何故」とよし子の兄は妹を見た。窘める程に強い言葉でもなかつた。野々宮の顔付は寧ろ冷静である。 「あゝ始終焦つ着いて居ちや、焦つ着き栄がしないから駄目ですよ」と美禰子が評した。 「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が云つた。「あまり人通りが多過ぎるから不可ない。山の上の淋しい所で、あゝいふ男に逢つたら、誰でも遣る気になるんだよ」 「其代り一日待つてゐても、誰も通らないかも知れない」と野々宮はくす/\笑ひ出した。  三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日迄養成した徳義上の観念を幾分か傷けられる様な気がした。けれども自分が乞食の前を通るとき、一銭も投げてやる料簡が起らなかつたのみならず、実を云へば、寧ろ不愉快な感じが募つた事実を反省して見ると、自分よりも是等四人の方が却つて己れに誠であると思ひ付いた。又彼等は己れに誠であり得る程な広い天地の下に呼吸する都会人種であるといふ事を悟つた。 五の六  行くに従つて人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出逢つた。七つ許りの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行つたり、左りへ行つたりうろ/\してゐる。御婆さん、御婆さんと無暗に云ふ。是には往来の人もみんな心を動かしてゐる様に見える。立ち留るものもある。可哀想だといふものもある。然し誰も手を付けない。小供は凡ての人の注意と同情を惹きつゝ、しきりに泣き号んで御婆さんを探してゐる。不可思議の現象である。 「これも場所が悪い所為ぢやないか」と野々宮君が小供の影を見送りながら云つた。 「今に巡査が始末をつけるに極つてるから、みんな責任を逃れるんだね」と広田先生が説明した。 「私の傍迄来れば交番迄送つてやるわ」とよし子が云ふ。 「ぢや、追掛て行つて、連れて行くがいゝ」と兄が注意した。 「追掛るのは厭」 「何故」 「何故つて――こんなに大勢人がゐるんですもの。私に限つた事はないわ」 「矢っ張り責任を逃れるんだ」と広田がいふ。 「矢っ張り場所が悪いんだ」と野々宮がいふ。男は二人で笑つた。団子坂の上迄来ると、交番の前へ人が黒山の様に集つてゐる。迷子はとう/\巡査の手に渡つたのである。 「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて云つた。よし子は「まあ可かつた」といふ。  坂の上から見ると、坂は曲つてゐる。刀の切先の様である。幅は無論狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分遮ぎつてゐる。其後には又高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込む様に思はれる。其落ち込むものが、這い上がるものと入り乱れて、路一杯に塞がつてゐるから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見てゐると眼が疲れるほど不規則に蠢いてゐる。広田先生は此坂の上に立つて、 「是は大変だ」と、さも帰りたさうである。四人はあとから先生を押す様にして、谷へ這入つた。其谷が途中からだら/\と向へ廻り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛の小屋を、狭い両側から高く構へたので、空さへ存外窮屈に見える。往来は暗くなる迄込み合つてゐる。其中で木戸番が出来る丈大きな声を出す。「人間から出る声ぢやない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それ程彼等の声は尋常を離れてゐる。  一行は左りの小屋へ這入つた。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着てゐる。たゞし顔や手足は悉く木彫りである。其次は雪が降つてゐる。若い女が癪を起してゐる。是も人形の心に、菊を一面に這はせて、花と葉が平らに隙間なく衣装の恰好となる様に作つたものである。  よし子は余念なく眺めてゐる。広田先生と野々宮君はしきりに話しを始めた。菊の培養法が違ふとか何とかいふ所で、三四郎は外の見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にゐる。見物は概して町家のものである。教育のありさうなものは極めて少ない。美禰子は其間に立つて、振り返つた。首を延ばして、野々宮のゐる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根を指しながら、何か熱心に説明してゐる。美禰子は又向をむいた。見物に押されて、さつさと出口の方へ行く。三四郎は群集[#ルビの「〔くん〕じゆ」はママ]を押し分けながら、三人を棄てゝ、美禰子の後を追つて行つた。 五の七  漸くの事で、美禰子の傍迄来て、 「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持首を戻して、三四郎を見た。何とも云はない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧を指した男が、瓢簟を持つて、滝壺の傍に跼んでゐる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるか殆んど気が付かなかつた。 「どうかしましたか」と思はず云つた。美禰子はまだ何とも答へない。黒い眼を左も物憂さうに三四郎の額の上に据ゑた。其時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。其意味のうちには、霊の疲れがある。肉の弛みがある。苦痛に近き訴へがある。三四郎は、美禰子の答へを予期しつゝある今の場合を忘れて、此眸と此瞼の間に凡てを遺却した。すると、美禰子は云つた。 「もう出ませう」  眸と瞼の距離が次第に近づく様に見えた。近づくに従つて、三四郎の心には女の為に出なければ済まない気が萌して来た。それが頂点に達した頃、女は首を投げる様に向ふをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐ後から跟いて出た。  二人が表てゞ並んだ時、美禰子は俯向て右の手を額に当てた。周囲は人が渦を捲いてゐる。三四郎は女の耳へ口を寄せた。 「どうかしましたか」  女は人込のなかを谷中の方へ歩き出した。三四郎も無論一所に歩き出した。半町ばかり来た時、女は人の中で留つた。 「此所は何所でせう」 「此方へ行くと谷中の天王寺の方へ出て仕舞ひます。帰り路とは丸で反対です」 「さう。私心持が悪くつて……」  三四郎は往来の真中で扶なき苦痛を感じた。立つて考へてゐた。 「何所か静かな所はないでせうか」と女が聞いた。  谷中と千駄木が谷で出逢ふと、一番低い所に小川が流れてゐる。此小川を沿ふて、町を左りへ切れるとすぐ野に出る。河は真直に北へ通つてゐる。三四郎は東京へ来てから何遍此小川の向側を歩いて、何遍此方側を歩いたか善く覚えてゐる。美禰子の立つてゐる所は、此小川が、丁度谷中の町を横切つて根津へ抜ける石橋の傍である。 「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いて見た。 「歩きます」  二人はすぐ石橋を渡つて、左へ折れた。人の家の路次の様な所を十間程行き尽して、門の手前から板橋を此方側へ渡り返して、しばらく河の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。  三四郎は此静かな秋のなかへ出たら、急に※舌[#「口+堯」、U+5635、411-6]り出した。 「どうです具合は。頭痛でもしますか。あんまり人が大勢ゐた所為でせう。あの人形を見てゐる連中のうちには随分下等なのがゐた様だから――何か失礼でもしましたか」  女は黙つてゐる。やがて河の流れから、眼を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはつきりと張りがあつた。三四郎は其眼付で半ば安心した。 「難有う、大分好くなりました」と云ふ。 「休みませうか」 「えゝ」 「もう少し歩けますか」 「えゝ」 「歩ければ、もう少し御歩きなさい。此所は汚ない。彼所迄行くと丁度休むに好い場所があるから」 「えゝ」 五の八  一丁許来た。又橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大股に歩いた。女もつゞいて通つた。待ち合せた三四郎の眼には、女の足が常の大地を踏むと同じ様に軽く見えた。此女は素直な足を真直に前へ運ぶ。わざと女らしく甘へた歩き方をしない。従つて無暗に此方から手を貸す訳に行かない。  向ふに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄つて見ると、唐辛子を干したのであつた。女は此赤いものが、唐辛子であると見分けのつく所迄来て留つた。 「美くしい事」と云ひながら、草の上に腰を卸した。草は小河の縁に僅かな幅を生えてゐるのみである。夫すら夏の半の様に青くはない。美禰子は派出な着物の汚れるのを、丸で苦にしてゐない。 「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促がす様に云つて見た。 「難有う。是で沢山」 「矢っ張り心持が悪いですか」 「あんまり疲れたから」  三四郎もとう/\汚ない草の上に坐つた。美禰子と三四郎の間は四尺許離れてゐる。二人の足の下には小さな河が流れてゐる。秋になつて水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまつた位である。三四郎は水の中を眺めてゐた。水が次第に濁つて来る。見ると河上で百姓が大根を洗つてゐた。美禰子の視線は遠くの向ふにある。向ふは広い畠で、畠の先が森で、森の上が空になる。空の色が段々変つて来る。  たゞ単調に澄んでゐたものの中に、色が幾通りも出来てきた。透き徹る藍の地が消える様に次第に薄くなる。其上に白い雲が鈍く重なりかゝる。重なつたものが溶けて流れ出す。何所で地が尽きて、何所で雲が始まるか分らない程に嬾い上を、心持黄な色がふうと一面にかゝつてゐる。 「空の色が濁りました」と美禰子が云つた。  三四郎は流れから眼を放して、上を見た。かう云ふ空の模様を見たのは始めてゞはない。けれども空が濁つたといふ言葉を聞いたのは此時が始めてゞある。気が付いて見ると、濁つたと形容するより外に形容しかたのない色であつた。三四郎が何か答へやうとする前に、女は又言つた。 「重い事。大理石の様に見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所を眺めてゐた。それから、その細くなつた儘の眼を静かに三四郎の方に向けた。さうして、 「大理石の様に見えるでせう」と聞いた。三四郎は、 「えゝ、大理石の様に見えます」と答へるより外はなかつた。女はそれで黙つた。しばらくしてから、今度は三四郎が云つた。 「かう云ふ空の下にゐると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どう云ふ訳ですか」と美禰子が問ひ返した。  三四郎には、どう云ふ訳もなかつた。返事はせずに、又かう云つた。 「安心して夢を見てゐる様な空模様だ」 「動く様で、なか/\動きませんね」と美禰子は又遠くの雲を眺め出した。 五の九  菊人形で客を呼ぶ声が、折々二人の坐つてゐる所迄聞える。 「随分大きな声ね」 「朝から晩迄あゝ云ふ声を出してゐるんでせうか。豪いもんだな」と云つたが、三四郎は急に置き去りにした三人の事を思ひ出した。何か云はうとしてゐるうちに、美禰子は答へた。 「商買ですもの。丁度大観音の乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍らしく冗談を云つて、さうして一人で面白さうに笑つた。乞食に就て下した広田の言葉を余程可笑しく受けたからである。 「広田先生は、よく、あゝ云ふ事を仰やる方なんですよ」と極めて軽く独り言の様に云つたあとで、急に調子を更へて、 「かう云ふ所に、かうして坐つてゐたら、大丈夫及第よ」と比較的活溌に付け加へた。さうして、今度は自分の方で面白さうに笑つた。 「成程野々宮さんの云つた通り、何時迄待つてゐても誰も通りさうもありませんね」 「丁度好いぢやありませんか」と早口に云つたが、後で「御貰をしない乞食なんだから」と結んだ。是は前句の解釈の為めに付けた様に聞えた。  所へ知らん人が突然あらはれた。唐辛子の干してある家の影から出て、何時の間にか河を向へ渡つたものと見える。二人の坐つてゐる方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯を生やして、年輩から云ふと広田先生位な男である。此男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子を睨め付けた。其眼のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎は凝と坐つてゐにくい程な束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。其後ろ影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんは嘸後で僕等を探したでせう」と始めて気が付いた様に云つた。美禰子は寧ろ冷かである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子だから探したでせう」と三四郎は矢張り前説を主張した。すると美禰子は、なほ冷やかな調子で、 「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでせう」 「誰が? 広田先生がですか」  美禰子は答へなかつた。 「野々宮さんがですか」  美禰子は矢っ張り答へなかつた。 「もう気分は宜くなりましたか。宜くなつたら、そろ/\帰りませうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰を又草の上に卸した。其時三四郎は此女にはとても叶はない様な気が何所かでした。同時に自分の腹を見抜かれたといふ自覚に伴ふ一種の屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見た儘で此一言を繰返した。三四郎は答へなかつた。 「迷子の英訳を知つて入らしつて」  三四郎は知るとも、知らぬとも云ひ得ぬ程に、此問を予期してゐなかつた。 「教へて上げませうか」 「えゝ」 「迷へる子――解つて?」 五の十  三四郎は斯う云ふ場合になると挨拶に困る男である。咄嗟の機が過ぎて、頭が冷かに働き出した時、過去を顧みて、あゝ云へば好かつた、斯うすれば好かつたと後悔する。と云つて、此後悔を予期して、無理に応急の返事を、左も自然らしく得意に吐き散らす程に軽薄ではなかつた。だから只黙つてゐる。さうして黙つてゐる事が如何にも半間であると自覚してゐる。  迷へる子といふ言葉は解つた様でもある。又解らない様でもある。解る解らないは此言葉の意味よりも、寧ろ此言葉を使つた女の意味である。三四郎はいたづらに女の顔を眺めて黙つてゐた。すると女は急に真面目になつた。 「私そんなに生意気に見えますか」  其調子には弁解の心持がある。三四郎は意外の感に打たれた。今迄は霧の中にゐた。霧が晴れゝば好いと思つてゐた。此言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度を故の様な、――二人の頭の上に広がつてゐる、澄むとも濁るとも片付かない空の様な、――意味のあるものにしたかつた。けれども、それは女の機嫌を取るための挨拶位で戻せるものではないと思つた。女は卒然として、 「ぢや、もう帰りませう」と云つた。厭味のある言ひ方ではなかつた。たゞ三四郎にとつて自分は興味のないものと諦めた様に静かな口調であつた。  空は又変つて来た。風が遠くから吹いてくる。広い畠の上には日が限つて、見てゐると、寒い程淋しい。草からあがる地意気で身体は冷えてゐた。気が付けば、こんな所に、よく今迄べつとり坐つて居られたものだと思ふ。自分一人ならとうに何所かへ行つて仕舞つたに違ない。美禰子も――美禰子はこんな所へ坐る女かも知れない。 「少し寒むくなつた様ですから、兎に角立ちませう。冷えると毒だ。然し気分はもう悉皆直りましたか」 「えゝ、悉皆直りました」と明かに答へたが、俄かに立ち上がつた。立ち上がる時、小さな声で、独り言の様に、 「迷へる子」と長く引つ張つて云つた。三四郎は無論答へなかつた。  美禰子は、さつき洋服を着た男の出て来た方角を指して、道があるなら、あの唐辛子の傍を通つて行きたいといふ。二人は、その見当へ歩いて行つた。藁葺の後に果して細い三尺程の路があつた。其路を半分程来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来る事に極つたんですか」  女は片頬で笑つた。さうして問返した。 「何故御聞きになるの」  三四郎が何か云はうとすると、足の前に泥濘があつた。四尺許りの所、土が凹んで水がぴた/\に溜つてゐる。其真中に足掛りの為に手頃な石を置いたものがある。三四郎は石の扶を藉らずに、すぐに向へ飛んだ。さうして美禰子を振り返つて見た。美禰子は右の足を泥濘の真中にある石の上へ乗せた。石の据りがあまり善くない。足へ力を入れて、肩を揺つて調子を取つてゐる。三四郎は此方側から手を出した。 「御捕まりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑つてゐる。手を出してゐる間は、調子を取る丈で渡らない。三四郎は手を引込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、身体の重みを托して、左の足でひらりと此方側へ渡つた。あまりに下駄を汚すまいと念を入れ過ぎた為め、力が余つて、腰が浮いた。のめりさうに胸が前へ出る。其勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷へる子」と美禰子が口の内で云つた。三四郎は其呼吸を感ずる事が出来た。 六の一  号鐘が鳴つて、講師は教室から出て行つた。三四郎は印気の着いた洋筆を振つて、帳面を伏せ様とした。すると隣りにゐた与次郎が声を掛けた。 「おい一寸借せ。書き落した所がある」  与次郎は三四郎の帳面を引き寄せて上から覗き込んだ。stray sheep といふ字が無暗にかいてある。 「何だこれは」 「講義を筆記するのが厭になつたから、いたづらを書いてゐた」 「さう不勉強では不可ん。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか云つたな」 「どうだとか云つた」 「聞いてゐなかつたのか」 「いゝや」 「全然 stray sheep だ。仕方がない」  与次郎は自分の帳面を抱へて立ち上がつた、机の前を離れながら、三四郎に、 「おい一寸来い」と云ふ。三四郎は与次郎に跟いて教室を出た。階子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人は其下に坐つた。  此所は夏の初めになると苜蓿が一面に生える。与次郎が入学願書を持つて事務へ来た時に、此桜の下に二人の学生が寐転んでゐた。其一人が一人に向つて、口答試験を都々逸で負けて置いて呉れると、いくらでも唄つて見せるがなと云ふと、一人が小声で、粋な捌きの博士の前で、恋の試験がして見たいと唄つてゐた。其時から与次郎は此桜の木の下が好になつて、何か事があると、三四郎を此所へ引張り出す。三四郎は其歴史を与次郎から聞いた時に、成程与次郎は俗謡で pity's love を訳す筈だと思つた。今日は然し与次郎が事の外真面目である。草の上に胡坐をかくや否や、懐中から、文芸時評といふ雑誌を出して開けた儘の一頁を逆に三四郎の方へ向けた。 「どうだ」と云ふ。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使つてゐる。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二三度聞かされたものである。然し零余子は全く知らん名である。どうだと云はれた時に、三四郎は、返事をする前提として一先づ与次郎の顔を見た。すると与次郎は何にも云はずに其扁平な顔を前へ出して、右の人指し指の先で、自分の鼻の頭を抑へて凝としてゐる。向に立つてゐた一人の学生が、此様子を見てにや/\笑ひ出した。それに気が付いた与次郎は漸く指を鼻から放した。 「己が書いたんだ」と云ふ。三四郎は成程さうかと悟つた。 「僕等が菊細工を見に行く時書いてゐたのは、是か」 「いや、ありや、たつた二三日前ぢやないか。さう早く活版になつて堪るものか。あれは来月出る。これは、ずつと前に書いたものだ。何を書いたものか標題で解るだらう」 「広田先生の事か」 「うん。かうして輿論を喚起して置いてね。さうして、先生が大学に這入れる下地を作る……」 「其雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」  三四郎は雑誌の名前さへ知らなかつた。 「いや無勢力だから、実は困る」と与次郎は答へた。三四郎は微笑はざるを得なかつた。 「何部位売れるのか」  与次郎は何部売れるとも云はない。 「まあ好いさ。書ゝんより増しだ」と弁解してゐる。 六の二  段々聞いて見ると、与次郎は従来から此雑誌に関係があつて、閑暇さへあれば殆んど毎号筆を執つてゐるが、其代り雅名も毎号変へるから、二三の同人の外、誰れも知らないんだと云ふ。成程さうだらう。三四郎は今始めて、与次郎と文壇との交渉を聞いた位のものである。然し与次郎が何の為に、悪戯に等しい慝名を用ひて、彼の所謂大論文をひそかに公けにしつつあるか、其所が三四郎には分らなかつた。  幾分か小遣取の積で、遣つてゐる仕事かと無遠慮に尋ねた時、与次郎は眼を丸くした。 「君は九州の田舎から出た許だから、中央文壇の趨勢を知らない為に、そんな呑気な事を云ふのだらう。今の思想界の中心に居て、その動揺のはげしい有様を目撃しながら、考のあるものが知らん顔をしてゐられるものか。実際今日の文権は全く吾青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで云へる丈云はなけりや損ぢやないか。文壇は急転直下の勢で目覚しい革命を受けてゐる。凡てが悉く揺いて、新気運に向つて行くんだから、取り残されちや大変だ。進んで自分から此気運を拵らへ上げなくつちや、生きてる甲斐はない。文学々々つて安つぽい様に云ふが、そりや大学なんかで聞く文学の事だ。新らしい吾々の所謂文学は、人生そのものゝ大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。又現にしつゝある。彼等が昼寐をして夢を見てゐる間に、何時か影響しつゝある。恐ろしいものだ。……」  三四郎は黙つて聞いてゐた。少し法螺の様な気がする。然し法螺でも与次郎は中々熱心に吹いてゐる。すくなくとも当人丈は至極真面目らしく見える。三四郎は大分動かされた。 「さう云ふ精神でやつてゐるのか。では君は原稿料なんか、どうでも構はんのだつたな」 「いや、原稿料は取るよ。取れる丈取る。然し雑誌が売れないから中々寄こさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないと不可ない。何か好い趣向はないだらうか」と今度は三四郎に相談を掛けた。話が急に実際問題に落ちて仕舞つた。三四郎は妙な心持がする。与次郎は平気である。号鐘が烈しく鳴り出した。 「兎も角此雑誌を一部君にやるから読んで見てくれ。偉大なる暗闇と云ふ題が面白いだらう。此題なら人が驚ろくに極つてゐる。――驚ろかせないと読まないから駄目だ」  二人は玄関を上つて、教室へ這入つて、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、帳面の傍に文芸時評を開けた儘、筆記の相間々々に、先生に知れない様に読み出した。先生は幸ひ近眼である。のみならず自己の講義のうちに全然埋没してゐる。三四郎の不心得には丸で関係しない。三四郎は好い気になつて、此方を筆記したり、彼方を読んだりして行つたが、もと/\二人でする事を一人で兼ねる無理な芸だから仕舞には「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係が解からなくなつた。たゞ与次郎の文章が一句丈判然頭へ這入つた。 「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。又此宝石が採掘の運に逢ふ迄に、幾年の星霜を静かに輝やいてゐたか」といふ句である。其他は不得要領に終つた。其代り此時間には stray sheep といふ字を一つも書かずに済んだ。 六の三  講義が終るや否や、与次郎は三四郎に向つて、 「どうだ」と聞いた。実はまだ善く読まないと答へると、時間の経済を知らない男だといつて非難した。是非読めといふ。三四郎は家へ帰つて是非読むと約束した。やがて午になつた。二人は連れ立つて門を出た。 「今晩出席するだらうな」と与次郎が西片町へ這入る横町の角で立ち留つた。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れてゐた。漸く思ひ出して、行く積りだと答へると、与次郎は、 「出る前に一寸誘つて呉れ。君に話す事がある」と云ふ。耳の後へ洋筆軸を挟んでゐる。何となく得意である。三四郎は承知した。  下宿へ帰つて、湯に入つて、好い心持になつて上がつて見ると、机の上に絵端書がある。小川を描いて、草をもぢや/\生やして、其縁に羊を二匹寐かして、其向ふ側に大きな男が洋杖を持つて立つてゐる所を写したものである。男の顔が甚だ獰猛に出来てゐる。全く西洋の絵にある悪魔を模したもので、念の為め、傍にちやんとデルと仮名が振つてある。表は三四郎の宛名の下に、迷へる子と小さく書いた許である。三四郎は迷へる子の何者かをすぐ悟つた。のみならず、端書の裏に、迷へる子を二匹描いて、其一匹を暗に自分に見立てゝ呉れたのを甚だ嬉しく思つた。迷へる子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとより這入つてゐたのである。それが美禰子の思はくであつたと見える。美禰子の使つた stray sheep の意味が是で漸く判然した。  与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読まうと思ふが、一寸読む気にならない。しきりに絵端書を眺めて考へた。イソツプにもない様な滑稽趣味がある。無邪気にも見える。洒落でもある。さうして凡ての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。  手際から云つても敬服の至である。諸事明瞭に出来上てゐる。よし子の描いた柿の木の比ではない。――と三四郎には思はれた。  しばらくしてから、三四郎は漸く「偉大なる暗闇」を読み出した。実はふわ/\して読み出したのであるが、二三頁来ると、次第に釣り込まれる様に気が乗つてきて、知らず/\の間に、五頁六頁と進んで、ついに二十七頁の長論文を苦もなく片付けた。最後の一句を読了した時、始めて是で仕舞だなと気が付いた。眼を雑誌から離して、あゝ読んだなと思つた。  然し次の瞬間に、何を読んだかと考へて見ると、何にもない。可笑しい位何にもない。たゞ大いに且つ熾んに読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆に感服した。  論文は現今の文学者の攻撃に始まつて、広田先生の讃辞に終つてゐる。ことに大学文科の西洋人を手痛く罵倒してゐる。早く適当の日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくつては、学問の最高府たる大学も昔の寺小屋同然の有様になつて、錬瓦石のミイラと撰ぶ所がない様になる。尤も人がなければ仕方がないが、こゝに広田先生がある。先生は十年一日の如く高等学校に教鞭を執つて、薄給と無名に甘んじて居る。然し真正の学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会と交渉のある教授を担任すべき人物である。――煎じ詰めると是丈であるが、其是丈が、非常に尤もらしい口吻と、燦爛たる警句とによつて前後二十七頁に延長してゐる。  その中には「禿を自慢にするものは老人に限る」とか「ーナスは波から生れたが、活眼の士は大学から生れない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月を田子の浦の名産と考へる様なものだ」とか色々面白い句が沢山ある。然しそれより外に何にもない。殊に妙なのは、広田先生を偉大なる暗闇に喩へた序に、他の学者を丸行燈に比較して、たか/″\方二尺位の所をぼんやり照らすに過ぎない抔と、自分が広田から云はれた通りを書いてゐる。さうして、丸行燈だの雁首抔は凡て旧時代の遺物で吾々青年には全く無用であると、此間の通りわざ/\断わつてある。 六の四  能く考へて見ると、与次郎の論文には活気がある。如何にも自分一人で新日本を代表してゐる様であるから、読んでゐるうちは、つい其気になる。けれども全く味がない。根拠地のない戦争の様なものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかも知れない書方である。田舎者の三四郎にはてつきり其所と気取る事は出来なかつたが、たゞ読んだあとで、自分の心を探つて見て何所かに不満足がある様に覚えた。また美禰子の絵端書を取つて、二匹の羊と例の悪魔を眺め出した。すると、此方のほうは万事が快感である。此快感につれて前の不満足は益著しくなつた。それで論文の事はそれぎり考へなくなつた。美禰子に返事を遣らうと思ふ。不幸にして絵がかけない。文章にしやうと思ふ。文章なら此絵端書に匹敵する文句でなくつては不可ない。それは容易に思ひ付けない。愚図々々してゐるうちに四時過になつた。  袴を着けて、与次郎を誘ひに、西片町へ行く。勝手口から這入ると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控へて、晩食を食つてゐた。傍に与次郎が畏まつて御給仕をしてゐる。 「先生何うですか」と聞いてゐる。  先生は何か硬いものを頬張つたらしい。食卓の上を見ると、袂時計程な大きさの、赤くつて黒くつて、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでゐる。  三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもが/\させる。 「おい君も一つ食つて見ろ」と与次郎が箸で撮んで出した。掌へ載せて見ると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである。 「妙なものを食ふな」と聞くと、 「妙なものつて、旨いぜ食つて見ろ。是はね、僕がわざ/\先生に見舞に買つて来たんだ。先生はまだ、これを食つた事がないと仰しやる」 「何所から」 「日本橋から」  三四郎は可笑しくなつた。かう云ふ所になると、さつきの論文の調子とは少し違ふ。 「先生、どうです」 「硬いね」 「硬いけれども旨いでせう。よく噛まなくつちや不可ません。噛むと味が出る」 「味が出る迄噛んでゐちや、歯が疲れて仕舞ふ。何でこんな古風なものを買つて来たものかな」 「不可ませんか。こりや、ことによると先生には駄目かも知れない。里見の美禰子さんなら可いだらう」 「何故」と三四郎が聞いた。 「あゝ落ち付いてゐりや、味の出る迄屹度噛んでるに違ない」 「あの女は落ち付いて居て、乱暴だ」と広田が云つた。 「えゝ乱暴です。イブセンの女の様な所がある」 「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。尤も乱暴と云つても、普通の乱暴とは意味が違ふが。野々宮の妹の方が、一寸見ると乱暴の様で、矢っ張り女らしい。妙なものだね」 「里見のは乱暴の内訌ですか」  三四郎は黙つて二人の批評を聞いてゐた。何方の批評も腑に落ちない。乱暴といふ言葉が、どうして美禰子の上に使へるか、それからが第一不思議であつた。 六の五  与次郎はやがて、袴を穿いて、改まつて出て来て、 「一寸行つて参ります」と云ふ。先生は黙つて茶を飲んでゐる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。 「先生は里見の御嬢さんを乱暴だと云つたね」 「うん。先生は勝手な事をいふ人だから、時と場合によると何でも云ふ。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女に於る知識は恐らく零だらう。ラツヴをした事がないものに女が分るものか」 「先生はそれで可いとして、君は先生の説に賛成したぢやないか」 「うん乱暴だと云つた。何是」 「何う云ふ所を乱暴と云ふのか」 「何う云ふ所も、斯う云ふ所もありやしない。現代の女性はみんな乱暴に極つてる。あの女ばかりぢやない」 「君はあの人をイブセンの人物に似てゐると云つたぢやないか」 「云つた」 「イブセンの誰に似て居る積なのか」 「誰つて……似てゐるよ」  三四郎は無論納得しない。然し追窮もしない。黙つて一間許歩いた。すると突然与次郎がかう云つた。 「イブセンの人物に似てゐるのは里見の御嬢さん許ぢやない、今の一般の女性はみんな似てゐる。女性ばかりぢやない。苟しくも新らしい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似た所がある。たゞ男も女もイブセンの様に自由行動を取らない丈だ。腹のなかでは大抵かぶれてゐる」 「僕はあんまり、かぶれてゐない」 「ゐないと自ら欺むいてゐるのだ。――どんな社会だつて陥欠のない社会はあるまい」 「それは無いだらう」 「無いとすれば、その中に生息してゐる動物は何所かに不足を感じる訳だ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠を尤も明らかに感じたものだ。吾々も追々あゝ成つて来る」 「君はさう思ふか」 「僕ばかりぢやない。具眼の士はみんなさう思つてゐる」 「君の家の先生もそんな考か」 「うちの先生? 先生は解らない」 「だつて、先刻里見さんを評して、落ち付いてゐて乱暴だと云つたぢやないか。それを解釈して見ると、周囲に調和して行けるから、落ち付いてゐられるので、何所かに不足があるから、底の方が乱暴だと云ふ意味ぢやないのか」 「成程。――先生は偉い所があるよ。あゝいふ所へ行くと矢っ張り偉い」と与次郎は急に広田先生を賞め出した。三四郎は美禰子の性格に就てもう少し議論の歩を進めたかつたのだが、与次郎の此一言で全くはぐらかされて仕舞つた。すると与次郎が云つた。 「実は今日君に用があると云つたのはね。――うん、夫より前に、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んで置かないと僕の用事が頭へ這入り悪い」 「今日あれから家へ帰つて読んだ」 「どうだ」 「先生は何と云つた」 「先生は読むものかね。丸で知りやしない」 「さうさな。面白い事は面白いが、――何だか腹の足にならない麦酒を飲んだ様だね」 「それで沢山だ。読んで景気が付きさへすれば可い。だから慝名にしてある。どうせ今は準備時代だ。かうして置いて、丁度宜い時分に、本名を名乗つて出る。――夫は夫として、先刻の用事を話して置かう」 六の六  与次郎の用事といふのは斯うである。――今夜の会で自分達の科の不振の事をしきりに慨嘆するから、三四郎も一所に慨嘆しなくつては不可ないんださうだ。不振は事実であるから外のものも慨嘆するに極つてゐる。それから、大勢一所に挽回策を講ずる事となる。何しろ適当な日本人を一人大学へ入れるのが急務だと云ひ出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのは無論だ。次に誰が好からうといふ相談に移る。其時広田先生の名を持ち出す。其時三四郎は与次郎に口を添えて極力先生を賞賛しろと云ふ話である。さうしないと、与次郎が広田の食客だといふ事を知つてゐるものが疑を起さないとも限らない。自分は現に食客なんだから、どう思はれても構はないが、万一煩ひが広田先生に及ぶ様では済まん事になる。尤も外に同志が三四人はゐるから、大丈夫だが、一人でも味方は多い方が便利だから、三四郎も成るべく※舌[#「口+堯」、U+5635、435-4]るに若くはないとの意見である。偖愈衆議一決の暁には、総代を撰んで学長の所へ行く、又総長の所へ行く。尤も今夜中に其所迄は運ばないかも知れない。又運ぶ必要もない。其辺は臨機応変である。……  与次郎は頗る能弁である。惜しい事に其能弁がつる/\してゐるので重みがない。ある所へ行くと冗談を真面目に講釈してゐるかと疑はれる。けれども本来が性質の好い運動だから、三四郎も大体の上に於て賛成の意を表した。たゞ其方法が少しく細工に落ちて面白くないと云つた。其時与次郎は往来の真中へ立ち留つた。二人は丁度森川町の神社の鳥居の前にゐる。 「細工に落ちると云ふが、僕のやる事は、自然の手順が狂はない様にあらかじめ人力で装置をする丈だ。自然に背いた没分暁の事を企てるのとは質が違ふ。細工だつて構はん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかつた。何だか文句がある様だけれども、口へ出て来ない。与次郎の言草のうちで、自分がいまだ考へてゐなかつた部分丈が判然頭へ映つてゐる。三四郎は寧ろ其方に感服した。 「それもさうだ」と頗る曖昧な返事をして、又肩を並べて歩き出した。正門を這入ると、急に眼の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立つてゐる。其屋根が判然尽きる所から明かな空になる。星が夥しく多い。 「うつくしい空だ」と三四郎が云つた。与次郎も空を見ながら、一間許歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎は又さつきの話しの続きかと思つて、「なんだ」と答へた。 「君、かう云ふ空を見て何んな感じを起す」  与次郎に似合はぬ事を云つた。無限とか永久とかいふ持ち合せの答へはいくらでもあるが、そんな事を云ふと与次郎に笑はれると思つて、三四郎は黙つてゐた。 「詰らんなあ我々は。あしたから、斯んな運動をするのはもう已めにしやうか知ら。偉大なる暗闇を書いても何の役にも立ちさうにもない」 「何故急にそんな事を云ひ出したのか」 「此空を見ると、さう云ふ考になる。――君、女に惚れた事があるか」  三四郎は即答が出来なかつた。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が云つた。 「恐ろしいものだ、僕も知つてゐる」と三四郎も云つた。すると与次郎が大きな声で笑ひ出した。静かな夜の中で大変高く聞える。 「知りもしない癖に。知りもしない癖に」  三四郎は憮然としてゐた。 「明日も好い天気だ。運動会は仕合せだ。奇麗な女が沢山来る。是非見にくるがいゝ」  暗い中を二人は学生集会所の前迄来た。中には電燈が輝やいてゐる。 六の七  木造の廊下を回つて、部屋へ這入ると、早く来たものは、もう塊まつてゐる。其塊りが大きいのと小さいのと合せて三つ程ある。中には無言で備付の雑誌や新聞を見ながら、わざと列を離れてゐるのもある。話は方々に聞える。話の数は塊まりの数より多い様に思はれる。然し割合に落付いて静かである。烟草の烟の方が猛烈に立ち上る。  其中だん/\寄つて来る。黒い影が闇の中から吹き曝しの廊下の上へ、ぽつりと現はれると、それが一人々々に明るくなつて、部屋の中へ這入つて来る。時には五六人続けて、明るくなる事もある。やがて人数は略揃つた。  与次郎は、さつきから、烟草の烟りの中を、しきりに彼方此方と往来してゐた。行く所で何か小声に話してゐる。三四郎は、そろ/\運動を始めたなと思つて眺めて居た。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと云ふ。食卓は無論前から用意が出来てゐた。みんな、ごた/\に席へ着いた。順序も何もない。食事は始まつた。  三四郎は熊本で赤酒許り飲んでゐた。赤酒といふのは、所で出来る下等な酒である。熊本の学生はみんな赤酒を呑む。それが当然と心得てゐる。たま/\飲食店へ上がれば牛肉屋である。その牛肉屋の牛が馬肉かも知れないといふ嫌疑がある。学生は皿に盛つた肉を手攫みにして、座敷の壁へ抛き付ける。落ちれば牛肉で、貼付けば馬肉だといふ。丸で呪見た様な事をしてゐた。其三四郎に取つて、かう云ふ紳士的な学生親睦会は珍らしい。悦んで肉刀と肉叉を動かしてゐた。其間には麦酒をさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理は不味いですね」と三四郎の隣りに坐つた男が話しかけた。此男は頭を坊主に刈つて、金縁の眼鏡を掛けた大人しい学生であつた。 「さうですな」と三四郎は生返事をした。相手が与次郎なら、僕の様な田舎者には非常に旨いと正直な所をいふ筈であつたが、其正直が却つて皮肉に聞えると悪いと思つて已めにした。すると其男が、 「君は何所の高等学校ですか」と聞き出した。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本には僕の従弟も居たが、随分ひどい所ださうですね」 「野蛮な所です」  二人が話してゐると、向ふの方で、急に高い声がし出した。見ると与次郎が隣席の二三人を相手に、しきりに何か弁じてゐる。時々ダーター、フアブラと云ふ。何の事だか分らない。然し与次郎の相手は、此言葉を聞くたびに笑ひ出す。与次郎は益得意になつて、ダーター、フアブラ我々新時代の青年は……とやつてゐる。三四郎の筋向に坐つてゐた色の白い品の好い学生が、しばらく肉刀の手を休めて、与次郎の連中を眺めてゐたが、やがて笑ひながら、Il a le diable au corps(悪魔が乗り移つてゐる)と冗談半分に仏蘭西語を使つた。向ふの連中には全く聞えなかつたと見えて、此時麦酒の洋盃が四つ許り一度に高く上がつた。得意さうに祝盃を挙げてゐる。 「あの人は大変賑やかな人ですね」と三四郎の隣りの金縁眼鏡を掛けた学生が云つた。 「えゝ。よく※舌[#「口+堯」、U+5635、439-14]ます」 「僕はいつか、あの人に淀見軒でライスカレーを御馳走になつた。丸で知らないのに、突然来て君淀見軒へ行かうつて、とう/\引張つて行つて……」  学生はハヽヽと笑つた。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーを御馳走になつたものは自分ばかりではないんだなと悟つた。 六の八  やがてが出る。一人が椅子を離れて立つた。与次郎が烈しく手を敲くと、他のものも忽ち調子を合せた。  立つたものは、新らしい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭を生やしてゐる。脊が頗る高い。立つには恰好の好い男である。演説めいた事を始めた。  我々が今夜此所へ寄つて、懇親の為めに、一夕の歓をつくすのは、それ自身に於て愉快な事であるが、此懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じ得ると偶然ながら気が付いたら自分は立ちたくなつた。此会合は麦酒に始つてに終つてゐる。全く普通の会合である。然し此麦酒を飲んでを飲んだ四十人近くの人間は普通の人間ではない。しかも其麦酒を飲み始めてからを飲み終る迄の間に既に自己の運命の膨脹を自覚し得た。  政治の自由を説いたのは昔の事である。言論の自由を説いたのも過去の事である。自由とは単に是等の表面にあらはれ易い事実の為めに専有されべき言葉ではない。吾等新時代の青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  吾々は旧き日本の圧迫に堪へ得ぬ青年である。同時に新らしき西洋の圧迫にも堪へ得ぬ青年であるといふ事を、世間に発表せねば居られぬ状況の下に生きて居る。新らしき西洋の圧迫は社会の上に於ても文芸の上に於ても、我等新時代の青年に取つては旧き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋の文芸を研究するものである。然し研究は何所迄も研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋の文芸に囚はれんが為に、これを研究するのではない。囚はれたる心を解脱せしめんが為に、これを研究してゐるのである。此方便に合せざる文芸は如何なる威圧の下に強ひらるゝとも学ぶ事を敢てせざるの自信と決心とを有して居る。  我々は此自信と決心とを有するの点に於て普通の人間とは異つてゐる。文芸は技術でもない、事務でもない。より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である。我々は此意味に於て文芸を研究し、此意味に於て如上の自信と決心とを有し、此意味に於て今夕の会合に一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は烈しく揺きつゝある。社会の産物たる文芸もまた揺きつゝある。揺く勢に乗じて、我々の理想通りに文芸を導くためには、零砕なる個人を団結して、自己の運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕の麦酒とは、かゝる隠れたる目的を、一歩前に進めた点に於て、普通の麦酒とよりも百倍以上の価ある貴とき麦酒とである。  演説の意味はざつと斯んなものである。演説が済んだ時、席に在つた学生は悉く喝采した。三四郎は尤も熱心なる喝采者の一人であつた。すると与次郎が突然立つた。 「ダーターフアブラ、沙翁の使つた字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと云つてたつて仕方がない。尤もそんな馬鹿げた講義を聞いたつて囚はれる気遣はないから大丈夫だが、大学に気の毒で不可ない。どうしても新時代の青年を満足させる様な人間を引張つて来なくつちや。西洋人ぢや駄目だ。第一幅が利かない。……」  満堂は又悉く喝采した。さうして悉く笑つた。与次郎の隣りにゐたものが、 「ダーターフアブラの為に祝盃を挙げやう」と云ひ出した。さつき演説をした学生がすぐに賛成した。生憎麦酒がみな空である。よろしいと云つて与次郎はすぐ台所の方へ馳けて行つた。給仕が酒を持つて出る。祝盃を挙げるや否や、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇の為に」と云つたものがある。与次郎の周囲にゐたものは声を合して、アハヽヽヽと笑つた。与次郎は頭を掻いてゐる。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散つた時に、三四郎が与次郎に聞いた。 「ダーターフアブラとは何の事だ」 「希臘語だ」  与次郎はそれより外に答へなかつた。三四郎も夫より外に聞かなかつた。二人は美しい空を戴いて家に帰つた。 六の九  あくる日は予想の如く好天気である。今年は例年より気候がずつと緩んでゐる。殊更今日は暖かい。三四郎は朝のうち湯に行つた。閑人の少ない世の中だから、午前は頗る空いてゐる。三四郎は板の間に懸けてある三越呉服店の看板を見た。奇麗な女が画いてある。其女の顔が何所か美禰子に似てゐる。能く見ると眼付が違つてゐる。歯並が分らない。美禰子の顔で尤も三四郎を驚かしたものは眼付と歯並である。与次郎の説によると、あの女は反つ歯の気味だから、あゝ始終歯が出るんださうだが、三四郎には決してさうは思へない。……  三四郎は湯に浸つてこんな事を考へてゐたので、身体の方はあまり洗はずに出た。昨夕から急に新時代の青年といふ自覚が強くなつたけれども、強いのは自覚丈で、身体の方は元の儘である。休になると他のものよりずつと楽にしてゐる。今日は午から大学の陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国に居るとき兎狩を二三度した事がある。それから高等学校の端艇競争のときに旗振の役を勤めた事がある。其時青と赤と間違へて振つて大変苦情が出た。尤も決勝の鉄砲を打つ掛りの教授が鉄砲を打ち損なつた。打つには打つたが音がしなかつた。これが三四郎の狼狽た源因である。それより以来三四郎は運動会へ近づかなかつた。然し今日は上京以来始めての競技会だから是非行つて見る積である。与次郎も是非行つて見ろと勧めた。与次郎の云ふ所によると競技より女の方が見に行く価値があるのださうだ。女のうちには野々宮さんの妹がゐるだらう。野々宮さんの妹と一所に美禰子もゐるだらう。其所へ行つて、今日はとか何とか挨拶をして見たい。  午過になつたから出掛けた。会場の入口は運動場の南の隅にある。大きな日の丸と英吉利の国旗が交叉してある。日の丸は合点が行くが、英吉利の国旗は何の為だか解らない。三四郎は日英同盟の所為かとも考へた。けれども日英同盟と大学の陸上運動会とはどう云ふ関係があるか、頓と見当が付かなかつた。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色が大分褪めてゐる。競技を看る所は西側にある。後ろに大きな築山を一杯に控へて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追ひ込む仕掛になつてゐる。狭い割に見物人が多いので甚だ窮屈である。幸ひ日和が好いので寒くはない。然し外套を着てゐるものが大分ある。其代り傘をさして来た女もある。  三四郎が失望したのは婦人席が別になつてゐて、普通の人間には近寄れない事であつた。それからフロツクコートや何か着た偉さうな男が沢山集まつて、自分が存外幅の利かない様に見えた事であつた。新時代の青年を以て自から居る三四郎は少し小さくなつてゐた。それでも人と人の間から婦人席の方を見渡す事は忘れなかつた。横からだから能く見えないが、此所は流石に奇麗である。悉く着飾つてゐる。其上遠距離だから顔がみんな美くしい。その代り誰が目立つて美くしいといふ事もない。只総体が総体として美くしい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかつた。そこで三四郎は又失望した。然し注意したら、何所かにゐるだらうと思つて、能く見渡すと、果して前列の一番柵に近い所に二人並んでゐた。 六の十  三四郎は眼の着け所が漸く解つたので、先づ一段落告げた様な気で、安心してゐると、忽ち五六人の男が眼の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである。決勝点は美禰子とよし子が坐つてゐる真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見詰めてゐた三四郎の視線のうちには是非共是等の壮漢が這入つて来る。五六人はやがて十二三人に殖えた。みんな呼吸を喘ませてゐる様に見える。三四郎は是等の学生の態度と自分の態度とを比べて見て、其相違に驚ろいた。どうして、あゝ無分別に走ける気になれたものだらうと思つた。然し婦人連は悉く熱心に見てゐる。そのうちでも美禰子とよし子は尤も熱心らしい。三四郎は自分も無分別に走けて見たくなつた。一番に到着したものが、紫の猿股を穿いて婦人席の方を向いて立つてゐる。能く見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似てゐる。あゝ脊が高くては一番になる筈である。計測掛が黒板に二十五秒七四と書いた。書き終つて、余りの白墨を向へ抛げて、此方をむいた所を見ると野々宮さんであつた。野々宮さんは何時になく真黒なフロツクを着て、胸に掛員の徽章を付けて、大分人品が宜い。手帛を出して、洋服の袖を二三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切つて来た。丁度美禰子とよし子の坐つてゐる真前の所へ出た。低い柵の向側から首を婦人席の中へ延ばして、何か云つてゐる。美禰子は立つた。野々宮さんの所迄歩いて行く。柵の向ふと此方で話しを始めた様に見える。美禰子は急に振り返つた。嬉しさうな笑に充ちた顔である。三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守つてゐた。すると、よし子が立つた。又柵の傍へ寄つて行く。二人が三人になつた。芝生の中では砲丸抛が始つた。  砲丸抛程腕の力の要るものはなからう。力の要る割に是程面白くないものも沢山ない。たゞ文字通り砲丸を抛げるのである。芸でも何でもない。野々宮さんは柵の所で、一寸此様子を見て笑つてゐた。けれども見物の邪魔になると悪いと思つたのであらう。柵を離れて芝生の中へ引き取つた。二人の女も元の席へ復した。砲丸は時々抛げられてゐる。第一どの位遠く迄行くんだか殆んど三四郎には分らない。三四郎は馬鹿々々しくなつた。それでも我慢して立つてゐた。漸やくの事で片が付いたと見えて、野々宮さんは又黒板へ十一メートル三八と書いた。  それから又競走があつて、長飛があつて、其次には槌抛げが始まつた。三四郎は此槌抛に至つて、とう/\辛抱が仕切れなくなつた。運動会は各自勝手に開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女は悉く間違つてゐると迄思ひ込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所迄来た。幕が張つてあつて通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いてゐる。盛装した婦人も見える。三四郎は又右へ折れて、爪先上りを岡の頂点迄来た。路は頂点で尽きてゐる。大きな石がある。三四郎は其上へ腰を掛けて、高い崖の下にある池を眺めた。下の運動会場でわあといふ多勢の声がする。  三四郎はおよそ五分許石へ腰を掛けた儘ぼんやりしてゐた。やがて又動く気になつたので腰を上げて、立ちながら、靴の踵を向け直すと、岡の上り際の、薄く色づいた紅葉の間に、先刻の女の影が見えた。並んで岡の裾を通る。 六の十一  三四郎は上から、二人を見下してゐた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙つてゐると、前を通り抜けて仕舞ふ。三四郎は声を掛けやうかと考へた。距離があまり遠過ぎる。急いで二三歩芝の上を裾の方へ下りた。下り出すと好い具合に女の一人が此方を向いて呉れた。三四郎はそれで留つた。実は此方からあまり御機嫌を取りたくない。運動会が少し癪に障つてゐる。 「あんな所に……」とよし子が云ひ出した。驚ろいて笑つてゐる。この女はどんな陳腐なものを見ても珍らしさうな眼付をする様に思はれる。其代り、如何な珍らしいものに出逢つても、やはり待ち受けてゐた様な眼付で迎へるかと想像される。だから此女に逢ふと重苦しい所が少しもなくつて、しかも落ち付いた感じが起る。三四郎は立つた儘、これは全く、この大きな、常に濡れてゐる、黒い眸の御蔭だと考へた。  美禰子も留つた。三四郎を見た。然し其眼は此時に限つて何物をも訴へてゐなかつた。丸で高い木を眺める様な眼であつた。三四郎は心の裡で、火の消えた洋燈を見る心持がした。元の所に立ちすくんでゐる。美禰子も動かない。 「何故競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。 「今迄見てゐたんですが、詰らないから已めて来たのです」  よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、 「夫より、あなた方こそ何故出て来たんです。大変熱心に見て居たぢやありませんか」と当た様な当ない様な事を大きな声で云つた。美禰子は此時始めて、少し笑つた。三四郎には其笑ひの意味が能く分らない。二歩ばかり女の方に近付いた。 「もう家へ帰るんですか」  女は二人とも答へなかつた。三四郎は又二歩ばかり女の方へ近付いた。 「何所かへ行くんですか」 「えゝ、一寸」と美禰子が小さな声で云ふ。よく聞えない。三四郎はとう/\女の前迄下りて来た。しかし何所へ行くとも追窮もしないで立つてゐる。会場の方で喝采の声が聞える。 「高飛よ」とよし子が云ふ。「今度は何メートルになつたでせう」  美禰子は軽く笑つた許である。三四郎も黙つてゐる。三四郎は高飛に口を出すのを屑しとしない積である。すると美禰子が聞いた。 「此上には何か面白いものが有つて?」  此上には石があつて、崖がある許りである。面白いものがあり様筈がない。 「何にもないです」 「さう」と疑を残した様に云つた。 「一寸上がつて見ませうか」とよし子が、快く云ふ。 「あなた、まだ此所を御存じないの」と相手の女は落ち付いて出た。 「宜いから入つしやいよ」  よし子は先へ上る。二人は又跟いて行つた。よし子は足を芝生の端迄出して、振り向きながら、 「絶壁ね」と大袈裟な言葉を使つた。「サツフオーでも飛び込みさうな所ぢやありませんか」  美禰子と三四郎は声を出して笑つた。其癖三四郎はサツフオーがどんな所から飛び込んだか能く知らなかつた。 「あなたも飛び込んで御覧なさい」と美禰子が云ふ。 「私? 飛び込みませうか。でも余まり水が汚ないわね」と云ひながら、此方へ帰つて来た。  やがて女二人の間に用談が始つた。 「あなた、入らしつて」と美禰子がいふ。 「えゝ。あなたは」とよし子がいふ。 「何うしませう」 「どうでも。なんなら私一寸行つてくるから、此所に待つて入らつしやい」 「さうね」  中々片付かない。三四郎が聞いて見ると、よし子が病院の看護婦の所へ、序だから、一寸礼に行つてくるんだと云ふ。美禰子は此夏自分の親戚が入院してゐた時近付になつた看護婦を訪ねれば訪ねるのだが、是は必要でも何でもないのださうだ。 六の十二  よし子は、素直に気の軽い女だから、仕舞にすぐ帰つて来ますと云ひ捨てゝ、早足に一人丘を下りて行つた。止める程の必要もなし、一所に行く程の事件でもないから、二人は自然後に遺る訳になつた。二人の消極な態度から云へば、遺るといふより、遺されたかたちにもなる。  三四郎は又石に腰を掛けた。女は立つてゐる。秋の日は鏡の様に濁つた池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはたゞ二本の樹が生えてゐる。青い松と薄い紅葉が具合よく枝を交し合つて、箱庭の趣がある。島を越して向側の突き当りが蓊鬱とどす黒く光つてゐる。女は丘の上から其暗い木蔭を指した。 「あの木を知つて入らしつて」といふ。 「あれは椎」  女は笑ひ出した。 「能く覚えて入らつしやる事」 「あの時の看護婦ですか、あなたが今訪ねやうと云つたのは」 「えゝ」 「よし子さんの看護婦とは違ふんですか」 「違ひます。是は椎――といつた看護婦です」  今度は三四郎が笑ひ出した。 「彼所ですね。あなたがあの看護婦と一所に団扇を持つて立つてゐたのは」  二人のゐる所は高く池の中に突き出してゐる。此丘とは丸で縁のない小山が一段低く、右側を走つてゐる。大きな松と、御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらな芝生が見える。 「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とう/\堪へ切れないで出て来たの。――あなたは又何であんな所に跼がんで入らしつたの」 「熱いからです。あの日は始めて野々宮さんに逢つて、それから、彼所へ来てぼんやりして居たのです。何だか心細くなつて」 「野々宮さんに御逢ひになつてから、心細く御成になつたの」 「いゝえ、左う云ふ訳ぢやない」と云ひ掛けて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。 「野々宮さんと云へば、今日は大変働らいてゐますね」 「えゝ、珍らしくフロツクコートを御着になつて――随分御迷惑でせう。朝から晩迄ですから」 「だつて大分得意の様ぢやありませんか」 「誰が。野々宮さんが。――あなたも随分ね」 「何故ですか」 「だつて、真逆運動会の計測掛になつて得意になる様な方でもないでせう」  三四郎は又話頭を転じた。 「先刻あなたの所へ来て何か話してゐましたね」 「会場で?」 「えゝ、運動場の柵の所で」と云つたが、三四郎は此問を急に撤回したくなつた。女は「えゝ」と云つた儘男の顔を凝と見てゐる。少し下唇を反らして笑ひ掛けてゐる。三四郎は堪らなくなつた。何か云つて紛らかさうとした時に、女は口を開いた。 「あなたは未だ此間の絵端書の返事を下さらないのね」  三四郎は迷付ながら「上げます」と答へた。女は呉れとも何とも云はない。 「あなた、原口さんといふ画工を御存じ?」と聞き直した。 「知りません」 「さう」 「何うかしましたか」 「なに、その原口さんが、今日見に来て入らしつてね。みんなを写生してゐるから、私達も用心しないと、ポンチに画ゝれるからつて、野々宮さんがわざ/\注意して下すつたんです」  美禰子は傍へ来て腰を掛けた。三四郎は自分が如何にも愚物の様な気がした。 「よし子さんは兄さんと一所に帰らないんですか」 「一所に帰らうつたつて帰れないわ。よし子さんは、昨日から私の家にゐるんですもの」 六の十三  三四郎は其時始めて美禰子から野々宮の御母さんが国へ帰つたと云ふ事を聞いた。御母さんが帰ると同時に、大久保を引払つて、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の宅から学校へ通ふ事に、相談が極つたんださうである。  三四郎は寧ろ野々宮さんの気楽なのに驚ろいた。さう容易く下宿生活に戻る位なら、始めから家を持たない方が善からう。第一鍋、釜、手桶抔といふ世帯道具の始末はどう付けたらうと余計な事迄考へたが、口に出して云ふ程の事でもないから、別段の批評は加へなかつた。其上、野々宮さんが一家の主人から、後戻りをして、再び純書生と同様な生活状態に復するのは、取も直さず家族制度から一歩遠退いたと同じ事で、自分に取つては、目前の疑惑を少し長距離へ引き移した様な好都合にもなる。其代りよし子が美禰子の家へ同居して仕舞つた。此兄妹は絶えず往来してゐないと治らない様に出来上つてゐる。絶えず往来してゐるうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移つて来る。すると野々宮さんが又いつ何時下宿生活を永久に已める時機が来ないとも限らない。  三四郎は頭の中に、かう云ふ疑ある未来を、描きながら、美禰子と応対をしてゐる。一向に気が乗らない。それを外部の態度丈でも普通の如く繕ふとすると苦痛になつて来る。其所へ旨い具合によし子が帰つて来て呉れた。女同志の間には、もう一遍競技を見に行かうかと云ふ相談があつたが、短かくなりかけた秋の日が大分回つたのと、回るに連れて、広い戸外の肌寒が漸く増してくるので、帰る事に話が極まる。  三四郎も女連に別れて下宿へ戻らうと思つたが、三人が話しながら、ずる/\べつたりに歩き出したものだから、際立つて、挨拶をする機会がない。二人は自分を引張つて行く様に見える。自分も亦引張られて行きたい様な気がする。それで二人に食つ付いて池の端を図書館の横から、方角違ひの赤門の方へ向いて来た。其時三四郎は、よし子に向つて、 「御兄いさんは下宿をなすつたさうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、 「えゝ。とう/\。他を美禰子さんの所へ押し付けて置いて。苛いでせう」と同意を求める様に云つた。三四郎は何か返事をしやうとした。其前に美禰子が口を開いた。 「宗八さんの様な方は、我々の考ぢや分りませんよ。ずつと高い所に居て、大きな事を考へて居らつしやるんだから」と大いに野々宮さんを賞め出した。よし子は黙つて聞いてゐる。  学問をする人が煩瑣い俗用を避けて、成るべく単純な生活に我慢するのは、みんな研究の為め已を得ないんだから仕方がない。野々宮の様な外国に迄聞える程の仕事をする人が、普通の学生同様な下宿に這入つてゐるのも必竟野々宮が偉いからの事で、下宿が汚なければ汚ない程尊敬しなくつてはならない。――美禰子の野々宮に対する讃辞のつゞきは、ざつと斯うである。  三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考へ出した。――成程美禰子の云つた通である。自分と野々宮を比較して見ると大分段が違ふ。自分は田舎から出て大学へ這入つた許りである。学問といふ学問もなければ、見識と云ふ見識もない。自分が、野々宮に対する程な尊敬を美禰子から受け得ないのは当然である。さう云へば何だか、あの女から馬鹿にされてゐる様でもある。先刻、運動会はつまらないから、此所にゐると、丘の上で答へた時に、美禰子は真面目な顔をして、此上には何か面白いものがありますかと聞いた。あの時は気が付かなかつたが、今解釈して見ると、故意に自分を愚弄した言葉かも知れない。――三四郎は気が付いて、今日迄美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返して見ると、どれも是もみんな悪い意味が付けられる。三四郎は往来の真中で真赤になつて俯向いた。不図、顔を上げると向ふから、与次郎と昨夕の会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を竪に振つたぎり黙つてゐる。学生は帽子を脱つて礼をしながら、 「昨夜は。何うですか。囚はれちや不可ませんよ」と笑つて行き過ぎた。 七の一  裏から回つて婆さんに聞くと、婆さんが小さな声で、与次郎さんは昨日から御帰りなさらないと云ふ。三四郎は勝手口に立つて考へた。婆さんは気を利かして、まあ御這入りなさい。先生は書斎に御出ですからと云ひながら、手を休めずに、膳椀を洗つてゐる。今晩食が済んだ許の所らしい。  三四郎は茶の間を通り抜けて、廊下伝ひに書斎の入口迄来た。戸が開いてゐる。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへ這入つた。先生は机に向つてゐる。机の上には何があるか分らない。高い脊が研究を隠してゐる。三四郎は入口に近く坐つて、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔丈後へ捩ぢ向けた。髭の影が不明瞭にもぢや/\してゐる。写真版で見た誰かの肖像に似てゐる。 「やあ、与次郎かと思つたら、君ですか、失敬した」と云つて、席を立つた。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いてゐた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いてゐる。然し何を書いてゐるんだか、他の者が読んでも些とも分らない。生きてゐるうちに、大著述にでも纏められゝば結構だが、あれで死んで仕舞つちやあ、反古が積る許だ。実に詰らない。と嘆息してゐた事がある。三四郎は広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思ひ出した。 「御邪魔なら帰ります。別段の用事でもありません」 「いや、帰つてもらふ程邪魔でもありません。此方の用事も別段の事でもないんだから。さう急に片付ける性質のものを遣つてゐたんぢやない」  三四郎は一寸挨拶が出来なかつた。然し腹のうちでは、此人の様な気分になれたら、勉強も楽に出来て好からうと思つた。しばらくしてから、斯う云つた。 「実は佐々木君の所へ来たんですが、居なかつたものですから……」 「あゝ。与次郎は何でも昨夜から帰らない様だ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でも出来たんですか」 「用事は決して出来る男ぢやない。たゞ用事を拵へる男でね。あゝ云ふ馬鹿は少ない」  三四郎は仕方がないから、 「中々気楽ですな」と云つた。 「気楽なら好いけれども。与次郎のは気楽なのぢやない。気が移るので――例へば田の中を流れてゐる小川の様なものと思つてゐれば間違はない。浅くて狭い。しかし水丈は始終変つてゐる。だから、する事が、ちつとも締りがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思ひ出した様に、先生松を一鉢御買ひなさいなんて妙な事を云ふ。さうして買ふとも何とも云はないうちに値切つて買つて仕舞ふ。其代り縁日ものを買ふ事なんぞは上手でね。あいつに買はせると大変安く買へる。さうかと思ふと、夏になつてみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸を閉てて錠を卸して仕舞ふ。帰つて見ると、松が温気で蒸れて真赤になつてゐる。万事さう云ふ風で洵に困る」  実を云ふと三四郎は此間与次郎に弐十円借した。二週間後には文芸時評社から原稿料が取れる筈だから、それ迄立替てくれろと云ふ。事理を聞いて見ると、気の毒であつたから、国から送つて来た許りの為替を五円引いて、余りは悉く借して仕舞つた。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いて見ると少々心配になる。しかし先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、蔭では先生の為に中々尽力してゐます」と云ふと、先生は真面目になつて、 「どんな尽力をしてゐるんですか」と聞き出した。所が「偉大なる暗闇」其他凡て広田先生に関する与次郎の所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられてゐる。やり掛けた途中でそんな事が知れると先生に叱られるに極つてるから黙つて居るべきだといふ。話して可い時には己が話すと明言してゐるんだから仕方がない。三四郎は話を外らして仕舞つた。 七の二  三四郎が広田の家へ来るには色々な意味がある。一つは、此人の生活其他が普通のものと変つてゐる。ことに自分の性情とは全く容れない様な所がある。そこで三四郎は何うしたらあゝなるだらうと云ふ好奇心から参考の為め研究に来る。次に此人の前へ出ると呑気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心の為めに、流俗の嗜慾を遠ざけてゐるかの様に思はれる。だから野々宮さんを相手に二人限で話してゐると、自分も早く一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まない様な気が起る。焦慮いて堪らない。そこへ行くと広田先生は太平である。先生は高等学校でたゞ語学を教へる丈で、外に何の芸もない――と云つては失礼だが、外に何等の研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましてゐる。其所に、此呑気の源は伏在してゐるのだらうと思ふ。三四郎は近頃女に囚れた。恋人に囚はれたのなら、却つて面白いが、惚れられてゐるんだか、馬鹿にされてゐるんだか、怖がつて可いんだか、蔑んで可いんだか、廃すべきだか続けべきだか訳の分らない囚はれ方である。三四郎は忌々敷なつた。さう云ふ時は広田さんに限る。三十分程先生と相対してゐると心持が悠揚になる。女の一人や二人どうなつても構はないと思ふ。実を云ふと、三四郎が今夜出掛けて来たのは七分方此意味である。  訪問理由の第三は大分矛盾してゐる。自分は美禰子に苦しんでゐる。美禰子の傍に野々宮さんを置くと猶苦しんで来る。その野々宮さんに尤も近いものは此先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係が自から明瞭になつてくるだらうと思ふ。これが明瞭になりさへすれば、自分の態度も判然極める事が出来る。其癖二人の事を未だ曾て先生に聞いた事がない。今夜は一つ聞いて見やうかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすつたさうですね」 「えゝ、下宿したさうです」 「家を持つたものが、又下宿をしたら不便だらうと思ひますが、野々宮さんは能く……」 「えゝ、そんな事には一向無頓着な方でね。あの服装を見ても分る。家庭的な人ぢやない。其代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分あゝ遣つて御出の積なんでせうか」 「分らない。又突然家を持つかも知れない」 「奥さんでも御貰になる御考へはないんでせうか」 「あるかも知れない。佳いのを周旋して遣り玉へ」  三四郎は苦笑をした。余計な事を云つたと思つた。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持つちやあ大変だ」 「国のものは勧めますが」 「国の誰が」 「母です」 「御母さんの云ふ通り持つ気になりますか」 「中々なりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑つた。割合に奇麗な歯を持つてゐる。三四郎は其時急になつかしい心持がした。けれども其なつかしさは美禰子を離れてゐる。野々宮を離れてゐる。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであつた。三四郎は是で、野々宮抔の事を聞くのが恥づかしい気がし出して、質問を已めて仕舞つた。すると広田先生が又話し出した。―― 七の三 「御母さんの云ふ事は成べく聞いて上げるが可い。近頃の青年は我々時代の青年と違つて自我の意識が強過ぎて不可ない。吾々の書生をして居る頃には、する事為す事一として他を離れた事はなかつた。凡てが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であつた。それを一口にいふと教育を受けるものが悉く偽善家であつた。その偽善が社会の変化で、とう/\張り通せなくなつた結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展し過ぎて仕舞つた。昔しの偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家といふ言葉を聞いた事がありますか」 「いゝえ」 「今僕が即席に作つた言葉だ。君も其露悪家の一人――だかどうだか、まあ多分さうだらう。与次郎の如きに至ると其最たるものだ。あの君の知つてる里見といふ女があるでせう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね。あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔しは殿様と親父丈が露悪家で済んでゐたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。尤も悪い事でも何でもない。臭いものの蓋を除れば肥桶で、美事な形式を剥ぐと大抵は露悪になるのは知れ切つてゐる。形式丈美事だつて面倒な許だから、みんな節約して木地丈で用を足してゐる。甚だ痛快である。天醜爛漫としてゐる。所が此爛漫が度を越すと、露悪家同志が御互に不便を感じて来る。其不便が段高じて極端に達した時利他主義が又復活する。それが又形式に流れて腐敗すると又利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はさう云ふ風にして暮して行くものと思へば差支ない。さうして行くうちに進歩する。英国を見給へ。此両主義が昔からうまく平衡が取れてゐる。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチエも出ない。気の毒なものだ。自分丈は得意の様だが、傍から見れば堅くなつて、化石しかゝつてゐる。……」  三四郎は内心感心した様なものゝ、話が外れて飛んだ所へ曲がつて、曲がりなりに太くなつて行くので、少し驚ろいてゐた。すると広田さんも漸く気が付いた。 「一体何を話してゐたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「えゝ、私が母の云ふ事を聞いて……」 「うん、左う/\。なるべく御母さんの言ふ事を聞かなければ不可ない」と云つてにこ/\してゐる。丸で小供に対する様である。三四郎は別に腹も立たなかつた。 「我々が露悪家なのは、可いですが、先生時代の人が偽善家なのは、どういふ意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「えゝ、まあ愉快です」 「屹度? 僕はさうでない、大変親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式丈は親切に適つてゐる。然し親切自身が目的でない場合」 「そんな場合があるでせうか」 「君、元日に御目出度と云はれて、実際御目出たい気がしますか」 「そりや……」 「しないだらう。それと同じく腹を抱へて笑ふだの、転げかへつて笑ふだのと云ふ奴に、一人だつて実際笑つてる奴はない。親切も其通り。御役目に親切をして呉れるのがある。僕が学校で教師をしてゐる様なものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たら定めて不愉快だらう。之に反して与次郎の如きは露悪党の領袖だけに、度々僕に迷惑を掛けて、始末に了へぬいたづらものだが、悪気がない。可愛らしい所がある。丁度亜米利加人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である行為程正直なものはなくつて、正直程厭味のないものは無いんだから、万事正直に出られない様な我々時代の小六づかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  此所迄の理窟は三四郎にも分つてゐる。けれども三四郎に取つて、目下痛切な問題は、大体にわたつての理窟ではない。実際に交渉のある或格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである。三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一遍考へて見た。所が気障か気障でないか殆んど判断が出来ない。三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではなからうかと疑がひ出した。 七の四  其時広田さんは急にうんと云つて、何か思ひ出した様である。 「うん、まだある。此二十世紀になつてから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位で充たすと云ふ六※[#濁点付き小書き平仮名つ、467-5]かしい遣口なんだが、君そんな人に出逢つたですか」 「何んなのです」 「外の言葉で云ふと、偽善を行ふに露悪を以てする。まだ分らないだらうな。ちと説明し方が悪い様だ。――昔しの偽善家はね。何でも人に善く思はれたいが先に立つんでせう。所が其反対で、人の感触を害する為めに、わざ/\偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善としか思はれない様に仕向けて行く。相手は無論厭な心持がする。そこで本人の目的は達せられる。偽善を偽善其儘で先方に通用させ様とする正直な所が露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語は飽迄も善に違ないから、――そら、二位一体といふ様な事になる。此方法を巧妙に用ひるものが近来大分殖えて来た様だ。極めて神経の鋭敏になつた文明人種が、尤も優美に露悪家にならうとすると、これが一番好い方法になる。血を出さなければ人が殺せないといふのは随分野蛮な話だからな君、段々流行らなくなる」  広田先生の話し方は、丁度案内者が古戦場を説明する様なもので、実際を遠くから眺めた地位に自からを置いてゐる。それで頗る楽天の趣がある。恰も教場で講義を聞くと一般の感を起させる。然し三四郎には応へた。念頭に美禰子といふ女があつて、此理論をすぐ適用出来るからである。三四郎は頭の中に此標準を置いて、美禰子の凡てを測つて見た。然し測り切れない所が大変ある。先生は口を閉ぢて、例の如く鼻から哲学の烟を吐き始めた。  所へ玄関に足音がした。案内も乞はずに廊下伝ひに這入つて来る。忽ち与次郎が書斎の入口に坐つて、 「原口さんが御出になりました」と云ふ。只今帰りましたといふ挨拶を省いてゐる。わざと省いたのかも知れない。三四郎には存在な目礼をした許ですぐに出て行つた。  与次郎と敷居際で擦れ違つて、原口さんが這入つて来た。原口さんは仏蘭西式の髭を生やして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずつと奇麗な和服を着てゐる。 「やあ、暫く。今迄佐々木が宅へ来てゐてね。一所に飯を食つたり何かして――それから、とう/\引張り出されて、……」と大分楽天的な口調である。傍にゐると自然陽気になる様な声を出す。三四郎は原口と云ふ名前を聞いた時から、大方あの画工だらうと思つてゐた。夫にしても与次郎は交際家だ。大抵な先輩とはみんな知合になつてゐるから豪いと感心して硬くなつた。三四郎は年長者の前へ出ると硬くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈してゐる。  やがて主人が原口に紹介して呉れる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向ふは軽く会釈した。三四郎はそれから黙つて二人の談話を承はつてゐた。  原口さんは先づ用談から片付けると云つて、近いうちに会をするから出て呉れと頼んでゐる。会員と名のつく程の立派なものは拵らへない積だが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学の教授とか、僅かな人数に限つて置くから差支はない。しかも大抵知り合の間だから、形式は全く不必要である。目的はたゞ大勢寄つて晩餐を食ふ。それから文芸上有益な談話を交換する。そんなものである。  広田先生は一口「出やう」と云つた。用事は夫で済んで仕舞つた。用事は夫で済んで仕舞つたが、それから後の原口さんと広田先生の会話が頗る面白かつた。 七の五  広田先生が「君近頃何をしてゐるかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を云ふ。 「矢っ張り一中節を稽古してゐる。もう五つ程上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのつて中々面白いのがあるよ。君も少し遣つて見ないか。尤もありや、余り大きな声を出しちや、不可ないんだつてね。本来が四畳半の座敷に限つたものださうだ。所が僕が此通り大きな声だらう。それに節廻しがあれで中々込み入つてゐるんで、何うしても旨く不可ん。今度一つ遣るから聞いて呉れ玉へ」  広田先生は笑つてゐた。すると原口さんは続をかう云ふ風に述べた。 「それでも僕はまだ可いんだが、里見恭助と来たら、丸で片無しだからね。どう云ふものか知らん。妹はあんなに器用だのに。此間はとうとう降参して、もう唄は已める、其代り何か楽器を習はうと云ひ出した所が、馬鹿囃を御習ひなさらないかと勧めたものが有つてね。大笑ひさ」 「そりや本当かい」 「本当とも。現に里見が僕に、君が遣るなら遣つても好いと云つた位だもの。あれで馬鹿囃には八通り囃かたがあるんださうだ」 「君、遣つちや何うだ。あれなら普通の人間にでも出来さうだ」 「いや馬鹿囃は厭だ。それよりか鼓が打つて見たくつてね。何故だか鼓の音を聞いてゐると、全く二十世紀の気がしなくなるから可い。どうして今の世にあゝ間が抜けてゐられるだらうと思ふと、それ丈で大変な薬になる。いくら僕が呑気でも、鼓の音の様な画はとても描けないから」 「描かうともしないんぢやないか」 「描けないんだもの。今の東京にゐるものに悠揚な画が出来るものか。尤も画にも限るまいけれども。――画と云へば、此間大学の運動会へ行つて、里見と野々宮さんの妹のカリカチユアーを描いて遣らうと思つたら、とうとう逃げられて仕舞つた。こんだ一つ本当の肖像画を描いて展覧会にでも出さうかと思つて」 「誰の」 「里見の妹の。どうも普通の日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布には移が悪くつて不可ないが、あの女や野々宮さんは可い。両方共画になる。あの女が団扇を翳して、木立を後に、明るい方を向いてゐる所を等身に写して見様かしらと思つてる。西洋の扇は厭味で不可ないが、日本の団扇は新しくつて面白いだらう。兎に角早くしないと駄目だ。今に嫁にでも行かれやうものなら、さう此方の自由に行かなくなるかも知れないから」  三四郎は多大な興味を以て原口の話を聞いてゐた。ことに美禰子が団扇を翳してゐる構図は非常な感動を三四郎に与へた。不思議の因縁が二人の間に存在してゐるのではないかと思ふ程であつた。すると広田先生が、「そんな図はさう面白い事もないぢやないか」と無遠慮な事を云ひ出した。 「でも当人の希望なんだもの。団扇を翳してゐる所は、どうでせうと云ふから、頗る妙でせうと云つて承知したのさ。何わるい図どりではないよ。描き様にも因るが」 「あんまり美くしく描くと、結婚の申込が多くなつて困るぜ」 「ハヽヽぢや中位に描いて置かう。結婚と云へば、あの女も、もう嫁に行く時期だね。どうだらう、何所か好い口はないだらうか。里見にも頼まれてゐるんだが」 「君貰つちや何うだ」 「僕か。僕で可ければ貰ふが、どうもあの女には信用がなくつてね」 「何故」 「原口さんは洋行する時には大変な気込で、わざ/\鰹節を買ひ込んで、是で巴理の下宿に籠城するなんて大威張だつたが、巴理へ着くや否や、忽ち豹変したさうですねつて笑ふんだから始末がわるい。大方兄からでも聞いたんだらう」 「あの女は自分の行きたい所でなくつちや行きつこない。勧めたつて駄目だ。好な人がある迄独身で置くがいゝ」 「全く西洋流だね。尤もこれからの女はみんな左うなるんだから、それも可からう」  夫から二人の間に長い絵画談があつた。三四郎は広田先生の西洋の画工の名を沢山知つてゐるのに驚ろいた。帰るとき勝手口で下駄を探してゐると、先生が階子段の下へ来て「おい佐々木一寸下りて来い」と云つてゐた。 七の六  戸外は寒い。空は高く晴れて、何処から露が降るかと思ふ位である。手が着物に触ると、触つた所だけが冷りとする。人通りの少ない小路を二三度折れたり曲つたりして行くうちに、突然辻占屋に逢つた。大きな丸い提灯を点けて、腰から下を真赤にしてゐる。三四郎は辻占が買つて見たくなつた。然し敢て買はなかつた。杉垣に羽織の肩が触る程に、赤い提燈を避けて通した。しばらくして、暗い所を斜に抜けると、追分の通へ出た。角に蕎麦屋がある。三四郎は今度は思ひ切つて暖簾を潜つた。少し酒を飲む為である。  高等学校の生徒が三人ゐる。近頃学校の先生が午の弁当に蕎麦を食ふものが多くなつたと話してゐる。蕎麦屋の担夫が午砲が鳴ると、蒸籠や種ものを山の様に肩へ載せて、急いで校門を這入つてくる。此所の蕎麦屋はあれで大分儲かるだらうと話してゐる。何とかいふ先生は夏でも釜揚饂飩を食ふが、どう云ふものだらうと云つてゐる。大方胃が悪いんだらうと云つてゐる。其外色々の事を云つてゐる。教師の名は大抵呼び棄にする。中に一人広田さんと云つたものがある。それから何故広田さんは独身でゐるかといふ議論を始めた。広田さんの所へ行くと女の裸体画が懸けてあるから、女が嫌なんぢやなからうと云ふ説である。尤も其裸体画は西洋人だから当にならない。日本の女は嫌かも知れないといふ説である。いや失恋の結果に違ないと云ふ説も出た。失恋してあんな変人になつたのかと質問したものもあつた。然し若い美人が出入するといふ噂があるが本当かと聞き糺したものもあつた。  段々聞いてゐるうちに、要するに広田先生は偉い人だといふ事になつた。何故偉いか三四郎にも能く解らないが、兎に角此三人は三人ながら与次郎の書いた「偉大なる暗闇」を読んでゐる。現にあれを読んでから、急に広田さんが好になつたと云つてゐる。時々は「偉大なる暗闇」のなかにある警句抔を引用して来る。さうして盛んに与次郎の文章を賞めてゐる。零余子とは誰だらうと不思議がつてゐる。何しろ余程よく広田さんを知つてゐる男に相違ないといふ事には三人共同意した。  三四郎は傍に居て成程と感心した。与次郎が「偉大なる暗闇」を書く筈である。文芸時評の売れ高の少ないのは当人の自白した通であるのに、例々しく彼の所謂大論文を掲げて得意がるのは、虚栄心の満足以外に何の為になるだらうと疑つてゐたが、是で見ると活版の勢力は矢張り大したものである。与次郎の主張する通り、一言でも半句でも云はない方が損になる。人の評判はこんな所から揚がり、又こんな所から落ちると思ふと、筆を執るものゝ責任が恐ろしくなつて、三四郎は蕎麦屋を出た。  下宿へ帰ると、酒はもう醒めて仕舞つた。何だか詰らなくつて不可ない。机の前に坐つて、ぼんやりしてゐると、下女が下から湯沸に熱い湯を入れて持つて来た序に、封書を一通置いて行つた。又母の手紙である。三四郎はすぐ封を切つた。今日は母の手蹟を見るのが甚だ嬉しい。  手紙は可なり長いものであつたが、別段の事も書いてない。ことに三輪田の御光さんについては一口も述べてないので大いに難有かつた。けれども中に妙な助言がある。  御前は小供の時から度胸がなくつて不可ない。度胸の悪いのは大変な損で、試験の時なぞにはどの位困るか知れない。興津の高さんは、あんなに学問が出来て、中学校の先生をしてゐるが、検定試験を受けるたびに、身体が顫へて、うまく答案が出来ないんで、気の毒な事に未だに月給が上がらずにゐる。友達の医学士とかに頼んで顫への留る丸薬を拵らへて貰つて、試験前に飲んで出たが矢っ張り顫へたさうである。御前のはぶる/\顫へる程でもない様だから、平生から治薬に度胸の据る薬を東京の医者に拵らへて貰つて飲んで見ろ。癒らない事もなからうと云ふのである。  三四郎は馬鹿々々しいと思つた。けれども馬鹿しいうちに大いなる慰藉を見出した。母は本当に親切なものであると、つくづく感心した。其晩一時頃迄かゝつて長い返事を母に遣つた。其なかには東京はあまり面白い所ではないと云ふ一句があつた。 八の一  三四郎が与次郎に金を借した顛末は、斯うである。  此間の晩九時頃になつて、与次郎が雨の中を突然遣つて来て、冒頭から大いに弱つたと云ふ。見ると、例になく顔の色が悪い。始めは秋雨に濡れた冷たい空気に吹かれ過ぎたからの事と思つてゐたが、座に就いて見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍らしく銷沈してゐる。三四郎が「具合でも好くないのか」と尋ねると、与次郎は鹿の様な眼を二度程ぱちつかせて、かう答へた。 「実は金を失くなしてね。困つちまつた」  そこで、一寸心配さうな顔をして、烟草の烟を二三本鼻から吐いた。三四郎は黙つて待つてゐる訳にも行かない。どう云ふ種類の金を、どこで失くなしたのかと段々聞いて見ると、すぐ解つた。与次郎は烟草の烟の、二三本鼻から出切る間丈控へてゐたばかりで、その後は、一部始終を訳もなくすら/\と話して仕舞つた。  与次郎の失くした金は、額で弐拾円、但し人のものである。去年広田先生が此前の家を借りる時分に、三ヶ月の敷金に窮して、足りない所を一時野々宮さんから用達つて貰つた事がある。然るに其金は野々宮さんが、妹にイオリンを買つて遣らなくてはならないとかで、わざ/\国元の親父さんから送らせたものださうだ。それだから今日が今日必要といふ程でない代りに、延びれば延びる程よし子が困る。よし子は現に今でもイオリンを買はずに済ましてゐる。広田先生が返さないからである。先生だつて返せればとうに返すんだらうが、月々余裕が一文も出ない上に、月給以外に決して稼がない男だから、つい夫なりにしてあつた。所が此夏高等学校の受験生の答案調を引き受けた時の手当が六十円此頃になつて漸く受け取れた。それで漸く義理を済ます事になつて、与次郎が其使を云ひ付かつた。 「その金を失くなしたんだから済まない」と与次郎が云つてゐる。実際済まない様な顔付でもある。何所へ落したんだと聞くと、なに落したんぢやない。馬券を何枚とか買つて、みんな無くなして仕舞つたのだと云ふ。三四郎も是には呆れ返つた。あまり無分別の度を通り越してゐるので意見をする気にもならない。其上本人が悄然としてゐる。是を平常の活溌々地と比べると、与次郎なるものが二人居るとしか思はれない。其対照が烈し過ぎる。だから可笑いのと気の毒なのとが一所になつて三四郎を襲つて来た。三四郎は笑ひ出した。すると与次郎も笑ひ出した。 「まあ可いや、どうかなるだらう」と云ふ。 「先生はまだ知らないのか」と聞くと、 「まだ知らない」 「野々宮さんは」 「無論、まだ知らない」 「金は何時受取つたのか」 「金は此月始りだから、今日で丁度二週間程になる」 「馬券を買つたのは」 「受け取つた明る日だ」 「夫から今日迄其儘にして置いたのか」 「色々奔走したが出来ないんだから仕方がない。已を得なければ今月末迄此儘にして置かう」 「今月末になれば出来る見込でもあるのか」 「文芸時評社から、どうかなるだらう」  三四郎は立つて、机の抽出を開けた。昨日母から来たばかりの手紙の中を覗いて、 「金は此所にある。今月は国から早く送つて来た」と云つた。与次郎は、 「難有い。親愛なる小川君」と急に元気の好い声で落語家の様な事を云つた。  二人は十時過雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋へ這入つた。三四郎が蕎麦屋で酒を飲む事を覚えたのは此時である。其晩は二人共愉快に飲んだ。勘定は与次郎が払つた。与次郎は中々人に払はせない男である。 八の二  夫から今日に至る迄与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払を気にしてゐる。催促はしないけれども、どうかして呉れれば可いがと思つて、日を過すうちに晦日近くなつた。もう一日二日しか余つてゐない。間違つたら下宿の勘定を延ばして置かう抔といふ考はまだ三四郎の頭に上らない。必ず与次郎が持つて来て呉れる――と迄は無論彼を信用してゐないのだが、まあどうか工面して見様位の親切気はあるだらうと考へてゐる。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水の様に始終移つてゐるのださうだが、無暗に移る許で責任を忘れる様では困る。まさかそれ程の事もあるまい。  三四郎は二階の窓から往来を眺めてゐた。すると向から与次郎が足早にやつて来た。窓の下迄来て仰向いて、三四郎の顔を見上げて、「おい、居るか」と云ふ。三四郎は上から、与次郎を見下して「うん、居る」と云ふ。此馬鹿見た様な挨拶が上下で一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引込める。与次郎は階子段をとん/\上がつて来た。 「待つてゐやしないか。君の事だから下宿の勘定を心配してゐるだらうと思つて、大分奔走した。馬鹿気てゐる」 「文芸時評から原稿料を呉れたか」 「原稿料つて。原稿料はみんな取つて仕舞た」 「だつて此間は月末に取る様に云つてゐたぢやないか」 「さうかな。夫は聞違だらう。もう一文も取るのはない」 「可笑しいな。だつて君は慥かに左う云つたぜ」 「なに、前借をしやうと云つたのだ。所が中中貸さない。僕に貸すと返さないと思つてゐる。怪しからん。僅か二十円許の金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いて遣つても信用しない。詰らない。厭になつちまつた」 「ぢや金は出来ないのか」 「いや外で拵らへたよ。君が困るだらうと思つて」 「さうか。それは気の毒だ」 「所が困つた事が出来た。金は此所にはない。君が取りに行かなくつちや」 「何所へ」 「実は文芸時評が可けないから、原口だの何だの二三軒歩いたが、何所も月末で都合がつかない。それから最後に里見の所へ行つて――里見といふのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんの兄さんだ。あすこへ行つた所が、今度は留守で矢っ張り要領を得ない。其うち腹が減つて歩くのが面倒になつたから、とう/\美禰子さんに逢つて話しをした」 「野々宮さんの妹が居やしないか」 「なに午少し過ぎだから学校に行てる時分だ。それに応接間だから居たつて構やしない」 「さうか」 「それで美禰子さんが、引受けてくれて、御用立て申しますと云ふんだがね」 「あの女は自分の金があるのかい」 「そりや、何うだか知らない。然し兎に角大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありや妙な女で、年の行かない癖に姉さんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさへすれば、安心だ。心配しないでも可い。宜しく願つて置けば構はない。所が一番仕舞になつて、御金は此所にありますが、あなたには渡せませんと云ふんだから驚ろいたね。僕はそんなに不信用なんですかと聞くと、えゝと云つて笑つてゐる。厭になつちまつた。ぢや小川を遣しますかなと又聞いたら、えゝ小川さんに御手渡し致しませうと云はれた。どうでも勝手にするが可い。君取りに行けるかい」 「取りに行かなければ、国へ電報でも掛けるんだな」 「電報はよさう。馬鹿気てゐる。いくら君だつて借りに行けるだらう」 「行ける」  是で漸く弐拾円の埒が明いた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。 八の三  運動は着々歩を進めつゝある。暇さへあれば下宿へ出掛て行つて、一人一人に相談する。相談は一人一人に限る。大勢寄ると、各自が自分の存在を主張しやうとして、稍ともすれば異を樹てる。それでなければ、自分の存在を閑却された心持になつて、初手から冷淡に構へる。相談はどうしても一人、一人に限る。其代り暇は要る。金も要る。それを苦にしてゐては運動は出来ない。それから相談中には広田先生の名前を余り出さない事にする。我々の為の相談でなくつて、広田先生の為の相談だと思はれると、事が纏まらなくなる。  与次郎は此方法で運動の歩を進めてゐるのださうだ。それで今日迄の所は旨く行つた。西洋人許では不可ないから、是非共日本人を入れて貰はうといふ所迄話は来た。是から先はもう一遍寄つて、委員を撰んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べに遣る許である。尤も会合丈はほんの形式だから略しても可い。委員になるべき学生も大体は知れてゐる。みんな広田先生に同情を持つてゐる連中だから、談判の模様によつては、此方から先生の名を当局者へ持ち出すかも知れない。……  聞いてゐると、与次郎一人で天下が自由になる様に思はれる。三四郎は尠からず与次郎の手腕に感服した。与次郎は又此間の晩、原口さんを先生の所へ連れて来た事に就いて、弁じ出した。 「あの晩、原口さんが、先生に文芸家の会をやるから出ろと、勧めてゐたらう」と云ふ。三四郎は無論覚えてゐる。与次郎の話によると、実はあれも自身の発起に係るものださうだ。其理由は色々あるが、まづ第一に手近な所を云へば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がゐる。其男と広田先生を接触させるのは、此際先生に取つて、大変な便利である。先生は変人だから、求めて誰とも交際しない。然し此方で相当の機会を作つて、接触させれば、変人なりに附合つて行く。…… 「左う云ふ意味があるのか、些とも知らなかつた。それで君が発起人だと云ふんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、さう云ふ偉い人達がみんな寄つて来るのかな」  与次郎は、しばらく真面目に、三四郎を見てゐたが、やがて苦笑ひをして傍を向いた。 「馬鹿云つちや不可ない。発起人つて、表向の発起人ぢやない。たゞ僕がさう云ふ会を企だてたのだ。つまり僕が原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋する様に拵へたのだ」 「さうか」 「さうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るが可い。もう近いうちに有る筈だから」 「そんな偉い人ばかり出る所へ行つたつて仕方がない。僕は廃さう」 「又田臭を放つた。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違ふ丈だ。なにあんな連中、博士とか学士とか云つたつて、会つて話して見ると何でもないものだよ。第一向がさう偉いとも何とも思つてやしない。是非出て置くが可い。君の将来の為だから」 「何所であるのか」 「多分上野の西洋軒になるだらう」 「僕はあんな所へ這入つた事がない。高い会費を取るんだらう」 「まあ弐円位だらう。なに会費なんか、心配しなくつても可い。無ければ僕が出して置くから」  三四郎は忽ちさきの弐拾円の件を思ひ出した。けれども不思議に可笑しくならなかつた。与次郎は其上銀座の何所とかへ天麩羅を食ひに行かうと云ひ出した。金はあると云ふ。不思議な男である。云ひなり次第になる三四郎も是は断わつた。其代り一所に散歩に出た。帰りに岡野へ寄つて、与次郎は栗饅頭を沢山買つた。これを先生に見舞に持つて行くんだと云つて、袋を抱へて帰つていつた。 八の四  三四郎は其晩与次郎の性格を考へた。永く東京に居るとあんなになるものかと思つた。それから里見へ金を借りに行く事を考へた。美禰子の所へ行く用事が出来たのは嬉しい様な気がする。然し頭を下げて金を借りるのは難有くない。三四郎は生れてから今日に至る迄、人に金を借りた経験のない男である。其上貸すと云ふ当人が娘である。独立した人間ではない。たとひ金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分は兎に角、あとで、貸した人の迷惑になるかも知れない。或はあの女の事だから、迷惑にならない様に始から出来てゐるかとも思へる。何しろ逢つて見やう。逢つた上で、借りるのが面白くない様子だつたら、断わつて、少時下宿の払を延ばして置いて、国から取り寄せれば事は済む。――当用は此所迄考へて句切りを付けた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮んで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像に任せて、乗けたり除つたりしてゐた。ことに明日逢ふ時に、どんな態度で、どんな事を云ふだらうと其光景が十通りにも廿通りにもなつて色々に出て来る。三四郎は本来から斯んな男である。用談があつて人と会見の約束などをする時には、先方が何う出るだらうといふ事許り想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で云つて遣らう抔とは決して考へない。しかも会見が済むと後から屹度其方を考へる。さうして後悔する。  ことに今夜は自分の方を想像する余地がない。三四郎は此間から美禰子を疑つてゐる。然し疑ふばかりで一向埒が明かない。さうかと云つて面と向つて、聞き糺すべき事件は一つもないのだから、一刀両断の解決抔は思ひも寄らぬ事である。もし三四郎の安心の為に解決が必要なら、それはたゞ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、好い加減に最後の判決を自分に与へて仕舞ふ丈である。明日の会見は此判決に欠くべからざる材料である。だから、色々に向を想像して見る。しかし、どう想像しても、自分に都合の好い光景ばかり出て来る。それでゐて、実際は甚だ疑はしい。丁度汚ない所を奇麗な写真に取つて眺めてゐる様な気がする。写真は写真として何所迄も本当に違ないが、実物の汚ない事も争はれないと一般で、同じでなければならぬ筈の二つが決して一致しない。  最後に嬉しい事を思ひ付いた。美禰子は与次郎に金を貸すと云つた。けれども与次郎には渡さないと云つた。実際与次郎は金銭の上に於ては、信用し悪い男かも知れない。然し其意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑はしい。もし其意味でないとすると、自分には甚だ頼母しい事になる。たゞ金を貸して呉れる丈でも充分の好意である。自分に逢つて手渡しにしたいと云ふのは――三四郎は此所迄己惚て見たが、忽ち、 「矢っ張り愚弄ぢやないか」と考へ出して、急に赤くなつた。もし、ある人があつて、其女は何の為に君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎は恐らく答へ得なかつたらう。強ひて考へて見ろと云はれたら、三四郎は愚弄其物に興味を有つてゐる女だからと迄は答へたかも知れない。自分の己惚を罰する為とは全く考へ得なかつたに違ない。――三四郎は美禰子の為に己惚しめられたんだと信じてゐる。 八の五  翌日は幸ひ教師が二人欠席して、午からの授業が休みになつた。下宿へ帰るのも面倒だから、途中で一品料理の腹を拵らへて、美禰子の家へ行つた。前を通つた事は何遍でもある。けれども這入るのは始てゞある。瓦葺の門の柱に里見恭助といふ標札が出てゐる。三四郎は此所を通る度に、里見恭助といふ人はどんな男だらうと思ふ。まだ逢つた事がない。門は締つてゐる。潜りから這入ると玄関迄の距離は存外短かい。長方形の御影石が飛び々々に敷いてある。玄関は細い奇麗な格子で閉て切つてある。電鈴を押す。取次の下女に、「美禰子さんは御宅ですか」と云つた時、三四郎は自分ながら気恥かしい様な妙な心持がした。他の玄関で、妙齢の女の在否を尋ねた事はまだない。甚だ尋ね悪い気がする。下女の方は案外真面目である。しかも恭しい。一旦奥へ這入つて、又出て来て、丁寧に御辞儀をして、どうぞと云ふから尾いて上がると応接間へ通した。重い窓掛の懸つてゐる西洋室である。少し暗い。  下女は又、「暫らく、どうか……」と挨拶をして出て行つた。三四郎は静かな室の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉がある。其上が横に長い鏡になつてゐて、前に蝋燭立が二本ある。三四郎は左右の蝋燭立の真中に自分の顔を写して見て、又坐つた。  すると奥の方でイオリンの音がした。それが何所からか、風が持つて来て捨てゝ行つた様に、すぐ消えて仕舞つた。三四郎は惜い気がする。厚く張つた椅子の脊に倚りかゝつて、もう少し遣れば可いがと思つて耳を澄ましてゐたが、音は夫限で已んだ。約一分も立つうちに、三四郎はイオリンの事を忘れた。向ふにある鏡と蝋燭立を眺めてゐる。妙に西洋の臭ひがする。それから加徒力の連想がある。何故加徒力だか三四郎にも解らない。其時イオリンが又鳴つた。今度は高い音と低い音が二三度急に続いて響いた。それでぱつたり消えて仕舞つた。三四郎は全く西洋の音楽を知らない。然し今の音は、決して、纏つたものゝ一部分を弾いたとは受け取れない。たゞ鳴らした丈である。その無作法にたゞ鳴らした所が、三四郎の情緒によく合つた。不意に天から二三粒落ちて来た、出鱈目の雹の様である。  三四郎が半ば感覚を失つた眼を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子が何時の間にか立つてゐる。下女が閉てたと思つた戸が開いてゐる。戸の後に掛けてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写つてゐる。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑つた。 「入らつしやい」  女の声は後で聞えた。三四郎は振り向かなければならなかつた。女と男は直に顔を見合せた。其時女は廂の広い髪を一寸前に動かして礼をした。礼をするには及ばない位に親しい態度であつた。男の方は却つて椅子から腰を浮かして頭を下げた。女は知らぬ風をして、向ふへ廻つて、鏡を脊に、三四郎の正面に腰を卸した。 「とう/\入らしつた」  同じ様な親しい調子である。三四郎には此一言が非常に嬉しく聞えた。女は光る絹を着てゐる。先刻から大分待たしたところを以て見ると、応接間へ出る為にわざわざ奇麗なのに着換へたのかも知れない。それで端然と坐つてゐる。眼と口に笑を帯びて無言の儘三四郎を見守つた姿に、男は寧ろ甘い苦しみを感じた。凝として見らるゝに堪へない心の起つたのは、其癖女の腰を卸すや否やである。三四郎はすぐ口を開いた。殆んど発作に近い。 「佐々木が……」 八の六 「佐々木さんが、あなたの所へ入らしつたでせう」と云つて例の白い歯を露した。女の後には前の蝋燭立が暖炉台の左右に並んでゐる。金で細工をした妙な形の台である。是を蝋燭立と見たのは三四郎の臆断で、実は何だか分らない。此不可思議の蝋燭立の後に明らかな鏡がある。光線は厚い窓掛に遮ぎられて、充分に這入らない。其上天気は曇つてゐる。三四郎は此間に美禰子の白い歯を見た。 「佐々木が来ました」 「何と云つて入らつしやいました」 「僕にあなたの所へ行けと云つて来ました」 「左うでせう。――夫で入らしつたの」とわざわざ聞いた。 「えゝ」と云つて少し躊躇した。あとから「まあ、左うです」と答へた。女は全く歯を隠した。静かに席を立つて、窓の所へ行つて、外面を眺め出した。 「曇りましたね。寒いでせう、戸外は」 「いゝえ、存外暖かい。風は丸でありません」 「さう」と云ひながら席へ帰つて来た。 「実は佐々木が金を……」と三四郎から云ひ出した。 「分つてるの」と中途でとめた。三四郎も黙つた。すると 「何うして御失くしになつたの」と聞いた。 「馬券を買つたのです」  女は「まあ」と云つた。まあと云つた割に顔は驚ろいてゐない。却つて笑つてゐる。すこし経つて、「悪い方ね」と附け加へた。三四郎は答へずにゐた。 「馬券で中るのは、人の心を中るより六※[#濁点付き小書き平仮名つ、491-13]かしいぢやありませんか。あなたは索引の付いてゐる人の心さへ中て見様となさらない呑気な方だのに」 「僕が馬券を買つたんぢやありません」 「あら。誰が買つたの」 「佐々木が買つたのです」  女は急に笑ひ出した。三四郎も可笑しくなつた。 「ぢや、あなたが御金が御入用ぢやなかつたのね。馬鹿々々しい」 「要る事は僕が要るのです」 「本当に?」 「本当に」 「だつて夫ぢや可笑いわね」 「だから借りなくつても可いんです」 「何故。御厭なの?」 「厭ぢやないが、御兄いさんに黙つて、あなたから借りちや、好くないからです」 「何ういふ訳で? でも兄は承知してゐるんですもの」 「左うですか。ぢや借りても好い。――然し借りないでも好い。家へさう云つて遣りさへすれば、一週間位すると来ますから」 「御迷惑なら、強ひて……」  美禰子は急に冷淡になつた。今迄傍にゐたものが一町許遠退いた気がする。三四郎は借りて置けば可かつたと思つた。けれども、もう仕方がない。蝋燭立を見て澄してゐる。三四郎は自分から進んで、他の機嫌を取つた事のない男である。女も遠ざかつたぎり近付いて来ない。しばらくすると又立ち上がつた。窓から戸外をすかして見て、 「降りさうもありませんね」と云ふ。三四郎も同じ調子で、「降りさうもありません」と答へた。 「降らなければ、私一寸出て来やうかしら」と窓の所で立つた儘云ふ。三四郎は帰つてくれといふ意味に解釈した。光る絹を着換たのも自分の為ではなかつた。 「もう帰りませう」と立ち上がつた。美禰子は玄関迄送つて来た。沓脱へ下りて、靴を穿いてゐると、上から美禰子が、 「其所迄御一所に出ませう。可いでせう」と云つた。三四郎は靴の紐を結びながら、「えゝ、何うでも」と答へた。女は何時の間にか、和土の上へ下りた。下りながら三四郎の耳の傍へ口を持つて来て、「怒つて入らつしやるの」と私語いだ。所へ下女が周章ながら、送りに出て来た。 八の七  二人は半町程無言の儘連れ立つて来た。其間三四郎は始終美禰子の事を考へてゐる。此女は我儘に育つたに違ない。それから家庭にゐて、普通の女性以上の自由を有して、万事意の如く振舞ふに違ない。かうして、誰の許諾も経ずに、自分と一所に、往来を歩くのでも分る。年寄の親がなくつて、若い兄が放任主義だから、斯うも出来るのだらうが、是が田舎であつたら嘸困ることだらう。此女に三輪田の御光さんの様な生活を送れと云つたら、何うする気かしらん。東京は田舎と違つて、万事が明け放しだから、此方の女は、大抵斯うなのかも分らないが、遠くから想像して見ると、もう少しは旧式の様でもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのも成程と思ひ当る。但し俗礼に拘はらない所丈がイブセン流なのか、或は腹の底の思想迄も、さうなのか。其所は分らない。  そのうち本郷の通へ出た。一所に歩いてゐる二人は、一所に歩いてゐながら、相手が何所へ行くのだか、全く知らない。今迄に横町を三つ許曲つた。曲るたびに、二人の足は申し合せた様に無言の儘同じ方角へ曲つた。本郷の通りを四丁目の角へ来る途中で、女が聞いた。 「何処へ入らつしやるの」 「あなたは何所へ行くんです」  二人は一寸顔を見合せた。三四郎は至極真面目である。女は堪へ切れずに又白い歯を露はした。 「一所に入らつしやい」  二人は四丁目の角を切り通しの方へ折れた。三十間程行くと、右側に大きな西洋館がある。美禰子は其前に留つた。帯の間から薄い帳面と、印形を出して、 「御願ひ」と云つた。 「何ですか」 「是で御金を取つて頂戴」  三四郎は手を出して、帳面を受取つた。真中に小口当座預金通帳とあつて、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎は帳面と印形を持つた儘、女の顔を見て立つた。 「三拾円」と女が金高を云つた。恰も毎日銀行へ金を取りに行き慣けた者に対する口振である。幸ひ、三四郎は国にゐる時分、かう云ふ帳面を以て度々豊津迄出掛けた事がある。すぐ石段を上つて、戸を開けて、銀行の中へ這入つた。帳面と印形を掛のものに渡して、必要の金額を受取つて出て見ると、美禰子は待つてゐない。もう切り通しの方へ二十間許歩き出してゐる。三四郎は急いで追い付いた。すぐ受取つたものを渡さうとして、隠袋へ手を入れると、美禰子が、 「丹青会の展覧会を御覧になつて」と聞いた。 「まだ覧ません」 「招待券を二枚貰つたんですけれども、つい閑がなかつたものだから、まだ行かずにゐたんですが、行つて見ませうか」 「行つても可いです」 「行きませう。もう、ぢき閉会になりますから。私、一遍は見て置かないと原口さんに済まないのです」 「原口さんが招待券を呉れたんですか」 「えゝ。あなた原口さんを御存じなの?」 「広田先生の所で一度会ひました」 「面白い方でせう。馬鹿囃を稽古なさるんですつて」 「此間は鼓を稽ひたいと云つてゐました。夫から――」 「夫から?」 「夫から、あなたの肖像を描くとか云つてゐました。本当ですか」 「えゝ、高等モデルなの」と云つた。男は是より以上に気の利いた事が云へない性質である。それで黙つて仕舞つた。女は何とか云つて貰ひたかつたらしい。 八の八  三四郎は又隠袋へ手を入れた。銀行の通帳と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間に挟んで置いた筈である。然るに女が、 「御金は」と云つた。見ると、間にはない。三四郎は又衣嚢を探つた。中から手摺のした札を攫み出した。女は手を出さない。 「預かつて置いて頂戴」と云つた。三四郎は聊か迷惑の様な気がした。然しこんな時に争ふ事を好まぬ男である。其上往来だから猶更遠慮をした。折角握つた札を又元の所へ収めて、妙な女だと思つた。  学生が多く通る。擦れ違ふ時に屹度二人を見る。中には遠くから眼を付けて来るものもある。三四郎は池の端へ出る迄の路を頗る長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人共のそ/\歩いてゐる。会場へ着いたのは殆んど三時近くである。妙な看板が出てゐる。丹青会と云ふ字も、字の周囲についてゐる図案も、三四郎の眼には悉く新らしい。然し熊本では見る事の出来ない意味で新らしいので、寧ろ一種異様の感がある。中は猶更である。三四郎の眼には只油絵と水彩画の区別が判然と映ずる位のものに過ぎない。  それでも好悪はある。買つてもいゝと思ふのもある。然し巧拙は全く分らない。従つて鑑別力のないものと、初手から諦らめた三四郎は、一向口を開かない。  美禰子が是は何うですかと云ふと、左うですなといふ。是は面白いぢやありませんかと云ふと、面白さうですなといふ。丸で張合がない。話しの出来ない馬鹿か、此方を相手にしない偉い男か、何方かに見える。馬鹿とすれば衒はない所に愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならない所が悪らしい。  長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画が沢山ある。双方共同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある。美禰子は其一枚の前に留つた。 「※[#濁点付き片仮名エ、498-10]ニスでせう」  是は三四郎にも解つた。何だか※[#濁点付き片仮名エ、498-11]ニスらしい。画舫にでも乗つて見たい心持がする。三四郎は高等学校に居る時分画舫といふ字を覚えた。それから此字が好になつた。画舫といふと、女と一所に乗らなければ済まない様な気がする。黙つて蒼い水と、水の左右の高い家と、倒さに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とを眺めてゐた。すると、 「兄さんの方が余程旨い様ですね」と美禰子が云つた。三四郎には此意味が通じなかつた。 「兄さんとは……」 「此画は兄さんの方でせう」 「誰の?」  美禰子は不思議さうな顔をして、三四郎を見た。 「だつて、彼方の方が妹さんので、此方の方が兄さんのぢやありませんか」  三四郎は一歩退いて、今通つて来た路の片側を振り返つて見た。同じ様に外国の景色を描いたものが幾点となく掛つてゐる。 「違ふんですか」 「一人と思つて入らしつたの」 「えゝ」と云つて、呆やりしてゐる。やがて二人が顔を見合した。さうして一度に笑ひ出した。美禰子は、驚ろいた様に、わざと大きな眼をして、しかも一段と調子を落した小声になつて、 「随分ね」と云ひながら、一間ばかり、ずん/\先へ行つて仕舞つた。三四郎は立ち留つた儘、もう一遍※[#濁点付き片仮名エ、499-13]ニスの堀割を眺め出した。先へ抜けた女は、此時振り返つた。三四郎は自分の方を見てゐない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向から三四郎の横顔を熟視してゐた。 「里見さん」  出し抜に誰か大きな声で呼んだ者がある。 八の九 美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間許離れて、原口さんが立つてゐる。原口さんの後に、少し重なり合つて、野々宮さんが立つてゐる。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るや否や、二三歩後戻りをして三四郎の傍へ来た。人に目立ぬ位に、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。さうして何か私語いた。三四郎には何を云つたのか、少しも分らない。聞き直さうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返して行つた。もう挨拶をしてゐる。野々宮は三四郎に向つて、 「妙な連と来ましたね」と云つた。三四郎が何か答へやうとするうちに、美禰子が、 「似合ふでせう」と云つた。野々宮さんは何とも云はなかつた。くるりと後ろを向いた。後ろには畳一枚程の大きな画がある。其画は肖像画である。さうして一面に黒い。着物も帽子も背景から区別の出来ない程光線を受けてゐない中に、顔ばかり白い。顔は瘠せて、頬の肉が落ちてゐる。 「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに云つた。原口は今しきりに美禰子に何か話してゐる。――もう閉会である。来観者も大分減つた。開会の初めには毎日事務へ来てゐたが、此頃は滅多に顔を出さない。今日は久し振りに、此方へ用があつて、野々宮さんを引張つて来た所だ。うまく出つ食はしたものだ。此会を仕舞ふと、すぐ来年の準備にかゝらなければならないから、非常に忙がしい。何時もは花の時分に開くのだが、来年は少し会員の都合で早くする積りだから、丁度会を二つ続けて開くと同じ事になる。必死の勉強をやらなければならない。それ迄に是非美禰子の肖像を描き上げて仕舞ふ積である。迷惑だらうが大晦日でも描ゝして呉れ。 「其代り此所ん所へ掛ける積です」  原口さんは此時始めて、黒い画の方を向いた。野々宮さんは其間ぽかんとして同じ画を眺めてゐた。 「どうです。※[#濁点付き片仮名エ、501-10]ラスケスは。尤も模写ですがね。しかも余り上出来ではない」と原口が始めて説明する。野々宮さんは何にも云ふ必要がなくなつた。 「どなたが御写しになつたの」と女が聞いた。 「三井です。三井はもつと旨いんですがね。此画はあまり感服出来ない」と一二歩退がつて見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、旨く行かないね」  原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げた所を見てゐた。 「もう、皆見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子に許話しかける。 「まだ」 「どうです。もう廃して、一所に出ちや。西洋軒で御茶でも上げます。なに私は用があるから、どうせ一寸行かなければならない。――会の事でね、マネジヤーに相談して置きたい事がある。懇意の男だから。――今丁度御茶に好い時分です。もう少しするとね、御茶には遅し晩餐には早し、中途半端になる。どうです。一所に入らつしやいな」  美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでも可い顔をしてゐる。野々宮は立つた儘関係しない。 「折角来たものだから、皆見て行きませう。ねえ、小川さん」  三四郎はえゝと云つた。 「ぢや、斯うなさい。此奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それ丈見て、帰りに西洋軒へ入らつしやい。先へ行つて待つてゐますから」 「難有う」 「深見さんの水彩は普通の水彩の積で見ちや不可ませんよ。何所迄も深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になつてゐると、中々面白い所が出て来ます」と注意して、原口は野々宮と出て行つた。美禰子は礼を云つて其後影を見送つた。二人は振り返らなかつた。 八の十  女は歩を回らして、別室へ入つた。男は一足後から続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列に懸つてゐる深見先生の遺画を見ると、成程原口さんの注意した如く殆んど水彩ばかりである。三四郎が著るしく感じたのは、其水彩の色が、どれも是も薄くて、数が少なくつて、対照に乏しくつて、日向へでも出さないと引き立たないと思ふ程地味に描いてあるといふ事である。其代り筆が些とも滞つてゐない。殆んど一気呵成に仕上た趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪廓が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間抔になると、細くて長くて、丸で殻竿の様である。こゝにも※[#濁点付き片仮名エ、503-9]ニスが一枚ある。 「是も※[#濁点付き片仮名エ、503-10]ニスですね」と女が寄つて来た。 「えゝ」と云つたが、※[#濁点付き片仮名エ、503-11]ニスで急に思ひ出した。 「さつき何を云つたんですか」  女は「さつき?」と聞き返した。 「さつき、僕が立つて、彼方の※[#濁点付き片仮名エ、503-14]ニスを見てゐる時です」  女は又真白な歯を露はした。けれども何とも云はない。 「用でなければ聞かなくつても可いです」 「用ぢやないのよ」  三四郎はまだ変な顔をしてゐる。曇つた秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなつてくる。観覧人は極めて少ない。別室の中には、只男女二人の影があるのみである。女は画を離れて、三四郎の真正面に立つた。 「野々宮さん。ね、ね」 「野々宮さん……」 「解つたでせう」  美禰子の意味は、大濤の崩れる如く一度に三四郎の胸を浸した。 「野々宮さんを愚弄したのですか」 「何んで?」  女の語気は全く無邪気である。三四郎は忽然として、後を云ふ勇気がなくなつた。無言の儘二三歩動き出した。女は縋る様に付いて来た。 「あなたを愚弄したんぢや無いのよ」  三四郎は又立ち留つた。三四郎は脊の高い男である。上から美禰子を見下した。 「それで宜いです」 「何故悪いの?」 「だから可いです」  女は顔を背けた。二人共戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互の肩が触れた。男は急に汽車で乗り合はした女を思ひ出した。美禰子の肉に触れた所が、夢に疼く様な心持がした。 「本当に宜いの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向ふから二三人連の観覧者が来る。 「兎も角出ませう」と三四郎が云つた。下足を受取つて、出ると戸外は雨だ。 「西洋軒へ行きますか」  美禰子は答へなかつた。雨の中を濡れながら、博物館前の広い原の中に立つた。幸ひ雨は今降り出した許である。其上烈しくはない。女は雨の中に立つて、見廻しながら、向ふの森を指した。 「あの樹の蔭へ這入りませう」  少し待てば歇みさうである。二人は大きな杉の下に這つた[#「這つた」はママ]。雨を防ぐには都合の好くない樹である。けれども二人とも動かない。濡れても立つてゐる。二人共寒くなつた。女が「小川さん」と云ふ。男は八の字を寄せて、空を見てゐた顔を女の方へ向けた。 「悪くつて? 先刻のこと」 「可いです」 「だつて」と云ひながら、寄つて来た。「私、何故だか、あゝ為たかつたんですもの。野々宮さんに失礼する積ぢやないんですけれども」  女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎は其瞳の中に言葉よりも深き訴を認めた。――必竟あなたの為にした事ぢやありませんかと、二重瞼の奥で訴へてゐる。三四郎は、もう一遍、 「だから、可いです」と答へた。  雨は段々濃くなつた。雫の落ちない場所は僅かしかない。二人は段々一つ所へ塊まつて来た。肩と肩と擦れ合ふ位にして立ち竦んでゐた。雨の音の中で、美禰子が、 「さつきの御金を御遣ひなさい」と云つた。 「借りませう。要る丈」と答へた。 「みんな、御遣ひなさい」と云つた。 九の一  与次郎が勧めるので、三四郎はとう/\西洋軒の会へ出た。其時三四郎は黒い紬の羽織を着た。此羽織は、三輪田の御光さんの御母さんが織つて呉れたのを、紋付に染めて、御光さんが縫ひ上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。小包が届いた時、一応着て見て、面白くないから、戸棚へ入れて置いた。それを与次郎が、勿体ないから是非着ろ/\と云ふ。三四郎が着なければ、自分が持つて行つて着さうな勢であつたから、つい着る気になつた。着て見ると悪くはない様だ。  三四郎は此出立で、与次郎と二人で西洋軒の玄関に立つてゐた。与次郎の説によると、御客は斯うして迎へべきものださうだ。三四郎はそんな事とは知らなかつた。第一自分が御客の積でゐた。かうなると、紬の羽織では何だか安つぽい受附の気がする。制服を着て来れば善かつたと思つた。其うち会員が段々来る。与次郎は来る人を捕まへて屹度何とか話しをする。悉く旧知の様にあしらつてゐる。御客が帽子と外套を給仕に渡して、広い階子段の横を、暗い廊下の方へ折れると、三四郎に向つて、今のは誰某だと教へて呉れる。三四郎は御蔭で知名な人の顔を大分覚えた。  其内御客は略集つた。約三十人足らずである。広田先生もゐる。野々宮さんもゐる。――是は理学者だけれども、画や文学が好だからと云ふので、原口さんが、無理に引つ張り出したのださうだ。原口さんは無論ゐる。一番先へ来て、世話を焼いたり、愛嬌を振り蒔いたり、仏蘭西式の髯を撮んで見たり、万事忙がしさうである。  やがて着席となつた。各自勝手な所へ坐る。譲るものもなければ、争ふものもない。其内でも広田先生はのろいにも似合はず一番に腰を卸して仕舞つた。たゞ与次郎と三四郎丈が一所になつて、入口に近く座を占めた。其他は悉く偶然の向ひ合せ、隣り同志であつた。  野々宮さんと広田先生の間に縞の羽織を着た批評家が坐つた。向ふには庄司と云ふ博士が座に着いた。是は与次郎の所謂文科で有力な教授である。フロツクを着た品格のある男であつた。髪を普通の倍以上長くしてゐる。それが電燈の光で、黒く渦を捲いて見える。広田先生の坊主頭と較べると大分相違がある。原口さんは大分離れて席を取つた。彼方の角だから、遠く三四郎と真向になる。折襟に、幅の広い黒繻子を結んだ先がぱつと開いて胸一杯になつてゐる。与次郎が、仏蘭西の画工は、みんなあゝ云ふ襟飾を着けるものだと教へて呉れた。三四郎は肉汁を吸ひながら、丸で兵児帯の結目の様だと考へた。其うち談話が段々始まつた。与次郎は麦酒丈飲む。何時もの様に口を利かない。流石の男も今日は少々謹しんでゐると見える。三四郎が、小さな声で、 「些と、ダーター、フアブラを遣らないか」と云ふと、「今日は不可ない」と答へたが、すぐ横を向いて、隣りの男と話を始めた。あなたの、あの論文を拝見して、大いに利益を得ましたとか何とか礼を述べてゐる。所が其論文は、彼が自分の前で、盛んに罵倒したものだから、三四郎には頗る不思議の思ひがある。与次郎は又此方を向いた。 「其羽織は中々立派だ。能く似合ふ」と白い紋を殊更注意して眺めてゐる。其時向ふの端から、原口さんが、野々宮に話しかけた。元来が大きな声の人だから、遠くで応対するには都合が好い。今迄向ひ合せに言葉を換してゐた広田先生と庄司といふ教授は、二人の応答を途中で遮ぎる事を恐れて、談話をやめた。其他の人もみんな黙つた。会の中心点が始めて出来上つた。 九の二 「野々宮さん光線の圧力の試験はもう済みましたか」 「いや、まだ中々だ」 「随分手数が掛ゝるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君の方はもつと劇しい様だ」 「画はインスピレーシヨンで直ぐ描けるから可いが、物理の実験はさう旨くは不可ない」 「インスピレーシヨンには辟易する。此夏ある所を通つたら婆さんが二人で問答をしてゐた。聞いて見ると梅雨はもう明けたんだらうか、どうだらうかといふ研究なんだが、一人の婆さんが、昔は雷さへ鳴れば梅雨は明けるに極まつてゐたが、近頃ぢや左うは不可ないと不平してゐる。すると一人が何うして、/\[#「何うして、/\」はママ]雷位で明ける事ぢやありやしないと憤慨してゐた。――画も其通り、今の画はインスピレーシヨン位で描ける事ぢやありやしない。ねえ田村さん、小説だつて、左うだらう」  隣りに田村といふ小説家が坐つて居た。此男が自分のインスピレーシヨンは原稿の催促以外に何にもないと答へたので、大笑ひになつた。田村は、それから改たまつて、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞き出した。野々宮さんの答は面白かつた。――  雲母か何かで、十六武蔵位の大きさの薄い円盤を作つて、水晶の糸で釣して、真空の中に置いて、此円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、此円盤が光に圧されて動く。と云ふのである。  一座は耳を傾けて聞いてゐた。中にも三四郎は腹の中で、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだらうと、上京の際、望遠鏡で驚ろかされた昔を思ひ出した。 「君、水晶の糸があるのか」と小さな声で与次郎に聞いて見た。与次郎は頭を振つてゐる。 「野々宮さん、水晶の糸がありますか」 「えゝ、水晶の粉をね。酸水素吹管の焔で溶かして置いて、かたまつた所を両方の手で、左右へ引つ張ると細い糸が出来るのです」  三四郎は「左うですか」と云つたぎり、引つ込んだ。今度は野々宮さんの隣にゐる縞の羽織の批評家が口を出した。 「我々はさう云ふ方面へ掛けると、全然無学なんですが、そんな試験を遣つて見様と、始め何うして気が付いたものでせうな」 「始め気が付いたのは、何でも瑞典か何処かの学者ですが。あの彗星の尾が、太陽の方へ引き付けられべき筈であるのに、出るたびに何時でも反対の方角に靡くのは変だと考へ出したのです。それから、もしや光の圧力で吹き飛ばされるんぢやなからうかと思ひ付いたのです」  批評家は大分感心したらしい。 「思ひ付きも面白いが、第一大きくて可いですね」と云つた。 「大きい許ぢやない、罪がなくつて愉快だ」と広田先生が云つた。 「それで其思ひ付が外れたら猶罪がなくつて可い」と原口さんが笑つてゐる。 「否、どうも中つてゐるらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力の方は半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなる程引力の方が負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片から出来てゐるとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされる訳だ」  野々宮は、つい真面目になつた。すると原口が例の調子で、 「罪がない代りに、大変計算が面倒になつて来た。矢っ張一利一害だ」と云つた。此一言で、人々は元の通り麦酒の気分に復した。広田先生が、斯んな事を云ふ。 「どうも物理学者は自然派ぢや駄目の様だね」  物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 九の三 「それは何う云ふ意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生は説明しなければならなくなつた。 「だつて、光線の圧力を試験する為に、眼丈明けて、自然を観察してゐたつて、駄目だからさ。彗星でも出れば気が付く人もあるかも知れないが、それでなければ、自然の献立のうちに、光線の圧力といふ事実は印刷されてゐない様ぢやないか。だから人巧的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのと云ふ装置をして、其圧力が物理学者の眼に見えるやうに仕掛けるのだらう。だから自然派ぢやないよ」 「然し浪漫派でもないだらう」と原口さんが交ぜ返した。 「いや浪漫派だ」と広田先生が勿体らしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通の自然界に於ては見出せない様な位地関係に置く所が全く浪漫派ぢやないか」 「然し、一旦さういふ位地関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察する丈だから、それからあとは自然派でせう」と野々宮さんが云つた。 「すると、物理学者は浪漫的自然派ですね。文学の方で云ふと、イブセンの様なものぢやないか」と筋向ふの博士が比較を持ち出した。 「左様、イブセンの劇は野々宮君と同じ位な装置があるが、其装置の下に働らく人物は、光線の様に自然の法則に従つてゐるか疑はしい」是は縞の羽織の批評家の言葉であつた。 「左うかも知れないが、斯う云ふ事は人間の研究上記憶して置くべき事だと思ふ。――即ち、ある状況の下に置かれた人間は、反対の方向に働らき得る能力と権利とを有してゐる。と云ふ事なんだが。――所が妙な習慣で、人間も光線も同じ様に器械的の法則に従つて活動すると思ふものだから、時々飛んだ間違が出来る。怒らせやうと思つて装置をすると、笑つたり。笑はせやうと目論んで掛ゝると、怒つたり。丸で反対だ。然しどつちにしても人間に違ない」と広田先生が又問題を大きくして仕舞つた。 「ぢや、ある状況の下に、ある人間が、どんな所作をしても自然だと云ふ事になりますね」と向の小説家が質問した。広田先生は、すぐ、 「えゝ、えゝ。どんな人間を、どう描いても世界に一人位はゐる様ぢやないですか」と答へた。「実際人間たる吾々は、人間らしからざる行為動作を、何うしたつて想像出来るものぢやない。たゞ下手に書くから人間と思はれないのぢやないですか」  小説家は夫で黙つた。今度は博士が又口を利いた。 「物理学者でも、ガリレオが寺院の釣り洋燈の一振動の時間が、振動の大小に拘はらず同じである事に気が付いたり、ニユートンが林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、始めから自然派ですね」 「さう云ふ自然派なら、文学の方でも結構でせう。原口さん、画の方でも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。 「あるとも。恐るべきクールベエと云ふ奴がゐる。vrit vraie、何でも事実でなければ承知しない。然しさう猖獗を極めてゐるものぢやない。たゞ一派として存在を認められる丈さ。又左うでなくつちや困るからね。小説だつて同じ事だらう、ねえ君。矢っ張りモローや、シヤンヌの様なのもゐる筈だらうぢやないか」 「居る筈だ」と隣の小説家が答へた。  食後には卓上演説も何もなかつた。たゞ原口さんが、しきりに九段の上の銅像の悪口を云つてゐた。あんな銅像を無暗に立てられては、東京市民が迷惑する。それより、美くしい芸者の銅像でも拵らへる方が気が利いてゐるといふ説であつた。与次郎は三四郎に九段の銅像は原口さんと仲の悪い人が作つたんだと教へた。  会が済んで、外へ出ると好い月であつた。今夜の広田先生は庄司博士に善い印象を与へたらうかと与次郎が聞いた。三四郎は与へたらうと答へた。与次郎は共同水道栓の傍に立つて、此夏、夜散歩に来て、あまり暑いから、此所で水を浴びてゐたら、巡査に見付かつて、擂鉢山へ馳け上がつたと話した。二人は擂鉢山の上で月を見て帰つた。 九の四  帰り路に与次郎が三四郎に向つて、突然借金の言訳をし出した。月の冴えた比較的寒い晩である。三四郎は殆んど金の事などは考へてゐなかつた。言訳を聞くのでさへ本気ではない。どうせ返す事はあるまいと思つてゐる。与次郎も決して返すとは云はない。たゞ返せない事情を色々に話す。其話し方のほうが三四郎には余程面白い。――自分の知つてる去る男が、失恋の結果、世の中が厭になつて、とう/\自殺を仕様と決心したが、海もいや河もいや、噴火口は猶いや、首を縊るのは尤もいやと云ふ訳で、已を得ず短銃を買つて来た。買つて来て、まだ目的を遂行しないうちに、友達が金を借りに来た。金はないと断わつたが、是非どうかして呉れと訴へるので、仕方なしに、大事の短銃を借して遣つた。友達はそれを質に入れて一時を凌いだ。都合がついて、質を受出して返しに来た時は、肝心の短銃の主はもう死ぬ気がなくなつて居た。だから此男の命は金を借りに来られた為に助かつたと同じ事である。 「さう云ふ事もあるからなあ」と与次郎が云つた。三四郎には只可笑しい丈である。其外には何等の意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑つた。金を返されないでも愉快である。与次郎は、 「笑つちや不可ん」と注意した。三四郎は猶可笑しくなつた。 「笑はないで、よく考へて見ろ。己が金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りる事が出来たんだらう」  三四郎は笑ふのを已めた。 「それで?」 「それ丈で沢山ぢやないか。――君、あの女を愛してゐるんだらう」  与次郎は善く知つてゐる。三四郎はふんと云つて、又高い月を見た。月の傍に白い雲が出た。 「君、あの女には、もう返したのか」 「いゝや」 「何時迄も借りて置いてやれ」  呑気な事を云ふ。三四郎は何とも答へなかつた。しかし何時迄も借りて置く気は無論無かつた。実は必要な弐拾円を下宿へ払つて、残りの拾円を其翌日すぐ里見の家へ届けやうと思つたが、今返しては却つて、好意に背いて、よくないと考へ直して、折角門内に這入られる機会を犠牲にして迄、引き返した。其時何かの拍子で、気が緩んで、其十円をくづして仕舞つた。実は今夜の会費も其内から出てゐる。自分の許ではない。与次郎のもその内から出てゐる。あとには、漸やく二三円残つてゐる。三四郎は夫で冬襯衣を買はうと思つた。  実は与次郎が到底返しさうもないから、三四郎は思ひ切つて、此間国元へ三十円の不足を請求した。充分な学資を月々貰つてゐながら、たゞ不足だからと云つて請求する訳には行かない。三四郎はあまり嘘を吐いた事のない男だから、請求の理由に至つて困却した。仕方がないからたゞ友達が金を失くして弱つてゐたから、つい気の毒になつて貸してやつた。其結果として、今度は此方が弱る様になつた。どうか送つて呉れと書いた。  直返事を出して呉れゝば、もう届く時分であるのにまだ来ない。今夜あたりは殊によると来てゐるかも知れぬ位に考へて、下宿へ帰つて見ると、果して、母の手蹟で書いた封筒がちやんと机の上に乗つてゐる。不思議な事に、何時も必ず書留で来るのが、今日は三銭切手一枚で済ましてある。開いて見ると、中は例になく短かい。母としては不親切な位、用事丈で申し納めて仕舞つた。依頼の金は野々宮さんの方へ送つたから、野々宮さんから受取れといふ差図に過ぎない。三四郎は床を取つて寐た。 九の五  翌日も其翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかつた。野々宮さんの方でも何とも云つて来なかつた。さうしてゐる内に一週間程経つた。仕舞に野々宮さんから、下宿の下女を使に手紙を寄こした。御母さんから頼まれものがあるから、一寸来て呉れろとある。三四郎は講義の隙を見て、又理科大学の穴倉へ降りて行つた。其所で立談の間に事を済ませやうと思つた所が、左う旨くは行かなかつた。此夏は野々宮さん丈で専領してゐた部屋に、髭の生えた人が二三人ゐる。制服を着た学生も二三人ゐる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日の当る世界を余所にして、研究を遣つてゐる。其内で野々宮さんは尤も多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎を、一寸見て、無言の儘近寄つて来た。 「国から、金が届いたから、取りに来て呉れ玉へ。今此所に持つてゐないから。それからまだ外に話す事もある」  三四郎ははあと答へた。今夜でも好いかと尋ねた。野々宮は少し考へてゐたが、仕舞に思ひ切つて、宜ろしいと云つた。三四郎は夫で穴倉を出た。出ながら、流石に理学者は根気の能いものだと感心した。此夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然として故の通りの位地に備へ付けてあつた。  次の講義の時間に与次郎に逢つて是々だと話すと、与次郎は馬鹿だと云はない許に三四郎を眺めて、 「だから何時迄も借りて置いてやれと云つたのに。余計な事をして年寄には心配を掛ける。宗八さんには御談義をされる。是位愚な事はない」と丸で自分から事が起つたとは認めてゐない申分である。三四郎も此問題に関しては、もう与次郎の責任を忘れて仕舞つた。従つて与次郎の頭に掛つて来ない返事をした。 「何時迄も借りて置くのは、厭だから、家へさう云つて遣つたんだ」 「君は厭でも、向ふでは喜ぶよ」 「何故」  此何故が三四郎自身には幾分か虚偽の響らしく聞えた。然し相手には何等の影響も与へなかつたらしい。 「当り前ぢやないか。僕を人にしたつて、同じ事だ。僕に金が余つてゐるとするぜ。左うすれば、其金を君から返して貰ふよりも、君に貸して置く方が善い心持だ。人間はね、自分が困らない程度内で、成る可く人に親切がして見たいものだ」  三四郎は返事をしないで、講義を筆記し始めた。二三行書き出すと、与次郎が又、耳の傍へ口を持つて来た。 「おれだつて、金のある時は度々人に貸した事がある。然し誰も決して返したものがない。夫だからおれは此通り愉快だ」  三四郎は真逆、左うかとも云へなかつた。薄笑ひをした丈で、又洋筆を走らし始めた。与次郎も夫からは落付いて、時間の終る迄口を利かなかつた。  号鐘が鳴つて、二人肩を並べて教場を出るとき、与次郎が、突然聞いた。 「あの女は君に惚れてゐるのか」  二人の後から続々聴講生が出て来る。三四郎は已を得ず無言の儘階子段を降りて横手の玄関から、図書館傍の空地へ出て、始めて与次郎を顧みた。 「能く分らない」  与次郎は暫らく三四郎を見てゐた。 「左う云ふ事もある。然し能く分つたとして。君、あの女の夫になれるか」  三四郎は未だ曾て此問題を考へた事がなかつた。美禰子に愛せられるといふ事実其物が、彼女の夫たる唯一の資格の様な気がしてゐた。云はれて見ると、成程疑問である。三四郎は首を傾けた。 「野々宮さんならなれる」と与次郎が云つた。 「野々宮さんと、あの人とは何か今迄に関係があるのか」  三四郎の顔は彫り付けた様に真面目であつた。与次郎は一口、 「知らん」と云つた。三四郎は黙つてゐる。 「まあ野々宮さんの所へ行つて、御談義を聞いて来い」と云ひ棄てゝ、相手は池の方へ行き掛けた。三四郎は愚劣の看板の如く突立つた。与次郎は五六歩行つたが、又笑ひながら帰つて来た。 「君、いつそ、よし子さんを貰はないか」と云ひながら、三四郎を引つ張つて、池の方へ連れて行つた。歩きながら、あれなら好い、あれなら好いと、二度程繰り返した。其内又号鐘が鳴つた。 九の六  三四郎は其夕方野々宮さんの所へ出掛けたが、時間がまだ少し早過ぎるので、散歩かた/″\四丁目迄来て、襯衣を買ひに大きな唐物屋へ入つた。小僧が奥から色々持つて来たのを撫でゝ見たり、広げて見たりして、容易に買はない。訳もなく鷹揚に構へてゐると、偶然美禰子とよし子が連れ立つて香水を買ひに来た。あらと云つて挨拶をした後で、美禰子が、 「先達ては難有う」と礼を述べた。三四郎には此御礼の意味が明らかに解つた。美禰子から金を借りた翌日もう一遍訪問して余分をすぐに返すべき所を、一先見合せた代りに、二日ばかり待つて、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送つた。  手紙の文句は、書いた人の、書いた当時の気分を素直に表はしたものではあるが、無論書き過ぎてゐる。三四郎は出来る丈の言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈に致した。普通のものから見れば殆んど借金の礼状とは思はれない位に、湯気の立つたものである。然し感謝以外には、何にも書いてない。夫だから、自然の勢、感謝が感謝以上になつたのでもある。三四郎は、此手紙を郵函に入れるとき、時を移さぬ美禰子の返事を予期してゐた。所が折角の封書はたゞ行つた儘である。夫から美禰子に逢ふ機会は今日迄なかつた。三四郎はこの微弱なる「此間は難有う」といふ反響に対して、確乎した返事をする勇気も出なかつた。大な襯衣を両手で眼の先へ広げて眺めながら、よし子が居るからあゝ冷淡なんだらうかと考へた。それから此襯衣も此女の金で買うんだなと考へた。小僧はどれになさいますと催促した。  二人の女は笑ひながら傍へ来て、一所に襯衣を見て呉れた。仕舞に、よし子が「是になさい」と云つた。三四郎はそれにした。今度は三四郎の方が香水の相談を受けた。一向分らない。ヘリオトロープと書いてある罎を持つて、好加減に、是はどうですと云ふと、美禰子が、「それに為ませう」とすぐ極めた。三四郎は気の毒な位であつた。  表へ出て分れやうとすると、女の方が互に御辞儀を始めた。よし子が「ぢや行つて来てよ」と云ふと、美禰子が「御早く……」と云つてゐる。聞いて見て、妹が兄の下宿へ行く所だといふ事が解つた。三四郎は又奇麗な女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となつた。日はまだ全く落ちてゐない。  三四郎はよし子と一所に歩くよりは、よし子と一所に野々宮の下宿で落ち合はねばならぬ機会を聊か迷惑に感じた。いつその事今夜は家へ帰つて、又出直さうかと考へた。然し、与次郎の所謂御談義を聞くには、よし子が傍に居て呉れる方が便利かも知れない。まさか人の前で、母から、斯ういふ依頼があつたと、遠慮なしの注意を与へる訳はなからう。ことに依ると、たゞ金を受取る丈で済むかも解らない。――三四郎は腹の中で、一寸狡い決心をした。 「僕も野々宮さんの所へ行くところです」 「さう。御遊びに?」 「いえ、少し用があるんです。あなたは遊びですか」 「いゝえ、私も御用なの」  両方が同じ様な事を聞いて、同じ様な答を得た。しかも両方共迷惑を感じてゐる気色が更にない。三四郎は念の為め、邪魔ぢやないかと尋ねて見た。些とも邪魔にはならないさうである。女は言葉で邪魔を否定した許ではない。顔では寧ろ何故そんな事を質問するかと驚ろいてゐる。三四郎は店先の瓦斯の光で、女の黒い眼のなかに、其驚きを認めたと思つた。事実としては、たゞ大きく黒く見えた許である。 「イオリンを買ひましたか」 「何うして御存じ」  三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、斯う云つた。 「いくら兄さんに左う云つても、たゞ買つてやる、買つてやると云ふ許で、些とも買つて呉れなかつたんですの」  三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、寧ろ与次郎を非難した。 九の七  二人は追分の通りを細い露路に折れた。折れると中に家が沢山ある。暗い路を戸毎の軒燈が照らしてゐる。其軒燈の一つの前に留つた。野々宮は此奥にゐる。  三四郎の下宿とは殆んど一丁程の距離である。野々宮が此所へ移つてから、三四郎は二三度訪問した事がある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当つて、二段ばかり真直に上ると、左手に離れた二間である。南向に余所の広い庭を殆んど縁の下に控へて、昼も夜も至極静かである。此離座敷に立て籠つた野々宮さんを見た時、成程家を畳んで、下宿をするのも悪い思付ではなかつたと、始めて来た時から、感心した位、居心地の好い所である。其時野々宮さんは廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、一寸見給へ藁葺だと云つた。成程珍らしく屋根に瓦を置いてなかつた。  今日は夜だから、屋根は無論見えないが、部屋の中には電燈が点いてゐる。三四郎は電燈を見るや否や藁葺を思ひ出した。さうして可笑しくなつた。 「妙な御客が落ち合つたな。入口で逢つたのか」と野々宮さんが妹に聞いてゐる。妹は然らざる旨を説明してゐる。序に三四郎の様な襯衣を買つたら好からうと助言してゐる。夫から、此間のイオリンは和製で音が悪くつて不可ない、買ふのを是迄延期したのだから、もう少し良いのと買ひ易へて呉れと頼んでゐる。責めて美禰子さん位のなら我慢すると云つてゐる。其外似たり寄つたりの駄々をしきりに捏ねてゐる。野々宮さんは別段怖い顔もせず、と云つて、優しい言葉も掛けず、たゞ左うか/\と聞いてゐる。  三四郎は此間何にも云はずにゐた。よし子は愚な事ばかり述べる。且つ少しも遠慮をしない。それが馬鹿とも思へなければ、我儘とも受取れない。兄との応対を傍にゐて聞いてゐると、広い日当の好い畠へ出た様な心持がする。三四郎は来るべき御談義の事を丸で忘れて仕舞つた。其時突然驚ろかされた。 「あゝ、私忘れてゐた。美禰子さんの御言伝があつてよ」 「左うか」 「嬉しいでせう。嬉しくなくつて?」  野々宮さんは痒い様な顔をした。さうして、三四郎の方を向いた。 「僕の妹は馬鹿ですね」と云つた。三四郎は仕方なしに、たゞ笑つてゐた。 「馬鹿ぢやないわ。ねえ、小川さん」  三四郎は又笑つてゐた。腹の中ではもう笑ふのが厭になつた。 「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行つて頂戴つて」 「里見さんと一所に行つたら宜からう」 「御用が有るんですつて」 「御前も行くのか」 「無論だわ」  野々宮さんは行くとも行かないとも答へなかつた。又三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは真面目な用のあるのだのに、あんな呑気ばかり云つてゐて困ると話した。聞いて見ると、学者丈あつて、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へさう云つてやつたら、両親も異存はないと返事をして来た。夫に就て本人の意見をよく確める必要が起つたのだと云ふ。三四郎はたゞ結構ですと答へて、成るべく早く自分の方を片付けて帰らうとした。そこで、 「母からあなたに御面倒を願つたさうで」と切り出した。野々宮さんは、 「何、大して面倒でもありませんがね」とすぐに机の抽出から、預かつたものを出して、三四郎に渡した。 九の八 「御母さんが心配して、長い手紙を書いて寄こしましたよ。三四郎は余義ない事情で月々の学資を友達に貸したと云ふが、いくら友達だつて、さう無暗に金を借りるものぢやあるまいし、よし借りたつて返す筈だらうつて。田舎のものは正直だから、さう思ふのも無理はない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大袈裟だ。親から月々学資を送つて貰ふ身分でゐながら、一度に弐拾円の三十円のと、人に用立てるなんて、如何にも無分別だとあるんですがね――何だか僕に責任が有る様に書いてあるから困る。……」  野々宮さんは三四郎を見て、にや/\笑つてゐる。三四郎は真面目に「御気の毒です」といつた許である。野々宮さんは、若いものを、極め付ける積で云つたんで無いと見えて、少し調子を変へた。 「なに、心配する事はありませんよ。何でもない事なんだから。たゞ御母さんは、田舎の相場で、金の価値を付けるから、三拾円が大変重くなるんだね。何でも参拾円あると、四人の家族が半年食つて行けると書いてあつたが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑つた。三四郎にも馬鹿気てゐる所が頗る可笑しいんだが、母の言条が、全く事実を離れた作り話でないのだから、其所に気が付いた時には、成程軽卒な事をして悪かつたと少しく後悔した。 「さうすると、月に五円の割だから、一人前一円二十五銭に当る。それを三十日に割り付けると、四銭ばかりだが――いくら田舎でも少し安過る様だな」と野々宮さんが計算を立てた。 「何を食べたら、その位で生きてゐられるでせう」とよし子が真面目に聞き出した。三四郎も後悔する暇がなくなつて、自分の知つてゐる田舎生活の有様を色々話して聞かした。其中には宮籠といふ慣例もあつた。三四郎の家では、年に一度づゝ村全体へ十円寄附する事になつてゐる。其時には六十戸から一人づゝ出て、其六十人が、仕事を休んで、村の御宮へ寄つて、朝から晩迄、酒を飲みつゞけに飲んで、御馳走を食ひつゞけに食ふんだといふ。 「それで十円」とよし子が驚ろいてゐた。御談義は是で何所かへ行つたらしい。それから少し雑談をして一段落付いた時に、野々宮さんが改めて、斯う云つた。 「何しろ、御母さんの方ではね。僕が一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡して呉れろ。さうして面倒でも其事情を知らせて貰ひたいといふんだが、金は事情も何にも聞かないうちに、もう渡して仕舞つたしと、――何うするかね。君慥か佐々木に貸したんですね」  三四郎は美禰子から洩れて、よし子に伝はつて、それが野々宮さんに知れてゐるんだと判じた。然し其金が巡り巡つてイオリンに変形したものとは兄妹とも気が付かないから一種妙な感じがした。たゞ「左うです」と答へて置いた。 「佐々木が馬券を買つて、自分の金を失くなしたんだつてね」 「えゝ」  よし子は又大きな声を出して笑つた。 「ぢや、好加減に御母さんの所へさう云つて上げやう。然し今度から、そんな金はもう貸さない事に為たら好いでせう」  三四郎は貸さない事にする旨を答へて、挨拶をして、立ち掛けると、よし子も、もう帰らうと云ひ出した。 「先刻の話をしなくつちや」と兄が注意した。 「能くつてよ」と妹が拒絶した。 「能くはないよ」 「能くつてよ。知らないわ」  兄は妹の顔を見て黙つてゐる。妹は、また斯う云つた。 「だつて仕方がないぢや、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかつて、聞いたつて。好でも嫌でもないんだから、何にも云ひ様はありやしないわ。だから知らないわ」  三四郎は知らないわの本意を漸く会得した。兄妹を其儘にして急いで表へ出た。 九の九  人の通らない軒燈ばかり明らかな露地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切つて、自分の下宿の方から吹いてくる。其時三四郎は考へた。此風のなかを、野々宮さんは、妹を送つて里見迄連れて行つて遣るだらう。  下宿の二階へ上つて、自分の室へ這入つて、坐つて見ると、矢っ張り風の音がする。三四郎は斯う云ふ風の音を聞く度に、運命といふ字を思ひ出す。ごうと鳴つて来る度に竦みたくなる。自分ながら決して強い男とは思つてゐない。考へると、上京以来自分の運命は大概与次郎の為めに製へられてゐる。しかも多少の程度に於て、和気靄然たる翻弄を受ける様に製らへられてゐる。与次郎は愛すべき悪戯ものである。向後も此愛すべき悪戯ものゝ為に、自分の運命を握られてゐさうに思ふ。風がしきりに吹く。慥かに与次郎以上の風である。  三四郎は母から来た三拾円を枕元へ置いて寐た。此三拾円も運命の翻弄が産んだものである。此三拾円が是から先どんな働らきをするか、丸で分らない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受取るときに、又一煽り来るに極つてゐる。三四郎は成るべく大きく来れば好いと思つた。  三四郎はそれなり寐付いた。運命も与次郎も手を下し様のない位すこやかな眠に入つた。すると半鐘の音で眼が覚めた。何所かで人声がする。東京の火事は是で二返目である。三四郎は寐巻の上へ羽織を引掛けて、窓を明けた。風は大分落ちてゐる。向ふの二階屋が風の鳴るなかに、真黒に見える。家が黒い程、家の後の空は赤かつた。  三四郎は寒いのを我慢して、しばらく此赤いものを見詰てゐた。其時三四郎の頭には運命があり/\と赤く映つた。三四郎は又暖かい布団のなかに潜り込んだ。さうして、赤い運命のなかで狂ひ回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である。制服を着けて、帳面を持つて、学校へ出た。たゞ三拾円を懐にする事だけは忘なかつた。生憎時間割の都合が悪い。三時迄ぎつしり詰つてゐる。三時過に行けば、よし子も学校から帰つて来てゐるだらう。ことに依れば里見恭助といふ兄も在宅かも知れない。人がゐては、金を返すのが、全く駄目の様な気がする。  又与次郎が話し掛けた。 「昨夜は御談義を聞いたか」 「なに御談義といふ程でもない」 「左うだらう、野々宮さんは、あれで理由の解つた人だからな」と云つて何所へ行つて仕舞つた。二時間後の講義のときに又出逢つた。 「広田先生の事は大丈夫旨く行きさうだ」と云ふ。どこ迄事が運んだかと聞いて見ると、 「いや心配しないでも好い。いづれ緩くり話す。先生が君がしばらく来ないと云つて、聞いてゐたぜ。時々行くが好い。先生は一人ものだからな。吾々が慰めて遣らんと、不可ん。今度何か買つて来い」と云ひつ放して、それなり消えて仕舞つた。すると、次の時間に又何処からか現れた。今度は何と思つたか、講義の最中に、突然、 「金受取たりや」と電報の様なものを白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書かうと思つて、教師の方を見ると、教師がちやんと此方を見てゐる。白紙を丸めて足の下へ抛げた。講義が終るのを待つて、始めて返事をした。 「金は受取つた。此所にある」 「左うか夫は好かつた。返す積りか」 「無論返すさ」 「それが好からう。早く返すが好い」 「今日返さうと思ふ」 「うん午過遅くならゐるかもしれない」 「何所かへ行くのか」 「行くとも、毎日々々画に描かれに行く。もう余っ程出来たらう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎は与次郎から原口さんの宿所を聞き取つた。 十の一  広田先生が病気だと云ふから、三四郎が見舞に来た。門を這入ると、玄関に靴が一足揃へてある。医者かも知れないと思つた。いつもの通り勝手口へ回ると誰もゐない。のそ/\上り込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらく佇んでゐた。手に可なり大きな風呂敷包を提げてゐる。中には樽柿が一杯入つてゐる。今度来る時は、何か買つてこいと、与次郎の注意があつたから、追分の通で買つて来た。すると座敷のうちで、突然どたり、ばたりと云ふ音がした。誰か組打を始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思ひ込んだ。風呂敷包を提げた儘、仕切りの唐紙を鋭どく一尺許明けて屹と覗き込んだ。広田先生が茶の袴を穿いた大きな男に組み敷かれてゐる。先生は俯伏の顔を際どく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑ひながら、 「やあ、御出」と云つた。上の男は一寸振り返つた儘である。 「先生、失礼ですが、起きて御覧なさい」と云ふ。何でも先生の手を逆に取つて、肘の関節を表から、膝頭で圧さへてゐるらしい。先生は下から、到底起きられない旨を答へた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てゝ、袴の襞を正しく、居住居を直した。見れば立派な男である。先生もすぐ起き直つた。 「成程」と云つてゐる。 「あの流で行くと、無理に逆らつたら、腕を折る恐れがあるから、危険です」  三四郎は此問答で、始めて、此両人の今何をしてゐたかを悟つた。 「御病気ださうですが、もう宜しいんですか」 「えゝ、もう宜しい」  三四郎は風呂敷包を解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。 「柿を買つて来ました」  広田先生は書斎へ行つて、小刀を取つて来る。三四郎は台所から庖丁を持つて来た。三人で柿を食ひ出した。食ひながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長く留つてゐられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買つて、鼻緒は古いのを、着げ更へて、用ひられる丈用ひる位にしてゐる事、今度辞職した以上は、容易に口が見付かりさうもない事、已を得ず、それ迄妻を国元へ預けた事――中々尽きさうもない。  三四郎は柿の核を吐き出しながら、此男の顔を見てゐて、情なくなつた。今の自分と、此男と比較して見ると、丸で人種が違ふ様な気がする。此男の言葉のうちには、もう一遍学生生活がして見たい。学生生活程気楽なものはないと云ふ文句が何度も繰り返された。三四郎は此文句を聞くたびに、自分の寿命も僅か二三年の間なのか知らんと、盆槍考へ始めた。与次郎と蕎麦などを食ふ時の様に、気が冴えない。  広田先生は又立つて書斎に入つた。帰つた時は、手に一巻の書物を持つてゐた。表紙が赤黒くつて、切り口の埃で汚れたものである。 「是が此間話したハイドリオタフヒア。退屈なら見てゐ玉へ」  三四郎は礼を述べて書物を受け取つた。 「寂寞の罌粟花を散らすや頻なり。人の記念に対しては、永劫に価すると否とを問ふ事なし」といふ句が眼に付いた。先生は安心して柔術の学士と談話をつゞける。――中学教師抔の生活状態を聞いて見ると、みな気の毒なもの許の様だが、真に気の毒と思ふのは当人丈である。なぜといふと、現代人は事実を好むが、事実に伴ふ情操は切り棄てる習慣である。切り棄てなければならない程、世間が切迫してゐるのだから仕方がない。其証拠には新聞を見ると分る。新聞の社会記事は十の九迄悲劇である。けれども我々は此悲劇を悲劇として味はう余裕がない。たゞ事実の報道として読む丈である。自分の取る新聞抔は、死人十何人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行づゝに書く事がある。簡潔明瞭の極である。又泥棒早見と云ふ欄があつて、何所へどんな泥棒が入つたか、一目に分る様に泥棒がかたまつてゐる。是も至極便利である。すべてが、この調子と思はなくつちや不可ない。辞職もその通り。当人には悲劇に近い出来事かも知れないが、他人には夫程痛切な感じを与へないと覚悟しなければなるまい。其積りで運動したら好からう。 「だつて先生位余裕があるなら、少しは痛切に感じても善ささうなものだが」と柔術の男が真面目な顔をして云つた。此時は広田先生も三四郎も、さう云つた当人も一度に笑つた。此男が中々帰りさうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。 十の二 「朽ちざる墓に眠り、伝はる事に生き、知らるる名に残り、しからずは滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思ふ事、昔より人の願なり、此願のかなへるとき、人は天国にあり。去れども真なる信仰の教法より視れば、此願も此満足も無きが如くに果敢なきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願にもあらず、望にもあらず、気高き信者の見たる明白なる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横はるは猶埃及の砂中に埋まるが如し。常住の吾身を観じ悦べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るが儘に成るとのみ覚悟せよ」  是はハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶら/\白山の方へ歩きながら、往来のなかで、此一節を読んだ。広田先生から聞く所によると、此著者は有名な名文家で、此一篇は名文家の書いたうちの名文であるさうだ。広田先生は其話をした時に、笑ひながら、尤も是は私の説ぢやないよと断わられた。成程三四郎にも何処が名文だか能く解らない。只句切りが悪くつて、字遣が異様で、言葉の運び方が重苦しくつて、丸で古い御寺を見る様な心持がした丈である。此一節丈読むにも道程にすると、三四町も掛つた。しかも判然とはしない。  贏ち得た所は物寂びてゐる。奈良の大仏の鐘を撞いて、其余波の響が、東京にゐる自分の耳に微かに届いたと同じ事である。三四郎は此一節の齎す意味よりも、其意味の上に這ひかゝる情緒の影を嬉しがつた。三四郎は切実に生死の問題を考へた事のない男である。考へるには、青春の血が、あまりに暖か過ぎる。眼の前には眉を焦す程な大きな火が燃えてゐる。其感じが、真の自分である。三四郎は是から曙町の原口の所へ行く。  小供の葬式が来た。羽織を着た男がたつた二人着いてゐる。小さい棺は真白な布で巻いてある。其傍に奇麗な風車を結ひ付けた。車がしきりに回る。車の羽瓣が五色に塗つてある。それが一色になつて回る。白い棺は奇麗な風車を断間なく揺かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美くしい葬だと思つた。  三四郎は他の文章と、他の葬式を余所から見た。もし誰か来て、序に美禰子を余所から見ろと注意したら、三四郎は驚ろいたに違ない。三四郎は美禰子を余所から見る事が出来ない様な眼になつてゐる。第一余所も余所でないもそんな区別は丸で意識してゐない。たゞ事実として、他の死に対しては、美しい穏やかな味があると共に、生きてゐる美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎は此苦悶を払はうとして、真直に進んで行く。進んで行けば苦悶が除れる様に思ふ。苦悶を除る為めに一歩傍へ退く事は夢にも案じ得ない。これを案じ得ない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上に眺めて、夭折の憐れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しい筈の所を、快よく眺めて、美くしく感じたのである。  曙町へ曲ると大きな松がある。此松を目標に来いと教はつた。松の下へ来ると、家が違つてゐる。向ふを見ると又松がある。其先にも松がある。松が沢山ある。三四郎は好い所だと思つた。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣に奇麗な門がある。果して原口といふ標札が出てゐた。其標札は木理の込んだ黒つぽい板に、緑の油で名前を派出に書いたものである。字だか模様だか分らない位凝つてゐる。門から玄関迄はからりとして何にもない。左右に芝が植ゑてある。 十の三  玄関には美禰子の下駄が揃へてあつた。鼻緒の二本が右左で色が違ふ。それで能く覚えてゐる。今仕事中だが、可ければ上れと云ふ小女の取次に尾いて、画室へ這入つた。広い部屋である。細長く南北に延びた床の上は、画家らしく、取り乱れてゐる。先づ一部分には絨氈が敷いてある。それが部屋の大きさに較べると、丸で釣り合が取れないから、敷物として敷いたといふよりは、色の好い、模様の雅な織物として放りだした様に見える。離れて向に置いた大きな虎の皮も其通り、坐る為の、設けの座とは受け取れない。絨氈とは不調和な位置に筋違に尾を長く曳いてゐる。砂を錬り固めた様な大きな甕がある。其中から矢が二本出てゐる。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。其傍に鎧もあつた。三四郎は卯の花縅しと云ふのだらうと思つた。向ふ側の隅にぱつと眼を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時の様に釣るした。袖は丸くて短かい。是が元禄かと三四郎も気が付いた。其外には画が沢山ある。壁に掛けたの許でも大小合せると余程になる。額縁を附けない下画といふ様なものは、重ねて巻いた端が、巻き崩れて、小口をしだらなく露はした。  描かれつゝある人の肖像は、此彩色の眼を乱す間にある。描かれつゝある人は、突き当りの正面に団扇を翳して立つた。描く男は丸い脊をぐるりと返して、調色板を持つた儘、三四郎に向つた。口に太い烟管を啣へてゐる。 「遣つて来たね」と云つて烟管を口から取つて、小さい丸卓の上に置いた。燐寸と灰皿が載つてゐる。椅子もある。 「掛け給へ。――あれだ」と云つて、描き掛けた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はたゞ、 「成程大きなものですな」と云つた。原口さんは、耳にも留めない風で、 「うん、中々」と独言の様に、髪の毛と、背景の境の所を塗り始めた。三四郎は此時漸く美禰子の方を見た。すると女の翳した団扇の陰で、白い歯がかすかに光つた。  それから二三分は全く静かになつた。部屋は煖炉で温めてある。今日は外面でも、さう寒くはない。風は死に尽した。枯れた樹が音なく冬の日に包まれて立つてゐる。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へ這入つた様な気がした。丸卓に肘を持たして、此静かさの夜に勝る境に、憚りなき精神を溺れしめた。此静かさのうちに、美禰子がゐる。美禰子の影が次第に出来上りつゝある。肥つた画工の画筆丈が動く。夫も眼に動く丈で、耳には静かである。肥つた画工も動く事がある。然し足音はしない。  静かなものに封じ込められた美禰子は全く動かない。団扇を翳して立つた姿その儘が既に画である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写してゐるのではない。不可思議に奥行のある画から、精出して、其奥行丈を落して、普通の画に美禰子を描き直してゐるのである。にも拘はらず第二の美禰子は、この静さのうちに、次第と第一に近づいて来る。三四郎には、此二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれてゐる様に思はれた。其時間が画家の意識にさへ上らない程音無しく経つに従つて、第二の美禰子が漸やく追ひ付いて来る。もう少しで双方がぴたりと出合つて一つに収まると云ふ所で、時の流れが急に向を換へて永久の中に注いで仕舞ふ。原口さんの画筆は夫より先には進めない。三四郎は其所迄跟いて行つて、気が付いて、不図美禰子を見た。美禰子は依然として動かずに居る。三四郎の頭は此静かな空気のうちで覚えず動いてゐた。酔つた心持である。すると突然原口さんが笑ひ出した。 十の四 「又苦しくなつた様ですね」  女は何にも云はずに、すぐ姿勢を崩して、傍に置いた安楽椅子へ落ちる様にとんと腰を卸した。其時白い歯が又光つた。さうして動く時の袖と共に三四郎を見た。其眼は流星の様に三四郎の眉間を通り越して行つた。  原口さんは丸卓の傍迄来て、三四郎に、 「何うです」と云ひながら、燐寸を擦つて、先刻の烟草に火を付けて、再び口に啣へた。大きな木の雁首を指で抑へて、二吹許り濃い烟を髭の中から出したが、やがて又丸い脊中を向けて画に近付いた。勝手な所を自由に塗つてゐる。  絵は無論仕上つてゐないものだらう。けれども何処も彼所も万遍なく絵の具が塗つてあるから、素人の三四郎が見ると、中々立派である。旨いか無味いか無論分らない。技巧の批評の出来ない三四郎には、たゞ技巧の齎らす感じ丈がある。それすら、経験がないから、頗る正鵠を失してゐるらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないと自を証拠立てる丈でも三四郎は風流人である。  三四郎が見ると、此画は一体にぱつとしてゐる。何だか一面に粉が吹いて、光沢のない日光に当つた様に思はれる。影の所でも黒くはない。寧ろ薄い紫が射してゐる。三四郎は此画を見て、何となく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗つた心持がある。それでも何処か落ち付いてゐる。剣呑でない。苦つた所、渋つた所、毒々しい所は無論ない。三四郎は原口さんらしい画だと思つた。すると原口さんは無雑作に画筆を使ひながら、こんな事を云ふ。 「小川さん面白い話がある。僕の知つた男にね、細君が厭になつて離縁を請求したものがある。所が細君が承知をしないで、私は縁あつて、此家へ方付いたものですから、仮令あなたが御厭でも私は決して出て参りません」  原口さんは其所で一寸画を離れて、画筆の結果を眺めてゐたが、今度は、美禰子に向つて、 「里見さん。あなたが単衣を着て呉れないものだから、着物が描き悪くつて困る。丸で好加減にやるんだから、少し大胆過ぎますね」 「御気の毒さま」と美禰子が云つた。  原口さんは返事もせずに又画面へ近寄つた。「それでね、細君の御尻が離縁するには余り重くあつたものだから、友人が細君に向つて、斯う云つたんだとさ。出るのが厭なら、出ないでも好い。何時迄でも家にゐるが好い。其代り己の方が出るから。――里見さん一寸立つて見て下さい。団扇は何うでも好い。ただ立てば。さう。難有う。――細君が、私が家に居つても、貴方が出て御仕舞になれば、後が困るぢやありませんかと云ふと、何構はないさ、御前は勝手に入夫でもしたら宜からうと答へたんだつて」 「それから、何うなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思つたものか、まだ後をつけた。 「何うもならないのさ。だから結婚は考へ物だよ。離合聚散、共に自由にならない。広田先生を見給へ、野々宮さんを見給へ、里見恭助君を見給へ、序に僕を見給へ。みんな結婚をしてゐない。女が偉くなると、かう云ふ独身ものが沢山出来て来る。だから社会の原則は、独身ものが、出来得ない程度内に於て、女が偉くならなくつちや駄目だね」 「でも兄は近々結婚致しますよ」 「おや、左うですか。すると貴方は何うなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑つた。原口さん丈は画に向いてゐる。「存じません。存じません――ぢや」と画筆を動かした。 十の五  三四郎は此機会を利用して、丸卓の側を離れて、美禰子の傍へ近寄つた。美禰子は椅子の脊に、油気のない頭を、無雑作に持たせて、疲れた人の、身繕に心なき放擲の姿である。明らさまに襦袢の襟から咽喉頸が出てゐる。椅子には脱ぎ捨てた羽織を掛けた。廂髪の上に奇麗な裏が見える。  三四郎は懐に三拾円入れてゐる。此三拾円が二人の間にある、説明しにくいものを代表してゐる。――と三四郎は信じた。返さうと思つて、返さなかつたのも是が為である。思ひ切つて、今返さうとするのも是が為である。返すと用がなくなつて、遠ざかるか、用がなくなつても、一層近付いて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びてゐる。 「里見さん」と云つた。 「なに」と答へた。仰向いて下から三四郎を見た。顔を故の如くに落ち付けてゐる。眼丈は動いた。それも三四郎の真正面で穏やかに留つた。三四郎は女を多少疲れてゐると判じた。 「丁度序だから、此所で返しませう」と云ひながら、釦を一つ外して、内懐へ手を入れた。女は又、 「なに」と繰り返した。故の通り、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎は何うしやうと考へた。やがて思ひ切つた。 「此間の金です」 「今下すつても仕方がないわ」  女は下から見上げた儘である。手も出さない。身体も動かさない。顔も元の所に落ち付けてゐる。男は女の返事さへ能くは解し兼ねた。其時、 「もう少しだから、何うです」と云ふ声が後で聞えた。見ると、原口さんが此方を向いて立つてゐる。画筆を指の股に挟んだまゝ、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張つて笑つた。美禰子は両手を椅子の肘に掛けて、腰を卸したなり、頭と脊を真直に延ばした。三四郎は小さな声で、 「まだ余程掛りますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答へた。三四郎は又丸卓に帰つた。女はもう描かるべき姿勢を取つた。原口さんは又烟管を点けた。画筆は又動き出す。脊を向けながら、原口さんが斯う云つた。 「小川さん。里見さんの眼を見て御覧」  三四郎は云はれた通りにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いて硝子越に庭を眺めてゐる。 「不可ない。横を向いてしまつちや、不可ない。今描き出した許だのに」 「何故余計な事を仰しやる」と女は正面に帰つた。原口さんは弁解をする。 「冷かしたんぢやない。小川さんに話す事があつたんです」 「何を」 「是から話すから、まあ元の通りの姿勢に復して下さい。さう。もう少し肘を前へ出して。夫で小川さん、僕の描いた眼が、実物の表情通り出来てゐるかね」 「何うも能く分らんですが。一体斯うやつて、毎日毎日描いてゐるのに、描かれる人の眼の表情が何時も変らずにゐるものでせうか」 「それは変るだらう。本人が変るばかりぢやない、画工の方の気分も毎日変るんだから、本当を云ふと、肖像画が何枚でも出来上がらなくつちやならない訳だが、さうは行かない。又たつた一枚で可なり纏つたものが出来るから不思議だ。何故と云つて見給へ……」  原口さんは此間始終筆を使つてゐる。美禰子の方も見てゐる。三四郎は原口さんの諸機関が一度に働らくのを目撃して恐れ入つた。 十の六 「かう遣つて毎日描いてゐると、毎日の量が積り積つて、しばらくする内に、描いてゐる画に一定の気分が出来てくる。だから、たとひ外の気分で戸外から帰つて来ても、画室へ這入つて、画に向ひさへすれば、ぢきに一種一定の気分になれる。つまり画の中の気分が、此方へ乗り移るのだね。里見さんだつて同じ事だ。自然の儘に放つて置けば色々の刺激で色々の表情になるに極つてゐるんだが、それが実際画の上に大した影響を及ぼさないのは、あゝ云ふ姿勢や、斯う云ふ乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいふ周囲のものが、自然に一種一定の表情を引き起す様になつて来て、其習慣が次第に他の表情を圧迫する程強くなるから、まあ大抵なら、此眼付を此儘で仕上げて行けば好いんだね。それに表情と云つたつて……」  原口さんは突然黙つた。何所か六※[#濁点付き小書き平仮名つ、549-4]かしい所へ来たと見える。二歩許立ち退いて、美禰子と画を頻に見較べてゐる。 「里見さん、何うかしましたか」と聞いた。 「いゝえ」  此答は美禰子の口から出たとは思へなかつた。美禰子はそれ程静かに姿勢を崩さずにゐる。 「それに表情と云つたつて」と原口さんが又始めた。「画工はね、心を描くんぢやない。心が外へ見世を出してゐる所を描くんだから、見世さへ手落なく観察すれば、身代は自から分るものと、まあ、さうして置くんだね。見世で窺へない身代は画工の担任区域以外と諦らめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いてゐる。どんな肉を描いたつて、霊が籠らなければ、死肉だから、画として通有しない丈だ。そこで此里見さんの眼もね。里見さんの心を写す積で描いてゐるんぢやない。たゞ眼として描いてゐる。此眼が気に入つたから描いてゐる。此眼の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、何でも僕に見える所丈を残りなく描いて行く。すると偶然の結果として、一種の表情が出て来る。もし出て来なければ、僕の色の出し具合が悪かつたか、恰好の取り方が間違がつてゐたか、何方かになる。現にあの色あの形そのものが一種の表情なんだから仕方がない」  原口さんは、此時又二歩ばかり後へ退つて、美禰子と画とを見較べた。 「何うも、今日は何うかしてゐるね。疲れたんでせう。疲れたら、もう廃しませう。――疲れましたか」 「いゝえ」  原口さんは又画へ近寄つた。 「それで、僕が何故里見さんの眼を択んだかと云ふとね。まあ話すから聞き給へ。西洋画の女の顔を見ると、誰の描いた美人でも、屹度大きな眼をしてゐる。可笑しい位大きな眼ばかりだ。所が日本では観音様を始めとして、お多福、能の面、もつとも著るしいのは浮世絵にあらはれた美人、悉く細い。みんな象に似てゐる。何故東西で美の標準がこれ程違ふかと思ふと、一寸不思議だらう。所が実は何でもない。西洋には眼の大きい奴ばかりゐるから、大きい眼のうちで、美的淘汰が行はれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーといふ男は、日本人の眼は、あれで何うして開けるだらうなんて冷かしてゐる。――そら、さう云ふ国柄だから、どうしたつて材料の寡ない大きな眼に対する審美眼が発達しやうがない。そこで撰択の自由の利く細い眼のうちで、理想が出来て仕舞つたのが、歌麿になつたり、祐信になつたりして珍重がられてゐる。然しいくら日本的でも、西洋画には、あゝ細いのは盲目を描いた様で見共なくつて不可ない。と云つて、ラフアエルの聖母の様なのは、天でありやしないし、有つた所が日本人とは云はれないから、其所で里見さんを煩はす事になつたのさ。里見さんもう少時ですよ」  答はなかつた。美禰子は凝としてゐる。 十の七  三四郎は此画家の話を甚だ面白く感じた。とくに話丈聴きに来たのならば猶幾倍の興味を添へたらうにと思つた。三四郎の注意の焼点は、今、原口さんの話の上にもない、原口さんの画の上にもない。無論向に立つてゐる美禰子に集まつてゐる。三四郎は画家の話に耳を傾けながら、眼丈は遂に美禰子を離れなかつた。彼の眼に映じた女の姿勢は、自然の経過を、尤も美くしい刹那に、捕虜にして動けなくした様である。変らない所に、永い慰藉がある。然るに原口さんが突然首を捩つて、女に何うかしましたかと聞いた。其時三四郎は、少し恐ろしくなつた位である。移り易い美さを、移さずに据ゑて置く手段が、もう尽きたと画家から注意された様に聞えたからである。  成程さう思つて見ると、何うかしてゐるらしくもある。色光沢が好くない。眼尻に堪へ難い嬾さが見える。三四郎は此活人画から受ける安慰の念を失つた。同時にもしや自分が此変化の源因ではなからうかと考へ付いた。忽ち強烈な個性的の刺激が三四郎の心を襲つて来た。移り行く美を果敢なむと云ふ共通性の情緒は丸で影を潜めて仕舞つた。――自分はそれ程の影響を此女の上に有して居る。――三四郎は此自覚のもとに一切の己れを意識した。けれどもその影響が自分に取つて、利益か不利益かは未決の問題である。  其時原口さんが、とう/\筆を擱いて、 「もう廃さう。今日は何うしても駄目だ」と云ひ出した。美禰子は持つてゐた団扇を、立ちながら、床の上に落した。椅子に掛けた、羽織を取つて着ながら、此方へ寄つて来た。 「今日は疲れてゐますね」 「私?」と羽織の裄を揃へて、紐を結んだ。 「いや実は僕も疲れた。また明日元気の好い時に遣りませう。まあ御茶でも飲んで、緩なさい」  夕暮には、まだ間があつた。けれども美禰子は少し用があるから帰るといふ。三四郎も留められたが、わざと断わつて、美禰子と一所に表へ出た。日本の社会状態で、かう云ふ機会を、随意に造る事は、三四郎に取つて困難である。三四郎は成るべく此機会を長く引き延ばして利用しやうと試みた。それで、比較的人の通らない、閑静な曙町を、一廻り散歩しやうぢや無いかと女を誘つて見た。所が相手は案外にも応じなかつた。一直線に生垣の間を横切つて、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんも左う云つてゐたが、本当に何うかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子が又云つた。原口さんに答へたと同じ事である。三四郎が美禰子を知つてから、美禰子はかつて、長い言葉を使つた事がない。大抵の応対は一句か二句で済ましてゐる。しかも甚だ単簡なものに過ぎない。それでゐて、三四郎の耳には、一種の深い響を与へる。殆んど他の人からは、聞き得る事の出来ない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がつた。 「私?」と云つた時、女は顔を半分程三四郎の方へ向けた。さうして二重瞼の切れ目から男を見た。其眼には暈が被つてゐる様に思はれた。何時になく感じが生温く来た。頬の色も少し蒼い。 「色が少し悪い様です」 「左うですか」  二人は五六歩無言であるいた。三四郎は何うともして、二人の間に掛かつた薄い幕の様なものを裂き破りたくなつた。然し何と云つたら破れるか、丸で分別が出なかつた。小説などにある甘い言葉は遣いたくない。趣味の上から云つても、社交上若い男女の習慣としても、遣い度ない。三四郎は事実上不可能の事を望んでゐる。望んでゐる許ではない、歩きながら工夫してゐる。 十の八  やがて、女の方から口を利き出した。 「今日何か原口さんに御用が御有りだつたの」 「いゝえ、用事は無かつたです」 「ぢや、たゞ遊びに入らしつたの」 「いゝえ、遊びに行つたんぢやありません」 「ぢや、何んで入らしつたの」  三四郎は此瞬間を捕へた。 「あなたに会ひに行つたんです」  三四郎は是で云へる丈の事を悉く云つた積りである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、例の如く男を酔はせる調子で、 「御金は、彼所ぢや頂けないのよ」と云つた。三四郎は落胆した。  二人は又無言で五六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行つたのぢやありません」  美禰子はしばらく返事をしなかつた。やがて、静かに云つた。 「御金は私も要りません。持つて入らつしやい」  三四郎は堪へられなくなつた。急に、 「たゞ、あなたに会ひたいから行つたのです」と云つて、横に女の顔を覗き込んだ。女は三四郎を見なかつた。其時三四郎の耳に、女の口を洩れた微かな溜息が聞えた。 「御金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方共意味を成さないで、途中で切れた。それなりで、又小半町程来た。今度は女から話し掛けた。 「原口さんの画を御覧になつて、どう御思ひなすつて」  答へ方が色々あるので、三四郎は返事をせずに少しの間歩いた。 「余り出来方が早いので御驚ろきなさりやしなくつて」 「えゝ」と云つたが、実は始めて気が付いた。考へると、原口が広田先生の所へ来て、美禰子の肖像を描く意志を洩らしてから、まだ一ヶ月位にしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼してゐたのは、夫より後の事である。三四郎は画の道に暗いから、あんな大きな額が、何の位な速度で仕上られるものか、殆んど想像の外にあつたが、美禰子から注意されて見ると、余り早く出来過ぎてゐる様に思はれる。 「何時から取掛つたんです」 「本当に取り掛つたのは、つい此間ですけれども、其前から少し宛描いて頂だいてゐたんです」 「其前つて、何時頃からですか」 「あの服装で分るでせう」  三四郎は突然として、始めて池の周囲で美禰子に逢つた暑い昔を思ひ出した。 「そら、あなた、椎の木の下に跼がんでゐらしつたぢやありませんか」 「あなたは団扇を翳して、高い所に立てゐた」 「あの画の通りでせう」 「えゝ。あの通りです」  二人は顔を見合はした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向から車が走けて来た。黒い帽子を被つて、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢の好い男が乗つてゐる。此車が三四郎の眼に這入つた時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見詰めてゐるらしく思はれた。二三間先へ来ると、車を急に留めた。前掛を器用に跳ね退けて、蹴込みから飛び下りた所を見ると、脊のすらりと高い細面の立派な人であつた。髭を奇麗に剃つてゐる。それでゐて、全く男らしい。 「今迄待つてゐたけれども、余り遅いから迎に来た」と美禰子の真前に立つた。見下して笑つてゐる。 「さう、難有う」と美禰子も笑つて、男の顔を見返したが、其眼をすぐ三四郎の方へ向けた。 「何誰」と男が聞いた。 「大学の小川さん」と美禰子が答へた。  男は軽く帽子を取つて、向から挨拶をした。 「早く行かう。兄さんも待つてゐる」  好い具合に三四郎は追分へ曲るべき横町の角に立つてゐた。金はとう/\返さずに分れた。 十一の一  此頃与次郎が学校で文芸協会の切符を売つて回つてゐる。二三日掛かつて、知つたものへは略売り付けた様子である。与次郎はそれから知らないものを捕まへる事にした。大抵は廊下で捕まへる。すると中々放さない。どうか、斯うか買はせて仕舞ふ。時には談判中に号鐘が鳴つて取り逃す事もある。与次郎は之を時利あらずと号してゐる。時には相手が笑つてゐて、何時迄も要領を得ない事がある。与次郎は之を人利あらずと号してゐる。或時便所から出て来た教授を捕まへた。其教授は手帛で手を拭きながら、今一寸と云つた儘急いで図書館へ這入つて仕舞つた。夫ぎり決して出て来ない。与次郎は之を――何とも号しなかつた。後影を見送つて、あれは腸加答児に違ないと三四郎に教へて呉れた。  与次郎に切符の販売方を何枚托まれたのかと聞くと、何枚でも売れる丈托まれたのだと云ふ。余り売れ過ぎて演芸場に這入り切れない恐れはないかと聞くと、少しは有ると云ふ。それでは売つたあとで困るだらうと念を推すと、何大丈夫だ、中には義理で買ふものもあるし、事故で来ないものもあるし、それから腸加答児も少しは出来るだらうと云つて、澄ましてゐる。  与次郎が切符を売る所を見てゐると、引き易に金を渡すものからは無論即座に受け取るが、さうでない学生には只切符丈渡してゐる。気の小さい三四郎が見ると、心配になる位渡して歩く。あとから思ふ通り金が寄るかと聞いて見ると、無論寄らないといふ答だ。几帳面に僅か売るよりも、だらしなく沢山売る方が、大体の上に於て利益だから斯うすると云つてゐる。与次郎は之をタイムス社が日本で百科全書を売つた方法に比較してゐる。比較丈は立派に聞えたが、三四郎は何だか心元なく思つた。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事は面白かつた。 「相手は東京帝国大学々生だよ」 「いくら学生だつて、君の様に金に掛けると呑気なのが多いだらう」 「なに善意に払はないのは、文芸協会の方でも八釜敷は云はない筈だ。何うせ幾何切符が売れたつて、とゞの詰りは協会の借金になる事は明らかだから」  三四郎は念の為、それは君の意見か、協会の意見かと糺して見た。与次郎は、無論僕の意見であつて、協会の意見であると都合のいゝ事を答へた。  与次郎の説を聞くと、今度の演芸会を見ないものは、丸で馬鹿の様な気がする。馬鹿の様な気がする迄与次郎は講釈をする。それが切符を売る為だか、実際演芸会を信仰してゐる為だか、或はたゞ自分の景気を付け、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気を出来る丈賑やかにする為だか、そこの所が一寸明晰に区別が立たないものだから、相手は馬鹿の様な気がするにも拘はらず、あまり与次郎の感化を蒙らない。  与次郎は第一に会員の練習に骨を折つてゐる話をする。話通りに聞いてゐると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりさうだ。それから背景の話をする。其背景が大したもので、東京にゐる有為の青年画家を悉く引き上げて、悉く応分の技倆を振はした様な事になる。次に服装の話をする。其服装が頭から足の先迄古実づくめに出来上つてゐる。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんな面白い。其外幾何でもある。  与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送つたと云つてゐる。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買はせたと云つてゐる。万事が好都合だと云つてゐる。三四郎は与次郎の為に演芸会万歳を唱へた。 十一の二  万歳を唱へた晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とは打つて変つてゐる。堅くなつて火鉢の傍へ坐つて寒い寒いと云ふ。其顔がたゞ寒いのでは無いらしい。始めは火鉢へ乗り掛ゝる様に手を翳してゐたが、やがて懐手になつた。三四郎は与次郎の顔を陽気にする為めに、机の上の洋燈を端から端へ移した。所が与次郎は顎をがつくり落して、大きな坊主頭丈を黒く灯に照らしてゐる。一向冴えない。何うかしたかと聞いた時に、首を挙げて洋燈を見た。 「此家ではまだ電気を引かないのか」と顔付には全く縁のない事を聞いた。 「まだ引かない。其内電気にする積ださうだ。洋燈は暗くて不可んね」と答へてゐると、急に、洋燈の事は忘れたと見えて、 「おい、小川、大変な事が出来て仕舞つた」と云ひ出した。  一応理由を聞いて見る。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なつてゐる。其一枚を剥がして、新らしく畳み直して、此所を読んで見ろと差し付けた。読む所を指の頭で抑へてゐる。三四郎は眼を洋燈の傍へ寄せた。見出に大学の純文科とある。  大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者は一切の授業を外国教師に依頼してゐたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促がされて、今度愈本邦人の講義も必須課目として認めるに至つた。そこで此間中から適当の人物を人撰中であつたが、漸く某氏に決定して、近々発表になるさうだ。某氏は近き過去に於て、海外留学の命を受けた事のある秀才だから至極適任だらう。と云ふ内容である。 「広田先生ぢや無かつたんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎は矢っ張り新聞の上を見てゐる。 「是は慥なのか」と三四郎が又聞いた。 「何うも」と首を曲げたが、「大抵大丈夫だらうと思つてゐたんだがな。遣り損なつた。尤も此男が大分運動をしてゐると云ふ話は聞いた事もあるが」と云ふ。 「然し是丈ぢや、まだ風説ぢやないか。愈発表になつて見なければ分らないのだから」 「いや、それ丈なら無論構はない。先生の関係した事ぢやないから、然し」と云つて、又残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で抑へて、三四郎の眼の下へ出した。  今度の新聞にも略同様の事が載つてゐる。そこ丈は別段に新らしい印象を起しやうもないが、其後へ来て、三四郎は驚ろかされた。広田先生が大変な不徳義漢の様に書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞えない凡材の癖に、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くや否や、急に狐鼠々々運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならず其門下生をして「偉大なる暗闇」などと云ふ論文を小雑誌に草せしめた。此論文は零余子なる慝名の下にあらはれたが、実は広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものゝ筆である事迄分つてゐる。と、とう/\三四郎の名前が出て来た。  三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎は前から三四郎の顔を見てゐる。二人共しばらく黙つてゐた。やがて、三四郎が、 「困るなあ」と云つた。少し与次郎を恨んでゐる。与次郎は、そこは余構つてゐない。 「君、これを何う思ふ」と云ふ。 「何う思ふとは」 「投書を其儘出したに違ない。決して社の方で調べたものぢやない。文芸時評の六号活字の投書に斯んなのが、いくらでも来る。六号活字は殆んど罪悪のかたまりだ。よくよく探つて見ると嘘が多い。目に見えた嘘を吐いてゐるのもある。何故そんな愚な事をやるかと云ふとね、君。みんな利害問題が動機になつてゐるらしい。それで僕が六号活字を受持つてゐる時には、性質の好くないのは、大抵屑籠へ放り込んだ。此記事も全くそれだね。反対運動の結果だ」 十一の三 「何故、君の名が出ないで、僕の名が出たものだらうな」  与次郎は「左うさ」と云つてゐる。しばらくしてから、 「矢っ張り何だらう。君は本科生で僕は撰科生だからだらう」と説明した。けれども三四郎には、是が説明にも何にもならなかつた。三四郎は依然として迷惑である。 「全体僕が零余子なんて稀知な号を使はずに、堂々と佐々木与次郎と署名して置けば好かつた。実際あの論文は佐々木与次郎以外に書けるものは一人もないんだからなあ」  与次郎は真面目である。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪はれて、却つて迷惑してゐるのかも知れない。三四郎は馬鹿々々しくなつた。 「君、先生に話したか」と聞いた。 「さあ、其所だ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だつて、僕だつて、どつちだつて構はないが、事先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはゐられない。あゝ云ふ先生だから、一向知りません、何か間違でせう、偉大なる暗闇といふ論文は雑誌に出ましたが、慝名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさい位に云つて置けば、さうかで直済んで仕舞ふ訳だが、此際左うは不可ん。どうしたつて僕が責任を明らかにしなくつちや。事が旨く行つて、知らん顔をしてゐるのは、心持が好いが、遣り損なつて黙つてゐるのは不愉快で堪らない。第一自分が事を起して置いて、あゝ云ふ善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がして居られるものぢやない。正邪曲直なんて六※[#濁点付き小書き平仮名つ、564-12]かしい問題は別として、たゞ気の毒で、痛はしくつて不可ない」  三四郎は始めて与次郎を感心な男だと思つた。 「先生は新聞を読んだんだらうか」 「家へ来る新聞にやない。だから僕も知らなかつた。然し先生は学校へ行つて色々な新聞を見るからね。よし先生が見なくつても誰か話すだらう」 「すると、もう知つてるな」 「無論知つてるだらう」 「君には何とも云はないか」 「云はない。尤も碌に話をする暇もないんだから、云はない筈だが。此間から演芸会の事で始終奔走してゐるものだから――あゝ演芸会も、もう厭になつた。已めて仕舞はうかしらん。御白粉を着けて、芝居なんかやつたつて、何が面白いものか」 「先生に話したら、君、叱られるだらう」 「叱られるだらう。叱られるのは仕方がないが、如何にも気の毒でね。余計な事をして迷惑を掛けてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、烟草は」と云ひかけたが途中で已めて仕舞つた。先生の哲学を鼻から烟にして吹き出す量は月に積ると、莫大なものである。 「烟草丈は可なり呑むが、其外に何にも無いぜ。釣をするぢやなし、碁を打つぢやなし、家庭の楽があるぢやなし。あれが一番不可ない。小供でもあると可いんだけれども。実に枯淡だからなあ」  与次郎は夫で腕組をした。 「たまに、慰め様と思つて、少し奔走すると、斯んな事になるし。君も先生の所へ行つて遣れ」 「行つて遣る所ぢやない。僕にも多少責任があるから、謝罪つて来る」 「君は謝罪る必要はない」 「ぢや弁解して来る」  与次郎は夫で帰つた。三四郎は床に這入つてから度々寐返りを打つた。国にゐる方が寐易い心持がする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎に来て連れて行つた立派な男――色々の刺激がある。 十一の四  夜中からぐつすり寐た。何時もの様に起きるのが、ひどく辛かつた。顔を洗ふ所で、同じ文科の学生に逢つた。顔丈は互に見知り合ひである。失敬と云ふ挨拶のうちに、此男は例の記事を読んで居るらしく推した。然し先方では無論話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかつた。  暖かい汁の香を嗅いでゐる時に、又故里の母からの書信に接した。又例の如く長かりさうだ。洋服を着換へるのが面倒だから、着たまゝの上へ袴を穿いて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光つた。  通りへ出ると、殆んど学生許歩いてゐる。それが、みな同じ方向へ行く。悉く急いで行く。寒い往来は若い男の活気で一杯になる。其中に霜降の外套を着た広田先生の長い影が見えた。此青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調に於て既に時代錯誤である。左右前後に比較すると頗る緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨人の傘の様に枝を拡げて玄関を塞いでゐる。三四郎の足が門前迄来た時は、先生の影が、既に消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台許であつた。此時計台の時計は常に狂つてゐる。もしくは留つてゐる。  門内を一寸覗き込んだ三四郎は、口の内で、「ハイドリオタフヒア」と云ふ字を二度繰り返した。此字は三四郎の覚えた外国語のうちで、尤も長い、又尤も六※[#濁点付き小書き平仮名つ、567-9]かしい言葉の一つであつた。意味はまだ分らない。広田先生に聞いて見る積でゐる。かつて与次郎に尋ねたら、恐らくダーターフアブラの類だらうと云つてゐた。けれども三四郎から見ると、二つの間には大変な違がある。ダーターフアブラは躍るべき性質のものと思へる。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさへ暇が入る。二返繰り返すと歩調が自から緩慢になる。広田先生の使ふために古人が作つて置いた様な音がする。  学校へ行つたら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めてゐる気色がした。戸外へ出様としたが、戸外は存外寒いから廊下にゐた。さうして講義の間に懐から母の手紙を出して読んだ。  此冬休みには帰つて来いと、丸で熊本にゐた当時と同様な命令がある。実は熊本にゐた時分にこんな事があつた。学校が休みになるか、ならないのに、帰れと云ふ電報が掛かつた。母の病気に違ないと思ひ込んで、驚ろいて飛んで帰ると、母の方では此方に変がなくつて、まあ結構だつたと云はぬ許に喜こんでゐる。訳を聞くと、何時迄待つてゐても帰らないから、御稲荷様へ伺を立てたら、こりや、もう熊本を立つてゐるといふ御託宣であつたので、途中で何うかしはせぬだらうかと非常に心配してゐたのだと云ふ。三四郎は其当時を思ひ出して、今度も亦伺ひを立てられる事かと思つた。然し手紙には御稲荷様の事は書いてない。たゞ三輪田の御光さんも待つてゐると割註見た様なものが付いてゐる。御光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰つたさうだ。又御光さんに縫つて貰つた綿入が小包で来るさうだ。大工の角三が山で賭博を打つて九十八円取られたさうだ。――其顛末が委しく書いてある。面倒だから好い加減に読んだ。何でも山を買ひたいといふ男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を廻つてあるいてる間に取られて仕舞つたのださうだ。角三はうちへ帰つて、女房に何時の間に取られたか分らないと弁解した。すると、女房がそれぢや御前さん眠り薬でも嗅がされたんだらうと云つたら、角三が、うん左う云へば何だか嗅いだ様だと答へたさうだ。けれども村のものはみんな賭博をして巻き上げられたと評判してゐる。田舎でも斯うだから、東京にゐる御前なぞは、本当によく気を付けなくては不可ないと云ふ訓戒が付いてゐる。  長い手紙を巻き収めてゐると、与次郎が傍へ来て、「やあ女の手紙だな」と云つた。昨夕よりは冗談をいふ丈元気が可い。三四郎は、 「なに母からだ」と、少し詰らなささうに答へて、封筒ごと懐へ入れた。 「里見の御嬢さんからぢやないのか」 「いゝや」 「君、里見の御嬢さんの事を聞いたか」 「何を」と問ひ返してゐる所へ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符を欲しいといふ人が階下に待つてゐると教へに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行つた。 十一の五  与次郎は夫なり消えてなくなつた。いくら捕まへやうと思つても出て来ない。三四郎は已を得ず精出して講義を筆記してゐた。講義が済んでから、昨夕の約束通り広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなつて寐てゐた。婆さんに、どうか為すつたのかと聞くと、左うぢや無いのでせう、昨夕余り遅くなつたので、眠いと云つて、先刻御帰りになると、すぐ横に御成りなすつたのだと云ふ。長い身躯の上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、又婆さんに、どうして、さう遅くなつたのかと聞いた。なに何時でも遅いのだが、昨夕のは勉強ぢやなくつて、佐々木さんと久しく御話をして御出だつたのだといふ答である。勉強が佐々木に代つたから、昼寐をする説明にはならないが、与次郎が、昨夕先生に例の話をした事丈は是で明瞭になつた。序でに与次郎が、どう叱られたか聞いて置きたいのだが、それは婆さんが知らう筈がないし、肝心の与次郎は学校で取り逃して仕舞つたから仕方がない。今日の元気の好い所を見ると、大した事件には成らずに済んだのだらう。尤も与次郎の心理現象は到底三四郎には解らないのだから、実際どんな事があつたか想像は出来ない。  三四郎は長火鉢の前へ坐つた。鉄瓶がちん/\鳴つてゐる。婆さんは遠慮をして下女部屋へ引き取つた。三四郎は胡坐をかいて、鉄瓶に手を翳して、先生の起きるのを待つてゐる。先生は熟睡してゐる。三四郎は静かで好い心持になつた。爪で鉄瓶を敲いて見た。熱い湯を茶碗に注いでふう/\吹いて飲んだ。先生は向をむいて寐てゐる。二三日前に頭を刈つたと見えて、髪が甚だ短い。髭の端が濃く出てゐる。鼻も向ふを向ひてゐる。鼻の穴がすうすう云ふ。安眠だ。  三四郎は返さうと思つて、持つて来たハイドリオタフヒアを出して読み始めた。ぽつぽつ拾ひ読をする。中々解らない。墓の中に花を投げる事が書いてある。羅馬人は薔薇を affect すると書いてある。何の意味だか能く知らないが、大方好むとでも訳するんだらうと思つた。希臘人は Amaranth を用ひると書いてある。是も明瞭でない。然し花の名には違ない。夫から少し先へ行くと、丸で解らなくなつた。頁から眼を離して先生を見た。まだ寐てゐる。何で斯んな六づかしい書物を自分に借したものだらうと思つた。それから、此六※[#濁点付き小書き平仮名つ、571-6]かしい書物が、何故解らないながらも、自分の興味を惹くのだらうと思つた。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思つた。  さうすると、広田先生がむくりと起きた。首丈持上げて、三四郎を見た。 「何時来たの」と聞いた。三四郎はもつと寐て御出なさいと勧めた。実際退屈ではなかつたのである。先生は、 「いや起る」と云つて起きた。それから例の如く哲学の烟を吹き始めた。烟が沈黙の間に、棒になつて出る。 「難有う。書物を返します」 「あゝ。――読んだの」 「読んだけれどもよく解らんです。第一標題が解らんです」 「ハイドリオタフヒア」 「何の事ですか」 「何の事か僕にも分らない。兎に角希臘語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けて仕舞つた。先生は欠を一つした。 「あゝ眠かつた。好い心持に寐た。面白い夢を見てね」  先生は女の夢だと云つてゐる。それを話すのかと思つたら、湯に行かないかと云ひ出した。二人は手拭を提げて出掛けた。 十一の六  湯から上つて、二人が、板の間に据ゑてある器械の上に乗つて、身長を測つて見た。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだ延びるかも知れない」と広田先生が三四郎に云つた。 「もう駄目です。三年来この通です」と三四郎が答へた。 「左うかな」と先生が云つた。自分を余っ程小供の様に考へてゐるのだと三四郎は思つた。家へ帰つた時、先生が、用が無ければ話して行つても構はないと、書斎の戸を開けて、自分が先へ這入つた。三四郎は兎に角、例の用事を片付ける義務があるから、続いて這入つた。 「佐々木は、まだ帰らない様ですな」 「今日は遅くなるとか云つて断わつてゐた。此間から演芸会の事で大分奔走してゐる様だが、世話好きなんだか、馳け回る事が好きなんだか、一向要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的丈は親切な所も少しあるんだが、何しろ、頭の出来が甚だ不親切だものだから、碌な事は仕出かさない。一寸見ると、要領を得てゐる。寧ろ得過ぎてゐる。けれども終局へ行くと、何の為に要領を得て来たのだか、丸で滅茶苦茶になつて仕舞ふ。いくら云つても直さないから放て置く。あれは悪戯をしに世の中へ生れて来た男だね」  三四郎は何とか弁護の道がありさうなものだと思つたが、現に結果の悪い実例があるんだから、仕様がない。話を転じた。 「あの新聞の記事を御覧でしたか」 「えゝ、見た」 「新聞に出る迄は些とも御存じなかつたのですか」 「いゝえ」 「御驚ろきなすつたでせう」 「驚ろくつて――夫は全く驚ろかない事もない。けれども世の中の事はみんな、彼んなものだと思つてるから、若い人程正直に驚ろきはしない」 「御迷惑でせう」 「迷惑でない事もない。けれども僕位世の中に住み古るした年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思ひ込む人許もないから、矢っ張若い人程正直に迷惑とは感じない。与次郎は社員に知つたものがあるから、其男に頼んで真相を書いて貰ふの、あの投書の出所を探して制裁を加へるの、自分の雑誌で充分反駁を致しますのと、善後策の了見で下らない事を色々云ふが、そんな手数をするならば、始めから余計な事を起さない方が、いくら好いか分りやしない」 「全く先生の為を思つたからです。悪気ぢやないです」 「悪気で遣られて堪るものか。第一僕の為めに運動をするものがさ、僕の意向も聞かないで、勝手な方法を講じたり、勝手な方針を立てた日には、最初から僕の存在を愚弄してゐると同じ事ぢやないか。存在を無視されてゐる方が、どの位体面を保つに都合が好いか知れやしない」  三四郎は仕方なしに黙つてゐた。 「さうして、偉大なる暗闇なんて愚にも付かないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが、実際は佐々木が書いたんだつてね」 「左うです」 「昨夜佐々木が自白した。君こそ迷惑だらう。あんな馬鹿な文章は佐々木より外に書くものはありやしない。僕も読んで見た。実質もなければ、品位もない、丸で救世軍の太鼓の様なものだ。読者の悪感情を引き起す為めに、書いてるとしか思はれやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立つてゐる。常識のあるものが見れば、何うしても為にする所があつて起稿したものだと判定がつく。あれぢや僕が門下生に書ゝしたと云はれる筈だ。あれを読んだ時には、成程新聞の記事は尤もだと思つた」 十一の七  広田先生は夫で話を切つた。鼻から例によつて烟を吐く。与次郎は此烟の出方で、先生の気分を窺ふ事が出来ると云つてゐる。濃く真直に迸しる時は、哲学の絶高頂に達した際で、緩く崩れる時は、心気平穏、ことによると冷かされる恐れがある。烟が、鼻の下に徊して、髭に未練がある様に見える時は、冥想に入る。もしくは詩的感興がある。尤も恐るべきは孔の先の渦である。渦が出ると、大変に叱られる。与次郎の云ふ事だから、三四郎は無論当にはしない。然し此際だから気を付けて烟りの形状を眺めてゐた。すると与次郎の云つた様な判然たる烟は些とも出て、来ない。其代り出るものは、大抵な資格をみんな具へてゐる。  三四郎が何時迄立つても、恐れ入つた様に控えてゐるので、先生は又話し始めた。 「済んだ事は、もう已めやう。佐々木も昨夜悉く詫まつて仕舞つたから、今日あたりは又晴々して例の如く飛んで歩いてるだらう。いくら蔭で不心得を責めたつて、当人が平気で切符なんぞ売つて歩いて居ては仕方がない。夫よりもつと面白い話を仕様」 「えゝ」 「僕がさつき昼寐をしてゐる時、面白い夢を見た。それはね、僕が生涯にたつた一遍逢つた女に、突然夢の中で再会したと云ふ小説染みた御話だが、其方が、新聞の記事より、聞いてゐても愉快だよ」 「えゝ。何んな女ですか」 「十二三の奇麗な女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二三と聞いて少し失望した。 「何時頃御逢ひになつたのですか」 「廿年許前」  三四郎は又驚ろいた。 「善く其女と云ふ事が分りましたね」 「夢だよ。夢だから分るさ。さうして夢だから不思議で好い。僕が何でも大きな森の中を歩いて居る。あの色の褪めた夏の洋服を着てね、あの古い帽子を被つて。――さう其時は何でも、六づかしい事を考へてゐた。凡て宇宙の法則は変らないが、法則に支配される凡て宇宙のものは必ず変る。すると其法則は、物の外に存在してゐなくてはならない。――覚めて見ると詰らないが、夢の中だから真面目にそんな事を考へて森の下を通つて行くと、突然其女に逢つた。行き逢つたのではない。向は凝と立つてゐた。見ると、昔の通りの顔をしてゐる。昔の通りの服装をしてゐる。髪も昔しの髪である。黒子も無論あつた。つまり二十年前見た時と少しも変らない十二三の女である。僕が其女に、あなたは少しも変らないといふと、其女は僕に大変年を御取りなすつたと云ふ。次に僕が、あなたは何うして、さう変らずに居るのかと聞くと、此顔の年、此服装の月、此髪の日が一番好きだから、かうして居ると云ふ。それは何時の事かと聞くと、二十年前、あなたに御目にかゝつた時だといふ。それなら僕は何故斯う年を取つたんだらうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、其時よりも、もつと美くしい方へ方へと御移りなさりたがるからだと教へて呉れた。其時僕が女に、あなたは画だと云ふと、女が僕に、あなたは詩だと云つた」 「それから何うしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と云ふ。 「二十年前に逢つたと云ふのは夢ぢやない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだから面白い」 「何所で御逢ひになつたんですか」  先生の鼻は又烟を吹き出した。其烟を眺めて、当分黙つてゐる。やがて斯う云つた。 十一の八 「憲法発布は明治二十三年だつたね。其時森文部大臣が殺された。君は覚えてゐまい。幾年かな君は。さう、それぢや、まだ赤ん坊の時分だ。僕は高等学校の生徒であつた。大臣の葬式に参列するのだと云つて、大勢鉄砲を担いで出た。墓地へ行くのだと思つたら、さうではない。体操の教師が竹橋内へ引張つて行つて、路傍へ整列さした。我々は其所へ立つたなり、大臣の柩を送る事になつた。名は送るのだけれども、実は見物したのも同然だつた。其日は寒い日でね、今でも覚えてゐる。動かずに立つてゐると、靴の下で足が痛む。隣の男が僕の鼻を見ては赤い赤いと云つた。やがて行列が来た。何でも長いものだつた。寒い眼の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。其中に今話した小さな娘がゐた。今、其時の模様を思ひ出さうとしても、ぼうとして迚も明瞭に浮んで来ない。たゞこの女丈は覚えてゐる。夫も年を経つに従つて段々薄らいで来た。今では思ひ出す事も滅多にない。今日夢に見る前迄は、丸で忘れてゐた。けれども其当時は頭の中へ焼き付けられた様に、熱い印象を持つてゐた。――妙なものだ」 「それから其女には丸で逢はないんですか」 「丸で逢はない」 「ぢや、何処の誰だか全く分らないんですか」 「無論分らない」 「尋ねて見なかつたですか」 「いゝや」 「先生は夫で……」と云つたが急に痞へた。 「夫で?」 「夫で結婚をなさらないんですか」  先生は笑ひ出した。 「それ程浪漫的な人間ぢやない。僕は君よりも遥かに散文的に出来てゐる」 「然し、もし其女が来たら御貰ひになつたでせう」 「さうさね」と一度考へた上で、「貰つたらうね」と云つた。三四郎は気の毒な様な顔をしてゐる。すると先生が又話し出した。 「その為に独身を余儀なくされたといふと、僕が其女の為に不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生れ付いて、結婚の出来ない不具もあるし。其外色々結婚のしにくい事情を持つてゐるものがある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中に沢山あるでせうか」  先生は烟の間から、凝と三四郎を見てゐた。 「ハムレツトは結婚したく無かつたんだらう。ハムレツトは一人しか居ないかも知れないが、あれに似た人は沢山ゐる」 「例へばどんな人です」 「例へば」と云つて、先生は黙つた。烟がしきりに出る。「例へば、こゝに一人の男がゐる。父は早く死んで、母一人を頼に育つたとする。其母が又病気に罹つて、愈息を引き取るといふ、間際に、自分が死んだら誰某の世話になれといふ。子供が会つた事もない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母が何とも答へない。強ひて聞くと、実は誰某が御前の本当の御父だと微かな声で云つた。――まあ話だが、さういふ母を持つた子がゐるとする。すると、其子が結婚に信仰を置かなくなるのは無論だらう」 「そんな人は滅多にないでせう」 「滅多には無いだらうが、居る事はゐる」 「然し先生のは、そんなのぢや無いでせう」  先生はハヽヽヽと笑つた。 「君は慥か御母さんが居たね」 「えゝ」 「御父さんは」 「死にました」 「僕の母は憲法発布の翌年に死んだ」 十二の一  演芸会は比較的寒い時に開かれた。歳は漸く押し詰つて来る。人は二十日足らずの眼の先に春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしてゐる。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会は此間に在つて、凡ての長閑なるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎へた。  それが、幾何でもゐる。大抵は若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向つて大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持つてゐた。与次郎が広田先生を誘つて行けと云ふ。切符が違ふだらうと聞けば、無論違ふと云ふ。然し一人で放つて置くと、決して行く気遣がないから、君が寄つて引張出すのだと理由を説明して聞かせた。三四郎は承知した。  夕刻に行つて見ると、先生は明るい洋燈の下に大きな本を拡げてゐた。 「御出になりませんか」と聞くと、先生は少し笑ながら、無言の儘、首を横に振つた。小供の様な所作をする。然し三四郎には、それが学者らしく思はれた。口を利かない所が床しく思はれたのだらう。三四郎は中腰になつて、ぼんやりしてゐた。先生は断わつたのが気の毒になつた。 「君行くなら、一所に出様。僕も散歩ながら、其所迄行くから」  先生は黒い廻套を着て出た。懐手らしいが分らない。空が低く垂れてゐる。星の見えない寒さである。 「雨になるかも知れない」 「降ると困るでせう」 「出入りにね。日本の芝居小屋は下足があるから、天気の好い時ですら大変な不便だ。それで小屋の中は、空気が通はなくつて、烟草が烟つて、頭痛がして、――よく、みんな、彼で我慢が出来るものだ」 「ですけれども、真逆戸外で遣る訳にも行かないからでせう」 「御神楽は何時でも外で遣つてゐる。寒い時でも外で遣る」  三四郎は、こりや議論にならないと思つて、答を見合せて仕舞つた。 「僕は戸外が好い。暑くも寒くもない、奇麗な空の下で、美くしい空気を呼吸して、美くしい芝居が見たい。透明な空気の様な、純粋で単簡な芝居が出来さうなものだ」 「先生の御覧になつた夢でも、芝居にしたらそんなものが出来るでせう」 「君希臘の芝居を知つてゐるか」 「能く知りません。慥か戸外で遣つたんですね」 「戸外。真昼間。嘸好い心持だつたらうと思ふ。席は天然の石だ。堂々としてゐる。与次郎の様なものは、さう云ふ所へ連れて行つて、少し見せてやると好い」  又与次郎の悪口が出た。其与次郎は今頃窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走し且つ斡旋して大得意なのだから面白い。もし先生を連れて行かなからうものなら、先生果して来ない。会には斯う云ふ所へ来て見るのが、先生の為には何の位好いか分らないのだのに。いくら僕が云つても聞かない。困つたものだなあ。と嘆息するに極つてゐるから猶面白い。  先生はそれから希臘の劇場の構造を委しく話して呉れた。三四郎は此時先生から、Theatron, Orchstra, Skn, Prosknion などゝ云ふ字の講釈を聞いた。何とか云ふ独乙人の説によると亜典の劇場は一万七千人を容れる席があつたと云ふ事も聞いた。それは小さい方である。尤も大きいのは、五万人を容れたと云ふ事も聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあつて、何れも賞牌見たやうな恰好で、表に模様が打ち出してあつたり、彫刻が施こしてあると云ふ事も聞いた。先生は其入場券の価迄知つてゐた。一日丈の小芝居は十二銭で、三日続の大芝居は三十五銭だと云つた。三四郎がへえ、へえと感心してゐるうちに、演芸会場の前へ出た。  盛んに電燈が点いてゐる。入場者は続々寄つて来る。与次郎の云つたよりも以上の景気である。 「どうです、折角だから御這入になりませんか」 「いや這入らない」  先生は又暗い方へ向いて行つた。 十二の二  三四郎は、しばらく先生の後影を見送つてゐたが、あとから、車で乗り付ける人が、下足の札を受け取る手間も惜しさうに、急いで這入つて行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じ事である。  入口に四五人用のない人が立つてゐる。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取つた。其男の肩の上から場内を覗いて見ると、中は急に広くなつてゐる。且つ甚だ明るい。三四郎は眉に手を加へない許にして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見廻すと、人間の持つて来た色で眼がちら/\する。自分の眼を動かすから許ではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、絶えず各自に、且つ勝手に、動くからである。  舞台ではもう始まつてゐる。出て来る人物が、みんな冠を被つて、沓を穿いて居た。そこへ長い輿を担いで来た。それを舞台の真中で留めたものがある。輿を卸すと、中から又一人あらはれた。其男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬合を始めた。――三四郎には何の事か丸で分らない。尤も与次郎から梗概を聞いた事はある。けれども好加減に聞いてゐた。見れば分るだらうと考へて、うん成程と云つてゐた。所が見れば毫も其意を得ない。三四郎の記憶にはたゞ入鹿の大臣といふ名前が残つてゐる。三四郎はどれが入鹿だらうかと考へた。それは到底見込が付かない。そこで舞台全体を入鹿の積で眺めてゐた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使ふ言葉でも、何となく入鹿臭くなつて来た。実を云ふと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習つたのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れて仕舞つた。推古天皇の時の様でもある。欽明天皇の御代でも差支ない気がする。応神天皇や称武天皇では決してないと思ふ。三四郎はたゞ入鹿じみた心持を持つてゐる丈である。芝居を見るには夫で沢山だと考へて、唐めいた装束や背景を眺めてゐた。然し筋はちつとも解らなかつた。其うち幕になつた。  幕になる少し前に、隣りの男が、其又隣りの男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向ひの談話の様だ。丸で訓練がないと非難してゐた。そつち隣りの男は登場人物の腰が据らない。悉くひよろ/\してゐると訴へてゐた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじてゐる。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いてゐた。二人共立派な服装をしてゐる。大方有名な人だらうと思つた。けれどももし与次郎に此談話を聞かせたら定めし反対するだらうと思つた。其時後の方で旨い/\中々旨いと大きな声を出したものがある。隣の男は二人とも後を振り返つた。それぎり話を已めて仕舞つた。そこで幕が下りた。  彼所、此所に席を立つものがある。花道から出口へ掛けて、人の影が頗る忙がしい。三四郎は中腰になつて、四方をぐるりと見廻した。来てゐる筈の人は何処にも見えない。本当を云ふと演芸中にも出来る丈は気を付けてゐた。それで知れないから、幕になつたらばと内々心当にしてゐたのである。三四郎は少し失望した。已を得ず眼を正面に帰した。  隣の連中は余程世間が広い男達と見えて、右左を顧みて、彼所には誰がゐる、茲所には誰がゐると頻りに知名な人の名を口にする。中には離れながら、互に挨拶をしたのも一二人ある。三四郎は御蔭で此等知名な人の細君を少し覚えた。其中には新婚した許のもあつた。是は隣の一人にも珍しかつたと見えて、其男はわざ/\眼鏡を拭き直して、成程々々と云つて見てゐた。  すると、幕の下りた舞台の前を、向ふの端から此方へ向けて、小走に与次郎が走けて来た。三分の二程の所で留つた。少し及び腰になつて、土間の中を覗き込みながら、何か話してゐる。三四郎はそれを見当に覘を付けた。――舞台の端に立つた与次郎から一直線に二三間隔てゝ美禰子の横顔が見えた。 十二の三  其傍にゐる男は脊中を三四郎に向けてゐる。三四郎は心のうちに、此男が何かの拍子に、どうかして此方を向いて呉れゝば好いと念じてゐた。旨い具合に其男は立つた。坐り疲びれたと見えて、枡の仕切に腰を掛けて、場内を見廻し始めた。其時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな眼を認める事が出来た。野々宮さんが立つと共に、美禰子の後にゐたよし子の姿も見えた。三四郎は此三人の外に、まだ連が居るか居ないかを確めやうとした。けれども遠くから見ると、たゞ人がぎつしり詰つてゐる丈で、連と云へば土間全体が連と見える迄だから仕方がない。美禰子と与次郎の間には、時々談話が交換されつゝあるらしい。野々宮さんも折々口を出すと思はれる。  すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中を覗き込む。口は無論動かしてゐるのだらう。野々宮さんは相図の様な首を竪に振つた。其時原口さんは後から、平手で、与次郎の脊中を叩いた。与次郎はくるりと引つ繰り返つて、幕の裾を潜つて何所かへ消え失せた。原口さんは、舞台を降りて、人と人の間を伝はつて、野々宮さんの傍迄来た。野々宮さんは、腰を立てゝ原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のゐる辺で見えなくなつた。  此連中の一挙一動を演芸以上の興味を以て注意してゐた三四郎は、此時急に原口流の所作が羨ましくなつた。あゝ云ふ便利な方法で人の傍へ寄る事が出来やうとは毫も思ひ付かなかつた。自分も一つ真似て見様かしらと思つた。然し真似ると云ふ自覚が、既に実行の勇気を挫いた上に、もう入る席は、いくら詰めても、六づかしからうといふ遠慮が手伝つて、三四郎の尻は依然として、故の席を去り得なかつた。  其うち幕が開いて、ハムレツトが始つた。三四郎は広田先生のうちで西洋の何とかいふ名優の扮したハムレツトの写真を見た事がある。今三四郎の眼の前にあらはれたハムレツトは、是と略同様の服装をしてゐる。服装ばかりではない。顔迄似てゐる。両方共八の字を寄せてゐる。  此ハムレツトは動作が全く軽快で、心持が好い。舞台の上を大いに動いて、又大いに動かせる。能掛りの入鹿とは大変趣を異にしてゐる。ことに、ある時、ある場合に、舞台の真中に立つて、手を広げて見たり、空を睨んで見たりするときは、観客の眼中に外のものは一切入り込む余地のない位強烈な刺激を与へる。  其代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。ある所は能弁過ぎると思はれる位流暢に出る。文章も立派である。それでゐて、気が乗らない。三四郎はハムレツトがもう少し日本人じみた事を云つて呉れゝば好いと思つた。御母さん、それぢや御父さんに済まないぢやありませんかと云ひさうな所で、急にアポロ抔を引合に出して、呑気に遣つて仕舞ふ。それでゐて顔付は親子とも泣き出しさうである。然し三四郎は此矛盾をたゞ朧気に感じたのみである。決して詰らないと思ひ切る程の勇気は出なかつた。  従つて、ハムレツトに飽きた時は、美禰子の方を見てゐた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレツトを見てゐた。  ハムレツトがオフェリヤに向つて、尼寺へ行け尼寺へ行けと云ふ所へ来た時、三四郎は不図広田先生の事を考へ出した。広田先生は云つた。――ハムレツトの様なものに結婚が出来るか。――成程本で読むと左うらしい。けれども、芝居では結婚しても好ささうである。能く思案して見ると、尼寺へ行けとの云ひ方が悪いのだらう。其証拠には尼寺へ行けと云はれたオフェリヤが些とも気の毒にならない。  幕が又下りた。美禰子とよし子が席を立つた。三四郎もつゞいて立つた。廊下迄来て見ると、二人は廊下の中程で、男と話をしてゐる。男は廊下から出入りの出来る左側の席の戸口に半分身体を出した。男の横顔を見た時、三四郎は後へ引き返した。席へ返らずに下足を取つて表へ出た。 十二の四  本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちてゐるやうに思ふ。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰つた。  夜半から降り出した。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けと云ふ一句を柱にして、其周囲にぐる/\徊した。広田先生も起きてゐるかも知れない。先生はどんな柱を抱いてゐるだらう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋つてゐるに違ない。……  明日は少し熱がする。頭が重いから寐てゐた。午飯は床の上に起き直つて食つた。又一寐入すると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎が這入つて来た。昨夕も見えず、今朝も講義に出ない様だから何うしたかと思つて訪ねたと云ふ。三四郎は礼を述べた。 「なに、昨夕は行つたんだ。行つたんだ。君が舞台の上に出て来て、美禰子さんと、遠くで話をしてゐたのも、ちやんと知つてゐる」  三四郎は少し酔つた様な心持である。口を利き出すと、つる/\と出る。与次郎は手を出して、三四郎の額を抑へた。 「大分熱がある。薬を飲まなくつちや不可ない。風邪を引いたんだ」 「演芸場があまり暑過ぎて、明る過ぎて、さうして外へ出ると、急に寒過ぎて、暗過ぎるからだ。あれは可くない」 「可けないたつて、仕方がないぢやないか」 「仕方がないたつて、可けない」  三四郎の言葉は段短かくなる、与次郎が好加減にあしらつてゐるうちに、すう/\寐て仕舞つた。一時間程して又眼を開けた。与次郎を見て、 「君、其所にゐるのか」と云ふ。今度は平生の三四郎の様である。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答へた丈である。 「風邪だらう」 「風邪だらう」  両方で同じ事を云つた。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。 「君、此間美禰子さんの事を知つてるかと僕に尋ねたね」 「美禰子さんの事を? 何処で?」 「学校で」 「学校で? 何時」  与次郎はまだ思ひ出せない様子である。三四郎は已を得ず、其前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、 「成程そんな事が有つたかも知れない」と云つてゐる。三四郎は随分無責任だと思つた。与次郎も少し気の毒になつて、考へ出さうとした。やがて斯う云つた。 「ぢや、何ぢやないか。美禰子さんが嫁に行くと云ふ話ぢやないか」 「極つたのか」 「極つた様に聞いたが、能く分らない」 「野々宮さんの所か」 「いや、野々宮さんぢやない」 「ぢや……」と云ひ掛けて已めた。 「君、知つてるのか」 「知らない」と云ひ切つた。すると与次郎が少し前へ乗り出して来た。 「何うも能く分らない。不思議な事があるんだが。もう少し立たないと、何うなるんだか見当が付かない」  三四郎は、其不思議な事を、すぐ話せば好いと思ふのに、与次郎は平気なもので、一人で呑み込んで、一人で不思議がつてゐる。三四郎は少時我慢してゐたが、とう/\焦れつたくなつて、与次郎に、美禰子に関する凡ての事実を隠さずに話して呉れと請求した。与次郎は笑ひ出した。さうして慰藉の為か何だか、飛んだ所へ話頭を持つて行つて仕舞つた。 十二の五 「馬鹿だなあ、あんな女を思つて。思つたつて仕方がないよ。第一、君と同年位ぢやないか。同年位の男に惚れるのは昔の事だ。八百屋御七時代の恋だ」  三四郎は黙つてゐた。けれども与次郎の意味は能く分らなかつた。 「何故と云ふに。廿前後の同じ年の男女を二人並べて見ろ。女の方が万事上手だあね。男は馬鹿にされる許だ。女だつて、自分の軽蔑する男の所へ嫁に行く気は出ないやね。尤も自分が世界で一番偉いと思つてる女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮すより外に方法はないんだから。よく金持の娘や何かにそんなのがあるぢやないか、望んで嫁に来て置きながら、亭主を軽蔑してゐるのが。美禰子さんは夫よりずつと偉い。其代り、夫として尊敬の出来ない人の所へは始から行く気はないんだから、相手になるものは其気で居なくつちや不可ない。さう云ふ点で君だの僕だのは、あの女の夫になる資格はないんだよ」  三四郎はとう/\与次郎と一所にされて仕舞つた。然し依然として黙つてゐた。 「そりや君だつて、僕だつて、あの女より遥かに偉いさ。御互に是でも、なあ。けれども、もう五六年経たなくつちや、其偉さ加減が彼の女の眼に映つて来ない。しかして、かの女は五六年凝としてゐる気遣はない。従つて、君があの女と結婚する事は風馬牛だ」  与次郎は風馬牛と云ふ熟字を妙な所へ使つた。さうして一人で笑つてゐる。 「なに、もう五六年もすると、あれより、ずつと上等なのが、あらはれて来るよ。日本ぢや今女の方が余つてゐるんだから。風邪なんか引いて熱を出したつて始まらない。――なに世の中は広いから、心配するがものはない。実は僕にも色々あるんだが。僕の方であんまり煩いから、御用で長崎へ出張すると云つてね」 「何だ、それは」 「何だつて、僕の関係した女さ」  三四郎は驚ろいた。 「なに、女だつて、君なんぞの曾て近寄つた事のない種類の女だよ。それをね、長崎へ黴菌の試験に出張するから当分駄目だつて断わつちまつた。所が其女が林檎を持つて停車場まで送りに行くと云ひ出したんで、僕は弱つたね」  三四郎は益驚いた。驚ろきながら聞いた。 「それで、何うした」 「何うしたか知らない。林檎を持つて、停車場に待つてゐたんだらう」 「苛い男だ。よく、そんな悪い事が出来るね」 「悪い事で、可哀想な事だとは知つてるけれども、仕方がない。始から次第に、そこ迄運命に持つて行かれるんだから。実はとうの前から僕が医科の学生になつてゐたんだからなあ」 「なんで、そんな余計な嘘を吐くんだ」 「そりや、又それ/″\事情のある事なのさ。それで、女が病気の時に、診断を頼まれて困つた事もある」  三四郎は可笑しくなつた。 「其時は舌を見て、胸を叩いて、好い加減に胡魔化したが、其次に病院へ行つて、見て貰ひたいが好いかと聞かれたには閉口した」  三四郎はとう/\笑ひ出した。与次郎は、 「さう云ふ事も沢山あるから、まあ安心するが好からう」と云つた。何の事だか分らない。然し愉快になつた。  与次郎は其時始めて、美禰子に関する不思議を説明した。与次郎の云ふ所によると、よし子にも結婚の話がある。それから美禰子にもある。それ丈ならば好いが、よし子の行く所と、美禰子の行く所が、同じ人らしい。だから不思議なのださうだ。  三四郎も少し馬鹿にされた様な気がした。然しよし子の結婚丈は慥かである。現に自分が其話を傍で聞いてゐた。ことによると其話を美禰子のと取り違へたのかも知れない。けれども美禰子の結婚も、全く嘘ではないらしい。三四郎は判然した所が知りたくなつた。序だから、与次郎に教へて呉れと、頼んだ。与次郎は訳なく承知した。よし子を見舞に来る様にしてやるから、直に聞いて見ろといふ。旨い事を考へた。 「だから、薬を飲んで、待つて居なくつては不可ない」 「病気が癒つても、寐て待つてゐる」  二人は笑つて別れた。帰りがけに与次郎が、近所の医者に来て貰ふ手続をした。 十二の六  晩になつて、医者が来た。三四郎は自分で医者を迎へた覚がないんだから、始めは少し狼狽した。そのうち脈を取られたので漸く気が付いた。年の若い丁寧な男である。三四郎は代診と鑑定した。五分の後病症はインフルエンザと極つた。今夜頓服を飲んで、成る可く風に当らない様にしろと云ふ注意である。  翌日眼が覚めると、頭が大分軽くなつてゐる。寐てゐれば、殆んど常体に近い。たゞ枕を離れると、ふら/\する。下女が来て、大分部屋の中が熱臭いと云つた。三四郎は飯も食はずに、仰向に天井を眺めてゐた。時々うと/\眠くなる。明らかに熱と疲とに囚はれた有様である。三四郎は、囚はれた儘、逆らはずに、寐たり覚たりする間に、自然に従ふ一種の快感を得た。病症が軽いからだと思つた。  四時間、五時間と経つうちに、そろ/\退屈を感じ出した。しきりに寐返りを打つ。外は好い天気である。障子に当る日が、次第に影を移して行く。雀が鳴く。三四郎は今日も与次郎が遊びに来て呉れゝば好いと思つた。  所へ下女が障子を開けて、女の御客様だと云ふ。よし子が、さう早く来やうとは待ち設けなかつた。与次郎丈に敏捷な働きをした。寐た儘、開け放しの入口に眼を着けてゐると、やがて高い姿が敷居の上へあらはれた。今日は紫の袴を穿いてゐる。足は両方共廊下にある。一寸這入るのを躇した様子が見える。三四郎は肩を床から上げて、「入らつしやい」と云つた。  よし子は障子を閉てゝ、枕元へ坐つた。六畳の座敷が、取り乱してある上に、今朝は掃除をしないから、猶狭苦しい。女は、三四郎に、 「寐て入らつしやい」と云つた。三四郎は又頭を枕へ着けた。自分丈は穏かである。 「臭くはないですか」と聞いた。 「えゝ、少し」と云つたが、別段臭い顔もしなかつた。「熱が御有なの。何なんでせう、御病気は。御医者は入らしつて」 「医者は昨夕来ました。インフルエンザださうです」 「今朝早く佐々木さんが御出になつて、小川が病気だから見舞に行つて遣つて下さい。何病だか分らないが、何でも軽くはない様だ。つて仰やるものだから、私も美禰子さんも吃驚したの」  与次郎が又少し法螺を吹いた。悪く云へば、よし子を釣り出した様なものである。三四郎は人が好いから、気の毒でならない。「どうも難有う」と云つて寐てゐる。よし子は風呂敷包の中から、蜜柑の籃を出した。 「美禰子さんの御注意があつたから買つて来ました」と正直な事を云ふ。どつちの御見舞だか分らない。三四郎はよし子に対して礼を述べて置いた。 「美禰子さんも上る筈ですが、此頃少し忙しいものですから――どうぞ宜しくつて……」 「何か特別に忙がしい事が出来たのですか」 「えゝ。出来たの」と云つた。大きな黒い眼が、枕に着いた三四郎の顔の上に落ちてゐる。三四郎は下から、よし子の蒼白い額を見上げた。始めて此女に病院で逢つた昔を思ひ出した。今でも物憂げに見える。同時に快活である。頼になるべき凡ての慰藉を三四郎の枕の上に齎らして来た。 「蜜柑を剥いて上げませうか」  女は青い葉の間から、果物を取り出した。渇いた人は、香に迸しる甘い露を、したゝかに飲んだ。 「美味いでせう。美禰子さんの御見舞よ」 「もう沢山」  女は袂から白い手帛を出して手を拭いた。 「野々宮さん、あなたの御縁談はどうなりました」 「あれ限りです」 「美禰子さんにも縁談の口があるさうぢやありませんか」 「えゝ、もう纏りました」 「誰ですか、先は」 「私を貰ふと云つた方なの。ほゝゝ可笑いでせう。美禰子さんの御兄いさんの御友達よ。私近い内に又兄と一所に家を持ちますの。美禰子さんが行つて仕舞ふと、もう御厄介になつてる訳に行かないから」 「あなたは御嫁には行かないんですか」 「行きたい所がありさへすれば行きますわ」  女は斯う云ひ棄てゝ心持よく笑つた。まだ行きたい所がないに極つてゐる。 十二の七  三四郎は其日から四日程床を離れなかつた。五日目に怖々ながら湯に入つて、鏡を見た。亡者の相がある。思ひ切つて床屋へ行つた。其明る日は日曜である。  朝食後、襯衣を重ねて、外套を着て、寒くない様にして、美禰子の家へ行つた。玄関によし子が立つて、今沓脱へ降りやうとしてゐる。今兄の所へ行く所だと云ふ。美禰子はゐない。三四郎は一所に表へ出た。 「もう悉皆好いんですか」 「難有う。もう癒りました。――里見さんは何所へ行つたんですか」 「兄さん?」 「いゝえ、美禰子さんです」 「美禰子さんは会堂」  美禰子の会堂へ行く事は始めて聞いた。何処の会堂か教へて貰つて、三四郎はよし子に別れた。横町を三つ程曲ると、すぐ前へ出た。三四郎は全く耶蘇教に縁のない男である。会堂の中は覗いて見た事もない。前へ立つて、建物を眺めた。説教の掲示を読んだ。鉄柵の所を往つたり来たりした。ある時は寄り掛かつて見た。三四郎は兎も角もして、美禰子の出てくるのを待つ積である。  やがて唱歌の声が聞へた。讃美歌といふものだらうと考へた。締切つた高い窓のうちの出来事である。音量から察すると余程の人数らしい。美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた。歌は歇んだ。風が吹く。三四郎は外套の襟を立てた。空に美禰子の好な雲が出た。  かつて美禰子と一所に秋の空を見た事もあつた。所は広田先生の二階であつた。田端の小川の縁に坐つた事もあつた。其時も一人ではなかつた。迷羊。迷羊。雲が羊の形をしてゐる。  忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る。美禰子は終りから四番目であつた。縞の吾妻コートを着て、俯向いて、上り口の階段を降りて来た。寒いと見えて、肩を窄めて、両手を前で重ねて、出来る丈外界との交渉を少なくしてゐる。美禰子は此凡てに揚がらざる態度を門際迄持続した。其時、往来の忙しさに、始めて気が付いた様に顔を上げた。三四郎の脱いだ帽子の影が、女の眼に映つた。二人は説教の掲示のある所で、互に近寄つた。 「何うなすつて」 「今御宅迄一寸出た所です」 「さう、ぢや入らつしやい」  女は半ば歩を回しかけた。相変らず低い下駄を穿いてゐる。男はわざと会堂の垣に身を寄せた。 「此所で御目に掛かればそれで好い。先刻から、あなたの出て来るのを待つてゐた」 「御這入りになれば好いのに。寒かつたでせう」 「寒かつた」 「御風邪はもう好いの。大事になさらないと、ぶり返しますよ。まだ顔色が好くない様ね」  男は返事をしずに、外套の隠袋から半紙に包んだものを出した。 「拝借した金です。永々難有う。返さう/\と思つて、つい遅くなつた」  美禰子は一寸三四郎の顔を見たが、其儘逆らはずに、紙包を受け取つた。然し手に持つたなり、納はずに眺めてゐる。三四郎もそれを眺めてゐる。言葉が少しの間切れた。やがて、美禰子が云つた。 「あなた、御不自由ぢや無くつて」 「いゝえ、此間から其積で国から取り寄せて置いたのだから、何うか取つて下さい」 「さう。ぢや頂いて置きませう」  女は紙包を懐へ入れた。其手を吾妻コートから出した時、白い手帛を持つてゐた。鼻の所へ宛てゝ、三四郎を見てゐる。手帛を嗅ぐ様子でもある。やがて、其手を不意に延ばした。手帛が三四郎の顔の前へ来た。鋭どい香がぷんとする。 「ヘリオトロープ」と女が静かに云つた。三四郎は思はず顔を後へ引いた。ヘリオトロープの壜。四丁目の夕暮。迷羊。迷羊。空には高い日が明らかに懸る。 「結婚なさるさうですね」  美禰子は白い手帛を袂へ落した。 「御存じなの」と云ひながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、却つて遠くにゐるのを気遣い過ぎた眼付である。其癖眉丈は明確落ちついてゐる。三四郎の舌が上顎へ密着て仕舞つた。  女はやゝしばらく三四郎を眺めた後、聞兼る程の嘆息をかすかに漏らした。やがて細い手を濃い眉の上に加へて、云つた。 「われは我が愆を知る。我が罪は常に我が前にあり」  聞き取れない位な声であつた。それを三四郎は明らかに聞き取つた。三四郎と美禰子は斯様にして分れた。下宿へ帰つたら母からの電報が来てゐた。開けて見ると、何時立つとある。 十三  原口さんの画は出来上がつた。丹青会は之を一室の正面に懸けた。さうして其前に長い腰掛を置いた。休む為でもある。画を見る為でもある。休み且つ味ふ為でもある。丹青会はかうして、此大作に徊する多くの観覧者に便利を与へた。特別の待遇である。画が特別の出来だからだと云ふ。或は人の目を惹く題だからとも云ふ。少数のものは、あの女を描たからだと云つた。会員の一二は全く大きいからだと弁解した。大きいには違ない。幅五寸に余る金の縁を付けて見ると、見違へる様に大きくなつた。  原口さんは開会の前日検分の為一寸来た。腰掛に腰を卸して、久しい間烟管を啣へて眺めてゐた。やがて、ぬつと立つて、場内を一順丁寧に回つた。夫から又故の腰掛へ帰つて、第二の烟管を緩くり吹かした。 「森の女」の前には開会の当日から人が一杯集つた。折角の腰掛は無用の長物となつた。たゞ疲れたものが、画を見ない為に休んでゐた。それでも休みながら「森の女」の評をしてゐたものがある。  美禰子は夫に連れられて二日目に来た。原口さんが案内をした。「森の女」の前へ出た時、原口さんは「何うです」と「二人」を見た。夫は「結構です」と云つて、眼鏡の奥からじつと眸を凝らした。 「此団扇を翳して立つた姿勢が好い。流石専門家は違ますね。能く茲所に気が付いたものだ。光線が顔へあたる具合が旨い。陰と日向の段落が確然して――顔丈でも非常に面白い変化がある」 「いや皆御当人の御好みだから。僕の手柄ぢやない」 「御蔭さまで」と美禰子が礼を述べた。 「私も、御蔭さまで」と今度は原口さんが礼を述べた。  夫は細君の手柄だと聞いて左も嬉しさうである。三人のうちで一番鄭重な礼を述べたのは夫である。  開会後第一の土曜の午過には大勢一所に来た。――広田先生と野々宮さんと与次郎と三四郎と。四人は余所を後廻しにして、第一に「森の女」の部屋に這入つた。与次郎が「あれだ、あれだ」と云ふ。人が沢山集つてゐる。三四郎は入口で一寸躇した。野々宮さんは超然として這入つた。  大勢の後から、覗き込んだ丈で、三四郎は退ぞいた。腰掛に倚つてみんなを待ち合はしてゐた。 「素敵に大きなもの描いたな」と与次郎が云つた。 「佐々木に買つて貰ふ積ださうだ」と広田先生が云つた。 「僕より」と云ひ掛けて、見ると、三四郎は六づかしい顔をして腰掛にもたれてゐる。与次郎は黙つて仕舞つた。 「色の出し方が中々洒落てゐますね。寧ろ意気な画だ」と野々宮さんが評した。 「少し気が利き過ぎてゐる位だ。是ぢや鼓の音の様にぽん/\する画は描けないと自白する筈だ」と広田先生が評した。 「何ですぽん/\する画と云ふのは」 「鼓の音の様に間が抜けてゐて、面白い画の事さ」  二人は笑つた。二人は技巧の評ばかりする。与次郎が異を樹てた。 「里見さんを描いちや、誰が描いたつて、間が抜けてる様には描けませんよ」  野々宮さんは目録へ記号を付ける為に、隠袋へ手を入れて鉛筆を探した。鉛筆がなくつて、一枚の活版摺の端書が出て来た。見ると、美禰子の結婚披露の招待状であつた。披露はとうに済んだ。野々宮さんは広田先生と一所にフロツクコートで出席した。三四郎は帰京の当日此招待状を下宿の机の上に見た。時期は既に過ぎてゐた。  野々宮さんは、招待状を引き千切つて床の上に棄てた。やがて先生と共に外の画の評に取り掛る。与次郎丈が三四郎の傍へ来た。 「どうだ森の女は」 「森の女と云ふ題が悪い」 「ぢや、何とすれば好いんだ」  三四郎は何とも答へなかつた。たゞ口の内で迷羊、迷羊と繰り返した。 底本:「定本 漱石全集 第五巻」岩波書店    2017(平成29)年4月7日第1刷発行 初出:「東京朝日新聞」    1908(明治41)年9月1日~12月29日 ※底本のテキストは、著者自筆稿によります。 ※「矢っ張り」と「矢張り」と「矢っ張」、「余程」と「余つ程」と「余っ程」、「余り」と「余まり」と「余り」と「余」、「引っ込め」と「引き込め」、「引つ込んで」と「引っ込んで」、「引っ張つて」と「引つ張つて」と「引張つて」、「提燈」と「提灯」、「何所」と「何処」、「子供」と「小供」、「暫らく」と「少時」、「吃驚」と「喫驚」」、「美くしい」と「美しい」、「背」と「脊」、「躇」と「躊躇」、「六[#濁点付き小書き平仮名つ]かし」と「六づかし」、「後ろ」と「後」、「一」と「一つ」の混在は、底本通りです。 ※「二重瞼」に対するルビの「ふたえまぶた」と「ふたえまぶち」、「洋燈」に対するルビの「らんぷ」と「ランプ」、「一寸」に対するルビの「ちよつと」と「ちよいと」、「籃」に対するルビの「かご」と「バスケツト」と「ばすけつと」、「私」に対するルビの「わたくし」と「わたし」、「兄妹」に対するルビの「きようだい」と「けうだい」、「戸外」に対するルビの「そと」と「こぐわい」、「再」に対するルビの「ふたたび」と「ふたゝび」の混在は、底本通りです。 ※初出時の署名は「漱石」です。 ※〔 〕内のルビは、編集部による加筆です。 ※〔 〕内のルビは新仮名とする底本の扱いにそって、〔 〕内のルビの拗音、促音は小書きしました。 ※底本巻末の吉田生氏による注解、宗像和重氏による新注、編集部による補注は省略しました。 入力:砂場清隆 校正:木下聡 2022年11月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 アクセント符号付きラテン文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 濁点付き小書き平仮名か    293-12    --> 濁点付き小書き平仮名つ    319-10、467-5、491-13、549-4、564-12、567-9、571-6    --> 濁点付き片仮名オ    369-5、369-5    --> 濁点付き片仮名エ    380-5、498-10、498-11、499-13、501-10、503-9、503-10、503-11、503-14、514-9    --> 「口+堯」、U+5635    411-6、435-4、439-14    -->       --> ●図書カード 夏目漱石 おはなし おはなし 夏目漱石  私はこの学校は初めてで――エー来るのは始めてだけれどもご依頼を受けたのは、決して、初めてではありません。  二三年前、田中さん(田中喜一、東京高等工業学校教授)から頼まれたのです。その頃、頼みに来て下さった方は、もうご卒業なさったでしょう。それ以来、数十回のご依頼を受けましたがみんなおことわりしました。ことわるのは面白いからではなく、止むを得ないからで、この止むを得ない事が、度重なっておきのどくなのでその結果今日やって来ました。言わば根くらべで根がつきて出て来たようなしまつ、面白い話もできかねます。今からとにかく一時間ばかり、話します。それゆえ、題なんかありません。  私は専門があなた方とは全然ちがっています。こんな機会でなければ、顔を会すことはありませんが、これでも私は工業の部門に属する専門家になろうとした事がありました。私は建築家になろうと思いました。なぜっていうような問題ではない、けれども話のついでに話します。  まだ小供のとき、財産がなかったので、一人で食わなければならないという事は知っていました。忙がしくなく時間づくめでなくて、飯が食えるという事について非常になやみました。しかし立派な技術を持ってれば変人でも、頑固でも人が頼むだろうと思いました。佐々木東洋という医者があります。この医者が大へんな変人で、患者をまるで玩具か人形のように扱かう愛嬌のない人です。それで、はやらないかといえば不思議なほどはやって門前市をなすありさまです。あんな無愛想な人があれだけはやるのは、やはり技術があるからだと思いました。ゆえに建築家になったら、私も門前市をなすだろうと思いました。高等学校時分の事でした、親友に米山保三郎という人、夭折しましたが、この人が説諭しました。その説諭に曰く、セントポールのような家は我国にははやらない。くだらない家を建てるよりは文学者になれといいました。当人が文学者になれというたのはよほどの自信があったからでしょう。私はそれでふっつりやめました。私の考は金をとって、門前市をなして、頑固で、変人で、というのでしたけれども、米山は私よりは大変えらいような気がした。二人くらべると私がいかにもちっぽけなように思われたので、今までの考を止めました。そして文学者になりました。その結果は――分りません、恐らく死ぬまで分らないでしょう。それでこういう方面に入ったので、あなた方は専門としては、この方面ではないけれども、この会は文芸の会で、ベルグソンなども出るようですからこの事については共通しているようにも思われます。よく講演なんていうと西洋人の名前なんか出てきてききにくい人もあるようですが、私の今日のお話には片仮名の名前なんか一つもでてきません。  私はかつてある所で頼まれて講演したとき、日本現代の開化という題で話しました。今日は題はない、分らなかったから、拵えません。  その講演のとき開化の definition を定めました。開化とは人間の energy で、これが二つの異った方向に延びて行ったのが、入り乱れてできたので、その一つは活力の表顕、あるいは実顕といって energy を節約せんとする吾人の努力、他の一つは energy を消耗せんとする consumption of energy である。この二つが大なる factor でこれ以外には、何もない。ゆえにこの二つのものは開化の factor として sufficient and necessary である。それで第一の活力を節約せんとする努力は種々の方向へ出るが、まず距離をつめる、時間を節約する。手でやれば一時間かかる事も、機械で三十分でやってしまう。あるいは手でやれば一時間かかって一つできるところを、十も二十もつくることが、吾々の生活の便を計るのです。これがあなた方の専門のもので、他の factor すなわち consumption of energy の努力は積極的のもので、ある人から見れば、国力等の立場より見なして消極的に誤解されてる文学、美術、音楽、劇等なくてすむものであります、しかもありたいものなのです。これらは幾分か片方で切りつめてこの余った energy をこの方に向ける、どちらかといえば押のふとい方なのです。私などはこの方面へ向って行く、この方面からいえば時間距離なんていう考はありません、飛行機――飛行機のような早いものの必要もなく、堅牢なものの必要もなく、数でこなす必要もない。生涯にたった一つだっていいのを書けばいいのです。  すなわちあなた方とはかく反対になっているのです。二つのものの性質を概括していうときは、あなた方の方は規律で行き、私どもの方は不規律で行く。その代り報酬はごく悪い。金持になる人なりたい人は、規律に服従せねばならない。  あなた方の方は mechanical science の応用で私どもの方は mental なのだから割がいいようだ。けれども実は大変に損をしているのです。しかしあなた方は自由が少いが私どもは自由というものがなければできない仕事であります。なおいいかうればあなた方は仕事に服従して我というものをなくなさなければできないのです。各自個々勝手な方面へ行ったなら、仕事はできない。私どもの方は我を発揮せなければ、何もできませぬ。  そこで、あなた方の方でする仕事というものを見ると普遍的すなわち universal の性質を持っている。私どもの方は universal でなくて personal の性質を持っています。なお敷衍していえばあなた方はまず公式を頭の中に入れて、その application が必要である。それは人間が考えたものにちがいないけれども、私がこのものがいやだというても御免こうむることはできない。universal ということは personality という個人としての人格じゃなく、personality を eliminate し得る仕事なのです。この鉄道は誰が敷設したという事は素人にはあまり参考になりません。この講堂は誰が作ったって問題にならない。あすこにぶらさがってるランプだか、電気だか何だか知らないが、これには何の personality もない。すなわち自然の法則を apply しただけなのであります。  しからば我々の文芸は法則を全然無視してるかというと、そうでもない。ベルグソンの哲学には一種の法則みたいなのがある。フランスでは、ベルグソンを立場として、フランスの文芸が近頃出てきている。吾々の方でも sex の問題とか naturalism とか世間に知れわたった法則等から出立し得るもの、その abstract の輪郭を画いてその中につめこんだのでは生きて来ない。内から発生した事にならない、拵えたものになる。この方面からいえば、abstract からは出立されないのです。しからば文芸者の造ったものから一つの法則を reduce することはできないかというとできる。それは作者が、天然自然に書いたものを他の人が見てそれに philosophical の解釈を与えたときに、その作物の中からつかみ出されるというので始めから法則をつかまえて、それから肉をつけるというのではありません。吾々の方でも時には法則が必要です。なぜに必要であるかといえばこれがために作物の depth が出てくるという問題になるからである。あなた方の法則は universal のものであるが吾々のものは personality の奥に law があるのです。というのはすでに出来た作物を読む人々の頭の間をつなぐ共通のあるものがあった時そこに abstract の law が存在しているのです。  personal のものが universal の者でなくとも、百人なり二百人なりの読者を得たとき、その読者の頭をつなぐ共通なものが、なくてはならぬ。このものが一つの law である。  文芸は law によって govern されてはいけない。personal である。free である。しからばまるで、無茶なものかというと、決してさようではない。かようにあなた方の出発点と、吾々文芸家の出発点とは違っている。  そのものの性質よりいえば、吾々の方のものは personal のもので、作物を見て、作った人に思い及ぶ、電車の軌道は誰が引いたかと考うる必要はないが、芸術家のものであるとき、誰が作ったということがじき問題になる。したがって製作品に対する情緒がこれにうつって行って作物に対する好厭の念が、作家にうつって行く。なおひろがって作家自身の好厭となり結局道徳的の問題となる。それゆえ作物から当然得べき感情が作家に及ぼして、しまいには justice という事がなくなって贔負というものができる。芸人にはこの贔負が特にはなはだしい。相撲なんかそれです。私の友人に相撲のすきな人がある、この人は勝った方がすきだと申します。この人なんか正義な人で、公平で、決して贔負ではない。贔負になるとこんな事ができない。かく芸を離れて当人になってくるのは角力か役者に多い。作物になるとさほどでもないようにも見える。  これほどまでに芸術とか文芸とかいうものは personal である。personal であるから自己に重きを置く。主がなくなったら personal のなくなるのはあたり前だけれども、自己がなくなれば、芸術はだめである。  あなた方が尊ぶことは、己でなくして腕である。腕さえあれば能事了れりというてもよい。工場では人間はいらないほどあってもその人間は機械の一部分のようなものである。mechanical に働く機械よりも、巧妙に働く腕が必要である。が吾々の方は人間であるという事が大切なので、社会上よりいうときは、お互に社会の一員であるけれども吾々の方は人間という事が大事になる。  ところがここに腕の人でもなく頭の人でもない一種の人がある。資本家というものでこの capitalist になると腕も人間も大切でなく金が大切なのである。capitalist から金をとり上ぐればだめである、何にもできない。同様にあなた方から腕をとり上げても駄目である。我々は腕も金もとり上げられてもいいが、人間をとり上げられたらそれこそ大変だ。  あなた方の方では技術と自然との間に何らの矛盾もないが、私どもの方には矛盾もある。すなわちごまかしがきくのです、悲しくないのに泣いたり、悦しくもないのに笑ったり、腹も立たないのにおこったり、こんな講壇の上などに立ってあなた方から偉く見られようとしたりするので、これはある程度まで成功します。これは一種の art である、art と人間の間には距離を生じて矛盾を生じやすい。あなた方にも人格にない art を弄している事もたくさんある、すなわちねむいのに、睡くないようなふりをする義理もありましょうがね。かく art は恐ろしい。吾々は art は二の次で人間が第一なのです。孔子様でなければ人格がない、なんていうのじゃない、失格といったってえらいという事でもなければ、偉くないという事でもない、個人の思想なり観念なりを中心とするのである。  一口にていえば、文芸家の仕事の本体すなわち essence は人間であって、他のものは附属品装飾品である。  この見地より世の中を見わたせば面白いものです。私一人かも知れませんが、世の中は自分を中心としなければいけない。私は親が生んだので、親はまたその親が、生んだのです。何も木の股からではない。人間は自分を通じて先祖を後世に伝える方便として生きてるのか、または自分その者を後世に伝えるために生きてるのか、どっちでもいいけれどもとりようでは二様にとれる。親が死んだからその代理に生きてるともとれるし、そうでなくて己は自分が生きているんで、親はこのおれを生むための方便だ、自分が消えると気の毒だから、子に伝えてやる、という事に考えてもさしつかえない。この論法からいうと芸術家が昔の芸術を後世に伝えるために生きているというのも、不見識ではあるがやっぱり必要でしょう。ことに旧芝居やお能なんかはいい例です。絵画にもそれがある。私は狩野元信のために生きているので、決して私のためには生きてるのではないと看板をかけてる人もたくさんある。――身を殺して仁をなすのでしょうが、personality の論法で行くと、これはあてはまらないですね。こんな人はとりのけて、ほんとに自覚したらどうだろう、すなわち personality より出立しようとする。狩野のために生きるのをよして自分のために生きようとする。まったく同じ事は決して再び起らない。scientific ではどうか知らないけれども精神界ではまったく同じものが二つは来ないゆえに全然旧には復らない。なお他の一つは旧にかえるのではなく新らしい departure をする。これらによって essential な personality を発揮する事ができる。  導体的の文芸家美術家も、必要かも知れないが、人間の本分として、自覚しなければならない。このところが大切なところで充分に説明しなければいけないんですが、今日は時間がないからこれで止めます。  私のいうた事はあなた方と私どもの職業の違から私どもの方をくわしくいうたのだけれどもあなた方の方もある程度までは応用がききます、あなた方の職業の方面において、幾分か参考になる事があるでしょう。もっとも文芸部の会ですから応用がきかなくっても、威張ってそういう権利があります。しかし個人としてなり職業としてなり、ご参考になれば非常に私はうれしい。――それだけです。 〔一九一四(大正三)年一月十七日、東京高等工業学校において〕 底本:「21世紀の日本人へ 夏目漱石」晶文社    1998(平成10)年12月25日初版 底本の親本:「漱石全集 第二十五巻」岩波書店    1996(平成8)年5月15日発行 初出:「浅草文庫 第三十一号」東京高等工業学校「文芸部」    1914(大正3)年5月10日 入力:西村おきな 校正:きりんの手紙 2020年1月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 『文学論』序 『文学論』序 夏目漱石  余はこの書を公けにするにあたつて、この書が如何なる動機のもとに萌芽し、如何なる機縁のもとに講義となり、今また如何なる事故のために出版せらるるかを述ぶるの必要あるを信ず。  余が英国に留学を命ぜられたるは明治三十三年にて余が第五高等学校教授たるの時なり。当時余は特に洋行の希望を抱かず、かつ他に余よりも適当なる人あるべきを信じたれば、一応その旨を時の校長及び教頭に申し出でたり。校長及び教頭はいふ、他に適当の人あるや否やは足下の議論すべき所にあらず、本校はただ足下を文部省に推薦して、文部省はその推薦を容れて、足下を留学生に指定したるに過ぎず、足下にして異議あらば格別、さもなくば命の如くせらるるを穏当とすと。余は特に洋行の希望を抱かずといふまでにて、固より他に固辞すべき理由あるなきを以て、承諾の旨を答へて退けり。  余の命令せられたる研究の題目は英語にして英文学にあらず。余はこの点についてその範囲及び細目を知るの必要ありしを以て時の専門学務局長上田萬年氏を文部省に訪ふて委細を質したり。上田氏の答へには、別段窮屈なる束縛を置くの必要を認めず、ただ帰朝後高等学校もしくは大学にて教授すべき課目を専修せられたき希望なりとありたり。ここにおいて命令せられたる題目に英語とあるは、多少自家の意見にて変更し得るの余地ある事を認め得たり。かくして余は同年九月西征の途に上り、十一月目的地に着せり。  着後第一に定むべきは留学地なり。オクスフォード、ケムブリッヂは学問の府として遠くわが邦にも聞えたれば、そのいづれにか赴かんと心を煩はすうち、幸ひケムブリッヂにある知人の許に招かるるの機会を得たれば、観光かたがた彼地へ下る。  ここにて尋ねたる男の外、二、三の日本人に逢へり。彼らは皆紳商の子弟にしていはゆるゼントルマンたるの資格を作るため、年々数千金を費やす事を確め得たり。余が政府より受る学費は年に千八百円に過ぎざれば、この金額にては、凡てが金力に支配せらるる地にあつて、彼らと同等に振舞はん事は思ひも寄らず。振舞はねば彼土の青年に接触して、いはゆる紳士の気風を窺ふ事さへ叶はず、たとひ交際を謝して、唯適宜の講義を聞くだけにても給与の金額にては支へがたきを知る。よしや、万事に意を用ゐて、この難関を切り抜けたりとて、余が目的の一たる書籍は帰朝までに一巻も購ひ得ざるべし。かつ思ふ。余が留学は紳商子弟の呑気なる留学と異なり。英国の紳士は学ばざるべからざるほど、結構な性格を具へたる模範人物の集合体なるやも知るべからず。去れど余の如き東洋流に青年の時期を経過せるものが、余よりも年少なる英国紳士についてその一挙一動を学ぶ事は骨格の出来上りたる大人が急に角兵衛獅子の巧妙なる技術を学ばんとあせるが如く、如何に感服し、如何に崇拝し、如何に欣慕して、三度の食事を二度に減ずるの苦痛を敢てするの覚悟を定むるも遂に不可能の事に属す。これを聞く彼らは午前に一、二時間の講義に出席し、昼食後は戸外の運動に二、三時を[#「二、三時を」はママ]消し、茶の刻限には相互を訪問し、夕食にはコレヂに行きて大衆と会食すと。余は費用の点において、時間の点において、また性格の点において到底これら紳士の挙動を学ぶ能はざるを知つて彼地に留まるの念を永久に断てり。  オクスフォードはケムブリッヂと異なる所なきを信じたれば行かず。北の方蘇国に行かんか、または海を渡りて愛蘭土に赴かんかとまで考へたれど、双方とも英語を練習する地としては甚だ不適当なるを以て思ひ留まる。同時に語学を稽古する場所としては倫敦の尤も優れるを認めたり。ここにおいてこの地に笈を卸す。  倫敦は語学練習の地としては尤も便宜なりといへり。その理由は語るの要なし。ただ余はしかく信じたるのみならず、今においてもしかく信じて疑はず。去れど、余は単に語学に上達するの目的を以て英国に来れるにあらず。官命は官命なり、余の意志は余の意志なり。上田局長の言に背かざる範囲内において、余は余の意志を満足せしむるの自由を有す。語学を熟達せしむるのかたはら余が文学の研究に従事したるは、単に余の好奇心に出でたりといはんよりは、半ばは上田局長の言を服膺せるの結果なるを信ず。  誤解を防ぐがために一言す。余が二年の日月を挙げて語学のみに用ゐざりしは、語学を軽蔑して、学ぶに足らずと思惟せるがためにあらず。かへつてこれを重く視過ごしたるの結果のみ。発音にせよ、会話にせよ、文章にせよ、ただ語学の一部門のみを練習するも二年の歳月は決して長しとはいはず。いはんやその全般にわたつて、自ら許す底の手腕を養ひ来るをや。余は指を折つて、余が留学期の長短を考へまた余の菲才を以て、期限内に如何ほどか上達し得べきかを考へたり。篤と考へたる後、余は到底、余の予想通りの善果を予定の日限内に収めがたきを悟れり。余の研究の方法が、半ば文部省の命じたる条項を脱出せるは当時の状態としてけだしやむをえざるに出づ。  文学を研究せば如何なる方法を以て、如何なる部門を修得すべきかは次に起る問題なり。回顧すれば、余の浅薄なる、自らこの問題を提起して、遂に何らの断案に逢着せざりしを悲しむ。余が取れる方針は遂に機械的ならざるを得ず。余は先づ走つて大学に赴き、現代文学史の講義を聞きたり。また個人として、私に教師を探り得て随意に不審を質すの便を開けり。  大学の聴講は三、四カ月にしてやめたり。予期の興味も智識をも得る能はざりしがためなり。私宅教師の方へは約一年ほど通ひたりと記憶す。この間余は英文学に関する書籍を手に任せて読破せり。無論論文の材料とする考もなく、帰朝の後教授上の便に供するがためにもあらず、ただ漫然と出来得る限り多くの頁を飜へし去りたるに過ぎず。事実をいへば余は英文学卒業の学士たるの故を以て選抜の上留学を命ぜらるるほど、斯道に精通せるものにあらず。卒業の後東西に徂徠して、日に中央の文壇に遠ざかれるのみならず、一身一家の事情のため、擅まに読書に耽けるの機会なかりしが故、有名にして人口に膾炙せる典籍も大方は名のみ聞きて、眼を通さざるもの十中六、七を占めたるを平常遺憾に思ひたれば、この機を利用して一冊も余計に読み終らんとの目的以外には何らの方針も立つる能はざりしなり。かくして一年余を経過したる後、余が読了せる書冊の数を点検するに、わがいまだ読了せざる書冊の数に比例して、その甚だ僅少なるに驚ろき、残る一年を挙げて、同じき意味に費やすの頗る迂濶なるを悟れり。余が講学の態度はここにおいて一変せざるを得ず。 (青年の学生につぐ。春秋に富めるうちは自己が専門の学業において何者をか貢献せんとする前、先づ全般に通ずるの必要ありとし、古今上下数千年の書籍を読破せんと企つる事あり。かくの如くせば白頭に至るも遂に全般に通ずるの期はあるべからず。余の如きものはいまだに英文学の全体に通ぜず。今より二、三十年の後に至るも依然として通ぜざるべしと思ふ。)  時日の逼れると、検束なき読書法が、当時の余をして、茫然と自失せしめたる外に、余を促がして、在来の軌道外に逸せしめたる他の原因あり。余は少時好んで漢籍を学びたり。これを学ぶ事短かきにもかかはらず、文学はかくの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。ひそかに思ふに英文学もまたかくの如きものなるべし、かくの如きものならば生涯を挙げてこれを学ぶも、あながちに悔ゆることなかるべしと。余が単身流行せざる英文学科に入りたるは、全くこの幼稚にして単純なる理由に支配せられたるなり。在学三年の間は物にならざる羅甸語に苦しめられ、物にならざる独逸語に窮し、同じく物にならざる仏語さへ、うろ覚えに覚えて、肝心の専門の書は殆んど読む遑もなきうちに、既に文学士となり上りたる時は、この光栄ある肩書を頂戴しながら、心中は甚だ寂寞の感を催ふしたり。  春秋は十を連ねてわが前にあり。学ぶに余暇なしとはいはず。学んで徹せざるを恨みとするのみ。卒業せる余の脳裏には何となく英文学に欺かれたるが如き不安の念あり。余はこの不安の念を抱いて西の方松山に赴むき、一年にして、また西の方熊本にゆけり。熊本に住する事数年いまだこの不安の念の消えぬうち倫敦に来れり。倫敦に来てさへこの不安の念を解く事が出来ぬなら、官命を帯びて遠く海を渡れる主意の立つべき所以なし。去れど過去十年においてすら、解きがたき疑団を、来る一年のうちに晴らし去るは全く絶望ならざるにもせよ、殆んど覚束なき限りなり。  ここにおいて読書を廃してまた前途を考ふるに、資性愚鈍にして外国文学を専攻するも学力の不充分なるため会心の域に達せざるは、遺憾の極なり。去れど余の学力はこれを過去に徴して、これより以後さほど上達すべくもあらず。学力の上達せぬ以上は学力以外にこれを味ふ力を養はざるべからず。しかしてかかる方法は遂に余の発見し得ざる所なり。飜つて思ふに余は漢籍においてさほど根底ある学力あるにあらず、しかも余は充分これを味ひ得るものと自信す。余が英語における知識は無論深しといふべからざるも、漢籍におけるそれに劣れりとは思はず。学力は同程度として好悪のかくまでに岐かるるは両者の性質のそれほどに異なるがためならずんばあらず、換言すれば漢学にいはゆる文学と英語にいはゆる文学とは到底同定義の下に一括し得べからざる異種類のものたらざるべからず。  大学を卒業して数年の後、遠き倫敦の孤燈の下に、余が思想は始めてこの局所に出会せり。人は余を目して幼稚なりといふやも計りがたし。余自身も幼稚なりと思ふ。かほど見やすき事を遥々倫敦の果に行きて考へ得たりといふは留学生の恥辱なるやも知れず。去れど事実は事実なり。余がこの時始めて、ここに気が付きたるは恥辱ながら事実なり。余はここにおいて根本的に文学とは如何なるものぞといへる問題を解釈せんと決心したり。同時に余る一年を挙てこの問題の研究の第一期に利用せんとの念を生じたり。  余は下宿に立て籠りたり。一切の文学書を行李の底に収めたり。文学書を読んで文学の如何なるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗ふが如き手段たるを信じたればなり。余は心理的に文学は如何なる必要あつて、この世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり。余は社会的に文学は如何なる必要あつて、存在し、隆興し、衰滅するかを究めんと誓へり。  余は余の提起せる問題が頗る大にしてかつ新しきが故に、何人も一、二年の間に解釈し得べき性質のものにあらざるを信じたるを以て、余が使用する一切の時を挙げて、あらゆる方面の材料を蒐集するに力め、余が消費し得る凡ての費用を割いて参考書を購へり。この一念を起してより六、七カ月の間は余が生涯のうちにおいて尤も鋭意に尤も誠実に研究を持続せる時期なり。しかも報告書の不充分なるため文部省より譴責を受けたるの時期なり。  余は余の有する限りの精力を挙げて、購へる書を片端より読み、読みたる箇所に傍註を施こし、必要に逢ふごとにノートを取れり。始めは茫乎として際涯のなかりしもののうちに何となくある正体のあるやうに感ぜられるほどになりたるは五、六カ月の後なり。余は固より大学の教授にあらず、従つてこれを講義の材料に用ゐるの必要を認めず。また急にこれを書物に纏むるの要なき身なり。当時余の予算にては帰朝後十年を期して、充分なる研鑽の結果を大成し、しかる後世に問ふ心得なりし。  留学中に余が蒐めたるノートは蠅頭の細字にて五、六寸の高さに達したり。余はこのノートを唯一の財産として帰朝したり。帰朝するや否や余は突然講師として東京大学にて英文学を講ずべき依嘱を受けたり。余は固よりかかる目的を以て洋行せるにあらず、またかかる目的を以て帰朝せるにあらず。大学にて英文学を担任教授するほどの学力あるにあらざる上、余の目的はかねての文学論を大成するにありしを以て、教授のために自己の宿志を害せらるるを好まず。よつて一応はこれを辞せんと思ひしが、留学中書信にて東京奉職の希望を洩らしたる友人(大塚保治氏)の取計にて、殆んど余の帰朝前に定まりたるが如き有様なるを以て、遂に浅学を顧みず、依托を引き受くる事となれり。  講義を開く前には如何なる問題を択ばんかと苦心せるが、余は今日文学を研究する学生に取つては、余が文学論を紹介するの、尤も興味多く、かつ時機に適せるを感じたり、余は田舎に教師となり、田舎から洋行し、洋行から突然東京に舞ひ戻つたる人間なり。当時わが中央文壇の潮流が如何なる方面に動きつつあるかは、殆んど知るべくもあらず。去れど摯実なる労力によつて得たる結果を尤も高等なる学問を修めて、未来の文運を支配する青年の前に披瀝するは余の最も光栄とする所なるを以て先づこの問題を選んで学生諸子の批判を仰がんと決意せり。  不幸にして余の文学論は十年計画にて企てられたる大事業の上、重に心理学社会学の方面より根本的に文学の活動力を論ずるが主意なれば、学生諸子に向て講ずべきほど体を具せず。のみならず文学の講義としては余りに理路に傾き過ぎて、純文学の区域を離れたるの感あり。余の労力はここにおいて二途に出でたり。一は纏まらぬものを、既に蒐集せる材料にて、ある程度まで具体的に組織する事なり。二はほぼ系統的に出来上がりたる議論をなるべく純文学の方面に引き付けて講説する事なり。  身心の健康及び使用時間の許さぬうちにあつて、この両者を能くし得たりとは決して思はず。去れどもその企てが如何なる事実となつてあらはれたるかは、この書の内容の証明する所なり。講義は毎週三時間にて、明治三十六年九月に始まつて三十八年六月にわたり、前後二学年にして終る。講義の当時は余が予期せるほどの刺激を学生諸子に与へざりしに似たり。  第三学年にもこの講義の稿を続くべかりしを種々の事情に遮ぎられて果さず、已に講述せる部分の意に満たぬ所、足らざる所を書き直さんとしてまた果さず、約二年の間そのままにて筐底に横はりしを、書肆の乞に応じて公けにする事となれり。  公けにする事を諾したる後も、身辺の事情に束縛せられて、わが旧稿を自身に浄写する暇さへ見出し得ず。やむをえず、友人中川芳太郎氏に章節の区分目録の編纂その他一切の整理を委托す。中川氏はこの講義のある部分に出席したる上、博洽の学と篤実の質をかねたれば、余の知人中にて、かかる事を処理するにおいて尤も適当の人なり。余は深く氏の好意を徳とす。いやしくもこの書の存せん限り、氏の名を忘れざるを期す。氏の親切によらずんば、現在の余は遂にこの書を出版するの運びに至らざりしならん。いはんや中川氏他日もし文界に名を成さば、この書あるいは氏の名によつて、世に記憶せらるるに至るも計るべからざるをや。  以上述べたる通り、この書は余の熱心なる労力によつて組織せられたるものなり。但十年の計画を二年につづめたるため(名は二年なるも出版の際修正に費やしたる時間を除いて実際に使用せるは二夏なり)また純文学学生の所期に応ぜんとして、本来の組織を変じたるため、今に至つて未成品にして、また未完品なるを免がれず。去れども学界は多忙なり。多忙なる学界において、余は他より一倍多忙なり。足らざるを補ひ、正すべきを正し、継ぐべきを継いで、しかる後、世に問はんとすれば、余が身辺の状況にして一変せざるよりは、生涯の日月を費やすとも遂に世に問ふの期はあるべからず。これ余がこの未定稿を版行する所以なり。  既に未定稿なるが故に現代の学徒を教へて、文学の何物たるかを知らしむるの意にあらず。世のこの書を読む者、読み終りたる後に、何らかの問題に逢着し、何らかの疑義を提供し、あるいは書中いへるものよりも一歩を進め二歩を拓きて向上に路を示すを得ば余の目的は達したりといふべし。学問の堂を作るは一朝の事にあらず、また一人の事にあらず、われはただ自己がその建立に幾分の労力を寄附したるを、義務を果たしたる如くに思ふのみ。  倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。倫敦の人口は五百万と聞く。五百万粒の油のなかに、一滴の水となつて辛うじて露命を繋げるは余が当時の状態なりといふ事を断言して憚からず。清らかに洗ひ濯げる白シャツに一点の墨汁を落したる時、持主は定めて心よからざらん。墨汁に比すべき余が乞食の如き有様にてウェストミンスターあたりを徘徊して、人工的に煤烟の雲を漲らしつつあるこの大都会の空気の何千立方尺かを二年間に吐呑したるは、英国紳士のために大に気の毒なる心地なり。謹んで紳士の模範を以て目せらるる英国人に告ぐ。余は物数奇なる酔興にて倫敦まで踏み出したるにあらず。個人の意志よりもより大なる意志に支配せられて、気の毒ながらこの歳月を君らの麺麭の恩沢に浴して累々と送りたるのみ。二年の後期満ちて去るは、春来つて雁北に帰るが如し。滞在の当時君らを手本として万事君らの意の如くする能はざりしのみならず、今日に至るまで君らが東洋の豎子に予期したるほどの模範的人物となる能はざるを悲しむ。去れど官命なるが故に行きたる者は、自己の意思を以て行きたるにあらず。自己の意志を以てすれば、余は生涯英国の地に一歩もわが足を踏み入るる事なかるべし。従つて、かくの如く君らの御世話になりたる余は遂に再び君らの御世話を蒙るの期なかるべし。余は君らの親切心に対して、その親切を感銘する機を再びする能はざるを恨みとす。  帰朝後の三年有半もまた不愉快の三年有半なり。去れども余は日本の臣民なり。不愉快なるが故に日本を去るの理由を認め得ず。日本の臣民たる光栄と権利を有する余は、五千万人中に生息して、少くとも五千万分一の光栄と権利を支持せんと欲す。この光栄と権利を五千万分一以下に切り詰められたる時、余は余が存在を否定し、もしくは余が本国を去るの挙に出づる能はず、むしろ力の継く限り、これを五千万分一に回復せん事を努むべし。これ余が微少なる意志にあらず。余が意志以上の意志なり。余が意志以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざるなり。余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣民たるの光栄と権利を支持するために、如何なる不愉快をも避くるなかれといふ。  著者の心情を容赦なく学術上の作物に冠してその序中に詳叙するは妥当を欠くに似たり。去れどこの学術上の作物が、如何に不愉快のうちに胚胎し、如何に不愉快のうちに組織せられ、如何に不愉快のうちに講述せられて、最後に如何に不愉快のうちに出版せられたるかを思へば、他の学者の著作として毫も重きをなすに足らざるにも関せず、余に取つてはこれほどの仕事を成就したるだけにて多大の満足なり。読者にはそこばくの同情あらん。  英国人は余を目して神経衰弱といへり。ある日本人は書を本国に致して余を狂気なりといへる由。賢明なる人々の言ふ所には偽りなかるべし。ただ不敏にして、これらの人々に対して感謝の意を表する能はざるを遺憾とするのみ。  帰朝後の余も依然として神経衰弱にして兼狂人のよしなり。親戚のものすら、これを是認するに似たり。親戚のものすら、これを是認する以上は本人たる余の弁解を費やす余地なきを知る。ただ神経衰弱にして狂人なるがため、『猫』を草し『漾虚集』を出し、また『鶉籠』を公けにするを得たりと思へば、余はこの神経衰弱と狂気とに対して深く感謝の意を表するの至当なるを信ず。  余が身辺の状況にして変化せざる限りは、余の神経衰弱と狂気とは命のあらんほど永続すべし。永続する以上は幾多の『猫』と、幾多の『漾虚集』と、幾多の『鶉籠』を出版するの希望を有するがために、余は長しへにこの神経衰弱と狂気の余を見棄てざるを祈念す。  ただこの神経衰弱と狂気とは否応なく余を駆つて創作の方面に向はしむるが故に、向後この『文学論』の如き学理的閑文字を弄するの余裕を与へざるに至るやも計りがたし。果してしからばこの一篇は余がこの種の著作に指を染めたる唯一の紀念として、価値の乏しきにも関せず、著作者たる余に取つては活版屋を煩はすに足る仕事なるべし。併せてその由を附記す。 明治三十九年十一月 夏目金之助 底本:「漱石文芸論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年5月16日第1刷発行 底本の親本:「漱石全集 第九巻」岩波書店    1985(昭和60)年6月 初出:「読売新聞」    1906(明治39)年11月4日 ※初出時の表題は「文学論序」です。 ※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。 入力:八坂遥風 校正:友理 2021年11月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 ●図書カード 夏目漱石 二百十日 二百十日 夏目漱石         一  ぶらりと両手を垂げたまま、圭さんがどこからか帰って来る。 「どこへ行ったね」 「ちょっと、町を歩行いて来た」 「何か観るものがあるかい」 「寺が一軒あった」 「それから」 「銀杏の樹が一本、門前にあった」 「それから」 「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」 「這入って見たかい」 「やめて来た」 「そのほかに何もないかね」 「別段何もない。いったい、寺と云うものは大概の村にはあるね、君」 「そうさ、人間の死ぬ所には必ずあるはずじゃないか」 「なるほどそうだね」と圭さん、首を捻る。圭さんは時々妙な事に感心する。しばらくして、捻ねった首を真直にして、圭さんがこう云った。 「それから鍛冶屋の前で、馬の沓を替えるところを見て来たが実に巧みなものだね」 「どうも寺だけにしては、ちと、時間が長過ぎると思った。馬の沓がそんなに珍しいかい」 「珍らしくなくっても、見たのさ。君、あれに使う道具が幾通りあると思う」 「幾通りあるかな」 「あてて見たまえ」 「あてなくっても好いから教えるさ」 「何でも七つばかりある」 「そんなにあるかい。何と何だい」 「何と何だって、たしかにあるんだよ。第一爪をはがす鑿と、鑿を敲く槌と、それから爪を削る小刀と、爪を刳る妙なものと、それから……」 「それから何があるかい」 「それから変なものが、まだいろいろあるんだよ。第一馬のおとなしいには驚ろいた。あんなに、削られても、刳られても平気でいるぜ」 「爪だもの。人間だって、平気で爪を剪るじゃないか」 「人間はそうだが馬だぜ、君」 「馬だって、人間だって爪に変りはないやね。君はよっぽど呑気だよ」 「呑気だから見ていたのさ。しかし薄暗い所で赤い鉄を打つと奇麗だね。ぴちぴち火花が出る」 「出るさ、東京の真中でも出る」 「東京の真中でも出る事は出るが、感じが違うよ。こう云う山の中の鍛冶屋は第一、音から違う。そら、ここまで聞えるぜ」  初秋の日脚は、うそ寒く、遠い国の方へ傾いて、淋しい山里の空気が、心細い夕暮れを促がすなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。 「聞えるだろう」と圭さんが云う。 「うん」と碌さんは答えたぎり黙然としている。隣りの部屋で何だか二人しきりに話をしている。 「そこで、その、相手が竹刀を落したんだあね。すると、その、ちょいと、小手を取ったんだあね」 「ふうん。とうとう小手を取られたのかい」 「とうとう小手を取られたんだあね。ちょいと小手を取ったんだが、そこがそら、竹刀を落したものだから、どうにも、こうにもしようがないやあね」 「ふうん。竹刀を落したのかい」 「竹刀は、そら、さっき、落してしまったあね」 「竹刀を落してしまって、小手を取られたら困るだろう」 「困らああね。竹刀も小手も取られたんだから」  二人の話しはどこまで行っても竹刀と小手で持ち切っている。黙然として、対坐していた圭さんと碌さんは顔を見合わして、にやりと笑った。  かあんかあんと鉄を打つ音が静かな村へ響き渡る。癇走った上に何だか心細い。 「まだ馬の沓を打ってる。何だか寒いね、君」と圭さんは白い浴衣の下で堅くなる。碌さんも同じく白地の単衣の襟をかき合せて、だらしのない膝頭を行儀よく揃える。やがて圭さんが云う。 「僕の小供の時住んでた町の真中に、一軒豆腐屋があってね」 「豆腐屋があって?」 「豆腐屋があって、その豆腐屋の角から一丁ばかり爪先上がりに上がると寒磬寺と云う御寺があってね」 「寒磬寺と云う御寺がある?」 「ある。今でもあるだろう。門前から見るとただ大竹藪ばかり見えて、本堂も庫裏もないようだ。その御寺で毎朝四時頃になると、誰だか鉦を敲く」 「誰だか鉦を敲くって、坊主が敲くんだろう」 「坊主だか何だか分らない。ただ竹の中でかんかんと幽かに敲くのさ。冬の朝なんぞ、霜が強く降って、布団のなかで世の中の寒さを一二寸の厚さに遮ぎって聞いていると、竹藪のなかから、かんかん響いてくる。誰が敲くのだか分らない。僕は寺の前を通るたびに、長い石甃と、倒れかかった山門と、山門を埋め尽くすほどな大竹藪を見るのだが、一度も山門のなかを覗いた事がない。ただ竹藪のなかで敲く鉦の音だけを聞いては、夜具の裏で海老のようになるのさ」 「海老のようになるって?」 「うん。海老のようになって、口のうちで、かんかん、かんかんと云うのさ」 「妙だね」 「すると、門前の豆腐屋がきっと起きて、雨戸を明ける。ぎっぎっと豆を臼で挽く音がする。ざあざあと豆腐の水を易える音がする」 「君の家は全体どこにある訳だね」 「僕のうちは、つまり、そんな音が聞える所にあるのさ」 「だから、どこにある訳だね」 「すぐ傍さ」 「豆腐屋の向か、隣りかい」 「なに二階さ」 「どこの」 「豆腐屋の二階さ」 「へええ。そいつは……」と碌さん驚ろいた。 「僕は豆腐屋の子だよ」 「へええ。豆腐屋かい」と碌さんは再び驚ろいた。 「それから垣根の朝顔が、茶色に枯れて、引っ張るとがらがら鳴る時分、白い靄が一面に降りて、町の外れの瓦斯灯に灯がちらちらすると思うとまた鉦が鳴る。かんかん竹の奥で冴えて鳴る。それから門前の豆腐屋がこの鉦を合図に、腰障子をはめる」 「門前の豆腐屋と云うが、それが君のうちじゃないか」 「僕のうち、すなわち門前の豆腐屋が腰障子をはめる。かんかんと云う声を聞きながら僕は二階へ上がって布団を敷いて寝る。――僕のうちの吉原揚は旨かった。近所で評判だった」  隣り座敷の小手と竹刀は双方ともおとなしくなって、向うの椽側では、六十余りの肥った爺さんが、丸い背を柱にもたして、胡坐のまま、毛抜きで顋の髯を一本一本に抜いている。髯の根をうんと抑えて、ぐいと抜くと、毛抜は下へ弾ね返り、顋は上へ反り返る。まるで器械のように見える。 「あれは何日掛ったら抜けるだろう」と碌さんが圭さんに質問をかける。 「一生懸命にやったら半日くらいで済むだろう」 「そうは行くまい」と碌さんが反対する。 「そうかな。じゃ一日かな」 「一日や二日で奇麗に抜けるなら訳はない」 「そうさ、ことによると一週間もかかるかね。見たまえ、あの丁寧に顋を撫で廻しながら抜いてるのを」 「あれじゃ。古いのを抜いちまわないうちに、新しいのが生えるかも知れないね」 「とにかく痛い事だろう」と圭さんは話頭を転じた。 「痛いに違いないね。忠告してやろうか」 「なんて」 「よせってさ」 「余計な事だ。それより幾日掛ったら、みんな抜けるか聞いて見ようじゃないか」 「うん、よかろう。君が聞くんだよ」 「僕はいやだ、君が聞くのさ」 「聞いても好いがつまらないじゃないか」 「だから、まあ、よそうよ」と圭さんは自己の申し出しを惜気もなし撤回した。  一度途切れた村鍛冶の音は、今日山里に立つ秋を、幾重の稲妻に砕くつもりか、かあんかあんと澄み切った空の底に響き渡る。 「あの音を聞くと、どうしても豆腐屋の音が思い出される」と圭さんが腕組をしながら云う。 「全体豆腐屋の子がどうして、そんなになったもんだね」 「豆腐屋の子がどんなになったのさ」 「だって豆腐屋らしくないじゃないか」 「豆腐屋だって、肴屋だって――なろうと思えば、何にでもなれるさ」 「そうさな、つまり頭だからね」 「頭ばかりじゃない。世の中には頭のいい豆腐屋が何人いるか分らない。それでも生涯豆腐屋さ。気の毒なものだ」 「それじゃ何だい」と碌さんが小供らしく質問する。 「何だって君、やっぱりなろうと思うのさ」 「なろうと思ったって、世の中がしてくれないのがだいぶあるだろう」 「だから気の毒だと云うのさ。不公平な世の中に生れれば仕方がないから、世の中がしてくれなくても何でも、自分でなろうと思うのさ」 「思って、なれなければ?」 「なれなくっても何でも思うんだ。思ってるうちに、世の中が、してくれるようになるんだ」と圭さんは横着を云う。 「そう注文通りに行けば結構だ。ハハハハ」 「だって僕は今日までそうして来たんだもの」 「だから君は豆腐屋らしくないと云うのだよ」 「これから先、また豆腐屋らしくなってしまうかも知れないかな。厄介だな。ハハハハ」 「なったら、どうするつもりだい」 「なれば世の中がわるいのさ。不公平な世の中を公平にしてやろうと云うのに、世の中が云う事をきかなければ、向の方が悪いのだろう」 「しかし世の中も何だね、君、豆腐屋がえらくなるようなら、自然えらい者が豆腐屋になる訳だね」 「えらい者た、どんな者だい」 「えらい者って云うのは、何さ。例えば華族とか金持とか云うものさ」と碌さんはすぐ様えらい者を説明してしまう。 「うん華族や金持か、ありゃ今でも豆腐屋じゃないか、君」 「その豆腐屋連が馬車へ乗ったり、別荘を建てたりして、自分だけの世の中のような顔をしているから駄目だよ」 「だから、そんなのは、本当の豆腐屋にしてしまうのさ」 「こっちがする気でも向がならないやね」 「ならないのをさせるから、世の中が公平になるんだよ」 「公平に出来れば結構だ。大いにやりたまえ」 「やりたまえじゃいけない。君もやらなくっちゃあ。――ただ、馬車へ乗ったり、別荘を建てたりするだけならいいが、むやみに人を圧逼するぜ、ああ云う豆腐屋は。自分が豆腐屋の癖に」と圭さんはそろそろ慷慨し始める。 「君はそんな目に逢った事があるのかい」  圭さんは腕組をしたままふふんと云った。村鍛冶の音は不相変かあんかあんと鳴る。 「まだ、かんかん遣ってる。――おい僕の腕は太いだろう」と圭さんは突然腕まくりをして、黒い奴を碌さんの前に圧しつけた。 「君の腕は昔から太いよ。そうして、いやに黒いね。豆を磨いた事があるのかい」 「豆も磨いた、水も汲んだ。――おい、君粗忽で人の足を踏んだらどっちが謝まるものだろう」 「踏んだ方が謝まるのが通則のようだな」 「突然、人の頭を張りつけたら?」 「そりゃ気違だろう」 「気狂なら謝まらないでもいいものかな」 「そうさな。謝まらさす事が出来れば、謝まらさす方がいいだろう」 「それを気違の方で謝まれって云うのは驚ろくじゃないか」 「そんな気違があるのかい」 「今の豆腐屋連はみんな、そう云う気違ばかりだよ。人を圧迫した上に、人に頭を下げさせようとするんだぜ。本来なら向が恐れ入るのが人間だろうじゃないか、君」 「無論それが人間さ。しかし気違の豆腐屋なら、うっちゃって置くよりほかに仕方があるまい」  圭さんは再びふふんと云った。しばらくして、 「そんな気違を増長させるくらいなら、世の中に生れて来ない方がいい」と独り言のようにつけた。  村鍛冶の音は、会話が切れるたびに静かな里の端から端までかあんかあんと響く。 「しきりにかんかんやるな。どうも、あの音は寒磬寺の鉦に似ている」 「妙に気に掛るんだね。その寒磬寺の鉦の音と、気違の豆腐屋とでも何か関係があるのかい。――全体君が豆腐屋の伜から、今日までに変化した因縁はどう云う筋道なんだい。少し話して聞かせないか」 「聞かせてもいいが、何だか寒いじゃないか。ちょいと夕飯前に温泉に這入ろう。君いやか」 「うん這入ろう」  圭さんと碌さんは手拭をぶら下げて、庭へ降りる。棕梠緒の貸下駄には都らしく宿の焼印が押してある。         二 「この湯は何に利くんだろう」と豆腐屋の圭さんが湯槽のなかで、ざぶざぶやりながら聞く。 「何に利くかなあ。分析表を見ると、何にでも利くようだ。――君そんなに、臍ばかりざぶざぶ洗ったって、出臍は癒らないぜ」 「純透明だね」と出臍の先生は、両手に温泉を掬んで、口へ入れて見る。やがて、 「味も何もない」と云いながら、流しへ吐き出した。 「飲んでもいいんだよ」と碌さんはがぶがぶ飲む。  圭さんは臍を洗うのをやめて、湯槽の縁へ肘をかけて漫然と、硝子越しに外を眺めている。碌さんは首だけ湯に漬かって、相手の臍から上を見上げた。 「どうも、いい体格だ。全く野生のままだね」 「豆腐屋出身だからなあ。体格が悪るいと華族や金持ちと喧嘩は出来ない。こっちは一人向は大勢だから」 「さも喧嘩の相手があるような口振だね。当の敵は誰だい」 「誰でも構わないさ」 「ハハハ呑気なもんだ。喧嘩にも強そうだが、足の強いのには驚いたよ。君といっしょでなければ、きのうここまでくる勇気はなかったよ。実は途中で御免蒙ろうかと思った」 「実際少し気の毒だったね。あれでも僕はよほど加減して、歩行いたつもりだ」 「本当かい? はたして本当ならえらいものだ。――何だか怪しいな。すぐ付け上がるからいやだ」 「ハハハ付け上がるものか。付け上がるのは華族と金持ばかりだ」 「また華族と金持ちか。眼の敵だね」 「金はなくっても、こっちは天下の豆腐屋だ」 「そうだ、いやしくも天下の豆腐屋だ。野生の腕力家だ」 「君、あの窓の外に咲いている黄色い花は何だろう」  碌さんは湯の中で首を捩じ向ける。 「かぼちゃさ」 「馬鹿あ云ってる。かぼちゃは地の上を這ってるものだ。あれは竹へからまって、風呂場の屋根へあがっているぜ」 「屋根へ上がっちゃ、かぼちゃになれないかな」 「だっておかしいじゃないか、今頃花が咲くのは」 「構うものかね、おかしいたって、屋根にかぼちゃの花が咲くさ」 「そりゃ唄かい」 「そうさな、前半は唄のつもりでもなかったんだが、後半に至って、つい唄になってしまったようだ」 「屋根にかぼちゃが生るようだから、豆腐屋が馬車なんかへ乗るんだ。不都合千万だよ」 「また慷慨か、こんな山の中へ来て慷慨したって始まらないさ。それより早く阿蘇へ登って噴火口から、赤い岩が飛び出すところでも見るさ。――しかし飛び込んじゃ困るぜ。――何だか少し心配だな」 「噴火口は実際猛烈なものだろうな。何でも、沢庵石のような岩が真赤になって、空の中へ吹き出すそうだぜ。それが三四町四方一面に吹き出すのだから壮んに違ない。――あしたは早く起きなくっちゃ、いけないよ」 「うん、起きる事は起きるが山へかかってから、あんなに早く歩行いちゃ、御免だ」と碌さんはすぐ予防線を張った。 「ともかくも六時に起きて……」 「六時に起きる?」 「六時に起きて、七時半に湯から出て、八時に飯を食って、八時半に便所から出て、そうして宿を出て、十一時に阿蘇神社へ参詣して、十二時から登るのだ」 「へえ、誰が」 「僕と君がさ」 「何だか君一人りで登るようだぜ」 「なに構わない」 「ありがたい仕合せだ。まるで御供のようだね」 「うふん。時に昼は何を食うかな。やっぱり饂飩にして置くか」と圭さんが、あすの昼飯の相談をする。 「饂飩はよすよ。ここいらの饂飩はまるで杉箸を食うようで腹が突張ってたまらない」 「では蕎麦か」 「蕎麦も御免だ。僕は麺類じゃ、とても凌げない男だから」 「じゃ何を食うつもりだい」 「何でも御馳走が食いたい」 「阿蘇の山の中に御馳走があるはずがないよ。だからこの際、ともかくも饂飩で間に合せて置いて……」 「この際は少し変だぜ。この際た、どんな際なんだい」 「剛健な趣味を養成するための旅行だから……」 「そんな旅行なのかい。ちっとも知らなかったぜ。剛健はいいが饂飩は平に不賛成だ。こう見えても僕は身分が好いんだからね」 「だから柔弱でいけない。僕なぞは学資に窮した時、一日に白米二合で間に合せた事がある」 「痩せたろう」と碌さんが気の毒な事を聞く。 「そんなに痩せもしなかったがただ虱が湧いたには困った。――君、虱が湧いた事があるかい」 「僕はないよ。身分が違わあ」 「まあ経験して見たまえ。そりゃ容易に猟り尽せるもんじゃないぜ」 「煮え湯で洗濯したらよかろう」 「煮え湯? 煮え湯ならいいかも知れない。しかし洗濯するにしてもただでは出来ないからな」 「なあるほど、銭が一文もないんだね」 「一文もないのさ」 「君どうした」 「仕方がないから、襯衣を敷居の上へ乗せて、手頃な丸い石を拾って来て、こつこつ叩いた。そうしたら虱が死なないうちに、襯衣が破れてしまった」 「おやおや」 「しかもそれを宿のかみさんが見つけて、僕に退去を命じた」 「さぞ困ったろうね」 「なあに困らんさ、そんな事で困っちゃ、今日まで生きていられるものか。これから追い追い華族や金持ちを豆腐屋にするんだからな。滅多に困っちゃ仕方がない」 「すると僕なんぞも、今に、とおふい、油揚、がんもどきと怒鳴って、あるかなくっちゃならないかね」 「華族でもない癖に」 「まだ華族にはならないが、金はだいぶあるよ」 「あってもそのくらいじゃ駄目だ」 「このくらいじゃ豆腐いと云う資格はないのかな。大に僕の財産を見縊ったね」 「時に君、背中を流してくれないか」 「僕のも流すのかい」 「流してもいいさ。隣りの部屋の男も流しくらをやってたぜ、君」 「隣りの男の背中は似たり寄ったりだから公平だが、君の背中と、僕の背中とはだいぶ面積が違うから損だ」 「そんな面倒な事を云うなら一人で洗うばかりだ」と圭さんは、両足を湯壺の中にうんと踏ん張って、ぎゅうと手拭をしごいたと思ったら、両端を握ったまま、ぴしゃりと、音を立てて斜に膏切った背中へあてがった。やがて二の腕へ力瘤が急に出来上がると、水を含んだ手拭は、岡のように肉づいた背中をぎちぎち磨り始める。  手拭の運動につれて、圭さんの太い眉がくしゃりと寄って来る。鼻の穴が三角形に膨脹して、小鼻が勃として左右に展開する。口は腹を切る時のように堅く喰締ったまま、両耳の方まで割けてくる。 「まるで仁王のようだね。仁王の行水だ。そんな猛烈な顔がよくできるね。こりゃ不思議だ。そう眼をぐりぐりさせなくっても、背中は洗えそうなものだがね」  圭さんは何にも云わずに一生懸命にぐいぐい擦る。擦っては時々、手拭を温泉に漬けて、充分水を含ませる。含ませるたんびに、碌さんの顔へ、汗と膏と垢と温泉の交ったものが十五六滴ずつ飛んで来る。 「こいつは降参だ。ちょっと失敬して、流しの方へ出るよ」と碌さんは湯槽を飛び出した。飛び出しはしたものの、感心の極、流しへ突っ立ったまま、茫然として、仁王の行水を眺めている。 「あの隣りの客は元来何者だろう」と圭さんが槽のなかから質問する。 「隣りの客どころじゃない。その顔は不思議だよ」 「もう済んだ。ああ好い心持だ」と圭さん、手拭の一端を放すや否や、ざぶんと温泉の中へ、石のように大きな背中を落す。満槽の湯は一度に面喰って、槽の底から大恐惶を持ち上げる。ざあっざあっと音がして、流しへ溢れだす。 「ああいい心持ちだ」と圭さんは波のなかで云った。 「なるほどそう遠慮なしに振舞ったら、好い心持に相違ない。君は豪傑だよ」 「あの隣りの客は竹刀と小手の事ばかり云ってるじゃないか。全体何者だい」と圭さんは呑気なものだ。 「君が華族と金持ちの事を気にするようなものだろう」 「僕のは深い原因があるのだが、あの客のは何だか訳が分らない」 「なに自分じゃあ、あれで分ってるんだよ。――そこでその小手を取られたんだあね――」と碌さんが隣りの真似をする。 「ハハハハそこでそら竹刀を落したんだあねか。ハハハハ。どうも気楽なものだ」と圭さんも真似して見る。 「なにあれでも、実は慷慨家かも知れない。そらよく草双紙にあるじゃないか。何とかの何々、実は海賊の張本毛剃九右衛門て」 「海賊らしくもないぜ。さっき温泉に這入りに来る時、覗いて見たら、二人共木枕をして、ぐうぐう寝ていたよ」 「木枕をして寝られるくらいの頭だから、そら、そこで、その、小手を取られるんだあね」と碌さんは、まだ真似をする。 「竹刀も取られるんだあねか。ハハハハ。何でも赤い表紙の本を胸の上へ載せたまんま寝ていたよ」 「その赤い本が、何でもその、竹刀を落したり、小手を取られるんだあね」と碌さんは、どこまでも真似をする。 「何だろう、あの本は」 「伊賀の水月さ」と碌さんは、躊躇なく答えた。 「伊賀の水月? 伊賀の水月た何だい」 「伊賀の水月を知らないのかい」 「知らない。知らなければ恥かな」と圭さんはちょっと首を捻った。 「恥じゃないが話せないよ」 「話せない? なぜ」 「なぜって、君、荒木又右衛門を知らないか」 「うん、又右衛門か」 「知ってるのかい」と碌さんまた湯の中へ這入る。圭さんはまた槽のなかへ突立った。 「もう仁王の行水は御免だよ」 「もう大丈夫、背中はあらわない。あまり這入ってると逆上るから、時々こう立つのさ」 「ただ立つばかりなら、安心だ。――それで、その、荒木又右衛門を知ってるかい」 「又右衛門? そうさ、どこかで聞いたようだね。豊臣秀吉の家来じゃないか」と圭さん、飛んでもない事を云う。 「ハハハハこいつはあきれた。華族や金持ちを豆腐屋にするだなんて、えらい事を云うが、どうも何も知らないね」 「じゃ待った。少し考えるから。又右衛門だね。又右衛門、荒木又右衛門だね。待ちたまえよ、荒木の又右衛門と。うん分った」 「何だい」 「相撲取だ」 「ハハハハ荒木、ハハハハ荒木、又ハハハハ又右衛門が、相撲取り。いよいよ、あきれてしまった。実に無識だね。ハハハハ」と碌さんは大恐悦である。 「そんなにおかしいか」 「おかしいって、誰に聞かしたって笑うぜ」 「そんなに有名な男か」 「そうさ、荒木又右衛門じゃないか」 「だから僕もどこかで聞いたように思うのさ」 「そら、落ち行く先きは九州相良って云うじゃないか」 「云うかも知れんが、その句は聞いた事がないようだ」 「困った男だな」 「ちっとも困りゃしない。荒木又右衛門ぐらい知らなくったって、毫も僕の人格には関係はしまい。それよりも五里の山路が苦になって、やたらに不平を並べるような人が困った男なんだ」 「腕力や脚力を持ち出されちゃ駄目だね。とうてい叶いっこない。そこへ行くと、どうしても豆腐屋出身の天下だ。僕も豆腐屋へ年期奉公に住み込んで置けばよかった」 「君は第一平生から惰弱でいけない。ちっとも意志がない」 「これでよっぽど有るつもりなんだがな。ただ饂飩に逢った時ばかりは全く意志が薄弱だと、自分ながら思うね」 「ハハハハつまらん事を云っていらあ」 「しかし豆腐屋にしちゃ、君のからだは奇麗過ぎるね」 「こんなに黒くってもかい」 「黒い白いは別として、豆腐屋は大概箚青があるじゃないか」 「なぜ」 「なぜか知らないが、箚青があるもんだよ。君、なぜほらなかった」 「馬鹿あ云ってらあ。僕のような高尚な男が、そんな愚な真似をするものか。華族や金持がほれば似合うかも知れないが、僕にはそんなものは向かない。荒木又右衛門だって、ほっちゃいまい」 「荒木又右衛門か。そいつは困ったな。まだそこまでは調べが届いていないからね」 「そりゃどうでもいいが、ともかくもあしたは六時に起きるんだよ」 「そうして、ともかくも饂飩を食うんだろう。僕の意志の薄弱なのにも困るかも知れないが、君の意志の強固なのにも辟易するよ。うちを出てから、僕の云う事は一つも通らないんだからな。全く唯々諾々として命令に服しているんだ。豆腐屋主義はきびしいもんだね」 「なにこのくらい強硬にしないと増長していけない」 「僕がかい」 「なあに世の中の奴らがさ。金持ちとか、華族とか、なんとかかとか、生意気に威張る奴らがさ」 「しかしそりゃ見当違だぜ。そんなものの身代りに僕が豆腐屋主義に屈従するなたまらない。どうも驚ろいた。以来君と旅行するのは御免だ」 「なあに構わんさ」 「君は構わなくってもこっちは大いに構うんだよ。その上旅費は奇麗に折半されるんだから、愚の極だ」 「しかし僕の御蔭で天地の壮観たる阿蘇の噴火口を見る事ができるだろう」 「可愛想に。一人だって阿蘇ぐらい登れるよ」 「しかし華族や金持なんて存外意気地がないもんで……」 「また身代りか、どうだい身代りはやめにして、本当の華族や金持ちの方へ持って行ったら」 「いずれ、その内持ってくつもりだがね。――意気地がなくって、理窟がわからなくって、個人としちゃあ三文の価値もないもんだ」 「だから、どしどし豆腐屋にしてしまうさ」 「その内、してやろうと思ってるのさ」 「思ってるだけじゃ剣呑なものだ」 「なあに年が年中思っていりゃ、どうにかなるもんだ」 「随分気が長いね。もっとも僕の知ったものにね。虎列拉になるなると思っていたら、とうとう虎列拉になったものがあるがね。君のもそう、うまく行くと好いけれども」 「時にあの髯を抜いてた爺さんが手拭をさげてやって来たぜ」 「ちょうど好いから君一つ聞いて見たまえ」 「僕はもう湯気に上がりそうだから、出るよ」 「まあ、いいさ、出ないでも。君がいやなら僕が聞いて見るから、もう少し這入っていたまえ」 「おや、あとから竹刀と小手がいっしょに来たぜ」 「どれ。なるほど、揃って来た。あとから、まだ来るぜ。やあ婆さんが来た。婆さんも、この湯槽へ這入るのかな」 「僕はともかくも出るよ」 「婆さんが這入るなら、僕もともかくも出よう」  風呂場を出ると、ひやりと吹く秋風が、袖口からすうと這入って、素肌を臍のあたりまで吹き抜けた。出臍の圭さんは、はっくしょうと大きな苦沙弥を無遠慮にやる。上がり口に白芙蓉が五六輪、夕暮の秋を淋しく咲いている。見上げる向では阿蘇の山がごううごううと遠くながら鳴っている。 「あすこへ登るんだね」と碌さんが云う。 「鳴ってるぜ。愉快だな」と圭さんが云う。         三 「姉さん、この人は肥ってるだろう」 「だいぶん肥えていなはります」 「肥えてるって、おれは、これで豆腐屋だもの」 「ホホホ」 「豆腐屋じゃおかしいかい」 「豆腐屋の癖に西郷隆盛のような顔をしているからおかしいんだよ。時にこう、精進料理じゃ、あした、御山へ登れそうもないな」 「また御馳走を食いたがる」 「食いたがるって、これじゃ営養不良になるばかりだ」 「なにこれほど御馳走があればたくさんだ。――湯葉に、椎茸に、芋に、豆腐、いろいろあるじゃないか」 「いろいろある事はあるがね。ある事は君の商売道具まであるんだが――困ったな。昨日は饂飩ばかり食わせられる。きょうは湯葉に椎茸ばかりか。ああああ」 「君この芋を食って見たまえ。掘りたてですこぶる美味だ」 「すこぶる剛健な味がしやしないか――おい姉さん、肴は何もないのかい」 「あいにく何もござりまっせん」 「ござりまっせんは弱ったな。じゃ玉子があるだろう」 「玉子ならござりまっす」 「その玉子を半熟にして来てくれ」 「何に致します」 「半熟にするんだ」 「煮て参じますか」 「まあ煮るんだが、半分煮るんだ。半熟を知らないか」 「いいえ」 「知らない?」 「知りまっせん」 「どうも辟易だな」 「何でござりまっす」 「何でもいいから、玉子を持って御出。それから、おい、ちょっと待った。君ビールを飲むか」 「飲んでもいい」と圭さんは泰然たる返事をした。 「飲んでもいいか、それじゃ飲まなくってもいいんだ。――よすかね」 「よさなくっても好い。ともかくも少し飲もう」 「ともかくもか、ハハハ。君ほど、ともかくもの好きな男はないね。それで、あしたになると、ともかくも饂飩を食おうと云うんだろう。――姉さん、ビールもついでに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分ったろうね」 「ビールはござりまっせん」 「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。情ない所だ」 「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶をする。 「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」 「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」 「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎に這入ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。 「ねえ」と下女は肥後訛りの返事をする。 「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」 「ねえ」  下女は心得貌に起って行く。幅の狭い唐縮緬をちょきり結びに御臀の上へ乗せて、絣の筒袖をつんつるてんに着ている。髪だけは一種異様の束髪に、だいぶ碌さんと圭さんの胆を寒からしめたようだ。 「あの下女は異彩を放ってるね」と碌さんが云うと、圭さんは平気な顔をして、 「そうさ」と何の苦もなく答えたが、 「単純でいい女だ」とあとへ、持って来て、木に竹を接いだようにつけた。 「剛健な趣味がありゃしないか」 「うん。実際田舎者の精神に、文明の教育を施すと、立派な人物が出来るんだがな。惜しい事だ」 「そんなに惜しけりゃ、あれを東京へ連れて行って、仕込んで見るがいい」 「うん、それも好かろう。しかしそれより前に文明の皮を剥かなくっちゃ、いけない」 「皮が厚いからなかなか骨が折れるだろう」と碌さんは水瓜のような事を云う。 「折れても何でも剥くのさ。奇麗な顔をして、下卑た事ばかりやってる。それも金がない奴だと、自分だけで済むのだが、身分がいいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓延させるからね。大変な害毒だ。しかも身分がよかったり、金があったりするものに、よくこう云う性根の悪い奴があるものだ」 「しかも、そんなのに限って皮がいよいよ厚いんだろう」 「体裁だけはすこぶる美事なものさ。しかし内心はあの下女よりよっぽどすれているんだから、いやになってしまう」 「そうかね。じゃ、僕もこれから、ちと剛健党の御仲間入りをやろうかな」 「無論の事さ。だからまず第一着にあした六時に起きて……」 「御昼に饂飩を食ってか」 「阿蘇の噴火口を観て……」 「癇癪を起して飛び込まないように要心をしてか」 「もっとも崇高なる天地間の活力現象に対して、雄大の気象を養って、齷齪たる塵事を超越するんだ」 「あんまり超越し過ぎるとあとで世の中が、いやになって、かえって困るぜ。だからそこのところは好加減に超越して置く事にしようじゃないか。僕の足じゃとうていそうえらく超越出来そうもないよ」 「弱い男だ」  筒袖の下女が、盆の上へ、麦酒を一本、洋盃を二つ、玉子を四個、並べつくして持ってくる。 「そら恵比寿が来た。この恵比寿がビールでないんだから面白い。さあ一杯飲むかい」と碌さんが相手に洋盃を渡す。 「うん、ついでにその玉子を二つ貰おうか」と圭さんが云う。 「だって玉子は僕が誂らえたんだぜ」 「しかし四つとも食う気かい」 「あしたの饂飩が気になるから、このうち二個は携帯して行こうと思うんだ」 「うん、そんなら、よそう」と圭さんはすぐ断念する。 「よすとなると気の毒だから、まあ上げよう。本来なら剛健党が玉子なんぞを食うのは、ちと贅沢の沙汰だが、可哀想でもあるから、――さあ食うがいい。――姉さん、この恵比寿はどこでできるんだね」 「おおかた熊本でござりまっしょ」 「ふん、熊本製の恵比寿か、なかなか旨いや。君どうだ、熊本製の恵比寿は」 「うん。やっぱり東京製と同じようだ。――おい、姉さん、恵比寿はいいが、この玉子は生だぜ」と玉子を割った圭さんはちょっと眉をひそめた。 「ねえ」 「生だと云うのに」 「ねえ」 「何だか要領を得ないな。君、半熟を命じたんじゃないか。君のも生か」と圭さんは下女を捨てて、碌さんに向ってくる。 「半熟を命じて不熟を得たりか。僕のを一つ割って見よう。――おやこれは駄目だ……」 「うで玉子か」と圭さんは首を延して相手の膳の上を見る。 「全熟だ。こっちのはどうだ。――うん、これも全熟だ。――姉さん、これは、うで玉子じゃないか」と今度は碌さんが下女にむかう。 「ねえ」 「そうなのか」 「ねえ」 「なんだか言葉の通じない国へ来たようだな。――向うの御客さんのが生玉子で、おれのは、うで玉子なのかい」 「ねえ」 「なぜ、そんな事をしたのだい」 「半分煮て参じました」 「なあるほど。こりゃ、よく出来てらあ。ハハハハ、君、半熟のいわれが分ったか」と碌さん横手を打つ。 「ハハハハ単純なものだ」 「まるで落し噺し見たようだ」 「間違いましたか。そちらのも煮て参じますか」 「なにこれでいいよ。――姉さん、ここから、阿蘇まで何里あるかい」と圭さんが玉子に関係のない方面へ出て来た。 「ここが阿蘇でござりまっす」 「ここが阿蘇なら、あした六時に起きるがものはない。もう二三日逗留して、すぐ熊本へ引き返そうじゃないか」と碌さんがすぐ云う。 「どうぞ、いつまでも御逗留なさいまっせ」 「せっかく、姉さんも、ああ云って勧めるものだから、どうだろう、いっそ、そうしたら」と碌さんが圭さんの方を向く。圭さんは相手にしない。 「ここも阿蘇だって、阿蘇郡なんだろう」とやはり下女を追窮している。 「ねえ」 「じゃ阿蘇の御宮まではどのくらいあるかい」 「御宮までは三里でござりまっす」 「山の上までは」 「御宮から二里でござりますたい」 「山の上はえらいだろうね」と碌さんが突然飛び出してくる。 「ねえ」 「御前登った事があるかい」 「いいえ」 「じゃ知らないんだね」 「いいえ、知りまっせん」 「知らなけりゃ、しようがない。せっかく話を聞こうと思ったのに」 「御山へ御登りなさいますか」 「うん、早く登りたくって、仕方がないんだ」と圭さんが云うと、 「僕は登りたくなくって、仕方がないんだ」と碌さんが打ち壊わした。 「ホホホそれじゃ、あなただけ、ここへ御逗留なさいまっせ」 「うん、ここで寝転んで、あのごうごう云う音を聞いている方が楽なようだ。ごうごうと云やあ、さっきより、だいぶ烈しくなったようだぜ、君」 「そうさ、だいぶ、強くなった。夜のせいだろう」 「御山が少し荒れておりますたい」 「荒れると烈しく鳴るのかね」 「ねえ。そうしてよながたくさんに降って参りますたい」 「よなた何だい」 「灰でござりまっす」  下女は障子をあけて、椽側へ人指しゆびを擦りつけながら、 「御覧なさりまっせ」と黒い指先を出す。 「なるほど、始終降ってるんだ。きのうは、こんなじゃなかったね」と圭さんが感心する。 「ねえ。少し御山が荒れておりますたい」 「おい君、いくら荒れても登る気かね。荒れ模様なら少々延ばそうじゃないか」 「荒れればなお愉快だ。滅多に荒れたところなんぞが見られるものじゃない。荒れる時と、荒れない時は火の出具合が大変違うんだそうだ。ねえ、姉さん」 「ねえ、今夜は大変赤く見えます。ちょと出て御覧なさいまっせ」  どれと、圭さんはすぐ椽側へ飛び出す。 「いやあ、こいつは熾だ。おい君早く出て見たまえ。大変だよ」 「大変だ? 大変じゃ出て見るかな。どれ。――いやあ、こいつは――なるほどえらいものだね――あれじゃとうてい駄目だ」 「何が」 「何がって、――登る途中で焼き殺されちまうだろう」 「馬鹿を云っていらあ。夜だから、ああ見えるんだ。実際昼間から、あのくらいやってるんだよ。ねえ、姉さん」 「ねえ」 「ねえかも知れないが危険だぜ。ここにこうしていても何だか顔が熱いようだ」と碌さんは、自分の頬ぺたを撫で廻す。 「大袈裟な事ばかり云う男だ」 「だって君の顔だって、赤く見えるぜ。そらそこの垣の外に広い稲田があるだろう。あの青い葉が一面に、こう照らされているじゃないか」 「嘘ばかり、あれは星のひかりで見えるのだ」 「星のひかりと火のひかりとは趣が違うさ」 「どうも、君もよほど無学だね。君、あの火は五六里先きにあるのだぜ」 「何里先きだって、向うの方の空が一面に真赤になってるじゃないか」と碌さんは向をゆびさして大きな輪を指の先で描いて見せる。 「よるだもの」 「夜だって……」 「君は無学だよ。荒木又右衛門は知らなくっても好いが、このくらいな事が分らなくっちゃ恥だぜ」と圭さんは、横から相手の顔を見た。 「人格にかかわるかね。人格にかかわるのは我慢するが、命にかかわっちゃ降参だ」 「まだあんな事を云っている。――じゃ姉さんに聞いて見るがいい。ねえ姉さん。あのくらい火が出たって、御山へは登れるんだろう」 「ねえい」 「大丈夫かい」と碌さんは下女の顔を覗き込む。 「ねえい。女でも登りますたい」 「女でも登っちゃ、男は是非登る訳かな。飛んだ事になったもんだ」 「ともかくも、あしたは六時に起きて……」 「もう分ったよ」  言い棄てて、部屋のなかに、ごろりと寝転んだ、碌さんの去ったあとに、圭さんは、黙然と、眉を軒げて、奈落から半空に向って、真直に立つ火の柱を見詰めていた。         四 「おいこれから曲がっていよいよ登るんだろう」と圭さんが振り返る。 「ここを曲がるかね」 「何でも突き当りに寺の石段が見えるから、門を這入らずに左へ廻れと教えたぜ」 「饂飩屋の爺さんがか」と碌さんはしきりに胸を撫で廻す。 「そうさ」 「あの爺さんが、何を云うか分ったもんじゃない」 「なぜ」 「なぜって、世の中に商売もあろうに、饂飩屋になるなんて、第一それからが不了簡だ」 「饂飩屋だって正業だ。金を積んで、貧乏人を圧迫するのを道楽にするような人間より遥かに尊といさ」 「尊といかも知れないが、どうも饂飩屋は性に合わない。――しかし、とうとう饂飩を食わせられた今となって見ると、いくら饂飩屋の亭主を恨んでも後の祭りだから、まあ、我慢して、ここから曲がってやろう」 「石段は見えるが、あれが寺かなあ、本堂も何もないぜ」 「阿蘇の火で焼けちまったんだろう。だから云わない事じゃない。――おい天気が少々剣呑になって来たぜ」 「なに、大丈夫だ。天祐があるんだから」 「どこに」 「どこにでもあるさ。意思のある所には天祐がごろごろしているものだ」 「どうも君は自信家だ。剛健党になるかと思うと、天祐派になる。この次ぎには天誅組にでもなって筑波山へ立て籠るつもりだろう」 「なに豆腐屋時代から天誅組さ。――貧乏人をいじめるような――豆腐屋だって人間だ――いじめるって、何らの利害もないんだぜ、ただ道楽なんだから驚ろく」 「いつそんな目に逢ったんだい」 「いつでもいいさ。桀紂と云えば古来から悪人として通り者だが、二十世紀はこの桀紂で充満しているんだぜ、しかも文明の皮を厚く被ってるから小憎らしい」 「皮ばかりで中味のない方がいいくらいなものかな。やっぱり、金があり過ぎて、退屈だと、そんな真似がしたくなるんだね。馬鹿に金を持たせると大概桀紂になりたがるんだろう。僕のような有徳の君子は貧乏だし、彼らのような愚劣な輩は、人を苦しめるために金銭を使っているし、困った世の中だなあ。いっそ、どうだい、そう云う、ももんがあを十把一とからげにして、阿蘇の噴火口から真逆様に地獄の下へ落しちまったら」 「今に落としてやる」と圭さんは薄黒く渦巻く煙りを仰いで、草鞋足をうんと踏張った。 「大変な権幕だね。君、大丈夫かい。十把一とからげを放り込まないうちに、君が飛び込んじゃいけないぜ」 「あの音は壮烈だな」 「足の下が、もう揺れているようだ。――おいちょっと、地面へ耳をつけて聞いて見たまえ」 「どんなだい」 「非常な音だ。たしかに足の下がうなってる」 「その割に煙りがこないな」 「風のせいだ。北風だから、右へ吹きつけるんだ」 「樹が多いから、方角が分らない。もう少し登ったら見当がつくだろう」  しばらくは雑木林の間を行く。道幅は三尺に足らぬ。いくら仲が善くても並んで歩行く訳には行かぬ。圭さんは大きな足を悠々と振って先へ行く。碌さんは小さな体躯をすぼめて、小股に後から尾いて行く。尾いて行きながら、圭さんの足跡の大きいのに感心している。感心しながら歩行いて行くと、だんだんおくれてしまう。  路は左右に曲折して爪先上りだから、三十分と立たぬうちに、圭さんの影を見失った。樹と樹の間をすかして見ても何にも見えぬ。山を下りる人は一人もない。上るものにも全く出合わない。ただ所々に馬の足跡がある。たまに草鞋の切れが茨にかかっている。そのほかに人の気色はさらにない、饂飩腹の碌さんは少々心細くなった。  きのうの澄み切った空に引き易えて、今朝宿を立つ時からの霧模様には少し掛念もあったが、晴れさえすればと、好い加減な事を頼みにして、とうとう阿蘇の社までは漕ぎつけた。白木の宮に禰宜の鳴らす柏手が、森閑と立つ杉の梢に響いた時、見上げる空から、ぽつりと何やら額に落ちた。饂飩を煮る湯気が障子の破れから、吹いて、白く右へ靡いた頃から、午過ぎは雨かなとも思われた。  雑木林を小半里ほど来たら、怪しい空がとうとう持ち切れなくなったと見えて、梢にしたたる雨の音が、さあと北の方へ走る。あとから、すぐ新しい音が耳を掠めて、翻える木の葉と共にまた北の方へ走る。碌さんは首を縮めて、えっと舌打ちをした。  一時間ほどで林は尽きる。尽きると云わんよりは、一度に消えると云う方が適当であろう。ふり返る、後は知らず、貫いて来た一筋道のほかは、東も西も茫々たる青草が波を打って幾段となく連なる後から、むくむくと黒い煙りが持ち上がってくる。噴火口こそ見えないが、煙りの出るのは、つい鼻の先である。  林が尽きて、青い原を半丁と行かぬ所に、大入道の圭さんが空を仰いで立っている。蝙蝠傘は畳んだまま、帽子さえ、被らずに毬栗頭をぬっくと草から上へ突き出して地形を見廻している様子だ。 「おうい。少し待ってくれ」 「おうい。荒れて来たぞ。荒れて来たぞうう。しっかりしろう」 「しっかりするから、少し待ってくれえ」と碌さんは一生懸命に草のなかを這い上がる。ようやく追いつく碌さんを待ち受けて、 「おい何をぐずぐずしているんだ」と圭さんが遣っつける。 「だから饂飩じゃ駄目だと云ったんだ。ああ苦しい。――おい君の顔はどうしたんだ。真黒だ」 「そうか、君のも真黒だ」  圭さんは、無雑作に白地の浴衣の片袖で、頭から顔を撫で廻す。碌さんは腰から、ハンケチを出す。 「なるほど、拭くと、着物がどす黒くなる」 「僕のハンケチも、こんなだ」 「ひどいものだな」と圭さんは雨のなかに坊主頭を曝しながら、空模様を見廻す。 「よなだ。よなが雨に溶けて降ってくるんだ。そら、その薄の上を見たまえ」と碌さんが指をさす。長い薄の葉は一面に灰を浴びて濡れながら、靡く。 「なるほど」 「困ったな、こりゃ」 「なあに大丈夫だ。ついそこだもの。あの煙りの出る所を目当にして行けば訳はない」 「訳はなさそうだが、これじゃ路が分らないぜ」 「だから、さっきから、待っていたのさ。ここを左りへ行くか、右へ行くかと云う、ちょうど股の所なんだ」 「なるほど、両方共路になってるね。――しかし煙りの見当から云うと、左りへ曲がる方がよさそうだ」 「君はそう思うか。僕は右へ行くつもりだ」 「どうして」 「どうしてって、右の方には馬の足跡があるが、左の方には少しもない」 「そうかい」と碌さんは、身躯を前に曲げながら、蔽いかかる草を押し分けて、五六歩、左の方へ進んだが、すぐに取って返して、 「駄目のようだ。足跡は一つも見当らない」と云った。 「ないだろう」 「そっちにはあるかい」 「うん。たった二つある」 「二つぎりかい」 「そうさ。たった二つだ。そら、こことここに」と圭さんは繻子張の蝙蝠傘の先で、かぶさる薄の下に、幽かに残る馬の足跡を見せる。 「これだけかい心細いな」 「なに大丈夫だ」 「天祐じゃないか、君の天祐はあてにならない事夥しいよ」 「なにこれが天祐さ」と圭さんが云い了らぬうちに、雨を捲いて颯とおろす一陣の風が、碌さんの麦藁帽を遠慮なく、吹き込めて、五六間先まで飛ばして行く。眼に余る青草は、風を受けて一度に向うへ靡いて、見るうちに色が変ると思うと、また靡き返してもとの態に戻る。 「痛快だ。風の飛んで行く足跡が草の上に見える。あれを見たまえ」と圭さんが幾重となく起伏する青い草の海を指す。 「痛快でもないぜ。帽子が飛んじまった」 「帽子が飛んだ? いいじゃないか帽子が飛んだって。取ってくるさ。取って来てやろうか」  圭さんは、いきなり、自分の帽子の上へ蝙蝠傘を重しに置いて、颯と、薄の中に飛び込んだ。 「おいこの見当か」 「もう少し左りだ」  圭さんの身躯は次第に青いものの中に、深くはまって行く。しまいには首だけになった。あとに残った碌さんはまた心配になる。 「おうい。大丈夫か」 「何だあ」と向うの首から声が出る。 「大丈夫かよう」  やがて圭さんの首が見えなくなった。 「おうい」  鼻の先から出る黒煙りは鼠色の円柱の各部が絶間なく蠕動を起しつつあるごとく、むくむくと捲き上がって、半空から大気の裡に溶け込んで碌さんの頭の上へ容赦なく雨と共に落ちてくる。碌さんは悄然として、首の消えた方角を見つめている。  しばらくすると、まるで見当の違った半丁ほど先に、圭さんの首が忽然と現われた。 「帽子はないぞう」 「帽子はいらないよう。早く帰ってこうい」  圭さんは坊主頭を振り立てながら、薄の中を泳いでくる。 「おい、どこへ飛ばしたんだい」 「どこだか、相談が纏らないうちに飛ばしちまったんだ。帽子はいいが、歩行くのは厭になったよ」 「もういやになったのか。まだあるかないじゃないか」 「あの煙と、この雨を見ると、何だか物凄くって、あるく元気がなくなるね」 「今から駄々を捏ねちゃ仕方がない。――壮快じゃないか。あのむくむく煙の出てくるところは」 「そのむくむくが気味が悪るいんだ」 「冗談云っちゃ、いけない。あの煙の傍へ行くんだよ。そうして、あの中を覗き込むんだよ」 「考えると全く余計な事だね。そうして覗き込んだ上に飛び込めば世話はない」 「ともかくもあるこう」 「ハハハハともかくもか。君がともかくもと云い出すと、つい釣り込まれるよ。さっきもともかくもで、とうとう饂飩を食っちまった。これで赤痢にでも罹かれば全くともかくもの御蔭だ」 「いいさ、僕が責任を持つから」 「僕の病気の責任を持ったって、しようがないじゃないか。僕の代理に病気になれもしまい」 「まあ、いいさ。僕が看病をして、僕が伝染して、本人の君は助けるようにしてやるよ」 「そうか、それじゃ安心だ。まあ、少々あるくかな」 「そら、天気もだいぶよくなって来たよ。やっぱり天祐があるんだよ」 「ありがたい仕合せだ。あるく事はあるくが、今夜は御馳走を食わせなくっちゃ、いやだぜ」 「また御馳走か。あるきさえすればきっと食わせるよ」 「それから……」 「まだ何か注文があるのかい」 「うん」 「何だい」 「君の経歴を聞かせるか」 「僕の経歴って、君が知ってる通りさ」 「僕が知ってる前のさ。君が豆腐屋の小僧であった時分から……」 「小僧じゃないぜ、これでも豆腐屋の伜なんだ」 「その伜の時、寒磬寺の鉦の音を聞いて、急に金持がにくらしくなった、因縁話しをさ」 「ハハハハそんなに聞きたければ話すよ。その代り剛健党にならなくちゃいけないぜ。君なんざあ、金持の悪党を相手にした事がないから、そんなに呑気なんだ。君はディッキンスの両都物語りと云う本を読んだ事があるか」 「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」 「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」 「へえ、どんなものだい」 「そりゃ君、仏国の革命の起る前に、貴族が暴威を振って細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝ながら話してやろう」 「うん」 「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理窟だからね。ほら、あの轟々鳴って吹き出すのと同じ事さ」と圭さんは立ち留まって、黒い煙の方を見る。  濛々と天地を鎖す秋雨を突き抜いて、百里の底から沸き騰る濃いものが渦を捲き、渦を捲いて、幾百噸の量とも知れず立ち上がる。その幾百噸の煙りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものと共に頭の上へ躍り上がって来る。  雨と風のなかに、毛虫のような眉を攅めて、余念もなく眺めていた、圭さんが、非常な落ちついた調子で、 「雄大だろう、君」と云った。 「全く雄大だ」と碌さんも真面目で答えた。 「恐ろしいくらいだ」しばらく時をきって、碌さんが付け加えた言葉はこれである。 「僕の精神はあれだよ」と圭さんが云う。 「革命か」 「うん。文明の革命さ」 「文明の革命とは」 「血を流さないのさ」 「刀を使わなければ、何を使うのだい」  圭さんは、何にも云わずに、平手で、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二返叩いた。 「頭か」 「うん。相手も頭でくるから、こっちも頭で行くんだ」 「相手は誰だい」 「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴らさ」 「うん」 「社会の悪徳を公然商売にしている奴らさ」 「うん」 「商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ」 「うん」 「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしても叩きつけなければならん」 「うん」 「君もやれ」 「うん、やる」  圭さんは、のっそりと踵をめぐらした。碌さんは黙然として尾いて行く。空にあるものは、煙りと、雨と、風と雲である。地にあるものは青い薄と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみである。二人は煢々として無人の境を行く。  薄の高さは、腰を没するほどに延びて、左右から、幅、尺足らずの路を蔽うている。身を横にしても、草に触れずに進む訳には行かぬ。触れれば雨に濡れた灰がつく。圭さんも碌さんも、白地の浴衣に、白の股引に、足袋と脚絆だけを紺にして、濡れた薄をがさつかせて行く。腰から下はどぶ鼠のように染まった。腰から上といえども、降る雨に誘われて着く、よなを、一面に浴びたから、ほとんど下水へ落ち込んだと同様の始末である。  たださえ、うねり、くねっている路だから、草がなくっても、どこへどう続いているか見極めのつくものではない。草をかぶればなおさらである。地に残る馬の足跡さえ、ようやく見つけたくらいだから、あとの始末は無論天に任せて、あるいていると云わねばならぬ。  最初のうちこそ、立ち登る煙りを正面に見て進んだ路は、いつの間にやら、折れ曲って、次第に横からよなを受くるようになった。横に眺める噴火口が今度は自然に後ろの方に見えだした時、圭さんはぴたりと足を留めた。 「どうも路が違うようだね」 「うん」と碌さんは恨めしい顔をして、同じく立ち留った。 「何だか、情ない顔をしているね。苦しいかい」 「実際情けないんだ」 「どこか痛むかい」 「豆が一面に出来て、たまらない」 「困ったな。よっぽど痛いかい。僕の肩へつらまったら、どうだね。少しは歩行き好いかも知れない」 「うん」と碌さんは気のない返事をしたまま動かない。 「宿へついたら、僕が面白い話をするよ」 「全体いつ宿へつくんだい」 「五時には湯元へ着く予定なんだが、どうも、あの煙りは妙だよ。右へ行っても、左りへ行っても、鼻の先にあるばかりで、遠くもならなければ、近くもならない」 「上りたてから鼻の先にあるぜ」 「そうさな。もう少しこの路を行って見ようじゃないか」 「うん」 「それとも、少し休むか」 「うん」 「どうも、急に元気がなくなったね」 「全く饂飩の御蔭だよ」 「ハハハハ。その代り宿へ着くと僕が話しの御馳走をするよ」 「話しも聞きたくなくなった」 「それじゃまたビールでない恵比寿でも飲むさ」 「ふふん。この様子じゃ、とても宿へ着けそうもないぜ」 「なに、大丈夫だよ」 「だって、もう暗くなって来たぜ」 「どれ」と圭さんは懐中時計を出す。「四時五分前だ。暗いのは天気のせいだ。しかしこう方角が変って来ると少し困るな。山へ登ってから、もう二三里はあるいたね」 「豆の様子じゃ、十里くらいあるいてるよ」 「ハハハハ。あの煙りが前に見えたんだが、もうずっと、後ろになってしまった。すると我々は熊本の方へ二三里近付いた訳かね」 「つまり山からそれだけ遠ざかった訳さ」 「そう云えばそうさ。――君、あの煙りの横の方からまた新しい煙が見えだしたぜ。あれが多分、新しい噴火口なんだろう。あのむくむく出るところを見ると、つい、そこにあるようだがな。どうして行かれないだろう。何でもこの山のつい裏に違いないんだが、路がないから困る」 「路があったって駄目だよ」 「どうも雲だか、煙りだか非常に濃く、頭の上へやってくる。壮んなものだ。ねえ、君」 「うん」 「どうだい、こんな凄い景色はとても、こう云う時でなけりゃ見られないぜ。うん、非常に黒いものが降って来る。君あたまが大変だ。僕の帽子を貸してやろう。――こう被ってね。それから手拭があるだろう。飛ぶといけないから、上から結わいつけるんだ。――僕がしばってやろう。――傘は、畳むがいい。どうせ風に逆らうぎりだ。そうして杖につくさ。杖が出来ると、少しは歩行けるだろう」 「少しは歩行きよくなった。――雨も風もだんだん強くなるようだね」 「そうさ、さっきは少し晴れそうだったがな。雨や風は大丈夫だが、足は痛むかね」 「痛いさ。登るときは豆が三つばかりだったが、一面になったんだもの」 「晩にね、僕が、煙草の吸殻を飯粒で練って、膏薬を製ってやろう」 「宿へつけば、どうでもなるんだが……」 「あるいてるうちが難義か」 「うん」 「困ったな。――どこか高い所へ登ると、人の通る路が見えるんだがな。――うん、あすこに高い草山が見えるだろう」 「あの右の方かい」 「ああ。あの上へ登ったら、噴火孔が一と眼に見えるに違ない。そうしたら、路が分るよ」 「分るって、あすこへ行くまでに日が暮れてしまうよ」 「待ちたまえちょっと時計を見るから。四時八分だ。まだ暮れやしない。君ここに待っていたまえ。僕がちょっと物見をしてくるから」 「待ってるが、帰りに路が分らなくなると、それこそ大変だぜ。二人離れ離れになっちまうよ」 「大丈夫だ。どうしたって死ぬ気遣はないんだ。どうかしたら大きな声を出して呼ぶよ」 「うん。呼んでくれたまえ」  圭さんは雲と煙の這い廻るなかへ、猛然として進んで行く。碌さんは心細くもただ一人薄のなかに立って、頼みにする友の後姿を見送っている。しばらくするうちに圭さんの影は草のなかに消えた。  大きな山は五分に一度ぐらいずつ時をきって、普段よりは烈しく轟となる。その折は雨も煙りも一度に揺れて、余勢が横なぐりに、悄然と立つ碌さんの体躯へ突き当るように思われる。草は眼を走らす限りを尽くしてことごとく煙りのなかに靡く上を、さあさあと雨が走って行く。草と雨の間を大きな雲が遠慮もなく這い廻わる。碌さんは向うの草山を見つめながら、顫えている。よなのしずくは、碌さんの下腹まで浸み透る。  毒々しい黒煙りが長い渦を七巻まいて、むくりと空を突く途端に、碌さんの踏む足の底が、地震のように撼いたと思った。あとは、山鳴りが比較的静まった。すると地面の下の方で、 「おおおい」と呼ぶ声がする。  碌さんは両手を、耳の後ろに宛てた。 「おおおい」  たしかに呼んでいる。不思議な事にその声が妙に足の下から湧いて出る。 「おおおい」  碌さんは思わず、声をしるべに、飛び出した。 「おおおい」と癇の高い声を、肺の縮むほど絞り出すと、太い声が、草の下から、 「おおおい」と応える。圭さんに違ない。  碌さんは胸まで来る薄をむやみに押し分けて、ずんずん声のする方に進んで行く。 「おおおい」 「おおおい。どこだ」 「おおおい。ここだ」 「どこだああ」 「ここだああ。むやみにくるとあぶないぞう。落ちるぞう」 「どこへ落ちたんだああ」 「ここへ落ちたんだああ。気をつけろう」 「気はつけるが、どこへ落ちたんだああ」 「落ちると、足の豆が痛いぞうう」 「大丈夫だああ。どこへ落ちたんだああ」 「ここだあ、もうそれから先へ出るんじゃないよう。おれがそっちへ行くから、そこで待っているんだよう」  圭さんの胴間声は地面のなかを通って、だんだん近づいて来る。 「おい、落ちたよ」 「どこへ落ちたんだい」 「見えないか」 「見えない」 「それじゃ、もう少し前へ出た」 「おや、何だい、こりゃ」 「草のなかに、こんなものがあるから剣呑だ」 「どうして、こんな谷があるんだろう」 「火熔石の流れたあとだよ。見たまえ、なかは茶色で草が一本も生えていない」 「なるほど、厄介なものがあるんだね。君、上がれるかい」 「上がれるものか。高さが二間ばかりあるよ」 「弱ったな。どうしよう」 「僕の頭が見えるかい」 「毬栗の片割れが少し見える」 「君ね」 「ええ」 「薄の上へ腹這になって、顔だけ谷の上へ乗り出して見たまえ」 「よし、今顔を出すから待っていたまえよ」 「うん、待ってる、ここだよ」と圭さんは蝙蝠傘で、崖の腹をとんとん叩く。碌さんは見当を見計って、ぐしゃりと濡れ薄の上へ腹をつけて恐る恐る首だけを溝の上へ出して、 「おい」 「おい。どうだ。豆は痛むかね」 「豆なんざどうでもいいから、早く上がってくれたまえ」 「ハハハハ大丈夫だよ。下の方が風があたらなくって、かえって楽だぜ」 「楽だって、もう日が暮れるよ、早く上がらないと」 「君」 「ええ」 「ハンケチはないか」 「ある。何にするんだい」 「落ちる時に蹴爪ずいて生爪を剥がした」 「生爪を? 痛むかい」 「少し痛む」 「あるけるかい」 「あるけるとも。ハンケチがあるなら抛げてくれたまえ」 「裂いてやろうか」 「なに、僕が裂くから丸めて抛げてくれたまえ。風で飛ぶと、いけないから、堅く丸めて落すんだよ」 「じくじく濡れてるから、大丈夫だ。飛ぶ気遣はない。いいか、抛げるぜ、そら」 「だいぶ暗くなって来たね。煙は相変らず出ているかい」 「うん。空中一面の煙だ」 「いやに鳴るじゃないか」 「さっきより、烈しくなったようだ。――ハンケチは裂けるかい」 「うん、裂けたよ。繃帯はもうでき上がった」 「大丈夫かい。血が出やしないか」 「足袋の上へ雨といっしょに煮染んでる」 「痛そうだね」 「なあに、痛いたって。痛いのは生きてる証拠だ」 「僕は腹が痛くなった」 「濡れた草の上に腹をつけているからだ。もういいから、立ちたまえ」 「立つと君の顔が見えなくなる」 「困るな。君いっその事に、ここへ飛び込まないか」 「飛び込んで、どうするんだい」 「飛び込めないかい」 「飛び込めない事もないが――飛び込んで、どうするんだい」 「いっしょにあるくのさ」 「そうしてどこへ行くつもりだい」 「どうせ、噴火口から山の麓まで流れた岩のあとなんだから、この穴の中をあるいていたら、どこかへ出るだろう」 「だって」 「だって厭か。厭じゃ仕方がない」 「厭じゃないが――それより君が上がれると好いんだがな。君どうかして上がって見ないか」 「それじゃ、君はこの穴の縁を伝って歩行くさ。僕は穴の下をあるくから。そうしたら、上下で話が出来るからいいだろう」 「縁にゃ路はありゃしない」 「草ばかりかい」 「うん。草がね……」 「うん」 「胸くらいまで生えている」 「ともかくも僕は上がれないよ」 「上がれないって、それじゃ仕方がないな――おい。――おい。――おいって云うのにおい。なぜ黙ってるんだ」 「ええ」 「大丈夫かい」 「何が」 「口は利けるかい」 「利けるさ」 「それじゃ、なぜ黙ってるんだ」 「ちょっと考えていた」 「何を」 「穴から出る工夫をさ」 「全体何だって、そんな所へ落ちたんだい」 「早く君に安心させようと思って、草山ばかり見つめていたもんだから、つい足元が御留守になって、落ちてしまった」 「それじゃ、僕のために落ちたようなものだ。気の毒だな、どうかして上がって貰えないかな、君」 「そうさな。――なに僕は構わないよ。それよりか。君、早く立ちたまえ。そう草で腹を冷やしちゃ毒だ」 「腹なんかどうでもいいさ」 「痛むんだろう」 「痛む事は痛むさ」 「だから、ともかくも立ちたまえ。そのうち僕がここで出る工夫を考えて置くから」 「考えたら、呼ぶんだぜ。僕も考えるから」 「よし」  会話はしばらく途切れる。草の中に立って碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹で、どっと崩れて海のように濁ったものが頭を去る五六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼る暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の煙りは卍のなかに万遍なく捲き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。 「おい。いるか」 「いる。何か考えついたかい」 「いいや。山の模様はどうだい」 「だんだん荒れるばかりだよ」 「今日は何日だっけかね」 「今日は九月二日さ」 「ことによると二百十日かも知れないね」  会話はまた切れる。二百十日の風と雨と煙りは満目の草を埋め尽くして、一丁先は靡く姿さえ、判然と見えぬようになった。 「もう日が暮れるよ。おい。いるかい」  谷の中の人は二百十日の風に吹き浚われたものか、うんとも、すんとも返事がない。阿蘇の御山は割れるばかりにごううと鳴る。  碌さんは青くなって、また草の上へ棒のように腹這になった。 「おおおい。おらんのか」 「おおおい。こっちだ」  薄暗い谷底を半町ばかり登った所に、ぼんやりと白い者が動いている。手招きをしているらしい。 「なぜ、そんな所へ行ったんだああ」 「ここから上がるんだああ」 「上がれるのかああ」 「上がれるから、早く来おおい」  碌さんは腹の痛いのも、足の豆も忘れて、脱兎の勢で飛び出した。 「おい。ここいらか」 「そこだ。そこへ、ちょっと、首を出して見てくれ」 「こうか。――なるほど、こりゃ大変浅い。これなら、僕が蝙蝠傘を上から出したら、それへ、取っ捕らまって上がれるだろう」 「傘だけじゃ駄目だ。君、気の毒だがね」 「うん。ちっとも気の毒じゃない。どうするんだ」 「兵児帯を解いて、その先を傘の柄へ結びつけて――君の傘の柄は曲ってるだろう」 「曲ってるとも。大いに曲ってる」 「その曲ってる方へ結びつけてくれないか」 「結びつけるとも。すぐ結びつけてやる」 「結びつけたら、その帯の端を上からぶら下げてくれたまえ」 「ぶら下げるとも。訳はない。大丈夫だから待っていたまえ。――そうら、長いのが天竺から、ぶら下がったろう」 「君、しっかり傘を握っていなくっちゃいけないぜ。僕の身体は十七貫六百目あるんだから」 「何貫目あったって大丈夫だ、安心して上がりたまえ」 「いいかい」 「いいとも」 「そら上がるぜ。――いや、いけない。そう、ずり下がって来ては……」 「今度は大丈夫だ。今のは試して見ただけだ。さあ上がった。大丈夫だよ」 「君が滑べると、二人共落ちてしまうぜ」 「だから大丈夫だよ。今のは傘の持ちようがわるかったんだ」 「君、薄の根へ足をかけて持ち応えていたまえ。――あんまり前の方で蹈ん張ると、崖が崩れて、足が滑べるよ」 「よし、大丈夫。さあ上がった」 「足を踏ん張ったかい。どうも今度もあぶないようだな」 「おい」 「何だい」 「君は僕が力がないと思って、大に心配するがね」 「うん」 「僕だって一人前の人間だよ」 「無論さ」 「無論なら安心して、僕に信頼したらよかろう。からだは小さいが、朋友を一人谷底から救い出すぐらいの事は出来るつもりだ」 「じゃ上がるよ。そらっ……」 「そらっ……もう少しだ」  豆で一面に腫れ上がった両足を、うんと薄の根に踏ん張った碌さんは、素肌を二百十日の雨に曝したまま、海老のように腰を曲げて、一生懸命に、傘の柄にかじりついている。麦藁帽子を手拭で縛りつけた頭の下から、真赤にいきんだ顔が、八分通り阿蘇卸ろしに吹きつけられて、喰い締めた反っ歯の上にはよなが容赦なく降ってくる。  毛繻子張り八間の蝙蝠の柄には、幸い太い瘤だらけの頑丈な自然木が、付けてあるから、折れる気遣はまずあるまい。その自然木の彎曲した一端に、鳴海絞りの兵児帯が、薩摩の強弓に新しく張った弦のごとくぴんと薄を押し分けて、先は谷の中にかくれている。その隠れているあたりから、しばらくすると大きな毬栗頭がぬっと現われた。  やっと云う掛声と共に両手が崖の縁にかかるが早いか、大入道の腰から上は、斜めに尻に挿した蝙蝠傘と共に谷から上へ出た。同時に碌さんは、どさんと仰向きになって、薄の底に倒れた。         五 「おい、もう飯だ、起きないか」 「うん。起きないよ」 「腹の痛いのは癒ったかい」 「まあ大抵癒ったようなものだが、この様子じゃ、いつ痛くなるかも知れないね。ともかくも饂飩が祟ったんだから、容易には癒りそうもない」 「そのくらい口が利ければたしかなものだ。どうだいこれから出掛けようじゃないか」 「どこへ」 「阿蘇へさ」 「阿蘇へまだ行く気かい」 「無論さ、阿蘇へ行くつもりで、出掛けたんだもの。行かない訳には行かない」 「そんなものかな。しかしこの豆じゃ残念ながら致し方がない」 「豆は痛むかね」 「痛むの何のって、こうして寝ていても頭へずうんずうんと響くよ」 「あんなに、吸殻をつけてやったが、毫も利目がないかな」 「吸殻で利目があっちゃ大変だよ」 「だって、付けてやる時は大いにありがたそうだったぜ」 「癒ると思ったからさ」 「時に君はきのう怒ったね」 「いつ」 「裸で蝙蝠傘を引っ張るときさ」 「だって、あんまり人を軽蔑するからさ」 「ハハハしかし御蔭で谷から出られたよ。君が怒らなければ僕は今頃谷底で往生してしまったかも知れないところだ」 「豆を潰すのも構わずに引っ張った上に、裸で薄の中へ倒れてさ。それで君はありがたいとも何とも云わなかったぜ。君は人情のない男だ」 「その代りこの宿まで担いで来てやったじゃないか」 「担いでくるものか。僕は独立して歩行いて来たんだ」 「それじゃここはどこだか知ってるかい」 「大に人を愚弄したものだ。ここはどこだって、阿蘇町さ。しかもともかくもの饂飩を強いられた三軒置いて隣の馬車宿だあね。半日山のなかを馳けあるいて、ようやく下りて見たら元の所だなんて、全体何てえ間抜だろう。これからもう君の天祐は信用しないよ」 「二百十日だったから悪るかった」 「そうして山の中で芝居染みた事を云ってさ」 「ハハハハしかしあの時は大いに感服して、うん、うん、て云ったようだぜ」 「あの時は感心もしたが、こうなって見ると馬鹿気ていらあ。君ありゃ真面目かい」 「ふふん」 「冗談か」 「どっちだと思う」 「どっちでも好いが、真面目なら忠告したいね」 「あの時僕の経歴談を聴かせろって、泣いたのは誰だい」 「泣きゃしないやね。足が痛くって心細くなったんだね」 「だって、今日は朝から非常に元気じゃないか、昨日た別人の観がある」 「足の痛いにかかわらずか。ハハハハ。実はあんまり馬鹿気ているから、少し腹を立てて見たのさ」 「僕に対してかい」 「だってほかに対するものがないから仕方がないさ」 「いい迷惑だ。時に君は粥を食うなら誂らえてやろうか」 「粥もだがだね。第一、馬車は何時に出るか聞いて貰いたい」 「馬車でどこへ行く気だい」 「どこって熊本さ」 「帰るのかい」 「帰らなくってどうする。こんな所に馬車馬と同居していちゃ命が持たない。ゆうべ、あの枕元でぽんぽん羽目を蹴られたには実に弱ったぜ」 「そうか、僕はちっとも知らなかった。そんなに音がしたかね」 「あの音が耳に入らなければ全く剛健党に相違ない。どうも君は憎くらしいほど善く寝る男だね。僕にあれほど堅い約束をして、経歴談をきかせるの、医者の日記を話すのって、いざとなると、まるで正体なしに寝ちまうんだ。――そうして、非常ないびきをかいて――」 「そうか、そりゃ失敬した。あんまり疲れ過ぎたんだよ」 「時に天気はどうだい」 「上天気だ」 「くだらない天気だ、昨日晴れればいい事を。――そうして顔は洗ったのかい」 「顔はとうに洗った。ともかくも起きないか」 「起きるって、ただは起きられないよ。裸で寝ているんだから」 「僕は裸で起きた」 「乱暴だね。いかに豆腐屋育ちだって、あんまりだ」 「裏へ出て、冷水浴をしていたら、かみさんが着物を持って来てくれた。乾いてるよ。ただ鼠色になってるばかりだ」 「乾いてるなら、取り寄せてやろう」と碌さんは、勢よく、手をぽんぽん敲く。台所の方で返事がある。男の声だ。 「ありゃ御者かね」 「亭主かも知れないさ」 「そうかな、寝ながら占ってやろう」 「占ってどうするんだい」 「占って君と賭をする」 「僕はそんな事はしないよ」 「まあ、御者か、亭主か」 「どっちかなあ」 「さあ、早くきめた。そら、来るからさ」 「じゃ、亭主にでもして置こう」 「じゃ君が亭主に、僕が御者だぜ。負けた方が今日一日命令に服するんだぜ」 「そんな事はきめやしない」 「御早う……御呼びになりましたか」 「うん呼んだ。ちょっと僕の着物を持って来てくれ。乾いてるだろうね」 「ねえ」 「それから腹がわるいんだから、粥を焚いて貰いたい」 「ねえ。御二人さんとも……」 「おれはただの飯で沢山だよ」 「では御一人さんだけ」 「そうだ。それから馬車は何時と何時に出るかね」 「熊本通いは八時と一時に出ますたい」 「それじゃ、その八時で立つ事にするからね」 「ねえ」 「君、いよいよ熊本へ帰るのかい。せっかくここまで来て阿蘇へ上らないのはつまらないじゃないか」 「そりゃ、いけないよ」 「だってせっかく来たのに」 「せっかくは君の命令に因って、せっかく来たに相違ないんだがね。この豆じゃ、どうにも、こうにも、――天祐を空しくするよりほかに道はあるまいよ」 「足が痛めば仕方がないが、――惜しいなあ、せっかく思い立って、――いい天気だぜ、見たまえ」 「だから、君もいっしょに帰りたまえな。せっかくいっしょに来たものだから、いっしょに帰らないのはおかしいよ」 「しかし阿蘇へ登りに来たんだから、登らないで帰っちゃあ済まない」 「誰に済まないんだ」 「僕の主義に済まない」 「また主義か。窮屈な主義だね。じゃ一度熊本へ帰ってまた出直してくるさ」 「出直して来ちゃ気が済まない」 「いろいろなものに済まないんだね。君は元来強情過ぎるよ」 「そうでもないさ」 「だって、今までただの一遍でも僕の云う事を聞いた事がないぜ」 「幾度もあるよ」 「なに一度もない」 「昨日も聞いてるじゃないか。谷から上がってから、僕が登ろうと主張したのを、君が何でも下りようと云うから、ここまで引き返したじゃないか」 「昨日は格別さ。二百十日だもの。その代り僕は饂飩を何遍も喰ってるじゃないか」 「ハハハハ、ともかくも……」 「まあいいよ。談判はあとにして、ここに宿の人が待ってるから……」 「そうか」 「おい、君」 「ええ」 「君じゃない。君さ、おい宿の先生」 「ねえ」 「君は御者かい」 「いいえ」 「じゃ御亭主かい」 「いいえ」 「じゃ何だい」 「雇人で……」 「おやおや。それじゃ何にもならない。君、この男は御者でも亭主でもないんだとさ」 「うん、それがどうしたんだ」 「どうしたんだって――まあ好いや、それじゃ。いいよ、君、彼方へ行っても好いよ」 「ねえ。では御二人さんとも馬車で御越しになりますか」 「そこが今悶着中さ」 「へへへへ。八時の馬車はもう直ぐ、支度が出来ます」 「うん、だから、八時前に悶着をかたづけて置こう。ひとまず引き取ってくれ」 「へへへへ御緩っくり」 「おい、行ってしまった」 「行くのは当り前さ。君が行け行けと催促するからさ」 「ハハハありゃ御者でも亭主でもないんだとさ。弱ったな」 「何が弱ったんだい」 「何がって。僕はこう思ってたのさ。あの男が御者ですと云うだろう。すると僕が賭に勝つ訳になるから、君は何でも僕の命令に服さなければならなくなる」 「なるものか、そんな約束はしやしない」 「なに、したと見傚すんだね」 「勝手にかい」 「曖昧にさ。そこで君は僕といっしょに熊本へ帰らなくっちゃあ、ならないと云う訳さ」 「そんな訳になるかね」 「なると思って喜こんでたが、雇人だって云うからしようがない」 「そりゃ当人が雇人だと主張するんだから仕方がないだろう」 「もし御者ですと云ったら、僕は彼奴に三十銭やるつもりだったのに馬鹿な奴だ」 「何にも世話にならないのに、三十銭やる必要はない」 「だって君は一昨夜、あの束髪の下女に二十銭やったじゃないか」 「よく知ってるね。――あの下女は単純で気に入ったんだもの。華族や金持ちより尊敬すべき資格がある」 「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」 「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」 「君がかい」 「なあに、華族や金持ちがさ」 「そうかな」 「例えば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」 「成功しないのは当り前だ」 「すると、同じようなわるい事を明日やる。それでも成功しない。すると、明後日になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じように重ねて行く。重ねてさえ行けば、わるい事が、ひっくり返って、いい事になると思ってる。言語道断だ」 「言語道断だ」 「そんなものを成功させたら、社会はめちゃくちゃだ。おいそうだろう」 「社会はめちゃくちゃだ」 「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」 「ある。うん。あるよ」 「あると思うなら、僕といっしょにやれ」 「うん。やる」 「きっとやるだろうね。いいか」 「きっとやる」 「そこでともかくも阿蘇へ登ろう」 「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう」  二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している。 底本:「夏目漱石全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年12月1日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年2月19日公開 2004年2月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 坊っちゃん 坊っちゃん 夏目漱石 一  親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。  親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。  庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中に栗の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎という十三四の倅が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隠れて、とうとう勘太郎を捕まえてやった。その時勘太郎は逃げ路を失って、一生懸命に飛びかかってきた。向うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢の開いた頭を、こっちの胸へ宛ててぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷の袖の中にはいった。邪魔になって手が使えぬから、無暗に手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦をかけて向うへ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ真逆様に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。  この外いたずらは大分やった。大工の兼公と肴屋の角をつれて、茂作の人参畠をあらした事がある。人参の芽が出揃わぬ処へ藁が一面に敷いてあったから、その上で三人が半日相撲をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされてしまった。古川の持っている田圃の井戸を埋めて尻を持ち込まれた事もある。太い孟宗の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧き出て、そこいらの稲にみずがかかる仕掛であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。たしか罰金を出して済んだようである。  おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役に行かないで生きているばかりである。  母が病気で死ぬ二三日前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を撲って大いに痛かった。母が大層怒って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜しかったから、兄の横っ面を張って大変叱られた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。  その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。  母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。  清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。  それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。  母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。  兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。  九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。  おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。  三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。  卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。  引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。  家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。  いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。  出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。 二  ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額ほどな町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。ところへ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。  停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭って、中学校へ来たら、もう放課後で誰も居ない。宿直はちょっと用達に出たと小使が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、草臥れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっと面白く思った。  何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞がっておりますからと云いながら革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗いてみると涼しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘をつきゃあがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱つかったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞えた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突き抜けたような天気だ。  道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括ったな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚ろいて眼を廻すに極っている。どうするか見ろと済して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸けた。靴は磨いてなかった。  学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗に仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯のある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭しく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。  教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇さなければいいのに。  そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭しく返却した。まるで宮芝居の真似だ。十五人目に体操の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。  挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣を着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀とか云う大変顔色の悪るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅井の民さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。人が叮寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐という渾名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精で、――とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。  挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。  それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布の聯隊より立派でない。大通りも見た。神楽坂を半分に狭くしたぐらいな道幅で町並はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張ってる人間は可哀想なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵は見尽したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴を脱いで上がると、お座敷があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳の表二階で大きな床の間がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣一枚になって座敷の真中へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。  昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発して長いのを書いてやった。その文句はこうである。 「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」  手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚、明日から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕がいい下宿を周旋してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料に払っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑静だ。主人は骨董を売買するいか銀と云う男で、女房は亭主よりも四つばかり年嵩の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町で氷水を一杯奢った。学校で逢った時はやに横風な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。 三  いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々図抜けた大きな声で先生と云う。先生には応えた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥の差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯な人間ではない。臆病な男でもないが、惜しい事に胆力が欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲を聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。しかし別段困った質問も掛けられずに済んだ。控所へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。  二時間目に白墨を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴ばかりである。おれは江戸っ子で華奢に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押しが利かない。喧嘩なら相撲取とでもやってみせるが、こんな大僧を四十人も前へ並べて、ただ一枚の舌をたたいて恐縮させる手際はない。しかしこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟に捲かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣って、おくれんかな、もし」と云った。おくれんかな、もしは生温るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君等の言葉は使えない、分らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、と出来そうもない幾何の問題を持って逼ったには冷汗を流した。仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚げたら、生徒がわあと囃した。その中に出来ん出来んと云う声が聞える。箆棒め、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。山嵐は妙な顔をしていた。  三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつ然として待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除して報知にくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿を一応調べてようやくお暇が出る。いくら月給で買われた身体だって、あいた時間まで学校へ縛りつけて机と睨めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを捏ねるのもよろしくないと思って我慢していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時過まで学校にいさせるのは愚だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕だけに話せ、随分妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたから詳しい事は聞くひまがなかった。  それからうちへ帰ってくると、宿の亭主がお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走をするのかと思うと、おれの茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中も勝手にお茶を入れましょうを一人で履行しているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董がすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘をやる。二年前ある人の使に帝国ホテルへ行った時は錠前直しと間違えられた事がある。ケットを被って、鎌倉の大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日まで見損われた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵はなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、画を見ても、頭巾を被るか短冊を持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者じゃない。おれはそんな呑気な隠居のやるような事は嫌いだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付をして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれと頼んでおいたのだが、こんな苦い濃い茶はいやだ。一杯飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗に飲む奴だ。主人が引き下がってから、明日の下読をしてすぐ寝てしまった。  それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概は分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、悪るいだろうか非常に気に掛かるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響を与えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈するかまるで無頓着であった。おれは前に云う通りあまり度胸の据った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行く覚悟でいたから、狸も赤シャツも、ちっとも恐しくはなかった。まして教場の小僧共なんかには愛嬌もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十ばかり並べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山とか何とか云う男の花鳥の掛物をもって来た。自分で床の間へかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減に挨拶をすると、華山には二人ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅はその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促をする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固だ。金があつても買わないんだと、その時は追っ払っちまった。その次には鬼瓦ぐらいな大硯を担ぎ込んだ。これは端渓です、端渓ですと二遍も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼をご覧なさい。眼が三つあるのは珍らしい。溌墨の具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突きつける。いくらだと聞くと、持主が支那から持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿に相違ない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責に逢ってはとても長く続きそうにない。  そのうち学校もいやになった。  ある日の晩大町と云う所を散歩していたら郵便局の隣りに蕎麦とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京に居った時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香いをかぐと、どうしても暖簾がくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京と断わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法きたない。畳は色が変ってお負けに砂でざらざらしている。壁は煤で真黒だ。天井はランプの油烟で燻ぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日前から開業したに違いなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中が、ひとしくおれの方を見た。部屋が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶をしたから、おれも挨拶をした。その晩は久し振に蕎麦を食ったので、旨かったから天麩羅を四杯平げた。  翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑しいかと聞いた。すると生徒の一人が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但し笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪に障った。冗談も度を過ごせばいたずらだ。焼餅の黒焦のようなもので誰も賞め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないと云う了見だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争のように触れちらかすんだろう。憐れな奴等だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓みたような小人が出来るんだ。無邪気ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の癖に乙に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑怯な冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて怒るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。  天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪に障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田と云う所へ行って団子を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓がある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払った。どうも厄介な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染った上へ、赤い縞が流れ出したのでちょっと見ると紅色に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢だと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺は花崗石を畳み上げて、十五畳敷ぐらいの広さに仕切ってある。大抵は十三四人漬ってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。おれは人の居ないのを見済しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡って喜んでいた。ところがある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗いてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札はおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚ろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵しているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。 四  学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。但し狸と赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務を免かれるのかと聞いてみたら、奏任待遇だからと云う。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直を逃がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それが当り前だというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人で不平を並べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人だって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。強者の権利ぐらいなら昔から知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、誰が承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番に廻って来た。一体疳性だから夜具蒲団などは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへ泊った事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえ厭なら学校の宿直はなおさら厭だ。厭だけれども、これが四十円のうちへ籠っているなら仕方がない。我慢して勤めてやろう。  教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随分間が抜けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。田舎だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒の賄を取りよせて晩飯を済ましたが、まずいには恐れ入った。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪傑に違いない。飯は食ったが、まだ日が暮れないから寝る訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいい事だか、悪るい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮同様な憂目に逢うのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達に出たと小使が答えたのを妙だと思ったが、自分に番が廻ってみると思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛けた。赤手拭は宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。  それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方になったから、汽車へ乗って古町の停車場まで来て下りた。学校まではこれから四丁だ。訳はないとあるき出すと、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、擦れ違った時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶をした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえと真面目くさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した。竪町の四つ角までくると今度は山嵐に出っ喰わした。どうも狭い所だ。出てあるきさえすれば必ず誰かに逢う。「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が無暗に出てあるくなんて、不都合じゃないか」と云った。「ちっとも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ」と威張ってみせた。「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出逢うと面倒だぜ」と山嵐に似合わない事を云うから「校長にはたった今逢った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云って、面倒臭いから、さっさと学校へ帰って来た。  それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも飽きたから、寝られないまでも床へはいろうと思って、寝巻に着換えて、蚊帳を捲くって、赤い毛布を跳ねのけて、とんと尻持を突いて、仰向けになった。おれが寝るときにとんと尻持をつくのは小供の時からの癖だ。わるい癖だと云って小川町の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ち込んだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建築が粗末なんだ。掛ケ合うなら下宿へ掛ケ合えと凹ましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんと倒れても構わない。なるべく勢よく倒れないと寝たような心持ちがしない。ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤のようでもないからこいつあと驚ろいて、足を二三度毛布の中で振ってみた。するとざらざらと当ったものが、急に殖え出して脛が五六カ所、股が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏み潰したのが一つ、臍の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。早速起き上って、毛布をぱっと後ろへ抛ると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪るかったが、バッタと相場が極まってみたら急に腹が立った。バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなり括り枕を取って、二三度擲きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく抛げつける割に利目がない。仕方がないから、また布団の上へ坐って、煤掃の時に蓙を丸めて畳を叩くように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩だの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いた奴は枕で叩く訳に行かないから、手で攫んで、一生懸命に擲きつける。忌々しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治た。箒を持って来てバッタの死骸を掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。間抜め。と叱ったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側へ抛り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。  おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕まくりをして談判を始めた。 「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」 「バッタた何ぞな」と真先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。 「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎掃き出してしまって一匹も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜へ棄ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「篦棒め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。 「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼んだ」 「誰も入れやせんがな」 「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」 「イナゴは温い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」 「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」 「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」  けちな奴等だ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯な事はただの一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないに極ってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘を吐いて罰を逃げるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙るなんて下劣な根性がどこの国に流行ると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない。全体中学校へ何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化して、陰でこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違いをしていやがる。話せない雑兵だ。  おれはこんな腐った了見の奴等と談判するのは胸糞が悪るいから、「そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人を逐っ放してやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりも遥かに上品なつもりだ。六人は悠々と引き揚げた。上部だけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到底これほどの度胸はない。  それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒動で蚊帳の中はぶんぶん唸っている。手燭をつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣手をはずして、長く畳んでおいて部屋の中で横竪十文字に振ったら、環が飛んで手の甲をいやというほど撲った。三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防強い朴念仁がなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶる尊とい。今まではあんなに世話になって別段難有いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後の笹飴が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分ある。清はおれの事を欲がなくって、真直な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。  清の事を考えながら、のつそつしていると、突然おれの頭の上で、数で云ったら三四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍子を取って床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きな鬨の声が起った。おれは何事が持ち上がったのかと驚ろいて飛び起きた。飛び起きる途端に、ははあさっきの意趣返しに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達に覚があるだろう。本来なら寝てから後悔してあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。たとい、あやまらないまでも恐れ入って、静粛に寝ているべきだ。それを何だこの騒ぎは。寄宿舎を建てて豚でも飼っておきあしまいし。気狂いじみた真似も大抵にするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、楷子段を三股半に二階まで躍り上がった。すると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然と分らないが、人気のあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へ貫いた廊下には鼠一匹も隠れていない。廊下のはずれから月がさして、遥か向うが際どく明るい。どうも変だ、おれは小供の時から、よく夢を見る癖があって、夢中に跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢で尋ねたくらいだ。その時は三日ばかりうち中の笑い草になって大いに弱った。ことによると今のも夢かも知れない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下の真中で考え込んでいると、月のさしている向うのはずれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまって響いたかと思う間もなく、前のように拍子を取って、一同が床板を踏み鳴らした。それ見ろ夢じゃないやっぱり事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向うへ馳けだした。おれの通る路は暗い、ただはずれに見える月あかりが目標だ。おれが馳け出して二間も来たかと思うと、廊下の真中で、堅い大きなものに向脛をぶつけて、あ痛いが頭へひびく間に、身体はすとんと前へ抛り出された。こん畜生と起き上がってみたが、馳けられない。気はせくが、足だけは云う事を利かない。じれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静まり返って、森としている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯に出来るものじゃない。まるで豚だ。こうなれば隠れている奴を引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心を極めて寝室の一つを開けて中を検査しようと思ったが開かない。錠をかけてあるのか、机か何か積んで立て懸けてあるのか、押しても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側の室を試みた。開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っ捕らまえてやろうと、焦慮てると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まった。この野郎申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に智慧が足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負けるつもりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸っ子は意気地がないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂れ小僧にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生まれからして違うんだ。ただ智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居る。おれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来たけれども何ともなかった。さっき、ぶつけた向脛を撫でてみると、何だかぬらぬらする。血が出るんだろう。血なんか出たければ勝手に出るがいい。そのうち最前からの疲れが出て、ついうとうと寝てしまった。何だか騒がしいので、眼が覚めた時はえっ糞しまったと飛び上がった。おれの坐ってた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っている。おれは正気に返って、はっと思う途端に、おれの鼻の先にある生徒の足を引っ攫んで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと仰向に倒れた。ざまを見ろ。残る一人がちょっと狼狽したところを、飛びかかって、肩を抑えて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなく尾いて来た。夜はとうにあけている。  おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰問し始めると、豚は、打っても擲いても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんな眠そうに瞼をはらしている。けちな奴等だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか。面でも洗って議論に来いと云ってやったが、誰も面を洗いに行かない。  おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり押問答をしていると、ひょっくり狸がやって来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。  校長はひと通りおれの説明を聞いた。生徒の言草もちょっと聞いた。追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って寄宿生をみんな放免した。手温るい事だ。おれなら即席に寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな悠長な事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。その上おれに向って、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業に及ばんと云うから、おれはこう答えた。「いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、頂戴した月給を学校の方へ割戻します」校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面痒い。蚊がよっぽと刺したに相違ない。おれは顔中ぼりぼり掻きながら、顔はいくら膨れたって、口はたしかにきけますから、授業には差し支えませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねと賞めた。実を云うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。 五  君釣りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪るいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だか分りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。  おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小梅の釣堀で鮒を三匹釣った事がある。それから神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顋を前の方へ突き出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。「それじゃ、まだ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれがご伝授をうけるものか。一体釣や猟をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺生をして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽に極まってる。釣や猟をしなくっちゃ活計がたたないなら格別だが、何不足なく暮している上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅沢な話だ。こう思ったが向うは文学士だけに口が達者だから、議論じゃ叶わないと思って、だまってた。すると先生このおれを降参させたと疳違いして、早速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ。吉川君と二人ぎりじゃ、淋しいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこの事だ。この野だは、どういう了見だか、赤シャツのうちへ朝夕出入して、どこへでも随行して行く。まるで同輩じゃない。主従みたようだ。赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くに極っているんだから、今さら驚ろきもしないが、二人で行けば済むところを、なんで無愛想のおれへ口を掛けたんだろう。大方高慢ちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかで誘ったに違いない。そんな事で見せびらかされるおれじゃない。鮪の二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。おれだって人間だ、いくら下手だって糸さえ卸しゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だから行かないんだ、嫌いだから行かないんじゃないと邪推するに相違ない。おれはこう考えたから、行きましょうと答えた。それから、学校をしまって、一応うちへ帰って、支度を整えて、停車場で赤シャツと野だを待ち合せて浜へ行った。船頭は一人で、船は細長い東京辺では見た事もない恰好である。さっきから船中見渡すが釣竿が一本も見えない。釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だろうと、野だに聞くと、沖釣には竿は用いません、糸だけでげすと顋を撫でて黒人じみた事を云った。こう遣り込められるくらいならだまっていればよかった。  船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針のように尖がってる。向側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平だ。赤シャツのお陰ではなはだ愉快だ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は私も江戸っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。  ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、錨を卸した。幾尋あるかねと赤シャツが聞くと、六尋ぐらいだと云う。六尋ぐらいじゃ鯛はむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆なものだ。野だは、なに教頭のお手際じゃかかりますよ。それになぎですからとお世辞を云いながら、これも糸を繰り出して投げ入れる。何だか先に錘のような鉛がぶら下がってるだけだ。浮がない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかるようなものだ。おれには到底出来ないと見ていると、さあ君もやりたまえ糸はありますかと聞く。糸はあまるほどあるが、浮がありませんと云ったら、浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素人ですよ。こうしてね、糸が水底へついた時分に、船縁の所で人指しゆびで呼吸をはかるんです、食うとすぐ手に答える。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかかったと思ったら何にもかからない、餌がなくなってたばかりだ。いい気味だ。教頭、残念な事をしましたね、今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、どうも教頭のお手際でさえ逃げられちゃ、今日は油断ができませんよ。しかし逃げられても何ですね。浮と睨めくらをしている連中よりはましですね。ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからねと野だは妙な事ばかり喋舌る。よっぽど撲りつけてやろうかと思った。おれだって人間だ、教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。鰹の一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸を抛り込んでいい加減に指の先であやつっていた。  しばらくすると、何だかぴくぴくと糸にあたるものがある。おれは考えた。こいつは魚に相違ない。生きてるものでなくっちゃ、こうぴくつく訳がない。しめた、釣れたとぐいぐい手繰り寄せた。おや釣れましたかね、後世恐るべしだと野だがひやかすうち、糸はもう大概手繰り込んでただ五尺ばかりほどしか、水に浸いておらん。船縁から覗いてみたら、金魚のような縞のある魚が糸にくっついて、右左へ漾いながら、手に応じて浮き上がってくる。面白い。水際から上げるとき、ぽちゃりと跳ねたから、おれの顔は潮水だらけになった。ようやくつらまえて、針をとろうとするがなかなか取れない。捕まえた手はぬるぬるする。大いに気味がわるい。面倒だから糸を振って胴の間へ擲きつけたら、すぐ死んでしまった。赤シャツと野だは驚ろいて見ている。おれは海の中で手をざぶざぶと洗って、鼻の先へあてがってみた。まだ腥臭い。もう懲り懲りだ。何が釣れたって魚は握りたくない。魚も握られたくなかろう。そうそう糸を捲いてしまった。  一番槍はお手柄だがゴルキじゃ、と野だがまた生意気を云うと、ゴルキと云うと露西亜の文学者みたような名だねと赤シャツが洒落た。そうですね、まるで露西亜の文学者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が芝の写真師で、米のなる木が命の親だろう。一体この赤シャツはわるい癖だ。誰を捕まえても片仮名の唐人の名を並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車力だか見当がつくものか、少しは遠慮するがいい。云うならフランクリンの自伝だとかプッシング、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも知ってる名を使うがいい。赤シャツは時々帝国文学とかいう真赤な雑誌を学校へ持って来て難有そうに読んでいる。山嵐に聞いてみたら、赤シャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。  それから赤シャツと野だは一生懸命に釣っていたが、約一時間ばかりのうちに二人で十五六上げた。可笑しい事に釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキばかりだ。鯛なんて薬にしたくってもありゃしない。今日は露西亜文学の大当りだと赤シャツが野だに話している。あなたの手腕でゴルキなんですから、私なんぞがゴルキなのは仕方がありません。当り前ですなと野だが答えている。船頭に聞くとこの小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ肥料には出来るそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒の至りだ。おれは一匹で懲りたから、胴の間へ仰向けになって、さっきから大空を眺めていた。釣をするよりこの方がよっぽど洒落ている。  すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよく聞えない、また聞きたくもない。おれは空を見ながら清の事を考えている。金があって、清をつれて、こんな奇麗な所へ遊びに来たらさぞ愉快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清は皺苦茶だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たって恥ずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌雲閣へのろうが、到底寄り付けたものじゃない。おれが教頭で、赤シャツがおれだったら、やっぱりおれにへけつけお世辞を使って赤シャツを冷かすに違いない。江戸っ子は軽薄だと云うがなるほどこんなものが田舎巡りをして、私は江戸っ子でげすと繰り返していたら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄の事だと田舎者が思うに極まってる。こんな事を考えていると、何だか二人がくすくす笑い出した。笑い声の間に何か云うが途切れ途切れでとんと要領を得ない。 「え? どうだか……」「……全くです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「バッタを……本当ですよ」  おれは外の言葉には耳を傾けなかったが、バッタと云う野だの語を聴いた時は、思わずきっとなった。野だは何のためかバッタと云う言葉だけことさら力を入れて、明瞭におれの耳にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。おれは動かないでやはり聞いていた。 「また例の堀田が……」「そうかも知れない……」「天麩羅……ハハハハハ」「……煽動して……」「団子も?」  言葉はかように途切れ途切れであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推し測ってみると、何でもおれのことについて内所話しをしているに相違ない。話すならもっと大きな声で話すがいい、また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない連中だ。バッタだろうが雪踏だろうが、非はおれにある事じゃない。校長がひとまずあずけろと云ったから、狸の顔にめんじてただ今のところは控えているんだ。野だの癖に入らぬ批評をしやがる。毛筆でもしゃぶって引っ込んでるがいい。おれの事は、遅かれ早かれ、おれ一人で片付けてみせるから、差支えはないが、また例の堀田がとか煽動してとか云う文句が気にかかる。堀田がおれを煽動して騒動を大きくしたと云う意味なのか、あるいは堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと云うのか方角がわからない。青空を見ていると、日の光がだんだん弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香の烟のような雲が、透き徹る底の上を静かに伸して行ったと思ったら、いつしか底の奥に流れ込んで、うすくもやを掛けたようになった。  もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように云うと、ええちょうど時分ですね。今夜はマドンナの君にお逢いですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚たした奴を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿のような眼を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻いた。何という猪口才だろう。  船は静かな海を岸へ漕ぎ戻る。君釣はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝ていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪の足で掻き分けられた浪の上を揺られながら漾っていった。「君が来たんで生徒も大いに喜んでいるから、奮発してやってくれたまえ」と今度は釣にはまるで縁故もない事を云い出した。「あんまり喜んでもいないでしょう」「いえ、お世辞じゃない。全く喜んでいるんです、ね、吉川君」「喜んでるどころじゃない。大騒ぎです」と野だはにやにやと笑った。こいつの云う事は一々癪に障るから妙だ。「しかし君注意しないと、険呑ですよ」と赤シャツが云うから「どうせ険呑です。こうなりゃ険呑は覚悟です」と云ってやった。実際おれは免職になるか、寄宿生をことごとくあやまらせるか、どっちか一つにする了見でいた。「そう云っちゃ、取りつきどころもないが――実は僕も教頭として君のためを思うから云うんだが、わるく取っちゃ困る」「教頭は全く君に好意を持ってるんですよ。僕も及ばずながら、同じ江戸っ子だから、なるべく長くご在校を願って、お互に力になろうと思って、これでも蔭ながら尽力しているんですよ」と野だが人間並の事を云った。野だのお世話になるくらいなら首を縊って死んじまわあ。 「それでね、生徒は君の来たのを大変歓迎しているんだが、そこにはいろいろな事情があってね。君も腹の立つ事もあるだろうが、ここが我慢だと思って、辛防してくれたまえ。決して君のためにならないような事はしないから」 「いろいろの事情た、どんな事情です」 「それが少し込み入ってるんだが、まあだんだん分りますよ。僕が話さないでも自然と分って来るです、ね吉川君」 「ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃ到底分りません。しかしだんだん分ります、僕が話さないでも自然と分って来るです」と野だは赤シャツと同じような事を云う。 「そんな面倒な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺うんです」 「そりゃごもっともだ。こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。それじゃこれだけの事を云っておきましょう。あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。ところが学校というものはなかなか情実のあるもので、そう書生流に淡泊には行かないですからね」 「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです」 「さあ君はそう率直だから、まだ経験に乏しいと云うんですがね……」 「どうせ経験には乏しいはずです。履歴書にもかいときましたが二十三年四ヶ月ですから」 「さ、そこで思わぬ辺から乗ぜられる事があるんです」 「正直にしていれば誰が乗じたって怖くはないです」 「無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云うんです」  野だが大人しくなったなと気が付いて、ふり向いて見ると、いつしか艫の方で船頭と釣の話をしている。野だが居ないんでよっぽど話しよくなった。 「僕の前任者が、誰れに乗ぜられたんです」 「だれと指すと、その人の名誉に関係するから云えない。また判然と証拠のない事だから云うとこっちの落度になる。とにかく、せっかく君が来たもんだから、ここで失敗しちゃ僕等も君を呼んだ甲斐がない。どうか気を付けてくれたまえ」 「気を付けろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」  赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事を云った覚えはない。今日ただ今に至るまでこれでいいと堅く信じている。考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大いに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。 「無論悪るい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。大分寒くなった。もう秋ですね、浜の方は靄でセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、あの浜の景色は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ奇絶ですね。時間があると写生するんだが、惜しいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく。  港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗っていた舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなった。お早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船端から、やっと掛声をして磯へ飛び下りた。 六  野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本のためだ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目だ。惚れるものがあったってマドンナぐらいなものだ。しかし教頭だけに野だよりむずかしい事を云う。うちへ帰って、あいつの申し条を考えてみると一応もっとものようでもある。はっきりとした事は云わないから、見当がつきかねるが、何でも山嵐がよくない奴だから用心しろと云うのらしい。それならそうとはっきり断言するがいい、男らしくもない。そうして、そんな悪るい教師なら、早く免職さしたらよかろう。教頭なんて文学士の癖に意気地のないもんだ。蔭口をきくのでさえ、公然と名前が云えないくらいな男だから、弱虫に極まってる。弱虫は親切なものだから、あの赤シャツも女のような親切ものなんだろう。親切は親切、声は声だから、声が気に入らないって、親切を無にしちゃ筋が違う。それにしても世の中は不思議なものだ、虫の好かない奴が親切で、気のあった友達が悪漢だなんて、人を馬鹿にしている。大方田舎だから万事東京のさかに行くんだろう。物騒な所だ。今に火事が氷って、石が豆腐になるかも知れない。しかし、あの山嵐が生徒を煽動するなんて、いたずらをしそうもないがな。一番人望のある教師だと云うから、やろうと思ったら大抵の事は出来るかも知れないが、――第一そんな廻りくどい事をしないでも、じかにおれを捕まえて喧嘩を吹き懸けりゃ手数が省ける訳だ。おれが邪魔になるなら、実はこれこれだ、邪魔だから辞職してくれと云や、よさそうなもんだ。物は相談ずくでどうでもなる。向うの云い条がもっともなら、明日にでも辞職してやる。ここばかり米が出来る訳でもあるまい。どこの果へ行ったって、のたれ死はしないつもりだ。山嵐もよっぽど話せない奴だな。  ここへ来た時第一番に氷水を奢ったのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、おれの顔に関わる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。おれは清から三円借りている。その三円は五年経った今日までまだ返さない。返せないんじゃない。返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにしてはいない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。返さないのは清を踏みつけるのじゃない、清をおれの片破れと思うからだ。清と山嵐とはもとより比べ物にならないが、たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵を受けて、だまっているのは向うをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちで難有いと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊といお礼と思わなければならない。  おれはこれでも山嵐に一銭五厘奮発させて、百万両より尊とい返礼をした気でいる。山嵐は難有いと思ってしかるべきだ。それに裏へ廻って卑劣な振舞をするとは怪しからん野郎だ。あした行って一銭五厘返してしまえば借りも貸しもない。そうしておいて喧嘩をしてやろう。  おれはここまで考えたら、眠くなったからぐうぐう寝てしまった。あくる日は思う仔細があるから、例刻より早ヤ目に出校して山嵐を待ち受けた。ところがなかなか出て来ない。うらなりが出て来る。漢学の先生が出て来る。野だが出て来る。しまいには赤シャツまで出て来たが山嵐の机の上は白墨が一本竪に寝ているだけで閑静なものだ。おれは、控所へはいるや否や返そうと思って、うちを出る時から、湯銭のように手の平へ入れて一銭五厘、学校まで握って来た。おれは膏っ手だから、開けてみると一銭五厘が汗をかいている。汗をかいてる銭を返しちゃ、山嵐が何とか云うだろうと思ったから、机の上へ置いてふうふう吹いてまた握った。ところへ赤シャツが来て昨日は失敬、迷惑でしたろうと云ったから、迷惑じゃありません、お蔭で腹が減りましたと答えた。すると赤シャツは山嵐の机の上へ肱を突いて、あの盤台面をおれの鼻の側面へ持って来たから、何をするかと思ったら、君昨日返りがけに船の中で話した事は、秘密にしてくれたまえ。まだ誰にも話しやしますまいねと云った。女のような声を出すだけに心配性な男と見える。話さない事はたしかである。しかしこれから話そうと云う心持ちで、すでに一銭五厘手の平に用意しているくらいだから、ここで赤シャツから口留めをされちゃ、ちと困る。赤シャツも赤シャツだ。山嵐と名を指さないにしろ、あれほど推察の出来る謎をかけておきながら、今さらその謎を解いちゃ迷惑だとは教頭とも思えぬ無責任だ。元来ならおれが山嵐と戦争をはじめて鎬を削ってる真中へ出て堂々とおれの肩を持つべきだ。それでこそ一校の教頭で、赤シャツを着ている主意も立つというもんだ。  おれは教頭に向って、まだ誰にも話さないが、これから山嵐と談判するつもりだと云ったら、赤シャツは大いに狼狽して、君そんな無法な事をしちゃ困る。僕は堀田君の事について、別段君に何も明言した覚えはないんだから――君がもしここで乱暴を働いてくれると、僕は非常に迷惑する。君は学校に騒動を起すつもりで来たんじゃなかろうと妙に常識をはずれた質問をするから、当り前です、月給をもらったり、騒動を起したりしちゃ、学校の方でも困るでしょうと云った。すると赤シャツはそれじゃ昨日の事は君の参考だけにとめて、口外してくれるなと汗をかいて依頼に及ぶから、よろしい、僕も困るんだが、そんなにあなたが迷惑ならよしましょうと受け合った。君大丈夫かいと赤シャツは念を押した。どこまで女らしいんだか奥行がわからない。文学士なんて、みんなあんな連中ならつまらんものだ。辻褄の合わない、論理に欠けた注文をして恬然としている。しかもこのおれを疑ぐってる。憚りながら男だ。受け合った事を裏へ廻って反古にするようなさもしい了見はもってるもんか。  ところへ両隣りの机の所有主も出校したんで、赤シャツは早々自分の席へ帰って行った。赤シャツは歩るき方から気取ってる。部屋の中を往来するのでも、音を立てないように靴の底をそっと落す。音を立てないであるくのが自慢になるもんだとは、この時から始めて知った。泥棒の稽古じゃあるまいし、当り前にするがいい。やがて始業の喇叭がなった。山嵐はとうとう出て来ない。仕方がないから、一銭五厘を机の上へ置いて教場へ出掛けた。  授業の都合で一時間目は少し後れて、控所へ帰ったら、ほかの教師はみんな机を控えて話をしている。山嵐もいつの間にか来ている。欠勤だと思ったら遅刻したんだ。おれの顔を見るや否や今日は君のお蔭で遅刻したんだ。罰金を出したまえと云った。おれは机の上にあった一銭五厘を出して、これをやるから取っておけ。先達て通町で飲んだ氷水の代だと山嵐の前へ置くと、何を云ってるんだと笑いかけたが、おれが存外真面目でいるので、つまらない冗談をするなと銭をおれの机の上に掃き返した。おや山嵐の癖にどこまでも奢る気だな。 「冗談じゃない本当だ。おれは君に氷水を奢られる因縁がないから、出すんだ。取らない法があるか」 「そんなに一銭五厘が気になるなら取ってもいいが、なぜ思い出したように、今時分返すんだ」 「今時分でも、いつ時分でも、返すんだ。奢られるのが、いやだから返すんだ」  山嵐は冷然とおれの顔を見てふんと云った。赤シャツの依頼がなければ、ここで山嵐の卑劣をあばいて大喧嘩をしてやるんだが、口外しないと受け合ったんだから動きがとれない。人がこんなに真赤になってるのにふんという理窟があるものか。 「氷水の代は受け取るから、下宿は出てくれ」 「一銭五厘受け取ればそれでいい。下宿を出ようが出まいがおれの勝手だ」 「ところが勝手でない、昨日、あすこの亭主が来て君に出てもらいたいと云うから、その訳を聞いたら亭主の云うのはもっともだ。それでももう一応たしかめるつもりで今朝あすこへ寄って詳しい話を聞いてきたんだ」  おれには山嵐の云う事が何の意味だか分らない。 「亭主が君に何を話したんだか、おれが知ってるもんか。そう自分だけで極めたって仕様があるか。訳があるなら、訳を話すが順だ。てんから亭主の云う方がもっともだなんて失敬千万な事を云うな」 「うん、そんなら云ってやろう。君は乱暴であの下宿で持て余まされているんだ。いくら下宿の女房だって、下女たあ違うぜ。足を出して拭かせるなんて、威張り過ぎるさ」 「おれが、いつ下宿の女房に足を拭かせた」 「拭かせたかどうだか知らないが、とにかく向うじゃ、君に困ってるんだ。下宿料の十円や十五円は懸物を一幅売りゃ、すぐ浮いてくるって云ってたぜ」 「利いた風な事をぬかす野郎だ。そんなら、なぜ置いた」 「なぜ置いたか、僕は知らん、置くことは置いたんだが、いやになったんだから、出ろと云うんだろう。君出てやれ」 「当り前だ。居てくれと手を合せたって、居るものか。一体そんな云い懸りを云うような所へ周旋する君からしてが不埒だ」 「おれが不埒か、君が大人しくないんだか、どっちかだろう」  山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌いな大きな声を出す。控所に居た連中は何事が始まったかと思って、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋を長くしてぼんやりしている。おれは、別に恥ずかしい事をした覚えはないんだから、立ち上がりながら、部屋中一通り見巡わしてやった。みんなが驚ろいてるなかに野だだけは面白そうに笑っていた。おれの大きな眼が、貴様も喧嘩をするつもりかと云う権幕で、野だの干瓢づらを射貫いた時に、野だは突然真面目な顔をして、大いにつつしんだ。少し怖わかったと見える。そのうち喇叭が鳴る。山嵐もおれも喧嘩を中止して教場へ出た。  午後は、先夜おれに対して無礼を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生れて始めてだからとんと容子が分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、それを校長が好い加減に纏めるのだろう。纏めるというのは黒白の決しかねる事柄について云うべき言葉だ。この場合のような、誰が見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇潰しだ。誰が何と解釈したって異説の出ようはずがない。こんな明白なのは即座に校長が処分してしまえばいいに。随分決断のない事だ。校長ってものが、これならば、何の事はない、煮え切らない愚図の異名だ。  会議室は校長室の隣りにある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。黒い皮で張った椅子が二十脚ばかり、長いテーブルの周囲に並んでちょっと神田の西洋料理屋ぐらいな格だ。そのテーブルの端に校長が坐って、校長の隣りに赤シャツが構える。あとは勝手次第に席に着くんだそうだが、体操の教師だけはいつも席末に謙遜するという話だ。おれは様子が分らないから、博物の教師と漢学の教師の間へはいり込んだ。向うを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔はどう考えても劣等だ。喧嘩はしても山嵐の方が遥かに趣がある。おやじの葬式の時に小日向の養源寺の座敷にかかってた懸物はこの顔によく似ている。坊主に聞いてみたら韋駄天と云う怪物だそうだ。今日は怒ってるから、眼をぐるぐる廻しちゃ、時々おれの方を見る。そんな事で威嚇かされてたまるもんかと、おれも負けない気で、やっぱり眼をぐりつかせて、山嵐をにらめてやった。おれの眼は恰好はよくないが、大きい事においては大抵な人には負けない。あなたは眼が大きいから役者になるときっと似合いますと清がよく云ったくらいだ。  もう大抵お揃いでしょうかと校長が云うと、書記の川村と云うのが一つ二つと頭数を勘定してみる。一人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐茄子のうらなり君が来ていない。おれとうらなり君とはどう云う宿世の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼に付く、途中をあるいていても、うらなり先生の様子が心に浮ぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼い顔をして湯壺のなかに膨れている。挨拶をするとへえと恐縮して頭を下げるから気の毒になる。学校へ出てうらなり君ほど大人しい人は居ない。めったに笑った事もないが、余計な口をきいた事もない。おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に逢ってから始めて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらいだ。  このくらい関係の深い人の事だから、会議室へはいるや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ気がついた。実を云うと、この男の次へでも坐わろうかと、ひそかに目標にして来たくらいだ。校長はもうやがて見えるでしょうと、自分の前にある紫の袱紗包をほどいて、蒟蒻版のような者を読んでいる。赤シャツは琥珀のパイプを絹ハンケチで磨き始めた。この男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語き合っている。手持無沙汰なのは鉛筆の尻に着いている、護謨の頭でテーブルの上へしきりに何か書いている。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。ただうんとかああと云うばかりで、時々怖い眼をして、おれの方を見る。おれも負けずに睨め返す。  ところへ待ちかねた、うらなり君が気の毒そうにはいって来て少々用事がありまして、遅刻致しましたと慇懃に狸に挨拶をした。では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟蒻版を配布させる。見ると最初が処分の件、次が生徒取締の件、その他二三ヶ条である。狸は例の通りもったいぶって、教育の生霊という見えでこんな意味の事を述べた。「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳の致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれで校長が勤まるとひそかに慚愧の念に堪えんが、不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起したのは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。しかしひとたび起った以上は仕方がない、どうにか処分をせんければならん、事実はすでに諸君のご承知の通りであるからして、善後策について腹蔵のない事を参考のためにお述べ下さい」  おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎だとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職になったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒な会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云っても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極ってる。もし山嵐が煽動したとすれば、生徒と山嵐を退治ればそれでたくさんだ。人の尻を自分で背負い込んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼はこんな条理に適わない議論を吐いて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏がとまってるのを眺めている。漢学の先生は蒟蒻版を畳んだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気たものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。  おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾はきっとマドンナから巻き上げたに相違ない。男は白い麻を使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届であり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚ずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠があると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯をやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙する限りではないが、どうかその辺をご斟酌になって、なるべく寛大なお取計を願いたいと思います」  なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂が人の頭を撲り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有い仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲でも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸をかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。  おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々と述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌って揚足を取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊事件は吾々心ある職員をして、ひそかに吾校将来の前途に危惧の念を抱かしむるに足る珍事でありまして、吾々職員たるものはこの際奮って自ら省りみて、全校の風紀を振粛しなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮に中った剴切なお考えで私は徹頭徹尾賛成致します。どうかなるべく寛大のご処分を仰ぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列するぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。  おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢な、処分は大嫌いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪るいです。どうしても詫まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説に賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々しい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟でいた。どうせ、こんな手合を弁口で屈伏させる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄していた。  すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子窓を振わせるような声で「私は教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏を軽侮してこれを翻弄しようとした所為とより外には認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃であります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄するような軽薄な生徒を寛仮しては学校の威信に関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにあると思います。もし反動が恐しいの、騒動が大きくなるのと姑息な事を云った日にはこの弊風はいつ矯正出来るか知れません。かかる弊風を杜絶するためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃がすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰に処する上に、当該教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと腰を卸した。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを拭き始めた。おれは何だか非常に嬉しかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに難有いと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面をしている。  しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落しましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎める者のないのを幸に、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者にご注意あらん事を希望します」  妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃されても仕方がない。そこでおれはまた起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がまた笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等だ。貴様等これほど自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。  それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀は、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入しない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋だの、団子屋だの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅と云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味だ。  おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒にゃ到底出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇うがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令を出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽るとつい品性にわるい影響を及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽がないと、田舎へ来て狭い土地では到底暮せるものではない。それで釣に行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚な精神的娯楽を求めなくってはいけない……」  だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖へ行って肥料を釣ったり、ゴルキが露西亜の文学者だったり、馴染の芸者が松の木の下に立ったり、古池へ蛙が飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑み込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯でもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢うのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互に眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。 七  おれは即夜下宿を引き払った。宿へ帰って荷物をまとめていると、女房が何か不都合でもございましたか、お腹の立つ事があるなら、云っておくれたら改めますと云う。どうも驚ろく。世の中にはどうして、こんな要領を得ない者ばかり揃ってるんだろう。出てもらいたいんだか、居てもらいたいんだか分りゃしない。まるで気狂だ。こんな者を相手に喧嘩をしたって江戸っ子の名折れだから、車屋をつれて来てさっさと出てきた。  出た事は出たが、どこへ行くというあてもない。車屋が、どちらへ参りますと云うから、だまって尾いて来い、今にわかる、と云って、すたすたやって来た。面倒だから山城屋へ行こうかとも考えたが、また出なければならないから、つまり手数だ。こうして歩いてるうちには下宿とか、何とか看板のあるうちを目付け出すだろう。そうしたら、そこが天意に叶ったわが宿と云う事にしよう。とぐるぐる、閑静で住みよさそうな所をあるいているうち、とうとう鍛冶屋町へ出てしまった。ここは士族屋敷で下宿屋などのある町ではないから、もっと賑やかな方へ引き返そうかとも思ったが、ふといい事を考え付いた。おれが敬愛するうらなり君はこの町内に住んでいる。うらなり君は土地の人で先祖代々の屋敷を控えているくらいだから、この辺の事情には通じているに相違ない。あの人を尋ねて聞いたら、よさそうな下宿を教えてくれるかも知れない。幸一度挨拶に来て勝手は知ってるから、捜がしてあるく面倒はない。ここだろうと、いい加減に見当をつけて、ご免ご免と二返ばかり云うと、奥から五十ぐらいな年寄が古風な紙燭をつけて、出て来た。おれは若い女も嫌いではないが、年寄を見ると何だかなつかしい心持ちがする。大方清がすきだから、その魂が方々のお婆さんに乗り移るんだろう。これは大方うらなり君のおっ母さんだろう。切り下げの品格のある婦人だが、よくうらなり君に似ている。まあお上がりと云うところを、ちょっとお目にかかりたいからと、主人を玄関まで呼び出して実はこれこれだが君どこか心当りはありませんかと尋ねてみた。うらなり先生それはさぞお困りでございましょう、としばらく考えていたが、この裏町に萩野と云って老人夫婦ぎりで暮らしているものがある、いつぞや座敷を明けておいても無駄だから、たしかな人があるなら貸してもいいから周旋してくれと頼んだ事がある。今でも貸すかどうか分らんが、まあいっしょに行って聞いてみましょうと、親切に連れて行ってくれた。  その夜から萩野の家の下宿人となった。驚いたのは、おれがいか銀の座敷を引き払うと、翌日から入れ違いに野だが平気な顔をして、おれの居た部屋を占領した事だ。さすがのおれもこれにはあきれた。世の中はいかさま師ばかりで、お互に乗せっこをしているのかも知れない。いやになった。  世間がこんなものなら、おれも負けない気で、世間並にしなくちゃ、遣りきれない訳になる。巾着切の上前をはねなければ三度のご膳が戴けないと、事が極まればこうして、生きてるのも考え物だ。と云ってぴんぴんした達者なからだで、首を縊っちゃ先祖へ済まない上に、外聞が悪い。考えると物理学校などへはいって、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本にして牛乳屋でも始めればよかった。そうすれば清もおれの傍を離れずに済むし、おれも遠くから婆さんの事を心配しずに暮される。いっしょに居るうちは、そうでもなかったが、こうして田舎へ来てみると清はやっぱり善人だ。あんな気立のいい女は日本中さがして歩いたってめったにはない。婆さん、おれの立つときに、少々風邪を引いていたが今頃はどうしてるか知らん。先だっての手紙を見たらさぞ喜んだろう。それにしても、もう返事がきそうなものだが――おれはこんな事ばかり考えて二三日暮していた。  気になるから、宿のお婆さんに、東京から手紙は来ませんかと時々尋ねてみるが、聞くたんびに何にも参りませんと気の毒そうな顔をする。ここの夫婦はいか銀とは違って、もとが士族だけに双方共上品だ。爺さんが夜るになると、変な声を出して謡をうたうには閉口するが、いか銀のようにお茶を入れましょうと無暗に出て来ないから大きに楽だ。お婆さんは時々部屋へ来ていろいろな話をする。どうして奥さんをお連れなさって、いっしょにお出でなんだのぞなもしなどと質問をする。奥さんがあるように見えますかね。可哀想にこれでもまだ二十四ですぜと云ったらそれでも、あなた二十四で奥さんがおありなさるのは当り前ぞなもしと冒頭を置いて、どこの誰さんは二十でお嫁をお貰いたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人お持ちたのと、何でも例を半ダースばかり挙げて反駁を試みたには恐れ入った。それじゃ僕も二十四でお嫁をお貰いるけれ、世話をしておくれんかなと田舎言葉を真似て頼んでみたら、お婆さん正直に本当かなもしと聞いた。 「本当の本当のって僕あ、嫁が貰いたくって仕方がないんだ」 「そうじゃろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものじゃけれ」この挨拶には痛み入って返事が出来なかった。 「しかし先生はもう、お嫁がおありなさるに極っとらい。私はちゃんと、もう、睨らんどるぞなもし」 「へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか」 「どうしててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち焦がれておいでるじゃないかなもし」 「こいつあ驚いた。大変な活眼だ」 「中りましたろうがな、もし」 「そうですね。中ったかも知れませんよ」 「しかし今時の女子は、昔と違うて油断が出来んけれ、お気をお付けたがええぞなもし」 「何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらえていますかい」 「いいえ、あなたの奥さんはたしかじゃけれど……」 「それで、やっと安心した。それじゃ何を気を付けるんですい」 「あなたのはたしか――あなたのはたしかじゃが――」 「どこに不たしかなのが居ますかね」 「ここ等にも大分居ります。先生、あの遠山のお嬢さんをご存知かなもし」 「いいえ、知りませんね」 「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の別嬪さんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃけれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」 「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」 「いいえ、あなた。マドンナと云うと唐人の言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」 「そうかも知れないね。驚いた」 「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」 「野だがつけたんですかい」 「いいえ、あの吉川先生がお付けたのじゃがなもし」 「そのマドンナが不たしかなんですかい」 「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」 「厄介だね。渾名の付いてる女にゃ昔から碌なものは居ませんからね。そうかも知れませんよ」 「ほん当にそうじゃなもし。鬼神のお松じゃの、妲妃のお百じゃのてて怖い女が居りましたなもし」 「マドンナもその同類なんですかね」 「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をしておくれた古賀先生なもし――あの方の所へお嫁に行く約束が出来ていたのじゃがなもし――」 「へえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな艶福のある男とは思わなかった。人は見懸けによらない者だな。ちっと気を付けよう」 「ところが、去年あすこのお父さんが、お亡くなりて、――それまではお金もあるし、銀行の株も持ってお出るし、万事都合がよかったのじゃが――それからというものは、どういうものか急に暮し向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまりお人が好過ぎるけれ、お欺されたんぞなもし。それや、これやでお輿入も延びているところへ、あの教頭さんがお出でて、是非お嫁にほしいとお云いるのじゃがなもし」 「あの赤シャツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それから?」 「人を頼んで懸合うておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出来かねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじゃがなもし。すると赤シャツさんが、手蔓を求めて遠山さんの方へ出入をおしるようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手馴付けておしまいたのじゃがなもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、みんなが悪るく云いますのよ。いったん古賀さんへ嫁に行くてて承知をしときながら、今さら学士さんがお出たけれ、その方に替えよてて、それじゃ今日様へ済むまいがなもし、あなた」 「全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこありませんね」 「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友達の堀田さんが教頭の所へ意見をしにお行きたら、赤シャツさんが、あしは約束のあるものを横取りするつもりはない。破約になれば貰うかも知れんが、今のところは遠山家とただ交際をしているばかりじゃ、遠山家と交際をするには別段古賀さんに済まん事もなかろうとお云いるけれ、堀田さんも仕方がなしにお戻りたそうな。赤シャツさんと堀田さんは、それ以来折合がわるいという評判ぞなもし」 「よくいろいろな事を知ってますね。どうして、そんな詳しい事が分るんですか。感心しちまった」 「狭いけれ何でも分りますぞなもし」  分り過ぎて困るくらいだ。この容子じゃおれの天麩羅や団子の事も知ってるかも知れない。厄介な所だ。しかしお蔭様でマドンナの意味もわかるし、山嵐と赤シャツの関係もわかるし大いに後学になった。ただ困るのはどっちが悪る者だか判然しない。おれのような単純なものには白とか黒とか片づけてもらわないと、どっちへ味方をしていいか分らない。 「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね」 「山嵐て何ぞなもし」 「山嵐というのは堀田の事ですよ」 「そりゃ強い事は堀田さんの方が強そうじゃけれど、しかし赤シャツさんは学士さんじゃけれ、働きはある方ぞな、もし。それから優しい事も赤シャツさんの方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がええというぞなもし」 「つまりどっちがいいんですかね」 「つまり月給の多い方が豪いのじゃろうがなもし」  これじゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。それから二三日して学校から帰るとお婆さんがにこにこして、へえお待遠さま。やっと参りました。と一本の手紙を持って来てゆっくりご覧と云って出て行った。取り上げてみると清からの便りだ。符箋が二三枚ついてるから、よく調べると、山城屋から、いか銀の方へ廻して、いか銀から、萩野へ廻って来たのである。その上山城屋では一週間ばかり逗留している。宿屋だけに手紙まで泊るつもりなんだろう。開いてみると、非常に長いもんだ。坊っちゃんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかこうと思ったが、あいにく風邪を引いて一週間ばかり寝ていたものだから、つい遅くなって済まない。その上今時のお嬢さんのように読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのによっぽど骨が折れる。甥に代筆を頼もうと思ったが、せっかくあげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下たがきを一返して、それから清書をした。清書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日かかった。読みにくいかも知れないが、これでも一生懸命にかいたのだから、どうぞしまいまで読んでくれ。という冒頭で四尺ばかり何やらかやら認めてある。なるほど読みにくい。字がまずいばかりではない、大抵平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読をつけるのによっぽど骨が折れる。おれは焦っ勝ちな性分だから、こんな長くて、分りにくい手紙は、五円やるから読んでくれと頼まれても断わるのだが、この時ばかりは真面目になって、始から終まで読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、また頭から読み直してみた。部屋のなかは少し暗くなって、前の時より見にくく、なったから、とうとう椽鼻へ出て腰をかけながら鄭寧に拝見した。すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、しまいぎわには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向うの生垣まで飛んで行きそうだ。おれはそんな事には構っていられない。坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ肝癪が強過ぎてそれが心配になる。――ほかの人に無暗に渾名なんか、つけるのは人に恨まれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない、もしつけたら、清だけに手紙で知らせろ。――田舎者は人がわるいそうだから、気をつけてひどい目に遭わないようにしろ。――気候だって東京より不順に極ってるから、寝冷をして風邪を引いてはいけない。坊っちゃんの手紙はあまり短過ぎて、容子がよくわからないから、この次にはせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。――宿屋へ茶代を五円やるのはいいが、あとで困りゃしないか、田舎へ行って頼りになるはお金ばかりだから、なるべく倹約して、万一の時に差支えないようにしなくっちゃいけない。――お小遣がなくて困るかも知れないから、為替で十円あげる。――先だって坊っちゃんからもらった五十円を、坊っちゃんが、東京へ帰って、うちを持つ時の足しにと思って、郵便局へ預けておいたが、この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。――なるほど女と云うものは細かいものだ。  おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込んでいると、しきりの襖をあけて、萩野のお婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見てお出でるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳についた。見ると今夜も薩摩芋の煮つけだ。ここのうちは、いか銀よりも鄭寧で、親切で、しかも上品だが、惜しい事に食い物がまずい。昨日も芋、一昨日も芋で今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつづかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清ならこんな時に、おれの好きな鮪のさし身か、蒲鉾のつけ焼を食わせるんだが、貧乏士族のけちん坊と来ちゃ仕方がない。どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召び寄せてやろう。天麩羅蕎麦を食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗坊主だって、これよりは口に栄耀をさせているだろう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗から生卵を二つ出して、茶碗の縁でたたき割って、ようやく凌いだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。  今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乗って出懸けようと、例の赤手拭をぶら下げて停車場まで来ると二三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島を吹かしていると、偶然にもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり君がなおさら気の毒になった。平常から天地の間に居候をしているように、小さく構えているのがいかにも憐れに見えたが、今夜は憐れどころの騒ぎではない。出来るならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんと明日から結婚さして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってやりたい気がした矢先だから、やお湯ですか、さあ、こっちへお懸けなさいと威勢よく席を譲ると、うらなり君は恐れ入った体裁で、いえ構うておくれなさるな、と遠慮だか何だかやっぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、草臥れますからお懸けなさいとまた勧めてみた。実はどうかして、そばへ懸けてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではお邪魔を致しましょうとようやくおれの云う事を聞いてくれた。世の中には野だみたように生意気な、出ないで済む所へ必ず顔を出す奴もいる。山嵐のようにおれが居なくっちゃ日本が困るだろうと云うような面を肩の上へ載せてる奴もいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチックと色男の問屋をもって自ら任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだと云わぬばかりの狸もいる。皆々それ相応に威張ってるんだが、このうらなり先生のように在れどもなきがごとく、人質に取られた人形のように大人しくしているのは見た事がない。顔はふくれているが、こんな結構な男を捨てて赤シャツに靡くなんて、マドンナもよっぼど気の知れないおきゃんだ。赤シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様が出来るもんか。 「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという持病もないですが……」 「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」 「あなたは大分ご丈夫のようですな」 「ええ瘠せても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」  うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。  ところへ入口で若々しい女の笑声が聞えたから、何心なく振り返ってみるとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立っている。おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ちがした。年寄の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思う途端に、うらなり君の事は全然忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然おれの隣から、立ち上がって、そろそろ女の方へ歩き出したんで、少し驚いた。マドンナじゃないかと思った。三人は切符所の前で軽く挨拶している。遠いから何を云ってるのか分らない。  停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳け込んで来たものがある。見れば赤シャツだ。何だかべらべら然たる着物へ縮緬の帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖りをぶらつかしている。あの金鎖りは贋物である。赤シャツは誰も知るまいと思って、見せびらかしているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売下所の前に話している三人へ慇懃にお辞儀をして、何か二こと、三こと、云ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足にあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分の金側を出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍へ腰を卸した。女の方はちっとも見返らないで杖の上に顋をのせて、正面ばかり眺めている。年寄の婦人は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。  やがて、ピューと汽笛が鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾れ勝に乗り込む。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田まで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発して白切符を握ってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもすこぶる苦になると見えて、大抵は下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋が上等へはいり込んだ。うらなり君は活版で押したように下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立って、何だか躊躇の体であったが、おれの顔を見るや否や思いきって、飛び込んでしまった。おれはこの時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。  温泉へ着いて、三階から、浴衣のなりで湯壺へ下りてみたら、またうらなり君に逢った。おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉が塞がって饒舌れない男だが、平常は随分弁ずる方だから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。何だか憐れぽくってたまらない。こんな時に一口でも先方の心を慰めてやるのは、江戸っ子の義務だと思ってる。ところがあいにくうらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えとかいえとかぎりで、しかもそのえといえが大分面倒らしいので、しまいにはとうとう切り上げて、こっちからご免蒙った。  湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも風呂の数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着いても、同じ湯壺で逢うとは極まっていない。別段不思議にも思わなかった。風呂を出てみるといい月だ。町内の両側に柳が植って、柳の枝が丸るい影を往来の中へ落している。少し散歩でもしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼である。山門のなかに遊廓があるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾をかけた、小さな格子窓の平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯に汁粉、お雑煮とかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端に近い一本の柳の幹を照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。  食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の許嫁が他人に心を移したのは、なお情ないだろう。うらなり君の事を思うと、団子は愚か、三日ぐらい断食しても不平はこぼせない訳だ。本当に人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんな不人情な事をしそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜の水膨れのような古賀さんが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊だと思った山嵐は生徒を煽動したと云うし。生徒を煽動したのかと思うと、生徒の処分を校長に逼るし。厭味で練りかためたような赤シャツが存外親切で、おれに余所ながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを胡魔化したり、胡魔化したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云うし。いか銀が難癖をつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入れ替ったり――どう考えてもあてにならない。こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根の向うだから化物が寄り合ってるんだと云うかも知れない。  おれは、性来構わない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日まで凌いで来たのだが、ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒に思い出した。別段際だった大事件にも出逢わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰るのが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡って野芹川の堤へ出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下ると相生村へ出る。村には観音様がある。  温泉の町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかがやいている。太鼓が鳴るのは遊廓に相違ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるきながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影が見え出した。月に透かしてみると影は二つある。温泉へ来て村へ帰る若い衆かも知れない。それにしては唄もうたわない。存外静かだ。  だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離に逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後からさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸けた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖を擦り抜けざま、二足前へ出した踵をぐるりと返して男の顔を覗き込んだ。月は正面からおれの五分刈の頭から顋の辺りまで、会釈もなく照す。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促がすが早いか、温泉の町の方へ引き返した。  赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損なったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。 八  赤シャツに勧められて釣に行った帰りから、山嵐を疑ぐり出した。無い事を種に下宿を出ろと云われた時は、いよいよ不埒な奴だと思った。ところが会議の席では案に相違して滔々と生徒厳罰論を述べたから、おや変だなと首を捩った。萩野の婆さんから、山嵐が、うらなり君のために赤シャツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍った。この様子ではわる者は山嵐じゃあるまい、赤シャツの方が曲ってるんで、好加減な邪推を実しやかに、しかも遠廻しに、おれの頭の中へ浸み込ましたのではあるまいかと迷ってる矢先へ、野芹川の土手で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たから、それ以来赤シャツは曲者だと極めてしまった。曲者だか何だかよくは分らないが、ともかくも善い男じゃない。表と裏とは違った男だ。人間は竹のように真直でなくっちゃ頼もしくない。真直なものは喧嘩をしても心持ちがいい。赤シャツのようなやさしいのと、親切なのと、高尚なのと、琥珀のパイプとを自慢そうに見せびらかすのは油断が出来ない、めったに喧嘩も出来ないと思った。喧嘩をしても、回向院の相撲のような心持ちのいい喧嘩は出来ないと思った。そうなると一銭五厘の出入で控所全体を驚ろかした議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。会議の時に金壺眼をぐりつかせて、おれを睨めた時は憎い奴だと思ったが、あとで考えると、それも赤シャツのねちねちした猫撫声よりはましだ。実はあの会議が済んだあとで、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こと話しかけてみたが、野郎返事もしないで、まだ眼を剥ってみせたから、こっちも腹が立ってそのままにしておいた。  それ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の墻壁になって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑として黙ってる。おれと山嵐には一銭五厘が祟った。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。  山嵐とおれが絶交の姿となったに引き易えて、赤シャツとおれは依然として在来の関係を保って、交際をつづけている。野芹川で逢った翌日などは、学校へ出ると第一番におれの傍へ来て、君今度の下宿はいいですかのまたいっしょに露西亜文学を釣りに行こうじゃないかのといろいろな事を話しかけた。おれは少々憎らしかったから、昨夜は二返逢いましたねと云ったら、ええ停車場で――君はいつでもあの時分出掛けるのですか、遅いじゃないかと云う。野芹川の土手でもお目に懸りましたねと喰らわしてやったら、いいえ僕はあっちへは行かない、湯にはいって、すぐ帰ったと答えた。何もそんなに隠さないでもよかろう、現に逢ってるんだ。よく嘘をつく男だ。これで中学の教頭が勤まるなら、おれなんか大学総長がつとまる。おれはこの時からいよいよ赤シャツを信用しなくなった。信用しない赤シャツとは口をきいて、感心している山嵐とは話をしない。世の中は随分妙なものだ。  ある日の事赤シャツがちょっと君に話があるから、僕のうちまで来てくれと云うから、惜しいと思ったが温泉行きを欠勤して四時頃出掛けて行った。赤シャツは一人ものだが、教頭だけに下宿はとくの昔に引き払って立派な玄関を構えている。家賃は九円五拾銭だそうだ。田舎へ来て九円五拾銭払えばこんな家へはいれるなら、おれも一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやろうと思ったくらいな玄関だ。頼むと云ったら、赤シャツの弟が取次に出て来た。この弟は学校で、おれに代数と算術を教わる至って出来のわるい子だ。その癖渡りものだから、生れ付いての田舎者よりも人が悪るい。  赤シャツに逢って用事を聞いてみると、大将例の琥珀のパイプで、きな臭い烟草をふかしながら、こんな事を云った。「君が来てくれてから、前任者の時代よりも成績がよくあがって、校長も大いにいい人を得たと喜んでいるので――どうか学校でも信頼しているのだから、そのつもりで勉強していただきたい」 「へえ、そうですか、勉強って今より勉強は出来ませんが――」 「今のくらいで充分です。ただ先だってお話しした事ですね、あれを忘れずにいて下さればいいのです」 「下宿の世話なんかするものあ剣呑だという事ですか」 「そう露骨に云うと、意味もない事になるが――まあ善いさ――精神は君にもよく通じている事と思うから。そこで君が今のように出精して下されば、学校の方でも、ちゃんと見ているんだから、もう少しして都合さえつけば、待遇の事も多少はどうにかなるだろうと思うんですがね」 「へえ、俸給ですか。俸給なんかどうでもいいんですが、上がれば上がった方がいいですね」 「それで幸い今度転任者が一人出来るから――もっとも校長に相談してみないと無論受け合えない事だが――その俸給から少しは融通が出来るかも知れないから、それで都合をつけるように校長に話してみようと思うんですがね」 「どうも難有う。だれが転任するんですか」 「もう発表になるから話しても差し支えないでしょう。実は古賀君です」 「古賀さんは、だってここの人じゃありませんか」 「ここの地の人ですが、少し都合があって――半分は当人の希望です」 「どこへ行くんです」 「日向の延岡で――土地が土地だから一級俸上って行く事になりました」 「誰か代りが来るんですか」 「代りも大抵極まってるんです。その代りの具合で君の待遇上の都合もつくんです」 「はあ、結構です。しかし無理に上がらないでも構いません」 「とも角も僕は校長に話すつもりです。それで校長も同意見らしいが、追っては君にもっと働いて頂だかなくってはならんようになるかも知れないから、どうか今からそのつもりで覚悟をしてやってもらいたいですね」 「今より時間でも増すんですか」 「いいえ、時間は今より減るかも知れませんが――」 「時間が減って、もっと働くんですか、妙だな」 「ちょっと聞くと妙だが、――判然とは今言いにくいが――まあつまり、君にもっと重大な責任を持ってもらうかも知れないという意味なんです」  おれには一向分らない。今より重大な責任と云えば、数学の主任だろうが、主任は山嵐だから、やっこさんなかなか辞職する気遣いはない。それに、生徒の人望があるから転任や免職は学校の得策であるまい。赤シャツの談話はいつでも要領を得ない。要領を得なくっても用事はこれで済んだ。それから少し雑談をしているうちに、うらなり君の送別会をやる事や、ついてはおれが酒を飲むかと云う問や、うらなり先生は君子で愛すべき人だと云う事や――赤シャツはいろいろ弁じた。しまいに話をかえて君俳句をやりますかと来たから、こいつは大変だと思って、俳句はやりません、さようならと、そこそこに帰って来た。発句は芭蕉か髪結床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶をとられてたまるものか。  帰ってうんと考え込んだ。世間には随分気の知れない男が居る。家屋敷はもちろん、勤める学校に不足のない故郷がいやになったからと云って、知らぬ他国へ苦労を求めに出る。それも花の都の電車が通ってる所なら、まだしもだが、日向の延岡とは何の事だ。おれは船つきのいいここへ来てさえ、一ヶ月立たないうちにもう帰りたくなった。延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツの云うところによると船から上がって、一日馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人とが半々に住んでるような気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物数奇だ。  ところへあいかわらず婆さんが夕食を運んで出る。今日もまた芋ですかいと聞いてみたら、いえ今日はお豆腐ぞなもしと云った。どっちにしたって似たものだ。 「お婆さん古賀さんは日向へ行くそうですね」 「ほん当にお気の毒じゃな、もし」 「お気の毒だって、好んで行くんなら仕方がないですね」 「好んで行くて、誰がぞなもし」 「誰がぞなもしって、当人がさ。古賀先生が物数奇に行くんじゃありませんか」 「そりゃあなた、大違いの勘五郎ぞなもし」 「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう云いましたぜ。それが勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法螺右衛門だ」 「教頭さんが、そうお云いるのはもっともじゃが、古賀さんのお往きともないのももっともぞなもし」 「そんなら両方もっともなんですね。お婆さんは公平でいい。一体どういう訳なんですい」 「今朝古賀のお母さんが見えて、だんだん訳をお話したがなもし」 「どんな訳をお話したんです」 「あそこもお父さんがお亡くなりてから、あたし達が思うほど暮し向が豊かになうてお困りじゃけれ、お母さんが校長さんにお頼みて、もう四年も勤めているものじゃけれ、どうぞ毎月頂くものを、今少しふやしておくれんかてて、あなた」 「なるほど」 「校長さんが、ようまあ考えてみとこうとお云いたげな。それでお母さんも安心して、今に増給のご沙汰があろぞ、今月か来月かと首を長くして待っておいでたところへ、校長さんがちょっと来てくれと古賀さんにお云いるけれ、行ってみると、気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、お望み通りでよかろうと思うて、その手続きにしたから行くがええと云われたげな。――」 「じゃ相談じゃない、命令じゃありませんか」 「さよよ。古賀さんはよそへ行って月給が増すより、元のままでもええから、ここに居りたい。屋敷もあるし、母もあるからとお頼みたけれども、もうそう極めたあとで、古賀さんの代りは出来ているけれ仕方がないと校長がお云いたげな」 「へん人を馬鹿にしてら、面白くもない。じゃ古賀さんは行く気はないんですね。どうれで変だと思った。五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木はまずないからね」 「唐変木て、先生なんぞなもし」 「何でもいいでさあ、――全く赤シャツの作略だね。よくない仕打だ。まるで欺撃ですね。それでおれの月給を上げるなんて、不都合な事があるものか。上げてやるったって、誰が上がってやるものか」 「先生は月給がお上りるのかなもし」 「上げてやるって云うから、断わろうと思うんです」 「何で、お断わりるのぞなもし」 「何でもお断わりだ。お婆さん、あの赤シャツは馬鹿ですぜ。卑怯でさあ」 「卑怯でもあんた、月給を上げておくれたら、大人しく頂いておく方が得ぞなもし。若いうちはよく腹の立つものじゃが、年をとってから考えると、も少しの我慢じゃあったのに惜しい事をした。腹立てたためにこないな損をしたと悔むのが当り前じゃけれ、お婆の言う事をきいて、赤シャツさんが月給をあげてやろとお言いたら、難有うと受けておおきなさいや」 「年寄の癖に余計な世話を焼かなくってもいい。おれの月給は上がろうと下がろうとおれの月給だ」  婆さんはだまって引き込んだ。爺さんは呑気な声を出して謡をうたってる。謡というものは読んでわかる所を、やにむずかしい節をつけて、わざと分らなくする術だろう。あんな者を毎晩飽きずに唸る爺さんの気が知れない。おれは謡どころの騒ぎじゃない。月給を上げてやろうと云うから、別段欲しくもなかったが、入らない金を余しておくのももったいないと思って、よろしいと承知したのだが、転任したくないものを無理に転任させてその男の月給の上前を跳ねるなんて不人情な事が出来るものか。当人がもとの通りでいいと云うのに延岡下りまで落ちさせるとは一体どう云う了見だろう。太宰権帥でさえ博多近辺で落ちついたものだ。河合又五郎だって相良でとまってるじゃないか。とにかく赤シャツの所へ行って断わって来なくっちあ気が済まない。  小倉の袴をつけてまた出掛けた。大きな玄関へ突っ立って頼むと云うと、また例の弟が取次に出て来た。おれの顔を見てまた来たかという眼付をした。用があれば二度だって三度だって来る。よる夜なかだって叩き起さないとは限らない。教頭の所へご機嫌伺いにくるようなおれと見損ってるか。これでも月給が入らないから返しに来んだ。すると弟が今来客中だと云うから、玄関でいいからちょっとお目にかかりたいと云ったら奥へ引き込んだ。足元を見ると、畳付きの薄っぺらな、のめりの駒下駄がある。奥でもう万歳ですよと云う声が聞える。お客とは野だだなと気がついた。野だでなくては、あんな黄色い声を出して、こんな芸人じみた下駄を穿くものはない。  しばらくすると、赤シャツがランプを持って玄関まで出て来て、まあ上がりたまえ、外の人じゃない吉川君だ、と云うから、いえここでたくさんです。ちょっと話せばいいんです、と云って、赤シャツの顔を見ると金時のようだ。野だ公と一杯飲んでると見える。 「さっき僕の月給を上げてやるというお話でしたが、少し考えが変ったから断わりに来たんです」  赤シャツはランプを前へ出して、奥の方からおれの顔を眺めたが、とっさの場合返事をしかねて茫然としている。増給を断わる奴が世の中にたった一人飛び出して来たのを不審に思ったのか、断わるにしても、今帰ったばかりで、すぐ出直してこなくってもよさそうなものだと、呆れ返ったのか、または双方合併したのか、妙な口をして突っ立ったままである。 「あの時承知したのは、古賀君が自分の希望で転任するという話でしたからで……」 「古賀君は全く自分の希望で半ば転任するんです」 「そうじゃないんです、ここに居たいんです。元の月給でもいいから、郷里に居たいのです」 「君は古賀君から、そう聞いたのですか」 「そりゃ当人から、聞いたんじゃありません」 「じゃ誰からお聞きです」 「僕の下宿の婆さんが、古賀さんのおっ母さんから聞いたのを今日僕に話したのです」 「じゃ、下宿の婆さんがそう云ったのですね」 「まあそうです」 「それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そういう意味に解釈して差支えないでしょうか」  おれはちょっと困った。文学士なんてものはやっぱりえらいものだ。妙な所へこだわって、ねちねち押し寄せてくる。おれはよく親父から貴様はそそっかしくて駄目だ駄目だと云われたが、なるほど少々そそっかしいようだ。婆さんの話を聞いてはっと思って飛び出して来たが、実はうらなり君にもうらなりのおっ母さんにも逢って詳しい事情は聞いてみなかったのだ。だからこう文学士流に斬り付けられると、ちょっと受け留めにくい。  正面からは受け留めにくいが、おれはもう赤シャツに対して不信任を心の中で申し渡してしまった。下宿の婆さんもけちん坊の欲張り屋に相違ないが、嘘は吐かない女だ、赤シャツのように裏表はない。おれは仕方がないから、こう答えた。 「あなたの云う事は本当かも知れないですが――とにかく増給はご免蒙ります」 「それはますます可笑しい。今君がわざわざお出になったのは増俸を受けるには忍びない、理由を見出したからのように聞えたが、その理由が僕の説明で取り去られたにもかかわらず増俸を否まれるのは少し解しかねるようですね」 「解しかねるかも知れませんがね。とにかく断わりますよ」 「そんなに否なら強いてとまでは云いませんが、そう二三時間のうちに、特別の理由もないのに豹変しちゃ、将来君の信用にかかわる」 「かかわっても構わないです」 「そんな事はないはずです、人間に信用ほど大切なものはありませんよ。よしんば今一歩譲って、下宿の主人が……」 「主人じゃない、婆さんです」 「どちらでもよろしい。下宿の婆さんが君に話した事を事実としたところで、君の増給は古賀君の所得を削って得たものではないでしょう。古賀君は延岡へ行かれる。その代りがくる。その代りが古賀君よりも多少低給で来てくれる。その剰余を君に廻わすと云うのだから、君は誰にも気の毒がる必要はないはずです。古賀君は延岡でただ今よりも栄進される。新任者は最初からの約束で安くくる。それで君が上がられれば、これほど都合のいい事はないと思うですがね。いやなら否でもいいが、もう一返うちでよく考えてみませんか」  おれの頭はあまりえらくないのだから、いつもなら、相手がこういう巧妙な弁舌を揮えば、おやそうかな、それじゃ、おれが間違ってたと恐れ入って引きさがるのだけれども、今夜はそうは行かない。ここへ来た最初から赤シャツは何だか虫が好かなかった。途中で親切な女みたような男だと思い返した事はあるが、それが親切でも何でもなさそうなので、反動の結果今じゃよっぽど厭になっている。だから先がどれほどうまく論理的に弁論を逞くしようとも、堂々たる教頭流におれを遣り込めようとも、そんな事は構わない。議論のいい人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。表向きは赤シャツの方が重々もっともだが、表向きがいくら立派だって、腹の中まで惚れさせる訳には行かない。金や威力や理屈で人間の心が買える者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭ぐらいな論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。 「あなたの云う事はもっともですが、僕は増給がいやになったんですから、まあ断わります。考えたって同じ事です。さようなら」と云いすてて門を出た。頭の上には天の川が一筋かかっている。 九  うらなり君の送別会のあるという日の朝、学校へ出たら、山嵐が突然、君先だってはいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出るように話してくれと頼んだから、真面目に受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いてみると、あいつは悪るい奴で、よく偽筆へ贋落款などを押して売りつけるそうだから、全く君の事も出鱈目に違いない。君に懸物や骨董を売りつけて、商売にしようと思ってたところが、君が取り合わないで儲けがないものだから、あんな作りごとをこしらえて胡魔化したのだ。僕はあの人物を知らなかったので君に大変失敬した勘弁したまえと長々しい謝罪をした。  おれは何とも云わずに、山嵐の机の上にあった、一銭五厘をとって、おれの蝦蟇口のなかへ入れた。山嵐は君それを引き込めるのかと不審そうに聞くから、うんおれは君に奢られるのが、いやだったから、是非返すつもりでいたが、その後だんだん考えてみると、やっぱり奢ってもらう方がいいようだから、引き込ますんだと説明した。山嵐は大きな声をしてアハハハと笑いながら、そんなら、なぜ早く取らなかったのだと聞いた。実は取ろう取ろうと思ってたが、何だか妙だからそのままにしておいた。近来は学校へ来て一銭五厘を見るのが苦になるくらいいやだったと云ったら、君はよっぽど負け惜しみの強い男だと云うから、君はよっぽど剛情張りだと答えてやった。それから二人の間にこんな問答が起った。 「君は一体どこの産だ」 「おれは江戸っ子だ」 「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」 「きみはどこだ」 「僕は会津だ」 「会津っぽか、強情な訳だ。今日の送別会へ行くのかい」 「行くとも、君は?」 「おれは無論行くんだ。古賀さんが立つ時は、浜まで見送りに行こうと思ってるくらいだ」 「送別会は面白いぜ、出て見たまえ。今日は大いに飲むつもりだ」 「勝手に飲むがいい。おれは肴を食ったら、すぐ帰る。酒なんか飲む奴は馬鹿だ」 「君はすぐ喧嘩を吹き懸ける男だ。なるほど江戸っ子の軽跳な風を、よく、あらわしてる」 「何でもいい、送別会へ行く前にちょっとおれのうちへお寄り、話しがあるから」  山嵐は約束通りおれの下宿へ寄った。おれはこの間から、うらなり君の顔を見る度に気の毒でたまらなかったが、いよいよ送別の今日となったら、何だか憐れっぽくって、出来る事なら、おれが代りに行ってやりたい様な気がしだした。それで送別会の席上で、大いに演説でもしてその行を盛にしてやりたいと思うのだが、おれのべらんめえ調子じゃ、到底物にならないから、大きな声を出す山嵐を雇って、一番赤シャツの荒肝を挫いでやろうと考え付いたから、わざわざ山嵐を呼んだのである。  おれはまず冒頭としてマドンナ事件から説き出したが、山嵐は無論マドンナ事件はおれより詳しく知っている。おれが野芹川の土手の話をして、あれは馬鹿野郎だと云ったら、山嵐は君はだれを捕まえても馬鹿呼わりをする。今日学校で自分の事を馬鹿と云ったじゃないか。自分が馬鹿なら、赤シャツは馬鹿じゃない。自分は赤シャツの同類じゃないと主張した。それじゃ赤シャツは腑抜けの呆助だと云ったら、そうかもしれないと山嵐は大いに賛成した。山嵐は強い事は強いが、こんな言葉になると、おれより遥かに字を知っていない。会津っぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだろう。  それから増給事件と将来重く登用すると赤シャツが云った話をしたら山嵐はふふんと鼻から声を出して、それじゃ僕を免職する考えだなと云った。免職するつもりだって、君は免職になる気かと聞いたら、誰がなるものか、自分が免職になるなら、赤シャツもいっしょに免職させてやると大いに威張った。どうしていっしょに免職させる気かと押し返して尋ねたら、そこはまだ考えていないと答えた。山嵐は強そうだが、智慧はあまりなさそうだ。おれが増給を断わったと話したら、大将大きに喜んでさすが江戸っ子だ、えらいと賞めてくれた。  うらなりが、そんなに厭がっているなら、なぜ留任の運動をしてやらなかったと聞いてみたら、うらなりから話を聞いた時は、既にきまってしまって、校長へ二度、赤シャツへ一度行って談判してみたが、どうする事も出来なかったと話した。それについても古賀があまり好人物過ぎるから困る。赤シャツから話があった時、断然断わるか、一応考えてみますと逃げればいいのに、あの弁舌に胡魔化されて、即席に許諾したものだから、あとからお母さんが泣きついても、自分が談判に行っても役に立たなかったと非常に残念がった。  今度の事件は全く赤シャツが、うらなりを遠ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだろうとおれが云ったら、無論そうに違いない。あいつは大人しい顔をして、悪事を働いて、人が何か云うと、ちゃんと逃道を拵えて待ってるんだから、よっぽど奸物だ。あんな奴にかかっては鉄拳制裁でなくっちゃ利かないと、瘤だらけの腕をまくってみせた。おれはついでだから、君の腕は強そうだな柔術でもやるかと聞いてみた。すると大将二の腕へ力瘤を入れて、ちょっと攫んでみろと云うから、指の先で揉んでみたら、何の事はない湯屋にある軽石の様なものだ。  おれはあまり感心したから、君そのくらいの腕なら、赤シャツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだろうと聞いたら、無論さと云いながら、曲げた腕を伸ばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるりぐるりと皮のなかで廻転する。すこぶる愉快だ。山嵐の証明する所によると、かんじん綯りを二本より合せて、この力瘤の出る所へ巻きつけて、うんと腕を曲げると、ぷつりと切れるそうだ。かんじんよりなら、おれにも出来そうだと云ったら、出来るものか、出来るならやってみろと来た。切れないと外聞がわるいから、おれは見合せた。  君どうだ、今夜の送別会に大いに飲んだあと、赤シャツと野だを撲ってやらないかと面白半分に勧めてみたら、山嵐はそうだなと考えていたが、今夜はまあよそうと云った。なぜと聞くと、今夜は古賀に気の毒だから――それにどうせ撲るくらいなら、あいつらの悪るい所を見届けて現場で撲らなくっちゃ、こっちの落度になるからと、分別のありそうな事を附加した。山嵐でもおれよりは考えがあると見える。  じゃ演説をして古賀君を大いにほめてやれ、おれがすると江戸っ子のぺらぺらになって重みがなくていけない。そうして、きまった所へ出ると、急に溜飲が起って咽喉の所へ、大きな丸が上がって来て言葉が出ないから、君に譲るからと云ったら、妙な病気だな、じゃ君は人中じゃ口は利けないんだね、困るだろう、と聞くから、何そんなに困りゃしないと答えておいた。  そうこうするうち時間が来たから、山嵐と一所に会場へ行く。会場は花晨亭といって、当地で第一等の料理屋だそうだが、おれは一度も足を入れた事がない。もとの家老とかの屋敷を買い入れて、そのまま開業したという話だが、なるほど見懸からして厳めしい構えだ。家老の屋敷が料理屋になるのは、陣羽織を縫い直して、胴着にする様なものだ。  二人が着いた頃には、人数ももう大概揃って、五十畳の広間に二つ三つ人間の塊が出来ている。五十畳だけに床は素敵に大きい。おれが山城屋で占領した十五畳敷の床とは比較にならない。尺を取ってみたら二間あった。右の方に、赤い模様のある瀬戸物の瓶を据えて、その中に松の大きな枝が挿してある。松の枝を挿して何にする気か知らないが、何ヶ月立っても散る気遣いがないから、銭が懸らなくって、よかろう。あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません、伊万里ですと云った。伊万里だって瀬戸物じゃないかと、云ったら、博物はえへへへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器の事を瀬戸物というのかと思っていた。床の真中に大きな懸物があって、おれの顔くらいな大きさな字が二十八字かいてある。どうも下手なものだ。あんまり不味いから、漢学の先生に、なぜあんなまずいものを麗々と懸けておくんですと尋ねたところ、先生はあれは海屋といって有名な書家のかいた者だと教えてくれた。海屋だか何だか、おれは今だに下手だと思っている。  やがて書記の川村がどうかお着席をと云うから、柱があって靠りかかるのに都合のいい所へ坐った。海屋の懸物の前に狸が羽織、袴で着席すると、左に赤シャツが同じく羽織袴で陣取った。右の方は主人公だというのでうらなり先生、これも日本服で控えている。おれは洋服だから、かしこまるのが窮屈だったから、すぐ胡坐をかいた。隣りの体操教師は黒ずぼんで、ちゃんとかしこまっている。体操の教師だけにいやに修行が積んでいる。やがてお膳が出る。徳利が並ぶ。幹事が立って、一言開会の辞を述べる。それから狸が立つ。赤シャツが起つ。ことごとく送別の辞を述べたが、三人共申し合せたようにうらなり君の、良教師で好人物な事を吹聴して、今回去られるのはまことに残念である、学校としてのみならず、個人として大いに惜しむところであるが、ご一身上のご都合で、切に転任をご希望になったのだから致し方がないという意味を述べた。こんな嘘をついて送別会を開いて、それでちっとも恥かしいとも思っていない。ことに赤シャツに至って三人のうちで一番うらなり君をほめた。この良友を失うのは実に自分にとって大なる不幸であるとまで云った。しかもそのいい方がいかにも、もっともらしくって、例のやさしい声を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始めて聞いたものは、誰でもきっとだまされるに極ってる。マドンナも大方この手で引掛けたんだろう。赤シャツが送別の辞を述べ立てている最中、向側に坐っていた山嵐がおれの顔を見てちょっと稲光をさした。おれは返電として、人指し指でべっかんこうをして見せた。  赤シャツが座に復するのを待ちかねて、山嵐がぬっと立ち上がったから、おれは嬉しかったので、思わず手をぱちぱちと拍った。すると狸を始め一同がことごとくおれの方を見たには少々困った。山嵐は何を云うかと思うとただ今校長始めことに教頭は古賀君の転任を非常に残念がられたが、私は少々反対で古賀君が一日も早く当地を去られるのを希望しております。延岡は僻遠の地で、当地に比べたら物質上の不便はあるだろう。が、聞くところによれば風俗のすこぶる淳朴な所で、職員生徒ことごとく上代樸直の気風を帯びているそうである。心にもないお世辞を振り蒔いたり、美しい顔をして君子を陥れたりするハイカラ野郎は一人もないと信ずるからして、君のごとき温良篤厚の士は必ずその地方一般の歓迎を受けられるに相違ない。吾輩は大いに古賀君のためにこの転任を祝するのである。終りに臨んで君が延岡に赴任されたら、その地の淑女にして、君子の好逑となるべき資格あるものを択んで一日も早く円満なる家庭をかたち作って、かの不貞無節なるお転婆を事実の上において慚死せしめん事を希望します。えへんえへんと二つばかり大きな咳払いをして席に着いた。おれは今度も手を叩こうと思ったが、またみんながおれの面を見るといやだから、やめにしておいた。山嵐が坐ると今度はうらなり先生が起った。先生はご鄭寧に、自席から、座敷の端の末座まで行って、慇懃に一同に挨拶をした上、今般は一身上の都合で九州へ参る事になりましたについて、諸先生方が小生のためにこの盛大なる送別会をお開き下さったのは、まことに感銘の至りに堪えぬ次第で――ことにただ今は校長、教頭その他諸君の送別の辞を頂戴して、大いに難有く服膺する訳であります。私はこれから遠方へ参りますが、なにとぞ従前の通りお見捨てなくご愛顧のほどを願います。とへえつく張って席に戻った。うらなり君はどこまで人が好いんだか、ほとんど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされている校長や、教頭に恭しくお礼を云っている。それも義理一遍の挨拶ならだが、あの様子や、あの言葉つきや、あの顔つきから云うと、心から感謝しているらしい。こんな聖人に真面目にお礼を云われたら、気の毒になって、赤面しそうなものだが狸も赤シャツも真面目に謹聴しているばかりだ。  挨拶が済んだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれも真似をして汁を飲んでみたがまずいもんだ。口取に蒲鉾はついてるが、どす黒くて竹輪の出来損ないである。刺身も並んでるが、厚くって鮪の切り身を生で食うと同じ事だ。それでも隣り近所の連中はむしゃむしゃ旨そうに食っている。大方江戸前の料理を食った事がないんだろう。  そのうち燗徳利が頻繁に往来し始めたら、四方が急に賑やかになった。野だ公は恭しく校長の前へ出て盃を頂いてる。いやな奴だ。うらなり君は順々に献酬をして、一巡周るつもりとみえる。はなはだご苦労である。うらなり君がおれの前へ来て、一つ頂戴致しましょうと袴のひだを正して申し込まれたから、おれも窮屈にズボンのままかしこまって、一盃差し上げた。せっかく参って、すぐお別れになるのは残念ですね。ご出立はいつです、是非浜までお見送りをしましょうと云ったら、うらなり君はいえご用多のところ決してそれには及びませんと答えた。うらなり君が何と云ったって、おれは学校を休んで送る気でいる。  それから一時間ほどするうちに席上は大分乱れて来る。まあ一杯、おや僕が飲めと云うのに……などと呂律の巡りかねるのも一人二人出来て来た。少々退屈したから便所へ行って、昔風な庭を星明りにすかして眺めていると山嵐が来た。どうださっきの演説はうまかったろう。と大分得意である。大賛成だが一ヶ所気に入らないと抗議を申し込んだら、どこが不賛成だと聞いた。 「美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡に居らないから……と君は云ったろう」 「うん」 「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」 「じゃ何と云うんだ」 「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」 「おれには、そう舌は廻らない。君は能弁だ。第一単語を大変たくさん知ってる。それで演舌が出来ないのは不思議だ」 「なにこれは喧嘩のときに使おうと思って、用心のために取っておく言葉さ。演舌となっちゃ、こうは出ない」 「そうかな、しかしぺらぺら出るぜ。もう一遍やって見たまえ」 「何遍でもやるさいいか。――ハイカラ野郎のペテン師の、イカサマ師の……」と云いかけていると、椽側をどたばた云わして、二人ばかり、よろよろしながら馳け出して来た。 「両君そりゃひどい、――逃げるなんて、――僕が居るうちは決して逃さない、さあのみたまえ。――いかさま師?――面白い、いかさま面白い。――さあ飲みたまえ」 とおれと山嵐をぐいぐい引っ張って行く。実はこの両人共便所に来たのだが、酔ってるもんだから、便所へはいるのを忘れて、おれ等を引っ張るのだろう。酔っ払いは目の中る所へ用事を拵えて、前の事はすぐ忘れてしまうんだろう。 「さあ、諸君、いかさま師を引っ張って来た。さあ飲ましてくれたまえ。いかさま師をうんと云うほど、酔わしてくれたまえ。君逃げちゃいかん」 と逃げもせぬ、おれを壁際へ圧し付けた。諸方を見廻してみると、膳の上に満足な肴の乗っているのは一つもない。自分の分を奇麗に食い尽して、五六間先へ遠征に出た奴もいる。校長はいつ帰ったか姿が見えない。  ところへお座敷はこちら? と芸者が三四人はいって来た。おれも少し驚ろいたが、壁際へ圧し付けられているんだから、じっとしてただ見ていた。すると今まで床柱へもたれて例の琥珀のパイプを自慢そうに啣えていた、赤シャツが急に起って、座敷を出にかかった。向うからはいって来た芸者の一人が、行き違いながら、笑って挨拶をした。その一人は一番若くて一番奇麗な奴だ。遠くで聞えなかったが、おや今晩はぐらい云ったらしい。赤シャツは知らん顔をして出て行ったぎり、顔を出さなかった。大方校長のあとを追懸けて帰ったんだろう。  芸者が来たら座敷中急に陽気になって、一同が鬨の声を揚げて歓迎したのかと思うくらい、騒々しい。そうしてある奴はなんこを攫む。その声の大きな事、まるで居合抜の稽古のようだ。こっちでは拳を打ってる。よっ、はっ、と夢中で両手を振るところは、ダーク一座の操人形よりよっぽど上手だ。向うの隅ではおいお酌だ、と徳利を振ってみて、酒だ酒だと言い直している。どうもやかましくて騒々しくってたまらない。そのうちで手持無沙汰に下を向いて考え込んでるのはうらなり君ばかりである。自分のために送別会を開いてくれたのは、自分の転任を惜んでくれるんじゃない。みんなが酒を呑んで遊ぶためだ。自分独りが手持無沙汰で苦しむためだ。こんな送別会なら、開いてもらわない方がよっぽどましだ。  しばらくしたら、めいめい胴間声を出して何か唄い始めた。おれの前へ来た一人の芸者が、あんた、なんぞ、唄いなはれ、と三味線を抱えたから、おれは唄わない、貴様唄ってみろと云ったら、金や太鼓でねえ、迷子の迷子の三太郎と、どんどこ、どんのちゃんちきりん。叩いて廻って逢われるものならば、わたしなんぞも、金や太鼓でどんどこ、どんのちゃんちきりんと叩いて廻って逢いたい人がある、と二た息にうたって、おおしんどと云った。おおしんどなら、もっと楽なものをやればいいのに。  すると、いつの間にか傍へ来て坐った、野だが、鈴ちゃん逢いたい人に逢ったと思ったら、すぐお帰りで、お気の毒さまみたようでげすと相変らず噺し家みたような言葉使いをする。知りまへんと芸者はつんと済ました。野だは頓着なく、たまたま逢いは逢いながら……と、いやな声を出して義太夫の真似をやる。おきなはれやと芸者は平手で野だの膝を叩いたら野だは恐悦して笑ってる。この芸者は赤シャツに挨拶をした奴だ。芸者に叩かれて笑うなんて、野だもおめでたい者だ。鈴ちゃん僕が紀伊の国を踴るから、一つ弾いて頂戴と云い出した。野だはこの上まだ踴る気でいる。  向うの方で漢学のお爺さんが歯のない口を歪めて、そりゃ聞えません伝兵衛さん、お前とわたしのその中は……とまでは無事に済したが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなんて物覚えのわるいものだ。一人が博物を捕まえて近頃こないなのが、でけましたぜ、弾いてみまほうか。よう聞いて、いなはれや――花月巻、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはヴァイオリン、半可の英語でぺらぺらと、I am glad to see you と唄うと、博物はなるほど面白い、英語入りだねと感心している。  山嵐は馬鹿に大きな声を出して、芸者、芸者と呼んで、おれが剣舞をやるから、三味線を弾けと号令を下した。芸者はあまり乱暴な声なので、あっけに取られて返事もしない。山嵐は委細構わず、ステッキを持って来て、踏破千山万岳烟と真中へ出て独りで隠し芸を演じている。ところへ野だがすでに紀伊の国を済まして、かっぽれを済まして、棚の達磨さんを済して丸裸の越中褌一つになって、棕梠箒を小脇に抱い込んで、日清談判破裂して……と座敷中練りあるき出した。まるで気違いだ。  おれはさっきから苦しそうに袴も脱がず控えているうらなり君が気の毒でたまらなかったが、なんぼ自分の送別会だって、越中褌の裸踴まで羽織袴で我慢してみている必要はあるまいと思ったから、そばへ行って、古賀さんもう帰りましょうと退去を勧めてみた。するとうらなり君は今日は私の送別会だから、私が先へ帰っては失礼です、どうぞご遠慮なくと動く景色もない。なに構うもんですか、送別会なら、送別会らしくするがいいです、あの様をご覧なさい。気狂会です。さあ行きましょうと、進まないのを無理に勧めて、座敷を出かかるところへ、野だが箒を振り振り進行して来て、やご主人が先へ帰るとはひどい。日清談判だ。帰せないと箒を横にして行く手を塞いだ。おれはさっきから肝癪が起っているところだから、日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろうと、いきなり拳骨で、野だの頭をぽかりと喰わしてやった。野だは二三秒の間毒気を抜かれた体で、ぼんやりしていたが、おやこれはひどい。お撲ちになったのは情ない。この吉川をご打擲とは恐れ入った。いよいよもって日清談判だ。とわからぬ事をならべているところへ、うしろから山嵐が何か騒動が始まったと見てとって、剣舞をやめて、飛んできたが、このていたらくを見て、いきなり頸筋をうんと攫んで引き戻した。日清……いたい。いたい。どうもこれは乱暴だと振りもがくところを横に捩ったら、すとんと倒れた。あとはどうなったか知らない。途中でうらなり君に別れて、うちへ帰ったら十一時過ぎだった。 十  祝勝会で学校はお休みだ。練兵場で式があるというので、狸は生徒を引率して参列しなくてはならない。おれも職員の一人としていっしょにくっついて行くんだ。町へ出ると日の丸だらけで、まぼしいくらいである。学校の生徒は八百人もあるのだから、体操の教師が隊伍を整えて、一組一組の間を少しずつ明けて、それへ職員が一人か二人ずつ監督として割り込む仕掛けである。仕掛だけはすこぶる巧妙なものだが、実際はすこぶる不手際である。生徒は小供の上に、生意気で、規律を破らなくっては生徒の体面にかかわると思ってる奴等だから、職員が幾人ついて行ったって何の役に立つもんか。命令も下さないのに勝手な軍歌をうたったり、軍歌をやめるとワーと訳もないのに鬨の声を揚げたり、まるで浪人が町内をねりあるいてるようなものだ。軍歌も鬨の声も揚げない時はがやがや何か喋舌ってる。喋舌らないでも歩けそうなもんだが、日本人はみな口から先へ生れるのだから、いくら小言を云ったって聞きっこない。喋舌るのもただ喋舌るのではない、教師のわる口を喋舌るんだから、下等だ。おれは宿直事件で生徒を謝罪さして、まあこれならよかろうと思っていた。ところが実際は大違いである。下宿の婆さんの言葉を借りて云えば、正に大違いの勘五郎である。生徒があやまったのは心から後悔してあやまったのではない。ただ校長から、命令されて、形式的に頭を下げたのである。商人が頭ばかり下げて、狡い事をやめないのと一般で生徒も謝罪だけはするが、いたずらは決してやめるものでない。よく考えてみると世の中はみんなこの生徒のようなものから成立しているかも知れない。人があやまったり詫びたりするのを、真面目に受けて勘弁するのは正直過ぎる馬鹿と云うんだろう。あやまるのも仮りにあやまるので、勘弁するのも仮りに勘弁するのだと思ってれば差し支えない。もし本当にあやまらせる気なら、本当に後悔するまで叩きつけなくてはいけない。  おれが組と組の間にはいって行くと、天麩羅だの、団子だの、と云う声が絶えずする。しかも大勢だから、誰が云うのだか分らない。よし分ってもおれの事を天麩羅と云ったんじゃありません、団子と申したのじゃありません、それは先生が神経衰弱だから、ひがんで、そう聞くんだぐらい云うに極まってる。こんな卑劣な根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底直りっこない。こんな土地に一年も居ると、潔白なおれも、この真似をしなければならなく、なるかも知れない。向うでうまく言い抜けられるような手段で、おれの顔を汚すのを抛っておく、樗蒲一はない。向こうが人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰として何か返報をしてやらなくっては義理がわるい。ところがこっちから返報をする時分に尋常の手段で行くと、向うから逆捩を食わして来る。貴様がわるいからだと云うと、初手から逃げ路が作ってある事だから滔々と弁じ立てる。弁じ立てておいて、自分の方を表向きだけ立派にしてそれからこっちの非を攻撃する。もともと返報にした事だから、こちらの弁護は向うの非が挙がらない上は弁護にならない。つまりは向うから手を出しておいて、世間体はこっちが仕掛けた喧嘩のように、見傚されてしまう。大変な不利益だ。それなら向うのやるなり、愚迂多良童子を極め込んでいれば、向うはますます増長するばかり、大きく云えば世の中のためにならない。そこで仕方がないから、こっちも向うの筆法を用いて捕まえられないで、手の付けようのない返報をしなくてはならなくなる。そうなっては江戸っ子も駄目だ。駄目だが一年もこうやられる以上は、おれも人間だから駄目でも何でもそうならなくっちゃ始末がつかない。どうしても早く東京へ帰って清といっしょになるに限る。こんな田舎に居るのは堕落しに来ているようなものだ。新聞配達をしたって、ここまで堕落するよりはましだ。  こう考えて、いやいや、附いてくると、何だか先鋒が急にがやがや騒ぎ出した。同時に列はぴたりと留まる。変だから、列を右へはずして、向うを見ると、大手町を突き当って薬師町へ曲がる角の所で、行き詰ったぎり、押し返したり、押し返されたりして揉み合っている。前方から静かに静かにと声を涸らして来た体操教師に何ですと聞くと、曲り角で中学校と師範学校が衝突したんだと云う。  中学と師範とはどこの県下でも犬と猿のように仲がわるいそうだ。なぜだかわからないが、まるで気風が合わない。何かあると喧嘩をする。大方狭い田舎で退屈だから、暇潰しにやる仕事なんだろう。おれは喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて、面白半分に馳け出して行った。すると前の方にいる連中は、しきりに何だ地方税の癖に、引き込めと、怒鳴ってる。後ろからは押せ押せと大きな声を出す。おれは邪魔になる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角へもう少しで出ようとした時に、前へ! と云う高く鋭い号令が聞えたと思ったら師範学校の方は粛粛として行進を始めた。先を争った衝突は、折合がついたには相違ないが、つまり中学校が一歩を譲ったのである。資格から云うと師範学校の方が上だそうだ。  祝勝の式はすこぶる簡単なものであった。旅団長が祝詞を読む、知事が祝詞を読む、参列者が万歳を唱える。それでおしまいだ。余興は午後にあると云う話だから、ひとまず下宿へ帰って、こないだじゅうから、気に掛っていた、清への返事をかきかけた。今度はもっと詳しく書いてくれとの注文だから、なるべく念入に認めなくっちゃならない。しかしいざとなって、半切を取り上げると、書く事はたくさんあるが、何から書き出していいか、わからない。あれにしようか、あれは面倒臭い。これにしようか、これはつまらない。何か、すらすらと出て、骨が折れなくって、そうして清が面白がるようなものはないかしらん、と考えてみると、そんな注文通りの事件は一つもなさそうだ。おれは墨を磨って、筆をしめして、巻紙を睨めて、――巻紙を睨めて、筆をしめして、墨を磨って――同じ所作を同じように何返も繰り返したあと、おれには、とても手紙は書けるものではないと、諦めて硯の蓋をしてしまった。手紙なんぞをかくのは面倒臭い。やっぱり東京まで出掛けて行って、逢って話をするのが簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文通りの手紙を書くのは三七日の断食よりも苦しい。  おれは筆と巻紙を抛り出して、ごろりと転がって肱枕をして庭の方を眺めてみたが、やっぱり清の事が気にかかる。その時おれはこう思った。こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの真心は清に通じるに違いない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事で暮してると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か事の起った時にやりさえすればいい訳だ。  庭は十坪ほどの平庭で、これという植木もない。ただ一本の蜜柑があって、塀のそとから、目標になるほど高い。おれはうちへ帰ると、いつでもこの蜜柑を眺める。東京を出た事のないものには蜜柑の生っているところはすこぶる珍しいものだ。あの青い実がだんだん熟してきて、黄色になるんだろうが、定めて奇麗だろう。今でももう半分色の変ったのがある。婆さんに聞いてみると、すこぶる水気の多い、旨い蜜柑だそうだ。今に熟たら、たんと召し上がれと云ったから、毎日少しずつ食ってやろう。もう三週間もしたら、充分食えるだろう。まさか三週間以内にここを去る事もなかろう。  おれが蜜柑の事を考えているところへ、偶然山嵐が話しにやって来た。今日は祝勝会だから、君といっしょにご馳走を食おうと思って牛肉を買って来たと、竹の皮の包を袂から引きずり出して、座敷の真中へ抛り出した。おれは下宿で芋責豆腐責になってる上、蕎麦屋行き、団子屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐ婆さんから鍋と砂糖をかり込んで、煮方に取りかかった。  山嵐は無暗に牛肉を頬張りながら、君あの赤シャツが芸者に馴染のある事を知ってるかと聞くから、知ってるとも、この間うらなりの送別会の時に来た一人がそうだろうと云ったら、そうだ僕はこの頃ようやく勘づいたのに、君はなかなか敏捷だと大いにほめた。 「あいつは、ふた言目には品性だの、精神的娯楽だのと云う癖に、裏へ廻って、芸者と関係なんかつけとる、怪しからん奴だ。それもほかの人が遊ぶのを寛容するならいいが、君が蕎麦屋へ行ったり、団子屋へはいるのさえ取締上害になると云って、校長の口を通して注意を加えたじゃないか」 「うん、あの野郎の考えじゃ芸者買は精神的娯楽で、天麩羅や、団子は物理的娯楽なんだろう。精神的娯楽なら、もっと大べらにやるがいい。何だあの様は。馴染の芸者がはいってくると、入れ代りに席をはずして、逃げるなんて、どこまでも人を胡魔化す気だから気に食わない。そうして人が攻撃すると、僕は知らないとか、露西亜文学だとか、俳句が新体詩の兄弟分だとか云って、人を烟に捲くつもりなんだ。あんな弱虫は男じゃないよ。全く御殿女中の生れ変りか何かだぜ。ことによると、あいつのおやじは湯島のかげまかもしれない」 「湯島のかげまた何だ」 「何でも男らしくないもんだろう。――君そこのところはまだ煮えていないぜ。そんなのを食うと絛虫が湧くぜ」 「そうか、大抵大丈夫だろう。それで赤シャツは人に隠れて、温泉の町の角屋へ行って、芸者と会見するそうだ」 「角屋って、あの宿屋か」 「宿屋兼料理屋さ。だからあいつを一番へこますためには、あいつが芸者をつれて、あすこへはいり込むところを見届けておいて面詰するんだね」 「見届けるって、夜番でもするのかい」 「うん、角屋の前に枡屋という宿屋があるだろう。あの表二階をかりて、障子へ穴をあけて、見ているのさ」 「見ているときに来るかい」 「来るだろう。どうせひと晩じゃいけない。二週間ばかりやるつもりでなくっちゃ」 「随分疲れるぜ。僕あ、おやじの死ぬとき一週間ばかり徹夜して看病した事があるが、あとでぼんやりして、大いに弱った事がある」 「少しぐらい身体が疲れたって構わんさ。あんな奸物をあのままにしておくと、日本のためにならないから、僕が天に代って誅戮を加えるんだ」 「愉快だ。そう事が極まれば、おれも加勢してやる。それで今夜から夜番をやるのかい」 「まだ枡屋に懸合ってないから、今夜は駄目だ」 「それじゃ、いつから始めるつもりだい」 「近々のうちやるさ。いずれ君に報知をするから、そうしたら、加勢してくれたまえ」 「よろしい、いつでも加勢する。僕は計略は下手だが、喧嘩とくるとこれでなかなかすばしこいぜ」  おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略を相談していると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田先生にお目にかかりたいててお出でたぞなもし。今お宅へ参じたのじゃが、お留守じゃけれ、大方ここじゃろうてて捜し当ててお出でたのじゃがなもしと、閾の所へ膝を突いて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関まで出て行ったが、やがて帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘いに来たんだ。今日は高知から、何とか踴りをしに、わざわざここまで多人数乗り込んで来ているのだから、是非見物しろ、めったに見られない踴だというんだ、君もいっしょに行ってみたまえと山嵐は大いに乗り気で、おれに同行を勧める。おれは踴なら東京でたくさん見ている。毎年八幡様のお祭りには屋台が町内へ廻ってくるんだから汐酌みでも何でもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踴なんか、見たくもないと思ったけれども、せっかく山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。妙な奴が来たもんだ。  会場へはいると、回向院の相撲か本門寺の御会式のように幾旒となく長い旗を所々に植え付けた上に、世界万国の国旗をことごとく借りて来たくらい、縄から縄、綱から綱へ渡しかけて、大きな空が、いつになく賑やかに見える。東の隅に一夜作りの舞台を設けて、ここでいわゆる高知の何とか踴りをやるんだそうだ。舞台を右へ半町ばかりくると葭簀の囲いをして、活花が陳列してある。みんなが感心して眺めているが、一向くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げて嬉しがるなら、背虫の色男や、跛の亭主を持って自慢するがよかろう。  舞台とは反対の方面で、しきりに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳とかいてある。天主の松の上をふわふわ飛んで営所のなかへ落ちた。次はぽんと音がして、黒い団子が、しょっと秋の空を射抜くように揚がると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青い烟が傘の骨のように開いて、だらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上がった。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜いた奴が風に揺られて、温泉の町から、相生村の方へ飛んでいった。大方観音様の境内へでも落ちたろう。  式の時はさほどでもなかったが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚ろいたぐらいうじゃうじゃしている。利口な顔はあまり見当らないが、数から云うとたしかに馬鹿に出来ない。そのうち評判の高知の何とか踴が始まった。踴というから藤間か何ぞのやる踴りかと早合点していたが、これは大間違いであった。  いかめしい後鉢巻をして、立っ付け袴を穿いた男が十人ばかりずつ、舞台の上に三列に並んで、その三十人がことごとく抜き身を携げているには魂消た。前列と後列の間はわずか一尺五寸ぐらいだろう、左右の間隔はそれより短いとも長くはない。たった一人列を離れて舞台の端に立ってるのがあるばかりだ。この仲間外れの男は袴だけはつけているが、後鉢巻は倹約して、抜身の代りに、胸へ太鼓を懸けている。太鼓は太神楽の太鼓と同じ物だ。この男がやがて、いやあ、はああと呑気な声を出して、妙な謡をうたいながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんと叩く。歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。三河万歳と普陀洛やの合併したものと思えば大した間違いにはならない。  歌はすこぶる悠長なもので、夏分の水飴のように、だらしがないが、句切りをとるためにぼこぼんを入れるから、のべつのようでも拍子は取れる。この拍子に応じて三十人の抜き身がぴかぴかと光るのだが、これはまたすこぶる迅速なお手際で、拝見していても冷々する。隣りも後ろも一尺五寸以内に生きた人間が居て、その人間がまた切れる抜き身を自分と同じように振り舞わすのだから、よほど調子が揃わなければ、同志撃を始めて怪我をする事になる。それも動かないで刀だけ前後とか上下とかに振るのなら、まだ危険もないが、三十人が一度に足踏みをして横を向く時がある。ぐるりと廻る事がある。膝を曲げる事がある。隣りのものが一秒でも早過ぎるか、遅過ぎれば、自分の鼻は落ちるかも知れない。隣りの頭はそがれるかも知れない。抜き身の動くのは自由自在だが、その動く範囲は一尺五寸角の柱のうちにかぎられた上に、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。こいつは驚いた、なかなかもって汐酌や関の戸の及ぶところでない。聞いてみると、これははなはだ熟練の入るもので容易な事では、こういう風に調子が合わないそうだ。ことにむずかしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生だそうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰の曲げ方も、ことごとくこのぼこぼん君の拍子一つで極まるのだそうだ。傍で見ていると、この大将が一番呑気そうに、いやあ、はああと気楽にうたってるが、その実ははなはだ責任が重くって非常に骨が折れるとは不思議なものだ。  おれと山嵐が感心のあまりこの踴を余念なく見物していると、半町ばかり、向うの方で急にわっと云う鬨の声がして、今まで穏やかに諸所を縦覧していた連中が、にわかに波を打って、右左りに揺き始める。喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人の袖を潜り抜けて来た赤シャツの弟が、先生また喧嘩です、中学の方で、今朝の意趣返しをするんで、また師範の奴と決戦を始めたところです、早く来て下さいと云いながらまた人の波のなかへ潜り込んでどっかへ行ってしまった。  山嵐は世話の焼ける小僧だまた始めたのか、いい加減にすればいいのにと逃げる人を避けながら一散に馳け出した。見ている訳にも行かないから取り鎮めるつもりだろう。おれは無論の事逃げる気はない。山嵐の踵を踏んであとからすぐ現場へ馳けつけた。喧嘩は今が真最中である。師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割方多い。師範は制服をつけているが、中学は式後大抵は日本服に着換えているから、敵味方はすぐわかる。しかし入り乱れて組んづ、解れつ戦ってるから、どこから、どう手を付けて引き分けていいか分らない。山嵐は困ったなと云う風で、しばらくこの乱雑な有様を眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。巡査がくると面倒だ。飛び込んで分けようと、おれの方を見て云うから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈しそうな所へ躍り込んだ。止せ止せ。そんな乱暴をすると学校の体面に関わる。よさないかと、出るだけの声を出して敵と味方の分界線らしい所を突き貫けようとしたが、なかなかそう旨くは行かない。一二間はいったら、出る事も引く事も出来なくなった。目の前に比較的大きな師範生が、十五六の中学生と組み合っている。止せと云ったら、止さないかと師範生の肩を持って、無理に引き分けようとする途端にだれか知らないが、下からおれの足をすくった。おれは不意を打たれて握った、肩を放して、横に倒れた。堅い靴でおれの背中の上へ乗った奴がある。両手と膝を突いて下から、跳ね起きたら、乗った奴は右の方へころがり落ちた。起き上がって見ると、三間ばかり向うに山嵐の大きな身体が生徒の間に挟まりながら、止せ止せ、喧嘩は止せ止せと揉み返されてるのが見えた。おい到底駄目だと云ってみたが聞えないのか返事もしない。  ひゅうと風を切って飛んで来た石が、いきなりおれの頬骨へ中ったなと思ったら、後ろからも、背中を棒でどやした奴がある。教師の癖に出ている、打て打てと云う声がする。教師は二人だ。大きい奴と、小さい奴だ。石を抛げろ。と云う声もする。おれは、なに生意気な事をぬかすな、田舎者の癖にと、いきなり、傍に居た師範生の頭を張りつけてやった。石がまたひゅうと来る。今度はおれの五分刈の頭を掠めて後ろの方へ飛んで行った。山嵐はどうなったか見えない。こうなっちゃ仕方がない。始めは喧嘩をとめにはいったんだが、どやされたり、石をなげられたりして、恐れ入って引き下がるうんでれがんがあるものか。おれを誰だと思うんだ。身長は小さくっても喧嘩の本場で修行を積んだ兄さんだと無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりしていると、やがて巡査だ巡査だ逃げろ逃げろと云う声がした。今まで葛練りの中で泳いでるように身動きも出来なかったのが、急に楽になったと思ったら、敵も味方も一度に引上げてしまった。田舎者でも退却は巧妙だ。クロパトキンより旨いくらいである。  山嵐はどうしたかと見ると、紋付の一重羽織をずたずたにして、向うの方で鼻を拭いている。鼻柱をなぐられて大分出血したんだそうだ。鼻がふくれ上がって真赤になってすこぶる見苦しい。おれは飛白の袷を着ていたから泥だらけになったけれども、山嵐の羽織ほどな損害はない。しかし頬ぺたがぴりぴりしてたまらない。山嵐は大分血が出ているぜと教えてくれた。  巡査は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、捕まったのは、おれと山嵐だけである。おれらは姓名を告げて、一部始終を話したら、ともかくも警察まで来いと云うから、警察へ行って、署長の前で事の顛末を述べて下宿へ帰った。 十一  あくる日眼が覚めてみると、身体中痛くてたまらない。久しく喧嘩をしつけなかったから、こんなに答えるんだろう。これじゃあんまり自慢もできないと床の中で考えていると、婆さんが四国新聞を持ってきて枕元へ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀なんだが、男がこれしきの事に閉口たれて仕様があるものかと無理に腹這いになって、寝ながら、二頁を開けてみると驚ろいた。昨日の喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚ろかないのだが、中学の教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾してこの騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したる上、みだりに師範生に向って暴行をほしいままにしたりと書いて、次にこんな意見が附記してある。本県の中学は昔時より善良温順の気風をもって全国の羨望するところなりしが、軽薄なる二豎子のために吾校の特権を毀損せられて、この不面目を全市に受けたる以上は、吾人は奮然として起ってその責任を問わざるを得ず。吾人は信ず、吾人が手を下す前に、当局者は相当の処分をこの無頼漢の上に加えて、彼等をして再び教育界に足を入るる余地なからしむる事を。そうして一字ごとにみんな黒点を加えて、お灸を据えたつもりでいる。おれは床の中で、糞でも喰らえと云いながら、むっくり飛び起きた。不思議な事に今まで身体の関節が非常に痛かったのが、飛び起きると同時に忘れたように軽くなった。  おれは新聞を丸めて庭へ抛げつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後架へ持って行って棄てて来た。新聞なんて無暗な嘘を吐くもんだ。世の中に何が一番法螺を吹くと云って、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。おれの云ってしかるべき事をみんな向うで並べていやがる。それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某と云う名前の人があるか。考えてみろ。これでもれっきとした姓もあり名もあるんだ。系図が見たけりゃ、多田満仲以来の先祖を一人残らず拝ましてやらあ。――顔を洗ったら、頬ぺたが急に痛くなった。婆さんに鏡をかせと云ったら、けさの新聞をお見たかなもしと聞く。読んで後架へ棄てて来た。欲しけりゃ拾って来いと云ったら、驚いて引き下がった。鏡で顔を見ると昨日と同じように傷がついている。これでも大事な顔だ、顔へ傷まで付けられた上へ生意気なる某などと、某呼ばわりをされればたくさんだ。  今日の新聞に辟易して学校を休んだなどと云われちゃ一生の名折れだから、飯を食っていの一号に出頭した。出てくる奴も、出てくる奴もおれの顔を見て笑っている。何がおかしいんだ。貴様達にこしらえてもらった顔じゃあるまいし。そのうち、野だが出て来て、いや昨日はお手柄で、――名誉のご負傷でげすか、と送別会の時に撲った返報と心得たのか、いやに冷かしたから、余計な事を言わずに絵筆でも舐めていろと云ってやった。するとこりゃ恐入りやした。しかしさぞお痛い事でげしょうと云うから、痛かろうが、痛くなかろうがおれの面だ。貴様の世話になるもんかと怒鳴りつけてやったら、向う側の自席へ着いて、やっぱりおれの顔を見て、隣りの歴史の教師と何か内所話をして笑っている。  それから山嵐が出頭した。山嵐の鼻に至っては、紫色に膨張して、掘ったら中から膿が出そうに見える。自惚のせいか、おれの顔よりよっぽど手ひどく遣られている。おれと山嵐は机を並べて、隣り同志の近しい仲で、お負けにその机が部屋の戸口から真正面にあるんだから運がわるい。妙な顔が二つ塊まっている。ほかの奴は退屈にさえなるときっとこっちばかり見る。飛んだ事でと口で云うが、心のうちではこの馬鹿がと思ってるに相違ない。それでなければああいう風に私語合ってはくすくす笑う訳がない。教場へ出ると生徒は拍手をもって迎えた。先生万歳と云うものが二三人あった。景気がいいんだか、馬鹿にされてるんだか分からない。おれと山嵐がこんなに注意の焼点となってるなかに、赤シャツばかりは平常の通り傍へ来て、どうも飛んだ災難でした。僕は君等に対してお気の毒でなりません。新聞の記事は校長とも相談して、正誤を申し込む手続きにしておいたから、心配しなくてもいい。僕の弟が堀田君を誘いに行ったから、こんな事が起ったので、僕は実に申し訳がない。それでこの件についてはあくまで尽力するつもりだから、どうかあしからず、などと半分謝罪的な言葉を並べている。校長は三時間目に校長室から出てきて、困った事を新聞がかき出しましたね。むずかしくならなければいいがと多少心配そうに見えた。おれには心配なんかない、先で免職をするなら、免職される前に辞表を出してしまうだけだ。しかし自分がわるくないのにこっちから身を引くのは法螺吹きの新聞屋をますます増長させる訳だから、新聞屋を正誤させて、おれが意地にも務めるのが順当だと考えた。帰りがけに新聞屋に談判に行こうと思ったが、学校から取消の手続きはしたと云うから、やめた。  おれと山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計って、嘘のないところを一応説明した。校長と教頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨みを抱いて、あんな記事をことさらに掲げたんだろうと論断した。赤シャツはおれ等の行為を弁解しながら控所を一人ごとに廻ってあるいていた。ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかのごとく吹聴していた。みんなは全く新聞屋がわるい、怪しからん、両君は実に災難だと云った。  帰りがけに山嵐は、君赤シャツは臭いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、今日から臭くなったんじゃなかろうと云うと、君まだ気が付かないか、きのうわざわざ、僕等を誘い出して喧嘩のなかへ、捲き込んだのは策だぜと教えてくれた。なるほどそこまでは気がつかなかった。山嵐は粗暴なようだが、おれより智慧のある男だと感心した。 「ああやって喧嘩をさせておいて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかかせたんだ。実に奸物だ」 「新聞までも赤シャツか。そいつは驚いた。しかし新聞が赤シャツの云う事をそう容易く聴くかね」 「聴かなくって。新聞屋に友達が居りゃ訳はないさ」 「友達が居るのかい」 「居なくても訳ないさ。嘘をついて、事実これこれだと話しゃ、すぐ書くさ」 「ひどいもんだな。本当に赤シャツの策なら、僕等はこの事件で免職になるかも知れないね」 「わるくすると、遣られるかも知れない」 「そんなら、おれは明日辞表を出してすぐ東京へ帰っちまわあ。こんな下等な所に頼んだって居るのはいやだ」 「君が辞表を出したって、赤シャツは困らない」 「それもそうだな。どうしたら困るだろう」 「あんな奸物の遣る事は、何でも証拠の挙がらないように、挙がらないようにと工夫するんだから、反駁するのはむずかしいね」 「厄介だな。それじゃ濡衣を着るんだね。面白くもない。天道是耶非かだ」 「まあ、もう二三日様子を見ようじゃないか。それでいよいよとなったら、温泉の町で取って抑えるより仕方がないだろう」 「喧嘩事件は、喧嘩事件としてか」 「そうさ。こっちはこっちで向うの急所を抑えるのさ」 「それもよかろう。おれは策略は下手なんだから、万事よろしく頼む。いざとなれば何でもする」  俺と山嵐はこれで分れた。赤シャツが果たして山嵐の推察通りをやったのなら、実にひどい奴だ。到底智慧比べで勝てる奴ではない。どうしても腕力でなくっちゃ駄目だ。なるほど世界に戦争は絶えない訳だ。個人でも、とどの詰りは腕力だ。  あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、披いてみると、正誤どころか取り消しも見えない。学校へ行って狸に催促すると、あしたぐらい出すでしょうと云う。明日になって六号活字で小さく取消が出た。しかし新聞屋の方で正誤は無論しておらない。また校長に談判すると、あれより手続きのしようはないのだと云う答だ。校長なんて狸のような顔をして、いやにフロック張っているが存外無勢力なものだ。虚偽の記事を掲げた田舎新聞一つ詫まらせる事が出来ない。あんまり腹が立ったから、それじゃ私が一人で行って主筆に談判すると云ったら、それはいかん、君が談判すればまた悪口を書かれるばかりだ。つまり新聞屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、つまりどうする事も出来ないものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭を加えた。新聞がそんな者なら、一日も早く打っ潰してしまった方が、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、泥鼈に食いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日ただ今狸の説明によって始めて承知仕った。  それから三日ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然とやって来て、いよいよ時機が来た、おれは例の計画を断行するつもりだと云うから、そうかそれじゃおれもやろうと、即座に一味徒党に加盟した。ところが山嵐が、君はよす方がよかろうと首を傾けた。なぜと聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと云われたかと尋ねるから、いや云われない。君は? と聴き返すと、今日校長室で、まことに気の毒だけれども、事情やむをえんから処決してくれと云われたとの事だ。 「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓を叩き過ぎて、胃の位置が顛倒したんだ。君とおれは、いっしょに、祝勝会へ出てさ、いっしょに高知のぴかぴか踴りを見てさ、いっしょに喧嘩をとめにはいったんじゃないか。辞表を出せというなら公平に両方へ出せと云うがいい。なんで田舎の学校はそう理窟が分らないんだろう。焦慮いな」 「それが赤シャツの指金だよ。おれと赤シャツとは今までの行懸り上到底両立しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思ってるんだ」 「おれだって赤シャツと両立するものか。害にならないと思うなんて生意気だ」 「君はあまり単純過ぎるから、置いたって、どうでも胡魔化されると考えてるのさ」 「なお悪いや。誰が両立してやるものか」 「それに先だって古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着しないだろう。その上に君と僕を同時に追い出しちゃ、生徒の時間に明きが出来て、授業にさし支えるからな」 「それじゃおれを間のくさびに一席伺わせる気なんだな。こん畜生、だれがその手に乗るものか」  翌日おれは学校へ出て校長室へ入って談判を始めた。 「何で私に辞表を出せと云わないんですか」 「へえ?」と狸はあっけに取られている。 「堀田には出せ、私には出さないで好いと云う法がありますか」 「それは学校の方の都合で……」 「その都合が間違ってまさあ。私が出さなくって済むなら堀田だって、出す必要はないでしょう」 「その辺は説明が出来かねますが――堀田君は去られてもやむをえんのですが、あなたは辞表をお出しになる必要を認めませんから」  なるほど狸だ、要領を得ない事ばかり並べて、しかも落ち付き払ってる。おれは仕様がないから 「それじゃ私も辞表を出しましょう。堀田君一人辞職させて、私が安閑として、留まっていられると思っていらっしゃるかも知れないが、私にはそんな不人情な事は出来ません」 「それは困る。堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまるで出来なくなってしまうから……」 「出来なくなっても私の知った事じゃありません」 「君そう我儘を云うものじゃない、少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ困る。それに、来てから一月立つか立たないのに辞職したと云うと、君の将来の履歴に関係するから、その辺も少しは考えたらいいでしょう」 「履歴なんか構うもんですか、履歴より義理が大切です」 「そりゃごもっとも――君の云うところは一々ごもっともだが、わたしの云う方も少しは察して下さい。君が是非辞職すると云うなら辞職されてもいいから、代りのあるまでどうかやってもらいたい。とにかく、うちでもう一返考え直してみて下さい」  考え直すって、直しようのない明々白々たる理由だが、狸が蒼くなったり、赤くなったりして、可愛想になったからひとまず考え直す事として引き下がった。赤シャツには口もきかなかった。どうせ遣っつけるなら塊めて、うんと遣っつける方がいい。  山嵐に狸と談判した模様を話したら、大方そんな事だろうと思った。辞表の事はいざとなるまでそのままにしておいても差支えあるまいとの話だったから、山嵐の云う通りにした。どうも山嵐の方がおれよりも利巧らしいから万事山嵐の忠告に従う事にした。  山嵐はいよいよ辞表を出して、職員一同に告別の挨拶をして浜の港屋まで下ったが、人に知れないように引き返して、温泉の町の枡屋の表二階へ潜んで、障子へ穴をあけて覗き出した。これを知ってるものはおればかりだろう。赤シャツが忍んで来ればどうせ夜だ。しかも宵の口は生徒やその他の目があるから、少なくとも九時過ぎに極ってる。最初の二晩はおれも十一時頃まで張番をしたが、赤シャツの影も見えない。三日目には九時から十時半まで覗いたがやはり駄目だ。駄目を踏んで夜なかに下宿へ帰るほど馬鹿気た事はない。四五日すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥さんのおありるのに、夜遊びはおやめたがええぞなもしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊びが違う。こっちのは天に代って誅戮を加える夜遊びだ。とはいうものの一週間も通って、少しも験が見えないと、いやになるもんだ。おれは性急な性分だから、熱心になると徹夜でもして仕事をするが、その代り何によらず長持ちのした試しがない。いかに天誅党でも飽きる事に変りはない。六日目には少々いやになって、七日目にはもう休もうかと思った。そこへ行くと山嵐は頑固なものだ。宵から十二時過までは眼を障子へつけて、角屋の丸ぼやの瓦斯燈の下を睨めっきりである。おれが行くと今日は何人客があって、泊りが何人、女が何人といろいろな統計を示すのには驚ろいた。どうも来ないようじゃないかと云うと、うん、たしかに来るはずだがと時々腕組をして溜息をつく。可愛想に、もし赤シャツがここへ一度来てくれなければ、山嵐は、生涯天誅を加える事は出来ないのである。  八日目には七時頃から下宿を出て、まずゆるりと湯に入って、それから町で鶏卵を八つ買った。これは下宿の婆さんの芋責に応ずる策である。その玉子を四つずつ左右の袂へ入れて、例の赤手拭を肩へ乗せて、懐手をしながら、枡屋の楷子段を登って山嵐の座敷の障子をあけると、おい有望有望と韋駄天のような顔は急に活気を呈した。昨夜までは少し塞ぎの気味で、はたで見ているおれさえ、陰気臭いと思ったくらいだが、この顔色を見たら、おれも急にうれしくなって、何も聞かない先から、愉快愉快と云った。 「今夜七時半頃あの小鈴と云う芸者が角屋へはいった」 「赤シャツといっしょか」 「いいや」 「それじゃ駄目だ」 「芸者は二人づれだが、――どうも有望らしい」 「どうして」 「どうしてって、ああ云う狡い奴だから、芸者を先へよこして、後から忍んでくるかも知れない」 「そうかも知れない。もう九時だろう」 「今九時十二分ばかりだ」と帯の間からニッケル製の時計を出して見ながら云ったが「おい洋燈を消せ、障子へ二つ坊主頭が写ってはおかしい。狐はすぐ疑ぐるから」  おれは一貫張の机の上にあった置き洋燈をふっと吹きけした。星明りで障子だけは少々あかるい。月はまだ出ていない。おれと山嵐は一生懸命に障子へ面をつけて、息を凝らしている。チーンと九時半の柱時計が鳴った。 「おい来るだろうかな。今夜来なければ僕はもう厭だぜ」 「おれは銭のつづく限りやるんだ」 「銭っていくらあるんだい」 「今日までで八日分五円六十銭払った。いつ飛び出しても都合のいいように毎晩勘定するんだ」 「それは手廻しがいい。宿屋で驚いてるだろう」 「宿屋はいいが、気が放せないから困る」 「その代り昼寝をするだろう」 「昼寝はするが、外出が出来ないんで窮屈でたまらない」 「天誅も骨が折れるな。これで天網恢々疎にして洩らしちまったり、何かしちゃ、つまらないぜ」 「なに今夜はきっとくるよ。――おい見ろ見ろ」と小声になったから、おれは思わずどきりとした。黒い帽子を戴いた男が、角屋の瓦斯燈を下から見上げたまま暗い方へ通り過ぎた。違っている。おやおやと思った。そのうち帳場の時計が遠慮なく十時を打った。今夜もとうとう駄目らしい。  世間は大分静かになった。遊廓で鳴らす太鼓が手に取るように聞える。月が温泉の山の後からのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突き留める事は出来ないが、だんだん近づいて来る模様だ。からんからんと駒下駄を引き擦る音がする。眼を斜めにするとやっと二人の影法師が見えるくらいに近づいた。 「もう大丈夫ですね。邪魔ものは追っ払ったから」正しく野だの声である。「強がるばかりで策がないから、仕様がない」これは赤シャツだ。「あの男もべらんめえに似ていますね。あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」「増給がいやだの辞表を出したいのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない」おれは窓をあけて、二階から飛び下りて、思う様打ちのめしてやろうと思ったが、やっとの事で辛防した。二人はハハハハと笑いながら、瓦斯燈の下を潜って、角屋の中へはいった。 「おい」 「おい」 「来たぜ」 「とうとう来た」 「これでようやく安心した」 「野だの畜生、おれの事を勇み肌の坊っちゃんだと抜かしやがった」 「邪魔物と云うのは、おれの事だぜ。失敬千万な」  おれと山嵐は二人の帰路を要撃しなければならない。しかし二人はいつ出てくるか見当がつかない。山嵐は下へ行って今夜ことによると夜中に用事があって出るかも知れないから、出られるようにしておいてくれと頼んで来た。今思うと、よく宿のものが承知したものだ。大抵なら泥棒と間違えられるところだ。  赤シャツの来るのを待ち受けたのはつらかったが、出て来るのをじっとして待ってるのはなおつらい。寝る訳には行かないし、始終障子の隙から睨めているのもつらいし、どうも、こうも心が落ちつかなくって、これほど難儀な思いをした事はいまだにない。いっその事角屋へ踏み込んで現場を取って抑えようと発議したが、山嵐は一言にして、おれの申し出を斥けた。自分共が今時分飛び込んだって、乱暴者だと云って途中で遮られる。訳を話して面会を求めれば居ないと逃げるか別室へ案内をする。不用意のところへ踏み込めると仮定したところで何十とある座敷のどこに居るか分るものではない、退屈でも出るのを待つより外に策はないと云うから、ようやくの事でとうとう朝の五時まで我慢した。  角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾けた。一番汽車はまだないから、二人とも城下まであるかなければならない。温泉の町をはずれると一丁ばかりの杉並木があって左右は田圃になる。それを通りこすとここかしこに藁葺があって、畠の中を一筋に城下まで通る土手へ出る。町さえはずれれば、どこで追いついても構わないが、なるべくなら、人家のない、杉並木で捕まえてやろうと、見えがくれについて来た。町を外れると急に馳け足の姿勢で、はやてのように後ろから、追いついた。何が来たかと驚ろいて振り向く奴を待てと云って肩に手をかけた。野だは狼狽の気味で逃げ出そうという景色だったから、おれが前へ廻って行手を塞いでしまった。 「教頭の職を持ってるものが何で角屋へ行って泊った」と山嵐はすぐ詰りかけた。 「教頭は角屋へ泊って悪るいという規則がありますか」と赤シャツは依然として鄭寧な言葉を使ってる。顔の色は少々蒼い。 「取締上不都合だから、蕎麦屋や団子屋へさえはいってはいかんと、云うくらい謹直な人が、なぜ芸者といっしょに宿屋へとまり込んだ」野だは隙を見ては逃げ出そうとするからおれはすぐ前に立ち塞がって「べらんめえの坊っちゃんた何だ」と怒鳴り付けたら、「いえ君の事を云ったんじゃないんです、全くないんです」と鉄面皮に言訳がましい事をぬかした。おれはこの時気がついてみたら、両手で自分の袂を握ってる。追っかける時に袂の中の卵がぶらぶらして困るから、両手で握りながら来たのである。おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、やっと云いながら、野だの面へ擲きつけた。玉子がぐちゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れだした。野だはよっぽど仰天した者と見えて、わっと言いながら、尻持をついて、助けてくれと云った。おれは食うために玉子は買ったが、打つけるために袂へ入れてる訳ではない。ただ肝癪のあまりに、ついぶつけるともなしに打つけてしまったのだ。しかし野だが尻持を突いたところを見て始めて、おれの成功した事に気がついたから、こん畜生、こん畜生と云いながら残る六つを無茶苦茶に擲きつけたら、野だは顔中黄色になった。  おれが玉子をたたきつけているうち、山嵐と赤シャツはまだ談判最中である。 「芸者をつれて僕が宿屋へ泊ったと云う証拠がありますか」 「宵に貴様のなじみの芸者が角屋へはいったのを見て云う事だ。胡魔化せるものか」 「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊ったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが、僕の知った事ではない」 「だまれ」と山嵐は拳骨を食わした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」 「無法でたくさんだ」とまたぽかりと撲ぐる。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。しまいには二人とも杉の根方にうずくまって動けないのか、眼がちらちらするのか逃げようともしない。 「もうたくさんか、たくさんでなけりゃ、まだ撲ってやる」とぽかんぽかんと両人でなぐったら「もうたくさんだ」と云った。野だに「貴様もたくさんか」と聞いたら「無論たくさんだ」と答えた。 「貴様等は奸物だから、こうやって天誅を加えるんだ。これに懲りて以来つつしむがいい。いくら言葉巧みに弁解が立っても正義は許さんぞ」と山嵐が云ったら両人共だまっていた。ことによると口をきくのが退儀なのかも知れない。 「おれは逃げも隠れもせん。今夜五時までは浜の港屋に居る。用があるなら巡査なりなんなり、よこせ」と山嵐が云うから、おれも「おれも逃げも隠れもしないぞ。堀田と同じ所に待ってるから警察へ訴えたければ、勝手に訴えろ」と云って、二人してすたすたあるき出した。  おれが下宿へ帰ったのは七時少し前である。部屋へはいるとすぐ荷作りを始めたら、婆さんが驚いて、どうおしるのぞなもしと聞いた。お婆さん、東京へ行って奥さんを連れてくるんだと答えて勘定を済まして、すぐ汽車へ乗って浜へ来て港屋へ着くと、山嵐は二階で寝ていた。おれは早速辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分らないから、私儀都合有之辞職の上東京へ帰り申候につき左様御承知被下度候以上とかいて校長宛にして郵便で出した。  汽船は夜六時の出帆である。山嵐もおれも疲れて、ぐうぐう寝込んで眼が覚めたら、午後二時であった。下女に巡査は来ないかと聞いたら参りませんと答えた。「赤シャツも野だも訴えなかったなあ」と二人は大きに笑った。  その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく娑婆へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分れたぎり今日まで逢う機会がない。  清の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。  その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。 (明治三十九年四月) 底本:「ちくま日本文学全集 夏目漱石」筑摩書房    1992(平成4)年1月20日第1刷発行 底本の親本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年10月27日第1刷発行 ※底本の注にれば、本作品の原稿には、「そのうち学校もいやになった。」の後に、漱石自身による2字あけの指定があるという。このファイルでは、その情報にもとづいて、当該の箇所を2字あけとした。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:真先芳秋 校正:柳沢成雄 1999年9月13日公開 2011年5月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 文鳥 文鳥 夏目漱石  十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった。  文鳥は三重吉の小説に出て来るくらいだから奇麗な鳥に違なかろうと思って、じゃ買ってくれたまえと頼んだ。ところが三重吉は是非御飼いなさいと、同じような事を繰り返している。うむ買うよ買うよとやはり頬杖を突いたままで、むにゃむにゃ云ってるうちに三重吉は黙ってしまった。おおかた頬杖に愛想を尽かしたんだろうと、この時始めて気がついた。  すると三分ばかりして、今度は籠を御買いなさいと云いだした。これも宜しいと答えると、是非御買いなさいと念を押す代りに、鳥籠の講釈を始めた。その講釈はだいぶ込み入ったものであったが、気の毒な事に、みんな忘れてしまった。ただ好いのは二十円ぐらいすると云う段になって、急にそんな高価のでなくっても善かろうと云っておいた。三重吉はにやにやしている。  それから全体どこで買うのかと聞いて見ると、なにどこの鳥屋にでもありますと、実に平凡な答をした。籠はと聞き返すと、籠ですか、籠はその何ですよ、なにどこにかあるでしょう、とまるで雲を攫むような寛大な事を云う。でも君あてがなくっちゃいけなかろうと、あたかもいけないような顔をして見せたら、三重吉は頬ぺたへ手をあてて、何でも駒込に籠の名人があるそうですが、年寄だそうですから、もう死んだかも知れませんと、非常に心細くなってしまった。  何しろ言いだしたものに責任を負わせるのは当然の事だから、さっそく万事を三重吉に依頼する事にした。すると、すぐ金を出せと云う。金はたしかに出した。三重吉はどこで買ったか、七子の三つ折の紙入を懐中していて、人の金でも自分の金でも悉皆この紙入の中に入れる癖がある。自分は三重吉が五円札をたしかにこの紙入の底へ押し込んだのを目撃した。  かようにして金はたしかに三重吉の手に落ちた。しかし鳥と籠とは容易にやって来ない。  そのうち秋が小春になった。三重吉はたびたび来る。よく女の話などをして帰って行く。文鳥と籠の講釈は全く出ない。硝子戸を透して五尺の縁側には日が好く当る。どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠を据えてやったら、文鳥も定めし鳴き善かろうと思うくらいであった。  三重吉の小説によると、文鳥は千代千代と鳴くそうである。その鳴き声がだいぶん気に入ったと見えて、三重吉は千代千代を何度となく使っている。あるいは千代と云う女に惚れていた事があるのかも知れない。しかし当人はいっこうそんな事を云わない。自分も聞いてみない。ただ縁側に日が善く当る。そうして文鳥が鳴かない。  そのうち霜が降り出した。自分は毎日伽藍のような書斎に、寒い顔を片づけてみたり、取乱してみたり、頬杖を突いたりやめたりして暮していた。戸は二重に締め切った。火鉢に炭ばかり継いでいる。文鳥はついに忘れた。  ところへ三重吉が門口から威勢よく這入って来た。時は宵の口であった。寒いから火鉢の上へ胸から上を翳して、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが、急に陽気になった。三重吉は豊隆を従えている。豊隆はいい迷惑である。二人が籠を一つずつ持っている。その上に三重吉が大きな箱を兄き分に抱えている。五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの初冬の晩であった。  三重吉は大得意である。まあ御覧なさいと云う。豊隆その洋灯をもっとこっちへ出せなどと云う。そのくせ寒いので鼻の頭が少し紫色になっている。  なるほど立派な籠ができた。台が漆で塗ってある。竹は細く削った上に、色が染けてある。それで三円だと云う。安いなあ豊隆と云っている。豊隆はうん安いと云っている。自分は安いか高いか判然と判らないが、まあ安いなあと云っている。好いのになると二十円もするそうですと云う。二十円はこれで二返目である。二十円に比べて安いのは無論である。  この漆はね、先生、日向へ出して曝しておくうちに黒味が取れてだんだん朱の色が出て来ますから、――そうしてこの竹は一返善く煮たんだから大丈夫ですよなどと、しきりに説明をしてくれる。何が大丈夫なのかねと聞き返すと、まあ鳥を御覧なさい、奇麗でしょうと云っている。  なるほど奇麗だ。次の間へ籠を据えて四尺ばかりこっちから見ると少しも動かない。薄暗い中に真白に見える。籠の中にうずくまっていなければ鳥とは思えないほど白い。何だか寒そうだ。  寒いだろうねと聞いてみると、そのために箱を作ったんだと云う。夜になればこの箱に入れてやるんだと云う。籠が二つあるのはどうするんだと聞くと、この粗末な方へ入れて時々行水を使わせるのだと云う。これは少し手数が掛るなと思っていると、それから糞をして籠を汚しますから、時々掃除をしておやりなさいとつけ加えた。三重吉は文鳥のためにはなかなか強硬である。  それをはいはい引受けると、今度は三重吉が袂から粟を一袋出した。これを毎朝食わせなくっちゃいけません。もし餌をかえてやらなければ、餌壺を出して殻だけ吹いておやんなさい。そうしないと文鳥が実のある粟を一々拾い出さなくっちゃなりませんから。水も毎朝かえておやんなさい。先生は寝坊だからちょうど好いでしょうと大変文鳥に親切を極めている。そこで自分もよろしいと万事受合った。ところへ豊隆が袂から餌壺と水入を出して行儀よく自分の前に並べた。こういっさい万事を調えておいて、実行を逼られると、義理にも文鳥の世話をしなければならなくなる。内心ではよほど覚束なかったが、まずやってみようとまでは決心した。もしできなければ家のものが、どうかするだろうと思った。  やがて三重吉は鳥籠を叮嚀に箱の中へ入れて、縁側へ持ち出して、ここへ置きますからと云って帰った。自分は伽藍のような書斎の真中に床を展べて冷かに寝た。夢に文鳥を背負い込んだ心持は、少し寒かったが眠ってみれば不断の夜のごとく穏かである。  翌朝眼が覚めると硝子戸に日が射している。たちまち文鳥に餌をやらなければならないなと思った。けれども起きるのが退儀であった。今にやろう、今にやろうと考えているうちに、とうとう八時過になった。仕方がないから顔を洗うついでをもって、冷たい縁を素足で踏みながら、箱の葢を取って鳥籠を明海へ出した。文鳥は眼をぱちつかせている。もっと早く起きたかったろうと思ったら気の毒になった。  文鳥の眼は真黒である。瞼の周囲に細い淡紅色の絹糸を縫いつけたような筋が入っている。眼をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。籠を箱から出すや否や、文鳥は白い首をちょっと傾けながらこの黒い眼を移して始めて自分の顔を見た。そうしてちちと鳴いた。  自分は静かに鳥籠を箱の上に据えた。文鳥はぱっと留り木を離れた。そうしてまた留り木に乗った。留り木は二本ある。黒味がかった青軸をほどよき距離に橋と渡して横に並べた。その一本を軽く踏まえた足を見るといかにも華奢にできている。細長い薄紅の端に真珠を削ったような爪が着いて、手頃な留り木を甘く抱え込んでいる。すると、ひらりと眼先が動いた。文鳥はすでに留り木の上で方向を換えていた。しきりに首を左右に傾ける。傾けかけた首をふと持ち直して、心持前へ伸したかと思ったら、白い羽根がまたちらりと動いた。文鳥の足は向うの留り木の真中あたりに具合よく落ちた。ちちと鳴く。そうして遠くから自分の顔を覗き込んだ。  自分は顔を洗いに風呂場へ行った。帰りに台所へ廻って、戸棚を明けて、昨夕三重吉の買って来てくれた粟の袋を出して、餌壺の中へ餌を入れて、もう一つには水を一杯入れて、また書斎の縁側へ出た。  三重吉は用意周到な男で、昨夕叮嚀に餌をやる時の心得を説明して行った。その説によると、むやみに籠の戸を明けると文鳥が逃げ出してしまう。だから右の手で籠の戸を明けながら、左の手をその下へあてがって、外から出口を塞ぐようにしなくっては危険だ。餌壺を出す時も同じ心得でやらなければならない。とその手つきまでして見せたが、こう両方の手を使って、餌壺をどうして籠の中へ入れる事ができるのか、つい聞いておかなかった。  自分はやむをえず餌壺を持ったまま手の甲で籠の戸をそろりと上へ押し上げた。同時に左の手で開いた口をすぐ塞いだ。鳥はちょっと振り返った。そうして、ちちと鳴いた。自分は出口を塞いだ左の手の処置に窮した。人の隙を窺って逃げるような鳥とも見えないので、何となく気の毒になった。三重吉は悪い事を教えた。  大きな手をそろそろ籠の中へ入れた。すると文鳥は急に羽搏を始めた。細く削った竹の目から暖かいむく毛が、白く飛ぶほどに翼を鳴らした。自分は急に自分の大きな手が厭になった。粟の壺と水の壺を留り木の間にようやく置くや否や、手を引き込ました。籠の戸ははたりと自然に落ちた。文鳥は留り木の上に戻った。白い首を半ば横に向けて、籠の外にいる自分を見上げた。それから曲げた首を真直にして足の下にある粟と水を眺めた。自分は食事をしに茶の間へ行った。  その頃は日課として小説を書いている時分であった。飯と飯の間はたいてい机に向って筆を握っていた。静かな時は自分で紙の上を走るペンの音を聞く事ができた。伽藍のような書斎へは誰も這入って来ない習慣であった。筆の音に淋しさと云う意味を感じた朝も昼も晩もあった。しかし時々はこの筆の音がぴたりとやむ、またやめねばならぬ、折もだいぶあった。その時は指の股に筆を挟んだまま手の平へ顎を載せて硝子越に吹き荒れた庭を眺めるのが癖であった。それが済むと載せた顎を一応撮んで見る。それでも筆と紙がいっしょにならない時は、撮んだ顎を二本の指で伸して見る。すると縁側で文鳥がたちまち千代千代と二声鳴いた。  筆を擱いて、そっと出て見ると、文鳥は自分の方を向いたまま、留り木の上から、のめりそうに白い胸を突き出して、高く千代と云った。三重吉が聞いたらさぞ喜ぶだろうと思うほどな美い声で千代と云った。三重吉は今に馴れると千代と鳴きますよ、きっと鳴きますよ、と受合って帰って行った。  自分はまた籠の傍へしゃがんだ。文鳥は膨らんだ首を二三度竪横に向け直した。やがて一団の白い体がぽいと留り木の上を抜け出した。と思うと奇麗な足の爪が半分ほど餌壺の縁から後へ出た。小指を掛けてもすぐ引っ繰り返りそうな餌壺は釣鐘のように静かである。さすがに文鳥は軽いものだ。何だか淡雪の精のような気がした。  文鳥はつと嘴を餌壺の真中に落した。そうして二三度左右に振った。奇麗に平して入れてあった粟がはらはらと籠の底に零れた。文鳥は嘴を上げた。咽喉の所で微な音がする。また嘴を粟の真中に落す。また微な音がする。その音が面白い。静かに聴いていると、丸くて細やかで、しかも非常に速かである。菫ほどな小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でもつづけ様に敲いているような気がする。  嘴の色を見ると紫を薄く混ぜた紅のようである。その紅がしだいに流れて、粟をつつく口尖の辺は白い。象牙を半透明にした白さである。この嘴が粟の中へ這入る時は非常に早い。左右に振り蒔く粟の珠も非常に軽そうだ。文鳥は身を逆さまにしないばかりに尖った嘴を黄色い粒の中に刺し込んでは、膨くらんだ首を惜気もなく右左へ振る。籠の底に飛び散る粟の数は幾粒だか分らない。それでも餌壺だけは寂然として静かである。重いものである。餌壺の直径は一寸五分ほどだと思う。  自分はそっと書斎へ帰って淋しくペンを紙の上に走らしていた。縁側では文鳥がちちと鳴く。折々は千代千代とも鳴く。外では木枯が吹いていた。  夕方には文鳥が水を飲むところを見た。細い足を壺の縁へ懸けて、小い嘴に受けた一雫を大事そうに、仰向いて呑み下している。この分では一杯の水が十日ぐらい続くだろうと思ってまた書斎へ帰った。晩には箱へしまってやった。寝る時硝子戸から外を覗いたら、月が出て、霜が降っていた。文鳥は箱の中でことりともしなかった。  明る日もまた気の毒な事に遅く起きて、箱から籠を出してやったのは、やっぱり八時過ぎであった。箱の中ではとうから目が覚めていたんだろう。それでも文鳥はいっこう不平らしい顔もしなかった。籠が明るい所へ出るや否や、いきなり眼をしばたたいて、心持首をすくめて、自分の顔を見た。  昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えているところを、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで眼尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日後である。  餌壺にはまだ粟が八分通り這入っている。しかし殻もだいぶ混っていた。水入には粟の殻が一面に浮いて、苛く濁っていた。易えてやらなければならない。また大きな手を籠の中へ入れた。非常に要心して入れたにもかかわらず、文鳥は白い翼を乱して騒いだ。小い羽根が一本抜けても、自分は文鳥にすまないと思った。殻は奇麗に吹いた。吹かれた殻は木枯がどこかへ持って行った。水も易えてやった。水道の水だから大変冷たい。  その日は一日淋しいペンの音を聞いて暮した。その間には折々千代千代と云う声も聞えた。文鳥も淋しいから鳴くのではなかろうかと考えた。しかし縁側へ出て見ると、二本の留り木の間を、あちらへ飛んだり、こちらへ飛んだり、絶間なく行きつ戻りつしている。少しも不平らしい様子はなかった。  夜は箱へ入れた。明る朝目が覚めると、外は白い霜だ。文鳥も眼が覚めているだろうが、なかなか起きる気にならない。枕元にある新聞を手に取るさえ難儀だ。それでも煙草は一本ふかした。この一本をふかしてしまったら、起きて籠から出してやろうと思いながら、口から出る煙の行方を見つめていた。するとこの煙の中に、首をすくめた、眼を細くした、しかも心持眉を寄せた昔の女の顔がちょっと見えた。自分は床の上に起き直った。寝巻の上へ羽織を引掛けて、すぐ縁側へ出た。そうして箱の葢をはずして、文鳥を出した。文鳥は箱から出ながら千代千代と二声鳴いた。  三重吉の説によると、馴れるにしたがって、文鳥が人の顔を見て鳴くようになるんだそうだ。現に三重吉の飼っていた文鳥は、三重吉が傍にいさえすれば、しきりに千代千代と鳴きつづけたそうだ。のみならず三重吉の指の先から餌を食べると云う。自分もいつか指の先で餌をやって見たいと思った。  次の朝はまた怠けた。昔の女の顔もつい思い出さなかった。顔を洗って、食事を済まして、始めて、気がついたように縁側へ出て見ると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。文鳥はもう留り木の上を面白そうにあちら、こちらと飛び移っている。そうして時々は首を伸して籠の外を下の方から覗いている。その様子がなかなか無邪気である。昔紫の帯上でいたずらをした女は襟の長い、背のすらりとした、ちょっと首を曲げて人を見る癖があった。  粟はまだある。水もまだある。文鳥は満足している。自分は粟も水も易えずに書斎へ引込んだ。  昼過ぎまた縁側へ出た。食後の運動かたがた、五六間の廻り縁を、あるきながら書見するつもりであった。ところが出て見ると粟がもう七分がた尽きている。水も全く濁ってしまった。書物を縁側へ抛り出しておいて、急いで餌と水を易えてやった。  次の日もまた遅く起きた。しかも顔を洗って飯を食うまでは縁側を覗かなかった。書斎に帰ってから、あるいは昨日のように、家人が籠を出しておきはせぬかと、ちょっと縁へ顔だけ出して見たら、はたして出してあった。その上餌も水も新しくなっていた。自分はやっと安心して首を書斎に入れた。途端に文鳥は千代千代と鳴いた。それで引込めた首をまた出して見た。けれども文鳥は再び鳴かなかった。けげんな顔をして硝子越に庭の霜を眺めていた。自分はとうとう机の前に帰った。  書斎の中では相変らずペンの音がさらさらする。書きかけた小説はだいぶんはかどった。指の先が冷たい。今朝埋けた佐倉炭は白くなって、薩摩五徳に懸けた鉄瓶がほとんど冷めている。炭取は空だ。手を敲いたがちょっと台所まで聴えない。立って戸を明けると、文鳥は例に似ず留り木の上にじっと留っている。よく見ると足が一本しかない。自分は炭取を縁に置いて、上からこごんで籠の中を覗き込んだ。いくら見ても足は一本しかない。文鳥はこの華奢な一本の細い足に総身を託して黙然として、籠の中に片づいている。  自分は不思議に思った。文鳥について万事を説明した三重吉もこの事だけは抜いたと見える。自分が炭取に炭を入れて帰った時、文鳥の足はまだ一本であった。しばらく寒い縁側に立って眺めていたが、文鳥は動く気色もない。音を立てないで見つめていると、文鳥は丸い眼をしだいに細くし出した。おおかた眠たいのだろうと思って、そっと書斎へ這入ろうとして、一歩足を動かすや否や、文鳥はまた眼を開いた。同時に真白な胸の中から細い足を一本出した。自分は戸を閉てて火鉢へ炭をついだ。  小説はしだいに忙しくなる。朝は依然として寝坊をする。一度家のものが文鳥の世話をしてくれてから、何だか自分の責任が軽くなったような心持がする。家のものが忘れる時は、自分が餌をやる水をやる。籠の出し入れをする。しない時は、家のものを呼んでさせる事もある。自分はただ文鳥の声を聞くだけが役目のようになった。  それでも縁側へ出る時は、必ず籠の前へ立留って文鳥の様子を見た。たいていは狭い籠を苦にもしないで、二本の留り木を満足そうに往復していた。天気の好い時は薄い日を硝子越に浴びて、しきりに鳴き立てていた。しかし三重吉の云ったように、自分の顔を見てことさらに鳴く気色はさらになかった。  自分の指からじかに餌を食うなどと云う事は無論なかった。折々機嫌のいい時は麺麭の粉などを人指指の先へつけて竹の間からちょっと出して見る事があるが文鳥はけっして近づかない。少し無遠慮に突き込んで見ると、文鳥は指の太いのに驚いて白い翼を乱して籠の中を騒ぎ廻るのみであった。二三度試みた後、自分は気の毒になって、この芸だけは永久に断念してしまった。今の世にこんな事のできるものがいるかどうだかはなはだ疑わしい。おそらく古代の聖徒の仕事だろう。三重吉は嘘を吐いたに違ない。  或日の事、書斎で例のごとくペンの音を立てて侘びしい事を書き連ねていると、ふと妙な音が耳に這入った。縁側でさらさら、さらさら云う。女が長い衣の裾を捌いているようにも受取られるが、ただの女のそれとしては、あまりに仰山である。雛段をあるく、内裏雛の袴の襞の擦れる音とでも形容したらよかろうと思った。自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。すると文鳥が行水を使っていた。  水はちょうど易え立てであった。文鳥は軽い足を水入の真中に胸毛まで浸して、時々は白い翼を左右にひろげながら、心持水入の中にしゃがむように腹を圧しつけつつ、総身の毛を一度に振っている。そうして水入の縁にひょいと飛び上る。しばらくしてまた飛び込む。水入の直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。飛び込んだ時は尾も余り、頭も余り、背は無論余る。水に浸かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然として行水を使っている。  自分は急に易籠を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露を持って風呂場へ行って、水道の水を汲んで、籠の上からさあさあとかけてやった。如露の水が尽きる頃には白い羽根から落ちる水が珠になって転がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。  昔紫の帯上でいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅くなった頬を上げて、繊い手を額の前に翳しながら、不思議そうに瞬をした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう。  日数が立つにしたがって文鳥は善く囀ずる。しかしよく忘れられる。或る時は餌壺が粟の殻だけになっていた事がある。ある時は籠の底が糞でいっぱいになっていた事がある。ある晩宴会があって遅く帰ったら、冬の月が硝子越に差し込んで、広い縁側がほの明るく見えるなかに、鳥籠がしんとして、箱の上に乗っていた。その隅に文鳥の体が薄白く浮いたまま留り木の上に、有るか無きかに思われた。自分は外套の羽根を返して、すぐ鳥籠を箱のなかへ入れてやった。  翌日文鳥は例のごとく元気よく囀っていた。それからは時々寒い夜も箱にしまってやるのを忘れることがあった。ある晩いつもの通り書斎で専念にペンの音を聞いていると、突然縁側の方でがたりと物の覆った音がした。しかし自分は立たなかった。依然として急ぐ小説を書いていた。わざわざ立って行って、何でもないといまいましいから、気にかからないではなかったが、やはりちょっと聞耳を立てたまま知らぬ顔ですましていた。その晩寝たのは十二時過ぎであった。便所に行ったついで、気がかりだから、念のため一応縁側へ廻って見ると――  籠は箱の上から落ちている。そうして横に倒れている。水入も餌壺も引繰返っている。粟は一面に縁側に散らばっている。留り木は抜け出している。文鳥はしのびやかに鳥籠の桟にかじりついていた。自分は明日から誓ってこの縁側に猫を入れまいと決心した。  翌日文鳥は鳴かなかった。粟を山盛入れてやった。水を漲るほど入れてやった。文鳥は一本足のまま長らく留り木の上を動かなかった。午飯を食ってから、三重吉に手紙を書こうと思って、二三行書き出すと、文鳥がちちと鳴いた。自分は手紙の筆を留めた。文鳥がまたちちと鳴いた。出て見たら粟も水もだいぶん減っている。手紙はそれぎりにして裂いて捨てた。  翌日文鳥がまた鳴かなくなった。留り木を下りて籠の底へ腹を圧しつけていた。胸の所が少し膨らんで、小さい毛が漣のように乱れて見えた。自分はこの朝、三重吉から例の件で某所まで来てくれと云う手紙を受取った。十時までにと云う依頼であるから、文鳥をそのままにしておいて出た。三重吉に逢って見ると例の件がいろいろ長くなって、いっしょに午飯を食う。いっしょに晩飯を食う。その上明日の会合まで約束して宅へ帰った。帰ったのは夜の九時頃である。文鳥の事はすっかり忘れていた。疲れたから、すぐ床へ這入って寝てしまった。  翌日眼が覚めるや否や、すぐ例の件を思いだした。いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁にやるのは行末よくあるまい、まだ子供だからどこへでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸に陥って行く者がたくさんある。などと考えて楊枝を使って、朝飯を済ましてまた例の件を片づけに出掛けて行った。  帰ったのは午後三時頃である。玄関へ外套を懸けて廊下伝いに書斎へ這入るつもりで例の縁側へ出て見ると、鳥籠が箱の上に出してあった。けれども文鳥は籠の底に反っ繰り返っていた。二本の足を硬く揃えて、胴と直線に伸ばしていた。自分は籠の傍に立って、じっと文鳥を見守った。黒い眼を眠っている。瞼の色は薄蒼く変った。  餌壺には粟の殻ばかり溜っている。啄むべきは一粒もない。水入は底の光るほど涸れている。西へ廻った日が硝子戸を洩れて斜めに籠に落ちかかる。台に塗った漆は、三重吉の云ったごとく、いつの間にか黒味が脱けて、朱の色が出て来た。  自分は冬の日に色づいた朱の台を眺めた。空になった餌壺を眺めた。空しく橋を渡している二本の留り木を眺めた。そうしてその下に横わる硬い文鳥を眺めた。  自分はこごんで両手に鳥籠を抱えた。そうして、書斎へ持って這入った。十畳の真中へ鳥籠を卸して、その前へかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。柔かい羽根は冷きっている。  拳を籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静に掌の上にある。自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。それから、そっと座布団の上に卸した。そうして、烈しく手を鳴らした。  十六になる小女が、はいと云って敷居際に手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へ抛り出した。小女は俯向いて畳を眺めたまま黙っている。自分は、餌をやらないから、とうとう死んでしまったと云いながら、下女の顔を睥めつけた。下女はそれでも黙っている。  自分は机の方へ向き直った。そうして三重吉へ端書をかいた。「家人が餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と云う文句であった。  自分は、これを投函して来い、そうしてその鳥をそっちへ持って行けと下女に云った。下女は、どこへ持って参りますかと聞き返した。どこへでも勝手に持って行けと怒鳴りつけたら、驚いて台所の方へ持って行った。  しばらくすると裏庭で、子供が文鳥を埋るんだ埋るんだと騒いでいる。庭掃除に頼んだ植木屋が、御嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。  翌日は何だか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日植木屋の声のしたあたりに、小さい公札が、蒼い木賊の一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄を穿いて、日影の霜を踏み砕いて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。筆子の手蹟である。  午後三重吉から返事が来た。文鳥は可愛想な事を致しましたとあるばかりで家人が悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年5月12日公開 2011年3月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 文芸委員は何をするか 文芸委員は何をするか 夏目漱石        上  政府が官選文芸委員の名を発表するの日は近きにありと伝えられている。何人が進んでその嘱に応ずるかは余の知る限りでない。余はただ文壇のために一言して諸君子の一考を煩わしたいと思うだけである。  政府はある意味において国家を代表している。少くとも国家を代表するかの如き顔をして万事を振舞うに足る位の権力家である。今政府の新設せんとする文芸院は、この点においてまさしく国家的機関である。従って文芸院の内容を構成する委員らは、普通文士の格を離れて、突然国家を代表すべき文芸家とならなければならない。しかも自家に固有なる作物と評論と見識との齎した価値によって、国家を代表するのではない。実行上の権力において自己より遥に偉大なる政府というものを背景に控えた御蔭で、忽ち魚が竜となるのである。自ら任ずる文芸家及び文学者諸君に取っては、定めて大いなる苦痛であろうと思われる。  諸君がもし、国家のためだから、この苦痛を甘んじても遣るといわれるなら、まことに敬服である。その代り何処が国家のためだか、明かに諸君の立脚地をわれらに誨えられる義務が出て来るだろうと考える。  政府が国家的事業の一端として、保護奨励を文芸の上に与えんとするのは、文明の当局者として固より当然の考えである。けれども一文芸院を設けて優にその目的が達せられるように思うならば、あたかも果樹の栽培者が、肝心の土壌を問題外に閑却しながら、自分の気に入った枝だけに袋を被せて大事を懸ける小刀細工と一般である。文芸の発達は、その発達の対象として、文芸を歓迎し得る程度の社会の存在を仮定しなければならないのは無論の事で、その程度の社会を造り出す事が、即ち文芸を保護奨励しようという政府の第一目的でなければならない事もまた知れ切った話である。そうしてそれは根の深い国民教育の結果として、始めて一般世間の表面に浮遊して来るより外に途のないものである。既に根本が此処で極まりさえすれば、他の設備は殆んど装飾に過ぎない。(その弊害を勘定に入れない時ですら)。余は政府が文芸保護の最急政策として、何故にまず学校教育の遠き源から手を下さなかったかを怪むのである。それほど大仕掛の手数を厭う位なら、ついでに文芸院を建てる手数をも厭った方が経済であると考える。国家を代表するかの観を装う文芸委員なるものは、その性質上直接社会に向って、以上のような大勢力を振舞かねる団体だからである。  もし文芸院がより多く卑近なる目的を以て、文芸の産出家に対して、個々別々の便宜を、その作物上の評価に応じて、零細にかつ随時に与えようとするならば、余はその効果の比較的少きに反して、その弊害の思ったよりも大いなる事を断言するに憚らぬものである。  我々は自ら相応に鑑賞力のある文士と自任して、常住他の作物に対して、自己の正当と信ずる評価を公けにして憚らないのみか、芸術上において相互発展進歩の余地はこれより外にないとまで考えている。けれども我々の批判はあくまでも我々一家の批判である。もしそれが一家の批判を超越する場合には、批判その物の性質として普遍ならざるべからざる権威を内に具えているがためで、いわば相手と熟議の結果から得た自然の勢力に過ぎない。我々の背後にはただ他より優秀なる鑑賞力と、他より超越せる判断力があるのみで、単にこれがためにわが言辞にそれ相応の権威を生ずるのである。  この権威を最後最上の権威であれかしと冀うのは、我々の欲望であって、一般に通ずる事実ではない。これを事実にしてくれるものは、相手と公平なる三者である。いやしくも二者の許諾を得ざるものは、どこまでも一家の批判に過ぎない。それが当然である。しかるに一家の批判を以て任ずべき文芸家もしくは文学家が、国家を代表する政府の威信の下に、突如として国家を代表する文芸家と化するの結果として、天下をして彼らの批判こそ最終最上の権威あるものとの誤解を抱かしむるのは、その起因する所が文芸その物と何らの交渉なき政府の威力に本づくだけに、猶更の悪影響を一般社会――ことに文芸に志ざす青年――に与うるものである。これを文芸の堕落というのは通じる。保護というに至ってはその意味を知るに苦しまざるを得ない。        中  一家の批判を、一家として最後最上の批判と信ずるのに、何人も喙を容れようがない。けれどもそれをして比較的普遍ならしめんがため、――それを世間に通用する事実と変化せしめんがために、文芸の鑑賞に縁もゆかりもない政府の力を藉りるのは卑怯の振舞である。自己の所信を客観化して公衆にしか認めしむべき根拠を有せざる時においてすら、彼らは自由に天下を欺くの権利をあらかじめ占有するからである。  弊害はこればかりではない。既に文芸委員が政府の威力を背景に置いて、個人的ならざるべからざる文芸上の批判を国家的に膨脹して、自己の勢力を張るの具となすならば、政府はまた文芸委員を文芸に関する最終の審判者の如く見立てて、この機関を通して、尤も不愉快なる方法によって、健全なる文芸の発達を計るとの漠然たる美名の下に、行政上に都合よき作物のみを奨励して、その他を圧迫するは見やすき道理である。公平なる文芸の鑑賞家は自己のいわゆる健全と政府のいわゆる健全と一致せざる多くの場合において、文芸院の設立を迷惑に思うだろう。  これらの弊害を別にしても、文芸院の建設は依然として文芸の発達上効力がある、即ちある種類の好い作物は出るに違ないと主張する人があるかも知れない。余はそういう人に向って、たとい日本に文芸院がなくっても好い作物は出るのだといいたい。かつて文部省の展覧会の審査員の某氏に会った時、日本の絵画も近頃は大分上手になりましたといったら、その人は文部省の展覧会が出来てから大変好くなりましたと答えた。日本の絵画の年々進歩するのは争うべからざる事実ではあるが、その原因を某氏のように一概に文部省の展覧会に帰するのは間違っているように思われる。果して日本の画家があの位の刺激に挑撥されて人工的に向上したとすれば、彼らは文部省の御蔭で腕が上がると同時に、同じく文部省の御蔭で頭が下がったので、一方からいうと気の毒なほど不見識な集合体だと評しなければならない。  余が某氏の言に疑を挟むのは、自分に最も密接の関係のある文壇の近状に徴して、決してそうではあるまいとの自信があるからである。政府は今日までわが文芸に対して何らの保護を与えていない。むしろ干渉のみを事とした形迹がある。それにもかかわらず、わが文学は過去数年の間に著るしい発展をした。余の見る所を以てすると、現今毎月刊行の文学雑誌に載る幾多の小説の大部分は、英国の『ウィンゾー』などに続々現れてくる愚劣な小説よりも、どの位芸術的に書き流されているか分らない。既にこの数年の間にかほど進歩の機運が熟するとしたなら、突然それを阻害する事情の起らない限りは、文芸院などという不自然な機関の助けを藉りて無理に温室へ入れなくても、野生のままで放って置けば、この先順当に発展するだけである。我々文士からいっても、好い加減な選り好みをされた上に、生中もやし扱いにされるのはありがたいものではない。  現代の文士が述作の上において要求する所のものは、国家を代表する文芸委員諸君の注意や批判や評価だと思うのは、政府の己惚である。それらは皆各自に有っているはずである。疑わしいときは、個人としての先輩やら朋友やら、信用のある外国人の著わした書物やらに聴いて、自分の考えを纏めれば沢山である。現代の文士が述作の上において最も要求する所のものはそれらではない。金である。比較的容易なる生活である。彼らは見苦しいほど金に困っている。いわゆる文壇の不振とは、文壇に提供せられたる作物の不振ではない。作物を買ってやる財嚢の不振である。文士からいえば米櫃の不振である。新設されべき文芸院が果してこの不振の救済を急務として適当の仕事を遣り出すならば、よし永久の必要はなしとした所で、刻下の困難を救う一時の方便上、文壇に縁の深い我々は折れ合って無理にも賛成の意を表したいが、どうしてそれを仕終せるかの実行問題になると、余には全然見込が立たないのである。        下  近時のわが文壇は殆んど小説の文壇である。脚本と批評はこれに次ぐべき重要の因数に相違ないが、分量からいっても、一般の注意を惹く点からいっても、遂に小説には及ばない。その小説について、斯道に関係ある我々の見逃し能わざる特殊の現象が毎月刊行の雑誌の上に著るしく現れて来た。それは全体の小説が芸術的作品として、或る水平に達しつつあるという事実である。またその水平が年々に高くなりつつあるという事実である。この二つの事実を左右の翼として、論理的に一段の交渉を前方に進めるならば、我々は局外者に向って興趣ある一種の結論を提供する事が出来る。その結論とはこうである。――  わが小説界は偉大なる一、二の天才を有する代りに、優劣のしかく懸隔せざる多数の天才(もしくは人才)の集合努力によって進歩しつつある。  この傾向を首肯いつつ、文芸委員のするという選抜賞与の実際問題に向うならば、公平にして真に文界の前途を思うものは、誰しもその事業に伴う危険と困難とを感ずべきはずである。さまで優劣の階段を設くる必要なき作品に対して、国家的代表者の権威と自信とを以て、敢て上下の等級を天下に宣告して憚らざるさえあるに、文明の趨勢と教化の均霑とより来る集合団体の努力を無視して、全部に与うべきはずの報酬を、強いて個人の頭上に落さんとするは、殆んど悪意ある取捨と一般の行為だからである。  好悪は人々の随意である。好悪より生ずる物品金銭の贈与もまた人々の随意である。英国の王家が月桂詩人の称号をスウィンバーンに与えないで、オースチンに年々二、三百磅の恩給を贈るのは、単に王家がこの詩人に対する好悪の表現と見ればそれまでである。けれども国家の与うべき報酬は、一銭一厘たりとも好悪によって支配さるべきではない。必ず優劣によって決せらるべきである。しかもその優劣が判然と公衆の眼に映らなければならない。この必要条件を具備しない国家的保護と奨励とはなきに優ると寛仮するよりも、むしろあるに劣る(もしそういう言葉が意味をなすならば)と非難する方が当然である。  作物の現状と文士の窮状とは既に上説の如くであって、ここに保護のために使用すべき金が若干でもあるとすれば、それを分配すべき比較的無難な方法はただ一つあるだけである。余は毎月刊行の雑誌に掲載される凡ての小説とはいわないつもりであるが、その大部分、即ち或る水平以上に達したる作物に対してはこの保護金なり奨励金なりを平等に割り宛て、当分原稿料の不足を補うようにしたら可かろうと思う。固より各人に割り宛てれば僅かなものに違ないけれども、一つの短篇について、三十円乃至五十円位な賞与を受ける事が出来たなら、賞与に伴う名誉などはどうでも可いとして、実際の生活上に多少の便宜はある事と信ぜられるからである。こうすれば雑誌の編輯者とか購買者とかにはまるで影響を及ぼさずに、ただ雑誌を飾る作家だけが寛容ぐ利益のある事だから、一雑誌に載る小説の数がむやみに殖える気遣はない。尤も自分で書いて自分で雑誌を出す道楽な文士は多少増かも知れないが、それは実施の上になって見なければ分らない。  余は以上の如く根本において文芸院の設置に反対を唱うるものであるが、もし保護金の使用法について、幸いにも文芸委員がこの公平なる手段を講ずるならば、その局部に対しては大に賛成の意を表するに吝かならざるつもりである。その他の企画についても悉く非難する必要は無論認めない。けれども大体の筋からいって、凡てこれらは政府から独立した文芸組合または作家団というような組織の下に案出され、またその組織の下に行政者と協商されべきである。惜いかな今の日本の文芸家は、時間からいっても、金銭からいっても、また精神からいっても、同類保存の途を講ずる余裕さえ持ち得ぬほどに貧弱なる孤立者またはイゴイストの寄合である。自己の劃したる檻内に咆哮して、互に噛み合う術は心得ている。一歩でも檻外に向って社会的に同類全体の地位を高めようとは考えていない。互を軽蔑した文字を恬として六号活字に並べ立てたりなどして、故さらに自分らが社会から軽蔑されるような地盤を固めつつ澄まし返っている有様である。日本の文芸家が作家倶楽部というほどの単純な組織すらも構成し得ない卑力な徒である事を思えば、政府の計画した文芸院の優に成立するのも無理はないかも知れぬ。 ――明治四四、五、一八―二〇『東京朝日新聞』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 1999年8月13日公開 2003年10月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 文芸の哲学的基礎 文芸の哲学的基礎 夏目漱石  東京美術学校文学会の開会式に一場の講演を依頼された余は、朝日新聞社員として、同紙に自説を発表すべしと云う条件で引き受けた上、面倒ながらその速記を会長に依頼した。会長は快よく承諾されて、四五日の後丁寧なる口上を添えて、速記を余のもとに送付された。見ると腹案の不充分であったためか、あるいは言い廻し方の不適当であったためか、そのままではほとんど紙上に載せて読者の一覧を煩わすに堪えぬくらい混雑している。そこでやむをえず全部を書き改める事にして、さて速記を前へ置いてやり出して見ると、至る処に布衍の必要を生じて、ついには原稿の約二倍くらい長いものにしてしまった。  題目の性質としては一気に読み下さないと、思索の縁を時々に切断せられて、理路の曲折、自然の興趣に伴わざるの憾はあるが、新聞の紙面には固より限りのある事だから、不都合を忍んで、これを一二欄ずつ日ごとに分載するつもりである。  この事情のもとに成れる左の長篇は、講演として速記の体裁を具うるにも関わらず、実は講演者たる余が特に余が社のために新に起草したる論文と見て差支なかろうと思う。これより朝日新聞社員として、筆を執って読者に見えんとする余が入社の辞に次いで、余の文芸に関する所信の大要を述べて、余の立脚地と抱負とを明かにするは、社員たる余の天下公衆に対する義務だろうと信ずる。  私はまだ演説ということをあまり――あまりではないほとんどやった事のない男で、頼まれた事は今まで大分ありましたけれどもみんな断ってしまいました。どうも嫌なんですな。それにできないのです。その代り講義の方はこの間まで毎日やって来ましたから、おそらく上手だろうと思うのですけれどもあいにく御頼みが演説でありますから定めて拙いだろうと存じます。  実はせんだって大村さんがわざわざおいでになって何か演説を一つと云う御注文でありましたが、もともと拙いと知りながら御引受をするのも御気の毒の至りと心得てまずは御辞退に及びました。ところがなかなか御承知になりません。是非やれ、何でもいいからやれ、どうかやれ、としきりにやれやれと御勧めになります。それでもと云って首を捻っていると、しまいには演説はやらんでもいいと申されます。演説をやらんで何を致しますかと伺うと、ただ出席してみんなに顔さえ見せれば勘弁すると云う恩命であります。そこで私も大決心を起して、そのくらいの事なら恐るるに及ばんと快く御受合を致しました。――今日はそう云う条件の下にここに出現した訳であります。けれども不幸にしてあまり御覧に入れるほどな顔でもない。顔だけではあまり軽少と思いますからついでに何か御話を致しましょう。もとより演説と名のつく諸君よ諸君はとてもできませんから演説と云ってもその実は講義になるでしょう。講義になるとすると、私の講義は暗ではやらない、云う事はことごとく文章にして、教場でそれをのべつに話す方針であります。ところが今日はそれほどの閑暇もなし、また考えも纏まっておりません。だから上手であるべき講義も今日に限って存外拙い訳であります。  美術学校でこういう文学的の会を設立して、諸君の専門技芸以外に、一般文学の知識と趣味を養成せられるのは大変に面白い事と思います。ただいま正木校長の御話のように文学と美術は大変関係の深いものでありますから、その一方を代表なさる諸君が文学の方面にも一種の興味をもたれて、われわれのような不調法ものの講話を御参考に供して下さるのは、この両者の接触上から見て、諸君の前に卑見を開陳すべき第一の機会を捕えた私は多大の名誉と感ずる次第であります。できない演説を無理にやるのは全くこのためで、やりつけないものを受け合ったからと云って、けっして恩に着せる訳ではありません。全く大なる光栄と心得てここへ出て来たのである。が繰返して云う通り、演説はできず講義としては纏まらず、定めて聞苦しい事もあるだろうと思います。その辺はあらかじめ御容赦を願います。  まずこれからそろそろやり始めます。やり始めますよと断ると何だかえらそうに聞えるが、その実は何でもない。ここに三四頁ばかり書いたノートがあります。これから御話をする事はこの三四頁の内容に過ぎんのでありますからすらすらとやってしまうと十五分くらいですぐすんでしまう。いくらついでにする演説でもそれではあまり情ない。からこの三四頁を口から出まかせに敷衍して進行して行きます。敷衍しかたをあらかじめ考えていないから、どこをどっちへ敷衍するか分らない。時によると飛んだ寄り道をして、出る所へも出られず、帰る所へも帰れないかも知れないと云うすこぶる心細い敷衍法を用います。のみならず冒頭が何だか訳の分らない事から始まるかも知れないから、けっして驚いてはいけません。いずれ結末には美術とか文学とか御互に縁の深い方面へずり落ちて行く事と安心して聴いていただきたい。――ただいま正木会長の御演説中に市気匠気と云う語がありましたが、私の御話も出立地こそぼうっとして何となく稀有の思はあるが、落ち行く先はと云うと、これでも会長といっしょに市気匠気まで行くつもりであります。  まず――私はここに立っております。そうしてあなた方はそこに坐っておられる。私は低い所に立っている、あなた方は高い所に坐っておられる、かように私が立っているという事と、あなた方が坐っておらるると云う事が――事実であります。この事実と云うのを他の言葉で現して見ようならば、私は我と云うもの、あなた方は私に対して私以外のものと云う意味であります。もっとむずかしい表現法を用いると物我対立と云う事実であります。すなわち世界は我と物との相待の関係で成立していると云う事になる。あなた方も定めてそう思われるでありましょう、私もそう思うております。誰しもそう心得ているのである。それから私が、こうやってここに立っており、あなた方が、そうして、そこに坐ってござると、その間に距離というものがある。一間の距離とか、二間の距離とかあるいは十間二十間――この講堂の大きさはどのくらいありますか――とにかく幾坪かの広がりがあって、その中に私が立っており、その中にあなた方が坐っていることになる。この広がりを空間と申します。(申さなくっても御承知である)つまりはスペースと云うものがあって、万物はその中に、各、ある席を占めている。次に今日の演説は一時から始まります。そうしていつ終るか分りませんが、まあいつか終るでしょう。大概は日が暮れる前に終る事と思います。私がこうやって好加減な事をしゃべって、それが済むとあとから、上田さんが代ってまた面白い講話がある。それから散会となる。私の講話も、上田さんの演説も皆経過する事件でありまして、この経過は時間と云うものがなければ、どうしても起る訳に参りません。これも明暸な事で別段改めて申上げる必要はない。最後に、なぜ私がここにこうやって出て来て、しきりに口を動かしているかと云えば、これは酔狂や物数奇で飛出して来たと思われては少し迷惑であります。そこにはそれ相当な因縁、すなわち先刻申上げた大村君の鄭重なる御依頼とか、私の安受合とか、受合ったあとの義務心とか、いろいろの因縁が和合したその結果かくのごとくフロックコートを着て参りました。この関係を(人事、自然に通じて)因果の法則と称えております。  すると、こうですな。この世界には私と云うものがありまして、あなた方と云うものがありまして、そうして広い空間の中におりまして、この空間の中で御互に芝居をしまして、この芝居が時間の経過で推移して、この推移が因果の法則で纏められている。と云うのでしょう。そこでそれにはまず私と云うものがあると見なければならぬ、あなた方があると見なければならぬ。空間というものがあると見なければならぬ。時間と云うものがあると見なければならぬ。また因果の法則と云うものがあって、吾人を支配していると見なければならん。これは誰も疑うものはあるまい。私もそう思う。  ところがよくよく考えて見ると、それがはなはだ怪しい。よほど怪しい。通俗には誰もそう考えている。私も通俗にそう考えている。しかし退いて不通俗に考えて見るとそれがすこぶるおかしい。どうもそうでないらしい。なぜかと云うと元来この私と云う――こうしてフロックコートを着て高襟をつけて、髭を生やして厳然と存在しているかのごとくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。フロックも高襟も目に見える、手に触れると云うまでで自分でないにはきまっている。この手、この足、痒いときには掻き、痛いときには撫でるこの身体が私かと云うと、そうも行かない。痒い痛いと申す感じはある。撫でる掻くと云う心持ちはある。しかしそれより以外に何にもない。あるものは手でもない足でもない。便宜のために手と名づけ足と名づける意識現象と、痛い痒いと云う意識現象であります。要するに意識はある。また意識すると云う働きはある。これだけはたしかであります、これ以上は証明する事はできないが、これだけは証明する必要もないくらいに炳乎として争うべからざる事実であります。して見ると普通に私と称しているのは客観的に世の中に実在しているものではなくして、ただ意識の連続して行くものに便宜上私と云う名を与えたのであります。何が故に平地に風波を起して、余計な私と云うものを建立するのが便宜かと申すと、「私」と、一たび建立するとその裏には、「あなた方」と、私以外のものも建立する訳になりますから、物我の区別がこれでつきます。そこがいらざる葛藤で、また必要な便宜なのであります。  こう云うと、私は自分(普通に云う自分)の存在を否定するのみならず、かねてあなた方の存在をも否定する訳になって、かように大勢傍聴しておられるにもかかわらず、有れども無きがごとくではなはだ御気の毒の至りであります。御腹も御立ちになるでしょうが、根本的の議論なのだから、まず議論として御聴きを願いたい。根本的に云うと失礼な申条だがあなた方は私を離れて客観的に存在してはおられません。――私を離れてと申したが、その私さえいわゆる私としては存在しないのだから、いわんやあなた方においてをやであります。いくら怒られても駄目であります。あなた方はそこにござる。ござると思ってござる。私もまあちょっとそう思っています。います事は、いますがただかりにそう思って差し上げるまでの事であります。と云うものは、いくらそれ以上に思って上げたくてもそれだけの証拠がないのだから仕方がありません。普通に物の存在を確めるにはまず眼で見ますかね。眼で見た上で手で触れて見る。手で触れたあとで、嗅いでみる、あるいは舐めてみる。――あなた方の存在を確めるにはそれほど手数はかからぬかも知れぬが。けれども前にも申した通り眼で見ようが、耳できこうが、根本的に云えば、ただ視覚と聴覚を意識するまでで、この意識が変じて独立した物とも、人ともなりよう訳がない。見るときに触るるときに、黒い制服を着た、金釦の学生の、姿を、私の意識中に現象としてあらわし来ると云うまでに過ぎないのであります。これを外にしてあなた方の存在と云う事実を認めることができようはずがない。すると煎じ詰めたところが私もなければ、あなた方もない。あるものは、真にあるものは、ただ意識ばかりである。金釦が眼に映ずる、金釦を意識する。講堂の天井が黒くなっている、その黒い所を意識する。――これは悪口ではありません。美術学校の天井が黒いと云うのではない、ただ黒いと意識するので、客観的存在は認めておらん悪口だから構わないでしょう。  まずこれだけの話であります。すると通俗の考えを離れて物我の世界を見たところでは、物が自分から独立して現存していると云う事も云えず、自分が物を離れて生存していると云う事も申されない。換言して見ると己を離れて物はない、また物を離れて己はないはずとなりますから、いわゆる物我なるものは契合一致しなければならん訳になります。物我の二字を用いるのはすでに分りやすいためにするのみで、根本義から云うと、実はこの両面を区別しようがない、区別する事ができぬものに一致などと云う言語も必要ではないのであります。だからただ明かに存在しているのは意識であります。そうしてこの意識の連続を称して俗に命と云うのであります。  連続と云う字を使用する以上は意識が推移して行くと云う意味を含んでおって、推移と云う意味がある以上は(一)意識に単位がなければならぬと云う事と(二)この単位が互に消長すると云う事と(三)は消長が分明であるくらいに単位意識が明暸でなければならぬと云う事と(四)意識の推移がある法則に支配せらるるやと云う事になりますから、問題がよほど込入って来ますが、今はそんな面倒な事を御話する場合でないから、諸君の御研究に一任する事として講話を進めます。もっとも今申した四カ条のうち、意識推移の原則については私の「文学論」の第五篇に不完全ながら自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願いたいと思います。ついでに「文学論」も一部ずつ御求めを願いたいと思います。――とにかく意識がある。物もない、我もないかも知れないが意識だけはたしかにある。そうしてこの意識が連続する。なぜ連続するかは哲学的にまたは進化的に説明がつくにしても、つかぬにしても連続するのはたしかであるから、これを事実として歩を進めて行く。  そこでちょっと留まって、この講話の冒頭を顧みると少々妙であります。最初には私と云うものがあると申しました。あなた方もたしかにおいでになると申しました。そうして、御互に空間と云う怪しいものの中に這入り込んで、時間と云う分らぬものの流れに棹さして、因果の法則と云う恐ろしいものに束縛せられて、ぐうぐう云っていると申しました。ところが不通俗に考えた結果によるとまるで反対になってしまいました。物我などと云う関門は最初からない事になりました。天地すなわち自己と云うえらい事になりました。いつの間にこう豹変したのか分らないが、全く矛盾してしまいました。(空間、時間、因果律もやはりこの豹変のうちに含んでいます。それは講話の都合で後廻しにしましたから、今にだんだんわかります)  なぜこんな矛盾が起ったのだろうか。よく考えると何にもないのに、通俗では森羅万象いろいろなものが掃蕩しても掃蕩しきれぬほど雑然として宇宙に充している。戸張君ではないが天地前にあり、竹風ここにありと云いたくなるくらいであります。――なぜこんな矛盾が起ったのであろうか。これはすこぶる大問題である。面倒にむずかしく論じて来たら大分暇がかかりましょう。私は必要上、ごく粗末なところを、はなはだ短い時間内に御話するのであるから、無論豪い哲学者などが聞いておられたら、不完全だと云って攻撃せられるだろうと思います。しかしこの短い時間内に、こんな大袈裟な問題を片づけるのだから、無論完全な事を云うはずがない、不完全は無論不完全だが、あの度胸が感心だと賞めていただきたい。もっとも時間は幾らでも与えるから、もっと立派に言えと注文されても私の手際では覚束ないかも知れない。まあちょうどよいのです。  どうして、こんな矛盾が起るかと云う問題に対して、ただ一口に説明してしまえば訳はない。前に申す通り吾々の生命は――吾々と云うと自他を樹立する語弊はあるがしばらく便宜のために使用します――吾々の生命は意識の連続であります。そうしてどういうものかこの連続を切断する事を欲しないのであります。他の言葉で云うと死ぬ事を希望しないのであります。もう一つ他の言葉で云うとこの連続をつづけて行く事が大好きなのであります。なぜ好むかとなると説明はできない。誰が出て来ても説明はできない。ただそれが事実であると認めるよりほかに道はない。もちろん進化論者に云わせるとこの願望も長い間に馴致発展し来ったのだと幾分かその発展の順序を示す事ができるかも知れない。と云うものはそんな傾向をもっておらないようなもの、その傾向に応じて世の中に処して来なかったものは皆死んでしまったので、今残っているやつは命の欲しい欲張りばかりになったのだと論ずる事もできるからであります。御互のように命については極めて執着の多い、奇麗でない、思い切りのわるい連中が、こうしてぴんぴんしているような訳かも知れません。これでも多少の説明にはなります。しかしもっと進んでこの傾向の大原因を極めようとすると駄目であります。万法一に帰す、一いずれの所にか帰すというような禅学の公案工夫に似たものを指定しなければならんようになります。ショペンハウワーと云う人は生欲の盲動的意志と云う語でこの傾向をあらわしております。まことに重宝な文句であります。私もちょっと拝借しようと思うのですが、前に述べた意識の連続以外にこんな変挺なものを建立すると、意識の連続以外に何にもないと申した言質に対して申訳が立ちませんから、残念ながらやめに致して、この傾向は意識の内容を構成している一部分すなわち属性と見做してしまいます。そうして「この傾向」と云うような概念は抽象の結果、よほど発達した後に「この傾向」として放出したものと認めるのであります。それは、ともかくも「吾人は意識の連続を求める」と云う事だけを事実として受けとらねばならぬのであります。もっと明暸に云うと「意識には連続的傾向がある」と云い切ってこれを事実として受けとるのであります。  意識と云い、連続と云い、連続的傾向と云うとそのうちに意識の分化と云う事と統一と云う事は自然と含まっております。すでに連続とある以上は甲と乙と連続したと云う事実を意識せねばならぬ、すなわち甲と乙と差別がつくほどに両意識が明暸でなければなりません。差別がつくと云うのは、同時に同じ意識もしくは類似の意識を統一し得ると云う意味と同じ事になります。例えてみれば視覚となづける意識は、分化の結果、触覚や味覚と差別がつくと、同時にあらゆる視覚的意識を統一する事ができて始めてできる言語であります。意識にこれだけの分化作用ができて、その分化した意識と、眼球と云う器械を結びつけて、この種の意識は眼球が司どるのだと思いつく。しばらく視覚の意識と眼球の作用を混同して云うと、昔し分化作用の行われぬうちは視力は必ずしも眼球に集中しておらなかったろう。私も遠い昔では、からだ全体で物を見ていたかも知れぬ、あるいは背中で物を舐めていたかも知れぬ。眼耳鼻舌と分業が行われ出したのは、つい近頃の事であると思います。こう分業が行われだすと融通が利かなくなります。ちょっと舌癌にかかったからと云うて踵で飯を食う訳には行かず、不幸にして痳疾を患いたからと申して臍で用を弁ずる事ができなくなりました。はなはだ不都合であります。しかし意識の連続と云う以上は、――連続の意義が明暸になる以上は、――連続を形ちづくる意識の内容が明暸でなければならぬはずであります。明暸でない意識は連続しているか、連続していないか判然しない。つまり吾人の根本的傾向に反する。否意識そのものの根本的傾向に反するのであります。意識の分化と統一とはこの根本的傾向から自然と発展して参ります。向後どこまで分化と統一が行われるかほとんど想像がつかない。しかしてこれに応ずる官能もどのくらい複雑になるか分りません。今日では目に見えぬもの、手に触れる事のできぬもの、あるいは五感以上に超然たるものがしだいに意識の舞台に上る事であろうと思いますから、まず気を長くして待っていたらよかろうと思います。  もう一遍繰返して「意識の連続」と申します。この句を割って見ると意識と云う字と連続と云う字になります。こうして意識の内容のいかんと、この連続の順序のいかんと二つに分れて問題は提起される訳であります。これを合すれば、いかなる内容の意識をいかなる順序に連続させるかの問題に帰着します。吾人がこの問題に逢着したとき――吾人は必ずこの問題に逢着するに相違ない。意識及その連続を事実と認める裏にはすでにこの問題が含まれております。そうしてこの問題の裏面には選択と云う事が含まれております。ある程度の自由がない以上は、また幾分か選択の余裕がないならばこの問題の出ようはずがない。この問題が出るのはこの問題が一通り以上に解決され得るからである。この解決の標準を理想というのであります。これを纏めて一口に云うと吾人は生きたいと云う傾向をもっている。(意識には連続的傾向があると云う方が明確かも知れぬが)この傾向からして選択が出る。この選択から理想が出る。すると今まではただ生きればいいと云う傾向が発展して、ある特別の意義を有する命が欲しくなる。すなわちいかなる順序に意識を連続させようか、またいかなる意識の内容を選ぼうか、理想はこの二つになって漸々と発展する。後に御話をする文学者の理想もここから出て参るのであります。  次に連続と云う字義をもう一遍吟味してみますと、前にも申す通り、ははあ連続している哩と相互の区別ができるくらいに、連続しつつある意識は明暸でなければならぬはずであります。そうして、かように区別し得る程度において明暸なる意識が、新陳代謝すると見ると、甲が去って乙が来ると云う順序がなければならぬはずであります。順序があるからには甲乙が共に意識せられるのではない。甲が去った後で、乙を意識するのであるから、乙を意識しているときはすでに甲は意識しておらん訳です。それにもかかわらず甲と乙とを区別する事ができるならば、明暸なる乙の意識の下には、比較的不明暸かは知らぬが、やはり甲の意識が存在していると見做さなければなりません。俗にこの不明暸な意識を称して記憶と云うのであります。だからして記憶の最高度はもっとも明暸なる上層の意識で、その最低度はもっとも不明暸なる下層の意識に過ぎんのであります。  すると意識の連続は是非共記憶を含んでおらねばならず、記憶というと是非共時間を含んで来なければならなくなります。からして時間と云うものは内容のある意識の連続を待って始めて云うべき事で、これと関係なく時間が独立して世の中に存在するものではない。換言すれば意識と意識の間に存する一種の関係であって、意識があってこそこの関係が出るのであります。だから意識を離れてこの関係のみを独立させると云う事は便宜上の抽象として差支ないが、それ自身に存在するものと見る訳には参りません。ちょうどここにある水指のなかから白い色だけをとって、そうして物質を離れて白い色が存在すると主張するようなものであります。ちょっと考えると時間と云うものが流れていて、その永劫の流れのなかに事件が発展推移するように見えますが、それは前に申した分化統一の力が、ここまで進んだ結果時間と云うものを抽象して便宜上これに存在を許したとの意味にほかならんのであります。薔薇の中から香水を取って、香水のうちに薔薇があると云ったような論鋒と思います。私の考えでは薔薇のなかに香水があると云った方が適当と思います。もっともこの時間及びあとから御話をする空間と云うのは大分むずかしい問題で、哲学者に云わせると大変やかましいものでありますから、私のような粗末な考えを好い加減に云う時は、あまり御信じにならん方がよいかも知れませんが、――しかしあまり信じなくってもいけません。まず演説の終るまで信じておって、御宅へ御帰りになる頃に信じなくなるのがちょうどいい加減であろうと思います。  次に今云う意識の連続――すなわち甲が去って乙がくるときに、こう云う場合がある。まず甲を意識して、それから乙を意識する。今度はその順を逆にして、乙を意識してから甲に移る。そうしてこの両つのものを意識する時間を延しても縮めても、両意識の関係が変らない。するとこの関係は比較的時間と独立した関係であって、しかもある一定の関係であるという事がわかる。その時に吾人はこれを時間の関係に帰着せしむる事ができない事を悟って、これに空間的関係の名を与えるのであります。だからしてこれも両意識の間に存する一種の関係であって、意識そのものを離れて空間なるものが存在しているはずがない。空間自存の概念が起るのはやはり発達した抽象を認めて実在と見做した結果にほかならぬ。文法と云うものは言葉の排列上における相互の関係を法則にまとめたものであるが、小児は文法があって、それから文章があるように考えている。文法は文章があって、言葉があって、その言葉の関係を示すものに過ぎんのだからして、文法こそ文章のうちに含まれていると云ってしかるべきであるごとく空間の概念も具体的なる両意識のうちに含まれていると云ってもよろしいと思う。それを便宜のために抽象して離してしまって広い空間を勝手次第に抛り出すと、無辺際のうちにぽつりぽつりと物が散点しているような心持ちになります。もっともこの空間論も大分難物のようで、ニュートンと云う人は空間は客観的に存在していると主張したそうですし、カントは直覚だとか云ったそうですから、私の云う事は、あまり当にはなりません。あなた方が当になさらんでも、私はたしかにそう思ってるんだから毫も差支はありません。ただ自分だけで、そう思っていればすむ事を、かように何のかのと申し上げるのは、演説を御頼みになった因果でやむをえず申し上げるので、もしこれを申し上げないと、いつまでたっても文学談に移る事はできないのであります。  さて抽象の結果として、時間と空間に客観的存在を与えると、これを有意義ならしむるために数というものを製造して、この両つのものを測る便宜法を講ずるのであります。世の中に単に数というような間の抜けた実質のないものはかつて存在した試しがない。今でもありません。数と云うのは意識の内容に関係なく、ただその連続的関係を前後に左右にもっとも簡単に測る符牒で、こんな正体のない符牒を製造するにはよほど骨が折れたろうと思われます。  それから意識の連続のうちに、二つもしくは二つ以上、いつでも同じ順序につながって出て来るのがあります。甲の後には必ず乙が出る。いつでも出る。順序において毫も変る事がない。するとこの一種の関係に対して吾人は因果の名を与えるのみならず、この関係だけを切り離して因果の法則と云うものを捏造するのであります。捏造と云うと妙な言葉ですが、実際ありもせぬものをつくり出すのだから捏造に相違ない。意識現象に附着しない因果はからの因果であります。因果の法則などと云うものは全くからのもので、やはり便宜上の仮定に過ぎません。これを知らないで天地の大法に支配せられて……などと云ってすましているのは、自分で張子の虎を造ってその前で慄えているようなものであります。いわゆる因果法と云うものはただ今までがこうであったと云う事を一目に見せるための索引に過ぎんので、便利ではあるが、未来にこの法を超越した連続が出て来ないなどと思うのは愚の極であります。それだから、よく分った人は俗人の不思議に思うような事を毫も不思議と思わない。今まで知れた因果以外にいくらでも因果があり得るものだと承知しているからであります。ドンが鳴ると必ず昼飯だと思う連中とは少々違っています。  ここいらで前段に述べた事を総括しておいて、それから先へ進行しようと思います。(一)吾々は生きたいと云う念々に支配せられております。意識の方から云うと、意識には連続的傾向がある。(二)この傾向が選択を生ずる。(三)選択が理想を孕む。(四)次にこの理想を実現して意識が特殊なる連続的方向を取る。(五)その結果として意識が分化する、明暸になる、統一せられる。(六)一定の関係を統一して時間に客観的存在を与える。(七)一定の関係を統一して空間に客観的存在を与える。(八)時間、空間を有意義ならしむるために数を抽象してこれを使用する。(九)時間内に起る一定の連続を統一して因果の名を附して、因果の法則を抽象する。  まずざっと、こんなものであります。してみると空間というものも時間というものも因果の法則というものも皆便宜上の仮定であって、真実に存在しているものではない。これは私がそう云うのです。諸君がそうでないと云えばそれでもよい。御随意である。とにかく今日だけはそう仮定したいものだと思います。それでないと話が進行しません。なぜこんな余計な仮定をして平気でいるかというと、そこが人間の下司な了簡で、我々はただ生きたい生きたいとのみ考えている。生きさえすれば、どんな嘘でも吐く、どんな間違でも構わず遂行する、真にあさましいものどもでありますから、空間があるとしないと生活上不便だと思うと、すぐ空間を捏造してしまう。時間がないと不都合だと勘づくと、よろしい、それじゃ時間を製造してやろうと、すぐ時間を製造してしまいます。だからいろいろな抽象や種々な仮定は、みんな背に腹は代えられぬ切なさのあまりから割り出した嘘であります。そうして嘘から出た真実であります。いかにこの嘘が便宜であるかは、何年となく嘘をつき習った、末世澆季の今日では、私もこの嘘を真実と思い、あなた方もこの嘘を真実と思って、誰も怪しむものもなく、疑うものもなく、公々然憚るところなく、仮定を実在と認識して嬉しがっているのでも分ります。貧して鈍すとも、窮すれば濫すとも申して、生活難に追われるとみんなこう堕落して参ります。要するに生活上の利害から割り出した嘘だから、大晦日に女郎のこぼす涙と同じくらいな実は含んでおります。なぜと云って御覧なさい。もし時間があると思わなければ、また時間を計る数と云うものがなければ、土曜に演説を受け合って日曜に来るかも知れない。御互の損になります。空間があると心得なければ、また空間を計る数と云うものがなければ、電車を避ける事もできず、二階から下りる事もできず、交番へ突き当ったり、犬の尾を踏んだり、はなはだ嬉しくない結果になります。普通に知れ渡った因果の法則もこの通りであります。だからすべてこれらに存在の権利を与えないと吾身が危ういのであります。わが身が危うければどんな無理な事でもしなければなりません。そんな無法があるものかと力味でいる人は死ぬばかりであります。だから現今ぴんぴん生息している人間は皆不正直もので、律義な連中はとくの昔に、汽車に引かれたり、川へ落ちたり、巡査につかまったりして、ことごとく死んでしまったと御承知になれば大した間違はありません。  すでに空間ができ、時間ができれば意識を割いて我と物との二つにする事は容易であります。容易などころの騒ぎじゃない。実は我と物を区別してこれを手際よく安置するために空間と時間の御堂を建立したも同然である。御堂ができるや否や待ち構えていた我々は意識を攫んでは抛げ、攫んでは抛げ、あたかも粟餅屋が餅をちぎって黄ナ粉の中へ放り込むような勢で抛げつけます。この黄ナ粉が時間だと、過去の餅、現在の餅、未来の餅になります。この黄ナ粉が空間だと、遠い餅、近い餅、ここの餅、あすこの餅になります。今でも私の前にあなた方が百五十人ばかりならんでおられる。これは失礼ながら私が便宜のため、そこへ抛げ出したのであります。すでに空間のできた今日であるから、嘘にもせよせっかく出来上ったものを使わないのも宝の持腐れであるから、都合により、ぴしゃぴしゃ投出すと約百余人ちゃんと、そこに行儀よく並んでおられて至極便利であります。投げると申すと失敬に当りますが、粟餅とは認めていないのだから、大した非礼にはなるまいと思います。  この放射作用と前に申した分化作用が合併して我以外のものを、単に我以外のものとしておかないで、これにいろいろな名称を与えて互に区別するようになります。例えば感覚的なものと超感覚的なもの(あるかないか知らないが幽霊とか神とか云う正体の分らぬものを指すのです)に分類する。その感覚的なものをまた眼で見る色や形、耳で聴く音や響、鼻で嗅ぐ香、舌でしる味などに区別する。かくのごとく区別されたものを、まただんだんに細かく割って行く。分化作用が行われて、感覚が鋭敏になればなるほどこの区別は微精になって来ます。のみならず同一に統一作用が行われるからして、一方では草となり、木となり、動物となり、人間となるのみならず。草は菫となり、蒲公英となり、桜草となり、木は梅となり、桃となり、松となり、檜となり、動物は牛、馬、猿、犬、人間は士、農、工、商、あるいは老、若、男、女、もしくは貴、賤、長、幼、賢、愚、正、邪、いくらでも分岐して来ます。現に今日でも植物学者の見分け得る草や花の種類はほとんど吾人の幾百倍に上るであろうと思います。また諸君のような画家の鑑別する色合は普通人の何十倍に当るか分らんでしょう。それも何のためかと云えば、元に還って考えて見ると、つまりは、うまく生きて行こうの一念に、この分化を促されたに過ぎないのであります。ある一種の意識連続を自由に得んがために(選択の区域に出来得るだけの余裕を与えんがために)あらかじめ意識の範囲を広くすると云う意味にほかならんのであります。私共はどの草を見ても皆一様に青く見える。青のうちでいろいろな種類を意識したいと思っても、いかんせん分化作用がそこまで達しておらんから皆無駄目である。少くとも色について変化に富んだ複雑の生活は送れない事に帰着する。盲眼の毛の生えたものであります。情ない次第だと思います。或る評家の語に吾人が一色を認むるところにおいてチチアンは五十色を認めるとあります。これは単に画家だから重宝だと云うばかりではありません。人間として比較的融通の利く生活が遂げらるると云う意味になります。意識の材料が多ければ多いほど、選択の自由が利いて、ある意識の連続を容易に実行できる――即ち自己の理想を実行しやすい地位に立つ――人と云わなければならぬから、融通の利く人と申すのであります。単に色ばかりではありません。例えば思想の乏しい人の送る内生涯と云うものも色における吾々と同じく、気の毒なほど憐なものです。いくら金銭に不自由がなくても、いくら地位門閥が高くても、意識の連続は単調で、平凡で、毫も理想がなくて、高、下、雅、俗、正、邪、曲、直の区別さえ分らなくて昏々濛々としてアミーバのような生活を送ります。こんな連中は人間さえ見れば誰も彼もみな同じ物だと思って働きかけます。それは頭が不明暸なんだからだと注意してやると、かえって吾々を軽蔑したり、罵倒したりするから厄介です――しかしこれはここで云う事ではない。演説の足が滑って泥溝の中へちょっと落ちたのです。すぐ這い上って真直に進行します。  吾人は今申す通り我に対する物を空間に放射して、分化作用でこれを精細に区別して行きます。同時に我に対してもまた同様の分化作用を発展させて、身体と精神とを区別する。その精神作用を知、情、意、の三に区別します。それからこの知を割り、情を割り、その作用の特性によってまたいろいろに識別して行きます。この方面は主として心理学者と云うものが専門として担任しているから、これらの人に聞くのが一番わかりやすい。もっとも心理学者のやる事は心の作用を分解して抽象してしまう弊がある。知情意は当を得た分類かも知れぬが、三つの作用が各独立して、他と交渉なく働いているものではありません。心の作用はどんなに立入って細かい点に至っても、これを全体として見るとやはり知情意の三つを含んでいる場合が多い。だからこの三作用を截然と区別するのは全く便宜上の抽象である。この抽象法を用いないで、しかも極度の分化作用による微細なる心の働き(全体として)を写して人に示すのはおもに文学者がやっている。だから文学者の仕事もこの分化発展につれてだんだんと、朦朧たるものを明暸に意識し、意識したるものを仔細に区別して行きます。例えば昔の竹取物語とか、太平記とかを見ると、いろいろな人間が出て来るがみんな同じ人間のようであります。西鶴などに至ってもやはりそうであります。つまりああいう著者には人間がたいてい同様にぼうっと見えたのでありましょう。分化作用の発展した今日になると人間観がそう鷹揚ではいけない。彼らの精神作用について微妙な細い割り方をして、しかもその割った部分を明細に描写する手際がなければ時勢に釣り合わない。これだけの眼識のないものが人間を写そうと企てるのは、あたかも色盲が絵をかこうと発心するようなものでとうてい成功はしないのであります。画を専門になさる、あなた方の方から云うと、同じ白色を出すのに白紙の白さと、食卓布の白さを区別するくらいな視覚力がないと視覚の発達した今日において充分理想通りの色を表現する事ができないと同様の意義で、――文学者の方でも同性質、同傾向、同境遇、同年輩の男でも、その間に微妙な区別を認め得るくらいな眼光がないと、人を視る力の発達した今日においては、性格を描写したとは申されないのであります。したがって人間をかく文学者は、単に文学者ではならん、要するに人間を識別する能力が発達した人でなくてはならんのです。進んだる世の中に、もっとも進んだる眼識を具えた男――特に文学者としてではない、一般人間としてこの方面に立派な腕前のある男――でなければ手は出せぬはずであります。世の中はそう思っておりません。何の小説家がと、小説家をもってあたかも指物師とか経師屋のごとく単に筆を舐って衣食する人のように考えている。小説家よりも大学の先生の方が遥にえらいと考えている。内務省の地方局長の方がなお遥にえらいと思っている。大臣や金持や華族様はなおなお遥にえらいと思っている。妙な事であります。もし我々が小説家から、人間と云うものは、こんなものであると云う新事実を教えられたならば、我々は我々の分化作用の径路において、この小説家のために一歩の発展を促されて、開化の進路にあたる一叢の荊棘を切り開いて貰ったと云わねばならんだろうと思います。(小説家の功力はこの一点に限ると云う意味ではない。この一点を挙げて考えても局長さんや博士さんに劣るものでないと云うのであります)もし諸君がそんな小説家は現今日本に一人もないではないかと云われるならば、私はこう答える。それは小説家の罪ではない。現今日本の小説家(私もその一人と御認めになってよろしい)の罪である。局長にでもがあるごとく、博士にでもがあるごとく、小説家にでもがあるのも御互様と申さねばならぬのであります。――また泥溝の中へ落ちました。  実はまだ文学の御話をするほどに講演の歩を進めておらんのであります。分化作用を述べる際につい口が滑って文学者ことに小説家の眼識に論及してしまったのであります。だからこれをもって彼らの使命の全般をつくしたとは申されない。前にも云う通りついでだから分化作用に即して彼らの使命の一端を挙げたのに過ぎんのである。したがって文学全体に渉っての御話をするときには今少し概括的に出て来なければならぬ訳です。これから追々そこまで漕ぎつけて行きます。  かく分化作用で、吾々は物と我とを分ち、物を分って自然と人間(物として観たる人間)と超感覚的な神(我を離れて神の存在を認める場合に云うのであります)とし、我を分って知、情、意の三とします。この我なる三作用と我以外の物とを結びつけると、明かに三の場合が成立します。すなわち物に向って知を働かす人と、物に向って情を働かす人と、それから物に向って意を働かす人であります。無論この三作用は元来独立しておらんのだから、ここで知を働かし、情を働かし、意を働かすと云うのは重に働かすと云う意味で、全然他の作用を除却して、それのみを働かすと云うつもりではありません。そこでこのうちで知を働かす人は、物の関係を明める人で俗にこれを哲学者もしくは科学者と云います。情を働かす人は、物の関係を味わう人で俗にこれを文学者もしくは芸術家と称えます。最後に意を働かす人は、物の関係を改造する人で俗にこれを軍人とか、政治家とか、豆腐屋とか、大工とか号しております。  かように意識の内容が分化して来ると、内容の連続も多種多様になるから、前に申した理想、すなわちいかなる意識の連続をもって自己の生命を構成しようかと云う選択の区域も大分自由になります。ある人は比較的知の作用のみを働かす意識の連続を得て生存せんと冀い、ついに学者になります。またある人は比較的情を働かす意識の連続をもって生活の内容としたいと云う理想からとうとう文士とか、画家とか、音楽家になってしまいます。またある人は意志を多く働かし得る意識の連続を希望する結果百姓になったり、車引になったり――これはたんとないかも知れぬが、軍をしたり、冒険に出たり、革命を企てたりするのは大分あるでしょう。  かく人間の理想を三大別したところで、我々、すなわち今日この席で講演の栄誉を有している私と、その講演を御聴き下さる諸君の理想は何であるかと云うと、云うまでもなく第二に属するものであります。情を働かして生活したい、知意を働かせたくないと云うのではないが、情を離れて活きていたくないと云うのが我々の理想であります。しかしただ「情が理想」では合点が行かない。御互になるほどと合点が参るためには、今少し詳細に「情を理想とする」とは、こんなものだと小かく割って御話しをしなければなるまいと思います。  情を働かす人は物の関係を味わうんだと申しました。物の関係を味わう人は、物の関係を明めなくてはならず、また場合によってはこの関係を改造しなくては味が出て来ないからして、情の人はかねて、知意の人でなくてはならず、文芸家は同時に哲学者で同時に実行的の人(創作家)であるのは無論であります。しかし関係を明める方を専らにする人は、明めやすくするために、味わう事のできない程度までにこの関係を抽象してしまうかも知れません。林檎が三つあると、三と云う関係を明かにさえすればよいと云うので、肝心の林檎は忘れて、ただ三の数だけに重きをおくようになります。文芸家にとっても関係を明かにする必要はあるが、これを明かにするのは従前よりよくこの関係を味わい得るために、明かにするのだからして、いくら明かになるからと云うて、この関係を味わい得ぬ程度までに明かにしては何にもならんのであります。だから三と云う関係を知るのは結構だが林檎と云う果物を忘るる事はとうてい文芸家にはできんのであります。文芸家の意志を働かす場合もその通りであります。物の関係を改造するのが目的ではない、よりよく情を働かし得るために改造するのである。からして情の活動に反する程度までにこの関係を新にしてしまうのは、文芸家の断じてやらぬ事であります。松の傍に石を添える事はあるでしょうが、松を切って湯屋に売払う事はよほど貧乏しないとできにくい。せっかくの松を一片の煙としてしまうともう、情を働かす余地がなくなるからであります。して見ると文芸家は「物の関係を味わうものだ」と云う句の意味がいささか明暸になったようであります。すなわち物の関係を味わい得んがためには、その物がどこまでも具体的でなくてはならぬ、知意の働きで、具体的のものを打ち壊してしまうや否や、文芸家はこの関係を味わう事ができなくなる。したがってどこまでも具体的のものに即して、情を働かせる、具体の性質を破壊せぬ範囲内において知、意を働かせる。――まずこうなります。  すると文芸家の理想はとうてい感覚的なものを離れては成立せんと云う事になります。(この事を詳しく論ずるといろいろの疑問が起って来ますが、今は時間がありませんから述べません。まず大体の上においてこの命題は確然たる根拠のあるものと御考えになっても差支はなかろうと思います)早い話しが無臭無形の神の事でもかこうとすると何か感覚的なものを借りて来ないと文章にも絵にもなりません。だから旧約全書の神様や希臘の神様はみんな声とか形とかあるいはその他の感覚的な力を有しています。それだから吾人文芸家の理想は感覚的なる或物を通じて一種の情をあらわすと云うても宜しかろうと存じます。そこで問題は二つになります。一は感覚的なものとは何だと云う問題で二はいわゆる一種の情とは、感覚的なものの、どの部分によって、どんな具合にあらわされるかまた、「感覚的なものを通じて」と云うのは感覚的なものを使って、この道具の方便である情をあらわすと云うのか、しからずんば感覚的なもの、それ自身がこの情をあらわす目的物かという問題であります。この問題を解釈すると文芸家の理想の分化する模様が大体見当がつきます。第一問の解釈、第二問の解釈として順を追うては述べませんが、ただ秩序を立てて分りやすくするためにやはり一二の番号をふって説明して行きます。 (一)私は最前空間、時間の建立からして、物我の二世界を作ると申しました。その物なるものは自然である、人間である、(単に物として見たる)神である(我以外に存在するとすれば)と申しました。このうちで神は感覚的なものでないから問題になりません。もし文芸に神が出現するときは感覚的な或物を通じてくるのだから、出現するとしても、他と同じ分類のなかに這入るからしてやはり問題にする必要はありません。すると残るものは自然と人間であります。そうして我々は自然とこの人間とに対して一種の情を有しております。換言すれば感覚的なる自然と感覚的なる人間そのものの色合やら、線の配合やら、大小やら、比例やら、質の軟硬やら、光線の反射具合やら、彼らの有する音声やら、すべてこれらの感覚的なるものに対して趣味、すなわち好悪、すなわち情、を有しております。だからこれらの感覚的な物の関係を味わう事ができます。のみならずそのうちでもっとも優れたる関係を意識したくなります。その意識したい理想を実現する一方法として詩ができます、画ができます。この理想に対する情のもっとも著しきものを称して美的情操と云います。(実は美的理想以外にもいろいろな理想が起る訳であります。あるいは一種の関係に突兀と云う名を与え、あるいは他種の関係に飄逸と云う名を与えて、突兀的情操、飄逸的情操と云うのを作っても差支ない。分化作用が発達すれば自然とここへ来るにきまっています。西洋人の唱え出した美とか美学とか云うもののために我々は大に迷惑します)かようにして美的理想を自然物の関係で実現しようとするものは山水専門の画家になったり、天地の景物を咏ずる事を好む支那詩人もしくは日本の俳句家のようなものになります。それからまた、この美的理想を人物の関係において実現しようとすると、美人を咏ずる事の好きな詩人ができたり、これを写す事の御得意な画家になります。現今西洋でも日本でもやかましく騒いでいる裸体画などと云うものは全くこの局部の理想を生涯の目的として苦心しているのであります。技術としてはむずかしいかも知れぬが文芸家の理想としては、ほんの一部分に過ぎんのであります。人によると裸体画さえかけば、画の能事は尽きたように吹聴している。私は画の方は心得がないから、何とも申しかねるが、あれは仏国の現代の風潮が東漸した結果ではないでしょうか。とにかく、画でも詩でも文でも構わない。感覚物として見たる人間がすでに感覚物の一部分に過ぎん上に、美的情操と云うのがまた、この感覚物として見たる人間に対する情操の一部に過ぎんと判然した以上は、裸体美と云うものは尊いものかは知れぬが、狭いものには相違ないでしょう。  美的にせよ、突兀的にせよ、飄逸的にせよ、皆吾人の物の関係を味う時の味い方で、そのいずれを選ぶかは文芸家の理想できまるべき問題でありますから、分化の結果理想が殖えれば、どこまで割れて行くか分りません。しかしいくら割れても、ここに云う理想は、感覚物を感覚物として見た時にその関係から生ずるのであります。すなわちこの際における情操は、感覚物そのものを目的物として見た時に起るので、これを道具に使って、その媒介によって、感覚物以外の或るものに対して起す情操と混同してはならんのであります。 (二)物我のうち物に対する理想と情操とは以上で大抵御分りになったろうと思います。すると今度は我の番でありますから、こちらを少々説明します。 (い)我の作用を知情意に区別することは前に述べた通りで、この知の働きを主にして物の関係を明かにするものは哲学者もしくは科学者だと申しました。なるほど関係を明かにすると云う点より見れば哲学科学の領分に相違ないが、関係を明かにするために一種の情が起るならば、情が起ると云う点において、知の働きであるにもかかわらず文芸的作用と云わねばならんかと思います。ところが知を働かして情の満足を得るためには前に説明した通り感覚的なものを離れて、単に物の関係のみを抽象してあらわしてはならんのであります。換言すると文芸的に知を働かせるため感覚的の具体を藉りて来なければ成立しない、具体を藉りてその媒介を待てば知の働きといえどもこれを文芸化するを得べしと云う事になります。そうすると、ここに新しい文芸上の理想が出来上ります。すなわち物を道具に使って、知を働かし、その関係を明かにして情の満足を得ると云う理想であります。この理想を真に対する理想と云います。だからして真に対する理想は哲学者及び科学者の理想であると同時に文芸家の理想にもなります。ただし後者は具体を通じて真をあらわすと云う条件に束縛されただけが、前者と異なるのであります。そうしてこの真のあらわし方、すなわち知を働かす具合も分化していろいろになりますが、おもに人間の精神作用が、(この場合には(一)におけるごとく人間を純感覚物と見做さないのである)あらかじめ吾人の予想した因果律と一致するか、またはこの因果律に一歩の分化を加えたる新意義に応じて発展する場合に多く用いられるのであります。たとえば父子が激論をしていると、急に火事が起って、家が煙につつまれる。その時今まで激論をしていた親子が、急に喧嘩を忘れて、互に相援けて門外に逃げるところを小説にかく。すると書いた人は無論読む人もなるほどさもありそうだと思う。すなわちこの小説はある地位にある親子の関係を明かにしたと云う点において、作者及び読者の知を働かし得て、真に対する情の満足を得せしむるのであります。または反対に、大変中のよかった夫婦が飢饉のときに、平生の愛を忘れて、妻の食うべき粥を夫が奪って食うと云う事を小説にかく。するとこれもある位地境遇にある夫婦の関係を明かにすると云う点で同様の満足を作者と読者に与えるかも知れない。(人間の精神作用から云うと真はいろいろである。時には相反しても依然として双方共真である)好んでこう言う事をかく文芸家を真を理想にする文芸家と云います。 (ろ)吾人の有する第二の精神作用は情であります。この情を理想として働かせる人を文芸家と云う事は前に述べた通りでありますが、説いてここに至ると混雑を生じやすいからして、少々弁じた上進行します。単に情と云うと曖昧であります。なぜなれば我々が情の活動を得んがために、文芸上の作物を仕上げたり、またはこれを味う時に働かしむる情は、作物中に材料として使用する情とは区別する必要があるからであります。我々は感覚物を感覚物として見るときに一種の情を起します、この情はすなわち文芸家の理想の一であります。我々はまた感覚物を通じて知を働かせるときに一種の情を起します。この情もまた文芸家の理想の一であります。次に我々は同じく感覚物を通じて情を働かせるときにまた一種の情を得ねばならぬ訳であります。この両の情はたとえその内容において彼此相一致するとしても、これを同体同物としては議論の上において混雑を生ずる訳であります。例えばある感覚物を通じて怒と云う情をあらわすとすれば、この作物より得る吾人の情もまた同性質の怒かも知れぬけれども(時には異性質の情を起す事あるはもちろんである)両者同物ではない。前の怒りは原因で後の怒りは結果である。わかりやすく言い直すと、前の怒りは感覚物に附着した怒である。(たといその源は我の有する作用中の怒りを我以外に放射して創設せるものにもせよ)後の怒は我と云う自己中に起る怒りである。だから混同を防ぐためにこの二つを区別しておいて歩を進めます。しかしその論法は大体において(い)の場合、すなわち吾人は知の働きを愛して、これに一種の情を付与すと云う条りに説明したものと変りはありません。吾人の心裏に往来する喜怒哀楽は、それ自身において、吾人の意識の大部分を構成するのみならず、その発現を客観的にして、これをいわゆる物(多くの場合においては人間であります)において認めた時にもまた大に吾人の情を刺激するものであります。けれどもこの刺激は前に述べた条件に基いて、ある具体、ことに人間を通じて情があらわるるときに始めて享受する事ができるのであります。情において興味を有するからと云うて心理学者のように情だけを抽象して、これを死物として取扱えば文芸的にはなり兼ねるのであります。もっとも当体が情であるだけに、知意に比すると比較的抽象化しても物にならんとは限りませんが、これを詳しく説明する余裕がないから略します。  そこでこの種の理想に在っても分化の結果いろいろになりますが、まず標準を云うと、物を通して――物と云うより人と云う方が分りやすいから人としましょう。――人を通じて愛の関係をあらわすもの、これは十中八九いわゆる小説家の理想になっております。その愛の関係も分化するといろいろになります。相愛して夫婦になったり、恋の病に罹ったり――もっとも近頃の小説にはそんな古風なのは滅多にないようですが、それからもっと皮肉なのになると、嫁に行きながら他の男を慕って見たり、ようやく思が遂げていっしょになる明くる日から喧嘩を始めたり、いろいろな理想――理想と云うのもおかしいようだ――とにかくいろいろできます。次には忠、孝、義侠心、友情、おもな徳義的情操はその分化した変形と共に皆標準になります。この徳義的情操を標準にしたものを総称して善の理想と呼ぶ事ができます。この事はもっと委細に御話したいが時間がないから略して次に移ります。 (は)精神作用の第三は意志であります。この意志が文芸的にあらわれ得るためには、やはり前述の条件に従って、感覚的な物を通じて具体化されなくてはなりません。そうすると、感覚的な物は道具であって、この道具のために意志の働きが判然とあらわれてくる。しかし道具はどこまでも道具で、意志があらわれるから道具も尊くなる。例えば徳利のようなものであります。徳利自身に貴重な陶器がないとは限らぬが、底が抜けて酒を盛るに堪えなかったならば、杯盤の間に周旋して主人の御意に入る事はできんのであります。今かりに大弾丸の空裏を飛ぶ様を写すとする。するとこれを見る方に二通りある。一は単に感覚的で、第一に述べたような場合に属する。一はこの感覚的なるものを通して非常に猛烈な勢――ただの勢では写す事もどうする事もできんから――をあらわす。すると弾丸は客で、実の目的は弾丸のあらわす猛勢である。自然ながら、器械的ながら一種の意志の作用である。冬富士山へ登るものを見ると人は馬鹿と云います。なるほど馬鹿には相違ないが、この馬鹿を通して一種の意志が発現されるとすれば、馬鹿全体に眼をつける必要はない、ただその意志のあらわれるところ、文芸的なるところだけを見てやればよいかも知れません。貴重な生命を賭して海峡を泳いで見たり、沙漠を横ぎって見たりする馬鹿は、みんな意志を働かす意識の連続を得んがために他を犠牲に供するのであります。したがってこれを文芸的にあらわせばやはり文芸的にならんとは断言できません。いわんや国のためとか、道のためとか、人のためとか、(ろ)の場合に述べた徳義的理想と合するように意志が発現してくると非常な高尚な情操を引き起します。いわゆる懦夫をして起たしむとはこの時の事であります。英語ではこれを heroism と名づけます。吾人の heroism に対して起す情緒は実際偉大なものに相違ありません。私は今日ここへ参りがけに砲兵工厰の高い煙突から黒煙がむやみにむくむく立ち騰るのを見て一種の感を得ました。考えると煤煙などは俗なものであります。世の中に何が汚ないと云って石炭たきほどきたないものは滅多にない。そうして、あの黒いものはみんな金がとりたいとりたいと云って煙突が吐く呼吸だと思うとなおいやです。その上あの煙は肺病によくない。――しかし私はそんな事は忘れて一種の感を得た。その感じは取も直さず、意志の発現に対して起る感じの一部分であります。砲兵工厰の煙ですらこうだから真正の heroism に至っては実に壮烈な感じがあるだろうと思います。文芸家のうちではこの種の情緒を理想とするものは現代においてはほとんどないように思います。この理想にも分化があるのは無論です。楠公が湊川で、願くは七たび人間に生れて朝敵を亡ぼさんと云いながら刺しちがえて死んだのは一例であります。跛で結伽のできなかった大燈国師が臨終に、今日こそ、わが言う通りになれと満足でない足をみしりと折って鮮血が法衣を染めるにも頓着なく座禅のまま往生したのも一例であります。分化はいろいろできます。しかしその標準を云うとまず荘厳に対する情操と云うてよろしかろうと思います。  これで文芸家の理想の種類及びその説明はまず一と通り済みました。概括すると、一が感覚物そのものに対する情緒。(その代表は美的理想)二が感覚物を通じて知、情、意の三作用が働く場合でこれを分って、(い)知の働く場合(代表は真に対する理想)(ろ)情の働く場合(代表は愛に対する理想及び道義に対する理想)(は)意志の働く場合(代表は荘厳に対する理想)となります。この四大別の上に連想から来る情緒がいかにして混入するかを論じなければならんのですが、これも時間がないからやめます。  文芸家の理想をようやくこの四種に分けました。この分類は私が文学論のなかに分けておいたものとは少々違いますが、これは出立地が違うのだから仕方がありません。もっともこの分け方の方が、明暸で適切のように思われますから、双方違っていてもけっして諸君の御損にはなりません。さて前にも申す通り、知、情、意なる我々の精神的作用は区別のできるにもかかわらず、区別されたまま、他と関係なく発現するものでない、のみならず文芸にあっては皆感覚物を通じてその作用を現すのであるからして、この四種の理想に対する情操も、互に混合錯雑して、事実上はかように明暸に区劃を受けて、作物中に出てくるものではありません。それにもかかわらず理想は四種あるので、四種以下にはならんのであります。しかも或る格段なる作物を取って検して見ると、四種のうちのいずれかがもっとも著しく眼につきます。したがってこの作はどの理想に属するものだと云う事はある程度まで云えます。そうしてこの四種の理想が、時代により、個人により、その勢力の消長遷移に影響を受けつつあるは疑うべからざる事実であります。ある時代には、美の要求を満足しなければ文芸上の作品でないとまで見做される事もありましょう。また次の時代には理想が推移して美はとにかく真は是非共あらわさなくては文芸の二字を冠らする資格がないと評します。またある人はどこかで道義心に満足を与えない作物は、作りたくない読みたくないと断言します。また他の人は意思の発現に伴う荘厳の情緒を得なければ、文芸上のあるものを味うた気がしないとまで主張するかも知れない。これらの時代もこれらの人々もことごとく正しいのであります。また四種のいずれでも構わないと云う人があれば、その人の趣味はもっとも広い人でまたもっとも正しい人と判断してもよかろうと思います。この四種のいずれがいかなる時勢に流行し、いずれがいかなる人にもっとも歓迎さるるかは大分興味ある問題でありますが、これも時間がないから抜きに致します。ただちょっと御断りをしておきたいのは、この四種は名前の示すごとく四種であって互にそれ相当の主張を有して、文芸の理想となっているものでありますから、甲をもって乙に隷属すべき理由はどうしても発見できんのであります。この四つのうちに、重要の度からして差等の点数をつけて見ろと云われた時に、何人もこれをあえてする事はできないはずと思います。もしあるとすれば答案を調べずに点数をつける乱暴な教員と同じもので、言語道断の不心得であります。ただ吾は時勢の影響を受けているから、しかじかの理想に属するものを好むと云うならばそれでよろしい。吾は個性としてかくかくの理想の下に包含せらるべきものを択むと云うならば、それで勘弁してもよい。好悪は理窟にはならんのだから、いやとか好きとか云うならそれまでであるが、根拠のない好悪を発表するのを恥じて、理窟もつかぬところに、いたずらな理窟をつけて、弁解するのは、消化がわるいから僕は蛸が嫌だというような口上で、もし好物であったなら、いかほど不消化でも、だまって、足は八本共に平げるほどな覚悟だろうと思います。  この故にこれら四種の理想は、互に平等な権利を有して、相冒すべからざる標準であります。だから美の標準のみを固執して真の理想を評隲するのは疝気筋の飛車取り王手のようなものであります。朝起を標準として人の食慾を批判するようなものでしょう。御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。枡を持ち出して、反物の尺を取ってやるから、さあ持って来いと号令を下したって誰も号令に応ずるものはありません。寒暖計を眺めて、どうもあの山の高さはよほどあるよと云う連中は、寒暖計を験温器の代りにして逆上の程度でも計ったらよかろうと思う。もっともここに見当違いの批評と云うのは、美をあらわした作物を見て、ここには真がないと否定する意味ではない。真がないから駄目だ作物にならんと云う批評を云うのである。真はないかも知れぬ、なければないでよい。無いものを有ると云うて貰いたいとは誰も云わないでしょう。しかし現にある美だけは見てやらなくっては、せっかく作った作物の生命がなくなる訳であります。頭は薬缶だが鬚だけは白いと云えば公平であるが、薬缶じゃ御話しにならんよと、一言で退けられたなら、鬚こそいい災難である。運慶の仁王は意志の発動をあらわしている。しかしその体格は解剖には叶っておらんだろうと思います。あれを評して真を欠いてるから駄目だと云うのは、云う方が駄目です。ミレーの晩祈の図は一種の幽遠な情をあらわしている。そこに目がつけば、それでたくさんである。この画には意志の発動がないと云うのは、我慢して聞いてやっても好い。発動がないから画にならんと云うなら、発動の管から文芸の世界を見る蛙のようなものであります。  しかしながら、一の理想をあらわすときに、他の理想を欠いている場合と、積極的に他の理想を打ち崩している場合とは少々違うのであります。欠いているのはただ含んでおらんと云うまでで、打ち壊すとなると明かにその理想に違背しているのですからして、この場合には作家の標準にした理想が、すべての他を忘却せしめ得るほどな手際でうまく作物にあらわれておらねばならん。けれどもこれは天才でもはなはだむずかしい。したがって普通の場合には功罪が帳消しになって余す所は棒だけになります。いくら藤村の羊羹でもおまるの中に入れてあると、少し答えます。そのおまるたると否とを問わず、むしゃむしゃ食うものに至っては非常稀有の羊羹好きでなければなりません。あれも学才があって教師には至極だが、どうも放蕩をしてと云う事になるととうてい及第はできかねます。品行が方正でないというだけなら、まだしもだが、大に駄々羅遊びをして、二尺に余る料理屋のつけを懐中に呑んで、蹣跚として登校されるようでは、教場内の令名に関わるのは無論であります。だからいかな長所があっても、この長所を傷ける短所があって、この短所を忘れ得せしむるだけに長所が卓然としていない作物は、惜しいけれども文句がつきます。私はとくに惜しいけれどもと云いたい。惜しいと云うのは、すでに長所を認めた上の批評であり、かつ短所をも知り抜いた上の判断で、一本調子に搦手ばかり、五年も六年も突ついている陣笠連とは歩調を一にしたくないからこう云うのであります。  そこでいよいよ現代文芸の理想に移って、少々気焔を述べたいと思います。現代文芸の理想は何でありましょう。美? 美ではない。画の方、彫刻の方でもおそらく、単純な美ではないかも知れないが、それは不案内だから、諸君の御一考を煩わすとして、文学について申すとけっして美ではない。美と云うものを唯一の生命にしてかいたものは、短詩のほかにはないだろうと思います。小説には無論ありますまい。脚本は固よりです。詳しく云うと、暇がかかるから、このくらいで御免蒙って先へ進みます。現代の理想が美でなければ、善であろうか、愛であろうか。この種の理想は無論幾多の作物中に経となり緯となりて織り込まれているには相違ないが、これが現代の理想だと云うには、遥に微弱すぎると思います。それでは荘厳だろうか。荘厳が現代の理想ならばいささか頼母しい気持もするが、実際はかえって反対である。現代の世ほど heroism に欠乏した世はなく、また現代の文学ほど heroism を発揚しない文学は少かろうと思います。現代の世に荘厳の感を起す悲劇は一つも出ないのでも分ります。現代文芸の理想が美にもあらず、善にもあらずまた荘厳にもあらざる以上は、その理想は真の一字にあるに相違ない。例を引けば長くなる、証を挙げれば大変である。仕方がないから、ただ真の一字が現代文芸ことに文学の理想であると云い放っておきます。しばらくこれを事実と御承認を願いたい。ところでこの真なるものも、いわゆる分化作用で、いろいろの種類と程度を有しているには相違ない、英仏独露の諸書を猟渉したらばその変形のおもなものを指摘する事はできる事になりましょう。私はそれに対してけっして不平を云うつもりではありません。前に云うごとく、真は四理想の一であって、その一たる真が勢を得て、他の三理想が比較的下火になるのも、時勢の推移上銀杏返しがすたれて束髪が流行すると同じように、やむをえぬ次第と考えられます。しかしこれについて一言御参考のために申し上げておきたいのは、ほかでありませんが、こういう事なんです。  人間の観察と云う者は深くなると狭くなるものです。世の中に何が狭いと云って専門家ほど狭いものはないのでも御分りになるでしょう。狭いと云う事は別段わるいと云う意味は含んでおりませんから、構わないと主張されるかも知れませんが、狭いと云うと不都合な事になります。医者があまり熱心になって狭い専門の範囲を、寝ても覚めても出る事ができないと、ついには妻に毒薬を飲まして、その結果を実験して見たいなどととんでもない事を工夫するかも知れません。世の中は広いものです、広い世の中に一本の木綿糸をわたして、傍目も触らず、その上を御叮嚀にあるいて、そうして、これが世界だと心得るのはすでに気の毒な話であります。ただ気の毒なだけなら本人さえ我慢すればそれですみますが、こう一本調子に行かれては、大にはたのものが迷惑するような訳になります。往来をあるくのでも分ります。いくら巡査が左へ左へと、月給を時間割にしたほどな声を出して、制しても、東西南北へ行く人をことごとく一直線に、同方向に、同速力に向ける事はできません。広い世界を、広い世界に住む人間が、随意の歩調で、勝手な方角へあるいているとすれば、御互に行き合うとき、突き当りそうなときは、格別の理由のない限り、両方で路を譲り合わねばならない。四種の理想は皆同等の権利を有して人生をあるいている。あるくのは御随意だが、権利が同等であるときまったなら、衝突しそうな場合には御互に示談をして、好い加減に折り合をつけなければならない訳です。この折り合をつけるためには、自分が一人合点で、自分一人の路をあるいていてはできない。つまり向うから来る人、横から来る人も、それぞれ相当の用事もあり、理由もあるんだと認めるだけに、世間が広くなければなりません。ところが狭く深くなると前に云うた御医者のようにそれができなくなる。抽出法と云って、自分の熱心なところだけへ眼をつけて他の事は皆抽出して度外に置いてしまう。度外に置く訳である。他の事は頭から眼に這入って来ないのであります。そうなると本人のためには至極結構であるが、他人すなわち同方向に進んで行かない人にはずいぶん妨害になる事があります。妨害になると云う事を知っていれば改良もするだろうが、自己の世界が狭くて、この狭い世界以外に住む人のある事を認識しない原因から起るとすれば、どうする事もできません。現代の文芸で真を重んずるの弊は、こうなりはしまいかと思うのであります。否現にこうなりつつあると私は認めているのであります。  真を重んずるの結果、真に到着すれば何を書いても構わない事となる。真を発揮するの結果、美を構わない、善を構わない、荘厳を構わないまではよいが、一歩を超えて真のために美を傷つける、善をそこなう、荘厳を踏み潰すとなっては、真派の人はそれで万歳をあげる気かも知れぬが美党、善党、荘厳党は指を啣えて、ごもっともと屏息している訳には行くまいと思います。目的が違うんだから仕方がないと云うのは、他に累を及ぼさない範囲内において云う事であります。他に累を及ぼさざるものが厳として存在していると云う事すら自覚しないで、真の世界だ、真の世界だと騒ぎ廻るのは、交通便利の世だ、交通便利の世だと、鈴をふり立てて、電車が自分勝手な道路を、むちゃくちゃに駆けるようなものである。電車に乗らなければ動かないと云うほどな電車贔屓の人なら、それで満足かも知れぬが、あるいたり、ただの車へ乗ったり、自転車を用いたりするもののためには不都合この上もない事と存じます。  もっとも文芸と云うものは鑑賞の上においても、創作の上においても、多少の抽出法を含むものであります。(抽出法については文学論中に愚見を述べてありますから御参考を願いたい)その極端に至ると妙な現象が生じます。たとえば、かの裸体画が公々然と青天白日の下に曝されるようなものであります。一般社会の風紀から云うと裸体と云うものは、見苦しい不体裁であります。西洋人が何と云おうと、そうに違ありません。私が保証します。しかしながら、人体の感覚美をあらわすためには、是非共裸体にしなければならん、この不体裁を冒さねばならん事となります。衝突はここに存するのです。この衝突は文明が進むに従って、ますます烈敷なるばかりでけっして調停のしようがないにきまっています。これを折り合わせるためには社会の習慣を変えるか、肉体の感覚美を棄てるか、どっちかにしなければなりません、が両方共強情だから、収まりがつきにくいところを、無理に収まりをつけて、頓珍漢な一種の約束を作りました。その約束はこうであります。「肉体の感覚美に打たれているうちは、裸体の社会的不体裁を忘るべし」と云うのであります。最前用いた難かしい言葉を使うと不体裁の感を抽出して、裸体画は見るべきものであると云う事に帰着します。この約束が成立してから裸体画はようやくその生命を繋ぐ事ができたのであって、ある画工や文芸批評家の考えるように、世間晴れて裸体画が大きな顔をされた義理ではありません。電車は危険だが、交通に便だから、一定の道路に限って、危険の念を抽出して、あるいてやろうと云う条件の下に、東鉄や電鉄が存在すると同じ事であります。裸体画も、東鉄も、電鉄も、あまり威張れば存在の権利を取上げてよいくらいのものであります。しかし一度び抽出の約束が成り立てば構わない。真もその通りであります。真を発揮した作物に対して、他の理想をことごとく忘れる、抽出すると云う条件さえ成立すればそれで宜しい。――宜しいと云ったって大きな顔をして宜しいと云うのではない、存在しても宜しいと云うのであります。他の理想諸君へは御気の毒だが、僕も困るから、少し辛抱してくれたまえくらいの態度なら宜しいと云うのであります。しかしこの条件を成立せしむるためには真に対して起す情緒が強烈で、他の理想を忘れ得るほどに、うまく発揮されなくてはならん訳であります。今の作物にこれだけの仕事ができているかが疑問であります。  あまり議論が抽象的になりますから、実例について少々自分の考えを述べて見ましょう。ここに贋の唖が一人あるとします。何か不審の件があって警察へ拘引される。尋問に答えるのが不利益だと悟って、いよいよ唖の真似をする。警官もやむをえず、そのまま繋留しておくと、翌朝になって、唖は大変腹が減って来た。始めは唖だから黙って辛抱したが、とうとう堪えられなくなって、飯を食わしてくれろと大きな声を出すと云う筋をかいたら、どんなものでしょう。面白い小説になる、ならんの手際は、問題として、とにかくある境遇における、ある男について、一種の真をあらわす事はできる。面白味はそこにあるでしょう。しかしこれだけでは美な所も、善な所も、また荘厳な所も無論ない。すなわち真以外の理想は毫も含んでおらんのです。そこが疵かと云うと私はそうは認めません。と云うものは他の理想を含んでおらんと云うまでで、毫もこれを害してはおりません。したがって真に対する面白味を感ずるのみで、他の理想はことごとく抽出して読み終る事が出来得るからであります。  次にこんな事を書いたら、どうなりましょう。一人の乞食がいる。諸所放浪しているうちに、或日、或時、或村へ差しかかると、しきりに腹が減る。幸ひっそりとした一構えに、人の気はいもない様子を見届けて、麺麭と葡萄酒を盗み出して、口腹の慾を充分充たした上、村外れへ出ると、眠くなって、うとうとしている所へ、村の女が通りかかる。腹が張って、酒の気が廻って、当分の間ほかの慾がなくなった乞食は、女を見るや否や急に獣慾を遂行する。――この話しはモーパッサンの書いたものにあるそうですが、私は読んだ事がありません。私にこの話をして聞かした人はしきりに面白いと云っていました。なるほど面白いでしょう。しかしその面白いと云うのは、やはりある境遇にあるものが、ある境遇に移ると、それ相応な事をやると云う真相を、臆面なく書いた所にあるのでしょう。しかしこの面白味は、前の唖の話と違って、ただ真を発揮したばかりではない。他の理想を打ち壊しています。その打ち壊された理想を全然忘れない以上は、せっかくの面白味は打ち消されてしまうから役に立たんのみか、他の理想を主にする人からさんざんに悪口される場合が多いだろうと思います。こう云う場合に抽出の約束は成立しそうにもない。約束が成立しない以上は、この作物の生命はないと云うより、生命を許し得ないと云う方がよかろうと思います。一般の世の中が腐敗して道義の観念が薄くなればなるほどこの種の理想は低くなります。つまり一般の人間の徳義的感覚が鈍くなるから、作家批評家の理想も他の方面へ走って、こちらは御留守になる。ついに善などはどうでも真さえあらわせばと云う気分になるんではありますまいか。日本の現代がそう云う社会なら致し方もないが、西洋の社会がかく腐敗して文芸の理想が真の一方に傾いたものとすれば、前後の考えもなく、すぐそれを担いで、神戸や横浜から輸入するのはずいぶん気の早い話であります。外国からペストの種を輸入して喜ぶ国民は古来多くあるまいと考える。私がこう云うとあまり極端な言語を弄するようでありますが、実際外国人の書いたものを見ると、私等には抽出法がうまく行われないために不快を感ずる事がしばしばあるのだから仕方がありません。  現代の作物ではないが沙翁のオセロなどはその一例であります。事件の発展や、性格の描写は真を得ておりましょう、私も二三度講じた事があるから、その辺はよく心得ている。しかし読んでしまっていかにも感じがわるい。悲壮だの芳烈だのと云う考えは出て来ない、ただ妙な圧迫を受ける。ひまがあったら、この感じを明暸に解剖して御目にかけたいと思うが今では、そこまでに頭が整うておりませんから一言にして不愉快な作だと申します。沙翁の批評家があれほどあるのに、今までなぜこの事について何にも述べなかったか不思議に思われるくらいであります。必竟ずるにただ真と云う理想だけを標準にして作物に対するためではなかろうかと思います。現代の作物に至ると、この弊を受けたものは枚挙に遑あらざるほどだろうと考える。ヘダ・ガブレルと云う女は何の不足もないのに、人を欺いたり、苦しめたり、馬鹿にしたり、ひどい真似をやる、徹頭徹尾不愉快な女で、この不愉快な女を書いたのは有名なイブセン氏であります。大変に虚栄心に富んだ女房を持った腰弁がありました。ある時大臣の夜会か何かの招待状を、ある手蔓で貰いまして、女房を連れて行ったらさぞ喜ぶだろうと思いのほか、細君はなかなか強硬な態度で、着物がこうだの、簪がこうだのと駄々を捏ねます。せっかくの事だから亭主も無理な工面をして一々奥さんの御意に召すように取り計います。それで御同伴になるかと云うと、まだ強硬に構えています。最後に金剛石とかルビーとか何か宝石を身に着けなければ夜会へは出ませんよと断然申します。さすがの御亭主もこれには辟易致しましたが、ついに一計を案じて、朋友の細君に、こういう飾りいっさいの品々を所持しているものがあるのを幸い、ただ一晩だけと云うので、大切な金剛石の首輪をかり受けて、急の間を合せます。ところが細君は恐悦の余り、夜会の当夜、踊ったり跳ねたり、飛んだり、笑ったり、したあげくの果、とうとう貴重な借物をどこかへ振り落してしまいました。両人は蒼くなって、あまり跳ね過ぎたなと勘づいたが、これより以後跳方を倹約しても金剛石が出る訳でもないので、やむをえず夫婦相談の結果、無理算段の借金をした上、巴里中かけ廻ってようやく、借用品と一対とも見違えられる首飾を手に入れて、時を違えず先方へ、何知らぬ顔で返却して、その場は無事に済ましました。が借金はなかなか済みません。借りたものは巴里だって返す習慣なのだから、いかな見え坊の細君もここに至って翻然節を折って、台所へ自身出張して、飯も焚いたり、水仕事もしたり、霜焼をこしらえたり、馬鈴薯を食ったりして、何年かの後ようやく負債だけは皆済したが、同時に下女から発達した奥様のように、妙な顔と、変な手と、卑しい服装の所有者となり果てました。話はもう一段で済みます。  ある日この細君が例のごとく笊か何かを提げて、西洋の豆腐でも買うつもりで表へ出ると、ふと先年金剛石を拝借した婦人に出逢いました。先方は立派な奥様で、当方は年期の明けた模範下女よろしくと云う有様だから、挨拶をするのも、ちょっと面はゆげに見えたんでしょうが、思い切って、おやまあ御珍らしい事とか何とか話かけて見ると案のごとく、先方では、もうとくの昔に忘れています。下女に近付はないはずだがと云う風に構えていたところを、しょげ返りもせず、実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云ったそうです。それでおしまいです。これは例のモーパッサン氏の作であります。最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます。軽薄な巴里の社会の真相はさもこうあるだろう穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります。よくせきの場合だから細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまいます。同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります。この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります。いくら真相を穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。もう一つ例を挙げます。今度はゾラ君の番であります。御爺さんが年の違った若い御嫁さんを貰います。結婚は致しましたが、どう云うものか夫婦の間に子ができません。それを苦に病んで御爺さんが医者に相談をかけますと、医者は何でも答弁する義務がありますから、さよう、海岸へおいでになって何とか云う貝を召し上がったら子供ができましょうよと妙な返事をしました。爺さんは大喜びで、さっそく細君携帯で仏蘭西の大磯辺に出かけます。するとそこに細君と年齢からその他の点に至るまで夫婦として、いかにも釣り合のいい男が逗留していまして細君とすぐ懇意になります。両人は毎日海の中へ飛び込んでいっしょに泳ぎ廻ります。爺さんは浜辺の砂の上から、毎日遠くこれを拝見して、なかなか若いものは活溌だと、心中ひそかに嘆賞しておりました。ある日の事三人で海岸を散歩する事になります。時に、お爺さんは老体の事ですから、石の多い浜辺を嫌って土堤の上を行きます。若い人々は波打際を遠慮なくさっさとあるいて参ります。ところが約五六丁も来ると、磯際に大きな洞穴があって、両人がそれへ這入ると、うまい具合と申すか、折悪くと申すか、潮が上げて来て出る事がむずかしくなりました。老人は洞穴の上へ坐ったまま、沖の白帆を眺めて、潮が引いて両人の出て来るのを待っております。そこであまり退屈だものだから、ふと思出して、例の医者から勧められた貝を出して、この貝を食っては待ち、食っては待って、とうとう潮が引いて、両人が出てくるまでにはよほど多量の貝を平げました。その場はそれで済みまして、いよいよ細君を連れて宅へ帰って見ますと、貝の利目はたちまちあらわれて、細君はその月から懐妊して、玉のような男子か女子か知りませんが生み落して老人は大満足を表すると云うのが大団円であります。ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが、私の考では前に挙げたモーパッサン氏よりもある方面に向って一歩進んだ理想がなくってはとうてい書きこなせない作物だと思います。よく下民の聚合する寄席などへ参ると、時々妙な所で喝采する事があります。普通の人が眉を顰める所に限って喝采するから妙であります。ゾラ君なども日本へ来て寄席へでも出られたら、定めし大入を取られる事であろうと存じます。  現代文学は皆この弊に陥っているとは無論断言しませんが、いろいろな点においてこの傾向を帯びていることは疑いもないと思います。そうしてこの傾向は真の一字を偏重視するからして起った多少病的の現象だと云うてもよいだろうと思います。諸君は探偵と云うものを見て、歯するに足る人間とは思わんでしょう。探偵だって家へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢くらい眺める風流心はあるかも知れない。しかしながら探偵が探偵として職務にかかったら、ただ事実をあげると云うよりほかに彼らの眼中には何もない。真を発揮すると云うともったいない言葉でありますが、まず彼らの職業の本分を云うと、もっとも下劣な意味において真を探ると申しても差支ないでしょう。それで彼らの職務にかかった有様を見ると一人前の人間じゃありません。道徳もなければ美感もない。荘厳の理想などは固よりない。いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずる事ができない。できれば探偵なんかする気になれるものではありません。探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠亡して、残る四分の一のもっとも低度なものがむやみに働くからであります。かかる人間は人間としては無論通用しない。人間でない器械としてなら、ある場合にあっては重宝でしょう。重宝だから、警視庁でもたくさん使って、月給を出して飼っておきます。しかし彼らの職業はもともと器械の代りをするのだから、本人共もそのつもりで、職業をしている内は人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。現代の文学者をもって探偵に比するのははなはだ失礼でありますが、ただ真の一字を標榜して、その他の理想はどうなっても構わないと云う意味な作物を公然発表して得意になるならば、その作家は個人としては、いざ知らず、作家として陥欠のある人間でなければなりません。病的と云わなければなりません。(四種の理想は同等の権利を有して相冒すべきものでないと、先に述べておきました。四種を同等に満足せしむる事は困難かも知れません。多少は冒す場合があるでしょう。その場合には冒されたものが、屏息し得るように、冒す方に偉大な特色がなければならぬのであります。この点においては、先に例証したオセロが一番弁護しやすいように思われます。ゾラとモーパッサンの例に至ってはほとんど探偵と同様に下品な気持がします)  文芸に四種の理想があるのは毎度繰返した通りでありまして、その四種がまたいろいろに分化して行く事も前に述べたごとくであります。この四種の理想は文芸家の理想ではあるが、ある意味から云うと一般人間の理想でありますからして、この四面に渉ってもっとも高き理想を有している文芸家は同時に人間としてももっとも高くかつもっとも広き理想を有した人であります。人間としてもっとも広くかつ高き理想を有した人で始めて他を感化する事ができるのでありますから、文芸は単なる技術ではありません。人格のない作家の作物は、卑近なる理想、もしくは、理想なき内容を与うるのみだからして、感化力を及ぼす力もきわめて薄弱であります。偉大なる人格を発揮するためにある技術を使ってこれを他の頭上に浴せかけた時、始めて文芸の功果は炳焉として末代までも輝き渡るのであります。輝き渡るとは何も作家の名前が伝わるとか、世間からわいわい騒がれると云う意味で云うのではありません。作家の偉大なる人格が、読者、観者もしくは聴者の心に浸み渡って、その血となり肉となって彼らの子々孫々まで伝わると云う意味であります。文芸に従事するものはこの意味で後世に伝わらなくては、伝わる甲斐がないのであります。人名辞書に二行や三行かかれる事は伝わるのではない。自分が伝わるのではない。活版だけが伝わるのであります。自己が真の意味において一代に伝わり、後世に伝わって、始めて我々が文芸に従事する事の閑事業でない事を自覚するのであります。始めて自己が一個人でない、社会全体の精神の一部分であると云う事実を意識するのであります。始めて文芸が世道人心に至大の関係があるのを悟るのであります。我々は生慾の念から出立して、分化の理想を今日まで持続したのでありますから、この理想をある手段によって実現するものは、我々生存の目的を、一層高くかつ大いにした功蹟のあるものであります。もっとも偉大なる理想をもっともよく実現するものは我々生存の目的をもっともよく助長する功蹟のあるものであります。文芸の士はこの意味においてけっして閑人ではありません。芭蕉のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません。普通の大臣豪族よりも、有意義な生活を送って、皆それぞれに人生の大目的に貢献しております。  理想とは何でもない。いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答案に過ぎんのであります。画家の画、文士の文、は皆この答案であります。文芸家は世間からこの問題を呈出されるからして、いろいろの方便によって各自が解釈した答案を呈出者に与えてやるに過ぎんのであります。答案が有力であるためには明暸でなければならん、せっかくの名答も不明暸であるならば、相互の意志が疏通せぬような不都合に陥ります。いわゆる技巧と称するものは、この答案を明暸にするために文芸の士が利用する道具であります。道具は固より本体ではない。  そこで諸君はわかったと云われるかも知れぬ。またはわからぬと云われるかも知れぬ。分った方はそれでよろしいが、分らぬ方には少々説明をしなければなりません。ただいま技巧は道具だと申しました。そう一概に云うと明暸なようであるが退いて考えるとなかなかわかりにくい。技巧とは何だと聴かれた時に、たいてい困ります。普通は思想をあらわす、手段だと云いますが、その手段によって発表される思想だからして、思想を離れて、手段だけを考える訳には行かず、また手段を離れて思想だけを拝見する訳には無論行きません。それでだんだん論じつめて行くと、どこまでが手段で、どこからが思想だかはなはだ曖昧になります。ちょうどこの白墨について云うと、白い色と白墨の形とを切離すようなものでこの格段な白墨を目安にして論ずると白い色をとれば形はなくなってしまいますし、またこの形をとれば白い色も消えてしまいます。両つのものは二にして一、一にして二と云ってもしかるべきものであります。そこで哲理的に論ずるとなかなか面倒ですから、分りやすいために実例で説明しようと思います。せんだって大学で講義の時に引用した例がありますから、ちょっとそれで用を弁じておきます。  ここに二つの文章があります。最初のは沙翁の句で、次のはデフォーと云う男の句であります。  これを比較すると技巧と内容の区別が自ら判然するだろうと思います。  Uneasy lies the head that wears a crown.  Kings frequently lamented the miserable consequences of being born to great things, and wished they had been in the middle of the two extremes, between the mean and the great.  大体の意味は説明する必要もないまでに明暸であります。すなわち冠を戴く頭は安きひまなしと云うのが沙翁の句で、高貴の身に生れたる不幸を悲しんで、両極の中、上下の間に世を送りたく思うは帝王の習いなりと云うのがデフォーの句であります。無論前者は韻語の一行で、後者は長い散文小説中の一句であるから、前後に関係して云うと、種々な議論もできますが、この二句だけを独立させて評して見ると、その技巧の点において大変な差違があります。それはあとから説明するとして、二句の内容は、二句共に大同小異である事は、誰も疑わぬほどに明かでありましょう。だから思想から見ると双方共に同様と見ても差支ないとします。思想が同様であるにも関わらず、この二句を読んで得る感じには大変な違があります。私はせんだって中デフォーの作物を批評する必要があって、その作物を読直すときに偶然この句に出合いまして、ふと沙翁のヘンリー四世中の語を思い出して、その内容の同じきにも関らず、その感じに大変な相違のあるに驚きましたが、なぜこんな相違があるかに至っては解剖して見るまでは判然と自分にもわからなかったのであります。そこでこれから御話しをするのは私の当時の感じを解剖した所であります。  沙翁の方から述べますと――あの句は帝王が年中(十年でもよい、二十年でもよい。いやしくも彼が位にある間だけ)の身心状態を、長い時間に通ずる言葉であらわさないで、これを一刻につづめて示している。そこが一つの手際であります。その意味をもっと詳しく説明するとこうなります。uneasy(不安)と云う語は漠然たる心の状態をあらわすようであるが実は非常に鋭敏なよく利く言葉であります。例えば椅子の足の折れかかったのに腰をかけて uneasy であるとか、ズボン釣りを忘れたためズボンが擦り落ちそうで uneasy であるとか、すべて落ちつかぬ様子であります。もちろん落ちつかぬ様子と云うのは、ある時間の経過を含む状態には相違ないが、長時間の経過を待たないで、すぐ眼に映る状態であります。だからこの uneasy と云う語は、長い間持続する状態でも、これを一刻もしくは一分に縮めて画のようにとっさの際に頭脳の裏に描き出し得る状態であります。  ある人はこう云って、私の説を攻撃するかも知れぬ。――なるほど君の云うような uneasy な状態もあるかも知れない。しかしそれは身体の uneasy な場合で心の uneasy な場合ではない。身体の uneasy な状態は長い時間を切って断面的にこれを想像の鏡に写す事もできようが、心の uneasy な場合すなわち心配とか、気がかりというようなものは、そういう風に印象を構成する訳には行かんだろうと。私はその攻撃に対しては、こう答える。――そういう uneasy な状態はあるに相違ない。ないが、ここにはそんな事を考える必要はない。よし帝王の uneasiness が精神的であっても、そう考える必要はない。必要はないと云うよりもそんな余裕はない。uneasy の下に lies すなわち横わるとある。lies と云うと有形的な物体に適用せらるる文字である。だから uneasy と読んで、どちらの uneasy かと迷う間もなく、直 lies と云う字に接続するからして uneasy の意味は明確になってくる。するとまたこう非難する人が出るかも知れぬ。――lies にも両様がある。有形物について云う事は無論であるが無形物についてもよく使う字である。だから uneasy lies では君の云うように判然たる印象は起って来ないと。この非難に対する私の弁解はこうであります。 uneasy lies では印象が起らぬと云うなら第三字目の head という字を読んで見るがよかろう。head は具体的のものである。よし head までも比喩的な意味に解せられるとしても uneasy lies the head と続けて読んで、しかもこの head を抽象的な能力とか知力とか解釈する者はあるまい。誰でも具体的の髪の生えた頭と解釈するであろう。head を具体的と解する以上は lies も無論有形物の lie する有様に相違ない。してみると uneasy もまた形態に関係のない目に見えぬ意味とは取りにくい。しかもその uneasy な有様はいつまで続くか無論わからないが、よし長時間続く状態にしても、いやしくも続いている間は、いつでも目に見える状態である。いつでも見える状態であるからして、そのいずれの一瞬間を截ち切ってもその断面は長い全部を代表する事ができる、語を換えて云えば、十年二十年の状態を一瞬の間につづめたもの、煮つめたもの、煎じつめたものを脳裏に呼び起すことができると。そこでこの煮つめたところ、煎じつめたところが沙翁の詩的なところで、読者に電光の機鋒をちらっと見せるところかと思います。これは時間の上の話であります。長い時間の状態を一時に示す詩的な作用であります。  ところで沙翁には今一つの特色があります。上述の時間的なるに対してこれは空間的と云うてもよかろうと思います。すなわちこういう解剖なのです。帝王と云う字は具体の名詞か抽象の名詞かと問えば、誰も具体と答えるだろうと思います。なるほど具体名詞に相違ないです。けれどもただ具体的だと承知するばかりで、明暸な印象は比較的出にくいのです。帝王の画を眼前でかいて見ろと云われても、すぐと図案は拵えられんだろうと思います。私共の脳中にはこの帝王と云うものがすこぶる漠然として纏らない図になって畳み込まれています。ところへ the head that wears a corwn と云われると、帝王と云う観念が急に判然とします。なぜかと云うと、今までは具体であるということだけが解っていたけれど、局部の知識はすこぶる曖昧で取とめがつかなかったのであります。あたかも度の合わぬ眼鏡で物を見るように、その物は独立して存在しているが他の物と独立している事だけが明暸で、その物の内容は朦朧としておったのであります。ところが uneasy lies the head that wears a crown と云われたので焼点が急にきまったような心持がするのであります。帝王と云えば個人として帝王の全部を想像せねばならん、全部を想像すると勢ぼんやりする。ぼんやりしないために、局部を想像しようとすると、局部がたくさんあるので、どこを想像してよいか分りません。そこで沙翁は多くある局部のうちで、ここを想像するのが一番いいと教えてくれたのであります。その教えてくれたのは、帝王の足でもない、手でもない。乃至は背骨でもない。もしくは帝王の腹の中でもない。彼が指さして、あすこだけを注意して御覧、king がよく見えると教えてくれた所は、燦爛たる冠を戴く彼の頭であります。この注意をうけた吾々は今まで全局に眼をちらつかせて要領を得んのに苦しんでいたのに、かく注意を受けたから、試みにその方へ視線をむけると、なるほど king が見えたのであります。明暸なのは局部に過ぎぬけれども、この局部が king を代表してしかるべき精髄であるからして、ここが明暸に見えれば全体を明暸に見たと同じ事になる。取も直さず物を見るべき要点を沙翁が我々に教えてくれたのであります。この要点は全体を明かにするにおいて功力があるのみならず、要点以外に気を散らす必要がなく、不要の部分をことごとく切り棄てる事もできるからして、読者から云えば注意力の経済になる。この要点を空間に配して云うと、沙翁は king と云う大きなものを縮めて、単なる「冠を戴く頭」に変化さしてくれたのであります。かくして六尺の人は一尺に足らぬ頭と煎じつめられたのであります。  してみると沙翁の句は一方において時間を煎じつめ、一方では空間を煎じつめて、そうして鮮かに長時間と広空間とを見せてくれております。あたかも肉眼で遠景を見ると漠然としているが、一たび双眼鏡をかけると大きな尨大なものが奇麗に縮まって眸裡に印するようなものであります。そうしてこの双眼鏡の度を合わしてくれるのがすなわち沙翁なのであります。これが沙翁の句を読んで詩的だと感ずる所以であります。  ところがデフォーの文章を読んで見るとまるで違っております。この男のかき方は長いものは長いなり、短いものは短いなりに書き放して毫も煎じつめたところがありません。遠景を見るのに肉眼で見ています。度を合せぬのみか、双眼鏡を用いようともしません。まあ智慧のない叙方と云ってよいでしょう。あるいは心配して読者の便宜をはかってくれぬ書き方、呑気もしくは不親切な書き方と云っても悪くはありますまい。もしくは伸縮方を解せぬ、弾力性のない文章と評しても構わないでしょう。汽車電車は無論人力さえ工夫する手段を知らないで、どこまでも親譲りの二本足でのそのそ歩いて行く文章であります。したがって散文的の感があるのです。散文的な文章とは馬へも乗れず、車へも乗れず、何らの才覚がなくって、ただ地道に御拾いでおいでになる文章を云うのであります。これはけっして悪口ではありません、御拾いも時々は結構であります。ただ年が年中足を擂木にして、火事見舞に行くんでも、葬式の供に立つんでも同じ心得で、てくてくやっているのは、本人の勝手だと云えば云うようなものの、あまり器量のない話であります。デフォーははなはだ達筆で生涯に三百何部と云う書物をかきました。まあ車夫のような文章家なのです。  これで二家の文章の批評は了ります。この批評によって、我々の得た結論は何であるかと云うと、文芸に在って技巧は大切なものであると云う事であります。もし技巧がなければせっかくの思想も、気の毒な事に、さほどな利目が出て来ない。沙翁とデフォーは同じ思想をあらわしたのでありますが、その結果は以上のごとく、大変な相違を来します。思想が同じいのにこれほどな相違が出るのは全く技巧のためだと結論します。近頃日本の文学者のある人々は技巧は無用だとしきりに主張するそうですが、いまだ明暸なる御考えを承った事がないから、何とも申されませんが、以上の説明によると、文芸家である以上は、技巧はどうしても捨てる訳には、参るまいと信じます。そうして以上の説明はけっして論理その他の誤謬を含んでおらんと信じます。有名な人の作曲さえやれば、どんな下手が奏しても構わないと云う御主意ならば文章も技巧は無用かも知れませんが、私にはそうは思われません。そうして技巧を無用視せらるる方のうちには人生に触れなくては駄目だ、技巧はどうでもよい、人生に触れるのが目的だと言われる人が大分あるようですが、これもまだ明暸な説明を承った事がないから何の意味だか了解できませんが、この言葉を承わるたびに何だか妙な心持がします。ただ触れろ触れろと仰があっても、触れる見当がつかなければ、作家は途方に暮れます。むやみに人生だ人生だと騒いでも、何が人生だか御説明にならん以上は、火の見えないのに半鐘を擦るようなもので、ちょっと景気はいいようだが、どいたどいたと駆けて行く連中は、あとから大に迷惑致すだろうと察せられます。人生に触れろと御注文が出る前に、人生とはこんなもの、触れるとはあんなもの、すべてのあんな、こんなを明暸にしておいてさてかような訳だから技巧は無用じゃないかと仰せられたなら、その時始めて御相手を致しても遅くはなかろうと思って、それまでは差し控える事に致しております。もし私の方で申す人生に触れるという意味が御承知になりたければ今じきに明暸なる御答えを仕ってもよろしいが、ついでもある事だから、次の節まで待っていただきましょう。  御待遠だといかぬから、すぐさま次の節に移って弁じます。文学者の一部分で、しきりに触れろ触れろと云い、技巧は無用だ無用だと云っているに反して、画家の方では――画家は我々のように騒々しくない、おとなしく勉強しておられるから、むやみに三つ番は敲かれぬようであるが――しかしその実行しておられるところを拝見すると、触れるの触れぬのと云う事は頓着なくただ熱心に技術を研いておられるように見受けます。申すまでもなく私は極めて画道には暗い人間であります。だから画の事に関して嘴を容れる権利は無論ないのですが、門外漢の云う事も時には御参考になるだろうし、こうして諸君に御目にかかる機会も滅多にありませず、かつ文芸全体に通じての議論ですから、大胆なところを述べてしまいます。――あなた方の方では人間を御かきになるときはモデルを御使いになります、草や木を御かきになるときは野外もしくは室内で写生をなさいます。これはまことに結構な事で、我々文学者が四畳半のなかで、夢のような不都合な人物、景色、事件を想像して好加減な事を並べて平気でいるよりも遥に熱心な御研究であります。その効能は固より御承知の事で、私などがかれこれ申すのも釈迦に何とかいう類になりますが、まず講話の順序として分らぬながら、分ったと思う事だけを述べます。こう云う修業で得る点は私の考えではまず二通りになるだろうと思います。一つは物の大小形状及びその色合などについて知覚が明暸になりますのと、この明暸になったものを、精細に写し出す事が巧者にかつ迅速にできる事だと信じます。二はこれを描き出すに当って使用する線及び点が、描き出される物の形状や色合とは比較的独立して、それ自身において、一種の手際を帯びて来る事であります。この第二の技術は技術でありかつ理想をもあらわしているからして純然たる技巧と見る訳には参りません。現に日本在来の絵画はおもにこの技巧だけで価値を保ったものであります。それにも関わらず、これに対して鑑賞の眼を恣にすると、それぞれに一種の理想をあらわしている、すなわち画家の人格を示している、ために大なる感興を引く事が多いのであります。たとえば一線の引き方でも、(その一線だけでは画は成立せぬにも関わらず)勢いがあって画家の意志に対する理想を示す事もできますし、曲り具合が美に対する理想をあらわす事もできますし、または明暸で太い細いの関係が明かで知的な意味も含んでおりましょうし、あるいは婉約の情、温厚な感を蓄える事もありましょう。(知、情の理想が比較的顕著でないのは性質上やむをえません)こうなると線と点だけが理想を含むようになります。ちょうど金石文字や法帖と同じ事で、書を見ると人格がわかるなどと云う議論は全くこれから出るのであろうと考えられます。だから、この技巧はある程度の修養につれて、理想を含蓄して参ります。しかし前種の技巧、すなわち物に対する明暸なる知覚をそのままにあらわす手際は、全然理想と没交渉と云う訳には参りませんが、比較的にこれとは独立したものであります。これをわかりやすく申しますと、物をかいて、現物のように出来上っても、知、情、意、の働きのあらわれておらんのがあります。何だか気乗りのしないのがあります。どことなく機械的なのがあります。私の技巧と云うのは、この種の技巧を云うのであります。私の非難したいのは、この種の技巧だけで画工になろうと云う希望を抱く人々であります。無論諸君は、画工になるにはこの種の技巧だけで充分だと御考えになってはおられますまい。しかし技巧をおもにして研究を重ねて行かれるうちには、時によると知らぬ間に、ついこの弊に陥る事がないとは限らんと思います。再び前段に立ち帰って根本的に申しますと、前に述べた通り、文芸は感覚的な或物を通じて、ある理想をあらわすものであります。だからしてその第一主義を云えばある理想が感覚的にあらわれて来なければ、存在の意義が薄くなる訳であります。この理想を感覚的にする方便として始めて技巧の価値が出てくるものと存じます。この理想のない技巧家を称して、いわゆる市気匠気のある芸術家と云うのだろうと考えます。市気匠気のある絵画がなぜ下品かと云うと、その画面に何らの理想があらわれておらんからである。あるいはあらわれていても浅薄で、狭小で、卑俗で、毫も人生に触れておらんからであります。  私は近頃流行する言語を拝借して、人生に触れておらんと申しました。私のいわゆる人生に触れると申す意味は、前段からの議論で大概は御分りになったろうとは思いますが、御約束だから形式的に説明致しますと、比較的簡単で明暸であります。少くとも私だけにはそう思われます。我々は意識の連続を希望します。連続の方法と意識の内容の変化とが吾人に選択の範囲を与えます。この範囲が理想を与えます。そうしてこの理想を実現するのを、人生に触れると申します。これ以外に人生に触れたくても触れられよう訳がありません。そうしてこの理想は真、美、善、壮の四種に分れますからして、この四種の理想を実現し得る人は、同等の程度に人生に触れた人であります。真の理想をあらわし得る人は、美の理想をあらわし得る人と、同様の権利と重みとをもって、人生に触れるのであります。善の理想を示し得る人は壮の理想を示し得る人と、同様の権利と重みをもって、人生に触れたものであります。いずれの理想をあらわしても、同じく人生に触れるのであります。その一つだけが触れて、他は触れぬものだと断言するのは、論理的にかく証明し来ったところで、成立せぬ出放題の広言であります。真は深くもなり、広くもなり得る理想であります。しかしながら、真が独り人生に触れて、他の理想は触れぬとは、真以外に世界に道路がある事を認め得ぬ色盲者の云う事であります。東西南北ことごとく道路で、ことごとく通行すべきはずで、大切と云えばことごとく大切であります。  四種の理想は分化を受けます。分化を受けるに従って変形を生じます。変形を生じつつ進歩する機会を早めます。この変形のうち、もっとも新しい理想を実現する人を人生において新意義を認めた人と云います。変形のうちもっとも深き理想を実現する人を、深刻に人生に触れた人と申します。(云うまでもなく深刻とは真、善、美、壮の四面にわたって申すべき形容詞であります。悲惨だから深刻だとか、暗黒だから深刻だとか云うのは無意味の言語であります)変形のうちもっとも広き理想を実現する人を、広く人生に触れた人と申します。この三つを兼ねて、完全なる技巧によりてこれを実現する人を、理想的文芸家、すなわち文芸の聖人と云うのであります。文芸の聖人はただの聖人で、これに技巧を加えるときに、始めて文芸の聖人となるのであります。聖人の理想と申して別段の事もありません。ただいかにして生存すべきかの問題を解釈するまでであります。  発達した理想と、完全な技巧と合した時に、文芸は極致に達します。(それだから、文芸の極致は、時代によって推移するものと解釈するのが、もっとも論理的なのであります)文芸が極致に達したときに、これに接するものはもしこれに接し得るだけの機縁が熟していれば、還元的感化を受けます。この還元的感化は文芸が吾人に与え得る至大至高の感化であります。機縁が熟すと云う意味は、この極致文芸のうちにあらわれたる理想と、自己の理想とが契合する場合か、もしくはこれに引つけられたる自己の理想が、新しき点において、深き点において、もしくは広き点において、啓発を受くる刹那に大悟する場合を云うのであります。縁なき衆生は度しがたしとは単に仏法のみで言う事ではありません。段違いの理想を有しているものは、感化してやりたくても、感化を受けたくてもとうていどうする事もできません。  還元的感化と云う字が少々妙だから、御分りにならんかと思います。これを説明すると、こういう意味になります。文芸家は今申す通り自己の修養し得た理想を言語とか色彩とかの方便であらわすので、その現わされる理想は、ある種の意識が、ある種の連続をなすのを、そのままに写し出したものに過ぎません。だからこれに対して享楽の境に達するという意味は、文芸家のあらわした意識の連続に随伴すると云う事になります。だから我々の意識の連続が、文芸家の意識の連続とある度まで一致しなければ、享楽と云う事は行われるはずがありません。いわゆる還元的感化とはこの一致の極度において始めて起る現象であります。  一致の意味は固より明暸で、この一致した意識の連続が我々の心のうちに浸み込んで、作物を離れたる後までも痕迹を残すのがいわゆる感化であります。すると説明すべきものはただ還元の二字になります。しかしこの二字もまた一致と云う字面のうちに含まれております。一致と云うと我の意識と彼の意識があって、この二つのものが合して一となると云う意味でありますが、それは一致せぬ前に言うべき事で、すでに一致した以上は一もなく二もない訳でありますからして、この境界に入ればすでに普通の人間の状態を離れて、物我の上に超越しております。ところがこの物我の境を超越すると云う事は、この講演の出立地であって、またあらゆる思索の根拠本源になります。したがって文芸の作物に対して、我を忘れ彼を忘れ、無意識に(反省的でなくと云う意なり)享楽を擅にする間は、時間も空間もなく、ただ意識の連続があるのみであります。もっともここに時間も空間もないと云うのは作物中にないと云うのではない、自己が作物に対する時間、また自己が占めている空間がないという意味であって、読んで何時間かかるか、また読んでいる場所は書斎の裡か郊外か蓐中かを忘れると云うのと同じ事であります。普通の場合においてこれを忘れる事ができんのは、ある間は作者の意識連続と一致し、あるときはこれを離れるから、我は依然として我、彼は依然として彼なのであります。一致している際に蚤に食われて急に我に帰り、時計が鳴ってにわかに我に帰るというようであるから、間髪を容れざる完全の一致より生ずる享楽を擅まにする事ができんのであります。かくのごとく自己の意識と作家の意識が離れたり合ったりする間は、読書でも観画でも、純一無雑と云う境遇に達する事はできません。これを俗に邪魔が這入るとも、油を売るとも、散漫になるとも云います。人によると、生涯に一度も無我の境界に点頭し、恍惚の域に逍遥する事のないものがあります。俗にこれを物に役せられる男と云います。かような男が、何かの因縁で、急にこの還元的一致を得ると、非常な醜男子が絶世の美人に惚れられたように喜びます。 「意識の連続」のうちで比較的連続と云う事を主にして理想があらわれてくると、おもに文学ができます。比較的意識そのものの内容を主にして理想があらわれて来ると絵画が成立します。だからして前者の理想はおもに意識の推移する有様であらわれて来ます。したがってこの推移法が理想的に行く作物は、読者をして還元的感化をうけやすくします。これを動の還元的感化と云います。それから後者の理想はおもに意識の停留する有様であらわれて来ます。だから停留法がうまく行くと、すなわち意識が停留したいところを見計って、その刹那を捕えると、観者をして還元的感化をうけやすくします。これを静の還元的感化と云います。しかしながらこれは重なる傾向から文学と絵画を分ったまでで、その実は截然とこう云う区別はできんのであります。しばらくこの二要素を文学の方へかためて申しますと、推移の法則は文学の力学として論ずべき問題で、逗留の状態は文学の材料として考えるべき条項であります。双方とも批評学の発達せぬ今日は誰も手を着けておりませんから、研究の余地は幾らでもあります。私は自分の文学論のうちに、不完全ながら自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願います。固より新たに開拓する領土の事でありますから、御参考になるほどにはできておりません。けれども、あの議論の上へ上へとこれからの人が、新知識を積んで行って、私の疎漏なところを補い、誤謬のあるところを正して下さったならば、批評学が学問として未来に成立せんとは限らんだろうと思います。私はある事情から重に創作の方をやる考えでありますから、向後この方面に向って、どのくらいの貢献ができるか知れませんが、もし篤実な学者があって、鋭意にそちらを開拓して行かれたならば、学界はこの人のために大いなる利益を享けるに相違なかろうと確信しております。  最後に一言を加えます。我々は生きたい生きたいと云う下司な念を本来持っております。この下司な了見からして、物我の区別を立てます。そうしていかなる意識の連続を得んかという選択の念を生じ、この選択の範囲が広まるに従って一種の理想を生じ、その理想が分岐して、哲学者(または科学者)となり、文芸家となり実行家となり、その文芸家がまた四種の理想を作り、かつこれを分岐せしめて、各自に各自の欲する意識の連続を実現しつつあるのであります。要するに皆いかにして存在せんかの生活問題から割り出したものに過ぎません。だからして何をやろうとけっして実際的の利害を外れたことは一つもないのであります。世の中では芸術家とか文学家とか云うものを閑人と号して、何かいらざる事でもしているもののように考えています。実を云うと芸術家よりも文学家よりもいらぬ事をしている人間はいくらでもあるのです。朝から晩まで車を飛ばせて馳け廻っている連中のうちで、文学者や芸術家よりもいらざる事をしている連中がいくらあるか知れません。自分だけが国家有用の材だなどと己惚れて急がしげに生存上十人前くらいの権利があるかのごとくふるまってもとうてい駄目なのです。彼らの有用とか無用とかいう意味は極めて幼稚な意味で云うのですから駄目であります。怒るなら、怒ってもよろしい、いくら怒っても駄目であります。怒るのは理窟が分らんから怒るのです。怒るよりも頭を下げてその訳でも聞きに来たらよかろうと思います。恐れ入って聞きにくればいつでも教えてやってよろしい。――私なども学校をやめて、縁側にごろごろ昼寝をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実は羨ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝も致します。しかし寝ながらにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ばして電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。私はただ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。不幸にしてまだ考えつかないだけである。なかなかもって閑人ではない。諸君も閑人ではない。閑人と思うのは、思う方が閑人である、でなければ愚人である。文芸家は閑が必要かも知れませんが、閑人じゃありません。ひま人と云うのは世の中に貢献する事のできない人を云うのです。いかに生きてしかるべきかの解釈を与えて、平民に生存の意義を教える事のできない人を云うのです。こう云う人は肩で呼吸をして働いていたって閑人です。文芸家はいくら縁側に昼寝をしていたって閑人じゃない。文芸家のひまとのらくら華族や、ずぼら金持のひまといっしょにされちゃ大変だ。だから芸術家が自分を閑人と考えるようじゃ、自分で自分の天職を抛つようなもので、御天道様にすまない事になります。芸術家はどこまでも閑人じゃないときめなくっちゃいけない。いくら縁側に昼寝をしても閑人じゃないときめなくっちゃいけない。しかしこれだけ大胆にひま人じゃないと主張するためには、主張するだけの確信がなければなりません。言葉を換えて云うといかにして活きべきかの問題を解釈して、誰が何と云っても、自分の理想の方が、ずっと高いから、ちっとも動かない、驚かない、何だ人生の意義も理想もわからぬくせに、生意気を云うなと超然と構えるだけに腹ができていなければなりません。これだけにできていなければ、いくら技巧があっても、書いたものに品位がない。ないはずである。こう書いたら笑われるだろう、ああ云ったら叱られるだろうと、びくびくして筆を執るから、あの男は腹の中がかたまっておらん、理想が生煮だ、という弱点が書物の上に見え透くように写っている、したがっていかにも意気地がない。いくら技巧があったって、これじゃ人を引きつけることもできん、いわんや感化をやであります。またいわんや還元的感化をやであります。こんな文芸家を称して閑人と云うのであります。正木君の云われた市気匠気と云うのは、かかる閑人の文芸家に着いて廻るのであります。要するに我々に必要なのは理想である。理想は文に存するものでもない、絵に存するものでもない、理想を有している人間に着いているものである。だからして技巧の力を藉りて理想を実現するのは人格の一部を実現するのである。人格にない事を、ただ句を綴り章を繋いで、上滑りのするようにかきこなしたって、閑人に過ぎません。俗にこれを柄にないと申します。柄にない事は、やっても閑人でやらなくても閑人だから、やらない方が手数が省けるだけ得になります。ただ新しい理想か、深い理想か、広い理想があって、これを世の中に実現しようと思っても、世の中が馬鹿でこれを実現させない時に、技巧は始めてこの人のため至大な用をなすのであります。一般の世が自分が実世界における発展を妨げる時、自分の理想は技巧を通じて文芸上の作物としてあらわるるほかに路がないのであります。そうして百人に一人でも、千人に一人でも、この作物に対して、ある程度以上に意識の連続において一致するならば、一歩進んで全然その作物の奥より閃めき出ずる真と善と美と壮に合して、未来の生活上に消えがたき痕跡を残すならば、なお進んで還元的感化の妙境に達し得るならば、文芸家の精神気魄は無形の伝染により、社会の大意識に影響するが故に、永久の生命を人類内面の歴史中に得て、ここに自己の使命を完うしたるものであります。 ――明治四十年四月東京美術学校において述―― 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 ※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。 入力:柴田卓治 校正:大野晋 2000年4月11日公開 2008年5月1日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 文芸と道徳 文芸と道徳 夏目漱石  私はこの大阪で講演をやるのは初めてであります。またこういう大勢の前に立つのも初めてであります。実は演説をやるつもりではない、むしろ講義をする気で来たのですが、講義と云うものはこんな多人数を相手にする性質のものでありません。これだけの聴衆全体に通るような声を出そうとすれば――第一出る訳がないけれども、万一出るにしても十五分ぐらいで壇を降りなければやりきれないだろうと思います。したがって、始めての事でもあるしこれほど御集りになった諸君の御厚意に対してもなるべく御満足の行くように、十分面白い講演をして帰りたいのは山々であるけれども、しかしあまり大勢お出になったから――と云って、けっしてつまらぬ演説をわざわざしようなどという悪意は毛頭無いのですけれども、まあなるべく短かく切上げる事にして、そうして――まだ後にも面白いのがだいぶありますから、その方で埋め合せをして、まず数でコナすようなことにしようと思う。実際この暑いのにこうお集まりになって竹の皮へ包んだ寿司のように押し合っていてはたまりますまい。また講演者の方でも周囲前後左右から出る人の息だけでも――ちょっとここへ立って御覧になればすぐ分りますが――実際容易なものではありません。実はこういうように原稿紙へノートが取ってありますから、時々これを見ながら進行すれば順序もよく整い遺漏も少なく、大変都合が好いのですけれども、そんな手温い事をしていてはとても諸君がおとなしく聴いていて下さるまいと思うから、ところどころ――ではない大部分端折ってしまってやるつもりであります。しかしもしおとなしく聴いて下されば十分にやるかも知れない。やろうと思えばやれるのです。  問題はあすこに書いてある通り「文芸と道徳」と云うのですが、御承知の通り私は小説を書いたり批評を書いたり大体文学の方に従事しているために文芸の方のことをお話する傾きが多うございます。大阪へ来て文芸を談ずると云うことの可否は知りません。儲ける話でもしたら一番よかろうと思っているんですが、「文芸と道徳」では題をお聴きになっただけでも儲かりません。その内容をお聴きになってはなお儲かりません。けれども別に損をするというほどの縁喜の悪い題でもなかろうと思うのです。もちろん御聴になる時間ぐらいは損になりますが、そのくらいな損は不運と諦めて辛抱して聴いていただきたい。  昔の道徳と今の道徳と云うものの区別、それからお話をしたいと思いますが――どうも落ちついてやっていられないような気がしてたまらない。その前にちょっとこの題の説明をしますが、「道徳と文芸」とある以上、つまり文芸と道徳との関係に帰着するのだから、道徳の関係しない方面、あるいは部分の文芸と云うものはここに論ずる限りでない。したがって文芸の中でも道徳の意味を帯びた倫理的の臭味を脱却する事のできない文芸上の述作についてのお話と云ってもよし、文芸と交渉のある道徳のお話と云ってもよいのです。それでまず道徳と云うものについて昔と今の区別からお話を始めてだんだん進行する事に致します。  昔の道徳、これは無論日本での御話ですから昔の道徳といえば維新前の道徳、すなわち徳川氏時代の道徳を指すものでありますが、その昔の道徳はどんなものであるかと云うと、あなた方も御承知の通り、一口に申しますと、完全な一種の理想的の型を拵えて、その型を標準としてその型は吾人が努力の結果実現のできるものとして出立したものであります。だから忠臣でも孝子でももしくは貞女でも、ことごとく完全な模範を前へおいて、我々ごとき至らぬものも意思のいかん、努力のいかんに依っては、この模範通りの事ができるんだといったような教え方、徳義の立て方であったのです。もっとも一概に完全と云いましても、意味の取り方で、いろいろになりますけれども、ここに云うのは仏語などで使う純一無雑まず混り気のないところと見たら差支ないでしょう。例えば鉱のように種々な異分子を含んだ自然物でなくって純金と云ったように精錬した忠臣なり孝子なりを意味しております。かく完全な模型を標榜して、それに達し得る念力をもって修養の功を積むべく余儀なくされたのが昔の徳育であります。もう少し細かく申すはずですが、略してまずそのくらいにして次に移ります。  さてこういう風の倫理観や徳育がどんな影響を個人に与えどんな結果を社会に生ずるかを考えて見ますと、まず個人にあってはすでに模範が出来上りまたその模範が完全という資格を具えたものとしてあるのだから、どうしてもこの模範通りにならなければならん、完全の域に進まなければならんと云う内部の刺激やら外部の鞭撻があるから、模倣という意味は離れますまいが、その代り生活全体としては、向上の精神に富んだ気概の強い邁往の勇を鼓舞されるような一種感激性の活計を営むようになります。また社会一般から云うと、すでにこういう風な模範的な間然するところなき忠臣孝子貞女を押し立てて、それらの存在を認めるくらいだから、個人に対する一般の倫理上の要求はずいぶん苛酷なものである。また個人の過失に対しては非常に厳格な態度をもっている。少しの過ちがあっても許さない、すぐ命に関係してくる。そうでしょう、昔の人は何ぞと云うと腹を切って申訳をしたのは諸君も御承知である。今では容易に腹を切りません。これは腹を切らないですむからして切らないので、昔だって切りたい腹ではけっしてなかったんでしょう。けれども切らせられる。いわゆる詰腹で、社会の制裁が非常に悪辣苛酷なため生きて人に顔が合わされないからむやみに安く命を棄てるのでしょう。  今の人から見れば、完全かも知れないが実際あるかないか分らない理想的人物を描いて、それらの偶像に向って瞬間の絶間なく努力し感激し、発憤し、また随喜し渇仰して、そうして社会からは徳義上の弱点に対して微塵の容赦もなく厳重に取扱われて、よく人が辛抱しておったものだという疑も起るが、これにはいろいろの原因もありましょう。第一には今のように科学的の観察が行届かなかった。つまり人間はどう教育したって不完全なものであると云うことに気がつかなかった。不完全なのは、我々の心掛が至らぬからの横着に起因するのだからして、もう少し修養して黒砂糖を白砂糖に精製するような具合に向上しなければならんという考で一生懸命に努力したのである。すなわち昔の人には批判的精神が乏しかった。昔から云い伝えている孝子とか貞女とか称するものが、そっくりそのままの姿で再現できるという信念が強くて、批判的にこれらの模範を視る精神に乏しかったと云うのがおもなる原因でありましょう。一口に云えば科学と云うものがあまり開けなかったからと云ってようございます。のみならずその当時は交通が非常に不便でありまして、東京から大阪へちょっと手紙一本で呼出されて来て講演をすると云うようなことすら、できないとは限りませんが、なかなか億劫でこう手軽には行きません。来るにしても駕籠に揺られて五十三次を順々に越すのだから、たやすくは間に合いかねます。間に合わないですむとすれば、私がどんな人間であるかは、諸君に知れずにすんでしまう訳である。知られなければよほどえらい人だと思ってくれやしないかと思う。こうやって演壇に立って、フロックコートも着ず、妙な神戸辺の商館の手代が着るような背広などを着てひょこひょこしていては安っぽくていけない。ウンあんな奴かという気が起るにきまっている。が駕籠の時代ならそうまで器量を下げずにすんだかも知れない。交通の不便な昔は、山の中に仙人がいると思っておったくらいだから、江戸には漱石といって仙人ではないが、まあ仙人に近い人間がいるそうだぐらいの評判で持ち切って下されば私もはなはだ満足の至りであったろうが、今日汽車電話の世の中ではすでに仙人そのものが消滅したから、仙人に近い人間の価値も自然下落して、商館の手代そのままの風采を残念ながら諸君の御覧に入れなければならない始末になります。次に、昔は階級制度で社会が括られていたのだから、階級が違うと容易に接触すらできなくなる場合も多かった。今でも天子様などにはむやみには近づけません。私はまだ拝謁をしませんが、昔は一般から見て今の天皇陛下以上に近づきがたい階級のものがたくさんおったのです。一国の領主に言葉を交えるのすら平民には大変な異例でしょう。土下座とか云って地面へ坐って、ピタリと頭を下げて、肝腎の駕籠が通る時にはどんな顔の人がいるのかまるで物色する事ができなかった。第一駕籠の中には化物がいるのか人間がいるのかさえ分らなかったくらいのものと聞いています。してみると階級が違えば種類が違うという意味になってその極はどんな人間が世の中にあろうと不思議を挟む余地のないくらいに自他の生活に懸隔のある社会制度であった。したがって突拍子もない偉い人間すなわち模範的な忠臣孝子その他が世の中には現にいるという観念がどこかにあったに違ない。  以上の諸原因からして自然模範的の道徳を一般に強いて怪しまなかったのでありましょう。また強いられて黙っていもし、あるいは自から進んで己に強いもしたのでしょう。ところが維新以後四十四五年を経過した今日になって、この道徳の推移した経路をふり返って見ると、ちゃんと一定の方向があって、ただその方向にのみ遅疑なく流れて来たように見えるのは、社会の現象を研究する学者に取ってはなはだ興味のある事柄と云わなければなりません。しからば維新後の道徳が維新前とどういう風に違って来たかと云うと、かのピタリと理想通りに定った完全の道徳というものを人に強うる勢力がだんだん微弱になるばかりでなく、昔渇仰した理想その物がいつの間にか偶像視せられて、その代り事実と云うものを土台にしてそれから道徳を造り上げつつ今日まで進んで来たように思われる。人間は完全なものでない、初めは無論、いつまで行っても不純であると、事実の観察に本いた主義を標榜したと云っては間違になるが、自然の成行を逆に点検して四十四年の道徳界を貫いている潮流を一句につづめて見るとこの主義にほかならんように思われるから、つまりは吾々が知らず知らずの間にこの主義を実行して今日に至ったと同じ結果になったのであります。さて自然の事実をそのままに申せば、たといいかな忠臣でも孝子でも貞女でも、一方から云えばそれぞれ相当の美徳を具えているのは無論であるがこれと同時に一方ではずいぶんいかがわしい欠点をもっている。すなわち忠であり孝であり貞であると共に、不忠でもあり不孝でも不貞でもあると云う事であります。こう言葉に現わして云うと何だか非常に悪くなりますが、いかに至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑もない事実だろうと思うのです。現に私がこうやって演壇に立つのは全然諸君のために立つのである、ただ諸君のために立つのである、と救世軍のようなことを言ったって諸君は承知しないでしょう。誰のために立っているかと聞かれたら、社のために立っている、朝日新聞の広告のために立っている、あるいは夏目漱石を天下に紹介するために立っていると答えられるでしょう。それで宜しい。けっして純粋な生一本の動機からここに立って大きな声を出しているのではない。この暑さに襟のグタグタになるほど汗を垂らしてまで諸君のために有益な話をしなければ今晩眠られないというほど奇特な心掛は実のところありません。と云ったところでこう見えても、満更好意も人情も無いわがまま一方の男でもない。打ち明けたところを申せば今度の講演を私が断ったって免職になるほどの大事件ではないので、東京に寝ていて、差支があるとか健康が許さないとか何とかかとか言訳の種を拵えさえすれば、それですむのです。けれども諸君のためを思い、また社のためを思い、と云うと急に偽善めきますが、まあ義理やら好意やらを加味した動機からさっそく出て来たとすればやはり幾分か善人の面影もある。有体に白状すれば私は善人でもあり悪人でも――悪人と云うのは自分ながら少々ひどいようだが、まず善悪とも多少混った人間なる一種の代物で、砂もつき泥もつき汚ない中に金と云うものが有るか無いかぐらいに含まれているくらいのところだろうと思う。私がこういう事を平気で諸君の前で述べて、それであなた方は笑って聴いているくらいなのだから、今の人は昔に比べるとよほど倫理上の意見についても寛大になっている事が分ります。これが制裁の厳重で模範的行動を他に強いなければやまない旧幕時代であったら、こんな露骨を無遠慮にいう私はきっと社長に叱られます。もし社長が大名だったなら叱られるばかりでなく切腹を仰せつかるかも知れないところですけれど、明治四十四年の今日は社長だって黙っている。そうしてあなた方は笑っている。これほど世の中は穏かになって来たのです。倫理観の程度が低くなって来たのです。だんだん住みやすい世の中になって御互に仕合でしょう。  かく社会が倫理的動物としての吾人に対して人間らしい卑近な徳義を要求してそれで我慢するようになって、完全とか至極とか云う理想上の要求を漸次に撤回してしまった結果はどうなるかと云うと、まず従前から存在していた評価率(道徳上の)が自然の間に違ってこなければならない訳になります。世の中は恐ろしいもので、だんだんと道徳が崩れてくるとそれを評価する眼が違ってきます。昔はお辞儀の仕方が気に入らぬと刀の束へ手をかけた事もありましたろうが、今ではたとい親密な間柄でも手数のかかるような挨拶はやらないようであります。それで自他共に不愉快を感ぜずにすむところが私のいわゆる評価率の変化という意味になります。御辞儀などはほんの一例ですが、すべて倫理的意義を含む個人の行為が幾分か従前よりは自由になったため、窮屈の度が取れたため、すなわち昔のように強いて行い、無理にもなすという瘠我慢も圧迫も微弱になったため、一言にして云えば徳義上の評価がいつとなく推移したため、自分の弱点と認めるようなことを恐れもなく人に話すのみか、その弱点を行為の上に露出して我も怪しまず、人も咎めぬと云う世の中になったのであります。私は明治維新のちょうど前の年に生れた人間でありますから、今日この聴衆諸君の中に御見えになる若い方とは違って、どっちかというと中途半端の教育を受けた海陸両棲動物のような怪しげなものでありますが、私らのような年輩の過去に比べると、今の若い人はよほど自由が利いているように見えます。また社会がそれだけの自由を許しているように見えます。漢学塾へ二年でも三年でも通った経験のある我々には豪くもないのに豪そうな顔をしてみたり、性を矯めて瘠我慢を言い張って見たりする癖がよくあったものです。――今でもだいぶその気味があるかも知れませんが。――ところが今の若い人は存外淡泊で、昔のような感激性の詩趣を倫理的に発揮する事はできないかも知れないが、大体吹き抜けの空筒で何でも隠さないところがよい。これは自分を取り繕ろいたくないという結構な精神の働いている場合もありましょうし、また隠さない明けッ放しの内臓を見せても世間で別段鼻を抓んで苦い顔をするものがないからでもありましょうが、私の所へ時々若い人などが初めて訪問に来て、後から手紙などにその時の感想をありのままに書いて送ってくれる場合などでさえ思いもよらぬ告白をする事があるから面白いです。と云って大した弱点を見てくれと云わんばかりに書く訳でもないが、とにかくこっちから頼みはしないので、先方から勝手に寄こすくらいの酔興的な閑文字すなわち一種の意味における芸術品なのだから、もし我々の若い時分の気持で書くとすれば、天下の英雄君と我とのみとまで豪がらないにせよ、習俗的に高雅な観念を会釈なく文字の上に羅列して快よい一種の刺戟を自己の倫理性が受けるように詩趣を発揮するのが通例であるが、今例に引こうとする手紙などにはそんな面影はまるでない。まず門を入ったら胸騒ぎがしたとか、格子を開ける時にベルが鳴ってますます驚いたとか、頼むと案内を乞うておきながら取次に出て来た下女が不在だと言ってくれればよかったと沓脱の前で感じたとか、それが御宅ですという一言で急に帰りたい心持に変化したとか、ところへこちらへ上れとまた取次に出て来られてますます恐縮したとか、すべてそういう弱い神経作用がいささかの飾り気もなく出ている。徳義的批判を含んだ言葉で云えば臆病とか度胸がないとか云うべき弱点を自由に白状している。たかが夏目漱石の所へ来るのにこうビクビクする必要はあるまいとお思いかも知れませんが実際あるのです。しかし私はこれが今の青年だからあるのだと信じます。旧幕時代の文学のどこをどう尋ねてもこんな意味の訪問感想録はけっして見当るまいと信じます。この春でしたがある所に音楽会がありました。その時に私の知った人が演奏台に立って歌をうたいました。私は招待を受けて一番前の列の真中にいて聴いていました。ところがその歌は下手でした。私は音楽を聞く耳も何も持たない素人ではあるがその人のうたいぶりはすこぶる不味いように感じました。あとでその人に会って感じた通り不味いと云いました。ところがその音楽家はあの演奏台に立った時、自分の足がブルブル顫えるのに気が着いたかと私に聞きます。私は気が着かなかったけれども当人自身は足が顫えたと自白する。昔ならたとい足が顫えても顫えないと云い張ったでしょう。何とか負惜みでも言いたいくらいのところへ持って来て、人の気がつきもしないのに自分の口から足がガクガクしたと自白する。それだけ今の人が淡泊になったのじゃないでしょうか。またこれほど淡泊になれるだけ世間の批判が寛大になったのじゃないでしょうか。人間にそのくらいな弱点はありがちの事だとテンから認めているのじゃないでしょうか。私は昔と今と比べてどっちが善いとか悪いとかいうつもりではない、ただこれだけの区別があると申したいのであります。また過去四十何年間の道徳の傾向は明かにこういう方向に流れつつあるという事実を御認めにならん事を希望するのであります。  古今道徳の区別はこれで切上げておいて話は突然文芸の方へ移ります。もっとも文芸の方の話を詳しく云うつもりではないから、必要な説明だけに留めて、ごくざっとしたところを申しますが、近年文芸の方で浪漫主義及び自然主義すなわちロマンチシズムとナチュラリズムという二つの言葉が広く行われて参りました。そうしてこの二つの言葉は文芸界専有の術語でその他の方面には全く融通の利かないものであるかのごとく取扱われております。ところが私はこれからこの二つの言葉の意味性質を極めて簡略に述べて、そうしてそれを前申上げた昔と今の道徳に結びつけて両方を綜合して御覧に入れようと思うのです。つまり浪漫主義も自然主義も文芸家専有の言語ではないという意味が分ればその結果自然の勢いでこれらがまた前説明した二種の道徳と関係して来ると云うのであります。  この浪漫主義自然主義の文学についてちょっと申上げる前にあらかじめ諸君の御注意を煩わしておきたい事がありますが、前も御断り申したごとく今日のお話はすべて道徳と文芸との交渉関係でありますから、二種類の文学のうち(ことに浪漫主義の文学のうち)道徳の分子の交って来ないものは頭から取除けて考えていただきたい。それからよし道徳の分子が交っていても倫理的観念が何らの挑撥を受けない――否受け得べからざるていの文学もまた取り除けて考えていただきたい。それらを除いた上でこの二種類の文学を見渡して見ると浪漫主義の文学にあってはその中に出てくる人物の行為心術が我々より偉大であるとか、公明であるとか、あるいは感激性に富んでいるとかの点において、読者が倫理的に向上遷善の刺戟を受けるのがその特色になっています。この影響は昔し流行った勧善懲悪という言葉と関係はありますが、けっして同じではない。ずっと高尚の意味で云うのですから誤解のないように願います。また自然主義の文学では人間をそう伝説的の英雄の末孫か何かであるようにもったいをつけてありがたそうには書かない。したがって読者も作者も倫理上の感激には乏しい。ことによると人間の弱点だけを綴り合せたように見える作物もできるのみならず往々その弱点がわざとらしく誇張される傾きさえあるが、つまりは普通の人間をただありのままの姿に描くのであるから、道徳に関する方面の行為も疵瑕交出するということは免かれない。ただこういうあさましいところのあるのも人間本来の真相だと自分でも首肯き他にも合点させるのを特色としている。この二つの文学を詳しく説明すればそれだけで大分時間が経ちますから、まあ誰も知っているぐらいの説明で御免を蒙って、この二つの文学が前の二傾向の道徳をその作物中に反射しているということにさえ気がつけば、ここに始めて文芸と道徳とがいずれの点において関係があるかと云うことも明かになって来ようと思います。  返す返す申すようですが題がすでに文芸と道徳でありますから、道徳の関係しない文芸のことは全然論外に置いて考えないと誤解を招きやすいのであります。道徳に関係の無い文芸の御話をすれば幾らでもありますが、例えば今私がここへ立ってむずかしい顔をして諸君を眼下に見て何か話をしている最中に何かの拍子で、卑陋な御話ではあるが、大きな放屁をするとする。そうすると諸君は笑うだろうか、怒るだろうか。そこが問題なのである。と云うといかにも人を馬鹿にしたような申し分であるが、私は諸君が笑うか怒るかでこの事件を二様に解釈できると思う。まず私の考では相手が諸君のごとき日本人なら笑うだろうと思う。もっとも実際やってみなければ分らない話だからどっちでも構わんようなものだけれども、どうも諸君なら笑いそうである。これに反して相手が西洋人だと怒りそうである。どうしてこう云う結果の相違を来すかというと、それは同じ行為に対する見方が違うからだと言わなければならない。すなわち西洋人が相手の場合には私の卑陋のふるまいを一図に徳義的に解釈して不徳義――何も不徳義と云うほどの事もないでしょうが、とにかく礼を失していると見て、その方面から怒るかも知れません。ところが日本人だと存外単純に見做して、徳義的の批判を下す前にまず滑稽を感じて噴き出すだろうと思うのです。私のしかつめらしい態度と堂々たる演題とに心を傾けて、ある程度まで厳粛の気分を未来に延長しようという予期のある矢先へ、突然人前では憚るべき異な音を立てられたのでその矛盾の刺激に堪えないからです。この笑う刹那には倫理上の観念は毫も頭を擡げる余地を見出し得ない訳ですから、たとい道徳的批判を下すべき分子が混入してくる事件についても、これを徳義的に解釈しないで、徳義とはまるで関係のない滑稽とのみ見る事もできるものだと云う例証になります。けれどももし倫理的の分子が倫理的に人を刺戟するようにまたそれを無関係の他の方面にそらす事ができぬように作物中に入込んで来たならば、道徳と文芸というものは、けっして切り離す事のできないものであります。両者は元来別物であって各独立したものであるというような説も或る意味から云えば真理ではあるが、近来の日本の文士のごとく根柢のある自信も思慮もなしに道徳は文芸に不必要であるかのごとく主張するのははなはだ世人を迷わせる盲者の盲論と云わなければならない。文芸の目的が徳義心を鼓吹するのを根本義にしていない事は論理上しかるべき見解ではあるが、徳義的の批判を許すべき事件が経となり緯となりて作物中に織り込まれるならば、またその事件が徳義的平面において吾人に善悪邪正の刺戟を与えるならば、どうして両者をもって没交渉とする事ができよう。  道徳と文芸の関係は大体においてかくのごときものであるが、なお前に挙げた浪漫自然二主義についてこれらがどういう風に道徳と交渉しているかをもう少し明暸に調べてみる必要があると思います。すなわちこの二種の文学についてどこが道徳的でどこが芸術的であるかを分解比較して一々点検するのであります。こうすれば文芸と道徳の関係が一層明暸になるのみならず、また浪漫自然二文学の関係もまた一段と判然するだろうと思います。第一、浪漫派の内容から言うと、前申した通り忠臣が出て来たり、孝子が出て来たり、貞女が出て来たり、その他いろいろの人物が出て来て、すべて読者の徳性を刺激してその刺激に依って事をなす、すなわち読者を動かそうと云う方法を講じますから、その刺激を与える点は取りも直さず道義的であると同時に芸術的に違ない。(文学と云うものが感情性のものであって、吾人の感情を挑撥喚起するのがその根本義とすれば)かく浪漫派は内容の上から云って芸術的であるけれども、その内容の取扱方に至るとあるいは非芸術的かも知れません。という意味はどうもその書き方によくない目的があるらしい。こういう事件をこう写してこう感動させてやろうとかこう鼓舞してやろうとか、述作そのものに興味があるよりも、あらかじめ胸に一物があって、それを土台に人を乗せようとしたがる。どうもややともするとそこに厭味が出て来る。私が今晩こうやって演説をするにしても、私の一字一句に私と云うものがつきまつわっておってどうかして笑わせてやろう、どうかして泣かせてやろうと擽ったり辛子を甞めさせるような故意の痕跡が見え透いたら定めし御聴き辛いことで、ために芸術品として見たる私の講演は大いに価値を損ずるごとく、いかに内容が良くても、言い方、取扱い方、書き方が、読者を釣ってやろうとか、挑撥してやろうとかすべて故意の趣があれば、その故意とらしいところ不自然なところはすなわち芸術としての品位に関って来るのです。こういう欠点を芸術上には厭味といって非難するのです。これに反して自然主義から云えば道義の念に訴えて芸術上の成功を収めるのが本領でないから、作中にはずいぶん汚ない事も出て来る、鼻持のならない事も書いてある。けれどもそれが道心を沈滞せしめて向下堕落の傾向を助長する結果を生ずるならばそれは作家か読者かどっちかが悪いので、不善挑撥もまたけっしてこの種の文学の主意でない事は論理的に証明できるのである。したがって善悪両面ともに感激性の素因に乏しいという点から見て、そこが芸術的でないと難を打つ事はできる。その代りその書きぶりや事件の取扱方に至っては本来がただありのままの姿を淡泊に写すのであるから厭味に陥る事は少ない。厭味とか厭味でないとかいう事は前にも芸術上の批判であると御断りしておきましたが、これが同時に徳義上の批判にもなるからして自然主義の文芸は内容のいかんにかかわらずやはり道徳と密接な縁を引いているのであります。というのはただありのままを衒わないで真率に書くというのが厭味のない描写としての好所であるのであるが、そのありのままを衒わないで真率に書くところを芸術的に見ないで道義的に批判したらやはり正直という言葉を同じ事象に対して用いられるのだからして、芸術と道徳も非常に接続している事が分りましょう。のみならず芸術的に厭味がなく道徳的に正直であるという事がこの際同じ物を指しているばかりではなく理知の方面から見れば真という資格に相当するのだから、つまりは一つの物を人間の三大活力から分察したと異なるところはないのであります。三位一体と申してもよいでしょう。  こう分解して見ると、一見道義的で貫ぬいている浪漫派の作物に存外不徳義の分子が発見されたり、またちょっと考えると徳義の方面に何らの注意を払わない自然派の流を汲んだものに妙に倫理上の佳所があったり、そうしてその道義的であるや否やが一にその芸術的であるや否やで決せられるのだから、二者の関係は一層明暸になって来た訳であります。また浪漫、自然と名づけられる二種の文芸上の作物中にこの道徳の分子がいかに織り込まれるかもたいてい説明し得たつもりであります。  なお余論として以上二種の文芸の特性についてちょっと比較してみますと、浪漫派は人の気を引立てるような感激性の分子に富んでいるには違ないが、どうも現世現在を飛び離れているの憾みを免かれない。妄りに理想界の出来事を点綴したような傾があるかも知れない。よしその理想が実現できるにしてもこれを未来に待たなければならない訳であるから、書いてある事自身は道義心の飽満悦楽を買うに十分であるとするも、その実己には切実の感を与え悪いものである。これに反して自然主義の文芸には、いかに倫理上の弱点が書いてあっても、その弱点はすなわち作者読者共通の弱点である場合が多いので、必竟ずるに自分を離れたものでないという意味から、汚い事でも何でも切実に感ずるのは吾人の親しく経験するところであります。今一つ注意すべきことは、普通一般の人間は平生何も事の無い時に、たいてい浪漫派でありながら、いざとなると十人が十人まで皆自然主義に変ずると云う事実であります。という意味は傍観者である間は、他に対する道義上の要求がずいぶんと高いものなので、ちょっとした紛紜でも過失でも局外から評する場合には大変苛い。すなわちおれが彼の地位にいたらこんな失体は演じまいと云う己を高く見積る浪漫的な考がどこかに潜んでいるのであります。さて自分がその局に当ってやって見ると、かえって自分の見縊った先任者よりも烈しい過失を犯しかねないのだから、その時その場合に臨むと本来の弱点だらけの自己が遠慮なく露出されて、自然主義でどこまでも押して行かなければやりきれないのであります。だから私は実行者は自然派で批評家は浪漫派だと申したいぐらいに考えています。次に御話したいのは先年来自然主義をある一部の人が唱え出して以後世間一般ではひどくこれを嫌ってはては自然主義といえば堕落とか猥褻とかいうものの代名詞のようになってしまいました。しかし何もそう恐れたり嫌ったりする必要は毫もないので、その結果の健全な方も少しは見なければなりません。元来自分と同じような弱点が作物の中に書いてあって、己と同じような人物がそこに現われているとすれば、その弱点を有する人間に対する同情の念は自然起るべきはずであります。また自分もいつこういう過失を犯さぬとも限らぬと云う寂寞の感も同時にこれに伴うでしょう。己惚の面を剥ぎ取って真直な腰を低くするのはむしろそういう文学の影響と言わなければなりません。もし自然派の作物でありながらこういう健全な目的を達することができなければ、それこそ作物自身が悪いのであると云わなければならない。悪いという意味は作物が出来損っているのです、どこか欠点があると云うのです。前説明した言葉を用いて評すれば、そういう作物にはどこか不道徳の分子がある、すなわちどこか非芸術のところがある、すなわちどこか偽りを書いているのだという事に帰着するのです。ありのままの本当をありのままに書く正直という美徳があればそれが自然と芸術的になり、その芸術的の筆がまた自然善い感化を人に与えるのは前段の分解的記述によってもう御会得になった事と思います。自然主義に道義の分子があるという事はあまり人の口にしないところですからわざわざ長々と弁じました。もっともただ新らしい私の考だから御吹聴をするという次第ではありません。御承知の通り演題が「文芸と道徳」というのですから特にこの点に注意を払う必要があったのです。  これで浪漫主義の文学と自然主義の文学とが等しく道徳に関係があって、そうしてこの二種の文学が、冒頭に述べた明治以前の道徳と明治以後の道徳とをちゃんと反射している事が明暸になりましたから、我々はこの二つの舶来語を文学から切り離して、直に道徳の形容詞として用い、浪漫的道徳及び自然主義的道徳という言葉を使って差支ないでしょう。  そこで私は明治以前の道徳をロマンチックの道徳と呼び明治以後の道徳をナチュラリスチックの道徳と名づけますが、さて吾々が眼前にこの二大区別を控えて向後我邦の道徳はどんな傾向を帯びて発展するだろうかの問題に移るならば私は下のごとくあえて云いたい。「ロマンチックの道徳は大体において過ぎ去ったものである」あなた方がなぜかと詰問なさるならば人間の智識がそれだけ進んだからとただ一言答えるだけである。人間の智識がそれだけ進んだ。進んだに違ない。元は真しやかに見えたものが、今はどう考えても真とは見えない。嘘としか思われないからである。したがって実在の権威を失ってしまうからである。単に実在の権威を失うのみならず、実行の権利すら失ってしまうのである。人間の智識が発達すれば昔のようにロマンチックな道徳を人に強いても、人は誰も躬行するものではない。できない相談だという事がよく分って来るからである。これだけでもロマンチックの道徳はすでに廃れたと云わなければならない。その上今日のように世の中が複雑になって、教育を受ける者が皆第一に自治の手段を目的とするならば、天下国家はあまり遠過ぎて直接に我々の眸には映りにくくなる。豆腐屋が豆を潰したり、呉服屋が尺を度ったりする意味で我々も職業に従事する。上下挙って奔走に衣食するようになれば経世利民仁義慈悲の念は次第に自家活計の工夫と両立しがたくなる。よしその局に当る人があっても単に職業として義務心から公共のために画策遂行するに過ぎなくなる。しかのみならず日露戦争も無事に済んで日本も当分はまず安泰の地位に置かれるような結果として、天下国家を憂としないでも、その暇に自分の嗜欲を満足する計をめぐらしても差支ない時代になっている。それやこれやの影響から吾々は日に月に個人主義の立場からして世の中を見渡すようになっている。したがって吾々の道徳も自然個人を本位として組み立てられるようになっている。すなわち自我からして道徳律を割り出そうと試みるようになっている。これが現代日本の大勢だとすればロマンチックの道徳換言すれば我が利益のすべてを犠牲に供して他のために行動せねば不徳義であると主張するようなアルトルイスチック一方の見解はどうしても空疎になってこなければならない。昔の道徳すなわち忠とか孝とか貞とかい字を吟味してみると、当時の社会制度にあって絶対の権利を有しておった片方にのみ非常に都合の好いような義務の負担に過ぎないのであります。親の勢が非常に強いとどうしても孝を強いられる。強いられるとは常人として無理をせずに自己本来の情愛だけでは堪えられない過重の分量を要求されるという意味であります。独り孝ばかりではない、忠でも貞でもまた同様の観があります。何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観察が進んでその偽りに気がつくと同時に、権威ある道徳律として存在できなくなるのはやむをえない上に、社会組織がだんだん変化して余儀なく個人主義が発展の歩武を進めてくるならばなおさら打撃を蒙るのは明かであります。  こういうと何だか現在に甘んずる成行主義のように御取りになるかも知れないが、そう誤解されては遺憾なので、私は近時の或人のように理想は要らないとか理想は役に立たないとか主張する考は毛頭ないのです。私はどんな社会でも理想なしに生存する社会は想像し得られないとまで信じているのです。現に我々は毎日或る理想、その理想は低くもあり小くもありましょう、がとにかく或る理想を頭の中に描き出して、そうしてそれを明日実現しようと努力しつつまた実現しつつ生きて行くのだと評しても差支ないのです。人間の歴史は今日の不満足を次日物足りるように改造し次日の不平をまたその翌日柔らげて、今日までつづいて来たのだから、一方から云えばまさしくこれ理想発現の経路に過ぎんのであります。いやしくも理想を排斥しては自己の生活を否定するのと同様の矛盾に陥りますから、私はけっしてそう云う方面の論者として諸君に誤解されたくない。ただ私の御注意申し上げたいのは輓近科学上の発見と、科学の進歩に伴って起る周密公平の観察のために道徳界における吾々の理想が昔に比べると低くなった、あるいは狭くなったというだけに過ぎない。だから昔のような理想の持ち方立て方も結構であるかも知れぬが、また我々も昔のようなロマンチシストでありたいが、周囲の社会組織と内部の科学的精神にもまた相当の権利を持たせなければ順応調節の生活ができにくくなるので、自然ナチュラリスチックの傾向を帯びるべく余儀なくされるのである。けれども自然主義の道徳と云うものは、人間の自由を重んじ過ぎて好きな真似をさせるという虞がある。本来が自己本位であるから、個人の行動が放縦不羈になればなるほど、個人としては自由の悦楽を味い得る満足があると共に、社会の一人としてはいつも不安の眼をって他を眺めなければならなくなる、或る時は恐ろしくなる。その結果一部的の反動としては、浪漫的の道徳がこれから起らなければならないのであります。現に今小さい波動として、それが起りつつあるかも知れません。けれども要するに小波瀾の曲折を描く一部分に過ぎないので大体の傾向から云えばどうしても自然主義の道徳がまだまだ展開して行くように思われます。以上を総括して今後の日本人にはどう云う資格が最も望ましいかと判じてみると、実現のできる程度の理想を懐いて、ここに未来の隣人同胞との調和を求め、また従来の弱点を寛容する同情心を持して現在の個人に対する接触面の融合剤とするような心掛――これが大切だろうと思われるのです。  今日の有様では道徳と文芸と云うものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは文芸を談ずるを屑しとせず、また文芸に従事するものは道徳以外の別天地に起臥しているように独りぎめで悟っているごとく見受けますが、蓋し両方とも嘘である。その嘘である理由は今までやって来た分解で御合点が行ったはずであります。もっとも社会と云うものはいつでも一元では満足しない。物は極まれば通ずとかいう諺の通り、浪漫主義の道徳が行きづまれば自然主義の道徳がだんだん頭を擡げ、また自然主義の道徳の弊が顕著になって人心がようやく厭気に襲われるとまた浪漫主義の道徳が反動として起るのは当然の理であります。歴史は過去を繰返すと云うのはここの事にほかならんのですが、厳密な意味でいうと、学理的に考えてもまた実際に徴してみても、一遍過ぎ去ったものはけっして繰返されないのです。繰返されるように見えるのは素人だからである。だから今もし小波瀾としてこの自然主義の道徳に反抗して起るものがあるならば、それは浪漫派に違いないが、維新前の浪漫派が再び勃興する事はとうてい困難である、また駄目である。同じ浪漫派にしても我々現在生活の陥欠を補う新らしい意義を帯びた一種の浪漫的道徳でなければなりません。  道徳における向後の大勢及び局部の波瀾として目前に起るべき小反動は要するにかくのごとき性質のものであって、道徳と文芸との密接なる関係もまた上説のごとしとすれば、これからわが社会の要する文芸というものもまた同じ方向に同じ意味において発展しなければならないのも、また多言を要せずして明かな話であります。もし活社会の要する道徳に反対した文芸が存在するならば……存在するならばではない、そんなものは死文芸としてよりほかに存在はできないものである、枯れてしまわなければならないのである。人工的に幾ら声を嗄らして天下に呼号してもほとんど無益かと考えます。社会が文芸を生むか、または文芸に生まれるかどっちかはしばらく措いて、いやしくも社会の道徳と切っても切れない縁で結びつけられている以上、倫理面に活動するていの文芸はけっして吾人内心の欲する道徳と乖離して栄える訳がない。  我々人間としてこの世に存在する以上どうもがいても道徳を離れて倫理界の外に超然と生息する訳には行かない。道徳を離れることができなければ、一見道徳とは没交渉に見える浪漫主義や自然主義の解釈も一考して見る価値がある。この二つの言葉は文学者の専有物ではなくって、あなた方と切り離し得べからざる道徳の形容詞としてすぐ応用ができるというのが私の意見で、なぜそう応用ができるかという訳と、かく応用された言葉の表現する道徳が日本の過去現在に興味ある陰影を投げているという事と、それからその陰影がどういう具合に未来に放射されるであろうかという予想と――まずこれらが私の演題の主眼な点なのであります。 ――明治四十四年八月大阪において述―― 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 ※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年12月23日公開 2004年2月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 道楽と職業 道楽と職業 夏目漱石  ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。そこで牧君の披露に依ると、そのあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになっているが、なかなか牧君のように旨くできませぬ。ことに秩序が無かろうと思う。ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概を二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断ったくらいです。それじゃアしゃべらないかというと、現にこうやってしゃべりつつある。しゃべる事はあるのですが、秩序とか何とかいう事が、ハッキリ句切りがついて頭に畳み込んでありませぬから、あるいは前後したり、混雑したり、いろいろお聴きにくいところがあるだろうと思います。ことにあなた方の頭も大分労れておいででしょうから、まずなるべく短かく申そうと思う。  私の申すのは少しもむずかしいことではありません。満洲とか安南とかいう対外問題とは違って極やさしい「道楽と職業」という至極簡単なみだしです。内容も従って簡単なものであります。まあそれをちょっとわずかばかり御話をしようと思う。  元来こんな所へ来て講演をしようなどとは全く思いもよらぬことでありましたが、「是非出て来い」とこういう訳で、それでは何か問題を考えなければならぬからその問題を考える時間を与えてくれと言いましたら、社の方では宜しいと云って相応の日子を与えてくれました。ですから考えて来ないということも言えず、出て来ないということも無論言えず、それでとうとうここへ現われる事になりました。けれども明石という所は、海水浴をやる土地とは知っていましたが、演説をやる所とは、昨夜到着するまでも知りませんでした。どうしてああいう所で講演会を開くつもりか、ちょっとその意を得るに苦しんだくらいであります。ところが来て見ると非常に大きな建物があって、あそこで講演をやるのだと人から教えられて始めてもっともだと思いました。なるほどあれほどの建物を造ればその中で講演をする人をどこからか呼ばなければいわゆる宝の持腐れになるばかりでありましょう。したがって西日がカンカン照って暑くはあるが、せっかくの建物に対しても、あなた方は来て見る必要があり、また我々は講演をする義務があるとでも言おうか、まアあるものとしてこの壇上に立った訳である。  そこで「道楽と職業」という題。道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業、それを形容して道楽という。けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない、もう少し広く応用の利く道楽である。善い意味、善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行く中に分るだろうと思う。もし使えなかったら悪い意味にすればそれでよいのであります。  道楽と職業、一方に道楽という字を置いて、一方に職業という字を置いたのは、ちょうど東と西というようなもので、南北あるいは水火、つまり道楽と職業が相闘うところを話そうと、こういう訳である。すなわち道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているかということをまず話して――もっともその道楽も職業も、すでに御承知のあなた方にそういう事を言う必要もなし、私も強いてやりたくはないが、しかし前申したような訳でわざわざ出て来たものだから、そこはあなた方にすでに御分りになっている程度以上に、一歩でももう少し明かに分らせることが、私の力でできればそれで私の役目は済んだものと内々たかを括っているのであります。  それで我々は一口によく職業と云いますが、私この間も人に話したのですが、日本に今職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数に殖えているかということを知っている人は、おそらく無いだろうと思う。現今の世の中では職業の数は煩雑になっている。私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。建議しやしませぬが、ただ考えたことがあるのです。なぜだというと、多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。二日遊ばせておけば二日の損である。ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。国家社会もそれだけ利益を受ける。それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。あまりどころかなかなか無い。今言う通り天下に職業の種類が何百種何千種あるか分らないくらい分布配列されているにかかわらず、どこへでも融通が利くべきはずの秀才が懸命に馳け廻っているにもかかわらず、自分の生命を託すべき職業がなかなか無い。三箇月も四箇月も遊んでいる人があるのでこれは気の毒だと思うと、豈計らんやすでに一年も二年もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく暮しているものがある。現に私の知っている者のうちで、一年以上も下宿に立て籠って、いまだに下宿料を一文も払わないで茫然としている男がある。もっとも下宿の方でも信用しているから貸しておくし、当人もどうかなるだろうと思って安心はしているらしいが国家の経済からいうとずいぶん馬鹿気た話であります。私も多少知っている間柄だから気の毒に思って、職業は無いか職業は無いかぐらい人に尋ねて見るが、どこにもそう云う口が転がっていないので残念ながらまだそのままになっています。けれども今言う通り職業の種類が何百通りもあるのだから、理窟から云えばどこかへぶつかってしかるべきはずだと思うのです。ちょうど嫁を貰うようなもので自分の嫁はどこかにあるにきまってるし、また向うでも捜しているのは明らかな話しだが、つい旨く行かないといつまでも結婚が後れてしまう。それと同じでいくら秀才でも職業にぶつからなければしようがないのでしょう。だから大学に職業学という講座があって、職業は学理的にどういうように発展するものである。またどういう時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て来るものである。と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分ってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰も一目の下に暸然会得できるような仕かけにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないかと思う。まあこれは空想です。実際やって見ないから分らぬが、恐らくできますまい。できたらよかろうと思うだけです。非常に経済なことにはなるでしょう。  こんな考を起すほどに私は今の日本に職業が非常にたくさんあるし、またその職業が混乱錯雑しているように思うのです。現にこの間も往来を通ったら妙な商売がありました。それは家とか土蔵とかを引きずって行くという商売なんだから私は驚いたのであります。この公会堂をこのまま他の場所へ持って行くという商売です。いくら東京に市区改正が激しく行われたって、そう毎年建てたばかりの家の位置を動かさなければならぬというように変化していやアしない。現に私の家などは建った時から今日まで市区改正に掛らずにいる。よほど辺鄙な所にあるのだからでしょう。けれどもたとい繁華な所にいたって、そう始終家を引ッ張ッてッて貰わなければならぬという人はない。しかるにそれを専門に商売にしている者があるから、東京は広いと思ったのです。馬琴の小説には耳の垢取り長官とか云う人がいますが、他の耳垢を取る事を職業にでもしていたのでしょうか。西洋には爪を綺麗に掃除したり恰好をよくするという商売があります。近頃日本でも美顔術といって顔の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹して見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。今日のように職業が芋の蔓みたようにそれからそれへと延びて行っていろいろ種類が殖えなければ、美顔術などという細かな商売は存在ができなかろうと思う。もっとも昔はかえって今にない商売がありました。私の幼少の時は「柳の虫や赤蛙」などと云って売りに来た。何にしたものか今はただ売声だけ覚えています。それから「いたずらものはいないかな」と云って、旗を担いで往来を歩いて来たのもありました。子供の時分ですからその声を聞くと、ホラ来たと云って逃げたものである。よくよく聞いて見ると鼠取りの薬を売りに来たのだそうです。鼠のいたずらもので人間のいたずらものではないというのでやっと安心したくらいのものである。そんな妙な商売は近頃とんと無くなりましたが、締括った総体の高から云えば、どうも今日の方が職業というものはよほど多いだろうと思う。単に職業に変化があるばかりでなく、細かくなっている。現に唐物屋というものはこの間まで何でも売っていた。襟とか襟飾りとかあるいはズボン下、靴足袋、傘、靴、たいていなものがありました。身体へつけるいっさいの舶来品を売っていたと云っても差支ない。ところが近頃になるとそれが変ってシャツ屋はシャツ屋の専門ができる、傘屋は傘屋、靴屋は靴屋とちゃんと分れてしまいました。靴足袋屋……これはまだ専門はできないようだが、今にできるだろうと思います。現に日本の足袋屋は専門になっています。十文のをくれと云えば十文のをくれる、十一文のをくれろと云えば十一文のをくれる。私が演説を頼まれて即席に引受けないのは、足袋屋みたいにちょっと出来合いがないからです。どうか十文の講演をやってくれ、あそこは十一文甲高の講演でなければ困るなどと注文される。そのくらいに私が演説の専門家になっていれば訳はありませんが私の御手際はそれほど専門的に発達していない。素人が義理に東京からわざわざ明石辺までやって来るというくらいの話でありますから、なかなかそう旨くはいきませぬ。足袋屋はさておいて食物屋の方でもチャンとした専門家があります。例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりの家があるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。あるいはそれが一段細かくなって家鴨よりほかに食わせない店もある。しまいには鳥の爪だけ食わせる所とか牛の肝臓だけ料理する家ができるかも知れない。分れて行けばどこまで行くか分りません。こんなに劇しい世間だからしまいには大変なことになるだろうと思う。とにかく職業は開化が進むにつれて非常に多くなっていることが驚くばかり眼につくようです。ところがこれは当り前のことで学問の研究の上から世の中の変化とでも云いましょうか、漠然たる社会の傾向とでも云いましょうか、必然の勢そういうように割れて細かになって来るのであります。これは何も私の発明した事実でも何でもない、昔から人の言っていることであります。昔の職業というものは大まかで、何でも含んでいる。ちょうど田舎の呉服屋みたいに、反物を売っているかと思うと傘を売っておったり油も売るという、何屋だか分らぬ万事いっさいを売る家というようなものであったのが、だんだん専門的に傾いていろいろに分れる末はほとんど想像がつかないところまで細かに延びて行くのが一般の有様と行って差支ないでしょう。  ところでこの事実をずっと想像に訴えて遠い過去に溯ったらどうなるでしょう。あるいは想像でも溯れないかも知れないけれども、この事実の中に含まれている論理の力で後ろの方へ逆行したらどんなものでしょう。今言う通り昔は商売というものの数が少なかった。職業の数が少なくって、世間の人もそのわずかな商売をもって満足しておったという訳なのだから、あるいは傘を買いに行っても傘がない、衣物を買いに行っても衣物がないという時代がないとも限らない。私はかつて熊本におりましたが、或る時灰吹を買いに行ったことがある。ところが灰吹はないと云う。熊本中どこを尋ねても無いかと云ったら無いだろうと云う。じゃ熊本では煙草を喫まないか痰を吐かないかというと現に煙草を喫んでいる。それでは灰吹はどうするんだと聞くと、裏の藪へ行って竹を伐って来て拵えるんだと教えてくれました。裏の藪から伐って来て、青竹の灰吹で間に合わしておけばよいと思っているところでは灰吹は売れない訳である。したがって売っているはずがないのである。そういう風に自分で人の厄介にならずに裏の藪へ行って竹を伐って灰吹を造るごとく、人のお世話にならないで自分の身の囲りをなるべく多く足す、また足さなければならない時代があったものでしょう。さてその事実を極端まで辿って行くと、いっさい万事自分の生活に関した事は衣食住ともいかなる方面にせよ人のお蔭を被らないで、自分だけで用を弁じておった時期があり得るという推測になる。人間がたった一人で世の中に存在しているということは、ほとんど想像もできないかも知れないし、またそこまで論理を頼りに推詰めて考える必要もない話ですが、そこまで行かないとちょっと講話にならないから、まあそうしておくのです。すなわち誰のお世話にもならないで人間が存在していたという時代を思い浮べて見る。例えば私がこの着物を自分で織って、この襟を自分で拵えて、総て自分だけで用を弁じて、何も人のお世話にならないという時期があったとする。また有ったとしてもよいでしょう。そういう時期が何時かあったらどうするという意味ではないが、まああると仮定して御覧なさい。そうしたらそういう時期こそ本当の独立独行という言葉の適当に使える時期じゃないでしょうか。人から月給を貰う心配もなければ朝起きて人にお早うと言わなければ機嫌が悪いという苦労もない。生活上寸毫も人の厄介にならずに暮して行くのだから平気なものである。人にすくなくとも迷惑をかけないし、また人にいささかの恩義も受けないで済むのだから、これほど都合の好いことはない。そういう人が本当の意味で独立した人間といわなければならないでしょう。実際我々は時勢の必要上そうは行かないようなものの腹の中では人の世話にならないでどこまでも一本立でやって行きたいと思っているのだからつまりはこんな太古の人を一面には理想として生きているのである。けれども事実やむをえない、仕方がないからまず衣物を着る時には呉服屋の厄介になり、お菜を拵える時には豆腐屋の厄介になる。米も自分で搗くよりも人の搗いたのを買うということになる。その代りに自分は自分で米を搗き自分で着物を織ると同程度の或る専門的の事を人に向ってしつつあるという訳になる。私はいまだかつて衣物を織ったこともなければ、靴足袋を縫ったこともないけれども、自ら縫わぬ靴足袋、あるいは自ら織らぬ衣物の代りに、新聞へ下らぬ事を書くとか、あるいはこういう所へ出て来てお話をするとかして埋合せをつけているのです。私ばかりじゃない、誰でもそうです。するとこの一歩専門的になるというのはほかの意味でも何でもない、すなわち自分の力に余りある所、すなわち人よりも自分が一段と抽んでている点に向って人よりも仕事を一倍にして、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を持続するという事に帰着する訳であります。それを極むずかしい形式に現わすというと、自分のためにする事はすなわち人のためにすることだという哲理をほのめかしたような文句になる。これでもまだちょっと分らないなら、それをもっと数学的に言い現わしますと、己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つのであります。人のためにする分量すなわち己のためにする分量であるから、人のためにする分量が少なければ少ないほど自分のためにはならない結果を生ずるのは自然の理であります。これに反して人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明かな因縁であります。この関係を最も簡単にかつ明暸に現わしているのは金ですな。つまり私が月給を拾五円なら拾五円取ると、拾五円方人のために尽しているという訳で取りも直さずその拾五円が私の人に対して為し得る仕事の分量を示す符丁になっています。拾五円方人に対する労力を費す、そうして拾五円現金で入ればすなわちその拾五円は己のためになる拾五円に過ぎない。同じ訳で人のためにも千円の働きができれば、己のために千円使うことができるのだから誠に結構なことで、諸君もなるべく精出して人のためにお働きになればなるほど、自分にもますます贅沢のできる余裕を御作りになると変りはないから、なるべく人のために働く分別をなさるが宜しかろうと思う。  もっとも自分のためになると云ってもためになり方はいろいろある。第一その中から税などを払わなければならない。税を出して人に月給をやったり、巡査を雇っておいたり、あるいは国務大臣を馬車に乗せてやったりする。もっとも一人じゃアこれだけの事はできませぬ、我々大勢で金を出してやるのですが、畢竟ずるにあの税などもやはり自分のために出すのです。国務大臣が馬車や自動車に乗って怪しからんと言ったってそれは野暮の云う事です。我々が税を出して乗らしておいてやるので国務大臣のためじゃない、つまり己のためだと思えば間違はない。だから時々自動車ぐらい借りに行ってもよかろうと思う。税はそのくらいにしてこのほか己のためにするものは衣食住と他の贅沢費になります。それを合算すると、つまり銀行の帳簿のように収入と支出と平均します。すなわち人のためにする仕事の分量は取りも直さず己のためにする仕事の分量という方程式がちゃんと数字の上に現われて参ります。もっとも吝で蓄めている奴があるかも知れないが、これは例外である。例外であるが蓄めていればそれだけの労力というものを後へ繰越すのだから、やはり同じ理窟になります。よくあいつは遊んでいて憎らしいとかまたはごろごろしていて羨ましいとか金持の評判をするようですが、そもそも人間は遊んでいて食える訳のものではない。遊んでいるように見えるのは懐にある金が働いてくれているからのことで、その金というものは人のためにする事なしにただ遊んでいてできたものではない。親父が額に汗を出した記念だとかあるいは婆さんの臍繰だとか中には因縁付きの悪い金もありましょうけれども、とにかく何らか人のためにした符徴、人のためにしてやったその報酬というものが、つまり自分の金になって、そうして自分はそのお蔭でもって懐手をして遊んでいられるという訳でしょう。職業の性質というものはまあざっとこんなものです。  そこでネ、人のためにするという意味を間違えてはいけませんよ。人を教育するとか導くとか精神的にまた道義的に働きかけてその人のためになるという事だと解釈されるとちょっと困るのです。人のためにというのは、人の言うがままにとか、欲するがままにといういわゆる卑俗の意味で、もっと手短かに述べれば人の御機嫌を取ればというくらいの事に過ぎんのです。人にお世辞を使えばと云い変えても差支ないくらいのものです。だから御覧なさい。世の中には徳義的に観察するとずいぶん怪しからぬと思うような職業がありましょう。しかもその怪しからぬと思うような職業を渡世にしている奴は我々よりはよっぽどえらい生活をしているのがあります。しかし一面から云えば怪しからぬにせよ、道徳問題として見れば不埒にもせよ、事実の上から云えば最も人のためになることをしているから、それがまた最も己のためになって、最も贅沢を極めていると言わなければならぬのです。道徳問題じゃない、事実問題である。現に芸妓というようなものは、私はあまり関係しないからして精しいことは知らんけれどもとにかく一流の芸妓とか何とかなるとちょっと指環を買うのでも千円とか五百円という高価なものの中から撰取をして余裕があるように見える。私は今ここにニッケルの時計しか持っておらぬ。高尚な意味で云ったら芸妓よりも私の方が人のためにする事が多くはないだろうかという疑もあるが、どうも芸妓ほど人の気に入らない事もまたたしからしい。つまり芸妓は有徳な人だからああ云う贅沢ができる、いくら学問があっても徳の無い人間、人に好かれない人間というものは、ニッケルの時計ぐらい持って我慢しているよりほか仕方がないという結論に落ちて来る。だから私のいう人のためにするという意味は、一般の人の弱点嗜好に投ずると云う大きな意味で、小さい道徳――道徳は小さくありませぬが、まず事実の一部分に過ぎないのだから小さいと云っても差支ないでしょう。そう云う高尚ではあるが偏狭な意味で人のためにするというのではなく、天然の事実そのものを引きくるめて何でもかでも人に歓迎されるという意味の「ためにする」仕事を指したのであります。  そこで職業上における己のため人のためと云う事は以上のように御記憶を願っておいて、話がまた後戻りをする恐れがあるかも知れないが、前申した通り人文発達の順序として職業が大変割れて細かくなると妙な結果を我々に与えるものだからその結果を一口御話をして、そうして先へ進みたいと思います。私の見るところによると職業の分化錯綜から我々の受ける影響は種々ありましょうが、そのうちに見逃す事のできない一種妙な者があります。というのはほかでもないが開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪な人間になってしまうという妙な現象が起るのであります。言い換えると自分の商売がしだいに専門的に傾いてくる上に、生存競争のために、人一倍の仕事で済んだものが二倍三倍乃至四倍とだんだん速力を早めておいつかなければならないから、その方だけに時間と根気を費しがちであると同時に、お隣りの事や一軒おいたお隣りの事が皆目分らなくなってしまうのであります。こういうように人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云えば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支ないのであります。極の野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纏うものを捜し出し、自分で井戸を掘って水を飲み、また自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに我慢をしていれば、それこそ万事人に待つところなき点において、また生活上の知識をいっさい自分に備えたる点において完全な人間と云わなければなりますまい。ところが今の社会では人のお世話にならないで、一人前に暮らしているものはどこをどう尋ねたって一人もない。この意味からして皆不完全なものばかりである。のみならず自分の専門は、日に月に、年には無論のこと、ただ狭く細くなって行きさえすればそれですむのである。ちょうど針で掘抜井戸を作るとでも形容してしかるべき有様になって行くばかりです。何商売を例に取っても説明はできますが、この状態を最もよく証明しているものは専門学者などだろうと思います。昔の学者はすべての知識を自分一人で背負って立ったように見えますが、今の学者は自分の研究以外には何も知らない私が前申した意味の不具が揃っているのであります。私のような者でも世間ではたまに学者扱にしてくれますが、そうするとやっぱり不具の一人であります。なるほど私などは不具に違ない、どうもすくなくとも普通のことを知らない。区役所へ出す転居届の書き方も分らなければ、地面を売るにはどんな手続をしていいかさえ分らない。綿は綿の木のどんな所をどうして拵えるかも解し得ない。玉子豆腐はどうしてできるかこれまた不明である。食うことは知っているが拵える事は全く知らない。その他味淋にしろ、醤油にしろ、なんにしろかにしろすべて知らないことだらけである。知識の上において非常な不具と云わなければなりますまい。けれどもすべてを知らない代りに一カ所か二カ所人より知っていることがある。そうして生活の時間をただその方面にばかり使ったものだから、完全な人間をますます遠ざかって、実に突飛なものになり終せてしまいました。私ばかりではない、かの博士とか何とか云うものも同様であります。あなた方は博士と云うと諸事万端人間いっさい天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるのです。それだから私は博士を断りました。しかしあなた方は――手を叩いたって駄目です。現に博士という名にごまかされているのだから駄目です。例えば明石なら明石に医学博士が開業する、片方に医学士があるとする。そうすると医学博士の方へ行くでしょう。いくら手を叩いたって仕方がない、ごまかされるのです。内情を御話すれば博士の研究の多くは針の先きで井戸を掘るような仕事をするのです。深いことは深い。掘抜きだから深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い。それを世間ではすべての方面に深い研究を積んだもの、全体の知識が万遍なく行き渡っていると誤解して信用をおきすぎるのです。現に博士論文と云うのを見ると存外細かな題目を捕えて、自分以外には興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思われます。ところが世間に向ってはただ医学博士、文学博士、法学博士として通っているからあたかも総ての知識をもっているかのように解釈される。あれは文部省が悪いのかも知れない。虎列剌病博士とか腸窒扶斯博士とか赤痢博士とかもっと判然と領分を明らかにした方が善くはないかと思う。肺病患者が赤痢の論文を出して博士になった医者の所へ行ったって差支はないが、その人に博士たる名誉を与えたのは肺病とは没交渉の赤痢であって見れば、単に博士の名で肺病を担ぎ込んでは勘違になるかも知れない。博士の事はそのくらいにしてただ以上をかい撮んで云うと、吾人は開化の潮流に押し流されて日に日に不具になりつつあるということだけは確かでしょう。それをほかの言葉でいうと自分一人ではとても生きていられない人間になりつつあるのである。自分の専門にしていることにかけては、不具的に非常に深いかも知れぬが、その代り一般的の事物については、大変に知識が欠乏した妙な変人ばかりできつつあるという意味です。  私は職業上己のためとか人のためとか云う言葉から出立してその先へ進むはずのところをツイわき道へそれて職業上の片輪という事を御話しし出したから、ついでにその片輪の所置について一言申上げて、また己のため人のための本論に立ち帰りたい。順序の乱れるのは口に駆られる講演の常として御許しを願います。  そこで世の中では――ことに昔の道徳観や昔堅気の親の意見やまたは一般世間の信用などから云いますと、あの人は家業に精を出す、感心だと云って賞めそやします。いわゆる家業に精を出す感心な人というのは取も直さず真黒になって働いている一般的の知識の欠乏した人間に過ぎないのだから面白い。露骨に云えば自ら進んで不具になるような人間を世の中では賞めているのです。それはとにかくとして現今のように各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら、その実銘々孤立して山の中に立て籠っていると一般で、隣り合せに居を卜していながら心は天涯にかけ離れて暮しているとでも評するよりほかに仕方がない有様に陥って来ます。これでは相互を了解する知識も同情も起りようがなく、せっかくかたまって生きていても内部の生活はむしろバラバラで何の連鎖もない。ちょうど乾涸びた糒のようなもので一粒一粒に孤立しているのだから根ッから面白くないでしょう。人間の職業が専門的になってまた各々自分の専門に頭を突込んで少しでも外面を見渡す余裕がなくなると当面の事以外は何も分らなくなる。また分らせようという興味も出て来にくい。それで差支ないと云えばそれまでであるが、現に家業にはいくら精通してもまたいくら勉強してもそればかりじゃどこか不足な訴が内部から萌して来て何となく充分に人間的な心持が味えないのだからやむをえない。したがってこの孤立支離の弊を何とかして矯めなければならなくなる。それを矯める方法を御話しするためにわざわざこの壇上に現われたのではないから詳しい事は述べませんが、また述べるにしたところで大体はすでに諸君も御承知の事であるが、まあ物のついでだから一言それに触れておきましょう。すでに個々介立の弊が相互の知識の欠乏と同情の稀薄から起ったとすれば、我々は自分の家業商売に逐われて日もまた足らぬ時間しかもたない身分であるにもかかわらず、その乏しい余裕を割いて一般の人間を広く了解しまたこれに同情し得る程度に互の温味を醸す法を講じなければならない。それにはこういう公会堂のようなものを作って時々講演者などを聘して知識上の啓発をはかるのも便法でありますし、またそう知的の方面ばかりでは窮屈すぎるから、いわゆる社交機関を利用して、互の歓情をすのも良法でありましょう。時としては方便の道具として酒や女を用いても好いくらいのものでしょう。実業家などがむずかしい相談をするのにかえって見当違の待合などで落合って要領を得ているのも、全く酒色という人間の窮屈を融かし合う機械の具った場所で、その影響の下に、角の取れた同情のある人間らしい心持で相互に所置ができるからだろうと思います。現に事が纏るという実用上の言葉が人間として彼我打ち解けた非実用の快感状態から出立しなければならないのでも分りましょう。こういうと私が酒や女をむやみに推薦するようでちょっとおかしいが、私の申上げる主意はたとい弊害の多い酒や女や待合などが交際の機関として上流の人に用いられるのでも、人間は個々別々に孤立して互の融和同情を眼中に置かず、ただ自家専門の職業にのみ腐心してはいられないものだという例に御話したくらいのものであります。本来を云うと私はそういう社交機関よりも、諸君が本業に費やす時間以外の余裕を挙げて文学書を御読みにならん事を希望するのであります。これは我が田へ水を引くような議論にも見えますが、元来文学上の書物は専門的の述作ではない、多く一般の人間に共通な点について批評なり叙述なり試みた者であるから、職業のいかんにかかわらず、階級のいかんにかかわらず赤裸々の人間を赤裸々に結びつけて、そうしてすべての他の墻壁を打破する者でありますから、吾人が人間として相互に結びつくためには最も立派でまた最も弊の少ない機関だと思われるのです。少くとも芸妓を上げて酒を飲んだと同等以上の効果がありそうに思われるのであります。あなた方もこういう公会堂へわざわざこの暑いのに集まって、私のような者の言うことを黙って聴くような勇気があるのだから、そういう楽な時間を利用して少し御読みになったらいかがだろうと申したいのです。職業が細かくなりまた忙がしくなる結果我々が不具になるが、それはどうして矯正するかという問題はまずこのくらいにして、この講演の冒頭に述べた己のためとか人のためとかいう議論に立ち帰ってその約りをつけてこの講演を結びたいと思います。  それで前申した己のためにするとか人のためにするとかいう見地からして職業を観察すると、職業というものは要するに人のためにするものだという事に、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択分量の多少すべて他を目安にして働かなければならない。要するに取捨興廃の権威共に自己の手中にはない事になる。したがって自分が最上と思う製作を世間に勧めて世間はいっこう顧みなかったり自分は心持が好くないので休みたくても世間は平日のごとく要求を恣にしたりすべて己を曲げて人に従わなくては商売にはならない。この自己を曲げるという事は成功には大切であるが心理的にははなはだ厭なものである。就中最も厭なものはどんな好な道でもある程度以上に強いられてその性質がしだいに嫌悪に変化する時にある。ところが職業とか専門とかいうものは前申す通り自分の需用以上その方面に働いてそうしてその自分に不要な部分を挙げて他の使用に供するのが目的であるから、自己を本位にして云えば当初から不必要でもあり、厭でもある事を強いてやるという意味である。よく人が商売となると何でも厭になるものだと云いますがその厭になる理由は全くこれがためなのです。いやしくも道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違ないが、その道楽が職業と変化する刹那に今まで自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽がたちまち苦痛になるのはやむをえない。打ち明けた御話が己のためにすればこそ好なので人のためにしなければならない義務を括りつけられればどうしたって面白くは行かないにきまっています。元来己を捨てるということは、道徳から云えばやむをえず不徳も犯そうし、知識から云えば己の程度を下げて無知な事も云おうし、人情から云えば己の義理を低くして阿漕な仕打もしようし、趣味から云えば己の芸術眼を下げて下劣な好尚に投じようし、十中八九の場合悪い方に傾きやすいから困るのである。例えば新聞を拵えてみても、あまり下品な事は書かない方がよいと思いながら、すでに商売であれば販売の形勢から考え営業の成立するくらいには俗衆の御機嫌を取らなければ立ち行かない。要するに職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でもすべて一般社会が本尊になって自分はこの本尊の鼻息を伺って生活するのが自然の理である。  ただここにどうしても他人本位では成立たない職業があります。それは科学者哲学者もしくは芸術家のようなもので、これらはまあ特別の一階級とでも見做すよりほかに仕方がないのです。哲学者とか科学者というものは直接世間の実生活に関係の遠い方面をのみ研究しているのだから、世の中に気に入ろうとしたって気に入れる訳でもなし、世の中でもこれらの人の態度いかんでその研究を買ったり買わなかったりする事も極めて少ないには違ないけれども、ああいう種類の人が物好きに実験室へ入って朝から晩まで仕事をしたり、または書斎に閉じ籠って深い考に沈んだりして万事を等閑に附している有様を見ると、世の中にあれほど己のためにしているものはないだろうと思わずにはいられないくらいです。それから芸術家もそうです。こうもしたらもっと評判が好くなるだろう、ああもしたらまだ活計向の助けになるだろうと傍の者から見ればいろいろ忠告のしたいところもあるが、本人はけっしてそんな作略はない、ただ自分の好な時に好なものを描いたり作ったりするだけである。もっとも当人がすでに人間であって相応に物質的嗜欲のあるのは無論だから多少世間と折合って歩調を改める事がないでもないが、まあ大体から云うと自我中心で、極く卑近の意味の道徳から云えばこれほどわがままのものはない、これほど道楽なものはないくらいです。すでに御話をした通りおよそ職業として成立するためには何か人のためにする、すなわち世の嗜好に投ずると一般の御機嫌を取るところがなければならないのだが、本来から云うと道楽本位の科学者とか哲学者とかまた芸術家とかいうものはその立場からしてすでに職業の性質を失っていると云わなければならない。実際今の世で彼らは名前には職業として存在するが実質の上ではほとんど職業として認められないほど割に合わない報酬を受けているのでこの辺の消息はよく分るでしょう。現に科学者哲学者などは直接世間と取引しては食って行けないからたいていは政府の保護の下に大学教授とか何とかいう役になってやっと露命をつないでいる。芸術家でも時に容れられず世から顧みられないで自然本位を押し通す人はずいぶん惨澹たる境遇に沈淪しているものが多いのです。御承知の大雅堂でも今でこそ大した画工であるがその当時毫も世間向の画をかかなかったために生涯真葛が原の陋居に潜んでまるで乞食と同じ一生を送りました。仏蘭西のミレーも生きている間は常に物質的の窮乏に苦しめられていました。またこれは個人の例ではないが日本の昔に盛んであった禅僧の修行などと云うものも極端な自然本位の道楽生活であります。彼らは見性のため究真のためすべてを抛って坐禅の工夫をします。黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味にも世間とは没交渉である点から見て彼ら禅僧は立派な道楽ものであります。したがって彼らはその苦行難行に対して世間から何らの物質的報酬を得ていません。麻の法衣を着て麦の飯を食ってあくまで道を求めていました。要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。  以上申し上げた科学者哲学者もしくは芸術家の類が職業として優に存在し得るかは疑問として、これは自己本位でなければとうてい成功しないことだけは明かなようであります。なぜなればこれらが人のためにすると己というものは無くなってしまうからであります。ことに芸術家で己の無い芸術家は蝉の脱殻同然で、ほとんど役に立たない。自分に気の乗った作ができなくてただ人に迎えられたい一心でやる仕事には自己という精神が籠るはずがない。すべてが借り物になって魂の宿る余地がなくなるばかりです。私は芸術家というほどのものでもないが、まあ文学上の述作をやっているから、やはりこの種類に属する人間と云って差支ないでしょう。しかも何か書いて生活費を取って食っているのです。手短かに云えば文学を職業としているのです。けれども私が文学を職業とするのは、人のためにするすなわち己を捨てて世間の御機嫌を取り得た結果として職業としていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して来たのだと見るのが本当だろうと思います。もしこれが天から人のためばかりの職業であって、根本的に己を枉げて始て存在し得る場合には、私は断然文学を止めなければならないかも知れぬ。幸いにして私自身を本位にした趣味なり批判なりが、偶然にも諸君の気に合って、その気に合った人だけに読まれ、気に合った人だけから少なくとも物質的の報酬、(あるいは感謝でも宜しい)を得つつ今日まで押して来たのである。いくら考えても偶然の結果である。この偶然が壊れた日にはどっち本位にするかというと、私は私を本位にしなければ作物が自分から見て物にならない。私ばかりじゃない誰しも芸術家である以上はそう考えるでしょう。したがってこういう場合には、世間が芸術家を自分に引付けるよりも自分が芸術家に食付いて行くよりほかに仕様がないのであります。食付いて行かなければそれまでという話である。芸術家とか学者とかいうものは、この点においてわがままのものであるが、そのわがままなために彼らの道において成功する。他の言葉で云うと、彼らにとっては道楽すなわち本職なのである。彼らは自分の好きな時、自分の好きなものでなければ、書きもしなければ拵えもしない。至って横着な道楽者であるがすでに性質上道楽本位の職業をしているのだからやむをえないのです。そういう人をして己を捨てなければ立ち行かぬように強いたりまたは否応なしに天然を枉げさせたりするのは、まずその人を殺すと同じ結果に陥るのです。私は新聞に関係がありますが、幸にして社主からしてモッと売れ口のよいような小説を書けとか、あるいはモッとたくさん書かなくちゃいかんとか、そういう外圧的の注意を受けたことは今日までとんとありませぬ。社の方では私に私本位の下に述作する事を大体の上で許してくれつつある。その代り月給も昇げてくれないが、いくら月給を昇げてくれてもこういう取扱を変じて万事営業本位だけで作物の性質や分量を指定されてはそれこそ大いに困るのであります。私ばかりではないすべての芸術家科学者哲学者はみなそうだろうと思う。彼らは一も二もなく道楽本位に生活する人間だからである。大変わがままのようであるけれども、事実そうなのである。したがって恒産のない以上科学者でも哲学者でも政府の保護か個人の保護がなければまあ昔の禅僧ぐらいの生活を標準として暮さなければならないはずである。直接世間を相手にする芸術家に至ってはもしその述作なり製作がどこか社会の一部に反響を起して、その反響が物質的報酬となって現われて来ない以上は餓死するよりほかに仕方がない。己を枉げるという事と彼らの仕事とは全然妥協を許さない性質のものだからである。  私は職業の性質やら特色についてはじめに一言を費やし、開化の趨勢上その社会に及ぼす影響を述べ、最後に職業と道楽の関係を説き、その末段に道楽的職業というような一種の変体のある事を御吹聴に及んで私などの職業がどの点まで職業でどの点までが道楽であるかを諸君に大体理会せしめたつもりであります。これでこの講演を終ります。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚 夏目漱石全集10」筑摩書房    1972(昭和47)年1月10日初版第1刷発行 初出:「朝日講演集」朝日新聞合資会社    1911(明治44)年11月10日発行 ※底本は、明治44年8月明石における大阪朝日新聞社主催講演会の講演を筆者が加筆訂正したものです。 ※底本の編者による脚注は省略しました。 入力:柴田卓治 校正:大野晋 2000年1月6日公開 2004年2月27日公開 2023年8月15日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 永日小品 永日小品 夏目漱石 元日  雑煮を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾きがある。あとのものは皆和服で、かつ不断着のままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠である。自分も一番あとで、やあと云った。  フロックは白い手巾を出して、用もない顔を拭いた。そうして、しきりに屠蘇を飲んだ。ほかの連中も大いに膳のものを突ついている。ところへ虚子が車で来た。これは黒い羽織に黒い紋付を着て、極めて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。  それから二人して東北と云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧である。その上、我ながら覚束ない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来謡のうの字も心得ないもの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、素人でも理の当然なところだからやむをえない。馬鹿を云えという勇気も出なかった。  すると虚子が近来鼓を習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望している。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃の何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新という興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から七輪を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙り始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾いた。ちょっと好い音がした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の緒を締めにかかった。紋服の男が、赤い緒をいじくっているところが何となく品が好い。今度はみんな感心して見ている。  虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓を抱い込んだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見当がつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここで掛声をいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと懇に説明してくれた。自分にはとても呑み込めない。けれども合点の行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に領承した。そこで羽衣の曲を謡い出した。春霞たなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が崩れるから、萎靡因循のまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓をかんと一つ打った。  自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美な悠長なものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の鼓膜を動かした。自分の謡はこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から威嚇した。自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。  それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓に、自分の謡を合せて、めでたく謡い納めた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を貶した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢の袖がぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞めている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。 蛇  木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹の中に雨がいっぱい湛っていた。土を踏むと泥の音が蹠裏へ飛びついて来る。踵を上げるのが痛いくらいに思われた。手桶を右の手に提げているので、足の抜き差に都合が悪い。際どく踏み応える時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放り出したくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据えてしまった。危く倒れるところを手桶の柄に乗し懸って向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑を着た肩の後から、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時被った笠が少し動いた。笠のなかからひどい路だと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。  石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間から推されて来る。不断は黒節の上を三寸とは超えない底に、長い藻が、うつらうつらと揺いて、見ても奇麗な流れであるのに、今日は底から濁った。下から泥を吹き上げる、上から雨が叩く、真中を渦が重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、 「獲れる」と云った。  二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた。渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れの迹を跟けて一町ほど来た。そうして広い田の中にたった二人淋しく立った。雨ばかり見える。叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空は茶壺の葢のように暗く封じられている。そのどこからか、隙間なく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がする。これは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である。向うに見える貴王の森にあたる音も遠くから交って来るらしい。  森の上には、黒い雲が杉の梢に呼び寄せられて奥深く重なり合っている。それが自然の重みでだらりと上の方から下って来る。雲の足は今杉の頭に絡みついた。もう少しすると、森の中へ落ちそうだ。  気がついて足元を見ると、渦は限なく水上から流れて来る。貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急に勢いづいたように見える。叔父さんはまた捲く渦を見守って、 「獲れる」とさも何物をか取ったように云った。やがて蓑を着たまま水の中に下りた。勢いの凄じい割には、さほど深くもない。立って腰まで浸るくらいである。叔父さんは河の真中に腰を据えて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に担いだ網をおろした。  二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の恰好を眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心に凄い水の色を見つめていた。水は固より濁っている。上皮の動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでも瞬もせずに、水際まで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。  雨脚はしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦の紋は劇しく水上から回って来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った模様が見えた。瞬を容さぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きな鰻だなと思った。  途端に流れに逆らって、網の柄を握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上まで弾ね返るように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れた。それが暗い雨のふりしきる中に、重たい縄のような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりと鎌首を一尺ばかり持上げた。そうして持上げたまま屹と二人を見た。 「覚えていろ」  声はたしかに叔父さんの声であった。同時に鎌首は草の中に消えた。叔父さんは蒼い顔をして、蛇を投げた所を見ている。 「叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか」  叔父さんはようやくこっちを向いた。そうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする。 泥棒  寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵の臭がぷんとした。厠の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘の音も耳に応えなかった。熟睡が時の世界を盛り潰したように正体を失った。  すると忽然として、女の泣声で眼が覚めた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いて狼狽えるといつでも泣声を出す。この間家の赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊が湯気に上って、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した。自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。啜り上げるようにして早口に物を云う。訴えるような、口説くような、詫を入れるような、情人の死を悲しむような――とうてい普通の驚愕の場合に出る、鋭くって短い感投詞の調子ではない。  自分は今云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかに妻の寝ている、次の部屋から出る。同時に襖を洩れて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開ける瞼の裏に、この光が届くや否や自分は火事だと合点して飛び起きた。そうして、突然隔ての唐紙をがらりと開けた。  その時自分は顛覆返った炬燵を想像していた。焦げた蒲団を想像していた。漲ぎる煙と、燃える畳とを想像していた。ところが開けて見ると、洋灯は例のごとく点っている。妻と子供は常の通り寝ている。炬燵は宵の位地にちゃんとある。すべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である。暖かである。ただ下女だけが泣いている。  下女は妻の蒲団の裾を抑えるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない。自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、敷居際に突立ったまま、ぼんやり部屋の中を見回した。途端に下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳に這入るや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋を大股に横切って、次の間に飛び出しながら、何だ――と怒鳴りつけた。けれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚外れて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる。自分は真夜中に人の住居の奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。素足のまま板の間へ出て台所の流元まで来て見ると、四辺は寂としている。表を覗くと月ばかりである。自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。  引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何も窃られやしない、と云った。妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、箪笥の前に翳した。観音開きが取り外されている。抽斗が明けたままになっている。妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた。何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってある。その枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている。暮の事なので医者の薬礼その他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う。下女が泣いて縁側の方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。  そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来た。そうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前に小用に起きたのにとか、今夜は寝つかれないで、二時頃までは眼が冴えていたのにとか、ことごとく残念そうである。そのなかで、十になる長女は、泥棒が台所から這入ったのも、泥棒がみしみし縁側を歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとお房さんが驚いている。お房さんは十八で、長女と同じ部屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へ這入って寝た。  明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた。顔を洗って、朝食をやっていると、台所で下女が泥棒の足痕を見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。面倒だから書斎へ引き取った。引き取って十分も経ったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である。台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査が格子の前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている。戸締りは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、締りが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ釘を差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に遇ってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、不取締な主人であるような心持になった。  巡査は台所へ廻った。そこで妻を捉まえて、紛失した物を手帳に書き付けている。繻珍の丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……  下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も腹合せもいっこう知らない。すこぶる単簡な面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、すると〆て百五十円になりますねと念を押して帰って行った。  自分はこの時始めて、何を窃られたかを明瞭に知った。失くなったものは十点、ことごとく帯である。昨夜這入ったのは帯泥棒であった。御正月を眼前に控えた妻は異な顔をしている。子供が三箇日にも着物を着換える事ができないのだそうだ。仕方がない。  昼過には刑事が来た。座敷へ上っていろいろ見ている。桶の中に蝋燭でも立てて仕事をしやしないかと云って、台所の小桶まで検べていた。まあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。  泥棒はたいてい下谷、浅草辺から電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだ。たいていは捉まらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ。泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁当代が損になる。機密費は警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ。牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた。  出入のものを呼んで戸締りを直そうと思ったら生憎、暮で用が立て込んでいて来られない。そのうちに夜になった。仕方がないから、元の通りにしておいて寝る。みんな気味が悪そうである。自分もけっして好い心持ではない。泥棒は各自勝手に取締るべきものであると警察から宣告されたと一般だからである。  それでも昨日の今日だから、まあ大丈夫だろうと、気を楽に持って枕に就いた。するとまた夜中に妻から起された。さっきから、台所の方ががたがた云っている。気味がわるいから起きて見て下さいと云う。なるほどがたがたいう。妻はもう泥棒が這入ったような顔をしている。  自分はそっと床を出た。忍び足に妻の部屋を横切って、隔ての襖の傍までくると、次の間では下女が鼾をかいている。自分はできるだけ静かに襖を開けた。そうして、真暗な部屋の中に一人立った。ごとりごとりと云う音がする。たしかに台所の入口である。暗いなかを影の動くように三歩ほど音のする方へ近くと、もう部屋の出口である。障子が立っている。そとはすぐ板敷になる。自分は障子に身を寄せて、暗がりで耳を立てた。やがて、ごとりと云った。しばらくしてまたごとりと云った。自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、戸棚の奥から出るに違ないという事をたしかめた。たちまち普通の歩調と、尋常の所作をして、妻の部屋へ帰って来た。鼠が何か噛っているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をした。それからは二人とも落ちついて寝てしまった。  朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛った鰹節を、膳の前へ出して、昨夜のはこれですよと説明した。自分ははあなるほどと、一晩中無惨にやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、鰹節をしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った。自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。 柿  喜いちゃんと云う子がいる。滑らかな皮膚と、鮮かな眸を持っているが、頬の色は発育の好い世間の子供のように冴々していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母さんがあまり可愛がり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結が評した事がある。御母さんは束髪の流行る今の世に、昔風の髷を四日目四日目にきっと結う女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付にして呼んでいる。このお母さんの上に、また切下の御祖母さんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴の御稽古に行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。  喜いちゃんは、これがために滅多に表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩煎餅屋がある。その隣に瓦師がある。少し先へ行くと下駄の歯入と、鋳かけ錠前直しがある。ところが喜いちゃんの家は銀行の御役人である。塀のなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に枯松葉を一面に敷いて行く。  喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏は御母さんや、御祖母さんが張物をする所である。よしが洗濯をする所である。暮になると向鉢巻の男が臼を担いで来て、餅を搗く所である。それから漬菜に塩を振って樽へ詰込む所である。  喜いちゃんはここへ出て、御母さんや御祖母さんや、よしを相手にして遊んでいる。時には相手のいないのに、たった一人で出てくる事がある。その時は浅い生垣の間から、よく裏の長屋を覗き込む。  長屋は五六軒ある。生垣の下が三四尺崖になっているのだから、喜いちゃんが覗き込むと、ちょうど上から都合よく見下すようにできている。喜いちゃんは子供心に、こうして裏の長屋を見下すのが愉快なのである。造兵へ出る辰さんが肌を抜いで酒を呑んでいると、御酒を呑んでてよと御母さんに話す。大工の源坊が手斧を磨いでいると、何か磨いでてよと御祖母さんに知らせる。そのほか喧嘩をしててよ、焼芋を食べててよなどと、見下した通りを報告する。すると、よしが大きな声を出して笑う。御母さんも、御祖母さんも面白そうに笑う。喜いちゃんは、こうして笑って貰うのが一番得意なのである。  喜いちゃんが裏を覗いていると、時々源坊の倅の与吉と顔を合わす事がある。そうして、三度に一度ぐらいは話をする。けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでも喧嘩になってしまう。与吉がなんだ蒼ん膨れと下から云うと、喜いちゃんは上から、やあい鼻垂らし小僧、貧乏人、と軽侮ように丸い顎をしゃくって見せる。一遍は与吉が怒って下から物干竿を突き出したので、喜いちゃんは驚いて家へ逃げ込んでしまった。その次には、喜いちゃんが、毛糸で奇麗に縢った護謨毬を崖下へ落したのを、与吉が拾ってなかなか渡さなかった。御返しよ、放っておくれよ、よう、と精一杯にせっついたが与吉は毬を持ったまま、上を見て威張って突立っている。詫まれ、詫まったら返してやると云う。喜いちゃんは、誰が詫まるものか、泥棒と云ったまま、裁縫をしている御母さんの傍へ来て泣き出した。御母さんはむきになって、表向よしを取りにやると、与吉の御袋がどうも御気の毒さまと云ったぎりで毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。  それから三日経って、喜いちゃんは大きな赤い柿を一つ持って、また裏へ出た。すると与吉が例の通り崖下へ寄って来た。喜いちゃんは生垣の間から赤い柿を出して、これ上げようかと云った。与吉は下から柿を睨めながら、なんでえ、なんでえ、そんなもの要らねえやとじっと動かずにいる。要らないの、要らなきゃ、およしなさいと、喜いちゃんは、垣根から手を引っ込めた。すると与吉は、やっぱりなんでえ、なんでえ、擲ぐるぞと云いながらなおと崖の下へ寄って来た。じゃ欲しいのと喜いちゃんはまた柿を出した。欲しいもんけえ、そんなものと与吉は大きな眼をして、見上げている。  こんな問答を四五遍繰返したあとで、喜いちゃんは、じゃ上げようと云いながら、手に持った柿をぱたりと崖の下に落した。与吉は周章て、泥の着いた柿を拾った。そうして、拾うや否や、がぶりと横に食いついた。  その時与吉の鼻の穴が震えるように動いた。厚い唇が右の方に歪んだ。そうして、食いかいた柿の一片をぺっと吐いた。そうして懸命の憎悪を眸の裏に萃めて、渋いや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに放りつけた。柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあい食辛抱と云いながら、走け出して家へ這入った。しばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。 火鉢  眼が覚めたら、昨夜抱いて寝た懐炉が腹の上で冷たくなっていた。硝子戸越に、廂の外を眺めると、重い空が幅三尺ほど鉛のように見えた。胃の痛みはだいぶ除れたらしい。思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下には昨日の雪がそのままである。  風呂場は氷でかちかち光っている。水道は凍り着いて、栓が利かない。ようやくの事で温水摩擦を済まして、茶の間で紅茶を茶碗に移していると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子は一昨日も一日泣いていた。昨日も泣き続けに泣いた。妻にどうかしたのかと聞くと、どうもしたのじゃない、寒いからだと云う。仕方がない。なるほど泣き方がぐずぐずで痛くも苦しくもないようである。けれども泣くくらいだから、どこか不安な所があるのだろう。聞いていると、しまいにはこっちが不安になって来る。時によると小悪らしくなる。大きな声で叱りつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思って、つい我慢をする。一昨日も昨日もそうであったが、今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。胃が悪いのでこの頃は朝飯を食わぬ掟にしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へ退いた。  火鉢に手を翳して、少し暖たまっていると、子供は向うの方でまだ泣いている。そのうち掌だけは煙が出るほど熱くなった。けれども、背中から肩へかけてはむやみに寒い。ことに足の先は冷え切って痛いくらいである。だから仕方なしにじっとしていた。少しでも手を動かすと、手がどこか冷たい所に触れる。それが刺にでも触ったほど神経に応える。首をぐるりと回してさえ、頸の付根が着物の襟にひやりと滑るのが堪えがたい感じである。自分は寒さの圧迫を四方から受けて、十畳の書斎の真中に竦んでいた。この書斎は板の間である。椅子を用いべきところを、絨を敷いて、普通の畳のごとくに想像して坐っている。ところが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間が剥き出しに光っている。じっとしてこの板の間を眺めて、竦んでいると、男の子がまだ泣いている。とても仕事をする勇気が出ない。  ところへ妻がちょっと時計を拝借と這入って来て、また雪になりましたと云う。見ると、細かいのがいつの間にか、降り出した。風もない濁った空の途中から、静かに、急がずに、冷刻に、落ちて来る。 「おい、去年、子供の病気で、煖炉を焚いた時には炭代がいくら要ったかな」 「あの時は月末に廿八円払いました」  自分は妻の答を聞いて、座敷煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の物置に転がっているのである。 「おい、もう少し子供を静かにできないかな」  妻はやむをえないと云うような顔をした。そうして、云った。 「お政さんが御腹が痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか」  お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった。早く医者を呼んだらよかろうと、こっちから促すように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。襖を閉てるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った。  まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある。自分の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務がある。ある雑誌へ、ある人の作を手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横に堆かく積んである。この一週間ほどは仕事をしようと思って机に向うと人が来る。そうして、皆何か相談を持ち込んでくる。その上に胃が痛む。その点から云うと今日は幸いである。けれども、どう考えても、寒くて億劫で、火鉢から手を離す事ができない。  すると玄関に車を横付けにしたものがある。下女が来て長沢さんがおいでになりましたと云う。自分は火鉢の傍に竦んだまま、上眼遣をして、這入って来る長沢を見上げながら、寒くて動けないよと云った。長沢は懐中から手紙を出して、この十五日は旧の正月だから、是非都合してくれとか何とか云う手紙を読んだ。相変らず金の相談である。長沢は十二時過に帰った。けれども、まだ寒くてしようがない。いっそ湯にでも行って、元気をつけようと思って、手拭を提げて玄関へ出かかると、御免下さいと云う吉田に出っ食わした。座敷へ上げて、いろいろ身の上話を聞いていると、吉田はほろほろ涙を流して泣き出した。そのうち奥の方では医者が来て何だかごたごたしている。吉田がようやく帰ると、子供がまた泣き出した。とうとう湯に行った。  湯から上ったら始めて暖ったかになった。晴々して、家へ帰って書斎に這入ると、洋灯が点いて窓掛が下りている。火鉢には新しい切炭が活けてある。自分は座布団の上にどっかりと坐った。すると、妻が奥から寒いでしょうと云って蕎麦湯を持って来てくれた。お政さんの容体を聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそうですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れてやるがいいと答えた。妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。  妻が出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪の夜である。泣く子は幸いに寝たらしい。熱い蕎麦湯を啜りながら、あかるい洋灯の下で、継ぎ立ての切炭のぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤い火気が、囲われた灰の中で仄に揺れている。時々薄青い焔が炭の股から出る。自分はこの火の色に、始めて一日の暖味を覚えた。そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。 下宿  始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二磅の宿料を払って、裏の部屋を一間借り受けた。その時表を専領しているK氏は目下蘇格蘭巡遊中で暫くは帰らないのだと主婦の説明があった。  主婦と云うのは、眼の凹んだ、鼻のしゃくれた、顎と頬の尖った、鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年恰好の判断ができないほど、女性を超越している。疳、僻み、意地、利かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄んだ結果、こう拗ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。  主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸をもっていた。けれども言語は普通の英吉利人と少しも違ったところがない。引き移った当日、階下から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人差向いに坐った。日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上に淋しい水仙が活けてあった。主婦は自分に茶だの焼麺麭を勧めながら、四方山の話をした。その時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、仏蘭西であるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、後の硝子壜に挿してある水仙を顧りみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った。花でもこの通り奇麗でないと教えたつもりなのだろう。  自分は肚の中でこの水仙の乏しく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色の褪めた血の瀝とを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した。主婦の黒い髪や黒い眼の裏には、幾年の昔に消えた春の匂の空しき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。いいやと答えようとする舌先を遮って、二三句続け様に、滑らかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝った咽喉から、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった。  その夕、晩餐の時は、頭の禿げた髯の白い老人が卓に着いた。これが私の親父ですと主婦から紹介されたので始めて主人は年寄であったんだと気がついた。この主人は妙な言葉遣をする。ちょっと聞いてもけっして英人ではない。なるほど親子して、海峡を渡って、倫敦へ落ちついたものだなと合点した。すると老人が私は独逸人であると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た。自分は少し見当が外れたので、そうですかと云ったきりであった。  部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気に懸ってたまらない。あの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中は腫れ上ったように膨れている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻が寝転んで、細い眼が二つ着いている。南亜の大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ている。すっきりと心持よくこっちの眸に映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方が和気を欠いている。歯が利かなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える。娘も阿爺に対するときは、険相な顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない。――自分はこう考えて寝た。  翌日朝飯を食いに下りると、昨夕の親子のほかに、また一人家族が殖えている。新しく食卓に連なった人は、血色の好い、愛嬌のある、四十恰好の男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした。my brother と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのである。しかし兄弟とはどうしても受取れないくらい顔立が違っていた。  その日は中食を外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へ這入ると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている。薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人煖炉の横に茶器を控えて坐っていた。石炭を燃してくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりのに照らされた主婦の顔を見ると、うすく火熱った上に、心持御白粉を塗けている。自分は部屋の入り口で化粧の淋しみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような眼遣いをした。自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。  主婦の母は、二十五年の昔、ある仏蘭西人に嫁いで、この娘を挙げた。幾年か連れ添った後夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再び独逸人の許に嫁いだ。その独逸人が昨夜の老人である。今では倫敦のウェスト・エンドで仕立屋の店を出して、毎日毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い。一つ家にいても、口を利いた事がない。息子は夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いで足袋跣足になって、爺に知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう。母はよほど前に失くなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんな阿爺の手に渡って、一銭も自由にする事ができない。仕方がないから、こうして下宿をして小遣を拵えるのである。アグニスは――  主婦はそれより先を語らなかった。アグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の女の子の名である。自分はその時今朝見た息子の顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がした。あたかもアグニスは焼麺麭を抱えて厨から出て来た。 「アグニス、焼麺麭を食べるかい」  アグニスは黙って、一片の焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。  一箇月の後自分はこの下宿を去った。 過去の匂い  自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇格蘭から帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人が倫敦の山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名乗り換した事がないので、身分も、素性も、経歴も分らない外国婦人の力を藉りて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた。骨張って膏の脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。  自分は老令嬢の態度が、いかにも、厳で、一種重要の気に充ちた形式を具えているのに、尠からず驚かされた。K君は自分の向に立って、奇麗な二重瞼の尻に皺を寄せながら、微笑を洩らしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の淋しみを感じた。幽霊の媒妁で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えた。すべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない。自分は戸の外に消えてゆく女の足音に半ば頭を回らした。  老令嬢が出て行ったあとで、自分とK君はたちまち親しくなってしまった。K君の部屋は美くしい絨が敷いてあって、白絹の窓掛が下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング・チェアが備えつけてある上に、小さな寝室が別に附属している。何より嬉しいのは断えず煖炉に火を焚いて、惜気もなく光った石炭を崩している事である。  これから自分はK君の部屋で、K君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所の料理店へいっしょに出かけた。勘定は必ずK君が払ってくれた。K君は何でも築港の調査に来ているとか云って、だいぶ金を持っていた。家にいると、海老茶の繻子に花鳥の刺繍のあるドレッシング・ガウンを着て、はなはだ愉快そうであった。これに反して自分は日本を出たままの着物がだいぶ汚れて、見共ない始末であった。K君はあまりだと云って新調の費用を貸してくれた。  二週間の間K君と自分とはいろいろな事を話した。K君が、今に慶応内閣を作るんだと云った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている。自分はもう一年の事で、K君と共に枢機に参する権利を失うところであった。  こんな面白い話をしている間に、時々下の家族が噂に上る事があった。するとK君はいつでも眉をひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番可愛想だと云っていた。アグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタと麺麭を持って来る。だまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見ても蒼褪めた顔をして、大きな潤のある眼でちょっと挨拶をするだけである。影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない。  ある時自分は、不愉快だから、この家を出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いている身体だから、構わないが、君などは、もっとコンフォタブルな所へ落ち着いて勉強したらよかろうと云う注意をした。その時K君は地中海の向側へ渡るんだと云って、しきりに旅装をととのえていた。  自分が下宿を出るとき、老令嬢は切に思いとまるようにと頼んだ。下宿料は負ける、K君のいない間は、あの部屋を使っても構わないとまで云ったが、自分はとうとう南の方へ移ってしまった。同時にK君も遠くへ行ってしまった。  二三箇月してから、突然K君の手紙に接した。旅から帰って来た。当分ここにいるから遊びに来いと書いてあった。すぐ行きたかったけれども、いろいろ都合があって、北の果まで推しかける時間がなかった。一週間ほどして、イスリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ回って見た。  表二階の窓から、例の羽二重の窓掛が引き絞ったまま硝子に映っている。自分は暖かい煖炉と、海老茶の繻子の刺繍と、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を予想して、勇んで、門を入って、階段を駆け上るように敲子をとんとんと打った。戸の向側に足音がしないから、通じないのかと思って、再び敲子に手を掛けようとする途端に、戸が自然と開いた。自分は敷居から一歩なかへ足を踏み込んだ。そうして、詫びるように自分をじっと見上げているアグニスと顔を合わした。その時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自分の嗅覚を、稲妻の閃めくごとく、刺激した。その匂のうちには、黒い髪と黒い眼と、クルーゲルのような顔と、アグニスに似た息子と、息子の影のようなアグニスと、彼らの間に蟠まる秘密を、一度にいっせいに含んでいた。自分はこの匂を嗅いだ時、彼らの情意、動作、言語、顔色を、あざやかに暗い地獄の裏に認めた。自分は二階へ上がってK君に逢うに堪えなかった。 猫の墓  早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食を、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子を、ぼんやり一と所に落ちつけているのみである。彼れが家の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然と認めていなかったらしい。  それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫から追かけられる。そうして、怖いものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある障子を突き破って、囲炉裏の傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。  これが度重なるにつれて、猫の長い尻尾の毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、後には赤肌に脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼れは万事に疲れ果てた、体躯を圧し曲げて、しきりに痛い局部を舐め出した。  おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、妻は至極冷淡である。自分もそのままにして放っておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。咽喉の所に大きな波をうたして、嚏とも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ畳の上でも、布団の上でも容赦なく汚す。来客の用意に拵えた八反の座布団は、おおかた彼れのために汚されてしまった。 「どうもしようがないな。腸胃が悪いんだろう、宝丹でも水に溶いて飲ましてやれ」  妻は何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口を開きませんという答をした後で、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少し嶮どんに叱りながら書見をしていた。  猫は吐気がなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を竦めるようにして、自分の身を支える縁側だけが便であるという風に、いかにも切りつめた蹲踞まり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、悄然たるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて微かな稲妻があらわれるような気がした。けれども放っておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。  ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾に腹這になっていたが、やがて、自分の捕った魚を取り上げられる時に出すような唸声を挙げた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸った。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢の袖を縫い出した。猫は折々唸っていた。  明くる日は囲炉裏の縁に乗ったなり、一日唸っていた。茶を注いだり、薬缶を取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪を出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈の上に倒れていた。  妻はわざわざその死態を見に行った。それから今までの冷淡に引き更えて急に騒ぎ出した。出入の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻起る宵あらんと認めた。車夫はこのまま、埋めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷かした。  小供も急に猫を可愛がり出した。墓標の左右に硝子の罎を二つ活けて、萩の花をたくさん挿した。茶碗に水を汲んで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの杓子をおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、静かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤おした。  猫の命日には、妻がきっと一切れの鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。 暖かい夢  風が高い建物に当って、思うごとく真直に抜けられないので、急に稲妻に折れて、頭の上から、斜に舗石まで吹きおろして来る。自分は歩きながら被っていた山高帽を右の手で抑えた。前に客待の御者が一人いる。御者台から、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、人指指を竪に立てた。乗らないかと云う符徴である。自分は乗らなかった。すると御者は右の手に拳骨を固めて、烈しく胸の辺を打ち出した。二三間離れて聞いていても、とんとん音がする。倫敦の御者はこうして、己れとわが手を暖めるのである。自分はふり返ってちょっとこの御者を見た。剥げ懸った堅い帽子の下から、霜に侵された厚い髪の毛が食み出している。毛布を継ぎ合せたような粗い茶の外套の背中の右にその肱を張って、肩と平行になるまで怒らしつつ、とんとん胸を敲いている。まるで一種の器械の活動するようである。自分は再び歩き出した。  道を行くものは皆追い越して行く。女でさえ後れてはいない。腰の後部でスカートを軽く撮んで、踵の高い靴が曲るかと思うくらい烈しく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている。男は正面を見たなり、女は傍目も触らず、ひたすらにわが志す方へと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる。眉は深く鎖している。鼻は険しく聳えていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行く。あたかも往来は歩くに堪えん、戸外はいるに忍びん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、生涯の恥辱である、かのごとき態度である。  自分はのそのそ歩きながら、何となくこの都にいづらい感じがした。上を見ると、大きな空は、いつの世からか、仕切られて、切岸のごとく聳える左右の棟に余された細い帯だけが東から西へかけて長く渡っている。その帯の色は朝から鼠色であるが、しだいしだいに鳶色に変じて来た。建物は固より灰色である。それが暖かい日の光に倦み果てたように、遠慮なく両側を塞いでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を重ねて、三階の上に四階を積んでしまった。小さい人はその底の一部分を、黒くなって、寒そうに往来する。自分はその黒く動くもののうちで、もっとも緩漫なる一分子である。谷へ挟まって、出端を失った風が、この底を掬うようにして通り抜ける。黒いものは網の目を洩れた雑魚のごとく四方にぱっと散って行く。鈍い自分もついにこの風に吹き散らされて、家のなかへ逃げ込んだ。  長い廻廊をぐるぐる廻って、二つ三つ階子段を上ると、弾力じかけの大きな戸がある。身躯の重みをちょっと寄せかけるや否や、音もなく、自然と身は大きなガレリーの中に滑り込んだ。眼の下は眩いほど明かである。後をふり返ると、戸はいつの間にか締って、いる所は春のように暖かい。自分はしばらくの間、瞳を慣らすために、眼をぱちぱちさせた。そうして、左右を見た。左右には人がたくさんいる。けれども、みんな静かに落ちついている。そうして顔の筋肉が残らず緩んで見える。たくさんの人がこう肩を並べているのに、いくらたくさんいても、いっこう苦にならない。ことごとく互いと互いを和げている。自分は上を見た。上は大穹窿の天井で極彩色の濃く眼に応える中に、鮮かな金箔が、胸を躍らすほどに、燦として輝いた。自分は前を見た。前は手欄で尽きている。手欄の外には何にもない。大きな穴である。自分は手欄の傍まで近寄って、短い首を伸して穴の中を覗いた。すると遥の下は、絵にかいたような小さな人で埋っていた。その数の多い割に鮮に見えた事。人の海とはこの事である。白、黒、黄、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、大海原に起る波紋のごとく、簇然として、遠くの底に、五色の鱗を并べたほど、小さくかつ奇麗に、蠢いていた。  その時この蠢くものが、ぱっと消えて、大きな天井から、遥かの谷底まで一度に暗くなった。今まで何千となくいならんでいたものは闇の中に葬られたぎり、誰あって声を立てるものがない。あたかもこの大きな闇に、一人残らずその存在を打ち消されて、影も形もなくなったかのごとくに寂としている。と、思うと、遥かの底の、正面の一部分が四角に切り抜かれて、闇の中から浮き出したように、ぼうっといつの間にやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇の段取が違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくる。たしかに柔かな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分は霧のような光線の奥に、不透明な色を見出す事ができた。その色は黄と紫と藍であった。やがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものを瞬きもせず凝視ていた。靄は眼の底からたちまち晴れ渡った。遠くの向うに、明かな日光の暖かに照り輝く海を控えて、黄な上衣を着た美しい男と、紫の袖を長く牽いた美しい女が、青草の上に、判然あらわれて来た。女が橄欖の樹の下に据えてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の横手に立って、上から女を見下した。その時南から吹く温かい風に誘われて、閑和な楽の音が、細く長く、遠くの波の上を渡って来た。  穴の上も、穴の下も、一度にざわつき出した。彼らは闇の中に消えたのではなかった。闇の中で暖かな希臘を夢みていたのである。 印象  表へ出ると、広い通りが真直に家の前を貫いている。試みにその中央に立って見廻して見たら、眼に入る家はことごとく四階で、またことごとく同じ色であった。隣も向うも区別のつきかねるくらい似寄った構造なので、今自分が出て来たのははたしてどの家であるか、二三間行過ぎて、後戻りをすると、もう分らない。不思議な町である。  昨夕は汽車の音に包まって寝た。十時過ぎには、馬の蹄と鈴の響に送られて、暗いなかを夢のように馳けた。その時美しい灯の影が、点々として何百となく眸の上を往来した。そのほかには何も見なかった。見るのは今が始めてである。  二三度この不思議な町を立ちながら、見上、見下した後、ついに左へ向いて、一町ほど来ると、四ツ角へ出た。よく覚えをしておいて、右へ曲ったら、今度は前よりも広い往来へ出た。その往来の中を馬車が幾輛となく通る。いずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶や紺であったり、仕切りなしに自分の横を追い越して向うへ行く。遠くの方を透かして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来る。どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、後から背の高い人が追い被さるように、肩のあたりを押した。避けようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。  自分はこの時始めて、人の海に溺れた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。右を向いても痞えている。左を見ても塞がっている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を揃えて一歩ずつ前へ進んで行く。  自分は歩きながら、今出て来た家の事を想い浮べた。一様の四階建の、一様の色の、不思議な町は、何でも遠くにあるらしい。どこをどう曲って、どこをどう歩いたら帰れるか、ほとんど覚束ない気がする。よし帰れても、自分の家は見出せそうもない。その家は昨夕暗い中に暗く立っていた。  自分は心細く考えながら、背の高い群集に押されて、仕方なしに大通を二つ三つ曲がった。曲るたんびに、昨夕の暗い家とは反対の方角に遠ざかって行くような心持がした。そうして眼の疲れるほど人間のたくさんいるなかに、云うべからざる孤独を感じた。すると、だらだら坂へ出た。ここは大きな道路が五つ六つ落ち合う広場のように思われた。今まで一筋に動いて来た波は、坂の下で、いろいろな方角から寄せるのと集まって、静かに廻転し始めた。  坂の下には、大きな石刻の獅子がある。全身灰色をしておった。尾の細い割に、鬣に渦を捲いた深い頭は四斗樽ほどもあった。前足を揃えて、波を打つ群集の中に眠っていた。獅子は二ついた。下は舗石で敷きつめてある。その真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼を挙げて、柱の上を見た。柱は眼の届く限り高く真直に立っている。その上には大きな空が一面に見えた。高い柱はこの空を真中で突き抜いているように聳えていた。この柱の先には何があるか分らなかった。自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなく下って行った。しばらくして、ふり返ったら、竿のような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた。 人間  御作さんは起きるが早いか、まだ髪結は来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結は昨夕たしかに頼んでおいた。ほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までには上りますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五分しかない。どうしたんだろうと、いかにも焦れったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。御作さんは及び腰になって、障子の前に取り出した鏡台を、立ちながら覗き込んで見た。そうして、わざと唇を開けて、上下とも奇麗に揃った白い歯を残らず露わした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、間の襖を開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、晩くなるじゃありませんかと云った。御作さんの旦那は九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。  御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、楊枝と歯磨と石鹸と手拭を一と纏めにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと髯を剃って来るよと、銘仙のどてらの下へ浴衣を重ねた旦那は、沓脱へ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ駆け込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんは用箪笥の抽出から小さい熨斗袋を出して、中へ銀貨を入れて、持って出た。旦那は口が利けないものだから、黙って、袋を受取って格子を跨いだ。御作さんは旦那の肩の後へ、手拭の余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へ引込んで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半分開けて、少し首を傾けた。やがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとは丁寧にしまってしまった。それからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた。御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間も始終心配そうに柱時計を眺めていた。ようやく衣裳を揃えて、大きな欝金木綿の風呂敷にくるんで、座敷の隅に押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口から這入って来た。どうも遅くなってすみません、と息を喘ませて言訳を云っている。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い煙管を出して髪結に煙草を呑ました。  梳手が来ないので、髪を結うのにだいぶ暇が取れた。旦那は湯に入って、髭を剃って、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日は美いちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私も御伴をしたいもんだなどと、だいぶ冗談交りの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。  旦那は欝金木綿の風呂敷を、ちょっと剥って見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、美いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちの綿入羽織を着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは絣の綿入羽織を出さなかった。  やがて、御化粧が出来上って、流行の鶉縮緬の道行を着て、毛皮の襟巻をして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た。歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた。御作さんは旦那の廻套の羽根を捕まえて、伸び上がりながら、群集の中を覗き込んだ。  真中に印袢天を着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った袢天がびたびたに濡れて寒く光っている。巡査が御前は何だと云うと、呂律の回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う。御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない。怖い眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしい。こう見えたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、突然思い出したように、人間だいと大きな声を出す。  ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは嬉しそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと仰向けに寝た。明かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、箆棒め、こう見えたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は藁の縄で酔払いを荷車の上へしっかり縛りつけた。そうして屠られた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、注目飾りの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ殖えたのを喜んだ。 山鳥  五六人寄って、火鉢を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携えずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へ招じたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥を提げて這入って来た。初対面の挨拶が済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。  その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の羹を拵えて食った。山鳥を料る時、青年は袴ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を割いて、骨をことことと敲いてくれた。青年は小作りの面長な質で、蒼白い額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。もっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒い口髭よりも、彼の穿いていた袴であった。それは小倉織で、普通の学生には見出し得べからざるほどに、太い縞柄の派出な物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は南部のものだと云った。  青年は一週間ほど経ってまた来た。今度は自分の作った原稿を携えていた。あまり佳くできていなかったから、遠慮なくその旨を話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った。帰ってから一週間の後、また原稿を懐にして来た。かようにして彼れは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった。自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっとも傑れたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただ編輯者の御情で誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれから文を売って口を糊するつもりだと云っていた。  或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾して、薄い海苔のように一枚一枚に堅めたものである。精進の畳鰯だと云って、居合せた甲子が、さっそく浸しものに湯がいて、箸を下しながら、酒を飲んだ。それから、鈴蘭の造花を一枝持って来てくれた事もある。妹が拵えたんだと云って、指の股で、枝の心になっている針金をぐるぐる廻転さしていた。妹といっしょに家を持っている事はこの時始めて知った。兄妹して薪屋の二階を一間借りて、妹は毎日刺繍の稽古に通っているのだそうである。その次来た時には御納戸の結び目に、白い蝶を刺繍った襟飾りを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら上げましょうと云って置いて行った。それを安野が私に下さいと云って取って帰った。  そのほか彼は時々来た。来るたびに自分の国の景色やら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した。篆刻が旨いという事も話した。御祖母さんは去る大名の御屋敷に奉公していた。申の年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿に縁んだものを時々下さった。その中に崋山の画いた手長猿の幅がある。今度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった。  すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事もいつか忘れるようになった或日、――その日は日に遠い座敷の真中に、単衣を唯一枚つけて、じっと書見をしていてさえ堪えがたいほどに暑かった。――彼れは突然やって来た。  相変らず例の派出な袴を穿いて、蒼白い額ににじんだ汗をこくめいに手拭で拭いている。少し瘠せたようだ。はなはだ申し兼ねたが金を二十円貸して下さいという。実は友人が急病に罹ったから、さっそく病院へ入れたのだが、差し当り困るのは金で、いろいろ奔走もして見たが、ちょっとできない。やむをえず上がった。と説明した。  自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た。彼は例のごとく両手を膝の上に正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人の家はそれほど貧しいのかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御願をする、二週間経てば、国から届くはずだからその時はすぐと御返しするという答である。自分は金の調達を引き受けた。その時彼れは風呂敷包の中から一幅の懸物を取り出して、これがせんだって御話をした崋山の軸ですと云って、紙表装の半切ものを展べて見せた。旨いのか不味いのか判然とは解らなかった。印譜をしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄った落款がない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退したが、聞かずに預けて行った。翌日また金を取りに来た。それっきり音沙汰がない。約束の二週間が来ても影も形も見せなかった。自分は欺されたのかも知れないと思った。猿の軸は壁へ懸けたまま秋になった。  袷を着て気の緊まる時分に、長塚が例のごとく金を借してくれと云って来た。自分はそうたびたび借すのが厭であった。ふと例の青年の事を思い出して、こう云う金があるが、もし、それを君が取りに行く気なら取りに行け、取れたら貸してやろうと云うと、長塚は頭を掻いて、少し逡巡していたが、やがて思い切ったと見えて、行きましょうと答えた。それから、せんだっての金をこの者に渡してくれろという手紙を書いて、それに猿の懸物を添えて、長塚に持たせてやった。  長塚はあくる日また車でやって来た。来るや否や懐から手紙を出したから、受け取って見ると昨日自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかったのかと聞くと、長塚は額に八の字を寄せて、行ったんですけれども、とても駄目です、惨澹たるものです、汚ない所でしてね、妻君が刺繍をしていましてね、本人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、けっして御心配には及びませんと安心させて、掛物だけ帰して来ましたと云う。自分はへええ、そうかと少し驚ろいた。  翌る日、青年から、どうも嘘言を吐いてすまなかった、軸はたしかに受取ったと云う端書が来た。自分はその端書を他の信書といっしょに重ねて、乱箱の中に入れた。そうして、また青年の事を忘れるようになった。  そのうち冬が来た。例のごとく忙しい正月を迎えた。客の来ない隙間を見て、仕事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い物である。差出人の名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解いて新聞紙を剥ぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙がついている。その後いろいろの事情があって、今国へ帰っている。御恩借の金子は三月頃上京の節是非御返しをするつもりだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易に剥れなかった。  その日はまた木曜で、若い人の集まる晩であった。自分はまた五六人と共に、大きな食卓を囲んで、山鳥の羹を食った。そうして、派出な小倉の袴を着けた蒼白い青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。そのなかに先年の金子の件御介意に及ばずと云う一句を添えた。 モナリサ  井深は日曜になると、襟巻に懐手で、そこいらの古道具屋を覗き込んで歩るく。そのうちでもっとも汚ならしい、前代の廃物ばかり並んでいそうな見世を選っては、あれの、これのと捻くり廻す。固より茶人でないから、好いの悪いのが解る次第ではないが、安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろうとひそかに考えている。  井深は一箇月ほど前に十五銭で鉄瓶の葢だけを買って文鎮にした。この間の日曜には二十五銭で鉄の鍔を買って、これまた文鎮にした。今日はもう少し大きい物を目懸けている。懸物でも額でもすぐ人の眼につくような、書斎の装飾が一つ欲しいと思って、見廻していると、色摺の西洋の女の画が、埃だらけになって、横に立て懸けてあった。溝の磨れた井戸車の上に、何とも知れぬ花瓶が載っていて、その中から黄色い尺八の歌口がこの画の邪魔をしている。  西洋の画はこの古道具屋に似合わない。ただその色具合が、とくに現代を超越して、上昔の空気の中に黒く埋っている。いかにもこの古道具屋にあって然るべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻ったが、硝子も割れていないし、額縁もたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。  井深がこの半身の画像を抱いて、家へ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそく額を裸にして、壁へ立て懸けて、じっとその前へ坐り込んでいると、洋灯を持って細君がやって来た。井深は細君に灯を画の傍へ翳さして、もう一遍とっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけが黄ばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君を顧みて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。  飯を食ってから、踏台をして欄間に釘を打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃すが好いと云ってしきりに止めたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。  細君は茶の間へ下る。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全く画工の光線のつけ方である。薄い唇が両方の端で少し反り返って、その反り返った所にちょっと凹を見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。または開いた口をわざと、閉じたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。  調べものとは云い条、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少し経ったら、また首を挙げて画の方を見た。やはり口元に何か曰くがある。けれども非常に落ちついている。切れ長の一重瞼の中から静かな眸が座敷の下に落ちた。井深はまた机の方に向き直った。  その晩井深は何遍となくこの画を見た。そうして、どことなく細君の評が当っているような気がし出した。けれども明る日になったら、そうでもないような顔をして役所へ出勤した。四時頃家へ帰って見ると、昨夕の額は仰向けに机の上に乗せてある。午少し過に、欄間の上から突然落ちたのだという。道理で硝子がめちゃめちゃに破れている。井深は額の裏を返して見た。昨夕紐を通した環が、どうした具合か抜けている。井深はそのついでに額の裏を開けて見た。すると画と背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。開けて見ると、印気で妙な事が書いてある。 「モナリサの唇には女性の謎がある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」  翌日井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、皆に聞いた。しかし誰も分らなかった。じゃダ ヴィンチとは何だと尋ねたが、やっぱり誰も分らなかった。井深は細君の勧に任せてこの縁喜の悪い画を、五銭で屑屋に売り払った。 火事  息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉がもう頭の上を通る。霜を置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来ては卒然と消えてしまう。かと思うと、すぐあとから鮮なやつが、一面に吹かれながら、追かけながら、ちらちらしながら、熾にあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、隙間なく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太い樅が静かな枝を夜に張って、土手から高く聳えている。火はその後から起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所は真赤である。火元はこの高い土手の上に違ない。もう一町ほど行って左へ坂を上れば、現場へ出られる。  また急ぎ足に歩き出した。後から来るものは皆追越して行く。中には擦れ違に大きな声をかけるものがある。暗い路は自ずと神経的に活きて来た。坂の下まで歩いて、いよいよ上ろうとすると、胸を突くほど急である。その急な傾斜を、人の頭がいっぱいに埋めて、上から下まで犇いている。焔は坂の真上から容赦なく舞い上る。この人の渦に捲かれて、坂の上まで押し上げられたら、踵を回らすうちに焦げてしまいそうである。  もう半町ほど行くと、同じく左へ折れる大きな坂がある。上るならこちらが楽で安全であると思い直して、出合頭の人を煩わしく避けて、ようやく曲り角まで出ると、向うから劇しく号鈴を鳴らして蒸汽喞筒が来た。退かぬものはことごとく敷き殺すぞと云わぬばかりに人込の中を全速力で駆り立てながら、高い蹄の音と共に、馬の鼻面を坂の方へ一捻に向直した。馬は泡を吹いた口を咽喉に摺りつけて、尖った耳を前に立てたが、いきなり前足を揃えてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、袢天を着た男の提灯を掠めて、天鵞絨のごとく光った。紅色に塗った太い車の輪が自分の足に触れたかと思うほど際どく回った。と思うと、喞筒は一直線に坂を馳け上がった。  坂の中途へ来たら、前は正面にあったが今度は筋違に後の方に見え出した。坂の上からまた左へ取って返さなければならない。横丁を見つけていると、細い路次のようなのが一つあった。人に押されて入り込むと真暗である。ただ一寸のセキもないほど詰んでいる。そうして互に懸命な声を揚げる。火は明かに向うに燃えている。  十分の後ようやく路次を抜けて通りへ出た。その通りもまた組屋敷ぐらいな幅で、すでに人でいっぱいになっている。路次を出るや否や、さっき地を蹴って、馳け上がった蒸汽喞筒が眼の前にじっとしていた。喞筒はようやくここまで馬を動かしたが、二三間先きの曲り角に妨げられて、どうする事もできずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる。  傍に押し詰められているものは口々にどこだ、どこだと号ぶ。聞かれるものは、そこだそこだと云う。けれども両方共に焔の起る所までは行かれない。は勢いを得て、静かな空を煽るように、凄じく上る。……  翌日午過散歩のついでに、火元を見届ようと思う好奇心から、例の坂を上って、昨夕の路次を抜けて、蒸汽喞筒の留まっていた組屋敷へ出て、二三間先の曲角をまがって、ぶらぶら歩いて見たが、冬籠りと見える家が軒を並べてひそりと静まっているばかりである。焼け跡はどこにも見当らない。火の揚がったのはこの辺だと思われる所は、奇麗な杉垣ばかり続いて、そのうちの一軒からは微かに琴の音が洩れた。 霧  昨宵は夜中枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大停車場のある御蔭である。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それを細かに割りつけて見ると、一分に一と列車ぐらいずつ出入をする訳になる。その各列車が霧の深い時には、何かの仕掛で、停車場間際へ来ると、爆竹のような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。  寝台を這い下りて、北窓の日蔽を捲き上げて外面を見おろすと、外面は一面に茫としている。下は芝生の底から、三方煉瓦の塀に囲われた一間余の高さに至るまで、何も見えない。ただ空しいものがいっぱい詰っている。そうして、それが寂として凍っている。隣の庭もその通りである。この庭には奇麗なローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い髯を生した御爺さんが日向ぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚鵡を留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の嘴で突つかれそうに近く、鳥の傍へ持って行く。鸚鵡は羽搏きをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長い裾を引いて、絶え間なく芝刈器械をローンの上に転がしている。この記憶に富んだ庭も、今は全く霧に埋って、荒果てた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。  裏通りを隔てて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天辺でいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く尖った頂きは無論の事、切石を不揃に畳み上げた胴中さえ所在がまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の音はまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く鎖された。  表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮まったかと思うと、歩けば歩るくほど新しい二間四方が露われる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任せて消えて行く。  四つ角でバスを待ち合せていると、鼠色の空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を冒して、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行き逢うときは、行き逢った時だけ奇麗だなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った空の中に消えてしまう。漠々として無色の裡に包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を掠めて翻がえった。眸を凝らして、その行方を見つめていると、封じ込められた大気の裡に、鴎が夢のように微かに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンが厳に十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ音だけがする。  ヴィクトリヤで用を足して、テート画館の傍を河沿にバタシーまで来ると、今まで鼠色に見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥炭を溶いて濃く、身の周囲に流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とに逼って来た。外套は抑えられたかと思うほど湿っている。軽い葛湯を呼吸するばかりに気息が詰まる。足元は無論穴蔵の底を踏むと同然である。  自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらく茫然と佇立んだ。自分の傍を人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時この濛々たる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれを目標に、四歩ばかりを動かした。するとある店先の窓硝子の前へ顔が出た。店の中では瓦斯を点けている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。  バタシーを通り越して、手探りをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上は仕舞屋ばかりである。同じような横町が幾筋も並行して、青天の下でも紛れやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほど真直に歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首を傾けていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだん遠退いて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとは寂としている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。 懸物  大刀老人は亡妻の三回忌までにはきっと一基の石碑を立ててやろうと決心した。けれども倅の痩腕を便に、ようやく今日を過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工面をしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨めしいほど無雑作にそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸物も、とうに融通の利くものに変形したはずである。  この懸物は方一尺ほどの絹地で、時代のために煤竹のような色をしている。暗い座敷へ懸けると、暗澹として何が画いてあるか分らない。老人はこれを王若水の画いた葵だと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつ袋戸棚から出して、桐の箱の塵を払って、中のものを丁寧に取り出して、直に三尺の壁へ懸けては、眺めている。なるほど眺めていると、煤けたうちに、古血のような大きな模様がある。緑青の剥げた迹かと怪しまれる所も微かに残っている。老人はこの模糊たる唐画の古蹟に対って、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時は懸物をじっと見つめながら、煙草を吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指を触けようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、触ってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、悪戯をしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、袋戸棚へしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内の飴屋へ寄って、薄荷入の鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。倅が晩婚なので小供は六つと四つである。  倅と相談をした翌日、老人は桐の箱を風呂敷に包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へ懸けて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、落款がないとか、画が剥げているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うものがなかったのだそうである。  倅は道具屋は廃しになさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱を抱えて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼の明かない男にどうして譲れるものか、あすこにあるものは、みんな贋物だ、とさも倅の不徳義のように云った。倅は苦笑していた。  二月の初旬に偶然旨い伝手ができて、老人はこの幅を去る好事家に売った。老人は直に谷中へ行って、亡妻のために立派な石碑を誂えた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほど後れて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もう一遍見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前には透き徹るような臘梅が活けてあったのだそうだ。老人はそこで御茶の御馳走になったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。 紀元節  南向きの部屋であった。明かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃えて、塗板を眺めていると、廊下から先生が這入って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠せた男で、顎から頬へ掛けて、髯が爺汚く生えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触る着物の襟が薄黒く垢附いて見えた。この着物と、この髯の不精に延びるのと、それから、かつて小言を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。  先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。  すると、後から三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓の傍へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍へ新しく紀と肉太に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。 「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。  記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。 儲口 「あっちは栗の出る所でしてね。まあ相場がざっと両に四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升に一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵拵えて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜しいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一間もあろうと云う大きな樽を持ち出して、水をその中へどんどん汲み込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵をほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴は本当に食えないもんだと後になって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打ち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎笊でしゃくってね、ペケだって、俵の目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍で見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入ってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打遣って来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。 「それから薩摩芋を買い込んだこともありまさあ。一俵四円で、二千俵の契約でね。ところが注文の来たのが月半、十四日でして二十五日までにと云うんだから、どう骨を折ったって二千俵と云う数が寄りっこありませんや。とうてい駄目だからって、一応断りました。実を云うと残念でしたがな。すると商館の番頭がいうには、否契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三勧めるもんだから、ついその気になりましてね。――いえ芋は支那へ行くんじゃありません。亜米利加でした。やッぱり亜米利加にも薩摩芋を食う奴があると見えるんですよ。妙な事があるもんで、――で、さっそく買収にかかりました。埼玉から川越の方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。でもようやくの事で、とうとう二十八日過ぎに約束通りの俵を持って、行きますと、――実に狡猾な奴がいるもんで、約定書のうちに、もしはなはだしい日限の違約があるときは、八千円の損害賠償を出すと云う項目があるんですよ。ところが彼はその条款を応用しちまって、どうしても代金を渡さないんです。もっとも手付は四千円取っておきましたがね。そうこうしている内に、先方では芋を船へ積み込んじまったから、どうする事もできない訳になりました。あんまり業腹だから、千円の保証金を納めましてね、現物取押を申請して、とうとう芋を取り押えてやりました。ところが上には上があるもんで、先方は八千円の保証金を納めて、構わず船を出しちまったんです。でいよいよ裁判になったにはなったんですが、何しろ約定書が入れてあるもんだから、しようがない。私は裁判官の前で泣きましたね。芋はただ取られる、裁判には負ける、こんな馬鹿な事はない、少しは、まあ私の身になって考えて見て下さいって。裁判官も腹のなかでは、だいぶ私の方に同情した様子でしたが、法律の力じゃ、どうする事もできないもんですからな。とうとう負けました」 行列  ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間にか[#「いつの間にか」は底本では「いつの間か」]、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮られて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒かになる。  その時この二尺あまりの隙間に、空を踏んで、手摺の高さほどのものがあらわれた。赤に白く唐草を浮き織りにした絹紐を輪に結んで、額から髪の上へすぽりと嵌めた間に、海棠と思われる花を青い葉ごと、ぐるりと挿した。黒髪の地に薄紅の莟が大きな雫のごとくはっきり見えた。割合に詰った顎の真下から、一襞になって、ただ一枚の紫が縁までふわふわと動いている。袖も手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。後から、――  今度は少し低い。真紅の厚い織物を脳天から肩先まで被って、余る背中に筋違の笹の葉の模様を背負っている。胴中にただ一葉、消炭色の中に取り残された緑が見える。それほど笹の模様は大きかった。廊下に置く足よりも大きかった。その足が赤くちらちらと三足ほど動いたら、低いものは、戸口の幅を、音なく行き過ぎた。  第三の頭巾は白と藍の弁慶の格子である。眉廂の下にあらわれた横顔は丸く膨らんでいる。その片頬の真中が林檎の熟したほどに濃い。尻だけ見える茶褐色の眉毛の下が急に落ち込んで、思わざる辺から丸い鼻が膨れた頬を少し乗り越して、先だけ顔の外へ出た。顔から下は一面に黄色い縞で包まれている。長い袖を三寸余も縁に牽いた。これは頭より高い胡麻竹の杖を突いて来た。杖の先には光を帯びた鳥の羽をふさふさと着けて、照る日に輝かした。縁に牽く黄色い縞の、袖らしい裏が、銀のように光ったと思ったらこれも行き過ぎた。  すると、すぐ後から真白な顔があらわれた。額から始まって、平たい頬を塗って、顎から耳の附根まで遡ぼって、壁のように静かである。中に眸だけが活きていた。唇は紅の色を重ねて、青く光線を反射した。胸のあたりは鳩の色のように見えて、下は裾までばっと視線を乱している中に、小さなヴァイオリンを抱えて、長い弓を厳かに担いでいる。二足で通り過ぎる後には、背中へ黒い繻子の四角な片をあてて、その真中にある金糸の刺繍が、一度に日に浮いた。  最後に出たものは、全く小さい。手摺の下から転げ落ちそうである。けれども大きな顔をしている。その中でも頭はことに大きい。それへ五色の冠を戴いてあらわれた。冠の中央にあるぽっちが高く聳えているように思われる。身には井の字の模様のある筒袖に、藤鼠の天鵞絨の房の下ったものを、背から腰の下まで三角に垂れて、赤い足袋を踏んでいた。手に持った朝鮮の団扇が身体の半分ほどある。団扇には赤と青と黄で巴を漆で描いた。  行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、空しい日の光を、書斎の入口に送って、縁側に幅四尺の寂しさを感じた時、向うの隅で急にヴァイオリンを擦る音がした。ついで、小さい咽喉が寄り合って、どっと笑う声がした。  宅の小供は毎日母の羽織や風呂敷を出して、こんな遊戯をしている。 昔  ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄んでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔し、二百年の昔にかえって、やすやすと寂びてしまう。人は世に熟れた顔を揃えて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地を透かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。  自分の家はこの雲とこの谷を眺めるに都合好く、小さな丘の上に立っている。南から一面に家の壁へ日があたる。幾年十月の日が射したものか、どこもかしこも鼠色に枯れている西の端に、一本の薔薇が這いかかって、冷たい壁と、暖かい日の間に挟まった花をいくつか着けた。大きな弁は卵色に豊かな波を打って、萼から翻えるように口を開けたまま、ひそりとところどころに静まり返っている。香は薄い日光に吸われて、二間の空気の裡に消えて行く。自分はその二間の中に立って、上を見た。薔薇は高く這い上って行く。鼠色の壁は薔薇の蔓の届かぬ限りを尽くして真直に聳えている。屋根が尽きた所にはまだ塔がある。日はそのまた上の靄の奥から落ちて来る。  足元は丘がピトロクリの谷へ落ち込んで、眼の届く遥の下が、平たく色で埋まっている。その向う側の山へ上る所は層々と樺の黄葉が段々に重なり合って、濃淡の坂が幾階となく出来ている。明かで寂びた調子が谷一面に反射して来る真中を、黒い筋が横に蜿って動いている。泥炭を含んだ渓水は、染粉を溶いたように古びた色になる。この山奥に来て始めて、こんな流を見た。  後から主人が来た。主人の髯は十月の日に照らされて七分がた白くなりかけた。形装も尋常ではない。腰にキルトというものを着けている。俥の膝掛のように粗い縞の織物である。それを行灯袴に、膝頭まで裁って、竪に襞を置いたから、膝脛は太い毛糸の靴足袋で隠すばかりである。歩くたびにキルトの襞が揺れて、膝と股の間がちらちら出る。肉の色に恥を置かぬ昔の袴である。  主人は毛皮で作った、小さい木魚ほどの蟇口を前にぶら下げている。夜煖炉の傍へ椅子を寄せて、音のする赤い石炭を眺めながら、この木魚の中から、パイプを出す、煙草を出す。そうしてぷかりぷかりと夜長を吹かす。木魚の名をスポーランと云う。  主人といっしょに崖を下りて、小暗い路に這入った。スコッチ・ファーと云う常磐木の葉が、刻み昆布に雲が這いかかって、払っても落ちないように見える。その黒い幹をちょろちょろと栗鼠が長く太った尾を揺って、駆け上った。と思うと古く厚みのついた苔の上をまた一匹、眸から疾く駆け抜けたものがある。苔は膨れたまま動かない。栗鼠の尾は蒼黒い地を払子のごとくに擦って暗がりに入った。  主人は横をふり向いて、ピトロクリの明るい谷を指さした。黒い河は依然としてその真中を流れている。あの河を一里半北へ溯るとキリクランキーの峡間があると云った。  高地人と低地人とキリクランキーの峡間で戦った時、屍が岩の間に挟って、岩を打つ水を塞いた。高地人と低地人の血を飲んだ河の流れは色を変えて三日の間ピトロクリの谷を通った。  自分は明日早朝キリクランキーの古戦場を訪おうと決心した。崖から出たら足の下に美しい薔薇の花弁が二三片散っていた。 声  豊三郎がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸の音がする。  豊三郎は坐ったまま手を延して障子を明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧桐の枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜気もなく股の根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥しくなった。同時に空しい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬杖を突いて、何気なく、梧桐の上を高く離れた秋晴を眺めていた。  豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐かしい故郷の記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥かの向にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。  山の裾に大きな藁葺があって、村から二町ほど上ると、路は自分の門の前で尽きている。門を這入る馬がある。鞍の横に一叢の菊を結いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋の棟を照らしている。後の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸の時節である。豊三郎は机の上で今採ったばかりの茸の香を嗅いだ。そうして、豊、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。  豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先刻見た梧桐の先がまた眸に映った。延びようとする枝が、一所で伐り詰められているので、股の根は、瘤で埋まって、見悪いほど窮屈に力が入っている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔てて、垣根の外を見下すと、汚ない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲団が遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。  ところどころ縞の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏しい髪を、大きな櫛のまわりに巻きつけて、茫然と、枝を透かした梧桐の頂辺を見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼くむくんでいる。婆さんは腫れぼったい瞼の奥から細い眼を出して、眩しそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。  三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁で括って貰って、徳利のような花瓶へ活けた。行李の底から、帆足万里の書いた小さい軸を出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座蒲団の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊々と云う声がした。その声が調子と云い、音色といい、優しい故郷の母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障子をがらりと開けた。すると昨日見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻えして下から豊三郎を見上げた。 金  劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭になった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃の腑まで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰って、いかにも苦しい。そこで帽子を被って空谷子の所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占者みたような、妙な男である。無辺際の空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾々の眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。  空谷子は小さな角火鉢に倚れて、真鍮の火箸で灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今金の事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。 「金は魔物だね」  空谷子の警句としてははなはだ陳腐だと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸を描いて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。 「これが何にでも変化する。衣服にもなれば、食物にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」 「下らんな。知れ切ってるじゃないか」 「否、知れ切っていない。この丸がね」とまた大きな丸を描いた。 「この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通が利き過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな」 「どうして」 「どうしても好いが、――例えば金を五色に分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう」 「そうして、どうするんだ」 「どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦の破片同様まるで幅が利かないようにして、融通の制限をつけるのさ」  もし空谷子が初対面の人で、初対面の最先からこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のある論客と認めたかも知れない。しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。空谷子の答はこうであった。 「金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、彼是相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万噸の石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるに一度この器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界が攪乱されてしまう。不都合極まる魔物じゃないか。だから色分にして、少しその分を知らしめなくっちゃいかんよ」  自分は色分説に賛成した。それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。 「器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう」 「そうさな。今のような善知善能の金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな」  自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。 心  二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被って、白い髭を疎らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。古い鼓を天秤棒に括りつけて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんが筋向の医者の門の傍へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向の方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一摶に手摺の下まで飛んで来た。しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ちつかぬと見えて、二三度身ぶりを易える拍子に、ふと欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙るごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟を踏まえている。  まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合が著るしく自分の心を動かした。鶯に似て少し渋味の勝った翼に、胸は燻んだ、煉瓦の色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。その辺には柔かな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。怖すのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後へ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分は半ば無意識に右手を美しい鳥の方に出した。鳥は柔かな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸のすべてを挙げて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中に、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……の後はどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にその後が潜んでいて、総体を薄く暈すように見えた。この心の底一面に煮染んだものを、ある不可思議の力で、一所に集めて判然と熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直に籠の中に鳥を入れて、春の日影の傾くまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。  やがて散歩に出た。欣々然として、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、賑かな往来を行ける所まで行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人の後から、知らない人がいくらでも出て来る。いくら歩いても賑かで、陽気で、楽々しているから、自分はどこの点で世界と接触して、その接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、ほとんど想像も及ばない。知らない人に幾千人となく出逢うのは嬉しいが、ただ嬉しいだけで、その嬉しい人の眼つきも鼻つきもとんと頭に映らなかった。するとどこかで、宝鈴が落ちて廂瓦に当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小路の入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんな髷に結っていたか、ほとんど分らなかった。ただ眼に映ったのはその顔である。その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉と額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年の後まで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙って後を向いた。追いついて見ると、小路と思ったのは露次で、不断の自分なら躊躇するくらいに細くて薄暗い。けれども女は黙ってその中へ這入って行く。黙っている。けれども自分に後を跟けて来いと云う。自分は身を穿めるようにして、露次の中に這入った。  黒い暖簾がふわふわしている。白い字が染抜いてある。その次には頭を掠めるくらいに軒灯が出ていた。真中に三階松が書いて下に本とあった。その次には硝子の箱に軽焼の霰が詰っていた。その次には軒の下に、更紗の小片を五つ六つ四角な枠の中に並べたのが懸けてあった。それから香水の瓶が見えた。すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。女は二尺ほど前にいた。と思うと、急に自分の方をふり返った。そうして急に右へ曲った。その時自分の頭は突然先刻の鳥の心持に変化した。そうして女に尾いて、すぐ右へ曲った。右へ曲ると、前よりも長い露次が、細く薄暗く、ずっと続いている。自分は女の黙って思惟するままに、この細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥のようにどこまでも跟いて行った。 変化  二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今日までも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢で下調をした。部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、窓障子を明け放ったものである。その時窓の真下の家の、竹格子の奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。静かな夕暮などはその娘の顔も姿も際立って美しく見えた。折々はああ美しいなと思って、しばらく見下していた事もあった。けれども中村には何にも言わなかった。中村も何にも言わなかった。  女の顔は今は全く忘れてしまった。ただ大工か何かの娘らしかったという感じだけが残っている。無論長屋住居の貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人の寝起する所も、屋根に一枚の瓦さえ見る事のできない古長屋の一部であった。下には学僕と幹事を混ぜて十人ばかり寄宿していた。そうして吹き曝しの食堂で、下駄を穿いたまま、飯を食った。食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだ不味いものであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。もちろん肉の膏が少し浮いて、肉の香が箸に絡まって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事が狡猾で、旨いものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。  中村と自分はこの私塾の教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところが込みいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。  二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であった。二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃに攪き交ぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭若干を引いて、あまる金を懐に入れて、蕎麦や汁粉や寿司を食い廻って歩いた。共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。  予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。自分はうん出て来ると答えた。しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説などを読まない男であった。  中村が端艇競争のチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様の好なものを買ってやると云った。そうしてアーノルドの論文と沙翁のハムレットを買ってくれた。その本はいまだに持っている。自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。ちっとも分らなかった。  学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。それぎりまるで逢わなかったのが、偶然倫敦の真中でまたぴたりと出喰わした。ちょうど七年ほど前である。その時中村は昔の通りの顔をしていた。そうして金をたくさん持っていた。自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。中村も以前と異って、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。  日本へ帰ってからまた逢わなくなった。すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地の新喜楽まで来いと云って来た。正午までにという注文だのに、時計はもう十一時過である。そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事を控えていた。妻に電話を懸けさせて、明日じゃ都合が悪いかと聞かせると、明日になると出立の準備や何かで、こっちも忙しいから……と云うところで、電話が切れてしまった。いくら、どうしても懸らない。おおかた風のせいでしょうと、妻が寒い顔をして帰って来た。それでとうとう逢わずにしまった。  昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説をいまだかつて一頁も読んだ事はなかろう。 クレイグ先生  クレイグ先生は燕のように四階の上に巣をくっている。舗石の端に立って見上げたって、窓さえ見えない。下からだんだんと昇って行くと、股の所が少し痛くなる時分に、ようやく先生の門前に出る。門と申しても、扉や屋根のある次第ではない。幅三尺足らずの黒い戸に真鍮の敲子がぶら下がっているだけである。しばらく門前で休息して、この敲子の下端をこつこつと戸板へぶつけると、内から開けてくれる。  開けてくれるものは、いつでも女である。近眼のせいか眼鏡をかけて、絶えず驚いている。年は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。戸を敲くのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。  這入ると女はすぐ消えてしまう。そうして取附の客間――始めは客間とも思わなかった。別段装飾も何もない。窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。自分の這入って来るのを見ると、やあと云って手を出す。握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、向ではかつて握り返した事がない。こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそ廃したらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけな皺だらけな、そうして例によって消極的な手を出す。習慣は不思議なものである。  この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。始めて逢った時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七志じゃどうだろう。多過ぎればもっと負けても好いと云われた。それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意に先生から催促を受ける事があった。君、少し金が入るから払って行ってくれんかなどと云われる。自分は洋袴の隠しから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手を拡げて、ちょっと掌の上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。困る事には先生けっして釣を渡さない。余分を来月へ繰り越そうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。  先生は愛蘭土の人で言葉がすこぶる分らない。少し焦きこんで来ると、東京者が薩摩人と喧嘩をした時くらいにむずかしくなる。それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。  その顔がまたけっして尋常じゃない。西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。そこは自分に善く似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。その代りそこいら中むしゃくしゃしていて、何となく野趣がある。髯などはまことに御気の毒なくらい黒白乱生していた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭を忘れた御者かと思った。  先生の白襯衣や白襟を着けたのはいまだかつて見た事がない。いつでも縞のフラネルをきて、むくむくした上靴を足に穿いて、その足を煖炉の中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝を敲いて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪を嵌めていた。――時には敲く代りに股を擦って、教えてくれる。もっとも何を教えてくれるのか分らない。聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。時によると昨日と今日で両極へ引越しをする事さえある。わるく云えば、まあ出鱈目で、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいで纏った規則正しい講義などのできる訳のものではないのだから、これは先生の方がもっともなので、それを不平に考えた自分は馬鹿なのである。もっとも先生の頭も、その髯の代表するごとく、少しは乱雑に傾いていたようでもあるから、むしろ報酬の値上をして、えらい講義をして貰わない方がよかったかも知れない。  先生の得意なのは詩であった。詩を読むときには顔から肩の辺が陽炎のように振動する。――嘘じゃない。全く振動した。その代り自分に読んでくれるのではなくって、自分が一人で読んで楽んでいる事に帰着してしまうからつまりはこっちの損になる。いつかスウィンバーンのロザモンドとか云うものを持って行ったら、先生ちょっと見せたまえと云って、二三行朗読したが、たちまち書物を膝の上に伏せて、鼻眼鏡をわざわざはずして、ああ駄目駄目スウィンバーンも、こんな詩を書くように老い込んだかなあと云って嘆息された。自分がスウィンバーンの傑作アタランタを読んでみようと思い出したのはこの時である。  先生は自分を小供のように考えていた。君こう云う事を知ってるか、ああ云う事が分ってるかなどと愚にもつかない事をたびたび質問された。かと思うと、突然えらい問題を提出して急に同輩扱に飛び移る事がある。いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかる後耳を通過しなければまるで分らないのである。そこで好い加減な挨拶をした。シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。がおかしい事に、先生はその時例の膝を叩いて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。  ある時窓から首を出して、遥かの下界を忙しそうに通る人を見下しながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、可愛相なものだ。いったい英吉利人は詩を解する事のできない国民でね。そこへ行くと愛蘭土人はえらいものだ。はるかに高尚だ。――実際詩を味う事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。と云われた。自分を詩の分る方の仲間へ入れてくれたのははなはだありがたいが、その割合には取扱がすこぶる冷淡である。自分はこの先生においていまだ情合というものを認めた事がない。全く器械的にしゃべってる御爺さんとしか思われなかった。  けれどもこんな事があった。自分のいる下宿がはなはだ厭になったから、この先生の所へでも置いて貰おうかしらと思って、ある日例の稽古を済ましたあと、頼んで見ると、先生たちまち膝を敲いて、なるほど、僕のうちの部屋を見せるから、来たまえと云って、食堂から、下女部屋から、勝手から、一応すっかり引っ張り回して見せてくれた。固より四階裏の一隅だから広いはずはない。二三分かかると、見る所はなくなってしまった。先生はそこで、元の席へ帰って、君こういう家なんだから、どこへも置いて上げる訳には行かないよと断るかと思うと、たちまちワルト・ホイットマンの話を始めた。昔ホイットマンが来て自分の家へしばらく逗留していた事がある――非常に早口だから、よく分らなかったが、どうもホイットマンの方が来たらしい――で、始めあの人の詩を読んだ時はまるで物にならないような心持がしたが、何遍も読み過しているうちにだんだん面白くなって、しまいには非常に愛読するようになった。だから……  書生に置いて貰う件は、まるでどこかへ飛んで行ってしまった。自分はただ成行に任せてへえへえと云って聞いていた。何でもその時はシェレーが誰とかと喧嘩をしたとか云う事を話して、喧嘩はよくない、僕は両方共好きなんだから、僕の好きな二人が喧嘩をするのははなはだよくないと故障を申し立てておられた。いくら故障を申し立てても、もう何十年か前に喧嘩をしてしまったのだから仕方がない。  先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。そうしてそれが見当らないと、大いに焦きこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、仰山な声をして呼び立てる。すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。 「お、おれの『ウォーズウォース』はどこへやった」  婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応書棚を見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、「ウォーズウォース」を見つけ出す。そうして、「ヒヤ、サー」と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指で汚ない表紙をぴしゃぴしゃ敲きながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へ退って行く。先生は二分も三分も「ウォーズウォース」を敲いている。そうしてせっかく捜して貰った「ウォーズウォース」をついに開けずにしまう。  先生は時々手紙を寄こす。その字がけっして読めない。もっとも二三行だから、何遍でも繰返して見る時間はあるが、どうしたって判定はできない。先生から手紙がくれば差支があって稽古ができないと云うことと断定して始めから読む手数を省くようにした。たまに驚いた婆さんが代筆をする事がある。その時ははなはだよく分る。先生は便利な書記を抱えたものである。先生は、自分に、どうも字が下手で困ると嘆息していられた。そうして君の方がよほど上手だと云われた。  こう云う字で原稿を書いたら、どんなものができるか心配でならない。先生はアーデン・シェクスピヤの出版者である。よくあの字が活版に変形する資格があると思う。先生は、それでも平気に序文をかいたり、ノートをつけたりして済している。のみならず、この序文を見ろと云ってハムレットへつけた緒言を読まされた事がある。その次行って面白かったと云うと、君日本へ帰ったら是非この本を紹介してくれと依頼された。アーデン・シェクスピヤのハムレットは自分が帰朝後大学で講義をする時に非常な利益を受けた書物である。あのハムレットのノートほど周到にして要領を得たものはおそらくあるまいと思う。しかしその時はさほどにも感じなかった。しかし先生のシェクスピヤ研究にはその前から驚かされていた。  客間を鍵の手に曲ると六畳ほどな小さな書斎がある。先生が高く巣をくっているのは、実を云うと、この四階の角で、その角のまた角に先生にとっては大切な宝物がある。――長さ一尺五寸幅一尺ほどな青表紙の手帳を約十冊ばかり併べて、先生はまがな隙がな、紙片に書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、吝坊が穴の開いた銭を蓄るように、ぽつりぽつりと殖やして行くのを一生の楽みにしている。この青表紙が沙翁字典の原稿であると云う事は、ここへ来出してしばらく立つとすぐに知った。先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子を抛って、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。大学の椅子さえ抛つくらいだから、七志の御弟子を疎末にするのは無理もない。先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜槃桓磅しているのみである。  先生、シュミッドの沙翁字彙がある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。すると先生はさも軽蔑を禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁として完膚なきまで真黒になっている。自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。先生はすこぶる得意である。君、もしシュミッドと同程度のものを拵えるくらいなら僕は何もこんなに骨を折りはしないさと云って、また二本の指を揃えて真黒なシュミッドをぴしゃぴしゃ敲き始めた。 「全体いつ頃から、こんな事を御始めになったんですか」  先生は立って向うの書棚へ行って、しきりに何か捜し出したが、また例の通り焦れったそうな声でジェーン、ジェーン、おれのダウデンはどうしたと、婆さんが出て来ないうちから、ダウデンの所在を尋ねている。婆さんはまた驚いて出て来る。そうしてまた例のごとくヒヤ、サーと窘めて帰って行くと、先生は婆さんの一拶にはまるで頓着なく、餓じそうに本を開けて、うんここにある。ダウデンがちゃんと僕の名をここへ挙げてくれている。特別に沙翁を研究するクレイグ氏と書いてくれている。この本が千八百七十……年の出版で僕の研究はそれよりずっと前なんだから……自分は全く先生の辛抱に恐れ入った。ついでに、じゃいつ出来上るんですかと尋ねて見た。いつだか分るものか、死ぬまでやるだけの事さと先生はダウデンを元の所へ入れた。  自分はその後しばらくして先生の所へ行かなくなった。行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授は要らんかね。僕も若いと行くがなと云って、何となく無常を感じたような顔をしていられた。先生の顔にセンチメントの出たのはこの時だけである。自分はまだ若いじゃありませんかといって慰めたら、いやいやいつどんな事があるかも知れない。もう五十六だからと云って、妙に沈んでしまった。  日本へ帰って二年ほどしたら、新着の文芸雑誌にクレイグ氏が死んだと云う記事が出た。沙翁の専門学者であると云うことが、二三行書き加えてあっただけである。自分はその時雑誌を下へ置いて、あの字引はついに完成されずに、反故になってしまったのかと考えた。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年6月14日公開 2011年1月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 現代日本の開化 現代日本の開化 ――明治四十四年八月和歌山において述―― 夏目漱石  はなはだお暑いことで、こう暑くては多人数お寄合いになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだろうと思います。ことに承(うけたまわ)れば昨日も何か演説会があったそうで、そう同じ催しが続いてはいくらあたらない保証のあるものでも多少は流行過(はやりすぎ)の気味で、お聴きになるのもよほど御困難だろうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもそう楽ではありません。ことにただいま牧君の紹介で漱石君の演説は迂余曲折(うよきょくせつ)の妙があるとか何とかいう広告めいた賛辞をちょうだいした後に出て同君の吹聴通(ふいちょうどお)りをやろうとするとあたかも迂余曲折の妙を極めるための芸当を御覧に入れるために登壇したようなもので、いやしくもその妙を極めなければ降りることができないような気がして、いやが上にやりにくい羽目に陥(おちい)ってしまう訳であります。実はここへ出て参る前ちょっと先番の牧君に相談をかけた事があるのです。これは内々ですが思い切って打明けて御話ししてしまいます。と云うほどの秘密でもありませんが、全くのところ今日の講演は長時間諸君に対して御話をする材料が不足のような気がしてならなかったから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると気丈夫(きじょうぶ)な返事をしてくれたので、たちまち親船(おやぶね)に乗ったような心持になって、それじゃア少し伸ばしていただきたいと頼んでおきました。その結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評を試みられたのはもともと私の注文から出た事ではなはだありがたいには違ないけれども、その代り厭(いや)にやり悪(にく)くなってしまった事もまた争われない事実です。元来がそう云う情ない依頼をあえてするくらいですから曲折どころではない、真直(まっすぐ)に行き当ってピタリと終(しま)いになるべき演説であります。なかなかもって抑揚頓挫(よくようとんざ)波瀾曲折(はらんきょくせつ)の妙を極めるだけの材料などは薬にしたくも持合せておりません。とそう言ったところで何もただボンヤリ演壇に登った訳でもないので、ここへ出て来るだけの用意は多少準備して参ったには違ないのです。もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社の方では和歌山をその中(うち)へ割り振ってくれたのです。御蔭(おかげ)で私もまだ見ない土地や名所などを捜る便宜を得ましたのは好都合です。そのついでに演説をする――のではない演説のついでに玉津島だの紀三井寺などを見た訳でありますからこれらの故跡や名勝に対しても空手(からて)では参れません。御話をする題目はちゃんと東京表(とうきょうおもて)できめて参りました。  その題目は「現代日本の開化」と云うので、現代と云う字は下へ持って来ても上へ持って来ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構いません。「現代」と云う字があって「日本」と云う字があって「開化」と云う字があって、その間へ「の」の字が入っていると思えばそれだけの話です。何の雑作(ぞうさ)もなくただ現今の日本の開化と云う、こういう簡単なものです。その開化をどうするのだと聞かれれば、実は私の手際(てぎわ)ではどうもしようがないので、私はただ開化の説明をして後はあなた方の御高見に御任せするつもりであります。では開化を説明して何になる? とこう御聞きになるかも知れないが、私は現代の日本の開化という事が諸君によく御分りになっているまいと思う。御分りになっていなかろうと思うと云うと失礼ですけれども、どうもこれが一般の日本人によく呑(の)み込めていないように思う。私だってそれほど分ってもいないのです。けれどもまず諸君よりもそんな方面に余計頭を使う余裕のある境遇におりますから、こういう機会を利用して自分の思ったところだけをあなた方に聞いていただこうというのが主眼なのです。どうせあなた方も私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも未来の人間でも何でもない上に現に開化の影響を受けているのだから、現代と日本と開化と云う三つの言葉は、どうしても諸君と私とに切っても切れない離すべからざる密接な関係があるのは分り切った事ですが、それにもかかわらず、御互に現代の日本の開化について無頓着(むとんじゃく)であったり、または余りハッキリした理会(りかい)をもっていなかったならば、万事に勝手が悪い訳だから、まあ互に研究もし、また分るだけは分らせておく方が都合が好かろうと思うのであります。それについては少し学究めきますが、日本とか現代とかいう特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立してその性質を調べる必要があると考えます。御互いに開化と云う言葉を使っておって、日に何遍も繰返(くりかえ)しているけれども、はたして開化とはどんなものだと煎(せん)じつめて聞き糺(ただ)されて見ると、今まで互に了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰違っていたりあるいはもってのほかに漠然(ばくぜん)と曖昧(あいまい)であったりするのはよく有る事だから私はまず開化の定義からきめてかかりたいのです。  もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工(のりざいく)のように硬張(こわば)ってしまう。複雑な特性を簡単に纏(まと)める学者の手際(てぎわ)と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂濶(うかつ)を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。その弊所をごく分りやすく一口に御話すれば生きたものを故(わざ)と四角四面の棺(かん)の中へ入れてことさらに融通が利(き)かないようにするからである。もっとも幾何学などで中心から円周に到(いた)る距離がことごとく等しいものを円と云うというような定義はあれで差支(さしつかえ)ない、定義の便宜があって弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円(まる)いものを説明すると云わんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上とりきめたまでであるから古往今来変りっこないのでどこまでもこの定義一点張りで押して行かれるのです。その他四角だろうが三角だろうが幾何的に存在している限りはそれぞれの定義でいったん纏(まと)めたらけっして動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので過去現在未来を通じて動かないものははなはだ少ない。ことにそれ自身に活動力を具(そな)えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏(まと)っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩(くず)れ出さないとも云えない。要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵(こしら)え出したのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければいわゆる杓子定規(しゃくしじょうぎ)とかでいっこう気の利(き)かない定義になってしまいます。ちょうど汽車がゴーッと馳(か)けて来る、その運動の一瞬間すなわち運動の性質の最も現われ悪(にく)い刹那(せつな)の光景を写真にとって、これが汽車だこれが汽車だと云ってあたかも汽車のすべてを一枚の裏(うち)に写し得たごとく吹聴(ふいちょう)すると一般である。なるほどどこから見ても汽車に違ありますまい。けれども汽車に見逃してはならない運動というものがこの写真のうちには出ていないのだから実際の汽車とはとうてい比較のできないくらい懸絶していると云わなければなりますまい。御存じの琥珀(こはく)と云うものがありましょう。琥珀の中に時々蠅(はえ)が入ったのがある。透(す)かして見ると蠅に違ありませんが、要するに動きのとれない蠅であります。蠅でないとは言えぬでしょうが活きた蠅とは云えますまい。学者の下す定義にはこの写真の汽車や琥珀の中の蠅に似て鮮(あざや)かに見えるが死んでいると評しなければならないものがある。それで注意を要するというのであります。つまり変化をするものを捉(とら)えて変化を許さぬかのごとくピタリと定義を下す。巡査と云うものは白い服を着てサーベルを下げているものだなどとてんからきめられた日には巡査もやりきれないでしょう。家(うち)へ帰って浴衣(ゆかた)も着換える訳に行かなくなる。この暑いのに剣ばかり下げていなければすまないのは可哀想だ。騎兵とは馬に乗るものである。これも御尤(ごもっとも)には違ないが、いくら騎兵だって年が年中馬に乗りつづけに乗っている訳にも行かないじゃありませんか。少しは下りたいでさア。こう例を挙(あ)げれば際限がないから好加減(いいかげん)に切り上げます。実は開化の定義を下す御約束をしてしゃべっていたところがいつの間(ま)にか開化はそっち退(の)けになってむずかしい定義論に迷い込んではなはだ恐縮です。がこのくらい注意をした上でさて開化とは何者だと纏(まと)めてみたら幾分か学者の陥りやすい弊害を避け得られるしまたその便宜をも受ける事ができるだろうと思うのです。  でいよいよ開化に出戻りを致しますが、開化と云うものも、汽車とか蠅とか巡査とか騎兵とか云うようなもののごとくに動いている。それで開化の一瞬間をとってカメラにピタリと入れて、そうしてこれが開化だと提(さ)げて歩く訳には行きません。私は昨日和歌の浦を見物しましたが、あすこを見た人のうちで和歌の浦は大変浪(なみ)の荒い所だと云う人がある。かと思うと非常に静かな所だと云う人もある。どっちがよいのか分らない。だんだん聞いて見ると、一方は浪の非常に荒い時に行き、一方は非常に静かな時に行った違から話がこう表裏して来たのである。固(もと)より見た通なんだから両方とも嘘(うそ)ではない。がまた両方とも本当でもない。これに似寄りの定義は、あっても役に立たぬことはない。が、役に立つと同時に害をなす事も明かなんだから、開化の定義と云うものも、なるべくはそう云う不都合を含んでいないように致したいのが私の希望であります。が、そうするとボンヤリして来る。恨(うら)むらくはボンヤリして来る。けれどもボンヤリしてもほかのものと区別ができればそれでよいでしょう。さっき牧君の紹介があったように夏目君の講演はその文章のごとく時とすると門口から玄関へ行くまでにうんざりする事があるそうで誠に御気の毒の話だが、なるほどやってみるとその通り、これでようやく玄関まで着きましたから思いきって本当の定義に移りましょう。  開化は人間活力の発現の経路である。と私はこう云いたい。私ばかりじゃない、あなた方だってそういうでしょう。もっともそう云ったところで別に書物に書いてある訳でも何でもない、私がそう言いたいまでの事であるがその代り珍らしくも何ともない。がこれすこぶる漠然(ばくぜん)としている。前口上を長々述べ立てた後でこのくらいの定義を御吹聴(ごふいちょう)に及んだだけではあまり人を馬鹿にしているようですが、まあそこから定めてかからないと曖昧(あいまい)になるから、実はやむをえないのです。それで人間の活力と云うものが今申す通り時の流を沿うて発現しつつ開化を形造って行くうちに私は根本的に性質の異った二種類の活動を認めたい、否確かに認めるのであります。  その二通りのうち一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。何か月並のような講釈をしてすみませんが、人間活力の発現上積極的と云う言葉を用いますと、勢力の消耗を意味する事になる。またもう一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ防ごうとする活動なり工夫(くふう)なりだから前のに対して消極的と申したのであります。この二つの互いに喰違って反(そり)の合わないような活動が入り乱れたりコンガラカッたりして開化と云うものが出来上るのであります。これでもまだ抽象的でよくお分りにならないかも知れませんが、もう少し進めば私の意味は自(おのずか)ら明暸(めいりょう)になるだろうと信じます。元来人間の命とか生(せい)とか称するものは解釈次第でいろいろな意味にもなりまたむずかしくもなりますが要するに前(ぜん)申したごとく活力の示現とか進行とか持続とか評するよりほかに致し方のない者である以上、この活力が外界の刺戟(しげき)に対してどう反応するかという点を細かに観察すればそれで吾人人類の生活状態もほぼ了解ができるような訳で、その生活状態の多人数の集合して過去から今日に及んだものがいわゆる開化にほかならないのは今さら申上げるまでもありますまい。さて吾々(われわれ)の活力が外界の刺戟(しげき)に反応する方法は刺戟の複雑である以上固(もと)より多趣多様千差万別に違ないが、要するに刺戟の来るたびに吾が活力をなるべく制限節約してできるだけ使うまいとする工夫と、また自ら進んで適意の刺戟を求め能(あと)うだけの活力を這裏(しゃり)に消耗して快を取る手段との二つに帰着してしまうよう私は考えているのであります。で前のを便宜(べんぎ)のため活力節約の行動と名づけ後者をかりに活力消耗の趣向とでも名づけておきましょうが、この活力節約の行動はどんな場合に起るかと云えば現代の吾々が普通用いる義務という言葉を冠して形容すべき性質の刺戟(しげき)に対して起るのであります。従来の徳育法及び現今とても教育上では好んで義務を果す敢為邁往(かんいまいおう)の気象(きしょう)を奨励するようですがこれは道徳上の話で道徳上しかなくてはならぬもしくはしかする方が社会の幸福だと云うまでで、人間活力の示現を観察してその組織の経緯一つを司(つかさ)どる大事実から云えばどうしても今私が申し上げたように解釈するよりほか仕方がないのであります。吾々もお互に義務は尽さなければならんものと始終思い、また義務を尽した後は大変心持が好いのであるが、深くその裏面に立ち入って内省して見ると、願(ねがわ)くはこの義務の束縛を免(まぬ)かれて早く自由になりたい、人から強(し)いられてやむをえずする仕事はできるだけ分量を圧搾(あっさく)して手軽に済ましたいという根性が常に胸の中(うち)につけまとっている。その根性が取(とり)も直(なお)さず活力節約の工夫(くふう)となって開化なるものの一大原動力を構成するのであります。  かく消極的に活力を節約しようとする奮闘に対して一方ではまた積極的に活力を任意随所に消耗しようという精神がまた開化の一半を組み立てている。その発現の方法もまた世が進めば進むほど複雑になるのは当然であるが、これをごく約(つづ)めてどんな方面に現われるかと説明すればまず普通の言葉で道楽という名のつく刺戟(しげき)に対し起るものだとしてしまえば一番早分りであります。道楽と云えば誰も知っている。釣魚(つり)をするとか玉を突くとか、碁(ご)を打つとか、または鉄砲を担(かつ)いで猟に行くとか、いろいろのものがありましょう。これらは説明するがものはないことごとく自から進んで強(し)いられざるに自分の活力を消耗して嬉(うれ)しがる方であります。なお進んではこの精神が文学にもなり科学にもなりまたは哲学にもなるので、ちょっと見るとはなはだむずかしげなものも皆道楽の発現に過ぎないのであります。  この二様の精神すなわち義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑極(きわま)りなき開化と云うものができるのだと私は考えています。その結果は現に吾々が生息している社会の実況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云えばできるだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する。その工夫が積(つも)り積って汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元を糺(ただ)せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう。この和歌山市から和歌の浦までちょっと使いに行って来いと言われた時に、出来得るなら誰しも御免蒙(ごめんこうむ)りたい。がどうしても行かなければならないとすればなるべく楽に行きたい、そうして早く帰りたい。できるだけ身体(からだ)は使いたくない。そこで人力車もできなければならない訳になります。その上に贅沢(ぜいたく)を云えば自転車にするでしょう。なおわがままを云い募(つの)ればこれが電車にも変化し自動車または飛行器にも化けなければならなくなるのは自然の数であります。これに反して電車や電話の設備があるにしても是非今日は向うまで歩いて行きたいという道楽心の増長する日も年に二度や三度は起らないとも限りません。好んで身体を使って疲労を求める。吾々が毎日やる散歩という贅沢も要するにこの活力消耗の部類に属する積極的な命の取扱方の一部分なのであります。がこの道楽気の増長した時に幸に行って来いという命令が下ればちょうど好いが、まあたいていはそう旨(うま)くは行かない。云いつかった時は多く歩きたくない時である。だから歩かないで用を足す工夫(くふう)をしなければならない。となると勢い訪問が郵便になり、郵便が電報になり、その電報がまた電話になる理窟(りくつ)です。つまるところは人間生存上の必要上何か仕事をしなければならないのを、なろう事ならしないで用を足してそうして満足に生きていたいというわがままな了簡(りょうけん)、と申しましょうかまたはそうそう身を粉(こ)にしてまで働いて生きているんじゃ割に合わない、馬鹿にするない冗談(じょうだん)じゃねえという発憤の結果が怪物のように辣腕(らつわん)な器械力と豹変(ひょうへん)したのだと見れば差支(さしつかえ)ないでしょう。  この怪物の力で距離が縮(ちぢ)まる、時間が縮まる、手数が省(はぶ)ける、すべて義務的の労力が最少低額に切りつめられた上にまた切りつめられてどこまで押して行くか分らないうちに、彼の反対の活力消耗と名づけておいた道楽根性(こんじょう)の方もまた自由わがままのできる限りを尽して、これまた瞬時の絶間なく天然自然と発達しつつとめどもなく前進するのである。この道楽根性の発展も道徳家に言わせると怪(け)しからんとか言いましょう。がそれは徳義上の問題で事実上の問題にはなりません。事実の大局から云えば活力を吾好むところに消費するというこの工夫精神は二六時中休みっこなく働いて、休みっこなく発展しています。元々社会があればこそ義務的の行動を余儀なくされる人間も放り出しておけばどこまでも自我本位に立脚するのは当然だから自分の好(す)いた刺戟(しげき)に精神なり身体なりを消費しようとするのは致し方もない仕儀である。もっとも好いた刺戟に反応して自由に活力を消耗すると云ったって何も悪い事をするとは限らない。道楽だって女を相手にするばかりが道楽じゃない。好きな真似(まね)をするとは開化の許す限りのあらゆる方面に亘(わた)っての話であります。自分が画がかきたいと思えばできるだけ画ばかりかこうとする。本が読みたければ差支ない以上本ばかり読もうとする。あるいは学問が好(すき)だと云って、親の心も知らないで、書斎へ入って青くなっている子息(むすこ)がある。傍(はた)から見れば何の事か分らない。親父が無理算段の学資を工面(くめん)して卒業の上は月給でも取らせて早く隠居でもしたいと思っているのに、子供の方では活計(くらし)の方なんかまるで無頓着(むとんじゃく)で、ただ天地の真理を発見したいなどと太平楽を並べて机に靠(もた)れて苦(にが)り切っているのもある。親は生計のための修業と考えているのに子供は道楽のための学問とのみ合点(がてん)している。こういうような訳で道楽の活力はいかなる道徳学者も杜絶(とぜつ)する訳にいかない。現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争劇甚(げきじん)の世に道楽なんどとてんでその存在の権利を承認しないほど家業に励精(れいせい)な人でも少し注意されれば肯定しない訳に行かなくなるでしょう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様(ごんげんさま)だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓(いただき)へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見ました。実は私も動物園の熊のようにあの鉄の格子(こうし)の檻(おり)の中に入って山の上へ上げられた一人であります。があれは生活上別段必要のある場所にある訳でもなければまたそれほど大切な器械でもない、まあ物数奇(ものずき)である。ただ上ったり下ったりするだけである。疑もなく道楽心の発現で、好奇心兼広告欲も手伝っているかも知れないが、まあ活計向(くらしむき)とは関係の少ないものです。これは一例ですが開化が進むにつれてこういう贅沢(ぜいたく)なものの数が殖(ふ)えてくるのは誰でも認識しない訳に行かないでしょう。のみならずこの贅沢が日に増し細かくなる。大きなものの中に輪が幾つもできて漏斗(じょうご)みたようにだんだん深くなる。と同時に今まで気のつかなかった方面へだんだん発展して範囲が年々広くなる。  要するにただいま申し上げた二つの入り乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいと云う願望から出て来る種々の発明とか器械力とか云う方面と、できるだけ気儘(きまま)に勢力を費したいと云う娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化錯綜(さくそう)して現今のように混乱した開化と云う不可思議な現象ができるのであります。  そこでそう云うものを開化とすると、ここに一種妙なパラドックスとでも云いましょうか、ちょっと聞くとおかしいが、実は誰しも認めなければならない現象が起ります。元来なぜ人間が開化の流れに沿うて、以上二種の活力を発現しつつ今日に及んだかと云えば生れながらそう云う傾向をもっていると答えるよりほかに仕方がない。これを逆に申せば吾人の今日あるは全くこの本来の傾向あるがためにほかならんのであります。なお進んで云うと元(もと)のままで懐手(ふところで)をしていては生存上どうしてもやり切れぬから、それからそれへと順々に押され押されてかく発展を遂げたと言わなければならないのです。してみれば古来何千年の労力と歳月を挙(あ)げてようやくの事現代の位置まで進んで来たのであるからして、いやしくもこの二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が楽になっていなければならないはずであります。けれども実際はどうか? 打明けて申せば御互の生活ははなはだ苦しい。昔の人に対して一歩も譲らざる苦痛の下に生活しているのだと云う自覚が御互にある。否開化が進めば進むほど競争がますます劇(はげ)しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。なるほど以上二種の活力の猛烈な奮闘で開化は贏(か)ち得たに相違ない。しかしこの開化は一般に生活の程度が高くなったという意味で、生存の苦痛が比較的柔げられたという訳ではありません。ちょうど小学校の生徒が学問の競争で苦しいのと、大学の学生が学問の競争で苦しいのと、その程度は違うが、比例に至っては同じことであるごとく、昔の人間と今の人間がどのくらい幸福の程度において違っているかと云えば――あるいは不幸の程度において違っているかと云えば――活力消耗活力節約の両工夫において大差はあるかも知れないが、生存競争から生ずる不安や努力に至ってはけっして昔より楽になっていない。否昔よりかえって苦しくなっているかも知れない。昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。それだけの努力をあえてしなければ死んでしまう。やむをえないからやる。のみならず道楽の念はとにかく道楽の途(みち)はまだ開けていなかったから、こうしたい、ああしたいと云う方角も程度も至って微弱なもので、たまに足を伸したり手を休めたりして、満足していたくらいのものだろうと思われる。今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。活力節減の方で例を引いてお話をしますと、人力車を挽(ひ)いて渡世(とせい)にするか、または自動車のハンドルを握って暮すかの競争になったのであります。どっちを家業にしたって命に別条はないにきまっているが、どっちへ行っても労力は同じだとは云われません。人力車を挽く方が汗がよほど多分に出るでしょう。自動車の御者(ぎょしゃ)になってお客を乗せれば――もっとも自動車をもつくらいならお客を乗せる必要もないが――短い時間で長い所が走れる。糞力(くそぢから)はちっとも出さないですむ。活力節約の結果楽に仕事ができる。されば自動車のない昔はいざ知らず、いやしくも発明される以上人力車は自動車に負けなければならない。負ければ追つかなければならない。と云う訳で、少しでも労力を節減し得て優勢なるものが地平線上に現われてここに一つの波瀾(はらん)を誘うと、ちょうど一種の低気圧と同じ現象が開化の中に起って、各部の比例がとれ平均が回復されるまでは動揺してやめられないのが人間の本来であります。積極的活力の発現の方から見てもこの波動は同じことで、早い話が今までは敷島(しきしま)か何か吹かして我慢しておったのに、隣りの男が旨(うま)そうに埃及煙草(エジプトたばこ)を喫(の)んでいるとやっぱりそっちが喫みたくなる。また喫んで見ればその方が旨(うま)いに違ない。しまいには敷島などを吹かすものは人間の数へ入らないような気がして、どうしても埃及へ喫み移らなければならぬと云う競争が起って来る。通俗の言葉で云えば人間が贅沢(ぜいたく)になる。道学者は倫理的の立場から始終(しじゅう)奢侈(しゃし)を戒(いま)しめている。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終るという事は昔から今日(こんにち)まで人間がどのくらい贅沢になったか考えて見れば分る話である。かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開化の趨勢(すうせい)だとすれば、吾々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝(こら)し智慧(ちえ)を絞(しぼ)ってようやく今日まで発展して来たようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から論ずれば今も五十年前もまたは百年前も、苦しさ加減の程度は別に変りはないかも知れないと思うのです。それだからしてこのくらい労力を節減する器械が整った今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途(みち)が備った今日でも生存の苦痛は存外切(せつ)なものであるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程度かも知れない。これほど労力を節減できる時代に生れてもその忝(かたじ)けなさが頭に応(こた)えなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても全くそのありがたみが分らなかったりする以上は苦痛の上に非常という字を附加しても好いかも知れません。これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。  これから日本の開化に移るのですが、はたして一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれでよかろうじゃないかでこの講演は済んでしまう訳であります。がそこに一種特別な事情があって、日本の開化はそういかない。なぜそうは行かないか。それを説明するのが今日の講演の主眼である。と申すと玄関を上ってようやく茶の間あたりへ来たくらいの気がして驚くでしょう。しかしそう長くはありません、奥行は存外短かい講演です。やってる方だって長いのは疲れますからできるだけ労力節約の法則に従って早く切り上げるつもりですから、もう少し辛抱して聴いて下さい。  それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾(つぼみ)が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから吾(わが)日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展した訳ではない。ある時は三韓また或時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥(いちべつ)して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たと云えましょう。少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟(しげき)に跳(は)ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応(いやおう)なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応(こた)えているなんて楽(らく)な刺戟(しげき)ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。その理由は無論明白な話で、前(ぜん)詳(くわ)しく申上げた開化の定義に立戻って述べるならば、吾々が四五十年間始めてぶつかった、また今でも接触を避ける訳に行かないかの西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。粗末な説明ではあるが、つまり我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図(はか)らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然(がぜん)として我らに打ってかかったのである。この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針(はり)でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外発的という意味はこれでほぼ御了解になったろうと思います。  そういう外発的の開化が心理的にどんな影響を吾人に与うるかと云うとちょっと変なものになります。心理学の講筵(こうえん)でもないのにむずかしい事を申上げるのもいかがと存じますが、必要の個所だけをごく簡易に述べて再び本題に戻るつもりでありますから、しばらく御辛抱(ごしんぼう)を願います。我々の心は絶間なく動いている。あなた方は今私の講演を聴いておいでになる、私は今あなた方を前に置いて何か言っている、双方共にこういう自覚がある。それに御互の心は動いている。働いている。これを意識と云うのであります。この意識の一部分、時に積れば一分間ぐらいのところを絶間なく動いている大きな意識から切り取って調べてみるとやはり動いている。その動き方は別に私が発明した訳でも何でもない、ただ西洋の学者が書物に書いた通りをもっともと思うから紹介するだけでありますが、すべて一分間の意識にせよ三十秒間の意識にせよその内容が明暸(めいりょう)に心に映ずる点から云えば、のべつ同程度の強さを有して時間の経過に頓着(とんじゃく)なくあたかも一つ所にこびりついたように固定したものではない。必ず動く。動くにつれて明かな点と暗い点ができる。その高低を線で示せば平たい直線では無理なので、やはり幾分か勾配(こうばい)のついた弧線すなわち弓形(ゆみがた)の曲線で示さなければならなくなる。こんなに説明するとかえって込み入ってむずかしくなるかも知れませんが、学者は分った事を分りにくく言うもので、素人(しろうと)は分らない事を分ったように呑込(のみこ)んだ顔をするものだから非難は五分五分である。今云った弧線とか曲線とかいう事をそっと砕いてお話をすると、物をちょっと見るのにも、見てこれが何であるかと云うことがハッキリ分るには或る時間を要するので、すなわち意識が下の方から一定の時間を経て頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う時がくる。それをなお見つめていると今度は視覚が鈍くなって多少ぼんやりし始めるのだからいったん上の方へ向いた意識の方向がまた下を向いて暗くなりかける。これは実験して御覧になると分る。実験と云っても機械などは要(い)らない。頭の中がそうなっているのだからただ試(ため)しさえすれば気がつくのです。本を読むにしてもAと云う言葉とBと云う言葉とそれからCという言葉が順々に並んでいればこの三つの言葉を順々に理解して行くのが当り前だからAが明かに頭に映る時はBはまだ意識に上らない。Bが意識の舞台に上り始める時にはもうAの方は薄ぼんやりしてだんだん識域(しきいき)の方に近づいてくる。BからCへ移るときはこれと同じ所作(しょさ)を繰返(くりかえ)すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります。これは極(きわ)めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示したものでありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年乃至(ないし)十年の間の意識にも応用の利(き)く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間に亘(わた)ったって、いっこう変りはない事と私は信じているのであります。例えて見ればあなた方という多人数の団体が今ここで私の講演を聴いておいでになる。聴いていない方もあるかも知れないが、まア聴いているとする。そうするとその個人でない集合体のあなた方の意識の上には今私の講演の内容が明かに入る。と同時に、この講演に来る前あなた方が経験された事、すなわち途中で雨が降り出して着物が濡(ぬ)れたとか、また蒸(む)し暑くて途中が難儀であったとかいう意識は講演の方が心を奪うにつれて、だんだん不明暸(ふめいりょう)不確実になってくる。またこの講演が終って場外に出て涼しい風に吹かれでもすれば、ああ好い心持だという意識に心を専領されてしまって講演の方はピッタリ忘れてしまう。私から云えば全くありがたくない話だが事実だからやむをえないのである。私の講演を行住坐臥(ぎょうじゅうざが)共に覚えていらっしゃいと言っても、心理作用に反した注文なら誰も承知する者はありません。これと同じようにあなた方と云うやはり一箇の団体の意識の内容を検して見るとたとえ一カ月に亘ろうが一年に亘ろうが一カ月には一カ月を括(くく)るべき炳乎(へいこ)たる意識があり、また一年には一年を纏(まと)めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。吾々も過去を顧(かえり)みて見ると中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代でその時代時代の意識が纏(まとま)っております。日本人総体の集合意識は過去四五年前には日露戦争の意識だけになりきっておりました。その後日英同盟の意識で占領された時代もあります。かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた波動を描いて弧線を幾個(いくつ)も幾個も繋(つな)ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません。無論描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙(へい)の波を誘い出して順次に推移しなければならない。一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘(うそ)だと申上げたいのであります。ちょっとした話が私は今ここで演説をしている。するとそれを御聞きになるあなたがたの方から云えば初めの十分間くらいは私が何を主眼に云うかよく分らない、二十分目ぐらいになってようやく筋道がついて、三十分目くらいにはようやく油がのって少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸(あくび)が出る。とそう私の想像通り行くか行かないか分りませんが、もしそうだとするならば、私が無理にここで二時間も三時間もしゃべっては、あなた方の心理作用に反して我(が)を張ると同じ事でけっして成功はできない。なぜかと云えばこの講演がその場合あなた方の自然に逆(さから)った外発的のものになるからであります。いくら咽喉(のど)を絞(しぼ)り声を嗄(か)らして怒鳴(どな)ってみたってあなたがたはもう私の講演の要求の度を経過したのだからいけません。あなた方は講演よりも茶菓子が食いたくなったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったりする。その方が内発的なのだから自然の推移で無理のないところなのである。  これだけ説明しておいて現代日本の開化に後戻をしたらたいてい大丈夫でしょう。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すように内発的に進んでいるかと云うのが当面の問題なのですが残念ながらそう行っていないので困るのです。行っていないと云うのは、先程(さきほど)も申した通り活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複雑の程度二十を有しておったところへ、俄然(がぜん)外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗(てんぐ)にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路はほとんど自覚していないくらいのものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽(あ)いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞(な)め尽した上にようやく一生面を開いたと云って宜(よろ)しい。したがって従来経験し尽した甲の波には衣を脱いだ蛇(へび)と同様未練もなければ残り惜しい心持もしない。のみならず新たに移った乙の波に揉(も)まれながら毫(ごう)も借り着をして世間体を繕(つくろ)っているという感が起らない。ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せるたびに自分がその中で食客(いそうろう)をして気兼(きがね)をしているような気持になる。新らしい波はとにかく、今しがたようやくの思で脱却した旧(ふる)い波の特質やら真相やらも弁(わきま)えるひまのないうちにもう棄(す)てなければならなくなってしまった。食膳(しょくぜん)に向って皿の数を味い尽すどころか元来どんな御馳走(ごちそう)が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられたと同じ事であります。こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐(いだ)かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草(たばこ)を喫(す)っても碌(ろく)に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨(うま)そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸(ひさん)な国民と云わなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気がつくでしょう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくともよいと云えばそれまでであるが、情けないかな交際しなければいられないのが日本の現状でありましょう。しかして強いものと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。我々があの人は肉刺(フォーク)の持ちようも知らないとか、小刀(ナイフ)の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければあっちこっちの真似(まね)をさせて主客の位地(いち)を易(か)えるのは容易の事である。がそう行かないからこっちで先方の真似をする。しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかに仕方がない。自然と内に醗酵(はっこう)して醸(かも)された礼式でないから取ってつけたようではなはだ見苦しい。これは開化じゃない、開化の一端とも云えないほどの些細(ささい)な事であるが、そういう些細な事に至るまで、我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑(うわすべ)りの開化であると云う事に帰着するのである。無論一から十まで何から何までとは言わない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎(つつし)まなければ悪いが我々の開化の一部分、あるいは大部分はいくら己惚(うぬぼ)れてみても上滑(うわすべ)りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止(よ)しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑(の)んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。  それでは子供が背(せな)に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の譏(そしり)を免(まぬ)かれるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥(おちい)るのであります。百年の経験を十年で上滑(うわすべ)りもせずやりとげようとするならば年限が十分一に縮(ちぢ)まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさえ容易(たやす)く首肯するところである。これは学問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛(なまかじ)りにして法螺(ほら)を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫(ごう)も流行を追うの陋態(ろうたい)なく、またことさらに新奇を衒(てら)うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育の力で達したと仮定する。体力脳力共に吾らよりも旺盛(おうせい)な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定(かんじょう)に入れないにしたところでわずかその半(なかば)に足らぬ歳月で明々地に通過し了(おわ)るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起(た)つ能(あた)わざるの神経衰弱に罹(かか)って、気息奄々(きそくえんえん)として今や路傍に呻吟(しんぎん)しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。現に少し落ちついて考えてみると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、たいていの者は神経衰弱に罹(かか)りがちじゃないでしょうか。ピンピンしているのは、皆嘘(うそ)の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば神経衰弱に罹る方が当り前のように思われます。学者を例に引いたのは単に分りやすいためで、理窟(りくつ)は開化のどの方面へも応用ができるつもりです。  すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜(たまもの)として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定(かんじょう)に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前(ぜん)御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因(よ)って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮(うわかわ)を滑って行き、また滑るまいと思って踏張(ふんば)るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐(あわ)れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない。どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。こんな結論にはかえって到着しない方が幸であったのでしょう。真と云うものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方がよかったと思う事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭気(いやき)がさしたところから、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま友人の家へ行って隠れていたという話があります。すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在(ありか)を捜し当てて怒鳴(どな)り込(こ)みましたので男は手切金を出して手を切る談判を始めると、女はその金を床(ゆか)の上に叩(たた)きつけて、こんなものが欲しいので来たのではない、もし本当にあなたが私を捨てる気ならば私は死んでしまう、そこにある(三階か四階の)窓から飛下りて死んでしまうと言った。男は平気な顔を装ってどうぞと云わぬばかりに女を窓の方へ誘う所作(しょさ)をした。すると女はいきなり馳(か)けて行って窓から飛下りた。死にはしなかったが生れもつかぬ不具になってしまいました。男もこれほど女の赤心が眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女同様の観をなして、女の貞節を今まで疑っていたのを後悔したものと見えて、再びもとの夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委(ゆだ)ねたというのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めておけばこれほどの大事には至らなかったかも知れないが、そうすれば彼の懐疑は一生徹底的に解ける日は来なかったでしょう。またここまで押してみれば女の真心(まごころ)が明かになるにはなるが、取返しのつかない残酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やはり真実懸価(かけね)のない実相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外国人に対して乃公(おれ)の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前(ぜん)申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹(かか)らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。苦(にが)い真実を臆面(おくめん)なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは重々御詫(おわび)を申し上げますが、また私の述べ来(きた)ったところもまた相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目(きまじめ)の意見であるという点にも御同情になって悪いところは大目に見ていただきたいのであります。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月に刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 2000年2月1日公開 2000年12月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 夏目漱石 現代日本の開化 ――明治四十四年八月和歌山において述―― 現代日本の開化 ――明治四十四年八月和歌山において述―― 夏目漱石  はなはだお暑いことで、こう暑くては多人数お寄合いになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだろうと思います。ことに承れば昨日も何か演説会があったそうで、そう同じ催しが続いてはいくらあたらない保証のあるものでも多少は流行過の気味で、お聴きになるのもよほど御困難だろうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもそう楽ではありません。ことにただいま牧君の紹介で漱石君の演説は迂余曲折の妙があるとか何とかいう広告めいた賛辞をちょうだいした後に出て同君の吹聴通りをやろうとするとあたかも迂余曲折の妙を極めるための芸当を御覧に入れるために登壇したようなもので、いやしくもその妙を極めなければ降りることができないような気がして、いやが上にやりにくい羽目に陥ってしまう訳であります。実はここへ出て参る前ちょっと先番の牧君に相談をかけた事があるのです。これは内々ですが思い切って打明けて御話ししてしまいます。と云うほどの秘密でもありませんが、全くのところ今日の講演は長時間諸君に対して御話をする材料が不足のような気がしてならなかったから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると気丈夫な返事をしてくれたので、たちまち親船に乗ったような心持になって、それじゃア少し伸ばしていただきたいと頼んでおきました。その結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評を試みられたのはもともと私の注文から出た事ではなはだありがたいには違ないけれども、その代り厭にやり悪くなってしまった事もまた争われない事実です。元来がそう云う情ない依頼をあえてするくらいですから曲折どころではない、真直に行き当ってピタリと終いになるべき演説であります。なかなかもって抑揚頓挫波瀾曲折の妙を極めるだけの材料などは薬にしたくも持合せておりません。とそう言ったところで何もただボンヤリ演壇に登った訳でもないので、ここへ出て来るだけの用意は多少準備して参ったには違ないのです。もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社の方では和歌山をその中へ割り振ってくれたのです。御蔭で私もまだ見ない土地や名所などを捜る便宜を得ましたのは好都合です。そのついでに演説をする――のではない演説のついでに玉津島だの紀三井寺などを見た訳でありますからこれらの故跡や名勝に対しても空手では参れません。御話をする題目はちゃんと東京表できめて参りました。  その題目は「現代日本の開化」と云うので、現代と云う字は下へ持って来ても上へ持って来ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構いません。「現代」と云う字があって「日本」と云う字があって「開化」と云う字があって、その間へ「の」の字が入っていると思えばそれだけの話です。何の雑作もなくただ現今の日本の開化と云う、こういう簡単なものです。その開化をどうするのだと聞かれれば、実は私の手際ではどうもしようがないので、私はただ開化の説明をして後はあなた方の御高見に御任せするつもりであります。では開化を説明して何になる? とこう御聞きになるかも知れないが、私は現代の日本の開化という事が諸君によく御分りになっているまいと思う。御分りになっていなかろうと思うと云うと失礼ですけれども、どうもこれが一般の日本人によく呑み込めていないように思う。私だってそれほど分ってもいないのです。けれどもまず諸君よりもそんな方面に余計頭を使う余裕のある境遇におりますから、こういう機会を利用して自分の思ったところだけをあなた方に聞いていただこうというのが主眼なのです。どうせあなた方も私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも未来の人間でも何でもない上に現に開化の影響を受けているのだから、現代と日本と開化と云う三つの言葉は、どうしても諸君と私とに切っても切れない離すべからざる密接な関係があるのは分り切った事ですが、それにもかかわらず、御互に現代の日本の開化について無頓着であったり、または余りハッキリした理会をもっていなかったならば、万事に勝手が悪い訳だから、まあ互に研究もし、また分るだけは分らせておく方が都合が好かろうと思うのであります。それについては少し学究めきますが、日本とか現代とかいう特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立してその性質を調べる必要があると考えます。御互いに開化と云う言葉を使っておって、日に何遍も繰返しているけれども、はたして開化とはどんなものだと煎じつめて聞き糺されて見ると、今まで互に了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰違っていたりあるいはもってのほかに漠然と曖昧であったりするのはよく有る事だから私はまず開化の定義からきめてかかりたいのです。  もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工のように硬張ってしまう。複雑な特性を簡単に纏める学者の手際と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂濶を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。その弊所をごく分りやすく一口に御話すれば生きたものを故と四角四面の棺の中へ入れてことさらに融通が利かないようにするからである。もっとも幾何学などで中心から円周に到る距離がことごとく等しいものを円と云うというような定義はあれで差支ない、定義の便宜があって弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円いものを説明すると云わんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上とりきめたまでであるから古往今来変りっこないのでどこまでもこの定義一点張りで押して行かれるのです。その他四角だろうが三角だろうが幾何的に存在している限りはそれぞれの定義でいったん纏めたらけっして動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので過去現在未来を通じて動かないものははなはだ少ない。ことにそれ自身に活動力を具えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩れ出さないとも云えない。要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵え出したのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければいわゆる杓子定規とかでいっこう気の利かない定義になってしまいます。ちょうど汽車がゴーッと馳けて来る、その運動の一瞬間すなわち運動の性質の最も現われ悪い刹那の光景を写真にとって、これが汽車だこれが汽車だと云ってあたかも汽車のすべてを一枚の裏に写し得たごとく吹聴すると一般である。なるほどどこから見ても汽車に違ありますまい。けれども汽車に見逃してはならない運動というものがこの写真のうちには出ていないのだから実際の汽車とはとうてい比較のできないくらい懸絶していると云わなければなりますまい。御存じの琥珀と云うものがありましょう。琥珀の中に時々蠅が入ったのがある。透かして見ると蠅に違ありませんが、要するに動きのとれない蠅であります。蠅でないとは言えぬでしょうが活きた蠅とは云えますまい。学者の下す定義にはこの写真の汽車や琥珀の中の蠅に似て鮮かに見えるが死んでいると評しなければならないものがある。それで注意を要するというのであります。つまり変化をするものを捉えて変化を許さぬかのごとくピタリと定義を下す。巡査と云うものは白い服を着てサーベルを下げているものだなどとてんからきめられた日には巡査もやりきれないでしょう。家へ帰って浴衣も着換える訳に行かなくなる。この暑いのに剣ばかり下げていなければすまないのは可哀想だ。騎兵とは馬に乗るものである。これも御尤には違ないが、いくら騎兵だって年が年中馬に乗りつづけに乗っている訳にも行かないじゃありませんか。少しは下りたいでさア。こう例を挙げれば際限がないから好加減に切り上げます。実は開化の定義を下す御約束をしてしゃべっていたところがいつの間にか開化はそっち退けになってむずかしい定義論に迷い込んではなはだ恐縮です。がこのくらい注意をした上でさて開化とは何者だと纏めてみたら幾分か学者の陥りやすい弊害を避け得られるしまたその便宜をも受ける事ができるだろうと思うのです。  でいよいよ開化に出戻りを致しますが、開化と云うものも、汽車とか蠅とか巡査とか騎兵とか云うようなもののごとくに動いている。それで開化の一瞬間をとってカメラにピタリと入れて、そうしてこれが開化だと提げて歩く訳には行きません。私は昨日和歌の浦を見物しましたが、あすこを見た人のうちで和歌の浦は大変浪の荒い所だと云う人がある。かと思うと非常に静かな所だと云う人もある。どっちがよいのか分らない。だんだん聞いて見ると、一方は浪の非常に荒い時に行き、一方は非常に静かな時に行った違から話がこう表裏して来たのである。固より見た通なんだから両方とも嘘ではない。がまた両方とも本当でもない。これに似寄りの定義は、あっても役に立たぬことはない。が、役に立つと同時に害をなす事も明かなんだから、開化の定義と云うものも、なるべくはそう云う不都合を含んでいないように致したいのが私の希望であります。が、そうするとボンヤリして来る。恨むらくはボンヤリして来る。けれどもボンヤリしてもほかのものと区別ができればそれでよいでしょう。さっき牧君の紹介があったように夏目君の講演はその文章のごとく時とすると門口から玄関へ行くまでにうんざりする事があるそうで誠に御気の毒の話だが、なるほどやってみるとその通り、これでようやく玄関まで着きましたから思いきって本当の定義に移りましょう。  開化は人間活力の発現の経路である。と私はこう云いたい。私ばかりじゃない、あなた方だってそういうでしょう。もっともそう云ったところで別に書物に書いてある訳でも何でもない、私がそう言いたいまでの事であるがその代り珍らしくも何ともない。がこれすこぶる漠然としている。前口上を長々述べ立てた後でこのくらいの定義を御吹聴に及んだだけではあまり人を馬鹿にしているようですが、まあそこから定めてかからないと曖昧になるから、実はやむをえないのです。それで人間の活力と云うものが今申す通り時の流を沿うて発現しつつ開化を形造って行くうちに私は根本的に性質の異った二種類の活動を認めたい、否確かに認めるのであります。  その二通りのうち一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。何か月並のような講釈をしてすみませんが、人間活力の発現上積極的と云う言葉を用いますと、勢力の消耗を意味する事になる。またもう一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ防ごうとする活動なり工夫なりだから前のに対して消極的と申したのであります。この二つの互いに喰違って反の合わないような活動が入り乱れたりコンガラカッたりして開化と云うものが出来上るのであります。これでもまだ抽象的でよくお分りにならないかも知れませんが、もう少し進めば私の意味は自ら明暸になるだろうと信じます。元来人間の命とか生とか称するものは解釈次第でいろいろな意味にもなりまたむずかしくもなりますが要するに前申したごとく活力の示現とか進行とか持続とか評するよりほかに致し方のない者である以上、この活力が外界の刺戟に対してどう反応するかという点を細かに観察すればそれで吾人人類の生活状態もほぼ了解ができるような訳で、その生活状態の多人数の集合して過去から今日に及んだものがいわゆる開化にほかならないのは今さら申上げるまでもありますまい。さて吾々の活力が外界の刺戟に反応する方法は刺戟の複雑である以上固より多趣多様千差万別に違ないが、要するに刺戟の来るたびに吾が活力をなるべく制限節約してできるだけ使うまいとする工夫と、また自ら進んで適意の刺戟を求め能うだけの活力を這裏に消耗して快を取る手段との二つに帰着してしまうよう私は考えているのであります。で前のを便宜のため活力節約の行動と名づけ後者をかりに活力消耗の趣向とでも名づけておきましょうが、この活力節約の行動はどんな場合に起るかと云えば現代の吾々が普通用いる義務という言葉を冠して形容すべき性質の刺戟に対して起るのであります。従来の徳育法及び現今とても教育上では好んで義務を果す敢為邁往の気象を奨励するようですがこれは道徳上の話で道徳上しかなくてはならぬもしくはしかする方が社会の幸福だと云うまでで、人間活力の示現を観察してその組織の経緯一つを司どる大事実から云えばどうしても今私が申し上げたように解釈するよりほか仕方がないのであります。吾々もお互に義務は尽さなければならんものと始終思い、また義務を尽した後は大変心持が好いのであるが、深くその裏面に立ち入って内省して見ると、願くはこの義務の束縛を免かれて早く自由になりたい、人から強いられてやむをえずする仕事はできるだけ分量を圧搾して手軽に済ましたいという根性が常に胸の中につけまとっている。その根性が取も直さず活力節約の工夫となって開化なるものの一大原動力を構成するのであります。  かく消極的に活力を節約しようとする奮闘に対して一方ではまた積極的に活力を任意随所に消耗しようという精神がまた開化の一半を組み立てている。その発現の方法もまた世が進めば進むほど複雑になるのは当然であるが、これをごく約めてどんな方面に現われるかと説明すればまず普通の言葉で道楽という名のつく刺戟に対し起るものだとしてしまえば一番早分りであります。道楽と云えば誰も知っている。釣魚をするとか玉を突くとか、碁を打つとか、または鉄砲を担いで猟に行くとか、いろいろのものがありましょう。これらは説明するがものはないことごとく自から進んで強いられざるに自分の活力を消耗して嬉しがる方であります。なお進んではこの精神が文学にもなり科学にもなりまたは哲学にもなるので、ちょっと見るとはなはだむずかしげなものも皆道楽の発現に過ぎないのであります。  この二様の精神すなわち義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑極りなき開化と云うものができるのだと私は考えています。その結果は現に吾々が生息している社会の実況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云えばできるだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する。その工夫が積り積って汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元を糺せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう。この和歌山市から和歌の浦までちょっと使いに行って来いと言われた時に、出来得るなら誰しも御免蒙りたい。がどうしても行かなければならないとすればなるべく楽に行きたい、そうして早く帰りたい。できるだけ身体は使いたくない。そこで人力車もできなければならない訳になります。その上に贅沢を云えば自転車にするでしょう。なおわがままを云い募ればこれが電車にも変化し自動車または飛行器にも化けなければならなくなるのは自然の数であります。これに反して電車や電話の設備があるにしても是非今日は向うまで歩いて行きたいという道楽心の増長する日も年に二度や三度は起らないとも限りません。好んで身体を使って疲労を求める。吾々が毎日やる散歩という贅沢も要するにこの活力消耗の部類に属する積極的な命の取扱方の一部分なのであります。がこの道楽気の増長した時に幸に行って来いという命令が下ればちょうど好いが、まあたいていはそう旨くは行かない。云いつかった時は多く歩きたくない時である。だから歩かないで用を足す工夫をしなければならない。となると勢い訪問が郵便になり、郵便が電報になり、その電報がまた電話になる理窟です。つまるところは人間生存上の必要上何か仕事をしなければならないのを、なろう事ならしないで用を足してそうして満足に生きていたいというわがままな了簡、と申しましょうかまたはそうそう身を粉にしてまで働いて生きているんじゃ割に合わない、馬鹿にするない冗談じゃねえという発憤の結果が怪物のように辣腕な器械力と豹変したのだと見れば差支ないでしょう。  この怪物の力で距離が縮まる、時間が縮まる、手数が省ける、すべて義務的の労力が最少低額に切りつめられた上にまた切りつめられてどこまで押して行くか分らないうちに、彼の反対の活力消耗と名づけておいた道楽根性の方もまた自由わがままのできる限りを尽して、これまた瞬時の絶間なく天然自然と発達しつつとめどもなく前進するのである。この道楽根性の発展も道徳家に言わせると怪しからんとか言いましょう。がそれは徳義上の問題で事実上の問題にはなりません。事実の大局から云えば活力を吾好むところに消費するというこの工夫精神は二六時中休みっこなく働いて、休みっこなく発展しています。元々社会があればこそ義務的の行動を余儀なくされる人間も放り出しておけばどこまでも自我本位に立脚するのは当然だから自分の好いた刺戟に精神なり身体なりを消費しようとするのは致し方もない仕儀である。もっとも好いた刺戟に反応して自由に活力を消耗すると云ったって何も悪い事をするとは限らない。道楽だって女を相手にするばかりが道楽じゃない。好きな真似をするとは開化の許す限りのあらゆる方面に亘っての話であります。自分が画がかきたいと思えばできるだけ画ばかりかこうとする。本が読みたければ差支ない以上本ばかり読もうとする。あるいは学問が好だと云って、親の心も知らないで、書斎へ入って青くなっている子息がある。傍から見れば何の事か分らない。親父が無理算段の学資を工面して卒業の上は月給でも取らせて早く隠居でもしたいと思っているのに、子供の方では活計の方なんかまるで無頓着で、ただ天地の真理を発見したいなどと太平楽を並べて机に靠れて苦り切っているのもある。親は生計のための修業と考えているのに子供は道楽のための学問とのみ合点している。こういうような訳で道楽の活力はいかなる道徳学者も杜絶する訳にいかない。現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争劇甚の世に道楽なんどとてんでその存在の権利を承認しないほど家業に励精な人でも少し注意されれば肯定しない訳に行かなくなるでしょう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見ました。実は私も動物園の熊のようにあの鉄の格子の檻の中に入って山の上へ上げられた一人であります。があれは生活上別段必要のある場所にある訳でもなければまたそれほど大切な器械でもない、まあ物数奇である。ただ上ったり下ったりするだけである。疑もなく道楽心の発現で、好奇心兼広告欲も手伝っているかも知れないが、まあ活計向とは関係の少ないものです。これは一例ですが開化が進むにつれてこういう贅沢なものの数が殖えてくるのは誰でも認識しない訳に行かないでしょう。のみならずこの贅沢が日に増し細かくなる。大きなものの中に輪が幾つもできて漏斗みたようにだんだん深くなる。と同時に今まで気のつかなかった方面へだんだん発展して範囲が年々広くなる。  要するにただいま申し上げた二つの入り乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいと云う願望から出て来る種々の発明とか器械力とか云う方面と、できるだけ気儘に勢力を費したいと云う娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化錯綜して現今のように混乱した開化と云う不可思議な現象ができるのであります。  そこでそう云うものを開化とすると、ここに一種妙なパラドックスとでも云いましょうか、ちょっと聞くとおかしいが、実は誰しも認めなければならない現象が起ります。元来なぜ人間が開化の流れに沿うて、以上二種の活力を発現しつつ今日に及んだかと云えば生れながらそう云う傾向をもっていると答えるよりほかに仕方がない。これを逆に申せば吾人の今日あるは全くこの本来の傾向あるがためにほかならんのであります。なお進んで云うと元のままで懐手をしていては生存上どうしてもやり切れぬから、それからそれへと順々に押され押されてかく発展を遂げたと言わなければならないのです。してみれば古来何千年の労力と歳月を挙げてようやくの事現代の位置まで進んで来たのであるからして、いやしくもこの二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が楽になっていなければならないはずであります。けれども実際はどうか? 打明けて申せば御互の生活ははなはだ苦しい。昔の人に対して一歩も譲らざる苦痛の下に生活しているのだと云う自覚が御互にある。否開化が進めば進むほど競争がますます劇しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。なるほど以上二種の活力の猛烈な奮闘で開化は贏ち得たに相違ない。しかしこの開化は一般に生活の程度が高くなったという意味で、生存の苦痛が比較的柔げられたという訳ではありません。ちょうど小学校の生徒が学問の競争で苦しいのと、大学の学生が学問の競争で苦しいのと、その程度は違うが、比例に至っては同じことであるごとく、昔の人間と今の人間がどのくらい幸福の程度において違っているかと云えば――あるいは不幸の程度において違っているかと云えば――活力消耗活力節約の両工夫において大差はあるかも知れないが、生存競争から生ずる不安や努力に至ってはけっして昔より楽になっていない。否昔よりかえって苦しくなっているかも知れない。昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。それだけの努力をあえてしなければ死んでしまう。やむをえないからやる。のみならず道楽の念はとにかく道楽の途はまだ開けていなかったから、こうしたい、ああしたいと云う方角も程度も至って微弱なもので、たまに足を伸したり手を休めたりして、満足していたくらいのものだろうと思われる。今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。活力節減の方で例を引いてお話をしますと、人力車を挽いて渡世にするか、または自動車のハンドルを握って暮すかの競争になったのであります。どっちを家業にしたって命に別条はないにきまっているが、どっちへ行っても労力は同じだとは云われません。人力車を挽く方が汗がよほど多分に出るでしょう。自動車の御者になってお客を乗せれば――もっとも自動車をもつくらいならお客を乗せる必要もないが――短い時間で長い所が走れる。糞力はちっとも出さないですむ。活力節約の結果楽に仕事ができる。されば自動車のない昔はいざ知らず、いやしくも発明される以上人力車は自動車に負けなければならない。負ければ追つかなければならない。と云う訳で、少しでも労力を節減し得て優勢なるものが地平線上に現われてここに一つの波瀾を誘うと、ちょうど一種の低気圧と同じ現象が開化の中に起って、各部の比例がとれ平均が回復されるまでは動揺してやめられないのが人間の本来であります。積極的活力の発現の方から見てもこの波動は同じことで、早い話が今までは敷島か何か吹かして我慢しておったのに、隣りの男が旨そうに埃及煙草を喫んでいるとやっぱりそっちが喫みたくなる。また喫んで見ればその方が旨いに違ない。しまいには敷島などを吹かすものは人間の数へ入らないような気がして、どうしても埃及へ喫み移らなければならぬと云う競争が起って来る。通俗の言葉で云えば人間が贅沢になる。道学者は倫理的の立場から始終奢侈を戒しめている。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終るという事は昔から今日まで人間がどのくらい贅沢になったか考えて見れば分る話である。かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開化の趨勢だとすれば、吾々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝し智慧を絞ってようやく今日まで発展して来たようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から論ずれば今も五十年前もまたは百年前も、苦しさ加減の程度は別に変りはないかも知れないと思うのです。それだからしてこのくらい労力を節減する器械が整った今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途が備った今日でも生存の苦痛は存外切なものであるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程度かも知れない。これほど労力を節減できる時代に生れてもその忝けなさが頭に応えなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても全くそのありがたみが分らなかったりする以上は苦痛の上に非常という字を附加しても好いかも知れません。これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。  これから日本の開化に移るのですが、はたして一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれでよかろうじゃないかでこの講演は済んでしまう訳であります。がそこに一種特別な事情があって、日本の開化はそういかない。なぜそうは行かないか。それを説明するのが今日の講演の主眼である。と申すと玄関を上ってようやく茶の間あたりへ来たくらいの気がして驚くでしょう。しかしそう長くはありません、奥行は存外短かい講演です。やってる方だって長いのは疲れますからできるだけ労力節約の法則に従って早く切り上げるつもりですから、もう少し辛抱して聴いて下さい。  それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから吾日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展した訳ではない。ある時は三韓また或時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たと云えましょう。少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟に跳ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応えているなんて楽な刺戟ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。その理由は無論明白な話で、前詳しく申上げた開化の定義に立戻って述べるならば、吾々が四五十年間始めてぶつかった、また今でも接触を避ける訳に行かないかの西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。粗末な説明ではあるが、つまり我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然として我らに打ってかかったのである。この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外発的という意味はこれでほぼ御了解になったろうと思います。  そういう外発的の開化が心理的にどんな影響を吾人に与うるかと云うとちょっと変なものになります。心理学の講筵でもないのにむずかしい事を申上げるのもいかがと存じますが、必要の個所だけをごく簡易に述べて再び本題に戻るつもりでありますから、しばらく御辛抱を願います。我々の心は絶間なく動いている。あなた方は今私の講演を聴いておいでになる、私は今あなた方を前に置いて何か言っている、双方共にこういう自覚がある。それに御互の心は動いている。働いている。これを意識と云うのであります。この意識の一部分、時に積れば一分間ぐらいのところを絶間なく動いている大きな意識から切り取って調べてみるとやはり動いている。その動き方は別に私が発明した訳でも何でもない、ただ西洋の学者が書物に書いた通りをもっともと思うから紹介するだけでありますが、すべて一分間の意識にせよ三十秒間の意識にせよその内容が明暸に心に映ずる点から云えば、のべつ同程度の強さを有して時間の経過に頓着なくあたかも一つ所にこびりついたように固定したものではない。必ず動く。動くにつれて明かな点と暗い点ができる。その高低を線で示せば平たい直線では無理なので、やはり幾分か勾配のついた弧線すなわち弓形の曲線で示さなければならなくなる。こんなに説明するとかえって込み入ってむずかしくなるかも知れませんが、学者は分った事を分りにくく言うもので、素人は分らない事を分ったように呑込んだ顔をするものだから非難は五分五分である。今云った弧線とか曲線とかいう事をそっと砕いてお話をすると、物をちょっと見るのにも、見てこれが何であるかと云うことがハッキリ分るには或る時間を要するので、すなわち意識が下の方から一定の時間を経て頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う時がくる。それをなお見つめていると今度は視覚が鈍くなって多少ぼんやりし始めるのだからいったん上の方へ向いた意識の方向がまた下を向いて暗くなりかける。これは実験して御覧になると分る。実験と云っても機械などは要らない。頭の中がそうなっているのだからただ試しさえすれば気がつくのです。本を読むにしてもAと云う言葉とBと云う言葉とそれからCという言葉が順々に並んでいればこの三つの言葉を順々に理解して行くのが当り前だからAが明かに頭に映る時はBはまだ意識に上らない。Bが意識の舞台に上り始める時にはもうAの方は薄ぼんやりしてだんだん識域の方に近づいてくる。BからCへ移るときはこれと同じ所作を繰返すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります。これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示したものでありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年乃至十年の間の意識にも応用の利く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間に亘ったって、いっこう変りはない事と私は信じているのであります。例えて見ればあなた方という多人数の団体が今ここで私の講演を聴いておいでになる。聴いていない方もあるかも知れないが、まア聴いているとする。そうするとその個人でない集合体のあなた方の意識の上には今私の講演の内容が明かに入る。と同時に、この講演に来る前あなた方が経験された事、すなわち途中で雨が降り出して着物が濡れたとか、また蒸し暑くて途中が難儀であったとかいう意識は講演の方が心を奪うにつれて、だんだん不明暸不確実になってくる。またこの講演が終って場外に出て涼しい風に吹かれでもすれば、ああ好い心持だという意識に心を専領されてしまって講演の方はピッタリ忘れてしまう。私から云えば全くありがたくない話だが事実だからやむをえないのである。私の講演を行住坐臥共に覚えていらっしゃいと言っても、心理作用に反した注文なら誰も承知する者はありません。これと同じようにあなた方と云うやはり一箇の団体の意識の内容を検して見るとたとえ一カ月に亘ろうが一年に亘ろうが一カ月には一カ月を括るべき炳乎たる意識があり、また一年には一年を纏めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。吾々も過去を顧みて見ると中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代でその時代時代の意識が纏っております。日本人総体の集合意識は過去四五年前には日露戦争の意識だけになりきっておりました。その後日英同盟の意識で占領された時代もあります。かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた波動を描いて弧線を幾個も幾個も繋ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません。無論描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して順次に推移しなければならない。一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申上げたいのであります。ちょっとした話が私は今ここで演説をしている。するとそれを御聞きになるあなたがたの方から云えば初めの十分間くらいは私が何を主眼に云うかよく分らない、二十分目ぐらいになってようやく筋道がついて、三十分目くらいにはようやく油がのって少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸が出る。とそう私の想像通り行くか行かないか分りませんが、もしそうだとするならば、私が無理にここで二時間も三時間もしゃべっては、あなた方の心理作用に反して我を張ると同じ事でけっして成功はできない。なぜかと云えばこの講演がその場合あなた方の自然に逆った外発的のものになるからであります。いくら咽喉を絞り声を嗄らして怒鳴ってみたってあなたがたはもう私の講演の要求の度を経過したのだからいけません。あなた方は講演よりも茶菓子が食いたくなったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったりする。その方が内発的なのだから自然の推移で無理のないところなのである。  これだけ説明しておいて現代日本の開化に後戻をしたらたいてい大丈夫でしょう。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すように内発的に進んでいるかと云うのが当面の問題なのですが残念ながらそう行っていないので困るのです。行っていないと云うのは、先程も申した通り活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複雑の程度二十を有しておったところへ、俄然外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路はほとんど自覚していないくらいのものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞め尽した上にようやく一生面を開いたと云って宜しい。したがって従来経験し尽した甲の波には衣を脱いだ蛇と同様未練もなければ残り惜しい心持もしない。のみならず新たに移った乙の波に揉まれながら毫も借り着をして世間体を繕っているという感が起らない。ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せるたびに自分がその中で食客をして気兼をしているような気持になる。新らしい波はとにかく、今しがたようやくの思で脱却した旧い波の特質やら真相やらも弁えるひまのないうちにもう棄てなければならなくなってしまった。食膳に向って皿の数を味い尽すどころか元来どんな御馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられたと同じ事であります。こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草を喫っても碌に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸な国民と云わなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気がつくでしょう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくともよいと云えばそれまでであるが、情けないかな交際しなければいられないのが日本の現状でありましょう。しかして強いものと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。我々があの人は肉刺の持ちようも知らないとか、小刀の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければあっちこっちの真似をさせて主客の位地を易えるのは容易の事である。がそう行かないからこっちで先方の真似をする。しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかに仕方がない。自然と内に醗酵して醸された礼式でないから取ってつけたようではなはだ見苦しい。これは開化じゃない、開化の一端とも云えないほどの些細な事であるが、そういう些細な事に至るまで、我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着するのである。無論一から十まで何から何までとは言わない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎まなければ悪いが我々の開化の一部分、あるいは大部分はいくら己惚れてみても上滑りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。  それでは子供が背に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の譏を免かれるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥るのであります。百年の経験を十年で上滑りもせずやりとげようとするならば年限が十分一に縮まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさえ容易く首肯するところである。これは学問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛りにして法螺を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫も流行を追うの陋態なく、またことさらに新奇を衒うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育の力で達したと仮定する。体力脳力共に吾らよりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定に入れないにしたところでわずかその半に足らぬ歳月で明々地に通過し了るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱に罹って、気息奄々として今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。現に少し落ちついて考えてみると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、たいていの者は神経衰弱に罹りがちじゃないでしょうか。ピンピンしているのは、皆嘘の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば神経衰弱に罹る方が当り前のように思われます。学者を例に引いたのは単に分りやすいためで、理窟は開化のどの方面へも応用ができるつもりです。  すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない。どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。こんな結論にはかえって到着しない方が幸であったのでしょう。真と云うものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方がよかったと思う事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭気がさしたところから、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま友人の家へ行って隠れていたという話があります。すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在を捜し当てて怒鳴り込みましたので男は手切金を出して手を切る談判を始めると、女はその金を床の上に叩きつけて、こんなものが欲しいので来たのではない、もし本当にあなたが私を捨てる気ならば私は死んでしまう、そこにある(三階か四階の)窓から飛下りて死んでしまうと言った。男は平気な顔を装ってどうぞと云わぬばかりに女を窓の方へ誘う所作をした。すると女はいきなり馳けて行って窓から飛下りた。死にはしなかったが生れもつかぬ不具になってしまいました。男もこれほど女の赤心が眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女同様の観をなして、女の貞節を今まで疑っていたのを後悔したものと見えて、再びもとの夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委ねたというのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めておけばこれほどの大事には至らなかったかも知れないが、そうすれば彼の懐疑は一生徹底的に解ける日は来なかったでしょう。またここまで押してみれば女の真心が明かになるにはなるが、取返しのつかない残酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やはり真実懸価のない実相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外国人に対して乃公の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。苦い真実を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは重々御詫を申し上げますが、また私の述べ来ったところもまた相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目の意見であるという点にも御同情になって悪いところは大目に見ていただきたいのであります。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 2000年2月1日公開 2011年9月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 硝子戸の中 硝子戸の中 夏目漱石 一  硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。  その上私は去年の暮から風邪を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。  しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来る。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為たりする。私は興味に充ちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。  私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字が、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念している。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列べて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟し得る辛辣な記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。  私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑を冒して書くのである。  去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零している。年中行事で云えば、春の相撲が近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂を押し退けて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合と、紙面の編輯の都合とできまるのだから、判然した見当は今つきかねる。 二  電話口へ呼び出されたから受話器を耳へあてがって用事を訊いて見ると、ある雑誌社の男が、私の写真を貰いたいのだが、いつ撮りに行って好いか都合を知らしてくれろというのである。私は「写真は少し困ります」と答えた。  私はこの雑誌とまるで関係をもっていなかった。それでも過去三四年の間にその一二冊を手にした記憶はあった。人の笑っている顔ばかりをたくさん載せるのがその特色だと思ったほかに、今は何にも頭に残っていない。けれどもそこにわざとらしく笑っている顔の多くが私に与えた不快の印象はいまだに消えずにいた。それで私は断わろうとしたのである。  雑誌の男は、卯年の正月号だから卯年の人の顔を並べたいのだという希望を述べた。私は先方のいう通り卯年の生れに相違なかった。それで私はこう云った。―― 「あなたの雑誌へ出すために撮る写真は笑わなくってはいけないのでしょう」 「いえそんな事はありません」と相手はすぐ答えた。あたかも私が今までその雑誌の特色を誤解していたごとくに。 「当り前の顔で構いませんなら載せていただいても宜しゅうございます」 「いえそれで結構でございますから、どうぞ」  私は相手と期日の約束をした上、電話を切った。  中一日おいて打ち合せをした時間に、電話をかけた男が、綺麗な洋服を着て写真機を携えて私の書斎に這入って来た。私はしばらくその人と彼の従事している雑誌について話をした。それから写真を二枚撮って貰った。一枚は机の前に坐っている平生の姿、一枚は寒い庭前の霜の上に立っている普通の態度であった。書斎は光線がよく透らないので、機械を据えつけてからマグネシアを燃した。その火の燃えるすぐ前に、彼は顔を半分ばかり私の方へ出して、「御約束ではございますが、少しどうか笑っていただけますまいか」と云った。私はその時突然微かな滑稽を感じた。しかし同時に馬鹿な事をいう男だという気もした。私は「これで好いでしょう」と云ったなり先方の注文には取り合わなかった。彼が私を庭の木立の前に立たして、レンズを私の方へ向けた時もまた前と同じような鄭寧な調子で、「御約束ではございますが、少しどうか……」と同じ言葉を繰り返した。私は前よりもなお笑う気になれなかった。  それから四日ばかり経つと、彼は郵便で私の写真を届けてくれた。しかしその写真はまさしく彼の注文通りに笑っていたのである。その時私は中が外れた人のように、しばらく自分の顔を見つめていた。私にはそれがどうしても手を入れて笑っているように拵えたものとしか見えなかったからである。  私は念のため家へ来る四五人のものにその写真を出して見せた。彼らはみんな私と同様に、どうも作って笑わせたものらしいという鑑定を下した。  私は生れてから今日までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽りが今この写真師のために復讐を受けたのかも知れない。  彼は気味のよくない苦笑を洩らしている私の写真を送ってくれたけれども、その写真を載せると云った雑誌はついに届けなかった。 三  私がHさんからヘクトーを貰った時の事を考えると、もういつの間にか三四年の昔になっている。何だか夢のような心持もする。  その時彼はまだ乳離れのしたばかりの小供であった。Hさんの御弟子は彼を風呂敷に包んで電車に載せて宅まで連れて来てくれた。私はその夜彼を裏の物置の隅に寝かした。寒くないように藁を敷いて、できるだけ居心地の好い寝床を拵えてやったあと、私は物置の戸を締めた。すると彼は宵の口から泣き出した。夜中には物置の戸を爪で掻き破って外へ出ようとした。彼は暗い所にたった独り寝るのが淋しかったのだろう、翌る朝までまんじりともしない様子であった。  この不安は次の晩もつづいた。その次の晩もつづいた。私は一週間余りかかって、彼が与えられた藁の上にようやく安らかに眠るようになるまで、彼の事が夜になると必ず気にかかった。  私の小供は彼を珍らしがって、間がな隙がな玩弄物にした。けれども名がないのでついに彼を呼ぶ事ができなかった。ところが生きたものを相手にする彼らには、是非とも先方の名を呼んで遊ぶ必要があった。それで彼らは私に向って犬に名を命けてくれとせがみ出した。私はとうとうヘクトーという偉い名を、この小供達の朋友に与えた。  それはイリアッドに出てくるトロイ一の勇将の名前であった。トロイと希臘と戦争をした時、ヘクトーはついにアキリスのために打たれた。アキリスはヘクトーに殺された自分の友達の讐を取ったのである。アキリスが怒って希臘方から躍り出した時に、城の中に逃げ込まなかったものはヘクトー一人であった。ヘクトーは三たびトロイの城壁をめぐってアキリスの鋒先を避けた。アキリスも三たびトロイの城壁をめぐってその後を追いかけた。そうしてしまいにとうとうヘクトーを槍で突き殺した。それから彼の死骸を自分の軍車に縛りつけてまたトロイの城壁を三度引き摺り廻した。……  私はこの偉大な名を、風呂敷包にして持って来た小さい犬に与えたのである。何にも知らないはずの宅の小供も、始めは変な名だなあと云っていた。しかしじきに慣れた。犬もヘクトーと呼ばれるたびに、嬉しそうに尾を振った。しまいにはさすがの名もジョンとかジォージとかいう平凡な耶蘇教信者の名前と一様に、毫も古典的な響を私に与えなくなった。同時に彼はしだいに宅のものから元ほど珍重されないようになった。  ヘクトーは多くの犬がたいてい罹るジステンパーという病気のために一時入院した事がある。その時は子供がよく見舞に行った。私も見舞に行った。私の行った時、彼はさも嬉しそうに尾を振って、懐かしい眼を私の上に向けた。私はしゃがんで私の顔を彼の傍へ持って行って、右の手で彼の頭を撫でてやった。彼はその返礼に私の顔を所嫌わず舐めようとしてやまなかった。その時彼は私の見ている前で、始めて医者の勧める小量の牛乳を呑んだ。それまで首を傾げていた医者も、この分ならあるいは癒るかも知れないと云った。ヘクトーははたして癒った。そうして宅へ帰って来て、元気に飛び廻った。 四  日ならずして、彼は二三の友達を拵えた。その中で最も親しかったのはすぐ前の医者の宅にいる彼と同年輩ぐらいの悪戯者であった。これは基督教徒に相応しいジョンという名前を持っていたが、その性質は異端者のヘクトーよりも遥に劣っていたようである。むやみに人に噛みつく癖があるので、しまいにはとうとう打ち殺されてしまった。  彼はこの悪友を自分の庭に引き入れて勝手な狼藉を働らいて私を困らせた。彼らはしきりに樹の根を掘って用もないのに大きな穴を開けて喜んだ。綺麗な草花の上にわざと寝転んで、花も茎も容赦なく散らしたり、倒したりした。  ジョンが殺されてから、無聊な彼は夜遊び昼遊びを覚えるようになった。散歩などに出かける時、私はよく交番の傍に日向ぼっこをしている彼を見る事があった。それでも宅にさえいれば、よくうさん臭いものに吠えついて見せた。そのうちで最も猛烈に彼の攻撃を受けたのは、本所辺から来る十歳ばかりになる角兵衛獅子の子であった。この子はいつでも「今日は御祝い」と云って入って来る。そうして家の者から、麺麭の皮と一銭銅貨を貰わないうちは帰らない事に一人できめていた。だからヘクトーがいくら吠えても逃げ出さなかった。かえってヘクトーの方が、吠えながら尻尾を股の間に挟んで物置の方へ退却するのが例になっていた。要するにヘクトーは弱虫であった。そうして操行からいうと、ほとんど野良犬と択ぶところのないほどに堕落していた。それでも彼らに共通な人懐っこい愛情はいつまでも失わずにいた。時々顔を見合せると、彼は必ず尾を掉って私に飛びついて来た。あるいは彼の背を遠慮なく私の身体に擦りつけた。私は彼の泥足のために、衣服や外套を汚した事が何度あるか分らない。  去年の夏から秋へかけて病気をした私は、一カ月ばかりの間ついにヘクトーに会う機会を得ずに過ぎた。病がようやく怠って、床の外へ出られるようになってから、私は始めて茶の間の縁に立って彼の姿を宵闇の裡に認めた。私はすぐ彼の名を呼んだ。しかし生垣の根にじっとうずくまっている彼は、いくら呼んでも少しも私の情けに応じなかった。彼は首も動かさず、尾も振らず、ただ白い塊のまま垣根にこびりついてるだけであった。私は一カ月ばかり会わないうちに、彼がもう主人の声を忘れてしまったものと思って、微かな哀愁を感ぜずにはいられなかった。  まだ秋の始めなので、どこの間の雨戸も締められずに、星の光が明け放たれた家の中からよく見られる晩であった。私の立っていた茶の間の縁には、家のものが二三人いた。けれども私がヘクトーの名前を呼んでも彼らはふり向きもしなかった。私がヘクトーに忘れられたごとくに、彼らもまたヘクトーの事をまるで念頭に置いていないように思われた。  私は黙って座敷へ帰って、そこに敷いてある布団の上に横になった。病後の私は季節に不相当な黒八丈の襟のかかった銘仙のどてらを着ていた。私はそれを脱ぐのが面倒だから、そのまま仰向に寝て、手を胸の上で組み合せたなり黙って天井を見つめていた。 五  翌朝書斎の縁に立って、初秋の庭の面を見渡した時、私は偶然また彼の白い姿を苔の上に認めた。私は昨夕の失望を繰り返すのが厭さに、わざと彼の名を呼ばなかった。けれども立ったなりじっと彼の様子を見守らずにはいられなかった。彼は立木の根方に据えつけた石の手水鉢の中に首を突き込んで、そこに溜っている雨水をぴちゃぴちゃ飲んでいた。  この手水鉢はいつ誰が持って来たとも知れず、裏庭の隅に転がっていたのを、引越した当時植木屋に命じて今の位置に移させた六角形のもので、その頃は苔が一面に生えて、側面に刻みつけた文字も全く読めないようになっていた。しかし私には移す前一度判然とそれを読んだ記憶があった。そうしてその記憶が文字として頭に残らないで、変な感情としていまだに胸の中を往来していた。そこには寺と仏と無常の匂が漂っていた。  ヘクトーは元気なさそうに尻尾を垂れて、私の方へ背中を向けていた。手水鉢を離れた時、私は彼の口から流れる垂涎を見た。 「どうかしてやらないといけない。病気だから」と云って、私は看護婦を顧みた。私はその時まだ看護婦を使っていたのである。  私は次の日も木賊の中に寝ている彼を一目見た。そうして同じ言葉を看護婦に繰り返した。しかしヘクトーはそれ以来姿を隠したぎり再び宅へ帰って来なかった。 「医者へ連れて行こうと思って、探したけれどもどこにもおりません」  家のものはこう云って私の顔を見た。私は黙っていた。しかし腹の中では彼を貰い受けた当時の事さえ思い起された。届書を出す時、種類という下へ混血児と書いたり、色という字の下へ赤斑と書いた滑稽も微かに胸に浮んだ。  彼がいなくなって約一週間も経ったと思う頃、一二丁隔ったある人の家から下女が使に来た。その人の庭にある池の中に犬の死骸が浮いているから引き上げて頸輪を改ためて見ると、私の家の名前が彫りつけてあったので、知らせに来たというのである。下女は「こちらで埋めておきましょうか」と尋ねた。私はすぐ車夫をやって彼を引き取らせた。  私は下女をわざわざ寄こしてくれた宅がどこにあるか知らなかった。ただ私の小供の時分から覚えている古い寺の傍だろうとばかり考えていた。それは山鹿素行の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古い榎が一本立っているのが、私の書斎の北の縁から数多の屋根を越してよく見えた。  車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近づかなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠っている土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に当って、ほぼ一間ばかり離れているが、私の書斎の、寒い日の照らない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒された裏庭を覗くと、二つともよく見える。もう薄黒く朽ちかけた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光っている。しかし間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼につかなくなるだろう。 六  私はその女に前後四五回会った。  始めて訪ねられた時私は留守であった。取次のものが紹介状を持って来るように注意したら、彼女は別にそんなものを貰う所がないといって帰って行ったそうである。  それから一日ほど経って、女は手紙で直接に私の都合を聞き合せに来た。その手紙の封筒から、私は女がつい眼と鼻の間に住んでいる事を知った。私はすぐ返事を書いて面会日を指定してやった。  女は約束の時間を違えず来た。三つ柏の紋のついた派出な色の縮緬の羽織を着ているのが、一番先に私の眼に映った。女は私の書いたものをたいてい読んでいるらしかった。それで話は多くそちらの方面へばかり延びて行った。しかし自分の著作について初見の人から賛辞ばかり受けているのは、ありがたいようではなはだこそばゆいものである。実をいうと私は辟易した。  一週間おいて女は再び来た。そうして私の作物をまた賞めてくれた。けれども私の心はむしろそういう話題を避けたがっていた。三度目に来た時、女は何かに感激したものと見えて、袂から手帛を出して、しきりに涙を拭った。そうして私に自分のこれまで経過して来た悲しい歴史を書いてくれないかと頼んだ。しかしその話を聴かない私には何という返事も与えられなかった。私は女に向って、よし書くにしたところで迷惑を感ずる人が出て来はしないかと訊いて見た。女は存外判然した口調で、実名さえ出さなければ構わないと答えた。それで私はとにかく彼女の経歴を聴くために、とくに時間を拵えた。  するとその日になって、女は私に会いたいという別の女の人を連れて来て、例の話はこの次に延ばして貰いたいと云った。私には固より彼女の違約を責める気はなかった。二人を相手に世間話をして別れた。  彼女が最後に私の書斎に坐ったのはその次の日の晩であった。彼女は自分の前に置かれた桐の手焙の灰を、真鍮の火箸で突ッつきながら、悲しい身の上話を始める前、黙っている私にこう云った。 「この間は昂奮して私の事を書いていただきたいように申し上げましたが、それは止めに致します。ただ先生に聞いていただくだけにしておきますから、どうかそのおつもりで……」  私はそれに対してこう答えた。 「あなたの許諾を得ない以上は、たといどんなに書きたい事柄が出て来てもけっして書く気遣はありませんから御安心なさい」  私が充分な保証を女に与えたので、女はそれではと云って、彼女の七八年前からの経歴を話し始めた。私は黙然として女の顔を見守っていた。しかし女は多く眼を伏せて火鉢の中ばかり眺めていた。そうして綺麗な指で、真鍮の火箸を握っては、灰の中へ突き刺した。  時々腑に落ちないところが出てくると、私は女に向って短かい質問をかけた。女は単簡にまた私の納得できるように答をした。しかしたいていは自分一人で口を利いていたので、私はむしろ木像のようにじっとしているだけであった。  やがて女の頬は熱って赤くなった。白粉をつけていないせいか、その熱った頬の色が著るしく私の眼に着いた。俯向になっているので、たくさんある黒い髪の毛も自然私の注意を惹く種になった。 七  女の告白は聴いている私を息苦しくしたくらいに悲痛を極めたものであった。彼女は私に向ってこんな質問をかけた。―― 「もし先生が小説を御書きになる場合には、その女の始末をどうなさいますか」  私は返答に窮した。 「女の死ぬ方がいいと御思いになりますか、それとも生きているように御書きになりますか」  私はどちらにでも書けると答えて、暗に女の気色をうかがった。女はもっと判然した挨拶を私から要求するように見えた。私は仕方なしにこう答えた。―― 「生きるという事を人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差支ないでしょう。しかし美くしいものや気高いものを一義において人間を評価すれば、問題が違って来るかも知れません」 「先生はどちらを御択びになりますか」  私はまた躊躇した。黙って女のいう事を聞いているよりほかに仕方がなかった。 「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れて行くのが怖くってたまらないのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻のように生きている未来を想像すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」  私は女が今広い世間の中にたった一人立って、一寸も身動きのできない位置にいる事を知っていた。そうしてそれが私の力でどうする訳にも行かないほどに、せっぱつまった境遇である事も知っていた。私は手のつけようのない人の苦痛を傍観する位置に立たせられてじっとしていた。  私は服薬の時間を計るため、客の前も憚からず常に袂時計を座蒲団の傍に置く癖をもっていた。 「もう十一時だから御帰りなさい」と私はしまいに女に云った。女は厭な顔もせずに立ち上った。私はまた「夜が更けたから送って行って上げましょう」と云って、女と共に沓脱に下りた。  その時美くしい月が静かな夜を残る隈なく照らしていた。往来へ出ると、ひっそりした土の上にひびく下駄の音はまるで聞こえなかった。私は懐手をしたまま帽子も被らずに、女の後に跟いて行った。曲り角の所で女はちょっと会釈して、「先生に送っていただいてはもったいのうございます」と云った。「もったいない訳がありません。同じ人間です」と私は答えた。  次の曲り角へ来たとき女は「先生に送っていただくのは光栄でございます」とまた云った。私は「本当に光栄と思いますか」と真面目に尋ねた。女は簡単に「思います」とはっきり答えた。私は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と云った。私は女がこの言葉をどう解釈したか知らない。私はそれから一丁ばかり行って、また宅の方へ引き返したのである。  むせっぽいような苦しい話を聞かされた私は、その夜かえって人間らしい好い心持を久しぶりに経験した。そうしてそれが尊とい文芸上の作物を読んだあとの気分と同じものだという事に気がついた。有楽座や帝劇へ行って得意になっていた自分の過去の影法師が何となく浅ましく感ぜられた。 八  不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分のいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思う事もある。 「死は生よりも尊とい」  こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。  しかし現在の私は今まのあたりに生きている。私の父母、私の祖父母、私の曾祖父母、それから順次に溯ぼって、百年、二百年、乃至千年万年の間に馴致された習慣を、私一代で解脱する事ができないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。  だから私の他に与える助言はどうしてもこの生の許す範囲内においてしなければすまないように思う。どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人として他の人類の一人に向わなければならないと思う。すでに生の中に活動する自分を認め、またその生の中に呼吸する他人を認める以上は、互いの根本義はいかに苦しくてもいかに醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。 「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」  こうした言葉は、どんなに情なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠に赴むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝らしている。こんな拷問に近い所作が、人間の徳義として許されているのを見ても、いかに根強く我々が生の一字に執着しているかが解る。私はついにその人に死をすすめる事ができなかった。  その人はとても回復の見込みのつかないほど深く自分の胸を傷けられていた。同時にその傷が普通の人の経験にないような美くしい思い出の種となってその人の面を輝やかしていた。  彼女はその美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱き締めていたがった。不幸にして、その美くしいものはとりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷そのものであった。二つの物は紙の裏表のごとくとうてい引き離せないのである。  私は彼女に向って、すべてを癒す「時」の流れに従って下れと云った。彼女はもしそうしたらこの大切な記憶がしだいに剥げて行くだろうと嘆いた。  公平な「時」は大事な宝物を彼女の手から奪う代りに、その傷口もしだいに療治してくれるのである。烈しい生の歓喜を夢のように暈してしまうと同時に、今の歓喜に伴なう生々しい苦痛も取り除ける手段を怠たらないのである。  私は深い恋愛に根ざしている熱烈な記憶を取り上げても、彼女の創口から滴る血潮を「時」に拭わしめようとした。いくら平凡でも生きて行く方が死ぬよりも私から見た彼女には適当だったからである。  かくして常に生よりも死を尊いと信じている私の希望と助言は、ついにこの不愉快に充ちた生というものを超越する事ができなかった。しかも私にはそれが実行上における自分を、凡庸な自然主義者として証拠立てたように見えてならなかった。私は今でも半信半疑の眼でじっと自分の心を眺めている。 九  私が高等学校にいた頃、比較的親しく交際った友達の中にOという人がいた。その時分からあまり多くの朋友を持たなかった私には、自然Oと往来を繁くするような傾向があった。私はたいてい一週に一度くらいの割で彼を訪ねた。ある年の暑中休暇などには、毎日欠かさず真砂町に下宿している彼を誘って、大川の水泳場まで行った。  Oは東北の人だから、口の利き方に私などと違った鈍でゆったりした調子があった。そうしてその調子がいかにもよく彼の性質を代表しているように思われた。何度となく彼と議論をした記憶のある私は、ついに彼の怒ったり激したりする顔を見る事ができずにしまった。私はそれだけでも充分彼を敬愛に価する長者として認めていた。  彼の性質が鷹揚であるごとく、彼の頭脳も私よりは遥かに大きかった。彼は常に当時の私には、考えの及ばないような問題を一人で考えていた。彼は最初から理科へ入る目的をもっていながら、好んで哲学の書物などを繙いた。私はある時彼からスペンサーの第一原理という本を借りた事をいまだに忘れずにいる。  空の澄み切った秋日和などには、よく二人連れ立って、足の向く方へ勝手な話をしながら歩いて行った。そうした場合には、往来へ塀越に差し出た樹の枝から、黄色に染まった小さい葉が、風もないのに、はらはらと散る景色をよく見た。それが偶然彼の眼に触れた時、彼は「あッ悟った」と低い声で叫んだ事があった。ただ秋の色の空に動くのを美くしいと観ずるよりほかに能のない私には、彼の言葉が封じ込められた或秘密の符徴として怪しい響を耳に伝えるばかりであった。「悟りというものは妙なものだな」と彼はその後から平生のゆったりした調子で独言のように説明した時も、私には一口の挨拶もできなかった。  彼は貧生であった。大観音の傍に間借をして自炊していた頃には、よく干鮭を焼いて佗びしい食卓に私を着かせた。ある時は餅菓子の代りに煮豆を買って来て、竹の皮のまま双方から突っつき合った。  大学を卒業すると間もなく彼は地方の中学に赴任した。私は彼のためにそれを残念に思った。しかし彼を知らない大学の先生には、それがむしろ当然と見えたかも知れない。彼自身は無論平気であった。それから何年かの後に、たしか三年の契約で、支那のある学校の教師に雇われて行ったが、任期が充ちて帰るとすぐまた内地の中学校長になった。それも秋田から横手に遷されて、今では樺太の校長をしているのである。  去年上京したついでに久しぶりで私を訪ねてくれた時、取次のものから名刺を受取った私は、すぐその足で座敷へ行って、いつもの通り客より先に席に着いていた。すると廊下伝に室の入口まで来た彼は、座蒲団の上にきちんと坐っている私の姿を見るや否や、「いやに澄ましているな」と云った。  その時向の言葉が終るか終らないうちに「うん」という返事がいつか私の口を滑って出てしまった。どうして私の悪口を自分で肯定するようなこの挨拶が、それほど自然に、それほど雑作なく、それほど拘泥わらずに、するすると私の咽喉を滑り越したものだろうか。私はその時透明な好い心持がした。 十  向い合って座を占めたOと私とは、何より先に互の顔を見返して、そこにまだ昔しのままの面影が、懐かしい夢の記念のように残っているのを認めた。しかしそれはあたかも古い心が新しい気分の中にぼんやり織り込まれていると同じ事で、薄暗く一面に霞んでいた。恐ろしい「時」の威力に抵抗して、再びもとの姿に返る事は、二人にとってもう不可能であった。二人は別れてから今会うまでの間に挟まっている過去という不思議なものを顧みない訳に行かなかった。  Oは昔し林檎のように赤い頬と、人一倍大きな丸い眼と、それから女に適したほどふっくりした輪廓に包まれた顔をもっていた。今見てもやはり赤い頬と丸い眼と、同じく骨張らない輪廓の持主ではあるが、それが昔しとはどこか違っている。  私は彼に私の口髭と揉み上げを見せた。彼はまた私のために自分の頭を撫でて見せた。私のは白くなって、彼のは薄く禿げかかっているのである。 「人間も樺太まで行けば、もう行く先はなかろうな」と私が調戯うと、彼は「まあそんなものだ」と答えて、私のまだ見た事のない樺太の話をいろいろして聞かせた。しかし私は今それをみんな忘れてしまった。夏は大変好い所だという事を覚えているだけである。  私は幾年ぶりかで、彼といっしょに表へ出た。彼はフロックの上へ、とんびのような外套をぶわぶわに着ていた。そうして電車の中で釣革にぶら下りながら、隠袋から手帛に包んだものを出して私に見せた。私は「なんだ」と訊いた。彼は「栗饅頭だ」と答えた。栗饅頭は先刻彼が私の宅にいた時に出した菓子であった。彼がいつの間に、それを手帛に包んだろうかと考えた時、私はちょっと驚かされた。 「あの栗饅頭を取って来たのか」 「そうかも知れない」  彼は私の驚いた様子を馬鹿にするような調子でこう云ったなり、その手帛の包をまた隠袋に収めてしまった。  我々はその晩帝劇へ行った。私の手に入れた二枚の切符に北側から入れという注意が書いてあったのを、つい間違えて、南側へ廻ろうとした時、彼は「そっちじゃないよ」と私に注意した。私はちょっと立ち留まって考えた上、「なるほど方角は樺太の方が確なようだ」と云いながら、また指定された入口の方へ引き返した。  彼は始めから帝劇を知っていると云っていた。しかし晩餐を済ました後で、自分の席へ帰ろうとするとき、誰でもやる通り、二階と一階の扉を間違えて、私から笑われた。  折々隠袋から金縁の眼鏡を出して、手に持った摺物を読んで見る彼は、その眼鏡を除さずに遠い舞台を平気で眺めていた。 「それは老眼鏡じゃないか。よくそれで遠い所が見えるね」 「なにチャブドーだ」  私にはこのチャブドーという意味が全く解らなかった。彼はそれを大差なしという支那語だと云って説明してくれた。  その夜の帰りに電車の中で私と別れたぎり、彼はまた遠い寒い日本の領地の北の端れに行ってしまった。  私は彼を想い出すたびに、達人という彼の名を考える。するとその名がとくに彼のために天から与えられたような心持になる。そうしてその達人が雪と氷に鎖ざされた北の果に、まだ中学校長をしているのだなと思う。 十一  ある奥さんがある女の人を私に紹介した。 「何か書いたものを見ていただきたいのだそうでございます」  私は奥さんのこの言葉から、頭の中でいろいろの事を考えさせられた。今まで私の所へ自分の書いたものを読んでくれと云って来たものは何人となくある。その中には原稿紙の厚さで、一寸または二寸ぐらいの嵩になる大部のものも交っていた。それを私は時間の都合の許す限りなるべく読んだ。そうして簡単な私はただ読みさえすれば自分の頼まれた義務を果したものと心得て満足していた。ところが先方では後から新聞に出してくれと云ったり、雑誌へ載せて貰いたいと頼んだりするのが常であった。中には他に読ませるのは手段で、原稿を金に換えるのが本来の目的であるように思われるのも少なくはなかった。私は知らない人の書いた読みにくい原稿を好意的に読むのがだんだん厭になって来た。  もっとも私の時間に教師をしていた頃から見ると、多少の弾力性ができてきたには相違なかった。それでも自分の仕事にかかれば腹の中はずいぶん多忙であった。親切ずくで見てやろうと約束した原稿すら、なかなか埒のあかない場合もないとは限らなかった。  私は私の頭で考えた通りの事をそのまま奥さんに話した。奥さんはよく私のいう意味を領解して帰って行った。約束の女が私の座敷へ来て、座蒲団の上に坐ったのはそれから間もなくであった。佗びしい雨が今にも降り出しそうな暗い空を、硝子戸越に眺めながら、私は女にこんな話をした。―― 「これは社交ではありません。御互に体裁の好い事ばかり云い合っていては、いつまで経ったって、啓発されるはずも、利益を受ける訳もないのです。あなたは思い切って正直にならなければ駄目ですよ。自分さえ充分に開放して見せれば、今あなたがどこに立ってどっちを向いているかという実際が、私によく見えて来るのです。そうした時、私は始めてあなたを指導する資格を、あなたから与えられたものと自覚しても宜しいのです。だから私が何か云ったら、腹に答えべき或物を持っている以上、けっして黙っていてはいけません。こんな事を云ったら笑われはしまいか、恥を掻きはしまいか、または失礼だといって怒られはしまいかなどと遠慮して、相手に自分という正体を黒く塗り潰した所ばかり示す工夫をするならば、私がいくらあなたに利益を与えようと焦慮ても、私の射る矢はことごとく空矢になってしまうだけです。 「これは私のあなたに対する注文ですが、その代り私の方でもこの私というものを隠しは致しません。ありのままを曝け出すよりほかに、あなたを教える途はないのです。だから私の考えのどこかに隙があって、その隙をもしあなたから見破られたら、私はあなたに私の弱点を握られたという意味で敗北の結果に陥るのです。教を受ける人だけが自分を開放する義務をもっていると思うのは間違っています。教える人も己れをあなたの前に打ち明けるのです。双方とも社交を離れて勘破し合うのです。 「そういう訳で私はこれからあなたの書いたものを拝見する時に、ずいぶん手ひどい事を思い切って云うかも知れませんが、しかし怒ってはいけません。あなたの感情を害するためにいうのではないのですから。その代りあなたの方でも腑に落ちない所があったらどこまでも切り込んでいらっしゃい。あなたが私の主意を了解している以上、私はけっして怒るはずはありませんから。 「要するにこれはただ現状維持を目的として、上滑りな円滑を主位に置く社交とは全く別物なのです。解りましたか」  女は解ったと云って帰って行った。 十二  私に短冊を書けの、詩を書けのと云って来る人がある。そうしてその短冊やら絖やらをまだ承諾もしないうちに送って来る。最初のうちはせっかくの希望を無にするのも気の毒だという考から、拙い字とは思いながら、先方の云うなりになって書いていた。けれどもこうした好意は永続しにくいものと見えて、だんだん多くの人の依頼を無にするような傾向が強くなって来た。  私はすべての人間を、毎日毎日恥を掻くために生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を他に送ってやるくらいの所作は、あえてしようと思えば、やれないとも限らないのである。しかし自分が病気のとき、仕事の忙がしい時、またはそんな真似のしたくない時に、そういう注文が引き続いて起ってくると、実際弱らせられる。彼らの多くは全く私の知らない人で、そうして自分達の送った短冊を再び送り返すこちらの手数さえ、まるで眼中に置いていないように見えるのだから。  そのうちで一番私を不愉快にしたのは播州の坂越にいる岩崎という人であった。この人は数年前よく端書で私に俳句を書いてくれと頼んで来たから、その都度向うのいう通り書いて送った記憶のある男である。その後の事であるが、彼はまた四角な薄い小包を私に送った。私はそれを開けるのさえ面倒だったから、ついそのままにして書斎へ放り出しておいたら、下女が掃除をする時、つい書物と書物の間へ挟み込んで、まず体よくしまい失くした姿にしてしまった。  この小包と前後して、名古屋から茶の缶が私宛で届いた。しかし誰が何のために送ったものかその意味は全く解らなかった。私は遠慮なくその茶を飲んでしまった。するとほどなく坂越の男から、富士登山の画を返してくれと云ってきた。彼からそんなものを貰った覚のない私は、打ちやっておいた。しかし彼は富士登山の画を返せ返せと三度も四度も催促してやまない。私はついにこの男の精神状態を疑い出した。「大方気違だろう。」私は心の中でこうきめたなり向うの催促にはいっさい取り合わない事にした。  それから二三カ月経った。たしか夏の初の頃と記憶しているが、私はあまり乱雑に取り散らされた書斎の中に坐っているのがうっとうしくなったので、一人でぽつぽつそこいらを片づけ始めた。その時書物の整理をするため、好い加減に積み重ねてある字引や参考書を、一冊ずつ改めて行くと、思いがけなく坂越の男が寄こした例の小包が出て来た。私は今まで忘れていたものを、眼のあたり見て驚ろいた。さっそく封を解いて中を検べたら、小さく畳んだ画が一枚入っていた。それが富士登山の図だったので、私はまた吃驚した。  包のなかにはこの画のほかに手紙が一通添えてあって、それに画の賛をしてくれという依頼と、御礼に茶を送るという文句が書いてあった。私はいよいよ驚ろいた。  しかしその時の私はとうてい富士登山の図などに賛をする勇気をもっていなかった。私の気分が、そんな事とは遥か懸け離れた所にあったので、その画に調和するような俳句を考えている暇がなかったのである。けれども私は恐縮した。私は丁寧な手紙を書いて、自分の怠慢を謝した。それから茶の御礼を云った。最後に富士登山の図を小包にして返した。 十三  私はこれで一段落ついたものと思って、例の坂越の男の事を、それぎり念頭に置かなかった。するとその男がまた短冊を封じて寄こした。そうして今度は義士に関係のある句を書いてくれというのである。私はそのうち書こうと云ってやった。しかしなかなか書く機会が来なかったので、ついそのままになってしまった。けれども執濃いこの男の方ではけっしてそのままに済ます気はなかったものと見えて、むやみに催促を始め出した。その催促は一週に一遍か、二週に一遍の割できっと来た。それが必ず端書に限っていて、その書き出しには、必ず「拝啓失敬申し候えども」とあるにきまっていた。私はその人の端書を見るのがだんだん不愉快になって来た。  同時に向うの催促も、今まで私の予期していなかった変な特色を帯びるようになった。最初には茶をやったではないかという言葉が見えた。私がそれに取り合わずにいると、今度はあの茶を返してくれという文句に改たまった。私は返す事はたやすいが、その手数が面倒だから、東京まで取りに来れば返してやると云ってやりたくなった。けれども坂越の男にそういう手紙を出すのは、自分の品格に関わるような気がしてあえてし切れなかった。返事を受け取らない先方はなおの事催促をした。茶を返さないならそれでも好いから、金一円をその代価として送って寄こせというのである。私の感情はこの男に対してしだいに荒んで来た。しまいにはとうとう自分を忘れるようになった。茶は飲んでしまった、短冊は失くしてしまった、以来端書を寄こす事はいっさい無用であると書いてやった。そうして心のうちで、非常に苦々しい気分を経験した。こんな非紳士的な挨拶をしなければならないような穴の中へ、私を追い込んだのは、この坂越の男であると思ったからである。こんな男のために、品格にもせよ人格にもせよ、幾分の堕落を忍ばなければならないのかと考えると情なかったからである。  しかし坂越の男は平気であった。茶は飲んでしまい、短冊は失くしてしまうとは、余りと申せば……とまた端書に書いて来た。そうしてその冒頭には依然として拝啓失敬申し候えどもという文句が規則通り繰り返されていた。  その時私はもうこの男には取り合うまいと決心した。けれども私の決心は彼の態度に対して何の効果のあるはずはなかった。彼は相変らず催促をやめなかった。そうして今度は、もう一度書いてくれれば、また茶を送ってやるがどうだと云って来た。それから事いやしくも義士に関するのだから、句を作っても好いだろうと云って来た。  しばらく端書が中絶したと思うと、今度はそれが封書に変った。もっともその封筒は区役所などで使う極めて安い鼠色のものであったが、彼はわざとそれに切手を貼らないのである。その代り裏に自分の姓名も書かずに投函していた。私はそれがために、倍の郵税を二度ほど払わせられた。最後に私は配達夫に彼の氏名と住所とを教えて、封のまま先方へ逆送して貰った。彼はそれで六銭取られたせいか、ようやく催促を断念したらしい態度になった。  ところが二カ月ばかり経って、年が改まると共に、彼は私に普通の年始状を寄こした。それが私をちょっと感心させたので、私はつい短冊へ句を書いて送る気になった。しかしその贈物は彼を満足させるに足りなかった。彼は短冊が折れたとか、汚れたとか云って、しきりに書き直しを請求してやまない。現に今年の正月にも、「失敬申し候えども……」という依頼状が七八日頃に届いた。  私がこんな人に出会ったのは生れて始めてである。 十四  ついこの間昔し私の家へ泥棒の入った時の話を比較的詳しく聞いた。  姉がまだ二人とも嫁づかずにいた時分の事だというから、年代にすると、多分私の生れる前後に当るのだろう、何しろ勤王とか佐幕とかいう荒々しい言葉の流行ったやかましい頃なのである。  ある夜一番目の姉が、夜中に小用に起きた後、手を洗うために、潜戸を開けると、狭い中庭の隅に、壁を圧しつけるような勢で立っている梅の古木の根方が、かっと明るく見えた。姉は思慮をめぐらす暇もないうちに、すぐ潜戸を締めてしまったが、締めたあとで、今目前に見た不思議な明るさをそこに立ちながら考えたのである。  私の幼心に映ったこの姉の顔は、いまだに思い起そうとすれば、いつでも眼の前に浮ぶくらい鮮かである。しかしその幻像はすでに嫁に行って歯を染めたあとの姿であるから、その時縁側に立って考えていた娘盛りの彼女を、今胸のうちに描き出す事はちょっと困難である。  広い額、浅黒い皮膚、小さいけれども明確した輪廓を具えている鼻、人並より大きい二重瞼の眼、それから御沢という優しい名、――私はただこれらを綜合して、その場合における姉の姿を想像するだけである。  しばらく立ったまま考えていた彼女の頭に、この時もしかすると火事じゃないかという懸念が起った。それで彼女は思い切ってまた切戸を開けて外を覗こうとする途端に、一本の光る抜身が、闇の中から、四角に切った潜戸の中へすうと出た。姉は驚いて身を後へ退いた。その隙に、覆面をした、龕灯提灯を提げた男が、抜刀のまま、小さい潜戸から大勢家の中へ入って来たのだそうである。泥棒の人数はたしか八人とか聞いた。  彼らは、他を殺めるために来たのではないから、おとなしくしていてくれさえすれば、家のものに危害は加えない、その代り軍用金を借せと云って、父に迫った。父はないと断った。しかし泥棒はなかなか承知しなかった。今角の小倉屋という酒屋へ入って、そこで教えられて来たのだから、隠しても駄目だと云って動かなかった。父は不精無性に、とうとう何枚かの小判を彼らの前に並べた。彼らは金額があまり少な過ぎると思ったものか、それでもなかなか帰ろうとしないので、今まで床の中に寝ていた母が、「あなたの紙入に入っているのもやっておしまいなさい」と忠告した。その紙入の中には五十両ばかりあったとかいう話である。泥棒が出て行ったあとで、「余計な事をいう女だ」と云って、父は母を叱りつけたそうである。  その事があって以来、私の家では柱を切り組にして、その中へあり金を隠す方法を講じたが、隠すほどの財産もできず、また黒装束を着けた泥棒も、それぎり来ないので、私の生長する時分には、どれが切組にしてある柱かまるで分らなくなっていた。  泥棒が出て行く時、「この家は大変締りの好い宅だ」と云って賞めたそうだが、その締りの好い家を泥棒に教えた小倉屋の半兵衛さんの頭には、あくる日から擦り傷がいくつとなくできた。これは金はありませんと断わるたびに、泥棒がそんなはずがあるものかと云っては、抜身の先でちょいちょい半兵衛さんの頭を突ッついたからだという。それでも半兵衛さんは、「どうしても宅にはありません、裏の夏目さんにはたくさんあるから、あすこへいらっしゃい」と強情を張り通して、とうとう金は一文も奪られずにしまった。  私はこの話を妻から聞いた。妻はまたそれを私の兄から茶受話に聞いたのである。 十五  私が去年の十一月学習院で講演をしたら、薄謝と書いた紙包を後から届けてくれた。立派な水引がかかっているので、それを除して中を改めると、五円札が二枚入っていた。私はその金を平生から気の毒に思っていた、或懇意な芸術家に贈ろうかしらと思って、暗に彼の来るのを待ち受けていた。ところがその芸術家がまだ見えない先に、何か寄附の必要ができてきたりして、つい二枚とも消費してしまった。  一口でいうと、この金は私にとってけっして無用なものではなかったのである。世間の通り相場で、立派に私のために消費されたというよりほかに仕方がないのである。けれどもそれを他にやろうとまで思った私の主観から見れば、そんなにありがたみの附着していない金には相違なかったのである。打ち明けた私の心持をいうと、こうした御礼を受けるより受けない時の方がよほど颯爽していた。  畔柳芥舟君が樗牛会の講演の事で見えた時、私は話のついでとして一通りその理由を述べた。 「この場合私は労力を売りに行ったのではない。好意ずくで依頼に応じたのだから、向うでも好意だけで私に酬いたらよかろうと思う。もし報酬問題とする気なら、最初から御礼はいくらするが、来てくれるかどうかと相談すべきはずでしょう」  その時K君は納得できないといったような顔をした。そうしてこう答えた。 「しかしどうでしょう。その十円はあなたの労力を買ったという意味でなくって、あなたに対する感謝の意を表する一つの手段と見たら。そう見る訳には行かないのですか」 「品物なら判然そう解釈もできるのですが、不幸にも御礼が普通営業的の売買に使用する金なのですから、どっちとも取れるのです」 「どっちとも取れるなら、この際善意の方に解釈した方が好くはないでしょうか」  私はもっともだとも思った。しかしまたこう答えた。 「私は御存じの通り原稿料で衣食しているくらいですから、無論富裕とは云えません。しかしどうかこうか、それだけで今日を過ごして行かれるのです。だから自分の職業以外の事にかけては、なるべく好意的に人のために働いてやりたいという考えを持っています。そうしてその好意が先方に通じるのが、私にとっては、何よりも尊とい報酬なのです。したがって金などを受けると、私が人のために働いてやるという余地、――今の私にはこの余地がまた極めて狭いのです。――その貴重な余地を腐蝕させられたような心持になります」  K君はまだ私の云う事を肯わない様子であった。私も強情であった。 「もし岩崎とか三井とかいう大富豪に講演を頼むとした場合に、後から十円の御礼を持って行くでしょうか、あるいは失礼だからと云って、ただ挨拶だけにとどめておくでしょうか。私の考ではおそらく金銭は持って行くまいと思うのですが」 「さあ」といっただけでK君は判然した返事を与えなかった。私にはまだ云う事が少し残っていた。 「己惚かは知りませんが、私の頭は三井岩崎に比べるほど富んでいないにしても、一般学生よりはずっと金持に違いないと信じています」 「そうですとも」とK君は首肯いた。 「もし岩崎や三井に十円の御礼を持って行く事が失礼ならば、私の所へ十円の御礼を持って来るのも失礼でしょう。それもその十円が物質上私の生活に非常な潤沢を与えるなら、またほかの意味からこの問題を眺める事もできるでしょうが、現に私はそれを他にやろうとまで思ったのだから。――私の現下の経済的生活は、この十円のために、ほとんど目に立つほどの影響を蒙らないのだから」 「よく考えて見ましょう」といったK君はにやにや笑いながら帰って行った。 十六  宅の前のだらだら坂を下りると、一間ばかりの小川に渡した橋があって、その橋向うのすぐ左側に、小さな床屋が見える。私はたった一度そこで髪を刈って貰った事がある。  平生は白い金巾の幕で、硝子戸の奥が、往来から見えないようにしてあるので、私はその床屋の土間に立って、鏡の前に座を占めるまで、亭主の顔をまるで知らずにいた。  亭主は私の入ってくるのを見ると、手に持った新聞紙を放り出してすぐ挨拶をした。その時私はどうもどこかで会った事のある男に違ないという気がしてならなかった。それで彼が私の後へ廻って、鋏をちょきちょき鳴らし出した頃を見計らって、こっちから話を持ちかけて見た。すると私の推察通り、彼は昔し寺町の郵便局の傍に店を持って、今と同じように、散髪を渡世としていた事が解った。 「高田の旦那などにもだいぶ御世話になりました」  その高田というのは私の従兄なのだから、私も驚いた。 「へえ高田を知ってるのかい」 「知ってるどころじゃございません。始終徳、徳、って贔屓にして下すったもんです」  彼の言葉遣いはこういう職人にしてはむしろ丁寧な方であった。 「高田も死んだよ」と私がいうと、彼は吃驚した調子で「へッ」と声を揚げた。 「いい旦那でしたがね、惜しい事に。いつ頃御亡くなりになりました」 「なに、つい此間さ。今日で二週間になるか、ならないぐらいのものだろう」  彼はそれからこの死んだ従兄について、いろいろ覚えている事を私に語った末、「考えると早いもんですね旦那、つい昨日の事としっきゃ思われないのに、もう三十年近くにもなるんですから」と云った。 「あのそら求友亭の横町にいらしってね、……」と亭主はまた言葉を継ぎ足した。 「うん、あの二階のある家だろう」 「ええ御二階がありましたっけ。あすこへ御移りになった時なんか、方々様から御祝い物なんかあって、大変御盛でしたがね。それから後でしたっけか、行願寺の寺内へ御引越なすったのは」  この質問は私にも答えられなかった。実はあまり古い事なので、私もつい忘れてしまったのである。 「あの寺内も今じゃ大変変ったようだね。用がないので、それからつい入って見た事もないが」 「変ったの変らないのってあなた、今じゃまるで待合ばかりでさあ」  私は肴町を通るたびに、その寺内へ入る足袋屋の角の細い小路の入口に、ごたごた掲げられた四角な軒灯の多いのを知っていた。しかしその数を勘定して見るほどの道楽気も起らなかったので、つい亭主のいう事には気がつかずにいた。 「なるほどそう云えば誰が袖なんて看板が通りから見えるようだね」 「ええたくさんできましたよ。もっとも変るはずですね、考えて見ると。もうやがて三十年にもなろうと云うんですから。旦那も御承知の通り、あの時分は芸者屋ったら、寺内にたった一軒しきゃ無かったもんでさあ。東家ってね。ちょうどそら高田の旦那の真向でしたろう、東家の御神灯のぶら下がっていたのは」 十七  私はその東家をよく覚えていた。従兄の宅のつい向なので、両方のものが出入りのたびに、顔を合わせさえすれば挨拶をし合うぐらいの間柄であったから。  その頃従兄の家には、私の二番目の兄がごろごろしていた。この兄は大の放蕩もので、よく宅の懸物や刀剣類を盗み出しては、それを二束三文に売り飛ばすという悪い癖があった。彼が何で従兄の家に転がり込んでいたのか、その時の私には解らなかったけれども、今考えると、あるいはそうした乱暴を働らいた結果、しばらく家を追い出されていたかも知れないと思う。その兄のほかに、まだ庄さんという、これも私の母方の従兄に当る男が、そこいらにぶらぶらしていた。  こういう連中がいつでも一つ所に落ち合っては、寝そべったり、縁側へ腰をかけたりして、勝手な出放題を並べていると、時々向うの芸者屋の竹格子の窓から、「今日は」などと声をかけられたりする。それをまた待ち受けてでもいるごとくに、連中は「おいちょっとおいで、好いものあるから」とか何とか云って、女を呼び寄せようとする。芸者の方でも昼間は暇だから、三度に一度は御愛嬌に遊びに来る。といった風の調子であった。  私はその頃まだ十七八だったろう、その上大変な羞恥屋で通っていたので、そんな所に居合わしても、何にも云わずに黙って隅の方に引込んでばかりいた。それでも私は何かの拍子で、これらの人々といっしょに、その芸者屋へ遊びに行って、トランプをした事がある。負けたものは何か奢らなければならないので、私は人の買った寿司や菓子をだいぶ食った。  一週間ほど経ってから、私はまたこののらくらの兄に連れられて同じ宅へ遊びに行ったら、例の庄さんも席に居合わせて話がだいぶはずんだ。その時咲松という若い芸者が私の顔を見て、「またトランプをしましょう」と云った。私は小倉の袴を穿いて四角張っていたが、懐中には一銭の小遣さえ無かった。 「僕は銭がないから厭だ」 「好いわ、私が持ってるから」  この女はその時眼を病んででもいたのだろう、こういいいい、綺麗な襦袢の袖でしきりに薄赤くなった二重瞼を擦っていた。  その後私は「御作が好い御客に引かされた」という噂を、従兄の家で聞いた。従兄の家では、この女の事を咲松と云わないで、常に御作御作と呼んでいたのである。私はその話を聞いた時、心の内でもう御作に会う機会も来ないだろうと考えた。  ところがそれからだいぶ経って、私が例の達人といっしょに、芝の山内の勧工場へ行ったら、そこでまたぱったり御作に出会った。こちらの書生姿に引き易えて、彼女はもう品の好い奥様に変っていた。旦那というのも彼女の傍についていた。……  私は床屋の亭主の口から出た東家という芸者屋の名前の奥に潜んでいるこれだけの古い事実を急に思い出したのである。 「あすこにいた御作という女を知ってるかね」と私は亭主に聞いた。 「知ってるどころか、ありゃ私の姪でさあ」 「そうかい」  私は驚ろいた。 「それで、今どこにいるのかね」 「御作は亡くなりましたよ、旦那」  私はまた驚ろいた。 「いつ」 「いつって、もう昔の事になりますよ。たしかあれが二十三の年でしたろう」 「へええ」 「しかも浦塩で亡くなったんです。旦那が領事館に関係のある人だったもんですから、あっちへいっしょに行きましてね。それから間もなくでした、死んだのは」  私は帰って硝子戸の中に坐って、まだ死なずにいるものは、自分とあの床屋の亭主だけのような気がした。 十八  私の座敷へ通されたある若い女が、「どうも自分の周囲がきちんと片づかないで困りますが、どうしたら宜しいものでしょう」と聞いた。  この女はある親戚の宅に寄寓しているので、そこが手狭な上に、子供などが蒼蠅いのだろうと思った私の答は、すこぶる簡単であった。 「どこかさっぱりした家を探して下宿でもしたら好いでしょう」 「いえ部屋の事ではないので、頭の中がきちんと片づかないで困るのです」  私は私の誤解を意識すると同時に、女の意味がまた解らなくなった。それでもう少し進んだ説明を彼女に求めた。 「外からは何でも頭の中に入って来ますが、それが心の中心と折合がつかないのです」 「あなたのいう心の中心とはいったいどんなものですか」 「どんなものと云って、真直な直線なのです」  私はこの女の数学に熱心な事を知っていた。けれども心の中心が直線だという意味は無論私に通じなかった。その上中心とははたして何を意味するのか、それもほとんど不可解であった。女はこう云った。 「物には何でも中心がございましょう」 「それは眼で見る事ができ、尺度で計る事のできる物体についての話でしょう。心にも形があるんですか。そんならその中心というものをここへ出して御覧なさい」  女は出せるとも出せないとも云わずに、庭の方を見たり、膝の上で両手を擦ったりしていた。 「あなたの直線というのは比喩じゃありませんか。もし比喩なら、円と云っても四角と云っても、つまり同じ事になるのでしょう」 「そうかも知れませんが、形や色が始終変っているうちに、少しも変らないものが、どうしてもあるのです」 「その変るものと変らないものが、別々だとすると、要するに心が二つある訳になりますが、それで好いのですか。変るものはすなわち変らないものでなければならないはずじゃありませんか」  こう云った私はまた問題を元に返して女に向った。 「すべて外界のものが頭のなかに入って、すぐ整然と秩序なり段落なりがはっきりするように納まる人は、おそらくないでしょう。失礼ながらあなたの年齢や教育や学問で、そうきちんと片づけられる訳がありません。もしまたそんな意味でなくって、学問の力を借りずに、徹底的にどさりと納まりをつけたいなら、私のようなものの所へ来ても駄目です。坊さんの所へでもいらっしゃい」  すると女が私の顔を見た。 「私は始めて先生を御見上げ申した時に、先生の心はそういう点で、普通の人以上に整のっていらっしゃるように思いました」 「そんなはずがありません」 「でも私にはそう見えました。内臓の位置までが調っていらっしゃるとしか考えられませんでした」 「もし内臓がそれほど具合よく調節されているなら、こんなに始終病気などはしません」 「私は病気にはなりません」とその時女は突然自分の事を云った。 「それはあなたが私より偉い証拠です」と私も答えた。  女は蒲団を滑り下りた。そうして、「どうぞ御身体を御大切に」と云って帰って行った。 十九  私の旧宅は今私の住んでいる所から、四五町奥の馬場下という町にあった。町とは云い条、その実小さな宿場としか思われないくらい、小供の時の私には、寂れ切ってかつ淋しく見えた。もともと馬場下とは高田の馬場の下にあるという意味なのだから、江戸絵図で見ても、朱引内か朱引外か分らない辺鄙な隅の方にあったに違ないのである。  それでも内蔵造の家が狭い町内に三四軒はあったろう。坂を上ると、右側に見える近江屋伝兵衛という薬種屋などはその一つであった。それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。もっともこの方は倉造りではなかったけれども、堀部安兵衛が高田の馬場で敵を打つ時に、ここへ立ち寄って、枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。私はその話を小供の時分から覚えていたが、ついぞそこにしまってあるという噂の安兵衛が口を着けた枡を見たことがなかった。その代り娘の御北さんの長唄は何度となく聞いた。私は小供だから上手だか下手だかまるで解らなかったけれども、私の宅の玄関から表へ出る敷石の上に立って、通りへでも行こうとすると、御北さんの声がそこからよく聞こえたのである。春の日の午過などに、私はよく恍惚とした魂を、麗かな光に包みながら、御北さんの御浚いを聴くでもなく聴かぬでもなく、ぼんやり私の家の土蔵の白壁に身を靠たせて、佇立んでいた事がある。その御蔭で私はとうとう「旅の衣は篠懸の」などという文句をいつの間にか覚えてしまった。  このほかには棒屋が一軒あった。それから鍛冶屋も一軒あった。少し八幡坂の方へ寄った所には、広い土間を屋根の下に囲い込んだやっちゃ場もあった。私の家のものは、そこの主人を、問屋の仙太郎さんと呼んでいた。仙太郎さんは何でも私の父とごく遠い親類つづきになっているんだとか聞いたが、交際からいうと、まるで疎濶であった。往来で行き会う時だけ、「好い御天気で」などと声をかけるくらいの間柄に過ぎなかったらしく思われる。この仙太郎さんの一人娘が講釈師の貞水と好い仲になって、死ぬの生きるのという騒ぎのあった事も人聞に聞いて覚えてはいるが、纏まった記憶は今頭のどこにも残っていない。小供の私には、それよりか仙太郎さんが高い台の上に腰をかけて、矢立と帳面を持ったまま、「いーやっちゃいくら」と威勢の好い声で下にいる大勢の顔を見渡す光景の方がよっぽど面白かった。下からはまた二十本も三十本もの手を一度に挙げて、みんな仙太郎さんの方を向きながら、ろんじだのがれんだのという符徴を、罵しるように呼び上げるうちに、薑や茄子や唐茄子の籠が、それらの節太の手で、どしどしどこかへ運び去られるのを見ているのも勇ましかった。  どんな田舎へ行ってもありがちな豆腐屋は無論あった。その豆腐屋には油の臭の染み込んだ縄暖簾がかかっていて門口を流れる下水の水が京都へでも行ったように綺麗だった。その豆腐屋について曲ると半町ほど先に西閑寺という寺の門が小高く見えた。赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩われているので、中にどんなものがあるか通りからは全く見えなかったが、その奥でする朝晩の御勤の鉦の音は、今でも私の耳に残っている。ことに霧の多い秋から木枯の吹く冬へかけて、カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音は、いつでも私の心に悲しくて冷たい或物を叩き込むように小さい私の気分を寒くした。 二十  この豆腐屋の隣に寄席が一軒あったのを、私は夢幻のようにまだ覚えている。こんな場末に人寄場のあろうはずがないというのが、私の記憶に霞をかけるせいだろう、私はそれを思い出すたびに、奇異な感じに打たれながら、不思議そうな眼を見張って、遠い私の過去をふり返るのが常である。  その席亭の主人というのは、町内の鳶頭で、時々目暗縞の腹掛に赤い筋の入った印袢纏を着て、突っかけ草履か何かでよく表を歩いていた。そこにまた御藤さんという娘があって、その人の容色がよく家のものの口に上った事も、まだ私の記憶を離れずにいる。後には養子を貰ったが、それが口髭を生やした立派な男だったので、私はちょっと驚ろかされた。御藤さんの方でも自慢の養子だという評判が高かったが、後から聞いて見ると、この人はどこかの区役所の書記だとかいう話であった。  この養子が来る時分には、もう寄席もやめて、しもうた屋になっていたようであるが、私はそこの宅の軒先にまだ薄暗い看板が淋しそうに懸っていた頃、よく母から小遣を貰ってそこへ講釈を聞きに出かけたものである。講釈師の名前はたしか、南麟とかいった。不思議な事に、この寄席へは南麟よりほかに誰も出なかったようである。この男の家はどこにあったか知らないが、どの見当から歩いて来るにしても、道普請ができて、家並の揃った今から見れば大事業に相違なかった。その上客の頭数はいつでも十五か二十くらいなのだから、どんなに想像を逞ましくしても、夢としか考えられないのである。「もうしもうし花魁え、と云われて八ツ橋なんざますえとふり返る、途端に切り込む刃の光」という変な文句は、私がその時分南麟から教わったのか、それとも後になって落語家のやる講釈師の真似から覚えたのか、今では混雑してよく分らない。  当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人気のない茶畠とか、竹藪とかまたは長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物はたいてい神楽坂まで出る例になっていたので、そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。  あの土手の上に二抱も三抱えもあろうという大木が、何本となく並んで、その隙間隙間をまた大きな竹藪で塞いでいたのだから、日の目を拝む時間と云ったら、一日のうちにおそらくただの一刻もなかったのだろう。下町へ行こうと思って、日和下駄などを穿いて出ようものなら、きっと非道い目にあうにきまっていた。あすこの霜融は雨よりも雪よりも恐ろしいもののように私の頭に染み込んでいる。  そのくらい不便な所でも火事の虞はあったものと見えて、やっぱり町の曲り角に高い梯子が立っていた。そうしてその上に古い半鐘も型のごとく釣るしてあった。私はこうしたありのままの昔をよく思い出す。その半鐘のすぐ下にあった小さな一膳飯屋もおのずと眼先に浮かんで来る。縄暖簾の隙間からあたたかそうな煮〆の香が煙と共に往来へ流れ出して、それが夕暮の靄に融け込んで行く趣なども忘れる事ができない。私が子規のまだ生きているうちに、「半鐘と並んで高き冬木哉」という句を作ったのは、実はこの半鐘の記念のためであった。 二十一  私の家に関する私の記憶は、惣じてこういう風に鄙びている。そうしてどこかに薄ら寒い憐れな影を宿している。だから今生き残っている兄から、つい此間、うちの姉達が芝居に行った当時の様子を聴いた時には驚ろいたのである。そんな派出な暮しをした昔もあったのかと思うと、私はいよいよ夢のような心持になるよりほかはない。  その頃の芝居小屋はみんな猿若町にあった。電車も俥もない時分に、高田の馬場の下から浅草の観音様の先まで朝早く行き着こうと云うのだから、たいていの事ではなかったらしい。姉達はみんな夜半に起きて支度をした。途中が物騒だというので、用心のため、下男がきっと供をして行ったそうである。  彼らは筑土を下りて、柿の木横町から揚場へ出て、かねてそこの船宿にあつらえておいた屋根船に乗るのである。私は彼らがいかに予期に充ちた心をもって、のろのろ砲兵工厰の前から御茶の水を通り越して柳橋まで漕がれつつ行っただろうと想像する。しかも彼らの道中はけっしてそこで終りを告げる訳に行かないのだから、時間に制限をおかなかったその昔がなおさら回顧の種になる。  大川へ出た船は、流を溯って吾妻橋を通り抜けて、今戸の有明楼の傍に着けたものだという。姉達はそこから上って芝居茶屋まで歩いて、それからようやく設けの席につくべく、小屋へ送られて行く。設けの席というのは必ず高土間に限られていた。これは彼らの服装なり顔なり、髪飾なりが、一般の眼によく着く便利のいい場所なので、派出を好む人達が、争って手に入れたがるからであった。  幕の間には役者に随いている男が、どうぞ楽屋へお遊びにいらっしゃいましと云って案内に来る。すると姉達はこの縮緬の模様のある着物の上に袴を穿いた男の後に跟いて、田之助とか訥升とかいう贔屓の役者の部屋へ行って、扇子に画などを描いて貰って帰ってくる。これが彼らの見栄だったのだろう。そうしてその見栄は金の力でなければ買えなかったのである。  帰りには元来た路を同じ舟で揚場まで漕ぎ戻す。無要心だからと云って、下男がまた提灯を点けて迎に行く。宅へ着くのは今の時計で十二時くらいにはなるのだろう。だから夜半から夜半までかかって彼らはようやく芝居を見る事ができたのである。……  こんな華麗な話を聞くと、私ははたしてそれが自分の宅に起った事か知らんと疑いたくなる。どこか下町の富裕な町家の昔を語られたような気もする。  もっとも私の家も侍分ではなかった。派出な付合をしなければならない名主という町人であった。私の知っている父は、禿頭の爺さんであったが、若い時分には、一中節を習ったり、馴染の女に縮緬の積夜具をしてやったりしたのだそうである。青山に田地があって、そこから上って来る米だけでも、家のものが食うには不足がなかったとか聞いた。現に今生き残っている三番目の兄などは、その米を舂く音を始終聞いたと云っている。私の記憶によると、町内のものがみんなして私の家を呼んで、玄関玄関と称えていた。その時分の私には、どういう意味か解らなかったが、今考えると、式台のついた厳めしい玄関付の家は、町内にたった一軒しかなかったからだろうと思う。その式台を上った所に、突棒や、袖搦や刺股や、また古ぼけた馬上提灯などが、並んで懸けてあった昔なら、私でもまだ覚えている。 二十二  この二三年来私はたいてい年に一度くらいの割で病気をする。そうして床についてから床を上げるまでに、ほぼ一月の日数を潰してしまう。  私の病気と云えば、いつもきまった胃の故障なので、いざとなると、絶食療法よりほかに手の着けようがなくなる。医者の命令ばかりか、病気の性質そのものが、私にこの絶食を余儀なくさせるのである。だから病み始めより回復期に向った時の方が、余計痩せこけてふらふらする。一カ月以上かかるのもおもにこの衰弱が祟るからのように思われる。  私の立居が自由になると、黒枠のついた摺物が、時々私の机の上に載せられる。私は運命を苦笑する人のごとく、絹帽などを被って、葬式の供に立つ、俥を駆って斎場へ駈けつける。死んだ人のうちには、御爺さんも御婆さんもあるが、時には私よりも年歯が若くって、平生からその健康を誇っていた人も交っている。  私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。  私としてこういう黙想に耽るのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地や、身体や、才能や――すべて己れというもののおり所を忘れがちな人間の一人として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。  或人が私に告げて、「他の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴かされた時に、こんな問答をした覚えもある。 「ああして始終落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」 「ところがそうでないと見えます」 「なぜ」 「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」  私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。  不思議な事に私の寝ている間には、黒枠の通知がほとんど来ない。去年の秋にも病気が癒った後で、三四人の葬儀に列したのである。その三四人の中に社の佐藤君も這入っていた。私は佐藤君がある宴会の席で、社から貰った銀盃を持って来て、私に酒を勧めてくれた事を思い出した。その時彼の踊った変な踊もまだ覚えている。この元気な崛強な人の葬式に行った私は、彼が死んで私が生残っているのを、別段の不思議とも思わずにいる時の方が多い。しかし折々考えると、自分の生きている方が不自然のような心持にもなる。そうして運命がわざと私を愚弄するのではないかしらと疑いたくなる。 二十三  今私の住んでいる近所に喜久井町という町がある。これは私の生れた所だから、ほかの人よりもよく知っている。けれども私が家を出て、方々漂浪して帰って来た時には、その喜久井町がだいぶ広がって、いつの間にか根来の方まで延びていた。  私に縁故の深いこの町の名は、あまり聞き慣れて育ったせいか、ちっとも私の過去を誘い出す懐かしい響を私に与えてくれない。しかし書斎に独り坐って、頬杖を突いたまま、流れを下る舟のように、心を自由に遊ばせておくと、時々私の聯想が、喜久井町の四字にぱたりと出会ったなり、そこでしばらく徊し始める事がある。  この町は江戸と云った昔には、多分存在していなかったものらしい。江戸が東京に改まった時か、それともずっと後になってからか、年代はたしかに分らないが、何でも私の父が拵えたものに相違ないのである。  私の家の定紋が井桁に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、父自身の口から聴いたのか、または他のものから教わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。父は名主がなくなってから、一時区長という役を勤めていたので、あるいはそんな自由も利いたかも知れないが、それを誇にした彼の虚栄心を、今になって考えて見ると、厭な心持は疾くに消え去って、ただ微笑したくなるだけである。  父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかも知れない。  私が早稲田に帰って来たのは、東京を出てから何年ぶりになるだろう。私は今の住居に移る前、家を探す目的であったか、また遠足の帰り路であったか、久しぶりで偶然私の旧家の横へ出た。その時表から二階の古瓦が少し見えたので、まだ生き残っているのかしらと思ったなり、私はそのまま通り過ぎてしまった。  早稲田に移ってから、私はまたその門前を通って見た。表から覗くと、何だかもとと変らないような気もしたが、門には思いも寄らない下宿屋の看板が懸っていた。私は昔の早稲田田圃が見たかった。しかしそこはもう町になっていた。私は根来の茶畠と竹藪を一目眺めたかった。しかしその痕迹はどこにも発見する事ができなかった。多分この辺だろうと推測した私の見当は、当っているのか、外れているのか、それさえ不明であった。  私は茫然として佇立した。なぜ私の家だけが過去の残骸のごとくに存在しているのだろう。私は心のうちで、早くそれが崩れてしまえば好いのにと思った。 「時」は力であった。去年私が高田の方へ散歩したついでに、何気なくそこを通り過ぎると、私の家は綺麗に取り壊されて、そのあとに新らしい下宿屋が建てられつつあった。その傍には質屋もできていた。質屋の前に疎らな囲をして、その中に庭木が少し植えてあった。三本の松は、見る影もなく枝を刈り込まれて、ほとんど畸形児のようになっていたが、どこか見覚のあるような心持を私に起させた。昔し「影参差松三本の月夜かな」と咏ったのは、あるいはこの松の事ではなかったろうかと考えつつ、私はまた家に帰った。 二十四 「そんな所に生い立って、よく今日まで無事にすんだものですね」 「まあどうかこうか無事にやって来ました」  私達の使った無事という言葉は、男女の間に起る恋の波瀾がないという意味で、云わば情事の反対を指したようなものであるが、私の追窮心は簡単なこの一句の答で満足できなかった。 「よく人が云いますね、菓子屋へ奉公すると、いくら甘いものの好な男でも、菓子が厭になるって、御彼岸に御萩などを拵えているところを宅で見ていても分るじゃありませんか、拵えるものは、ただ御萩を御重に詰めるだけで、もうげんなりした顔をしているくらいだから。あなたの場合もそんな訳なんですか」 「そういう訳でもないようです。とにかく廿歳少し過ぎまでは平気でいたのですから」  その人はある意味において好男子であった。 「たといあなたが平気でいても、相手が平気でいない場合がないとも限らないじゃありませんか。そんな時には、どうしたって誘われがちになるのが当り前でしょう」 「今からふり返って見ると、なるほどこういう意味でああいう事をしたのだとか、あんな事を云ったのだとか、いろいろ思い当る事がないでもありません」 「じゃ全く気がつかずにいたのですね」 「まあそうです。それからこちらで気のついたのも一つありました。しかし私の心はどうしても、その相手に惹きつけられる事ができなかったのです」  私はそれが話の終りかと思った。二人の前には正月の膳が据えてあった。客は少しも酒を飲まないし、私もほとんど盃に手を触れなかったから、献酬というものは全くなかった。 「それだけで今日まで経過して来られたのですか」と私は吸物をすすりながら念のために訊いて見た。すると客は突然こんな話を私にして聞かせた。 「まだ使用人であった頃に、ある女と二年ばかり会っていた事があります。相手は無論素人ではないのでした。しかしその女はもういないのです。首を縊って死んでしまったのです。年は十九でした。十日ばかり会わないでいるうちに死んでしまったのです。その女にはね、旦那が二人あって、双方が意地ずくで、身受の金を競り上げにかかったのです。それに双方共老妓を味方にして、こっちへ来い、あっちへ行くなと義理責にもしたらしいのです。……」 「あなたはそれを救ってやる訳に行かなかったのですか」 「当時の私は丁稚の少し毛の生えたようなもので、とてもどうもできないのです」 「しかしその芸妓はあなたのために死んだのじゃありませんか」 「さあ……。一度に双方の旦那に義理を立てる訳に行かなかったからかも知れませんが。……しかし私ら二人の間に、どこへも行かないという約束はあったに違ないのです」 「するとあなたが間接にその女を殺した事になるのかも知れませんね」 「あるいはそうかも知れません」 「あなたは寝覚が悪かありませんか」 「どうも好くないのです」  元日に込み合った私の座敷は、二日になって淋しいくらい静かであった。私はその淋しい春の松の内に、こういう憐れな物語りを、その年賀の客から聞いたのである。客は真面目な正直な人だったから、それを話すにも、ほとんど艶っぽい言葉を使わなかった。 二十五  私がまだ千駄木にいた頃の話だから、年数にすると、もうだいぶ古い事になる。  或日私は切通しの方へ散歩した帰りに、本郷四丁目の角へ出る代りに、もう一つ手前の細い通りを北へ曲った。その曲り角にはその頃あった牛屋の傍に、寄席の看板がいつでも懸っていた。  雨の降る日だったので、私は無論傘をさしていた。それが鉄御納戸の八間の深張で、上から洩ってくる雫が、自然木の柄を伝わって、私の手を濡らし始めた。人通りの少ないこの小路は、すべての泥を雨で洗い流したように、足駄の歯に引っ懸る汚ないものはほとんどなかった。それでも上を見れば暗く、下を見れば佗びしかった。始終通りつけているせいでもあろうが、私の周囲には何一つ私の眼を惹くものは見えなかった。そうして私の心はよくこの天気とこの周囲に似ていた。私には私の心を腐蝕するような不愉快な塊が常にあった。私は陰欝な顔をしながら、ぼんやり雨の降る中を歩いていた。  日蔭町の寄席の前まで来た私は、突然一台の幌俥に出合った。私と俥の間には何の隔りもなかったので、私は遠くからその中に乗っている人の女だという事に気がついた。まだセルロイドの窓などのできない時分だから、車上の人は遠くからその白い顔を私に見せていたのである。  私の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながらじっとその人の姿に見惚れていた。同時にこれは芸者だろうという推察が、ほとんど事実のように、私の心に働らきかけた。すると俥が私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、鄭寧な会釈を私にして通り過ぎた。私は微笑に伴なうその挨拶とともに、相手が、大塚楠緒さんであった事に、始めて気がついた。  次に会ったのはそれから幾日目だったろうか、楠緒さんが私に、「この間は失礼しました」と云ったので、私は私のありのままを話す気になった。 「実はどこの美くしい方かと思って見ていました。芸者じゃないかしらとも考えたのです」  その時楠緒さんが何と答えたか、私はたしかに覚えていないけれども、楠緒さんはちっとも顔を赧らめなかった。それから不愉快な表情も見せなかった。私の言葉をただそのままに受け取ったらしく思われた。  それからずっと経って、ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へ訪ねて来てくれた事がある。しかるにあいにく私は妻と喧嘩をしていた。私は厭な顔をしたまま、書斎にじっと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ばかり話をして帰って行った。  その日はそれですんだが、ほどなく私は西片町へ詫まりに出かけた。 「実は喧嘩をしていたのです。妻も定めて無愛想でしたろう。私はまた苦々しい顔を見せるのも失礼だと思って、わざと引込んでいたのです」  これに対する楠緒さんの挨拶も、今では遠い過去になって、もう呼び出す事のできないほど、記憶の底に沈んでしまった。  楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支ないかと電話で問い合された事などもまだ覚えている。私は病院で「ある程の菊投げ入れよ棺の中」という手向の句を楠緒さんのために咏んだ。それを俳句の好きなある男が嬉しがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行ったのも、もう昔になってしまった。 二十六  益さんがどうしてそんなに零落たものか私には解らない。何しろ私の知っている益さんは郵便脚夫であった。益さんの弟の庄さんも、家を潰して私の所へ転がり込んで食客になっていたが、これはまだ益さんよりは社会的地位が高かった。小供の時分本町の鰯屋へ奉公に行っていた時、浜の西洋人が可愛がって、外国へ連れて行くと云ったのを断ったのが、今考えると残念だなどと始終話していた。  二人とも私の母方の従兄に当る男だったから、その縁故で、益さんは弟に会うため、また私の父に敬意を表するため、月に一遍ぐらいは、牛込の奥まで煎餅の袋などを手土産に持って、よく訪ねて来た。  益さんはその時何でも芝の外れか、または品川近くに世帯を持って、一人暮しの呑気な生活を営んでいたらしいので、宅へ来るとよく泊まって行った。たまに帰ろうとすると、兄達が寄ってたかって、「帰ると承知しないぞ」などと威嚇したものである。  当時二番目と三番目の兄は、まだ南校へ通っていた。南校というのは今の高等商業学校の位置にあって、そこを卒業すると、開成学校すなわち今日の大学へ這入る組織になっていたものらしかった。彼らは夜になると、玄関に桐の机を並べて、明日の下読をする。下読と云ったところで、今の書生のやるのとはだいぶ違っていた。グードリッチの英国史といったような本を、一節ぐらいずつ読んで、それからそれを机の上へ伏せて、口の内で今読んだ通りを暗誦するのである。  その下読が済むと、だんだん益さんが必要になって来る。庄さんもいつの間にかそこへ顔を出す。一番目の兄も、機嫌の好い時は、わざわざ奥から玄関まで出張って来る。そうしてみんないっしょになって、益さんに調戯い始める。 「益さん、西洋人の所へ手紙を配達する事もあるだろう」 「そりゃ商売だから厭だって仕方がありません、持って行きますよ」 「益さんは英語ができるのかね」 「英語ができるくらいならこんな真似をしちゃいません」 「しかし郵便ッとか何とか大きな声を出さなくっちゃならないだろう」 「そりゃ日本語で間に合いますよ。異人だって、近頃は日本語が解りますもの」 「へええ、向でも何とか云うのかね」 「云いますとも。ペロリの奥さんなんか、あなたよろしいありがとうと、ちゃんと日本語で挨拶をするくらいです」  みんなは益さんをここまでおびき出しておいて、どっと笑うのである。それからまた「益さん何て云うんだって、その奥さんは」と何遍も一つ事を訊いては、いつまでも笑いの種にしようと巧らんでかかる。益さんもしまいには苦笑いをして、とうとう「あなたよろしい」をやめにしてしまう。すると今度は「じゃ益さん、野中の一本杉をやって御覧よ」と誰かが云い出す。 「やれったって、そうおいそれとやれるもんじゃありません」 「まあ好いから、おやりよ。いよいよ野中の一本杉の所まで参りますと……」  益さんはそれでもにやにやして応じない。私はとうとう益さんの野中の一本杉というものを聴かずにしまった。今考えると、それは何でも講釈か人情噺の一節じゃないかしらと思う。  私の成人する頃には益さんももう宅へ来なくなった。おおかた死んだのだろう。生きていれば何か消息のあるはずである。しかし死んだにしても、いつ死んだのか私は知らない。 二十七  私は芝居というものに余り親しみがない。ことに旧劇は解らない。これは古来からその方面で発達して来た演芸上の約束を知らないので、舞台の上に開展される特別の世界に、同化する能力が私に欠けているためだとも思う。しかしそればかりではない。私が旧劇を見て、最も異様に感ずるのは、役者が自然と不自然の間を、どっちつかずにぶらぶら歩いている事である。それが私に、中腰と云ったような落ちつけない心持を引き起させるのも恐らく理の当然なのだろう。  しかし舞台の上に子供などが出て来て、甲の高い声で、憐れっぽい事などを云う時には、いかな私でも知らず知らず眼に涙が滲み出る。そうしてすぐ、ああ騙されたなと後悔する。なぜあんなに安っぽい涙を零したのだろうと思う。 「どう考えても騙されて泣くのは厭だ」と私はある人に告げた。芝居好のその相手は、「それが先生の常態なのでしょう。平生涙を控え目にしているのは、かえってあなたのよそゆきじゃありませんか」と注意した。  私はその説に不服だったので、いろいろの方面から向を納得させようとしているうちに、話題がいつか絵画の方に滑って行った。その男はこの間参考品として美術協会に出た若冲の御物を大変に嬉しがって、その評論をどこかの雑誌に載せるとかいう噂であった。私はまたあの鶏の図がすこぶる気に入らなかったので、ここでも芝居と同じような議論が二人の間に起った。 「いったい君に画を論ずる資格はないはずだ」と私はついに彼を罵倒した。するとこの一言が本になって、彼は芸術一元論を主張し出した。彼の主意をかいつまんで云うと、すべての芸術は同じ源から湧いて出るのだから、その内の一つさえうんと腹に入れておけば、他は自ずから解し得られる理窟だというのである。座にいる人のうちで、彼に同意するものも少なくなかった。 「じゃ小説を作れば、自然柔道も旨くなるかい」と私が笑談半分に云った。 「柔道は芸術じゃありませんよ」と相手も笑いながら答えた。  芸術は平等観から出立するのではない。よしそこから出立するにしても、差別観に入って始めて、花が咲くのだから、それを本来の昔へ返せば、絵も彫刻も文章も、すっかり無に帰してしまう。そこに何で共通のものがあろう。たとい有ったにしたところで、実際の役には立たない。彼我共通の具体的のものなどの発見もできるはずがない。  こういうのがその時の私の論旨であった。そうしてその論旨はけっして充分なものではなかった。もっと先方の主張を取り入れて、周到な解釈を下してやる余地はいくらでもあったのである。  しかしその時座にいた一人が、突然私の議論を引き受けて相手に向い出したので、私も面倒だからついそのままにしておいた。けれども私の代りになったその男というのはだいぶ酔っていた。それで芸術がどうだの、文芸がどうだのと、しきりに弁ずるけれども、あまり要領を得た事は云わなかった。言葉遣いさえ少しへべれけであった。初めのうちは面白がって笑っていた人達も、ついには黙ってしまった。 「じゃ絶交しよう」などと酔った男がしまいに云い出した。私は「絶交するなら外でやってくれ、ここでは迷惑だから」と注意した。 「じゃ外へ出て絶交しようか」と酔った男が相手に相談を持ちかけたが、相手が動かないので、とうとうそれぎりになってしまった。  これは今年の元日の出来事である。酔った男はそれからちょいちょい来るが、その時の喧嘩については一口も云わない。 二十八  ある人が私の家の猫を見て、「これは何代目の猫ですか」と訊いた時、私は何気なく「二代目です」と答えたが、あとで考えると、二代目はもう通り越して、その実三代目になっていた。  初代は宿なしであったにかかわらず、ある意味からして、だいぶ有名になったが、それに引きかえて、二代目の生涯は、主人にさえ忘れられるくらい、短命だった。私は誰がそれをどこから貰って来たかよく知らない。しかし手の掌に載せれば載せられるような小さい恰好をして、彼がそこいら中這い廻っていた当時を、私はまだ記憶している。この可憐な動物は、ある朝家のものが床を揚げる時、誤って上から踏み殺してしまった。ぐうという声がしたので、蒲団の下に潜り込んでいる彼をすぐ引き出して、相当の手当をしたが、もう間に合わなかった。彼はそれから一日二日してついに死んでしまった。その後へ来たのがすなわち真黒な今の猫である。  私はこの黒猫を可愛がっても憎がってもいない。猫の方でも宅中のそのそ歩き廻るだけで、別に私の傍へ寄りつこうという好意を現わした事がない。  ある時彼は台所の戸棚へ這入って、鍋の中へ落ちた。その鍋の中には胡麻の油がいっぱいあったので、彼の身体はコスメチックでも塗りつけたように光り始めた。彼はその光る身体で私の原稿紙の上に寝たものだから、油がずっと下まで滲み通って私をずいぶんな目に逢わせた。  去年私の病気をする少し前に、彼は突然皮膚病に罹った。顔から額へかけて、毛がだんだん抜けて来る。それをしきりに爪で掻くものだから、瘡葢がぼろぼろ落ちて、痕が赤裸になる。私はある日食事中この見苦しい様子を眺めて厭な顔をした。 「ああ瘡葢を零して、もし小供にでも伝染するといけないから、病院へ連れて行って早く療治をしてやるがいい」  私は家のものにこういったが、腹の中では、ことによると病気が病気だから全治しまいとも思った。昔し私の知っている西洋人が、ある伯爵から好い犬を貰って可愛がっていたところ、いつかこんな皮膚病に悩まされ出したので、気の毒だからと云って、医者に頼んで殺して貰った事を、私はよく覚えていたのである。 「クロロフォームか何かで殺してやった方が、かえって苦痛がなくって仕合せだろう」  私は三四度同じ言葉を繰り返して見たが、猫がまだ私の思う通りにならないうちに、自分の方が病気でどっと寝てしまった。その間私はついに彼を見る機会をもたなかった。自分の苦痛が直接自分を支配するせいか、彼の病気を考える余裕さえ出なかった。  十月に入って、私はようやく起きた。そうして例のごとく黒い彼を見た。すると不思議な事に、彼の醜い赤裸の皮膚にもとのような黒い毛が生えかかっていた。 「おや癒るのかしら」  私は退屈な病後の眼を絶えず彼の上に注いでいた。すると私の衰弱がだんだん回復するにつれて、彼の毛もだんだん濃くなって来た。それが平生の通りになると、今度は以前より肥え始めた。  私は自分の病気の経過と彼の病気の経過とを比較して見て、時々そこに何かの因縁があるような暗示を受ける。そうしてすぐその後から馬鹿らしいと思って微笑する。猫の方ではただにやにや鳴くばかりだから、どんな心持でいるのか私にはまるで解らない。 二十九  私は両親の晩年になってできたいわゆる末ッ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいう話が、今でも折々は繰り返されている。  単にそのためばかりでもあるまいが、私の両親は私が生れ落ちると間もなく、私を里にやってしまった。その里というのは、無論私の記憶に残っているはずがないけれども、成人の後聞いて見ると、何でも古道具の売買を渡世にしていた貧しい夫婦ものであったらしい。  私はその道具屋の我楽多といっしょに、小さい笊の中に入れられて、毎晩四谷の大通りの夜店に曝されていたのである。それをある晩私の姉が何かのついでにそこを通りかかった時見つけて、可哀想とでも思ったのだろう、懐へ入れて宅へ連れて来たが、私はその夜どうしても寝つかずに、とうとう一晩中泣き続けに泣いたとかいうので、姉は大いに父から叱られたそうである。  私はいつ頃その里から取り戻されたか知らない。しかしじきまたある家へ養子にやられた。それはたしか私の四つの歳であったように思う。私は物心のつく八九歳までそこで成長したが、やがて養家に妙なごたごたが起ったため、再び実家へ戻るような仕儀となった。  浅草から牛込へ遷された私は、生れた家へ帰ったとは気がつかずに、自分の両親をもと通り祖父母とのみ思っていた。そうして相変らず彼らを御爺さん、御婆さんと呼んで毫も怪しまなかった。向でも急に今までの習慣を改めるのが変だと考えたものか、私にそう呼ばれながら澄ました顔をしていた。  私は普通の末ッ子のようにけっして両親から可愛がられなかった。これは私の性質が素直でなかったためだの、久しく両親に遠ざかっていたためだの、いろいろの原因から来ていた。とくに父からはむしろ苛酷に取扱かわれたという記憶がまだ私の頭に残っている。それだのに浅草から牛込へ移された当時の私は、なぜか非常に嬉しかった。そうしてその嬉しさが誰の目にもつくくらいに著るしく外へ現われた。  馬鹿な私は、本当の両親を爺婆とのみ思い込んで、どのくらいの月日を空に暮らしたものだろう、それを訊かれるとまるで分らないが、何でも或夜こんな事があった。  私がひとり座敷に寝ていると、枕元の所で小さな声を出して、しきりに私の名を呼ぶものがある。私は驚ろいて眼を覚ましたが、周囲が真暗なので、誰がそこに蹲踞っているのか、ちょっと判断がつかなかった。けれども私は小供だからただじっとして先方の云う事だけを聞いていた。すると聞いているうちに、それが私の家の下女の声である事に気がついた。下女は暗い中で私に耳語をするようにこういうのである。―― 「あなたが御爺さん御婆さんだと思っていらっしゃる方は、本当はあなたの御父さんと御母さんなのですよ。先刻ね、おおかたそのせいであんなにこっちの宅が好なんだろう、妙なものだな、と云って二人で話していらしったのを私が聞いたから、そっとあなたに教えて上げるんですよ。誰にも話しちゃいけませんよ。よござんすか」  私はその時ただ「誰にも云わないよ」と云ったぎりだったが、心の中では大変嬉しかった。そうしてその嬉しさは事実を教えてくれたからの嬉しさではなくって、単に下女が私に親切だったからの嬉しさであった。不思議にも私はそれほど嬉しく思った下女の名も顔もまるで忘れてしまった。覚えているのはただその人の親切だけである。 三十  私がこうして書斎に坐っていると、来る人の多くが「もう御病気はすっかり御癒りですか」と尋ねてくれる。私は何度も同じ質問を受けながら、何度も返答に躊躇した。そうしてその極いつでも同じ言葉を繰り返すようになった。それは「ええまあどうかこうか生きています」という変な挨拶に異ならなかった。  どうかこうか生きている。――私はこの一句を久しい間使用した。しかし使用するごとに、何だか不穏当な心持がするので、自分でも実はやめられるならばと思って考えてみたが、私の健康状態を云い現わすべき適当な言葉は、他にどうしても見つからなかった。  ある日T君が来たから、この話をして、癒ったとも云えず、癒らないとも云えず、何と答えて好いか分らないと語ったら、T君はすぐ私にこんな返事をした。 「そりゃ癒ったとは云われませんね。そう時々再発するようじゃ。まあもとの病気の継続なんでしょう」  この継続という言葉を聞いた時、私は好い事を教えられたような気がした。それから以後は、「どうかこうか生きています」という挨拶をやめて、「病気はまだ継続中です」と改ためた。そうしてその継続の意味を説明する場合には、必ず欧洲の大乱を引合に出した。 「私はちょうど独乙が聯合軍と戦争をしているように、病気と戦争をしているのです。今こうやってあなたと対坐していられるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕の中に這入って、病気と睨めっくらをしているからです。私の身体は乱世です。いつどんな変が起らないとも限りません」  或人は私の説明を聞いて、面白そうにははと笑った。或人は黙っていた。また或人は気の毒らしい顔をした。  客の帰ったあとで私はまた考えた。――継続中のものはおそらく私の病気ばかりではないだろう。私の説明を聞いて、笑談だと思って笑う人、解らないで黙っている人、同情の念に駆られて気の毒らしい顔をする人、――すべてこれらの人の心の奥には、私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか。もし彼らの胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らははたしてどう思うだろう。彼らの記憶はその時もはや彼らに向って何物をも語らないだろう。過去の自覚はとくに消えてしまっているだろう。今と昔とまたその昔の間に何らの因果を認める事のできない彼らは、そういう結果に陥った時、何と自分を解釈して見る気だろう。所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。ただどんなものを抱いているのか、他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだろう。  私は私の病気が継続であるという事に気がついた時、欧洲の戦争もおそらくいつの世からかの継続だろうと考えた。けれども、それがどこからどう始まって、どう曲折して行くかの問題になると全く無知識なので、継続という言葉を解しない一般の人を、私はかえって羨ましく思っている。 三十一  私がまだ小学校に行っていた時分に、喜いちゃんという仲の好い友達があった。喜いちゃんは当時中町の叔父さんの宅にいたので、そう道程の近くない私の所からは、毎日会いに行く事が出来悪かった。私はおもに自分の方から出かけないで、喜いちゃんの来るのを宅で待っていた。喜いちゃんはいくら私が行かないでも、きっと向うから来るにきまっていた。そうしてその来る所は、私の家の長屋を借りて、紙や筆を売る松さんの許であった。  喜いちゃんには父母がないようだったが、小供の私には、それがいっこう不思議とも思われなかった。おそらく訊いて見た事もなかったろう。したがって喜いちゃんがなぜ松さんの所へ来るのか、その訳さえも知らずにいた。これはずっと後で聞いた話であるが、この喜いちゃんの御父さんというのは、昔し銀座の役人か何かをしていた時、贋金を造ったとかいう嫌疑を受けて、入牢したまま死んでしまったのだという。それであとに取り残された細君が、喜いちゃんを先夫の家へ置いたなり、松さんの所へ再縁したのだから、喜いちゃんが時々生の母に会いに来るのは当り前の話であった。  何にも知らない私は、この事情を聞いた時ですら、別段変な感じも起さなかったくらいだから、喜いちゃんとふざけまわって遊ぶ頃に、彼の境遇などを考えた事はただの一度もなかった。  喜いちゃんも私も漢学が好きだったので、解りもしない癖に、よく文章の議論などをして面白がった。彼はどこから聴いてくるのか、調べてくるのか、よくむずかしい漢籍の名前などを挙げて、私を驚ろかす事が多かった。  彼はある日私の部屋同様になっている玄関に上り込んで、懐から二冊つづきの書物を出して見せた。それは確に写本であった。しかも漢文で綴ってあったように思う。私は喜いちゃんから、その書物を受け取って、無意味にそこここを引っ繰返して見ていた。実は何が何だか私にはさっぱり解らなかったのである。しかし喜いちゃんは、それを知ってるかなどと露骨な事をいう性質ではなかった。 「これは太田南畝の自筆なんだがね。僕の友達がそれを売りたいというので君に見せに来たんだが、買ってやらないか」  私は太田南畝という人を知らなかった。 「太田南畝っていったい何だい」 「蜀山人の事さ。有名な蜀山人さ」  無学な私は蜀山人という名前さえまだ知らなかった。しかし喜いちゃんにそう云われて見ると、何だか貴重の書物らしい気がした。 「いくらなら売るのかい」と訊いて見た。 「五十銭に売りたいと云うんだがね。どうだろう」  私は考えた。そうして何しろ価切って見るのが上策だと思いついた。 「二十五銭なら買っても好い」 「それじゃ二十五銭でも構わないから、買ってやりたまえ」  喜いちゃんはこう云いつつ私から二十五銭受取っておいて、またしきりにその本の効能を述べ立てた。私には無論その書物が解らないのだから、それほど嬉しくもなかったけれども、何しろ損はしないだろうというだけの満足はあった。私はその夜南畝莠言――たしかそんな名前だと記憶しているが、それを机の上に載せて寝た。 三十二  翌日になると、喜いちゃんがまたぶらりとやって来た。 「君昨日買って貰った本の事だがね」  喜いちゃんはそれだけ云って、私の顔を見ながらぐずぐずしている。私は机の上に載せてあった書物に眼を注いだ。 「あの本かい。あの本がどうかしたのかい」 「実はあすこの宅の阿爺に知れたものだから、阿爺が大変怒ってね。どうか返して貰って来てくれって僕に頼むんだよ。僕も一遍君に渡したもんだから厭だったけれども仕方がないからまた来たのさ」 「本を取りにかい」 「取りにって訳でもないけれども、もし君の方で差支がないなら、返してやってくれないか。何しろ二十五銭じゃ安過ぎるっていうんだから」  この最後の一言で、私は今まで安く買い得たという満足の裏に、ぼんやり潜んでいた不快、――不善の行為から起る不快――を判然自覚し始めた。そうして一方では狡猾い私を怒ると共に、一方では二十五銭で売った先方を怒った。どうしてこの二つの怒りを同時に和らげたものだろう。私は苦い顔をしてしばらく黙っていた。  私のこの心理状態は、今の私が小供の時の自分を回顧して解剖するのだから、比較的明瞭に描き出されるようなものの、その場合の私にはほとんど解らなかった。私さえただ苦い顔をしたという結果だけしか自覚し得なかったのだから、相手の喜いちゃんには無論それ以上解るはずがなかった。括弧の中でいうべき事かも知れないが、年齢を取った今日でも、私にはよくこんな現象が起ってくる。それでよく他から誤解される。  喜いちゃんは私の顔を見て、「二十五銭では本当に安過ぎるんだとさ」と云った。  私はいきなり机の上に載せておいた書物を取って、喜いちゃんの前に突き出した。 「じゃ返そう」 「どうも失敬した。何しろ安公の持ってるものでないんだから仕方がない。阿爺の宅に昔からあったやつを、そっと売って小遣にしようって云うんだからね」  私はぷりぷりして何とも答えなかった。喜いちゃんは袂から二十五銭出して私の前へ置きかけたが、私はそれに手を触れようともしなかった。 「その金なら取らないよ」 「なぜ」 「なぜでも取らない」 「そうか。しかしつまらないじゃないか、ただ本だけ返すのは。本を返すくらいなら二十五銭も取りたまいな」  私はたまらなくなった。 「本は僕のものだよ。いったん買った以上は僕のものにきまってるじゃないか」 「そりゃそうに違いない。違いないが向の宅でも困ってるんだから」 「だから返すと云ってるじゃないか。だけど僕は金を取る訳がないんだ」 「そんな解らない事を云わずに、まあ取っておきたまいな」 「僕はやるんだよ。僕の本だけども、欲しければやろうというんだよ。やるんだから本だけ持ってったら好いじゃないか」 「そうかそんなら、そうしよう」  喜いちゃんは、とうとう本だけ持って帰った。そうして私は何の意味なしに二十五銭の小遣を取られてしまったのである。 三十三  世の中に住む人間の一人として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。自然他と交渉の必要がどこからか起ってくる。時候の挨拶、用談、それからもっと込み入った懸合――これらから脱却する事は、いかに枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。  私は何でも他のいう事を真に受けて、すべて正面から彼らの言語動作を解釈すべきものだろうか。もし私が持って生れたこの単純な性情に自己を託して顧みないとすると、時々飛んでもない人から騙される事があるだろう。その結果蔭で馬鹿にされたり、冷評かされたりする。極端な場合には、自分の面前でさえ忍ぶべからざる侮辱を受けないとも限らない。  それでは他はみな擦れ枯らしの嘘吐ばかりと思って、始めから相手の言葉に耳も借さず、心も傾けず、或時はその裏面に潜んでいるらしい反対の意味だけを胸に収めて、それで賢い人だと自分を批評し、またそこに安住の地を見出し得るだろうか。そうすると私は人を誤解しないとも限らない。その上恐るべき過失を犯す覚悟を、初手から仮定して、かからなければならない。或時は必然の結果として、罪のない他を侮辱するくらいの厚顔を準備しておかなければ、事が困難になる。  もし私の態度をこの両面のどっちかに片づけようとすると、私の心にまた一種の苦悶が起る。私は悪い人を信じたくない。それからまた善い人を少しでも傷けたくない。そうして私の前に現われて来る人は、ことごとく悪人でもなければ、またみんな善人とも思えない。すると私の態度も相手しだいでいろいろに変って行かなければならないのである。  この変化は誰にでも必要で、また誰でも実行している事だろうと思うが、それがはたして相手にぴたりと合って寸分間違のない微妙な特殊な線の上をあぶなげもなく歩いているだろうか。私の大いなる疑問は常にそこに蟠まっている。  私の僻を別にして、私は過去において、多くの人から馬鹿にされたという苦い記憶をもっている。同時に、先方の云う事や為る事を、わざと平たく取らずに、暗にその人の品性に恥を掻かしたと同じような解釈をした経験もたくさんありはしまいかと思う。  他に対する私の態度はまず今までの私の経験から来る。それから前後の関係と四囲の状況から出る。最後に、曖昧な言葉ではあるが、私が天から授かった直覚が何分か働らく。そうして、相手に馬鹿にされたり、また相手を馬鹿にしたり、稀には相手に彼相当な待遇を与えたりしている。  しかし今までの経験というものは、広いようで、その実はなはだ狭い。ある社会の一部分で、何度となく繰り返された経験を、他の一部分へ持って行くと、まるで通用しない事が多い。前後の関係とか四囲の状況とか云ったところで、千差万別なのだから、その応用の区域が限られているばかりか、その実千差万別に思慮を廻らさなければ役に立たなくなる。しかもそれを廻らす時間も、材料も充分給与されていない場合が多い。  それで私はともすると事実あるのだか、またないのだか解らない、極めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚がはたして当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確める機会をもたない事が多い。そこにまた私の疑いが始終靄のようにかかって、私の心を苦しめている。  もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪の疑を挟む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。 三十四  私が大学にいる頃教えたある文学士が来て、「先生はこの間高等工業で講演をなすったそうですね」というから、「ああやった」と答えると、その男が「何でも解らなかったようですよ」と教えてくれた。  それまで自分の云った事について、その方面の掛念をまるでもっていなかった私は、彼の言葉を聞くとひとしく、意外の感に打たれた。 「君はどうしてそんな事を知ってるの」  この疑問に対する彼の説明は簡単であった。親戚だか知人だか知らないが、何しろ彼に関係のある或家の青年が、その学校に通っていて、当日私の講演を聴いた結果を、何だか解らないという言葉で彼に告げたのである。 「いったいどんな事を講演なすったのですか」  私は席上で、彼のためにまたその講演の梗を繰り返した。 「別にむずかしいとも思えない事だろう君。どうしてそれが解らないかしら」 「解らないでしょう。どうせ解りゃしません」  私には断乎たるこの返事がいかにも不思議に聞こえた。しかしそれよりもなお強く私の胸を打ったのは、止せばよかったという後悔の念であった。自白すると、私はこの学校から何度となく講演を依頼されて、何度となく断ったのである。だからそれを最後に引き受けた時の私の腹には、どうかしてそこに集まる聴衆に、相当の利益を与えたいという希望があった。その希望が、「どうせ解りゃしません」という簡単な彼の一言で、みごとに粉砕されてしまって見ると、私はわざわざ浅草まで行く必要がなかったのだと、自分を考えない訳に行かなかった。  これはもう一二年前の古い話であるが去年の秋またある学校で、どうしても講演をやらなければ義理が悪い事になって、ついにそこへ行った時、私はふと私を後悔させた前年を思い出した。それに私の論じたその時の題目が、若い聴衆の誤解を招きやすい内容を含んでいたので、私は演壇を下りる間際にこう云った。―― 「多分誤解はないつもりですが、もし私の今御話したうちに、判然しないところがあるなら、どうぞ私宅まで来て下さい。できるだけあなたがたに御納得の行くように説明して上げるつもりですから」  私のこの言葉が、どんな風に反響をもたらすだろうかという予期は、当時の私にはほとんど無かったように思う。しかしそれから四五日経って、三人の青年が私の書斎に這入って来たのは事実である。そのうちの二人は電話で私の都合を聞き合せた。一人は鄭寧な手紙を書いて、面会の時間を拵えてくれと注文して来た。  私は快よくそれらの青年に接した。そうして彼らの来意を確かめた。一人の方は私の予想通り、私の講演についての筋道の質問であったが、残る二人の方は、案外にも彼らの友人がその家庭に対して採るべき方針についての疑義を私に訊こうとした。したがってこれは私の講演を、どう実社会に応用して好いかという彼らの目前に逼った問題を持って来たのである。  私はこれら三人のために、私の云うべき事を云い、説明すべき事を説明したつもりである。それが彼らにどれほどの利益を与えたか、結果からいうとこの私にも分らない。しかしそれだけにしたところで私には満足なのである。「あなたの講演は解らなかったそうです」と云われた時よりも遥に満足なのである。 〔この稿が新聞に出た二三日あとで、私は高等工業の学生から四五通の手紙を受取った。その人々はみんな私の講演を聴いたものばかりで、いずれも私がここで述べた失望を打ち消すような事実を、反証として書いて来てくれたのである。だからその手紙はみな好意に充ちていた。なぜ一学生の云った事を、聴衆全体の意見として速断するかなどという詰問的のものは一つもなかった。それで私はここに一言を附加して、私の不明を謝し、併せて私の誤解を正してくれた人々の親切をありがたく思う旨を公けにするのである。〕 三十五  私は小供の時分よく日本橋の瀬戸物町にある伊勢本という寄席へ講釈を聴きに行った。今の三越の向側にいつでも昼席の看板がかかっていて、その角を曲ると、寄席はつい小半町行くか行かない右手にあったのである。  この席は夜になると、色物だけしかかけないので、私は昼よりほかに足を踏み込んだ事がなかったけれども、席数からいうと一番多く通った所のように思われる。当時私のいた家は無論高田の馬場の下ではなかった。しかしいくら地理の便が好かったからと云って、どうしてあんなに講釈を聴きに行く時間が私にあったものか、今考えるとむしろ不思議なくらいである。  これも今からふり返って遠い過去を眺めるせいでもあろうが、そこは寄席としてはむしろ上品な気分を客に起させるようにできていた。高座の右側には帳場格子のような仕切を二方に立て廻して、その中に定連の席が設けてあった。それから高座の後が縁側で、その先がまた庭になっていた。庭には梅の古木が斜めに井桁の上に突き出たりして、窮屈な感じのしないほどの大空が、縁から仰がれるくらいに余分の地面を取り込んでいた。その庭を東に受けて離れ座敷のような建物も見えた。  帳場格子のうちにいる連中は、時間が余って使い切れない有福な人達なのだから、みんな相応な服装をして、時々呑気そうに袂から毛抜などを出して根気よく鼻毛を抜いていた。そんな長閑な日には、庭の梅の樹に鶯が来て啼くような気持もした。  中入になると、菓子を箱入のまま茶を売る男が客の間へ配って歩くのがこの席の習慣になっていた。箱は浅い長方形のもので、まず誰でも欲しいと思う人の手の届く所に一つと云った風に都合よく置かれるのである。菓子の数は一箱に十ぐらいの割だったかと思うが、それを食べたいだけ食べて、後からその代価を箱の中に入れるのが無言の規約になっていた。私はその頃この習慣を珍らしいもののように興がって眺めていたが、今となって見ると、こうした鷹揚で呑気な気分は、どこの人寄場へ行っても、もう味わう事ができまいと思うと、それがまた何となく懐しい。  私はそんなおっとりと物寂びた空気の中で、古めかしい講釈というものをいろいろの人から聴いたのである。その中には、すととこ、のんのん、ずいずい、などという妙な言葉を使う男もいた。これは田辺南竜と云って、もとはどこかの下足番であったとかいう話である。そのすととこ、のんのん、ずいずいははなはだ有名なものであったが、その意味を理解するものは一人もなかった。彼はただそれを軍勢の押し寄せる形容詞として用いていたらしいのである。  この南竜はとっくの昔に死んでしまった。そのほかのものもたいていは死んでしまった。その後の様子をまるで知らない私には、その時分私を喜こばせてくれた人のうちで生きているものがはたして何人あるのだか全く分らなかった。  ところがいつか美音会の忘年会のあった時、その番組を見たら、吉原の幇間の茶番だの何だのが列べて書いてあるうちに、私はたった一人の当時の旧友を見出した。私は新富座へ行って、その人を見た。またその声を聞いた。そうして彼の顔も咽喉も昔とちっとも変っていないのに驚ろいた。彼の講釈も全く昔の通りであった。進歩もしない代りに、退歩もしていなかった。廿世紀のこの急劇な変化を、自分と自分の周囲に恐ろしく意識しつつあった私は、彼の前に坐りながら、絶えず彼と私とを、心のうちで比較して一種の黙想に耽っていた。  彼というのは馬琴の事で、昔伊勢本で南竜の中入前をつとめていた頃には、琴凌と呼ばれた若手だったのである。 三十六  私の長兄はまだ大学とならない前の開成校にいたのだが、肺を患って中途で退学してしまった。私とはだいぶ年歯が違うので、兄弟としての親しみよりも、大人対小供としての関係の方が、深く私の頭に浸み込んでいる。ことに怒られた時はそうした感じが強く私を刺戟したように思う。  兄は色の白い鼻筋の通った美くしい男であった。しかし顔だちから云っても、表情から見ても、どこかに峻しい相を具えていて、むやみに近寄れないと云った風の逼った心持を他に与えた。  兄の在学中には、まだ地方から出て来た貢進生などのいる頃だったので、今の青年には想像のできないような気風が校内のそこここに残っていたらしい。兄は或上級生に艶書をつけられたと云って、私に話した事がある。その上級生というのは、兄などよりもずっと年歯上の男であったらしい。こんな習慣の行なわれない東京で育った彼は、はたしてその文をどう始末したものだろう。兄はそれ以後学校の風呂でその男と顔を見合せるたびに、きまりの悪い思をして困ったと云っていた。  学校を出た頃の彼は、非常に四角四面で、始終堅苦しく構えていたから、父や母も多少彼に気をおく様子が見えた。その上病気のせいでもあろうが、常に陰気臭い顔をして、宅にばかり引込んでいた。  それがいつとなく融けて来て、人柄が自ずと柔らかになったと思うと、彼はよく古渡唐桟の着物に角帯などを締めて、夕方から宅を外にし始めた。時々は紫色で亀甲型を一面に摺った亀清の団扇などが茶の間に放り出されるようになった。それだけならまだ好いが、彼は長火鉢の前へ坐ったまま、しきりに仮色を遣い出した。しかし宅のものは別段それに頓着する様子も見えなかった。私は無論平気であった。仮色と同時に藤八拳も始まった。しかしこの方は相手が要るので、そう毎晩は繰り返されなかったが、何しろ変に無器用な手を上げたり下げたりして、熱心にやっていた。相手はおもに三番目の兄が勤めていたようである。私は真面目な顔をして、ただ傍観しているに過ぎなかった。  この兄はとうとう肺病で死んでしまった。死んだのはたしか明治二十年だと覚えている。すると葬式も済み、待夜も済んで、まず一片付というところへ一人の女が尋ねて来た。三番目の兄が出て応接して見ると、その女は彼にこんな事を訊いた。 「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」  兄は病気のため、生涯妻帯しなかった。 「いいえしまいまで独身で暮らしていました」 「それを聞いてやっと安心しました。妾のようなものは、どうせ旦那がなくっちゃ生きて行かれないから、仕方がありませんけれども、……」  兄の遺骨の埋められた寺の名を教わって帰って行ったこの女は、わざわざ甲州から出て来たのであるが、元柳橋の芸者をしている頃、兄と関係があったのだという話を、私はその時始めて聞いた。  私は時々この女に会って兄の事などを物語って見たい気がしないでもない。しかし会ったら定めし御婆さんになって、昔とはまるで違った顔をしていはしまいかと考える。そうしてその心もその顔同様に皺が寄って、からからに乾いていはしまいかとも考える。もしそうだとすると、彼女が今になって兄の弟の私に会うのは、彼女にとってかえって辛い悲しい事かも知れない。 三十七  私は母の記念のためにここで何か書いておきたいと思うが、あいにく私の知っている母は、私の頭に大した材料を遺して行ってくれなかった。  母の名は千枝といった。私は今でもこの千枝という言葉を懐かしいものの一つに数えている。だから私にはそれがただ私の母だけの名前で、けっしてほかの女の名前であってはならないような気がする。幸いに私はまだ母以外の千枝という女に出会った事がない。  母は私の十三四の時に死んだのだけれども、私の今遠くから呼び起す彼女の幻像は、記憶の糸をいくら辿って行っても、御婆さんに見える。晩年に生れた私には、母の水々しい姿を覚えている特権がついに与えられずにしまったのである。  私の知っている母は、常に大きな眼鏡をかけて裁縫をしていた。その眼鏡は鉄縁の古風なもので、球の大きさが直径二寸以上もあったように思われる。母はそれをかけたまま、すこし顋を襟元へ引きつけながら、私をじっと見る事がしばしばあったが、老眼の性質を知らないその頃の私には、それがただ彼女の癖とのみ考えられた。私はこの眼鏡と共に、いつでも母の背景になっていた一間の襖を想い出す。古びた張交の中に、生死事大無常迅速云々と書いた石摺なども鮮やかに眼に浮んで来る。  夏になると母は始終紺無地の絽の帷子を着て、幅の狭い黒繻子の帯を締めていた。不思議な事に、私の記憶に残っている母の姿は、いつでもこの真夏の服装で頭の中に現われるだけなので、それから紺無地の絽の着物と幅の狭い黒繻子の帯を取り除くと、後に残るものはただ彼女の顔ばかりになる。母がかつて縁鼻へ出て、兄と碁を打っていた様子などは、彼ら二人を組み合わせた図柄として、私の胸に収めてある唯一の記念なのだが、そこでも彼女はやはり同じ帷子を着て、同じ帯を締めて坐っているのである。  私はついぞ母の里へ伴れて行かれた覚がないので、長い間母がどこから嫁に来たのか知らずに暮らしていた。自分から求めて訊きたがるような好奇心はさらになかった。それでその点もやはりぼんやり霞んで見えるよりほかに仕方がないのだが、母が四ツ谷大番町で生れたという話だけは確かに聞いていた。宅は質屋であったらしい。蔵が幾戸前とかあったのだと、かつて人から教えられたようにも思うが、何しろその大番町という所を、この年になるまで今だに通った事のない私のことだから、そんな細かな点はまるで忘れてしまった。たといそれが事実であったにせよ、私の今もっている母の記念のなかに蔵屋敷などはけっして現われて来ないのである。おおかたその頃にはもう潰れてしまったのだろう。  母が父の所へ嫁にくるまで御殿奉公をしていたという話も朧気に覚えているが、どこの大名の屋敷へ上って、どのくらい長く勤めていたものか、御殿奉公の性質さえよく弁えない今の私には、ただ淡い薫を残して消えた香のようなもので、ほとんどとりとめようのない事実である。  しかしそう云えば、私は錦絵に描いた御殿女中の羽織っているような華美な総模様の着物を宅の蔵の中で見た事がある。紅絹裏を付けたその着物の表には、桜だか梅だかが一面に染め出されて、ところどころに金糸や銀糸の刺繍も交っていた。これは恐らく当時の裲襠とかいうものなのだろう。しかし母がそれを打ち掛けた姿は、今想像してもまるで眼に浮かばない。私の知っている母は、常に大きな老眼鏡をかけた御婆さんであったから。  それのみか私はこの美くしい裲襠がその後小掻巻に仕立直されて、その頃宅にできた病人の上に載せられたのを見たくらいだから。 三十八  私が大学で教わったある西洋人が日本を去る時、私は何か餞別を贈ろうと思って、宅の蔵から高蒔絵の緋の房の付いた美しい文箱を取り出して来た事も、もう古い昔である。それを父の前へ持って行って貰い受けた時の私は、全く何の気もつかなかったが、今こうして筆を執って見ると、その文箱も小掻巻に仕立直された紅絹裏の裲襠同様に、若い時分の母の面影を濃かに宿しているように思われてならない。母は生涯父から着物を拵えて貰った事がないという話だが、はたして拵えて貰わないでもすむくらいな支度をして来たものだろうか。私の心に映るあの紺無地の絽の帷子も、幅の狭い黒繻子の帯も、やはり嫁に来た時からすでに箪笥の中にあったものなのだろうか。私は再び母に会って、万事をことごとく口ずから訊いて見たい。  悪戯で強情な私は、けっして世間の末ッ子のように母から甘く取扱かわれなかった。それでも宅中で一番私を可愛がってくれたものは母だという強い親しみの心が、母に対する私の記憶の中には、いつでも籠っている。愛憎を別にして考えて見ても、母はたしかに品位のある床しい婦人に違なかった。そうして父よりも賢こそうに誰の目にも見えた。気むずかしい兄も母だけには畏敬の念を抱いていた。 「御母さんは何にも云わないけれども、どこかに怖いところがある」  私は母を評した兄のこの言葉を、暗い遠くの方から明らかに引張出してくる事が今でもできる。しかしそれは水に融けて流れかかった字体を、きっとなってやっと元の形に返したような際どい私の記憶の断片に過ぎない。そのほかの事になると、私の母はすべて私にとって夢である。途切れ途切れに残っている彼女の面影をいくら丹念に拾い集めても、母の全体はとても髣髴する訳に行かない。その途切途切に残っている昔さえ、半ば以上はもう薄れ過ぎて、しっかりとは掴めない。  或時私は二階へ上って、たった一人で、昼寝をした事がある。その頃の私は昼寝をすると、よく変なものに襲われがちであった。私の親指が見る間に大きくなって、いつまで経っても留らなかったり、あるいは仰向に眺めている天井がだんだん上から下りて来て、私の胸を抑えつけたり、または眼を開いて普段と変らない周囲を現に見ているのに、身体だけが睡魔の擒となって、いくらもがいても、手足を動かす事ができなかったり、後で考えてさえ、夢だか正気だか訳の分らない場合が多かった。そうしてその時も私はこの変なものに襲われたのである。  私はいつどこで犯した罪か知らないが、何しろ自分の所有でない金銭を多額に消費してしまった。それを何の目的で何に遣ったのか、その辺も明瞭でないけれども、小供の私にはとても償う訳に行かないので、気の狭い私は寝ながら大変苦しみ出した。そうしてしまいに大きな声を揚げて下にいる母を呼んだのである。  二階の梯子段は、母の大眼鏡と離す事のできない、生死事大無常迅速云々と書いた石摺の張交にしてある襖の、すぐ後についているので、母は私の声を聞きつけると、すぐ二階へ上って来てくれた。私はそこに立って私を眺めている母に、私の苦しみを話して、どうかして下さいと頼んだ。母はその時微笑しながら、「心配しないでも好いよ。御母さんがいくらでも御金を出して上げるから」と云ってくれた。私は大変嬉しかった。それで安心してまたすやすや寝てしまった。  私はこの出来事が、全部夢なのか、または半分だけ本当なのか、今でも疑っている。しかしどうしても私は実際大きな声を出して母に救を求め、母はまた実際の姿を現わして私に慰藉の言葉を与えてくれたとしか考えられない。そうしてその時の母の服装は、いつも私の眼に映る通り、やはり紺無地の絽の帷子に幅の狭い黒繻子の帯だったのである。 三十九  今日は日曜なので、小供が学校へ行かないから、下女も気を許したものと見えて、いつもより遅く起きたようである。それでも私の床を離れたのは七時十五分過であった。顔を洗ってから、例の通り焼麺麭と牛乳と半熟の鶏卵を食べて、厠に上ろうとすると、あいにく肥取が来ているので、私はしばらく出た事のない裏庭の方へ歩を移した。すると植木屋が物置の中で何か片づけものをしていた。不要の炭俵を重ねた下から威勢の好い火が燃えあがる周囲に、女の子が三人ばかり心持よさそうに煖を取っている様子が私の注意を惹いた。 「そんなに焚火に当ると顔が真黒になるよ」と云ったら、末の子が、「いやあーだ」と答えた。私は石垣の上から遠くに見える屋根瓦の融けつくした霜に濡れて、朝日にきらつく色を眺めたあと、また家の中へ引き返した。  親類の子が来て掃除をしている書斎の整頓するのを待って、私は机を縁側に持ち出した。そこで日当りの好い欄干に身を靠たせたり、頬杖を突いて考えたり、またしばらくはじっと動かずにただ魂を自由に遊ばせておいてみたりした。  軽い風が時々鉢植の九花蘭の長い葉を動かしにきた。庭木の中で鶯が折々下手な囀りを聴かせた。毎日硝子戸の中に坐っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春はいつしか私の心を蕩揺し始めたのである。  私の冥想はいつまで坐っていても結晶しなかった。筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持もするし、あれにしようか、これにしようかと迷い出すと、もう何を書いてもつまらないのだという呑気な考も起ってきた。しばらくそこで佇ずんでいるうちに、今度は今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄し始めた。ありがたい事に私の神経は静まっていた。この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い冥想の領分に上って行くのが自分には大変な愉快になった。自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、揺籃の中で眠る小供に過ぎなかった。  私は今まで他の事と私の事をごちゃごちゃに書いた。他の事を書くときには、なるべく相手の迷惑にならないようにとの掛念があった。私の身の上を語る時分には、かえって比較的自由な空気の中に呼吸する事ができた。それでも私はまだ私に対して全く色気を取り除き得る程度に達していなかった。嘘を吐いて世間を欺くほどの衒気がないにしても、もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。聖オーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、――それをいくら辿って行っても、本当の事実は人間の力で叙述できるはずがないと誰かが云った事がある。まして私の書いたものは懺悔ではない。私の罪は、――もしそれを罪と云い得るならば、――すこぶる明るいところからばかり写されていただろう。そこに或人は一種の不快を感ずるかも知れない。しかし私自身は今その不快の上に跨がって、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、やはり微笑しているのである。  まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。猫がどこかで痛く噛まれた米噛を日に曝して、あたたかそうに眠っている。先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。 (二月十四日) 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 初出:「朝日新聞」    1915(大正4)年1月13日~2月23日 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年8月22日公開 2012年9月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 虞美人草 虞美人草 夏目漱石         一 「随分遠いね。元来どこから登るのだ」 と一人が手巾で額を拭きながら立ち留った。 「どこか己にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」 と顔も体躯も四角に出来上った男が無雑作に答えた。  反を打った中折れの茶の廂の下から、深き眉を動かしながら、見上げる頭の上には、微茫なる春の空の、底までも藍を漂わして、吹けば揺くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然として、どうする気かと云わぬばかりに叡山が聳えている。 「恐ろしい頑固な山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖に身を倚たせていたが、 「あんなに見えるんだから、訳はない」と今度は叡山を軽蔑したような事を云う。 「あんなに見えるって、見えるのは今朝宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ」 「だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行いていれば自然と山の上へ出るさ」  細長い男は返事もせずに、帽子を脱いで、胸のあたりを煽いでいる。日頃からなる廂に遮ぎられて、菜の花を染め出す春の強き日を受けぬ広き額だけは目立って蒼白い。 「おい、今から休息しちゃ大変だ、さあ早く行こう」  相手は汗ばんだ額を、思うまま春風に曝して、粘り着いた黒髪の、逆に飛ばぬを恨むごとくに、手巾を片手に握って、額とも云わず、顔とも云わず、頸窩の尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻き廻した。促がされた事には頓着する気色もなく、 「君はあの山を頑固だと云ったね」と聞く。 「うむ、動かばこそと云ったような按排じゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空いた方の手に栄螺の親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。 「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角から斜めに相手を見下した。 「そうさ」 「あの山は動けるかい」 「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖を、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否や、歩行き出した。瘠せた男も手巾を袂に収めて歩行き出す。 「今日は山端の平八茶屋で一日遊んだ方がよかった。今から登ったって中途半端になるばかりだ。元来頂上まで何里あるのかい」 「頂上まで一里半だ」 「どこから」 「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」  瘠せた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌り続ける。 「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損ってしまう。連こそいい迷惑だ」 「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当がつかんじゃないか」 「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」 「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」 「知るものかね。そんな下らん事を。――君知ってるのか」 「僕も知らんがね」 「それ見るがいい」 「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」 「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠せた男は無言のままあとに後れてしまう。  春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫ぬいて、煙る柳の間から、温き水打つ白き布を、高野川の磧に数え尽くして、長々と北にうねる路を、おおかたは二里余りも来たら、山は自から左右に逼って、脚下に奔る潺湲の響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更けたるを、山を極めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾を縫うて、暗き陰に走る一条の路に、爪上りなる向うから大原女が来る。牛が来る。京の春は牛の尿の尽きざるほどに、長くかつ静かである。 「おおい」と後れた男は立ち留りながら、先きなる友を呼んだ。おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑と行き尽して、萱ばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った。瘠せた男は、長い手を肩より高く伸して、返れ返れと二度ほど揺って見せる。桜の杖が暖かき日を受けて、またぴかりと肩の先に光ったと思う間もなく、彼は帰って来た。 「何だい」 「何だいじゃない。ここから登るんだ」 「こんな所から登るのか。少し妙だぜ。こんな丸木橋を渡るのは妙だぜ」 「君見たようにむやみに歩行いていると若狭の国へ出てしまうよ」 「若狭へ出ても構わんが、いったい君は地理を心得ているのか」 「今大原女に聴いて見た。この橋を渡って、あの細い道を向へ一里上がると出るそうだ」 「出るとはどこへ出るのだい」 「叡山の上へさ」 「叡山の上のどこへ出るだろう」 「そりゃ知らない。登って見なければ分らないさ」 「ハハハハ君のような計画好きでもそこまでは聞かなかったと見えるね。千慮の一失か。それじゃ、仰せに従って渡るとするかな。君いよいよ登りだぜ。どうだ、歩行けるか」 「歩行けないたって、仕方がない」 「なるほど哲学者だけあらあ。それで、もう少し判然すると一人前だがな」 「何でも好いから、先へ行くが好い」 「あとから尾いて来るかい」 「いいから行くが好い」 「尾いて来る気なら行くさ」  渓川に危うく渡せる一本橋を前後して横切った二人の影は、草山の草繁き中を、辛うじて一縷の細き力に頂きへ抜ける小径のなかに隠れた。草は固より去年の霜を持ち越したまま立枯の姿であるが、薄く溶けた雲を透して真上から射し込む日影に蒸し返されて、両頬のほてるばかりに暖かい。 「おい、君、甲野さん」と振り返る。甲野さんは細い山道に適当した細い体躯を真直に立てたまま、下を向いて 「うん」と答えた。 「そろそろ降参しかけたな。弱い男だ。あの下を見たまえ」と例の桜の杖を左から右へかけて一振りに振り廻す。  振り廻した杖の先の尽くる、遥か向うには、白銀の一筋に眼を射る高野川を閃めかして、左右は燃え崩るるまでに濃く咲いた菜の花をべっとりと擦り着けた背景には薄紫の遠山を縹緲のあなたに描き出してある。 「なるほど好い景色だ」と甲野さんは例の長身を捩じ向けて、際どく六十度の勾配に擦り落ちもせず立ち留っている。 「いつの間に、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近君が云う。宗近君は四角な男の名である。 「知らぬ間に堕落したり、知らぬ間に悟ったりするのと同じようなものだろう」 「昼が夜になったり、春が夏になったり、若いものが年寄りになったり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾くに心得ている」 「ハハハハそれで君は幾歳だったかな」 「おれの幾歳より、君は幾歳だ」 「僕は分かってるさ」 「僕だって分かってるさ」 「ハハハハやっぱり隠す了見だと見える」 「隠すものか、ちゃんと分ってるよ」 「だから、幾歳なんだよ」 「君から先へ云え」と宗近君はなかなか動じない。 「僕は二十七さ」と甲野君は雑作もなく言って退ける。 「そうか、それじゃ、僕も二十八だ」 「だいぶ年を取ったものだね」 「冗談を言うな。たった一つしか違わんじゃないか」 「だから御互にさ。御互に年を取ったと云うんだ」 「うん御互にか、御互なら勘弁するが、おれだけじゃ……」 「聞き捨てにならんか。そう気にするだけまだ若いところもあるようだ」 「何だ坂の途中で人を馬鹿にするな」 「そら、坂の途中で邪魔になる。ちょっと退いてやれ」  百折れ千折れ、五間とは直に続かぬ坂道を、呑気な顔の女が、ごめんやすと下りて来る。身の丈に余る粗朶の大束を、緑り洩る濃き髪の上に圧え付けて、手も懸けずに戴きながら、宗近君の横を擦り抜ける。生い茂る立ち枯れの萱をごそつかせた後ろ姿の眼につくは、目暗縞の黒きが中を斜に抜けた赤襷である。一里を隔てても、そこと指す指の先に、引っ着いて見えるほどの藁葺は、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引く霞は長しえに八瀬の山里を封じて長閑である。 「この辺の女はみんな奇麗だな。感心だ。何だか画のようだ」と宗近君が云う。 「あれが大原女なんだろう」 「なに八瀬女だ」 「八瀬女と云うのは聞いた事がないぜ」 「なくっても八瀬の女に違ない。嘘だと思うなら今度逢ったら聞いてみよう」 「誰も嘘だと云やしない。しかしあんな女を総称して大原女と云うんだろうじゃないか」 「きっとそうか、受合うか」 「そうする方が詩的でいい。何となく雅でいい」 「じゃ当分雅号として用いてやるかな」 「雅号は好いよ。世の中にはいろいろな雅号があるからな。立憲政体だの、万有神教だの、忠、信、孝、悌、だのってさまざまな奴があるから」 「なるほど、蕎麦屋に藪がたくさん出来て、牛肉屋がみんないろはになるのもその格だね」 「そうさ、御互に学士を名乗ってるのも同じ事だ」 「つまらない。そんな事に帰着するなら雅号は廃せばよかった」 「これから君は外交官の雅号を取るんだろう」 「ハハハハあの雅号はなかなか取れない。試験官に雅味のある奴がいないせいだな」 「もう何遍落第したかね。三遍か」 「馬鹿を申せ」 「じゃ二遍か」 「なんだ、ちゃんと知ってる癖に。はばかりながら落第はこれでたった一遍だ」 「一度受けて一遍なんだから、これからさき……」 「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハハハハ。時に僕の雅号はそれでいいが、君は全体何をするんだい」 「僕か。僕は叡山へ登るのさ。――おい君、そう後足で石を転がしてはいかん。後から尾いて行くものが剣呑だ。――ああ随分くたびれた。僕はここで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てて枯薄の中へ仰向けに倒れた。 「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖で、甲野さんの寝ている頭の先をこつこつ敲く。敲くたびに杖の先が薄を薙ぎ倒してがさがさ音を立てる。 「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、ゆっくり休もう。さあ起きろ」 「うん」 「うんか、おやおや」 「反吐が出そうだ」 「反吐を吐いて落第するのか、おやおや。じゃ仕方がない。おれも一と休息仕ろう」  甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も傘も坂道に転がしたまま、仰向けに空を眺めている。蒼白く面高に削り成せる彼の顔と、無辺際に浮き出す薄き雲の然と消えて入る大いなる天上界の間には、一塵の眼を遮ぎるものもない。反吐は地面の上へ吐くものである。大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。  宗近君は米沢絣の羽織を脱いで、袖畳みにしてちょっと肩の上へ乗せたが、また思い返して、今度は胸の中から両手をむずと出して、うんと云う間に諸肌を脱いだ。下から袖無が露われる。袖無の裏から、もじゃもじゃした狐の皮が食み出している。これは支那へ行った友人の贈り物として君が大事の袖無である。千羊の皮は一狐の腋にしかずと云って、君はいつでもこの袖無を一着している。その癖裏に着けた狐の皮は斑にほうけて、むやみに脱落するところをもって見ると、何でもよほど性の悪い野良狐に違ない。 「御山へ御登りやすのどすか、案内しまほうか、ホホホ妙な所に寝ていやはる」とまた目暗縞が下りて来る。 「おい、甲野さん。妙な所に寝ていやはるとさ。女にまで馬鹿にされるぜ。好い加減に起きてあるこうじゃないか」 「女は人を馬鹿にするもんだ」 と甲野さんは依然として天を眺めている。 「そう泰然と尻を据えちゃ困るな。まだ反吐を吐きそうかい」 「動けば吐く」 「厄介だなあ」 「すべての反吐は動くから吐くのだよ。俗界万斛の反吐皆動の一字より来る」 「何だ本当に吐くつもりじゃないのか。つまらない。僕はまたいよいよとなったら、君を担いで麓まで下りなけりゃならんかと思って、内心少々辟易していたんだ」 「余計な御世話だ。誰も頼みもしないのに」 「君は愛嬌のない男だね」 「君は愛嬌の定義を知ってるかい」 「何のかのと云って、一分でも余計動かずにいようと云う算段だな。怪しからん男だ」 「愛嬌と云うのはね、――自分より強いものを斃す柔かい武器だよ」 「それじゃ無愛想は自分より弱いものを、扱き使う鋭利なる武器だろう」 「そんな論理があるものか。動こうとすればこそ愛嬌も必要になる。動けば反吐を吐くと知った人間に愛嬌が入るものか」 「いやに詭弁を弄するね。そんなら僕は御先へ御免蒙るぜ。いいか」 「勝手にするがいい」と甲野さんはやっぱり空を眺めている。  宗近君は脱いだ両袖をぐるぐると腰へ巻き付けると共に、毛脛に纏わる竪縞の裾をぐいと端折って、同じく白縮緬の周囲に畳み込む。最前袖畳にした羽織を桜の杖の先へ引き懸けるが早いか「一剣天下を行く」と遠慮のない声を出しながら、十歩に尽くる岨路を飄然として左へ折れたぎり見えなくなった。  あとは静である。静かなる事定って、静かなるうちに、わが一脈の命を託すると知った時、この大乾坤のいずくにか通う、わが血潮は、粛々と動くにもかかわらず、音なくして寂定裏に形骸を土木視して、しかも依稀たる活気を帯ぶ。生きてあらんほどの自覚に、生きて受くべき有耶無耶の累を捨てたるは、雲の岫を出で、空の朝な夕なを変わると同じく、すべての拘泥を超絶したる活気である。古今来を空しゅうして、東西位を尽くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ――それでなければ化石になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は万事の終である。また万事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮ずるにすべてを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側なるすべてのいさくさは、肉一重の垣に隔てられた因果に、枯れ果てたる骸骨にいらぬ情けの油を注して、要なき屍に長夜の踊をおどらしむる滑稽である。遐なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。  考えるともなく考えた甲野君はようやくに身を起した。また歩行かねばならぬ。見たくもない叡山を見て、いらざる豆の数々に、役にも立たぬ登山の痕迹を、二三日がほどは、苦しき記念と残さねばならぬ。苦しき記念が必要ならば数えて白頭に至って尽きぬほどある。裂いて髄にいって消えぬほどある。いたずらに足の底に膨れ上る豆の十や二十――と切り石の鋭どき上に半ば掛けたる編み上げの踵を見下ろす途端、石はきりりと面を更えて、乗せかけた足をすわと云う間に二尺ほど滑べらした。甲野さんは 「万里の道を見ず」 と小声に吟じながら、傘を力に、岨路を登り詰めると、急に折れた胸突坂が、下から来る人を天に誘う風情で帽に逼って立っている。甲野さんは真廂を煽って坂の下から真一文字に坂の尽きる頂きを見上げた。坂の尽きた頂きから、淡きうちに限りなき春の色を漲ぎらしたる果もなき空を見上げた。甲野さんはこの時 「ただ万里の天を見る」 と第二の句を、同じく小声に歌った。  草山を登り詰めて、雑木の間を四五段上ると、急に肩から暗くなって、踏む靴の底が、湿っぽく思われる。路は山の背を、西から東へ渡して、たちまちのうちに草を失するとすぐ森に移ったのである。近江の空を深く色どるこの森の、動かねば、その上の幹と、その上の枝が、幾重幾里に連なりて、昔しながらの翠りを年ごとに黒く畳むと見える。二百の谷々を埋め、三百の神輿を埋め、三千の悪僧を埋めて、なお余りある葉裏に、三藐三菩提の仏達を埋め尽くして、森々と半空に聳ゆるは、伝教大師以来の杉である。甲野さんはただ一人この杉の下を通る。  右よりし左よりして、行く人を両手に遮ぎる杉の根は、土を穿ち石を裂いて深く地磐に食い入るのみか、余る力に、跳ね返して暗き道を、二寸の高さに段々と横切っている。登らんとする岩の梯子に、自然の枕木を敷いて、踏み心地よき幾級の階を、山霊の賜と甲野さんは息を切らして上って行く。  行く路の杉に逼って、暗きより洩るるがごとく這い出ずる日影蔓の、足に纏わるほどに繁きを越せば、引かれたる蔓の長きを伝わって、手も届かぬに、朽ちかかる歯朶の、風なき昼をふらふらと揺く。 「ここだ、ここだ」 と宗近君が急に頭の上で天狗のような声を出す。朽草の土となるまで積み古るしたる上を、踏めば深靴を隠すほどに踏み答えもなきに、甲野さんはようやくの思で、蝙蝠傘を力に、天狗の座まで、登って行く。 「善哉善哉、われ汝を待つ事ここに久しだ。全体何をぐずぐずしていたのだ」  甲野さんはただああと云ったばかりで、いきなり蝙蝠傘を放り出すと、その上へどさりと尻持を突いた。 「また反吐か、反吐を吐く前に、ちょっとあの景色を見なさい。あれを見るとせっかくの反吐も残念ながら収まっちまう」 と例の桜の杖で、杉の間を指す。天を封ずる老幹の亭々と行儀よく並ぶ隙間に、的と近江の湖が光った。 「なるほど」と甲野さんは眸を凝らす。  鏡を延べたとばかりでは飽き足らぬ。琵琶の銘ある鏡の明かなるを忌んで、叡山の天狗共が、宵に偸んだ神酒の酔に乗じて、曇れる気息を一面に吹き掛けたように――光るものの底に沈んだ上には、野と山にはびこる陽炎を巨人の絵の具皿にあつめて、ただ一刷に抹り付けた、瀲たる春色が、十里のほかに糢糊と棚引いている。 「なるほど」と甲野さんはまた繰り返した。 「なるほどだけか。君は何を見せてやっても嬉しがらない男だね」 「見せてやるなんて、自分が作ったものじゃあるまいし」 「そう云う恩知らずは、得て哲学者にあるもんだ。親不孝な学問をして、日々人間と御無沙汰になって……」 「誠に済みません。――親不孝な学問か、ハハハハハ。君白い帆が見える。そら、あの島の青い山を背にして――まるで動かんぜ。いつまで見ていても動かんぜ」 「退屈な帆だな。判然しないところが君に似ていらあ。しかし奇麗だ。おや、こっちにもいるぜ」 「あの、ずっと向うの紫色の岸の方にもある」 「うん、ある、ある。退屈だらけだ。べた一面だ」 「まるで夢のようだ」 「何が」 「何がって、眼前の景色がさ」 「うんそうか。僕はまた君が何か思い出したのかと思った。ものは君、さっさと片付けるに限るね。夢のごとしだって懐手をしていちゃ、駄目だよ」 「何を云ってるんだい」 「おれの云う事もやっぱり夢のごとしか。アハハハハ時に将門が気を吐いたのはどこいらだろう」 「何でも向う側だ。京都を瞰下したんだから。こっちじゃない。あいつも馬鹿だなあ」 「将門か。うん、気を吐くより、反吐でも吐く方が哲学者らしいね」 「哲学者がそんなものを吐くものか」 「本当の哲学者になると、頭ばかりになって、ただ考えるだけか、まるで達磨だね」 「あの煙るような島は何だろう」 「あの島か、いやに縹緲としているね。おおかた竹生島だろう」 「本当かい」 「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえたしかなら構わない主義だ」 「そんなたしかなものが世の中にあるものか、だから雅号が必要なんだ」 「人間万事夢のごとしか。やれやれ」 「ただ死と云う事だけが真だよ」 「いやだぜ」 「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気はなかなかやまないものだ」 「やまなくって好いから、突き当るのは真っ平御免だ」 「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」 「誰が」 「小刀細工の好な人間がさ」  山を下りて近江の野に入れば宗近君の世界である。高い、暗い、日のあたらぬ所から、うららかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺めているのが甲野さんの世界である。         二  紅を弥生に包む昼酣なるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶に眺めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢の上には、玉虫貝を冴々と菫に刻んで、細き金脚にはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。半滴のひろがりに、一瞬の短かきを偸んで、疾風の威を作すは、春にいて春を制する深き眼である。この瞳を遡って、魔力の境を窮むるとき、桃源に骨を白うして、再び塵寰に帰るを得ず。ただの夢ではない。糢糊たる夢の大いなるうちに、燦たる一点の妖星が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉近く逼るのである。女は紫色の着物を着ている。  静かなる昼を、静かに栞を抽いて、箔に重き一巻を、女は膝の上に読む。 「墓の前に跪ずいて云う。この手にて――この手にて君を埋め参らせしを、今はこの手も自由ならず。捕われて遠き国に、行くほどもあらねば、この手にて君が墓を掃い、この手にて香を焚くべき折々の、長しえに尽きたりと思いたまえ。生ける時は、莫耶も我らを割き難きに、死こそ無惨なれ。羅馬の君は埃及に葬むられ、埃及なるわれは、君が羅馬に埋められんとす。君が羅馬は――わが思うほどの恩を、憂きわれに拒める、君が羅馬は、つれなき君が羅馬なり。されど、情だにあらば、羅馬の神は、よも生きながらの辱に、市に引かるるわれを、雲の上よりよそに見たまわざるべし。君が仇なる人の勝利を飾るわれを。埃及の神に見離されたるわれを。君が片身と残したまえるわが命こそ仇なれ。情ある羅馬の神に祈る。――われを隠したまえ。恥見えぬ墓の底に、君とわれを永劫に隠したまえ。」  女は顔を上げた。蒼白き頬の締れるに、薄き化粧をほのかに浮かせるは、一重の底に、余れる何物かを蔵せるがごとく、蔵せるものを見極わめんとあせる男はことごとく虜となる。男は眩げに半ば口元を動かした。口の居住の崩るる時、この人の意志はすでに相手の餌食とならねばならぬ。下唇のわざとらしく色めいて、しかも判然と口を切らぬ瞬間に、切り付けられたものは、必ず受け損う。  女はただ隼の空を搏つがごとくちらと眸を動かしたのみである。男はにやにやと笑った。勝負はすでについた。舌を頭に飛ばして、泡吹く蟹と、烏鷺を争うは策のもっとも拙なきものである。風励鼓行して、やむなく城下の誓をなさしむるは策のもっとも凡なるものである。蜜を含んで針を吹き、酒を強いて毒を盛るは策のいまだ至らざるものである。最上の戦には一語をも交うる事を許さぬ。拈華の一拶は、ここを去る八千里ならざるも、ついに不言にしてまた不語である。ただ躊躇する事刹那なるに、虚をうつ悪魔は、思うつぼに迷と書き、惑と書き、失われたる人の子、と書いて、すわと云う間に引き上げる。下界万丈の鬼火に、腥さき青燐を筆の穂に吹いて、会釈もなく描き出せる文字は、白髪をたわしにして洗っても容易くは消えぬ。笑ったが最後、男はこの笑を引き戻す訳には行くまい。 「小野さん」と女が呼びかけた。 「え?」とすぐ応じた男は、崩れた口元を立て直す暇もない。唇に笑を帯びたのは、半ば無意識にあらわれたる、心の波を、手持無沙汰に草書に崩したまでであって、崩したものの尽きんとする間際に、崩すべき第二の波の来ぬのを煩っていた折であるから、渡りに船の「え?」は心安く咽喉を滑り出たのである。女は固より曲者である。「え?」と云わせたまま、しばらくは何にも云わぬ。 「何ですか」と男は二の句を継いだ。継がねばせっかくの呼吸が合わぬ。呼吸が合わねば不安である。相手を眼中に置くものは、王侯といえども常にこの感を起す。いわんや今、紫の女のほかに、何ものも映らぬ男の眼には、二の句は固より愚かである。  女はまだ何にも言わぬ。床に懸けた容斎の、小松に交る稚子髷の、太刀持こそ、昔しから長閑である。狩衣に、鹿毛なる駒の主人は、事なきに慣れし殿上人の常か、動く景色も見えぬ。ただ男だけは気が気でない。一の矢はあだに落ちた、二の矢のあたった所は判然せぬ。これが外れれば、また継がねばならぬ。男は気息を凝らして女の顔を見詰めている。肉の足らぬ細面に予期の情を漲らして、重きに過ぐる唇の、奇か偶かを疑がいつつも、手答のあれかしと念ずる様子である。 「まだ、そこにいらしったんですか」と女は落ちついた調子で云う。これは意外な手答である。天に向って彎ける弓の、危うくも吾が頭の上に、瓢箪羽を舞い戻したようなものである。男の我を忘れて、相手を見守るに引き反えて、女は始めより、わが前に坐われる人の存在を、膝に開ける一冊のうちに見失っていたと見える。その癖、女はこの書物を、箔美しと見つけた時、今携えたる男の手からぎ取るようにして、読み始めたのである。  男は「ええ」と申したぎりであった。 「この女は羅馬へ行くつもりなんでしょうか」  女は腑に落ちぬ不快の面持で男の顔を見た。小野さんは「クレオパトラ」の行為に対して責任を持たねばならぬ。 「行きはしませんよ。行きはしませんよ」 と縁もない女王を弁護したような事を云う。 「行かないの? 私だって行かないわ」と女はようやく納得する。小野さんは暗い隧道を辛うじて抜け出した。 「沙翁の書いたものを見るとその女の性格が非常によく現われていますよ」  小野さんは隧道を出るや否や、すぐ自転車に乗って馳け出そうとする。魚は淵に躍る、鳶は空に舞う。小野さんは詩の郷に住む人である。  稜錐塔の空を燬く所、獅身女の砂を抱く所、長河の鰐魚を蔵する所、二千年の昔妖姫クレオパトラの安図尼と相擁して、駝鳥のに軽く玉肌を払える所、は好画題であるまた好詩料である。小野さんの本領である。 「沙翁の描いたクレオパトラを見ると一種妙な心持ちになります」 「どんな心持ちに?」 「古い穴の中へ引き込まれて、出る事が出来なくなって、ぼんやりしているうちに、紫色のクレオパトラが眼の前に鮮やかに映って来ます。剥げかかった錦絵のなかから、たった一人がぱっと紫に燃えて浮き出して来ます」 「紫? よく紫とおっしゃるのね。なぜ紫なんです」 「なぜって、そう云う感じがするのです」 「じゃ、こんな色ですか」と女は青き畳の上に半ば敷ける、長き袖を、さっと捌いて、小野さんの鼻の先に翻えす。小野さんの眉間の奥で、急にクレオパトラの臭がぷんとした。 「え?」と小野さんは俄然として我に帰る。空を掠める子規の、駟も及ばぬに、降る雨の底を突き通して過ぎたるごとく、ちらと動ける異しき色は、疾く収まって、美くしい手は膝頭に乗っている。脈打つとさえ思えぬほどに静かに乗っている。  ぷんとしたクレオパトラの臭は、しだいに鼻の奥から逃げて行く。二千年の昔から不意に呼び出された影の、恋々と遠のく後を追うて、小野さんの心は杳窕の境に誘われて、二千年のかなたに引き寄せらるる。 「そよと吹く風の恋や、涙の恋や、嘆息の恋じゃありません。暴風雨の恋、暦にも録っていない大暴雨の恋。九寸五分の恋です」と小野さんが云う。 「九寸五分の恋が紫なんですか」 「九寸五分の恋が紫なんじゃない、紫の恋が九寸五分なんです」 「恋を斬ると紫色の血が出るというのですか」 「恋が怒ると九寸五分が紫色に閃ると云うのです」 「沙翁がそんな事を書いているんですか」 「沙翁が描いた所を私が評したのです。――安図尼が羅馬でオクテヴィアと結婚した時に――使のものが結婚の報道を持って来た時に――クレオパトラの……」 「紫が嫉妬で濃く染まったんでしょう」 「紫が埃及の日で焦げると、冷たい短刀が光ります」 「このくらいの濃さ加減なら大丈夫ですか」と言う間もなく長い袖が再び閃いた。小野さんはちょっと話の腰を折られた。相手に求むるところがある時でさえ、腰を折らねば承知をせぬ女である。毒気を抜いた女は得意に男の顔を眺めている。 「そこでクレオパトラがどうしました」と抑えた女は再び手綱を緩める。小野さんは馳け出さなければならぬ。 「オクテヴィヤの事を根堀り葉堀り、使のものに尋ねるんです。その尋ね方が、詰り方が、性格を活動させているから面白い。オクテヴィヤは自分のように背が高いかの、髪の毛はどんな色だの、顔が丸いかの、声が低いかの、年はいくつだのと、どこまでも使者を追窮します。……」 「全体追窮する人の年はいくつなんです」 「クレオパトラは三十ばかりでしょう」 「それじゃ私に似てだいぶ御婆さんね」  女は首を傾けてホホと笑った。男は怪しき靨のなかに捲き込まれたままちょっと途方に暮れている。肯定すれば偽りになる。ただ否定するのは、あまりに平凡である。皓い歯に交る一筋の金の耀いてまた消えんとする間際まで、男は何の返事も出なかった。女の年は二十四である。小野さんは、自分と三つ違である事を疾うから知っている。  美しき女の二十を越えて夫なく、空しく一二三を数えて、二十四の今日まで嫁がぬは不思議である。春院いたずらに更けて、花影欄にたけなわなるを、遅日早く尽きんとする風情と見て、琴を抱いて恨み顔なるは、嫁ぎ後れたる世の常の女の習なるに、麈尾に払う折々の空音に、琵琶らしき響を琴柱に聴いて、本来ならぬ音色を興あり気に楽しむはいよいよ不思議である。仔細は固より分らぬ。この男とこの女の、互に語る言葉の影から、時々に覗き込んで、いらざる臆測に、うやむやなる恋の八卦をひそかに占なうばかりである。 「年を取ると嫉妬が増して来るものでしょうか」と女は改たまって、小野さんに聞いた。  小野さんはまた面喰う。詩人は人間を知らねばならん。女の質問には当然答うべき義務がある。けれども知らぬ事は答えられる訳がない。中年の人の嫉妬を見た事のない男は、いくら詩人でも文士でも致し方がない。小野さんは文字に堪能なる文学者である。 「そうですね。やっぱり人に因るでしょう」  角を立てない代りに挨拶は濁っている。それで済ます女ではない。 「私がそんな御婆さんになったら――今でも御婆さんでしたっけね。ホホホ――しかしそのくらいな年になったら、どうでしょう」 「あなたが――あなたに嫉妬なんて、そんなものは、今だって……」 「有りますよ」  女の声は静かなる春風をひやりと斬った。詩の国に遊んでいた男は、急に足を外して下界に落ちた。落ちて見ればただの人である。相手は寄りつけぬ高い崖の上から、こちらを見下している。自分をこんな所に蹴落したのは誰だと考える暇もない。 「清姫が蛇になったのは何歳でしょう」 「左様、やっぱり十代にしないと芝居になりませんね。おおかた十八九でしょう」 「安珍は」 「安珍は二十五ぐらいがよくはないでしょうか」 「小野さん」 「ええ」 「あなたは御何歳でしたかね」 「私ですか――私はと……」 「考えないと分らないんですか」 「いえ、なに――たしか甲野君と御同い年でした」 「そうそう兄と御同い年ですね。しかし兄の方がよっぽど老けて見えますよ」 「なに、そうでも有りません」 「本当よ」 「何か奢りましょうか」 「ええ、奢ってちょうだい。しかし、あなたのは顔が若いのじゃない。気が若いんですよ」 「そんなに見えますか」 「まるで坊っちゃんのようですよ」 「可愛想に」 「可愛らしいんですよ」  女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いかなる役割を演じつつあるかは固より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、個体の粟を喙んでは嬉しげに羽搏するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音を競うものは必ず斃れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。小野さんはみごとに鳴き損ねた。 「可愛らしいんですよ。ちょうど安珍のようなの」 「安珍は苛い」  許せと云わぬばかりに、今度は受け留めた。 「御不服なの」と女は眼元だけで笑う。 「だって……」 「だって、何が御厭なの」 「私は安珍のように逃げやしません」  これを逃げ損ねの受太刀と云う。坊っちゃんは機を見て奇麗に引き上げる事を知らぬ。 「ホホホ私は清姫のように追っ懸けますよ」  男は黙っている。 「蛇になるには、少し年が老け過ぎていますかしら」  時ならぬ春の稲妻は、女を出でて男の胸をするりと透した。色は紫である。 「藤尾さん」 「何です」  呼んだ男と呼ばれた女は、面と向って対座している。六畳の座敷は緑り濃き植込に隔てられて、往来に鳴る車の響さえ幽かである。寂寞たる浮世のうちに、ただ二人のみ、生きている。茶縁の畳を境に、二尺を隔てて互に顔を見合した時、社会は彼らの傍を遠く立ち退いた。救世軍はこの時太鼓を敲いて市中を練り歩るいている。病院では腹膜炎で患者が虫の気息を引き取ろうとしている。露西亜では虚無党が爆裂弾を投げている。停車場では掏摸が捕まっている。火事がある。赤子が生れかかっている。練兵場で新兵が叱られている。身を投げている。人を殺している。藤尾の兄さんと宗近君は叡山に登っている。  花の香さえ重きに過ぐる深き巷に、呼び交わしたる男と女の姿が、死の底に滅り込む春の影の上に、明らかに躍りあがる。宇宙は二人の宇宙である。脈々三千条の血管を越す、若き血潮の、寄せ来る心臓の扉は、恋と開き恋と閉じて、動かざる男女を、躍然と大空裏に描き出している。二人の運命はこの危うき刹那に定まる。東か西か、微塵だに体を動かせばそれぎりである。呼ぶはただごとではない、呼ばれるのもただごとではない。生死以上の難関を互の間に控えて、羃然たる爆発物が抛げ出されるか、抛げ出すか、動かざる二人の身体は二塊のである。 「御帰りいっ」と云う声が玄関に響くと、砂利を軋る車輪がはたと行き留まった。襖を開ける音がする。小走りに廊下を伝う足音がする。張り詰めた二人の姿勢は崩れた。 「母が帰って来たのです」と女は坐ったまま、何気なく云う。 「ああ、そうですか」と男も何気なく答える。心を判然と外に露わさぬうちは罪にはならん。取り返しのつく謎は、法庭の証拠としては薄弱である。何気なく、もてなしている二人は、互に何気のあった事を黙許しながら、何気なく安心している。天下は太平である。何人も後指を指す事は出来ぬ。出来れば向うが悪るい。天下はあくまでも太平である。 「御母さんは、どちらへか行らしったんですか」 「ええ、ちょっと買物に出掛けました」 「だいぶ御邪魔をしました」と立ち懸ける前に居住をちょっと繕ろい直す。洋袴の襞の崩れるのを気にして、常は出来るだけ楽に坐る男である。いざと云えば、突っかい棒に、尻を挙げるための、膝頭に揃えた両手は、雪のようなカフスに甲まで蔽われて、くすんだ鼠縞の袖の下から、七宝の夫婦釦が、きらりと顔を出している。 「まあ御緩くりなさい。母が帰っても別に用事はないんですから」と女は帰った人を迎える気色もない。男はもとより尻を上げるのは厭である。 「しかし」と云いながら、隠袋の中を捜ぐって、太い巻煙草を一本取り出した。煙草の煙は大抵のものを紛らす。いわんやこれは金の吸口の着いた埃及産である。輪に吹き、山に吹き、雲に吹く濃き色のうちには、立ち掛けた腰を据え直して、クレオパトラと自分の間隔を少しでも詰める便が出来んとも限らぬ。  薄い煙りの、黒い口髭を越して、ゆたかに流れ出した時、クレオパトラは果然、 「まあ、御坐り遊ばせ」と叮嚀な命令を下した。  男は無言のまま再び膝を崩す。御互に春の日は永い。 「近頃は女ばかりで淋しくっていけません」 「甲野君はいつ頃御帰りですか」 「いつ頃帰りますか、ちっとも分りません」 「御音信が有りますか」 「いいえ」 「時候が好いから京都は面白いでしょう」 「あなたもいっしょに御出になればよかったのに」 「私は……」と小野さんは後を暈かしてしまう。 「なぜ行らっしゃらなかったの」 「別に訳はないんです」 「だって、古い御馴染じゃありませんか」 「え?」  小野さんは、煙草の灰を畳の上に無遠慮に落す。「え?」と云う時、不要意に手が動いたのである。 「京都には長い事、いらしったんじゃありませんか」 「それで御馴染なんですか」 「ええ」 「あんまり古い馴染だから、もう行く気にならんのです」 「随分不人情ね」 「なに、そんな事はないです」と小野さんは比較的真面目になって、埃及煙草を肺の中まで吸い込んだ。 「藤尾、藤尾」と向うの座敷で呼ぶ声がする。 「御母さんでしょう」と小野さんが聞く。 「ええ」 「私はもう帰ります」 「なぜです」 「でも何か御用が御在りになるんでしょう」 「あったって構わないじゃありませんか。先生じゃありませんか。先生が教えに来ているんだから、誰が帰ったって構わないじゃありませんか」 「しかしあんまり教えないんだから」 「教わっていますとも、これだけ教わっていればたくさんですわ」 「そうでしょうか」 「クレオパトラや、何かたくさん教わってるじゃありませんか」 「クレオパトラぐらいで好ければ、いくらでもあります」 「藤尾、藤尾」と御母さんはしきりに呼ぶ。 「失礼ですがちょっと御免蒙ります。――なにまだ伺いたい事があるから待っていて下さい」  藤尾は立った。男は六畳の座敷に取り残される。平床に据えた古薩摩の香炉に、いつ焼き残したる煙の迹か、こぼれた灰の、灰のままに崩れもせず、藤尾の部屋は昨日も今日も静かである。敷き棄てた八反の座布団に、主を待つ間の温気は、軽く払う春風に、ひっそり閑と吹かれている。  小野さんは黙然と香炉を見て、また黙然と布団を見た。崩し格子の、畳から浮く角に、何やら光るものが奥に挟まっている。小野さんは少し首を横にして輝やくものを物色して考えた。どうも時計らしい。今までは頓と気がつかなかった。藤尾の立つ時に、絹障のしなやかに、布団が擦れて、隠したものが出掛ったのかも知れぬ。しかし布団の下に時計を隠す必要はあるまい。小野さんは再び布団の下を覗いて見た。松葉形に繋ぎ合せた鎖の折れ曲って、表に向いている方が、細く光線を射返す奥に、盛り上がる七子の縁が幽かに浮いている。たしかに時計に違ない。小野さんは首を傾けた。  金は色の純にして濃きものである。富貴を愛するものは必ずこの色を好む。栄誉を冀うものは必ずこの色を撰む。盛名を致すものは必ずこの色を飾る。磁石の鉄を吸うごとく、この色はすべての黒き頭を吸う。この色の前に平身せざるものは、弾力なき護謨である。一個の人として世間に通用せぬ。小野さんはいい色だと思った。  折柄向う座敷の方角から、絹のざわつく音が、曲がり椽を伝わって近づいて来る。小野さんは覗き込んだ眼を急に外らして、素知らぬ顔で、容斎の軸を真正面に眺めていると、二人の影が敷居口にあらわれた。  黒縮緬の三つ紋を撫で肩に着こなして、くすんだ半襟に、髷ばかりを古風につやつやと光らしている。 「おやいらっしゃい」と御母さんは軽く会釈して、椽に近く座を占める。鶯も鳴かぬ代りに、目に立つほどの塵もなく掃除の行き届いた庭に、長過ぎるほどの松が、わが物顔に一本控えている。この松とこの御母さんは、何となく同一体のように思われる。 「藤尾が始終御厄介になりまして――さぞわがままばかり申す事でございましょう。まるで小供でございますから――さあ、どうぞ御楽に――いつも御挨拶を申さねばならんはずでございますが、つい年を取っているものでございますから、失礼のみ致します。――どうも実に赤児で、困り切ります、駄々ばかり捏ねまして――でも英語だけは御蔭さまで大変好きな模様で――近頃ではだいぶむずかしいものが読めるそうで、自分だけはなかなか得意でおります。――何兄がいるのでございますから、教えて貰えば好いのでございますが、――どうも、その、やっぱり兄弟は行かんものと見えまして――」  御母さんの弁舌は滾々としてみごとである。小野さんは一字の間投詞を挟む遑まなく、口車に乗って馳けて行く。行く先は固より判然せぬ。藤尾は黙って最前小野さんから借りた書物を開いて続を読んでいる。 「花を墓に、墓に口を接吻して、憂きわれを、ひたふるに嘆きたる女王は、浴湯をこそと召す。浴みしたる後は夕餉をこそと召す。この時賤しき厠卒ありて小さき籃に無花果を盛りて参らす。女王の該撒に送れる文に云う。願わくは安図尼と同じ墓にわれを埋めたまえと。無花果の繁れる青き葉陰にはナイルの泥のの舌を冷やしたる毒蛇を、そっと忍ばせたり。該撒の使は走る。闥を排して眼を射れば――黄金の寝台に、位高き装を今日と凝らして、女王の屍は是非なく横わる。アイリスと呼ぶは女王の足のあたりにこの世を捨てぬ。チャーミオンと名づけたるは、女王の頭のあたりに、月黒き夜の露をあつめて、千顆の珠を鋳たる冠の、今落ちんとするを力なく支う。闥を排したる該撒の使はこはいかにと云う。埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそと、チャーミオンは言い終って、倒れながらに目を瞑る」  埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそと云う最後の一句は、焚き罩むる錬香の尽きなんとして幽かなる尾を虚冥に曳くごとく、全き頁が淡く霞んで見える。 「藤尾」と知らぬ御母さんは呼ぶ。  男はやっと寛容だ姿で、呼ばれた方へ視線を向ける。呼ばれた当人は俯向ている。 「藤尾」と御母さんは呼び直す。  女の眼はようやくに頁を離れた。波を打つ廂髪の、白い額に接く下から、骨張らぬ細い鼻を承けて、紅を寸に織る唇が――唇をそと滑って、頬の末としっくり落ち合うが――を棄ててなよやかに退いて行く咽喉が――しだいと現実世界に競り出して来る。 「なに?」と藤尾は答えた。昼と夜の間に立つ人の、昼と夜の間の返事である。 「おや気楽な人だ事。そんなに面白い御本なのかい。――あとで御覧なさいな。失礼じゃないか。――この通り世間見ずのわがままもので、まことに困り切ります。――その御本は小野さんから拝借したのかい。大変奇麗な――汚さないようになさいよ。本なぞは大事にしないと――」 「大事にしていますわ」 「それじゃ、好いけれども、またこないだのように……」 「だって、ありゃ兄さんが悪いんですもの」 「甲野君がどうかしたんですか」と小野さんは始めて口らしい口を開いた。 「いえ、あなた、どうもわがまま者の寄り合いだもんでござんすから、始終、小供のように喧嘩ばかり致しまして――こないだも兄の本を……」と御母さんは藤尾の方を見て、言おうか、言うまいかと云う態度を取る。同情のある恐喝手段は長者の好んで年少に対して用いる遊戯である。 「甲野君の書物をどうなすったんです」と小野さんは恐る恐る聞きたがる。 「言いましょうか」と老人は半ば笑いながら、控えている。玩具の九寸五分を突き付けたような気合である。 「兄の本を庭へ抛げたんですよ」と藤尾は母を差し置いて、鋭どい返事を小野さんの眉間へ向けて抛げつけた。御母さんは苦笑いをする。小野さんは口を開く。 「これの兄も御存じの通り随分変人ですから」と御母さんは遠廻しに棄鉢になった娘の御機嫌をとる。 「甲野さんはまだ御帰りにならんそうですね」と小野さんは、うまいところで話頭を転換した。 「まるであなた鉄砲玉のようで――あれも、始終身体が悪いとか申して、ぐずぐずしておりますから、それならば、ちと旅行でもして判然したらよかろうと申しましてね――でも、まだ、何だかだと駄々を捏ねて、動かないのを、ようやく宗近に頼んで連れ出して貰いました。ところがまるで鉄砲玉で。若いものと申すものは……」 「若いって兄さんは特別ですよ。哲学で超絶しているんだから特別ですよ」 「そうかね、御母さんには何だか分らないけれども――それにあなた、あの宗近と云うのが大の呑気屋で、あれこそ本当の鉄砲玉で、随分の困りものでしてね」 「アハハハ快活な面白い人ですな」 「宗近と云えば、御前さっきのものはどこにあるのかい」と御母さんは、きりりとした眼を上げて部屋のうちを見廻わす。 「ここです」と藤尾は、軽く諸膝を斜めに立てて、青畳の上に、八反の座布団をさらりと滑べらせる。富貴の色は蜷局を三重に巻いた鎖の中に、堆く七子の蓋を盛り上げている。  右手を伸べて、輝くものを戛然と鳴らすよと思う間に、掌より滑る鎖が、やおら畳に落ちんとして、一尺の長さに喰い留められると、余る力を横に抜いて、端につけた柘榴石の飾りと共に、長いものがふらりふらりと二三度揺れる。第一の波は紅の珠に女の白き腕を打つ。第二の波は観世に動いて、軽く袖口にあたる。第三の波のまさに静まらんとするとき、女は衝と立ち上がった。  奇麗な色が、二色、三色入り乱れて、疾く動く景色を、茫然と眺めていた小野さんの前へぴたりと坐った藤尾は 「御母さん」と後を顧みながら、 「こうすると引き立ちますよ」と云って故の席に返る。小野さんの胴衣の胸には松葉形に組んだ金の鎖が、釦の穴を左右に抜けて、黒ずんだメルトン地を背景に燦爛と耀やいている。 「どうです」と藤尾が云う。 「なるほど善く似合いますね」と御母さんが云う。 「全体どうしたんです」と小野さんは煙に巻かれながら聞く。御母さんはホホホと笑う。 「上げましょうか」と藤尾は流し目に聞いた。小野さんは黙っている。 「じゃ、まあ、止しましょう」と藤尾は再び立って小野さんの胸から金時計を外してしまった。         三  柳れて条々の煙を欄に吹き込むほどの雨の日である。衣桁に懸けた紺の背広の暗く下がるしたに、黒い靴足袋が三分一裏返しに丸く蹲踞っている。違棚の狭い上に、偉大な頭陀袋を据えて、締括りのない紐をだらだらと嬾も垂らした傍らに、錬歯粉と白楊子が御早うと挨拶している。立て切った障子の硝子を通して白い雨の糸が細長く光る。 「京都という所は、いやに寒い所だな」と宗近君は貸浴衣の上に銘仙の丹前を重ねて、床柱の松の木を背負て、傲然と箕坐をかいたまま、外を覗きながら、甲野さんに話しかけた。  甲野さんは駱駝の膝掛を腰から下へ掛けて、空気枕の上で黒い頭をぶくつかせていたが 「寒いより眠い所だ」 と云いながらちょっと顔の向を換えると、櫛を入れたての濡れた頭が、空気の弾力で、脱ぎ棄てた靴足袋といっしょになる。 「寝てばかりいるね。まるで君は京都へ寝に来たようなものだ」 「うん。実に気楽な所だ」 「気楽になって、まあ結構だ。御母さんが心配していたぜ」 「ふん」 「ふんは御挨拶だね。これでも君を気楽にさせるについては、人の知らない苦労をしているんだぜ」 「君あの額の字が読めるかい」 「なるほど妙だね。※雨※風[#「にんべん+孱」、51-3][#「にんべん+愁」、51-3]か。見た事がないな。何でも人扁だから、人がどうかするんだろう。いらざる字を書きやがる。元来何者だい」 「分らんね」 「分からんでもいいや、それよりこの襖が面白いよ。一面に金紙を張り付けたところは豪勢だが、ところどころに皺が寄ってるには驚ろいたね。まるで緞帳芝居の道具立見たようだ。そこへ持って来て、筍を三本、景気に描いたのは、どう云う了見だろう。なあ甲野さん、これは謎だぜ」 「何と云う謎だい」 「それは知らんがね。意味が分からないものが描いてあるんだから謎だろう」 「意味が分からないものは謎にはならんじゃないか。意味があるから謎なんだ」 「ところが哲学者なんてものは意味がないものを謎だと思って、一生懸命に考えてるぜ。気狂の発明した詰将棋の手を、青筋を立てて研究しているようなものだ」 「じゃこの筍も気違の画工が描いたんだろう」 「ハハハハ。そのくらい事理が分ったら煩悶もなかろう」 「世の中と筍といっしょになるものか」 「君、昔話しにゴージアン・ノットと云うのがあるじゃないか。知ってるかい」 「人を中学生だと思ってる」 「思っていなくっても、まあ聞いて見るんだ。知ってるなら云って見ろ」 「うるさいな、知ってるよ」 「だから云って御覧なさいよ。哲学者なんてものは、よくごまかすもので、何を聞いても知らないと白状の出来ない執念深い人間だから、……」 「どっちが執念深いか分りゃしない」 「どっちでも、いいから、云って御覧」 「ゴージアン・ノットと云うのはアレキサンダー時代の話しさ」 「うん、知ってるね。それで」 「ゴージアスと云う百姓がジュピターの神へ車を奉納したところが……」 「おやおや、少し待った。そんな事があるのかい。それから」 「そんな事があるのかって、君、知らないのか」 「そこまでは知らなかった」 「何だ。自分こそ知らない癖に」 「ハハハハ学校で習った時は教師がそこまでは教えなかった。あの教師もそこまではきっと知らないに違ない」 「ところがその百姓が、車の轅と横木を蔓で結いた結び目を誰がどうしても解く事が出来ない」 「なあるほど、それをゴージアン・ノットと云うんだね。そうか。その結目をアレキサンダーが面倒臭いって、刀を抜いて切っちまったんだね。うん、そうか」 「アレキサンダーは面倒臭いとも何とも云やあしない」 「そりゃどうでもいい」 「この結目を解いたものは東方の帝たらんと云う神託を聞いたとき、アレキサンダーがそれなら、こうするばかりだと云って……」 「そこは知ってるんだ。そこは学校の先生に教わった所だ」 「それじゃ、それでいいじゃないか」 「いいがね、人間は、それならこうするばかりだと云う了見がなくっちゃ駄目だと思うんだね」 「それもよかろう」 「それもよかろうじゃ張り合がないな。ゴージアン・ノットはいくら考えたって解けっこ無いんだもの」 「切れば解けるのかい」 「切れば――解けなくっても、まあ都合がいいやね」 「都合か。世の中に都合ほど卑怯なものはない」 「するとアレキサンダーは大変な卑怯な男になる訳だ」 「アレキサンダーなんか、そんなに豪いと思ってるのか」  会話はちょっと切れた。甲野さんは寝返りを打つ。宗近君は箕坐のまま旅行案内をひろげる。雨は斜めに降る。  古い京をいやが上に寂びよと降る糠雨が、赤い腹を空に見せて衝いと行く乙鳥の背に応えるほど繁くなったとき、下京も上京もしめやかに濡れて、三十六峰の翠りの底に、音は友禅の紅を溶いて、菜の花に注ぐ流のみである。「御前川上、わしゃ川下で……」と芹を洗う門口に、眉をかくす手拭の重きを脱げば、「大文字」が見える。「松虫」も「鈴虫」も幾代の春を苔蒸して、鶯の鳴くべき藪に、墓ばかりは残っている。鬼の出る羅生門に、鬼が来ずなってから、門もいつの代にか取り毀たれた。綱がぎとった腕の行末は誰にも分からぬ。ただ昔しながらの春雨が降る。寺町では寺に降り、三条では橋に降り、祇園では桜に降り、金閣寺では松に降る。宿の二階では甲野さんと宗近君に降っている。  甲野さんは寝ながら日記を記けだした。横綴の茶の表布の少しは汗に汚ごれた角を、折るようにあけて、二三枚めくると、一頁の三が一ほど白い所が出て来た。甲野さんはここから書き始める。鉛筆を執って景気よく、 「一奩楼角雨、閑殺古今人」 と書いてしばらく考えている。転結を添えて絶句にする気と見える。  旅行案内を放り出して宗近君はずしんと畳を威嚇して椽側へ出る。椽側には御誂向に一脚の籐の椅子が、人待ち顔に、しめっぽく据えてある。連の疎なる花の間から隣り家の座敷が見える。障子は立て切ってある。中では琴の音がする。 「忽※[#「耳+吾」、56-1]弾琴響、垂楊惹恨新」 と甲野さんは別行に十字書いたが、気に入らぬと見えて、すぐさま棒を引いた。あとは普通の文章になる。 「宇宙は謎である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。兄弟さえ謎である。妻も子も、かく観ずる自分さえも謎である。この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭にし、中夜に煩悶するために生まれるのである。親の謎を解くためには、自分が親と同体にならねばならぬ。妻の謎を解くためには妻と同心にならねばならぬ。宇宙の謎を解くためには宇宙と同心同体にならねばならぬ。これが出来ねば、親も妻も宇宙も疑である。解けぬ謎である、苦痛である。親兄弟と云う解けぬ謎のある矢先に、妻と云う新しき謎を好んで貰うのは、自分の財産の所置に窮している上に、他人の金銭を預かると一般である。妻と云う新らしき謎を貰うのみか、新らしき謎に、また新らしき謎を生ませて苦しむのは、預かった金銭に利子が積んで、他人の所得をみずからと持ち扱うようなものであろう。……すべての疑は身を捨てて始めて解決が出来る。ただどう身を捨てるかが問題である。死? 死とはあまりに無能である」  宗近君は籐の椅子に横平な腰を据えてさっきから隣りの琴を聴いている。御室の御所の春寒に、銘をたまわる琵琶の風流は知るはずがない。十三絃を南部の菖蒲形に張って、象牙に置いた蒔絵の舌を気高しと思う数奇も有たぬ。宗近君はただ漫然と聴いているばかりである。  滴々と垣を蔽う連の黄な向うは業平竹の一叢に、苔の多い御影の突く這いを添えて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔を這わしている。琴の音はこの庭から出る。  雨は一つである。冬は合羽が凍る。秋は灯心が細る。夏は褌を洗う。春は――平打の銀簪を畳の上に落したまま、貝合せの貝の裏が朱と金と藍に光る傍に、ころりんと掻き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。 「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。 「耳に聴くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に捕えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」  琴の手は次第に繁くなる。雨滴の絶間を縫うて、白い爪が幾度か駒の上を飛ぶと見えて、濃かなる調べは、太き糸の音と細き音を綯り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃の琴を聴いて始めて序破急の意義を悟る」と書き終った時、椅子に靠れて隣家ばかりを瞰下していた宗近君は 「おい、甲野さん、理窟ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか旨いぜ」 と椽側から部屋の中へ声を掛けた。 「うん、さっきから拝聴している」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。 「寝ながら拝聴する法はないよ。ちょっと椽まで出張を命ずるから出て来なさい」 「なに、ここで結構だ。構ってくれるな」と甲野さんは空気枕を傾けたまま起き上がる景色がない。 「おい、どうも東山が奇麗に見えるぜ」 「そうか」 「おや、鴨川を渉る奴がある。実に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」 「渉ってもいいよ」 「君、布団着て寝たる姿やとか何とか云うが、どこに布団を着ている訳かな。ちょっとここまで来て教えてくれんかな」 「いやだよ」 「君、そうこうしているうちに加茂の水嵩が増して来たぜ。いやあ大変だ。橋が落ちそうだ。おい橋が落ちるよ」 「落ちても差し支えなしだ」 「落ちても差し支えなしだ? 晩に都踊が見られなくっても差し支えなしかな」 「なし、なし」と甲野さんは面倒臭くなったと見えて、寝返りを打って、例の金襖の筍を横に眺め始めた。 「そう落ちついていちゃ仕方がない。こっちで降参するよりほかに名案もなくなった」と宗近さんは、とうとう我を折って部屋の中へ這入って来る。 「おい、おい」 「何だ、うるさい男だね」 「あの琴を聴いたろう」 「聴いたと云ったじゃないか」 「ありゃ、君、女だぜ」 「当り前さ」 「幾何だと思う」 「幾歳だかね」 「そう冷淡じゃ張り合がない。教えてくれなら、教えてくれと判然云うがいい」 「誰が云うものか」 「云わない? 云わなければこっちで云うばかりだ。ありゃ、島田だよ」 「座敷でも開いてるのかい」 「なに座敷はぴたりと締ってる」 「それじゃまた例の通り好加減な雅号なんだろう」 「雅号にして本名なるものだね。僕はあの女を見たんだよ」 「どうして」 「そら聴きたくなった」 「何聴かなくってもいいさ。そんな事を聞くよりこの筍を研究している方がよっぽど面白い。この筍を寝ていて横に見ると、背が低く見えるがどう云うものだろう」 「おおかた君の眼が横に着いているせいだろう」 「二枚の唐紙に三本描いたのは、どう云う因縁だろう」 「あんまり下手だから一本負けたつもりだろう」 「筍の真青なのはなぜだろう」 「食うと中毒ると云う謎なんだろう」 「やっぱり謎か。君だって謎を釈くじゃないか」 「ハハハハ。時々は釈いて見るね。時に僕がさっきから島田の謎を解いてやろうと云うのに、いっこう釈かせないのは哲学者にも似合わん不熱心な事だと思うがね」 「釈きたければ釈くさ。そうもったいぶったって、頭を下げるような哲学者じゃない」 「それじゃ、ひとまず安っぽく釈いてしまって、後から頭を下げさせる事にしよう。――あのね、あの琴の主はね」 「うん」 「僕が見たんだよ」 「そりゃ今聴いた」 「そうか。それじゃ別に話す事もない」 「なければ、いいさ」 「いや好くない。それじゃ話す。昨日ね、僕が湯から上がって、椽側で肌を抜いで涼んでいると――聴きたいだろう――僕が何気なく鴨東の景色を見廻わして、ああ好い心持ちだとふと眼を落して隣家を見下すと、あの娘が障子を半分開けて、開けた障子に靠たれかかって庭を見ていたのさ」 「別嬪かね」 「ああ別嬪だよ。藤尾さんよりわるいが糸公より好いようだ」 「そうかい」 「それっきりじゃ、余まり他愛が無さ過ぎる。そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかったぐらい義理にも云うがいい」 「そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかった」 「ハハハハだから見せてやるから椽側まで出て来いと云うのに」 「だって障子は締ってるんじゃないか」 「そのうち開くかも知れないさ」 「ハハハハ小野なら障子の開くまで待ってるかも知れない」 「そうだね。小野を連れて来て見せてやれば好かった」 「京都はああ云う人間が住むに好い所だ」 「うん全く小野的だ。大将、来いと云うのになんのかのと云って、とうとう来ない」 「春休みに勉強しようと云うんだろう」 「春休みに勉強が出来るものか」 「あんな風じゃいつだって勉強が出来やしない。一体文学者は軽いからいけない」 「少々耳が痛いね。こっちも余まり重くはない方だからね」 「いえ、単なる文学者と云うものは霞に酔ってぽうっとしているばかりで、霞を披いて本体を見つけようとしないから性根がないよ」 「霞の酔っ払か。哲学者は余計な事を考え込んで苦い顔をするから、塩水の酔っ払だろう」 「君見たように叡山へ登るのに、若狭まで突き貫ける男は白雨の酔っ払だよ」 「ハハハハそれぞれ酔っ払ってるから妙だ」  甲野さんの黒い頭はこの時ようやく枕を離れた。光沢のある髪で湿っぽく圧し付けられていた空気が、弾力で膨れ上がると、枕の位置が畳の上でちょっと廻った。同時に駱駝の膝掛が擦り落ちながら、裏を返して半分に折れる。下から、だらしなく腰に捲き付けた平絎の細帯があらわれる。 「なるほど酔っ払いに違ない」と枕元に畏まった宗近君は、即座に品評を加えた。相手は痩せた体躯を持ち上げた肱を二段に伸して、手の平に胴を支えたまま、自分で自分の腰のあたりを睨め廻していたが 「たしかに酔っ払ってるようだ。君はまた珍らしく畏まってるじゃないか」と一重瞼の長く切れた間から、宗近君をじろりと見た。 「おれは、これで正気なんだからね」 「居住だけは正気だ」 「精神も正気だからさ」 「どてらを着て跪坐てるのは、酔っ払っていながら、異状がないと得意になるようなものだ。なおおかしいよ。酔っ払いは酔払らしくするがいい」 「そうか、それじゃ御免蒙ろう」と宗近君はすぐさま胡坐をかく。 「君は感心に愚を主張しないからえらい。愚にして賢と心得ているほど片腹痛い事はないものだ」 「諫に従う事流るるがごとしとは僕の事を云ったものだよ」 「酔払っていてもそれなら大丈夫だ」 「なんて生意気を云う君はどうだ。酔払っていると知りながら、胡坐をかく事も跪坐る事も出来ない人間だろう」 「まあ立ん坊だね」と甲野さんは淋し気に笑った。勢込んで喋舌って来た宗近君は急に真面目になる。甲野さんのこの笑い顔を見ると宗近君はきっと真面目にならなければならぬ。幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑に入る。面上の筋肉が我勝ちに躍るためではない。頭上の毛髪が一筋ごとに稲妻を起すためでもない。涙管の関が切れて滂沱の観を添うるがためでもない。いたずらに劇烈なるは、壮士が事もなきに剣を舞わして床を斬るようなものである。浅いから動くのである。本郷座の芝居である。甲野さんの笑ったのは舞台で笑ったのではない。  毛筋ほどな細い管を通して、捕えがたい情けの波が、心の底から辛うじて流れ出して、ちらりと浮世の日に影を宿したのである。往来に転がっている表情とは違う。首を出して、浮世だなと気がつけばすぐ奥の院へ引き返す。引き返す前に、捕まえた人が勝ちである。捕まえ損なえば生涯甲野さんを知る事は出来ぬ。  甲野さんの笑は薄く、柔らかに、むしろ冷やかである。そのおとなしいうちに、その速かなるうちに、その消えて行くうちに、甲野さんの一生は明かに描き出されている。この瞬間の意義を、そうかと合点するものは甲野君の知己である。斬った張ったの境に甲野さんを置いて、ははあ、こんな人かと合点するようでは親子といえどもいまだしである。兄弟といえども他人である。斬った張ったの境に甲野さんを置いて、始めて甲野さんの性格を描き出すのは野暮な小説である。二十世紀に斬った張ったがむやみに出て来るものではない。  春の旅は長閑である。京の宿は静かである。二人は無事である。ふざけている。その間に宗近君は甲野さんを知り、甲野さんは宗近君を知る。これが世の中である。 「立ん坊か」と云ったまま宗近君は駱駝の膝掛の馬簾をひねくり始めたが、やがて 「いつまでも立ん坊か」 と相手の顔は見ず、質問のように、独語のように、駱駝の膝掛に話しかけるように、立ん坊を繰り返した。 「立ん坊でも覚悟だけはちゃんとしている」と甲野さんはこの時始めて、腰を浮かして、相手の方に向き直る。 「叔父さんが生きてると好いがな」 「なに、阿爺が生きているとかえって面倒かも知れない」 「そうさなあ」と宗近君はなあを引っ張った。 「つまり、家を藤尾にくれてしまえばそれで済むんだからね」 「それで君はどうするんだい」 「僕は立ん坊さ」 「いよいよ本当の立ん坊か」 「うん、どうせ家を襲いだって立ん坊、襲がなくったって立ん坊なんだからいっこう構わない」 「しかしそりゃ、いかん。第一叔母さんが困るだろう」 「母がか」  甲野さんは妙な顔をして宗近君を見た。  疑がえば己にさえ欺むかれる。まして己以外の人間の、利害の衢に、損失の塵除と被る、面の厚さは、容易には度られぬ。親しき友の、わが母を、そうと評するのは、面の内側で評するのか、または外側でのみ云う了見か。己にさえ、己を欺く魔の、どこにか潜んでいるような気持は免かれぬものを、無二の友達とは云え、父方の縁続きとは云え、迂濶には天機を洩らしがたい。宗近の言は継母に対するわが心の底を見んための鎌か。見た上でも元の宗近ならばそれまでであるが、鎌を懸けるほどの男ならば、思う通りを引き出した後で、どう引っ繰り返らぬとも保証は出来ん。宗近の言は真率なる彼の、裏表の見界なく、母の口占を一図にそれと信じたる反響か。平生のかれこれから推して見ると多分そうだろう。よもや、母から頼まれて、曇る胸の、われにさえ恐ろしき淵の底に、詮索の錘を投げ込むような卑劣な振舞はしまい。けれども、正直な者ほど人には使われやすい。卑劣と知って、人の手先にはならんでも、われに対する好意から、見損なった母の意を承けて、御互に面白からぬ結果を、必然の期程以前に、家庭のなかに打ち開ける事がないとも限らん。いずれにしても入らぬ口は発くまい。  二人はしばらく無言である。隣家ではまだ琴を弾いている。 「あの琴は生田流かな」と甲野さんは、つかぬ事を聞く。 「寒くなった、狐の袖無でも着よう」と宗近君も、つかぬ事を云う。二人は離れ離れに口を発いている。  丹前の胸を開いて、違棚の上から、例の異様な胴衣を取り下ろして、体を斜めに腕を通した時、甲野さんは聞いた。 「その袖無は手製か」 「うん、皮は支那に行った友人から貰ったんだがね、表は糸公が着けてくれた」 「本物だ。旨いもんだ。御糸さんは藤尾なんぞと違って実用的に出来ているからいい」 「いいか、ふん。彼奴が嫁に行くと少々困るね」 「いい嫁の口はないかい」 「嫁の口か」と宗近君はちょっと甲野さんを見たが、気の乗らない調子で「無い事もないが……」とだらりと言葉の尾を垂れた。甲野さんは問題を転じた。 「御糸さんが嫁に行くと御叔父さんも困るね」 「困ったって仕方がない、どうせいつか困るんだもの。――それよりか君は女房を貰わないのかい」 「僕か――だって――食わす事が出来ないもの」 「だから御母さんの云う通りに君が家を襲いで……」 「そりゃ駄目だよ。母が何と云ったって、僕は厭なんだ」 「妙だね、どうも。君が判然しないもんだから、藤尾さんも嫁に行かれないんだろう」 「行かれないんじゃない、行かないんだ」  宗近君はだまって鼻をぴくつかせている。 「また鱧を食わせるな。毎日鱧ばかり食って腹の中が小骨だらけだ。京都と云う所は実に愚な所だ。もういい加減に帰ろうじゃないか」 「帰ってもいい。鱧ぐらいなら帰らなくってもいい。しかし君の嗅覚は非常に鋭敏だね。鱧の臭がするかい」 「するじゃないか。台所でしきりに焼いていらあね」 「そのくらい虫が知らせると阿爺も外国で死ななくっても済んだかも知れない。阿爺は嗅覚が鈍かったと見える」 「ハハハハ。時に御叔父さんの遺物はもう、着いたか知ら」 「もう着いた時分だね。公使館の佐伯と云う人が持って来てくれるはずだ。――何にもないだろう――書物が少しあるかな」 「例の時計はどうしたろう」 「そうそう。倫敦で買った自慢の時計か。あれは多分来るだろう。小供の時から藤尾の玩具になった時計だ。あれを持つとなかなか離さなかったもんだ。あの鏈に着いている柘榴石が気に入ってね」 「考えると古い時計だね」 「そうだろう、阿爺が始めて洋行した時に買ったんだから」 「あれを御叔父さんの片身に僕にくれ」 「僕もそう思っていた」 「御叔父さんが今度洋行するときね、帰ったら卒業祝にこれを御前にやろうと約束して行ったんだよ」 「僕も覚えている。――ことによると今頃は藤尾が取ってまた玩具にしているかも知れないが……」 「藤尾さんとあの時計はとうてい離せないか。ハハハハなに構わない、それでも貰おう」  甲野さんは、だまって宗近君の眉の間を、長い事見ていた。御昼の膳の上には宗近君の予言通り鱧が出た。         四  甲野さんの日記の一筋に云う。 「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず」  小野さんは色を見て世を暮らす男である。  甲野さんの日記の一筋にまた云う。 「生死因縁無了期、色相世界現狂癡」  小野さんは色相世界に住する男である。  小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児だとさえ云う。筒袖を着て学校へ通う時から友達に苛められていた。行く所で犬に吠えられた。父は死んだ。外で辛い目に遇った小野さんは帰る家が無くなった。やむなく人の世話になる。  水底の藻は、暗い所に漂うて、白帆行く岸辺に日のあたる事を知らぬ。右に揺こうが、左りに靡こうが嬲るは波である。ただその時々に逆らわなければ済む。馴れては波も気にならぬ。波は何物ぞと考える暇もない。なぜ波がつらく己れにあたるかは無論問題には上らぬ。上ったところで改良は出来ぬ。ただ運命が暗い所に生えていろと云う。そこで生えている。ただ運命が朝な夕なに動けと云う。だから動いている。――小野さんは水底の藻であった。  京都では孤堂先生の世話になった。先生から絣の着物をこしらえて貰った。年に二十円の月謝も出して貰った。書物も時々教わった。祇園の桜をぐるぐる周る事を知った。知恩院の勅額を見上げて高いものだと悟った。御飯も一人前は食うようになった。水底の藻は土を離れてようやく浮かび出す。  東京は目の眩む所である。元禄の昔に百年の寿を保ったものは、明治の代に三日住んだものよりも短命である。余所では人が蹠であるいている。東京では爪先であるく。逆立をする。横に行く。気の早いものは飛んで来る。小野さんは東京できりきりと回った。  きりきりと回った後で、眼を開けて見ると世界が変っている。眼を擦すっても変っている。変だと考えるのは悪るく変った時である。小野さんは考えずに進んで行く。友達は秀才だと云う。教授は有望だと云う。下宿では小野さん小野さんと云う。小野さんは考えずに進んで行く。進んで行ったら陛下から銀時計を賜わった。浮かび出した藻は水面で白い花をもつ。根のない事には気がつかぬ。  世界は色の世界である。ただこの色を味えば世界を味わったものである。世界の色は自己の成功につれて鮮やかに眼に映る。鮮やかなる事錦を欺くに至って生きて甲斐ある命は貴とい。小野さんの手巾には時々ヘリオトロープの香がする。  世界は色の世界である、形は色の残骸である。残骸を論って中味の旨きを解せぬものは、方円の器に拘わって、盛り上る酒の泡をどう片づけてしかるべきかを知らぬ男である。いかに見極めても皿は食われぬ。唇を着けぬ酒は気が抜ける。形式の人は、底のない道義の巵を抱いて、路頭に跼蹐している。  世界は色の世界である。いたずらに空華と云い鏡花と云う。真如の実相とは、世に容れられぬ畸形の徒が、容れられぬ恨を、黒※郷裏[#「甘+舌」、72-14]に晴らすための妄想である。盲人は鼎を撫でる。色が見えねばこそ形が究めたくなる。手のない盲人は撫でる事をすらあえてせぬ。ものの本体を耳目のほかに求めんとするは、手のない盲人の所作である。小野さんの机の上には花が活けてある。窓の外には柳が緑を吹く。鼻の先には金縁の眼鏡が掛かっている。  絢爛の域を超えて平淡に入るは自然の順序である。我らは昔し赤ん坊と呼ばれて赤いべべを着せられた。大抵のものは絵画のなかに生い立って、四条派の淡彩から、雲谷流の墨画に老いて、ついに棺桶のはかなきに親しむ。顧みると母がある、姉がある、菓子がある、鯉の幟がある。顧みれば顧みるほど華麗である。小野さんは趣が違う。自然の径路を逆しまにして、暗い土から、根を振り切って、日の透る波の、明るい渚へ漂うて来た。――坑の底で生れて一段ごとに美しい浮世へ近寄るためには二十七年かかった。二十七年の歴史を過去の節穴から覗いて見ると、遠くなればなるほど暗い。ただその途中に一点の紅がほのかに揺いている。東京へ来たてにはこの紅が恋しくて、寒い記憶を繰り返すのも厭わず、たびたび過去の節穴を覗いては、長き夜を、永き日を、あるは時雨るるをゆかしく暮らした。今は――紅もだいぶ遠退いた。その上、色もよほど褪めた。小野さんは節穴を覗く事を怠たるようになった。  過去の節穴を塞ぎかけたものは現在に満足する。現在が不景気だと未来を製造する。小野さんの現在は薔薇である。薔薇の蕾である。小野さんは未来を製造する必要はない。蕾んだ薔薇を一面に開かせればそれが自からなる彼の未来である。未来の節穴を得意の管から眺めると、薔薇はもう開いている。手を出せば捕まえられそうである。早く捕まえろと誰かが耳の傍で云う。小野さんは博士論文を書こうと決心した。  論文が出来たから博士になるものか、博士になるために論文が出来るものか、博士に聞いて見なければ分らぬが、とにかく論文を書かねばならぬ。ただの論文ではならぬ、必ず博士論文でなくてはならぬ。博士は学者のうちで色のもっとも見事なるものである。未来の管を覗くたびに博士の二字が金色に燃えている。博士の傍には金時計が天から懸っている。時計の下には赤い柘榴石が心臓の焔となって揺れている。その側に黒い眼の藤尾さんが繊い腕を出して手招ぎをしている。すべてが美くしい画である。詩人の理想はこの画の中の人物となるにある。  昔しタンタラスと云う人があった。わるい事をした罰で、苛い目に逢うたと書いてある。身体は肩深く水に浸っている。頭の上には旨そうな菓物が累々と枝をたわわに結実っている。タンタラスは咽喉が渇く。水を飲もうとすると水が退いて行く。タンタラスは腹が減る。菓物を食おうとすると菓物が逃げて行く。タンタラスの口が一尺動くと向うでも一尺動く。二尺前むと向うでも二尺前む。三尺四尺は愚か、千里を行き尽しても、タンタラスは腹が減り通しで、咽喉が渇き続けである。おおかた今でも水と菓物を追っ懸けて歩いてるだろう。――未来の管を覗くたびに、小野さんは、何だかタンタラスの子分のような気がする。それのみではない。時によると藤尾さんがつんと澄ましている事がある。長い眉を押しつけたように短かくして、屹と睨めている事がある。柘榴石がぱっと燃えて、のなかに、女の姿が、包まれながら消えて行く事がある。博士の二字がだんだん薄くなって剥げながら暗くなる事がある。時計が遥かな天から隕石のように落ちて来て、割れる事がある。その時はぴしりと云う音がする。小野さんは詩人であるからいろいろな未来を描き出す。  机の前に頬杖を突いて、色硝子の一輪挿をぱっと蔽う椿の花の奥に、小野さんは、例によって自分の未来を覗いている。幾通りもある未来のなかで今日は一層出来がわるい。 「この時計をあなたに上げたいんだけれどもと女が云う。どうか下さいと小野さんが手を出す。女がその手をぴしゃりと平手でたたいて、御気の毒様もう約束済ですと云う。じゃ時計は入りません、しかしあなたは……と聞くと、私? 私は無論時計にくっ付いているんですと向をむいて、すたすた歩き出す」  小野さんは、ここまで未来をこしらえて見たが、余り残刻なのに驚いて、また最初から出直そうとして、少し痛くなり掛けたを持ち上げると、障子が、すうと開いて、御手紙ですと下女が封書を置いて行く。 「小野清三様」と子昂流にかいた名宛を見た時、小野さんは、急に両肱に力を入れて、机に持たした体を跳ねるように後へ引いた。未来を覗く椿の管が、同時に揺れて、唐紅の一片がロゼッチの詩集の上に音なしく落ちて来る。完き未来は、はや崩れかけた。  小野さんは机に添えて左りの手を伸したまま、顔を斜めに、受け取った封書を掌の上に遠くから眺めていたが、容易に裏を返さない。返さんでもおおかたの見当はついている。ついていればこそ返しにくい。返した暁に推察の通りであったなら、それこそ取り返しがつかぬ。かつて亀に聞いた事がある。首を出すと打たれる。どうせ打たれるとは思いながら、出来るならばと甲羅の中に立て籠る。打たれる運命を眼前に控えた間際でも、一刻の首は一刻だけ縮めていたい。思うに小野さんは事実の判決を一寸に逃れる学士の亀であろう。亀は早晩首を出す。小野さんも今に封筒の裏を返すに違ない。  良しばらく眺めていると今度は掌がむず痒ゆくなる。一刻の安きを貪った後は、安き思を、なお安くするために、裏返して得心したくなる。小野さんは思い切って、封筒を机の上に逆に置いた。裏から井上孤堂の四字が明かにあらわれる。白い状袋に墨を惜しまず肉太に記した草字は、小野さんの眼に、針の先を並べて植えつけたように紙を離れて飛びついて来た。  小野さんは障らぬ神に祟なしと云う風で、両手を机から離す。ただ顔だけが机の上の手紙に向いている。しかし机と膝とは一尺の谷で縁が切れている。机から引き取った手は、ぐにゃりとして何だか肩から抜けて行きそうだ。  封を切ろうか、切るまいか。だれか来て封を切れと云えば切らぬ理由を説明して、ついでに自分も安心する。しかし人を屈伏させないととうてい自分も屈伏させる事が出来ない。あやふやな柔術使は、一度往来で人を抛げて見ないうちはどうも柔術家たる所以を自分に証明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである。小野さんは京都以来の友人がちょっと遊びに来てくれればいいと思った。  二階の書生がヴァイオリンを鳴らし始めた。小野さんも近日うちにヴァイオリンの稽古を始めようとしている。今日はそんな気もいっこう起らぬ。あの書生は呑気で羨しいと思う。――椿の花片がまた一つ落ちた。  一輪挿を持ったまま障子を開けて椽側へ出る。花は庭へ棄てた。水もついでにあけた。花活は手に持っている。実は花活もついでに棄てるところであった。花活を持ったまま椽側に立っている。檜がある。塀がある。向に二階がある。乾きかけた庭に雨傘が干してある。蛇の目の黒い縁に落花が二片貼ついている。その他いろいろある。ことごとく無意義にある。みんな器械的である。  小野さんは重い足を引き擦ってまた部屋のなかへ這入って来た。坐らずに机の前に立っている。過去の節穴がすうと開いて昔の歴史が細長く遠くに見える。暗い。その暗いなかの一点がぱっと燃え出した。動いて来る。小野さんは急に腰を屈めて手を伸ばすや否や封を切った。 「拝啓柳暗花明の好時節と相成候処いよいよ御壮健奉賀候。小生も不相変頑強、小夜も息災に候えば、乍憚御休神可被下候。さて旧臘中一寸申上候東京表へ転住の義、其後色々の事情にて捗どりかね候所、此程に至り諸事好都合に埓あき、いよいよ近日中に断行の運びに至り候はずにつき左様御承知被下度候。二十年前に其地を引き払い候儘、両度の上京に、五六日の逗留の外は、全く故郷の消息に疎く、万事不案内に候えば到着の上は定めて御厄介の事と存候。 「年来住み古るしたる住宅は隣家蔦屋にて譲り受け度旨申込有之、其他にも相談の口はかかり候えども、此方に取り極め申候。荷物其他嵩張り候ものは皆当地にて売払い、なるべく手軽に引き移るつもりに御座候。唯小夜所持の琴一面は本人の希望により、東京迄持ち運び候事に相成候。故きを棄てがたき婦女の心情御憐察可被下候。 「御承知の通小夜は五年前当地に呼び寄せ候迄、東京にて学校教育を受け候事とて切に転住の速かなる事を希望致し居候。同人行末の義に関しては大略御同意の事と存じ候えば別に不申述。追て其地にて御面会の上篤と御協議申上度と存候。 「博覧会にて御地は定めて雑沓の事と存候。出立の節はなるべく急行の夜汽車を撰みたくと存じ候えども、急行は非常の乗客の由につき、一層途中にて一二泊の上ゆるゆる上京致すやも計りがたく候。時日刻限はいずれ確定次第御報可致候。まずは右当用迄匆々不一」  読み終った小野さんは、机の前に立ったままである。巻き納めぬ手紙は右の手からだらりと垂れて、清三様……孤堂とかいた端が青いカシミヤの机掛の上に波を打って二三段に畳まれている。小野さんは自分の手元から半切れを伝わって机掛の白く染め抜かれているあたりまで順々に見下して行く。見下した眼の行き留った時、やむを得ず、睛を転じてロゼッチの詩集を眺めた。詩集の表紙の上に散った二片の紅も眺めた。紅に誘われて、右の角に在るべき色硝子の一輪挿も眺めようとした。一輪挿はどこかへ行ってあらぬ。一昨日挿した椿は影も形もない。うつくしい未来を覗く管が無くなった。  小野さんは机の前へ坐った。力なく巻き納める恩人の手紙のなかから妙な臭が立ち上る。一種古ぼけた黴臭いにおいが上る。過去のにおいである。忘れんとして躊躇する毛筋の末を引いて、細い縁に、絶えるほどにつながるる今と昔を、面のあたりに結び合わす香である。  半世の歴史を長き穂の心細きまで逆しまに尋ぬれば、溯るほどに暗澹となる。芽を吹く今の幹なれば、通わぬ脈の枯れ枝の末に、錐の力の尖れるを幸と、記憶の命を突き透すは要なしと云わんよりむしろ無惨である。ジェーナスの神は二つの顔に、後ろをも前をも見る。幸なる小野さんは一つの顔しか持たぬ。背を過去に向けた上は、眼に映るは煕々たる前程のみである。後を向けばひゅうと北風が吹く。この寒い所をやっとの思いで斬り抜けた昨日今日、寒い所から、寒いものが追っ懸けて来る。今まではただ忘れればよかった。未来の発展の暖く鮮やかなるうちに、己れを捲き込んで、一歩でも過去を遠退けばそれで済んだ。生きている過去も、死んだ過去のうちに静かに鏤られて、動くかとは掛念しながらも、まず大丈夫だろうと、その日、その日に立ち退いては、顧みるパノラマの長く連なるだけで、一点も動かぬに胸を撫でていた。ところが、昔しながらとたかを括って、過去の管を今さら覗いて見ると――動くものがある。われは過去を棄てんとしつつあるに、過去はわれに近づいて来る。逼って来る。静かなる前後と枯れ尽したる左右を乗り超えて、暗夜を照らす提灯の火のごとく揺れて来る、動いてくる。小野さんは部屋の中を廻り始めた。  自然は自然を用い尽さぬ。極まらんとする前に何事か起る。単調は自然の敵である。小野さんが部屋の中を廻り始めて半分と立たぬうちに、障子から下女の首が出た。 「御客様」と笑いながら云う。なぜ笑うのか要領を得ぬ。御早うと云っては笑い、御帰んなさいと云っては笑い、御飯ですと云っては笑う。人を見て妄りに笑うものは必ず人に求むるところのある証拠である。この下女はたしかに小野さんからある報酬を求めている。  小野さんは気のない顔をして下女を見たのみである。下女は失望した。 「通しましょうか」  小野さんは「え、うん」と判然しない返事をする。下女はまた失望した。下女がむやみに笑うのは小野さんに愛嬌があるからである。愛嬌のない御客は下女から見ると半文の価値もない。小野さんはこの心理を心得ている。今日まで下女の人望を繋いだのも全くこの自覚に基づく。小野さんは下女の人望をさえ妄りに落す事を好まぬほどの人物である。  同一の空間は二物によって同時に占有せらるる事能わずと昔しの哲学者が云った。愛嬌と不安が同時に小野さんの脳髄に宿る事はこの哲学者の発明に反する。愛嬌が退いて不安が這入る。下女は悪るいところへぶつかった。愛嬌が退いて不安が這入る。愛嬌が附焼刃で不安が本体だと思うのは偽哲学者である。家主が這入るについて、愛嬌が示談の上、不安に借家を譲り渡したまでである。それにしても小野さんは悪るいところを下女に見られた。 「通してもいいんですか」 「うん、そうさね」 「御留守だって云いましょうか」 「誰だい」 「浅井さん」 「浅井か」 「御留守?」 「そうさね」 「御留守になさいますか」 「どう、しようか知ら」 「どっち、でも」 「逢おうかな」 「じゃ、通しましょう」 「おい、ちょっと、待った。おい」 「何です」 「ああ、好い。好し好し」  友達には逢いたい時と、逢いたくない時とある。それが判然すれば何の苦もない。いやなら留守を使えば済む。小野さんは先方の感情を害せぬ限りは留守を使う勇気のある男である。ただ困るのは逢いたくもあり、逢いたくもなくて、前へ行ったり後ろへ戻ったりして下女にまで馬鹿にされる時である。  往来で人と往き合う事がある。双方でちょっと体を交わせば、それぎりで御互にもとの通り、あかの他人となる。しかし時によると両方で、同じ右か、同じ左りへ避ける。これではならぬと反対の側へ出ようと、足元を取り直すとき、向うもこれではならぬと気を換えて反対へ出る。反対と反対が鉢合せをして、おいしまったと心づいて、また出直すと、同時同刻に向うでも同様に出直してくる。両人は出直そうとしては出遅れ、出遅れては出直そうとして、柱時計の振子のようにこっち、あっちと迷い続けに迷うてくる。しまいには双方で双方を思い切りの悪るい野郎だと悪口が云いたくなる。人望のある小野さんは、もう少しで下女に思い切りの悪るい野郎だと云われるところであった。  そこへ浅井君が這入ってくる。浅井君は京都以来の旧友である。茶の帽子のいささか崩れかかったのを、右の手で圧し潰すように握って、畳の上へ抛り出すや否や 「ええ天気だな」と胡坐をかく。小野さんは天気の事を忘れていた。 「いい天気だね」 「博覧会へ行ったか」 「いいや、まだ行かない」 「行って見い、面白いぜ。昨日行っての、アイスクリームを食うて来た」 「アイスクリーム? そう、昨日はだいぶ暑かったからね」 「今度は露西亜料理を食いに行くつもりだ。どうだいっしょに行かんか」 「今日かい」 「うん今日でもいい」 「今日は、少し……」 「行かんか。あまり勉強すると病気になるぞ。早く博士になって、美しい嫁さんでも貰おうと思うてけつかる。失敬な奴ちゃ」 「なにそんな事はない。勉強がちっとも出来なくって困る」 「神経衰弱だろう。顔色が悪いぞ」 「そうか、どうも心持ちがわるい」 「そうだろう。井上の御嬢さんが心配する、早く露西亜料理でも食うて、好うならんと」 「なぜ」 「なぜって、井上の御嬢さんは東京へ来るんだろう」 「そうか」 「そうかって、君の所へは無論通知が来たはずじゃ」 「君の所へは来たかい」 「うん、来た。君の所へは来んのか」 「いえ来た事は来たがね」 「いつ来たか」 「もう少し先刻だった」 「いよいよ結婚するんだろう」 「なにそんな事があるものか」 「せんのか、なぜ?」 「なぜって、そこにはだんだん深い事情があるんだがね」 「どんな事情が」 「まあ、それはおって緩っくり話すよ。僕も井上先生には大変世話になったし、僕の力で出来る事は何でも先生のためにする気なんだがね。結婚なんて、そう思う通りに急に出来るものじゃないさ」 「しかし約束があるんだろう」 「それがね、いつか君にも話そう話そうと思っていたんだが、――僕は実に先生には同情しているんだよ」 「そりゃ、そうだろう」 「まあ、先生が出て来たら緩くり話そうと思うんだね。そう向うだけで一人ぎめにきめていても困るからね」 「どんなに一人できめているんだい」 「きめているらしいんだね、手紙の様子で見ると」 「あの先生も随分昔堅気だからな」 「なかなか自分できめた事は動かない。一徹なんだ」 「近頃は家計の方も余りよくないんだろう」 「どうかね。そう困りもしまい」 「時に何時かな、君ちょっと時計を見てくれ」 「二時十六分だ」 「二時十六分?――それが例の恩賜の時計か」 「ああ」 「旨い事をしたなあ。僕も貰って置けばよかった。こう云うものを持っていると世間の受けがだいぶ違うな」 「そう云う事もあるまい」 「いやある。何しろ天皇陛下が保証して下さったんだからたしかだ」 「君これからどこかへ行くのかい」 「うん、天気がいいから遊ぶんだ。どうだいっしょに行かんか」 「僕は少し用があるから――しかしそこまでいっしょに出よう」  門口で分れた小野さんの足は甲野の邸に向った。         五  山門を入る事一歩にして、古き世の緑りが、急に左右から肩を襲う。自然石の形状乱れたるを幅一間に行儀よく並べて、錯落と平らかに敷き詰めたる径に落つる足音は、甲野さんと宗近君の足音だけである。  一条の径の細く直なるを行き尽さざる此方から、石に眼を添えて遥かなる向うを極むる行き当りに、仰げば伽藍がある。木賊葺の厚板が左右から内輪にうねって、大なる両の翼を、険しき一本の背筋にあつめたる上に、今一つ小さき家根が小さき翼を伸して乗っかっている。風抜きか明り取りかと思われる。甲野さんも、宗近君もこの精舎を、もっとも趣きある横側の角度から同時に見上げた。 「明かだ」と甲野さんは杖を停めた。 「あの堂は木造でも容易に壊す事が出来ないように見える」 「つまり恰好が旨くそう云う風に出来てるんだろう。アリストートルのいわゆる理形に適ってるのかも知れない」 「だいぶむずかしいね。――アリストートルはどうでも構わないが、この辺の寺はどれも、一種妙な感じがするのは奇体だ」 「舟板塀趣味や御神灯趣味とは違うさ。夢窓国師が建てたんだもの」 「あの堂を見上げて、ちょっと変な気になるのは、つまり夢窓国師になるんだな。ハハハハ。夢窓国師も少しは話せらあ」 「夢窓国師や大燈国師になるから、こんな所を逍遥する価値があるんだ。ただ見物したって何になるもんか」 「夢窓国師も家根になって明治まで生きていれば結構だ。安直な銅像よりよっぽどいいね」 「そうさ、一目瞭然だ」 「何が」 「何がって、この境内の景色がさ。ちっとも曲っていない。どこまでも明らかだ」 「ちょうどおれのようだな。だから、おれは寺へ這入ると好い気持ちになるんだろう」 「ハハハそうかも知れない」 「して見ると夢窓国師がおれに似ているんで、おれが夢窓国師に似ているんじゃない」 「どうでも、好いさ。――まあ、ちっと休もうか」と甲野さんは蓮池に渡した石橋の欄干に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松が三寸の厚さを透かして水に臨んでいる。石には苔の斑が薄青く吹き出して、灰を交えた紫の質に深く食い込む下に、枯蓮の黄な軸がすいすいと、去年の霜を弥生の中に突き出している。  宗近君は燐寸を出して、煙草を出して、しゅっと云わせた燃え残りを池の水に棄てる。 「夢窓国師はそんな悪戯はしなかった」と甲野さんは、の先に、両手で杖の頭を丁寧に抑えている。 「それだけ、おれより下等なんだ。ちっと宗近国師の真似をするが好い」 「君は国師より馬賊になる方がよかろう」 「外交官の馬賊は少し変だから、まあ正々堂々と北京へ駐在する事にするよ」 「東洋専門の外交官かい」 「東洋の経綸さ。ハハハハ。おれのようなのはとうてい西洋には向きそうもないね。どうだろう、それとも修業したら、君の阿爺ぐらいにはなれるだろうか」 「阿爺のように外国で死なれちゃ大変だ」 「なに、あとは君に頼むから構わない」 「いい迷惑だね」 「こっちだってただ死ぬんじゃない、天下国家のために死ぬんだから、そのくらいな事はしてもよかろう」 「こっちは自分一人を持て余しているくらいだ」 「元来、君は我儘過ぎるよ。日本と云う考が君の頭のなかにあるかい」  今までは真面目の上に冗談の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。 「君は日本の運命を考えた事があるのか」と甲野さんは、杖の先に力を入れて、持たした体を少し後ろへ開いた。 「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。日露戦争を見ろ」 「たまたま風邪が癒れば長命だと思ってる」 「日本が短命だと云うのかね」と宗近君は詰め寄せた。 「日本と露西亜の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」 「無論さ」 「亜米利加を見ろ、印度を見ろ、亜弗利加を見ろ」 「それは叔父さんが外国で死んだから、おれも外国で死ぬと云う論法だよ」 「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」 「死ぬのと殺されるのとは同じものか」 「大概は知らぬ間に殺されているんだ」  すべてを爪弾きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋を敲いて、ぞっとしたように肩を縮める。宗近君はぬっと立ち上がる。 「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山と云う坊主は一椀の托鉢だけであの本堂を再建したと云うじゃないか。しかも死んだのは五十になるか、ならんうちだ。やろうと思わなければ、横に寝た箸を竪にする事も出来ん」 「本堂より、あれを見ろ」と甲野さんは欄干に腰をかけたまま、反対の方角を指す。  世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に颯と開いた中を、――赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹と嵐山に行く。「あれだ」と甲野さんが云う。二人はまた色の世界に出た。  天竜寺の門前を左へ折れれば釈迦堂で右へ曲れば渡月橋である。京は所の名さえ美しい。二人は名物と銘打った何やらかやらをやたらに並べ立てた店を両側に見て、停車場の方へ旅衣七日余りの足を旅心地に移す。出逢うは皆京の人である。二条から半時ごとに花時を空にするなと仕立てる汽車が、今着いたばかりの好男子好女子をことごとく嵐山の花に向って吐き送る。 「美しいな」と宗近君はもう天下の大勢を忘れている。京ほどに女の綺羅を飾る所はない。天下の大勢も、京女の色には叶わぬ。 「京都のものは朝夕都踊りをしている。気楽なものだ」 「だから小野的だと云うんだ」 「しかし都踊はいいよ」 「悪るくないね。何となく景気がいい」 「いいえ。あれを見るとほとんど異性の感がない。女もあれほどに飾ると、飾りまけがして人間の分子が少なくなる」 「そうさその理想の極端は京人形だ。人形は器械だけに厭味がない」 「どうも淡粧して、活動する奴が一番人間の分子が多くって危険だ」 「ハハハハいかなる哲学者でも危険だろうな。ところが都踊となると、外交官にも危険はない。至極御同感だ。御互に無事な所へ遊びに来てまあ善かったよ」 「人間の分子も、第一義が活動すると善いが、どうも普通は第十義ぐらいがむやみに活動するから厭になっちまう」 「御互は第何義ぐらいだろう」 「御互になると、これでも人間が上等だから、第二義、第三義以下には出ないね」 「これでかい」 「云う事はたわいがなくっても、そこに面白味がある」 「ありがたいな。第一義となると、どんな活動だね」 「第一義か。第一義は血を見ないと出て来ない」 「それこそ危険だ」 「血でもってふざけた了見を洗った時に、第一義が躍然とあらわれる。人間はそれほど軽薄なものなんだよ」 「自分の血か、人の血か」  甲野さんは返事をする代りに、売店に陳べてある、抹茶茶碗を見始めた。土を捏ねて手造りにしたものか、棚三段を尽くして、あるものはことごとくとぼけている。 「そんなとぼけた奴は、いくら血で洗ったって駄目だろう」と宗近君はなおまつわって来る。 「これは……」と甲野さんが茶碗の一つを取り上げて眺めている袖を、宗近君は断わりもなく、力任せにぐいと引く。茶碗は土間の上で散々に壊れた。 「こうだ」と甲野さんが壊れた片を土の上に眺めている。 「おい、壊れたか。壊れたって、そんなものは構わん。ちょっとこっちを見ろ。早く」  甲野さんは土間の敷居を跨ぐ。「何だ」と天竜寺の方を振り返る向うは例の京人形の後姿がぞろぞろ行くばかりである。 「何だ」と甲野さんは聞き直す。 「もう行ってしまった。惜しい事をした」 「何が行ってしまったんだ」 「あの女がさ」 「あの女とは」 「隣りのさ」 「隣りの?」 「あの琴の主さ。君が大いに見たがった娘さ。せっかく見せてやろうと思ったのに、下らない茶碗なんかいじくっているもんだから」 「そりゃ惜しい事をした。どれだい」 「どれだか、もう見えるものかね」 「娘も惜しいがこの茶碗は無残な事をした。罪は君にある」 「有ってたくさんだ。そんな茶碗は洗ったくらいじゃ追つかない。壊してしまわなけりゃ直らない厄介物だ。全体茶人の持ってる道具ほど気に食わないものはない。みんな、ひねくれている。天下の茶器をあつめてことごとく敲き壊してやりたい気がする。何ならついでだからもう一つ二つ茶碗を壊して行こうじゃないか」 「ふうん、一個何銭ぐらいかな」  二人は茶碗の代を払って、停車場へ来る。  浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨より二条に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波へ抜ける。二人は丹波行の切符を買って、亀岡に降りた。保津川の急湍はこの駅より下る掟である。下るべき水は眼の前にまだ緩く流れて碧油の趣をなす。岸は開いて、里の子の摘む土筆も生える。舟子は舟を渚に寄せて客を待つ。 「妙な舟だな」と宗近君が云う。底は一枚板の平らかに、舷は尺と水を離れぬ。赤い毛布に煙草盆を転がして、二人はよきほどの間隔に座を占める。 「左へ寄っていやはったら、大丈夫どす、波はかかりまへん」と船頭が云う。船頭の数は四人である。真っ先なるは、二間の竹竿、続づく二人は右側に櫂、左に立つは同じく竿である。  ぎいぎいと櫂が鳴る。粗削りに平げたる樫の頸筋を、太い藤蔓に捲いて、余る一尺に丸味を持たせたのは、両の手にむんずと握る便りである。握る手の節の隆きは、真黒きは、松の小枝に青筋を立てて、うんと掻く力の脈を通わせたように見える。藤蔓に頸根を抑えられた櫂が、掻くごとに撓りでもする事か、強き項を真直に立てたまま、藤蔓と擦れ、舷と擦れる。櫂は一掻ごとにぎいぎいと鳴る。  岸は二三度うねりを打って、音なき水を、停まる暇なきに、前へ前へと送る。重なる水の蹙って行く、頭の上には、山城を屏風と囲う春の山が聳えている。逼りたる水はやむなく山と山の間に入る。帽に照る日の、たちまちに影を失うかと思えば舟は早くも山峡に入る。保津の瀬はこれからである。 「いよいよ来たぜ」と宗近君は船頭の体を透かして岩と岩の逼る間を半丁の向に見る。水はごうと鳴る。 「なるほど」と甲野さんが、舷から首を出した時、船ははや瀬の中に滑り込んだ。右側の二人はすわと波を切る手を緩める。櫂は流れて舷に着く。舳に立つは竿を横えたままである。傾むいて矢のごとく下る船は、どどどと刻み足に、船底に据えた尻に響く。壊われるなと気がついた時は、もう走る瀬を抜けだしていた。 「あれだ」と宗近君が指す後ろを見ると、白い泡が一町ばかり、逆か落しに噛み合って、谷を洩る微かな日影を万顆の珠と我勝に奪い合っている。 「壮んなものだ」と宗近君は大いに御意に入った。 「夢窓国師とどっちがいい」 「夢窓国師よりこっちの方がえらいようだ」  船頭は至極冷淡である。松を抱く巌の、落ちんとして、落ちざるを、苦にせぬように、櫂を動かし来り、棹を操り去る。通る瀬はさまざまに廻る。廻るごとに新たなる山は当面に躍り出す。石山、松山、雑木山と数うる遑を行客に許さざる疾き流れは、船を駆ってまた奔湍に躍り込む。  大きな丸い岩である。苔を畳む煩わしさを避けて、紫の裸身に、撃ちつけて散る水沫を、春寒く腰から浴びて、緑り崩るる真中に、舟こそ来れと待つ。舟は矢も楯も物かは。一図にこの大岩を目懸けて突きかかる。渦捲いて去る水の、岩に裂かれたる向うは見えず。削られて坂と落つる川底の深さは幾段か、乗る人のこなたよりは不可思議の波の行末である。岩に突き当って砕けるか、捲き込まれて、見えぬ彼方にどっと落ちて行くか、――舟はただまともに進む。 「当るぜ」と宗近君が腰を浮かした時、紫の大岩は、はやくも船頭の黒い頭を圧して突っ立った。船頭は「うん」と舳に気合を入れた。舟は砕けるほどの勢いに、波を呑む岩の太腹に潜り込む。横たえた竿は取り直されて、肩より高く両の手が揚がると共に舟はぐうと廻った。この獣奴と突き離す竿の先から、岩の裾を尺も余さず斜めに滑って、舟は向うへ落ち出した。 「どうしても夢窓国師より上等だ」と宗近君は落ちながら云う。  急灘を落ち尽すと向から空舟が上ってくる。竿も使わねば、櫂は無論の事である。岩角に突っ張った懸命の拳を収めて、肩から斜めに目暗縞を掠めた細引縄に、長々と谷間伝いを根限り戻り舟を牽いて来る。水行くほかに尺寸の余地だに見出しがたき岸辺を、石に飛び、岩に這うて、穿く草鞋の滅り込むまで腰を前に折る。だらりと下げた両の手は塞かれて注ぐ渦の中に指先を浸すばかりである。うんと踏ん張る幾世の金剛力に、岩は自然と擦り減って、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹をここ、かしこと、岩の上に渡したのは、牽綱をわが勢に逆わぬほどに、疾く滑らすための策と云う。 「少しは穏かになったね」と甲野さんは左右の岸に眼を放つ。踏む角も見えぬ切っ立った山の遥かの上に、鉈の音が丁々とする。黒い影は空高く動く。 「まるで猿だ」と宗近君は咽喉仏を突き出して峰を見上げた。 「慣れると何でもするもんだね」と相手も手を翳して見る。 「あれで一日働いて若干になるだろう」 「若干になるかな」 「下から聞いて見ようか」 「この流れは余り急過ぎる。少しも余裕がない。のべつに駛っている。所々にこう云う場所がないとやはり行かんね」 「おれは、もっと、駛りたい。どうも、さっきの岩の腹を突いて曲がった時なんか実に愉快だった。願くは船頭の棹を借りて、おれが、舟を廻したかった」 「君が廻せば今頃は御互に成仏している時分だ」 「なに、愉快だ。京人形を見ているより愉快じゃないか」 「自然は皆第一義で活動しているからな」 「すると自然は人間の御手本だね」 「なに人間が自然の御手本さ」 「それじゃやっぱり京人形党だね」 「京人形はいいよ。あれは自然に近い。ある意味において第一義だ。困るのは……」 「困るのは何だい」 「大抵困るじゃないか」と甲野さんは打ち遣った。 「そう困った日にゃ方が付かない。御手本が無くなる訳だ」 「瀬を下って愉快だと云うのは御手本があるからさ」 「おれにかい」 「そうさ」 「すると、おれは第一義の人物だね」 「瀬を下ってるうちは、第一義さ」 「下ってしまえば凡人か。おやおや」 「自然が人間を翻訳する前に、人間が自然を翻訳するから、御手本はやっぱり人間にあるのさ。瀬を下って壮快なのは、君の腹にある壮快が第一義に活動して、自然に乗り移るのだよ。それが第一義の翻訳で第一義の解釈だ」 「肝胆相照らすと云うのは御互に第一義が活動するからだろう」 「まずそんなものに違ない」 「君に肝胆相照らす場合があるかい」  甲野さんは黙然として、船の底を見詰めた。言うものは知らずと昔し老子が説いた事がある。 「ハハハハ僕は保津川と肝胆相照らした訳だ。愉快愉快」と宗近君は二たび三たび手を敲く。  乱れ起る岩石を左右にる流は、抱くがごとくそと割れて、半ば碧りを透明に含む光琳波が、早蕨に似たる曲線を描いて巌角をゆるりと越す。河はようやく京に近くなった。 「その鼻を廻ると嵐山どす」と長い棹を舷のうちへ挿し込んだ船頭が云う。鳴る櫂に送られて、深い淵を滑るように抜け出すと、左右の岩が自ら開いて、舟は大悲閣の下に着いた。  二人は松と桜と京人形の群がるなかに這い上がる。幕と連なる袖の下を掻い潜ぐって、松の間を渡月橋に出た時、宗近君はまた甲野さんの袖をぐいと引いた。  赤松の二抱を楯に、大堰の波に、花の影の明かなるを誇る、橋の袂の葭簀茶屋に、高島田が休んでいる。昔しの髷を今の世にしばし許せと被る瓜実顔は、花に臨んで風に堪えず、俯目に人を避けて、名物の団子を眺めている。薄く染めた綸子の被布に、正しく膝を組み合せたれば、下に重ねる衣の色は見えぬ。ただ襟元より燃え出ずる何の模様の半襟かが、すぐ甲野さんの眼に着いた。 「あれだよ」 「あれが?」 「あれが琴を弾いた女だよ。あの黒い羽織は阿爺に違ない」 「そうか」 「あれは京人形じゃない。東京のものだ」 「どうして」 「宿の下女がそう云った」  瓢箪に酔を飾る三五の癡漢が、天下の高笑に、腕を振って後ろから押して来る。甲野さんと宗近さんは、体を斜めにえらがる人を通した。色の世界は今が真っ盛りである。         六  丸顔に愁少し、颯と映る襟地の中から薄鶯の蘭の花が、幽なる香を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。糸子はこんな女である。  人に示すときは指を用いる。四つを掌に折って、余る第二指のありたけにあれぞと指す時、指す手はただ一筋の紛れなく明らかである。五本の指をあれ見よとことごとく伸ばすならば、西東は当るとも、当ると思わるる感じは鈍くなる。糸子は五指を並べたような女である。受ける感じが間違っているとは云えぬ。しかし変だ。物足らぬとは指点す指の短かきに過ぐる場合を云う。足り余るとは指点す指の長きに失する時であろう。糸子は五指を同時に並べたような女である。足るとも云えぬ。足り余るとも評されぬ。  人に指点す指の、細そりと爪先に肉を落すとき、明かなる感じは次第に爪先に集まって焼点を構成る。藤尾の指は爪先の紅を抜け出でて縫針の尖がれるに終る。見るものの眼は一度に痛い。要領を得ぬものは橋を渡らぬ。要領を得過ぎたものは欄干を渡る。欄干を渡るものは水に落ちる恐れがある。  藤尾と糸子は六畳の座敷で五指と針の先との戦争をしている。すべての会話は戦争である。女の会話はもっとも戦争である。 「しばらく御目に懸りませんね。よくいらしった事」と藤尾は主人役に云う。 「父一人で忙がしいものですから、つい御無沙汰をして……」 「博覧会へもいらっしゃらないの」 「いいえ、まだ」 「向島は」 「まだどこへも行かないの」  宅にばかりいて、よくこう満足していられると藤尾が思う。――糸子の眼尻には答えるたびに笑の影が翳す。 「そんなに御用が御在りなの」 「なに大した用じゃないんですけれども……」  糸子の答は大概半分で切れてしまう。 「少しは出ないと毒ですよ。春は一年に一度しか来ませんわ」 「そうね。わたしもそう思ってるんですけれども……」 「一年に一度だけれども、死ねば今年ぎりじゃあありませんか」 「ホホホホ死んじゃつまらないわね」  二人の会話は互に、死と云う字を貫いて、左右に飛び離れた。上野は浅草へ行く路である。同時に日本橋へ行く路である。藤尾は相手を墓の向側へ連れて行こうとした。相手は墓に向側のある事さえ知らなかった。 「今に兄が御嫁でも貰ったら、出てあるきますわ」と糸子が云う。家庭的の婦女は家庭的の答えをする。男の用を足すために生れたと覚悟をしている女ほど憐れなものはない。藤尾は内心にふんと思った。この眼は、この袖は、この詩とこの歌は、鍋、炭取の類ではない。美くしい世に動く、美しい影である。実用の二字を冠らせられた時、女は――美くしい女は――本来の面目を失って、無上の侮辱を受ける。 「一さんは、いつ奥さんを御貰いなさるおつもりなんでしょう」と話しだけは上滑をして前へ進む。糸子は返事をする前に顔を揚げて藤尾を見た。戦争はだんだん始まって来る。 「いつでも、来て下さる方があれば貰うだろうと思いますの」  今度は藤尾の方で、返事をする前に糸子を眤と見る。針は真逆の用意に、なかなか瞳の中には出て来ない。 「ホホホホどんな立派な奥さんでも、すぐ出来ますわ」 「本当にそうなら、いいんですが」と糸子は半分ほど裏へ絡まってくる。藤尾はちょっと逃げて置く必要がある。 「どなたか心当りはないんですか。一さんが貰うときまれば本気に捜がしますよ」  黐竿は届いたか、届かないか、分らぬが、鳥は確かに逃げたようだ。しかしもう一歩進んで見る必要がある。 「ええ、どうぞ捜がしてちょうだい、私の姉さんのつもりで」  糸子は際どいところを少し出過ぎた。二十世紀の会話は巧妙なる一種の芸術である。出ねば要領を得ぬ。出過ぎるとはたかれる。 「あなたの方が姉さんよ」と藤尾は向うで入れる捜索の綱を、ぷつりと切って、逆さまに投げ帰した。糸子はまだ悟らぬ。 「なぜ?」と首を傾ける。  放つ矢のあたらぬはこちらの不手際である。あたったのに手答もなく装わるるは不器量である。女は不手際よりは不器量を無念に思う。藤尾はちょっと下唇を噛んだ。ここまで推して来て停まるは、ただ勝つ事を知る藤尾には出来ない。 「あなたは私の姉さんになりたくはなくって」と、素知らぬ顔で云う。 「あらっ」と糸子の頬に吾を忘れた色が出る。敵はそれ見ろと心の中で冷笑って引き上げる。  甲野さんと宗近君と相談の上取りきめた格言に云う。――第一義において活動せざるものは肝胆相照らすを得ずと。両人の妹は肝胆の外廓で戦争をしている。肝胆の中に引き入れる戦争か、肝胆の外に追っ払う戦争か。哲学者は二十世紀の会話を評して肝胆相曇らす戦争と云った。  ところへ小野さんが来る。小野さんは過去に追い懸けられて、下宿の部屋のなかをぐるぐると廻った。何度廻っても逃げ延びられそうもない時、過去の友達に逢って、過去と現在との調停を試みた。調停は出来たような、出来ないような訳で、自己は依然として不安の状態にある。度胸を据えて、追っ懸けてくるものを取っ押える勇気は無論ない。小野さんはやむを得ず、未来を望んで馳け込んで来た。袞竜の袖に隠れると云う諺がある。小野さんは未来の袖に隠れようとする。  小野さんは蹌々踉々として来た。ただ蹌々踉々の意味を説明しがたいのが残念である。 「どうか、なすったの」と藤尾が聞いた。小野さんは心配の上に被せる従容の紋付を、まだ誂えていない。二十世紀の人は皆この紋付を二三着ずつ用意すべしと先の哲学者が述べた事がある。 「大変御顔の色が悪い事ね」と糸子が云った。便る未来が戈を逆まにして、過去をほじり出そうとするのは情けない。 「二三日寝られないんです」 「そう」と藤尾が云う。 「どう、なすって」と糸子が聞く。 「近頃論文を書いていらっしゃるの。――ねえそれででしょう」と藤尾が答弁と質問を兼ねた言葉使いをする。 「ええ」と小野さんは渡りに舟の返事をした。小野さんは、どんな舟でも御乗んなさいと云われれば、乗らずにはいられない。大抵の嘘は渡頭の舟である。あるから乗る。 「そう」と糸子は軽く答える。いかなる論文を書こうと家庭的の女子は関係しない。家庭的の女子はただ顔色の悪いところだけが気にかかる。 「卒業なすっても御忙いのね」 「卒業して銀時計を御頂きになったから、これから論文で金時計を御取りになるんですよ」 「結構ね」 「ねえ、そうでしょう。ねえ、小野さん」  小野さんは微笑した。 「それじゃ、兄やこちらの欽吾さんといっしょに京都へ遊びにいらっしゃらないはずね。――兄なんぞはそりゃ呑気よ。少し寝られなくなればいいと思うわ」 「ホホホホそれでも家の兄より好いでしょう」 「欽吾さんの方がいくら好いか分かりゃしない」と糸子さんは、半分無意識に言って退けたが、急に気がついて、羽二重の手巾を膝の上でくちゃくちゃに丸めた。 「ホホホホ」  唇の動く間から前歯の角を彩どる金の筋がすっと外界に映る。敵は首尾よくわが術中に陥った。藤尾は第二の凱歌を揚げる。 「まだ京都から御音信はないですか」と今度は小野さんが聞き出した。 「いいえ」 「だって端書ぐらい来そうなものですね」 「でも鉄砲玉だって云うじゃありませんか」 「だれがです」 「ほら、この間、母がそう云ったでしょう。二人共鉄砲玉だって――糸子さん、ことに宗近は大の鉄砲玉ですとさ」 「だれが? 御叔母さんが? 鉄砲玉でたくさんよ。だから早く御嫁を持たしてしまわないとどこへ飛んで行くか、心配でいけないんです」 「早く貰って御上げなさいよ。ねえ、小野さん。二人で好いのを見つけて上げようじゃありませんか」  藤尾は意味有り気に小野さんを見た。小野さんの眼と、藤尾の眼が行き当ってぶるぶると顫える。 「ええ好いのを一人周旋しましょう」と小野さんは、手巾を出して、薄い口髭をちょっと撫でる。幽かな香がぷんとする。強いのは下品だと云う。 「京都にはだいぶ御知合があるでしょう。京都の方を一さんに御世話なさいよ。京都には美人が多いそうじゃありませんか」  小野さんの手巾はちょっと勢を失った。 「なに実際美しくはないんです。――帰ったら甲野君に聞いて見ると分ります」 「兄がそんな話をするものですか」 「それじゃ宗近君に」 「兄は大変美人が多いと申しておりますよ」 「宗近君は前にも京都へいらしった事があるんですか」 「いいえ、今度が始めてですけれども、手紙をくれまして」 「おや、それじゃ鉄砲玉じゃないのね。手紙が来たの」 「なに端書よ。都踊の端書をよこして、そのはじに京都の女はみんな奇麗だと書いてあるのよ」 「そう。そんなに奇麗なの」 「何だか白い顔がたくさん並んでてちっとも分らないわ。ただ見たら好いかも知れないけれども」 「ただ見ても白い顔が並んどるばかりです。奇麗は奇麗ですけれども、表情がなくって、あまり面白くはないです」 「それから、まだ書いてあるんですよ」 「無精に似合わない事ね。何と」 「隣家の琴は御前より旨いって」 「ホホホ一さんに琴の批評は出来そうもありませんね」 「私にあてつけたんでしょう。琴がまずいから」 「ハハハハ宗近君もだいぶ人の悪い事をしますね」 「しかも、御前より別嬪だと書いてあるんです。にくらしいわね」 「一さんは何でも露骨なんですよ。私なんぞも一さんに逢っちゃ叶わない」 「でも、あなたの事は褒めてありますよ」 「おや、何と」 「御前より別嬪だ、しかし藤尾さんより悪いって」 「まあ、いやだ事」  藤尾は得意と軽侮の念を交えたる眼を輝かして、すらりと首を後ろに引く。鬣に比すべきものの波を起すばかりに見えたるなかに、玉虫貝の菫のみが星のごとく可憐の光を放つ。  小野さんの眼と藤尾の眼はこの時再び合った。糸子には意味が通ぜぬ。 「小野さん三条に蔦屋と云う宿屋がござんすか」  底知れぬ黒き眼のなかに我を忘れて、縋る未来に全く吸い込まれたる人は、刹那の戸板返しにずどんと過去へ落ちた。  追い懸けて来る過去を逃がるるは雲紫に立ち騰る袖香炉の煙る影に、縹緲の楽しみをこれぞと見極むるひまもなく、貪ぼると云う名さえつけがたき、眼と眼のひたと行き逢いたる一拶に、結ばぬ夢は醒めて、逆しまに、われは過去に向って投げ返される。草間蛇あり、容易に青を踏む事を許さずとある。 「蔦屋がどうかしたの」と藤尾は糸子に向う。 「なにその蔦屋にね、欽吾さんと兄さんが宿ってるんですって。だから、どんな所かと思って、小野さんに伺って見たんです」 「小野さん知っていらしって」 「三条ですか。三条の蔦屋と。そうですね、有ったようにも覚えていますが……」 「それじゃ、そんな有名な旅屋じゃないんですね」と糸子は無邪気に小野さんの顔を見る。 「ええ」と小野さんは切なそうに答えた。今度は藤尾の番となる。 「有名でなくったって、好いじゃありませんか。裏座敷で琴が聴えて――もっとも兄と一さんじゃ駄目ね。小野さんなら、きっと御気に入るでしょう。春雨がしとしと降ってる静かな日に、宿の隣家で美人が琴を弾いてるのを、気楽に寝転んで聴いているのは、詩的でいいじゃありませんか」  小野さんはいつになく黙っている。眼さえ、藤尾の方へは向けないで、床の山吹を無意味に眺めている。 「好いわね」と糸子が代理に答える。  詩を知らぬ人が、趣味の問題に立ち入る権利はない。家庭的の女子からいいわねぐらいの賛成を求めて満足するくらいなら始めから、春雨も、奥座敷も、琴の音も、口に出さぬところであった。藤尾は不平である。 「想像すると面白い画が出来ますよ。どんな所としたらいいでしょう」  家庭的の女子には、なぜこんな質問が出てくるのか、とんとその意を解しかねる。要らぬ事と黙って控えているより仕方がない。小野さんは是非共口を開かねばならぬ。 「あなたは、どんな所がいいと思います」 「私? 私はね、そうね――裏二階がいいわ――廻り椽で、加茂川がすこし見えて――三条から加茂川が見えても好いんでしょう」 「ええ、所によれば見えます」 「加茂川の岸には柳がありますか」 「ええ、あります」 「その柳が、遠くに煙るように見えるんです。その上に東山が――東山でしたね奇麗な丸い山は――あの山が、青い御供のように、こんもりと霞んでるんです。そうして霞のなかに、薄く五重の塔が――あの塔の名は何と云いますか」 「どの塔です」 「どの塔って、東山の右の角に見えるじゃありませんか」 「ちょっと覚えませんね」と小野さんは首を傾げる。 「有るんです、きっとあります」と藤尾が云う。 「だって琴は隣りよ、あなた」と糸子が口を出す。  女詩人の空想はこの一句で破れた。家庭的の女は美くしい世をぶち壊しに生れて来たも同様である。藤尾は少しく眉を寄せる。 「大変御急ぎだ事」 「なに、面白く伺ってるのよ。それからその五重の塔がどうかするの」  五重の塔がどうもする訳はない。刺身を眺めただけで台所へ下げる人もある。五重の塔をどうかしたがる連中は、刺身を食わなければ我慢の出来ぬように教育された実用主義の人間である。 「それじゃ五重の塔はやめましょう」 「面白いんですよ。五重の塔が面白いのよ。ねえ小野さん」  御機嫌に逆った時は、必ず人をもって詫を入れるのが世間である。女王の逆鱗は鍋、釜、味噌漉の御供物では直せない。役にも立たぬ五重の塔を霞のうちに腫物のように安置しなければならぬ。 「五重の塔はそれっきりよ。五重の塔がどうするものですかね」  藤尾の眉はぴくりと動いた。糸子は泣きたくなる。 「御気に障ったの――私が悪るかったわ。本当に五重の塔は面白いのよ。御世辞じゃない事よ」  針鼠は撫でれば撫でるほど針を立てる。小野さんは、破裂せぬ前にどうかしなければならぬ。  五重の塔を持ち出せばなお怒られる。琴の音は自分に取って禁物である。小野さんはどうして調停したら好かろうかと考えた。話が京都を離れれば自分には好都合だが、むやみに縁のない離し方をすると、糸子さん同様に軽蔑を招く。向うの話題に着いて廻って、しかも自分に苦痛のないように発展させなければならぬ。銀時計の手際ではちとむずかし過ぎるようだ。 「小野さん、あなたには分るでしょう」と藤尾の方から切って出る。糸子は分らず屋として取り除けられた。女二人を調停するのは眼の前に快からぬ言葉の果し合を見るのが厭だからである。文錦やさしき眉に切り結ぶ火花の相手が、相手にならぬと見下げられれば、手を出す必要はない。取除者を仲間に入れてやる親切は、取除者の方で、うるさく絡ってくる時に限る。おとなしくさえしていれば、取り除けられようが、見下げられようが、当分自分の利害には関係せぬ。小野さんは糸子を眼中に置く必要がなくなった。切って出た藤尾にさえ調子を合せていれば間違はない。 「分りますとも。――詩の命は事実より確かです。しかしそう云う事が分らない人が世間にはだいぶありますね」と云った。小野さんは糸子を軽蔑する料簡ではない、ただ藤尾の御機嫌に重きを置いたまでである。しかもその答は真理である。ただ弱いものにつらく当る真理である。小野さんは詩のために愛のためにそのくらいの犠牲をあえてする。道義は弱いものの頭に耀かず、糸子は心細い気がした。藤尾の方はようやく胸が隙く。 「それじゃ、その続をあなたに話して見ましょうか」  人を呪わば穴二つと云う。小野さんは是非共ええと答えなければならぬ。 「ええ」 「二階の下に飛石が三つばかり筋違に見えて、その先に井桁があって、小米桜が擦れ擦れに咲いていて、釣瓶が触るとほろほろ、井戸の中へこぼれそうなんです。……」  糸子は黙って聴いている。小野さんも黙って聴いている。花曇りの空がだんだん擦り落ちて来る。重い雲がかさなり合って、弥生をどんよりと抑えつける。昼はしだいに暗くなる。戸袋を五尺離れて、袖垣のはずれに幣辛夷の花が怪しい色を併べて立っている。木立に透かしてよく見ると、折々は二筋、三筋雨の糸が途切れ途切れに映る。斜めにすうと見えたかと思うと、はや消える。空の中から降るとは受け取れぬ、地の上に落つるとはなおさら思えぬ。糸の命はわずかに尺余りである。  居は気を移す。藤尾の想像は空と共に濃かになる。 「小米桜を二階の欄干から御覧になった事があって」と云う。 「まだ、ありません」 「雨の降る日に。――おや少し降って来たようですね」と庭の方を見る。空はなおさら暗くなる。 「それからね。――小米桜の後ろは建仁寺の垣根で、垣根の向うで琴の音がするんです」  琴はいよいよ出て来た。糸子はなるほどと思う。小野さんはこれはと思う。 「二階の欄干から、見下すと隣家の庭がすっかり見えるんです。――ついでにその庭の作りも話しましょうか。ホホホホ」と藤尾は高く笑った。冷たい糸が辛夷の花をきらりと掠める。 「ホホホホ御厭なの――何だか暗くなって来た事。花曇りが化け出しそうね」  そこまで近寄って来た暗い雲は、そろそろ細い糸に変化する。すいと木立を横ぎった、あとから直すいと追懸けて来る。見ているうちにすいすいと幾本もいっしょに通って行く。雨はようやく繁くなる。 「おや本降になりそうだ事」 「私失礼するわ、降って来たから。御話し中で失礼だけれども。大変面白かったわ」  糸子は立ち上がる。話しは春雨と共に崩れた。         七  燐寸を擦る事一寸にして火は闇に入る。幾段の彩錦を捲り終れば無地の境をなす。春興は二人の青年に尽きた。狐の袖無を着て天下を行くものは、日記を懐にして百年の憂を抱くものと共に帰程に上る。  古き寺、古き社、神の森、仏の丘を掩うて、いそぐ事を解せぬ京の日はようやく暮れた。倦怠るい夕べである。消えて行くすべてのものの上に、星ばかり取り残されて、それすらも判然とは映らぬ。瞬くも嬾き空の中にどろんと溶けて行こうとする。過去はこの眠れる奥から動き出す。  一人の一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。またある時は血の世界に腥き雨を浴びる。一人の世界を方寸に纏めたる団子と、他の清濁を混じたる団子と、層々相連って千人に千個の実世界を活現する。個々の世界は個々の中心を因果の交叉点に据えて分相応の円周を右に劃し左に劃す。怒の中心より画き去る円は飛ぶがごとくに速かに、恋の中心より振り来る円周はの痕を空裏に焼く。あるものは道義の糸を引いて動き、あるものは奸譎の圜をほのめかして回る。縦横に、前後に、上下四方に、乱れ飛ぶ世界と世界が喰い違うとき秦越の客ここに舟を同じゅうす。甲野さんと宗近君は、三春行楽の興尽きて東に帰る。孤堂先生と小夜子は、眠れる過去を振り起して東に行く。二個の別世界は八時発の夜汽車で端なくも喰い違った。  わが世界とわが世界と喰い違うとき腹を切る事がある。自滅する事がある。わが世界と他の世界と喰い違うとき二つながら崩れる事がある。破けて飛ぶ事がある。あるいは発矢と熱を曳いて無極のうちに物別れとなる事がある。凄まじき喰い違い方が生涯に一度起るならば、われは幕引く舞台に立つ事なくして自からなる悲劇の主人公である。天より賜わる性格はこの時始めて第一義において躍動する。八時発の夜汽車で喰い違った世界はさほどに猛烈なものではない。しかしただ逢うてただ別れる袖だけの縁ならば、星深き春の夜を、名さえ寂びたる七条に、さして喰い違うほどの必要もあるまい。小説は自然を彫琢する。自然その物は小説にはならぬ。  二個の世界は絶えざるがごとく、続かざるがごとく、夢のごとく幻のごとく、二百里の長き車のうちに喰い違った。二百里の長き車は、牛を乗せようか、馬を乗せようか、いかなる人の運命をいかに東の方に搬び去ろうか、さらに無頓着である。世を畏れぬ鉄輪をごとりと転す。あとは驀地に闇を衝く。離れて合うを待ち佗び顔なるを、行いて帰るを快からぬを、旅に馴れて徂徠を意とせざるを、一様に束ねて、ことごとく土偶のごとくに遇待うとする。夜こそ見えね、熾んに黒煙を吐きつつある。  眠る夜を、生けるものは、提灯の火に、皆七条に向って動いて来る。梶棒が下りるとき黒い影が急に明かるくなって、待合に入る。黒い影は暗いなかから続々と現われて出る。場内は生きた黒い影で埋まってしまう。残る京都は定めて静かだろうと思われる。  京の活動を七条の一点にあつめて、あつめたる活動の千と二千の世界を、十把一束に夜明までに、あかるい東京へ推し出そうために、汽車はしきりに煙を吐きつつある。黒い影はなだれ始めた。――一団の塊まりはばらばらに解れて点となる。点は右へと左へと動く。しばらくすると、無敵な音を立てて車輛の戸をはたはたと締めて行く。忽然としてプラットフォームは、在る人を掃いて捨てたようにがらんと広くなる。大きな時計ばかりが窓の中から眼につく。すると口笛が遥かの後ろで鳴った。車はごとりと動く。互の世界がいかなる関係に織り成さるるかを知らぬ気に、闇の中を鼻で行く、甲野さんは、宗近君は、孤堂先生は、可憐なる小夜子は、同じくこの車に乗っている。知らぬ車はごとりごとりと廻転する。知らぬ四人は、四様の世界を喰い違わせながら暗い夜の中に入る。 「だいぶ込み合うな」と甲野さんは室内を見廻わしながら云う。 「うん、京都の人間はこの汽車でみんな博覧会見物に行くんだろう。よっぽど乗ったね」 「そうさ、待合所が黒山のようだった」 「京都は淋しいだろう。今頃は」 「ハハハハ本当に。実に閑静な所だ」 「あんな所にいるものでも動くから不思議だ。あれでもやっぱりいろいろな用事があるんだろうな」 「いくら閑静でも生れるものと死ぬものはあるだろう」と甲野さんは左の膝を右の上へ乗せた。 「ハハハハ生れて死ぬのが用事か。蔦屋の隣家に住んでる親子なんか、まあそんな連中だね。随分ひっそり暮してるぜ。かたりともしない。あれで東京へ行くと云うから不思議だ」 「博覧会でも見に行くんだろう」 「いえ、家を畳んで引っ越すんだそうだ」 「へええ。いつ」 「いつか知らない。そこまでは下女に聞いて見なかった」 「あの娘もいずれ嫁に行く事だろうな」と甲野さんは独り言のように云う。 「ハハハハ行くだろう」と宗近君は頭陀袋を棚へ上げた腰を卸しながら笑う。相手は半分顔を背けて硝子越に窓の外を透して見る。外はただ暗いばかりである。汽車は遠慮もなく暗いなかを突切って行く。轟と云う音のみする。人間は無能力である。 「随分早いね。何哩くらいの速力か知らん」と宗近君が席の上へ胡坐をかきながら云う。 「どのくらい早いか外が真暗でちっとも分らん」 「外が暗くったって、早いじゃないか」 「比較するものが見えないから分らないよ」 「見えなくったって、早いさ」 「君には分るのか」 「うん、ちゃんと分る」と宗近君は威張って胡坐をかき直す。話しはまた途切れる。汽車は速度を増して行く。向の棚に載せた誰やらの帽子が、傾いたまま、山高の頂を顫わせている。給仕が時々室内を抜ける。大抵の乗客は向い合せに顔と顔を見守っている。 「どうしても早いよ。おい」と宗近君はまた話しかける。甲野さんは半分眼を眠っていた。 「ええ?」 「どうしてもね、――早いよ」 「そうか」 「うん。そうら――早いだろう」  汽車は轟と走る。甲野さんはにやりと笑ったのみである。 「急行列車は心持ちがいい。これでなくっちゃ乗ったような気がしない」 「また夢窓国師より上等じゃないか」 「ハハハハ第一義に活動しているね」 「京都の電車とは大違だろう」 「京都の電車か? あいつは降参だ。全然第十義以下だ。あれで運転しているから不思議だ」 「乗る人があるからさ」 「乗る人があるからって――余りだ。あれで布設したのは世界一だそうだぜ」 「そうでもないだろう。世界一にしちゃあ幼稚過ぎる」 「ところが布設したのが世界一なら、進歩しない事も世界一だそうだ」 「ハハハハ京都には調和している」 「そうだ。あれは電車の名所古蹟だね。電車の金閣寺だ。元来十年一日のごとしと云うのは賞める時の言葉なんだがな」 「千里の江陵一日に還るなんと云う句もあるじゃないか」 「一百里程塁壁の間さ」 「そりゃ西郷隆盛だ」 「そうか、どうもおかしいと思ったよ」  甲野さんは返事を見合せて口を緘じた。会話はまた途切れる。汽車は例によって轟と走る。二人の世界はしばらく闇の中に揺られながら消えて行く。同時に、残る二人の世界が、細長い夜を糸のごとく照らして動く電灯の下にあらわれて来る。  色白く、傾く月の影に生れて小夜と云う。母なきを、つづまやかに暮らす親一人子一人の京の住居に、盂蘭盆の灯籠を掛けてより五遍になる。今年の秋は久し振で、亡き母の精霊を、東京の苧殻で迎える事と、長袖の右左に開くなかから、白い手を尋常に重ねている。物の憐れは小さき人の肩にあつまる。乗し掛る怒は、撫で下す絹しなやかに情の裾に滑り込む。  紫に驕るものは招く、黄に深く情濃きものは追う。東西の春は二百里の鉄路に連なるを、願の糸の一筋に、恋こそ誠なれと、髪に掛けたる丈長を顫わせながら、長き夜を縫うて走る。古き五年は夢である。ただ滴たる絵筆の勢に、うやむやを貫いて赫と染めつけられた昔の夢は、深く記憶の底に透って、当時を裏返す折々にさえ鮮かに煮染んで見える。小夜子の夢は命よりも明かである。小夜子はこの明かなる夢を、春寒の懐に暖めつつ、黒く動く一条の車に載せて東に行く。車は夢を載せたままひたすらに、ただ東へと走る。夢を携えたる人は、落すまじと、ひしと燃ゆるものを抱きしめて行く。車は無二無三に走る。野には緑りを衝き、山には雲を衝き、星あるほどの夜には星を衝いて走る。夢を抱く人は、抱きながら、走りながら、明かなる夢を暗闇の遠きより切り放して、現実の前に抛げ出さんとしつつある。車の走るごとに夢と現実の間は近づいてくる。小夜子の旅は明かなる夢と明かなる現実がはたと行き逢うて区別なき境に至ってやむ。夜はまだ深い。  隣りに腰を掛けた孤堂先生はさほどに大事な夢を持っておらぬ。日ごとにの下に白くなる疎髯を握っては昔しを思い出そうとする。昔しは二十年の奥に引き籠って容易には出て来ない。漠々たる紅塵のなかに何やら動いている。人か犬か木か草かそれすらも判然せぬ。人の過去は人と犬と木と草との区別がつかぬようになって始めて真の過去となる。恋々たるわれを、つれなく見捨て去る当時に未練があればあるほど、人も犬も草も木もめちゃくちゃである。孤堂先生は胡麻塩交りの髯をぐいと引いた」 「御前が京都へ来たのは幾歳の時だったかな」 「学校を廃めてから、すぐですから、ちょうど十六の春でしょう」 「すると、今年で何だね、……」 「五年目です」 「そう五年になるね。早いものだ、ついこの間のように思っていたが」とまた髯を引っ張った。 「来た時に嵐山へ連れていっていただいたでしょう。御母さんといっしょに」 「そうそう、あの時は花がまだ早過ぎたね。あの時分から思うと嵐山もだいぶ変ったよ。名物の団子もまだできなかったようだ」 「いえ御団子はありましたわ。そら三軒茶屋の傍で喫べたじゃありませんか」 「そうかね。よく覚えていないよ」 「ほら、小野さんが青いのばかり食べるって、御笑いなすったじゃありませんか」 「なるほどあの時分は小野がいたね。御母さんも丈夫だったがな。ああ早く亡くなろうとは思わなかったよ。人間ほど分らんものはない。小野もそれからだいぶ変ったろう。何しろ五年も逢わないんだから……」 「でも御丈夫だから結構ですわ」 「そうさ。京都へ来てから大変丈夫になった。来たては随分蒼い顔をしてね、そうして何だか始終おどおどしていたようだが、馴れるとだんだん平気になって……」 「性質が柔和いんですよ」 「柔和いんだよ。柔和過ぎるよ。――でも卒業の成績が優等で銀時計をちょうだいして、まあ結構だ。――人の世話はするもんだね。ああ云う性質の好い男でも、あのまま放って置けばそれぎり、どこへどう這入ってしまうか分らない」 「本当にね」  明かなる夢は輪を描いて胸のうちに回り出す。死したる夢ではない。五年の底から浮き刻りの深き記憶を離れて、咫尺に飛び上がって来る。女はただ眸を凝らして眼前に逼る夢の、明らかに過ぐるほどの光景を右から、左から、前後上下から見る。夢を見るに心を奪われたる人は、老いたる親の髯を忘れる。小夜子は口をきかなくなった。 「小野は新橋まで迎にくるだろうね」 「いらっしゃるでしょうとも」  夢は再び躍る。躍るなと抑えたるまま、夜を込めて揺られながらに、暗きうちを駛ける。老人は髯から手を放す。やがて眼を眠る。人も犬も草も木も判然と映らぬ古き世界には、いつとなく黒い幕が下りる。小さき胸に躍りつつ、転りつつ、抑えられつつ走る世界は、闇を照らして火のごとく明かである。小夜子はこの明かなる世界を抱いて眠についた。  長い車は包む夜を押し分けて、やらじと逆う風を打つ。追い懸くる冥府の神を、力ある尾に敲いて、ようやくに抜け出でたる暁の国の青く煙る向うが一面に競り上がって来る。茫々たる原野の自から尽きず、しだいに天に逼って上へ上へと限りなきを怪しみながら、消え残る夢を排して、眼を半天に走らす時、日輪の世は明けた。  神の代を空に鳴く金鶏の、翼五百里なるを一時に搏して、漲ぎる雲を下界に披く大虚の真中に、朗に浮き出す万古の雪は、末広になだれて、八州の野を圧する勢を、左右に展開しつつ、蒼茫の裡に、腰から下を埋めている。白きは空を見よがしに貫ぬく。白きものの一段を尽くせば、紫の襞と藍の襞とを斜めに畳んで、白き地を不規則なる幾条に裂いて行く。見上ぐる人は這う雲の影を沿うて、蒼暗き裾野から、藍、紫の深きを稲妻に縫いつつ、最上の純白に至って、豁然として眼が醒める。白きものは明るき世界にすべての乗客を誘う。 「おい富士が見える」と宗近君が座を滑り下りながら、窓をはたりと卸す。広い裾野から朝風がすうと吹き込んでくる。 「うん。さっきから見えている」と甲野さんは駱駝の毛布を頭から被ったまま、存外冷淡である。 「そうか、寝なかったのか」 「少しは寝た」 「何だ、そんなものを頭から被って……」 「寒い」と甲野さんは膝掛の中で答えた。 「僕は腹が減った。まだ飯は食わさないだろうか」 「飯を食う前に顔を洗わなくっちゃ……」 「ごもっともだ。ごもっともな事ばかり云う男だ。ちっと富士でも見るがいい」 「叡山よりいいよ」 「叡山? 何だ叡山なんか、たかが京都の山だ」 「大変軽蔑するね」 「ふふん。――どうだい、あの雄大な事は。人間もああ来なくっちゃあ駄目だ」 「君にはああ落ちついちゃいられないよ」 「保津川が関の山か。保津川でも君より上等だ。君なんぞは京都の電車ぐらいなところだ」 「京都の電車はあれでも動くからいい」 「君は全く動かないか。ハハハハ。さあ駱駝を払い退けて動いた」と宗近君は頭陀袋を棚から取り卸す。室のなかはざわついてくる。明かるい世界へ馳け抜けた汽車は沼津で息を入れる。――顔を洗う。  窓から肉の落ちた顔が半分出る。疎髯を一本ごとにあるいは黒くあるいは白く朝風に吹かして 「おい弁当を二つくれ」と云う。孤堂先生は右の手に若干の銀貨を握って、へぎ折を取る左と引き換に出す。御茶は部屋のなかで娘が注いでいる。 「どうだね」と折の蓋を取ると白い飯粒が裏へ着いてくる。なかには長芋の白茶に寝転んでいる傍らに、一片の玉子焼が黄色く圧し潰されようとして、苦し紛れに首だけ飯の境に突き込んでいる。 「まだ、食べたくないの」と小夜子は箸を執らずに折ごと下へ置く。 「やあ」と先生は茶碗を娘から受取って、膝の上の折に突き立てた箸を眺めながら、ぐっと飲む。 「もう直ですね」 「ああ、もう訳はない」と長芋が髯の方へ動き出した。 「今日はいい御天気ですよ」 「ああ天気で仕合せだ。富士が奇麗に見えたね」と長芋が髯から折のなかへ這入る。 「小野さんは宿を捜がして置いて下すったでしょうか」 「うん。捜が――捜がしたに違ない」と先生の口が、喫飯と返事を兼勤する。食事はしばらく継続する。 「さあ食堂へ行こう」と宗近君が隣りの車室で米沢絣の襟を掻き合せる。背広の甲野さんは、ひょろ長く立ち上がった。通り道に転がっている手提革鞄を跨いだ時、甲野さんは振り返って 「おい、蹴爪ずくと危ない」と注意した。  硝子戸を押し開けて、隣りの車室へ足を踏み込んだ甲野さんは、真直に抜ける気で、中途まで来た時、宗近君が後ろから、ぐいと背広の尻を引っ張った。 「御飯が少し冷えてますね」 「冷えてるのはいいが、硬過ぎてね。――阿爺のように年を取ると、どうも硬いのは胸に痞えていけないよ」 「御茶でも上がったら……注ぎましょうか」  青年は無言のまま食堂へ抜けた。  日ごと夜ごとを入り乱れて、尽十方に飛び交わす小世界の、普ねく天涯を行き尽して、しかも尽くる期なしと思わるるなかに、絹糸の細きを厭わず植えつけし蚕の卵の並べるごとくに、四人の小宇宙は、心なき汽車のうちに行く夜半を背中合せの知らぬ顔に並べられた。星の世は掃き落されて、大空の皮を奇麗に剥ぎ取った白日の、隠すなかれと立ち上る窓の中に、四人の小宇宙は偶を作って、ここぞと互に擦れ違った。擦れ違って通り越した二個の小宇宙は今白い卓布を挟んでハムエクスを平げつつある。 「おいいたぜ」と宗近君が云う。 「うんいた」と甲野さんは献立表を眺めながら答える。 「いよいよ東京へ行くと見える。昨夕京都の停車場では逢わなかったようだね」 「いいや、ちっとも気がつかなかった」 「隣りに乗ってるとは僕も知らなかった。――どうも善く逢うね」 「少し逢い過ぎるよ。――このハムはまるで膏ばかりだ。君のも同様かい」 「まあ似たもんだ。君と僕の違ぐらいなところかな」と宗近君は肉刺を逆にして大きな切身を口へ突き込む。 「御互に豚をもって自任しているのかなあ」と甲野さんは、少々情けなさそうに白い膏味を頬張る。 「豚でもいいが、どうも不思議だよ」 「猶太人は豚を食わんそうだね」と甲野さんは突然超然たる事を云う。 「猶太人はともかくも、あの女がさ。少し不思議だよ」 「あんまり逢うからかい」 「うん。――給仕紅茶を持って来い」 「僕はコフィーを飲む。この豚は駄目だ」と甲野さんはまた女を外してしまう。 「これで何遍逢うかな。一遍、二遍、三遍と何でも三遍ばかり逢うぜ」 「小説なら、これが縁になって事件が発展するところだね。これだけでまあ無事らしいから……」と云ったなり甲野さんはコフィーをぐいと飲む。 「これだけで無事らしいから御互に豚なんだろう。ハハハハ。――しかし何とも云われない。君があの女に懸想して……」 「そうさ」と甲野さん、相手の文句を途中で消してしまった。 「それでなくっても、このくらい逢うくらいだからこの先、どう関係がつかないとも限らない」 「君とかい」 「なにさ、そんな関係じゃないほかの関係さ。情交以外の関係だよ」 「そう」と甲野さんは、左の手で顎を支えながら、右に持ったコフィー茶碗を鼻の先に据えたままぼんやり向うを見ている。 「蜜柑が食いたい」と宗近君が云う。甲野さんは黙っている。やがて 「あの女は嫁にでも行くんだろうか」と毫も心配にならない気色で云う。 「ハハハハ。聞いてやろうか」と挨拶も聞く料簡はなさそうである。 「嫁か? そんなに嫁に行きたいものかな」 「だからさ、そりゃ聞いて見なけりゃあ分からないよ」 「君の妹なんぞは、どうだ。やっぱり行きたいようかね」と甲野さんは妙な事を真面目に聞き出した。 「糸公か。あいつは、から赤児だね。しかし兄思いだよ。狐の袖無を縫ってくれたり、なんかしてね。あいつは、あれで裁縫が上手なんだぜ。どうだ肱突でも造えてもらってやろうか」 「そうさな」 「いらないか」 「うん、いらん事もないが……」  肱突は不得要領に終って、二人は食卓を立った。孤堂先生の車室を通り抜けた時、先生は顔の前に朝日新聞を一面に拡げて、小夜子は小さい口に、玉子焼をすくい込んでいた。四個の小世界はそれぞれに活動して、二たたび列車のなかに擦れ違ったまま、互の運命を自家の未来に危ぶむがごとく、また怪しまざるがごとく、測るべからざる明日の世界を擁して新橋の停車場に着く。 「さっき馳けて行ったのは小野じゃなかったか」と停車場を出る時、宗近君が聞いて見る。 「そうか。僕は気がつかなかったが」と甲野さんは答えた。  四個の小世界は、停車場に突き当って、しばらく、ばらばらとなる。         八  一本の浅葱桜が夕暮を庭に曇る。拭き込んだ椽は、立て切った障子の外に静かである。うちは小形の長火鉢に手取形の鉄瓶を沸らして前には絞り羽二重の座布団を敷く。布団の上には甲野の母が品よく座っている。きりりと釣り上げた眼尻の尽くるあたりに、疳の筋が裏を通って額へ突き抜けているらしい上部を、浅黒く膚理の細かい皮が包んで、外見だけは至極穏やかである。――針を海綿に蔵して、ぐっと握らしめたる後、柔らかき手に膏薬を貼って創口を快よく慰めよ。出来得べくんば唇を血の出る局所に接けて他意なきを示せ。――二十世紀に生れた人はこれだけの事を知らねばならぬ。骨を露わすものは亡ぶと甲野さんがかつて日記に書いた事がある。  静かな椽に足音がする。今卸したかと思われるほどの白足袋を張り切るばかりに細長い足に見せて、変り色の厚いの椽に引き擦るを軽く蹴返しながら、障子をすうと開ける。  居住をそのままの母は、濃い眉を半分ほど入口に傾けて、 「おや御這入」と云う。  藤尾は無言で後を締める。母の向に火鉢を隔ててすらりと坐った時、鉄瓶はしきりに鳴る。  母は藤尾の顔を見る。藤尾は火鉢の横に二つ折に畳んである新聞を俯目に眺める。――鉄瓶は依然として鳴る。  口多き時に真少なし。鉄瓶の鳴るに任せて、いたずらに差し向う親と子に、椽は静かである。浅葱桜は夕暮を誘いつつある。春は逝きつつある。  藤尾はやがて顔を上げた。 「帰って来たのね」  親、子の眼は、はたと行き合った。真は一瞥に籠る。熱に堪えざる時は骨を露わす。 「ふん」  長煙管に煙草の殻を丁とはたく音がする。 「どうする気なんでしょう」 「どうする気か、彼人の料簡ばかりは御母さんにも分らないね」  雲井の煙は会釈なく、骨の高い鼻の穴から吹き出す。 「帰って来ても同じ事ですね」 「同じ事さ。生涯あれなんだよ」  御母さんの疳の筋は裏から表へ浮き上がって来た。 「家を襲ぐのがあんなに厭なんでしょうか」 「なあに、口だけさ。それだから悪いんだよ。あんな事を云って私達に当付けるつもりなんだから……本当に財産も何も入らないなら自分で何かしたら、善いじゃないか。毎日毎日ぐずぐずして、卒業してから今日までもう二年にもなるのに。いくら哲学だって自分一人ぐらいどうにかなるにきまっていらあね。煮え切らないっちゃありゃしない。彼人の顔を見るたんびに阿母は疳癪が起ってね。……」 「遠廻しに云う事はちっとも通じないようね」 「なに、通じても、不知を切ってるんだよ」 「憎らしいわね」 「本当に。彼人がどうかしてくれないうちは、御前の方をどうにもする事が出来ない。……」  藤尾は返事を控えた。恋はすべての罪悪を孕む。返事を控えたうちには、あらゆるものを犠牲に供するの決心がある。母は続ける。 「御前も今年で二十四じゃないか。二十四になって片付かないものが滅多にあるものかね。――それを、嫁にやろうかと相談すれば、御廃しなさい、阿母さんの世話は藤尾にさせたいからと云うし、そんなら独立するだけの仕事でもするかと思えば、毎日部屋のなかへ閉じ籠って寝転んでるしさ。――そうして他人には財産を藤尾にやって自分は流浪するつもりだなんて云うんだよ。さもこっちが邪魔にして追い出しにでもかかってるようで見っともないじゃないか」 「どこへ行って、そんな事を云ったんです」 「宗近の阿爺の所へ行った時、そう云ったとさ」 「よっぽど男らしくない性質ですね。それより早く糸子さんでも貰ってしまったら好いでしょうに」 「全体貰う気があるのかね」 「兄さんの料簡はとても分りませんわ。しかし糸子さんは兄さんの所へ来たがってるんですよ」  母は鳴る鉄瓶を卸して、炭取を取り上げた。隙間なく渋の洩れた劈痕焼に、二筋三筋藍を流す波を描いて、真白な桜を気ままに散らした、薩摩の急須の中には、緑りを細く綯り込んだ宇治の葉が、午の湯に腐やけたまま、ひたひたに重なり合うて冷えている。 「御茶でも入れようかね」 「いいえ」と藤尾は疾く抜け出した香のなお余りあるを、急須と同じ色の茶碗のなかに畳み込む。黄な流れの底を敲くほどは、さほどとも思えぬが、縁に近くようやく色を増して、濃き水は泡を面に片寄せて動かずなる。  母は掻き馴らしたる灰の盛り上りたるなかに、佐倉炭の白き残骸の完きを毀ちて、心に潜む赤きものを片寄せる。温もる穴の崩れたる中には、黒く輪切の正しきを択んで、ぴちぴちと活ける。――室内の春光は飽くまでも二人の母子に穏かである。  この作者は趣なき会話を嫌う。猜疑不和の暗き世界に、一点の精彩を着せざる毒舌は、美しき筆に、心地よき春を紙に流す詩人の風流ではない。閑花素琴の春を司どる人の歌めく天が下に住まずして、半滴の気韻だに帯びざる野卑の言語を臚列するとき、毫端に泥を含んで双手に筆を運らしがたき心地がする。宇治の茶と、薩摩の急須と、佐倉の切り炭を描くは瞬時の閑を偸んで、一弾指頭に脱離の安慰を読者に与うるの方便である。ただし地球は昔しより廻転する。明暗は昼夜を捨てぬ。嬉しからぬ親子の半面を最も簡短に叙するはこの作者の切なき義務である。茶を品し、炭を写したる筆は再び二人の対話に戻らねばならぬ。二人の対話は少なくとも前段より趣がなくてはならぬ。 「宗近と云えば、一もよっぽど剽軽者だね。学問も何にも出来ない癖に大きな事ばかり云って、――あれで当人は立派にえらい気なんだよ」  厩と鳥屋といっしょにあった。牝鶏の馬を評する語に、――あれは鶏鳴をつくる事も、鶏卵を生む事も知らぬとあったそうだ。もっともである。 「外交官の試験に落第したって、ちっとも恥ずかしがらないんですよ。普通のものなら、もう少し奮発する訳ですがねえ」 「鉄砲玉だよ」  意味は分からない。ただ思い切った評である。藤尾は滑らかな頬に波を打たして、にやりと笑った。藤尾は詩を解する女である。駄菓子の鉄砲玉は黒砂糖を丸めて造る。砲兵工廠の鉄砲玉は鉛を鎔かして鋳る。いずれにしても鉄砲玉は鉄砲玉である。そうして母は飽くまでも真面目である。母には娘の笑った意味が分からない。 「御前はあの人をどう思ってるの」  娘の笑は、端なくも母の疑問を起す。子を知るは親に若かずと云う。それは違っている。御互に喰い違っておらぬ世界の事は親といえども唐、天竺である。 「どう思ってるって……別にどうも思ってやしません」  母は鋭どき眉の下から、娘を屹と見た。意味は藤尾にちゃんと分っている。相手を知るものは騒がず。藤尾はわざと落ちつき払って母の切って出るのを待つ。掛引は親子の間にもある。 「御前あすこへ行く気があるのかい」 「宗近へですか」と聞き直す。念を押すのは満を引いて始めて放つための下拵と見える。 「ああ」と母は軽く答えた。 「いやですわ」 「いやかい」 「いやかいって、……あんな趣味のない人」と藤尾はすぱりと句を切った。筍を輪切りにすると、こんな風になる。張のある眉に風を起して、これぎりでたくさんだと締切った口元になお籠る何物かがちょっと閃いてすぐ消えた。母は相槌を打つ。 「あんな見込のない人は、私も好かない」  趣味のないのと見込のないのとは別物である。鍛冶の頭はかんと打ち、相槌はとんと打つ。されども打たるるは同じ剣である。 「いっそ、ここで、判然断わろう」 「断わるって、約束でもあるんですか」 「約束? 約束はありません。けれども阿爺が、あの金時計を一にやると御言いのだよ」 「それが、どうしたんです」 「御前が、あの時計を玩具にして、赤い珠ばかり、いじっていた事があるもんだから……」 「それで」 「それでね――この時計と藤尾とは縁の深い時計だがこれを御前にやろう。しかし今はやらない。卒業したらやる。しかし藤尾が欲しがって繰っ着いて行くかも知れないが、それでも好いかって、冗談半分に皆の前で一におっしゃったんだよ」 「それを今だに謎だと思ってるんですか」 「宗近の阿爺の口占ではどうもそうらしいよ」 「馬鹿らしい」  藤尾は鋭どい一句を長火鉢の角に敲きつけた。反響はすぐ起る。 「馬鹿らしいのさ」 「あの時計は私が貰いますよ」 「まだ御前の部屋にあるかい」 「文庫のなかに、ちゃんとしまってあります」 「そう。そんなに欲しいのかい。だって御前には持てないじゃないか」 「いいから下さい」  鎖の先に燃える柘榴石は、蒔絵の蘆雁を高く置いた手文庫の底から、怪しき光りを放って藤尾を招く。藤尾はすうと立った。朧とも化けぬ浅葱桜が、暮近く消えて行くべき昼の命を、今少時と護る椽に、抜け出した高い姿が、振り向きながら、瘠面の影になった半面を、障子のうちに傾けて 「あの時計は小野さんに上げても好いでしょうね」 と云う。障子のうちの返事は聞えず。――春は母と子に暮れた。  同時に豊かな灯が宗近家の座敷に点る。静かなる夜を陽に返す洋灯の笠に白き光りをゆかしく罩めて、唐草を一面に高く敲き出した白銅の油壺が晴がましくも宵に曇らぬ色を誇る。灯火の照らす限りは顔ごとに賑やかである。 「アハハハハ」と云う声がまず起る。この灯火の周囲に起るすべての談話はアハハハハをもって始まるを恰好と思う。 「それじゃ相輪も見ないだろう」と大きな声を出す。声の主は老人である。色の好い頬の肉が双方から垂れ余って、抑えられた顎はやむを得ず二重に折れている。頭はだいぶ禿げかかった。これを時々撫でる。宗近の父は頭を撫で禿がしてしまった。 「相輪た何ですか」と宗近君は阿爺の前で変則の胡坐をかいている。 「アハハハハそれじゃ叡山へ何しに登ったか分からない」 「そんなものは通り路に見当らなかったようだね、甲野さん」  甲野さんは茶碗を前に、くすんだ万筋の前を合して、黒い羽織の襟を正しく坐っている。甲野さんが問い懸けられた時、然な糸子の顔は揺いた。 「相輪はなかったようだね」と甲野さんは手を膝の上に置いたままである。 「通り路にないって……まあどこから登ったか知らないが――吉田かい」 「甲野さん、あれは何と云う所かね。僕らの登ったのは」 「何と云う所か知ら」 「阿爺何でも一本橋を渡ったんですよ」 「一本橋を?」 「ええ、――一本橋を渡ったな、君、――もう少し行くと若狭の国へ出る所だそうです」 「そう早く若狭へ出るものか」と甲野さんはたちまち前言を取り消した。 「だって君が、そう云ったじゃないか」 「それは冗談さ」 「アハハハハ若狭へ出ちゃ大変だ」と老人は大いに愉快そうである。糸子も丸顔に二重瞼の波を寄せた。 「一体御前方はただ歩行くばかりで飛脚同然だからいけない。――叡山には東塔、西塔、横川とあって、その三ヵ所を毎日往来してそれを修業にしている人もあるくらい広い所だ。ただ登って下りるだけならどこの山へ登ったって同じ事じゃないか」 「なに、ただの山のつもりで登ったんです」 「アハハハそれじゃ足の裏へ豆を出しに登ったようなものだ」 「豆はたしかです。豆はそっちの受持です」と笑ながら甲野さんの方を見る。哲学者もむずかしい顔ばかりはしておられぬ。灯火は明かに揺れる。糸子は袖を口へ当てて、崩しかかった笑顔の収まり際に頭を上げながら、眸を豆の受持ち手の方へ動かした。眼を動かさんとするものは、まず顔を動かす。火事場に泥棒を働らくの格である。家庭的の女にもこのくらいな作略はある。素知らぬ顔の甲野さんは、すぐ問題を呈出した。 「御叔父さん、東塔とか西塔とか云うのは何の名ですか」 「やはり延暦寺の区域だね。広い山の中に、あすこに一と塊まり、ここに一と塊まりと坊が集まっているから、まあこれを三つに分けて東塔とか西塔とか云うのだと思えば間違はない」 「まあ、君、大学に、法、医、文とあるようなものだよ」と宗近君は横合から、知ったような口を出す。 「まあ、そうだ」と老人は即座に賛成する。 「東は修羅、西は都に近ければ横川の奥ぞ住みよかりけると云う歌がある通り、横川が一番淋しい、学問でもするに好い所となっている。――今話した相輪から五十丁も這入らなければ行かれない」 「どうれで知らずに通った訳だな、君」と宗近君がまた甲野さんに話しかける。甲野さんは何とも云わずに老人の説明を謹聴している。老人は得意に弁ずる。 「そら謡曲の船弁慶にもあるだろう。――かように候ものは、西塔の傍に住居する武蔵坊弁慶にて候――弁慶は西塔におったのだ」 「弁慶は法科にいたんだね。君なんかは横川の文科組なんだ。――阿爺さん叡山の総長は誰ですか」 「総長とは」 「叡山の――つまり叡山を建てた男です」 「開基かい。開基は伝教大師さ」 「あんな所へ寺を建てたって、人泣かせだ、不便で仕方がありゃしない。全体昔しの男は酔興だよ。ねえ甲野さん」  甲野さんは何だか要領を得ぬ返事を一口した。 「伝教大師は御前、叡山の麓で生れた人だ」 「なるほどそう云えば分った。甲野さん分ったろう」 「何が」 「伝教大師御誕生地と云う棒杭が坂本に建っていましたよ」 「あすこで生れたのさ」 「うん、そうか、甲野さん君も気が着いたろう」 「僕は気が着かなかった」 「豆に気を取られていたからさ」 「アハハハハ」と老人がまた笑う。  観ずるものは見ず。昔しの人は想こそ無上なれと説いた。逝く水は日夜を捨てざるを、いたずらに真と書き、真と書いて、去る波の今書いた真を今載せて杳然と去るを思わぬが世の常である。堂に法華と云い、石に仏足と云い、に相輪と云い、院に浄土と云うも、ただ名と年と歴史を記して吾事畢ると思うは屍を抱いて活ける人を髣髴するようなものである。見るは名あるがためではない。観ずるは見るがためではない。太上は形を離れて普遍の念に入る。――甲野さんが叡山に登って叡山を知らぬはこの故である。  過去は死んでいる。大法鼓を鳴らし、大法螺を吹き、大法幢を樹てて王城の鬼門を護りし昔しは知らず、中堂に仏眠りて天蓋に蜘蛛の糸引く古伽藍を、今さらのように桓武天皇の御宇から堀り起して、無用の詮議に、千古の泥を洗い落すは、一日に四十八時間の夜昼ある閑人の所作である。現在は刻をきざんで吾を待つ。有為の天下は眼前に落ち来る。双の腕は風を截って乾坤に鳴る。――これだから宗近君は叡山に登りながら何にも知らぬ。  ただ老人だけは太平である。天下の興廃は叡山一刹の指揮によって、夜来、日来に面目を新たにするものじゃと思い籠めたように、々として叡山を説く。説くは固より青年に対する親切から出る。ただ青年は少々迷惑である。 「不便だって、修業のためにわざわざ、ああ云う山を択んで開くのさ。今の大学などはあまり便利な所にあるから、みんな贅沢になって行かん。書生の癖に西洋菓子だの、ホイスキーだのと云って……」  宗近君は妙な顔をして甲野さんを見た。甲野さんは存外真面目である。 「阿爺叡山の坊主は夜十一時頃から坂本まで蕎麦を食いに行くそうですよ」 「アハハハ真逆」 「なに本当ですよ。ねえ甲野さん。――いくら不便だって食いたいものは食いたいですからね」 「それはのらくら坊主だろう」 「すると僕らはのらくら書生かな」 「御前達はのらくら以上だ」 「僕らは以上でもいいが――坂本までは山道二里ばかりありますぜ」 「あるだろう、そのくらいは」 「それを夜の十一時から下りて、蕎麦を食って、それからまた登るんですからね」 「だから、どうなんだい」 「到底のらくらじゃ出来ない仕事ですよ」 「アハハハハ」と老人は大きな腹を競り出して笑った。洋灯の蓋が喫驚するくらいな声である。 「あれでも昔しは真面目な坊主がいたものでしょうか」と今度は甲野さんがふと思い出したような様子で聞いて見る。 「それは今でもあるよ。真面目なものが世の中に少ないごとく、僧侶にも多くはないが――しかし今だって全く無い事はない。何しろ古い寺だからね。あれは始めは一乗止観院と云って、延暦寺となったのはだいぶ後の事だ。その時分から妙な行があって、十二年間山へ籠り切りに籠るんだそうだがね」 「蕎麦どころじゃありませんね」 「どうして。――何しろ一度も下山しないんだから」 「そう山の中で年ばかり取ってどうする了見かな」 と宗近君が今度は独語のように云う。 「修業するのさ。御前達もそうのらくらしないでちとそんな真似でもするがいい」 「そりゃ駄目ですよ」 「なぜ」 「なぜって。僕は出来ない事もないが、そうした日にゃ、あなたの命令に背く訳になりますからね」 「命令に?」 「だって人の顔を見るたんびに嫁を貰え嫁を貰えとおっしゃるじゃありませんか。これから十二年も山へ籠ったら、嫁を貰う時分にゃ腰が曲がっちまいます」  一座はどっと噴き出した。老人は首を少し上げて頭の禿を逆に撫でる。垂れ懸った頬の肉が顫え落ちそうだ。糸子は俯向いて声を殺したため二重瞼が薄赤くなる。甲野さんの堅い口も解けた。 「いや修業も修業だが嫁も貰わなくちゃあ困る。何しろ二人だから億劫だ。――欽吾さんも、もう貰わなければならんね」 「ええ、そう急には……」  いかにも気の無い返事をする。嫁を貰うくらいなら十二年叡山へでも籠る方が増しであると心のうちに思う。すべてを見逃さぬ糸子の目には欽吾の心がひらりと映った。小さい胸が急に重くなる。 「しかし阿母さんが心配するだろう」  甲野さんは何とも答えなかった。この老人も自分の母を尋常の母と心得ている。世の中に自分の母の心のうちを見抜いたものは一人もない。自分の母を見抜かなければ自分に同情しようはずがない。甲野さんは眇然として天地の間に懸っている。世界滅却の日をただ一人生き残った心持である。 「君がぐずぐずしていると藤尾さんも困るだろう。女は年頃をはずすと、男と違って、片づけるにも骨が折れるからね」  敬うべく愛すべき宗近の父は依然として母と藤尾の味方である。甲野さんは返事のしようがない。 「一にも貰って置かんと、わしも年を取っているから、いつどんな事があるかも知れないからね」  老人は自分の心で、わが母の心を推している。親と云う名が同じでも親と云う心には相違がある。しかし説明は出来ない。 「僕は外交官の試験に落第したから当分駄目ですよ」と宗近が横から口を出した。 「去年は落第さ。今年の結果はまだ分らんだろう」 「ええ、まだ分らんです。ですがね、また落第しそうですよ」 「なぜ」 「やっぱりのらくら以上だからでしょう」 「アハハハハ」  今夕の会話はアハハハハに始まってアハハハハに終った。         九  真葛が原に女郎花が咲いた。すらすらと薄を抜けて、悔ある高き身に、秋風を品よく避けて通す心細さを、秋は時雨て冬になる。茶に、黒に、ちりちりに降る霜に、冬は果てしなく続くなかに、細い命を朝夕に頼み少なく繋なぐ。冬は五年の長きを厭わず。淋しき花は寒い夜を抜け出でて、紅緑に貧を知らぬ春の天下に紛れ込んだ。地に空に春風のわたるほどは物みな燃え立って富貴に色づくを、ひそかなる黄を、一本の細き末にいただいて、住むまじき世に肩身狭く憚かりの呼吸を吹くようである。  今までは珠よりも鮮やかなる夢を抱いていた。真黒闇に据えた金剛石にわが眼を授け、わが身を与え、わが心を託して、その他なる右も左りも気に懸ける暇もなかった。懐に抱く珠の光りを夜に抜いて、二百里の道を遥々と闇の袋より取り出した時、珠は現実の明海に幾分か往昔の輝きを失った。  小夜子は過去の女である。小夜子の抱けるは過去の夢である。過去の女に抱かれたる過去の夢は、現実と二重の関を隔てて逢う瀬はない。たまたまに忍んで来れば犬が吠える。自からも、わが来る所ではないか知らんと思う。懐に抱く夢は、抱くまじき罪を、人目を包む風呂敷に蔵してなおさらに疑を路上に受くるような気がする。  過去へ帰ろうか。水のなかに紛れ込んだ一雫の油は容易に油壺の中へ帰る事は出来ない。いやでも応でも水と共に流れねばならぬ。夢を捨てようか。捨てられるものならば明海へ出ぬうちに捨ててしまう。捨てれば夢の方で飛びついて来る。  自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自に働き出すと苦しい矛盾が起る。多くの小説はこの矛盾を得意に描く。小夜子の世界は新橋の停車場へぶつかった時、劈痕が入った。あとは割れるばかりである。小説はこれから始まる。これから小説を始める人の生活ほど気の毒なものはない。  小野さんも同じ事である。打ち遣った過去は、夢の塵をむくむくと掻き分けて、古ぼけた頭を歴史の芥溜から出す。おやと思う間に、ぬっくと立って歩いて来る。打ち遣った時に、生息の根を留めて置かなかったのが無念であるが、生息は断わりもなく向で吹き返したのだから是非もない。立ち枯れの秋草が気紛の時節を誤って、暖たかき陽炎のちらつくなかに甦えるのは情けない。甦ったものを打ち殺すのは詩人の風流に反する。追いつかれれば労らねば済まぬ。生れてから済まぬ事はただの一度もした事はない。今後とてもする気はない。済まぬ事をせぬように、また自分にも済むように、小野さんはちょっと未来の袖に隠れて見た。紫の匂は強く、近づいて来る過去の幽霊もこれならばと度胸を据えかける途端に小夜子は新橋に着いた。小野さんの世界にも劈痕が入る。作者は小夜子を気の毒に思うごとくに、小野さんをも気の毒に思う。 「阿父は」と小野さんが聞く。 「ちょっと出ました」と小夜子は何となく臆している。引き越して新たに家をなす翌日より、親一人に、子一人に春忙がしき世帯は、蒸れやすき髪に櫛の歯を入れる暇もない。不断着の綿入さえ見すぼらしく詩人の眼に映る。――粧は鏡に向って凝らす、玻璃瓶裏に薔薇の香を浮かして、軽く雲鬟を浸し去る時、琥珀の櫛は条々の翠を解く。――小野さんはすぐ藤尾の事を思い出した。これだから過去は駄目だと心のうちに語るものがある。 「御忙しいでしょう」 「まだ荷物などもそのままにしております……」 「御手伝に出るつもりでしたが、昨日も一昨日も会がありまして……」  日ごとの会に招かるる小野さんはその方面に名を得たる証拠である。しかしどんな方面か、小夜子には想像がつかぬ。ただ己れよりは高過ぎて、とても寄りつけぬ方面だと思う。小夜子は俯向いて、膝に載せた右手の中指に光る金の指輪を見た。――藤尾の指輪とは無論比較にはならぬ。  小野さんは眼を上げて部屋の中を見廻わした。低い天井の白茶けた板の、二た所まで節穴の歴然と見える上、雨漏の染みを侵して、ここかしこと蜘蛛の囲を欺く煤がかたまって黒く釣りを懸けている。左から四本目の桟の中ほどを、杉箸が一本横に貫ぬいて、長い方の端が、思うほど下に曲がっているのは、立ち退いた以前の借主が通す縄に胸を冷やす氷嚢でもぶら下げたものだろう。次の間を立て切る二枚の唐紙は、洋紙に箔を置いて英吉利めいた葵の幾何模様を規則正しく数十個並べている。屋敷らしい縁の黒塗がなおさら卑しい。庭は二た間を貫ぬく椽に沿うて勝手に折れ曲ると云う名のみで、幅は茶献上ほどもない。丈に足らぬ檜が春に用なき、去年の葉を硬く尖らして、瘠せこけて立つ後ろは、腰高塀に隣家の話が手に取るように聞える。  家は小野さんが孤堂先生のために周旋したに相違ない。しかし極めて下卑ている。小野さんは心のうちに厭な住居だと思った。どうせ家を持つならばと思った。袖垣に辛夷を添わせて、松苔を葉蘭の影に畳む上に、切り立ての手拭が春風に揺らつくような所に住んで見たい。――藤尾はあの家を貰うとか聞いた。 「御蔭さまで、好い家が手に入りまして……」と誇る事を知らぬ小夜子は云う。本当に好い家と心得ているなら情けない。ある人に奴鰻を奢ったら、御蔭様で始めて旨い鰻を食べましてと礼を云った。奢った男はそれより以来この人を軽蔑したそうである。  いじらしいのと見縊るのはある場合において一致する。小野さんはたしかに真面目に礼を云った小夜子を見縊った。しかしそのうちに露いじらしいところがあるとは気がつかなかった。紫が祟ったからである。祟があると眼玉が三角になる。 「もっと好い家でないと御気に入るまいと思って、方々尋ねて見たんですが、あいにく恰好なのがなくって……」 と云い懸けると、小夜子は、すぐ、 「いえこれで結構ですわ。父も喜んでおります」と小野さんの言葉を打ち消した。小野さんは吝嗇な事を云うと思った。小夜子は知らぬ。  細い面をちょっと奥へ引いて、上眼に相手の様子を見る。どうしても五年前とは変っている。――眼鏡は金に変っている。久留米絣は背広に変っている。五分刈は光沢のある毛に変っている。――髭は一躍して紳士の域に上る。小野さんは、いつの間にやら黒いものを蓄えている。もとの書生ではない。襟は卸し立てである。飾りには留針さえ肩を動かすたびに光る。鼠の勝った品の好い胴衣の隠袋には――恩賜の時計が這入っている。この上に金時計をとは、小さき胸の小夜子が夢にだも知るはずがない。小野さんは変っている。  五年の間一日一夜も懐に忘られぬ命より明らかな夢の中なる小野さんはこんな人ではなかった。五年は昔である。西東長短の袂を分かって、離愁を鎖す暮雲に相思の関を塞かれては、逢う事の疎くなりまさるこの年月を、変らぬとのみは思いも寄らぬ。風吹けば変る事と思い、雨降れば変る事と思い、月に花に変る事と思い暮らしていた。しかし、こうは変るまいと念じてプラット・フォームへ下りた。  小野さんの変りかたは過去を順当に延ばして、健気に生い立った阿蒙の変りかたではない。色の褪めた過去を逆に捩じ伏せて、目醒しき現在を、相手が新橋へ着く前の晩に、性急に拵らえ上げたような変りかたである。小夜子には寄りつけぬ。手を延ばしても届きそうにない。変りたくても変られぬ自分が恨めしい気になる。小野さんは自分と遠ざかるために変ったと同然である。  新橋へは迎に来てくれた。車を傭って宿へ案内してくれた。のみならず、忙がしいうちを無理に算段して、蝸牛親子して寝る庵を借りてくれた。小野さんは昔の通り親切である。父も左様に云う。自分もそう思う。しかし寄りつけない。  プラット・フォームを下りるや否や御荷物をと云った。小さい手提の荷にはならず、持って貰うほどでもないのを無理に受取って、膝掛といっしょに先へ行った、刻み足の後ろ姿を見たときに――これはと思った。先へ行くのは、遥々と来た二人を案内するためではなく、時候後れの親子を追い越して馳け抜けるためのように見える。割符とは瓜二つを取ってつけて較べるための証拠である。天に懸る日よりも貴しと護るわが夢を、五年の長き香洩る「時」の袋から現在に引き出して、よも間違はあるまいと見較べて見ると、現在ははやくも遠くに立ち退いている。握る割符は通用しない。  始めは穴を出でて眩き故と思う。少し慣れたらばと、逝く日を杖に、一度逢い、二度逢い、三度四度と重なるたびに、小野さんはいよいよ丁寧になる。丁寧になるにつけて、小夜子はいよいよ近寄りがたくなる。  やさしく咽喉に滑べり込む長い顎を奥へ引いて、上眼に小野さんの姿を眺めた小夜子は、変る眼鏡を見た。変る髭を見た。変る髪の風と変る装とを見た。すべての変るものを見た時、心の底でそっと嘆息を吐いた。ああ。 「京都の花はどうです。もう遅いでしょう」  小野さんは急に話を京都へ移した。病人を慰めるには病気の話をする。好かぬ昔に飛び込んで、ありがたくほどけ掛けた記憶の綯を逆に戻すは、詩人の同情である。小夜子は急に小野さんと近づいた。 「もう遅いでしょう。立つ前にちょっと嵐山へ参りましたがその時がちょうど八分通りでした」 「そのくらいでしょう、嵐山は早いですから。それは結構でした。どなたとごいっしょに」  花を看る人は星月夜のごとく夥しい。しかしいっしょに行く人は天を限り地を限って父よりほかにない。父でなければ――あとは胸のなかでも名は言わなかった。 「やっぱり阿父とですか」 「ええ」 「面白かったでしょう」と口の先で云う。小夜子はなぜか情けない心持がする。小野さんは出直した。 「嵐山も元とはだいぶ違ったでしょうね」 「ええ。大悲閣の温泉などは立派に普請が出来て……」 「そうですか」 「小督の局の墓がござんしたろう」 「ええ、知っています」 「彼所いらは皆掛茶屋ばかりで大変賑やかになりました」 「毎年俗になるばかりですね。昔の方がよほど好い」  近寄れぬと思った小野さんは、夢の中の小野さんとぱたりと合った。小夜子ははっと思う。 「本当に昔の方が……」と云い掛けて、わざと庭を見る。庭には何にもない。 「私がごいっしょに遊びに行った時分は、そんなに雑沓しませんでしたね」  小野さんはやはり夢の中の小野さんであった。庭を向いた眼は、ちらりと真向に返る。金縁の眼鏡と薄黒い口髭がすぐ眸に映る。相手は依然として過去の人ではない。小夜子はゆかしい昔話の緒の、するすると抜け出しそうな咽喉を抑えて、黙って口をつぐんだ。調子づいて角を曲ろうとする、どっこいと突き当る事がある。品のいい紳士淑女の対話も胸のうちでは始終突き当っている。小野さんはまた口を開く番となる。 「あなたはあの時分と少しも違っていらっしゃいませんね」 「そうでしょうか」と小夜子は相手を諾するような、自分を疑うような、気の乗らない返事をする。変っておりさえすればこんなに心配はしない。変るのは歳ばかりで、いたずらに育った縞柄と、用い古るした琴が恨めしい。琴は蔽のまま床の間に立て掛けてある。 「私はだいぶ変りましたろう」 「見違えるように立派に御成りです事」 「ハハハハそれは恐れ入りますね。まだこれからどしどし変るつもりです。ちょうど嵐山のように……」  小夜子は何と答えていいか分らない。膝に手を置いたまま、下を向いている。小さい耳朶が、行儀よく、鬢の末を潜り抜けて、頬と頸の続目が、暈したように曲線を陰に曳いて去る。見事な画である。惜しい事に真向に座った小野さんには分からない。詩人は感覚美を好む。これほどの肉の上げ具合、これほどの肉の退き具合、これほどの光線に、これほどの色の付き具合は滅多に見られない。小野さんがこの瞬間にこの美しい画を捕えたなら、編み上げの踵を、地に滅り込むほどに回らして、五年の流を逆に過去に向って飛びついたかも知れぬ。惜しい事に小野さんは真向に坐っている。小野さんはただ面白味のない詩趣に乏しい女だと思った。同時に波を打って鼻の先に翻える袖の香が、濃き紫の眉間を掠めてぷんとする。小野さんは急に帰りたくなった。 「また来ましょう」と背広の胸を合せる。 「もう帰る時分ですから」と小さな声で引き留めようとする。 「また来ます。御帰りになったら、どうぞ宜しく」 「あの……」と口籠っている。  相手は腰を浮かしながら、あののあとを待ち兼ねる。早くと急き立てられる気がする。近寄れぬものはますます離れて行く。情ない。 「あの……父が……」  小野さんは、何とも知れず重い気分になる。女はますます切り出し悪くなる。 「また上がります」と立ち上がる。云おうと思う事を聞いてもくれない。離れるものは没義道に離れて行く。未練も会釈もなく離れて行く。玄関から座敷に引き返した小夜子は惘然として、椽に近く坐った。  降らんとして降り損ねた空の奥から幽かな春の光りが、淡き雲に遮ぎられながら一面に照り渡る。長閑かさを抑えつけたる頭の上は、晴るるようで何となく欝陶しい。どこやらで琴の音がする。わが弾くべきは塵も払わず、更紗の小包を二つ並べた間に、袋のままで淋しく壁に持たれている。いつ欝金の掩を除ける事やら。あの曲はだいぶ熟れた手に違ない。片々に抑えて片々に弾く爪の、安らかに幾関の柱を往きつ戻りつして、春を限りと乱るる色は甲斐甲斐しくも豊かである。聞いていると、あの雨をつい昨日のように思う。ちらちらに昼の蛍と竹垣に滴る連に、朝から降って退屈だと阿父様がおっしゃる。繻子の袖口は手頸に滑りやすい。絹糸を細長く目に貫いたまま、針差の紅をぷつりと刺して立ち上がる。盛り上がる古桐の長い胴に、鮮かに眼を醒ませと、への字に渡す糸の数々を、幾度か抑えて、幾度か撥ねた。曲はたしか小督であった。狂う指の、憂き昼を、くちゃくちゃに揉みこなしたと思う頃、阿父様は御苦労と手ずから御茶を入れて下さった。京は春の、雨の、琴の京である。なかでも琴は京によう似合う。琴の好な自分は、やはり静かな京に住むが分である。古い京から抜けて来た身は、闇を破る烏の、飛び出して見て、そぞろ黒きに驚ろき、舞い戻らんとする夜はからりと明け離れたようなものである。こんな事なら琴の代りに洋琴でも習って置けば善かった。英語も昔のままで、今はおおかた忘れている。阿父は女にそんなものは必要がないとおっしゃる。先の世に住み古るしたる人を便りに、小野さんには、追いつく事も出来ぬように後れてしまった。住み古るした人の世はいずれ長い事はあるまい。古るい人に先だたれ、新らしい人に後れれば、今日を明日と、その日に数る命は、文も理も危い。……  格子ががらりと開く。古の人は帰った。 「今帰ったよ。どうも苛い埃でね」 「風もないのに?」 「風はないが、地面が乾いてるんで――どうも東京と云う所は厭な所だ。京都の方がよっぽどいいね」 「だって早く東京へ引き越す、引き越すって、毎日のように云っていらしったじゃありませんか」 「云ってた事は、云ってたが、来て見るとそうでもないね」と椽側で足袋をはたいて座に直った老人は、 「茶碗が出ているね。誰か来たのかい」 「ええ。小野さんがいらしって……」 「小野が? そりゃあ」と云ったが、提げて来た大きな包をからげた細縄の十文字を、丁寧に一文字ずつほどき始める。 「今日はね。座布団を買おうと思って、電車へ乗ったところが、つい乗り替を忘れて、ひどい目に逢った」 「おやおや」と気の毒そうに微笑んだ娘は 「でも布団は御買いになって?」と聞く。 「ああ、布団だけはここへ買って来たが、御蔭で大変遅れてしまったよ」と包みのなかから八丈まがいの黄な縞を取り出す。 「何枚買っていらしって」 「三枚さ。まあ三枚あれば当分間に合うだろう。さあちょっと敷いて御覧」と一枚を小夜子の前へ出す。 「ホホホホあなた御敷なさいよ」 「阿父も敷くから、御前も敷いて御覧。そらなかなか好いだろう」 「少し綿が硬いようね」 「綿はどうせ――価が価だから仕方がない。でもこれを買うために電車に乗り損なってしまって……」 「乗替をなさらなかったんじゃないの」 「そうさ、乗替を――車掌に頼んで置いたのに。忌々しいから帰りには歩いて来た」 「御草臥なすったでしょう」 「なあに。これでも足はまだ達者だからね。――しかし御蔭で髯も何も埃だらけになっちまった。こら」と右手の指を四本并べて櫛の代りに顎の下を梳くと、果して薄黒いものが股について来た。 「御湯に御這入んなさらないからですよ」 「なに埃だよ」 「だって風もないのに」 「風もないのに埃が立つから妙だよ」 「だって」 「だってじゃないよ。まあ試しに外へ出て御覧。どうも東京の埃には大抵のものは驚ろくよ。御前がいた時分もこうかい」 「ええ随分苛くってよ」 「年々烈しくなるんじゃないかしら。今日なんぞは全く風はないね」と廂の外を下から覗いて見る。空は曇る心持ちを透かして春の日があやふやに流れている。琴の音がまだ聴える。 「おや琴を弾いているね。――なかなか旨い。ありゃ何だい」 「当てて御覧なさい」 「当てて見ろ。ハハハハ阿父には分らないよ。琴を聴くと京都の事を思い出すね。京都は静でいい。阿父のような時代後れの人間は東京のような烈しい所には向かない。東京はまあ小野だの、御前だののような若い人が住まう所だね」  時代後れの阿父は小野さんと自分のためにわざわざ埃だらけの東京へ引き越したようなものである。 「じゃ京都へ帰りましょうか」と心細い顔に笑を浮べて見せる。老人は世に疎いわれを憐れむ孝心と受取った。 「アハハハハ本当に帰ろうかね」 「本当に帰ってもようござんすわ」 「なぜ」 「なぜでも」 「だって来たばかりじゃないか」 「来たばかりでも構いませんわ」 「構わない? ハハハハ冗談を……」  娘は下を向いた。 「小野が来たそうだね」 「ええ」娘はやっぱり下を向いている。 「小野は――小野は何かね――」 「え?」と首を上げる。老人は娘の顔を見た。 「小野は――来たんだね」 「ええ、いらしってよ」 「それで何かい。その、何も云って行かなかったのかい」 「いいえ別に……」 「何にも云わない?――待ってれば好いのに」 「急ぐからまた来るって御帰りになりました」 「そうかい。それじゃ別に用があって来た訳じゃないんだね。そうか」 「阿父様」 「何だね」 「小野さんは御変りなさいましたね」 「変った?――ああ大変立派になったね。新橋で逢った時はまるで見違えるようだった。まあ御互に結構な事だ」  娘はまた下を向いた。――単純な父には自分の云う意味が徹せぬと見える。 「私は昔の通りで、ちっとも変っていないそうです。……変っていないたって……」  後の句は鳴る糸の尾を素足に踏むごとく、孤堂先生の頭に響いた。 「変っていないたって?」と次を催促する。 「仕方がないわ」と小さな声で附ける。老人は首を傾けた。 「小野が何か云ったかい」 「いいえ別に……」  同じ質問と同じ返事はまた繰返される。水車を踏めば廻るばかりである。いつまで踏んでも踏み切れるものではない。 「ハハハハくだらぬ事を気にしちゃいけない。春は気が欝ぐものでね。今日なぞは阿父などにもよくない天気だ」  気が欝ぐのは秋である。餅と知って、酒の咎だと云う。慰さめられる人は、馬鹿にされる人である。小夜子は黙っていた。 「ちっと琴でも弾いちゃどうだい。気晴に」  娘は浮かぬ顔を、愛嬌に傾けて、床の間を見る。軸は空しく落ちて、いたずらに余る黒壁の端を、竪に截って、欝金の蔽が春を隠さず明らかである。 「まあ廃しましょう」 「廃す? 廃すなら御廃し。――あの、小野はね。近頃忙がしいんだよ。近々博士論文を出すんだそうで……」  小夜子は銀時計すらいらぬと思う。百の博士も今の己れには無益である。 「だから落ちついていないんだよ。学問に凝ると誰でもあんなものさ。あんまり心配しないがいい。なに緩くりしたくっても、していられないんだから仕方がない。え? 何だって」 「あんなにね」 「うん」 「急いでね」 「ああ」 「御帰りに……」 「御帰りに――なった? ならないでも? 好さそうなものだって仕方がないよ。学問で夢中になってるんだから。――だから一日都合をして貰って、いっしょに博覧会でも見ようって云ってるんじゃないか。御前話したかい」 「いいえ」 「話さない? 話せばいいのに。いったい小野が来たと云うのに何をしていたんだ。いくら女だって、少しは口を利かなくっちゃいけない」  口を利けぬように育てて置いてなぜ口を利かぬと云う。小夜子はすべての非を負わねばならぬ。眼の中が熱くなる。 「なに好いよ。阿父が手紙で聞き合せるから――悲しがる事はない。叱ったんじゃない。――時に晩の御飯はあるかい」 「御飯だけはあります」 「御飯だけあればいい、なに御菜はいらないよ。――頼んで置いた婆さんは明日くるそうだ。――もう少し慣れると、東京だって京都だって同じ事だ」  小夜子は勝手へ立った。孤堂先生は床の間の風呂敷包を解き始める。         十  謎の女は宗近家へ乗り込んで来る。謎の女のいる所には波が山となり炭団が水晶と光る。禅家では柳は緑花は紅と云う。あるいは雀はちゅちゅで烏はかあかあとも云う。謎の女は烏をちゅちゅにして、雀をかあかあにせねばやまぬ。謎の女が生れてから、世界が急にごたくさになった。謎の女は近づく人を鍋の中へ入れて、方寸の杉箸に交ぜ繰り返す。芋をもって自からおるものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ。謎の女は金剛石のようなものである。いやに光る。そしてその光りの出所が分らぬ。右から見ると左に光る。左から見ると右に光る。雑多な光を雑多な面から反射して得意である。神楽の面には二十通りほどある。神楽の面を発明したものは謎の女である。――謎の女は宗近家へ乗り込んでくる。  真率なる快活なる宗近家の大和尚は、かく物騒な女が天が下に生を享けて、しきりに鍋の底を攪き廻しているとは思いも寄らぬ。唐木の机に唐刻の法帖を乗せて、厚い坐布団の上に、信濃の国に立つ煙、立つ煙と、大きな腹の中から鉢の木を謡っている。謎の女はしだいに近づいてくる。  悲劇マクベスの妖婆は鍋の中に天下の雑物を攫い込んだ。石の影に三十日の毒を人知れず吹く夜の蟇と、燃ゆる腹を黒き背に蔵す蠑の胆と、蛇の眼と蝙蝠の爪と、――鍋はぐらぐらと煮える。妖婆はぐるりぐるりと鍋を廻る。枯れ果てて尖れる爪は、世を咀う幾代の錆に瘠せ尽くしたる鉄の火箸を握る。煮え立った鍋はどろどろの波を泡と共に起す。――読む人は怖ろしいと云う。  それは芝居である。謎の女はそんな気味の悪い事はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乗り込んで来るのは真昼間である。鍋の底からは愛嬌が湧いて出る。漾うは笑の波だと云う。攪き淆ぜるのは親切の箸と名づける。鍋そのものからが品よく出来上っている。謎の女はそろりそろりと攪き淆ぜる。手つきさえ能掛である。大和尚の怖がらぬのも無理はない。 「いや。だいぶ御暖になりました。さあどうぞ」と布団の方へ大きな掌を出す。女はわざと入口に坐ったまま両手を尋常につかえる。 「その後は……」 「どうぞ御敷き……」と大きな手はやっぱり前へ突き出したままである。 「ちょっと出ますんでございますが、つい無人だもので、出よう出ようと思いながら、とうとう御無沙汰になりまして……」で少し句が切れたから大和尚が何か云おうとすると、謎の女はすぐ後をつける。 「まことに相済みません」で黒い頭をぴたりと畳へつけた。 「いえ、どう致しまして……」ぐらいでは容易に頭を上げる女ではない。ある人が云う。あまりしとやかに礼をする女は気味がわるい。またある人が云う。あまり丁寧に御辞儀をする女は迷惑だ。第三の人が云う。人間の誠は下げる頭の時間と正比例するものだ。いろいろな説がある。ただし大和尚は迷惑党である。  黒い頭は畳の上に、声だけは口から出て来る。 「御宅でも皆様御変りもなく……毎々欽吾や藤尾が出まして、御厄介にばかりなりまして……せんだってはまた結構なものをちょうだい致しまして、とうに御礼に上がらなければならないんでございますが、つい手前にかまけまして……」  頭はここでようやく上がる。阿父はほっと気息をつく。 「いや、詰らんもので……到来物でね。アハハハハようやく暖かになって」と突然時候をつけて庭の方を見たが 「どうです御宅の桜は。今頃はちょうど盛でしょう」で結んでしまった。 「本年は陽気のせいか、例年より少し早目で、四五日前がちょうど観頃でございましたが、一昨日の風で、だいぶ傷められまして、もう……」 「駄目ですか。あの桜は珍らしい。何とか云いましたね。え? 浅葱桜。そうそう。あの色が珍らしい」 「少し青味を帯びて、何だか、こう、夕方などは凄いような心持が致します」 「そうですか、アハハハハ。荒川には緋桜と云うのがあるが、浅葱桜は珍らしい」 「みなさんがそうおっしゃいます。八重はたくさんあるが青いのは滅多にあるまいってね……」 「ないですよ。もっとも桜も好事家に云わせると百幾種とかあるそうだから……」 「へええ、まあ」と女はさも驚ろいたように云う。 「アハハハ桜でも馬鹿には出来ない。この間も一が京都から帰って来て嵐山へ行ったと云うから、どんな花だと聞いて見たら、ただ一重だと云うだけでね、何にも知らない。今時のものは呑気なものでアハハハハ。――どうです粗菓だが一つ御撮みなさい。岐阜の柿羊羹」 「いえどうぞ。もう御構い下さいますな……」 「あんまり、旨いものじゃない。ただ珍らしいだけだ」と宗近老人は箸を上げて皿の中から剥ぎ取った羊羹の一片を手に受けて、独りでむしゃむしゃ食う。 「嵐山と云えば」と甲野の母は切り出した。 「せんだって中は欽吾がまた、いろいろ御厄介になりまして、御蔭様で方々見物させていただいたと申して大変喜んでおります。まことにあの通の我儘者でございますから一さんもさぞ御迷惑でございましたろう」 「いえ、一の方でいろいろ御世話になったそうで……」 「どう致しまして、人様の御世話などの出来るような男ではございませんので。あの年になりまして朋友と申すものがただの一人もございませんそうで……」 「あんまり学問をすると、そう誰でも彼でもむやみに附合が出来にくくなる。アハハハハ」 「私には女でいっこう分りませんが、何だか欝いでばかりいるようで――こちらの一さんにでも連れ出していただかないと、誰も相手にしてくれないようで……」 「アハハハハ一はまた正反対。誰でも相手にする。家にさえいるとあなた、妹にばかりからかって――いや、あれでも困る」 「いえ、誠に陽気で淡泊してて、結構でございますねえ。どうか一さんの半分でいいから、欽吾がもう少し面白くしてくれれば好いと藤尾にも不断申しているんでございますが――それもこれもみんな彼人の病気のせいだから、今さら愚癡をこぼしたって仕方がないとは思いますが、なまじい自分の腹を痛めた子でないだけに、世間へ対しても心配になりまして……」 「ごもっともで」と宗近老人は真面目に答えたが、ついでに灰吹をぽんと敲いて、銀の延打の煙管を畳の上にころりと落す。雁首から、余る煙が流れて出る。 「どうです、京都から帰ってから少しは好いようじゃありませんか」 「御蔭様で……」 「せんだって家へ見えた時などは皆と馬鹿話をして、だいぶ愉快そうでしたが」 「へええ」これは仔細らしく感心する。「まことに困り切ります」これは困り切ったように長々と引き延ばして云う。 「そりゃ、どうも」 「彼人の病気では、今までどのくらい心配したか分りません」 「いっそ結婚でもさせたら気が変って好いかも知れませんよ」  謎の女は自分の思う事を他に云わせる。手を下しては落度になる。向うで滑って転ぶのをおとなしく待っている。ただ滑るような泥海を知らぬ間に用意するばかりである。 「その結婚の事を朝暮申すのでございますが――どう在っても、うんと云って承知してくれません。私も御覧の通り取る年でございますし、それに甲野もあんな風に突然外国で亡くなりますような仕儀で、まことに心配でなりませんから、どうか一日も早く彼人のために身の落つきをつけてやりたいと思いまして……本当に、今まで嫁の事を持ち出した事は何度だか分りません。が持ち出すたんびに頭から撥ねつけられるのみで……」 「実はこの間見えた時も、ちょっとその話をしたんですがね。君がいつまでも強情を張ると心配するのは阿母だけで、可愛想だから、今のうちに早く身を堅めて安心させたら善かろうってね」 「御親切にどうもありがとう存じます」 「いえ、心配は御互で、こっちもちょうどどうかしなければならないのを二人背負い込んでるものだから、アハハハハどうも何ですね。何歳になっても心配は絶えませんね」 「此方様などは結構でいらっしゃいますが、私は――もし彼人がいつまでも病気だ病気だと申して嫁を貰ってくれませんうちに、もしもの事があったら、草葉の陰で配偶に合わす顔がございません。まあどうして、あんなに聞き訳がないんでございましょう。何か云い出すと、阿母私はこんな身体で、とても家の面倒は見て行かれないから、藤尾に聟を貰って、阿母さんの世話をさせて下さい。私は財産なんか一銭も入らない。と、まあこうでござんすもの。私が本当の親なら、それじゃ御前の勝手におしと申す事も出来ますが、御存じの通りなさぬ中の間柄でございますから、そんな不義理な事は人様に対しても出来かねますし、じつに途方に暮れます」  謎の女は和尚をじっと見た。和尚は大きな腹を出したまま考えている。灰吹がぽんと鳴る。紫檀の蓋を丁寧に被せる。煙管は転がった。 「なるほど」  和尚の声は例に似ず沈んでいる。 「そうかと申して生の母でない私が圧制がましく、むやみに差出た口を利きますと、御聞かせ申したくないようなごたごたも起りましょうし……」 「ふん、困るね」  和尚は手提の煙草盆の浅い抽出から欝金木綿の布巾を取り出して、鯨の蔓を鄭重に拭き出した。 「いっそ、私からとくと談じて見ましょうか。あなたが云い悪ければ」 「いろいろ御心配を掛けまして……」 「そうして見るかね」 「どんなものでございましょう。ああ云う神経が妙になっているところへ、そんな事を聞かせましたら」 「なにそりゃ、承知しているから、当人の気に障らないように云うつもりですがね」 「でも、万一私がこなたへ出てわざわざ御願い申したように取られると、それこそ後が大変な騒ぎになりますから……」 「弱るね、そう、疳が高くなってちゃあ」 「まるで腫物へ障るようで……」 「ふうん」と和尚は腕組を始めた。裄が短かいので太い肘が無作法に見える。  謎の女は人を迷宮に導いて、なるほどと云わせる。ふうんと云わせる。灰吹をぽんと云わせる。しまいには腕組をさせる。二十世紀の禁物は疾言と遽色である。なぜかと、ある紳士、ある淑女に尋ねて見たら、紳士も淑女も口を揃えて答えた。――疾言と遽色は、もっとも法律に触れやすいからである。――謎の女の鄭重なのはもっとも法律に触れ悪い。和尚は腕組をしてふうんと云った。 「もし彼人が断然家を出ると云い張りますと――私がそれを見て無論黙っている訳には参りませんが――しかし当人がどうしても聞いてくれないとすると……」 「聟かね。聟となると……」 「いえ、そうなっては大変でございますが――万一の場合も考えて置かないと、いざと云う時に困りますから」 「そりゃ、そう」 「それを考えると、あれが病気でもよくなって、もう少ししっかりしてくれないうちは、藤尾を片づける訳に参りません」 「左様さね」と和尚は単純な首を傾けたが 「藤尾さんは幾歳ですい」 「もう、明けて四になります」 「早いものですね。えっ。ついこの間までこれっぱかりだったが」と大きな手を肩とすれすれに出して、ひろげた掌を下から覗き込むようにする。 「いえもう、身体ばかり大きゅうございまして、から、役に立ちません」 「……勘定すると四になる訳だ。うちの糸が二だから」  話は放って置くとどこかへ流れて行きそうになる。謎の女は引っ張らなければならぬ。 「こちらでも、糸子さんやら、一さんやらで、御心配のところを、こんな余計な話を申し上げて、さぞ人の気も知らない呑気な女だと覚し召すでございましょうが……」 「いえ、どう致して、実は私の方からその事についてとくと御相談もしたいと思っていたところで――一も外交官になるとか、ならんとか云って騒いでいる最中だから、今日明日と云う訳にも行かないですが、晩かれ、早かれ嫁を貰わなければならんので……」 「でございますとも」 「ついては、その、藤尾さんなんですがね」 「はい」 「あの方なら、まあ気心も知れているし、私も安心だし、一は無論異存のある訳はなし――よかろうと思うんですがね」 「はい」 「どうでしょう、阿母の御考は」 「あの通行き届きませんものをそれほどまでにおっしゃって下さるのはまことにありがたい訳でございますが……」 「いいじゃ、ありませんか」 「そうなれば藤尾も仕合せ、私も安心で……」 「御不足ならともかく、そうでなければ……」 「不足どころじゃございません。願ったり叶ったりで、この上もない結構な事でございますが、ただ彼人に困りますので。一さんは宗近家を御襲ぎになる大事な身体でいらっしゃる。藤尾が御気に入るか、入らないかは分りませんが、まず貰っていただいたと致したところで、差し上げた後で、欽吾がやはり今のようでは私も実のところはなはだ心細いような訳で……」 「アハハハそう心配しちゃ際限がありませんよ。藤尾さんさえ嫁に行ってしまえば欽吾さんにも責任が出る訳だから、自然と考もちがってくるにきまっている。そうなさい」 「そう云うものでございましょうかね」 「それに御承知の通、阿父がいつぞやおっしゃった事もあるし。そうなれば亡くなった人も満足だろう」 「いろいろ御親切にありがとう存じます。なに配偶さえ生きておりますれば、一人で――こん――こんな心配は致さなくっても宜しい――のでございますが」  謎の女の云う事はしだいに湿気を帯びて来る。世に疲れたる筆はこの湿気を嫌う。辛うじて謎の女の謎をここまで叙し来った時、筆は、一歩も前へ進む事が厭だと云う。日を作り夜を作り、海と陸とすべてを作りたる神は、七日目に至って休めと言った。謎の女を書きこなしたる筆は、日のあたる別世界に入ってこの湿気を払わねばならぬ。  日のあたる別世界には二人の兄妹が活動する。六畳の中二階の、南を受けて明るきを足れりとせず、小気味よく開け放ちたる障子の外には、二尺の松が信楽の鉢に、蟠まる根を盛りあげて、くの字の影を椽に伏せる。一間の唐紙は白地に秦漢瓦鐺の譜を散らしに張って、引手には波に千鳥が飛んでいる。つづく三尺の仮の床は、軸を嫌って、籠花活に軽い一輪をざっくばらんに投げ込んだ。  糸子は床の間に縫物の五色を、彩と乱して、糸屑のこぼるるほどの抽出を二つまであらわに抜いた針箱を窓近くに添える。縫うて行く糸の行方は、一針ごとに春を刻む幽かな音に、聴かれるほどの静かさを、兄は大きな声で消してしまう。  腹這は弥生の姿、寝ながらにして天下の春を領す。物指の先でしきりに敷居を敲いている。 「糸公。こりゃ御前の座敷の方が明かるくって上等だね」 「替えたげましょうか」 「そうさ。替えて貰ったところで余り儲かりそうでもないが――しかし御前には上等過ぎるよ」 「上等過ぎたって誰も使わないんだから好いじゃありませんか」 「好いよ。好い事は好いが少し上等過ぎるよ。それにこの装飾物がどうも――妙齢の女子には似合わしからんものがあるじゃないか」 「何が?」 「何がって、この松さ。こりゃたしか阿父が苔盛園で二十五円で売りつけられたんだろう」 「ええ。大事な盆栽よ。転覆でもしようもんなら大変よ」 「ハハハハこれを二十五円で売りつけられる阿爺も阿爺だが、それをまた二階まで、えっちらおっちら担ぎ上げる御前も御前だね。やっぱりいくら年が違っても親子は爭われないものだ」 「ホホホホ兄さんはよっぽど馬鹿ね」 「馬鹿だって糸公と同じくらいな程度だあね。兄弟だもの」 「おやいやだ。そりゃ私は無論馬鹿ですわ。馬鹿ですけれども、兄さんも馬鹿よ」 「馬鹿よか。だから御互に馬鹿よで好いじゃあないか」 「だって証拠があるんですもの」 「馬鹿の証拠がかい」 「ええ」 「そりゃ糸公の大発明だ。どんな証拠があるんだね」 「その盆栽はね」 「うん、この盆栽は」 「その盆栽はね――知らなくって」 「知らないとは」 「私大嫌よ」 「へええ、今度こっちの大発明だ。ハハハハ。嫌なものを、なんでまた持って来たんだ。重いだろうに」 「阿父さまが御自分で持っていらしったのよ」 「何だって」 「日が中って二階の方が松のために好いって」 「阿爺も親切だな。そうかそれで兄さんが馬鹿になっちまったんだね。阿爺親切にして子は馬鹿になりか」 「なに、そりゃ、ちょっと。発句?」 「まあ発句に似たもんだ」 「似たもんだって、本当の発句じゃないの」 「なかなか追窮するね。それよりか御前今日は大変立派なものを縫ってるね。何だいそれは」 「これ? これは伊勢崎でしょう」 「いやに光つくじゃないか。兄さんのかい」 「阿爺のよ」 「阿爺のものばかり縫って、ちっとも兄さんには縫ってくれないね。狐の袖無以後御見限りだね」 「あらいやだ。あんな嘘ばかり。今着ていらっしゃるのも縫って上げたんだわ」 「これかい。これはもう駄目だ。こらこの通り」 「おや、ひどい襟垢だ事、こないだ着たばかりだのに――兄さんは膏が多過ぎるんですよ」 「何が多過ぎても、もう駄目だよ」 「じゃこれを縫い上げたら、すぐ縫って上げましょう」 「新らしいんだろうね」 「ええ、洗って張ったの」 「あの親父の拝領ものか。ハハハハ。時に糸公不思議な事があるがね」 「何が」 「阿爺は年寄の癖に新らしいものばかり着て、年の若いおれには御古ばかり着せたがるのは、少し妙だよ。この調子で行くとしまいには自分でパナマの帽子を被って、おれには物置にある陣笠をかぶれと云うかも知れない」 「ホホホホ兄さんは随分口が達者ね」 「達者なのは口だけか。可哀想に」 「まだ、あるのよ」  宗近君は返事をやめて、欄干の隙間から庭前の植込を頬杖に見下している。 「まだあるのよ。一寸」と針を離れぬ糸子の眼は、左の手につんと撮んだ合せ目を、見る間に括けて来て、いざと云う指先を白くふっくらと放した時、ようやく兄の顔を見る。 「まだあるのよ。兄さん」 「何だい。口だけでたくさんだよ」 「だって、まだあるんですもの」と針の針孔を障子へ向けて、可愛らしい二重瞼を細くする。宗近君は依然として長閑な心を頬杖に託して庭を眺めている。 「云って見ましょうか」 「う。うん」  下顎は頬杖で動かす事が出来ない。返事は咽喉から鼻へ抜ける。 「あし。分ったでしょう」 「う。うん」  紺の糸を唇に湿して、指先に尖らすは、射損なった針孔を通す女の計である。 「糸公、誰か御客があるのかい」 「ええ、甲野の阿母が御出よ」 「甲野の阿母か。あれこそ達者だね、兄さんなんかとうてい叶わない」 「でも品がいいわ。兄さん見たように悪口はおっしゃらないからいいわ」 「そう兄さんが嫌じゃ、世話の仕栄がない」 「世話もしない癖に」 「ハハハハ実は狐の袖無の御礼に、近日御花見にでも連れて行こうかと思っていたところだよ」 「もう花は散ってしまったじゃありませんか。今時分御花見だなんて」 「いえ、上野や向島は駄目だが荒川は今が盛だよ。荒川から萱野へ行って桜草を取って王子へ廻って汽車で帰ってくる」 「いつ」と糸子は縫う手をやめて、針を頭へ刺す。 「でなければ、博覧会へ行って台湾館で御茶を飲んで、イルミネーションを見て電車で帰る。――どっちが好い」 「わたし、博覧会が見たいわ。これを縫ってしまったら行きましょう。ね」 「うん。だから兄さんを大事にしなくっちゃあ行けないよ。こんな親切な兄さんは日本中に沢山はないぜ」 「ホホホホへえ、大事に致します。――ちょっとその物指を借してちょうだい」 「そうして裁縫を勉強すると、今に御嫁に行くときに金剛石の指環を買ってやる」 「旨いのねえ、口だけは。そんなに御金があるの」 「あるのって、――今はないさ」 「いったい兄さんはなぜ落第したんでしょう」 「えらいからさ」 「まあ――どこかそこいらに鋏はなくって」 「その蒲団の横にある。いや、もう少し左。――その鋏に猿が着いてるのは、どう云う訳だ。洒落かい」 「これ? 奇麗でしょう。縮緬の御申さん」 「御前がこしらえたのかい。感心に旨く出来てる。御前は何にも出来ないが、こんなものは器用だね」 「どうせ藤尾さんのようには参りません――あらそんな椽側へ煙草の灰を捨てるのは御廃しなさいよ。――これを借して上げるから」 「なんだいこれは。へええ。板目紙の上へ千代紙を張り付けて。やっぱり御前がこしらえたのか。閑人だなあ。いったい何にするものだい。――糸を入れる? 糸の屑をかい。へええ」 「兄さんは藤尾さんのような方が好きなんでしょう」 「御前のようなのも好きだよ」 「私は別物として――ねえ、そうでしょう」 「嫌でもないね」 「あら隠していらっしゃるわ。おかしい事」 「おかしい? おかしくってもいいや。――甲野の叔母はしきりに密談をしているね」 「ことに因ると藤尾さんの事かも知れなくってよ」 「そうか、それじゃ聴きに行こうか」 「あら、御廃しなさいよ――わたし、火熨がいるんだけれども遠慮して取りに行かないんだから」 「自分の家で、そう遠慮しちゃ有害だ。兄さんが取って来てやろうか」 「いいから御廃しなさいよ。今下へ行くとせっかくの話をやめてしまってよ」 「どうも剣呑だね。それじゃこっちも気息を殺して寝転んでるのか」 「気息を殺さなくってもいいわ」 「じゃ気息を活かして寝転ぶか」 「寝転ぶのはもう好い加減になさいよ。そんなに行儀がわるいから外交官の試験に落第するのよ」 「そうさな、あの試験官はことによると御前と同意見かも知れない。困ったもんだ」 「困ったもんだって、藤尾さんもやっぱり同意見ですよ」  裁縫の手を休めて、火熨に逡巡っていた糸子は、入子菱に縢った指抜を抽いて、色に銀の雨を刺す針差を裏に、如鱗木の塗美くしき蓋をはたと落した。やがて日永の窓に赤くなった耳朶のあたりを、平手で支えて、右の肘を針箱の上に、取り広げたる縫物の下で、隠れた膝を斜めに崩した。襦袢の袖に花と乱るる濃き色は、柔らかき腕を音なく滑って、くっきりと普通よりは明かなる肉の柱が、蝶と傾く絹紐の下に鮮かである。 「兄さん」 「何だい。――仕事はもうおやめか。何だかぼんやりした顔をしているね」 「藤尾さんは駄目よ」 「駄目だ? 駄目とは」 「だって来る気はないんですもの」 「御前聞いて来たのか」 「そんな事がまさか無躾に聞かれるもんですか」 「聞かないでも分かるのか。まるで巫女だね。――御前がそう頬杖を突いて針箱へ靠たれているところは天下の絶景だよ。妹ながら天晴な姿勢だハハハハ」 「沢山御冷やかしなさい。人がせっかく親切に言って上げるのに」  云いながら糸子は首を支えた白い腕をぱたりと倒した。揃った指が針箱の角を抑えるように、前へ垂れる。障子に近い片頬は、圧し付けられた手の痕を耳朶共にぽうと赤く染めている。奇麗に囲う二重の瞼は、涼しい眸を、長い睫に隠そうとして、上の方から垂れかかる。宗近君はこの睫の奥からしみじみと妹に見られた。――四角な肩へ肉を入れて、倒した胴を肘に撥ねて起き上がる。 「糸公、おれは叔父さんの金時計を貰う約束があるんだよ」 「叔父さんの?」と軽く聞き返して、急に声を落すと「だって……」と云うや否や、黒い眸は長い睫の裏にかくれた。派出な色の絹紐がちらりと前の方へ顔を出す。 「大丈夫だ。京都でも甲野に話して置いた」 「そう」と俯目になった顔を半ば上げる。危ぶむような、慰めるような笑が顔と共に浮いて来る。 「兄さんが今に外国へ行ったら、御前に何か買って送ってやるよ」 「今度の試験の結果はまだ分らないの」 「もう直だろう」 「今度は是非及第なさいよ」 「え、うん。アハハハハ。まあ好いや」 「好かないわ。――藤尾さんはね。学問がよく出来て、信用のある方が好きなんですよ」 「兄さんは学問が出来なくって、信用がないのかな」 「そうじゃないのよ。そうじゃないけれども――まあ例に云うと、あの小野さんと云う方があるでしょう」 「うん」 「優等で銀時計をいただいたって。今博士論文を書いていらっしゃるってね。――藤尾さんはああ云う方が好なのよ」 「そうか。おやおや」 「何がおやおやなの。だって名誉ですわ」 「兄さんは銀時計もいただけず、博士論文も書けず。落第はする。不名誉の至だ」 「あら不名誉だと誰も云やしないわ。ただあんまり気楽過ぎるのよ」 「あんまり気楽過ぎるよ」 「ホホホホおかしいのね。何だかちっとも苦にならないようね」 「糸公、兄さんは学問も出来ず落第もするが――まあ廃そう、どうでも好い。とにかく御前兄さんを好い兄さんと思わないかい」 「そりゃ思うわ」 「小野さんとどっちが好い」 「そりゃ兄さんの方が好いわ」 「甲野さんとは」 「知らないわ」  深い日は障子を透して糸子の頬を暖かに射る。俯向いた額の色だけがいちじるしく白く見えた。 「おい頭へ針が刺さってる。忘れると危ないよ」 「あら」と翻える襦袢の袖のほのめくうちを、二本の指に、ここと抑えて、軽く抜き取る。 「ハハハハ見えない所でも、旨く手が届くね。盲目にすると疳の好い按摩さんが出来るよ」 「だって慣れてるんですもの」 「えらいもんだ。時に糸公面白い話を聞かせようか」 「なに」 「京都の宿屋の隣に琴を引く別嬪がいてね」 「端書に書いてあったんでしょう」 「ああ」 「あれなら知っててよ」 「それがさ、世の中には不思議な事があるもんだね。兄さんと甲野さんと嵐山へ御花見に行ったら、その女に逢ったのさ。逢ったばかりならいいが、甲野さんがその女に見惚れて茶碗を落してしまってね」 「あら、本当? まあ」 「驚ろいたろう。それから急行の夜汽車で帰る時に、またその女と乗り合せてね」 「嘘よ」 「ハハハハとうとう東京までいっしょに来た」 「だって京都の人がそうむやみに東京へくる訳がないじゃありませんか」 「それが何かの因縁だよ」 「人を……」 「まあ御聞きよ。甲野が汽車の中であの女は嫁に行くんだろうか、どうだろうかって、しきりに心配して……」 「もうたくさん」 「たくさんなら廃そう」 「その女の方は何とおっしゃるの、名前は」 「名前かい――だってもうたくさんだって云うじゃないか」 「教えたって好いじゃありませんか」 「ハハハハそう真面目にならなくっても好い。実は嘘だ。全く兄さんの作り事さ」 「悪らしい」  糸子はめでたく笑った。         十一  蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は劇烈なる生存のうちに無聊をかこつ。立ちながら三度の食につくの忙きに堪えて、路上に昏睡の病を憂う。生を縦横に託して、縦横に死を貪るは文明の民である。文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自己の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削って、人の精神を擂木と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新らしき博覧会に集まる。  狗は香を恋い、人は色に趁る。狗と人とはこの点においてもっとも鋭敏な動物である。紫衣と云い、黄袍と云い、青衿と云う。皆人を呼び寄せるの道具に過ぎぬ。土堤を走る弥次馬は必ずいろいろの旗を担ぐ。担がれて懸命に櫂を操るものは色に担がれるのである。天下、天狗の鼻より著しきものはない。天狗の鼻は古えより赫奕として赤である。色のある所は千里を遠しとせず。すべての人は色の博覧会に集まる。  蛾は灯に集まり、人は電光に集まる。輝やくものは天下を牽く。金銀、、瑪瑙、琉璃、閻浮檀金、の属を挙げて、ことごとく退屈の眸を見張らして、疲れたる頭を我破と跳ね起させるために光るのである。昼を短かしとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤たる宝石が独り幅を利かす。金剛石は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮に、見るものの胸に閃く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる。  文明を刺激の袋の底に篩い寄せると博覧会になる。博覧会を鈍き夜の砂に漉せば燦たるイルミネーションになる。いやしくも生きてあらば、生きたる証拠を求めんがためにイルミネーションを見て、あっと驚かざるべからず。文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚く時、始めて生きているなと気がつく。  花電車が風を截って来る。生きている証拠を見てこいと、積み込んだ荷を山下雁鍋の辺で卸す。雁鍋はとくの昔に亡くなった。卸された荷物は、自己が亡くならんとしつつある名誉を回復せんと森の方にぞろぞろ行く。  岡は夜を掠めて本郷から起る。高き台を朧に浮かして幅十町を東へなだれる下り口は、根津に、弥生に、切り通しに、驚ろかんとするものを枡で料って下谷へ通す。踏み合う黒い影はことごとく池の端にあつまる。――文明の人ほど驚ろきたがるものはない。  松高くして花を隠さず、枝の隙間に夜を照らす宵重なりて、雨も降り風も吹く。始めは一片と落ち、次には二片と散る。次には数うるひまにただはらはらと散る。この間中は見るからに、万紅を大地に吹いて、吹かれたるものの地に届かざるうちに、梢から後を追うて落ちて来た。忙がしい吹雪はいつか尽きて、今は残る樹頭に嵐もようやく収った。星ならずして夜を護る花の影は見えぬ。同時にイルミネーションは点いた。 「あら」と糸子が云う。 「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾が云う。  薄の穂を丸く曲げて、左右から重なる金の閃く中に織り出した半月の数は分からず。幅広に腰を蔽う藤尾の帯を一尺隔てて宗近君と甲野さんが立っている。 「これは奇観だ。ざっと竜宮だね」と宗近君が云う。 「糸子さん、驚いたようですね」と甲野さんは帽子を眉深く被って立つ。  糸子は振り返る。夜の笑は水の中で詩を吟ずるようなものである。思う所へは届かぬかも知れぬ。振り返る人の衣の色は黄に似て夜を欺くを、黒いものが幾筋も竪に刻んでいる。 「驚いたかい」と今度は兄が聞き直す。 「貴所方は」と糸子を差し置いて藤尾が振り返る。黒い髪の陰から颯と白い顔が映す。頬の端は遠い火光を受けてほの赤い。 「僕は三遍目だから驚ろかない」と宗近君は顔一面を明かるい方へ向けて云う。 「驚くうちは楽があるもんだ。女は楽が多くて仕合せだね」と甲野さんは長い体躯を真直に立てたまま藤尾を見下した。  黒い眼が夜を射て動く。 「あれが台湾館なの」と何気なき糸子は水を横切って指を点す。 「あの一番右の前へ出ているのがそうだ。あれが一番善く出来ている。ねえ甲野さん」 「夜見ると」甲野さんがすぐ但書を附け加えた。 「ねえ、糸公、まるで竜宮のようだろう」 「本当に竜宮ね」 「藤尾さん、どう思う」と宗近君はどこまでも竜宮が得意である。 「俗じゃありませんか」 「何が、あの建物がかね」 「あなたの形容がですよ」 「ハハハハ甲野さん、竜宮は俗だと云う御意見だ。俗でも竜宮じゃないか」 「形容は旨く中ると俗になるのが通例だ」 「中ると俗なら、中らなければ何になるんだ」 「詩になるでしょう」と藤尾が横合から答えた。 「だから、詩は実際に外れる」と甲野さんが云う。 「実際より高いから」と藤尾が註釈する。 「すると旨く中った形容が俗で、旨く中らなかった形容が詩なんだね。藤尾さん無味くって中らない形容を云って御覧」 「云って見ましょうか。――兄さんが知ってるでしょう。聴いて御覧なさい」と藤尾は鋭どい眼の角から欽吾を見た。眼の角は云う。――無味くって中らない形容は哲学である。 「あの横にあるのは何」と糸子が無邪気に聞く。  の線を闇に渡して空を横に切るは屋根である。竪に切るは柱である。斜めに切るは甍である。朧の奥に星を埋めて、限りなき夜を薄黒く地ならししたる上に、稲妻の穂は一を引いて虚空を走った。二を引いて上から落ちて来た。卍を描いて花火のごとく地に近く廻転した。最後に穂先を逆に返して帝座の真中を貫けとばかり抛げ上げた。かくして塔は棟に入り、棟は床に連なって、不忍の池の、此方から見渡す向を、右から左へ隙間なく埋めて、大いなる火の絵図面が出来た。  藍を含む黒塗に、金を惜まぬ高蒔絵は堂を描き、楼を描き、廻廊を描き、曲欄を描き、円塔方柱の数々を描き尽して、なお余りあるを是非に用い切らんために、描ける上を往きつ戻りつする。縦横に空を走るの線は一点一劃を乱すことなく整然として一点一劃のうちに活きている。動いている。しかも明かに動いて、動く限りは形を崩す気色が見えぬ。 「あの横に見えるのは何」と糸子が聞く。 「あれが外国館。ちょうど正面に見える。ここから見るのが一番奇麗だ。あの左にある高い丸い屋根が三菱館。――あの恰好が好い。何と形容するかな」と宗近君はちょっと躊躇した。 「あの真中だけが赤いのね」と妹が云う。 「冠に紅玉を嵌めたようだ事」と藤尾が云う。 「なるほど、天賞堂の広告見たようだ」と宗近君は知らぬ顔で俗にしてしまう。甲野さんは軽く笑って仰向いた。  空は低い。薄黒く大地に逼る夜の中途に、煮え切らぬ星が路頭に迷って放下がっている。柱と連なり、甍と積む万点のは逆しまに天を浸して、寝とぼけた星の眼を射る。星の眼は熱い。 「空が焦げるようだ。――羅馬法王の冠かも知れない」と甲野さんの視線は谷中から上野の森へかけて大いなる圜を画いた。 「羅馬法王の冠か。藤尾さん、羅馬法王の冠はどうだい。天賞堂の広告の方が好さそうだがね」 「いずれでも……」と藤尾は澄ましている。 「いずれでも差支なしか。とにかく女王の冠じゃない。ねえ甲野さん」 「何とも云えない。クレオパトラはあんな冠をかぶっている」 「どうして御存じなの」と藤尾は鋭どく聞いた。 「御前の持っている本に絵がかいてあるじゃないか」 「空より水の方が奇麗よ」と糸子が突然注意した。対話はクレオパトラを離れる。  昼でも死んでいる水は、風を含まぬ夜の影に圧し付けられて、見渡す限り平かである。動かぬはいつの事からか。静かなる水は知るまい。百年の昔に掘った池ならば、百年以来動かぬ、五十年の昔ならば、五十年以来動かぬとのみ思われる水底から、腐った蓮の根がそろそろ青い芽を吹きかけている。泥から生れた鯉と鮒が、闇を忍んで緩やかにを働かしている。イルミネーションは高い影を逆まにして、二丁余の岸を、尺も残さず真赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につつもぱっと色を作す。泥に潜む魚の鰭は燃える。  湿えるは、一抹に岸を伸して、明かに向側へ渡る。行く道に横わるすべてのものを染め尽してやまざるを、ぷつりと截って長い橋を西から東へ懸ける。白い石に野羽玉の波を跨ぐアーチの数は二十、欄に盛る擬宝珠はことごとく夜を照らす白光の珠である。 「空より水の方が奇麗よ」と注意した糸子の声に連れて、残る三人の眼はことごとく水と橋とに聚った。一間ごとに高く石欄干を照らす電光が、遠きこちらからは、行儀よく一列に空に懸って見える。下をぞろぞろ人が通る。 「あの橋は人で埋っている」 と宗近君が大きな声を出した。  小野さんは孤堂先生と小夜子を連れて今この橋を通りつつある。驚ろかんとあせる群集は弁天の祠を抜けて圧して来る。向が岡を下りて圧して来る。東西南北の人は広い森と、広い池の周囲を捨ててことごとく細長い橋の上に集まる。橋の上は動かれぬ。真中に弓張を高く差し上げて、巡査が来る人と往く人を左へ右へと制している。来る人も往く人もただ揉まれて通る。足を地に落す暇はない。楽に踏む余地を尺寸に見出して、安々と踵を着ける心持がやっと有ったなと思ううち、もう後ろから前へ押し出される。歩くとは思えない。歩かぬとは無論云えぬ。小夜子は夢のように心細くなる。孤堂先生は過去の人間を圧し潰すために皆が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さんだけは比較的得意である。多勢の間に立って、多数より優れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。博覧会は当世である。イルミネーションはもっとも当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。ただあっと云って、当世的に生存の自覚を強くするためである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる後家に帰って安眠するためである。小野さんはこの多数の当世のうちで、もっとも当世なものである。得意なのは無理もない。  得意な小野さんは同時に失意である。自分一人でこそ誰が眼にも当世に見える。申し分のあるはずがない。しかし時代後れの御荷物を丁寧に二人まで背負って、幅の利かぬ過去と同一体だと当世から見られるのは、ただ見られるのではない、見咎められるも同然である。芝居に行って、自分の着ている羽織の紋の大さが、時代か時代後れか、そればかりが気になって、見物にはいっこう身が入らぬものさえある。小野さんは肩身が狭い。人の波の許す限り早く歩く。 「阿爺、大丈夫」と後から呼ぶ。 「ああ大丈夫だよ」と知らぬ人を間に挟んだまま一軒置いて返事がある。 「何だか危なくって……」 「なに自然に押して行けば世話はない」と挟まった人をやり過ごして、苦しいところを娘といっしょになる。 「押されるばかりで、ちっとも押せやしないわ」と娘は落ちつかぬながら、薄い片頬に笑を見せる。 「押さなくってもいいから、押されるだけ押されるさ」と云ううち二人は前へ出る。巡査の提灯が孤堂先生の黒い帽子を掠めて動いた。 「小野はどうしたかね」 「あすこよ」と眼元で指す。手を出せば人の肩で遮ぎられる。 「どこに」と孤堂先生は足を揃える暇もなく、そのまま日和下駄の前歯を傾けて背延をする。先生の腰が中心を失いかけたところを、後ろから気の早い文明の民が押しかかる。先生はのめった。危うく倒れるところを、前に立つ文明の民の背中でようやく喰い留める。文明の民はどこまでも前へ出たがる代りに、背中で人を援ける事を拒まぬ親切な人間である。  文明の波は自から動いて頼のない親と子を弁天の堂近く押し出して来る。長い橋が切れて、渡る人の足が土へ着くや否や波は急に左右に散って、黒い頭が勝手な方へ崩れ出す。二人はようやく胸が広くなったような心持になる。  暗い底に藍を含む逝く春の夜を透かして見ると、花が見える。雨に風に散り後れて、八重に咲く遅き香を、夜に懸けん花の願を、人の世の灯が下から朗かに照らしている。朧に薄紅の螺鈿を鐫る。鐫ると云うと硬過る。浮くと云えば空を離れる。この宵とこの花をどう形容したらよかろうかと考えながら、小野さんは二人を待ち合せている。 「どうも怖ろしい人だね」と追いついた孤堂先生が云う。怖ろしいとは、本当に怖ろしい意味でかつ普通に怖ろしい意味である。 「随分出ます」 「早く家へ帰りたくなった。どうも怖しい人だ。どこからこんなに出て来るのかね」  小野さんはにやにやと笑った。蜘蛛の子のように暗い森を蔽うて至る文明の民は皆自分の同類である。 「さすが東京だね。まさか、こんなじゃ無かろうと思っていた。怖しい所だ」  数は勢である。勢を生む所は怖しい。一坪に足らぬ腐れた水でも御玉杓子のうじょうじょ湧く所は怖しい。いわんや高等なる文明の御玉杓子を苦もなくひり出す東京が怖しいのは無論の事である。小野さんはまたにやにやと笑った。 「小夜や、どうだい。あぶない、もう少しで紛れるところだった。京都じゃこんな事はないね」 「あの橋を通る時は……どうしようかと思いましたわ。だって怖くって……」 「もう大丈夫だ。何だか顔色が悪いようだね。くたびれたかい」 「少し心持が……」 「悪い? 歩きつけないのを無理に歩いたせいだよ。それにこの人出じゃあ。どっかでちょいと休もう。――小野、どっか休む所があるだろう、小夜が心持がよくないそうだから」 「そうですか、そこへ出るとたくさん茶屋がありますから」と小野さんはまた先へ立って行く。  運命は丸い池を作る。池を回るものはどこかで落ち合わねばならぬ。落ち合って知らぬ顔で行くものは幸である。人の海の湧き返る薄黒い倫敦で、朝な夕なに回り合わんと心掛ける甲斐もなく、眼を皿に、足を棒に、尋ねあぐんだ当人は、ただ一重の壁に遮られて隣りの家に煤けた空を眺めている。それでも逢えぬ、一生逢えぬ、骨が舎利になって、墓に草が生えるまで逢う事が出来ぬかも知れぬと書いた人がある。運命は一重の壁に思う人を終古に隔てると共に、丸い池に思わぬ人をはたと行き合わせる。変なものは互に池の周囲を回りながら近寄って来る。不可思議の糸は闇の夜をさえ縫う。 「どうだい女連はだいぶ疲れたろう。ここで御茶でも飲むかね」と宗近君が云う。 「女連はとにかく僕の方が疲れた」 「君より糸公の方が丈夫だぜ。糸公どうだ、まだ歩けるか」 「まだ歩けるわ」 「まだ歩ける? そりゃえらい。じゃ御茶は廃しにするかね」 「でも欽吾さんが休みたいとおっしゃるじゃありませんか」 「ハハハハなかなか旨い事を云う。甲野さん、糸公が君のために休んでやるとさ」 「ありがたい」と甲野さんは薄笑をしたが、 「藤尾も休んでくれるだろうね」と同じ調子でつけ加える。 「御頼みなら」と簡明な答がある。 「どうせ女には敵わない」と甲野さんは断案を下した。  池の水に差し掛けて洋風に作り上げた仮普請の入口を跨ぐと、小い卓に椅子を添えてここ、かしこに併べた大広間に、三人四人ずつの群がおのおの口の用を弁じている。どこへ席をとろうかと、四五十人の一座をずっと見廻した宗近君は、並んで右に立っている甲野さんの袂をぐいと引いた。後の藤尾はすぐおやと思う。しかし仰山に何事かと聞くのは不見識である。甲野さんは別段相図を返した様子もなく 「あすこが空いている」とずんずん奥へ這入って行く。あとを跟けながら藤尾の眼は大きな部屋の隅から隅までを残りなく腹の中へ畳み込む。糸子はただ下を見て通る。 「おい気がついたか」と宗近君の腰はまず椅子に落ちた。 「うん」と云う簡潔な返事がある。 「藤尾さん小野が来ているよ。後ろを見て御覧」と宗近君がまた云う。 「知っています」と云ったなり首は少しも動かなかった。黒い眼が怪しい輝を帯びて、頬の色は電気灯のもとでは少し熱過ぎる。 「どこに」と何気なき糸子は、優しい肩を斜めに捩じ向けた。  入口を左へ行き尽くして、二列目の卓を壁際に近く囲んで小野さんの連中は席を占めている。腰を卸した三人は突き当りの右側に、窓を控えて陣を取る。肩を動かした糸子の眼は、広い部屋に所択ばず散らついている群衆を端から端へ貫ぬいて、遥か隔たった小野さんの横顔に落ちた。――小夜子は真向に見える。孤堂先生は背中の紋ばかりである。春の夜を淋しく交る白い糸を、顎の下に抜くも嬾うく、世のままに、人のままに、また取る年の積るままに捨てて吹かるる憂き髯は小夜子の方に向いている。 「あら御連があるのね」と糸子は頸をもとへ返す。返すとき前に坐っている甲野さんと眼を見合せた。甲野さんは何にも云わない。灰皿の上に竪に挟んだ燐寸箱の横側をしゅっと擦った。藤尾も口を結んだままである。小野さんとは背中合せのままでわかれるつもりかも知れない。 「どうだい、別嬪だろう」と宗近君は糸子に調戯かける。  俯目に卓布を眺めていた藤尾の眼は見えぬ、濃い眉だけはぴくりと動いた。糸子は気がつかぬ、宗近君は平気である、甲野さんは超然としている。 「うつくしい方ね」と糸子は藤尾を見る。藤尾は眼を上げない。 「ええ」と素気なく云い放つ。極めて低い声である。答を与うるに価せぬ事を聞かれた時に、――相手に合槌を打つ事を屑とせざる時に――女はこの法を用いる。女は肯定の辞に、否定の調子を寓する霊腕を有している。 「見たかい甲野さん、驚いたね」 「うん、ちと妙だね」と巻煙草の灰を皿の中にはたき落す。 「だから僕が云ったのだ」 「何と云ったのだい」 「何と云ったって、忘れたかい」と宗近君も下向になって燐寸を擦る。刹那に藤尾の眸は宗近君の額を射た。宗近君は知らない。啣えた巻煙草に火を移して顔を真向に起した時、稲妻はすでに消えていた。 「あら妙だわね。二人して……何を云っていらっしゃるの」と糸子が聞く。 「ハハハハ面白い事があるんだよ。糸公……」と云い掛けた時紅茶と西洋菓子が来る。 「いやあ亡国の菓子が来た」 「亡国の菓子とは何だい」と甲野さんは茶碗を引き寄せる。 「亡国の菓子さハハハハ。糸公知ってるだろう亡国の菓子の由緒を」と云いながら角砂糖を茶碗の中へ抛り込む。蟹の眼のような泡が幽かな音を立てて浮き上がる。 「そんな事知らないわ」と糸子は匙でぐるぐる攪き廻している。 「そら阿爺が云ったじゃないか。書生が西洋菓子なんぞを食うようじゃ日本も駄目だって」 「ホホホホそんな事をおっしゃるもんですか」 「云わない? 御前よっぽど物覚がわるいね。そらこの間甲野さんや何かと晩飯を食った時、そう云ったじゃないか」 「そうじゃないわ。書生の癖に西洋菓子なんぞ食うのはのらくらものだっておっしゃったんでしょう」 「はああ、そうか。亡国の菓子じゃなかったかね。とにかく阿爺は西洋菓子が嫌だよ。柿羊羹か味噌松風、妙なものばかり珍重したがる。藤尾さんのようなハイカラの傍へ持って行くとすぐ軽蔑されてしまう」 「そう阿爺の悪口をおっしゃらなくってもいいわ。兄さんだって、もう書生じゃないから西洋菓子を食べたって大丈夫ですよ」 「もう叱られる気遣はないか。それじゃ一つやるかな。糸公も一つ御上り。どうだい藤尾さん一つ。――しかしなんだね。阿爺のような人はこれから日本にだんだん少なくなるね。惜しいもんだ」とチョコレートを塗った卵糖を口いっぱいに頬張る。 「ホホホホ一人で饒舌って……」と藤尾の方を見る。藤尾は応じない。 「藤尾は何も食わないのか」と甲野さんは茶碗を口へ付けながら聞く。 「たくさん」と云ったぎりである。  甲野さんは静かに茶碗を卸して、首を心持藤尾の方へ向け直した。藤尾は来たなと思いながら、瞬もせず窓を通して映る、イルミネーションの片割を専念に見ている。兄の首はしだいに故の位地に帰る。  四人が席を立った時、藤尾は傍目も触らず、ただ正面を見たなりで、女王の人形が歩を移すがごとく昂然として入口まで出る。 「もう小野は帰ったよ、藤尾さん」と宗近君は洒落に女の肩を敲く。藤尾の胸は紅茶で焼ける。 「驚ろくうちは楽がある。女は仕合せなものだ」と再び人込へ出た時、何を思ったか甲野さんは復前言を繰り返した。  驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ! 家へ帰って寝床へ這入るまで藤尾の耳にこの二句が嘲の鈴のごとく鳴った。         十二  貧乏を十七字に標榜して、馬の糞、馬の尿を得意気に咏ずる発句と云うがある。芭蕉が古池に蛙を飛び込ますと、蕪村が傘を担いで紅葉を見に行く。明治になっては子規と云う男が脊髄病を煩って糸瓜の水を取った。貧に誇る風流は今日に至っても尽きぬ。ただ小野さんはこれを卑しとする。  仙人は流霞を餐し、朝を吸う。詩人の食物は想像である。美くしき想像に耽るためには余裕がなくてはならぬ。美くしき想像を実現するためには財産がなくてはならぬ。二十世紀の詩趣と元禄の風流とは別物である。  文明の詩は金剛石より成る。紫より成る。薔薇の香と、葡萄の酒と、琥珀の盃より成る。冬は斑入の大理石を四角に組んで、漆に似たる石炭に絹足袋の底を煖めるところにある。夏は氷盤に莓を盛って、旨き血を、クリームの白きなかに溶し込むところにある。あるときは熱帯の奇蘭を見よがしに匂わする温室にある。野路や空、月のなかなる花野を惜気も無く織り込んだ綴の丸帯にある。唐錦小袖振袖の擦れ違うところにある。――文明の詩は金にある。小野さんは詩人の本分を完うするために金を得ねばならぬ。  詩を作るより田を作れと云う。詩人にして産を成したものは古今を傾けて幾人もない。ことに文明の民は詩人の歌よりも詩人の行を愛する。彼らは日ごと夜ごとに文明の詩を実現して、花に月に富貴の実生活を詩化しつつある。小野さんの詩は一文にもならぬ。  詩人ほど金にならん商買はない。同時に詩人ほど金のいる商買もない。文明の詩人は是非共他の金で詩を作り、他の金で美的生活を送らねばならぬ事となる。小野さんがわが本領を解する藤尾に頼たくなるのは自然の数である。あすこには中以上の恒産があると聞く。腹違の妹を片づけるにただの箪笥と長持で承知するような母親ではない。ことに欽吾は多病である。実の娘に婿を取って、かかる気がないとも限らぬ。折々に、解いて見ろと、わざとらしく結ぶ辻占があたればいつも吉である。急いては事を仕損ずる。小野さんはおとなしくして事件の発展を、自ら開くべき優曇華の未来に待ち暮していた。小野さんは進んで仕掛けるような相撲をとらぬ、またとれぬ男である。  天地はこの有望の青年に対して悠久であった。春は九十日の東風を限りなく得意の額に吹くように思われた。小野さんは優しい、物に逆わぬ、気の長い男であった。――ところへ過去が押し寄せて来た。二十七年の長い夢と背を向けて、西の国へさらりと流したはずの昔から、一滴の墨汁にも較ぶべきほどの暗い小い点が、明かなる都まで押し寄せて来た。押されるものは出る気がなくても前へのめりたがる。おとなしく時機を待つ覚悟を気長にきめた詩人も未来を急がねばならぬ。黒い点は頭の上にぴたりと留っている。仰ぐとぐるぐる旋転しそうに見える。ぱっと散れば白雨が一度にくる。小野さんは首を縮めて馳け出したくなる。  四五日は孤堂先生の世話やら用事やらで甲野の方へ足を向ける事も出来なかった。昨夜は出来ぬ工夫を無理にして、旧師への義理立てに、先生と小夜子を博覧会へ案内した。恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れるような不人情な詩人ではない。一飯漂母を徳とすと云う故事を孤堂先生から教わった事さえある。先生のためならばこれから先どこまでも力になるつもりでいる。人の難儀を救うのは美くしい詩人の義務である。この義務を果して、濃やかな人情を、得意の現在に、わが歴史の一部として、思出の詩料に残すのは温厚なる小野さんにもっとも恰好な優しい振舞である。ただ何事も金がなくては出来ぬ。金は藤尾と結婚せねば出来ぬ。結婚が一日早く成立すれば、一日早く孤堂先生の世話が思うように出来る。――小野さんは机の前でこう云う論理を発明した。  小夜子を捨てるためではない、孤堂先生の世話が出来るために、早く藤尾と結婚してしまわなければならぬ。――小野さんは自分の考に間違はないはずだと思う。人が聞けば立派に弁解が立つと思う。小野さんは頭脳の明暸な男である。  ここまで考えた小野さんはやがて机の上に置いてある、茶の表紙に豊かな金文字を入れた厚い書物を開けた。中からヌーボー式に青い柳を染めて赤瓦の屋根が少し見える栞があらわれる。小野さんは左の手に栞を滑らして、細かい活字を金縁の眼鏡の奥から読み始める。五分ばかりは無事であったが、しばらくすると、いつの間にやら、黒い眼は頁を離れて、筋違に日脚の伸びた障子の桟を見詰めている。――四五日藤尾に逢わぬ、きっと何とか思っているに違ない。ただの時なら四五日が十日でもさして心配にはならぬ。過去に追いつかれた今の身には梳る間も千金である。逢えば逢うたびに願の的は近くなる。逢わねば元の君と我にたぐり寄すべき恋の綱の寸分だも縮まる縁はない。のみならず、魔は節穴の隙にも射す。逢わぬ半日に日が落ちぬとも限らぬ、籠る一夜に月は入る。等閑のこの四五日に藤尾の眉にいかな稲妻が差しているかは夢測りがたい。論文を書くための勉強は無論大切である。しかし藤尾は論文よりも大切である。小野さんはぱたりと書物を伏せた。  芭蕉布の襖を開けると、押入の上段は夜具、下には柳行李が見える。小野さんは行李の上に畳んである背広を出して手早く着換え終る。帽子は壁に主を待つ。がらりと障子を明けて、赤い鼻緒の上草履に、カシミヤの靴足袋を無理に突き込んだ時、下女が来る。 「おや御出掛。少し御待ちなさいよ」 「何だ」と草履から顔を上げる。下女は笑っている。 「何か用かい」 「ええ」とやっぱり笑っている。 「何だ。冗談か」と行こうとすると、卸し立ての草履が片方足を離れて、拭き込んだ廊下を洋灯部屋の方へ滑って行く。 「ホホホホ余まり周章るもんだから。御客様ですよ」 「誰だい」 「あら待ってた癖に空っとぼけて……」 「待ってた? 何を」 「ホホホホ大変真面目ですね」と笑いながら、返事も待たず、入口へ引き返す。小野さんは気掛な顔をして障子の傍に上草履を揃えたまま廊下の突き当りを眺めている。何が出てくるかと思う。焦茶の中折が鴨居を越すほどの高い背を伸して、薄暗い廊下のはずれに折目正しく着こなした背広の地味なだけに、胸開の狭い胴衣から白い襯衣と白い襟が著るしく上品に見える。小野さんは姿よく着こなした衣裳を、見栄のせぬ廊下の片隅に、中ぶらりんに落ちつけて、光る眼鏡を斜めに、突き当りを眺めている。何が出てくるのかと思いながら眺めている。両手を洋袴の隠袋に挿し込むのは落ちつかぬ時の、落ちついた姿である。 「そこを曲ると真直です」と云う下女の声が聞えたと思うと、すらりと小夜子の姿が廊下の端にあらわれた。海老茶色の緞子の片側が竜紋の所だけ異様に光線を射返して見える。在来りの銘仙の袷を、白足袋の甲を隠さぬほどに着て、きりりと角を曲った時、長襦袢らしいものがちらと色めいた。同時に遮ぎるものもない中廊下に七歩の間隔を置いて、男女の視線は御互の顔の上に落ちる。  男はおやと思う。姿勢だけは崩さない。女ははっと躊躇う。やがて頬に差す紅を一度にかくして、乱るる笑顔を肩共に落す。油を注さぬ黒髪に、漣の琥珀に寄る幅広の絹の色が鮮な翼を片鬢に張る。 「さあ」と小野さんは隔たる人を近く誘うような挨拶をする。 「どちらへか御出掛で……」と立ちながら両手を前に重ねた女は、落した肩を、少しく浮かしたままで、気の毒そうに動かない。 「いえ何……まあ御這入んなさい。さあ」と片足を部屋のうちへ引く。 「御免」と云いながら、手を重ねたまま擦足に廊下を滑って来る。  男は全く部屋の中へ引き込んだ。女もつづいて這入る。明かなる日永の窓は若き二人に若き対話を促がす。 「昨夜は御忙しいところを……」と女は入口に近く手をつかえる。 「いえ、さぞ御疲でしたろう。どうです、御気分は。もうすっかり好いですか」 「はあ、御蔭さまで」と云う顔は何となく窶れている。男はちょっと真面目になった。女はすぐ弁解する。 「あんな人込へは滅多に出つけた事がないもんですから」  文明の民は驚ろいて喜ぶために博覧会を開く。過去の人は驚ろいて怖がるためにイルミネーションを見る。 「先生はどうですか」  小夜子は返事を控えて淋しく笑った。 「先生も雑沓する所が嫌でしたね」 「どうも年を取ったもんですから」と気の毒そうに、相手から眼を外して、畳の上に置いてある埋木の茶托を眺める。京焼の染付茶碗はさっきから膝頭に載っている。 「御迷惑でしたろう」と小野さんは隠袋から煙草入を取り出す。闇を照す月の色に富士と三保の松原が細かに彫ってある。その松に緑の絵の具を使ったのは詩人の持物としては少しく俗である。派出を好む藤尾の贈物かも知れない。 「いえ、迷惑だなんて。こっちから願って置いて」と小夜子は頭から小野さんの言葉を打ち消した。男は煙草入を開く。裏は一面の鍍金に、銀の冴えたる上を、花やかにぱっと流す。淋しき女は見事だと思う。 「先生だけなら、もっと閑静な所へ案内した方が好かったかも知れませんね」  忙しがる小野を無理に都合させて、好かぬ人込へわざわざ出掛けるのも皆自分が可愛いからである。済まぬ事には人込は自分も嫌である。せっかくの思に、袖振り交わして、長閑な歩を、春の宵に併んで移す当人は、依然として近寄れない。小夜子は何と返事をしていいか躊躇った。相手の親切に気兼をして、先方の心持を悪くさせまいと云う世態染みた料簡からではない。小夜子の躊躇ったのには、もう少し切ない意味が籠っている。 「先生にはやはり京都の方が好くはないですか」と女の躊躇った気色をどう解釈したか、小野さんは再び問い掛けた。 「東京へ来る前は、しきりに早く移りたいように云ってたんですけれども、来て見るとやはり住み馴れた所が好いそうで」 「そうですか」と小野さんはおとなしく受けたが、心の中ではそれほど性に合わない所へなぜ出て来たのかと、自分の都合を考えて多少馬鹿らしい気もする。 「あなたは」と聞いて見る。  小夜子はまた口籠る。東京が好いか悪いかは、目の前に、西洋の臭のする煙草を燻らしている青年の心掛一つできまる問題である。船頭が客人に、あなたは船が好きですかと聞いた時、好きも嫌も御前の舵の取りよう一つさと答えなければならない場合がある。責任のある船頭にこんな質問を掛けられるほど腹の立つ事はないように、自分の好悪を支配する人間から、素知らぬ顔ですきかきらいかを尋ねられるのは恨めしい。小夜子はまた口籠る。小野さんはなぜこう豁達せぬのかと思う。  胴衣の隠袋から時計を出して見る。 「どちらへか御出掛で」と女はすぐ悟った。 「ええ、ちょっと」と旨い具合に渡し込む。  女はまた口籠る。男は少し焦慮くなる。藤尾が待っているだろう。――しばらくは無言である。 「実は父が……」と小夜子はやっとの思で口を切った。 「はあ、何か御用ですか」 「いろいろ買物がしたいんですが……」 「なるほど」 「もし、御閑ならば、小野さんにいっしょに行っていただいて勧工場ででも買って来いと申しましたから」 「はあ、そうですか。そりゃ、残念な事で。ちょうど今から急いで出なければならない所があるもんですからね。――じゃ、こうしましょう。品物の名を聞いて置いて、私が帰りに買って晩に持って行きましょう」 「それでは御気の毒で……」 「何構いません」  父の好意は再び水泡に帰した。小夜子は悄然として帰る。小野さんは、脱いだ帽子を頭へ載せて手早く表へ出る。――同時に逝く春の舞台は廻る。  紫を辛夷の弁に洗う雨重なりて、花はようやく茶に朽ちかかる椽に、干す髪の帯を隠して、動かせば背に陽炎が立つ。黒きを外に、風が嬲り、日が嬲り、つい今しがたは黄な蝶がひらひらと嬲りに来た。知らぬ顔の藤尾は、内側を向いている。くっきりと肉の締った横顔は、後ろからさす日の影に、耳を蔽うて肩に流す鬢の影に、しっとりとして仄である。千筋にぎらついて深き菫を一面に浴せる肩を通り越して、向う側はと覗き込むとき、眩ゆき眼はしんと静まる。夕暮にそれかと思う蓼の花の、白きを人は潜むと云った。髪多く余る光を椽にこぼすこなたの影に、有るか無きかの細りした顔のなかを、濃く引き残したる眉の尾のみがたしかである。眉の下なる切長の黒い眼は何を語るか分らない。藤尾は寄木の小机に肱を持たせて俯向いている。  心臓の扉を黄金の鎚に敲いて、青春の盃に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地には花吹雪、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛である。緑濃き黒髪を婆娑とさばいて春風に織る羅を、蜘蛛の囲と五彩の軒に懸けて、自と引き掛る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆にして、後の世までの心を乱す。女はただ心地よげに見やる。耶蘇教の牧師は救われよという。臨済、黄檗は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸を動かす。迷わぬものはすべてこの女の敵である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍る時、始めて女の御意はめでたい。欄干に繊い手を出してわんと云えという。わんと云えばまたわんと云えと云う。犬は続け様にわんと云う。女は片頬に笑を含む。犬はわんと云い、わんと云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆にして狂う。女はますます得意である。――藤尾の解釈した愛はこれである。  石仏に愛なし、色は出来ぬものと始から覚悟をきめているからである。愛は愛せらるる資格ありとの自信に基いて起る。ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気のつかぬものがある。この両資格は多くの場合において反比例する。愛せらるるの資格を標榜して憚からぬものは、いかなる犠牲をも相手に逼る。相手を愛するの資格を具えざるがためである。たる美目に魂を打ち込むものは必ず食われる。小野さんは危い。倩たる巧笑にわが命を托するものは必ず人を殺す。藤尾は丙午である。藤尾は己れのためにする愛を解する。人のためにする愛の、存在し得るやと考えた事もない。詩趣はある。道義はない。  愛の対象は玩具である。神聖なる玩具である。普通の玩具は弄ばるるだけが能である。愛の玩具は互に弄ぶをもって原則とする。藤尾は男を弄ぶ。一毫も男から弄ばるる事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を外れた恋でなければならぬ。愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風の吹き回しで、旨い潮の満干で、はたりと天地の前に行き逢った時、この変則の愛は成就する。  我を立てて恋をするのは、火事頭巾を被って、甘酒を飲むようなものである。調子がわるい。恋はすべてを溶かす。角張った絵紙鳶も飴細工であるからは必ず流れ出す。我は愛の水に浸して、三日三晩の長きに渉ってもふやける気色を見せぬ。どこまでも堅く控えている。我を立てて恋をするものは氷砂糖である。  沙翁は女を評して脆きは汝が名なりと云った。脆きが中に我を通す昂れる恋は、炊ぎたる飯の柔らかきに御影の砂を振り敷いて、心を許す奥歯をがりがりと寒からしむ。噛み締めるものに護謨の弾力がなくては無事には行かぬ。我の強い藤尾は恋をするために我のない小野さんを択んだ。蜘蛛の囲にかかる油蝉はかかっても暴れて行かぬ。時によると網を破って逃げる事がある。宗近君を捕るは容易である。宗近君を馴らすは藤尾といえども困難である。我の女は顋で相図をすれば、すぐ来るものを喜ぶ。小野さんはすぐ来るのみならず、来る時は必ず詩歌の璧を懐に抱いて来る。夢にだもわれを弄ぶの意思なくして、満腔の誠を捧げてわが玩具となるを栄誉と思う。彼を愛するの資格をわれに求むる事は露知らず、ただ愛せらるべき資格を、わが眼に、わが眉に、わが唇に、さてはわが才に認めてひたすらに渇仰する。藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ。  唯々として来るべきはずの小野さんが四五日見えぬ。藤尾は薄き粧を日ごとにして我の角を鏡の裡に隠していた。その五日目の昨夕! 驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ! 嘲の鈴はいまだに耳の底に鳴っている。小机に肱を持たしたまま、燃ゆる黒髪を照る日に打たして身動もせぬ。背を椽に、顔を影なる居住は、考え事に明海を忌む、昔からの掟である。  縄なくて十重に括る虜は、捕われたるを誇顔に、麾けば来り、指せば走るを、他意なしとのみ弄びたるに、奇麗な葉を裏返せば毛虫がいる。思う人と併んで姿見に向った時、大丈夫写るは君と我のみと、神懸けて疑わぬを、見れば間違った。男はそのままの男に、寄り添うは見た事もない他人である。驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ!  冴えぬ白さに青味を含む憂顔を、三五の卓を隔てて電灯の下に眺めた時は、――わが傍ならでは、若き美くしき女に近づくまじきはずの男が、気遣わし気に、また親し気に、この人と半々に洋卓の角を回って向き合っていた時は、――撞木で心臓をすぽりと敲かれたような気がした。拍子に胸の血はことごとく頬に潮す。紅は云う、赫としてここに躍り上がると。  我は猛然として立つ。その儀ならばと云う。振り向いてもならぬ。不審を打ってもならぬ。一字の批評も不見識である。有ども無きがごとくに装え。昂然として水準以下に取り扱え。――気がついた男は面目を失うに違ない。これが復讐である。  我の女はいざと云う間際まで心細い顔をせぬ。恨むと云うは頼る人に見替られた時に云う。侮に対する適当な言葉は怒である。無念と嫉妬を交ぜ合せた怒である。文明の淑女は人を馬鹿にするを第一義とする。人に馬鹿にされるのを死に優る不面目と思う。小野さんはたしかに淑女を辱しめた。  愛は信仰より成る。信仰は二つの神を念ずるを許さぬ。愛せらるべき、わが資格に、帰依の頭を下げながら、二心の背を軽薄の街に向けて、何の社の鈴を鳴らす。牛頭、馬骨、祭るは人の勝手である。ただ小野さんは勝手な神に恋の御賽銭を投げて、波か字かの辻占を見てはならぬ。小野さんは、この黒い眼から早速に放つ、見えぬ光りに、空かけて織りなした無紋の網に引き掛った餌食である。外へはやられぬ。神聖なる玩具として生涯大事にせねばならぬ。  神聖とは自分一人が玩具にして、外の人には指もささせぬと云う意味である。昨夕から小野さんは神聖でなくなった。それのみか向うでこっちを玩具にしているかも知れぬ。――肱を持たして、俯向くままの藤尾の眉が活きて来る。  玩具にされたのならこのままでは置かぬ。我は愛を八つ裂にする。面当はいくらもある。貧乏は恋を乾干にする。富貴は恋を贅沢にする。功名は恋を犠牲にする。我は未練な恋を踏みつける。尖る錐に自分の股を刺し通して、それ見ろと人に示すものは我である。自己がもっとも価ありと思うものを捨てて得意なものは我である。我が立てば、虚栄の市にわが命さえ屠る。逆しまに天国を辞して奈落の暗きに落つるセータンの耳を切る地獄の風は我! 我! と叫ぶ。――藤尾は俯向ながら下唇を噛んだ。  逢わぬ四五日は手紙でも出そうかと思っていた。昨夕帰ってからすぐ書きかけて見たが、五六行かいた後で何をとずたずたに引き裂いた。けっして書くまい。頭を下げて先方から折れて出るのを待っている。だまっていればきっと出てくる。出てくれば謝罪らせる。出て来なければ? 我はちょっと困った。手の届かぬところに我を立てようがない。――なに来る、きっと来る、と藤尾は口の中で云う。知らぬ小野さんははたして我に引かれつつある。来つつある。  よし来ても昨夜の女の事は聞くまい。聞けばあの女を眼中に置く事になる。昨夕食卓で兄と宗近が妙な合言葉を使っていた。あの女と小野の関係を聞えよがしに、自分を焦らす料簡だろう。頭を下げて聞き出しては我が折れる。二人で寄ってたかって人を馬鹿にするつもりならそれでよい。二人が仄かした事実の反証を挙げて鼻をあかしてやる。  小野はどうしても詫らせなければならぬ。つらく当って詫らせなければならぬ。同時に兄と宗近も詫らせなければならぬ。小野は全然わがもので、調戯面にあてつけた二人の悪戯は何の役にも立たなかった、見ろこの通りと親しいところを見せつけて、鼻をあかして詫らせなければならぬ。――藤尾は矛盾した両面を我の一字で貫こうと、洗髪の後に顔を埋めて考えている。  静かな椽に足音がする。背の高い影がのっと現われた。絣の袷の前が開いて、肌につけた鼠色の毛織の襯衣が、長い三角を逆様にして胸に映る上に、長い頸がある、長い顔がある。顔の色は蒼い。髪は渦を捲いて、二三ヵ月は刈らぬと見える。四五日は櫛を入れないとも思われる。美くしいのは濃い眉と口髭である。髭の質は極めて黒く、極めて細い。手を入れぬままに自然の趣を具えて何となく人柄に見える。腰は汚れた白縮緬を二重に周して、長過ぎる端を、だらりと、猫じゃらしに、右の袂の下で結んでいる。裾は固より合わない。引き掛けた法衣のようにふわついた下から黒足袋が見える。足袋だけは新らしい。嗅げば紺の匂がしそうである。古い頭に新らしい足の欽吾は、世を逆様に歩いて、ふらりと椽側へ出た。  拭き込んだ細かい柾目の板が、雲斎底の影を写すほどに、軽く足音を受けた時に、藤尾の背中に背負った黒い髪はさらりと動いた。途端に椽に落ちた紺足袋が女の眼に這入る。足袋の主は見なくても知れている。  紺足袋は静かに歩いて来た。 「藤尾」  声は後でする。雨戸の溝をすっくと仕切った栂の柱を背に、欽吾は留ったらしい。藤尾は黙っている。 「また夢か」と欽吾は立ったまま、癖のない洗髪を見下した。 「何です」と云いなり女は、顔を向け直した。赤棟蛇の首を擡げた時のようである。黒い髪に陽炎を砕く。  男は、眼さえ動かさない。蒼い顔で見下している。向き直った女の額をじっと見下している。 「昨夕は面白かったかい」  女は答える前に熱い団子をぐいと嚥み下した。 「ええ」と極めて冷淡な挨拶をする。 「それは好かった」と落ちつき払って云う。  女は急いて来る。勝気な女は受太刀だなと気がつけば、すぐ急いて来る。相手が落ちついていればなお急いて来る。汗を流して斬り込むならまだしも、斬り込んで置きながら悠々として柱に倚って人を見下しているのは、酒を飲みつつ胡坐をかいて追剥をすると同様、ちと虫がよすぎる。 「驚くうちは楽があるんでしょう」  女は逆に寄せ返した。男は動じた様子もなく依然として上から見下している。意味が通じた気色さえ見えぬ。欽吾の日記に云う。――ある人は十銭をもって一円の十分一と解釈し、ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈すと。同じ言葉が人に依って高くも低くもなる。言葉を用いる人の見識次第である。欽吾と藤尾の間にはこれだけの差がある。段が違うものが喧嘩をすると妙な現象が起る。  姿勢を変えるさえ嬾うく見えた男はただ 「そうさ」と云ったのみである。 「兄さんのように学者になると驚きたくっても、驚ろけないから楽がないでしょう」 「楽?」と聞いた。楽の意味が分ってるのかと云わぬばかりの挨拶と藤尾は思う。兄はやがて云う。 「楽はそうないさ。その代り安心だ」 「なぜ」 「楽のないものは自殺する気遣がない」  藤尾には兄の云う事がまるで分らない。蒼い顔は依然として見下している。なぜと聞くのは不見識だから黙っている。 「御前のように楽の多いものは危ないよ」  藤尾は思わず黒髪に波を打たした。きっと見上げる上から兄は分ったかとやはり見下している。何事とも知らず「埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」と云う句を明かに思い出す。 「小野は相変らず来るかい」  藤尾の眼は火打石を金槌の先で敲いたような火花を射る。構わぬ兄は 「来ないかい」と云う。  藤尾はぎりぎりと歯を噛んだ。兄は談話を控えた。しかし依然として柱に倚っている。 「兄さん」 「何だい」とまた見下す。 「あの金時計は、あなたには渡しません」 「おれに渡さなければ誰に渡す」 「当分私があずかって置きます」 「当分御前があずかる? それもよかろう。しかしあれは宗近にやる約束をしたから……」 「宗近さんに上げる時には私から上げます」 「御前から」と兄は少し顔を低くして妹の方へ眼を近寄せた。 「私から――ええ私から――私から誰かに上げます」と寄木の机に凭せた肘を跳ねて、すっくり立ち上がる。紺と、濃い黄と、木賊と海老茶の棒縞が、棒のごとく揃って立ち上がる。裾だけが四色の波のうねりを打って白足袋の鞐を隠す。 「そうか」 と兄は雲斎底の踵を見せて、向へ行ってしまった。  甲野さんが幽霊のごとく現われて、幽霊のごとく消える間に、小野さんは近づいて来る。いくたびの降る雨に、土に籠る青味を蒸し返して、湿りながらに暖かき大地を踏んで近づいて来る。磨き上げた山羊の皮に被る埃さえ目につかぬほどの奇麗な靴を、刻み足に運ばして甲野家の門に近づいて来る。  世を投げ遣りのだらりとした姿の上に、義理に着る羽織の紐を丸打に結んで、細い杖に本来空の手持無沙汰を紛らす甲野さんと、近づいてくる小野さんは塀の側でぱたりと逢った。自然は対照を好む。 「どこへ」と小野さんは帽に手を懸けて、笑いながら寄ってくる。 「やあ」と受け応があった。そのまま洋杖は動かなくなる。本来は洋杖さえ手持無沙汰なものである。 「今、ちょっと行こうと思って……」 「行きたまえ。藤尾はいる」と甲野さんは素直に相手を通す気である。小野さんは躊躇する。 「君はどこへ」とまた聞き直す。君の妹には用があるが、君はどうなっても構わないと云う態度は小野さんの取るに忍びざるところである。 「僕か、僕はどこへ行くか分らない。僕がこの杖を引っ張り廻すように、何かが僕を引っ張り廻すだけだ」 「ハハハハだいぶ哲学的だね。――散歩?」と下から覗き込んだ。 「ええ、まあ……好い天気だね」 「好い天気だ。――散歩より博覧会はどうだい」 「博覧会か――博覧会は――昨夕見た」 「昨夕行ったって?」と小野さんの眼は一時に坐る。 「ああ」  小野さんはああの後から何か出て来るだろうと思って、控えている。時鳥は一声で雲に入ったらしい。 「一人で行ったのかい」と今度はこちらから聞いて見る。 「いいや。誘われたから行った」  甲野さんにははたして連があった。小野さんはもう少し進んで見なければ済まないようになる。 「そうかい、奇麗だったろう」とまず繋ぎに出して置いて、そのうちに次の問を考える事にする。ところが甲野さんは簡単に 「うん」の一句で答をしてしまう。こっちは考のまとまらないうち、すぐ何とか付けなければならぬ。始めは「誰と?」と聞こうとしたが、聞かぬ前にいや「何時頃?」の方が便宜ではあるまいかと思う。いっそ「僕も行った」と打って出ようか知ら、そうしたら先方の答次第で万事が明暸になる。しかしそれもいらぬ事だ。――小野さんは胸の上、咽喉の奥でしばらく押問答をする。その間に甲野さんは細い杖の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足である。この相図をちらりと見て取った小野さんはもう駄目だ、よそうと咽喉の奥でせっかくの計画をほごしてしまう。爪の垢ほど先を制せられても、取り返しをつけようと意思を働かせない人は、教育の力では翻えす事の出来ぬ宿命論者である。 「まあ行きたまえ」とまた甲野さんが云う。催促されるような気持がする。運命が左へと指図をしたらしく感じた時、後から押すものがあれば、すぐ前へ出る。 「じゃあ……」と小野さんは帽子をとる。 「そうか、じゃあ失敬」と細い杖は空間を二尺ばかり小野さんから遠退いた。一歩門へ近寄った小野さんの靴は同時に一歩杖に牽かれて故へ帰る。運命は無限の空間に甲野さんの杖と小野さんの足を置いて、一尺の間隔を争わしている。この杖とこの靴は人格である。我らの魂は時あって靴の踵に宿り、時あって杖の先に潜む。魂を描く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く。  一歩の空間を行き尽した靴は、光る頭を回らして、棄身に細い体を大地に托した杖に問いかけた。 「藤尾さんも、昨夕いっしょに行ったのかい」  棒のごとく真直に立ち上がった杖は答える。 「ああ、藤尾も行った。――ことに因ると今日は下読が出来ていないかも知れない」  細い杖は地に着くがごとく、また地を離るるがごとく、立つと思えば傾むき、傾むくと思えば立ち、無限の空間を刻んで行く。光る靴は突き込んだ頭に薄い泥を心持わるく被ったまま、遠慮勝に門内の砂利を踏んで玄関に掛かる。  小野さんが玄関に掛かると同時に、藤尾は椽の柱に倚りながら、席に返らぬ爪先を、雨戸引く溝の上に翳して、手広く囲い込んだ庭の面を眺めている。藤尾が椽の柱に倚りかかるよほど前から、謎の女は立て切った一間のうちで、鳴る鉄瓶を相手に、行く春の行き尽さぬ間を、根限り考えている。  欽吾はわが腹を痛めぬ子である。――謎の女の考は、すべてこの一句から出立する。この一句を布衍すると謎の女の人生観になる。人生観を増補すると宇宙観が出来る。謎の女は毎日鉄瓶の音を聞いては、六畳敷の人生観を作り宇宙観を作っている。人生観を作り宇宙観を作るものは閑のある人に限る。謎の女は絹布団の上でその日その日を送る果報な身分である。  居住は心を正す。端然と恋に焦れたもう雛は、虫が喰うて鼻が欠けても上品である。謎の女はしとやかに坐る。六畳敷の人生観もまたしとやかでなくてはならぬ。  老いて夫なきは心細い。かかるべき子なきはなおさら心細い。かかる子が他人なるは心細い上に忌わしい。かかるべき子を持ちながら、他人にかからねばならぬ掟は忌わしいのみか情けない。謎の女は自を情ない不幸の人と信じている。  他人でも合わぬとは限らぬ。醤油と味淋は昔から交っている。しかし酒と煙草をいっしょに呑めば咳が出る。親の器の方円に応じて、盛らるる水の調子を合わせる欽吾ではない。日を経れば日を重ねて隔りの関が出来る。この頃は江戸の敵に長崎で巡り逢ったような心持がする。学問は立身出世の道具である。親の機嫌に逆って、師走正月の拍子をはずすための修業ではあるまい。金を掛けてわざわざ変人になって、学校を出ると世間に通用しなくなるのは不名誉である。外聞がわるい。嗣子としては不都合と思う。こんなものに死水を取って貰う気もないし、また取るほどの働のあるはずがない。  幸と藤尾がいる。冬を凌ぐ女竹の、吹き寄せて夜を積る粉雪をぴんと撥ねる力もある。十目を街頭に集むる春の姿に、蝶を縫い花を浮かした派出な衣裳も着せてある。わが子として押し出す世間は広い。晴れた天下を、晴れやかに練り行くを、迷うは人の随意である。三国一の婿と名乗る誰彼を、迷わしてこそ、焦らしてこそ、育て上げた母の面目は揚る。海鼠の氷ったような他人にかかるよりは、羨しがられて華麗に暮れては明ける実の娘の月日に添うて墓に入るのが順路である。  蘭は幽谷に生じ、剣は烈士に帰す。美くしき娘には、名ある聟を取らねばならぬ。申込はたくさんあるが、娘の気に入らぬものは、自分の気に入らぬものは、役に立たぬ。指の太さに合わぬ指輪は貰っても捨てるばかりである。大き過ぎても小さ過ぎても聟には出来ぬ。したがって聟は今日まで出来ずにいた。燦として群がるもののうちにただ一人小野さんが残っている。小野さんは大変学問のできる人だと云う。恩賜の時計をいただいたと云う。もう少し立つと博士になると云う。のみならず愛嬌があって親切である。上品で調子がいい。藤尾の聟として恥ずかしくはあるまい。世話になっても心持がよかろう。  小野さんは申分のない聟である。ただ財産のないのが欠点である。しかし聟の財産で世話になるのは、いかに気に入った男でも幅が利かぬ。無一物の某を入れて、おとなしく嫁姑を大事にさせるのが、藤尾の都合にもなる、自分のためでもある。一つ困る事はその財産である。夫が外国で死んだ四ヵ月後の今日は当然欽吾の所有に帰してしまった。魂胆はここから始まる。  欽吾は一文の財産もいらぬと云う。家も藤尾にやると云う。義理の着物を脱いで便利の赤裸になれるものなら、降って湧いた温泉へ得たり賢こしと飛び込む気にもなる。しかし体裁に着る衣裳はそう無雑作に剥ぎ取れるものではない。降りそうだから傘をやろうと投げ出した時、二本あれば遠慮をせぬが世間であるが、見す見すくれる人が濡れるのを構わずにわがままな手を出すのは人の思わくもある。そこに謎が出来る。くれると云うのは本気で云う嘘で、取らぬ顔つきを見せるのも隣近所への申訳に過ぎない。欽吾の財産を欽吾の方から無理に藤尾に譲るのを、厭々ながら受取った顔つきに、文明の手前を繕わねばならぬ。そこで謎が解ける。くれると云うのを、くれたくない意味と解いて、貰う料簡で貰わないと主張するのが謎の女である。六畳敷の人生観はすこぶる複雑である。  謎の女は問題の解決に苦しんでとうとう六畳敷を出た。貰いたいものを飽くまで貰わないと主張して、しかも一日も早く貰ってしまう方法は微分積分でも容易に発見の出来ぬ方法である。謎の女が苦し紛れの屈託顔に六畳敷を出たのは、焦慮いが高じて、布団の上に坐たたまれないからである。出て見ると春の日は存外長閑で、平気に鬢を嬲る温風はいやに人を馬鹿にする。謎の女はいよいよ気色が悪くなった。  椽を左に突き当れば西洋館で、応接間につづく一部屋は欽吾が書斎に使っている。右は鍵の手に折れて、折れたはずれの南に突き出した六畳が藤尾の居間となる。  菱餅の底を渡る気で真直な向う角を見ると藤尾が立っている。濡色に捌いた濃き鬢のあたりを、栂の柱に圧しつけて、斜めに持たした艶な姿の中ほどに、帯深く差し込んだ手頸だけが白く見える。萩に伏し薄に靡く故里を流離人はこんな風に眺める事がある。故里を離れぬ藤尾は何を眺めているか分らない。母は椽を曲って近寄った。 「何を考えているの」 「おや、御母さん」と斜めな身体を柱から離す。振り返った眼つきには愁の影さえもない。我の女と謎の女は互に顔を見合した。実の親子である。 「どうかしたのかい」と謎が云う。 「なぜ」と我が聞き返す。 「だって、何だか考え込んでいるからさ」 「何にも考えていやしません。庭の景色を見ていたんです」 「そう」と謎は意味のある顔つきをした。 「池の緋鯉が跳ねますよ」と我は飽くまでも主張する。なるほど濁った水のなかで、ぽちゃりと云う音がした。 「おやおや。――御母さんの部屋では少しも聞えないよ」  聞えないんではない。謎で夢中になっていたのである。 「そう」と今度は我の方で意味のある顔つきをする。世はさまざまである。 「おや、もう蓮の葉が出たね」 「ええ。まだ気がつかなかったの」 「いいえ。今始て」と謎が云う。謎ばかり考えているものは迂濶である。欽吾と藤尾の事を引き抜くと頭は真空になる。蓮の葉どころではない。  蓮の葉が出たあとには蓮の花が咲く。蓮の花が咲いたあとには蚊帳を畳んで蔵へ入れる。それから蟋蟀が鳴く。時雨れる。木枯が吹く。……謎の女が謎の解決に苦しんでいるうちに世の中は変ってしまう。それでも謎の女は一つ所に坐って謎を解くつもりでいる。謎の女は世の中で自分ほど賢いものはないと思っている。迂濶だなどとは夢にも考えない。  緋鯉ががぽちゃりとまた跳ねる。薄濁のする水に、泥は沈んで、上皮だけは軽く温む底から、朦朧と朱い影が静かな土を動かして、浮いて来る。滑らかな波にきらりと射す日影を崩さぬほどに、尾を揺っているかと思うと、思い切ってぽんと水を敲いて飛びあがる。一面に揚る泥の濃きうちに、幽かなる朱いものが影を潜めて行く。温い水を背に押し分けて去る痕は、一筋のうねりを見せて、去年の蘆を風なきに嬲る。甲野さんの日記には鳥入雲無迹、魚行水有紋と云う一聯が律にも絶句にもならず、そのまま楷書でかいてある。春光は天地を蔽わず、任意に人の心を悦ばしむ。ただ謎の女には幸せぬ。 「何だって、あんなに跳ねるんだろうね」と聞いた。謎の女が謎を考えるごとく、緋鯉もむやみに跳ねるのであろう。酔狂と云えば双方とも酔狂である。藤尾は何とも答えなかった。  浮き立ての蓮の葉を称して支那の詩人は青銭を畳むと云った。銭のような重い感じは無論ない。しかし水際に始めて昨日、今日の嫩い命を托して、娑婆の風に薄い顔を曝すうちは銭のごとく細かである。色も全く青いとは云えぬ。美濃紙の薄きに過ぎて、重苦しと碧を厭う柔らかき茶に、日ごとに冒す緑青を交ぜた葉の上には、鯉の躍った、春の名残が、吹けば飛ぶ、置けば崩れぬ珠となって転がっている。――答をせぬ藤尾はただ眼前の景色を眺める。鯉はまた躍った。  母は無意味に池の上をていたが、やがて気を換えて 「近頃、小野さんは来ないようだね。どうかしたのかい」と聞いて見る。  藤尾は屹と向き直った。 「どうしたんですか」とじっと母を見た上で、澄してまた庭の方へ眸を反らす。母はおやと思う。さっきの鯉が薄赤く浮葉の下を通る。葉は気軽に動く。 「来ないなら、何とか云って来そうなもんだね。病気でもしているんじゃないか」 「病気だって?」と藤尾の声は疳走るほどに高かった。 「いいえさ。病気じゃないかと聞くのさ」 「病気なもんですか」  清水の舞台から飛び降りたような語勢は鼻の先でふふんと留った。母はまたおやと思う。 「あの人はいつ博士になるんだろうね」 「いつですか」とよそごとのように云う。 「御前――あの人と喧嘩でもしたのかい」 「小野さんに喧嘩が出来るもんですか」 「そうさ、ただ教えて貰やしまいし、相当の礼をしているんだから」  謎の女にはこれより以上の解釈は出来ないのである。藤尾は返事を見合せた。  昨夕の事を打ち明けてこれこれであったと話してしまえばそれまでである。母は無論躍起になって、こっちに同情するに違ない。打ち明けて都合が悪いとは露思わぬが、進んで同情を求めるのは、餓に逼って、知らぬ人の門口に、一銭二銭の憐を乞うのと大した相違はない。同情は我の敵である。昨日まで舞台に躍る操人形のように、物云うも懶きわが小指の先で、意のごとく立たしたり、寝かしたり、果は笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさして、面白く興じていた手柄顔を、母も天晴れと、うごめかす鼻の先に、得意の見栄をぴくつかせていたものを、――あれは、ほんの表向で、内実の昨夕を見たら、招く薄は向へ靡く。知らぬ顔の美しい人と、睦じく御茶を飲んでいたと、心外な蓋をとれば、母の手前で器量が下がる。我が承知が出来ぬと云う。外れた鷹なら見限をつけてもういらぬと話す。あとを跟けて鼻を鳴らさぬような犬ならば打ちやった後で、捨てて来たと公言する。小野さんの不心得はそこまでは進んでおらぬ。放って置けば帰るかも知れない。いや帰るに違ないと、小夜子と自分を比較した我が証言してくれる。帰って来た時に辛い目に逢わせる。辛い目に逢わせた後で、立たしたり、寝かしたりする。笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさしたりする。そうして、面白そうな手柄顔を、母に見せれば母への面目は立つ。兄と一に見せれば、両人への意趣返しになる。――それまでは話すまい。藤尾は返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機会を永久に失った。 「さっき欽吾が来やしないか」と母はまた質問を掛ける。鯉は躍る。蓮は芽を吹く、芝生はしだいに青くなる、辛夷は朽ちた。謎の女はそんな事に頓着はない。日となく夜となく欽吾の幽霊で苦しめられている。書斎におれば何をしているかと思い、考えておれば何を考えているかと思い、藤尾の所へ来れば、どんな話をしに来たのかと思う。欽吾は腹を痛めぬ子である。腹を痛めぬ子に油断は出来ぬ。これが謎の女の先天的に教わった大真理である。この真理を発見すると共に謎の女は神経衰弱に罹った。神経衰弱は文明の流行病である。自分の神経衰弱を濫用すると、わが子までも神経衰弱にしてしまう。そうしてあれの病気にも困り切りますと云う。感染したものこそいい迷惑である。困り切るのはどっちの云い分か分らない。ただ謎の女の方では、飽くまでも欽吾に困り切っている。 「さっき欽吾が来やしないか」と云う。 「来たわ」 「どうだい様子は」 「やっぱり相変らずですわ」 「あれにも、本当に……」で薄く八の字を寄せたが、 「困り者だね」と切った時、八の字は見る見る深くなった。 「何でも奥歯に物の挟ったような皮肉ばかり云うんですよ」 「皮肉なら好いけれども、時々気の知れない囈語を云うにゃ困るじゃないか。何でもこの頃は様子が少し変だよ」 「あれが哲学なんでしょう」 「哲学だか何だか知らないけれども。――さっき何か云ったかい」 「ええまた時計の事を……」 「返せって云うのかい。一にやろうがやるまいが余計な御世話じゃないか」 「今どっかへ出掛けたでしょう」 「どこへ行ったんだろう」 「きっと宗近へ行ったんですよ」  対話がここまで進んだ時、小野さんがいらっしゃいましたと下女が両手をつかえる。母は自分の部屋へ引き取った。  椽側を曲って母の影が障子のうちに消えたとき、小野さんは内玄関の方から、茶の間の横を通って、次の六畳を、廊下へ廻らず抜けて来る。  磬を打って入室相見の時、足音を聞いただけで、公案の工夫が出来たか、出来ないか、手に取るようにわかるものじゃと云った和尚がある。気の引けるときは歩き方にも現われる。獣にさえ屠所のあゆみと云う諺がある。参禅の衲子に限った現象とは認められぬ。応用は才人小野さんの上にも利く。小野さんは常から世の中に気兼をし過ぎる。今日は一入変である。落人は戦ぐ芒に安からず、小野さんは軽く踏む青畳に、そと落す靴足袋の黒き爪先に憚り気を置いて這入って来た。  一睛を暗所に点ぜず、藤尾は眼を上げなかった。ただ畳に落す靴足袋の先をちらりと見ただけでははあと悟った。小野さんは座に着かぬ先から、もう舐められている。 「今日は……」と座りながら笑いかける。 「いらっしゃい」と真面目な顔をして、始めて相手をまともに見る。見られた小野さんの眸はぐらついた。 「御無沙汰をしました」とすぐ言訳を添える。 「いいえ」と女は遮った。ただしそれぎりである。  男は出鼻を挫かれた気持で、どこから出直そうかと考える。座敷は例のごとく静である。 「だいぶ暖かになりました」 「ええ」  座敷のなかにこの二句を点じただけで、後は故のごとく静になる。ところへ鯉がぽちゃりとまた跳る。池は東側で、小野さんの背中に当る。小野さんはちょっと振り向いて鯉がと云おうとして、女の方を見ると、相手の眼は南側の辛夷に注いている。――壺のごとく長い弁から、濃い紫が春を追うて抜け出した後は、残骸に空しき茶の汚染を皺立てて、あるものはぽきりと絶えた萼のみあらわである。  鯉がと云おうとした小野さんはまた廃めた。女の顔は前よりも寄りつけない。――女は御無沙汰をした男から、御無沙汰をした訳を云わせる気で、ただいいえと受けた。男は仕損ったと心得て、だいぶ暖になりましたと気を換えて見たが、それでも験が見えぬので、鯉がの方へ移ろうとしたのである。男は踏み留まれるところまで滑って行く気で、気を揉んでいるのに、女は依然として故の所に坐って動かない。知らぬ小野さんはまた考えなければならぬ。  四五日来なかったのが気に入らないなら、どうでもなる。昨夕博覧会で見つかったなら少し面倒である。それにしても弁解の道はいくらでもつく。しかし藤尾がはたして自分と小夜子を、ぞろぞろ動く黒い影の絶間なく入れ代るうちで認めたろうか。認められたらそれまでである。認められないのに、こちらから思い切って持ち出すのは、肌を脱いで汚い腫物を知らぬ人の鼻の前に臭わせると同じ事になる。  若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵とは云わせぬ。今宵限の朧だものと、即興にそそのかされて、他生の縁の袖と袂を、今宵限り擦り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西東首を埋めて、あかの他人と化けてしまう。それならば差支ない。進んでこうと話もする。残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく併べられた二つの石の引っ付くような浅い関係ではない。こちらから逃げ延びた五年の永き年月を、向では離れじと、日の間とも夜の間ともなく、繰り出す糸の、誠は赤き縁の色に、細くともこれまで繋ぎ留められた仲である。  ただの女と云い切れば済まぬ事もない。その代り、人も嫌い自分も好かぬ嘘となる。嘘は河豚汁である。その場限りで祟がなければこれほど旨いものはない。しかし中毒たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。その上嘘は実を手繰寄せる。黙っていれば悟られずに、行き抜ける便もあるに、隠そうとする身繕、名繕、さては素性繕に、疑の眸の征矢はてっきり的と集りやすい。繕は綻びるを持前とする。綻びた下から醜い正体が、それ見た事かと、現われた時こそ、身のは生涯洗われない。――小野さんはこれほどの分別を持った、利害の関係には暗からぬ利巧者である。西東隔たる京を縫うて、五年の長き思の糸に括られているわが情実は、目の前にすねて坐った当人には話したくない。少なくとも新らしい血に通うこの頃の恋の脈が、調子を合せて、天下晴れての夫婦ぞと、二人の手頸に暖たかく打つまでは話したくない。この情実を話すまいとすると、ただの女と不知を切る当座の嘘は吐きたくない。嘘を吐くまいとすると、小夜子の事は名前さえも打ち明けたくない。――小野さんはしきりに藤尾の様子を眺めている。 「昨夕博覧会へ御出に……」とまで思い切った小野さんは、御出になりましたかにしようか、御出になったそうですねにしようかのところでちょっとごとついた。 「ええ、行きました」  迷っている男の鼻面を掠めて、黒い影が颯と横切って過ぎた。男はあっと思う間に先を越されてしまう。仕方がないから、 「奇麗でしたろう」とつける。奇麗でしたろうは詩人として余り平凡である。口に出した当人も、これはひどいと自覚した。 「奇麗でした」と女は明確受け留める。後から 「人間もだいぶ奇麗でした」と浴びせるように付け加えた。小野さんは思わず藤尾の顔を見る。少し見当がつき兼ねるので 「そうでしたか」と云った。当り障りのない答は大抵の場合において愚な答である。弱身のある時は、いかなる詩人も愚をもって自ら甘んずる。 「奇麗な人間もだいぶ見ましたよ」と藤尾は鋭どく繰り返した。何となく物騒な句である。なんだか無事に通り抜けられそうにない。男は仕方なしに口を緘んだ。女も留ったまま動かない。まだ白状しない気かと云う眼つきをして小野さんを見ている。宗盛と云う人は刀を突きつけられてさえ腹を切らなかったと云う。利害を重んずる文明の民が、そう軽卒に自分の損になる事を陳述する訳がない。小野さんはもう少し敵の動静を審にする必要がある。 「誰か御伴がありましたか」と何気なく聴いて見る。  今度は女の返事がない。どこまでも一つ関所を守っている。 「今、門の所で甲野さんに逢ったら、甲野さんもいっしょに行ったそうですね」 「それほど知っていらっしゃる癖に、何で御尋ねになるの」と女はつんと拗ねた。 「いえ、別に御伴でもあったのかと思って」と小野さんは、うまく逃げる。 「兄の外にですか」 「ええ」 「兄に聞いて御覧になればいいのに」  機嫌は依然として悪いが、うまくすると、どうか、こうか渦の中を漕ぎ抜けられそうだ。向うの言葉にぶら下がって、往ったり来たりするうちに、いつの間にやら平地へ出る事がある。小野さんは今まで毎度この手で成功している。 「甲野君に聞こうと思ったんですけれども、早く上がろうとして急いだもんですから」 「ホホホ」と突然藤尾は高く笑った。男はぎょっとする。その隙に 「そんなに忙しいものが、何で四五日無届欠席をしたんです」と飛んで来た。 「いえ、四五日大変忙しくって、どうしても来られなかったんです」 「昼間も」と女は肩を後へ引く。長い髪が一筋ごとに活きているように動く。 「ええ?」と変な顔をする。 「昼間もそんなに忙しいんですか」 「昼間って……」 「ホホホホまだ分らないんですか」と今度はまた庭まで響くほどに疳高く笑う。女は自由自在に笑う事が出来る。男は茫然としている。 「小野さん、昼間もイルミネーションがありますか」と云って、両手をおとなしく膝の上に重ねた。燦たる金剛石がぎらりと痛く、小野さんの眼に飛び込んで来る。小野さんは竹箆でぴしゃりと頬辺を叩かれた。同時に頭の底で見られたと云う音がする。 「あんまり、勉強なさるとかえって金時計が取れませんよ」と女は澄した顔で畳み掛ける。男の陣立は総崩となる。 「実は一週間前に京都から故の先生が出て来たものですから……」 「おや、そう、ちっとも知らなかったわ。それじゃ御忙い訳ね。そうですか。そうとも知らずに、飛んだ失礼を申しまして」と嘯きながら頭を低れた。緑の髪がまた動く。 「京都におった時、大変世話になったものですから……」 「だから、いいじゃありませんか、大事にして上げたら。――私はね。昨夕兄と一さんと糸子さんといっしょに、イルミネーションを見に行ったんですよ」 「ああ、そうですか」 「ええ、そうして、あの池の辺に亀屋の出店があるでしょう。――ねえ知っていらっしゃるでしょう、小野さん」 「ええ――知って――います」 「知っていらっしゃる。――いらっしゃるでしょう。あすこで皆して御茶を飲んだんです」  男は席を立ちたくなった。女はわざと落ちついた風を、飽くまでも粧う。 「大変旨い御茶でした事。あなた、まだ御這入になった事はないの」  小野さんは黙っている。 「まだ御這入にならないなら、今度是非その京都の先生を御案内なさい。私もまた一さんに連れて行って貰うつもりですから」  藤尾は一さんと云う名前を妙に響かした。  春の影は傾く。永き日は、永くとも二人の専有ではない。床に飾ったマジョリカの置時計が絶えざる対話をこの一句にちんと切った。三十分ほどしてから小野さんは門外へ出る。その夜の夢に藤尾は、驚くうちは楽がある! 女は仕合なものだ! と云う嘲の鈴を聴かなかった。         十三  太い角柱を二本立てて門と云う。扉はあるかないか分らない。夜中郵便と書いて板塀に穴があいているところを見ると夜は締りをするらしい。正面に芝生を土饅頭に盛り上げて市を遮ぎる翠を傘と張る松を格のごとく植える。松を廻れば、弧線を描いて、頭の上に合う玄関の廂に、浮彫の波が見える。障子は明け放ったままである。呑気な白襖に舞楽の面ほどな草体を、大雅堂流の筆勢で、無残に書き散らして、座敷との仕切とする。  甲野さんは玄関を右に切れて、下駄箱の透いて見える格子をそろりと明けた。細い杖の先で合土の上をこちこち叩いて立っている。頼むとも何とも云わぬ。無論応ずるものはない。屋敷のなかは人の住む気合も見えぬほどにしんとしている。門前を通る車の方がかえって賑やかに聞える。細い杖の先がこちこち鳴る。  やがて静かなうちで、すうと唐紙が明く音がする。清や清やと下女を呼ぶ。下女はいないらしい。足音は勝手の方に近づいて来た。杖の先はこちこちと云う。足音は勝手から内玄関の方へ抜け出した。障子があく。糸子と甲野さんは顔を見合せて立った。  下女もおり書生も置く身は、気軽く構えても滅多に取次に出る事はない。出ようと思う間に、立てかけた膝をおろして、一針でも二針でも縫糸が先へ出るが常である。重たき琵琶の抱き心地と云う永い昼が、永きに堪えず崩れんとするを、鳴くにうっとりと夢を支えて、清を呼べば、清は裏へでも行ったらしい。からりとした勝手には茶釜ばかりが静かに光っている。黒田さんは例のごとく、書生部屋で、坊主頭を腕の中に埋めて、机の上に猫のように寝ているだろう。立ち退いた空屋敷とも思わるるなかに、内玄関でこちこち音がする。はてなと何気なく障子を明けると――広い世界にたった一人の甲野さんが立っている。格子から差す戸外の日影を背に受けて、薄暗く高い身を、合土の真中に動かしもせず、しきりに杖を鳴らしている。 「あら」  同時に杖の音はとまる。甲野さんは帽の廂の下から女の顔を久しぶりのように見た。女は急に眼をはずして、細い杖の先を眺める。杖の先から熱いものが上って、顔がぽうとほてる。油を抜いて、なすがままにふくらました髪を、落すがごとく前に、糸子は腰を折った。 「御出?」と甲野さんは言葉の尻を上げて簡単に聞く。 「今ちょっと」と答えたのみで、苦のない二重瞼に愛嬌の波が寄った。 「御留守ですか。――阿爺さんは」 「父は謡の会で朝から出ました」 「そう」と男は長い体躯を、半分回して、横顔を糸子の方へ向けた。 「まあ、御這入、――兄はもう帰りましょう」 「ありがとう」と甲野さんは壁に物を云う。 「どうぞ」と誘い込むように片足を後へ引いた。着物はあらい縞の銘仙である。 「ありがとう」 「どうぞ」 「どこへ行ったんです」と甲野さんは壁に向けた顔を、少し女の方へ振り直す。後から掠めて来る日影に、蒼い頬が、気のせいか、昨日より少し瘠けたようだ。 「散歩でしょう」と女は首を傾けて云う。 「私も今散歩した帰りだ。だいぶ歩いて疲れてしまって……」 「じゃ、少し上がって休んでいらっしゃい。もう帰る時分ですから」  話は少しずつ延びる。話の延びるのは気の延びた証拠である。甲野さんは粗柾の俎下駄を脱いで座敷へ上がる。  長押作りに重い釘隠を打って、動かぬ春の床には、常信の雲竜の図を奥深く掛けてある。薄黒く墨を流した絹の色を、角に取り巻く紋緞子の藍に、寂びたる時代は、象牙の軸さえも落ちついている。唐獅子を青磁に鋳る、口ばかりなる香炉を、どっかと据えた尺余の卓は、木理に光沢ある膏を吹いて、茶を紫に、紫を黒に渡る、胡麻濃やかな紫檀である。  椽に遅日多し、世をひたすらに寒がる人は、端近く絣の前を合せる。乱菊に襟晴れがましきを豊なる顎に圧しつけて、面と向う障子の明なるを眩く思う女は入口に控える。八畳の座敷は眇たる二人を離れ離れに容れて広過ぎる。間は六尺もある。  忽然として黒田さんが現れた。小倉の襞を飽くまで潰した袴の裾から赭黒い足をにょきにょきと運ばして、茶を持って来る。煙草盆を持って来る。菓子鉢を持って来る。六尺の距離は格のごとく埋められて、主客の位地は辛うじて、接待の道具で繋がれる。忽然として午睡の夢から起きた黒田さんは器械的に縁の糸を二人の間に渡したまま、朦朧たる精神を毬栗頭の中に封じ込めて、再び書生部屋へ引き下がる。あとは故の空屋敷となる。 「昨夕は、どうでした。疲れましたろう」 「いいえ」 「疲れない? 私より丈夫だね」と甲野さんは少し笑い掛けた。 「だって、往復共電車ですもの」 「電車は疲れるもんですがね」 「どうして」 「あの人で。あの人で疲れます。そうでも無いですか」  糸子は丸い頬に片靨を見せたばかりである。返事はしなかった。 「面白かったですか」と甲野さんが聞く。 「ええ」 「何が面白かったですか。イルミネーションがですか」 「ええ、イルミネーションも面白かったけれども……」 「イルミネーションのほかに何か面白いものが有ったんですか」 「ええ」 「何が」 「でもおかしいわ」と首を傾げて愛らしく笑っている。要領を得ぬ甲野さんも何となく笑いたくなる。 「何ですかその面白かったものは」 「云って見ましょうか」 「云って御覧なさい」 「あの、皆して御茶を飲んだでしょう」 「ええ、あの御茶が面白かったんですか」 「御茶じゃないんです。御茶じゃないんですけれどもね」 「ああ」 「あの時小野さんがいらしったでしょう」 「ええ、いました」 「美しい方を連れていらしったでしょう」 「美しい? そう。若い人といっしょのようでしたね」 「あの方を御存じでしょう」 「いいえ、知らない」 「あら。だって兄がそう云いましたわ」 「そりゃ顔を知ってると云う意味なんでしょう。話をした事は一遍もありません」 「でも知っていらっしゃるでしょう」 「ハハハハ。どうしても知ってなければならないんですか。実は逢った事は何遍もあります」 「だから、そう云ったんですわ」 「だから何と」 「面白かったって」 「なぜ」 「なぜでも」  二重瞼に寄る波は、寄りては崩れ、崩れては寄り、黒い眸を、見よがしに弄ぶ。繁き若葉を洩る日影の、錯落と大地に鋪くを、風は枝頭を揺かして、ちらつく苔の定かならぬようである。甲野さんは糸子の顔を見たまま、なぜの説明を求めなかった。糸子も進んでなぜの訳を話さなかった。なぜは愛嬌のうちに溺れて、要領を得る前に、行方を隠してしまった。  塗り立てて瓢箪形の池浅く、焙烙に熬る玉子の黄味に、朝夕を楽しく暮す金魚の世は、尾を振り立てて藻に潜るとも、起つ波に身を攫るる憂はない。鳴戸を抜ける鯛の骨は潮に揉まれて年々に硬くなる。荒海の下は地獄へ底抜けの、行くも帰るも徒事では通れない。ただ広海の荒魚も、三つ尾の丸っ子も、同じ箱に入れられれば、水族館に隣合の友となる。隔たりの関は見えぬが、仕切る硝子は透き通りながら、突き抜けようとすれば鼻頭を痛めるばかりである。海を知らぬ糸子に、海の話は出来ぬ。甲野さんはしばらく瓢箪形に応対をしている。 「あの女はそんなに美人でしょうかね」 「私は美いと思いますわ」 「そうかな」と甲野さんは椽側の方を見た。野面の御影に、乾かぬ露が降りて、いつまでも湿とりと眺められる径二尺の、縁を択んで、鷺草とも菫とも片づかぬ花が、数を乏しく、行く春を偸んで、ひそかに咲いている。 「美しい花が咲いている」 「どこに」  糸子の目には正面の赤松と根方にあしらった熊笹が見えるのみである。 「どこに」と暖い顎を延ばして向を眺める。 「あすこに。――そこからは見えない」  糸子は少し腰を上げた。長い袖をふらつかせながら、二三歩膝頭で椽に近く擦り寄って来る。二人の距離が鼻の先に逼ると共に微かな花は見えた。 「あら」と女は留る。 「奇麗でしょう」 「ええ」 「知らなかったんですか」 「いいえ、ちっとも」 「あんまり小さいから気がつかない。いつ咲いて、いつ消えるか分らない」 「やっぱり桃や桜の方が奇麗でいいのね」  甲野さんは返事をせずに、ただ口のうちで 「憐れな花だ」と云った。糸子は黙っている。 「昨夜の女のような花だ」と甲野さんは重ねた。 「どうして」と女は不審そうに聞く。男は長い眼を翻えしてじっと女の顔を見ていたが、やがて、 「あなたは気楽でいい」と真面目に云う。 「そうでしょうか」と真面目に答える。  賞められたのか、腐されたのか分らない。気楽か気楽でないか知らない。気楽がいいものか、わるいものか解しにくい。ただ甲野さんを信じている。信じている人が真面目に云うから、真面目にそうでしょうかと云うよりほかに道はない。  文は人の目を奪う。巧は人の目を掠める。質は人の目を明かにする。そうでしょうかを聞いた時、甲野さんは何となくありがたい心持がした。直下に人の魂を見るとき、哲学者は理解の頭を下げて、無念とも何とも思わぬ。 「いいですよ。それでいい。それで無くっちゃ駄目だ。いつまでもそれでなくっちゃ駄目だ」  糸子は美くしい歯を露わした。 「どうせこうですわ。いつまで立ったって、こうですわ」 「そうは行かない」 「だって、これが生れつきなんだから、いつまで立ったって、変りようがないわ」 「変ります。――阿爺と兄さんの傍を離れると変ります」 「どうしてでしょうか」 「離れると、もっと利口に変ります」 「私もっと利口になりたいと思ってるんですわ。利口に変れば変る方がいいんでしょう。どうかして藤尾さんのようになりたいと思うんですけれども、こんな馬鹿だものだから……」  甲野さんは世に気の毒な顔をして糸子のあどけない口元を見ている。 「藤尾がそんなに羨しいんですか」 「ええ、本当に羨ましいわ」 「糸子さん」と男は突然優しい調子になった。 「なに」と糸子は打ち解けている。 「藤尾のような女は今の世に有過ぎて困るんですよ。気をつけないと危ない」  女は依然として、肉余る瞼を二重に、愛嬌の露を大きな眸の上に滴しているのみである。危ないという気色は影さえ見えぬ。 「藤尾が一人出ると昨夕のような女を五人殺します」  鮮かな眸に滴るものはぱっと散った。表情はとっさに変る。殺すと云う言葉はさほどに怖しい。――その他の意味は無論分らぬ。 「あなたはそれで結構だ。動くと変ります。動いてはいけない」 「動くと?」 「ええ、恋をすると変ります」  女は咽喉から飛び出しそうなものを、ぐっと嚥み下した。顔は真赤になる。 「嫁に行くと変ります」  女は俯向いた。 「それで結構だ。嫁に行くのはもったいない」  可愛らしい二重瞼がつづけ様に二三度またたいた。結んだ口元をちょろちょろと雨竜の影が渡る。鷺草とも菫とも片づかぬ花は依然として春を乏しく咲いている。         十四  電車が赤い札を卸して、ぶうと鳴って来る。入れ代って後から町内の風を鉄軌の上に追い捲くって去る。按摩が隙を見計って恐る恐る向側へ渡る。茶屋の小僧が臼を挽きながら笑う。旗振の着るヘル地の織目は、埃がいっぱい溜って、黄色にぼけている。古本屋から洋服が出て来る。鳥打帽が寄席の前に立っている。今晩の語り物が塗板に白くかいてある。空は針線だらけである。一羽の鳶も見えぬ。上の静なるだけに下はすこぶる雑駁な世界である。 「おいおい」と大きな声で後から呼ぶ。  二十四五の夫人がちょっと振り向いたまま行く。 「おい」  今度は印絆天が向いた。  呼ばれた本人は、知らぬ気に、来る人を避けて早足に行く。抜き競をして飛んで来た二輛の人力に遮ぎられて、間はますます遠くなる。宗近君は胸を出して馳け出した。寛く着た袷と羽織が、足を下すたんびに躍を踊る。 「おい」と後から手を懸ける。肩がぴたりと留まると共に、小野さんの細面が斜めに見えた。両手は塞がっている。 「おい」と手を懸けたまま肩をゆす振る。小野さんはゆす振られながら向き直った。 「誰かと思ったら……失敬」  小野さんは帽子のまま鄭寧に会釈した。両手は塞がっている。 「何を考えてるんだ。いくら呼んでも聴えない」 「そうでしたか。ちっとも気がつかなかった」 「急いでるようで、しかも地面の上を歩いていないようで、少し妙だよ」 「何が」 「君の歩行方がさ」 「二十世紀だから、ハハハハ」 「それが新式の歩行方か。何だか片足が新で片足が旧のようだ」 「実際こう云うものを提げていると歩行にくいから……」  小野さんは両手を前の方へ出して、この通りと云わぬばかりに、自分から下の方へ眼を着けて見せる。宗近君も自然と腰から下へ視線を移す。 「何だい、それは」 「こっちが紙屑籠、こっちが洋灯の台」 「そんなハイカラな形姿をして、大きな紙屑籠なんぞを提げてるから妙なんだよ」 「妙でも仕方がない、頼まれものだから」 「頼まれて妙になるのは感心だ。君に紙屑籠を提げて往来を歩くだけの義侠心があるとは思わなかった」  小野さんは黙って笑ながら御辞儀をした。 「時にどこへ行くんだね」 「これを持って……」 「それを持って帰るのかね」 「いいえ。頼まれたから買って行ってやるんです。君は?」 「僕はどっちへでも行く」  小野さんは内心少々当惑した。急いでいるようで、しかも地面の上を歩行ていないようだと、宗近君が云ったのは、まさに現下の状態によく適合った小野評である。靴に踏む大地は広くもある、堅くもある、しかし何となく踏み心地が確かでない。にもかかわらず急ぎたい。気楽な宗近君などに逢っては立話をするのさえ難義である。いっしょにあるこうと云われるとなおさら困る。  常でさえ宗近君に捕まると何となく不安である。宗近君と藤尾の関係を知るような知らぬような間に、自分と藤尾との関係は成り立ってしまった。表向人の許嫁を盗んだほどの罪は犯さぬつもりであるが、宗近君の心は聞かんでも知れている。露骨な人の立居振舞の折々にも、気のあるところはそれと推測が出来る。それを裏から壊しに掛ったとまでは行かぬにしても、事実は宗近君の望を、われ故に、永久に鎖した訳になる。人情としては気の毒である。  気の毒はこれだけで気の毒である上に、宗近君が気楽に構えて、毫も自分と藤尾の仲を苦にしていないのがなおさらの気の毒になる。逢えば隔意なく話をする。冗談を云う。笑う。男子の本領を説く。東洋の経綸を論ずる。もっとも恋の事は余り語らぬ。語らぬと云わんよりむしろ語れぬのかも知れぬ。宗近君は恐らく恋の真相を解せぬ男だろう。藤尾の夫には不足である。それにもかかわらず気の毒は依然として気の毒である。  気の毒とは自我を没した言葉である。自我を没した言葉であるからありがたい。小野さんは心のうちで宗近君に気の毒だと思っている。しかしこの気の毒のうちに大いなる己を含んでいる。悪戯をして親の前へ出るときの心持を考えて見るとわかる。気の毒だったと親のために悔ゆる了見よりは何となく物騒だと云う感じが重である。わが悪戯が、己れと掛け離れた別人の頭の上に落した迷惑はともかくも、この迷惑が反響して自分の頭ががんと鳴るのが気味が悪い。雷の嫌なものが、雷を封じた雲の峰の前へ出ると、少しく逡巡するのと一般である。ただの気の毒とはよほど趣が違う。けれども小野さんはこれを称して気の毒と云っている。小野さんは自分の感じを気の毒以下に分解するのを好まぬからであろう。 「散歩ですか」と小野さんは鄭寧に聞いた。 「うん。今、その角で電車を下りたばかりだ。だから、どっちへ行ってもいい」  この答は少々論理に叶わないと、小野さんは思った。しかし論理はどうでも構わない。 「僕は少し急ぐから……」 「僕も急いで差支ない。少し君の歩く方角へ急いでいっしょに行こう。――その紙屑籠を出せ。持ってやるから」 「なにいいです。見っともない」 「まあ、出しなさい。なるほど嵩張る割に軽いもんだね。見っともないと云うのは小野さんの事だ」と宗近君は屑籠を揺りながら歩き出す。 「そう云う風に提げるとさも軽そうだ」 「物は提げ様一つさ。ハハハハ。こりゃ勧工場で買ったのかい。だいぶ精巧なものだね。紙屑を入れるのはもったいない」 「だから、まあ往来を持って歩けるんだ。本当の紙屑が這入っていちゃ……」 「なに持って歩けるよ。電車は人屑をいっぱい詰めて威張って往来を歩いてるじゃないか」 「ハハハハすると君は屑籠の運転手と云う事になる」 「君が屑籠の社長で、頼んだ男は株主か。滅多な屑は入れられない」 「歌反古とか、五車反古と云うようなものを入れちゃ、どうです」 「そんなものは要らない。紙幣の反古をたくさん入れて貰いたい」 「ただの反古を入れて置いて、催眠術を掛けて貰う方が早そうだ」 「まず人間の方で先に反古になる訳だな。乞う隗より始めよか。人間の反古なら催眠術を掛けなくてもたくさんいる。なぜこう隗より始めたがるのかな」 「なかなか隗より始めたがらないですよ。人間の反故が自分で屑籠の中へ這入ってくれると都合がいいんだけれども」 「自働屑籠を発明したら好かろう。そうしたら人間の反故がみんな自分で飛び込むだろう」 「一つ専売でも取るか」 「アハハハハ好かろう。知ったもののうちで飛び込ましたい人間でもあるかね」 「あるかも知れません」と小野さんは切り抜けた。 「時に君は昨夕妙な伴とイルミネーションを見に行ったね」  見物に行った事はさっき露見してしまった。今更隠す必要はない。 「ええ、君らも行ったそうですね」と小野さんは何気なく答えた。甲野さんは見つけても知らぬ顔をしている。藤尾は知らぬ顔をして、しかも是非共こちらから白状させようとする。宗近君は向から正面に質問してくる。小野さんは何気なく答えながら、心のうちになるほどと思った。 「あれは君の何だい」 「少し猛烈ですね。――故の先生です」 「あの女は、それじゃ恩師の令嬢だね」 「まあ、そんなものです」 「ああやって、いっしょに茶を飲んでいるところを見ると、他人とは見えない」 「兄妹と見えますか」 「夫婦さ。好い夫婦だ」 「恐れ入ります」と小野さんはちょっと笑ったがすぐ眼を外した。向側の硝子戸のなかに金文字入の洋書が燦爛と詩人の注意を促がしている。 「君、あすこにだいぶ新刊の書物が来ているようだが、見ようじゃありませんか」 「書物か。何か買うのかい」 「面白いものがあれば買ってもいいが」 「屑籠を買って、書物を買うのはすこぶるアイロニーだ」 「なぜ」  宗近君は返事をする前に、屑籠を提げたまま、電車の間を向側へ馳け抜けた。小野さんも小走に跟いて来る。 「はあだいぶ奇麗な本が陳列している。どうだい欲しいものがあるかい」 「さよう」と小野さんは腰を屈めながら金縁の眼鏡を硝子窓に擦り寄せて余念なく見取れている。  小羊の皮を柔らかに鞣して、木賊色の濃き真中に、水蓮を細く金に描いて、弁の尽くる萼のあたりから、直なる線を底まで通して、ぐるりと表紙の周囲を回らしたのがある。背を平らに截って、深き紅に金髪を一面に這わせたような模様がある。堅き真鍮版に、どっかと布の目を潰して、重たき箔を楯形に置いたのがある。素気なきカーフの背を鈍色に緑に上下に区切って、双方に文字だけを鏤めたのがある。ざら目の紙に、品よく朱の書名を配置した扉も見える。 「みんな欲しそうだね」と宗近君は書物を見ずに、小野さんの眼鏡ばかり見ている。 「みんな新式な装釘だ。どうも」 「表紙だけ奇麗にして、内容の保険をつけた気なのかな」 「あなた方のほうと違って文学書だから」 「文学書だから上部を奇麗にする必要があるのかね。それじゃ文学者だから金縁の眼鏡を掛ける必要が起るんだね」 「どうも、きびしい。しかしある意味で云えば、文学者も多少美術品でしょう」と小野さんはようやく窓を離れた。 「美術品で結構だが、金縁眼鏡だけで保険をつけてるのは情ない」 「とかく眼鏡が祟るようだ。――宗近君は近視眼じゃないんですか」 「勉強しないから、なりたくてもなれない」 「遠視眼でもないんですか」 「冗談を云っちゃいけない。――さあ好加減に歩こう」  二人は肩を比べてまた歩き出した。 「君、鵜と云う鳥を知ってるだろう」と宗近君が歩きながら云う。 「ええ。鵜がどうかしたんですか」 「あの鳥は魚をせっかく呑んだと思うと吐いてしまう。つまらない」 「つまらない。しかし魚は漁夫の魚籃の中に這入るから、いいじゃないですか」 「だからアイロニーさ。せっかく本を読むかと思うとすぐ屑籠のなかへ入れてしまう。学者と云うものは本を吐いて暮している。なんにも自分の滋養にゃならない。得の行くのは屑籠ばかりだ」 「そう云われると学者も気の毒だ。何をしたら好いか分らなくなる」 「行為さ。本を読むばかりで何にも出来ないのは、皿に盛った牡丹餅を画にかいた牡丹餅と間違えておとなしく眺めているのと同様だ。ことに文学者なんてものは奇麗な事を吐く割に、奇麗な事をしないものだ。どうだい小野さん、西洋の詩人なんかによくそんなのがあるようじゃないか」 「さよう」と小野さんは間を延ばして答えたが、 「例えば」と聞き返した。 「名前なんか忘れたが、何でも女をごまかしたり、女房をうっちゃったりしたのがいるぜ」 「そんなのはいないでしょう」 「なにいる、たしかにいる」 「そうかな。僕もよく覚えていないが……」 「専門家が覚えていなくっちゃ困る。――そりゃそうと昨夜の女ね」  小野さんの腋の下が何だかじめじめする。 「あれは僕よく知ってるぜ」  琴の事件なら糸子から聞いた。その外に何も知るはずがない。 「蔦屋の裏にいたでしょう」と一躍して先へ出てしまった。 「琴を弾いていた」 「なかなか旨いでしょう」と小野さんは容易に悄然ない。藤尾に逢った時とは少々様子が違う。 「旨いんだろう、何となく眠気を催したから」 「ハハハハそれこそアイロニーだ」と小野さんは笑った。小野さんの笑い声はいかなる場合でも静の一字を離れない。その上色彩がある。 「冷やかすんじゃない。真面目なところだ。かりそめにも君の恩師の令嬢を馬鹿にしちゃ済まない」 「しかし眠気を催しちゃ困りますね」 「眠気を催おすところが好いんだ。人間でもそうだ。眠気を催おすような人間はどこか尊といところがある」 「古くって尊といんでしょう」 「君のような新式な男はどうしても眠くならない」 「だから尊とくない」 「ばかりじゃない。ことに依ると、尊とい人間を時候後れだなどとけなしたがる」 「今日は何だか攻撃ばかりされている。ここいらで御分れにしましょうか」と小野さんは少し苦しいところを、わざと笑って、立ち留る。同時に右の手を出す。紙屑籠を受取ろうと云う謎である。 「いや、もう少し持ってやる。どうせ暇なんだから」  二人はまた歩き出す。二人が二人の心を並べたままいっしょに歩き出す。双方で双方を軽蔑している。 「君は毎日暇のようですね」 「僕か? 本はあんまり読まないね」 「ほかにだって、あまり忙がしい事がありそうには見えませんよ」 「そう忙がしがる必要を認めないからさ」 「結構です」 「結構に出来る間は結構にして置かんと、いざと云う時に困る」 「臨時応急の結構。いよいよ結構ですハハハハ」 「君、相変らず甲野へ行くかい」 「今行って来たんです」 「甲野へ行ったり、恩師を案内したり、忙がしいだろう」 「甲野の方は四五日休みました」 「論文は」 「ハハハハいつの事やら」 「急いで出すが好い。いつの事やらじゃせっかく忙がしがる甲斐がない」 「まあ臨時応急にやりましょう」 「時にあの恩師の令嬢はね」 「ええ」 「あの令嬢についてよっぽど面白い話があるがね」  小野さんは急にどきんとした。何の話か分らない。眼鏡の縁から、斜めに宗近君を見ると、相変らず、紙屑籠を揺って、揚々と正面を向いて歩いている。 「どんな……」と聞き返した時は何となく勢がなかった。 「どんなって、よっぽど深い因縁と見える」 「誰が」 「僕らとあの令嬢がさ」  小野さんは少し安心した。しかし何だか引っ掛っている。浅かれ深かれ宗近君と孤堂先生との関係をぷすりと切って棄てたい。しかし自然が結んだものは、いくら能才でも天才でも、どうする訳にも行かない。京の宿屋は何百軒とあるに、何で蔦屋へ泊り込んだものだろうと思う。泊らんでも済むだろうにと思う。わざわざ三条へ梶棒を卸して、わざわざ蔦屋へ泊るのはいらざる事だと思う。酔興だと思う。余計な悪戯だと思う。先方に益もないのに好んで人を苦しめる泊り方だと思う。しかしいくら、どう思っても仕方がないと思う。小野さんは返事をする元気も出なかった。 「あの令嬢がね。小野さん」 「ええ」 「あの令嬢がねじゃいけない。あの令嬢をだ。――見たよ」 「宿の二階からですか」 「二階からも見た」  もの字が少し気になる。春雨の欄に出て、連翹の花もろともに古い庭を見下された事は、とくの昔に知っている。今更引合に出されても驚ろきはしない。しかし二階からもとなると剣呑だ。そのほかにまだ見られた事があるにきまっている。不断なら進んで聞くところだが、何となく空景気を着けるような心持がして、どこでと押を強く出損なったまま、二三歩あるく。 「嵐山へ行くところも見た」 「見ただけですか」 「知らない人に話は出来ない。見ただけさ」 「話して見れば好かったのに」  小野さんは突然冗談を云う。にわかに景気が好くなった。 「団子を食っているところも見た」 「どこで」 「やっぱり嵐山だ」 「それっ切りですか」 「まだ有る。京都から東京までいっしょに来た」 「なるほど勘定して見ると同じ汽車でしたね」 「君が停車場へ迎えに行ったところも見た」 「そうでしたか」と小野さんは苦笑した。 「あの人は東京ものだそうだね」 「誰が……」と云い掛けて、小野さんは、眼鏡の珠のはずれから、変に相手の横顔を覗き込んだ。 「誰が? 誰がとは」 「誰が話したんです」  小野さんの調子は存外落ついている。 「宿屋の下女が話した」 「宿屋の下女が? 蔦屋の?」  念を押したような、後が聞きたいような、後がないのを確かめたいような様子である。 「うん」と宗近君は云った。 「蔦屋の下女は……」 「そっちへ曲るのかい」 「もう少し、どうです、散歩は」 「もう好い加減に引き返そう。さあ大事の紙屑籠。落さないように持って行くがいい」  小野さんは恭しく屑籠を受取った。宗近君は飄然として去る。  一人になると急ぎたくなる。急げば早く孤堂先生の家へ着く。着くのはありがたくない。孤堂先生の家へ急ぎたいのではない。小野さんは何だか急ぎたいのである。両手は塞っている。足は動いている。恩賜の時計は胴衣のなかで鳴っている。往来は賑かである。――すべてのものを忘れて、小野さんの頭は急いでいる。早くしなければならん。しかしどうして早くして好いか分らない。ただ一昼夜が十二時間に縮まって、運命の車が思う方角へ全速力で廻転してくれるよりほかに致し方はない。進んで自然の法則を破るほどな不料簡は起さぬつもりである。しかし自然の方で、少しは事情を斟酌して、自分の味方になって働らいてくれても好さそうなものだ。そうなる事は受合だと保証がつけば、観音様へ御百度を踏んでも構わない。不動様へ護摩を上げても宜しい。耶蘇教の信者には無論なる。小野さんは歩きながら神の必要を感じた。  宗近と云う男は学問も出来ない、勉強もしない。詩趣も解しない。あれで将来何になる気かと不思議に思う事がある。何が出来るものかと軽蔑む事もある。露骨でいやになる事もある。しかし今更のように考えて見ると、あの態度は自分にはとうてい出来ない態度である。出来ないからこちらが劣っていると結論はせん。世の中には出来もせぬが、またしたくもない事がある。箸の先で皿を廻す芸当は出来るより出来ない方が上品だと思う。宗近の言語動作は無論自分には出来にくい。しかし出来にくいから、かえって自分の名誉だと今までは心得ていた。あの男の前へ出ると何だか圧迫を受ける。不愉快である。個人の義務は相手に愉快を与えるが専一と思う。宗近は社交の第一要義にも通じておらん。あんな男はただの世の中でも成功は出来ん。外交官の試験に落第するのは当り前である。  しかしあの男の前へ出て感じる圧迫は一種妙である。露骨から来るのか、単調から来るのか、いわゆる昔風の率直から来るのか、いまだに解剖して見ようと企てた事はないがとにかく妙である。故意に自分を圧しつけようとしている景色が寸毫も先方に見えないのにこちらは何となく感じてくる。ただ会釈もなく思うままを随意に振舞っている自然のなかから、どうだと云わぬばかりに圧迫が顔を出す。自分はなんだか気が引ける。あの男に対しては済まぬ裏面の義理もあるから、それが祟って、徳義が制裁を加えるとのみ思い通して来たがそればかりではけっしてない。例えば天を憚からず地を憚からぬ山の、無頓着に聳えて、面白からぬと云わんよりは、美くしく思えぬ感じである。星から墜つる露を、蕊に受けて、可憐の弁を、折々は、風の音信と小川へ流す。自分はこんな景色でなければ楽しいとは思えぬ。要するに宗近と自分とは檜山と花圃の差で、本来から性が合わぬから妙な感じがするに違ない。  性が合わぬ人を、合わねばそれまでと澄していた事もある。気の毒だと考えた事もある。情ないと軽蔑んだ事もある。しかし今日ほど羨しく感じた事はない。高尚だから、上品だから、自分の理想に近いから、羨ましいとは夢にも思わぬ。ただあんな気分になれたらさぞよかろうと、今の苦しみに引き較べて、急に羨ましくなった。  藤尾には小夜子と自分の関係を云い切ってしまった。あるとは云い切らない。世話になった昔の人に、心細く附き添う小さき影を、逢わぬ五年を霞と隔てて、再び逢うたばかりの朦朧した間柄と云い切ってしまった。恩を着るは情の肌、師に渥きは弟子の分、そのほかには鳥と魚との関係だにないと云い切ってしまった。できるならばと辛防して来た嘘はとうとう吐いてしまった。ようやくの思で吐いた嘘は、嘘でも立てなければならぬ。嘘を実と偽わる料簡はなくとも、吐くからは嘘に対して義務がある、責任が出る。あからさまに云えば嘘に対して一生の利害が伴なって来る。もう嘘は吐けぬ。二重の嘘は神も嫌だと聞く。今日からは是非共嘘を実と通用させなければならぬ。  それが何となく苦しい。これから先生の所へ行けばきっと二重の嘘を吐かねばならぬような話を持ちかけられるに違ない。切り抜ける手はいくらもあるが、手詰に出られると跳ねつける勇気はない。もう少し冷刻に生れていれば何の雑作もない。法律上の問題になるような不都合はしておらんつもりだから、判然断わってしまえばそれまでである。しかしそれでは恩人に済まぬ。恩人から逼られぬうちに、自分の嘘が発覚せぬうちに、自然が早く廻転して、自分と藤尾が公然結婚するように運ばなければならん。――後は? 後は後から考える。事実は何よりも有効である。結婚と云う事実が成立すれば、万事はこの新事実を土台にして考え直さなければならん。この新事実を一般から認められれば、あとはどんな不都合な犠牲でもする。どんなにつらい考え直し方でもする。  ただ機一髪と云う間際で、煩悶する。どうする事も出来ぬ心が急く。進むのが怖い。退ぞくのが厭だ。早く事件が発展すればと念じながら、発展するのが不安心である。したがって気楽な宗近が羨ましい。万事を商量するものは一本調子の人を羨ましがる。  春は行く。行く春は暮れる。絹のごとき浅黄の幕はふわりふわりと幾枚も空を離れて地の上に被さってくる。払い退ける風も見えぬ往来は、夕暮のなすがままに静まり返って、蒼然たる大地の色は刻々に蔓って来る。西の果に用もなく薄焼けていた雲はようやく紫に変った。  蕎麦屋の看板におかめの顔が薄暗く膨れて、後から点ける灯を今やと赤い頬に待つ向横町は、二間足らずの狭い往来になる。黄昏は細長く家と家の間に落ちて、鎖さぬ門を戸ごとにくぐる。部屋のなかはなおさら暗いだろう。  曲って左側の三軒目まで来た。門構と云う名はつけられない。往来をわずかに仕切る格子戸をそろりと明けると、なかは、ほのくらく近づく宵を、一段と刻んで下へ降りたような心持がする。 「御免」と云う。  静かな声は落ついた春の調子を乱さぬほどに穏である。幅一尺の揚板に、菱形の黒い穴が、椽の下へ抜けているのを眺めながら取次をおとなしく待つ。返事はやがてした。うんと云うのか、ああと云うのかはいと云うのか、さらに要領を得ぬ声である。小野さんはやはり菱形の黒い穴を覗きながら取次を待っている。やがて障子の向でずしんと誰か跳ね起きた様子である。怪しい普請と見えて根太の鳴る音が手に取るように聞える。例の壁紙模様の襖が開く。二畳の玄関へ出て来たなと思う間もなく、薄暗い障子の影に、肉の落ちた孤堂先生の顔が髯もろともに現われた。  平生からあまり丈夫には見えない。骨が細く、躯が細く、顔はことさら細く出来上ったうえに、取る年は争われぬ雨と風と苦労とを吹きつけて、辛い浮世に、辛くも取り留めた心さえ細くなるばかりである。今日は一層顔色が悪い。得意の髯さえも尋常には見えぬ。黒い隙間を白いのが埋めて、白い隙間を風が通る。  古の人は顎の下まで影が薄い。一本ずつ吟味して見ると先生の髯は一本ごとにひょろひょろしている。小野さんは鄭寧に帽を脱いで、無言のまま挨拶をする。英吉利刈の新式な頭は、眇然たる「過去」の前に落ちた。  径何十尺の円を描いて、周囲に鉄の格子を嵌めた箱をいくつとなくさげる。運命の玩弄児はわれ先にとこの箱へ這入る。円は廻り出す。この箱にいるものが青空へ近く昇る時、あの箱にいるものは、すべてを吸い尽す大地へそろりそろりと落ちて行く。観覧車を発明したものは皮肉な哲学者である。  英吉利式の頭は、この箱の中でこれから雲へ昇ろうとする。心細い髯に、世を佗び古りた記念のためと、大事に胡麻塩を振り懸けている先生は、あの箱の中でこれから暗い所へ落ちつこうとする。片々が一尺昇れば片々は一尺下がるように運命は出来上っている。  昇るものは、昇りつつある自覚を抱いて、降りつつ夜に行くものの前に鄭寧な頭を惜気もなく下げた。これを神の作れるアイロニーと云う。 「やあ、これは」と先生は機嫌が好い。運命の車で降りるものが、昇るものに出合うと自然に機嫌がよくなる。 「さあ御上り」とたちまち座敷へ取って返す。小野さんは靴の紐を解く。解き終らぬ先に先生はまた出てくる。 「さあ御上り」  座敷の真中に、昼を厭わず延べた床を、壁際へ押しやったあとに、新調の座布団が敷いてある。 「どうか、なさいましたか」 「何だか、今朝から心持が悪くってね。それでも朝のうちは我慢していたが、午からとうとう寝てしまった。今ちょうどうとうとしていたところへ君が来たので、待たして御気の毒だった」 「いえ、今格子を開けたばかりです」 「そうかい。何でも誰か来たようだから驚いて出て見た」 「そうですか、それは御邪魔をしました。寝ていらっしゃれば好かったですね」 「なに大した事はないから。――それに小夜も婆さんもいないものだから」 「どこかへ……」 「ちょっと風呂に行った。買物かたがた」  床の抜殻は、こんもり高く、這い出した穴を障子に向けている。影になった方が、薄暗く夜着の模様を暈す上に、投げ懸けた羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚める。裏は鼠の甲斐絹である。 「少しぞくぞくするようだ。羽織でも着よう」と先生は立ち上がる。 「寝ていらしったら好いでしょう」 「いや少し起きて見よう」 「何ですかね」 「風邪でもないようだが、――なに大した事もあるまい」 「昨夕御出になったのが悪かったですかね」 「いえ、なに。――時に昨夕は大きに御厄介」 「いいえ」 「小夜も大変喜んで。御蔭で好い保養をした」 「もう少し閑だと、方々へ御供をする事が出来るんですが……」 「忙がしいだろうからね。いや忙がしいのは結構だ」 「どうも御気の毒で……」 「いや、そんな心配はちっとも要らない。君の忙がしいのは、つまり我々の幸福なんだから」  小野さんは黙った。部屋はしだいに暗くなる。 「時に飯は食ったかね」と先生が聞く。 「ええ」 「食った?――食わなければ御上り。何にもないが茶漬ならあるだろう」とふらふらと立ち懸ける。締め切った障子に黒い長い影が出来る。 「先生、もう好いんです。飯は済まして来たんです」 「本当かい。遠慮しちゃいかん」 「遠慮しやしません」  黒い影は折れて故のごとく低くなる。えがらっぽい咳が二つ三つ出る。 「咳が出ますか」 「から――からっ咳が出て……」と云い懸ける途端にまた二つ三つ込み上げる。小野さんは憮然として咳の終るを待つ。 「横になって温まっていらしったら好いでしょう。冷えると毒です」 「いえ、もう大丈夫。出だすと一時いけないんだがね。――年を取ると意気地がなくなって――何でも若いうちの事だよ」  若いうちの事だとは今まで毎度聞いた言葉である。しかし孤堂先生の口から聞いたのは今が始めてである。骨ばかりこの世に取り残されたかと思う人の、疎らな髯を風塵に託して、残喘に一昔と二昔を、互違に呼吸する口から聞いたのは、少なくとも今が始めてである。子の鐘は陰に響いてぼうんと鳴る。薄暗い部屋のなかで、薄暗い人からこの言葉を聞いた小野さんは、つくづく若いうちの事だと思った。若いうちは二度とないと思った。若いうち旨くやらないと生涯の損だと思った。  生涯の損をしてこの先生のように老朽した時の心持は定めて淋しかろう。よくよくつまらないだろう。しかし恩のある人に済まぬ不義理をして死ぬまで寝醒が悪いのは、損をした昔を思い出すより欝陶しいかも知れぬ。いずれにしても若いうちは二度とは来ない。二度と来ない若いうちにきめた事は生涯きまってしまう。生涯きまってしまう事を、自分は今どっちかにきめなければならぬ。今日藤尾に逢う前に先生の所へ来たら、あの嘘を当分見合せたかも知れぬ。しかし嘘を吐いてしまった今となって見ると致し方はない。将来の運命は藤尾に任せたと云って差し支ない。――小野さんは心中でこう云う言訳をした。 「東京は変ったね」と先生が云う。 「烈しい所で、毎日変っています」 「恐ろしいくらいだ。昨夜もだいぶ驚いたよ」 「随分人が出ましたから」 「出たねえ。あれでも知った人には滅多に逢わないだろうね」 「そうですね」と瞹眛に受ける。 「逢うかね」  小野さんは「まあ……」と濁しかけたが「まあ、逢わない方ですね」と思い切ってしまった。 「逢わない。なるほど広い所に違ない」と先生は大いに感心している。なんだか田舎染みて見える。小野さんは光沢の悪い先生の顔から眼を放して、自分の膝元を眺めた。カフスは真白である。七宝の夫婦釦は滑な淡紅色を緑の上に浮かして、華奢な金縁のなかに暖かく包まれている。背広の地は品の好い英吉利織である。自己をまのあたりに物色した時、小野さんは自己の住むべき世界を卒然と自覚した。先生に釣り込まれそうな際どいところで急に忘れ物を思い出したような気分になる。先生には無論分らぬ。 「いっしょにあるいたのも久しぶりだね。今年でちょうど五年目になるかい」とさも可懐げに話しかける。 「ええ五年目です」 「五年目でも、十年目でも、こうして一つ所に住むようになれば結構さ。――小夜も喜んでいる」と後から継ぎ足したように一句を付け添えた。小野さんは早速の返事を忘れて、暗い部屋のなかに竦るような気がした。 「さっき御嬢さんが御出でした」と仕方がないから渡し込む。 「ああ、――なに急ぐ事でも無かったんだが、もしや暇があったらいっしょに連れて行って買物をして貰おうと思ってね」 「あいにく出掛けだったものですから」 「そうだってね。飛んだ御邪魔をしたろう。どこぞ急用でもあったのかい」 「いえ――急用でもなかったんですが」と相手は少々言い淀む。先生は追窮しない。 「はあ、そうかい。そりゃあ」と漠々たる挨拶をした。挨拶が漠々たると共に、部屋のなかも朦朧と取締がなくなって来る。今宵は月だ。月だが、まだ間がある。のに日は落ちた。床は一間を申訳のために濃い藍の砂壁に塗り立てた奥には、先生が秘蔵の義董の幅が掛かっていた。唐代の衣冠に蹣跚の履を危うく踏んで、だらしなく腕に巻きつけた長い袖を、童子の肩に凭した酔態は、この家の淋しさに似ず、春王の四月に叶う楽天家である。仰せのごとく額をかくす冠の、黒い色が著るしく目についたのは今先の事であったに、ふと見ると、纓か飾か、紋切形に左右に流す幅広の絹さえ、ぼんやりと近づく宵を迎えて、来る夜に紛れ込もうとする。先生も自分もぐずぐずすると一つ穴へはまって、影のように消えて行きそうだ。 「先生、御頼の洋灯の台を買って来ました」 「それはありがたい。どれ」  小野さんは薄暗いなかを玄関へ出て、台と屑籠を持ってくる。 「はあ――何だか暗くってよく見えない。灯火を点けてから緩くり拝見しよう」 「私が点けましょう。洋灯はどこにありますか」 「気の毒だね。もう帰って来る時分だが。じゃ椽側へ出ると右の戸袋のなかにあるから頼もう。掃除はもうしてあるはずだ」  薄暗い影が一つ立って、障子をすうと明ける。残る影はひそかに手を拱いて動かぬほどを、夜は襲って来る。六畳の座敷は淋しい人を陰気に封じ込めた。ごほんごほんと咳をせく。  やがて椽の片隅で擦る燐寸の音と共に、咳はやんだ。明るいものは室のなかに動いて来る。小野さんは洋袴の膝を折って、五分心を新らしい台の上に載せる。 「ちょうどよく合うね。据りがいい。紫檀かい」 「模擬でしょう」 「模擬でも立派なものだ。代は?」 「何ようござんす」 「よくはない。いくらかね」 「両方で四円少しです」 「四円。なるほど東京は物が高いね。――少しばかりの恩給でやって行くには京都の方が遥かに好いようだ」  二三年前と違って、先生は些額の恩給とわずかな貯蓄から上がる利子とで生活して行かねばならぬ。小野さんの世話をした時とはだいぶ違う。事に依れば小野さんの方から幾分か貢いで貰いたいようにも見える。小野さんは畏まって控えている。 「なに小夜さえなければ、京都にいても差し支ないんだが、若い娘を持つとなかなか心配なもので……」と途中でちょっと休んで見せる。小野さんは畏まったまま応じなかった。 「私などはどこの果で死のうが同じ事だが、後に残った小夜がたった一人で可哀想だからこの年になって、わざわざ東京まで出掛けて来たのさ。――いかな故郷でももう出てから二十年にもなる。知合も交際もない。まるで他国と同様だ。それに来て見ると、砂が立つ、埃が立つ。雑沓はする、物価は貴し、けっして住み好いとは思わない。……」 「住み好い所ではありませんね」 「これでも昔は親類も二三軒はあったんだが、長い間音信不通にしていたものだから、今では居所も分らない。不断はさほどにも思わないが、こうやって、半日でも寝ると考えるね。何となく心細い」 「なるほど」 「まあ御前が傍にいてくれるのが何よりの依頼だ」 「御役にも立ちませんで……」 「いえ、いろいろ親切にしてくれてまことにありがたい。忙しいところを……」 「論文の方がないと、まだ閑なんですが」 「論文。博士論文だね」 「ええ、まあそうです」 「いつ出すのかね」  いつ出すのか分らなかった。早く出さなければならないと思う。こんな引っ掛りがなければ、もうよほど書けたろうにと思う。口では 「今一生懸命に書いてるところです」と云う。  先生は襦袢の袖から手を抜いて、素肌の懐に肘まで収めたまま、二三度肩をゆすって 「どうも、ぞくぞくする」と細長い髯を襟のなかに埋めた。 「御寝みなさい。起きていらっしゃると毒ですから。私はもう御暇をします」 「なに、まあ御話し。もう小夜が帰る時分だから。寝たければ私の方で御免蒙って寝る。それにまだ話も残っているから」  先生は急に胸の中から、手を出して膝の上へ乗せて、双方を一度に打った。 「まあ緩くりするが好い。今暮れたばかりだ」  迷惑のうちにも小野さんはさすが気の毒に思った。これほどまでに自分を引き留めたいのは、ただ当年の可懐味や、一夕の無聊ではない。よくよく行く先が案じられて、亡き後の安心を片時も早く、脈の打つ手に握りたいからであろう。  実は夕食もまだ食わない。いれば耳を傾けたくない話が出る。腰だけはとうから宙に浮いている。しかし先生の様子を見ると無理に洋袴の膝を伸す訳にもいかない。老人は病を力めて、わがために強いて元気をつけている。親しみやすき蒲団は片寄せられて、穴ばかりになった。温気は昔の事である。 「時に小夜の事だがね」と先生は洋灯の灯を見ながら云う。五分心を蒲鉾形に点る火屋のなかは、壺に充る油を、物言わず吸い上げて、穏かなの舌が、暮れたばかりの春を、動かず守る。人佗て淋しき宵を、ただ一点の明きに償う。燈灯は希望の影を招く。 「時に小夜の事だがね。知っての通りああ云う内気な性質ではあるし、今の女学生のようにハイカラな教育もないからとうてい気にもいるまいが、……」まで来て先生は洋灯から眼を放した。眼は小野さんの方に向う。何とか取り合わなければならない。 「いいえ――どうして――」と受けて、ちょっと句を切って見せたが、先生は依然として、こっちの顔から眸を動かさない。その上口を開かずに何だか待っている。 「気にいらんなんて――そんな事が――あるはずがないですが」とぽつぽつに答える。ようやくに納得した先生は先へ進む。 「あれも不憫だからね」  小野さんは、そうだとも、そうでないとも云わなかった。手は膝の上にある。眼は手の上にある。 「私がこうして、どうかこうかしているうちは好い。好いがこの通りの身体だから、いつ何時どんな事がないとも限らない。その時が困る。兼ての約束はあるし、御前も約束を反故にするような軽薄な男ではないから、小夜の事は私がいない後でも世話はしてくれるだろうが……」 「そりゃ勿論です」と云わなければならない。 「そこは私も安心している。しかし女は気の狭いものでね。アハハハハ困るよ」  何だか無理に笑ったように聞える。先生の顔は笑ったためにいよいよ淋しくなった。 「そんなに御心配なさる事も要らんでしょう」と覚束なく云う。言葉の腰がふらふらしている。 「私はいいが、小夜がさ」  小野さんは右の手で洋服の膝を摩り始めた。しばらくは二人とも無言である。心なき灯火が双方を半分ずつ照らす。 「御前の方にもいろいろな都合はあるだろう。しかし都合はいくら立ったって片づくものじゃない」 「そうでも無いです。もう少しです」 「だって卒業して二年になるじゃないか」 「ええ。しかしもう少しの間は……」 「少しって、いつまでの事かい。そこが判然していれば待っても好いさ。小夜にも私からよく話して置く。しかしただ少しでは困る。いくら親でも子に対して幾分か責任があるから。――少しって云うのは博士論文でも書き上げてしまうまでかい」 「ええ、まずそうです」 「だいぶ久しく書いているようだが、まあいつごろ済むつもりかね。大体」 「なるべく早く書いてしまおうと思って骨を折っているんですが。何分問題が大きいものですから」 「しかし大体の見当は着くだろう」 「もう少しです」 「来月くらいかい」 「そう早くは……」 「来々月はどうだね」 「どうも……」 「じゃ、結婚をしてからにしたら好かろう、結婚をしたから論文が書けなくなったと云う理由も出て来そうにない」 「ですが、責任が重くなるから」 「いいじゃないか、今まで通りに働いてさえいれば。当分の間、我々は経済上、君の世話にならんでもいいから」  小野さんは返事のしようがなかった。 「収入は今どのくらいあるのかね」 「わずかです」 「わずかとは」 「みんなで六十円ばかりです。一人がようようです」 「下宿をして?」 「ええ」 「そりゃ馬鹿気ている。一人で六十円使うのはもったいない。家を持っても楽に暮せる」  小野さんはまた返事のしようがなかった。  東京は物価が高いと云いながら、東京と京都の区別を知らない。鳴海絞の兵児帯を締めて芋粥に寒さを凌いだ時代と、大学を卒業して相当の尊敬を衣帽の末に払わねばならぬ今の境遇とを比較する事を知らない。書物は学者に取って命から二代目である。按摩の杖と同じく、無くっては世渡りが出来ぬほどに大切な道具である。その書物は机の上へ湧いてでも出る事か、中には人の驚くような奮発をして集めている。先生はそんな費用が、どれくらいかかるかまるで一切空である。したがって、おいそれと簡単な返事が出来ない。  小野さんは何を思ったか、左手を畳へつかえると、右を伸して洋灯の心をぱっと出した。六畳の小地球が急に東の方へ廻転したように、一度は明るくなる。先生の世界観が瞬と共に変るように明るくなる。小野さんはまだ螺旋から手を放さない。 「もう好い。そのくらいで好い。あんまり出すと危ない」と先生が云う。  小野さんは手を放した。手を引くときに、自分でカフスの奥を腕まで覗いて見る。やがて背広の表隠袋から、真白な手巾を撮み出して丁寧に指頭の油を拭き取った。 「少し灯が曲っているから……」と小野さんは拭き取った指頭を鼻の先へ持って来てふんふんと二三度嗅いだ。 「あの婆さんが切るといつでも曲る」と先生は股の開いた灯を見ながら云う。 「時にあの婆さんはどうです、御間に合いますか」 「そう、まだ礼も云わなかったね。だんだん御手数を掛けて……」 「いいえ。実は年を取ってるから働らけるかと思ったんですが」 「まあ、あれで結構だ。だんだん慣れてくる様子だから」 「そうですか、そりゃ好い按排でした。実はどうかと思って心配していたんですが。その代り人間はたしかだそうです。浅井が受合って行ったんですから」 「そうかい。時に浅井と云えば、どうしたい。まだ帰らないかい」 「もう帰る時分ですが。ことに因ると今日くらいの汽車で帰って来るかも知れません」 「一昨かの手紙には、二三日中に帰るとあったよ」 「はあ、そうでしたか」と云ったぎり、小野さんは捩じ上げた五分心の頭を無心に眺めている。浅井の帰京と五分心の関係を見極めんと思索するごとくに眸子は一点に集った。 「先生」と云う。顔は先生の方へ向け易えた。例になく口の角にいささかの決心を齎している。 「何だい」 「今の御話ですね」 「うん」 「もう二三日待って下さいませんか」 「もう二三日」 「つまり要領を得た御返事をする前にいろいろ考えて見たいですから」 「そりゃ好いとも。三日でも四日でも、――一週間でも好い。事が判然さえすれば安心して待っている。じゃ小夜にもそう話して置こう」 「ええ、どうか」と云いながら恩賜の時計を出す。夏に向う永い日影が落ちてから、夜の針は疾く回るらしい。 「じゃ、今夜は失礼します」 「まあ好いじゃないか。もう帰って来る」 「また、すぐ来ますから」 「それでは――御疎怱であった」  小野さんはすっきりと立つ。先生は洋灯を執る。 「もう、どうぞ。分ります」と云いつつ玄関へ出る。 「やあ、月夜だね」と洋灯を肩の高さに支えた先生がいう。 「ええ穏な晩です」と小野さんは靴の紐を締めつつ格子から往来を見る。 「京都はなお穏だよ」  屈んでいた小野さんはようやく沓脱に立った。格子が明く。華奢な体躯が半分ばかり往来へ出る。 「清三」と先生は洋灯の影から呼び留めた。 「ええ」と小野さんは月のさす方から振り向いた。 「なに別段用じゃない。――こうして東京へ出掛けて来たのは、小夜の事を早く片づけてしまいたいからだと思ってくれ。分ったろうな」と云う。  小野さんは恭しく帽子を脱ぐ。先生の影は洋灯と共に消えた。  外は朧である。半ば世を照らし、半ば世を鎖す光が空に懸る。空は高きがごとく低きがごとく据らぬ腰を、更けぬ宵に浮かしている。懸るものはなおさらふわふわする。丸い縁に黄を帯びた輪をぼんやり膨らまして輪廓も確でない。黄な帯は外囲に近く色を失って、黒ずんだ藍のなかに煮染出す。流れれば月も消えそうに見える。月は空に、人は地に紛れやすい晩である。  小野さんの靴は、湿っぽい光を憚かるごとく、地に落す踵を洋袴の裾に隠して、小路を蕎麦屋の行灯まで抜け出して左へ折れた。往来は人の香がする。地にく影は長くはない。丸まって動いて来る。こんもりと揺れて去る。下駄の音は朧に包まれて、霜のようには冴えぬ。撫でて通る電信柱に白い模様が見えた。すかす眸を不審と据えると白墨の相々傘が映る。それほどの浅い夜を、昼から引っ越して来た霞が立て籠める。行く人も来る人も何となく要領を得ぬ。逃れば靄のなか、出れば月の世界である。小野さんは夢のように歩を移して来た。々として独り行くと云う句に似ている。  実は夕食もまだ食わない。いつもなら通りへ出ると、すぐ西洋料理へでも飛び込む料簡で、得意な襞の正しい洋袴を、誇り顔に運ぶはずである。今宵はいつまで立っても腹も減らない。牛乳さえ飲む気にならん。陽気は暖か過ぎる。胃は重い。引く足は千鳥にはならんが、確と踏答えがないような心持である。そと卸すせいかも知れぬ。さればとて、こつりと大地へ当てる気にはならん。巡査のようにあるけたなら世に朧は要らぬ。次に心配は要らぬ。巡査だから、ああも歩ける。小野さんには――ことに今夜の小野さんには――巡査の真似は出来ない。  なぜこう気が弱いだろう――小野さんは考えながら、ふらふら歩いている。――なぜこう気が弱いだろう。頭脳も人には負けぬ。学問も級友の倍はある。挙止動作から衣服の着こなし方に至って、ことごとく粋を尽くしていると自信している。ただ気が弱い。気が弱いために損をする。損をするだけならいいが乗っ引きならぬ羽目に陥る。水に溺れるものは水を蹴ると何かの本にあった。背に腹は替えられぬ今の場合、と諦めて蹴ってしまえばそれまでである。が……  女の話し声がする。人影は二つ、路の向う側をこちらへ近づいて来る。吾妻下駄と駒下駄の音が調子を揃えて生温く宵を刻んで寛なるなかに、話し声は聞える。 「洋灯の台を買って来て下さったでしょうか」と一人が云う。「そうさね」と一人が応える。「今頃は来ていらっしゃるかも知れませんよ」と前の声がまた云う。「どうだか」と後の声がまた応える。「でも買って行くとおっしゃったんでしょう」と押す。「ああ。――何だか暖か過ぎる晩だこと」と逃げる。「御湯のせいでござんすよ。薬湯は温まりますから」と説明する。  二人の話はここで小野さんの向側を通り越した。見送ると並ぶ軒下から頭の影だけが斜に出て、蕎麦屋の方へ動いて行く。しばらく首を捩じ向けて、立ち留っていた小野さんは、また歩き出した。  浅井のように気の毒気の少ないものなら、すぐ片づける事も出来る。宗近のような平気な男なら、苦もなくどうかするだろう。甲野なら超然として板挟みになっているかも知れぬ。しかし自分には出来ない。向へ行って一歩深く陥り、こっちへ来て一歩深く陥る。双方へ気兼をして、片足ずつ双方へ取られてしまう。つまりは人情に絡んで意思に乏しいからである。利害? 利害の念は人情の土台の上に、後から被せた景気の皮である。自分を動かす第一の力はと聞かれれば、すぐ人情だと答える。利害の念は第三にも第四にも、ことによったら全くなくっても、自分はやはり同様の結果に陥るだろうと思う。――小野さんはこう考えて歩いて行く。  いかに人情でも、こんなに優柔ではいけまい。手を拱いて、自然の為すがままにして置いたら、事件はどう発展するか分らない。想像すると怖しくなる。人情に屈託していればいるほど、怖しい発展を、眼のあたりに見るようになるかもしれぬ。是非ここで、どうかせねばならん。しかし、まだ二三日の余裕はある。二三日よく考えた上で決断しても遅くはない。二三日立って善い智慧が出なければ、その時こそ仕方がない。浅井を捕えて、孤堂先生への談判を頼んでしまう。実はさっきもその考で、浅井の帰りを勘定に入れて、二三日の猶予をと云った。こんな事は人情に拘泥しない浅井に限る。自分のような情に篤いものはとうてい断わり切れない。――小野さんはこう考えて歩いて行く。  月はまだ天のなかにいる。流れんとして流るる気色も見えぬ。地に落つる光は、冴ゆる暇なきを、重たき温気に封じ込められて、限りなき大夢を半空に曳く。乏しい星は雲を潜って向側へ抜けそうに見える。綿のなかに砲弾を打ち込んだのが辛うじて輝やくようだ。静かに重い宵である。小野さんはこのなかを考えながら歩いて行く。今夜は半鐘も鳴るまい。         十五  部屋は南を向く。仏蘭西式の窓は床を去る事五寸にして、すぐ硝子となる。明け放てば日が這入る。温かい風が這入る。日は椅子の足で留まる。風は留まる事を知らぬ故、容赦なく天井まで吹く。窓掛の裏まで渡る。からりとして朗らかな書斎になる。  仏蘭西窓を右に避けて一脚の机を据える。蒲鉾形に引戸を卸せば、上から錠がかかる。明ければ、緑の羅紗を張り詰めた真中を、斜めに低く手元へ削って、背を平らかに、書を開くべき便宜とする。下は左右を銀金具の抽出に畳み卸してその四つ目が床に着く。床は樟の木の寄木に仮漆を掛けて、礼に叶わぬ靴の裏を、ともすれば危からしめんと、てらてらする。  そのほかに洋卓がある。チッペンデールとヌーヴォーを取り合せたような組み方に、思い切った今様を華奢な昔に忍ばして、室の真中を占領している。周囲に並ぶ四脚の椅子は無論同式の構造である。繻子の模様も対とは思うが、日除の白蔽に、卸す腰も、凭れる背も、ただ心安しと気を楽に落ちつけるばかりで、目の保養にはならぬ。  書棚は壁に片寄せて、間の高さを九尺列ねて戸口まで続く。組めば重ね、離せば一段の棚を喜んで、亡き父が西洋から取り寄せたものである。いっぱいに並べた書物が紺に、黄に、いろいろに、ゆかしき光を闘わすなかに花文字の、角文字の金は、縦にも横にも奇麗である。  小野さんは欽吾の書斎を見るたびに羨しいと思わぬ事はない。欽吾も無論嫌ってはおらぬ。もとは父の居間であった。仕切りの戸を一つ明けると直応接間へ抜ける。残る一つを出ると内廊下から日本座敷へ続く。洋風の二間は、父が手狭な住居を、二十世紀に取り拡げた便利の結果である。趣味に叶うと云わんよりは、むしろ実用に逼られて、時好の程度に己れを委却した建築である。さほどに嬉しい部屋ではない。けれども小野さんは非常に羨ましがっている。  こう云う書斎に這入って、好きな書物を、好きな時に読んで、厭きた時分に、好きな人と好きな話をしたら極楽だろうと思う。博士論文はすぐ書いて見せる。博士論文を書いたあとは後代を驚ろかすような大著述をして見せる。定めて愉快だろう。しかし今のような下宿住居で、隣り近所の乱調子に頭を攪き廻されるようではとうてい駄目である。今のように過去に追窮されて、義理や人情のごたごたに、日夜共心を使っていてはとうてい駄目である。自慢ではないが自分は立派な頭脳を持っている。立派な頭脳を持っているものは、この頭脳を使って世間に貢献するのが天職である。天職を尽すためには、尽し得るだけの条件がいる。こう云う書斎はその条件の一つである。――小野さんはこう云う書斎に這入りたくてたまらない。  高等学校こそ違え、大学では甲野さんも小野さんも同年であった。哲学と純文学は科が異なるから、小野さんは甲野さんの学力を知りようがない。ただ「哲世界と実世界」と云う論文を出して卒業したと聞くばかりである。「哲世界と実世界」の価値は、読まぬ身に分るはずがないが、とにかく甲野さんは時計をちょうだいしておらん。自分はちょうだいしておる。恩賜の時計は時を計るのみならず、脳の善悪をも計る。未来の進歩と、学界の成功をも計る。特典に洩れた甲野さんは大した人間ではないにきまっている。その上卒業してからこれと云う研究もしないようだ。深い考を内に蓄えているかも知れぬが、蓄えているならもう出すはずである。出さぬは蓄がない証拠と見て差支ない。どうしても自分は甲野さんより有益な材である。その有益な材を抱いて奔走に、六十円に、月々を衣食するに、甲野さんは、手を拱いて、徒然の日を退屈そうに暮らしている。この書斎を甲野さんが占領するのはもったいない。自分が甲野の身分でこの部屋の主人となる事が出来るなら、この二年の間に相応の仕事はしているものを、親譲りの貧乏に、驥も櫪に伏す天の不公平を、やむを得ず、今日まで忍んで来た。一陽は幸なき人の上にも来り復ると聞く。願くは願くはと小野さんは日頃に念じていた。――知らぬ甲野さんはぽつ然として机に向っている。  正面の窓を明けたらば、石一級の歩に過ぎずして、広い芝生を一目に見渡すのみか、朗な気が地つづきを、すぐ部屋のなかに這入るものを、甲野さんは締め切ったまま、ひそりと立て籠っている。  右手の小窓は、硝子を下した上に、左右から垂れかかる窓掛に半ば蔽われている。通う光線は幽かに床の上に落つる。窓掛は海老茶の毛織に浮出しの花模様を埃のままに、二十日ほどは動いた事がないようである。色もだいぶ褪めた。部屋と調和のない装飾も、過渡時代の日本には当然として立派に通用する。窓掛の隙間から硝子へ顔を圧しつけて、外を覗くと扇骨木の植込を通して池が見える。棒縞の間から横へ抜けた波模様のように、途切れ途切れに見える。池の筋向が藤尾の座敷になる。甲野さんは植込も見ず、池も見ず、芝生も見ず、机に凭ってじっとしている。焚き残された去年の石炭が、煖炉のなかにただ一個冷やかに春を観ずる体である。  やがて、かたりと書物を置き易える音がする。甲野さんは手垢の着いた、例の日記帳を取り出して、誌け始める。 「多くの人は吾に対して悪を施さんと欲す。同時に吾の、彼らを目して凶徒となすを許さず。またその凶暴に抗するを許さず。曰く。命に服せざれば汝を嫉まんと」  細字に書き終った甲野さんは、その後に片仮名でレオパルジと入れた。日記を右に片寄せる。置き易えた書物を再び故の座に直して、静かに読み始める。細い青貝の軸を着けた洋筆がころころと机を滑って床に落ちた。ぽたりと黒いものが足の下に出来る。甲野さんは両手を机の角に突張って、心持腰を後へ浮かしたが、眼を落してまず黒いしたたりを眺めた。丸い輪に墨が余ってぱっと四方に飛んでいる。青貝は寝返りを打って、薄暗いなかに冷たそうな長い光を放つ。甲野さんは椅子をずらす。手捜に取り上げた洋筆軸は父が西洋から買って来てくれた昔土産である。  甲野さんは、指先に軸を撮んだ手を裏返して、拾った物を、指の谷から滑らして掌のなかに落し込む。掌の向を上下に易えると、長い軸は、ころころと前へ行き後ろへ戻る。動くたびにきらきら光る。小さい記念である。  洋筆軸を転がしながら、書物の続きを読む。頁をはぐるとこんな事が、かいてある。 「剣客の剣を舞わすに、力相若くときは剣術は無術と同じ。彼、これを一籌の末に制する事能わざれば、学ばざるものの相対して敵となるに等しければなり。人を欺くもまたこれに類す。欺かるるもの、欺くものと一様の譎詐に富むとき、二人の位地は、誠実をもって相対すると毫も異なるところなきに至る。この故に偽と悪とは優勢を引いて援護となすにあらざるよりは、不足偽、不足悪に出会するにあらざるよりは、最後に、至善を敵とするにあらざるよりは、――効果を収むる事難しとす。第三の場合は固より稀なり。第二もまた多からず。凶漢は敗徳において匹敵するをもって常態とすればなり。人相賊してついに達する能わず、あるいは千辛万苦して始めて達し得べきものも、ただ互に善を行い徳を施こして容易に到り得べきを思えば、悲しむべし」  甲野さんはまた日記を取り上げた。青貝の洋筆軸を、ぽとりと墨壺の底に落す。落したまま容易に上げないと思うと、ついには手を放した。レオパルジは開いたまま、黄な表紙の日記を頁の上に載せる。両足を踏張って、組み合せた手を、頸根にうんと椅子の背に凭れかかる。仰向く途端に父の半身画と顔を見合わした。  余り大きくはない。半身とは云え胴衣の釦が二つ見えるだけである。服はフロックと思われるが、背景の暗いうちに吸い取られて、明らかなのは、わずかに洩るる白襯衣の色と、額の広い顔だけである。  名のある人の筆になると云う。三年前帰朝の節、父はこの一面を携えて、遥かなる海を横浜の埠頭に上った。それより以後は、欽吾が仰ぐたびに壁間に懸っている。仰がぬ時も壁間から欽吾を見下している。筆を執るときも、頬杖を突くときも、仮寝の頭を机に支うるときも――絶えず見下している。欽吾がいない時ですら、画布の人は、常に書斎を見下している。  見下すだけあって活きている。眼玉に締りがある。それも丹念に塗りたくって、根気任せに錬り上げた眼玉ではない。一刷毛に輪廓を描いて、眉と睫の間に自然の影が出来る。下瞼の垂味が見える。取る年が集って目尻を引張る波足が浮く。その中に瞳が活きている。動かないでしかも活きている刹那の表情を、そのまま画布に落した手腕は、会心の機を早速に捕えた非凡の技と云わねばならぬ。甲野さんはこの眼を見るたびに活きてるなと思う。  想界に一瀾を点ずれば、千瀾追うて至る。瀾々相擁して思索の郷に、吾を忘るるとき、懊悩の頭を上げて、この眼にはたりと逢えば、あっ、在ったなと思う。ある時はおやいたかと驚ろく事さえある。――甲野さんがレオパルジから眼を放して、万事を椅子の背に託した時は、常よりも烈しくおやいたなと驚ろいた。  思出の種に、亡き人を忍ぶ片身とは、思い出す便を与えながら、亡き人を故に返さぬ無惨なものである。肌に離さぬ数糸の髪を、懐いては、泣いては、月日はただ先へと廻るのみの浮世である。片身は焼くに限る。父が死んでからの甲野さんは、何となくこの画を見るのが厭になった。離れても別状がないと落つきの根城を据えて、咫尺に慈顔を髣髴するは、離れたる親を、記憶の紙に炙り出すのみか、逢える日を春に待てとの占にもなる。が、逢おうと思った本人はもう死んでしまった。活きているものはただ眼玉だけである。それすら活きているのみで毫も動かない。――甲野さんは茫然として、眼玉を眺めながら考えている。  親父も気の毒な事をした。もう少し生きれば生きられる年だのに。髭もまるで白くはない。血色もみずみずしている。死ぬ気は無論なかったろう。気の毒な事をした。どうせ死ぬなら、日本へ帰ってから死んでくれれば好いのに。言い置いて行きたい事も定めてあったろう。聞きたい事、話したい事もたくさんあった。惜しい事をした。好い年をして三遍も四遍も外国へやられて、しかも任地で急病に罹って頓死してしまった。……  活きている眼は、壁の上から甲野さんを見詰めている。甲野さんは椅子に倚り掛ったまま、壁の上を見詰めている。二人の眼は見るたびにぴたりと合う。じっとして動かずに、合わしたままの秒を重ねて分に至ると、向うの眸が何となく働らいて来た。睛を閑所に転ずる気紛の働ではない。打ち守る光が次第に強くなって、眼を抜けた魂がじりじりと一直線に甲野さんに逼って来る。甲野さんはおやと、首を動した。髪の毛が、椅子の背を離れて二寸ばかり前へ出た時、もう魂はいなくなった。いつの間にやら、眼のなかへ引き返したと見える。一枚の額は依然として一枚の額に過ぎない。甲野さんは再び黒い頭を椅子の肩に投げかけた。  馬鹿馬鹿しい。が近頃時々こんな事がある。身体が衰弱したせいか、頭脳の具合が悪いからだろう。それにしてもこの画は厭だ。なまじい親父に似ているだけがなお気掛りである。死んだものに心を残したって始まらないのは知れている。ところへ死んだものを鼻の先へぶら下げて思え思えと催促されるのは、木刀を突き付けて、さあ腹を切れと逼られるようなものだ。うるさいのみか不快になる。  それもただの場合ならともかくである。親父の事を思い出すたびに、親父に気の毒になる。今の身と、今の心は自分にさえ気の毒である。実世界に住むとは、名ばかりの衣と住と食とを貪るだけで、頭はほかの国に、母も妹も忘れればこそ、こう生きてもいる。実世界の地面から、踵を上げる事を解し得ぬ利害の人の眼に見たら、定めし馬鹿の骨頂だろう。自分は自分にすべてを棄てる覚悟があるにもせよ、この体たらくを親父には見せたくない。親父はただの人である。草葉の蔭で親父が見ていたら、定めて不肖の子と思うだろう。不肖の子は親父の事を思い出したくない。思い出せば気の毒になる。――どうもこの画はいかん。折があったら蔵のなかへでも片づけてしまおう。……  十人は十人の因果を持つ。羹に懲りて膾を吹くは、株を守って兎を待つと、等しく一様の大律に支配せらる。白日天に中して万戸に午砲の飯を炊ぐとき、蹠下の民は褥裏に夜半太平の計熟す。甲野さんがただ一人書斎で考えている間に、母と藤尾は日本間の方で小声に話している。 「じゃあ、まだ話さないんですね」と藤尾が云う。茶の勝った節糸の袷は存外地味な代りに、長く明けた袖の後から紅絹の裏が婀娜な色を一筋なまめかす。帯に代赭の古代模様が見える。織物の名は分らぬ。 「欽吾にかい」と母が聞き直す。これもくすんだ縞物を、年相応に着こなして、腹合せの黒だけが目に着くほどに締めている。 「ええ」と応じた藤尾は 「兄さんは、まだ知らないんでしょう」と念を押す。 「まだ話さないよ」と云ったぎり、母は落ちついている。座布団の縁を捲って、 「おや、煙管はどうしたろう」と云う。  煙管は火鉢の向う側にある。長い羅宇を、逆に、親指の股に挟んで 「はい」と手取形の鉄瓶の上から渡す。 「話したら何とか云うでしょうか」と差し出した手をこちら側へ引く。 「云えば御廃しかい」と母は皮肉に云い切ったまま、下を向いて、雁首へ雲井を詰める。娘は答えなかった。答えをすれば弱くなる。もっとも強い返事をしようと思うときは黙っているに限る。無言は黄金である。  五徳の下で、存分に吸いつけた母は、鼻から出る煙と共に口を開いた。 「話はいつでも出来るよ。話すのが好ければ私が話して上げる。なに相談するがものはない。こう云う風にするつもりだからと云えば、それぎりの事だよ」 「そりゃ私だって、自分の考がきまった以上は、兄さんがいくら何と云ったって承知しやしませんけれども……」 「何にも云える人じゃないよ。相談相手に出来るくらいなら、初手からこうしないでもほかにいくらも遣口はあらあね」 「でも兄さんの心持一つで、こっちが困るようになるんだから」 「そうさ。それさえなければ、話も何も要りゃしないんだが。どうも表向家の相続人だから、あの人がうんと云ってくれないと、こっちが路頭に迷うようになるばかりだからね」 「その癖、何か話すたんびに、財産はみんな御前にやるから、そのつもりでいるがいいって云うんですがね」 「云うだけじゃ仕方がないじゃないか」 「まさか催促する訳にも行かないでしょう」 「なにくれるものなら、催促して貰ったって、構わないんだが――ただ世間体がわるいからね。いくらあの人が学者でもこっちからそうは切り出し悪いよ」 「だから、話したら好いじゃありませんか」 「何を」 「何をって、あの事を」 「小野さんの事かい」 「ええ」と藤尾は明暸に答えた。 「話しても好いよ。どうせいつか話さなければならないんだから」 「そうしたら、どうにかするでしょう。まるっきり財産をくれるつもりなら、くれるでしょうし。幾らか分けてくれる気なら、分けるでしょうし、家が厭ならどこへでも行くでしょうし」 「だが、御母さんの口から、御前の世話にはなりたくないから藤尾をどうかしてくれとも云い悪いからね」 「だって向で世話をするのが厭だって云うんじゃありませんか。世話は出来ない、財産はやらない。それじゃ御母さんをどうするつもりなんです」 「どうするつもりも何も有りゃしない。ただああやってぐずぐずして人を困らせる男なんだよ」 「少しはこっちの様子でも分りそうなもんですがね」  母は黙っている。 「この間金時計を宗近にやれって云った時でも……」 「小野さんに上げると御云いのかい」 「小野さんにとは云わないけれども。一さんに上げるとは云わなかったわ」 「妙だよあの人は。藤尾に養子をして、面倒を見て御貰いなさいと云うかと思うと、やっぱり御前を一にやりたいんだよ。だって一は一人息子じゃないか。養子なんぞに来られるものかね」 「ふん」と受けた藤尾は、細い首を横に庭の方を見る。夕暮を促がすとのみ眺められた浅葱桜は、ことごとく梢を辞して、光る茶色の嫩葉さえ吹き出している。左に茂る三四本の扇骨木の丸く刈り込まれた間から、書斎の窓が少し見える。思うさま片寄って枝を伸した桜の幹を、右へ離れると池になる。池が尽きれば張り出した自分の座敷である。  静かな庭を一目見廻わした藤尾は再び横顔を返して、母を真向に見る。母はさっきから藤尾の方を向いたなり眼を放さない。二人が顔を合せた時、何を思ったか、藤尾は美くしい片頬をむずつかせた。笑とまで片づかぬものは、明かに浮ばぬ先に自然と消える。 「宗近の方は大丈夫なんでしょうね」 「大丈夫でなくったって、仕方がないじゃないか」 「でも断って下すったんでしょう」 「断ったんだとも。この間行った時に、宗近の阿爺に逢って、よく理由は話して来たのさ。――帰ってから御前にも話した通り」 「それは覚えていますけれども、何だか判然しないようだったから」 「判然しないのは向の事さ。阿爺があの通り気の長い人だもんだから」 「こっちでも判然とは断わらなかったんでしょう」 「そりゃ今までの義理があるから、そう子供の使のように、藤尾が厭だと申しますから、平に御断わり申しますとは云えないからね」 「なに厭なものは、どうしたって好くなりっこ無いんだから、いっそ平ったく云った方が好いんですよ」 「だって、世間はそうしたもんじゃあるまい。御前はまだ年が若いから露骨でも構わないと御思かも知れないが、世の中はそうは行かないよ。同じ断わるにしても、そこにはね。やっぱり蓋も味もあるように云わないと――ただ怒らしてしまったって仕方がないから」 「何とか云って断ったのね」 「欽吾がどうあっても嫁を貰うと云ってくれません。私も取る年で心細うございますから」と一と息に下して来る。ちょっと御茶を呑む。 「年を取って心細いから」 「心細いから、欽吾があのまま押し通す料簡なら、藤尾に養子でもして掛かるよりほかに致し方がございません。すると一さんは大事な宗近家の御相続人だから私共へいらしっていただく訳にも行かず、また藤尾を差し上げる訳にも参らなくなりますから……」 「それじゃ兄さんがもしや御嫁を貰うと云い出したら困るでしょう」 「なに大丈夫だよ」と母は浅黒い額へ癇癪の八の字を寄せた。八の字はすぐとれる。やがて云う。 「貰うなら、貰うで、糸子でも何でも勝手な人を貰うがいいやね。こっちはこっちで早く小野さんを入れてしまうから」 「でも宗近の方は」 「いいよ。そう心配しないでも」と地烈太そうに云い切った後で 「外交官の試験に及第しないうちは嫁どころじゃないやね」と付けた。 「もし及第したら、すぐ何か云うでしょう」 「だって、彼男に及第が出来ますものかね。考えて御覧な。――もし及第なすったら藤尾を差上ましょうと約束したって大丈夫だよ」 「そう云ったの」 「そうは云わないさ。そうは云わないが、云っても大丈夫、及第出来っ子ない男だあね」  藤尾は笑ながら、首を傾けた。やがてすっきと姿勢を正して、話を切り上げながら云う。 「じゃ宗近の御叔父はたしかに断わられたと思ってるんですね」 「思ってるはずだがね。――どうだい、あれから一の様子は、少しは変ったかい」 「やっぱり同じですからさ。この間博覧会へ行ったときも相変らずですもの」 「博覧会へ行ったのは、いつだったかね」 「今日で」と考える。「一昨日、一昨々日の晩です」と云う。 「そんなら、もう一に通じている時分だが。――もっとも宗近の御叔父がああ云う人だから、ことに依ると謎が通じなかったかも知れないね」とさも歯痒そうである。 「それとも一さんの事だから、御叔父から聞いても平気でいるのかも知れないわね」 「そうさ。どっちがどっちとも云えないね。じゃ、こうしよう。ともかくも欽吾に話してしまおう。――こっちで黙っていちゃ、いつまで立っても際限がない」 「今、書斎にいるでしょう」  母は立ち上がった。椽側へ出た足を一歩後へ返して、小声に 「御前、一に逢うだろう」と屈ながら云う。 「逢うかも知れません」 「逢ったら少し匂わして置く方が好いよ。小野さんと大森へ行くとか云っていたじゃないか。明日だったかね」 「ええ、明日の約束です」 「何なら二人で遊んで歩くところでも見せてやると好い」 「ホホホホ」  母は書斎に向う。  からりとした椽を通り越して、奇麗な木理を一面に研ぎ出してある西洋間の戸を半分明けると、立て切った中は暗い。円鈕を前に押しながら、開く戸に身を任せて、音なき両足を寄木の床に落した時、釘舌のかちゃりと跳ね返る音がする。窓掛に春を遮ぎる書斎は、薄暗く二人を、人の世から仕切った。 「暗い事」と云いながら、母は真中の洋卓まで来て立ち留まる。椅子の背の上に首だけ見えた欽吾の後姿が、声のした方へ、じいっと廻り込むと、なぞえに引いた眉の切れが三が一ほどあらわれた。黒い片髭が上唇を沿うて、自然と下りて来て、尽んとする角から、急に捲き返す。口は結んでいる。同時に黒い眸は眼尻まで擦って来た。母と子はこの姿勢のうちに互を認識した。 「陰気だねえ」と母は立ちながら繰り返す。  無言の人は立ち上る。上靴を二三度床に鳴らして、洋卓の角まで足を運ばした時、始めて 「窓を明けましょうか」と緩聞いた。 「どうでも――母さんはどうでも構わないが、ただ御前が欝陶しいだろうと思ってさ」  無言の人は再び右の手の平を、洋卓越に前へ出した。促がされたる母はまず椅子に着く。欽吾も腰を卸した。 「どうだね、具合は」 「ありがとう」 「ちっとは好い方かね」 「ええ――まあ――」と生返事をした時、甲野さんは背を引いて腕を組んだ。同時に洋卓の下で、右足の甲の上へ左の外踝を乗せる。母の眼からは、ただ裄の縮んだ卵色の襯衣の袖が正面に見える。 「身体を丈夫にしてくれないとね、母さんも心配だから……」  句の切れぬうちに、甲野さんは自分の顎を咽喉へ押しつけて、洋卓の下を覗き込んだ。黒い足袋が二つ重なっている。母の足は見えない。母は出直した。 「身体が悪いと、つい気分まで欝陶しくなって、自分も面白くないし……」  甲野さんはふと眼を上げた。母は急に言葉を移す。 「でも京都へ行ってから、少しは好いようだね」 「そうですか」 「ホホホホ、そうですかって、他人の事のように。――何だか顔色が丈夫丈夫して来たじゃないか。日に焼けたせいかね」 「そうかも知れない」と甲野さんは、首を向け直して、窓の方を見る。窓掛の深い襞が左右に切れる間から、扇骨木の若葉が燃えるように硝子に映る。 「ちっと、日本間の方へ話にでも来て御覧。あっちは、廓っとして、書斎より心持が好いから。たまには、一のようにつまらない女を相手にして世間話をするのも気が変って面白いものだよ」 「ありがとう」 「どうせ相手になるほどの話は出来ないけれども――それでも馬鹿は馬鹿なりにね。……」  甲野さんは眩しそうな眼を扇骨木から放した。 「扇骨木が大変奇麗に芽を吹きましたね」 「見事だね。かえって生じいな花よりも、好ござんすよ。ここからは、たった一本しっきゃ見えないね。向へ廻ると刈り込んだのが丸く揃って、そりゃ奇麗」 「あなたの部屋からが一番好く見えるようですね」 「ああ、御覧かい」  甲野さんは見たとも見ないとも云わなかった。母は云う。―― 「それにね。近頃は陽気のせいか池の緋鯉が、まことによく跳るんで……ここから聞えますかい」 「鯉の跳る音がですか」 「ああ」 「いいえ」 「聞えない。聞えないだろうねこう立て切って有っちゃあ。母さんの部屋からでも聞えないくらいだから。この間藤尾に母さんは耳が悪くなったって、さんざん笑われたのさ。――もっとも、もう耳も悪くなって好い年だから仕方がないけれども」 「藤尾はいますか」 「いるよ。もう小野さんが来て稽古をする時分だろう。――何か用でもあるかい」 「いえ、用は別にありません」 「あれも、あんな、気の勝った子で、さぞ御前さんの気に障る事もあろうが、まあ我慢して、本当の妹だと思って、面倒を見てやって下さい」  甲野さんは腕組のまま、じっと、深い瞳を母の上に据えた。母の眼はなぜか洋卓の上に落ちている。 「世話はする気です」と徐かに云う。 「御前がそう云ってくれると私もまことに安心です」 「する気どころじゃない。したいと思っているくらいです」 「それほどに思ってくれると聞いたら当人もさぞ喜ぶ事だろう」 「ですが……」で言葉は切れた。母は後を待つ。欽吾は腕組を解いて、椅子に倚る背を前に、胸を洋卓の角へ着けるほど母に近づいた。 「ですが、母さん。藤尾の方では世話になる気がありません」 「そんな事が」と今度は母の方が身体を椅子の背に引いた。甲野さんは一筋の眉さえ動かさない。同じような低い声を、静かに繋げて行く。 「世話をすると云うのは、世話になる方でこっちを信仰――信仰と云うのは神さまのようでおかしい」  甲野さんはここでぽつりと言葉を切った。母はまだ番が回って来ないと心得たか、尋常に控えている。 「とにかく世話になっても好いと思うくらいに信用する人物でなくっちゃ駄目です」 「そりゃ御前にそう見限られてしまえばそれまでだが」とここまでは何の苦もなく出したが、急に調子を逼らして、 「藤尾も実は可哀想だからね。そう云わずに、どうかしてやって下さい」と云う。甲野さんは肘を立てて、手の平で額を抑えた。 「だって見縊られているんだから、世話を焼けば喧嘩になるばかりです」 「藤尾が御前さんを見縊るなんて……」と打ち消はしとやかな母にしては比較的に大きな声であった。 「そんな事があっては第一私が済まない」と次に添えた時はもう常に復していた。  甲野さんは黙って肘を立てている。 「何か藤尾が不都合な事でもしたかい」  甲野さんは依然として額に加えた手の下から母を眺めている。 「もし不都合があったら、私から篤と云って聞かせるから、遠慮しないで、何でも話しておくれ。御互のなかで気不味い事があっちゃあ面白くないから」  額に加えた五本の指は、節長に細りして、爪の形さえ女のように華奢に出来ている。 「藤尾はたしか二十四になったんですね」 「明けて四になったのさ」 「もうどうかしなくっちゃならないでしょう」 「嫁の口かい」と母は簡単に念を押した。甲野さんは嫁とも聟とも判然した答をしない。母は云う。 「藤尾の事も、実は相談したいと思っているんだが、その前にね」 「何ですか」  右の眉はやはり手の下に隠れている。眼の光は深い。けれども鋭い点はどこにも見えぬ。 「どうだろう。もう一遍考え直してくれると好いがね」 「何をですか」 「御前の事をさ。藤尾も藤尾でどうかしなければならないが、御前の方を先へきめないと、母さんが困るからね」  甲野さんは手の甲の影で片頬に笑った。淋しい笑である。 「身体が悪いと御云いだけれども、御前くらいの身体で御嫁を取った人はいくらでもあります」 「そりゃ、有るでしょう」 「だからさ。御前も、もう一遍考え直して御覧な。中には御嫁を貰って大変丈夫になった人もあるくらいだよ」  甲野さんの手はこの時始めて額を離れた。洋卓の上には一枚の罫紙に鉛筆が添えて載せてある。何気なく罫紙を取り上げて裏を返して見ると三四行の英語が書いてある。読み掛けて気がついた。昨日読んだ書物の中から備忘のため抄録して、そのままに捨てて置いた紙片である。甲野さんは罫紙を洋卓の上に伏せた。  母は額の裏側だけに八の字を寄せて、甲野さんの返事をおとなしく待っている。甲野さんは鉛筆を執って紙の上へ烏と云う字を書いた。 「どうだろうね」  烏と云う字が鳥になった。 「そうしてくれると好いがね」  鳥と云う字が鴃の字になった。その下に舌の字が付いた。そうして顔を上げた。云う。 「まあ藤尾の方からきめたら好いでしょう」 「御前が、どうしても承知してくれなければ、そうするよりほかに道はあるまい」  云い終った母は悄然として下を向いた。同時に忰の紙の上に三角が出来た。三角が三つ重なって鱗の紋になる。 「母かさん。家は藤尾にやりますよ」 「それじゃ御前……」と打ち消にかかる。 「財産も藤尾にやります。私は何にもいらない」 「それじゃ私達が困るばかりだあね」 「困りますか」と落ちついて云った。母子はちょっと眼を見合せる。 「困りますかって。――私が、死んだ阿父さんに済まないじゃないか」 「そうですか。じゃどうすれば好いんです」と飴色に塗った鉛筆を洋卓の上にはたりと放り出した。 「どうすれば好いか、どうせ母さんのような無学なものには分らないが、無学は無学なりにそれじゃ済まないと思いますよ」 「厭なんですか」 「厭だなんて、そんなもったいない事を今まで云った事があったかね」 「有りません」 「私も無いつもりだ。御前がそう云ってくれるたんびに、御礼は始終云ってるじゃないか」 「御礼は始終聞いています」  母は転がった鉛筆を取り上げて、尖った先を見た。丸い護謨の尻を見た。心のうちで手のつけようのない人だと思った。ややあって護謨の尻をきゅうっと洋卓の上へ引っ張りながら云う。 「じゃ、どうあっても家を襲ぐ気はないんだね」 「家は襲いでいます。法律上私は相続人です」 「甲野の家は襲いでも、母かさんの世話はしてくれないんだね」  甲野さんは返事をする前に、眸を長い眼の真中に据えてつくづくと母の顔を眺めた。やがて、 「だから、家も財産もみんな藤尾にやると云うんです」と慇懃に云う。 「それほどに御云いなら、仕方がない」  母は溜息と共に、この一句を洋卓の上にうちやった。甲野さんは超然としている。 「じゃ仕方がないから、御前の事は御前の思い通りにするとして、――藤尾の方だがね」 「ええ」 「実はあの小野さんが好かろうと思うんだが、どうだろう」 「小野をですか」と云ったぎり、黙った。 「いけまいか」 「いけない事もないでしょう」と緩くり云う。 「よければ、そうきめようと思うが……」 「好いでしょう」 「好いかい」 「ええ」 「それでようやく安心した」  甲野さんはじっと眼を凝らして正面に何物をか見詰めている。あたかも前にある母の存在を認めざるごとくである。 「それでようやく――御前どうかおしかい」 「母かさん、藤尾は承知なんでしょうね」 「無論知っているよ。なぜ」  甲野さんは、やはり遠方を見ている。やがて瞬を一つすると共に、眼は急に近くなった。 「宗近はいけないんですか」と聞く。 「一かい。本来なら一が一番好いんだけれども。――父さんと宗近とは、ああ云う間柄ではあるしね」 「約束でもありゃしなかったですか」 「約束と云うほどの事はなかったよ」 「何だか父さんが時計をやるとか云った事があるように覚えていますが」 「時計?」と母は首を傾げた。 「父さんの金時計です。柘榴石の着いている」 「ああ、そうそう。そんな事が有ったようだね」と母は思い出したごとくに云う。 「一はまだ当にしているようです」 「そうかい」と云ったぎり母は澄ましている。 「約束があるならやらなくっちゃ悪い。義理が欠ける」 「時計は今藤尾が預っているから、私から、よく、そう云って置こう」 「時計もだが、藤尾の事を重に云ってるんです」 「だって藤尾をやろうと云う約束はまるで無いんだよ」 「そうですか。――それじゃ、好いでしょう」 「そう云うと私が何だか御前の気に逆うようで悪いけれども、――そんな約束はまるで覚がないんだもの」 「はああ。じゃ無いんでしょう」 「そりゃね。約束があっても無くっても、一ならやっても好いんだが、あれも外交官の試験がまだ済まないんだから勉強中に嫁でもあるまいし」 「そりゃ、構わないです」 「それに一は長男だから、どうしても宗近の家を襲がなくっちゃならずね」 「藤尾へは養子をするつもりなんですか」 「したくはないが、御前が母かさんの云う事を聞いておくれでないから……」 「藤尾がわきへ行くにしても、財産は藤尾にやります」 「財産は――御前私の料簡を間違えて取っておくれだと困るが――母さんの腹の中には財産の事なんかまるでありゃしないよ。そりゃ割って見せたいくらいに奇麗なつもりだがね。そうは見えないか知ら」 「見えます」と甲野さんが云った。極めて真面目な調子である。母にさえ嘲弄の意味には受取れなかった。 「ただ年を取って心細いから……たった一人の藤尾をやってしまうと、後が困るんでね」 「なるほど」 「でなければ一が好いんだがね。御前とも仲が善し……」 「母かさん、小野をよく知っていますか」 「知ってるつもりです。叮嚀で、親切で、学問がよく出来て立派な人じゃないか。――なぜ」 「そんなら好いです」 「そう素気なく云わずと、何か考があるなら聞かしておくれな。せっかく相談に来たんだから」  しばらく罫紙の上の楽書を見詰めていた甲野さんは眼を上げると共に穏かに云い切った。 「宗近の方が小野より母さんを大事にします」 「そりゃ」とたちまち出る。後から静かに云う。 「そうかも知れない――御前の見た眼に間違はあるまいが、ほかの事と違って、こればかりは親や兄の自由には行かないもんだからね」 「藤尾が是非にと云うんですか」 「え、まあ――是非とも云うまいが」 「そりゃ私も知っている。知ってるんだが。――藤尾はいますか」 「呼びましょう」  母は立った。薄紅色に深く唐草を散らした壁紙に、立ちながら、手頃に届く電鈴を、白きただ中に押すと、座に返るほどなきに応がある。入口の戸が五寸ばかりそっと明く、ところを振り返った母が 「藤尾に用があるからちょいと」と云う。そっと明いた戸はそっと締る。  母と子は洋卓を隔てて差し向う。互に無言である。欽吾はまた鉛筆を取り上げた。三つ鱗の周囲に擦れ擦れの大きさに円を描く。円と鱗の間を塗る。黒い線を一本一本叮嚀に並行させて行く。母は所在なさに、忰の図案を慇懃に眺めている。  二人の心は無論わからぬ。ただ上部だけはいかにも静である。もし手足の挙止が、内面の消息を形而下に運び来る記号となり得るならば、この二人ほどに長閑な母子は容易に見出し得まい。退屈の刻を、数十の線に劃して、行儀よく三つ鱗の外部を塗り潰す子と、尋常に手を膝の上に重ねて、一劃ごとに黒くなる円の中を、端然と打ち守る母とは、咸雍の母子である。和怡の母子である。挟さむ洋卓に、遮らるる胸と胸を対い合せて、春鎖す窓掛のうちに、世を、人を、争を、忘れたる姿である。亡き人の肖像は例に因って、壁の上から、閑静なるこの母子を照らしている。  丹念に引く線はようやく繁くなる。黒い部分はしだいに増す。残るはただ右手に当る弓形の一ヵ所となった時、がちゃりと釘舌を捩る音がして、待ち設けた藤尾の姿が入口に現われた。白い姿を春に託す。深い背景のうちに肩から上が浮いて見える。甲野さんの鉛筆は引きかけた線の半ばでぴたりと留った。同時に藤尾の顔は背景を抜け出して来る。 「炙り出しはどうして」と言いながら、母の隣まで来て、横合から腰を卸す。卸し終った時、また、 「出て?」と母に聞く。母はただ藤尾の方を意味ありげに見たのみである。甲野さんの黒い線はこの間に四本増した。 「兄さんが御前に何か御用があると御云いだから」 「そう」と云ったなり、藤尾は兄の方へ向き直った。黒い線がしきりに出来つつある。 「兄さん、何か御用」 「うん」と云った甲野さんは、ようやく顔を上げた。顔を上げたなり何とも云わない。  藤尾は再び母の方を見た。見ると共に薄笑の影が奇麗な頬にさす。兄はやっと口を切る。 「藤尾、この家と、私が父さんから受け襲いだ財産はみんな御前にやるよ」 「いつ」 「今日からやる。――その代り、母さんの世話は御前がしなければいけない」 「ありがとう」と云いながら、また母の方を見る。やはり笑っている。 「御前宗近へ行く気はないか」 「ええ」 「ない? どうしても厭か」 「厭です」 「そうか。――そんなに小野が好いのか」  藤尾は屹となる。 「それを聞いて何になさる」と椅子の上に背を伸して云う。 「何にもしない。私のためには何にもならない事だ。ただ御前のために云ってやるのだ」 「私のために?」と言葉の尻を上げて置いて、 「そう」とさも軽蔑したように落す。母は始めて口を出す。 「兄さんの考では、小野さんより一の方がよかろうと云う話なんだがね」 「兄さんは兄さん。私は私です」 「兄さんは小野さんよりも一の方が、母さんを大事にしてくれると御言いのだよ」 「兄さん」と藤尾は鋭く欽吾に向った。「あなた小野さんの性格を知っていらっしゃるか」 「知っている」と閑静に云う。 「知ってるもんですか」と立ち上がる。「小野さんは詩人です。高尚な詩人です」 「そうか」 「趣味を解した人です。愛を解した人です。温厚の君子です。――哲学者には分らない人格です。あなたには一さんは分るでしょう。しかし小野さんの価値は分りません。けっして分りません。一さんを賞める人に小野さんの価値が分る訳がありません。……」 「じゃ小野にするさ」 「無論します」  云い棄てて紫の絹は戸口の方へ揺いた。繊い手に円鈕をぐるりと回すや否や藤尾の姿は深い背景のうちに隠れた。         十六  叙述の筆は甲野の書斎を去って、宗近の家庭に入る。同日である。また同刻である。  相変らずの唐机を控えて、宗近の父さんが鬼更紗の座蒲団の上に坐っている。襯衣を嫌った、黒八丈の襦袢の襟が崩れて、素肌に、もじゃ、もじゃと胸毛が見える。忌部焼の布袋の置物にこんなのがよくある。布袋の前に異様の煙草盆を置く。呉祥瑞の銘のある染付には山がある、柳がある、人物がいる。人物と山と同じくらいな大きさに描かれている間を、一筋の金泥が蜿蜒と縁まで這上る。形は甕のごとく、鉢が開いて、開いた頂が、がっくりと縮まると、丸い縁になる。向い合せの耳を潜る蔓には、ぎりぎりと渋を帯びた籐を巻きつけて手提の便を計る。  宗近の父さんは昨日どこの古道具屋からか、継のあるこの煙草盆を堀り出して来て、今朝から祥瑞だ、祥瑞だと騒いだ結果、灰を入れ、火を入れ、しきりに煙草を吸っている。  ところへ入口の唐紙をさらりと開けて、宗近君が例のごとく活溌に這入って来る。父は煙草盆から眼を離した。見ると忰は親譲りの背広をだぶだぶに着て、カシミヤの靴足袋だけに、大なる通をきめている。 「どこぞへ行くかね」 「行くんじゃない、今帰ったところです。――ああ暑い。今日はよっぽど暑いですね」 「家にいると、そうでもない。御前はむやみに急ぐから暑いんだ。もう少し落ちついて歩いたらどうだ」 「充分落ちついているつもりなんだが、そう見えないかな。弱るな。――やあ、とうとう煙草盆へ火を入れましたね。なるほど」 「どうだ祥瑞は」 「何だか酒甕のようですね」 「なに煙草盆さ。御前達が何だかだって笑うが、こうやって灰を入れて見るとやっぱり煙草盆らしいだろう」  老人は蔓を持って、ぐっと祥瑞を宙に釣るし上げた。 「どうだ」 「ええ。好いですね」 「好いだろう。祥瑞は贋の多いもんで容易には買えない」 「全体いくらなんですか」 「いくらだか当てて御覧」 「見当が着きませんね。滅多な事を云うとまたこの間の松見たように頭ごなしに叱られるからな」 「壱円八十銭だ。安いもんだろう」 「安いですかね」 「全く堀出だ」 「へええ――おや椽側にもまた新らしい植木が出来ましたね」 「さっき万両と植え替えた。それは薩摩の鉢で古いものだ」 「十六世紀頃の葡萄耳人が被った帽子のような恰好ですね。――この薔薇はまた大変赤いもんだな、こりゃあ」 「それは仏見笑と云ってね。やっぱり薔薇の一種だ」 「仏見笑? 妙な名だな」 「華厳経に外面如菩薩、内心如夜叉と云う句がある。知ってるだろう」 「文句だけは知ってます」 「それで仏見笑と云うんだそうだ。花は奇麗だが、大変刺がある。触って御覧」 「なに触らなくっても結構です」 「ハハハハ外面如菩薩、内心如夜叉。女は危ないものだ」と云いながら、老人は雁首の先で祥瑞の中を穿り廻す。 「むずかしい薔薇があるもんだな」と宗近君は感心して仏見笑を眺めている。 「うん」と老人は思い出したように膝を打つ。 「一あの花を見た事があるかい。あの床に挿してある」  老人はいながら、顔の向を後へ変える。捩れた頸に、行き所を失った肉が、三筋ほど括られて肩の方へ競り出して来る。  茶がかった平床には、釣竿を担いだ蜆子和尚を一筆に描いた軸を閑静に掛けて、前に青銅の古瓶を据える。鶴ほどに長い頸の中から、すいと出る二茎に、十字と四方に囲う葉を境に、数珠に貫く露の珠が二穂ずつ偶を作って咲いている。 「大変細い花ですね。――見た事がない。何と云うんですか」 「これが例の二人静だ」 「例の二人静? 例にも何にも今まで聞いた事がないですね」 「覚えて置くがいい。面白い花だ。白い穂がきっと二本ずつ出る。だから二人静。謡曲に静の霊が二人して舞うと云う事がある。知っているかね」 「知りませんね」 「二人静。ハハハハ面白い花だ」 「何だか因果のある花ばかりですね」 「調べさえすれば因果はいくらでもある。御前、梅に幾通あるか知ってるか」と煙草盆を釣るして、また煙管の雁首で灰の中を掻き廻す。宗近君はこの機に乗じて話頭を転換した。 「阿爺さん。今日ね、久しぶりに髪結床へ行って、頭を刈って来ました」と右の手で黒いところを撫で廻す。 「頭を」と云いながら羅宇の中ほどを祥瑞の縁でとんと叩いて灰を落す。 「あんまり奇麗にもならんじゃないか」と真向に帰ってから云う。 「奇麗にもならんじゃないかって、阿爺さん、こりゃ五分刈じゃないですぜ」 「じゃ何刈だい」 「分けるんです」 「分かっていないじゃないか」 「今に分かるようになるんです。真中が少し長いでしょう」 「そう云えば心持長いかな。廃せばいいのに、見っともない」 「見っともないですか」 「それにこれから夏向は熱苦しくって……」 「ところがいくら熱苦しくっても、こうして置かないと不都合なんです」 「なぜ」 「なぜでも不都合なんです」 「妙な奴だな」 「ハハハハ実はね、阿爺さん」 「うん」 「外交官の試験に及第してね」 「及第したか。そりゃそりゃ。そうか。そんなら早くそう云えば好いのに」 「まあ頭でも拵えてからにしようと思って」 「頭なんぞはどうでも好いさ」 「ところが五分刈で外国へ行くと懲役人と間違えられるって云いますからね」 「外国へ――外国へ行くのかい。いつ」 「まあこの髪が延びて小野清三式になる時分でしょう」 「じゃ、まだ一ヵ月くらいはあるな」 「ええ、そのくらいはあります」 「一ヵ月あるならまあ安心だ。立つ前にゆっくり相談も出来るから」 「ええ時間はいくらでもあります。時間の方はいくらでもありますが、この洋服は今日限御返納に及びたいです」 「ハハハハいかんかい。よく似合うぜ」 「あなたが似合う似合うとおっしゃるから今日まで着たようなものの――至るところだぶだぶしていますぜ」 「そうかそれじゃ廃すがいい。また阿爺さんが着よう」 「ハハハハ驚いたなあ。それこそ御廃しなさい」 「廃しても好い。黒田にでもやるかな」 「黒田こそいい迷惑だ」 「そんなにおかしいかな」 「おかしかないが、身体に合わないでさあ」 「そうか、それじゃやっぱりおかしいだろう」 「ええ、つまるところおかしいです」 「ハハハハ時に糸にも話したかい」 「試験の事ですか」 「ああ」 「まだ話さないです」 「まだ話さない。なぜ。――全体いつ分ったんだ」 「通知のあったのは二三日前ですがね。つい、忙しいもんだから、まだ誰にも話さない」 「御前は呑気過ぎていかんよ」 「なに忘れやしません。大丈夫」 「ハハハハ忘れちゃ大変だ。まあもう、ちっと気をつけるがいい」 「ええこれから糸公に話してやろうと思ってね。――心配しているから。――及第の件とそれからこの頭の説明を」 「頭は好いが――全体どこへ行く事になったのかい。英吉利か、仏蘭西か」 「その辺はまだ分らないです。何でも西洋は西洋でしょう」 「ハハハハ気楽なもんだ。まあどこへでも行くが好い」 「西洋なんか行きたくもないんだけれども――まあ順序だから仕方がない」 「うん、まあ勝手な所へ行くがいい」 「支那や朝鮮なら、故の通の五分刈で、このだぶだぶの洋服を着て出掛けるですがね」 「西洋はやかましい。御前のような不作法ものには好い修業になって結構だ」 「ハハハハ西洋へ行くと堕落するだろうと思ってね」 「なぜ」 「西洋へ行くと人間を二た通り拵えて持っていないと不都合ですからね」 「二た通とは」 「不作法な裏と、奇麗な表と。厄介でさあ」 「日本でもそうじゃないか。文明の圧迫が烈しいから上部を奇麗にしないと社会に住めなくなる」 「その代り生存競争も烈しくなるから、内部はますます不作法になりまさあ」 「ちょうどなんだな。裏と表と反対の方角に発達する訳になるな。これからの人間は生きながら八つ裂の刑を受けるようなものだ。苦しいだろう」 「今に人間が進化すると、神様の顔へ豚の睾丸をつけたような奴ばかり出来て、それで落つきが取れるかも知れない。いやだな、そんな修業に出掛けるのは」 「いっそ廃にするか。うちにいて親父の古洋服でも着て太平楽を並べている方が好いかも知れない。ハハハハ」 「ことに英吉利人は気に喰わない。一から十まで英国が模範であると云わんばかりの顔をして、何でもかでも我流で押し通そうとするんですからね」 「だが英国紳士と云って近頃だいぶ評判がいいじゃないか」 「日英同盟だって、何もあんなに賞めるにも当らない訳だ。弥次馬共が英国へ行った事もない癖に、旗ばかり押し立てて、まるで日本が無くなったようじゃありませんか」 「うん。どこの国でも表が表だけに発達すると、裏も裏相応に発達するだろうからな。――なに国ばかりじゃない個人でもそうだ」 「日本がえらくなって、英国の方で日本の真似でもするようでなくっちゃ駄目だ」 「御前が日本をえらくするさ。ハハハハ」  宗近君は日本をえらくするとも、しないとも云わなかった。ふと手を伸すと更紗の結襟が白襟の真中まで浮き出して結目は横に捩れている。 「どうも、この襟飾は滑っていけない」と手探に位地を正しながら、 「じゃ糸にちょっと話しましょう」と立ちかける。 「まあ御待ち、少し相談がある」 「何ですか」と立ち掛けた尻を卸す機会に、準胡坐の姿勢を取る。 「実は今までは、御前の位地もまだきまっていなかったから、さほどにも云わなかったが……」 「嫁ですかね」 「そうさ。どうせ外国へ行くなら、行く前にきめるとか、結婚するとか、または連れて行くとか……」 「とても連れちゃ行かれませんよ。金が足りないから」 「連れて行かんでも好い。ちゃんと片をつけて、そうして置いて行くなら。留守中は私が大事に預かってやる」 「私もそうしようと思ってるんです」 「どうだなそこで。気に入った婦人でもあるかな」 「甲野の妹を貰うつもりなんですがね。どうでしょう」 「藤尾かい。うん」 「駄目ですかね」 「なに駄目じゃない」 「外交官の女房にゃ、ああ云うんでないといけないです」 「そこでだて。実は甲野の親父が生きているうち、私と親父の間に、少しはその話もあったんだがな。御前は知らんかも知らんが」 「叔父さんは時計をやると云いました」 「あの金時計かい。藤尾が玩弄にするんで有名な」 「ええ、あの太古の時計です」 「ハハハハあれで針が回るかな。時計はそれとして、実は肝心の本人の事だが――この間甲野の母さんが来た時、ついでだから話して見たんだがね」 「はあ、何とか云いましたか」 「まことに好い御縁だが、まだ御身分がきまって御出でないから残念だけれども……」 「身分がきまらないと云うのは外交官の試験に及第しないと云う意味ですかね」 「まあ、そうだろう」 「だろうはちっと驚ろいたな」 「いや、あの女の云う事は、非常に能弁な代りによく意味が通じないで困る。滔々と述べる事は述べるが、ついに要点が分らない。要するに不経済な女だ」  多少苦々しい気色に、煙管でとんと膝頭を敲いた父さんは、視線さえ椽側の方へ移した。最前植え易えた仏見笑が鮮な紅を春と夏の境に今ぞと誇っている。 「だけれども断ったんだか、断らないんだか分らないのは厄介ですね」 「厄介だよ。あの女にかかると今までも随分厄介な事がだいぶあった。猫撫声で長ったらしくって――私ゃ嫌だ」 「ハハハハそりゃ好いが――ついに談判は発展しずにしまったんですか」 「つまり先方の云うところでは、御前が外交官の試験に及第したらやってもいいと云うんだ」 「じゃ訳ない。この通り及第したんだから」 「ところがまだあるんだ。面倒な事が。まことにどうも」と云いながら父さんは、手の平を二つ内側へ揃えて眼の球をぐりぐり擦る。眼の球は赤くなる。 「及第しても駄目なんですか」 「駄目じゃあるまいが――欽吾がうちを出ると云うそうだ」 「馬鹿な」 「もし出られてしまうと、年寄の世話の仕手がなくなる。だから藤尾に養子をしなければならない。すると宗近へでも、どこへでも嫁にやる訳には行かなくなると、まあこう云うんだな」 「下らない事を云うもんですね。第一甲野が家を出るなんて、そんな訳がないがな」 「家を出るって、まさか坊主になる料簡でもなかろうが、つまり嫁を貰って、あの御袋の世話をするのが厭だと云うんだろうじゃないか」 「甲野が神経衰弱だから、そんな馬鹿気た事を云うんですよ。間違ってる。よし出るたって――叔母さんが甲野を出して、養子をする気なんですか」 「そうなっては大変だと云って心配しているのさ」 「そんなら藤尾さんを嫁にやっても好さそうなものじゃありませんか」 「好い。好いが、万一の事を考えると私も心細くってたまらないと云うのさ」 「何が何だか分りゃしない。まるで八幡の藪不知へ這入ったようなものだ」 「本当に――要領を得ないにも困り切る」  父さんは額に皺を寄せて上眼を使いながら、頭を撫で廻す。 「元来そりゃいつの事です」 「この間だ。今日で一週間にもなるかな」 「ハハハハ私の及第報告は二三日後れただけだが、父さんのは一週間だ。親だけあって、私より倍以上気楽ですぜ」 「ハハハだが要領を得ないからね」 「要領はたしかに得ませんね。早速要領を得るようにして来ます」 「どうして」 「まず甲野に妻帯の件を説諭して、坊主にならないようにしてしまって、それから藤尾さんをくれるかくれないか判然談判して来るつもりです」 「御前一人でやる気かね」 「ええ、一人でたくさんです。卒業してから何にもしないから、せめてこんな事でもしなくっちゃ退屈でいけない」 「うん、自分の事を自分で片づけるのは結構な事だ。一つやって見るが好い」 「それでね。もし甲野が妻を貰うと云ったら糸をやるつもりですが好いでしょうね」 「それは好い。構わない」 「一先本人の意志を聞いて見て……」 「聞かんでも好かろう」 「だって、そりゃ聞かなくっちゃいけませんよ。ほかの事とは違うから」 「そんなら聞いて見るが好い。ここへ呼ぼうか」 「ハハハハ親と兄の前で詰問しちゃなおいけない。これから私が聞いて見ます。で当人が好いと云ったら、そのつもりで甲野に話しますからね」 「うん、よかろう」  宗近君はずんど切の洋袴を二本ぬっと立てた。仏見笑と二人静と蜆子和尚と活きた布袋の置物を残して廊下つづきを中二階へ上る。  とんとんと二段踏むと妹の御太鼓が奇麗に見える。三段目に水色の絹が、横に傾いて、ふっくらした片頬が入口の方に向いた。 「今日は勉強だね。珍らしい。何だい」といきなり机の横へ坐り込む。糸子ははたりと本を伏せた。伏せた上へ肉のついた丸い手を置く。 「何でもありませんよ」 「何でもない本を読むなんて、天下の逸民だね」 「どうせ、そうよ」 「手を放したって好いじゃないか。まるで散らしでも取ったようだ」 「散らしでも何でも好くってよ。御生だからあっちへ行ってちょうだい」 「大変邪魔にするね。糸公、父っさんが、そう云ってたぜ」 「何て」 「糸はちっと女大学でも読めば好いのに、近頃は恋愛小説ばかり読んでて、まことに困るって」 「あら嘘ばっかり。私がいつそんなものを読んで」 「兄さんは知らないよ。阿父さんがそう云うんだから」 「嘘よ、阿父様がそんな事をおっしゃるもんですか」 「そうかい。だって、人が来ると読み掛けた本を伏せて、枡落し見たように一生懸命におさえているところをもって見ると、阿父さんの云うところもまんざら嘘とは思えないじゃないか」 「嘘ですよ。嘘だって云うのに、あなたもよっぽど卑劣な方ね」 「卑劣は一大痛棒だね。注意人物の売国奴じゃないかハハハハ」 「だって人の云う事を信用なさらないんですもの。そんなら証拠を見せて上げましょうか。ね。待っていらっしゃいよ」  糸子は抑えた本を袖で隠さんばかりに、机から手本へ引き取って、兄の見えぬように帯の影に忍ばした。 「掏り替えちゃいけないぜ」 「まあ黙って、待っていらっしゃい」  糸子は兄の眼を掠めて、長い袖の下に隠した本を、しきりに細工していたが、やがて 「ほら」と上へ出す。  両手で叮嚀に抑えた頁の、残る一寸角の真中に朱印が見える。 「見留じゃないか。なんだ――甲野」 「分ったでしょう」 「借りたのかい」 「ええ。恋愛小説じゃないでしょう」 「種を見せない以上は何とも云えないが、まあ勘弁してやろう。時に糸公御前今年幾歳になるね」 「当てて御覧なさい」 「当てて見ないだって区役所へ行きゃ、すぐ分る事だが、ちょいと参考のために聞いて見るんだよ。隠さずに云う方が御前の利益だ」 「隠さずに云う方がだって――何だか悪い事でもしたようね。私厭だわ、そんなに強迫されて云うのは」 「ハハハハさすが哲学者の御弟子だけあって、容易に権威に服従しないところが感心だ。じゃ改めて伺うが、取って御幾歳ですか」 「そんな茶化したって、誰が云うもんですか」 「困ったな。叮嚀に云えば云うで怒るし。――一だったかね。二かい」 「おおかたそんなところでしょう」 「判然しないのか。自分の年が判然しないようじゃ、兄さんも少々心細いな。とにかく十代じゃないね」 「余計な御世話じゃありませんか。人の年齢なんぞ聞いて。――それを聞いて何になさるの」 「なに別の用でもないが、実は糸公を御嫁にやろうと思ってさ」  冗談半分に相手になって、調戯れていた妹の様子は突然と変った。熱い石を氷の上に置くと見る見る冷めて来る。糸子は一度に元気を放散した。同時に陽気な眼を陰に俯せて、畳みの目を勘定し出した。 「どうだい、御嫁は。厭でもないだろう」 「知らないわ」と低い声で云う。やっぱり下を向いたままである。 「知らなくっちゃ困るね。兄さんが行くんじゃない、御前が行くんだ」 「行くって云いもしないのに」 「じゃ行かないのか」  糸子は頭を竪に振った。 「行かない? 本当に」  答はなかった。今度は首さえ動かさない。 「行かないとなると、兄さんが切腹しなけりゃならない。大変だ」  俯向いた眼の色は見えぬ。ただ豊なる頬を掠めて笑の影が飛び去った。 「笑い事じゃない。本当に腹を切るよ。好いかね」 「勝手に御切んなさい」と突然顔を上げた。にこにこと笑う。 「切るのは好いが、あんまり深刻だからね。なろう事ならこのまんまで生きている方が、御互に便利じゃないか。御前だってたった一人の兄さんに腹を切らしたって、つまらないだろう」 「誰もつまると云やしないわ」 「だから兄さんを助けると思ってうんと御云い」 「だって訳も話さないで、藪から棒にそんな無理を云ったって」 「訳は聞さえすれば、いくらでも話すさ」 「好くってよ、訳なんか聞かなくっても、私御嫁なんかに行かないんだから」 「糸公御前の返事は鼠花火のようにくるくる廻っているよ。錯乱体だ」 「何ですって」 「なに、何でもいい、法律上の術語だから――それでね、糸公、いつまで行っても埓が明かないから、一と思に打ち明けて話してしまうが、実はこうなんだ」 「訳は聞いても御嫁にゃ行かなくってよ」 「条件つきに聞くつもりか。なかなか狡猾だね。――実は兄さんが藤尾さんを御嫁に貰おうと思うんだがね」 「まだ」 「まだって今度が始てだね」 「だけれど、藤尾さんは御廃しなさいよ。藤尾さんの方で来たがっていないんだから」 「御前この間もそんな事を云ったね」 「ええ、だって、厭がってるものを貰わなくっても好いじゃありませんか。ほかに女がいくらでも有るのに」 「そりゃ大いにごもっともだ。厭なものを強請るなんて卑怯な兄さんじゃない。糸公の威信にも関係する。厭なら厭と事がきまればほかに捜すよ」 「いっそそうなすった方がいいでしょう」 「だがその辺が判然しないからね」 「だから判然させるの。まあ」と内気な妹は少し驚いたように眼を机の上に転じた。 「この間甲野の御叔母さんが来て、下で内談をしていたろう。あの時その話があったんだとさ。叔母さんが云うには、今はまだいけないが、一さんが外交官の試験に及第して、身分がきまったら、どうでも御相談を致しましょうって阿爺に話したそうだ」 「それで」 「だから好いじゃないか、兄さんがちゃんと外交官の試験に及第したんだから」 「おや、いつ」 「いつって、ちゃんと及第しちまったんだよ」 「あら、本当なの、驚ろいた」 「兄が及第して驚ろく奴があるもんか。失礼千万な」 「だって、そんなら早くそうおっしゃれば好いのに。これでもだいぶ心配して上げたんだわ」 「全く御前の御蔭だよ。大いに感泣しているさ。感泣はしているようなものの忘れちまったんだから仕方がない」  兄妹は隔なき眼と眼を見合せた。そうして同時に笑った。  笑い切った時、兄が云う。 「そこで兄さんもこの通り頭を刈って、近々洋行するはずになったんだが、阿父さんの云うには、立つ前に嫁を貰って人格を作ってけって責めるから、兄さんが、どうせ貰うなら藤尾さんを貰いましょう。外交官の妻君にはああ云うハイカラでないと将来困るからと云ったのさ」 「それほど御気に入ったら藤尾さんになさい。――女を見るのはやっぱり女の方が上手ね」 「そりゃ才媛糸公の意見に間違はなかろうから、充分兄さんも参考にはするつもりだが、とにかく判然談判をきめて来なくっちゃいけない。向うだって厭なら厭と云うだろう。外交官の試験に及第したからって、急に気が変って参りましょうなんて軽薄な事は云うまい」  糸子は微かな笑を、二三段に切って鼻から洩した。 「云うかね」 「どうですか。聞いて御覧なさらなくっちゃ――しかし聞くなら欽吾さんに御聞きなさいよ。恥を掻くといけないから」 「ハハハハ厭なら断るのが天下の定法だ。断わられたって恥じゃない……」 「だって」 「……ないが甲野に聞くよ。聞く事は甲野に聞くが――そこに問題がある」 「どんな」 「先決問題がある。――先決問題だよ、糸公」 「だから、どんなって、聞いてるじゃありませんか」 「ほかでもないが、甲野が坊主になるって騒ぎなんだよ」 「馬鹿をおっしゃい。縁喜でもない」 「なに、今の世に坊主になるくらいな決心があるなら、縁喜はともかく、大に慶すべき現象だ」 「苛い事を……だって坊さんになるのは、酔興になるんじゃないでしょう」 「何とも云えない。近頃のように煩悶が流行した日にゃ」 「じゃ、兄さんからなって御覧なさいよ」 「酔興にかい」 「酔興でも何でもいいから」 「だって五分刈でさえ懲役人と間違えられるところを青坊主になって、外国の公使館に詰めていりゃ気違としきゃ思われないもの。ほかの事なら一人の妹の事だから何でも聞くつもりだが、坊主だけは勘弁して貰いたい。坊主と油揚は小供の時から嫌なんだから」 「じゃ欽吾さんもならないだって好いじゃありませんか」 「そうさ、何だか論理が少し変だが、しかしまあ、ならずに済むだろうよ」 「兄さんのおっしゃる事はどこまでが真面目でどこまでが冗談だか分らないのね。それで外交官が勤まるでしょうか」 「こう云うんでないと外交官には向かないとさ」 「人を……それで欽吾さんがどうなすったんですよ。本当のところ」 「本当のところ、甲野がね。家と財産を藤尾にやって、自分は出てしまうと云うんだとさ」 「なぜでしょう」 「つまり、病身で御叔母さんの世話が出来ないからだそうだ」 「そう、御気の毒ね。ああ云う方は御金も家もいらないでしょう。そうなさる方が好いかも知れないわ」 「そう御前まで賛成しちゃ、先決問題が解決しにくくなる」 「だって御金が山のようにあったって、欽吾さんには何にもならないでしょう。それよりか藤尾さんに上げる方が好ござんすよ」 「御前は女に似合わず気前が好いね。もっとも人のものだけれども」 「私だって御金なんかいりませんわ。邪魔になるばかりですもの」 「邪魔にするほどないからたしかだ。ハハハハ。しかしその心掛は感心だ。尼になれるよ」 「おお厭だ。尼だの坊さんだのって大嫌い」 「そこだけは兄さんも賛成だ。しかし自分の財産を棄てて吾家を出るなんて馬鹿気ている。財産はまあいいとして、――欽吾に出られればあとが困るから藤尾に養子をする。すると一さんへは上げられませんと、こう御叔母さんが云うんだよ。もっともだ。つまり甲野のわがままで兄さんの方が破談になると云う始末さ」 「じゃ兄さんが藤尾さんを貰うために、欽吾さんを留めようと云うんですね」 「まあ一面から云えばそうなるさ」 「それじゃ欽吾さんより兄さんの方がわがままじゃありませんか」 「今度は非常に論理的に来たね。だってつまらんじゃないか、当然相続している財産を捨てて」 「だって厭なら仕方がないわ」 「厭だなんて云うのは神経衰弱のせいだあね」 「神経衰弱じゃありませんよ」 「病的に違ないじゃないか」 「病気じゃありません」 「糸公、今日は例に似ず大いに断々乎としているね」 「だって欽吾さんは、ああ云う方なんですもの。それを皆が病気にするのは、皆の方が間違っているんです」 「しかし健全じゃないよ。そんな動議を呈出するのは」 「自分のものを自分が棄てるんでしょう」 「そりゃごもっともだがね……」 「要らないから棄てるんでしょう」 「要らないって……」 「本当に要らないんですよ、甲野さんのは。負惜みや面当じゃありません」 「糸公、御前は甲野の知己だよ。兄さん以上の知己だ。それほど信仰しているとは思わなかった」 「知己でも知己でなくっても、本当のところを云うんです。正しい事を云うんです。叔母さんや藤尾さんがそうでないと云うんなら、叔母さんや藤尾さんの方が間違ってるんです。私は嘘を吐くのは大嫌です」 「感心だ。学問がなくっても誠から出た自信があるから感心だ。兄さん大賛成だ。それでね、糸公、改めて相談するが甲野が家を出ても出なくっても、財産をやってもやらなくっても、御前甲野のところへ嫁に行く気はあるかい」 「それは話がまるで違いますわ。今云ったのはただ正直なところを云っただけですもの。欽吾さんに御気の毒だから云ったんです」 「よろしい。なかなか訳が分っている。妹ながら見上げたもんだ。だから別問題として聞くんだよ。どうだね厭かい」 「厭だって……」とと言い懸けて糸子は急に俯向いた。しばらくは半襟の模様を見詰めているように見えた。やがて瞬く睫を絡んで一雫の涙がぽたりと膝の上に落ちた。 「糸公、どうしたんだ。今日は天候劇変で兄さんに面喰わしてばかりいるね」  答のない口元が結んだまましゃくんで、見るうちにまた二雫落ちた。宗近君は親譲の背広の隠袋から、くちゃくちゃの手巾をするりと出した。 「さあ、御拭き」と云いながら糸子の胸の先へ押し付ける。妹は作りつけの人形のようにじっとして動かない。宗近君は右の手に手巾を差し出したまま、少し及び腰になって、下から妹の顔を覗き込む。 「糸公厭なのかい」  糸子は無言のまま首を掉った。 「じゃ、行く気だね」  今度は首が動かない。  宗近君は手巾を妹の膝の上に落したまま、身体だけを故へ戻す。 「泣いちゃいけないよ」と云って糸子の顔を見守っている。しばらくは双方共言葉が途切れた。  糸子はようやく手巾を取上げる。粗い銘仙の膝が少し染になった。その上へ、手巾の皺を叮嚀に延して四つ折に敷いた。角をしっかり抑えている。それから眼を上げた。眼は海のようである。 「私は御嫁には行きません」と云う。 「御嫁には行かない」とほとんど無意味に繰り返した宗近君は、たちまち勢をつけて 「冗談云っちゃいけない。今厭じゃないと云ったばかりじゃないか」 「でも、欽吾さんは御嫁を御貰いなさりゃしませんもの」 「そりゃ聞いて見なけりゃ――だから兄さんが聞きに行くんだよ」 「聞くのは廃してちょうだい」 「なぜ」 「なぜでも廃してちょうだい」 「じゃしようがない」 「しようがなくっても好いから廃してちょうだい。私は今のままでちっとも不足はありません。これで好いんです。御嫁に行くとかえっていけません」 「困ったな、いつの間に、そう硬くなったんだろう。――糸公、兄さんはね、藤尾さんを貰うために、御前を甲野にやろうなんて利己主義で云ってるんじゃないよ。今のところじゃ、ただ御前の事ばかり考えて相談しているんだよ」 「そりゃ分っていますわ」 「そこが分りさえすれば、後が話がし好い。それでと、御前は甲野を嫌ってるんじゃなかろう。――よし、それは兄さんがそう認めるから構わない。好いかね。次に、甲野に貰うか貰わないか聞くのは厭だと云うんだね。兄さんにはその理窟がさらに解せないんだが、それも、それでよしとするさ。――聞くのは厭だとして、もし甲野が貰うと云いさえすれば行っても好いんだろう。――なに金や家はどうでも構わないさ。一文無の甲野のところへ行こうと云やあ、かえって御前の名誉だ。それでこそ糸公だ。兄さんも阿父さんも故障を云やしない。……」 「御嫁に行ったら人間が悪くなるもんでしょうか」 「ハハハハ突然大問題を呈出するね。なぜ」 「なぜでも――もし悪くなると愛想をつかされるばかりですもの。だからいつまでもこうやって阿父様と兄さんの傍にいた方が好いと思いますわ」 「阿父様と兄さんと――そりゃ阿父様も兄さんもいつまでも御前といっしょにいたい事はいたいがね。なあ糸公、そこが問題だ。御嫁に行ってますます人間が上等になって、そうして御亭主に可愛がられれば好いじゃないか。――それよりか実際問題が肝要だ。そこでね、さっきの話だが兄さんが受合ったら好いだろう」 「何を」 「甲野に聞くのは厭だと、と云って甲野の方から御前を貰いに来るのはいつの事だか分らずと……」 「いつまで待ったって、そんな事があるものですか。私には欽吾さんの胸の中がちゃんと分っています」 「だからさ、兄さんが受合うんだよ。是非甲野にうんと云わせるんだよ」 「だって……」 「何云わせて見せる。兄さんが責任をもって受合うよ。なあに大丈夫だよ。兄さんもこの頭が延びしだい外国へ行かなくっちゃならない。すると当分糸公にも逢えないから、平生親切にしてくれた御礼に、やってやるよ。――狐の袖無の御礼に。ねえ好いだろう」  糸子は何とも答えなかった。下で阿父さんが謡をうたい出す。 「そら始まった――じゃ行って来るよ」と宗近君は中二階を下りる。         十七  小野と浅井は橋まで来た。来た路は青麦の中から出る。行く路は青麦のなかに入る。一筋を前後に余して、深い谷の底を鉄軌が通る。高い土手は春に籠る緑を今やと吹き返しつつ、見事なる切り岸を立て廻して、丸い屏風のごとく弧形に折れて遥かに去る。断橋は鉄軌を高きに隔つる事丈を重ねて十に至って南より北に横ぎる。欄に倚って俯すとき広き両岸の青を極めつくして、始めて石垣に至る。石垣を底に見下して始めて茶色の路が細く横わる。鉄軌は細い路のなかに細く光る。――二人は断橋の上まで来て留った。 「いい景色だね」 「うん、ええ景色じゃ」  二人は欄に倚って立った。立って見る間に、限りなき麦は一分ずつ延びて行く。暖たかいと云わんよりむしろ暑い日である。  青蓆をのべつに敷いた一枚の果は、がたりと調子の変った地味な森になる。黒ずんだ常磐木の中に、けばけばしくも黄を含む緑の、粉となって空に吹き散るかと思われるのは、樟の若葉らしい。 「久しぶりで郊外へ来て好い心持だ」 「たまには、こう云う所も好えな。僕はしかし田舎から帰ったばかりだからいっこう珍しゅうない」 「君はそうだろう。君をこんな所へ連れて来たのは少し気の毒だったね」 「なに構わん。どうせ遊んどるんだから。しかし人間も遊んどる暇があるようでは駄目じゃな、君。ちっとなんぞ金儲の口はないかい」 「金儲は僕の方にゃないが、君の方にゃたくさんあるだろう」 「いや近頃は法科もつまらん。文科と同じこっちゃ、銀時計でなくちゃ通用せん」  小野さんは橋の手擦に背を靠たせたまま、内隠袋から例の通り銀製の煙草入を出してぱちりと開けた。箔を置いた埃及煙草の吸口が奇麗に並んでいる。 「一本どうだね」 「や、ありがとう。大変立派なものを持っとるの」 「貰い物だ」と小野さんは、自分も一本抜き取った後で、また見えない所へ投げ込んだ。  二人の煙はつつがなく立ち騰って、事なき空に入る。 「君は始終こんな上等な煙草を呑んどるのか。よほど余裕があると見えるの。少し貸さんか」 「ハハハハこっちが借りたいくらいだ」 「なにそんな事があるものか。少し貸せ。僕は今度国へ行ったんで大変銭がいって困っとるところじゃ」  本気に云っているらしい。小野さんの煙草の煙がふうと横に走った。 「どのくらい要るのかね」 「三十円でも二十円でも好え」 「そんなにあるものか」 「じゃ十円でも好え。五円でも好え」  浅井君はいくらでも下げる。小野さんは両肘を鉄の手擦に後から持たして、山羊仔の靴を心持前へ出した。煙草を啣えたまま、眼鏡越に爪先の飾を眺めている。遅日影長くして光を惜まず。拭き込んだ皮の濃かに照る上に、眼に入らぬほどの埃が一面に積んでいる。小野さんは携えた細手の洋杖で靴の横腹をぽんぽんと鞭うった。埃は靴を離れて一寸ほど舞い上がる。鞭うたれた局部だけは斑に黒くなった。並んで見える浅井の靴は、兵隊靴のごとく重くかつ無細工である。 「十円くらいなら都合が出来ない事もないが――いつ頃まで」 「今月末にはきっと返す。それで好かろう」と浅井君は顔を寄せて来る。小野さんは口から煙草を離した。指の股に挟んだまま、一振はたくと三分の灰は靴の甲に落ちた。  体をそのままに白い襟の上から首だけを横に捩ると、欄干に頬杖をついた人の顔が五寸下に見える。 「今月末でも、いつでも好い。――その代り少し御願がある。聞いてくれるかい」 「うん、話して見い」  浅井君は容易に受合った。同時に頬杖をやめて背を立てる。二人の顔はすれすれに来た。 「実は井上先生の事だがね」 「おお、先生はどうしとるか。帰ってから、まだ尋ねる閑がないから、行かんが。君先生に逢うたら宜しく云うてくれ。ついでに御嬢さんにも」  浅井君はハハハハと高く笑った。ついでに欄干から胸をつき出して、涎のごとき唾を遥かの下に吐いた。 「その御嬢さんの事なんだが……」 「いよいよ結婚するか」 「君は気が早くっていけない。そう先へ云っちまっちゃあ……」と言葉を切って、しばらく麦畑を眺めていたが、たちまち手に持った吸殻を向へ投げた。白いカフスが七宝の夫婦釦と共にかしゃと鳴る。一寸に余る金が空を掠めて橋の袂に落ちた。落ちた煙は逆様に地から這い揚がる。 「もったいない事をするのう」と浅井君が云った。 「君本当に僕の云う事を聞いてくれるのかい」 「本当に聞いとる。それから」 「それからって、まだ何にも話しゃしないじゃないか。――金の工面はどうでもするが、君に折入って御願があるんだよ」 「だから話せ。京都からの知己じゃ。何でもしてやるぞ」  調子はだいぶ熱心である。小野さんは片肘を放して、ぐるりと浅井君の方へ向き直る。 「君ならやってくれるだろうと思って、実は君の帰るのを待っていたところだ」 「そりゃ、好え時に帰って来た。何か談判でもするのか。結婚の条件か。近頃は無財産の細君を貰うのは不便だからのう」 「そんな事じゃない」 「しかし、そう云う条件を付けて置く方が君の将来のために好えぞ。そうせい。僕が懸合うてやる」 「そりゃ貰うとなれば、そう云う談判にしても好いが……」 「貰う事は貰うつもりじゃろう。みんな、そう思うとるぞ」 「誰が」 「誰がてて、我々が」 「そりゃ困る。僕が井上の御嬢さんを貰うなんて、――そんな堅い約束はないんだからね」 「そうか。――いや怪しいぞ」と浅井君が云った。小野さんは腹の中で下等な男だと思う。こんな男だから破談を平気に持ち込む事が出来るんだと思う。 「そう頭から冷やかしちゃ話が出来ない」と故のようなおとなしい調子で云う。 「ハハハハ。そう真面目にならんでも好い。そうおとなしくちゃ損だぞ。もう少し面の皮を厚くせんと」 「まあ少し待ってくれたまえ。修業中なんだから」 「ちと稽古のためにどっかへ連れて行ってやろうか」 「何分宜しく……」 「などと云って、裏では盛に修業しとるかも知れんの」 「まさか」 「いやそうでないぞ。近頃だいぶ修飾るところをもって見ると。ことにさっきの巻煙草入の出所などははなはだ疑わしい。そう云えばこの煙草も何となく妙な臭がするわい」  浅井君はここに至って指の股に焦げついて来そうな煙草を、鼻の先へ持って来てふんふんと二三度嗅いだ。小野さんはいよいよノンセンスなわる洒落だと思った。 「まあ歩きながら話そう」  悪洒落の続きを切るために、小野さんは一歩橋の真中へ踏み出した。浅井君の肘は欄干を離れる。右左地を抜く麦に、日は空から寄って来る。暖かき緑は穂を掠めて畦を騰る。野を蔽う一面の陽炎は逆上るほどに二人を込めた。 「暑いのう」と浅井君は後から跟いて来る。 「暑い」と待ち合わした小野さんは、肩の並んだ時、歩き出す。歩き出しながら真面目な問題に入る。 「さっきの話だが――実は二三日前井上先生の所へ行ったところが、先生から突然例の縁談一条を持ち出されて、ね。……」 「待ってましたじゃ」と受けた浅井君はまた何か云いそうだから、小野さんは談話の速力を増して、急に進行してしまう。―― 「先生が随分はげしく来たので、僕もそう世話になった先生の感情を害する訳にも行かないから、熟考するために二三日の余裕を与えて貰って帰ったんだがね」 「そりゃ慎重の……」 「まあしまいまで聞いてくれたまえ。批評はあとで緩くり聞くから。――それで僕も、君の知っている通、先生の世話には大変なったんだから、先生の云う事は何でも聞かなければ義理がわるい……」 「そりゃ悪い」 「悪いが、ほかの事と違って結婚問題は生涯の幸福に関係する大事件だから、いくら恩のある先生の命令だって、そう、おいそれと服従する訳にはいかない」 「そりゃいかない」  小野さんは、相手の顔をじろりと見た。相手は存外真面目である。話は進行する。―― 「それも僕に判然たる約束をしたとか、あるいは御嬢さんに対して済まん関係でも拵らえたと云う大責任があれば、先生から催促されるまでもない。こっちから進んで、どうでも方をつけるつもりだが、実際僕はその点に関しては潔白なんだからね」 「うん潔白だ。君ほど高尚で潔白な人間はない。僕が保証する」  小野さんはまたじろりと浅井君の顔を見た。浅井君はいっこう気が着かない。話はまた進行する。―― 「ところが先生の方では、頭から僕にそれだけの責任があるかのごとく見傚してしまって、そうして万事をそれから演繹してくるんだろう」 「うん」 「まさか根本に立ち返って、あなたの御考は出立点が間違っていますと誤謬を指摘する訳にも行かず……」 「そりゃ、あまり君が人が好過ぎるからじゃ。もう少し世の中に擦れんと損だぞ」 「損は僕も知ってるんだが、どうも僕の性質として、そう露骨に人に反対する事が出来ないんだね。ことに相手は世話になった先生だろう」 「そう、相手が世話になった先生じゃからな」 「それに僕の方から云うと、今ちょうど博士論文を書きかけている最中だから、そんな話を持ち込まれると余計困るんだ」 「博士論文をまだ書いとるか、えらいもんじゃな」 「えらい事もない」 「なにえらい。銀時計の頭でなくちゃ、とても出来ん」 「そりゃどうでも好いが、――それでね、今云う通りの事情だから、せっかくの厚意はありがたいけれども、まあここのところはいったん断わりたいと思うんだね。しかし僕の性質じゃ、とても先生に逢うと気の毒で、そんな強い事が云えそうもないから、それで君に頼みたいと云う訳だが。どうだね、引き受けてくれるかい」 「そうか、訳ない。僕が先生に逢うてよく話してやろう」  浅井君は茶漬を掻き込むように容易く引き受けた。注文通りに行った小野さんは中休みに一二歩前へ移す。そうして云う。―― 「その代り先生の世話は生涯する考だ。僕もいつまでもこんなにぐずぐずしているつもりでもないから――実のところを云うと先生も故のように経済が楽じゃないようだ。だからなお気の毒なのさ。今度の相談もただ結婚と云う単純な問題じゃなくって、それを方便にして、僕の補助を受けたいような素振も見えたくらいだ。だから、そりゃやるよ。飽くまでも先生のために尽すつもりだ。だが結婚したから尽す、結婚せんから尽さないなんて、そんな軽薄な料簡は少しもこっちにゃないんだから――世話になった以上はどうしたって世話になったのさ。それを返してしまうまではどうしたって恩は消えやしないからな」 「君は感心な男だ。先生が聞いたらさぞ喜ぶだろう」 「よく僕の意志が徹するように云ってくれたまえ。誤解が出来るとまた後が困るから」 「よし。感情を害せんようにの。よう云うてやる。その代り十円貸すんぜ」 「貸すよ」と小野さんは笑ながら答えた。  錐は穴を穿つ道具である。縄は物を括る手段である。浅井君は破談を申し込む器械である。錐でなくては松板を潜り抜けようと企てるものはない。縄でなくては栄螺を取り巻く覚悟はつかぬ。浅井君にして始めてこの談判を、風呂に行く気で、引き受ける事が出来る。小野さんは才人である。よく道具を用いるの法を心得ている。  ただ破談を申し込むのと、破談を申し込みながら、申し込んだ後を奇麗に片づけるのとは別才である。落葉を振うものは必ずしも庭を掃く人とは限らない。浅井君はたとい内裏拝観の際でも落葉を振いおとす事をあえてする無遠慮な男である。と共に、たとい内裏拝観の際でも一塵を掃う事を解せざるほどに無責任の男である。浅井君は浮ぶ術を心得ずして、水に潜る度胸者である。否潜るときに、浮ぶ術が必要であると考えつけぬ豪傑である。ただ引受ける。やって見ようと云う気で、何でも引き受ける。それだけである。善悪、理非、軽重、結果を度外に置いて事物を考え得るならば、浅井君は他意なき善人である。  それほどの事を知らぬ小野さんではない。知って依頼するのはただ破談を申し込めばそれで構わんと見限をつけたからである。先方で苦状を云えば逃げる気である。逃げられなくても、そのうち向うから泣寝入にせねばならぬような準備をととのえてある。小野さんは明日藤尾と大森へ遊びに行く約束がある。――大森から帰ったあとならば大抵な事が露見しても、藤尾と関係を絶つ訳には行かぬだろう。そこで井上へは約束通り物質的の補助をする。  こう思い定めている小野さんは、浅井君が快よく依頼に応じた時、まず片荷だけ卸したなと思った。 「こう日が照ると、麦の香が鼻の先へ浮いてくるようだね」と小野さんの話頭はようやく自然に触れた。 「香がするかの。僕にはいっこうにおわんが」と浅井君は丸い鼻をふんふんと云わしたが、 「時に君はやはりあのハムレットの家へ行くのか」と聞く。 「甲野の家かい。まだ行っている。今日もこれから行くんだ」と何気なく云う。 「この間京都へ行ったそうじゃな。もう帰ったか。ちと麦の香でも嗅いで来たか知らんて。――つまらんのう、あんな人間は。何だか陰気くさい顔ばかりしているじゃないか」 「そうさね」 「ああ云う人間は早く死んでくれる方が好え。だいぶ財産があるか」 「あるようだね」 「あの親類の人はどうした。学校で時々顔を見たが」 「宗近かい」 「そうそう。あの男の所へ二三日中に行こうと思っとる」  小野さんは突然留った。 「何しに」 「口を頼みにさ。できるだけ運動して置かんと駄目だからな」 「だって、宗近だって外交官の試験に及第しないで困ってるところだよ。頼んだってしようがない」 「なに構わん。話に行って見る」  小野さんは眼を地面の上へ卸して、二三間は無言で来た。 「君、先生のところへはいつ行ってくれる」 「今夜か明日の朝行ってやる」 「そうか」  麦畑を折れると、杉の木陰のだらだら坂になる。二人は前後して坂を下りた。言葉を交すほどの遑もない。下り切って疎な杉垣を、肩を並べて通り越すとき、小野さんは云った。―― 「君もし宗近へ行ったらね。井上先生の事は話さずに置いてくれたまえ」 「話しゃせん」 「いえ、本当に」 「ハハハハ大変恥かんどるの。構わんじゃないか」 「少し困る事があるんだから、是非……」 「好し、話しゃせん」  小野さんははなはだ心元なく思った。半分ほどは今頼んだ事を取り返したく思った。  四つ角で浅井君に別れた小野さんは、安からぬ胸を運んで甲野の邸まで来る。藤尾の部屋へ這入って十五分ほど過ぎた頃、宗近君の姿は甲野さんの書斎の戸口に立った。 「おい」  甲野さんは故の椅子に、故の通りに腰を掛けて、故のごとくに幾何模様を図案している。丸に三つ鱗はとくに出来上った。  おいと呼ばれた時、首を上げる。驚いたと云わんよりは、激したと云わんよりは、臆したと云わんよりは、様子ぶったと云わんよりはむしろ遥かに簡単な上げ方である。したがって哲学的である。 「君か」と云う。  宗近君はつかつかと洋卓の角まで進んで来たが、いきなり太い眉に八の字を寄せて、 「こりゃ空気が悪い。毒だ。少し開けよう」と上下の栓釘を抜き放って、真中の円鈕を握るや否や、正面の仏蘭西窓を、床を掃うごとく、一文字に開いた。室の中には、庭前に芽ぐむ芝生の緑と共に、広い春が吹き込んで来る。 「こうすると大変陽気になる。ああ好い心持だ。庭の芝がだいぶ色づいて来た」  宗近君は再び洋卓まで戻って、始めて腰を卸した。今さきがた謎の女が坐っていた椅子の上である。 「何をしているね」 「うん?」と云って鉛筆の進行を留めた甲野さんは 「どうだ。なかなか旨いだろう」と模様いっぱいになった紙片を、宗近君の方へ、洋卓の上を滑らせる。 「何だこりゃ。恐ろしいたくさん書いたね」 「もう一時間以上書いている」 「僕が来なければ晩まで書いているんだろう。くだらない」  甲野さんは何とも云わなかった。 「これが哲学と何か関係でもあるのかい」 「有っても好い」 「万有世界の哲学的象徴とでも云うんだろう。よく一人の頭でこんなに並べられたもんだね。紺屋の上絵師と哲学者と云う論文でも書く気じゃないか」  甲野さんは今度も何とも云わなかった。 「何だか、どうも相変らずぐずぐずしているね。いつ見ても煮え切らない」 「今日は特別煮え切らない」 「天気のせいじゃないか、ハハハハ」 「天気のせいより、生きてるせいだよ」 「そうさね、煮え切ってぴんぴんしているものは沢山ないようだ。御互も、こうやって三十年近くも、しくしくして……」 「いつまでも浮世の鍋の中で、煮え切れずにいるのさ」  甲野さんはここに至って始めて笑った。 「時に甲野さん、今日は報告かたがた少々談判に来たんだがね」 「むつかしい来ようだ」 「近いうち洋行をするよ」 「洋行を」 「うん欧羅巴へ行くのさ」 「行くのはいいが、親父見たように、煮え切っちゃいけない」 「なんとも云えないが、印度洋さえ越せば大抵大丈夫だろう」  甲野さんはハハハハと笑った。 「実は最近の好機において外交官の試験に及第したんだから、この通り早速頭を刈ってね、やっぱり、最近の好機において出掛けなくっちゃならない。塵事多忙だ。なかなか丸や三角を並べちゃいられない」 「そりゃおめでたい」と云った甲野さんは洋卓越に相手の頭をつらつら観察した。しかし別段批評も加えなかった。質問も起さなかった。宗近君の方でも進んで説明の労を取らなかった。したがって頭はそれぎりになる。 「まずここまでが報告だ、甲野さん」と云う。 「うちの母に逢ったかい」と甲野さんが聞く。 「まだ逢わない。今日はこっちの玄関から、上ったから、日本間の方はまるで通らない」  なるほど宗近君は靴のままである。甲野さんは椅子の背に倚りかかって、この楽天家の頭と、更紗模様の襟飾と――襟飾は例に因って襟の途中まで浮き出している。――それから親譲の背広とをじっと眺めている。 「何を見ているんだ」 「いや」と云ったままやっぱり眺めている。 「御叔母さんに話して来ようか」  今度はいやとも何とも云わずに眺めている。宗近君は椅子から腰を浮かしかかる。 「廃すが好い」  洋卓の向側から一句を明暸に云い切った。  徐に椅子を離れた長髪の人は右の手で額を掻き上げながら、左の手に椅子の肩を抑えたまま、亡き父の肖像画の方に顔を向けた。 「母に話すくらいなら、あの肖像に話してくれ」  親譲りの背広を着た男は、丸い眼を据えて、室の中に聳える、漆のような髪の主を見守った。次に丸い眼を据えて、壁の上にある故人の肖像を見守った。最後に漆の髪の主と、故人の肖像とを見較べた。見較べてしまった時、聳えたる人は瘠せた肩を動かして、宗近君の頭の上から云う。―― 「父は死んでいる。しかし活きた母よりもたしかだよ。たしかだよ」  椅子に倚る人の顔は、この言葉と共に、自からまた画像の方に向った。向ったなりしばらくは動かない。活きた眼は上から見下している。  しばらくして、椅子に倚る人が云う。―― 「御叔父さんも気の毒な事をしたなあ」  立つ人は答えた。―― 「あの眼は活きている。まだ活きている」  言い終って、部屋の中を歩き出した。 「庭へ出よう、部屋の中は陰気でいけない」  席を立った宗近君は、横から来て甲野さんの手を取るや否や、明け放った仏蘭西窓を抜けて二段の石階を芝生へ下る。足が柔かい地に着いた時、 「いったいどうしたんだ」と宗近君が聞いた。  芝生は南に走る事十間余にして、高樫の生垣に尽くる。幅は半ばに足らぬ。繁き植込に遮ぎられた奥は、五坪ほどの池を隔てて、張出の新座敷には藤尾の机が据えてある。  二人は緩き歩調に、芝生を突き当った。帰りには二三間迂回て、植込の陰を書斎の方へ戻って来た。双方共無言である。足並は偶然にも揃っている。植込が真中で開いて、二三の敷石に、池の方へ人を誘う曲り角まで来た時、突然新座敷で、雉子の鳴くように、けたたましく笑う声がした。二人の足は申し合せたごとくぴたりと留まる。眼は一時に同じ方角へ走る。  四尺の空地を池の縁まで細長く余して、真直に水に落つる池の向側に、横から伸す浅葱桜の長い枝を軒のあたりに翳して小野さんと藤尾がこちらを向いて笑いながら椽鼻に立っている。  不規則なる春の雑樹を左右に、桜の枝を上に、温む水に根を抽でて這い上がる蓮の浮葉を下に、――二人の活人画は包まれて立つ。仕切る枠が自然の景物の粋をあつめて成るがために、――枠の形が趣きを損なわぬほどに正しくて、また眼を乱さぬほどに不規則なるがために――飛石に、水に、椽に、間隔の適度なるがために――高きに失わず、低きに過ぎざる恰好の地位にあるために――最後に、一息の短かきに、吐く幻影と、忽然に現われたるために――二人の視線は水の向の二人にあつまった。と共に、水の向の二人の視線も、水のこなたの二人に落ちた。見合す四人は、互に互を釘付にして立つ。際どい瞬間である。はっと思う刹那を一番早く飛び超えたものが勝になる。  女はちらりと白足袋の片方を後へ引いた。代赭に染めた古代模様の鮮かに春を寂びたる帯の間から、するすると蜿蜒るものを、引き千切れとばかり鋭どく抜き出した。繊き蛇の膨れたる頭を掌に握って、黄金の色を細長く空に振れば、深紅の光は発矢と尾より迸しる。――次の瞬間には、小野さんの胸を左右に、燦爛たる金鎖が動かぬ稲妻のごとく懸っていた。 「ホホホホ一番あなたによく似合う事」  藤尾の癇声は鈍い水を敲いて、鋭どく二人の耳に跳ね返って来た。 「藤……」と動き出そうとする宗近君の横腹を突かぬばかりに、甲野さんは前へ押した。宗近君の眼から活人画が消える。追いかぶさるように、後から乗し懸って来た甲野さんの顔が、親しき友の耳のあたりまで着いたとき、 「黙って……」と小声に云いながら、煙に巻かれた人を植込の影へ引いて行く。  肩に手を掛けて押すように石段を上って、書斎に引き返した甲野さんは、無言のまま、扉に似たる仏蘭西窓を左右からどたりと立て切った。上下の栓釘を式のごとく鎖す。次に入口の戸に向う。かねて差し込んである鍵をかちゃりと回すと、錠は苦もなく卸りた。 「何をするんだ」 「部屋を立て切った。人が這入って来ないように」 「なぜ」 「なぜでも好い」 「全体どうしたんだ。大変顔色が悪い」 「なに大丈夫。まあ掛けたまえ」と最前の椅子を机に近く引きずって来る。宗近君は小供のごとく命令に服した。甲野さんは相手を落ちつけた後、静かに、用い慣れた安楽椅子に腰を卸す。体は机に向ったままである。 「宗近さん」と壁を向いて呼んだが、やがて首だけぐるりと回して、正面から、 「藤尾は駄目だよ」と云う。落ちついた調子のうちに、何となく温い暖味があった。すべての枝を緑に返す用意のために、寂びたる中を人知れず通う春の脈は、甲野さんの同情である。 「そうか」  腕を組んだ宗近君はこれだけ答えた。あとから、 「糸公もそう云った」と沈んでつけた。 「君より、君の妹の方が眼がある。藤尾は駄目だ。飛び上りものだ」  かちゃりと入口の円鈕を捩ったものがある。戸は開かない。今度はとんとんと外から敲く。宗近君は振り向いた。甲野さんは眼さえ動かさない。 「うちやって置け」と冷やかに云う。  入口の扉に口を着けたようにホホホホと高く笑ったものがある。足音は日本間の方へ馳けながら遠退いて行く。二人は顔を見合わした。 「藤尾だ」と甲野さんが云う。 「そうか」と宗近君がまた答えた。  あとは静かになる。机の上の置時計がきちきちと鳴る。 「金時計も廃せ」 「うん。廃そう」  甲野さんは首を壁に向けたまま、宗近君は腕を拱いたまま、――時計はきちきちと鳴る。日本間の方で大勢が一度に笑った。 「宗近さん」と欽吾はまた首を向け直した。「藤尾に嫌われたよ。黙ってる方がいい」 「うん黙っている」 「藤尾には君のような人格は解らない。浅墓な跳ね返りものだ。小野にやってしまえ」 「この通り頭ができた」  宗近君は節太の手を胸から抜いて、刈り立の頭の天辺をとんと敲いた。  甲野さんは眼尻に笑の波を、あるか、なきかに寄せて重々しく首肯いた。あとから云う。 「頭ができれば、藤尾なんぞは要らないだろう」  宗近君は軽くうふんと云ったのみである。 「それでようやく安心した」と甲野さんは、くつろいだ片足を上げて、残る膝頭の上へ載せる。宗近君は巻煙草を燻らし始めた。吹く煙のなかから、 「これからだ」と独語のように云う。 「これからだ。僕もこれからだ」と甲野さんも独語のように答えた。 「君もこれからか。どうこれからなんだ」と宗近君は煙草の煙を押し開いて、元気づいた顔を近寄た。 「本来の無一物から出直すんだからこれからさ」  指の股に敷島を挟んだまま、持って行く口のある事さえ忘れて、呆気に取られた宗近君は、 「本来の無一物から出直すとは」と自ら自らの頭脳を疑うごとく問い返した。甲野さんは尋常の調子で、落ちつき払った答をする。―― 「僕はこの家も、財産も、みんな藤尾にやってしまった」 「やってしまった? いつ」 「もう少しさっき。その紋尽しを書いている時だ」 「そりゃ……」 「ちょうどその丸に三つ鱗を描いてる時だ。――その模様が一番よく出来ている」 「やってしまうってそう容易く……」 「何要るものか。あればあるほど累だ」 「御叔母さんは承知したのかい」 「承知しない」 「承知しないものを……それじゃ御叔母さんが困るだろう」 「やらない方が困るんだ」 「だって御叔母さんは始終君がむやみな事をしやしまいかと思って心配しているんじゃないか」 「僕の母は偽物だよ。君らがみんな欺かれているんだ。母じゃない謎だ。澆季の文明の特産物だ」 「そりゃ、あんまり……」 「君は本当の母でないから僕が僻んでいると思っているんだろう。それならそれで好いさ」 「しかし……」 「君は僕を信用しないか」 「無論信用するさ」 「僕の方が母より高いよ。賢いよ。理由が分っているよ。そうして僕の方が母より善人だよ」  宗近君は黙っている。甲野さんは続けた。―― 「母の家を出てくれるなと云うのは、出てくれと云う意味なんだ。財産を取れと云うのは寄こせと云う意味なんだ。世話をして貰いたいと云うのは、世話になるのが厭だと云う意味なんだ。――だから僕は表向母の意志に忤って、内実は母の希望通にしてやるのさ。――見たまえ、僕が家を出たあとは、母が僕がわるくって出たように云うから、世間もそう信じるから――僕はそれだけの犠牲をあえてして、母や妹のために計ってやるんだ」  宗近君は突然椅子を立って、机の角まで来ると片肘を上に突いて、甲野さんの顔を掩いかぶすように覗き込みながら、 「貴様、気が狂ったか」と云った。 「気違は頭から承知の上だ。――今まででも蔭じゃ、馬鹿の気違のと呼びつづけに呼ばれていたんだ」  この時宗近君の大きな丸い眼から涙がぽたぽたと机の上のレオパルジに落ちた。 「なぜ黙っていたんだ。向を出してしまえば好いのに……」 「向を出したって、向の性格は堕落するばかりだ」 「向を出さないまでも、こっちが出るには当るまい」 「こっちが出なければ、こっちの性格が堕落するばかりだ」 「なぜ財産をみんなやったのか」 「要らないもの」 「ちょっと僕に相談してくれれば好かったのに」 「要らないものをやるのに相談の必要もなにもないからさ」  宗近君はふうんと云った。 「僕に要らない金のために、義理のある母や妹を堕落させたところが手柄にもならない」 「じゃいよいよ家を出る気だね」 「出る。おれば両方が堕落する」 「出てどこへ行く」 「どこだか分らない」  宗近君は机の上にあるレオパルジを無意味に取って、背皮を竪に、勾配のついた欅の角でとんとんと軽く敲きながら、少し沈吟の体であったが、やがて、 「僕のうちへ来ないか」と云う。 「君のうちへ行ったって仕方がない」 「厭かい」 「厭じゃないが、仕方がない」  宗近君はじっと甲野さんを見た。 「甲野さん。頼むから来てくれ。僕や阿父のためはとにかく、糸公のために来てやってくれ」 「糸公のために?」 「糸公は君の知己だよ。御叔母さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損なっても、日本中がことごとく君に迫害を加えても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値を解している。君の胸の中を知り抜いている。糸公は僕の妹だが、えらい女だ。尊い女だ。糸公は金が一文もなくっても堕落する気遣のない女だ。――甲野さん、糸公を貰ってやってくれ。家を出ても好い。山の中へ這入っても好い。どこへ行ってどう流浪しても構わない。何でも好いから糸公を連れて行ってやってくれ。――僕は責任をもって糸公に受合って来たんだ。君が云う事を聞いてくれないと妹に合す顔がない。たった一人の妹を殺さなくっちゃならない。糸公は尊い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君のためなら何でもするよ。殺すのはもったいない」  宗近君は骨張った甲野さんの肩を椅子の上で振り動かした。         十八  小夜子は婆さんから菓子の袋を受取った。底を立てて出雲焼の皿に移すと、真中にある青い鳳凰の模様が和製のビスケットで隠れた。黄色な縁はだいぶ残っている。揃えて渡す二本の竹箸を、落さぬように茶の間から座敷へ持って出た。座敷には浅井君が先生を相手に、京都以来の旧歓を暖めている。時は朝である。日影はじりじりと椽に逼ってくる。 「御嬢さんは、東京を御存じでしたな」と問いかけた。  菓子皿を主客の間に置いて、やさしい肩を後へ引くついでに、 「ええ」と小声に答えて、立ち兼ねた。 「これは東京で育ったのだよ」と先生が足らぬところを補ってくれる。 「そうでしたな。――大変大きくなりましたな」と突然別問題に飛び移った。  小夜子は淋しい笑顔を俯向けて、今度は答さえも控えた。浅井君は遠慮のない顔をして小夜子を眺めている。これからこの女の結婚問題を壊すんだなと思いながら平気に眺めている。浅井君の結婚問題に関する意見は大道易者のごとく容易である。女の未来や生涯の幸福についてはあまり同情を表しておらん。ただ頼まれたから頼まれたなりに事を運べば好いものと心得ている。そうしてそれがもっとも法学士的で、法学士的はもっとも実際的で、実際的は最上の方法だと心得ている。浅井君はもっとも想像力の少ない男で、しかも想像力の少ないのをかつて不足だと思った事のない男である。想像力は理知の活動とは全然別作用で、理知の活動はかえって想像力のために常に阻害せらるるものと信じている。想像力を待って、始めて、全たき人性に戻らざる好処置が、知慧分別の純作用以外に活きてくる場合があろうなどとは法科の教室で、どの先生からも聞いた事がない。したがって浅井君はいっこう知らない。ただ断われば済むと思っている。淋しい小夜子の運命が、夫子の一言でどう変化するだろうかとは浅井君の夢にだも考え得ざる問題である。  浅井君が無意味に小夜子を眺めているうちに、孤堂先生は変な咳を二つ三つ塞いた。小夜子は心元なく父の方を向く。 「御薬はもう上がったんですか」 「朝の分はもう飲んだよ」 「御寒い事はござんせんか」 「寒くはないが、少し……」  先生は右の手頸へ左の指を三本懸けた。小夜子は浅井のいる事も忘れて、脈をはかる先生の顔ばかり見詰めている。先生の顔は髯と共に日ごとに細長く瘠せこけて来る。 「どうですか」と気遣わし気に聞く。 「少し、早いようだ。やっぱり熱が除れない」と額に少し皺が寄った。先生が熱度を計って、じれったそうに不愉快な顔をするたびに小夜子は悲しくなる。夕立を野中に避けて、頼と思う一本杉をありがたしと梢を見れば稲妻がさす。怖いと云うよりも、年を取った人に気の毒である。行き届かぬ世話から出る疳癪なら、機嫌の取りようもある。気で勝てぬ病気のためなら孝行の尽しようがない。かりそめの風邪と、当人も思い、自分も苦にしなかった昨日今日の咳を、蔭へ廻って聞いて見ると、医者は性質が善くないと云う。二三日で熱が退かないと云って焦慮るような軽い病症ではあるまい。知らせれば心配する。云わねば気で通す。その上疳を起す。この調子で進んで行くと、一年の後には神経が赤裸になって、空気に触れても飛び上がるかも知れない。――昨夜小夜子は眼を合せなかった。 「羽織でも召していらしったら好いでしょう」  孤堂先生は返事をせずに、 「験温器があるかい。一つ計ってみよう」と云う。小夜子は茶の間へ立つ。 「どうかなすったんですか」と浅井君が無雑作に尋ねた。 「いえ、ちっと風邪を引いてね」 「はあ、そうですか。――もう若葉がだいぶ出ましたな」と云った。先生の病気に対してはまるで同情も頓着もなかった。病気の源因と、経過と、容体を精しく聞いて貰おうと思っていた先生は当が外れた。 「おい、無いかね。どうした」と次の間を向いて、常よりは大きな声を出す。ついでに咳が二つ出た。 「はい、ただ今」と小さい声が答えた。が験温器を持って出る様子がない。先生は浅井君の方を向いて 「はあ、そうかい」と気のない返事をした。  浅井君はつまらなくなる。早く用を片づけて帰ろうと思う。 「先生小野はいっこう駄目ですな、ハイカラにばかりなって。御嬢さんと結婚する気はないですよ」とぱたぱたと順序なく並べた。  孤堂先生の窪んだ眼は一度に鋭どくなった。やがて鋭どいものが一面に広がって顔中苦々しくなる。 「廃した方が好えですな」  置き失くした験温器を捜がしていた、次の間の小夜子は、長火鉢の二番目の抽出を二寸ほど抜いたまま、はたりと引く手を留めた。  先生の苦々しい顔は一層こまやかになる。想像力のない浅井君はとんと結果を予想し得ない。 「小野は近頃非常なハイカラになりました。あんな所へ行くのは御嬢さんの損です」  苦々しい顔はとうとう持ち切れなくなった。 「君は小野の悪口を云いに来たのかね」 「ハハハハ先生本当ですよ」  浅井君は妙なところで高笑をいた。 「余計な御世話だ。軽薄な」と鋭どく跳ねつけた。先生の声はようやく尋常を離れる。浅井君は始めて驚ろいた。しばらく黙っている。 「おい験温器はまだか。何をぐずぐずしている」  次の間の返事は聞えなかった。ことりとも云わぬうちに、片寄せた障子に影がさす。腰板の外から細い白木の筒がそっと出る。畳の上で受取った先生はぽんと云わして筒を抜いた。取り出した験温器を日に翳して二三度やけに振りながら、 「何だって、そんな余計な事を云うんだ」と度盛を透して見る。先生の精神は半ば験温器にある。浅井君はこの間に元気を回復した。 「実は頼まれたんです」 「頼まれた? 誰に」 「小野に頼まれたんです」 「小野に頼まれた?」  先生は腋の下へ験温器を持って行く事を忘れた。茫然としている。 「ああ云う男だものだから、自分で先生の所へ来て断わり切れないんです。それで僕に頼んだです」 「ふうん。もっと精しく話すがいい」 「二三日中に是非こちらへ御返事をしなければならないからと云いますから、僕が代理にやって来たんです」 「だから、どう云う理由で断わるんだか、それを精しく話したら好いじゃないか」  襖の蔭で小夜子が洟をかんだ。つつましき音ではあるが、一重隔ててすぐ向にいる人のそれと受け取れる。鴨居に近く聞えたのは、襖越に立っているらしい。浅井君の耳にはどんな感じを与えたか知らぬ。 「理由はですな。博士にならなければならないから、どうも結婚なんぞしておられないと云うんです」 「じゃ博士の称号の方が、小夜より大事だと云うんだね」 「そう云う訳でもないでしょうが、博士になって置かんと将来非常な不利益ですからな」 「よし分った。理由はそれぎりかい」 「それに確然たる契約のない事だからと云うんです」 「契約とは法律上有効の契約という意味だな。証文のやりとりの事だね」 「証文でもないですが――その代り長い間御世話になったから、その御礼としては物質的の補助をしたいと云うんです」 「月々金でもくれると云うのかい」 「そうです」 「おい小夜や、ちょっと御出。小夜や――小夜や」と声はしだいに高くなる。返事はついにない。  小夜子は襖の蔭に蹲踞ったまま、動かずにいる。先生は仕方なしに浅井君の方へ向き直った。 「君は妻君があるかい」 「ないです。貰いたいが、自分の口が大事ですからな」 「妻君がなければ参考のために聞いて置くがいい。――人の娘は玩具じゃないぜ。博士の称号と小夜と引き替にされてたまるものか。考えて見るがいい。いかな貧乏人の娘でも活物だよ。私から云えば大事な娘だ。人一人殺しても博士になる気かと小野に聞いてくれ。それから、そう云ってくれ。井上孤堂は法律上の契約よりも徳義上の契約を重んずる人間だって。――月々金を貢いでやる? 貢いでくれと誰が頼んだ。小野の世話をしたのは、泣きついて来て可愛想だから、好意ずくでした事だ。何だ物質的の補助をするなんて、失礼千万な。――小夜や、用があるからちょっと出て御出、おいいないのか」  小夜子は襖の蔭で啜り泣をしている。先生はしきりに咳く。浅井君は面喰った。  こう怒られようとは思わなかった。またこう怒られる訳がない。自分の云う事は事理明白である。世間に立って成功するには誰の目にも博士号は大切である。瞹眛な約束をやめてくれと云うのもさほど不義理とは受取れない。世話をして貰いっ放しでは不都合かも知れないが、して貰っただけの事を物質的に返すと云い出せば、喜んでこっちの義務心を満足させべきはずである。それを突然怒り出す。――そこで浅井君は面喰った。 「先生そう怒っちゃ困ります。悪ければまた小野に逢って話して見ますから」と云った。これは本気の沙汰である。  しばらく黙っていた先生は、やや落ちついた調子で、 「君は結婚を極めて容易事のように考えているが、そんなものじゃない」と口惜そうに云う。  先生の云う主意は分らんが、先生の様子にはさすがの浅井君も少し心を動かした。しかし結婚は便宜によって約束を取り結び、便宜によって約束を破棄するだけで差支ないと信じている浅井君は、別に返事もしなかった。 「君は女の心を知らないから、そんな使に来たんだろう」  浅井君はやっぱり黙っている。 「人情を知らないから平気でそんな事を云うんだろう。小野の方が破談になれば小夜は明日からどこへでも行けるだろうと思って、云うんだろう。五年以来夫だと思い込んでいた人から、特別の理由もないのに、急に断わられて、平気ですぐ他家へ嫁に行くような女があるものか。あるかも知れないが小夜はそんな軽薄な女じゃない。そんな軽薄に育て上げたつもりじゃない。――君はそう軽卒に破談の取次をして、小夜の生涯を誤まらして、それで好い心持なのか」  先生の窪んだ眼が煮染んで来た。しきりに咳が出る。浅井君はなるほどそれが事実ならと感心した。ようやく気の毒になってくる。 「じゃ、まあ御待ちなさい、先生。もう一遍小野に話して見ますから。僕はただ頼まれたから来たんで、そんな精しい事情は知らんのですから」 「いや、話してくれないでも好い。厭だと云うものに無理に貰ってもらいたくはない。しかし本人が来て自家に訳を話すが好い」 「しかし御嬢さんが、そう云う御考だと……」 「小夜の考ぐらい小野には分っているはずださ」と先生は平手で頬を打つように、ぴしゃりと云った。 「ですがな、それだと小野も困るでしょうから、もう一遍……」 「小野にそう云ってくれ。井上孤堂はいくら娘が可愛くっても、厭だと云う人に頭を下げて貰ってもらうような卑劣な男ではないって。――小夜や、おい、いないか」  襖の向側で、袖らしいものが唐紙の裾にあたる音がした。 「そう返事をして差支ないだろうね」  答はさらになかった。ややあって、わっと云う顔を袖の中に埋めた声がした。 「先生もう一遍小野に話しましょう」 「話さないでも好い。自家に来て断われと云ってくれ」 「とにかく……そう小野に云いましょう」  浅井君はついに立った。玄関まで送って来た先生に頭を下げた時、先生は 「娘なんぞ持つもんじゃないな」と云った。表へ出た浅井君はほっと息をつく。今までこんな感じを経験した事はない。横町を出て蕎麦屋の行灯を右に通へ出て、電車のある所まで来ると突然飛び乗った。  突然電車に乗った浅井君は約一時間余の後、ぶらりと宗近家の門からあらわれた。つづいて車が二挺出る。一挺は小野の下宿へ向う。一挺は孤堂先生の家に去る。五十分ほど後れて、玄関の松の根際に梶棒を上げた一挺は、黒い幌を卸したまま、甲野の屋敷を指して馳ける。小説はこの三挺の使命を順次に述べなければならぬ。  宗近君の車が、小野さんの下宿の前で、車輪の音を留めた時、小野さんはちょうど午飯を済ましたばかりである。膳が出ている。飯櫃も引かれずにある。主人公は机の前へ座を移して、口から吹く濃き煙を眺めながら考えている。今日は藤尾と大森へ行く約束がある。約束だから行かなければならぬ。しかし是非行かねばならぬとなると、何となく気が咎める。不安である。約束さえしなければ、もう少しは太平であったろう。飯ももう一杯ぐらいは食えたかも知れぬ。賽は固より自分で投げた。一六の目は明かに出た。ルビコンは渡らねばならぬ。しかし事もなげに河を横切った該撒は英雄である。通例の人はいざと云う間際になってからまた思い返す。小野さんは思い返すたびに、必ず廃せばよかったと後悔する。乗り掛けた船に片足を入れた時、船頭が出ますよと棹を取り直すと、待ってくれと云いたくなる。誰か陸から来て引っ張ってくれれば好いと思う。乗り掛けたばかりならまだ陸へ戻る機会があるからである。約束も履行せんうちは岸を離れぬ舟と同じく、まだ絶体絶命と云う場合ではない。メレジスの小説にこんな話がある。――ある男とある女が諜し合せて、停車場で落ち合う手筈をする。手筈が順に行って、汽笛がひゅうと鳴れば二人の名誉はそれぎりになる。二人の運命がいざと云う間際まで逼った時女はついに停車場へ来なかった。男は待ち耄の顔を箱馬車の中に入れて、空しく家へ帰って来た。あとで聞くと朋友の誰彼が、女を抑留して、わざと約束の期を誤まらしたのだと云う。――藤尾と約束をした小野さんは、こんな風に約束を破る事が出来たら、かえって仕合かも知れぬと思いつつ煙草の煙を眺めている。それに浅井の返事がまだ来ない。諾と云えばどっちへ転んでも幸である。否と聞くならば、退っ引きならぬ瀬戸際まであらかじめ押して置いて、振り返ってから、臨機応変に難関を切り抜けて行くつもりの計画だから、一刻も早く大森へ行ってしまえば済む。否と云う返事を待つ必要は無論ない。ないが、決行する間際になると気掛りになる。頭で拵え上げた計画を人情が崩しにかかる。想像力が実行させぬように引き戻す。小野さんは詩人だけにもっとも想像力に富んでいる。  想像力に富んでおればこそ、自分で断わりに行く気になれなかった。先生の顔と小夜子の顔と、部屋の模様と、暮しの有様とを眼のあたりに見て、眼のあたりに見たものを未来に延長して想像の鏡に思い浮べて眺めると二た通になる。自分がこの鏡のなかに織り込まれているときは、春である、豊である、ことごとく幸福である。鏡の面から自分の影を拭き消すと闇になる、暮になる。すべてが悲惨になる。この一団の精神から、自分の魂だけを切り離す談判をするのは、小さき竈に立つべき煙を予想しながら薪を奪うと一般である。忍びない。人は眼を閉って苦い物を呑む。こんな絡んだ縁をふつりと切るのに想像の眼を開いていては出来ぬ。そこで小野さんは眼の閉れた浅井君を頼んだ。頼んだ後は、想像を殺してしまえば済む。と覚束ないが決心だけはした。しかし犬一匹でも殺すのは容易な事ではない。持って生れた心の作用を、不都合なところだけ黒く塗って、消し切りに消すのは、古来から幾千万人の試みた窮策で、幾千万人が等しく失敗した陋策である。人間の心は原稿紙とは違う。小野さんがこの決心をしたその晩から想像力は復活した。――  瘠せた頬を描く。落ち込んだ眼を描く。縺れた髪を描く。虫のような気息を描く。――そうして想像は一転する。  血を描く。物凄き夜と風と雨とを描く。寒き灯火を描く。白張の提灯を描く。――ぞっとして想像はとまる。  想像のとまった時、急に約束を思い出す。約束の履行から出る快からぬ結果を思い出す。結果はまたも想像の力で曲々の波瀾を起す。――良心を質に取られる。生涯受け出す事が出来ぬ。利に利がつもる。背中が重くなる、痛くなる、そうして腰が曲る。寝覚がわるい。社会が後指を指す。  惘然として煙草の煙を眺めている。恩賜の時計は一秒ごとに約束の履行を促がす。橇の上に力なき身を託したようなものである。手を拱ぬいていれば自然と約束の淵へ滑り込む。「時」の橇ほど正確に滑るものはない。 「やっぱり行く事にするか。後暗い行さえなければ行っても差支ないはずだ。それさえ慎めば取り返しはつく。小夜子の方は浅井の返事しだいで、どうにかしよう」  煙草の煙が、未来の影を朦朧と罩め尽すまで濃く揺曳た時、宗近君の頑丈な姿が、すべての想像を払って、現実界にあらわれた。  いつの間にどう下女が案内をしたか知らなかった。宗近君はぬっと這入った。 「だいぶ狼籍だね」と云いながら紅溜の膳を廊下へ出す。黒塗の飯櫃を出す。土瓶まで運び出して置いて、 「どうだい」と部屋の真中に腰を卸した。 「どうも失敬です」と主人は恐縮の体で向き直る。折よく下女が来て湯沸と共に膳椀を引いて行く。  心を二六時に委ねて、隻手を動かす事をあえてせざるものは、自から約束を践まねばならぬ運命を有つ。安からぬ胸を秒ごとに重ねて、じりじりと怖い所へ行く。突然と横合から飛び出した宗近君は、滑るべく余儀なくせられたる人を、半途に遮った。遮ぎられた人は邪魔に逢うと同時に、一刻の安きを故の位地に貪る事が出来る。  約束は履行すべきものときまっている。しかし履行すべき条件を奪ったものは自分ではない。自分から進んで違約したのと、邪魔が降って来て、守る事が出来なかったのとは心持が違う。約束が剣呑になって来た時、自分に責任がないように、人が履行を妨げてくれるのは嬉しい。なぜ行かないと良心に責められたなら、行くつもりの義務心はあったが、宗近君に邪魔をされたから仕方がないと答える。  小野さんはむしろ好意をもって宗近君を迎えた。しかしこの一点の好意は、不幸にして面白からぬ感情のために四方から深く鎖されている。  宗近君と藤尾とは遠い縁続である。自分が藤尾を陥いれるにしても、藤尾が自分を陥いれるにしても、二人の間に取り返しのつかぬ関係が出来そうな際どい約束を、素知らぬ顔で結んだのみか、今実行にとりかかろうと云う矢先に、突然飛び込まれたのは、迷惑はさて置いて、大いに気が咎める。無関係のものならそれでも好い。突然飛び込んだものは、人もあろうに、相手の親類である。  ただの親類ならまだしもである。兼てから藤尾に心のある宗近君である。外国で死んだ人が、これこそ娘の婿ととうから許していた宗近君である。昨日まで二人の関係を知らずに、昔の望をそのままに繋いでいた宗近君である。偸まれた金の行先も知らずに、空金庫を護っていた宗近君である。  秘密の雲は、春を射る金鎖の稲妻で、半劈れた。眠っていた眼を醒しかけた金鎖のあとへ、浅井君が行って井上の事でも喋舌ったら――困る。気の毒とはただ先方へ対して云う言葉である。気が咎めるとは、その上にこちらから済まぬ事をした場合に用いる。困るとなると、もう一層上手に出て、利害が直接に吾身の上に跳ね返って来る時に使う。小野さんは宗近君の顔を見て大いに困った。  宗近君の来訪に対して歓迎の意を表する一点好意の核は、気の毒の輪で尻こそばゆく取り巻かれている。その上には気が咎める輪が気味わるそうに重なっている。一番外には困る輪が黒墨を流したように際限なく未来に連なっている。そうして宗近君はこの未来を司どる主人公のように見えた。 「昨日は失敬した」と宗近君が云う。小野さんは赤くなって下を向いた。あとから金時計が出るだろうと、心元なく煙草へ火を移す。宗近君はそんな気色も見えぬ。 「小野さん、さっき浅井が来てね。その事でわざわざやって来た」とすぱりと云う。  小野さんの神経は一度にびりりと動いた。すこし、してから煙草の煙が陰気にむうっと鼻から出る。 「小野さん、敵が来たと思っちゃいけない」 「いえけっして……」と云った時に小野さんはまたぎくりとした。 「僕は当っ擦りなどを云って、人の弱点に乗ずるような人間じゃない。この通り頭ができた。そんな暇は薬にしたくってもない。あっても僕のうちの家風に背く……」  宗近君の意味は通じた。ただ頭のできた由来が分らなかった。しかし問い返すほどの勇気がないから黙っている。 「そんな卑しい人間と思われちゃ、急がしいところをわざわざ来た甲斐がない。君だって教育のある事理の分った男だ。僕をそう云う男と見て取ったが最後、僕の云う事は君に対して全然無効になる訳だ」  小野さんはまだ黙っている。 「僕はいくら閑人だって、君に軽蔑されようと思って車を飛ばして来やしない。――とにかく浅井の云う通なんだろうね」 「浅井がどう云いましたか」 「小野さん、真面目だよ。いいかね。人間は年に一度ぐらい真面目にならなくっちゃならない場合がある。上皮ばかりで生きていちゃ、相手にする張合がない。また相手にされてもつまるまい。僕は君を相手にするつもりで来たんだよ。好いかね、分ったかい」 「ええ、分りました」と小野さんはおとなしく答えた。 「分ったら君を対等の人間と見て云うがね。君はなんだか始終不安じゃないか。少しも泰然としていないようだが」 「そうかも――知れないです」と小野さんは術なげながら、正直に白状した。 「そう君が平たく云うと、はなはだ御気の毒だが、全く事実だろう」 「ええ」 「他人が不安であろうと、泰然としていなかろうと、上皮ばかりで生きている軽薄な社会では構った事じゃない。他人どころか自分自身が不安でいながら得意がっている連中もたくさんある。僕もその一人かも知れない。知れないどころじゃない、たしかにその一人だろう」  小野さんはこの時始めて積極的に相手を遮ぎった。 「あなたは羨しいです。実はあなたのようになれたら結構だと思って、始終考えてるくらいです。そんなところへ行くと僕はつまらない人間に違ないです」  愛嬌に調子を合せるとは思えない。上皮の文明は破れた。中から本音が出る。悄然として誠を帯びた声である。 「小野さん、そこに気がついているのかね」  宗近君の言葉には何だか暖味があった。 「いるです」と答えた。しばらくしてまた、 「いるです」と答えた。下を向く。宗近君は顔を前へ出した。相手は下を向いたまま、 「僕の性質は弱いです」と云った。 「どうして」 「生れつきだから仕方がないです」  これも下を向いたまま云う。  宗近君はなおと顔を寄せる。片膝を立てる。膝の上に肱を乗せる。肱で前へ出した顔を支える。そうして云う。 「君は学問も僕より出来る。頭も僕より好い。僕は君を尊敬している。尊敬しているから救いに来た」 「救いに……」と顔を上げた時、宗近君は鼻の先にいた。顔を押しつけるようにして云う。―― 「こう云う危うい時に、生れつきを敲き直して置かないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけで出来ている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった後は心持がいいものだよ。君にそう云う経験があるかい」  小野さんは首を垂れた。 「なければ、一つなって見たまえ、今だ。こんな事は生涯に二度とは来ない。この機をはずすと、もう駄目だ。生涯真面目の味を知らずに死んでしまう。死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。人間は真面目になる機会が重なれば重なるほど出来上ってくる。人間らしい気持がしてくる。――法螺じゃない。自分で経験して見ないうちは分らない。僕はこの通り学問もない、勉強もしない、落第もする、ごろごろしている。それでも君より平気だ。うちの妹なんぞは神経が鈍いからだと思っている。なるほど神経も鈍いだろう。――しかしそう無神経なら今日でも、こうやって車で馳けつけやしない。そうじゃないか、小野さん」  宗近君はにこりと笑った。小野さんは笑わなかった。 「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据る事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が儼存していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。実を云うと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。――どうだね、小野さん、僕の云う事は分らないかね」 「いえ、分ったです」 「真面目だよ」 「真面目に分ったです」 「そんなら好い」 「ありがたいです」 「そこでと、――あの浅井と云う男は、まるで人間として通用しない男だから、あれの云う事を一々真に受けちゃ大変だが――本来を云うと浅井が来てこれこれだと、あれが僕に話した通を君の前で箇条がきにしてでも述べるところだね。そうして、君の云うところと照し合せた上で事実を判断するのが順当かも知れない。いくら頭の悪い僕でもそのくらいな事は知ってる。しかし真面目になると、ならないとは大問題だ。契約があったの、滑ったの転んだの。嫁があっちゃあ博士になれないの、博士にならなくっちゃ外聞が悪いのって、まるで小供見たような事は、どっちがどっちだって構わないだろう、なあ君」 「ええ構わないです」 「要するに真面目な処置は、どうつければ好いのかね。そこが君のやるところだ。邪魔でなければ相談になろう。奔走しても好い」  悄然として項垂れていた小野さんは、この時居ずまいを正した。顔を上げて宗近君を真向に見る。眸は例になく確乎と坐っていた。 「真面目な処置は、出来るだけ早く、小夜子と結婚するのです。小夜子を捨てては済まんです。孤堂先生にも済まんです。僕が悪かったです。断わったのは全く僕が悪かったです。君に対しても済まんです」 「僕に済まん? まあそりゃ好い、後で分る事だから」 「全く済まんです。――断わらなければ好かったです。断わらなければ――浅井はもう断わってしまったんでしょうね」 「そりゃ君が頼んだ通り断わったそうだ。しかし井上さんは君自身に来て断われと云うそうだ」 「じゃ、行きます。これから、すぐ行って謝罪って来ます」 「だがね、今僕の阿父を井上さんの所へやっておいたから」 「阿父さんを?」 「うん、浅井の話によると、何でも大変怒ってるそうだ。それから御嬢さんはひどく泣いてると云うからね。僕が君のうちへ来て相談をしているうちに、何か事でも起ると困るから慰問かたがたつなぎにやっておいた」 「どうもいろいろ御親切に」と小野さんは畳に近く頭を下げた。 「なに老人はどうせ遊んでいるんだから、御役にさえ立てば喜んで何でもしてくれる。それで、こうしておいたんだがね、――もし談判が調えば、車で御嬢さんを呼びにやるからこっちへ寄こしてくれって。――来たら、僕のいる前で、御嬢さんに未来の細君だと君の口から明言してやれ」 「やります。こっちから行っても好いです」 「いや、ここへ呼ぶのはまだほかにも用があるからだ。それが済んだら三人で甲野へ行くんだよ。そうして藤尾さんの前で、もう一遍君が明言するんだ」  小野さんは少しくんで見えた。宗近君はすぐつける。 「何、僕が君の妻君を藤尾さんに紹介してもいい」 「そう云う必要があるでしょうか」 「君は真面目になるんだろう。――僕の前で奇麗に藤尾さんとの関係を絶って見せるがいい。その証拠に小夜子さんを連れて行くのさ」 「連れて行っても好いですが、あんまり面当になるから――なるべくなら穏便にした方が……」 「面当は僕も嫌だが、藤尾さんを助けるためだから仕方がない。あんな性格は尋常の手段じゃ直せっこない」 「しかし……」 「君が面目ないと云うのかね。こう云う羽目になって、面目ないの、きまりが悪いのと云ってぐずぐずしているようじゃやっぱり上皮の活動だ。君は今真面目になると云ったばかりじゃないか。真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。口だけで真面目になるのは、口だけが真面目になるので、人間が真面目になったんじゃない。君と云う一個の人間が真面目になったと主張するなら、主張するだけの証拠を実地に見せなけりゃ何にもならない。……」 「じゃやりましょう。どんな大勢の中でも構わない、やりましょう」 「宜ろしい」 「ところで、みんな打ち明けてしまいますが。――実は今日大森へ行く約束があるんです」 「大森へ。誰と」 「その――今の人とです」 「藤尾さんとかね。何時に」 「三時に停車場で出合うはずになっているんですが」 「三時と――今何時か知らん」  ぱちりと宗近君の胴衣の中ほどで音がした。 「もう二時だ。君はどうせ行くまい」 「廃すです」 「藤尾さん一人で大森へ行く事は大丈夫ないね。うちやっておいたら帰ってくるだろう。三時過になれば」 「一分でも後れたら、待ち合す気遣ありません。すぐ帰るでしょう」 「ちょうど好い。――何だか、降って来たな。雨が降っても行く約束かい」 「ええ」 「この雨は――なかなか歇みそうもない。――とにかく手紙で小夜子さんを呼ぼう。阿父が待ち兼て心配しているに違ない」  春に似合わぬ強い雨が斜めに降る。空の底は計られぬほど深い。深いなかから、とめどもなく千筋を引いて落ちてくる。火鉢が欲しいくらいの寒である。  手紙は点滴の響の裡に認められた。使が幌の色を、打つ雨に揺かして、一散に去った時、叙述は移る。最前宗近家の門を出た第二の車はすでに孤堂先生の僑居に在って、応分の使命をつくしつつある。  孤堂先生は熱が出て寝た。秘蔵の義董の幅に背いて横えた額際を、小夜子が氷嚢で冷している。蹲踞る枕元に、泣き腫した眼を赤くして、氷嚢の括目に寄る皺を勘定しているかと思われる。容易に顔を上げない。宗近の阿父さんは、鉄線模様の臥被を二尺ばかり離れて、どっしりと尻を据えている。厚い膝頭が坐布団から喰み出して軽く畳を抑えたところは、血が退いて肉が落ちた孤堂先生の顔に比べると威風堂々たるものである。  宗近老人の声は相変らず大きい。孤堂先生の声は常よりは高い。対話はこの両人の間に進行しつつある。 「実はそう云うしだいで突然参上致したので、御不快のところをはなはだ恐縮であるが、取り急ぐ事と、どうか悪しからず」 「いや、はなはだ失礼の体たらくで、私こそ恐縮で。起きて御挨拶を申し上げなければならんのだが……」 「どう致して、そのままの方が御話がしやすくて結句私の都合になります。ハハハハ」 「まことに御親切にわざわざ御尋ね下すってありがたい」 「なに、昔なら武士は相見互と云うところで。ハハハハ私などもいつ何時御世話にならんとも限らん。しかし久しぶりで東京へ御移ではさぞ御不自由で御困りだろう」 「二十年目になります」 「二十年目、そりゃあそりゃあ。二た昔ですな。御親類は」 「無いと同然で。久しい間、音信不通にしておったものですからな」 「なるほど。それじゃ、全く小野氏だけが御力ですな。そりゃ、どうも、怪しからん事になったもので」 「馬鹿を見ました」 「いやしかし、どうにか、なりましょう。そう御心配なさらずとも」 「心配は致しません。ただ馬鹿を見ただけで、先刻よく娘にも因果を含めて申し聞かしておきました」 「しかしせっかくこれまで御丹精になったものを、そう思い切りよく御断念になるのも惜いから、どうかここはひとまず私共に御任せ下さい。忰も出来るだけ骨を折って見たいと申しておりましたから」 「御好意は実に辱ない。しかし先方で断わる以上は、娘も参りたくもなかろうし、参ると申しても私がやれんような始末で……」  小夜子は氷嚢をそっと上げて、額の露を丁寧に手拭でふいた。 「冷やすのは少し休めて見よう。――なあ小夜子行かんでも好いな」  小夜子は氷嚢を盆へ載せた。両手を畳の上へ突いて、盆の上へ蔽いかぶせるように首を出す。氷嚢へぽたりぽたりと涙が垂れる。孤堂先生は枕に着けた胡麻塩頭を 「好いな」と云いながら半分ほど後へ捩じ向けた。ぽたりと氷嚢へ垂れるところが見えた。 「ごもっともで。ごもっともで……」と宗近老人はとりあえず二遍つづけざまに述べる。孤堂先生の首は故の位地に復した。潤んだ眼をひからしてじっと老人を見守っている。やがて 「しかしそれがために小野が藤尾さんとか云う婦人と結婚でもしたら、御子息には御気の毒ですな」と云った。 「いや――そりゃ――御心配には及ばんです。忰は貰わん事にしました。多分――いや貰わんです。貰うと云っても私が不承知です。忰を嫌うような婦人は、忰が貰いたいと申しても私が許しません」 「小夜や、宗近さんの阿父さんも、ああおっしゃる。同じ事だろう」 「私は――参らんでも――宜しゅうございます」と小夜子が枕の後で切れ切れに云った。雨の音の強いなかでようやく聞き取れる。 「いや、そうなっちゃ困る。私がわざわざ飛んで来た甲斐がない。小野氏にもだんだん事情のある事だろうから、まあ忰の通知しだいで、どうか、先刻御話を申したように御聞済を願いたい。――自分で忰の事をかれこれ申すのは異なものだが、忰は事理の分った奴で、けっして後で御迷惑になるような取計は致しますまい。御破談になった方が御為だと思えばその方を御勧めして来るでしょう。――始めて御目に懸ったのだがどうか私を御信用下さい。――もう何とか云って来る時分だが、あいにくの雨で……」  雨を衝く一輛の車は輪を鳴らして、格子の前で留った。がらりと明く途端に、ぐちゃりと濡れた草鞋を沓脱へ踏み込んだものがある。――叙述は第三の車の使命に移る。  第三の車が糸子を載せたまま、甲野の門に々の響を送りつつ馳けて来る間に、甲野さんは書斎を片づけ始めた。机の抽出を一つずつ抜いて、いつとなく溜った往復の書類を裂いては捨て、裂いては捨る。床の上は千切れた半切で膝の所だけが堆くなった。甲野さんは乱るる反故屑を踏みつけて立った。今度は抽出から一枚、二枚と細字に認めた控を取り出す。中には五六頁纏めて綴じ込んだのもある。大抵は西洋紙である。また西洋字である。甲野さんは一と目見て、すぐ机の上へ重ねる。中には半行も読まずに置き易えるのもある。しばらくすると、重なるものは小一尺の高まで来た。抽出は大抵空になる。甲野さんは上下へ手を掛けて、総体を煖炉の傍まで持って来たが、やがて、無言のまま抛げ込んだ。重なるものは主人公の手を離るると共に一面に崩れた。  葡萄の葉を青銅に鋳た灰皿が洋卓の上にある。灰皿の上に燐寸がある。甲野さんは手を延ばして燐寸の箱を取った。取りながら横に振ると、あたじけない五六本の音がする。今度は机へ帰る。レオパルジの隣にあった黄表紙の日記を持って煖炉の前まで戻って来た。親指を抑えにして小口を雨のように飛ばして見ると、黒い印気と鼠の鉛筆が、ちら、ちら、ちらと黄色い表紙まで来て留った。何を書いたものやらいっこう要領を得ない。昨夕寝る前に書き込んだ、 入レ道無言客。出レ家有髪僧。 の一聯が、最後の頁の最後の句である事だけを記憶している。甲野さんは思い切って日記を散らばった紙の上へ乗せた。屈んだ。煖炉敷の前でしゅっと云う音がする。乱れた紙は、静なるうちに、惓怠い伸をしながら、下から暖められて来る。きな臭い煙が、紙と紙の隙間を這い上って出た。すると紙は下層の方から動き出した。 「うん、まだ書く事があった」 と甲野さんは膝を立てながら、日記を煙のなかから救い出す。紙は茶に変る。ぼうと音がすると煖炉のうちは一面の火になった。 「おや、どうしたの」  戸口に立った母は不審そうに煖炉の中を見詰めている。甲野さんは声に応じて体を斜めに開く。袂の先に火を受けて母と向き合った。 「寒いから部屋を煖めます」と云ったなり、上から煖炉の中を見下した。火は薄い水飴の色に燃える。藍と紫が折々は思い出したように交って煙突の裏へ上って行く。 「まあ御あたんなさい」  折から風に誘われた雨が四五筋、窓硝子に当って砕けた。 「降り出しましたね」  母は返事をせずに三足ほど部屋の中に進んで来た。すかすように欽吾を見て、 「寒ければ、石炭を焼かせようか」と云った。  めらめらと燃えた火は、揺ぐ紫の舌の立ち騰る後から、ぱっと一度に消えた。煖炉の中は真黒である。 「もうたくさんです。もう消えました」  云い終った欽吾は、煖炉に背中を向けた。時に亡父の眼玉が壁の上からぴかりと落ちて来た。雨の音がざあっとする。 「おやおや、手紙が大変散らばって――みんな要らないのかい」  欽吾は床の上を眺めた。裂き棄てた書面は見事に乱れている。あるいは二三行、あるいは五六行、はなはだしいのは一行の半分で引き千切ったのがある。 「みんな要りません」 「それじゃ、ちっと片づけよう。紙屑籠はどこにあるの」  欽吾は答えなかった。母は机の下を覗き込む。西洋流の籃製の屑籠が、足掛の向に仄に見える。母は屈んで手を伸した。紺緞子の帯が、窓からさす明をまともに受けた。  欽吾は腕を右へ真直に、日蔽のかかった椅子の背頸を握った。瘠せた肩を斜にして、ずるずると机の傍まで引いて来た。  母は机の奥から屑籠を引き擦り出した。手紙の断片を一つ一つ床から拾って籠の中へ入れる。捩じ曲げたのを丹念に引き延ばして見る。「いずれ拝眉の上……」と云うのを投げ込む。「……御免蒙り度候。もっとも事情の許す場合には御……」と云うのを投げ込む。「……はとうてい辛抱致しかね……」と云うのを裏返して見る。  欽吾は尻眼に母をじろりと眺めた。机の角に引き寄せた椅子の背に、うんと腕の力を入れた。ひらりと紺足袋が白い日蔽の上に揃った。揃った紺足袋はすぐ机の上に飛び上る。 「おや、何をするの」と母は手紙の断片を持ったまま、下から仰向いた。眼と眼の間に怖の色が明かに読まれた。 「額を卸します」と上から落ちついて云う。 「額を?」  怖は愕と変じた。欽吾は鍍金の枠に右の手を懸けた。 「ちょいと御待ち」 「何ですか」と右の手はやはり枠に懸っている。 「額を外して何にする気だい」 「持って行くんです」 「どこへ」 「家を出るから、額だけ持って行くんです」 「出るなんて、まあ。――出るにしても、もっと緩外したら宜さそうなもんじゃないか」 「悪いですか」 「悪くはないよ。御前が欲しければ持って行くが、いいけれども。何もそんなに急がなくっても好いんだろう」 「だって今外さなくっちゃ、時間がありません」  母は変な顔をして呆然として立った。欽吾は両手を額に掛ける。 「出るって、御前本当に出る気なのかい」 「出る気です」  欽吾は後ろ向に答えた。 「いつ」 「これから、出るんです」  欽吾は両手で一度上へ揺り上げた額を、折釘から外して、下へさげた。細い糸一本で額は壁とつながっている。手を放すと、糸が切れて落ちそうだ。両手で恭しく捧げたままである。母は下から云う。 「こんな雨の降るのに」 「雨が降っても構わないです」 「せめて藤尾に暇乞でもして行ってやっておくれな」 「藤尾はいないでしょう」 「だから待っておくれと云うのだあね。藪から棒に出るなんて、御母さんを困らせるようなもんじゃないか」 「困らせるつもりじゃありません」 「御前がその気でなくっても、世間と云うものがあります。出るなら出るようにして出てくれないと、御母さんが恥を掻きます」 「世間が……」と云いかけて額を持ちながら、首だけ後へ向けた時、細長く切れた欽吾の眼は一度は母に落ちた。やがて母から遠退いて戸口に至ってはたと動かなくなった。――母は気味悪そうに振返る。 「おや」  天から降ったように、静かに立っていた糸子は、ゆるやかに頭を下げた。鷹揚に膨ました廂髪が故に帰ると、糸子は机の傍まで歩を移して来る。白足袋が両方揃った時、 「御迎に参りました」と真直に欽吾を見上げた。 「鋏を取って下さい」と欽吾は上から頼む。顎で差図をした、レオパルジの傍に、鋏がある。――ぷつりと云う音と共に額は壁を離れた。鋏はかちゃりと床の上に落ちた。両手に額を捧げた欽吾は、机の上でくるりと正面に向き直った。 「兄が欽吾さんを連れて来いと申しましたから参りました」  欽吾は捧げた額を眼八分から、そろりそろりと下の方へ移す。 「受取って下さい」  糸子は確と受取った。欽吾は机から飛び下りる。 「行きましょう。――車で来たんですか」 「ええ」 「この額が乗りますか」 「乗ります」 「じゃあ」と再び額を受取って、戸口の方へ行く。糸子も行く。母は呼びとめた。 「少し御待ちよ。――糸子さんも少し待ってちょうだい。何が気に入らないで、親の家を出るんだか知らないが、少しは私の心持にもなって見てくれないと、私が世間へ対して面目がないじゃないか」 「世間はどうでも構わないです」 「そんな聞訳のない事を云って、――頑是ない小供みたように」 「小供なら結構です。小供になれれば結構です」 「またそんな。――せっかく、小供から大人になったんじゃないか。これまでに丹精するのは、一と通りや二た通りの事じゃないよ、御前。少しは考えて御覧な」 「考えたから出るんです」 「どうして、まあ、そんな無理を云うんだろうね。――それもこれもみんな私の不行届から起った事だから、今更泣いたって、口説いたって仕方がないけれども、――私は――亡くなった阿父さんに――」 「阿父さんは大丈夫です。何とも云やしません」 「云やしませんたって――何も、そう、意地にかかって私を苛めなくっても宜さそうなもんじゃないか」  甲野さんは額を提げたまま、何とも返事をしなくなった。糸子はおとなしく傍に着いている。雨は部屋を取り巻いて吹き寄せて来る。遠い所から風が音を輳めてくる。ざあっと云う高い響である。また広い響である。響の裡に甲野さんは黙然として立っている。糸子も黙然として立っている。 「少しは分ったかい」と母が聞いた。  甲野さんは依然として黙している。 「これほど云っても、まだ分らないのかね」  甲野さんはやはり口を開かない。 「糸子さん、こう云う体たらくなんですから。どうぞ御宅へ御帰りになったら、阿父さんや兄さんに御覧の通りを御話し下さい。――まことに、こんなところをあなた方に御見せ申すのは、何ともかとも面目しだいもございません」 「御叔母さん。欽吾さんは出たいのですから、素直に出して御上げなすったら好いでしょう。無理に引っ張っても何にもならないと思います」 「あなたまでそれじゃ仕方がありませんね。――それは失礼ながら、まだ御若いから、そう云う奥底のない御考も出るんでしょうが。――いくら出たいたって、山の中の一軒家に住んでいる人間じゃなし、そう今が今思い立って、今出られちゃ、出る当人より、残ったものが困りまさあね」 「なぜ」 「だって人の口は五月蠅じゃありませんか」 「人が何と云ったって――それがなぜ悪いんでしょう」 「だって御互に世間に顔出しが出来ればこそ、こうやって今日を送っているんじゃありませんか。自分より世間の義理の方が大事でさあね」 「だって、こんなに出たいとおっしゃるんですもの。御可哀想じゃありませんか」 「そこが義理ですよ」 「それが義理なの。つまらないのね」 「つまらなかありませんやね」 「だって欽吾さんは、どうなっても構わない……」 「構わなかないんです。それがやっぱり欽吾のためになるんです」 「欽吾さんより御叔母さんのためになるんじゃないの」 「世の中への義理ですよ」 「分らないわ、私には。――出たいものは世間が何と云ったって出たいんですもの。それが御叔母さんの迷惑になるはずはないわ」 「だって、こんな雨が降って……」 「雨が降っても、御叔母さんは濡れないんだから構わないじゃありませんか」  汽車のない時の事であった。山の男と海の男が喧嘩をした。山の男が魚は塩辛いものだと云う。海の男が魚に塩気があるものかと云う。喧嘩はいつまで立っても鎮まらなかった。教育と名くる汽車がかかって、理性の楷段を自由に上下する方便が開けないと、御互の考は御互に分らない。ある時は俗社会の塩漬になり過ぎて、ただ見てさえも冥眩しそうな人間でないと、人間として通用しない事がある。それは嘘だ偽だと説いて聞かしてもなかなか承知しない。どこまでも塩漬趣味を主張する。――謎の女と糸子の応対は、どこまで行っても並行するだけで一点には集まらない。山の男と海の男が魚に対して根本的の観念を異にするごとく、謎の女と糸子とは、人間に対して冒頭から考が違う。  海と山とを心得た甲野さんは黙って二人を見下している。糸子の云うところは弁護の出来ぬほど簡単である。母の主張は愛想のつきるほど愚にしてかつ俗である。この二人の問答を前に控えて、甲野さんは阿爺の額を抱いたまま立っている。別段退屈した気色も見えない。焦慮たそうな様子もない。困ったと云う風情もない。二人の問答が、日暮まで続けば、日暮まで額を持って、同じ姿勢で、立っているだろうと思われる。  ところへ、雨の中の掛声がした。車が玄関で留った。玄関から足音が近づいて来た。真先に宗近君があらわれた。 「やあ、まだ行かないのか」と甲野さんに聞く。 「うん」と答えたぎりである。 「御叔母さんもここか、ちょうど好い」と腰を掛ける。後から小野さんが這入って来る。小野さんの影を一寸も出ないように小夜子がついてくる。 「御叔母さん、雨の降るのに大入ですよ。――小夜子さん、これが僕の妹です」  活躍の児は一句にして挨拶と紹介を兼る。宗近君は忙しい。甲野さんは依然として額を支えて立ったままである。小野さんも手持無沙汰に席に着かぬ。小夜子と糸子はいたずらに丁寧な頭を下げた。打ち解けた言葉は無論交す機会がない。 「雨の降るのに、まあよく……」  母はこれだけの愛嬌を一面に振り蒔いた。 「よく降りますね」と宗近君はすぐ答えた。 「小野さんは……」と母が云い懸けた時、宗近君がまた遮った。 「小野さんは今日藤尾さんと大森へ行く約束があるんだそうですね。ところが行かれなくなって……」 「そう――でも、藤尾はさっき出ましたよ」 「まだ帰らないですか」と宗近君は平気に聞いた。母は少しく不快な顔をする。 「どうして大森どころじゃない」と独語のように云ったが、ちょっと振り返って、 「みんな掛けないか。立ってると草臥るぜ。もう直藤尾さんも帰るだろう」と注意を与えた。 「さあ、どうぞ」と母が云う。 「小野さん、掛けたまえ。小夜子さんも、どうです。――甲野さん何だい、それは……」 「父の肖像を卸しまして、あなた。持って出るとか申して」 「甲野さん、少し待ちたまえ。もう藤尾さんが帰って来るから」  甲野さんは別に返事もしなかった。 「少し私が持ちましょう」と糸子が低い声で云う。 「なに……」と甲野さんは提げていた額を床の上へ卸して壁へ立て掛けた。小夜子は俯向きながら、そっと額の方を見る。 「なんぞ藤尾に、御用でも御有なさるんですか」  これは母の言葉であった。 「ええ、あるんです」  これは宗近の答であった。  あとは――雨が降る。誰も何とも云わない。この時一輛の車はクレオパトラの怒を乗せて韋駄天のごとく新橋から馳けて来る。  宗近君は胴衣の上で、ぱちりと云わした。 「三時二十分」  何とも応えるものがない。車は千筋の雨を、黒い幌に弾いて一散に飛んで来る。クレオパトラの怒は布団の上で躍り上る。 「御叔母さん京都の話でも、しましょうかね」  降る雨の地に落ちぬ間を追い越せと、乗る怒は車夫の背を鞭って馳けつける。横に煽る風を真向に切って、歯を逆に捩ると、甲野の門内に敷き詰めた砂利が、玄関先まで長く二行に砕けて来た。  濃い紫の絹紐に、怒をあつめて、幌を潜るときに颯とふるわしたクレオパトラは、突然と玄関に飛び上がった。 「二十五分」 と宗近君が云い切らぬうちに、怒の権化は、辱しめられたる女王のごとく、書斎の真中に突っ立った。六人の目はことごとく紫の絹紐にあつまる。 「やあ、御帰り」と宗近君が煙草を啣えながら云う。藤尾は一言の挨拶すら返す事を屑とせぬ。高い背を高く反らして、屹と部屋のなかを見廻した。見廻した眼は、最後に小野さんに至って、ぐさりと刺さった。小夜子は背広の肩にかくれた。宗近君はぬっと立った。呑み掛けの煙草を、青葡萄の灰皿に放り込む。 「藤尾さん。小野さんは新橋へ行かなかったよ」 「あなたに用はありません。――小野さん。なぜいらっしゃらなかったんです」 「行っては済まん事になりました」  小野さんの句切りは例になく明暸であった。稲妻ははたはたとクレオパトラの眸から飛ぶ。何を猪子才なと小野さんの額を射た。 「約束を守らなければ、説明が要ります」 「約束を守ると大変な事になるから、小野さんはやめたんだよ」と宗近君が云う。 「黙っていらっしゃい。――小野さん、なぜいらっしゃらなかったんです」  宗近君は二三歩大股に歩いて来た。 「僕が紹介してやろう」と一足小野さんを横へ押し退けると、後から小さい小夜子が出た。 「藤尾さん、これが小野さんの妻君だ」  藤尾の表情は忽然として憎悪となった。憎悪はしだいに嫉妬となった。嫉妬の最も深く刻み込まれた時、ぴたりと化石した。 「まだ妻君じゃない。ないが早晩妻君になる人だ。五年前からの約束だそうだ」  小夜子は泣き腫らした眼を俯せたまま、細い首を下げる。藤尾は白い拳を握ったまま、動かない。 「嘘です。嘘です」と二遍云った。「小野さんは私の夫です。私の未来の夫です。あなたは何を云うんです。失礼な」と云った。 「僕はただ好意上事実を報知するまでさ。ついでに小夜子さんを紹介しようと思って」 「わたしを侮辱する気ですね」  化石した表情の裏で急に血管が破裂した。紫色の血は再度の怒を満面に注ぐ。 「好意だよ。好意だよ。誤解しちゃ困る」と宗近君はむしろ平然としている。――小野さんはようやく口を開いた。―― 「宗近君の云うところは一々本当です。これは私の未来の妻に違ありません。――藤尾さん、今日までの私は全く軽薄な人間です。あなたにも済みません。小夜子にも済みません。宗近君にも済みません。今日から改めます。真面目な人間になります。どうか許して下さい。新橋へ行けばあなたのためにも、私のためにも悪いです。だから行かなかったです。許して下さい」  藤尾の表情は三たび変った。破裂した血管の血は真白に吸収されて、侮蔑の色のみが深刻に残った。仮面の形は急に崩れる。 「ホホホホ」  歇私的里性の笑は窓外の雨を衝いて高く迸った。同時に握る拳を厚板の奥に差し込む途端にぬらぬらと長い鎖を引き出した。深紅の尾は怪しき光を帯びて、右へ左へ揺く。 「じゃ、これはあなたには不用なんですね。ようござんす。――宗近さん、あなたに上げましょう。さあ」  白い手は腕をあらわに、すらりと延びた。時計は赭黒い宗近君の掌に確と落ちた。宗近君は一歩を煖炉に近く大股に開いた。やっと云う掛声と共に赭黒い拳が空に躍る。時計は大理石の角で砕けた。 「藤尾さん、僕は時計が欲しいために、こんな酔興な邪魔をしたんじゃない。小野さん、僕は人の思をかけた女が欲しいから、こんな悪戯をしたんじゃない。こう壊してしまえば僕の精神は君らに分るだろう。これも第一義の活動の一部分だ。なあ甲野さん」 「そうだ」  呆然として立った藤尾の顔は急に筋肉が働かなくなった。手が硬くなった。足が硬くなった。中心を失った石像のように椅子を蹴返して、床の上に倒れた。         十九  凝る雲の底を抜いて、小一日空を傾けた雨は、大地の髄に浸み込むまで降って歇んだ。春はここに尽きる。梅に、桜に、桃に、李に、かつ散り、かつ散って、残る紅もまた夢のように散ってしまった。春に誇るものはことごとく亡ぶ。我の女は虚栄の毒を仰いで斃れた。花に相手を失った風は、いたずらに亡き人の部屋に薫り初める。  藤尾は北を枕に寝る。薄く掛けた友禅の小夜着には片輪車を、浮世らしからぬ恰好に、染め抜いた。上には半分ほど色づいた蔦が一面に這いかかる。淋しき模様である。動く気色もない。敷布団は厚い郡内を二枚重ねたらしい。塵さえ立たぬ敷布を滑かに敷き詰めた下から、粗い格子の黄と焦茶が一本ずつ見える。  変らぬものは黒髪である。紫の絹紐は取って捨てた。有るたけは、有るに任せて枕に乱した。今日までの浮世と思う母は、櫛の歯も入れてやらぬと見える。乱るる髪は、純白な敷布にこぼれて、小夜着の襟の天鵞絨に連なる。その中に仰向けた顔がある。昨日の肉をそのままに、ただ色が違う。眉は依然として濃い。眼はさっき母が眠らした。眠るまで母は丹念に撫ったのである。――顔よりほかは見えぬ。  敷布の上に時計がある。濃に刻んだ七子は無惨に潰れてしまった。鎖だけはたしかである。ぐるぐると両蓋の縁を巻いて、黄金の光を五分ごとに曲折する真中に、柘榴珠が、へしゃげた蓋の眼のごとく乗っている。  逆に立てたのは二枚折の銀屏である。一面に冴え返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使って、柔婉なる茎を乱るるばかりに描いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁を掌ほどの大さに描いた。茎を弾けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞を、絞りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草である。落款は抱一である。  屏風の陰に用い慣れた寄木の小机を置く。高岡塗の蒔絵の硯筥は書物と共に違棚に移した。机の上には油を注した瓦器を供えて、昼ながらの灯火を一本の灯心に点ける。灯心は新らしい。瓦器の丈を余りて、三寸を尾に引く先は、油さえ含まず白くすらりと延びている。  ほかには白磁の香炉がある。線香の袋が蒼ざめた赤い色を机の角に出している。灰の中に立てた五六本は、一点の紅から煙となって消えて行く。香は仏に似ている。色は流るる藍である。根本から濃く立ち騰るうちに右に揺き左へ揺く。揺くたびに幅が広くなる。幅が広くなるうちに色が薄くなる。薄くなる帯のなかに濃い筋がゆるやかに流れて、しまいには広い幅も、帯も、濃い筋も行方知れずになる。時に燃え尽した灰がぱたりと、棒のまま倒れる。  違棚の高岡塗は沈んだ小豆色に古木の幹を青く盛り上げて、寒紅梅の数点を螺鈿擬に錬り出した。裏は黒地に鶯が一羽飛んでいる。並ぶ蘆雁の高蒔絵の中には昨日まで、深き光を暗き底に放つ柘榴珠が収めてあった。両蓋に隙間なく七子を盛る金側時計が収めてあった。高蒔絵の上には一巻の書物が載せてある。四隅を金に立ち切った箔の小口だけが鮮かに見える。間から紫の栞の房が長く垂れている。栞を差し込んだ頁の上から七行目に「埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」の一句がある。色鉛筆で細い筋を入れてある。  すべてが美くしい。美くしいもののなかに横わる人の顔も美くしい。驕る眼は長えに閉じた。驕る眼を眠った藤尾の眉は、額は、黒髪は、天女のごとく美くしい。 「御線香が切れやしないかしら」と母は次の間から立ちかかる。 「今上げて来ました」と欽吾が云う。膝を正しく組み合わして、手を拱いている。 「一さんも上げてやって下さい」 「私も今上げて来た」  線香の香は藤尾の部屋から、思い出したように吹いてくる。燃え切った灰は、棒のままで、はたりはたりと香炉の中に倒れつつある。銀屏は知らぬ間に薫る。 「小野さんは、まだ来ないんですか」と母が云う。 「もう来るでしょう。今呼びにやりました」と欽吾が云う。  部屋はわざと立て切った。隔の襖だけは明けてある。片輪車の友禅の裾だけが見える。あとは芭蕉布の唐紙で万事を隠す。幽冥を仕切る縁は黒である。一寸幅に鴨居から敷居まで真直に貫いている。母は襖のこちらに坐りながら、折々は、見えぬ所を覗き込むように、首を傾けて背を反らす。冷かな足よりも冷かな顔の方が気にかかる。覗くたびに黒い縁は、すっきりと友禅の小夜着を斜に断ち切っている。写せばそのままの模様画になる。 「御叔母さん、飛んだ事になって、御気の毒だが、仕方がない。御諦なさい」 「こんな事になろうとは……」 「泣いたって、今更しようがない。因果だ」 「本当に残念な事をしました」と眼を拭う。 「あんまり泣くとかえって供養にならない。それより後の始末が大事ですよ。こうなっちゃ、是非甲野さんにいてもらうより仕方がないんだから、その気になってやらないと、あなたが困るばかりだ」  母はわっと泣き出した。過去を顧みる涙は抑えやすい。卒然として未来におけるわが運命を自覚した時の涙は発作的に来る。 「どうしたら好いか――それを思うと――一さん」  切れ切れの言葉が、涙と洟の間から出た。 「御叔母さん、失礼ながら、ちっと平生の考え方が悪かった」 「私の不行届から、藤尾はこんな事になる。欽吾には見放される……」 「だからね。そう泣いたってしようがないから……」 「……まことに面目しだいもございません」 「だからこれから少し考え直すさ。ねえ、甲野さん、そうしたら好いだろう」 「みんな私が悪いんでしょうね」と母は始めて欽吾に向った。腕組をしていた人はようやく口を開く。―― 「偽の子だとか、本当の子だとか区別しなければ好いんです。平たく当り前にして下されば好いんです。遠慮なんぞなさらなければ好いんです。なんでもない事をむずかしく考えなければ好いんです」  甲野さんは句を切った。母は下を向いて答えない。あるいは理解出来ないからかと思う。甲野さんは再び口を開いた。―― 「あなたは藤尾に家も財産もやりたかったのでしょう。だからやろうと私が云うのに、いつまでも私を疑って信用なさらないのが悪いんです。あなたは私が家にいるのを面白く思っておいででなかったでしょう。だから私が家を出ると云うのに、面当のためだとか、何とか悪く考えるのがいけないです。あなたは小野さんを藤尾の養子にしたかったんでしょう。私が不承知を云うだろうと思って、私を京都へ遊びにやって、その留守中に小野と藤尾の関係を一日一日と深くしてしまったのでしょう。そう云う策略がいけないです。私を京都へ遊びにやるんでも私の病気を癒すためにやったんだと、私にも人にもおっしゃるでしょう。そう云う嘘が悪いんです。――そう云うところさえ考え直して下されば別に家を出る必要はないのです。いつまでも御世話をしても好いのです」  甲野さんはこれだけでやめる。母は俯向いたまま、しばらく考えていたが、ついに低い声で答えた。―― 「そう云われて見ると、全く私が悪かったよ。――これから御前さんがたの意見を聞いて、どうとも悪いところは直すつもりだから……」 「それで結構です、ねえ甲野さん。君にも御母さんだ。家にいて面倒を見て上げるがいい。糸公にもよく話しておくから」 「うん」と甲野さんは答えたぎりである。  隣室の線香が絶えんとする時、小野さんは蒼白い額を抑えて来た。藍色の煙は再び銀屏を掠めて立ち騰った。  二日して葬式は済んだ。葬式の済んだ夜、甲野さんは日記を書き込んだ。―― 「悲劇はついに来た。来るべき悲劇はとうから預想していた。預想した悲劇を、なすがままの発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手の無能なるを知るが故である。悲劇の偉大なるを知るが故である。悲劇の偉大なる勢力を味わわしめて、三世に跨がる業を根柢から洗わんがためである。不親切なためではない。隻手を挙ぐれば隻手を失い、一目を揺かせば一目を眇す。手と目とを害うて、しかも第二者の業は依然として変らぬ。のみか時々に刻々に深くなる。手を袖に、眼を閉ずるは恐るるのではない。手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、石火の一拶に本来の面目に逢着せしむるの微意にほかならぬ。  悲劇は喜劇より偉大である。これを説明して死は万障を封ずるが故に偉大だと云うものがある。取り返しがつかぬ運命の底に陥って、出て来ぬから偉大だと云うのは、流るる水が逝いて帰らぬ故に偉大だと云うと一般である。運命は単に最終結を告ぐるがためにのみ偉大にはならぬ。忽然として生を変じて死となすが故に偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に点出するから偉大なのである。ふざけたるものが急に襟を正すから偉大なのである。襟を正して道義の必要を今更のごとく感ずるから偉大なのである。人生の第一義は道義にありとの命題を脳裏に樹立するが故に偉大なのである。道義の運行は悲劇に際会して始めて渋滞せざるが故に偉大なのである。道義の実践はこれを人に望む事切なるにもかかわらず、われのもっとも難しとするところである。悲劇は個人をしてこの実践をあえてせしむるがために偉大である。道義の実践は他人にもっとも便宜にして、自己にもっとも不利益である。人々力をここに致すとき、一般の幸福を促がして、社会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。  問題は無数にある。粟か米か、これは喜劇である。工か商か、これも喜劇である。あの女かこの女か、これも喜劇である。綴織か繻珍か、これも喜劇である。英語か独乙語か、これも喜劇である。すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。これが悲劇である。  十年は三千六百日である。普通の人が朝から晩に至って身心を労する問題は皆喜劇である。三千六百日を通して喜劇を演ずるものはついに悲劇を忘れる。いかにして生を解釈せんかの問題に煩悶して、死の一字を念頭に置かなくなる。この生とあの生との取捨に忙がしきが故に生と死との最大問題を閑却する。  死を忘るるものは贅沢になる。一浮も生中である。一沈も生中である。一挙手も一投足もことごとく生中にあるが故に、いかに踊るも、いかに狂うも、いかにふざけるも、大丈夫生中を出ずる気遣なしと思う。贅沢は高じて大胆となる。大胆は道義を蹂躙して大自在に跳梁する。  万人はことごとく生死の大問題より出立する。この問題を解決して死を捨てると云う。生を好むと云う。ここにおいて万人は生に向って進んだ。ただ死を捨てると云うにおいて、万人は一致するが故に、死を捨てるべき必要の条件たる道義を、相互に守るべく黙契した。されども、万人は日に日に生に向って進むが故に、日に日に死に背いて遠ざかるが故に、大自在に跳梁して毫も生中を脱するの虞なしと自信するが故に、――道義は不必要となる。  道義に重を置かざる万人は、道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。ふざける。騒ぐ。欺く。嘲弄する。馬鹿にする。踏む。蹴る。――ことごとく万人が喜劇より受くる快楽である。この快楽は生に向って進むに従って分化発展するが故に――この快楽は道義を犠牲にして始めて享受し得るが故に――喜劇の進歩は底止するところを知らずして、道義の観念は日を追うて下る。  道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る。ここにおいて万人の眼はことごとく自己の出立点に向う。始めて生の隣に死が住む事を知る。妄りに踊り狂うとき、人をして生の境を踏み外して、死の圜内に入らしむる事を知る。人もわれももっとも忌み嫌える死は、ついに忘るべからざる永劫の陥穽なる事を知る。陥穽の周囲に朽ちかかる道義の縄は妄りに飛び超ゆべからざるを知る。縄は新たに張らねばならぬを知る。第二義以下の活動の無意味なる事を知る。しかして始めて悲劇の偉大なるを悟る。……」  二ヵ月後甲野さんはこの一節を抄録して倫敦の宗近君に送った。宗近君の返事にはこうあった。―― 「ここでは喜劇ばかり流行る」 底本:「夏目漱石全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年1月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年4月3日公開 2004年1月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「にんべん+孱」    51-3    --> 「にんべん+愁」    51-3    --> 「耳+吾」    56-1    --> 「甘+舌」    72-14    --> 夏目漱石 長谷川君と余 長谷川君と余 夏目漱石  長谷川君と余は互に名前を知るだけで、その他には何の接触もなかった。余が入社の当時すらも、長谷川君がすでにわが朝日の社員であるという事を知らなかったように記憶している。それを知り出したのは、どう云う機会であったか今は忘却してしまった。とにかく入社してもしばらくの間は顔を合わせずにいた。しかも長谷川君の家は西片町で、余も当時は同じ阿部の屋敷内に住んでいたのだから、住居から云えばつい鼻の先である。だから本当を云うと、こっちから名刺でも持って訪問するのが世間並の礼であったんだけれども、そこをつい怠けて、どこが長谷川君の家だか聞き合わせもせずに横着をきめてしまった。すると間もなく大阪から鳥居君が来たので、主筆の池辺君が我々十余人を有楽町の倶楽部へ呼んで御馳走をしてくれた。余は新人の社員として、その時始めてわが社の重なる人と食卓を共にした。そのうちに長谷川君もいたのである。これが長谷川君でと紹介された時には、かねて想像していたところと、あまりに隔たっていたので、心のうちでは驚きながら挨拶をした。始め長谷川君の這入って来た姿を見たときは――また長谷川君が他の昵懇な社友とやあという言葉を交換する調子を聞いた時は――全く長谷川君だとは気がつかなかった。ただ重な社員の一人なんだろうと思った。余は若い時からいろいろ愚な事を想像する癖があるが、未知の人の容貌態度などはあまり脳中に描かない。ことに中年からは、この方面にかけると全く散文的になってしまっている。だから長谷川君についても別段に鮮明な予想は持っていなかったのであるけれども、冥々のうちに、漠然とわが脳中に、長谷川君として迎えるあるものが存在していたと見えて、長谷川君という名を聞くや否やおやと思った。もっともその驚き方を解剖して見るとみんな消極的である。第一あんなに背の高い人とは思わなかった。あんなに頑丈な骨骼を持った人とは思わなかった。あんなに無粋な肩幅のある人とは思わなかった。あんなに角張った顎の所有者とは思わなかった。君の風はどこからどこまで四角である。頭まで四角に感じられたから今考えるとおかしい。その当時「その面影」は読んでいなかったけれども、あんな艶っぽい小説を書く人として自然が製作した人間とは、とても受取れなかった。魁偉というと少し大袈裟で悪いが、いずれかというと、それに近い方で、とうてい細い筆などを握って、机の前で呻吟していそうもないから実は驚いたのである。しかしその上にも余を驚かしたのは君の音調である。白状すれば、もう少しは浮いてるだろうと思った。ところが非常な呂音で大変落ちついて、ゆったりした、少しも逼るところのない話し方をする。しかも余に紹介された時、君はただ一二語しか云わなかった。(もっとも余も同じ分量ぐらいしか挨拶に費やさなかったのは事実である。)その言葉は今全く忘れているが、普通にありふれた空虚な辞令でなかったのはたしかである。むしろ双方で無愛想に頭を下げたのだったろうが、自分の事は分らないから、相手の容子だけに驚くのである。文学者だから御世辞を使うとすると、ほかの諸君にすまないけれども、実を云えば長谷川君と余の挨拶が、ああ単簡至極に片づこうとは思わなかった。これらは皆予想外である。  この席上で余は長谷川君と話す機会を得なかった。ただ黙って君の話しを聞いていた。その時余の受けた感じは、品位のある紳士らしい男――文学者でもない、新聞社員でもない、また政客でも軍人でもない、あらゆる職業以外に厳然として存在する一種品位のある紳士から受くる社交的の快味であった。そうして、この品位は単に門地階級から生ずる貴族的のものではない、半分は性情、半分は修養から来ているという事を悟った。しかもその修養のうちには、自制とか克己とかいういわゆる漢学者から受け襲いで、強いて己を矯めた痕迹がないと云う事を発見した。そうしてその幾分は学問の結果自らここに至ったものと鑑定した。また幾分は学問と反対の方面、すなわち俗に云う苦労をして、野暮を洗い落として、そうして再び野暮に安住しているところから起ったものと判断した。  そのうち、君は池辺君と露西亜の政党談をやり出した。大変興味があると見えて、いつまで立ってもやめない。々数千言と云うとむやみに能弁にしゃべるように聞こえてわるいが、時間から云えば、こんな形容詞でも使わなくってはならなくなるくらい論じていた。その知識の詳密精細なる事はまた格別なもので、向って左のどの辺に誰がいて、その反対の側に誰の席があるなどと、まるで露西亜へ昨日行って見て来たように、例のむずかしい何々スキーなどと云う名前がいくつも出た。しかし不思議にもこの談話は、物知りぶった、また通がった陋悪な分子を一点も含んでいなかった。余は固より政党政治に無頓着な質であって、今の衆議院の議長は誰だったかねと聞いて友達から笑われたくらいの男だから、露西亜に議会があるかないかさえ知らない。したがってこの談話には何らの興味もなかった。それで、あんまり長いから、談話の途中で失敬して家へ帰ってしまった。これが余の長谷川君と初対面の時の感想である。  それから、幾日か立って、用が出来て社へ行った。汚い階子段を上がって、編輯局の戸を開けて這入ると、北側の窓際に寄せて据えた洋机を囲んで、四五人話しをしているものがある。ほかの人の顔は、戸を開けるや否やすぐ分ったが、たった一人余に背中を向けて椅子に腰をおろして、鼠色の背広を着て、長い胴を椅子の背から食み出さしていたものは誰だか見当がつかなかった。横へ回って見ると、それが長谷川君であった。その時余は長谷川君に向って、「ちょっと御訪ねをしようと思うんだが」と言い出して、まだ句を切らないうちに、君は「いや低気圧のある間は来客謝絶だ」と云った。低気圧とは何の事だか、君の平生を知らない余には不得要領であったけれど、来客謝絶の四字の方が重く響いたので、聞き返しもしなかった。ただ好い加減に頭の悪い事を低気圧と洒落ているんだろうぐらいに解釈していたが、後から聞けば実際の低気圧の事で、いやしくも低気圧の去らないうちは、君の頭は始終懊悩を離れないんだという事が分った。当時余も君の向うを張って来客謝絶の看板を懸けていた。もっともこれは創作の低気圧のためであったけれども、来客謝絶は表向き双方同じ事なんだから、この看板を引き下ろさせるだけの縁故も親しみもない両人は、それきり面談をする機会がなかった。  ところがある日の午後湯に行った。着物を脱いで、流しへ這入ろうとして、ふと向うむきになって洗っている人の横顔を見ると、長谷川君である。余は長谷川さんと声をかけた。それまではまるで気がつかなかった君は、顔を上げて、やあと云った。湯の中ではそれぎりしか口を利かなかった。何でも暑い時分の事と覚えている。余が身体を拭いて、茣蓙の敷いてある縁先で、団扇を使って涼んでいると、やがて長谷川君が上がって来た。まず眼鏡をかけて、余を見つけ出して、向うから話しを始めた。双方とも真赤裸のように記憶している。しかし長谷川君の話し方は初対面の折露西亜の政党を論じた時と毫も異なるところなく、呂音で落ちついて、ゆっくりしているものだから、全く赤裸と釣り合わない。君は少しも顧慮する気色も見えず醇々として頭の悪い事を説かれた。何でも去年とか一度卒倒して、しばらく田端辺で休養していたので、今じゃ少しは好いようだとかいう話しであった。「それじゃ、まだ来客謝絶だろう」と冗談半分に聞いて見たら、「まあ……」とか何とか云う返事であった。「それじゃ、行くのはまあ見合せよう」と云って分かれた。  その秋余は西片町を引き上げて早稲田へ移った。長谷川君と余とはこの引越のためますます縁が遠くなってしまった。その代り君の著作にかかる「其面影」を買って来て読んだ。そうして大いに感服した。(ある意味から云えば、今でも感服している。ここに余のいわゆるある意味を説明する事のできないのは遺憾であるが、作物の批評を重にして書いたものでないからやむをえない。)そこで、手紙を認めて、いささかながら早稲田から西片町へ向けて賛辞を郵送した。実は脳病が気の毒でならなかったから、こんな余計な事をしたのである。その当時君は文学者をもって自ら任じていないなどとは夢にも知らなかったので、同業者同社員たる余の言葉が、少しは君に慰藉を与えはしまいかという己惚があったんだが、文士たる事を恥ずという君の立場を考えて見ると、これは実際入らざる差し出た所為であったかも知れない。返事には端書が一枚来た。その文句は、有難う、いずれ拝顔の上とか何とかあるだけで、すこぶる簡単かつあっさりしていた。ちっとも「其面影」流でないのには驚いた。長谷川君の書に一種の風韻のある事もその時始めて知った。しかしその書体もけっして「其面影」流ではなかった。  それから、ずっと打絶えた。次に逢ったのは君が露西亜へ行く事がほぼ内定した時のことである。大阪の鳥居君が出て来て、長谷川君と余を呼んで午餐を共にした。所は神田川である。旅館に落ち合って、あすこにしよう、ここにしようと評議をしている時に、君はしきりに食い物の話を持ち出した。中華亭とはどう書いたかねと余に聞いた事を覚えている。神田川では、満洲へ旅行した話やら、露西亜人に捕まって牢へぶち込まれた話をしていた。それから、現今の露西亜文壇の趨勢の断えず変っている有様やら、知名の文学者の名やら(その名はたくさんあったが、みんな余の知らないものばかりであった)、日本の小説の売れない事やら、露西亜へ行ったら、日本人の短篇を露語に訳して見たいという希望やら、いろいろ述べた。何しろ三人寝そべって、二三時間暮らしていたのだから、ずいぶんゆっくり話しもできた。最後にダンチェンコのために宴会をやるつもりだから出席してくれろという事と、それから物集の御嬢さんを、自分がいなくなったら托したいという二件を依頼した。それで分かれた。  最後に逢ったのは、出立の数日前暇乞に来られた時である。長谷川君が余の家へ足を入れたのはこれが最初であってまた最終である。座敷へ通って、室内を見渡して、何だか伽藍のようだねと云った。暇乞のためだから別段の話しも出なかったが、ただ門弟としての物集の御嬢さんと今一人北国の人の事を繰り返して頼んで行った。  一日越えて、余が答礼に行った時は、不在で逢えなかった。見送りにはつい行かなかった。長谷川君とは、それきり逢えない事になってしまった。露都在留中ただ一枚の端書をくれた事がある。それには、弱い話だがこっちの寒さには敵わないとあった。余はその端書を見て気の毒のうちにも一種のおかしみを覚えた。まさか死ぬほど寒いとは思わなかったからである。しかし死ぬほど寒かったものと見える。長谷川君はとうとう死んでしまった。長谷川君は余を了解せず、余は長谷川君を了解しないで死んでしまった。生きていても、あれぎりの交際であったかも知れないが、あるいは、もっと親密になる機会が来たかも分らない。余は以上の長谷川君を、長谷川君として記憶するよりほかに仕方のない遠い朋友である。君の托されて行った物集の御嬢さんは時々見える。北国の人に至っては音信さえない。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年5月12日公開 2004年2月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 変な音 変な音 夏目漱石     上  うとうとしたと思ううちに眼が覚(さ)めた。すると、隣の室(へや)で妙な音がする。始めは何の音ともまたどこから来るとも判然(はっきり)した見当(けんとう)がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へ纏(まと)まった観念ができてきた。何でも山葵(わさび)おろしで大根(だいこ)かなにかをごそごそ擦(す)っているに違ない。自分は確(たしか)にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵(こしら)えているのだか想像がつかない。  いい忘れたがここは病院である。賄(まかない)は遥(はる)か半町も離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事割烹(すいじかっぽう)は無論菓子さえ禁じられている。まして時ならぬ今時分(いまじぶん)何しに大根(だいこ)おろしを拵(こしら)えよう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのにきまっていると、すぐ心の裡(うち)で覚(さと)ったようなものの、さてそれならはたしてどこからどうして出るのだろうと考えるとやッぱり分らない。  自分は分らないなりにして、もう少し意味のある事に自分の頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが続いて自分の鼓膜(こまく)に訴える限り、妙に神経に祟(たた)って、どうしても忘れる訳に行かなかった。あたりは森(しん)として静かである。この棟(むね)に不自由な身を託した患者は申し合せたように黙っている。寝ているのか、考えているのか話をするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上草履(うわぞうり)の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦(す)り減らすような異(い)な響だけが気になった。  自分の室(へや)はもと特等として二間(ふたま)つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢(ひばち)などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある六畳の方になると、東側に六尺の袋戸棚(ふくろとだな)があって、その傍(わき)が芭蕉布(ばしょうふ)の襖(ふすま)ですぐ隣へ往来(ゆきかよい)ができるようになっている。この一枚の仕切をがらりと開けさえすれば、隣室で何をしているかはたやすく分るけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でないのは無論である。折から暑さに向う時節であったから縁側(えんがわ)は常に明け放したままであった。縁側は固(もと)より棟(むね)いっぱい細長く続いている。けれども患者が縁端(えんばた)へ出て互を見透(みとお)す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御互の関とした。それは板の上へ細い桟(さん)を十文字に渡した洒落(しゃれ)たもので、小使が毎朝拭掃除(ふきそうじ)をするときには、下から鍵(かぎ)を持って来て、一々この戸を開けて行くのが例になっていた。自分は立って敷居の上に立った。かの音はこの妻戸(つまど)の後(うしろ)から出るようである。戸の下は二寸ほど空(す)いていたがそこには何も見えなかった。  この音はその後(ご)もよく繰返(くりかえ)された。ある時は五六分続いて自分の聴神経を刺激する事もあったし、またある時はその半(なかば)にも至らないでぱたりとやんでしまう折もあった。けれどもその何であるかは、ついに知る機会なく過ぎた。病人は静かな男であったが、折々夜半(よなか)に看護婦を小さい声で起していた。看護婦がまた殊勝(しゅしょう)な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快よい優(やさ)しい「はい」と云う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のために何かしている様子であった。  ある日回診の番が隣へ廻ってきたとき、いつもよりはだいぶ手間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それが二三人で持ち合ってなかなか捗取(はかど)らないような湿(しめ)り気(け)を帯びていた。やがて医者の声で、どうせ、そう急には御癒(おなお)りにはなりますまいからと云った言葉だけが判然(はっきり)聞えた。それから二三日して、かの患者の室にこそこそ出入(ではい)りする人の気色(けしき)がしたが、いずれも己(おの)れの活動する立居(たちい)を病人に遠慮するように、ひそやかにふるまっていたと思ったら、病人自身も影のごとくいつの間にかどこかへ行ってしまった。そうしてその後(あと)へはすぐ翌(あく)る日から新しい患者が入って、入口の柱に白く名前を書いた黒塗の札が懸易(かけか)えられた。例のごしごし云う妙な音はとうとう見極(みき)わめる事ができないうちに病人は退院してしまったのである。そのうち自分も退院した。そうして、かの音に対する好奇の念はそれぎり消えてしまった。     下  三カ月ばかりして自分はまた同じ病院に入った。室(へや)は前のと番号が一つ違うだけで、つまりその西隣であった。壁一重(ひとえ)隔(へだ)てた昔の住居(すまい)には誰がいるのだろうと思って注意して見ると、終日かたりと云う音もしない。空(あ)いていたのである。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのだか分らなかった。自分はその後(のち)受けた身体(からだ)の変化のあまり劇(はげ)しいのと、その劇しさが頭に映って、この間からの過去の影に与えられた動揺が、絶えず現在に向って波紋を伝えるのとで、山葵(わさび)おろしの事などはとんと思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った在院の患者の経過の方が気にかかった。看護婦に一等の病人は何人いるのかと聞くと、三人だけだと答えた。重いのかと聞くと重そうですと云う。それから一日二日して自分はその三人の病症を看護婦から確(たしか)めた。一人は食道癌(しょくどうがん)であった。一人は胃癌(いがん)であった、残る一人は胃潰瘍(いかいよう)であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命を一纏(ひとまと)めに予言した。  自分は縁側(えんがわ)に置いたベゴニアの小さな花を見暮らした。実は菊を買うはずのところを、植木屋が十六貫だと云うので、五貫に負けろと値切っても相談にならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるから負けろと云ってもやっぱり負けなかった、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑(にぎ)やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描(えが)きなどして見た。  やがて食道癌の男が退院した。胃癌の人は死ぬのは諦(あきら)めさえすれば何でもないと云って美しく死んだ。潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜半(よなか)に眼を覚(さま)すと、時々東のはずれで、付添(つきそい)のものが氷を摧(くだ)く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。――「三人のうち二人死んで自分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする。あの病人は嘔気(はきけ)があって、向うの端からこっちの果(はて)まで響くような声を出して始終(しじゅう)げえげえ吐いていたが、この二三日それがぴたりと聞えなくなったので、だいぶ落ちついてまあ結構だと思ったら、実は疲労の極(きょく)声を出す元気を失ったのだと知れた。」  その後(のち)患者は入れ代り立ち代り出たり入ったりした。自分の病気は日を積むにしたがってしだいに快方に向った。しまいには上草履(うわぞうり)を穿(は)いて広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとした事から、偶然ある附添の看護婦と口を利(き)くようになった。暖かい日の午過(ひるすぎ)食後の運動がてら水仙の水を易(か)えてやろうと思って洗面所へ出て、水道の栓(せん)を捩(ねじ)っていると、その看護婦が受持の室(へや)の茶器を洗いに来て、例の通り挨拶(あいさつ)をしながら、しばらく自分の手にした朱泥(しゅでい)の鉢(はち)と、その中に盛り上げられたように膨(ふく)れて見える珠根(たまね)を眺めていたが、やがてその眼を自分の横顔に移して、この前御入院の時よりもうずっと御顔色が好くなりましたねと、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。 「この前って、あの時分君もやはり附添でここに来ていたのかい」 「ええつい御隣でした。しばらく○○さんの所におりましたが御存じはなかったかも知れません」  ○○さんと云うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜半(よなか)に呼ばれると、「はい」という優しい返事をして起き上った女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。けれども、その頃自分の神経をあのくらい刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。で、ああそうかと云ったなり朱泥の鉢を拭(ふ)いていた。すると女が突然少し改まった調子でこんな事を云った。 「あの頃あなたの御室で時々変な音が致しましたが……」  自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。看護婦は続けて云った。 「毎朝六時頃になるときっとするように思いましたが」 「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥(オートストロップ)の音だ。毎朝髭(ひげ)を剃(そ)るんでね、安全髪剃(あんぜんかみそり)を革砥(かわど)へかけて磨(と)ぐのだよ。今でもやってる。嘘(うそ)だと思うなら来て御覧」  看護婦はただへええと云った。だんだん聞いて見ると、○○さんと云う患者は、ひどくその革砥の音を気にして、あれは何の音だ何の音だと看護婦に質問したのだそうである。看護婦がどうも分らないと答えると、隣の人はだいぶん快(い)いので朝起きるすぐと、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨(うらや)ましいなと何遍(なんべん)も繰り返したと云う話である。 「そりゃ好いが御前の方の音は何だい」 「御前の方の音って?」 「そらよく大根(だいこ)をおろすような妙な音がしたじゃないか」 「ええあれですか。あれは胡瓜(きゅうり)を擦(す)ったんです。患者さんが足が熱(ほて)って仕方がない、胡瓜の汁(つゆ)で冷してくれとおっしゃるもんですから私(わたし)が始終(しじゅう)擦って上げました」 「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」 「ええ」 「そうかそれでようやく分った。――いったい○○さんの病気は何だい」 「直腸癌(ちょくちょうがん)です」 「じゃとてもむずかしいんだね」 「ええもうとうに。ここを退院なさると直(じき)でした、御亡(おな)くなりになったのは」  自分は黙然(もくねん)としてわが室(へや)に帰った。そうして胡瓜(きゅうり)の音で他(ひと)を焦(じ)らして死んだ男と、革砥(かわど)の音を羨(うらや)ましがらせて快(よ)くなった人との相違を心の中で思い比べた。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 1999年5月12日公開 1999年8月30日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 夏目漱石 変な音 変な音 夏目漱石 上  うとうとしたと思ううちに眼が覚めた。すると、隣の室で妙な音がする。始めは何の音ともまたどこから来るとも判然した見当がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へ纏まった観念ができてきた。何でも山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。自分は確にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵えているのだか想像がつかない。  いい忘れたがここは病院である。賄は遥か半町も離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事割烹は無論菓子さえ禁じられている。まして時ならぬ今時分何しに大根おろしを拵えよう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのにきまっていると、すぐ心の裡で覚ったようなものの、さてそれならはたしてどこからどうして出るのだろうと考えるとやッぱり分らない。  自分は分らないなりにして、もう少し意味のある事に自分の頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが続いて自分の鼓膜に訴える限り、妙に神経に祟って、どうしても忘れる訳に行かなかった。あたりは森として静かである。この棟に不自由な身を託した患者は申し合せたように黙っている。寝ているのか、考えているのか話をするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上草履の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異な響だけが気になった。  自分の室はもと特等として二間つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある六畳の方になると、東側に六尺の袋戸棚があって、その傍が芭蕉布の襖ですぐ隣へ往来ができるようになっている。この一枚の仕切をがらりと開けさえすれば、隣室で何をしているかはたやすく分るけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でないのは無論である。折から暑さに向う時節であったから縁側は常に明け放したままであった。縁側は固より棟いっぱい細長く続いている。けれども患者が縁端へ出て互を見透す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御互の関とした。それは板の上へ細い桟を十文字に渡した洒落たもので、小使が毎朝拭掃除をするときには、下から鍵を持って来て、一々この戸を開けて行くのが例になっていた。自分は立って敷居の上に立った。かの音はこの妻戸の後から出るようである。戸の下は二寸ほど空いていたがそこには何も見えなかった。  この音はその後もよく繰返された。ある時は五六分続いて自分の聴神経を刺激する事もあったし、またある時はその半にも至らないでぱたりとやんでしまう折もあった。けれどもその何であるかは、ついに知る機会なく過ぎた。病人は静かな男であったが、折々夜半に看護婦を小さい声で起していた。看護婦がまた殊勝な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快よい優しい「はい」と云う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のために何かしている様子であった。  ある日回診の番が隣へ廻ってきたとき、いつもよりはだいぶ手間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それが二三人で持ち合ってなかなか捗取らないような湿り気を帯びていた。やがて医者の声で、どうせ、そう急には御癒りにはなりますまいからと云った言葉だけが判然聞えた。それから二三日して、かの患者の室にこそこそ出入りする人の気色がしたが、いずれも己れの活動する立居を病人に遠慮するように、ひそやかにふるまっていたと思ったら、病人自身も影のごとくいつの間にかどこかへ行ってしまった。そうしてその後へはすぐ翌る日から新しい患者が入って、入口の柱に白く名前を書いた黒塗の札が懸易えられた。例のごしごし云う妙な音はとうとう見極わめる事ができないうちに病人は退院してしまったのである。そのうち自分も退院した。そうして、かの音に対する好奇の念はそれぎり消えてしまった。 下  三カ月ばかりして自分はまた同じ病院に入った。室は前のと番号が一つ違うだけで、つまりその西隣であった。壁一重隔てた昔の住居には誰がいるのだろうと思って注意して見ると、終日かたりと云う音もしない。空いていたのである。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのだか分らなかった。自分はその後受けた身体の変化のあまり劇しいのと、その劇しさが頭に映って、この間からの過去の影に与えられた動揺が、絶えず現在に向って波紋を伝えるのとで、山葵おろしの事などはとんと思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った在院の患者の経過の方が気にかかった。看護婦に一等の病人は何人いるのかと聞くと、三人だけだと答えた。重いのかと聞くと重そうですと云う。それから一日二日して自分はその三人の病症を看護婦から確めた。一人は食道癌であった。一人は胃癌であった、残る一人は胃潰瘍であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命を一纏めに予言した。  自分は縁側に置いたベゴニアの小さな花を見暮らした。実は菊を買うはずのところを、植木屋が十六貫だと云うので、五貫に負けろと値切っても相談にならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるから負けろと云ってもやっぱり負けなかった、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描きなどして見た。  やがて食道癌の男が退院した。胃癌の人は死ぬのは諦めさえすれば何でもないと云って美しく死んだ。潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜半に眼を覚すと、時々東のはずれで、付添のものが氷を摧く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。――「三人のうち二人死んで自分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする。あの病人は嘔気があって、向うの端からこっちの果まで響くような声を出して始終げえげえ吐いていたが、この二三日それがぴたりと聞えなくなったので、だいぶ落ちついてまあ結構だと思ったら、実は疲労の極声を出す元気を失ったのだと知れた。」  その後患者は入れ代り立ち代り出たり入ったりした。自分の病気は日を積むにしたがってしだいに快方に向った。しまいには上草履を穿いて広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとした事から、偶然ある附添の看護婦と口を利くようになった。暖かい日の午過食後の運動がてら水仙の水を易えてやろうと思って洗面所へ出て、水道の栓を捩っていると、その看護婦が受持の室の茶器を洗いに来て、例の通り挨拶をしながら、しばらく自分の手にした朱泥の鉢と、その中に盛り上げられたように膨れて見える珠根を眺めていたが、やがてその眼を自分の横顔に移して、この前御入院の時よりもうずっと御顔色が好くなりましたねと、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。 「この前って、あの時分君もやはり附添でここに来ていたのかい」 「ええつい御隣でした。しばらく○○さんの所におりましたが御存じはなかったかも知れません」  ○○さんと云うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜半に呼ばれると、「はい」という優しい返事をして起き上った女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。けれども、その頃自分の神経をあのくらい刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。で、ああそうかと云ったなり朱泥の鉢を拭いていた。すると女が突然少し改まった調子でこんな事を云った。 「あの頃あなたの御室で時々変な音が致しましたが……」  自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。看護婦は続けて云った。 「毎朝六時頃になるときっとするように思いましたが」 「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥の音だ。毎朝髭を剃るんでね、安全髪剃を革砥へかけて磨ぐのだよ。今でもやってる。嘘だと思うなら来て御覧」  看護婦はただへええと云った。だんだん聞いて見ると、○○さんと云う患者は、ひどくその革砥の音を気にして、あれは何の音だ何の音だと看護婦に質問したのだそうである。看護婦がどうも分らないと答えると、隣の人はだいぶん快いので朝起きるすぐと、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨ましいなと何遍も繰り返したと云う話である。 「そりゃ好いが御前の方の音は何だい」 「御前の方の音って?」 「そらよく大根をおろすような妙な音がしたじゃないか」 「ええあれですか。あれは胡瓜を擦ったんです。患者さんが足が熱って仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれとおっしゃるもんですから私が始終擦って上げました」 「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」 「ええ」 「そうかそれでようやく分った。――いったい○○さんの病気は何だい」 「直腸癌です」 「じゃとてもむずかしいんだね」 「ええもうとうに。ここを退院なさると直でした、御亡くなりになったのは」  自分は黙然としてわが室に帰った。そうして胡瓜の音で他を焦らして死んだ男と、革砥の音を羨ましがらせて快くなった人との相違を心の中で思い比べた。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年5月12日公開 2011年6月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 變な音 變な音 夏目漱石   上  うと/\したと思ふうちに眼が覺(さ)めた。すると、隣の室(へや)で妙な音がする。始めは何の音とも又何處から來るとも判然(はつきり)した見當が付かなかつたが、聞いてゐるうちに、段々耳の中へ纒まつた觀念が出來てきた。何でも山葵卸(わさびおろ)しで大根(だいこ)かなにかをごそごそ擦(す)つてゐるに違ない。自分は確に左樣(さう)だと思つた。夫(それ)にしても今頃何の必要があつて、隣りの室(へや)で大根卸(だいこおろし)を拵えてゐるのだか想像が付かない。  いひ忘れたが此處は病院である。賄(まかなひ)は遙か半町も離れた二階下の臺所に行かなければ一人もゐない。病室では炊事(すゐじ)割烹(かつぱう)は無論菓子さへ禁じられてゐる。況(ま)して時ならぬ今時分何しに大根卸(だいこおろし)を拵(こしら)えやう。是は屹度(きつと)別の音が大根卸(だいこおろし)の樣に自分に聞えるのに極つてゐると、すぐ心の裡(うち)で覺つたやうなものゝ、偖(さて)それなら果して何處から何うして出るのだらうと考へると矢(や)ツ張(ぱり)分らない。  自分は分らないなりにして、もう少し意味のある事に自分の頭を使はうと試みた。けれども一度耳に付いた此不可思議な音は、それが續いて自分の鼓膜に訴へる限り、妙に神經に祟(たゝ)つて、何うしても忘れる譯に行かなかつた。あたりは森(しん)として靜かである。此棟(このむね)に不自由な身を託した患者は申し合せた樣に默つてゐる。寐てゐるのか、考へてゐるのか話をするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上草履(うはざうり)の音さへ聞えない。その中に此ごし/\と物を擦り減らす樣な異(い)な響丈(だけ)が氣になつた。  自分の室(へや)はもと特等として二間(ふたま)つゞきに作られたのを病院の都合で一つ宛(づゝ)に分けたものだから、火鉢などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になつてゐるが、寢床の敷いてある六疊の方になると、東側に六尺の袋戸棚(ふくろとだな)があつて、其傍(そのわき)が芭蕉布(ばせうふ)の襖(ふすま)ですぐ隣へ徃來(ゆきかよひ)が出來るやうになつてゐる。此一枚の仕切をがらりと開けさへすれば、隣室で何を爲(し)てゐるかは容易(たやす)く分るけれども、他人に對して夫程(それほど)の無禮を敢てする程大事な音でないのは無論である。折から暑さに向ふ時節であつたから縁側は常に明け放した儘であつた。縁側は固(もと)より棟一杯細長く續いてゐる。けれども患者が縁端(えんばた)へ出て互を見透(みとほ)す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御互の關とした。夫(それ)は板の上へ細い棧(さん)を十文字に渡した洒落(しやれ)たもので、小使が毎朝拭掃除をするときには、下から鍵を持つて來て、一々此戸を開けて行くのが例になつてゐた。自分は立つて敷居の上に立つた。かの音は此妻戸(つまど)の後(うしろ)から出る樣である。戸の下は二寸程空(す)いてゐたが其處には何も見えなかつた。  此音は其後(そのご)もよく繰返された。ある時は五六分續いて自分の聽神經を刺激する事もあつたし、又ある時は其半(そのなかば)にも至らないでぱたりと已(や)んで仕舞ふ折もあつた。けれども其何であるかは、つひに知る機會なく過ぎた。病人は靜かな男であつたが、折々夜半(よなか)に看護婦を小さい聲で起してゐた。看護婦が又殊勝(しゆしよう)な女で小さい聲で一度か二度呼ばれると快よい優しい「はい」と云ふ受け答へをして、すぐ起きた。さうして患者の爲に何かしてゐる樣子であつた。  ある日回診の番が隣へ廻つてきたとき、何時(いつ)もよりは大分(だいぶ)手間が掛ると思つてゐると、やがて低い話し聲が聞え出した。それが二三人で持ち合つて中々捗取(はかど)らないやうな濕(しめ)り氣(け)を帶びてゐた。やがて醫者の聲で、どうせ、さう急には御癒りにはなりますまいからと云つた言葉丈(だけ)が判然(はつきり)聞えた。夫(それ)から二三日して、かの患者の室(へや)にこそ/\出入(ではい)りする人の氣色(けしき)がしたが、孰(いづ)れも己(おの)れの活動する立居(たちゐ)を病人に遠慮する樣に、ひそやかに振舞つてゐたと思つたら、病人自身も影の如く何時(いつ)の間(ま)にか何處かへ行つて仕舞つた。さうして其後(そのあと)へはすぐ翌(あく)る日(ひ)から新しい患者が入(はい)つて、入口の柱に白く名前を書いた黒塗の札が懸易(かけか)へられた。例のごし/\云ふ妙な音はとう/\見極はめる事が出來ないうちに病人は退院して仕舞つたのである。其うち自分も退院した。さうして、彼(か)の音に對する好奇の念は夫(それ)ぎり消えて仕舞つた。   下  三ヶ月許(ばかり)して自分は又同じ病院に入(はい)つた。室(へや)は前のと番號が一つ違ふ丈(だけ)で、つまり其西隣であつた。壁一重(ひとへ)隔てた昔の住居(すまひ)には誰が居るのだらうと思つて注意して見ると、終日かたりと云ふ音もしない。空(あ)いてゐたのである。もう一つ先が即ち例の異樣の音の出た所であるが、此處には今誰がゐるのだか分らなかつた。自分は其後(そののち)受けた身體の變化のあまり劇(はげ)しいのと、其劇しさが頭に映つて、此間からの過去の影に與へられた動搖が、絶えず現在に向つて波紋を傳へるのとで、山葵卸(わさびおろし)の事などは頓(とん)と思ひ出す暇もなかつた。夫(それ)よりは寧ろ自分に近い運命を持つた在院の患者の經過の方が氣に掛つた。看護婦に一等の病人は何人ゐるのかと聞くと、三人丈(だけ)だと答へた。重いのかと聞くと重さうですと云ふ。夫(それ)から一日二日して自分は其三人の病症を看護婦から確めた。一人は食道癌(しよくだうがん)であつた。一人は胃癌(ゐがん)であつた、殘る一人は胃潰瘍(ゐくわいやう)であつた。みんな長くは持たない人許(ばかり)ださうですと看護婦は彼等の運命を一纒(ひとまと)めに豫言した。  自分は縁側に置いたベゴニアの小さな花を見暮らした。實は菊を買ふ筈の所を、植木屋が十六貫だと云ふので、五貫に負けろと値切つても相談にならなかつたので、歸りに、ぢや六貫やるから負けろと云つても矢つ張り負けなかつた、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持つて來た人の話を思ひ出して、賑やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描きなどして見た。  やがて食道癌(しよくだうがん)の男が退院した。胃癌(ゐがん)の人は死ぬのは諦めさへすれば何でもないと云つて美しく死んだ。潰瘍(くわいやう)の人は段々惡くなつた。夜半(よなか)に眼を覺すと、時々東のはづれで、附添(つきそひ)のものが氷を摧(くだ)く音がした。其の音が已(や)むと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。――「三人のうち二人死んで自分丈(だ)け殘つたから、死んだ人に對して殘つてゐるのが氣の毒の樣な氣がする。あの病人は嘔氣(はきけ)があつて、向ふの端から此方(こつち)の果迄(はてまで)響くやうな聲を出して始終げえ/\吐いてゐたが、此二三日夫(それ)がぴたりと聞こえなくなつたので、大分(だいぶ)落ち付いてまあ結構だと思つたら、實は疲勞の極(きよく)聲を出す元氣を失つたのだと知れた。」  其後(そののち)患者は入れ代り立ち代り出たり入(はい)つたりした。自分の病氣は日を積むに從つて次第に快方に向つた。仕舞には上草履(うはざうり)を穿(は)いて廣い廊下をあちこち散歩し始めた。其時不圖(ふと)した事から、偶然ある附添の看護婦と口を利く樣になつた。暖かい日の午過(ひるすぎ)食後の運動がてら水仙の水を易へてやらうと思つて洗面所へ出て、水道の栓(せん)を捩(ねぢ)つてゐると、其看護婦が受持の室(へや)の茶器を洗ひに來て、例の通り挨拶をしながら、しばらく自分の手にした朱泥(しゆでい)の鉢(はち)と、其中に盛り上げられた樣に膨(ふく)れて見える珠根(たまね)を眺めてゐたが、やがて其眼を自分の横顏に移して、此前御入院の時よりもうずつと御顏色が好くなりましたねと、三ヶ月前(まへ)の自分と今の自分を比較した樣な批評をした。  「此前つて、あの時分君も矢張り附添で此處に來てゐたのかい」  「えゝつい御隣でした。しばらく○○さんの所に居りましたが御存じはなかつたかも知れません」  ○○さんと云ふと例の變な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜半(よなか)に呼ばれると、「はい」といふ優しい返事をして起き上つた女かと思ふと、少し驚かずにはゐられなかつた。けれども、其頃自分の神經をあの位刺激した音の原因に就ては別に聞く氣も起らなかつた。で、あゝ左樣(さう)かと云つたなり朱泥の鉢を拭いてゐた。すると女が突然少し改まつた調子で斯(こ)んな事を云つた。  「あの頃貴方の御室(おへや)で時々變な音が致しましたが……」  自分は不意に逆襲を受けた人の樣に、看護婦を見た。看護婦は續けて云つた。  「毎朝六時頃になると屹度(きつと)する樣に思ひましたが」  「うん、彼(あ)れか」と自分は思ひ出した樣につい大きな聲を出した。「あれはね、自働革砥(オートストロツプ)の音だ。毎朝髭を剃(そ)るんでね、安全髮剃を革砥(かはど)へ掛けて磨(と)ぐのだよ。今でも遣(や)つてる。嘘だと思ふなら來て御覽」  看護婦はたゞへえゝと云つた。段々聞いてみると、○○さんと云ふ患者は、ひどく其革砥(かはど)の音を氣にして、あれは何の音だ何の音だと看護婦に質問したのださうである。看護婦が何うも分らないと答へると、隣の人は大分快(だいぶんい)いので朝起きるすぐと、運動をする、其器械の音なんぢやないか羨ましいなと何遍も繰り返したと云ふ話である。  「夫(そり)や好いが御前の方の音は何だい」  「御前の方の音つて?」  「そら能(よ)く大根(だいこ)を卸(おろ)す樣な妙な音がしたぢやないか」  「えゝ彼(あ)れですか。あれは胡瓜(きうり)を擦(す)つたんです。患者さんが足が熱(ほて)つて仕方がない、胡瓜(きうり)の汁(つゆ)で冷してくれと仰しやるもんですから私(わたし)が始終擦(す)つて上げました」  「ぢや矢張大根卸(やつぱりだいこおろし)の音なんだね」  「えゝ」  「さうか夫(それ)で漸く分つた。――一體○○さんの病氣は何だい」  「直腸癌(ちよくちやうがん)です」  「ぢや到底(とても)六づかしいんだね」  「えゝもう疾(と)うに。此處を退院なさると直(ぢき)でした、御亡(おな)くなりになつたのは」  自分は默然(もくねん)としてわが室(へや)に歸つた。さうして胡瓜(きうり)の音で他(ひと)を焦(じ)らして死んだ男と、革砥(かはど)の音を羨ましがらせて快(よ)くなつた人との相違を心の中で思ひ比べた。 明治四四、七、一九―二○ 底本:「漱石全集 第17巻」岩波書店    1957(昭和32)年1月12日第1版発行    1960年9月10日第2版 入力:山田豊 校正:Juki ファイル作成:野口英司 1999年12月18日公開 2001年4月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について 本文中の/\は、二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)。 夏目漱石 變な音 變な音 夏目漱石 上  うと/\したと思ふうちに眼が覺めた。すると、隣の室で妙な音がする。始めは何の音とも又何處から來るとも判然した見當が付かなかつたが、聞いてゐるうちに、段々耳の中へ纒まつた觀念が出來てきた。何でも山葵卸しで大根かなにかをごそごそ擦つてゐるに違ない。自分は確に左樣だと思つた。夫にしても今頃何の必要があつて、隣りの室で大根卸を拵えてゐるのだか想像が付かない。  いひ忘れたが此處は病院である。賄は遙か半町も離れた二階下の臺所に行かなければ一人もゐない。病室では炊事割烹は無論菓子さへ禁じられてゐる。況して時ならぬ今時分何しに大根卸を拵えやう。是は屹度別の音が大根卸の樣に自分に聞えるのに極つてゐると、すぐ心の裡で覺つたやうなものゝ、偖それなら果して何處から何うして出るのだらうと考へると矢ツ張分らない。  自分は分らないなりにして、もう少し意味のある事に自分の頭を使はうと試みた。けれども一度耳に付いた此不可思議な音は、それが續いて自分の鼓膜に訴へる限り、妙に神經に祟つて、何うしても忘れる譯に行かなかつた。あたりは森として靜かである。此棟に不自由な身を託した患者は申し合せた樣に默つてゐる。寐てゐるのか、考へてゐるのか話をするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上草履の音さへ聞えない。その中に此ごし/\と物を擦り減らす樣な異な響丈が氣になつた。  自分の室はもと特等として二間つゞきに作られたのを病院の都合で一つ宛に分けたものだから、火鉢などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になつてゐるが、寢床の敷いてある六疊の方になると、東側に六尺の袋戸棚があつて、其傍が芭蕉布の襖ですぐ隣へ徃來が出來るやうになつてゐる。此一枚の仕切をがらりと開けさへすれば、隣室で何を爲てゐるかは容易く分るけれども、他人に對して夫程の無禮を敢てする程大事な音でないのは無論である。折から暑さに向ふ時節であつたから縁側は常に明け放した儘であつた。縁側は固より棟一杯細長く續いてゐる。けれども患者が縁端へ出て互を見透す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御互の關とした。夫は板の上へ細い棧を十文字に渡した洒落たもので、小使が毎朝拭掃除をするときには、下から鍵を持つて來て、一々此戸を開けて行くのが例になつてゐた。自分は立つて敷居の上に立つた。かの音は此妻戸の後から出る樣である。戸の下は二寸程空いてゐたが其處には何も見えなかつた。  此音は其後もよく繰返された。ある時は五六分續いて自分の聽神經を刺激する事もあつたし、又ある時は其半にも至らないでぱたりと已んで仕舞ふ折もあつた。けれども其何であるかは、つひに知る機會なく過ぎた。病人は靜かな男であつたが、折々夜半に看護婦を小さい聲で起してゐた。看護婦が又殊勝な女で小さい聲で一度か二度呼ばれると快よい優しい「はい」と云ふ受け答へをして、すぐ起きた。さうして患者の爲に何かしてゐる樣子であつた。  ある日回診の番が隣へ廻つてきたとき、何時もよりは大分手間が掛ると思つてゐると、やがて低い話し聲が聞え出した。それが二三人で持ち合つて中々捗取らないやうな濕り氣を帶びてゐた。やがて醫者の聲で、どうせ、さう急には御癒りにはなりますまいからと云つた言葉丈が判然聞えた。夫から二三日して、かの患者の室にこそ/\出入りする人の氣色がしたが、孰れも己れの活動する立居を病人に遠慮する樣に、ひそやかに振舞つてゐたと思つたら、病人自身も影の如く何時の間にか何處かへ行つて仕舞つた。さうして其後へはすぐ翌る日から新しい患者が入つて、入口の柱に白く名前を書いた黒塗の札が懸易へられた。例のごし/\云ふ妙な音はとう/\見極はめる事が出來ないうちに病人は退院して仕舞つたのである。其うち自分も退院した。さうして、彼の音に對する好奇の念は夫ぎり消えて仕舞つた。 下  三ヶ月許して自分は又同じ病院に入つた。室は前のと番號が一つ違ふ丈で、つまり其西隣であつた。壁一重隔てた昔の住居には誰が居るのだらうと思つて注意して見ると、終日かたりと云ふ音もしない。空いてゐたのである。もう一つ先が即ち例の異樣の音の出た所であるが、此處には今誰がゐるのだか分らなかつた。自分は其後受けた身體の變化のあまり劇しいのと、其劇しさが頭に映つて、此間からの過去の影に與へられた動搖が、絶えず現在に向つて波紋を傳へるのとで、山葵卸の事などは頓と思ひ出す暇もなかつた。夫よりは寧ろ自分に近い運命を持つた在院の患者の經過の方が氣に掛つた。看護婦に一等の病人は何人ゐるのかと聞くと、三人丈だと答へた。重いのかと聞くと重さうですと云ふ。夫から一日二日して自分は其三人の病症を看護婦から確めた。一人は食道癌であつた。一人は胃癌であつた、殘る一人は胃潰瘍であつた。みんな長くは持たない人許ださうですと看護婦は彼等の運命を一纒めに豫言した。  自分は縁側に置いたベゴニアの小さな花を見暮らした。實は菊を買ふ筈の所を、植木屋が十六貫だと云ふので、五貫に負けろと値切つても相談にならなかつたので、歸りに、ぢや六貫やるから負けろと云つても矢つ張り負けなかつた、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持つて來た人の話を思ひ出して、賑やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描きなどして見た。  やがて食道癌の男が退院した。胃癌の人は死ぬのは諦めさへすれば何でもないと云つて美しく死んだ。潰瘍の人は段々惡くなつた。夜半に眼を覺すと、時々東のはづれで、附添のものが氷を摧く音がした。其の音が已むと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。――「三人のうち二人死んで自分丈け殘つたから、死んだ人に對して殘つてゐるのが氣の毒の樣な氣がする。あの病人は嘔氣があつて、向ふの端から此方の果迄響くやうな聲を出して始終げえ/\吐いてゐたが、此二三日夫がぴたりと聞こえなくなつたので、大分落ち付いてまあ結構だと思つたら、實は疲勞の極聲を出す元氣を失つたのだと知れた。」  其後患者は入れ代り立ち代り出たり入つたりした。自分の病氣は日を積むに從つて次第に快方に向つた。仕舞には上草履を穿いて廣い廊下をあちこち散歩し始めた。其時不圖した事から、偶然ある附添の看護婦と口を利く樣になつた。暖かい日の午過食後の運動がてら水仙の水を易へてやらうと思つて洗面所へ出て、水道の栓を捩つてゐると、其看護婦が受持の室の茶器を洗ひに來て、例の通り挨拶をしながら、しばらく自分の手にした朱泥の鉢と、其中に盛り上げられた樣に膨れて見える珠根を眺めてゐたが、やがて其眼を自分の横顏に移して、此前御入院の時よりもうずつと御顏色が好くなりましたねと、三ヶ月前の自分と今の自分を比較した樣な批評をした。 「此前つて、あの時分君も矢張り附添で此處に來てゐたのかい」 「えゝつい御隣でした。しばらく○○さんの所に居りましたが御存じはなかつたかも知れません」  ○○さんと云ふと例の變な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜半に呼ばれると、「はい」といふ優しい返事をして起き上つた女かと思ふと、少し驚かずにはゐられなかつた。けれども、其頃自分の神經をあの位刺激した音の原因に就ては別に聞く氣も起らなかつた。で、あゝ左樣かと云つたなり朱泥の鉢を拭いてゐた。すると女が突然少し改まつた調子で斯んな事を云つた。 「あの頃貴方の御室で時々變な音が致しましたが……」  自分は不意に逆襲を受けた人の樣に、看護婦を見た。看護婦は續けて云つた。 「毎朝六時頃になると屹度する樣に思ひましたが」 「うん、彼れか」と自分は思ひ出した樣につい大きな聲を出した。「あれはね、自働革砥の音だ。毎朝髭を剃るんでね、安全髮剃を革砥へ掛けて磨ぐのだよ。今でも遣つてる。嘘だと思ふなら來て御覽」  看護婦はたゞへえゝと云つた。段々聞いてみると、○○さんと云ふ患者は、ひどく其革砥の音を氣にして、あれは何の音だ何の音だと看護婦に質問したのださうである。看護婦が何うも分らないと答へると、隣の人は大分快いので朝起きるすぐと、運動をする、其器械の音なんぢやないか羨ましいなと何遍も繰り返したと云ふ話である。 「夫や好いが御前の方の音は何だい」 「御前の方の音つて?」 「そら能く大根を卸す樣な妙な音がしたぢやないか」 「えゝ彼れですか。あれは胡瓜を擦つたんです。患者さんが足が熱つて仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれと仰しやるもんですから私が始終擦つて上げました」 「ぢや矢張大根卸の音なんだね」 「えゝ」 「さうか夫で漸く分つた。――一體○○さんの病氣は何だい」 「直腸癌です」 「ぢや到底六づかしいんだね」 「えゝもう疾うに。此處を退院なさると直でした、御亡くなりになつたのは」  自分は默然としてわが室に歸つた。さうして胡瓜の音で他を焦らして死んだ男と、革砥の音を羨ましがらせて快くなつた人との相違を心の中で思ひ比べた。 明治四四、七、一九―二○ 底本:「漱石全集 第十七巻」岩波書店    1957(昭和32)年1月12日第1版発行    1960(昭和35)年9月10日第2版 入力:山田豊 校正:Juki 1999年12月18日公開 2011年6月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 彼岸過迄 彼岸過迄 夏目漱石 彼岸過迄に就て  事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体をぶっ通しに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好い機会に、なお二箇月の暇を貪ることにとりきめて貰ったのが原で、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執らず、十一十二もつい紙上へは杳たる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩れた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。  歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口を開くように事がきまった時は、長い間抑えられたものが伸びる時の楽よりは、背中に背負された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉しかった。けれども長い間抛り出しておいたこの義務を、どうしたら例よりも手際よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。  久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充ちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬いなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかして旨いものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物のできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくら佳いものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合せをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜んでいるのである。  この作を公にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜して路傍の人の注意を惹くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。  自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。  自分はすべて文壇に濫用される空疎な流行語を藉りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気があって自分以上を装うようなものができたりして、読者にすまない結果を齎すのを恐れるだけである。  東京大阪を通じて計算すると、吾朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路も覗いた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公にし得る自分を幸福と信じている。 「彼岸過迄」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空しい標題である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日まで過ぎたのであるから、もし自分の手際が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々の企てが意外の障害を受けて予期のごとくに纏まらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよし旨く行かなくっても、離れるともつくとも片のつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支えなかろうと思っている。 (明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言) 風呂の後 一  敬太郎はそれほど験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注して来た。元々頑丈にできた身体だから単に馳け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸ったなり居据って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端にすぽりと外れたりする反間が度重なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪も手伝って、飲みたくもない麦酒をわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁な気分を自分と誘って見た。けれどもいつまで経っても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田川さん」と云ったが、その後からまた「本当にまあ」とつけ足した。敬太郎は自分の顔を撫でながら、「赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ」と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざと外して廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜り込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内で呟いた。  敬太郎は夜中に二返眼を覚ました。一度は咽喉が渇いたため、一度は夢を見たためであった。三度目に眼が開いた時は、もう明るくなっていた。世の中が動き出しているなと気がつくや否や敬太郎は、休養休養と云ってまた眼を眠ってしまった。その次には気の利かないボンボン時計の大きな音が無遠慮に耳に響いた。それから後はいくら苦心しても寝つかれなかった。やむを得ず横になったまま巻煙草を一本吸っていると、半分ほどに燃えて来た敷島の先が崩れて、白い枕が灰だらけになった。それでも彼はじっとしているつもりであったが、しまいに東窓から射し込む強い日脚に打たれた気味で、少し頭痛がし出したので、ようやく我を折って起き上ったなり、楊枝を銜えたまま、手拭をぶら下げて湯に行った。  湯屋の時計はもう十時少し廻っていたが、流しの方はからりと片づいて、小桶一つ出ていない。ただ浴槽の中に一人横向になって、硝子越に射し込んでくる日光を眺めながら、呑気そうにじゃぶじゃぶやってるものがある。それが敬太郎と同じ下宿にいる森本という男だったので、敬太郎はやあ御早うと声を掛けた。すると、向うでも、やあ御早うと挨拶をしたが、 「何です今頃楊枝なぞを銜え込んで、冗談じゃない。そう云やあ昨夕あなたの部屋に電気が点いていないようでしたね」と云った。 「電気は宵の口から煌々と点いていたさ。僕はあなたと違って品行方正だから、夜遊びなんか滅多にした事はありませんよ」 「全くだ。あなたは堅いからね。羨ましいくらい堅いんだから」  敬太郎は少し羞痒たいような気がした。相手を見ると依然として横隔膜から下を湯に浸けたまま、まだ飽きずにじゃぶじゃぶやっている。そうして比較的真面目な顔をしている。敬太郎はこの気楽そうな男の口髭がだらしなく濡れて一本一本下向に垂れたところを眺めながら、 「僕の事はどうでも好いが、あなたはどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠そうに浴槽の側に両肱を置いてその上に額を載せながら俯伏になったまま、 「役所は御休みです」と頭痛でもする人のように答えた。 「何で」 「何ででもないが、僕の方で御休みです」  敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「やっぱり休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽の側に突伏していた。 二  敬太郎が留桶の前へ腰をおろして、三助に垢擦を掛けさせている時分になって、森本はやっと煙の出るような赤い身体を全く湯の中から露出した。そうして、ああ好い心持だという顔つきで、流しの上へぺたりと胡坐をかいたと思うと、 「あなたは好い体格だね」と云って敬太郎の肉付を賞め出した。 「これで近頃はだいぶ悪くなった方です」 「どうしてどうしてそれで悪かった日にゃ僕なんざあ」  森本は自分で自分の腹をポンポン叩いて見せた。その腹は凹んで背中の方へ引つけられてるようであった。 「何しろ商売が商売だから身体は毀す一方ですよ。もっとも不養生もだいぶやりましたがね」と云った後で、急に思い出したようにアハハハと笑った。敬太郎はそれに調子を合せる気味で、 「今日は僕も閑だから、久しぶりでまたあなたの昔話でも伺いましょうか」と云った。すると森本は、 「ええ話しましょう」とすぐ乗気な返事をしたが、活溌なのはただ返事だけで、挙動の方は緩慢というよりも、すべての筋肉が湯にでられた結果、当分作用を中止している姿であった。  敬太郎が石鹸を塗けた頭をごしごしいわしたり、堅い足の裏や指の股を擦ったりする間、森本は依然として胡座をかいたまま、どこ一つ洗う気色は見えなかった。最後に瘠せた一塊の肉団をどぶりと湯の中に抛り込むように浸けて、敬太郎とほぼ同時に身体を拭きながら上って来た。そうして、 「たまに朝湯へ来ると綺麗で好い心持ですね」と云った。 「ええ。あなたのは洗うんでなくって、本当に湯に這入るんだからことにそうだろう。実用のための入湯でなくって、快感を貪ぼるための入浴なんだから」 「そうむずかしい這入り方でもないんでしょうが、どうもこんな時に身体なんか洗うな億劫でね。ついぼんやり浸ってぼんやり出ちまいますよ。そこへ行くと、あなたは三層倍も勤勉だ。頭から足からどこからどこまで実によく手落なく洗いますね。御負に楊枝まで使って。あの綿密な事には僕もほとんど感心しちまった」  二人は連立って湯屋の門口を出た。森本がちょっと通りまで行って巻紙を買うからというので、敬太郎もつき合う気になって、横丁を東へ切れると、道が急に悪くなった。昨夕の雨が土を潤かし抜いたところへ、今朝からの馬や車や人通りで、踏み返したり蹴上げたりした泥の痕を、二人は厭うような軽蔑するような様子で歩いた。日は高く上っているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだに微かな波動を地平線の上に描いているらしい感じがした。 「今朝の景色は寝坊のあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってる癖に靄がいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透かして見ると、乗客がまるで障子に映る影画のように、はっきり一人一人見分けられるんです。それでいて御天道様が向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」  森本はこんな話をしながら、紙屋へ這入って巻紙と状袋で膨らました懐をちょっと抑えながら出て来た。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上靴の踵を鳴らして階段を二つ上り切った時、敬太郎は自分の部屋の障子を手早く開けて、 「さあどうぞ」と森本を誘った。森本は、 「もう直午飯でしょう」と云ったが、躊躇すると思いの外、あたかも自分の部屋へでも這入るような無雑作な態度で、敬太郎の後に跟いて来た。そうして、 「あなたの室から見た景色はいつ見ても好いね」と自分で窓の障子を開けながら、手摺付の縁板の上へ濡手拭を置いた。 三  敬太郎はこの瘠せながら大した病気にも罹らないで、毎日新橋の停車場へ行く男について、平生から一種の好奇心を有っていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下宿住居をして停車場へ通勤している。しかし停車場で何の係りをして、どんな事務を取扱っているのか、ついぞ当人に聞いた事もなければ、また向うから話した試もないので、敬太郎には一切がXである。たまたま人を送って停車場へ行く場合もあるが、そんな時にはつい混雑に取り紛れて、停車場と森本とをいっしょに考えるほどの余裕も出ず、そうかと云って、森本の方から自己の存在を思い起させるように、敬太郎の眼につくべき所へ顔を出す機会も起らなかった。ただ長い間同じ下宿に立籠っているという縁故だか同情だかが本で、いつの間にか挨拶をしたり世間話をする仲になったまでである。  だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあると云うよりも、むしろ過去の彼にあると云った方が適当かも知れない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴乎とした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。「餓鬼が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山神の祟には実際恐れを作していたんですからね」と云った彼の言葉を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、何だと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられたおかしさまでまだ記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスの臭が、箒星の尻尾のようにぼうっとおっかぶさって怪しい光を放っている。  女についてできたとか切れたとかいう逸話以外に、彼はまたさまざまな冒険譚の主人公であった。まだ海豹島へ行って膃肭臍は打っていないようであるが、北海道のどこかで鮭を漁って儲けた事はたしかであるらしい。それから四国辺のある山から安質莫尼が出ると触れて歩いて、けっして出なかった事も、当人がそう自白するくらいだから事実に違ない。しかし最も奇抜なのは呑口会社の計画で、これは酒樽の呑口を作る職人が東京にごく少ないというところから思いついたのだそうだが、せっかく大阪から呼び寄せた職人と衝突したために成立しなかったと云って彼はいまだに残念がっている。  儲口を離れた普通の浮世話になると、彼はまた非常に豊富な材料の所有者であるという事を容易に証拠立てる。筑摩川の上流の何とかいう所から河を隔てて向うの山を見ると、巌の上に熊がごろごろ昼寝をしているなどはまだ尋常の方なので、それが一層色づいて来ると、信州戸隠山の奥の院というのは普通の人の登れっこない難所だのに、それを盲目が天辺まで登ったから驚ろいたなどという。そこへ御参をするには、どんなに脚の達者なものでも途中で一晩明かさなければならないので、森本も仕方なしに五合目あたりで焚火をして夜の寒さを凌いでいると、下から鈴の響が聞えて来たから、不思議に思っているうちに、その鈴の音がだんだん近くなって、しまいに座頭が上って来たんだと云う。しかもその座頭が森本に今晩はと挨拶をしてまたすたすた上って行ったと云うんだから、余り妙だと思ってなおよく聞いて見ると、実は案内者が一人ついていたのだそうである。その案内者の腰に鈴を着けて、後から来る盲者がその鈴の音を頼りに上る事ができるようにしてあったのだと説明されて、やや納得もできたが、それにしても敬太郎には随分意外な話である。が、それがもう少し高じると、ほとんど妖怪談に近い妙なものとなって、だらしのない彼の口髭の下から最も慇懃に発表される。彼が耶馬渓を通ったついでに、羅漢寺へ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女と擦れ違った。その女は臙脂を塗って白粉をつけて、婚礼に行く時の髪を結って、裾模様の振袖に厚い帯を締めて、草履穿のままたった一人すたすた羅漢寺の方へ上って行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締まっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。――敬太郎はこんな話を聞くたびにへえーと云って、信じられ得ない意味の微笑を洩らすにかかわらず、やっぱり相当の興味と緊張とをもって森本の弁口を迎えるのが例であった。 四  この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと廻り路までしていっしょに風呂から帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、大抵な世間の関門を潜って来たとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬太郎に取っては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいで随分利益も受けられた。  その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中でも音松君が洞穴の中から躍り出す大蛸と戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃をポンポン打つんだが、つるつる滑って少しも手応がないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸がぐるりと環を作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯半分に、君のような剽軽ものはとうてい文官試験などを受けて地道に世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩でもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行り出した。この間卒業して以来足を擂木のようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩は成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。  南洋の蛸狩はいかな敬太郎にもちと奇抜過ぎるので、真面目に思い立つ勇気も出なかったが、新嘉坡の護謨林栽培などは学生のうちすでに目論んで見た事がある。当時敬太郎は、果しのない広野を埋め尽す勢で何百万本という護謨の樹が茂っている真中に、一階建のバンガローを拵えて、その中に栽培監督者としての自分が朝夕起臥する様を想像してやまなかった。彼はバンガローの床をわざと裸にして、その上に大きな虎の皮を敷くつもりであった。壁には水牛の角を塗り込んで、それに鉄砲をかけ、なおその下に錦の袋に入れたままの日本刀を置くはずにした。そうして自分は真白なターバンをぐるぐる頭へ巻きつけて、広いヴェランダに据えつけてある籐椅子の上に寝そべりながら、強い香のハヴァナをぷかりぷかりと鷹揚に吹かす気でいた。それのみか、彼の足の下には、スマタラ産の黒猫、――天鵞絨のような毛並と黄金そのままの眼と、それから身の丈よりもよほど長い尻尾を持った怪しい猫が、背中を山のごとく高くして蹲踞まっている訳になっていた。彼はあらゆる想像の光景をかく自分に満足の行くようにあらかじめ整えた後で、いよいよ実際の算盤に取りかかったのである。ところが案外なもので、まず護謨を植えるための地面を借り受けるのにだいぶんな手数と暇が要る。それから借りた地面を切り開くのが容易の事でない。次に地ならし植えつけに費やすべき金高が以外に多い。その上絶えず人夫を使って草取をした上で、六年間苗木の生長するのを馬鹿見たようにじっと指を銜えて見ていなければならない段になって、敬太郎はすでに充分退却に価すると思い出したところへ、彼にいろいろの事情を教えてくれた護謨通は、今しばらくすると、あの辺でできる護謨の供給が、世界の需用以上に超過して、栽培者は非常の恐慌を起すに違ないと威嚇したので、彼はその後護謨の護の字も口にしなくなってしまったのである。 五  けれども彼の異常に対する嗜欲はなかなかこれくらいの事で冷却しそうには見えなかった。彼は都の真中にいて、遠くの人や国を想像の夢に上して楽しんでいるばかりでなく、毎日電車の中で乗り合せる普通の女だの、または散歩の道すがら行き逢う実際の男だのを見てさえ、ことごとく尋常以上に奇なあるものを、マントの裏かコートの袖に忍ばしていはしないだろうかと考える。そうしてどうかこのマントやコートを引っくり返してその奇なところをただ一目で好いからちらりと見た上、後は知らん顔をして済ましていたいような気になる。  敬太郎のこの傾向は、彼がまだ高等学校にいた時分、英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新亜剌比亜物語という書物を読ました頃からだんだん頭を持ち上げ出したように思われる。それまで彼は大の英語嫌であったのに、この書物を読むようになってから、一回も下読を怠らずに、あてられさえすれば、必ず起立して訳を付けたのでも、彼がいかにそれを面白がっていたかが分る。ある時彼は興奮の余り小説と事実の区別を忘れて、十九世紀の倫敦に実際こんな事があったんでしょうかと真面目な顔をして教師に質問を掛けた。その教師はついこの間英国から帰ったばかりの男であったが、黒いメルトンのモーニングの尻から麻の手帛を出して鼻の下を拭いながら、十九世紀どころか今でもあるでしょう。倫敦という所は実際不思議な都ですと答えた。敬太郎の眼はその時驚嘆の光を放った。すると教師は椅子を離れてこんな事を云った。 「もっとも書き手が書き手だから観察も奇抜だし、事件の解釈も自から普通の人間とは違うんで、こんなものができ上ったのかも知れません。実際スチーヴンソンという人は辻待の馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出すという人ですから」  辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いて見て、始めてなるほどと悟った。それから以後は、この平凡極まる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨夕人殺しをするための客を出刃ぐるみ乗せていっさんに馳けたのかも知れないと考えたり、または追手の思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女を幌の中に隠して、どこかの停車場へ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖がるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。  そんな想像を重ねるにつけ、これほど込み入った世の中だから、たとい自分の推測通りとまで行かなくっても、どこか尋常と変った新らしい調子を、彼の神経にはっと響かせ得るような事件に、一度ぐらいは出会って然るべきはずだという考えが自然と起ってきた。ところが彼の生活は学校を出て以来ただ電車に乗るのと、紹介状を貰って知らない人を訪問するくらいのもので、その他に何といって取り立てて云うべきほどの小説は一つもなかった。彼は毎日見る下宿の下女の顔に飽き果てた。毎日食う下宿の菜にも飽き果てた。せめてこの単調を破るために、満鉄の方ができるとか、朝鮮の方が纏まるとかすれば、まだ衣食の途以外に、幾分かの刺戟が得られるのだけれども、両方共二三日前に当分望がないと判然して見ると、ますます眼前の平凡が自分の無能力と密切な関係でもあるかのように思われて、ひどくぼんやりしてしまった。それで糊口のための奔走はもちろんの事、往来に落ちたばら銭を探して歩くような長閑な気分で、電車に乗って、漫然と人事上の探検を試みる勇気もなくなって、昨夕はさほど好きでもない麦酒を大いに飲んで寝たのである。  こんな時に、非凡の経験に富んだ平凡人とでも評しなければ評しようのない森本の顔を見るのは、敬太郎にとってすでに一種の興奮であった。巻紙を買う御供までして彼を自分の室へ連れ込んだのはこれがためである。 六  森本は窓際へ坐ってしばらく下の方を眺めていた。 「あなたの室から見た景色は相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾に、色づいた樹が、所々暖たかく塊まっている間から赤い煉瓦が見える様子は、たしかに画になりそうですね」 「そうですね」  敬太郎はやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分が肱を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、 「ここはどうしても盆栽の一つや二つ載せておかないと納まらない所ですよ」と云った。  敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」を繰り返す勇気も出なかったので、 「あなたは画や盆栽まで解るんですか」と聞いた。 「解るんですかは少し恐れ入りましたね。全く柄にないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄くるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描いたもんですよ」 「何でもやるんですね」 「何でも屋に碌なものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」  森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。 「しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いから甞めて見たいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真面目に云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大袈裟に右左に振って見せた。 「それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身体だ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝心なところで山気だの謀叛気だのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見付かりましたか」  正直な敬太郎は憮然としてありのままを答えた。そうして、とうてい当分これという期待もないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。森本はちょっと驚ろいたような顔をした。 「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」  森本はここまで来て少し首を傾げて、自分の哲理を自分で噛みしめるような素振をした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣をするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段を知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾げた首を急に竪に直した。 「どうです、御厭でなきゃ、鉄道の方へでも御出なすっちゃ。何なら話して見ましょうか」  いかな浪漫的な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退ける彼の愛嬌を、翻弄と解釈するほどの僻ももたなかった。拠処なく苦笑しながら、下女を呼んで、 「森本さんの御膳もここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。 七  森本は近頃身体のために酒を慎しんでいると断わりながら、注いでやりさえすれば、すぐ猪口を空にした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱ってくる、気楽はしだいしだいに膨脹するように見えた。自分でも「こうなりゃ併呑自若たるもんだ。明日免職になったって驚ろくんじゃない」と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃に唇を付けて、付合っているのを見て、彼は、 「田川さん、あなた本当に飲けないんですか、不思議ですね。酒を飲まない癖に冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と云った。彼はつい今まで自分の過去を碌でなしのように蹴なしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後光が逆に射すとでも評すべき態度で、気を吐き始めた。そうしてそれが大抵は失敗の気であった。しかも敬太郎を前に置いて、 「あなたなんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりで本当の世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士で候のって、肩書ばかり振り廻したって、僕は慴えないつもりだ。こっちゃちゃんと実地を踏んで来ているんだもの」と、さっきまで教育に対して多大の尊敬を払っていた事はまるで忘れたような風で、無遠慮なきめつけ方をした。そうかと思うと噫のような溜息を洩らして自分の無学をさも情なさそうに恨んだ。 「まあ手っ取り早く云やあ、この世の中を猿同然渡って来たんでさあ。こう申しちゃおかしいが、あなたより十層倍の経験はたしかに積んでるつもりです。それでいて、いまだにこの通り解脱ができないのは、全く無学すなわち学がないからです。もっとも教育があっちゃ、こうむやみやたらと変化する訳にも行かないようなもんかも知れませんよ」  敬太郎はさっきから気の毒なる先覚者とでも云ったように相手を考えて、その云う事に相応の注意を払って聞いていたが、なまじい酒を飲ましたためか、今日はいつもより気だの愚痴だのが多くって、例のように純粋の興味が湧かないのを残念に思った。好い加減に酒を切り上げて見たが、やっぱり物足らなかった。それで新らしく入れた茶を勧めながら、 「あなたの経歴談はいつ聞いても面白い。そればかりでなく、僕のような世間見ずは、御話を伺うたんびに利益を得ると思って感謝しているんだが、あなたが今までやって来た生活のうちで、最も愉快だったのは何ですか」と聞いて見た。森本は熱い茶を吹き吹き、少し充血した眼を二三度ぱちつかせて黙っていた。やがて深い湯呑を干してしまうとこう云った。 「そうですね。やった後で考えると、みんな面白いし、またみんなつまらないし、自分じゃちょっと見分がつかないんだが。――全体愉快ってえのは、その、女気のある方を指すんですか」 「そう云う訳でもないんですが、あったって差支ありません」 「なんて、実はそっちの方が聞きたいんでしょう。――しかし雑談抜きでね、田川さん。面白い面白くないはさておいて、あれほど呑気な生活は世界にまたとなかろうという奴をやった覚があるんですよ。そいつを一つ話しましょうか、御茶受の代りに」  敬太郎は一も二もなく所望した。森本は「じゃあちょっと小便をして来る」と云って立ちかけたが、「その代り断わっておくが女気はありませんよ。女気どころか、第一人間の気がないんだもの」と念を押して廊下の外へ出て行った。敬太郎は一種の好奇心を抱いて、彼の帰るのを待ち受けた。 八  ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬太郎はとうとうじっと我慢しきれなくなって、自分で下へ降りて用場を探して見ると、森本の影も形も見えない。念のためまた階段を上って、彼の部屋の前まで来ると、障子を五六寸明け放したまま、真中に手枕をしてごろりと向うむきに転がっているものがすなわち彼であった。「森本さん、森本さん」と二三度呼んで見たが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなり室に這入り込むや否や、森本の首筋を攫んで強く揺振った。森本は不意に蜂にでも螫されたように、あっと云って半ば跳ね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢現のたるい眼つきに戻って、 「やああなたですか。あんまりちょうだいしたせいか、少し気分が変になったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって」と弁解する様子に、これといって他を愚弄する体もないので、敬太郎もつい怒れなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一頓挫を来したも同然なので、一人自分の室に引取ろうとすると、森本は「どうもすみません、御苦労様でした」と云いながら、また後から敬太郎について来た。そうして先刻まで自分の坐っていた座蒲団の上に、きちんと膝を折って、 「じゃいよいよ世界に類のない呑気生活の御話でも始めますかな」と云った。  森本の呑気生活というのは、今から十五六年前彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。固より人間のいない所に天幕を張って寝起をして、用が片づきしだい、また天幕を担いで、先へ進むのだから、当人の断った通り、とうてい女っ気のありようはずはなかった。 「何しろ高さ二丈もある熊笹を切り開いて途をつけるんですからね」と彼は右手を額より高く上げて、いかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮蛇がとぐろを巻いて日光を鱗の上に受けている。それを遠くから棒で抑えておいて、傍へ寄って打ち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、何でも魚肉と獣肉の間ぐらいだろうと答えた。  天幕の中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身体を埋めぬばかりに投げかけるのが例であるが、時には外へ出て焚火をして、大きな熊を眼の前に見る事もあった。虫が多いので蚊帳は始終釣っていた。ある時その蚊帳を担いで谷川へ下りて、何とかいう川魚を掬って帰ったら、その晩から蚊帳が急に腥さくなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。  彼はまた山であらゆる茸を採って食ったそうである。ます茸というのは広葢ほどの大きさで、切って味噌汁の中へ入れて煮るとまるで蒲鉾のようだとか、月見茸というのは一抱もあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠茸というのは三つ葉の根のようで可愛らしいとか、なかなか精しい説明をした。大きな笠の中へ、野葡萄をいっぱい採って来て、そればかり貪ぼっていたものだから、しまいに舌が荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。  食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲酸な物語もあった。それはみんなの糧が尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留守中に大変な豪雨があった時の事である。元々村へ出るには、沢辺まで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄雨で谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負って帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰向に寝て、ただ空を眺めていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。 「そう長い間飲まず食わずじゃ、両便とも留まるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえ何、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。 九  敬太郎は微笑せざるを得なかった。しかしそれよりもおかしく感じたのは、森本の形容した大風の勢であった。彼らの一行が測量の途次茫々たる芒原の中で、突然面も向けられないほどの風に出会った時、彼らは四つ這になって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一抱も二抱もある大木の枝も幹も凄まじい音を立てて、一度に風から痛振られるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたと云うのである。 「それじゃたとい林の中へ逃げ込んだところで、立っている訳に行かないでしょう」と敬太郎が聞くと、「無論突伏していました」という答であったが、いくら非道い風だって、土の中に張った大木の根が動いて、地震を起すほどの勢があろうとは思えなかったので、敬太郎は覚えず吹き出してしまった。すると森本もまるで他事のように同じく大きな声を出して笑い始めたが、それがすむと、急に真面目になって、敬太郎の口を抑えるような手つきをした。 「おかしいが本当です。どうせ常識以下に飛び離れた経験をするくらいの僕だから、不中用にゃあ違ないが本当です。――もっともあなた見たいに学のあるものが聞きゃあ全く嘘のような話さね。だが田川さん、世の中には大風に限らず随分面白い事がたくさんあるし、またあなたなんざあその面白い事にぶつかろうぶつかろうと苦労して御出なさる御様子だが、大学を卒業しちゃもう駄目ですよ。いざとなると大抵は自分の身分を思いますからね。よしんば自分でいくら身を落すつもりでかかっても、まさか親の敵討じゃなしね、そう真剣に自分の位地を棄てて漂浪するほどの物数奇も今の世にはありませんからね。第一傍がそうさせないから大丈夫です」  敬太郎は森本のこの言葉を、失意のようにもまた得意のようにも聞いた。そうして腹の中で、なるほど常調以上の変った生活は、普通の学士などには送れないかも知れないと考えた。ところがそれを自分にさえ抑えたい気がするので、わざと抵抗するような語気で、 「だって、僕は学校を出たには出たが、いまだに位置などは無いんですぜ。あなたは位置位置ってしきりに云うが。――実際位置の奔走にも厭々してしまった」と投げ出すように云った。すると森本は比較的厳粛な顔をして、 「あなたのは位置がなくってある。僕のは位置があって無い。それだけが違うんです」と若いものに教える態度で答えた。けれども敬太郎にはこの御籤めいた言葉がさほどの意義を齎さなかった。二人は少しの間煙草を吹かして黙っていた。 「僕もね」とやがて森本が口を開いた。「僕もね、こうやって三年越、鉄道の方へ出ているが、もう厭になったから近々罷めようと思うんです。もっとも僕の方で罷めなけりゃ向うで罷めるだけなんだからね。三年越と云やあ僕にしちゃ長い方でさあ」  敬太郎は罷めるが好かろうとも罷めないが好かろうとも云わなかった。自分が罷めた経験も罷められた閲歴もないので、他の進退などはどうでも構わないような気がした。ただ話が理に落ちて面白くないという自覚だけあった。森本はそれと察したか、急に調子を易えて、世間話を快活に十分ほどした後で、「いやどうも御馳走でした。――とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも」と、あたかも自分が五十ぐらいの老人のようなことを云って帰って行った。  それから一週間ばかりの間、田川は落ちついて森本と話す機会を有たなかったが、二人共同じ下宿にいるのだから、朝か晩に彼の姿を認めない事はほとんど稀であった。顔を洗う所などで落ち合う時、敬太郎は彼の着ている黒襟の掛ったドテラが常に目についた。彼はまた襟開の広い新調の背広を着て、妙な洋杖を突いて、役所から帰るとよく出て行った。その洋杖が土間の瀬戸物製の傘入に入れてあると、ははあ先生今日は宅にいるなと思いながら敬太郎は常に下宿の門を出入した。するとその洋杖がちゃんと例の所に立ててあるのに、森本の姿が不意に見えなくなった。 十  一日二日はつい気がつかずに過ぎたが、五日目ぐらいになっても、まだ森本の影が見えないので、敬太郎はようやく不審の念を起し出した。給仕に来る下女に聞いて見ると、彼は役所の用でどこかへ出張したのだそうである。固より役人である以上、いつ出張しないとも限らないが、敬太郎は平生からこの男を相して、何でも停車場の構内で、貨物の発送係ぐらいを勤めているに違ないと判じていたものだから、出張と聞いて少し案外な心持がした。けれども立つ時すでに五六日と断って行ったのだから、今日か翌日は帰るはずだと下女に云われて見ると、なるほどそうかとも思った。ところが予定の時日が過ぎても、森本の変な洋杖が依然として傘入の中にあるのみで、当人のドテラ姿はいっこう洗面所へ現われなかった。  しまいに宿の神さんが来て、森本さんから何か御音信がございましたかと聞いた。敬太郎は自分の方で下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色を梟のような丸い眼の中に漂よわせて出て行った。それから一週間ほど経っても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審を抱き始めた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留って聞く事さえあった。けれどもその頃は自分がまた思い返して、位置の運動を始め出した出花なので、自然その方にばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探る事をあえてしなかった。実を云うと、彼は森本の予言通り、衣食の計のために、好奇家の権利を放棄したのである。  すると或晩主人がちょっと御邪魔をしても好いかと断わりながら障子を開けて這入って来た。彼は腰から古めかしい煙草入を取り出して、その筒を抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の煙管に刻草を詰めて、濃い煙を巧者に鼻の穴から迸しらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎は判然向うからそうと切り出されるまで覚らずに、どうも変だとばかり考えていた。 「実は少し御願があって上ったんですが」と云った主人はやや小声になって、「森本さんのいらっしゃる所をどうか教えて頂く訳に参りますまいか、けっしてあなたに御迷惑のかかるような事は致しませんから」と藪から棒につけ加えた。  敬太郎はこの意外の質問を受けて、しばらくは何という挨拶も口へ出なかったが、ようやく、「いったいどう云う訳なんです」と主人の顔を覗き込んだ。そうして彼の意味を読もうとしたが、主人は煙管が詰ったと見えて、敬太郎の火箸で雁首を掘っていた。それが済んでから羅宇の疎通をぷっぷっ試した上、そろそろと説明に取りかかった。  主人の云うところによると、森本は下宿代が此家に六カ月ばかり滞っているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此年の末にはどうかするからという当人の言訳を信用して、別段催促もしなかったところへ、今度の旅行になった。家のものは固より出張とばかり信じていたが、その日限が過ぎていくら待っても帰らないのみか、どこからも何の音信も来ないので、しまいにとうとう不審を起した。それで一方に本人の室を調べると共に、一方に新橋へ行って出張先を聞き合せた。ところが室の方は荷物もそのままで、彼のおった時分と何の変りもなかったが、新橋の答はまた案外であった。出張したとばかり思っていた森本は、先月限り罷められていたそうである。 「それであなたは平生森本さんと御懇意の間柄でいらっしゃるんだから、あなたに伺ったら多分どこに御出か分るだろうと思って上ったような訳で。けっしてあなたに森本さんの分をどうのこうのと申し上げるつもりではないのですから、どうか居所だけ知らして頂けますまいか」  敬太郎はこの失踪者の友人として、彼の香ばしからぬ行為に立ち入った関係でもあるかのごとく主人から取扱われるのをはなはだ迷惑に思った。なるほど事実をいえば、ついこの間まである意味の嘆賞を懐にして森本に近づいていたには違ないが、こんな実際問題にまで秘密の打ち合せがあるように見做されては、未来を有つ青年として大いなる不面目だと感じた。 十一  正直な彼は主人の疳違を腹の中で怒った。けれども怒る前にまず冷たい青大将でも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ちつき払って古風な煙草入から刻みを撮み出しては雁首へ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬太郎に与えたのである。彼は談判に伴なう一種の芸術のごとく巧みに煙管を扱かう人であった。敬太郎は彼の様子をしばらく眺めていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向うの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に煙草入を腰へ納めなかった。煙管を筒へ入れて見たり出して見たりした。そのたびに例の通りぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにどうしてもこの音を退治てやりたいような気がし出した。 「僕はね、御承知の通り学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けた事のある男だ。森本のような浮浪の徒といっしょに見られちゃ、少し体面にかかわる。いわんや後暗い関係でもあるように邪推して、いくら知らないと云っても執濃く疑っているのは怪しからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好い。こっちにも料簡がある。僕は過去二年の間君のうちに厄介になっているが、一カ月でも宿料を滞おらした事があるかい」  主人は無論敬太郎の人格に対して失礼に当るような疑を毛頭抱いていないつもりであるという事を繰り返して述べた。そうして万一森本から音信でもあって、彼の居所が分ったらどうぞ忘れずに教えて貰いたいと頼んだ末、もしさっき聞いた事が敬太郎の気に障ったら、いくらでも詫まるから勘弁してくれと云った。敬太郎は主人の煙草入を早く腰に差させようと思って、単に宜しいと答えた。主人はようやく談判の道具を角帯の後へしまい込んだ。室を出る時の彼の様子に、別段敬太郎を疑ぐる気色も見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好い事をしたと考えた。  それからしばらく経つと、森本の室に、いつの間にか新らしい客が這入った。敬太郎は彼の荷物を主人がどう片づけたかについて不審を抱いた。けれども主人がかの煙草入を差して談判に来て以来、森本の事はもう聞くまいと決心したので、腹の中はともかく、上部は知らん顔をしていた。そうして依然としてできるようなまたできないような地位を、元ほど焦燥らない程度ながらも、まず自分のやるべき第一の義務として、根気に狩り歩るいていた。  或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食ったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈の袢天で赤ん坊を負った婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋な部類に属する型だったが、どうしても袢天負をするという柄ではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂の下から格子縞か何かの御召が出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面は雨なので、五六人の乗客は皆傘をつぼめて杖にしていた。女のは黒蛇目であったが、冷たいものを手に持つのが厭だと見えて、彼女はそれを自分の側に立て掛けておいた。その畳んだ蛇の目の先に赤い漆で加留多と書いてあるのが敬太郎の眼に留った。  この黒人だか素人だか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉を心持八の字に寄せて俯目勝な白い顔と、御召の着物と、黒蛇の目に鮮かな加留多という文字とが互違に敬太郎の神経を刺戟した時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。森本自身の口から出た、「こういうと未練があるようでおかしいが、顔質は悪い方じゃありませんでした。眉毛の濃い、時々八の字を寄せて人に物を云う癖のある」といったような言葉をぽつぽつ頭の中で憶い起しながら、加留多と書いた傘の所有主を注意した。すると女はやがて電車を下りて雨の中に消えて行った。後に残った敬太郎は一人森本の顔や様子を心に描きつつ、運命が今彼をどこに連れ去ったろうかと考え考え下宿へ帰った。そうして自分の机の上に差出人の名前の書いてない一封の手紙を見出した。 十二  好奇心に駆られた敬太郎は破るようにこの無名氏の書信を披いて見た。すると西洋罫紙の第一行目に、親愛なる田川君として下に森本よりとあるのが何より先に眼に入った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度を幾通りにも変えて、そこに消印の文字を読もうと力めたが、肉が薄いのでどうしても判断がつかなかった。やむを得ず再び本文に立ち帰って、まずそれから片づける事にした。本文にはこうあった。 「突然消えたんで定めて驚ろいたでしょう。あなたは驚ろかないにしても、雷獣とそうしてズク(森本は平生下宿の主人夫婦を、雷獣とそうしてズクと呼んでいた。ズクは耳ズクの略である)彼ら両人は驚ろいたに違ない。打ち明けた御話をすると、実は少し下宿代を滞おらしていたので、話をしたら雷獣とそうしてズクが面倒をいうだろうと思って、わざと断らずに、自由行動を取りました。僕の室に置いてある荷物を始末したら――行李の中には衣類その他がすっかり這入っていますから、相当の金になるだろうと思うんです。だから両人にあなたから右を売るなり着るなりしろとおっしゃっていただきたい。もっとも彼雷獣は御承知のごとき曲者故僕の許諾を待たずして、とっくの昔にそう取計っているかも知れない。のみならず、こっちからそう穏便に出ると、まだ残っている僕の尻を、あなたに拭って貰いたいなどと、とんでもない難題を持ちかけるかも知れませんが、それにはけっして取り合っちゃいけません。あなたのように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣輩が食物にしたがるものですから、その辺はよく御注意なさらないといけません。僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃ善くないくらいの事はまさかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからと云って、あなたにこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失くしたも同様、はなはだ遺憾の至だから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います」  森本は次に自分が今大連で電気公園の娯楽がかりを勤めている由を書いて、来年の春には活動写真買入の用向を帯びて、是非共出京するはずだから、その節は御地で久しぶりに御目にかかるのを今から楽にして待っているとつけ加えていた。そうしてその後へ自分が旅行した満洲地方の景況をさも面白そうに一口ぐらいずつ吹聴していた。中で最も敬太郎を驚ろかしたのは、長春とかにある博打場の光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行って見ると、何百人と集まる汚ない支那人が、折詰のようにぎっしり詰って、血眼になりながら、一種の臭気を吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、慰み半分わざと垢だらけな着物を着て、こっそりここへ出入するというんだから、森本だってどんな真似をしたか分らないと敬太郎は考えた。  手紙の末段には盆栽の事が書いてあった。「あの梅の鉢は動坂の植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などに載せておいて朝夕眺めるにはちょうど手頃のものです。あれを献上するからあなたの室へ持っていらっしゃい。もっとも雷獣とそうしてズクは両人共極めて不風流故、床の間の上へ据えたなり放っておいて、もう枯らしてしまったかも知れません。それから上り口の土間の傘入に、僕の洋杖が差さっているはずです。あれも価格から云えばけっして高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非あなたに進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあの洋杖をあなたが取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だからけっして御遠慮なさらずと好い。取って御使いなさい。――満洲ことに大連ははなはだ好い所です。あなたのような有為の青年が発展すべき所は当分ほかに無いでしょう。思い切って是非いらっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄の方にもだいぶ知人ができたから、もしあなたが本当に来る気なら、相当の御世話はできるつもりです。ただしその節は前もってちょっと御通知を願います。さよなら」  敬太郎は手紙を畳んで机の抽出へ入れたなり、主人夫婦へは森本の消息について、何事も語らなかった。洋杖は依然として、傘入の中に差さっていた。敬太郎は出入の都度、それを見るたびに一種妙な感に打たれた。 停留所 一  敬太郎に須永という友達があった。これは軍人の子でありながら軍人が大嫌で、法律を修めながら役人にも会社員にもなる気のない、至って退嬰主義の男であった。少くとも敬太郎にはそう見えた。もっとも父はよほど以前に死んだとかで、今では母とたった二人ぎり、淋しいような、また床しいような生活を送っている。父は主計官としてだいぶ好い地位にまで昇った上、元来が貨殖の道に明らかな人であっただけ、今では母子共衣食の上に不安の憂を知らない好い身分である。彼の退嬰主義も半ばはこの安泰な境遇に慣れて、奮闘の刺戟を失った結果とも見られる。というものは、父が比較的立派な地位にいたせいか、彼には世間体の好いばかりでなく、実際ためになる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼は何だかだと手前勝手ばかり並べて、今もってぐずぐずしているのを見ても分る。 「そう贅沢ばかり云ってちゃもったいない。厭なら僕に譲るがいい」と敬太郎は冗談半分に須永を強請ることもあった。すると須永は淋しそうなまた気の毒そうな微笑を洩らして、「だって君じゃいけないんだから仕方がないよ」と断るのが常であった。断られる敬太郎は冗談にせよ好い心持はしなかった。おれはおれでどうかするという気概も起して見た。けれども根が執念深くない性質だから、これしきの事で須永に対する反抗心などが永く続きようはずがなかった。その上身分が定まらないので、気の落ちつく背景を有たない彼は、朝から晩まで下宿の一と間にじっと坐っている苦痛に堪えなかった。用がなくっても半日は是非出て歩るいた。そうしてよく須永の家を訪問れた。一つはいつ行っても大抵留守の事がないので、行く敬太郎の方でも張合があったのかも知れない。 「糊口も糊口だが[#「糊口だが」は底本では「口糊だが」]、糊口より先に、何か驚嘆に価する事件に会いたいと思ってるが、いくら電車に乗って方々歩いても全く駄目だね。攫徒にさえ会わない」などと云うかと思うと、「君、教育は一種の権利かと思っていたら全く一種の束縛だね。いくら学校を卒業したって食うに困るようじゃ何の権利かこれあらんやだ。それじゃ位地はどうでもいいから思う存分勝手な真似をして構わないかというと、やっぱり構うからね。厭に人を束縛するよ教育が」と忌々しそうに嘆息する事がある。須永は敬太郎のいずれの不平に対しても余り同情がないらしかった。第一彼の態度からしてが本当に真面目なのだか、またはただ空焦燥に焦燥いでいるのか見分がつかなかったのだろう。ある時須永はあまり敬太郎がこういうような浮ずった事ばかり言い募るので、「それじゃ君はどんな事がして見たいのだ。衣食問題は別として」と聞いた。敬太郎は警視庁の探偵見たような事がして見たいと答えた。 「じゃするが好いじゃないか、訳ないこった」 「ところがそうは行かない」  敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜る社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議を攫んだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただ他の暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露にあるのだから、あらかじめ人を陥れようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者否人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様を、驚嘆の念をもって眺めていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。須永は逆わずに聞いていたが、これという批判の言葉も放たなかった。それが敬太郎には老成と見えながらその実平凡なのだとしか受取れなかった。しかも自分を相手にしないような落ちつき払った風のあるのを悪く思って別れた。けれども五日と経たないうちにまた須永の宅へ行きたくなって、表へ出ると直神田行の電車に乗った。 二  須永はもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標に、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上りに折れて、二三度不規則に曲った極めて分り悪い所にいた。家並の立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影の上を渡らなければ、格子先の電鈴に手が届かないくらいの一構であった。もとから自分の持家だったのを、一時親類の某に貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人の活計には場所も広さも恰好だろうという母の意見から、駿河台の本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎はなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板を見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後から継ぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺麗に明かな四畳六畳二間つづきの室であった。その室に坐っていると、庭に植えた松の枝と、手斧目の付いた板塀の上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手摺から見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺草を眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。  彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽蔑すると同時に、閑静ながら余裕のあるこの友の生活を羨やみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上った斑な興味を懐に、彼は須永を訪問したのである。  例の小路を二三度曲折して、須永の住居っている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門を潜った。敬太郎はただ一目その後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫趣味とが力を合せて、引き摺るように彼を同じ門前に急がせた。ちょっと覗いて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅葉を引手に張り込んだ障子が、閑静に閉っているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らず眺めていたが、やがて沓脱の上に脱ぎ捨てた下駄に気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきに揃っているだけで、下女が手をかけて直した迹が少しも見えない。敬太郎は下駄の向と、思ったより早く上ってしまった女の所作とを継ぎ合わして、これは取次を乞わずに、独りで勝手に障子を開けて這入った極めて懇意の客だろうと推察した。でなければ家のものだが、それでは少し変である。須永の家は彼と彼の母と仲働きと下女の四人暮しである事を敬太郎はよく知っていたのである。  敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今這入った女の動静をそっと塀の外から窺うというよりも、むしろ須永とこの女がどんな文に二人の浪漫を織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞耳は立てていた。けれども内はいつもの通りしんとしていた。艶めいた女の声どころか、咳嗽一つ聞えなかった。 「許嫁かな」  敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ちつくほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働を連れて親類へ行ったから今日は留守である。飯焚は下女部屋に引き下がっている。須永と女とは今差向いで何か私語いている。――はたしてそうだとするといつものように格子戸をがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働もいっしょに出たかも知れない。おさんはきっと昼寝をしている。女はそこへ這入ったのである。とすれば泥棒である。このまま引返してはすまない。――敬太郎は狐憑のようにのそりと立っていた。 三  すると二階の障子がすうと開いて、青い色の硝子瓶を提げた須永の姿が不意に縁側へ現われたので敬太郎はちょっと吃驚した。 「何をしているんだ。落し物でもしたのかい」と上から不思議そうに聞きかける須永を見ると、彼は咽喉の周囲に白いフラネルを捲いていた。手に提げたのは含嗽剤らしい。敬太郎は上を向いて、風邪を引いたのかとか何とか二三言葉を換わしたが、依然として表に立ったまま、動こうともしなかった。須永はしまいに這入れと云った。敬太郎はわざと這入っていいかと念を入れて聞き返した。須永はほとんどその意味を覚らない人のごとく、軽く首肯いたぎり障子の内に引き込んでしまった。  階段を上る時、敬太郎は奥の部屋で微かに衣摺の音がするような気がした。二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒八丈の襟の掛ったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変ったところはどこにも認められなかった。敬太郎の性質から云っても、彼の須永に対する交情から云っても、これほど気にかかる女の事を、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像を逞ましくしたという疚ましさもあり、また面と向ってすぐとは云い悪い皮肉な覘を付けた自覚もあるので、今しがた君の家へ這入った女は全体何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。かえって自分の先へ先へと走りたがる心を圧し隠すような風に、 「空想はもう当分やめだ。それよりか口の方が大事だからね」と云って、兼て須永から聞いている内幸町の叔父さんという人に、一応そういう方の用向で会っておきたいから紹介してくれと真面目に頼んだ。叔父というのは須永の母の妹の連合で、官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係を有っている相当な位地の人であったが、須永はその叔父の力を藉りてどうしようという料簡もないと見えて、「叔父がいろいろ云ってくれるけれども、僕は余進まないから」と、かつて敬太郎に話した事があったのを、敬太郎は覚えていたのである。  須永は今朝すでにその叔父に会うはずであったが、咽喉を痛めたため、外出を見合せたのだそうで、四五日内には大抵行けるだろうから、その時には是非話して見ようと答えたあとで、「叔父も忙がしい身体だしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受合われないが、まあ会って見たまえ」と念のためだか何だかつけ加えた。余り望を置き過ぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ず宜しく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。  元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとく佯りなき事実ではあるが、いまだに成効の曙光を拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸値が籠っていた。彼は須永のような一人息子ではなかったが、(妹が片づいて、)母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地を有っていた。固より大した穀高になるというほどのものでもないが、俵がいくらというきまった金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。その上女親の甘いのにつけ込んで、自分で自分の身を喰うような臨時費を請求した事も今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地と云って騒ぐのが、全くの空騒でないにしても、郷党だの朋友だのまたは自分だのに対する虚栄心に煽られている事はたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強して好い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫家だけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶる鮮やかならぬ及第をしてしまったのである。 四  それで約一時間ほど須永と話す間にも、敬太郎は位地とか衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱり先刻見た後姿の女の事が気に掛って、肝心の世渡りの方には口先ほど真面目になれなかった。一度下座敷で若々しい女の笑い声が聞えた時などは、誰か御客が来ているようだねと尋ねて見ようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然をぶち壊す道具になって、せっかくの問が間外れになろうとしたので、とうとう口へ出さずにやめてしまった。  それでも須永の方ではなるべく敬太郎の好奇心に媚びるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小路のために、賽の目のように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上らない戯曲がほとんど戸ごとに演ぜられていると云うような事実を敬太郎に告げた。  まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋の隠居の妾がいる。その妾が宮戸座とかへ出る役者を情夫にしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代言だか周旋屋だか分らない小綺麗な格子戸作りの家があって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板へ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、襞を取った紺綾の長いマントをすぽりと被って、まるで西洋の看護婦という服装をして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家の主人の昔し書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭で廿ぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵当に取った女房だそうである。その隣りの博奕打が、大勢同類を寄せて、互に血眼を擦り合っている最中に、ねんね子で赤ん坊を負ったかみさんが、勝負で夢中になっている亭主を迎に来る事がある。かみさんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。するとかみさんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、是非今帰ってくれと縋りつくように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷る夜中でも四隣の眠を驚ろかせる。……  須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実地小説のはびこる中に年来住み慣れて来た須永もまた人の見ないような芝居をこっそりやって、口を拭ってすましているのかも知れないという気が強くなって来た。固よりその推察の裏には先刻見た後姿の女が薄い影を投げていた。「ついでに君の分も聞こうじゃないか」と切り込んで見たが、須永はふんと云って薄笑いをしただけであった。その後で簡単に「今日は咽喉が痛いから」と云った。さも小説は有っているが、君には話さないのだと云わんばかりの挨拶に聞えた。  敬太郎が二階から玄関へ下りた時は、例の女下駄がもう見えなかった。帰ったのか、下駄箱へしまわしたのか、または気を利かして隠したのか、彼にはまるで見当がつかなかった。表へ出るや否や、どういう料簡か彼はすぐ一軒の煙草屋へ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻を銜えて出て来た。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとする途端に、喫煙御断りという社則を思い出したので、また万世橋の方へ歩いて行った。彼は本郷の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永の事を考えた。その須永はけっしていつものように単独には頭の中へは這入って来なかった。考えるたびにきっと後姿の女がちらちら跟いて来た。しまいに「本郷台町の三階から遠眼鏡で世の中を覗いていて、浪漫的探険なんて気の利いた真似ができるものか」と須永から冷笑かされたような心持がし出した。 五  彼は今日まで、俗にいう下町生活に昵懇も趣味も有ち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜れない格子戸だの、三和土の上から訳もなくぶら下がっている鉄灯籠だの、上り框の下を張り詰めた綺麗に光る竹だの、杉だか何だか日光が透って赤く見えるほど薄っぺらな障子の腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面に暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝の削り方まで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆のように、先祖代々順々に拭き込まれた習慣を笠に、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永の家へ行って、用もない松へ大事そうな雪除をした所や、狭い庭を馬鹿丁寧に枯松葉で敷きつめた景色などを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花の懐に、ぽうと育った若旦那を聯想しない訳に行かなかった。第一須永が角帯をきゅうと締めてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄の好きだとかいう御母さんが時々出て来て、滑っこい癖にアクセントの強い言葉で、舌触の好い愛嬌を振りかけてくれる折などは、昔から重詰にして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合以上の旨さがあるので、紋切形とは無論思わないけれども、幾代もかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜んでいるとしか受取れなかった。  要するに敬太郎はもう少し調子外れの自由なものが欲しかったのである。けれども今日の彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿っぽい空気がいまだに漂よっている黒い蔵造の立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町の水天宮様と深川の不動様へ御参りをして、護摩でも上げたかった。(現に須永は母の御供をしてこういう旧弊な真似を当り前のごとくやっている。)それから鉄無地の羽織でも着ながら、歌舞伎を当世に崩して往来へ流した匂のする町内を恍惚と歩きたかった。そうして習慣に縛られた、かつ習慣を飛び超えた艶めかしい葛藤でもそこに見出したかった。  彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好にも自ら進んでこの後ろ暗い奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑を蒙むるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんに依っては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫が急に温味を失って、醜くい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口髭をだらしなく垂らした二重瞼の瘠ぎすの森本の顔だけは粘り強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、侮りたいような、また憐みたいような心持になった。そうしてこの凡庸な顔の後に解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念にくれると云った妙な洋杖を聯想した。  この洋杖は竹の根の方を曲げて柄にした極めて単簡のものだが、ただ蛇を彫ってあるところが普通の杖と違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何か呑みかけているところを握にしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸く滑っこく削られているので、蛙だか鶏卵だか誰にも見当がつかなかった。森本は自分で竹を伐って、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。 六  敬太郎は下宿の門口を潜るとき何より先にまずこの洋杖に眼をつけた。というよりも途すがらの聯想が、硝子戸を開けるや否や、彼の眼を瀬戸物の傘入の方へ引きつけたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく眼を触れないように、出入の際視線を逸らしたくらいである。ところがそうすると今度はわざと見ないふりをして傘入の傍を通るのが苦になってきて、極めて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずと祟られたと云う風になって、しまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思い出した。彼は一種の利害関係から、過去に溯ぼる嫌疑を恐れて、森本の居所もまたその言伝も主人夫婦に告げられないという弱味を有っているには違ないが、それは良心の上にどれほどの曇もかけなかった。記念として上げるとわざわざ云って来たものを、快よく貰い受ける勇気の出ないのは、他の好意を空くする点において、面白くないにきまっているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終りを告げるとする。(おそらくはのたれ死という終りを告げるのだろう。)その憐れな最期を今から予想して、この洋杖が傘入の中に立っているとする。そうして多能な彼の手によって刻まれた、胴から下のない蛇の首が、何物かを呑もうとして呑まず、吐こうとして吐かず、いつまでも竹の棒の先に、口を開いたまま喰付いているとする。――こういう風に森本の運命とその運命を黙って代表している蛇の頭とを結びつけて考えた上に、その代表者たる蛇の頭を毎日握って歩くべく、近い内にのたれ死をする人から頼まれたとすると、敬太郎はその時に始めて妙な感じが起るのである。彼は自分でこの洋杖を傘入の中から抜き取る事もできず、また下宿の主人に命じて、自分の目の届かない所へ片づけさせる訳にも行かないのを大袈裟ではあるが一種の因果のように考えた。けれども詩で染めた色彩と、散文で行く活計とはだいぶ一致しないところもあって、実際を云うと、これがために下宿を変えて落ちついた方が楽だと思うほど彼は洋杖に災されていなかったのである。  今日も洋杖は依然として傘入の中に立っていた。鎌首は下駄箱の方を向いていた。敬太郎はそれを横に見たなり自分の室に上ったが、やがて机の前に坐って、森本にやる手紙を書き始めた。まずこの間向うから来た音信の礼を述べた上、なぜ早く返事を出さなかったかという弁解を二三行でもいいからつけ加えたいと思ったが、それを明らさまに打ち開けては、君のような漂浪者を知己に有つ僕の不名誉を考えると、書信の往復などはする気になれなかったからだとでも書くよりほかに仕方がないので、そこは例の奔走に取り紛れと簡単な一句でごまかしておいた。次に彼が大連で好都合な職業にありついた祝いの言葉をちょっと入れて、その後へだんだん東京も寒くなる時節柄、満洲の霜や風はさぞ凌ぎ悪いだろう。ことにあなたの身体ではひどく応えるに違ないから、是非用心して病気に罹らないようになさいと優しい文句を数行綴った。敬太郎から云うと、実にここが手紙を出す主意なのだから、なるべく自分の同情が先方へ徹するように旨くかつ長く、そうして誰が見ても実意の籠っているように書きたかったのだけれども、読み直して見ると、やっぱり普通の人が普通時候の挨拶に述べる用語以外に、何の新らしいところもないので、彼は少し失望した。と云って、固々恋人に送る艶書ほど熱烈な真心を籠めたものでないのは覚悟の前である。それで自分は文章が下手だから、いくら書き直したって駄目だくらいの口実の下に、そこはそのままにして前へ進んだ。 七  森本が下宿へ置き去りにして行った荷物の始末については義理にも何とか書き添えなければすまなかった。しかしその処置のつけ方を亭主に聞くのは厭だし、聞かなければ委細の報道はできるはずはなし、敬太郎は筆の先を宙に浮かしたまま考えていたが、とうとう「あなたの荷物は、僕から主人に話して、どうでも彼の都合の宜いように取り計らわせろとの御依頼でしたが、あなたの千里眼の通り、僕が何にも云わない先に、雷獣の方で勝手に取計ってしまったようですからさよう御承知を願います。梅の盆栽を下さるという事ですが、これは影も形も見えないようですから、頂きません。ただ御礼だけ申し述べておきます。それから」とつづけておいて、また筆を休めた。  敬太郎はいよいよ洋杖のところへ来たのである。根が正直な男だから、あの洋杖はせっかくの御覚召だから、ちょうだいして毎日散歩の時突いて出ますなどと空々しい嘘は吐けず、と言って御親切はありがたいが僕は貰いませんとはなおさら書けず。仕方がないから、「あの洋杖はいまだに傘入の中に立っています。持主の帰るのを毎日毎夜待ち暮しているごとく立っています。雷獣もあの蛇の頭へは手を触れる事をあえてしません。僕はあの首を見るたびに、彫刻家としてのあなたの手腕に敬服せざるを得ないです」と好加減な御世辞を並べて、事実を暈す手段とした。  状袋へ名宛を書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮ばないので、やむを得ず大連電気公園内娯楽掛り森本様とした。今までの関係上主人夫婦の眼を憚からなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせる訳にも行かなかったから、敬太郎はすぐそれを自分の袂の中に蔵した。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出かける気で寒い梯子段を下まで降り切ると、須永から電話が掛った。  今日内幸町から従妹が来ての話に、叔父は四五日内に用事で大阪へ行くかも知れないそうだから、余り遅くなってはと思って、立つ前に会って貰えまいかと電話で聞いて見たら、宜しいという返事だから、行く気ならなるべく早く行った方がよかろう。もっとも電話の上に咽喉が痛いので、詳しい話はできなかったから、そのつもりでいてくれというのが彼の用向であった。敬太郎は「どうもありがとう。じゃなるべく早く行くようにするから」と礼を述べて電話を切ったが、どうせ行くなら今夜にでも行って見ようという気が起ったので、再び三階へ取って返してこの間拵らえたセルの袴を穿いた上、いよいよ表へ出た。  曲り角へ来てポストへ手紙を入れる事は忘れなかったけれども、肝心の森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただ微かな火気を残すのみであった。それでも状袋が郵便函の口を滑って、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封を披く様を想見して、満更悪い心持もしまいと思った。  それから電車へ乗るまではただ一直線にすたすた歩いた。考も一直線に内幸町の方を向いていたが、電車が明神下へ出る時分、何気なく今しがた電話口で須永から聞いた言葉を、頭の内で繰り返して見ると、覚えずはっと思うところが出て来た。須永は「今日内幸町からイトコが来て」とたしかに云ったが、そのイトコが彼の叔父さんの子である事は疑うまでもない。しかしその子が男であるか女であるかは不完全な日本語のまるで関係しないところである。 「どっちだろう」  敬太郎は突然気にし始めた。もしそれが男だとすれば、あの後姿の女についての手がかりにはならない。したがって女は彼の好奇心を徒らに刺戟しただけで、ちっとも動いて来ない。しかしもし女だとすると、日といい時刻といい、須永の玄関から上り具合といい、どうも自分より一足先へ這入ったあの女らしい。想像と事実を継ぎ合わせる事に巧みな彼は、そうと確かめないうちに、てっきりそうときめてしまった。こう解釈した時彼は、今まで泡立っていた自分の好奇心に幾分の冷水を注したような満足を覚えると共に、予期したよりも平凡な方角に、手がかりが一つできたと云うつまらなさをも感じた。 八  彼は小川町まで来た時、ちょっと電車を下りても須永の門口まで行って、友の口から事実を確かめて見たいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮議をすべき理由をどこにも見出し得ないので、我慢してすぐ三田線に移った。けれども真直に神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従妹の家に向って走りつつあるのだという心持は忘れなかった。彼は勧業銀行の辺で下りるはずのところを、つい桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した。淋しい夜であったが尋ねる目的の家はすぐ知れた。丸い瓦斯に田口と書いた門の中を覗いて見ると、思ったより奥深そうな構であった。けれども実際は砂利を敷いた路が往来から筋違に玄関を隠しているのと、正面を遮ぎる植込がこんもり黒ずんで立っているのとで、幾分か厳めしい景気を夜陰に添えたまでで、門内に這入ったところでは見付ほど手広な住居でもなかった。  玄関には西洋擬いの硝子戸が二枚閉ててあったが、頼むといっても、電鈴を押しても、取次がなかなか出て来ないので、敬太郎はやむを得ずしばらくその傍に立って内の様子を窺がっていた。すると、どこからかようやく足音が聞こえ出して、眼の前の擦硝子がぱっと明るくなった。それから庭下駄で三和土を踏む音が二足三足したと思うと、玄関の扉が片方開いた。敬太郎はこの際取次の風采を想望するほどの物数奇もなく、全く漫然と立っていただけであるが、それでも絣の羽織を着た書生か、双子の綿入を着た下女が、一応御辞儀をして彼の名刺を受取る事とのみ期待していたのに、今戸を半分開けて彼の前に立ったのは、思いも寄らぬ立派な服装をした老紳士であった。電気の光を背中に受けているので、顔は判然しなかったが、白縮緬の帯だけはすぐ彼の眼に映じた。その瞬間にすぐこれが田口という須永の叔父さんだろうという感じが敬太郎の頭に働いた。けれども事が余り意外なので、すぐ挨拶をする余裕も出ず少しはあっけに取られた気味で、ぼんやりしていた。その上自分をはなはだ若く考えている敬太郎には、四十代だろうが五十代だろうが乃至六十代だろうがほとんど区別のない一様の爺さんに見えるくらい、彼は老人に対して親しみのない男であった。彼は四十五と五十五を見分けてやるほどの同情心を年長者に対して有たなかったと同時に、そのいずれに向っても慣れないうちは異人種のような無気味を覚えるのが常なので、なおさら迷児ついたのである。しかし相手は何も気にかからない様子で、「何か用ですか」と聞いた。丁寧でもなければ軽蔑でもない至って無雑作なその言葉つきが、少し敬太郎の度胸を回復させたので、彼はようやく自分の姓名を名乗ると共に手短かく来意を告げる機会を得た。すると年嵩な男は思い出したように、「そうそう先刻市蔵(須永の名)から電話で話がありました。しかし今夜御出になるとは思いませんでしたよ」と云った。そうして君そう早く来たっていけないという様子がその裏に見えたので、敬太郎は精一杯言訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといった風に黙って立っていたが、「そんならまたいらっしゃい。四五日うちにちょっと旅行しますが、その前に御目にかかれる暇さえあれば、御目にかかっても宜うござんす」と云った。敬太郎は篤く礼を述べてまた門を出たが、暗い夜の中で、礼の述べ方がちと馬鹿丁寧過ぎたと思った。  これはずっと後になって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人碁盤に向って、白石と黒石を互違に並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一石やった後の引続きとして、是非共ある問題を解決しなければ気がすまなかったからであるが、肝心のところで敬太郎がさも田舎者らしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払った後でというつもりになって、じれったさの余り自分と取次に出たのだという。須永にこの顛末を聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨拶が丁寧過ぎたような気がした。 九  中一日置いて、敬太郎は堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支ないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的横風なところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末になっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人に宜しく」と答えて電話を切ったが、内心は一種厭な心持がした。  十二時かっきりに午飯を食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいた膳が、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘に急き立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日の晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無雑作な取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛嬌のある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰を曲めて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先刻電話の取次に出たもののように、五分と経たないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。その癖自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性質であった。  小川町の角で、斜に須永の家へ曲る横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日蔭から日向へ想像を移した。今日も美くしい須永の従妹のいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億劫な手数をかけて、好い顔もしない爺さんに、衣食の途を授けて下さいと泣つきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取っては遥かに麗かであったからである。彼は須永の従妹と田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方の人品は判然分らなかったけれども、眼鼻だちの輪廓だけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目にも疑なく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量はあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭の裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱いていたのである。それを互違にくり返した後、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者を乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。  玄関へ掛って名刺を出すと、小倉の袴を穿いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入って行った。その声が確かに先刻電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿を見送りながら厭な奴だと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立っていた。敬太郎も少しむっとした。 「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」 「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳などが出て混雑しているんです」  落ちついて聞きさえすれば満更無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪に障っている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先を越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄の合わない捨台詞のような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍を擦り抜けて表へ出た。 十  彼はこの日必要な会見を都合よく済ました後、新らしく築地に世帯を持った友人の所へ廻って、須永と彼の従妹とそれから彼の叔父に当る田口とを想像の糸で巧みに継ぎ合せつつある一部始終を御馳走に、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日比谷公園の傍に立った彼の頭には、そんな余裕はさらになかった。後姿を見ただけではあるが、在所をすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持は固よりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取扱に対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰りがけに須永の所へ寄って、逐一顛末を話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほど間があった。須永の家の前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障子は立て切ったままついに開かなかった。もっとも彼は体裁家で、平生からこういう呼び出し方を田舎者らしいといって厭がっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎は正式に玄関の格子口へかかった。けれども取次に出た仲働の口から「午少し過に御出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。 「風邪を引いていたようでしたが」 「はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました」  敬太郎は帰ろうとした。仲働は「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這入った。と思うと襖の陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長の下町風に品のある婦人であった。 「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」  須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣れない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一どこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体の好い御世辞と違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にか失くなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙を締めてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉を埋けた火鉢を勧めてくれたりするうちに、一時昂奮した彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗を一面に大きく摺った襖の模様だの、唐桑らしくてらてらした黄色い手焙だのを眺めて、このしとやかで能弁な、人を外す事を知らないと云った風の母と話をした。  彼女の語るところによると、須永は今日矢来の叔父の家へ行ったのだそうである。 「じゃついでだから帰りに小日向へ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃無精になったようですね、この間も他に代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだって中から風邪を引いて咽喉を痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我無しゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無頓着でございますから……」  須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子で伜の話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題の後へ喰付いて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。 十一  そのうち話がいつか肝心の須永を逸れて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母さんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋のように敬太郎は須永から聞いていた。外套の裏は繻子でなくては見っともなくて着られないと云ったり、要りもしないのに古渡りの更紗玉とか号して、石だか珊瑚だか分らないものを愛玩したりする話はいまだに覚えていた。 「何にもしないで贅沢に遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。  須永の親戚に当る人の財力が、さほど敬太郎に関係のある訳でもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話の途切れるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉を継いだ。 「それでも妹婿の方は御蔭さまで、何だかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、この方はまあ不自由なく暮しておる模様でございますが、手前共や矢来の弟などになりますと、云わば、浪人同様で、昔に比べたら、尾羽うち枯らさないばかりの体たらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ」  敬太郎は何となく自分の身の上を顧みて気恥かしい思をした。幸にさきがすらすら喋舌ってくれるので、こっちに受け答をする文句を考える必要がないのをせめてもの得として聞き続けた。 「それにね、御承知の通り市蔵がああいう引っ込思案の男だもんでござんすから、私もただ学校を卒業させただけでは、全く心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰って、年寄に安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そう御母さんの都合のいいようにばかり世の中は行きゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでもいいから、務にでも出る気になればまだしも、そんな事にはまたまるで無頓着であなた……」  敬太郎はこの点において実際須永が横着過ると平生から思っていた。「余計な事ですが、少し目上の人から意見でもして上げるようにしたらどうでしょう。今御話の矢来の叔父さんからでも」と全く年寄に同情する気で云った。 「ところがこれがまた大の交際嫌の変人でございまして、忠告どころか、何だ銀行へ這入って算盤なんかパチパチ云わすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にも何にもなりません。それをまた市蔵が嬉しがりますので。矢来の叔父の方が好きだとか気が合うとか申しちゃよく出かけます。今日なども日曜じゃあるし御天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つ前にちょっとあちらへ顔でも出せばいいのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きな方へ参りました」  敬太郎はこの時自分が今日何のために馳け込むようにこの家を襲ったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門は潜らないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞を云って帰る気でいたのに、肝心の須永は留守で、事情も何も知らない彼の母から、逆さにいろいろな話をしかけられたので、怒ってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見を遂げ得なかった顛末だけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。 十二 「実はその内幸町の方へ今日私も出たんですが」と云い出すと、自分の息子の事ばかり考えていた母は、「おやそうでございましたか」とやっと気がついてすまないという顔つきをした。この間から敬太郎が躍起になって口を探している事や、探しあぐんで須永に紹介を頼んだ事や、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父に会えるように周旋した事は、須永の傍にいる母として彼女のことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先方で何も云い出さない前に、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置に、今までの成行を残らず話そうと力めにかかったが、時々相手から「そうでございますとも」とか、「本当にまあ、間の悪い時にはね」とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっ腹を立てて悪体を吐いた事などは話のうちから綺麗に抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍もくり返した後で、田口を弁護するようにこんな事を云った。―― 「そりゃあ実のところ忙しい男なので。妹などもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落々話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要作さんいくら御金が儲かるたって、そう働らいて身体を壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本じゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用が湧いてくるんで、傍から掬くい出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へ伴れて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つように急き立てる事もございますが……」 「御嬢さんがおありなのですか」 「ええ二人おります。いずれも年頃でございますから、もうそろそろどこかへ片づけるとか婿を取るとかしなければなりますまいが」 「そのうちの一人の方が、須永君のところへ御出になる訳でもないんですか」  母はちょっと口籠った。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問をかけ過ぎたと気がついた。何とかして話題を転じようと考えているうちに、相手の方で、 「まあどうなりますか。親達の考もございましょうし。当人達の存じ寄りもしかと聞糺して見ないと分りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくら熱急思ってもこればかりは致し方がございません」と何だか意味のありそうな事を云った。一度退きかけた敬太郎の好奇心はこの答でまた打ち返して来そうにしたが、善くないという克己心にすぐ抑えられた。  母はなお田口の弁護をした。そんな忙がしい身体だから、時によると心にもない約束違いなどをする事もあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、緩くり会ったら宜かろうという注意とも慰藉ともつかない助言も与えた。 「矢来のはおっても会わん方で、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえつけば馳けて帰って来て会うといった風の性質でございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちから何とも云ってやらないでも、向うできっと市蔵のところへ何とか申して参りますよ。きっと」  こう云われて見ると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちがおとなしくしていればこそで、先刻のようにぷんぷん怒ってはとうてい物にならないにきまり切っている。しかし今更それを打ち明ける訳には行かないので、敬太郎はただ黙っていた。須永の母はなお「あんな顔はしておりますが、見かけによらない実意のある剽軽者でございますから」と云って一人で笑った。 十三  剽軽者という言葉は田口の風采なり態度なりに照り合わせて見て、どうも敬太郎の腑に落ちない形容であった。しかし実際を聞いて見ると、なるほど当っているところもあるように思われた。田口は昔しある御茶屋へ行って、姉さんこの電気灯は熱り過ぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだ事があるそうだ。下女が怪訝な顔をして小さい球と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいと捻って暗くするんだと真面目に云いつけるので、下女はこれは電気灯のない田舎から出て来た人に違ないと見て取ったものか、くすくす笑いながら、旦那電気はランプと違って捻ったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真暗にした上、またぱっと元通りに明るくするかと思うと、大きな声でばあと云った。田口は少しも悄然ずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここの家にも似合わないこった。早く会社の方へ改良を申し込んでおくといい。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとう真に受け出して、本当にこれじゃ不便ね、だいち点けっ放しで寝る時なんか明る過ぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。ある時用事が出来て門司とか馬関とかまで行った時の話はこれよりもよほど念が入っている。いっしょに行くべきはずのAという男に差支が起って、二日ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。その間の退屈紛れに、彼はAを一つ担いでやろうと巧らんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思いついた悪戯で、彼はその店から地方の芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のように拵えた。その手紙は女を一人雇って、充分の時間を与えた上、できるだけAの心を動かすように艶めかしく曲らしたもので、誰が貰っても嬉しい顔をするに足るばかりか、今日の新聞を見たら、明日ここへ御着のはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまで来ていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。彼はその晩自分でこの手紙をポストへ入れて、翌日配達の時またそれを自分で受取ったなり、Aの来るのを待ち受けた。Aが着いても彼はこの手紙をなかなか出さなかった。力めて真面目な用談についての打合せなどを大事らしくし続けて、やっと同じ食卓で晩餐の膳に向った時、突然思い出したように袂の中からそれを取り出してAに与えた。Aは表に至急親展とあるので、ちょっと箸を下に置くと、すぐ封を開いたが、少し読み下すと同時に包んである写真を抜いて裏を見るや否や、急に丸めるように懐へ入れてしまった。何か急の用でもできたのかと聞くと、いや何というばかりで、不得要領にまた箸を取ったが、どことなくそわそわした様子で、まだ段落のつかない用談をそのままに、少し失礼する腹が痛いからと云って自分の部屋に帰った。田口は下女を呼んで、今から十五分以内にAが外出するだろうから、出るときは車が待ってでもいたように、Aが何にも云わない先に彼を乗せて馳け出して、その思わく通りどこの何という家の門へおろすようにしろと云いつけた。そうして自分はAより早く同じ家へ行って、主婦を呼ぶや否や、今おれの宿の提灯を点けた車に乗って、これこれの男が来るから、来たらすぐ綺麗な座敷へ通して、叮嚀に取扱って、向うで何にも云わない先に、御連様はとうから御待兼でございますと云ったなり引き退がって、すぐおれのところへ知らせてくれと頼んだ。そうして一人で煙草を吹かして腕組をしながら、事件の経過を待っていた。すると万事が旨い具合に予定の通り進行して、いよいよ自分の出る順が来た。そこでAの部屋の傍へ行って間の襖を開けながら、やあ早かったねと挨拶すると、Aは顔の色を変えて驚ろいた。田口はその前へ坐り込んで、実はこれこれだと残らず自分の悪戯を話した上、「担いだ代りに今夜は僕が奢るよ」と笑いながら云ったんだという。 「こういう飄気た真似をする男なんでございますから」と須永の母も話した後でおかしそうに笑った。敬太郎はあの自働車はまさか悪戯じゃなかったろうと考えながら下宿へ帰った。 十四  自動車事件以後敬太郎はもう田口の世話になる見込はないものと諦らめた。それと同時に須永の従弟と仮定された例の後姿の正体も、ほぼ発端の入口に当たる浅いところでぱたりと行きとまったのだと思うと、その底にはがゆいようなまた煮切らないような不愉快があった。彼は今日まで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚を有っていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気にやりかけて、貫ぬき終せた試がなかった。生れてからたった一つ行けるところまで行ったのは、大学を卒業したくらいなものである。それすら精を出さずにとぐろばかり巻きたがっているのを、向で引き摺り出してくれたのだから、中途で動けなくなった間怠さのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴々した心持も知らなかった。  彼はぼんやりして四五日過ぎた。ふと学生時代に学校へ招待したある宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にも何の不満もない身分だのに、自から進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議でたまらないからこの道に入って見たと云った。この人はどんな朗らかに透き徹るような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見ても鮮かに見えながら、自分だけ硝子張の箱の中に入れられて、外の物と直に続いていない心持が絶えずして、しまいには窒息するほど苦しくなって来るんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病に罹っていたのではなかろうかと疑ったなり、今日まで気にもかけずにいた。しかしこの四五日ぼんやり屈託しているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断をする必要はない。もう少し奮発して気張る事さえ覚えれば、当っても外れても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今日までついぞそこに心を用いる事をしなかったのである。  敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けの後の祭のような気がして、何という当もなくまた三四日ぶらぶらと暮した。その間に有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友達と話したり、往来を歩いたり、いろいろやったが、いずれも薬缶頭を攫むと同じ事で、世の中は少しも手に握れなかった。彼は碁を打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面白い波瀾曲折のある碁が見たいと思った。  すると直須永と後姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色沢を着けて奥行のあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところが他の事を余計なおせっかいだと、自分で自分を嘲けりながら、ああ馬鹿らしいと思う後から、やっぱり何かあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいと閃めいて来るのである。そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪漫的な或物にぶつかるかも知れないと考え出す。すると田口の玄関で怒ったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣り合わない弱味だと思い始める。  職業についても、あんな些細な行違のために愛想づかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだ方のつかない未来を中途半端に仕切ってしまった。そうして好んで煮きらない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見かけに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰って来た上で、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合せたりなどして、常識のない馬鹿だと軽蔑まれてもつまらない。けれどもどの道突き抜けた心持をしっかり捕まえるためには馬鹿と云われるまでも、そこまで突っかけて行く必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。 十五  けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎の思案には屈託の裏に、どこか呑気なものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題は煎じつめるまでもなく当初から至極簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度籤を引き損なったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非道い目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気に抵抗する努力を厭いながら、文字の意味を判明頭に入れようと試みるごとく、呑気の懐で決断の卵を温めている癖に、ただ旨く孵化らない事ばかり苦にしていた。この不決断を逃れなければという口実の下に、彼は暗に自分の物数奇に媚びようとした。そうして自分の未来を売卜者の八卦に訴えて判断して見る気になった。彼は加持、祈祷、御封、虫封じ、降巫の類に、全然信仰を有つほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今日まで失わずに成長した男である。彼の父は方位九星に詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端折って、鍬を担ついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと思って、後から跟いて行こうとすると、父は敬太郎に向って、御前はそこにいて、時計を見ていろ、そうして十二時が鳴り出したら、大きな声を出して合図をしてくれ、すると御父さんがあの乾に当る梅の根っこを掘り始めるからと云いつけた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴り出すや否や命令通り、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確に鍬を下ろすつもりなら、肝心の時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂闊をおかしく思った。学校の時計と自分の家のとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその後摘草に行った帰りに、馬に蹴られて土堤から下へ転がり落ちた事がある。不思議に怪我も何もしなかったのを、御祖母さんが大層喜んで、全く御地蔵様が御前の身代りに立って下さった御蔭だこれ御覧と云って、馬の繋いであった傍にある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎掛だけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体の具合や四辺の事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日に至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。  こういう訳で、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大道占いの弓張提灯を眺めていた。もっとも金を払って筮竹の音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然そこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐れな人に、易者がどんな希望と不安と畏怖と自信とを与えるだろうという好奇心に惹かされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞をする事がしばしばあった。彼の友の某が、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思い煩っている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来の御神籤をいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中に雲散じて月重ねて明らかなり、という句と、花発いて再び重栄という句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺麗に及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売卜者の顧客になる資格を充分具えていたに違ない。その代り今度のような場合にも、どこか慰さみがてらに、まあやって見ようという浮気がだいぶ交っていた。 十六  敬太郎はどこの占ない者に行ったものかと考えて見たが、あいにくどこという当もなかった。白山の裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二三軒あるが、むやみに流行るのは山師らしくって行く気にならず、と云って、自分で嘘と知りつつ出鱈目を強いてもっともらしく述べる奴はなお不都合であるし、できるならば余り人の込み合わない家で、閑静な髯を生やした爺さんが奇警な言葉で、簡潔にすぱすぱと道い破ってくれるのがどこかにいればいいがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出かけた、郷里の一本寺の隠居の顔を頭の中に描き出した。それからふと気がついて、考えるんだかただ坐っているんだか分らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むような占ない者の看板にぶつかるだろうという漠然たる頭に帽子を載せた。  彼は久しぶりに下谷の車坂へ出て、あれから東へ真直に、寺の門だの、仏師屋だの、古臭い生薬屋だの、徳川時代のがらくたを埃といっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門跡の中を抜けて、奴鰻の角へ出た。  彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父さんから、しばしば観音様の繁華を耳にした。仲見世だの、奥山だの、並木だの、駒形だの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜飯と田楽を食わせるすみ屋という洒落た家があるとか、駒形の御堂の前の綺麗な縄暖簾を下げた鰌屋は昔しから名代なものだとか、食物の話もだいぶ聞かされたが、すべての中で最も敬太郎の頭を刺戟したものは、長井兵助の居合抜と、脇差をぐいぐい呑んで見せる豆蔵と、江州伊吹山の麓にいる前足が四つで後足が六つある大蟇の干し固めたのであった。それらには蔵の二階の長持の中にある草双紙の画解が、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下駄を穿いたまま、小さい三宝の上に曲がんだ男が、襷がけで身体よりも高く反り返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆の上に胡坐をかいて、児雷也が魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡を持った白い髯の爺さんが、唐机の前に坐って、平突ばったちょん髷を上から見下すところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境内には、歴史的に妖嬌陸離たる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽炎っていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢は固より手痛く打ち崩されてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根に鵠の鳥が巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料簡が暗に働らいて、足が自ずとこっちに向いたのである。しかしルナパークの後から活動写真の前へ出た時は、こりゃ占ない者などのいる所ではないと今更のようにその雑沓に驚ろいた。せめて御賓頭顱でも撫でて行こうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へ上って、魚河岸の大提灯と頼政の鵺を退治ている額だけ見てすぐ雷門を出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もし在ったら何でも構わないから入る事にしよう。あるいは高等工業の先を曲って柳橋の方へ抜けて見ても好いなどと、まるで時分どきに恰好な飯屋でも探す気で歩いていた。ところがいざ探すとなると生憎なもので、平生は散歩さえすればいたるところに神易の看板がぶら下っている癖に、あの広い表通りに門戸を張っている卜者はまるで見当らなかった。敬太郎はこの企図もまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵前まで来た。するとやっとの事で尋ねる商売の家が一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割書をした下に、文銭占ないと白い字で彫って、そのまた下に、漆で塗った真赤な唐辛子が描いてある。この奇体な看板がまず敬太郎の眼を惹いた。 十七  よく見るとこれは一軒の生薬屋の店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差掛様のものを作ったので、中に七色唐辛子の袋を並べてあるから、看板の通りそれを売る傍ら、占ないを見る趣向に違ない。敬太郎はこう観察して、そっと餡転餅屋に似た差掛の奥を覗いて見ると、小作りな婆さんがたった一人裁縫をしていた。狭い室一つの住居としか思われないのに、肝心の易者の影も形も見えないから、主人は他行中で、細君が留守番をしているところかとも思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋の方と続いているかも知れないので、一概に留守と見切をつける訳にも行かなかった。それで二三歩先へ出て、薬種店の方を覗くと、八ツ目鰻の干したのも釣るしてなければ、大きな亀の甲も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中の棚に載せた古風の装飾もなかった。一本寺の隠居に似た髯のある爺さんは固より坐っていなかった。彼は再び立ち戻って、身の上判断文銭占ないという看板のかかった入口から暖簾を潜って内へ入った。裁縫をしていた婆さんは、針の手をやめて、大きな眼鏡の上から睨むように敬太郎を見たが、ただ一口、占ないですかと聞いた。敬太郎は「ええちょっと見て貰いたいんだが、御留守のようですね」と云った。すると婆さんは、膝の上のやわらか物を隅の方へ片づけながら、御上りなさいと答えた。敬太郎は云われる通り素直に上って見ると、狭いけれども居心地の悪いほど汚れた室ではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新らしい香がした。婆さんは煮立った鉄瓶の湯を湯呑に注いで、香煎を敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片づけてあった小机を取りおろしにかかった。その机には無地の羅紗がかけてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面に据えて、そうして再び故の座に帰った。 「占ないは私がするのです」  敬太郎は意外の感に打たれた。この小いさい丸髷に結った。黒繻子の襟のかかった着物の上に、地味な縞の羽織を着た、一心に縫物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとは全く想像のほかにあったのである。その上彼はこの婦人の机の上に、筮竹も算木も天眼鏡もないのを不思議に眺めた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴の開いた銭を九つ出した。敬太郎は始めてこれが看板に「文銭占ない」とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗い中で自分を操っている運命の糸と、どんな関係を有っているか、固より想像し得るはずがないので、ただそこに鋳出された模様と、それがしまってあった袋とを見比べるだけで、何事も云わずにいた。袋は能装束の切れ端か、懸物の表具の余りで拵らえたらしく、金の糸が所々に光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手擦と時代のため、派手な色を全く失っていた。  婆さんは年寄に似合わない白い繊麗な指で、九枚の文銭を三枚ずつ三列に並べたが、ひょっと顔を上げて、「身の上を御覧ですか」と聞いた。 「さあ一生涯の事を一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたらいいか、その方をきめてかかる方が僕には大切らしいから、まあそれを一つ願おう」  婆さんはそうですかと答えたが、それで御年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生れた月と日を確めた。その後で胸算用でもする案排しきで、指を折って見たり、ただ考がえたりしていたが、やがてまた綺麗な指で例の文銭を新らしく並べ更えた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような眼つきをして見守っていた。 十八  婆さんはしばらく手を膝の上に載せて、何事も云わずに古い銭の面をじっと注意していたが、やがて考えの中心点が明快纏まったという様子をして、「あなたは今迷っていらっしゃる」と云い切ったなり敬太郎の顔を見た。敬太郎はわざと何も答えなかった。 「進もうかよそうかと思って迷っていらっしゃるが、これは御損ですよ。先へ御出になった方が、たとい一時は思わしくないようでも、末始終御為ですから」  婆さんは一区限つけると、また口を閉じて敬太郎の様子を窺った。敬太郎は始めからただ先方のいう事をふんふん聞くだけにして、こちらでは喋舌らないつもりに、腹の中できめてかかったのであるが、婆さんのこの一言に、ぼんやりした自分の頭が、相手の声に映ってちらりと姿を現わしたような気がしたので、ついその刺戟に応じて見たくなった。 「進んでも失敗るような事はないでしょうか」 「ええ。だからなるべくおとなしくして。短気を起さないようにね」  これは予言ではない、常識があらゆる人に教える忠告に過ぎないと思ったけれども婆さんの態度に、これという故意とらしい点も見えないので、彼はなお質問を続けた。 「進むってどっちへ進んだものでしょう」 「それはあなたの方がよく分っていらっしゃるはずですがね。私はただ最少し先まで御出なさい、そのほうが御為だからと申し上げるまでです」  こうなると敬太郎も行きがかり上そうですかと云って引込む訳に行かなくなった。 「だけれども道が二つ有るんだから、その内でどっちを進んだらよかろうと聞くんです」  婆さんはまた黙って文銭の上を眺めていたが、前よりは重苦しい口調で、「まあ同なじですね」と答えた。そうして先刻裁縫をしていた時に散らばした糸屑を拾って、その中から紺と赤の絹糸のかなり長いのを択り出して、敬太郎の見ている前で、それを綺麗に縒り始めた。敬太郎はただ手持無沙汰の徒事とばかり思って、別段意にも留めなかったが、婆さんは丹念にそれを五六寸の長さに縒り上げて、文銭の上に載せた。 「これを御覧なさい。こう縒り合わせると、一本の糸が二筋の糸で、二筋の糸が一本の糸になるじゃありませんか。そら派手な赤と地味な紺が。若い時にはとかく派手の方へ派手の方へと駆け出してやり損ない勝のものですが、あなたのは今のところこの縒糸みたように丁度好い具合に、いっしょに絡まり合っているようですから御仕合せです」  絹糸の喩は何とも知らず面白かったが、御仕合せですと云われて見ると、嬉しいよりもかえっておかしい心持の方が敬太郎を動かした。 「じゃこの紺糸で地道を踏んで行けば、その間にちらちら派手な赤い色が出て来ると云うんですね」と敬太郎は向うの言葉を呑み込んだような尋ね方をした。 「そうですそうなるはずです」と婆さんは答えた。始めから敬太郎は占ないの一言で、是非共右か左へ片づけなければならないとまで切に思いつめていた訳でもなかったけれども、これだけで帰るのも少し物足りなかった。婆さんの云う事が、まるで自分の胸とかけ隔たった別世界の消息なら、固より論はないが、意味の取り方ではだいぶ自分の今の身の上に、応用の利く点もあるので、敬太郎はそこに微かな未練を残した。 「もう何にも伺がう事はありませんか」 「そうですね。近い内にちょっとした事ができるかも知れません」 「災難ですか」 「災難でもないでしょうが、気をつけないとやり損ないます。そうしてやり損なえばそれっきり取り返しがつかない事です」 十九  敬太郎の好奇心は少し鋭敏になった。 「全体どんな性質の事ですか」 「それは起って見なければ分りません。けれども盗難だの水難だのではないようです」 「じゃどうして失敗らない工夫をして好いか、それも分らないでしょうね」 「分らない事もありませんが、もし御望みなら、もう一遍占ないを立て直して見て上げても宜うござんす」  敬太郎は、では御頼み申しますと云わない訳に行かなかった。婆さんはまた繊細な指先を小器用に動かして、例の文銭を並べ更えた。敬太郎から云えば先の並べ方も今度の並べ方も大抵似たものであるが、婆さんにはそこに何か重大の差別があるものと見えて、その一枚を引っくり返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入に片づけた後で、婆さんは敬太郎に向って「大体分りました」と云った。 「どうすれば好いんですか」 「どうすればって、占ないには陰陽の理で大きな形が現われるだけだから、実地は各自がその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。あなたは自分のようなまた他人のような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入るようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすれば旨く行きます」  敬太郎は煙に巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理で現われたにしたところで、これじゃ方角さえ立たない霧のようなものだから、たとい嘘でも本当でも、もう少し切りつめた応用の利くところを是非云わせようと思って、二三押問答をして見たが、いっこう埒が明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝言に似たものを、手拭に包んだ懐炉のごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出がけに七色唐辛子を二袋買って袂へ入れた。  翌日彼は朝飯の膳に向って、煙の出る味噌汁椀の蓋を取ったとき、たちまち昨日の唐辛子を思い出して、袂から例の袋を取り出した。それを十二分に汁の上に振りかけて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんの云わゆる「陰陽の理によって現われた大きな形」と頭の中に呼び起して見ると、まだ漠然と瓦斯のごとく残っていた。しかし手のつけようのない謎に気を揉むほど熱心な占ない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦心る苦悶を知らなかった。ただその分らないところに妙な趣があるので、忘れないうちに、婆さんの云った通りを紙片に書いて机の抽出へ入れた。  もう一遍田口に会う手段を講じて見る事の可否は、昨日すでに婆さんの助言で断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占ないを信じて動くのではない、動こうとする矢先へ婆さんが動く縁をつけてくれたに過ぎないのだと思った。彼は須永へ行って彼の叔父がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねて見ようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼はやむを得ず、手紙で用を弁ずる事にした。彼はせんだって須永の母に話したとほぼ同様の顛末を簡略に書いた後で、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれる訳には行くまいか、こっちはどうせ閑な身体だから、いつでも指定されて時日に出られるつもりだがと、この間の権幕は、綺麗に忘れたような口ぶりを見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日にも予想した。ところが二日立っても三日立っても何の挨拶もないので、少し不安の念に悩まされ出した。なまじい売卜者の言葉などに動かされて、恥を掻いてはつまらないという後悔も交った。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。 二十  電話口へ出て見ると案外にも主人の声で、今直来る事ができるかという簡単な問い合わせであった。敬太郎はすぐ出ますと答えたが、それだけで電話を切るのは何となくぶっきらぼう過ぎて愛嬌が足りない気がするので、少し色を着けるために、須永君から何か御話でもございましたかと聞いて見た。すると相手は、ええ市蔵から御希望を通知して来たのですが、手数だから直接に私の方で御都合を伺がいました。じゃ御待ち申しますから、直どうぞ。と云ってそれなり引込んでしまった。敬太郎はまた例の袴を穿きながら、今度こそ様子が好さそうだと思った。それからこの間買ったばかりの中折を帽子掛から取ると、未来に富んだ顔に生気を漲ぎらして快豁に表へ出た。外には白い霜を一度に摧いた日が、木枯しにも吹き捲くられずに、穏やかな往来をおっとりと一面に照らしていた。敬太郎はその中を突切る電車の上で、光を割いて進むような感じがした。  田口の玄関はこの間と違って蕭条りしていた。取次に袴を着けた例の書生が現われた時は、少しきまりが悪かったが、まさかせんだっては失礼しましたとも云えないので、素知らぬ顔をして叮嚀に来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと云ったなり名刺を受取って奥へ這入ったが、やがて出て来て、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次の揃えてくれた上靴を穿いて、御客らしく通るには通ったが、四五脚ある椅子のどれへ腰をかけていいかちょっと迷った。一番小さいのにさえきめておけば間違はあるまいという謙遜から、彼は腰の高い肱懸も装飾もつかない最も軽そうなのを択って、わざと位置の悪い所へ席を占めた。  やがて主人が出て来た。敬太郎は使い慣れない切口上を使って、初対面の挨拶やら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨拶した。そうしていくら区切が来ても、いっこう何とも云ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思う通り長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、後はそれぎりで、手持無沙汰と知りながら黙らなければならなかった。主人は巻莨入から敷島を一本取って、あとを心持敬太郎のいる方へ押しやった。 「市蔵からあなたの御話しは少し聞いた事もありますが、いったいどういう方を御希望なんですか」  実を云うと、敬太郎には何という特別の希望はなかった。ただ相当の位置さえ得られればとばかり考えていたのだから、こう聞かれるとぼんやりした答よりほかにできなかった。 「すべての方面に希望を有っています」  田口は笑い出した。そうして機嫌の好い顔つきをして、学士の数のこんなに殖えて来た今日、いくら世話をする人があろうとも、そう最初から好い地位が得られる訳のものでないという事情を懇ごろに説いて聞かせた。しかしそれは田口から改めて教わるまでもなく、敬太郎のとうから痛切に承知しているところであった。 「何でもやります」 「何でもやりますったって、まさか鉄道の切符切もできないでしょう」 「いえできます。遊んでるよりはましですから。将来の見込のあるものなら本当に何でもやります。第一遊んでいる苦痛を逃れるだけでも結構です」 「そう云う御考ならまた私の方でもよく気をつけておきましょう。直という訳にも行きますまいが」 「どうぞ。――まあ試しに使って見て下さい。あなたの御家の――と云っちゃ余り変ですが、あなたの私事にででもいいから、ちょっと使って見て下さい」 「そんな事でもして見る気がありますか」 「あります」 「それじゃ、ことに依ると何か願って見るかも知れません。いつでも構いませんか」 「ええなるべく早い方が結構です」  敬太郎はこれで会見を切り上げて、朗らかな顔をして表へ出た。 二十一  穏やかな冬の日がまた二三日続いた。敬太郎は三階の室から、窓に入る空と樹と屋根瓦を眺めて、自然を橙色に暖ためるおとなしいこの日光が、あたかも自分のために世の中を照らしているような愉快を覚えた。彼はこの間の会見で、自分に都合の好い結果が、近い内にわが頭の上に落ちて来るものと固く信ずるようになった。そうしてその結果がどんな異様の形を装って、彼の前に現われるかを、彼は最も楽しんで待ち暮らした。彼が田口に依頼した仕事のうちには、普通の依頼者の申し出以上のものまで含んでいた。彼は一定の職業から生ずる義務を希望したばかりでなく、刺戟に充ちた一時性の用事をも田口から期待した。彼の性質として、もし成効の影が彼を掠めて閃めくならば、おそらく尋常の雑務とは切り離された特別の精彩を帯びたものが、卒然彼の前に投げ出されるのだろうぐらいに考えた。そんな望を抱いて、彼は毎日美くしい日光に浴していたのである。  すると四日ばかりして、また田口から電話がかかった。少し頼みたい事ができたが、わざわざ呼び寄せるのも気の毒だし、電話では手間が要ってかえって面倒になるし、仕方がないから、速達便で手紙を出す事にしたから、委細はそれを見て承知してくれ。もし分らない事があったら、また電話で聞き合わしてもいいという通知であった。敬太郎はぼんやり見えていた遠眼鏡の度がぴたりと合った時のように愉快な心持がした。  彼は机の前を一寸も離れずに、速達便の届くのを待っていた。そうしてその間絶ず例の想像を逞ましくしながら、田口のいわゆる用事なるものを胸の中で組み立てて見た。そこにはいつか須永の門前で見た後姿の女が、ややともすると断わりなしに入り込んで来た。ふと気がついて、もっと実際的のものであるべきはずだと思うと、その時だけは自分で自分の空想を叱るようにしては、彼はもどかしい時を過ごした。  やがて待ち焦れた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息も継がずに巻紙の端から端までを一気に読み通して、思わずあっという微かな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪漫的であったからである。手紙の文句は固より簡単で用事以外の言葉はいっさい書いてなかった。今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる四十恰好の男がある。それは黒の中折に霜降の外套を着て、顔の面長い背の高い、瘠せぎすの紳士で、眉と眉の間に大きな黒子があるからその特徴を目標に、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探偵して報知しろというだけであった。敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持がし出した。同時に田口が自己の社会的利害を護るために、こんな暗がりの所作をあえてして、他日の用に、他の弱点を握っておくのではなかろうかと云う疑を起した。そう思った時、彼は人の狗に使われる不名誉と不徳義を感じて、一種苦悶の膏汗を腋の下に流した。彼は手紙を手にしたまま、じっと眸を据えたなり固くなった。しかし須永の母から聞いた田口の性格と、自分が直に彼に会った時の印象とを纏めて考えて見ると、けっしてそんな人の悪そうな男とも思われないので、たとい他人の内行に探りを入れるにしたところで、必ずしもそれほど下品な料簡から出るとは限らないという推断もついて見ると、いったん硬直になった筋肉の底に、また温たかい血が通い始めて、徳義に逆らう吐気なしに、ただ興味という一点からこの問題を面白く眺める余裕もできてきた。それで世の中に接触する経験の第一着手として、ともかくも田口から依頼された通りにこの仕事をやり終せて見ようという気になった。彼はもう一度とくと田口の手紙を読み直した。そうしてそこに書いてある特徴と条件だけで、はたして満足な結果が実際に得られるだろうかどうかを確かめた。 二十二  田口から知らせて来た特徴のうちで、本当にその人の身を離れないものは、眉と眉の間の黒子だけであるが、この日の短かい昨今の、四時とか五時とかいう薄暗い光線の下で、乗降に忙がしい多数の客の中から、指定された局部の一点を目標に、これだと思う男を過ちなく見つけ出そうとするのは容易の事ではない。ことに四時と五時の間と云えば、ちょうど役所の退ける刻限なので、丸の内からただ一筋の電車を利用して、神田橋を出る役人の数だけでも大したものである。それにほかと違って停留所が小川町だから、年の暮に間もない左右の見世先に、幕だの楽隊だの、蓄音機だのを飾るやら具えるやらして、電灯以外の景気を点けて、不時の客を呼び寄せる混雑も勘定に入れなければなるまい。それを想像して事の成否を考えて見ると、とうてい一人の手際ではという覚束ない心持が起って来る。けれどもまた尋ね出そうとするその人が、霜降の外套に黒の中折という服装で電車を降りるときまって見れば、そこにまだ一縷の望があるようにも思われる。無論霜降の外套だけでは、どんな恰好にしろ手がかりになり様はずがないが、黒の中折を被っているなら、色変りよりほかに用いる人のない今日だから、すぐ眼につくだろう。それを目宛に注意したらあるいは成功しないとも限るまい。  こう考えた敬太郎は、ともかくも停留所まで行って見る事だという気になった。時計を眺めると、まだ一時を打ったばかりである。四時より三十分前に向へ着くとしたところで、三時頃から宅を出ればたくさんなのだから、まだ二時間の猶予がある。彼はこの二時間を最も有益に利用するつもりで、じっとしたまま坐っていた。けれどもただ眼の前に、美土代町と小川町が、丁字になって交叉している三つ角の雑沓が入り乱れて映るだけで、これと云って成功を誘うに足る上分別は浮ばなかった。彼の頭は考えれば考えるほど、同じ場所に吸いついたなりまるで動くことを知らなかった。そこへ、どうしても目指す人には会えまいという掛念が、不安を伴って胸の中をざわつかせた。敬太郎はいっその事時間が来るまで外を歩きつづけに歩いて見ようかと思った。そう決心をして、両手を机の縁に掛けて、勢よく立ち上がろうとする途端に、この間浅草で占ないの婆さんから聞いた、「近い内に何か事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ」という注意を思い出した。彼は婆さんのその時の言葉を、解すべからざる謎として、ほとんど頭の外へ落してしまったにもかかわらず、参考のためわざわざ書きつけにして机の抽出に入れておいた。でまたその紙片を取り出して、自分のようで他人のような、長いようで短かいような、出るようで這入るようなという句を飽かず眺めた。初めのうちは今まで通りとうてい意味のあるはずがないとしか見えなかったが、だんだん繰り返して読むうちに、辛抱強く考えさえすれば、こういう妙な特性を有ったものがあるいは出て来るかも知れないという気になった。その上敬太郎は婆さんに、自分が持っているんだから、いざという場合に忘れないようになさいと注意されたのを覚えていたので、何でも好い、ただ身の周囲の物から、自分のようで他人のような、長いようで短かいような、出るようで這入るようなものを探しあてさえすれば、比較的狭い範囲内で、この問題を解決する事ができる訳になって、存外早く片がつくかも知れないと思い出した。そこでわが自由になるこれから先の二時間を、全くこの謎を解くための二時間として大切に利用しようと決心した。  ところがまず眼の前の机、書物、手拭、座蒲団から順々に進行して行李鞄靴下までいったが、いっこうそれらしい物に出合わないうちに、とうとう一時間経ってしまった。彼の頭は焦燥つと共に乱れて来た。彼の観念は彼の室の中を駆け廻って落ちつけないので、制するのも聞かずに、戸外へ出て縦横に走った。やがて彼の前に、霜降の外套を着た黒の中折を被った背の高い瘠ぎすの紳士が、彼のこれから探そうというその人の権威を具えて、ありありと現われた。するとその顔がたちまち大連にいる森本の顔になった。彼はだらしのない髯を生やした森本の容貌を想像の眼で眺めた時、突然電流に感じた人のようにあっと云った。 二十三  森本の二字はとうから敬太郎の耳に変な響を伝える媒介となっていたが、この頃ではそれが一層高じて全然一種の符徴に変化してしまった。元からこの男の名前さえ出ると、必ず例の洋杖を聯想したものだが、洋杖が二人を繋ぐ縁に立っていると解釈しても、あるいは二人の中を割く邪魔に挟まっていると見傚しても、とにかく森本とこの竹の棒の間にはある距離があって、そう一足飛に片方から片方へ移る訳に行かなかったのに、今ではそれが一つになって、森本と云えば洋杖、洋杖と云えば森本というくらい劇しく敬太郎の頭を刺戟するのである。その刺戟を受けた彼の頭に、自分の所有のようなまた森本の所有のような、持主のどっちとも片づかないという観念が、熱った血に流されながら偶然浮び上った時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影の内から、その洋杖だけをうんと捕まえたのである。 「自分のような他人のような」と云った婆さんの謎はこれで解けたものと信じて、敬太郎は一人嬉しがった。けれどもまだ「長いような短かいような、出るような這入るような」というところまでは考えて見ないので、彼はあまる二カ条の特性をも等しくこの洋杖の中から探し出そうという料簡で、さらに新たな努力を鼓舞してかかった。  始めは見方一つで長くもなり短かくもなるくらいの意味かも知れないと思って、先へ進んで見たが、それでは余り平凡過ぎて、解釈がついたもつかないも同じ事のような心持がした。そこでまた後戻りをして、「長いような短かいような」という言葉を幾度か口の内でくり返しながら思案した。が、容易に解決のできる見込は立たなかった。時計を見ると、自由に使っていい二時間のうちで、もう三十分しか残っていない。彼は抜裏と間違えて袋の口へ這入り込んだ結果、好んで行き悩みの状態に悶えているのでは無かろうかと、自分で自分の判断を危ぶみ出した。出端のない行きどまりに立つくらいなら、もう一遍引き返して、新らしい途を探す方がましだとも考えた。しかしこう時間が逼っているのに、初手から出直しては、とても間に合うはずがない、すでにここまで来られたという一部分の成功を縁喜にして、是非先へ突き抜ける方が順当だとも考えた。これがよかろうあれがよかろうと右左に思い乱れている中に、彼の想像はふと全体としての杖を離れて、握りに刻まれた蛇の頭に移った。その瞬間に、鱗のぎらぎらした細長い胴と、匙の先に似た短かい頭とを我知らず比較して、胴のない鎌首だから、長くなければならないはずだのに短かく切られている、そこがすなわち長いような短かいような物であると悟った。彼はこの答案を稲妻のごとく頭の奥に閃めかして、得意の余り踴躍した。あとに残った「出るような這入るような」ものは、大した苦労もなく約五分の間に解けた。彼は鶏卵とも蛙とも何とも名状しがたい或物が、半ば蛇の口に隠れ、半ば蛇の口から現われて、呑み尽されもせず、逃れ切りもせず、出るとも這入るとも片のつかない状態を思い浮かべて、すぐこれだと判断したのである。  これで万事が綺麗に解決されたものと考えた敬太郎は、躍り上るように机の前を離れて、時計の鎖を帯に絡んだ。帽子は手に持ったまま、袴も穿かずに室を出ようとしたが、あの洋杖をどうして持って出たものだろうかという問題がちょっと彼を躊躇さした。あれに手を触れるのは無論、たとい傘入から引き出したところで、森本が置き去りにして行ってからすでに久しい今日となって見れば、主人に断わらないにしろ、咎められたり怪しまれたりする気遣はないにきまっているが、さて彼らが傍にいない時、またおるにしても見ないうちに、それを提げて出ようとするには相当の思慮か準備が必要になる。迷信のはびこる家庭に成長した敬太郎は、呪禁に使う品物を(これからその目的に使うんだという料簡があって)手に入れる時には、きっと人の見ていない機会を偸んでやらなければ利かないという言い伝えを、郷里にいた頃、よく母から聞かされていたのである。敬太郎は宿の上り口の正面にかけてある時計を見るふりをして、二階の梯子段の中途まで降りて下の様子を窺がった。 二十四  主人は六畳の居間に、例の通り大きな瀬戸物の丸火鉢を抱え込んでいた。細君の姿はどこにも見えなかった。敬太郎が梯子段の中途で、及び腰をして、硝子越に障子の中を覗いていると、主人の頭の上で忽然呼鈴が烈しく鳴り出した。主人は仰向いて番号を見ながら、おい誰かいないかねと次の間へ声をかけた。敬太郎はまたそろそろ三階の自分の室へ帰って来た。  彼はわざわざ戸棚を開けて、行李の上に投げ出してあるセルの袴を取り出した。彼はそれを穿くとき、腰板を後に引き摺って、室の中を歩き廻った。それから足袋を脱いで、靴下に更えた。これだけ身装を改めた上、彼はまた三階を下りた。居間を覗くと細君の姿は依然として見えなかった。下女もそこらにはいなかった。呼鈴も今度は鳴らなかった。家中ひっそり閑としていた。ただ主人だけは前の通り大きな丸火鉢に靠れて、上り口の方を向いたなりじっと坐っていた。敬太郎は段々を下まで降り切らない先に、高い所から斜に主人の丸くなった背中を見て、これはまだ都合が悪いと考えたが、ついに思い切って上り口へ出た。主人は案の上、「御出かけで」と挨拶した。そうして例の通り下女を呼んで下駄箱にしまってある履物を出させようとした。敬太郎は主人一人の眼を掠すめるのにさえ苦心していたところだから、この上下女に出られては敵わないと思って、いや宜しいと云いながら、自分で下駄箱の垂を上げて、早速靴を取りおろした。旨い具合に下女は彼が土間へ降り立つまで出て来なかった。けれども、亭主は依然としてこっちを向いていた。 「ちょっと御願ですがね。室の机の上に今月の法学協会雑誌があるはずだが、ちょっと取って来てくれませんか。靴を穿いてしまったんで、また上るのが面倒だから」  敬太郎はこの主人に多少法律の心得があるのを知って、わざとこう頼んだのである。主人は自分よりほかのものでは到底弁じない用事なので、「はあようがす」と云って気さくに立って梯子段を上って行った。敬太郎はそのひまに例の洋杖を傘入から抽き取ったなり、抱き込むように羽織の下へ入れて、主人の座に帰らないうちにそっと表へ出た。彼は洋杖の頭の曲った角を、右の腋の下に感じつつ急ぎ足に本郷の通まで来た。そこでいったん羽織の下から杖を出して蛇の首をじっと眺めた。そうして袂の手帛で上から下まで綺麗に埃を拭いた。それから後は普通の杖のように右の手に持って、力任せに振り振り歩いた。電車の上では、蛇の頭へ両手を重ねて、その上に顋を載せた。そうしてやっと今一段落ついた自分の努力を顧みて、ほっと一息吐いた。同時にこれから先指定された停留所へ行ってからの成否がまた気にかかり出した。考えて見ると、これほど骨を折って、偸むように持ち出した洋杖が、どうすれば眉と眉の間の黒子を見分ける必要品になるのか、全く彼の思量のほかにあった。彼はただ婆さんに云われた通り、自分のような他人のような、長いような短かいような、出るような這入るようなものを、一生懸命に探し当てて、それを忘れないで携さえているというまでであった。この怪しげに見えて平凡な、しかもむやみに軽い竹の棒が、寝かそうと起こそうと、手に持とうと袖に隠そうと、未知の人を探す上に、はたして何の役に立つか知らんと疑ぐった時、彼はちょっとの間、瘧を振い落した人のようにけろりとして、車内を見廻わした。そうして頭の毛穴から湯気の立つほど業を煮やした先刻の努力を気恥かしくも感じた。彼は自分で自分の所作を紛らす為に、わざと洋杖を取り直して、電車の床をとんとんと軽く叩いた。  やがて目的の場所へ来た時、彼はとりあえず青年会館の手前から引き返して、小川町の通へ出たが、四時にはまだ十五分ほど間があるので、彼は人通りと電車の響きを横切って向う側へ渡った。そこには交番があった。彼は派出所の前に立っている巡査と同じ態度で、赤いポストの傍から、真直に南へ走る大通りと、緩い弧線を描いて左右に廻り込む広い往来とを眺めた。これから自分の活躍すべき舞台面を一応こういう風に検分した後で、彼はすぐ停留所の所在を確かめにかかった。 二十五  赤い郵便函から五六間東へ下ると、白いペンキで小川町停留所と書いた鉄の柱がすぐ彼の眼に入った。ここにさえ待っていれば、たとい混雑に取り紛れて注意人物を見失うまでも、刻限に自分の部署に着いたという強味はあると考えた彼は、これだけの安心を胸に握った上、また目標の鉄の柱を離れて、四辺の光景を見廻した。彼のすぐ後には蔵造の瀬戸物屋があった。小さい盃のたくさん並んだのを箱入にして額のように仕立てたのがその軒下にかかっていた。大きな鉄製の鳥籠に、陶器でできた餌壺をいくつとなく外から括りつけたのも、そこにぶら下がっていた。その隣りは皮屋であった。眼も爪も全く生きた時のままに残した大きな虎の皮に、緋羅紗の縁を取ったのがこの店の重な装飾であった。敬太郎は琥珀に似たその虎の眼を深く見つめて立った。細長くって真白な皮でできた襟巻らしいものの先に、豆狸のような顔が付着しているのも滑稽に見えた。彼は時計を出して時間を計りながら、また次の店に移った。そうして瑪瑙で刻った透明な兎だの、紫水晶でできた角形の印材だの、翡翠の根懸だの孔雀石の緒締だのの、金の指輪やリンクスと共に、美くしく並んでいる宝石商の硝子窓を覗いた。  敬太郎はこうして店から店を順々に見ながら、つい天下堂の前を通り越して唐木細工の店先まで来た。その時後から来た電車が、突然自分の歩いている往来の向う側でとまったので、もしやという心から、筋違に通を横切って細い横町の角にある唐物屋の傍へ近寄ると、そこにも一本の鉄の柱に、先刻のと同じような、小川町停留所という文字が白く書いてあった。彼は念のためこの角に立って、二三台の電車を待ち合わせた。すると最初には青山というのが来た。次には九段新宿というのが来た。が、いずれも万世橋の方から真直に進んで来るので彼はようやく安心した。これでよもやの懸念もなくなったから、そろそろ元の位地に帰ろうというつもりで、彼は足の向を更えにかかった途端に、南から来た一台がぐるりと美土代町の角を回転して、また敬太郎の立っている傍でとまった。彼はその電車の運転手の頭の上に黒く掲げられた巣鴨の二字を読んだ時、始めて自分の不注意に気がついた。三田方面から丸の内を抜けて小川町で降りるには、神田橋の大通りを真直に突き当って、左へ曲っても今敬太郎の立っている停留所で降りられるし、また右へ曲っても先刻彼の検分しておいた瀬戸物屋の前で降りられるのである。そうして両方とも同じ小川町停留所と白いペンキで書いてある以上は、自分がこれから後を跟けようという黒い中折の男は、どっちへ降りるのだか、彼にはまるで見当がつかない事になるのである。眼を走らせて、二本の赤い鉄柱の距離を目分量で測って見ると、一町には足りないくらいだが、いくら眼と鼻の間だからと云って、一方だけを専門にしてさえ覚束ない彼の監視力に対して、両方共手落なく見張り終せる手際を要求するのは、どれほど自分の敏腕を高く見積りたい今の敬太郎にも絶対の不可能であった。彼は自分の住居っている地理上の関係から、常に本郷三田間を連絡する電車にばかり乗っていたため、巣鴨方面から水道橋を通って同じく三田に続く線路の存在に、今が今まで気がつかずにいた自己の迂闊を深く後悔した。  彼は困却の余りふと思いついた窮策として、須永の助力でも借りに行こうかと考えた。しかし時計はもう四時七分前に逼っていた。ついこの裏通に住んでいる須永だけれども、門前まで駈けつける時間と、かい摘んで用事を呑み込ます時間を勘定に入れればとても間に合いそうにない。よしそのくらいの間は取れるとしたところで、須永に一方の見張りを頼む以上は、もし例の紳士が彼のいる方へ降りるならば、何かの手段で敬太郎に合図をしなければならない。それもこの人込の中だから、手を挙げたり手帛を振るぐらいではちょっと通じかねる。紛れもなく敬太郎に分らせようとするには、往来を驚ろかすほどな大きな声で叫ぶに限ると云ってもいいくらいなものだが、そう云う突飛なよほどな場合でも体裁を重んずる須永のような男にできるはずがない。万一我慢してやってくれたところで、こっちから駆けて行く間には、肝心の黒の中折帽を被った男の姿は見えなくなってしまわないとも云えない。――こう考えた敬太郎はやむを得ないから運を天に任せてどっちか一方の停留所だけ守ろうと決心した。 二十六  決心はしたようなものの、それでは今立っている所を動かないための横着と同じ事になるので、わざと成効を度外に置いて仕事にかかった不安を感ぜずにはいられなかった。彼は首を延ばすようにして、また東の停留所を望んだ。位地のせいか、向の具合か、それとも自分が始終乗降に慣れている訳か、どうもそちらの方が陽気に見えた。尋ねる人も何だか向で降りそうな心持がした。彼はもう一度見張るステーションを移そうかと思いながら、なおかつ決しかねてしばらく躊躇していた。するとそこへ江戸川行の電車が一台来てずるずるととまった。誰も降者がないのを確かめた車掌は、一分と立たないうちにまた車を出そうとした。敬太郎は錦町へ抜ける細い横町を背にして、眼の前の車台にはほとんど気のつかないほど、ここにいようかあっちへ行こうかと迷っていた。ところへ後の横町から突然馳け出して来た一人の男が、敬太郎を突き除けるようにして、ハンドルへ手をかけた運転手の台へ飛び上った。敬太郎の驚ろきがまだ回復しないうちに、電車はがたりと云う音を出してすでに動き始めた。飛び上がった男は硝子戸の内へ半分身体を入れながら失敬しましたと云った。敬太郎はその男と顔を見合せた時、彼の最後の視線が、自分の足の下に落ちたのを注意した。彼は敬太郎に当った拍子に、敬太郎の持っていた洋杖を蹴飛ばして、それを持主の手から地面の上へ振り落さしたのである。敬太郎は直曲んで洋杖を拾い上げようとした。彼はその時蛇の頭が偶然東向に倒れているのに気がついた。そうしてその頭の恰好を何となしに、方角を教える指標のように感じた。 「やっぱり東が好かろう」  彼は早足に瀬戸物屋の前まで帰って来た。そこで本郷三丁目と書いた電車から降りる客を、一人残らず物色する気で立った。彼は最初の二三台を親の敵でも覘うように怖い眼つきで吟味した後、少し心に余裕ができるに連れて、腹の中がだんだん気丈になって来た。彼は自分の眼の届く広場を、一面の舞台と見傚して、その上に自分と同じ態度の男が三人いる事を発見した。その一人は派出所の巡査で、これは自分と同じ方を向いて同じように立っていた。もう一人は天下堂の前にいるポイントマンであった。最後の一人は広場の真中に青と赤の旗を神聖な象徴のごとく振り分ける分別盛りの中年者であった。そのうちでいつ出て来るか知れない用事を期待しながら、人目にはさも退屈そうに立っているものは巡査と自分だろうと敬太郎は考えた。  電車は入れ代り立ち代り彼の前にとまった。乗るものは無理にも窮屈な箱の中に押し込もうとする、降りるものは権柄ずくで上から伸しかかって来る。敬太郎はどこの何物とも知れない男女が聚まったり散ったりするために、自分の前で無作法に演じ出す一分時の争を何度となく見た。けれども彼の目的とする黒の中折の男はいくら待っても出て来なかった。ことに依ると、もうとうに西の停留所から降りてしまったものではなかろうかと思うと、こうして役にも立たない人の顔ばかり見つめて、眼のちらちらするほど一つ所に立っているのは、随分馬鹿気た所作に見えて来る。敬太郎は下宿の机の前で熱に浮かされた人のように夢中で費やした先刻の二時間を、充分須永と打ち合せをして彼の援助を得るために利用した方が、遥かに常識に適った遣口だと考え出した。彼がこの苦い気分を痛切に甞めさせられる頃から空はだんだん光を失なって、眼に映る物の色が一面に蒼く沈んで来た。陰鬱な冬の夕暮を補なう瓦斯と電気の光がぽつぽつそこらの店硝子を彩どり始めた。ふと気がついて見ると、敬太郎から一間ばかりの所に、廂髪に結った一人の若い女が立っていた。電車の乗降が始まるたびに、彼は注意の余波を自分の左右に払っていたつもりなので、いつどっちから歩き寄ったか分らない婦人を思わぬ近くに見た時は、何より先にまずその存在に驚ろかされた。 二十七  女は年に合わして地味なコートを引き摺るように長く着ていた。敬太郎は若い人の肉を飾る華麗な色をその裏に想像した。女はまたわざとそれを世間から押し包むようにして立っていた。襦袢の襟さえ羽二重の襟巻で隠していた。その羽二重の白いのが、夕暮の逼るに連れて、空気から浮き出して来るほかに、女は身の周囲に何といって他の注意を惹くものを着けていなかった。けれども時節柄に頓着なく、当人の好尚を示したこの一色が、敬太郎には何よりも際立って見えた。彼は光の抜けて行く寒い空の下で、不調和な異な物に出逢った感じよりも、煤けた往来に冴々しい一点を認めた気分になって女の頸の辺を注意した。女は敬太郎の視線を正面に受けた時、心持身体の向を変えた。それでもなお落ちつかない様子をして、右の手を耳の所まで上げて、鬢から洩れた毛を後へ掻きやる風をした。固より女の髪は綺麗に揃っていたのだから、敬太郎にはこの挙動が実のない科としてのみ映ったのだが、その手を見た時彼はまた新たな注意を女から強いられた。  女は普通の日本の女性のように絹の手袋を穿めていなかった。きちりと合う山羊の革製ので、華奢な指をつつましやかに包んでいた。それが色の着いた蝋を薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋の皺も一分の弛みも余していなかった。敬太郎は女の手を上げた時、この手袋が女の白い手頸を三寸も深く隠しているのに気がついた。彼はそれぎり眼を転じてまた電車に向った。けれども乗降の一混雑が済んで、思う人が出て来ないと、また心に二三分の余裕ができるので、それを利用しようと待ち構えるほどの執着はなかったにせよ、電車の通り越した相間相間には覚られないくらいの視力を使って常に女の方を注意していた。  始め彼はこの女を「本郷行」か「亀沢町行」に乗るのだろうと考えていた。ところが両方の電車が一順廻って来て、自分の前に留っても、いっこう乗る様子がないので、彼は少々変に思った。あるいは無理に込み合っている車台に乗って、押し潰されそうな窮屈を我慢するよりも、少し時間の浪費を怺えた方が差引得になるという主義の人かとも考えて見たが、満員という札もかけず、一つや二つの空席は充分ありそうなのが廻って来ても、女は少しも乗る素振を見せないので、敬太郎はいよいよ変に思った。女は敬太郎から普通以上の注意を受けていると覚ったらしく、彼が少しでも手足の態度を改ためると、雨の降らないうちに傘を広げる人のように、わざと彼の観察を避ける準備をした。そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向うへ二三歩あるき出したりした。それがため、妙に遠慮深いところのできた敬太郎はなるべく露骨に女の方を見るのを慎しんでいた。がしまいにふと気がついて、この女は不案内のため、自分の勝手で好い加減にきめた停留所の前に来て、乗れもしない電車をいつまでも待っているのではなかろうかと思った。それなら親切に教えてやるべきだという勇気が急に起ったので、彼は逡巡する気色もなく、真正面に女の方を向いた。すると女はふいと歩き出して、二三間先の宝石商の窓際まで行ったなり、あたかも敬太郎の存在を認めぬもののごとくに、そこで額を窓硝子に着けるように、中に並べた指環だの、帯留だの枝珊瑚の置物だのを眺め始めた。敬太郎は見ず知らずの他人に入らざる好意立をして、かえって自分と自分の品位を落したのを馬鹿らしく感じた。  女の容貌は始めから大したものではなかった。真向に見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻つきは誰の目にも少し低過ぎた。その代り色が白くて、晴々しい心持のする眸を有っていた。宝石商の電灯は今硝子越に彼女の鼻と、豊くらした頬の一部分と額とを照らして、斜かけに立っている敬太郎の眼に、光と陰とから成る一種妙な輪廓を与えた。彼はその輪廓と、長いコートに包まれた恰好のいい彼女の姿とを胸に収めて、また電車の方に向った。 二十八  電車がまた二三台来た。そうして二三台共また敬太郎の失望をくり返さして東へ去った。彼は成功を思い切った人のごとくに帯の下から時計を出して眺めた。五時はもうとうに過ぎていた。彼は今更気がついたように、頭の上に被さる黒い空を仰いで、苦々しく舌打をした。これほど骨を折って網を張った中へかからない鳥は、西の停留所から平気で逃げたんだと思うと、他を騙すためにわざわざ拵らえた婆さんの予言も、大事そうに持って出た竹の洋杖も、その洋杖が与えてくれた方角の暗示も、ことごとく忌々しさの種になった。彼は暗い夜を欺むいて眼先にちらちらする電灯の光を見廻して、自分をその中心に見出した時、この明るい輝きも必竟自分の見残した夢の影なんだろうと考えた。彼はそのくらい興を覚ましながらまだそのくらい寝惚けた心持を失わずに立っていたが、やがて早く下宿へ帰って正気の人間になろうという覚悟をした。洋杖は自分の馬鹿を嘲ける記念だから、帰りがけに人の見ていない所で二つに折って、蛇の頭も鉄の輪の突がねもめちゃめちゃに、万世橋から御茶の水へ放り込んでやろうと決心した。  彼はすでに動こうとして一歩足を移しかけた時、また先刻の若い女の存在に気がついた。女はいつの間にか宝石商の窓を離れて、元の通り彼から一間ばかりの所に立っていた。背が高いので、手足も人尋常より恰好よく伸びたところを、彼は快よく始めから眺めたのだが、今度はことにその右の手が彼の心を惹いた。女は自然のままにそれをすらりと垂れたなり、まるで他の注意を予期しないでいたのである。彼は素直に調子の揃った五本の指と、しなやかな革で堅く括られた手頸と、手頸の袖口の間から微かに現われる肉の色を夜の光で認めた。風の少ない晩であったが、動かないで長く一所に立ち尽すものに、寒さは辛く当った。女は心持ち顋を襟巻の中に埋めて、俯目勝にじっとしていた。敬太郎は自分の存在をわざと眼中に置かないようなこの眼遣の底に、かえって自分が気にかかっているらしい反証を得たと信じた。彼が先刻から蚤取眼で、黒の中折帽を被った紳士を探している間、この女は彼と同じ鋭どい注意を集めて、観察の矢を絶えずこっちに射がけていたのではなかろうか。彼はある男を探偵しつつ、またある女に探偵されつつ、一時間余をここに過ごしたのではなかろうか。けれどもどこの何物とも知れない男の、何をするか分らない行動を、何のために探るのだか、彼には何らの考がなかったごとく、どこの何物とも知れない女から何を仕出かすか分らない人として何のために自分が覘われるのだか、そこへ行くとやはりまるで要領を得なかった。敬太郎はこっちで少し歩き出して見せたら向うの様子がもっと鮮明に分るだろうという気になって、そろりそろりと派出所の後を西の方へ動いて行った。もちろん女に勘づかれないために、彼は振向いて後を見る動作を固く憚かった。けれどもいつまでも前ばかり見て先へ行っては、肝心の目的を達する機会がないので、彼は十間ほど来たと思う時分に、わざと見たくもない硝子窓を覗いて、そこに飾ってある天鵞絨の襟の着いた女の子のマントを眺める風をしながら、そっと後を振り向いた。すると女は自分の背後にいるどころではなかった。延び上ってもいろいろな人が自分を追越すように後から後から来る陰になって、白い襟巻も長いコートもさらに彼の眼に入らなかった。彼はそのまま前へ進む勇気があるかを自分に疑ぐった。黒い中折の帽子を被った人の事なら、定刻の五時を過ぎた今だから、断念してもそれほどの遺憾はないが、女の方はどんなつまらない結果に終ろうとも、最少し観察していたかった。彼は女から自分が探偵されていると云う疑念を逆に投げ返して、こっちから女の行動を今しばらく注意して見ようという物数奇を起した。彼は落し物を拾いに帰る人の急ぎ足で、また元の派出所近く来た。そこの暗い陰に身を寄せるようにして窺うと、女は依然としてじっと通りの方を向いて立っていた。敬太郎の戻った事にはまるで気がついていない風に見えた。 二十九  その時敬太郎の頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑が起った。女は現代多数の日本婦人にあまねく行われる廂髪に結っているので、その辺の区別は始めから不分明だったのである。が、いよいよ物陰に来て、半後になったその姿を眺めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼を襲って来た。  見かけからいうとあるいは人に嫁いだ経験がありそうにも思われる。しかし身体の発育が尋常より遥かに好いからことによれば年は存外取っていないのかも知れない。それならなぜあんな地味な服装をしているのだろう。敬太郎は婦人の着る着物の色や縞柄について、何をいう権利も有たない男だが、若い女ならこの陰鬱な師走の空気を跳ね返すように、派出な色を肉の上に重ねるものだぐらいの漠とした観察はあったのである。彼はこの女が若々しい自分の血に高い熱を与える刺戟性の文をどこにも見せていないのを不思議に思った。女の身に着けたものの内で、わずかに人の注意を惹くのは頸の周囲を包む羽二重の襟巻だけであるが、それはただ清いと云う感じを起す寒い色に過ぎなかった。あとは冬枯の空と似合った長いコートですぽりと隠していた。  敬太郎は年に合わして余りに媚びる気分を失い過ぎたこの衣服を再び後から見て、どうしてもすでに男を知った結果だと判じた。その上この女の態度にはどこか大人びた落ちつきがあった。彼はその落ちつきを品性と教育からのみ来た所得とは見傚し得なかった。家庭以外の空気に触れたため、初々しい羞恥が、手帛に振りかけた香水の香のように自然と抜けてしまったのではなかろうかと疑ぐった。そればかりではない、この女の落ちつきの中には、落ちつかない筋肉の作用が、身体全体の運動となったり、眉や口の運動となって、ちょいちょい出て来るのを彼は先刻目撃した。最も鋭敏に動くものはその眼であろうと彼は疾くに認めていた。けれどもその鋭敏に動こうとする眼を、強いて動かすまいと力める女の態度もまた同時に認めない訳に行かなかった。だからこの女の落ちつきは、自分で自分の神経を殺しているという自覚に伴なったものだと彼は勘定していた。  ところが今後から見た女は身体といい気分といい比較的沈静して両方の間に旨く調子が取れているように思われた。彼女は先刻と違って、別段姿勢を改ためるでもなく、そろそろ歩き出すでもなく、宝石商の窓へ寄り添うでもなく、寒さを凌ぎかねる風情もなく、ほとんど閑雅とでも形容したい様子をして、一段高くなった人道の端に立っていた。傍には次の電車を待ち合せる人が二三散らばっていた。彼らは皆向うから来る車台を見つめて、早く自分の傍へ招き寄せたい風に見えた。敬太郎が立ち退いたので大いに安心したらしい彼女は、その中で最も熱心に何かを待ち受ける一人となって、筋向うの曲り角をじっと注意し始めた。敬太郎は派出所の陰を上へ廻って車道へ降りた。そうしてペンキ塗の交番を楯に、巡査の立っている横から女の顔を覘うように見た。そうしてその表情の変化にまた驚ろかされた。今まで後姿を眺めて物陰にいた時は、彼女を包む一色の目立たないコートと、その背の高さと、大きな廂髪とを材料に、想像の国でむしろ自由過ぎる結論を弄あそんだのだが、こうして彼女の知らない間に、その顔を遠慮なく眺めて見ると、全く新らしい人に始めて出逢ったような気がしない訳に行かなかった。要するに女は先刻より大変若く見えたのである。切に何物かを待ち受けているその眼もその口も、ただ生々した一種華やかな気色に充ちて、それよりほかの表情は毫も見当らなかった。敬太郎はそのうちに処女の無邪気ささえ認めた。  やがて女の見つめている方角から一台の電車が弓なりに曲った線路を、ぐるりと緩く廻転して来た。それが女のいる前で滑るようにとまった時、中から二人の男が出た。一人は紙で包んだボール箱のようなものを提げて、すたすた巡査の前を通り越して人道へ飛び上がったが、一人は降りると直に女の前に行って、そこに立ちどまった。 三十  敬太郎は女の笑い顔をこの時始めて見た。唇の薄い割に口の大きいのをその特徴の一つとして彼は最初から眺めていたが、美くしい歯を露き出しに現わして、潤沢の饒かな黒い大きな眼を、上下の睫の触れ合うほど、共に寄せた時は、この女から夢にも予期しなかった印象が新たに彼の頭に刻まれた。敬太郎は女の笑い顔に見惚れると云うよりもむしろ驚ろいて相手の男に視線を移した。するとその男の頭の上に黒い中折が乗っているのに気がついた。外套は判切霜降とは見分けられなかったが、帽子と同じ暗い光を敬太郎の眸に投げた。その上背は高かった。瘠ぎすでもあった。ただ年齢の点に至ると、敬太郎にはとかくの判断を下しかねた。けれどもその人が寿命の度盛の上において、自分とは遥か隔たった向うにいる事だけはたしかなので、彼はこの男を躊躇なく四十恰好と認めた。これだけの特点を前後なくほとんど同時に胸に入れ得た時、彼は自分が先刻から馬鹿を尽してつけ覘った本人がやっと今電車を降りたのだと断定しない訳に行かなかった。彼は例刻の五時がとうの昔しに過ぎたのに、妙な酔興を起して、やはり同じ所にぶらついていた自分を仕合せだと思った。その酔興を起させるため、自分の好奇心を釣りに若い女が偶然出て来てくれたのをありがたく思った。さらにその若い女が自分の探す人を、自分よりも倍以上の自信と忍耐をもって、待ち終せたのを幸運の一つに数えた。彼はこのXという男について、田口のために、ある知識を供給する事ができると共に、同じ知識がYという女に関する自分の好奇心を幾分か満足させ得るだろうと信じたからである。  男と女はまるで敬太郎の存在に気がつかなかったと見えて、前後左右に遠慮する気色もなく、なお立ちながら話していた。女は始終微笑を洩らす事をやめなかった。男も時々声を出して笑った。二人が始めて顔を合わした時の挨拶の様子から見ても彼らはけっして疎遠な間柄ではなかった。異性を繋ぎ合わせるようで、その実両方の仲を堰く、慇懃な男女間の礼義は彼らのどちらにも見出す事ができなかった。男は帽子の縁に手をかける面倒さえあえてしなかった。敬太郎はその鍔の下にあるべきはずの大きな黒子を面と向って是非突き留めたかった。もし女がいなかったならば肉の上に取り残されたこの異様な一点を確かめるために、彼はつかつかと男の前へ進んで行って、何でも好いから、ただ口から出任せの質問をかけたかも知れない。それでなくても、直ちに彼の傍へ近寄って、満足の行くまでその顔を覗き込んだろう。この際そう云う大胆な行動を妨たげるものは、男の前に立っている例の女であった。女が敬太郎の態度を悪く疑ぐったかどうかは問題として、彼の挙動に不審を抱いた様子は、同じ場所に長く立ち並んだ彼の目に親しく映じたところである。それを承知しながら、再びその視線の内に、自分の顔を無遠慮に突き出すのは、多少紳士的でない上に、嫌疑の火の手をわざと強くして、自分の目的を自分で打ち毀すと同じ結果になる。  こう考えた敬太郎は、自然の順序として相応の機会が廻って来るまでは、黒子の有る無しを見届けるだけは差し控えた方が得策だろうと判断した。その代り見え隠れに二人の後を跟けて、でき得るならば断片的でもいいから、彼らの談話を小耳に挟もうと覚悟した。彼は先方の許諾を待たないで、彼らの言動を、ひそかに我胸に畳み込む事の徳義的価値について、別に良心の相談を受ける必要を認めなかった。そうして自分の骨折から出る結果は、世故に通じた田口によって、必ず善意に利用されるものとただ淡泊に信じていた。  やがて男は女を誘なう風をした。女は笑いながらそれを拒むように見えた。しまいに半ば向き合っていた二人が、肩と肩を揃えて瀬戸物屋の軒端近く歩き寄った。そこから手を組み合わせないばかりに並んで東の方へ歩き出した。敬太郎は二三間早足に進んで、すぐ彼らの背後まで来た。そうして自分の歩調を彼らと同じ速度に改ためた。万一女に振り向かれても、疑惑を免かれるために、彼はけっして彼らの後姿には眼を注がなかった。偶然前後して天下の往来を同じ方角に行くもののごとくに、故意とあらぬ方を見て歩いた。 三十一 「だって余まりだわ。こんなに人を待たしておいて」  敬太郎の耳に入った第一の言葉は、女の口から出たこういう意味の句であったが、これに対する男の答は全く聞き取れなかった。それから五六間行ったと思う頃、二人の足が急に今までの歩調を失って、並んだ影法師がほとんど敬太郎の前に立ち塞がりそうにした。敬太郎の方でも、後から向うに突き当らない限りは先へ通り抜けなければ跋が悪くなった。彼は二人の後戻りを恐れて、急に傍にあった菓子屋の店先へ寄り添うように自分を片づけた。そうしてそこに並んでいる大きな硝子壺の中のビスケットを見つめる風をしながら、二人の動くのを待った。男は外套の中へ手を入れるように見えたが、それが済むと少し身体を横にして、下向きに右手で持ったものを店の灯に映した。男の顔の下に光るものが金時計である事が、その時敬太郎に分った。 「まだ六時だよ。そんなに遅かあない」 「遅いわあなた、六時なら。妾もう少しで帰るところよ」 「どうも御気の毒さま」  二人はまた歩き出した。敬太郎も壺入のビスケットを見棄ててその後に従がった。二人は淡路町まで来てそこから駿河台下へ抜ける細い横町を曲った。敬太郎も続いて曲ろうとすると、二人はその角にある西洋料理屋へ入った。その時彼はその門口から射す強い光を浴びた男と女の顔を横から一眼見た。彼らが停留所を離れる時、二人連れ立ってどこへ行くだろうか、敬太郎にはまるで想像もつかなかったのだが、突然こんな家へ入いられて見ると、何でもない所だけに、かえって案外の感に打たれざるを得なかった。それは宝亭と云って、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出入をする家であった。近頃普請をしてから新らしいペンキの色を半分電車通りに曝して、斜かけに立ち切られたような棟を南向に見せているのを、彼は通り掛りに時々注意した事がある。彼はその薄青いペンキの光る内側で、額に仕立てたミュンヘン麦酒の広告写真を仰ぎながら、肉刀と肉叉を凄まじく闘かわした数度の記憶さえ有っていた。  二人の行先については、これという明らかな希望も予期も無かったが、少しは紫がかった空気の匂う迷路の中に引き入れられるかも知れないくらいの感じが暗に働らいてこれまで後を跟けて来た敬太郎には、馬鈴薯や牛肉を揚げる油の臭が、台所からぷんぷん往来へ溢れる西洋料理屋は余りに平凡らしく見えた。けれども自分のとても近寄れない幽玄な所へ姿を隠して、それぎり出て来ないよりは、遥かに都合が好いと考え直した彼は、二人の身体が、誰にでも近寄る事のできる、普通の洋食店のペンキの奥に囲われているのをむしろ心丈夫だと覚った。幸い彼はこのくらいな程度の家で、冬空の外気に刺戟された食慾を充たすに足るほどの財布を懐中していた。彼はすぐ二人の後を追ってそこの二階へ上ろうとしたが、電灯の強く往来へ射す門口まで来た時、ふと気がついた。すでに女から顔を覚えられた以上、ほとんど同時に一つ二階へ押し上っては不味い。ひょっとするとこの人は自分を跟けて来たのだという疑惑を故意先方に与える訳になる。  敬太郎は何気ない振をして、往来へ射す光を横切ったまま、黒い小路を一丁ばかり先へ歩いた。そうしてその小路の尽きる坂下からまた黒い人となって、自分の影法師を自分の身体の中へ畳み込んだようにひっそりと明るい門口まで帰って来た。それからその門を潜った。時々来た事があるので、彼はこの家の勝手をほぼ承知していた。下には客を通す部屋がなくって、二階と三階だけで用を弁じているが、よほど込み合わなければ三階へは案内しない、大抵は二階で済むのだから、上って右の奥か、左の横にある広間を覗けば、大抵二人の席が見えるに違ない、もしそこにいなかったら表の方の細長い室まで開けてやろうぐらいの考で、階段を上りかけると、白服の給仕が彼を案内すべく上り口に立っているのに気がついた。 三十二  敬太郎は手に持った洋杖をそのままに段々を上り切ったので、給仕は彼の席を定める前に、まずその洋杖を受取った。同時にこちらへと云いながら背中を向けて、右手の広間へ彼を案内した。彼は給仕の後から自分の洋杖がどこに落ちつくかを一目見届けた。するとそこに先刻注意した黒の中折帽が掛っていた。霜降らしい外套も、女の着ていた色合のコートも釣るしてあった。給仕がその裾を動かして、竹の洋杖を突込んだ時、大きな模様を抜いた羽二重の裏が敬太郎の眼にちらついた。彼は蛇の頭がコートの裏に隠れるのを待って、そらにその持主の方に眼を転じた。幸いに女は男と向き合って、入口の方に背中ばかりを見せていた。新らしい客の来た物音に、振り返りたい気があっても、ぐるりと廻るのが、いったん席に落ちついた品位を崩す恐があるので、必要のない限り、普通の婦人はそういう動作を避けたがるだろうと考えた敬太郎は、女の後姿を眺めながら、ひとまず安堵の思いをした。女は彼の推察通りはたして後を向かなかった。彼はその間に女の坐っているすぐ傍まで行って背中合せに第二列の食卓につこうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰もかけず向も改ためない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支那めいた鉢に植えた松と梅の盆栽が飾りつけてあった。彼の前にはスープの皿があった。彼はその中に大きな匙を落したなり敬太郎と顔を見合せたのである。二人の間に横わる六尺に足らない距離は明らかな電灯が隈なく照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、潔ぎいい光を四方の食卓から反射していた。敬太郎はこういう都合のいい条件の具備した室で、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔の眉と眉の間に、田口から通知のあった通り、大きな黒子を認めた。  この黒子を別にして、男の容貌にこれと云った特異な点はなかった。眼も鼻も口も全く人並であった。けれども離れ離れに見ると凡庸な道具が揃って、面長な顔の表にそれぞれの位地を占めた時、彼は尋常以上に品格のある紳士としか誰の目にも映らなかった。敬太郎と顔を合せた時、スープの中に匙を入れたまま、啜る手をしばらくやめた態度などは、どこかにむしろ気高い風を帯びていた。敬太郎はそれなり背中を彼の方に向けて自分の席に着いたが、探偵という文字に普通付着している意味を心のうちで考え出して、この男の風采態度と探偵とはとても釣り合わない性質のものだという気がした。敬太郎から見ると、この人は探偵してしかるべき何物をも彼の人相の上に有っていなかったのである。彼の顔の表に並んでいる眼鼻口のいずれを取っても、その奥に秘密を隠そうとするには、余りにできが尋常過ぎたのである。彼は自分の席へ着いた時、田口から引き受けたこの宵の仕事に対する自分の興味が、すでに三分の一ばかり蒸発したような失望を感じた。第一こんな性質の仕事を田口から引き受けた徳義上の可否さえ疑がわしくなった。  彼は自分の注文を通したなり、ポカンとして麺麭に手も触れずにいた。男と女は彼らの傍に坐った新らしい客に幾分か遠慮の気味で、ちょっとの間話を途切らした。けれども敬太郎の前に暖められた白い皿が現われる頃から、また少し調子づいたと見えて、二人の声が互違に敬太郎の耳に入った。―― 「今夜はいけないよ。少し用があるから」 「どんな用?」 「どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ」 「あら好くってよ。妾ちゃんと知ってるわ。――さんざっぱら他を待たした癖に」  女は少し拗ねたような物の云い方をした。男は四辺に遠慮する風で、低く笑った。二人の会話はそれぎり静かになった。やがて思い出したように男の声がした。 「何しろ今夜は少し遅いから止そうよ」 「ちっとも遅かないわ。電車に乗って行きゃあ直じゃありませんか」  女が勧めている事も男が躊躇している事も敬太郎にはよく解った。けれども彼らがどこへ行くつもりなのだか、その肝心な目的地になると、彼には何らの観念もなかった。 三十三  もう少し聞いている内にはあるいはあたりがつくかも知れないと思って、敬太郎は自分の前に残された皿の上の肉刀と、その傍に転がった赤い仁参の一切を眺めていた。女はなお男を強いる事をやめない様子であった。男はそのたびに何とかかとか云って逃れていた。しかし相手を怒らせまいとする優しい態度はいつも変らなかった。敬太郎の前に新らしい肉と青豌豆が運ばれる時分には、女もとうとう我を折り始めた。敬太郎は心の内で、女がどこまでも剛情を張るか、でなければ男が好加減に降参するか、どっちかになればいいがと、ひそかに祈っていたのだから、思ったほど女の強くないのを発見した時は少なからず残念な気がした。せめて二人の間に名を出す必要のないものとして略されつつあった目的地だけでも、何かの機会に小耳に挟んでおきたかったが、いよいよ話が纏まらないとなると、男女の問答は自然ほかへ移らなければならないので、当分その望みも絶えてしまった。 「じゃ行かなくってもいいから、あれをちょうだい」と、やがて女が云い出した。 「あれって、ただあれじゃ分らない」 「ほらあれよ。こないだの。ね、分ったでしょう」 「ちっとも分らない」 「失敬ね、あなたは。ちゃんと分ってる癖に」  敬太郎はちょっと振り向いて後が見たくなった。その時階段を踏む大きな音が聞こえて、三人ばかりの客がどやどやと一度に上って来た。そのうちの一人はカーキー色の服に長靴を穿いた軍人であった。そうして床の上を歩く音と共に、腰に釣るした剣をがちゃがちゃ鳴らした。三人は上って左側の室へ案内された。この物音が例の男と女の会話を攪き乱したため、敬太郎の好奇心もちらつく剣の光が落ちつくまで中途に停止していた。 「この間見せていただいたものよ。分って」  男は分ったとも分らないとも云わなかった。敬太郎には無論想像さえつかなかった。彼は女がなぜ淡泊に自分の欲しいというものの名を判切云ってくれないかを恨んだ。彼は何とはなしにそれが知りたかったのである。すると、 「あんなもの今ここに持ってるもんかね」と男が云った。 「誰もここに持ってるって云やしないわ。ただちょうだいって云うのよ。今度でいいから」 「そんなに欲しけりゃやってもいい。が……」 「あッ嬉しい」  敬太郎はまた振り返って女の顔が見たくなった。男の顔もついでに見ておきたかった。けれども女と一直線になって、背中合せに坐っている自分の位置を考えると、この際そんな盲動は慎しまなければならないので、眼のやりどころに困るという風で、ただ正面をぽかんと見廻した。すると勝手の上り口の方から、給仕が白い皿を二つ持って入って来て、それを古いのと引き更えに、二人の前へ置いて行った。 「小鳥だよ。食べないか」と男が云った。 「妾もうたくさん」  女は焼いた小鳥に手を触れない様子であった。その代り暇のできた口を男よりは余計動かした。二人の問答から察すると、女の男にくれと逼ったのは珊瑚樹の珠か何からしい。男はこういう事に精通しているという口調で、いろいろな説明を女に与えていた。が、それは敬太郎には興味もなければ、解りもしない好事家の嬉しがる知識に過ぎなかった。練物で作ったのへ指先の紋を押しつけたりして、時々旨くごまかした贋物があるが、それは手障りがどこかざらざらするから、本当の古渡りとは直区別できるなどと叮嚀に女に教えていた。敬太郎は前後を綜合わして、何でもよほど貴とい、また大変珍らしい、今時そう容易くは手に入らない時代のついた珠を、女が男から貰う約束をしたという事が解った。 「やるにはやるが、御前あんなものを貰って何にする気だい」 「あなたこそ何になさるの。あんな物を持ってて、男の癖に」 三十四  しばらくして男は「御前御菓子を食べるかい、菓物にするかい」と女に聞いた。女は「どっちでも好いわ」と答えた。彼らの食事がようやく終りに近づいた合図とも見られるこの簡単な問答が、今までうっかりと二人の話に釣り込まれていた敬太郎に、たちまち自分の義務を注意するように響いた。彼はこの料理屋を出た後の二人の行動をも観察する必要があるものとして、自分で自分の役割を作っていたのである。彼は二人と同時に二階を下りる事の不得策を初めから承知していた。後れて席を立つにしても、巻煙草を一本吸わない先に、夜と人と、雑沓と暗闇の中に、彼らの姿を見失なうのはたしかであった。もし間違いなく彼らの影を踏んで後から喰付いて行こうとするなら、どうしても一足先へ出て、相手に気のつかない物陰か何かで、待ち合せるよりほかに仕方がないと考えた。敬太郎は早く勘定を済ましておくに若くはないという気になって、早速給仕を呼んでビルを請求した。  男と女はまだ落ちついて話していた。しかし二人の間に何というきまった題目も起らないので、それを種に意見や感情の交換も始まる機会はなく、ただだらしのない雲のようにそれからそれへと流れて行くだけに過ぎなかった。男の特徴に数えられた眉と眉の間の黒子なども偶然女の口に上った。 「なぜそんな所に黒子なんぞができたんでしょう」 「何も近頃になって急にできやしまいし、生れた時からあるんだ」 「だけどさ。見っともなかなくって、そんな所にあって」 「いくら見っともなくっても仕方がないよ。生れつきだから」 「早く大学へ行って取って貰うといいわ」  敬太郎はこの時指洗椀の水に自分の顔の映るほど下を向いて、両手で自分の米噛を隠すように抑えながら、くすくすと笑った。ところへ給仕が釣銭を盆に乗せて持って来た。敬太郎はそっと立って目立たないように階段の上り口までおとなしく足を運ぶと、そこに立っていた給仕が大きな声で、「御立あち」と下へ知らせた。同時に敬太郎は先刻給仕に預けた洋杖を取って来るのを忘れた事に気がついた。その洋杖はいまだに室の隅に置いてある帽子掛の下に突き込まれたまま、女の長いコートの裾に隠されていた。敬太郎は室の中にいる男女を憚かるように、抜き足で後戻りをして、静かにそれを取り出した。彼が蛇の頭を握った時、すべすべした羽二重の裏と、柔かい外套の裏が、優しく手の甲に触れるのを彼は感じた。彼はまた爪先で歩かないばかりに気をつけて階段の上まで来ると、そこから急に調子を変えて、とん、とん、とんと刻み足に下へ駆け下りた。表へ出るや否や電車通を直ぐ向うへ横切った。その突き当りに、大きな古着屋のような洋服屋のような店があるので、彼はその店の電灯の光を後にして立った。こうしてさえいれば料理店から出る二人が大通りを右へ曲ろうが、左へ折れようが、または中川の角に添って連雀町の方へ抜けようが、あるいは門からすぐ小路伝いに駿河台下へ向おうが、どっちへ行こうと見逃す気遣はないと彼は心丈夫に洋杖を突いて、目指す家の門口を見守っていた。  彼は約十分ばかり待った後で、注意の焼点になる光の中に、いっこう人影が射さないのを不審に思い始めた。やむを得ず二階を眺めてその窓だけ明るくなった奥を覗くように、彼らの早く席を立つ事を祈った。そうして待ち草臥れた眼を移すごとに、屋根の上に広がる黒い空を仰いだ。今まで地面の上を照らしている人間の光ばかりに欺むかれて、まるでその存在を忘れていたこの大きな夜は、暗い頭の上で、先刻から寒そうな雨を醸していたらしく、敬太郎の心を佗びしがらせた。ふと考えると、今までは自分に遠慮してただの話をしていた二人が、自分の立ったのを幸いに、自分の役目として是非聞いておかなければならないような肝心の相談でもし始めたのではなかろうか。彼はこの疑惑と共に黒い空を仰ぎながら、そのうちに二人の向き合った姿をありありと認めた。 三十五  彼はあまり注意深く立ち廻って、かえって洋食店の門を早く出過ぎたのを悔んだ。けれども二人が彼に気兼をする以上は、たとい同じ席にいつまでも根が生えたように腰を据えていたところで、やっぱり普通の世間話よりほかに聞く訳には行かないのだから、よし今まで坐ったまま動かないものと仮定しても、その結果は早く席を立ったと、ほぼ同じ事になるのだと思うと、彼は寒いのを我慢しても、同じ所に見張っているより仕方なかった。すると帽子の廂へ雨が二雫ほど落ちたような気がするので、彼はまた仰向いて黒い空を眺めた。闇よりほかに何も眼を遮ぎらない頭の上は、彼の立っている電車通と違って非常に静であった。彼は頬の上に一滴の雨を待ち受けるつもりで、久しく顔を上げたなり、恰好さえ分らない大きな暗いものを見つめている間に、今にも降り出すだろうという掛念をどこかへ失なって、こんな落ちついた空の下にいる自分が、なぜこんな落ちつかない真似を好んでやるのだろうと偶然考えた。同時にすべての責任が自分の今突いている竹の洋杖にあるような気がした。彼は例のごとく蛇の頭を握って、寒さに対する欝憤を晴らすごとくに、二三度それを烈しく振った。その時待ち佗びた人の影法師が揃って洋食店の門口を出た。敬太郎は何より先に女の細長い頸を包む白い襟巻に眼をつけた。二人はすぐと大通りへ出て、敬太郎の向う側を、先刻とは反対の方角に、元来た道へ引き返しにかかった。敬太郎も猶予なく向うへ渡った。彼らは緩い歩調で、賑やかに飾った店先を軒ごとに覗くように足を運ばした。後から跟いて行く敬太郎は是非共二人に釣り合った歩き方をしなければならないので、その遅過ぎるのがだいぶ苦になった。男は香の高い葉巻を銜えて、行く行く夜の中へ微かな色を立てる煙を吐いた。それが風の具合で後から従がう敬太郎の鼻を時々快ろよく侵した。彼はその香いを嗅ぎ嗅ぎ鈍い足並を我慢して実直にその跡を踏んだ。男は背が高いので後から見ると、ちょっと西洋人のように思われた。それには彼の吹かしている強い葉巻が多少錯覚を助けた。すると聯想がたちまち伴侶の方に移って、女が旦那から買って貰った革の手袋を穿めている洋妾のように思われた。敬太郎がふとこういう空想を起して、おかしいと思いながらも、なお一人で興を催していると、二人は最前待ち合わした停留所の前まで来てちょっと立ちどまったが、やがてまた線路を横切って向側へ越した。敬太郎も二人のする通りを真似た。すると二人はまた美土代町の角をこちらから反対の側へ渡った。敬太郎もつづいて同じ側へ渡った。二人はまた歩き出して南へ動いた。角から半町ばかり来ると、そこにも赤く塗った鉄の柱が一本立っていた。二人はその柱の傍へ寄って立った。彼らはまた三田線を利用して南へ、帰るか、行くか、する人だとこの時始めて気がついた敬太郎は、自分も是非同じ電車へ乗らなければなるまいと覚悟した。彼らは申し合せたように敬太郎の方を顧みた。固より彼のいる方から電車が横町を曲って来るからではあるが、それにしても敬太郎は余り好い心持はしなかった。彼は帽子の鍔をひっくり返して、ぐっと下へおろして見たり、手で顔を撫でて見たり、なるべく軒下へ身を寄せて見たり、わざと変な見当を眺めて見たりして、電車の現われるのをつらく待ち佗びた。  間もなく一台来た。敬太郎はわざと二人の乗った後から這入って、嫌疑を避けようと工夫した。それでしばらく後の方にぐずぐずしていると、女は例の長いコートの裾を踏まえないばかりに引き摺って車掌台の上に足を移した。しかしあとから直続くと思った男は、案外上る気色もなく、足を揃えたまま、両手を外套の隠袋に突き差して立っていた。敬太郎は女を見送りに男がわざわざここまで足を運んだのだという事にようやく気がついた。実をいうと、彼は男よりも女の方に余計興味を持っていたのである。男と女がここで分れるとすれば、無論男を捨てて女の先途だけを見届けたかった。けれども自分が田口から依託されたのは女と関係のない黒い中折帽を被った男の行動だけなので、彼は我慢して車台に飛び上がるのを差し控えた。 三十六  女は車台に乗った時、ちょっと男に目礼したが、それぎり中へ這入ってしまった。冬の夜の事だから、窓硝子はことごとく締め切ってあった。女はことさらにそれを開けて内から首を出すほどの愛嬌も見せなかった。それでも男はのっそり立って、車の動くのを待っていた。車は動き出した。二人の間に挨拶の交換がもう必要でないと認めたごとく、電力は急いで光る窓を南の方へ運び去った。男はこの時口に銜えた葉巻を土の上に投げた。それから足の向を変えてまた三ツ角の交叉点まで出ると、今度は左へ折れて唐物屋の前でとまった。そこは敬太郎が人に突き当られて、竹の洋杖を取り落した記憶の新らしい停留所であった。彼は男の後を見え隠れにここまで跟いて来て、また見たくもない唐物屋の店先に飾ってある新柄の襟飾だの、絹帽だの、変り縞の膝掛だのを覗き込みながら、こう遠慮をするようでは、探偵の興も覚めるだけだと考えた。女がすでに離れた以上、自分の仕事に飽が来たと云ってはすまないが、前同様であるべき窮屈の程度が急に著るしく感ぜられてならなかった。彼の依頼されたのは中折の男が小川町で降りてから二時間内の行動に限られているのだから、もうこれで偵察の役目は済んだものとして、下宿へ帰って寝ようかとも思った。  そこへ男の待っている電車が来たと見えて、彼は長い手で鉄の棒を握るや否や瘠せた身体を体よくとまり切らない車台の上に乗せた。今まで躊躇していた敬太郎は急にこの瞬間を失なってはという気が出たので、すぐ同じ車台に飛び上った。車内はそれほど込みあっていなかったので、乗客は自由に互の顔を見合う余裕を充分持っていた。敬太郎は箱の中に身体を入れると同時に、すでに席を占めた五六人から一度に視線を集められた。そのうちには今坐ったばかりの中折の男のも交っていたが、彼の敬太郎を見た眼のうちには、おやという認識はあったが、つけ覘われているなという疑惑はさらに現われていなかった。敬太郎はようやく伸び伸びした心持になって、男と同じ側を択って腰を掛けた。この電車でどこへ連れて行かれる事かと思って軒先を見ると、江戸川行と黒く書いてあった。彼は男が乗り換えさえすれば、自分も早速降りるつもりで、停留所へ来るごとに男の様子を窺がった。男は始終隠袋へ手を突き込んだまま、多くは自分の正面かわが膝の上かを見ていた。その様子を形容すると、何にも考えずに何か考え込んでいると云う風であった。ところが九段下へかかった頃から、長い首を時々伸ばして、ある物を確かめたいように、窓の外を覗き出した。敬太郎もつい釣り込まれて、見悪い外を透かすように眺めた。やがて電車の走る響の中に、窓硝子にあたって摧ける雨の音が、ぽつりぽつりと耳元でし始めた。彼は携えている竹の洋杖を眺めて、この代りに雨傘を持って来ればよかったと思い出した。  彼は洋食店以後、中折を被った男の人柄と、世の中にまるで疑をかけていないその眼つきとを注意した結果、この時ふと、こんな窮屈な思いをして、いらざる材料を集めるよるも、いっそ露骨にこっちから話しかけて、当人の許諾を得た事実だけを田口に報告した方が、今更遅蒔のようでも、まだ気が利いていやしないかと考えて、自分で自分を彼に紹介する便法を工夫し始めた。そのうち電車はとうとう終点まで来た。雨はますます烈しくなったと見えて、車がとまるとざあという音が急に彼の耳を襲った。中折の男は困ったなと云いながら、外套の襟を立てて洋袴の裾を返した。敬太郎は洋杖を突きながら立ち上った。男は雨の中へ出ると、直寄って来る俥引を捕まえた。敬太郎も後れないように一台雇った。車夫は梶棒を上げながら、どちらへと聞いた。敬太郎はあの車の後について行けと命じた。車夫はへいと云ってむやみに馳け出した。一筋道を矢来の交番の下まで来ると、車夫は又梶棒をとめて、旦那どっちへ行くんですと聞いた。男の乗った車はいくら幌の内から延び上っても影さえ見えなかった。敬太郎は車上に洋杖を突っ張ったまま、雨の音のする中で方角に迷った。 報告 一  眼が覚めると、自分の住み慣れた六畳に、いつもの通り寝ている自分が、敬太郎には全く変に思われた。昨日の出来事はすべて本当のようでもあった。また纏まりのない夢のようでもあった。もっと綿密に形容すれば、「本当の夢」のようでもあった。酔った気分で町の中に活動したという記憶も伴なっていた。それよりか、酔った気分が世の中に充ち充ちていたという感じが一番強かった。停留所も電車も酔った気分に充ちていた。宝石商も、革屋も、赤と青の旗振りも、同じ空気に酔っていた。薄青いペンキ塗の洋食店の二階も、そこに席を占めた眉の間に黒子のある紳士も、色の白い女も、ことごとくこの空気に包まれていた。二人の話しに出て来る、どこにあるか分らない所の名も、男が女にやる約束をした珊瑚の珠も、みんな陶然とした一種の気分を帯びていた。最もこの気分に充ちて活躍したものは竹の洋杖であった。彼がその洋杖を突いたまま、幌を打つ雨の下で、方角に迷った時の心持は、この気分の高潮に達した幕前の一区切として、ほとんど狐から取り憑かれた人の感じを彼に与えた。彼はその時店の灯で佗びしく照らされたびしょ濡れの往来と、坂の上に小さく見える交番と、その左手にぼんやり黒くうつる木立とを見廻して、はたしてこれが今日の仕事の結末かと疑ぐった。彼はやむを得ず車夫に梶棒を向け直させて、思いも寄らない本郷へ行けと命じた事を記憶していた。  彼は寝ながら天井を眺めて、自分に最も新らしい昨日の世界を、幾順となく眼の前に循環させた。彼は二日酔の眼と頭をもって、蚕の糸を吐くようにそれからそれへと出てくるこの記念の画を飽かず見つめていたが、しまいには眼先に漂ようふわふわした夢の蒼蠅さに堪えなくなった。それでも後から後からと向うで独り勝手に現われて来るので、彼は正気でありながら、何かに魅入られたのではなかろうかと云う疑さえ起した。彼はこの浅い疑に関聯して、例の洋杖を胸に思い浮べざるを得なかった。昨日の男も女も彼の眼には絵を見るほど明らかであった。容貌は固より服装から歩きつきに至るまでことごとく記憶の鏡に判切りと映った。それでいて二人とも遠くの国にいるような心持がした。遠くの国にいながら、つい近くにあるものを見るように、鮮やかな色と形を備えて眸を侵して来た。この不思議な影響が洋杖から出たかも知れないという神経を敬太郎はどこかに持っていた。彼は昨夕法外な車賃を貪ぼられて、宿の門口を潜った時、何心なくその洋杖を持ったまま自分の室まで帰って来て、これは人の目に触れる所に置くべきものでないという顔をして、寝る前に、戸棚の奥の行李の後へ投げ込んでしまったのである。  今朝は蛇の頭にそれほどの意味がないようにも思われた。ことにこれから田口に逢って、探偵の結果を報告しなければならないと云う実際問題の方が頭に浮いて来ると、なおさらそういう感じが深くなった。彼は一日の午後から宵へかけて、妙に一種の空気に酔わされた気分で活動した自覚はたしかにあるが、いざその活動の結果を、普通の人間が処世上に利用できるように、筋の立った報告に纏める段になると、自分の引き受けた仕事は成効しているのか失敗しているのかほとんど分らなかった。したがって洋杖の御蔭を蒙っているのか、いないのかも判然しなかった。床の中で前後をくり返した敬太郎には、まさしくその御蔭を蒙っているらしくも見えた。またけっしてその御蔭を蒙っていないようにも思われた。  彼はともかくも二日酔の魔を払い落してからの事だと決心して、急に夜着を剥ぐって跳ね起きた。それから洗面所へ下りて氷るほど冷めたい水で頭をざあざあ洗った。これで昨日の夢を髪の毛の根本から振い落して、普通の人間に立ち還ったような気になれたので、彼は景気よく三階の室に上った。そこの窓を潔ぎよく明け放した彼は、東向に直立して、上野の森の上から高く射す太陽の光を全身に浴びながら、十遍ばかり深呼吸をした。こう精神作用を人間並に刺戟した後で、彼は一服しながら、田口へ報告すべき事柄の順序や条項について力めて実際的に思慮を回らした。 二  突きとめて見ると、田口の役に立ちそうな種はまるで上がっていないようにも思われるので、敬太郎は少し心細くなって来た。けれども先方では今朝にも彼の報告を待ち受けているように気が急くので、彼はさっそく田口家へ電話を掛けた。これから直行っていいかと聞くと、だいぶ待たした後で、差支ないという答が、例の書生の口を通して来たので、彼は猶予なく内幸町へ出かけた。  田口の門前には車が二台待っていた。玄関にも靴と下駄が一足ずつあった。彼はこの間と違って日本間の方へ案内された。そこは十畳ほどの広い座敷で、長い床に大きな懸物が二幅掛かっていた。湯呑のような深い茶碗に、書生が番茶を一杯汲んで出した。桐を刳った手焙も同じ書生の手で運ばれた。柔かい座蒲団も同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出て来なかった。敬太郎は広い室の真中に畏まって、主人の足音の近づくのを窮屈に待った。ところがその主人は用談が果てないと見えて、いつまで待ってもなかなか現われなかった。敬太郎はやむを得ず茶色になった古そうな懸物の価額を想像したり、手焙の縁を撫で廻したり、あるいは袴の膝へきちりと両手を乗せて一人改たまって見たりした。すべて自分の周囲があまり綺麗に調っているだけに、居心地が新らし過ぎて彼は容易に落ちつけなかったのである。しまいに違棚の上にある画帖らしい物を取りおろしてみようかと思ったが、その立派な表紙が、これは装飾だから手を触れちゃいけないと断るように光るので、彼はついに手を出しかねた。  こう敬太郎の神経を悩ました主人は、彼をやや小一時間も待たした後で、ようやく応接間から出て来た。 「どうも長い間御待たせ申して。――客がなかなか帰らないものだから」  敬太郎はこの言訳に対して適当と思うような挨拶を一と口と、それに添えた叮嚀な御辞儀を一つした。それからすぐ昨日の事を云い出そうとしたが、何をどう先に述べたら都合がいいか、この場に臨んで急にまた迷い始めたうちに、切り出す機を逸してしまった。主人はまた冒頭からさも忙がしそうに声も身体も取り扱かっている癖に、どこか腹の中に余裕の貯蔵庫でもあるように、けっして周章て探偵の結果を聞きたがらなかった。本郷では氷が張るかとか、三階では風が強く当るだろうとか、下宿にも電話があるのかとか、調子は至極面白そうだけれども、その実つまらない事ばかり話の種にした。敬太郎は向うの問に従って主人の満足する程度にわが答えを運んでいたが、相手はこんな無意味な話を進めて行くうちに、暗に彼の様子を注意しているらしかった。そこまでは彼もぼんやり気がついた。しかし主人がなぜそんな注意を自分に払うのか、その訳はまるで解らなかった。すると、 「どうです昨日は。旨く行きましたか」と主人が突然聞き出した。こう聞かれるだろうぐらいの腹は始めから敬太郎にもあったのだが、正直に答えれば、「どうですか」という他を馬鹿にした生返事になるので、彼はちょっと口籠った後、 「そうです御通知のあった人だけはやっと探し当てました」と答えた。 「眉間に黒子がありましたか」  敬太郎は少し隆起した黒い肉の一点を局部に認めたと答えた。 「衣服もこっちから云って上げた通りでしたか。黒の中折に、霜降の外套を着て」 「そうです」 「それじゃ大抵間違はないでしょう。四時と五時の間に小川町で降りたんですね」 「時間は少し後れたようです」 「何分ぐらい」 「何分か知りませんが、何でも五時よっぽど過のようでした」 「よっぽど過。よっぽど過ならそんな人を待っていなくても好いじゃありませんか。四時から五時までの間と、わざわざ時間を切って通知して上げたくらいだから、五時を過ぎればもうあなたの義務はすんだも同然じゃないですか。なぜそのまま帰って、その通り報知しないんです」  今まで穏やかに機嫌よく話していた長者から突然こう手厳しくやりつけられようとは、敬太郎は夢にも思わなかった。 三  敬太郎は今まで下町出の旦那を眼の前に描いていた。それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧して来た時、彼はたちまち心の中心を狂わした。友達に対してなら云い得る「君のためだから」という言葉も挨拶も有っていたのだが、この場合にはそれがまるで役に立たなかった。 「ただ私の勝手で、時間が来てもそこを動かなかったのです」  敬太郎がこう答えるか答えないうちに、田口は今のきっとした態度をすぐ崩して、 「そりゃ私のために大変都合が好かった」と機嫌の好い調子で受けたが、「しかしあなたの勝手と云うのは何です」と聞き返した。敬太郎は少し逡巡した。 「なにそりゃ聞かないでも構いません。あなたの事だから。話したくなければ話さないでも差支ない」  田口はこう云って、自分の前に引きつけた手提煙草盆の抽出を開けると、その中から角でできた細長い耳掻を捜し出した。それを右の耳の中に入れて、さも痒ゆそうに掻き廻した。敬太郎は見ないふりをしてわざと自分を見ているような、また耳だけに気を取られているような、田口の蹙面を薄気味悪く感じた。 「実は停留所に女が一人立っていたのです」と彼はとうとう自白してしまった。 「年寄ですか、若い女ですか」 「若い女です」 「なるほど」  田口はただ一口こう云っただけで、何とも後を継いでくれなかった。敬太郎も頓挫したなり言葉を途切らした。二人はしばらく差向いのまま口を聞かずにいた。 「いや、若かろうが年寄だろうが、その婦人の事を聞くのはよくなかった。それはあなただけに関係のある事なんでしょうから、止しにしましょう。私の方じゃただ顔に黒子のある男について、研究の結果さえ伺がえばいいんだから」 「しかしその女が黒子のある人の行動に始終入り込んでくるのです。第一女の方で男を待ち合わしていたのですから」 「はあ」  田口はちょっと思いも寄らぬという顔つきをしたが、「じゃその婦人はあなたの御知合でも何でもないのですね」と聞いた。敬太郎は固より知合だと答える勇気を有たなかった。きまりの悪い思いをしても、見た事も口を利いた事もない女だと正直に云わなければならなかった。田口はそうですかと、穏かに敬太郎の返事を聞いただけで、少しも追窮する気色を見せなかったが、急に摧けた調子になって、 「どんな女なんです。その若い婦人と云うのは。器量からいうと」と興味に充ちた顔を提煙草盆の上に出した。 「いえ、なに、つまらない女なんです」と敬太郎は前後の行きがかり上答えてしまって、実際頭の中でもつまらないような気がした。これが相手と場合しだいでは、うん器量はなかなか好い方だぐらいは固より云い兼ねなかったのである。田口は「つまらない女」という敬太郎の判断を聞いて、たちまち大きな声を出して笑った。敬太郎にはその意味がよく解らなかったけれども、何でも頭の上で大濤が崩れたような心持がして、幾分か顔が熱くなった。 「よござんす、それで。――それからどうしました。女が停留所で待ち合わしているところへ男が来て」  田口はまた普通の調子に戻って、真面目に事件の経過を聞こうとした。実をいうと敬太郎は自分がこれから話す顛末を、どうして握る事ができたかの苦心談を、まず冒頭に敷衍して、二つある同じ名の停留所の迷った事から、不思議な謎の活きて働らく洋杖を、どう抱え出して、どう利用したかに至るまでを、自分の手柄のなるべく重く響くように、詳しく述べたかったのであるが、会うや否や四時と五時とのいきさつでやられた上に、勝手に見張りの時間を延ばした源因になる例の女が、源因にも何にもならない見ず知らずの女だったりした不味いところがあるので、自分を広告する勇気は全く抜けていた。それで男と女が洋食屋へ入ってから以後の事だけをごく淡泊り話して見ると、宅を出る時自分が心配していた通り、少しも捕まえどころのない、あたかも灰色の雲を一握り田口の鼻の先で開いて見せたと同じような貧しい報告になった。 四  それでも田口は別段厭な顔も見せなかった。落ちついた腕組をしまいまで解かずに、ただふんとか、なるほどとか、それからとか云う繋ぎの言葉を、時々敬太郎のために投げ込んでくれるだけであった。その代り報告の結末が来ても、まだ何か予期しているように、今までの態度を容易に変えなかった。敬太郎は仕方なしに、「それだけです。実際つまらない結果で御気の毒です」と言訳をつけ加えた。 「いやだいぶ参考になりました。どうも御苦労でした。なかなか骨が折れたでしょう」  田口のこの挨拶の中に、大した感謝の意を含んでいない事は無論であったが、自分が馬鹿に見えつつある今の敬太郎にはこれだけの愛嬌が充分以上に聞こえた。彼は辛うじて恥を掻かずにすんだという安心をこの時ようやく得た。同時に垂味のできた気分が、すぐ田口に向いて働らきかけた。 「いったいあの人は何なんですか」 「さあ何でしょうか。あなたはどう鑑定しました」  敬太郎の前には黒の中折を被って、襟開の広い霜降の外套を着た[#「着た」は底本では「来た」]男の姿がありありと現われた。その人の様子といい言葉遣いといい歩きつきといい、何から何まで判切見えたには見えたが、田口に対する返事は一口も出て来なかった。 「どうも分りません」 「じゃ性質はどんな性質でしょう」  性質なら敬太郎にもほぼ見当がついていた。「穏やかな人らしく思いました」と観察の通りを答えた。 「若い女と話しているところを見て、そう云うんじゃありませんか」  こう云った時、田口の唇の角に薄笑の影がちらついているのを認めた敬太郎は、何か答えようとした口をまた塞いでしまった。 「若い女には誰でも優しいものですよ。あなただって満更経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから」と田口は遠慮なく笑い出した。けれども笑いながらちゃんと敬太郎の上に自分の眼を注いでいた。敬太郎は傍で自分を見たらさぞ気の利かない愚物になっているんだろうと考えながらも、やっぱり苦しい思いをして田口と共に笑わなければいられなかった。 「じゃ女は何物なんでしょう」  田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分の方で敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に「女の方は男よりもなお分り悪いです」と答えてしまった。 「素人だか黒人だか、大体の区別さえつきませんか」 「さよう」と云いながら、敬太郎はちょっと考がえて見た。革の手袋だの、白い襟巻だの、美くしい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げて来たが、それを綜括ったところでどこからもこの問に応ぜられるような要領は得られなかった。 「割合に地味なコートを着て、革の手袋を穿めていましたが……」  女の身に着けた品物の中で、特に敬太郎の注意を惹いたこの二点も、田口には何の興味も与えないらしかった。彼はやがて真面目な顔をして、「じゃ男と女の関係について何か御意見はありませんか」と聞き出した。  敬太郎は先刻自分の報告が滞りなく済んだ証拠に、御苦労さまと云う謝辞さえ受けた後で、こう難問が続発しようとは毫も思いがけなかった。しかも窮しているせいか、それが順をおってだんだんむずかしい方へ競り上って行くように感ぜられてならなかった。田口は敬太郎の行きづまった様子を見て、再び同じ問をほかの言葉で説明してくれた。 「例えば夫婦だとか、兄弟だとか、またはただの友達だとか、情婦だとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか」 「私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」 「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」 五  敬太郎の胸にもこの疑は最初から多少萌さないでもなかった。改ためて自分の心を解剖して見たら、彼ら二人の間に秘密の関係がすでに成立しているという仮定が遠くから彼を操って、それがために偵察の興味が一段と鋭どく研ぎ澄まされたのかも知れなかった。肉と肉の間に起るこの関係をほかにして、研究に価する交渉は男女の間に起り得るものでないと主張するほど彼は理論家ではなかったが、暖たかい血を有った青年の常として、この観察点から男女を眺めるときに、始めて男女らしい心持が湧いて来るとは思っていたので、なるべくそこを離れずに世の中を見渡したかったのである。年の若い彼の眼には、人間という大きな世界があまり判切分らない代りに、男女という小さな宇宙はかく鮮やかに映った。したがって彼は大抵の社会的関係を、できるだけこの一点まで切落して楽んでいた。停留所で逢った二人の関係も、敬太郎の気のつかない頭の奥では、すでにこういう一対の男女として最初から結びつけられていたらしかった。彼はまたその背後に罪悪を想像して要もないのに恐れを抱くほどの道徳家でもなかった。彼は世間並な道義心の所有者としてありふれた人間の一人であったけれども、その道義心は彼の空想力と違って、いざという場合にならなければ働らかないのを常とするので、停留所の二人を自分に最も興味のある男女関係に引き直して見ても、別段不愉快にはならずにすんだのである。彼はただ年齢の上において二人の相違の著るしいのを疑ぐった。が、また一方ではその相違がかえって彼の眼に映ずる「男女の世界」なるものの特色を濃く示しているようにも見えた。  彼の二人に対する心持は知らず知らずの間にこう弛んでいたのだが、いよいよそうかと正式に田口から質問を掛けられて見ると、断然とした返答は、責任のあるなしにかかわらず、纏まった形となって頭の中には現われ悪かった。それでこう云った。―― 「肉体上の関係はあるかも知れませんが、無いかも分りません」  田口はただ微笑した。そこへ例の袴を穿いた書生が、一枚の名刺を盆に載せて持って来た。田口はちょっとそれを受取ったまま、「まあ分らないところが本当でしょう」と敬太郎に答えたが、すぐ書生の方を見て、「応接間へ通しておいて……」と命令した。先刻からよほど窮していた矢先だから、敬太郎はこの来客を好い機に、もうここで切り上げようと思って身繕いにかかると、田口はわざわざ彼の立たない前にそれを遮ぎった。そうして敬太郎の辟易するのに頓着なくなお質問を進行させた。そのうちで敬太郎の明瞭に答えられるのはほとんど一カ条もなかったので、彼は大学で受けた口答試験の時よりもまだ辛い思いをした。 「じゃこれぎりにしますが、男と女の名前は分りましたろう」  田口の最後と断ったこの問に対しても、敬太郎は固より満足な返事を有っていなかった。彼は洋食店で二人の談話に注意を払う間にも何々さんとか何々子とかあるいは御何とかいう言葉がきっとどこかへ交って来るだろうと心待に待っていたのだが、彼らは特にそれを避ける必要でもあるごとくに、御互の名はもちろん、第三者の名もけっして引合にさえ出さなかったのである。 「名前も全く分りません」  田口はこの答を聞いて、手焙の胴に当てた手を動かしながら、拍子を取るように、指先で桐の縁を敲き始めた。それをしばらくくり返した後で、「どうしたんだか余まり要領を得ませんね」と云ったが、直言葉を継いで、「しかしあなたは正直だ。そこがあなたの美点だろう。分らない事を分ったように報告するよりもよっぽど好いかも知れない。まあ買えばそこを買うんですね」と笑い出した。敬太郎は自分の観察が、はたして実用に向かなかったのを発見して、多少わが迂闊に恥じ入る気も起ったが、しかしわずか二三時間の注意と忍耐と推測では、たとい自分より十層倍行き届いた人間に代理を頼んだところで、田口を満足させるような結果は得られる訳のものでないと固く信じていたから、この評価に対してそれほどの苦痛も感じなかった。その代り正直と賞められた事も大した嬉しさにはならなかった。このくらいの正直さ加減は全くの世間並に過ぎないと彼には見えたからである。 六  敬太郎は先刻から頭の上らない田口の前で、たった一言で好いから、思い切った自分の腹をずばりと云って見たいと考えていたが、ここで云わなければもう云う機会はあるまいという気がこの時ふと萌した。 「要領を得ない結果ばかりで私もはなはだ御気の毒に思っているんですが、あなたの御聞きになるような立ち入った事が、あれだけの時間で、私のような迂闊なものに見極められる訳はないと思います。こういうと生意気に聞こえるかも知れませんが、あんな小刀細工をして後なんか跟けるより、直に会って聞きたい事だけ遠慮なく聞いた方が、まだ手数が省けて、そうして動かない確かなところが分りゃしないかと思うのです」  これだけ云った敬太郎は、定めて世故に長けた相手から笑われるか、冷かされる事だろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真面目な態度で「あなたにそれだけの事が解っていましたか。感心だ」と云った。敬太郎はわざと答を控えていた。 「あなたのいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気がついていれば人間として立派なものです」と田口が再びくり返した時、敬太郎はますます返答に窮した。 「それほどの考がちゃんとあるあなたに、あんなつまらない仕事を御頼申したのは私が悪かった。人物を見損なったのも同然なんだから。が、市蔵があなたを紹介する時に、そう云いましたよ。あなたは探偵のやるような仕事に興味を有っておいでだって。それでね、ついとんでもない事を御願いして。止しゃあよかった……」 「いえ須永君にはそう云う意味の事をたしかに話した覚えがあります」と敬太郎は苦しい思をして答えた。 「そうでしたか」  田口は敬太郎の矛盾をこの一句で切り棄てたなり、それ以上に追窮する愚をあえてしなかった。そうして問題をすぐ改めて見せた。 「じゃどうでしょう。黙って後なんどを跟けずに、あなたのいう通り尋常に玄関からかかって行っちゃ。あなたにそれだけの勇気がありますか」 「無い事もありません」 「あんなに跟け廻した後で」 「あんなに跟け廻したって、私はあの人達の不名誉になるような観察はけっしてしていないつもりです」 「ごもっともだ。そんなら一つ行って御覧なさい。紹介するから」  田口はこう云いながら、大きな声を出して笑った。けれども敬太郎にはこの申し出が万更の冗談とも思えなかったので、彼は紹介状を携えて本当に眉間の黒子と向き合って話して見ようかという料簡を起した。 「会いますから紹介状を書いて下さい。私はあの人と話して見たい気がしますから」 「宜いでしょう。これも経験の一つだから、まあ会って直に研究して御覧なさい。あなたの事だから田口に頼まれてこの間の晩後を跟けましたぐらいきっと云うでしょう。しかしそれは構わない。云いたければ云っても宜うござんす。私に遠慮は要らないから。それからあの女との関係もですね、あなたに勇気さえあるなら聞いて御覧なさい。どうです、それを聞くだけの度胸があなたにありますか」  田口はここでちょっと言葉を切らして敬太郎の顔を見たが、答の出ないうちにまた自分から話を続けた。 「だが両方とも口へ出せるように自然が持ちかけて来るまでは、聞いても話してもいけませんよ。いくら勇気があったって、常識のない奴だと思われるだけだから。それどころじゃない、あの男はただでさえ随分会い悪い方なんだから、そんな事をむやみに喋べろうものなら、直帰ってくれぐらい云い兼ねないですよ。紹介をして上げる代りには、そこいらはよく用心しないとね……」  敬太郎は固より畏まりましたと答えた。けれども腹の中では黒の中折の男を田口のように見る事がどうしてもできなかった。 七  田口は硯箱と巻紙を取り寄せて、さらさらと紹介状を書き始めた。やがて名宛を認め終ると、「ただ通り一遍の文言だけ並べておいたらそれで好いでしょう」と云いながら、手焙の前に翳した手紙を敬太郎に読んで聞かせた。その中には書いた当人の自白したごとく、これといって特別の注意に価する事は少しも出て来なかった。ただこの者は今年大学を卒業したばかりの法学士で、ことによると自分が世話をしなければならない男だから、どうか会って話をしてやってくれとあるだけだった。田口は異存のない敬太郎の顔を見届けた上で、すぐその巻紙をぐるぐると巻いて封筒へ入れた。それからその表へ松本恒三様と大きく書いたなり、わざと封をせずに敬太郎に渡した。敬太郎は真面目になって松本恒三様の五字を眺めたが、肥った締りのない書体で、この人がこんな字を書くかと思うほど拙らしくできていた。 「そう感心していつまでも眺めていちゃあいけない」 「番地が書いてないようですが」 「ああそうか。そいつは私の失念だ」  田口は再び手紙を受け取って、名宛の人の住所と番地を書き入れてくれた。 「さあこれなら好いでしょう。不味くって大きなところは土橋の大寿司流とでも云うのかな。まあ役に立ちさえすればよかろう、我慢なさい」 「いえ結構です」 「ついでに女の方へも一通書きましょうか」 「女も御存じなのですか」 「ことによると知ってるかも知れません」と答えた田口は何だか意味のありそうに微笑した。 「御差支さえなければ、おついでに一本書いていただいても宜しゅうございます」と敬太郎も冗談半分に頼んだ。 「まあ止した方が安全でしょうね。あなたのような年の若い男を紹介して、もし間違でもできると責任問題だから。浪漫―何とか云うじゃありませんか、あなたのような人の事を。私ゃ学問がないから、今頃流行るハイカラな言葉を直忘れちまって困るが、何とか云いましたっけね、あの、小説家の使う言葉は。……」  敬太郎はまさかそりゃこう云う言葉でしょうと教える気にもなれなかった。ただエヘヘと馬鹿みたように笑っていた。そうして長居をすればするほど、だんだん非道く冷かされそうなので、心の内では、この一段落がついたら、早く切り上げて帰ろうと思った。彼は田口のくれた紹介状を懐に収めて、「では二三日内にこれを持って行って参りましょう。その模様でまた伺がう事に致しますから」と云いながら、柔かい座蒲団の上を滑り下りた。田口は「どうも御苦労でした」と叮嚀に挨拶しただけで、ロマンチックもコスメチックもすっかり忘れてしまったという顔つきをして立ち上った。  敬太郎は帰り途に、今会った田口と、これから会おうという松本と、それから松本を待ち合わした例の恰好のいい女とを、合せたり離したりしてしきりにその関係を考えた。そうして考えれば考えるほど一歩ずつ迷宮の奥に引き込まれるような面白味を感じた。今日田口での獲物は松本という名前だけであるが、この名前がいろいろに錯綜した事実を自分のために締め括っている妙な嚢のように彼には思えるので、そこから何が出るか分らないだけそれだけ彼には楽みが多かった。田口の説明によると、近寄悪い人のようにも聞こえるが、彼の見たところでは田口より数倍話しがしやすそうであった。彼は今日田口から得た印象のうちに、人を取扱う点にかけてなるほど老練だという嘆美の声を見出した上、人物としてもどこか偉そうに思われる点が、時々彼の眼を射るようにちらちら輝やいたにもかかわらず、その前に坐っている間、彼は始終何物にか縛られて自由に動けない窮屈な感じを取り去る事ができなかった。絶えず監視の下に置かれたようなこの状態は、一時性のものでなくって、いくら面会の度数を重ねても、けっして薄らぐ折はなかろうとまで彼には見えたくらいである。彼はこういう風に気のおける田口と反対の側に、何でも遠慮なく聞いて怒られそうにない、話し声その物のうちにすでに懐かし味の籠ったような松本を想像してやまなかった。 八  翌朝さっそく支度をして松本に会いに行こうと思っているとあいにく寒い雨が降り出した。窓を細目に開けて高い三階から外を見渡した時分には、もう世の中が一面に濡れていた。屋根瓦に徹るような佗びしい色をしばらく眺めていた敬太郎は、田口の紹介状を机の上に置いて、出ようか止そうかとちょっと思案したが、早く会って見たいという気が強く起るので、とうとう机の前を離れた。そうして豆腐屋の喇叭が、陰気な空気を割いて鋭どく往来に響く下の方へ降りて行った。  松本の家は矢来なので、敬太郎はこの間の晩狐につままれたと同じ思いをした交番下の景色を想像しつつ、そこへ来ると、坂下と坂上が両方共二股に割れて、勾配のついた真中だけがいびつに膨れているのを発見した。彼は寒い雨の袴の裾に吹きかけるのも厭わずに足を留めて、あの晩車夫が梶棒を握ったまま立往生をしたのはこのへんだろうと思う所を見廻した。今日も同じように雨がざあざあ落ちて、彼の踏んでいる土は地下の鉛管まで腐れ込むほど濡れていた。ただ昼だけに周囲は暗いながらも明るいので、立ちどまった時の心持はこの間とはまるで趣が違っていた。敬太郎は後の方に高く黒ずんでいる目白台の森と、右手の奥に朦朧と重なり合った水稲荷の木立を見て坂を上った。それから同じ番地の家の何軒でもある矢来の中をぐるぐる歩いた。始めのうちは小さい横町を右へ折れたり左へ曲ったり、濡れた枳殻の垣を覗いたり、古い椿の生い被さっている墓地らしい構の前を通ったりしたが、松本の家は容易に見当らなかった。しまいに尋ねあぐんで、ある横町の角にある車屋を見つけて、そこの若い者に聞いたら、何でもない事のようにすぐ教えてくれた。  松本の家はこの車屋の筋向うを這入った突き当りの、竹垣に囲われた綺麗な住居であった。門を潜ると子供が太鼓を鳴らしている音が聞こえた。玄関へかかって案内を頼んでもその太鼓の音は毫もやまなかった。その代り四辺は森閑として人の住んでいる臭さえしなかった。雨に鎖された家の奥から現われた十六七の下女は、手を突いて紹介状を受取ったなり無言のまま引っ込んだが、しばらくしてからまた出て来て、「はなはだ勝手を申し上げてすみませんでございますが、雨の降らない日においでを願えますまいか」と云った。今まで就職運動のため諸方へ行って断わられつけている敬太郎にも、この断り方だけは不思議に聞こえた。彼はなぜ雨が降っては面会に差支えるのか直反問したくなった。けれども下女に議論を仕かけるのも一種変な場合なので、「じゃ御天気の日に伺がえば御目にかかれるんですね」と念晴しに聞き直して見た。下女はただ「はい」と答えただけであった。敬太郎は仕方なしにまた雨の降る中へ出た。ざあと云う音が急に烈しく聞こえる中に、子供の鳴らす太鼓がまだどんどんと響いていた。彼は矢来の坂を下りながら変な男があったものだという観念を数度くり返した。田口がただでさえ会い悪いと云ったのは、こんなところを指すのではなかろうかとも考えた。その日は家へ帰っても、気分が中止の姿勢に余儀なく据えつけられたまま、どの方角へも進行できないのが苦痛になった。久しぶりに須永の家へでも行って、この間からの顛末を茶話に半日を暮らそうかと考えたが、どうせ行くなら、今の仕事に一段落つけて、自分にも見当の立った筋を吹聴するのでなくては話しばいもしないので、ついに行かずじまいにしてしまった。  翌日は昨日と打って変って好い天気になった。起き上る時、あらゆる濁を雨の力で洗い落したように綺麗に輝やく蒼空を、眩ゆそうに仰ぎ見た敬太郎は、今日こそ松本に会えると喜こんだ。彼はこの間の晩行李の後に隠しておいた例の洋杖を取り出して、今日は一つこれを持って行って見ようと考がえた。彼はそれを突いて、また矢来の坂を上りながら、昨日の下女が今日も出て来て、せっかくですが今日は御天気過ぎますから、も少し曇った日においで下さいましと云ったらどんなものだろうと想像した。 九  ところが昨日と違って、門を潜っても、子供の鳴らす太鼓の音は聞こえなかった。玄関にはこの前目に着かなかった衝立が立っていた。その衝立には淡彩の鶴がたった一羽佇ずんでいるだけで、姿見のように細長いその格好が、普通の寸法と違っている意味で敬太郎の注意を促がした。取次には例の下女が現われたには相違ないが、その後から遠慮のない足音をどんどん立てて二人の小供が衝立の影まで来て、珍らしそうな顔をして敬太郎を眺めた。昨日に比べるとこれだけの変化を認めた彼は、最後にどうぞという案内と共に、硝子戸の締まっている座敷へ通った。その真中にある金魚鉢のように大きな瀬戸物の火鉢の両側に、下女は座蒲団を一枚ずつ置いて、その一枚を敬太郎の席とした。その座蒲団は更紗の模様を染めた真丸の形をしたものなので、敬太郎は不思議そうにその上へ坐った。床の間には刷毛でがしがしと粗末に書いたような山水の軸がかかっていた。敬太郎はどこが樹でどこが巌だか見分のつかない画を、軽蔑に値する装飾品のごとく眺めた。するとその隣りに銅鑼が下っていて、それを叩く棒まで添えてあるので、ますます変った室だと思った。  すると間の襖を開けて隣座敷から黒子のある主人が出て来た。「よくおいでです」と云ったなり、すぐ敬太郎の鼻の先に坐ったが、その調子はけっして愛嬌のある方ではなかった。ただどこかおっとりしているので、相手に余り重きを置かないところが、かえって敬太郎に楽な心持を与えた。それで火鉢一つを境に、顔と顔を突き合わせながら、敬太郎は別段気がつまる思もせずにいられた。その上彼はこの間の晩、たしかに自分の顔をここの主人に覚えられたに違ないと思い込んでいたにもかかわらず、今会って見ると、覚えているのだか、いないのだか、平然としてそんな素振は、口にも色にも出さないので、彼はなおさら気兼の必要を感じなくなった。最後に主人は昨日雨天のため面会を謝絶した理由も言訳も一言も述べなかった。述べたくなかったのか、述べなくっても構わないと認めていたのか、それすら敬太郎にはまるで判断がつかなかった。  話は自然の順序として、紹介者になった田口の事から始まった。「あなたはこれから田口に使って貰おうというのでしたね」というのを冒頭に、主人は敬太郎の志望だの、卒業の成績だのを一通り聞いた。それから彼のいまだかつて考えた事もない、社会観とか人生観とかいうこむずかしい方面の問題を、時々持ち出して彼を苦しめた。彼はその時心のうちで、この松本という男は世に著われない学者の一人なのではなかろうかと疑ぐったくらい、妙な理窟をちらちらと閃めかされた。そればかりでなく、松本は田口を捕まえて、役には立つが頭のなっていない男だと罵しった。 「第一ああ忙がしくしていちゃ、頭の中に組織立った考のできる閑がないから駄目です。あいつの脳と来たら、年が年中摺鉢の中で、擂木に攪き廻されてる味噌見たようなもんでね。あんまり活動し過ぎて、何の形にもならない」  敬太郎にはなぜこの主人が田口に対してこうまで悪体を吐くのかさっぱり訳が分らなかった。けれども彼の不思議に感じたのは、これほどの激語を放つ主人の態度なり口調なりに、毫も毒々しいところだの、小悪らしい点だのの見えない事であった。彼の罵しる言葉は、人を罵しった経験を知らないような落ちつきを具えた彼の声を通して、敬太郎の耳に響くので、敬太郎も強く反抗する気になれなかった。ただ一種変った人だという感じが新たに刺戟を受けるだけであった。 「それでいて、碁を打つ、謡を謡う。いろいろな事をやる。もっともいずれも下手糞なんですが」 「それが余裕のある証拠じゃないでしょうか」 「余裕って君。――僕は昨日雨が降るから天気の好い日に来てくれって、あなたを断わったでしょう。その訳は今云う必要もないが、何しろそんなわがままな断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそう云う断り方はけっしてできない。田口が好んで人に会うのはなぜだと云って御覧。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民でないからです。いくら他の感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」 十 「実は田口さんからは何にも伺がわずに参ったのですが、今御使いになった高等遊民という言葉は本当の意味で御用いなのですか」 「文字通りの意味で僕は遊民ですよ。なぜ」  松本は大きな火鉢の縁へ両肱を掛けて、その一方の先にある拳骨を顎の支えにしながら敬太郎を見た。敬太郎は初対面の客を客と感じていないらしいこの松本の様子に、なるほど高等遊民の本色があるらしくも思った。彼は煙草道楽と見えて、今日は大きな丸い雁首のついた木製の西洋パイプを口から離さずに、時々思い出したような濃い煙を、まだ火の消えていない証拠として、狼煙のごとくぱっぱっと揚げた。その煙が彼の顔の傍でいつの間にか消えて行く具合が、どこにも締りを設ける必要を認めていないらしい彼の眼鼻と相待って、今まで経験した事のない一種静かな心持を敬太郎に与えた。彼は少し薄くなりかかった髪を、頭の真中から左右へ分けているので、平たい頭がなおの事尋常に落ちついて見えた。彼はまた普通世間の人が着ないような茶色の無地の羽織を着て、同じ色の上足袋を白の上に重ねていた。その色がすぐ坊主の法衣を聯想させるところがまた変に特別な男らしく敬太郎の眼に映った。自分で高等遊民だと名乗るものに会ったのはこれが始めてではあるが、松本の風采なり態度なりが、いかにもそう云う階級の代表者らしい感じを、少し不意を打たれた気味の敬太郎に投げ込んだのは事実であった。 「失礼ながら御家族は大勢でいらっしゃいますか」  敬太郎は自から高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問がかけて見たかった。すると松本は「ええ子供がたくさんいます」と答えて、敬太郎の忘れかかっていたパイプからぱっと煙を出した。 「奥さんは……」 「妻は無論います。なぜですか」  敬太郎は取り返しのつかない愚な問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。 「あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです」 「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」 「そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです」 「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」  敬太郎はもう何も云う事がなくなってしまった。彼の頭脳の中では、返事に行き詰まった困却と、ここで問題を変えようとする努力と、これを緒口に、革の手袋を穿めた女の関係を確かめたい希望が三ついっしょに働らくので、元からそれほど秩序の立っていない彼の思想になおさら暗い影を投げた。けれども松本はそんな事にまるで注意しない風で、困った敬太郎の顔を平気に眺めていた。もしこれが田口であったなら手際よく相手を打ち据える代りに、打ち据えるとすぐ向うから局面を変えてくれて、相手に見苦るしい立ち往生などはけっしてさせない鮮やかな腕を有っているのにと敬太郎は思った。気はおけないが、人を取扱かう点において、全く冴えた熟練を欠いている松本の前で、敬太郎は図らず二人の相違を認めたような気がしていると、松本は偶然「あなたはそういう問題を考えて見た事がないようですね」と聞いてくれた。 「ええまるで考えていません」 「考える必要はありませんね。一人で下宿している以上は。けれどもいくら一人だって、広い意味での男対女の問題は考えるでしょう」 「考えると云うよりむしろ興味があるといった方が適当かも知れません。興味なら無論あります」 十一  二人は人間として誰しも利害を感ずるこの問題についてしばらく話した。けれども年歯の違だか段の違だか、松本の云う事は肝心の肉を抜いた骨組だけを並べて見せるようで、敬太郎の血の中まで這入り込んで来て、共に流れなければやまないほどの切実な勢をまるで持っていなかった。その代り敬太郎の秩序立たない断片的の言葉も口を出るとすぐ熱を失って、少しも松本の胸に徹らないらしかった。  こんな縁遠い話をしている中で、ただ一つ敬太郎の耳に新らしく響いたのは、露西亜の文学者のゴーリキとかいう人が、自分の主張する社会主義とかを実行する上に、資金の必要を感じて、それを調達のため細君同伴で亜米利加へ渡った時の話であった。その時ゴーリキは大変な人気を一身に集めて、招待やら驩迎やらに忙殺されるほどの景気のうちに、自分の目的を苦もなく着々と進行させつつあった。ところが彼の本国から伴れて来た細君というのが、本当の細君でなくて単に彼の情婦に過ぎないという事実がどこからか曝露した。すると今まで狂熱に達していた彼の名声が、たちまちどさりと落ちて、広い新大陸に誰一人として彼と握手するものが無くなってしまったので、ゴーリキはやむを得ずそのまま亜米利加を去った。というのが筋であった。 「露西亜と亜米利加ではこれだけ男女関係の解釈が違うんです。ゴーリキのやりくちは露西亜ならほとんど問題にならないくらい些細な事件なんでしょうがね。下らない」と松本は全く下らなそうな顔をした。 「日本はどっちでしょう」と敬太郎は聞いて見た。 「まあ露西亜派でしょうね。僕は露西亜派でたくさんだ」と云って、松本はまた狼煙のような濃い煙をぱっと口から吐いた。  ここまで来て見ると、この間の女の事を尋ねるのが敬太郎に取って少しも苦にならないような気がし出した。 「せんだっての晩神田の洋食店で私はあなたに御目にかかったと思うんですが」 「ええ会いましたね。よく覚えています。それから帰りにも電車の中で会ったじゃありませんか。君も江戸川まで乗ったようだが、あすこいらに下宿でもしているんですか。あの晩は雨が降って困ったでしょう」  松本ははたして敬太郎を記憶していた。それを初めから口に出すでもなく、今になってようやく気がついたふりをするでもなく、話してもよし話さないでもよしと云った風の態度が、無邪気から出るのか、度胸から出るのか、または鷹揚な彼の生れつきから出るのか、敬太郎にはちょっと判断しかねた。 「御伴がおありのようでしたが」 「ええ別嬪を一人伴れていました。あなたはたしか一人でしたね」 「一人です。あなたも御帰りには御一人じゃなかったですか」 「そうです」  ちょっとはきはき進んだ問答はここへ来てぴたりととまってしまった。松本がまた女の事を云い出すかと思って待っていると、「あなたの下宿は牛込ですか、小石川ですか」とまるで無関係の問を敬太郎はかけられた。 「本郷です」  松本は腑に落ちない顔をして敬太郎を見た。本郷に住んでいる彼が、なぜ江戸川の終点まで乗ったのか、その説明を聞きたいと云わぬばかりの松本の眼つきを見た時、敬太郎は面倒だからここで一つ心持よく万事を打ち明けてしまおうと決心した。もし怒られたら、詫まるだけで、詫まって聞かれなければ、御辞儀を叮嚀にして帰れば好かろうと覚悟をきめた。 「実はあなたの後を跟けてわざわざ江戸川まで来たのです」と云って松本の顔を見ると、案外にも予期したほどの変化も起らないので、敬太郎はまず安心した。 「何のために」と松本はほとんどいつものような緩い口調で聞き返した。 「人から頼まれたのです」 「頼まれた? 誰に」  松本は始めて、少し驚いた声の中に、並より強いアクセントを置いて、こう聞いた。 十二 「実は田口さんに頼まれたのです」 「田口とは。田口要作ですか」 「そうです」 「だって君はわざわざ田口の紹介状を持って僕に会いに来たんじゃありませんか」  こう一句一句問いつめられて行くよりは、自分の方で一と思いに今までの経過を話してしまう方が楽な気がするので、敬太郎は田口の速達便を受取って、すぐ小川町の停留所へ見張に出た冒険の第一節目から始めて、電車が江戸川の終点に着いた後の雨の中の立往生に至るまでの顛末を包まず打ち明けた。固よりただ筋の通るだけを目的に、誇張は無論布衍の煩わしさもできる限り避けたので、時間がそれほどかからなかったせいか、松本は話の進行している間一口も敬太郎を遮ぎらなかった。話が済んでからも、直とは声を出す様子は見えなかった。敬太郎は主人のこの沈黙を、感情を害した結果ではなかろうかと推察して、怒り出されないうちに早く詫まるに越した事はないと思い定めた。すると主人の方から突然口を利き始めた。 「どうもけしからん奴だね、あの田口という男は。それに使われる君もまた君だ。よっぽどの馬鹿だね」  こういった主人の顔を見ると、呆れ返っている風は誰の目にも着くが、怒気を帯びた様子は比較的どこにも現われていないので、敬太郎はむしろ安心した。この際馬鹿と呼ばれるぐらいの事は、彼に取って何でもなかったのである。 「どうも悪い事をしました」 「詫まって貰いたくも何ともない。ただ君が御気の毒だから云うのですよ。あんな者に使われて」 「それほど悪い人なんですか」 「いったい何の必要があって、そんな愚な事を引き受けたのです」  物数奇から引き受けたという言葉は、この場合どうしても敬太郎の口へは出て来なかった。彼はやむを得ず、衣食問題の必要上どうしても田口に頼らなければならない事情があるので、面白くないとは知りながら、つい承諾したのだという風な答をした。 「衣食に困るなら仕方がないが、もう止した方がいいですよ。余計な事じゃありませんか、寒いのに雨に降られて人の後を跟けるなんて」 「私も少し懲りました。これからはもうやらないつもりです」  この述懐を聞いた松本は何とも云わず、ただ苦笑いをしていた。それが敬太郎には軽蔑の意味にも憐愍の意味にも取れるので、彼はいずれにしてもはなはだ肩身の狭い思をした。 「あなたは僕に対してすまん事をしたような風をしているが、実際そうなのですか」  根本義に溯ぼったらそれほどに感じていない敬太郎もこう聞かれると、行がかり上そうだと思わざるを得なかった。またそう答えざるを得なかった。 「じゃ田口へ行ってね。この間僕の伴れていた若い女は高等淫売だって、僕自身がそう保証したと云ってくれたまえ」 「本当にそういう種類の女なんですか」  敬太郎はちょっと驚ろかされた顔をしてこう聞いた。 「まあ何でも好いから、高等淫売だと云ってくれたまえ」 「はあ」 「はあじゃいけない、たしかにそう云わなくっちゃ。云えますか、君」  敬太郎は現代に教育された青年の一人として、こういう意味の言葉を、年長者の前で口にする無遠慮を憚かるほどの男ではなかった。けれども松本が強いてこの四字を田口の耳へ押し込もうとする奥底には、何か不愉快なある物が潜んでいるらしく思われるので、そう軽々しい調子で引き受ける気も起らなかった。彼が挨拶に困ってむずかしい顔をしていると、それを見た松本は、「何、君心配しないでもいいですよ。相手が田口だもの」と云ったが、しばらくしてやっと気がついたように、「君は僕と田口との関係をまだ知らないんでしたね」と聞いた。敬太郎は「まだ何にも知りません」と答えた。 十三 「その関係を話すと、君が田口に向ってあの女の事を高等淫売だと云う勇気が出悪くなるだけだからつまり僕には損になるんだが、いつまで罪もない君を馬鹿にするのも気の毒だから、聞かして上げよう」  こういう前置を置いた上、松本は田口と自分が社会的にどう交渉しているかを説明してくれた。その説明は最も簡単にすむだけに最も敬太郎を驚ろかした。それを一言でいうと、田口と松本は近い親類の間柄だったのである。松本に二人の姉があって、一人が須永の母、一人が田口の細君、という互の縁続きを始めて呑み込んだ時、敬太郎は、田口の義弟に当る松本が、叔父という資格で、彼の娘と時間を極めて停留所で待ち合わした上、ある料理店で会食したという事実を、世間の出来事のうちで最も平凡を極めたものの一つのように見た。それを込み入った文でも隠しているように、一生懸命に自分の燃やした陽炎を散らつかせながら、後を追かけて歩いたのが、さもさも馬鹿馬鹿しくなって来た。 「御嬢さんは何でまたあすこまで出張っていたんですか。ただ私を釣るためなんですか」 「何須永へ行った帰りなんです。僕が田口で話していると、あの子が電話をかけて、四時半頃あすこで待ち合せているから、ちょっと帰りに降りてくれというんです。面倒だから止そうと思ったけれども、是非何とかかとかいうから、降りたところがね。今朝御父さんから聞いたら、叔父さんが御歳暮に指環を買ってやると云っていたから、停留所で待ち伏せをして、逃さないようにいっしょに行って買って貰えと云われたから先刻からここで待っていたんだって、人の知りもしないのに、一人で勝手な請求を持ち出してなかなか動かない。仕方がないから、まあ西洋料理ぐらいでごまかしておこうと思って、とうとう宝亭へ連れ込んだんです。――実に田口という男は箆棒だね。わざわざそれほどの手数をかけて、何もそんな下らない真似をするにも当らないじゃないか。騙された君よりもよっぽど田口の方が箆棒ですよ」  敬太郎には騙された自分の方が遥かに愚物に思われた。そうと知ったら、探偵の結果を報告する時にも、もう少しは手加減が出来たものをと、自から赧い顔もしなければならなかった。 「あなたはまるで御承知ない事なんですね」 「知るものかね、君。いくら高等遊民だって、そんな暇の出るはずがないじゃありませんか」 「御嬢さんはどうでしょう。多分御存じなんだろうと思いますが」 「そうさ」と云って松本はしばらく思案していたが、やがて判切した口調で、「いや知るまい」と断言した。「あの箆棒の田口に、一つ取柄があると云えば云われるのだが、あの男はね、いくら悪戯をしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥を掻きそうな際どい時になると、ぴたりととめてしまうか、または自分がその場へ出て来て、当人の体面にかかわらない内に綺麗に始末をつける。そこへ行くと箆棒には違ないが感心なところがあります。つまりやりかたは悪辣でも、結末には妙に温かい情の籠った人間らしい点を見せて来るんです。今度の事でもおそらく自分一人で呑み込んでいるだけでしょう。君が僕の家へ来なかったら、僕はきっとこの事件を知らずに済むんだったろう。自分の娘にだって、君の馬鹿を証明するような策略を、始めから吹聴するほど無慈悲な男じゃない。だからついでに悪戯も止せばいいんだがね、それがどうしても止せないところが、要するに箆棒です」  田口の性格に対する松本のこういう批評を黙って聞いていた敬太郎は、自分の馬鹿な振舞を顧みる後悔よりも、自分を馬鹿にした責任者を怨むよりも、むしろ悪戯をした田口を頼もしいと思う心が、わが胸の裏で一番勝を制したのを自覚した。が、はたしてそういう人ならば、なぜ彼の前に出て話をしている間に、あんな窮屈な感じが起るのだろうという不審も自ずと萌さない訳に行かなかった。 「あなたの御話でだいぶ田口さんが解って来たようですが、私はあの方の前へ出ると、何だか気が落ちつかなくって変に苦しいです」 「そりゃ向うでも君に気を許さないからさ」 十四  こう云われて見ると、田口が自分に気を許していない眼遣やら言葉つきやらがありありと敬太郎の胸に、疑もない記憶として読まれた。けれども田口ほどの老巧のものに、何で学校を出たばかりの青臭い自分が、それほど苦になるのか、敬太郎は全く合点が行かなかった。彼は見た通りのままの自分で、誰の前へ出ても通用するものと今まで固く己れを信じていたのである。彼はただかような青年として、他に憚かられたり気をおかれたりする資格さえないように自分を見縊っていただけに、経験の程度の違う年長者から、自分の思わくと違う待遇を受けるのをむしろ不思議に考え出した。 「私はそんな裏表のある人間と見えますかね」 「どうだか、そんな細かい事は初めて会っただけじゃ分らないですよ。しかしあっても無くっても、僕の君に対する待遇にはいっこう関係がないからいいじゃありませんか」 「けれども田口さんからそう思われちゃ……」 「田口は君だからそう思うんじゃない、誰を見てもそう思うんだから仕方がないさ。ああして長い間人を使ってるうちには、だいぶ騙されなくっちゃならないからね。たまに自然そのままの美くしい人間が自分の前に現われて来ても、やっぱり気が許せないんです。それがああ云う人の因果だと思えばそれで好いじゃないか。田口は僕の義兄だから、こう云うと変に聞えるが、本来は美質なんです。けっして悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功という事だけを重に眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんな事ばかり考えているんだね。ああなると女に惚れられても、こりゃ自分に惚れたんだろうか、自分の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑ぐらなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそうなんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱を受けるのは当然だと思わなくっちゃいけない。そこが田口の田口たるところなんだから」  敬太郎はこの批評で田口という男が自分にも判切呑み込めたような気がした。けれどもこういう風に一々彼を肯わせるほどの判断を、彼の頭に鉄椎で叩き込むように入れてくれる松本はそもそも何者だろうか、その点になると敬太郎は依然として茫漠たる雲に対する思があった。批評に上らない前の田口でさえ、この男よりはかえって活きた人間らしい気がした。  同じ松本について見ても、この間の晩神田の洋食屋で、田口の娘を相手にして珊瑚樹の珠がどうしたとかこうしたとか云っていた時の方が、よっぽど活きて動いていた。今彼の前に坐っているのは、大きなパイプを銜えた木像の霊が、口を利くと同じような感じを敬太郎に与えるだけなので、彼はただその人の本体を髣髴するに苦しむに過ぎなかった。彼が一方では明瞭な松本の批評に心服しながら、一方では松本の何者なるかをこういう風に考えつつ、自分は頭脳の悪い、直覚の鈍い、世間並以下の人物じゃあるまいかと疑り始めた時、この漠然たる松本がまた口を開いた。 「それでも田口が箆棒をやってくれたため、君はかえって仕合をしたようなものですね」 「なぜですか」 「きっと何か位置を拵らえてくれますよ。これなりで放っておきゃ田口でも何でもありゃしない。それは責任を持って受合って上げても宜い。が、つまらないのは僕だ。全く探偵のされ損だから」  二人は顔を見合せて笑った。敬太郎が丸い更紗の座蒲団の上から立ち上がった時、主人はわざわざ玄関まで送って出た。そこに飾ってあった墨絵の鶴の衝立の前に、瘠せた高い身体をしばらく佇ずまして、靴を穿く敬太郎の後姿を眺めていたが、「妙な洋杖を持っていますね。ちょっと拝見」と云った。そうしてそれを敬太郎の手から受取って、「へえ、蛇の頭だね。なかなか旨く刻ってある。買ったんですか」と聞いた。「いえ素人が刻ったのを貰ったんです」と答えた敬太郎は、それを振りながらまた矢来の坂を江戸川の方へ下った。 雨の降る日 一  雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに当人の口から聞く機会を得ずに久しく過ぎた。敬太郎もそのうちに取り紛れて忘れてしまった。ふとそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たのを縁故に、遠慮なく同家へ出入のできる身になってからの事である。その時分の彼の頭には、停留所の経験がすでに新らしい匂いを失いかけていた。彼は時々須永からその話を持ち出されては苦笑するに過ぎなかった。須永はよく彼に向って、なぜその前に僕の所へ来て打ち明けなかったのだと詰問した。内幸町の叔父が人を担ぐくらいの事は、母から聞いて知っているはずだのにと窘なめる事もあった。しまいには、君があんまり色気があり過ぎるからだと調戯い出した。敬太郎はそのたびに「馬鹿云え」で通していたが、心の内ではいつも、須永の門前で見た後姿の女を思い出した。その女がとりも直さず停留所の女であった事も思い出した。そうしてどこか遠くの方で気恥かしい心持がした。その女の名が千代子で、その妹の名が百代子である事も、今の敬太郎には珍らしい報知ではなかった。  彼が松本に会って、すべて内幕の消息を聞かされた後、田口へ顔を出すのは多少きまりの悪い思をするだけであったにかかわらず、顔を出さなければ締め括りがつかないという行きがかりから、笑われるのを覚悟の前で、また田口の門を潜った時、田口ははたして大きな声を出して笑った。けれどもその笑の中には己れの機略に誇る高慢の響よりも、迷った人を本来の路に返してやった喜びの勝利が聞こえているのだと敬太郎には解釈された。田口はその時訓戒のためだとか教育の方法だとかいった風の、恩に着せた言葉をいっさい使わなかった。ただ悪意でした訳でないから、怒ってはいけないと断わって、すぐその場で相当の位置を拵らえてくれる約束をした。それから手を鳴らして、停留所に松本を待ち合わせていた方の姉娘を呼んで、これが私の娘だとわざわざ紹介した。そうしてこの方は市さんの御友達だよと云って敬太郎を娘に教えていた。娘は何でこういう人に引き合されるのか、ちょっと解しかねた風をしながら、極めてよそよそしく叮嚀な挨拶をした。敬太郎が千代子という名を覚えたのはその時の事であった。  これが田口の家庭に接触した始めての機会になって、敬太郎はその後も用事なり訪問なりに縁を藉りて、同じ人の門を潜る事が多くなった。時々は玄関脇の書生部屋へ這入って、かつて電話で口を利き合った事のある書生と世間話さえした。奥へも無論通る必要が生じて来た。細君に呼ばれて内向の用を足す場合もあった。中学校へ行く長男から英語の質問を受けて窮する事も稀ではなかった。出入の度数がこう重なるにつれて、敬太郎が二人の娘に接近する機会も自然多くなって来たが、一種間の延びた彼の調子と、比較的引き締った田口の家風と、差向いで坐る時間の欠乏とが、容易に打ち解けがたい境遇に彼らを置き去りにした。彼らの間に取り換わされた言葉は、無論形式だけを重んずる堅苦しいものではなかったが、大抵は五分とかからない当用に過ぎないので、親しみはそれほど出る暇がなかった。彼らが公然と膝を突き合わせて、例になく長い時間を、遠慮の交らない談話に更かしたのは、正月半ばの歌留多会の折であった。その時敬太郎は千代子から、あなた随分鈍いのねと云われた。百代子からは、あたしあなたと組むのは厭よ、負けるにきまってるからと怒られた。  それからまた一カ月ほど経って、梅の音信の新聞に出る頃、敬太郎はある日曜の午後を、久しぶりに須永の二階で暮した時、偶然遊びに来ていた千代子に出逢った。三人してそれからそれへと纏まらない話を続けて行くうちに、ふと松本の評判が千代子の口に上った。 「あの叔父さんも随分変ってるのね。雨が降ると一しきりよく御客を断わった事があってよ。今でもそうかしら」 二 「実は僕も雨の降る日に行って断られた一人なんだが……」と敬太郎が云い出した時、須永と千代子は申し合せたように笑い出した。 「君も随分運の悪い男だね。おおかた例の洋杖を持って行かなかったんだろう」と須永は調戯い始めた。 「だって無理だわ、雨の降る日に洋杖なんか持って行けったって。ねえ田川さん」  この理攻めの弁護を聞いて、敬太郎も苦笑した。 「いったい田川さんの洋杖って、どんな洋杖なの。わたしちょっと見たいわ。見せてちょうだい、ね、田川さん。下へ行って見て来ても好くって」 「今日は持って来ません」 「なぜ持って来ないの。今日はあなたそれでも好い御天気よ」 「大事な洋杖だから、いくら好い御天気でも、ただの日には持って出ないんだとさ」 「本当?」 「まあそんなものです」 「じゃ旗日にだけ突いて出るの」  敬太郎は一人で二人に当っているのが少し苦しくなった。この次内幸町へ行く時は、きっと持って行って見せるという約束をしてようやく千代子の追窮を逃れた。その代り千代子からなぜ松本が雨の降る日に面会を謝絶したかの源因を話して貰う事にした。――  それは珍らしく秋の日の曇った十一月のある午過であった。千代子は松本の好きな雲丹を母からことづかって矢来へ持って来た。久しぶりに遊んで行こうかしらと云って、わざわざ乗って来た車まで返して、緩くり腰を落ちつけた。松本には十三になる女を頭に、男、女、男と互違に順序よく四人の子が揃っていた。これらは皆二つ違いに生れて、いずれも世間並に成長しつつあった。家庭に華やかな匂を着けるこの生き生きした装飾物の外に、松本夫婦は取って二つになる宵子を、指環に嵌めた真珠のように大事に抱いて離さなかった。彼女は真珠のように透明な青白い皮膚と、漆のように濃い大きな眼を有って、前の年の雛の節句の前の宵に松本夫婦の手に落ちたのである。千代子は五人のうちで、一番この子を可愛がっていた。来るたんびにきっと何か玩具を買って来てやった。ある時は余り多量に甘いものをあてがって叔母から怒られた事さえある。すると千代子は、大事そうに宵子を抱いて縁側へ出て、ねえ宵子さんと云っては、わざと二人の親しい様子を叔母に見せた。叔母は笑いながら、何だね喧嘩でもしやしまいしと云った。松本は、御前そんなにその子が好きなら御祝いの代りに上げるから、嫁に行くとき持っておいでと調戯った。  その日も千代子は坐ると直宵子を相手にして遊び始めた。宵子は生れてからついぞ月代を剃った事がないので、頭の毛が非常に細く柔かに延びていた。そうして皮膚の青白いせいか、その髪の色が日光に照らされると、潤沢の多い紫を含んでぴかぴか縮れ上っていた。「宵子さんかんかん結って上げましょう」と云って、千代子は鄭寧にその縮れ毛に櫛を入れた。それから乏しい片鬢を一束割いて、その根元に赤いリボンを括りつけた。宵子の頭は御供のように平らに丸く開いていた。彼女は短かい手をやっとその御供の片隅へ乗せて、リボンの端を抑えながら、母のいる所までよたよた歩いて来て、イボンイボンと云った。母がああ好くかんかんが結えましたねと賞めると、千代子は嬉しそうに笑いながら、子供の後姿を眺めて、今度は御父さんの所へ行って見せていらっしゃいと指図した。宵子はまた足元の危ない歩きつきをして、松本の書斎の入口まで来て、四つ這になった。彼女が父に礼をするときには必ず四つ這になるのが例であった。彼女はそこで自分の尻をできるだけ高く上げて、御供のような頭を敷居から二三寸の所まで下げて、またイボンイボンと云った。書見をちょっとやめた松本が、ああ好い頭だね、誰に結って貰ったのと聞くと、宵子は頸を下げたまま、ちいちいと答えた。ちいちいと云うのは、舌の廻らない彼女の千代子を呼ぶ常の符徴であった。後に立って見ていた千代子は小さい唇から出る自分の名前を聞いて、また嬉しそうに大きな声で笑った。 三  そのうち子供がみんな学校から帰って来たので、今まで赤いリボンに占領されていた家庭が、急に幾色かの華やかさを加えた。幼稚園へ行く七つになる男の子が、巴の紋のついた陣太鼓のようなものを持って来て、宵子さん叩かして上げるからおいでと連れて行った。その時千代子は巾着のような恰好をした赤い毛織の足袋が廊下を動いて行く影を見つめていた。その足袋の紐の先には丸い房がついていて、それが小いさな足を運ぶたびにぱっぱっと飛んだ。 「あの足袋はたしか御前が編んでやったのだったね」 「ええ可愛らしいわね」  千代子はそこへ坐って、しばらく叔父と話していた。そのうちに曇った空から淋しい雨が落ち出したと思うと、それが見る見る音を立てて、空坊主になった梧桐をしたたか濡らし始めた。松本も千代子も申し合せたように、硝子越の雨の色を眺めて、手焙に手を翳した。 「芭蕉があるもんだから余計音がするのね」 「芭蕉はよく持つものだよ。この間から今日は枯れるか、今日は枯れるかと思って、毎日こうして見ているがなかなか枯れない。山茶花が散って、青桐が裸になっても、まだ青いんだからなあ」 「妙な事に感心するのね。だから恒三は閑人だって云われるのよ」 「その代り御前の叔父さんには芭蕉の研究なんか死ぬまでできっこない」 「したかないわ、そんな研究なんか。だけど叔父さんは内の御父さんよりか全く学者ね。わたし本当に敬服しててよ」 「生意気云うな」 「あら本当よあなた。だって何を聞いても知ってるんですもの」  二人がこんな話をしていると、ただいまこの方が御見えになりましたと云って、下女が一通の紹介状のようなものを持って来て松本に渡した。松本は「千代子待っておいで。今にまた面白い事を教えてやるから」と笑いながら立ち上った。 「厭よまたこないだみたいに、西洋煙草の名なんかたくさん覚えさせちゃ」  松本は何にも答えずに客間の方へ出て行った。千代子も茶の間へ取って返した。そこには雨に降り込められた空の光を補なうため、もう電気灯が点っていた。台所ではすでに夕飯の支度を始めたと見えて、瓦斯七輪が二つとも忙がしく青いを吐いていた。やがて小供は大きな食卓に二人ずつ向い合せに坐った。宵子だけは別に下女がついて食事をするのが例になっているので、この晩は千代子がその役を引受けた。彼女は小さい朱塗の椀と小皿に盛った魚肉とを盆の上に載せて、横手にある六畳へ宵子を連れ込んだ。そこは家のものの着更をするために多く用いられる室なので、箪笥が二つと姿見が一つ、壁から飛び出したように据えてあった。千代子はその姿見の前に玩具のような椀と茶碗を載せた盆を置いた。 「さあ宵子さん、まんまよ。御待遠さま」  千代子が粥を一匙ずつ掬って口へ入れてやるたびに、宵子は旨しい旨しいだの、ちょうだいちょうだいだのいろいろな芸を強いられた。しまいに自分一人で食べると云って、千代子の手から匙を受け取った時、彼女はまた丹念に匙の持ち方を教えた。宵子は固より極めて短かい単語よりほかに発音できなかった。そう持つのではないと叱られると、きっと御供のような平たい頭を傾げて、こう? こう? と聞き直した。それを千代子が面白がって、何遍もくり返さしているうちに、いつもの通りこう? と半分言いかけて、心持横にした大きな眼で千代子を見上げた時、突然右の手に持った匙を放り出して、千代子の膝の前に俯伏になった。 「どうしたの」  千代子は何の気もつかずに宵子を抱き起した。するとまるで眠った子を抱えたように、ただ手応がぐたりとしただけなので、千代子は急に大きな声を出して、宵子さん宵子さんと呼んだ。 四  宵子はうとうと寝入った人のように眼を半分閉じて口を半分開けたまま千代子の膝の上に支えられた。千代子は平手でその背中を二三度叩いたが、何の効目もなかった。 「叔母さん、大変だから来て下さい」  母は驚ろいて箸と茶碗を放り出したなり、足音を立てて這入って来た。どうしたのと云いながら、電灯の真下で顔を仰向にして見ると、唇にもう薄く紫の色が注していた。口へ掌を当てがっても、呼息の通う音はしなかった。母は呼吸の塞ったような苦しい声を出して、下女に濡手拭を持って来さした。それを宵子の額に載せた時、「脈はあって」と千代子に聞いた。千代子はすぐ小さい手頸を握ったが脈はどこにあるかまるで分らなかった。 「叔母さんどうしたら好いでしょう」と蒼い顔をして泣き出した。母は茫然とそこに立って見ている小供に、「早く御父さんを呼んでいらっしゃい」と命じた。小供は四人とも客間の方へ馳け出した。その足音が廊下の端で止まったと思うと、松本が不思議そうな顔をして出て来た。「どうした」と云いながら、蔽い被さるように細君と千代子の上から宵子を覗き込んだが、一目見ると急に眉を寄せた。 「医者は……」  医者は時を移さず来た。「少し模様が変です」と云ってすぐ注射をした。しかし何の効能もなかった。「駄目でしょうか」という苦しく張りつめた問が、固く結ばれた主人の唇を洩れた。そうして絶望を怖れる怪しい光に充ちた三人の眼が一度に医者の上に据えられた。鏡を出して瞳孔を眺めていた医者は、この時宵子の裾を捲って肛門を見た。 「これでは仕方がありません。瞳孔も肛門も開いてしまっていますから。どうも御気の毒です」  医者はこう云ったがまた一筒の注射を心臓部に試みた。固よりそれは何の手段にもならなかった。松本は透き徹るような娘の肌に針の突き刺される時、自から眉間を険しくした。千代子は涙をぽろぽろ膝の上に落した。 「病因は何でしょう」 「どうも不思議です。ただ不思議というよりほかに云いようがないようです。どう考えても……」と医者は首を傾むけた。「辛子湯でも使わして見たらどうですか」と松本は素人料簡で聞いた。「好いでしょう」と医者はすぐ答えたが、その顔には毫も奨励の色が出なかった。  やがて熱い湯を盥へ汲んで、湯気の濛々と立つ真中へ辛子を一袋空けた。母と千代子は黙って宵子の着物を取り除けた。医者は熱湯の中へ手を入れて、「もう少し注水ましょう。余り熱いと火傷でもなさるといけませんから」と注意した。  医者の手に抱き取られた宵子は、湯の中に五六分浸けられていた。三人は息を殺して柔らかい皮膚の色を見つめていた。「もう好いでしょう。余まり長くなると……」と云いながら、医者は宵子を盥から出した。母はすぐ受取ってタオルで鄭寧に拭いて元の着物を着せてやったが、ぐたぐたになった宵子の様子に、ちっとも前と変りがないので、「少しの間このまま寝かしておいてやりましょう」と恨めしそうに松本の顔を見た。松本はそれがよかろうと答えたまま、また座敷の方へ取って返して、来客を玄関に送り出した。  小さい蒲団と小さい枕がやがて宵子のために戸棚から取り出された。その上に常の夜の安らかな眠に落ちたとしか思えない宵子の姿を眺めた千代子は、わっと云って突伏した。 「叔母さんとんだ事をしました……」 「何も千代ちゃんがした訳じゃないんだから……」 「でもあたしが御飯を喫べさしていたんですから……叔父さんにも叔母さんにもまことにすみません」  千代子は途切れ途切れの言葉で、先刻自分が夕飯の世話をしていた時の、平生と異ならない元気な様子を、何遍もくり返して聞かした。松本は腕組をして、「どうもやっぱり不思議だよ」と云ったが、「おい御仙、ここへ寝かしておくのは可哀そうだから、あっちの座敷へ連れて行ってやろう」と細君を促がした。千代子も手を貸した。 五  手頃な屏風がないので、ただ都合の好い位置を択って、何の囲いもない所へ、そっと北枕に寝かした。今朝方玩弄にしていた風船玉を茶の間から持って来て、御仙がその枕元に置いてやった。顔へは白い晒し木綿をかけた。千代子は時々それを取り除けて見ては泣いた。「ちょっとあなた」と御仙が松本を顧みて、「まるで観音様のように可愛い顔をしています」と鼻を詰らせた。松本は「そうか」と云って、自分の坐っている席から宵子の顔を覗き込んだ。  やがて白木の机の上に、櫁と線香立と白団子が並べられて、蝋燭の灯が弱い光を放った時、三人は始めて眠から覚めない宵子と自分達が遠く離れてしまったという心細い感じに打たれた。彼らは代る代る線香を上げた。その煙の香が、二時間前とは全く違う世界に誘ない込まれた彼らの鼻を断えず刺戟した。ほかの子供は平生の通り早く寝かされた後に、咲子という十三になる長女だけが起きて線香の側を離れなかった。 「御前も御寝よ」 「まだ内幸町からも神田からも誰も来ないのね」 「もう来るだろう。好いから早く御寝」  咲子は立って廊下へ出たが、そこで振り回って、千代子を招いた。千代子が同じく立って廊下へ出ると、小さな声で、怖いからいっしょに便所へ行ってくれろと頼んだ。便所には電灯が点けてなかった。千代子は燐寸を擦って雪洞に灯を移して、咲子といっしょに廊下を曲った。帰りに下女部屋を覗いて見ると、飯焚が出入の車夫と火鉢を挟んでひそひそ何か話していた。千代子にはそれが宵子の不幸を細かに語っているらしく思われた。ほかの下女は茶の間で来客の用意に盆を拭いたり茶碗を並べたりしていた。  通知を受けた親類のものがそのうち二三人寄った。いずれまた来るからと云って帰ったのもあった。千代子は来る人ごとに宵子の突然な最後をくり返しくり返し語った。十二時過から御仙は通夜をする人のために、わざと置火燵を拵らえて室に入れたが、誰もあたるものはなかった。主人夫婦は無理に勧められて寝室へ退ぞいた。その後で千代子は幾度か短かくなった線香の煙を新らしく継いだ。雨はまだ降りやまなかった。夕方芭蕉に落ちた響はもう聞こえない代りに、亜鉛葺の廂にあたる音が、非常に淋しくて悲しい点滴を彼女の耳に絶えず送った。彼女はこの雨の中で、時々宵子の顔に当てた晒を取っては啜泣をしているうちに夜が明けた。  その日は女がみんなして宵子の経帷子を縫った。百代子が新たに内幸町から来たのと、ほかに懇意の家の細君が二人ほど見えたので、小さい袖や裾が、方々の手に渡った。千代子は半紙と筆と硯とを持って廻って、南無阿弥陀仏という六字を誰にも一枚ずつ書かした。「市さんも書いて上げて下さい」と云って、須永の前へ来た。「どうするんだい」と聞いた須永は、不思議そうに筆と紙を受取った。 「細かい字で書けるだけ一面に書いて下さい。後から六字ずつを短冊形に剪って棺の中へ散らしにして入れるんですから」  皆な畏こまって六字の名号を認ためた。咲子は見ちゃ厭よと云いながら袖屏風をして曲りくねった字を書いた。十一になる男の子は僕は仮名で書くよと断わって、ナムアミダブツと電報のようにいくつも並べた。午過になっていよいよ棺に入れるとき松本は千代子に「御前着物を着換さしておやりな」と云った。千代子は泣きながら返事もせずに、冷たい宵子を裸にして抱き起した。その背中には紫色の斑点が一面に出ていた。着換が済むと御仙が小さい珠数を手にかけてやった。同じく小さい編笠と藁草履を棺に入れた。昨日の夕方まで穿いていた赤い毛糸の足袋も入れた。その紐の先につけた丸い珠のぶらぶら動く姿がすぐ千代子の眼に浮んだ。みんなのくれた玩具も足や頭の所へ押し込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短冊を雪のように振りかけた上へ葢をして、白綸子の被をした。 六  友引は善くないという御仙の説で、葬式を一日延ばしたため、家の中は陰気な空気の裡に常よりは賑わった。七つになる嘉吉という男の子が、いつもの陣太鼓を叩いて叱られた後、そっと千代子の傍へ来て、宵子さんはもう帰って来ないのと聞いた。須永が笑いながら、明日は嘉吉さんも焼場へ持って行って、宵子さんといっしょに焼いてしまうつもりだと調戯うと、嘉吉はそんなつもりなんか僕厭だぜと云いながら、大きな眼をくるくるさせて須永を見た。咲子は、御母さんわたしも明日御葬式に行きたいわと御仙にせびった。あたしもねと九つになる重子が頼んだ。御仙はようやく気がついたように、奥で田口夫婦と話をしていた夫を呼んで、「あなた、明日いらしって」と聞いた。 「行くよ。御前も行ってやるが好い」 「ええ、行く事にきめてます。小供には何を着せたらいいでしょう」 「紋付でいいじゃないか」 「でも余まり模様が派手だから」 「袴を穿けばいいよ。男の子は海軍服でたくさんだし。御前は黒紋付だろう。黒い帯は持ってるかい」 「持ってます」 「千代子、御前も持ってるなら喪服を着て供に立っておやり」  こんな世話を焼いた後で、松本はまた奥へ引返した。千代子もまた線香を上げに立った。棺の上を見ると、いつの間にか綺麗な花環が載せてあった。「いつ来たの」と傍にいる妹の百代に聞いた。百代は小さな声で「先刻」と答えたが、「叔母さんが小供のだから、白い花だけでは淋しいって、わざと赤いのを交ぜさしたんですって」と説明した。姉と妹はしばらくそこに並んで坐っていた。十分ばかりすると、千代子は百代の耳に口を付けて、「百代さんあなた宵子さんの死顔を見て」と聞いた。百代は「ええ」と首肯ずいた。 「いつ」 「ほら先刻御棺に入れる時見たんじゃないの。なぜ」  千代子はそれを忘れていた。妹がもし見ないと云ったら、二人で棺の葢をもう一遍開けようと思ったのである。「御止しなさいよ、怖いから」と云って百代は首をふった。  晩には通夜僧が来て御経を上げた。千代子が傍で聞いていると、松本は坊さんを捕まえて、三部経がどうだの、和讃がどうだのという変な話をしていた。その会話の中には親鸞上人と蓮如上人という名がたびたび出て来た。十時少し廻った頃、松本は菓子と御布施を僧の前に並べて、もう宜しいから御引取下さいと断わった。坊さんの帰った後で御仙がその理由を聞くと、「何坊さんも早く寝た方が勝手だあね。宵子だって御経なんか聴くのは嫌だよ」とすましていた。千代子と百代子は顔を見合せて微笑した。  あくる日は風のない明らかな空の下に、小いさな棺が静かに動いた。路端の人はそれを何か不可思議のものでもあるかのように目送した。松本は白張の提灯や白木の輿が嫌だと云って、宵子の棺を喪車に入れたのである。その喪車の周囲に垂れた黒い幕が揺れるたびに、白綸子の覆をした小さな棺の上に飾った花環がちらちら見えた。そこいらに遊んでいた子供が駆け寄って来て、珍らしそうに車を覗き込んだ。車と行き逢った時、脱帽して過ぎた人もあった。  寺では読経も焼香も形式通り済んだ。千代子は広い本堂に坐っている間、不思議に涙も何も出なかった。叔父叔母の顔を見てもこれといって憂に鎖された様子は見えなかった。焼香の時、重子が香をつまんで香炉の裏へ燻るのを間違えて、灰を一撮み取って、抹香の中へ打ち込んだ折には、おかしくなって吹き出したくらいである。式が果ててから松本と須永と別に一二人棺につき添って火葬場へ廻ったので、千代子はほかのものといっしょにまた矢来へ帰って来た。車の上で、切なさの少し減った今よりも、苦しいくらい悲しかった昨日一昨日の気分の方が、清くて美くしい物を多量に含んでいたらしく考えて、その時味わった痛烈な悲哀をかえって恋しく思った。 七  骨上には御仙と須永と千代子とそれに平生宵子の守をしていた清という下女がついて都合四人で行った。柏木の停車場を下りると二丁ぐらいな所を、つい気がつかずに宅から車に乗って出たので時間はかえって長くかかった。火葬場の経験は千代子に取って生れて始めてであった。久しく見ずにいた郊外の景色も忘れ物を思い出したように嬉しかった。眼に入るものは青い麦畠と青い大根畠と常磐木の中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった。前へ行く須永は時々後を振り返って、穴八幡だの諏訪の森だのを千代子に教えた。車が暗いだらだら坂へ来た時、彼はまた小高い杉の木立の中にある細長い塔を千代子のために指した。それには弘法大師千五十年供養塔と刻んであった。その下に熊笹の生い茂った吹井戸を控えて、一軒の茶見世が橋の袂をさも田舎路らしく見せていた。折々坊主になりかけた高い樹の枝の上から、色の変った小さい葉が一つずつ落ちて来た。それが空中で非常に早くきりきり舞う姿が鮮やかに千代子の眼を刺戟した。それが容易に地面の上へ落ちずに、いつまでも途中でひらひらするのも、彼女には眼新らしい現象であった。  火葬場は日当りの好い平地に南を受けて建てられているので、車を門内に引き入れた時、思ったより陽気な影が千代子の胸に射した。御仙が事務所の前で、松本ですがと云うと、郵便局の受付口みたような窓の中に坐っていた男が、鍵は御持ちでしょうねと聞いた。御仙は変な顔をして急に懐や帯の間を探り出した。 「とんだ事をしたよ。鍵を茶の間の用箪笥の上へ置いたなり……」 「持って来なかったの。じゃ困るわね。まだ時間があるから急いで市さんに取って来て貰うと好いわ」  二人の問答を後の方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持って来ているよと云って、冷たい重いものを袂から出して叔母に渡した。御仙がそれを受付口へ見せている間に、千代子は須永を窘なめた。 「市さん、あなた本当に悪らしい方ね。持ってるなら早く出して上げればいいのに。叔母さんは宵子さんの事で、頭がぼんやりしているから忘れるんじゃありませんか」  須永はただ微笑して立っていた。 「あなたのような不人情な人はこんな時にはいっそ来ない方がいいわ。宵子さんが死んだって、涙一つ零すじゃなし」 「不人情なんじゃない。まだ子供を持った事がないから、親子の情愛がよく解らないんだよ」 「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑気な事が云えるのね。じゃあたしなんかどうしたの。いつ子供持った覚があって」 「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんだろう」  御仙は二人の口論を聞かない人のように、用事を済ますとすぐ待合所の方へ歩いて行った。そこへ腰をかけてから、立っている千代子を手招きした。千代子はすぐ叔母の傍へ来て座に着いた。須永も続いて這入って来た。そうして二人の向側にある涼み台みたようなものの上に腰をかけた。清もおかけと云って自分の席を割いてやった。  四人が茶を呑んで待ち合わしている間に、骨上の連中が二三組見えた。最初のは田舎染みた御婆さんだけで、これは御仙と千代子の服装に対して遠慮でもしたらしく口数を多く利かなかった。次には尻を絡げた親子連が来た。活溌な声で、壺を下さいと云って、一番安いのを十六銭で買って行った。三番目には散髪に角帯を締めた男とも女とも片のつかない盲者が、紫の袴を穿いた女の子に手を引かれてやって来た。そうしてまだ時間はあるだろうねと念を押して、袂から出した巻煙草を吸い始めた。須永はこの盲者の顔を見ると立ち上ってぷいと表へ出たぎりなかなか返って来なかった。ところへ事務所のものが御仙の傍へ来て、用意が出来ましたからどうぞと促がしたので、千代子は須永を呼びに裏手へ出た。 八  真鍮の掛札に何々殿と書いた並等の竈を、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空地の隅に松薪が山のように積んであった。周囲には綺麗な孟宗藪が蒼々と茂っていた。その下が麦畠で、麦畠の向うがまた岡続きに高く蜿蜒しているので、北側の眺めはことに晴々しかった。須永はこの空地の端に立って広い眼界をぼんやり見渡していた。 「市さん、もう用意ができたんですって」  須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰って来たが、「あの竹藪は大変みごとだね。何だか死人の膏が肥料になって、ああ生々延びるような気がするじゃないか。ここにできる筍はきっと旨いよ」と云った。千代子は「おお厭だ」と云い放にして、さっさとまた並等を通り抜けた。宵子の竈は上等の一号というので、扉の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨日の花環が少し凋みかけて、台の上に静かに横たわっていた。それが昨夜宵子の肉を焼いた熱気の記念のように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御坊が三人出て来た。そのうちの一番年を取ったのが「御封印を……」と云うので、須永は「よし、構わないから開けてくれ」と頼んだ。畏まった御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながら錠を抜いた。黒い鉄の扉が左右へ開くと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一塊となって朧気に見えた。御坊は「今出しましょう」と断って、レールを二本前の方に継ぎ足しておいて、鉄の環に似たものを二つ棺台の端にかけたかと思うと、いきなりがらがらという音と共に、かの形を成さない一塊の焼残が四人の立っている鼻の下へ出て来た。千代子はそのなかで、例の御供に似てふっくらと膨らんだ宵子の頭蓋骨が、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手帛を口に銜えた。御坊はこの頭蓋骨と頬骨と外に二つ三つの大きな骨を残して、「あとは綺麗に篩って持って参りましょう」と云った。  四人は各自木箸と竹箸を一本ずつ持って、台の上の白骨を思い思いに拾っては、白い壺の中へ入れた。そうして誘い合せたように泣いた。ただ須永だけは蒼白い顔をして口も利かず鼻も鳴らさなかった。「歯は別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、顎をくしゃくしゃと潰してその中から二三枚択り出したのを見た須永は、「こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じ事だ」と独言のように云った。下女が三和土の上にぽたぽたと涙を落した。御仙と千代子は箸を置いて手帛を顔へ当てた。  車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱いてそれを膝の上に載せた。車が馳け出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅が白茶けた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝が遥か頭の上で交叉するほど繁く両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空を眺めた。宅へ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、葢を開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。  やがて家内中同じ室で昼飯の膳に向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。 「生きてる内はそれほどにも思わないが、逝かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。 「非道いわね」と重子が咲子に耳語いた。 「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二つのような子を拵えてちょうだい。可愛がって上げるから」 「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」 「己は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭になった」 須永の話 一  敬太郎は須永の門前で後姿の女を見て以来、この二人を結びつける縁の糸を常に想像した。その糸には一種夢のような匂があるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子として眺める時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟を与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果のごとくに繋いだ。田口の家へ出入するようになってからも、須永と千代子の関係については、一口でさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子を直に観察しても尋常の従兄弟以上に何物も仄めいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想に支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対の男女として認める傾きを有っていた。女の連添わない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然を損なった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。  それはこむずかしい理窟だから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻ったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯から聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事の纏まらない先から、奥の委しい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然とした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。 「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」 「そうも行かないでしょう」 「なぜ」 「なぜって聞かれると、僕にも明瞭な答はでき悪いんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」 「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」 「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」  敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪に障るのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣がないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶をしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。  これは敬太郎が須永の宅で矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人と結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易く右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通り幻しに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々のうちに繋ぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容して然るべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。固よりそれは単なる物数奇に過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。 二  その日は生憎千代子に妨たげられた上、しまいには須永の母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎は偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑になり終せているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式で纏めるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。  次の日曜がまた幸いな暖かい日和をすべての勤め人に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘なおうとした。無精でわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切した方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。  この日彼らは両国から汽車に乗って鴻の台の下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々した好い気分になって、水だの岡だの帆かけ船だのを見廻した。須永も景色だけは賞めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴れ出した敬太郎を恨んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆れたような顔をして跟いて来た。二人は柴又の帝釈天の傍まで来て、川甚という家へ這入って飯を食った。そこで誂らえた鰻の蒲焼が甘たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。 「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎ものだって云うだろう」  須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌なものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それから後は二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目になったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟に傾くじゃないか」と調戯っても、須永は「どうも自分ながら厭になる事がある」と快よく己れの弱点を承認するだけであった。  こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透して恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂を皮切に須永を襲った。その時須永は少しも昂奮した様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度は旨く纏まればいいが」と答えたが、急に口調を更えて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐らしそうに説明して聞かせた。 「君は貰う気はないのかい」 「僕が貰うように見えるかね」  話しはこんな風に、御互で引き摺るようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際どいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更えるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖を持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側へ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」と蛇の頭を須永に見せた。 三  須永の話は敬太郎の予期したよりも遥かに長かった。――  僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けた温たかい肉の塊りに対する情は、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親を懐かしいと思う心はその後だいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事も稀ではない。一言でいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色の勝れない、親しみの薄い、厳格な表情に充ちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡の裏に見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容貌と大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じ厭な印象を、傍の人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰欝な眉や額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯えていたのではなかろうかと考えると、父の記念として、彼の悪い上皮だけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、「市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介にならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今更改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、「今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと」と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小言をまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。  父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間際になって、僕は着物を着換えさせられたまま、手持無沙汰だから、一人縁側へ出て、蒼い空を覗き込むように眺めていると、白無垢を着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、供に立つものはみんな向の方で混雑していたので、傍には誰も見えなかった。母は突然自分の坊主頭へ手を載せて、泣き腫らした眼を自分の上に据えた。そうして小さい声で、「御父さんが御亡くなりになっても、御母さんが今まで通り可愛がって上げるから安心なさいよ」と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両親に対する僕の記憶を、生長の後に至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがその後しだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向って直に問い糺して見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気が摧けてしまうのが例であった。そうして心の中のどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子が離れ離れになって、永久今の睦ましさに戻る機会はないと僕に耳語くものが出て来た。それでなくても、母は僕の真面目な顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いに紛らしそうなので、そう剥ぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。  僕は母に対してけっして柔順な息子ではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母に逆らった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができた後でも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母子は生れて以来の母子で、この貴とい観念を傷つけられた覚は、重手にしろ浅手にしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢痕を遺さなければすまない瘡を受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏怖の念は神経質に生れた僕の頭で拵らえるのかも知れないとも疑って見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。 四  父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまだ妻を貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲の善い夫婦でも、時々は気不味い思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚点を双方の胸の裏に見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人苦く味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳癖の強い割に陰性な男だったし、母は長唄をうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分なので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らの宅ほど静かに整のった家庭は滅多に見当らなかったのである。あのくらい他の悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間違ないものと信じ切っている。  母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布巾をかけてだんだん光沢を出すつもりとも見られる。けれども慈愛に充ちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕が目のあたりに見ているあの柔和な母が、どうしてこう真面目になれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気象で僕を打ち据える事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請って同じ話をくり返して貰っても、そんな気高い気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるで荒み果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分を呪いたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいという望を起すが、同時にその望みがとても遂げられない過去の夢であるという悲しみも湧いて来る。  母の性格は吾々が昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差支ない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女の喜はないのである。が、もしその僕が彼女の意に背く事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。  思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分に妙ちゃんという妹と毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布を平生着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父の亡くなる何年前かに実扶的里亜で死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕は固より実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。宅へ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調戯われて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことに穏かだったので、小供ながら、ついその時の言葉まで小さい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、初から覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計に他を知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察に価しないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。 五  だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今日まで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安に人を採る今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨ましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選の依託を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有っている。それだのに僕は動かなかった。固より自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込み思案なのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃されたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけ纏っていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などを修めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。  こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺して行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰の坐らないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。  母は昔堅気の教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一の務だというような考えを、何より先に抱いている。しかし彼女の家名を揚げるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然と、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他が後を追って門前に輻湊するぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただ汚さないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんで貰えるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。  僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点を矯めずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕が私かに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時に溯ぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利でも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母の妹に当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口は固より僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはその折快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一という男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。 六  とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆があった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人は固より天に上る雲雀のごとく自由に生長した。絆を綯った人でさえ確とその端を握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。  母は僕の高等学校に這入った時分それとなく千代子の事を仄めかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻という観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟を与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒ろうが泣こうが、科をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄に過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女の牆壁が取り除けられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜かろうと思う。  母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。  その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱いたまま一人で温めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧に吟味する余裕ができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹は血属だから厭だと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでも私の好きな子で、御前も嫌うはずがないからだと、赤ん坊には応用の利かないような挨拶をして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子は厭かと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔し田口が父の世話になったり厄介になったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安の裏に一縷の望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。  こういう事情で、今まで母一人で懐に抱いていた問題を、その後は僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題を孵しつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。 七  僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女を欺むいてその日その日を姑息に送っているような気がしてすまなかった。一頃は思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰ってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕を疎んずるような素振を口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかに憐れむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますその傾が著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白い顔色とを婿として肯がわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質だから、物を誇大に考え過したり、要らぬ僻みを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めた委しい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼は憚かりたい。ただ一言で云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その後彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただ惚けかかった空しい義理の抜殻を、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支ないのである。  僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。 「市さんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」 「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」 「市さんにはおとなしくって優しい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」 「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手はあるまいな」  僕が苦笑しながら、自ら嘲けるごとくこう云った時、今まで向うの隅で何かしていた千代子が、不意に首を上げた。 「あたし行って上げましょうか」  僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘なめるようなまた怖れるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子も傍にいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式を具えない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。  この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますます屑よしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向の洩らし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでも蟠まりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういう訳なら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、私かに掛念を抱いたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得る極めて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。 八  意地の強い僕は母を嬉しがらせるよりもなるべく自我を傷けないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くある姪や甥の中で、取り分け千代子を可愛がった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊りに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的疎くなった今日でも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、生の親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入をしていた。単純な彼女は、自分の身を的に時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、恨めしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。  僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口を塞いでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分の我を通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにか萌すので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄の眉を曇らすのがただ情ないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少抑えたのである。  それで僕は千代子に関して何という明瞭な所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、会には単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走するからと引止められて、夕飯の膳についた。いつも留守がちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作な話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子に響くくらい家の中が賑わった。飯が済んだ後で、叔父はどういう考か、突然僕に「市さん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退いた。二人はそこで二三番打った。固より下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石を片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草を呑みながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだ纏まりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇もなくこう云った。―― 「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」  叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。 「母は本気でそう云ったんだそうです」 「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々真面目になって叔母さんにその話をするそうだ」  叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣れた人の巧妙な覚らせぶりだとすれば、一口でも云うだけが愚だと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣れた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。 九  それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛念だけが問題なら、あるいは僕の気随をいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな[#「そんな」は底本では「そんに」]風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地を翻がえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するように力め出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸々形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一帳場先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居を跨ぎ出した。  彼らの僕を遇する態度に固より変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとは故のごとく笑ったり、ふざけたり、揚足の取りっくらをしたりした。要するに僕の田口で費やした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかに偽の影が射して、本来の自分を醜く彩っていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じた覚がただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族が揃って遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風邪を引いたと見えて、咽喉に湿布をしていた。常にも似ない蒼い顔色も淋しく思われた。微笑しながら、「今日はあたし御留守居よ」と云った時、僕は始めて皆出払った事に気がついた。  その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いを挑まなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くや否や、優しい慰藉の言葉を口から出す気もなく自から出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんを貰ったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌に振舞っても差支ないものと暗に自から許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼の中にどこか嬉しそうな色の微かながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。  二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互の唇から当時を蘇生らせる便として洩れた。僕は千代子の記憶が、僕よりも遥かに勝れて、細かいところまで鮮やかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったまま袴の綻を彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿糸でなくて絹糸であった事も知っていた。 「あたしあなたの描いてくれた画をまだ持っててよ」  なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやった覚があった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜好は、それから以後今日に至るまで、ついぞ画筆を握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺戟が、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。 「見せて上げましょうか」  僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分の室から僕の画を納めた手文庫を持って来た。 十  千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿だの、紫の東菊だの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花卉の写生に過ぎなかったが、要らない所にわざと手を掛けて、時間の浪費を厭わずに、細かく綺麗に塗り上げた手際は、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。 「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」  千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きな瞳を僕の上にじっと据えていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で「でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう」と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯った。 「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」 「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」  僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸に応えそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹那すでに涙の溢れそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。 「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」 「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」  彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもう直に行くのだと答えた。 「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」 「いいえ、もうきまったの」  彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日も早く彼女の縁談が纏まれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のする浪を打った。そうして毛穴から這い出すような膏汗が、背中と腋の下を不意に襲った。千代子は文庫を抱いて立ち上った。障子を開けるとき、上から僕を見下して、「嘘よ」と一口判切云い切ったまま、自分の室の方へ出て行った。  僕は動く考もなく故の席に坐っていた。僕の胸には忌々しい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻弄に対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解り悪い怖いものなのだろうかと考えて、しばらく茫然としていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。 「もう呼び出してあるのよ。あたし声が嗄れて、咽喉が痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」  僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈みになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独り彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶を大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽も構わず暇がかかるのも厭わず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発するような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕は曲んだまま、おいちょいとそれを御貸と声をかけて左手を真直に千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々をして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。―― 十一  こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその後何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会は捉まえられるではないかと、同じ運命が暗に僕を唆のかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段を憚からなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害で割く事のできない愛に陥っていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。  田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入智慧同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以太利で一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりも遥かに興味が多かった。その話はこうである。――  ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席に群がるすべての人から多大の尊敬と愛嬌をもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘徊しているうち、どういう機会か自分の手巾を足の下へ落した。混雑の際と見えて、彼は固より、傍のものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾を床の上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌が必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉の傍まで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑を洩らした。  僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛を有った以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼と眉を想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。  口の悪い松本の叔父はこの姉妹に渾名をつけて常に大蝦蟆と小蝦蟆と呼んでいる。二人の口が唇の薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口だと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇はおとなしくって好いが、大蟇は少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑を挟さみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内に蔵しているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女の有っている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻に打たれたような思いをする。当りの強く烈しく来るのは、彼女の胸から純粋な塊まりが一度に多量に飛んで出るという意味で、刺だの毒だの腐蝕剤だのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈しく怒られても、僕は彼女から清いもので自分の腸を洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高いものに出会ったという感じさえ稀には起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。 十二  これほど好く思っている千代子を妻としてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時理由も何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれども強いて沈黙のなかに記憶を埋める必要もないから、それを自分だけの感想に止めないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。  僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪えられないだろう。その光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸として、今日まで世間から教育されて来たのである。  千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦の感情を、あるに任せて惜気もなく夫の上に注ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然るべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指す事のできる権力か財力を攫まなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支ないのである。僕は今云った通り、妻としての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至って燻ぶった性質なのだが、よし焼石に水を濺いだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重の足袋で包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。  僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想い出す。叔父は素人学問ながらこんな方面に興味を有っているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕を捕まえて「御前のような感情家は」と暗に詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労をするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸に湧き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人である。だから恐れる僕を軽蔑するのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深く憐れむのである。否時によると彼女のために戦慄するのである。 十三  須永の話の末段は少し敬太郎の理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれは傍から彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価しないくらいに見限っていた。その上彼は理窟が大嫌いであった。右か左へ自分の身体を動かし得ないただの理窟は、いくら旨くできても彼には用のない贋造紙幣と同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻占に似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりと潤った身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。  須永もそこに気がついた。 「話が理窟張ってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌っているものだから」 「いや構わん。大変面白い」 「洋杖の効果がありゃしないか」 「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか」 「もう無いよ」  須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判然しない雲の峰のように、頭の中に聳えて容易に消えそうにしなかった。何事も語らないで彼の前に坐っている須永自身も、平生の紋切形を離れた怪しい一種の人物として彼の眼に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘定を済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。  柴又の帝釈天の境内に来た時、彼らは平凡な堂宇を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停車場へ来ると、間怠るこい田舎汽車の発車時間にはまだだいぶ間があった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約を楯に須永から聞かして貰ったものである。――  僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅の二階に籠ってこの暑中をどう暮らしたら宜かろうと思案していると、母が下から上って来て、閑になったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺を好まない性質なので、一家のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容れて、材木座にある、ある人の邸宅を借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞かたがた報知に来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しい崖の上に、二段か三段に建てた割合手広な住居だそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕は傍で聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気保養になってよかろうと忠告した。母は懐から千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変窟な僕からいうと、そう混雑した所へ二人で押しかけるのは、世話にならないにしても気の毒で厭だった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行く事にした。こう云っても人には通じないかも知れないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。 十四  母は内気な性分なので平生から余り旅行を好まなかった。昔風に重きをおかなければ承知しない厳格な父の生きている頃は外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留守にした例を覚えていない。父が死んで自由が利くようになってからも、そう勝手な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長く宅を空けたりする便宜を有たない彼女は、母子二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。  鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個の鞄を携えて直行の汽車に乗った。母は車の動き出す時、隣に腰をかけた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら云った。そう云われた僕にも実は余り頻繁な経験ではなかった。新らしい気分に誘われた二人の会話は平生よりは生々していた。何を話したか自分にもいっこう覚えのない事を、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしてないので停車場には誰も迎に来ていなかったが、車を雇うとき某さんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新らしい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠中の黄色い花を美くしく眺めた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じ趣を具えた目新らしいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色は何だろうと考え抜いた揚句、突然唐茄子だと気がついたので独りおかしがった。  車が別荘の門に着いた時、戸障子を取り外した座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴衣を着た男のいるのを見て、多分叔父が昨日あたり東京から来て泊ってるのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出て来たのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいの事はあるべきはずだと思って、座敷へ通って見ると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴しの好い所が手に入って結構だとか、年寄の女だけに口数の多い挨拶のやりとりを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干してくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道程のある山手だけれども水は存外悪かった。手拭を絞って金盥の底を見ていると、たちまち砂のような滓が澱んだ。 「これを御使いなさい」という千代子の声が突然後でした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまた傍にある鏡台の抽出から櫛を出してくれた。僕が鏡の前に坐って髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身体を持たして、僕の濡れた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩にかけたまま立ち上った。千代子は僕より先に柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕は藪から棒に後から彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。 「御父さんは四五日前ちょっといらしったけど、一昨日また用が出来たって東京へ御帰りになったぎりよ」 「ここにゃいないのかい」 「ええ。なぜ。ことによると今日の夕方吾一さんを連れて、またいらっしゃるかも知れないけども」  千代子は明日もし天気が好ければ皆と魚を漁りに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。僕は魚の事よりも先刻見た浴衣がけの男の居所が知りたかった。 十五 「先刻誰だか男の人が一人座敷にいたじゃないか」 「あれ高木さんよ。ほら秋子さんの兄さんよ。知ってるでしょう」  僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何者かをすぐ了解した。百代子の学校朋輩に高木秋子という女のある事は前から承知していた。その人の顔も、百代子といっしょに撮った写真で知っていた。手蹟も絵端書で見た。一人の兄が亜米利加へ行っているのだとか、今帰って来たばかりだとかいう話もその頃耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びに来ているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。 「ついこの下よ」と彼女は云ったぎりであった。 「別荘かい」と僕は重ねて聞いた。 「ええ」  二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当にあたるとかいうさほどでもない事を、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると云って、わざわざ知らせて来た事を告げた。二人は明日魚を漁りに行く時の楽みを、今眼の当りに描き出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。 「高木さんもいらっしゃるんでしょう」 「市さんもいらっしゃい」  僕は行かないと答えた。その理由として、少し宅に用があって、今夜東京へ帰えらなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこう混雑しているところへ、もし田口が吾一でも連れて来たら、それこそ自分の寝る場所さえ無くなるだろうと心配したのである。その上僕は姉妹の知っている高木という男に会うのが厭だった。彼は先刻まで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いを逃れて好かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人を怖がる性分なのである。  僕の帰ると云うのを聞いた二人は、驚ろいたような顔をしてとめにかかった。ことに千代子は躍起になった。彼女は僕を捉まえて変人だと云った。母を一人残してすぐ帰る法はないと云った。帰ると云っても帰さないと云った。彼女は自分の妹や弟に対してよりも、僕に対しては遥かに自由な言葉を使い得る特権を有っていた。僕は平生から彼女が僕に対して振舞うごとく大胆に率直に(ある時は善意ではあるが)威圧的に、他人に向って振舞う事ができたなら、僕のような他に欠点の多いものでも、さぞ愉快に世の中を渡って行かれるだろうと想像して、大いにこの小さな暴君を羨ましがっていた。 「えらい権幕だね」 「あなたは親不孝よ」 「じゃ叔母さんに聞いて来るから、もし叔母さんが泊って行く方がいいって、おっしゃったら、泊っていらっしゃい。ね」  百代子は仲裁を試みるような口調でこう云いながら、すぐ年寄の話している座敷の方へ立って行った。僕の母の意向は無論聞くまでもなかった。したがって百代子の年寄二人から齎らした返事もここに述べるのは蛇足に過ぎない。要するに僕は千代子の捕虜になったのである。  僕はやがてちょっと町へ出て来るという口実の下に、午後の暑い日を洋傘で遮ぎりながら別荘の附近を順序なく徘徊した。久しく見ない土地の昔を偲ぶためと云えば云えない事もないが、僕にそんな寂びた心持を嬉しがる風流があったにしたところで、今はそれに耽る落ちつきも余裕も与えられなかった。僕はただうろうろとそこらの標札を読んで歩いた。そうして比較的立派な平屋建の門の柱に、高木の二字を認めた時、これだろうと思って、しばらく門前に佇んだ。それから後は全く何の目的もなしになお緩漫な歩行を約十五分ばかり続けた。しかしこれは僕が自分の心に、高木の家を見るためにわざわざ表へ出たのではないと申し渡したと同じようなものであった。僕はさっさと引き返した。 十六  実を云うと、僕はこの高木という男について、ほとんど何も知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつある由を聞いただけである。その時百代子が、御姉さんにはどうかしらと、ちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつもの通り冷淡な調子で、好いかも知れない、御父さんか御母さんに話して御覧と云ったと記憶する。それから以後僕の田口の家に足を入れた度数は何遍あるか分らないが、高木の名前は少くとも僕のいる席ではついぞ誰の口にも上らなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住居に何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さを冒して外出したのだろう。僕は今日までその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体を動かしに来たという漠たる感じが胸に射したばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日の間に、紛れもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。  僕が別荘へ帰って一時間経つか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母は、高木さんですと云って叮嚀にその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉の緊った血色の好い青年であった。年から云うと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非共青年という文字が必要になったくらい彼は生気に充ちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑ぐった。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改たまって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落としか受取られなかった。  二人の容貌がすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対ぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹とか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取り捲かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしに己を取扱かう術を心得ていたのである。知らない人を怖れる僕に云わせると、この男は生れるや否や交際場裏に棄てられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕を除け物にしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染に用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂をしていたところでしたと云った。  僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨ましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼を憎み出した。そうして僕の口を利くべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。  落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕の僻みだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質だから、結局他に話をする時にもどっちと判然したところが云い悪くなるが、もしそれが本当に僕の僻み根性だとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉が潜んでいたのである。 十七  僕は男として嫉の強い方か弱い方か自分にもよく解らない。競争者のない一人息子としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉を起す機会を有たなかった。小学や中学は自分より成績の好い生徒が幸いにしてそう無かったためか、至極太平に通り抜けたように思う。高等学校から大学へかけては、席次にさほど重きをおかないのが、一般の習慣であった上、年ごとに自分を高く見積る見識というものが加わって来るので、点数の多少は大した苦にならなかった。これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争った覚はなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美くしい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得る男なのである。往来を歩いて綺麗な顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射した時のように晴やかな心持になる。会にはその所有者になって見たいと云う考も起る。しかしその顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予想して、酔が去って急にぞっとする人のあさましさを覚える。僕をして執念く美くしい人に附纏わらせないものは、まさにこの酒に棄てられた淋しみの障害に過ぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い時分が突然老人か坊主に変ったのではあるまいかと思って、非常な不愉快に陥る。が、あるいはそれがために恋の嫉というものを知らずにすます事が出来たかも知れない。  僕は普通の人間でありたいという希望を有っているから、嫉心のないのを自慢にしたくも何ともないけれども、今話したような訳で、眼の当りにこの高木という男を見るまでは、そういう名のつく感情に強く心を奪われた試がなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有する気もない千代子が源因で、この嫉心が燃え出したのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉心を抑えつけなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉心を抱いて、誰にも見えない腹の中で苦悶し始めた。幸い千代子と百代子が日が薄くなったから海へ行くと云い出したので、高木が必ず彼らに跟いて行くに違ないと思った僕は、早く跡に一人残りたいと願った。彼らははたして高木を誘った。ところが意外にも彼は何とか言訳を拵えて容易に立とうとしなかった。僕はそれを僕に対する遠慮だろうと推察して、ますます眉を暗くした。彼らは次に僕を誘った。僕は固より応じなかった。高木の面前から一刻も早く逃れる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜辺まで行く努力がすでに厭であった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなと云った。僕は黙って遠くの海の上を眺めていた。姉妹は笑いながら立ち上った。 「相変らず偏窟ねあなたは。まるで腕白小僧見たいだわ」  千代子にこう罵しられた僕は、実際誰の目にも立派な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好い高木は縁側へ出て、二人のために菅笠のように大きな麦藁帽を取ってやって、行っていらっしゃいと挨拶をした。  二人の後姿が別荘の門を出た後で、高木はなおしばらく年寄を相手に話していた。こうやって避暑に来ていると気楽で好いが、どうして日を送るかが大問題になってかえって苦痛になるなどと、実際活気に充ちた身体を暑さと退屈さに持ち扱かっている風に見えた。やがて、これから晩まで何をして暮らそうかしらと独言のように云って、不意に思い出したごとく、玉はどうですと僕に聞いた。幸いにして僕は生れてからまだ玉突という遊戯を試みた事がなかったのですぐ断った。高木はちょうど好い相手ができたと思ったのに残念だと云いながら帰って行った。僕は活溌に動く彼の後影を見送って、彼はこれから姉妹のいる浜辺の方へ行くに違いないという気がした。けれども僕は坐っている席を動かなかった。 十八  高木の去った後、母と叔母はしばらく彼の噂をした。初対面の人だけに母の印象はことに深かったように見えた。気のおけない、至って行き届いた人らしいと云って賞めていた。叔母はまた母の批評を一々実例に照らして確かめる風に見えた。この時僕は高木について知り得た極めて乏しい知識のほとんど全部を訂正しなければならない事を発見した。僕が百代子から聞いたのでは、亜米利加帰りという話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくって全く英吉利で教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰かから聞いたと見えて、二三度それを使って、何の心得もない母を驚ろかしたのみか、だからどことなく品の善いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。  二人がこんな話をしている内、僕はほとんど一口も口を利かなかった。ただ上部から見て平生の調子と何の変るところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまた恨めしくもあった。同じ母が、千代子対僕と云う古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新らしい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持になるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じ事になるので、僕はただでさえ不愉快な上に、年寄にすまないという苦痛をもう一つ重ねた。  前後の模様から推すだけで、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木にやるつもりでいるぐらいの打明話を、僕ら母子に向って、相談とも宣告とも片づかない形式の下に、する気だったかも知れない。すべてに気がつく癖に、こうなるとかえって僕よりも迂遠い母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉妹は浜から広い麦藁帽の縁をひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁しがらせたのも嘘ではない。  夕方になって、僕は姉妹と共に東京から来るはずの叔父を停車場に迎えるべく母に命ぜられて家を出た。彼らは揃の浴衣を着て白い足袋を穿いていた。それを後から見送った彼らの母の眼に彼らがいかなる誇として映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母には画として普通以上にどんなに価が高かったろう。僕は母を欺むく材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。  途中まで来た頃、千代子は思い出したように突然とまって、「あっ高木さんを誘うのを忘れた」と云った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びを止めたが、口は開かなかった。「もう好いじゃないの、ここまで来たんだから」と百代子が云った。「だってあたし先刻誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が云った。百代子はまた僕の顔を見て逡巡った。 「市さんあなた時計持っていらしって。今何時」  僕は時計を出して百代子に見せた。 「まだ間に合わない事はない。誘って来るなら来ると好い。僕は先へ行って待っているから」 「もう遅いわよあなた。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。後から忘れましたって詫まったらそれで好かないの」  姉妹は二三度押問答の末ついに後戻りをしない事にした。高木は百代子の予言通りまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へ這入って来て、姉妹に、どうも非道い、あれほど頼んでおくのにと云った。それから御母さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、先ほどはと愛想の好い挨拶をした。 十九  その晩は叔父と従弟を待ち合わした上に、僕ら母子が新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶ後れたばかりでなく、私かに恐れた通りはなはだしい混雑の中に箸と茶椀の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、市さんまるで火事場のようだろう、しかし会にはこんな騒ぎをして飯を食うのも面白いものだよと云って、間接の言訳をした。閑静な膳に慣れた母は、この賑やかさの中に実際叔父の言葉通り愉快らしい顔をしていた。母は内気な癖にこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口に上った一塩にした小鰺の焼いたのを美味いと云ってしきりに賞めた。 「漁師に頼んどくといくらでも拵えて来てくれますよ。何なら、帰りに持っていらっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでが無かったもんだから、それにすぐ腐くなるんでね」 「わたしもいつか大磯で誂えてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね」 「腐るの」千代子が聞いた。 「叔母さん興津鯛御嫌。あたしこれよか興津鯛の方が美味いわ」と百代子が云った。 「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母はおとなしい答をした。  こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一塩の小鰺を好いていたからでもある。  ついでだからここで云う。僕は自分の嗜好や性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方有っている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真似をしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞き糺して見ても判切云えなかったのだから、理由は話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共に具えているなら僕は大変嬉しかった。長所でも母になくって僕だけ有っているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受け継いでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。  食事の後れた如く、寝る時間も順繰に延びてだいぶ遅くなった。その上急に人数が増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一骨折であった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳に寝た。叔父は肥った身体を持ち扱かって、団扇をしきりにばたばた云わした。 「市さんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね」  僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉下りまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。 「これも一興だ」  疑問は叔父の一句でたちまち納りがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明日の魚捕の事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真面目だか冗談だか、船に乗りさえすれば、魚の方で風を望んで降るような旨い話をして聞かせた。それがただ自分の伜を相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴手にするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨拶をする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一人として受答をするようになっていた。僕は固より行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声をかき始めた。吾一もすやすや寝入った。ただ僕だけは開いている眼をわざと閉じて、更けるまでいろいろな事を考えた。 二十  翌日眼が覚めると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかない路を辿りながら、時々別種の人間を偸み見るような好奇心をもって、叔父の寝顔を眺めた。そうして僕も寝ている時は、傍から見ると、やはりこう苦がない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這入って来て、市さんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろと促がすので、起き上って縁側へ出ると、海の方には一面に柔かい靄の幕がかかって、近い岬の木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空を眺め出したが、少し降ってると答えた。  彼は今日の船遊びの中止を深く気遣うもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子は当にならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風呂場の方へ行った。  食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえって穏やかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御婆さんだけ残して、若いものが揃って出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御爺さんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。 「今日はこれでも若いものの部だよ」  叔父はこの言葉を証拠立てるためだか何だか、さっそく立って浴衣の尻を端折って下へ降りた。姉弟三人もそのままの姿で縁から降りた。 「御前達も尻を捲るが好い」 「厭な事」  僕は山賊のような毛脛を露出しにした叔父と、静御前の笠に似た恰好の麦藁帽を被った女二人と、黒い兵児帯をこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとく眺めた。 「市さんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。 「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。 「市さんに悪い下駄を貸して上げるが好い」と叔父が注意した。  僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳足で迎に行って連れて来る事にした。  叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になって歩調を合せた。そのうちに、男の足だものだから、いつの間にか姉妹を乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人は後れた事にいっこう頓着しない様子で、毫も追いつこうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざと後から来る高木を待ち合せるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所作だったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考で振り向いた僕は、合図を止めてまた叔父と歩き出した。そうしてそのまま小坪へ這入る入口の岬の所まで来た。そこは海へ出張った山の裾を、人の通れるだけの狭い幅に削って、ぐるりと向う側へ廻り込まれるようにした坂道であった。叔父は一番高い坂の角まで来てとまった。 二十一  彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度も後を振り返って見ようとしたのである。けれども気が咎めると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首が猪のように堅くなって後へ回らなかったのである。  見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木は被っていた麦藁帽を右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽古でもしたものと見えて、海と崖に反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。  叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれた後も呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながら上って来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外套のようなものを着て時々隠袋へ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議に眺めていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨除である事に気がついた。その時叔父が突然、市さんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じて脚の下を見た。すると磯に近い所に、真白に塗った空船が一艘、静かな波の上に浮いていた。糠雨とまでも[#「糠雨とまでも」は底本では「糖雨とまでも」]行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面に暈されて、平生なら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色に眺められた。そのうち四人はようやく僕らの傍まで来た。 「どうも御待たせ申しまして、実は髭を剃っていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……」と高木は叔父の顔を見るや否や云訳をした。 「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。 「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套の下に、直に半袖の薄い襯衣を着て、変な半洋袴から余った脛を丸出しにして、黒足袋に俎下駄を引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女の前でも気兼がなくって好いと云っていた。  一同がぞろぞろ揃って道幅の六尺ばかりな汚苦しい漁村に這入ると、一種不快な臭がみんなの鼻を撲った。高木は隠袋から白い手巾を出して短かい髭の上を掩った。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たものの宅はどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕聞き合せに人をやった家の主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑気な教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙に羨ましく思った。 「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。 「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。 「何大丈夫分るよ」と叔父が受合った。  吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編笠を被って白い手甲と脚袢を着けた月琴弾の若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じ問をかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易く教えてくれたので、みんながまた手を拍って笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁葺の家であった。 二十二  この細い石段を思い思いの服装をした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、傍で見ていたら定めし変なものだったろうと思う。その上六人のうちで、これから何をするか明瞭した考を有っていたものは誰もないのだからはなはだ気楽である。肝心の叔父さえただ船に乗る事を知っているだけで、後は網だか釣だか、またどこまで漕いで出るのかいっこう弁別えないらしかった。百代子の後から足の力で擦り減らされて凹みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、己れを委ねて悔いないところを、避暑の趣とでも云うのかと思いつつ上った。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇の大切な一幕が、ある男とある女の間に暗に演ぜられつつあるのでは無かろうかと疑ぐった。そうしてその一幕の中で、自分の務めなければならない役割がもしあるとすれば、穏かな顔をした運命に、軽く翻弄される役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無雑作にやって除ける叔父が、人に気のつかないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手際を有った作者と云わなければなるまいという気を起した。僕の頭にこういう影が射した時、すぐ後から跟いて上って来る高木が、これじゃ暑くってたまらない、御免蒙って雨防衣を脱ごうと云い出した。  家は下から見たよりもなお小さくて汚なかった。戸口に杓子が一つ打ちつけてあって、それに百日風邪吉野平吉一家一同と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見つけ出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目敬い吾一の手柄であった。中を覗くと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆さんが一人いたぎりである。その婆さんが、今日は天気がよくないので、おおかたおいでじゃあるまいと云って早く海へ出ましたから、今浜へ下りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟へ乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんは多分あの船だろうと答えて、手で海の上を指した。靄はまだ晴れなかったけれども、先刻よりは空がだいぶ明るくなったので、沖の方は比較的判切見える中に、指された船は遠くの向うに小さく横わっていた。 「あれじゃ大変だ」  高木は携えて来た双眼鏡を覗きながらこう云った。 「随分呑気ね、迎いに行くって、どうしてあんな所へ迎に行けるんでしょう」と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受取った。  婆さんは何直ですと答えて、草履を穿いたまま、石段を馳け下りて行った。叔父は田舎者は気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんの後を追かけた。百代子はぼんやりして汚ない縁へ腰をおろした。僕は庭を見廻した。庭という名のもったいなく聞こえる縁先は五坪にも足りなかった。隅に無花果が一本あって、腥ぐさい空気の中に、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない実が云訳ほど結って、その一本の股の所に、空の虫籠がかかっていた。その下には瘠せた鶏が二三羽むやみに爪を立てた地面の中を餓えた嘴でつついていた。僕はその傍に伏せてある鉄網の鳥籠らしいものを眺めて、その恰好がちょうど仏手柑のごとく不規則に歪んでいるのに一種滑稽な思いをした。すると叔父が突然、何分臭いねと云い出した。百代子は、あたしもう御魚なんかどうでも好いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、断えず千代子と話していた高木はすぐ後を振り返った。 「何をしているだろう。ちょっと行って様子を見て来ましょう」  彼はそう云いながら、手に持った雨外套と双眼鏡を置くために後の縁を顧みた。傍に立った千代子は高木の動かない前に手を出した。 「こっちへ御出しなさい。持ってるから」  そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半袖姿を見て笑いながら、「とうとう蛮殻になったのね」と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下りて行った。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるために手を振るごとに動く様を後から無言のまま注意して眺めた。 二十三  船に乗るためにみんなが揃って浜に下り立ったのはそれから約一時間の後であった。浜には何の祭の前か過か、深く砂の中に埋められた高い幟の棒が二本僕の眼を惹いた。吾一はどこからか磯へ打ち上げた枯枝を拾って来て、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。 「さあ御乗り」と坊主頭の船頭が云ったので、六人は順序なくごたごたに船縁から這い上った。偶然の結果千代子と僕は後のものに押されて、仕切りの付いた舳の方に二人膝を突き合せて坐った。叔父は一番先に、胴の間というのか、真中の広い所に、家長らしく胡坐をかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼は否応なしに叔父の傍に座を占めた。百代子と吾一は彼らの次の間と云ったような仕切の中に船頭といっしょに這入った。 「どうですこっちが空いてますからいらっしゃいませんか」と高木はすぐ後の百代子を顧みた。百代子はありがとうといったきり席を移さなかった。僕は始めから千代子と一つ薄縁の上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉妬を起した事はすでに明かに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨日も今日も同じだったかも知れないが、それと共に競争心はいまだかつて微塵も僕の胸に萌さなかったのである。僕も男だからこれから先いつどんな女を的に劇烈な恋に陥らないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡かない女を無理に抱く喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕を淋しく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。  僕は千代子にこう云った。―― 「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くって楽なようだから」 「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」  千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭味と受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種の嬉しさが閃めいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝露する好い証拠で、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。  昨日会った時よりは気のせいか少し控目になったように見える高木は、千代子と僕の間に起ったこの問答を聞きながら知らぬふりをしていた。船が磯を離れたとき、彼は「好い案排に空模様が直って来ました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持って来いという御天気で」というような事を叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、「船頭、いったい何を捕るんだ」と聞いた。叔父もその他のものも、この時まで何を捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗末[#ルビの「ぞんざい」は底本では「そんざい」]な言葉で、蛸を捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚ろくよりもおかしかったと見えて、たちまち声を出して笑った。 「蛸はどこにいるんだ」と叔父がまた聞いた。 「ここいらにいるんだ」と船頭はまた答えた。  そうして湯屋の留桶を少し深くしたような小判形の桶の底に、硝子を張ったものを水に伏せて、その中に顔を突込むように押し込みながら、海の底を覗き出した。船頭はこの妙な道具を鏡と称えて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭の傍に座を取った吾一と百代子であった。 二十四  鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父はこりゃ鮮やかだね、何でも見えると非道く感心していた。叔父は人間社会の事に大抵通じているせいか、万に高を括る癖に、こういう自然界の現象に襲われるとじき驚ろく性質なのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子越に海の底を眺めたが、かねて想像したと少しも異なるところのない極めて平凡な海の底が眼に入っただけである。そこには小さい岩が多少の凸凹を描いて一面に連なる間に、蒼黒い藻草が限りなく蔓延っていた。その藻草があたかも生温るい風に嬲られるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後に揺かした。 「市さん蛸が見えて」 「見えない」  僕は顔を上げた。千代子はまた首を突込んだ。彼女の被っていたへなへなの麦藁帽子の縁が水に浸って、船頭に操つられる船の勢に逆らうたびに、可憐な波をちょろちょろ起した。僕はその後に見える彼女の黒い髪と白い頸筋を、その顔よりも美くしく眺めていた。 「千代ちゃんには、目付かったかい」 「駄目よ。蛸なんかどこにも泳いでいやしないわ」 「よっぽど慣れないとなかなか目付ける訳に行かないんだそうです」  これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手で桶を抑えたまま、船縁から乗り出した身体を高木の方へ捻じ曲げて、「道理で見えないのね」といったが、そのまま水に戯れるように、両手で抑えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向うの方から御姉さんと呼んだ。吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女竹の先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯で銜えて、片手に棹を使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるや否や、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。  蛸は船頭一人の手で、何疋も船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそ皆珍らしがって、捕れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少し飽きて来たと見えて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と云い出した。高木は煙草を吹かしながら、舟底にかたまった獲物を眺め始めた。 「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」  高木はこう云って千代子を招いたが、傍に坐っている僕の顔を見た時、「須永さんどうです、蛸が泳いでいますよ」とつけ加えた。僕は「そうですか。面白いでしょう」と答えたなり直席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕は故の所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。 「ええ面白いわ、早く来て御覧なさい」  蛸は八本の足を真直に揃えて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏賊のように黒い墨を吐くのも交っていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。  叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹籃のようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりで淋しいと思った叔父は、船をその一つの側へ漕ぎ寄せさした。申し合せたように、舟中立ち上って籃の内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中を馳け廻っていた。その或ものは水の色を離れない蒼い光を鱗に帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏に透すように輝やいた。 「一つ掬って御覧なさい」  高木は大きな掬網の柄を千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木は己れの手を添えて二人いっしょに籃の中を覚束なく攪き廻した。しかし魚は掬えるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網で叔父の命ずるままに何疋でも水から上へ択り出した。僕らは危怪な蛸の単調を破るべく、鶏魚、鱸、黒鯛の変化を喜こんでまた岸に上った。 二十五  僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件の下に、なお二三日鎌倉に留まる事を肯んじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好く落ちついているのだろうと、鋭どく磨がれた自分の神経から推して、悠長過ぎる彼女をはがゆく思った。  高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えて三つ巴を描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途を予知したごとき態度で、中途から渦巻の外に逃れたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏を撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見があって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心だけあって競争心を有たない僕にも相応の己惚は陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎ったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚をあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくる煩らわしさに悩んだのである。  彼女は時によると、天下に只一人の僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼を塞いで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういう潮の満干はすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退いたりするのでなかろうかという微かな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一の意味に解釈し終ったすぐ後から、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実どっちが正しいのか分らないいたずらな忌々しさを感じた例も少なくはなかった。  僕はこの二日間に娶るつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、厭でもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風の中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部から云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕を襲って来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃を物凄く感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。  僕は強い刺戟に充ちた小説を読むに堪えないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那に驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂き棄てたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯があった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男が激して女が泣いた。後では女が激して男が宥めた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額があり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。果は立ち上って拳を揮い合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前に描かれた。僕はそのいずれをも甞め試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云って嘲けるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩に涸れて乾びたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。 二十六  僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺戟を眼の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦躁つきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つく事のはなはだしい苦痛をいたずらに胸の中に描いて見た。偶然にも結果は他の一方に外れた。僕は僕の希望した通り、平生に近い落ちつきと冷静と無頓着とを、比較的容易に、淋しいわが二階の上に齎らし帰る事ができた。僕は新らしい匂のする蚊帳を座敷いっぱいに釣って、軒に鳴る風鈴の音を楽しんで寝た。宵には町へ出て草花の鉢を抱えながら格子を開ける事もあった。母がいないので、すべての世話は作という小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家の膳に向った時、給仕のために黒い丸盆を膝の上に置いて、僕の前に畏こまった作の姿を見た僕は今更のように彼女と鎌倉にいる姉妹との相違を感じた。作は固より好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎ましやかにいかに控目に、いかに女として憐れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐っていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利いた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢の女らしいところに気がついた。愛とは固より彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲から出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。  僕が作のために安慰を得たと云っては、自分ながらおかしく聞こえる。けれども今考えて見てもそれよりほかの源因は全く考えつかないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女性のある方面の性質が、想像の刺戟にすら焦躁立ちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景色は折々眼に浮かんだ。その景色のうちには無論人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害を一にし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。  僕は二階に上って書架の整理を始めた。綺麗好な母が始終気をつけて掃除を怠たらなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬ埃の色を、目の届かない陰に見つけるので、残らず揃えるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間のかかるように、気が向けば手にした本をいつまでも読み耽ってみようという気楽な方針で蝸牛のごとく進行した。作は時ならない払塵の音を聞きつけて、梯子段から銀杏返しの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑巾で拭いて貰った。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下へ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥れたから煙草を吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。  作の事をそう一々云う必要もないが、つい前からの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻煙草を呑み切った後でまた整理にかかった。今度は作のためにわれ一人の世界を妨たげられる虞なしに、書架の二段目を一気に片づけた。その時僕は久しく友達に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然棚の後から発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向側へ落ちたなり埃だらけになって、今日まで僕の眼を掠めていたのである。 二十七  僕にこの本を貸してくれたものはある文学好の友達であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこう華やかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いてもつまらないだろうと云った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問がかけて見たくなったのである。その時彼は机上にあったこの本を指して、ここに書いてある主人公は、非常に目覚しい思慮と、恐ろしく凄まじい思い切った行動を具えていると告げた。僕はいったいどんな事が書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んで見ろと云って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲダンケという独乙字が書いてあった。彼は露西亜物の翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗を彼に尋ねた。彼は梗などはどうでも好いと答えた。そうして中に書いてある事が嫉妬なのだか、復讐なのだか、深刻な悪戯なのだか、酔興な計略なのだか、真面目な所作なのだか、気狂の推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分らないが、何しろ華々しい行動と同じく華々しい思慮が伴なっているから、ともかくも読んで見ろと云った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読み耽らない癖に、小説家というものをいっさい馬鹿にしていた上に、友達のいうような事にはちっとも心を動かすべき興味を有たなかったからである。  この出来事をすっかり忘れていた僕は、何の気もつかずにそのゲダンケを今棚の後から引き出して厚い塵を払った。そうして見覚のある例の独乙字の標題に眼をつけると共に、かの文学好の友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起ったか分らない好奇心に駆られて、すぐその一頁を開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。  ある女に意のあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合の人の所へ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面白くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指を銜えて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手のつけようのないという複雑な殺し方をしなければ気がすまない。彼はその手段として一種の方法を案出した。ある晩餐の席へ招待された好機を利用して、彼は急に劇しい発作に襲われたふりをし始めた。傍から見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、全くの狂人と信じられたのを見すまして、心の内で図に当った策略を祝賀した。彼は人目に触れやすい社交場裡で、同じ所作をなお二三度くり返した後、発作のために精神に狂の出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手数のかかった準備の上に、手のつけようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起る彼の発作が、華やかな交際の色を暗く損ない出してから、今まで懇意に往来していた誰彼の門戸が、彼に対して急に固く鎖されるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出入のできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴落そうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住居を敲いた。そこで世間話に時を移すと見せて、暗に目の前の人に飛びかかる機を窺った。彼は机の上にあった重い文鎮を取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友は固より彼の問を真に受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名の下に、瘋癲院に送られた。彼は驚ろくべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛末を基礎に、自分のけっして狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必竟正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄然として恐れた。 二十八  僕の頭は僕の胸を抑えるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしい悔を遺さない過去を顧みると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸が熱しかけるたびに、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、はなはだしい苦痛である。僕は意地張という点において、どっちかというとむしろ陰性の癇癪持だから、発作に心を襲われた人が急に理性のために喰い留められて、劇しい自動車の速力を即時に殺すような苦痛は滅多に甞めた事がない。それですらある場合には命の心棒を無理に曲げられるとでも云わなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起るたびに、常に頭の命令に屈従して来た僕は、ある時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命を削る争いだという畏怖の念から解脱する事ができなかった。  それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚ろいたのである。親友の命を虫の息のように軽く見る彼は、理と情との間に何らの矛盾をも扞格をも認めなかった。彼の有する凡ての知力は、ことごとく復讐の燃料となって、残忍な兇行を手際よく仕遂げる方便に供せられながら、毫も悔ゆる事を知らなかった。彼は周密なる思慮を率いて、満腔の毒血を相手の頭から浴びせかけ得る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心にふるまえるゲダンケの主人公が大いに羨ましかった。同時に汗の滴るほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかした後は定めし堪えがたい良心の拷問に逢うだろうと思った。  けれどももし僕の高木に対する嫉妬がある不可思議の径路を取って、向後今の数十倍に烈しく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真似はしえまいという見地から、すぐこの問題を棄却しようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐が充分やって除けられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、逞ましゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりは遥かに複雑なものに見えた。が、纏って心に現われた状態から云えば、ちょうどおとなしい人が酒のために大胆になって、これなら何でもやれるという満足を感じつつ、同時に酔に打ち勝たれた自分は、品性の上において平生の自分より遥に堕落したのだと気がついて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとても逃れる事はできないのだと沈痛に諦らめをつけたと同じような変な心持であった。僕はこの変な心持と共に、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼を開きながら見て、驚ろいて立ち上った。  下へ降りるや否や、いきなり風呂場へ行って、水をざあざあ頭へかけた。茶の間の時計を見ると、もう午過なので、それを好い機会に、そこへ坐わって飯を片づける事にした。給仕には例の通り作が出た。僕は二た口三口無言で飯の塊りを頬張ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色はどうかあるかいと聞いた。作は吃驚した眼を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作の方がどうか遊ばしましたかと尋ねた 「いいや、大してどうもしない」 「急に御暑うございますから」  僕は黙って二杯の飯を食い終った。茶を注がして飲みかけた時、僕はまた突然作に、鎌倉などへ行って混雑するより宅にいる方が静で好いねと云った。作は、でもあちらの方が御涼しゅうございましょうと云った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらしていけないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにおいででございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。 二十九  僕は僕の前に坐っている作の姿を見て、一筆がきの朝貌のような気がした。ただ貴とい名家の手にならないのが遺憾であるが、心の中はそう云う種類の画と同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人柄を画に喩えて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持って畏まっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうと呆れたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠として、今日まで自分の頭が他より複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因果でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶碗を膳の上に置きながら、作の顔を見て尊とい感じを起した。 「作御前でもいろいろ物を考える事があるかね」 「私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから」 「考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ」 「あっても智慧がございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」 「仕合せだ」  僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。  その夕暮に思いがけない母が出し抜けに鎌倉から帰って来た。僕はその時日の限りかけた二階の縁に籐椅子を持ち出して、作が跣足で庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へ降りて玄関へ出た時、僕は母を送って来るべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女の後に跟いて沓脱から上ったのを見て非常に驚ろいた。僕は籐椅子の上で千代子の事を全く考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離す事はできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けて心持色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨拶を取り替す前に、まず千代子に向ってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はその通りの言葉を第一に用いたのである。 「叔母さんを送って来たのよ。なぜ。驚ろいて」 「そりゃありがとう」と僕は答えた。僕の千代子に対する感情は鎌倉へ行く前と、行ってからとでだいぶ違っていた。行ってからと帰って来てからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょに束ねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托するのが不安心だったから、自分で随いて来たのだと云って、作が足を洗っている間に、母の単衣を箪笥から出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子の通り豆やかにふるまった。僕は母にあれから何か面白い事がありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍らしい事も無かったと答えたが、「でもね久しぶりに好い気保養をしました。御蔭で」と云った。僕にはそれが傍にいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。 「泊って行くわ」 「どこへ」 「そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広過ぎて淋しいから。――久しぶりにここへ泊ろうかしら、ねえ叔母さん」  僕には千代子が始めから僕の家に寝るつもりで出て来たように見えた。自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分に逆らって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子が厭がる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。 「千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに」 「だってあたし責任があるじゃありませんか。叔母さんを招待したのはあたしでしょう」 三十 「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来て貰えば好かった」 「だから他の云う事を聞いて、もっといらっしゃれば好いのに」 「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」 「そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの」 「云っても断られそうだったから」 「あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、厭にむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ」 「だから千代子について来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。  僕は母の帰るつい一時間前まで千代子の来る事を予想し得なかった。それは今改めてくり返す必要もないが、それと共に僕は母が高木について齎らす報道をほとんど確実な未来として予期していた。穏やかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期と全く反対の結果を眼の前に見た。彼らは二人とも常に変らない親しげな叔母姪であった。彼らの各自は各自に特有な温か味と清々しさを、いつもの通り互いの上に、また僕の上に、心持よく加えた。  その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人と共に二階に上って涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒端に七草を描いた岐阜提灯をかけて、その中に細い蝋燭を点けた。熱いから電灯を消そうと発議した千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高く上った。柱に凭れていた母が鎌倉を思い出すと云った。電車の音のする所で月を看るのは何だかおかしい気がすると、この間から海辺に馴染んだ千代子が評した。僕は先刻の籐椅子の上に腰をおろして団扇を使っていた。作が下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆の火を入れ更えて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子を盆に載せて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女としてふるまって通るべき気位を具えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起って梯子段の傍まで行って、もう降りようとする間際にきっと振り返って、千代子の後姿を見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍に見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐れに眺めた。 「高木はどうしたろう」という問が僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、何かためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都度卑怯だと遠くで罵られるためか、つい聞くのをいさぎよしとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実を云うと、僕は千代子の口から直下に高木の事を聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それを判切胸に畳み込んでおきたかったのである。これは嫉妬の作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料簡で考えて見ても、どうもほかの名はつけ悪いようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事に窮するよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈搏の上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉妬深い訳になるが、あるいはそうかも知れない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来のわがままが源因なのだろうと思う。ただ僕は一言それにつけ加えておきたい。僕から云わせると、すでに鎌倉を去った後なお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言して憚らない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるだろうか。それはとても分らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。 三十一  千代子の様子はいつもの通り明っ放しなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口を利いた。それは必竟腹の中に何も考えていない証拠だとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習し始めて、今では背の立たない所まで行くのが楽みだと云った。それを用心深い百代子が剣呑がって、詫まるように悲しい声を出して止めるのが面白いと云った。その時母は半ば心配で半ば呆れたような顔をして、「何ですね女の癖にそんな軽機な真似をして。これからは後生だから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけは止しておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側の椅子に腰を掛けている僕を顧みて、市さんもそう云う御転婆は嫌でしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光の隈なく落ちる表を眺めていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をその後にきっとつけ加えたに違ない。そこまで引き摺られなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。  千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜が更けて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事をとうとう一口も話頭に上せなかった。そこに僕ははなはだしい故意を認めた。白い紙の上に一点の暗い印気が落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女性のうちで、最も純粋な一人と信じていた僕は、鎌倉で暮したわずか二日の間に、始めて彼女の技巧を疑い出したのである。その疑が今ようやく僕の胸に根をおろそうとした。 「なぜ高木の話をしないのだろう」  僕は寝ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われる愚さを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなお癇が起った。僕は例の通り二階に一人寝ていた。母と千代子は下座敷に蒲団を並べて、一つ蚊帳の中に身を横たえた。僕はすやすや寝ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必竟のつそつ苦しがる僕は負けているのだと考えない訳に行かなくなった。僕は寝返りを打つ事さえ厭になった。自分がまだ眠られないという弱味を階下へ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。  僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、全く彼女の僕に対する好意に過ぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字を公けにする勇気を失わしめたほど、不合理に機嫌を悪くふるまったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。宅へ引込んで交際さえしなければそれで宜い。けれどももし親切を冠らない技巧が彼女の本義なら……。僕は技巧という二字を細かに割って考えた。高木を媒鳥に僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もない癖に、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺戟して楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところを眺めて面白かったというつもりか。または高木を僕の眼の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら戦争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終るべきだと考えた。  僕は寝つかれないで負けている自分を口惜しく思った。電灯は蚊帳を釣るとき消してしまったので、室の中に隙間もなく蔓延る暗闇が窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は眼の見えないところに眼を明けて頭だけ働らかす苦痛に堪えなくなった。寝返りさえ慎んで我慢していた僕は、急に起って室を明るくした。ついでに縁側へ出て雨戸を一枚細目に開けた。月の傾むいた空の下には動く風もなかった。僕はただ比較的冷かな空気を肌と咽喉に受けただけであった。 三十二  翌日はいつも一人で寝ている時より一時間半も早く眼が覚めた。すぐ起きて下へ降りると、銀杏返しの上へ白地の手拭を被って、長火鉢の灰を篩っていた作が、おやもう御目覚でと云いながら、すぐ顔を洗う道具を風呂場へ並べてくれた。僕は帰りに埃だらけの茶の間を爪先で通り抜けて玄関へ出た。その時ついでに二人の寝ている座敷を蚊帳越しに覗いて見たら、目敏い母も昨日の汽車の疲が出たせいか、まだ静かな眠を貪ぼっていた。千代子は固より夢の底に埋まっているように正体なく枕の上に首を落していた。僕は目的もなく表へ出た。朝の散歩の趣を久しく忘れていた僕には、常に変わらない町の色が、暑さと雑沓とに染めつけられない安息日のごとく穏やかに見えた。電車の線路が研ぎ澄まされた光を真直に地面の上に伸ばすのも落ちついた感じであった。けれども僕は散歩がしたくって出たのではなかった。ただ眼が早く覚め過ぎて、中有に延びた命の断片を、運動で埋めるつもりで歩くのだから、それほどの興味は空にも地にも乃至町にも見出す事ができなかった。  一時間ばかりして僕はむしろ疲れた顔を母からも千代子からも怪しまれに戻って来た。母はどこへ行ったのと聞いたが、後から、色沢が好くないよ、どうかおしかいと尋ねた。 「昨夕好く寝られなかったんでしょう」  僕は千代子のこの言葉に対して答うべき術を知らなかった。実を云うと、昂然としてなに好く寝られたよと云いたかったのである。不幸にして僕はそれほどの技巧家でなかった。と云って、正直に寝られなかったと自白するには余り自尊心が強過ぎた。僕はついに何も答えなかった。  三人が同じ食卓で朝飯を済ますや否や、母が昨日涼しいうちにと頼んでおいた髪結が来た。洗い立の白い胸掛をかけて、敷居越に手を突いた彼女は、御帰りなさいましと親しい挨拶をした。彼女はこの職業に共通なめでたい口ぶりを有っていた。それを得意に使って、内気な母に避暑を誇の種に話させる機会を一句ごとに作った。母は満足らしくも見えたが、そう蝶蝶しくは饒舌り得なかった。髪結はより効目のある相手として、すぐ年の若い千代子を選んだ。千代子は固より誰彼の容赦なく一様に気易く応対のできる女だったので、御嬢様と呼びかけられるたびに相当の受答をして話を勢ました。千代子の泳の噂が出た時、髪結は活溌で宜しゅうございます、近頃の御嬢様方はみんな水泳の稽古をなさいますと誰が聞いても拵えたような御世辞を云った。  妙な事を吹聴するようでおかしいが、実をいうと僕は女の髪を上げるところを見ているのが好きであった。母が乏しい髪を工面して、どうかこうか髷に結い上げる様子は、いくら上手が纏めるにしても、それほど見栄のある画ではないが、それでも退屈を凌ぐには恰好な慰みであった。僕は髪結の手の動く間に、自然とでき上って行く小さな母の丸髷を眺めていた。そうして腹の中で、千代子の髪を日本流に櫛を入れたらさぞみごとだろうと思った。千代子は色の美くしい、癖のない、長くて多過ぎる髪の所有者だったからである。この場合いつもの僕なら、千代ちゃんもついでに結って御貰いなときっと勧めるところであった。しかし今の僕にはそんな親しげな要求を彼女に向って投げかける気が出悪かった。すると偶然にも千代子の方で、何だかあたしも一つ結って見たくなったと云い出した。母は御結いよ久しぶりにと誘なった。髪結は是非御上げ遊ばせな、私始めて御髪を拝見した時から束髪にしていらっしゃるのはもったいないと思っとりましたとさも結いたそうな口ぶりを見せた。千代子はとうとう鏡台の前に坐った。 「何に結おうかしら」  髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂れたまま突然市さんと呼んだ。 「あなた何が好き」 「旦那様も島田が好きだときっとおっしゃいますよ」  僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好いだろう」と答えた僕の声はいかにも鈍に聞こえた。 三十三  僕は千代子の髪のでき上らない先に二階へ上った。僕のような神経質なものが拘わって来ると、無関係の人の眼にはほとんど小供らしいと思われるような所作をあえてする。僕は中途で鏡台の傍を離れて、美くしい島田髷をいただく女が男から強奪する嘆賞の租税を免かれたつもりでいた。その時の僕はそれほどこの女の虚栄心に媚びる好意を有たなかったのである。  僕は自分で自分の事をかれこれ取り繕ろって好く聞えるように話したくない。しかし僕ごときものでも長火鉢の傍で起るこんな戦術よりはもう少し高尚な問題に頭を使い得るつもりでいる。ただそこまで引き摺り落された時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分で憎み自分で鞭うった。  僕は空威張を卑劣と同じく嫌う人間であるから、低くても小さくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛藤を超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しか有たない青二才に過ぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父を尊敬している。けれども露骨なことを云えば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽物贋物の名を加える非礼と僻見とを憚かりたい。が、事実上彼は世俗に拘泥しない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷齪しない手を拱ぬいで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通より品が好いと云って僕は讃辞を呈したく思っている。そうしてその外へ出さないのは財産の御蔭、年齢の御蔭、学問と見識と修養の御蔭である。が、最後に彼と彼の家庭の調子が程好く取れているからでもあり、彼と社会の関係が逆なようで実は順に行くからでもある。――話がつい横道へ外れた。僕は僕のこせこせしたところを余り長く弁護し過ぎたかも知れない。  僕は今いう通り早く二階へ上ってしまった。二階は日が近いので、階下よりはよほど凌ぎ悪いのだけれども、平生いつけたせいで、僕は一日の大部分をここで暮らす事にしていたのである。僕はいつもの通り机の前に坐ったなりただ頬杖を突いてぼんやりしていた。今朝煙草の灰を棄てたマジョリカの灰皿が綺麗に掃除されて僕の肱の前に載せてあったのに気がついて、僕はその中に現わされた二羽の鵞鳥を[#「鵞鳥を」は底本では「鷲鳥を」]眺めながら、その灰を空けた作の手を想像に描いた。すると下から梯子段を踏む音がして誰か上って来た。僕はその足音を聞くや否や、すぐそれが作でない事を知った。僕はこうぼんやり屈托しているところを千代子に見られるのを屈辱のように感じた。同時に傍にあった書物を開けて、先刻から読んでいたふりをするほど器用な機転を用いるのを好まなかった。 「結えたから見てちょうだい」  僕は僕の前にすぐこう云いながら坐る彼女を見た。 「おかしいでしょう。久しく結わないから」 「大変美くしくできたよ。これからいつでも島田に結うといい」 「二三度壊しちゃ結い、壊しちゃ結いしないといけないのよ。毛が馴染まなくって」  こんな事を聞いたり答えたり三四返しているうちに、僕はいつの間にか昔と同じように美くしい素直な邪気のない千代子を眼の前に見る気がし出した。僕の心持が何かの調子で和らげられたのか、千代子の僕に対する態度がどこかで角度を改ためたのか、それは判然と云い悪い。こうだと説明のできる捕どころは両方になかったらしく記憶している。もしこの気易い状態が一二時間も長く続いたなら、あるいは僕の彼女に対して抱いた変な疑惑を、過去に溯ぼって当初から真直に黒い棒で誤解という名の下に消し去る事ができたかも知れない。ところが僕はつい不味い事をしたのである。 三十四  それはほかでもない。しばらく千代子と話しているうちに、彼女が単に頭を見せに上って来たばかりでなく、今日これから鎌倉へ帰るので、そのさようならを云いにちょっと顔を出したのだと云う事を知った時、僕はつい用意の足りない躓ずき方をしたのである。 「早いね。もう帰るのかい」と僕が云った。 「早かないわ、もう一晩泊ったんだから。だけどこんな頭をして帰ると何だかおかしいわね、御嫁にでも行くようで」と千代子が云った。 「まだみんな鎌倉にいるのかい」と僕が聞いた。 「ええ。なぜ」と千代子が聞き返した。 「高木さんも」と僕がまた聞いた。  高木という名前は今まで千代子も口にせず、僕も話頭に上すのをわざと憚かっていたのである。が、何かの機会で、平生通りの打ち解けた遠慮のない気分が復活したので、その中に引き込まれた矢先、つい何の気もつかずに使ってしまったのである。僕はふらふらとこの問をかけて彼女の顔を見た時たちまち後悔した。  僕が煮え切らないまた捌けない男として彼女から一種の軽蔑を受けている事は、僕のとうに話した通りで、実を云えば二人の交際はこの黙許を認め合った上の親しみに過ぎなかった。その代り千代子が常に畏れる点を、幸にして僕はただ一つ有っていた。それは僕の無口である。彼女のように万事明けっ放しに腹を見せなければ気のすまない者から云うと、いつでも、しんねりむっつりと構えている僕などの態度は、けっして気に入るはずがないのだが、そこにまた妙な見透かせない心の存在が仄めくので、彼女は昔から僕を全然知り抜く事のできない、したがって軽蔑しながらもどこかに恐ろしいところを有った男として、ある意味の尊敬を払っていたのである。これは公けにこそ明言しないが、向うでも腹の底で正式に認めるし、僕も冥々のうちに彼女から僕の権利として要求していた事実である。  ところが偶然高木の名前を口にした時、僕はたちまちこの尊敬を永久千代子に奪い返されたような心持がした。と云うのは、「高木さんも」という僕の問を聞いた千代子の表情が急に変化したのである。僕はそれを強ちに勝利の表情とは認めたくない。けれども彼女の眼のうちに、今まで僕がいまだかつて彼女に見出した試しのない、一種の侮蔑が輝やいたのは疑いもない事実であった。僕は予期しない瞬間に、平手で横面を力任せに打たれた人のごとくにぴたりと止まった。 「あなたそれほど高木さんの事が気になるの」  彼女はこう云って、僕が両手で耳を抑えたいくらいな高笑いをした。僕はその時鋭どい侮辱を感じた。けれどもとっさの場合何という返事も出し得なかった。 「あなたは卑怯だ」と彼女が次に云った。この突然な形容詞にも僕は全く驚ろかされた。僕は、御前こそ卑怯だ、呼ばないでもの所へわざわざ人を呼びつけて、と云ってやりたかった。けれども年弱な女に対して、向うと同じ程度の激語を使うのはまだ早過ぎると思って我慢した。千代子もそれなり黙った。僕はようやくにして「なぜ」というわずか二字の問をかけた。すると千代子の濃い眉が動いた。彼女は、僕自身で僕の卑怯な意味を充分自覚していながら、たまたま他の指摘を受けると、自分の弱点を相手に隠すために、取り繕ろって空っとぼけるものとこの問を解釈したらしい。 「なぜって、あなた自分でよく解ってるじゃありませんか」 「解らないから聞かしておくれ」と僕が云った。僕は階下に母を控えているし、感情に訴える若い女の気質もよく呑み込んだつもりでいたから、できるだけ相手の気を抜いて話を落ちつかせるために、その時の僕としては、ほとんど無理なほどの、低いかつ緩い調子を取ったのであるが、それがかえって千代子の気に入らなかったと見える。 「それが解らなければあなた馬鹿よ」  僕はおそらく平生より蒼い顔をしたろうと思う。自分ではただ眼を千代子の上にじっと据えた事だけを記憶している。その時何物も恐れない千代子の眼が、僕の視線と無言のうちに行き合って、両方共しばらくそこに止まっていた事も記憶している。 三十五 「千代ちゃんのような活溌な人から見たら、僕見たいに引込思案なものは無論卑怯なんだろう。僕は思った事をすぐ口へ出したり、またはそのまま所作にあらわしたりする勇気のない、極めて因循な男なんだから。その点で卑怯だと云うなら云われても仕方がないが……」 「そんな事を誰が卑怯だと云うもんですか」 「しかし軽蔑はしているだろう。僕はちゃんと知ってる」 「あなたこそあたしを軽蔑しているじゃありませんか。あたしの方がよっぽどよく知ってるわ」  僕はことさらに彼女のこの言葉を肯定する必要を認めなかったから、わざと返事を控えた。 「あなたはあたしを学問のない、理窟の解らない、取るに足らない女だと思って、腹の中で馬鹿にし切ってるんです」 「それは御前が僕をぐずと見縊ってるのと同じ事だよ。僕は御前から卑怯と云われても構わないつもりだが、いやしくも徳義上の意味で卑怯というなら、そりゃ御前の方が間違っている。僕は少なくとも千代ちゃんに関係ある事柄について、道徳上卑怯なふるまいをした覚はないはずだ。ぐずとか煮え切らないとかいうべきところに、卑怯という言葉を使われては、何だか道義的勇気を欠いた――というより、徳義を解しない下劣な人物のように聞えてはなはだ心持が悪いから訂正して貰いたい。それとも今いった意味で、僕が何か千代ちゃんに対してすまない事でもしたのなら遠慮なく話して貰おう」 「じゃ卑怯の意味を話して上げます」と云って千代子は泣き出した。僕はこれまで千代子を自分より強い女と認めていた。けれども彼女の強さは単に優しい一図から出た女気の凝り塊りとのみ解釈していた。ところが今僕の前に現われた彼女は、ただ勝気に充ちただけの、世間にありふれた、俗っぽい婦人としか見えなかった。僕は心を動かすところなく、彼女の涙の間からいかなる説明が出るだろうと待ち設けた。彼女の唇を洩れるものは、自己の体面を飾る強弁よりほかに何もあるはずがないと、僕は固く信じていたからである。彼女は濡れた睫毛を二三度繁叩いた。 「あなたはあたしを御転婆の馬鹿だと思って始終冷笑しているんです。あなたはあたしを……愛していないんです。つまりあなたはあたしと結婚なさる気が……」 「そりゃ千代ちゃんの方だって……」 「まあ御聞きなさい。そんな事は御互だと云うんでしょう。そんならそれで宜うござんす。何も貰って下さいとは云やしません。ただなぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……」  彼女はここへ来て急に口籠った。不敏な僕はその後へ何が出て来るのか、まだ覚れなかった。「御前に対して」と半ば彼女を促がすように問をかけた。彼女は突然物を衝き破った風に、「なぜ嫉妬なさるんです」と云い切って、前よりは劇しく泣き出した。僕はさっと血が顔に上る時の熱りを両方の頬に感じた。彼女はほとんどそれを注意しないかのごとくに見えた。 「あなたは卑怯です、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料簡さえあなたはすでに疑っていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたは他の招待に応じておきながら、なぜ平生のように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥を掻いたも同じ事です。あなたはあたしの宅の客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています」 「侮辱を与えた覚はない」 「あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです」 「そんな立ち入った批評を受ける義務は僕にないよ」 「男は卑怯だから、そう云う下らない挨拶ができるんです。高木さんは紳士だからあなたを容れる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです」 松本の話 一  それから市蔵と千代子との間がどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくとも傍で見ていると、二人の関係は昔から今日に至るまで全く変らないようだ。二人に聞けばいろいろな事を云うだろうが、それはその時限りの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じない嘘を、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違ない。僕はそう信じている。  あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でも何でもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、極めてもっともな衝突と云わなければならない。したがって夫婦になろうが、友達として暮らそうが、あの衝突だけはとうてい免かれる事のできない、まあ二人の持って生れた、因果と見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまた傍のものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対を形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸す目的で夫婦になったと同様の結果に陥いるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択ぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成行に任せて、自然の手で直接に発展させて貰うのが一番上策だと思う。君だの僕だのが何のかのと要らぬ世話を焼くのはかえって当人達のために好くあるまい。僕は知っての通り、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須永の姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりした例は何度もある。けれども天の手際で旨く行かないものを、どうして僕の力で纏める事ができよう。つまり姉は無理な夢を自分一人で見ているのである。  須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質が余りよく似ているので驚ろいている。僕自身もどうしてこんな変り者が親類に二人揃ってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料簡では、市蔵の今日は全く僕の感化を受けた結果に過ぎないと見ているらしい。僕が姉の気に入らない点をいくらでも有っている内で、最も彼女を不愉快にするものは、不明なる僕のわが甥に及ぼしたと認められているこの悪い影響である。僕は僕の市蔵に対する今日までの態度に顧みて、この非難をもっともだと肯ずる。それがために市蔵を田口家から疎隔したという不服もついでに承認して差支ない。ただ彼ら姉二人が僕と市蔵とを、同じ型からでき上った偏窟人のように見傚して、同じ眉を僕らの上に等しく顰めるのは疑もなく誤っている。  市蔵という男は世の中と接触するたびに内へとぐろを捲き込む性質である。だから一つ刺戟を受けると、その刺戟がそれからそれへと廻転して、だんだん深く細かく心の奥に喰い込んで行く。そうしてどこまで喰い込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動から逃れたいと祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざる呪いのごとくに引っ張られて行く。そうしていつかこの努力のために斃れなければならない、たった一人で斃れなければならないという怖れを抱くようになる。そうして気狂のように疲れる。これが市蔵の命根に横わる一大不幸である。この不幸を転じて幸とするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろを捲き出させるよりほかに仕方がない。外にある物を頭へ運び込むために眼を使う代りに、頭で外にある物を眺める心持で眼を使うようにしなければならない。天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、優しいものか、を見出さなければならない。一口に云えば、もっと浮気にならなければならない。市蔵は始め浮気を軽蔑してかかった。今はその浮気を渇望している。彼は自己の幸福のために、どうかして翩々たる軽薄才子になりたいと心から神に念じているのである。軽薄に浮かれ得るよりほかに彼を救う途は天下に一つもない事を、彼は、僕が彼に忠告する前に、すでに承知していた。けれども実行はいまだにできないでもがいている。 二  僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものから暗に恨まれているが、僕自身もその点については疚ましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導く術を心得なかったのである。ただ自分の好尚を移せるだけ市蔵の上に移せばそれで充分だという無分別から、勝手しだいに若いものの柔らかい精神を動かして来たのが、すべての禍の本になったらしい。僕がこの過失に気がついたのは今から二三年前である。しかし気がついた時はもう遅かった。僕はただなす能力のない手を拱ぬいて、心の中で嘆息しただけであった。  事実を一言でいうと、僕の今やっているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵にはけっして向かないのである。僕は本来から気の移りやすくでき上った、極めて安価な批評をすれば、生れついての浮気ものに過ぎない。僕の心は絶えず外に向って流れている。だから外部の刺戟しだいでどうにでもなる。と云っただけではよく腑に落ちないかも知れないが、市蔵は在来の社会を教育するために生れた男で、僕は通俗な世間から教育されに出た人間なのである。僕がこのくらい好い年をしながら、まだ大変若いところがあるのに引き更えて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移って行くだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸が潜んでいる。そこに僕の短所があり、また僕の幸福が宿っている。僕は茶の湯をやれば静かな心持になり、骨董を捻くれば寂びた心持になる。そのほか寄席、芝居、相撲、すべてその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われ過ぎるので、自然に己なき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超然生活を営んで強いて自我を押し立てようとするのである。ところが市蔵は自我よりほかに当初から何物を有っていない男である。彼の欠点を補なう――というより、彼の不幸を切りつめる生活の径路は、ただ内に潜り込まないで外に応ずるよりほかに仕方がないのである。しかるに彼を幸福にし得るその唯一の策を、僕は間接に彼から奪ってしまった。親類が恨むのはもっともである。僕は本人から恨まれないのをまだしもの仕合せと思っているくらいである。  今からたしか一年ぐらい前の話だと思う。何しろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然やって来て、ちょっと挨拶をしたぎりすぐどこかへ見えなくなった事がある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の活花の歴史を調べていた。僕は調べものの方に気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただふり返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだ勝れないのを苦にして、仕事の区切がつくや否や彼を探しに書斎を出た。彼は妻とも仲が善かったので、あるいは茶の間で話でもしている事かと思ったら、そこにも姿は見えなかった。妻に聞くと子供の部屋だろうというので、縁伝いに戸を開けると、彼は咲子の机の前に坐って、女の雑誌の口絵に出ている、ある美人の写真を眺めていた。その時彼は僕を顧みて、今こういう美人を発見して、先刻から十分ばかり相対しているところだと告げた。彼はその顔が眼の前にある間、頭の中の苦痛を忘れて自から愉快になるのだそうである。僕はさっそくどこの何者の令嬢かと尋ねた。すると不思議にも彼は写真の下に書いてある女の名前をまだ読まずにいた。僕は彼を迂闊だと云った。それほど気に入った顔ならなぜ名前から先に頭に入れないかと尋ねた。時と場合によれば、細君として申し受ける事も不可能でないと僕は思ったからである。しかるに彼はまた何の必要があって姓名や住所を記憶するかと云った風の眼使をして僕の注意を怪しんだ。  つまり僕は飽くまでも写真を実物の代表として眺め、彼は写真をただの写真として眺めていたのである。もし写真の背後に、本当の位置や身分や教育や性情がつけ加わって、紙の上の肖像を活かしにかかったなら、彼はかえって気に入ったその顔まで併せて打ち棄ててしまったかも知れない。これが市蔵の僕と根本的に違うところである。 三  市蔵の卒業する二三カ月前、たしか去年の四月頃だったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思は固より田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑固なものであった。僕は女に理窟を聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑に落ちるように砕いて説明した。姉は御承知の通り極めて穏やかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でもくり返して憚からない婦人に共通な特性を一人前以上に具えていた。僕は彼女の執拗を悪むよりは、その根気の好過ぎるところにかえって妙な憐れみを催した。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話して見てくれぬかという彼女の請を快よく引受けた。  僕がこの目的を果すために市蔵とこの座敷で会見を遂げたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、何試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決答をくり延ばした陳腐なものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口説かれた時、卒業の上、どうとも解決するから、それまで待って呉れろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まない先から僕に呼びつけられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄は気が短かくって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。  僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上に纏いつくに違ないと勘定して、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思を翻えさせるため自然と彼女に圧迫を加えて来るのを待つ一種の逃避手段に過ぎないと思われた。僕は市蔵にそうじゃ無いかと聞いた。市蔵はそうだと答えた。僕は彼にどうしても母を満足させる気はないかと尋ねた。彼は何事によらず母を満足させたいのは山々であると答えた。けれども千代子を貰おうとはけっして云わなかった。意地ずくで貰わないのかと聞いたら、あるいはそうかも知れないと云い切った。もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔を眺めていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏怖というと仰山すぎるし、同情というとまるで憐れっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手を諦らめてしまわなければならない絶望に、ある凄味と優し味をつけ加えた特殊の表情であった。  市蔵はしばらくして自分はなぜこう人に嫌われるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合しからないのとで驚ろかされた。なぜそんな愚痴を零すのかと窘なめるような調子で反問を加えた。 「愚痴じゃありません。事実だから云うのです」 「じゃ誰が御前を嫌っているかい」 「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」  僕は再び驚ろかされた。あまり不思議だから二三度押問答の末推測して見ると、僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、全然彼に対する嫌悪の念から出たと受けているらしかった。僕は極力彼の誤解を打破しに掛った。 「おれが何で御前を悪む必要があるかね。子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬鹿を云いなさんな」  市蔵は叱られて激した様子もなくますます蒼い顔をして僕を見つめた。僕は燐火の前に坐っているような心持がした。 四 「おれは御前の叔父だよ。どこの国に甥を憎む叔父があるかい」  市蔵はこの言葉を聞くや否やたちまち薄い唇を反らして淋しく笑った。僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色を透し見た。自白するが、彼は理解の上において僕よりも優れた頭の所有者である。僕は百もそれを承知でいた。だから彼と接触するときには、彼から馬鹿にされるような愚をなるべく慎んで外に出さない用心を怠らなかった。けれども時々は、つい年長者の傲る心から、親しみの強い彼を眼下に見下して、浅薄と心付ながら、その場限りの無意味にもったいをつけた訓戒などを与える折も無いではなかった。賢こい彼は僕に恥を掻かせるために、自分の優越を利用するほど、品位を欠いた所作をあえてし得ないのではあるが、僕の方ではその都度彼に対するこっちの相場が下落して行くような屈辱を感ずるのが例であった。僕はすぐ自分の言葉を訂正しにかかった。 「そりゃ広い世の中だから、敵同志の親子もあるだろうし、命を危め合う夫婦もいないとは限らないさ。しかしまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋がっている以上は、繋がっているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種の僻みがあるよ。それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃいけない。傍から見ていても不愉快だ」 「だから叔父さんまで嫌っていると云うのです」  僕は返事に窮した。自分で気のつかない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持もした。 「僻みさえさらりと棄ててしまえば何でもないじゃないか」と僕はさも事もなげに云って退けた。 「僕に僻があるでしょうか」と市蔵は落ちついて聞いた。 「あるよ」と僕は考えずに答えた。 「どういうところが僻んでいるでしょう。判然聞かして下さい」 「どういうところがって、――あるよ。あるからあると云うんだよ」 「じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出たんでしょう」 「そりゃ自分の事だから、少し自分で考えて見たらよかろう」 「あなたは不親切だ」と市蔵が思い切った沈痛な調子で云った。僕はまずその調子に度を失った。次に彼の眼の色を見て萎縮した。その眼はいかにも恨めしそうに僕の顔を見つめていた。僕は彼の前に一言の挨拶さえする勇気を振い起し得なかった。 「僕はあなたに云われない先から考えていたのです。おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。誰も教えてくれ手がないから独りで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。余り考え過ぎて頭も身体も続かなくなるまで考えたのです。それでも分らないからあなたに聞いたのです。あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと云われる。しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」  僕は頬を伝わって流れる彼の涙を見た。幼少の時から馴染んで今日に及んだ彼と僕との間に、こんな光景はいまだかつて一回も起らなかった事を僕は君に明言しておきたい。したがってこの昂奮した青年をどう取り扱っていいかの心得が、僕にまるで無かった事もついでに断っておきたい。僕はただ茫然として手を拱ぬいていた。市蔵はまた僕の態度などを眼中において、自分の言葉を調節する余裕を有たなかった。 「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。いいえ母でも、田口の叔母でも、あなたでも、みんなよくその訳を知っているのです。ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。僕は世の中の人間の中であなたを一番信用しているから聞いたのです。あなたはそれを残酷に拒絶した。僕はこれから生涯の敵としてあなたを呪います」  市蔵は立ち上った。僕はそのとっさの際に決心をした。そうして彼を呼びとめた。 五  僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上滑りにならなければ必ず神経衰弱に陥いるにきまっているという理由を、臆面なく聴衆の前に曝露した。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏ですましていた昔が羨ましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもあるいはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退ぞいた。僕はその時市蔵の事を思い出して、こういう苦い真理を承わらなければならない我々日本人も随分気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、攫もうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年は一層見惨に違あるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のために濺いだ。  これは単に僕の一族内の事で、君とは全く利害の交渉を有たない話だから、君が市蔵のためにせっかく心配してくれた親切に対する前からの行がかりさえなければ、打ち明けないはずだったが、実を云うと、市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っているのである。  僕は誰にでも明言して憚からない通り、いっさいの秘密はそれを開放した時始めて自然に復る落着を見る事ができるという主義を抱いているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。したがって今日までに自分から進んで、市蔵の運命を生れた当時に溯って、逆に照らしてやらなかったのは僕としてはむしろ不思議な手落と云ってもいいくらいである。今考えて見ると、僕が市蔵に呪われる間際まで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母子の間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。  市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼と交りの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響となって解っているかも知れない。一口でいうと、彼らは本当の母子ではないのである。なお誤解のないように一言つけ加えると、本当の母子よりも遥かに仲の好い継母と継子なのである。彼らは血を分けて始めて成立する通俗な親子関係を軽蔑しても差支ないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかり括りつけられている。どんな魔の振る斧の刃でもこの糸を絶ち切る訳に行かないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖がる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べてやったのである。  僕はその時の問答を一々くり返して今君に告げる勇気に乏しい。僕には固よりそれほどの大事件とも始から見えず、またなるべく平気を装う必要から、つまり何でもない事のように話したのだが、市蔵はそれを命がけの報知として、必死の緊張の下に受けたからである。ただ前の続きとして、事実だけを一口に約めて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上も経った昔の話だから、僕も詳しい顛末は知ろうはずがないが、何しろその小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金をやって彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へ下った妊婦が男の子を生んだという報知を待って、また子供だけ引き取って表向自分の子として養育したのだそうである。これは姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていた矢先だから、本気に吾子として愛しむ考も無論手伝ったに違ない。実際彼らは君の見るごとく、また吾々の見るごとく、最も親しい親子として今日まで発展して来たのだから、御互に事情を明し合ったところで毫も差支の起る訳がない。僕に云わせると、世間にありがちな反の合ない本当の親子よりもどのくらい肩身が広いか分りゃしない。二人だって、そうと知った上で、今までの睦まじさを回顧した時の方が、どんなに愉快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕は市蔵のために特にこの美くしい点を力のあらん限り彩る事を怠らなかった。 六 「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。御前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきはずじゃないか。もしそう思う事ができないというなら、それがすなわち御前の僻みだ。解ったかな」 「解りました。善く解りました」と市蔵が答えた。僕は「解ったらそれで好い、もうその問題についてかれこれというのは止しにしようよ」と云った。 「もう止します。もうけっしてこの事について、あなたを煩らわす日は来ないでしょう。なるほどあなたのおっしゃる通り僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕はあなたの御話を聞くまでは非常に怖かったです。胸の肉が縮まるほど怖かったです。けれども御話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖い事も不安な事もありません。その代り何だか急に心細くなりました。淋しいです。世の中にたった一人立っているような気がします」 「だって御母さんは元の通りの御母さんなんだよ。おれだって今までのおれだよ。誰も御前に対して変るものはありゃしないんだよ。神経を起しちゃいけない」 「神経は起さなくっても淋しいんだから仕方がありません。僕はこれから宅へ帰って母の顔を見るときっと泣くにきまっています。今からその時の涙を予想しても淋しくってたまりません」 「御母さんには黙っている方がよかろう」 「無論話しゃしません。話したら母がどんな苦しい顔をするか分りません」  二人は黙然として相対した。僕は手持無沙汰に煙草盆の灰吹を叩いた。市蔵はうつむいて袴の膝を見つめていた。やがて彼は淋しい顔を上げた。 「もう一つ伺っておきたい事がありますが、聞いて下さいますか」 「おれの知っている事なら何でも話して上げる」 「僕を生んだ母は今どこにいるんです」  彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。それは産後の肥立が悪かったせいだとも云い、または別の病だとも聞いているが、これも詳しい話をしてやるほどの材料に欠乏した僕の記憶では、とうてい餓えた彼の眼を静めるに足りなかった。彼の生母の最後の運命に関する僕の話は、わずか二三分で尽きてしまった。彼は遺憾な顔をして彼女の名前を聞いた。幸にして僕は御弓という古風な名を忘れずにいた。彼は次に死んだ時の彼女の年齢を問うた。僕はその点に関して、何という確とした知識を有っていなかった。彼は最後に、彼の宅に奉公していた時分の彼女に会った事があるかと尋ねた。僕はあると答えた。彼はどんな女だと聞き返した。気の毒にも僕の記憶はすこぶる朦朧としていた。事実僕はその当時十五六の少年に過ぎなかったのである。 「何でも島田に結ってた事がある」  このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と云った。けれども御弓の菩提所を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已を得なければ姉に聞くよりほかに仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」  僕は市蔵に対して気の毒なようなまたすまないような心持がした。彼はしばらく庭の方を向いて、麗かな日脚の中に咲く大きな椿を眺めていたが、やがて視線をもとに戻した。 「御母さんが是非千代ちゃんを貰えというのも、やっぱり血統上の考えから、身縁のものを僕の嫁にしたいという意味なんでしょうね」 「全くそこだ。ほかに何にもないんだ」  市蔵はそれでは貰おうとも云わなかった。僕もそれなら貰うかとも聞かなかった。 七  この会見は僕にとって美くしい経験の一つであった。双方で腹蔵なくすべてを打ち明け合う事ができたという点において、いまだに僕の貧しい過去を飾っている。相手の市蔵から見ても、あるいは生れて始めての慰藉ではなかったかと思う。とにかく彼が帰ったあとの僕の頭には、善い功徳を施こしたという愉快な感じが残ったのである。 「万事おれが引き受けてやるから心配しないがいい」  僕は彼を玄関に送り出しながら、最後にこういう言葉を彼の背に暖かくかけてやった。その代り姉に会見の結果を報告する時ははなはだまずかった。已を得ないから、卒業して頭に暇さえできれば、はっきりどうにか片をつけると云っているから、それまで待つが好かろう、今かれこれ突っつくのは試験の邪魔になるだけだからと、姉が聞いても無理のないところで、ひとまず宥めておいた。  僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業前に千代子の縁談が運ぶように工夫した。委細を聞いた田口の口振は平生の通り如才なくかつ無雑作であった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。 「けれども必竟は本人のために嫁入けるんで、(そう申しちゃ角が立つが、)姉さんや市蔵の便宜のために、千代子の結婚を無理にくり上げたり、くり延べたりする訳にも行かないものだから」 「ごもっともだ」と僕は承認せざるを得なかった。僕は元来田口家と親類並の交際をしているにはいるが、その実彼らの娘の縁談に、進んで口を出したこともなければ、また向うから相談を受けた例も有たないのである。それで今日まで千代子にどんな候補者があったのか、間接にさえほとんどその噂を耳にしなかった。ただ前の年鎌倉の避暑地とかで市蔵が会って、気を悪くしたという高木だけは、市蔵からも千代子からも名前を教えられて覚えていた。僕は突然ながら田口にその男はどうなったかと尋ねた。田口は愛嬌らしく笑って、高木は始めから候補者として打って出たのではないと告げた。けれども相当の身分と教育があって独身の男なら、誰でも候補者になり得る権利は有っているのだから、候補者でないとはけっして断言できないとも告げた。この曖昧な男の事を僕はなお委しく聞いて見て、彼が今上海にいる事を確かめた。上海にいるけれどもいつ帰るか分らないという事も確かめた。彼と千代子との間柄はその後何らの発展も見ないが、信書の往復はいまだに絶えない、そうしてその信書はきっと父母が眼を通した上で本人の手に落つるという条件つきの往復であるという事まで確めた。僕は一も二もなく、千代子には其男が好いじゃないかと云った。田口はまだどこかに慾があるのか、または別に考を有っているのか、そうするつもりだとは明言しなかった。高木のいかなる人物かをまるで解しない僕が、それ以上勧める権利もないから、僕はついそのままにして引き取った。  僕と市蔵はその後久しく会わなかった。久しくと云ったところでわずか一カ月半ばかりの時日に過ぎないのだが、僕には卒業試験を眼の前に控えながら、家庭問題に屈托しなければならない彼の事が非常に気にかかった。僕はそっと姉を訪ねてそれとなく彼の近況を探って見た。姉は平気で、何でもだいぶ忙がしそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕を僕と会食するために割かせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩餐を食いながら、ひそかに彼の様子を窺った。彼は平生の通り落ちついていた。なに試験なんかどうにかこうにかやっつけまさあと受合ったところに、満更の虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急に情なそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身も怖くってたまらないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと云った。冗談らしくもあり、また真面目らしくもあるこの言葉が、妙に憐れ深い感じを僕に与えた。 八  若葉の時節が過ぎて、湯上りの単衣の胸に、団扇の風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るや否や僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨日ようやくすんだと答えた。そうして明日からちょっと旅行して来るつもりだから暇乞に来たと告げた。僕は成績もまだ分らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都附近から須磨明石を経て、ことに因ると、広島辺まで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的大袈裟なのに驚ろいた。及第とさえきまっていればそれでも好かろうがと間接に不賛成の意を仄めかして見ると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨拶をした。そんな事に気を遣う叔父さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと云って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思い立が及落の成績に関係のない別方面の動機から萌しているという事を発見した。 「実はあの事件以来妙に頭を使うので、近頃では落ちついて書斎に坐っている事が困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途で已めなかったのが感心だぐらいに賞めて許して下さい」 「そりゃ御前の金で御前の行きたい所へ行くのだから少しも差支はないさ。考えて見れば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行って来るがいい」 「ええ」と云って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、「実は大きな声で話すのも気の毒でもったいないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持になってたまらないんです」とつけ足した。 「不愉快になるのか」と僕はむしろ厳かに聞いた。 「いいえ、ただ気の毒なんです。始めは淋しくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化して来たのです。実はここだけの話ですけれども、近頃では母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今度の旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕なら供をする気で留守を叔父さんにでも頼みに出かけて来るところなんですが、今云ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母の傍を離れたらという気ばかりして」 「困るね、そう変になっちゃあ」 「僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そう旨くはいかないもんでしょうか」  市蔵はさも懸念らしくこういう問をかけた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心の事を他に尋ねて安心したいと願う彼の胸の裏を憐れに思った。上部はいかにも優しそうに見えて、実際は極めて意地の強くでき上った彼が、こんな弱い音を出すのは、ほとんど例のない事だったからである。僕は僕の力の及ぶ限り彼の心に保証を与えた。 「そんな心配はするだけ損だよ。おれが受合ってやる。大丈夫だから遊んで来るが好い。御前の御母さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い」  市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰藉の言葉が、明晰な頭脳を有った市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは彼の神経がどこか調子を失なっているためではなかろうかという疑も起った。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危ぶみ始めた。 「おれもいっしょに行こうか」 「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。 「いけないかい」 「平生ならこっちから誘っても行って貰いたいんだが、何しろいつどこへ立つんだか分らない、云わば気の向きしだい予定の狂う旅行だから御気の毒でね。それに僕の方でもあなたがいると束縛があって面白くないから……」 「じゃ止そう」と僕はすぐ申し出を撤回した。 九  市蔵が帰った後でも、しばらくは彼の事が変に気にかかった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出る一切の責任は、当然僕が背負って立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいた妻を呼んで、相談かたがた理由を話すと、存外物に驚ろかない妻は、あなたがあんまり余計なおしゃべりをなさるからですよと云って、始めはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんで市さんに間違があるもんですか、市さんは年こそ若いが、あなたよりよっぽど分別のある人ですものと、独りで受合っていた。 「すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね」 「そうですとも、誰だってあなたの懐手ばかりして、舶来のパイプを銜えているところを見れば、心配になりますわ」  そのうち子供が学校から帰って来て、家の中が急に賑やかになったので、市蔵の事はつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分の方から突然尋ねて来た時は、僕も覚えず冷りとした。  姉はいつもの通り、家族の集まっている真中に坐って、無沙汰の詫やら、時候の挨拶やらを長々しく妻と交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。 「市蔵が明日から旅行するって云うじゃありませんか」と僕は好い加減な時分に聞き出した。 「それについてね……」と姉はやや真面目になって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、「なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使った後だもの。少しは楽もさせないと身体の毒になるから」とあたかも市蔵の行動を弁護するように云った。姉は固より同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行に堪えるかどうかを気遣うだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味を有っているに違ないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔つきから直覚的に影響を受けたらしい心細さを額に刻んで、「恒さん、先刻市蔵がこちらへ上った時、何か様子の変ったところでもありゃしませんでしたかい」と聞いた。 「何そんな事があるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえ御仙」 「ええちっとも違っておいでじゃありません」 「わたしもそうかと思うけれども、何だかこの間から調子が変でね」 「どんななんです」 「どんなだと云われるとまた話しようもないんだが」 「全く試験のためだよ」と僕はすぐ打ち消した。 「姉さんの神経ですよ」と妻も口を出した。  僕らは夫婦して姉を慰さめた。姉はしまいにやや納得したらしい顔つきをして、みんなと夕食を共にするまで話し込んだ。帰る時には散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気がすまないので、子供を先へ返して、断わる姉の傍に席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。  僕は幸い二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。御母さんが御前の事を大層心配してわざわざ矢来まで来たから、今おれがいろいろに云ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄に心配をかけないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗留するなら逗留する所から、必ず音信を怠たらないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返す事のできる注意をしたら好かろうと云った。市蔵はそのくらいの面倒なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。  僕はこれで幾分か姉の心を柔らげ得たものと信じて十一時頃また電車で矢来へ帰って来た。  僕を迎に玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持だったのである。で、明る日は新橋へ見送りにも行かなかった。 十  約束の音信は至る所からあった。勘定すると大抵日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画端書に二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、妻からよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛想もなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅多にあってたまるもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見傚す女であった。そうして両方とも嘘と信じて疑わないほど浪漫斯に縁の遠い女であった。  端書に満足した僕は、彼の封筒入の書翰に接し出した時さらに眉を開いた。というのは、僕の恐れを抱いていた彼の手が、陰欝な色に巻紙を染めた痕迹が、そのどこにも見出せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかに鮮かに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。ここに二三通取ってある。  彼の気分を変化するに与かって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上方地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺戟になったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云う滑らかで静かな調子が、鎮経剤以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。無論若い女の口から出れば効目が多いだろう。市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。―― 「僕はこの辺の人の言葉を聞くと微かな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついて厭だと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金米糖のような調子を得意になって出します。そうして聴手の心を粗暴にして威張ります。僕は昨日京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面という紅葉の名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川があって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部とかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入って見ると、幅の広い長い土間が、竪に家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦で敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘に拵えたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦を畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足に書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆さんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子に腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入るや否や、友人の顔を見て挨拶をしました。そうして『おや御免やす。今八十六の御婆さんの頭を剃っとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭を撫でて『大きに』と礼を述べました。友人は僕を顧みて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気した心持がしました。僕はこういう心持を御土産に東京へ持って帰りたいと思います」  僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。 十一  次のは明石から来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をより鮮やかに現わしている。 「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙草を呑んで海の方を眺めていると、――海はつい庭先にあるのです。漣さえ打たない静かな晩だから、河縁とも池の端とも片のつかない渚の景色なんですが、そこへ涼み船が一艘流れて来ました。その船の形好は夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えない穏やかな形を具えていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提灯がいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人が坐っているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣体がいかにも落ちついて、滑るように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御祖父さんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんは固より御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊を実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾瀬川まで漕ぎ上せて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇を開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇の要がぐるぐる廻って、地紙に塗った銀泥をきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げ競う光景は想像しても凄艶です。御祖父さんは銅壺の中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利の燗をした後をことごとく棄てさしたほどの豪奢な人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅沢なところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点なさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托していないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっして苦い意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間を大勢集めて、鞄の中から出した札の束を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀とか称えて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着た[#「着た」は底本では「来た」]まま湯に這入って、あとは三助にくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢極まるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼を悪みました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行を見ると、強盗が白刃の抜身を畳に突き立てて良民を脅迫しているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢に近づかない先から、驕奢の絶頂に達して躍り狂う人の、一転化の後を想像して、怖くてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気になって行きます。賞めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶めかしい女の声も交っていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更けましたから、僕も休みます」 十二 「昨夕も手紙を書きましたが、今日もまた今朝以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへも文をやる所がないものだから、已を得ず姉と己に対してだけ、時間を費やして音信を怠らないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆を執りながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰わないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へ上って海を見下していると、そういう幸福な二人連が、磯通いに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘を翳して、素足に着物の裾を少し捲りながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿を、僕は羨ましそうに眺めたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸に近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でも透いて見えます。泳いでいる海月さえ判切見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作が、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」 「今度は西洋人が一人水に浸っています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流暢で羨ましいくらい旨く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸けたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執って、深い所へ連れて行こうとしました。女は身を竦めるようにして拒みました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱きました。女の跳ねて水を蹴る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」 「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇を漕ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚して見せる科が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋いである和船に向って、船頭はん、その船空いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心の御客はよほど威勢のいい男で、遥か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸の浦の子僧を一人生捕っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根かぎりの大きな声で、阿呆と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」 「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、つまりは考えずに観るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已まないのです。白帆が雲のごとく簇って淡路島の前を通ります。反対の側の松山の上に人丸の社があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑があったらついでだから行って見ようと思います」 結末  敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪に過ぎなかった。  彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪廓と表面から成る極めて浅いものであった。したがって罪のない面白味を、野性の好奇心に充ちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙間が、瓦斯に似た冒険譚で膨脹した奥に、彼は人間としての森本の面影を、夢現のごとく見る事を得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。  彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺めているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によって繋がれていながら、まるで毛色の異なったこの二人の対照を胸に据えて、幾分か己れの世間的経験が広くなったような心持がした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。  彼は千代子という女性の口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画を見るようなところに、彼の快感を惹いた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃れるために已を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱いていたい意味から出る涙が交っていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐れであった。彼は雛祭の宵に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐に聞いた。  彼は須永の口から一調子狂った母子の関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果に纏綿されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦らめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。  彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟夫婦として作られたものか、朋友として存在すべきものか、もしくは敵として睨み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審らかにした。  顧みると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖を大事そうに突いて、電車から下りる霜降の外套を着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後を跟けたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載せて眺めると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児戯であった。彼はそれがために位地にありつく事はできた。けれども人間の経験としては滑稽の意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真面目な、行動に過ぎなかった。  要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入れなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇の頭を呪い、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転して行くだろうかを考えた。 底本:「夏目漱石全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年3月29日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集第五巻」筑摩書房    1971(昭和46)年8月1日初版第1刷発行 ※訂正注記にあたっては、底本の親本を参照しました。 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年9月18日公開 2011年5月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 コンラッドの描きたる自然について コンラッドの描きたる自然について 夏目漱石  一月二十七日の読売新聞で日高未徹君は、余の国民記者に話した、コンラッドの小説は自然に重きをおき過ぎるの結果主客顛倒の傾があると云う所見を非難せられた。  日高君の説によると、コンラッドは背景として自然を用いたのではない、自然を人間と対等に取扱ったのである、自然の活動が人間の活動と相交渉し、相対立する場合を写した作物である。これを主客顛倒と見るのは始めから自然は客であるべきはずとの僻目から起るのである。――まあこういうのが非難の要点である。  いかにもごもっともな御説で、余はこれに反対すると云わんよりは、むしろ大賛成を表したいくらいである。せんだってもある人がコンラッドのようなものを描いてどこが面白いかと聞いたから、余は、自然の経過は人情の経過と同じような興味をもって読む事のできるものだ、普通のが人情小説なら、コンラッドのは自然情小説だと答えたくらいだから、余は日高君よりは一歩極端に走って、自然と人間を対等に取扱う境を通り越して、自然を主、人間を客と見た面白味をさえ解しているつもりである。  現にタイフーンのごときまた、舟火事(名前を忘れたり)のごときは単にタイフーンを写し、単に舟火事を写したものとして立派な雄篇である。首尾一貫前後相待って渾然と出来上がっている。なぜかと云うと、篇中に出て来る人間の心状、及び動作がことごとくタイフーンと舟火事なる自然力を離れずに、どこまでも密接な関係をもって展化進行するから、自然と人間が打って一丸となされて、偉大なる自然力の裏に副え物として人間が調子よく活動するからである。  ところが同じ船と海の事を書たものでも、船長が眼病で、船の操縦ができないのを、眼の見えるふりでどこまでも押し通す様子などになると、筋は海を離れて、船長自身の個人の身の上話しに移ってしまう。だからこういう場合にいくら海が活動してもそれほど役に立たない。それよりか船長の一身上の生活の行路の方が気にかかる、その方を旨く取り扱ってくれる方が極力海を描出するよりも大切であり、かつ読者にありがたいのである。余の見るところではコンラッドはその調子を取らない。  これではまだ日高君は首肯されないかも知れないからもっとも著しい例を挙げると、ゼ・ニガー・オブ・ゼ・ナーシッサスのようなものである。これは一人の黒奴が、ナーシッサスと云う船に乗り込んで航海の途中に病死する物語であるが、黒奴の船中生活を叙したものとしては、いかにも幼稚で、できが悪い。しかし航海の描写としては例の通り雄健蒼勁の極を尽したものである。だから、余の希望から云うと、なまじいに普通の小説じみた黒奴という主人公の経歴はやめて、全くの航海描写としたらば好かろうと思うのである。しからざればいらざる風濤の描写を割いて、主人公の身辺に起る波瀾成行をもう少し上手に手際よく叙したらば好かろうと思う。  普通の小説のような脚色がありながら、その方の筋はいっこうできていないで、かえって自然力の活動ばかり目醒しいので、余はこれを主客顛倒と評したのである。ところが短かい談話で、国民文学記者にコンラッドだけを詳しく話す余地がなかったので、ついと日高君の誤解を招くに至ったのは残念である。  要するに日高君の御説ははなはだごもっともなのである。けれども余のコンラッドを非難した意味、及びこの意味において非難すべき作物をコンラッドが書いたと云う事も、日高君が承認されん事を希望する。  この答弁は日高君に対してのみならず、世間の読者のうちで、まだコンラッドを知らずして、余の説と日高君の説の矛盾だけを見てその調和に苦しむ人のために草したのである。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年6月14日公開 2003年11月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 人生 人生 夏目漱石  空を劃して居る之を物といひ、時に沿うて起る之を事といふ、事物を離れて心なく、心を離れて事物なし、故に事物の変遷推移を名づけて人生といふ、猶麕身牛尾馬蹄のものを捉へて麟といふが如し、かく定義を下せば、頗る六つかしけれど、是を平仮名にて翻訳すれば、先づ地震、雷、火事、爺の怖きを悟り、砂糖と塩の区別を知り、恋の重荷義理の柵抔いふ意味を合点し、順逆の二境を踏み、禍福の二門をくゞるの謂に過ぎず、但其謂に過ぎずと観ずれば、遭逢百端千差万別、十人に十人の生活あり、百人に百人の生活あり、千百万人亦各千百万人の生涯を有す、故に無事なるものは午砲を聞きて昼飯を食ひ、忙しきものは孔席暖かならず、墨突黔せずとも云ひ、変化の多きは塞翁の馬にをかけたるが如く、不平なるは放たれて沢畔に吟じ、壮烈なるは匕首を懐にして不測の秦に入り、頑固なるは首陽山の薇に余命を繋ぎ、世を茶にしたるは竹林に髯を拈り、図太きは南禅寺の山門に昼寝して王法を懼れず、一々数へ来れば日も亦足らず、中々錯雑なものなり、加之個人の一行一為、各其由る所を異にし、其及ぼす所を同じうせず、人を殺すは一なれども、毒を盛るは刃を加ふると等しからず、故意なるは不慮の出来事と云ふを得ず、時には間接ともなり、或は又直接ともなる、之を分類するだに相応の手数はかゝるべし、況して国に言語の相違あり、人に上下の区別ありて、同一の事物も種々の記号を有して、吾人の面目を燎爛せんとするこそ益面倒なれ、比較するだに畏けれど、万乗には之を崩御といひ、匹夫には之を「クタバル」といひ、鳥には落ちるといひ、魚には上がるといひて、而も死は即ち一なるが如し、若し人生をとつて銖分縷析するを得ば、天上の星と磯の真砂の数も容易に計算し得べし  小説は此錯雑なる人生の一側面を写すものなり、一側面猶且単純ならず、去れども写して神に入るときは、事物の紛糾乱雑なるものを綜合して一の哲理を数ふるに足る、われ「エリオツト」の小説を読んで天性の悪人なき事を知りぬ、又罪を犯すものの恕すべくして且憐むべきを知りぬ、一挙手一投足わが運命に関係あるを知りぬ、「サツカレー」の小説を読んで正直なるものの馬鹿らしきを知りぬ、狡猾奸佞なるものの世に珍重せらるべきを知りぬ、「ブロンテ」の小説を読んで人に感応あることを知りぬ、蓋し小説に境遇を叙するものあり、品性を写すものあり、心理上の解剖を試むるものあり、直覚的に人世を観破するものあり、四者各其方面に向つて吾人に教ふる所なきにあらず、然れども人生は心理的解剖を以て終結するものにあらず、又直覚を以て観破し了すべきにあらず、われは人生に於て是等以外に一種不可思議のものあるべきを信ず、所謂不可思議とは「カツスル、オフ、オトラントー」の中の出来事にあらず、「タムオーシヤンター」を追懸けたる妖怪にあらず、「マクベス」の眼前に見はるゝ幽霊にあらず、「ホーソーン」の文「コルリツヂ」の詩中に入るべき人物の謂にあらず、われ手を振り目を揺かして、而も其の何の故に手を振り目を揺かすかを知らず、因果の大法を蔑にし、自己の意思を離れ、卒然として起り、驀地に来るものを謂ふ、世俗之を名づけて狂気と呼ぶ、狂気と呼ぶ固より不可なし、去れども此種の所為を目して狂気となす者共は、他人に対してかゝる不敬の称号を呈するに先つて、己等亦曾て狂気せる事あるを自認せざる可からず、又何時にても狂気し得る資格を有する動物なる事を承知せざるべからず、人豈自ら知らざらんやとは支那の豪傑の語なり、人々自ら知らば固より文句はなきなり、人を指して馬鹿といふ、是れ己が利口なるの時に於て発するの批評なり、己も亦何時にても馬鹿の仲間入りをするに充分なる可能力を具備するに気が付かぬものの批評なり、局に当る者は迷ひ、傍観するものは嗤ふ、而も傍観者必ずしも棊を能くせざるを如何せん、自ら知るの明あるもの寡なしとは世間にて云ふ事なり、われは人間に自知の明なき事を断言せんとす、之を「ポー」に聞く、曰く、功名眼前にあり、人々何ぞ直ちに自己の胸臆を叙して思ひのまゝを言はざる、去れど人ありて思の儘を書かんとして筆を執れば、筆忽ち禿し、紙を展ぶれば紙忽ち縮む、芳声嘉誉の手に唾して得らるべきを知りながら、何人も躇して果たさざるは是が為なりと、人豈自ら知らざらんや、「ポー」の言を反覆熟読せば、思半ばに過ぎん、蓋し人は夢を見るものなり、思ひも寄らぬ夢を見るものなり、覚めて後冷汗背に洽く、茫然自失する事あるものなり、夢ならばと一笑に附し去るものは、一を知つて二を知らぬものなり、夢は必ずしも夜中臥床の上にのみ見舞に来るものにあらず、青天にも白日にも来り、大道の真中にても来り、衣冠束帯の折だに容赦なく闥を排して闖入し来る、機微の際忽然として吾人を愧死せしめて、其来る所固より知り得べからず、其去る所亦尋ね難し、而も人生の真相は半ば此夢中にあつて隠約たるものなり、此自己の真相を発揮するは即ち名誉を得るの捷径にして、此捷径に従ふは卑怯なる人類にとりて無上の難関なり、願はくば人豈自ら知らざらんや抔いふものをして、誠実に其心の歴史を書かしめん、彼必ず自ら知らざるに驚かん  三陸の海嘯濃尾の地震之を称して天災といふ、天災とは人意の如何ともすべからざるもの、人間の行為は良心の制裁を受け、意思の主宰に従ふ、一挙一動皆責任あり、固より洪水飢饉と日を同じうして論ずべきにあらねど、良心は不断の主権者にあらず、四肢必ずしも吾意思の欲する所に従はず、一朝の変俄然として己霊の光輝を失して、奈落に陥落し、闇中に跳躍する事なきにあらず、是時に方つて、わが身心には秩序なく、系統なく、思慮なく、分別なく、只一気の盲動するに任ずるのみ、若し海嘯地震を以て人意にあらずとせば、此盲動的動作亦必ず人意にあらじ、人を殺すものは死すとは天下の定法なり、されども自ら死を決して人を殺すものは寡なし、呼息逼り白刃閃く此刹那、既に身あるを知らず、焉んぞ敵あるを知らんや、電光影裡に春風を斫るものは、人意か将た天意か  青門老圃独り一室の中に坐し、冥思遐捜す、両頬赤を発し火の如く、喉間咯々声あるに至る、稿を属し日を積まざれば出でず、思を構ふるの時に方つて大苦あるものの如し、既に来れば則ち大喜、衣を牽き、床を遶りて狂呼す、「バーンス」詩を作りて河上に徘徊す、或は呻吟し、或は低唱す、忽ちにして大声放歌欷歔涙下る、西人此種の所作をなづけて、「インスピレーション」といふ、「インスピレーション」とは人意か将た天意か  「デクインシー」曰く、世には人心の如何に善にして、又如何に悪なるかを知らで過ぐるものありと、他人の身の上ならば無論の事なり、われは「デクインシー」に反問せん、君は君自身がどの位の善人にして、又どの位の悪人たるを承知なるかと、豈啻善悪のみならん、怯勇剛弱高下の分、皆此反問中に入るを得べし、平かなるときは天落ち地欠くるとも驚かじと思へども、一旦事あれば鼠糞梁上より墜ちてだに消魂の種となる、自ら口惜しと思へど詮なし、源氏征討の宣旨を蒙りて、遥々富士川迄押し寄せたる七万余騎の大軍が、水鳥の羽音に一矢も射らで逃げ帰るとは、平家物語を読むものの馬鹿々々しと思ふ処ならん、啻に後代の吾々が馬鹿々々しと思ふのみにあらず、当人たる平家の侍共も翌日は定めて口惜しと思ひつらん、去れども彼等は富士川に宿したる晩に限りて、急に揃ひも揃うて臆病風にかゝりたるなり、此臆病風は二十三日の半夜忽然吹き来りて、七万余騎の陣中を馳け廻り、翌くる二十四日の暁天に至りて寂として息みぬ、誰か此風の行衛を知る者ぞ  犬に吠え付かれて、果てな己は泥棒かしらん、と結論するものは余程の馬鹿者か、非常な狼狽者と勘定するを得べし、去れども世間には賢者を以て自ら居り、智者を以て人より目せらるゝもの、亦此病にかかることあり、大丈夫と威張るものの最後の場に臆したる、卑怯の名を博したるものが、急に猛烈の勢を示せる、皆是れ自ら解釈せんと欲して能はざるの現象なり、況や他人をや、二点を求め得て之を通過する直線の方向を知るとは幾何学上の事、吾人の行為は二点を知り三点を知り、重ねて百点に至るとも、人生の方向を定むるに足らず、人生は一個の理窟に纏め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、「サイン」「コサイン」を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何せん、若し人生が数学的に説明し得るならば、若し与へられたる材料よりXなる人生が発見せらるゝならば、若し人間が人間の主宰たるを得るならば、若し詩人文人小説家が記載せる人生の外に人生なくんば、人生は余程便利にして、人間は余程えらきものなり、不測の変外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で来る、容赦なく且乱暴に出で来る、海嘯と震災は、啻に三陸と濃尾に起るのみにあらず、亦自家三寸の丹田中にあり、険呑なる哉 (明治二十九年十月、第五高等学校『竜南会雑誌』) 底本:「現代日本文學大系17 夏目漱石集(一)」筑摩書房    1968(昭和43)年10月25日 入力:柿澤早苗 校正:伊藤時也 2000年2月4日公開 2004年2月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 夏目漱石 自転車日記 自転車日記 夏目漱石  西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯を三階の天辺まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しきばかり也、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷える余に向って婆さんは媾和条件の第一款として命令的に左のごとく申し渡した、 自転車に御乗んなさい  ああ悲いかなこの自転車事件たるや、余はついに婆さんの命に従って自転車に乗るべく否自転車より落るべく「ラヴェンダー・ヒル」へと参らざるべからざる不運に際会せり、監督兼教師は○○氏なり、悄然たる余を従えて自転車屋へと飛び込みたる彼はまず女乗の手頃なる奴を撰んでこれがよかろうと云う、その理由いかにと尋ぬるに初学入門の捷径はこれに限るよと降参人と見てとっていやに軽蔑した文句を並べる、不肖なりといえども軽少ながら鼻下に髯を蓄えたる男子に女の自転車で稽古をしろとは情ない、まあ落ちても善いから当り前の奴でやってみようと抗議を申し込む、もし採用されなかったら丈夫玉砕瓦全を恥ずとか何とか珍汾漢の気を吐こうと暗に下拵に黙っている、とそれならこれにしようと、いとも見苦しかりける男乗をぞあてがいける、思えらく能者筆を択ばず、どうせ落ちるのだから車の美醜などは構うものかと、あてがわれたる車を重そうに引張り出す、不平なるは力を出して上からウンと押して見るとギーと鳴る事なり、伏して惟れば関節が弛んで油気がなくなった老朽の自転車に万里の波濤を超えて遥々と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤客に引きずり出され奔命に堪ずして悲鳴を上るに至っては自転車の末路また憐むべきものありだがせめては降参の腹癒にこの老骨をギューと云わしてやらんものをと乗らぬ先から当人はしきりに乗り気になる、然るにハンドルなるもの神経過敏にてこちらへ引けば股にぶつかり、向へ押しやると往来の真中へ馳け出そうとする、乗らぬ内からかくのごとく処置に窮するところをもって見れば乗った後の事は思いやるだに涙の種と知られける、 「どこへ行って乗ろう」「どこだって今日初めて乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない落ちても人の笑わないようなところに願いたい」と降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情を憐んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あまり繁からざる大道の横手馬乗場へと余を拉し去る、しかして後「さあここで乗って見たまえ」という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、  乗って見たまえとはすでに知己の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見たおぼえは毛頭ない、去るを乗って見たまえとはあまり無慈悲なる一言と怒髪鳥打帽を衝て猛然とハンドルを握ったまではあっぱれ武者ぶりたのもしかったがいよいよ鞍に跨って顧盻勇を示す一段になるとおあつらえ通りに参らない、いざという間際でずどんと落ること妙なり、自転車は逆立も何もせず至極落ちつきはらったものだが乗客だけはまさに鞍壺にたまらずずんでん堂とこける、かつて講釈師に聞た通りを目のあたり自ら実行するとは、あにはからんや、  監督官云う、「初めから腰を据えようなどというのが間違っている、ペダルに足をかけようとしても駄目だよ、ただしがみついて車が一回転でもすれば上出来なんだ」、と心細いこと限りなし、ああ吾事休矣いくらしがみついても車は半輪転もしないああ吾事休矣としきりに感投詞を繰り返して暗に助勢を嘆願する、かくあらんとは兼て期したる監督官なれば、近く進んでさあ、僕がしっかり抑えているから乗りたまえ、おっとそう真ともに乗っては顛り返る、そら見たまえ、膝を打たろう、今度はそーっと尻をかけて両手でここを握って、よしか、僕が前へ押し出すからその勢で調子に乗って馳け出すんだよ、と怖がる者を面白半分前へ突き出す、然るにすべてこれらの準備すべてこれらの労力が突き出される瞬間において砂地に横面を抛りつけるための準備にしてかつ労力ならんとは実に神ならぬ身の誰か知るべき底の驚愕である。  ちらほら人が立ちどまって見る、にやにや笑って行くものがある、向うの樫の木の下に乳母さんが小供をつれてロハ台に腰をかけてさっきからしきりに感服して見ている、何を感服しているのか分らない、おおかた流汗淋漓大童となって自転車と奮闘しつつある健気な様子に見とれているのだろう、天涯この好知己を得る以上は向脛の二三カ所を擦りむいたって惜しくはないという気になる、「もう一遍頼むよ、もっと強く押してくれたまえ、なにまた落ちる? 落ちたって僕の身体だよ」と降参人たる資格を忘れてしきりに汗気を吹いている、すると出し抜に後ろから Sir ! と呼んだものがある、はてな滅多な異人に近づきはないはずだがとふり返ると、ちょっと人を狼狽せしむるに足る的の大巡査がヌーッと立っている、こちらはこんな人に近づきではないが先方ではこのポット出のチンチクリンの田舎者に近づかざるべからざる理由があってまさに近づいたものと見える、その理由に曰くここは馬を乗る所で自転車に乗る所ではないから自転車を稽古するなら往来へ出てやらしゃい、オーライ謹んで命を領すと混淆式の答に博学の程度を見せてすぐさまこれを監督官に申出る、と監督官は降参人の今日の凹み加減充分とや思いけん、もう帰ろうじゃないかと云う、すなわち乗れざる自転車と手を携えて帰る、どうでしたと婆さんの問に敗余の意気をもらすらく車嘶いて白日暮れ耳鳴って秋気来るヘン  忘月忘日 例の自転車を抱いて坂の上に控えたる余は徐ろに眼を放って遥かあなたの下を見廻す、監督官の相図を待って一気にこの坂を馳け下りんとの野心あればなり、坂の長さ二丁余、傾斜の角度二十度ばかり、路幅十間を超えて人通多からず、左右はゆかしく住みなせる屋敷ばかりなり、東洋の名士が自転車から落る稽古をすると聞いて英政府が特に土木局に命じてこの道路を作らしめたかどうだかその辺はいまだに判然しないが、とにかく自転車用道路として申分のない場所である、余が監督官は巡査の小言に胆を冷したものか乃至はまた余の車を前へ突き出す労力を省くためか、昨日から人と車を天然自然ところがすべく特にこの地を相し得て余を連れだしたのである、  人の通らない馬車のかよわない時機を見計ったる監督官はさあ今だ早く乗りたまえという、ただしこの乗るという字に註釈が入る、この字は吾ら両人の間にはいまだ普通の意味に用られていない、わがいわゆる乗るは彼らのいわゆる乗るにあらざるなり、鞍に尻をおろさざるなり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力学の原理に依頼して毫も人工を弄せざるの意なり、人をもよけず馬をも避けず水火をも辞せず驀地に前進するの義なり、去るほどにその格好たるやあたかも疝気持が初出に梯子乗を演ずるがごとく、吾ながら乗るという字を濫用してはおらぬかと危ぶむくらいなものである、されども乗るはついに乗るなり、乗らざるにあらざるなり、ともかくも人間が自転車に附着している也、しかも一気呵成に附着しているなり、この意味において乗るべく命ぜられたる余は、疾風のごとくに坂の上から転がり出す、すると不思議やな左の方の屋敷の内から拍手して吾が自転行を壮にしたいたずらものがある、妙だなと思う間もなく車はすでに坂の中腹へかかる、今度は大変な物に出逢った、女学生が五十人ばかり行列を整えて向からやってくる、こうなってはいくら女の手前だからと言って気取る訳にもどうする訳にも行かん、両手は塞っている、腰は曲っている、右の足は空を蹴ている、下りようとしても車の方で聞かない、絶体絶命しようがないから自家独得の曲乗のままで女軍の傍をからくも通り抜ける。ほっと一息つく間もなく車はすでに坂を下りて平地にあり、けれども毫も留まる気色がない、しかのみならず向うの四ツ角に立ている巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かと思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす訳に行かない、自転車は我に無理情死を逼る勢でむやみに人道の方へ猛進する、とうとう車道から人道へ乗り上げそれでも止まらないで板塀へぶつかって逆戻をする事一間半、危くも巡査を去る三尺の距離でとまった。大分御骨が折れましょうと笑ながら査公が申された故、答えて曰くイエス、  忘月忘日「……御調べになる時はブリチッシュ・ミュジーアムへ御出かけになりますか」「あすこへはあまり参りません、本へやたらにノートを書きつけたり棒を引いたりする癖があるものですから」「さよう、自分の本の方が自由に使えて善ですね、しかし私などは著作をしようと思うとあすこへ出かけます……」 「夏目さんは大変御勉強だそうですね」と細君が傍から口を開く「あまり勉強もしません、近頃は人から勧められて自転車を始めたものですから、朝から晩までそればかりやっています」「自転車は面白うござんすね、宅ではみんな乗りますよ、あなたもやはり遠乗をなさいましょう」遠乗をもって細君から擬せられた先生は実に普通の意味において乗るちょう事のいかなるものなるかをさえ解し得ざる男なり、ただ一種の曲解せられたる意味をもって坂の上から坂の下まで辛うじて乗り終せる男なり、遠乗の二字を承って心安からず思いしが、掛直を云うことが第二の天性とまで進化せる二十世紀の今日、この点にかけては一人前に通用する人物なれば、如才なく下のごとく返答をした「さよう遠乗というほどの事もまだしませんが、坂の上から下の方へ勢よく乗りおろす時なんかすこぶる愉快ですね」  今まで沈黙を守っておった令嬢はこいつ少しは乗きるなと疳違をしたものと見えて「いつか夏目さんといっしょに皆でウィンブルドンへでも行ったらどうでしょう」と父君と母上に向って動議を提出する、父君と母上は一斉に余が顔を見る、余ここにおいてか少々尻こそばゆき状態に陥るのやむをえざるに至れり、さりながら妙齢なる美人より申し込まれたるこの果し状を真平御免蒙ると握りつぶす訳には行かない、いやしくも文明の教育を受けたる紳士が婦人に対する尊敬を失しては生涯の不面目だし、かつやこれでもかこれでもかと余が咽喉を扼しつつある二寸五分のハイカラの手前もある事だから、ことさらに平気と愉快を等分に加味した顔をして「それは面白いでしょうしかし……」「御勉強で御忙しいでしょうが今度の土曜ぐらいは御閑でいらっしゃいましょう」とだんだん切り込んでくる、余が「しかし……」の後には必ずしも多忙が来ると限っておらない、自分ながら何のための「しかし」だかまだ判然せざるうちにこう先を越されてはいよいよ「しかし」の納り場がなくなる、「しかしあまり人通りの多い所ではエー……アノーまだ練れませんから」とようやく一方の活路を開くや否や「いえ、あの辺の道路は実に閑静なものですよ」とすぐ通せん坊をされる、進退これきわまるとは啻に自転車の上のみにてはあらざりけり、と独りで感心をしている、感心したばかりでは埒があかないから、この際唯一の手段として「しかし」をもう一遍繰り返す「しかし……今度の土曜は天気でしょうか」旗幟の鮮明ならざること夥しい誰に聞いたって、そんな事が分るものか、さてもこの勝負男の方負とや見たりけん、審判官たる主人は仲裁乎として口を開いて曰く、日はきめんでもいずれそのうち私が自転車で御宅へ伺いましょう、そしていっしょに散歩でもしましょう、――サイクリストに向っていっしょに散歩でもしましょうとはこれいかに、彼は余を目してサイクリストたるの資格なきものと認定せるなり  このうつくしき令嬢と「ウィンブルドン」に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった、日本派の俳諧師これを称して朦朧体という  忘月忘日 数日来の手痛き経験と精緻なる思索とによって余は下の結論に到着した 自転車の鞍とペダルとは何も世間体を繕うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度びこれを握るときは人目を眩せしむるに足る目勇しき働きをなすものなり  かく漆桶を抜くがごとく自転悟を開きたる余は今例の監督官及びその友なる貴公子某伯爵と共にを連ねて「クラパムコンモン」を横ぎり鉄道馬車の通う大通りへ曲らんとするところだと思いたまえ、余の車は両君の間に介在して操縦すでに自由ならず、ただ前へ出られるばかりと思いたまえ、しかるに出られべき一方口が突然塞ったと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭に右の方より不都合なる一輛の荷車が御免よとも何とも云わず傲然として我前を通ったのさ、今までの態度を維持すれば衝突するばかりだろう、余の主義として衝突はこちらが勝つ場合についてのみあえてするが、その他負色の見えすいたような衝突になるといつでも御免蒙るのが吾家伝来の憲法である、さるによってこの尨大なる荷車と老朽悲鳴をあげるほどの吾が自転車との衝突は、おやじの遺言としても避けねばならぬ、と云って左右へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような無礼な事は平民たる我々風情のすまじき事である、のみならず捕虜の分際として推参な所作と思わるべし、孝ならんと欲すれば礼ならず、礼ならんと欲すれば孝ならず、やむなくんば退却か落車の二あるのみと、ちょっとの間に相場がきまってしまった、この時事に臨んでかつて狼狽したる事なきわれつらつら思うよう、できさえすれば退却も満更でない、少なくとも落車に優ること万々なりといえども、悲夫逆艪の用意いまだ調わざる今日の時勢なれば、エー仕方がない思い切って落車にしろ、と両車の間に堂と落つ、折しも余を去る事二間ばかりのところに退屈そうに立っていた巡査――自転車の巡査におけるそれなお刺身のツマにおけるがごときか、何ぞそれ引き合に出るのはなはだしき――このツマ的巡査が声を揚げてアハ、アハ、アハ、と三度笑った。その笑い方苦笑にあらず、冷笑にあらず、微笑にあらず、カンラカラカラ笑にあらず、全くの作り笑なり、人から頼まれてする依托笑なり、この依托笑をするためにこの巡査はシックスペンスを得たか、ワン・シリングを得たか、遺憾ながらこれを考究する暇がなかった、  へんツマ巡査などが笑ったってとすぐさま御両君の後を慕って馳け出す、これが巡公でなくって先日の御娘さんだったらやはりすぐさま馳け出されるかどうだかの問題はいざとならなければ解釈がつかないから質問しない方がいいとして先へ進む、さて両君はこの辺の地理不案内なりとの口実をもって覚束なき余に先導たるべしとの厳命を伝えた、しかるに案内には詳しいが自転車には毫も詳しくないから、行こうと思う方へは行かないで曲り角へくるとただ曲りやすい方へ曲ってしまう、ここにおいてか同じ所へ何返も出て来る、始めの内は何とかかんとかごまかしていたが、そうは持ち切れるものでない、今度は違った方へ行こうとの御意である、よろしいと口には云ったようなものの、ままにならぬは浮世の習、容易にそっちの方角へ曲らない、道幅三分の二も来た頃、やっとの思でハンドルをギューッと捩ったら、自転車は九十度の角度を一どきに廻ってしまった、その急廻転のために思いがけなき功名を博し得たと云う御話しは、明日の前講になかという価値もないから、すぐ話してしまう、この時まで気がつかなかったがこの急劇なる方向転換の刹那に余と同じ方角へ向けて余に尾行して来た一人のサイクリストがあった、ところがこの不意撃に驚いて車をかわす暇もなくもろくも余の傍で転がり落ちた、後で聞けば、四ツ角を曲る時にはベルを鳴すか片手をあげるか一通りの挨拶をするのが礼だそうだが、落天の奇想を好む余はさような月並主義を採らない、いわんやベルを鳴したり手を挙げたり、そんな面倒な事をする余裕はこの際少しもなきにおいてをやだ、ここにおいてかこのダンマリ転換を遂行するのも余にとっては万やむをえざるに出たもので、余のあとにくっついて来た男が吃驚して落車したのもまた無理のないところである、双方共無理のないところであるから不思議はない、当然の事であるが、西洋人の論理はこれほどまで発達しておらんと見えて、彼の落ち人大に逆鱗の体で、チンチンチャイナマンと余を罵った、罵られたる余は一矢酬ゆるはずであるが、そこは大悠なる豪傑の本性をあらわして、御気の毒だねの一言を遺してふり向もせずに曲って行く、実はふり向こうとするうちに車が通り過ぎたのである、「御気の毒だね」よりほかの語が出て来なかったのである、正直なる余は苟且にも豪傑など云う、一種の曲者と間違らるるを恐れて、ここにゆっくり弁解しておくなり、万一余を豪傑だなどと買被って失敬な挙動あるにおいては七生まで祟るかも知れない、  忘月忘日 人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーしく構えて、バタシー公園へと急ぐ、公園はすこぶる閑静だが、その手前三丁ばかりのところが非常の雑沓な通りで、初学者たる余にとっては難透難徹の難関である、今しも余の自転車は「ラヴェンダー」坂を無難に通り抜けて、この四通八達の中央へと乗り出す、向うに鉄道馬車が一台こちらを向いて休んでいる、その右側に非常に大なる荷車が向うむきに休んでいる、その間約四尺ばかり、余はこの四尺の間をすり抜けるべく車を走らしたのである、余が車の前輪が馬車馬の前足と並んだ時、すなわち余の身体が鉄道馬車と荷車との間に這入りかけた時、一台の自転車が疾風のごとく向から割り込んで来た、かようなとっさの際には命が大事だから退却にしようか落車にしようかなどの分別は、さすがの吾輩にも出なかったと見えて、おやと思ったら身体はもう落ちておった、落方が少々まずかったので、落る時左の手でしたたか馬の太腹を叩いて、からくも四這の不体裁を免がれた、やれうれしやと思う間もなく鉄道馬車は前進し始める、馬は驚ろいて吾輩の自転車を蹴飛す、相手の自転車は何喰わぬ顔ですうと抜けて行く、間の抜さ加減は尋常一様にあらず、この時派出やかなるギグに乗って後ろから馳け来りたる一個の紳士、策を揚げざまに余が方を顧みて曰く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には自転車に乗せて殺してしまうのがあるのかしらん英国は険呑な所だと         *          *          *  余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむき、或る時は立木に突き当って生爪を剥がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり、元来この二十貫目の婆さんはむやみに人を馬鹿にする婆さんにして、この婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、その妹の十一貫目の婆さんは、瞬きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目の間に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責に逢てより以来、余が猜疑心はますます深くなり、余が継子根性は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって黄色な活動晴雨計であった、たまた※[#小書き片仮名マ、695-8]降参を申し込んで贏し得たるところ若干ぞと問えば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食いしに過ぎず、さればこの降参は我に益なくして彼に損ありしものと思惟す、無残なるかな、 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年10月29日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 小書き片仮名マ    695-8    --> 夏目漱石 薤露行 薤露行 夏目漱石  世に伝うるマロリーの『アーサー物語』は簡浄素樸という点において珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏は免がれぬ。まして材をその一局部に取って纏ったものを書こうとすると到底万事原著による訳には行かぬ。従ってこの篇の如きも作者の随意に事実を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりしてかなり小説に近いものに改めてしもうた。主意はこんな事が面白いから書いて見ようというので、マロリーが面白いからマロリーを紹介しようというのではない。そのつもりで読まれん事を希望する。  実をいうとマロリーの写したランスロットは或る点において車夫の如く、ギニヴィアは車夫の情婦のような感じがある。この一点だけでも書き直す必要は充分あると思う。テニソンの『アイジルス』は優麗都雅の点において古今の雄篇たるのみならず性格の描写においても十九世紀の人間を古代の舞台に躍らせるようなかきぶりであるから、かかる短篇を草するには大に参考すべき長詩であるはいうまでもない。元来なら記憶を新たにするため一応読み返すはずであるが、読むと冥々のうちに真似がしたくなるからやめた。      一 夢  百、二百、簇がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古りたるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴィアの長く牽く衣の裾の響のみ残る。  薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げ懸けて、白き二の腕さえ明らさまなるに、裳のみは軽く捌く珠の履をつつみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。登り詰めたる階の正面には大いなる花を鈍色の奥に織り込める戸帳が、人なきをかこち顔なる様にてそよとも動かぬ。ギニヴィアは幕の前に耳押し付けて一重向うに何事をか聴く。聴きおわりたる横顔をまた真向に反えして石段の下を鋭どき眼にて窺う。濃やかに斑を流したる大理石の上は、ここかしこに白き薔薇が暗きを洩れて和かき香りを放つ。君見よと宵に贈れる花輪のいつ摧けたる名残か。しばらくはわが足に纏わる絹の音にさえ心置ける人の、何の思案か、屹と立ち直りて、繊き手の動くと見れば、深き幕の波を描いて、眩ゆき光り矢の如く向い側なる室の中よりギニヴィアの頭に戴ける冠を照らす。輝けるは眉間に中る金剛石ぞ。 「ランスロット」と幕押し分けたるままにていう。天を憚かり、地を憚かる中に、身も世も入らぬまで力の籠りたる声である。恋に敵なければ、わが戴ける冠を畏れず。 「ギニヴィア!」と応えたるは室の中なる人の声とも思われぬほど優しい。広き額を半ば埋めてまた捲き返る髪の、黒きを誇るばかり乱れたるに、頬の色は釣り合わず蒼白い。  女は幕をひく手をつと放して内に入る。裂目を洩れて斜めに大理石の階段を横切りたる日の光は、一度に消えて、薄暗がりの中に戸帳の模様のみ際立ちて見える。左右に開く廻廊には円柱の影の重なりて落ちかかれども、影なれば音もせず。生きたるは室の中なる二人のみと思わる。 「北の方なる試合にも参り合せず。乱れたるは額にかかる髪のみならじ」と女は心ありげに問う。晴れかかりたる眉に晴れがたき雲の蟠まりて、弱き笑の強いて憂の裏より洩れ来る。 「贈りまつれる薔薇の香に酔いて」とのみにて男は高き窓より表の方を見やる。折からの五月である。館を繞りて緩く逝く江に千本の柳が明かに影をして、空に崩るる雲の峰さえ水の底に流れ込む。動くとも見えぬ白帆に、人あらば節面白き舟歌も興がろう。河を隔てて木の間隠れに白くく筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、けさアーサーが円卓の騎士と共に北の方へと飛ばせたる本道である。 「うれしきものに罪を思えば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人館に残る今日を忍びて、今日のみの縁とならばうからまし」と女は安らかぬ心のほどを口元に見せて、珊瑚の唇をぴりぴりと動かす。 「今日のみの縁とは? 墓に堰かるるあの世までも渝らじ」と男は黒き瞳を返して女の顔を眤と見る。 「さればこそ」と女は右の手を高く挙げて広げたる掌を竪にランスロットに向ける。手頸を纏う黄金の腕輪がきらりと輝くときランスロットの瞳はわれ知らず動いた。「さればこそ!」と女は繰り返す。「薔薇の香に酔える病を、病と許せるは我ら二人のみ。このカメロットに集まる騎士は、五本の指を五十度繰り返えすとも数えがたきに、一人として北に行かぬランスロットの病を疑わぬはなし。束の間に危うきを貪りて、長き逢う瀬の淵と変らば……」といいながら挙げたる手をはたと落す。かの腕輪は再びきらめいて、玉と玉と撃てる音か、戛然と瞬時の響きを起す。 「命は長き賜物ぞ、恋は命よりも長き賜物ぞ。心安かれ」と男はさすがに大胆である。  女は両手を延ばして、戴ける冠を左右より抑えて「この冠よ、この冠よ。わが額の焼ける事は」という。願う事の叶わばこの黄金、この珠玉の飾りを脱いで窓より下に投げ付けて見ばやといえる様である。白き腕のすらりと絹をすべりて、抑えたる冠の光りの下には、渦を巻く髪の毛の、珠の輪には抑えがたくて、頬のあたりに靡きつつ洩れかかる。肩にあつまる薄紅の衣の袖は、胸を過ぎてより豊かなる襞を描がいて、裾は強けれども剛からざる線を三筋ほど床の上まで引く。ランスロットはただ窈窕として眺めている。前後を截断して、過去未来を失念したる間にただギニヴィアの形のみがありありと見える。  機微の邃きを照らす鏡は、女の有てる凡てのうちにて、尤も明かなるものという。苦しきに堪えかねて、われとわが頭を抑えたるギニヴィアを打ち守る人の心は、飛ぶ鳥の影の疾きが如くに女の胸にひらめき渡る。苦しみは払い落す蜘蛛の巣と消えて剰すは嬉しき人の情ばかりである。「かくてあらば」と女は危うき間に際どく擦り込む石火の楽みを、長えに続づけかしと念じて両頬に笑を滴らす。 「かくてあらん」と男は始めより思い極めた態である。 「されど」と少時して女はまた口を開く。「かくてあらんため――北の方なる試合に行き給え。けさ立てる人々の蹄の痕を追い懸けて病癒えぬと申し給え。この頃の蔭口、二人をつつむ疑の雲を晴し給え」 「さほどに人が怖くて恋がなろか」と男は乱るる髪を広き額に払って、わざとながらからからと笑う。高き室の静かなる中に、常ならず快からぬ響が伝わる。笑えるははたとやめて「この帳の風なきに動くそうな」と室の入口まで歩を移してことさらに厚き幕を揺り動かして見る。あやしき響は収まって寂寞の故に帰る。 「宵見し夢の――夢の中なる響の名残か」と女の顔には忽ち紅落ちて、冠の星はきらきらと震う。男も何事か心躁ぐ様にて、ゆうべ見しという夢を、女に物語らする。 「薔薇咲く日なり。白き薔薇と、赤き薔薇と、黄なる薔薇の間に臥したるは君とわれのみ。楽しき日は落ちて、楽しき夕幕の薄明りの、尽くる限りはあらじと思う。その時に戴けるはこの冠なり」と指を挙げて眉間をさす。冠の底を二重にめぐる一疋の蛇は黄金の鱗を細かに身に刻んで、擡げたる頭には青玉の眼を嵌めてある。 「わが冠の肉に喰い入るばかり焼けて、頭の上に衣擦る如き音を聞くとき、この黄金の蛇はわが髪を繞りて動き出す。頭は君の方へ、尾はわが胸のあたりに。波の如くに延びるよと見る間に、君とわれは腥さき縄にて、断つべくもあらぬまでに纏わるる。中四尺を隔てて近寄るに力なく、離るるに術なし。たとい忌わしき絆なりとも、この縄の切れて二人離れ離れにおらんよりはとは、その時苦しきわが胸の奥なる心遣りなりき。囓まるるとも螫さるるとも、口縄の朽ち果つるまでかくてあらんと思い定めたるに、あら悲し。薔薇の花の紅なるが、めらめらと燃え出して、繋げる蛇を焼かんとす。しばらくして君とわれの間にあまれる一尋余りは、真中より青き烟を吐いて金の鱗の色変り行くと思えば、あやしき臭いを立ててふすと切れたり。身も魂もこれ限り消えて失せよと念ずる耳元に、何者かからからと笑う声して夢は醒めたり。醒めたるあとにもなお耳を襲う声はありて、今聞ける君が笑も、宵の名残かと骨を撼がす」と落ち付かぬ眼を長き睫の裏に隠してランスロットの気色を窺う。七十五度の闘技に、馬の脊を滑るは無論、鐙さえはずせる事なき勇士も、この夢を奇しとのみは思わず。快からぬ眉根は自ら逼りて、結べる口の奥には歯さえ喰い締ばるならん。 「さらば行こう。後れ馳せに北の方へ行こう」と拱いたる手を振りほどいて、六尺二寸の躯をゆらりと起す。 「行くか?」とはギニヴィアの半ば疑える言葉である。疑える中には、今更ながら別れの惜まるる心地さえほのめいている。 「行く」といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵を回らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほどのあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。暁の露しげき百合の花弁をひたふるに吸える心地である。ランスロットは後をも見ずして石階を馳け降りる。  やがて三たび馬の嘶く音がして中庭の石の上に堅き蹄が鳴るとき、ギニヴィアは高殿を下りて、騎士の出づべき門の真上なる窓に倚りて、かの人の出るを遅しと待つ。黒き馬の鼻面が下に見ゆるとき、身を半ば投げだして、行く人のために白き絹の尺ばかりなるを振る。頭に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠めて砕くるばかりに石の上に落つる。  槍の穂先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロットとギニヴィアの視線がはたと行き合う。「忌まわしき冠よ」と女は受けとりながらいう。「さらば」と男は馬の太腹をける。白き兜と挿毛のさと靡くあとに、残るは漠々たる塵のみ。      二 鏡  ありのままなる浮世を見ず、鏡に写る浮世のみを見るシャロットの女は高き台の中に只一人住む。活ける世を鏡の裡にのみ知る者に、面を合わす友のあるべき由なし。  春恋し、春恋しと囀ずる鳥の数々に、耳側てて木の葉隠れの翼の色を見んと思えば、窓に向わずして壁に切り込む鏡に向う。鮮やかに写る羽の色に日の色さえもそのままである。  シャロットの野に麦刈る男、麦打つ女の歌にやあらん、谷を渡り水を渡りて、幽かなる音の高き台に他界の声の如く糸と細りて響く時、シャロットの女は傾けたる耳を掩うてまた鏡に向う。河のあなたに烟る柳の、果ては空とも野とも覚束なき間より洩れ出づる悲しき調と思えばなるべし。  シャロットの路行く人もまた悉くシャロットの女の鏡に写る。あるときは赤き帽の首打ち振りて馬追うさまも見ゆる。あるときは白き髯の寛き衣を纏いて、長き杖の先に小さき瓢を括しつけながら行く巡礼姿も見える。又あるときは頭よりただ一枚と思わるる真白の上衣被りて、眼口も手足も確と分ちかねたるが、けたたましげに鉦打ち鳴らして過ぎるも見ゆる。これは癩をやむ人の前世の業を自ら世に告ぐる、むごき仕打ちなりとシャロットの女は知るすべもあらぬ。  旅商人の脊に負える包の中には赤きリボンのあるか、白き下着のあるか、珊瑚、瑪瑙、水晶、真珠のあるか、包める中を照らさねば、中にあるものは鏡には写らず。写らねばシャロットの女の眸には映ぜぬ。  古き幾世を照らして、今の世にシャロットにありとある物を照らす。悉く照らして択ぶ所なければシャロットの女の眼に映るものもまた限りなく多い。ただ影なれば写りては消え、消えては写る。鏡のうちに永く停まる事は天に懸る日といえども難い。活ける世の影なればかく果敢なきか、あるいは活ける世が影なるかとシャロットの女は折々疑う事がある。明らさまに見ぬ世なれば影ともまこととも断じがたい。影なれば果敢なき姿を鏡にのみ見て不足はなかろう。影ならずば?――時にはむらむらと起る一念に窓際に馳けよりて思うさま鏡の外なる世を見んと思い立つ事もある。シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女に呪いのかかる時である。シャロットの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐せねばならぬ。一重隔て、二重隔てて、広き世界を四角に切るとも、自滅の期を寸時も早めてはならぬ。  去れどありのままなる世は罪に濁ると聞く。住み倦めば山に遯るる心安さもあるべし。鏡の裏なる狭き宇宙の小さければとて、憂き事の降りかかる十字の街に立ちて、行き交う人に気を配る辛らさはあらず。何者か因果の波を一たび起してより、万頃の乱れは永劫を極めて尽きざるを、渦捲く中に頭をも、手をも、足をも攫われて、行くわれの果は知らず。かかる人を賢しといわば、高き台に一人を住み古りて、しろかねの白き光りの、表とも裏とも分ちがたきあたりに、幻の世を尺に縮めて、あらん命を土さえ踏まで過すは阿呆の極みであろう。わが見るは動く世ならず、動く世を動かぬ物の助にて、よそながら窺う世なり。活殺生死の乾坤を定裏に拈出して、五彩の色相を静中に描く世なり。かく観ずればこの女の運命もあながちに嘆くべきにあらぬを、シャロットの女は何に心を躁がして窓の外なる下界を見んとする。  鏡の長さは五尺に足らぬ。黒鉄の黒きを磨いて本来の白きに帰すマーリンの術になるとか。魔法に名を得し彼のいう。――鏡の表に霧こめて、秋の日の上れども晴れぬ心地なるは不吉の兆なり。曇る鑑の霧を含みて、芙蓉に滴たる音を聴くとき、対える人の身の上に危うき事あり。然と故なきに響を起して、白き筋の横縦に鏡に浮くとき、その人末期の覚悟せよ。――シャロットの女が幾年月の久しき間この鏡に向えるかは知らぬ。朝に向い夕に向い、日に向い月に向いて、厭くちょう事のあるをさえ忘れたるシャロットの女の眼には、霧立つ事も、露置く事もあらざれば、まして裂けんとする虞ありとは夢にだも知らず。湛然として音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗たる面を過ぐる森羅の影の、繽紛として去るあとは、太古の色なき境をまのあたりに現わす。無限上に徹する大空を鋳固めて、打てば音ある五尺の裏に圧し集めたるを――シャロットの女は夜ごと日ごとに見る。  夜ごと日ごとに鏡に向える女は、夜ごと日ごとに鏡の傍に坐りて、夜ごと日ごとのを織る。ある時は明るきを織り、ある時は暗きを織る。  シャロットの女の投ぐる梭の音を聴く者は、淋しき皐の上に立つ、高き台の窓を恐る恐る見上げぬ事はない。親も逝き子も逝きて、新しき代にただ一人取り残されて、命長きわれを恨み顔なる年寄の如く見ゆるが、岡の上なるシャロットの女の住居である。蔦鎖す古き窓より洩るる梭の音の、絶間なき振子の如く、日を刻むに急なる様なれど、その音はあの世の音なり。静なるシャロットには、空気さえ重たげにて、常ならば動くべしとも思われぬを、ただこの梭の音のみにそそのかされて、幽かにも震うか。淋しさは音なき時の淋しさにも勝る。恐る恐る高き台を見上げたる行人は耳を掩うて走る。  シャロットの女の織るは不断のである。草むらの萌草の厚く茂れる底に、釣鐘の花の沈める様を織るときは、花の影のいつ浮くべしとも見えぬほどの濃き色である。うな原のうねりの中に、雪と散る浪の花を浮かすときは、底知れぬ深さを一枚の薄きに畳む。あるときは黒き地に、燃ゆる焔の色にて十字架を描く。濁世にはびこる罪障の風は、すきまなく天下を吹いて、十字を織れる経緯の目にも入ると覚しく、焔のみはを離れて飛ばんとす。――薄暗き女の部屋は焚け落つるかと怪しまれて明るい。  恋の糸と誠の糸を横縦に梭くぐらせば、手を肩に組み合せて天を仰げるマリヤの姿となる。狂いを経に怒りを緯に、霰ふる木枯の夜を織り明せば、荒野の中に白き髯飛ぶリアの面影が出る。恥ずかしき紅と恨めしき鉄色をより合せては、逢うて絶えたる人の心を読むべく、温和しき黄と思い上がれる紫を交る交るに畳めば、魔に誘われし乙女の、我は顔に高ぶれる態を写す。長き袂に雲の如くにまつわるは人に言えぬ願の糸の乱れなるべし。  シャロットの女は眼深く額広く、唇さえも女には似で薄からず。夏の日の上りてより、刻を盛る砂時計の九たび落ち尽したれば、今ははや午過ぎなるべし。窓を射る日の眩ゆきまで明かなるに、室のうちは夏知らぬ洞窟の如くに暗い。輝けるは五尺に余る鉄の鏡と、肩に漂う長き髪のみ。右手より投げたる梭を左手に受けて、女はふと鏡の裡を見る。研ぎ澄したる剣よりも寒き光の、例ながらうぶ毛の末をも照すよと思ううちに――底事ぞ!音なくて颯と曇るは霧か、鏡の面は巨人の息をまともに浴びたる如く光を失う。今まで見えたシャロットの岸に連なる柳も隠れる。柳の中を流るるシャロットの河も消える。河に沿うて往きつ来りつする人影は無論ささぬ。――梭の音ははたとやんで、女の瞼は黒き睫と共に微かに顫えた。「凶事か」と叫んで鏡の前に寄るとき、曇は一刷に晴れて、河も柳も人影も元の如くに見われる。梭は再び動き出す。  女はやがて世にあるまじき悲しき声にて歌う。   うつせみの世を、   うつつに住めば、   住みうからまし、   むかしも今も。」   うつくしき恋、   うつす鏡に、   色やうつろう、   朝な夕なに。」  鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間に、忽ち銀の光がさして、熱き埃りを薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰る。十丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜の鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみ々と靡かしている。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も革に裹みて飾れる鋲の数は篩い落せし秋の夜の星宿を一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝らして眼を据える。  曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢で、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず梭を抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭どき眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出す。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。  ぴちりと音がして皓々たる鏡は忽ち真二つに割れる。割れたる面は再びぴちぴちと氷を砕くが如く粉微塵になって室の中に飛ぶ。七巻八巻織りかけたる布帛はふつふつと切れて風なきに鉄片と共に舞い上る。紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつわる。「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪を負うて北の方へ走れ」と女は両手を高く天に挙げて、朽ちたる木の野分を受けたる如く、五色の糸と氷を欺く砕片の乱るる中にと仆れる。      三 袖  可憐なるエレーンは人知らぬ菫の如くアストラットの古城を照らして、ひそかに墜ちし春の夜の星の、紫深き露に染まりて月日を経たり。訪う人は固よりあらず。共に住むは二人の兄と眉さえ白き父親のみ。 「騎士はいずれに去る人ぞ」と老人は穏かなる声にて訪う。 「北の方なる仕合に参らんと、これまでは鞭って追懸けたれ。夏の日の永きにも似ず、いつしか暮れて、暗がりに路さえ岐れたるを。――乗り捨てし馬も恩に嘶かん。一夜の宿の情け深きに酬いまつるものなきを恥ず」と答えたるは、具足を脱いで、黄なる袍に姿を改めたる騎士なり。シャロットを馳せる時何事とは知らず、岩の凹みの秋の水を浴びたる心地して、かりの宿りを求め得たる今に至るまで、頬の蒼きが特更の如くに目に立つ。  エレーンは父の後ろに小さき身を隠して、このアストラットに、如何なる風の誘いてか、かく凛々しき壮夫を吹き寄せたると、折々は鶴と瘠せたる老人の肩をすかして、恥かしの睫の下よりランスロットを見る。菜の花、豆の花ならば戯るる術もあろう。偃蹇として澗底に嘯く松が枝には舞い寄る路のとてもなければ、白き胡蝶は薄き翼を収めて身動きもせぬ。 「無心ながら宿貸す人に申す」とややありてランスロットがいう。「明日と定まる仕合の催しに、後れて乗り込む我の、何の誰よと人に知らるるは興なし。新しきを嫌わず、古きを辞せず、人の見知らぬ盾あらば貸し玉え」  老人ははたと手を拍つ。「望める盾を貸し申そう。――長男チアーは去ぬる騎士の闘技に足を痛めて今なお蓐を離れず。その時彼が持ちたるは白地に赤く十字架を染めたる盾なり。ただの一度の仕合に傷きて、その創口はまだ癒えざれば、赤き血架は空しく壁に古りたり。これを翳して思う如く人々を驚かし給え」  ランスロットは腕を扼して「それこそは」という。老人はなお言葉を継ぐ。 「次男ラヴェンは健気に見ゆる若者にてあるを、アーサー王の催にかかる晴の仕合に参り合わせずば、騎士の身の口惜しかるべし。ただ君が栗毛の蹄のあとに倶し連れよ。翌日を急げと彼に申し聞かせんほどに」  ランスロットは何の思案もなく「心得たり」と心安げにいう。老人の頬に畳める皺のうちには、嬉しき波がしばらく動く。女ならずばわれも行かんと思えるはエレーンである。  木に倚るは蔦、まつわりて幾世を離れず、宵に逢いて朝に分るる君と我の、われにはまつわるべき月日もあらず。繊き身の寄り添わば、幹吹く嵐に、根なしかずらと倒れもやせん。寄り添わずば、人知らずひそかに括る恋の糸、振り切って君は去るべし。愛溶けて瞼に余る、露の底なる光りを見ずや。わが住める館こそ古るけれ、春を知る事は生れて十八度に過ぎず。物の憐れの胸に漲るは、鎖せる雲の自ら晴れて、麗かなる日影の大地を渡るに異ならず。野をうずめ谷を埋めて千里の外に暖かき光りをひく。明かなる君が眉目にはたと行き逢える今の思は、坑を出でて天下の春風に吹かれたるが如きを――言葉さえ交わさず、あすの別れとはつれなし。  燭尽きて更を惜めども、更尽きて客は寝ねたり。寝ねたるあとにエレーンは、合わぬ瞼の間より男の姿の無理に瞳の奥に押し入らんとするを、幾たびか払い落さんと力めたれど詮なし。強いて合わぬ目を合せて、この影を追わんとすれば、いつの間にかその人の姿は既に瞼の裏に潜む。苦しき夢に襲われて、世を恐ろしと思いし夜もある。魂消える物の怪の話におののきて、眠らぬ耳に鶏の声をうれしと起き出でた事もある。去れど恐ろしきも苦しきも、皆われ安かれと願う心の反響に過ぎず。われという可愛き者の前に夢の魔を置き、物の怪の祟りを据えての恐と苦しみである。今宵の悩みはそれらにはあらず。我という個霊の消え失せて、求むれども遂に得がたきを、驚きて迷いて、果ては情なくてかくは乱るるなり。我を司どるものの我にはあらで、先に見し人の姿なるを奇しく、怪しく、悲しく念じ煩うなり。いつの間に我はランスロットと変りて常の心はいずこへか喪える。エレーンとわが名を呼ぶに、応うるはエレーンならず、中庭に馬乗り捨てて、廂深き兜の奥より、高き櫓を見上げたるランスロットである。再びエレーンと呼ぶにエレーンはランスロットじゃと答える。エレーンは亡せてかと問えばありという。いずこにと聞けば知らぬという。エレーンは微かなる毛孔の末に潜みて、いつか昔しの様に帰らん。エレーンに八万四千の毛孔ありて、エレーンが八万四千壺の香油を注いで、日にその膚を滑かにするとも、潜めるエレーンは遂に出現し来る期はなかろう。  やがてわが部屋の戸帳を開きて、エレーンは壁に釣る長き衣を取り出す。燭にすかせば燃ゆる真紅の色なり。室にはびこる夜を呑んで、一枚の衣に真昼の日影を集めたる如く鮮かである。エレーンは衣の領を右手につるして、暫らくは眩ゆきものと眺めたるが、やがて左に握る短刀を鞘ながら二、三度振る。からからと床に音さして、すわという間に閃きは目を掠めて紅深きうちに隠れる。見れば美しき衣の片袖は惜気もなく断たれて、残るは鞘の上にふわりと落ちる。途端に裸ながらの手燭は、風に打たれて颯と消えた。外は片破月の空に更けたり。  右手に捧ぐる袖の光をしるべに、暗きをすりぬけてエレーンはわが部屋を出る。右に折れると兄の住居、左を突き当れば今宵の客の寝所である。夢の如くなよやかなる女の姿は、地を踏まざるに歩めるか、影よりも静かにランスロットの室の前にとまる。――ランスロットの夢は成らず。  聞くならくアーサー大王のギニヴィアを娶らんとして、心惑える折、居ながらに世の成行を知るマーリンは、首を掉りて慶事を肯んぜず。この女後に思わぬ人を慕う事あり、娶る君に悔あらん。とひたすらに諫めしとぞ。聞きたる時の我に罪なければ思わぬ人の誰なるかは知るべくもなく打ち過ぎぬ。思わぬ人の誰なるかを知りたる時、天が下に数多く生れたるもののうちにて、この悲しき命に廻り合せたる我を恨み、このうれしき幸を享けたる己れを悦びて、楽みと苦みの綯りたる縄を断たんともせず、この年月を経たり。心疚ましきは願わず。疚ましき中に蜜あるはうれし。疚ましければこそ蜜をも醸せと思う折さえあれば、卓を共にする騎士の我を疑うこの日に至るまで王妃を棄てず。ただ疑の積もりて証拠と凝らん時――ギニヴィアの捕われて杭に焼かるる時――この時を思えばランスロットの夢はいまだ成らず。  眠られぬ戸に何物かちょと障った気合である。枕を離るる頭の、音する方に、しばらくは振り向けるが、また元の如く落ち付いて、あとは古城の亡骸に脈も通わず。静である。  再び障った音は、殆んど敲いたというべくも高い。慥かに人ありと思い極めたるランスロットは、やおら身を臥所に起して、「たぞ」といいつつ戸を半ば引く。差しつくる蝋燭の火のふき込められしが、取り直して今度は戸口に立てる乙女の方にまたたく。乙女の顔は翳せる赤き袖の影に隠れている。面映きは灯火のみならず。 「この深き夜を……迷えるか」と男は驚きの舌を途切れ途切れに動かす。 「知らぬ路にこそ迷え。年古るく住みなせる家のうちを――鼠だに迷わじ」と女は微かなる声ながら、思い切って答える。  男はただ怪しとのみ女の顔を打ち守る。女は尺に足らぬ紅絹の衝立に、花よりも美くしき顔をかくす。常に勝る豊頬の色は、湧く血潮の疾く流るるか、あざやかなる絹のたすけか。ただ隠しかねたる鬢の毛の肩に乱れて、頭には白き薔薇を輪に貫ぬきて三輪挿したり。  白き香りの鼻を撲って、絹の影なる花の数さえ見分けたる時、ランスロットの胸には忽ちギニヴィアの夢の話が湧き帰る。何故とは知らず、悉く身は痿えて、手に持つ燭を取り落せるかと驚ろきて我に帰る。乙女はわが前に立てる人の心を読む由もあらず。 「紅に人のまことはあれ。恥ずかしの片袖を、乞われぬに参らする。兜に捲いて勝負せよとの願なり」とかの袖を押し遣る如く前に出す。男は容易に答えぬ。 「女の贈り物受けぬ君は騎士か」とエレーンは訴うる如くに下よりランスロットの顔を覗く。覗かれたる人は薄き唇を一文字に結んで、燃ゆる片袖を、右の手に半ば受けたるまま、当惑の眉を思案に刻む。ややありていう。「戦に臨む事は大小六十余度、闘技の場に登って槍を交えたる事はその数を知らず。いまだ佳人の贈り物を、身に帯びたる試しなし。情あるあるじの子の、情深き賜物を辞むは礼なけれど……」 「礼ともいえ、礼なしともいいてやみね。礼のために、夜を冒して参りたるにはあらず。思の籠るこの片袖を天が下の勇士に贈らんために参りたり。切に受けさせ給え」とここまで踏み込みたる上は、かよわき乙女の、かえって一徹に動かすべくもあらず。ランスロットは惑う。  カメロットに集まる騎士は、弱きと強きを通じてわが盾の上に描かれたる紋章を知らざるはあらず。またわが腕に、わが兜に、美しき人の贈り物を見たる事なし。あすの試合に後るるは、始めより出づるはずならぬを、半途より思い返しての仕業故である。闘技の埒に馬乗り入れてランスロットよ、後れたるランスロットよ、と謳わるるだけならばそれまでの浮名である。去れど後れたるは病のため、後れながらも参りたるはまことの病にあらざる証拠よといわば何と答えん。今幸に知らざる人の盾を借りて、知らざる人の袖を纏い、二十三十の騎士を斃すまで深くわが面を包まば、ランスロットと名乗りをあげて人驚かす夕暮に、――誰彼共にわざと後れたる我を肯わん。病と臥せる我の作略を面白しと感ずる者さえあろう。――ランスロットは漸くに心を定める。  部屋のあなたに輝くは物の具である。鎧の胴に立て懸けたるわが盾を軽々と片手に提げて、女の前に置きたるランスロットはいう。 「嬉しき人の真心を兜にまくは騎士の誉れ。ありがたし」とかの袖を女より受取る。 「うけてか」と片頬に笑める様は、谷間の姫百合に朝日影さして、しげき露の痕なく晞けるが如し。 「あすの勝負に用なき盾を、逢うまでの形身と残す。試合果てて再びここを過ぎるまで守り給え」 「守らでやは」と女は跪いて両手に盾を抱く。ランスロットは長き袖を眉のあたりに掲げて、「赤し、赤し」という。  この時櫓の上を烏鳴き過ぎて、夜はほのぼのと明け渡る。      四 罪  アーサーを嫌うにあらず、ランスロットを愛するなりとはギニヴィアの己れにのみ語る胸のうちである。  北の方なる試合果てて、行けるものは皆館に帰れるを、ランスロットのみは影さえ見えず。帰れかしと念ずる人の便りは絶えて、思わぬもののを連ねてカメロットに入るは、見るも益なし。一日には二日を数え、二日には三日を数え、遂に両手の指を悉く折り尽して十日に至る今日までなお帰るべしとの願を掛けたり。 「遅き人のいずこに繋がれたる」とアーサーはさまでに心を悩ませる気色もなくいう。  高き室の正面に、石にて築く段は二級、半ばは厚き毛氈にて蔽う。段の上なる、大なる椅子に豊かに倚るがアーサーである。 「繋ぐ日も、繋ぐ月もなきに」とギニヴィアは答うるが如く答えざるが如くもてなす。王を二尺左に離れて、床几の上に、纎き指を組み合せて、膝より下は長き裳にかくれて履のありかさえ定かならず。  よそよそしくは答えたれ、心はその人の名を聞きてさえ躍るを。話しの種の思う坪に生えたるを、寒き息にて吹き枯らすは口惜し。ギニヴィアはまた口を開く。 「後れて行くものは後れて帰る掟か」といい添えて片頬に笑う。女の笑うときは危うい。 「後れたるは掟ならぬ恋の掟なるべし」とアーサーも穏かに笑う。アーサーの笑にも特別の意味がある。  恋という字の耳に響くとき、ギニヴィアの胸は、錐に刺されし痛を受けて、すわやと躍り上る。耳の裏には颯と音がして熱き血を注す。アーサーは知らぬ顔である。 「あの袖の主こそ美しからん。……」 「あの袖とは? 袖の主とは? 美しからんとは?」とギニヴィアの呼吸ははずんでいる。 「白き挿毛に、赤き鉢巻ぞ。さる人の贈り物とは見たれ。繋がるるも道理じゃ」とアーサーはまたからからと笑う。 「主の名は?」 「名は知らぬ。ただ美しき故に美しき少女というと聞く。過ぐる十日を繋がれて、残る幾日を繋がるる身は果報なり。カメロットに足は向くまじ」 「美しき少女! 美しき少女!」と続け様に叫んでギニヴィアは薄き履に三たび石の床を踏みならす。肩に負う髪の時ならぬ波を描いて、二尺余りを一筋ごとに末まで渡る。  夫に二心なきを神の道との教は古るし。神の道に従うの心易きも知らずといわじ。心易きを自ら捨てて、捨てたる後の苦しみを嬉しと見しも君がためなり。春風に心なく、花自ら開く。花に罪ありとは下れる世の言の葉に過ぎず。恋を写す鏡の明なるは鏡の徳なり。かく観ずる裡に、人にも世にも振り棄てられたる時の慰藉はあるべし。かく観ぜんと思い詰めたる今頃を、わが乗れる足台は覆えされて、踵を支うるに一塵だになし。引き付けられたる鉄と磁石の、自然に引き付けられたれば咎も恐れず、世を憚りの関一重あなたへ越せば、生涯の落ち付はあるべしと念じたるに、引き寄せたる磁石は火打石と化して、吸われし鉄は無限の空裏を冥府へ隕つる。わが坐わる床几の底抜けて、わが乗る壇の床崩れて、わが踏む大地の殻裂けて、己れを支うる者は悉く消えたるに等し。ギニヴィアは組める手を胸の前に合せたるまま、右左より骨も摧けよと圧す。片手に余る力を、片手に抜いて、苦しき胸の悶を人知れぬ方へ洩らさんとするなり。 「なに事ぞ」とアーサーは聞く。 「なに事とも知らず」と答えたるは、アーサーを欺けるにもあらず、また己を誣いたるにもあらず。知らざるを知らずといえるのみ。まことはわが口にせる言葉すら知らぬ間に咽を転び出でたり。  ひく浪の返す時は、引く折の気色を忘れて、逆しまに岸を噛む勢の、前よりは凄じきを、浪自らさえ驚くかと疑う。はからざる便りの胸を打ちて、度を失えるギニヴィアの、己れを忘るるまでわれに遠ざかれる後には、油然として常よりも切なきわれに復る。何事も解せぬ風情に、驚ろきの眉をわが額の上にあつめたるアーサーを、わが夫と悟れる時のギニヴィアの眼には、アーサーは少らく前のアーサーにあらず。  人を傷けたるわが罪を悔ゆるとき、傷負える人の傷ありと心付かぬ時ほど悔の甚しきはあらず。聖徒に向って鞭を加えたる非の恐しきは、鞭てるものの身に跳ね返る罰なきに、自らとその非を悔いたればなり。われを疑うアーサーの前に恥ずる心は、疑わぬアーサーの前に、わが罪を心のうちに鳴らすが如く痛からず。ギニヴィアは悚然として骨に徹する寒さを知る。 「人の身の上はわが上とこそ思え。人恋わぬ昔は知らず、嫁ぎてより幾夜か経たる。赤き袖の主のランスロットを思う事は、御身のわれを思う如くなるべし。贈り物あらば、われも十日を、二十日を、帰るを、忘るべきに、罵しるは卑し」とアーサーは王妃の方を見て不審の顔付である。 「美しき少女!」とギニヴィアは三たびエレーンの名を繰り返す。このたびは鋭どき声にあらず。去りとては憐を寄せたりとも見えず。  アーサーは椅子に倚る身を半ば回らしていう。「御身とわれと始めて逢える昔を知るか。丈に余る石の十字を深く地に埋めたるに、蔦這いかかる春の頃なり。路に迷いて御堂にしばし憩わんと入れば、銀に鏤ばむ祭壇の前に、空色の衣を肩より流して、黄金の髪に雲を起せるは誰ぞ」  女はふるえる声にて「ああ」とのみいう。床しからぬにもあらぬ昔の、今は忘るるをのみ心易しと念じたる矢先に、忽然と容赦もなく描き出されたるを堪えがたく思う。 「安からぬ胸に、捨てて行ける人の帰るを待つと、凋れたる声にてわれに語る御身の声をきくまでは、天つ下れるマリヤのこの寺の神壇に立てりとのみ思えり」  逝ける日は追えども帰らざるに逝ける事は長しえに暗きに葬むる能わず。思うまじと誓える心に発矢と中る古き火花もあり。 「伴いて館に帰し参らせんといえば、黄金の髪を動かして何処へとも、とうなずく……」と途中に句を切ったアーサーは、身を起して、両手にギニヴィアの頬を抑えながら上より妃の顔を覗き込む。新たなる記憶につれて、新たなる愛の波が、一しきり打ち返したのであろう。――王妃の顔は屍を抱くが如く冷たい。アーサーは覚えず抑えたる手を放す。折から廻廊を遠く人の踏む音がして、罵る如き幾多の声は次第にアーサーの室に逼る。  入口に掛けたる厚き幕は総に絞らず。長く垂れて床をかくす。かの足音の戸の近くしばらくとまる時、垂れたる幕を二つに裂いて、髪多く丈高き一人の男があらわれた。モードレッドである。  モードレッドは会釈もなく室の正面までつかつかと進んで、王の立てる壇の下にとどまる。続いて入るはアグラヴェン、逞ましき腕の、寛き袖を洩れて、赭き頸の、かたく衣の襟に括られて、色さえ変るほど肉づける男である。二人の後には物色する遑なきに、どやどやと、我勝ちに乱れ入りて、モードレッドを一人前に、ずらりと並ぶ、数は凡てにて十二人。何事かなくては叶わぬ。  モードレッドは、王に向って会釈せる頭を擡げて、そこ力のある声にていう。「罪あるを罰するは王者の事か」 「問わずもあれ」と答えたアーサーは今更という面持である。 「罪あるは高きをも辞せざるか」とモードレッドは再び王に向って問う。  アーサーは我とわが胸を敲いて「黄金の冠は邪の頭に戴かず。天子の衣は悪を隠さず」と壇上に延び上る。肩に括る緋の衣の、裾は開けて、白き裏が雪の如く光る。 「罪あるを許さずと誓わば、君が傍に坐せる女をも許さじ」とモードレッドは臆する気色もなく、一指を挙げてギニヴィアの眉間を指す。ギニヴィアは屹と立ち上る。  茫然たるアーサーは雷火に打たれたる唖の如く、わが前に立てる人――地を抽き出でし巌とばかり立てる人――を見守る。口を開けるはギニヴィアである。 「罪ありと我を誣いるか。何をあかしに、何の罪を数えんとはする。詐りは天も照覧あれ」と繊き手を抜け出でよと空高く挙げる。 「罪は一つ。ランスロットに聞け。あかしはあれぞ」と鷹の眼を後ろに投ぐれば、並びたる十二人は悉く右の手を高く差し上げつつ、「神も知る、罪は逃れず」と口々にいう。  ギニヴィアは倒れんとする身を、危く壁掛に扶けて「ランスロット!」と幽に叫ぶ。王は迷う。肩に纏わる緋の衣の裏を半ば返して、右手の掌を十三人の騎士に向けたるままにて迷う。  この時館の中に「黒し、黒し」と叫ぶ声が石に響を反して、窈然と遠く鳴る木枯の如く伝わる。やがて河に臨む水門を、天にひびけと、錆びたる鉄鎖に軋らせて開く音がする。室の中なる人々は顔と顔を見合わす。只事ではない。      五 舟 「に巻ける絹の色に、槍突き合わす敵の目も覚むべし。ランスロットはその日の試合に、二十余人の騎士を仆して、引き挙ぐる間際に始めてわが名をなのる。驚く人の醒めぬ間を、ラヴェンと共に埒を出でたり。行く末は勿論アストラットじゃ」と三日過ぎてアストラットに帰れるラヴェンは父と妹に物語る。 「ランスロット?」と父は驚きの眉を張る。女は「あな」とのみ髪に挿す花の色を顫わす。 「二十余人の敵と渡り合えるうち、何者かの槍を受け損じてか、鎧の胴を二寸下りて、左の股に創を負う……」 「深き創か」と女は片唾を呑んで、懸念の眼をる。 「鞍に堪えぬほどにはあらず。夏の日の暮れがたきに暮れて、蒼き夕を草深き原のみ行けば、馬の蹄は露に濡れたり。――二人は一言も交わさぬ。ランスロットの何の思案に沈めるかは知らず、われは昼の試合のまたあるまじき派手やかさを偲ぶ。風渡る梢もなければ馬の沓の地を鳴らす音のみ高し。――路は分れて二筋となる」 「左へ切ればここまで十哩じゃ」と老人が物知り顔にいう。 「ランスロットは馬の頭を右へ立て直す」 「右? 右はシャロットへの本街道、十五哩は確かにあろう」これも老人の説明である。 「そのシャロットの方へ――後より呼ぶわれを顧みもせで轡を鳴らして去る。やむなくてわれも従う。不思議なるはわが馬を振り向けんとしたる時、前足を躍らしてあやしくも嘶ける事なり。嘶く声の果知らぬ夏野に、末広に消えて、馬の足掻の常の如く、わが手綱の思うままに運びし時は、ランスロットの影は、夜と共に微かなる奥に消えたり。――われは鞍を敲いて追う」 「追い付いてか」と父と妹は声を揃えて問う。 「追い付ける時は既に遅くあった。乗る馬の息の、闇押し分けて白く立ち上るを、いやがうえに鞭って長き路を一散に馳け通す。黒きもののそれかとも見ゆる影が、二丁ばかり先に現われたる時、われは肺を逆しまにしてランスロットと呼ぶ。黒きものは聞かざる真似して行く。幽かに聞えたるは轡の音か。怪しきは差して急げる様もなきに容易くは追い付かれず。漸くの事間一丁ほどに逼りたる時、黒きものは夜の中に織り込まれたる如く、ふっと消える。合点行かぬわれは益追う。シャロットの入口に渡したる石橋に、蹄も砕けよと乗り懸けしと思えば、馬は何物にか躓きて前足を折る。騎るわれは鬣をさかに扱いて前にのめる。戞と打つは石の上と心得しに、われより先に斃れたる人の鎧の袖なり」 「あぶない!」と老人は眼の前の事の如くに叫ぶ。 「あぶなきはわが上ならず。われより先に倒れたるランスロットの事なり……」 「倒れたるはランスロットか」と妹は魂消ゆるほどの声に、椅子の端を握る。椅子の足は折れたるにあらず。 「橋の袂の柳の裏に、人住むとしも見えぬ庵室あるを、試みに敲けば、世を逃れたる隠士の居なり。幸いと冷たき人を担ぎ入るる。兜を脱げば眼さえ氷りて……」 「薬を掘り、草を煮るは隠士の常なり。ランスロットを蘇してか」と父は話し半ばに我句を投げ入るる。 「よみ返しはしたれ。よみにある人と択ぶ所はあらず。われに帰りたるランスロットはまことのわれに帰りたるにあらず。魔に襲われて夢に物いう人の如く、あらぬ事のみ口走る。あるときは罪々と叫び、あるときは王妃――ギニヴィア――シャロットという。隠士が心を込むる草の香りも、煮えたる頭には一点の涼気を吹かず。……」 「枕辺にわれあらば」と少女は思う。 「一夜の後たぎりたる脳の漸く平らぎて、静かなる昔の影のちらちらと心に映る頃、ランスロットはわれに去れという。心許さぬ隠士は去るなという。とかくして二日を経たり。三日目の朝、われと隠士の眠覚めて、病む人の顔色の、今朝如何あらんと臥所を窺えば――在らず。剣の先にて古壁に刻み残せる句には罪はわれを追い、われは罪を追うとある」 「逃れしか」と父は聞き、「いずこへ」と妹はきく。 「いずこと知らば尋ぬる便りもあらん。茫々と吹く夏野の風の限りは知らず。西東日の通う境は極めがたければ、独り帰り来ぬ。――隠士はいう、病怠らで去る。かの人の身は危うし。狂いて走る方はカメロットなるべしと。うつつのうちに口走れる言葉にてそれと察せしと見ゆれど、われは確と、さは思わず」と語り終って盃に盛る苦き酒を一息に飲み干して虹の如き気を吹く。妹は立ってわが室に入る。  花に戯むるる蝶のひるがえるを見れば、春に憂ありとは天下を挙げて知らぬ。去れど冷やかに日落ちて、月さえ闇に隠るる宵を思え。――ふる露のしげきを思え。――薄き翼のいかばかり薄きかを思え。――広き野の草の陰に、琴の爪ほど小きものの潜むを思え。――畳む羽に置く露の重きに過ぎて、夢さえ苦しかるべし。果知らぬ原の底に、あるに甲斐なき身を縮めて、誘う風にも砕くる危うきを恐るるは淋しかろう。エレーンは長くは持たぬ。  エレーンは盾を眺めている。ランスロットの預けた盾を眺め暮している。その盾には丈高き女の前に、一人の騎士が跪ずいて、愛と信とを誓える模様が描かれている。騎士の鎧は銀、女の衣は炎の色に燃えて、地は黒に近き紺を敷く。赤き女のギニヴィアなりとは憐れなるエレーンの夢にだも知る由がない。  エレーンは盾の女を己れと見立てて、跪まずけるをランスロットと思う折さえある。かくあれと念ずる思いの、いつか心の裏を抜け出でて、かくの通りと盾の表にあらわれるのであろう。かくありて後と、あらぬ礎を一度び築ける上には、そら事を重ねて、そのそら事の未来さえも想像せねばやまぬ。  重ね上げたる空想は、また崩れる。児戯に積む小石の塔を蹴返す時の如くに崩れる。崩れたるあとのわれに帰りて見れば、ランスロットはあらぬ。気を狂いてカメロットの遠きに走れる人の、わが傍にあるべき所謂はなし。離るるとも、誓さえ渝らずば、千里を繋ぐ牽き綱もあろう。ランスロットとわれは何を誓える? エレーンの眼には涙が溢れる。  涙の中にまた思い返す。ランスロットこそ誓わざれ。一人誓えるわれの渝るべくもあらず。二人の中に成り立つをのみ誓とはいわじ。われとわが心にちぎるも誓には洩れず。この誓だに破らずばと思い詰める。エレーンの頬の色は褪せる。  死ぬ事の恐しきにあらず、死したる後にランスロットに逢いがたきを恐るる。去れどこの世にての逢いがたきに比ぶれば、未来に逢うのかえって易きかとも思う。罌粟散るを憂しとのみ眺むべからず、散ればこそまた咲く夏もあり。エレーンは食を断った。  衰えは春野焼く火と小さき胸を侵かして、愁は衣に堪えぬ玉骨を寸々に削る。今までは長き命とのみ思えり。よしやいつまでもと貪る願はなくとも、死ぬという事は夢にさえ見しためしあらず、束の間の春と思いあたれる今日となりて、つらつら世を観ずれば、日に開く蕾の中にも恨はあり。円く照る明月のあすをと問わば淋しからん。エレーンは死ぬより外の浮世に用なき人である。  今はこれまでの命と思い詰めたるとき、エレーンは父と兄とを枕辺に招きて「わがためにランスロットへの文かきて玉われ」という。父は筆と紙を取り出でて、死なんとする人の言の葉を一々に書き付ける。 「天が下に慕える人は君ひとりなり。君一人のために死ぬるわれを憐れと思え。陽炎燃ゆる黒髪の、長き乱れの土となるとも、胸に彫るランスロットの名は、星変る後の世までも消えじ。愛の炎に染めたる文字の、土水の因果を受くる理なしと思えば。睫に宿る露の珠に、写ると見れば砕けたる、君の面影の脆くもあるかな。わが命もしかく脆きを、涙あらば濺げ。基督も知る、死ぬるまで清き乙女なり」  書き終りたる文字は怪しげに乱れて定かならず。年寄の手の顫えたるは、老のためとも悲のためとも知れず。  女またいう。「息絶えて、身の暖かなるうち、右の手にこの文を握らせ給え。手も足も冷え尽したる後、ありとある美しき衣にわれを着飾り給え。隙間なく黒き布しき詰めたる小船の中にわれを載せ給え。山に野に白き薔薇、白き百合を採り尽して舟に投げ入れ給え。――舟は流し給え」  かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期なし。父と兄とは唯々として遺言の如く、憐れなる少女の亡骸を舟に運ぶ。  古き江に漣さえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今緑り罩むる陰を離れて中流に漕ぎ出づる。櫂操るはただ一人、白き髪の白き髯の翁と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乗り入りては乗り越して行く。蕚傾けて舟を通したるあとには、軽く曳く波足と共にしばらく揺れて花の姿は常の静さに帰る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。  舟は杳然として何処ともなく去る。美しき亡骸と、美しき衣と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁とを載せて去る。翁は物をもいわぬ。ただ静かなる波の中に長き櫂をくぐらせては、くぐらす。木に彫る人を鞭って起たしめたるか、櫂を動かす腕の外には活きたる所なきが如くに見ゆる。  と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く悠然と水を練り行く。長き頸の高く伸したるに、気高き姿はあたりを払って、恐るるもののありとしも見えず。うねる流を傍目もふらず、舳に立って舟を導く。舟はいずくまでもと、鳥の羽に裂けたる波の合わぬ間を随う。両岸の柳は青い。  シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の寂寞を破って、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつつ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるはまたしばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、艫に坐る翁のみ。翁は耳さえ借さぬ。ただ長き櫂をくぐらせてはくぐらする。思うに聾なるべし。  空は打ち返したる綿を厚く敷けるが如く重い。流を挟む左右の柳は、一本ごとに緑りをこめて濛々と烟る。娑婆と冥府の界に立ちて迷える人のあらば、その人の霊を並べたるがこの気色である。画に似たる少女の、舟に乗りて他界へ行くを、立ちならんで送るのでもあろう。  舟はカメロットの水門に横付けに流れて、はたと留まる。白鳥の影は波に沈んで、岸高く峙てる楼閣の黒く水に映るのが物凄い。水門は左右に開けて、石階の上にはアーサーとギニヴィアを前に、城中の男女が悉く集まる。  エレーンの屍は凡ての屍のうちにて最も美しい。涼しき顔を、雲と乱るる黄金の髪に埋めて、笑える如く横わる。肉に付着するあらゆる肉の不浄を拭い去って、霊その物の面影を口鼻の間に示せるは朗かにもまた極めて清い。苦しみも、憂いも、恨みも、憤りも――世に忌わしきものの痕なければ土に帰る人とは見えず。  王は厳かなる声にて「何者ぞ」と問う。櫂の手を休めたる老人は唖の如く口を開かぬ。ギニヴィアはつと石階を下りて、乱るる百合の花の中より、エレーンの右の手に握る文を取り上げて何事と封を切る。  悲しき声はまた水を渡りて、「……うつくしき……恋、色や……うつろう」と細き糸ふって波うたせたる時の如くに人々の耳を貫く。  読み終りたるギニヴィアは、腰をのして舟の中なるエレーンの額――透き徹るエレーンの額に、顫えたる唇をつけつつ「美くしき少女!」という。同時に一滴の熱き涙はエレーンの冷たき頬の上に落つる。  十三人の騎士は目と目を見合せた。 底本:「倫敦塔・幻影の盾 他五篇」岩波文庫、岩波書店    1930(昭和5)年12月20日第1刷発行    1990(平成2)年4月16日第23刷改版発行    1997(平成9)年1月16日第29刷発行 ※校正には、1997(平成9)年9月5日発行の第30刷を使用した。 入力:鈴木厚司 校正:藤本篤子 1999年3月6日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 ケーベル先生 ケーベル先生 夏目漱石  木(こ)の葉(は)の間から高い窓が見えて、その窓の隅(すみ)からケーベル先生の頭が見えた。傍(わき)から濃い藍色(あいいろ)の煙が立った。先生は煙草(たばこ)を呑(の)んでいるなと余は安倍(あべ)君に云った。  この前ここを通ったのはいつだか忘れてしまったが、今日見るとわずかの間(ま)にもうだいぶ様子が違っている。甲武線の崖上(がけうえ)は角並(かどなみ)新らしい立派な家に建て易(か)えられていずれも現代的日本の産み出した富の威力と切り放す事のできない門構(もんがまえ)ばかりである。その中に先生の住居(すまい)だけが過去の記念(かたみ)のごとくたった一軒古ぼけたなりで残っている。先生はこの燻(くす)ぶり返った家の書斎に這入(はい)ったなり滅多(めった)に外へ出た事がない。その書斎はとりもなおさず先生の頭が見えた木の葉の間の高い所であった。  余と安倍君とは先生に導びかれて、敷物も何も足に触れない素裸(すはだか)のままの高い階子段(はしごだん)を薄暗がりにがたがた云わせながら上(のぼ)って、階上の右手にある書斎に入った。そうして先生の今まで腰をおろして窓から頭だけを出していた一番光に近い椅子に余は坐(すわ)った。そこで外面(そと)から射(さ)す夕暮に近い明りを受けて始めて先生の顔を熟視した。先生の顔は昔とさまで違っていなかった。先生は自分で六十三だと云われた。余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思っているが、先生はその時からすでにこう云う顔であった。先生に日本へ来てもう二十年になりますかと聞いたら、そうはならない、たしか十八年目だと答えられた。先生の髪も髯(ひげ)も英語で云うとオーバーンとか形容すべき、ごく薄い麻(あさ)のような色をしている上に、普通の西洋人の通り非常に細くって柔かいから、少しの白髪(しらが)が生えてもまるで目立たないのだろう。それにしても血色が元の通りである。十八年を日本で住み古した人とは思えない。  先生の容貌(ようぼう)が永久にみずみずしているように見えるのに引き易(か)えて、先生の書斎は耄(ぼ)け切(き)った色で包まれていた。洋書というものは唐本(とうほん)や和書よりも装飾的な背皮(せがわ)に学問と芸術の派出(はで)やかさを偲(しの)ばせるのが常であるのに、この部屋は余の眼を射る何物をも蔵していなかった。ただ大きな机があった。色の褪(さ)めた椅子が四脚あった。マッチと埃及煙草(エジプトたばこ)と灰皿があった。余は埃及煙草を吹かしながら先生と話をした。けれども部屋を出て、下の食堂へ案内されるまで、余はついに先生の書斎にどんな書物がどんなに並んでいたかを知らずに過ぎた。  花やかな金文字や赤や青の背表紙が余の眼を刺激しなかったばかりではない。純潔な白色でさえついに余の眼には触れずに済んだ。先生の食卓には常の欧洲人が必要品とまで認めている白布が懸(かか)っていなかった。その代りにくすんだ更紗形(さらさがた)を置いた布(きれ)がいっぱいに被(かぶ)さっていた。そうしてその布はこの間まで余の家(うち)に預かっていた娘の子を嫁(かた)づける時に新調してやった布団(ふとん)の表と同じものであった。この卓を前にして坐った先生は、襟(えり)も襟飾(えりかざり)も着けてはいない。千筋(せんすじ)の縮(ちぢ)みの襯衣(シャツ)を着た上に、玉子色の薄い背広(せびろ)を一枚無造作(むぞうさ)にひっかけただけである。始めから儀式ばらぬようにとの注意ではあったが、あまり失礼に当ってはと思って、余は白い襯衣と白い襟と紺(こん)の着物を着ていた。君が正装をしているのに私(わたし)はこんな服(なり)でと先生が最前(さいぜん)云われた時、正装の二字を痛み入るばかりであったが、なるほど洗い立ての白いものが手と首に着いているのが正装なら、余の方が先生よりもよほど正装であった。  余は先生に一人で淋(さび)しくはありませんかと聞いたら、先生は少しも淋しくはないと答えられた。西洋へ帰りたくはありませんかと尋ねたら、それほど西洋が好いとも思わない、しかし日本には演奏会と芝居と図書館と画館がないのが困る、それだけが不便だと云われた。一年ぐらい暇を貰って遊んで来てはどうですと促(うな)がして見たら、そりゃ無論やって貰(もら)える、けれどもそれは好まない。私がもし日本を離れる事があるとすれば、永久に離れる。けっして二度とは帰って来ないと云われた。  先生はこういう風にそれほど故郷を慕(した)う様子もなく、あながち日本を嫌(きら)う気色(けしき)もなく、自分の性格とは容(い)れにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態(せたい)が、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめねばやまぬ勢を得つつ進むのを、日ごと眼前に目撃しながら、それを別世界に起る風馬牛の現象のごとくよそに見て、極(きわ)めて落ちついた十八年を吾邦(わがくに)で過ごされた。先生の生活はそっと煤煙(ばいえん)の巷(ちまた)に棄(す)てられた希臘(ギリシャ)の彫刻に血が通い出したようなものである。雑鬧(ざっとう)の中に己(おの)れを動かしていかにも静かである。先生の踏む靴の底には敷石を噛(か)む鋲(びょう)の響がない。先生は紀元前の半島の人のごとくに、しなやかな革(かわ)で作ったサンダルを穿(は)いておとなしく電車の傍(そば)を歩(あ)るいている。  先生は昔(むか)し烏(からす)を飼っておられた。どこから来たか分らないのを餌(え)をやって放し飼にしたのである。先生と烏とは妙な因縁(いんえん)に聞える。この二つを頭の中で結びつけると一種の気持が起(おこ)る。先生が大学の図書館で書架の中からポーの全集を引きおろしたのを見たのは昔の事である。先生はポーもホフマンも好きなのだと云う。この夕(ゆうべ)その烏の事を思い出して、あの烏はどうなりましたと聞いたら、あれは死にました、凍(こご)えて死にました。寒い晩に庭の木の枝に留(とま)ったまんま、翌日(あくるひ)になると死んでいましたと答えられた。  烏のついでに蝙蝠(こうもり)の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑(スケプチック)な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎(なぞ)のような答をした。余は蝙蝠の翼(はね)が好(すき)だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画(え)にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負(しょ)っている。  その時夕暮の窓際(まどぎわ)に近く日暮(ひぐら)しが来て朗らに鋭どい声を立てたので、卓を囲んだ四人(よつたり)はしばらくそれに耳を傾(かたむ)けた。あの鳴声にも以太利(イタリヤ)の連想があるでしょうと余は先生に尋ねた。これは先生が少し前に蜥蜴(とかげ)が美くしいと云ったので、青く澄んだ以太利の空を思い出させやしませんかと聞いたら、そうだと答えられたからである。しかし日暮しの時には、先生は少し首を傾(かた)むけて、いや彼(あれ)は以太利じゃない、どうも以太利では聞いた事がないように思うと云われた。  余らは熱い都の中心に誤って点ぜられたとも見える古い家の中で、静かにこんな話をした。それから菊の話と椿(つばき)の話と鈴蘭(すずらん)の話をした。果物の話もした。その果物のうちでもっとも香りの高い遠い国から来たレモンの露(つゆ)を搾(しぼ)って水に滴(したた)らして飲んだ。珈琲(コーヒー)も飲んだ。すべての飲料のうちで珈琲が一番旨(うま)いという先生の嗜好(しこう)も聞いた。それから静かな夜(よ)の中に安倍君と二人で出た。  先生の顔が花やかな演奏会に見えなくなってから、もうよほどになる。先生はピヤノに手を触れる事すら日本に来ては口外せぬつもりであったと云う。先生はそれほど浮いた事が嫌(きらい)なのである。すべての演奏会を謝絶した先生は、ただ自分の部屋で自分の気に向いたときだけ楽器の前に坐る、そうして自分の音楽を自分だけで聞いている。そのほかにはただ書物を読んでいる。  文科大学へ行って、ここで一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずフォン・ケーベルと答えるだろう。かほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始(しゅうし)渝(かわ)らざる興味を抱(いだ)いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生が疾(と)くに索寞(さくばく)たる日本を去るべくして、いまだに去らないのは、実にこの愛すべき学生あるがためである。  京都の深田教授が先生の家にいる頃、いつでも閑(ひま)な時に晩餐(ばんさん)を食べに来いと云われてから、行かずに経過した月日を数えるともう四年以上になる。ようやくその約を果(はた)して安倍君といっしょに大きな暗い夜(よ)の中に出た時、余は先生はこれから先、もう何年ぐらい日本にいるつもりだろうと考えた。そうして一度日本を離れればもう帰らないと云われた時、先生の引用した“no more(ノーモアー), never more(ネヴァーモアー).”というポーの句を思い出した。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 1999年5月12日公開 1999年8月30日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 夏目漱石 ケーベル先生 ケーベル先生 夏目漱石  木の葉の間から高い窓が見えて、その窓の隅からケーベル先生の頭が見えた。傍から濃い藍色の煙が立った。先生は煙草を呑んでいるなと余は安倍君に云った。  この前ここを通ったのはいつだか忘れてしまったが、今日見るとわずかの間にもうだいぶ様子が違っている。甲武線の崖上は角並新らしい立派な家に建て易えられていずれも現代的日本の産み出した富の威力と切り放す事のできない門構ばかりである。その中に先生の住居だけが過去の記念のごとくたった一軒古ぼけたなりで残っている。先生はこの燻ぶり返った家の書斎に這入ったなり滅多に外へ出た事がない。その書斎はとりもなおさず先生の頭が見えた木の葉の間の高い所であった。  余と安倍君とは先生に導びかれて、敷物も何も足に触れない素裸のままの高い階子段を薄暗がりにがたがた云わせながら上って、階上の右手にある書斎に入った。そうして先生の今まで腰をおろして窓から頭だけを出していた一番光に近い椅子に余は坐った。そこで外面から射す夕暮に近い明りを受けて始めて先生の顔を熟視した。先生の顔は昔とさまで違っていなかった。先生は自分で六十三だと云われた。余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思っているが、先生はその時からすでにこう云う顔であった。先生に日本へ来てもう二十年になりますかと聞いたら、そうはならない、たしか十八年目だと答えられた。先生の髪も髯も英語で云うとオーバーンとか形容すべき、ごく薄い麻のような色をしている上に、普通の西洋人の通り非常に細くって柔かいから、少しの白髪が生えてもまるで目立たないのだろう。それにしても血色が元の通りである。十八年を日本で住み古した人とは思えない。  先生の容貌が永久にみずみずしているように見えるのに引き易えて、先生の書斎は耄け切った色で包まれていた。洋書というものは唐本や和書よりも装飾的な背皮に学問と芸術の派出やかさを偲ばせるのが常であるのに、この部屋は余の眼を射る何物をも蔵していなかった。ただ大きな机があった。色の褪めた椅子が四脚あった。マッチと埃及煙草と灰皿があった。余は埃及煙草を吹かしながら先生と話をした。けれども部屋を出て、下の食堂へ案内されるまで、余はついに先生の書斎にどんな書物がどんなに並んでいたかを知らずに過ぎた。  花やかな金文字や赤や青の背表紙が余の眼を刺激しなかったばかりではない。純潔な白色でさえついに余の眼には触れずに済んだ。先生の食卓には常の欧洲人が必要品とまで認めている白布が懸っていなかった。その代りにくすんだ更紗形を置いた布がいっぱいに被さっていた。そうしてその布はこの間まで余の家に預かっていた娘の子を嫁づける時に新調してやった布団の表と同じものであった。この卓を前にして坐った先生は、襟も襟飾も着けてはいない。千筋の縮みの襯衣を着た上に、玉子色の薄い背広を一枚無造作にひっかけただけである。始めから儀式ばらぬようにとの注意ではあったが、あまり失礼に当ってはと思って、余は白い襯衣と白い襟と紺の着物を着ていた。君が正装をしているのに私はこんな服でと先生が最前云われた時、正装の二字を痛み入るばかりであったが、なるほど洗い立ての白いものが手と首に着いているのが正装なら、余の方が先生よりもよほど正装であった。  余は先生に一人で淋しくはありませんかと聞いたら、先生は少しも淋しくはないと答えられた。西洋へ帰りたくはありませんかと尋ねたら、それほど西洋が好いとも思わない、しかし日本には演奏会と芝居と図書館と画館がないのが困る、それだけが不便だと云われた。一年ぐらい暇を貰って遊んで来てはどうですと促がして見たら、そりゃ無論やって貰える、けれどもそれは好まない。私がもし日本を離れる事があるとすれば、永久に離れる。けっして二度とは帰って来ないと云われた。  先生はこういう風にそれほど故郷を慕う様子もなく、あながち日本を嫌う気色もなく、自分の性格とは容れにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態が、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめねばやまぬ勢を得つつ進むのを、日ごと眼前に目撃しながら、それを別世界に起る風馬牛の現象のごとくよそに見て、極めて落ちついた十八年を吾邦で過ごされた。先生の生活はそっと煤煙の巷に棄てられた希臘の彫刻に血が通い出したようなものである。雑鬧の中に己れを動かしていかにも静かである。先生の踏む靴の底には敷石を噛む鋲の響がない。先生は紀元前の半島の人のごとくに、しなやかな革で作ったサンダルを穿いておとなしく電車の傍を歩るいている。  先生は昔し烏を飼っておられた。どこから来たか分らないのを餌をやって放し飼にしたのである。先生と烏とは妙な因縁に聞える。この二つを頭の中で結びつけると一種の気持が起る。先生が大学の図書館で書架の中からポーの全集を引きおろしたのを見たのは昔の事である。先生はポーもホフマンも好きなのだと云う。この夕その烏の事を思い出して、あの烏はどうなりましたと聞いたら、あれは死にました、凍えて死にました。寒い晩に庭の木の枝に留ったまんま、翌日になると死んでいましたと答えられた。  烏のついでに蝙蝠の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎のような答をした。余は蝙蝠の翼が好だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負っている。  その時夕暮の窓際に近く日暮しが来て朗らに鋭どい声を立てたので、卓を囲んだ四人はしばらくそれに耳を傾けた。あの鳴声にも以太利の連想があるでしょうと余は先生に尋ねた。これは先生が少し前に蜥蜴が美くしいと云ったので、青く澄んだ以太利の空を思い出させやしませんかと聞いたら、そうだと答えられたからである。しかし日暮しの時には、先生は少し首を傾むけて、いや彼は以太利じゃない、どうも以太利では聞いた事がないように思うと云われた。  余らは熱い都の中心に誤って点ぜられたとも見える古い家の中で、静かにこんな話をした。それから菊の話と椿の話と鈴蘭の話をした。果物の話もした。その果物のうちでもっとも香りの高い遠い国から来たレモンの露を搾って水に滴らして飲んだ。珈琲も飲んだ。すべての飲料のうちで珈琲が一番旨いという先生の嗜好も聞いた。それから静かな夜の中に安倍君と二人で出た。  先生の顔が花やかな演奏会に見えなくなってから、もうよほどになる。先生はピヤノに手を触れる事すら日本に来ては口外せぬつもりであったと云う。先生はそれほど浮いた事が嫌なのである。すべての演奏会を謝絶した先生は、ただ自分の部屋で自分の気に向いたときだけ楽器の前に坐る、そうして自分の音楽を自分だけで聞いている。そのほかにはただ書物を読んでいる。  文科大学へ行って、ここで一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずフォン・ケーベルと答えるだろう。かほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始渝らざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生が疾くに索寞たる日本を去るべくして、いまだに去らないのは、実にこの愛すべき学生あるがためである。  京都の深田教授が先生の家にいる頃、いつでも閑な時に晩餐を食べに来いと云われてから、行かずに経過した月日を数えるともう四年以上になる。ようやくその約を果して安倍君といっしょに大きな暗い夜の中に出た時、余は先生はこれから先、もう何年ぐらい日本にいるつもりだろうと考えた。そうして一度日本を離れればもう帰らないと云われた時、先生の引用した“no more, never more.”というポーの句を思い出した。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年5月12日公開 2011年5月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 ケーベル先生の告別 ケーベル先生の告別 夏目漱石  ケーベル先生は今日(八月十二日)日本を去るはずになっている。しかし先生はもう二、三日まえから東京にはいないだろう。先生は虚儀虚礼をきらう念の強い人である。二十年前大学の招聘に応じてドイツを立つ時にも、先生の気性を知っている友人は一人も停車場へ送りに来なかったという話である。先生は影のごとく静かに日本へ来て、また影のごとくこっそり日本を去る気らしい。  静かな先生は東京で三度居を移した。先生の知っている所はおそらくこの三軒の家と、そこから学校へ通う道路くらいなものだろう。かつて先生に散歩をするかと聞いたら、先生は散歩をするところがないから、しないと答えた。先生の意見によると、町は散歩すべきものでないのである。  こういう先生が日本という国についてなにも知ろうはずがない。また知ろうとする好奇心をもっている道理もない。私が早稲田にいると言ってさえ、先生には早稲田の方角がわからないくらいである。深田君に大隈伯のうちへ呼ばれた昔を注意されても、先生はすでに忘れている。先生には大隈伯の名さえはじめてであったかもしれない。  私が先月十五日の夜晩餐の招待を受けた時、先生に国へ帰っても朋友がありますかと尋ねたら、先生は南極と北極とは別だが、ほかのところならどこへ行っても朋友はいると答えた。これはもとより冗談であるが、先生の頭の奥に、区々たる場所を超越した世界的の観念が潜んでいればこそ、こんな挨拶もできるのだろう。またこんな挨拶ができればこそ、たいした興味もない日本に二十年もながくいて、不平らしい顔を見せる必要もなかったのだろう。  場所ばかりではない、時間のうえでも先生の態度はまったく普通の人と違っている。郵船会社の汽船は半分荷物船だから船足がおそいのに、なぜそれをえらんだのかと私が聞いたら、先生はいくら長く海の中に浮いていても苦にはならない、それよりも日本からベルリンまで十五日で行けるとか十四日で着けるとかいって、旅行が一日でも早くできるのを、非常の便利らしく考えている人の心持ちがわからないと言った。  先生の金銭上の考えも、まったく西洋人とは思われないくらい無頓着である。先生の宅に厄介になっていたものなどは、ずいぶん経済の点にかけて、普通の家には見るべからざる自由を与えられているらしく思われた。このまえ会った時、ある蓄財家の話が出たら、いったいあんなに金をためてどうするりょうけんだろうと言って苦笑していた。先生はこれからさき、日本政府からもらう恩給と、今までの月給の余りとで、暮らしてゆくのだが、その月給の余りというのは、天然自然にできたほんとうの余りで、用意の結果でもなんでもないのである。  すべてこんなふうにでき上がっている先生にいちばん大事なものは、人と人を結びつける愛と情けだけである。ことに先生は自分の教えてきた日本の学生がいちばん好きらしくみえる。私が十五日の晩に、先生の家を辞して帰ろうとした時、自分は今日本を去るに臨んで、ただ簡単に自分の朋友、ことに自分の指導を受けた学生に、「さようならごきげんよう」という一句を残して行きたいから、それを朝日新聞に書いてくれないかと頼まれた。先生はそのほかの事を言うのはいやだというのである。また言う必要がないというのである。同時に広告欄にその文句を出すのも好まないというのである。私はやむをえないから、ここに先生の許諾を得て、「さようならごきげんよう」のほかに、私自身の言葉を蛇足ながらつけ加えて、先生の告別の辞が、先生の希望どおり、先生の薫陶を受けた多くの人々の目に留まるように取り計らうのである。そうしてその多くの人々に代わって、先生につつがなき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのである。 底本:「硝子戸の中」角川文庫、角川書店    1954(昭和29)年6月10日初版発行    1994(平成6)年3月10日改版21版発行 入力:柴田卓治 校正:しず 1999年9月9日公開 2003年10月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 私の個人主義 私の個人主義 夏目漱石     ――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述――  私は今日初めてこの学習院というものの中に這入りました。もっとも以前から学習院は多分この見当だろうぐらいに考えていたには相違ありませんが、はっきりとは存じませんでした。中へ這入ったのは無論今日が初めてでございます。  さきほど岡田さんが紹介かたがたちょっとお話になった通りこの春何か講演をというご注文でありましたが、その当時は何か差支があって、――岡田さんの方が当人の私よりよくご記憶と見えてあなたがたにご納得のできるようにただいまご説明がありましたが、とにかくひとまずお断りを致さなければならん事になりました。しかしただお断りを致すのもあまり失礼と存じまして、この次には参りますからという条件をつけ加えておきました。その時念のためこの次はいつごろになりますかと岡田さんに伺いましたら、此年の十月だというお返事であったので、心のうちに春から十月までの日数を大体繰ってみて、それだけの時間があればそのうちにどうにかできるだろうと思ったものですから、よろしゅうございますとはっきりお受合申したのであります。ところが幸か不幸か病気に罹りまして、九月いっぱい床についておりますうちにお約束の十月が参りました。十月にはもう臥せってはおりませんでしたけれども、何しろひょろひょろするので講演はちょっとむずかしかったのです。しかしお約束を忘れてはならないのですから、腹の中では、今に何か云って来られるだろう来られるだろうと思って、内々は怖がっていました。  そのうちひょろひょろもついに癒ってしまったけれども、こちらからは十月末まで何のご沙汰もなく打ち過ぎました。私は無論病気の事をご通知はしておきませんでしたが、二三の新聞にちょっと出たという話ですから、あるいはその辺の事情を察せられて、誰かが私の代りに講演をやって下さったのだろうと推測して安心し出しました。ところへまた岡田さんがまた突然見えたのであります。岡田さんはわざわざ長靴を穿いて見えたのであります。(もっとも雨の降る日であったからでもありましょうが、)そう云った身拵えで、早稲田の奥まで来て下すって、例の講演は十一月の末まで繰り延ばす事にしたから約束通りやってもらいたいというご口上なのです。私はもう責任を逃れたように考えていたものですから実は少々驚ろきました。しかしまだ一カ月も余裕があるから、その間にどうかなるだろうと思って、よろしゅうございますとまたご返事を致しました。  右の次第で、この春から十月に至るまで、十月末からまた十一月二十五日に至るまでの間に、何か纏ったお話をすべき時間はいくらでも拵えられるのですが、どうも少し気分が悪くって、そんな事を考えるのが面倒でたまらなくなりました。そこでまあ十一月二十五日が来るまでは構うまいという横着な料簡を起して、ずるずるべったりにその日その日を送っていたのです。いよいよと時日が逼った二三日前になって、何か考えなければならないという気が少ししたのですが、やはり考えるのが不愉快なので、とうとう絵を描いて暮らしてしまいました。絵を描くというと何かえらいものが描けるように聞えるかも知れませんが、実は他愛もないものを描いて、それを壁に貼りつけて一人で二日も三日もぼんやり眺めているだけなのです。昨日でしたかある人が来て、この絵は大変面白い――いや面白いと云ったのではありません、面白い気分の時に描いた画らしく見えると云ってくれたのでした。それから私は愉快だから描いたのではない、不愉快だから描いたのだと云って私の心の状態をその男に説明してやりました。世の中には愉快でじっとしていられない結果を画にしたり、書にしたり、または文にしたりする人がある通り、不愉快だから、どうかして好い心持になりたいと思って、筆を執って画なり文章なりを作る人もあります。そうして不思議にもこの二つの心的状態が結果に現われたところを見るとよく一致している場合が起るのです。しかしこれはほんのついでに申し上る事で、話の筋に関係した問題でもありませんから深くは立ち入りません。――何しろ私はその変な画を眺めるだけで、講演の内容をちっとも組み立てずに暮らしてしまったのです。  そのうちいよいよ二十五日が来たので、否でも応でもここへ顔を出さなければすまない事になりました。それで今朝少し考を纏めてみましたが、準備がどうも不足のようです。とてもご満足の行くようなお話はできかねますから、そのつもりでご辛防を願います。  この会はいつごろから始まって今日まで続いているのか存じませんが、そのつどあなたがたがよその人を連れて来て、講演をさせるのは、一般の慣例として毫も不都合でないと私も認めているのですが、また一方から見ると、それほどあなた方の希望するような面白い講演は、いくらどこからどんな人を引張って来ても容易に聞かれるものではなかろうとも思うのです。あなたがたにはただよその人が珍らしく見えるのではありますまいか。  私が落語家から聞いた話の中にこんな諷刺的のがあります。――昔しあるお大名が二人目黒辺へ鷹狩に行って、所々方々を馳け廻った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ離れになって口腹を充たす糧を受ける事ができず、仕方なしに二人はそこにある汚ない百姓家へ馳け込んで、何でも好いから食わせろと云ったそうです。するとその農家の爺さんと婆さんが気の毒がって、ありあわせの秋刀魚を炙って二人の大名に麦飯を勧めたと云います。二人はその秋刀魚を肴に非常に旨く飯を済まして、そこを立出たが、翌日になっても昨日の秋刀魚の香がぷんぷん鼻を衝くといった始末で、どうしてもその味を忘れる事ができないのです。それで二人のうちの一人が他を招待して、秋刀魚のご馳走をする事になりました。その旨を承わって驚ろいたのは家来です。しかし主命ですから反抗する訳にも行きませんので、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を毛抜で一本一本抜かして、それを味淋か何かに漬けたのを、ほどよく焼いて、主人と客とに勧めました。ところが食う方は腹も減っていず、また馬鹿丁寧な料理方で秋刀魚の味を失った妙な肴を箸で突っついてみたところで、ちっとも旨くないのです。そこで二人が顔を見合せて、どうも秋刀魚は目黒に限るねといったような変な言葉を発したと云うのが話の落になっているのですが、私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど大牢の美味に飽いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。  この席におられる大森教授は私と同年かまたは前後して大学を出られた方ですが、その大森さんが、かつて私にどうも近頃の生徒は自分の講義をよく聴かないで困る、どうも真面目が足りないで不都合だというような事を云われた事があります。その評はこの学校の生徒についてではなく、どこかの私立学校の生徒についてだったろうと記憶していますが、何しろ私はその時大森さんに対して失礼な事を云いました。  ここで繰り返していうのもお恥ずかしい訳ですが、私はその時、君などの講義をありがたがって聴く生徒がどこの国にいるものかと申したのです。もっとも私の主意はその時の大森君には通じていなかったかも知れませんから、この機会を利用して、誤解を防いでおきますが、私どもの書生時代、あなたがたと同年輩、もしくはもう少し大きくなった時代、には、今のあなたがたよりよほど横着で、先生の講義などはほとんど聴いた事がないと云っても好いくらいのものでした。もちろんこれは私や私の周囲のものを本位として述べるのでありますから、圏外にいたものには通用しないかも知れませんけれども、どうも今の私からふり返ってみると、そんな気がどこかでするように思われるのです。現にこの私は上部だけは温順らしく見えながら、けっして講義などに耳を傾ける性質ではありませんでした。始終怠けてのらくらしていました。その記憶をもって、真面目な今の生徒を見ると、どうしても大森君のように、彼らを攻撃する勇気が出て来ないのです。そう云った意味からして、つい大森さんに対してすまない乱暴を申したのであります。今日は大森君に詫まるためにわざわざ出かけた次第ではありませんけれども、ついでだからみんなのいる前で、謝罪しておくのです。  話がついとんだところへ外れてしまいましたから、再び元へ引き返して筋の立つように云いますと、つまりこうなるのです。  あなたがたは立派な学校に入って、立派な先生から始終指導を受けていらっしゃる、またその方々の専門的もしくは一般的の講義を毎日聞いていらっしゃる。それだのに私みたようなものを、ことさらによそから連れて来て、講演を聴こうとなされるのは、ちょうど先刻お話したお大名が目黒の秋刀魚を賞翫したようなもので、つまりは珍らしいから、一口食ってみようという料簡じゃないかと推察されるのです。実際をいうと、私のようなものよりも、あなたがたが毎日顔を見ていらっしゃる常雇いの先生のお話の方がよほど有益でもあり、かつまた面白かろうとも思われるのです。たとい私にしたところで、もしこの学校の教授にでもなっていたならば、単に新らしい刺戟のないというだけでも、このくらいの人数が集って私の講演をお聴きになる熱心なり好奇心なりは起るまいと考えるのですがどんなものでしょう。  私がなぜそんな仮定をするかというと、この私は現に昔しこの学習院の教師になろうとした事があるのです。もっとも自分で運動した訳でもないのですが、この学校にいた知人が私を推薦してくれたのです。その時分の私は卒業する間際まで何をして衣食の道を講じていいか知らなかったほどの迂濶者でしたが、さていよいよ世間へ出てみると、懐手をして待っていたって、下宿料が入って来る訳でもないので、教育者になれるかなれないかの問題はとにかく、どこかへ潜り込む必要があったので、ついこの知人のいう通りこの学校へ向けて運動を開始した次第であります。その時分私の敵が一人ありました。しかし私の知人は私に向ってしきりに大丈夫らしい事をいうので、私の方でも、もう任命されたような気分になって、先生はどんな着物を着なければならないのかなどと訊いてみたものです。するとその男はモーニングでなくては教場へ出られないと云いますから、私はまだ事のきまらない先に、モーニングを誂らえてしまったのです。そのくせ学習院とはどこにある学校かよく知らなかったのだから、すこぶる変なものです。さていよいよモーニングが出来上ってみると、あに計らんやせっかく頼みにしていた学習院の方は落第と事がきまったのです。そうしてもう一人の男が英語教師の空位を充たす事になりました。その人は何という名でしたか今は忘れてしまいました。別段悔しくも何ともなかったからでしょう。何でも米国帰りの人とか聞いていました。――それで、もしその時にその米国帰りの人が採用されずに、この私がまぐれ当りに学習院の教師になって、しかも今日まで永続していたなら、こうした鄭重なお招きを受けて、高い所からあなたがたにお話をする機会もついに来なかったかも知れますまい。それをこの春から十一月までも待って聴いて下さろうというのは、とりも直さず、私が学習院の教師に落第して、あなたがたから目黒の秋刀魚のように珍らしがられている証拠ではありませんか。  私はこれから学習院を落第してから以後の私について少々申上げようと思います。これは今までお話をして来た順序だからという意味よりも、今日の講演に必要な部分だからと思って聴いていただきたいのです。  私は学習院は落第したが、モーニングだけは着ていました。それよりほかに着るべき洋服は持っていなかったのだから仕方がありません。そのモーニングを着てどこへ行ったと思いますか? その時分は今と違って就職の途は大変楽でした。どちらを向いても相当の口は開いていたように思われるのです。つまりは人が払底なためだったのでしょう。私のようなものでも高等学校と、高等師範からほとんど同時に口がかかりました。私は高等学校へ周旋してくれた先輩に半分承諾を与えながら、高等師範の方へも好い加減な挨拶をしてしまったので、事が変な具合にもつれてしまいました。もともと私が若いから手ぬかりやら、不行届がちで、とうとう自分に祟って来たと思えば仕方がありませんが、弱らせられた事は事実です。私は私の先輩なる高等学校の古参の教授の所へ呼びつけられて、こっちへ来るような事を云いながら、他にも相談をされては、仲に立った私が困ると云って譴責されました。私は年の若い上に、馬鹿の肝癪持ですから、いっそ双方とも断ってしまったら好いだろうと考えて、その手続きをやり始めたのです。するとある日当時の高等学校長、今ではたしか京都の理科大学長をしている久原さんから、ちょっと学校まで来てくれという通知があったので、さっそく出かけてみると、その座に高等師範の校長嘉納治五郎さんと、それに私を周旋してくれた例の先輩がいて、相談はきまった、こっちに遠慮は要らないから高等師範の方へ行ったら好かろうという忠告です。私は行がかり上否だとは云えませんから承諾の旨を答えました。が腹の中では厄介な事になってしまったと思わざるを得なかったのです。というものは今考えるともったいない話ですが、私は高等師範などをそれほどありがたく思っていなかったのです。嘉納さんに始めて会った時も、そうあなたのように教育者として学生の模範になれというような注文だと、私にはとても勤まりかねるからと逡巡したくらいでした。嘉納さんは上手な人ですから、否そう正直に断わられると、私はますますあなたに来ていただきたくなったと云って、私を離さなかったのです。こういう訳で、未熟な私は双方の学校を懸持しようなどという慾張根性は更になかったにかかわらず、関係者に要らざる手数をかけた後、とうとう高等師範の方へ行く事になりました。  しかし教育者として偉くなり得るような資格は私に最初から欠けていたのですから、私はどうも窮屈で恐れ入りました。嘉納さんもあなたはあまり正直過ぎて困ると云ったくらいですから、あるいはもっと横着をきめていてもよかったのかも知れません。しかしどうあっても私には不向な所だとしか思われませんでした。奥底のない打ち明けたお話をすると、当時の私はまあ肴屋が菓子家へ手伝いに行ったようなものでした。  一年の後私はとうとう田舎の中学へ赴任しました。それは伊予の松山にある中学校です。あなたがたは松山の中学と聞いてお笑いになるが、おおかた私の書いた「坊ちゃん」でもご覧になったのでしょう。「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名をもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。誰の事だって、当時その中学に文学士と云ったら私一人なのですから、もし「坊ちゃん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シャツはすなわちこういう私の事にならなければならんので、――はなはだありがたい仕合せと申上げたいような訳になります。  松山にもたった一カ年しかおりませんでした。立つ時に知事が留めてくれましたが、もう先方と内約ができていたので、とうとう断ってそこを立ちました。そうして今度は熊本の高等学校に腰を据えました。こういう順序で中学から高等学校、高等学校から大学と順々に私は教えて来た経験をもっていますが、ただ小学校と女学校だけはまだ足を入れた試がございません。  熊本には大分長くおりました。突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったのは、熊本へ行ってから何年目になりましょうか。私はその時留学を断わろうかと思いました。それは私のようなものが、何の目的ももたずに、外国へ行ったからと云って、別に国家のために役に立つ訳もなかろうと考えたからです。しかるに文部省の内意を取次いでくれた教頭が、それは先方の見込みなのだから、君の方で自分を評価する必要はない、ともかくも行った方が好かろうと云うので、私も絶対に反抗する理由もないから、命令通り英国へ行きました。しかし果せるかな何もする事がないのです。  それを説明するためには、それまでの私というものを一応お話ししなければならん事になります。そのお話がすなわち今日の講演の一部分を構成する訳なのですからそのつもりでお聞きを願います。  私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかとお尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。その頃はジクソンという人が教師でした。私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞が落ちていると云って叱られたり、発音が間違っていると怒られたりしました。試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文学かどうだかという事が。英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、これではとうてい解るはずがありません。それなら自力でそれを窮め得るかと云うと、まあ盲目の垣覗きといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛がないのです。これは自力の足りないばかりでなくその道に関した書物も乏しかったのだろうと思います。とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。  私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方は怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁して行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚でした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようで堪まらないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。  私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。  私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、また同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足にはならないのだと諦めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。  この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍のように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。他の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。  けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華を去って摯実につかなければ、自分の腹の中はいつまで経ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。  たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。  しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいうところと私の考と矛盾してはどうも普通の場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、溯っては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇には一道の光明を投げ与える事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだ遅まきの話で慚愧の至でありますけれども、事実だから偽らないところを申し上げるのです。  私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚な上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。  私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。  自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。  その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝な倫敦を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。  かく私が啓発された時は、もう留学してから、一年以上経過していたのです。それでとても外国では私の事業を仕上る訳に行かない、とにかくできるだけ材料を纏めて、本国へ立ち帰った後、立派に始末をつけようという気になりました。すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然ながらある力を得た事になるのです。  ところが帰るや否や私は衣食のために奔走する義務がさっそく起りました。私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一軒稼ぎました。その上私は神経衰弱に罹りました。最後に下らない創作などを雑誌に載せなければならない仕儀に陥りました。いろいろの事情で、私は私の企てた事業を半途で中止してしまいました。私の著わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸です。しかも畸形児の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震で倒された未成市街の廃墟のようなものです。  しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のお蔭かも知れません。  以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心からなのであります。あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、いずれも私の一度経過した煩悶(たとい種類は違っても)を繰返しがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴みたくっても薬缶頭を掴むようにつるつるして焦燥れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範になさいという意味ではけっしてないのです。私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には寸毫の損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路があなたがたの模範になるとはけっして思ってはいないのですから、誤解してはいけません。  それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越しているとおっしゃれば、それも結構であります。願くは通り越してありたいと私は祈るのであります。しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論鈍痛ではありましたが、年々歳々感ずる痛には相違なかったのであります。だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。  今まで申し上げた事はこの講演の第一篇に相当するものですが、私はこれからその第二篇に移ろうかと考えます。学習院という学校は社会的地位の好い人が這入る学校のように世間から見傚されております。そうしてそれがおそらく事実なのでしょう。もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、向後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。  これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味してみると、権力とは先刻お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧しつける道具なのです。道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。  権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。  してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面に誘き寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込んで書物などを読む事が好きなのに引き易えて、兄はまた釣道楽に憂身をやつしているのがあります。するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠っているのを非常に忌まわしいもののように考えるのです。必竟は釣をしないからああいう風に厭世的になるのだと合点して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿を担がしたり、魚籃を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑ってくっついて行って、気味の悪い鮒などを釣っていやいや帰ってくるのです。それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。つまり釣と兄の性質とはぴたりと合ってその間に何の隙間もないのでしょうが、それはいわゆる兄の個性で、弟とはまるで交渉がないのです。これはもとより金力の例ではありません、権力の他を威圧する説明になるのです。兄の個性が弟を圧迫して無理に魚を釣らせるのですから。もっともある場合には、――例えば授業を受ける時とか、兵隊になった時とか、また寄宿舎でも軍隊生活を主位におくとか――すべてそう云った場合には多少この高圧的手段は免かれますまい。しかし私はおもにあなたがたが一本立になって世間へ出た時の事を云っているのだからそのつもりで聴いて下さらなくては困ります。  そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間に引き摺り込んでやろうという気になる。その時権力があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力があると、それをふりまいて、他を自分のようなものに仕立上げようとする。すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする。どっちにしても非常な危険が起るのです。  それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正とかいう問題になると、少々込み入った解剖の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒でない場合には、自分が他から自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。  近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。  元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。私がこうやって、高い壇の上からあなた方を見下して、一時間なり二時間なり私の云う事を静粛に聴いていただく権利を保留する以上、私の方でもあなた方を静粛にさせるだけの説を述べなければすまないはずだと思います。よし平凡な講演をするにしても、私の態度なり様子なりが、あなたがたをして礼を正さしむるだけの立派さをもっていなければならんはずのものであります。ただ私はお客である、あなたがたは主人である、だからおとなしくしなくてはならない、とこう云おうとすれば云われない事もないでしょうが、それは上面の礼式にとどまる事で、精神には何の関係もない云わば因襲といったようなものですから、てんで議論にはならないのです。別の例を挙げてみますと、あなたがたは教場で時々先生から叱られる事があるでしょう。しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあるとすれば、その先生は無論授業をする資格のない人です。叱る代りには骨を折って教えてくれるにきまっています。叱る権利をもつ先生はすなわち教える義務をももっているはずなのですから。先生は規律をただすため、秩序を保つために与えられた権利を十分に使うでしょう。その代りその権利と引き離す事のできない義務も尽さなければ、教師の職を勤め終せる訳に行きますまい。  金力についても同じ事であります。私の考によると、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなのです。その訳を一口にお話しするとこうなります。金銭というものは至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通が利く。たとえば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍を買う事もできるし、または花柳社界を賑わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具とするのです。相場で儲けた金が徳義的倫理的に大きな威力をもって働らき得るとすれば、どうしても不都合な応用と云わなければならないかと思われます。思われるのですけれども、実際その通りに金が活動する以上は致し方がない。ただ金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗を防ぐ道はなくなってしまうのです。それで私は金力には必ず責任がついて廻らなければならないといいたくなります。自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面にこう使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響があると呑み込むだけの見識を養成するばかりでなく、その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないと云うのです。いな自分自身にもすむまいというのです。  今までの論旨をかい摘んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。  これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈するに至るのです。そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。  話が少し横へそれますが、ご存じの通り英吉利という国は大変自由を尊ぶ国であります。それほど自由を愛する国でありながら、また英吉利ほど秩序の調った国はありません。実をいうと私は英吉利を好かないのです。嫌いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。日本などはとうてい比較にもなりません。しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。 England expects every man to do his duty といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢をもった思想に違ないのです。  彼らは不平があるとよく示威運動をやります。しかし政府はけっして干渉がましい事をしません。黙って放っておくのです。その代り示威運動をやる方でもちゃんと心得ていて、むやみに政府の迷惑になるような乱暴は働かないのです。近頃女権拡張論者と云ったようなものがむやみに狼藉をするように新聞などに見えていますが、あれはまあ例外です。例外にしては数が多過ぎると云われればそれまでですが、どうも例外と見るよりほかに仕方がないようです。嫁に行かれないとか、職業が見つからないとか、または昔しから養成された、女を尊敬するという気風につけ込むのか、何しろあれは英国人の平生の態度ではないようです。名画を破る、監獄で断食して獄丁を困らせる、議会のベンチへ身体を縛りつけておいて、わざわざ騒々しく叫び立てる。これは意外の現象ですが、ことによると女は何をしても男の方で遠慮するから構わないという意味でやっているのかも分りません。しかしまあどういう理由にしても変則らしい気がします。一般の英国気質というものは、今お話しした通り義務の観念を離れない程度において自由を愛しているようです。  それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです。  この個人主義という意味に誤解があってはいけません。ことにあなたがたのようなお若い人に対して誤解を吹き込んでは私がすみませんから、その辺はよくご注意を願っておきます。時間が逼っているからなるべく単簡に説明致しますが、個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。金力権力の点においてもその通りで、俺の好かないやつだから畳んでしまえとか、気に喰わない者だからやっつけてしまえとか、悪い事もないのに、ただそれらを濫用したらどうでしょう。人間の個性はそれで全く破壊されると同時に、人間の不幸もそこから起らなければなりません。たとえば私が何も不都合を働らかないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監が巡査に私の家を取り巻かせたらどんなものでしょう。警視総監にそれだけの権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。または三井とか岩崎とかいう豪商が、私を嫌うというだけの意味で、私の家の召使を買収して事ごとに私に反抗させたなら、これまたどんなものでしょう。もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らはけっしてそんな無法を働らく気にはなれないのであります。  こうした弊害はみな道義上の個人主義を理解し得ないから起るので、自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとするわがままにほかならんのであります。だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。  もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです。私がかつて朝日新聞の文芸欄を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺さんの悪口を書いた事がありました。もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。しかもそれがたった二三行あったのです。出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消を申し込んで来ました。それが本人からではないのです。雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打のようでおかしいが、――まあ同人といったようなものでしょう、どうしても取り消せというのです。それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。私の方ではこちらの自由だというよりほかに途はないのです。しかもそうした取消を申し込んだ「日本及び日本人」の一部では毎号私の悪口を書いている人があるのだからなおのこと人を驚ろかせるのです。私は直接談判はしませんでしたけれども、その話を間接に聞いた時、変な心持がしました。というのは、私の方は個人主義でやっているのに反して、向うは党派主義で活動しているらしく思われたからです。当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。失礼ながら時代後れだとも思いました。封建時代の人間の団隊のようにも考えました。しかしそう考えた私はついに一種の淋しさを脱却する訳に行かなかったのです。私は意見の相違はいかに親しい間柄でもどうする事もできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、けっしてやった事がないのです。私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから。  それからもう一つ誤解を防ぐために一言しておきたいのですが、何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟の立たない漫然としたものではないのです。いったい何々主義という事は私のあまり好まないところで、人間がそう一つ主義に片づけられるものではあるまいとは思いますが、説明のためですから、ここにはやむをえず、主義という文字の下にいろいろの事を申し上げます。ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように云いふらしまたそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が亡びるような事を唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気たはずはけっしてありようがないのです。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります。  個人の幸福の基礎となるべき個人主義は個人の自由がその内容になっているには相違ありませんが、各人の享有するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。これは理論というよりもむしろ事実から出る理論と云った方が好いかも知れません、つまり自然の状態がそうなって来るのです。国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る、それが当然の話です。いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、疳違いをしてただむやみに個性の発展ばかりめがけている人はないはずです。私のいう個人主義のうちには、火事が済んでもまだ火事頭巾が必要だと云って、用もないのに窮屈がる人に対する忠告も含まれていると考えて下さい。また例になりますが、昔し私が高等学校にいた時分、ある会を創設したものがありました。その名も主意も詳しい事は忘れてしまいましたが、何しろそれは国家主義を標榜したやかましい会でした。もちろん悪い会でも何でもありません。当時の校長の木下広次さんなどは大分肩を入れていた様子でした。その会員はみんな胸にめだるを下げていました。私はめだるだけはご免蒙りましたが、それでも会員にはされたのです。無論発起人でないから、ずいぶん異存もあったのですが、まあ入っても差支なかろうという主意から入会しました。ところがその発会式が広い講堂で行なわれた時に、何かの機でしたろう、一人の会員が壇上に立って演説めいた事をやりました。ところが会員ではあったけれども私の意見には大分反対のところもあったので、私はその前ずいぶんその会の主意を攻撃していたように記憶しています。しかるにいよいよ発会式となって、今申した男の演説を聴いてみると、全く私の説の反駁に過ぎないのです。故意だか偶然だか解りませんけれども勢い私はそれに対して答弁の必要が出て来ました。私は仕方なしに、その人のあとから演壇に上りました。当時の私の態度なり行儀なりははなはだ見苦しいものだと思いますが、それでも簡潔に云う事だけは云って退けました。ではその時何と云ったかとお尋ねになるかも知れませんが、それはすこぶる簡単なのです。私はこう云いました。――国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。常住坐臥国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために売って歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。これと同じ事で、今日の午に私は飯を三杯たべた、晩にはそれを四杯に殖やしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。正直に云えば胃の具合できめたのである。しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、否観方によっては世界の大勢に幾分か関係していないとも限らない。しかしながら肝心の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装うのは偽りである。――私の答弁はざっとこんなものでありました。  いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。必竟ずるにこういう事は実際程度問題で、いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、考えられる頭の人、――考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は、自然そちらへ向いて行く訳で、個人の自由を束縛し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。だからこの二つの主義はいつでも矛盾して、いつでも撲殺し合うなどというような厄介なものでは万々ないと私は信じているのです。この点についても、もっと詳しく申し上げたいのですけれども時間がないからこのくらいにして切り上げておきます。ただもう一つご注意までに申し上げておきたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。その辺は時間がないから今日はそれより以上申上げる訳に参りません。  私はせっかくのご招待だから今日まかり出て、できるだけ個人の生涯を送らるべきあなたがたに個人主義の必要を説きました。これはあなたがたが世の中へ出られた後、幾分かご参考になるだろうと思うからであります。はたして私のいう事が、あなた方に通じたかどうか、私には分りませんが、もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、または悪いかだろうと思います。で私の云うところに、もし曖昧の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。できるだけはいつでも説明するつもりでありますから。またそうした手数を尽さないでも、私の本意が充分ご会得になったなら、私の満足はこれに越した事はありません。あまり時間が長くなりますからこれでご免を蒙ります。 底本:「ちくま日本文学全集 夏目漱石」筑摩書房    1992(平成4)年1月20日第1刷発行 底本の親本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 入力:真先芳秋 校正:かとうかおり 1998年11月19日公開 2008年10月5日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 こころ こころ 夏目漱石 上 先生と私 一  私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。  私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。  学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。  宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。  私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中に裹まれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね廻るのは愉快であった。  私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋が二軒あった。私はふとした機会からその一軒の方に行き慣れていた。長谷辺に大きな別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。 二  私がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対に濡れた身体を風に吹かして水から上がって来た。二人の間には目を遮る幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。  その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。純粋の日本の浴衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿く猿股一つの外何物も肌に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。私の尻をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍がホテルの裏口になっていたので、私の凝としている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女は殊更肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製の頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。  彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言二言何かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。  私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿を見守っていた。すると彼らは真直に波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅の磯近くにわいわい騒いでいる多人数の間を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体を拭いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。  彼らの出て行った後、私はやはり元の床几に腰をおろして烟草を吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想い出せずにしまった。  その時の私は屈托がないというよりむしろ無聊に苦しんでいた。それで翌日もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽を被ってやって来た。先生は眼鏡をとって台の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日のように騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後が追い掛けたくなった。私は浅い水を頭の上まで跳かして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標に抜手を切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達せられなかった。私が陸へ上がって雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。 三  私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。  或る時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱ぎ棄てた浴衣を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向きになって、浴衣を二、三度振った。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間から下へ落ちた。先生は白絣の上へ兵児帯を締めてから、眼鏡の失くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。  次の日私は先生の後につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二丁ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。私もその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。  しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促した。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。そうして二人でまた元の路を浜辺へ引き返した。  私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。  それから中二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋で出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分長くここにいるつもりですか」と聞いた。考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極りが悪くなった。「先生は?」と聞き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。  私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内にある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解った。私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖だといって弁解した。私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際をもたないのに、そういう外国人と近付きになったのは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗に相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。 四  私は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お宅へ伺っても宜ござんすか」と聞いた。先生は単簡にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少し濃かな言葉を予期して掛ったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷めた。  私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが先生の亡くなった今日になって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。  私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数があるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経つうちに、鎌倉にいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩られる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺戟と共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。  授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛みができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室の中を見廻した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。  始めて先生の宅を訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁み込むように感ぜられる好い日和であった。その日も先生は留守であった。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由もない不満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内へはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。  私はその人から鄭寧に先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈して外へ出た。賑かな町の方へ一丁ほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵を回らした。 五  私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。 「どうして……、どうして……」  先生は同じ言葉を二遍繰り返した。その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応えられなくなった。 「私の後を跟けて来たのですか。どうして……」  先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中には判然いえないような一種の曇りがあった。  私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。 「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか」 「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」 「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」  先生はようやく得心したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解らなかった。  先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。  先生はこれらの墓標が現わす人種々の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。  墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。  向うの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。  これからどこへ行くという目的のない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数を利かなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。 「すぐお宅へお帰りですか」 「ええ別に寄る所もありませんから」  二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。 「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。 「いいえ」 「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」 「いいえ」  先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一町ほど歩いた後で、先生が不意にそこへ戻って来た。 「あすこには私の友達の墓があるんです」 「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」 「そうです」  先生はその日これ以外を語らなかった。 六  私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数が重なるにつれて、私はますます繁く先生の玄関へ足を運んだ。  けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をした時も、懇意になったその後も、あまり変りはなかった。先生は何時も静かであった。ある時は静か過ぎて淋しいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。  今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が射すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間に認めたのは、雑司ヶ谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞に過ぎなかった。私の心は五分と経たないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春の尽きるに間のない或る晩の事であった。  先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏の大樹を眼の前に想い浮かべた。勘定してみると、先生が毎月例として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。その三日目は私の課業が午で終える楽な日であった。私は先生に向かってこういった。 「先生雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」 「まだ空坊主にはならないでしょう」  先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそこからしばし眼を離さなかった。私はすぐいった。 「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしても宜ござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」 「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」 「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好いじゃありませんか」  先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参と散歩を切り離そうとする風に見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。 「じゃお墓参りでも好いからいっしょに伴れて行って下さい。私もお墓参りをしますから」  実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。すると先生の眉がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片付けられない微かな不安らしいものであった。私は忽ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。 「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」 七  私は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅へ出入りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊むべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際ができたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼で研究されるのを絶えず恐れていたのである。  私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅へ行くようになった。私の足が段々繁くなった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。 「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」 「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔なんですか」 「邪魔だとはいいません」  なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。私は先生の交際の範囲の極めて狭い事を知っていた。先生の元の同級生などで、その頃東京にいるものはほとんど二人か三人しかないという事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。 「私は淋しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」 「そりゃまたなぜです」  私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳ですか」といった。  この問答は私にとってすこぶる不得要領のものであったが、私はその時底まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否や笑い出した。 「また来ましたね」といった。 「ええ来ました」といって自分も笑った。  私は外の人からこういわれたらきっと癪に触ったろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。 「私は淋しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打つかりたいのでしょう……」 「私はちっとも淋しくはありません」 「若いうちほど淋しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅へ来るのですか」  ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。 「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」  先生はこういって淋しい笑い方をした。 八  幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私は、この予言の中に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内いつの間にか先生の食卓で飯を食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利かなければならないようになった。  普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。  これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美しいという外に何の感じも残っていない。  ある時私は先生の宅で酒を飲まされた。その時奥さんが出て来て傍で酌をしてくれた。先生はいつもより愉快そうに見えた。奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分の呑み干した盃を差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけた後、迷惑そうにそれを受け取った。奥さんは綺麗な眉を寄せて、私の半分ばかり注いで上げた盃を、唇の先へ持って行った。奥さんと先生の間に下のような会話が始まった。 「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多にないのにね」 「お前は嫌いだからさ。しかし稀には飲むといいよ。好い心持になるよ」 「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快そうね、少しご酒を召し上がると」 「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」 「今夜はいかがです」 「今夜は好い心持だね」 「これから毎晩少しずつ召し上がると宜ござんすよ」 「そうはいかない」 「召し上がって下さいよ。その方が淋しくなくって好いから」  先生の宅は夫婦と下女だけであった。行くたびに大抵はひそりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなかった。或る時は宅の中にいるものは先生と私だけのような気がした。 「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅いもののように考えていた。 「一人貰ってやろうか」と先生がいった。 「貰ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。 「子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。  奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。 九  私の知る限り先生と奥さんとは、仲の好い夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解らなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静といった)。先生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚だ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。  先生は時々奥さんを伴れて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。  当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子の前に立っていた私の耳にその言逆いの調子だけはほぼ分った。そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音なので、誰だか判然しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。  妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでも呑み込む能力を失ってしまった。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私を誘った。先刻帯の間へ包んだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだ袴を着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。  その晩私は先生といっしょに麦酒を飲んだ。先生は元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。 「今日は駄目です」といって先生は苦笑した。 「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。  私の腹の中には始終先刻の事が引っ懸っていた。肴の骨が咽喉に刺さった時のように、私は苦しんだ。打ち明けてみようかと考えたり、止した方が好かろうかと思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。 「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し変なのですよ。君に分りますか」  私は何の答えもし得なかった。 「実は先刻妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神経を昂奮させてしまったんです」と先生がまたいった。 「どうして……」  私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。 「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」 「どんなに先生を誤解なさるんですか」  先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。 「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」  先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。 十  二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁も二丁もつづいた。その後で突然先生が口を利き出した。 「悪い事をした。怒って出たから妻はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀そうなものですね。私の妻などは私より外にまるで頼りにするものがないんだから」  先生の言葉はちょっとそこで途切れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。 「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽だが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」 「中位に見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。  先生の宅へ帰るには私の下宿のつい傍を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにお宅の前までお伴しましょうか」といった。先生は忽ち手で私を遮った。 「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君のために」  先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。  先生と奥さんの間に起った波瀾が、大したものでない事はこれでも解った。それがまた滅多に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入りをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩らした。 「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」  私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然いう事ができない。けれども先生の態度の真面目であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中で疑らざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬られてしまった。  私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向いで話をする機会に出合った。先生はその日横浜を出帆する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋へ送りに行って留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃の習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義としてその日突然起った出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。 十一  その時の私はすでに大学生であった。始めて先生の宅へ来た頃から見るとずっと成人した気でいた。奥さんとも大分懇意になった後であった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。差向いで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで忘れてしまった。そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。しかしそれを話す前に、ちょっと断っておきたい事がある。  先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるという事は、東京へ帰って少し経ってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。  先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想については、先生と密切の関係をもっている私より外に敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常に惜しい事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利いては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜過ぎてかえって世間を冷評するようにも聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼を捉えて、ひどく無遠慮な批評を加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々してみた。私の精神は反抗の意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、解らなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強いものだったので、私はそれぎり何もいう勇気が出なかった。  私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。 「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう」 「あの人は駄目ですよ。そういう事が嫌いなんですから」 「つまり下らない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」 「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」 「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」 「丈夫ですとも。何にも持病はありません」 「それでなぜ活動ができないんでしょう」 「それが解らないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」  奥さんの語気には非常に同情があった。それでも口元だけには微笑が見えた。外側からいえば、私の方がむしろ真面目だった。私はむずかしい顔をして黙っていた。すると奥さんが急に思い出したようにまた口を開いた。 「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました。それが全く変ってしまったんです」 「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。 「書生時代よ」 「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」  奥さんは急に薄赤い顔をした。 十二  奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「本当いうと合の子なんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取かどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分の市ヶ谷で生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟県人であった。だから奥さんがもし先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をした奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。  先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善意に解釈してもみた。年輩の先生の事だから、艶めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと慎んでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういう艶っぽい問題になると、正直に自分を開放するだけの勇気がないのだろうと考えた。もっともどちらも推測に過ぎなかった。そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマンスの存在を仮定していた。  私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。  私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻いった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。  ただ一つ私の記憶に残っている事がある。或る時花時分に私は先生といっしょに上野へ行った。そうしてそこで美しい一対の男女を見た。彼らは睦まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙だてている人が沢山あった。 「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。 「仲が好さそうですね」と私が答えた。  先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。 「君は恋をした事がありますか」  私はないと答えた。 「恋をしたくはありませんか」  私は答えなかった。 「したくない事はないでしょう」 「ええ」 「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」 「そんな風に聞こえましたか」 「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」  私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。 十三  我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉しそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。 「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。 「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。 「なぜですか」 「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」  私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。 「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」 「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」 「今それほど動いちゃいません」 「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」 「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」 「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」 「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」 「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」  私は変に悲しくなった。 「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」  先生は私の言葉に耳を貸さなかった。 「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」  私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧としてよく解らなかった。その上私は少し不愉快になった。 「先生、罪悪という意味をもっと判然いって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」 「悪い事をした。私はあなたに真実を話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮していたのだ。私は悪い事をした」  先生と私とは博物館の裏から鶯渓の方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間から広い庭の一部に茂る熊笹が幽邃に見えた。 「君は私がなぜ毎月雑司ヶ谷の墓地に埋っている友人の墓へ参るのか知っていますか」  先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。 「また悪い事をいった。焦慮せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」  私には先生の話がますます解らなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。 十四  年の若い私はややともすると一図になりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。 「あんまり逆上ちゃいけません」と先生がいった。 「覚めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生は肯がってくれなかった。 「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭になります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」 「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」 「私はお気の毒に思うのです」 「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」  先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺める癖があった。 「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」  その時生垣の向うで金魚売りらしい声がした。その外には何の聞こえるものもなかった。大通りから二丁も深く折れ込んだ小路は存外静かであった。家の中はいつもの通りひっそりしていた。私は次の間に奥さんのいる事を知っていた。黙って針仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。 「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。  先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。 「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」 「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」 「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖くなったんです」  私はもう少し先まで同じ道を辿って行きたかった。すると襖の陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の間へ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解らなかった。それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。 「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」 「そりゃどういう意味ですか」 「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」  私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。 十五  その後私は奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。  奥さんの様子は満足とも不満足とも極めようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多に顔を合せなかったから。  私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。ただ冷たい眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。先生は坐って考える質の人であった。先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石造家屋の輪廓とは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。  これは私の胸で推測するがものはない。先生自身すでにそうだと告白していた。ただその告白が雲の峯のようであった。私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを蔽い被せた。そうしてなぜそれが恐ろしいか私にも解らなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の神経を震わせた。  私は先生のこの人生観の基点に、或る強烈な恋愛事件を仮定してみた。(無論先生と奥さんとの間に起った)。先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少それが手掛りにもなった。しかし先生は現に奥さんを愛していると私に告げた。すると二人の恋からこんな厭世に近い覚悟が出ようはずがなかった。「かつてはその人の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰彼について用いられるべきで、先生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。  雑司ヶ谷にある誰だか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命の扉を開ける鍵にはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。  そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。その頃は日の詰って行くせわしない秋に、誰も注意を惹かれる肌寒の季節であった。先生の附近で盗難に罹ったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれた家はほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外の二、三名と共に、ある所でその友人に飯を食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。 十六  私の行ったのはまだ灯の点くか点かない暮れ方であったが、几帳面な先生はもう宅にいなかった。「時間に後れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を先生の書斎へ案内した。  書斎には洋机と椅子の外に、沢山の書物が美しい背皮を並べて、硝子越に電燈の光で照らされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団の上へ私を坐らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。私は畏まったまま烟草を飲んでいた。奥さんが茶の間で何か下女に話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った角にあるので、棟の位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領していた。ひとしきりで奥さんの話し声が已むと、後はしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、凝としながら気をどこかに配った。  三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪らしく控えている私をおかしそうに見た。 「それじゃ窮屈でしょう」 「いえ、窮屈じゃありません」 「でも退屈でしょう」 「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」  奥さんは手に紅茶茶碗を持ったまま、笑いながらそこに立っていた。 「ここは隅っこだから番をするには好くありませんね」と私がいった。 「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴。ご退屈だろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間で宜しければあちらで上げますから」  私は奥さんの後に尾いて書斎を出た。茶の間には綺麗な長火鉢に鉄瓶が鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走になった。奥さんは寝られないといけないといって、茶碗に手を触れなかった。 「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛けになるんですか」 「いいえ滅多に出た事はありません。近頃は段々人の顔を見るのが嫌いになるようです」  こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風も見えなかったので、私はつい大胆になった。 「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」 「いいえ私も嫌われている一人なんです」 「そりゃ嘘です」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」 「なぜ」 「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」 「あなたは学問をする方だけあって、なかなかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同なじ理屈で」 「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」 「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ」  奥さんの言葉は少し手痛かった。しかしその言葉の耳障からいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出すほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。 十七  私はまだその後にいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗の底を覗いて黙っている私を外らさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。 「いくつ? 一つ? 二ッつ?」  妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数を聞いた。奥さんの態度は私に媚びるというほどではなかったけれども、先刻の強い言葉を力めて打ち消そうとする愛嬌に充ちていた。  私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。 「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。 「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱り付けられそうですから」と私は答えた。 「まさか」と奥さんが再びいった。  二人はそれを緒口にまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。 「奥さん、先刻の続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんには空な理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上の空でいってる事じゃないんだから」 「じゃおっしゃい」 「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」 「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外に仕方がないじゃありませんか。私の所へ持って来る問題じゃないわ」 「奥さん、私は真面目ですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ」 「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」 「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですから、あなたに伺います」 「何もそんな事を開き直って聞かなくっても好いじゃありませんか」 「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」 「まあそうよ」 「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」 「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚になるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」 「その信念が先生の心に好く映るはずだと私は思いますが」 「それは別問題ですわ」 「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」 「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」  奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑み込めた。 十八  私は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺戟を与えた。それで奥さんはその頃流行り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。  私は女というものに深い交際をした経験のない迂闊な青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬の目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺めるような心持で、ただ漠然と夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力を感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。普通男女の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。私は奥さんの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。 「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」 「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」 「どんなだったんですか」 「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」 「それがどうして急に変化なすったんですか」 「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」 「奥さんはその間始終先生といっしょにいらしったんでしょう」 「無論いましたわ。夫婦ですもの」 「じゃ先生がそう変って行かれる源因がちゃんと解るべきはずですがね」 「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛いんですが、私にはどう考えても、考えようがないんですもの。私は今まで何遍あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」 「先生は何とおっしゃるんですか」 「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、取り合ってくれないんです」  私は黙っていた。奥さんも言葉を途切らした。下女部屋にいる下女はことりとも音をさせなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。 「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。 「いいえ」と私が答えた。 「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいった。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」 「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が保証します」  奥さんは火鉢の灰を掻き馴らした。それから水注の水を鉄瓶に注した。鉄瓶は忽ち鳴りを沈めた。 「私はとうとう辛防し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの事自分の悪い所が聞きたくなるんです」  奥さんは眼の中に涙をいっぱい溜めた。 十九  始め私は理解のある女性として奥さんに対していた。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開けて見極めようとすると、やはり何にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。  奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的だから、その結果として自分も嫌われているのだと断言した。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、かえってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭になったのだろうと推測していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。先生の態度はどこまでも良人らしかった。親切で優しかった。疑いの塊りをその日その日の情合で包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。 「あなたどう思って?」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴」  私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。 「私には解りません」  奥さんは予期の外れた時に見る憐れな表情をその咄嗟に現わした。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。 「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。先生は嘘を吐かない方でしょう」  奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。 「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」 「先生がああいう風になった源因についてですか」 「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」 「どんな事ですか」  奥さんはいい渋って膝の上に置いた自分の手を眺めていた。 「あなた判断して下すって。いうから」 「私にできる判断ならやります」 「みんなはいえないのよ。みんないうと叱られるから。叱られないところだけよ」  私は緊張して唾液を呑み込んだ。 「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いお友達が一人あったのよ。その方がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」  奥さんは私の耳に私語くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。 「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」 「その人の墓ですか、雑司ヶ谷にあるのは」 「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪らないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」  私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。 二十  私は私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと事の大根を攫んでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂う薄い雲に似た疑惑から出て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかった。知れているところでも悉皆は私に話す事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束ない私の判断に縋り付こうとした。  十時頃になって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今までのすべてを忘れたように、前に坐っている私をそっちのけにして立ち上がった。そうして格子を開ける先生をほとんど出合い頭に迎えた。私は取り残されながら、後から奥さんに尾いて行った。下女だけは仮寝でもしていたとみえて、ついに出て来なかった。  先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のうちに溜った涙の光と、それから黒い眉毛の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとして注意深く眺めた。もしそれが詐りでなかったならば、(実際それは詐りとは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷を玩ぶためにとくに私を相手に拵えた、徒らな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。  先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないんで張合が抜けやしませんか」といった。  帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰させて気の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥さんはそういいながら、先刻出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを袂へ入れて、人通りの少ない夜寒の小路を曲折して賑やかな町の方へ急いだ。  私はその晩の事を記憶のうちから抽き抜いてここへ詳しく書いた。これは書くだけの必要があるから書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰って帰るときの気分では、それほど当夜の会話を重く見ていなかった。私はその翌日午飯を食いに学校から帰ってきて、昨夜机の上に載せて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色のカステラを出して頬張った。そうしてそれを食う時に、必竟この菓子を私にくれた二人の男女は、幸福な一対として世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。  秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅へ出はいりをするついでに、衣服の洗い張りや仕立て方などを奥さんに頼んだ。それまで繻絆というものを着た事のない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のない奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌ぎになって、結句身体の薬だぐらいの事をいっていた。 「こりゃ手織りね。こんな地の好い着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪いのよそりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭で針を二本折りましたわ」  こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒くさいという顔をしなかった。 二十一  冬が来た時、私は偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できるなら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。  父はかねてから腎臓を病んでいた。中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病は慢性であった。その代り要心さえしていれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現に父は養生のお蔭一つで、今日までどうかこうか凌いで来たように客が来ると吹聴していた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何かしている機に突然眩暈がして引ッ繰り返った。家内のものは軽症の脳溢血と思い違えて、すぐその手当をした。後で医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろうという判断を得て、始めて卒倒と腎臓病とを結び付けて考えるようになったのである。  冬休みが来るにはまだ少し間があった。私は学期の終りまで待っていても差支えあるまいと思って一日二日そのままにしておいた。するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配している顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗めた私は、とうとう帰る決心をした。国から旅費を送らせる手数と時間を省くため、私は暇乞いかたがた先生の所へ行って、要るだけの金を一時立て替えてもらう事にした。  先生は少し風邪の気味で、座敷へ出るのが臆劫だといって、私をその書斎に通した。書斎の硝子戸から冬に入って稀に見るような懐かしい和らかな日光が机掛けの上に射していた。先生はこの日あたりの好い室の中へ大きな火鉢を置いて、五徳の上に懸けた金盥から立ち上る湯気で、呼吸の苦しくなるのを防いでいた。 「大病は好いが、ちょっとした風邪などはかえって厭なものですね」といった先生は、苦笑しながら私の顔を見た。  先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。 「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平です。先生だって同じ事でしょう。試みにやってご覧になるとよく解ります」 「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹りたいと思ってる」  私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。 「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」  先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥か何かの抽出から出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧に重ねて、「そりゃご心配ですね」といった。 「何遍も卒倒したんですか」と先生が聞いた。 「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」 「ええ」  先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。 「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。 「そうさね。私が代られれば代ってあげても好いが。――嘔気はあるんですか」 「どうですか、何とも書いてないから、大方ないんでしょう」 「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。  私はその晩の汽車で東京を立った。 二十二  父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床の上に胡坐をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝としている。なにもう起きても好いのさ」といった。しかしその翌日からは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性に太織りの蒲団を畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよ」といった。私には父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。  私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母の顔を見る自由の利かない男であった。妹は他国へ嫁いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしている私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放り出して、休み前に帰って来たという事が、父には大きな満足であった。 「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山な手紙を書くものだからいけない」  父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床を上げさせて、いつものような元気を示した。 「あんまり軽はずみをしてまた逆回すといけませんよ」  私のこの注意を父は愉快そうにしかし極めて軽く受けた。 「なに大丈夫、これでいつものように要心さえしていれば」  実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈も感じなかった。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、これはまた今始まった症状でもないので、私たちは格別それを気に留めなかった。  私は先生に手紙を書いて恩借の礼を述べた。正月上京する時に持参するからそれまで待ってくれるようにと断わった。そうして父の病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈も嘔気も皆無な事などを書き連ねた。最後に先生の風邪についても一言の見舞を附け加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。  私はその手紙を出す時に決して先生の返事を予期していなかった。出した後で父や母と先生の噂などをしながら、遥かに先生の書斎を想像した。 「こんど東京へ行くときには椎茸でも持って行ってお上げ」 「ええ、しかし先生が干した椎茸なぞを食うかしら」 「旨くはないが、別に嫌いな人もないだろう」  私には椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。  先生の返事が来た時、私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚かされた。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一本の手紙が私には大層な喜びになった。もっともこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なかったが。  第一というと私と先生の間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、事実は決してそうでない事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前にたった二通の手紙しか貰っていない。その一通は今いうこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私宛で書いた大変長いものである。  父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外へは出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣って、私が引き添うように傍に付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑って応じなかった。 二十三  私は退屈な父の相手としてよく将碁盤に向かった。二人とも無精な性質なので、炬燵にあたったまま、盤を櫓の上へ載せて、駒を動かすたびに、わざわざ手を掛蒲団の下から出すような事をした。時々持駒を失くして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見付け出して、火箸で挟み上げるという滑稽もあった。 「碁だと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好いね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう」  父は勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要するに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、この隠居じみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経つに伴れて、若い私の気力はそのくらいな刺戟で満足できなくなった。私は金や香車を握った拳を頭の上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。  私は東京の事を考えた。そうして漲る心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動を聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた。  私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分らないほど大人しい男であった。他に認められるという点からいえばどっちも零であった。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊興のために往来をした覚えのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷やか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなかに先生の力が喰い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私には少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。  私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々陳腐になって来た。これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも置かないように、ちやほや歓待されるのに、その峠を定規通り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解らない変なところを東京から持って帰った。昔でいうと、儒者の家へ切支丹の臭いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。無論私はそれを隠していた。けれども元々身に着いているものだから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留まった。私はつい面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。  父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはり私の知っている以外に異状は認められなかった。私は冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も母も反対した。 「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。 「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。  私は自分の極めた出立の日を動かさなかった。 二十四  東京へ帰ってみると、松飾はいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。  私は早速先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸もついでに持って行った。ただ出すのは少し変だから、母がこれを差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置いた。椎茸は新しい菓子折に入れてあった。鄭寧に礼を述べた奥さんは、次の間へ立つ時、その折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子」と聞いた。奥さんは懇意になると、こんなところに極めて淡泊な小供らしい心を見せた。  二人とも父の病気について、色々掛念の問いを繰り返してくれた中に、先生はこんな事をいった。 「なるほど容体を聞くと、今が今どうという事もないようですが、病気が病気だからよほど気をつけないといけません」  先生は腎臓の病について私の知らない事を多く知っていた。 「自分で病気に罹っていながら、気が付かないで平気でいるのがあの病の特色です。私の知ったある士官は、とうとうそれでやられたが、全く嘘のような死に方をしたんですよ。何しろ傍に寝ていた細君が看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょっと苦しいといって、細君を起したぎり、翌る朝はもう死んでいたんです。しかも細君は夫が寝ているとばかり思ってたんだっていうんだから」  今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。 「私の父もそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」 「医者は何というのです」 「医者は到底治らないというんです。けれども当分のところ心配はあるまいともいうんです」 「それじゃ好いでしょう。医者がそういうなら。私の今話したのは気が付かずにいた人の事で、しかもそれがずいぶん乱暴な軍人なんだから」  私はやや安心した。私の変化を凝と見ていた先生は、それからこう付け足した。 「しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆いものですね。いつどんな事でどんな死にようをしないとも限らないから」 「先生もそんな事を考えてお出ですか」 「いくら丈夫の私でも、満更考えない事もありません」  先生の口元には微笑の影が見えた。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」  その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後は何らのこだわりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度か手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。 二十五  その年の六月に卒業するはずの私は、ぜひともこの論文を成規通り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し自分の度胸を疑った。他のものはよほど前から材料を蒐めたり、ノートを溜めたりして、余所目にも忙しそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽ち動けなくなった。今まで大きな問題を空に描いて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考えていた私は、頭を抑えて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思想を系統的に纏める手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょっと付け加える事にした。  私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を尋ねた時、先生は好いでしょうといった。狼狽した気味の私は、早速先生の所へ出掛けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与えてくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫も私を指導する任に当ろうとしなかった。 「近頃はあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好いでしょう」  先生は一時非常の読書家であったが、その後どういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなったようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、そぞろに口を開いた。 「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」 「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでしょう。それから……」 「それから、まだあるんですか」 「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出したものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだのです」  先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味を帯びていなかっただけに、私にはそれほどの手応えもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに帰った。  それからの私はほとんど論文に祟られた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年前に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人は締切の日に車で事務所へ馳けつけて漸く間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後らして持って行ったため、危く跳ね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理してもらったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据えた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でなければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻した。私の眼は好事家が骨董でも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。  梅が咲くにつけて寒い風は段々向を南へ更えて行った。それが一仕切経つと、桜の噂がちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨がなかった。 二十六  私の自由になったのは、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節であった。私は籠を抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目に見渡しながら、自由に羽搏きをした。私はすぐ先生の家へ行った。枳殻の垣が黒ずんだ枝の上に、萌るような芽を吹いていたり、柘榴の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るような珍しさを覚えた。  先生は嬉しそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「お蔭でようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。  実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了して、これから先は威張って遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々した。先生はいつもの調子で、「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足りないというよりも、聊か拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々していた。私は青く蘇生ろうとする大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。 「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変好い心持です」 「どこへ」  私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴れて郊外へ出たかった。  一時間の後、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛もなく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉をぎ取って芝笛を鳴らした。ある鹿児島人を友達にもって、その人の真似をしつつ自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。  やがて若葉に鎖ざされたように蓊欝した小高い一構えの下に細い路が開けた。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだら上りになっている入口を眺めて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」と答えた。  植込の中を一うねりして奥へ上ると左側に家があった。明け放った障子の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先に据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が動いていた。 「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」 「構わないでしょう」  二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色の丈の高いのを指して、「これは霧島でしょう」といった。  芍薬も十坪あまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかった。この芍薬畠の傍にある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字なりに寝た。私はその余った端の方に腰をおろして烟草を吹かした。先生は蒼い透き徹るような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違っていた。同じ楓の樹でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。 二十七  私はすぐその帽子を取り上げた。所々に着いている赤土を爪で弾きながら先生を呼んだ。 「先生帽子が落ちました」 「ありがとう」  身体を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。 「突然だが、君の家には財産がよっぽどあるんですか」 「あるというほどありゃしません」 「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」 「どのくらいって、山と田地が少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」  先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」  先生は平生からむしろ質素な服装をしていた。それに家内は小人数であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」  この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなものを描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」  先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」  私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟であったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫えが少しも筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好いんでしょう」 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」  私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。 二十八 「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね、余計なお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、貰うものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万一の事があったあとで、一番面倒の起るのは財産の問題だから」 「ええ」  私は先生の言葉に大した注意を払わなかった。私の家庭でそんな心配をしているものは、私に限らず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じていた。その上先生のいう事の、先生として、あまりに実際的なのに私は少し驚かされた。しかしそこは年長者に対する平生の敬意が私を無口にした。 「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣いをするのが気に触ったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬか分らないものだからね」  先生の口気は珍しく苦々しかった。 「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。 「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。  先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。 「みんな善い人ですか」 「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」 「田舎者はなぜ悪くないんですか」  私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」  先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後ろの方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。  縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍に、熊笹が三坪ほど地を隠すように茂って生えていた。犬はその顔と背を熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十ぐらいの小供が馳けて来て犬を叱り付けた。小供は徽章の着いた黒い帽子を被ったまま先生の前へ廻って礼をした。 「叔父さん、はいって来る時、家に誰もいなかったかい」と聞いた。 「誰もいなかったよ」 「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」 「そうか、いたのかい」 「ああ。叔父さん、今日はって、断ってはいって来ると好かったのに」  先生は苦笑した。懐中から蟇口を出して、五銭の白銅を小供の手に握らせた。 「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」  小供は怜悧そうな眼に笑いを漲らして、首肯いて見せた。 「今斥候長になってるところなんだよ」  小供はこう断って、躑躅の間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾を高く巻いて小供の後を追い掛けた。しばらくすると同じくらいの年格好の小供が二、三人、これも斥候長の下りて行った方へ駈けていった。 二十九  先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなったので、私はついにその要領を得ないでしまった。先生の気にする財産云々の掛念はその時の私には全くなかった。私の性質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな利害の念に頭を悩ます余地がなかったのである。考えるとこれは私がまだ世間に出ないためでもあり、また実際その場に臨まないためでもあったろうが、とにかく若い私にはなぜか金の問題が遠くの方に見えた。  先生の話のうちでただ一つ底まで聞きたかったのは、人間がいざという間際に、誰でも悪人になるという言葉の意味であった。単なる言葉としては、これだけでも私に解らない事はなかった。しかし私はこの句についてもっと知りたかった。  犬と小供が去ったあと、広い若葉の園は再び故の静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖ざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前にある樹は大概楓であったが、その枝に滴るように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日へでも出掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に瞑想から呼息を吹き返した人のように立ち上がった。 「もう、そろそろ帰りましょう。大分日が永くなったようだが、やっぱりこう安閑としているうちには、いつの間にか暮れて行くんだね」  先生の背中には、さっき縁台の上に仰向きに寝た痕がいっぱい着いていた。私は両手でそれを払い落した。 「ありがとう。脂がこびり着いてやしませんか」 「綺麗に落ちました」 「この羽織はつい此間拵えたばかりなんだよ。だからむやみに汚して帰ると、妻に叱られるからね。有難う」  二人はまただらだら坂の中途にある家の前へ来た。はいる時には誰もいる気色の見えなかった縁に、お上さんが、十五、六の娘を相手に、糸巻へ糸を巻きつけていた。二人は大きな金魚鉢の横から、「どうもお邪魔をしました」と挨拶した。お上さんは「いいえお構い申しも致しませんで」と礼を返した後、先刻小供にやった白銅の礼を述べた。  門口を出て二、三町来た時、私はついに先生に向かって口を切った。 「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」 「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」 「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」  先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風に。 「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」  私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰らなかった。先生が調子に乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出した。いきおい先生は少し後れがちになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた。 「そら見たまえ」 「何をですか」 「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」  待ち合わせるために振り向いて立ち留まった私の顔を見て、先生はこういった。 三十  その時の私は腹の中で先生を憎らしく思った。肩を並べて歩き出してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにいた。しかし先生の方では、それに気が付いていたのか、いないのか、まるで私の態度に拘泥る様子を見せなかった。いつもの通り沈黙がちに落ち付き払った歩調をすまして運んで行くので、私は少し業腹になった。何とかいって一つ先生をやっ付けてみたくなって来た。 「先生」 「何ですか」 「先生はさっき少し昂奮なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでいる時に。私は先生の昂奮したのを滅多に見た事がないんですが、今日は珍しいところを拝見したような気がします」  先生はすぐ返事をしなかった。私はそれを手応えのあったようにも思った。また的が外れたようにも感じた。仕方がないから後はいわない事にした。すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。 「やあ失敬」  先生はこういってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込める事を断念した。私たちの通る道は段々賑やかになった。今までちらほらと見えた広い畠の斜面や平地が、全く眼に入らないように左右の家並が揃ってきた。それでも所々宅地の隅などに、豌豆の蔓を竹にからませたり、金網で鶏を囲い飼いにしたりするのが閑静に眺められた。市中から帰る駄馬が仕切りなく擦れ違って行った。こんなものに始終気を奪られがちな私は、さっきまで胸の中にあった問題をどこかへ振り落してしまった。先生が突然そこへ後戻りをした時、私は実際それを忘れていた。 「私は先刻そんなに昂奮したように見えたんですか」 「そんなにというほどでもありませんが、少し……」 「いや見えても構わない。実際昂奮するんだから。私は財産の事をいうときっと昂奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大変執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れやしないんだから」  先生の言葉は元よりもなお昂奮していた。しかし私の驚いたのは、決してその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。私は先生の性質の特色として、こんな執着力をいまだかつて想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人と信じていた。そうしてその弱くて高い処に、私の懐かしみの根を置いていた。一時の気分で先生にちょっと盾を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくなった。先生はこういった。 「私は他に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供の時から今日まで背負わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」  私は慰藉の言葉さえ口へ出せなかった。 三十一  その日の談話もついにこれぎりで発展せずにしまった。私はむしろ先生の態度に畏縮して、先へ進む気が起らなかったのである。  二人は市の外れから電車に乗ったが、車内ではほとんど口を聞かなかった。電車を降りると間もなく別れなければならなかった。別れる時の先生は、また変っていた。常よりは晴やかな調子で、「これから六月までは一番気楽な時ですね。ことによると生涯で一番気楽かも知れない。精出して遊びたまえ」といった。私は笑って帽子を脱った。その時私は先生の顔を見て、先生ははたして心のどこで、一般の人間を憎んでいるのだろうかと疑った。その眼、その口、どこにも厭世的の影は射していなかった。  私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。しかし同じ問題について、利益を受けようとしても、受けられない事が間々あったといわなければならない。先生の談話は時として不得要領に終った。その日二人の間に起った郊外の談話も、この不得要領の一例として私の胸の裏に残った。  無遠慮な私は、ある時ついにそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑っていた。私はこういった。 「頭が鈍くて要領を得ないのは構いませんが、ちゃんと解ってるくせに、はっきりいってくれないのは困ります」 「私は何にも隠してやしません」 「隠していらっしゃいます」 「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏め上げた考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それはまた別問題になります」 「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」  先生はあきれたといった風に、私の顔を見た。巻烟草を持っていたその手が少し顫えた。 「あなたは大胆だ」 「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」 「私の過去を訐いてもですか」  訐くという言葉が、突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。 「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」 「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」  私の声は顫えた。 「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」  私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。 三十二  私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。それでも私は予定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭くなった古い冬服を行李の中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。私は風の通らない厚羅紗の下に密封された自分の身体を持て余した。しばらく立っているうちに手に持ったハンケチがぐしょぐしょになった。  私は式が済むとすぐ帰って裸体になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。  私はその晩先生の家へ御馳走に招かれて行った。これはもし卒業したらその日の晩餐はよそで喰わずに、先生の食卓で済ますという前からの約束であった。  食卓は約束通り座敷の縁近くに据えられてあった。模様の織り出された厚い糊の硬い卓布が美しくかつ清らかに電燈の光を射返していた。先生のうちで飯を食うと、きっとこの西洋料理店に見るような白いリンネルの上に、箸や茶碗が置かれた。そうしてそれが必ず洗濯したての真白なものに限られていた。 「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用いるくらいなら、一層始めから色の着いたものを使うが好い。白ければ純白でなくっちゃ」  こういわれてみると、なるほど先生は潔癖であった。書斎なども実に整然と片付いていた。無頓着な私には、先生のそういう特色が折々著しく眼に留まった。 「先生は癇性ですね」とかつて奥さんに告げた時、奥さんは「でも着物などは、それほど気にしないようですよ」と答えた事があった。それを傍に聞いていた先生は、「本当をいうと、私は精神的に癇性なんです。それで始終苦しいんです。考えると実に馬鹿馬鹿しい性分だ」といって笑った。精神的に癇性という意味は、俗にいう神経質という意味か、または倫理的に潔癖だという意味か、私には解らなかった。奥さんにも能く通じないらしかった。  その晩私は先生と向い合せに、例の白い卓布の前に坐った。奥さんは二人を左右に置いて、独り庭の方を正面にして席を占めた。 「お目出とう」といって、先生が私のために杯を上げてくれた。私はこの盃に対してそれほど嬉しい気を起さなかった。無論私自身の心がこの言葉に反響するように、飛び立つ嬉しさをもっていなかったのが、一つの源因であった。けれども先生のいい方も決して私の嬉しさを唆る浮々した調子を帯びていなかった。先生は笑って杯を上げた。私はその笑いのうちに、些とも意地の悪いアイロニーを認めなかった。同時に目出たいという真情も汲み取る事ができなかった。先生の笑いは、「世間はこんな場合によくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語っていた。  奥さんは私に「結構ね。さぞお父さんやお母さんはお喜びでしょう」といってくれた。私は突然病気の父の事を考えた。早くあの卒業証書を持って行って見せてやろうと思った。 「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。 「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞いた。 「ええ、たしかしまってあるはずですが」  卒業証書の在処は二人ともよく知らなかった。 三十三  飯になった時、奥さんは傍に坐っている下女を次へ立たせて、自分で給仕の役をつとめた。これが表立たない客に対する先生の家の仕来りらしかった。始めの一、二回は私も窮屈を感じたが、度数の重なるにつけ、茶碗を奥さんの前へ出すのが、何でもなくなった。 「お茶? ご飯? ずいぶんよく食べるのね」  奥さんの方でも思い切って遠慮のない事をいうことがあった。しかしその日は、時候が時候なので、そんなに調戯われるほど食欲が進まなかった。 「もうおしまい。あなた近頃大変小食になったのね」 「小食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです」  奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた。 「これは宅で拵えたのよ」  用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客に振舞うだけの余裕があると見えた。私はそれを二杯更えてもらった。 「君もいよいよ卒業したが、これから何をする気ですか」と先生が聞いた。先生は半分縁側の方へ席をずらして、敷居際で背中を障子に靠たせていた。  私にはただ卒業したという自覚があるだけで、これから何をしようという目的もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師?」と聞いた。それにも答えずにいると、今度は、「じゃお役人?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出した。 「本当いうと、まだ何をする考えもないんです。実は職業というものについて、全く考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善いか、どれが悪いか、自分がやって見た上でないと解らないんだから、選択に困る訳だと思います」 「それもそうね。けれどもあなたは必竟財産があるからそんな呑気な事をいっていられるのよ。これが困る人でご覧なさい。なかなかあなたのように落ち付いちゃいられないから」  私の友達には卒業しない前から、中学教師の口を探している人があった。私は腹の中で奥さんのいう事実を認めた。しかしこういった。 「少し先生にかぶれたんでしょう」 「碌なかぶれ方をして下さらないのね」  先生は苦笑した。 「かぶれても構わないから、その代りこの間いった通り、お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。それでないと決して油断はならない」  私は先生といっしょに、郊外の植木屋の広い庭の奥で話した、あの躑躅の咲いている五月の初めを思い出した。あの時帰り途に、先生が昂奮した語気で、私に物語った強い言葉を、再び耳の底で繰り返した。それは強いばかりでなく、むしろ凄い言葉であった。けれども事実を知らない私には同時に徹底しない言葉でもあった。 「奥さん、お宅の財産はよッぽどあるんですか」 「何だってそんな事をお聞きになるの」 「先生に聞いても教えて下さらないから」  奥さんは笑いながら先生の顔を見た。 「教えて上げるほどないからでしょう」 「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、宅へ帰って一つ父に談判する時の参考にしますから聞かして下さい」  先生は庭の方を向いて、澄まして烟草を吹かしていた。相手は自然奥さんでなければならなかった。 「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮してゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜いとして、あなたはこれから何か為さらなくっちゃ本当にいけませんよ。先生のようにごろごろばかりしていちゃ……」 「ごろごろばかりしていやしないさ」  先生はちょっと顔だけ向け直して、奥さんの言葉を否定した。 三十四  私はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。二、三日うちに帰国するはずになっていたので、座を立つ前に私はちょっと暇乞いの言葉を述べた。 「また当分お目にかかれませんから」 「九月には出ていらっしゃるんでしょうね」  私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て来る必要もなかった。しかし暑い盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかった。私には位置を求めるための貴重な時間というものがなかった。 「まあ九月頃になるでしょう」 「じゃずいぶんご機嫌よう。私たちもこの夏はことによるとどこかへ行くかも知れないのよ。ずいぶん暑そうだから。行ったらまた絵端書でも送って上げましょう」 「どちらの見当です。もしいらっしゃるとすれば」  先生はこの問答をにやにや笑って聞いていた。 「何まだ行くとも行かないとも極めていやしないんです」  席を立とうとした時、先生は急に私をつらまえて、「時にお父さんの病気はどうなんです」と聞いた。私は父の健康についてほとんど知るところがなかった。何ともいって来ない以上、悪くはないのだろうくらいに考えていた。 「そんなに容易く考えられる病気じゃありませんよ。尿毒症が出ると、もう駄目なんだから」  尿毒症という言葉も意味も私には解らなかった。この前の冬休みに国で医者と会見した時に、私はそんな術語をまるで聞かなかった。 「本当に大事にしてお上げなさいよ」と奥さんもいった。「毒が脳へ廻るようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事じゃないわ」  無経験な私は気味を悪がりながらも、にやにやしていた。 「どうせ助からない病気だそうですから、いくら心配したって仕方がありません」 「そう思い切りよく考えれば、それまでですけれども」  奥さんは昔同じ病気で死んだという自分のお母さんの事でも憶い出したのか、沈んだ調子でこういったなり下を向いた。私も父の運命が本当に気の毒になった。  すると先生が突然奥さんの方を向いた。 「静、お前はおれより先へ死ぬだろうかね」 「なぜ」 「なぜでもない、ただ聞いてみるのさ。それとも己の方がお前より前に片付くかな。大抵世間じゃ旦那が先で、細君が後へ残るのが当り前のようになってるね」 「そう極った訳でもないわ。けれども男の方はどうしても、そら年が上でしょう」 「だから先へ死ぬという理屈なのかね。すると己もお前より先にあの世へ行かなくっちゃならない事になるね」 「あなたは特別よ」 「そうかね」 「だって丈夫なんですもの。ほとんど煩った例がないじゃありませんか。そりゃどうしたって私の方が先だわ」 「先かな」 「え、きっと先よ」  先生は私の顔を見た。私は笑った。 「しかしもしおれの方が先へ行くとするね。そうしたらお前どうする」 「どうするって……」  奥さんはそこで口籠った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。けれども再び顔をあげた時は、もう気分を更えていた。 「どうするって、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定っていうくらいだから」  奥さんはことさらに私の方を見て笑談らしくこういった。 三十五  私は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りの付くまで二人の相手になっていた。 「君はどう思います」と先生が聞いた。  先生が先へ死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、固より私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ笑っていた。 「寿命は分りませんね。私にも」 「こればかりは本当に寿命ですからね。生れた時にちゃんと極った年数をもらって来るんだから仕方がないわ。先生のお父さんやお母さんなんか、ほとんど同じよ、あなた、亡くなったのが」 「亡くなられた日がですか」 「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて亡くなっちまったんですもの」  この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。 「どうしてそう一度に死なれたんですか」  奥さんは私の問いに答えようとした。先生はそれを遮った。 「そんな話はお止しよ。つまらないから」  先生は手に持った団扇をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みた。 「静、おれが死んだらこの家をお前にやろう」  奥さんは笑い出した。 「ついでに地面も下さいよ」 「地面は他のものだから仕方がない。その代りおれの持ってるものは皆なお前にやるよ」 「どうも有難う。けれども横文字の本なんか貰っても仕様がないわね」 「古本屋に売るさ」 「売ればいくらぐらいになって」  先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起るものと仮定されていた。奥さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしているらしく見えた。それがいつの間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。 「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍おっしゃるの。後生だからもう好い加減にして、おれが死んだらは止して頂戴。縁喜でもない。あなたが死んだら、何でもあなたの思い通りにして上げるから、それで好いじゃありませんか」  先生は庭の方を向いて笑った。しかしそれぎり奥さんの厭がる事をいわなくなった。私もあまり長くなるので、すぐ席を立った。先生と奥さんは玄関まで送って出た。 「ご病人をお大事に」と奥さんがいった。 「また九月に」と先生がいった。  私は挨拶をして格子の外へ足を踏み出した。玄関と門の間にあるこんもりした木犀の一株が、私の行手を塞ぐように、夜陰のうちに枝を張っていた。私は二、三歩動き出しながら、黒ずんだ葉に被われているその梢を見て、来たるべき秋の花と香を想い浮べた。私は先生の宅とこの木犀とを、以前から心のうちで、離す事のできないもののように、いっしょに記憶していた。私が偶然その樹の前に立って、再びこの宅の玄関を跨ぐべき次の秋に思いを馳せた時、今まで格子の間から射していた玄関の電燈がふっと消えた。先生夫婦はそれぎり奥へはいったらしかった。私は一人暗い表へ出た。  私はすぐ下宿へは戻らなかった。国へ帰る前に調える買物もあったし、ご馳走を詰めた胃袋にくつろぎを与える必要もあったので、ただ賑やかな町の方へ歩いて行った。町はまだ宵の口であった。用事もなさそうな男女がぞろぞろ動く中に、私は今日私といっしょに卒業したなにがしに会った。彼は私を無理やりにある酒場へ連れ込んだ。私はそこで麦酒の泡のような彼の気を聞かされた。私の下宿へ帰ったのは十二時過ぎであった。 三十六  私はその翌日も暑さを冒して、頼まれものを買い集めて歩いた。手紙で注文を受けた時は何でもないように考えていたのが、いざとなると大変臆劫に感ぜられた。私は電車の中で汗を拭きながら、他の時間と手数に気の毒という観念をまるでもっていない田舎者を憎らしく思った。  私はこの一夏を無為に過ごす気はなかった。国へ帰ってからの日程というようなものをあらかじめ作っておいたので、それを履行するに必要な書物も手に入れなければならなかった。私は半日を丸善の二階で潰す覚悟でいた。私は自分に関係の深い部門の書籍棚の前に立って、隅から隅まで一冊ずつ点検して行った。  買物のうちで一番私を困らせたのは女の半襟であった。小僧にいうと、いくらでも出してはくれるが、さてどれを選んでいいのか、買う段になっては、ただ迷うだけであった。その上価が極めて不定であった。安かろうと思って聞くと、非常に高かったり、高かろうと考えて、聞かずにいると、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見ても、どこから価格の差違が出るのか見当の付かないのもあった。私は全く弱らせられた。そうして心のうちで、なぜ先生の奥さんを煩わさなかったかを悔いた。  私は鞄を買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも金具やなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇かすには充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切の土産ものを入れて帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡が解らないというよりも、その言葉が一種の滑稽として訴えたのである。  私は暇乞いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。この冬以来父の病気について先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、どういうものか、それが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの母を想像して気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、父はすでに亡くなるべきものと覚悟していたに違いなかった。九州にいる兄へやった手紙のなかにも、私は父の到底故のような健康体になる見込みのない事を述べた。一度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらい一度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にいるのは定めて心細いだろう、我々も子として遺憾の至りであるというような感傷的な文句さえ使った。私は実際心に浮ぶままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。  私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。私はまた先生夫婦の事を想い浮べた。ことに二、三日前晩食に呼ばれた時の会話を憶い出した。 「どっちが先へ死ぬだろう」  私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。そうしてこの疑問には誰も自信をもって答える事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然分っていたならば、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今のような態度でいるより外に仕方がないだろうと思った。(死に近づきつつある父を国元に控えながら、この私がどうする事もできないように)。私は人間を果敢ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。 [#改ページ] 中 両親と私 一  宅へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。 「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」  父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽の後ろへ、日除のために括り付けた薄汚ないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻って行った。  学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私は、それを予期以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。 「卒業ができてまあ結構だ」  父はこの言葉を何遍も繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家の食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付とを比較した。私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉しがる父よりも、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭いところに不快を感じ出した。 「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」  私はついにこんな口の利きようをした。すると父が変な顔をした。 「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう少し意味があるんだ。それがお前に解っていてくれさえすれば、……」  私は父からその後を聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。 「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによるともう三月か四月ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合せか、今日までこうしている。起居に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉しいのさ。せっかく丹精した息子が、自分のいなくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」  私は一言もなかった。詫まる以上に恐縮して俯向いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚かものであった。私は鞄の中から卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧し潰されて、元の形を失っていた。父はそれを鄭寧に伸した。 「こんなものは巻いたなり手に持って来るものだ」 「中に心でも入れると好かったのに」と母も傍から注意した。  父はしばらくそれを眺めた後、起って床の間の所へ行って、誰の目にもすぐはいるような正面へ証書を置いた。いつもの私ならすぐ何とかいうはずであったが、その時の私はまるで平生と違っていた。父や母に対して少しも逆らう気が起らなかった。私はだまって父の為すがままに任せておいた。一旦癖のついた鳥の子紙の証書は、なかなか父の自由にならなかった。適当な位置に置かれるや否や、すぐ己れに自然な勢いを得て倒れようとした。 二  私は母を蔭へ呼んで父の病状を尋ねた。 「お父さんはあんなに元気そうに庭へ出たり何かしているが、あれでいいんですか」 「もう何ともないようだよ。大方好くおなりなんだろう」  母は案外平気であった。都会から懸け隔たった森や田の中に住んでいる女の常として、母はこういう事に掛けてはまるで無知識であった。それにしてもこの前父が卒倒した時には、あれほど驚いて、あんなに心配したものを、と私は心のうちで独り異な感じを抱いた。 「でも医者はあの時到底むずかしいって宣告したじゃありませんか」 「だから人間の身体ほど不思議なものはないと思うんだよ。あれほどお医者が手重くいったものが、今までしゃんしゃんしているんだからね。お母さんも始めのうちは心配して、なるべく動かさないようにと思ってたんだがね。それ、あの気性だろう。養生はしなさるけれども、強情でねえ。自分が好いと思い込んだら、なかなか私のいう事なんか、聞きそうにもなさらないんだからね」  私はこの前帰った時、無理に床を上げさして、髭を剃った父の様子と態度とを思い出した。「もう大丈夫、お母さんがあんまり仰山過ぎるからいけないんだ」といったその時の言葉を考えてみると、満更母ばかり責める気にもなれなかった。「しかし傍でも少しは注意しなくっちゃ」といおうとした私は、とうとう遠慮して何にも口へ出さなかった。ただ父の病の性質について、私の知る限りを教えるように話して聞かせた。しかしその大部分は先生と先生の奥さんから得た材料に過ぎなかった。母は別に感動した様子も見せなかった。ただ「へえ、やっぱり同じ病気でね。お気の毒だね。いくつでお亡くなりかえ、その方は」などと聞いた。  私は仕方がないから、母をそのままにしておいて直接父に向かった。父は私の注意を母よりは真面目に聞いてくれた。「もっともだ。お前のいう通りだ。けれども、己の身体は必竟己の身体で、その己の身体についての養生法は、多年の経験上、己が一番能く心得ているはずだからね」といった。それを聞いた母は苦笑した。「それご覧な」といった。 「でも、あれでお父さんは自分でちゃんと覚悟だけはしているんですよ。今度私が卒業して帰ったのを大変喜んでいるのも、全くそのためなんです。生きてるうちに卒業はできまいと思ったのが、達者なうちに免状を持って来たから、それが嬉しいんだって、お父さんは自分でそういっていましたぜ」 「そりゃ、お前、口でこそそうおいいだけれどもね。お腹のなかではまだ大丈夫だと思ってお出のだよ」 「そうでしょうか」 「まだまだ十年も二十年も生きる気でお出のだよ。もっとも時々はわたしにも心細いような事をおいいだがね。おれもこの分じゃもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、お前はどうする、一人でこの家にいる気かなんて」  私は急に父がいなくなって母一人が取り残された時の、古い広い田舎家を想像して見た。この家から父一人を引き去った後は、そのままで立ち行くだろうか。兄はどうするだろうか。母は何というだろうか。そう考える私はまたここの土を離れて、東京で気楽に暮らして行けるだろうか。私は母を眼の前に置いて、先生の注意――父の丈夫でいるうちに、分けて貰うものは、分けて貰って置けという注意を、偶然思い出した。 「なにね、自分で死ぬ死ぬっていう人に死んだ試しはないんだから安心だよ。お父さんなんぞも、死ぬ死ぬっていいながら、これから先まだ何年生きなさるか分るまいよ。それよりか黙ってる丈夫の人の方が剣呑さ」  私は理屈から出たとも統計から来たとも知れない、この陳腐なような母の言葉を黙然と聞いていた。 三  私のために赤い飯を炊いて客をするという相談が父と母の間に起った。私は帰った当日から、あるいはこんな事になるだろうと思って、心のうちで暗にそれを恐れていた。私はすぐ断わった。 「あんまり仰山な事は止してください」  私は田舎の客が嫌いだった。飲んだり食ったりするのを、最後の目的としてやって来る彼らは、何か事があれば好いといった風の人ばかり揃っていた。私は子供の時から彼らの席に侍するのを心苦しく感じていた。まして自分のために彼らが来るとなると、私の苦痛はいっそう甚しいように想像された。しかし私は父や母の手前、あんな野鄙な人を集めて騒ぐのは止せともいいかねた。それで私はただあまり仰山だからとばかり主張した。 「仰山仰山とおいいだが、些とも仰山じゃないよ。生涯に二度とある事じゃないんだからね、お客ぐらいするのは当り前だよ。そう遠慮をお為でない」  母は私が大学を卒業したのを、ちょうど嫁でも貰ったと同じ程度に、重く見ているらしかった。 「呼ばなくっても好いが、呼ばないとまた何とかいうから」  これは父の言葉であった。父は彼らの陰口を気にしていた。実際彼らはこんな場合に、自分たちの予期通りにならないと、すぐ何とかいいたがる人々であった。 「東京と違って田舎は蒼蠅いからね」  父はこうもいった。 「お父さんの顔もあるんだから」と母がまた付け加えた。  私は我を張る訳にも行かなかった。どうでも二人の都合の好いようにしたらと思い出した。 「つまり私のためなら、止して下さいというだけなんです。陰で何かいわれるのが厭だからというご主意なら、そりゃまた別です。あなたがたに不利益な事を私が強いて主張したって仕方がありません」 「そう理屈をいわれると困る」  父は苦い顔をした。 「何もお前のためにするんじゃないとお父さんがおっしゃるんじゃないけれども、お前だって世間への義理ぐらいは知っているだろう」  母はこうなると女だけにしどろもどろな事をいった。その代り口数からいうと、父と私を二人寄せてもなかなか敵うどころではなかった。 「学問をさせると人間がとかく理屈っぽくなっていけない」  父はただこれだけしかいわなかった。しかし私はこの簡単な一句のうちに、父が平生から私に対してもっている不平の全体を見た。私はその時自分の言葉使いの角張ったところに気が付かずに、父の不平の方ばかりを無理のように思った。  父はその夜また気を更えて、客を呼ぶなら何日にするかと私の都合を聞いた。都合の好いも悪いもなしにただぶらぶら古い家の中に寝起きしている私に、こんな問いを掛けるのは、父の方が折れて出たのと同じ事であった。私はこの穏やかな父の前に拘泥らない頭を下げた。私は父と相談の上招待の日取りを極めた。  その日取りのまだ来ないうちに、ある大きな事が起った。それは明治天皇のご病気の報知であった。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡ったこの事件は、一軒の田舎家のうちに多少の曲折を経てようやく纏まろうとした私の卒業祝いを、塵のごとくに吹き払った。 「まあ、ご遠慮申した方がよかろう」  眼鏡を掛けて新聞を見ていた父はこういった。父は黙って自分の病気の事も考えているらしかった。私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行幸になった陛下を憶い出したりした。 四  小勢な人数には広過ぎる古い家がひっそりしている中に、私は行李を解いて書物を繙き始めた。なぜか私は気が落ち付かなかった。あの目眩るしい東京の下宿の二階で、遠く走る電車の音を耳にしながら、頁を一枚一枚にまくって行く方が、気に張りがあって心持よく勉強ができた。  私はややともすると机にもたれて仮寝をした。時にはわざわざ枕さえ出して本式に昼寝を貪ぼる事もあった。眼が覚めると、蝉の声を聞いた。うつつから続いているようなその声は、急に八釜しく耳の底を掻き乱した。私は凝とそれを聞きながら、時に悲しい思いを胸に抱いた。  私は筆を執って友達のだれかれに短い端書または長い手紙を書いた。その友達のあるものは東京に残っていた。あるものは遠い故郷に帰っていた。返事の来るのも、音信の届かないのもあった。私は固より先生を忘れなかった。原稿紙へ細字で三枚ばかり国へ帰ってから以後の自分というようなものを題目にして書き綴ったのを送る事にした。私はそれを封じる時、先生ははたしてまだ東京にいるだろうかと疑った。先生が奥さんといっしょに宅を空ける場合には、五十恰好の切下の女の人がどこからか来て、留守番をするのが例になっていた。私がかつて先生にあの人は何ですかと尋ねたら、先生は何と見えますかと聞き返した。私はその人を先生の親類と思い違えていた。先生は「私には親類はありませんよ」と答えた。先生の郷里にいる続きあいの人々と、先生は一向音信の取り遣りをしていなかった。私の疑問にしたその留守番の女の人は、先生とは縁のない奥さんの方の親戚であった。私は先生に郵便を出す時、ふと幅の細い帯を楽に後ろで結んでいるその人の姿を思い出した。もし先生夫婦がどこかへ避暑にでも行ったあとへこの郵便が届いたら、あの切下のお婆さんは、それをすぐ転地先へ送ってくれるだけの気転と親切があるだろうかなどと考えた。そのくせその手紙のうちにはこれというほどの必要の事も書いてないのを、私は能く承知していた。ただ私は淋しかった。そうして先生から返事の来るのを予期してかかった。しかしその返事はついに来なかった。  父はこの前の冬に帰って来た時ほど将棋を差したがらなくなった。将棋盤はほこりの溜ったまま、床の間の隅に片寄せられてあった。ことに陛下のご病気以後父は凝と考え込んでいるように見えた。毎日新聞の来るのを待ち受けて、自分が一番先へ読んだ。それからその読がらをわざわざ私のいる所へ持って来てくれた。 「おいご覧、今日も天子さまの事が詳しく出ている」  父は陛下のことを、つねに天子さまといっていた。 「勿体ない話だが、天子さまのご病気も、お父さんのとまあ似たものだろうな」  こういう父の顔には深い掛念の曇りがかかっていた。こういわれる私の胸にはまた父がいつ斃れるか分らないという心配がひらめいた。 「しかし大丈夫だろう。おれのような下らないものでも、まだこうしていられるくらいだから」  父は自分の達者な保証を自分で与えながら、今にも己れに落ちかかって来そうな危険を予感しているらしかった。 「お父さんは本当に病気を怖がってるんですよ。お母さんのおっしゃるように、十年も二十年も生きる気じゃなさそうですぜ」  母は私の言葉を聞いて当惑そうな顔をした。 「ちょっとまた将棋でも差すように勧めてご覧な」  私は床の間から将棋盤を取りおろして、ほこりを拭いた。 五  父の元気は次第に衰えて行った。私を驚かせたハンケチ付きの古い麦藁帽子が自然と閑却されるようになった。私は黒い煤けた棚の上に載っているその帽子を眺めるたびに、父に対して気の毒な思いをした。父が以前のように、軽々と動く間は、もう少し慎んでくれたらと心配した。父が凝と坐り込むようになると、やはり元の方が達者だったのだという気が起った。私は父の健康についてよく母と話し合った。 「まったく気のせいだよ」と母がいった。母の頭は陛下の病と父の病とを結び付けて考えていた。私にはそうばかりとも思えなかった。 「気じゃない。本当に身体が悪かないんでしょうか。どうも気分より健康の方が悪くなって行くらしい」  私はこういって、心のうちでまた遠くから相当の医者でも呼んで、一つ見せようかしらと思案した。 「今年の夏はお前も詰らなかろう。せっかく卒業したのに、お祝いもして上げる事ができず、お父さんの身体もあの通りだし。それに天子様のご病気で。――いっその事、帰るすぐにお客でも呼ぶ方が好かったんだよ」  私が帰ったのは七月の五、六日で、父や母が私の卒業を祝うために客を呼ぼうといいだしたのは、それから一週間後であった。そうしていよいよと極めた日はそれからまた一週間の余も先になっていた。時間に束縛を許さない悠長な田舎に帰った私は、お蔭で好もしくない社交上の苦痛から救われたも同じ事であったが、私を理解しない母は少しもそこに気が付いていないらしかった。  崩御の報知が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」といった。 「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。己も……」  父はその後をいわなかった。  私は黒いうすものを買うために町へ出た。それで旗竿の球を包んで、それで旗竿の先へ三寸幅のひらひらを付けて、門の扉の横から斜めに往来へさし出した。旗も黒いひらひらも、風のない空気のなかにだらりと下がった。私の宅の古い門の屋根は藁で葺いてあった。雨や風に打たれたりまた吹かれたりしたその藁の色はとくに変色して、薄く灰色を帯びた上に、所々の凸凹さえ眼に着いた。私はひとり門の外へ出て、黒いひらひらと、白いめりんすの地と、地のなかに染め出した赤い日の丸の色とを眺めた。それが薄汚ない屋根の藁に映るのも眺めた。私はかつて先生から「あなたの宅の構えはどんな体裁ですか。私の郷里の方とは大分趣が違っていますかね」と聞かれた事を思い出した。私は自分の生れたこの古い家を、先生に見せたくもあった。また先生に見せるのが恥ずかしくもあった。  私はまた一人家のなかへはいった。自分の机の置いてある所へ来て、新聞を読みながら、遠い東京の有様を想像した。私の想像は日本一の大きな都が、どんなに暗いなかでどんなに動いているだろうかの画面に集められた。私はその黒いなりに動かなければ仕末のつかなくなった都会の、不安でざわざわしているなかに、一点の燈火のごとくに先生の家を見た。私はその時この燈火が音のしない渦の中に、自然と捲き込まれている事に気が付かなかった。しばらくすれば、その灯もまたふっと消えてしまうべき運命を、眼の前に控えているのだとは固より気が付かなかった。  私は今度の事件について先生に手紙を書こうかと思って、筆を執りかけた。私はそれを十行ばかり書いて已めた。書いた所は寸々に引き裂いて屑籠へ投げ込んだ。(先生に宛ててそういう事を書いても仕方がないとも思ったし、前例に徴してみると、とても返事をくれそうになかったから)。私は淋しかった。それで手紙を書くのであった。そうして返事が来れば好いと思うのであった。 六  八月の半ばごろになって、私はある朋友から手紙を受け取った。その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻る男であった。この口も始めは自分の所へかかって来たのだが、もっと好い地方へ相談ができたので、余った方を私に譲る気で、わざわざ知らせて来てくれたのであった。私はすぐ返事を出して断った。知り合いの中には、ずいぶん骨を折って、教師の職にありつきたがっているものがあるから、その方へ廻してやったら好かろうと書いた。  私は返事を出した後で、父と母にその話をした。二人とも私の断った事に異存はないようであった。 「そんな所へ行かないでも、まだ好い口があるだろう」  こういってくれる裏に、私は二人が私に対してもっている過分な希望を読んだ。迂闊な父や母は、不相当な地位と収入とを卒業したての私から期待しているらしかったのである。 「相当の口って、近頃じゃそんな旨い口はなかなかあるものじゃありません。ことに兄さんと私とは専門も違うし、時代も違うんだから、二人を同じように考えられちゃ少し困ります」 「しかし卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっちも困る。人からあなたの所のご二男は、大学を卒業なすって何をしてお出ですかと聞かれた時に返事ができないようじゃ、おれも肩身が狭いから」  父は渋面をつくった。父の考えは、古く住み慣れた郷里から外へ出る事を知らなかった。その郷里の誰彼から、大学を卒業すればいくらぐらい月給が取れるものだろうと聞かれたり、まあ百円ぐらいなものだろうかといわれたりした父は、こういう人々に対して、外聞の悪くないように、卒業したての私を片付けたかったのである。広い都を根拠地として考えている私は、父や母から見ると、まるで足を空に向けて歩く奇体な人間に異ならなかった。私の方でも、実際そういう人間のような気持を折々起した。私はあからさまに自分の考えを打ち明けるには、あまりに距離の懸隔の甚しい父と母の前に黙然としていた。 「お前のよく先生先生という方にでもお願いしたら好いじゃないか。こんな時こそ」  母はこうより外に先生を解釈する事ができなかった。その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けて貰えと勧める人であった。卒業したから、地位の周旋をしてやろうという人ではなかった。 「その先生は何をしているのかい」と父が聞いた。 「何にもしていないんです」と私が答えた。  私はとくの昔から先生の何もしていないという事を父にも母にも告げたつもりでいた。そうして父はたしかにそれを記憶しているはずであった。 「何もしていないというのは、またどういう訳かね。お前がそれほど尊敬するくらいな人なら何かやっていそうなものだがね」  父はこういって、私を諷した。父の考えでは、役に立つものは世の中へ出てみんな相当の地位を得て働いている。必竟やくざだから遊んでいるのだと結論しているらしかった。 「おれのような人間だって、月給こそ貰っちゃいないが、これでも遊んでばかりいるんじゃない」  父はこうもいった。私はそれでもまだ黙っていた。 「お前のいうような偉い方なら、きっと何か口を探して下さるよ。頼んでご覧なのかい」と母が聞いた。 「いいえ」と私は答えた。 「じゃ仕方がないじゃないか。なぜ頼まないんだい。手紙でも好いからお出しな」 「ええ」  私は生返事をして席を立った。 七  父は明らかに自分の病気を恐れていた。しかし医者の来るたびに蒼蠅い質問を掛けて相手を困らす質でもなかった。医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかった。  父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなった後のわが家を想像して見るらしかった。 「小供に学問をさせるのも、好し悪しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」  学問をした結果兄は今遠国にいた。教育を受けた因果で、私はまた東京に住む覚悟を固くした。こういう子を育てた父の愚痴はもとより不合理ではなかった。永年住み古した田舎家の中に、たった一人取り残されそうな母を描き出す父の想像はもとより淋しいに違いなかった。  わが家は動かす事のできないものと父は信じ切っていた。その中に住む母もまた命のある間は、動かす事のできないものと信じていた。自分が死んだ後、この孤独な母を、たった一人伽藍堂のわが家に取り残すのもまた甚だしい不安であった。それだのに、東京で好い地位を求めろといって、私を強いたがる父の頭には矛盾があった。私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのお蔭でまた東京へ出られるのを喜んだ。  私は父や母の手前、この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくに装おわなくてはならなかった。私は先生に手紙を書いて、家の事情を精しく述べた。もし自分の力でできる事があったら何でもするから周旋してくれと頼んだ。私は先生が私の依頼に取り合うまいと思いながらこの手紙を書いた。また取り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはどうする事もできまいと思いながらこの手紙を書いた。しかし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来るだろうと思って書いた。  私はそれを封じて出す前に母に向かっていった。 「先生に手紙を書きましたよ。あなたのおっしゃった通り。ちょっと読んでご覧なさい」  母は私の想像したごとくそれを読まなかった。 「そうかい、それじゃ早くお出し。そんな事は他が気を付けないでも、自分で早くやるものだよ」  母は私をまだ子供のように思っていた。私も実際子供のような感じがした。 「しかし手紙じゃ用は足りませんよ。どうせ、九月にでもなって、私が東京へ出てからでなくっちゃ」 「そりゃそうかも知れないけれども、またひょっとして、どんな好い口がないとも限らないんだから、早く頼んでおくに越した事はないよ」 「ええ。とにかく返事は来るに極ってますから、そうしたらまたお話ししましょう」  私はこんな事に掛けて几帳面な先生を信じていた。私は先生の返事の来るのを心待ちに待った。けれども私の予期はついに外れた。先生からは一週間経っても何の音信もなかった。 「大方どこかへ避暑にでも行っているんでしょう」  私は母に向かって言訳らしい言葉を使わなければならなかった。そうしてその言葉は母に対する言訳ばかりでなく、自分の心に対する言訳でもあった。私は強いても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった。  私は時々父の病気を忘れた。いっそ早く東京へ出てしまおうかと思ったりした。その父自身もおのれの病気を忘れる事があった。未来を心配しながら、未来に対する所置は一向取らなかった。私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。 八  九月始めになって、私はいよいよまた東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。 「ここにこうしていたって、あなたのおっしゃる通りの地位が得られるものじゃないですから」  私は父の希望する地位を得るために東京へ行くような事をいった。 「無論口の見付かるまでで好いですから」ともいった。  私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父はまたあくまでもその反対を信じていた。 「そりゃ僅の間の事だろうから、どうにか都合してやろう。その代り永くはいけないよ。相当の地位を得次第独立しなくっちゃ。元来学校を出た以上、出たあくる日から他の世話になんぞなるものじゃないんだから。今の若いものは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く考えていないようだね」  父はこの外にもまだ色々の小言をいった。その中には、「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」などという言葉があった。それらを私はただ黙って聞いていた。  小言が一通り済んだと思った時、私は静かに席を立とうとした。父はいつ行くかと私に尋ねた。私には早いだけが好かった。 「お母さんに日を見てもらいなさい」 「そうしましょう」  その時の私は父の前に存外おとなしかった。私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎を出ようとした。父はまた私を引き留めた。 「お前が東京へ行くと宅はまた淋しくなる。何しろ己とお母さんだけなんだからね。そのおれも身体さえ達者なら好いが、この様子じゃいつ急にどんな事がないともいえないよ」  私はできるだけ父を慰めて、自分の机を置いてある所へ帰った。私は取り散らした書物の間に坐って、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度か繰り返し眺めた。私はその時また蝉の声を聞いた。その声はこの間中聞いたのと違って、つくつく法師の声であった。私は夏郷里に帰って、煮え付くような蝉の声の中に凝と坐っていると、変に悲しい心持になる事がしばしばあった。私の哀愁はいつもこの虫の烈しい音と共に、心の底に沁み込むように感ぜられた。私はそんな時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めていた。  私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。油蝉の声がつくつく法師の声に変るごとくに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろそろ動いているように思われた。私は淋しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶い浮べた。先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点において、比較の上にも、連想の上にも、いっしょに私の頭に上りやすかった。  私はほとんど父のすべても知り尽していた。もし父を離れるとすれば、情合の上に親子の心残りがあるだけであった。先生の多くはまだ私に解っていなかった。話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた。要するに先生は私にとって薄暗かった。私はぜひともそこを通り越して、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。私は母に日を見てもらって、東京へ立つ日取りを極めた。 九  私がいよいよ立とうという間際になって、(たしか二日前の夕方の事であったと思うが、)父はまた突然引っ繰り返った。私はその時書物や衣類を詰めた行李をからげていた。父は風呂へ入ったところであった。父の背中を流しに行った母が大きな声を出して私を呼んだ。私は裸体のまま母に後ろから抱かれている父を見た。それでも座敷へ伴れて戻った時、父はもう大丈夫だといった。念のために枕元に坐って、濡手拭で父の頭を冷していた私は、九時頃になってようやく形ばかりの夜食を済ました。  翌日になると父は思ったより元気が好かった。留めるのも聞かずに歩いて便所へ行ったりした。 「もう大丈夫」  父は去年の暮倒れた時に私に向かっていったと同じ言葉をまた繰り返した。その時ははたして口でいった通りまあ大丈夫であった。私は今度もあるいはそうなるかも知れないと思った。しかし医者はただ用心が肝要だと注意するだけで、念を押しても判然した事を話してくれなかった。私は不安のために、出立の日が来てもついに東京へ立つ気が起らなかった。 「もう少し様子を見てからにしましょうか」と私は母に相談した。 「そうしておくれ」と母が頼んだ。  母は父が庭へ出たり背戸へ下りたりする元気を見ている間だけは平気でいるくせに、こんな事が起るとまた必要以上に心配したり気を揉んだりした。 「お前は今日東京へ行くはずじゃなかったか」と父が聞いた。 「ええ、少し延ばしました」と私が答えた。 「おれのためにかい」と父が聞き返した。  私はちょっと躊躇した。そうだといえば、父の病気の重いのを裏書きするようなものであった。私は父の神経を過敏にしたくなかった。しかし父は私の心をよく見抜いているらしかった。 「気の毒だね」といって、庭の方を向いた。  私は自分の部屋にはいって、そこに放り出された行李を眺めた。行李はいつ持ち出しても差支えないように、堅く括られたままであった。私はぼんやりその前に立って、また縄を解こうかと考えた。  私は坐ったまま腰を浮かした時の落ち付かない気分で、また三、四日を過ごした。すると父がまた卒倒した。医者は絶対に安臥を命じた。 「どうしたものだろうね」と母が父に聞こえないような小さな声で私にいった。母の顔はいかにも心細そうであった。私は兄と妹に電報を打つ用意をした。けれども寝ている父にはほとんど何の苦悶もなかった。話をするところなどを見ると、風邪でも引いた時と全く同じ事であった。その上食欲は不断よりも進んだ。傍のものが、注意しても容易にいう事を聞かなかった。 「どうせ死ぬんだから、旨いものでも食って死ななくっちゃ」  私には旨いものという父の言葉が滑稽にも悲酸にも聞こえた。父は旨いものを口に入れられる都には住んでいなかったのである。夜に入ってかき餅などを焼いてもらってぼりぼり噛んだ。 「どうしてこう渇くのかね。やっぱり心に丈夫の所があるのかも知れないよ」  母は失望していいところにかえって頼みを置いた。そのくせ病気の時にしか使わない渇くという昔風の言葉を、何でも食べたがる意味に用いていた。  伯父が見舞に来たとき、父はいつまでも引き留めて帰さなかった。淋しいからもっといてくれというのが重な理由であったが、母や私が、食べたいだけ物を食べさせないという不平を訴えるのも、その目的の一つであったらしい。 十  父の病気は同じような状態で一週間以上つづいた。私はその間に長い手紙を九州にいる兄宛で出した。妹へは母から出させた。私は腹の中で、おそらくこれが父の健康に関して二人へやる最後の音信だろうと思った。それで両方へいよいよという場合には電報を打つから出て来いという意味を書き込めた。  兄は忙しい職にいた。妹は妊娠中であった。だから父の危険が眼の前に逼らないうちに呼び寄せる自由は利かなかった。といって、折角都合して来たには来たが、間に合わなかったといわれるのも辛かった。私は電報を掛ける時機について、人の知らない責任を感じた。 「そう判然りした事になると私にも分りません。しかし危険はいつ来るか分らないという事だけは承知していて下さい」  停車場のある町から迎えた医者は私にこういった。私は母と相談して、その医者の周旋で、町の病院から看護婦を一人頼む事にした。父は枕元へ来て挨拶する白い服を着た女を見て変な顔をした。  父は死病に罹っている事をとうから自覚していた。それでいて、眼前にせまりつつある死そのものには気が付かなかった。 「今に癒ったらもう一返東京へ遊びに行ってみよう。人間はいつ死ぬか分らないからな。何でもやりたい事は、生きてるうちにやっておくに限る」  母は仕方なしに「その時は私もいっしょに伴れて行って頂きましょう」などと調子を合せていた。  時とするとまた非常に淋しがった。 「おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」  私はこの「おれが死んだら」という言葉に一種の記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何遍もそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であった。私は笑いを帯びた先生の顔と、縁喜でもないと耳を塞いだ奥さんの様子とを憶い出した。あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であった。今私が聞くのはいつ起るか分らない事実であった。私は先生に対する奥さんの態度を学ぶ事ができなかった。しかし口の先では何とか父を紛らさなければならなかった。 「そんな弱い事をおっしゃっちゃいけませんよ。今に癒ったら東京へ遊びにいらっしゃるはずじゃありませんか。お母さんといっしょに。今度いらっしゃるときっと吃驚しますよ、変っているんで。電車の新しい線路だけでも大変増えていますからね。電車が通るようになれば自然町並も変るし、その上に市区改正もあるし、東京が凝としている時は、まあ二六時中一分もないといっていいくらいです」  私は仕方がないからいわないでいい事まで喋舌った。父はまた、満足らしくそれを聞いていた。  病人があるので自然家の出入りも多くなった。近所にいる親類などは、二日に一人ぐらいの割で代る代る見舞に来た。中には比較的遠くにいて平生疎遠なものもあった。「どうかと思ったら、この様子じゃ大丈夫だ。話も自由だし、だいち顔がちっとも瘠せていないじゃないか」などといって帰るものがあった。私の帰った当時はひっそりし過ぎるほど静かであった家庭が、こんな事で段々ざわざわし始めた。  その中に動かずにいる父の病気は、ただ面白くない方へ移って行くばかりであった。私は母や伯父と相談して、とうとう兄と妹に電報を打った。兄からはすぐ行くという返事が来た。妹の夫からも立つという報知があった。妹はこの前懐妊した時に流産したので、今度こそは癖にならないように大事を取らせるつもりだと、かねていい越したその夫は、妹の代りに自分で出て来るかも知れなかった。 十一  こうした落ち付きのない間にも、私はまだ静かに坐る余裕をもっていた。偶には書物を開けて十頁もつづけざまに読む時間さえ出て来た。一旦堅く括られた私の行李は、いつの間にか解かれてしまった。私は要るに任せて、その中から色々なものを取り出した。私は東京を立つ時、心のうちで極めた、この夏中の日課を顧みた。私のやった事はこの日課の三が一にも足らなかった。私は今までもこういう不愉快を何度となく重ねて来た。しかしこの夏ほど思った通り仕事の運ばない例も少なかった。これが人の世の常だろうと思いながらも私は厭な気持に抑え付けられた。  私はこの不快の裏に坐りながら、一方に父の病気を考えた。父の死んだ後の事を想像した。そうしてそれと同時に、先生の事を一方に思い浮べた。私はこの不快な心持の両端に地位、教育、性格の全然異なった二人の面影を眺めた。  私が父の枕元を離れて、独り取り乱した書物の中に腕組みをしているところへ母が顔を出した。 「少し午眠でもおしよ。お前もさぞ草臥れるだろう」  母は私の気分を了解していなかった。私も母からそれを予期するほどの子供でもなかった。私は単簡に礼を述べた。母はまだ室の入口に立っていた。 「お父さんは?」と私が聞いた。 「今よく寝てお出だよ」と母が答えた。  母は突然はいって来て私の傍に坐った。 「先生からまだ何ともいって来ないかい」と聞いた。  母はその時の私の言葉を信じていた。その時の私は先生からきっと返事があると母に保証した。しかし父や母の希望するような返事が来るとは、その時の私もまるで期待しなかった。私は心得があって母を欺いたと同じ結果に陥った。 「もう一遍手紙を出してご覧な」と母がいった。  役に立たない手紙を何通書こうと、それが母の慰安になるなら、手数を厭うような私ではなかった。けれどもこういう用件で先生にせまるのは私の苦痛であった。私は父に叱られたり、母の機嫌を損じたりするよりも、先生から見下げられるのを遥かに恐れていた。あの依頼に対して今まで返事の貰えないのも、あるいはそうした訳からじゃないかしらという邪推もあった。 「手紙を書くのは訳はないですが、こういう事は郵便じゃとても埒は明きませんよ。どうしても自分で東京へ出て、じかに頼んで廻らなくっちゃ」 「だってお父さんがあの様子じゃ、お前、いつ東京へ出られるか分らないじゃないか」 「だから出やしません。癒るとも癒らないとも片付かないうちは、ちゃんとこうしているつもりです」 「そりゃ解り切った話だね。今にもむずかしいという大病人を放ちらかしておいて、誰が勝手に東京へなんか行けるものかね」  私は始め心のなかで、何も知らない母を憐れんだ。しかし母がなぜこんな問題をこのざわざわした際に持ち出したのか理解できなかった。私が父の病気をよそに、静かに坐ったり書見したりする余裕のあるごとくに、母も眼の前の病人を忘れて、外の事を考えるだけ、胸に空地があるのかしらと疑った。その時「実はね」と母がいい出した。 「実はお父さんの生きてお出のうちに、お前の口が極ったらさぞ安心なさるだろうと思うんだがね。この様子じゃ、とても間に合わないかも知れないけれども、それにしても、まだああやって口も慥かなら気も慥かなんだから、ああしてお出のうちに喜ばして上げるように親孝行をおしな」  憐れな私は親孝行のできない境遇にいた。私はついに一行の手紙も先生に出さなかった。 十二  兄が帰って来た時、父は寝ながら新聞を読んでいた。父は平生から何を措いても新聞だけには眼を通す習慣であったが、床についてからは、退屈のため猶更それを読みたがった。母も私も強いては反対せずに、なるべく病人の思い通りにさせておいた。 「そういう元気なら結構なものだ。よっぽど悪いかと思って来たら、大変好いようじゃありませんか」  兄はこんな事をいいながら父と話をした。その賑やか過ぎる調子が私にはかえって不調和に聞こえた。それでも父の前を外して私と差し向いになった時は、むしろ沈んでいた。 「新聞なんか読ましちゃいけなかないか」 「私もそう思うんだけれども、読まないと承知しないんだから、仕様がない」  兄は私の弁解を黙って聞いていた。やがて、「よく解るのかな」といった。兄は父の理解力が病気のために、平生よりはよっぽど鈍っているように観察したらしい。 「そりゃ慥かです。私はさっき二十分ばかり枕元に坐って色々話してみたが、調子の狂ったところは少しもないです。あの様子じゃことによるとまだなかなか持つかも知れませんよ」  兄と前後して着いた妹の夫の意見は、我々よりもよほど楽観的であった。父は彼に向かって妹の事をあれこれと尋ねていた。「身体が身体だからむやみに汽車になんぞ乗って揺れない方が好い。無理をして見舞に来られたりすると、かえってこっちが心配だから」といっていた。「なに今に治ったら赤ん坊の顔でも見に、久しぶりにこっちから出掛けるから差支えない」ともいっていた。  乃木大将の死んだ時も、父は一番さきに新聞でそれを知った。 「大変だ大変だ」といった。  何事も知らない私たちはこの突然な言葉に驚かされた。 「あの時はいよいよ頭が変になったのかと思って、ひやりとした」と後で兄が私にいった。「私も実は驚きました」と妹の夫も同感らしい言葉つきであった。  その頃の新聞は実際田舎ものには日ごとに待ち受けられるような記事ばかりあった。私は父の枕元に坐って鄭寧にそれを読んだ。読む時間のない時は、そっと自分の室へ持って来て、残らず眼を通した。私の眼は長い間、軍服を着た乃木大将と、それから官女みたような服装をしたその夫人の姿を忘れる事ができなかった。  悲痛な風が田舎の隅まで吹いて来て、眠たそうな樹や草を震わせている最中に、突然私は一通の電報を先生から受け取った。洋服を着た人を見ると犬が吠えるような所では、一通の電報すら大事件であった。それを受け取った母は、はたして驚いたような様子をして、わざわざ私を人のいない所へ呼び出した。 「何だい」といって、私の封を開くのを傍に立って待っていた。  電報にはちょっと会いたいが来られるかという意味が簡単に書いてあった。私は首を傾けた。 「きっとお頼もうしておいた口の事だよ」と母が推断してくれた。  私もあるいはそうかも知れないと思った。しかしそれにしては少し変だとも考えた。とにかく兄や妹の夫まで呼び寄せた私が、父の病気を打遣って、東京へ行く訳には行かなかった。私は母と相談して、行かれないという返電を打つ事にした。できるだけ簡略な言葉で父の病気の危篤に陥りつつある旨も付け加えたが、それでも気が済まなかったから、委細手紙として、細かい事情をその日のうちに認めて郵便で出した。頼んだ位地の事とばかり信じ切った母は、「本当に間の悪い時は仕方のないものだね」といって残念そうな顔をした。 十三  私の書いた手紙はかなり長いものであった。母も私も今度こそ先生から何とかいって来るだろうと考えていた。すると手紙を出して二日目にまた電報が私宛で届いた。それには来ないでもよろしいという文句だけしかなかった。私はそれを母に見せた。 「大方手紙で何とかいってきて下さるつもりだろうよ」  母はどこまでも先生が私のために衣食の口を周旋してくれるものとばかり解釈しているらしかった。私もあるいはそうかとも考えたが、先生の平生から推してみると、どうも変に思われた。「先生が口を探してくれる」。これはあり得べからざる事のように私には見えた。 「とにかく私の手紙はまだ向うへ着いていないはずだから、この電報はその前に出したものに違いないですね」  私は母に向かってこんな分り切った事をいった。母はまたもっともらしく思案しながら「そうだね」と答えた。私の手紙を読まない前に、先生がこの電報を打ったという事が、先生を解釈する上において、何の役にも立たないのは知れているのに。  その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来るはずになっていたので、母と私はそれぎりこの事件について話をする機会がなかった。二人の医者は立ち合いの上、病人に浣腸などをして帰って行った。  父は医者から安臥を命ぜられて以来、両便とも寝たまま他の手で始末してもらっていた。潔癖な父は、最初の間こそ甚だしくそれを忌み嫌ったが、身体が利かないので、やむを得ずいやいや床の上で用を足した。それが病気の加減で頭がだんだん鈍くなるのか何だか、日を経るに従って、無精な排泄を意としないようになった。たまには蒲団や敷布を汚して、傍のものが眉を寄せるのに、当人はかえって平気でいたりした。もっとも尿の量は病気の性質として、極めて少なくなった。医者はそれを苦にした。食欲も次第に衰えた。たまに何か欲しがっても、舌が欲しがるだけで、咽喉から下へはごく僅しか通らなかった。好きな新聞も手に取る気力がなくなった。枕の傍にある老眼鏡は、いつまでも黒い鞘に納められたままであった。子供の時分から仲の好かった作さんという今では一里ばかり隔たった所に住んでいる人が見舞に来た時、父は「ああ作さんか」といって、どんよりした眼を作さんの方に向けた。 「作さんよく来てくれた。作さんは丈夫で羨ましいね。己はもう駄目だ」 「そんな事はないよ。お前なんか子供は二人とも大学を卒業するし、少しぐらい病気になったって、申し分はないんだ。おれをご覧よ。かかあには死なれるしさ、子供はなしさ。ただこうして生きているだけの事だよ。達者だって何の楽しみもないじゃないか」  浣腸をしたのは作さんが来てから二、三日あとの事であった。父は医者のお蔭で大変楽になったといって喜んだ。少し自分の寿命に対する度胸ができたという風に機嫌が直った。傍にいる母は、それに釣り込まれたのか、病人に気力を付けるためか、先生から電報のきた事を、あたかも私の位置が父の希望する通り東京にあったように話した。傍にいる私はむずがゆい心持がしたが、母の言葉を遮る訳にもゆかないので、黙って聞いていた。病人は嬉しそうな顔をした。 「そりゃ結構です」と妹の夫もいった。 「何の口だかまだ分らないのか」と兄が聞いた。  私は今更それを否定する勇気を失った。自分にも何とも訳の分らない曖昧な返事をして、わざと席を立った。 十四  父の病気は最後の一撃を待つ間際まで進んで来て、そこでしばらく躊躇するようにみえた。家のものは運命の宣告が、今日下るか、今日下るかと思って、毎夜床にはいった。  父は傍のものを辛くするほどの苦痛をどこにも感じていなかった。その点になると看病はむしろ楽であった。要心のために、誰か一人ぐらいずつ代る代る起きてはいたが、あとのものは相当の時間に各自の寝床へ引き取って差支えなかった。何かの拍子で眠れなかった時、病人の唸るような声を微かに聞いたと思い誤った私は、一遍半夜に床を抜け出して、念のため父の枕元まで行ってみた事があった。その夜は母が起きている番に当っていた。しかしその母は父の横に肱を曲げて枕としたなり寝入っていた。父も深い眠りの裏にそっと置かれた人のように静かにしていた。私は忍び足でまた自分の寝床へ帰った。  私は兄といっしょの蚊帳の中に寝た。妹の夫だけは、客扱いを受けているせいか、独り離れた座敷に入って休んだ。 「関さんも気の毒だね。ああ幾日も引っ張られて帰れなくっちゃあ」  関というのはその人の苗字であった。 「しかしそんな忙しい身体でもないんだから、ああして泊っていてくれるんでしょう。関さんよりも兄さんの方が困るでしょう、こう長くなっちゃ」 「困っても仕方がない。外の事と違うからな」  兄と床を並べて寝る私は、こんな寝物語をした。兄の頭にも私の胸にも、父はどうせ助からないという考えがあった。どうせ助からないものならばという考えもあった。我々は子として親の死ぬのを待っているようなものであった。しかし子としての我々はそれを言葉の上に表わすのを憚かった。そうしてお互いにお互いがどんな事を思っているかをよく理解し合っていた。 「お父さんは、まだ治る気でいるようだな」と兄が私にいった。  実際兄のいう通りに見えるところもないではなかった。近所のものが見舞にくると、父は必ず会うといって承知しなかった。会えばきっと、私の卒業祝いに呼ぶ事ができなかったのを残念がった。その代り自分の病気が治ったらというような事も時々付け加えた。 「お前の卒業祝いは已めになって結構だ。おれの時には弱ったからね」と兄は私の記憶を突ッついた。私はアルコールに煽られたその時の乱雑な有様を想い出して苦笑した。飲むものや食うものを強いて廻る父の態度も、にがにがしく私の眼に映った。  私たちはそれほど仲の好い兄弟ではなかった。小さいうちは好く喧嘩をして、年の少ない私の方がいつでも泣かされた。学校へはいってからの専門の相違も、全く性格の相違から出ていた。大学にいる時分の私は、ことに先生に接触した私は、遠くから兄を眺めて、常に動物的だと思っていた。私は長く兄に会わなかったので、また懸け隔たった遠くにいたので、時からいっても距離からいっても、兄はいつでも私には近くなかったのである。それでも久しぶりにこう落ち合ってみると、兄弟の優しい心持がどこからか自然に湧いて出た。場合が場合なのもその大きな源因になっていた。二人に共通な父、その父の死のうとしている枕元で、兄と私は握手したのであった。 「お前これからどうする」と兄は聞いた。私はまた全く見当の違った質問を兄に掛けた。 「一体家の財産はどうなってるんだろう」 「おれは知らない。お父さんはまだ何ともいわないから。しかし財産っていったところで金としては高の知れたものだろう」  母はまた母で先生の返事の来るのを苦にしていた。 「まだ手紙は来ないかい」と私を責めた。 十五 「先生先生というのは一体誰の事だい」と兄が聞いた。 「こないだ話したじゃないか」と私は答えた。私は自分で質問をしておきながら、すぐ他の説明を忘れてしまう兄に対して不快の念を起した。 「聞いた事は聞いたけれども」  兄は必竟聞いても解らないというのであった。私から見ればなにも無理に先生を兄に理解してもらう必要はなかった。けれども腹は立った。また例の兄らしい所が出て来たと思った。  先生先生と私が尊敬する以上、その人は必ず著名の士でなくてはならないように兄は考えていた。少なくとも大学の教授ぐらいだろうと推察していた。名もない人、何もしていない人、それがどこに価値をもっているだろう。兄の腹はこの点において、父と全く同じものであった。けれども父が何もできないから遊んでいるのだと速断するのに引きかえて、兄は何かやれる能力があるのに、ぶらぶらしているのは詰らん人間に限るといった風の口吻を洩らした。 「イゴイストはいけないね。何もしないで生きていようというのは横着な了簡だからね。人は自分のもっている才能をできるだけ働かせなくっちゃ嘘だ」  私は兄に向かって、自分の使っているイゴイストという言葉の意味がよく解るかと聞き返してやりたかった。 「それでもその人のお蔭で地位ができればまあ結構だ。お父さんも喜んでるようじゃないか」  兄は後からこんな事をいった。先生から明瞭な手紙の来ない以上、私はそう信ずる事もできず、またそう口に出す勇気もなかった。それを母の早呑み込みでみんなにそう吹聴してしまった今となってみると、私は急にそれを打ち消す訳に行かなくなった。私は母に催促されるまでもなく、先生の手紙を待ち受けた。そうしてその手紙に、どうかみんなの考えているような衣食の口の事が書いてあればいいがと念じた。私は死に瀕している父の手前、その父に幾分でも安心させてやりたいと祈りつつある母の手前、働かなければ人間でないようにいう兄の手前、その他妹の夫だの伯父だの叔母だのの手前、私のちっとも頓着していない事に、神経を悩まさなければならなかった。  父が変な黄色いものも嘔いた時、私はかつて先生と奥さんから聞かされた危険を思い出した。「ああして長く寝ているんだから胃も悪くなるはずだね」といった母の顔を見て、何も知らないその人の前に涙ぐんだ。  兄と私が茶の間で落ち合った時、兄は「聞いたか」といった。それは医者が帰り際に兄に向っていった事を聞いたかという意味であった。私には説明を待たないでもその意味がよく解っていた。 「お前ここへ帰って来て、宅の事を監理する気がないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答えなかった。 「お母さん一人じゃ、どうする事もできないだろう」と兄がまたいった。兄は私を土の臭いを嗅いで朽ちて行っても惜しくないように見ていた。 「本を読むだけなら、田舎でも充分できるし、それに働く必要もなくなるし、ちょうど好いだろう」 「兄さんが帰って来るのが順ですね」と私がいった。 「おれにそんな事ができるものか」と兄は一口に斥けた。兄の腹の中には、世の中でこれから仕事をしようという気が充ち満ちていた。 「お前がいやなら、まあ伯父さんにでも世話を頼むんだが、それにしてもお母さんはどっちかで引き取らなくっちゃなるまい」 「お母さんがここを動くか動かないかがすでに大きな疑問ですよ」  兄弟はまだ父の死なない前から、父の死んだ後について、こんな風に語り合った。 十六  父は時々囈語をいうようになった。 「乃木大将に済まない。実に面目次第がない。いえ私もすぐお後から」  こんな言葉をひょいひょい出した。母は気味を悪がった。なるべくみんなを枕元へ集めておきたがった。気のたしかな時は頻りに淋しがる病人にもそれが希望らしく見えた。ことに室の中を見廻して母の影が見えないと、父は必ず「お光は」と聞いた。聞かないでも、眼がそれを物語っていた。私はよく起って母を呼びに行った。「何かご用ですか」と、母が仕掛けた用をそのままにしておいて病室へ来ると、父はただ母の顔を見詰めるだけで何もいわない事があった。そうかと思うと、まるで懸け離れた話をした。突然「お光お前にも色々世話になったね」などと優しい言葉を出す時もあった。母はそういう言葉の前にきっと涙ぐんだ。そうした後ではまたきっと丈夫であった昔の父をその対照として想い出すらしかった。 「あんな憐れっぽい事をお言いだがね、あれでもとはずいぶん酷かったんだよ」  母は父のために箒で背中をどやされた時の事などを話した。今まで何遍もそれを聞かされた私と兄は、いつもとはまるで違った気分で、母の言葉を父の記念のように耳へ受け入れた。  父は自分の眼の前に薄暗く映る死の影を眺めながら、まだ遺言らしいものを口に出さなかった。 「今のうち何か聞いておく必要はないかな」と兄が私の顔を見た。 「そうだなあ」と私は答えた。私はこちらから進んでそんな事を持ち出すのも病人のために好し悪しだと考えていた。二人は決しかねてついに伯父に相談をかけた。伯父も首を傾けた。 「いいたい事があるのに、いわないで死ぬのも残念だろうし、といって、こっちから催促するのも悪いかも知れず」  話はとうとう愚図愚図になってしまった。そのうちに昏睡が来た。例の通り何も知らない母は、それをただの眠りと思い違えてかえって喜んだ。「まあああして楽に寝られれば、傍にいるものも助かります」といった。  父は時々眼を開けて、誰はどうしたなどと突然聞いた。その誰はつい先刻までそこに坐っていた人の名に限られていた。父の意識には暗い所と明るい所とできて、その明るい所だけが、闇を縫う白い糸のように、ある距離を置いて連続するようにみえた。母が昏睡状態を普通の眠りと取り違えたのも無理はなかった。  そのうち舌が段々縺れて来た。何かいい出しても尻が不明瞭に了るために、要領を得ないでしまう事が多くあった。そのくせ話し始める時は、危篤の病人とは思われないほど、強い声を出した。我々は固より不断以上に調子を張り上げて、耳元へ口を寄せるようにしなければならなかった。 「頭を冷やすと好い心持ですか」 「うん」  私は看護婦を相手に、父の水枕を取り更えて、それから新しい氷を入れた氷嚢を頭の上へ載せた。がさがさに割られて尖り切った氷の破片が、嚢の中で落ちつく間、私は父の禿げ上った額の外でそれを柔らかに抑えていた。その時兄が廊下伝いにはいって来て、一通の郵便を無言のまま私の手に渡した。空いた方の左手を出して、その郵便を受け取った私はすぐ不審を起した。  それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。並の状袋にも入れてなかった。また並の状袋に入れられべき分量でもなかった。半紙で包んで、封じ目を鄭寧に糊で貼り付けてあった。私はそれを兄の手から受け取った時、すぐその書留である事に気が付いた。裏を返して見るとそこに先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の放せない私は、すぐ封を切る訳に行かないので、ちょっとそれを懐に差し込んだ。 十七  その日は病人の出来がことに悪いように見えた。私が厠へ行こうとして席を立った時、廊下で行き合った兄は「どこへ行く」と番兵のような口調で誰何した。 「どうも様子が少し変だからなるべく傍にいるようにしなくっちゃいけないよ」と注意した。  私もそう思っていた。懐中した手紙はそのままにしてまた病室へ帰った。父は眼を開けて、そこに並んでいる人の名前を母に尋ねた。母があれは誰、これは誰と一々説明してやると、父はそのたびに首肯いた。首肯かない時は、母が声を張りあげて、何々さんです、分りましたかと念を押した。 「どうも色々お世話になります」  父はこういった。そうしてまた昏睡状態に陥った。枕辺を取り巻いている人は無言のまましばらく病人の様子を見詰めていた。やがてその中の一人が立って次の間へ出た。するとまた一人立った。私も三人目にとうとう席を外して、自分の室へ来た。私には先刻懐へ入れた郵便物の中を開けて見ようという目的があった。それは病人の枕元でも容易にできる所作には違いなかった。しかし書かれたものの分量があまりに多過ぎるので、一息にそこで読み通す訳には行かなかった。私は特別の時間を偸んでそれに充てた。  私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂き破った。中から出たものは、縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のものであった。そうして封じる便宜のために、四つ折に畳まれてあった。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して読みやすいように平たくした。  私の心はこの多量の紙と印気が、私に何事を語るのだろうかと思って驚いた。私は同時に病室の事が気にかかった。私がこのかきものを読み始めて、読み終らない前に、父はきっとどうかなる、少なくとも、私は兄からか母からか、それでなければ伯父からか、呼ばれるに極っているという予覚があった。私は落ち付いて先生の書いたものを読む気になれなかった。私はそわそわしながらただ最初の一頁を読んだ。その頁は下のように綴られていた。 「あなたから過去を問いただされた時、答える事のできなかった勇気のない私は、今あなたの前に、それを明白に物語る自由を得たと信じます。しかしその自由はあなたの上京を待っているうちにはまた失われてしまう世間的の自由に過ぎないのであります。したがって、それを利用できる時に利用しなければ、私の過去をあなたの頭に間接の経験として教えて上げる機会を永久に逸するようになります。そうすると、あの時あれほど堅く約束した言葉がまるで嘘になります。私はやむを得ず、口でいうべきところを、筆で申し上げる事にしました」  私はそこまで読んで、始めてこの長いものが何のために書かれたのか、その理由を明らかに知る事ができた。私の衣食の口、そんなものについて先生が手紙を寄こす気遣いはないと、私は初手から信じていた。しかし筆を執ることの嫌いな先生が、どうしてあの事件をこう長く書いて、私に見せる気になったのだろう。先生はなぜ私の上京するまで待っていられないだろう。 「自由が来たから話す。しかしその自由はまた永久に失われなければならない」  私は心のうちでこう繰り返しながら、その意味を知るに苦しんだ。私は突然不安に襲われた。私はつづいて後を読もうとした。その時病室の方から、私を呼ぶ大きな兄の声が聞こえた。私はまた驚いて立ち上った。廊下を馳け抜けるようにしてみんなのいる方へ行った。私はいよいよ父の上に最後の瞬間が来たのだと覚悟した。 十八  病室にはいつの間にか医者が来ていた。なるべく病人を楽にするという主意からまた浣腸を試みるところであった。看護婦は昨夜の疲れを休めるために別室で寝ていた。慣れない兄は起ってまごまごしていた。私の顔を見ると、「ちょっと手をお貸し」といったまま、自分は席に着いた。私は兄に代って、油紙を父の尻の下に宛てがったりした。  父の様子は少しくつろいで来た。三十分ほど枕元に坐っていた医者は、浣腸の結果を認めた上、また来るといって、帰って行った。帰り際に、もしもの事があったらいつでも呼んでくれるようにわざわざ断っていた。  私は今にも変がありそうな病室を退いてまた先生の手紙を読もうとした。しかし私はすこしも寛くりした気分になれなかった。机の前に坐るや否や、また兄から大きな声で呼ばれそうでならなかった。そうして今度呼ばれれば、それが最後だという畏怖が私の手を顫わした。私は先生の手紙をただ無意味に頁だけ剥繰って行った。私の眼は几帳面に枠の中に篏められた字画を見た。けれどもそれを読む余裕はなかった。拾い読みにする余裕すら覚束なかった。私は一番しまいの頁まで順々に開けて見て、またそれを元の通りに畳んで机の上に置こうとした。その時ふと結末に近い一句が私の眼にはいった。 「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」  私ははっと思った。今までざわざわと動いていた私の胸が一度に凝結したように感じた。私はまた逆に頁をはぐり返した。そうして一枚に一句ぐらいずつの割で倒に読んで行った。私は咄嗟の間に、私の知らなければならない事を知ろうとして、ちらちらする文字を、眼で刺し通そうと試みた。その時私の知ろうとするのは、ただ先生の安否だけであった。先生の過去、かつて先生が私に話そうと約束した薄暗いその過去、そんなものは私に取って、全く無用であった。私は倒まに頁をはぐりながら、私に必要な知識を容易に与えてくれないこの長い手紙を自烈たそうに畳んだ。  私はまた父の様子を見に病室の戸口まで行った。病人の枕辺は存外静かであった。頼りなさそうに疲れた顔をしてそこに坐っている母を手招ぎして、「どうですか様子は」と聞いた。母は「今少し持ち合ってるようだよ」と答えた。私は父の眼の前へ顔を出して、「どうです、浣腸して少しは心持が好くなりましたか」と尋ねた。父は首肯いた。父ははっきり「有難う」といった。父の精神は存外朦朧としていなかった。  私はまた病室を退いて自分の部屋に帰った。そこで時計を見ながら、汽車の発着表を調べた。私は突然立って帯を締め直して、袂の中へ先生の手紙を投げ込んだ。それから勝手口から表へ出た。私は夢中で医者の家へ馳け込んだ。私は医者から父がもう二、三日保つだろうか、そこのところを判然聞こうとした。注射でも何でもして、保たしてくれと頼もうとした。医者は生憎留守であった。私には凝として彼の帰るのを待ち受ける時間がなかった。心の落ち付きもなかった。私はすぐ俥を停車場へ急がせた。  私は停車場の壁へ紙片を宛てがって、その上から鉛筆で母と兄あてで手紙を書いた。手紙はごく簡単なものであったが、断らないで走るよりまだ増しだろうと思って、それを急いで宅へ届けるように車夫に頼んだ。そうして思い切った勢いで東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。私はごうごう鳴る三等列車の中で、また袂から先生の手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。 [#改ページ] 下 先生と遺書 一 「……私はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいから宜しく頼むと書いてあったのは、たしか二度目に手に入ったものと記憶しています。私はそれを読んだ時何とかしたいと思ったのです。少なくとも返事を上げなければ済まんとは考えたのです。しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、世の中にたった一人で暮しているといった方が適切なくらいの私には、そういう努力をあえてする余地が全くないのです。しかしそれは問題ではありません。実をいうと、私はこの自分をどうすれば好いのかと思い煩っていたところなのです。このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在して行こうか、それとも……その時分の私は「それとも」という言葉を心のうちで繰り返すたびにぞっとしました。馳足で絶壁の端まで来て、急に底の見えない谷を覗き込んだ人のように。私は卑怯でした。そうして多くの卑怯な人と同じ程度において煩悶したのです。遺憾ながら、その時の私には、あなたというものがほとんど存在していなかったといっても誇張ではありません。一歩進めていうと、あなたの地位、あなたの糊口の資、そんなものは私にとってまるで無意味なのでした。どうでも構わなかったのです。私はそれどころの騒ぎでなかったのです。私は状差へあなたの手紙を差したなり、依然として腕組をして考え込んでいました。宅に相応の財産があるものが、何を苦しんで、卒業するかしないのに、地位地位といって藻掻き廻るのか。私はむしろ苦々しい気分で、遠くにいるあなたにこんな一瞥を与えただけでした。私は返事を上げなければ済まないあなたに対して、言訳のためにこんな事を打ち明けるのです。あなたを怒らすためにわざと無躾な言葉を弄するのではありません。私の本意は後をご覧になればよく解る事と信じます。とにかく私は何とか挨拶すべきところを黙っていたのですから、私はこの怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思います。  その後私はあなたに電報を打ちました。有体にいえば、あの時私はちょっとあなたに会いたかったのです。それからあなたの希望通り私の過去をあなたのために物語りたかったのです。あなたは返電を掛けて、今東京へは出られないと断って来ましたが、私は失望して永らくあの電報を眺めていました。あなたも電報だけでは気が済まなかったとみえて、また後から長い手紙を寄こしてくれたので、あなたの出京できない事情がよく解りました。私はあなたを失礼な男だとも何とも思う訳がありません。あなたの大事なお父さんの病気をそっち退けにして、何であなたが宅を空けられるものですか。そのお父さんの生死を忘れているような私の態度こそ不都合です。――私は実際あの電報を打つ時に、あなたのお父さんの事を忘れていたのです。そのくせあなたが東京にいる頃には、難症だからよく注意しなくってはいけないと、あれほど忠告したのは私ですのに。私はこういう矛盾な人間なのです。あるいは私の脳髄よりも、私の過去が私を圧迫する結果こんな矛盾な人間に私を変化させるのかも知れません。私はこの点においても充分私の我を認めています。あなたに許してもらわなくてはなりません。  あなたの手紙、――あなたから来た最後の手紙――を読んだ時、私は悪い事をしたと思いました。それでその意味の返事を出そうかと考えて、筆を執りかけましたが、一行も書かずに已めました。どうせ書くなら、この手紙を書いて上げたかったから、そうしてこの手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。私がただ来るに及ばないという簡単な電報を再び打ったのは、それがためです。 二 「私はそれからこの手紙を書き出しました。平生筆を持ちつけない私には、自分の思うように、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、あなたに対する私のこの義務を放擲するところでした。しかしいくら止そうと思って筆を擱いても、何にもなりませんでした。私は一時間経たないうちにまた書きたくなりました。あなたから見たら、これが義務の遂行を重んずる私の性格のように思われるかも知れません。私もそれは否みません。私はあなたの知っている通り、ほとんど世間と交渉のない孤独な人間ですから、義務というほどの義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張っておりません。故意か自然か、私はそれをできるだけ切り詰めた生活をしていたのです。けれども私は義務に冷淡だからこうなったのではありません。むしろ鋭敏過ぎて刺戟に堪えるだけの精力がないから、ご覧のように消極的な月日を送る事になったのです。だから一旦約束した以上、それを果たさないのは、大変厭な心持です。私はあなたに対してこの厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆をまた取り上げなければならないのです。  その上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても差支えないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいともいわれるでしょう。私にも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、私はむしろ私の経験を私の生命と共に葬った方が好いと思います。実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。  私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。  あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。 三 「私が両親を亡くしたのは、まだ私の廿歳にならない時分でした。いつか妻があなたに話していたようにも記憶していますが、二人は同じ病気で死んだのです。しかも妻があなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。実をいうと、父の病気は恐るべき腸窒扶斯でした。それが傍にいて看護をした母に伝染したのです。  私は二人の間にできたたった一人の男の子でした。宅には相当の財産があったので、むしろ鷹揚に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母かどっちか、片方で好いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。  私は二人の後に茫然として取り残されました。私には知識もなく、経験もなく、また分別もありませんでした。父の死ぬ時、母は傍にいる事ができませんでした。母の死ぬ時、母には父の死んだ事さえまだ知らせてなかったのです。母はそれを覚っていたか、または傍のもののいうごとく、実際父は回復期に向いつつあるものと信じていたか、それは分りません。母はただ叔父に万事を頼んでいました。そこに居合せた私を指さすようにして、「この子をどうぞ何分」といいました。私はその前から両親の許可を得て、東京へ出るはずになっていましたので、母はそれもついでにいうつもりらしかったのです。それで「東京へ」とだけ付け加えましたら、叔父がすぐ後を引き取って、「よろしい決して心配しないがいい」と答えました。母は強い熱に堪え得る体質の女なんでしたろうか、叔父は「確かりしたものだ」といって、私に向って母の事を褒めていました。しかしこれがはたして母の遺言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。母は無論父の罹った病気の恐るべき名前を知っていたのです。そうして、自分がそれに伝染していた事も承知していたのです。けれども自分はきっとこの病気で命を取られるとまで信じていたかどうか、そこになると疑う余地はまだいくらでもあるだろうと思われるのです。その上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通った明らかなものにせよ、一向記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。だから……しかしそんな事は問題ではありません。ただこういう風に物を解きほどいてみたり、またぐるぐる廻して眺めたりする癖は、もうその時分から、私にはちゃんと備わっていたのです。それはあなたにも始めからお断わりしておかなければならないと思いますが、その実例としては当面の問題に大した関係のないこんな記述が、かえって役に立ちはしないかと考えます。あなたの方でもまあそのつもりで読んでください。この性分が倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、私は後来ますます他の徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それが私の煩悶や苦悩に向って、積極的に大きな力を添えているのは慥かですから覚えていて下さい。  話が本筋をはずれると、分り悪くなりますからまたあとへ引き返しましょう。これでも私はこの長い手紙を書くのに、私と同じ地位に置かれた他の人と比べたら、あるいは多少落ち付いていやしないかと思っているのです。世の中が眠ると聞こえだすあの電車の響ももう途絶えました。雨戸の外にはいつの間にか憐れな虫の声が、露の秋をまた忍びやかに思い出させるような調子で微かに鳴いています。何も知らない妻は次の室で無邪気にすやすや寝入っています。私が筆を執ると、一字一劃ができあがりつつペンの先で鳴っています。私はむしろ落ち付いた気分で紙に向っているのです。不馴れのためにペンが横へ外れるかも知れませんが、頭が悩乱して筆がしどろに走るのではないように思います。 四 「とにかくたった一人取り残された私は、母のいい付け通り、この叔父を頼るより外に途はなかったのです。叔父はまた一切を引き受けて凡ての世話をしてくれました。そうして私を私の希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。  私は東京へ来て高等学校へはいりました。その時の高等学校の生徒は今よりもよほど殺伐で粗野でした。私の知ったものに、夜中職人と喧嘩をして、相手の頭へ下駄で傷を負わせたのがありました。それが酒を飲んだ揚句の事なので、夢中に擲り合いをしている間に、学校の制帽をとうとう向うのものに取られてしまったのです。ところがその帽子の裏には当人の名前がちゃんと、菱形の白いきれの上に書いてあったのです。それで事が面倒になって、その男はもう少しで警察から学校へ照会されるところでした。しかし友達が色々と骨を折って、ついに表沙汰にせずに済むようにしてやりました。こんな乱暴な行為を、上品な今の空気のなかに育ったあなた方に聞かせたら、定めて馬鹿馬鹿しい感じを起すでしょう。私も実際馬鹿馬鹿しく思います。しかし彼らは今の学生にない一種質朴な点をその代りにもっていたのです。当時私の月々叔父から貰っていた金は、あなたが今、お父さんから送ってもらう学資に比べると遥かに少ないものでした。(無論物価も違いましょうが)。それでいて私は少しの不足も感じませんでした。のみならず数ある同級生のうちで、経済の点にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境遇にいた訳ではないのです。今から回顧すると、むしろ人に羨ましがられる方だったのでしょう。というのは、私は月々極った送金の外に、書籍費、(私はその時分から書物を買う事が好きでした)、および臨時の費用を、よく叔父から請求して、ずんずんそれを自分の思うように消費する事ができたのですから。  何も知らない私は、叔父を信じていたばかりでなく、常に感謝の心をもって、叔父をありがたいもののように尊敬していました。叔父は事業家でした。県会議員にもなりました。その関係からでもありましょう、政党にも縁故があったように記憶しています。父の実の弟ですけれども、そういう点で、性格からいうと父とはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。父は先祖から譲られた遺産を大事に守って行く篤実一方の男でした。楽しみには、茶だの花だのをやりました。それから詩集などを読む事も好きでした。書画骨董といった風のものにも、多くの趣味をもっている様子でした。家は田舎にありましたけれども、二里ばかり隔たった市、――その市には叔父が住んでいたのです、――その市から時々道具屋が懸物だの、香炉だのを持って、わざわざ父に見せに来ました。父は一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。だから気性からいうと、闊達な叔父とはよほどの懸隔がありました。それでいて二人はまた妙に仲が好かったのです。父はよく叔父を評して、自分よりも遥かに働きのある頼もしい人のようにいっていました。自分のように、親から財産を譲られたものは、どうしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と闘う必要がないからいけないのだともいっていました。この言葉は母も聞きました。私も聞きました。父はむしろ私の心得になるつもりで、それをいったらしく思われます。「お前もよく覚えているが好い」と父はその時わざわざ私の顔を見たのです。だから私はまだそれを忘れずにいます。このくらい私の父から信用されたり、褒められたりしていた叔父を、私がどうして疑う事ができるでしょう。私にはただでさえ誇りになるべき叔父でした。父や母が亡くなって、万事その人の世話にならなければならない私には、もう単なる誇りではなかったのです。私の存在に必要な人間になっていたのです。 五 「私が夏休みを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えた私の住居には、新しい主人として、叔父夫婦が入れ代って住んでいました。これは私が東京へ出る前からの約束でした。たった一人取り残された私が家にいない以上、そうでもするより外に仕方がなかったのです。  叔父はその頃市にある色々な会社に関係していたようです。業務の都合からいえば、今までの居宅に寝起きする方が、二里も隔った私の家に移るより遥かに便利だといって笑いました。これは私の父母が亡くなった後、どう邸を始末して、私が東京へ出るかという相談の時、叔父の口を洩れた言葉であります。私の家は旧い歴史をもっているので、少しはその界隈で人に知られていました。あなたの郷里でも同じ事だろうと思いますが、田舎では由緒のある家を、相続人があるのに壊したり売ったりするのは大事件です。今の私ならそのくらいの事は何とも思いませんが、その頃はまだ子供でしたから、東京へは出たし、家はそのままにして置かなければならず、はなはだ所置に苦しんだのです。  叔父は仕方なしに私の空家へはいる事を承諾してくれました。しかし市の方にある住居もそのままにしておいて、両方の間を往ったり来たりする便宜を与えてもらわなければ困るといいました。私に[#「私に」は底本では「私は」]固より異議のありようはずがありません。私はどんな条件でも東京へ出られれば好いくらいに考えていたのです。  子供らしい私は、故郷を離れても、まだ心の眼で、懐かしげに故郷の家を望んでいました。固よりそこにはまだ自分の帰るべき家があるという旅人の心で望んでいたのです。休みが来れば帰らなくてはならないという気分は、いくら東京を恋しがって出て来た私にも、力強くあったのです。私は熱心に勉強し、愉快に遊んだ後、休みには帰れると思うその故郷の家をよく夢に見ました。  私の留守の間、叔父はどんな風に両方の間を往き来していたか知りません。私の着いた時は、家族のものが、みんな一つ家の内に集まっていました。学校へ出る子供などは平生おそらく市の方にいたのでしょうが、これも休暇のために田舎へ遊び半分といった格で引き取られていました。  みんな私の顔を見て喜びました。私はまた父や母のいた時より、かえって賑やかで陽気になった家の様子を見て嬉しがりました。叔父はもと私の部屋になっていた一間を占領している一番目の男の子を追い出して、私をそこへ入れました。座敷の数も少なくないのだから、私はほかの部屋で構わないと辞退したのですけれども、叔父はお前の宅だからといって、聞きませんでした。  私は折々亡くなった父や母の事を思い出す外に、何の不愉快もなく、その一夏を叔父の家族と共に過ごして、また東京へ帰ったのです。ただ一つその夏の出来事として、私の心にむしろ薄暗い影を投げたのは、叔父夫婦が口を揃えて、まだ高等学校へ入ったばかりの私に結婚を勧める事でした。それは前後で丁度三、四回も繰り返されたでしょう。私も始めはただその突然なのに驚いただけでした。二度目には判然断りました。三度目にはこっちからとうとうその理由を反問しなければならなくなりました。彼らの主意は単簡でした。早く嫁を貰ってここの家へ帰って来て、亡くなった父の後を相続しろというだけなのです。家は休暇になって帰りさえすれば、それでいいものと私は考えていました。父の後を相続する、それには嫁が必要だから貰う、両方とも理屈としては一通り聞こえます。ことに田舎の事情を知っている私には、よく解ります。私も絶対にそれを嫌ってはいなかったのでしょう。しかし東京へ修業に出たばかりの私には、それが遠眼鏡で物を見るように、遥か先の距離に望まれるだけでした。私は叔父の希望に承諾を与えないで、ついにまた私の家を去りました。 六 「私は縁談の事をそれなり忘れてしまいました。私の周囲を取り捲いている青年の顔を見ると、世帯染みたものは一人もいません。みんな自由です、そうして悉く単独らしく思われたのです。こういう気楽な人の中にも、裏面にはいり込んだら、あるいは家庭の事情に余儀なくされて、すでに妻を迎えていたものがあったかも知れませんが、子供らしい私はそこに気が付きませんでした。それからそういう特別の境遇に置かれた人の方でも、四辺に気兼をして、なるべくは書生に縁の遠いそんな内輪の話はしないように慎んでいたのでしょう。後から考えると、私自身がすでにその組だったのですが、私はそれさえ分らずに、ただ子供らしく愉快に修学の道を歩いて行きました。  学年の終りに、私はまた行李を絡げて、親の墓のある田舎へ帰って来ました。そうして去年と同じように、父母のいたわが家の中で、また叔父夫婦とその子供の変らない顔を見ました。私は再びそこで故郷の匂いを嗅ぎました。その匂いは私に取って依然として懐かしいものでありました。一学年の単調を破る変化としても有難いものに違いなかったのです。  しかしこの自分を育て上げたと同じような匂いの中で、私はまた突然結婚問題を叔父から鼻の先へ突き付けられました。叔父のいう所は、去年の勧誘を再び繰り返したのみです。理由も去年と同じでした。ただこの前勧められた時には、何らの目的物がなかったのに、今度はちゃんと肝心の当人を捕まえていたので、私はなお困らせられたのです。その当人というのは叔父の娘すなわち私の従妹に当る女でした。その女を貰ってくれれば、お互いのために便宜である、父も存生中そんな事を話していた、と叔父がいうのです。私もそうすれば便宜だとは思いました。父が叔父にそういう風な話をしたというのもあり得べき事と考えました。しかしそれは私が叔父にいわれて、始めて気が付いたので、いわれない前から、覚っていた事柄ではないのです。だから私は驚きました。驚いたけれども、叔父の希望に無理のないところも、それがためによく解りました。私は迂闊なのでしょうか。あるいはそうなのかも知れませんが、おそらくその従妹に無頓着であったのが、おもな源因になっているのでしょう。私は小供のうちから市にいる叔父の家へ始終遊びに行きました。ただ行くばかりでなく、よくそこに泊りました。そうしてこの従妹とはその時分から親しかったのです。あなたもご承知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例のないのを。私はこの公認された事実を勝手に布衍しているかも知れないが、始終接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺戟の起る清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来るだけです。私はどう考え直しても、この従妹を妻にする気にはなれませんでした。  叔父はもし私が主張するなら、私の卒業まで結婚を延ばしてもいいといいました。けれども善は急げという諺もあるから、できるなら今のうちに祝言の盃だけは済ませておきたいともいいました。当人に望みのない私にはどっちにしたって同じ事です。私はまた断りました。叔父は厭な顔をしました。従妹は泣きました。私に添われないから悲しいのではありません。結婚の申し込みを拒絶されたのが、女として辛かったからです。私が従妹を愛していないごとく、従妹も私を愛していない事は、私によく知れていました。私はまた東京へ出ました。 七 「私が三度目に帰国したのは、それからまた一年経った夏の取付でした。私はいつでも学年試験の済むのを待ちかねて東京を逃げました。私には故郷がそれほど懐かしかったからです。あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、土地の匂いも格別です、父や母の記憶も濃かに漂っています。一年のうちで、七、八の二月をその中に包まれて、穴に入った蛇のように凝としているのは、私に取って何よりも温かい好い心持だったのです。  単純な私は従妹との結婚問題について、さほど頭を痛める必要がないと思っていました。厭なものは断る、断ってさえしまえば後には何も残らない、私はこう信じていたのです。だから叔父の希望通りに意志を曲げなかったにもかかわらず、私はむしろ平気でした。過去一年の間いまだかつてそんな事に屈托した覚えもなく、相変らずの元気で国へ帰ったのです。  ところが帰って見ると叔父の態度が違っています。元のように好い顔をして私を自分の懐に抱こうとしません。それでも鷹揚に育った私は、帰って四、五日の間は気が付かずにいました。ただ何かの機会にふと変に思い出したのです。すると妙なのは、叔父ばかりではないのです。叔母も妙なのです。従妹も妙なのです。中学校を出て、これから東京の高等商業へはいるつもりだといって、手紙でその様子を聞き合せたりした叔父の男の子まで妙なのです。  私の性分として考えずにはいられなくなりました。どうして私の心持がこう変ったのだろう。いやどうして向うがこう変ったのだろう。私は突然死んだ父や母が、鈍い私の眼を洗って、急に世の中が判然見えるようにしてくれたのではないかと疑いました。私は父や母がこの世にいなくなった後でも、いた時と同じように私を愛してくれるものと、どこか心の奥で信じていたのです。もっともその頃でも私は決して理に暗い質ではありませんでした。しかし先祖から譲られた迷信の塊りも、強い力で私の血の中に潜んでいたのです。今でも潜んでいるでしょう。  私はたった一人山へ行って、父母の墓の前に跪きました。半は哀悼の意味、半は感謝の心持で跪いたのです。そうして私の未来の幸福が、この冷たい石の下に横たわる彼らの手にまだ握られてでもいるような気分で、私の運命を守るべく彼らに祈りました。あなたは笑うかもしれない。私も笑われても仕方がないと思います。しかし私はそうした人間だったのです。  私の世界は掌を翻すように変りました。もっともこれは私に取って始めての経験ではなかったのです。私が十六、七の時でしたろう、始めて世の中に美しいものがあるという事実を発見した時には、一度にはっと驚きました。何遍も自分の眼を疑って、何遍も自分の眼を擦りました。そうして心の中でああ美しいと叫びました。十六、七といえば、男でも女でも、俗にいう色気の付く頃です。色気の付いた私は世の中にある美しいものの代表者として、始めて女を見る事ができたのです。今までその存在に少しも気の付かなかった異性に対して、盲目の眼が忽ち開いたのです。それ以来私の天地は全く新しいものとなりました。  私が叔父の態度に心づいたのも、全くこれと同じなんでしょう。俄然として心づいたのです。何の予感も準備もなく、不意に来たのです。不意に彼と彼の家族が、今までとはまるで別物のように私の眼に映ったのです。私は驚きました。そうしてこのままにしておいては、自分の行先がどうなるか分らないという気になりました。 八 「私は今まで叔父任せにしておいた家の財産について、詳しい知識を得なければ、死んだ父母に対して済まないという気を起したのです。叔父は忙しい身体だと自称するごとく、毎晩同じ所に寝泊りはしていませんでした。二日家へ帰ると三日は市の方で暮らすといった風に、両方の間を往来して、その日その日を落ち付きのない顔で過ごしていました。そうして忙しいという言葉を口癖のように使いました。何の疑いも起らない時は、私も実際に忙しいのだろうと思っていたのです。それから、忙しがらなくては当世流でないのだろうと、皮肉にも解釈していたのです。けれども財産の事について、時間の掛かる話をしようという目的ができた眼で、この忙しがる様子を見ると、それが単に私を避ける口実としか受け取れなくなって来たのです。私は容易に叔父を捕まえる機会を得ませんでした。  私は叔父が市の方に妾をもっているという噂を聞きました。私はその噂を昔中学の同級生であったある友達から聞いたのです。妾を置くぐらいの事は、この叔父として少しも怪しむに足らないのですが、父の生きているうちに、そんな評判を耳に入れた覚えのない私は驚きました。友達はその外にも色々叔父についての噂を語って聞かせました。一時事業で失敗しかかっていたように他から思われていたのに、この二、三年来また急に盛り返して来たというのも、その一つでした。しかも私の疑惑を強く染めつけたものの一つでした。  私はとうとう叔父と談判を開きました。談判というのは少し不穏当かも知れませんが、話の成行きからいうと、そんな言葉で形容するより外に途のないところへ、自然の調子が落ちて来たのです。叔父はどこまでも私を子供扱いにしようとします。私はまた始めから猜疑の眼で叔父に対しています。穏やかに解決のつくはずはなかったのです。  遺憾ながら私は今その談判の顛末を詳しくここに書く事のできないほど先を急いでいます。実をいうと、私はこれより以上に、もっと大事なものを控えているのです。私のペンは早くからそこへ辿りつきたがっているのを、漸との事で抑えつけているくらいです。あなたに会って静かに話す機会を永久に失った私は、筆を執る術に慣れないばかりでなく、貴い時間を惜むという意味からして、書きたい事も省かなければなりません。  あなたはまだ覚えているでしょう、私がいつかあなたに、造り付けの悪人が世の中にいるものではないといった事を。多くの善人がいざという場合に突然悪人になるのだから油断してはいけないといった事を。あの時あなたは私に昂奮していると注意してくれました。そうしてどんな場合に、善人が悪人に変化するのかと尋ねました。私がただ一口金と答えた時、あなたは不満な顔をしました。私はあなたの不満な顔をよく記憶しています。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時この叔父の事を考えていたのです。普通のものが金を見て急に悪人になる例として、世の中に信用するに足るものが存在し得ない例として、憎悪と共に私はこの叔父を考えていたのです。私の答えは、思想界の奥へ突き進んで行こうとするあなたに取って物足りなかったかも知れません、陳腐だったかも知れません。けれども私にはあれが生きた答えでした。現に私は昂奮していたではありませんか。私は冷やかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働き掛ける事ができるからです。 九 「一口でいうと、叔父は私の財産を胡魔化したのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易く行われたのです。すべてを叔父任せにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊い男とでもいえましょうか。私はその時の己れを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜しくって堪りません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵に汚れた後の私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう。  もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父は策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑た利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。私は従妹を愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、後から考えてみると、それを断ったのが私には多少の愉快になると思います。胡魔化されるのはどっちにしても同じでしょうけれども、載せられ方からいえば、従妹を貰わない方が、向うの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我が通った事になるのですから。しかしそれはほとんど問題とするに足りない些細な事柄です。ことに関係のないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿気た意地に見えるでしょう。  私と叔父の間に他の親戚のものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺いたと覚ると共に、他のものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞め抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理でした。  それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切のものを纏めてくれました。それは金額に見積ると、私の予期より遥かに少ないものでした。私としては黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰にするか、二つの方法しかなかったのです。私は憤りました。また迷いました。訴訟にすると落着までに長い時間のかかる事も恐れました。私は修業中のからだですから、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦痛だとも考えました。私は思案の結果、市におる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形に変えようとしました。旧友は止した方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷を離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。  私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。  私の旧友は私の言葉通りに取り計らってくれました。もっともそれは私が東京へ着いてからよほど経った後の事です。田舎で畠地などを売ろうとしたって容易には売れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取った金額は、時価に比べるとよほど少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懐にして家を出た若干の公債と、後からこの友人に送ってもらった金だけなのです。親の遺産としては固より非常に減っていたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、なお心持が悪かったのです。けれども学生として生活するにはそれで充分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥し入れたのです。 十 「金に不自由のない私は、騒々しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆さんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束なく見えたのです。ある日私はまあ宅だけでも探してみようかというそぞろ心から、散歩がてらに本郷台を西へ下りて小石川の坂を真直に伝通院の方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃は左手が砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘ともつかない空地に草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なく向うの崖を眺めました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の趣が違っていました。見渡す限り緑が一面に深く茂っているだけでも、神経が休まります。私はふとここいらに適当な宅はないだろうかと思いました。それで直ぐ草原を横切って、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに好い町になり切れないで、がたぴししているあの辺の家並は、その時分の事ですからずいぶん汚ならしいものでした。私は露次を抜けたり、横丁を曲ったり、ぐるぐる歩き廻りました。しまいに駄菓子屋の上さんに、ここいらに小ぢんまりした貸家はないかと尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時首をかしげていましたが、「かし家はちょいと……」と全く思い当らない風でした。私は望のないものと諦らめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿じゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋に一人で下宿しているのは、かえって家を持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。  それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校の傍とかに住んでいたのだが、厩などがあって、邸が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性の知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念もありました。私は止そうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装はしていませんでした。それから大学の制帽を被っていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出したくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家を訪ねました。  私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。 十一 「私は早速その家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中で一番好い室でした。本郷辺に高等下宿といった風の家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間の様子を心得ていました。私の新しく主人となった室は、それらよりもずっと立派でした。移った当座は、学生としての私には過ぎるくらいに思われたのです。  室の広さは八畳でした。床の横に違い棚があって、縁と反対の側には一間の押入れが付いていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向きの縁に明るい日がよく差しました。  私は移った日に、その室の床に活けられた花と、その横に立て懸けられた琴を見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶を嗜なむ父の傍で育ったので、唐めいた趣味を小供のうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶めかしい装飾をいつの間にか軽蔑する癖が付いていたのです。  私の父が存生中にあつめた道具類は、例の叔父のために滅茶滅茶にされてしまったのですが、それでも多少は残っていました。私は国を立つ時それを中学の旧友に預かってもらいました。それからその中で面白そうなものを四、五幅裸にして行李の底へ入れて来ました。私は移るや否や、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。ところが今いった琴と活花を見たので、急に勇気がなくなってしまいました。後から聞いて始めてこの花が私に対するご馳走に活けられたのだという事を知った時、私は心のうちで苦笑しました。もっとも琴は前からそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。  こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠めて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気が予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣れなかったためか、私は始めてそこのお嬢さんに会った時、へどもどした挨拶をしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。  私はそれまで未亡人の風采や態度から推して、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君だからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉く打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂いが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活けてある花が厭でなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。  その花はまた規則正しく凋れる頃になると活け更えられるのです。琴も度々鍵の手に折れ曲がった筋違の室に運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖を突きながら、その琴の音を聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解らないのです。けれども余り込み入った手を弾かないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨い方ではなかったのです。  それでも臆面なく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方はいつ見ても同じ事でした。それから花瓶もついぞ変った例がありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向肉声を聞かせないのです。唄わないのではありませんが、まるで内所話でもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱られると全く出なくなるのです。  私は喜んでこの下手な活花を眺めては、まずそうな琴の音に耳を傾けました。 十二 「私の気分は国を立つ時すでに厭世的になっていました。他は頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染み込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父だの叔母だの、その他の親戚だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱でした。鉛を呑んだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖ってしまったのです。  私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因になっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中に余裕ができても、好んでそんな面倒な真似はしなかったでしょう。  私は小石川へ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛ぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻していました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家のものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐っていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注いでいたのです。おれは物を偸まない巾着切みたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭になる事さえあったのです。  あなたは定めて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢さんをどうして好く余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花を、どうして嬉しがって眺める余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外に仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他から見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。  私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解りませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚な方だといって、さも尊敬したらしい口の利き方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目に説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅へ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷を貸す料簡で、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊かでなくって、やむをえず素人屋に下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描いたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒めるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性の問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推し広げて、同じ言葉を応用しようと力めるのです。 十三 「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐っている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家のものが、僻んだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。  奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風に取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚だと観察していたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化されていたのかも解りません。  私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも笑談をいうようになりました。茶を入れたからといって向うの室へ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。私は急に交際の区域が殖えたように感じました。それがために大切な勉強の時間を潰される事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向邪魔にならなかったのです。奥さんはもとより閑人でした。お嬢さんは学校へ行く上に、花だの琴だのを習っているんだから、定めて忙しかろうと思うと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に余裕をもっているように見えました。それで三人は顔さえ見るといっしょに集まって、世間話をしながら遊んだのです。  私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の室の前に立つ事もありますし、茶の間を抜けて、次の室の襖の影から姿を見せる事もありました。お嬢さんは、そこへ来てちょっと留まります。それからきっと私の名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。私は大抵むずかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めていましたから、傍で見たらさぞ勉強家のように見えたのでしょう。しかし実際をいうと、それほど熱心に書物を研究してはいなかったのです。頁の上に眼は着けていながら、お嬢さんの呼びに来るのを待っているくらいなものでした。待っていて来ないと、仕方がないから私の方で立ち上がるのです。そうして向うの室の前へ行って、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。  お嬢さんの部屋は茶の間と続いた六畳でした。奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切があっても、ないと同じ事で、親子二人が往ったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。私が外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多に返事をした事がありませんでした。  時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐って話し込むような場合もその内に出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒されて来るのです。そうして若い女とただ差向いで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴を浚うのに声さえ碌に出せなかった[#「出せなかった」は底本では「出せなかったの」]あの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解っていました。よく解るように振舞って見せる痕迹さえ明らかでした。 十四 「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息するのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃の私たちは大抵そんなものだったのです。  奥さんは滅多に外出した事がありませんでした。たまに宅を留守にする時でも、お嬢さんと私を二人ぎり残して行くような事はなかったのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいうのは変ですが、奥さんの様子を能く観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるのです。それでいて、或る場合には、私に対して暗に警戒するところもあるようなのですから、始めてこんな場合に出会った私は、時々心持をわるくしました。  私は奥さんの態度をどっちかに片付けてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父に欺かれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩踏み込んだ疑いを挟まずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽りだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑み込めなかったのです。理由を考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗り付けて我慢した事もありました。必竟女だからああなのだ、女というものはどうせ愚なものだ。私の考えは行き詰まればいつでもここへ落ちて来ました。  それほど女を見縊っていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為さないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高い気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体でした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭いを帯びていませんでした。  私は母に対して反感を抱くと共に、子に対して恋愛の度を増して行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互い違いに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌さなかった私は、その時入らぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。 十五 「私は奥さんの態度を色々綜合して見て、私がここの家で充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他を疑り始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺されるのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたのだから、今考えるとおかしいのです。私は他を信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。  私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力めました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好い事をしたと思いました。私は嬉しかったのです。  私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚に当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心がまた起って来ました。  私が奥さんを疑り始めたのは、ごく些細な事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父と同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力めるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾な策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々しい唇を噛みました。  奥さんは最初から、無人で淋しいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私もそれを嘘とは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後でも、そこに間違いはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊かだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。  私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑しました。馬鹿だなといって、自分を罵った事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶は、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪らなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。 十六 「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸み渡らないうちに烟のごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想に耽ってでもいるかのように、他の友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好い仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合せとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥ぎ廻って彼らを驚かした事もあります。  私の宿は人出入りの少ない家でした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極めて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅の人に気兼をするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人のようなもので、肝心のお嬢さんがかえって食客の位地にいたと同じ事です。  しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室で、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮を与えるのです。私は坐っていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起って行って障子を開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮する勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切している物欲しそうな顔付とを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑の意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出し得ないほど落付を失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍も心のうちで繰り返すのです。  私は自由な身体でした。たとい学校を中途で已めようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰とも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰い受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇して、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘き寄せられるのが厭でした。他の手に乗るのは何よりも業腹でした。叔父に欺された私は、これから先どんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。 十七 「私が書物ばかり買うのを見て、奥さんは少し着物を拵えろといいました。私は実際田舎で織った木綿ものしかもっていなかったのです。その頃の学生は絹の入った着物を肌に着けませんでした。私の友達に横浜の商人か何かで、宅はなかなか派出に暮しているものがありましたが、そこへある時羽二重の胴着が配達で届いた事があります。すると皆ながそれを見て笑いました。その男は恥ずかしがって色々弁解しましたが、折角の胴着を行李の底へ放り込んで利用しないのです。それをまた大勢が寄ってたかって、わざと着せました。すると運悪くその胴着に蝨がたかりました。友達はちょうど幸いとでも思ったのでしょう、評判の胴着をぐるぐると丸めて、散歩に出たついでに、根津の大きな泥溝の中へ棄ててしまいました。その時いっしょに歩いていた私は、橋の上に立って笑いながら友達の所作を眺めていましたが、私の胸のどこにも勿体ないという気は少しも起りませんでした。  その頃から見ると私も大分大人になっていました。けれどもまだ自分で余所行の着物を拵えるというほどの分別は出なかったのです。私は卒業して髯を生やす時代が来なければ、服装の心配などはするに及ばないものだという変な考えをもっていたのです。それで奥さんに書物は要るが着物は要らないといいました。奥さんは私の買う書物の分量を知っていました。買った本をみんな読むのかと聞くのです。私の買うものの中には字引きもありますが、当然眼を通すべきはずでありながら、頁さえ切ってないのも多少あったのですから、私は返事に窮しました。私はどうせ要らないものを買うなら、書物でも衣服でも同じだという事に気が付きました。その上私は色々世話になるという口実の下に、お嬢さんの気に入るような帯か反物を買ってやりたかったのです。それで万事を奥さんに依頼しました。  奥さんは自分一人で行くとはいいません。私にもいっしょに来いと命令するのです。お嬢さんも行かなくてはいけないというのです。今と違った空気の中に育てられた私どもは、学生の身分として、あまり若い女などといっしょに歩き廻る習慣をもっていなかったものです。その頃の私は今よりもまだ習慣の奴隷でしたから、多少躊躇しましたが、思い切って出掛けました。  お嬢さんは大層着飾っていました。地体が色の白いくせに、白粉を豊富に塗ったものだからなお目立ちます。往来の人がじろじろ見てゆくのです。そうしてお嬢さんを見たものはきっとその視線をひるがえして、私の顔を見るのだから、変なものでした。  三人は日本橋へ行って買いたいものを買いました。買う間にも色々気が変るので、思ったより暇がかかりました。奥さんはわざわざ私の名を呼んでどうだろうと相談をするのです。時々反物をお嬢さんの肩から胸へ竪に宛てておいて、私に二、三歩遠退いて見てくれろというのです。私はそのたびごとに、それは駄目だとか、それはよく似合うとか、とにかく一人前の口を聞きました。  こんな事で時間が掛って帰りは夕飯の時刻になりました。奥さんは私に対するお礼に何かご馳走するといって、木原店という寄席のある狭い横丁へ私を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食わせる家も狭いものでした。この辺の地理を一向心得ない私は、奥さんの知識に驚いたくらいです。  我々は夜に入って家へ帰りました。その翌日は日曜でしたから、私は終日室の中に閉じ籠っていました。月曜になって、学校へ出ると、私は朝っぱらそうそう級友の一人から調戯われました。いつ妻を迎えたのかといってわざとらしく聞かれるのです。それから私の細君は非常に美人だといって賞めるのです。私は三人連で日本橋へ出掛けたところを、その男にどこかで見られたものとみえます。 十八 「私は宅へ帰って奥さんとお嬢さんにその話をしました。奥さんは笑いました。しかし定めて迷惑だろうといって私の顔を見ました。私はその時腹のなかで、男はこんな風にして、女から気を引いて見られるのかと思いました。奥さんの眼は充分私にそう思わせるだけの意味をもっていたのです。私はその時自分の考えている通りを直截に打ち明けてしまえば好かったかも知れません。しかし私にはもう狐疑という薩張りしない塊りがこびり付いていました。私は打ち明けようとして、ひょいと留まりました。そうして話の角度を故意に少し外らしました。  私は肝心の自分というものを問題の中から引き抜いてしまいました。そうしてお嬢さんの結婚について、奥さんの意中を探ったのです。奥さんは二、三そういう話のないでもないような事を、明らかに私に告げました。しかしまだ学校へ出ているくらいで年が若いから、こちらではさほど急がないのだと説明しました。奥さんは口へは出さないけれども、お嬢さんの容色に大分重きを置いているらしく見えました。極めようと思えばいつでも極められるんだからというような事さえ口外しました。それからお嬢さんより外に子供がないのも、容易に手離したがらない源因になっていました。嫁にやるか、聟を取るか、それにさえ迷っているのではなかろうかと思われるところもありました。  話しているうちに、私は色々の知識を奥さんから得たような気がしました。しかしそれがために、私は機会を逸したと同様の結果に陥ってしまいました。私は自分について、ついに一言も口を開く事ができませんでした。私は好い加減なところで話を切り上げて、自分の室へ帰ろうとしました。  さっきまで傍にいて、あんまりだわとか何とかいって笑ったお嬢さんは、いつの間にか向うの隅に行って、背中をこっちへ向けていました。私は立とうとして振り返った時、その後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が読めるはずはありません。お嬢さんがこの問題についてどう考えているか、私には見当が付きませんでした。お嬢さんは戸棚を前にして坐っていました。その戸棚の一尺ばかり開いている隙間から、お嬢さんは何か引き出して膝の上へ置いて眺めているらしかったのです。私の眼はその隙間の端に、一昨日買った反物を見付け出しました。私の着物もお嬢さんのも同じ戸棚の隅に重ねてあったのです。  私が何ともいわずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改まった調子になって、私にどう思うかと聞くのです。その聞き方は何をどう思うのかと反問しなければ解らないほど不意でした。それがお嬢さんを早く片付けた方が得策だろうかという意味だと判然した時、私はなるべく緩くらな方がいいだろうと答えました。奥さんは自分もそう思うといいました。  奥さんとお嬢さんと私の関係がこうなっている所へ、もう一人男が入り込まなければならない事になりました。その男がこの家庭の一員となった結果は、私の運命に非常な変化を来しています。もしその男が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要も起らなかったでしょう。私は手もなく、魔の通る前に立って、その瞬間の影に一生を薄暗くされて気が付かずにいたのと同じ事です。自白すると、私は自分でその男を宅へ引張って来たのです。無論奥さんの許諾も必要ですから、私は最初何もかも隠さず打ち明けて、奥さんに頼んだのです。ところが奥さんは止せといいました。私には連れて来なければ済まない事情が充分あるのに、止せという奥さんの方には、筋の立った理屈はまるでなかったのです。だから私は私の善いと思うところを強いて断行してしまいました。 十九 「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと小供の時からの仲好でした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。それである医者の所へ養子にやられたのです。私の生れた地方は大変本願寺派の勢力の強い所でしたから、真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです。一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃になったとすると、檀家のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。そんな訳で真宗寺は大抵有福でした。  Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。また修業に出られる便宜があるので、養子の相談が纏まったものかどうか、そこも私には分りません。とにかくKは医者の家へ養子に行ったのです。それは私たちがまだ中学にいる時の事でした。私は教場で先生が名簿を呼ぶ時に、Kの姓が急に変っていたので驚いたのを今でも記憶しています。  Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を貰って東京へ出て来たのです。出て来たのは私といっしょでなかったけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下宿に入りました。その時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寝起きしたものです。Kと私も二人で同じ間にいました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合いながら、外を睨めるようなものでしたろう。二人は東京と東京の人を畏れました。それでいて六畳の間の中では、天下を睥睨するような事をいっていたのです。  しかし我々は真面目でした。我々は実際偉くなるつもりでいたのです。ことにKは強かったのです。寺に生れた彼は、常に精進という言葉を使いました。そうして彼の行為動作は悉くこの精進の一語で形容されるように、私には見えたのです。私は心のうちで常にKを畏敬していました。  Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、私を困らせました。これは彼の父の感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺という一種特別な建物に属する空気の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたように見受けられます。元来Kの養家では彼を医者にするつもりで東京へ出したのです。しかるに頑固な彼は医者にはならない決心をもって、東京へ出て来たのです。私は彼に向って、それでは養父母を欺くと同じ事ではないかと詰りました。大胆な彼はそうだと答えるのです。道のためなら、そのくらいの事をしても構わないというのです。その時彼の用いた道という言葉は、おそらく彼にもよく解っていなかったでしょう。私は無論解ったとはいえません。しかし年の若い私たちには、この漠然とした言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしても気高い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行こうとする意気組に卑しいところの見えるはずはありません。私はKの説に賛成しました。私の同意がKにとってどのくらい有力であったか、それは私も知りません。一図な彼は、たとい私がいくら反対しようとも、やはり自分の思い通りを貫いたに違いなかろうとは察せられます。しかし万一の場合、賛成の声援を与えた私に、多少の責任ができてくるぐらいの事は、子供ながら私はよく承知していたつもりです。よしその時にそれだけの覚悟がないにしても、成人した眼で、過去を振り返る必要が起った場合には、私に割り当てられただけの責任は、私の方で帯びるのが至当になるくらいな語気で私は賛成したのです。 二十 「Kと私は同じ科へ入学しました。Kは澄ました顔をして、養家から送ってくれる金で、自分の好きな道を歩き出したのです。知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、二つながらKの心にあったものと見るよりほか仕方がありません。Kは私よりも平気でした。  最初の夏休みにKは国へ帰りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていました。私が帰って来たのは九月上旬でしたが、彼ははたして大観音の傍の汚い寺の中に閉じ籠っていました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狭い室でしたが、彼はそこで自分の思う通りに勉強ができたのを喜んでいるらしく見えました。私はその時彼の生活の段々坊さんらしくなって行くのを認めたように思います。彼は手頸に珠数を懸けていました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する真似をして見せました。彼はこうして日に何遍も珠数の輪を勘定するらしかったのです。ただしその意味は私には解りません。円い輪になっているものを一粒ずつ数えてゆけば、どこまで数えていっても終局はありません。Kはどんな所でどんな心持がして、爪繰る手を留めたでしょう。詰らない事ですが、私はよくそれを思うのです。  私はまた彼の室に聖書を見ました。私はそれまでにお経の名を度々彼の口から聞いた覚えがありますが、基督教については、問われた事も答えられた例もなかったのですから、ちょっと驚きました。私はその理由を訊ねずにはいられませんでした。Kは理由はないといいました。これほど人の有難がる書物なら読んでみるのが当り前だろうともいいました。その上彼は機会があったら、『コーラン』も読んでみるつもりだといいました。彼はモハメッドと剣という言葉に大いなる興味をもっているようでした。  二年目の夏に彼は国から催促を受けてようやく帰りました。帰っても専門の事は何にもいわなかったものとみえます。家でもまたそこに気が付かなかったのです。あなたは学校教育を受けた人だから、こういう消息をよく解しているでしょうが、世間は学生の生活だの、学校の規則だのに関して、驚くべく無知なものです。我々に何でもない事が一向外部へは通じていません。我々はまた比較的内部の空気ばかり吸っているので、校内の事は細大ともに世の中に知れ渡っているはずだと思い過ぎる癖があります。Kはその点にかけて、私より世間を知っていたのでしょう、澄ました顔でまた戻って来ました。国を立つ時は私もいっしょでしたから、汽車へ乗るや否やすぐどうだったとKに問いました。Kはどうでもなかったと答えたのです。  三度目の夏はちょうど私が永久に父母の墳墓の地を去ろうと決心した年です。私はその時Kに帰国を勧めましたが、Kは応じませんでした。そう毎年家へ帰って何をするのだというのです。彼はまた踏み留まって勉強するつもりらしかったのです。私は仕方なしに一人で東京を立つ事にしました。私の郷里で暮らしたその二カ月間が、私の運命にとって、いかに波瀾に富んだものかは、前に書いた通りですから繰り返しません。私は不平と幽欝と孤独の淋しさとを一つ胸に抱いて、九月に入ってまたKに逢いました。すると彼の運命もまた私と同様に変調を示していました。彼は私の知らないうちに、養家先へ手紙を出して、こっちから自分の詐りを白状してしまったのです。彼は最初からその覚悟でいたのだそうです。今更仕方がないから、お前の好きなものをやるより外に途はあるまいと、向うにいわせるつもりもあったのでしょうか。とにかく大学へ入ってまでも養父母を欺き通す気はなかったらしいのです。また欺こうとしても、そう長く続くものではないと見抜いたのかも知れません。 二十一 「Kの手紙を見た養父は大変怒りました。親を騙すような不埒なものに学資を送る事はできないという厳しい返事をすぐ寄こしたのです。Kはそれを私に見せました。Kはまたそれと前後して実家から受け取った書翰も見せました。これにも前に劣らないほど厳しい詰責の言葉がありました。養家先へ対して済まないという義理が加わっているからでもありましょうが、こっちでも一切構わないと書いてありました。Kがこの事件のために復籍してしまうか、それとも他に妥協の道を講じて、依然養家に留まるか、そこはこれから起る問題として、差し当りどうかしなければならないのは、月々に必要な学資でした。  私はその点についてKに何か考えがあるのかと尋ねました。Kは夜学校の教師でもするつもりだと答えました。その時分は今に比べると、存外世の中が寛ろいでいましたから、内職の口はあなたが考えるほど払底でもなかったのです。私はKがそれで充分やって行けるだろうと考えました。しかし私には私の責任があります。Kが養家の希望に背いて、自分の行きたい道を行こうとした時、賛成したものは私です。私はそうかといって手を拱いでいる訳にゆきません。私はその場で物質的の補助をすぐ申し出しました。するとKは一も二もなくそれを跳ね付けました。彼の性格からいって、自活の方が友達の保護の下に立つより遥に快よく思われたのでしょう。彼は大学へはいった以上、自分一人ぐらいどうかできなければ男でないような事をいいました。私は私の責任を完うするために、Kの感情を傷つけるに忍びませんでした。それで彼の思う通りにさせて、私は手を引きました。  Kは自分の望むような口をほどなく探し出しました。しかし時間を惜しむ彼にとって、この仕事がどのくらい辛かったかは想像するまでもない事です。彼は今まで通り勉強の手をちっとも緩めずに、新しい荷を背負って猛進したのです。私は彼の健康を気遣いました。しかし剛気な彼は笑うだけで、少しも私の注意に取り合いませんでした。  同時に彼と養家との関係は、段々こん絡がって来ました。時間に余裕のなくなった彼は、前のように私と話す機会を奪われたので、私はついにその顛末を詳しく聞かずにしまいましたが、解決のますます困難になってゆく事だけは承知していました。人が仲に入って調停を試みた事も知っていました。その人は手紙でKに帰国を促したのですが、Kは到底駄目だといって、応じませんでした。この剛情なところが、――Kは学年中で帰れないのだから仕方がないといいましたけれども、向うから見れば剛情でしょう。そこが事態をますます険悪にしたようにも見えました。彼は養家の感情を害すると共に、実家の怒りも買うようになりました。私が心配して双方を融和するために手紙を書いた時は、もう何の効果もありませんでした。私の手紙は一言の返事さえ受けずに葬られてしまったのです。私も腹が立ちました。今までも行掛り上、Kに同情していた私は、それ以後は理否を度外に置いてもKの味方をする気になりました。  最後にKはとうとう復籍に決しました。養家から出してもらった学資は、実家で弁償する事になったのです。その代り実家の方でも構わないから、これからは勝手にしろというのです。昔の言葉でいえば、まあ勘当なのでしょう。あるいはそれほど強いものでなかったかも知れませんが、当人はそう解釈していました。Kは母のない男でした。彼の性格の一面は、たしかに継母に育てられた結果とも見る事ができるようです。もし彼の実の母が生きていたら、あるいは彼と実家との関係に、こうまで隔たりができずに済んだかも知れないと私は思うのです。彼の父はいうまでもなく僧侶でした。けれども義理堅い点において、むしろ武士に似たところがありはしないかと疑われます。 二十二 「Kの事件が一段落ついた後で、私は彼の姉の夫から長い封書を受け取りました。Kの養子に行った先は、この人の親類に当るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、この人の意見が重きをなしていたのだと、Kは私に話して聞かせました。  手紙にはその後Kがどうしているか知らせてくれと書いてありました。姉が心配しているから、なるべく早く返事を貰いたいという依頼も付け加えてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいたこの姉を好いていました。彼らはみんな一つ腹から生れた姉弟ですけれども、この姉とKとの間には大分年歯の差があったのです。それでKの小供の時分には、継母よりもこの姉の方が、かえって本当の母らしく見えたのでしょう。  私はKに手紙を見せました。Kは何ともいいませんでしたけれども、自分の所へこの姉から同じような意味の書状が二、三度来たという事を打ち明けました。Kはそのたびに心配するに及ばないと答えてやったのだそうです。運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。  私はKと同じような返事を彼の義兄宛で出しました。その中に、万一の場合には私がどうでもするから、安心するようにという意味を強い言葉で書き現わしました。これは固より私の一存でした。Kの行先を心配するこの姉に安心を与えようという好意は無論含まれていましたが、私を軽蔑したとより外に取りようのない彼の実家や養家に対する意地もあったのです。  Kの復籍したのは一年生の時でした。それから二年生の中頃になるまで、約一年半の間、彼は独力で己れを支えていったのです。ところがこの過度の労力が次第に彼の健康と精神の上に影響して来たように見え出しました。それには無論養家を出る出ないの蒼蠅い問題も手伝っていたでしょう。彼は段々感傷的になって来たのです。時によると、自分だけが世の中の不幸を一人で背負って立っているような事をいいます。そうしてそれを打ち消せばすぐ激するのです。それから自分の未来に横たわる光明が、次第に彼の眼を遠退いて行くようにも思って、いらいらするのです。学問をやり始めた時には、誰しも偉大な抱負をもって、新しい旅に上るのが常ですが、一年と立ち二年と過ぎ、もう卒業も間近になると、急に自分の足の運びの鈍いのに気が付いて、過半はそこで失望するのが当り前になっていますから、Kの場合も同じなのですが、彼の焦慮り方はまた普通に比べると遥かに甚しかったのです。私はついに彼の気分を落ち付けるのが専一だと考えました。  私は彼に向って、余計な仕事をするのは止せといいました。そうして当分身体を楽にして、遊ぶ方が大きな将来のために得策だと忠告しました。剛情なKの事ですから、容易に私のいう事などは聞くまいと、かねて予期していたのですが、実際いい出して見ると、思ったよりも説き落すのに骨が折れたので弱りました。Kはただ学問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。それにはなるべく窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです。普通の人から見れば、まるで酔興です。その上窮屈な境遇にいる彼の意志は、ちっとも強くなっていないのです。彼はむしろ神経衰弱に罹っているくらいなのです。私は仕方がないから、彼に向って至極同感であるような様子を見せました。自分もそういう点に向って、人生を進むつもりだったとついには明言しました。(もっともこれは私に取ってまんざら空虚な言葉でもなかったのです。Kの説を聞いていると、段々そういうところに釣り込まれて来るくらい、彼には力があったのですから)。最後に私はKといっしょに住んで、いっしょに向上の路を辿って行きたいと発議しました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪く事をあえてしたのです。そうして漸との事で彼を私の家に連れて来ました。 二十三 「私の座敷には控えの間というような四畳が付属していました。玄関を上がって私のいる所へ通ろうとするには、ぜひこの四畳を横切らなければならないのだから、実用の点から見ると、至極不便な室でした。私はここへKを入れたのです。もっとも最初は同じ八畳に二つ机を並べて、次の間を共有にして置く考えだったのですが、Kは狭苦しくっても一人でいる方が好いといって、自分でそっちのほうを択んだのです。  前にも話した通り、奥さんは私のこの所置に対して始めは不賛成だったのです。下宿屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商売でないのだから、なるべくなら止した方が好いというのです。私が決して世話の焼ける人でないから構うまいというと、世話は焼けないでも、気心の知れない人は厭だと答えるのです。それでは今厄介になっている私だって同じ事ではないかと詰ると、私の気心は初めからよく分っていると弁解して已まないのです。私は苦笑しました。すると奥さんはまた理屈の方向を更えます。そんな人を連れて来るのは、私のために悪いから止せといい直します。なぜ私のために悪いかと聞くと、今度は向うで苦笑するのです。  実をいうと私だって強いてKといっしょにいる必要はなかったのです。けれども月々の費用を金の形で彼の前に並べて見せると、彼はきっとそれを受け取る時に躊躇するだろうと思ったのです。彼はそれほど独立心の強い男でした。だから私は彼を私の宅へ置いて、二人前の食料を彼の知らない間にそっと奥さんの手に渡そうとしたのです。しかし私はKの経済問題について、一言も奥さんに打ち明ける気はありませんでした。  私はただKの健康について云々しました。一人で置くとますます人間が偏屈になるばかりだからといいました。それに付け足して、Kが養家と折合の悪かった事や、実家と離れてしまった事や、色々話して聞かせました。私は溺れかかった人を抱いて、自分の熱を向うに移してやる覚悟で、Kを引き取るのだと告げました。そのつもりであたたかい面倒を見てやってくれと、奥さんにもお嬢さんにも頼みました。私はここまで来て漸々奥さんを説き伏せたのです。しかし私から何にも聞かないKは、この顛末をまるで知らずにいました。私もかえってそれを満足に思って、のっそり引き移って来たKを、知らん顔で迎えました。  奥さんとお嬢さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何かをしてくれました。すべてそれを私に対する好意から来たのだと解釈した私は、心のうちで喜びました。――Kが相変らずむっちりした様子をしているにもかかわらず。  私がKに向って新しい住居の心持はどうだと聞いた時に、彼はただ一言悪くないといっただけでした。私からいわせれば悪くないどころではないのです。彼の今までいた所は北向きの湿っぽい臭いのする汚い室でした。食物も室相応に粗末でした。私の家へ引き移った彼は、幽谷から喬木に移った趣があったくらいです。それをさほどに思う気色を見せないのは、一つは彼の強情から来ているのですが、一つは彼の主張からも出ているのです。仏教の教義で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢をいうのをあたかも不道徳のように考えていました。なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの伝を読んだ彼には、ややともすると精神と肉体とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば霊の光輝が増すように感ずる場合さえあったのかも知れません。  私はなるべく彼に逆らわない方針を取りました。私は氷を日向へ出して溶かす工夫をしたのです。今に融けて温かい水になれば、自分で自分に気が付く時機が来るに違いないと思ったのです。 二十四 「私は奥さんからそういう風に取り扱われた結果、段々快活になって来たのです。それを自覚していたから、同じものを今度はKの上に応用しようと試みたのです。Kと私とが性格の上において、大分相違のある事は、長く交際って来た私によく解っていましたけれども、私の神経がこの家庭に入ってから多少角が取れたごとく、Kの心もここに置けばいつか沈まる事があるだろうと考えたのです。  Kは私より強い決心を有している男でした。勉強も私の倍ぐらいはしたでしょう。その上持って生れた頭の質が私よりもずっとよかったのです。後では専門が違いましたから何ともいえませんが、同じ級にいる間は、中学でも高等学校でも、Kの方が常に上席を占めていました。私には平生から何をしてもKに及ばないという自覚があったくらいです。けれども私が強いてKを私の宅へ引っ張って来た時には、私の方がよく事理を弁えていると信じていました。私にいわせると、彼は我慢と忍耐の区別を了解していないように思われたのです。これはとくにあなたのために付け足しておきたいのですから聞いて下さい。肉体なり精神なりすべて我々の能力は、外部の刺戟で、発達もするし、破壊されもするでしょうが、どっちにしても刺戟を段々に強くする必要のあるのは無論ですから、よく考えないと、非常に険悪な方向へむいて進んで行きながら、自分はもちろん傍のものも気が付かずにいる恐れが生じてきます。医者の説明を聞くと、人間の胃袋ほど横着なものはないそうです。粥ばかり食っていると、それ以上の堅いものを消化す力がいつの間にかなくなってしまうのだそうです。だから何でも食う稽古をしておけと医者はいうのです。けれどもこれはただ慣れるという意味ではなかろうと思います。次第に刺戟を増すに従って、次第に営養機能の抵抗力が強くなるという意味でなくてはなりますまい。もし反対に胃の力の方がじりじり弱って行ったなら結果はどうなるだろうと想像してみればすぐ解る事です。Kは私より偉大な男でしたけれども、全くここに気が付いていなかったのです。ただ困難に慣れてしまえば、しまいにその困難は何でもなくなるものだと極めていたらしいのです。艱苦を繰り返せば、繰り返すというだけの功徳で、その艱苦が気にかからなくなる時機に邂逅えるものと信じ切っていたらしいのです。  私はKを説くときに、ぜひそこを明らかにしてやりたかったのです。しかしいえばきっと反抗されるに極っていました。また昔の人の例などを、引合に持って来るに違いないと思いました。そうなれば私だって、その人たちとKと違っている点を明白に述べなければならなくなります。それを首肯ってくれるようなKならいいのですけれども、彼の性質として、議論がそこまでゆくと容易に後へは返りません。なお先へ出ます。そうして、口で先へ出た通りを、行為で実現しに掛ります。彼はこうなると恐るべき男でした。偉大でした。自分で自分を破壊しつつ進みます。結果から見れば、彼はただ自己の成功を打ち砕く意味において、偉大なのに過ぎないのですけれども、それでも決して平凡ではありませんでした。彼の気性をよく知った私はついに何ともいう事ができなかったのです。その上私から見ると、彼は前にも述べた通り、多少神経衰弱に罹っていたように思われたのです。よし私が彼を説き伏せたところで、彼は必ず激するに違いないのです。私は彼と喧嘩をする事は恐れてはいませんでしたけれども、私が孤独の感に堪えなかった自分の境遇を顧みると、親友の彼を、同じ孤独の境遇に置くのは、私に取って忍びない事でした。一歩進んで、より孤独な境遇に突き落すのはなお厭でした。それで私は彼が宅へ引き移ってからも、当分の間は批評がましい批評を彼の上に加えずにいました。ただ穏やかに周囲の彼に及ぼす結果を見る事にしたのです。 二十五 「私は蔭へ廻って、奥さんとお嬢さんに、なるべくKと話をするように頼みました。私は彼のこれまで通って来た無言生活が彼に祟っているのだろうと信じたからです。使わない鉄が腐るように、彼の心には錆が出ていたとしか、私には思われなかったのです。  奥さんは取り付き把のない人だといって笑っていました。お嬢さんはまたわざわざその例を挙げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kはないと答えるそうです。では持って来ようというと、要らないと断るそうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだといったぎり応対をしないのだそうです。私はただ苦笑している訳にもゆきません。気の毒だから、何とかいってその場を取り繕っておかなければ済まなくなります。もっともそれは春の事ですから、強いて火にあたる必要もなかったのですが、これでは取り付き把がないといわれるのも無理はないと思いました。  それで私はなるべく、自分が中心になって、女二人とKとの連絡をはかるように力めました。Kと私が話している所へ家の人を呼ぶとか、または家の人と私が一つ室に落ち合った所へ、Kを引っ張り出すとか、どっちでもその場合に応じた方法をとって、彼らを接近させようとしたのです。もちろんKはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起って室の外へ出ました。またある時はいくら呼んでもなかなか出て来ませんでした。Kはあんな無駄話をしてどこが面白いというのです。私はただ笑っていました。しかし心の中では、Kがそのために私を軽蔑していることがよく解りました。  私はある意味から見て実際彼の軽蔑に価していたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遥かに高いところにあったともいわれるでしょう。私もそれを否みはしません。しかし眼だけ高くって、外が釣り合わないのは手もなく不具です。私は何を措いても、この際彼を人間らしくするのが専一だと考えたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像で埋まっていても、彼自身が偉くなってゆかない以上は、何の役にも立たないという事を発見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まず異性の傍に彼を坐らせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼を曝した上、錆び付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。  この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏まって来出しました。彼は自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆくようでした。彼はある日私に向って、女はそう軽蔑すべきものでないというような事をいいました。Kははじめ女からも、私同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見付からないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと思われます。今までの彼は、性によって立場を変える事を知らずに、同じ視線ですべての男女を一様に観察していたのです。私は彼に、もし我ら二人だけが男同志で永久に話を交換しているならば、二人はただ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだろうといいました。彼はもっともだと答えました。私はその時お嬢さんの事で、多少夢中になっている頃でしたから、自然そんな言葉も使うようになったのでしょう。しかし裏面の消息は彼には一口も打ち明けませんでした。  今まで書物で城壁をきずいてその中に立て籠っていたようなKの心が、段々打ち解けて来るのを見ているのは、私に取って何よりも愉快でした。私は最初からそうした目的で事をやり出したのですから、自分の成功に伴う喜悦を感ぜずにはいられなかったのです。私は本人にいわない代りに、奥さんとお嬢さんに自分の思った通りを話しました。二人も満足の様子でした。 二十六 「Kと私は同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。私の方が早ければ、ただ彼の空室を通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶をして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖を開ける私をちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。私は何も答えないで点頭く事もありますし、あるいはただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあります。  ある日私は神田に用があって、帰りがいつもよりずっと後れました。私は急ぎ足に門前まで来て、格子をがらりと開けました。それと同時に、私はお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥かにKの室から出たと思いました。玄関から真直に行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、という間取なのですから、どこで誰の声がしたくらいは、久しく厄介になっている私にはよく分るのです。私はすぐ格子を締めました。するとお嬢さんの声もすぐ已みました。私が靴を脱いでいるうち、――私はその時分からハイカラで手数のかかる編上を穿いていたのですが、――私がこごんでその靴紐を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。私は変に思いました。ことによると、私の疳違かも知れないと考えたのです。しかし私がいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二人はちゃんと坐っていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんも「お帰り」と坐ったままで挨拶しました。私には気のせいかその簡単な挨拶が少し硬いように聞こえました。どこかで自然を踏み外しているような調子として、私の鼓膜に響いたのです。私はお嬢さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひっそりしていたから聞いて見ただけの事です。  奥さんははたして留守でした。下女も奥さんといっしょに出たのでした。だから家に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。私はちょっと首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、奥さんがお嬢さんと私だけを置き去りにして、宅を空けた例はまだなかったのですから。私は何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。しかしお嬢さんは私の顔色を見て、すぐ不断の表情に帰りました。急用ではないが、ちょっと用があって出たのだと真面目に答えました。下宿人の私にはそれ以上問い詰める権利はありません。私は沈黙しました。  私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も帰って来ました。やがて晩食の食卓でみんなが顔を合わせる時刻が来ました。下宿した当座は万事客扱いだったので、食事のたびに下女が膳を運んで来てくれたのですが、それがいつの間にか崩れて、飯時には向うへ呼ばれて行く習慣になっていたのです。Kが新しく引き移った時も、私が主張して彼を私と同じように取り扱わせる事に極めました。その代り私は薄い板で造った足の畳み込める華奢な食卓を奥さんに寄附しました。今ではどこの宅でも使っているようですが、その頃そんな卓の周囲に並んで飯を食う家族はほとんどなかったのです。私はわざわざ御茶の水の家具屋へ行って、私の工夫通りにそれを造り上げさせたのです。  私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋が来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だと私が考えた時、お嬢さんは私の顔を見てまた笑い出しました。しかし今度は奥さんに叱られてすぐ已めました。 二十七 「一週間ばかりして私はまたKとお嬢さんがいっしょに話している室を通り抜けました。その時お嬢さんは私の顔を見るや否や笑い出しました。私はすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったのでしょう。それをつい黙って自分の居間まで来てしまったのです。だからKもいつものように、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなりました。お嬢さんはすぐ障子を開けて茶の間へ入ったようでした。  夕飯の時、お嬢さんは私を変な人だといいました。私はその時もなぜ変なのか聞かずにしまいました。ただ奥さんが睨めるような眼をお嬢さんに向けるのに気が付いただけでした。  私は食後Kを散歩に連れ出しました。二人は伝通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻ってまた富坂の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その間に話した事は極めて少なかったのです。性質からいうと、Kは私よりも無口な男でした。私も多弁な方ではなかったのです。しかし私は歩きながら、できるだけ話を彼に仕掛けてみました。私の問題はおもに二人の下宿している家族についてでした。私は奥さんやお嬢さんを彼がどう見ているか知りたかったのです。ところが彼は海のものとも山のものとも見分けの付かないような返事ばかりするのです。しかもその返事は要領を得ないくせに、極めて簡単でした。彼は二人の女に関してよりも、専攻の学科の方に多くの注意を払っているように見えました。もっともそれは二学年目の試験が目の前に逼っている頃でしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が学生らしい学生だったのでしょう。その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。  我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後一年だといって奥さんは喜んでくれました。そういう奥さんの唯一の誇りとも見られるお嬢さんの卒業も、間もなく来る順になっていたのです。Kは私に向って、女というものは何にも知らないで学校を出るのだといいました。Kはお嬢さんが学問以外に稽古している縫針だの琴だの活花だのを、まるで眼中に置いていないようでした。私は彼の迂闊を笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるものでないという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。彼は別段反駁もしませんでした。その代りなるほどという様子も見せませんでした。私にはそこが愉快でした。彼のふんといったような調子が、依然として女を軽蔑しているように見えたからです。女の代表者として私の知っているお嬢さんを、物の数とも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、私のKに対する嫉妬は、その時にもう充分萌していたのです。  私は夏休みにどこかへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないような口振を見せました。無論彼は自分の自由意志でどこへも行ける身体ではありませんが、私が誘いさえすれば、またどこへ行っても差支えない身体だったのです。私はなぜ行きたくないのかと彼に尋ねてみました。彼は理由も何にもないというのです。宅で書物を読んだ方が自分の勝手だというのです。私が避暑地へ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、それなら私一人行ったらよかろうというのです。しかし私はK一人をここに残して行く気にはなれないのです。私はただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好い心持ではなかったのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持を悪くするのかといわれればそれまでです。私は馬鹿に違いないのです。果しのつかない二人の議論を見るに見かねて奥さんが仲へ入りました。二人はとうとういっしょに房州へ行く事になりました。 二十八 「Kはあまり旅へ出ない男でした。私にも房州は始めてでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田とかいいました。今ではどんなに変っているか知りませんが、その頃はひどい漁村でした。第一どこもかしこも腥いのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦り剥くのです。拳のような大きな石が打ち寄せる波に揉まれて、始終ごろごろしているのです。  私はすぐ厭になりました。しかしKは好いとも悪いともいいません。少なくとも顔付だけは平気なものでした。そのくせ彼は海へ入るたんびにどこかに怪我をしない事はなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦に行きました。富浦からまた那古に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃の海水浴場だったのです。Kと私はよく海岸の岩の上に坐って、遠い海の色や、近い水の底を眺めました。岩の上から見下す水は、また特別に綺麗なものでした。赤い色だの藍の色だの、普通市場に上らないような色をした小魚が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでいるのが鮮やかに指さされました。  私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽っているのか、景色に見惚れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解らなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口答えるだけでした。私は自分の傍にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上ります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴ります。纏まった詩だの歌だのを面白そうに吟ずるような手緩い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後ろからぐいと攫みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。  Kの神経衰弱はこの時もう大分よくなっていたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になって来ていたのです。私は自分より落ち付いているKを見て、羨ましがりました。また憎らしがりました。彼はどうしても私に取り合う気色を見せなかったからです。私にはそれが一種の自信のごとく映りました。しかしその自信を彼に認めたところで、私は決して満足できなかったのです。私の疑いはもう一歩前へ出て、その性質を明らめたがりました。彼は学問なり事業なりについて、これから自分の進んで行くべき前途の光明を再び取り返した心持になったのだろうか。単にそれだけならば、Kと私との利害に何の衝突の起る訳はないのです。私はかえって世話のし甲斐があったのを嬉しく思うくらいなものです。けれども彼の安心がもしお嬢さんに対してであるとすれば、私は決して彼を許す事ができなくなるのです。不思議にも彼は私のお嬢さんを愛している素振に全く気が付いていないように見えました。無論私もそれがKの眼に付くようにわざとらしくは振舞いませんでしたけれども。Kは元来そういう点にかけると鈍い人なのです。私には最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざ宅へ連れて来たのです。 二十九 「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際では旨くゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種をもたないのも大分いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学の余習なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。  Kと私は何でも話し合える中でした。偶には愛とか恋とかいう問題も、口に上らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多には話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩せるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。  あなたがたから見て笑止千万な事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でも宅にいた時と同じように卑怯でした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆で重く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉く弾き返されてしまうのです。  或る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に厭な心持になるのです。しかし少時すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間が抜けていて、それでどこかに確かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの好いところだけがこう一度に眼先へ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。  Kは落ち付かない私の様子を見て、厭ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州の鼻を廻って向う側へ出ました。我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総のそこ一里に騙されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるで解らなかったくらいです。私は冗談半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮へ漬りました。その後をまた強い日で照り付けられるのですから、身体が倦怠くてぐたぐたになりました。 三十 「こんな風にして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急に他の身体の中へ、自分の霊魂が宿替をしたような気分になるのです。私は平生の通りKと口を利きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中限りという特別な性質を帯びる風になったのです。つまり二人は暑さのため、潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった行商のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。  我々はこの調子でとうとう銚子まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊という所で、鯛の浦を見物しました。もう年数もよほど経っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮の生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾磯に打ち上げられていたとかいう言伝えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を傭って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。  その時私はただ一図に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺という寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍でした。Kはその寺に行って住持に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠を買って被っていました。着物は固より双方とも垢じみた上に汗で臭くなっていました。私は坊さんなどに会うのは止そうといいました。Kは強情だから聞きません。厭なら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外丁寧なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKと大分考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々し出しました。私は暑くて草臥れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で好い加減な挨拶をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。  たしかその翌る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて飯を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事が蟠っていますから、彼の侮蔑に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。 三十一 「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。  私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他にはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向私を反駁しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐げたり、道のために体を鞭うったりしたいわゆる難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解らないのが、いかにも残念だと明言しました。  Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその翌る日からまた普通の行商の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は路々その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない好い機会が与えられたのに、知らない振りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を蒸溜して拵えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原の形そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。  我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる眺めました。それから両国へ来て、暑いのに軍鶏を食いました。Kはその勢いで小石川まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。  宅へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変瘠せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって賞めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。 三十二 「それのみならず私はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解るように、持前の親切を余分に私の方へ割り宛ててくれたのです。だからKは別に厭な顔もせずに平気でいました。私は心の中でひそかに彼に対する歌を奏しました。  やがて夏も過ぎて九月の中頃から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより後れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。  たしか十月の中頃と思います。私は寝坊をした結果、日本服のまま急いで学校へ出た事があります。穿物も編上などを結んでいる時間が惜しいので、草履を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数のかかる靴を穿いていないから、すぐ玄関に上がって仕切の襖を開けました。私は例の通り机の前に坐っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室から逃れ出るように去るその後姿をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、二言三言内と外とで話をしていました。それは先刻の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。  そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅にいる時でも、よくKの室の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に引張って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。 三十三 「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂路を上って宅へ帰りました。Kの室は空虚でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳そうと思って、急いで自分の室の仕切りを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。  その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の間からKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より後れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方用事でもできたのだろうといっていました。  私はしばらくそこに坐ったまま書見をしました。宅の中がしんと静まって、誰の話し声も聞こえないうちに、初冬の寒さと佗びしさとが、私の身体に食い込むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふと賑やかな所へ行きたくなったのです。雨はやっと歇ったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、蛇の目を肩に担いで、砲兵工廠の裏手の土塀について東へ坂を下りました。その時分はまだ道路の改正ができない頃なので、坂の勾配が今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ真直ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で塞がっているのと、放水がよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って柳町の通りへ出る間が非道かったのです。足駄でも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でも路の真中に自然と細長く泥が掻き分けられた所を、後生大事に辿って行かなければならないのです。その幅は僅か一、二尺しかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前が塞がったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体を替せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後で、その女の顔を見ると、それが宅のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶をしました。その時分の束髪は今と違って廂が出ていないのです、そうして頭の真中に蛇のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足踏ん込みました。そうして比較的通りやすい所を空けて、お嬢さんを渡してやりました。  それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って好いか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。私は飛泥の上がるのも構わずに、糠る海の中を自暴にどしどし歩きました。それから直ぐ宅へ帰って来ました。 三十四 「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中ててみろとしまいにいうのです。その頃の私はまだ癇癪持ちでしたから、そう不真面目に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気にやるのか、そこの区別がちょっと判然しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬に帰していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の裏面にこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。しかも傍のものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事に、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは余事ですが、こういう嫉妬は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。  私はそれまで躊躇していた自分の心を、一思いに相手の胸へ擲き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを呉れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、他の手に乗るのが厭だという我慢が私を抑え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た後は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を掻かせられるのが辛いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心他の人に愛の眼を注いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応なしに自分の好いた女を嫁に貰って嬉しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠な愛の実際家だったのです。  肝心のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼なく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。 三十五 「こんな訳で私はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦んでいました。身体の悪い時に午睡などをすると、眼だけ覚めて周囲のものが判然見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。  その内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多をやるから誰か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多などを取る柄ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎そんな陽気な遊びをする心持になれないので、好い加減な生返事をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々の小人数だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手をしている人と同様でした。私はKに一体百人一首の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。  それから二、三日経った後の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも厭だったので、ただ漠然と火鉢の縁に肱を載せて凝と顋を支えたなり考えていました。隣の室にいるKも一向音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。  十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖を開けて私と顔を見合せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回って、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで朧気に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐りました。私はすぐ両肱を火鉢の縁から取り除けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。  Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方叔母さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日過だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより外に仕方がありませんでした。 三十六 「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を已めませんでした。しまいには私も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が顫えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易く開かないところに、彼の言葉の重みも籠っていたのでしょう。一旦声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。  彼の口元をちょっと眺めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付いたのですが、それがはたして何の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。  その時の私は恐ろしさの塊りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ失策ったと思いました。先を越されたなと思いました。  しかしその先をどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私は腋の下から出る気味のわるい汗が襯衣に滲み透るのを凝と我慢して動かずにいました。Kはその間いつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって堪りませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に判然りした字で貼り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて鈍い代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻き乱されていましたから、細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が萌し始めたのです。  Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。  午食の時、Kと私は向い合せに席を占めました。下女に給仕をしてもらって、私はいつにない不味い飯を済ませました。二人は食事中もほとんど口を利きませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。 三十七 「二人は各自の室に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。私も凝と考え込んでいました。  私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が後れてしまったという気も起りました。なぜ先刻Kの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落りのように見えて来ました。せめてKの後に続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺られてぐらぐらしました。  私はKが再び仕切りの襖を開けて向うから突進してきてくれれば好いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで不意撃に会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心を持っていました。それで時々眼を上げて、襖を眺めました。しかしその襖はいつまで経っても開きません。そうしてKは永久に静かなのです。  その内私の頭は段々この静かさに掻き乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって堪らないのです。不断もこんな風にお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。一旦いいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより外に仕方がなかったのです。  しまいに私は凝としておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、鉄瓶の湯を湯呑に注で一杯呑みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に見出したのです。私には無論どこへ行くという的もありません。ただ凝としていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩き廻ったのです。私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKを振い落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついていたのです。  私には第一に彼が解しがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が募って来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていました。また彼の真面目な事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました。同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に凝と坐っている彼の容貌を始終眼の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました。  私が疲れて宅へ帰った時、彼の室は依然として人気のないように静かでした。 三十八 「私が家へはいると間もなく俥の音が聞こえました。今のように護謨輪のない時分でしたから、がらがらいう厭な響きがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。  私が夕飯に呼び出されたのは、それから三十分ばかり経った後の事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの晴着が脱ぎ棄てられたまま、次の室を乱雑に彩っていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、素気ない挨拶ばかりしていました。Kは私よりもなお寡言でした。たまに親子連で外出した女二人の気分が、また平生よりは勝れて晴れやかだったので、我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が利きたくないからだといいました。お嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと追窮しました。私はその時ふと重たい瞼を上げてKの顔を見ました。私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し顫えていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりました。  その晩私はいつもより早く床へ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃蕎麦湯を持って来てくれました。しかし私の室はもう真暗でした。奥さんはおやおやといって、仕切りの襖を細目に開けました。洋燈の光がKの机から斜めにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。奥さんは枕元に坐って、大方風邪を引いたのだろうから身体を暖ためるがいいといって、湯呑を顔の傍へ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました。  私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる廻転させるだけで、外に何の効力もなかったのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶がありました。何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、押入をがらりと開けて、床を延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう何時かとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて洋燈をふっと吹き消す音がして、家中が真暗なうちに、しんと静まりました。  しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ冴えて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論襖越にそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは先刻から二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直な調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました。 三十九 「Kの生返事は翌日になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色を決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが揃って一日宅を空けでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。私はそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらし出すのです。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、暗に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。  同時に私は黙って家のものの様子を観察して見ました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの素振にも、別に平生と変った点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは慥かでした。そう考えた時私は少し安心しました。それで無理に機会を拵えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃さないようにする方が好かろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事にしました。  こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮の満干と同じように、色々の高低があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字を指し得るものだろうかと考えました。要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句、漸くここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れません。  その内学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って宅を出ます。都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがないように親しくなったのです。けれども腹の中では、各自に各自の事を勝手に考えていたに違いありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で極めなければならないと、私は思ったのです。すると彼は外の人にはまだ誰にも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだったので、内心嬉しがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも敵わないという自覚があったのです。けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で養家を三年も欺いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。私はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのです。  私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになると、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します。私は彼に隠し立てをしてくれるな、すべて思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと判然断言しました。しかし私の知ろうとする点には、一言の返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まって底まで突き留める訳にいきません。ついそれなりにしてしまいました。 四十 「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引っ繰り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では他の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。  Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。  二人は別に行く所もなかったので、竜岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引っ張り出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな眼で私が眺めるかという質問なのです。一言でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他の思わくを憚かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家事件でその特色を強く胸の裏に彫り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。  私がKに向って、この際何んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないといいました。私は隙かさず迷うという意味を聞き糺しました。彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇き切った顔の上に慈雨の如く注いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。 四十一 「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを五分の隙間もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺める事ができたも同じでした。  Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚に付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といい放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです。  Kは真宗寺に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑の方が余計に現われていました。  こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。 「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」  私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。 「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」  Kはぴたりとそこへ立ち留まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那に居直り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々とまた歩き出しました。 四十二 「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを騙し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍へ来て、お前は卑怯だと一言私語いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を窘めるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。  Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向に見る事ができたのです。Kは私より背の高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、狼のごとき心を罪のない羊に向けたのです。 「もうその話は止めよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶ができなかったのです。するとKは、「止めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。狼が隙を見て羊の咽喉笛へ食い付くように。 「止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」  私がこういった時、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質だったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。  二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛り付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃になって、ようやく外套の下に体の温味を感じ出したぐらいです。  急いだためでもありましょうが、我々は帰り路にはほとんど口を聞きませんでした。宅へ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野へ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生から無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、碌な挨拶はしませんでした。それから飯を呑み込むように掻き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の室へ引き取りました。 四十三 「その頃は覚醒とか新しい生活とかいう文字のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど尊い過去があったからです。彼はそのために今日まで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の生温い事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾烈な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み留まって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示す路を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情と我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。  上野から帰った晩は、私に取って比較的安静な夜でした。私はKが室へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍に坐り込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳した後、自分の室に帰りました。外の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。  私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵の通りまだ燈火が点いているのです。急に世界の変った私は、少しの間口を利く事もできずに、ぼうっとして、その光景を眺めていました。  その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈の灯を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。  Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝になって、昨夕の事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで飯を食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然した返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。  その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに宅を出ました。今朝から昨夕の事が気に掛っている私は、途中でまたKを追窮しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日上野で「その話はもう止めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑え始めたのです。 四十四 「Kの果断に富んだ性格は私によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔な訳も私にはちゃんと呑み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍も咀嚼しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶、懊悩、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳み込んでいるのではなかろうかと疑り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図に思い込んでしまったのです。  私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極めました。私は黙って機会を覘っていました。しかし二日経っても三日経っても、私はそれを捕まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。  一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって仮病を遣いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事をしただけで、十時頃まで蒲団を被って寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内がひっそり静まった頃を見計らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食物は枕元へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で飯を食いました。その時奥さんは長火鉢の向側から給仕をしてくれたのです。私は朝飯とも午飯とも片付かない茶椀を手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托していたから、外観からは実際気分の好くない病人らしく見えただろうと思います。  私は飯を終って烟草を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍を離れる訳にゆきません。下女を呼んで膳を下げさせた上、鉄瓶に水を注したり、火鉢の縁を拭いたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。  私は仕方なしに言葉の上で、好い加減にうろつき廻った末、Kが近頃何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。 四十五 「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘を快からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。  それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張った口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐れな子です」と後では向うから頼みました。  話は簡単でかつ明瞭に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。  自分の室へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。  私は午頃また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝の話をお嬢さんに何時通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を脱って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋の方へ曲ってしまいました。 四十六 「私は猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。私がこの界隈を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺れのした書物などを眺める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅の事を考えていました。私には先刻の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。  私はとうとう万世橋を渡って、明神の坂を上がって、本郷台へ来て、それからまた菊坂を下りて、しまいに小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨がって、いびつな円を描いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。  Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子を開けて、玄関から坐敷へ通る時、すなわち例のごとく彼の室を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那に、彼の前に手を突いて、詫まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。  夕飯の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方極りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮しに掛かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。  私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付で、事の成行をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉く話されては堪らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭になったのです。 四十七 「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟するのですから、私はなお辛かったのです。どこか男らしい気性を具えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。  私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのに変りはありません。といって、拵え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問されるに極っています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝け出さなければなりません。真面目な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分一厘でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。  要するに私は正直な路を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境に陥ったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟まってまた立ち竦みました。  五、六日経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰るのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。 「道理で妾が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」  私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進んでもっと細かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固より何も隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。  奥さんのいうところを綜合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。 四十八 「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が遥かに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑している事だろうと思って、一人で顔を赧らめました。しかし今更Kの前に出て、恥を掻かせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。  私が進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然とします。いつも東枕で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室との仕切の襖が、この間の晩と同じくらい開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱を突いて起き上がりながら、屹とKの室を覗きました。洋燈が暗く点っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団は跳返されたように裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突ッ伏しているのです。  私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体は些とも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈の光で見廻してみました。  その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ちに立ち竦みました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。そうして私はがたがた顫え出したのです。  それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに辛い文句がその中に書き列ねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。(固より世間体の上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)  手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその後に付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜しく詫をしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。  私は顫える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖に迸っている血潮を始めて見たのです。 四十九 「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。しかし俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄としたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今触った冷たい耳と、平生に変らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激して起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。  私は何の分別もなくまた私の室に帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻り始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。檻の中へ入れられた熊のような態度で。  私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私を遮ります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私を抑えつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。  私はその間に自分の室の洋燈を点けました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど埒の明かない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明に間もなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻りながら、その夜明を待ち焦れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。  我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女はその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室まで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ不断着の羽織を引っ掛けて、私の後に跟いて来ました。私は室へはいるや否や、今まで開いていた仕切りの襖をすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋で隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは蒼い顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦まったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫まりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生の私を出し抜いてふらふらと懺悔の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きと怖れとが、彫り付けられたように、硬く筋肉を攫んでいました。 五十 「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙を開けました。その時Kの洋燈に油が尽きたと見えて、室の中はほとんど真暗でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中を覗き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。  それから後の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続の済むまで、誰もKの部屋へは入れませんでした。  Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまったのです。外に創らしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋から一度に迸ったものと知れました。私は日中の光で明らかにその迹を再び眺めました。そうして人間の血の勢いというものの劇しいのに驚きました。  奥さんと私はできるだけの手際と工夫を用いて、Kの室を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末は[#「後始末は」は底本では「後始未は」]まだ楽でした。二人は彼の死骸を私の室に入れて、不断の通り寝ている体に横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。  私が帰った時は、Kの枕元にもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭い烟で鼻を撲たれた私は、その烟の中に坐っている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来この時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。  私は黙って二人の傍に坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと一口二口言葉を換わす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも昨夜の物凄い有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折角の美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖かったのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には綺麗な花を罪もないのに妄りに鞭うつと同じような不快がそのうちに籠っていたのです。  国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋めるかについて自分の意見を述べました。私は彼の生前に雑司ヶ谷近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。それで私は笑談半分に、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ったところで、どのくらいの功徳になるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪いて月々私の懺悔を新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。 五十一 「Kの葬式の帰り路に、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。  私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私宛で書き残した手紙を繰り返すだけで、外に一口も附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的な考えを起して自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳んで友人の手に帰しました。友人はこの外にもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。私は何よりも宅のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪らないと思っていたのです。私はその友人に外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。  私が今おる家へ引っ越したのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを厭がりますし、私もその夜の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極めたのです。  移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経たないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度といわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が随いていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。  結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、妻といいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参りをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人揃ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺めていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。  私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷へ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった顛末を述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。  その時妻はKの墓を撫でてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行って見立てたりした因縁があるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵を感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。 五十二 「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入る端緒になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕妻と顔を合せてみると、私の果敢ない希望は手厳しい現実のために脆くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然Kに脅かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映ります。映るけれども、理由は解らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問を受けました。笑って済ませる時はそれで差支えないのですが、時によると、妻の癇も高じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。  私は一層思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して己れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔の言葉を並べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。  一年経ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐するために書物に溺れようと力めました。私は猛烈な勢をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺めだしたのです。  妻はそれを今日に困らないから心に弛みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは坐っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父に欺かれた当時の私は、他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。 五十三 「書物の中に自分を生埋めにする事のできなかった私は、酒に魂を浸して、己れを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質でしたから、ただ量を頼みに心を盛り潰そうと力めたのです。この浅薄な方便はしばらくするうちに私をなお厭世的にしました。私は爛酔の真最中にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似をして己れを偽っている愚物だという事に気が付くのです。すると身振いと共に眼も心も醒めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後には、きっと沈鬱な反動があるのです。私は自分の最も愛している妻とその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛ります。  妻の母は時々気拙い事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した例はほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの頃人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。  私は時々妻に詫まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日の朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快で堪らなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。私はしまいに酒を止めました。妻の忠告で止めたというより、自分で厭になったから止めたといった方が適当でしょう。  酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打ち遣って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。  同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。 五十四 「その内妻の母が病気になりました。医者に見せると到底癒らないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって堪らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅しとでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。  母は死にました。私と妻はたった二人ぎりになりました。妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見て思わず涙ぐみました。そうして妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました。妻はなぜだと聞きます。妻には私の意味が解らないのです。私もそれを説明してやる事ができないのです。妻は泣きました。私が不断からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと恨みました。  母の亡くなった後、私はできるだけ妻を親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたからばかりではありません。私の親切には箇人を離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は満足らしく見えました。けれどもその満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄な点がどこかに含まれているようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣いはなかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。  妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をしておきました。妻は自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。  私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれが偶然外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中に、私の心がその物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑ってみました。けれども私は医者にも誰にも診てもらう気にはなりませんでした。  私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。  私がそう決心してから今日まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。 五十五 「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言で直ぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。  波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻が見て歯痒がる前に、私自身が何層倍歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋の中に凝としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼をるかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。  私は今日に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を惹かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲として、妻の天寿を奪うなどという手荒な所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻り合せがあります、二人を一束にして火に燻べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。  同時に私だけがいなくなった後の妻を想像してみるといかにも不憫でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐を、私は腸に沁み込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇しました。妻の顔を見て、止してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝と竦んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺められるのです。  記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括ッ付いていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。  すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。 五十六 「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。  それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。  私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。  それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。  私は妻を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。  私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然描き出す事ができたような心持がして嬉しいのです。私は酔興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから、それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺華山は邯鄲という画を描くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達て聞きました。他から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。  しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷の叔母の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の間に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。  私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」 底本:「こころ」集英社文庫、集英社    1991(平成3)年2月25日第1刷    1995(平成7)年6月14日第10刷 初出:「朝日新聞」    1914(大正3)年4月20日~8月11日 ※誤植の修正は「漱石全集」岩波書店を参照しました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:j.utiyama 校正:伊藤時也 1999年7月31日公開 2010年10月31日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 坑夫 坑夫 夏目漱石  さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生えていていっこう要領を得ない。こっちがいくら歩行たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松と睨めっ子をしている方が増しだ。  東京を立ったのは昨夕の九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥れて眠くなった。泊る宿もなし金もないから暗闇の神楽堂へ上ってちょっと寝た。何でも八幡様らしい。寒くて目が覚めたら、まだ夜は明け離れていなかった。それからのべつ平押しにここまでやって来たようなものの、こうやたらに松ばかり並んでいては歩く精がない。  足はだいぶ重くなっている。膨ら脛に小さい鉄の才槌を縛り附けたように足掻に骨が折れる。袷の尻は無論端折ってある。その上洋袴下さえ穿いていないのだから不断なら競走でもできる。が、こう松ばかりじゃ所詮敵わない。  掛茶屋がある。葭簀の影から見ると粘土のへっついに、錆た茶釜が掛かっている。床几が二尺ばかり往来へ食み出した上から、二三足草鞋がぶら下がって、袢天だか、どてらだか分らない着物を着た男が背中をこちらへ向けて腰を掛けている。  休もうかな、廃そうかなと、通り掛りに横目で覗き込んで見たら、例の袢天とどてらの中を行く男が突然こっちを向いた。煙草の脂で黒くなった歯を、厚い唇の間から出して笑っている。これはと少し気味が悪くなり掛ける途端に、向うの顔は急に真面目になった。今まで茶店の婆さんとさる面白い話をしていて、何の気もつかずに、ついそのままの顔を往来へ向けた時に、ふと自分の面相に出っ喰したものと見える。ともかく向うが真面目になったのでようやく安心した。安心したと思う間もなくまた気味が悪くなった。男は真面目になった顔を真面目な場所に据えたまま、白眼の運動が気に掛かるほどの勢いで自分の口から鼻、鼻から額とじりじり頭の上へ登って行く。鳥打帽の廂を跨いで、脳天まで届いたと思う頃また白眼がじりじり下へ降って来た。今度は顔を素通りにして胸から臍のあたりまで来るとちょっと留まった。臍の所には蟇口がある。三十二銭這入っている。白い眼は久留米絣の上からこの蟇口を覘ったまま、木綿の兵児帯を乗り越してやっと股倉へ出た。股倉から下にあるものは空脛ばかりだ。いくら見たって、見られるようなものは食ッ附いちゃいない。ただ不断より少々重たくなっている。白い眼はその重たくなっている所を、わざっと、じりじり見て、とうとう親指の痕が黒くついた俎下駄の台まで降って行った。  こう書くと、何だか、長く一所に立っていて、さあ御覧下さいと云わないばかりに振舞ったように思われるがそうじゃない。実は白い眼の運動が始まるや否や急に茶店へ休むのが厭になったから、すたすた歩き出したつもりである。にもかかわらず、このつもりが少々覚束なかったと見えて、自分が親指にまむしを拵えて、俎下駄を捩る間際には、もう白い眼の運動は済んでいた。残念ながら向うは早いものである。じりじり見るんだから定めし手間が掛かるだろうと思ったら大間違い。じりじりには相違ない、どこまでも落ちついている。がそれで滅法早い。茶屋の前を通り越しながら、世の中には、妙な作用を持ってる眼があるものだと思ったくらいである。それにしても、ああ緩くり見られないうちに、早く向き直る工夫はなかったもんだろうか。さんざっ腹冷かされて、さあ御帰り、用はないからと云う段になって、もう御免蒙りますと立ち上ったようなものだ。こっちは馬鹿気ている。あっちは得意である。  歩き出してから五六間の間は変に腹が立った。しかし不愉快は五六間ですぐ消えてしまった。と思うとまた足が重くなった。――この足だもの。何しろ鉄の才槌を双方の足へ縛り附けて歩いてるんだから、敏活の行動は出来ないはずだ。あの白い眼にじりじりやられたのも、満更持前の半間からばかり来たとも云えまい。こう思い直して見ると下らない。  その上こんな事を気にしていられる身分じゃない。いったん飛び出したからは、もうどうあっても家へ戻る了簡はない。東京にさえ居り切れない身体だ。たとい田舎でも落ちつく気はない。休むと後から追っ掛けられる。昨日までのいさくさが頭の中を切って廻った日にはどんな田舎だってやり切れない。だからただ歩くのである。けれども別段に目的もない歩き方だから、顔の先一間四方がぼうとして何だか焼き損なった写真のように曇っている。しかもこの曇ったものが、いつ晴れると云う的もなく、ただ漠然と際限もなく行手に広がっている。いやしくも自分が生きている間は五十年でも六十年でも、いくら歩いても走ても依然として広がっているに違いない。ああ、つまらない。歩くのはいたたまれないから歩くので、このぼんやりした前途を抜出すために歩くのではない。抜け出そうとしたって抜け出せないのは知れ切っている。  東京を立った昨夜の九時から、こう諦はつけてはいるが、さて歩き出して見ると、歩きながら気が気でない。足も重い、松が厭きるほど行列している。しかし足よりも松よりも腹の中が一番苦しい。何のために歩いているんだか分らなくって、しかも歩かなくっては一刻も生きていられないほどの苦痛は滅多にない。  のみならず歩けば歩くほどとうてい抜ける事のできない曇った世界の中へだんだん深く潜り込んで行くような気がする。振り返ると日の照っている東京はもう代が違っている。手を出しても足を伸ばしても、この世では届かない。まるで娑婆が違う。そのくせ暖かな朗かな東京は、依然として眼先にありありと写っている。おういと日蔭から呼びたくなるくらい明かに見える。と同時に足の向いてる先は漠々たるものだ。この漠々のうちへ――命のあらん限り広がっているこの漠々のうちへ――自分はふらふら迷い込むのだから心細い。  この曇った世界が曇ったなりはびこって、定業の尽きるまで行く手を塞いでいてはたまらない。留まった片足を不安の念に駆られて一歩前へ出すと、一歩不安の中へ踏み込んだ訳になる。不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、やむを得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埓が明くはずがない。生涯片づかない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、いっそだんだん暗くなってくれればいい。暗くなった所をまた暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇になって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。  意地の悪い事に自分の行く路は明るくもなってくれず、と云って暗くもなってくれない。どこまでも半陰半晴の姿で、どこまでも片づかぬ不安が立て罩めている。これでは生甲斐がない、さればと云って死に切れない。何でも人のいない所へ行って、たった一人で住んでいたい。それが出来なければいっその事……  不思議な事にいっその事と観念して見たが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分いっその事と無分別を起しかけた事もたびたびあるが、そのたびたびにどきんとしない事はなかった。後からぞっとして、まあ善かったと思わない事もなかった。ところが今度は天からどきんともぞっともしない。どきんとでもぞっとでも勝手にするが善いと云うくらいに、不安の念が胸一杯に広がっていたんだろう。その上いっその事を断行するのが今が今ではないと云う安心がどこかにあるらしい。明日になるか明後日になるか、ことに由ったら一週間も掛るか、まかり間違えば無期限に延ばしても差支ないと高を括っていたせいかも知れない。華厳の瀑にしても浅間の噴火口にしても道程はまだだいぶあるくらいは知らぬ間に感じていたんだろう。行き着いていよいよとならなければ誰がどきんとするものじゃない。したがっていっその事を断行して見ようと云う気にもなる。この一面に曇った世界が苦痛であって、この苦痛をどきんとしない程度において免れる望があると思えば重い足も前に出し甲斐がある。まずこのくらいの決心であったらしい。しかしこれはあとから考えた心理状態の解剖である。その当時はただ暗い所へ出ればいい。何でも暗い所へ行かなければならないと、ひたすら暗い所を目的に歩き出したばかりである。今考えると馬鹿馬鹿しいが、ある場合になると吾々は死を目的にして進むのを責てもの慰藉と心得るようになって来る。ただし目指す死は必ず遠方になければならないと云う事も事実だろうと思う。少くとも自分はそう考える。あまり近過ぎると慰藉になりかねるのは死と云う因果である。  ただ暗い所へ行きたい、行かなくっちゃならないと思いながら、雲を攫むような料簡で歩いて来ると、後からおいおい呼ぶものがある。どんなに魂がうろついてる時でも呼ばれて見ると性根があるのは不思議なものだ。自分は何の気もなく振り向いた。応ずるためと云う意識さえ持たなかったのは事実である。しかし振り向いて見て始めて気がついた。自分はさっきの茶店からまだ二十間とは離れていない。その茶店の前の往来へ、例の袢天とどてらの合の子が出て、脂だらけの歯をあらわに曝しながらしきりに自分を呼んでいる。  昨夕東京を立ってから、まだ人間に口を利いた事がない。人から言葉を掛けられようなどとは夢にも予期していなかった。言葉を掛けられる資格などはまるで無いものと自信し切っていた。ところへ突然呼び懸けられたのだから――粗末な歯並びだが向き出しに笑顔を見せてしきりに手招きをしているのだから、ぼんやり振り返った時の心持が、自然と判然すると共に、自分の足はいつの間にか、その男の方へ動き出した。  実を云うとこの男の顔も服装も動作もあんまり気に入っちゃいない。ことにさっき白い眼でじろじろやられた時なぞは、何となく嫌悪の念が胸の裡に萌し掛けたくらいである。それがものの二十間とも歩かないうちに以前の感情はどこかへ消えてしまって、打って変った一種の温味を帯びた心持で後帰りをしたのはなぜだか分らない。自分は暗い所へ行かなければならないと思っていた。だから茶店の方へ逆戻りをし始めると自分の目的とは反対の見当に取って返す事になる。暗い所から一歩立ち退いた意味になる。ところがこの立退が何となく嬉しかった。その後いろいろ経験をして見たが、こんな矛盾は到る所に転がっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古ずるくらい纏まらない物体だ。しかし自分だけがどうあっても纏まらなく出来上ってるから、他人も自分同様締りのない人間に違ないと早合点をしているのかも知れない。それでは失礼に当る。  とにかく引き返して目倉縞の傍まで行くと、どてらはさも馴れ馴れしい声で 「若い衆さん」 と云いながら、大きな顎を心持襟の中へ引きながら自分の額のあたりを見詰めている。自分は好加減なところで、茶色の足を二本立てたまま、 「何か用ですか」 と叮嚀に聞いた。これが平生ならこんなどてらから若い衆さんなんて云われて快よく返辞をする自分じゃない。返辞をするにしてもうんとか何だとかで済したろうと思う。ところがこの時に限って、人相のよくないどてらと自分とは全く同等の人間のような気持がした。別に利害の関係からしてわざと腰を低く出たんじゃ、けっしてない。するとどてらの方でも自分を同程度の人間と見做したような語気で、 「御前さん、働く了簡はないかね」 と云った。自分は今が今まで暗い所へ行くよりほかに用のない身と覚悟していたんだから、藪から棒に働く了簡はないかねと聞かれた時には、何と答えて善いか、さっぱり訳が分らずに、空脛を突っ張ったまま、馬鹿見たような口を開けて、ぼんやり相手を眺めていた。 「御前さん、働く了簡はないかね。どうせ働かなくっちゃならないんだろう」 とどてらがまた問い返した。問い返された時分にはこっちの腹も、どうか、こうか、受け答の出来るくらいに眼前の事況を会得するようになった。 「働いても善いですが」  これは自分の答である。しかしこの答がいやしくも口に出て来るほどに、自分の頭が間に合せの工面にせよ、やっと片づいたと云うものは、単純ながら一順の過程を通っておる。  自分はどこへ行くんだか分らないが、なにしろ人のいないところへ行く気でいた。のに振り向いてどてらの方へあるき出したのだから、歩き出しながら何となく自分に対して憫然な感がある。と云うものはいくらどてらでも人間である。人間のいない方へ行くべきものが、人間の方へ引き戻されたんだから、ことほどさように人間の引力が強いと云う事を証拠立てると同時に、自分の所志にもう背かねばならぬほどに自分は薄弱なものであったと云う事をも証拠立てている。手短に云うと、自分は暗い所へ行く気でいるんだが、実のところはやむを得ず行くんで、何か引っかかりが出来れば、得たり賢しと普通の娑婆に留まる了簡なんだろうと思われる。幸いに、どてらが向うから引っかかってくれたんで、何の気なしに足が後向きに歩き出してしまったのだ。云わば自分の大目的に申し訳のない裏切りをちょっとして見た訳になる。だからどてらが働く気はないかねと出てくれずに、御前さん野にするかね、それとも山にするかねとでも切り出したら、しばらく安心して忘れかけた目的を、ぎょっと思い出させられて、急に暗い所や、人のいない所が怖くなってぞっとしたに違ない。それほどの娑婆気が、戻り掛ける途端にもう萌していたのである。そうしてどてらに呼ばれれば呼ばれるほど、どてらの方へ近寄れば近寄るほど、この娑婆気は一歩ごとに増長したものと見える。最後に空脛を二本、棒のようにどてらの真向うに突っ立てた時は、この娑婆気が最高潮に達した瞬間である。その瞬間に働く気はないかねと来た。御粗末などてらだが非常に旨く自分の心理状態を利用した勧誘である。だし抜けの質問に一時はぼんやりしたようなものの、ぼんやりから覚めて見れば、自分はいつか娑婆の人間になっている。娑婆の人間である以上は食わなければならない。食うには働かなくっちゃ駄目だ。 「働いても、いいですが」  答は何の苦もなく自分の口から滑り出してしまった。するとどてらはそうだろうそのはずさと云うような顔つきをした。自分は不思議にもこの顔つきをもっともだと首肯した。 「働いても、いいですが、全体どんな事をするんですか」 と自分はここで再び聞き直して見た。 「大変儲かるんだが、やって見る気はあるかい。儲かる事は受合なんだ」  どてらは上機嫌の体で、にこにこ笑いながら、自分の返事を待っている。どうせどてらの笑うんだから、愛嬌にもなんにもなっちゃいない。元来笑うだけ損になるようにでき上がってる顔だ。ところがその笑い方が妙になつかしく思われて 「ええやって見ましょう」 と受けてしまった。 「やって見る? そいつあ結構だ。君儲かるよ」 「そんなに儲けなくっても、いいですが……」 「え?」  どてらはこの時妙な声を出した。 「全体どんな仕事なんですか」 「やるなら話すが、やるだろうね、お前さん。話した後で厭だなんて云われちゃ困るが。きっとやるだろうね」  どてらはむやみに念を押す。自分はそこで、 「やる気です」 と答えた。しかしこの答は前のように自然天然には出なかった。云わばいきみ出した答である。大抵の事ならやって退けるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気ですと云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは云い切れない。まして過去の事になると自分も人も区別はありゃしない。すべてがだろうに変化してしまう。無責任だと云われるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきも危しいところはいつでもこの式で行くつもりだ。  そこでどてらは略話が纏ったものと呑み込んで 「じゃ、まあ御這入り。緩くり御茶でも呑んで話すから」 と云う。別に異存もないから、茶店に這入ってどてらの隣りに腰をおろしたら、口のゆがんだ四十ばかりの神さんが妙な臭いのする茶を汲んで出した。茶を飲んだら、急に思い出したように腹が減って来た。減って来たのか、減っていたのに気がついたのか分らない。蟇口には三十二銭這入っている、何か食おうかしらと考えていると 「君、煙草を呑むかい」 と、どてらが「朝日」の袋を横から差し出した。なかなか御世辞がいい。袋の角が裂けてるのは仕方がないが、何だか薄穢なく垢づいた上に、びしゃりと押し潰されて、中にある煙草がかたまって、一本になってるように思われる。袖のないどてらだから、入れ所に窮して腹掛の隠しへでも捩じ込んで置くものと見える。 「ありがとう、たくさんです」 と断ると、どてらは別に失望の体もなく、自分でかたまったうちの一本を、爪垢のたまった指先で引っ張り出した。はたせるかな煙草は皺だらけになって、太刀のように反っている。それでも破けた所もないと見えて、すぱすぱ吸うと鼻から煙が出る。際どいところで煙草の用を足しているから不思議だ。 「御前さん、幾年になんなさる」  どてらは自分の事を御前さんと云ったり君と云ったりするようだが、何で区別するんだか要領を得ない。今までのところで察して見ると、儲かるときには君になって、不断の時には御前さんに復するようにも見える。何でも儲かる事がだいぶん気になっているらしい。 「十九です」 と答えた。実際その時は十九に違なかったのである。 「まだ若いんだね」 と口のゆがんだ神さんが、後向になって盆を拭きながら云った。後向きだから、どんな顔つきをしているか見えない。独り言だかどてらに話しかけてるんだか、それとも自分を相手にする気なんだか分らなかった。するとどてらは、さも調子づいた様子で、 「そうさ、十九じゃ若いもんだ。働き盛りだ」 と、どうしても働かなくっちゃならないような語気である。自分はだまって床几を離れた。  正面に駄菓子を載せる台があって、縁の毀れた菓子箱の傍に、大きな皿がある。上に青い布巾がかかっている下から、丸い揚饅頭が食み出している。自分はこの饅頭が喰いたくなったから、腰を浮かして菓子台の前まで来たのだが、傍へ来て、つらつら饅頭の皿を覗き込んで見ると、恐ろしい蠅だ。しかもそれが皿の前で自分が留まるや否や足音にパッと四方に散ったんで、おやと思いながら、気を落ちつけて少しく揚饅頭を物色していると、散らばった蠅は、もう大風が通り越したから大丈夫だよと申し合せたように、再びぱっと饅頭の上へ飛び着いて来た。黄色い油切った皮の上に、黒いぽちぽちが出鱈目にできる。手を出そうかなと思う矢先へもって来て、急に黒い斑点が、晴夜の星宿のごとく、縦横に行列するんだから、少し辟易してしまって、ぼんやり皿を見下していた。 「御饅頭を上がんなさるかね。まだ新しい。一昨日揚げたばかりだから」  かみさんは、いつの間にか盆を拭いてしまって、菓子台の向側に立っている。自分は不意と眼を上げて神さんを見た。すると神さんは何と思ったか、いきなり、節太の手を皿の上に翳して、 「まあ、大変な蠅だ事」 と云いながら、翳した手を竪に切って、二三度左右へ振った。 「上がるんなら取って上げよう」  神さんはたちまち棚の上から木皿を一枚おろして、長い竹の箸で、饅頭をぽんぽんぽんと七つほど挟み込んで、 「こっちがいいでしょう」 と木皿を、自分の腰を掛けていた床几の上へ持って行った。自分は仕方がないからまたもとの席へ帰って、木皿の隣へ腰を掛けた。見ると、もう蠅が飛んで来ている。自分は蠅と饅頭と木皿を眺めながら、どてらに向って 「一つどうです」 と云って見た。これはあながち「朝日」の御礼のためばかりではない。幾分かはどてらが一昨日揚げた蠅だらけの饅頭を食うだろうか食わないだろうか試して見る腹もあったらしい。するとどてらは 「や、すまない」 と云いながら、何の苦もなく一番上の奴を取って頬張っちまった。唇の厚い口をもごつかせているところを観察すると、満更でもなさそうに見えた。そこで自分も思い切って、こちら側の下から、比較的奇麗なのを摘み出して、あんぐりやった。油の味が舌の上へ流れ出したと思う間もなく、その中から苦い餡が卒然として味覚を冒して来た。しかしこの際だから別にしまったとも思わなかった。難なく餡も皮も油もぐいと胃の腑へ呑み下してしまったら、自然と手がまた木皿の方へ出たから不思議なものだ。どてらはこの時もう第二の饅頭を平らげて、第三に移っている。自分に比較すると大変速力が早い。そうして食ってる間は口を利かない。働く事も儲かる事もまるで忘れているらしい。したがって七つの饅頭は呼吸を二三度するうちに無くなってしまった。しかも自分はたった二つしか食わない。残る五つは瞬く間にどてらのためにしてやられたのである。  いかに逡巡をするほどの汚ならしいものでも、一度皮切りをやると、あとはそれほど神経に障らずに食えるものだ。これはあとで山へ行ってしみじみ経験した事で、今では何でもない陳腐の真理になってしまったが、その時は饅頭を食いながら少々呆れたくらい後が食いたくなった。それに腹は減っている。その上相手がどてらである。このどてらが事もなげに、砂のついた饅頭をぱくつくところを見ると、多少は競争の気味にもなって、神経などは有っても役に立たない、起すだけが損だと云う心持になる。そこで自分はとうとう神さんにたのんで饅頭の御代りを貰った。  今度は「一つ、どうです」とも何とも云わずに、木皿が床几の上に乗るや否や、自分の方でまず一つ頬張った。するとどてらも、「や、すまない」とも何とも云わずに、だまって一つ頬張った。次に自分がまた一つ頬張る。次にどてらがまた一つ頬張る。互違に頬張りっ子をして六つ目まで来た時、たった一つ残った。これが幸い自分の番に当っているので、どてらが手を出さないうちに、自分が頬張ってしまった。それからまた御代りを貰った。 「君だいぶやるね」 とどてらが云った。自分はだいぶやる気も何もなかったが、云われて見るとだいぶやるに違ない。しかしこれは初手にどてらの方で自分の食いたくないものを、むしゃむしゃ食って見せて、自分の食慾を誘致した結果が与って力あるようだ。ところがどてらの方では全然こっちの責任でだいぶやってるような口気であった。だから自分は何だかどてらに対して弁解して見たい気がしたが、弁解する言葉がちょっと出て来なかった。ただ雲を攫むようにどてらにも責任があるんだろうと思うだけで、どこが責任なんだか分らなかったから黙っていた。すると 「君、揚饅頭がよっぽど好きと見えるね」 と今度は云った。饅頭にも寄り切りで、一昨日揚げた砂だらけの蠅だらけの饅頭が好きな訳はない。と云って現に三皿まで代えて食うものを嫌だとは無論云われない。だから今度も黙っていた。そこへ茶店の神さんが突然口を出した。―― 「うちの御饅は名代の御饅だから、みんなが旨がって食べるだよ」  神さんの言葉を聞いた時自分は何だか馬鹿にされてるような気がした。そこでますます黙ってしまった。黙って聞いてると、 「旨い事この上なしだ」 とどてらが云ってる。本当なんだか御世辞なんだかちょっと見当がつかなかった。とにかく饅頭はどうでも構わないから、肝心の労働問題を聞糾して見ようと思って、 「先刻の御話ですがね。実は僕もいろいろの事情があって、働いて飯を食わなくっちゃならない身分なんですが、いったいどんな事をやるんですか」 とこっちから口を切って見た。どてらは正面の菓子台を眺めていたが、この時急に顔だけ自分の方へ向けて 「君、儲かるんだぜ。嘘じゃない、本当に儲かる話なんだから是非やりたまえ」 と、またぞろ自分を君呼わりにして、しきりに儲けさせたがっている。こっちへ向き直って、自分を誘い出そうと力める顔つきを見ると、頬骨の下が自然と落ち込んで、落ち込んだ肉が再び顎の枠で角張っている。そこへ表から射し込む日の加減で、小鼻の下から弓形にでき上った皺が深く映っている。この様子を見た自分は何となく儲けるのが恐ろしくなった。 「僕はそんなに儲けなくっても、いいです。しかし働く事は働くです。神聖な労働なら何でもやるです」  どてらの頬の辺には、はてなと云う景色がちょっと見えたが、やがて、かの弓形の皺を左右に開いて、脂だらけの歯を遠慮なく剥き出して、そうして一種特別な笑い方をした。あとから考えるとどてらには神聖な労働と云う意味が通じなかったらしい。いやしくも人間たるものが金儲の意味さえ知らないで、こむずかしい口巧者な事を云うから、気の毒だと云うのでどてらは笑ったのである。自分は今が今まで死ぬ気でいた。死なないまでも人間のいない所へ行く気でいた。それができ損ったから、生きるために働く気になったまでである。儲かるとか儲からないとか云う問題は、てんで頭の中にはない。今ないばかりじゃない、東京にいて親の厄介になってる時分からなかった。どころじゃない儲主義は大いに軽蔑していた。日本中どこへ行ってもそのくらいな考えは誰にもあるだろうくらいに信じていた。だからどてらがさっきから儲かる儲かると云うのを聞くたんびに何のためだろうと不思議に思っていた。無論癪には障らない。癪に障るような身分でもなし、境遇でもないから、いっこう平気ではいたが、これが人間に対する至大の甘言で、勧誘の方法として、もっとも利目のあるものだとは夢にも想い至らなかった。そこで、どてらから笑われちまった。笑われてさえいっこう通じなかった。今考えると馬鹿馬鹿しい。  一種特別な笑い方をしたどてらは、その笑いの収まりかけに、 「お前さん、全体今まで働いた事があんなさるのかね」 と少し真面目な調子で聞いた。働くにも働かないにも、昨日自宅を逃げ出したばかりである。自分の経験で働いた試しは撃剣の稽古と野球の練習ぐらいなもので、稼いで食った事はまだ一日もない。 「働いた事はないです。しかしこれから働かなくっちゃあならない身分です」 「そうだろう。働いた事がなくっちゃ……じゃ、君、まだ儲けた事もないんだね」 と当り前の事を聞いた。自分は返事をする必要がないから、黙ってると、茶店のかみさんが、菓子台の後から、 「働くからにゃ、儲けなくっちゃあね」 と云いながら、立ち上がった。どてらが、 「全くだ。儲けようったって、今時そう儲け口が転がってるもんじゃない」 と幾分か自分に対して恩に被せるように答えるのを、 「そうさ」 と幾分かさげすむように聞き流して、裏へ出て行った。このそうさが妙に気になって、ことによると、まだその後があるかも知れないと思ったせいか、何気なく後姿を見送っていると、大きな黒松の根方のところへ行って、立小便をし始めたから、急に顔を背けて、どてらの方を向いた。どてらはすぐ、 「私だから、お前さん、見ず知らずの他人にこんな旨い話をするんだ。これがほかのものだったら、受合ってただじゃ話しっこない旨い口なんだからね」 とまた恩に被せる。自分は、面倒くさいからおとなしく、 「ありがたいです」 と四角張って答えて置いた。 「実はこう云う口なんだがね」 と、どてらが、すぐに云う。自分は黙って聞いていた。 「実はこう云う口なんだがね。銅山へ行って仕事をするんだが、私が周旋さえすれば、すぐ坑夫になれる。すぐ坑夫になれりゃ大したもんじゃないか」  自分は何か返事を促されるような気がしたけれども、どうもどてらの調子に載せられて、そうですとは答える訳に行かなかった。坑夫と云えば鉱山の穴の中で働く労働者に違ない。世の中に労働者の種類はだいぶんあるだろうが、そのうちでもっとも苦しくって、もっとも下等なものが坑夫だとばかり考えていた矢先へ、すぐ坑夫になれりゃ大したものだと云われたのだから、調子を合すどころの騒ぎじゃない、おやと思うくらい内心では少からず驚いた。坑夫の下にはまだまだ坑夫より下等な種属があると云うのは、大晦日の後にまだたくさん日が余ってると云うのと同じ事で、自分にはほとんど想像がつかなかった。実を云うとどてらがこんな事を饒舌るのは、自分を若年と侮って、好い加減に人を瞞すのではないかと考えた。ところが相手は存外真面目である。 「何しろ、取附からすぐに坑夫なんだからね。坑夫なら楽なもんさ。たちまちのうちに金がうんと溜っちまって、好な事が出来らあね。なに銀行もあるんだから、預けようと思やあ、いつでも預けられるしさ。ねえ、御かみさん、初めっから坑夫になれりゃ、結構なもんだね」 とかみさんの方へ話の向を持って行くとかみさんは、さっき裏で、立ちながら用を足したままの顔をして、 「そうとも、今からすぐ坑夫になって置きゃあ四五年立つうちにゃ、唸るほど溜るばかりだ。――何しろ十九だ。――働き盛りだ。――今のうち儲けなくっちゃ損だ」 と一句、一句間を置いて独り言のように述べている。  要するにこのかみさんも是非坑夫になれと云わぬばかりの口占で、全然どてらと同意見を持っているように思われた。無論それでよろしい。またそれでなくってもいっこう構わない。妙な事にこの時ほどおとなしい気分になれた事は自分が生れて以来始めてであった。相手がどんな間違を主張しても自分はただはいはいと云って聞いていたろうと思う。実を云うと過去一年間において仕出かした不都合やら義理やら人情やら煩悶やらが破裂して大衝突を引き起した結果、あてどもなくここまで落ちて来たのだから、昨日までの自分の事を考えると、どうしたって、こんなに温和しくなれる訳がないのだが、実際この時は人に逆うような気分は薬にしたくっても出て来なかった。そうしてまたそれを矛盾とも不思議とも考えなかった。おそらく考える余裕がなかったんだろう。人間のうちで纏ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝に社会の犠牲になるように出来上ったものだ。  同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目なしの真相から割り出して考えると、人間ほど的にならないものはない。約束とか契とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束を楯にとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮の至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理を強て圧しかくして、知らぬ顔でやって退けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人を恨んだり、悶えたり、苦しまぎれに自宅を飛び出したりしなくっても済んだかも知れない。たとい飛び出してもこの茶店まで来て、どてらと神さんに対する自分の態度が、昨日までの自分とは打って変ったところを、他人扱いに落ち着き払って比較するだけの余裕があったら、少しは悟れたろう。  惜しい事に当時の自分には自分に対する研究心と云うものがまるでなかった。ただ口惜しくって、苦しくって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、済まなくって、世の中が厭になって、人間が棄て切れないで、いても立っても、いたたまれないで、むちゃくちゃに歩いて、どてらに引っ掛って、揚饅頭を喰ったばかりである。昨日は昨日、今日は今日、一時間前は一時間前、三十分後は三十分後、ただ眼前の心よりほかに心と云うものがまるでなくなっちまって、平生から繋続の取れない魂がいとどふわつき出して、実際あるんだか、ないんだかすこぶる明暸でない上に、過去一年間の大きな記憶が、悲劇の夢のように、朦朧と一団の妖氛となって、虚空遥に際限もなく立て罩めてるような心持ちであった。  そこで平生の自分なら、なぜ坑夫になれば結構なんだとか、どうして坑夫より下等なものがあるんだとか、自分は儲ける事ばかりを目的に働く人間じゃないとか、儲けさえすりゃどこがいいんだとか、何とかかとか理窟を捏ねて、出来るだけ自己を主張しなければ勘弁しないところを、ただおとなしく控えていた。口だけおとなしいのではない、腹の中からまるで抵抗する気が出なかったのである。  何でもこの時の自分は、単に働けばいいと云う事だけを考えていたらしい。いやしくも働きさえすれば、――いやしくもこのふわふわの魂が五体のうちに、うろつきながらもいられさえすれば、――要するに死に切れないものを、強て殺してしまうほどの無理を冒さない以上は、坑夫以上だろうが、坑夫以下だろうが、儲かろうが、儲かるまいが、とんと問題にならなかったものと見える。ただ働く口さえ出来ればそれで結構であるから、働き方の等級や、性質や、結果について、いかに自分の意見と相容れぬ法螺を吹かれても、またその法螺が、単に自分を誘致するためにする打算的の法螺であっても、またその法螺に乗る以上は理知の人間として自分の人格に尠からぬ汚点を貽す恐れがあっても、まるで気にならなかったんだろう。こんな時には複雑な人間が非情に単純になるもんだ。  その上坑夫と聞いた時、何となく嬉しい心持がした。自分は第一に死ぬかも知れないと云う決心で自宅を飛出したのである。それが第二には死ななくっても好いから人のいない所へ行きたいと移って来た。それがまたいつの間にか移って、第三にはともかくも働こうと変化しちまった。ところで、さて働くとなると、並の働き方よりも第二に近い方がいい、一歩進めて云えば第一に縁故のある方が望ましい。第一、第二、第三と知らぬ間に心変りがしたようなものの、変りつつ進んで来た、心の状態は、うやむやの間に縁を引いて、擦れ落ちながらも、振り返って、もとの所を慕いつつ押されて行くのである。単に働くと云う決心が、第二を振り切るほど突飛でもなかったし、第一と交渉を絶つほど遠くにもいなかったと見える。働きながら、人のいない所にいて、もっとも死に近い状態で作業が出来れば、最後の決心は意のごとくに運びながら、幾分か当初の目的にも叶う訳になる。坑夫と云えば名前の示すごとく、坑の中で、日の目を見ない家業である。娑婆にいながら、娑婆から下へ潜り込んで、暗い所で、鉱塊土塊を相手に、浮世の声を聞かないで済む。定めて陰気だろう。そこが今の自分には何よりだ。世の中に人間はごてごているが、自分ほど坑夫に適したものはけっしてないに違ない。坑夫は自分に取って天職である。――とここまで明暸には無論考えなかったが、ただ坑夫と聞いた時、何となく陰気な心持ちがして、その陰気がまた何となく嬉しかった。今思い出して見ると、やっぱりどうあっても他人の事としか受け取れない。  そこで自分はどてらに向ってこう云った。 「僕は一生懸命に働くつもりですが、坑夫にしてくれるでしょうか」  するとどてらはなかなか鷹揚な態度で、 「すぐ坑夫になるのはなかなかむずかしいんだが、私が周旋さえすりゃきっとできる」 と云うから自分もそんなものかなと考えて、しばらく黙っていると、茶店のかみさんがまた口を出した。 「長蔵さんが口を利きさえすりゃ、坑夫は受合だ」  自分はこの時始めてどてらの名前が長蔵だと云う事を知った。それからいっしょに汽車に乗ったり、下りたりする時に、自分もこの男を捕えて二三度長蔵さんと呼んだ事がある。しかし長蔵とはどう書くのか今もって知らない。ここに書いたのはもちろん当字である。始めて家庭を飛出した鼻をいきなり引っ張って、思いも寄らない見当に向けた、云わば自分の生活状態に一転化を与えた人の名前を口で覚えていながら、筆に書けないのは異な事だ。  さてこの長蔵さんと、茶店のかみさんがきっと坑夫になれると受合うから、自分もなれるんだろうと思って、 「じゃ、どうか何分願います」 と頼んだ。しかしこの茶店に腰を掛けているものが、どうして、どこへ行って、どんな手続で坑夫になるんだかその辺はさっぱり分らなかった。  何しろ先方でこのくらい勧めるものだから、何分願いますと云ったら、長蔵さんがどうかするに違ないと思って、あとは聞かずに黙っていた。すると長蔵さんは、勢いよくどてらの尻を床几から立てて、 「それじゃこれから、すぐに出掛けよう。御前さん、支度はいいかい。忘れもののないようによく気をつけて」 と云った。自分はうちを出る時、着のみ着のままで出たのだから、身体よりほかに忘れ物のあるはずがない。そこで、 「何にも無いです」 と立ち上がったが、神さんと顔を見合せて気がついた。肝心の揚饅頭の代を忘れている。長蔵さんは平気な面をして、もう半分ほど葭簀の外に出て往来を眺めていた。自分は懐中から三十二銭入りの蟇口を出して饅頭三皿の代を払って、ついでだから茶代として五銭やった。饅頭の代はとうとう忘れちまって思い出せない。ただその時かみさんが、 「坑夫になって、うんと溜めて帰りにまた御寄」 と云ったのを記憶している。その後坑夫はやめたが、ついにこの茶店へは寄る機会がなかった。それから長蔵さんに尾いて、例の飽き飽きした松原へ出て、一本筋を足の甲まで埃を上げて、やって来ると、さっきの長たらしいのに引き易えて今度は存外早く片づいちまった。いつの間にやら松がなくなったら、板橋街道のような希知な宿の入口に出て来た。やッぱり板橋街道のように我多馬車が通る。一足先へ出た長蔵さんが、振り返って、 「御前さん馬車へ乗るかい」 と聞くから、 「乗っても好いです」 と答えた。そうしたら今度は 「乗らなくってもいいかい」 と反対の事を尋ねた。自分は 「乗らなくってもいいです」 と答えた。長蔵さんは三度目に 「どうするね」 と云ったから、 「どうでもいいです」 と答えた。その内に馬車は遠くへ行ってしまった。 「じゃ、歩く事にしよう」 と長蔵さんは歩き出した。自分も歩き出した。向うを見ると、今通った馬車の埃が日光にまぶれて、往来が濁ったように黄色く見える。そのうちに人通りがだんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂くらいな繁昌する所へ出た。ここいらの店付や人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分は長蔵さんに、 「ここは何と云う所です」 と聞いたら、長蔵さんは、 「ここ? ここを知らないのかい」 と驚いた様子であったが、笑いもせずすぐ教えてくれた。それで所の名は分ったがここにはわざと云わない。自分がこの繁華な町の名を知らなかったのをよほど不思議に感じたと見えて、長蔵さんは、 「お前さん、いったい生れはどこだい」 と聞き出した。考えると、今まで長蔵さんが自分の過去や経歴について、ついぞ一と口も自分に聞いた事がなかったのは、人を周旋する男の所為としては、少しく無頓着過ぎるようにも思われたが、この男は全くそんな事に冷淡な性であった事が後で分った。この時の質問は全く自分の無知に驚いた結果から出た好奇心に過ぎなかった。その証拠には自分が、 「東京です」 と答えたら、 「そうかい」 と云ったなり、あとは何にも聞かずに、自分を引っ張るようにして、ある横町を曲った。  実を云うと自分は相当の地位を有ったものの子である。込み入った事情があって、耐え切れずに生家を飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当ばかりの無分別じゃない。何となく世間が厭になった結果として、わが生家まで面白くなくなったと思ったら、もう親の顔も親類の顔も我慢にも見ていられなくなっていた。これは大変だと気がついて、根気に心を取り直そうとしたが、遅かった。踏み答えて見ようと百方に焦慮れば焦慮るほど厭になる。揚句の果は踏張の栓が一度にどっと抜けて、堪忍の陣立が総崩れとなった。その晩にとうとう生家を飛び出してしまったのである。  事の起りを調べて見ると、中心には一人の少女がいる。そうしてその少女の傍にまた一人の少女がいる。この二人の少女の周囲に親がある。親類がある。世間が万遍なく取り捲いている。ところが第一の少女が自分に対して丸くなったり、四角になったりする。すると何かの因縁で自分も丸くなったり四角になったりしなくっちゃならなくなる。しかし自分はそう丸くなったり四角になったりしては、第二の少女に対して済まない約束をもって生れて来た人間である。自分は年の若い割には自分の立場をよく弁別えていた。が済まないと思えば思うほど丸くなったり四角になったりする。しまいには形態ばかりじゃない組織まで変るようになって来た。それを第二の少女が恨めしそうに見ている。親も親類も見ている。世間も見ている。自分は自分の心が伸びたり縮んだり、曲ったりくねったりするところを、どうかして隠そうと力めたが、何しろ第一の少女の方で少しもやめてくれないで、むやみに伸びて見せたり、縮んで見せたりするもんだから、隠し終せる段じゃない。親にも親類にも目つかってしまった。怪しからんと云う事になった。怪しかるとは自分でも思っていなかったが、だんだん聞き糾して見ると、怪しからん意味がだいぶ違ってる。そこでいろいろ弁解して見たがなかなか聞いてくれない。親の癖に自分の云う事をちっとも信用しないのが第一不都合だと思うと同時に、第一の少女の傍にいたら、この先どうなるか分らない、ことに因ると実際弁解の出来ないような怪しからん事が出来するかも知れないと考え出した。がどうしても離れる事が出来ない。しかも第二の少女に対しては気の毒である、済まん事になったと云う念が日々烈しくなる。――こんな具合で三方四方から、両立しない感情が攻め寄せて来て、五色の糸のこんがらかったように、こっちを引くと、あっちの筋が詰る、あっちをゆるめるとこっちが釣れると云う按排で、乱れた頭はどうあっても解けない。いろいろに工夫を積んで自分に愛想の尽きるほどひねくって見たが、とうてい思うように纏まらないと云う一点張に落ちて来た時に――やっと気がついた。つまり自分が苦しんでるんだから、自分で苦みを留めるよりほかに道はない訳だ。今までは自分で苦しみながら、自分以外の人を動かして、どうにか自分に都合のいいような解決があるだろうと、ひたすらに外のみを当にしていた。つまり往来で人と行き合った時、こっちは突ッ立ったまま、向うが泥濘へ避けてくれる工面ばかりしていたのだ。こっちが動かない今のままのこっちで、それで相手の方だけを思う通りに動かそうと云う出来ない相談を持ち懸けていたのだ。自分が鏡の前に立ちながら、鏡に写る自分の影を気にしたって、どうなるもんじゃない。世間の掟という鏡が容易に動かせないとすると、自分の方で鏡の前を立ち去るのが何よりの上分別である。  そこで自分はこの入り組んだ関係の中から、自分だけをふいと煙にしてしまおうと決心した。しかし本当に煙にするには自殺するよりほかに致し方がない。そこでたびたび自殺をしかけて見た。ところが仕掛けるたんびにどきんとしてやめてしまった。自殺はいくら稽古をしても上手にならないものだと云う事をようやく悟った。自殺が急に出来なければ自滅するのが好かろうとなった。しかし自分は前に云う通り相当の身分のある親を持って朝夕に事を欠かぬ身分であるから生家にいては自滅しようがない。どうしても逃亡が必要である。  逃亡をしてもこの関係を忘れる事は出来まいとも考えた。また忘れる事が出来るだろうとも考えた。要するに、して見なければ分らないと考えた。たとい煩悶が逃亡につき纏って来るにしてもそれは自分の事である。あとに残った人は自分の逃亡のために助かるに違いないと考えた。のみならず逃亡をしたって、いつまでも逃亡ちている訳じゃない。急に自滅がしにくいから、まずその一着として逃亡ちて見るんである。だから逃亡ちて見てもやっぱり過去に追われて苦しいようなら、その時徐に自滅の計を廻らしても遅くはない。それでも駄目ときまればその時こそきっと自殺して見せる。――こう書くと自分はいかにも下らない人間になってしまうが、事実を露骨に云うとこれだけの事に過ぎないんだから仕方がない。またこう書けばこそ下らなくなるが、その当時のぼんやりした意気込を、ぼんやりした意気込のままに叙したなら、これでも小説の主人公になる資格は十分あるんだろうと考える。  それでなくっても実際その当時の、二人の少女の有様やら、日ごとに変る局面の転換やら、自分の心配やら、煩悶やら、親の意見や親類の忠告やら、何やらかやらを、そっくりそのまま書き立てたら、だいぶん面白い続きものができるんだが、そんな筆もなし時もないから、まあやめにして、せっかくの坑夫事件だけを話す事にする。  とにかくこう云う訳で自分はいよいよとなって出奔したんだから、固より生きながら葬られる覚悟でもあり、また自ら葬ってしまう了簡でもあったが、さすがに親の名前や過去の歴史はいくら棄鉢になっても長蔵さんには話したくなかった。長蔵さんばかりじゃない、すべての人間に話したくなかった。すべての人間は愚か、自分にさえできる事なら語りたくないほど情ない心持でひょろひょろしていた。だから長蔵さんが人を周旋する男にも似合わず、自分の身元について一言も聞き糺さなかったのは、変と思いながらも、内々嬉しかった。本当を云うと、当時の自分はまだ嘘をつく事をよく練習していなかったし、ごまかすと云う事は大変な悪事のように考えていたんだから、聞かれたら定めし困ったろうと思う。  そこで長蔵さんに尾いて、横町を曲って行くと、一二丁行ったか行かないうちに町並が急に疎になって、所々は田圃の片割れが細く透いて見える。表はあんなに繁昌しても、繁昌は横幅だけであるなと気がついたら、また急に横町を曲らせられて、また賑かな所へ出された。その突当りが停車場であった。汽車に乗らなくっては坑夫になる手続きが済まないんだと云う事をこの時ようやく知った。実は鉱山の出張所でもこの町にあって、まずそこへ連れて行かれて、そこからまた役人が山へでも護送してくれるんだろうと思っていた。  そこで停車場へ這入る五六間手間になってから、 「長蔵さん、汽車に乗るんですか」 と後から、呼び掛けながら聞いて見た。自分がこの男を長蔵さんと云ったのはこの時が始めてである。長蔵さんはちょっと振り返ったが、あかの他人から名前を呼ばれたのを不審がる様子もなく、すぐ、 「ああ、乗るんだよ」 と答えたなり、停車場に這入った。  自分は停車場の入口に立って考え出した。あの男はいったい自分といっしょに汽車へ乗って先方まで行く気なんだろうか、それにしては余り親切過ぎる。なんぼなんでも見ず知らずの自分にこう叮嚀な世話を焼くのはおかしい。ことによると彼奴は詐欺師かも知れない。自分は下らん事に今更のごとくはっと気がついて急に汽車へ乗るのが厭になって来た。いっその事また停車場を飛び出そうかしらと思って、今までプラットフォームの方を向いていた足を、入口の見当に向け易えた。しかしまだ歩き出すほどの決心もつかなかったと見えて、茫然として、停車場前の茶屋の赤い暖簾を眺めていると、いきなり大きな声を出して遠くから呼びとめられた。自分はこの声を聞くと共に、その所有者は長蔵さんであって、松原以来の声であると云う事を悟った。振り返ると、長蔵さんは遠方から顔だけ斜に出して、しきりにこちらを見て、首を竪に振っている。何でも身体は便所の塀にかくれているらしい。せっかく呼ぶものだからと思って、自分は長蔵さんの顔を目的に歩いて行くと、 「御前さん、汽車へ乗る前にちょっと用を足したら善かろう」 と云う。自分はそれには及ばんから、一応辞退して見たが、なかなか承知しそうもないから、そこで長蔵さんと相並んで、きたない話だが、小便を垂れた。その時自分の考えはまた変った。自分は身体よりほかに何にも持っていない。取られようにも瞞られようにも、名誉も財産もないんだから初手から見込の立たない代物である。昨日の自分と今日の自分とを混同して、長蔵さんを恐ろしがったのは、免職になりながら俸給の差し押を苦にするようなものであった。長蔵さんは教育のある男ではあるまいが、自分の風体を見て一目騙るべからずと看破するには教育も何も要ったものではない。だからことによると、自分を坑夫に周旋して、あとから周旋料でも取るんだろうと思い出した。それならそれで構わない。給料のうちを幾分かやれば済む事だなどと考えながら用を足した。――実は自分がこれだけの結論に到着するためには、わずかの時間内だがこれほどの手数と推論とを要したのである。このくらい骨を折ってすら、まだ長蔵さんのポン引きなる事をいわゆるポン引きなる純粋の意味において会得する事が出来なかったのは、年が十九だったからである。  年の若いのは実に損なもので、こんなにポン引きの近所までどうか、こうか、漕ぎつけながら、それでも、もしや好意ずくの世話ずきから起った親切じゃあるまいかと思って、飛んだ気兼をしたのはおかしかった。  実は二人して、用を足して、のそのそ三等待合所の入口まで来た時、自分は比較的威儀を正して長蔵さんに、こんな事を云ったんである。 「あなたに、わざわざ先方まで連れて行っていただいては恐縮ですから、もうこれでたくさんです」  すると長蔵さんは返事もせずに変な顔をして、黙って自分の方を見ているから、これは礼の云いようがわるいのかとも思って、 「いろいろ御世話になってありがたいです。これから先はもう僕一人でやりますから、どうか御構いなく」 と云って、しきりに頭を下げた。すると、 「一人でやれるものかね」 と長蔵さんが云った。この時だけは御前さんを省いたようである。 「なにやれます」 と答えたら、 「どうして」 と聞き返されたんで、少し面喰ったが、 「今貴方に伺って置けば、先へ行って貴方の名前を云って、どうかしますから」 ともじもじ述べ立てると、 「御前さん、私の名前くらいで、すぐ坑夫になれると思ってるのは大間違いだよ。坑夫なんて、そんなに容易になれるもんじゃないよ」 と跳つけられちまった。仕方がないから 「でも御気の毒ですから」 と言訳かたがた挨拶をすると、 「なに遠慮しないでもいい、先方まで送ってあげるから心配しないがいい。――袖摩り合うも何とかの因縁だ。ハハハハハ」 と笑った。そこで自分は最後に、 「どうも済みません」 と礼を述べて置いた。  それから二人でベンチへ隣り合せに腰を掛けていると、だんだん停車場へ人が寄ってくる。大抵は田舎者である。中には長蔵さんのような袢天兼どてらを着た上に、天秤棒さえ荷いだのがある。そうかと思うと光沢のある前掛を締めて、中折帽を妙に凹ました江戸ッ子流の商人もある。その他の何やらかやらでベンチの四方が足音と人声でざわついて来た時に、切符口の戸がかたりと開いた。待ち兼ねた連中は急いで立ち上がって、みんな鉄網の前へ集ってくる。この時長蔵さんの態度は落ちつき払ったものであった。例の太刀のごとくそっくりかえった「朝日」を厚い唇の間に啣えながら、あの角張った顔を三が二ほど自分の方へ向けて、 「御前さん、汽車賃を持っていなさるかい」 と聞いた。また自分の未熟なところを発表するようだが、実を云うと汽車賃の事は今が今まで自分の考えには毫も上らなかったのである。汽車に乗るんだなと思いながら、いくら金を払うものか、また金を払う必要があるものか、とんと思い至らなかったのは愚の至である。愚はどこまでも承認するがこの質問に出逢うまでは無賃で乗れるかのごとき心持で平気でいたのは事実である。よく分らないけれども、何でも自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙に潜んでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場へ来て汽車賃の汽の字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのと平に同行を断ったのは、どう云う了簡だろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢ってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯その思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響を蒙った覚がないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をして見せる。がその行為言動が、傍から見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気がつかないでもとんだ苦しみを受ける場合が起ってくる。自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心を冒さない先に、劇薬でも注射して、ことごとく殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。  それで、自分が長蔵さんから「御前さん汽車賃を持っていなさるか」と問われた時に、自分ははっと思って、少からず狼狽えた。三十二銭のうちで饅頭の代と茶代を引くと何にもありゃしない。汽車賃もない癖に、坑夫になろうなんて呑込顔に受合ったんだから、自分は少し図迂図迂しい人間であったんだと気がついたら、急に頬辺が熱くなった。その時分の事を考えると自分ながら可愛らしい。これが今だったら、たとい電車の中で借金の催促をされようとも、ただ困るだけで、けっして赤面はしない。ましてぽん引きの長蔵さんなどに対して、神聖なる羞恥の血色を見せるなんてもったいない事は、夢にもやる気遣いはありゃしない。  自分はどう云うものか、長蔵さんに対して汽車賃はありますと答えたかった。しかし実際がないんだから嘘を吐く訳には行かない。嘘を吐きっ放にして済ませられるなら、思い切って、嘘を吐く事にしたろうが、とにかく今切符を買うと云う間際で、吐けばすぐ露現してしまうんだから始末がわるい。と云って汽車賃はありませんと答えるのがいかにも苦痛である。どうも子供だから、しかも満更の子供でなくって、少し大きくなりかけた、色気のついた、煩悶をしている、つまらん常識があるような、ないような子供だから、なおなお不都合だった。そこで汽車賃はありますとも、ありませんとも云いにくかったもんだから、 「少しあります」 と答えた。それも響の物に応ずるごとく、停滞なく出ればよかったが、何しろもったいなくも頬辺を赤くしたあとで、はなはだ恐縮の態度で出したんだから、馬鹿である。 「少しって、御前さん、いくら持ってるい」 と長蔵さんが聞き返した。長蔵さんは自分が頬辺を赤くしても、恐縮しても、まるで頓着しない。ただいくら持ってるか聞きたい様子であった。ところがあいにく肝心の自分にはいくらあるか判然しない。何しろ〆て三十二銭のうち、饅頭を三皿食って、茶代を五銭やったんだから、残るところはたくさんじゃない。あっても無くっても同じくらいなものだ。 「ほんのわずかです。とても足りそうもないです」 と正直なところを云うと、 「足りないところは、私が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」 と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭だから、懐から例の蟇口を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐の皮で拵えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物である。長蔵さんは蟇口を受け取って、ちょっと眺めていたが、 「ふふん、安くないね」 と云ったなり中味も改めずに腹掛の隠しへ入れちまった。中味を改めないところはよかったが、 「じゃ、私が切符を買って来て上げるから、ちゃんとここに待っていなくっちゃ、いけない。はぐれると、坑夫になれないんだからね」 と念を押して、ベンチを離れて切符口の方へすたすた行ってしまった。見ていると人込の中へ這入ったなり振り返りもしないで切符を買う番のくるのを待っている。さっき松原の掛茶屋を出てから、今先方までの長蔵さんは始終自分の傍に食っついていて、たまに離れると便所からでも顔を出して呼ぶくらいであったのに、蟇口を受け取って、切符を買う時はまるで自分を忘れているように見受けられた。あんまり人が多くって、こっちへ眼をつける暇がなかったんだろう。これに反して自分は一生懸命に長蔵さんの後姿を見守って、札を買う順番が一人一人に廻って来るたんびに長蔵さんがだんだん切符口へ近づいて行くのを、遠くから妙な神経を起して眺めていた。蟇口は立派だが中を開けられたら銅貨が出るばかりだ。開けて見て、何だこれっぱかりしか持っていないのかと長蔵さんが驚くに違ない。どうも気の毒である。いくら足し前をするんだろうなどと入らざる事を苦に病んでいると、やがて長蔵さんは平生の顔つきで帰って来た。 「さあ、これが御前さんの分だ」 と云いながら赤い切符を一枚くれたぎりいくら不足だとも何とも云わない。きまりが悪かったから、自分もただ 「ありがとう」 と受取ったぎり賃銭の事は口へ出さなかった。蟇口の事もそれなりにして置いた。長蔵さんの方でも蟇口の事はそれっきり云わなかった。したがって蟇口はついに長蔵さんにやった事になる。  それから、とうとう二人して汽車へ乗った。汽車の中では別にこれと云う出来事もなかった。ただ自分の隣りに腫物だらけの、腐爛目の、痘痕のある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。生家を逃亡ちて、坑夫にまで、なり下る決心なんだから、大抵の事に辟易しそうもないもんだがやっぱり醜ないものの傍へは寄りつきたくなかった。あの按排では自殺の一日前でも、腐爛目の隣を逃げ出したに違ない。それなら万事こう几帳面に段落をつけるかと思うと、そうでないから困る。第一長蔵さんや茶店のかみさんに逢った時なんぞは平生の自分にも似ず、の音も出さずに心からおとなしくしていた。議論も主張も気慨も何もあったもんじゃありゃしない。もっともこれはだいぶ餓じい時であったから、少しは差引いて勘定を立るのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾――また矛盾が出たから廃そう。  自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮って、縦横十文字に自分の心緒を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔しだから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の生涯中に二度とありゃしない。二十以下の無分別から出た無茶だから、その筋道が入り乱れて要領を得んのだと評してはなおいけない。経験の当時こそ入り乱れて滅多やたらに盲動するが、その盲動に立ち至るまでの経過は、落ち着いた今日の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。この鉱山行だって、昔の夢の今日だから、このくらい人に解るように書く事が出来る。色気がなくなったから、あらいざらい書き立てる勇気があると云うばかりじゃない。その時の自分を今の眼の前に引擦り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たといこれほどにだってとうてい書けるものじゃない。俗人はその時その場合に書いた経験が一番正しいと思うが、大間違である。刻下の事情と云うものは、転瞬の客気に駆られて、とんでもない誤謬を伝え勝ちのものである。自分の鉱山行などもその時そのままの心持を、日記にでも書いて置いたら、定めし乳臭い、気取った、偽りの多いものが出来上ったろう。とうてい、こうやって人の前へ御覧下さいと出された義理じゃない。  自分が腐爛目の難を避けて、向う側に席を移すと、長蔵さんは一目ちょっと自分と腐爛目を見たなりで、やはり元の所へ腰を掛けたまま動かなかった。長蔵さんの神経が自分よりよほど剛健なのには少からず驚嘆した。のみならず、平気な顔で腐爛目と話し出したに至って、少しく愛想が尽きた。 「また山行きかね」 「ああまた一人連れて行くんだ」 「あれかい」 と腐爛目は自分の方を見た。長蔵さんはこの時何か返事をしかけたんだろうがふと自分と顔を見合せたものだから、そのまま厚い唇を閉じて横を向いてしまった。その顔について廻って、腐爛目は、 「まただいぶん儲かるね」 と云った。自分はこの言葉を聞くや否やたちまち窓の外へ顔を出した。そうして窓から唾液をした。するとその唾液が汽車の風で自分の顔へ飛んで来た。何だか不愉快だった。前の腰掛で知らない男が二人弁じている。 「泥棒が這入るとするぜ」 「こそこそがかい」 「なに強盗がよ。それでもって、抜身か何かで威嚇した時によ」 「うん、それで」 「それで、主人が、泥棒だからってんで贋銭をやって帰したとするんだ」 「うんそれから」 「後で泥棒が贋銭と気がついて、あすこの亭主は贋銭使だ贋銭使だって方々振れて歩くんだ。常公の前だが、どっちが罪が重いと思う」 「どっちたあ」 「その亭主と泥棒がよ」 「そうさなあ」 と相手は解決に苦しんでいる。自分は眠くなったから、窓の所へ頭を持たしてうとうとした。  寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでもおそらく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようでなかなか容易でない。まず凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である。柔道をやる人が、時々朋友に咽喉を締めて貰う事がある。夏の日永のだるい時などは、絶息したまま五分も道場に死んでいて、それから活を入れさせると、生れ代るような好い気分になる――ただし人の話だが。――自分は、もしや死にっきりに死んじまやしないかと云う神経のために、ついぞこの荒療治を頼んだ事がない。睡眠はこれほどの効験もあるまいが、その代り生き戻り損う危険も伴っていないから、心配のあるもの、煩悶の多いもの、苦痛に堪えぬもの、ことに自滅の一着として、生きながら坑夫になるものに取っては、至大なる自然の賚である。その自然の賚が偶然にも今自分の頭の上に落ちて来た。ありがたいと礼を云う閑もないうちに、うっとりとしちまって、生きている以上は是非共その経過を自覚しなければならない時間を、丸潰しに潰していた。ところが眼が覚めた。後から考えて見たら、汽車の動いてる最中に寝込んだもんだから、汽車の留ったために、眠りが調子を失ってどこかへ飛んで行ったのである。自分は眠っていると、時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力があるようだ。だから本当に煩悶を忘れるためにはやはり本当に死ななくっては駄目だ。ただし煩悶がなくなった時分には、また生き返りたくなるにきまってるから、正直に理想を云うと、死んだり生きたり互違にするのが一番よろしい。――こんな事をかくと、何だか剽軽な冗談を云ってるようだがけっしてそんな浮いた了見じゃない。本気に真面目を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気た感じだから滑稽のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目に抱かねばならぬほど、その時の自分は情ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。  自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家を出奔したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだがむらむらと塊まって、頭の底から一度に湧いて来た。その速い事と云ったら、言語に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺れかかったその刹那に、自分の過去の一生を、細大漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後聞いたが、自分のこの時の経験に因って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。自覚すると同時に、急に厭な心持になった。ただ厭では、とても形容が出来ないんだが、さればと云って、別に叙述しようもない心持ちだからただの厭でとめて置く。自分と同じような心持ちを経験した人ならば、ただこれだけで、なるほどあれだなと、直勘づくだろう。また経験した事がないならば、それこそ幸福だ、けっして知るに及ばない。  その内同じ車室に乗っていたものが二三人立ち上がる。外からも二三人這入って来る。どこへ陣取ろうかと云う眼つきできょろきょろするのと、忘れものはないかと云う顔つきでうろうろするのと、それから何の用もないのに姿勢を更えて窓へ首を出したり、欠伸をしたりするのと、が一度に合併して、すべて動揺の状態に世の中を崩し始めて来た、自分は自分の周囲のものが、ことごとく活動しかけるのを自覚していた。自覚すると共に、自分は普通の人間と違って、みんなが活動する時分でさえ、他に釣り込まれて気分が動いて来ないような仲間外れだと考えた。袖が触れ違って、膝を突き合せていながらも、魂だけはまるで縁も由緒もない、他界から迷い込んだ幽霊のような気持であった。今までは、どうか、こうか、人並に調子を取って来たのが汽車が留まるや否や、世間は急に陽気になって上へ騰る。自分は急に陰気になって下へ降る、とうてい交際はできないんだと思うと、背中と胸の厚さがしゅうと減って、臓腑が薄っ片な一枚の紙のように圧しつけられる。途端に魂だけが地面の下へ抜け出しちまった。まことに申訳のない、御恥ずかしい心持ちをふらつかせて、凹んでいた。  ところへ長蔵さんが、立って来て、 「御前さん、まだ眼が覚めないかね。ここから降りるんだよ」 と注意してくれた。それでようやくなるほどと気がついて立ち上った。魂が地の底へ抜け出して行く途中でも、手足に血が通ってるうちは、呼ぶと返って来るからおかしなものだ。しかしこれがもう少し烈しくなると、なかなか思うように魂が身体に寄りついてくれない。その後台湾沖で難船した時などは、ほとんど魂に愛想を尽かされて、非常な難義をした事がある。何にでも上には上があるもんだ。これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う。しかしこの時はこの心持が自分に取ってもっとも新しくて、しかもはなはだ苦い経験であった。  長蔵さんのどてらの尻を嗅ぎながら改札場から表へ出ると、大きな宿の通りへ出た。一本筋の通りだが存外広い、ばかりではない、心持の判然するほど真直である。自分はこの広い往還の真中に立って遥か向うの宿外を見下した。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。自分は肺の底が抜けて魂が逃げ出しそうなところを、ようやく呼びとめて、多少人間らしい了簡になって、宿の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ちついていない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場から出ても、またこの宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれたようなもので、けっして本気の沙汰で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかったくらい、鈍い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、すべてに興味を失った、かなつぼ眼を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた限界が、はっと云う間に、一本筋の往還を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴るほどの山が、自分の眼を遮りながらも、邪魔にならぬ距離を有って、どろんとしたわが眸を翠の裡に吸寄せている。――そこで何んとなく今云ったような心持になっちまったのである。  第一には大道砥のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠まりのない爽なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷つかせない。心配せずにこっちへ御出と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並を見ると、――これは瓦葺も藁葺もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配を纏められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってくる。自分の立っている左右の二階屋などは――宿屋のように覚えているが――見上げるほどの高さであるのに、宿外れの軒を透して見ると、指の股に這入ると思われるくらい低い。その途中に暖簾が風に動いていたり、腰障子に大きな蛤がかいてあったりして、多少の変化は無論あるけれども、軒並だけを遠くまで追っ掛けて行くと、一里が半秒で眼の中に飛び込んで来る。それほど明瞭である。  前に云った通り自分の魂は二日酔の体たらくで、どこまでもとろんとしていた。ところへ停車場を出るや否や断りなしにこの明瞭な――盲目にさえ明瞭なこの景色にばったりぶつかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。また実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精不精に徘徊していた惰性を一変して屹となるには、多少の時間がかかる。自分の前に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色がいかにも明瞭であるなと心づいたあと、――その際どい中間に起った心持ちである。この景色はかように暢達して、かように明白で、今までの自分の情緒とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界に対い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼した快感をもって、他界の幻影に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外まで行かれる。たしかにこの宿を通り抜ける事はできる。左右の家は触れば触る事が出来る。二階へ上れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸のなかに受けながら立っていた。  自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。  見ると日はもう傾きかけている。初夏の日永の頃だから、日差から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下ると、突き当りが山で、その山は方角から推すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。  その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝として、奥深い様子であった。自分は傾きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいくような気がする結果とも云われるし。日がだんだん傾いて陰の方は蒼い山の上皮と、蒼い空の下層とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他の領分を犯し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区劃が判然しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである。  自分は昨夕東京を出て、千住の大橋まで来て、袷の尻を端折ったなり、松原へかかっても、茶店へ腰を掛けても、汽車へ乗っても、空脛のままで押し通して来た。それでも暑いくらいであった。ところがこの町へ這入ってから何だか空脛では寒い気持がする。寒いと云うよりも淋しいんだろう。長蔵さんと黙って足だけを動かしていると、まるで秋の中を通り抜けてるようである。そこで自分はまた空腹になった。たびたび空腹になった事ばかりを書くのはいかがわしい事で、かつこの際空腹になっては、どうも詩的でないが、致し方がない。実際自分は空腹になった。家を出てから、ただ歩くだけで、人間の食うものを食わないから、たちまち空腹になっちまう。どんなに気分がわるくっても、煩悶があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落つけるためには飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かも知れない。品の悪い話だが、自分は長蔵さんと並んで往来の真中を歩きながら、左右に眼をくばって、両側の飲食店を覗き込むようにして長い町を下って行った。ところがこの町には飲食店がだいぶんある。旅屋とか料理屋とか云う上等なものは駄目としても、自分と長蔵さんが這入ってしかるべきやたいち流のがあすこにもここにも見える。しかし長蔵さんは毫も支度をしそうにない。最前の我多馬車の時のように「御前さん夕食を食うかね」とも聞いてくれない。その癖自分と同じように、きょろきょろ両側に眼を配って何だか発見したいような気色がありありと見える。自分は今に長蔵さんが恰好な所を見つけて、晩食をしたために自分を連れ込む事と自信して、気を永く辛抱しながら、長い町を北へ北へと下って行った。  自分は空腹を自白したが、倒れるほどひもじくは無かった。胃の中にはまだ先刻の饅頭が多少残ってるようにも感ぜられた。だから歩けば歩かれる。ただ汽車を下りるや否や滅り込みそうな精神が、真直な往来の真中に抛り出されて、おやと眼を覚したら、山里の空気がひやりと、夕日の間から皮膚を冒して来たんで、心機一転の結果としてここに何か食って見たくなったんである。したがって食わなければ食わないでも済む。長蔵さん何か食わしてくれませんかと云うほど苦しくもなかった。しかし何だか口が淋しいと見えて、しきりに縄暖簾や、お煮〆や、御中食所が気にかかる。相手の長蔵さんがまた申し合せたように右左と覗き込むので、こっちはますます食意地が張ってくる。自分はこの長い町を通りながら、自分らに適当と思う程度の一膳めし屋をついに九軒まで勘定した。数えて九軒目に至ったら、さしもに長い宿はとうとうおしまいになり掛けて、もう一町も行けば宿外れへ出抜けそうである。はなはだ心細かった。時にふと右側を見ると、また酒めしと云う看板に逢着した。すると自分の心のうちにこれが最後だなと云う感じが起った。それがためか煤けた軒の腰障子に、肉太に認めた酒めし、御肴と云う文字がもっとも劇烈な印象をもって自分の頭に映じて来た。その映じた文字がいまだに消えない。酒の字でも、めしの字でも、御肴の字でもありあり見える。この様子では、いくら耄碌してもこの五字だけは、そっくりそのまま、紙の上に書く事が出来るだろう。  自分が最後の酒、めし、御肴をしみじみ見ていると、不思議な事に長蔵さんも一生懸命に腰障子の方に眼をつけている。自分はさすが頑強の長蔵さんも今度こそ食いに這入るに違なかろうと思った。ところが這入らない。その代りぴたりと留った。見ると腰障子の奥の方では何だか赤いものが動いている。長蔵さんの顔色を窺うと、何でもこの赤いものを見詰めているらしい。この赤いものは無論人間である。が長蔵さんがなぜ立ち留ってこの赤い人間を覗き込むのか、とんと自分には分らなかった。人間には違ないが、ただ薄暗く赤いばかりで、顔つきなどは無論判然しやしない。がと思って、自分も不審かたがた立ち留っていると、やがて障子の奥から赤毛布が飛び出した。いくら山里でも五月の空に毛布は無用だろうと云う人があるかも知れないが、実際この男は赤毛布で身を堅めていた。その代り下には手織の単衣一枚だけしきゃ着ていないんだから、つまり〆て見ると自分と大した相違はない事になる。もっとも単衣一枚で凌いでると云う事は、あとからの発見で、障子の影から飛び出した時にはただ赤いばかりであった。  すると長蔵さんは、いきなり、この赤い男の側へつかつかやって行って、 「お前さん、働く気はないかね」 と云った。自分が長蔵さんに捕まった時に聞かされた、第一の質問はやはり「働く気はないかね」であったから、自分はおやまた働かせる気かなと思って、少からぬ興味の念に駆られながら二人を見物していた。その時この長蔵さんは、誰を見ても手頃な若い衆とさえ鑑定すれば、働く気はないかねと持ち掛ける男だと云う事を判然と覚った。つまり長蔵さんは働かせる事を商売にするんで、けっして自分一人を非常な適任者と認めて、それで坑夫に推挙した訳ではなかった。おおかたどこで、どんな人に、幾人逢おうとも、版行で押したような口調で御前さん働く気はないかねを根気よく繰返し得る男なんだろう。考えると、よくこんな商売を厭きもせず、長の歳月やられたものだ。長蔵さんだって、天性御前さん働く気はないかねに適した訳でもあるまい。やっぱり何かの事情やむを得ず御前さんを復習しているんだろう。こう思えば、まことに罪のない男である。要するに芸がないからほかの事は出来ないんだが、ほかの事が出来ないんだと意識して煩悶する気色もなく、自分でなくっちゃ御前さんをやり得る人間は天下広しといえども二人と有るまいと云うほどの平気な顔で、やっている。  その当時自分にこれだけの長蔵観があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序の節に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――  自分は長蔵さんと赤毛布の立談を聞きながら、自分は長蔵さんから毫も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々するのは変挺な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執って人格と書き出したら、何となく馬鹿気ていて、思わず噴き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。  と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴の裏から飛び出した若い男を捕まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々怪しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――  坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう。取扱方の同様なのを延き伸ばして行くと、つまり取り扱われるものが同様だからと云う妙な結論に到着してくる。自分はふらふらとそこへ到着していたと見える。長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で、赤毛布はすなわち自分である。何だか他人が赤毛布を着て立ってるようには思われない。自分の魂が、自分を置き去りにして、赤毛布の中に飛び込んで、そうして長蔵さんから坑夫になれと談じつけられている。そこで、どうも情なくなっちまった。自分が直接に長蔵さんと応対している間は、人格も何も忘れているんだが、自分が赤毛布になって、君儲かるんだぜと説得されている体裁を、自分が傍へ立って見た日には方なしである。自分ははたしてこんなものかと、少しく興を醒まして赤毛布を、つらつら観察していた。  ところが不思議にもこの赤毛布がまた自分と同じような返事をする。被ってる赤毛布ばかりじゃない、心底から、この若い男は自分と同じ人間だった。そこで自分はつくづくつまらないなと感じた。その上もう一つつまらない事が重なったのは、長蔵さんが、にくにくしいほど公平で、自分の方が赤毛布よりも坑夫に適していると云うところを少しも見せない。全く器械的にやっている。先口だから、もう少しこっちを贔屓にしたら好かろうと思うくらいであった。――これで見ると人間の虚栄心はどこまでも抜けないものだ。窮して坑夫になるとか、ならないとか云う切歯詰った時でさえ自分はこれほどの虚栄心を有っていた。泥棒に義理があったり、乞食に礼式があるのも全くこの格なんだろう。――しかしこの虚栄心の方は、自分すなわち赤毛布であると云うことを自覚して、大につまらなくなったよりも、よほどつまらなさ加減が少かった。  自分が大につまらなくなって、ぼんやり立っていると、二人の談判は見る間に片づいてしまった。これは必ずしも長蔵さんがことほどさように上手だからと云う訳ではない。赤毛布の方がことほどさように馬鹿だったからである。自分はこの男を一概に馬鹿と云うが、あながち、自分に比較して軽蔑する気じゃけっしてない。自分の当時は、長蔵さんの話をはいはい聞く点において、すぐ坑夫になろうと承知する点において、その他いろいろの点において、全くこの若い男と同等すなわち馬鹿であったのである。もし強いて違うところを詮議したら赤毛布を被ってるのと絣を着ているとの差違くらいなものだろう。だから馬鹿と云うのは、自分と同じく気の毒な人と云う意味で、馬鹿のうちに少しぐらいは同情の意を寓したつもりである。  で、馬鹿が二人長蔵さんに尾いていっしょに銅山まで引っ張られる事になった。しかるに自分が赤毛布と肩を並べて歩き出した時、ふと気がついて見ると、さっきのつまらない心持ちがもう消えていた。どうも人間の了見ほど出たり引っ込んだりするものはない。有るんだなと安心していると、すでにない。ないから大丈夫と思ってると、いや有る。有るようで、ないようでその正体はどこまで行っても捕まらない。その後さる温泉場で退屈だから、宿の本を借りて読んで見たらいろいろ下らない御経の文句が並べてあったなかに、心は三世にわたって不可得なりとあった。三世にわたるなんてえのは、大袈裟な法螺だろうが、不可得と云うのは、こんな事を云うんじゃなかろうかと思う。もっともある人が自分の話を聞いて、いやそれは念と云うもので心じゃないと反対した事がある。自分はいずれでも御随意だから黙っていた。こんな議論は全く余計な事だが、なぜ云いたくなるかというと、世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものがだいぶんある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろうくらいに考えているには弱らせられる。そうして、そう云う呑気な料簡で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにして見せるのと騒いでいるから驚いちまう。水だって流れりゃ返って来やしない。ぐずぐずしていりゃ蒸発しちまう。  とにかくこの際は、赤毛布と並んで歩き出した時、もう先刻のつまらない考えが蒸発していたと云う事だけを記憶して置いて貰えばいい。――そうして吾ながら驚いたのは、どうも赤毛布と並んで歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城か何かの田舎もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋の事を芋と訓じたのはこれからさきの逸話に属するが、歩き出したてから、あんまりありがたい音声ではなかった。その上顔が人並にできていなかった。この男に比べると角張った顎の、厚唇の長蔵さんなどは威風堂々たるものである。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。そうして、赤い毛布が妙に臭い。それにもかかわらず自分はこの山里で、銅山行きの味方を得たような心持ちがして嬉しかった。自分はどうせ捨てる身だけれども、一人で捨てるより道伴があって欲い。一人で零落れるのは二人で零落れるのよりも淋しいもんだ。そう明らさまに申しては失礼に当るが、自分はこの男について何一つ好いてるところはなかったけれども、ただいっしょに零落れてくれると云う点だけがありがたいのでそれがため大いに愉快を感じた。それで歩き出すや否や、少し話もし掛けて見たくらいに、近しい仲となってしまった。これから推して考えると、川で死ぬ時は、きっと船頭の一人や二人を引き擦り込みたくなるに相違ない。もし死んでから地獄へでも行くような事があったなら、人のいない地獄よりも、必ず鬼のいる地獄を択ぶだろう。  そう云う訳で、たちまち赤毛布が好きになって、約一二町も歩いて来たら、また空腹を覚え出した。よく空腹を覚えるようだが、これは前段の続きでけっして新しい空腹ではない。順序を云うと、第一に精神が稀薄になって、もっとも刻下感に乏しい時に汽車を下りたんで、次に真直な往来を真直に突き当りの山まで見下したもんだからようやく正気づいたのは前申した通りである。それが機縁になって、今度は食気がついて、それから人格を認められていない事を認識して、はなはだつまらなくなって、つまらなくなったと思ったら坑夫の同類が出来て、少しく頽勢を挽回したと云うしだいになる。だに因ってまた空腹に立ち戻ったと説明したら善く呑み込めるだろう。さて空腹にはなったが、最後の一膳飯屋はもう通り越している。宿はすでに尽きかかった。行く手は暗い山道である。とうてい願は叶いそうもない。それに赤毛布は今食ったばかりの腹だから、勇ましくどんどん歩く。どうも、降参しちまった。そこで思い切って、最後の手段として長蔵さんに話しかけて見た。 「長蔵さん、これからあの山を越すんですか」 「あの取附の山かい。あれを越しちゃ大変だ。これから左へ切れるんさ」 と云ったなりまたすたすた歩いて行く。どうも是非に及ばない。 「まだよっぽどあるんですか、僕は少し腹が減ったんだが」 と、とうとう空腹の由を自白した。すると長蔵さんは 「そうかい。芋でも食うべい」 と、云いながら、すぐさま、左側の芋屋へ飛び込んだ。よく約束したように、そこん所に芋屋があったもんだ。これを大袈裟に云えば天佑である。今でもこの時の上出来に行った有様を回顧すると、おかしいばかりじゃない、嬉しい。もっとも東京の芋屋のように奇麗じゃなかった。ほとんど名状しがたいくらいに真黒になった芋屋で、芋屋と云えば芋屋だが、芋専門じゃない。と云って芋のほかに何を売ってるんだったか、今は忘れちまった。食う方に気を取られ過ぎたせいかとも思う。  やがて長蔵さんは両手に芋を載せて、真黒な家から、のそりと出て来た。入れ物がないもんだから、両手を前へ出して、 「さあ、食った」 と云う。自分は眼前に芋を突きつけられながら、ただ 「ありがとう」 と礼を述べて、芋を眺めていた。どの芋にしようかと考えた訳ではない。そんな選択を許すような芋ではなかった。赤くって、黒くって、瘠せていて、湿っぽそうで、それで所々皮が剥げて、剥げた中から緑青を吹いたような味が出ている。どれにぶつかったって大同小異である。そんなら一目惨澹たるこの芋の光景に辟易して、手を出さなかったかと云うと、そうでもない。自分の胃の状況から察すると、芋中のヽヽとも云わるべきこの御薩を快よく賞翫する食欲は十分有ったように思う。しかし「さあ、食った」と突きつけられた時は、何だかおびえたような気分で、おいきたと手を出し損なった。これはおおかた「さあ、食った」の云い方が悪かったんだろう。  自分が芋を取らないのを見て、長蔵さんは、少々もどかしいと云う眼つきで、再び 「さあ」 と、例の顎で芋を指しながら、前へ出した手頸を、食えと云う相図にちょっと動かした。よく考えて見ると、両手が芋で塞ってるんで、自分がどうかしてやらないと、長蔵さんは、いくら芋が食いたくても、口へ持って行く事ができないんであった。じれたのももっともである。そこで自分はようやく気がついて、二の腕で、変な曲線を描いて、右の手を芋まで持って行こうとすると、持って行く途中で、芋の方が一本ころころと往来の中へ落ちた。これはすぐさま赤毛布が拾った。拾ったと思ったら、 「この芋は好芋だ。おれが貰おう」 と云った。それでこの男は芋を芋と発音すると云う事が分った。  自分はこの時長蔵さんから、最初に三本、あとから一本締て五本、前後二回に受取ったと記憶している。そうしてそれを懐かしげに食いながら、いよいよ宿外れまで来るとまた一事件起った。  宿の外れには橋がある。橋の下は谷川で、青い水が流れている。自分はもう町が尽きるんだなとは思いながら、つい芋に心を奪われて、橋の上へ乗っかかるまでは川があるとも気がつかなかった。ところが急に水の音がするんで、おやと思うと橋へ出ている。川がある。水が流れている。――何だか馬鹿気た話だが、事実にもっとも近い叙述をやろうとすると、まあ、こう書くのが一番適切だろう、こう書いて置く。けっして小説家の弄ぶような法螺七分の形容ではない。これが形容でないとするとその時の自分がいかに芋を旨がったのかがおのずから分明になる。さて水音に驚いて、欄干から下を見ると、音のするのはもっともで、川の中に大きな石がだいぶんある。そうしてその形状がいかにも不作法にでき上って、あたかも水の通り道の邪魔になるように寝たり、突っ立ったりしている。それへ水がやけにぶつかる。しかもその水には勾配がついている。山から落ちた勢いをなし崩しに持ち越して、追っ懸けられるように跳って来る。だから川と云うようなものの、実は幅の広い瀑を月賦に引き延ばしたくらいなものである。したがって水の少ない割には大変烈しい。鼻っ端の強い江戸ッ子のようにむやみやたらに突っかかって来る。そうして白い泡を噴いたり、青い飴のようになったり、曲ったり、くねったりして下へ流れて行く。どうも非常にやかましい。時に日はだんだん暮れてくる。仰向いて見たが、日向はどこにも見えない。ただ日の落ちた方角がぽうっと明るくなって、その明かるい空を背負ってる山だけが目立って蒼黒くなって来た。時は五月だけれども寒いもんだ。この水音だけでも夏とは思われない。まして入日を背中から浴びて、正面は陰になった山の色と来たら、――ありゃ全体何と云う色だろう。ただ形容するだけなら紫でも黒でも蒼でも構わないんだが、あの色の気持を書こうとすると駄目だ。何でもあの山が、今に動き出して、自分の頭の上へ来て、どっと圧っ被さるんじゃあるまいかと感じた。それで寒いんだろう。実際今から一時間か二時間のうちには、自分の左右前後四方八方ことごとく、あの山のような気味のわるい色になって、自分も長蔵さんも茨城県も、全く世界一色の内に裹まれてしまうに違ないと云う事を、それとはなく意識して、一二時間後に起る全体の色を、一二時間前に、入日の方の局部の色として認めたから、局部から全体を唆かされて、今にあの山の色が広がるんだなと、どっかで虫が知らせたために、山の方が動き出して頭の上へ圧っ被さるんじゃあるまいかと云う気を起したんだなと――自分は今机の前で解剖して見た。閑があるととかく余計な事がしたくなって困る。その時はただ寒いばかりであった。傍にいる茨城県の毛布が羨ましくなって来たくらいであった。  すると橋の向うから――向たって突き当りが山で、左右が林だから、人家なんぞは一軒もありゃしない。――実際自分はこう突然人家が尽きてしまおうとは、自分が自分の足で橋板を踏むまでも思いも寄らなかったのである。――その淋しい山の方から、小僧が一人やって来た。年は十三四くらいで、冷飯草履を穿いている。顔は始めのうちはよく分らなかったが、何しろ薄暗い林の中を、少し明るく通り抜けてる石ころ路を、たった一人してこっちへひょこひょこ歩いて来る。どこから、どうして現れたんだか分らない。木下闇の一本路が一二丁先で、ぐるりと廻り込んで、先が見えないから、不意に姿を出したり、隠したりするような仕掛にできてるのかも知れないが、何しろ時が時、場所が場所だから、ちょっと驚いた。自分は四本目の芋を口へ宛がったなり、顎を動かす事を忘れて、この小僧をしばらくの間眺めていた。もっともしばらくと云ったって、わずか二十秒くらいなものである。芋はそれからすぐに食い始めたに違いない。  小僧の方では、自分らを見て、驚いたか驚かないか、その辺はしかと確められないが、何しろ遠慮なく近づいて来た。五六間のこっちから見ると頭の丸い、顔の丸い、鼻の丸い、いずれも丸く出来上った小僧である。品質から云うと赤毛布よりもずっと上製である。自分らが三人並んで橋向うの小路を塞いでいるのを、とんと苦にならない様子で通り抜けようとする。すこぶる平気な態度であった。すると長蔵さんが、また、 「おい、小僧さん」 と呼び留めた。小僧は臆した気色もなく 「なんだ」 と答えた。ぴたりと踏み留った。その度胸には自分も少々驚いた。さすがこの日暮に山から一人で降りて来るがものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心していると、長蔵さんは、 「芋を食わないかね」 と云いながら、食い残しを、気前よく、二本、小僧の鼻の前に出した。すると小僧はたちまち二本とも引ったくるように受け取って、ありがとうとも何とも云わず、すぐその一本を食い始めた。この手っ取り早い行動を熟視した自分は、なるほど山から一人で下りてくるだけあって自分とは少々訳が違うなと、また感心しちまった。それとも知らぬ小僧は無我無心に芋を食っている。しかも頬張った奴を、唾液も交ぜずに、むやみに呑み下すので、咽喉が、ぐいぐいと鳴るように思われた。もう少し落ちついて食う方が楽だろうと心配するにもかかわらず、当人は、傍で見るほど苦しくはないと云わんばかりにぐいぐい食う。芋だから無論堅いもんじゃない。いくら鵜呑にしたって咽喉に傷のできっこはあるまいが、その代り咽喉がいっぱいに塞がって、芋が食道を通り越すまでは呼息の詰る恐れがある。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後の芋が、前の芋を追っ懸けてぐいぐい胃の腑に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交わさなかった。自分は腹の中で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍餓じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、 「旨まかったか」 と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分傾けて、高い山の黒ずんで行く天辺を妙に眺めた時は、また可愛想になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿とが、何か深い因縁で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年方々を流浪してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化け損なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから考えずに置く。何しろ小僧は妙な顔をして、黒い山の天辺を眺めていた。  すると長蔵さんがまた聞き出した。 「御前、どこへ行くかね」  小僧はたちまち黒い山から眼を離して、 「どこへも行きゃあしねえ」 と答えた。顔に似合わずすこぶる無愛想である。長蔵さんは平気なもんで、 「じゃどこへ帰るかね」 と、聞き直した。小僧も平気なもんで、 「どこへも帰りゃしねえ」 と云ってる。自分はこの問答を聞きながら、ますます物騒な感じがした。この小僧は宿無に違ないんだが、こんなに小さい、こんなに淋しい、そうして、こんなに度胸の据った宿無を、今までかつて想像した事がないものだから、宿無とは知りながら、ただの宿無に附属する憐れとか気の毒とかの念慮よりも、物騒の方が自然勢力を得たしだいである。もっとも長蔵さんにはそんな感じは少しも起らなかったらしい。長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それでたくさんだったんだろう。どこへも行かない、またどこへも帰らない小僧に向って、 「じゃ、おいらといっしょにおいで。御金を儲けさしてやるから」 と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、 「うん」 と承知した。赤毛布と云い、小僧と云い、実に面白いように早く話が纏まってしまうには驚いた。人間もこのくらい簡単にできていたら、御互に世話はなかろう。しかしそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜らないもっとも世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合を見て、少からず驚くと共に、天下には自分のように右へでも左へでも誘われしだい、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものがだいぶんあるんだと云う事に気がついた。東京にいるときは、目眩いほど人が動いていても、動きながら、みんな根が生えてるんで、たまたま根が抜けて動き出したのは、天下広しといえども、自分だけであろうくらいで、千住から尻を端折って歩き出した。だから心細さも人一倍であったが、この宿で、はからずも赤毛布を手に入れた。赤毛布を手に入れてから、二十分と立たないうちにまたこの小僧を手に入れた。そうして二人とも自分よりは遥に根が抜けている。こう続々同志が出来てくると、行く先は山だろうが、河だろうが、あまり苦にはならない。自分は幸か不幸か、中以上の家庭に生れて、昨日の午後九時までは申し分のない坊ちゃんとして生活していた。煩悶も坊ちゃんとしての煩悶であったのは勿論だが、煩悶の極試みたこの駆落も、やっぱり坊ちゃんとしての駆落であった。さればこそ、この駆落に対して、不相当にもったいぶった意味をつけて、ありがたがらないまでも、一生の大事件のように考えていた。生死の分れ路のように考えていた。と云うものは坊ちゃんの眼で見渡した世の中には、駆落をしたものは一人もない。――たまにあれば新聞にあるばかりである。ところが新聞では駆落が平面になって、一枚の紙に浮いて出るだけで、云わばあぶり出しの駆落だから、食べたって身にはならない。あたかも別世界から、電話がかかったようなもので、はあ、はあ、と聞いてる分の事である。だから本当の意味で切実な駆落をするのは自分だけだと云うありがたみがつけ加わってくる。もっとも自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横に飛び廻って、大いに苦しがったりまた大いに悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心するほどなませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当なありがたみをつけたと云うのは、自分の不経験からして、さほど大袈裟に考えないでも済む事を、さも仰山に買い被って、独りでどぎまぎしていた事実を指すのである。しかるにこのどぎまぎが赤毛布に逢い、小僧に逢って、両人の平然たる態度を見ると共に、いつの間にやら薄らいだのは、やっぱり経験の賜である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分よりよっぽど偉かったようだ。  こう手もなく赤毛布がかかる。小僧がかかる。そう云う自分も、たわいもなく攻め落された事実を綜合して考えて見ると、なるほど長蔵さんの商売も、満更待ち草臥の骨折損になる訳でもなかった。坑夫になれますよ、はあ、なれますか、じゃなりましょうと二つ返事で承知する馬鹿は、天下広しといえども、尻端折で夜逃をした自分くらいと思っていた。したがって長蔵さんのような気楽な商売は日本にたった一人あればたくさんで、しかもその一人が、まぐれ当りに自分に廻り合せると云う運勢をもって生れて来なくっちゃ、とても商売にならないはずだ。だから大川端で眼の下三尺の鯉を釣るよりもよっぽどの根気仕事だと、始めから腰を据えてかかるのが当然なんだが、長蔵さんはとんとそんな自覚は無用だと云わぬばかりの顔をして、これが世間もっとも普通の商売であると社会から公認されたような態度で、わるびれずに往来の男を捉まえる。するとその捉まえられた男が、不思議な事に、一も二もなく、すぐにうんと云う。何となくこれが世間もっとも普通の商売じゃあるまいかと疑念を起すように成功する。これほど成功する商売なら、日本に一人じゃとても間に合わない、幾人あっても差支ないと云う気になる。――当人は無論そう思ってるんだろう。自分もそう思った。  この呑気な長蔵さんと、さらに呑気な小僧に赤毛布と、それから見様見真似で、大いに呑気になりかけた自分と、都合四人で橋向うの小路を左へ切れた。これから川に沿って登りになるんだから、気をつけるが好いと云う注意を受けた。自分は今芋を食ったばかりだから、もう空腹じゃない。足は昨夕から歩き続けで草臥れてはいるが、あるけばまだ歩ける。そこで注意の通り、なるべく気をつけて、長蔵さんと赤毛布の後を跟けて行った。路があまり広くないので四人は一行に並べない。だから後を跟ける事にした。小僧は小さいからこれも一足後れて、自分と摺々くらいになって食っついてくる。  自分は腹が重いのと、足が重いのとの両方で、口を利くのが厭になった。長蔵さんも橋を渡ってから以後とんと御前さんを使わなくなった。赤毛布はさっき一膳飯屋の前で談判をした時から、余り多弁ではなかったが、どう云うものかここに至ってますます無口となっちまった。小僧の無口はさらにはなはだしかった。穿いている冷飯草履がぴちゃぴちゃ鳴るばかりである。  こう、みんな黙ってしまうと、山路は静かなものである。ことに夜だからなお淋しい。夜と云ったって、まだ日が落ちたばかりだから、歩いてる道だけはどうか、こうか分る。左手を落ちて行く水が、気のせいか、少しずつ光って見える。もっともきらきら光るんじゃない。なんだか、どす黒く動く所が光るように見えるだけだ。岩にあたって砕ける所は比較的判然と白くなっている。そうしてその声がさあさあと絶え間なくする。なかなかやかましい。それでなかなか淋しい。  その中細い道が少しずつ、上りになるような気持がしだした。上りだけならこのくらいな事はそう骨は折れないんだが、路が何だか凸凹する。岩の根が川の底から続いて来て、急に地面の上へ出たり、引っ込んだりするんだろう。この凸凹に下駄を突っ掛ける。烈しいときは内臓が飛び上がるようになる。だいぶ難義になって来た。長蔵さんと赤毛布は山路に馴れていると見えて、よくも見えない木下闇を、すたすた調子よくあるいて行く。これは仕方がないが、小僧が――この小僧は実際物騒である。冷飯草履をぴしゃぴしゃ云わして、暗い凸凹を平気に飛び越して行く。しかも全く無言である。昼間ならさほどにも思わないんだが、この際だから、薄暗い中でぴしゃりぴしゃりと草履の尻の鳴るのが気になる。何だか蝙蝠といっしょに歩いてるようだ。  そのうち路がだんだん登りになる。川はいつしか遠くなる。呼息が切れる。凸凹はますます烈しくなる。耳ががあんと鳴って来た。これが駆落でなくって、遠足なら、よほど前から、何とか文句をならべるんだが、根が自殺の仕損いから起った自滅の第一着なんだから、苦しくっても、辛くっても、誰に難題を持ち掛ける訳にも行かない。相手は誰だと云えば、自分よりほかに誰もいやしない。よしいたって、こだわるだけの勇気はない。その上先方は相手になってくれないほど平気である。すたすた歩いて行く。口さえ利かない。まるで取附端がない。やむを得ず呼吸を切らして、耳をがあんと鳴らして、黙って後から神妙に尾いて行く。神妙と云う字は子供の時から覚えていたんだが、神妙の意味を悟ったのはこの時が始めてである。もっともこれが悟り始めの悟りじまいだと笑い話にもなるが、一度悟り出したら、その悟りがだいぶ長い事続いて、ついに鉱山の中で絶高頂に達してしまった。神妙の極に達すると、出るべき涙さえ遠慮して出ないようになる。涙がこぼれるほどだと譬に云うが、涙が出るくらいなら安心なものだ。涙が出るうちは笑う事も出来るにきまってる。  不思議な事にこれほど神妙にあてられたものが、今はけろりとして、一切神妙気を出さないのみか、人からは横着者のように思われている。その時御世話になった長蔵さんから見たら、定めし増長した野郎だと思う事だろう。がまた今の朋友から評すると、昔は気の毒だったと云ってくれるかも知れない。増長したにしても気の毒だったにしても構わない。昔は神妙で今は横着なのが天然自然の状態である。人間はこうできてるんだから致し方がない。夏になっても冬の心を忘れずに、ぶるぶる悸えていろったって出来ない相談である。病気で熱の出た時、牛肉を食わなかったから、もう生涯ロースの鍋へ箸を着けちゃならんぞと云う命令はどんな御大名だって無理だ。咽喉元過ぐれば熱さを忘れると云って、よく、忘れては怪しからんように持ち掛けてくるが、あれは忘れる方が当り前で、忘れない方が嘘である。こう云うと詭弁のように聞えるが、詭弁でもなんでもない。正直正銘のところを云うんである。いったい人間は、自分を四角張った不変体のように思い込み過ぎて困るように思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押に他人を圧しつけたがる事がだいぶんある。他人なら理窟も立つが、自分で自分をきゅきゅ云う目に逢わせて嬉しがってるのは聞えないようだ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。むやみに他人の不信とか不義とか変心とかを咎めて、万事万端向うがわるいように噪ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨んで、旗を揚げる人達である。御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪くって、困るもんだ。自分もあの時駆落をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転と、あらゆる漂泊と、困憊と、懊悩と、得喪と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚を有っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時また神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入ってくる。自分はますます神妙になった。  この状態でだいぶ来た。何里だか見当のつかないほど来た。夜道だから平生よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹の登りを膨っ脛が腫れて、膝頭の骨と骨が擦れ合って、股が地面へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦の体たらくから生じた結果ではない。五六間以上後れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興させた成行に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後が見えたもんだ。ことに夜中である。右も左も黒い木が空を見事に突っ切って、頭の上は細く上まで開いているなと、仰向いた時、始めて勘づくくらいな暗い路である。星明りと云うけれど、あまり便にゃならない。提灯なんか無論持ち合せようはずがない。自分の方から云うと、先へ行く赤毛布が目標である。夜だから赤くは見えないが、何だか赤毛布らしく思われる。明るいうちから、あの毛布、あの毛布と御題目のように見詰めて覘をつけて来たせいで、日が暮れて、突然の眼には毛布だか何だか分らないところを、自分だけにはちゃんと赤毛布に見えるんだろう。信心の功徳なんてえのは大方こんなところから出るに違ない。自分はこう云う訳で、どうにか目標だけはつけて置いたようなものの、長蔵さんに至っては、どのくらいあとから自分が跟いてくるか分りようがない。ところをちゃんと五六間以上になると留まってくれる。留まってくれるんだか、留まる方が向うの勝手なんだか、判然しないが、とにかく留まることはたしかだった。とうてい素人にゃできない芸である。自分は苦しいうちにも、これが長蔵さんの商売に必要な芸で、長蔵さんはこの芸を長い間練習して、これまでに仕上げたんだなと、少からず感心した。赤毛布は長蔵さんと並んでいるんだから、長蔵さんさえ留まればきっととまる。長蔵さんが歩き出せば必ず歩き出す。まるで人形のように活動する男であった。ややともすると後れ勝ちの自分よりはこの赤毛布の方が遥に取り扱いやすかったに違ない。小僧は――例の小僧は消えて無くなっちまった。始めのうちこそ小僧だから後になるんだろうと思って、草臥れたら励ましてやろうくらいの了簡があったんだが、かの冷飯草履をぴしゃりぴしゃりと鳴らしながら凸凹路を飛び跳ねて進行する有様を目撃してから、こりゃ敵わないと覚悟をしたのは、よっぽど前の事である。それでもしばらくの間はぴしゃりぴしゃりが自分の袖と擦れ擦れくらいになって、登って来たが、今じゃもう自分の近所には影さえなくなった。並んで歩くうちは、あまり小僧の癖に活溌にあるくんで――活溌だけならいいが、活溌の上に非常に沈黙なんで――、随分物騒な心持ちだった。もし笑うなら、極めて小さくって、非常に活溌で、そうして口を利かない動物を想像して見ると分る。滅多にありゃしない。こんな動物といっしょに夜山越をしたとすると、誰だって物騒な気持になる。自分はこの時この小僧の事を今考えても、妙な感じが出て来る。さっき蝙蝠のようだと云ったが、全く蝙蝠だ。長蔵さんと赤毛布がいたから、好いようなものの、蝙蝠とたった二人限だったら――正直なところ降参する。  すると長蔵さんが、暗闇の中で急に、 「おおい」 と声を揚げた。淋しい夜道で、急に人声を聞いた人があるかないか知らないが、聞いて見るとちょっと異な感じのするものだ。それも普通の話し声なら、まだ好いが、おおいと人を呼ぶ奴は気味がよくない。山路で、黒闇で、人っ子一人通らなくって、御負に蝙蝠なんぞと道伴になって、いとど物騒な虚に乗じて、長蔵さんが事ありげに声を揚げたんである。事のあるべきはずでない時で、しかも事がありかねまじき場所でおおいと来たんだから、突然と予期が合体して、自分の頭に妙な響を与えた。この声が自分を呼んだんなら、何か起ったなとびくんとするだけで済むんだが、五六間後から行く自分の注意を惹くためとは受取れないほど大きかった。かつ声の伝わって行く方角が違う。こっちを向いた声じゃない。おおいと右左りに当ったが、立ち木に遮られて、細い道を向うの方へ遠く逃げのびて、遥の先でおおいと云う反響があった。反響はたしかにあったが、返事はないようだ。すると長蔵さんは、前より一層大きな声を出して、 「小僧やあ」 と呼んだ。今考えると、名前も知らないで、小僧やあと呼ぶなんて少しとぼけているがその時はなかなかとぼけちゃいなかった。自分はこの声を聞くと同時に蝙蝠が隠れたんだなと気がついた。先へ行ったと思うのが当り前で、まかり間違っても逃げたと鑑定をつけべきはずだのに、隠れたんだとすぐ胸先へ浮んで来たのは、よっぽど蝙蝠に祟られていたに違ない。この祟は翌朝になって太陽が出たらすっかり消えてしまって、自分で自分を何て馬鹿だろうと思ったくらいだが、実際小僧やあの呼び声を聞いた時は、ちょっと烈しく来た。  ところがまた反響が例のごとく向うへ延びて、突き当りがないもんだから、人魂の尻尾のように、幽かに消えて、その反動か、有らん限りの木も山も谷もしんと静まった時、――何とも返事がない。この反響が心細く継続りながら消えて行く間、消えてから、すべての世界がしんと静まり返るまで、長蔵さんと赤毛布と自分と三人が、暗闇に鼻を突き合せて黙って立っていた。あんまり好い心持じゃなかった。やがて、長蔵さんが、 「少し急いだら、追っつくべえ。御前さん好いかね」 と云った。無論好くはないが、仕方がないから承知をして、急ぎ出した。元来この場に臨んで急ぐなんて生意気な事ができるはずがないんだが、そこが妙なもので、急ぐ気も、急ぐ力もない癖に受合っちまった。定めし変な顔をして受合ったんだろうが、受合ったら急げても、急げないでもむちゃくちゃに急いでしまった。この間はどこをどんな具合に通ったか、まあ断然知らないと云った方が穏当だろう。やがて長蔵さんがぴたりと留ったんで、ふと気がついた。すると一つ家の前へ出ている。ランプが点いている。ランプの灯が往来へ映っている。はっと嬉しかった。赤毛布がありあり見える。そうして小僧もいる。小僧の影が往来を横に切って向うの谷へ折れ込んでいる。小僧にしては長い影だ。  自分はこんな所に人の住む家があろうとはまるで思いがけなかったし、その上眼がくらんで、耳が鳴って、夢中に急いで、どこまで急ぐんだかあても希望もなくやって来て、ぴたりと留まるや否や、ランプの灯がまぶしいように眼に這入って来たんだから、驚いた。驚くと共にランプの灯は人間らしいものだとつくづく感心した。ランプがこんなにありがたかった事は今日までまだかつてない。後から聞いたら小僧はこのランプの灯まで抜け掛をして、そこで自分達を待ってたんだそうだ。おおいと云う声も小僧やあと云う声も聞えたんだが返事をしなかったと云う話しだ。偉い奴だ。  同勢はこれでようやく揃ったが、この先どうなる事だろうと思いながら、相変らず神妙にしていると、長蔵さんは自分達を路傍に置きっ放しにして、一人で家の中へ這入って行った。仕方がないから家と云うが、実のところは、家じゃもったいない。牛さえいれば牛小屋で馬さえ嘶けば馬小屋だ。何でも草鞋を売る所らしい。壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口は一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほど閉ててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。ことによると、敷居の溝に食い込んだなり動かないのかも知れない。屋根は無論藁葺で、その藁が古くなって、雨に腐やけたせいか、崩れかかって漠然としている。夜と屋根の継目が分らないほど、ぶくついて見える。その中へ長蔵さんは這入って行った。なんだか穴の中へでも潜り込んで行ったような心持だった。そうして話している。三人は表に待っている。自分の顔は見えないが、赤毛布と小僧の顔は、小屋の中から斜に差してくるランプの灯でよく見える。赤毛布は依然として、散漫なものである。この男はたとい地震がゆって、梁が落ちて来ても、親の死目に逢うか、逢わないかと云う大事な場合でも、いつでも、こんな顔をしているに違ない。小僧は空を見ている。まだ物騒だ。  ところへ長蔵さんがあらわれた。しかし往来へは出て来ない。敷居の上へ足を乗せて、こっちを向いて立った股倉から、ランプの灯だけが細長く出て来る。ランプの位置がいつの間にか低くなったと見える。長蔵さんの顔は無論よく分らない。 「御前さん、これから山越をするのは大変だから、今夜はここへ泊って行こう。みんな這入るがいい」  自分はこの言葉を聞くと等しく、今までの神妙が急に破裂して、身体がぐたりとなった。この牛小屋で一夜を明す事が、それほどの慰藉を自分に与えようとは、牛小屋を見た今が今まで、とんと気がつかなかった。やはり神妙の結果泊る所が見つかっても、泊る気が起らなかったんだろう。こうなると人間ほど御しやすいものはない。無理でも何でもはいはい畏まって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみか大に嬉しがる。当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なまたもっとも励精な人間であったなと云う自信が伴ってくる。兵隊はああでなくっちゃいけないなどと考える事さえある。同時に、もし人間が物の用を無視し得るならば、かねて物の用をも忘れ得るものだと云う事も悟った。――こう書いて見たが、読み直すと何だかむずかしくって解らない。実を云うと、もっとずっとやさしいんだが、短く詰めるものだからこんなにむずかしくなっちまった。例えば酒を飲む権利はないと自信して、酒の徳を、あれどもなきがごとくに見做す事さえできれば、徳利が前に並んでも、酒は飲むものだとさえ気がつかずにいるくらいなところである。御互が泥棒にならずに済むのも、つまりを云えば幼少の時から、人工的にこの種の境界に馴らされているからの事だろう。が一方から云うと、こんな境界は人性の一部分を麻痺さした結果としてでき上るもんだから、図に乗ってきゅきゅ押して行くと、人間がみんな馬鹿になっちまう。まあ泥棒さえしなければ好いとして、その他の精神器械は残らず相応に働く事ができるようにしてやるのが何よりの功徳だと愚考する。自分が当時の自分のままで、のべつに今日まで生きていたならば、いかに順良だって、いかに励精だって、馬鹿に違ない。だれの眼から見たって馬鹿以上の不具だろう。人間であるからは、たまには怒るがいい。反抗するがいい。怒るように、反抗するようにできてるものを、無理に怒らなかったり、反抗しなかったりするのは、自分で自分を馬鹿に教育して嬉しがるんだ。第一身体の毒である。それを迷惑だと云うなら、怒らせないように、反抗させないように、御膳立をするが至当じゃないか。  自分は当時種々の状況で、万事長蔵さんの云う通りはいはい云っていたし、またそのはいはいを自然と思いもするが、その代り、今のような身分にいるからは、たとい百の長蔵さんが、七日七晩引っ張りつづけに引っ張ったってちょっとも動きゃしない。今の自分にはこの方が自然だからである。そうしてこう変るのが人間たるところだと思ってる。分りやすいように長蔵さんを引合に出したが、よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て来るはずだから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。嘘だと思うなら、試験して見るがいい。他人を試験するなんて罪な事をしないで、まず吾身で吾身を試験して見るがいい。坑夫にまで零落れないでも分る事だ。神さまなんかに聞いて見たって、以上分ッこない。この理窟がわかる神さまは自分の腹のなかにいるばかりだ。などと、学問もない癖に、学者めいた事を云っては済まない。こんな景気のいいタンカを切る所存は毛頭なかったんだが、実を云うとこう云う仔細である。自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦い顔をして謝罪っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮して濫して、達して道を行って、惚れていっしょになって、愛想が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。  そこで元気のいい今の気焔をやめて、再びもとの神妙な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来泊るために建ててあるんだなと、ようやく気がついたくらい、泊る事は予期していなかった。それでいて身体は蒟蒻のように疲れ切ってる。平生なら泊りたい、泊りたいですべての内臓が張切れそうになるはずだのに、没自我の坑夫行、すなわち自滅の前座としての堕落と諦めをつけた上の疲労だから、いくら身体に泊る必要があっても、身体の方から魂へ宛てて宿泊の件を請求していなかった。ところへ泊ると命令が天から逆に魂が下ったんで、魂はちょっとまごついたかたちで、とりあえず手足に報告すると、手足の方では非常に嬉しがったから、魂もなるほどありがたいと、始めて長蔵さんの好意を感謝した。と云う訳になる。何となく落語じみてふざけているが、実際この時の心の状態は、こう譬を借りて来ないと説明ができない。  自分は長蔵さんの言葉を聞くや否や、急に神経が弛んで、立ち切れない足を引き摺って、第一番に戸口の方に近寄った。赤毛布はのそのそ這入ってくる。小僧は飛んで来た。飛んだんじゃあるまいが、草履の尻が勢よく踵へあたるんで、ぴしゃぴしゃ云う音が飛ぶように思われた。  這入って見るとぷんと臭った。何の臭だかさらに分らない。小僧が鼻をぴくつかせたので、小僧もこの臭に感じたなと気がついた。長蔵さんと赤毛布はまるで無頓着であった。土間から上へあがる段になって、雑巾でもと思ったが、小僧は委細構わず、草履を脱いで上がっちまった。小僧の草履は尻が無いんだから、半分裸足である。ひどい奴だと眺めていると、長蔵さんが、 「御前さんも下駄だから、御上り」 と注意した。それで気味がわるいが、ほこりも払わず上がった。畳の上へ一足掛けて見るとぶくっとした。小僧はその上へころりと転がっている。自分は尻だけおろして、障子――障子は二枚あった――その障子の影へ胡坐をかいた。この障子は入口に立ててあるから、振り向くと、長蔵さんと赤毛布が草鞋を脱いでいる。二人共腰から手拭を出して、ばたばた足をはたいている。そうして、すぐ上がって来た。足を洗うのが面倒だと見える。ところへ主人が次の間から茶と煙草盆を持って来た。  主人だの、次の間だの、茶だの、煙草盆だの、と云うとすこぶる尋常に聞えるが、その実名ばかりで、一々説明すると、大変な誤解をしていたんだねと呆れ返るものばかりである。がとにかく主人が次の間から、茶と煙草盆を持って来たには違いない。そうして長蔵さんと談話をし始めた。談話の筋は忘れたが、その様子から察すると、二人はもとからの知合で、御互の間には貸や借があるらしい。何でも馬の事をしきりに云ってた。自分だの、赤毛布だの、小僧などの事はまるで聞きもしない。まるで眼中にない訳でもあるまいが、さっき長蔵さんが一人で談判に這入った時に、残らず聞いてしまったんだろう。それとも長蔵さんはたびたびこんな呑気屋を銅山へ連れて行くんで、自然その往き還りにはこの主人の厄介になりつけてるから、別段気にも留めないのかも知れない。  自分は、長蔵さんと主人との話を聞きながら、居眠を始めた。いつから始めたか知らない。馬を売損って、どうとかしたと云うところから、だんだん判然しなくなって、自然と長蔵さんが消える。赤毛布が消える。小僧が消える。主人と茶と煙草盆が消えて、破屋までも消えた時、こくりと眠が覚めた。気がつくと頭が胸の上へ落ちている。はっと思って、擡げるとはなはだ重い。主人はやっぱり馬の話をしている。まだ馬かと思ってるうちに、また気が遠くなった。気が遠くなったのを、遠いままにして打遣って置くと、忽然ぱっと眼があいた。薄暗い部屋の中に、影のような長蔵さんと亭主が膝を突き合せている。ちょうど、借がどうとかしてハハハハと亭主が笑ったところだった。この亭主は額が長くって、斜に頭の天辺まで引込んでるから、横から見ると切通しの坂くらいな勾配がある。そうして上になればなるほど毛が生えている。その毛は五分くらいなのと一寸くらいなのとが交って、不規則にしかも疎にもじゃもじゃしている。自分が居眠りからはっと驚いて、急に眼を開けると、第一にこの頭が眸の底に映った。ランプが煤だらけで暗いものだから、この頭も煤だらけになって映って来た。その癖距離は近い。だから映った影は明瞭である。自分はこの明瞭でかつ朦朧なる亭主の頭を居眠りの不知覚から我に返る咄嗟にふと見たんである。この時はあまり好い心持ではなかった。それがため、居眠りもしばらく見合せるような気になって、部屋中を見廻すと、向うの隅に小僧が倒れている。こちらの横に茨城県が長く伸びている。毛布の下から大きな足が見える。突当りが壁で、壁の隅に穴が開いて、穴の奥が真黒である。上は一面の屋根裏で、寒いほど黒くなってる所へ、油煙とともにランプの灯があたるから、よく見ていると、藁葺の裏側が震えるように思われた。  それからまた眠くなった。また頭が落ちる。重いから上げるとまた落ちる。始めのうちは、上げた頭が落ちながらだんだんうっとりして、うっとりの極、胸の上へがくりと落ちるや否や、一足飛に正気へ立ち戻ったが、三回四回と重なるにつけて、眼だけ開けても気は判然しない。ぼんやりと世界に帰って、またぞろすぐと不覚に陥っちまう。それから例のごとく首が落ちる。微に生きてるような気になる。かと思うとまた一切空に這入る。しまいには、とうとう、いくら首がのめって来ても、動じなくなった。あるいはのめったなり、頭の重みで横にぶっ倒れちまったのかも知れない。とにかく安々と夜明まで寝て、眼が覚めた時は、もう居眠りはしていなかった。通例のごとく身体全体を畳の上につけて長くなっていた。そうして涎を垂れている。――自分は馬の話を聞いて居眠りを始めて、眼をあけて借金の話を聞いて、また居眠りの続を復習しているうちに、とうとう居眠りを本式に崩して長くなったぎり、魂の音沙汰を聞かなかったんだから、眼が覚めて、夜が明けて、世の中が土台から陰と陽に引ッ繰り返ってるのを見るや否や、眼をあいて涎を垂れて、横になったまま、じっとしていた。自覚があって死んでたらこんなだろう。生きてるけれども動く気にならなかった。昨夜の事は一から十までよく覚えている。しかし昨夜の一から十までが自然と延びて今日まで持ち越したとは受け取れない。自分の経験はすべてが新しくって、かつ痛切であるが、その新しい痛切の事々物々が何だか遠方にある。遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然と区別がついたようだ。太陽が出ると引き込むだけの差で、こう心に連続がなくなっては不思議なくらい自分で自分が当にならなくなる。要するに人世は夢のようなもんだ。とちょっと考えたもんだから、涎も拭かずに沈んでいると、長蔵さんが、ううんと伸をして、寝たまま握り拳を耳の上まで持ち上げた。握り拳がぬっと真直に畳の上を擦って、腕のありたけ出たところで、勢がゆるんで、ぐにゃりとした。また寝るかと思ったら、今度は右の手を下へさげて、凹んだ頬っぺたをぼりぼり掻き出した。起きてるのかも知れない。そのうち、むにゃむにゃ何か云うんで、やっぱり眼が覚めていないなと気がついた時、小僧がむくりと飛び起きた。これは真正の意味において飛起きたんだから、どしんと音がして、根太が抜けそうに響いた。すると、さすが長蔵さんだけあって、むにゃむにゃをやめて、すぐ畳についた方の肩を、肘の高さまで上げた。眼をぱちつかせている。  こうなると、自分もいつまで沈んでいたって際限がないから、起き上った。長蔵さんも全く起きた。小僧は立ち上がった。寝ているものは赤毛布ばかりである。これはまた呑気なもんで、依然として毛布から大きな足を出してぐうぐう鼾声をかいて寝ている。それを長蔵さんが起す。―― 「御前さん。おい御前さん。もう起きないと御午までに銅山へ行きつけないよ」  御前さんが三四返繰返されたが、毛布はよく寝ている。仕方がないから長蔵さんは毛布の肩へ手を懸けて、 「おい、おい」 と揺り始めたんで、やむを得ず、毛布の方でも「おい」と同じような返事をして、中途半端に立ち上った。これでみんな起きたようなものの、自分は顔も洗わず、飯も食わず、どうして好いか迷ってると、長蔵さんが、 「じゃ、そろそろ出掛けよう」 と云って、真先に土間へ降りかけたには驚いた。小僧がつづいて降りる。毛布も不得要領に土間へ大きな足をぶら下げた。こうなると自分も何とか片をつけなくっちゃならないから、一番あとから下駄を突掛けて、長蔵さんと赤毛布が草鞋の紐を結ぶのを、不景気な懐手をして待っていた。  土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢の沙汰のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後この顛倒事件を布衍して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢拵えて、さも当然であるかの容子で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。  すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。 「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」  飯を食わなくって好い法はないが、わるいと云ったって、始まりようがないから、自分はただ、 「好いです」 と答えて置いた。すると長蔵さんは、 「食いたいかね」 と云って、にやにやと笑った。これは自分の顔に飯が食いたいような根性が幾分かあらわれたためか、または十九年来の予期に反した起きたなり飯抜きの出立に、自然不平の色が出ていたためだろう。それでなければ草鞋の紐を結んでしまってから、こんな事を聞く訳がない。現に長蔵さんは、赤毛布にも小僧にもこの質問を呈出しなかったんでも分る。今考えると、ちょっと両人にも同じ事を聞いて見れば善かったような気もする。朝飯を食わないで五里十里と歩き出すものは宿無しか、または準宿無しでなくっちゃならない。目が醒めて、夜が明けてるのに、汁の煙も、漬物の香も、いっこう連想に乗って来ないからは、行きなり放題に、今日は今日の命を取り留めて、その日その日の魂の供養をする呑気屋で、世の中にあしたと云うものがないのを当り前と考えるほどに不幸なまた幸な人間である。自分は十九年来始めて、こう云う人間と一つ所に泊って、これからまたいっしょに歩き出すんだなと思った。赤毛布と小僧の顔色を伺って見ると少しも朝飯を予期している様子がないんで、双方共朝飯を食い慣けていない一種の人類だと勘づいて見ると、自分の運命は坑夫にならない先から、もう、坑夫以下に摺り落ちていたと云う事が分った。しかし分ったと云うばかりで別に悲しくもなかった。涙は無論出なかった。ただ長蔵さんが、この朝飯の経験に乏しい人間に向って、「御前さん達も飯が食いたいかね」と尋ねてくれなかったのを、今では残念に思ってる。食った事が少いから、今までの習慣性で、「食わないでも好い」と答えるか、それとも、たまさかに有りつけるかも知れないと云う意外の望に奨励されて「食いたい」と答えるか。――つまらん事だがどっちか聞いて見たい。  長蔵さんは土間へ立って、ちょっと後ろを振り返ったが、 「熊さん、じゃ行ってくる。いろいろ御世話様」 と軽く力足を二三度踏んだ。熊さんは無論亭主の名であるが、まだ奥で寝ている。覗いて見ると、昨夕うつつに気味をわるくした、もじゃもじゃの頭が布団の下から出ている。この亭主は敷蒲団を上へ掛けて寝る流儀と見える。長蔵さんが、このもじゃもじゃの頭に話しかけると、頭は、むくりと畳を離れた。そうして熊さんの顔が出た。この顔は昨夜見たほど妙でもなかった。しかし額がさかに瘠けて、脳天まで長くなってる事は、今朝でも争われない。熊さんは床の中から、 「いや、何にも御構申さなかった」 と云った。なるほど何にも構わない。自分だけ布団をかけている。 「寒かなかったかね」 とも云った。気楽なもんだ。長蔵さんは 「いいえ。なあに」 と受けて、土間から片足踏み出した時、後から、熊さんが欠伸交りに、 「じゃ、また帰りに御寄り」 と云った。  それから長蔵さんが往来へ出る。自分も一足後れて、小僧と赤毛布の尻を追っ懸けて出た。みんな大急ぎに急ぐ。こう云う道中には慣れ切ったものばかりと見える。何でも長蔵さんの云うところによると、これから山越をするんだが、午までには銅山へ着かなくっちゃならないから急ぐんだそうだ。なぜ午までに着かなくっちゃならないんだか、訳が分らないが、聞いて見る勇気がなかったから、黙って食っついて行った。するとなるほど登になって来た。昨夕あれほど登ったつもりだのに、まだ登るんだから嘘のようでもあるが実際見渡して見ると四方は山ばかりだ。山の中に山があって、その山の中にまた山があるんだから馬鹿馬鹿しいほど奥へ這入る訳になる。この模様では銅山のある所は、定めし淋しいだろう。呼息を急いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興で来たんだか浅間しくなる。と云って都におりたくないから出奔したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類の目に懸からないように、朽果ててしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継ぎながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄いほど木を被っている上に、雲がかかって見る間に、遠くなってしまう。遠くなると云うより、薄くなると云う方が適当かも知れない。薄くなった揚句は、しだいしだいに、深い奥へ引き込んで、今までは影のように映ってたものが、影さえ見せなくなる。そうかと思うと、雲の方で山の鼻面を通り越して動いて行く。しきりに白いものが、捲き返しているうちに、薄く山の影が出てくる。その影の端がだんだん濃くなって、木の色が明かになる頃は先刻の雲がもう隣りの峰へ流れている。するとまた後からすぐに別の雲が来て、せっかく見え出した山の色をぼうとさせる。しまいには、どこにどんな山があるかいっこう見当がつかなくなる。立ちながら眺めると、木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出して来る。頭の上の空さえ、際限もない高い所から手の届く辺まで落ちかかった。長蔵さんは、 「こりゃ、雨だね」 と、歩きながら独言を云った。誰も答えたものはない。四人とも雲の中を、雲に吹かれるような、取り捲かれるような、また埋められるような有様で登って行った。自分にはこの雲が非常に嬉しかった。この雲のお蔭で自分は世の中から隠したい身体を十分に隠すことが出来た。そうして、さのみ苦しい思いもしずにその中を歩いて行ける。手足は自由に働いて、閉じ籠められたような窮屈も覚えない上に、人目にかからん徳は十分ある。生きながら葬られると云うのは全くこの事である。それが、その時の自分には唯一の理想であった。だからこの雲は全くありがたい。ありがたいという感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほっと一息した。今考えると何が安心だか分りゃしない。全くの気違だと云われても仕方がない。仕方がないが、こう云う自分が、時と場合によれば、翌が日にも、また雲が恋しくならんとも限らない。それを思うと何だか変だ。吾が身で吾が身が保証出来ないような、また吾が身が吾が身でないような気持がする。  しかしこの時の雲は全く嬉しかった。四人が離れたり、かたまったり、隔てられたり、包まれたりして雲の中を歩いて行った時の景色はいまだに忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてらが、わずか五六間の距離で濃くなったり薄くなったりする。そうして誰も口を利かない。そうして、むやみに急ぐ。世界から切り離された四つの影が、後になり先になり、殖もせず減もせず、四つのまま、引かれて合うように、弾かれて離れるように、またどうしても四つでなくてはならないように、雲の中をひたすら歩いた時の景色はいまだに忘れられない。  自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴になって登り一里、降り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過とも云われるし、また夕方と云っても差支ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主になったり、ところ斑の禿頭と化けちまったんで、丹砂のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆に抹殺して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着な性質である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、 「やっと、着いた」 と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔の生えない、新しずくめの上に、白粉をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、 「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」 と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引き摺り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向を覗き込んでるのを見て、 「好いかね、御前さん、大丈夫かい」 とまた聞き直したから、自分は、 「好いです」 と明瞭に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念がある様子であった。赤毛布と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人は過去の因果で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危ないなと睨まれていたのかも知れない。好い面の皮だ。  それから四人揃って、橋を渡って行くと、右手に見える家にはなかなか立派なのがある。その中で一番いかめしい奴を指して、あれが所長の家だと長蔵さんが教えてくれた。ついでに左の方を見ながら 「こっちがシキだよ、御前さん、好いかね」 と云う。自分はシキと云う言葉をこの時始めて聞いた。  よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキなんだろうと思って黙っていた。あとから自分もこのシキと云う言葉を明瞭に理解しなければならない身分になったが、やっぱり始めにぼんやり考えついた定義とさした違もなかった。そのうち左へ折れていよいよシキの方へ這入る事になった。鉄軌についてだんだん上って行くと、そこここに粗末な小さい家がたくさんある。これは坑夫の住んでる所だと聞いて、自分も今日から、こんな所で暮すのかと思ったが、それは間違であった。この小屋はどれも六畳と三畳二間で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。こう云う小屋の間を縫って、飽きずに上って行くと、今度は石崖の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。そうして、その長屋がたくさんある。始めはわずか二三軒かと思ったら、登るに従って続々あらわれて来た。大きさも長さも似たもんで、みんな崖下にあるんだから位地にも変りはないが、向だけは各々違ってる。山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅沢は言っていられない。やっとの思いで、ならした地面へ否応なしに、方角のお構なく建ててしまったんだから不規則なものだ。それに、第一、登って行く道がくねってる。あの長屋の右を歩いてるなと思うと、いつの間にかその長屋の前へ出て来る。あれは、すぐ頭の上だがと心待ちに待っていると、急に路が外れて遠くへ持ってかれてしまう。まるで見当がつかない。その上この細長い家から顔が出ている。家から顔が出ているのが珍らしい事もないんだが、その顔がただの顔じゃない。どれも、これも、出来ていない上に、色が悪い。その悪さ加減がまた、尋常でない。青くって、黒くって、しかも茶色で、とうてい都会にいては想像のつかない色だから困る。病院の患者などとはまるで比較にならない。自分が山路を登りながら、始めてこの顔を見た時は、シキと云う意味をよく了解しない癖に、なるほどシキだなと感じた。しかしいくらシキでも、こう云う顔はたくさんあるまいと思って、登って行くと、長屋を通るたんびに顔が出ていて、その顔がみんな同じである。しまいにはシキとは恐ろしい所だと思うまで、いやな顔をたくさん見せられて、また自分の顔をたくさん見られて――長屋から出ている顔はきっと自分らを見ていた。一種獰悪な眼つきで見ていた。――とうとう午後の一時に飯場へ着いた。  なぜ飯場と云うんだか分らない。焚き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突を食った事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキでも飯場でもジャンボーでも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極簡単でかつ全く実際的なものである。  そう云う訳で飯場の意味は今もって分らないが、とにかく崖の下に散在している長屋を指すものと思えばいい。その長屋へようやく到着した。多くある長屋のうちで、なぜこの飯場を選んだかは、長蔵さんの一人ぎめだから、自分には説明しにくい。が、この飯場は長蔵さんの専門御得意の取引先と云う訳でもなかったらしい。長蔵さんは自分をこの飯場へ押しつけるや否や、いつの間にか、赤毛布と小僧を連れてほかの飯場へ出て行ってしまった。それで二人はほかの飯場の飯を食うようになったんだなと後から気がついた。二人の消息はその後いっこう聞かなかった。銅山のなかでもついぞ顔を合せた事がない。考えると、妙なものだ。一膳めし屋から突然飛び出した赤い毛布と、夕方の山から降って来た小僧と落ち合って、夏の夜を後になり先になって、崩れそうな藁屋根の下でいっしょに寝た明日は、雲の中を半日かかって、目指す飯場へようやく着いたと思うと、赤毛布も小僧もふいと消えてなくなっちまう。これでは小説にならない。しかし世の中には纏まりそうで、纏らない、云わばでき損いの小説めいた事がだいぶある。長い年月を隔てて振り返って見ると、かえってこのだらしなく尾を蒼穹の奥に隠してしまった経歴の方が興味の多いように思われる。振り返って思い出すほどの過去は、みんな夢で、その夢らしいところに追懐の趣があるんだから、過去の事実それ自身にどこかぼんやりした、曖昧な点がないとこの夢幻の趣を助ける事が出来ない。したがって十分に発展して来て因果の予期を満足させる事柄よりも、この赤毛布流に、頭も尻も秘密の中に流れ込んでただ途中だけが眼の前に浮んでくる一夜半日の画の方が面白い。小説になりそうで、まるで小説にならないところが、世間臭くなくって好い心持だ。ただに赤毛布ばかりじゃない。小僧もそうである。長蔵さんもそうである。松原の茶店の神さんもそうである。もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記すだけである。小説のように拵えたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。  赤毛布と小僧が連れて行かれたのは後の事だが、自分らが飯場に到着した時は無論二人ともいっしょであった。ここで長蔵さんがいよいよ坑夫志願の談判を始めた。談判と云うと面倒なようだが、その実極めて簡単なものであった。ただ、この男は坑夫になりたいと云うから、どうか使ってくれと云ったばかりである。自分の姓名も出生地も身元も閲歴も何にも話さなかった。もちろん話したくったって、知らないんだから、話せようもないんだが、こうまで手っ取り早く片づける了簡とは思わなかった。自分は中学校へ入学した時の経験から、いくら坑夫だって、それ相応の手続がなくっちゃ採用されないもんだとばかり思っていた。大方身元引受人とか保証人とか云うものが証文へ判でも捺すんだろう、その時は長蔵さんにでも頼んで見ようくらいにまで、先廻りをして考えていた。ところが案に相違して、談判を持ち込まれた飯場頭は――飯場頭だか何だかその時は無論知らなかった。眉毛の太くって蒼髯の痕の濃い逞しい四十恰好の男だった。――その男が長蔵さんの話を一通り聞くや否や、 「そうかい、それじゃ置いておいで」 とさも無雑作に云っちまった。ちょうど炭屋が土釜を台所へ担ぎ込んだ時のように思われた。人間が遥々山越をして坑夫になりに来たんだとは認めていない。そこで自分は少々腹の中でこの飯場頭を恨んだが、これは自分の間違であった。その訳は今直に分る。  飯場頭と云うのは一の飯場を預かる坑夫の隊長で、この長屋の組合に這入る坑夫は、万事この人の了簡しだいでどうでもなる。だからはなはだ勢力がある。この飯場頭と一分時間に談判を結了した長蔵さんは、 「じゃ、よろしくお頼みもうします」 と云ったなり、赤毛布と小僧を連れて出て行った。また帰ってくる事と思ったが、その後いっこう影も形も見せないんで、全く、置去にされたと云う事が分った。考えるとひどい男だ。ここまで引っ張って来るときには、何のかのと、世話らしい言葉を掛けたのに、いざとなると通り一片の挨拶もしない。それにしてもぽん引の手数料はいつ何時どこで取ったものか、これは今もって分らない。  こう云うしだいで飯場頭からは、土釜の炭俵のごとく認定される、長蔵さんからは小包のように抛げ込まれる。少しも人間らしい心持がしないんで、大いに悄然としていると、出て行く三人の後姿を見送った飯場頭は突然自分の方を向いた。その顔つきが変っている。人を炭俵のように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩出逢う、万事を心得た苦労人の顔である。 「あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだが……」  飯場掛の言葉をここまで聞いた時、自分は急に泣きたくなった。さんざっぱらお前さんで、厭になるほどやられた揚句の果、もうとうてい御前さん以上には浮ばれないものと覚悟をしていた矢先に、突然あなたの昔に帰ったから、思いがけない所で自己を認められた嬉しさと、なつかしさと、それから過去の記憶――自分はつい一昨日までは立派にあなたで通って来た――それやこれやが寄って、たかって胸の中へ込み上げて来た上に、相手の調子がいかにも鄭寧で親切だから――つい泣きたくなった。自分はその後いろいろな目に逢って、幾度となく泣きたくなった事はあるが、擦れ枯しの今日から見れば、大抵は泣くに当らない事が多い。しかしこの時頭の中にたまった涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまいと思う。苦しい、つらい、口惜しい、心細い涙は経験で消す事が出来る。ありがた涙もこぼさずに済む。ただ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他から認識された時の嬉し涙は死ぬまでついて廻るものに違ない。人間はかように手前勘の強いものである。この涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のために書生を置いて、書生のために置いてやったような心持になってると同じ事じゃないかしら。  こう云う訳で、飯場掛りの言葉を一行ばかり聞くと、急に泣きたくなったが、実は泣かなかった。悄然とはしていたが、気は張っている。どこからか知らないが、抵抗心が出て来た。ただ思うように口が利けないから、黙って向うの云う事を聞いていた。すると飯場掛りは嬉しいほど親切な口調で、こう云った。―― 「……まあどうして、こんな所へ御出なすったんだか、今の男が連れて来るくらいだから大概私にも様子は知れてはいるが――どうです、もう一遍考えて見ちゃあ。きっと取ッ附坑夫になれて、金がうんと儲かるてえような旨い話でもしたんでしょう。それがさ、実際やって見るととうてい話の十が一にも行かないんだからつまらないです。第一坑夫と一口に云いますがね。なかなかただの人に出来る仕事じゃない、ことにあなたのように学校へ行って教育なんか受けたものは、どうしたって勤まりっこありませんよ。……」  飯場頭はここまで来て、じっと自分の顔を見た。何とか云わなくっちゃならない。幸いこの時はもう泣きたいところを通り越して、口が利けるようになっていた。そこで自分はこう云った。―― 「僕は――僕は――そんなに金なんか欲しかないです。何も儲けるためにやって来た訳じゃないんですから、――そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです……」 と、この時知ってるですを二遍繰り返した事を今だに記憶している。はなはだ穏かならぬ生意気な、ものの云いようだった。若いうちは、たった今まで悄気ていても、相手しだいですぐつけ上っちまう。まことに赤面の至りである。しかもその知ってるですが、何を知ってるのかと思うと、今自分を連れて来た男、すなわち長蔵さんは、一種の周旋屋であって、すべての周旋屋に共通な法螺吹きであると云う真相をよく自覚していると云う意味なんだから、いくら知ってたって自慢にならないのは無論である。それを念入に、瞞着れて来たんじゃない、万事承知の上の坑夫志願だなどと説明して見たって今更どうなるものじゃない。ところが年が若いと虚栄心の強いもので――今でも弱いとは云わないが――しきりに弁解に取り掛ったのは実に冷汗の出るほどの愚であった。幸い相手が、こう云う家業に似合わぬ篤実な男で、かつ自分の不経験を気の毒に思うのあまり、この生意気を生意気と知りながら大目に見てくれたもんだから、どやされずに済んだ。まことにありがたい。この飯場に住み込んだあとで、頭の勢力の広大なるに驚くにつれて、僕は知ってるですを思い出しては独り赧い顔をしていた。ついでに云うがこの頭の名は原駒吉である。今もって自分は好い名だと思ってる。  原さんは別に厭な顔つきもせずに、黙って自分の言訳を聞いていたが、やがて頭を振り出した。その頭は大きな五分刈で額の所が面摺のように抜き上がっている。 「そりゃ物数奇と云うもんでさあ。せっかく来たから是非やるったって、何も家を出る時から坑夫になると思いつめた訳でもないんでしょう。云わば一時の出来心なんだからね。やって見りゃ、すぐ厭になっちまうな眼に見えてるんだから、廃すが好うがしょう。現に書生さんでここへ来て十日と辛抱したものあ、有りゃしませんぜ。え? そりゃ来る。幾人も来る。来る事は来るが、みんな驚いて逃げ出しちまいまさあ。全く普通のものの出来る業じゃありませんよ。悪い事は云わないから御帰んなさい。なに坑夫をしなくったって、口過だけなら骨は折れませんやあ」  原さんはここに至って、胡坐を崩して尻を宙に上げかけた。自分はどうしても落第しそうな按排である。大いに困った。困った結果、坑夫と云う事から気を離して、自分だけを検査して見ると、――何だか急に寒くなった。袷はさっきの雨で濡れている。洋袴下は穿いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候である。坂を登っている間こそ体温でさほどにも思わなかった。原さんに拒絶されるまでは気が張っていたから、好かった。しかし飯場へ来て休息した上に、坑夫になる見込がほとんど切れたとなると、情ないのが寒いのと合併して急に顫え出した。その時の自分の顔色は定めし見るに堪えんほど醜いもんだったろう。この時自分はまた何となく、今しがた自分を置去にして、挨拶もしずに出て行った長蔵さんが恋しくなった。長蔵さんがいたら、何とか尽力して坑夫にしてくれるだろう。よし坑夫にしてくれないまでも、どうにか片をつけてくれるだろう。汽車賃を出してくれたくらいだから、方角のわかる所までくらいは送り出してくれそうなものだ。蟇口を長蔵さんに取られてから、懐中には一文もない。帰るにしても、帰る途中で腹が減って山の中で行倒になるまでだ。いっその事今から長蔵さんを追掛けて見ようか。飯場飯場を探して歩いたら逢えない事もないだろう。逢ってこれこれだと泣きついたら、今までの交際もある事だから、好い智慧を貸してくれまいものでもない。しかし別れ際に挨拶さえしない男だから、ひょっとすると……自分は原さんの前で実はこんな閑な事を、非常に忙しく、ぐるぐる考えていた。好な原さんが前にいるのに、あんまり下さらない、しかも消えてなくなった長蔵さんばかりを相談相手のように思い込んだのは、どう云う理由だろう。こんな事はよくあるもんだから、いざと云う場合に、敵は敵、味方は味方と板行で押したように考えないで、敵のうちで味方を探したり、味方のうちで敵を見露わしたり、片方づかないように心を自由に活動させなくってはいけない。  弱輩な自分にはこの機合がまだ呑み込めなかったもんだから、原さんの前に立って顫えながら、へどもどしていると、原さんも気の毒になったと見えて、 「あなたさえ帰る気なら、及ばずながら相談になろうじゃありませんか」 と向うから口を掛けてくれた。こう切って出られた時に、自分ははっとありがたく感じた。ばかりなら当り前だがはっと気がついた。――自分の相談相手は自分の志望を拒絶するこの原さんを除いて、ほかにないんだと気がついた。気がつくと同時にまた口が利けなくなった。是非坑夫にしてくれとも、帰るから旅費を貸してくれとも言いかねて、やっぱり立ちすくんでいた。気がついても何にもならない、ただ右の手で拳骨を拵えて寒い鼻の下を擦ったように記憶している。自分はその前寄席へ行って、よく噺家がこんな手真似をするのを見た事があるが、自分でその通りを実行したのは、これが始めてである。この手真似を見ていた原さんが、今度はこう云った。 「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」  旅費は無論ない。一厘たりとも金気は肌に着いていない。のたれ死を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地はこれだから、これで差支ないなどと主張するのは、練羊羹の生地は小豆だから、羊羹の代りに生小豆を噛んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡になったものかと、吾ながら愛想が尽きる。こう云う下卑た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯練羊羹ばかり味わってる結構な人である。  自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭からわずかの合力を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調えてくれる金も、二三日木賃宿で夜露を凌げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途もなく流れ出さなければならないと、冥々のうちに自覚したからである。自分は屑よく涙金を断った。断った表向は律義にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索すると、慾の天秤に懸けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。 「その代り坑夫に使って下さい。せっかく来たんだから、僕はどうしてもやって見る気なんですから」 「随分酔興ですね」 と原さんは首を傾げて、自分を見つめていたが、やがて溜息のような声を出して、 「じゃ、どうしても帰る気はないんですね」 と云った。 「帰るったって、帰る所がないんです」 「だって……」 「家なんかないんです。坑夫になれなければ乞食でもするより仕方がないです」  こんな押問答を二三度重ねている中に、口を利くのが大変楽になって来た。これは思い切って、無理な言葉を、出にくいと知りながら、我慢して使った結果、おのずと拍子に乗って来た勢いに違ないんだから、まあ器械的の変化と見傚しても差支なかろうが、妙なもので、その器械的の変化が、逆戻りに自分の精神に影響を及ぼして来た。自分の言いたい事が何の苦もなく口を出るに連れて――ある人はある場合に、自分の言いたくない事までも調子づいてべらべら饒舌る。舌はかほどに器械的なものである。――この器械が使用の結果加速度の効力を得るに連れて、自分はだんだん大胆になって来た。  いや、大胆になったから饒舌れたんだろう、君の云う事は顛倒じゃないかとやり込める気なら、そうして置いてもいい。いいが、それはあまり陳腐でかつ時々嘘になる。嘘と陳腐で満足しないものは自分の言分をもっともと首肯くだろう。  自分は大胆になった。大胆になるに連れて、どうしても坑夫に住み込んでやろうと決心した。また饒舌っておれば必ず坑夫になれるに違ないと自覚して来た。一昨日家を飛び出す間際までは、夢にも坑夫になろうと云う分別は出なかった。ばかりではない、坑夫になるための駆落と事がきまっていたならば、何となく恥ずかしくなって、まあ一週間よく考えた上にと、出奔の時期を曖昧に延ばしたかもしれない。逃亡はする。逃亡はするが、紳士の逃亡で、人だか土塊だか分らない坑掘になり下る目的の逃亡とは、何不足なく生育った自分の頭には影さえ射さなかったろう。ところが原さんの前で寒い奥歯を噛みしめながら、しょう事なしの押問答をしているうちに、自分はどうあっても坑夫になるべき運命、否天職を帯びてるような気がし出した。この山とこの雲とこの雨を凌いで来たからには、是非共坑夫にならなければ済まない。万一採用されない暁には自分に対して面目がない。――読者は笑うだろう。しかし自分は当時の心情を真面目に書いてるんだから、人が見ておかしければおかしいほど、その時の自分に対して気の毒になる。  妙な意地だか、負惜みだか、それとも行倒れになるのが怖くって、帰り切れなかったためだか、――その辺は自分にも曖昧だが、とにかく自分は、もっとも熱心な語調で原さんを口説いた。 「……そう云わずに使って下さい。実際僕が不適当なら仕方がないが、まだやって見ない事なんだから――せっかく山を越して遠方をわざわざ来た甲斐に、一日でも二日でも、いいですから、まあ試しだと思って使って下さい。その上で、とうてい役に立たないと事がきまれば帰ります。きっと帰ります。僕だって、それだけの仕事が出来ないのに、押を強く御厄介になってる気はないんですから。僕は十九です。まだ若いです。働き盛りです……」 と昨日茶店の神さんが云った通りをそのまま図に乗って述べ立てた。後から考えると、これはむしろ人が自分を評する言葉で、自分が自分を吹聴する文句ではなかった。そこで原さんは少し笑い出した。 「それほどお望みなら仕方がない。何も御縁だ。まあやって御覧なさるが好い。その代り苦しいですよ」 と原さんは何気なく裏の赤い山を覗くように見上げた。おおかた天気模様でも見たんだろう。自分も原さんといっしょに山の方へ眼を移した。雨は上がったが、暗く曇っている。薄気味の悪いほど怪しい山の中の空合だ。この一瞬時に、自分の願が叶って、自分はまず山の中の人となった。この時「その代り苦しいですよ」と云った原さんの言葉が、妙に気に掛り出した。人は、ようやくの思いで刻下の志を遂げると、すぐ反動が来て、かえって志を遂げた事が急に恨めしくなる場合がある。自分が望み通りここへ落ちつける口頭の辞令を受け取った時の感じはいささかこれに類している。 「じゃね」――原さんは語調を改めて話し出した。――「じゃね。何しろ明日の朝シキへ這入って御覧なさい。案内を一人つけて上げるから。――それからと――そうだ、その前に話して置かなくっちゃなりませんがね。一口に坑夫と云うと、訳もない仕事のように思われましょうが、なかなか外で聞いてるような生容易い業じゃないんで。まあ取っつけから坑夫になるなあ」と云って自分の顔を眺めていたが、やがて、 「その体格じゃ、ちっとむずかしいかも知れませんね。坑夫でなくっても、好うがすかい」 と気の毒そうに聞いた。坑夫になるまでには相当の階級と練習を積まなくっちゃならないと云う事がここで始めて分った。なるほど長蔵さんが坑夫坑夫と、さも名誉らしく坑夫を振り廻したはずだ。 「坑夫のほかに何かあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫じゃないんですか」 と念のために聞いて見た。すると原さんは、自分を馬鹿にした様子もなく、すぐそのわけを説明してくれた。 「銅山にはね、一万人も這入っててね。それが掘子に、シチュウに、山市に、坑夫と、こう四つに分れてるんでさあ。掘子ってえな、一人前の坑夫に使えねえ奴がなるんで、まあ坑夫の下働ですね。シチュウは早く云うとシキの内の大工見たようなものかね。それから山市だが、こいつは、ただ石塊をこつこつ欠いてるだけで、おもに子供――さっきも一人来たでしょう。ああ云うのが当分坑夫の見習にやる仕事さね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫となると請負仕事だから、間が好いと日に一円にも二円にも当る事もあるが、掘子は日当で年が年中三十五銭で辛抱しなければならない。しかもそのうち五分は親方が取っちまって、病気でもしようもんなら手当が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団の損料が一枚三銭――寒いときは是非二枚要るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜は別ですよ。――どうです。もし坑夫にいけなかったら、掘子にでもなる気はありますかね」  実のところはなりますと勢いよく出る元気はなかったが、ここまで来れば、今更どうしたって否だと断られた義理のもんじゃない。そこで、出来るだけ景気よく、 「なります」 と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢のつけ景気のごとく響いたか、その辺は確と分らないが、何しろこの一言を聞いた原さんは、機嫌よく、 「じゃまあ、御上がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキへ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥れるだろう。こっちへ御上り」  この逐一を聞いていた自分はたとい、掘子だろうが、山市だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。  そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、 「こっちへ御出なさい」 と云うから、好加減に御辞儀をして、後から尾いて行った。小作な婆さんで、後姿の華奢な割合には、ぴんぴん跳ねるように活溌な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結にむすんで、なけなしの髪を頸窩へ片づけてその心棒に鉛色の簪を刺している。そうして襷掛であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育だからかしら。いや、飯場だから優長にしちゃいられないせいだろう。して見ると、今日から飯場の飯を食い出す以上は自分だって安閑としちゃいられない。万事この婆さんの型で行かなくっちゃなるまい。――なるまい。――と力を入れて、うんと思ったら、さすがに草臥れた手足が急になるまいで充満して、頭と胸の組織がちょっと変ったような気分になった。その勢いで広い階子段を、案内に応じて、すとんすとんと景気よく登って行った。が自分の頭が階子段から、ぬっと一尺ばかり出るや否や、この決心が、ぐうと退避いだ。  胸から上を階子段の上へ出して、二階を見渡すと驚いた。畳数は何十枚だか知らないが遥の突き当りまで敷き詰めてあって、その間には一重の仕切りさえ見えない。ちょうど柔道の道場か、浪花節の席亭のような恰好で、しかも広さは倍も三倍もある。だから、ただ駄々ッ広い感じばかりで、畳の上でもまるで野原へ出たとしきゃあ思えない。それだけでも驚く価値は十分あるが、その広い原の中に大きな囲炉裏が二つ切ってある、そこへ人間が約十四五人ずつかたまっている。自分の決心が退避いだと云うのは、卑怯な話だが、全くこの人間にあったらしい。平生から強がっていたにはいたが、若輩の事だから、見ず知らずの多勢の席へ滅多に首を出した事はない。晴の場所となると、ただでさえもじもじする。ところへもって来て、突然坑夫の団体に生擒られたんだから、この黒い塊を見るが早いか、いささか辟易じまった。それも、ただの人間ならいい。と云っちゃ意味がよく通じない。――ただの人間が、坑夫になってるなら差支ない。ところが自分の胸から上が、階子段を出ると、等しく、この塊の各部分が、申し合せたように、こっちを向いた。その顔が――実はその顔で全く畏縮してしまった。と云うのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない。純然たる坑夫の顔であった。そう云うより別に形容しようがない。坑夫の顔はどんなだろうと云う好奇心のあるものは、行って見るより外に致し方がない。それでも是非説明して見ろと云うなら、ざっと話すが、――頬骨がだんだん高く聳えてくる。顎が競り出す。同時に左右に突っ張る。眼が壺のように引ッ込んで、眼球を遠慮なく、奥の方へ吸いつけちまう。小鼻が落ちる。――要するに肉と云う肉がみんな退却して、骨と云う骨がことごとく吶喊展開するとでも評したら好かろう。顔の骨だか、骨の顔だか分らないくらいに、稜々たるものである。劇しい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味とか、優味とか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。まあ一口に云うと獰猛だ。不思議にもこの獰猛な相が一列一体の共有性になっていると見えて、囲炉裏の傍の黒いものが等しく自分の方を向くと、またたく間に獰猛な顔が十四五揃った。向うの囲炉裏を取捲いてる連中も同じ顔に違いない。さっき坂を上がってくるとき、長屋の窓から自分を見下していた顔も全くこれである。して見ると組々の長屋に住んでいる総勢一万人の顔はことごとく獰猛なんだろう。自分は全く退避んだ。  この時婆さんが後を振り返って、 「こっちへおいでなさい」 と、もどかしそうに云うから、度胸を据えて、獰猛の方へ近づいて行った。ようやく囲炉裏の傍まで来ると、婆さんが、今度は、 「まあここへ御坐んなさい」 と差しずをしたが、ただ好加減な所へ坐れと云うだけで、別に設けの席も何もないんだから、自分は黒い塊りを避けて、たった一人畳の上へ坐った。この間獰猛な眼は、始終自分に喰っついている。遠慮も何もありゃしない。そうして誰も口を利くものがない。取附端を見出すまでは、団体の中へ交り込む訳にも行かず、ぽつねんと独りぼッちで離れているのは、獰猛の目標となるばかりだし、大いに困った。婆さんは、自分を紹介する段じゃない、器械的に「ここへ坐れ」と云ったなり、ちょっ切り結びの尻を振り立てて階子段を降りて行ってしまった。広い寄席の真中にたった一人取り残されて、楽屋の出方一同から、冷かされてるようなものだ、手持無沙汰は無論である。ことさら今の自分に取っては心細い。のみならず袷一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼いて獰猛共が囲炉裏へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ隠しに襯衣の釦をはずして腋の下へ手を入れたり、膝を立てて、足の親指を抓って見たり、あるいは腿の所を両手で揉んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似をしていると、突然、 「おい」 と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞の兵児帯を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはない。どの顔も獰猛で、よく見るとその獰猛のうちに、軽侮と、嘲弄と、好奇の念が判然と彫りつけてあったのは、首を上げる途端に発明した事実で、発明するや否や、非常に不愉快に感じた事実である。自分は仕方がないから、首を上げたまま、「おい」の声がもう一遍出るのを待っていた。この間が約何秒かかったか知らないが、とにかく予期の状態で一定の姿勢におったものらしい。すると、いきなり、 「やに澄ますねえ」 と云ったものがある。この声はさっきの「おい」よりも少し皺枯れていたから、大方別人だろうと鑑定した。しかし返答をするべき性質の言葉でないから――字で書くと普通のねえのように見えるが、実はなよの命令を倶利加羅流に崩したんだから、はなはだ下等である。――それでやっぱり黙ってた。ただ内心では大いに驚いた。自分がここへ来て言葉を交したものは原さんと婆さんだけであるが、婆さんは女だから別として、原さんは思ったよりも叮嚀であった。ところが原さんは飯場頭である。頭ですらこれだから、平の坑夫は無論そう野卑じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口が藪から棒に飛んで来た時には、こいつはと退避む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事毒突返したなら、袋叩きに逢うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄に類似した言語は無論、尋常の竹箆返しさえ控えたのは、――相手にならないと先方を軽蔑したためだろうか――あるいは怖くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後の方らしい。とにかくも両方交ってたと云うのが一番穏のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖いものが沢山もある。矛盾にゃならない。  それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸いと嘲弄するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨みを、吾身一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入るまでは、自分こそ社会に立てない身体だと思い詰めていた。そこで飯場へ上って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰と云うよりは、情ないほど不人情な奴が揃ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴と思った。俗語に云う怒った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。  この悪意に充ちた笑がようやく下火になると、 「御前はどこだ」 と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所は判然分った。浅黄色の手拭染みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向きの胡坐のまま、斜に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜が一面に充血している。 「僕は東京です」 と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹まして、愚弄の笑いを洩らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主が、入れ替ってこんな事を云った、 「僕だなんて――書生ッ坊だな。大方女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰れ。そんな瘠っこけた腕でできる稼業じゃねえ」  自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊を見るたびに、人数やら、着物やら、獰猛の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強である。眉毛と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終鼻眼鏡で圧しつけてるように見える。そこに疳癪が拘泥していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利いた。―― 「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通ったもんだが、放蕩の結果とうとう、シキの飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」  これは比較的真面目な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派もおとなしく交っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯されない人非人として、多勢の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込んで、獰猛組の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹んで耳を傾けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄の舌がまた動き出した。 「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟があるから呑み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」 と一人が云うから、 「どんな掟ですか」 と聞くと、 「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分もあるじゃねえか」 と、大変な大きな声を出した。 「親分たどんなもんですか」 と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛い目に逢うのが怖いから、まあ聞いて見た。すると他の坑夫が、すぐ、返事をした。 「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違えだ。早く帰れ」 「親分も兄弟分もいるから、だから、儲けようたって、そう旨かあ行かねえ。帰れ」 「儲かるもんか帰るが好い」 「帰れ」 「帰れ」  しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲けたいだろうが、そうは問屋で卸さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。  この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏の周囲ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢が加勢したら大事である。自分は愚弄されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後を追掛け、追ん廻わしているほど辛い事はない。なんでも敵に逢ったら敵を呑むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦の空説法である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説なら、なおさら言うだけが野暮になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。  自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、 「御膳を御上がんなさい」 と云う婆さんの声が聞えた。いつの間に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥げた御膳の上に縁の欠けた茶碗が伏せてある。小さい飯櫃も乗っている。箸は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆が半分ほど落ちて木地が全く出ている。御菜には糸蒟蒻が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空である。もし空でなければ、昨日食った揚饅頭と薩摩芋があるばかりである。飯の気を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交ぜっ返しも気に掛ける暇なく、見栄も糸瓜も棒に振って、いきなり、お櫃からしゃくって茶碗へ一杯盛り上げた。その手数さえ面倒なくらい待ち遠しいほどであったが、例の剥箸を取り上げて、茶碗から飯をすくい出そうとする段になって――おやと驚いた。ちっともすくえない。指の股に力を入れて箸をうんと底まで突っ込んで、今度こそはと、持上げて見たが、やっぱり駄目だ。飯はつるつると箸の先から落ちて、けっして茶碗の縁を離れようとしない。十九年来いまだかつてない経験だから、あまりの不思議に、この仕損を二三度繰り返して見た上で、はてなと箸を休めて考えた。おそらく狐に撮まれたような風であったんだろう。見ていた坑夫共はまたぞろ、どっと笑い出した。自分はこの声を聞くや否や、いきなり茶碗を口へつけた。そうして光沢のない飯を一口掻き込んだ。すると笑い声よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液に和けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。 「面あ見ろ。いい様だ」 と一人が云うと、 「御祭日でもねえのに、銀米の気でいやがらあ。だから帰れって教えてやるのに」 と他のものが云う。 「南京米の味も知らねえで、坑夫になろうなんて、頭っから料簡違だ」 とまた一人が云った。  自分は嘲弄のうちに、術なくこの南京米を呑み下した。一口でやめようと思ったが、せっかく盛り込んだものを、食ってしまわないと、また冷かされるから、熊の胆を呑む気になって、茶碗に盛っただけは奇麗に腹の中へ入れた。全く食慾のためではない。昨日食った揚饅頭や、ふかし芋の方が、どのくらい御馳走であったか知れない。自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである。  茶碗に盛っただけは、こう云う訳で、どうにか、こうにか片づけたが、二杯目は我慢にも盛う気にならなかったから、糸蒟蒻だけを食って箸を置く事にした。このくらい辛抱して無理に厭なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後日に三度ずつは、必ずこの南京米に対わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣れるに連れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳に向って逡巡した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病むところに廻り合わせて、現状を目撃したら、ことに因ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。  南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗に対する冷評は、自然のままにして抛って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥を叩き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切って、拍子を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄い囃して何物か近づいて来た。 「ジャンボーだ」 と一人が膝頭を打たないばかりに、大きな声を出すと、 「ジャンボーだ。ジャンボーだ」 と大勢口々に云いながら、黒い塊がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボーなんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達したせいか、自分もジャンボーを見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲をとって暮らしていると云っても差支なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞がっている上から背伸をして見下すと、斜に曲ってる向の石垣の角から、紺の筒袖を着た男が二人出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧しつぶして薄っ片にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後の禿山に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節で咄喊するような稀代な調子であった。 「おい金公はいねえか」 と、黒い頭の一つが怒鳴った。後向だから顔は見えない。すると、 「うん金公に見せてやれ」 とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸けて、首を捻じ向けると、――寝ている。薄い布団をかけて一人寝ている。 「おい金州」 と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。 「おい金しゅう起きろやい」 と怒鳴つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎に出掛けた。被ってる布団を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、 「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」 と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯は幾日も剃らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛も、こう憔悴ると憐れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極全く怖かった。  病人は二人に支えられながら、釣られるように、利かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数は、さも面白そうに囃し立てる。 「よう、金しゅう早く来いよ。今ジャンボーが通るところだ。早く来て見ろよ」 「己あジャンボーなんか見たかねえよ」 と病人は、無体に引き摺られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子の角まで圧しつけられてしまった。  じゃじゃん、じゃららんとジャンボーは知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延びをして見下した時、自分は再び慄とした。金盥と金盥の間に、四角な早桶が挟まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾で包んで、細い杉丸太を通した両端を、水でも一荷頼まれたように、容赦なく担いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボーの意味を理解した。生涯いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボーは葬式である。坑夫、シチュウ、掘子、山市に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節に唄って、金盥の潰れるほどに音楽を入れて、一荷の水と同じように棺桶をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極で、また冷刻の極である。 「金しゅう、どうだ、見えたか、面白いだろう」 と云ってる。病人は、 「うん、見えたから、床ん所まで連れてって、寝かしてくれよ。後生だから」 と頼んでいる。さっきの二人は再び病人を中へ挟んで、 「よっしょいよっしょい」 と云いながら、刻み足に、布団の敷いてある所まで連れて行った。  この時曇った空が、粉になって落ちて来たかと思われるような雨が降り出した。ジャンボーはこの雨の中を敲き立てて町の方へ下って行く。大勢は 「また雨だ」 と云いながら、窓を立て切って、各々囲炉裏の傍へ帰る。この混雑紛に自分もいつの間にか獰猛の仲間入りをして、火の近所まで寄る事が出来た。これは偶然の結果でもあり、また故意の所作でもあった。と云うものは火の気がなくってははなはだ寒い。袷一枚ではとても凌ぎ兼ねるほどの山の中だ。それに雨さえ降り出した。雨と云えば雨、霧と云えば霧と云われるくらいな微かな粒であるが、四方の禿山を罩め尽した上に、筒抜けの空を塗り潰して、しとどと落ちて来るんだから、家の中に坐っていてさえ、糠よりも小さい湿り気が、毛穴から腹の底へ沁み込むような心持である。火の気がなくってはとうていやり切れるものじゃない。  自分が好い加減な所へ席を占めて、いささかながら囲炉裏のほとぼりを顔に受けていると、今度は存外にも度外視されて、思ったよりも調戯われずに済んだ。これはこっちから進んで獰猛の仲間入りをしたため、向うでも普通の獰猛として取扱うべき奴だと勘弁してくれたのか、それとも先刻のジャンボーで不意に気が変った成行として、自分の事をしばらく忘れてくれたのか、または冷笑の種が尽きたか、あるいは毒突くのに飽きたんだか、――何しろ自分が席を改めてから、自分の気は比較的楽になった。そうして囲炉裏の傍の話はやっぱりジャンボーで持ち切っていた。いろいろな声がこんな事を云う。―― 「あのジャンボーはどこから出たんだろう」 「どこから出たって御ジャンボーだ」 「ことによると黒市組かも知れねえ。見当がそうだ」 「全体ジャンボーになったらどこへ行くもんだろう」 「御寺よ。きまってらあ」 「馬鹿にするねえ。御寺の先を聞いてるんだあな」 「そうよ、そりゃ寺限で留りっこねえ訳だ。どっかへ行くに違えねえ」 「だからよ。その行く先はどんな所だろうてえんだ。やっぱしこんな所かしら」 「そりゃ、人間の魂の行く所だもの、大抵は似た所に違えねえ」 「己もそう思ってる。行くとなりゃ、どうもほかへ行く訳がねえからな」 「いくら地獄だって極楽だって、やっぱり飯は食うんだろう」 「女もいるだろうか」 「女のいねえ国が世界にあるもんか」  ざっと、こんな談話だから、聞いているとめちゃめちゃである。それで始めのうちは冗談だと思った。笑っても差支ないものと心得て、口の端をむずつかせながら、ちょっと様子を見渡したくらいであった。ところが笑いたいのは自分だけで、囲炉裏を取り捲いている顔はいずれも、彫りつけたように堅くなっている。彼らは真剣の真面目で未来と云う大問題を論じていたんである。実に嘘としか受け取れないほどの熱心が、各々の眉の間に見えた。自分はこの時、この有様を一瞥して、さっきの笑いたかった念慮をたちまちのうちに一変した。こんな向う見ずの無鉄砲な人間が――カンテラを提げて、シキの中へ下りれば、もう二度と日の目を見ない料簡でいる人間が――人間の器械で、器械の獣とも云うべきこの獰猛組が、かほどに未来の事を気にしていようとは、まことに予想外であった。して見ると、世間には、未来の保証をしてくれる宗教というものが入用のはずだ。実際自分が眼を上げて、囲炉裏のぐるりに胡坐をかいて並んだ連中を見渡した時には、遠慮に畏縮が手伝って、七分方でき上った笑いを急に崩したと云う自覚は無論なかった。ただ寄席を聞いてるつもりで眼を開けて見たら鼻の先に毘沙門様が大勢いて、これはと威儀を正さなければならない気持であった。一口に云うと、自分はこの時始めて、真面目な宗教心の種を見て、半獣半人の前にも厳格の念を起したんだろう。その癖自分はいまだに宗教心と云うものを持っていない。  この時さっきの病人が、向うの隅でううんと唸り出した。その唸り声には無論特別の意味はない。単に普通の病人の唸り声に過ぎんのだが、ジャンボーの未来に屈託している連中には、一種のあやしい響のように思われたんだろう。みんな眼と眼を見合した。 「金公苦しいのか」 と一人が大きな声で聞いた。病人は、ただ、 「ううん」 と云う。唸ってるのか、返事をしているのか判然しない。するとまた一人の坑夫が、 「そんなに嚊の事ばかり気にするなよ。どうせ取られちまったんだ。今更唸ったってどうなるもんか。質に入れた嚊だ。受出さなけりゃ流れるなあ当り前だ」 と、やっぱり囲炉裏の傍へ坐ったまま、大きな声で慰めている。慰めてるんだか、悪口を吐いているんだか疑わしいくらいである。坑夫から云うと、どっちも同じ事なんだろう。病人はただううんと挨拶――挨拶にもならない声を微かに出すばかりであった。そこで大勢は懸合にならない慰藉をやめて、囲炉裏の周囲だけで舌の用を弁じていた。しかし話題はまだ金さんを離れない。 「なあに、病気せえしなけりゃ、金公だって嚊を取られずに済むんだあな。元を云やあ、やっぱり自分が悪いからよ」 と一人が、金さんの病気をさも罪悪のように評するや否や、 「全くだ。自分が病気をして金を借りて、その金が返せねえから、嚊を抵当に取られちまったんだから、正直のところ文句の附けようがねえ」 と賛成したものがある。 「若干で抵当に入れたんだ」 と聞くと、向側から、 「五両だ」 と誰だか、簡潔に教えた。 「それで市の野郎が長屋へ下がって、金しゅうと入れ代った訳か。ハハハハ」  自分は囲炉裏の側に坐ってるのが苦痛であった。背中の方がぞくぞくするほど寒いのに、腋の下から汗が出る。 「金しゅうも早く癒って、嚊を受け出したら好かろう」 「また、市と入れ代りか。世話あねえ」 「それよりか、うんと稼いで、もっと価に踏める抵当でも取った方が、気が利いてらあ」 「違ねえ」 と一人が云い出すのを相図に、みんなどっと笑った。自分はこの笑の中に包まれながら、どうしても笑い切れずに下を向いてしまった。見ると膝を並べて畏まっていた。馬鹿らしいと気がついて、胡坐に組み直して見た。しかし腹の中はけっして胡坐をかくほど悠長ではなかった。  その内だんだん日暮に近くなって来る。時間が移るばかりじゃない、天気の具合と、山が囲んでるせいで早く暗くなる。黙って聞いていると、雨垂の音もしないようだから、ことによると、雨はもう歇んだのかも知れない。しかしこの暗さでは、やっぱり降ってると云う方が当るだろう。窓は固り締め切ってある。戸外の模様は分りようがない。しかし暗くって湿ッぽい空気が障子の紙を透して、一面に囲炉裏の周囲を襲って来た。並んでいる十四五人の顔がしだいしだいに漠然する。同時に囲炉裏の真中に山のようにくべた炭の色が、ほてり返って、少しずつ赤く浮き出すように思われた。まるで、自分は坑の底へ滅入込んで行く、火はこれに反して坑からだんだん競り上がって来る、――ざっと、そんな気分がした。時にぱっと部屋中が明るくなった。見ると電気灯が点いた。 「飯でも食うべえ」 と一人が云うと、みんな忘れものを思い出したように、 「飯を食って、また交替か」 「今日は少し寒いぞ」 「雨はまだ降ってるのか」 「どうだか、表へ出て仰向いて見な」 などと、口々に罵りながら、立って、階下段を下りて行った。自分は広い部屋にたった一人残された。自分のほかにいるものは病人の金さんばかりである。この金さんがやっぱり微な声を出して唸ってるようだ。自分は囲炉裏の前に手を翳して胡坐を組みながら、横を向いて、金さんの方を見た。頭は出ていない。足も引っ込ましている。金さんの身体は一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。気の毒なほど小さく平ったく見えた。その内唸り声も、どうにか、こうにかやんだようだから、また顔の向を易えて、囲炉裏の中を見詰めた。ところがなんだか金さんが気に掛かってたまらないから、また横を向いた。すると金さんはやっぱり一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。そうして、森としている。生きてるのか、死んでるのか、ただ森としている。唸られるのも、あんまり気味の好いもんじゃないが、こう静かにしていられるとなお心配になる。心配の極は怖くなって、ちょっと立ち懸けたが、まあ大丈夫だろう、人間はそう急に死ぬもんじゃないと、度胸を据えてまた尻を落ちつけた。  ところへ二三人、下からどやどやと階下段を上がって来た。もう飯を済ましたんだろうか、それにしては非常に早いがと、心持上がり段の方を眺めていると、思も寄らないものが、現れた。――黒か紺か色の判然しない筒服を着ている。足は職人の穿くような細い股引で、色はやはり同じ紺である。それでカンテラを提げている。のみならず二人が二人とも泥だらけになって、濡れてる。そうして、口を利かない。突っ立ったまま自分の方をぎろりと見た。まるで強盗としきゃあ思えない。やがて、カンテラを抛り出すと、釦を外して、筒袖を脱いだ。股引も脱いだ。壁に掛けてある広袖を、めりやすの上から着て、尻の先に三尺帯をぐるりと回しながら、やっぱり無言のまま、二人してずしりずしりと降りて行った。するとまた上がって来た。今度のも濡れている。泥だらけである。カンテラを抛り出す。着物を着換える。ずしんずしんと降りて行く。とまた上がって来る。こう云う風に入代り、入代りして、何でもよほど来た。いずれも底の方から眼球を光らして、一遍だけはきっと自分を見た。中には、 「手前は新前だな」 と云ったものもある。自分はただ、 「ええ」 と答えて置いた。幸い今度はさっきのようにむやみには冷やかされずに、まあ無難に済んだ。上がって来るものも、来るものも、みんな急いで降りて行くんで、調戯う暇がなかったんだろう。その代り一人に一度ずつは必ず睨まれた。そうこうしている内に、上がって来るものがようやく絶えたから、自分はようやく寛容いだ思いをして、囲炉裏の炭の赤くなったのを見詰めて、いろいろ考え出した。もちろん纏まりようのない、かつ考えれば考えるほど馬鹿になる考えだが、火を見詰ていると、炭の中にそう云う妄想がちらちらちらちら燃えてくるんだから仕方がない。とうとう自分の魂が赤い炭の中へ抜出して、火気に煽られながら、むやみに踊をおどってるような変な心持になった時に、突然、 「草臥れたろうから、もう御休みなさい」 と云われた。  見ると、さっきの婆さんが、立っている。やっぱり襷掛のままである。いつの間に上がって来たものか、ちっとも気がつかなかった。自分の魂が遠慮なく火の中を馳け廻って、艶子さんになったり、澄江さんになったり、親爺になったり、金さんになったり、――被布やら、廂髪やら、赤毛布やら、唸り声やら、揚饅頭やら、華厳の滝やら――幾多無数の幻影が、囲炉裏の中に躍り狂って、立ち騰る火の気の裏に追いつ追われつ、日向に浮かぶ塵と思われるまで夥しく出て来た最中に、はっと気がついたんだから、眼の前にいる婆さんが、不思議なくらい変であった。しかし寝ろと云う注意だけは明かに耳に聞えたに違ないから、自分はただ、 「ええ」 と答えた。すると婆さんは後ろの戸棚を指して、 「布団は、あすこに這入ってるから、独で出して御掛けなさい。一枚三銭ずつだ。寒いから二枚はいるでしょう」 と聞くから、また 「ええ」 と答えたら、婆さんは、それ限何にも云わずに、降りて行った。これで、自分は寝てもいいと云う許可を得たから、正式に横になっても剣突を食う恐れはあるまいと思って、婆さんの指図通り戸棚を明けて見ると、あった。布団がたくさんあった。しかしいずれも薄汚いものばかりである。自宅で敷いていたのとはまるで比較にならない。自分は一番上に乗ってるのを二枚、そっとおろした。そうして、電気灯の光で見た。地は浅黄である。模様は白である。その上に垢が一面に塗りつけてあるから、六分方色変りがして、白い所などは、通例なら我慢のできにくいほどどろんと、化けている。その上すこぶる堅い。搗き立ての伸し餅を、金巾に包んだように、綿は綿でかたまって、表布とはまるで縁故がないほどの、こちこちしたものである。  自分はこの布団を畳の上へ平く敷いた。それから残る一枚を平く掛けた。そうして、襯衣だけになって、その間に潜り込んだ。湿っぽい中を割り込んで、両足をうんと伸ばしたら踵が畳の上へ出たから、また心持引っ込ました。延ばす時も曲げる時も、不断のように軽くしなやかには行かない。みしりと音がするほど、関節が窮屈に硬張って、動きたがらない。じっとして、布団の中に膝頭を横たえていると、倦怠のを通り越して重い。腿から下を切り取って、その代りに筋金入りの義足をつけられたように重い。まるで感覚のある二本の棒である。自分は冷たくって重たい足を苦に病んで、頭を布団の中に突っ込んだ。せめて頭だけでも暖にしたら、足の方でも折れ合ってくれるだろうとの、はかない望みから出た窮策であった。  しかしさすがに疲れている。寒さよりも、足よりも、布団の臭いよりも、煩悶よりも、厭世よりも――疲れている。実に死ぬ方が楽なほど疲れ切っていた。それで、横になるとすぐ――畳から足を引っ込まして、頭を布団に入れるだけの所作を仕遂げたと思うが早いか、眠てしまった。ぐうぐう正体なく眠てしまった。これから先きは自分の事ながらとうてい書けない。……  すると、突然針で背中を刺された。夢に刺されたのか、起きていて、刺されたのか、感じはすこぶる曖昧であった。だからそれだけの事ならば、針だろうが刺だろうが、頓着はなかったろう。正気の針を夢の中に引摺り込んで、夢の中の刺を前後不覚の床の下に埋めてしまう分の事である。ところがそうは行かなかった。と云うものは、刺されたなと思いながらも、針の事を忘れるほどにうっとりとなると、また一つ、ちくりとやられた。  今度は大きな眼を開いた。ところへまたちくりと来た。おやと驚く途端にまたちくりと刺した。これは大変だとようやく気がつきがけに、飛び上るほど劇しく股の辺をやられた。自分はこの時始めて、普通の人間に帰った。そうして身体中至る所がちくちくしているのを発見した。そこでそっと襯衣の間から手を入れて、背中を撫でて見ると、一面にざらざらする。最初指先が肌に触れた時は、てっきり劇烈な皮膚病に罹ったんだと思った。ところが指を肌に着けたまま、二三寸引いて見ると、何だか、ばらばらと落ちた。これはただ事でないとたちまち跳ね起きて、襯衣一枚の見苦しい姿ながら囲炉裏の傍へ行って、親指と人差指の間に押えた、米粒ほどのものを、検査して見ると、異様の虫であった。実はこの時分には、まだ南京虫を見た事がないんだから、はたしてこれがそうだとは断言出来なかったが――何だか直覚的に南京虫らしいと思った。こう云う下卑た所に直覚の二字を濫用しては済まんが、ほかに言葉がないから、やむを得ず高尚な術語を使った。さてその虫を検査しているうちに、非常に悪らしくなって来た。囲炉裏の縁へ乗せて、ぴちりと親指の爪で圧し潰したら、云うに云われぬ青臭い虫であった。この青臭い臭気を嗅ぐと、何となく好い心持になる。――自分はこんな醜い事を真面目にかかねばならぬほど狂違染みていた。実を云うと、この青臭い臭気を嗅ぐまでは、恨を霽らしたような気がしなかったのである。それだから捕っては潰し、捕っては潰し、潰すたんびに親指の爪を鼻へあてがって嗅いでいた。すると鼻の奥へ詰って来た。今にも涙が出そうになる。非常に情ない。それだのに、爪を嗅ぐと愉快である。この時二階下で大勢が一度にどっと笑う声がした。自分は急に虫を潰すのをやめた。広間を見渡すと誰もいない。金さんだけが、平たくなって静かに寝ている。頭も足も見えない。そのほかにたった一人いた。もっとも始めて気がついた時は人間とは思わなかった。向うの柱の中途から、窓の敷居へかけて、帆木綿のようなものを白く渡して、その幅のなかに包まっていたから、何だか気味が悪かった。しかしよく見ると、白い中から黒いものが斜に出ている。そうしてそれが人間の毬栗頭であった。――広い部屋には、自分とこの二人を除いて、誰もいない。ただ電気灯がかんかん点いている。大変静かだ、と思うとまた下座敷でわっと笑った。さっきの連中か、または作業を済まして帰って来たものが、大勢寄ってふざけ散らしているに違ない。自分はぼんやりして布団のある所まで帰って来た。そうして裸体になって、襯衣を振るって、枕元にある着物を着て、帯を締めて、一番しまいに敷いてある布団を叮嚀に畳んで戸棚へ入れた。それから後はどうして好いか分らない。時間は何時だか、夜はとうていまだ明けそうにしない。腕組をして立って考えていると、足の甲がまたむずむずする。自分は堪え切れずに、 「えっ畜生」 と云いながら二三度小踊をした。それから、右の足の甲で、左の上を擦って、左の足の甲で右の上を擦って、これでもかと歯軋をした。しかし表へ飛び出す訳にも行かず、寝る勇気はなし、と云って、下へ降りて、車座の中へ割り込んで見る元気は固りない。さっき毒突かれた事を思い出すと、南京虫よりよっぽど厭だ。夜が明ければいい、夜が明ければいいと思いながら、自分は表へ向いた窓の方へ歩いて行った。するとそこに柱があった。自分は立ちながら、この柱に倚っ掛った。背中をつけて腰を浮かして、足の裏で身体を持たしていると、両足がずるずる畳の目を滑ってだんだん遠くへ行っちまう。それからまた真直に立つ。またずるずる滑る。また立つ。まずこんな事をしていた。幸い南京虫は出て来なかった。下では時々どっと笑う。  いても立ってもと云うのは喩だが、そのいても立ってもを、実際に経験したのはこの時である。だから坐るとも立つとも方のつかない運動をして、中途半端に紛らかしていた。ところがその運動をいつまで根気にやったものか覚えていない。いとど疲れている上に、なお手足を疲らして、いかな南京虫でも応えないほど疲れ切ったんで、始めて寝たもんだろう。夜が明けたら、自分が摺り落ちた柱の下に、足だけ延ばして、背を丸く蹲踞っていた。  これほど苦しめられた南京虫も、二日三日と過つにつれて、だんだん痛くなくなったのは妙である。その実、一箇月ばかりしたら、いくら南京虫がいようと、まるで米粒でも、ぞろぞろ転がってるくらいに思って、夜はいつでも、ぐっすり安眠した。もっとも南京虫の方でも日数を積むに従って遠慮してくるそうである。その証拠には新来のお客には、べた一面にたかって、夜通し苛めるが、少し辛抱していると、向うから、愛想をつかして、あまり寄りつかなくなるもんだと云う。毎日食ってる人間の肉は自然鼻につくからだとも教えたものがあるし、いや肉の方にそれだけの品格が出来て、シキ臭くなるから、虫も恐れ入るんだとも説明したものがある。そうして見るとこの南京虫と坑夫とは、性質がよく似ている。おそらく坑夫ばかりじゃあるまい、一般の人類の傾向と、この南京虫とはやはり同様の心理に支配されてるんだろう。だからこの解釈は人間と虫けらを概括するところに面白味があって、哲学者の喜びそうな、美しいものであるが、自分の考えを云うと全くそうじゃないらしい。虫の方で気兼をしたり、贅沢を云ったりするんじゃなくって、食われる人間の方で習慣の結果、無神経になるんだろうと思う。虫は依然として食ってるが、食われても平気でいるに違ない、もっとも食われて感じないのも、食われなくって感じないのも、趣こそ違え、結果は同じ事であるから、これは実際上議論をしても、あまり役に立たない話である。  そんな無用の弁は、どうでもいいとして、自分が眼を開けて見たら、夜は全く明け放れていた。下ではもうがやがや云っている。嬉しかった。窓から首を出して見ると、また雨だ。もっとも判然とは降っていない。雲の濃いのが糸になり損なって、なっただけが、細く地へ落ちる気色だ。だからむやみに濛々とはしていない。しだいしだいに雨の方に片づいて、片づくに従って糸の間が透いて見える。と云っても見えるものは山ばかりである。しかも草も木も至って乏しい、潤のない山である。これが夏の日に照りつけられたら、山の奥でもさぞ暑かろうと思われるほど赤く禿げてぐるりと自分を取り捲いている。そうして残らず雨に濡れている。潤い気のないものが、濡れているんだから、土器に霧を吹いたように、いくら濡れても濡れ足りない。その癖寒い気持がする。それで自分は首を引っ込めようとしたら、ちょっと眼についた。――手拭を被って、藁を腰に当てて、筒服を着た男が二三人、向うの石垣の下にあらわれた。ちょうど昨日ジャンボーの通った路を逆に歩いて来る。遠くから見ると、いかにもしょぼしょぼして気の毒なほど憐れである。自分も今朝からああなるんだなと、ふと気がついて見ると、人事とは思われないほど、向へ行く手拭の影――雨に濡れた手拭の影が情なかった。すると雨の間からまた古帽子が出て来た。その後からまた筒袖姿があらわれた。何でも朝の番に当った坑夫がシキへ這入る時間に相違ない。自分はようやく窓から首を引き込めた。すると、下から五六人一度にどやどやと階下段を上って来る。来たなと思ったが仕方がないから懐手をして、柱にもたれていた。五六人は見る間に、同じ出立に着更えて下りて行った。後からまた上がってくる。また筒袖になって下りて行く。とうとう飯場にいる当番はことごとく出払ったようだ  こう飯場中活動して来ると、自分も安閑としちゃいられない。と云って誰も顔を御洗いなさいとも、御飯を御上がんなさいとも云いに来てくれない。いかな坊っちゃんも、あまり手持無沙汰過ぎて困っちまったから、思い切って、のこのこ下りて行った。心は無論落ついちゃいないが、態度だけはまるで宿屋へ泊って、茶代を置いた御客のようであった。いくら恐縮しても自分には、これより以外の態度が出来ないんだから全くの生息子である。下りて見ると例の婆さんが、襷がけをして、草鞋を一足ぶら下げて奥から駆けて来たところへ、ばったり出逢った。 「顔はどこで洗うんですか」 と聞くと、婆さんは、ちょっと自分を見たなりで、 「あっち」 と云い捨てて門口の方へ行った。まるで相手にしちゃいない。自分にはあっちの見当がわからなかったが、とにかく婆さんの出て来た方角だろうと思って、奥の方へ歩いて行ったら、大きな台所へ出た。真中に四斗樽を輪切にしたようなお櫃が据えてある。あの中に南京米の炊いたのがいっぱい詰ってるのかと思ったら、――何しろ自分が三度三度一箇月食っても食い切れないほどの南京米なんだから、食わない前からうんざりしちまった。――顔を洗う所も見つけた。台所を下りて長い流の前へ立って、冷たい水で、申し訳のために頬辺を撫でて置いた。こうなると叮嚀に顔なんか洗うのは馬鹿馬鹿しくなる。これが一歩進むと、顔は洗わなくっても宜いものと度胸が坐ってくるんだろう。昨日の赤毛布や小僧は全くこう云う順序を踏んで進化したものに違ない。  顔はようやく自力で洗った。飯はどうなる事かと、またのそのそ台所へ上った。ところへ幸い婆さんが表から帰って来て膳立てをしてくれた。ありがたい事に味噌汁がついていたんで、こいつを南京米の上から、ざっと掛けて、ざくざくと掻き込んだんで、今度は壁土の味を噛み分ないで済んだ。すると婆さんが、 「御飯が済んだら、初さんがシキへ連れて行くって待ってるから、早くおいでなさい」 と、箸も置かない先から急き立てる。実はもう一杯くらい食わないと身体が持つまいと思ってたところだが、こう催促されて見ると、無論御代りなんか盛う必要はない。自分は、 「はあ、そうですか」 と立ち上がった。表へ出て見ると、なるほど上り口に一人掛けている。自分の顔を見て、 「御前か、シキへ行くなあ」 と、石でもぶっ欠くような勢いで聞いた。 「ええ」 と素直に答えたら、 「じゃ、いっしょに来ねえ」 と云う。 「この服装でも好いんですか」 と叮嚀に聞き返すと、 「いけねえ、いけねえ。そんな服装で這入れるもんか。ここへ親分とこから一枚借りて来てやったから、此服を着るがいい」 と云いながら、例の筒袖を抛り出した。 「そいつが上だ。こいつが股引だ。そら」 とまた股引を抛げつけた。取りあげて見ると、じめじめする。所々に泥が着いている。地は小倉らしい。自分もとうとうこの御仕着を着る始末になったんだなと思いながら、絣を脱いで上下とも紺揃になった。ちょっと見ると内閣の小使のようだが、心持から云うと、小使を拝命した時よりも遥に不景気であった。これで支度は出来たものと思込んで土間へ下りると、 「おっと待った」 と、初さんがまた勇み肌の声を掛けた。 「これを尻の所へ当てるんだ」  初さんが出してくれたものを見ると、三斗俵坊っちのような藁布団に紐をつけた変挺なものだ。自分は初さんの云う通り、これを臀部へ縛りつけた。 「それが、アテシコだ。好しか。それから鑿だ。こいつを腰ん所へ差してと……」  初さんの出した鑿を受け取って見ると、長さ一尺四五寸もあろうと云う鉄の棒で、先が少し尖っている。これを腰へ差す。 「ついでにこれも差すんだ。少し重いぜ。大丈夫か。しっかり受け取らねえと怪我をする」  なるほど重い。こんな槌を差してよく坑の中が歩けるもんだと思う。 「どうだ重いか」 「ええ」 「それでも軽いうちだ。重いのになると五斤ある。――いいか、差せたか、そこでちょっと腰を振って見な。大丈夫か。大丈夫ならこれを提げるんだ」 とカンテラを出しかけたが、 「待ったり。カンテラの前に一つ草鞋を穿いちまいねえ」  草鞋の新しいのが、上り口にある。さっき婆さんが振ら下げてたのは、大方これだろう。自分は素足の上へ草鞋を穿いた。緒を踵へ通してぐっと引くと、 「駑癡だなあ。そんなに締める奴があるかい。もっと指の股を寛めろい」 と叱られた。叱られながら、どうにか、こうにか穿いてしまう。 「さあ、これでいよいよおしまいだ」 と初さんは饅頭笠とカンテラを渡した。饅頭笠と云うのか筍笠というのか知らないが、何でも懲役人の被るような笠であった。その笠を神妙に被る。それからカンテラを提げる。このカンテラは提げるようにできている。恰好は二合入りの石油缶とも云うべきもので、そこへ油を注す口と、心を出す孔が開いてる上に、細長い管が食っついて、その管の先がちょっと横へ曲がると、すぐ膨らんだカップになる。このカップへ親指を突っ込んで、その親指の力で提げるんだから、指五本の代りに一本で事を済ますはなはだ実用的のものである。 「こう、穿めるんだ」 と初さんが、勝栗のような親指を、カンテラの孔の中へ突込んだ。旨い具合にはまる。 「そうら」  初さんは指一本で、カンテラを柱時計の振子のように、二三度振って見せた。なかなか落ちない。そこで自分も、同じように、調子をとって揺して見たがやっぱり落ちなかった。 「そうだ。なかなか器用だ。じゃ行くぜ、いいか」 「ええ、好ござんす」  自分は初さんに連れられて表へ出た。所が降っている。一番先へ笠へあたった。仰向いて、空模様を見ようとしたら、顎と、口と、鼻へぽつぽつとあたった。それからあとは、肩へもあたる。足へもあたる。少し歩くうちには、身体中じめじめして、肌へ抜けた湿気が、皮膚の活気で蒸し返される。しかし雨の方が寒いんで、身体のほとぼりがだんだん冷めて行くような心持であったが、坂へかかると初さんがむやみに急ぎ出したんで、濡れながらも、毛穴から、雨を弾き出す勢いで、とうとうシキの入口まで来た。  入口はまず汽車の隧道の大きいものと云って宜しい。蒲鉾形の天辺は二間くらいの高さはあるだろう。中から軌道が出て来るところも汽車の隧道に似ている。これは電車が通う路なんだそうだ。自分は入口の前に立って、奥の方を透かして見た。奥は暗かった。 「どうだここが地獄の入口だ。這入れるか」 と初さんが聞いた。何だか嘲弄の語気を帯びている。さっき飯場を出て、ここまで来る途中でも、方々の長屋の窓から首を出して、 「昨日のだ」 「新来だ」 と口々に罵っていたが、その様子を見ると単に山の中に閉じ込められて物珍らしさの好奇心とは思えなかった。その言葉の奥底にはきっと愚弄の意味がある。これを布衍して云うと、一つには貴様もとうとうこんな所へ転げ込んで来た、いい気味だ、ざまあ見ろと云う事になる。もう一つは御気の毒だが来たって駄目だよ。そんな脂っこい身体で何が勤まるものかと云う事にもなる。だから「昨日のだ」「新来だ」と騒ぐうちには、自分が彼らと同様の苦痛を甞めなければならないほど堕落したのを快く感ずると共に、とうていこの苦痛には堪えがたい奴だとの軽蔑さえ加わっている。彼らは他人を彼らと同程度に引き摺り落して喝采するのみか、ひとたび引き摺り落したものを、もう一返足の下まで蹴落して、堕落は同程度だが、堕落に堪える力は彼らの方がかえって上だとの自信をほのめかして満足するらしい。自分は途上「昨日のだ」と聞くたんびに、懲役笠で顔を半分隠しながら通り抜けて、シキの入口まで来た。そこで初さんがまた愚弄したんだから、自分は少しむっとして、 「這入れますとも。電車さえ通ってるじゃありませんか」 と答えた。すると初さんが、 「なに這入れる? 豪義な事を云うない」 と云った。ここで「這入れません」と恐れ入ったら、「それ見ろ」と直こなされるにきまってる。どっちへ転んでも駄目なんだから別に後悔もしなかった。初さんは、いきなり、シキの中へ飛び込んだ。自分も続いて這入った。這入って見ると、思ったよりも急に暗くなる。何だか足元がおっかなくなり出したには降参した。雨が降っていても外は明かるいものだ。その上軌道の上はとにかく、両側はすこぶる泥っている。それだのに初さんは中っ腹でずんずん行く。自分も負けない気でずんずん行く。 「シキの中でおとなしくしねえと、すのこの中へ抛り込まれるから、用心しなくっちゃあいけねえ」 と云いながら初さんは突然暗い中で立ち留った。初さんの腰には鑿がある。五斤の槌がある。自分は暗い中で小さくなって、 「はい」 と返事をした。 「よしか、分ったか。生きて出る料簡なら生意気にシキなんかへ這入らねえ方が増しだ」  これは向うむきになって、初さんが歩き出した時に、半分は独り言のように話した言葉である。自分は少からず驚いた。坑の中は反響が強いので、初さんの言葉がわんわんわんと自分の耳へ跳ねっ返って来る。はたして初さんの言う通りなら、飛んだ所へ這入ったもんだ。実は死ぬのも同然な職業であればこそ坑夫になろうと云う気も起して見たんだが、本当に死ぬなら――こんな怖い商売なら――殺されるんなら――すのこの中へ抛げ込まれるなら――すのことは全体どんなもんだろうと思い出した。 「すのことはどんなもんですか」 「なに?」 と初さんが後を振り向いた。 「すのことはどんなもんですか」 「穴だ」 「え?」 「穴だよ。――鉱を抛り込んで、纏めて下へ降げる穴だ。鉱といっしょに抛り込まれて見ねえ……」 で言葉を切ってまたずんずん行く。  自分はちょっと立ち留った。振り返ると、入口が小さい月のように見える。這入るときは、これがシキならと思った。聞いたほどでもないと思った。ところが初さんに威嚇かされてから、いかな平凡な隧道も、大いに容子が変って来た。懲役笠をたたく冷たい雨が恋しくなった。そこで振り返ると、入口が小さい月のように見える。小さい月のように見えるほど奥へ這入ったなと、振り返って始めて気がついた。いくら曇っていてもやっぱり外が懐かしい。真黒な天井が上から抑えつけてるのは心持のわるいものだ。しかもこの天井がだんだん低くなって来るように感ぜられる。と思うと、軌道を横へ切れて、右へ曲った。だらだら坂の下りになる。もう入口は見えない。振返っても真暗だ。小さい月のような浮世の窓は遠慮なくぴしゃりと閉って、初さんと自分はだんだん下の方へ降りて行く。降りながら手を延ばして壁へ触って見ると、雨が降ったように濡れている。 「どうだ、尾いて来るか」 と、初さんが聞いた。 「ええ」 とおとなしく答えたら、 「もう少しで地獄の三丁目へ来る」 と云ったなり、また二人とも無言になった。この時行く手の方に一点の灯が見えた。暗闇の中の黒猫の片眼のように光ってる。カンテラの灯なら散らつくはずだが、ちっとも動かない。距離もよく分らない。方角も真直じゃないが、とにかく見える。もし坑の中が一本道だとすれば、この灯を目懸けて、初さんも自分も進んで行くに違ない。自分は何にも聞かなかったが、大方これが地獄の三丁目なんだろうと思って、這入って行った。すると、だらだら坂がようやく尽きた。路は平らに向うへ廻り込む。その突き当りに例の灯が点いている。さっきは鼻の下に見えたが、今では眼と擦々の所まで来た。距離も間近くなった。 「いよいよ三丁目へ着いた」 と、初さんが云う。着いて見ると、坑が四五畳ほどの大さに広がって、そこに交番くらいな小屋がある。そうしてその中に電気灯が点いている。洋服を着た役人が二人ほど、椅子の対い合せに洋卓を隔てて腰を掛けていた。表には第一見張所とあった。これは坑夫の出入だの労働の時間だのを検査する所だと後から聞いて、始めて分ったんだが、その当時には何のための設備だか知らなかったもんだから、六七人の坑夫が、どす黒い顔を揃えて無言のまま、見張所の前に立っていたのを不審に思った。これは時間を待ち合わして交替するためである。自分は腰に鑿と槌を差してカンテラさえ提げてはいるが、坑夫志願というんで、シキの様子を見に這入っただけだから、まだ見習にさえ採用されていないと云う訳で、待ち合わす必要もないものと見えて、すぐこの溜を通り越した。その時初さんが見張所の硝子窓へ首を突っ込んで、ちょいと役人に断ったが、役人は別に自分の方を見向もしなかった。その代り立っていた坑夫はみんな見た。しかし役人の前を憚ってだろう、全く一言も口を利いたものはなかった。  溜を出るや否や坑の様子が突然変った。今までは立ってあるいても、背延びをしても届きそうにもしなかった天井が急に落ちて来て、真直に歩くと時々頭へ触るような気持がする。これがものの二寸も低かろうものなら、岩へぶつかって眉間から血が出るに違ないと思うと、松原をあるくように、ありったけの背で、野風雑にゃやって行けない。おっかないから、なるべく首を肩の中へ縮め込んで、初さんに食っついて行った。もっともカンテラはさっき点けた。  すると三尺ばかり前にいる初さんが急に四ん這いになった。おや、滑って転んだ。と思って、後から突っ掛かりそうなところを、ぐっと足を踏ん張った。このくらいにして喰い留めないと、坂だから、前へのめる恐がある。心持腰から上を反らすようにして、初さんの起きるのを待ち合わしていると、初さんはなかなか起きない。やっぱり這っている。 「どうか、しましたか」 と後から聞いた。初さんは返事もしない。――はてな――怪我でもしやしないかしら――もう一遍聞いて見ようか――すると初さんはのこのこ歩き出した。 「何ともなかったですか」 「這うんだ」 「え?」 「這うのだてえ事よ」 と初さんの声はだんだん遠くなってしまう。その声で自分は不審を打った。いくら向うむきでも、普通なら明かに聞きとられべき距離から出るのに、急に潜ってしまう。声が細いんじゃない。当り前の初さんの声が袋のなかに閉じ込められたように曖昧になる。こりゃただ事じゃないと気がついたから、透して見るとようやく分った。今までは尋常に歩けた坑が、ここでたちまち狭くなって、這わなくっちゃ抜けられなくなっている。その狭い入口から、初さんの足が二本出ている。初さんは今胴を入れたばかりである。やがて出ていた足が一本這入った。見ているうちにまた一本這入った。これで自分も四つん這いにならなくっちゃ仕方がないと諦めをつけた。「這うんだ」と初さんの教えたのもけっして無理じゃないんだから、教えられた通り這った。ところが右にはカンテラを提げている。左の手の平だけを惜気もなく氷のような泥だか岩だかへな土だか分らない上へぐしゃりと突いた時は、寒さが二の腕を伝わって肩口から心臓へ飛び込んだような気持がした。それでカンテラを下へ着けまいとすると、右の手が顔とすれすれになって、はなはだ不便である。どうしたもんだろうと、この姿勢のままじっとしていた。そうして、右の手で宙に釣っているカンテラを見た。ところへぽたりと天井からしずくが垂れた。カンテラの灯がじいと鳴った。油煙が顎から頬へかかる。眼へも這入った。それでもこの灯を見詰めていた。すると遠くの方でかあん、かあん、と云う音がする。坑夫が作業をしているに違ないが、どのくらい距離があるんだか、どの見当にあたるんだか、いっこう分らない。東西南北のある浮世の音じゃない。自分はこの姿勢でともかくも二三歩歩き出した。不便は無論不便だが、歩けない事はない。ただ時々しずくが落ちてカンテラのじいと鳴るのが気にかかる。初さんは先へ行ってしまった。頼はカンテラ一つである。そのカンテラがじいと鳴って水のために消えそうになる。かと思うとまた明かるくなる。まあよかったと安心する時分に、またぽたりと落ちて来る。じいと鳴る。消えそうになる。非常に心細い。実は今までも、しずくは始終垂れていたんだが、灯が腰から下にあるんで、いっこう気がつかなかったんだろう。灯が耳の近くへ来て、じいと云う音が聞えるようになってから急に神経が起って来た。だから這う方はなお遅くなる。しかもまだ三足しか歩いちゃいない。ところへ突然初さんの声がした。 「やい、好い加減に出て来ねえか。何をぐずぐずしているんだ。――早くしないと日が暮れちまうよ」  暗いなかで初さんはたしかに日が暮れちまうと云った。  自分は這いながら、咽喉仏の角を尖らすほどに顎を突き出して、初さんの方を見た。すると一間ばかり向うに熊の穴見たようなものがあって、その穴から、初さんの顔が――顔らしいものが出ている。自分があまり手間取るんで、初さんが屈んでこっちを覗き込んでるところであった。この一間をどうして抜け出したか、今じゃ善く覚えていない。何しろできるだけ早く穴まで来て、首だけ出すと、もう初さんは顔を引っ込まして穴の外に立っている。その足が二本自分の鼻の先に見えた。自分はやれ嬉しやと狭い所を潜り抜けた。 「何をしていたんだ」 「あんまり狭いもんだから」 「狭いんで驚いちゃ、シキへは一足だって踏ん込めっこはねえ。陸のように地面はねえ所だくらいは、どんな頓珍漢だって知ってるはずだ」  初さんはたしかに坑の中は陸のように地面のない所だと云った。この人は時々思い掛けない事を云うから、今度もたしかにとただし書をつけて、その確実な事を保証して置くんである。自分は何か云い訳をするたんびに、初さんから容赦なくやっつけられるんで、大抵は黙っていたが、この時はつい、 「でもカンテラが消えそうで、心配したもんですから」 と云っちまった。すると初さんは、自分の鼻の先へカンテラを差しつけて、徐に自分の顔を検査し始めた。そうして、命令を下した。 「消して見ねえ」 「どうしてですか」 「どうしてでも好いから、消して見ねえ」 「吹くんですか」  初さんはこの時大きな声を出して笑った。  自分は喫驚して稀有な顔をしていた。 「冗談じゃねえ。何が這入てると思う。種油だよ、しずくぐらいで消てたまるもんか」  自分はこれでやっと安心した。 「安心したか。ハハハハ」 と初さんがまた笑った。初さんが笑うたんびに、坑の中がみんな響き出す。その響が収まると前よりも倍静かになる。ところへかあん、かあんとどこかで鑿と槌を使ってる音が伝わって来る。 「聞えるか」 と、初さんが顋で相図をした。 「聞えます」 と耳を峙てていると、たちまち催促を受けた。 「さあ行こう。今度あ後れないように跟いて来な」  初さんはなかなか機嫌がいい。これは自分が一も二もなく初さんにやられているせいだろうと思った。いくら手苛くきめつけられても、初さんの機嫌がいいうちは結構であった。こうなると得になる事がすなわち結構という意味になる。自分はこれほど堕落して、おめおめ初さんの尻を嗅いで行ったら、路が左の方に曲り込んでまた峻しい坂になった。 「おい下りるよ」 と初さんが、後も向かず声を掛けた。その時自分は何となく東京の車夫を思い出して苦しいうちにもおかしかった。が初さんはそれとも気がつかず下り出した。自分も負けずに降りる。路は地面を刻んで段々になっている。四五間ずつに折れてはいるが、勘定したら愛宕様の高さぐらいはあるだろう。これは一生懸命になって、いっしょに降りた。降りた時にほっと息を吐くと、その息が何となく苦しかった。しかしこれは深い坑のなかで、空気の流通が悪いからとばかり考えた。実はこの時すでに身体も冒されていたんである。この苦しい息で二三十間来るとまた模様が変った。  今度は初さんが仰向けに手を突いて、腰から先を入れる。腰から入れるような芸をしなければ通れないほど、坑の幅も高さも逼って来たのである。 「こうして抜けるんだ。好く見て置きねえ」 と初さんが云ったと思ったら、胴も頭もずる、ずると抜けて見えなくなった。さすが熟練の功はえらいもんだと思いながら、自分もまず足だけ前へ出して、草鞋で探を入れた。ところが全く宙に浮いてるようで足掛りがちっともない。何でも穴の向うは、がっくり落か、それでなくても、よほど勾配の急な坂に違ないと見当をつけた。だから頭から先へ突っ込めばのめって怪我をするばかり、また足をむやみに出せば引っ繰り返るだけと覚ったから、足を棒のように前へ寝かして、そうして後へ手を突いた。ところがこの所作がはなはだ不味かったので、手を突くと同時に、尻もべったり突いてしまった。ぴちゃりと云った。アテシコを伝わって臀部へ少々感じがあった。それほど強く尻餅を搗いたと見える。自分はしまったと思いながらも直両足を前の方へ出した。ずるりと一尺ばかり振ら下げたが、まだどこへも届かない。仕方がないから、今度は手の方を前へ運ばせて、腰を押し出すように足を伸ばした。すると腿の所まで摺り落ちて、草鞋の裏がようやく堅いものに乗った。自分は念のためこの堅いものをぴちゃぴちゃ足の裏で敲いて見た。大丈夫なら手を離してこの堅いものの上へ立とうと云う料簡であった。 「何で足ばかり、ばたばたやってるんだ。大丈夫だから、うんと踏ん張って立ちねえな。意久地のねえ」 と、下から初さんの声がする。自分の胴から上は叱られると同時に、穴を抜けて真直に立った。 「まるで傘の化物のようだよ」 と初さんが、自分の顔を見て云った。自分は傘の化物とは何の意味だか分らなかったから、別に笑う気にもならなかった。ただ 「そうですか」 と真面目に答えた。妙な事にこの返事が面白かったと見えて、初さんは、また大きな声を出して笑った。そうして、この時から態度が変って、前よりは幾分か親切になった。偶然の事がどんな拍子で他の気に入らないとも限らない。かえって、気に入ってやろうと思って仕出かす芸術は大抵駄目なようだ。天巧を奪うような御世辞使はいまだかつて見た事がない。自分も我が身が可愛さに、その後いろいろ人の御機嫌を取って見たが、どうも旨い結果が出て来ない。相手がいくら馬鹿でも、いつか露見するから怖いもんだ。用意をして置いた挨拶で、この傘の化物に対する返事くらいに成功した場合はほとんどない。骨を折って失敗するのは愚だと悟ったから、近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしている。ただ困るのは演舌と文章である。あいつは骨を折って準備をしないと失敗する。その代りいくら骨を折ってもやっぱり失敗する。つまりは同じ事なんだが、骨を折った失敗は、人の気に入らないでも、自分の弱点が出ないから、まあ準備をしてからやる事にしている。いつかは初さんの気に入ったような演説をしたり、文章を書いて見たいが、――どうも馬鹿にされそうでいけないから、いまだにやらずにいる。――それはここには余計な事だから、このくらいでやめてまた初さんの話を続けて行く。  その時初さんは、笑いながら、下から、自分に向って、 「おい、そう真面目くさらねえで、早く下りて来ねえな。日は短えやな」 と云った。坑の中でカンテラを点けた、初さんはたしかに日は短えやなと云った。  自分が土の段を一二間下りて、初さんの立ってる所まで行くと、初さんは、右へ曲った。また段々が四五間続いている。それを降り切ると、今度は初さんが左へ折れる。そうしてまた段々がある。右へ折れたり左へ折れたり稲妻のように歩いて、段々を――さあ何町降りたか分らない。始めての道ではあるし、ことに暗い坑の中の事であるから自分には非常に長く思われた。ようやく段々を降り切って、だいぶ浮世とは縁が遠くなったと思ったら急に五六畳の部屋に出た。部屋と云っても坑を切り広げたもので、上と下がすぼまって、腹の所が膨らんでいるから、まるで酒甕の中へでも落込んだ有様である。あとから分った話だが、これは作事場と云うんで、技師の鑑定で、ここには鉱脈があるとなると、そこを掘り拡げて作事場にするんである。だから通り路よりは自然広い訳で、この作事場を坑夫が三人一組で、請負仕事に引受ける。二週間と見積ったのが、四日で済む事もあり、高が五日くらいと踏んだ作事に半月以上食い込む事もある。こう云う訳で、シキのなかに路ができて、路のはたに銅脈さえ見つかれば、御構なくそこだけを掘り抜いて行くんだから、電車の通るシキの入口こそ、平らでもあり、また一条でもあるが、下へ折れて第一見張所のあたりからは、右へも左へも条路ができて、方々に作事場が建つ。その作事をしまうと、また銅脈を見つけては掘り抜いて行くんだから、シキの中は細い路だらけで、また暗い坑だらけである。ちょうど蟻が地面を縦横に抜いて歩くようなものだろう。または書蠹が本を食うと見立てても差し支ない。つまり人間が土の中で、銅を食って、食い尽すと、また銅を探し出して食いにゆくんでむやみに路がたくさんできてしまったんである。だから、いくらシキの中を通っても、ただ通るだけで作事場へ出なければ坑夫には逢わない。かあんかあんという音はするが、音だけでは極めて淋しいものである。自分は初さんに連れられて、シキへ這入ったが、ただシキの様子を見るのが第一の目的であったためか、廻り道をして作事場へは寄らなかったと見えて、坑夫の仕事をしているところは、この段々の下へ来て、初めて見た。――稲妻形に段々を下りるときは、むやみに下りるばかりで、いくら下りても尽きないのみか、人っ子一人に逢わないものだから、はなはだ心細かったが、はじめて作事場へ出て、人間に逢ったら、大いに嬉しかった。  見ると丸太の上に腰をかけている。数は三人だった。丸太は四つや丸太で、軌道の枕木くらいなものだから、随分の重さである。どうして、ここまで運んで来たかとうてい想像がつかない。これは天井の陥落を防ぐため、少し広い所になると突っかい棒に張るために、シチュウが必要な作事場へ置いて行くんだそうだ。その上に二人腰を掛けて、残る一人が屈んで丸太へ向いている。そうして三人の間には小さな木の壺がある。伏せてある。一人がこの壺を上から抑えている。三人が妙な叫び声を出した。抑えた壺をたちまち挙げた。下から賽が出た。――ところへ自分と初さんが這入った。  三人はひとしく眼を上げて、自分と初さんを見た。カンテラが土の壁に突き刺してある。暗い灯が、ぎろりと光る三人の眼球を照らした。光ったものは実際眼球だけである。坑は固より暗い。明かるくなくっちゃならない灯も暗い。どす黒く燃えて煙を吹いている所は、濁った液体が動いてるように見えた。濁った先が黒くなって、煙と変化するや否や、この煙が暗いものの中に吸い込まれてしまう。だから坑の中がぼうとしている。そうして動いている。  カンテラは三人の頭の上に刺さっていた。だから三人のうちで比較的判然見えたのは、頭だけである。ところが三人共頭が黒いので、つまりは、見えないのと同じ事である。しかも三つとも集っていたから、なおさら変であったが、自分が這入るや否や、三つの頭はたちまち離れた。その間から、壺が見えたんである。壺の下から賽が見えたんである。壺と、賽と、三人の異な叫び声を聞いた自分は、次に三人の顔を見たんである。よくはわからない顔であった。一人の男は頬骨の一点と、小鼻の片傍だけが、灯に映った。次の男は額と眉の半分に光が落ちた。残る一人は総体にぼんやりしている。ただ自分の持っていた、カンテラを四五尺手前から真向に浴びただけである。――三人はこの姿勢で、ぎろりと眼を据えた。自分の方に。  ようやく人間に逢って、やれ嬉しやと思った自分は、この三対の眼球を見るや否や、思わずぴたりと立ち留った。 「手前は……」 と云い掛けて、一人が言葉を切った。残る二人はまだ口を開かない。自分も立ち留まったなり、答えなかった。――答えられなかった。すると 「新めえだ」 と、初さんが、威勢のいい返事をしてくれた。本当のところを白状すると、三人の眼球が光って、「手前は……」と聞かれた時は、初さんの傍にいる事も忘れて、ただおやっと思った。立すくむと云うのはこれだろう。立ちすくんで、硬くこわ張り掛けたところへ「新めえだ」と云う声がした。この声が自分の左の耳の、つい後から出て、向うへ通り抜けた時、なるほど初さんがついてたなと思い出した。それがため、こわ張りかけた手足も、中途でもとへ引き返した。自分は一歩傍へ退いた。初さんに前へ出てもらうつもりであった。初さんは注文通り出た。 「相変らずやってるな」 とカンテラを提げたまま、上から三人の真中に転がってる、壺と賽を眺めた。 「どうだ仲間入は」 「まあよそう。今日は案内だから」 と初さんは取り合わなかった。やがて、四つや丸太の上へうんとこしょと腰をおろして、 「少し休んで行くかな」 と自分の方を見た。立ちすくむまで恐ろしかった、自分は急に嬉しくなって元気が出て来た。初さんの側へ腰をおろす。アテシコの利目は、ここで始めて分った。旨い具合に尻が乗って、柔らかに局部へ応える。かつ冷えないで、結構だ。実はさっきから、眼が少し眩らんで――眩らんだか、眩らまないんだか、坑の中ではよく分らないが、何しろ好い気持ではなかったが、こう尻を掛けて落ちつくと、大きに楽になる。四人がいろいろな話をしている。 「広本へは新らしい玉が来たが知ってるか」 「うん、知ってる」 「まだ、買わねえか」 「買わねえ、お前は」 「おれか。おれは――ハハハハ」 と笑った。これは這入って来た時、顔中ぼんやり見えた男である。今でもぼんやり見える。その証拠には、笑っても笑わなくっても、顔の輪廓がほとんど同じである。 「随分手廻しがいいな」 と初さんもいささか笑っている。 「シキへ這入ると、いつ死ぬか分らねえからな。だれだって、そうだろう」 と云う答があった。この時、 「御互に死なねえうちの事だなあ」 と一人が云った。その語調には妙に咏嘆の意が寓してあった。自分はあまり突然のように感じた。  そうしているうちに、一間置いて隣りの男が突然自分に話しかけた。 「御前はどこから来た」 「東京です」 「ここへ来て儲けようたって駄目だぜ」 と他のが、すぐ教えてくれた。自分は長蔵さんに逢うや否や儲かる儲かるを何遍となく聞かせられて驚いたが、飯場へ着くが早いか、今度は反対に、儲からない儲からないで立てつづけに責められるんで、大いに辟易した。しかし地の底ではよもやそんな話も出まいと思ってここまで降りて来たが、人に逢えばまた儲からないを繰り返された。あんまり馬鹿馬鹿しいんで何とか答弁をしようかとも考えたが、滅多な事を云えば擲りつけられるだけだから、まあやめにして置いた。さればと云って返事をしなければまたやりつけられる。そこで、こう云った。 「なぜ儲からないんです」 「この銅山には神様がいる。いくら金を蓄めて出ようとしたって駄目だ。金は必ず戻ってくる」 「何の神様ですか」 と聞いて見たら、 「達磨だ」 と云って、四人ながら面白そうに笑った。自分は黙っていた。すると四人は自分を措いてしきりに達磨の話を始めた。約十分余りも続いたろう。その間自分はほかの事を考えていた。いろいろ考えたうちに一番感じたのは、自分がこんな泥だらけの服を着て、真暗な坑のなかに屈んでるところを、艶子さんと澄江さんに見せたらばと云う問題であった。気の毒がるだろうか、泣くだろうか、それともあさましいと云って愛想を尽かすだろうかと疑って見たが、これは難なく気の毒がって、泣くに違ないと結論してしまった。それで一目くらいはこの姿を二人に見せたいような気がした。それから昨夜囲炉裏の傍でさんざん馬鹿にされた事を思い出して、あの有様を二人に見せたらばと考えた。ところが今度は正反対で、二人共傍にいてくれないで仕合せだと思った。もし見られたらと想像して眼前に、意気地のない、大いに苛められている自分の風体と、ハイカラの女を二人描き出したら、はなはだ気恥ずかしくなって腋の下から汗が出そうになった。これで見ると、坑夫に堕落すると云う事実その物はさほど苦にならぬのみか、少しは得意の気味で、ただ坑夫になりたての幅の利かないところだけを、女に見せたくなかった訳になる。自分の器量を下げるところは、誰にも隠したいが、ことに女には隠したい。女は自分を頼るほどの弱いものだから、頼られるだけに、自分は器量のある男だと云う証拠をどこまでも見せたいものと思われる。結婚前の男はことにこの感じが深いようだ。人間はいくら窮した場合でも、時々は芝居気を出す。自分がアテシコを臀に敷いて、深い坑のなかで、カンテラを提げたまま、休んだ時の考えは、全く芝居じみていた。ある意味から云うと、これが苦痛の骨休めである。公然の骨休めとも云うべき芝居は全くここから発達したものと思う。自分は発達しない芝居の主人公を腹の中で演じて、落胆しながら得意がっていた。  ところへ突然肺臓を打ち抜かれたと思うくらいの大きな音がした。その音は自分の足の下で起ったのか、頭の上で起ったのか、尻を懸けた丸太も、黒い天井も一度に躍り上ったから、分からない。自分の頸と手と足が一度に動いた。縁側に脛をぶらさげて、膝頭を丁と叩くと、膝から下がぴくんと跳ねる事がある。この時自分の身体の動き方は全くこれに似ている。しかしこれよりも倍以上劇烈に来たような気がした。身体ばかりじゃない、精神がその通りである。一人芝居の真最中でとんぼ返りを打って、たちまち我れに帰った。音はまだつづいている。落雷を、土中に埋めて、自由の響きを束縛したように、渋って、焦って、陰に籠って、抑えられて、岩にあたって、包まれて、激して、跳ね返されて、出端を失って、ごうと吼えている。 「驚いちゃいけねえ」 と初さんが云った。そうして立ち上がった。自分も立ち上がった。三人の坑夫も立ち上がった。 「もう少しだ。やっちまうかな」 と、鑿を取り上げた。初さんと自分は作事場を出る。ところへ煙が来た。煙硝の臭が、眼へも鼻へも口へも這入った。噎せっぽくって苦しいから、後を向いたら、作事場ではかあん、かあんともう仕事を始めだした。 「なんですか」 と苦しい中で、初さんに聞いて見た。実はさっきの音が耳に応えた時、こりゃ坑内で大破裂が起ったに違ないから、逃げないと生命が危ないとまで思い詰めたくらいだのに、初さんはますます深く這入る気色だから、気味が悪いとは思ったが、何しろ自由行動のとれる身体ではなし、精神は無論独立の気象を具えていないんだから、いかに先輩だって逃げていい時分には、逃げてくれるだろうと安心して、後をつけて出ると、むっとするほどの煙が向うから吹いて来たんで、こりゃ迂濶深入はできないわと云う腹もあって、かたがた後を向く途端に、さっきの連中がもう、煙の中でかあん、かあん、鉱を叩いているのが聞えたんで、それじゃやっぱり安心なのかと、不審のあまりこの質問を起して見たんである。すると初さんは、煙の中で、咳を二つ三つしながら、 「驚かなくってもいい。ダイナマイトだ」 と教えてくれた。 「大丈夫ですか」 「大丈夫でねえかも知れねえが、シキへ這入った以上、仕方がねえ。ダイナマイトが恐ろしくっちゃ一日だって、シキへは這入れねえんだから」  自分は黙っていた。初さんは煙の中を押し分けるようにずんずん潜って行く。満更苦しくない事もないんだろうが、一つは新参の自分に対して、景気を見せるためじゃないかと思った。それとも煙は坑から坑へ抜け切って、陸の上なら、大抵晴れ渡った時分なのに、路が暗いんでいつまでも煙が這ってるように感じたり噎せっぽく思ったのかも知れない。そうすると自分の方が悪くなる。  いずれにしても苦いところを我慢して尾いて行った。また胎内潜りのような穴を抜けて、三四間ずつの段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股になっている。その条路の突き当りで、カラカラランと云う音がした。深い井戸へ石片を抛げ込んだ時と調子は似ているが、普通の井戸よりも、遥に深いように思われた。と云うものは、落ちて行く間に、側へ当って鳴る音が、冴えている。ばかりか、よほど長くつづく。最後のカラランは底の底から出て、出るにはよほど手間がかかる。けれども一本道を、真直に上へ抜けるだけで、ほかに逃道がないから、どんなに暇取っても、きっと出てくる。途中で消えそうになると、壁の反響が手伝って、底で出ただけの響は、いかに微な遠くであっても、洩らすところなく上まで送り出す。――ざっとこんな音である。カラララン。カカラアン。……  初さんが留った。 「聞えるか」 「聞えます」 「スノコへ鉱を落してる」 「はああ……」 「ついでだからスノコを見せてやろう」 と、急に思いついたような調子で、勢いよく初さんが、一足後へ引いて草鞋の踵を向け直した。自分が耳の方へ気を取られて、返事もしないうちに、初さんは右へ切れた。自分も続いて暗いなかへ這入る。  折れた路はわずか四尺ほどで行き当る。ところをまた右へ廻り込むと、一間ばかり先が急に薄明るく、縦にも横にも広がっている。その中に黒い影が二つあった。自分達がその傍まで近づいた時、黒い影の一つが、左の足と共に、精一杯前へ出した力を後へ抜く拍子に、大きな箕を、斜に抛げ返した。箕は足掛りの板の上に落ちた。カカン、カラカランと云う音が遠くへ落ちて行く。一尺前は大きな穴である。広さは畳二畳敷ぐらいはあるだろう。箕に入れたばらの鉱を、掘子が抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立っている。微なカンテラに照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面に濡れて、濡れた所だけがきらきら光っている。 「覗いて見ろ」  初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。 「もっと、出ろ」 と初さんが後から催促する。自分は躊躇した。これでさえ踏板が外れれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ飛び退く手間が一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地の十間にも当る。自分は何分にも躊躇した。 「出ろやい。吝な野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」 と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入るんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ち応えていた。すると、 「おい邪魔だ。ちょっと退きな」 と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰で支えながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこの体を見て、すぐ傍へ避けた。そうして比較的安全な、板が折れても差支なく地面へ飛び退けるほどの距離まで退いた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑がるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。縁から二尺ばかり手前まで出て、足を揃えたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰もない。と思うと遠くでどさっと云った。俵は底まで落切ったと見える。 「どうだ、あの芸が出来るか」 と初さんが聞いた。自分は、 「そうですねえ」 と首を曲げて、恐れ入ってた。すると初さんも掘子もみんな笑い出した。自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。その時初さんがこんな事を云って聞かした。 「何になっても修業は要るもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。お前が掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりで抛げ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心の穴へは這入りゃしねえ。そうして、鉱の重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑だ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」 と云い掛けると、ほかの男が、 「二三度スノコへ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」 と笑った。  後戻をして元の路へ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。初さんと自分は真直に坂を下りる。下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。 「おい。まだ下りられるか」 と聞く。実はよほど前から下りられない。しかし中途で降参したら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落つけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程はけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。御免蒙ろうかしらと考えた。こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩れる場合のうちでもっとも顕著なる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。  前申す通り自分は初さんの顔を見た。すると、下りようじゃないかと云う親密な情合も見えない。下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。是非下ろして見せると云う威嚇もあらわれていない。下りたかろうと焦らす気色は無論ない。ただ下りられまいと云う侮辱の色で持ち切っている。それは何ともなかった。しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題が潜んでいる。この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。自分は窒息しても下りなければならない。 「下りましょう」 と思い切って、云った。初さんは案に相違の様子であったが、 「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」 と穏かに同意の意を表した。なるほど危ないはずだ。九十度の角度で切っ立った、屏風のような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。梯子が懸ってる。勾配も何にもない。こちらの壁にぴったり食っついて、棒を空にぶら下げたように、覗くと端が見えかねる。どこまで続いてるんだか、どこで縛りつけてあるんだか、まるで分らない。 「じゃ、己が先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」 と初さんが云った。初さんがこれほど叮嚀な言葉を使おうとは思いも寄らなかった。おおかた神妙に下りましょうと出たんで、幾分か憐愍の念を起したんだろう。やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。そうして屈んだ。と思うと、足からだんだん這入って行く。しまいには顔だけが残った。やがてその顔も消えた。顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下した。初さんは下りて行く。黒い頭とカンテラの灯だけが見える。その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下り損なうかも知れない。面目ない事が出来する。早くするに越した分別はないと決心して、いきなり後ろ向になって初さんのように、膝を地につけて、手で摺り下りながら、草鞋の底で段々を探った。  両手で第一段目を握って、足を好加減な所へ掛けると、背中が海老のように曲った。それから、そろそろ足を伸ばし出した。真直に立つと、カンテラの灯が胸の所へ来る。じっとしていると燻されてしまう。仕方がないから、片足下げる。手もこれに応じて握り更えなくっちゃならない。おろそうとすると、指で提げてるカンテラが、とんだところで、始末の悪いように動く。滅多に振ると、着物が焼けそうになる。大事を取ると壁へぶつかって灯が揉み潰されそうになる。親指へカップを差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。その上梯子の幅は狭い。段と段の間がすこぶる長い。一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。そこへもって来て恐怖が手伝う。そうして握り直すたんびに、段木がぬらぬらする。鼻を押しつけるようにして、乏しい灯で透かして見ると、へな土が一面に粘いている。上り下りの草鞋で踏つけたものと思われる。自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下を覗いた。よせば善かったが、つい覗いた。すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。これは死ぬかも知れない。死んじゃ大変だと、噛りついたなり、いきなり眼を閉った。石鹸球の大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前に湧いて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。しかし現にいる。そうして降りて行く。いかにも不思議であった。今考えると、目舞のする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡て、死ぬ方が怖くなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。その当時は夢中である。坑は暗い、命は惜しい、頭は乱れている。生きてるか死んでるか判然しない。そこへ初さんが降りて行く。眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。するとやはり初さんが降りている。しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈もしなかったんで、よくよく眸を据えて見ると、まさに向う側を降りて行く。はてなと思った。ところへカンテラがまたじいと鳴った。保証つきの灯火だが、こうなるとまた心細い。初さんはずんずん行くようだ。自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。そこでぬるぬるする段木を握り更え、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。踏んで見たがやッぱり土だ。念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子は全く尽きている。踏んでいる土も幅一尺で切れている。あとは筒抜の穴だ。その代り今度は向側に別の梯子がついている。手を延ばすと届くように懸けてある。仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。そうして出来るだけ早く降りた。長さは前のと同様である。するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。どうも是非に及ばない。また移った。やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。ほとんど際限がない。自分が六つめの梯子まで来た時は、手が怠くなって、足が悸え出して、妙な息が出て来た。下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。見れば見るほど真闇だ。自分のカンテラへはじいじいと点滴が垂れる。草鞋の中へは清水がしみ込んで来る。  しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏み外しかねぬ。けれども下りるだけ下りなければ、のめって逆さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。あの力の出所はとうてい分らない。しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染み出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚めると、また五六頁は読めると同じ具合だと思う。こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。下読をする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。ちょうど十五あった。十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。しかし幸い一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。しかも、例のように無敵な文句は並べずに、 「どうだ苦しかったか」 と聞いてくれた。自分は全く苦しいんだから、 「苦しいです」 と答えた。次に初さんが、 「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」 と奨励した。次に自分は、 「また梯子があるんですか」 と聞いた。すると初さんが、 「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」 と好意的の笑を洩らした。そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。ぴちゃぴちゃと云う音がする。カンテラの灯で照らして見ると、下谷辺の溝渠が溢れたように、薄鼠になってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨にも水の中へ落さなくっちゃならない。片足を揚げると、五位鷺のようにそのままで立っていたくなる。それでも仕方なしに草鞋の裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚の鰭のような波が立つ。その片側がカンテラの灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。せっかく平になった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。魚の鰭がまた光る。こう云う風にして、奥へ奥へと這入って行くと、水はだんだん深くなる。ここを潜り抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急に脛まで来た。この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがして膝まで漬かっちまう。こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。膝で切る波が渦を捲いて流れる。その渦がだんだん股の方へ押し寄せてくる。全く危険だと思った。ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今に坑のなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。しかるに初さんは辟易した体もなく、さっさと泥水を分けて行く。 「大丈夫なんですか」 と後から聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。自分の考えるところによると、いくら銅山でも水に漬かっていては、仕事ができるはずがない。こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。いずれにしても災難だと、不安の念に冒されながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。 「まだ這入るんですか」 と、自分はたまらなくなったから、後から初さんを呼び留めた。この声は普通の質問の声ではない。吾身を思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。だから、いざと云う間際には単音の叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前を憚るだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。カンテラを高く差し上げる。眸を据えると初さんの眉の間に八の字が寄って来た。しかも口元は笑っている。 「どうした。降参したか」 「いえ、この水が……」 と自分は、腰の辺を、物凄そうに眺めた。初さんは毫も感心しない。やっぱりにこにこしている。出水の往来を、通行人が尻をまくって面白そうに渉る時のように見えた。自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、 「大丈夫でしょうか」 を繰返した。この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目になって、 「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」 となかなか承知しないから、仕方なしに、股まで濡らしてついて行った。たださえ暗い坑の中だから、思い切った喩を云えば、頭から暗闇に濡れてると形容しても差支ない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水は踝からだんだん競り上がって来る。今では腰まで漬かっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体が腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内の所を海鼠のようについて行った。すると、右の方に穴があって、洞のように深く開いてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場に違いない。初さんは、穴の前に立ったまま、 「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」 と聞いた。自分は、胸が水に浸るまで、屈んで洞の中を覗き込んだ。すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、微な灯を無理に広い間へ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇に圧倒されて、茫然と濁っている体であった。その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついている辺から、かあんかあんと云う音が出た。洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水に跳ね返ったものが、纏まって穴の口から出て来る。水も出てくる。天井の暗い割には水の方に光がある。 「這入って見るか」 と云う。自分はぞっと寒気がした。 「這入らないでも好いです」 と答えた。すると初さんが、 「じゃ止めにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」 と但し書をつけて、一応自分の顔をとくと見た。自分は案の定釣り出された。 「明日っから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」 「そうさなあ」 と考えていた初さんは、 「一昼夜に三回の交替だからな」 と説明してくれた。一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。自分は黒い水の上へ眼を落した。 「大丈夫だ。心配しなくってもいい」  初さんは突然慰めてくれた。気の毒になったんだろう。 「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」 「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」 「どうしてですか」 「好いてえ事よ」 と初さんは歩き出した。自分も黙って歩き出した。二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。 「新前は大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」 と云いながら、にやにやと笑った。自分もにやにやと笑った。 「安心したか」 と初さんがまた聞いた。仕方がないから、 「ええ」 と返事をして置いた。初さんは大得意であった。時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。爪先で探ると段々がある。一つ、二つと勘定すると三つ目で、水は踝まで落ちた。それで平らに続いている。意外に早く高い所へ出たんで、非常に嬉しかった。それから先は、とんとん拍子に嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコから落ちて来た鉱を聚めて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキの外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙った。いくら面白く運転する器械でも、明日の自分に用のない所は見る気にならなかった。器械を見ないとするとこれで、まあ坑内の模様を一応見物した訳になる。そこで案内の初さんが帰るんだと云う通知を与えてくれた。腰きり水に漬かるのは、いかな初さんも一度でたくさんだと見えて、帰りには比較的濡れないで済む路を通ってくれた。それでも十間ほどは腫ら脛まで水が押し寄せた。この十間を通るときに、様子を知らない自分はまた例の所へ来たなと感づいて、往きに臍の近所が氷りつきそうであった事を思い出しつつ、今か今かと冷たい足を運んで行ったが、の嘴と善い方へばかり、食い違って、行けば行くほど、水が浅くなる。足が軽くなる。ついにはまた乾いた路へ出てしまった。初さんに、 「もう済んだでしょうか」 と聞いて見ると、初さんはただ笑っていた。その時は自分も愉快だったが、しばらくすると、例の梯子の下へ出た。水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、――せめて帰り路だけでも好いから、遁れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分は蜀の桟道と云う事を人から聞いて覚えていた。この梯子は、桟道を逆に釣るして、未練なく傾斜の角度を抜きにしたものである。自分はそこへ来ると急に足が出なくなった。突然脚気に罹ったような心持になると、思わず、腰を後へ引っ張られた。引っ張られたのは初さんに引っ張られたのかと思う読者もあるかもしれないが、そうじゃない。そう云う気分が起ったんで、強いて形容すれば、疝気に引っ張られたとでも叙したら善かろう。何しろ腰が伸せない。もっともこれは逆桟道の祟りだと一概に断言する気でもない、さっきから案内の初さんの方で、だいぶ御機嫌が好いので、相手の寛大な御情につけ上って、奮発の箍がしだいしだいに緩んだのもたしかな事実である。何しろ歩けなくなった。この腰附を見ていた初さんは、 「どうだ歩けそうもねえな。まるで屁っぴり腰だ。ちっと休むが好い。おれは遊びに行って来るから」 と云ったぎり、暗い所を潜って、どこへか出て行った。  あとは云うまでもなく一人になる。自分はべっとりと、尻を地びたへ着けた。アテシコはこう云うときに非常に便利になる。御蔭で、岩で骨が痛んだり、泥で着物が汚れたりする憂いがないだけ、惨憺なうちにも、まだ嬉しいところがあった。そうして、硬く曲った背中を壁へ倚たせた。これより以上は横のものを竪にする気もなかった。ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。身体が動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方相び合って、生死の間に彷徨していたと見えて、しばらくは万事が不明瞭であった。始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心が昏くなる。と坑のなかの暗いのも忘れてしまう。どっちがどっちだか分らなくなって朦朧のうちに合体稠和して来た。しかしけっして寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気であるから、いくら不透明でも正気は失わない。ちょうど差し向いの代りに、電話で話しをするくらいの程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。かように水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日が烈し過ぎて困る自分には――東京にも田舎にもおり終せない自分には――煩悶の解熱剤を頓服しなければならない自分には――神経繊維の端の端まで寄って来た過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。長蔵さんに引張られながら、道々空想に描いた坑夫生活よりも、たしかに上等の天国である。もし駆落が自滅の第一着なら、この境界は自滅の――第何着か知らないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場である。自分は初さんに置いて行かれた少時の休憩時間内に、図らずもこの自滅の手前まで、突然釣り込まれて、――まあ、どんな心持がしたと思う。正直に云えば嬉しかった。しかし嬉しいと云う自覚は十倍の水に溶き交ぜられた正気の中に遊離しているんだから、ほかの娑婆気と同じく、劇烈には来ない。やっぱり稀薄である。けれど自覚はたしかにあった。正気を失わないものが、嬉しいと云う自覚だけを取り落す訳がない。自分の精神状態は活動の区域を狭められた片輪の心的現象とは違う。一般の活動を恣にする自由の天地はもとのごとくに存在して、活動その物の強度が滅却して来たのみだから、平常の我とこの時の我との差はただ濃淡の差である。その最も淡い生涯の中に、淡い喜びがあった。  もしこの状態が一時間続いたら、自分は一時間の間満足していたろう。一日続いたら一日の間満足したに違ない。もし百年続いたにしても、やっぱり嬉しかったろう。ところが――ここでまた新しい心の活作用に現参した。  というのはあいにく、この状態が自分の希望通同じ所に留っていてくれなかった。動いて来た。油の尽きかかったランプの灯のように動いて来た。意識を数字であらわすと、平生十のものが、今は五になって留まっていた。それがしばらくすると四になる。三になる。推して行けばいつか一度は零にならなければならない。自分はこの経過に連れて淡くなりつつ変化する嬉しさを自覚していた。この経過に連れて淡く変化する自覚の度において自覚していた。嬉しさはどこまで行っても嬉しいに違ない。だから理窟から云うと、意識がどこまで降って行こうとも、自分は嬉しいとのみ思って、満足するよりほかに道はないはずである。ところがだんだんと競りおろして来て、いよいよ零に近くなった時、突然として暗中から躍り出した。こいつは死ぬぞと云う考えが躍り出した。すぐに続いて、死んじゃ大変だと云う考えが躍り出した。自分は同時に、かっと眼を開いた。  足の先が切れそうである。膝から腰までが血が通って氷りついている。腹は水でも詰めたようである。胸から上は人間らしい。眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思うと、「死ぬぞ、死んじゃ大変だ」までが順々につながって来て、そこで、ぷつりと切れている。切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作になる。つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやって、やってからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れている。それで全く続いている。続いている証拠には、眼を開いて、身の周囲を見た時に、「死ぬぞ……」と云う声が、まだ耳に残っていた。たしかに残っていた。自分は声だの耳だのと云う字を使うが、ほかには形容しようがないからである。形容どころではない、実際に「死ぬぞ……」と注意してくれた人間があったとしきゃ受け取れなかった。けれども、人間は無論いるはずはなし。と云って、神――神は大嫌だ。やっぱり自分が自分の心に、あわてて思い浮べたまでであろうが、それほど人間が死ぬのを苦に病んでいようとは夢にも思い浮べなかった。これだから自殺などはできないはずである。こう云う時は、魂の段取が平生と違うから、自分で自分の本能に支配されながら、まるで自覚しないものだ。気をつけべき事と思う。この例なども、解釈のしようでは、神が助けてくれたともなる。自分の影身につき添っている――まあ恋人が多いようだが――そう云う人々の魂が救ったんだともなる。年の若い割に、自分がこの声を艶子さんとも澄江さんとも解釈しなかったのは、己惚の強い割には感心である。自分は生れつきそれほど詩的でなかったんだろう。  そこへ初さんがひょっくり帰って来た。初さんを見るが早いか、自分の意識はいよいよ明瞭になった。これから例の逆桟道を登らなくっちゃならない事も、明日から、鑿と槌でかあんかあんやらなくっちゃならない事も、南京米も、南京虫も、ジャンボーも達磨も一時に残らず分ってしまい、そうして最後に自分の堕落がもっとも明かに分った。 「ちったあ気分は好いか」 「ええ少しは好いようです」 「じゃ、そろそろ登ってやろう」 と云うから、礼を云って立っていると、初さんは景気よく段木を捕えて片足踏ん掛けながら、 「登りは少し骨が折れるよ。そのつもりで尾いて来ねえ」 と振り返って、注意しながら登り出した。自分は何となく寒々しい心持になって、下から見上げると、初さんは登って行く。猿のように登って行く。そろそろ登ってくれる様子も何もありゃしない。早くしないとまた置いてきぼりを食う恐れがある。自分も思い切って登り出した。すると二三段足を運ぶか運ばないうちになるほどと感心した。初さんの云う通り非常に骨が折れる。全く疲れているばかりじゃない。下りる時には、胸から上が比較的前へ出るんで、幾分か背の重みを梯子に託する事ができる。しかし上りになると、全く反対で、ややともすると、身体が後へ反れる。反れた重みは、両手で持ち応えなければならないから、二の腕から肩へかけて一段ごとに余分の税がかかる。のみならず、手の平と五本の指で、この〆高を握らなければならない。それが前に云った通りぬるぬるする。梯子を一つ片づけるのは容易の事ではない。しかもそれが十五ある。初さんは、とっくの昔に消えてなくなった。手を離しさえすれば真暗闇に逆落しになる。離すまいとすれば肩が抜けるばかりだ。自分は七番目の梯子の途中で火焔のような息を吹きながら、つくづく労働の困難を感じた。そうして熱い涙で眼がいっぱいになった。  二三度上瞼と下瞼を打ち合して見たが、依然として、視覚はぼうっとしている。五寸と離れない壁さえたしかには分らない。手の甲で擦ろうと思うが、あやにく両方とも塞がっている。自分は口惜くなった。なぜこんな猿の真似をするように零落れたのかと思った。倒れそうになる身体を、できるだけ前の方にのめらして、梯子に倚れるだけ倚れて考えた。休んだと註釈する方が適当かも知れない。ただ中途で留まったと云い切ってもよろしい。何しろ動かなくなった。また動けなくなった。じっとして立っていた。カンテラのじいと鳴るのも、足の底へ清水が沁み込むのも、全く気がつかなかった。したがって何分過ったのかとんと感じに乗らない。するとまた熱い涙が出て来た。心が存外たしかであるのに、眼だけが霞んでくる。いくら瞬をしても駄目だ。湯の中に眸を漬けてるようだ。くしゃくしゃする。焦心たくなる。癇が起る。奮興の度が烈しくなる。そうして、身体は思うように利かない。自分は歯を食い締って、両手で握った段木を二三度揺り動かした。無論動きゃしない。いっその事、手を離しちまおうかしらん。逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片がついていい。とむらむらと死ぬ気が起った。――梯子の下では、死んじゃ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になったのは、自分の生涯における心理推移の現象のうちで、もっとも記憶すべき事実である。自分は心理学者でないから、こう云う変化を、どう説明したら適切であるか知らないけれども、心理学者はかえって、実際の経験に乏しいようにも思うから、杜撰ながら、一応自分の愚見だけを述べて、参考にしたい。  アテシコを尻に敷いて、休息した時は、始めから休息する覚悟であった。から心に落ちつきが有る。刺激が少い。そう云う状態で壁へ倚りかかっていると、その状態がなだらかに進行するから、自然の勢いとしてだんだん気が遠くなる。魂が沈んで行く。こう云う場合における精神運動の方向は、いつもきまったもので、必ず積極から出立してしだいに消極に近づく径路を取るのが普通である。ところがその普通の径路を行き尽くして、もうこれがどん詰だと云う間際になると、魂が割れて二様の所作をする。第一は順風に帆を上げる勢いで、このどん底まで流れ込んでしまう。するとそれぎり死ぬ。でなければ、大切の手前まで行って、急に反対の方角に飛び出してくる。消極へ向いて進んだものが、突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。すると、命がたちまち確実になる。自分が梯子の下で経験したのはこの第二に当る。だから死に近づきながら好い心持に、三途のこちら側まで行ったものが、順路をてくてく引き返す手数を省いて、急に、娑婆の真中に出現したんである。自分はこれを死を転じて活に帰す経験と名づけている。  ところが梯子の中途では、全くこれと反対の現象に逢った。自分は初さんの後を追っ懸けて登らなければならない。その初さんは、とっくに見えなくなってしまった。心は焦る、気は揉める、手は離せない。自分は猿よりも下等である。情ない。苦しい。――万事が痛切である。自覚の強度がしだいしだいに劇しくなるばかりである。だからこの場合における精神運動の方向は、消極より積極に向って登り詰める状態である。さてその状態がいつまでも進行して、奮興の極度に達すると、やはり二様の作用が出る訳だが、とくに面白いと思うのはその一つ、――すなわち積極の頂点からとんぼ返りを打って、魂が消極の末端にひょっくり現われる奇特である。平たく云うと、生きてる事実が明瞭になり切った途端に、命を棄てようと決心する現象を云うんである。自分はこれを活上より死に入る作用と名けている。この作用は矛盾のごとく思われるが実際から云うと、矛盾でも何でも、魂の持前だから存外自然に行われるものである。論より証拠発奮して死ぬものは奇麗に死ぬが、いじけて殺されるものは、どうも旨く死に切れないようだ。人の身の上はとにかく、こう云う自分が好い証拠である。梯子の途中で、ええ忌々しい、死んじまえと思った時は、手を離すのが怖くも何ともなかった。無論例のごとくどきんなどとはけっしてしなかった。ところがいざ死のうとして、手を離しかけた時に、また妙な精神作用を承当した。  自分は元来が小説的の人間じゃないんだが、まだ年が若かったから、今まで浮気に自殺を計画した時は、いつでも花々しくやって見せたいと云う念があった。短銃でも九寸五分でも立派に――つまり人が賞めてくれるように死んでみたいと考えていた。できるならば、華厳の瀑まででも出向きたいなどと思った事もある。しかしどうしても便所や物置で首を縊るのは下等だと断念していた。その虚栄心が、この際突然首を出した。どこから出したか分らないが、出した。つまり出すだけの余地があったから出したに相違あるまいから、自分の決心はいかに真面目であったにしても、さほど差し逼ってはいなかったんだろう。しかしこのくらい断乎として、現に梯子段から手を離しかけた、最中に首を出すくらいだから、相手もなかなか深い勢力を張っていたに違ない。もっともこれは死んで銅像になりたがる精神と大した懸隔もあるまいから、普通の人間としては別に怪しむべき願望とも思わないが、何しろこの際の自分には、ちと贅沢過ぎたようだ。しかしこの贅沢心のために、自分は発作性の急往生を思いとまって、不束ながら今日まで生きている。全く今はの際にも弱点を引張っていた御蔭である。  話すとこうなる。――いよいよ死んじまえと思って、体を心持後へ引いて、手の握をゆるめかけた時に、どうせ死ぬなら、ここで死んだって冴えない。待て待て、出てから華厳の瀑へ行けと云う号令――号令は変だが、全く号令のようなものが頭の中に響き渡った。ゆるめかけた手が自然と緊った。曇った眼が、急に明かるくなった。カンテラが燃えている。仰向くと、泥で濡れた梯子段が、暗い中まで続いている。是非共登らなければならない。もし途中で挫折すれば犬死になる。暗い坑で、誰も人のいない所で、日の目も見ないで、鉱と同じようにころげ落ちて、それっきり忘れられるのは――案内の初さんにさえ忘れられるのは――よし見つかっても半獣半人の坑夫共に軽蔑されるのは無念である。是非共登り切っちまわなければならない。カンテラは燃えている。梯子は続いている。梯子の先には坑が続いている。坑の先には太陽が照り渡っている。広い野がある、高い山がある。野と山を越して行けば華厳の瀑がある。――どうあっても登らなければならない。  左の手を頭の上まで伸ばした。ぬらつく段木を指の痕のつくほど強く握った。濡れた腰をうんと立てた。同時に右の足を一尺上げた。カンテラの灯は暗い中を竪に動いて行く。坑は層一層と明かるくなる。踏み棄てて去る段々はしだいしだいに暗い中に落ちて行く。吐く息が黒い壁へ当る。熱い息である。そうして時々は白く見えた。次には口を結んだ。すると鼻の奥が鳴った。梯子はまだ尽きない。懸崖からは水が垂れる。ひらりとカンテラを翻えすと、崖の面を掠めて弓形にじいと、消えかかって、手の運動の止まる所へ落ちついた時に、また真直に油煙を立てる。また翻えす。灯は斜めに動く。梯子の通る一尺幅を外れて、がんがらがんの壁が眼に映る。ぞっとする。眼が眩む。眼を閉って、登る。灯も見えない、壁も見えない。ただ暗い。手と足が動いている。動く手も動く足も見えない。手障足障だけで生きて行く。生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きる事であった。それでも――梯子はまだある。  それから先はほとんど夢中だ。自分で登ったのか、天佑で登ったのかほとんど判然しない。ただ登り切って、もう一段も握る梯子がないと云う事を覚った時に、坑の中へぴたりと坐った。 「どうした。上がって来たか。途中で死にゃしねえかと思って、――あんまり長えから。見に行こうかと思ったが、一人じゃ気味がわるいからな。だけども、好く上がって来たな。えらいや」 と待ちかねて、もじもじしていた初さんが大いに喜んでくれた。何でも梯子の上でよっぽど心配していたらしい。自分はただ、 「少し気分が悪るかったから途中で休んでいました」 と答えた。 「気分が悪い? そいつあ困ったろう。途中って、梯子の途中か」 「ええ、まあそうです」 「ふうん。じゃ明日は作業もできめえ」  この一言を聞いた時、自分は糞でも食えと思った。誰が土竜の真似なんかするものかと思った。これでも美しい女に惚れられたんだと思った。坑を出れば、すぐ華厳の瀑まで行くんだと思った。そうして立派に死ぬんだと思った。最後に半時もこんな獣を相手にしていられるものかと思った。そこで、自分は初さんに向って、簡単に、 「よければ上がりましょう」 と云った。初さんは怪訝な顔をした。 「上がる? 元気だなあ」  自分は「馬鹿にするねえ、この明盲目め。人を見損なやがって」と云いたかった。しかし口だけは叮嚀に、一言、 「ええ」 と返事をして置いた。初さんはまだぐずぐずしている。驚いたと云うよりも、やっぱり馬鹿にしたぐずつき方である。 「おい大丈夫かい。冗談じゃねえ。顔色が悪いぜ」 「じゃ僕が先へ行きましょう」 と自分はむっとして歩き出した。 「いけねえ、いけねえ。先へ行っちゃいけねえ、後から尾いて来ねえ」 「そうですか」 「当前だあな。人つけ。誰が案内を置き去にして、先へ行く奴があるかい、何でい」 と初さんは、自分を払い退けないばかりにして、先へ出た。出たと思うと急に速力を増した。腰を折ったり、四つに這ったり、背中を横っ丁にしたり、頭だけ曲げたり、坑の恰好しだいでいろいろに変化する。そうして非常に急ぐ。まるで土の中で生れて、銅脈の奥で教育を受けた人間のようである。畜生中っ腹で急ぎやがるなと、こっちも負けない気で歩き出したが、そこへ行くと、いくら気ばかり張っていても駄目だ。五つ六つ角を曲って、下りたり上ったり、がたつかせているうちに、初さんは見えなくなった。と思うと、何とかして、何とか、てててててと云う歌を唄う。初さんの姿が見えないのに、初さんの声だけは、坑の四方へ反響して、籠ったように打ち返してくる。意地の悪い野郎だと思った。始めのうちこそ、追っついてやるから今に見ていろと云う勢で、根限り這ったり屈んだりしたが、残念な事には初さんの歌がだんだん遠くへ行ってしまう。そこで自分は追いつく事はひとまず断念して、初さんのてててててを道案内にして進む事にした。当分はそれで大概の見当がついたが、しまいにはそのててててても怪しくなって、とうとうまるで聞えなくなった時には、さすがに茫然とした。一本道なら初さんなんどを頼りにしなくっても、自力で日の当る所まで歩いて出て見せるが、何しろ、長年掘荒した坑だから、まるで土蜘蛛の根拠地みたようにいろいろな穴が、とんでもない所に開いている。滅多な穴へ這入るとまた腰きり水に漬る所か、でなければ、例の逆さの桟道へ出そうで容易に踏み込めない。  そこで自分は暗い中に立ち留って、カンテラの灯を見詰めながら考えた。往きには八番坑まで下りて行ったんだから帰りには是非共電車の通る所まで登らなければならない。どんな穴でも上りならば好いとする。その代り下りなら引返して、また出直す事にする。そうして迂路ついていたら、どこかの作事場へ出るだろう。出たら坑夫に聞くとしよう。こう決心をして、東西南北の判然しない所を好い加減に迷ついていた。非常に気が急いて息が切れたが、めちゃめちゃに歩いたために足の冷たいのだけは癒った。しかしなかなか出られない。何だか同じ路を往ったり来たりするような案排で、あんまり、もどかしものだから、壁へ頭をぶつけて割っちまいたくなった。どっちを割るんだと云えば無論頭を割るんだが、幾分か壁の方も割れるだろうくらいの疳癪が起った。どうも歩けば歩くほど天井が邪魔になる、左右の壁が邪魔になる。草鞋の底で踏む段々が邪魔になる。坑総体が自分を閉じ込めて、いつまで立っても出してくれないのがもっとも邪魔になる。この邪魔ものの一局部へ頭を擲きつけて、せめて罅でも入らしてやろうと――やらないまでも時々思うのは、早く華厳の瀑へ行きたいからであった。そうこうしているうちに、向うから一人の掘子が来た。ばらの銅をスノコへ運ぶ途中と見えて例の箕を抱いてよちよちカンテラを揺りながら近づいた。この灯を見つけた時は、嬉しくって胸がどきりと飛び上がった。もう大丈夫と勇んで近寄って行くと、近寄るがものはない、向うでもこっちへ歩いて来る。二つのカンテラが一間ばかりの距離に近寄った時、待ち受けたように、自分は掘子の顔を見た。するとその顔が非常な蒼ん蔵であった。この坑のなかですら、只事とは受取れない蒼ん蔵である。あかるみへ出して、青い空の下で見たら、大変な蒼ん蔵に違ない。それで口を利くのが厭になった。こんな奴の癖に人に調戯ったり、嬲ったり、辱しめたりするのかと思ったら、なおなお道を聞くのが厭になった。死んだって一人で出て見せると云う気になった。手前共に口を聞くような安っぽい男じゃないと、腹の中でたしかに申し渡して擦れ違った。向うは何にも知らないから、これは無論だまって擦れ違った。行く先は暗くなった。カンテラは一つになった。気はますます焦慮って来た。けれどもなかなか出ない。ただ道はどこまでもある。右にも左にもある。自分は右にも這入った、また左にも這入った、また真直にも歩いて見た。しかし出られない。いよいよ出られないのかと、少しく途方に暮れている鼻の先で、かあんかあんと鳴り出した。五六歩で突き当って、折れ込むと、小さな作事場があって、一人の坑夫がしきりに槌を振り上げて鑿を敲いている。敲くたんびに鉱が壁から落ちて来る。その傍に俵がある。これはさっきスノコへ投げ込んだ俵と同じ大きさで、もういっぱい詰っている。掘子が来て担いで行くばかりだ。自分は今度こそこいつに聞いてやろうと思った。が肝心の本人が一生懸命にかあんかあん鳴らしている。おまけに顔もよく見えない。ちょうどいいから少し休んで行こうと云う気が起った。幸い俵がある。この上へ尻をおろせば、持って来いの腰掛になる。自分はどさっとアテシコを俵の上に落した。すると突然かあんかあんがやんだ。坑夫の影が急に長く高くなった。鑿を持ったままである。 「何をしやがるんでい」  鋭い声が穴いっぱいに響いた。自分の耳には敲き込まれるように響いた。高い影は大股に歩いて来る。  見ると、足の長い、胸の張った、体格の逞しい男であった。顔は背の割に小さい。その輪廓がやや判然する所まで来て、男は留まった。そうして自分を見下した。口を結んでいる。二重瞼の大きな眼を見張っている。鼻筋が真直に通っている。色が赭黒い。ただの坑夫ではない。突然として云った。 「貴様は新前だな」 「そうです」  自分の腰はこの時すでに俵を離れていた。何となく、向うから近づいてくる坑夫が恐ろしかった。今まで一万余人の坑夫を畜生のように軽蔑していたのに、――誓って死んでしまおうと覚悟をしていたのに、――大股に歩いて来た坑夫がたちまち恐ろしくなった。しかし、 「何でこんな所を迷子ついてるんだ」 と聞き返された時には、やや安心した。自分の様子を見て、故意に俵の上へ腰をおろしたんでないと見極めた語調である。 「実は昨夕飯場へ着いて、様子を見に坑へ這入ったばかりです」 「一人でか」 「いいえ、飯場頭から人をつけてくれたんですが……」 「そうだろう、一人で這入れる所じゃねえ。どうしたその案内は」 「先へ出ちまいました」 「先へ出た? 手前を置き去りにしてか」 「まあ、そうです」 「太え野郎だ。よしよし今に己が送り出してやるから待ってろ」 と云ったなり、また鑿と槌をかあんかあん鳴らし始めた。自分は命令の通り待っていた。この男に逢ったら、もう一人で出る気がなくなった。死んでも一人で出て見せると威張った決心が、急にどこへか行ってしまった。自分はこの変化に気がついていた。それでも別に恥かしいとも思わなかった。人に公言した事でないから構わないと思った。その後人に公言したために、やらないでも済む事、やってはならない事を毎度やった。人に公言すると、しないのとは大変な違があるもんだ。その内かあんかあんがやんだ。坑夫はまた自分の前まで来て、胡坐をかきながら、 「ちょっと待ちねえ。一服やるから」 と、煙草入を取り出した。茶色の、皮か紙か判然しないもので、股引に差し込んである上から筒袖が被さっていた。坑夫は旨そうに腹の底まで吸った煙を、鼻から吹き出している間に、短い羅宇の中途を、煙草入の筒でぽんと払いた。小さい火球が雁首から勢いよく飛び出したと思ったら、坑夫の草鞋の爪先へ落ちてじゅうと消えた。坑夫は殻になった煙管をぷっと吹く。羅宇の中に籠った煙が、一度に雁首から出た。坑夫はその時始めて口を利いた。 「御前はどこだ。こんな所へ全体何しに来た。身体つきは、すらりとしているようだが。今まで働いた事はねえんだろう。どうして来た」 「実は働いた事はないんです。が少し事情があって、来たんです。……」 とまでは云ったが、坑夫には愛想が尽きたから、もう、帰るんだとは云わなかった。死ぬんだとはなおさら云わなかった。しかし今までのように、腹の内で畜生あつかいにして、口先ばかり叮嚀にしていたのとはだいぶん趣が違う。自分はただ洗い攫い自分の思わくを話してしまわないだけで、話しただけは真面目に話したんである。すこしも裏表はない。腹から叮嚀に答えた。坑夫はしばらくの間黙って雁首を眺めていた。それからまた煙草を詰めた。煙が鼻から出だした真最中に口を開いた。  自分がその時この坑夫の言葉を聞いて、第一に驚いたのは、彼の教育である。教育から生ずる、上品な感情である。見識である。熱誠である。最後に彼の使った漢語である。――彼れは坑夫などの夢にも知りようはずがない漢語を安々と、あたかも家庭の間で昨日まで常住坐臥使っていたかのごとく、使った。自分はその時の有様をいまだに眼の前に浮べる事がある。彼れは大きな眼を見張ったなり、自分の顔を熟視したまま、心持頸を前の方に出して、胡坐の膝へ片手を逆に突いて、左の肩を少し聳して、右の指で煙管を握って、薄い唇の間から奇麗な歯を時々あらわして、――こんな事を云った。句の順序や、単語の使い方は、たしかな記憶をそのまま写したものである。ただ語声だけはどうしようもない。―― 「亀の甲より年の功と云うことがあるだろう。こんな賤しい商売はしているが、まあ年長者の云う事だから、参考に聞くがいい。青年は情の時代だ。おれも覚がある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう。己もそうだ。誰でもそうにきまってる。だから、察している。君の事情と己の事情とは、どのくらい違うか知らないが、何しろ察している。咎めやしない。同情する。深い事故もあるだろう。聞いて相談になれる身体なら聞きもするが、シキから出られない人間じゃ聞いたって、仕方なし、君も話してくれない方がいい。おれも……」 と云い掛けた時、自分はこの男の眼つきが多少異様にかがやいていたと云う事に気がついた。何だか大変感じている。これが当人の云うごとくシキを出られないためか、または今云い掛けたおれもの後へ出て来る話のためか、ちょっと分りにくいが、何しろ妙な眼だった。しかもこの眼が鋭く自分をも見詰めている。そうしてその鋭いうちに、懐旧と云うのか、沈吟と云うのか、何だか、人を引きつけるなつかしみがあった。この黒い坑の中で、人気はこの坑夫だけで、この坑夫は今や眼だけである。自分の精神の全部はたちまちこの眼球に吸いつけられた。そうして彼の云う事を、とっくり聞いた。彼はおれもを二遍繰り返した。 「おれも、元は学校へ行った。中等以上の教育を受けた事もある。ところが二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それが基で容易ならん罪を犯した。罪を犯して気がついて見ると、もう社会に容れられない身体になっていた。もとより酔興でした事じゃない、やむを得ない事情から、やむを得ない罪を犯したんだが、社会は冷刻なものだ。内部の罪はいくらでも許すが、表面の罪はけっして見逃さない。おれは正しい人間だ、曲った事が嫌だから、つまりは罪を犯すようにもなったんだが、さて犯した以上は、どうする事もできない。学問も棄てなければならない。功名も抛たなければならない。万事が駄目だ。口惜しいけれども仕方がない。その上制裁の手に捕えられなければならない。(故意か偶然か、彼はとくに制裁の手と云う言語を使用した。)しかし自分が悪い覚がないのに、むやみに罪を着るなあ、どうしても己の性質としてできない。そこで突っ走った。逃げられるだけ逃げて、ここまで来て、とうとうシキの中へ潜り込んだ。それから六年というもの、ついに日光を見た事がない。毎日毎日坑の中でかんかん敲いているばかりだ。丸六年敲いた。来年になればもうシキを出たって構わない、七年目だからな。しかし出ない、また出られない。制裁の手には捕まらないが、出ない。こうなりゃ出たって仕方がない。娑婆へ帰れたって、娑婆でした所業は消えやしない。昔は今でも腹ん中にある。なあ君昔は今でも腹ん中にあるだろう。君はどうだ……」 と途中で、いきなり自分に質問を掛けた。  自分は藪から棒の質問に、用意の返事を持ち合せなかったから、はっと思った。自分の腹ん中にあるのは、昔どころではない。一二年前から一昨日まで持ち越した現在に等しい過去である。自分はいっその事自分の心事をこの男の前に打ち明けてしまおうかと思った。すると相手は、さも打ち明けさせまいと自分を遮るごとくに、話の続きを始めた。 「六年ここに住んでいるうちに人間の汚ないところは大抵見悉した。でも出る気にならない。いくら腹が立っても、いくら嘔吐を催しそうでも、出る気にならない。しかし社会には、――日の当る社会には――ここよりまだ苦しい所がある。それを思うと、辛抱も出来る。ただ暗くって狭い所だと思えばそれで済む。身体も今じゃ銅臭くなって、一日もカンテラの油を嗅がなくっちゃいられなくなった。しかし――しかしそりゃおれの事だ。君の事じゃない。君がそうなっちゃ大変だ。生きてる人間が銅臭くなっちゃ大変だ。いや、どんな決心でどんな目的を持って来ても駄目だ。決心も目的もたった二三日で突ッつき殺されてしまう。それが気の毒だ。いかにも可哀想だ。理想も何にもない鑿と槌よりほかに使う術を知らない野郎なら、それで結構だが。しかし君のような――君は学校へ行ったろう。――どこへ行った。――ええ? まあどこでもいい。それに若いよ。シキへ抛り込まれるには若過ぎるよ。ここは人間の屑が抛り込まれる所だ。全く人間の墓所だ。生きて葬られる所だ。一度踏ん込んだが最後、どんな立派な人間でも、出られっこのない陥穽だ。そんな事とは知らずに、大方ポン引の言いなりしだいになって、引張られて来たんだろう。それを君のために悲しむんだ。人一人を堕落させるのは大事件だ。殺しちまう方がまだ罪が浅い。堕落した奴はそれだけ害をする。他人に迷惑を掛ける。――実はおれもその一人だ。が、こうなっちゃ堕落しているよりほかに道はない。いくら泣いたって、悔んだって堕落しているよりほかに道はない。だから君は今のうち早く帰るがいい。君が堕落すれば、君のためにならないばかりじゃない。――君は親があるか……」  自分はただ一言あると答えた。 「あればなおさらだ。それから君は日本人だろう……」  自分は黙っていた。 「日本人なら、日本のためになるような職業についたらよかろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の損にならないような事をやるさ。何と云ってもここはいけない。旅費がなければ、おれが出してやる。だから帰れ。分ったろう。おれは山中組にいる。山中組へ来て安さんと聞きゃあすぐ分る。尋ねて来るが好い。旅費はどうでも都合してやる」  安さんの言葉はこれで終った。坑夫の数は一万人と聞いていた。その一万人はことごとく理非人情を解しない畜類の発達した化物とのみ思い詰めたこの時、この人に逢ったのは全くの小説である。夏の土用に雪が降ったよりも、坑の中で安さんに説諭された方が、よほどの奇蹟のように思われた。大晦日を越すとお正月が来るくらいは承知していたが、地獄で仏と云う諺も記憶していたが、窮まれば通ずという熟語も習った事があるが、困った時は誰か来て助けてくれそうなものだくらいに思って、芝居気を起しては困っていた事もたびたびあるが、――この時はまるで違う。真から一万人を畜生と思い込んで、その畜生がまたことごとく自分の敵だと考え詰めた最強度の断案を、忘るべからざる痛忿の焔で、胸に焼きつけた折柄だから、なおさらこの安さんに驚かされた。同時に安さんの訓戒が、自分の初志を一度に翻えし得るほどの力をもって、自分の耳に応えた。  しばらくは二人して黙っていた。安さんは一応云うだけの事を云ってしまったんだから、口を利かないはずであるが、自分は先方に対して、何とか返事をする義務がある。義務をかいては安さんに済まない。心底から感謝の意を表した上で、自分の考えも少し聞いてもらいたいのは山々であったが、何分にも鼻の奥が詰って不自由である。しかも強いて言葉を出そうとすると、口へ出ないで鼻へ抜けそうになる。それを我慢すると、唇の両端がむずむずして、小鼻がぴくついて来る。やがて鼻と口を塞かれた感動が、出端を失って、眼の中にたまって来た。睫が重くなる。瞼が熱くなる。大に困った。安さんも妙な顔をしている。二人ともばつが悪くなって、差し向いで胡坐をかいたまま、黙っていた。その時次の作事場で鉱を敲く音がかあんかあん鳴った。今考えると、自分と安さんが黙然と顔を見合せていた場所は、地面の下何百尺くらいな深さだか、それを正確に知って置きたかった。都会でも、こんな奇遇は少い。銅山の中では有ろうはずがない。日の照らない坑の底で、世から、人から、歴史から、太陽からも、忘れられた二人が、ありがたい誨を垂れて、尊とい涙を流した舞台があろうとは、胡坐をかいて、黙然と互に顔を見守っていた本人よりほかに知るものはあるまい。  安さんはまた煙草を呑み出した。ぷかりぷかりと煙が出た。その煙が濃く出ては暗がりに消え、濃く出ては暗がりに消える間に、自分はようやく声が自由になった。 「ありがたいです。なるほどあなたのおっしゃる通り人間のいる所じゃないでしょう。僕もあなたに逢うまでは、今日限り銅山を出ようかと思ってたんです。……」  さすが山を出て死ぬつもりだったとは云いかねたから、ここでちょっと句を切ったら、 「そりゃなおさらだ。さっそく帰るがいい」 と、安さんが勢いをつけてくれた。自分はやっぱり黙っていた。すると、 「だから旅費はおれが拵えてやるから」 と云う。自分はさっきから旅費旅費と聞かされるのを、ただ善意に解釈していたが、さればと云って毫も貰う気は起らなかった。昨日飯場頭の合力を断った時の料簡と同じかと云うと、それとも違う。昨日は是非貰いたかった、地平へ手を突いてまで貰いたかった。しかし草鞋銭を貰うよりも、坑夫になる方が得だと勘定したから、手を出して頂きたいところを、無理に断ったんである。安さんの旅費は始めから貰いたくない。好意を空しくすると云う点から見れば、貰わなければ済まないし、坑夫をやめるとすれば貰う方が便利だが、それにもかかわらず貰いたくなかった。これは今から考えると、全く向うの人格に対して、貰っては恥ずべき事だ、こちらの人格が下がるという念から萌したものらしい。先方がいかにも立派だから、こっちも出来るだけ立派にしたい、立派にしなければ、自分の体面を損う虞がある。向うの好意を享けて、相当の満足を先方に与えるのは、こちらも悦ばしいが、受けるべき理由がないのに、濫りに自己の利得のみを標準に置くのは、乞食と同程度の人間である。自分はこの尊敬すべき安さんの前で、自分は乞食である、乞食以上の人物でないと云う事実上の証明を与えるに忍びなかった。年が若いと馬鹿な代りに存外奇麗なものである。自分は 「旅費は頂きません」 と断った。  この時安さんは、煙草を二三ぶく吸して、煙管を筒へ入れかけていたが、自分の顔をひょいと見て 「こりゃ失敬した」 と云ったんで、自分は非常に気の毒になった。もしやるから貰って置けとでも強いられたならきっと受けたに違ない。その後気をつけて、人が金を貰うところを見ていると、始めは一応辞退して、後では大抵懐へ入れるようだが、これは全くこの心理状態の発達した形式に過ぎないんだろうと思う。幸い安さんがえらい男で、「こりゃ失敬した」と云ってくれたんで、自分はこの形式に陥らずに済んだのはありがたかった。  安さんはすぐさま旅費の件を撤回して 「だが東京へは帰るだろうね」 と聞き直した。自分は、死ぬ決心が少々鈍った際だから、ことによれば、旅費だけでも溜めた上、帰る事にしようと云う腹もあったんで、 「よく考えて見ましょう。いずれその中また御相談に参りますから」 と答えた。 「そうか。それじゃ、とにかく路の分る所まで送ってやろう」 と煙草入を股引へ差し込んで、上から筒服の胴を被せた。自分はカンテラを提げて腰を上げた。安さんが先へ立つ。坑は存外登り安かった。例の段々を四五遍通り抜けて、二度ほど四つん這いになったら、かなり天井の高い、真直に立って歩けるような路へ出た。それをだらだらと廻り込んで、右の方へ登り詰めると、突然第一見張所の手前へ出た。安さんは電気灯の見える所で留った。 「じゃ、これで別れよう。あれが見張所だ。あすこの前を右へついて上がると、軌道の敷いてある所へ出る。それから先は一本道だ。おれはまだ時間が早いから、もう少し働いてからでなくっちゃあ出られない。晩には帰る。五時過ならいるから、暇があったら来るがいい。気をつけて行きたまえ。さようなら」  安さんの影はたちまち暗い中へ這入った。振り向いて、一口礼を云った時は、もうカンテラが角を曲っていた。自分は一人でシキの入口を出た。ふらふら長屋まで帰って来る。途中でいろいろ考えた。あの安さんと云う男が、順当に社会の中で伸びて行ったら、今頃は何に成っているか知らないが、どうしたって坑夫より出世しているに違ない。社会が安さんを殺したのか、安さんが社会に対して済まない事をしたのか――あんな男らしい、すっきりした人が、そうむやみに乱暴を働く訳がないから、ことによると、安さんが悪いんでなくって、社会が悪いのかも知れない。自分は若年であったから、社会とはどんなものか、その当時明瞭に分らなかったが、何しろ、安さんを追い出すような社会だから碌なもんじゃなかろうと考えた。安さんを贔屓にするせいか、どうも安さんが逃げなければならない罪を犯したとは思われない。社会の方で安さんを殺したとしてしまわなければ気が済まない。その癖今云う通り社会とは何者だか要領を得ない。ただ人間だと思っていた。その人間がなぜ安さんのような好い人を殺したのかなおさら分らなかった。だから社会が悪いんだと断定はして見たが、いっこう社会が憎らしくならなかった。ただ安さんが可哀想であった。できるなら自分と代ってやりたかった。自分は自分の勝手で、自分を殺しにここまで来たんである。厭になれば帰っても差支ない。安さんは人間から殺されて、仕方なしにここに生きているんである。帰ろうたって、帰る所はない。どうしても安さんの方が気の毒だ。  安さんは堕落したと云った。高等教育を受けたものが坑夫になったんだから、なるほど堕落に違ない。けれどもその堕落がただ身分の堕落ばかりでなくって、品性の堕落も意味しているようだから痛ましい。安さんも達磨に金を注ぎ込むのかしら、坑の中で一六勝負をやるのかしら、ジャンボーを病人に見せて調戯うのかしら、女房を抵当に――まさか、そんな事もあるまい。昨日着き立ての自分を見て愚弄しないもののないうちで、安さんだけは暗い穴の底ながら、十分自分の人格を認めてくれた。安さんは坑夫の仕事はしているが、心までの坑夫じゃない。それでも堕落したと云った。しかもこの堕落から生涯出る事ができないと云った。堕落の底に死んで活きてるんだと云った。それほど堕落したと自覚していながら、生きて働いている。生きてかんかん敲いている。生きて――自分を救おうとしている。安さんが生きてる以上は自分も死んではならない。死ぬのは弱い。……  こう決心をして、何でも構わないから、ひとまず坑夫になった上として、できるだけ急ぎ足で帰って来ると、長屋の半丁ばかり手前に初さんが石へ腰を掛けて待っている。雨は歇んだ。空はまだ曇っているが、濡れる気遣はない。山から風が吹いて来る。寒くても、世界の明かるいのが、非常に嬉しい。自分が嬉しさの余り、疲れた足を擦りながら、いそいそ近づいてくると、初さんは奇怪な顔をして、 「やあ出て来たな。よく路が分ったな」 と云った。自分が案内につけられながら、他を置き去りにして、何とかして何とか、てててててと云う唄をうたって、大いに焦して置いて、他が大迷つきに、迷ついて、穴の角へ頭をぶっつけて割って見ようとまで思ったあげく、やっとの事で安さんの御情で出て来れば、「よく路が分ったな」と空とぼけている。その癖親方が怖いものだから、途中で待ち合せて、いっしょに連れて帰ろうと云う目算である。自分は石へ腰を掛けて薄笑いをしているこの案内の頭の上へ唾液を吐きかけてやろうかと思った。しかし自分は死ぬのを断念したばかりである。当分はここに留まらなくっちゃならない身体である。唾液を吐きかければ、喧嘩になるだけである。喧嘩をすれば負けるだけである。負けた上にスノコの中へぶちこまれてはせっかく死ぬのを断念した甲斐がない。そこで、こう云う答をした。 「どうか、こうか出て来ました」  すると初さんはなおさら不思議な顔をして、 「へえ。感心だね。一人で出て来たのか」 と聞いた。その時自分は年の割にはうまくやった。旨くやったと云うくらいだから、ただ自分の損にならないようにと云うだけで、それより以外に賞める価値のある所作じゃないが、とにかく十九にしては、なかなか複雑な曲者だと思う。と云うのは、こう聞かれた時に、安さんの名前がつい咽喉の先まで出たんである。ところをとうとう云わずにしまったのが自慢なのだ。随分くだらない自慢だが訳を話せば、こんな料簡であった。山中組の安さんは勢力のある坑夫に違ない。この安さんがわざわざ第一見張所の傍まで見ず知らずの自分を親切に連れて来てくれたと云う事が知れ渡れば、この案内者は面目を失うにきまっている。責任のある自分が、責任を抛り出して、先へ坑を飛び出してしまったと分る以上は――しかもそれが悪意から出たと明瞭に証拠だてられる以上は、こいつは親方に対して済ましちゃいられない。となると後できっと敵を打つだろう。無責任が露見るのは痛快だが――自分はけっして寛大の念に制せられたなんて耶蘇教流の嘘はつかない。――そこまでは痛快だが、敵打は大に迷惑する。実のところ自分はこの迷惑の念に制せられた。それで、 「ええ、いろいろ路を聞いて出て来ました」 とおとなしい返事をして置いた。  初さんは半分失望したような、半分安心したような顔つきをしたが、やがて石から腰を上げて、 「親方の所へ行こう」 とまた歩き出した。自分は黙って尾いて行った。昨日親方に逢ったのは飯場だが、親方の住んでる所は別にある。長屋の横を半丁ほど上ると、石垣で二方の角を取って平した地面の上に二階建がある。家はさほど見苦しくもないが、家のほかには木も庭もない。相変らず二階の窓から悪魔が首を出している。入口まで来て、初さんが外から声を掛けると、窓をがらりと開けて、飯場頭が顔を出した。米利安の襯衣の上へどてらを着たままである。 「帰ったか。御苦労だった。まああっちへ行って休みねえ」 と云うが早いか初さんは消えてなくなった。後は二人になる。親方は窓の中から、自分は表に立ったまま、談話をした。 「どうです」 「大概見て来ました」 「どこまで降りました」 「八番坑まで降りました」 「八番坑まで。そりゃ大変だ。随分ひどかったでしょう。それで……」 と心持首を前の方へ出した。 「それで――やっぱりいるつもりです」 「やっぱり」 と繰り返したなり、飯場頭はじっと自分の顔を見ていた。自分も黙って立っていた。二階からは依然として首が出ている。おまけに二つばかり殖えた。この顔を見ると、厭で厭でたまらない。飯場へ帰ってから、この顔に取り巻かれる事を思い出すと、ぞっとする。それでもいる気である。どんな辛抱をしてもいる気である。しかし「やっぱりいるつもりです」と断然答えて置いて、二階の顔を不意に見上げた時には、さすがに情なかった。こんな奴といっしょに置いてくれと、手を合せて拝まなければ始末がつかないようになり下がったのかと思うと、身体も魂も塩を懸けた海鼠のようにたわいなくなった。その時飯場頭はようやく口を利いた。奇麗さっぱりと利いた。 「じゃ置く事にしよう。だが規則だから、医者に一遍見て貰ってね。健康の証明書を持って来なくっちゃいけない。――今日と――今日は、もう遅いから、明日の朝、行って見て貰ったらよかろう。――診察場かい。診察場はこれから南の方だ。上がって来る時、見えたろう。あの青いペンキ塗りの家だ。じゃ今日は疲れたろうから、飯場へ帰って緩くり御休み」 と云って窓を閉てた。窓を閉てる前に自分はちょっと頭を下げて、飯場へ引返した。緩くり御休と云ってくれた飯場頭の親切はありがたいが、緩くり寝られるくらいなら、こんなに苦しみはしない。起きていれば獰猛組、寝れば南京虫に責められるばかりだ。たまたま飯の蓋を取れば咽喉へ通らない壁土が出て来る。――しかしいる。いるときめた以上は、どうしてもいて見せる。少くとも安さんが生きてるうちはいる。シキの人間がみんな南京虫になっても、安さんさえ生きて働いてるうちは、自分も生きて働く考えである。こう考えながら半丁ほどの路を降りて飯場へ帰って、二階へ上がった。上がると案のじょう大勢囲炉裏の傍に待ち構えている。自分はくさくさしたが、できるだけ何喰わぬ顔をして、邪魔にならないような所へ坐った。すると始まった。皮肉だか、冷評だか、罵詈だか、滑稽だか、のべつに始まった。  一々覚えている。生涯忘れられないほどに、自分の柔らかい頭を刺激したから、よく覚えている。しかし一々繰返す必要はない。まず大体昨日と同じ事と思えば好い。自分は急に安さんに逢いたくなった。例の夕食を我慢して二杯食って、みんなの眼につかないようにそっと飯場を抜け出した。  山中組はジャンボーの通った石垣の間を抜けて、だらだら坂の降り際を、右へ上ると斜に頭の上に被さっている大きな槐の奥にある。夕暮の門口を覗いたら、一人の掘子がカンテラの灯で筒服の掃除をしていた。中は存外静かである。 「安さんは、もうお帰りになりましたか」 と叮嚀に聞くと、掘子は顔を上げてちょいと自分を見たまま、奥を向いて、 「おい、安さん、誰か尋ねて来たよ」 と呼び出しにかかるや否や、安さんは待ってたと云わんばかりに足音をさせて出て来た。 「やあ来たな。さあ上れ」  見ると安さんは唐桟の着物に豆絞か何にかの三尺を締めて立っている。まるで東京の馬丁のような服装である。これには少し驚いた。安さんも自分の様子を眺めて首を傾げて、 「なるほど東京を走ったまんまの服装だね。おれも昔はそう云う着物を着たこともあったっけ。今じゃこれだ」 と両袖の裄を引っ張って見せる。 「何と見える。車引かな」 と云うから、自分は遠慮してにやにや笑っていた。安さんは、 「ハハハハ根性はこれよりまだ堕落しているんだ。驚いちゃいけない」  自分は何と答えていいか分らないから、やはりにやにや笑って立っていた。この時分は手持無沙汰でさえあればにやにやして済ましたもんだ。そこへ行くと安さんは自分より遥か世馴れている。この体を見て、 「さっきから来るだろうと思って待っていた。さあ上れ」 と向うから始末をつけてくれた。この人は世馴れた知識を応用して、世馴れない人を救ける方の側だと感心した。こいつを逆にして馬鹿にされつけていたから特別に感心したんだろう。そこで安さんの云う通り長屋へ上って見た。部屋はやっぱり広いが、自分の泊った所ほどでもない。電気灯は点いている。囲炉裏もある。ただ人数が少い、しめて五六人しかいない。しかも、それが向うに塊ってるから、こっちはたった二人である。そこでまた話を始めた。 「いつ帰る」 「帰らない事にしました」  安さんは馬鹿だなあと云わないばかりの顔をして呆れている。 「あなたのおっしゃった事は、よく分っています。しかし僕だって、酔興にここまで来た訳じゃないんですから、帰るったって帰る所はありません」 「じゃやっぱり世の中へ顔が出せないような事でもしたのか」 と安さんは鋭い口調で聞いた。何だか向うの方がぎょっとしたらしい。 「そうでもないんですが――世の中へ顔が出したくないんです」 と答えると、自分の態度と、自分の顔つきと、自分の語勢を注意していた安さんが急に噴き出した。 「冗談云っちゃいけねえ。そんな酔狂があるもんか。世の中へ顔が出したくないた何の事だ。贅沢じゃねえか。そんな身分に一日でも好いからなって見てえくらいだ」 「代れれば代って上げたいと思います」 と至極真面目に云うと、安さんは、また噴き出した。 「どうも手のつけようがないね。考えて御覧な。世の中へ顔が出したくないものがさ、このシキへ顔が出したくなれるかい」 「ちっとも出したくはありません。仕方がないから――仕方がないんです。昨夕も今日も散々苛責られました」  安さんはまた笑い出した。 「太え野郎だ。誰が苛責た。年の若いものつらまえて。よしよしおれが今に敵を打ってやるから。その代り帰るんだぜ」  自分はこの時大変心丈夫になった。なおなお留まる気になった。あんな獰猛もこっちさえ強くなりゃちっとも恐ろしかないんだ、十把一束に罵倒するくらいの勇気がだんだん出てくるんだと思った。そこで安さんに敵は取ってくれないでも好いから、どうか帰さずに当分置いて貰えまいかと頼んだ。安さんは、あまりの馬鹿らしさに、気の毒そうな顔をして、呆れ返っていたが、 「それじゃ、いるさ。――何も頼むの頼まないのって、そりゃ君の勝手だあね。相談するがものはないや」 「でも、あなたが承知して下さらないと、いにくいですから」 「せっかくそう云うんなら、当分にするがいい。長くいちゃいけない」  自分は謹んで安さんの旨を領した。実際自分もその考えでいたんだから、これはけっして御交際の挨拶ではなかった。それからいろいろな話をしたがシキの中の述懐と大した変りはなかった。ただ安さんの兄さんが高等官になって長崎にいると云う事を聞いて、大いに感動した。安さんの身になっても、兄さんの身になっても、定めし苦しいだろうと思うにつけ、自分と自分の親と結びつけて考え出したら何となく悲しくなった。帰る時に安さんが出口まで送って来て、相談でもあるならいつでも来るが好いと云ってくれた。  表へ出ると、いつの間にか曇った空が晴れて、細い月が出ている。路は存外明るい、その代り大変寒い。袷を通して、襯衣を通して、蒲鉾形の月の光が肌まで浸み込んで来るようだ。両袖を胸の前へ合せて、その中へ鼻から下を突込んで肩をできるだけ聳やかして歩行き出した。身体はいじけているが腹の中はさっきよりだいぶん豊かになった。何の当分のうちだ。馴れればそう苦にする事はない。何しろ一万余人もかたまって、毎日毎日いっしょに働いて、いっしょに飯を食って、いっしょに寝ているんだから、自分だって七日も練習すれば、一人前に堕落する事はできるに違ない。――この時自分の頭の中には、堕落の二字がこの通りに出て来た。しかしただこの場合に都合のいい文字として湧いて出たまでで、堕落の内容を明かに代表していなかったから、別に恐ろしいとも思わなかった。それで、比較的元気づいて飯場へ帰って来た。五六間手前まで来ると、何だかわいわい云っている。外は淋しい月である。自分は家の騒ぎを聞いて、淋しい月を見上げて、しばらく立っていた。そうしたら、どうも這入るのが厭になった。月を浴びて外に立っているのも、つらくなった。安さんの所へ行って泊めてもらいたくなった。一歩引き返して見たが、あんまりだと気を取り直して、のそのそ長屋へ這入った。横手に広い間があって、上り口からは障子で立て切ってある。電気灯が頭の上にあるから影は一つも差さないが、騒ぎはまさにこの中から出る。自分は下駄を脱いで、足音のしないように、障子の傍を通って、二階へ上がった。段々を登り切って、大きな部屋を見渡した時、ほっと一息ついた。部屋には誰もいない。  ただ金さんが平たく煎餅のようになって寝ている。それから例の帆木綿にくるまって、ぶら下がってる男もいる。しかし両方とも極めて静かだ。いてもいないと同じく、部屋は漠然としてただ広いものだ。自分は部屋の真中まで来て立ちながら考えた。床を敷いて寝たものだろうか、ただしは着のみ着のままで、ごろりと横になるか、または昨夕の通り柱へ倚れて夜を明そうか。ごろ寝は寒い、柱へ倚り懸るのは苦しい。どうかして布団を敷きたい。ことによれば今日は疲れ果てているから、南京虫がいても寝られるかも知れない。それに蒲団の奇麗なのを選ったらよかろう。ことさら日によって、南京虫の数が違わないとも限るまい。といろいろな理窟をつけて布団を出して、そうっと潜り込んだ。  この晩の、経験を記憶のまま、ここに書きつけては、自分がお話しにならない馬鹿だと吹聴する事になるばかりで、ほかに何の利益も興味もないからやめる。一口に云うと、昨夜と同じような苦しみを、昨夜以上に受けて、寝るが早いか、すぐ飛び起きちまった。起きた後で、あれほど南京虫に螫されながら、なぜ性懲もなくまた布団を引っ張り出して寝たもんだろうと後悔した。考えると、全くの自業自得で、しかも常識のあるものなら誰でも避けられる、また避けなければならない自業自得だから、我れながら浅ましい馬鹿だと、つくづく自分が厭になって、布団の上へ胡坐をかいたまま、考え込んでいると、また猛烈にちくりと螫された。臀と股と膝頭が一時に飛び上がった。自分は五位鷺のように布団の上に立った。そうして、四囲を見廻した。そうして泣き出した。仕方がないから、紺の兵児帯を解いて、四つに折って、裸の身体中所嫌わず、ぴしゃぴしゃ敲き始めた。それから着物を着た。そうして昨夜の柱の所へ行った。柱に倚りかかった。家が恋しくなった。父よりも母よりも、艶子さんよりも澄江さんよりも、家の六畳の間が恋しくなった。戸棚に這入ってる更紗の布団と、黒天鵞絨の半襟の掛かった中形の掻捲が恋しくなった。三十分でも好いから、あの布団を敷いて、あの掻捲を懸けて、暖たかにして楽々寝て見たい、今頃は誰があの部屋へ寝ているだろうか。それとも自分がいなくなってから後は、机を据えたまんま、空ん胴にしてあるかしらん。そうすると、あの布団も掻捲も、畳んだなり戸棚にしまってあるに違ない。もったいないもんだ。父も母も澄江さんも艶子さんも南京虫に食われないで仕合せだ。今頃は熟睡しているだろう。羨ましい。――それとも寝られないで、のつそつしているかしらん。父は寝られないと疳癪を起して、夜中に灰吹をぽんぽん敲くのが癖だ。煙草を呑むんだと云うが、煙草は仮託で、実は、腹立紛れに敲きつけるんじゃないかと思う。今頃はしきりに敲いてるかも知れない。苦々しい倅だと思って敲いてるか、どうなったろうと心配の余り眼を覚まして敲いてるか。どっちにしても気の毒だ。しかしこっちじゃそれほどにも思っていないから、先方でもそう苦にしちゃいまい。母は寝られないと手水に起きる。中庭の小窓を明けて、手を洗って、桟をおろすのを忘れて、翌朝よく父に叱られている。昨夜も今夜もきっと叱られるに違ない。澄江さんはぐうぐう寝ている――どうしても寝ている。自分のいる前では、丸くなったり、四角になったりいろいろな芸をして、人を釣ってるが、いなくなれば、すぐに忘れて、平生の通り御膳をたべて、よく寝る女だから、是非に及ばない。あんな女は、今まで見た新聞小説にはけっして出て来ないから、始めは不思議に思ったが、ちゃんと証拠があるんだから確かである。こう云う女に恋着しなければならないのは、よッぽどの因果だ。随分憎らしいと思うが、憎らしいと思いながらもやッぱり惚れ込んでいるらしい。不都合な事だ。今でも、あの色の白い顔が眼前にちらちらする。怪しからない顔だ。艶子さんは起きてる。そうして泣いてるだろう。はなはだ気の毒だ。しかしこっちで惚れた覚もなければ、また惚れられるような悪戯をした事がないんだから、いくら起きていても、泣いてくれても仕方がない。気の毒がる事は、いくらでも気の毒がるが仕方がない。構わない事にする。――そこで最後には、ほかの事はどうともするから、ただ安々と楽寝がさせて貰いたい。不断の白い飯も虫唾が走るように食いたいが、それよりか南京虫のいない床へ這入りたい。三十分でも好いからぐっすり寝て見たい。その後でなら腹でも切る。……  こう考えているとまた夜が明けた。考えている途中でいつか寝たものと見えて、眼が覚めた時は、何にも考えていなかった。それからあとは、のそのそ下へ降りて行って、顔を洗って、南京米を食う。万事昨日の通りだから、省いてしまう。九時の例刻を待ちかねて病院へ出掛ける。病院は一昨日山を登って来る時に見た、青いペンキ塗の建物と聞いているから道も家も間違えようがない。飯場を出て二丁ばかり行くと、すぐ道端にある。木造ではあるがなかなか立派な建築で、広さもかなりだけに、獰猛組とはまるで不釣合である。野蛮人が病気をするんでさえすでに不思議なくらいだのに、病気に罹ったものを治療してやるための器械と薬品と医者と建物を具えつけたんだから、世の中は妙だと云う感じがすぐに起る。まるで泥棒が金を出し合って、小学校を建てて子弟を通学させてるようなもんだ。文明と蒙昧の両極端がこのペンキ塗の青い家の中で出逢って、一方が一方へ影響を及ぼすと、蒙昧がますますぴんぴん蒙昧になってくる。下手に食い違った結果が起るもんだ。と考えながら歩いて来ると、また鬼共が窓から首を出して眺めている。せっかくの考えもこの気味のわるい顔を見上げるとたちまち崩れてしまう。あの顔のなかに安さんのようなのが、たった一つでもあれば、生き返るほど嬉しいだろうに、どれもこれも申し合せたように獰猛の極致を尽している。あれじゃ、どうしたって病院の必要があるはずがないとまで思った。  天気だけは好都合にすっかり晴れた。赤土を劈いたような山の壁へ日が当る。昨日、一昨日の雨を吸込んだ土は、東から差す日を受けて、まだ乾かない。その上照る日をいくらでも吸い込んで行く。景色は晴れがましいうちに湿とりと調子づいて、長屋と長屋の間から、下の方の山を見ると、真蒼な色が笑み割れそうに濃く重なっている。風は全く落ちた。昨夕と今朝とではほとんど十五度以上も違うようである。道傍に、たった一つ蒲公英が咲いている。もったいないほど奇麗な色だ。これも獰猛とはまるで釣り合ない。  病院へ着いた。和土の廊下が地面と擦れ擦れに五六間続いている突き当りに、診察室と云う札が懸って、手前の右手に控所と書いてある。今云った一間幅の廊下を横切って、控所へ這入ると、下はやはり和土で、ベンチが二脚ほど並べてある。小さい硝子窓には受附と楷書で貼りつけてある。自分はこの窓口へ行って、自分の姓名を書いた紙片を出すと、窓の中に腰を掛けていた二十二三の若い男が、その紙片を受取って、ありもしない眉へ八の字を寄せて、むずかしそうにとくと眺めた上、 「こりゃ御前か」 と、さも横風に云った。あまり好い心持ではなかった。何の必要があって、こう自分を軽蔑するんだか不平に堪えない。それで単に、 「ええ」 と出来るだけ愛嬌のない返事をした。受附は、それじゃ、まだ挨拶が足りないと云わんばかりに、しばらくは自分を睨めていたが、こっちもそれっ切り口を結んで立っていたもんだから、 「少し待っていろ」 と、ぴしゃりと硝子戸を締めて出て行った。草履の音がする。あんなにばたばた云わせなくっても好さそうなもんだと思った。  自分はベンチへ腰を掛けた。受附はなかなか帰って来ない。ぼんやりしていると、眼の前にジャンボーが出て来た。金さんがよっしょいよっしょいと担がれて来るところが見える。あれでも病院が必要なのかと思った。何のために薬を盛って、患者を施療するのか、ほとんど意義をなさない。こんな体裁のいい偽善はない。病人はいじめるだけいじめる。ジャンボーは囃したいだけ囃す。その代り医者にかけてやると云うのか。鄭重の至りである。 「おいあっちへ廻れ」 と突然受附の声がした。見ると受附は硝子窓の中に威丈高に突立って、自分を眼下に睥睨している。自分は控所を出た。右へ折れて、廊下伝いに診察場へ上がったら、薬の臭がぷんとした。この臭を嗅ぐと等しく、自分も、もうやがて死ぬんだなと思い出した。死んでここの土になったら不思議なものだ。こう云うのを運命というんだろう。運命の二字は昔から知ってたが、ただ字を知ってるだけで意味は分らなかった。意味は分っても、納得がむずかしかった。西洋人が筍を想像するように定義だけを心得て満足していた。けれども人間の一大事たる死と云う実際と、人間の獣類たる坑夫の住んでいるシキとを結びつけて、二三日前まで不足なく生い立った坊っちゃんを突然宙に釣るして、この二つの間に置いたとすると、坊っちゃんは始めてなるほどと首肯する。運命は不可思議な魔力で可憐な青年を弄ぶもんだと云う事が分る。すると今までただの山であったものが、ただの山でなくなる。ただの土であったものがただの土でなくなる。青いばかりと思った空が、青いだけでは済まなくなる。この病院の、この診察場の、この薬品の、この臭いまでが夢のような不思議になる。元来この椅子に腰を掛けている本人からしてが、何物だかほとんど要領を得ない。本人以外の世界は明瞭に見えるだけで、どんな意味のある世界かさっぱり見当がつかない。自分は、診察場と薬局とをかねたこの一室の椅子に倚って、敷物と、洋卓と、薬瓶と、窓と、窓の外の山とを見廻した。もっとも明瞭な視覚で見廻したが、すべてがただ一幅の画と見えるだけで、その他には何物をも認める事ができなかった。  そこへ戸を開けて、医者があらわれた。その顔を見ると、やっぱり坑夫の類型である。黒のモーニングに縞の洋袴を着て、襟の外へ顎を突き出して、 「御前か、健康診断をして貰うのは」 と云った。この語勢には、馬に対しても、犬に対しても、是非腹の内で云うべきほどの敬意が籠っていた。 「ええ」 と自分は椅子を離れた。 「職業は何だ」 「職業って別に何にもないんです」 「職業がない。じゃ、今まで何をして生きていたのか」 「ただ親の厄介になっていました」 「親の厄介になっていた。親の厄介になって、ごろごろしていたのか」 「まあ、そうです」 「じゃ、ごろつきだな」  自分は答をしなかった。 「裸になれ」  自分は裸になった。医者は聴診器で胸と背中をちょっと視た上、いきなり自分の鼻を撮んだ。 「息をして見ろ」  息が口から出る。医者は口の所へ手をあてがった。 「今度口を塞ぐんだ」  医者は鼻の下へ手をあてた。 「どうでしょう。坑夫になれますか」 「駄目だ」 「どこか悪いですか」 「今書いてやる」  医者は四角な紙片へ、何か書いて抛り出すように自分に渡した。見ると気管支炎とある。  気管支炎と云えば肺病の下地である。肺病になれば助かりようがない。なるほどさっき薬の臭を嗅いで死ぬんだなと虫が知らせたのも無理はない。今度はいよいよ死ぬ事になりそうだ。これから先二三週間もしたら、金さんのようによっしょいよっしょいでジャンボーを見せられて、そのあげくには自分がとうとうジャンボーになって、それから思う存分囃し立てられて、敲き立てられて、――もっとも新参だから囃してくれるものも、敲いてくれるものも、ないかも知れないが――とどの詰りは、――どうなる事か自分にも分らない。それは分らなくってもよろしい。生きて動いている今ですら分らない。ただ世界がのべつ、のっぺらぽうに続いているうちに、あざやかな色が幾通りも並んでるばかりである。坑夫は世の中で、もっとも穢ないものと感じていたが、かように万物を色の変化と見ると、穢ないも穢なくないもある段じゃない。どうでも構わないから、どうとも勝手にするがいい、自分が懐手をしていたら運命が何とか始末をつけてくれるだろう。死んでもいい、生きてもいい。華厳の瀑などへ行くのは面倒になった。東京へ帰る? 何の必要があって帰る。どうせ二三度咳をせくうちの命だ。ここまで運命が吹きつけてくれたもんだから、運命に吹き払われるまでは、ここにいるのが、一番骨が折れなくって、一番便利で、一番順当な訳だ。ここにいて、ただ堕落の修業さえすれば、死ぬまでは持てるだろう。肺病患者にほかの修業はむずかしいかも知れないが、堕落の修業なら――ふと往きに眼についた蒲公英に出逢った。さっきはもったいないほど美しい色だと思ったが、今見ると何ともない。なぜこれが美しかったんだろうと、しばらく立ち留まって、見ていたが、やっぱり美しくない。それからまたあるき出した。だらだら坂を登ると、自然と顔が仰向になる。すると例の通り長屋から、坑夫が頬杖を突いて、自分を見下している。さっきまではあれほど厭に見えた顔がまるで土細工の人形の首のように思われる。醜くも、怖くも、憎らしくもない。ただの顔である。日本一の美人の顔がただの顔であるごとく、坑夫の顔もただの顔である。そう云う自分も骨と肉で出来たただの人間である。意味も何もない。  自分はこう云う状態で、無人の境を行くような心持で、親方の家までやって来た。案内を頼むと、うちから十五六の娘が、がらりと障子をあけて出た。こう云う娘がこんな所にいようはずがないんだから、平生ならはっと驚く訳だが、この時はまるで何の感じもなかった。ただ器械のように挨拶をすると、娘は片手を障子へ掛けたまま、奥を振り向いて、 「御父さん。御客」 と云った。自分はこの時、これが飯場頭の娘だなと合点したが、ただ合点したまでで、娘がまだそこに立っているのに、娘の事は忘れてしまった。ところへ親方が出て来た。 「どうしたい」 「行って来ました」 「健康診断を貰って来たかい。どれ」  自分は右の手に握っていた診断書を、つい忘れて、おやどこへやったろうかと、始めて気がついた。 「持ってるじゃないか」 と親方が云う。なるほど持っていたから、皺を伸して親方に渡した。 「気管支炎。病気じゃないか」 「ええ駄目です」 「そりゃ困ったな。どうするい」 「やっぱり置いて下さい」 「そいつあ、無理じゃないか」 「ですが、もう帰れないんだから、どうか置いて下さい。小使でも、掃除番でもいいですから。何でもしますから」 「何でもするったって、病気じゃ仕方がないじゃないか。困ったな。しかしせっかくだから、まあ考えてみよう。明日までには大概様子が分るだろうからまた来て見るがいい」  自分は石のようになって、飯場へ帰って来た。  その晩は平気で囲炉裏の側に胡坐をかいていた。坑夫共が何と云っても相手にしなかった。相手にする料簡も出なかった。いくら騒いでも、愚弄っても、よしんば踏んだり蹴たりしても、彼らは自分と共に一枚の板に彫りつけられた一団の像のように思われた。寝るときは布団は敷かなかった。やはり囲炉裏の傍に胡坐をかいていた。みんな寝着いてから、自分もその場へ仮寝をした。囲炉裏へ炭を継ぐものがないので、火の気がだんだん弱くなって、寒さがしだいに増して来たら、眼が覚めた。襟の所がぞくぞくする。それから起きて表へ出て空を見たら、星がいっぱいあった。あの星は何しに、あんなに光ってるのだろうと思って、また内へ這入った。金さんは相変らず平たくなって寝ている。金さんはいつジャンボーになるんだろう。自分と金さんとどっちが早く死ぬだろう。安さんは六年このシキに這入ってると聞いたが、この先何年鉱を敲くだろう。やっぱりしまいには金さんのように平たくなって、飯場の片隅に寝るんだろう。そうして死ぬだろう。――自分は火のない囲炉裏の傍に坐って、夜明まで考えつづけていた。その考えはあとから、あとから、仕切りなしに出て来たが、いずれも干枯びていた。涙も、情も、色も香もなかった。怖い事も、恐ろしい事も、未練も、心残りもなかった。  夜が明けてから例のごとく飯を済まして、親方の所へ行った。親方は元気のいい声をして、 「来たか、ちょうど好い口が出来た。実はあれからいろいろ探したがどうも思わしいところがないんでね、――少し困ったんだが。とうとう旨い口を見附けた。飯場の帳附だがね。こりゃ無ければ、なくっても済む。現に今までは婆さんがやってたくらいだが、せっかくの御頼みだから。どうだねそれならどうか、おれの方で周旋ができようと思うが」 「はあありがたいです。何でもやります。帳附と云うと、どんな事をするんですか」 「なあに訳はない。ただ帳面をつけるだけさ。飯場にああ多勢いる奴が、やや草鞋だ、やや豆だ、ヒジキだって、毎日いろいろなものを買うからね。そいつを一々帳面へ書き込んどいて貰やあ好いんだ。なに品物は婆さんが渡すから、ただ誰が何をいくら取ったと云う事が分るようにして置いてくれればそれで結構だ。そうするとこっちでその帳面を見て勘定日に差し引いて給金を渡すようにする。――なに力業じゃないから、誰でもできる仕事だが、知っての通りみんな無筆の寄合だからね。君がやってくれるとこっちも大変便利だが、どうだい帳附は」 「結構です、やりましょう」 「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。――食料を別にして」 「それでたくさんです」 と答えた。しかし別段に嬉しいとも思わなかった。ようやく安心したとまでは固り行かなかった。自分の鉱山における地位はこれでやっときまった。  翌日から自分は台所の片隅に陣取って、かたのごとく帳附を始めた。すると今まであのくらい人を軽蔑していた坑夫の態度ががらりと変って、かえって向うから御世辞を取るようになった。自分もさっそく堕落の稽古を始めた。南京米も食った。南京虫にも食われた。町からは毎日毎日ポン引が椋鳥を引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。しかしその後東京へ帰ろうと思ってからは断然やめにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。 底本:「夏目漱石全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年1月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年4月13日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 行人 行人 夏目漱石      友達         一  梅田の停車場を下りるや否や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎い親類とばかり覚えていた。  大阪へ下りるとすぐ彼を訪うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地で落ち合おう、そうしていっしょに高野登りをやろう、もし時日が許すなら、伊勢から名古屋へ廻ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。 「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだ危しかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好いから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。友達は甲州線で諏訪まで行って、それから引返して木曾を通った後、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息に京都まで来て、そこで四五日用足かたがた逗留してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。  予定の時日を京都で費した自分は、友達の消息を一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入の菓子を、御土産だよと断って、鞄の中へ入れてくれたのは、昔気質の律儀からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控えているからであった。  自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精に染められた彼の四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥の上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼っているだろうと思って、その地の透いて見えるところを想像したりなどした。  岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居は思ったよりもさっぱりした新しい普請であった。 「どうも上方流で余計な所に高塀なんか築き上て、陰気で困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上って御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。         二  自分は岡田に連れられて二階へ上って見た。当人が自慢するほどあって眺望はかなり好かったが、縁側のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床の間にかけてある軸物も反っくり返っていた。 「なに日が射すためじゃない。年が年中かけ通しだから、糊の具合でああなるんです」と岡田は真面目に弁解した。 「なるほど梅に鶯だ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、この幅を自分の父から貰って、大得意で自分の室へ持って来て見せたのである。その時自分は「岡田君この呉春は偽物だよ。それだからあの親父が君にくれたんだ」と云って調戯半分岡田を怒らした事を覚えていた。  二人は懸物を見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田はいつまでも窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣に洋袴だけになってそこに寝転びながら相手になった。そうして彼から天下茶屋の形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分にそれほど興味のない問題を、ただ素直にはいはいと聴いていたが、電車の通じる所へわざわざ俥へ乗って来た事だけは、馬鹿らしいと思った。二人はまた二階を下りた。  やがて細君が帰って来た。細君はお兼さんと云って、器量はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑らかな、遠見の大変好い女であった。父が勤めていたある官省の属官の娘で、その頃は時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入をしていた。岡田はまたその時分自分の家の食客をして、勝手口に近い書生部屋で、勉強もし昼寝もし、時には焼芋なども食った。彼らはかようにして互に顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、結婚が成立するまでに、どんな径路を通って来たか自分はよく知らない。岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分の宅では書生同様にしていたから、下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退けた。「岡田さんお兼さんがよろしく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にもとめない様子だったから、おおかたただの徒事だろうと思っていた。すると岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋したのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄然として上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下って行った。これも自分の父と母が口を利いて、話を纏めてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、後でその話を聞いてちょっと驚いた。勘定して見ると、自分が御殿場で下りた汽車と擦れ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。  お兼さんは格子の前で畳んだ洋傘を、小さい包と一緒に、脇の下に抱えながら玄関から勝手の方に通り抜ける時、ちょっときまりの悪そうな顔をした。その顔は日盛の中を歩いた火気のため、汗を帯びて赤くなっていた。 「おい御客さまだよ」と岡田が遠慮のない大きな声を出した時、お兼さんは「ただいま」と奥の方で優しく答えた。自分はこの声の持主に、かつて着た久留米絣やフランネルの襦袢を縫って貰った事もあるのだなとふと懐かしい記憶を喚起した。         三  お兼さんの態度は明瞭で落ちついて、どこにも下卑た家庭に育ったという面影は見えなかった。「二三日前からもうおいでだろうと思って、心待に御待申しておりました」などと云って、眼の縁に愛嬌を漂よわせるところなどは、自分の妹よりも品の良いばかりでなく、様子も幾分か立優って見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった。  この若い細君がまだ娘盛の五六年前に、自分はすでにその声も眼鼻立も知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換わす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴々しい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、畏まった言語をぽつぽつ使った。岡田はそれがおかしいのか、または嬉しいのか、時々自分の顔を見て笑った。それだけなら構わないが、折節はお兼さんの顔を見て笑った。けれどもお兼さんは澄ましていた。お兼さんがちょっと用があって奥へ立った時、岡田はわざと低い声をして、自分の膝を突っつきながら、「なぜあいつに対して、そう改まってるんです。元から知ってる間柄じゃありませんか」と冷笑すような句調で云った。 「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」 「冗談いっちゃいけない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目になって、「だってあなたはあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。 「なんて」 「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪下りまで引っ張って行くなんて。もう少し待っていればおれが相当なのを見つけてやるのにって」 「そりゃ君昔の事ですよ」  こうは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。かつちょっと狼狽した。そうして先刻岡田が変な眼遣をして、時々細君の方を見た意味をようやく理解した。 「あの時は僕も母から大変叱られてね。おまえのような書生に何が解るものか。岡田さんの事はお父さんと私とで当人達に都合の好いようにしたんだから、余計な口を利かずに黙って見ておいでなさいって。どうも手痛くやられました」  自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、その時の様子を多少誇張して述べた。岡田はますます笑った。  それでもお兼さんがまた座敷へ顔を出した時、自分は多少きまりの悪い思をしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今二郎さんがおまえの事を大変賞めて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「あなたがあんまり悪口をおっしゃるからでしょう」と夫に答えて、眼では自分の方を見て微笑した。  夕飯前に浴衣がけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり岡田に向って、「君の所にゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あの構で電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌の好い浮き浮きした調子ばかり見えた。         四  それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹の色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残の光で岡田の顔を見た。 「君東京にいた時よりよほど快豁になったようですね。血色も大変好い。結構だ」  岡田は「ええまあお蔭さまで」と云ったような瞹眛な挨拶をしたが、その挨拶のうちには一種嬉しそうな調子もあった。  もう晩飯の用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人帰路についた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑のように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別に否みもしなかった。  しばらくしてから彼は今までの快豁な調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言をいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。  自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってから後で、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。 「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。 「なに子供が可愛いかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」  岡田は単にわが女房を世間並にするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖いから、まあもう少し先へ延そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人ぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。 「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」 「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」  岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。  宅では食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧をして二人のお酌をした。時々は団扇を持って自分を扇いでくれた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉の匂を微かに感じた。そうしてそれが麦酒や山葵の香よりも人間らしい好い匂のように思われた。 「岡田君はいつもこうやって晩酌をやるんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうも後引上戸で困ります」と答えてわざと夫の方を見やった。夫は、「なに後が引けるほど飲ませやしないやね」と云って、傍にある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友達の事に思い及んだ。 「奥さん、三沢という男から僕に宛てて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」 「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一あなたはあの一件からして片づけてしまわなくっちゃならない義務があるでしょう」  岡田はこう云って、自分の洋盃へ麦酒をゴボゴボと注いだ。もうよほど酔っていた。         五  その晩はとうとう岡田の家へ泊った。六畳の二階で一人寝かされた自分は、蚊帳の中の暑苦しさに堪えかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開け放った。窓際を枕に寝ていたので、空は蚊帳越にも見えた。試に赤い裾から、頭だけ出して眺めると星がきらきらと光った。自分はこんな事をする間にも、下にいる岡田夫婦の今昔は忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨ましい気もした。三沢から何の音信のないのも気がかりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。一番どうでも好かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。  翌日眼が覚めると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。 「おいお兼とうとう絞りのが咲き出したぜ。ちょいと来て御覧」  自分は時計を見て、腹這になった。そうして燐寸を擦って敷島へ火を点けながら、暗にお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、あなたは。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙しくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側に立っているらしい。 「それでも綺麗ね。咲いて見ると。――金魚はどうして」 「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」  自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草を吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上った。そうしてかなり急な階子段を一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。  三人で飯を済ました後、岡田は会社へ出勤しなければならないので、緩り案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来る前から、そんな事を全く予期していなかったと云って、白い詰襟姿の彼を坐ったまま眺めていた。 「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内して上げるが好い」と岡田は急に思いついたような顔つきで云った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にも何とも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥いて見よう」と云いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘を取って、自分に手渡ししてくれた。それからただ一口「お早く」と云った。  自分は二度電車に乗せられて、二度下ろされた。そうして岡田の通っている石造の会社の周囲を好い加減に歩き廻った。同じ流れか、違う流れか、水の面が二三度目に入った。そのうち暑さに堪えられなくなって、また好い加減に岡田の家へ帰って来た。  二階へ上って、――自分は昨夜からこの六畳の二階を、自分の室と心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上って来た。自分は驚いて脱いだ肌を入れた。昨日廂に束ねてあったお兼さんの髪は、いつの間にか大きな丸髷に変っていた。そうして桃色の手絡が髷の間から覗いていた。         六  お兼さんは黒い盆の上に載せた平野水と洋盃を自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急に罎を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕気がつかなかった指環が一つ光っていた。  自分が洋盃を取上げて咽喉を潤した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。 「先ほどお出かけになった後で」と云いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。 「とうとう参りましたね。御待かねの……」  自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。 「一両日後れるかも知れぬ」  葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。 「まるで電報のようでございますね」 「それであなた笑ってたんですか」 「そう云う訳でもございませんけれども、何だかあんまり……」  お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。 「あんまり、どうしました」 「あんまりもったいないようですから」  お兼さんのお父さんというのは大変緻密な人で、お兼さんの所へ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りに蠅の頭のような字を十五行も並べて来るという話しを、お兼さんは面白そうにした。自分は三沢の事を全く忘れて、ただ前にいるお兼さんを的に、さまざまの事を尋ねたり聞いたりした。 「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守をしていると退屈するでしょう」 「そうでもございませんわ。私兄弟の多い家に生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見るものはないと思っておりますから」 「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないと淋しくっていけないって云ってましたよ」  お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺めていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。  自分はこの居苦しくまた立苦しくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲るつもりか、けっして多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。         七 「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩の事であった。自分は露に近い縁側を好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中に坐っていたが、話が始まるや否や、すぐ立って縁側へ出て来た。 「どうも遠くじゃ話がし悪くっていけない」と云いながら、模様のついた座蒲団を自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。 「二郎さん写真は見たでしょう、この間僕が送った」  写真の主というのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時家のものが代りばんこに見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。 「ええちょっと見ました」 「どうです評判は」 「少し御凸額だって云ったものもあります」  お兼さんは笑い出した。自分もおかしくなった。と云うのは、その男の写真を見て、お凸額だと云い始めたものは、実のところ自分だからである。 「お重さんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口にかかっちゃ、たいていのものは敵わないからね」  岡田は自分の妹のお重を大変口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将棋の駒見たいよと云われてからの事である。 「お重さんに何と云われたって構わないが肝心の当人はどうなんです」  自分は東京を立つとき、母から、貞には無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。岡田夫婦はまた佐野という婿になるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙げた。  お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介ものという名があるだけである。 「先方があまり乗気になって何だか剣呑だから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」  自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味はもち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険な事だろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦の云う事を聞いていた自分は、ふと口を滑らした。―― 「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」 「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人を御貰いになる御考えなんですよ」  お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかには何も考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭を枕に着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。         八  翌日岡田は会社を午で切上げて帰って来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。  お兼さんはいつの間にか箪笥の抽出を開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度は好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。 「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんは絽の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段の中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。  洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。 「早いですね」 「ええ早変り」 「あんまり変り栄もしない服装だね」と岡田が云った。 「これでたくさんよあんな所へ行くのに」とお兼さんが答えた。  三人は暑を冒して岡を下った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛な葉書を思い出したりした。全体あれはどこで出したものなんだろうと考えても見た。これから会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかしそのたんびに「物好」という言葉がどうしてもいっしょに出て来た。  岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直にして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪へいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。  三人は浜寺で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大な松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘を開いたままさっさと行った。 「もう来ているだろうか」 「そうね。ことに因るともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」  自分は二人の後に跟いて、こんな会話を聴きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚した。三人は段々を下りて細い廊下を通った。 「隧道ですよ」  お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談で、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。  座敷では佐野が一人敷居際に洋服の片膝を立てて、煙草を吹かしながら海の方を見ていた。自分達の足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁の眼鏡が光った。部屋へ這入るとき第一に彼と顔を見合せたのは実に自分だったのである。         九  佐野は写真で見たよりも一層御凸額であった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈っているので、ことにそう見えたのかも知れない。初対面の挨拶をするとき、彼は「何分よろしく」と云って頭を丁寧に下げた。この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛ができた。  四人は膳に向いながら話をした。お兼さんは佐野とはだいぶ心やすい間柄と見えて、時々向側から調戯ったりした。 「佐野さん、あなたの写真の評判が東京で大変なんですって」 「どう大変なんです。――おおかた好い方へ大変なんでしょうね」 「そりゃもちろんよ。嘘だと覚し召すならお隣りにいらっしゃる方に伺って御覧になれば解るわ」  佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。自分はちょっと何とか云わなければ跋が悪かった。それで真面目な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田が「浄瑠璃じゃあるまいし」と交返した。  岡田は自分の母の遠縁に当る男だけれども、長く自分の宅の食客をしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低い物の云い方をする習慣をもっていた。久しぶりに会った昨日一昨日などはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口の利き方が急に対等になった。ある時は対等以上に横風になった。  四人のいる座敷の向には、同じ家のだけれども棟の違う高い二階が見えた。障子を取り払ったその広間の中を見上げると、角帯を締めた若い人達が大勢いて、そのうちの一人が手拭を肩へかけて踊かなにか躍っていた。「御店ものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺の所へ出て来て、汚ないものを容赦なく廂の上へ吐いた。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人煙草を吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にも怖がるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。今まで苦々しい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。 「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。 「あなたみたいね」とお兼さんが評した。 「どっちがです」と佐野が聞いた。 「両方ともよ。吐いたり管を捲いたり」とお兼さんが答えた。  岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野は独り高笑をした。  四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶した。三人はプラットフォームから外へ出た。 「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。 「好さそうですね」  自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えた後ははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。         十  自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。実をいうと彼らは自分のよそに行って宿を取る事を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂と自分の眼を射るように思われたり、家並が締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。  佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼の方から浴衣がけで岡田を尋ねて来た。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了した旨の報告を書いた。  仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡をうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番しまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。お貞さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。  自分はこの手紙を封じる時、ようやく義務が済んだような気がした。しかしこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっちょこちょいに恥入るところもあった。そこで自分はこの手紙を封筒へ入たまま、岡田の所へ持って行った。岡田はすうと眼を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐って、双方を見較べた。 「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、宅の方はきまるんです。したがって佐野さんもちょっと動けなくなるんですが」 「結構です。それが僕らの最も希望するところです」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉で繰り返した。二人からこう事もなげに云われた自分は、それで安心するよりもかえって心元なくなった。 「何がそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草の煙を吹いた。「この事件について一番冷淡だったのは君じゃありませんか」 「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」 「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらは初からきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」  お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟をいうのが厭になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼った。         十一  自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退きたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要もなかろうと云った。 「けれどもまあ緩くりなさい」  これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着な泊り客は、こっちにも多少の窮屈は免かれなかった。自分は電報のように簡単な端書を書いたぎり何の音沙汰もない三沢が悪らしくなった。もし明日中に何とか音信がなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。 「じゃ明日は佐野を誘って宝塚へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰をしてくれるのが苦になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好の女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。 「御酒を召上らない方は一生のお得ですね」  自分の杯に親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐を、さも羨ましそうに洩らした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲でも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんは眉をひそめながら、嬉しそうな眼つきをするのが常であったから、お兼さんは旦那の酔うのが嫌いなのではなくって、酒に費用のかかるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。  自分はせっかくの好意だけれども宝塚行を断った。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留守に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見て来ようと取りきめた。岡田は「そうですか。文楽だと好いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるもんだから」と気の毒そうに云った。  翌朝自分は岡田といっしょに家を出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。 「僕はあなたの親類だと思ってやしません。あなたのお父さんやお母さんに書生として育てられた食客と心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんなあなたの御両親のお蔭でできたんです。だから何か御恩返しをしなくっちゃすまないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機でしたんですよ。けっして他意はないんですからね」  お貞さんは宅の厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。 「お宅じゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」  自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の眼にはお貞さんと佐野という縁故も何もない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。 「旨く行くでしょうか」 「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩をした事なんかありゃしませんぜ」 「あなた方は特別だけれども……」 「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」  岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。         十二  三沢の便りははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立しく感ぜられた、強いてもこれから一人で立とうと決心した。 「まあもう一日二日はよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌に云ってくれた。自分が鞄の中へ浴衣や三尺帯を詰めに二階へ上りかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上り口へ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩くりどうぞ」と降りて行った。  自分は胡坐のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨く行かないので、仰向になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口へ降りる時、滑って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水入の硝子壜を、壊したなり帯へ括りつけて歩いた彼の姿扮などが眼に浮んだ。ところへまた梯子段を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。  お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息吐いたように云って、すぐ自分の前に坐った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。 「とうとう御着になりましたか」  自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄を提げて岡田の家を出る事にした。 「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断るのを無理に、下女が鞄を持って停車場まで随いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌よう」と云った。  電車を下りて俥に乗ると、その俥は軌道を横切って細い通りを真直に馳けた。馳け方があまり烈しいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度か衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降ろされた。  鞄を持ったまま三階に上った自分は、三沢を探すため方々の室を覗いて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢を胸の上に載せて寝ていた。 「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐をかいて上着を脱いだ。 「そこに蒲団がある」と三沢は上眼を使って、室の隅を指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。 「看護婦はついてるのかい」 「うん。今どこかへ出て行った」         十三  三沢は平生から胃腸のよくない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友達はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などをひっくり返して、アトニーとか下垂性とかトーヌスとかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいた事をいうと、彼は素人が何を知るものかと云わぬばかりの顔をした。 「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞に出かけた。彼の病気は短くて二三日長くて一二週間で大抵は癒った。それで彼は彼の病気を馬鹿にしていた。他人の自分はなおさらであった。  けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。その上に胃の上の氷嚢でまた驚かされた。自分はそれまで氷嚢は頭か心臓の上でなければ載せるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見つめて厭な心持になった。枕元に坐っていればいるほど、付景気の言葉がだんだん出なくなって来た。  三沢は看護婦に命じて氷菓子を取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってとめにかかった。すると三沢は怒った。 「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真面目な顔をして議論を仕かけた。自分は実のところ何にも知らないのである。看護婦は、よかろうけれども念のためだからと云って、わざわざ医局へ聞きに行った。そうして少量なら差支ないという許可を得て来た。  自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気は全体何というんだと聞いて見た。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上の事を尋ねると、今朝看護婦会から派出されたばかりで、何もまだ分らないんだと云って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙箋を繰って、胃が少し糜爛れたんだという事だけ教えてくれた。  自分はまた三沢の傍へ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と云った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高い上に、病人は日本の蒲団を敷いて寝ているんだから、彼の眼には強い色の空と、電信線の一部分が筋違に見えるだけであった。  自分は窓側に手を突いて、外を見下した。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼に入った。その煙は市全体を掩うように大きな建物の上を這い廻っていた。 「河が見えるだろう」と三沢が云った。  大きな河が左手の方に少し見えた。 「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。  山は正面にさっきから見えていた。  それが暗がり峠で、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突き貫いて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。         十四  自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥で乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程と思われた。  その宿には玄関も何にもなかった。這入ってもいらっしゃいと挨拶に出る下女もなかった。自分は三沢の泊ったという二階の一間に通された。手摺の前はすぐ大きな川で、座敷から眺めていると、大変涼しそうに水は流れるが、向のせいか風は少しも入らなかった。夜に入って向側に点ぜられる灯火のきらめきも、ただ眼に少しばかりの趣を添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。  自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日ここに寝たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、鞄を投げ込んだまま外出して、その晩の十時過に始めて帰って来たのだそうである。着いた時には五六人の伴侶がいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五六人の伴侶の何人であるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮ばなかった。 「酔ってたかい」と自分は下女に聞いて見た。そこは下女も知らなかった。けれども少し経って吐いたから酔っていたんだろうと答えた。  自分はその夜蚊帳を釣って貰って早く床に這入った。するとその蚊帳に穴があって、蚊が二三疋這入って来た。団扇を動かして、それを払い退けながら寝ようとすると、隣の室の話し声が耳についた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。  電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日はなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういうわがままはなるべく取次がないが好い」と叱りつけるように云ってやったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行く事は行くよ。君が来てくれというなら」とつけ足して室へ帰った。  下女はいつ気がついたか、蚊帳の穴を針と糸で塞いでいた。けれどもすでに這入っている蚊はそのままなので、横になるや否や、時々額や鼻の頭の辺でぶうんと云う小い音がした。それでもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部屋でする話声で眼が覚めた。聞いているとやはり男と女の声であった。自分はこっち側に客は一人もいないつもりでいたので、ちょっと驚かされた。しかし女が繰返して、「そんならもう帰して貰いますぜ」というような言葉を二三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察してまた眠りに落ちた。  それからもう一度下女が雨戸を引く音に夢を破られて、最後に起き上ったのが、まだ川の面に白い靄が薄く見える頃だったから、正味寝たのは何時間にもならなかった。         十五  三沢の氷嚢は依然としてその日も胃の上に在った。 「まだ氷で冷やしているのか」  自分はいささか案外な顔をしてこう聞いた。三沢にはそれが友達甲斐もなく響いたのだろう。 「鼻風邪じゃあるまいし」と云った。  自分は看護婦の方を向いて、「昨夕は御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色の蒼い膨れた女であった。顔つきが絵にかいた座頭に好く似ているせいか、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡山のもので、小さい時膿毒性とかで右の眼を悪くしたんだと、こっちで尋ねもしない事を話した。なるほどこの女の一方の眼には白い雲がいっぱいにかかっていた。 「看護婦さん、こんな病人に優しくしてやると何を云い出すか分らないから、好加減にしておくがいいよ」  自分は面白半分わざと軽薄な露骨を云って、看護婦を苦笑させた。すると三沢が突然「おい氷だ」と氷嚢を持ち上げた。  廊下の先で氷を割る音がした時、三沢はまた「おい」と云って自分を呼んだ。 「君には解るまいが、この病気を押していると、きっと潰瘍になるんだ。それが危険だから僕はこうじっとして氷嚢を載せているんだ。ここへ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋して貰ったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入ったのだ。酔興じゃないんだ」  自分は三沢の医学上の智識について、それほど信を置き得なかった。けれどもこう真面目に出られて見ると、もう交ぜ返す勇気もなかった。その上彼のいわゆる潰瘍とはどんなものか全く知らなかった。  自分は起って窓側へ行った。そうして強い光に反射して、乾いた土の色を見せている暗がり峠を望んだ。ふと奈良へでも遊びに行って来ようかという気になった。 「君その様子じゃ当分約束を履行する訳にも行かないだろう」 「履行しようと思って、これほどの養生をしているのさ」  三沢はなかなか強情の男であった。彼の強情につき合えば、彼の健康が旅行に堪え得るまで自分はこの暑い都の中で蒸されていなければならなかった。 「だって君の氷嚢はなかなか取れそうにないじゃないか」 「だから早く癒るさ」  自分は彼とこういう談話を取り換わせているうちに、彼の強情のみならず、彼のわがままな点をよく見て取った。同時に一日も早く病人を見捨てて行こうとする自分のわがままもまたよく自分の眼に映った。 「君大阪へ着いたときはたくさん伴侶があったそうじゃないか」 「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」  彼の挙げた姓名のうちには、自分の知っているものも二三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆な大阪で降りて三沢と共に飯を食ったのだそうである。  自分はともかくももう二三日いて病人の経過を見た上、どうとかしようと分別した。         十六  その間自分は三沢の付添のように、昼も晩も大抵は病院で暮した。孤独な彼は実際毎日自分を待受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、けっして礼などは云わなかった。わざわざ草花を買って持って行ってやっても、憤と膨れている事さえあった。自分は枕元で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間が来ると病人に薬を呑ませたりした。朝日が強く差し込む室なので、看護婦を相手に、寝床を影の方へ移す手伝もさせられた。  自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長は大概黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立派な男で、言葉遣いや態度にも容貌の示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍になると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡な返答をした。自分は平生解らない術語を使って、他を馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽に思った。  彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅へ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気が来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就に迷った。  自分が始めて彼の膳を見たときその上には、生豆腐と海苔と鰹節の肉汁が載っていた。彼はこれより以上箸を着ける事を許されなかったのである。自分はこれでは前途遼遠だと思った。同時にその膳に向って薄い粥を啜る彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席を外して、つい近所の洋食屋へ行って支度をして帰って来ると、彼はきっと「旨かったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。 「あの家はこの間君と喧嘩した氷菓子を持って来る家だ」  三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼の傍にいてやりたい気がした。  しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳の中で、早く涼しい田舎へ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠を妨げた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気を帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴っていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌をいうものの、蔭ではあなたの悪口ばかり並べるんだから止めろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞を云ってくれりゃそれで嬉しいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目な話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者から他の話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。  自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。         十七  そんなこんなで好く眠られなかった朝、もう看病は御免蒙るという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすや眠っていた。  三階の窓から見下すと、狭い通なので、門前の路が細く綺麗に見えた。向側は立派な高塀つづきで、その一つの潜りの外へ主人らしい人が出て、如露で丹念に往来を濡らしていた。塀の内には夏蜜柑のような深緑の葉が瓦を隠すほど茂っていた。  院内では小使が丁字形の棒の先へ雑巾を括り付けて廊下をぐんぐん押して歩いた。雑巾をゆすがないので、せっかく拭いた所がかえって白く汚れた。軽い患者はみな洗面所へ出て顔を洗った。看護婦の払塵の声がここかしこで聞こえた。自分は枕を借りて、三沢の隣の空室へ、昨夕の睡眠不足を補いに入った。  その室も朝日の強く当る向にあるので、一寝入するとすぐ眼が覚めた。額や鼻の頭に汗と油が一面に浮き出しているのも不愉快だった。自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話をかけたのはこれで三度目である。彼はきまりきって、「御病人の御様子はどうです」と聞く。「二三日中是非伺います」という。「何でも御用があるなら御遠慮なく」という。最後にきっとお兼さんの事を一口二口つけ加えて、「お兼からもよろしく」とか、「是非お遊びにいらっしゃるように妻も申しております」とか、「うちの方が忙がしいんで、つい御無沙汰をしています」とか云う。  その日も岡田の話はいつもの通りであった。けれども一番しまいに、「今から一週間内……と断定する訳には行かないが、とにかくもう少しすると、あなたをちょいと驚かせる事が出て来るかも知れませんよ」と妙な事を仄めかした。自分は全く想像がつかないので、全体どんな話なんですかと二三度聞き返したが、岡田は笑いながら、「もう少しすれば解ります」というぎりなので、自分もとうとうその意味を聞かないで、三沢の室へ帰って来た。 「また例の男かい」と三沢が云った。  自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持になれなかった。すると思いがけない三沢の方から「君もう大阪は厭になったろう。僕のためにいて貰う必要はないから、どこかへ行くなら遠慮なく行ってくれ」と云い出した。彼はたとい病院を出る場合が来ても、むやみな山登りなどは当分慎まなければならないと覚ったと説明して聞かせた。 「それじゃ僕の都合の好いようにしよう」  自分はこう答えてしばらく黙っていた。看護婦は無言のまま室の外に出て行った。自分はその草履の音の消えるのを聞いていた。それから小さい声をして三沢に、「金はあるか」と尋ねた。彼は己れの病気をまだ己れの家に知らせないでいる。それにたった一人の知人たる自分が、彼の傍を立ち退いたら、精神上よりも物質的に心細かろうと自分は懸念した。 「君に才覚ができるのかい」と三沢は聞いた。 「別に目的もないが」と自分は答えた。 「例の男はどうだい」と三沢が云った。 「岡田か」と自分は少し考え込んだ。  三沢は急に笑い出した。 「何いざとなればどうかなるよ。君に算段して貰わなくっても。金はあるにはあるんだから」と云った。         十八  金の事はついそれなりになった。自分は岡田へ金を借りに行く時の思いを想像すると実際厭だった。病気に罹った友達のためだと考えても、少しも進む気はしなかった。その代りこの地を立つとも立たないとも決心し得ないでぐずぐずした。  岡田からの電話はかかって来た時大に自分の好奇心を動揺させたので、わざわざ彼に会って真相を聞き糺そうかと思ったけれども、一晩経つとそれも面倒になって、ついそのままにしておいた。  自分は依然として病院の門を潜ったり出たりした。朝九時頃玄関にかかると、廊下も控所も外来の患者でいっぱいに埋っている事があった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順見渡してから、梯子段に足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。  あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅に丸くなって横顔だけを見せていた。その傍には洗髪を櫛巻にした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥はまずその女の後姿の上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増が向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶の迹はほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌の下に包んでいる病苦とを想像した。  三沢は看護婦から病院のAという助手の話を聞かされていた。このAさんは夜になって閑になると、好く尺八を吹く若い男であった。独身もので病院に寝泊りをして、室は三沢と同じ三階の折れ曲った隅にあった。この間まで始終上履の音をぴしゃぴしゃ云わして歩いていたが、この二三日まるで顔を見せないので、三沢も自分も、どうかしたのかねぐらいは噂し合っていたのである。  看護婦はAさんが時々跛を引いて便所へ行く様子がおかしいと云って笑った。それから病院の看護婦が時々ガーゼと金盥を持ってAさんの部屋へ入って行くところを見たとも云った。三沢はそういう話に興味があるでもなく、また無いでもないような無愛嬌な顔をして、ただ「ふん」とか「うん」とか答えていた。  彼はまた自分にいつまで大阪にいるつもりかと聞いた。彼は旅行を断念してから、自分の顔を見るとよくこう云った。それが自分には遠慮がましくかつ催促がましく聞こえてかえって厭であった。 「僕の都合で帰ろうと思えばいつでも帰るさ」 「どうかそうしてくれ」  自分は立って窓から真下を見下した。「あの女」はいくら見ていても門の外へ出て来なかった。 「日の当る所へわざわざ出て何をしているんだ」と三沢が聞いた。 「見ているんだ」と自分は答えた。 「何を見ているんだ」と三沢が聞き返した。         十九  自分はそれでも我慢して容易に窓側を離れなかった。つい向うに見える物干に、松だの石榴だのの盆栽が五六鉢並んでいる傍で、島田に結った若い女が、しきりに洗濯ものを竿の先に通していた。自分はちょっとその方を見てはまた下を向いた。けれども待ち設けている当人はいつまで経っても出て来る気色はなかった。自分はとうとう暑さに堪え切れないでまた三沢の寝床の傍へ来て坐った。彼は自分の顔を見て、「どうも強情な男だな、他が親切に云ってやればやるほど、わざわざ日の当る所に顔を曝しているんだから。君の顔は真赤だよ」と注意した。自分は平生から三沢こそ強情な男だと思っていた。それで「僕の窓から首を出していたのは、君のような無意味な強情とは違う。ちゃんと目的があってわざと首を出したんだ」と少しもったいをつけて説明した。その代り肝心の「あの女」の事をかえって云い悪くしてしまった。  ほど経て三沢はまた「先刻は本当に何か見ていたのか」と笑いながら聞いた。自分はこの時もう気が変っていた。「あの女」を口にするのが愉快だった。どうせ強情な三沢の事だから、聞けばきっと馬鹿だとか下らないとか云って自分を冷罵するに違ないとは思ったが、それも気にはならなかった。そうしたら実は「あの女」について自分はある原因から特別の興味をもつようになったのだぐらい答えて、三沢を少し焦らしてやろうという下心さえ手伝った。  ところが三沢は自分の予期とはまるで反対の態度で、自分のいう一句一句をさも感心したらしく聞いていた。自分も乗気になって一二分で済むところを三倍ほどに語り続けた。一番しまいに自分の言葉が途切れた時、三沢は「それは無論素人なんじゃなかろうな」と聞いた。自分は「あの女」を詳しく説明したけれども、つい芸者という言葉を使わなかったのである。 「芸者ならことによると僕の知っている女かも知れない」  自分は驚かされた。しかしてっきり冗談だろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の眼つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子段を上る時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しい事は答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているような憐れな姿勢だけがありありと眼に映った。 「きっとあれだ。今に看護婦に名前を聞かしてやろう」  三沢はこう云って薄笑いをした。けれども自分を担いでる様子はさらに見えなかった。自分は少し釣り込まれた気味で、彼と「あの女」との関係を聞こうとした。 「今に話すよ。あれだと云う事が確に分ったら」  そこへ病院の看護婦が「回診です」と注意しに来たので、「あの女」の話はそれなり途切れてしまった。自分は回診の混雑を避けるため、時間が来ると席を外して廊下へ出たり、貯水桶のある高いところへ出たりしていたが、その日は手近にある帽を取って、梯子段を下まで降りた。「あの女」がまだどこかにいそうな気がするので、自分は玄関の入口に佇立んで四方を見廻した。けれども廊下にも控室にも患者の影はなかった。         二十  その夕方の空が風を殺して静まり返った灯ともし頃、自分はまた曲りくねった段々を急ぎ足に三沢の室まで上った。彼は食後と見えて蒲団の上に胡坐をかいて大きくなっていた。 「もう便所へも一人で行くんだ。肴も食っている」  これが彼のその時の自慢であった。  窓は三つ共明け放ってあった。室が三階で前に目を遮ぎるものがないから、空は近くに見えた。その中に燦めく星も遠慮なく光を増して来た。三沢は団扇を使いながら、「蝙蝠が飛んでやしないか」と云った。看護婦の白い服が窓の傍まで動いて行って、その胴から上がちょっと窓枠の外へ出た。自分は蝙蝠よりも「あの女」の事が気にかかった。「おい、あの事は解ったか」と聞いて見た。 「やっぱりあの女だ」  三沢はこう云いながら、ちょっと意味のある眼遣いをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽いだ。そうして急に持ち交えた柄の方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うを指した。 「あの室へ這入ったんだ。君の帰った後で」  三沢の室は廊下の突き当りで往来の方を向いていた。女の室は同じ廊下の角で、中庭の方から明りを取るようにできていた。暑いので両方共入り口は明けたまま、障子は取り払ってあったから、自分のいる所から、団扇の柄で指し示された部屋の入口は、四半分ほど斜めに見えた。しかしそこには女の寝ている床の裾が、画の模様のように三角に少し出ているだけであった。  自分はその蒲団の端を見つめてしばらく何も云わなかった。 「潰瘍の劇しいんだ。血を吐くんだ」と三沢がまた小さな声で告げた。自分はこの時彼が無理をやると潰瘍になる危険があるから入院したと説明して聞かせた事を思い出した。潰瘍という言葉はその折自分の頭に何らの印象も与えなかったが、今度は妙に恐ろしい響を伝えた。潰瘍の陰に、死という怖いものが潜んでいるかのように。  しばらくすると、女の部屋で微かにげえげえという声がした。 「そら吐いている」と三沢が眉をひそめた。やがて看護婦が戸口へ現れた。手に小さな金盥を持ちながら、草履を突っかけて、ちょっと我々の方を見たまま出て行った。 「癒りそうなのかな」  自分の眼には、今朝腮を胸に押しつけるようにして、じっと腰をかけていた美くしい若い女の顔がありありと見えた。 「どうだかね。ああ嘔くようじゃ」と三沢は答えた。その表情を見ると気の毒というよりむしろ心配そうなある物に囚えられていた。 「君は本当にあの女を知っているのか」と自分は三沢に聞いた。 「本当に知っている」と三沢は真面目に答えた。 「しかし君は大阪へ来たのが今度始めてじゃないか」と自分は三沢を責めた。 「今度来て今度知ったのだ」と三沢は弁解した。「この病院の名も実はあの女に聞いたのだ。僕はここへ這入る時から、あの女がことによるとやって来やしないかと心配していた。けれども今朝君の話を聞くまではよもやと思っていた。僕はあの女の病気に対しては責任があるんだから……」         二十一  大阪へ着くとそのまま、友達といっしょに飲みに行ったどこかの茶屋で、三沢は「あの女」に会ったのである。  三沢はその時すでに暑さのために胃に変調を感じていた。彼を強いた五六人の友達は、久しぶりだからという口実のもとに、彼を酔わせる事を御馳走のように振舞った。三沢も宿命に従う柔順な人として、いくらでも盃を重ねた。それでも胸の下の所には絶えず不安な自覚があった。ある時は変な顔をして苦しそうに生唾を呑み込んだ。ちょうど彼の前に坐っていた「あの女」は、大阪言葉で彼に薬をやろうかと聞いた。彼はジェムか何かを五六粒手の平へ載せて口のなかへ投げ込んだ。すると入物を受取った女も同じように白い掌の上に小さな粒を並べて口へ入れた。  三沢は先刻から女の倦怠そうな立居に気をつけていたので、御前もどこか悪いのかと聞いた。女は淋しそうな笑いを見せて、暑いせいか食慾がちっとも進まないので困っていると答えた。ことにこの一週間は御飯が厭で、ただ氷ばかり呑んでいる、それも今呑んだかと思うと、すぐまた食べたくなるんで、どうもしようがないと云った。  三沢は女に、それはおおかた胃が悪いのだろうから、どこかへ行って専門の大家にでも見せたら好かろうと真面目な忠告をした。女も他に聞くと胃病に違ないというから、好い医者に見せたいのだけれども家業が家業だからと後は云い渋っていた。彼はその時女から始めてここの病院と院長の名前を聞いた。 「僕もそう云う所へちょっと入ってみようかな。どうも少し変だ」  三沢は冗談とも本気ともつかない調子でこんな事を云って、女から縁喜でもないように眉を寄せられた。 「それじゃまあたんと飲んでから後の事にしよう」と三沢は彼の前にある盃をぐっと干して、それを女の前に突き出した。女はおとなしく酌をした。 「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」  彼は女を前に引きつけてむやみに盃をやった。女も素直にそれを受けた。しかししまいには堪忍してくれと云い出した。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。 「酒を呑んで胃病の虫を殺せば、飯なんかすぐ喰える。呑まなくっちゃ駄目だ」  三沢は自暴に酔ったあげく、乱暴な言葉まで使って女に酒を強いた。それでいて、己れの胃の中には、今にも爆発しそうな苦しい塊が、うねりを打っていた。       *       *       *       *  自分は三沢の話をここまで聞いて慄とした。何の必要があって、彼は己の肉体をそう残酷に取扱ったのだろう。己れは自業自得としても、「あの女」の弱い身体をなんでそう無益に苦めたものだろう。 「知らないんだ。向は僕の身体を知らないし、僕はまたあの女の身体を知らないんだ。周囲にいるものはまた我々二人の身体を知らないんだ。そればかりじゃない、僕もあの女も自分で自分の身体が分らなかったんだ。その上僕は自分の胃の腑が忌々しくってたまらなかった。それで酒の力で一つ圧倒してやろうと試みたのだ。あの女もことによると、そうかも知れない」  三沢はこう云って暗然としていた。         二十二 「あの女」は室の前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寝ていた。看護婦は入口の柱の傍へ寄って覗き込むようにすれば見えると云って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった。  附添の看護婦は暑いせいか大概はその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それがまた看護婦としては特別器量が好いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬鹿にしているなどと云った。彼の看護婦はまた別の意味からして、この美しい看護婦を好く云わなかった。病人の世話をそっちのけにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだとか、いろいろの事を探って来ては三沢や自分に報告した。ある時は病人の便器を差し込んだなり、引き出すのを忘れてそのまま寝込んでしまった怠慢さえあったと告げた。  実際この美しい看護婦が器量の優れている割合に義務を重んじなかった事は自分達の眼にもよく映った。 「ありゃ取り換えてやらなくっちゃ、あの女が可哀そうだね」と三沢は時々苦い顔をした。それでもその看護婦が入口の柱にもたれて、うとうとしていると、彼はわが室の中からその横顔をじっと見つめている事があった。 「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよく洩れた。――牛乳でも肉汁でも、どんな軽い液体でも狂った胃がけっして受けつけない。肝心の薬さえ厭がって飲まない。強いて飲ませると、すぐ戻してしまう。 「血は吐くかい」  三沢はいつでもこう云って看護婦に反問した。自分はその言葉を聞くたびに不愉快な刺戟を受けた。 「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれども外の室のように賑かな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返しの影をいくつとなく見た。中には眼の覚めるように派出な模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人に近い地味な服装で、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であら姐はんという感投詞を用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。それも廊下の端に洋傘を置いて室の中へ入るや否や急に消えたように静かになった。 「君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。 「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」 「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」 「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」  三沢は病院の二階に「あの女」の馴染客があって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、共に苦しむ酒のため」という都々逸を紙片へ書いて、あの女の所へ届けた上、出院のとき袴羽織でわざわざ見舞に来た話をして、何という馬鹿だという顔つきをした。 「静かにして、刺戟のないようにしてやらなくっちゃいけない。室でもそっと入って、そっと出てやるのが当り前だ」と彼は云った。 「ずいぶん静じゃないか」と自分は云った。 「病人が口を利くのを厭がるからさ。悪い証拠だ」と彼がまた云った。         二十三  三沢は「あの女」の事を自分の予想以上に詳しく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいない間に得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内所話でも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。  彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取扱かわれる売子であった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体が悪くてもけっして休むような横着はしなかった。時たま堪えられないで床に就く場合でも、早く御座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。…… 「今あの女の室に来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしくしちゃいない。まるで叔母さんか何ぞのようだ。あの女も下女のいう事だけは素直によく聞くので、厭がる薬を呑ませたり、わがままを云い募らせないためには必要な人間なんだ」  三沢はすべてこういう内幕の出所をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明した。けれども自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕まえて、「三沢はああ云ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目な顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞に行ったところで、身上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方へ落ち込んで行く心細い例を話して聞かせた。 「あの女」は嘔気が止まないので、上から営養の取りようがなくなって、昨日とうとう滋養浣腸を試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵を混和した単純な液体ですら、衰弱を極めたあの女の腸には荷が重過ぎると見えて予期通り吸収されなかった。  看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入って、誰が悠々と身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅を着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹った憐な若い女とを、黙って心のうちに対照した。 「あの女」は器量と芸を売る御蔭で、何とかいう芸者屋の娘分になって家のものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通り宅のものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪な病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋の娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。  自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。         二十四 「あの女」の本当の母というのを、三沢はたった一遍見た事があると語った。 「それもほんの後姿だけさ」と彼はわざわざ断った。  その母というのは自分の想像通、あまり楽な身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装をして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼らしくこそこそと来ていつの間にか、また梯子段を下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。 「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。 「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占めていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香を命とする綺麗な人ばかりなので、その中に交るこの母は、ただでさえ燻ぶり過ぎて地味なのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像に描いて暗に憐を催した。 「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍についていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」 「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があっても入費がないんだから」  自分は情ない気がした。ああ云う浮いた家業をする女の平生は羨ましいほど派出でも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸の程度が一層甚だしいのではないかと考えた。 「旦那が付いていそうなものだがな」  三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったと見えて、自分がこう不審を打ったとき、彼は何の答もなく黙っていた。あの女に関していっさいの新智識を供給する看護婦もそこへ行くと何の役にも立たなかった。 「あの女」のか弱い身体は、その頃の暑さでもどうかこうか持ち応えていた。三沢と自分はそれをほとんど奇蹟のごとくに語り合った。そのくせ両人とも露骨を憚って、ついぞ柱の影から室の中を覗いて見た事がないので、現在の「あの女」がどのくらい窶れているかは空しい想像画に過ぎなかった。滋養浣腸さえ思わしく行かなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の眼には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の悪くない入院前の「あの女」の顔が描かれるだけであった。それで二人共あの女はもうむずかしいだろうと話し合っていた。そうして実際は双方共死ぬとは思わなかったのである。  同時にいろいろな患者が病院を出たり入ったりした。ある晩「あの女」と同じくらいな年輩の二階にいる婦人が担架で下へ運ばれて行った。聞いて見ると、今日明日にも変がありそうな危険なところを、付添の母が田舎へ連れて帰るのであった。その母は三沢の看護婦に、氷ばかりも二十何円とかつかったと云って、どうしても退院するよりほかに途がないとわが窮状を仄かしたそうである。  自分は三階の窓から、田舎へ帰る釣台を見下した。釣台は暗くて見えなかったが、用意の提灯の灯はやがて動き出した。窓が高いのと往来が狭いので、灯は谷の底をひそかに動いて行くように見えた。それが向うの暗い四つ角を曲ってふっと消えた時、三沢は自分を顧みて「帰り着くまで持てば好いがな」と云った。         二十五  こんな悲酸な退院を余儀なくされる患者があるかと思うと、毎日子供を負ぶって、廊下だの物見台だの他人の室だのを、ぶらぶら廻って歩く呑気な男もあった。 「まるで病院を娯楽場のように思ってるんだね」 「第一どっちが病人なんだろう」  自分達はおかしくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負ぶっているのは叔父で、負ぶさっているのは甥であった。この甥が入院当時骨と皮ばかりに瘠せていたのを叔父の丹精一つでこのくらい肥ったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか云った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。  三沢の一軒おいて隣にはまた変な患者がいた。手提鞄などを提げて、普通の人間の如く平気で出歩いた。時には病院を空ける事さえあった。帰って来ると素っ裸体になって、病院の飯を旨そうに食った。そうして昨日はちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。  岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入ったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室の床には後光の射した阿弥陀様の軸がかけてあった。二人差向いで気楽そうに碁を打っている事もあった。それでも細君に聞くと、この春餅を食った時、血を猪口に一杯半ほど吐いたから伴れて来たのだともったいらしく云って聞かせた。 「あの女」の看護婦は依然として入口の柱に靠れて、わが膝を両手で抱いている事が多かった。こっちの看護婦はそれをまた器量を鼻へかけて、わざわざあんな人の眼に着く所へ出るのだと評していた。自分は「まさか」と云って弁護する事もあった。けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互に嫉み合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下に見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。こう主張しながらも彼は別にこの看護婦を悪む様子はなかった。自分もこの女に対してさほど厭な感じはもっていなかった。醜い三沢の付添いは「本間に器量の好いものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。  こんな周囲に取り囲まれた三沢は、身体の回復するに従って、「あの女」に対する興味を日に増し加えて行くように見えた。自分がやむをえず興味という妙な熟字をここに用いるのは、彼の態度が恋愛でもなければ、また全くの親切でもなく、興味の二字で現すよりほかに、適切な文字がちょっと見当らないからである。  始めて「あの女」を控室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らないくらい鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるや否や、主客の別はすでについてしまった。それからと云うもの、「あの女」の噂が出るたびに、彼はいつでも先輩の態度を取って自分に向った。自分も一時は彼に釣り込まれて、当初の興味がだんだん研ぎ澄まされて行くような気分になった。けれども客の位置に据えられた自分はそれほど長く興味の高潮を保ち得なかった。         二十六  自分の興味が強くなった頃、彼の興味は自分より一層強くなった。自分の興味がやや衰えかけると、彼の興味はますます強くなって来た。彼は元来がぶっきらぼうの男だけれども、胸の奥には人一倍優しい感情をもっていた。そうして何か事があると急に熱する癖があった。  自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」の室へ入り込まないかを不審に思った。彼はけっして自分のような羞恥家ではなかった。同情の言葉をかけに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞に行くぐらいの事は、彼の性質から見て何でもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、直に行って、会って慰めてやれば好いじゃないか」とまで云った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」と渋っていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨拶であった。そうしてその意味は解らなかった。解らなかったけれども、本当は彼の行かない方が、自分の希望であった。  ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつの間にか口を利くようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱に倚りかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取換わすぐらいな程度に過ぎなかったけれども、――とにかくこの美しい看護婦から自分は運勢早見なんとかいう、玩具の占いの本みたようなものを借りて、三沢の室でそれをやって遊んだ。  これは赤と黒と両面に塗り分けた碁石のような丸く平たいものをいくつか持って、それを眼を眠ったまま畳の上へ並べて置いて、赤がいくつ黒がいくつと後から勘定するのである。それからその数字を一つは横へ、一つは竪に繰って、両方が一点に会したところを本で引いて見ると、辻占のような文句が出る事になっていた。  自分が眼を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、看護婦は赤がいくつ黒がいくつと云いながら占いの文句を繰ってくれた。すると、「この恋もし成就する時は、大いに恥を掻く事あるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出した。三沢も笑った。 「おい気をつけなくっちゃいけないぜ」と云った。三沢はその前から「あの女」の看護婦に自分が御辞儀をするところが変だと云って、始終自分に調戯っていたのである。 「君こそ少し気をつけるが好い」と自分は三沢に竹箆返しを喰わしてやった。すると三沢は真面目な顔をして「なぜ」と反問して来た。この場合この強情な男にこれ以上いうと、事が面倒になるから自分は黙っていた。  実際自分は三沢が「あの女」の室へ出入する気色のないのを不審に思っていたが一方ではまた彼の熱しやすい性質を考えて、今まではとにかく、これから先彼がいつどう変返るかも知れないと心配した。彼はすでに下の洗面所まで行って、朝ごとに顔を洗うぐらいの気力を回復していた。 「どうだもう好い加減に退院したら」  自分はこう勧めて見た。そうして万一金銭上の関係で退院を躊躇するようすが見えたら、彼が自宅から取り寄せる手間と時間を省くため、自分が思い切って一つ岡田に相談して見ようとまで思った。三沢は自分の云う事には何の返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。         二十七  自分は二日前に天下茶屋のお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛られていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折合っている蒲団の上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。 「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分はおとなしく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。 「じゃいっしょに海辺へ行って静養する訳にも行かないな」  三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでも跳ね返すし、こっちが退こうとすると、急にまた他の袂を捕まえて放さないし、と云った風に気分の出入が著るしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日に至ったのである。 「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。 「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。  自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路に、その快よく別れる前の不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部にあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに過ぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変な苦い意味を味わった。  自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡もない癖に、自分だけがだんだん彼女に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬があった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。  自分は歩きながら自分の卑怯を恥じた。同時に三沢の卑怯を悪んだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年交際を重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。  自分はその明日病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫びる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。         二十八 「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」  自分はこう聞いて見ないではいられなかった。三沢は自分の問に答える前にじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。 「別段これという訳もないが、もう出る方が好かろうと思って……」  三沢はこれぎり何にも云わなかった。自分も黙っているよりほかに仕方がなかった。二人はいつもより沈んで相対していた。看護婦はすでに帰った後なので、室の中はことに淋しかった。今まで蒲団の上に胡坐をかいていた彼は急に倒れるように仰向に寝た。そうして上眼を使って窓の外を見た。外にはいつものように色の強い青空が、ぎらぎらする太陽の熱を一面に漲らしていた。 「おい君」と彼はやがて云った。「よく君の話す例の男ね。あの男は金を持っていないかね」  自分は固より岡田の経済事情を知ろうはずがなかった。あの始末屋の御兼さんの事を考えると、金という言葉を口から出すのも厭だった。けれどもいざ三沢の出院となれば、そのくらいな手数は厭うまいと、昨日すでに覚悟をきめたところであった。 「節倹家だから少しは持ってるだろう」 「少しで好いから借りて来てくれ」  自分は彼が退院するについて会計へ払う入院料に困るのだと思った。それでどのくらい不足なのかを確めた。ところが事実は案外であった。 「ここの払と東京へ帰る旅費ぐらいはどうかこうか持っているんだ。それだけなら何も君を煩わす必要はない」  彼は大した物持の家に生れた果報者でもなかったけれども、自分が一人息子だけに、こういう点にかけると、自分達よりよほど自由が利いた。その上母や親類のものから京都で買物を頼まれたのを、新しい道伴ができたためつい大阪まで乗り越して、いまだに手を着けない金が余っていたのである。 「じゃただ用心のために持って行こうと云うんだね」 「いや」と彼は急に云った。 「じゃどうするんだ」と自分は問いつめた。 「どうしても僕の勝手だ。ただ借りてくれさえすれば好いんだ」  自分はまた腹が立った。彼は自分をまるで他人扱いにしているのである。自分は憤として黙っていた。 「怒っちゃいけない」と彼が云った。「隠すんじゃない、君に関係のない事を、わざと吹聴するように見えるのが厭だから、知らせずにおこうと思っただけだから」  自分はまだ黙っていた。彼は寝ながら自分の顔を見上げていた。 「そんなら話すがね」と彼が云い出した。 「僕はまだあの女を見舞ってやらない。向でもそんな事は待ち受けてやしないだろうし、僕も必ず見舞に行かなければならないほどの義理はない。が、僕は何だかあの女の病気を危険にした本人だという自覚がどうしても退かない。それでどっちが先へ退院するにしても、その間際に一度会っておきたいと始終思っていた。見舞じゃない、詫まるためにだよ。気の毒な事をしたと一口詫まればそれで好いんだ。けれどもただ詫まる訳にも行かないから、それで君に頼んで見たのだ。しかし君の方の都合が悪ければ強いてそうして貰わないでもどうかなるだろう。宅へ電報でもかけたら」         二十九  自分は行がかり上一応岡田に当って見る必要があった。宅へ電報を打つという三沢をちょっと待たして、ふらりと病院の門を出た。岡田の勤めている会社は、三沢の室とは反対の方向にあるので、彼の窓から眺める訳には行かないけれども、道程からいうといくらもなかった。それでも暑いので歩いて行くうちに汗が背中を濡らすほど出た。  彼は自分の顔を見るや否や、さも久しぶりに会った人らしく「やっしばらく」と叫ぶように云った。そうしてこれまでたびたび電話で繰り返した挨拶をまた新しくまのあたり述べた。  自分と岡田とは今でこそ少し改まった言葉使もするが、昔を云えば、何の遠慮もない間柄であった。その頃は金も少しは彼のために融通してやった覚がある。自分は勇気を鼓舞するために、わざとその当時の記憶を呼起してかかった。何にも知らない彼は、立ちながら元気な声を出して、「どうです二郎さん、僕の予言は」と云った。「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」  自分は思い切って、まず肝心の用事を話した。彼は案外な顔をして聞いていたが、聞いてしまうとすぐ、「ようがす、そのくらいならどうでもします」と容易に引き受けてくれた。  彼は固よりその隠袋の中に入用の金を持っていなかった。「明日でも好いんでしょう」と聞いた。自分はまた思い切って、「できるなら今日中に欲しいんだ」と強いた。彼はちょっと当惑したように見えた。 「じゃ仕方がない迷惑でしょうけれども、手紙を書きますから、宅へ持って行ってお兼に渡して下さいませんか」  自分はこの事件についてお兼さんと直接の交渉はなるべく避けたかったけれども、この場合やむをえなかったので、岡田の手紙を懐へ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口まで馳け出して来て、「この御暑いのによくまあ」と驚いてくれた。そうして、「さあどうぞ」を二三返繰返したが、自分は立ったまま「少し急ぎますから」と断って、岡田の手紙を渡した。お兼さんは上り口に両膝を突いたなり封を切った。 「どうもわざわざ恐れ入りましたね。それではすぐ御伴をして参りますから」とすぐ奥へ入った。奥では用箪笥の環の鳴る音がした。  自分はお兼さんと電車の終点までいっしょに乗って来てそこで別れた。「では後ほど」と云いながらお兼さんは洋傘を開いた。自分はまた俥を急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体を拭いたり、しばらく三沢と話しているうちに、自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関まで呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、そこに挟んであった札を自分の手の上に乗せた。 「ではどうぞちょっと御改ためなすって」  自分は形式的にそれを勘定した上、「確に。――どうもとんだ御手数をかけました。御暑いところを」と礼を述べた。実際急いだと見えてお兼さんは富士額の両脇を、細かい汗の玉でじっとりと濡らしていた。 「どうです、ちっと上って涼んでいらしったら」 「いいえ今日は急ぎますから、これで御免を蒙ります。御病人へどうぞよろしく。――でも結構でございましたね、早く御退院になれて。一時は宅でも大層心配致しまして、よく電話で御様子を伺ったとか申しておりましたが」  お兼さんはこんな愛想を云いながら、また例のクリーム色の洋傘を開いて帰って行った。         三十  自分は少し急き込んでいた。紙幣を握ったまま段々を馳け上るように三階まで来た。三沢は平生よりは落ちついていなかった。今火を点けたばかりの巻煙草をいきなり灰吹の中に放り込んで、ありがとうともいわずに、自分の手から金を受取った。自分は渡した金の高を注意して、「好いか」と聞いた。それでも彼はただうんと云っただけである。  彼はじっと「あの女」の室の方を見つめた。時間の具合で、見舞に来たものの草履は一足も廊下の端に脱ぎ棄ててなかった。平生から静過ぎる室の中は、ことに寂寞としていた。例の美くしい看護婦は相変らず角の柱に倚りかかって、産婆学の本か何か読んでいた。 「あの女は寝ているのかしら」  彼は「あの女」の室へ入るべき好機会を見出しながら、かえってその眠を妨げるのを恐れるように見えた。 「寝ているかも知れない」と自分も思った。  しばらくして三沢は小さな声で「あの看護婦に都合を聞いて貰おうか」と云い出した。彼はまだこの看護婦に口を利いた事がないというので、自分がその役を引受けなければならなかった。  看護婦は驚いたようなまたおかしいような顔をして自分を見た。けれどもすぐ自分の真面目な態度を認めて、室の中へ入って行った。かと思うと、二分と経たないうちに笑いながらまた出て来た。そうして今ちょうど気分の好いところだからお目にかかれるという患者の承諾をもたらした。三沢は黙って立ち上った。  彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座に坐って、ぼんやりその後影を見送った。彼の姿が見えなくなってもやはり空に同じ所を見つめていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑の微笑を唇の上に漂わせて自分を見たが、それなり元の通り柱に背を倚せて、黙って読みかけた書物をまた膝の上にひろげ始めた。  室の中は三沢の入った後も彼の入らない前も同じように静であった。話し声などは無論聞こえなかった。看護婦は時々不意に眼を上げて室の奥の方を見た。けれども自分には何の相図もせずに、すぐその眼を頁の上に落した。  自分はこの三階の宵の間に虫の音らしい涼しさを聴いた例はあるが、昼のうちにやかましい蝉の声はついぞ自分の耳に届いた事がない。自分のたった一人で坐っている病室はその時明かな太陽の光を受けながら、真夜中よりもなお静かであった。自分はこの死んだような静かさのために、かえって神経を焦らつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。  やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居を跨ぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶する言葉だけが自分の耳に入った。  彼は上草履の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。 「やっと済んだ。これでもう出ても好い」  三沢は同じ言葉を繰返すだけで、その他には何にも云わなかった。自分もそれ以上は聞き得なかった。ともかくも退院の手続を早くする方が便利だと思って、そこらに散らばっているものを片づけ始めた。三沢も固よりじっとしてはいなかった。         三十一  二人は俥を雇って病院を出た。先へ梶棒を上げた三沢の車夫が余り威勢よく馳けるので、自分は大きな声でそれを留めようとした。三沢は後を振り向いて、手を振った。「大丈夫、大丈夫」と云うらしく聞こえたから、自分もそれなりにして注意はしなかった。宿へ着いたとき、彼は川縁の欄干に両手を置いて、眼の下の広い流をじっと眺めていた。 「どうした。心持でも悪いか」と自分は後から聞いた。彼は後を向かなかった。けれども「いいや」と答えた。「ここへ来てこの河を見るまでこの室の事をまるで忘れていた」  そういって、彼は依然として流れに向っていた。自分は彼をそのままにして、麻の座蒲団の上に胡坐をかいた。それでも待遠しいので、やがて袂から敷島の袋を出して、煙草を吸い始めた。その煙草が三分の一煙になった頃、三沢はようやく手摺を離れて自分の前へ来て坐った。 「病院で暮らしたのも、つい昨日今日のようだが、考えて見ると、もうだいぶんになるんだね」と云って指を折りながら、日数を勘定し出した。 「三階の光景が当分眼を離れないだろう」と自分は彼の顔を見た。 「思いも寄らない経験をした。これも何かの因縁だろう」と三沢も自分の顔を見た。  彼は手を叩いて、下女を呼んで今夜の急行列車の寝台を注文した。それから時計を出して、食事を済ました後、時間にどのくらい余裕があるかを見た。窮屈に馴れない二人はやがて転りと横になった。 「あの女は癒りそうなのか」 「そうさな。事によると癒るかも知れないが……」  下女が誂えた水菓子を鉢に盛って、梯子段を上って来たので、「あの女」の話はこれで切れてしまった。自分は寝転んだまま、水菓子を食った。その間彼はただ自分の口の辺を見るばかりで、何事も云わなかった。しまいにさも病人らしい調子で、「おれも食いたいな」と一言云った。先刻から浮かない様子を見ていた自分は、「構うものか、食うが好い。食え食え」と勧めた。三沢は幸いにして自分が氷菓子を食わせまいとしたあの日の出来事を忘れていた。彼はただ苦笑いをして横を向いた。 「いくら好だって、悪いと知りながら、無理に食わせられて、あの女のようになっちゃ大変だからな」  彼は先刻から「あの女」の事を考えているらしかった。彼は今でも「あの女」の事を考えているとしか思われなかった。 「あの女は君を覚えていたかい」 「覚えているさ。この間会って、僕から無理に酒を呑まされたばかりだもの」 「恨んでいたろう」  今まで横を向いてそっぽへ口を利いていた三沢は、この時急に顔を向け直してきっと正面から自分を見た。その変化に気のついた自分はすぐ真面目な顔をした。けれども彼があの女の室に入った時、二人の間にどんな談話が交換されたかについて、彼はついに何事をも語らなかった。 「あの女はことによると死ぬかも知れない。死ねばもう会う機会はない。万一癒るとしても、やっぱり会う機会はなかろう。妙なものだね。人間の離合というと大袈裟だが。それに僕から見れば実際離合の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰る事を知って、笑いながら御機嫌ようと云った。僕はその淋しい笑を、今夜何だか汽車の中で夢に見そうだ」         三十二  三沢はただこう云った。そうして夢に見ない先からすでに「あの女」の淋しい笑い顔を眼の前に浮べているように見えた。三沢に感傷的のところがあるのは自分もよく承知していたが、単にあれだけの関係で、これほどあの女に動かされるのは不審であった。自分は三沢と「あの女」が別れる時、どんな話をしたか、詳しく聞いて見ようと思って、少し水を向けかけたが、何の効果もなかった。しかも彼の態度が惜しいものを半分他に配けてやると、半分無くなるから厭だという風に見えたので、自分はますます変な気持がした。 「そろそろ出かけようか。夜の急行は込むから」ととうとう自分の方で三沢を促がすようになった。 「まだ早い」と三沢は時計を見せた。なるほど汽車の出るまでにはまだ二時間ばかり余っていた。もう「あの女」の事は聞くまいと決心した自分は、なるべく病院の名前を口へ出さずに、寝転びながら彼と通り一遍の世間話を始めた。彼はその時人並の受け答をした。けれどもどこか調子に乗らないところがあるので、何となく不愉快そうに見えた。それでも席は動かなかった。そうしてしまいには黙って河の流ればかり眺めていた。 「まだ考えている」と自分は大きな声を出してわざと叫んだ。三沢は驚いて自分を見た。彼はこういう場合にきっと、御前はヴァルガーだと云う眼つきをして、一瞥の侮辱を自分に与えなければ承知しなかったが、この時に限ってそんな様子はちっとも見せなかった。 「うん考えている」と軽く云った。「君に打ち明けようか、打ち明けまいかと迷っていたところだ」と云った。  自分はその時彼から妙な話を聞いた。そうしてその話が直接「あの女」と何の関係もなかったのでなおさら意外の感に打たれた。  今から五六年前彼の父がある知人の娘を同じくある知人の家に嫁らした事があった。不幸にもその娘さんはある纏綿した事情のために、一年経つか経たないうちに、夫の家を出る事になった。けれどもそこにもまた複雑な事情があって、すぐわが家に引取られて行く訳に行かなかった。それで三沢の父が仲人という義理合から当分この娘さんを預かる事になった。――三沢はいったん嫁いで出て来た女を娘さん娘さんと云った。 「その娘さんは余り心配したためだろう、少し精神に異状を呈していた。それは宅へ来る前か、あるいは来てからかよく分らないが、とにかく宅のものが気がついたのは来てから少し経ってからだ。固より精神に異状を呈しているには相違なかろうが、ちょっと見たって少しも分らない。ただ黙って欝ぎ込んでいるだけなんだから。ところがその娘さんが……」  三沢はここまで来て少し躊躇した。 「その娘さんがおかしな話をするようだけれども、僕が外出するときっと玄関まで送って出る。いくら隠れて出ようとしてもきっと送って出る。そうして必ず、早く帰って来てちょうだいねと云う。僕がええ早く帰りますからおとなしくして待っていらっしゃいと返事をすれば合点合点をする。もし黙っていると、早く帰って来てちょうだいね、ね、と何度でも繰返す。僕は宅のものに対してきまりが悪くってしようがなかった。けれどもまたこの娘さんが不憫でたまらなかった。だから外出してもなるべく早く帰るように心がけていた。帰るとその人の傍へ行って、立ったままただいまと一言必ず云う事にしていた」  三沢はそこへ来てまた時計を見た。 「まだ時間はあるね」と云った。         三十三  その時自分はこれぎりでその娘さんの話を止められてはと思った。幸いに時間がまだだいぶあったので、自分の方から何とも云わない先に彼はまた語り続けた。 「宅のものがその娘さんの精神に異状があるという事を明かに認め出してからはまだよかったが、知らないうちは今云った通り僕もその娘さんの露骨なのにずいぶん弱らせられた。父や母は苦い顔をする。台所のものはないしょでくすくす笑う。僕は仕方がないから、その娘さんが僕を送って玄関まで来た時、烈しく怒りつけてやろうかと思って、二三度後を振り返って見たが、顔を合せるや否や、怒るどころか、邪慳な言葉などは可哀そうでとても口から出せなくなってしまった。その娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛と黒い大きな眸をもっていた。その黒い眸は始終遠くの方の夢を眺ているように恍惚と潤って、そこに何だか便のなさそうな憐を漂よわせていた。僕が怒ろうと思ってふり向くと、その娘さんは玄関に膝を突いたなりあたかも自分の孤独を訴えるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活きていてもたった一人で淋しくってたまらないから、どうぞ助けて下さいと袖に縋られるように感じた。――その眼がだよ。その黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」 「君に惚れたのかな」と自分は三沢に聞きたくなった。 「それがさ。病人の事だから恋愛なんだか病気なんだか、誰にも解るはずがないさ」と三沢は答えた。 「色情狂っていうのは、そんなもんじゃないのかな」と自分はまた三沢に聞いた。  三沢は厭な顔をした。 「色情狂と云うのは、誰にでもしなだれかかるんじゃないか。その娘さんはただ僕を玄関まで送って出て来て、早く帰って来てちょうだいねと云うだけなんだから違うよ」 「そうか」  自分のこの時の返事は全く光沢がなさ過ぎた。 「僕は病気でも何でも構わないから、その娘さんに思われたいのだ。少くとも僕の方ではそう解釈していたいのだ」と三沢は自分を見つめて云った。彼の顔面の筋肉はむしろ緊張していた。「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片づいた先の旦那というのが放蕩家なのか交際家なのか知らないが、何でも新婚早々たびたび家を空けたり、夜遅く帰ったりして、その娘さんの心をさんざん苛めぬいたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦みを言わずに我慢していたのだね。その時の事が頭に祟っているから、離婚になった後でも旦那に云いたかった事を病気のせいで僕に云ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。強いてもそうでないと信じていたい」 「それほど君はその娘さんが気に入ってたのか」と自分はまた三沢に聞いた。 「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなるほど」 「それから。――その娘さんは」 「死んだ。病院へ入って」  自分は黙然とした。 「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回忌を勘定して見て、単にそのためだけでも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。 「ああ肝心の事を忘れた」とその時三沢が叫んだ。自分は思わず「何だ」と聞き返した。 「あの女の顔がね、実はその娘さんに好く似ているんだよ」  三沢の口元には解ったろうと云う一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場へ俥を急がした。場内は急行を待つ乗客ですでにいっぱいになっていた。二人は橋を向へ渡って上り列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。 「また会おう」  自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音と共にたちまち暗中に消えた。      兄         一  自分は三沢を送った翌日また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場に出かけなければならなかった。  自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕ぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄してその成効に誇るのが好であった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。 「どうして来るんです」と自分は聞いた。  自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末の地面が、新たに電車の布設される通り路に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連て旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟な計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。 「何という大した考えもないんでございましょう。ただ昔しお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」  お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞さんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界まで出て来るはずがないと思った。  自分はその時すでに懐が危しくなっていた。その上後から三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補の方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快よくこちらの要るだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。  自分は岡田夫婦といっしょに停車場に行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚したでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫まるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌のうちに、どことなく黒人らしい媚を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知らぬ風をして岡田に話しかけた。―― 「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」 「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」  岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。 「始終傍にいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、直に俥を南へ走らした。自分は空に乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴れて行ったのも自分を驚かした目覚ましい手柄の一つに相違なかった。         二  母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊っている所よりはよほど上品な構であった。室には扇風器だの、唐机だの、特別にその唐机の傍に備えつけた電灯などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着の旨を書いて下女に渡していた。岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書を袂の中から出して、これは叔父さん、これはお重さん、これはお貞さんと一々名宛を書いて、「さあ一口ずつ皆などうぞ」と方々へ配っていた。  自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がその後へ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚した。 「お貞さんは病気なんですか」 「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度伴れて来ようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹が悪くなってね。残念な事をしましたよ」 「でも大した事じゃないのよ。もうお粥がそろそろ食べられるんだから」と嫂が傍から説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へ宛てたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」と細かく謹んで書いたので、兄から「将棋の駒がまだ祟ってると見えるね」と笑われていた。  絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄が止めるのも聞かずに帰って行った。 「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」 「宅へ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」  母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己れがそれだけ年を取ったという淡い哀愁を含んでいた。 「お貞さんだって、もう直ですよお母さん」と自分は横合から口を出した。 「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づく当のないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分を顧みて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔のある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気で、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎さんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。  みんなは話に気を取られて浴衣を着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊の強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促がした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺の所へ出て、鼻の先にある高い塗塀を欝陶しそうに眺めていた母は、「いい室だが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍へ行って、下を見た。下には張物板のような細長い庭に、細い竹が疎に生えて錆びた鉄灯籠が石の上に置いてあった。その石も竹も打水で皆しっとり濡れていた。 「狭いが凝ってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」 「おやどこに河があるの」と母がいう後から、兄も嫂もその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏めた上またここへ来る約束をして宿を出た。         三  自分はその夕方宿の払を済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯が後れたと見えて、膳を控えたまま楊枝を使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。 「今夜は御止しよ」と母が留めた。  兄は寝転びながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺だの中の島だの千日前だのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫極まるものであった。  もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩んだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちで一番面白く自分の耳に響いたのは彼の昔泊ったという宿屋の夜の景色であった。 「細い通りの角で、欄干の所へ出ると柳が見えた。家が隙間なく並んでいる割には閑静で、窓から眺められる長い橋も画のように趣があった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚なくって困ったが……」 「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角さえ分らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断面を驚くばかり鮮かに覚えている代りに、場所の名や年月を全く忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。 「どこだか解らなくっちゃつまらないわね」と嫂がまた云った。兄と嫂とはこんなところでよく喰い違った。兄の機嫌の悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になる例も稀ではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。後を御話しよ」と云った。兄は「御母さんにも直にもつまらない事ですよ」と断って、「二郎そこの二階に泊ったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分は固より兄の話を一人で聞くべき責任を引受けた。 「どうしました」 「夜になって一寝入して眼が醒めると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干の傍まで出て下を覗いた。すると向に見える柳の下で、真裸な男が三人代る代る大な沢庵石の持ち上げ競をしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体の人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒のようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」 「何だか水滸伝のような趣じゃありませんか」 「その時からしてがすでに縹緲たるものさ。今日になって回顧するとまるで夢のようだ」  兄はこんな事を回想するのが好であった。そうしてそれは母にも嫂にも通じない、ただ父と自分だけに解る趣であった。 「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」  自分は三沢のいた病院の三階から見下される狭い綺麗な通を思い出した。そうして兄の見た棒使や力持はあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。  岡田夫婦は約のごとくその晩また尋ねて来た。         四  岡田はすこぶる念入の遊覧目録といったようなものを、わざわざ宅から拵えて来て、母と兄に見せた。それがまた余り綿密過ぎるので、母も兄も「これじゃ」と驚いた。 「まあ幾日くらい御滞在になれるんですか、それ次第でプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるんです」  岡田の言葉のうちには多少の不服が籠っていたが、同時に得意な調子も見えた。 「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。あなたの話を傍で聞いていると」  お兼さんは笑いながらこう云って真面目な夫に注意した。 「いえ自慢じゃない。自慢じゃないが……」  注意された岡田はますます真面目になった。それが少し滑稽に見えたので皆なが笑い出した。 「岡田さんは五六年のうちにすっかり上方風になってしまったんですね」と母が調戯った。 「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がその後に随いてまた冷嘲し始めた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵わない。全く東京ものは口が悪い」と云った。 「それにお重の兄だもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。 「お兼少し助けてくれ」と岡田がしまいに云った。そうして母の前に置いてあった先刻のプログラムを取って袂へ入れながら、「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒った風をした。  冗談がひとしきり済むと、自分の予期していた通り、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」と云ったような打って変った几帳面な言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまたしかつめらしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨拶をする、自分には両方共大袈裟に見えた。それから岡田はちょうど好い都合だから、是非本人に会ってやってくれと、また会見の打ち合せをし始めた。兄もその話しの中に首を突込まなくっては義理が悪いと見えて、煙草を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寝ているお貞さんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残して行った美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を聯想した。  嫂とお兼さんは親しみの薄い間柄であったけれども、若い女同志という縁故で先刻から二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質であった。お兼さんは愛嬌のある方であった。お兼さんが十口物をいう間に嫂は一口しかしゃべれなかった。しかも種が切れると、その都度きっとお兼さんの方から供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂の方が急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無頓着らしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留守居ができます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴づいておりますから」と嫂は答えていた。         五  母と兄夫婦の滞在日数は存外少いものであった。まず市内で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。 「せめてもう少しはいいでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易な事じゃありませんよ、億劫で」  こうは云うものの岡田も、母の滞在中会社の方をまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京の宅の事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合せであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄と嫂だけが連立って避暑に出かけるとか、もしまたお貞さんの結婚問題が目的なら、当人の病気が癒るのを待って、母なり父なりが連れて来て、早く事を片づけてしまうとか、自然の予定は二通りも三通りもあった。それがこう変な形になって現れたのはどういう訳だか、自分には始めから呑み込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳込んでいるという風に見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気がついているらしいところもあった。  佐野との会見は型のごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰った後でも両方共佐野の批評はしなかった。もう事が極って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調った。自分は兄に、「おめでた過ぎるくらい事件がどんどん進行して行く癖に、本人がいっこう知らないんだから面白い」と云った。 「当人は無論知ってるんだ」と兄が答えた。 「大喜びだよ」と母が保証した。  自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と云った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。 「女だけじゃないよ。男だって自分勝手にむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそその方が好いかも知れないね」と云った。その云い方が少し冷か過ぎたせいか、母は何だか厭な顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。  少し経ってから母はようやく口を開いた。 「でも貞だけでもきまってくれるとお母さんは大変楽な心持がするよ。後は重ばかりだからね」 「これもお父さんの御蔭さ」と兄が答えた。その時兄の唇に薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。 「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああやってるのと同じ事さ」と母はだいぶ満足な体に見えた。  憐れな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。  兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞しているような気がしてならなかった。けれどもまた一方から云えば、佐野は瞞されてもしかるべきだという考えが始めから頭のどこかに引っかかっていた。  とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳に応えるとか云って、早く大阪を立ち退く事を主張した。自分は固より賛成であった。         六  実際その頃の大阪は暑かった。ことに我々の泊っている宿屋は暑かった。庭が狭いのと塀が高いので、日の射し込む余地もなかったが、その代り風の通る隙間にも乏しかった。ある時は湿っぽい茶座敷の中で、四方から焚火に焙られているような苦しさがあった。自分は夜通し扇風器をかけてぶうぶう鳴らしたため、馬鹿な真似をして風邪でもひいたらどうすると云って母から叱られた事さえあった。  大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬なら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶棒へ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路を上るのだそうだが、暑いので犬がともすると渓河の清水を飲もうとするのを、車夫が怒って竹の棒でむやみに打擲くから、犬がひんひん苦しがりながら俥を引くんだという話を、かつて聞いたまましゃべった。 「厭だねそんな俥に乗るのは、可哀想で」と母が眉をひそめた。 「なぜまた水を飲ませないんだろう。俥が遅れるからかね」と兄が聞いた。 「途中で水を飲むと疲れて役に立たないからだそうです」と自分が答えた。 「へえー、なぜ」と今度は嫂が不思議そうに聞いたが、それには自分も答える事ができなかった。  有馬行は犬のせいでもなかったろうけれども、とうとう立消になった。そうして意外にも和歌の浦見物が兄の口から発議された。これは自分もかねてから見たいと思っていた名所であった。母も子供の時からその名に親しみがあるとかで、すぐ同意した。嫂だけはどこでも構わないという風に見えた。  兄は学者であった。また見識家であった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりではない、母や嫂に対しても、機嫌の好い時は馬鹿に好いが、いったん旋毛が曲り出すと、幾日でも苦い顔をして、わざと口を利かずにいた。それで他人の前へ出ると、また全く人間が変ったように、たいていな事があっても滅多に紳士の態度を崩さない、円満な好侶伴であった。だから彼の朋友はことごとく彼を穏かな好い人物だと信じていた。父や母はその評判を聞くたびに案外な顔をした。けれどもやっぱり自分の子だと見えて、どこか嬉しそうな様子が見えた。兄と衝突している時にこんな評判でも耳に入ろうものなら、自分はむやみに腹が立った。一々その人の宅まで出かけて行って、彼らの誤解を訂正してやりたいような気さえ起った。  和歌の浦行に母がすぐ賛成したのも、実は彼女が兄の気性をよく呑み込んでいるからだろうと自分は思った。母は長い間わが子の我を助けて育てるようにした結果として、今では何事によらずその我の前に跪く運命を甘んじなければならない位地にあった。  自分は便所に立った時、手水鉢の傍にぼんやり立っていた嫂を見付けて、「姉さんどうです近頃は。兄さんの機嫌は好い方なんですか悪い方なんですか」と聞いた。嫂は「相変らずですわ」とただ一口答えただけであった。嫂はそれでも淋しい頬に片靨を寄せて見せた。彼女は淋しい色沢の頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた。         七  自分は立つ前に岡田に借りた金の片をつけて行きたかった。もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、ああいう人の金はなるべく早く返しておいた方が、こっちの心持がいいという考えがあった。それで誰も傍にいない折を見計らって、母にどうかしてくれと頼んだ。  母は兄を大事にするだけあって、無論彼を心から愛していた。けれども長男という訳か、また気むずかしいというせいか、どこかに遠慮があるらしかった。ちょっとの事を注意するにしても、なるべく気に障らないように、始めから気を置いてかかった。そこへ行くと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしにやっつけられた。その代りまた兄以上に可愛がられもした。小遣などは兄にないしょでよく貰った覚がある。父の着物などもいつの間にか自分のに仕立直してある事は珍らしくなかった。こういう母の仕打が、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。些細な事から兄はよく機嫌を悪くした。そうして明るい家の中に陰気な空気を漲ぎらした。母は眉をひそめて、「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々私語いた。自分は母から腹心の郎党として取扱われるのが嬉しさに、「癖なんだから、放っておおきなさい」ぐらい云って澄ましていた時代もあった。兄の性質が気むずかしいばかりでなく、大小となく影でこそこそ何かやられるのを忌む正義の念から出るのだという事を後から知って以来、自分は彼に対してこんな軽薄な批評を加えるのを恥ずるようになった。けれども表向兄の承諾を求めると、とうてい行われにくい用件が多いので、自分はつい機会を見ては母の懐に一人抱かれようとした。  母は自分が三沢のために岡田から金を借りた顛末を聞いて驚いた顔をした。 「そんな女のためにお金を使う訳がないじゃないか、三沢さんだって。馬鹿らしい」と云った。 「だけど、そこには三沢も義理があるんだから」と自分は弁解した。 「義理義理って、御母さんには解らないよ、お前のいう事は。気の毒なら、手ぶらで見舞に行くだけの事じゃないか。もし手ぶらできまりが悪ければ、菓子折の一つも持って行きゃあたくさんだね」  自分はしばらく黙っていた。 「よし三沢さんにそれだけの義理があったにしたところでさ。何もお前が岡田なんぞからそれを借りて上げるだけの義理はなかろうじゃないか」 「じゃよござんす」と自分は答えた。そうして立って下へ行こうとした。兄は湯に入っていた。嫂は小さい下の座敷を借りて髪を結わしていた。座敷には母よりほかにいなかった。 「まあお待ちよ」と母が呼び留めた。「何も出して上げないと云ってやしないじゃないか」  母の言葉には兄一人でさえたくさんなところへ、何の必要があって、自分までこの年寄を苛めるかと云わぬばかりの心細さが籠っていた。自分は母のいう通り元の席に着いたが、気の毒でちょっと顔を上げ得なかった。そうしてこの無恰好な態度で、さも子供らしく母から要るだけの金子を受取った。母が一段声を落して、いつものように、「兄さんにはないしょだよ」と云った時、自分は不意に名状しがたい不愉快に襲われた。         八  自分達はその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引返して来なければならないのだから、岡田の金もその時で好いとは思ったが、性急の自分には紙入をそのまま懐中しているからがすでに厭だった。岡田はその晩も例の通り宿屋へ話に来るだろうと想像された。だからその折にそっと返しておこうと自分は腹の中できめた。  兄が湯から上って来た。帯も締めずに、浴衣を羽織るようにひっかけたままずっと欄干の所まで行ってそこへ濡手拭を懸けた。 「お待遠」 「お母さん、どうです」と自分は母を促がした。 「まあお這入りよ、お前から」と云った母は、兄の首や胸の所を眺めて、「大変好い血色におなりだね。それに少し肉が付いたようじゃないか」と賞めていた。兄は性来の痩っぽちであった。宅ではそれをみんな神経のせいにして、もう少し肥らなくっちゃ駄目だと云い合っていた。その内でも母は最も気を揉んだ。当人自身も痩せているのを何かの刑罰のように忌み恐れた。それでもちっとも肥れなかった。  自分は母の言葉を聞きながら、この苦しい愛嬌を、慰藉の一つとしてわが子の前に捧げなければならない彼女の心事を気の毒に思った。兄に比べると遥かに頑丈な体躯を起しながら、「じゃ御先へ」と母に挨拶して下へ降りた。風呂場の隣の小さい座敷をちょいと覗くと、嫂は今髷ができたところで、合せ鏡をして鬢だの髱だのを撫でていた。 「もう済んだんですか」 「ええ。どこへいらっしゃるの」 「御湯へ這入ろうと思って。お先へ失礼してもよござんすか」 「さあどうぞ」  自分は湯に入りながら、嫂が今日に限ってなんでまた丸髷なんて仰山な頭に結うのだろうと思った。大きな声を出して、「姉さん、姉さん」と湯壺の中から呼んで見た。「なによ」という返事が廊下の出口で聞こえた。 「御苦労さま、この暑いのに」と自分が云った。 「なぜ」 「なぜって、兄さんの御好みなんですか、そのでこでこ頭は」 「知らないわ」  嫂の廊下伝いに梯子段を上る草履の音がはっきり聞こえた。  廊下の前は中庭で八つ手の株が見えた。自分はその暗い庭を前に眺めて、番頭に背中を流して貰っていた。すると入口の方から縁側を沿って、また活溌な足音が聞こえた。  そうして詰襟の白い洋服を着た岡田が自分の前を通った。自分は思わず、「おい君、君」と呼んだ。 「や、今お湯、暗いんでちっとも気がつかなかった」と岡田は一足後戻りして風呂を覗き込みながら挨拶をした。 「あなたに話がある」と自分は突然云った。 「話が? 何です」 「まあ、お入んなさい」  岡田は冗談じゃないと云う顔をした。 「お兼は来ませんか」  自分が「いいえ」と答えると、今度は「皆さんは」と聞いた。自分がまた「みんないますよ」というと、不思議そうに「じゃ今日はどこへも行かなかったんですか」と聞いた。 「行ってもう帰って来たんです」 「実は僕も今会社から帰りがけですがね。どうも暑いじゃあありませんか。――とにかくちょっと伺候して来ますから。失礼」  岡田はこう云い捨てたなり、とうとう自分の用事を聞かずに二階へ上って行ってしまった。自分もしばらくして風呂から出た。         九  岡田はその夜だいぶ酒を呑んだ。彼は是非都合して和歌の浦までいっしょに行くつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期の通りにならないのがはなはだ残念だと云ってしきりに母や兄に詫びていた。 「じゃ今夜が御別れだから、少し御過ごしなさい」と母が勧めた。  あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰も彼の相手にはなれなかった。それで皆な御免蒙って岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、独り膳を控えて盃を甜め続けた。  彼は性来元気な男であった。その上酒を呑むとますます陽気になる好い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓着なしに好きな事を喋舌って、時々一人高笑いをした。  彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖えて、これから十年立つとまたその富が今の何十倍になるというような統計を挙げておおいに満足らしく見えた。 「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を云ったとき、岡田は禿げかかった頭へ手を載せて笑い出した。 「しかし僕の今日あるも――というと、偉過ぎるが、まあどうかこうかやって行けるのも、全く叔父さんと叔母さんのお蔭です。僕はいくらこうして酒を呑んで太平楽を並べていたって、それだけはけっして忘れやしません」  岡田はこんな事を云って、傍にいる母と遠くにいる父に感謝の意を表した。彼は酔うと同じ言葉を何遍も繰返す癖のある男だったが、ことにこの感謝の意は少しずつ違った形式で、幾度か彼の口から洩れた。しまいに彼は灘万のまな鰹とか何とかいうものを、是非父に喰わせたいと云い募った。  自分は彼がもと書生であった頃、ある正月の宵どこかで振舞酒を浴びて帰って来て、父の前へ長さ三寸ばかりの赤い蟹の足を置きながら平伏して、謹んで北海の珍味を献上しますと云ったら、父は「何だそんな朱塗りの文鎮見たいなもの。要らないから早くそっちへ持って行け」と怒った昔を思い出した。  岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。始めは興を添えた彼の座談もだんだん皆なに飽きられて来た。嫂は団扇を顔へ当てて欠を隠した。自分はとうとう彼を外へ連出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五六町彼といっしょに歩いた。そうして懐から例の金を出して彼に返した。金を受取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚ろくべくたしかなものであった。「今でなくってもいいのに。しかしお兼が喜びますよ。ありがとう」と云って、洋服の内隠袋へ収めた。  通りは静であった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外濁っていた。自分は心の内に明日の天気を気遣った。すると岡田が藪から棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と云い出した。そうして昔し兄と自分と将棋を指した時、自分が何か一口云ったのを癪に、いきなり将棋の駒を自分の額へぶつけた騒ぎを、新しく自分の記憶から呼び覚した。 「あの時分からわがままだったからね、どうも。しかしこの頃はだいぶ機嫌が好いようじゃありませんか」と彼がまた云った。自分は煮え切らない生返事をしておいた。 「もっとも奥さんができてから、もうよっぽどになりますからね。しかし奥さんの方でもずいぶん気骨が折れるでしょう。あれじゃ」  自分はそれでも何の答もしなかった。ある四角へ来て彼と別れるときただ「お兼さんによろしく」と云ったまままた元の路へ引き返した。         十  翌日朝の汽車で立った自分達は狭い列車のなかの食堂で昼飯を食った。「給仕がみんな女だから面白い。しかもなかなか別嬪がいますぜ、白いエプロンを掛けてね。是非中で昼飯をやって御覧なさい」と岡田が自分に注意したから、自分は皿を運んだりサイダーを注いだりする女をよく心づけて見た。しかし別にこれというほどの器量をもったものもいなかった。  母と嫂は物珍らしそうに窓の外を眺めて、田舎めいた景色を賞し合った。実際窓外の眺めは大阪を今離れたばかりの自分達には一つの変化であった。ことに汽車が海岸近くを走るときは、松の緑と海の藍とで、煙に疲れた眼に爽かな青色を射返した。木蔭から出たり隠れたりする屋根瓦の積み方も東京地方のものには珍らしかった。 「あれは妙だね。御寺かと思うと、そうでもないし。二郎、やっぱり百姓家なのかね」と母がわざわざ指をさして、比較的大きな屋根を自分に示した。  自分は汽車の中で兄と隣り合せに坐った。兄は何か考え込んでいた。自分は心の内でまた例のが始まったのじゃないかと思った。少し話でもして機嫌を直そうか、それとも黙って知らん顔をしていようかと躊躇した。兄は何か癪に障った時でも、むずかしい高尚な問題を考えている時でも同じくこんな様子をするから、自分にはいっこう見分がつかなかった。  自分はしまいにとうとう思い切ってこっちから何か話を切り出そうとした。と云うのは、向側に腰をかけている母が、嫂と応対の相間相間に、兄の顔を偸むように一二度見たからである。 「兄さん、面白い話がありますがね」と自分は兄の方を見た。 「何だ」と兄が云った。兄の調子は自分の予期した通り無愛想であった。しかしそれは覚悟の前であった。 「ついこの間三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」  自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁いだあと不縁になって、三沢の宅へ引き取られた時、三沢の出る後を慕って、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻したという話だろう」と云った。  自分は喫驚した。 「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆ないる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」 「それは知らない。皆の前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」 「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸の傍にいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時接吻したとすると」 「だから知らんと断ってるじゃないか」  自分は黙って考え込んだ。 「いったい兄さんはどうして、そんな話を知ってるんです」 「Hから聞いた」  Hとは兄の同僚で、三沢を教えた男であった。そのHは三沢の保証人だったから、少しは関係の深い間柄なんだろうけれども、どうしてこんな際どい話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか、それは彼も知らなかった。 「兄さんはなぜまた今日までその話を為ずに黙っていたんです」と自分は最後に兄に聞いた。兄は苦い顔をして、「する必要がないからさ」と答えた。自分は様子によったらもっと肉薄して見ようかと思っているうちに汽車が着いた。         十一  停車場を出るとすぐそこに電車が待っていた。兄と自分は手提鞄を持ったまま婦人を扶けて急いでそれに乗り込んだ。  電車は自分達四人が一度に這入っただけで、なかなか動き出さなかった。 「閑静な電車ですね」と自分が侮どるように云った。 「これなら妾達の荷物を乗っけてもよさそうだね」と母は停車場の方を顧みた。  ところへ書物を持った書生体の男だの、扇を使う商人風の男だのが二三人前後して車台に上ってばらばらに腰をかけ始めたので、運転手はついに把手を動かし出した。  自分達は何だか市の外廓らしい淋しい土塀つづきの狭い町を曲って、二三度停留所を通り越した後、高い石垣の下にある濠を見た。濠の中には蓮が一面に青い葉を浮べていた。その青い葉の中に、点々と咲く紅の花が、落ちつかない自分達の眼をちらちらさせた。 「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母というのが、昔し紀州家の奥に勤めていたとか云うので、母は一層感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、折々耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。  和歌山市を通り越して少し田舎道を走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜目のない岡田はかねてから注意して土地で一流の宿屋へ室の注文をしたのだが、あいにく避暑の客が込み合って、眺めの好い座敷が塞がっているとかで、自分達は直に俥を命じて浜手の角を曲った。そうして海を真前に控えた高い三階の上層の一室に入った。  そこは南と西の開いた広い座敷だったが、普請は気の利いた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物にならなかった。時々大一座でもあった時に使う二階はぶっ通しの大広間で、伽藍堂のような真中に立って、波を打った安畳を眺めると、何となく殺風景な感が起った。  兄はその大広間に仮の仕切として立ててあった六枚折の屏風を黙って見ていた。彼はこういうものに対して、父の薫陶から来た一種の鑑賞力をもっていた。その屏風には妙にべろべろした葉の竹が巧に描かれていた。兄は突然後を向いて「おい二郎」と云った。  その時兄と自分は下の風呂に行くつもりで二人ながら手拭をさげていた。そうして自分は彼の二間ばかり後に立って、屏風の竹を眺める彼をまた眺めていた。自分は兄がこの屏風の画について、何かまた批評を加えるに違いないと思った。 「何です」と答えた。 「先刻汽車の中で話しが出た、あの三沢の事だね。お前はどう思う」  兄の質問は実際自分に取って意外であった。彼はなぜその話しを今まで自分に聞かせなかったと汽車の中で問われた時、すでに苦い顔をして必要がないからだと答えたばかりであった。 「例の接吻の話ですか」と自分は聞き返した。 「いえ接吻じゃない。その女が三沢の出る後を慕って、早く帰って来てちょうだいと必ず云ったという方の話さ」 「僕には両方共面白いが、接吻の方が何だかより多く純粋でかつ美しい気がしますね」  この時自分達は二階の梯子段を半分ほど降りていた。兄はその中途でぴたりと留った。 「そりゃ詩的に云うのだろう。詩を見る眼で云ったら、両方共等しく面白いだろう。けれどもおれの云うのはそうじゃない。もっと実際問題にしての話だ」         十二  自分には兄の意味がよく解らなかった。黙って梯子段の下まで降りた。兄も仕方なしに自分の後に跟いて来た。風呂場の入口で立ち留った自分は、ふり返って兄に聞いた。 「実際問題と云うと、どういう事になるんですか。ちょっと僕には解らないんですが」  兄は焦急たそうに説明した。 「つまりその女がさ、三沢の想像する通り本当にあの男を思っていたか、または先の夫に対して云いたかった事を、我慢して云わずにいたので、精神病の結果ふらふらと口にし始めたのか、どっちだと思うと云うんだ」  自分もこの問題は始めその話を聞いた時、少し考えて見た。けれどもどっちがどうだかとうてい分るべきはずの者でないと諦めて、それなり放ってしまった。それで自分は兄の質問に対してこれというほどの意見も持っていなかった。 「僕には解らんです」 「そうか」  兄はこう云いながら、やっぱり風呂に這入ろうともせず、そのまま立っていた。自分も仕方なしに裸になるのを控えていた。風呂は思ったより小さくかつ多少古びていた。自分はまず薄暗い風呂を覗き込んで、また兄に向った。 「兄さんには何か意見が有るんですか」 「おれはどうしてもその女が三沢に気があったのだとしか思われんがね」 「なぜですか」 「なぜでもおれはそう解釈するんだ」  二人はその話の結末をつけずに湯に入った。湯から上って婦人連と入代った時、室には西日がいっぱい射して、海の上は溶けた鉄のように熱く輝いた。二人は日を避けて次の室に這入った。そうしてそこで相対して坐った時、先刻の問題がまた兄の口から話頭に上った。 「おれはどうしてもこう思うんだがね……」 「ええ」と自分はただおとなしく聞いていた。 「人間は普通の場合には世間の手前とか義理とかで、いくら云いたくっても云えない事がたくさんあるだろう」 「それはたくさんあります」 「けれどもそれが精神病になると――云うとすべての精神病を含めて云うようで、医者から笑われるかも知れないが、――しかし精神病になったら、大変気が楽になるだろうじゃないか」 「そう云う種類の患者もあるでしょう」 「ところでさ、もしその女がはたしてそういう種類の精神病患者だとすると、すべて世間並の責任はその女の頭の中から消えて無くなってしまうに違なかろう。消えて無くなれば、胸に浮かんだ事なら何でも構わず露骨に云えるだろう。そうすると、その女の三沢に云った言葉は、普通我々が口にする好い加減な挨拶よりも遥に誠の籠った純粋のものじゃなかろうか」  自分は兄の解釈にひどく感服してしまった。「それは面白い」と思わず手を拍った。すると兄は案外不機嫌な顔をした。 「面白いとか面白くないとか云う浮いた話じゃない。二郎、実際今の解釈が正確だと思うか」と問いつめるように聞いた。 「そうですね」  自分は何となく躊躇しなければならなかった。 「噫々女も気狂にして見なくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」  兄はこう云って苦しい溜息を洩らした。         十三  宿の下にはかなり大きな掘割があった。それがどうして海へつづいているかちょっと解らなかったが、夕方には漁船が一二艘どこからか漕ぎ寄せて来て、緩やかに楼の前を通り過ぎた。  自分達はその掘割に沿うて一二丁右の方へ歩いた後、また左へ切れて田圃路を横切り始めた。向うを見ると、田の果がだらだら坂の上りになって、それを上り尽した土手の縁には、松が左右に長く続いていた。自分達の耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞えた。三階から見るとその砕けた波が忽然白い煙となって空に打上げられる様が、明かに見えた。  自分達はついにその土手の上へ出た。波は土手のもう一つ先にある厚く築き上げられた石垣に当って、みごとに粉微塵となった末、煮え返るような色を起して空を吹くのが常であったが、たまには崩れたなり石垣の上を流れ越えて、ざっと内側へ落ち込んだりする大きいのもあった。  自分達はしばらくその壮観に見惚れていたが、やがて強い浪の響を耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、これが片男波だろうと好い加減な想像を話の種に二人並んで歩いた。兄夫婦は自分達より少し先へ行った。二人とも浴衣がけで、兄は細い洋杖を突いていた。嫂はまた幅の狭い御殿模様か何かの麻の帯を締めていた。彼らは自分達よりほとんど二十間ばかり先へ出ていた。そうして二人とも並んで足を運ばして行った。けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、また気にしないような眼遣で、時々見た。その見方がまた余りに神経的なので、母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話しの面倒になるのを恐れたから、素知らぬ顔をしてわざと緩々歩いた。そうしてなるべく呑ん気そうに見せるつもりで母を笑わせるような剽軽な事ばかり饒舌った。母はいつもの通り「二郎、御前見たいに暮して行けたら、世間に苦はあるまいね」と云ったりした。  しまいに彼女はとうとう堪え切れなくなったと見えて、「二郎あれを御覧」と云い出した。 「何ですか」と自分は聞き返した。 「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向承認しない訳に行かなかった。 「また何か兄さんの気に障る事でもできたんですか」 「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那が素っ気なくしていたって、こっちは女だもの。直の方から少しは機嫌の直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同なじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」  母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただ嫂の方にばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係を傍で見ているものの胸にはきっと起る自然のものであった。 「兄さんはまた何か考え込んでいるんですよ。それで姉さんも遠慮してわざと口を利かずにいるんでしょう」  自分は母のためにわざとこんな気休めを云ってごまかそうとした。         十四 「たとい何か考えているにしてもだね。直の方がああ無頓着じゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」  兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿は、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評が満更当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛がり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷に見ていはしまいかと疑った。  自分の見た彼女はけっして温かい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌のない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾り出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後の彼女に見出した事が時々あった。けれども矯めがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。  不幸にして兄は今自分が嫂について云ったような気質を多量に具えていた。したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、己れの要するものを、要する事のできないお互に対して、初手から求め合っていて、いまだにしっくり反が合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機嫌の好い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄の方が熱しやすい性だけに、女に働きかける温か味の功力と見るのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡過ぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡過ぎると腹のうちで評しているかも知れない。  自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理窟を云う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が云い出した。 「いったい直は愛嬌のある質じゃないが、御父さんや妾にはいつだって同なじ調子だがね。二郎、御前にだってそうだろう」  これは全く母の云う通りであった。自分は元来性急な性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴りつけたりするが、不思議にまだ嫂と喧嘩をした例はなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心おきなく話をした。 「僕にもそうですがね。なるほどそう云われれば少々変には違ない」 「だからさ妾には直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」 「まさか」  自白すると自分はこの問題を母ほど細かく考えていなかった。したがってそんな疑いを挟さむ余地がなかった。あってもその原因が第一不審であった。 「だって宅中で兄さんが一番大事な人じゃありませんか、姉さんにとって」 「だからさ。御母さんには訳が解らないと云うのさ」  自分にはせっかくこんな景色の好い所へ来ながら、際限もなく母を相手に、嫂を陰で評しているのが馬鹿らしく感ぜられてきた。 「そのうち機会があったら、姉さんにまたよく腹の中を僕から聞いて見ましょう。何心配するほどの事はありませんよ」と云い切って、向の石垣まで突き出している掛茶屋から防波堤の上に馳け上った。そうして、精一杯の声を揚げて、「おーいおーい」と呼んだ。兄夫婦は驚いてふり向いた。その時石の堤に当って砕けた波が、吹き上げる泡と脚を洗う流れとで、自分を濡鼠のごとくにした。  自分は母に叱られながら、ぽたぽた雫を垂らして、三人と共に宿に帰った。どどんどどんという波の音が、帰り道中自分の鼓膜に響いた。         十五  その晩自分は母といっしょに真白な蚊帳の中に寝た。普通の麻よりは遥に薄くできているので、風が来て綺麗なレースを弄ぶ様が涼しそうに見えた。 「好い蚊帳ですね。宅でも一つこんなのを買おうじゃありませんか」と母に勧めた。 「こりゃ見てくれだけは綺麗だが、それほど高いものじゃないよ。かえって宅にあるあの白麻の方が上等なんだよ。ただこっちのほうが軽くって、継ぎ目がないだけに華奢に見えるのさ」  母は昔ものだけあって宅にある岩国かどこかでできる麻の蚊帳の方を賞めていた。 「だいち寝冷をしないだけでもあっちの方が得じゃないか」と云った。  下女が来て障子を締め切ってから、蚊帳は少しも動かなくなった。 「急に暑苦しくなりましたね」と自分は嘆息するように云った。 「そうさね」と答えた母の言葉は、まるで暑さが苦にならないほど落ちついていた。それでも団扇遣の音だけは微かに聞こえた。  母はそれからふっつり口を利かなくなった。自分も眼を眠った。襖一つ隔てた隣座敷には兄夫婦が寝ていた。これは先刻から静であった。自分の話相手がなくなってこっちの室が急にひっそりして見ると、兄の室はなお森閑と自分の耳を澄ました。  自分は眼を閉じたままじっとしていた。しかしいつまで経っても寝つかれなかった。しまいには静さに祟られたようなこの暑い苦しみを痛切に感じ出した。それで母の眠を妨げないようにそっと蒲団の上に起き直った。それから蚊帳の裾を捲って縁側へ出る気で、なるべく音のしないように障子をすうと開けにかかった。すると今まで寝入っていたとばかり思った母が突然「二郎どこへ行くんだい」と聞いた。 「あんまり寝苦しいから、縁側へ出て少し涼もうと思います」 「そうかい」  母の声は明晰で落ちついていた。自分はその調子で、彼女がまんじりともせずに今まで起きていた事を知った。 「御母さんも、まだ御休みにならないんですか」 「ええ寝床の変ったせいか何だか勝手が違ってね」  自分は貸浴衣の腰に三尺帯を一重廻しただけで、懐へ敷島の袋と燐寸を入れて縁側へ出た。縁側には白いカヴァーのかかった椅子が二脚ほど出ていた。自分はその一脚を引き寄せて腰をかけた。 「あまりがたがた云わして、兄さんの邪魔になるといけないよ」  母からこう注意された自分は、煙草を吹かしながら黙って、夢のような眼前の景色を眺めていた。景色は夜と共に無論ぼんやりしていた。月のない晩なので、ことさら暗いものが蔓り過ぎた。そのうちに昼間見た土手の松並木だけが一際黒ずんで左右に長い帯を引き渡していた。その下に浪の砕けた白い泡が夜の中に絶間なく動揺するのが、比較的刺戟強く見えた。 「もう好い加減に御這入りよ。風邪でも引くといけないから」  母は障子の内からこう云って注意した。自分は椅子に倚りながら、母に夜の景色を見せようと思ってちょっと勧めたが、彼女は応じなかった。自分は素直にまた蚊帳の中に這入って、枕の上に頭を着けた。  自分が蚊帳を出たり這入ったりした間、兄夫婦の室は森として元のごとく静かであった。自分が再び床に着いた後も依然として同じ沈黙に鎖されていた。ただ防波堤に当って砕ける波の音のみが、どどんどどんといつまでも響いた。         十六  朝起きて膳に向った時見ると、四人はことごとく寝足らない顔をしていた。そうして四人ともその寝足らない雲を膳の上に打ちひろげてわざと会話を陰気にしているらしかった。自分も変に窮屈だった。 「昨夕食った鯛の焙烙蒸にあてられたらしい」と云って、自分は不味そうな顔をして席を立った。手摺の所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。  はたして早起の客が二人三人ぽつぽつもう乗り始めた。早く食事を終えた兄はいつの間にか、自分の後へ来て、小楊枝を使いながら、上ったり下りたりする鉄の箱を自分と同じように眺めていた。 「二郎、今朝ちょっとあの昇降器へ乗って見ようじゃないか」と兄が突然云った。  自分は兄にしてはちと子供らしい事を云うと思って、ひょっと後を顧みた。 「何だか面白そうじゃないか」と兄は柄にもない稚気を言葉に現した。自分は昇降器へ乗るのは好いが、ある目的地へ行けるかどうかそれが危しかった。 「どこへ行けるんでしょう」 「どこだって構わない。さあ行こう」  自分は母と嫂も無論いっしょに連れて行くつもりで、「さあさあ」と大きな声で呼び掛けた。すると兄は急に自分を留めた。 「二人で行こう。二人ぎりで」と云った。  そこへ母と嫂が「どこへ行くの」と云って顔を出した。 「何ちょっとあのエレヴェーターへ乗って見るんです。二郎といっしょに。女には剣呑だから、御母さんや直は止した方が好いでしょう。僕らがまあ乗って、試して見ますから」  母は虚空に昇って行く鉄の箱を見ながら気味の悪そうな顔をした。 「直お前どうするい」  母がこう聞いた時、嫂は例の通り淋しい靨を寄せて、「妾はどうでも構いません」と答えた。それがおとなしいとも取れるし、また聴きようでは、冷淡とも無愛想とも取れた。それを自分は兄に対して気の毒と思い嫂に対しては損だと考えた。  二人は浴衣がけで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方くらいのもので、中に五六人這入ると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事のできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に欝陶しい感じを起した。 「牢屋見たいだな」と兄が低い声で私語いた。 「そうですね」と自分が答えた。 「人間もこの通りだ」  兄は時々こんな哲学者めいた事をいう癖があった。自分はただ「そうですな」と答えただけであった。けれども兄の言葉は単にその輪廓ぐらいしか自分には呑み込めなかった。  牢屋に似た箱の上りつめた頂点は、小さい石山の天辺であった。そのところどころに背の低い松が噛りつくように青味を添えて、単調を破るのが、夏の眼に嬉しく映った。そうしてわずかな平地に掛茶屋があって、猿が一匹飼ってあった。兄と自分は猿に芋をやったり、調戯ったりして、物の十分もその茶屋で費やした。 「どこか二人だけで話す所はないかな」  兄はこう云って四方を見渡した。その眼は本当に二人だけで話のできる静かな場所を見つけているらしかった。         十七  そこは高い地勢のお蔭で四方ともよく見晴らされた。ことに有名な紀三井寺を蓊欝した木立の中に遠く望む事ができた。その麓に入江らしく穏かに光る水がまた海浜とは思われない沢辺の景色を、複雑な色に描き出していた。自分は傍にいる人から浄瑠璃にある下り松というのを教えて貰った。その松はなるほど懸崖を伝うように逆に枝を伸していた。  兄は茶店の女に、ここいらで静な話をするに都合の好い場所はないかと尋ねていたが、茶店の女は兄の問が解らないのか、何を云っても少しも要領を得なかった。そうして地方訛ののしとかいう語尾をしきりに繰返した。  しまいに兄は「じゃその権現様へでも行くかな」と云い出した。 「権現様も名所の一つだから好いでしょう」  二人はすぐ山を下りた。俥にも乗らず、傘も差さず、麦藁帽子だけ被って暑い砂道を歩いた。こうして兄といっしょに昇降器へ乗ったり、権現へ行ったりするのが、その日は自分に取って、何だか不安に感ぜられた。平生でも兄と差向いになると多少気不精には違なかったけれども、その日ほど落ちつかない事もまた珍らしかった。自分は兄から「おい二郎二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時からすでに変な心持がした。  二人は額から油汗をじりじり湧かした。その上に自分は実際昨夕食った鯛の焙烙蒸に少しあてられていた。そこへだんだん高くなる太陽が容赦なく具合の悪い頭を照らしたので、自分は仕方なしに黙って歩いていた。兄も無言のまま体を運ばした。宿で借りた粗末な下駄がさくさく砂に喰い込む音が耳についた。 「二郎どうかしたか」  兄の声は全く藪から棒が急に出たように自分を驚かした。 「少し心持が変です」  二人はまた無言で歩き出した。  ようやく権現の下へ来た時、細い急な石段を仰ぎ見た自分は、その高いのに辟易するだけで、容易に登る勇気は出し得なかった。兄はその下に並べてある藁草履を突掛けて十段ばかり一人で上って行ったが、後から続かない自分に気がついて、「おい来ないか」と嶮しく呼んだ。自分も仕方なしに婆さんから草履を一足借りて、骨を折って石段を上り始めた。それでも中途ぐらいから一歩ごとに膝の上に両手を置いて、身体の重みを託さなければならなかった。兄を下から見上げるとさも焦熱ったそうに頂上の山門の角に立っていた。 「まるで酔っ払いのようじゃないか、段々を筋違に練って歩くざまは」  自分は何と評されても構わない気で、早速帽子を地の上に投げると同時に、肌を抜いだ。扇を持たないので、手にした手帛でしきりに胸の辺りを払った。自分は後から「おい二郎」ときっと何か云われるだろうと思って、内心穏かでなかったせいか、汗に濡れた手帛をむやみに振り動かした。そうして「暑い暑い」と続けさまに云った。  兄はやがて自分の傍へ来てそこにあった石に腰をおろした。その石の後は篠竹が一面に生えて遥の下まで石垣の縁を隠すように茂っていた。その中から大きな椿が所々に白茶けた幹を現すのがことに目立って見えた。 「なるほどここは静だ。ここならゆっくり話ができそうだ」と兄は四方を見廻した。         十八 「二郎少し御前に話があるがね」と兄が云った。 「何です」  兄はしばらく逡巡して口を開かなかった。自分はまたそれを聞くのが厭さに、催促もしなかった。 「ここは涼しいですね」と云った。 「ああ涼しい」と兄も答えた。  実際そこは日影に遠いせいか涼しい風の通う高みであった。自分は三四分手帛を動かした後、急に肌を入れた。山門の裏には物寂びた小さい拝殿があった。よほど古い建物と見えて、軒に彫つけた獅子の頭などは絵の具が半分剥げかかっていた。  自分は立って山門を潜って拝殿の方へ行った。 「兄さんこっちの方がまだ涼しい。こっちへいらっしゃい」  兄は答えもしなかった。自分はそれを機に拝殿の前面を左右に逍遥した。そうして暑い日を遮る高い常磐木を見ていた。ところへ兄が不平な顔をして自分に近づいて来た。 「おい少し話しがあるんだと云ったじゃないか」  自分は仕方なしに拝殿の段々に腰をかけた。兄も自分に並んで腰をかけた。 「何ですか」 「実は直の事だがね」と兄ははなはだ云い悪いところをやっと云い切ったという風に見えた。自分は「直」という言葉を聞くや否や冷りとした。兄夫婦の間柄は母が自分に訴えた通り、自分にもたいていは呑み込めていた。そうして母に約束したごとく、自分はいつか折を見て、嫂に腹の中をとっくり聴糺した上、こっちからその知識をもって、積極的に兄に向おうと思っていた。それを自分がやらないうちに、もし兄から先を越されでもすると困るので、自分はひそかにそこを心配していた。実を云うと、今朝兄から「二郎、二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時、自分はあるいはこの問題が出るのではあるまいかと掛念して自と厭になったのである。 「嫂さんがどうかしたんですか」と自分はやむを得ず兄に聞き返した。 「直は御前に惚れてるんじゃないか」  兄の言葉は突然であった。かつ普通兄のもっている品格にあたいしなかった。 「どうして」 「どうしてと聞かれると困る。それから失礼だと怒られてはなお困る。何も文を拾ったとか、接吻したところを見たとか云う実証から来た話ではないんだから。本当いうと表向こんな愚劣な問を、いやしくも夫たるおれが、他人に向ってかけられた訳のものではない。ないが相手が御前だからおれもおれの体面を構わずに、聞き悪いところを我慢して聞くんだ。だから云ってくれ」 「だって嫂さんですぜ相手は。夫のある婦人、ことに現在の嫂ですぜ」  自分はこう答えた。そうしてこう答えるよりほかに何と云う言葉も出なかった。 「それは表面の形式から云えば誰もそう答えなければならない。御前も普通の人間だからそう答えるのが至当だろう。おれもその一言を聞けばただ恥じ入るよりほかに仕方がない。けれども二郎御前は幸いに正直な御父さんの遺伝を受けている。それに近頃の、何事も隠さないという主義を最高のものとして信じているから聞くのだ。形式上の答えはおれにも聞かない先から解っているが、ただ聞きたいのは、もっと奥の奥の底にある御前の感じだ。その本当のところをどうぞ聞かしてくれ」         十九 「そんな腹の奥の奥底にある感じなんて僕に有るはずがないじゃありませんか」  こう答えた時、自分は兄の顔を見ないで、山門の屋根を眺めていた。兄の言葉はしばらく自分の耳に聞こえなかった。するとそれが一種の癇高い、さも昂奮を抑えたような調子になって響いて来た。 「おい二郎何だってそんな軽薄な挨拶をする。おれと御前は兄弟じゃないか」  自分は驚いて兄の顔を見た。兄の顔は常磐木の影で見るせいかやや蒼味を帯びていた。 「兄弟ですとも。僕はあなたの本当の弟です。だから本当の事を御答えしたつもりです。今云ったのはけっして空々しい挨拶でも何でもありません。真底そうだからそういうのです」  兄の神経の鋭敏なごとく自分は熱しやすい性急であった。平生の自分ならあるいはこんな返事は出なかったかも知れない。兄はその時簡単な一句を射た。 「きっと」 「ええきっと」 「だって御前の顔は赤いじゃないか」  実際その時の自分の顔は赤かったかも知れない。兄の面色の蒼いのに反して、自分は我知らず、両方の頬の熱るのを強く感じた。その上自分は何と返事をして好いか分らなかった。  すると兄は何と思ったかたちまち階段から腰を起した。そうして腕組をしながら、自分の席を取っている前を右左に歩き出した。自分は不安な眼をして、彼の姿を見守った。彼は始めから眼を地面の上に落していた。二三度自分の前を横切ったけれどもけっして一遍もその眼を上げて自分を見なかった。三度目に彼は突如として、自分の前に来て立ち留った。 「二郎」 「はい」 「おれは御前の兄だったね。誠に子供らしい事を云って済まなかった」  兄の眼の中には涙がいっぱい溜っていた。 「なぜです」 「おれはこれでも御前より学問も余計したつもりだ。見識も普通の人間より持っているとばかり今日まで考えていた。ところがあんな子供らしい事をつい口にしてしまった。まことに面目ない。どうぞ兄を軽蔑してくれるな」 「なぜです」  自分は簡単なこの問を再び繰返した。 「なぜですとそう真面目に聞いてくれるな。ああおれは馬鹿だ」  兄はこう云って手を出した。自分はすぐその手を握った。兄の手は冷たかった。自分の手も冷たかった。 「ただ御前の顔が少しばかり赤くなったからと云って、御前の言葉を疑ぐるなんて、まことに御前の人格に対して済まない事だ。どうぞ堪忍してくれ」  自分は兄の気質が女に似て陰晴常なき天候のごとく変るのをよく承知していた。しかし一と見識ある彼の特長として、自分にはそれが天真爛漫の子供らしく見えたり、または玉のように玲瓏な詩人らしく見えたりした。自分は彼を尊敬しつつも、どこか馬鹿にしやすいところのある男のように考えない訳に行かなかった。自分は彼の手を握ったまま「兄さん、今日は頭がどうかしているんですよ。そんな下らない事はもうこれぎりにしてそろそろ帰ろうじゃありませんか」と云った。         二十  兄は突然自分の手を放した。けれどもけっしてそこを動こうとしなかった。元の通り立ったまま何も云わずに自分を見下した。 「御前他の心が解るかい」と突然聞いた。  今度は自分の方が何も云わずに兄を見上げなければならなかった。 「僕の心が兄さんには分らないんですか」とやや間を置いて云った。自分の答には兄の言葉より一種の根強さが籠っていた。 「御前の心はおれによく解っている」と兄はすぐ答えた。 「じゃそれで好いじゃありませんか」と自分は云った。 「いや御前の心じゃない。女の心の事を云ってるんだ」  兄の言語のうち、後一句には火の付いたような鋭さがあった。その鋭さが自分の耳に一種異様の響を伝えた。 「女の心だって男の心だって」と云いかけた自分を彼は急に遮った。 「御前は幸福な男だ。おそらくそんな事をまだ研究する必要が出て来なかったんだろう」 「そりゃ兄さんのような学者じゃないから……」 「馬鹿云え」と兄は叱りつけるように叫んだ。 「書物の研究とか心理学の説明とか、そんな廻り遠い研究を指すのじゃない。現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、いても立ってもいられないというような必要に出逢った事があるかと聞いてるんだ」  最も親しかるべきはずの人と云った兄の意味は自分にすぐ解った。 「兄さんはあんまり考え過ぎるんじゃありませんか、学問をした結果。もう少し馬鹿になったら好いでしょう」 「向うでわざと考えさせるように仕向けて来るんだ。おれの考え慣れた頭を逆に利用して。どうしても馬鹿にさせてくれないんだ」  自分はここにいたって、ほとんど慰藉の辞に窮した。自分より幾倍立派な頭をもっているか分らない兄が、こんな妙な問題に対して自分より幾倍頭を悩めているかを考えると、はなはだ気の毒でならなかった。兄が自分より神経質な事は、兄も自分もよく承知していた。けれども今まで兄からこう歇私的里的に出られた事がないので、自分も実は途方に暮れてしまった。 「御前メレジスという人を知ってるか」と兄が聞いた。 「名前だけは聞いています」 「あの人の書翰集を読んだ事があるか」 「読むどころか表紙を見た事もありません」 「そうか」  彼はこう云って再び自分の傍へ腰をかけた。自分はこの時始めて懐中に敷島の袋と燐寸のある事に気がついた。それを取り出して、自分からまず火を点けて兄に渡した。兄は器械的にそれを吸った。 「その人の書翰の一つのうちに彼はこんな事を云っている。――自分は女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分はどうあっても女の霊というか魂というか、いわゆるスピリットを攫まなければ満足ができない。それだからどうしても自分には恋愛事件が起らない」 「メレジスって男は生涯独身で暮したんですかね」 「そんな事は知らない。またそんな事はどうでも構わないじゃないか。しかし二郎、おれが霊も魂もいわゆるスピリットも攫まない女と結婚している事だけはたしかだ」         二十一  兄の顔には苦悶の表情がありありと見えた。いろいろな点において兄を尊敬する事を忘れなかった自分は、この時胸の奥でほとんど恐怖に近い不安を感ぜずにはいられなかった。 「兄さん」と自分はわざと落ちつき払って云った。 「何だ」  自分はこの答を聞くと同時に立った。そうして、ことさらに兄の腰をかけている前を、先刻兄がやったと同じように、しかし全く別の意味で、右左へと二三度横切った。兄は自分にはまるで無頓着に見えた。両手の指を、少し長くなった髪の間に、櫛の歯のように深く差し込んで下を向いていた。彼は大変色沢の好い髪の所有者であった。自分は彼の前を横切るたびに、その漆黒の髪とその間から見える関節の細い、華奢な指に眼を惹かれた。その指は平生から自分の眼には彼の神経質を代表するごとく優しくかつ骨張って映った。 「兄さん」と自分が再び呼びかけた時、彼はようやく重そうに頭を上げた。 「兄さんに対して僕がこんな事をいうとはなはだ失礼かも知れませんがね。他の心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だから固よりそこに気がついていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟だって、心と心はただ通じているような気持がするだけで、実際向うとこっちとは身体が離れている通り心も離れているんだからしようがないじゃありませんか」 「他の心は外から研究はできる。けれどもその心になって見る事はできない。そのくらいの事ならおれだって心得ているつもりだ」  兄は吐き出すように、また懶そうにこう云った。自分はすぐその後に跟いた。 「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。僕なんぞは馬鹿だから仕方がないが、兄さんは何でもよく考える性質だから……」 「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」  兄はさも忌々しそうにこう云い放った。そうしておいて、「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」と云った。  兄の言葉は立派な教育を受けた人の言葉であった。しかし彼の態度はほとんど十八九の子供に近かった。自分はかかる兄を自分の前に見るのが悲しかった。その時の彼はほとんど砂の中で狂う泥鰌のようであった。  いずれの点においても自分より立ち勝った兄が、こんな態度を自分に示したのはこの時が始めてであった。自分はそれを悲しく思うと同時に、この傾向で彼がだんだん進んで行ったならあるいは遠からず彼の精神に異状を呈するようになりはしまいかと懸念して、それが急に恐ろしくなった。 「兄さん、この事については僕も実はとうから考えていたんです……」 「いや御前の考えなんか聞こうと思っていやしない。今日御前をここへ連れて来たのは少し御前に頼みがあるからだ。どうぞ聞いてくれ」 「何ですか」  事はだんだん面倒になって来そうであった。けれども兄は容易にその頼みというのを打ち明けなかった。ところへ我々と同じ遊覧人めいた男女が三四人石段の下に現れた。彼らはてんでに下駄を草履と脱ぎ易えて、高い石段をこっちへ登って来た。兄はその人影を見るや否や急に立上がった。「二郎帰ろう」と云いながら石段を下りかけた。自分もすぐその後に随った。         二十二  兄と自分はまた元の路へ引返した。朝来た時も腹や頭の具合が変であったが、帰りは日盛になったせいかなお苦しかった。あいにく二人共時計を忘れたので何時だかちょっと分り兼ねた。 「もう何時だろう」と兄が聞いた。 「そうですね」と自分はぎらぎらする太陽を仰ぎ見た。「まだ午にはならないでしょう」  二人は元の路を逆に歩いているつもりであったが、どう間違えたものか、変に磯臭い浜辺へ出た。そこには漁師の家が雑貨店と交って貧しい町をかたち作っていた。古い旗を屋根の上に立てた汽船会社の待合所も見えた。 「何だか路が違ったようじゃありませんか」  兄は相変らず下を向いて考えながら歩いていた。下には貝殻がそこここに散っていた。それを踏み砕く二人の足音が時々単調な歩行に一種田舎びた変化を与えた。兄はちょっと立ち留って左右を見た。 「ここは往に通らなかったかな」 「ええ通りゃしません」 「そうか」  二人はまた歩き出した。兄は依然として下を向き勝であった。自分は路を迷ったため、存外宿へ帰るのが遅くなりはしまいかと心配した。 「何狭い所だ。どこをどう間違えたって、帰れるのは同なじ事だ」  兄はこう云ってすたすた行った。自分は彼の歩き方を後から見て、足に任せてという故い言葉を思い出した。そうして彼より五六間後れた事をこの場合何よりもありがたく感じた。  自分は二人の帰り道に、兄から例の依頼というのをきっと打ち明けられるに違いないと思って暗にその覚悟をしていた。ところが事実は反対で、彼はできるだけ口数を慎んで、さっさと歩く方針に出た。それが少しは無気味でもあったがまただいぶ嬉しくもあった。  宿では母と嫂が欄干に縞絽だか明石だかよそゆきの着物を掛けて二人とも浴衣のまま差向いで坐っていた。自分達の姿を見た母は、「まあどこまで行ったの」と驚いた顔をした。 「あなた方はどこへも行かなかったんですか」  欄干に干してある着物を見ながら、自分がこう聞いた時、嫂は「ええ行ったわ」と答えた。 「どこへ」 「あてて御覧なさい」  今の自分は兄のいる前で嫂からこう気易く話しかけられるのが、兄に対して何とも申し訳がないようであった。のみならず、兄の眼から見れば、彼女が故意に自分にだけ親しみを表わしているとしか解釈ができまいと考えて誰にも打ち明けられない苦痛を感じた。  嫂はいっこう平気であった。自分にはそれが冷淡から出るのか、無頓着から来るのか、または常識を無視しているのか、少し解り兼ねた。  彼らの見物して来た所は紀三井寺であった。玉津島明神の前を通りへ出て、そこから電車に乗るとすぐ寺の前へ出るのだと母は兄に説明していた。 「高い石段でね。こうして見上げるだけでも眼が眩いそうなんだよ、お母さんには。これじゃとても上れっこないと思って、妾ゃどうしようか知らと考えたけれども、直に手を引っ張って貰って、ようやくお参りだけは済ませたが、その代り汗で着物がぐっしょりさ……」  兄は「はあ、そうですかそうですか」と時々気のない返事をした。         二十三  その日は何事も起らずに済んだ。夕方は四人でトランプをした。みんなが四枚ずつのカードを持って、その一枚を順送りに次の者へ伏せ渡しにするうちに数の揃ったのを出してしまうと、どこかにスペードの一が残る。それを握ったものが負になるという温泉場などでよく流行る至極簡単なものであった。  母と自分はよくスペードを握っては妙な顔をしてすぐ勘づかれた。兄も時々苦笑した。一番冷淡なのは嫂であった。スペードを握ろうが握るまいがわれにはいっこう関係がないという風をしていた。これは風というよりもむしろ彼女の性質であった。自分はそれでも兄が先刻の会談のあと、よくこれほどに昂奮した神経を治められたものだと思ってひそかに感心した。  晩は寝られなかった。昨夕よりもなお寝られなかった。自分はどどんどどんと響く浪の音の間に、兄夫婦の寝ている室に耳を澄ました。けれども彼らの室は依然として昨夜のごとく静であった。自分は母に見咎められるのを恐れて、その夜はあえて縁側へ出なかった。  朝になって自分は母と嫂を例の東洋第一エレヴェーターへ案内した。そうして昨日のように山の上の猿に芋をやった。今度は猿に馴染のある宿の女中がいっしょに随いて来たので、猿を抱いたり鳴かしたり前の日よりはだいぶ賑やかだった。母は茶店の床几に腰をかけて、新和歌の浦とかいう禿げて茶色になった山を指して何だろうと聞いていた。嫂はしきりに遠眼鏡はないか遠眼鏡はないかと騒いだ。 「姉さん、芝の愛宕様じゃありませんよ」と自分は云ってやった。 「だって遠眼鏡ぐらいあったって好いじゃありませんか」と嫂はまだ不足を並べていた。  夕方になって自分はとうとう兄に引っ張られて紀三井寺へ行った。これは婦人連が昨日すでに参詣したというのを口実に、我々二人だけが行く事にしたのであるが、その実兄の依頼を聞くために自分が彼から誘い出されたのである。  自分達は母の見ただけで恐れたという高い石段を一直線に上った。その上は平たい山の中腹で眺望の好い所にベンチが一つ据えてあった。本堂は傍に五重の塔を控えて、普通ありふれた仏閣よりも寂があった。廂の最中から下っている白い紐などはいかにも閑静に見えた。  自分達は何物も眼を遮らないベンチの上に腰をおろして並び合った。 「好い景色ですね」  眼の下には遥の海が鰯の腹のように輝いた。そこへ名残の太陽が一面に射して、眩ゆさが赤く頬を染めるごとくに感じた。沢らしい不規則な水の形もまた海より近くに、平たい面を鏡のように展べていた。  兄は例の洋杖を顋の下に支えて黙っていたが、やがて思い切ったという風に自分の方を向いた。 「二郎実は頼みがあるんだが」 「ええ、それを伺うつもりでわざわざ来たんだからゆっくり話して下さい。できる事なら何でもしますから」 「二郎実は少し云い悪い事なんだがな」 「云い悪い事でも僕だから好いでしょう」 「うんおれは御前を信用しているから話すよ。しかし驚いてくれるな」  自分は兄からこう云われた時に、話を聞かない先にまず驚いた。そうしてどんな注文が兄の口から出るかを恐れた。兄の気分は前云った通り変り易かった。けれどもいったん何か云い出すと、意地にもそれを通さなければ承知しなかった。         二十四 「二郎驚いちゃいけないぜ」と兄が繰返した。そうして現に驚いている自分を嘲けるごとく見た。自分は今の兄と権現社頭の兄とを比較してまるで別人の観をなした。今の兄は翻がえしがたい堅い決心をもって自分に向っているとしか自分には見えなかった。 「二郎おれは御前を信用している。御前の潔白な事はすでに御前の言語が証明している。それに間違はないだろう」 「ありません」 「それでは打ち明けるが、実は直の節操を御前に試して貰いたいのだ」  自分は「節操を試す」という言葉を聞いた時、本当に驚いた。当人から驚くなという注意が二遍あったにかかわらず、非常に驚いた。ただあっけに取られて、呆然としていた。 「なぜ今になってそんな顔をするんだ」と兄が云った。  自分は兄の眼に映じた自分の顔をいかにも情なく感ぜざるを得なかった。まるでこの間の会見とは兄弟地を換えて立ったとしか思えなかった。それで急に気を取り直した。 「姉さんの節操を試すなんて、――そんな事は廃した方が好いでしょう」 「なぜ」 「なぜって、あんまり馬鹿らしいじゃありませんか」 「何が馬鹿らしい」 「馬鹿らしかないかも知れないが、必要がないじゃありませんか」 「必要があるから頼むんだ」  自分はしばらく黙っていた。広い境内には参詣人の影も見えないので、四辺は存外静であった。自分はそこいらを見廻して、最後に我々二人の淋しい姿をその一隅に見出した時、薄気味の悪い心持がした。 「試すって、どうすれば試されるんです」 「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」 「下らない」と自分は一口に退ぞけた。すると今度は兄が黙った。自分は固より無言であった。海に射りつける落日の光がしだいに薄くなりつつなお名残の熱を薄赤く遠い彼方に棚引かしていた。 「厭かい」と兄が聞いた。 「ええ、ほかの事ならですが、それだけは御免です」と自分は判切り云い切った。 「じゃ頼むまい。その代りおれは生涯御前を疑ぐるよ」 「そりゃ困る」 「困るならおれの頼む通りやってくれ」  自分はただ俯向いていた。いつもの兄ならもう疾に手を出している時分であった。自分は俯向きながら、今に兄の拳が帽子の上へ飛んで来るか、または彼の平手が頬のあたりでピシャリと鳴るかと思って、じっと癇癪玉の破裂するのを期待していた。そうしてその破裂の後に多く生ずる反動を機会として、兄の心を落ちつけようとした。自分は人より一倍強い程度で、この反動に罹り易い兄の気質をよく呑み込んでいた。  自分はだいぶ辛抱して兄の鉄拳の飛んで来るのを待っていた。けれども自分の期待は全く徒労であった。兄は死んだ人のごとく静であった。ついには自分の方から狐のように変な眼遣いをして、兄の顔を偸み見なければならなかった。兄は蒼い顔をしていた。けれどもけっして衝動的に動いて来る気色には見えなかった。         二十五  ややあって兄は昂奮した調子でこう云った。 「二郎おれはお前を信用している。けれども直を疑ぐっている。しかもその疑ぐられた当人の相手は不幸にしてお前だ。ただし不幸と云うのは、お前に取って不幸というので、おれにはかえって幸になるかも知れない。と云うのは、おれは今明言した通り、お前の云う事なら何でも信じられるしまた何でも打明けられるから、それでおれには幸いなのだ。だから頼むのだ。おれの云う事に満更論理のない事もあるまい」  自分はその時兄の言葉の奥に、何か深い意味が籠っているのではなかろうかと疑い出した。兄は腹の中で、自分と嫂の間に肉体上の関係を認めたと信じて、わざとこういう難題を持ちかけるのではあるまいか。自分は「兄さん」と呼んだ。兄の耳にはとにかく、自分はよほど力強い声を出したつもりであった。 「兄さん、ほかの事とは違ってこれは倫理上の大問題ですよ……」 「当り前さ」  自分は兄の答えのことのほか冷淡なのを意外に感じた。同時に先の疑いがますます深くなって来た。 「兄さん、いくら兄弟の仲だって僕はそんな残酷な事はしたくないです」 「いや向うの方がおれに対して残酷なんだ」  自分は兄に向って嫂がなぜ残酷であるかの意味を聞こうともしなかった。 「そりゃ改めてまた伺いますが、何しろ今の御依頼だけは御免蒙ります。僕には僕の名誉がありますから。いくら兄さんのためだって、名誉まで犠牲にはできません」 「名誉?」 「無論名誉です。人から頼まれて他を試験するなんて、――ほかの事だって厭でさあ。ましてそんな……探偵じゃあるまいし……」 「二郎、おれはそんな下等な行為をお前から向うへ仕かけてくれと頼んでいるのじゃない。単に嫂としまた弟として一つ所へ行って一つ宿へ泊ってくれというのだ。不名誉でも何でもないじゃないか」 「兄さんは僕を疑ぐっていらっしゃるんでしょう。そんな無理をおっしゃるのは」 「いや信じているから頼むのだ」 「口で信じていて、腹では疑ぐっていらっしゃる」 「馬鹿な」  兄と自分はこんな会話を何遍も繰返した。そうして繰返すたびに双方共激して来た。するとちょっとした言葉から熱が急に引いたように二人共治まった。  その激したある時に自分は兄を真正の精神病患者だと断定した瞬間さえあった。しかしその発作が風のように過ぎた後ではまた通例の人間のようにも感じた。しまいに自分はこう云った。 「実はこの間から僕もその事については少々考えがあって、機会があったら姉さんにとくと腹の中を聞いて見る気でいたんですから、それだけなら受合いましょう。もうじき東京へ帰るでしょうから」 「じゃそれを明日やってくれ。あした昼いっしょに和歌山へ行って、昼のうちに返って来れば差支えないだろう」  自分はなぜかそれが厭だった。東京へ帰ってゆっくり折を見ての事にしたいと思ったが、片方を断った今更一方も否とは云いかねて、とうとう和歌山見物だけは引き受ける事にした。         二十六  その明くる朝は起きた時からあいにく空に斑が見えた。しかも風さえ高く吹いて例の防波堤に崩ける波の音が凄じく聞え出した。欄干に倚って眺めると、白い煙が濛々と岸一面を立て籠めた。午前は四人とも海岸に出る気がしなかった。  午過ぎになって、空模様は少し穏かになった。雲の重なる間から日脚さえちょいちょい光を出した。それでも漁船が四五艘いつもより早く楼前の掘割へ漕ぎ入れて来た。 「気味が悪いね。何だか暴風雨でもありそうじゃないか」  母はいつもと違う空を仰いで、こう云いながらまた元の座敷へ引返して来た。兄はすぐ立ってまた欄干へ出た。 「何大丈夫だよ。大した事はないにきまっている。御母さん僕が受け合いますから出かけようじゃありませんか。俥もすでに誂えてありますから」  母は何とも云わずに自分の顔を見た。 「そりゃ行っても好いけれど、行くなら皆なでいっしょに行こうじゃないか」  自分はその方が遥に楽であった。でき得るならどうか母の御供をして、和歌山行をやめたいと考えた。 「じゃ僕達もいっしょにその切り開いた山道の方へ行って見ましょうか」と云いながら立ちかけた。すると嶮しい兄の眼がすぐ自分の上に落ちた。自分はとうていこれでは約束を履行するよりほかに道がなかろうとまた思い返した。 「そうそう姉さんと約束があったっけ」  自分は兄に対して、つい空惚けた挨拶をしなければすまなくなった。すると母が今度は苦い顔をした。 「和歌山はやめにおしよ」  自分は母と兄の顔を見比べてどうしたものだろうと躊躇した。嫂はいつものように冷然としていた。自分が母と兄の間に迷っている間、彼女はほとんど一言も口にしなかった。 「直御前二郎に和歌山へ連れて行って貰うはずだったね」と兄が云った時、嫂はただ「ええ」と答えただけであった。母が「今日はお止しよ」と止めた時、嫂はまた「ええ」と答えただけであった。自分が「姉さんどうします」と顧みた時は、また「どうでも好いわ」と答えた。  自分はちょっと用事に下へ降りた。すると母がまた後から降りて来た。彼女の様子は何だかそわそわしていた。 「御前本当に直と二人で和歌山へ行く気かい」 「ええ、だって兄さんが承知なんですもの」 「いくら承知でも御母さんが困るから御止しよ」  母の顔のどこかには不安の色が見えた。自分はその不安の出所が兄にあるのか、または嫂と自分にあるか、ちょっと判断に苦しんだ。 「なぜです」と聞いた。 「なぜですって、御前と直と行くのはいけないよ」 「兄さんに悪いと云うんですか」  自分は露骨にこう聞いて見た。 「兄さんに悪いばかりじゃないが……」 「じゃ姉さんだの僕だのに悪いと云うんですか」  自分の問は前よりなお露骨であった。母は黙ってそこに佇ずんでいた。自分は母の表情に珍らしく猜疑の影を見た。         二十七  自分は自分を信じ切り、また愛し切っているとばかり考えていた母の表情を見てたちまち臆した。 「では止します。元々僕の発案で姉さんを誘い出すんじゃない。兄さんが二人で行って来いと云うから行くだけの事です。御母さんが御不承知ならいつでもやめます。その代り御母さんから兄さんに談判して行かないで好いようにして下さい。僕は兄さんに約束があるんだから」  自分はこう答えて、何だかきまりが悪そうに母の前に立っていた。実は母の前を去る勇気が出なかったのである。母は少し途方に暮れた様子であった。しかししまいに思い切ったと見えて、「じゃ兄さんには妾から話をするから、その代り御前はここに待ってておくれ、三階へ一緒に来るとまた事が面倒になるかも知れないから」と云った。  自分は母の後影を見送りながら、事がこんな風に引絡まった日には、とても嫂を連れて和歌山などへ行く気になれない、行ったところで肝心の用は弁じない、どうか母の思い通りに事が変じてくれれば好いがと思った。そうして気の落ちつかない胸を抱いて、広い座敷を右左に目的もなく往ったり来たりした。  やがて三階から兄が下りて来た。自分はその顔をちらりと見た時、これはどうしても行かなければ済まないなとすぐ読んだ。 「二郎、今になって違約して貰っちゃおれが困る。貴様だって男だろう」  自分は時々兄から貴様と呼ばれる事があった。そうしてこの貴様が彼の口から出たときはきっと用心して後難を避けた。 「いえ行くんです。行くんですがお母さんが止せとおっしゃるから」  自分がこう云ってるうちに、母がまた心配そうに三階から下りて来た。そうしてすぐ自分の傍へ寄って、 「二郎お母さんは先刻ああ云ったけれども、よく一郎に聞いて見ると、何だか紀三井寺で約束した事があるとか云う話だから、残念だが仕方ない。やっぱりその約束通りになさい」と云った。 「ええ」  自分はこう答えて、あとは何にも云わない事にした。  やがて母と兄は下に待っている俥に乗って、楼前から右の方へ鉄輪の音を鳴らして去った。 「じゃ僕らもそろそろ出かけましょうかね」と嫂を顧みた時、自分は実際好い心持ではなかった。 「どうです出かける勇気がありますか」と聞いた。 「あなたは」と向も聞いた。 「僕はあります」 「あなたにあれば、妾にだってあるわ」  自分は立って着物を着換え始めた。  嫂は上着を引掛けてくれながら、「あなた何だか今日は勇気がないようね」と調戯い半分に云った。自分は全く勇気がなかった。  二人は電車の出る所まで歩いて行った。あいにく近路を取ったので、嫂の薄い下駄と白足袋が一足ごとに砂の中に潜った。 「歩き悪いでしょう」 「ええ」と云って彼女は傘を手に持ったまま、後を向いて自分の後足を顧みた。自分は赤い靴を砂の中に埋めながら、今日の使命をどこでどう果したものだろうと考えた。考えながら歩くせいか会話は少しも機まない心持がした。 「あなた今日は珍らしく黙っていらっしゃるのね」とついに嫂から注意された。         二十八  自分は嫂と並んで電車に腰を掛けた。けれども大事の用を前に控えているという気が胸にあるので、どうしても機嫌よく話はできなかった。 「なぜそんなに黙っていらっしゃるの」と彼女が聞いた。自分は宿を出てからこう云う意味の質問を彼女からすでに二度まで受けた。それを裏から見ると、二人でもっと面白く話そうじゃありませんかと云う意味も映っていた。 「あなた兄さんにそんな事を云ったことがありますか」  自分の顔はやや真面目であった。嫂はちょっとそれを見て、すぐ窓の外を眺めた。そうして「好い景色ね」と云った。なるほどその時電車の走っていた所は、悪い景色ではなかったけれども、彼女のことさらにそれを眺めた事は明かであった。自分はわざと嫂を呼んで再び前の質問を繰返した。 「なぜそんなつまらない事を聞くのよ」と云った彼女は、ほとんど一顧に価しない風をした。  電車はまた走った。自分は次の停留所へ来る前また執拗く同じ問をかけて見た。 「うるさい方ね」と彼女がついに云った。「そんな事聞いて何になさるの。そりゃ夫婦ですもの、そのくらいな事云った覚はあるでしょうよ。それがどうしたの」 「どうもしやしません。兄さんにもそういう親しい言葉を始終かけて上げて下さいと云うだけです」  彼女は蒼白い頬へ少し血を寄せた。その量が乏しいせいか、頬の奥の方に灯を点けたのが遠くから皮膚をほてらしているようであった。しかし自分はその意味を深くも考えなかった。  和歌山へ着いた時、二人は電車を降りた。降りて始めて自分は和歌山へ始めて来た事を覚った。実はこの地を見物する口実の下に、嫂を連れて来たのだから、形式にもどこか見なければならなかった。 「あらあなたまだ和歌山を知らないの。それでいて妾を連れて来るなんて、ずいぶん呑気ね」  嫂は心細そうに四方を見廻した。自分も何分かきまりが悪かった。 「俥へでも乗って車夫に好い加減な所へ連れて行って貰いましょうか。それともぶらぶら御城の方へでも歩いて行きますか」 「そうね」  嫂は遠くの空を眺めて、近い自分には眼を注がなかった。空はここも海辺と同じように曇っていた。不規則に濃淡を乱した雲が幾重にも二人の頭の上を蔽って、日を直下に受けるよりは蒸し熱かった。その上いつ驟雨が来るか解らないほどに、空の一部分がすでに黒ずんでいた。その黒ずんだ円の四方が暈されたように輝いて、ちょうど今我々が見捨てて来た和歌の浦の見当に、凄じい空の一角を描き出していた。嫂は今その気味の悪い所を眉を寄せて眺めているらしかった。 「降るでしょうか」  自分は固より降るに違ないと思っていた。それでとにかく俥を雇って、見るだけの所を馳け抜けた方が得策だと考えた。自分は直に俥を命じて、どこでも構わないからなるべく早く見物のできるように挽いて廻れと命じた。車夫は要領を得たごとくまた得ないごとく、むやみに駆けた。狭い町へ出たり、例の蓮の咲いている濠へ出たりまた狭い町へ出たりしたが、いっこうこれぞという所はなかった。最後に自分は俥の上で、こう駆けてばかりいては肝心の話ができないと気がついて、車夫にどこかゆっくり坐って話のできる所へ連れて行けと差図した。         二十九  車夫は心得て駆け出した。今までと違って威勢があまり好過ぎると思ううちに、二人の俥は狭い横町を曲って、突然大きな門を潜った。自分があわてて、車夫を呼び留めようとした時、梶棒はすでに玄関に横付になっていた。二人はどうする事もできなかった。その上若い着飾った下女が案内に出たので、二人はついに上るべく余儀なくされた。 「こんな所へ来るはずじゃなかったんですが」と自分はつい言訳らしい事を云った。 「なぜ。だって立派な御茶屋じゃありませんか。結構だわ」と嫂が答えた。その答えぶりから推すと、彼女は最初からこういう料理屋めいた所へでも来るのを予期していたらしかった。  実際嫂のいった通りその座敷は物綺麗にかつ堅牢に出来上っていた。 「東京辺の安料理屋よりかえって好いくらいですね」と自分は柱の木口や床の軸などを見廻した。嫂は手摺の所へ出て、中庭を眺めていた。古い梅の株の下に蘭の茂りが蒼黒い影を深く見せていた。梅の幹にも硬くて細長い苔らしいものがところどころに喰ついていた。  下女が浴衣を持って風呂の案内に来た。自分は風呂に這入る時間が惜しかった。そうして日が暮れはしまいかと心配した。できるならば一刻も早く用を片づけて、約束通り明るい路を浜辺まで帰りたいと念じた。 「どうします姉さん、風呂は」と聞いて見た。  嫂も明るいうちには帰るように兄から兼ねて云いつけられていたので、そこはよく承知していた。彼女は帯の間から時計を出して見た。 「まだ早いのよ、二郎さん。お湯へ這入っても大丈夫だわ」  彼女は時間の遅く見えるのを全く天気のせいにした。もっとも濁った雲が幾重にも空を鎖しているので、時計の時間よりは世の中が暗く見えたのはたしかに違いなかった。自分はまた今にも降り出しそうな雨を恐れた。降るならひとしきりざっと来た後で、帰った方がかえって楽だろうと考えた。 「じゃちょっと汗を流して行きましょうか」  二人はとうとう風呂に入った。風呂から出ると膳が運ばれた。時間からいうと飯には早過ぎた。酒は遠慮したかった。かつ飲める口でもなかった。自分はやむをえず、吸物を吸ったり、刺身を突ついたりした。下女が邪魔になるので、用があれば呼ぶからと云って下げた。  嫂には改まって云い出したものだろうか、またはそれとなく話のついでにそこへ持って行ったものだろうかと思案した。思案し出すとどっちもいいようでまたどっちも悪いようであった。自分は吸物椀を手にしたままぼんやり庭の方を眺めていた。 「何を考えていらっしゃるの」と嫂が聞いた。 「何、降りゃしまいかと思ってね」と自分はいい加減な答をした。 「そう。そんなに御天気が怖いの。あなたにも似合わないのね」 「怖かないけど、もし強雨にでもなっちゃ大変ですからね」  自分がこう云っている内に、雨はぽつりぽつりと落ちて来た。よほど早くからの宴会でもあるのか、向うに見える二階の広間に、二三人紋付羽織の人影が見えた。その見当で芸者が三味線の調子を合わせている音が聞え出した。  宿を出るときすでにざわついていた自分の心は、この時一層落ちつきを失いかけて来た。自分は腹の中で、今日はとてもしんみりした話をする気になれないと恐れた。なぜまたその今日に限って、こんな変な事を引受けたのだろうと後悔もした。         三十  嫂はそんな事に気のつくはずがなかった。自分が雨を気にするのを見て、彼女はかえって不思議そうに詰った。 「何でそんなに雨が気になるの。降れば後が涼しくなって好いじゃありませんか」 「だっていつやむか解らないから困るんです」 「困りゃしないわ。いくら約束があったって、御天気のせいなら仕方がないんだから」 「しかし兄さんに対して僕の責任がありますよ」 「じゃすぐ帰りましょう」  嫂はこう云って、すぐ立ち上った。その様子には一種の決断があらわれていた。向の座敷では客の頭が揃ったのか、三味線の音が雨を隔てて爽かに聞え出した。電灯もすでに輝いた。自分も半ば嫂の決心に促されて、腰を立てかけたが、考えると受合って来た話はまだ一言も口へ出していなかった。後れて帰るのが母や兄にすまないごとく、少しも嫂に肝心の用談を打ち明けないのがまた自分の心にすまなかった。 「姉さんこの雨は容易にやみそうもありませんよ。それに僕は姉さんに少し用談があって来たんだから」  自分は半分空を眺めてまた嫂をふり返った。自分は固よりの事、立ち上った彼女も、まだ帰る仕度は始めなかった。彼女は立ち上ったには、立ち上ったが、自分の様子しだいでその以後の態度を一定しようと、五分の隙間なく身構えているらしく見えた。自分はまた軒端へ首を出して上の方を望んだ。室の位置が中庭を隔てて向うに大きな二階建の広間を控えているため、空はいつものように広くは限界に落ちなかった。したがって雲の往来や雨の降り按排も、一般的にはよく分らなかった。けれども凄まじさが先刻よりは一層はなはだしく庭木を痛振っているのは事実であった。自分は雨よりも空よりも、まずこの風に辟易した。 「あなたも妙な方ね。帰るというからそのつもりで仕度をすれば、また坐ってしまって」 「仕度ってほどの仕度もしないじゃありませんか。ただ立ったぎりでさあ」  自分がこう云った時、嫂はにっこりと笑った。そうして故意と己れの袖や裾のあたりをなるほどといったようなまた意外だと驚いたような眼つきで見廻した。それから微笑を含んでその様子を見ていた自分の前に再びぺたりと坐った。 「何よ用談があるって。妾にそんなむずかしい事が分りゃしないわ。それよりか向うの御座敷の三味線でも聞いてた方が増しよ」  雨は軒に響くというよりもむしろ風に乗せられて、気ままな場所へ叩きつけられて行くような音を起した。その間に三味線の音が気紛れものらしく時々二人の耳を掠め去った。 「用があるなら早くおっしゃいな」と彼女は催促した。 「催促されたってちょっと云える事じゃありません」  自分は実際彼女から促された時、何と切り出して好いか分らなかった。すると彼女はにやにやと笑った。 「あなた取っていくつなの」 「そんなに冷かしちゃいけません。本当に真面目な事なんだから」 「だから早くおっしゃいな」  自分はいよいよ改まって忠告がましい事を云うのが厭になった。そうして彼女の前へ出た今の自分が何だか彼女から一段低く見縊られているような気がしてならなかった。それだのにそこに一種の親しみを感じずにはまたいられなかった。         三十一 「姉さんはいくつでしたっけね」と自分はついに即かぬ事を聞き出した。 「これでもまだ若いのよ。あなたよりよっぽど下のつもりですわ」  自分は始めから彼女の年と自分の年を比較する気はなかった。 「兄さんとこへ来てからもう何年になりますかね」と聞いた。  嫂はただ澄まして「そうね」と云った。 「妾そんな事みんな忘れちまったわ。だいち自分の年さえ忘れるくらいですもの」  嫂のこの恍け方はいかにも嫂らしく響いた。そうして自分にはかえって嬌態とも見えるこの不自然が、真面目な兄にはなはだしい不愉快を与えるのではなかろうかと考えた。 「姉さんは自分の年にさえ冷淡なんですね」  自分はこんな皮肉を何となく云った。しかし云ったときの浮気な心にすぐ気がつくと急に兄にすまない恐ろしさに襲われた。 「自分の年なんかに、いくら冷淡でも構わないから、兄さんにだけはもう少し気をつけて親切にして上げて下さい」 「妾そんなに兄さんに不親切に見えて。これでもできるだけの事は兄さんにして上げてるつもりよ。兄さんばかりじゃないわ。あなたにだってそうでしょう。ねえ二郎さん」  自分は、自分にもっと不親切にして構わないから、兄の方には最少し優しくしてくれろと、頼むつもりで嫂の眼を見た時、また急に自分の甘いのに気がついた。嫂の前へ出て、こう差し向いに坐ったが最後、とうてい真底から誠実に兄のために計る事はできないのだとまで思った。自分は言葉には少しも窮しなかった。どんな言語でも兄のために使おうとすれば使われた。けれどもそれを使う自分の心は、兄のためでなくってかえって自分のために使うのと同じ結果になりやすかった。自分はけっしてこんな役割を引き受けべき人格でなかった。自分は今更のように後悔した。 「あなた急に黙っちまったのね」とその時嫂が云った。あたかも自分の急所を突くように。 「兄さんのために、僕が先刻からあなたに頼んでいる事を、姉さんは真面目に聞いて下さらないから」  自分は恥ずかしい心を抑えてわざとこう云った。すると嫂は変に淋しい笑い方をした。 「だってそりゃ無理よ二郎さん。妾馬鹿で気がつかないから、みんなから冷淡と思われているかも知れないけれど、これで全くできるだけの事を兄さんに対してしている気なんですもの。――妾ゃ本当に腑抜なのよ。ことに近頃は魂の抜殻になっちまったんだから」 「そう気を腐らせないで、もう少し積極的にしたらどうです」 「積極的ってどうするの。御世辞を使うの。妾御世辞は大嫌いよ。兄さんも御嫌いよ」 「御世辞なんか嬉しがるものもないでしょうけれども、もう少しどうかしたら兄さんも幸福でしょうし、姉さんも仕合せだろうから……」 「よござんす。もう伺わないでも」と云った嫂は、その言葉の終らないうちに涙をぽろぽろと落した。 「妾のような魂の抜殻はさぞ兄さんには御気に入らないでしょう。しかし私はこれで満足です。これでたくさんです。兄さんについて今まで何の不足を誰にも云った事はないつもりです。そのくらいの事は二郎さんもたいてい見ていて解りそうなもんだのに……」  泣きながら云う嫂の言葉は途切れ途切れにしか聞こえなかった。しかしその途切れ途切れの言葉が鋭い力をもって自分の頭に応えた。         三十二  自分は経験のある或る年長者から女の涙に金剛石はほとんどない、たいていは皆ギヤマン細工だとかつて教わった事がある。その時自分はなるほどそんなものかと思って感心して聞いていた。けれどもそれは単に言葉の上の智識に過ぎなかった。若輩な自分は嫂の涙を眼の前に見て、何となく可憐に堪えないような気がした。ほかの場合なら彼女の手を取って共に泣いてやりたかった。 「そりゃ兄さんの気むずかしい事は誰にでも解ってます。あなたの辛抱も並大抵じゃないでしょう。けれども兄さんはあれで潔白すぎるほど潔白で正直すぎるほど正直な高尚な男です。敬愛すべき人物です……」 「二郎さんに何もそんな事を伺わないでも兄さんの性質ぐらい妾だって承知しているつもりです。妻ですもの」  嫂はこう云ってまたしゃくり上げた。自分はますます可哀そうになった。見ると彼女の眼を拭っていた小形の手帛が、皺だらけになって濡れていた。自分は乾いている自分ので彼女の眼や頬を撫でてやるために、彼女の顔に手を出したくてたまらなかった。けれども、何とも知れない力がまたその手をぐっと抑えて動けないように締めつけている感じが強く働いた。 「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、また嫌なんですか」  自分はこう云ってしまった後で、この言葉は手を出して嫂の頬を、拭いてやれない代りに自然口の方から出たのだと気がついた。嫂は手帛と涙の間から、自分の顔を覗くように見た。 「二郎さん」 「ええ」  この簡単な答は、あたかも磁石に吸われた鉄の屑のように、自分の口から少しの抵抗もなく、何らの自覚もなく釣り出された。 「あなた何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾が兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」 「そういう訳じゃけっしてないんですが」 「だから先刻から云ってるじゃありませんか。私が冷淡に見えるのは、全く私が腑抜のせいだって」 「そう腑抜をことさらに振り舞わされちゃ困るね。誰も宅のものでそんな悪口を云うものは一人もないんですから」 「云わなくっても腑抜よ。よく知ってるわ、自分だって。けど、これでも時々は他から親切だって賞められる事もあってよ。そう馬鹿にしたものでもないわ」  自分はかつて大きなクッションに蜻蛉だの草花だのをいろいろの糸で、嫂に縫いつけて貰った御礼に、あなたは親切だと感謝した事があった。 「あれ、まだ有るでしょう綺麗ね」と彼女が云った。 「ええ。大事にして持っています」と自分は答えた。自分は事実だからこう答えざるを得なかった。こう答える以上、彼女が自分に親切であったという事実を裏から認識しない訳に行かなかった。  ふと耳を欹てると向うの二階で弾いていた三味線はいつの間にかやんでいた。残り客らしい人の酔った声が時々風を横切って聞こえた。もうそれほど遅くなったのかと思って、時計を捜し出しにかかったところへ女中が飛石伝に縁側から首を出した。  自分らはこの女中を通じて、和歌の浦が今暴風雨に包まれているという事を知った。電話が切れて話が通じないという事を知った。往来の松が倒れて電車が通じないという事も知った。         三十三  自分はその時急に母や兄の事を思い出した。眉を焦す火のごとく思い出した。狂う風と渦巻く浪に弄ばれつつある彼らの宿が想像の眼にありありと浮んだ。 「姉さん大変な事になりましたね」と自分は嫂を顧みた。嫂はそれほど驚いた様子もなかった。けれども気のせいか、常から蒼い頬が一層蒼いように感ぜられた。その蒼い頬の一部と眼の縁に先刻泣いた痕跡がまだ残っていた。嫂はそれを下女に悟られるのが厭なんだろう、電灯に疎い不自然な方角へ顔を向けて、わざと入口の方を見なかった。 「和歌の浦へはどうしても帰られないんでしょうか」と云った。  見当違いの方から出たこの問は、自分に云うのか、または下女に聞くのか、ちょっと解らなかった。 「俥でも駄目だろうね」と自分が同じような問を下女に取次いだ。  下女は駄目という言葉こそ繰返さなかったが、危険な意味を反覆説明して、聞かせた上、是非今夜だけは和歌山へ泊れと忠告した。彼女の顔はむしろわれわれ二人の利害を標的にして物を云ってるらしく真面目に見えた。自分は下女の言葉を信ずれば信ずるほど母の事が気になった。  防波堤と母の宿との間にはかれこれ五六町の道程があった。波が高くて少し土手を越すくらいなら、容易に三階の座敷まで来る気遣いはなかろうとも考えた。しかしもし海嘯が一度に寄せて来るとすると、…… 「おい海嘯であすこいらの宿屋がすっかり波に攫われる事があるかい」  自分は本当に心配の余り下女にこう聞いた。下女はそんな事はないと断言した。しかし波が防波堤を越えて土手下へ落ちてくるため、中が湖水のようにいっぱいになる事は二三度あったと告げた。 「それにしたって、水に浸った家は大変だろう」と自分はまた聞いた。  下女は、高々水の中で家がぐるぐる回るくらいなもので、海まで持って行かれる心配はまずあるまいと答えた。この呑気な答えが心配の中にも自分を失笑せしめた。 「ぐるぐる回りゃそれでたくさんだ。その上海まで持ってかれた日にゃ好い災難じゃないか」  下女は何とも云わずに笑っていた。嫂も暗い方から電灯をまともに見始めた。 「姉さんどうします」 「どうしますって、妾女だからどうして好いか解らないわ。もしあなたが帰るとおっしゃれば、どんな危険があったって、妾いっしょに行くわ」 「行くのは構わないが、――困ったな。じゃ今夜は仕方がないからここへ泊るとしますか」 「あなたが御泊りになれば妾も泊るよりほかに仕方がないわ。女一人でこの暗いのにとても和歌の浦まで行く訳には行かないから」  下女は今まで勘違をしていたと云わぬばかりの眼遣をして二人を見較べた。 「おい電話はどうしても通じないんだね」と自分はまた念のため聞いて見た。 「通じません」  自分は電話口へ出て直接に試みて見る勇気もなかった。 「じゃしようがない泊ることにきめましょう」と今度は嫂に向った。 「ええ」  彼女の返事はいつもの通り簡単でそうして落ちついていた。 「町の中なら俥が通うんだね」と自分はまた下女に向った。         三十四  二人はこれから料理屋で周旋してくれた宿屋まで行かなければならなかった。仕度をして玄関を下りた時、そこに輝く電灯と、車夫の提灯とが、雨の音と風の叫びに冴えて、あたかも闇に狂う物凄さを照らす道具のように思われた。嫂はまず色の眼につくあでやかな姿を黒い幌の中へ隠した。自分もつづいて窮屈な深い桐油の中に身体を入れた。  幌の中に包まれた自分はほとんど往来の凄じさを見る遑がなかった。自分の頭はまだ経験した事のない海嘯というものに絶えず支配された。でなければ、意地の悪い天候のお蔭で、自分が兄の前で一徹に退けた事を、どうしても実行しなければならなくなった運命をつらく観じた。自分の頭は落ちついて想像したり観じたりするほどの余裕を無論もたなかった。ただ乱雑な火事場のように取留めもなくくるくる廻転した。  そのうち俥の梶棒が一軒の宿屋のような構の門口へ横づけになった。自分は何だか暖簾を潜って土間へ這入ったような気がしたがたしかには覚えていない。土間は幅の割に竪からいってだいぶ長かった。帳場も見えず番頭もいず、ただ一人の下女が取次に出ただけで、宵の口としては至って淋しい光景であった。  自分達は黙ってそこに突立っていた。自分はなぜだか嫂に話したくなかった。彼女も澄まして絹張の傘の先を斜に土間に突いたなりで立っていた。  下女の案内で二人の通された部屋は、縁側を前に御簾のような簀垂を軒に懸けた古めかしい座敷であった。柱は時代で黒く光っていた。天井にも煤の色が一面に見えた。嫂は例の傘を次の間の衣桁に懸けて、「ここは向うが高い棟で、こっちが厚い練塀らしいから風の音がそんなに聞えないけれど、先刻俥へ乗った時は大変ね。幌の上でひゅひゅいうのが気味が悪かったぐらいよ。あなた風の重みが俥の幌に乗しかかって来るのが乗ってて分ったでしょう。妾もう少しで俥が引っ繰返るかも知れないと思ったわ」と云った。  自分は少し逆上していたので、そんな事はよく注意していられなかった。けれどもその通りを真直に答えるほどの勇気もなかった。 「ええずいぶんな風でしたね」とごまかした。 「ここでこのくらいじゃ、和歌の浦はさぞ大変でしょうね」と嫂が始めて和歌の浦の事を云い出した。  自分は胸がまたわくわくし出した。「姐さんここの電話も切れてるのかね」と云って、答えも待たずに風呂場に近い電話口まで行った。そこで帳面を引っ繰返しながら、号鈴をしきりに鳴らして、母と兄の泊っている和歌の浦の宿へかけて見た。すると不思議に向うで二言三言何か云ったような気がするので、これはありがたいと思いつつなお暴風雨の模様を聞こうとすると、またさっぱり通じなくなった。それから何遍もしもしと呼んでもいくら号鈴を鳴らしても、呼び甲斐も鳴らし甲斐も全く無くなったので、ついに我を折ってわが部屋へ引き戻して来た。嫂は蒲団の上に坐って茶を啜っていたが、自分の足音を聴きつつふり返って、「電話はどうして? 通じて?」と聞いた。自分は電話について今の一部始終を説明した。 「おおかたそんな事だろうと思った。とても駄目よ今夜は。いくらかけたって、風で電話線を吹き切っちまったんだから。あの音を聞いたって解るじゃありませんか」  風はどこからか二筋に綯れて来たのが、急に擦違になって唸るような怪しい音を立てて、また虚空遥に騰るごとくに見えた。         三十五  二人が風に耳を峙だてていると、下女が風呂の案内に来た。それから晩食を食うかと聞いた。自分は晩食などを欲しいと思う気になれなかった。 「どうします」と嫂に相談して見た。 「そうね。どうでもいいけども。せっかく泊ったもんだから、御膳だけでも見た方がいいでしょう」と彼女は答えた。  下女が心得て立って行ったかと思うと、宅中の電灯がぱたりと消えた。黒い柱と煤けた天井でたださえ陰気な部屋が、今度は真暗になった。自分は鼻の先に坐っている嫂を嗅げば嗅がれるような気がした。 「姉さん怖かありませんか」 「怖いわ」という声が想像した通りの見当で聞こえた。けれどもその声のうちには怖らしい何物をも含んでいなかった。またわざと怖がって見せる若々しい蓮葉の態度もなかった。  二人は暗黒のうちに坐っていた。動かずにまた物を云わずに、黙って坐っていた。眼に色を見ないせいか、外の暴風雨は今までよりは余計耳についた。雨は風に散らされるのでそれほど恐ろしい音も伝えなかったが、風は屋根も塀も電柱も、見境なく吹き捲って悲鳴を上げさせた。自分達の室は地面の上の穴倉みたような所で、四方共頑丈な建物だの厚い塗壁だのに包まれて、縁の前の小さい中庭さえ比較的安全に見えたけれども、周囲一面から出る一種凄じい音響は、暗闇に伴って起る人間の抵抗しがたい不可思議な威嚇であった。 「姉さんもう少しだから我慢なさい。今に女中が灯を持って来るでしょうから」  自分はこう云って、例の見当から嫂の声が自分の鼓膜に響いてくるのを暗に予期していた。すると彼女は何事をも答えなかった。それが漆に似た暗闇の威力で、細い女の声さえ通らないように思われるのが、自分には多少無気味であった。しまいに自分の傍にたしかに坐っているべきはずの嫂の存在が気にかかり出した。 「姉さん」  嫂はまだ黙っていた。自分は電気灯の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」と呼んだ。 「何よ」  彼女の答は何だか蒼蠅そうであった。 「いるんですか」 「いるわあなた。人間ですもの。嘘だと思うならここへ来て手で障って御覧なさい」  自分は手捜りに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。 「姉さん何かしているんですか」と聞いた。 「ええ」 「何をしているんですか」と再び聞いた。 「先刻下女が浴衣を持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いているところです」と嫂が答えた。  自分が暗闇で帯の音を聞いているうちに、下女は古風な蝋燭を点けて縁側伝いに持って来た。そうしてそれを座敷の床の横にある机の上に立てた。蝋燭の焔がちらちら右左へ揺れるので、黒い柱や煤けた天井はもちろん、灯の勢の及ぶ限りは、穏かならぬ薄暗い光にどよめいて、自分の心を淋しく焦立たせた。ことさら床に掛けた軸と、その前に活けてある花とが、気味の悪いほど目立って蝋燭の灯の影響を受けた。自分は手拭を持って、また汗を流しに風呂へ行った。風呂は怪しげなカンテラで照らされていた。         三十六  自分は佗びしい光でやっと見分のつく小桶を使ってざあざあ背中を流した。出がけにまた念のためだから電話をちりんちりん鳴らして見たがさらに通じる気色がないのでやめた。  嫂は自分と入れ代りに風呂へ入ったかと思うとすぐ出て来た。「何だか暗くって気味が悪いのね。それに桶や湯槽が古いんでゆっくり洗う気にもなれないわ」  その時自分は畏まった下女を前に置いて蝋燭の灯を便に宿帳をつけべく余儀なくされていた。 「姉さん宿帳はどうつけたら好いでしょう」 「どうでも。好い加減に願います」  嫂はこう云って小さい袋から櫛やなにか這入っている更紗の畳紙を出し始めた。彼女は後向になって蝋燭を一つ占領して鏡台に向いつつ何かやっていた。自分は仕方なしに東京の番地と嫂の名を書いて、わざと傍に一郎妻と認めた。同様の意味で自分の側にも一郎弟とわざわざ断った。  飯の出る前に、何の拍子か、先に暗くなった電灯がまた一時に明るくなった。その時台所の方でわあと喜びの鬨の声を挙げたものがあった。暴風雨で魚がないと下女が言訳を云ったにかかわらず、われわれの膳の上は明かであった。 「まるで生返ったようね」と嫂が云った。  すると電灯がまたぱっと消えた。自分は急に箸を消えたところに留めたぎり、しばらく動かさなかった。 「おやおや」  下女は大きな声をして朋輩の名を呼びながら灯火を求めた。自分は電気灯がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、いつの間にか薄く化粧を施したという艶かしい事実を見て取った。電灯の消えた今、その顔だけが真闇なうちにもとの通り残っているような気がしてならなかった。 「姉さんいつ御粧したんです」 「あら厭だ真闇になってから、そんな事を云いだして。あなたいつ見たの」  下女は暗闇で笑い出した。そうして自分の眼ざとい事を賞めた。 「こんな時に白粉まで持って来るのは実に細かいですね、姉さんは」と自分はまた暗闇の中で嫂に云った。 「白粉なんか持って来やしないわ。持って来たのはクリームよ、あなた」と彼女はまた暗闇の中で弁解した。  自分は暗がりの中で、しかも下女のいる前で、こんな冗談を云うのが常よりは面白かった。そこへ彼女の朋輩がまた別の蝋燭を二本ばかり点けて来た。  室の中は裸蝋燭の灯で渦を巻くように動揺した。自分も嫂も眉を顰めて燃える焔の先を見つめていた。そうして落ちつきのない淋しさとでも形容すべき心持を味わった。  ほどなく自分達は寝た。便所に立った時、自分は窓の間から空を仰ぐように覗いて見た。今まで多少静まっていた暴風雨が、この時は夜更と共に募ったものか、真黒な空が真黒いなりに活動して、瞬間も休まないように感ぜられた。自分は恐ろしい空の中で、黒い電光が擦れ合って、互に黒い針に似たものを隙間なく出しながら、この暗さを大きな音の中に維持しているのだと想像し、かつその想像の前に畏縮した。  蚊帳の外には蝋燭の代りに下女が床を延べた時、行灯を置いて行った。その行灯がまた古風な陰気なもので、いっそ吹き消して闇がりにした方が、微かな光に照らされる無気味さよりはかえって心持が好いくらいだった。自分は燐寸を擦って、薄暗い所で煙草を呑み始めた。         三十七  自分は先刻から少しも寝なかった。小用に立って、一本の紙巻を吹かす間にもいろいろな事を考えた。それが取りとめもなく雑然と一度に来るので、自分にも何が主要の問題だか捕えられなかった。自分は燐寸を擦って煙草を呑んでいる事さえ時々忘れた。しかもそこに気がついて、再び吸口を唇に銜える時の煙の無味さはまた特別であった。  自分の頭の中には、今見て来た正体の解らない黒い空が、凄まじく一様に動いていた。それから母や兄のいる三階の宿が波を幾度となく被って、くるりくるりと廻り出していた。それが片づかないうちに、この部屋の中に寝ている嫂の事がまた気になり出した。天災とは云え二人でここへ泊った言訳をどうしたものだろうと考えた。弁解してから後、兄の機嫌をどうして取り直したものだろうとも考えた。同時に今日嫂といっしょに出て、滅多にないこんな冒険を共にした嬉しさがどこからか湧いて出た。その嬉しさが出た時、自分は風も雨も海嘯も母も兄もことごとく忘れた。するとその嬉しさがまた俄然として一種の恐ろしさに変化した。恐ろしさと云うよりも、むしろ恐ろしさの前触であった。どこかに潜伏しているように思われる不安の徴候であった。そうしてその時は外面を狂い廻る暴風雨が、木を根こぎにしたり、塀を倒したり、屋根瓦を捲くったりするのみならず、今薄暗い行灯[#ルビの「あんどん」は底本では「あんどう」]の下で味のない煙草を吸っているこの自分を、粉微塵に破壊する予告のごとく思われた。  自分がこんな事をぐるぐる考えているうちに、蚊帳の中に死人のごとくおとなしくしていた嫂が、急に寝返をした。そうして自分に聞えるように長い欠伸をした。 「姉さんまだ寝ないんですか」と自分は煙草の煙の間から嫂に聞いた。 「ええ、だってこの吹き降りじゃ寝ようにも寝られないじゃありませんか」 「僕もあの風の音が耳についてどうする事もできない。電灯の消えたのは、何でもここいら近所にある柱が一本とか二本とか倒れたためだってね」 「そうよ、そんな事を先刻下女が云ったわね」 「御母さんと兄さんはどうしたでしょう」 「妾も先刻からその事ばかり考えているの。しかしまさか浪は這入らないでしょう。這入ったって、あの土手の松の近所にある怪しい藁屋ぐらいなものよ。持ってかれるのは。もし本当の海嘯が来てあすこ界隈をすっかり攫って行くんなら、妾本当に惜しい事をしたと思うわ」 「なぜ」 「なぜって、妾そんな物凄いところが見たいんですもの」 「冗談じゃない」と自分は嫂の言葉をぶった切るつもりで云った。すると嫂は真面目に答えた。 「あら本当よ二郎さん。妾死ぬなら首を縊ったり咽喉を突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌よ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」  自分は小説などをそれほど愛読しない嫂から、始めてこんなロマンチックな言葉を聞いた。そうして心のうちでこれは全く神経の昂奮から来たに違いないと判じた。 「何かの本にでも出て来そうな死方ですね」 「本に出るか芝居でやるか知らないが、妾ゃ真剣にそう考えてるのよ。嘘だと思うならこれから二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、いっしょに飛び込んで御目にかけましょうか」 「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫めるごとく云った。 「妾の方があなたよりどのくらい落ちついているか知れやしない。たいていの男は意気地なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。         三十八  自分はこの時始めて女というものをまだ研究していない事に気がついた。嫂はどこからどう押しても押しようのない女であった。こっちが積極的に進むとまるで暖簾のように抵抗がなかった。仕方なしにこっちが引き込むと、突然変なところへ強い力を見せた。その力の中にはとても寄りつけそうにない恐ろしいものもあった。またはこれなら相手にできるから進もうかと思って、まだ進みかねている中に、ふっと消えてしまうのもあった。自分は彼女と話している間始終彼女から翻弄されつつあるような心持がした。不思議な事に、その翻弄される心持が、自分に取って不愉快であるべきはずだのに、かえって愉快でならなかった。  彼女は最後に物凄い決心を語った。海嘯に攫われて行きたいとか、雷火に打たれて死にたいとか、何しろ平凡以上に壮烈な最後を望んでいた。自分は平生から(ことに二人でこの和歌山に来てから)体力や筋力において遥に優勢な位地に立ちつつも、嫂に対してはどことなく無気味な感じがあった。そうしてその無気味さがはなはだ狎れやすい感じと妙に相伴っていた。  自分は詩や小説にそれほど親しみのない嫂のくせに、何に昂奮して海嘯に攫われて死にたいなどと云うのか、そこをもっと突きとめて見たかった。 「姉さんが死ぬなんて事を云い出したのは今夜始めてですね」 「ええ口へ出したのは今夜が始めてかも知れなくってよ。けれども死ぬ事は、死ぬ事だけはどうしたって心の中で忘れた日はありゃしないわ。だから嘘だと思うなら、和歌の浦まで伴れて行ってちょうだい。きっと浪の中へ飛込んで死んで見せるから」  薄暗い行灯の下で、暴風雨の音の間にこの言葉を聞いた自分は、実際物凄かった。彼女は平生から落ちついた女であった。歇私的里風なところはほとんどなかった。けれども寡言な彼女の頬は常に蒼かった。そうしてどこかの調子で眼の中に意味の強い解すべからざる光が出た。 「姉さんは今夜よっぽどどうかしている。何か昂奮している事でもあるんですか」  自分は彼女の涙を見る事はできなかった。また彼女の泣き声を聞く事もできなかった。けれども今にもそこに至りそうな気がするので、暗い行灯の光を便りに、蚊帳の中を覗いて見た。彼女は赤い蒲団を二枚重ねてその上に縁を取った白麻の掛蒲団を胸の所まで行儀よく掛けていた。自分が暗い灯でその姿を覗き込んだ時、彼女は枕を動かして自分の方を見た。 「あなた昂奮昂奮って、よくおっしゃるけれども妾ゃあなたよりいくら落ちついてるか解りゃしないわ。いつでも覚悟ができてるんですもの」  自分は何と答うべき言葉も持たなかった。黙って二本目の敷島を暗い灯影で吸い出した。自分はわが鼻と口から濛々と出る煙ばかりを眺めていた。自分はその間に気味のわるい眼を転じて、時々蚊帳の中を窺った。嫂の姿は死んだように静であった。あるいはすでに寝ついたのではないかとも思われた。すると突然仰向けになった顔の中から、「二郎さん」と云う声が聞こえた。 「何ですか」と自分は答えた。 「あなたそこで何をしていらっしゃるの」 「煙草を呑んでるんです。寝られないから」 「早く御休みなさいよ。寝られないと毒だから」 「ええ」  自分は蚊帳の裾を捲くって、自分の床の中に這入った。         三十九  翌日は昨日と打って変って美しい空を朝まだきから仰ぐ事を得た。 「好い天気になりましたね」と自分は嫂に向って云った。 「本当ね」と彼女も答えた。  二人はよく寝なかったから、夢から覚めたという心持はしなかった。ただ床を離れるや否や魔から覚めたという感じがしたほど、空は蒼く染められていた。  自分は朝飯の膳に向いながら、廂を洩れる明らかな光を見て、急に気分の変化に心づいた。したがって向い合っている嫂の姿が昨夕の嫂とは全く異なるような心持もした。今朝見ると彼女の眼にどこといって浪漫的な光は射していなかった。ただ寝の足りないが急に爽かな光に照らされて、それに抵抗するのがいかにも慵いと云ったような一種の倦怠るさが見えた。頬の蒼白いのも常に変らなかった。  我々はできるだけ早く朝飯を済まして宿を立った。電車はまだ通じないだろうという宿のものの注意を信用して俥を雇った。車夫は土間から表に出た我々を一目見て、すぐ夫婦ものと鑑定したらしかった。俥に乗るや否や自分の梶棒を先へ上げた。自分はそれをとめるように、「後から後から」と云った。車夫は心得て「奥さんの方が先だ」と相図した。嫂の俥が自分の傍を擦り抜ける時、彼女は例の片靨を見せて「御先へ」と挨拶した。自分は「さあどうぞ」と云ったようなものの、腹の中では車夫の口にした奥さんという言葉が大いに気になった。嫂はそんな景色もなく、自分を乗り越すや否や、琥珀に刺繍のある日傘を翳した。彼女の後姿はいかにも涼しそうに見えた。奥さんと云われても云われないでも全く無関係の態度で、俥の上に澄まして乗っているとしか思われなかった。  自分は嫂の後姿を見つめながら、また彼女の人となりに思い及んだ。自分は平生こそ嫂の性質を幾分かしっかり手に握っているつもりであったが、いざ本式に彼女の口から本当のところを聞いて見ようとすると、まるで八幡の藪知らずへ這入ったように、すべてが解らなくなった。  すべての女は、男から観察しようとすると、みんな正体の知れない嫂のごときものに帰着するのではあるまいか。経験に乏しい自分はこうも考えて見た。またその正体の知れないところがすなわち他の婦人に見出しがたい嫂だけの特色であるようにも考えて見た。とにかく嫂の正体は全く解らないうちに、空が蒼々と晴れてしまった。自分は気の抜けた麦酒のような心持を抱いて、先へ行く彼女の後姿を絶えず眺めていた。  突然自分は宿へ帰ってから嫂について兄に報告をする義務がまだ残っている事に気がついた。自分は何と報告して好いかよく解らなかった。云うべき言葉はたくさんあったけれども、それを一々兄の前に並べるのはとうてい自分の勇気ではできなかった。よし並べたって最後の一句は正体が知れないという簡単な事実に帰するだけであった。あるいは兄自身も自分と同じく、この正体を見届ようと煩悶し抜いた結果、こんな事になったのではなかろうか。自分は自分がもし兄と同じ運命に遭遇したら、あるいは兄以上に神経を悩ましはしまいかと思って、始めて恐ろしい心持がした。  俥が宿へ着いたとき、三階の縁側には母の影も兄の姿も見えなかった。         四十  兄は三階の日に遠い室で例の黒い光沢のある頭を枕に着けて仰向きになっていた。けれども眠ってはいなかった。むしろ充血した眼を見張るように緊張して天井を見つめていた。彼は自分達の足音を聞くや否や、いきなりその血走った眼を自分と嫂に注いだ。自分は兼てからその眼つきを予想し得なかったほど兄を知らない訳でもなかった。けれども室の入口で嫂と相並んで立ちながら、昨夕まんじりともしなかったと自白しているような彼の赤くて鋭い眼つきを見た時は、少し驚かされた。自分はこういう場合の緩和剤として例の通り母を求めた。その母は座敷の中にも縁側にもどこにも見当らなかった。  自分が彼女を探しているうちに嫂は兄の枕元に坐って挨拶をした。 「ただいま」  兄は何とも答えなかった。嫂はまた坐ったなりそこを動かなかった。自分は勢いとして口を開くべく余儀なくされた。 「昨夕こっちは大変な暴風雨でしたってね」 「うんずいぶんひどい風だった」 「波があの石の土手を越して松並木から下へ流れ込んだの」  これは嫂の言葉であった。兄はしばらく彼女の顔を眺めていた。それから徐ろに答えた。 「いやそうでもない。家に故障はなかったはずだ」 「じゃ。無理に帰れば帰れたのね」  嫂はこう云って自分を顧みた。自分は彼女よりもむしろ兄の方に向いた。 「いやとても帰れなかったんです。電車がだいち通じないんですもの」 「そうかも知れない。昨日は夕方あたりからあの波が非常に高く見えたから」 「夜中に宅が揺れやしなくって」  これも嫂の兄に聞いた問であった。今度は兄がすぐ答えた。 「揺れた。お母さんは危険だからと云って下へ降りて行かれたくらい揺れた」  自分は兄の眼色の険悪な割合に、それほど殺気を帯びていない彼の言語動作をようよう確め得た時やっと安心した。彼は自分の性急に比べると約五倍がたの癇癪持であった。けれども一種天賦の能力があって、時にその癇癪を巧に殺す事ができた。  その内に明神様へ御参りに行った母が帰って来た。彼女は自分の顔を見てようやく安心したというような色をしてくれた。 「よく早く帰れて好かったね。――まあ昨夕の恐ろしさったら、そりゃ御話にも何にもならないんだよ、二郎。この柱がぎいぎいって鳴るたんびに、座敷が右左に動くんだろう。そこへ持って来て、あの浪の音がね。――わたしゃ今聞いても本当にぞっとするよ……」  母は昨夕の暴風雨をひどく怖がった。ことにその聯想から出る、防波堤を砕きにかかる浪の音を嫌った。 「もうもう和歌の浦も御免。海も御免。慾も得も要らないから、早く東京へ帰りたいよ」  母はこう云って眉をひそめた。兄は肉のない頬へ皺を寄せて苦笑した。 「二郎達は昨夕どこへ泊ったんだい」と聞いた。  自分は和歌山の宿の名を挙げて答えた。 「好い宿かい」 「何だかかんだか、ただ暗くって陰気なだけです。ねえ姉さん」  その時兄は走るような眼を嫂に転じた。  嫂はただ自分の顔を見て「まるでお化でも出そうな宅ね」と云った。  日の夕暮に自分は嫂と階段の下で出逢った。その時自分は彼女に「どうです、兄さんは怒ってるんでしょうか」と聞いて見た。嫂は「どうだか腹の中はちょっと解らないわ」と淋しく笑いながら上へ昇って行った。         四十一  母が暴風雨に怖気がついて、早く立とうと云うのを機に、みんなここを切上げて一刻も早く帰る事にした。 「いかな名所でも一日二日は好いが、長くなるとつまらないですね」と兄は母に同意していた。  母は自分を小蔭へ呼んで、「二郎お前どうするつもりだい」と聞いた。自分は自分の留守中に兄が万事を母に打ち明けたのかと思った。しかし兄の平生から察すると、そんな行き抜けの人となりでもなさそうであった。 「兄さんは昨夕僕らが帰らないんで、機嫌でも悪くしているんですか」  自分がこう質問をかけた時、母は少しの間黙っていた。 「昨夕はね、知っての通りの浪や風だから、そんな話をする閑も無かったけれども……」  母はどうしてもそこまでしか云わなかった。 「お母さんは何だか僕と嫂さんの仲を疑ぐっていらっしゃるようだが……」と云いかけると、今まで自分の眼をじっと見ていた母は急に手を振って自分を遮った。 「そんな事があるものかねお前、お母さんに限って」  母の言葉は実際判然した言葉に違なかった。顔つきも眼つきもきびきびしていた。けれども彼女の腹の中はとても読めなかった。自分は親身の子として、時たま本当の父や母に向いながら嘘と知りつつ真顔で何か云い聞かされる事を覚えて以来、世の中で本式の本当を云い続けに云うものは一人もないと諦めていた。 「兄さんには僕から万事話す事になっています。そう云う約束になってるんだから、お母さんが心配なさる必要はありません。安心していらっしゃい」 「じゃなるべく早く片づけた方が好いよ二郎」  自分達はその明くる宵の急行で東京へ帰る事にきめていた。実はまだ大阪を中心として、見物かたがた歩くべき場所はたくさんあったけれども、母の気が進まず、兄の興味が乗らず、大阪で中継をする時間さえ惜んで、すぐ東京まで寝台で通そうと云うのが母と兄の主張であった。  自分達は是非共翌日の朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田の宅まで電報を打った。 「佐野さんへはかける必要もないでしょう」と云いながら自分は母と兄の顔を眺めた。 「あるまい」と兄が答えた。 「岡田へさえ打っておけば、佐野さんはうっちゃっておいてもきっと送りに来てくれるよ」  自分は電報紙を持ちながら、是非共お貞さんを貰いたいという佐野のお凸額とその金縁眼鏡を思い出した。 「ではあのお凸額さんは止めておこう」  自分はこう云って、みんなを笑わせた。自分がとうから佐野の御凸額を気にしていたごとく、ほかのものも同じ人の同じ特色を注意していたらしかった。 「写真で見たより御凸額ね」と嫂は真面目な顔で云った。  自分は冗談のうちに自分を紛しつつ、どんな折を利用して嫂の事を兄に復命したものだろうかと考えていた。それで時々偸むようにまた先方の気のつかないように兄の様子を見た。ところが兄は自分の予期に反して、全くそれには無頓着のように思われた。         四十二  自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んでしばらくしてであった。その時兄は常に変らない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子を装って、)「二郎ちょっと話がある。あっちの室へ来てくれ」と穏かに云った。自分はおとなしく「はい」と答えて立った。しかしどうした機か立つときに嫂の顔をちょっと見た。その時は何の気もつかなかったが、この平凡な所作がその後自分の胸には絶えず驕慢の発現として響いた。嫂は自分と顔を合せた時、いつもの通り片靨を見せて笑った。自分と嫂の眼を他から見たら、どこかに得意の光を帯びていたのではあるまいか。自分は立ちながら、次の室で浴衣を畳んでいた母の方をちょっと顧て、思わず立竦んだ。母の眼つきは先刻からたった一人でそっと我々を観察していたとしか見えなかった。自分は母から疑惑の矢を胸に射つけられたような気分で兄のいる室へ這入った。  その頃はちょうど旧暦の盆で、いわゆる盆波の荒いためか、泊り客は無論、日返りの遊び客さえいつもほどは影を見せなかった。広い三階建てはしたがって空いている室の方が多かった。少しの間融通しようと思えば、いつでも自分の自由になった。  兄は兼てから下女に命じておいたものと見えて、室には麻の蒲団が差し向いに二枚、華奢な煙草盆を間に、団扇さえ添えて据えられてあった。自分は兄の前に坐った。けれども何と云い出して然るべきだか、その手加減がちょっと解らないので、ただ黙っていた。兄も容易に口を開かなかった。しかしこんな場合になると性質上きっと兄の方から積極的に出るに違いないと踏んだ自分は、わざと巻莨を吹かしつづけた。  自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯うというほどでもないが、多少彼を焦らす気味でいたのはたしかであると自白せざるを得ない。もっとも自分がなぜそれほど兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事も償う事もできないこの態度を深く懺悔したいと思う。  自分が巻莨を吹かして黙っていると兄ははたして「二郎」と呼びかけた。 「お前直の性質が解ったかい」 「解りません」  自分は兄の問の余りに厳格なため、ついこう簡単に答えてしまった。そうしてそのあまりに形式的なのに後から気がついて、悪かったと思い返したが、もう及ばなかった。  兄はその後一口も聞きもせず、また答えもしなかった。二人こうして黙っている間が、自分には非常な苦痛であった。今考えると兄には、なおさらの苦痛であったに違ない。 「二郎、おれはお前の兄として、ただ解りませんという冷淡な挨拶を受けようとは思わなかった」  兄はこう云った。そうしてその声は低くかつ顫えていた。彼は母の手前、宿の手前、また自分の手前と問題の手前とを兼ねて、高くなるべきはずの咽喉を、やっとの思いで抑えているように見えた。 「お前そんな冷淡な挨拶を一口したぎりで済むものと、高を括ってるのか、子供じゃあるまいし」 「いえけっしてそんなわけじゃありません」  これだけの返事をした時の自分は真に純良なる弟であった。         四十三 「そう云うつもりでなければ、つもりでないようにもっと詳く話したら好いじゃないか」  兄は苦り切って団扇の絵を見つめていた。自分は兄に顔を見られないのを幸いに、暗に彼の様子を窺った。自分からこういうと兄を軽蔑するようではなはだすまないが、彼の表情のどこかには、というよりも、彼の態度のどこかには、少し大人気を欠いた稚気さえ現われていた。今の自分はこの純粋な一本調子に対して、相応の尊敬を払う見地を具えているつもりである。けれども人格のできていなかった当時の自分には、ただ向の隙を見て事をするのが賢いのだという利害の念が、こんな問題にまでつけ纏わっていた。  自分はしばらく兄の様子を見ていた。そうしてこれは与しやすいという心が起った。彼は癇癪を起している。彼は焦れ切っている。彼はわざとそれを抑えようとしている。全く余裕のないほど緊張している。しかし風船球のように軽く緊張している。もう少し待っていれば自分の力で破裂するか、または自分の力でどこかへ飛んで行くに相違ない。――自分はこう観察した。  嫂が兄の手に合わないのも全くここに根ざしているのだと自分はこの時ようやく勘づいた。また嫂として存在するには、彼女の遣口が一番巧妙なんだろうとも考えた。自分は今日までただ兄の正面ばかり見て、遠慮したり気兼したり、時によっては恐れ入ったりしていた。しかし昨日一日一晩嫂と暮した経験は図らずもこの苦々しい兄を裏から甘く見る結果になって眼前に現われて来た。自分はいつ嫂から兄をこう見ろと教わった覚はなかった。けれども兄の前へ出て、これほど度胸の据った事もまたなかった。自分は比較的すまして、団扇を見つめている兄の額のあたりをこっちでも見つめていた。  すると兄が急に首を上げた。 「二郎何とか云わないか」と励しい言葉を自分の鼓膜に射込んだ。自分はその声でまたはっと平生の自分に返った。 「今云おうと思ってるところです。しかし事が複雑なだけに、何から話して好いか解らないんでちょっと困ってるんです。兄さんもほかの事たあ違うんだから、もう少し打ち解けてゆっくり聞いて下さらなくっちゃ。そう裁判所みたように生真面目に叱りつけられちゃ、せっかく咽喉まで出かかったものも、辟易して引込んじまいますから」  自分がこう云うと、兄はさすがに一見識ある人だけあって、「ああそうかおれが悪かった。お前が性急の上へ持って来て、おれが癇癪持と来ているから、つい変にもなるんだろう。二郎、それじゃいつゆっくり話される。ゆっくり聞く事なら今でもおれにはできるつもりだが」と云った。 「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もう直です。その上で落ちついて僕の考えも申し上げたいと思ってますから」 「それでも好い」  兄は落ちついて答えた。今までの彼の癇癪を自分の信用で吹き払い得たごとくに。 「ではどうか、そう願います」と云って自分が立ちかけた時、兄は「ああ」と肯ずいて見せたが、自分が敷居を跨ぐ拍子に「おい二郎」とまた呼び戻した。 「詳い事は追って東京で聞くとして、ただ一言だけ要領を聞いておこうか」 「姉さんについて……」 「無論」 「姉さんの人格について、御疑いになるところはまるでありません」  自分がこう云った時、兄は急に色を変えた。けれども何にも云わなかった。自分はそれぎり席を立ってしまった。         四十四  自分はその時場合によれば、兄から拳骨を食うか、または後から熱罵を浴せかけられる事と予期していた。色を変えた彼を後に見捨てて、自分の席を立ったくらいだから、自分は普通よりよほど彼を見縊っていたに違なかった。その上自分はいざとなれば腕力に訴えてでも嫂を弁護する気概を十分具えていた。これは嫂が潔白だからというよりも嫂に新たなる同情が加わったからと云う方が適切かも知れなかった。云い換えると、自分は兄をそれだけ軽蔑し始めたのである。席を立つ時などは多少彼に対する敵愾心さえ起った。  自分が室へ帰って来た時、母はもう浴衣を畳んではいなかった。けれども小さい行李の始末に余念なく手を動かしていた。それでも心は手許になかったと見えて、自分の足音を聞くや否や、すぐこっちを向いた。 「兄さんは」 「今来るでしょう」 「もう話は済んだの」 「済むの済まないのって、始めからそんな大した話じゃないんです」  自分は母の気を休めるため、わざと蒼蠅そうにこう云った。母はまた行李の中へ、こまごましたものを出したり入れたりし始めた。自分は今度は彼の女に恥じて、けっして傍に手伝っている嫂の顔をあえて見なかった。それでも彼女の若くて淋しい唇には冷かな笑の影が、自分の眼を掠めるように過ぎた。 「今から荷造りですか。ちっと早過ぎるな」と自分はわざと年を取った母を嘲けるごとく注意した。 「だって立つとなれば、なるたけ早く用意しておいた方が都合が好いからね」 「そうですとも」  嫂のこの返事は、自分が何か云おうとする先を越して声に応ずる響のごとく出た。 「じゃ縄でも絡げましょう。男の役だから」  自分は兄と反対に車夫や職人のするような荒仕事に妙を得ていた。ことに行李を括るのは得意であった。自分が縄を十文字に掛け始めると、嫂はすぐ立って兄のいる室の方に行った。自分は思わずその後姿を見送った。 「二郎兄さんの機嫌はどうだったい」と母がわざわざ小さな声で自分に聞いた。 「別にこれと云う事もありません。なあに心配なさる事があるもんですか。大丈夫です」と自分はことさらに荒っぽく云って、右足で行李の蓋をぎいぎい締めた。 「実はお前にも話したい事があるんだが。東京へでも帰ったらいずれまたゆっくりね」 「ええゆっくり伺いましょう」  自分はこう無造作に答えながら、腹の中では母のいわゆる話なるものの内容を朧気ながら髣髴した。  しばらくすると、兄と嫂が別席から出て来た。自分は平気を粧いながら母と話している間にも、両人の会見とその会見の結果について多少気がかりなところがあった。母は二人の並んで来る様子を見て、やっと安心した風を見せた。自分にもどこかにそんなところがあった。  自分は行李を絡げる努力で、顔やら背中やらから汗がたくさん出た。腕捲りをした上、浴衣の袖で汗を容赦なく拭いた。 「おい暑そうだ。少し扇いでやるが好い」  兄はこう云って嫂を顧みた。嫂は静に立って自分を扇いでくれた。 「何よござんす。もう直ですから」  自分がこう断っているうちに、やがて明日の荷造りは出来上った。      帰ってから         一  自分は兄夫婦の仲がどうなる事かと思って和歌山から帰って来た。自分の予想ははたして外れなかった。自分は自然の暴風雨に次で、兄の頭に一種の旋風が起る徴候を十分認めて彼の前を引き下った。けれどもその徴候は嫂が行って十分か十五分話しているうちに、ほとんど警戒を要しないほど穏かになった。  自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠のように尖ってるあの兄を、わずかの間に丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した。自分はようやく安心したような顔を、晴々と輝かせた母を見るだけでも満足であった。  兄の機嫌は和歌の浦を立つ時も変らなかった。汽車の内でも同じ事であった。大阪へ来てもなお続いていた。彼は見送りに出た岡田夫婦を捕まえて戯談さえ云った。 「岡田君お重に何か言伝はないかね」  岡田は要領を得ない顔をして、「お重さんにだけですか」と聞き返していた。 「そうさ君の仇敵のお重にさ」  兄がこう答えた時、岡田はやっと気のついたという風に笑い出した。同じ意味で謎の解けたお兼さんも笑い出した。母の予言通り見送りに来ていた佐野も、ようやく笑う機会が来たように、憚りなく口を開いて周囲の人を驚かした。  自分はその時まで嫂にどうして兄の機嫌を直したかを聞いて見なかった。その後もついぞ聞く機会をもたなかった。けれどもこういう霊妙な手腕をもっている彼女であればこそ、あの兄に対して始終ああ高を括っていられるのだと思った。そうしてその手腕を彼女はわざと出したり引込ましたりする、単に時と場合ばかりでなく、全く己れの気まま次第で出したり引込ましたりするのではあるまいかと疑ぐった。  汽車は例のごとく込み合っていた。自分達は仕切りの付いている寝台をやっとの思いで四つ買った。四つで一室になっているので都合は大変好かった。兄と自分は体力の優秀な男子と云う訳で、婦人方二人に、下のベッドを当がって、上へ寝た。自分の下には嫂が横になっていた。自分は暗い中を走る汽車の響のうちに自分の下にいる嫂をどうしても忘れる事ができなかった。彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将に身体を絡まれるような心持もした。  兄は谷一つ隔てて向うに寝ていた。これは身体が寝ているよりも本当に精神が寝ているように思われた。そうしてその寝ている精神を、ぐにゃぐにゃした例の青大将が筋違に頭から足の先まで巻き詰めているごとく感じた。自分の想像にはその青大将が時々熱くなったり冷たくなったりした。それからその巻きようが緩くなったり、緊くなったりした。兄の顔色は青大将の熱度の変ずるたびに、それからその絡みつく強さの変ずるたびに、変った。  自分は自分の寝台の上で、半は想像のごとく半は夢のごとくにこの青大将と嫂とを連想してやまなかった。自分はこの詩に似たような眠が、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋と云う声で、急に破られたのを今でも記憶している。その時汽車の音がはたりと留ると同時に、さあという雨の音が聞こえた。自分は靴足袋の裏に湿気を感じて起き上ると、足の方に当る窓が塵除の紗で張ってあった。自分はいそいで窓を閉て換えた。ほかの人のはどうかと思って、聞いて見たが、答がなかった。ただ嫂だけが雨が降り込むようだというので、やむをえず上から飛び下りてまた窓を閉て換えてやった。         二 「雨のようね」と嫂が聞いた。 「ええ」  自分は半ば風に吹き寄せられた厚い窓掛の、じとじとに湿ったのを片方へがらりと引いた。途端に母の寝返りを打つ音が聞こえた。 「二郎、ここはどこだい」 「名古屋です」  自分は吹き込む紗の窓を通して、ほとんど人影の射さない停車場の光景を、雨のうちに眺めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音がたった一人で活きて来るように響いた。 「二郎ついでに妾の足の方も締めておくれな」 「御母さんの所も硝子が閉っていないんですか。先刻呼んだらよく寝ていらっしゃるようでしたから……」  自分は嫂の方を片づけて、すぐ母の方に行った。厚い窓掛を片寄せて、手探りに探って見ると、案外にも立派に硝子戸が締まっていた。 「御母さんこっちは雨なんか這入りゃしませんよ。大丈夫です、この通りだから」  自分はこう云いながら、母の足の方に当る硝子を、とんとんと手で叩いて見せた。 「おや雨は這入らないのかい」 「這入るものですか」  母は微笑した。 「いつ頃から雨が降り出したか御母さんはちっとも知らなかったよ」  母はさも愛想らしくまた弁疏らしく口を利いて、「二郎、御苦労だったね、早く御休み。もうよっぽど遅いんだろう」と云った。  時計は十二時過であった。自分はまたそっと上の寝台に登った。車室は元の通り静かになった。嫂は母が口を利き出してから、何も云わなくなった。母は自分が自分の寝台に上ってから、また何も云わなくなった。ただ兄だけは始めからしまいまで一言も物を云わなかった。彼は聖者のごとくただすやすやと眠っていた。この眠方が自分には今でも不審の一つになっている。  彼は自分で時々公言するごとく多少の神経衰弱に陥っていた。そうして時々不眠のために苦しめられた。また正直にそれを家族の誰彼に訴えた。けれども眠くて困ると云った事はいまだかつてなかった。  富士が見え出して雨上りの雲が列車に逆らって飛ぶ景色を、みんなが起きて珍らしそうに眺める時すら、彼は前後に関係なく心持よさそうに寝ていた。  食堂が開いて乗客の多数が朝飯を済ました後、自分は母を連れて昨夜以来の空腹を充たすべく細い廊下を伝わって後部の方へ行った。その時母は嫂に向って、「もう好い加減に一郎を起して、いっしょにあっちへ御出で。妾達は向へ行って待っているから」と云った。嫂はいつもの通り淋しい笑い方をして、「ええ直御後から参ります」と答えた。  自分達は室内の掃除に取りかかろうとする給仕を後にして食堂へ這入った。食堂はまだだいぶ込んでいた。出たり這入ったりするものが絶えず狭い通り路をざわつかせた。自分が母に紅茶と果物を勧めている時分に、兄と嫂の姿がようやく入口に現れた。不幸にして彼らの席は自分達の傍に見出せるほど、食卓は空いていなかった。彼らは入口の所に差し向いで座を占めた。そうして普通の夫婦のように笑いながら話したり、窓の外を眺めたりした。自分を相手に茶を啜っていた母は、時々その様子を満足らしく見た。  自分達はかくして東京へ帰ったのである。         三  繰返していうが、我々はこうして東京へ帰ったのである。  東京の宅は平生の通り別にこれと云って変った様子もなかった。お貞さんは襷を掛けて別条なく働いていた。彼女が手拭を被って洗濯をしている後姿を見て、一段落置いた昔のお貞さんを思いだしたのは、帰って二日目の朝であった。  芳江というのは兄夫婦の間にできた一人っ子であった。留守のうちはお重が引受けて万事世話をしていた。芳江は元来母や嫂に馴ついていたが、いざとなると、お重だけでも不自由を感じないほど世話の焼けない子であった。自分はそれを嫂の気性を受けて生れたためか、そうでなければお重の愛嬌のあるためだと解釈していた。 「お重お前のようなものがよくあの芳江を預かる事ができるね。さすがにやっぱり女だなあ」と父が云ったら、お重は膨れた顔をして、「御父さんもずいぶんな方ね」と母にわざわざ訴えに来た話を、汽車の中で聞いた。  自分は帰ってから一両日して、彼女に、「お重お前を御父さんがやっぱり女だなとおっしゃったって怒ってるそうだね」と聞いた。彼女は「怒ったわ」と答えたなり、父の書斎の花瓶の水を易えながら、乾いた布巾で水を切っていた。 「まだ怒ってるのかい」 「まだってもう忘れちまったわ。――綺麗ねこの花は何というんでしょう」 「お重しかし、女だなあというのは、そりゃ賞めた言葉だよ。女らしい親切な子だというんだ。怒る奴があるもんか」 「どうでもよくってよ」  お重は帯で隠した尻の辺を左右に振って、両手で花瓶を持ちながら父の居間の方へ行った。それが自分にはあたかも彼女が尻で怒を見せているようでおかしかった。  芳江は我々が帰るや否や、すぐお重の手から母と嫂に引渡された。二人は彼女を奪い合うように抱いたり下したりした。自分の平生から不思議に思っていたのは、この外見上冷静な嫂に、頑是ない芳江がよくあれほどに馴つきえたものだという眼前の事実であった。この眸の黒い髪のたくさんある、そうして母の血を受けて人並よりも蒼白い頬をした少女は、馴れやすからざる彼女の母の後を、奇蹟のごとく追って歩いた。それを嫂は日本一の誇として、宅中の誰彼に見せびらかした。ことに己の夫に対しては見せびらかすという意味を通り越して、むしろ残酷な敵打をする風にも取れた。兄は思索に遠ざかる事のできない読書家として、たいていは書斎裡の人であったので、いくら腹のうちでこの少女を鍾愛しても、鍾愛の報酬たる親しみの程度ははなはだ稀薄なものであった。感情的な兄がそれを物足らず思うのも無理はなかった。食卓の上などでそれが色に出る時さえ兄の性質としてはたまにはあった。そうなるとほかのものよりお重が承知しなかった。 「芳江さんは御母さん子ね。なぜ御父さんの側に行かないの」などと故意とらしく聞いた。 「だって……」と芳江は云った。 「だってどうしたの」とお重がまた聞いた。 「だって怖いから」と芳江はわざと小さな声で答えた。それがお重にはなおさら忌々しく聞こえるのであった。 「なに? 怖いって? 誰が怖いの?」  こんな問答がよく繰り返えされて、時には五分も十分も続いた。嫂はこう云う場合に、けっして眉目を動さなかった。いつでも蒼い頬に微笑を見せながらどこまでも尋常な応対をした。しまいには父や母が双方を宥めるために、兄から果物を貰わしたり、菓子を受け取らしたりさせて、「さあそれで好い。御父さんから旨いものをちょうだいして」とやっと御茶を濁す事もあった。お重はそれでも腹が癒えなそうに膨れた頬をみんなに見せた。兄は黙って独り書斎へ退くのが常であった。         四  父はその年始めて誰かから朝貌を作る事を教わって、しきりに変った花や葉を愛玩していた。変ったと云っても普通のものがただ縮れて見立がなくなるだけだから、宅中でそれを顧みるものは一人もなかった。ただ父の熱心と彼の早起と、いくつも並んでいる鉢と、綺麗な砂と、それから最後に、厭に拗ねた花の様や葉の形に感心するだけに過ぎなかった。  父はそれらを縁側へ並べて誰を捉まえても説明を怠らなかった。 「なるほど面白いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしく御世辞を余儀なくされていた。  父は常に我々とはかけ隔った奥の二間を専領していた。簀垂のかかったその縁側に、朝貌はいつでも並べられた。したがって我々は「おい一郎」とか「おいお重」とか云って、わざわざそこへ呼び出されたものであった。自分は兄よりも遥に父の気に入るような賛辞を呈して引き退がった。そうして父の聞えない所で、「どうもあんな朝貌を賞めなけりゃならないなんて、実際恐れ入るね。親父の酔興にも困っちまう」などと悪口を云った。  いったい父は講釈好の説明好であった。その上時間に暇があるから、誰でも構わず、号鈴を鳴らして呼寄せてはいろいろな話をした。お重などは呼ばれるたびに、「兄さん今日は御願だから代りに行ってちょうだい」と云う事がよくあった。そのお重に父はまた解り悪い事を話すのが大好だった。  自分達が大阪から帰ったとき朝貌はまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。 「どうしました。例の変り種は」と自分が聞いて見ると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもう止めだ」と答えた。自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。すると例のお重とお貞さんが父を弁護した。 「そうじゃ無いのよ。あんまり手数がかかるんで、御父さんも根気が尽きちまったのよ。それでも御父さんだからあれだけにできたんですって、皆な賞めていらしったわ」  母と嫂は自分の顔を見て、さも自分の無識を嘲けるように笑い出した。すると傍にいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。  こんな瑣事で日を暮しているうちに兄と嫂の間柄は自然自分達の胸を離れるようになった。自分はかねて約束した通り、兄の前へ出て嫂の事を説明する必要がなくなったような気がした。母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと云ったむずかしそうな事件も母の口から容易に出ようとも思えなかった。最後にあれほど嫂について智識を得たがっていた兄が、だんだん冷静に傾いて来た。その代り父母や自分に対しても前ほどは口を利かなくなった。暑い時でもたいていは書斎へ引籠って何か熱心にやっていた。自分は時々嫂に向って、「兄さんは勉強ですか」と聞いた。嫂は「ええおおかた来学年の講義でも作ってるんでしょう」と答えた。自分はなるほどと思って、その忙しさが永く続くため、彼の心を全然そっちの方へ転換させる事ができはしまいかと念じた。嫂は平生の通り淋しい秋草のようにそこらを動いていた。そうして時々片靨を見せて笑った。         五  そのうち夏もしだいに過ぎた。宵々に見る星の光が夜ごとに深くなって来た。梧桐の葉の朝夕風に揺ぐのが、肌に応えるように眼をひやひやと揺振った。自分は秋に入ると生れ変ったように愉快な気分を時々感じ得た。自分より詩的な兄はかつて透き通る秋の空を眺めてああ生き甲斐のある天だと云って嬉しそうに真蒼な頭の上を眺めた事があった。 「兄さんいよいよ生き甲斐のある時候が来ましたね」と自分は兄の書斎のヴェランダに立って彼を顧みた。彼はそこにある籐椅子の上に寝ていた。 「まだ本当の秋の気分にゃなれない。もう少し経たなくっちゃ駄目だね」と答えて彼は膝の上に伏せた厚い書物を取り上げた。時は食事前の夕方であった。自分はそれなり書斎を出て下へ行こうとした。すると兄が急に自分を呼び止めた。 「芳江は下にいるかい」 「いるでしょう。先刻裏庭で見たようでした」  自分は北の方の窓を開けて下を覗いて見た。下には特に彼女のために植木屋が拵えたブランコがあった。しかし先刻いた芳江の姿は見えなかった。「おやどこへか行ったかな」と自分が独言を云ってると、彼女の鋭い笑い声が風呂場の中で聞えた。 「ああ湯に這入っています」 「直といっしょかい。御母さんとかい」  芳江の笑い声の間にはたしかに、女として深さのあり過ぎる嫂の声が聞えた。 「姉さんです」と自分は答えた。 「だいぶ機嫌が好さそうじゃないか」  自分は思わずこう云った兄の顔を見た。彼は手に持っていた大きな書物で頭まで隠していたからこの言葉を発した時の表情は少しも見る事ができなかった。けれども、彼の意味はその調子で自分によく呑み込めた。自分は少し逡巡した後で、「兄さんは子供をあやす事を知らないから」と云った。兄の顔はそれでも書物の後に隠れていた。それを急に取るや否や彼は「おれの綾成す事のできないのは子供ばかりじゃないよ」と云った。自分は黙って彼の顔を打ち守った。 「おれは自分の子供を綾成す事ができないばかりじゃない。自分の父や母でさえ綾成す技巧を持っていない。それどころか肝心のわが妻さえどうしたら綾成せるかいまだに分別がつかないんだ。この年になるまで学問をした御蔭で、そんな技巧は覚える余暇がなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要と見えるね」 「でも立派な講義さえできりゃ、それですべてを償って余あるから好いでさあ」  自分はこう云って、様子次第、退却しようとした。ところが兄は中止する気色を見せなかった。 「おれは講義を作るためばかりに生れた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心の人間らしい心持を人間らしく満足させる事ができなくなってしまったのだ。でなければ先方で満足させてくれる事ができなくなったのだ」  自分は兄の言葉の裏に、彼の周囲を呪うように苦々しいある物を発見した。自分は何とか答えなければならなかった。しかし何と答えて好いか見当がつかなかった。ただ問題が例の嫂事件を再発させては大変だと考えた。それで卑怯のようではあるが、問答がそこへ流れ入る事を故意に防いだ。 「兄さんが考え過ぎるから、自分でそう思うんですよ。それよりかこの好天気を利用して、今度の日曜ぐらいに、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか」  兄はかすかに「うん」と云って慵げに承諾の意を示した。         六  兄の顔には孤独の淋しみが広い額を伝わって瘠けた頬に漲っていた。 「二郎おれは昔から自然が好きだが、つまり人間と合わないので、やむをえず自然の方に心を移す訳になるんだろうかな」  自分は兄が気の毒になった。「そんな事はないでしょう」と一口に打ち消して見た。けれどもそれで兄の満足を買う訳には行かなかった。自分はすかさずまたこう云った。 「やっぱり家の血統にそう云う傾きがあるんですよ。御父さんは無論、僕でも兄さんの知っていらっしゃる通りですし、それにね、あのお重がまた不思議と、花や木が好きで、今じゃ山水画などを見ると感に堪えたような顔をして時々眺めている事がありますよ」  自分はなるべく兄を慰めようとして、いろいろな話をしていた。そこへお貞さんが下から夕食の報知に来た。自分は彼女に、「お貞さんは近頃嬉しいと見えて妙ににこにこしていますね」と云った。自分が大阪から帰るや否や、お貞さんは暑い下女室の隅に引込んで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出したみんなの合併絵葉書の中へ、自分がお貞さん宛に「おめでとう」と書いた五字から起ったのだと知れて家内中大笑いをした。そのためか一つ家にいながらお貞さんは変に自分を回避した。したがって顔を合わせると自分はことさらに何か云いたくなった。 「お貞さん何が嬉しいんですか」と自分は面白半分追窮するように聞いた。お貞さんは手を突いたなり耳まで赤くなった。兄は籐椅子の上からお貞さんを見て、「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行って見るとね、結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。それどころか、結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。恐ろしい目に会う事さえある。まあ用心が肝心だ」と云った。  お貞さんには兄の意味が全く通じなかったらしい。何と答えて好いか解らないので、むしろ途方に暮れた顔をしながら涙を眼にいっぱい溜めていた。兄はそれを見て、「お貞さん余計な事を話して御気の毒だったね。今のは冗談だよ。二郎のような向う見ずに云って聞かせる事を、ついお貞さん見たいな優しい娘さんに云っちまったんだ。全くの間違だ。勘弁してくれたまえ。今夜は御馳走があるかね。二郎それじゃ御膳を食べに行こう」と云った。  お貞さんは兄が籐椅子から立ち上るのを見るや否や、すぐ腰を立てて一足先へ階子段をとんとんと下りて行った。自分は兄と肩を比べて室を出にかかった。その時兄は自分を顧みて「二郎、この間の問題もそれぎりになっていたね。つい書物や講義の事が忙しいものだから、聞こう聞こうと思いながら、ついそのままにしておいてすまない。そのうちゆっくり聴くつもりだから、どうか話してくれ」と云った。自分は「この間の問題とは何ですか」と空惚けたかった。けれどもそんな勇気はこの際出る余裕がなかったから、まず体裁の好い挨拶だけをしておいた。 「こう時間が経つと、何だか気の抜けた麦酒見たようで、僕には話し悪くなってしまいましたよ。しかしせっかくのお約束だから聴くとおっしゃればやらん事もありませんがね。しかし兄さんのいわゆる生き甲斐のある秋にもなったものだから、そんなつまらない事より、まず第一に遠足でもしようじゃありませんか」 「うん遠足も好かろうが……」  二人はこんな話を交換しながら、食卓の据えてある下の室に入った。そうしてそこに芳江を傍に引きつけている嫂を見出した。         七  食卓の上で父と母は偶然またお貞さんの結婚問題を話頭に上せた。母は兼て白縮緬を織屋から買っておいたから、それを紋付に染めようと思っているなどと云った。お貞さんはその時みんなの後に坐って給仕をしていたが、急に黒塗の盆をおはちの上へ置いたなり席を立ってしまった。  自分は彼女の後姿を見て笑い出した。兄は反対に苦い顔をした。 「二郎お前がむやみに調戯うからいけない。ああ云う乙女にはもう少しデリカシーの籠った言葉を使ってやらなくっては」 「二郎はまるで堂摺連と同じ事だ」と父が笑うようなまた窘なめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた。 「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからして直とはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」  兄の説明を聞いた母は始めてなるほどと云ったように苦笑した。もう食事を済ましていた嫂は、わざと自分の顔を見て変な眼遣をした。それが自分には一種の相図のごとく見えた。自分は父から評された通りだいぶ堂摺連の傾きを持っていたが、この時は父や母に憚って、嫂の相図を返す気は毫も起らなかった。  嫂は無言のまますっと立った、室の出口でちょっと振り返って芳江を手招きした。芳江もすぐ立った。 「おや今日はお菓子を頂かないで行くの」とお重が聞いた。芳江はそこに立ったまま、どうしたものだろうかと思案する様子に見えた。嫂は「おや芳江さん来ないの」とさもおとなしやかに云って廊下の外へ出た。今まで躊躇していた芳江は、嫂の姿が見えなくなるや否や急に意を決したもののごとく、ばたばたとその後を追駈けた。  お重は彼女の後姿をさも忌々しそうに見送った。父と母は厳格な顔をして己れの皿の中を見つめていた。お重は兄を筋違いに見た。けれども兄は遠くの方をぼんやり眺めていた。もっとも彼の眉根には薄く八の字が描かれていた。 「兄さん、そのプッジングを妾にちょうだい。ね、好いでしょう」とお重が兄に云った。兄は無言のまま皿をお重の方に押やった。お重も無言のままそれを匙で突ついたが、自分から見ると、食べたくない物を業腹で食べているとしか思われなかった。  兄が席を立って書斎に入ったのはそれからしてしばらく後の事であった。自分は耳を峙てて彼の上靴が静に階段を上って行く音を聞いた。やがて上の方で書斎の戸がどたんと閉まる声がして、後は静になった。  東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには気がついているらしかった。けれども一番心配そうなのは母であった。彼女は嫂の態度を見破って、かつ容赦の色を見せないお重を、一日も早く片づけて若い女同士の葛藤を避けたい気色を色にも顔にも挙動にも現した。次にはなるべく早く嫁を持たして、兄夫婦の間から自分という厄介ものを抜き去りたかった。けれども複雑な世の中は、そう母の思うように旨く回転してくれなかった。自分は相変らず、のらくらしていた。お重はますます嫂を敵のように振舞った。不思議に彼女は芳江を愛した。けれどもそれは嫂のいない留守に限られていた。芳江も嫂のいない時ばかりお重に縋りついた。兄の額には学者らしい皺がだんだん深く刻まれて来た。彼はますます書物と思索の中に沈んで行った。         八  こんな訳で、母の一番軽く見ていたお貞さんの結婚が最初にきまったのは、彼女の思わくとはまるで反対であった。けれども早晩片づけなければならないお貞さんの運命に一段落をつけるのも、やはり父や母の義務なんだから、彼らは岡田の好意を喜びこそすれ、けっしてそれを悪く思うはずはなかった。彼女の結婚が家中の問題になったのもつまりはそのためであった。お重はこの問題についてよくお貞さんを捕まえて離さなかった。お貞さんはまたお重には赤い顔も見せずに、いろいろの相談をしたり己れの将来をも語り合ったらしい。  ある日自分が外から帰って来て、風呂から上ったところへ、お重が、「兄さん佐野さんていったいどんな人なの」と例の前後を顧慮しない調子で聞いた。これは自分が大阪から帰ってから、もう二度目もしくは三度目の質問であった。 「何だそんな藪から棒に。御前はいったい軽卒でいけないよ」  怒りやすいお重は黙って自分の顔を見ていた。自分は胡坐をかきながら、三沢へやる端書を書いていたが、この様子を見て、ちょっと筆を留めた。 「お重また怒ったな。――佐野さんはね、この間云った通り金縁眼鏡をかけたお凸額さんだよ。それで好いじゃないか。何遍聞いたって同じ事だ」 「お凸額や眼鏡は写真で充分だわ。何も兄さんから聞かないだって妾知っててよ。眼があるじゃありませんか」  彼女はまだ打ち解けそうな口の利き方をしなかった。自分は静かに端書と筆を机の上へ置いた。 「全体何を聞こうと云うのだい」 「全体あなたは何を研究していらしったんです。佐野さんについて」  お重という女は議論でもやり出すとまるで自分を同輩のように見る、癖だか、親しみだか、猛烈な気性だか、稚気だかがあった。 「佐野さんについてって……」と自分は聞いた。 「佐野さんの人となりについてです」  自分は固よりお重を馬鹿にしていたが、こういう真面目な質問になると、腹の中でどっしりした何物も貯えていなかった。自分はすまして巻煙草を吹かし出した。お重は口惜しそうな顔をした。 「だって余まりじゃありませんか、お貞さんがあんなに心配しているのに」 「だって岡田がたしかだって保証するんだから、好いじゃないか」 「兄さんは岡田さんをどのくらい信用していらっしゃるんです。岡田さんはたかが将棋の駒じゃありませんか」 「顔は将棋の駒だって何だって……」 「顔じゃありません。心が浮いてるんです」  自分は面倒と癇癪でお重を相手にするのが厭になった。 「お重御前そんなにお貞さんの事を心配するより、自分が早く嫁にでも行く工夫をした方がよっぽど利口だよ。お父さんやお母さんは、お前が片づいてくれる方をお貞さんの結婚よりどのくらい助かると思っているか解りゃしない。お貞さんの事なんかどうでもいいから、早く自分の身体の落ちつくようにして、少し親孝行でも心がけるが好い」  お重ははたして泣き出した。自分はお重と喧嘩をするたびに向うが泣いてくれないと手応がないようで、何だか物足らなかった。自分は平気で莨を吹かした。 「じゃ兄さんも早くお嫁を貰って独立したら好いでしょう。その方が妾が結婚するよりいくら親孝行になるか知れやしない。厭に嫂さんの肩ばかり持って……」 「お前は嫂さんに抵抗し過ぎるよ」 「当前ですわ。大兄さんの妹ですもの」         九  自分は三沢へ端書を書いた後で、風呂から出立の頬に髪剃をあてようと思っていた。お重を相手にぐずぐずいうのが面倒になったのを好い幸いに、「お重気の毒だが風呂場から熱い湯をうがい茶碗にいっぱい持って来てくれないか」と頼んだ。お重は嗽茶碗どころの騒ぎではないらしかった。それよりまだ十倍も厳粛な人生問題を考えているもののごとく澄まして膨れていた。自分はお重に構わず、手を鳴らして下女から必要な湯を貰った。それから机の上へ旅行用の鏡を立てて、象牙の柄のついた髪剃を並べて、熱湯で濡らした頬をわざと滑稽に膨らませた。  自分が物新しそうにシェーヴィング・ブラッシを振り廻して、石鹸の泡で顔中を真白にしていると、先刻から傍に坐ってこの様子を見ていたお重は、ワッと云う悲劇的な声をふり上げて泣き出した。自分はお重の性質として、早晩ここに来るだろうと思って、暗にこの悲鳴を予期していたのである。そこでますます頬ぺたに空気をいっぱい入れて、白い石鹸をすうすうと髪剃の刃で心持よさそうに落し始めた。お重はそれを見て業腹だか何だかますます騒々しい声を立てた。しまいに「兄さん」と鋭どく自分を呼んだ。自分はお重を馬鹿にしていたには違ないが、この鋭い声には少し驚かされた。 「何だ」 「何だって、そんなに人を馬鹿にするんです。これでも私はあなたの妹です。嫂さんはいくらあなたが贔屓にしたって、もともと他人じゃありませんか」  自分は髪剃を下へ置いて、石鹸だらけの頬をお重の方に向けた。 「お重お前は逆せているよ。お前がおれの妹で、嫂さんが他家から嫁に来た女だぐらいは、お前に教わらないでも知ってるさ」 「だから私に早く嫁に行けなんて余計な事を云わないで、あなたこそ早くあなたの好きな嫂さんみたような方をお貰いなすったら好いじゃありませんか」  自分は平手でお重の頭を一つ張りつけてやりたかった。けれども家中騒ぎ廻られるのが怖いんで、容易に手は出せなかった。 「じゃお前も早く兄さんみたような学者を探して嫁に行ったら好かろう」  お重はこの言葉を聞くや否や、急に掴みかかりかねまじき凄じい勢いを示した。そうして涙の途切れ目途切れ目に、彼女の結婚がお貞さんより後れたので、それでこんなに愚弄されるのだと言明した末、自分を兄妹に同情のない野蛮人だと評した。自分も固より彼女の相手になり得るほどの悪口家であった。けれども最後にとうとう根気負がして黙ってしまった。それでも彼女は自分の傍を去らなかった。そうして事実は無論の事、事実が生んだ飛んでもない想像まで縦横に喋舌り廻してやまなかった。その中で彼女の最も得意とする主題は、何でもかでも自分と嫂とを結びつけて当て擦るという悪い意地であった。自分はそれが何より厭であった。自分はその時心の中で、どんなお多福でも構わないから、お重より早く結婚して、この夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと囀る女を、たった一人後に取り残してやりたい気がした。それからその方がまた実際母の心配する通り、兄夫婦にも都合が好かろうと真面目に考えても見た。  自分は今でも雨に叩かれたようなお重の仏頂面を覚えている。お重はまた石鹸を溶いた金盥の中に顔を突込んだとしか思われない自分の異な顔を、どうしても忘れ得ないそうである。         十  お重は明らかに嫂を嫌っていた。これは学究的に孤独な兄に同情が強いためと誰にも肯ずかれた。 「御母さんでもいなくなったらどうなさるでしょう。本当に御気の毒ね」  すべてを隠す事を知らない彼女はかつて自分にこう云った。これは固より頬ぺたを真白にして自分が彼女と喧嘩をしない遠い前の事であった。自分はその時彼女を相手にしなかった。ただ「兄さん見たいに訳の解った人が、家庭間の関係で、御前などに心配して貰う必要が出て来るものか、黙って見ていらっしゃい。御父さんも御母さんもついていらっしゃるんだから」と訓戒でも与えるように云って聞かせた。  自分はその時分からお重と嫂とは火と水のような個性の差異から、とうてい円熟に同棲する事は困難だろうとすでに観察していた。 「御母さんお重も早く片づけてしまわないといけませんね」と自分は母に忠告がましい差出口を利いた事さえあった。その折母はなぜとも何とも聞き返さなかったが、さも自分の意味を呑み込んだらしい眼つきをして、「お前が云ってくれないでも、御父さんだって妾だって心配し抜いているところだよ。お重ばかりじゃないやね。御前のお嫁だって、蔭じゃどのくらいみんなに手数をかけて探して貰ってるか分りゃしない。けれどもこればかりは縁だからね……」と云って自分の顔をしけじけと見た。自分は母の意味も何も解らずに、ただ「はあ」と子供らしく引き下がった。  お重は何でも直むきになる代りに裏表のない正直な美質を持っていたので、母よりはむしろ父に愛されていた。兄には無論可愛がられていた。お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片づけるのが順だろう」と云うのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山ない機会を逃すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地に多少譲歩している父も無事に納得した。  けれども黙っていたお重には、それがはなはだしい不愉快を与えたらしかった。しかし彼女が今度の結婚問題について万事快くお貞さんの相談に乗るのを見ても、彼女が機先を制せられたお貞さんに悪感情を抱いていないのはたしかな事実であった。  彼女はただ嫂の傍にいるのが厭らしく見えた。いくら父母のいる家であっても、いくら思い通りの子供らしさを精一杯に振り舞わす事ができても、この冷かな嫂からふんという顔つきで眺められるのが何より辛かったらしい。  こういう気分に神経を焦つかせている時、彼女はふと女の雑誌か何かを借りるために嫂の室へ這入った。そうしてそこで嫂がお貞さんのために縫っていた嫁入仕度の着物を見た。 「お重さんこれお貞さんのよ。好いでしょう。あなたも早く佐野さんみたような方の所へいらっしゃいよ」と嫂は縫っていた着物を裏表引繰返して見せた。その態度がお重には見せびらかしの面当のように聞えた。早く嫁に行く先をきめて、こんなものでも縫う覚悟でもしろという謎にも取れた。いつまで小姑の地位を利用して人を苛虐めるんだという諷刺とも解釈された。最後に佐野さんのような人の所へ嫁に行けと云われたのがもっとも神経に障った。  彼女は泣きながら父の室に訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、嫂には一言も聞糺さずに、翌日お重を連れて三越へ出かけた。         十一  それから二三日して、父の所へ二人ほど客が来た。父は生来交際好の上に、職業上の必要から、だいぶ手広く諸方へ出入していた。公の務を退いた今日でもその惰性だか影響だかで、知合間の往来は絶える間もなかった。もっとも始終顔を出す人に、それほど有名な人も勢力家も見えなかった。その時の客は貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人とであった。  父はこの二人と謡の方の仲善と見えて、彼らが来るたびに謡をうたって楽んだ。お重は父の命令で、少しの間鼓の稽古をした覚があるので、そう云う時にはよく客の前へ呼び出されて鼓を打った。自分はその高慢ちきな顔をまだ忘れずにいる。 「お重お前の鼓は好いが、お前の顔はすこぶる不味いね。悪い事は云わないから、嫁に行った当座はけっして鼓を御打ちでないよ。いくら御亭主が謡気狂でもああ澄まされた日にゃ、愛想を尽かされるだけだから」とわざわざ罵しった事がある。すると傍に聞いていたお貞さんが眼を丸くして、「まあひどい事をおっしゃる事、ずいぶんね」と云ったので、自分も少し言い過ぎたかと思った。けれども烈しいお重は平生に似ず全く自分の言葉を気にかけないらしかった。「兄さんあれでも顔の方はまだ上等なのよ。鼓と来たらそれこそ大変なの。妾謡の御客があるほど厭な事はないわ」とわざわざ自分に説明して聞かせた。お重の顔ばかりに注意していた自分は、彼女の鼓がそれほど不味いとはそれまで気がつかなかった。  その日も客が来てから一時間半ほどすると予定の通り謡が始まった。自分はやがてまたお重が呼び出される事と思って、調戯半分茶の間の方に出て行った。お重は一生懸命に会席膳を拭いていた。 「今日はポンポン鳴らさないのか」と自分がことさらに聞くと、お重は妙にとぼけた顔をして、立っている自分を見上げた。 「だって今御膳が出るんですもの。忙しいからって、断ったのよ」  自分は台所や茶の間のごたごたした中で、ふざけ過ぎて母に叱られるのも面白くないと思って、また室へ取って返した。  夕食後ちょっと散歩に出て帰って来ると、まだ自分の室に這入らない先から母に捉まった。 「二郎ちょうど好いところへ帰って来ておくれだ。奥へ行って御父さんの謡を聞いていらっしゃい」  自分は父の謡を聞き慣れているので、一番ぐらい聴くのはさほど厭とも思わなかった。 「何をやるんです」と母に質問した。母は自分とは正反対に謡がまた大嫌いだった。「何だか知らないがね。早くいらっしゃいよ。皆さんが待っていらっしゃるんだから」と云った。  自分は委細承知して奥へ通ろうとした。すると暗い縁側の所にお重がそっと立っていた。自分は思わず「おい……」と大きな声を出しかけた。お重は急に手を振って相図のように自分の口を塞いでしまった。 「なぜそんな暗い所に一人で立っているんだい」と自分は彼女の耳へ口を付けて聞いた。彼女はすぐ「なぜでも」と答えた。しかし自分がその返事に満足しないでやはり元の所に立っているのを見て、「先刻から、何遍も出て来い出て来いって催促するのよ。だから御母さんに断って、少し加減が悪い事にしてあるのよ」 「なぜまた今日に限って、そんなに遠慮するんだい」 「だって妾鼓なんか打つのはもう厭になっちまったんですもの、馬鹿らしくって。それにこれからやるのなんかむずかしくってとてもできないんですもの」 「感心にお前みたような女でも謙遜の道は少々心得ているから偉いね」と云い放ったまま、自分は奥へ通った。         十二  奥には例の客が二人床の前に坐っていた。二人とも品の好い容貌の人で、その薄く禿げかかった頭が後にかかっている探幽の三幅対とよく調和した。  彼らは二人とも袴のまま、羽織を脱ぎ放しにしていた。三人のうちで袴を着けていなかったのは父ばかりであったが、その父でさえ羽織だけは遠慮していた。  自分は見知り合だから正面の客に挨拶かたがた、「どうか拝聴を……」と頭を下げた。客はちょっと恐縮の体を装って、「いやどうも……」と頭を掻く真似をした。父は自分にまたお重の事を尋ねたので、「先刻から少し頭痛がするそうで、御挨拶に出られないのを残念がっていました」と答えた。父は客の方を見ながら、「お重が心持が悪いなんて、まるで鬼の霍乱だな」と云って、今度は自分に、「先刻綱(母の名)の話では腹が痛いように聞いたがそうじゃない頭痛なのかい」と聞き直した。自分はしまったと思ったが「多分両方なんでしょう。胃腸の熱で頭が痛む事もあるようだから。しかし心配するほどの病気じゃないようです。じき癒るでしょう」と答えた。客は蒼蠅いほどお重に同情の言葉を注射した後、「じゃ残念だが始めましょうか」と云い出した。  聴手には、自分より前に兄夫婦が横向になって、行儀よく併んで坐っていたので、自分は鹿爪らしく嫂の次に席を取った。「何をやるんです」と坐りながら聞いたら、この道について何の素養も趣味もない嫂は、「何でも景清だそうです」と答えて、それぎり何とも云わなかった。  客のうちで赭顔の恰腹の好い男が仕手をやる事になって、その隣の貴族院議員が脇、父は主人役で「娘」と「男」を端役だと云う訳か二つ引き受けた。多少謡を聞分ける耳を持っていた自分は、最初からどんな景清ができるかと心配した。兄は何を考えているのか、はなはだ要領を得ない顔をして、凋落しかかった前世紀の肉声を夢のように聞いていた。嫂の鼓膜には肝腎の「松門」さえ人間としてよりもむしろ獣類の吠として不快に響いたらしい。自分はかねてからこの「景清」という謡に興味を持っていた。何だか勇ましいような惨ましいような一種の気分が、盲目の景清の強い言葉遣から、また遥々父を尋ねに日向まで下る娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。  しかしそれは歴乎とした謡手が本気に各自の役を引き受けた場合で、今聞かせられているような胡麻節を辿ってようやく出来上る景清に対してはほとんど同情が起らなかった。  やがて景清の戦物語も済んで一番の謡も滞りなく結末まで来た。自分はその成蹟を何と評して好いか解らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言にも似ず「勇しいものですね」と云った。自分も「そうですね」と答えておいた。すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。  兄は元来正直な男で、かつ己れの教育上嘘を吐かないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧拙に属する話だから、相手にはほとんど手応がなかった。  こう云う場合に馴れた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡いぶりを一応賞めた後で、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩して、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶である。しかも事実でね」と云い出した。         十三  父は交際家だけあって、こういう妙な話をたくさん頭の中にしまっていた。そうして客でもあると、献酬の間によくそれを臨機応変に運用した。多年父の傍に寝起している自分にもこの女景清の逸話は始めてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。 「ついこの間の事で、また実際あった事なんだから御話をするが、その発端はずっと古い。古いたって何も源平時代から説き出すんじゃないからそこは御安心だが、何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかね……」  父はこういう前置をして皆なを笑わせた後で本題に這入った。それは彼の友達と云うよりもむしろずっと後輩に当る男の艶聞見たようなものであった。もっとも彼は遠慮して名前を云わなかった。自分は家へ出入る人の数々について、たいていは名前も顔も覚えていたが、この逸話をもった男だけはいくら考えてもどんな想像も浮かばなかった。自分は心のうちで父は今表向多分この人と交際しているのではなかろうと疑ぐった。  何しろ事はその人の二十前後に起ったので、その時当人は高等学校へ這入り立てだとか、這入ってから二年目になるとか、父ははなはだ瞹眛な説明をしていたが、それはどっちにしたって、我々の気にかかるところではなかった。 「その人は好い人間だ。好い人間にもいろいろあるが、まあ好い人間だ。今でもそうだから、廿歳ぐらいの時分は定めて可愛らしい坊ちゃんだったろう」  父はその男をこう荒っぽく叙述しておいて、その男とその家の召使とがある関係に陥入った因果をごく単簡に物語った。 「元来そいつはね本当の坊ちゃんだから、情事なんて洒落た経験はまるでそれまで知らなかったのだそうだ。当人もまた婦人に慕われるなんて粋事は自分のようなものにとうてい有り得べからざる奇蹟と思っていたのだそうだ。ところがその奇蹟が突然天から降って来たので大変驚ろいたんですね」  話しかけられた客はむしろ真面目な顔をして、「なるほど」と受けていたが、自分はおかしくてたまらなかった。淋しそうな兄の頬にも笑の渦が漂よった。 「しかもそれが男の方が消極的で、女の方が積極的なんだからいよいよ妙ですよ。私がそいつに、その女が君に覚召があると悟ったのはどういう機だと聞いたらね。真面目な顔をして、いろいろ云いましたが、そのうちで一番面白いと思ったせいか、いまだに覚えているのは、そいつが瓦煎餅か何か食ってるところへ女が来て、私にもその御煎餅をちょうだいなと云うや否や、そいつの食い欠いた残りの半分を引っ手繰って口へ入れたという時なんです」  父の話方は無論滑稽を主にして、大事の真面目な方を背景に引き込ましてしまうので、聞いている客を始め我々三人もただ笑うだけ笑えばそれで後には何も残らないような気がした。その上客は笑う術をどこかで練修して来たように旨く笑った。一座のうちで比較的真面目だったのはただ兄一人であった。 「とにかくその結果はどうなりました。めでたく結婚したんですか」と冗談とも思われない調子で聞いていた。 「いやそこをこれから話そうというのだ。先刻も云った通り『景清』の趣の出てくるところはこれからさ。今言ってるところはほんの冒頭だて」と父は得意らしく答えた。         十四  父の話すところによると、その男とその女の関係は、夏の夜の夢のようにはかないものであった。しかし契りを結んだ時、男は女を未来の細君にすると言明したそうである。もっともこれは女から申し出した条件でも何でもなかったので、ただ男の口から勢いに駆られて、おのずと迸しった、誠ではあるが実行しにくい感情的の言葉に過ぎなかったと父はわざわざ説明した。 「と云うのはね、両方共おない年でしょう。しかも一方は親の脛を噛ってる前途遼遠の書生だし、一方は下女奉公でもして暮そうという貧しい召使いなんだから、どんな堅い約束をしたって、その約束の実行ができる長い年月の間には、どんな故障が起らないとも限らない。で、女が聞いたそうですよ。あなたが学校を卒業なさると、二十五六に御成んなさる。すると私も同じぐらいに老けてしまう。それでも御承知ですかってね」  父はそこへ来て、急に話を途切らして、膝の下にあった銀煙管へ煙草を詰めた。彼が薄青い煙を一時に鼻の穴から出した時、自分はもどかしさの余り「その人は何て答えました」と聞いた。  父は吸殻を手で叩きながら「二郎がきっと何とか聞くだろうと思った。二郎面白いだろう。世間にはずいぶんいろいろな人があるもんだよ」と云って自分を見た。自分はただ「へえ」と答えた。 「実はわしも聞いて見た、その男に。君何て答えたかって。すると坊ちゃんだね、こう云うんだ。僕は自分の年も先の年も知っていた。けれども僕が卒業したら女がいくつになるか、そこまでは考えていられなかった。いわんや僕が五十になれば先も五十になるなんて遠い未来は全く頭の中に浮かんで来なかったって」 「無邪気なものですね」と兄はむしろ賛嘆の口ぶりを見せた。今まで黙っていた客が急に兄に賛成して、「全くのところ無邪気だ」とか「なるほど若いものになるといかにも一図ですな」とか云った。 「ところが一週間経つか経たないうちにそいつが後悔し始めてね、なに女は平気なんだが、そいつが自分で恐縮してしまったのさ。坊ちゃんだけに意気地のない事ったら。しかし正直ものだからとうとう女に対してまともに結婚破約を申し込んで、しかもきまりの悪そうな顔をして、御免よとか何とか云って謝罪まったんだってね。そこへ行くとおない年だって先は女だもの、『御免よ』なんて子供らしい言葉を聞けば可愛いくもなるだろうが、また馬鹿馬鹿しくもなるだろうよ」  父は大きな声を出して笑った。御客もその反響のごとくに笑った。兄だけはおかしいのだか、苦々しいのだか変な顔をしていた。彼の心にはすべてこう云う物語が厳粛な人生問題として映るらしかった。彼の人生観から云ったら父の話しぶりさえあるいは軽薄に響いたかもしれない。  父の語るところを聞くと、その女はしばらくしてすぐ暇を貰ってそこを出てしまったぎり再び顔を見せなかったけれども、その男はそれ以来二三カ月の間何か考え込んだなり魂が一つ所にこびりついたように動かなかったそうである。一遍その女が近所へ来たと云って寄った時などでも、ほかの人の手前だか何だかほとんど一口も物を云わなかった。しかもその時はちょうど午飯の時で、その女が昔の通り御給仕をしたのだが、男はまるで初対面の者にでも逢ったように口数を利かなかった。  女もそれ以来けっして男の家の敷居を跨がなかった。男はまるでその女の存在を忘れてしまったように、学校を出て家庭を作って、二十何年というつい近頃まで女とは何らの交渉もなく打過ぎた。         十五 「それだけで済めばまあただの逸話さ。けれども運命というものは恐しいもので……」と父がまた語り続けた。  自分は父が何を云い出すかと思って、彼の顔から自分の眼を離し得なかった。父の物語りの概要を摘んで見ると、ざっとこうであった。  その男がその女をまるで忘れた二十何年の後、二人が偶然運命の手引で不意に会った。会ったのは東京の真中であった。しかも有楽座で名人会とか美音会とかのあった薄ら寒い宵の事だそうである。  その時男は細君と女の子を連れて、土間の何列目か知らないが、かねて注文しておいた席に並んでいた。すると彼らが入場して五分経つか立たないのに、今云った女が他の若い女に手を引かれながら這入って来た。彼らも電話か何かで席を予約しておいたと見えて、男の隣にあるエンゲージドと紙札を張った所へ案内されたままおとなしく腰をかけた。二人はこういう奇妙な所で、奇妙に隣合わせに坐った。なおさら奇妙に思われたのは、女の方が昔と違った表情のない盲目になってしまって、ほかにどんな人がいるか全く知らずに、ただ舞台から出る音楽の響にばかり耳を傾けているという、男に取ってはまるで想像すらし得なかった事実であった。  男は始め自分の傍に坐る女の顔を見て過去二十年の記憶を逆さに振られたごとく驚ろいた。次に黒い眸をじっと据えて自分を見た昔の面影が、いつの間にか消えていた女の面影に気がついて、また愕然として心細い感に打たれた。  十時過まで一つの席にほとんど身動きもせずに坐っていた男は、舞台で何をやろうが、ほとんど耳へは這入らなかった。ただ女に別れてから今日に至る運命の暗い糸を、いろいろに想像するだけであった。女はまたわが隣にいる昔の人を、見もせず、知りもせず、全く意識に上す暇もなく、ただ自然に凋落しかかった過去の音楽に、やっとの思いで若い昔を偲ぶ気色を濃い眉の間に示すに過ぎなかった。  二人は突然として邂逅し、突然として別れた。男は別れた後もしばしば女の事を思い出した。ことに彼女の盲目が気にかかった。それでどうかして女のいる所を突きとめようとした。 「馬鹿正直なだけに熱心な男だもんだから、とうとう成功した。その筋道も聞くには聞いたが、くだくだしくって忘れちまったよ。何でも彼がその次に有楽座へ行った時、案内者を捕まえて、何とかかんとかした上に、だいぶ込み入った手数をかけたんだそうだ」 「どこにいたんですその女は」と自分は是非確めたくなった。 「それは秘密だ。名前や所はいっさい云われない事になっている。約束だからね。それは好いが、そいつが私にその盲目の女のいる所を訪問してくれと頼むんだね。何という主意か解らないが、つまりは無沙汰見舞のようなものさ。当人に云わせると、学問しただけに、鹿爪らしい理窟を何が条も並べるけれども。つまり過去と現在の中間を結びつけて安心したいのさ。それにどうして盲目になったか、それが大変当人の神経を悩ましていたと見えてね。と云っていまさらその女と新しい関係をつける気はなし、かつは女房子の手前もあるから、自分はわざわざ出かけたくないのさ。のみならず彼がまた昔その女と別れる時余計な事を饒舌っているんです。僕は少し学問するつもりだから三十五六にならなければ妻帯しない。でやむをえずこの間の約束は取消にして貰うんだってね。ところが奴学校を出るとすぐ結婚しているんだから良心の方から云っちゃあまり心持はよくないのだろう。それでとうとう私が行く事になった」 「まあ馬鹿らしい」と嫂が云った。 「馬鹿らしかったけれどもとうとう行ったよ」と父が答えた。客も自分も興味ありげに笑い出した。         十六  父には人に見られない一種剽軽なところがあった。ある者は直な方だとも云い、ある者は気のおけない男だとも評した。 「親爺は全くあれで自分の地位を拵え上げたんだね。実際のところそれが世の中なんだろう。本式に学問をしたり真面目に考えを纏めたりしたって、社会ではちっとも重宝がらない。ただ軽蔑されるだけだ」  兄はこんな愚痴とも厭味とも、また諷刺とも事実とも、片のつかない感慨を、蔭ながらかつて自分に洩らした事があった。自分は性質から云うと兄よりもむしろ父に似ていた。その上年が若いので、彼のいう意味が今ほど明瞭に解らなかった。  何しろ父がその男に頼まれて、快よく訪問を引受けたのも、多分持って生れた物数奇から来たのだろうと自分は解釈している。  父はやがてその盲目の家を音信れた。行く時に男は土産のしるしだと云って、百円札を一枚紙に包んで水引をかけたのに、大きな菓子折を一つ添えて父に渡した。父はそれを受取って、俥をその女の家に駆った。  女の家は狭かったけれども小綺麗にかつ住心地よくできていた。縁の隅に丸く彫り抜いた御影の手水鉢が据えてあって、手拭掛には小新らしい三越の手拭さえ揺めいていた。家内も小人数らしく寂然として音もしなかった。  父はこの日当りの好いしかし茶がかった小座敷で、初めてその盲人に会った時、ちょっと何と云って好いか分らなかったそうである。 「おれのようなものが言句に窮するなんて馬鹿げた恥を話すようだが実際困ったね。何しろ相手が盲目なんだからね」  父はわざとこう云って皆なを興がらせた。  彼はその場でとうとう男の名を打ち明けて、例の土産ものを取り出しつつ女の前に置いた。女は眼が悪いので菓子折を撫でたり擦ったりして見た上、「どうも御親切に……」と恭しく礼を述べたが、その上にある紙包を手で取上げるや否や、少し変な顔をして「これは?」と念を押すように聞いた。父は例の気性だから、呵々と笑いながら、「それも御土産の一部分です、どうか一緒に受取っておいて下さい」と云った。すると女が水引の結び目を持ったまま、「もしや金子ではございませんか」と問い返した。 「いえ何はなはだ軽少で、――しかし○○さんの寸志ですからどうぞ御納め下さい」  父がこう云った時、女はぱたりとこの紙包を畳の上に落した。そうして閉じた眸をきっと父の方へ向けて、「私は今寡婦でございますが、この間まで歴乎とした夫がございました。子供は今でも丈夫でございます。たといどんな関係があったにせよ、他人さまから金子を頂いては、楽に今日を過すようにしておいてくれた夫の位牌に対してすみませんから御返し致します」と判切云って涙を落した。 「これには実に閉口したね」と父は皆なの顔を一順見渡したが、その時に限って、誰も笑うものはなかった。自分も腹の中で、いかな父でもさすがに弱ったろうと思った。 「その時わしは閉口しながらも、ああ景清を女にしたらやっぱりこんなものじゃなかろうかと思ってね。本当は感心しましたよ。どういう訳で景清を思い出したかと云うとね。ただ双方とも盲目だからと云うばかりじゃない。どうもその女の態度がね……」  父は考えていた。父の筋向うに坐っていた赭顔の客が、「全く気込が似ているからですね」とさもむずかしい謎でも解くように云った。 「全く気込です」と父はすぐ承服した。自分はこれで父の話が結末に来たのかと思って、「なるほどそれは面白い御話です」と全体を批評するような調子で云った。すると父は「まだ後があるんだ。後の方がまだ面白い。ことに二郎のような若い者が聞くと」とつけ加えた。         十七  父は意外な女の見識に、話の腰を折られて、やむをえず席を立とうとした。すると女は始めて女らしい表情を面に湛えて、縋りつくように父をとめた。そうしていつ何日どこで○○が自分を見たのかと聞いた。父は例の有楽座の事を包み蔵さず盲人に話して聞かせた。 「ちょうどあなたの隣に腰をかけていたんだそうです。あなたの方ではまるで知らなかったでしょうが、○○は最初から気がついていたのです。しかし細君や娘の手前、口を利く事もでき悪かったんでしょう。それなり宅へ帰ったと云っていました」  父はその時始めて盲目の涙腺から流れ出る涙を見た。 「失礼ながら眼を御煩いになったのはよほど以前の事なんですか」と聞いた。 「こういう不自由な身体になってから、もう六年ほどにもなりましょうか。夫が亡くなって一年経つか経たないうちの事でございます。生れつきの盲目と違って、当座は大変不自由を致しました」  父は慰めようもなかった。彼女のいわゆる夫というのは何でも、請負師か何かで、存生中にだいぶ金を使った代りに、相応の資産も残して行ったらしかった。彼女はその御蔭で眼を煩った今日でも、立派に独立して暮して行けるのだろうと父は説明した。  彼女は人に誇ってしかるべき倅と娘を持っていた。その倅には高等の教育こそ施してないようだったけれども、何でも銀座辺のある商会へ這入って独立し得るだけの収入を得ているらしかった。娘の方は下町風の育て方で、唄や三味線の稽古を専一と心得させるように見えた。すべてを通じて○○とは遠い過去に焼きつけられた一点の記憶以外に何ものをも共通にもっているとは思えなかった。  父が有楽座の話をした時に、女は両方の眼をうるませて、「本当に盲目ほど気の毒なものはございませんね」と云ったのが、痛く父の胸には応えたそうである。 「○○さんは今何をしておいででございますか」と女はまた空中に何物をか想像するがごとき眼遣をして父に聞いた。父は残りなく○○が学校を出てから以後の経歴を話して聞かせた後、「今じゃなかなか偉くなっていますよ。私見たいな老朽とは違ってね」と答えた。  女は父の返事には耳も借さずに、「定めてお立派な奥さんをお貰いになったでございましょうね」とおとなしやかに聞いた。 「ええもう子供が四人あります」 「一番お上のはいくつにお成りで」 「さようさもう十二三にも成りましょうか。可愛らしい女の子ですよ」  女は黙ったなりしきりに指を折って何か勘定し始めた。その指を眺めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った。  女はしばらく間をおいて、ただ「結構でございます」と一口云って後は淋しく笑った。しかしその笑い方が、父には泣かれるよりも怒られるよりも変な感じを与えたと云った。  父は○○の宿所を明らさまに告げて、「ちと暇な時に遊びがてら御嬢さんでも連れて行って御覧なさい。ちょっと好い家ですよ。○○も夜ならたいてい御目にかかれると云っていましたから」と云った。すると女はたちまち眉を曇らして、「そんな立派な御屋敷へ我々風情がとても御出入はできませんが」と云ったまましばらく考えていたが、たちまち抑え切れないように真剣な声を出して、「御出入は致しません。先様で来いとおっしゃってもこっちで御遠慮しなければなりません。しかしただ一つ一生の御願に伺っておきたい事がございます。こうして御目にかかれるのももう二度とない御縁だろうと思いますから、どうぞそれだけ聞かして頂いた上心持よく御別れが致したいと存じます」と云った。         十八  父は年の割に度胸の悪い男なので、女からこう云われた時は、どんな凄まじい文句を並べられるかと思って、少からず心配したそうである。 「幸い相手の眼が見えないので、自分の周章さ加減を覚られずにすんだ」と彼はことさらにつけ加えた。その時女はこう云ったそうである。 「私は御覧の通り眼を煩って以来、色という色は皆目見えません。世の中で一番明るい御天道様さえもう拝む事はできなくなりました。ちょっと表へ出るにも娘の厄介にならなければ用事は足せません。いくら年を取っても一人で不自由なく歩く事のできる人間が幾人あるかと思うと、何の因果でこんな業病に罹ったのかと、つくづく辛い心持が致します。けれどもこの眼は潰れてもさほど苦しいとは存じません。ただ両方の眼が満足に開いている癖に、他の料簡方が解らないのが一番苦しゅうございます」  父は「なるほど」と答えた。「ごもっとも」とも答えた。けれども女のいう意味はいっこう通じなかった。彼にはそういう経験がまるでなかったと彼は明言した。女は瞹眛な父の言葉を聞いて、「ねえあなたそうではございませんか」と念を押した。 「そりゃそんな場合は無論有るでしょう」と父が云った。 「有るでしょうでは、あなたもわざわざ○○さんに御頼まれになって、ここまでいらしって下すった甲斐がないではございませんか」と女が云った。父はますます窮した。  自分はこの時偶然兄の顔を見た。そうして彼の神経的に緊張した眼の色と、少し冷笑を洩らしているような嫂の唇との対照を比較して、突然彼らの間にこの間から蟠まっている妙な関係に気がついた。その蟠まりの中に、自分も引きずり込まれているという、一種厭うべき空気の匂いも容赦なく自分の鼻を衝いた。自分は父がなぜ座興とは云いながら、択りに択って、こんな話をするのだろうと、ようやく不安の念が起った。けれども万事はすでに遅かった。父は知らぬ顔をして勝手次第に話頭を進めて行った。 「おれはそれでも解らないから、淡泊にその女に聞いて見た。せっかく○○に頼まれてわざわざここまで来て、肝心な要領を伺わないで引き取っては、あなたに対してはもちろん○○から云っても定めし不本意だろうから、どうかあなたの胸を存分私に打明けて下さいませんか。それでないと私も帰ってから○○に話がし悪いからって」  その時女は始めて思い切った決断の色を面に見せて、「では申し上げます。あなたも○○さんの代理にわざわざ尋ねて来て下さるくらいでいらっしゃるから、定めし関係の深い御方には違いございませんでしょう」という冒頭をおいて、彼女の腹を父に打明けた。  ○○が結婚の約束をしながら一週間経つか経たないのに、それを取り消す気になったのは、周囲の事情から圧迫を受けてやむをえず断ったのか、あるいは別に何か気に入らないところでもできて、その気に入らないところを、結婚の約束後急に見つけたため断ったのか、その有体の本当が聞きたいのだと云うのが、女の何より知りたいところであった。  女は二十年以上○○の胸の底に隠れているこの秘密を掘り出したくってたまらなかったのである。彼女には天下の人がことごとく持っている二つの眼を失って、ほとんど他から片輪扱いにされるよりも、いったん契った人の心を確実に手に握れない方が遥かに苦痛なのであった。 「御父さんはどういう返事をしておやりでしたか」とその時兄が突然聞いた。その顔には普通の興味というよりも、異状の同情が籠っているらしかった。 「おれも仕方がないから、そりゃ大丈夫、僕が受け合う。本人に軽薄なところはちっともないと答えた」と父は好い加減な答えをかえって自慢らしく兄に話した。         十九 「女はそんな事で満足したんですか」と兄が聞いた。自分から見ると、兄のこの問には冒すべからざる強味が籠っていた。それが一種の念力のように自分には響いた。  父は気がついたのか、気がつかなかったのか、平気でこんな答をした。 「始は満足しかねた様子だった。もちろんこっちの云う事がそらそれほど根のある訳でもないんだからね。本当を云えば、先刻お前達に話した通り男の方はまるで坊ちゃんなんで、前後の分別も何もないんだから、真面目な挨拶はとてもできないのさ。けれどもそいつがいったん女と関係した後で止せば好かったと後悔したのは、どうも事実に違なかろうよ」  兄は苦々しい顔をして父を見ていた。父は何という意味か、両手で長い頬を二度ほど撫でた。 「この席でこんな御話をするのは少し憚りがあるが」と兄が云った。自分はどんな議論が彼の口から出るか、次第によっては途中からその鉾先を、一座の迷惑にならない方角へ向易えようと思って聞いていた。すると彼はこう続けた。 「男は情慾を満足させるまでは、女よりも烈しい愛を相手に捧げるが、いったん事が成就するとその愛がだんだん下り坂になるに反して、女の方は関係がつくとそれからその男をますます慕うようになる。これが進化論から見ても、世間の事実から見ても、実際じゃなかろうかと思うのです。それでその男もこの原則に支配されて後から女に気がなくなった結果結婚を断ったんじゃないでしょうか」 「妙な御話ね。妾女だからそんなむずかしい理窟は知らないけれども、始めて伺ったわ。ずいぶん面白い事があるのね」  嫂がこう云った時、自分は客に見せたくないような厭な表情を兄の顔に見出したので、すぐそれをごまかすため何か云って見ようとした。すると父が自分より早く口を開いた。 「そりゃ学理から云えばいろいろ解釈がつくかも知れないけれども、まあ何だね、実際はその女が厭になったに相違ないとしたところで、当人面喰らったんだね、まず第一に。その上小胆で無分別で正直と来ているから、それほど厭でなくっても断りかねないのさ」  父はそう云ったなり洒然としていた。  床の前に謡本を置いていた一人の客が、その時父の方を向いてこう云った。 「しかし女というものはとにかく執念深いものですね。二十何年もその事を胸の中に畳込んでおくんですからね。全くのところあなたは好い功徳をなすった。そう云って安心させてやればその眼の見えない女のためにどのくらい嬉しかったか解りゃしません」 「そこがすべての懸合事の気転ですな。万事そうやれば双方のためにどのくらい都合が好いか知れんです」  他の客が続いてこう云った時、父は「いやどうも」と頭を掻いて「実は今云った通り最初はね、そのくらいな事じゃなかなか疑りが解けないんで、私も少々弱らせられました。それをいろいろに光沢をつけたり、出鱈目を拵えたりして、とうとう女を納得させちまったんですが、ずいぶん骨が折れましたよ」と少し得意気であった。  やがて客は謡本を風呂敷に包んで露に濡れた門を潜って出た。皆な後で世間話をしているなかに、兄だけはむずかしい顔をして一人書斎に入った。自分は例のごとく冷かに重い音をさせる上草履の音を一つずつ聞いて、最後にどんと締まる扉の響に耳を傾けた。         二十  二三週間はそれなり過ぎた。そのうち秋がだんだん深くなった。葉鶏頭の濃い色が庭を覗くたびに自分の眼に映った。  兄は俥で学校へ出た。学校から帰るとたいていは書斎へ這入って何かしていた。家族のものでも滅多に顔を合わす機会はなかった。用があるとこっちから二階に上って、わざわざ扉を開けるのが常になっていた。兄はいつでも大きな書物の上に眼を向けていた。それでなければ何か万年筆で細かい字を書いていた。一番我々の眼についたのは、彼の茫然として洋机の上に頬杖を突いている時であった。  彼は一心に何か考えているらしかった。彼は学者でかつ思索家であるから、黙って考えるのは当然の事のようにも思われたが、扉を開けてその様子を見た者は、いかにも寒い気がすると云って、用を済ますのを待ち兼ねて外へ出た。最も関係の深い母ですら、書斎へ行くのをあまりありがたいとは思っていなかったらしい。 「二郎、学者ってものは皆なあんな偏屈なものかね」  この問を聞いた時、自分は学者でないのを不思議な幸福のように感じた。それでただえへへと笑っていた。すると母は真面目な顔をして、「二郎、御前がいなくなると、宅は淋しい上にも淋しくなるが、早く好い御嫁さんでも貰って別になる工面を御為よ」と云った。自分には母の言葉の裏に、自分さえ新しい家庭を作って独立すれば、兄の機嫌が少しはよくなるだろうという意味が明らさまに読まれた。自分は今でも兄がそんな妙な事を考えているのだろうかと疑っても見た。しかし自分もすでに一家を成してしかるべき年輩だし、また小さい一軒の竈ぐらいは、現在の収入でどうかこうか維持して行かれる地位なのだから、かねてから、そういう考えはちらちらと無頓着な自分の頭をさえ横切ったのである。  自分は母に対して、「ええ外へ出る事なんか訳はありません。明日からでも出ろとおっしゃれば出ます。しかし嫁の方はそうちんころのように、何でも構わないから、ただ路に落ちてさえいれば拾って来るというような遣口じゃ僕には不向ですから」と云った。その時母は、「そりゃ無論……」と答えようとするのを自分はわざと遮った。 「御母さんの前ですが、兄さんと姉さんの間ですね。あれにはいろいろ複雑な事情もあり、また僕が固から少し姉さんと知り合だったので、御母さんにも御心配をかけてすまないようですけれども、大根をいうとね。兄さんが学問以外の事に時間を費すのが惜いんで、万事人任せにしておいて、何事にも手を出さずに華族然と澄ましていたのが悪いんですよ。いくら研究の時間が大切だって、学校の講義が大事だって、一生同じ所で同じ生活をしなくっちゃならない吾が妻じゃありませんか。兄さんに云わしたらまた学者相応の意見もありましょうけれども学者以下の我々にはとてもあんな真似はできませんからね」  自分がこんな下らない理窟を云い募っているうちに、母の眼にはいつの間にか涙らしい光の影が、だんだん溜って来たので、自分は驚いてやめてしまった。  自分は面の皮が厚いというのか、遠慮がなさ過ぎると云うのか、それほど宅のものが気兼をして、云わば敬して遠ざけているような兄の書斎の扉を他よりもしばしば叩いて話をした。中へ這入った当分の感じは、さすがの自分にも少し応えた。けれども十分ぐらい経つと彼はまるで別人のように快活になった。自分は苦い兄の心機をこう一転させる自分の手際に重きをおいて、あたかも己れの虚栄心を満足させるための手段らしい態度をもって、わざわざ彼の書斎へ出入した事さえあった。自白すると、突然兄から捕まって危く死地に陥れられそうになったのも、実はこういう得意の瞬間であった。         二十一  その折自分は何を話ていたか今たしかに覚えていない。何でも兄から玉突の歴史を聞いた上、ルイ十四世頃の銅版の玉突台をわざわざ見せられたような気がする。  兄の室へ這入っては、こんな問題を種に、彼の新しく得た知識を、はいはい聞いているのが一番安全であった。もっとも自分も御饒舌だから、兄と違った方面で、ルネサンスとかゴシックとかいう言葉を心得顔にふり廻す事も多かった。しかしたいていは世間離れのしたこう云う談話だけで書斎を出るのが例であったが、その折は何かの拍子で兄の得意とする遺伝とか進化とかについての学説が、銅版の後で出て来た。自分は多分云う事がないため、黙って聞いていたものと見える。その時兄が「二郎お前はお父さんの子だね」と突然云った。自分はそれがどうしたと云わぬばかりの顔をして、「そうです」と答えた。 「おれはお前だから話すが、実はうちのお父さんには、一種妙におっちょこちょいのところがあるじゃないか」  兄から父を評すれば正にそうであるという事を自分は以前から呑込んでいた。けれども兄に対してこの場合何と挨拶すべきものか自分には解らなかった。 「そりゃあなたのいう遺伝とか性質とかいうものじゃおそらくないでしょう。今の日本の社会があれでなくっちゃ、通させないから、やむをえないのじゃないですか。世の中にゃお父さんどころかまだまだたまらないおっちょこがありますよ。兄さんは書斎と学校で高尚に日を暮しているから解らないかも知れないけれども」 「そりゃおれも知ってる。お前の云う通りだ。今の日本の社会は――ことによったら西洋もそうかも知れないけれども――皆な上滑りの御上手ものだけが存在し得るように出来上がっているんだから仕方がない」  兄はこう云ってしばらく沈黙の裡に頭を埋めていた。それから怠そうな眼を上げた。 「しかし二郎、お父さんのは、お気の毒だけれども、持って生れた性質なんだよ。どんな社会に生きていても、ああよりほかに存在の仕方はお父さんに取ってむずかしいんだね」  自分はこの学問をして、高尚になり、かつ迂濶になり過ぎた兄が、家中から変人扱いにされるのみならず、親身の親からさえも、日に日に離れて行くのを眼前に見て、思わず顔を下げて自分の膝頭を見つめた。 「二郎お前もやっぱりお父さん流だよ。少しも摯実の気質がない」と兄が云った。  自分は癇癪の不意に起る野蛮な気質を兄と同様に持っていたが、この場合兄の言葉を聞いたとき、毫も憤怒の念が萌さなかった。 「そりゃひどい。僕はとにかく、お父さんまで世間の軽薄ものといっしょに見做すのは。兄さんは独りぼっちで書斎にばかり籠っているから、それでそういう僻んだ観察ばかりなさるんですよ」 「じゃ例を挙げて見せようか」  兄の眼は急に光を放った。自分は思わず口を閉じた。 「この間謡の客のあった時に、盲女の話をお父さんがしたろう。あのときお父さんは何とかいう人を立派に代表して行きながら、その女が二十何年も解らずに煩悶していた事を、ただ一口にごまかしている。おれはあの時、その女のために腹の中で泣いた。女は知らない女だからそれほど同情は起らなかったけれども、実をいうとお父さんの軽薄なのに泣いたのだ。本当に情ないと思った。……」 「そう女みたように解釈すれば、何だって軽薄に見えるでしょうけれども……」 「そんな事を云うところが、つまりお父さんの悪いところを受け継いでいる証拠になるだけさ。おれは直の事をお前に頼んで、その報告をいつまでも待っていた。ところがお前はいつまでも言葉を左右に託して、空恍けている……」         二十二 「空恍けてると云われちゃちっと可哀そうですね。話す機会もなし、また話す必要がないんですもの」 「機会は毎日ある。必要はお前になくてもおれの方にあるから、わざわざ頼んだのだ」  自分はその時ぐっと行きつまった。実はあの事件以後、嫂について兄の前へ一人出て、真面目に彼女を論ずるのがいかにも苦痛だったのである。自分は話頭を無理に横へ向けようとした。 「兄さんはすでにお父さんを信用なさらず。僕もそのお父さんの子だという訳で、信用なさらないようだが、和歌の浦でおっしゃった事とはまるで矛盾していますね」 「何が」と兄は少し怒気を帯びて反問した。 「何がって、あの時、あなたはおっしゃったじゃありませんか。お前は正直なお父さんの血を受けているから、信用ができる、だからこんな事を打ち明けて頼むんだって」  自分がこう云うと、今度は兄の方がぐっと行きつまったような形迹を見せた。自分はここだと思って、わざと普通以上の力を、言葉の裡へ籠めながらこう云った。 「そりゃ御約束した事ですから、嫂さんについて、あの時の一部始終を今ここで御話してもいっこう差支えありません。固より僕はあまり下らない事だから、機会が来なければ口を開く考えもなし、また口を開いたって、ただ一言で済んでしまう事だから、兄さんが気にかけない以上、何も云う必要を認めないので、今日まで控えていたんですから。――しかし是非何とか報告をしろと、官命で出張した属官流に逼られれば、仕方がない。今即刻でも僕の見た通りをお話します。けれどもあらかじめ断っておきますが、僕の報告から、あなたの予期しているような変な幻はけっして出て来ませんよ。元々あなたの頭にある幻なんで、客観的にはどこにも存在していないんだから」  兄は自分の言葉を聞いた時、平生と違って、顔の筋肉をほとんど一つも動かさなかった。ただ洋卓の前に肱を突いたなり、じっとしていた。眼さえ伏せていたから、自分には彼の表情がちっとも解らなかった。兄は理に明らかなようで、またその理にころりと抛げられる癖があった。自分はただ彼の顔色が少し蒼くなったのを見て、これは必竟彼が自分の強い言語に叩かれたのだと判断した。  自分はそこにあった巻莨入から煙草を一本取り出して燐寸の火を擦った。そうして自分の鼻から出る青い煙と兄の顔とを等分に眺めていた。 「二郎」と兄がようやく云った。その声には力も張もなかった。 「何です」と自分は答えた。自分の声はむしろ驕っていた。 「もうおれはお前に直の事について何も聞かないよ」 「そうですか。その方が兄さんのためにも嫂さんのためにも、また御父さんのためにも好いでしょう。善良な夫になって御上げなさい。そうすれば嫂さんだって善良な夫人でさあ」と自分は嫂を弁護するように、また兄を戒めるように云った。 「この馬鹿野郎」と兄は突然大きな声を出した。その声はおそらく下まで聞えたろうが、すぐ傍に坐っている自分には、ほとんど予想外の驚きを心臓に打ち込んだ。 「お前はお父さんの子だけあって、世渡りはおれより旨いかも知れないが、士人の交わりはできない男だ。なんで今になって直の事をお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児め」  自分の腰は思わず坐っている椅子からふらりと離れた。自分はそのまま扉の方へ歩いて行った。 「お父さんのような虚偽な自白を聞いた後、何で貴様の報告なんか宛にするものか」  自分はこういう烈しい言葉を背中に受けつつ扉を閉めて、暗い階段の上に出た。         二十三  自分はそれから約一週間ほどというもの、夕食以外には兄と顔を合した事がなかった。平生食卓を賑やかにする義務をもっているとまで、皆なから思われていた自分が、急に黙ってしまったので、テーブルは変に淋しくなった。どこかで鳴くの音さえ、併んでいる人の耳に肌寒の象徴のごとく響いた。  こういう寂寞たる団欒の中に、お貞さんは日ごとに近づいて来る我結婚の日限を考えるよりほかに、何の天地もないごとくに、盆を膝の上へ載せて御給仕をしていた。陽気な父は周囲に頓着なく、己れに特有な勝手な話ばかりした。しかしその反響はいつものようにどこからも起らなかった。父の方でもまるでそれを予期する気色は見えなかった。  時々席に列ったものが、一度に声を出して笑う種になったのはただ芳江ばかりであった。母などは話が途切れておのずと不安になるたびに、「芳江お前は……」とか何とか無理に問題を拵えて、一時を糊塗するのを例にした。するとそのわざとらしさが、すぐ兄の神経に触った。  自分は食卓を退いて自分の室に帰るたびに、ほっと一息吐くように煙草を呑んだ。 「つまらない。一面識のないものが寄って会食するよりなおつまらない。他の家庭もみんなこんな不愉快なものかしら」  自分は時々こう考えて、早く家を出てしまおうと決心した事もあった。あまり食卓の空気が冷やかな折は、お重が自分の後を恋って、追いかけるように、自分の室へ這入って来た。彼女は何にも云わずにそこで泣き出したりした。ある時はなぜ兄さんに早く詫まらないのだと詰問するように自分を悪らしそうに睨めたりした。  自分は宅にいるのがいよいよ厭になった。元来性急のくせに決断に乏しい自分だけれども、今度こそは下宿なり間借りなりして、当分気を抜こうと思い定めた。自分は三沢の所へ相談に行った。その時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長く煩うから悪いんだ」と云った。彼は「君がお直さんなどの傍に長くくっついているから悪いんだ」と答えた。  自分は上方から帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、嫂については、いまだかつて一言も彼に告げた例がなかった。彼もまた自分の嫂に関しては、いっさい口を閉じて何事をも云わなかった。  自分は始めて彼の咽喉を洩れる嫂の名を聞いた。またその嫂と自分との間に横わる、深くも浅くも取れる相互関係をあらわした彼の言葉を聞いた。そうして驚きと疑の眼を三沢の上に注いだ。その中に怒を含んでいると解釈した彼は、「怒るなよ」と云った。その後で「気狂になった女に、しかも死んだ女に惚れられたと思って、己惚れているおれの方が、まあ安全だろう。その代り心細いには違ない。しかし面倒は起らないから、いくら惚れても、惚れられてもいっこう差支えない」と云った。自分は黙っていた。彼は笑いながら「どうだ」と自分の肩を捕まえて小突いた。自分には彼の態度が真面目なのか、また冗談なのか、少しも解らなかった。真面目にせよ、冗談にせよ、自分は彼に向って何事をも説明したり、弁明したりする気は起らなかった。  自分はそれでも三沢に適当な宿を一二軒教わって、帰りがけに、自分の室まで見て帰った。家へ戻るや否や誰より先に、まずお重を呼んで、「兄さんもお前の忠告してくれた通り、いよいよ家を出る事にした」と告げた。お重は案外なようなまた予期していたような表情を眉間にあつめて、じっと自分の顔を眺めた。         二十四  兄妹として云えば、自分とお重とは余り仲の善い方ではなかった。自分が外へ出る事を、まず第一に彼女に話したのは、愛情のためというよりは、むしろ面当の気分に打勝たれていた。すると見る見るうちにお重の両方の眼に涙がいっぱい溜って来た。 「早く出て上げて下さい。その代り妾もどんな所でも構わない、一日も早くお嫁に行きますから」と云った。  自分は黙っていた。 「兄さんはいったん外へ出たら、それなり家へ帰らずに、すぐ奥さんを貰って独立なさるつもりでしょう」と彼女がまた聞いた。  自分は彼女の手前「もちろんさ」と答えた。その時お重は今まで持ち応えていた涙をぽろりぽろりと膝の上に落した。 「何だって、そんなに泣くんだ」と自分は急に優しい声を出して聞いた。実際自分はこの事件についてお重の眼から一滴の涙さえ予期していなかったのである。 「だって妾ばかり後へ残って……」  自分に判切聞こえたのはただこれだけであった。その他は彼女のむやみに引泣上げる声が邪魔をしてほとんど崩れたまま自分の鼓膜を打った。  自分は例のごとく煙草を呑み始めた。そうしておとなしく彼女の泣き止むのを待っていた。彼女はやがて袖で眼を拭いて立ち上った。自分はその後姿を見たとき、急に可哀そうになった。 「お重、お前とは好く喧嘩ばかりしたが、もう今まで通り啀み合う機会も滅多にあるまい。さあ仲直りだ。握手しよう」  自分はこう云って手を出した。お重はかえってきまり悪気に躊躇した。  自分はこれからだんだんに父や母に自分の外へ出る決心を打ち明けて、彼らの許諾を一々求めなければならないと思った。ただ最後に兄の所へ行って、同じ決心を是非共繰返す必要があるので、それだけが苦になった。  母に打ち明けたのはたしかその明くる日であった。母はこの唐突な自分の決心に驚いたように、「どうせ出るならお嫁でもきまってからと思っていたのだが。――まあ仕方があるまいよ」と云った後、憮然として自分の顔を見た。自分はすぐその足で、父の居間へ行こうとした。母は急に後から呼び留めた。 「二郎たとい、お前が家を出たってね……」  母の言葉はそれだけで支えてしまった。自分は「何ですか」と聞き返したため、元の場所に立っていなければならなかった。 「兄さんにはもう御話しかい」と母は急に即かぬ事を云い出した。 「いいえ」と自分は答えた。 「兄さんにはかえってお前から直下に話した方が好いかも知れないよ。なまじ、御父さんや御母さんから取次ぐと、かえって感情を害するかも知れないからね」 「ええ僕もそう思っています。なるたけ綺麗にして出るつもりですから」  自分はこう断って、すぐ父の居間に這入った。父は長い手紙を書いていた。 「大阪の岡田からお貞の結婚について、この間また問い合せが来たので、その返事を書こう書こうと思いながら、とうとう今日まで放っておいたから、今日は是非一つその義務を果そうと思って、今書いているところだ。ついでだからそう云っとくが、御前の書く拝啓の啓の字は間違っている。崩すならそこにあるように崩すものだ」  長い手紙の一端がちょうど自分の坐った膝の前に出ていた。自分は啓の字を横に見たが、どこが間違っているのかまるで解らなかった。自分は父が筆を動かす間、床に活けた黄菊だのその後にある懸物だのを心のうちで品評していた。         二十五  父は長い手紙を裾の方から巻き返しながら、「何か用かね、また金じゃないか。金ならないよ」と云って、封筒に上書を認めた。  自分はきわめて簡略に自分の決意を述べた上、「永々御厄介になりましたが……」というような形式の言葉をちょっと後へ付け加えた。父はただ「うんそうか」と答えた。やがて切手を状袋の角へ貼り付けて、「ちょっとそのベルを押してくれ」と自分に頼んだ。自分は「僕が出させましょう」と云って手紙を受け取った。父は「お前の下宿の番地を書いて、御母さんに渡しておきな」と注意した。それから床の幅についていろいろな説明をした。  自分はそれだけ聞いて父の室を出た。これで挨拶の残っているものはいよいよ兄と嫂だけになった。兄にはこの間の事件以来ほとんど親しい言葉を換わさなかった。自分は彼に対して怒り得るほどの勇気を持っていなかった。怒り得るならば、この間罵しられて彼の書斎を出るとき、すでに激昂していなければならなかった。自分は後から小さな石膏像の飛んでくるぐらいに恐れを抱く人間ではなかった。けれどもあの時に限って、怒るべき勇気の源がすでに枯れていたような気がする。自分は室に入った幽霊が、ふうとまた室を出るごとくに力なく退却した。その後も彼の書斎の扉を叩いて、快く詫まるだけの度胸は、どこからも出て来なかった。かくして自分は毎日苦い顔をしている彼の顔を、晩餐の食卓に見るだけであった。  嫂とも自分は近頃滅多に口を利かなかった。近頃というよりもむしろ大阪から帰って後という方が適当かも知れない。彼女は単独に自分の箪笥などを置いた小さい部屋の所有主であった。しかしながら彼女と芳江が二人ぎりそこに遊んでいる事は、一日中で時間につもるといくらもなかった。彼女はたいてい母と共に裁縫その他の手伝をして日を暮していた。  父や母に自分の未来を打ち明けた明る朝、便所から風呂場へ通う縁側で、自分はこの嫂にぱたりと出会った。 「二郎さん、あなた下宿なさるんですってね。宅が厭なの」と彼女は突然聞いた。彼女は自分の云った通りを、いつの間にか母から伝えられたらしい言葉遣をした。自分は何気なく「ええしばらく出る事にしました」と答えた。 「その方が面倒でなくって好いでしょう」  彼女は自分が何か云うかと思って、じっと自分の顔を見ていた。しかし自分は何とも云わなかった。 「そうして早く奥さんをお貰いなさい」と彼女の方からまた云った。自分はそれでも黙っていた。 「早い方が好いわよあなた。妾探して上げましょうか」とまた聞いた。 「どうぞ願います」と自分は始めて口を開いた。  嫂は自分を見下げたようなまた自分を調戯うような薄笑いを薄い唇の両端に見せつつ、わざと足音を高くして、茶の間の方へ去った。  自分は黙って、風呂場と便所の境にある三和土の隅に寄せ掛けられた大きな銅の金盥を見つめた。この金盥は直径二尺以上もあって自分の力で持上げるのも困難なくらい、重くてかつ大きなものであった。自分は子供の時分からこの金盥を見て、きっと大人の行水を使うものだとばかり想像して、一人嬉しがっていた。金盥は今塵で佗しく汚れていた。低い硝子戸越しには、これも自分の子供時代から忘れ得ない秋海棠が、変らぬ年ごとの色を淋しく見せていた。自分はこれらの前に立って、よく秋先に玄関前の棗を、兄と共に叩き落して食った事を思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後にはすでにこれだけ無邪気な過去がずっと続いている事を発見した時、今昔の比較が自から胸に溢れた。そうしてこれからこの餓鬼大将であった兄と不愉快な言葉を交換して、わが家を出なければならないという変化に想い及んだ。         二十六  その日自分が事務所から帰ってお重に「兄さんは」と聞くと、「まだよ」という返事を得た。 「今日はどこかへ廻る日なのかね」と重ねて尋ねた時、お重は「どうだか知らないわ。書斎へ行って壁に貼りつけてある時間表を見て来て上げましょうか」と云った。  自分はただ兄が帰ったら教えてくれるように頼んで、誰にも会わずに室へ這入った。洋服を脱ぎ替えるのも面倒なので、そのまま横になって寝ているうち、いつの間にか本当の眠りに落ちた。そうして他人に説明も何もできないような複雑に変化する不安な夢に襲われていると、急にお重から起された。 「大兄さんがお帰りよ」  こういう彼女の言葉が耳に這入った時、自分はすぐ起ち上がった。けれども意識は朦朧として、夢のつづきを歩いていた。お重は後から「まあ顔でも洗っていらっしゃい」と注意した。判然しない自分の意識は、それすらあえてする勇気を必要と感ぜしめなかった。  自分はそのまま兄の書斎に這入った。兄もまだ洋服のままであった。彼は扉の音を聞いて、急に入口に眼を転じた。その光のうちにはある予期を明かに示していた。彼が外出して帰ると、嫂が芳江を連れて、不断の和服を持って上がって来るのが、その頃の習慣であった。自分は母が嫂に「こういう風におしよ」と云いつけたのを傍にいて聞いていた事がある。自分はぼんやりしながらも、兄のこの眼附によって、和服の不断着より、嫂と芳江とを彼は待ち設けていたのだと覚った。  自分は寝惚けた心持が有ったればこそ、平気で彼の室を突然開けたのだが、彼は自分の姿を敷居の前に見て、少しも怒りの影を現さなかった。しかしただ黙って自分の背広姿を打ち守るだけで、急に言葉を出す気色はなかった。 「兄さん、ちょっと御話がありますが……」 と、自分はついにこっちから切り出した。 「こっちへ御這入り」  彼の言語は落ちついていた。かつこの間の事について何の介意をも含んでいないらしく自分の耳に響いた。彼は自分のために、わざわざ一脚の椅子を己れの前へ据えて、自分を麾ねいた。  自分はわざと腰をかけずに、椅子の背に手を載せたまま、父や母に云ったとほぼ同様の挨拶を述べた。兄は尊敬すべき学者の態度で、それを静かに聞いていた。自分の単簡の説明が終ると、彼は嬉しくも悲しくもない常の来客に応接するような態度で「まあそこへおかけ」と云った。  彼は黒いモーニングを着て、あまり好い香のしない葉巻を燻らしていた。 「出るなら出るさ。お前ももう一人前の人間だから」と云ってしばらく煙ばかり吐いていた。それから「しかしおれがお前を出したように皆なから思われては迷惑だよ」と続けた。「そんな事はありません。ただ自分の都合で出るんですから」と自分は答えた。  自分の寝惚けた頭はこの時しだいに冴えて来た。できるだけ早く兄の前から退きたくなった結果、ふり返って室の入口を見た。 「直も芳江も今湯に這入っているようだから、誰も上がって来やしない。そんなにそわそわしないでゆっくり話すが好い、電灯でも点けて」  自分は立ち上がって、室の内を明るくした。それから、兄の吹かしている葉巻を一本取って火を点けた。 「一本八銭だ。ずいぶん悪い煙草だろう」と彼が云った。         二十七 「いつ出るつもりかね」と兄がまた聞いた。 「今度の土曜あたりにしようかと思ってます」と自分は答えた。 「一人出るのかい」と兄がまた聞いた。  この奇異な質問を受けた時、自分はしばらく茫然として兄の顔を打ち守っていた。彼がわざとこう云う失礼な皮肉を云うのか、そうでなければ彼の頭に少し変調を来したのか、どっちだか解らないうちは、自分にもどの見当へ打って出て好いものか、料簡が定まらなかった。  彼の言葉は平生から皮肉たくさんに自分の耳を襲った。しかしそれは彼の智力が我々よりも鋭敏に働き過ぎる結果で、その他に悪気のない事は、自分によく呑み込めていた。ただこの一言だけは鼓膜に響いたなり、いつまでもそこでじんじん熱く鳴っていた。  兄は自分の顔を見て、えへへと笑った。自分はその笑いの影にさえ歇斯的里性の稲妻を認めた。 「無論一人で出る気だろう。誰も連れて行く必要はないんだから」 「もちろんです。ただ一人になって、少し新しい空気を吸いたいだけです」 「新しい空気はおれも吸いたい。しかし新しい空気を吸わしてくれる所は、この広い東京に一カ所もない」  自分は半ばこの好んで孤立している兄を憐れんだ。そうして半ば彼の過敏な神経を悲しんだ。 「ちっと旅行でもなすったらどうです。少しは晴々するかも知れません」  自分がこう云った時、兄はチョッキの隠袋から時計を出した。 「まだ食事の時間には少し間があるね」と云いながら、彼は再び椅子に腰を落ちつけた。そうして「おい二郎もうそうたびたび話す機会もなくなるから、飯ができるまでここで話そうじゃないか」と自分の顔を見た。  自分は「ええ」と答えたが、少しも尻は坐らなかった。その上何も話す種がなかった。すると兄が突然「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。  兄の説明によると、パオロと云うのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の眼を忍んで、互に慕い合った結果、とうとう夫に見つかって殺されるという悲しい物語りで、ダンテの神曲の中とかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持について、一種厭な疑念を挟さんだ。兄は臭い煙草の煙の間から、始終自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利の物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。 「二郎、なぜ肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」  自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。 「おれはこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経るに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺戟するように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だと云って咎める。しかしそれはその事情の起った瞬間を治めるための道義に駆られた云わば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」         二十八  自分は年輩から云っても性格から云っても、平生なら兄の説に手を挙げて賛成するはずであった。けれどもこの場合、彼がなぜわざわざパオロとフランチェスカを問題にするのか、またなぜ彼ら二人が永久に残る理由を、物々しく解説するのか、その主意が分らなかったので、自然の興味は全く不快と不安の念に打ち消されてしまった。自分は奥歯に物の挟まったような兄の説明を聞いて、必竟それがどうしたのだという気を起した。 「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」  自分は何とも云わなかった。 「ところがおれは一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ」  自分はそれでも返事をしなかった。 「相撲の手を習っても、実際力のないものは駄目だろう。そんな形式に拘泥しないでも、実力さえたしかに持っていればその方がきっと勝つ。勝つのは当り前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂力は自然の賜物だ。……」  兄はこういう風に、影を踏んで力んでいるような哲学をしきりに論じた。そうして彼の前に坐っている自分を、気味の悪い霧で、一面に鎖してしまった。自分にはこの朦朧たるものを払い退けるのが、太い麻縄を噛み切るよりも苦しかった。 「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとするつもりだろう」と彼は最後に云った。  自分は癇癪持だけれども兄ほど露骨に突進はしない性質であった。ことさらこの時は、相手が全然正気なのか、または少し昂奮し過ぎた結果、精神に尋常でない一種の状態を引き起したのか、第一その方を懸念しなければならなかった。その上兄の精神状態をそこに導いた原因として、どうしても自分が責任者と目指されているという事実を、なおさら苛く感じなければならなかった。  自分はとうとうしまいまで一言も云わずに兄の言葉を聞くだけ聞いていた。そうしてそれほど疑ぐるならいっそ嫂を離別したら、晴々して好かろうにと考えたりした。  ところへその嫂が兄の平生着を持って、芳江の手を引いて、例のごとく階段を上って来た。  扉の敷居に姿を現した彼女は、風呂から上りたてと見えて、蒼味の注した常の頬に、心持の好いほど、薄赤い血を引き寄せて、肌理の細かい皮膚に手触を挑むような柔らかさを見せていた。  彼女は自分の顔を見た。けれども一言も自分には云わなかった。 「大変遅くなりました。さぞ御窮屈でしたろう。あいにく御湯へ這入っていたものだから、すぐ御召を持って来る事ができなくって」  嫂はこう云いながら兄に挨拶した。そうして傍に立っていた芳江に、「さあお父さんに御帰り遊ばせとおっしゃい」と注意した。芳江は母の命令通り「御帰り」と頭を下げた。  自分は永らくの間、嫂が兄に対してこれほど家庭の夫人らしい愛嬌を見せた例を知らなかった。自分はまたこの愛嬌に対して柔げられた兄の気分が、彼の眼に強く集まった例も知らなかった。兄は人の手前極めて自尊心の強い男であった。けれども、子供のうちから兄といっしょに育った自分には、彼の脳天を動きつつある雲の往来がよく解った。  自分は助け船が不意に来た嬉しさを胸に蔵して兄の室を出た。出る時嫂は一面識もない眼下のものに挨拶でもするように、ちょっと頭を下げて自分に黙礼をした。自分が彼女からこんな冷淡な挨拶を受けたのもまた珍らしい例であった。         二十九  二三日してから自分はとうとう家を出た。父や母や兄弟の住む、古い歴史をもった家を出た。出る時はほとんど何事をも感じなかった。母とお重が別れを惜むように浮かない顔をするのが、かえって厭であった。彼らは自分の自由行動をわざと妨げるように感ぜられた。  嫂だけは淋しいながら笑ってくれた。 「もう御出掛。では御機嫌よう。またちょくちょく遊びにいらっしゃい」  自分は母やお重の曇った顔を見た後で、この一口の愛嬌を聞いた時、多少の愉快を覚えた。  自分は下宿へ移ってからも有楽町の事務所へ例の通り毎日通っていた。自分をそこへ周旋してくれたものは、例の三沢であった。事務所の持主は、昔三沢の保証人をしていた(兄の同僚の)Hの叔父に当る人であった。この人は永らく外国にいて、内地でも相応に経験を積んだ大家であった。胡麻塩頭の中へ指を突っ込んで、むやみに頭垢を掻き落す癖があるので、差し向の間に火鉢でも置くと、時々火の中から妙な臭を立てさせて、ひどく相手を弱らせる事があった。 「君の兄さんは近来何を研究しているか」などとたびたび自分に聞いた。自分は仕方なしに、「何だか一人で書斎に籠ってやってるようです」と極めて大体な答えをするのを例のようにしていた。  梧桐が坊主になったある朝、彼は突然自分を捕えて、「君の兄さんは近頃どうだね」とまた聞いた。こう云う彼の質問に慣れ切っていた自分も、その時ばかりは余りの不意打にちょっと返事を忘れた。 「健康はどうだね」と彼はまた聞いた。 「健康はあまり好い方じゃないです」と自分は答えた。 「少し気をつけないといけないよ。あまり勉強ばかりしていると」と彼は云った。  自分は彼の顔を打ち守って、そこに一種の真面目な眉と眼の光とを認めた。  自分は家を出てから、まだ一遍しか家へ行かなかった。その折そっと母を小蔭に呼んで、兄の様子を聞いて見たら「近頃は少し好いようだよ。時々裏へ出て芳江をブランコに載せて、押してやったりしているからね。……」  自分はそれで少しは安心した。それぎり宅の誰とも顔を合わせる機会を拵えずに今日まで過ぎたのである。  昼の時間に一品料理を取寄せて食っていると、B先生(事務所の持主)がまた突然「君はたしか下宿したんだったね」と聞いた。自分はただ簡単に「ええ」と答えておいた。 「なぜ。家の方が広くって便利だろうじゃないか。それとも何か面倒な事でもあるのかい」  自分はぐずついてすこぶる曖昧な挨拶をした。その時呑み込んだ麺麭の一片が、いかにも水気がないように、ぱさぱさと感ぜられた。 「しかし一人の方がかえって気楽かも知れないね。大勢ごたごたしているよりも。――時に君はまだ独身だろう、どうだ早く細君でももっちゃ」  自分はB先生のこの言葉に対しても、平生の通り気楽な答ができなかった。先生は「今日は君いやに意気銷沈しているね」と云ったぎり話頭を転じて、他のものと愚にもつかない馬鹿話を始め出した。自分は自分の前にある茶碗の中に立っている茶柱を、何かの前徴のごとく見つめたぎり、左右に起る笑い声を聞くともなく、また聞かぬでもなく、黙然と腰をかけていた。そうして心の裡で、自分こそ近頃神経過敏症に罹っているのではなかろうかと不愉快な心配をした。自分は下宿にいてあまり孤独なため、こう頭に変調を起したのだと思いついて、帰ったら久しぶりに三沢の所へでも話に行こうと決心した。         三十  その晩三沢の二階に案内された自分は、気楽そうに胡坐をかいた彼の姿を見て羨ましい心持がした。彼の室は明るい電灯と、暖かい火鉢で、初冬の寒さから全然隔離されているように見えた。自分は彼の痼疾が秋風の吹き募るに従って、漸々好い方へ向いて来た事を、かねてから彼の色にも姿にも知った。けれども今の自分と比較して、彼がこうゆったり構えていようとは思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院を憶い起すと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換えたと一般であった。  彼はつい近頃父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまず己れを後にするという好意からか、もしくは贅沢な択好みからか、せっかくの位置を自分に譲ってくれた。  自分は電灯で照された彼の室を見廻して、その壁を隙間なく飾っている風雅なエッチングや水彩画などについて、しばらく彼と話し合った。けれどもどういうものか、芸術上の議論は十分経つか経たないうちに自然と消えてしまった。すると三沢は突然自分に向って、「時に君の兄さんだがね」と云い出した。自分はここでもまた兄さんかと驚いた。 「兄がどうしたって?」 「いや別にどうしたって事もないが……」  彼はこれだけ云ってただ自分の顔を眺めていた。自分は勢い彼の言葉とB先生の今朝の言葉とを胸の中で結びつけなければならなかった。 「そう半分でなく、話すなら皆な話してくれないか。兄がいったいどうしたと云うんだ。今朝もB先生から同じような事を聞かれて、妙な気がしているところだ」  三沢は焦烈ったそうな自分の顔をなお懇気に見つめていたが、やがて「じゃ話そう」と云った。 「B先生の話も僕のもやっぱり同じHさんから出たのだろうと思うがね。Hさんのはまた学生から出たのだって云ったよ。何でもね、君の兄さんの講義は、平生から明瞭で新しくって、大変学生に気受が好いんだそうだが、その明瞭な講義中に、やはり明瞭ではあるが、前後とどうしても辻褄の合わない所が一二箇所出て来るんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰返して、そこを説明しようとするが、どうしても解らないんだそうだ。しまいに手を額へ当てて、どうも近来頭が少し悪いもんだから……とぼんやり硝子窓の外を眺めながら、いつまでも立っているんで、学生も、そんならまたこの次にしましょうと、自分の方で引き下がった事が、何でも幾遍もあったと云う話さ。Hさんは僕に今度長野(自分の姓)に逢ったら、少し注意して見るが好い。ことによると烈しい神経衰弱なのかも知れないからって云ったが、僕もとうとうそれなり忘れてしまって、今君の顔を見るまで実は思い出せなかったのだ」 「そりゃいつ頃の事だ」と自分はせわしなく聞いた。 「ちょうど君の下宿する前後の事だと思っているが、判然した事は覚えていない」 「今でもそうなのか」  三沢は自分の思い逼った顔を見て、慰めるように「いやいや」と云った。 「いやいやそれはほんに一時的の事であったらしい。この頃では全然平生と変らなくなったようだと、Hさんが二三日前僕に話したから、もう安心だろう。しかし……」  自分は家を出た時に自分の胸に刻み込んだ兄との会見を思わず憶い出した。そうしてその折の自分の疑いが、あるいは学校で証明されたのではなかろうかと考えて、非常に心細くかつ恐ろしく感じた。         三十一  自分は力めて兄の事を忘れようとした。するとふと大阪の病院で三沢から聞いた精神病の「娘さん」を聯想し始めた。 「あのお嬢さんの法事には間に合ったのかね」と聞いて見た。 「間に合った。間に合ったが、実にあの娘さんの親達は失敬な厭な奴だ」と彼は拳骨でも振り廻しそうな勢いで云った。自分は驚いてその理由を聞いた。  彼はその日三沢家を代表して、築地の本願寺の境内とかにある菩提所に参詣した。薄暗い本堂で長い読経があった後、彼も列席者の一人として、一抹の香を白い位牌の前に焚いた。彼の言葉によると、彼ほどの誠をもって、その若く美しい女の霊前に額ずいたものは、彼以外にほとんどあるまいという話であった。 「あいつらはいくら親だって親類だって、ただ静かなお祭りでもしている気になって、平気でいやがる。本当に涙を落したのは他人のおれだけだ」  自分は三沢のこういう憤慨を聞いて、少し滑稽を感じたが、表ではただ「なるほど」と肯がった。すると三沢は「いやそれだけなら何も怒りゃしない。しかし癪に障ったのはその後だ」  彼は一般の例に従って、法要の済んだ後、寺の近くにある或る料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対して談をするうちに妙に引っ掛って来た。何の悪意もない彼には、最初いっこうその当こすりが通じなかったが、だんだん時間の進むに従って、彼らの本旨がようやく分って来た。 「馬鹿にもほどがあるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」 「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」と自分が云った。 「誤解?」と彼は大きな声を出した。自分は仕方なしに黙った。彼はしきりにその親達の愚劣な点を述べたててやまなかった。その女の夫となった男の軽薄を罵しって措かなかった。しまいにこう云った。 「なぜそんなら始めから僕にやろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして……」 「いったい君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか」と自分は途中で遮った。 「ないさ」と彼は答えた。 「僕がその娘さんに――その娘さんの大きな潤った眼が、僕の胸を絶えず往来するようになったのは、すでに精神病に罹ってからの事だもの。僕に早く帰って来てくれと頼み始めてからだもの」  彼はこう云って、依然としてその女の美しい大な眸を眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒しても、愚劣な親達の手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己れの懐で暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺に現れた。  自分の想像は、この時その美しい眼の女よりも、かえって自分の忘れようとしていた兄の上に逆戻りをした。そうしてその女の精神に祟った恐ろしい狂いが耳に響けば響くほど、兄の頭が気にかかって来た。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違ないと断言した。精神病で心の憚が解けたからだとその理由までも説明した。兄はことによると、嫂をそういう精神病に罹らして見たい、本音を吐かせて見たい、と思ってるかも知れない。そう思っている兄の方が、傍から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分の方から恐ろしい言葉を家中に響かせて狂い廻らないとも限らない。  自分は三沢の顔などを見ている暇をもたなかった。         三十二  自分はかねて母から頼まれて、この次もし三沢の所へ行ったら、彼にお重を貰う気があるか、ないか、それとなく彼の様子を探って来るという約束をした。しかしその晩はどうしてもそういう元気が出なかった。自分の心持を了解しない彼は、かえって自分に結婚を勧めてやまなかった。自分の頭はまたそれに対して気乗のした返事をするほど、穏かに澄んでいなかった。彼は折を見て、ある候補者を自分に紹介すると云った。自分は生返事をして彼の家を出た。外は十文字に風が吹いていた。仰ぐ空には星が粉のごとくささやかな力を集めて、この風に抵抗しつつ輝いた。自分は佗しい胸の上に両手を当てて下宿へ帰った。そうして冷たい蒲団の中にすぐ潜り込んだ。  それから二三日しても兄の事がまだ気にかかったなり、頭がどうしても自分と調和してくれなかった。自分はとうとう番町へ出かけて行った。直接兄に会うのが厭なので、二階へはとうとう上らなかったが、母を始め他の者には無沙汰見舞の格で、何気なく例の通りの世間話をした。兄を交えない一家の団欒はかえって寛いだ暖かい感じを自分に与えた。  自分は帰り際に、母をちょっと次の間へ呼んで、兄の近況を聞いて見た。母はこの頃兄の神経がだいぶ落ちついたと云って喜んでいた。自分は母の一言でやっと安心したようなものの、母には気のつかない特殊の点に、何だか変調がありそうで、かえってそれが気がかりになった。さればと云って、兄に会って自分から彼を試験しようという勇気は無論起し得なかった。三沢から聞いた兄の講義が一時変になった話も母には告げ得なかった。  自分は何も云う事のないのに、ぼんやり暗い部屋の襖の蔭に寒そうに立っていた。母も自分に対してそこを動かなかった。その上彼女の方から自分に何かいう必要を認めるように見えた。 「もっともこの間少し風邪を引いた時、妙な囈語を云ったがね」と云った。 「どんな事を云いました」と自分は聞いた。  母はそれには答えないで、「なに熱のせいだから、心配する事はないんだよ」と自分の問を打ち消した。 「熱がそんなに有ったんですか」と自分はさらに別の事を尋ねた。 「それがね、熱は三十八度か八度五分ぐらいなんだから、そんなはずはないと思って、お医者に聞いて見ると、神経衰弱のものは少しの熱でも頭が変になるんだってね」  医学の初歩さえ心得ない自分は始めてこの知識に接して、思わず眉をひそめた。けれども室が暗いので、母には自分の顔が見えなかった。 「でも氷で頭を冷したら、そのお蔭で熱がすぐ引いたんで安心したけれど……」  自分は熱の引かない時の兄が、どんな囈語を云ったか、それがまだ知りたいので、薄ら寒い襖の蔭に依然として立っていた。  次の間は電灯で明るく照されていた。父が芳江に何か云って調戯うたびに、みんなの笑う声が陽気に聞こえた。すると突然その笑い声の間から、「おい二郎」と父が自分を呼んだ。 「おい二郎、また御母さんに小遣でも強請ってるんだろう。お綱、お前みたように、そうむやみに二郎の口車に乗っちゃいけないよ」と大きな声で云った。 「いいえそんな事じゃありません」と自分も大きな声で負けずに答えた。 「じゃ何だい、そんな暗い所で、こそこそ御母さんを取っ捉まえて話しているのは。おい早く光るい所へ面を出せ」  父がこう云った時、明るい室の方に集まったものは一度にどっと笑った。自分は母から聞きたい事も聞かずに、父の命令通り、はいと云って、皆なの前へ姿をあらわした。         三十三  それからしばらくの間は、B先生の顔を見ても、三沢の所へ遊びに行っても、兄の話はいっこう話題に上らなかった。自分は少し安心した。そうしてなるべく家の事を忘れようと試みた。しかし下宿の徒然に打ち勝たれるのが何より苦しいので、よく三沢の時間を潰しにこっちから押し寄せたり、また引っ張り出したりした。  三沢は厭きずにいつまでも例の精神病の娘さんの話をした。自分はこの異様なおのろけを聞くたびに、きっと兄と嫂の事を連想して自から不快になった。それで、時々またかという様子を色にも言葉にも表わした。三沢も負けてはいなかった。 「君も君のおのろけを云えば、それで差引損得なしじゃないか」などと自分を冷かした。自分はもうちっとで彼と往来で喧嘩をするところであった。  彼にはこういう風に、精神病の娘さんが、影身に添って離れないので、自分はかねて母から頼まれたお重の事を彼に話す余地がなかった。お重の顔は誰が見ても、まあ十人並以上だろうと、仲の善くない自分にも思えたが、惜い事に、この大切な娘さんとは、まるで顔の型が違っていた。  自分の遠慮に引き換えて、彼は平気で自分に嫁の候補者を推挙した。「今度どこかでちょっと見て見ないか」と勧めた事もあった。自分は始めこそ生返事ばかりしていたが、しまいは本気にその女に会おうと思い出した。すると三沢は、まだ機会が来ないから、もう少し、もう少し、と会見の日を順繰に先へ送って行くので、自分はまた気を腐らした末、ついにその女の幻を離れてしまった。  反対に、お貞さんの方の結婚はいよいよ事実となって現るべく、目前に近いて来た。お貞さんは相応の年をしている癖に、宅中で一番初心な女であった。これという特色はないが、何を云っても、じき顔を赤くするところに変な愛嬌があった。  自分は三沢と夜更に寒い町を帰って来て、下宿の冷たい夜具に潜り込みながら、時々お貞さんの事を思い出した。そうして彼女もこんな冷たい夜具を引き担ぎながら、今頃は近い未来に逼る暖かい夢を見て、誰も気のつかない笑い顔を、半ば天鵞絨の襟の裡に埋めているだろうなどと想像した。  彼女の結婚する二三日前に、岡田と佐野は、氷を裂くような汽車の中から身を顫わして新橋の停車場に下りた。彼は迎えに出た自分の顔を見て、いようという掛声をした。それから「相変らず二郎さんは呑気だね」と云った。岡田は己れの呑気さ加減を自覚しない男のようにも思われた。  翌日番町へ行ったら、岡田一人のために宅中騒々しく賑っていた。兄もほかの事と違うという意味か、別に苦い顔もせずに、その渦中に捲込まれて黙っていた。 「二郎さん、今になって下宿するなんて、そんな馬鹿がありますか、家が淋しくなるだけじゃありませんか。ねえお直さん」と彼は嫂に話しかけた。この時だけは嫂もさすが変な顔をして黙っていた。自分も何とも云いようがなかった。兄はかえって冷然とすべてに取り合わない気色を見せた。岡田はすでに酔って何事にも拘泥せずへらへら口を動かした。 「もっとも一郎さんも善くないと僕は思いますよ。そうあなた、書斎にばかり引っ込んで勉強していたって、つまらないじゃありませんか。もうあなたぐらい学問をすれば、どこへ出たって引けを取るんじゃないんだからね。しかし二郎さん始め、お直さんや叔母さんも好くないようですね。一郎は書斎よりほかは嫌いだ嫌いだって云っときながら、僕が来てこう引っ張り出せば、訳なく二階から下りて来て、僕と面白そうに話してくれるじゃありませんか。そうでしょう一郎さん」  彼はこう云って兄の方を見た。兄は黙って苦笑いをした。 「ねえ叔母さん」  母も黙っていた。 「ねえお重さん」  彼は返事を受けるまで順々に聞いて廻るらしかった。お重はすぐ「岡田さん、あなたいくら年を取っても饒舌る病気が癒らないのね。騒々しいわよ」と云った。それで皆なが笑い出したので、自分はほっと一と息吐いた。         三十四  芳江が「叔父さんちょっといらっしゃい」と次の間から小さな手を出して自分を招いた。「何だい」と立って行くと彼女はどこからか、大きな信玄袋を引摺り出して、「これお貞さんのよ、見せたげましょうか」と自慢らしく自分を見た。  彼女は信玄袋の中から天鵞絨で張った四角な箱を出した。自分はその中にある真珠の指環を手に取って、ふんと云いながら眺めた。芳江は「これもよ」と云って、今度は海老茶色のを出したが、これは自分が洗濯その他の世話になった礼に買ってやった宝石なしの単純な金の指環であった。彼女はまた「これもよ」と云って、繻珍の紙入を出した。その紙入には模様風に描いた菊の花が金で一面に織り出されていた。彼女はその次に比較的大きくて細長い桐の箱を出した。これは金と赤銅と銀とで、蔦の葉を綴った金具の付いている帯留であった。最後に彼女は櫛と笄を示して、「これ卵甲よ。本当の鼈甲じゃないんだって。本当の鼈甲は高過ぎるからおやめにしたんですって」と説明した。自分には卵甲という言葉が解らなかった。芳江には無論解らなかった。けれども女の子だけあって、「これ一番安いのよ。四方張よか安いのよ。玉子の白味で貼り付けるんだから」と云った。「玉子の白味でどこをどう貼り付けるんだい」と聞くと、彼女は、「そんな事知らないわ」と取り済ました口の利き方をして、さっさと信玄袋を引き摺って次の間へ行ってしまった。  自分は母からお貞さんの当日着る着物を見せて貰った。薄紫がかった御納戸の縮緬で、紋は蔦、裾の模様は竹であった。 「これじゃあまり閑静過ぎやしませんか、年に合わして」と自分は母に聞いて見た。母は「でもねあんまり高くなるから」と答えた。そうして「これでも御前二十五円かかったんだよ」とつけ加えて、無知識な自分を驚かした。地は去年の春京都の織屋が背負って来た時、白のまま三反ばかり用意に買っておいて、この間まで箪笥の抽出にしまったなり放ってあったのだそうである。  お貞さんは一座の席へ先刻から少しも顔を出さなかった。自分はおおかたきまりが悪いのだろうと想像して、そのきまりの悪いところを、ここで一目見たいと思った。 「お貞さんはどこにいるんです」と母に聞いた。すると兄が「ああ忘れた。行く前にちょっとお貞さんに話があるんだった」と云った。  みんな変な顔をしたうちに、嫂の唇には著るしい冷笑の影が閃めいた。兄は誰にも取合う気色もなく、「ちょっと失敬」と岡田に挨拶して、二階へ上がった。その足音が消えると間もなく、お貞さんは自分達のいる室の敷居際まで来て、岡田に叮嚀な挨拶をした。  彼女は「さあどうぞ」と会釈する岡田に、「今ちょっと御書斎まで参らなければなりませんから、いずれのちほど」と答えて立ち上がった。彼女の上気したようにほっと赤くなった顔を見た一座のものは、気の毒なためか何だか、強いて引きとめようともしなかった。  兄の二階へ上がる足音はそれほど強くはなかったが、いつでも上履を引掛けているため、ぴしゃぴしゃする響が、下からよく聞こえた。お貞さんのは素足の上に、女のつつましやかな気性をあらわすせいか、まるで聴き取れなかった。戸を開けて戸を閉じる音さえ、自分の耳には全く這入らなかった。  彼ら二人はそこで約三十分ばかり何か話していた。その間嫂は平生の冷淡さに引き換えて、尋常のものより機嫌よく話したり笑ったりした。けれどもその裏に不機嫌を蔵そうとする不自然の努力が強く潜在している事が自分によく解った。岡田は平気でいた。  自分は彼女が兄と会見を終って、自分達の室の横を通る時、その足音を聞きつけて、用あり気に不意と廊下へ出た。ばったり出逢った彼女の顔は依然として恥ずかしそうに赤く染っていた。彼女は眼を俯せて、自分の傍を擦り抜けた。その時自分は彼女の瞼に涙の宿った痕迹をたしかに認めたような気がした。けれども書斎に入った彼女が兄と差向いでどんな談話をしたか、それはいまだに知る事を得ない。自分だけではない、その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う。         三十五  自分は親戚の片割として、お貞さんの結婚式に列席するよう、父母から命ぜられていた。その日はちょうど雨がしょぼしょぼ降って、婚礼には似合しからぬ佗びしい天気であった。いつもより早く起きて番町へ行って見ると、お貞さんの衣裳が八畳の間に取り散らしてあった。  便所へ行った帰りに風呂場の口を覗いて見たら、硝子戸が半分開いて、その中にお貞さんのお化粧をしている姿がちらりと見えた。それから「あらそこへ障っちゃ厭ですよ」という彼女の声が聞こえた。芳江は面白半分何か悪戯をすると見えた。自分も芳江の真似をやろうと思ったが、場合が場合なのでつい遠慮して茶の間へ戻った。  しばらくしてから、また八畳へ出て見ると、みんながお召換をやっていた。芳江が「あのお貞さんは手へも白粉を塗けたのよ」と大勢に吹聴していた。実を云うと、お貞さんは顔よりも手足の方が赤黒かったのである。 「大変真白になったな。亭主を欺瞞すんだから善くない」と父が調戯っていた。 「あしたになったら旦那様がさぞ驚くでしょう」と母が笑った。お貞さんも下を向いて苦笑した。彼女は初めて島田に結った。それが予期できなかった斬新の感じを自分に与えた。 「この髷でそんな重いものを差したらさぞ苦しいでしょうね」と自分が聞くと、母は「いくら重くっても、生涯に一度はね……」と云って、己れの黒紋付と白襟との合い具合をしきりに気にしていた。お貞さんの帯は嫂が後へ廻って、ぐっと締めてやった。  兄は例の臭い巻煙草を吹かしながら広い縁側をあちらこちらと逍遥していた。彼はこの結婚に、まるで興味をもたないような、また彼一流の批評を心の中に加えているような、判断のでき悪い態度をあらわして、時々我々のいる座敷を覗いた。けれどもちょっと敷居際にとまるだけでけっして中へは這入らなかった。「仕度はまだか」とも催促しなかった。彼はフロックに絹帽を被っていた。  いよいよ出る時に、父は一番綺麗な俥を択って、お貞さんを乗せてやった。十一時に式があるはずのところを少し時間が後れたため岡田は太神宮の式台へ出て、わざわざ我々を待っていた。皆ながどやどやと一度に控所に這入ると、そこにはお婿さんがただ一人質に取られた置物のように椅子へ腰をかけていた。やがて立ち上がって、一人一人に挨拶をするうちに、自分は控所にある洋卓やら、絨氈やら、白木の格天井やらを眺めた。突き当りには御簾が下りていて、中には何か在るらしい気色だけれども、奥の全く暗いため何物をも髣髴する事ができなかった。その前には鶴と浪を一面に描いためでたい一双の金屏風が立て廻してあった。  縁女と仲人の奥さんが先、それから婿と仲人の夫、その次へ親類がつづくという順を、袴羽織の男が出て来て教えてくれたが、肝腎の仲人たるべき岡田はお兼さんを連れて来なかったので、「じゃはなはだ御迷惑だけど、一郎さんとお直さんに引き受けていただきましょうか、この場限り」と岡田が父に相談した。父は簡単に「好かろうよ」と答えた。嫂は例のごとく「どうでも」と云った。兄も「どうでも」と云ったが、後から、「しかし僕らのような夫婦が媒妁人になっちゃ、少し御両人のために悪いだろう」と付け足した。 「悪いなんて――僕がするより名誉でさあね。ねえ二郎さん」と岡田が例のごとく軽い調子で云った。兄は何やらその理由を述べたいらしい気色を見せたが、すぐ考え直したと見えて、「じゃ生れて初めての大役を引き受けて見るかな。しかし何にも知らないんだから」と云うと、「何向うで何もかも教えてくれるから世話はない。お前達は何もしないで済むようにちゃんと拵えてあるんだ」と父が説明した。         三十六  反橋を渡る所で、先の人が何かに支えて一同ちょっととまった機会を利用して、自分はそっと岡田のフロックの尻を引張った。 「岡田さんは実に呑気だね」と云った。 「なぜです」  彼は自ら媒妁人をもって任じながら、その細君を連れて来ない不注意に少しも気がついていないらしかった。自分から呑気の訳を聞いた時、彼は苦笑して頭を掻きながら、「実は伴れて来ようと思ったんですがね、まあどうかなるだろうと思って……」と答えた。  反橋を降りて奥へ這入ろうという入口の所で、花嫁は一面に張り詰められた鏡の前へ坐って、黒塗の盥の中で手を洗っていた。自分は後から背延をして、お貞さんの姿を見た時、なるほどこれで列が後れるんだなと思うと同時に吹き出したくなった。せっかく丹精して塗り立てた彼女の手も、この神聖な一杓の水で、無残に元のごとく赤黒くされてしまったのである。  神殿の左右には別室があった。その右の方へ兄が佐野さんを伴れて這入った。その左の方へ嫂がお貞さんを伴れて這入った。それが左右から出て来て着座するのを見ると、兄夫婦は真面目な顔をして向い合せに坐っていた。花嫁花婿も無論の事、謹んだ姿で相対していた。  式壇を正面に、後の方にずらりと並んだ父だの母だの自分達は、この二様の意味をもった夫婦と、絵の具で塗り潰した綺麗な太鼓と、何物を中に蔵しているか分らない、御簾を静粛に眺めた。  兄は腹のなかで何を考えているか、よそ目から見ると、尋常と変るところは少しもなかった。嫂は元より取り繕った様子もなく、自然そのままに取り済ましていた。  彼らはすでに過去何年かの間に、夫婦という社会的に大切な経験を彼らなりに甞めて来た、古い夫婦であった。そうして彼らの甞めた経験は、人生の歴史の一部分として、彼らに取っては再びしがたい貴いものであったかも知れない。けれどもどっちから云っても、蜜に似た甘いものではなかったらしい。この苦い経験を有する古夫婦が、己れ達のあまり幸福でなかった運命の割前を、若い男と若い女の頭の上に割りつけて、また新しい不仕合な夫婦を作るつもりなのかしらん。  兄は学者であった。かつ感情家であった。その蒼白い額の中にあるいはこのくらいな事を考えていたかも知れない。あるいはそれ以上に深い事を考えていたかも知れない。あるいはすべての結婚なるものを自ら呪詛しながら、新郎と新婦の手を握らせなければならない仲人の喜劇と悲劇とを同時に感じつつ坐っていたかも知れない。  とにかく兄は真面目に坐っていた。嫂も、佐野さんも、お貞さんも、真面目に坐っていた。そのうち式が始まった。巫女の一人が、途中から腹痛で引き返したというので介添がその代りを勤めた。  自分の隣に坐っていたお重が「大兄さんの時より淋しいのね」と私語いた。その時は簫や太鼓を入れて、巫女の左右に入れ交う姿も蝶のように翩々と華麗に見えた。 「御前の嫁に行く時は、あの時ぐらい賑かにしてやるよ」と自分はお重に云った。お重は笑っていた。  式が済んでみんなが控所へ帰った時、お貞さんは我々が立っているのに、わざわざ絨氈の上に手を突いて、今まで厄介になった礼を丁寧に述べた。彼女の眼には淋しそうな涙がいっぱい溜っていた。  新夫婦と岡田は昼の汽車で、すぐ大阪へ向けて立った。自分は雨のプラットフォームの上で、二三日箱根あたりで逗留するはずのお貞さんを見送った後、父や兄に別れて独り自分の下宿へ帰った。そうして途々自分にも当然番の廻ってくるべき結婚問題を人生における不幸の謎のごとく考えた。         三十七  お貞さんが攫われて行くように消えてしまった後の宅は、相変らずの空気で包まれていた。自分の見たところでは、お貞さんが宅中で一番の呑気ものらしかった。彼女は永年世話になった自分の家に、朝夕箒を執ったり、洗い洒ぎをしたりして、下女だか仲働だか分らない地位に甘んじた十年の後、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明瞭でかつ器械的なものであったらしい。一家団欒の時季とも見るべき例の晩餐の食卓が、一時重苦しい灰色の空気で鎖された折でさえ、お貞さんだけはその中に坐って、平生と何の変りもなく、給仕の盆を膝の上に載せたまま平気で控えていた。結婚当日の少し前、兄から書斎へ呼ばれて出て来た時、彼女の顔を染めた色と、彼女の瞼に充ちた涙が、彼女の未来のために、何を語っていたか知らないが、彼女の気質から云えば、それがために長い影響を受けようとも思えなかった。  お貞さんが去ると共に冬も去った。去ったと云うよりも、まず大した事件も起らずに済んだと評する方が適当かも知れない。斑らな雪、枯枝を揺ぶる風、手水鉢を鎖ざす氷、いずれも例年の面影を規則正しく自分の眼に映した後、消えては去り消えては去った。自然の寒い課程がこう繰返されている間、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と人との関係もどうかこうか今まで通り持ち応えた。  自分の地位にも無論変化はなかった。ただお重が遊び半分時々苦情を訴えに来た。彼女は来るたびに「お貞さんはどうしているでしょうね」と聞いた。 「どうしているでしょうって、――お前の所へ何とも云って来ないのか」 「来る事は来るわ」  聞いて見ると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分より遥に豊富な知識をもっていた。  自分はまた彼女が来るたびに、兄の事を聞くのを忘れなかった。 「兄さんはどうだい」 「どうだいって、あなたこそ悪いわ。家へ来ても兄さんに逢わずに帰るんだから」 「わざわざ避けるんじゃない。行ってもいつでも留守なんだから仕方がない」 「嘘をおっしゃい。この間来た時も書斎へ這入らずに逃げた癖に」  お重は自分より正直なだけに真赤になった。自分はあの事件以後どうかして兄と故の通り親しい関係になりたいと心では希望していたが、実際はそれと反対で、何だか近寄り悪い気がするので、全くお重の云うごとく、宅へ行って彼に挨拶する機会があっても、なるべく会わずに帰る事が多かった。  お重にやり込められると、自分は無言の降意を表するごとくにあははと笑ったり、わざと短い口髭を撫でたり、時によると例の通り煙草に火を点けて瞹眛な煙を吐いたりした。  そうかと思うとかえってお重の方から突然「大兄さんもずいぶん変人ね。あたし今になって全くあなたが喧嘩して出たのも無理はないと思うわ」などと云った。お重から藪から棒にこう驚かされると、自分は腹の底で自分の味方が一人殖えたような気がして嬉しかった。けれども表向彼女の意見に相槌を打つほどの稚気もなかった。叱りつけるほどの衒気もなかった。ただ彼女が帰った後で、たちまち今までの考えが逆まになって、兄の精神状態が周囲に及ぼす影響などがしきりに苦になった。だんだん生物から孤立して、書物の中に引き摺り込まれて行くように見える彼を平生よりも一倍気の毒に思う事もあった。         三十八  母も一二遍来た。最初来た時は大変機嫌が好かった。隣の座敷にいる法学士はどこへ出て何を勤めているのだなどと、自分にも判然解らないような事を、さも大事らしく聞いたりした。その時彼女は宅の近況について何にも語らずに、「この頃は方々で風邪が流行るから気をおつけ。お父さんも二三日前から咽喉が痛いって、湿布をしてお出でだよ」と注意して去った。自分は彼女の去った後、兄夫婦の事を思い出す暇さえなかった。彼らの存在を忘れた自分は、快よい風呂に入って、旨い夕飯を食った。  次に訪ねてくれた時の母の調子は、前に較べると少し変っていた。彼女は大阪以後、ことに自分が下宿して以後、自分の前でわざと嫂の批評を回避するような風を見せた。自分も母の前では気が咎めるというのか、必要のない限り、嫂の名を憚って、なるべく口へ出さなかった。ところがこの注意深い母がその折卒然と自分に向って、「二郎、ここだけの話だが、いったいお直の気立は好いのかね悪いのかね」と聞いた。はたして何か始まったのだと心得た自分は冷りとした。  下宿後の自分は、兄についても嫂についても不謹慎な言葉を無責任に放つ勇気は全くなかったので、母は自分から何一つ満足な材料を得ずして去った。自分の方でも、なぜ彼女がこの気味の悪い質問を自分に突然とかけたかついに要領を得ずに母を逸した。「何かまた心配になるような事でもできたのですか」と聞いても、彼女は「なに別にこれと云って変った事はないんだがね……」と答えるだけで、後は自分の顔を打守るに過ぎなかった。  自分は彼女が帰った後、しきりにこの質問に拘泥し始めた。けれども前後の事情だの母の態度だのを綜合して考えて見て、どうしても新しい事件が、わが家庭のうちに起ったとは受取れないと判断した。  母もあまり心配し過ぎて、とうとう嫂が解らなくなったのだ。  自分は最後にこう解釈して、恐ろしい夢に捉えられたような気持を抱いた。  お重も来、母も来る中に、嫂だけは、ついに一度も自分の室の火鉢に手を翳さなかった。彼女がわざと遠慮して自分を尋ねない主意は、自分にも好く呑み込めていた。自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね。お室に立派な床があって、庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」と聞いた。しかし「今度拝見に行きますよ」とは云わなかった。自分も「見にいらっしゃい」とは云いかねた。もっとも彼女の口に上った梅は、どこかの畠から引っこ抜いて来て、そのままそこへ植えたとしか思われない無意味なものであった。  嫂が来ないのとは異様の意味で、また同様の意味で、兄の顔はけっして自分の室の裡に見出されなかった。  父も来なかった。  三沢は時々来た。自分はある機会を利用して、それとなく彼にお重を貰う意があるかないかを探って見た。 「そうだね。あのお嬢さんももう年頃だから、そろそろどこかへ片づける必要が逼って来るだろうね。早く好い所を見つけて嬉しがらせてやりたまえ」  彼はただこう云っただけで、取り合う気色もなかった。自分はそれぎり断念してしまった。  永いようで短い冬は、事の起りそうで事の起らない自分の前に、時雨、霜解、空っ風……と既定の日程を平凡に繰り返して、かように去ったのである。      塵労         一  陰刻な冬が彼岸の風に吹き払われた時自分は寒い窖から顔を出した人のように明るい世界を眺めた。自分の心のどこかにはこの明るい世界もまた今やり過ごした冬と同様に平凡だという感じがあった。けれども呼息をするたびに春の匂が脈の中に流れ込む快よさを忘れるほど自分は老いていなかった。  自分は天気の好い折々室の障子を明け放って往来を眺めた。また廂の先に横わる蒼空を下から透すように望んだ。そうしてどこか遠くへ行きたいと願った。学校にいた時分ならもう春休みを利用して旅へ出る支度をするはずなのだけれども、事務所へ通うようになった今の自分には、そんな自由はとても望めなかった。偶の日曜ですら寝起の悪い顔を一日下宿に持ち扱って、散歩にさえ出ない事があった。  自分は半ば春を迎えながら半ば春を呪う気になっていた。下宿へ帰って夕飯を済ますと、火鉢の前へ坐って煙草を吹かしながら茫然自分の未来を想像したりした。その未来を織る糸のうちには、自分に媚びる花やかな色が、新しく活けた佐倉炭の焔と共にちらちらと燃え上るのが常であったけれども、時には一面に変色してどこまで行っても灰のように光沢を失っていた。自分はこういう想像の夢から突然何かの拍子で現在の我に立ち返る事があった。そうしてこの現在の自分と未来の自分とを運命がどういう手段で結びつけて行くだろうと考えた。  自分が不意に下宿の下女から驚かされたのは、ちょうどこんな風に現実と空想の間に迷ってじっと火鉢に手を翳していた、ある宵の口の出来事であった。自分は自分の注意を己れ一人に集めていたというものか、実際下女の廊下を踏んで来る足音に気がつかなかった。彼女が思いがけなくすうと襖を開けた時自分は始めて偶然のように眼を上げて彼女と顔を見合せた。 「風呂かい」  自分はすぐこう聞いた。これよりほかに下女が今頃自分の室の襖を開けるはずがないと思ったからである。すると下女は立ちながら「いいえ」と答えたなり黙っていた。自分は下女の眼元に一種の笑いを見た。その笑いの中には相手を翻弄し得た瞬間の愉快を女性的に貪りつつある妙な閃があった。自分は鋭く下女に向って、「何だい、突立ったまま」と云った。下女はすぐ敷居際に膝を突いた。そうして「御客様です」とやや真面目に答えた。 「三沢だろう」と自分が云った。自分はある事で三沢の訪問を予期していたのである。 「いいえ女の方です」 「女の人?」  自分は不審の眉を寄せて下女に見せた。下女はかえって澄ましていた。 「こちらへ御通し申しますか」 「何という人だい」 「知りません」 「知りませんって、名前を聞かないでむやみに人の室へ客を案内する奴があるかい」 「だって聞いてもおっしゃらないんですもの」  下女はこう云って、また先刻のような意地の悪い笑を目元で笑った。自分はいきなり火鉢から手を放して立ち上った。敷居際に膝を突いている下女を追い退けるようにして上り口まで出た。そうして土間の片隅にコートを着たまま寒そうに立っていた嫂の姿を見出した。         二  その日は朝から曇っていた。しかも打ち続いた好天気を一度に追い払うように寒い風が吹いた。自分は事務所から帰りがけに、外套の襟を立てて歩きながら道々雨になるのを気遣った。その雨が先刻夕飯の膳に向う時分からしとしとと降り出した。 「好くこんな寒い晩に御出かけでした」  嫂は軽く「ええ」と答えたぎりであった。自分は今まで坐っていた蒲団の裏を返して、それを三尺の床の前に直して、「さあこっちへいらっしゃい」と勧めた。彼女はコートの片袖をするすると脱ぎながら「そうお客扱いにしちゃ厭よ」と云った。自分は茶器を洒がせるために電鈴を押した手を放して、彼女の顔を見た。寒い戸外の空気に冷えたその頬はいつもより蒼白く自分の眸子を射た。不断から淋しい片靨さえ平生とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。 「まあ好いからそこへ坐って下さい」  彼女は自分の云う通りに蒲団の上に坐った。そうして白い指を火鉢の上に翳した。彼女はその姿から想像される通り手爪先の尋常な女であった。彼女の持って生れた道具のうちで、初から自分の注意を惹いたものは、華奢に出来上ったその手と足とであった。 「二郎さん、あなたも手を出して御あたりなさいな」  自分はなぜか躊躇して手を出しかねた。その時雨の音が窓の外で蕭々とした。昼間吹募った西北の風は雨と共にぱったりと落ちたため世間は案外静かになっていた。ただ時を区切って樋を叩く雨滴の音だけがぽたりぽたりと響いた。嫂は平生の通り落ちついた態度で、室の中を見廻しながら「なるほど好い御室ね、そうして静だ事」と云った。 「夜だから好く見えるんです。昼間来て御覧なさい、ずいぶん汚ならしい室ですよ」  自分はしばらく嫂と応対していた。けれども今自白すると腹の中は話の調子で示されるほど穏かなものではけっしてなかった。自分は嫂がこの下宿へ訪ねて来ようとはその時までけっして予期していなかったのである。空想にすら描いていなかったのである。彼女の姿を上り口の土間に見出した時自分ははっと驚いた。そうしてその驚きは喜びの驚きよりもむしろ不安の驚きであった。 「何で来たのだろう。何でこの寒いのにわざわざ来たのだろう。何でわざわざ晩になって灯が点いてから来たのだろう」  これが彼女を見た瞬間の疑惑であった。この疑惑に初手からこだわった自分の胸には、火鉢を隔てて彼女と相対している日常の態度の中に絶えざる圧迫があった。それが自分の談話や調子に不愉快なそらぞらしさを与えた。自分はそれを明かに自覚した。それからその空々しさがよく相手の頭に映っているという事も自覚した。けれどもどうする訳にも行かなかった。自分は嫂に「冴え返って寒くなりましたね」と云った。「雨の降るのに好く御出かけですね」と云った。「どうして今頃御出かけです」と聞いた。対話がそこまで行っても自分の胸に少しの光明を投げなかった時、自分は硬くなった、そうしてジョコンダに似た怪しい微笑の前に立ち竦まざるを得なかった。 「二郎さんはしばらく会わないうちに、急に改まっちまったのね」と嫂が云い出した。 「そんな事はありません」と自分は答えた。 「いいえそうよ」と彼女が押し返した。         三  自分はつと立って嫂の後へ廻った。彼女は半間の床を背にして坐っていた。室が狭いので彼女の帯のあたりはほとんど杉の床柱とすれすれであった。自分がその間へ一足割り込んだ時、彼女は窮屈そうに体躯を前の方へ屈めて「何をなさるの」と聞いた。自分は片足を宙に浮かしたまま、床の奥から黒塗の重箱を取り出して、それを彼女の前へ置いた。 「一つどうです」  こう云いながら蓋を取ろうとすると、彼女は微かに苦笑を洩らした。重箱の中には白砂糖をふりかけた牡丹餅が行儀よく並べてあった。昨日が彼岸の中日である事を自分はこの牡丹餅によって始めて知ったのである。自分は嫂の顔を見て真面目に「食べませんか」と尋ねた。彼女はたちまち吹き出した。 「あなたもずいぶんね、その御萩は昨日宅から持たせて上げたんじゃありませんか」  自分はやむをえず苦笑しながら一つ頬張った。彼女は自分のために湯呑へ茶を注いでくれた。  自分はこの牡丹餅から彼女が今日墓詣りのため里へ行ってその帰りがけにここへ寄ったのだと云う事をようやく確めた。 「大変御無沙汰をしていますが、あちらでも別にお変りはありませんか」 「ええありがとう、別に……」  言葉寡な彼女はただ簡単にこう答えただけであったが、その後へ、「御無沙汰って云えば、あなた番町へもずいぶん御無沙汰ね」と付け加えて、ことさらに自分の顔を見た。  自分は全く番町へは遠ざかっていた。始めは宅の事が苦になって一週に一度か二度行かないと気が済まないくらいだったが、いつか中心を離れてよそからそっと眺める癖を養い出した。そうしてその眺めている間少くとも事が起らずに済んだという自覚が、無沙汰を無事の原因のように思わせていた。 「なぜ元のようにちょくちょくいらっしゃらないの」 「少し仕事の方が忙しいもんですから」 「そう? 本当に? そうじゃないでしょう」  自分は嫂からこう追窮されるのに堪えなかった。その上自分には彼女の心理が解らなかった。他の人はどうあろうとも、嫂だけはこの点において自分を追窮する勇気のないものと今まで固く信じていたからである。自分は思い切って「あなたは大胆過ぎる」と云おうかと思った。けれども疾に相手から小胆と見縊られている自分はついに卑怯であった。 「本当に忙がしいのです。実はこの間から少し勉強しようと思って、そろそろその準備に取りかかったもんですから、つい近頃はどこへも出る気にならないんです。僕はいつまでこんな事をしてぐずぐずしていたってつまらないから、今のうち少し本でも読んでおいて、もう少ししたら外国へでも行って見たいと思ってるんだから」  この答えの後半は本当に自分の希望であった。自分は何でもいいからただ遠くへ行きたい行きたいと願っていた。 「外国って、洋行?」と嫂が聞いた。 「まあそうです」 「結構ね。御父さんに願って早くやって御頂きなさい。妾話して上げましょうか」  自分も無駄と知りながらそんな事を幻のように考えていたのだが、彼女の言葉を聞いた時急に、「お父さんは駄目ですよ」と首を振って見せた。彼女はしばらく黙っていた。やがて物憂そうな調子で「男は気楽なものね」と云った。 「ちっとも気楽じゃありません」 「だって厭になればどこへでも勝手に飛んで歩けるじゃありませんか」         四  自分はいつか手を出して火鉢へあたっていた。その火鉢は幾分か背を高くかつ分厚に拵えたものであったけれども、大きさから云うと、普通の箱火鉢と同じ事なので二人向い合せに手を翳すと、顔と顔との距離があまり近過ぎるくらいの位地にあった。嫂は席に着いた初から寒いといって、猫背の人のように、心持胸から上を前の方に屈めて坐っていた。彼女のこの姿勢のうちには女らしいという以外に何の非難も加えようがなかった。けれどもその結果として自分は勢い後へ反り返る気味で座を構えなければならなくなった。それですら自分は彼女の富士額をこれほど近くかつ長く見つめた事はなかった。自分は彼女の蒼白い頬の色をのごとく眩しく思った。  自分はこういう比較的窮屈な態度の下に、彼女から突如として彼女と兄の関係が、自分が宅を出た後もただ好くない一方に進んで行くだけであるという厭な事実を聞かされた。彼女はこれまでこちらから問いかけなければ、けっして兄の事について口を開かない主義を取っていた。たといこちらから問いかけても「相変らずですわ」とか、「何心配するほどの事じゃなくってよ」とか答えてただ微笑するのが常であった。それをまるで逆さまにして、自分の最も心苦しく思っている問題の真相を、向うから積極的にこちらへ吐きかけたのだから、卑怯な自分は不意に硫酸を浴せられたようにひりひりとした。  しかしいったん緒を見出した時、自分はできるだけ根掘り葉掘り聞こうとした。けれども言葉の浪費を忌む彼女は、そうこちらの思い通りにはさせなかった。彼女の口にするところは重に彼ら夫婦間に横たわる気不味さの閃電に過ぎなかった。そうして気不味さの近因についてはついに一言も口にしなかった。それを聞くと、彼女はただ「なぜだか分らないのよ」というだけであった。実際彼女にはそれが分らないのかも知れなかった。また分っている癖にわざと話さないのかも知れなかった。 「どうせ妾がこんな馬鹿に生れたんだから仕方がないわ。いくらどうしたってなるようになるよりほかに道はないんだから。そう思って諦らめていればそれまでよ」  彼女は初めから運命なら畏れないという宗教心を、自分一人で持って生れた女らしかった。その代り他の運命も畏れないという性質にも見えた。 「男は厭になりさえすれば二郎さん見たいにどこへでも飛んで行けるけれども、女はそうは行きませんから。妾なんかちょうど親の手で植付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。じっとしているだけです。立枯になるまでじっとしているよりほかに仕方がないんですもの」  自分は気の毒そうに見えるこの訴えの裏面に、測るべからざる女性の強さを電気のように感じた。そうしてこの強さが兄に対してどう働くかに思い及んだ時、思わずひやりとした。 「兄さんはただ機嫌が悪いだけなんでしょうね。ほかにどこも変ったところはありませんか」 「そうね。そりゃ何とも云えないわ。人間だからいつどんな病気に罹らないとも限らないから」  彼女はやがて帯の間から小さい女持の時計を出してそれを眺めた。室が静かなのでその蓋を締める音が意外に強く耳に鳴った。あたかも穏かな皮膚の面に鋭い針の先が触れたようであった。 「もう帰りましょう。――二郎さん御迷惑でしたろうこんな厭な話を聞かせて。妾今まで誰にもした事はないのよ、こんな事。今日自分の宅へ行ってさえ黙ってるくらいですもの」  上り口に待っていた車夫の提灯には彼女の里方の定紋が付いていた。         五  その晩は静かな雨が夜通し降った。枕を叩くような雨滴の音の中に、自分はいつまでも嫂の幻影を描いた。濃い眉とそれから濃い眸子、それが眼に浮ぶと、蒼白い額や頬は、磁石に吸いつけられる鉄片の速度で、すぐその周囲に反映した。彼女の幻影は何遍も打ち崩された。打ち崩されるたびに復同じ順序がすぐ繰返された。自分はついに彼女の唇の色まで鮮かに見た。その唇の両端にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号のごとく微かに顫動するのを見た。それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦が、靨に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。  自分はそれくらい活きた彼女をそれくらい劇しく想像した。そうして雨滴の音のぽたりぽたりと響く中に、取り留めもないいろいろな事を考えて、火照った頭を悩まし始めた。  彼女と兄との関係が悪く変る以上、自分の身体がどこにどう飛んで行こうとも、自分の心はけっして安穏であり得なかった。自分はこの点について彼女にもっと具体的な説明を求めたけれども、普通の女のように零砕な事実を訴えの材料にしない彼女は、ほとんど自分の要求を無視したように取り合わなかった。自分は結果からいうと、焦慮されるために彼女の訪問を受けたと同じ事であった。  彼女の言葉はすべて影のように暗かった。それでいて、稲妻のように簡潔な閃を自分の胸に投げ込んだ。自分はこの影と稲妻とを綴り合せて、もしや兄がこの間中癇癖の嵩じたあげく、嫂に対して今までにない手荒な事でもしたのではなかろうかと考えた。打擲という字は折檻とか虐待とかいう字と並べて見ると、忌わしい残酷な響を持っている。嫂は今の女だから兄の行為を全くこの意味に解しているかも知れない。自分が彼女に兄の健康状態を聞いた時、彼女は人間だからいつどんな病気に罹るかも知れないと冷かに云って退けた。自分が兄の精神作用に掛念があってこの問を出したのは彼女にも通じているはずである。したがって平生よりもなお冷淡な彼女の答は、美しい己れの肉に加えられた鞭の音を、夫の未来に反響させる復讐の声とも取れた。――自分は怖かった。  自分は明日にも番町へ行って、母からでもそっと彼ら二人の近況を聞かなければならないと思った。けれども嫂はすでに明言した。彼ら夫婦関係の変化については何人もまだ知らない、また何人にも告げた事がないと明言した。影のような稲妻のような言葉のうちからその消息をぼんやりと焼きつけられたのは、天下に自分の胸がたった一つあるばかりであった。  なぜあれほど言葉の寡ない嫂が自分にだけそれを話し出したのだろうか。彼女は平生から落ちついている。今夜も平生の通り落ちついていた。彼女は昂奮の極訴える所がないので、わざわざ自分を訪うたものとは思えなかった。だいち訴えという言葉からしてが彼女の態度には不似合であった。結果から云えば、自分は先刻云った通りむしろ彼女から焦慮されたのであるから。  彼女は火鉢にあたる自分の顔を見て、「なぜそう堅苦しくしていらっしゃるの」と聞いた。自分が「別段堅苦しくはしていません」と答えた時、彼女は「だって反っ繰り返ってるじゃありませんか」と笑った。その時の彼女の態度は、細い人指ゆびで火鉢の向側から自分の頬ぺたでも突っつきそうに狎れ狎れしかった。彼女はまた自分の名を呼んで、「吃驚したでしょう」と云った。突然雨の降る寒い晩に来て、自分を驚かしてやったのが、さも愉快な悪戯ででもあるかのごとくに云った。……  自分の想像と記憶は、ぽたりぽたりと垂れる雨滴の拍子のうちに、それからそれからととめどもなく深更まで廻転した。         六  それから三四日の間というもの自分の頭は絶えず嫂の幽霊に追い廻された。事務所の机の前に立って肝心の図を引く時ですら、自分はこの祟を払い退ける手段を知らなかった。ある日には始終他人の手を借りて仕事を運んで行くようなはがゆい思さえ加わった。こうして自分で自分を離れた気分を持ちながら、上部だけを人並にやって行くのに傍の者はなぜ不審がらないのだろうと疑ぐって見たりした。自分はよほど前から事務所ではもう快活な男として通用しないようになっていた。ことに近来は口数さえ碌に利かなかった。それでこの三四日間に起った変化もまた他の注意に上らずに済んでいるのだろうと考えた。そうして自己と周囲と全く遮断された人の淋しさを独り感じた。  自分はこの間に一人の嫂をいろいろに視た。――彼女は男子さえ超越する事のできないあるものを嫁に来たその日からすでに超越していた。あるいは彼女には始めから超越すべき牆も壁もなかった。始めから囚われない自由な女であった。彼女の今までの行動は何物にも拘泥しない天真の発現に過ぎなかった。  ある時はまた彼女がすべてを胸のうちに畳み込んで、容易に己を露出しないいわゆるしっかりもののごとく自分の眼に映じた。そうした意味から見ると、彼女はありふれたしっかりものの域を遥に通り越していた。あの落ちつき、あの品位、あの寡黙、誰が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々しいものでもあった。  ある刹那には彼女は忍耐の権化のごとく、自分の前に立った。そうしてその忍耐には苦痛の痕迹さえ認められない気高さが潜んでいた。彼女は眉をひそめる代りに微笑した。泣き伏す代りに端然と坐った。あたかもその坐っている席の下からわが足の腐れるのを待つかのごとくに。要するに彼女の忍耐は、忍耐という意味を通り越して、ほとんど彼女の自然に近いある物であった。  一人の嫂が自分にはこういろいろに見えた。事務所の机の前、昼餐の卓の上、帰り途の電車の中、下宿の火鉢の周囲、さまざまの所でさまざまに変って見えた。自分は他の知らない苦しみを他に言わずに苦しんだ。その間思い切って番町へ出かけて行って、大体の様子を探るのがともかくも順序だとはしばしば胸に浮かんだ。けれども卑怯な自分はそれをあえてする勇気をもたなかった。眼の前に怖い物のあるのを知りながら、わざと見ないために瞼を閉じていた。  すると五日目の土曜の午後に突然父から事務所の電話口まで呼び出された。 「御前は二郎かい」 「そうです」 「明日の朝ちょっと行くが好いかい」 「へえ」 「差支えがあるかい」 「いえ別に……」 「じゃ待っててくれ、好いだろうね。さようなら」  父はそれで電話を切ってしまった。自分は少からず狼狽した。何の用事であるかをさえ確める余裕をもたなかった自分は、電話口を離れてから後悔した。もし用事があるなら呼びつけられそうなものだのにとすぐ変に思っても見た。父が向うから来るという違例な事が、この間の嫂の訪問に何か関係があるような気がして、自分の胸は一層不安になった。  下宿に帰ったら、大阪の岡田から来た一枚の絵端書が机の上に載せてあった。それは彼ら夫婦が佐野とお貞さんを誘って、楽しい半日を郊外に暮らした記念であった。自分は机に向って長い間その絵端書を見つめていた。         七  日曜には思い切って寝坊をする癖のついていた自分も、次の朝だけは割合に早く起きた。飯を済まして新聞を読むと、その新聞が汽車を待ち合せる間に買って、せわしなく眼を通す時のように、何の見るところもないほど、つまらなく感ぜられた。自分はすぐ新聞を棄てた。しかし五六分経たないうちにまたそれを取り上げた。自分は煙草を吸ったり、眼鏡の曇を丁寧に拭ったり、いろいろな所作をして、父の来るのを待ち受けた。  父は容易に来なかった。自分は父の早起をよく承知していた。彼の性急にも子供のうちから善く馴らされていた。落ちつかない自分は、電話でもかけて、どうしたのかこっちから父の都合を聞いて見ようかと思った。  母に狎れ抜いた自分は、常から父を憚っていた。けれども、本当の底を割って見ると、柔和しい母の方が、苛酷しい父よりはかえって怖かった。自分は父に怒られたり小言を云われたりする時に、恐縮はしながらも、やっぱり男は男だと腹の中で思う事がたびたびあった。けれどもこの場合はいつもと違っていた。いくら父でもそう容易く高を括る訳に行かなかった。電話をかけようとした自分はまたかけ得ずにしまった。  父はとうとう十時頃になってやって来た。羽織袴で少しきまり過ぎた服装はしていたが、顔つきは存外穏かであった。小さい時から彼の手元で育った自分は、事のあるかないかを彼の顔色からすぐ判断する功を積んでいた。 「もっと早くおいでだろうと思って先刻から待っていました」 「おおかた床の中で待ってたんだろう。早いのはいくら早くっても驚かないが、御前に気の毒だからわざと遅く出かけたのさ」  父は自分の汲んで出した茶を、飲むように甞めるように、口の所へ持って行って、室の中をじろじろ見廻した。室には机と本箱と火鉢があるだけであった。 「好い室だね」  父は自分達に対してもよくこんな愛嬌を云う男であった。彼が長年社交のために用い慣れた言葉は、遠慮のない家庭にまで、いつか這入り込んで来た。それほど枯れた御世辞だから、それが自分には他の「御早う」ぐらいにしか響かなかった。  彼は三尺の床を覗いてそこに掛けた幅物を眺め出した。 「ちょうど好いね」  その軸は特にここの床の間を飾るために自分が父から借りて来た小形の半切であった。彼が「これなら持って行っても好い」と投げ出してくれただけあって、自分にはちょうど好くも何ともない変なものであった。自分は苦笑してそれを眺めていた。  そこには薄墨で棒が一本筋違に書いてあった。その上に「この棒ひとり動かず、さわれば動く」と賛がしてあった。要するに絵とも字とも片のつかないつまらないものであった。 「御前は笑うがね。これでも渋いものだよ。立派な茶懸になるんだから」 「誰でしたっけね書き手は」 「それは分らないが、いずれ大徳寺か何か……」 「そうそう」  父はそれで懸物の講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、黄檗がどうのと、自分にはまるで興味のない事を説明して聞かせた。しまいに「この棒の意味が解るか」などと云って自分を悩ませた。         八  その日自分は父に伴れられて上野の表慶館を見た。今まで彼に随いてそういう所へ行った事は幾度となくあったが、まさかそのために彼がわざわざ下宿へ誘いに来ようとは思えなかった。自分は父と共に下宿の門を出て上野へ向う途々も、今に彼の口から何か本当の用事が出るに違ないと予期していた。しかしそれをこっちから聞く勇気はとても起らなかった。兄の名も嫂の名も彼の前には封じられた言葉のごとく、自分の声帯を固く括りつけた。  表慶館で彼は利休の手紙の前へ立って、何々せしめ候……かね、といった風に、解らない字を無理にぽつぽつ読んでいた。御物の王羲之の書を見た時、彼は「ふうんなるほど」と感心していた。その書がまた自分には至ってつまらなく見えるので、「大いに人意を強うするに足るものだ」と云ったら、「なぜ」と彼は反問した。  二人は二階の広間へ入った。するとそこに応挙の絵がずらりと十幅ばかりかけてあった。それが不思議にも続きもので、右の端の巌の上に立っている三羽の鶴と、左の隅に翼をひろげて飛んでいる一羽のほかは、距離にしたら約二三間の間ことごとく波で埋っていた。 「唐紙に貼ってあったのを、剥がして懸物にしたのだね」  一幅ごとに残っている開閉の手摺の痕と、引手の取れた部分の白い型を、父は自分に指し示した。自分は広間の真中に立ってこの雄大な画を描いた昔の日本人を尊敬する事を、父の御蔭でようやく知った。  二階から下りた時、父は玉だの高麗焼だのの講釈をした。柿右衛門と云う名前も聞かされた。一番下らないのはのんこうの茶碗であった。疲れた二人はついに表慶館を出た。館の前を掩うように聳えている蒼黒い一本の松の木を右に見て、綺麗な小路をのそのそ歩いた。それでも肝心の用事について、父は一言も云わなかった。 「もうじき花が咲くね」 「咲きますね」  二人はまたのそのそ東照宮の前まで来た。 「精養軒で飯でも食うか」  時計はもう一時半であった。小さい時分から父に伴れられて外出するたびに、きっとどこかで物を食う癖のついた自分は、成人の後も御供と御馳走を引き離しては考えていなかった。けれどもその日はなぜだか早く父に別れたかった。  行きがけに気のつかなかったその精養軒の入口は、五色の旗で隙間なく飾られた綱を、いつの間にか縦横に渡して、絹帽の客を華やかに迎えていた。 「何かあるんですよ今日は。おおかた貸し切りなんでしょう」 「なるほど」  父は立ち留って木の間にちらちらする旗の色を眺めていたが、やがて気のついた風で、「今日は二十三日だったね」と聞いた。その日は二十三日であった。そうしてKという兄の知人の結婚披露の当日であった。 「つい忘れていた。一週間ばかり前に招待状が来ていたっけ。一郎と直と二人の名宛で」 「Kさんはまだ結婚しなかったのですかね」 「そうさ。善く知らないが、まさか二度目じゃなかろうよ」  二人は山を下りてとうとうその左側にある洋食屋に這入った。 「ここは往来がよく見える。ことに寄ると一郎が、絹帽を被って通るかも知れないよ」 「嫂さんもいっしょなんですか」 「さあ。どうかね」  二階の窓際近くに席を占めた自分達は、花で飾られた低い瓶を前に、広々した三橋の通りを見下した。         九  食事中父は機嫌よく話した。しかし用談らしい改まったものは、珈琲を飲むまでついに彼の口に上らなかった。表へ出た時、彼は始めて気のついたらしい顔をして、向う側の白い大きな建物を眺めた。 「やあいつの間にか勧工場が活動に変化しているね。ちっとも知らなかった。いつ変ったんだろう」  白い洋館の正面に金字で書いてある看板の周囲は、無数の旗の影で安価に彩られていた。自分は職業柄、さも仰山らしく東京の真中に立っているこの粗末な建築を、情ない眼つきで見た。 「どうも驚くね世の中の早く変るには。そう思うとおれなぞもいつ死ぬか分らない」  好い日曜なのと時刻が時刻なので、往来は今が人の出盛りであった。華やかな色と、陽気な肉と、浮いた足並の簇がるなかでこう云った父の言葉は、妙に周囲と調和を欠いていた。  自分は番町と下宿と方角の岐れる所で、父に別れようとした。 「用があるのかい」 「ええ少し……」 「まあ好いから宅までおいで」  自分は帽子の鍔へ手をかけたまま躊躇した。 「いいからおいでよ。自分の宅じゃないか。たまには来るものだ」  自分はきまりの悪い顔をして父の後に随がった。父はすぐ後をふり向いた。 「宅じゃ近頃御前が来ないので、みんな不思議がってるんだぜ。二郎はどうしたんだろうって。遠慮が無沙汰というが、御前のは無遠慮が無沙汰になるんだからなお悪い」 「そう云う訳でもありませんが。……」 「何しろ来るが好い。言訳は宅へ行って、御母さんにたんとするさ。おれはただ引っ張って行く役なんだから」  父はずんずん歩いた。自分は腹の中であたかも丁年未満の若者のような自分の態度を苦笑しながら、黙って父と歩調を共にした。その日はこの間とは打って変って、青春の第一日ともいうべき暖かい光を、南へ廻った太陽が自分達の上へ投げかけていた。獺の襟をつけた重いとんびを纏った父も、少し厚手の外套を着た自分も、先刻からの運動で、少し温気に蒸される気味であった。その春の半日を自分は父の御蔭で、珍らしく方々引っ張り廻された。この老いた父と、こう肩を並べて歩いた例は近頃とんとなかった。この老いた父とこれから先もう何度こうして歩けるものかそれも分らなかった。  自分は鈍い不安のうちに、微かな嬉しさと、その嬉しさに伴う一種のはかなさとを感じた。そうして不意に自分の胸を襲ったこの感傷的な気分に、なるべく己れを任せるような心持で足を運ばせた。 「御母さんは驚いているよ。御彼岸に御萩を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」  自分は何とも返事をしなかった。 「今日は久しぶりに御前を伴れて行って皆なに会わせようと思って。――御前一郎に近頃会った事はあるまい」 「ええ実は下宿をする時挨拶をしたぎりです」 「それ見ろ。ところが今日はあいにく一郎が留守だがね。御父さんが上野の披露会の事を忘れていたのが悪かったけれども」  自分は父に伴れられて、とうとう番町の門を潜った。         十  座敷に這入った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々父の情をありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言で打ち崩されたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子が帰って来た」と云った。嫂はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡な挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。自分も人前を憚って一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧謔と誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰山でかつ滑稽に聞えた。 「春になったから、皆なもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠でさえ立派な家が建つ時節じゃないか」  桐畠というのは家のつい近所にある角地面の名であった。そこへ住まうと何か祟があるという昔からの言い伝えで、この間まで空地になっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請を始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々と傍のものに話し掛けた。平生彼の居馴染んだ室は、奥の二間続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。ただ袴と羽織を脱ぎ棄てたなり、そこへ坐ったまま、長く自分達を相手に喋舌っていた。  久しく住み馴れた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すような趣があった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子戸はたいてい二重に鎖されて、庭の苔を残酷に地面から引き剥す霜が一面に降っていた。今はその外側の仕切がことごとく戸袋の中に収められてしまった。内側も左右に開かれていた。許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。樹も苔も石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。すべてが出る時と趣を異にしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。  自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母や妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名は先刻からまだ一度も誰の会話にも上らなかった。自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞いた。自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。自分は自分の前にいる嫂を見て、彼女が披露の席に臨まないという事だけを確めた。  自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。同時に彼の名が出て来るのを憚った。そうした心持でみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。  自分はしばらくしてお重に「お重お前の室をちょっと御見せ。綺麗になったって威張ってたから見てやろう」と云った。彼女は「当り前よ、威張るだけの事はあるんだから行って御覧なさい」と答えた。自分は下宿をするまで朝夕寝起きをした、家中で一番馴染の深い、故のわが室を覗きに立った。お重は果して後から随いて来た。         十一  彼女の室は自慢するほど綺麗にはなっていなかったけれども、自分の住み荒した昔に比べると、どこかになまめいた匂いが漂よっていた。自分は机の前に敷いてある派出な模様の座蒲団の上に胡坐をかいて、「なるほど」と云いながらそこいらを見廻した。  机の上には和製のマジョリカ皿があった。薔薇の造り花がセゼッション式の一輪瓶に挿してあった。白い大きな百合を刺繍にした壁飾りが横手にかけてあった。 「ハイカラじゃないか」 「ハイカラよ」  お重の澄ました顔には得意の色が見えた。  自分はしばらくそこでお重に調戯っていた。五六分してから彼女に「近頃兄さんはどうだい」とさも偶然らしく問いかけて見た。すると彼女は急に声を潜めて、「そりゃ変なのよ」と答えた。彼女の性質は嫂とは全く反対なので、こう云う場合には大変都合が好かった。いったん緒口さえ見出せば、あとはこっちで水を向ける必要も何もなかった。隠す事を知らない彼女は腹にある事をことごとく話した。黙って聞いていた自分にもしまいには蒼蠅いほどであった。 「つまり兄さんが家のものとあんまり口を利かないと云うんだろう」 「ええそうよ」 「じゃ僕の家を出た時と同じ事じゃないか」 「まあそうよ」  自分は失望した。考えながら、煙草の灰をマジョリカ皿の中へ遠慮なくはたき落した。お重は厭な顔をした。 「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」  自分は嫂ほどに頭のできていないお重から、何も得るところのないのを覚って、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。  その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目に研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓った後「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室の中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉は今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。 「妾説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思って吃驚りしたわ。兄さんは後で仏蘭西の何とかいう人のやった実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いから罹らないんだって云うのよ。妾嬉しかったわ」 「なぜ」 「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」 「そんなに厭かい」 「きまってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんな事をしちゃ」  自分もおかしいうちに何だか気味の悪い心持がした。座敷へ帰って来ると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。父と母は差し向いになって小さな声で何か話し合っていた。その様子が今しがた自分一人で家中を陽気にした賑やかな人の様子とも見えなかった。「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞えた。 「あれじゃ困りますよ」という声も聞えた。         十二  自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らの挙げた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在を苦にしているらしく見えて、はなはだ痛々しかった。彼ら(ことに母)は兄一人のために宅中の空気が湿っぽくなるのを辛いと云った。尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁がないと暗に主張しているらしく思われた。したがって自分が彼らの前に坐っている間、彼らは兄を云々するほか、何人の上にも非難を加えなかった。平生から兄に対する嫂の仕打に飽き足らない顔を見せていた母でさえ、この時は彼女についてついに一口も訴えがましい言葉を洩らさなかった。  彼らの不平のうちには、同情から出る心配も多量に籠っていた。彼らは兄の健康について少からぬ掛念をもっていた。その健康に多少支配されなければならない彼の精神状態にも冷淡ではあり得なかった。要するに兄の未来は彼らにとって、恐ろしいXであった。 「どうしたものだろう」  これが相談の時必ず繰り返されべき言葉であった。実を云えば、一人一人離れている折ですら、胸の中でぼんやり繰り返して見るべき二人の言葉であった。 「変人なんだから、今までもよくこんな事があったには有ったんだが、変人だけにすぐ癒ったもんだがね。不思議だよ今度は」  兄の機嫌買を子供のうちから知り抜いている彼らにも、近頃の兄は不思議だったのである。陰欝な彼の調子は、自分が下宿する前後から今日まで少しの晴間なく続いたのである。そうしてそれがだんだん険悪の一方に向って真直に進んで行くのである。 「本当に困っちまうよ妾だって。腹も立つが気の毒でもあるしね」  母は訴えるように自分を見た。  自分は父や母と相談のあげく、兄に旅行でも勧めて見る事にした。彼らが自分達の手際ではとても駄目だからというので、自分は兄と一番親密なHさんにそれを頼むが好かろうと発議して二人の賛成を得た。しかしその頼み役には是非共自分が立たなければ済まなかった。春休みにはまだ一週間あった。けれども学校の講義はもうそろそろしまいになる日取であった。頼んで見るとすれば、早くしなければ都合が悪かった。 「じゃ二三日うちに三沢の所へ行って三沢からでも話して貰うかまた様子によったら僕がじかに行って話すか、どっちかにしましょう」  Hさんとそれほど懇意でない自分は、どうしても途中に三沢を置く必要があった。三沢は在学中Hさんを保証人にしていた。学校を出てからもほとんど家族の一人のごとく始終そこへ出入していた。  帰りがけに挨拶をしようと思って、ちょっと嫂の室を覗いたら、嫂は芳江を前に置いて裸人形に美しい着物を着せてやっていた。 「芳江大変大きくなったね」  自分は芳江の頭へ立ちながら手をかけた。芳江はしばらく顔を見なかった叔父に突然綾されたので、少しはにかんだように唇を曲げて笑っていた。門を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。父は久しぶりだから飯でも食って彼に会って行けと云ったが、自分はとうとうそれまで腰を据えていられなかった。         十三  翌日自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。 「この両三日はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」  主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧な言葉で自分に話し掛けた。  彼の室は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁も何にもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼り付けたのもあった。 「何だか存じませんが、好だものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚の上に、丸い壺と並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。  それには女の首が描いてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼の柔かに湿ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂を画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。 「あれもこの間いたずらに描きましたので」  三沢は画の上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。 「面白いです」と云った。 「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」  油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻りの御嬢さんであった。彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言も口にしなかった。女の精神病に罹った事にもまるで触れなかった。自分もそれを聞く気は起らなかった。かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。  問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移って行った。彼の母は嬉しそうであった。 「あれもいろいろ御心配をかけましたが、今度ようやくきまりまして……」  この間三沢から受取った手紙に、少し一身上の事について、君に話があるからそのうち是非行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。自分は彼の母に対して、ただ人並の祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きな滴るほどに潤った眼をもっているだろうか、それが何より先に確めて見たかった。  三沢は思ったほど早く帰らなかった。彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと云って、何なら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断った。しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほど実が入らなかった。  三沢にどうだろうと云った自分の妹のお重は、まだどこへ行くともきまらずにぐずぐずしている。そういう自分もお重と同じ事である。せっかく身の堅まった兄と嫂は折り合わずにいる。――こんな事を対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。         十四  そのうち三沢が帰って来た。近頃は身体の具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵して陽気であった。自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。 「君どうかしたか」  彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。 「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」  この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭を眺めていた。 「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精しい話ができて」  三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起ったが、しばらくするとまた襖の陰から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今支度をしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走を受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据えていた。そうして本棚の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。 「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」  三沢の母は召使に膳を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端には古そうに見える九谷焼の猪口が載せてあった。  それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁歩るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。  Hさんは銘仙の着物に白い縮緬の兵児帯をぐるぐる巻きつけたまま、椅子の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥っていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語を操つる時のように、鈍かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終にこにこしているように見えた。  彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍から見るとさも窮屈そうな姿勢の下に、夷然として落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にも逆らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。 「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」  悠長な彼はこう云って自分の吐いた煙草の煙を眺めていた。         十五  やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後に随いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻った。 「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」  彼の不審はけっして偽とは見えなかった。彼は昨日Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。 「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」  わがままに育った兄は、平生から家で気むずかしい癖に、外では至極穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重にどんな話をしたか、差支えない限りそれを聞こうと試みた。 「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」  これも嘘ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭に覚えていて、それを最も淡泊な態度で話してくれた。  兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利や亜米利加で流行る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。  兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。 「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」  Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。 「だからこの際旅行は至極好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」  Hさんの言葉には自信がなかった。 「あなたのおっしゃる事なら素直に聞くだろうと思うんですが」 「そうも行かんさ」  Hさんは苦笑していた。  表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆なそぞろ歩きでもするように、長閑かに履物の音を響かして行った。空には星の光が鈍かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。         十六  自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑し始めた一週間の後になっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭になった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。 「どうも旨く行かないそうだ」  事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。 「それでわざわざ来てくれたのかい」 「まあそうだ」 「どうも御苦労さま、すまない」  自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。 「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」  自分はこういう慰藉をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜んでいた。 「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」  自分はとうとう諦めた。三沢は何にも批評せずに、机の角に肱を突き立てて、その上に顋を載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。  この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰り途に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。  彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。  自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。 「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」 「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」  彼は実際心当りがあるような口を利いた。近いうち彼の娶るべき女からでも聞いたのだろう。  彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。 「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」 「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」 「結婚式はいつだい」 「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」  彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。         十七  四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉しがるこの花の時節を無為に送った。しかし月が替って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。  家へはその後一回も足を向けなかった。家からも誰一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書がまた一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼さんの署名があった。  自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間同日午後一時より御来聴被下度候此段御案内申進候也」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。それよりも自分の気分に転化の刺戟を与えたのは、三沢が余事のごとく名宛のあとへ付け足した、短い報知であった。 「Hさんは嘘を吐かない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げ次第、二人はどこかへ旅をする事に約束ができたそうだ」  自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。偽りの嫌いな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。  自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。Hさんに向ってもその消息を確める手段を取らなかった。ただ三沢の口からもう少し精しいところを聞かせて貰いたかった。それも今度会った時で構わないという気があるので、彼の是非来いという六月二日が暗に待ち受けられた。  六月二日はあいにく雨であった。十一時頃には少し歇んだが、季節が季節なのでからりとは晴れなかった。往来を行く人は傘をさしたり畳んだりした。見附外の柳は煙のように長い枝を垂れていた。その下を通ると、青白い粉か黴が着物にくっついていつまでも落ちないように感ぜられた。  雅楽所の門内には俥がたくさん並んでいた。馬車も一二台いた。しかし自動車は一つも見えなかった。自分は玄関先で帽子を人に渡した。その人は金の釦鈕のついた制服のようなものを着ていた。もう一人の人が自分を観覧席へ連れて行ってくれた。 「そこいらへおかけなすって」  彼はそう云ってまた玄関の方へ帰って行った。椅子はまだ疎らに占領されているだけであった。自分はなるべく人の眼に着かないように後列の一脚に腰を下した。         十八  自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。もっとも見所は正面のほか左右両側面にもあった。自分は玄関から左へ突き当って右へ折れて金屏風の立ててある前を通って正面席に案内されたのである。自分の前には紋付の女が二三人いた。後にはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。そのほか六七人そこここに散点していた。  自分から一席置いて隣の二人連は、舞台の正面にかかっている幕の話をしていた。それには雅楽に何の縁故もなさそうに見える変な紋が、竪に何行も染め出されていた。 「あれが織田信長の紋ですよ。信長が王室の式微を慨いて、あの幕を献上したというのが始まりで、それから以後は必ずあの木瓜の紋の付いた幕を張る事になってるんだそうです」  幕の上下は紫地に金の唐草の模様を置いた縁で包んであった。  幕の前を見ると、真中に太鼓が据えてあった。その太鼓には緑や金や赤の美しい彩色が施されてあった。そうして薄くて丸い枠の中に入れてあった。左の端には火熨斗ぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣るしてあった。そのほかには琴が二面あった。琵琶も二面あった。  楽器の前は青い毛氈で敷きつめられた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。そうしてその途切れた四五尺の空間からは日も射し風も通うようにできていた。  自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客は一人二人と絶えず集まって来た。その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、傍にいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。この丸い小さな人がKという公爵である事を、自分は後で三沢から教わった。  その三沢は舞楽の始まるやっと五六分前にフロックコートでやって来て、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊躇していたが、自分の顔を見つけるや否や、すぐ傍へ来て腰をかけた。  彼と前後して一人の背の高い若い男が、年頃の女を二人連れて、やはり正面席へ這入って来た。男はフロックコートを着ていた。女は無論紋付であった。その男と伴の女の一人が顔立から云ってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹である事を覚った。彼らは人の頭を五六列越して、三沢と挨拶を交換した。男の顔にはできるだけの愛嬌が湛えられた。女は心持顔を赤くした。三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分達の傍へは来なかった。 「あれが僕の妻になるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。自分は腹の中で、あの夢のような大きな黒い眼の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二三間前に今席を取った色沢の好いお嬢さんとを比較した。彼女は自分にただ黒い髪と白い襟足とを見せて坐っていた。それも人の影に遮られて自由には見られなかった。 「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で云いかけた。それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙片と万年筆を取り出した。彼はすぐそれへ何か書き始めた。正面の舞台にはもう楽人が現われた。         十九  彼らは帽子とも頭巾とも名の付けようのない奇抜なものを被っていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦で作ったのようなものを着ていた。そのには骨がないので肩のあたりは柔かな線でぴたりと身体に付いていた。袖には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足してあった。彼らはみな白の括り袴を穿いていた。そうして一様に胡坐をかいた。  三沢は膝の上で何か書きかけた白い紙をくちゃくちゃにした。自分はそのくちゃくちゃになった紙の塊りを横から眺めた。彼は一言の説明も与えずに正面を見た。青い毛氈の上に左の帳の影から現われたものは鉾をもっていた。これも管絃を奏する人と同じく錦の袖無を着ていた。  三沢はいつまで経っても「もう一人の女はね」の続きを云わなかった。観覧席にいるものはことごとく静粛であった。隣同志で話をするのさえ憚かられた。自分は仕方なしに催促を我慢した。三沢も空とぼけて澄ましていた。彼は自分と同じようにここへは始めて顔を出したので、少し硬くなっているらしかった。  舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラム通り、単調で上品な手足の運動を飽きもせずに進行させて行った。けれども彼らの服装は、題の改まるごとに、閑雅な上代の色彩を、代る代る自分達の眼に映しつつ過ぎた。あるものは冠に桜の花を挿していた。紗の大きな袖の下から燃えるような五色の紋を透かせていた。黄金作の太刀も佩いていた。あるものは袖口を括った朱色の着物の上に、唐錦のちゃんちゃんを膝のあたりまで垂らして、まるで錦に包まれた猟人のように見えた。あるものは簑に似た青い衣をばらばらに着て、同じ青い色の笠を腰に下げていた。――すべてが夢のようであった。われわれの祖先が残して行った遠い記念の匂いがした。みんなありがたそうな顔をしてそれを観ていた。三沢も自分も狐に撮ままれた気味で坐っていた。  舞楽が一段落ついた時に、御茶を上げますと誰かが云ったので周囲の人は席を立って別室に動き始めた。そこへ先刻三沢と約束の整ったという女の兄さんが来て、物馴れた口調で彼と話した。彼はこういう方面に関係のある男と見えて、当日案内を受けた誰彼をよく知っていた。三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えて貰った。  別室には珈琲とカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。普通の会の時のように、無作法なふるまいは見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女は坐ったなり席を立たないのがあった。三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御嬢さんの所へ持って行った。自分はチョコレートの銀紙を剥しながら、敷居の上に立って、遠くからその様子を偸むように眺めていた。  三沢の細君になるべき人は御辞義をして、珈琲茶碗だけを取ったが、菓子には手を触れなかった。いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易く手を出さなかった。三沢は盆を持ったまま、引く事もできず進む事もできない態度で立っていた。女の顔が先刻見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充ちていた。         二十  自分は先刻から「もう一人の女」に特別の注意を払っていた。それには三沢の様子や態度が有力な原因となって働いていたに違ないが、単独に云っても、彼女は自分の視線を引着けるに足るほどな好い器量をもっていたのである。自分は彼女と三沢の細君になるべき人との後姿を、舞楽の相間相間に絶えず眺めた。彼らは自分の坐っている所から、ことさらな方向に眸子を転ずる事なしに、自然と見られるように都合の好い地位に坐っていた。  こうして首筋ばかり眺めていた自分は今比較的自由な場所に立って、彼らの顔立を筋違に見始めた。あるいは正面に動く機会が来るかも知れないと思った時、自分はチョコレートを頬張りながら、暗にその瞬間を捉える注意を怠らなかった。けれどもその女も三沢の意中の人も、ついにこっちを向かなかった。自分はただ彼らの容貌を三分の二だけ側面から遠くに望んだ。  そのうち三沢はまた盆を持ってこっちへ帰って来た。自分の傍を通る時、彼は微笑しながら、「どうだい」と云った。自分はただ「御苦労さま」と挨拶した。後から例の背の高い兄さんがやって来た。 「どうです、あちらへいらしって煙草でも御呑みになっちゃ。喫煙室はあすこの突き当りです」  自分は三沢との間に緒口のつきかけた談話はこれでまた流れてしまった。二人は彼に導かれて喫煙室に這入った。煙と男子に占領された比較的狭いその室は思ったより賑かであった。  自分はその一隅にただ一人の知った顔を見出した。それは伶人の姓をもった眼の大きい男であった。ある協会の主要な一員として、舞台の上で巧にその大きな眼を利用する男であった。彼は台詞を使う時のような深い声で、誰かと話していたが、ほとんど自分達と入れ代りぐらいに、喫煙室を出て行った。 「とうとう役者になったんだそうだ」 「儲かるのかね」 「ええ儲かるんだろう」 「この間何とかをやるという事が新聞に出ていたが、あの人なんですか」 「ええそうだそうです」  彼の去った後で、室の中央にいた三人の男はこんな話をしていた。三沢の知人は自分達にその三人の名を教えてくれた。そのうちの二人は公爵で、一人は伯爵であった。そうして三人が三人とも公卿出の華族であった。彼らの会話から察すると、三人ながらほとんど劇という芸術に対して何の知識も興味ももっていないようであった。  我々はまた元の席に帰って二三番の欧洲楽を聞いた後、ようやく五時頃になって雅楽所を出た。周囲に人がいなくなった時、三沢はようやく「もう一人の女」の事について語り始めた。彼の考えは自分が最初から推察した通りであった。 「どうだい、気に入らないかね」 「顔は好いね」 「顔だけかい」 「あとは分らないが、しかし少し旧式じゃないか。何でも遠慮さえすればそれが礼儀だと思ってるようだね」 「家庭が家庭だからな。しかしああいうのが間違がないんだよ」  二人は土手に沿うて歩いた。土手の上の松が雨を含んで蒼黒く空に映った。         二十一  自分は三沢と飽かず女の話をした。彼の娶るべき人は宮内省に関係のある役人の娘であった。その伴侶は彼女と仲の好い友達であった。三沢は彼女と打ち合せをして、とくに自分のためにその人を誘い出したのであった。自分はその人の家族やら地位やら教育やらについて得らるる限りの知識を彼から供給して貰った。  自分は本末を顛倒した。雅楽所で三沢に会うまでは、Hさんと兄とがこの夏いっしょにするという旅行の件を、その日の問題として暗に胸の中に畳み込んでいた。雅楽所を出る時は、それがほんのつけたりになってしまった。自分はいよいよ彼に別れる間際になって、始めて四つ角の隅に立った。 「兄の事も今日君に会ったらよく聞こうと思っていたんだが、いよいよHさんの云う通りになったんだね」 「Hさんはわざわざ僕を呼び寄せてそう云ったくらいなんだから間違はないさ。大丈夫だよ」 「どこへ行くんだろう」 「そりゃ知らない。――どこだって好いじゃないか、行きさいすりゃあ」  遠くから見ている三沢の眼には、兄の運命が最初からそれほどの問題になっていなかった。 「それより片っ方のほうを積極的にどしどし進行させようじゃないか」  自分は一人下宿へ帰る途々、やはり兄と嫂の事を考えない訳に行かなかった。しかしその日会った女の事もあるいは彼ら以上に考えたかも知れない。自分は彼女と一言も口を交えなかった。自分はついに彼女の声を聞き得なかった。三沢は自然が二人を視線の通う一室に会合させたという事実以外に、わざとらしい痕迹を見せるのは厭だと云って、紹介も何もしなかった。彼はそう云って後から自分に断った。彼の遣口は、彼女に取っても自分に取っても、面倒や迷惑の起り得ないほど単簡で淡泊なものであった。しかしそれだから物足りなかった。自分はもう少し何とかして貰いたかった。「しかし君の意志が解らなかったから」と三沢は弁解した。そう云われて見ると、そうでもあった。自分はあれ以上、女をめがけて進んで行く考えはなかったのだから。  それから二三日は女の顔を時々頭の中で見た。しかしそれがために、また会いたいの焦慮るのという熱は起らなかった。その当日のぱっとした色彩が剥げて行くに連れて、番町の方が依然として重要な問題になって来た。自分はなまじい遠くから女の匂いを嗅いだ反動として、かえってじじむさくなった。事務所の往復に、ざらざらした頬を撫でて見て、手もなく電車に乗った貉のようなものだと悲観したりした。  一週間ほど経って母から電話がかかった。彼女は電話口へ出て、昨日Hさんが遊びに来た事を告げた。嫂が風邪気なので、彼女が代理として饗応の席に出たら、Hさんが兄といっしょに旅行する話を始めたと告げた。彼女は喜ばしそうな調子で、自分に礼を述べた。父からも宜しくとの事であった。自分は「いい案排でした」と答えた。  自分はその晩いろいろ考えた。自分は旅行が兄のために有利であると認めたから、Hさんを煩わして、これだけの手続を運んだのであるが、真底を自白すると、自分の最も苦に病んでいるのは、兄の自分に対する思わくであった。彼は自分をどう見ているだろうか。どのくらいの程度に自分を憎んでいるだろう、また疑っているだろう。そこが一番知りたかった。したがって自分の気になるのは未来の兄であると同時に現在の兄であった。久しく彼と会見の路を絶たれた自分は、その現在の兄に関する直接の知識をほとんどもたなかった。         二十二  自分は旅行に出る前のHさんに一応会っておく必要を感じた。こっちで頼んだ事を順に運んでくれた好意に対して、礼を云わなければすまない義理も控えていた。  自分は事務所の帰りがけにまた彼の玄関に立って名刺を出した。取次が奥へ這入ったかと思うと、彼は例のむくむくした丸い体躯を、自分の前に運んで来た。 「実は今あしたの講義で苦しんでいるところなんですがね。もし急用でなければ、今日は御免を蒙りたい」  学者の生活に気のつかなかった自分は、Hさんのこの言葉で、急に兄の日常を想い起した。彼らの書斎に立籠るのは、必ずしも家庭や社会に対する謀反とも限らなかった。自分はHさんに都合の好い日を聞いて、また出直す事にした。 「じゃ御気の毒だが、そうして下さい。なるべく早く講義を切り上げて、兄さんといっしょに旅行しようと云う訳なんだからね」  自分はHさんの前に丁寧な頭を下げなければならなかった。  彼の家を再度訪問れたのは、それからまた二三日経った梅雨晴の夕方であった。肥った彼は暑いと云って浴衣の胸を胃の上部まで開け放って坐っていた。 「さあどこへ行くかね。まだ海とも山ともきめていないんだが」  Hさんだけあって行く先などはとんと苦にしていないらしかった。自分もそれには無頓着であった。けれども……。 「少しそれについて御願があるんですが」  家庭の事情の一般は、この間三沢と来た時、すでにHさんの耳に入れてしまった。しかし兄と自分との間に横たわる一種特別な関係については、まだ一言も彼に告げていなかった。しかしそれはいつまで経ってもHさんの前で自分から打ち明るべき性質のものでないと自分は考えていた。親しい三沢の知識ですら、そこになるとほとんど臆測に過ぎなかった。Hさんは三沢からその臆測の知識を間接に受けているかも知れなかったけれども、こっちから露骨に切り出さない以上、その信偽も程度も、まるで確める訳に行かなかった。  自分は兄から今どう見られているか、どう思われているか、それが知りたくって仕方がなかった。それを知るために、この際Hさんの助を借りようとすれば、勢い万事を彼の前に投げ出して見せなければならなかった。自分が三沢に何事も云わずに、あたかも彼を出し抜いたような態度で、たった一人こうしてHさんを訪問するのも、実はその用事の真相をなるべく他に知らせたくないからであった。しかし三沢に対してさえ、良心に気兼をするような用事の真相なら、それをHさんの前で云われるはずがなかった。  自分はやむをえず特殊な問題を一般的に崩してしまった。 「はなはだ御迷惑かも知れませんが、兄といっしょに旅行される間、兄の挙動なり言語なり、思想なり感情なりについて、あなたの御観察になったところを、できるだけ詳しく書いて報知していただく訳には行きますまいか。その辺が明瞭になると、宅でも兄の取扱上大変便宜を得るだろうと思うんですが」 「そうさね。絶対にできない事もないが、ちっとむずかしそうですね。だいち時間がないじゃないか、君、そんな事をする。よし時間があっても、必要がないだろう。それより僕らが旅行から帰ったらゆっくり聞きに来たら好いじゃありませんか」         二十三  Hさんの云うところはもっともであった。自分は下を向いてしばらく黙っていたが、とうとう嘘を吐いた。 「実は父や母が心配して、できるなら旅行中の模様を、経過の一段落ごとに承知したいと云うんですが……」  自分は困った顔をした。Hさんは笑い出した。 「君そんなに心配する事はありませんよ。大丈夫だよ、僕が受け合うよ」 「しかし年寄ですから……」 「困るね、それじゃ。だから年寄は嫌いなんだ。宅へ行ってそう云いたまえな、大丈夫だって」 「何とか好い工夫はないもんでしょうか。あなたの御迷惑にならないで、そうして、父や母を満足させるような」  Hさんはまたにやにや笑っていた。 「そんな重宝な工夫があるものかね、君。――しかしせっかくの御依頼だからこうしよう。もし旅先で報道するに足るような事が起ったら、君の所へ手紙を上げると。もし手紙が行かなかったら、平生の通りだと思って安心していると。それでよかろう」  自分はこれより以上Hさんに望む事はできなかった。 「それで結構です。しかし出来事という意味を俗にいう不慮の出来事と取らずに、あなたが御観察になる兄の感情なり思想のうちで、これは尋常でないと御気づきになったものに応用していただけましょうか」 「なかなか面倒だね、事が。しかしまあいいや、そうしてもいい」 「それからことによると、僕の事だの母の事だの、家庭の事などが兄の口に上るかも知れませんが、それを御遠慮なく一々聞かしていただきたいと思いますが」 「うん、そりゃ差支えない限り知らせて上げましょう」 「差支えがあっても構わないから聞かしていただきたい。それでないと宅のものが困りますから」  Hさんは黙って煙草を吹かし出した。自分は弱輩の癖に多少云い過ぎた事に気がついた。手持無沙汰の感じが強く頭に上った。Hさんは庭の方を見ていた。その隅に秋田から家主が持って来て植えたという大きな蕗が五六本あった。雨上りの初夏の空がいつまでも明るい光を地の上に投げているので、その太い蕗の茎がすいすいと薄暗い中に青く描かれていた。 「あすこへ大きな蟇が出るんですよ」とHさんが云った。  しばらく世間話をした後で、自分は暗くならないうちに席を立とうとした。 「君の縁談はどうなりました。この間三沢が来て、好いのを見つけてやったって得意になっていましたよ」 「ええ三沢もずいぶん世話好ですから」 「ところが万更世話好ばかりでやってるんでもないようですよ。だから君も好い加減に貰っちまったら好いじゃありませんか。器量は悪かないって話じゃないか。君には気に入らんのかね」 「気に入らんのじゃありません」  Hさんは「はあやっぱり気に入ったのかい」と云って笑い出した。自分はHさんの門を出て、あの事も早くどうかしなければ、三沢に対して義理が悪いと考えた。しかし兄の問題が一段落でも片づいてくれない以上、とうていそっちへ向ける心の余裕は出なかった。いっそ一思いにあの女の方から惚れ込んでくれたならなどと思っても見た。         二十四  自分はまた三沢を尋ねた。けれども腹をきめてから尋ねた訳でないから、実際上どんな歩調も前に動かす気にはなれなかった。自分の態度はどこまでもぐずぐずであった。そうしてただ漫然とその女の話をした。 「どうするね」  こう聞かれると、結局要領を得た何の挨拶もできなかった。 「僕は職業の上ではふわふわして浪人のように暮しているが、家庭の人としてなら、これでも一定の方針に支配されて、着々固まって行きつつあるつもりだ。ところが君はまるで反対だね。一家の主人となるとか、他の夫になるとかいう方面には、故意に意志の働きを鈍らせる癖に、職業の問題になると、手っ取早く片づけて、ちゃんと落ちついているんだから」 「あんまり落ちついてもいないさ」  自分は大阪の岡田から受取った手紙の中に、相応な位地があちらにあるから来ないかという勧誘があったので、ことによったら今の事務所を飛び出そうかと考えていた。 「ついこの間までは洋行するってしきりに騒いでいたじゃないか」  三沢は自分の矛盾を追窮した。自分には西洋も大阪も変化としてこの際大した相違もなかった。 「そう万事的にならなくっちゃ駄目だ。僕だけ君の結婚問題を真面目に考えるのは馬鹿馬鹿しい訳だ。断っちまおう」  三沢はだいぶ癪に障ったらしく見えた。自分はまた自分が癪に障ってならなかった。 「いったい先方ではどういうんだ。君は僕ばかり責めるがね、僕には向うの意志が少しも解らないじゃないか」 「解るはずがないよ。まだ何にも話してないんだもの」  三沢は少し激していた。そうして激するのがもっともであった。彼は女の父兄にも女自身にも、自分の事をまだ一口も告げていなかった。どう間違っても彼らの体面に障りようのない事情の下に、女と自分を御互の視線の通う範囲内に置いただけであった。彼の処置には少しも人工的な痕迹を留めない、ほとんど自然そのままの利用に過ぎないというのが彼の大いなる誇りであった。 「君の考えが纏まらない以上はどうする事もできないよ」 「じゃもう少し考えて見よう」  三沢は焦慮たそうであった。自分も自分が不愉快であった。  Hさんと兄がいっしょの汽車で東京を去ったのは、自分が三沢の所へ出かけてから、一週間と経たないうちであった。自分は彼らの立つ時刻も日限も知らずにいた。三沢からもHさんからも何の通知を受取らなかった自分は、家からの電話で始めてそれを聞いた。その時電話口へは思いがけなく嫂が出て来た。 「兄さんは今朝お立ちよ。お父さんがあなたへ知らせておけとおっしゃるから、ちょっと御呼び申しました」  嫂の言葉は少し改まっていた。 「Hさんといっしょなんでしょうね」 「ええ」 「どこへ行ったんですか」 「何でも伊豆の海岸を廻るとかいう御話しでした」 「じゃ船ですか」 「いいえやっぱり新橋から……」         二十五  その日自分は下宿へ帰らずに、事務所からすぐ番町へ廻った。昨日まで恐れて近寄らなかったのに、兄の出立と聞くや否や、すぐそちらへ足を向けるのだから、自分の行為はあまりに現金過ぎた。けれども自分はそれを隠す気もなかった。隠さなければすまない人は、宅に一人もいないように思われた。  茶の間には嫂が雑誌の口絵を見ていた。 「今朝ほどは失礼」 「おや吃驚したわ、誰かと思ったら、二郎さん。今京橋から御帰り?」 「ええ、暑くなりましたね」  自分は手帛を出して顔を拭いた。それから上着を脱いで畳の上へ放り出した。嫂は団扇を取ってくれた。 「御父さんは?」 「御父さんは御留守よ。今日は築地で何かあるんですって」 「精養軒?」 「じゃないでしょう。多分ほかの御茶屋だと思うんだけれども」 「お母さんは?」 「お母さんは今御風呂」 「お重は?」 「お重さんも……」  嫂はとうとう笑いかけた。 「風呂ですか」 「いいえ、いないの」  下女が来て氷の中へ莓を入れるかレモンを入れるかと尋ねた。 「宅じゃもう氷を取るんですか」 「ええ二三日前から冷蔵庫を使っているのよ」  気のせいか嫂はこの前見た時よりも少し窶れていた。頬の肉が心持減ったらしかった。それが夕方の光線の具合で、顔を動かす時に、ちらりちらりと自分の眼を掠めた。彼女は左の頬を縁側に向けて坐っていたのである。 「兄さんはそれでもよく思い切って旅に出かけましたね。僕はことによると今度もまた延ばすかも知れないと思ってたんだが」 「延ばしゃなさらないわよ」  嫂はこういう時に下を向いた。そうしていつもよりも一層落ちついた沈んだ低い声を出した。 「そりゃ兄さんは義理堅いから、Hさんと約束した以上、それを実行するつもりだったには違ないけれども……」 「そんな意味じゃないのよ。そんな意味じゃなくって、そうして延ばさないのよ」  自分はぽかんとして彼女の顔を見た。 「じゃどんな意味で延ばさないんです」 「どんな意味って、――解ってるじゃありませんか」  自分には解らなかった。 「僕には解らない」 「兄さんは妾に愛想を尽かしているのよ」 「愛想づかしに旅行したというんですか」 「いいえ、愛想を尽かしてしまったから、それで旅行に出かけたというのよ。つまり妾を妻と思っていらっしゃらないのよ」 「だから……」 「だから妾の事なんかどうでも構わないのよ。だから旅に出かけたのよ」  嫂はこれで黙ってしまった。自分も何とも云わなかった。そこへ母が風呂から上って来た。 「おやいつ来たの」  母は二人坐っているところを見て厭な顔をした。         二十六 「もう好い加減に芳江を起さないとまた晩に寝ないで困るよ」  嫂は黙って起った。 「起きたらすぐ湯に入れておやんなさいよ」 「ええ」  彼女の後姿は廊下を曲って消えた。 「芳江は昼寝ですか、どうれで静だと思った」 「先刻何だか拗ねて泣いてたら、それっきり寝ちまったんだよ。何ぼなんでも、もう五時だから、好い加減に起してやらなくっちゃ……」  母は不平らしい顔をしていた。  自分はその日珍しく宅の食卓に向って、晩餐の箸を取った。築地の料理屋か待合へ呼ばれたという父は、無論帰らなかったけれども、お重は予定通り戻って来た。 「おい早く来て坐らないか。みんな御前の湯から上るのを待ってたんだ」  お重は縁側へぺたりと尻を着けて団扇で浴衣の胸へ風を入れていた。 「そんなに急き立てなくったってよかないの。たまに来たお客さまの癖に」  お重はつんとしてわざと鼻の先の八つ手の方を向いていた。母はまた始まったという笑の裡に自分を見た。自分はまた調戯たくなった。 「御客さまだと思うなら、そんな大きなお尻を向けないで、早くここへ来てお坐りよ」 「蒼蠅いわよ」 「いったいこの暑いのに、一人でどこをほっつき歩いてたんだい」 「どこでも余計な御世話よ。ほっつき歩くだなんて、第一言葉使からしてあなたは下品よ。――好いわ、今日坂田さんの所へ行って、兄さんの秘密をすっかり聞いて来たから」  お重は兄の事を大兄さん、自分の事をただ兄さんと呼んでいた。始めはちい兄さんと云ったのだが、そのちいを聞くたびに妙な不快を感ずるので、自分はとうとうちいだけを取らしてしまった。 「好くってみんなに話しても」  お重は湯で火照った顔をぐるりと自分の方に向けた。自分は瞬きを二つ続けざまにした。 「だって御前は今兄さんの秘密だと明言したじゃないか」 「ええ秘密よ」 「秘密なら話してよくないにきまってるじゃないか」 「それを話すから面白いのよ」  自分はお重の無鉄砲が、何を云い出すか分らないと思って腹の中では辟易した。 「お重御前は論理学でいうコントラジクション・イン・タームス、という事を知らないだろう」 「よくってよ。そんな高慢ちきな英語なんか使って、他が知らないと思って」 「もう二人とも止しにおしよ。何だね面白くもない、十五六の子供じゃあるまいし」  母はとうとう二人を窘なめた。自分もそれを好い機にすぐ舌戦を切り上げた。お重も団扇を縁側へ投げ出しておとなしく食卓に着いた。  局面が一転した後なので、秘密らしい秘密は、食事中ついにお重の口から洩れる機会がなかった。母も嫂もまるでそれには取り合う気色も見せなかった。平吉という男が裏から出て来て、庭に水を打った。「まだそう燥いていないんだから、好い加減にしておおき」と母が云っていた。         二十七  その晩番町を出たのは灯火が点いてまだ間もない宵の口であった。それでも飯を済ましてから約一時間半ほどは、そこへ坐り込んだまま、みんなを相手に喋舌っていた。  自分はその一時間半の間に、とうとうお重から例の秘密をあばかれる羽目に陥った。しかしそれが自分に取っては、秘密でも何でもない例の結婚問題だったので、自分はかえって安心した。 「御母さん、兄さんは妾達に隠れてこの間見合をなすったんですって」 「隠れて見合なんかするものか」  自分は母がまだ何とも云わないうちにお重の言葉を遮った。 「いいえたしかな筋からちゃんと聞いて来たんだから、いくら白ばっくれてももう駄目よ」  たしかな筋というような一種の言葉が、お重の口から出るのを聞いたとき、自分は思わず苦笑した。 「馬鹿だなお前は」 「馬鹿でもいいわよ」  お重は六月二日の出来事を母や嫂に向ってべらべら喋舌り出した。それがなかなか精しいので自分は少し驚いた。どこからその知識を得て来たのだろうという好奇心が強く自分の反問を促した。けれどもお重はただ意地の悪い微笑を洩らすのみで、けっして出所を告げなかった。 「兄さんが妾達に黙っているのは、きっと打ち明けて云い悪い訳があるからなのよ。ね、そうでしょう、兄さん」  お重は自分の好奇心を満足させないのみか、かえって向うからこっちを嬲りにかかった。自分は「どうでも好いや」と云った。母から真面目に事の顛末を聞かれた時、自分は簡単にありのままを答えた。 「ただそれだけの事なんです。しかも向じゃ全く知らないんだからそのつもりでいて下さい。お重見たいに好い加減な事を云い触らすと、僕はどうでも構わんにしたところで、先方が迷惑するかも知れませんから」  母は先方が迷惑がるはずがないという顔つきで、むやみに細かい質問を始めた。しかし財産がどのくらいあるんだろうとか、親類に貧乏人があるだろうかとか、あるいは悪い病気の系統を引いていやしなかろうかと云うような事になると、自分にはまるで答えられなかった。のみならずしまいには聞くのさえ面倒で厭になって来た。自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。  自分がその夜母からいろいろな質問を掛けられている間、嫂は始終同じ席にいたが、この問題に関してはほとんど一言も口を開かなかった。母も彼女に向ってついぞ相談がましい言葉をかけなかった。二人のこの態度が、二人の気質をよく代表していた。しかしそれは単に気質の相違からばかり来た一種の対照とも思えなかった。嫂は全くの局外者らしい位地を守るためか何だか、始終芳江のおもりに気を取られ勝に見えた。日が暮れさえすればすぐ寝かされる習慣の芳江は、昼寝を貪り過ぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊帳の中へ這入らなかった。  自分は下宿へ帰って、自分の室の暑苦しいのを意外に感じた。わざと電気灯を消して暗い所に黙って坐っていた。今朝立った兄は今日どこで泊るだろう。Hさんは今夜彼とどんな話をするだろう。鷹揚なHさんの顔が自然と眼の前に浮かんだ。それと共に瘠せた兄の頬に刻まれた久しぶりの笑が見えた。         二十八  その翌日からHさんの手紙が心待に待ち受けられた。自分は一日、二日、三日と指を折って日取を勘定し始めた。けれどもHさんからは何の音信もなかった。絵端書一枚さえ来なかった。自分は失望した。Hさんに責任を忘れるような軽薄はなかった。しかしこちらの予期通り律義にそれを果してくれないほどの大悠はあった。自分は自烈たい部に属する人間の一人として遠くから彼を眺めた。  すると二人が立ってからちょうど十一日目の晩に、重い封書が始めて自分の手に落ちた。Hさんは罫の細かい西洋紙へ、万年筆で一面に何か書いて来た。頁の数から云っても、二時間や三時間でできる仕事ではなかった。自分は机の前に縛りつけられた人形のような姿勢で、それを読み始めた。自分の眼には、この小さな黒い字の一点一劃も読み落すまいという決心が、焔のごとく輝いた。自分の心は頁の上に釘づけにされた。しかも雪を行く橇のように、その上を滑って行った。要するに自分はHさんの手紙の最初の頁の第一行から読み始めて、最後の頁の最終の文句に至るまでに、どのくらいの時間が要ったかまるで知らなかった。  手紙は下のように書いてあった。 「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれた事を、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなって見ると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのは好もしい事でなかろう、――こういう考えでいました。旅行を始めてから一日二日は、この三つの事情のすべてかあるいは幾分かが常に働くので、これではせっかくの約束も反古にしなければならないという気が強く募りました。それが三日四日となった時、少し考えさせられました。五日六日と日を重ねるに従って、考えるばかりでなく、約束通りあなたに手紙を上げるのが、あるいは必要かも知れないと思うようになりました。もっともここにいう必要という意味が、あなたと私とで、だいぶ違うかも知れませんが、それはこの手紙をしまいまで御読みになれば解る事ですから、説明はしません。それから当初私の抱いた好もしくないという倫理上の感じ、これはいくら日数を経過しても取去る訳には行きませんが、片方にある必要の度が、自然それを抑えつけるほど強くなって来た事もまた確であります。おそらく手紙を書いている暇があるまい。――この故障だけは始めあなたに申上げた通りどこまでもつけ纏って離れませんでした。我々二人はいっしょの室に寝ます、いっしょの室で飯を食います、散歩に出る時もいっしょです、湯も風呂場の構造が許す限りは、いっしょに這入ります。こう数え立てて見ると、別々に行動するのは、まあ厠に上る時ぐらいなものなのですから。  無論我々二人は朝から晩までのべつに喋舌り続けている訳ではありません。御互が勝手な書物を手にしている時もあります、黙って寝転んでいる事もあります。しかし現にその人のいる前で、その人の事を知らん顔で書いて、そうしてそれをそっと他に知らせるのはちょっと私にとってはでき悪いのです。書くべき必要を認め出した私も、これには弱りました。いくら書く機会を見つけよう見つけようと思っても、そんな機会の出て来るはずがないのですから。しかし偶然はついに私の手を導いて、私に私の必要と認める仕事をさせるようにしてくれました。私はそれほど兄さんに気兼をせずに、この手紙を書き初めました。そうして同じ状態の下に、それを書き終る事を希望します。         二十九  我々は二三日前からこの紅が谷の奥に来て、疲れた身体を谷と谷の間に放り出しました。いる所は私の親戚のもっている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立てて宜しいと云った言葉を、はからず旅行中に利用する訳になったのであります。  別荘というと大変人聞が好いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏[#「吏」は底本では「史」]の住居です。しかし田舎だけに邸内の地面には多少の余裕があります。庭だか菜園だか分らないものが、軒から爪下りに向うの垣根まで続いています。その垣には珊瑚樹の実が一面に結っていて、葉越に隣の藁屋根が四半分ほど見えます。  同じ軒の下から谷を隔てて向うの山も手に取るように見えます。この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣の色が樹の間から見えたり、女の声が崖の上で響いたりします。その崖の頂には高い松が空を突くように聳えています。我々は低い軒の下から朝夕この松を見上るのを、高尚な課業のように心得て暮しています。  今まで通って来たうちで、君の兄さんにはここが一番気に入ったようです。それにはいろいろな意味があるかも知れませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人になりすまされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ちつきを与えるのが、その大原因だろうと思います。今までどこへ泊ってもよく寝られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寝ます。現に今私がこうやって万年筆を走らしている間も、ぐうぐう寝ています。  もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終膝を突き合わして、一つの部屋にごろごろしていないですむ事です。家は今申した通り手狭至極なものであります。門を出て右の坂上にある或る長者の拵えた西洋館などに比べると全くの燐寸箱に過ぎません。それでも垣を囲らして四方から切り離した独立の一軒家です。窮屈ではあるが間数は五つほどあります。兄さんと私は一つ座敷に吊った一つ蚊帳の中に寝ます。しかし宿屋と違って同じ時間に起きる必要はありません。片方が起きても、片方は寝たいだけ寝ていられます。私は兄さんをそっとしておいて、次の座敷に据えてある一閑張の机に向う事ができます。昼もその通りです。二人差向いでいるのが苦痛になれば、どっちかが勝手に姿を隠して、自分に都合のいい事を、好な時間だけやります。それから適当な頃にまた出て来て顔を見せます。  私はこういう偶然を利用してこの手紙を書くのであります。そうしてこの偶然を思いがけなく利用する事のできた自分を、あなたのために仕合せと考えます。同時に、それを利用する必要を認め出した自分を、自分のために遺憾だと思います。  私のいう事は順序からいうと日記体に纏まっておりません。分類からいうと科学的に区別が立たないかも知れません。しかしそれは汽車、俥、宿、すべて規則的な仕事を妨げる旅行というものの障害と、平気で取りかかりにくいというその仕事の性質とが、破壊的に働いた結果と思っていただくより仕方がありません。断片的にせよ下に述べるだけの事をあなたに報道し得るのがすでに私には意外なのであります。全く偶然の御蔭なのであります。         三十  我々は二人とも大した旅行癖のない男です。したがって我々の編み上げた旅程もまた経験相応に平凡でした。近くて便利な所を人並に廻って歩けば、それで目的の大半は達せられるくらいな考えで、まず相模伊豆辺をぼんやり心がけました。  それでも私の方が兄さんよりはまだましでした。私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんに至ってはほとんど地理や方角を超越していました。兄さんは国府津が小田原の手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。これほど一方に無頓着な兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せる事ができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。しかしそれは余事です。話が逸れると戻り悪くなりますから、なるべく本流を伝って、筋を離れないように進む事にしましょう。  我々は始め逗子を基点として出発する事に相談をきめていました。ところがその朝新橋へ駆けつける俥の上で、ふと私の考えが変りました。いかに平凡な旅行にしても、真先に逗子へ行くのは、あまりに平凡過ぎて気が進まなくなったのです。私は停車場で兄さんに相談の仕直しをやりました。私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺へ出て、それから山越に伊東の方へ下りようと云いました。小田原と国府津の後先さえ知らない兄さんに異存のあるはずがないので、我々はすぐ沼津までの切符を買って、そのまま東海道行の汽車に乗り込みました。  汽車中では報知に値するような事が別に起りませんでした。先方へ着いても、風呂へ入ったり、飯を食ったり、茶を飲んだりする間は、これといって目に着く点もなかったのです。私は兄さんについて、これはことによると家族の人の参考のために、知らせておく必要があるかも知れないと思い出したのは、その日の晩になってからであります。  寝るには早過ぎました。話にはもう飽きました。私は旅行中に誰でも経験する一種の徒然に襲われました。ふと床の間の脇を見ると、そこに重そうな碁盤が一面あったので、私はすぐそれを室の真中へ持ち出しました。無論兄さんを相手に黒白を争うつもりでした。あなたは御存じだかどうだか知りませんが、私は学校にいた時分、これでよく兄さんと碁を打ったものです。その後二人とも申し合せたように、ぴたりとやめてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面白く過ごすには碁盤が屈強の道具に違なかったのです。  兄さんはしばらく碁盤を眺めていました。そうしておいて「まあ止そう」と云いました。私は思い込んだ勢いで、「そう云わずにやろうじゃないか」と押し返しました。それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と云います。兄さんの顔を見ると、眼と眉の間に変な表情がありました。それが何の碁なんぞと云った風の軽蔑または無頓着を示していないのですから、私はちょっと異な心持がしました。しかし無理に強いるのも厭ですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打手違に、盤の上に並べ始めました。兄さんは少しの間それを見ていました。私がなお黙って打ち続けて行きますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。         三十一  案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。そうして突然「やろう」というや否や、自分の手から、碁石をぎ取るように引っ手繰りました。私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下すのも早いし、勝負の片づくのも雑作はありません。一時間のうちに悠に二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対っていても、間怠い思いはけっしてないのです。ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。  床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのは固より、何をするのも厭だったのだそうです。同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ち出せば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。それでやむをえず盤に向ったのです。盤に向うや否や自烈たくなったのです。しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃに掻き乱して、この魔物を追払うところだったと云いました。何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪い事をしたと思いました。 「いや碁に限った訳じゃない」と云って兄さんは、自分の過失を許してくれました。私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。兄さんの態度は碁を中途でやめた時ですら落ちついていました。上部から見ると何の異状もない兄さんの心持は、おそらくあなた方には理解されていないかも知れません。少くともこういう私には一つの発見でした。  兄さんは書物を読んでも、理窟を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。 「自分のしている事が、自分の目的になっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。 「目的でなくっても方便になれば好いじゃないか」と私が云います。 「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。  兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走けると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖くて怖くてたまらないと云います。         三十二  私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものが朧気ながら眼の前に浮かんで来ました。私は兄さんのために好い慰藉を見出したと思いました。 「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚ればそれまでじゃないか。つまりそう流転して行くのが我々の運命なんだから」  私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温るいものでありました。鋭い兄さんの眼から出る軽侮の一瞥と共に葬られなければなりませんでした。兄さんはこう云うのです。 「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまで伴れて行かれるか分らない。実に恐ろしい」 「そりゃ恐ろしい」と私も云いました。  兄さんは笑いました。 「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」  私は兄さんの言葉に一毫も虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はとてもできません。 「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は云いました。 「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。その上下のような事も云いました。 「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間乃至一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君は嘘かと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」 「それはいけない。もっと気を楽にしなくっちゃ」 「いけないぐらいは自分にも好く解っている」  私は兄さんの前で黙って煙草を吹かしていました。私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。私はすべてその他の事を忘れました。今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君の方が僕より偉い」と云いました。私は思想の上において、兄さんこそ私に優れていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉しいともありがたいとも思う気は起りませんでした。私はやはり黙って煙草を吹かしていました。兄さんはだんだん落ちついて来ました。それから二人とも一つ蚊帳に這入って寝ました。         三十三  翌日も我々は同じ所に泊っていました。朝起き抜けに浜辺を歩いた時、兄さんは眠っているような深い海を眺めて、「海もこう静かだと好いね」と喜びました。近頃の兄さんは何でも動かないものが懐かしいのだそうです。その意味で水よりも山が気に入るのでした。気に入ると云っても、普通の人間が自然を楽しむ時の心持とは少し違うようです。それは下に挙げる兄さんの言葉で御解りになるでしょう。 「こうして髭を生やしたり、洋服を着たり、シガーを銜えたりするところは上部から見ると、いかにも一人前の紳士らしいが、実際僕の心は宿なしの乞食みたように朝から晩までうろうろしている。二六時中不安に追いかけられている。情ないほど落ちつけない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと眼を上げて向う側を見ると、いかにも苦のなさそうな顔に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念の萌さないぽかんとした顔に注ぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟を総身に受ける。僕の心は旱魃に枯れかかった稲の穂が膏雨を得たように蘇える。同時にその顔――何も考えていない、全く落ちつき払ったその顔が、大変気高く見える。眼が下っていても、鼻が低くっても、雑作はどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬虔の念をもって、その顔の前に跪ずいて感謝の意を表したくなる。自然に対する僕の態度も全く同じ事だ。昔のようにただうつくしいから玩ぶという心持は、今の僕には起る余裕がない」  兄さんはその時電車のなかで偶然見当る尊い顔の部類の中へ、私を加えました。私は思いも寄らん事だと云って辞退しました。すると兄さんは真面目な態度でこう云いました。 「君でも一日のうちに、損も得も要らない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君の事を云うんだ。その時に限るのだ」  兄さんはこう云われても覚束なく見える私のために、具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜二人が床に入る前の私を取って来てその例に引きました。兄さんはあの折談話の機でつい興奮し過ぎたと自白しました。しかし私の顔を見たときに、その激した心の調子がしだいに収まったと云うのです。私が肯おうと肯うまいと、それには頓着する必要がない、ただその時の私から好い影響を受けて、一時的にせよ苦しい不安を免かれたのだと、兄さんは断言するのです。  その時の私は前云った通りです。ただ煙草を吹かして黙っていただけです。私はその時すべての事を忘れました。独り兄さんをどうにかしてこの不安の裡から救って上げたいと念じました。けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさせようという気は無論ありませんでした。だから何にも云わずに黙って煙草を吹かしていたのです。しかしそこに純粋な誠があったのかも知れません。兄さんはその誠を私の顔に読んだのでしょうか。  私は兄さんと砂浜の上をのそりのそりと歩きました。歩きながら考えました。兄さんは早晩宗教の門を潜って始めて落ちつける人間ではなかろうか。もっと強い言葉で同じ意味を繰り返すと、兄さんは宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうか。         三十四 「君近頃神というものについて考えた事はないか」  私はしまいにこういう質問を兄さんにかけました。私がここでとくに「近頃」と断ったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。その時分は二人共まだ考えの纏まらない青二才でしたが、それでも私は思索に耽り勝な兄さんと、よく神の存在について云々したものであります。ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変っていました。兄さんは浮々と散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気がつくと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。歩こうと思えば歩くのが自分に違ないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意に湧いて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。  二人はそんな事から神とか第一原因とかいう言葉をよく使いました。今から考えると解らずに使ったのでした。しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐になりました。それから二人とも申し合せたように黙りました。黙ってから何年目になるでしょう。私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きな器の前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。  しかし兄さんはその言葉を全く忘れていました。思い出す気色さえありませんでした。私の質問に対する返事としては、ただ微かな苦笑があの皮肉な唇の端を横切っただけでした。  私は兄さんのこの態度で辟易するほどに臆病ではありませんでした。また思う事を云い終せずに引込むほど疎い間柄でもありませんでした。私は一歩前へ進みました。 「どこの馬の骨だか分らない人間の顔を見てさえ、時々ありがたいという気が起るなら、円満な神の姿を束の間も離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるか知れないじゃないか」 「そんな意味のない口先だけの論理が何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるが好い」  兄さんの調子にも兄さんの眉間にも自烈たそうなものが顫動していました。兄さんは突然足下にある小石を取って二三間波打際の方に馳け出しました。そうしてそれを遥の海の中へ投げ込みました。海は静かにその小石を受け取りました。兄さんは手応のない努力に、憤りを起す人のように、二度も三度も同じ所作を繰返しました。兄さんは磯へ打ち上げられた昆布だか若布だか、名も知れない海藻の間を構わず駈け廻りました。それからまた私の立って見ている所へ帰って来ました。 「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」  兄さんはこう云うのです。そうして苦しそうに呼息をはずませていました。私は兄さんを連れて、またそろそろ宿の方へ引き返しました。 「車夫でも、立ん坊でも、泥棒でも、僕がありがたいと思う刹那の顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自然、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」  兄さんからこう論じかけられた私は、ただ「なるほど」と答えるだけでした。兄さんはその時は物足りない顔をします。しかし後になるとやっぱり私に感心したような素振を見せます。実を云うと、私の方が兄さんにやり込められて感心するだけなのですが。         三十五  我々は沼津で二日ほど暮しました。ついでに興津まで行こうかと相談した時、兄さんは厭だと云いました。旅程にかけては、万事私の思いのままになっている兄さんが、なぜその時に限って断然私の申し出を拒絶したものか、私にはとんと解りませんでした。後でその説明を聞いたら、三保の松原だの天女の羽衣だのが出て来る所は嫌いだと云うのです。兄さんは妙な頭をもった人に違ありません。  我々はついに三島まで引き返しました。そこで大仁行の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺へ行きました。兄さんには始めからこの温泉が大変気に入っていたようです。しかし肝心の目的地へ着くや否や、兄さんは「おやおや」という失望の声を放ちました。実際兄さんの好いていたのは、修善寺という名前で、修善寺という所ではなかったのです。瑣事ですが、これも幾分か兄さんの特色になりますからついでにつけ加えておきます。  御承知の通りこの温泉場は、山と山が抱合っている隙間から谷底へ陥落したような低い町にあります。一旦そこへ這入った者は、どっちを見ても青い壁で鼻が支えるので、仕方なしに上を見上げなければなりません。俯向いて歩いたら、地面の色さえ碌に眼には留まらないくらい狭苦しいのです。今まで海よりも山の方が好いと云っていた兄さんは、修善寺へ来て山に取り囲まれるが早いか、急に窮屈がり出しました。私はすぐ兄さんを伴れて、表へ出て見ました。すると、普通の町ならまず往来に当る所が、一面の川床で、青い水が岩に打つかりながらその中を流れているのです。だから歩くと云っても、歩きたいだけ歩く余地は無論ありませんでした。私は川の真中の岩の間から出る温泉に兄さんを誘い込みました。男も女もごちゃごちゃに一つ所に浸っているのが面白かったからです。不潔な事も話の種になるくらいでした。兄さんと私はさすがにそこへ浴衣を投げ棄てて這入る勇気はありませんでした。しかし湯の中にいる黒い人間を、岩の上に立って物好らしくいつまでも眺めていました。兄さんは嬉しそうでした。岩から岸に渡した危ない板を踏みながら元の路へ引き返す時に、兄さんは「善男善女」という言葉を使いました。それが雑談半分の形容詞でなく、全くそう思われたらしいのです。  翌朝楊枝を銜えながら、いっしょに内風呂に浸った時、兄さんは「昨夕も寝られないで困った」と云いました。私は今の兄さんに取って寝られないが一番毒だと考えていましたので、ついそれを問題にしました。 「寝られないと、どうかして寝よう寝ようと焦るだろう」と私が聞きました。 「全くそうだ、だからなお寝られなくなる」と兄さんが答えました。 「君、寝なければ誰かにすまない事でもあるのか」と私がまた聞きました。  兄さんは変な顔をしました。石で畳んだ風呂槽の縁に腰をかけて、自分の手や腹を眺めていました。兄さんは御存じの通り余り肥ってはいません。 「僕も時々寝られない事があるが、寝られないのもまた愉快なものだ」と私が云いました。 「どうして」と今度は兄さんが聞きました。私はその時私の覚えていた灯影無睡を照し心清妙香を聞くという古人の句を兄さんのために挙げました。すると兄さんはたちまち私の顔を見てにやにや笑いました。 「君のような男にそういう趣が解るかね」と云って、不審そうな様子をしました。         三十六  その日私はまた兄さんを引張り出して今度は山へ行きました。上を見て山に行き、下を向いて湯に入る、それよりほかにする事はまずない所なのですから。  兄さんは痩せた足を鞭のように使って細い道を達者に歩きます。その代り疲れる事もまた人一倍早いようです。肥った私がのそのそ後から上って行くと、木の根に腰をかけて、せえせえ云っています。兄さんのは他を待ち合せるのではありません。自分が呼息を切らしてやむをえずに斃れるのです。  兄さんは時々立ち留まって茂みの中に咲いている百合を眺めました。一度などは白い花片をとくに指して、「あれは僕の所有だ」と断りました。私にはそれが何の意味だか解りませんでしたが、別に聞き返す気も起らずに、とうとう天辺まで上りました。二人でそこにある茶屋に休んだ時、兄さんはまた足の下に見える森だの谷だのを指して、「あれらもことごとく僕の所有だ」と云いました。二度まで繰り返されたこの言葉で、私は始めて不審を起しました。しかしその不審はその場ですぐ晴らす訳に行きませんでした。私の質問に対する兄さんの答は、ただ淋しい笑に過ぎなかったのです。  我々はその茶店の床几の上で、しばらく死んだように寝ていました。その間兄さんは何を考えていたか知りません。私はただ明らかな空を流れる白い雲の様子ばかり見ていました。私の眼はきらきらしました。しだいに帰り途の暑さが想いやられるようになりました。私は兄さんを促してまた山を下りました。その時です。兄さんが突然後から私の肩をつかんで、「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、どこから離れているのだろう」と聞いたのは。私は立ちどまると同時に、左の肩を二三度強く小突き廻されました。私は身体に感ずる動揺を、同じように心でも感じました。私は平生から兄さんを思索家と考えていました。いっしょに旅に出てからは、宗教に這入ろうと思って這入口が分らないで困っている人のようにも解釈して見ました。私が心に動揺を感じたというのは、はたして兄さんのこの質問が、そういう立場から出たのであろうかと迷ったからです。私はあまり物に頓着しない性質です。またあまり物に驚かない、いたって鈍な男です。けれども出立前あなたからいろいろ依頼を受けたため、兄さんに対してだけは、妙に鋭敏になりたがっていました。私は少し平気の道を踏み外しそうになりました。 「Keine Brcke fhrt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)」  私はつい覚えていた独逸の諺を返事に使いました。無論半分は問題を面倒にしない故意の作略も交っていたでしょうが。すると兄さんは、「そうだろう、今の君はそうよりほかに答えられまい」と云うのです。私はすぐ「なぜ」と聞き返しました。 「自分に誠実でないものは、けっして他人に誠実であり得ない」  私は兄さんのこの言葉を、自分のどこへ応用して好いか気がつきませんでした。 「君は僕のお守になって、わざわざいっしょに旅行しているんじゃないか。僕は君の好意を感謝する。けれどもそういう動機から出る君の言動は、誠を装う偽りに過ぎないと思う。朋友としての僕は君から離れるだけだ」  兄さんはこう断言しました。そうして私をそこへ取残したまま、一人でどんどん山道を馳け下りて行きました。その時私も兄さんの口を迸しる Einsamkeit, du meine Heimat Einsamkeit !(孤独なるものよ、汝はわが住居なり)という独逸語を聞きました。         三十七  私は心配しいしい宿へ帰りました。兄さんは室の真ん中に蒼い顔をして寝ていました。私の姿を見ても口を利きません、動きもしません。私は自然を尊む人を、自然のままにしておく方針を取りました。私は静かに兄さんの枕元で一服しました。それから気持の悪い汗を流すために手拭を持って風呂場へ行きました。私が湯槽の縁に立って身体を清めていると、兄さんが後からやって来ました。二人はその時始めて物を云い合いました。私は「疲れたろう」と聞きました。兄さんは「疲れた」と答えました。  午の膳に向う頃から兄さんの機嫌はだんだん回復して来ました。私はついに兄さんに向って、先刻山途で二人の間に起った芝居がかりの動作に云い及びました。兄さんは始めのうちは苦笑していました。しかししまいには居住居を直して真面目になりました。そうして実際孤独の感に堪えないのだと云い張りました。私はその時始めて兄さんの口から、彼がただに社会に立ってのみならず、家庭にあっても一様に孤独であるという痛ましい自白を聞かされました。兄さんは親しい私に対して疑念を持っている以上に、その家庭の誰彼を疑っているようでした。兄さんの眼には御父さんも御母さんも偽の器なのです。細君はことにそう見えるらしいのです。兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。 「一度打っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆らわない。僕が打てば打つほど向はレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒を小羊の上に洩らすと同じ事だ。夫の怒を利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥に残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕に打たれた時、起って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言でも云い争ってくれなかったと思う」  こういう兄さんの顔は苦痛に充ちていました。不思議な事に兄さんはこれほど鮮明に自分が細君に対する不快な動作を話しておきながら、その動作をあえてするに至った原因については、具体的にほとんど何事も語らないのです。兄さんはただ自分の周囲が偽で成立していると云います。しかもその偽を私の眼の前で組み立てて見せようとはしません。私は何でこの空漠な響をもつ偽という字のために、兄さんがそれほど興奮するかを不審がりました。兄さんは私が偽という言葉を字引で知っているだけだから、そんな迂濶な不審を起すのだと云って、実際に遠い私を窘なめました。兄さんから見れば、私は実際に遠い人間なのです。私は強いて兄さんから偽の内容を聞こうともしませんでした。したがって兄さんの家庭にはどんな面倒な事情が縺れ合っているか、私にはとんと解りません。好んで聞くべき筋でもなし、また聞いておかないでも、家庭の一員たるあなたには報道の必要のない事と思いましたから、そのままにしてすましました。ただ御参考までに一言注意しておきますが、兄さんはその時御両親や奥さんについて、抽象的ながら云々されたにかかわらず、あなたに関しては、二郎という名前さえ口にされませんでした。それからお重さんとかいう妹さんの事についても何にも云われませんでした。         三十八  私が兄さんにマラルメの話をしたのは修善寺を立って小田原へ来た晩の事です。専門の違うあなただから、あるいは失礼にもなるまいと思って書き添えますが、マラルメと云うのは有名な仏蘭西の詩人の名前です。こういう私も実はその名前だけしか知らないのです。だから話と云ったところで作物の批評などではありません。東京を立つ前に、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと眼を通したら、そのうちにこの詩人の逸話があったのを、面白いと思って覚えていたので、私はついそれを挙げて、兄さんの反省を促して見たくなったのです。  このマラルメと云う人にも多くの若い崇拝者がありました。その人達はよく彼の家に集まって、彼の談話に耳を傾ける宵を更したのですが、いかに多くの人が押しかけても、彼の坐るべき場所は必ず暖炉の傍で、彼の腰をおろすのは必ず一箇の揺椅ときまっていました。これは長い習慣で定められた規則のように、誰も犯すものがなかったという事です。ところがある晩新しい客が来ました。たしか英吉利のシモンズだったという話ですが、その客は今日までの習慣をまるで知らないので、どの席もどの椅子も同じ価と心得たのでしょう、当然マラルメの坐るべきかの特別の椅子へ腰をかけてしまいました。マラルメは不安になりました。いつものように話に実が入りませんでした。一座は白けました。 「何という窮屈な事だろう」  私はマラルメの話をした後で、こういう一句の断案を下しました。そうして兄さんに向って、「君の窮屈な程度はマラルメよりも烈しい」と云いました。  兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥っています。兄さんには甲でも乙でも構わないという鈍なところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合なりが、ぴたりと兄さんの思う坪に嵌らなければ肯がわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩を進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中より遥に進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも智的にも乃至倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌むのです。だからただのわがままとは違うでしょう。椅子を失って不安になったマラルメの窮屈ではありますまい。  しかし苦しいのはあるいはそれ以上かも知れません。私はどうかしてその苦みから兄さんを救い出したいと念じているのです。兄さんも自分でその苦しみに堪え切れないで、水に溺れかかった人のように、ひたすら藻掻いているのです。私には心のなかのその争いがよく見えます。しかし天賦の能力と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの眼を、ただ落ちつきを与える目的のために、再び昧くしなければならないという事が、人生の上においてどんな意義になるでしょうか。よし意義があるにしたところで、人間としてできうる仕事でしょうか。  私はよく知っていました。考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二字が、最後の手段として、躍り叫んでいる事を知っていました。         三十九 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」  兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。 「しかし宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」  兄さんは立って縁側へ出ました。そこから見える海を手摺に倚ってしばらく眺めていました。それから室の前を二三度行ったり来たりした後、また元の所へ帰って来ました。 「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ、(この手や足さえ、)遠慮なく僕を裏切るくらいだから」  兄さんのこの言葉は、好い加減な形容ではないのです。昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、けっして前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那刹那にぽつぽつと中断されるのです。食事中一分ごとに電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違ありません。しかし中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんはつまるところ二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑のように朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです。  私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番気高いと云った兄さんの心を理解する事ができました。兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭です。しかし考えた御蔭でこの境界には這入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。  私はとうとう兄さんの前に神という言葉を持ち出しました。そうして意外にも突然兄さんから頭を打たれました。しかしこれは小田原で起った最後の幕です。頭を打たれる前にまだ一節ありますから、まずそれから御報知しようと思います。しかし前にも申した通り、あなたと私とはまるで専門が違いますので、私の筆にする事が、時によると変に物識めいた余計な云い草のように、あなたの眼に映るかも知れません。それであなたに関係のない片仮名などを入れる時は、なおさら躊躇しがちになりますが、これでも必要と認めない限り、なるべくそんな性質の文字は、省いているのですから、あなたもそのつもりで虚心に読んで下さい。少しでもあなたの心に軽薄という疑念が起るようでは、せっかく書いて上げたものが、前後を通じて、何の役にも立たなくなる恐れがありますから。  私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられた下のような物語を、何かの書物で読んだ事があります。モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。         四十  期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰返さなければならなくなりました。しかし三度云っても、動く気色の見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。  この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑稽の材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と云いました。私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。 「なぜ山の方へ歩いて行かない」  私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足しました。 「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」 「もし向うがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。 「向うに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけの事だ」と私が答えます。 「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。 「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。  兄さんはこれでまた黙りました。私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。けれども是非、善悪、美醜の区別において、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲って、幸福を求める気になれないのです。むしろそれにぶら下がりながら、幸福を得ようと焦燥るのです。そうしてその矛盾も兄さんにはよく呑み込めているのです。 「自分を生活の心棒と思わないで、綺麗に投げ出したら、もっと楽になれるよ」と私がまた兄さんに云いました。 「じゃ何を心棒にして生きて行くんだ」と兄さんが聞きました。 「神さ」と私が答えました。 「神とは何だ」と兄さんがまた聞きました。  私はここでちょっと自白しなければなりません。私と兄さんとこう問答をしているところを御読みになるあなたには、私がさも宗教家らしく映ずるかも知れませんが、――私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力めているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです。話がとかくそちらへ向くのは、全く相手に兄さんという烈しい煩悶家を控えているためだったのです。         四十一  私が兄さんにやられた原因も全くそこにあったのです。事実私は神というものを知らない癖に、神という言葉を口にしました。兄さんから反問された時に、それは天とか命とかいう意味と同じものだと漠然答えておいたら、まだよかったかも知れません。ところが前後の行きがかり上、私にはそんな説明の余裕がなくなりました。その時の問答はたしか下のような順序で進行したかと思います。 私「世の中の事が自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい」 「認めている」 私「そうしてその意志は君のよりも遥に偉大じゃないか」 「偉大かも知れない、僕が負けるんだから。けれども大概は僕のよりも不善で不美で不真だ。僕は彼らに負かされる訳がないのに負かされる。だから腹が立つのだ」 私「それは御互に弱い人間同志の競合を云うんだろう。僕のはそうじゃない、もっと大きなものを指すのだ」 「そんな瞹眛なものがどこにある」 私「なければ君を救う事ができないだけの話だ」 「じゃしばらくあると仮定して……」 私「万事そっちへ委任してしまうのさ。何分宜しく御頼み申しますって。君、俥に乗ったら、落ことさないように車夫が引いてくれるだろうと安心して、俥の上で寝る事はできないか」 「僕は車夫ほど信用できる神を知らないのだ。君だってそうだろう。君のいう事は、全く僕のために拵えた説教で、君自身に実行する経典じゃないのだろう」 私「そうじゃない」 「じゃ君は全く我を投げ出しているね」 私「まあそうだ」 「死のうが生きようが、神の方で好いように取計ってくれると思って安心しているね」 私「まあそうだ」  私は兄さんからこう詰寄せられた時、だんだん危しくなって来るような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうする訳にも行きません。すると兄さんが突然手を挙げて、私の横面をぴしゃりと打ちました。  私は御承知の通りよほど神経の鈍くできた性質です。御蔭で今日まで余り人と争った事もなく、また人を怒らした試も知らずに過ぎました。私の鈍いせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。成人しては無論の事です。生れて始めて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。 「何をするんだ」 「それ見ろ」  私にはこの「それ見ろ」が解らなかったのです。 「乱暴じゃないか」と私が云いました。 「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ちつきが顛覆するじゃないか」  私は何とも答えませんでした。また何とも答えられませんでした。そのうちに兄さんはつと座を立ちました。私の耳にはどんどん階子段を馳け下りて行く兄さんの足音だけが残りました。         四十二  私は下女を呼んで伴の御客さんはどうしたと聞いて見ました。 「今しがた表へ御出になりました。おおかた浜でしょう」  下女の返事が私の想像と一致したので、私はそれ以上の掛念を省いて、ごろりとそこに横になりました。すると衣桁の端にかかっている兄さんの夏帽子がすぐ眼に着きました。兄さんはこの暑いのに帽子も被らずにどこかへ飛び出して行ったのです。あなたのように、兄さんの一挙一動を心配する人から見たら、仰向けに寝そべったその時の私の姿は、少し呑気過ぎたかも知れません。これは固より私の鈍い神経の仕業に違ないのです。けれどもただ鈍いだけで説明する以外に、もう少し御参考になる点も交っているようですから、それをちょっと申上げます。  私は兄さんの頭を信じていました。私よりも鋭敏な兄さんの理解力に尊敬を払っていました。兄さんは時々普通の人に解らないような事を出し抜けに云います。それが知らないものの耳や、教育の乏しい男の耳には、どこかに破目の入った鐘の音として、変に響くでしょうけれども、よく兄さんを心得た私には、かえって習慣的な言説よりはありがたかったのです。私は平生からそこに兄さんの特色を認めていました。だから心配の必要はないと、あれほど強くあなたに断言して憚らなかったのです。それでいっしょに旅に出ました。旅へ出てからの兄さんは今まで私が叙述して来た通りですが、私はこの旅行先の兄さんのために、少しずつ故の考えを訂正しなければならないようになって来たのです。  私は兄さんの頭が、私より判然と整っている事について、今でも少しの疑いを挟さむ余地はないと思います。しかし人間としての今の兄さんは、故に較べると、どこか乱れているようです。そうしてその乱れる原因を考えて見ると、判然と整った彼の頭の働きそのものから来ているのです。私から云えば、整った頭には敬意を表したいし、また乱れた心には疑いをおきたいのですが、兄さんから見れば、整った頭、取りも直さず乱れた心なのです。私はそれで迷います。頭は確である、しかし気はことによると少し変かも知れない。信用はできる、しかし信用はできない。こう云ったらあなたはそれを満足な報道として受け取られるでしょうか。それよりほかに云いようのない私は、自分自身ですでに困ってしまったのです。  私は梯子段をどんどん馳け下りて行った兄さんをそのままにして、ごろりと横になりました。私はそれほど安心していたのです。帽子も被らずに出て行ったくらいだから、すぐ帰るにきまっていると考えたのです。しかし兄さんは予想通りそう手軽くは戻りませんでした。すると私もついに大の字になっていられなくなりました。私はしまいに明らかな不安を抱いて起ち上りました。  浜へ出ると、日はいつか雲に隠れていました。薄どんよりと曇り掛けた空と、その下にある磯と海が、同じ灰色を浴びて、物憂く見える中を、妙に生温い風が磯臭く吹いて来ました。私はその灰色を彩どる一点として、向うの波打際に蹲踞んでいる兄さんの姿を、白く認めました。私は黙ってその方角へ歩いて行きました。私は後から声をかけた時、兄さんはすぐ立ち上って「先刻は失敬した」と云いました。  兄さんは目的もなくまたとめどもなくそこいらを歩いたあげく、しまいに疲れたなりで疲れた場所に蹲踞んでしまったのだそうです。 「山に行こう。もうここは厭になった。山に行こう」  兄さんは今にも山へ行きたい風でした。         四十三  我々はその晩とうとう山へ行く事になりました。山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さんを連れ込んだのです。兄さんは始めから、きっと騒々しいに違ないと云っていました。それでも山だから二三日は我慢できるだろうと云うのです。 「我慢しに温泉場へ行くなんてもったいない話だ」  これもその時兄さんの口から出た自嘲の言葉でした。はたして兄さんは着いた晩からして、やかましい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師とか仲買とかいう部に属する種類の人間らしく思われました。時々不調和に大きな声を出します。傍若無人に騒ぎます。そういう事にあまり頓着のない私さえずいぶん辟易しました。御蔭でその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寝てしまいました。つまり隣りの男が我々の思索を破壊するために騒いだ事に当るのです。  翌る朝私が兄さんに向って、「昨夜は寝られたか」と聞きますと、兄さんは首を掉って、「寝られるどころか。君は実に羨ましい」と答えました。私はどうしても寝つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声を終宵聞かせたのだそうです。  その日は夜明から小雨が降っていました。それが十時頃になると本降に変りました。午少し過には、多少の暴模様さえ見えて来ました。すると兄さんは突然立ち上って尻を端折ります。これから山の中を歩くのだと云います。凄まじい雨に打たれて、谷崖の容赦なくむやみに運動するのだと主張します。御苦労千万だとは思いましたが、兄さんを思い留らせるよりも、私が兄さんに賛成した方が、手数が省けますので、つい「よかろう」と云って、私も尻を端折りました。  兄さんはすぐ呼息の塞るような風に向って突進しました。水の音だか、空の音だか、何ともかとも喩えられない響の中を、地面から跳ね上る護謨球のような勢いで、ぽんぽん飛ぶのです。そうして血管の破裂するほど大きな声を出して、ただわあっと叫びます。その勢いは昨夜の隣室の客より何層倍猛烈だか分りません。声だって彼よりも遥に野獣らしいのです。しかもその原始的な叫びは、口を出るや否や、すぐ風に攫って行かれます。それをまた雨が追いかけて砕き尽します。兄さんはしばらくして沈黙に帰りました。けれどもまだ歩き廻りました。呼息が切れて仕方なくなるまで歩き廻りました。  我々が濡れ鼠のようになって宿へ帰ったのは、出てから一時間目でしたろうか、また二時間目にかかりましたろうか。私は臍の底まで冷えました。兄さんは唇の色を変えていました。湯に這入って暖まった時、兄さんはしきりに「痛快だ」と云いました。自然に敵意がないから、いくら征服されても痛快なんでしょう。私はただ「御苦労な事だ」と云って、風呂のなかで心持よく足を伸ばしました。  その晩は予期に反して、隣の室がひっそりと静まっていました。下女に聞いて見ると、兄さんを悩ました昨夕の客は、いつの間にかもう立ってしまったのでした。私が兄さんから思いがけない宗教観を聞かされたのはその宵の事です。私はちょっと驚きました。         四十四  あなたも現代の青年だから宗教という古めかしい言葉に対してあまり同情は持っていられないでしょう。私も小むずかしい事はなるべく言わずにすましたいのです。けれども兄さんを理解するためには、ぜひともそこへ触れて来なければなりません。あなたには興味もなかろうし、また意外でもあろうけれども、それを遠慮する以上、肝腎の兄さんが不可解になるだけだから、辛抱してここのところをとばさずに読んで下さい。辛抱さえなされば、あなたにはよく解る事なんです。読んでそうして善く兄さんを呑み込んだ上、御老人方の合点のゆかれるように御宅へ紹介して上げて下さい。私は兄さんについて過度の心労をされる御年寄に対して実際御気の毒に思っています。しかし今のところあなたを通してよりほかに、ありのままの兄さんを、兄さんの家庭に知らせる手段はないのだから、あなたも少し真面目になって、聞き慣れない字面に眼を御注ぎなさい。私は酔興でむずかしい事を書くのではありません。むずかしい事が活きた兄さんの一部分なのだから仕方がないのです。二つを引き離すと血や肉からできた兄さんもまた存在しなくなるのです。  兄さんは神でも仏でも何でも自分以外に権威のあるものを建立するのが嫌いなのです。(この建立という言葉も兄さんの使ったままを、私が踏襲するのです)。それではニイチェのような自我を主張するのかというとそうでもないのです。 「神は自己だ」と兄さんが云います。兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人が蔭で聞いていると、少し変だと思うかも知れません。兄さんは変だと思われても仕方のないような激した云い方をします。 「じゃ自分が絶対だと主張すると同じ事じゃないか」と私が非難します。兄さんは動きません。 「僕は絶対だ」と云います。  こういう問答を重ねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になって来ます。調子ばかりではありません、云う事もしだいに尋常を外れて来ます。相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違として早く葬られ去ったに違ありません。しかし私はそう容易く彼を見棄てるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。私はとうとう兄さんを底まで押しつめました。  兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出された空しい紙の上の数字ではなかったのです。自分でその境地に入って親しく経験する事のできる判切した心理的のものだったのです。  兄さんは純粋に心の落ちつきを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、すべての対象というものがことごとくなくなって、ただ自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有るとも無いとも片のつかないものだと云います。偉大なようなまた微細なようなものだと云います。何とも名のつけようのないものだと云います。すなわち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音はすなわち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、したがって自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、また苦しめられる掛念も起らないのだと云うのです。 「根本義は死んでも生きても同じ事にならなければ、どうしても安心は得られない。すべからく現代を超越すべしといった才人はとにかく、僕は是非共生死を超越しなければ駄目だと思う」  兄さんはほとんど歯を喰いしばる勢でこう言明しました。         四十五  私はこの場合にも自分の頭が兄さんに及ばないという事を自白しなければなりません。私は人間として、はたして兄さんのいうような境界に達せられべきものかをまだ考えていなかったのです。明瞭な順序で自然そこに帰着して行く兄さんの話を聞いた時、なるほどそんなものかと思いました。またそんなものでも無かろうかとも思いました。何しろ私はとかくの是非を挟さむだけの資格をもっていない人間に過ぎませんでした。私は黙々として熱烈な言葉の前に坐りました。すると兄さんの態度が変りました。私の沈黙が鋭い兄さんの鉾先を鈍らせた例は、今までにも何遍かありました。そうしてそれがことごとく偶然から来ているのです。もっとも兄さんのような聡明な人に、一種の思わくから黙って見せるという技巧を弄したら、すぐ観破されるにきまっていますから、私の鈍いのも時には一得になったのでしょう。 「君、僕を単に口舌の人と軽蔑してくれるな」と云った兄さんは、急に私の前に手を突きました。私は挨拶に窮しました。 「君のような重厚な人間から見たら僕はいかにも軽薄なお喋舌に違ない。しかし僕はこれでも口で云う事を実行したがっているんだ。実行しなければならないと朝晩考え続けに考えているんだ。実行しなければ生きていられないとまで思いつめているんだ」  私は依然として挨拶に困ったままでした。 「君、僕の考えを間違っていると思うか」と兄さんが聞きました。 「そうは思わない」と私が答えました。 「徹底していないと思うか」と兄さんがまた聞きました。 「根本的のようだ」と私がまた答えました。 「しかしどうしたらこの研究的な僕が、実行的な僕に変化できるだろう。どうぞ教えてくれ」と兄さんが頼むのです。 「僕にそんな力があるものか」と、思いも寄らない私は断るのです。 「いやある。君は実行的に生れた人だ。だから幸福なんだ。そう落ちついていられるんだ」と兄さんが繰り返すのです。  兄さんは真剣のようでした。私はその時憮然として兄さんに向いました。 「君の智慧は遥に僕に優っている。僕にはとても君を救う事はできない。僕の力は僕より鈍いものになら、あるいは及ぼし得るかも知れない。しかし僕より聡明な君には全く無効である。要するに君は瘠せて丈が長く生れた男で、僕は肥えてずんぐり育った人間なんだ。僕の真似をして肥ろうと思うなら、君は君の背丈を縮めるよりほかに途はないんだろう」  兄さんは眼からぽろぽろ涙を出しました。 「僕は明かに絶対の境地を認めている。しかし僕の世界観が明かになればなるほど、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。僕は迂濶なのだ。僕は矛盾なのだ。しかし迂濶と知り矛盾と知りながら、依然としてもがいている。僕は馬鹿だ。人間としての君は遥に僕よりも偉大だ」  兄さんはまた私の前に手を突きました。そうしてあたかも謝罪でもする時のように頭を下げました。涙がぽたりぽたりと兄さんの眼から落ちました。私は恐縮しました。         四十六  箱根を出る時兄さんは「二度とこんな所は御免だ」と云いました。今まで通って来たうちで、兄さんの気に入った所はまだ一カ所もありません。兄さんは誰とどこへ行っても直厭になる人なのでしょう。それもそのはずです。兄さんには自分の身躯や自分の心からしてがすでに気に入っていないのですから。兄さんは自分の身躯や心が自分を裏切る曲者のように云います。それが徒爾半分の出放題でない事は、今日までいっしょに寝泊りの日数を重ねた私にはよく理解できます。その私からありのままの報知を受けるあなたにもとくと御合点が行く事だろうと思います。  こういう兄さんと、私がよくいっしょに旅ができると御思いになるかも知れません。私にも考えると、それが不思議なくらいです。兄さんを上に述べたように頭の中へ畳み込んだが最後、いかに遅鈍な私だって、御相手はでき悪い訳です。しかし事実私は今兄さんとこうして差向いで暮していながら、さほどに苦痛を感じてはいないのです。少くとも傍で想像するよりはよほど楽なのだろうと考えています。そうしてそれをなぜだと聞かれたら、ちょっと返答に差支えるのです。あなたも同じ兄さんについて同じ経験をなさりはしませんか。もし同じ経験をなさらないならば、骨肉を分けたあなたよりも、他人の私の方が、兄さんに親しい性質をもって生れて来たのでしょう。親しいというのは、ただ仲が好いと云う意味ではありません。和して納まるべき特性をどこか相互に分担して前へ進めるというつもりなのです。  私は旅へ出てから絶えず兄さんの気に障るような事を云ったりしたりしました。ある時は頭さえ打たれました。それでも私はあなたの家庭のすべての人の前に立って、私はまだ兄さんから愛想を尽かされていないという事を明言できると思います。同時に、一種の弱点を持ったこの兄さんを、私は今でも衷心から敬愛していると固く信じて疑わないのであります。  兄さんは私のような凡庸な者の前に、頭を下げて涙を流すほどの正しい人です。それをあえてするほどの勇気をもった人です。それをあえてするのが当然だと判断するだけの識見を具えた人です。兄さんの頭は明か過ぎて、ややともすると自分を置き去りにして先へ行きたがります。心の他の道具が彼の理智と歩調を一つにして前へ進めないところに、兄さんの苦痛があるのです。人格から云えばそこに隙間があるのです。成功から云えばそこに破滅が潜んでいるのです。この不調和を兄さんのために悲しみつつある私は、すべての原因をあまりに働き過ぎる彼の理智の罪に帰しながら、やっぱり、その理智に対する敬意を失う事ができないのです。兄さんをただの気むずかしい人、ただのわがままな人とばかり解釈していては、いつまで経っても兄さんに近寄る機会は来ないかも知れません。したがって少しでも兄さんの苦痛を柔げる縁は、永劫に去ったものと見なければなりますまい。  我々は前申した通り箱根を立ちました。そうして直にこの紅が谷の小別荘に入りました。私はその前ちょっと国府津に泊って見るつもりで、暗に一人ぎめのプログラムを立てていたのですが、とうとう兄さんにはそれを云い出さずにしまったのです。国府津でもまた「二度とこんな所は御免だ」と怒られそうでしたから。その上兄さんは私からこの別荘の話を聞いて、しきりにそこへ落ちつきたがっていたのです。         四十七  何にでも刺戟されやすい癖に、どんな刺戟にも堪え切れないと云った風の、今の兄さんには、草庵めいたこの別荘が最も適していたのかも知れません。兄さんは物静かな座敷から、谷一つ隔てて向うの崖の高い松を見上げた時、「好いな」と云ってそこへ腰をおろしました。 「あの松も君の所有だ」  私は慰めるような句調で、わざと兄さんの口吻を真似て見せました。修善寺ではとんと解らなかった「あの百合は僕の所有だ」とか、「あの山も谷も僕の所有だ」とか云った兄さんの言葉を想い出したからです。  別荘には留守番の爺さんが一人いましたが、これは我々と出違に自分の宅へ帰りました。それでも拭掃除のためや水を汲むために朝夕一度ぐらいずつは必ず来てくれます。男二人の事ですから、煮炊は無論できません。我々は爺さんに頼んで近所の宿屋から三度三度食事を運んで貰う事にしました。夜は電灯の設備がありますから、洋灯を点す手数は要らないのです。こういう訳で、朝起きてから夜寝るまでに、我々の是非やらなければならない事は、まあ床を延べて蚊帳を釣るくらいなものです。 「自炊よりも気楽で閑静だね」と兄さんが云います。実際今まで通って来た山や海のうちで、ここが一番静に違ないのです。兄さんと差向いで黙っていると、風の音さえ聞こえない事があります。多少やかましいと思うのは珊瑚樹の葉隠れにぎいぎい軋る隣の車井戸の響ですが、兄さんは案外それには無頓着です。兄さんはだんだん落ちついて来るようです。私はもっと早く兄さんをここへ連れて来れば好かったと思いました。  庭先に少しばかりの畠があって、そこに茄子や唐もろこしが作ってあります。この茄子をいで食おうかと相談しましたが、漬物に拵えるのが面倒なので、ついやめにしました。唐もろこしはまだ食べられるほど実が入りません。勝手口の井戸の傍に、トマトーが植えてあります。それを朝、顔を洗うついでに、二人で食いました。  兄さんは暑い日盛に、この庭だか畑だか分らない地面の上に下りて、じっと蹲踞んでいる事があります。時々かんなの花の香を嗅いで見たりします。かんなに香なんかありゃしません。凋んだ月見草の花片を見つめている事もあります。着いた日などは左隣の長者の別荘の境に生えている薄の傍へ行って、長い間立っていました。私は座敷からその様子を眺めていましたが、いつまで経っても兄さんが動かないので、しまいに縁先にある草履をつっかけて、わざわざ傍へ行って見ました。隣と我々の住居との仕切になっているそこは、高さ一間ぐらいの土堤で、時節柄一面の薄が蔽い被さっているのです。兄さんは近づいた私を顧みて、下の方にある薄の根を指さしました。  薄の根には蟹が這っていました。小さな蟹でした。親指の爪ぐらいの大きさしかありません。それが一匹ではないのです。しばらく見ているうちに、一匹が二匹になり、二匹が三匹になるのです。しまいにはあすこにもここにも蒼蠅いほど眼に着き出します。 「薄の葉を渡る奴があるよ」  兄さんはこんな観察をして、まだ動かずに立っています。私は兄さんをそこへ残してまたもとの席へ帰りました。  兄さんがこういう些細な事に気を取られて、ほとんど我を忘れるのを見る私は、はなはだ愉快です。これでこそ兄さんを旅行に連れ出した甲斐があると思うくらいです。その晩私はその意味を兄さんに話しました。         四十八 「先刻君は蟹を所有していたじゃないか」  私が兄さんに突然こう云いかけますと、兄さんは珍らしくあははと声を立てて愉快そうに笑いました。修善寺以後、私が時々所有という言葉を、妙な意味に使って見せるので、単にそれを滑稽と解釈している兄さんにはおかしく響くのでしょう。おかしがられるのは、怒られるよりもよっぽどましですが、事実私の方ではもっと真面目なのでした。 「絶対に所有していたのだろう」と私はすぐ云い直しました。今度は兄さんも笑いませんでした。しかしまだ何とも答えません。口を開くのはやはり私の番でした。 「君は絶対絶対と云って、この間むずかしい議論をしたが、何もそう面倒な無理をして、絶対なんかに這入る必要はないじゃないか。ああいう風に蟹に見惚れてさえいれば、少しも苦しくはあるまいがね。まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変る刹那を捕えて、そこに二つの統一を見出すなんて、ずいぶん骨が折れるだろう。第一人間にできる事か何だかそれさえ判然しやしない」  兄さんはまだ私を遮ろうとはしません。いつもよりはだいぶ落ちついているようでした。私は一歩先へ進みました。 「それより逆に行った方が便利じゃないか」 「逆とは」  こう聞き返す兄さんの眼には誠が輝いていました。 「つまり蟹に見惚れて、自分を忘れるのさ。自分と対象とがぴたりと合えば、君の云う通りになるじゃないか」 「そうかな」  兄さんは心元なさそうな返事をしました。 「そうかなって、君は現に実行しているじゃないか」 「なるほど」  兄さんのこの言葉はやはり茫然たるものでした。私はこの時ふと自分が今まで余計な事を云っていたのに気がつきました。実を云うと、私は絶対というものをまるで知らないのです。考えもしなかったのです。想像もした覚がないのです。ただ教育の御蔭でそう云う言葉を使う事だけを知っていたのです。けれども私は人間として兄さんよりも落ちついていました。落ちついているという事が兄さんより偉いという意味に聞こえては面目ないくらいなものですから、私は兄さんより普通一般に近い心の状態をもっていたと云い直しましょう。朋友として私の兄さんに向って働きかける仕事は、だからただ兄さんを私のような人並な立場に引き戻すだけなのです。しかしそれを別な言葉で云って見ると非凡なものを平凡にするという馬鹿気た意味にもなって来ます。もし兄さんの方で苦痛の訴えがないならば、私のようなものが、何で兄さんにこんな問答を仕かけましょう。兄さんは正直です。腑に落ちなければどこまでも問いつめて来ます。問いつめて来られれば、私には解らなくなります。それだけならまだしもですが、こういう批評的な談話を交換していると、せっかく実行的になりかけた兄さんを、またもとの研究的態度に戻してしまう恐れがあるのです。私は何より先にそれを気遣ました。私は天下にありとあらゆる芸術品、高山大河、もしくは美人、何でも構わないから、兄さんの心を悉皆奪い尽して、少しの研究的態度も萌し得ないほどなものを、兄さんに与えたいのです。そうして約一年ばかり、寸時の間断なく、その全勢力の支配を受けさせたいのです。兄さんのいわゆる物を所有するという言葉は、必竟物に所有されるという意味ではありませんか。だから絶対に物から所有される事、すなわち絶対に物を所有する事になるのだろうと思います。神を信じない兄さんは、そこに至って始めて世の中に落ちつけるのでしょう。         四十九  一昨日の晩は二人で浜を散歩しました。私たちのいる所から海辺までは約三丁もあります。細い道を通って、いったん街道へ出て、またそれを横切らなければ海の色は見えないのです。月の出にはまだ間がある時刻でした。波は存外暗く動いていました。眼がなれるまでは、水と磯との境目が判然分らないのです。兄さんはその中を容赦なくずんずん歩いて行きます。私は時々生温い水に足下を襲われました。岸へ寄せる波の余りが、のし餅のように平らに拡がって、思いのほか遠くまで押し上げて来るのです。私は後から兄さんに、「下駄が濡れやしないか」と聞きました。兄さんは命令でも下すように、「尻を端折れ」と云いました。兄さんは先刻から足を汚す覚悟で、尻を端折っていたものと見えます。二三間離れた私にはそれが分らないくらい四囲が暗いのでした。けれども時節柄なんでしょう、避暑地だけあって人に会います。そうして会う人も会う人も、必ず男女二人連に限られていました。彼らは申し合せたように、黙って闇の中を辿って来ます。だから忽然[#ルビの「こつぜん」は底本では「こつぜつ」]私たちの前へ現われるまでは、まるで気がつかないのです。彼らが摺り抜けるように私たちの傍を通って行く時、眼を上げて物色すると、どれもこれも若い男と若い女ばかりです。私はこういう一対に何度か出合いました。  私が兄さんからお貞さんという人の話を聞いたのはその時の事でした。お貞さんは近頃大阪の方へ御嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵に出逢った幾組かの若い男や女から、お貞さんの花嫁姿を連想でもしたのでしょう。  兄さんはお貞さんを宅中で一番慾の寡ない善良な人間だと云うのです。ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨ましがるのです。自分もああなりたいと云うのです。お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。私も立ちどまりました。  向うの高い所に微かな灯火が一つ眼に入りました。昼間見ると、その見当に赤い色の建物が樹の間隠に眺められますから、この灯火もおおかたその赤い洋館の主が点けているのでしょう。濃い夜陰の色の中にたった一つかけ離れて星のように光っているのです。私の顔はその灯火の方を向いていました。兄さんはまた浪の来る海をまともに受けて立ちました。  その時二人の頭の上で、ピアノの音が不意に起りました。そこは砂浜から一間の高さに、石垣を規則正しく積み上げた一構で、庭から浜へじかに通えるためでしょう、石垣の端には階段が筋違に庭先まで刻み上げてありました。私はその石段を上りました。  庭には家を洩れる電灯の光が、線のように落ちていました。その弱い光で照されていた地面は一体の芝生でした。花もあちこちに咲いているようでしたが、これは暗い上に広い庭なので、判然とは分りませんでした。ピアノの音は正面に見える洋館の、明るく照された一室から出るようでした。 「西洋人の別荘だね」 「そうだろう」  兄さんと私は石段の一番上の所に並んで腰をかけました。聞こえないようなまた聞こえるようなピアノの音が、時々二人の耳を掠めに来ます。二人共無言でした。兄さんの吸う煙草の先が時々赤くなりました。         五十  私はお貞さんのつづきでも出る事と思って、暗い中でそれとなく兄さんの声を待ち受けていたのですが、兄さんは煙草に魅せられた人のように、時々紙巻の先を赤くするだけで、なかなか口を開きません。それを石段の下へ投げて私の方へ向いた時は、もう話題がお貞さんを離れていました。私は少し意外に思いました。兄さんの題目は、お貞さんに関係のないばかりか、ピアノの音にも、広い芝生にも、美しい別荘にも、乃至は避暑にも旅行にも、すべて我々の周囲と現在とは全く交渉を絶った昔の坊さんの事でした。  坊さんの名はたしか香厳とか云いました。俗にいう一を問えば十を答え、十を問えば百を答えるといった風の、聡明霊利に生れついた人なのだそうです。ところがその聡明霊利が悟道の邪魔になって、いつまで経っても道に入れなかったと兄さんは語りました。悟を知らない私にもこの意味はよく通じます。自分の智慧に苦しみ抜いている兄さんにはなおさら痛切に解っているでしょう。兄さんは「全く多知多解が煩をなしたのだ」ととくに注意したくらいです。  数年の間百丈禅師とかいう和尚さんについて参禅したこの坊さんはついに何の得るところもないうちに師に死なれてしまったのです。それで今度は山という人の許に行きました。山は御前のような意解識想をふり舞わして得意がる男はとても駄目だと叱りつけたそうです。父も母も生れない先の姿になって出て来いと云ったそうです。坊さんは寮舎に帰って、平生読み破った書物上の知識を残らず点検したあげく、ああああ画に描いた餅はやはり腹の足にならなかったと嘆息したと云います。そこで今まで集めた書物をすっかり焼き棄ててしまったのです。 「もう諦めた。これからはただ粥を啜って生きて行こう」  こう云った彼は、それ以後禅のぜの字も考えなくなったのです。善も投げ悪も投げ、父母の生れない先の姿も投げ、いっさいを放下し尽してしまったのです。それからある閑寂な所を選んで小さな庵を建てる気になりました。彼はそこにある草を芟りました。そこにある株を掘り起しました。地ならしをするために、そこにある石を取って除けました。するとその石の一つが竹藪にあたって戞然と鳴りました。彼はこの朗かな響を聞いて、はっと悟ったそうです。そうして一撃に所知を亡うと云って喜んだといいます。 「どうかして香厳になりたい」と兄さんが云います。兄さんの意味はあなたにもよく解るでしょう。いっさいの重荷を卸して楽になりたいのです。兄さんはその重荷を預かって貰う神をもっていないのです。だから掃溜か何かへ棄ててしまいたいと云うのです。兄さんは聡明な点においてよくこの香厳という坊さんに似ています。だからなおのこと香厳が羨ましいのでしょう。  兄さんの話は西洋人の別荘や、ハイカラな楽器とは、全く縁の遠いものでした。なぜ兄さんが暗い石段の上で、磯の香を嗅ぎながら、突然こんな話をし出したか、それは私には解りません。兄さんの話が済んだ頃はピアノの音ももう聞こえませんでした。潮に近いためか、夜露のせいか、浴衣が湿っぽくなっていました。私は兄さんを促してまたもとの道へ引き返しました。往来へ出た時、私は行きつけの菓子屋へ寄って饅頭を買いました。それを食いながら暗い中を黙って宅まで帰って来ました。留守を頼んでおいた爺さんの所の子供は、蚊に喰われるのも構わずぐうぐう寝ていました。私は饅頭の余りをやって、すぐ子供を帰してやりました。         五十一  昨日の朝食事をした時、飯櫃を置いた位地の都合から、私が兄さんの茶碗を受けとって、一膳目の御飯をよそってやりますと、兄さんはまたお貞さんの名を私の耳に訴えました。お貞さんがまだ嫁に行かないうちは、ちょうど今私がしたように、始終兄さんのお給仕をしたものだそうですね。昨夜は性格の点からお貞さんに比較され、今朝はまたお給仕の具合で同じお貞さんにたとえられた私は、つい兄さんに向って質問を掛けて見る気になりました。 「君はそのお貞さんとかいう人と、こうしていっしょに住んでいたら幸福になれると思うのか」  兄さんは黙って箸を口へ持って行きました。私は兄さんの態度から推して、おおかた返事をするのが厭なんだろうと考えたので、それぎり後を推しませんでした。すると兄さんの答が、御飯を二口三口嚥み下したあとで、不意に出て来ました。 「僕はお貞さんが幸福に生れた人だと云った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは云やしない」  兄さんの言葉はいかにも論理的に終始を貫いて真直に見えます。けれども暗い奥には矛盾がすでに漂よっています。兄さんは何にも拘泥していない自然の顔をみると感謝したくなるほど嬉しいと私に明言した事があるのです。それは自分が幸福に生れた以上、他を幸福にする事もできると云うのと同じ意味ではありませんか。私は兄さんの顔を見てにやにやと笑いました。兄さんはそうなるとただではすまされない男です。すぐ食いついて来ます。 「いや本当にそうなのだ。疑ぐられては困る。実際僕の云った事は云った事で、云わない事は云わない事なんだから」  私は兄さんに逆らいたくはありませんでした。けれどもこれほど頭の明かな兄さんが、自分の平生から軽蔑している言葉の上の論理を弄んで、平気でいるのは少しおかしいと思いました。それで私の腹にあった兄さんの矛盾を遠慮なく話して聞かせました。  兄さんはまた無言で飯を二口ほど頬張りました。兄さんの茶碗はその時空になりましたが、飯櫃は依然として兄さんの手の届かない私の傍にありました。私はもう一遍給仕をする考えで、兄さんの鼻の先へ手を出したのです。ところが今度は兄さんが応じません。こっちへ寄こしてくれと云います。  私は飯櫃を向うへ押してやりました。兄さんは自分でしゃもじを取って、飯をてこ盛にもり上げました。それからその茶碗を膳の上に置いたまま、箸も執らずに私に問いかけるのです。 「君は結婚前の女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」  こうなると私にはおいそれと返事ができなくなります。平生そんな事を考えて見ないからでもありましょうが。今度は私の方が飯を二口三口立て続けに頬張って、兄さんの説明を待ちました。 「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」 「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。 「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押が強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損われた女からは要求できるものじゃないよ」  兄さんはそういうや否や、茶碗を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛の飯を平らげました。         五十二  私は旅行に出てから今日に至るまでの兄さんを、これでできるだけ委しく書いたつもりです。東京を立ったのはつい昨日のようですが、指を折るともう十日あまりになります。私の音信をあてにして待っておられるあなたや御年寄には、この十日が少し長過ぎたかも知れません。私もそれは察しています。しかしこの手紙の冒頭に御断りしたような事情のために、ここへ来て落ちつくまでは、ほとんど筆を執る余裕がなかったので、やむをえず遅れました。その代り過去十日間のうち、この手紙に洩れた兄さんは一日もありません。私は念を入れてその日その日の兄さんをことごとくこの一封のうちに書き込めました。それが私の申訳です。同時に私の誇りです。私は当初の予期以上に、私の義務を果し得たという自信のもとに、この手紙を書き終るのですから。  私の費やした時間は、時計の針で仕事の分量を計算して見ない努力だから、数字としては申し上げられませんが、ずいぶんの骨折には違ありませんでした。私は生れて始めてこんな長い手紙を書きました。無論一気には書けません、一日にも書けません。ひまの見つかり次第机に向って書きかけたあとを書き続けて行ったのです。しかしそれは何でもありません。もし私の見た兄さんと、私の理解した兄さんがこの一封のうちに動いているならば、私は今より数層倍の手数と労力を費やしても厭わないつもりです。  私は私の親愛するあなたの兄さんのために、この手紙を書きます。それから同じく兄さんを親愛するあなたのためにこの手紙を書きます。最後には慈愛に充ちた御年寄、あなたと兄さんの御父さんや御母さんのためにもこの手紙をかきます。私の見た兄さんはおそらくあなた方の見た兄さんと違っているでしょう。私の理解する兄さんもまたあなた方の理解する兄さんではありますまい。もしこの手紙がこの努力に価するならば、その価は全くそこにあると考えて下さい。違った角度から、同じ人を見て別様の反射を受けたところにあると思って御参考になさい。  あなた方は兄さんの将来について、とくに明瞭な知識を得たいと御望みになるかも知れませんが、予言者でない私は、未来に喙を挟さむ資格を持っておりません。雲が空に薄暗く被さった時、雨になる事もありますし、また雨にならずにすむ事もあります。ただ雲が空にある間、日の目の拝まれないのは事実です。あなた方は兄さんが傍のものを不愉快にすると云って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせているようですが、自分が幸福でないものに、他を幸福にする力があるはずがありません。雲で包まれている太陽に、なぜ暖かい光を与えないかと逼るのは、逼る方が無理でしょう。私はこうしていっしょにいる間、できるだけ兄さんのためにこの雲を払おうとしています。あなた方も兄さんから暖かな光を望む前に、まず兄さんの頭を取り巻いている雲を散らしてあげたらいいでしょう。もしそれが散らせないなら、家族のあなた方には悲しい事ができるかも知れません。兄さん自身にとっても悲しい結果になるでしょう。こういう私も悲しゅうございます。  私は過去十日間の兄さんを、書きました。この十日間の兄さんが、未来の十日間にどうなるかが問題で、その問題には誰も答えられないのです。よし次の十日間を私が受け合うにしたところで、次の一カ月、次の半年の兄さんを誰が受け合えましょう。私はただ過去十日間の兄さんを忠実に書いただけです。頭の鋭くない私が、読み直すひまもなくただ書き流したものだから、そのうちには定めて矛盾があるでしょう。頭の鋭い兄さんの言行にも気のつかないところに矛盾があるかも知れません。けれども私は断言します。兄さんは真面目です。けっして私をごまかそうとしてはいません。私も忠実です。あなたを欺く気は毛頭ないのです。  私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」 底本:「夏目漱石全集7」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)4月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 ※底本の誤植が疑われる箇所は、岩波文庫、新潮文庫、角川文庫の全てで確認できたもののみを修正し、注記した。 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年6月13日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 アクセント符号付きラテン文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 草枕 草枕 夏目漱石 一  山路を登りながら、こう考えた。  智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。  住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。  人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。  越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。  住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。  世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……  余の考がここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石の端を踏み損くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合せをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸りた。肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何の事もなかった。  立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。  土をならすだけならさほど手間も入るまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙って、吾らのために道を譲る景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌のない所でさえ歩るきよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿って、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉ると云う方が適当だ。固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲りへかかる。  たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。  巌角を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。  春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。  たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。   We look before and after     And pine for what is not:   Our sincerest laughter     With some pain is fraught; Our sweetest songs are those that tell of saddest thought. 「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」  なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。  しばらくは路が平で、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英を踏みつける。鋸のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。呑気なものだ。また考えをつづける。  詩人に憂はつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。  しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。  恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。  これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。  それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌だ。  苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。  うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。  二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。  もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。こんな所でも人間に逢う。じんじん端折りの頬冠りや、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場だ。  ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。  しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ。南山や幽篁とは性の違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視てみたい。芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事と見立てて発句にした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差し支ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画の前へ立って、画中の人物が画面の中をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間三尺も隔てていれば落ちついて見られる。あぶな気なしに見られる。言を換えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識する事が出来る。  ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂れ懸っていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出して、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃かでほとんど霧を欺くくらいだから、隔たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾と見える。深く罩める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。  路は存外広くなって、かつ平だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子がふうとあらわれた。 「ここらに休む所はないかね」 「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡れたね」  まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。  糠のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ごとに風に捲かれる様までが目に入る。羽織はとくに濡れ尽して肌着に浸み込んだ水が、身体の温度で生暖く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行く。  茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。有体なる己れを忘れ尽して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲煙飛動の趣も眼に入らぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として独り春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。初めは帽を傾けて歩行た。後にはただ足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る。非人情がちと強過ぎたようだ。 二 「おい」と声を掛けたが返事がない。  軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊されて、屈托気にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばっている。 「おい」とまた声をかける。土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれていた鶏が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚きつけてある。  返事がないから、無断でずっと這入って、床几の上へ腰を卸した。鶏は羽摶きをして臼から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子がしめてなければ奥まで馳けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗のように考えているらしい。床几の上には一升枡ほどな煙草盆が閑静に控えて、中にはとぐろを捲いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長に燻っている。雨はしだいに収まる。  しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出る。  どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。  二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。箒を担いだ爺さんが橋懸りを五六歩来て、そろりと後向になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。 「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」 「はい、これは、いっこう存じませんで」 「だいぶ降ったね」 「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡れなさった。今火を焚いて乾かして上げましょ」 「そこをもう少し燃しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」 「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」 と立ち上がりながら、しっしっと二声で鶏を追い下げる。ここここと馳け出した夫婦は、焦茶色の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞を垂れた。 「まあ一つ」と婆さんはいつの間にか刳り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦げている底に、一筆がきの梅の花が三輪無雑作に焼き付けられている。 「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ねじと微塵棒を持ってくる。糞はどこぞに着いておらぬかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。  婆さんは袖無しの上から、襷をかけて、竈の前へうずくまる。余は懐から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。 「閑静でいいね」 「へえ、御覧の通りの山里で」 「鶯は鳴くかね」 「ええ毎日のように鳴きます。此辺は夏も鳴きます」 「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」 「あいにく今日は――先刻の雨でどこぞへ逃げました」  折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯と風を起して一尺あまり吹き出す。 「さあ、御あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端を見ると青い煙りが、突き当って崩れながらに、微かな痕をまだ板庇にからんでいる。 「ああ、好い心持ちだ、御蔭で生き返った」 「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌が見え出しました」  逡巡として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山の一角は、未練もなく晴れ尽して、老嫗の指さす方にと、あら削りの柱のごとく聳えるのが天狗岩だそうだ。  余はまず天狗巌を眺めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々に両方を見比べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂の媼と、蘆雪のかいた山姥のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄いものだと感じた。紅葉のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生の別会能を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面は定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏やかに、あたたかに見える。金屏にも、春風にも、あるは桜にもあしらって差し支ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳して、遠く向うを指している、袖無し姿の婆さんを、春の山路の景物として恰好なものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端に、婆さんの姿勢は崩れた。  手持無沙汰に写生帖を、火にあてて乾かしながら、 「御婆さん、丈夫そうだね」と訊ねた。 「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、苧もうみます、御団子の粉も磨きます」  この御婆さんに石臼を挽かして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、 「ここから那古井までは一里足らずだったね」と別な事を聞いて見る。 「はい、二十八丁と申します。旦那は湯治に御越しで……」 「込み合わなければ、少し逗留しようかと思うが、まあ気が向けばさ」 「いえ、戦争が始まりましてから、頓と参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」 「妙な事だね。それじゃ泊めてくれないかも知れんね」 「いえ、御頼みになればいつでも宿めます」 「宿屋はたった一軒だったね」 「へえ、志保田さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」 「じゃ御客がなくても平気な訳だ」 「旦那は始めてで」 「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」  会話はちょっと途切れる。帳面をあけて先刻の鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴が聴え出した。この声がおのずと、拍子をとって頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページの端に、 春風や惟然が耳に馬の鈴 と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。  やがて長閑な馬子唄が、春に更けた空山一路の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画にかいた声だ。 馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨 と、今度は斜に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。 「また誰ぞ来ました」と婆さんが半ば独り言のように云う。  ただ一条の春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。最前逢うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を下り、思われては山を登ったのだろう。路寂寞と古今の春を貫いて、花を厭えば足を着くるに地なき小村に、婆さんは幾年の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日の白頭に至ったのだろう。 馬子唄や白髪も染めで暮るる春 と次のページへ認めたが、これでは自分の感じを云い終せない、もう少し工夫のありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。何でも白髪という字を入れて、幾代の節と云う句を入れて、馬子唄という題も入れて、春の季も加えて、それを十七字に纏めたいと工夫しているうちに、 「はい、今日は」と実物の馬子が店先に留って大きな声をかける。 「おや源さんか。また城下へ行くかい」 「何か買物があるなら頼まれて上げよ」 「そうさ、鍛冶町を通ったら、娘に霊厳寺の御札を一枚もらってきておくれなさい」 「はい、貰ってきよ。一枚か。――御秋さんは善い所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母さん」 「ありがたい事に今日には困りません。まあ仕合せと云うのだろか」 「仕合せとも、御前。あの那古井の嬢さまと比べて御覧」 「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」 「なあに、相変らずさ」 「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。 「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫でる。  枝繁き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の塊まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮りの住居を、さらさらと転げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣を上下に振る。 「コーラッ」と叱りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想を破る。  御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前に散らついている。裾模様の振袖に、高島田で、馬に乗って……」 「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母さん」 「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑が出来ました」  余はまた写生帖をあける。この景色は画にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、 花の頃を越えてかしこし馬に嫁 と書きつける。不思議な事には衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速取り崩す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、棕梠箒で煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を曳く彗星の何となく妙な気になる。 「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶する。 「帰りにまた御寄り。あいにくの降りで七曲りは難義だろ」 「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行出す。源さんの馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。 「あれは那古井の男かい」 「はい、那古井の源兵衛で御座んす」 「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、峠を越したのかい」 「志保田の嬢様が城下へ御輿入のときに、嬢様を青馬に乗せて、源兵衛が覊絏を牽いて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」  鏡に対うときのみ、わが頭の白きを喞つものは幸の部に属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪の疾き趣を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ仙に近づける方だろう。余はこう答えた。 「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」 「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」 「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様の振袖を着て、高島田に結っていればいいが」 「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」  余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外真面目である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云う。 「嬢様と長良の乙女とはよく似ております」 「顔がかい」 「いいえ。身の成り行きがで御座んす」 「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」 「昔しこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者の娘が御座りましたそうな」 「へえ」 「ところがその娘に二人の男が一度に懸想して、あなた」 「なるほど」 「ささだ男に靡こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも と云う歌を咏んで、淵川へ身を投げて果てました」  余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。 「これから五丁東へ下ると、道端に五輪塔が御座んす。ついでに長良の乙女の墓を見て御行きなされ」  余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。 「那古井の嬢様にも二人の男が祟りました。一人は嬢様が京都へ修行に出て御出での頃御逢いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」 「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」 「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な理由もありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」 「めでたく、淵川へ身を投げんでも済んだ訳だね」 「ところが――先方でも器量望みで御貰いなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともと強いられて御出なさったのだから、どうも折合がわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々内気の優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」  これからさきを聞くと、せっかくの趣向が壊れる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣を帰せ帰せと催促するような気がする。七曲りの険を冒して、やっとの思で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下されては、飄然と家を出た甲斐がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染込んで、垢で身体が重くなる。 「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚床几の上へかちりと投げ出して立ち上がる。 「長良の五輪塔から右へ御下りなさると、六丁ほどの近道になります。路はわるいが、御若い方にはその方がよろしかろ。――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」 三  昨夕は妙な気持ちがした。  宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔し来た時とはまるで見当が違う。晩餐を済まして、湯に入って、室へ帰って茶を飲んでいると、小女が来て床を延べよかと云う。  不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食の給仕も、湯壺への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多にきかぬ。と云うて、田舎染みてもおらぬ。赤い帯を色気なく結んで、古風な紙燭をつけて、廊下のような、梯子段のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。  給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠かった時に、あとがひっそりとして、人の気がしないのが気になった。  生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州を館山から向うへ突き抜けて、上総から銚子まで浜伝いに歩行た事がある。その時ある晩、ある所へ宿た。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間をいくつも通り越して一番奥の、中二階へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入ろうとすると、板庇の下に傾きかけていた一叢の修竹が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので、すでにひやりとした。椽板はすでに朽ちかかっている。来年は筍が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。  その晩は例の竹が、枕元で婆娑ついて、寝られない。障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明かなるに、眼を走しらせると、垣も塀もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原でどどんどどんと大きな濤が人の世を威嚇しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳のうちに辛防しながら、まるで草双紙にでもありそうな事だと考えた。  その後旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。  仰向に寝ながら、偶然目を開けて見ると欄間に、朱塗りの縁をとった額がかかっている。文字は寝ながらも竹影払階塵不動と明らかに読まれる。大徹という落款もたしかに見える。余は書においては皆無鑒識のない男だが、平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁でしかも雅馴である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。  横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、すでに逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗かっている様子は、はなはだ吾意を得て、飄逸の趣は、長い嘴のさきまで籠っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。  すやすやと寝入る。夢に。  長良の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。  そこで眼が醒めた。腋の下から汗が出ている。妙に雅俗混淆な夢を見たものだと思った。昔し宋の大慧禅師と云う人は、悟道の後、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅が利かない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子に月がさして、木の枝が二三本斜めに影をひたしている。冴えるほどの春の夜だ。  気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛れ込んだのかと耳を峙てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜に一縷の脈をかすかに搏たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良の乙女の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。  初めのうちは椽に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然に細りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒を縮め、分を割いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫のごとく、消えんとしては、消えんとする灯火のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨みをことごとく萃めたる調べがある。  今までは床の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕って飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮ても鼓膜に応えはあるまいと思う一刹那の前、余はたまらなくなって、われ知らず布団をすり抜けると共にさらりと障子を開けた。途端に自分の膝から下が斜めに月の光りを浴びる。寝巻の上にも木の影が揺れながら落ちた。  障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠かと思わるる幹を背に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧たる影法師がいた。あれかと思う意識さえ、確とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟の角が、すらりと動く、背の高い女姿を、すぐに遮ってしまう。  借着の浴衣一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参して考え出した。括り枕のしたから、袂時計を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家の御嬢さんかも知れない。しかし出帰りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当だ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪しからん。  怖いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄い事も、己れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿るところやら、憂のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢るるところやらを、単に客観的に眼前に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自から強いて煩悶して、愉快を貪ぼるものがある。常人はこれを評して愚だと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描いて好んでその中に起臥するのは、自から烏有の山水を刻画して壺中の天地に歓喜すると、その芸術的の立脚地を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行をする間、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々して、したり顔である。これはあえて自ら欺くの、人を偽わるのと云う了見ではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。  この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅を見、無上の宝を知る。俗にこれを名けて美化と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛たる彩光は、炳乎として昔から現象世界に実在している。ただ一翳眼に在って空花乱墜するが故に、俗累の覊絏牢として絶ちがたきが故に、栄辱得喪のわれに逼る事、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。  余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰れが見ても、誰に聞かしても饒に詩趣を帯びている。――孤村の温泉、――春宵の花影、――月前の低誦、――朧夜の姿――どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮義立てをして、余計な探ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴する資格はつかぬ。昔し以太利亜の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭にして、山賊の群に這入り込んだと聞いた事がある。飄然と画帖を懐にして家を出でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。  こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据えつけて、その感じから一歩退いて有体に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近なのは何でも蚊でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠に上った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟りであるから軽便だと云って侮蔑する必要はない。軽便であればあるほど功徳になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。  これが平生から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。 「海棠の露をふるふや物狂ひ」と真先に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧かな」とやったが、これは季が重なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気になればいい。それから「正一位、女に化けて朧月」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。  この調子なら大丈夫と乗気になって出るだけの句をみなかき付ける。 春の星を落して夜半のかざしかな 春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪 春や今宵歌つかまつる御姿 海棠の精が出てくる月夜かな うた折々月下の春ををちこちす 思ひ切つて更け行く春の独りかな などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。  恍惚と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人も我を認め得ぬ。明覚の際には誰あって外界を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷のごとき幻境が横わる。醒めたりと云うには余り朧にて、眠ると評せんには少しく生気を剰す。起臥の二界を同瓶裏に盛りて、詩歌の彩管をもって、ひたすらに攪き雑ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞の国へ押し流す。睡魔の妖腕をかりて、ありとある実相の角度を滑かにすると共に、かく和らげられたる乾坤に、われからと微かに鈍き脈を通わせる。地を這う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂の、わが殻を離れんとして離るるに忍びざる態である。抜け出でんとして逡巡い、逡巡いては抜け出でんとし、果ては魂と云う個体を、もぎどうに保ちかねて、氤たる瞑氛が散るともなしに四肢五体に纏綿して、依々たり恋々たる心持ちである。  余が寤寐の境にかく逍遥していると、入口の唐紙がすうと開いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地よく眺めている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が閉じている瞼の裏に幻影の女が断りもなく滑り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入る。仙女の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる眼のなかから見る世の中だから確とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足の長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯影にすかすような気がする。  まぼろしは戸棚の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖をすべって暗闇のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉たる。余が眠りはしだいに濃やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。  いつまで人と馬の相中に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅から隅まで明るい。うららかな春日が丸窓の竹格子を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜む余地はなさそうだ。神秘は十万億土へ帰って、三途の川の向側へ渡ったのだろう。  浴衣のまま、風呂場へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。  身体を拭くさえ退儀だから、いい加減にして、濡れたまま上って、風呂場の戸を内から開けると、また驚かされた。 「御早う。昨夕はよく寝られましたか」  戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭の挨拶だから、さそくの返事も出る遑さえないうちに、 「さ、御召しなさい」 と後ろへ廻って、ふわりと余の背中へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端に女は二三歩退いた。  昔から小説家は必ず主人公の容貌を極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人の品評に使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経とその量を争うかも知れぬ。この辟易すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔りに立つ、体を斜めに捩って、後目に余が驚愕と狼狽を心地よげに眺めている女を、もっとも適当に叙すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日に至るまで未だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘の彫刻の理想は、端粛の二字に帰するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲か雷霆か、見わけのつかぬところに余韻が縹緲と存するから含蓄の趣を百世の後に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁には、泥帯水の陋を遺憾なく示して、本来円満の相に戻る訳には行かぬ。この故に動と名のつくものは必ず卑しい。運慶の仁王も、北斎の漫画も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範疇のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。  ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ちつきを見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせついて、いわゆる富士額の俗臭を帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。  元来は静であるべき大地の一角に陥欠が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背くと悟って、力めて往昔の姿にもどろうとしたのを、平衡を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。  それだから軽侮の裏に、何となく人に縋りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。才に任せ、気を負えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢の下から温和しい情けが吾知らず湧いて出る。どうしても表情に一致がない。悟りと迷が一軒の家に喧嘩をしながらも同居している体だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合な女に違ない。 「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈した。 「ほほほほ御部屋は掃除がしてあります。往って御覧なさい。いずれ後ほど」 と云うや否や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気に馳けて行った。頭は銀杏返に結っている。白い襟がたぼの下から見える。帯の黒繻子は片側だけだろう。 四  ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥が見える。上から友禅の扱帯が半分垂れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚の遠良天釜と、伊勢物語の一巻が並んでる。昨夕のうつつは事実かも知れないと思った。  何気なく座布団の上へ坐ると、唐木の机の上に例の写生帖が、鉛筆を挟んだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。 「海棠の露をふるふや物狂」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかと解らんが、女にしては硬過ぎる、男にしては柔か過ぎる。おやとまた吃驚する。次を見ると「花の影、女の影の朧かな」の下に「花の影女の影を重ねけり」とつけてある。「正一位女に化けて朧月」の下には「御曹子女に化けて朧月」とある。真似をしたつもりか、添削した気か、風流の交わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾けた。  後ほどと云ったから、今に飯の時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たものだ。これでは午飯だけで間に合せる方が胃のためによかろう。  右側の障子をあけて、昨夜の名残はどの辺かなと眺める。海棠と鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五六枚の飛石を一面の青苔が埋めて、素足で踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきの崖に赤松が斜めに岩の間から庭の上へさし出している。海棠の後ろにはちょっとした茂みがあって、奥は大竹藪が十丈の翠りを春の日に曝している。右手は屋の棟で遮ぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら下りに風呂場の方へ落ちているに相違ない。  山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然と起き上って、周囲六里の摩耶島となる。これが那古井の地勢である。温泉場は岡の麓を出来るだけ崖へさしかけて、岨の景色を半分庭へ囲い込んだ一構であるから、前面は二階でも、後ろは平屋になる。椽から足をぶらさげれば、すぐと踵は苔に着く。道理こそ昨夕は楷子段をむやみに上ったり、下ったり、異な仕掛の家と思ったはずだ。  今度は左り側の窓をあける。自然と凹む二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影をしている。二株三株の熊笹が岩の角を彩どる、向うに枸杞とも見える生垣があって、外は浜から、岡へ上る岨道か時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと南下がりに蜜柑を植えて、谷の窮まる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石磴が五六段手にとるように見える。大方御寺だろう。  入口の襖をあけて椽へ出ると、欄干が四角に曲って、方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を隔てて、表二階の一間がある。わが住む部屋も、欄干に倚ればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。湯壺は地の下にあるのだから、入湯と云う点から云えば、余は三層楼上に起臥する訳になる。  家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居室台所は知らず、客間と名がつきそうなのは大抵立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。〆た部屋は昼も雨戸をあけず、あけた以上は夜も閉てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強な場所だ。  時計は十二時近くなったが飯を食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、空山不見人と云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾はない。画をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧に入っているから、作るだけ野暮だ。読もうと思って三脚几に括りつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦々たる春日に背中をあぶって、椽側に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽である。考えれば外道に堕ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。  やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上ってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は何にも云わず、元の方へ引き返す。襖があいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜の小女郎である。何だか物足らぬ。 「遅くなりました」と膳を据える。朝食の言訳も何にも言わぬ。焼肴に青いものをあしらって、椀の蓋をとれば早蕨の中に、紅白に染め抜かれた、海老を沈ませてある。ああ好い色だと思って、椀の中を眺めていた。 「御嫌いか」と下女が聞く。 「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐の席で、皿に盛るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立は、吸物でも、口取でも、刺身でも物奇麗に出来る。会席膳を前へ置いて、一箸も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐は充分ある。 「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。 「へえ」 「ありゃ何だい」 「若い奥様でござんす」 「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」 「去年御亡くなりました」 「旦那さんは」 「おります。旦那さんの娘さんでござんす」 「あの若い人がかい」 「へえ」 「御客はいるかい」 「おりません」 「わたし一人かい」 「へえ」 「若い奥さんは毎日何をしているかい」 「針仕事を……」 「それから」 「三味を弾きます」  これは意外であった。面白いからまた 「それから」と聞いて見た。 「御寺へ行きます」と小女郎が云う。  これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。 「御寺詣りをするのかい」 「いいえ、和尚様の所へ行きます」 「和尚さんが三味線でも習うのかい」 「いいえ」 「じゃ何をしに行くのだい」 「大徹様の所へ行きます」  なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察すると何でも禅坊主らしい。戸棚に遠良天釜があったのは、全くあの女の所持品だろう。 「この部屋は普段誰か這入っている所かね」 「普段は奥様がおります」 「それじゃ、昨夕、わたしが来る時までここにいたのだね」 「へえ」 「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」 「知りません」 「それから」 「何でござんす」 「それから、まだほかに何かするのだろう」 「それから、いろいろ……」 「いろいろって、どんな事を」 「知りません」  会話はこれで切れる。飯はようやく了る。膳を引くとき、小女郎が入口の襖を開たら、中庭の栽込みを隔てて、向う二階の欄干に銀杏返しが頬杖を突いて、開化した楊柳観音のように下を見詰めていた。今朝に引き替えて、はなはだ静かな姿である。俯向いて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好にかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸子より良きはなしと云ったそうだが、なるほど人焉んぞさんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。寂然と倚る亜字欄の下から、蝶々が二羽寄りつ離れつ舞い上がる。途端にわが部屋の襖はあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方に転じた。視線は毒矢のごとく空を貫いて、会釈もなく余が眉間に落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極呑気な春となる。  余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、 Sadder than is the moon's lost light,    Lost ere the kindling of dawn,    To travellers journeying on, The shutting of thy fair face from my sight. と云う句であった。もし余があの銀杏返しに懸想して、身を砕いても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥の別れを、魂消るまでに、嬉しとも、口惜しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に Might I look on thee in death, With bliss I would yield my breath. と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹那に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。余と銀杏返しの間柄にこんな切ない思はないとしても、二人の今の関係を、この詩の中に適用て見るのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある因果の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括りつけられている。因果もこのくらい糸が細いと苦にはならぬ。その上、ただの糸ではない。空を横切る虹の糸、野辺に棚引く霞の糸、露にかがやく蜘蛛の糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは勝れてうつくしい。万一この糸が見る間に太くなって井戸縄のようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。  突然襖があいた。寝返りを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青磁の鉢を盆に乗せたまま佇んでいる。 「また寝ていらっしゃるか、昨夕は御迷惑で御座んしたろう。何返も御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。臆した景色も、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。ただこちらが先を越されたのみである。 「今朝はありがとう」とまた礼を云った。考えると、丹前の礼をこれで三返云った。しかも、三返ながら、ただ難有うと云う三字である。  女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って 「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも気作に云う。余は全くだと考えたから、ひとまず腹這になって、両手で顎を支え、しばし畳の上へ肘壺の柱を立てる。 「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」 「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。 「うん、なかなか美事だ」 「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」  源兵衛は昨夕城下へ留ったと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事はない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。 「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜色がない」  女はふふんと笑った。口元に侮どりの波が微かに揺れた。余の言葉を洒落と解したのだろう。なるほど洒落とすれば、軽蔑される価はたしかにある。智慧の足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。 「これは支那ですか」 「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。 「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺めて見た。 「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」 「ええ、見せて下さい」 「父が骨董が大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」  茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、麻布の聯隊のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休以後の規則を鵜呑みにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。 「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」 「いいえ、流儀も何もありゃしません。御厭なら飲まなくってもいい御茶です」 「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」 「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」 「褒めなくっちゃあ、いけませんか」 「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」 「へえ、少しなら褒めて置きましょう」 「負けて、たくさん御褒めなさい」 「はははは、時にあなたの言葉は田舎じゃない」 「人間は田舎なんですか」 「人間は田舎の方がいいのです」 「それじゃ幅が利きます」 「しかし東京にいた事がありましょう」 「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」 「ここと都と、どっちがいいですか」 「同じ事ですわ」 「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」 「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤の国が厭になったって、蚊の国へ引越しちゃ、何にもなりません」 「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」 「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女は詰め寄せる。 「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、画にはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、 「さあ、この中へ御這入りなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の前へ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと景色を伺うと、 「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで蟹ね」と云って退けた。余は 「わはははは」と笑う。軒端に近く、啼きかけた鶯が、中途で声を崩して、遠き方へ枝移りをやる。両人はわざと対話をやめて、しばらく耳を峙てたが、いったん鳴き損ねた咽喉は容易に開けぬ。 「昨日は山で源兵衛に御逢いでしたろう」 「ええ」 「長良の乙女の五輪塔を見ていらしったか」 「ええ」 「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何のためか知らぬ。 「その歌はね、茶店で聞きましたよ」 「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云いかけて、これはと余の顔を見たから、余は知らぬ風をしていた。 「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も聴くうちに、とうとう何もかも諳誦してしまいました」 「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐れな歌ですね」 「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏みませんね。第一、淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」 「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」 「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」 「両方ともですか」 「ええ」 「えらいな」 「えらかあない、当り前ですわ」 「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」 「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」  ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯が、いつ勢を盛り返してか、時ならぬ高音を不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆まにして、ふくらむ咽喉の底を震わして、小さき口の張り裂くるばかりに、  ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様に囀ずる。 「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。 五 「失礼ですが旦那は、やっぱり東京ですか」 「東京と見えるかい」 「見えるかいって、一目見りゃあ、――第一言葉でわかりまさあ」 「東京はどこだか知れるかい」 「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。――何でも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は麹町かね。え? それじゃ、小石川? でなければ牛込か四谷でしょう」 「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」 「こう見えて、私も江戸っ子だからね」 「道理で生粋だと思ったよ」 「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」 「何でまたこんな田舎へ流れ込んで来たのだい」 「ちげえねえ、旦那のおっしゃる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めっちまって……」 「もとから髪結床の親方かね」 「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は神田松永町でさあ。なあに猫の額見たような小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえはずさ。あすこに竜閑橋てえ橋がありましょう。え? そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名代な橋だがね」 「おい、もう少し、石鹸を塗けてくれないか、痛くって、いけない」 「痛うがすかい。私ゃ癇性でね、どうも、こうやって、逆剃をかけて、一本一本髭の穴を掘らなくっちゃ、気が済まねえんだから、――なあに今時の職人なあ、剃るんじゃねえ、撫でるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ」 「我慢は先から、もうだいぶしたよ。御願だから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」 「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。全体、髭があんまり、延び過ぎてるんだ」  やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、棚の上から、薄っ片な赤い石鹸を取り卸ろして、水のなかにちょっと浸したと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。裸石鹸を顔へ塗りつけられた事はあまりない。しかもそれを濡らした水は、幾日前に汲んだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。  すでに髪結床である以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡と云う道具は平らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が具わらない鏡を懸けて、これに向えと強いるならば、強いるものは下手な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。虚栄心を挫くのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も己れの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱するには及ぶまい。今余が辛抱して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向くと蟇蛙を前から見たように真平に圧し潰され、少しこごむと福禄寿の祈誓児のように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対する間は一人でいろいろな化物を兼勤しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の剥げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を極めている。小人から罵詈されるとき、罵詈それ自身は別に痛痒を感ぜぬが、その小人の面前に起臥しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。  その上この親方がただの親方ではない。そとから覗いたときは、胡坐をかいて、長煙管で、おもちゃの日英同盟国旗の上へ、しきりに煙草を吹きつけて、さも退屈気に見えたが、這入って、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。髭を剃る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦なく取り扱われる。余の首が肩の上に釘付けにされているにしてもこれでは永く持たない。  彼は髪剃を揮うに当って、毫も文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。揉み上の所ではぞきりと動脈が鳴った。顋のあたりに利刃がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱を踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。  最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な臭いがする。時々は異な瓦斯を余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ何時、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我なら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛でも掻き切られては事だ。 「石鹸なんぞを、つけて、剃るなあ、腕が生なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ放り出すと、石鹸は親方の命令に背いて地面の上へ転がり落ちた。 「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」 「二三日前来たばかりさ」 「へえ、どこにいるんですい」 「志保田に逗ってるよ」 「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな事たろうと思ってた。実あ、私もあの隠居さんを頼て来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年御新造が死んじまって、今じゃ道具ばかり捻くってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。売ったらよっぽどな金目だろうって話さ」 「奇麗な御嬢さんがいるじゃないか」 「あぶねえね」 「何が?」 「何がって。旦那の前だが、あれで出返りですぜ」 「そうかい」 「そうかいどころの騒じゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。――銀行が潰れて贅沢が出来ねえって、出ちまったんだから、義理が悪るいやね。隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返しがつかねえ訳になりまさあ」 「そうかな」 「当り前でさあ。本家の兄たあ、仲がわるしさ」 「本家があるのかい」 「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。景色のいい所ですよ」 「おい、もう一遍石鹸をつけてくれないか。また痛くなって来た」 「よく痛くなる髭だね。髭が硬過ぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度は是非剃を当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ」 「これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい」 「そんなに長く逗留する気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事った。碌でもねえものに引っかかって、どんな目に逢うか解りませんぜ」 「どうして」 「旦那あの娘は面はいいようだが、本当はき印しですぜ」 「なぜ」 「なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂だって云ってるんでさあ」 「そりゃ何かの間違だろう」 「だって、現に証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」 「おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい」 「おかしな話しさね。まあゆっくり、煙草でも呑んで御出なせえ話すから。――頭あ洗いましょうか」 「頭はよそう」 「頭垢だけ落して置くかね」  親方は垢の溜った十本の爪を、遠慮なく、余が頭蓋骨の上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛の境を巨人の熊手が疾風の速度で通るごとくに往来する。余が頭に何十万本の髪の毛が生えているか知らんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓腫にふくれ上った上、余勢が地磐を通して、骨から脳味噌まで震盪を感じたくらい烈しく、親方は余の頭を掻き廻わした。 「どうです、好い心持でしょう」 「非常な辣腕だ」 「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」 「首が抜けそうだよ」 「そんなに倦怠うがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春てえ奴あ、やに身体がなまけやがって――まあ一ぷく御上がんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話しに御出なせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話しが合わねえものだから。何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、見境のねえ女だから困っちまわあ」 「御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったっけ」 「違ねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主が逆せちまって……」 「その坊主たあ、どの坊主だい」 「観海寺の納所坊主がさ……」 「納所にも住持にも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」 「そうか、急勝だから、いけねえ。苦味走った、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前さん、レコに参っちまって、とうとう文をつけたんだ。――おや待てよ。口説たんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違えねえ。すると――こうっと――何だか、行きさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと奴さん、驚ろいちまってからに……」 「誰が驚ろいたんだい」 「女がさ」 「女が文を受け取って驚ろいたんだね」 「ところが驚ろくような女なら、殊勝らしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」 「じゃ誰が驚ろいたんだい」 「口説た方がさ」 「口説ないのじゃないか」 「ええ、じれってえ。間違ってらあ。文をもらってさ」 「それじゃやっぱり女だろう」 「なあに男がさ」 「男なら、その坊主だろう」 「ええ、その坊主がさ」 「坊主がどうして驚ろいたのかい」 「どうしてって、本堂で和尚さんと御経を上げてると、突然あの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂印だね」 「どうかしたのかい」 「そんなに可愛いなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、泰安さんの頸っ玉へかじりついたんでさあ」 「へええ」 「面喰ったなあ、泰安さ。気狂に文をつけて、飛んだ恥を掻かせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」 「死んだ?」 「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」 「何とも云えない」 「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって冴えねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」 「なかなか面白い話だ」 「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根が気が違ってるんだから、洒唖洒唖して平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多にからかったり何かすると、大変な目に逢いますよ」 「ちっと気をつけるかね。ははははは」  生温い磯から、塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾を眠たそうに煽る。身を斜にしてその下をくぐり抜ける燕の姿が、ひらりと、鏡の裡に落ちて行く。向うの家では六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞まりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い味が笊のなかに隠れる。殻はきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎を向へ横切る。丘のごとくに堆かく、積み上げられた、貝殻は牡蠣か、馬鹿か、馬刀貝か。崩れた、幾分は砂川の底に落ちて、浮世の表から、暗らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末を考うる暇さえなく、ただ空しき殻を陽炎の上へ放り出す。彼れの笊には支うべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑かと見える。  砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参差として幾尋の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、腥き微温を与えつつあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀を溶かして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。  この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺の風光と拮抗するほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる円方鑿の感に打たれただろう。幸にして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然として駘蕩たる天地の大気象には叶わない。満腹の饒舌を弄して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵となって、怡々たる春光の裏に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体躯において氷炭相容るる能わずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に在って始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく磨して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。大人の手足となって才子が活動し、才子の股肱となって昧者が活動し、昧者の心腹となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽を演じている。長閑な春の感じを壊すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半ばに呑気な弥次と近づきになったような気持ちになった。この極めて安価なる気家は、太平の象を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。  こう考えると、この親方もなかなか画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻を据えて四方八方の話をしていた。ところへ暖簾を滑って小さな坊主頭が 「御免、一つ剃って貰おうか」 と這入って来る。白木綿の着物に同じ丸絎の帯をしめて、上から蚊帳のように粗い法衣を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。 「了念さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚さんに叱られたろう」 「いんにゃ、褒められた」 「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」 「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」 「道理で頭に瘤が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、剃るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、捏ね直して来ねえ」 「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」 「はははは頭は凹凸だが、口だけは達者なもんだ」 「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前だろ」 「箆棒め、腕が鈍いって……」 「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。年甲斐もない」 「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」 「ええ?」 「全体坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托がねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。こんな小坊主までなかなか口幅ってえ事を云いますぜ――おっと、もう少し頭を寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事を聴かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」 「痛いがな。そう無茶をしては」 「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」 「坊主にはもうなっとるがな」 「まだ一人前じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」 「泰安さんは死にはせんがな」 「死なねえ? はてな。死んだはずだが」 「泰安さんは、その後発憤して、陸前の大梅寺へ行って、修業三昧じゃ。今に智識になられよう。結構な事よ」 「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂印はやっぱり和尚さんの所へ行くかい」 「狂印と云う女は聞いた事がない」 「通じねえ、味噌擂だ。行くのか、行かねえのか」 「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」 「いくら、和尚さんの御祈祷でもあればかりゃ、癒るめえ。全く先の旦那が祟ってるんだ」 「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」 「石段をあがると、何でも逆様だから叶わねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂は気狂だろう。――さあ剃れたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」 「いやもう少し遊んで行って賞められよう」 「勝手にしろ、口の減らねえ餓鬼だ」 「咄この乾屎」 「何だと?」  青い頭はすでに暖簾をくぐって、春風に吹かれている。 六  夕暮の机に向う。障子も襖も開け放つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞う境を、幾曲の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩にはならぬ。今日は一層静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間に、われを残して、立ち退いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、舵をとるさえ懶き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境に漂い来て、果ては帆みずからが、いずこに己れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遥かな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大が、今頃は目に見えぬ霊氛となって、広い天地の間に、顕微鏡の力を藉るとも、些の名残を留めぬようになったのであろう。あるいは雲雀に化して、菜の花の黄を鳴き尽したる後、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする虻のつとめを果したる後、蕋に凝る甘き露を吸い損ねて、落椿の下に、伏せられながら、世を香ばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。  空しき家を、空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面当でもない。自から来りて、自から去る、公平なる宇宙の意である。掌に顎を支えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。  踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣も起る。戴くは天と知る故に、稲妻の米噛に震う怖も出来る。人と争わねば一分が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免かれぬ。東西のある乾坤に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎である。目に見る富は土である。握る名と奪える誉とは、小賢かしき蜂が甘く醸すと見せて、針を棄て去る蜜のごときものであろう。いわゆる楽は物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客なるものあって、飽くまでこの待対世界の精華を嚼んで、徹骨徹髄の清きを知る。霞を餐し、露を嚥み、紫を品し、紅を評して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。自在に泥団を放下して、破笠裏に無限の青嵐を盛る。いたずらにこの境遇を拈出するのは、敢て市井の銅臭児の鬼嚇して、好んで高く標置するがためではない。ただ這裏の福音を述べて、縁ある衆生を麾くのみである。有体に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足の道である。春秋に指を折り尽して、白頭に呻吟するの徒といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸に洩れて、吾を忘れし、拍手の興を喚び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐のない男である。  されど一事に即し、一物に化するのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁の花に化し、あるときは一双の蝶に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風の裏に撩乱せしむる事もあろうが、何とも知れぬ四辺の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物ぞとも明瞭に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気に触るると云うだろう。ある人は無絃の琴を霊台に聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域にして、縹緲のちまたに彷徨すると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木の机に憑りてぽかんとした心裡の状態は正にこれである。  余は明かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚と動いている。  強いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫も刺激がない。刺激がないから、窈然として名状しがたい楽がある。風に揉まれて上の空なる波を起す、軽薄で騒々しい趣とは違う。目に見えぬ幾尋の底を、大陸から大陸まで動いている洋たる蒼海の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念が籠る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞を含んではおらぬ。冲融とか澹蕩とか云う詩人の語はもっともこの境を切実に言い了せたものだろう。  この境界を画にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過して、絵絹の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事は終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣を添えて、画布の上に淋漓として生動させる。ある特別の感興を、己が捕えたる森羅の裡に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭に筆端に迸しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己れはしかじかの事を、しかじかに観、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も、前人の籬下に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。  この二種の製作家に主客深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明なものではない。あらん限りの感覚を鼓舞して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑の色は無論、濃淡の陰、洪繊の線を見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横わる、一定の景物でないから、これが源因だと指を挙げて明らかに人に示す訳に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否この心持ちをいかなる具体を藉りて、人の合点するように髣髴せしめ得るかが問題である。  普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏らない。纏っても自然界に存するものとは丸で趣を異にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命をしがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績を収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派に指を染め得たるものを挙ぐれば、文与可の竹である。雲谷門下の山水である。下って大雅堂の景色である。蕪村の人物である。泰西の画家に至っては、多く眼を具象世界に馳せて、神往の気韻に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外の神韻を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。  惜しい事に雪舟、蕪村らの力めて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子を尋ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵られても恨はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖のなかへ落ち込むまで、工夫したが、とても物にならん。  鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。  たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼られて生まれた自然の声であろう。楽は聴くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。  次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来り、二が消えて三が生まるるがために嬉しいのではない。初から窈然として同所に把住する趣きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情を詩中に持ち来って、この曠然として倚托なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗する出来事の助けを藉らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充たしさえすれば、言語をもって描き得るものと思う。  議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫も運動させる訳に行かなかった。急に朋友の名を失念して、咽喉まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦めると、出損なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。  葛湯を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸に手応がないものだ。そこを辛抱すると、ようやく粘着が出て、攪き淆ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。  手掛りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、 青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。蛸掛不動。篆煙繞竹梁。 と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情を、次には咏って見たい。あれか、これかと思い煩った末とうとう、 独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬白雲郷。 と出来た。もう一返最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入った神境を写したものとすると、索然として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖を引いて、開け放った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。  余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。  一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側を寂然として歩行て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。  花曇りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥と見えつ、隠れつする。  女はもとより口も聞かぬ。傍目も触らぬ。椽に引く裾の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様は何を染め抜いたものか、遠くて解からぬ。ただ無地と模様のつながる中が、おのずから暈されて、夜と昼との境のごとき心地である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。  この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装をして、この不思議な歩行をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝く春の恨を訴うる所作ならば何が故にかくは無頓着なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅を飾れる。  暮れんとする春の色の、嬋媛として、しばらくは冥の戸口をまぼろしに彩どる中に、眼も醒むるほどの帯地は金襴か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然たる夕べのなかにつつまれて、幽闃のあなた、遼遠のかしこへ一分ごとに消えて去る。燦めき渡る春の星の、暁近くに、紫深き空の底に陥いる趣である。  太玄のおのずから開けて、この華やかなる姿を、幽冥の府に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏を背に、銀燭を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装の、厭う景色もなく、争う様子も見えず、色相世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦きもせず、狼狽もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊しているらしい。身に落ちかかる災を知らぬとすれば無邪気の極である。知って、災と思わぬならば物凄い。黒い所が本来の住居で、しばらくの幻影を、元のままなる冥漠の裏に収めればこそ、かように間の態度で、有と無の間に逍遥しているのだろう。女のつけた振袖に、紛たる模様の尽きて、是非もなき磨墨に流れ込むあたりに、おのが身の素性をほのめかしている。  またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚のままで、この世の呼吸を引き取るときに、枕元に病を護るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐のない本人はもとより、傍に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科があろう。眠りながら冥府に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃れぬ定業と得心もさせ、断念もして、念仏を唱えたい。死ぬべき条件が具わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏と回向をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮りの眠りから、いつの間とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否や、何だか口が聴けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端に、女はまた通る。こちらに窺う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々と封じ了る。 七  寒い。手拭を下げて、湯壺へ下る。  三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋ほどな湯槽を据える。槽とは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入り心地がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭もない。病気にも利くそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。ただ這入る度に考え出すのは、白楽天の温泉水滑洗凝脂と云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。  すぽりと浸かると、乳のあたりまで這入る。湯はどこから湧いて出るか知らぬが、常でも槽の縁を奇麗に越している。春の石は乾くひまなく濡れて、あたたかに、踏む足の、心は穏やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠めて、ひそかに春を潤おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠められた湯気は、床から天井を隈なく埋めて、隙間さえあれば、節穴の細きを厭わず洩れ出でんとする景色である。  秋の霧は冷やかに、たなびく靄は長閑に、夕餉炊く、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の憐れはあるが、春の夜の温泉の曇りばかりは、浴するものの肌を、柔らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一重破れば、何の苦もなく、下界の人と、己れを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温かき虹の中に埋め去る。酒に酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にした事がない。あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少し強過ぎる。ただこの靄に、春宵の二字を冠したるとき、始めて妥当なるを覚える。  余は湯槽のふちに仰向の頭を支えて、透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張をはずす。どうともせよと、湯泉のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督の御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門は風流である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。  湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門の賛を作って見る。 雨が降ったら濡れるだろう。 霜が下りたら冷たかろ。 土のしたでは暗かろう。 浮かば波の上、 沈まば波の底、 春の水なら苦はなかろ。 と口のうちで小声に誦しつつ漫然と浮いていると、どこかで弾く三味線の音が聞える。美術家だのにと云われると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における智識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳には余り影響を受けた試しがない。しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える、山里の湯壺の中で、魂まで春の温泉に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのははなはだ嬉しい。遠いから何を唄って、何を弾いているか無論わからない。そこに何だか趣がある。音色の落ちついているところから察すると、上方の検校さんの地唄にでも聴かれそうな太棹かとも思う。  小供の時分、門前に万屋と云う酒屋があって、そこに御倉さんと云う娘がいた。この御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚いをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控えて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好を形つくっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄灯籠が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺のようにかたく坐っている。余はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。灯籠の前後には、苔深き地を抽いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独り匂うて独り楽しんでいる。余はこの草のなかに、わずかに膝を容るるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、この灯籠を睨めて、この草の香を臭いで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。  御倉さんはもう赤い手絡の時代さえ通り越して、だいぶんと世帯じみた顔を、帳場へ曝してるだろう。聟とは折合がいいか知らん。燕は年々帰って来て、泥を啣んだ嘴を、いそがしげに働かしているか知らん。燕と酒の香とはどうしても想像から切り離せない。  三本の松はいまだに好い恰好で残っているかしらん。鉄灯籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、昔し、しゃがんだ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。御倉さんの旅の衣は鈴懸のと云う、日ごとの声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。  三味の音が思わぬパノラマを余の眼前に展開するにつけ、余は床しい過去の面のあたりに立って、二十年の昔に住む、頑是なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開いた。  誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に注ぐ。湯槽の縁の最も入口から、隔たりたるに頭を乗せているから、槽に下る段々は、間二丈を隔てて斜めに余が眼に入る。しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶る雨垂の音のみが聞える。三味線はいつの間にかやんでいた。  やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照すものは、ただ一つの小さき釣り洋灯のみであるから、この隔りでは澄切った空気を控えてさえ、確と物色はむずかしい。まして立ち上がる湯気の、濃かなる雨に抑えられて、逃場を失いたる今宵の風呂に、立つを誰とはもとより定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影を浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。  黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞のごとく柔かと見えて、足音を証にこれを律すれば、動かぬと評しても差支ない。が輪廓は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外視覚が鋭敏である。何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在る事を覚った。  注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。漲ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のと云う感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。  古代希臘の彫刻はいざ知らず、今世仏国の画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨な肉の美を、極端まで描がき尽そうとする痕迹が、ありありと見えるので、どことなく気韻に乏しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ故、吾知らず、答えを得るに煩悶して今日に至ったのだろう。肉を蔽えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑しくなる。今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留めておらぬ。衣を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、飽くまでも裸体を、衣冠の世に押し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。十分で事足るべきを、十二分にも、十五分にも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出しようとする。技巧がこの極端に達したる時、人はその観者を強うるを陋とする。うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦せるとき、うつくしきものはかえってその度を減ずるが例である。人事についても満は損を招くとの諺はこれがためである。  放心と無邪気とは余裕を示す。余裕は画において、詩において、もしくは文章において、必須の条件である。今代芸術の一大弊竇は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々として随処に齷齪たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸妓と云うものがある。色を売りて、人に媚びるを商売にしている。彼らは嫖客に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子に映ずるかを顧慮するのほか、何らの表情をも発揮し得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能わざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力めている。  今余が面前に娉と現われたる姿には、一塵もこの俗埃の眼に遮ぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏える衣装を脱ぎ捨てたる様と云えばすでに人界に堕在する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。  室を埋むる湯煙は、埋めつくしたる後から、絶えず湧き上がる。春の夜の灯を半透明に崩し拡げて、部屋一面の虹霓の世界が濃かに揺れるなかに、朦朧と、黒きかとも思わるるほどの髪を暈して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓を見よ。  頸筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢を後ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につく頃、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。  しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗を溌墨淋漓の間に点じて、竜の怪を、楮毫のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥なる調子とを具えている。六々三十六鱗を丁寧に描きたる竜の、滑稽に落つるが事実ならば、赤裸々の肉を浄洒々に眺めぬうちに神往の余韻はある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、桂の都を逃れた月界の嫦娥が、彩虹の追手に取り囲まれて、しばらく躊躇する姿と眺めた。  輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起して、莽と靡いた。渦捲く煙りを劈いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向へ遠退く。余はがぶりと湯を呑んだまま槽の中に突立つ。驚いた波が、胸へあたる。縁を越す湯泉の音がさあさあと鳴る。 八  御茶の御馳走になる。相客は僧一人、観海寺の和尚で名は大徹と云うそうだ。俗一人、二十四五の若い男である。  老人の部屋は、余が室の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行き留りにある。大さは六畳もあろう。大きな紫檀の机を真中に据えてあるから、思ったより狭苦しい。それへと云う席を見ると、布団の代りに花毯が敷いてある。無論支那製だろう。真中を六角に仕切って、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲は鉄色に近い藍で、四隅に唐草の模様を飾った茶の輪を染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。印度の更紗とか、ペルシャの壁掛とか号するものが、ちょっと間が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣がある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊とい。日本は巾着切りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細かくて、そうしてどこまでも娑婆気がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半を占領した。  和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の膝の傍を通り越して、頭は老人の臀の下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎へ移植したように、白い髯をむしゃむしゃと生やして、茶托へ載せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。 「今日は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、 「いや、御使をありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰をしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。この僧は六十近い、丸顔の、達磨を草書に崩したような容貌を有している。老人とは平常からの昵懇と見える。 「この方が御客さんかな」  老人は首肯ながら、朱泥の急須から、緑を含む琥珀色の玉液を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香りがかすかに鼻を襲う気分がした。 「こんな田舎に一人では御淋しかろ」と和尚はすぐ余に話しかけた。 「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋しいと云えば、偽りである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。 「なんの、和尚さん。このかたは画を書かれるために来られたのじゃから、御忙がしいくらいじゃ」 「おお左様か、それは結構だ。やはり南宗派かな」 「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。 「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。 「ははあ、洋画か。すると、あの久一さんのやられるようなものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗にかけたのう」 「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。 「御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親類らしい。 「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡が池で写生しているところを和尚さんに見つかったのです」 「ふん、そうか――さあ御茶が注げたから、一杯」と老人は茶碗を各自の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。生壁色の地へ、焦げた丹と、薄い黄で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描いてある。 「杢兵衛です」と老人が簡単に説明した。 「これは面白い」と余も簡単に賞めた。 「杢兵衛はどうも偽物が多くて、――その糸底を見て御覧なさい。銘があるから」と云う。  取り上げて、障子の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭の影が暖かそうに写っている。首を曲げて、覗き込むと、杢の字が小さく見える。銘は観賞の上において、さのみ大切のものとは思わないが、好事者はよほどこれが気にかかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味って見るのは閑人適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液はほとんどない。ただ馥郁たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。玉露に至っては濃かなる事、淡水の境を脱して、顎を疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。  老人はいつの間にやら、青玉の菓子皿を出した。大きな塊を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳りぬいた匠人の手際は驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影は一面に射し込んで、射し込んだまま、逃がれ出ずる路を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。 「御客さんが、青磁を賞められたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出して置きました」 「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好じゃ。時にあなた、西洋画では襖などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」  かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚の気に入るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄がない。 「襖には向かないでしょう」 「向かんかな。そうさな、この間の久一さんの画のようじゃ、少し派手過ぎるかも知れん」 「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥かしがって謙遜する。 「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。 「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」 「観海寺と云うと……」 「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目に見下しての――まあ逗留中にちょっと来て御覧。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」 「いつか御邪魔に上ってもいいですか」 「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」 「どこぞへ出ましたかな、久一、御前の方へ行きはせんかな」 「いいや、見えません」 「また独り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。この間法用で礪並まで行ったら、姿見橋の所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を端折って、草履を穿いて、和尚さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前はそんな形姿で地体どこへ、行ったのぞいと聴くと、今芹摘みに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂へ泥だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」 「どうも、……」と老人は苦笑いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。  老人が紫檀の書架から、恭しく取り下した紋緞子の古い袋は、何だか重そうなものである。 「和尚さん、あなたには、御目に懸けた事があったかな」 「なんじゃ、一体」 「硯よ」 「へえ、どんな硯かい」 「山陽の愛蔵したと云う……」 「いいえ、そりゃまだ見ん」 「春水の替え蓋がついて……」 「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」  老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色の四角な石が、ちらりと角を見せる。 「いい色合じゃのう。端渓かい」 「端渓で眼が九つある」 「九つ?」と和尚大に感じた様子である。 「これが春水の替え蓋」と老人は綸子で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句が書いてある。 「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書は杏坪の方が上手じゃて」 「やはり杏坪の方がいいかな」 「山陽が一番まずいようだ。どうも才子肌で俗気があって、いっこう面白うない」 「ハハハハ。和尚さんは、山陽が嫌いだから、今日は山陽の幅を懸け替えて置いた」 「ほんに」と和尚さんは後ろを振り向く。床は平床を鏡のようにふき込んで、気を吹いた古銅瓶には、木蘭を二尺の高さに、活けてある。軸は底光りのある古錦襴に、装幀の工夫を籠めた物徂徠の大幅である。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色が褪せて、金糸が沈んで、華麗なところが滅り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶の砂壁に、白い象牙の軸が際立って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床全体の趣は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。 「徂徠かな」と和尚が、首を向けたまま云う。 「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」 「それは徂徠の方が遥かにいい。享保頃の学者の字はまずくても、どこぞに品がある」 「広沢をして日本の能書ならしめば、われはすなわち漢人の拙なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」 「わしは知らん。そう威張るほどの字でもないて、ワハハハハ」 「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」 「わしか。禅坊主は本も読まず、手習もせんから、のう」 「しかし、誰ぞ習われたろう」 「若い時に高泉の字を、少し稽古した事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓を一つ御見せ」と和尚が催促する。  とうとう緞子の袋を取り除ける。一座の視線はことごとく硯の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず並と云ってよろしい。蓋には、鱗のかたに研きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。 「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」  老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁があろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、 「松の蓋は少し俗ですな」 と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を挙げて、 「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥いで山陽が手ずから製したのですよ」  なるほど山陽は俗な男だと思ったから、 「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこの鱗のかたなどをぴかぴか研ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退けた。 「ワハハハハ。そうよ、この蓋はあまり安っぽいようだな」と和尚はたちまち余に賛成した。  若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の体に蓋を払いのけた。下からいよいよ硯が正体をあらわす。  もしこの硯について人の眼を峙つべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人の刻である。真中に袂時計ほどな丸い肉が、縁とすれすれの高さに彫り残されて、これを蜘蛛の背に象どる。中央から四方に向って、八本の足が彎曲して走ると見れば、先には各眼を抱えている。残る一個は背の真中に、黄な汁をしたたらしたごとく煮染んで見える。背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。墨を湛える所は、よもやこの塹壕の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さを充たすには足らぬ。思うに水盂の中から、一滴の水を銀杓にて、蜘蛛の背に落したるを、貴き墨に磨り去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用の装飾品に過ぎぬ。  老人は涎の出そうな口をして云う。 「この肌合と、この眼を見て下さい」  なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸けたなら、直ちに凝って、一朶の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼の欺かれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹の奥に、隠元豆を、透いて見えるほどの深さに嵌め込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品をもって許さざるを得ない。 「なるほど結構です。観て心持がいいばかりじゃありません。こうして触っても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。 「久一に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄の気味で、 「分りゃしません」と打ち遣ったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺めていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一遍丁寧に撫で廻わした後、とうとうこれを恭しく禅師に返却した。禅師はとくと掌の上で見済ました末、それでは飽き足らぬと考えたと見えて、鼠木綿の着物の袖を容赦なく蜘蛛の背へこすりつけて、光沢の出た所をしきりに賞翫している。 「隠居さん、どうもこの色が実に善いな。使うた事があるかの」 「いいや、滅多には使いとう、ないから、まだ買うたなりじゃ」 「そうじゃろ。こないなのは支那でも珍らしかろうな、隠居さん」 「左様」 「わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。どうかな、買うて来ておくれかな」 「へへへへ。硯を見つけないうちに、死んでしまいそうです」 「本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか」 「二三日うちに立ちます」 「隠居さん。吉田まで送って御やり」 「普段なら、年は取っとるし、まあ見合すところじゃが、ことによると、もう逢えんかも、知れんから、送ってやろうと思うております」 「御伯父さんは送ってくれんでもいいです」  若い男はこの老人の甥と見える。なるほどどこか似ている。 「なあに、送って貰うがいい。川船で行けば訳はない。なあ隠居さん」 「はい、山越では難義だが、廻り路でも船なら……」  若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。 「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。 「ええ」  ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控えた。障子を見ると、蘭の影が少し位置を変えている。 「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」  老人は当人に代って、満洲の野に日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語げた。この夢のような詩のような春の里に、啼くは鳥、落つるは花、湧くは温泉のみと思い詰めていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家の後裔のみ住み古るしたる孤村にまで逼る。朔北の曠野を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸る時が来るかも知れない。この青年の腰に吊る長き剣の先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲く高き潮が今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。 九 「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几に縛りつけた、書物の一冊を抽いて読んでいた。 「御這入りなさい。ちっとも構いません」  女は遠慮する景色もなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟の中から、恰好のいい頸の色が、あざやかに、抽き出ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に眼についた。 「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」 「なあに」 「じゃ何が書いてあるんです」 「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」 「ホホホホ。それで御勉強なの」 「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」 「それで面白いんですか」 「それが面白いんです」 「なぜ?」 「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」 「よっぽど変っていらっしゃるのね」 「ええ、ちっと変ってます」 「初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう」 「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」 「妙な理窟だ事。しまいまで読んだっていいじゃありませんか」 「無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」 「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」  余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。 「あなたは小説が好きですか」 「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」と判然しない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。 「好きだか、嫌だか自分にも解らないんじゃないですか」 「小説なんか読んだって、読まなくったって……」 と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。 「それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」 「だって、あなたと私とは違いますもの」 「どこが?」と余は女の眼の中を見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸は少しも動かない。 「ホホホホ解りませんか」 「しかし若いうちは随分御読みなすったろう」余は一本道で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。 「今でも若いつもりですよ。可哀想に」放した鷹はまたそれかかる。すこしも油断がならん。 「そんな事が男の前で云えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻した。 「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚れたの、腫れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」 「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」 「おやそう。それだから画工なんぞになれるんですね」 「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」 「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」 「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」 「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」 「話しちゃ駄目です。画だって話にしちゃ一文の価値もなくなるじゃありませんか」 「ホホホそれじゃ読んで下さい」 「英語でですか」 「いいえ日本語で」 「英語を日本語で読むのはつらいな」 「いいじゃありませんか、非人情で」  これも一興だろうと思ったから、余は女の乞に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴く女ももとより非人情で聴いている。 「情けの風が女から吹く。声から、眼から、肌から吹く。男に扶けられて舳に行く女は、夕暮のヴェニスを眺むるためか、扶くる男はわが脈に稲妻の血を走らすためか。――非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」 「よござんすとも。御都合次第で、御足しなすっても構いません」 「女は男とならんで舷に倚る。二人の隔りは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。女は男と共にヴェニスに去らばと云う。ヴェニスなるドウジの殿楼は今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く。……」 「ドージとは何です」 「何だって構やしません。昔しヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」 「それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう」 「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」 「そんなものですかね。何だか船の中のようですね」 「船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞き出すと探偵になってしまうです」 「ホホホホじゃ聴きますまい」 「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣がない」 「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」 「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹の淡き線となる。線は切れる。切れて点となる。蛋白石の空のなかに円き柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高く聳えたる鐘楼が沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊絏の苦しみを与う。男と女は暗き湾の方に眼を注ぐ。星は次第に増す。柔らかに揺ぐ海は泡を濺がず。男は女の手を把る。鳴りやまぬ弦を握った心地である。……」 「あんまり非人情でもないようですね」 「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭なら少々略しましょうか」 「なに私は大丈夫ですよ」 「わたしは、あなたよりなお大丈夫です。――それからと、ええと、少しく六ずかしくなって来たな。どうも訳し――いや読みにくい」 「読みにくければ、御略しなさい」 「ええ、いい加減にやりましょう。――この一夜と女が云う。一夜? と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜を重ねてこそと云う」 「女が云うんですか、男が云うんですか」 「男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰める語なんです。――真夜中の甲板に帆綱を枕にして横わりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を確と把りたる瞬時が大濤のごとくに揺れる。男は黒き夜を見上げながら、強いられたる結婚の淵より、是非に女を救い出さんと思い定めた。かく思い定めて男は眼を閉ずる。――」 「女は?」 「女は路に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬ様である。攫われて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量――あとがちょっと読みにくいですよ。どうも句にならない。――ただ不可思議の千万無量――何か動詞はないでしょうか」 「動詞なんぞいるものですか、それで沢山です」 「え?」  轟と音がして山の樹がことごとく鳴る。思わず顔を見合わす途端に、机の上の一輪挿に活けた、椿がふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝を崩して余の机に靠りかかる。御互の身躯がすれすれに動く。キキーと鋭どい羽摶をして一羽の雉子が藪の中から飛び出す。 「雉子が」と余は窓の外を見て云う。 「どこに」と女は崩した、からだを擦寄せる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近づく。細い鼻の穴から出る女の呼吸が余の髭にさわった。 「非人情ですよ」と女はたちまち坐住居を正しながら屹と云う。 「無論」と言下に余は答えた。  岩の凹みに湛えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍く揺いている。地盤の響きに、満泓の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕けた部分はどこにもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。落ちついて影をしていた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする。しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を保っているところが非常に面白い。 「こいつは愉快だ。奇麗で、変化があって。こう云う風に動かなくっちゃ面白くない」 「人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」 「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」 「ホホホホ大変非人情が御好きだこと」 「あなた、だって嫌な方じゃありますまい。昨日の振袖なんか……」と言いかけると、 「何か御褒美をちょうだい」と女は急に甘えるように云った。 「なぜです」 「見たいとおっしゃったから、わざわざ、見せて上げたんじゃありませんか」 「わたしがですか」 「山越をなさった画の先生が、茶店の婆さんにわざわざ御頼みになったそうで御座います」  余は何と答えてよいやらちょっと挨拶が出なかった。女はすかさず、 「そんな忘れっぽい人に、いくら実をつくしても駄目ですわねえ」と嘲けるごとく、恨むがごとく、また真向から切りつけるがごとく二の矢をついだ。だんだん旗色がわるくなるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せられると、なかなか隙を見出しにくい。 「じゃ昨夕の風呂場も、全く御親切からなんですね」と際どいところでようやく立て直す。  女は黙っている。 「どうも済みません。御礼に何を上げましょう」と出来るだけ先へ出て置く。いくら出ても何の利目もなかった。女は何喰わぬ顔で大徹和尚の額を眺めている。やがて、 「竹影払階塵不動」 と口のうちで静かに読み了って、また余の方へ向き直ったが、急に思い出したように、 「何ですって」 と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。 「その坊主にさっき逢いましたよ」と地震に揺れた池の水のように円満な動き方をして見せる。 「観海寺の和尚ですか。肥ってるでしょう」 「西洋画で唐紙をかいてくれって、云いましたよ。禅坊さんなんてものは随分訳のわからない事を云いますね」 「それだから、あんなに肥れるんでしょう」 「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」 「久一でしょう」 「ええ久一君です」 「よく御存じです事」 「なに久一君だけ知ってるんです。そのほかには何にも知りゃしません。口を聞くのが嫌な人ですね」 「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」 「小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか」 「ホホホホそうですか。あれは私しの従弟ですが、今度戦地へ行くので、暇乞に来たのです」 「ここに留って、いるんですか」 「いいえ、兄の家におります」 「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」 「御茶より御白湯の方が好なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺が切れて困ったでしょう。私がおれば中途から帰してやったんですが……」 「あなたはどこへいらしったんです。和尚が聞いていましたぜ、また一人散歩かって」 「ええ鏡の池の方を廻って来ました」 「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」 「行って御覧なさい」 「画にかくに好い所ですか」 「身を投げるに好い所です」 「身はまだなかなか投げないつもりです」 「私は近々投げるかも知れません」  余りに女としては思い切った冗談だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。 「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」 「え?」 「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」  女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。茫然たる事多時。 十  鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股に岐れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁には熊笹が多い。ある所は、左右から生い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則な形ちで、ところどころに岩が自然のまま水際に横わっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則に連ねている。  池をめぐりては雑木が多い。何百本あるか勘定がし切れぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に枝の繁まない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、萌え出でた下草さえある。壺菫の淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。  日本の菫は眠っている感じである。「天来の奇想のように」、と形容した西人の句はとうていあてはまるまい。こう思う途端に余の足はとまった。足がとまれば、厭になるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平の民を乞食と間違えて、掏摸の親分たる探偵に高い月俸を払う所である。  余は草を茵に太平の尻をそろりと卸した。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣はない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦も未練もない代りには、人に因って取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎や三井を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今帝王の権威を風馬牛し得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観を無辺際に樹立している。天下の羣小を麾いで、いたずらにタイモンの憤りを招くよりは、蘭を九に滋き、を百畦に樹えて、独りその裏に起臥する方が遥かに得策である。余は公平と云い無私と云う。さほど大事なものならば、日に千人の小賊を戮して、満圃の草花を彼らの屍に培養うがよかろう。  何だか考が理に落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想を練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。袂から煙草を出して、寸燐をシュッと擦る。手応はあったが火は見えない。敷島のさきに付けて吸ってみると、鼻から煙が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。寸燐は短かい草のなかで、しばらく雨竜のような細い煙りを吐いて、すぐ寂滅した。席をずらせてだんだん水際まで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸せば生温い水につくかも知れぬと云う間際で、とまる。水を覗いて見る。  眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草が、往生して沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄なら靡く事を知っている。藻の草ならば誘う波の情けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調えて、朝な夕なに、弄らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代の思を茎の先に籠めながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。  余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳になると思ったから、眼の先へ、一つ抛り込んでやる。ぶくぶくと泡が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎ほどの長い髪が、慵に揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏。  今度は思い切って、懸命に真中へなげる。ぽかんと幽かに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛げる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。  二間余りを爪先上がりに登る。頭の上には大きな樹がかぶさって、身体が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩角を、奥へ二三間遠退いて、花がなければ、何があるか気のつかない所に森閑として、かたまっている。その花が! 一日勘定しても無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定したくなるほど鮮かである。ただ鮮かと云うばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気を奪られた、後は何だか凄くなる。あれほど人を欺す花はない。余は深山椿を見るたびにいつでも妖女の姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然たる毒を血管に吹く。欺かれたと悟った頃はすでに遅い。向う側の椿が眼に入った時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。眼を醒すほどの派出やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。悄然として萎れる雨中の梨花には、ただ憐れな感じがする。冷やかに艶なる月下の海棠には、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味を帯びた調子である。この調子を底に持って、上部はどこまでも派出に装っている。しかも人に媚ぶる態もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。ただ一眼見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際、免るる事は出来ない。あの色はただの赤ではない。屠られたる囚人の血が、自ずから人の眼を惹いて、自から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。  見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩れるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練のないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺は今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶け出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間に、落ちた椿のために、埋もれて、元の平地に戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。  こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を呑んで、ぼんやり考え込む。温泉場の御那美さんが昨日冗談に云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪にのる一枚の板子のように揺れる。あの顔を種にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画でかけるだろうか。かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでも構わない。原理に背いても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打ち壊わしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層ほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうも思しくない。やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾ながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易える訳に行かない。あれに嫉を加えたら、どうだろう。嫉では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈げし過ぎる。怒? 怒では全然調和を破る。恨? 恨でも春恨とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒のうちで、憐れと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑と、勝とう、勝とうと焦る八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。  がさりがさりと足音がする。胸裏の図案は三分二で崩れた。見ると、筒袖を着た男が、背へ薪を載せて、熊笹のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。 「よい御天気で」と手拭をとって挨拶する。腰を屈める途端に、三尺帯に落した鉈の刃がぴかりと光った。四十恰好の逞しい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴々しい。 「旦那も画を御描きなさるか」余の絵の具箱は開けてあった。 「ああ。この池でも画こうと思って来て見たが、淋しい所だね。誰も通らない」 「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠で御降られなさって、さぞ御困りでござんしたろ」 「え? うん御前はあの時の馬子さんだね」 「はあい。こうやって薪を切っては城下へ持って出ます」と源兵衛は荷を卸して、その上へ腰をかける。煙草入を出す。古いものだ。紙だか革だか分らない。余は寸燐を借してやる。 「あんな所を毎日越すなあ大変だね」 「なあに、馴れていますから――それに毎日は越しません。三日に一返、ことによると四日目くらいになります」 「四日に一返でも御免だ」 「アハハハハ。馬が不憫ですから四日目くらいにして置きます」 「そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハハハハ」 「それほどでもないんで……」 「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からあるんだい」 「昔からありますよ」 「昔から? どのくらい昔から?」 「なんでもよっぽど古い昔から」 「よっぽど古い昔しからか。なるほど」 「なんでも昔し、志保田の嬢様が、身を投げた時分からありますよ」 「志保田って、あの温泉場のかい」 「はあい」 「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」 「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」 「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」 「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」 「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」 「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」 「うん」 「すると、ある日、一人の梵論字が来て……」 「梵論字と云うと虚無僧の事かい」 「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵論字が志保田の庄屋へ逗留しているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染めて――因果と申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」 「泣きました。ふうん」 「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟にはならんと云うて。とうとう追い出しました」 「その虚無僧[#ルビの「こもそう」は底本では「こむそう」]をかい」 「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」 「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」 「まことに怪しからん事でござんす」 「何代くらい前の事かい。それは」 「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」 「何だい」 「あの志保田の家には、代々気狂が出来ます」 「へええ」 「全く祟りでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃します」 「ハハハハそんな事はなかろう」 「ござんせんかな。しかしあの御袋様がやはり少し変でな」 「うちにいるのかい」 「いいえ、去年亡くなりました」 「ふん」と余は煙草の吸殻から細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪を背にして去る。  画をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日かかっても一枚も出来っこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵をとって行こう。幸、向側の景色は、あれなりで略纏まっている。あすこでも申し訳にちょっと描こう。  一丈余りの蒼黒い岩が、真直に池の底から突き出して、濃き水の折れ曲る角に、嵯々と構える右側には、例の熊笹が断崖の上から水際まで、一寸の隙間なく叢生している。上には三抱ほどの大きな松が、若蔦にからまれた幹を、斜めに捩って、半分以上水の面へ乗り出している。鏡を懐にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。  三脚几に尻を据えて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと怪まるるくらい、鮮やかに水底まで写っている。松に至っては空に聳ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。眼に写っただけの寸法ではとうてい収りがつかない。一層の事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫をしたものだろうと、一心に池の面を見詰める。  奇体なもので、影だけ眺めていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から眸を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈の巌を、影の先から、水際の継目まで眺めて、継目から次第に水の上に出る。潤沢の気合から、皴皺の模様を逐一吟味してだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の双眼が今危巌の頂きに達したるとき、余は蛇に睨まれた蟇のごとく、はたりと画筆を取り落した。  緑りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩どる中に、楚然として織り出されたる女の顔は、――花下に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。  余が視線は、蒼白き女の顔の真中にぐさと釘付けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯を伸せるだけ伸して、高い巌の上に一指も動かさずに立っている。この一刹那!  余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢を掠めて、幽かに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。  また驚かされた。 十一  山里の朧に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数春星一二三と云う句を得た。余は別に和尚に逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出でて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴の下に出た。しばらく不許葷酒入山門と云う石を撫でて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。  トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召に叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免れると同時にこれを在天の神に嫁した。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝の中に棄てた。  石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇むとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然として、吾影を見る。角石に遮られて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬きをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。  石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺の塔頭であったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄な法衣を着た、頭の鉢の開いた坊主が出て来た。余は上る、坊主は下る。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出なさると問うた。余はただ境内を拝見にと答えて、同時に足を停めたら、坊主は直ちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落だから、余は少しく先を越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。その間かつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入って、見ると、広い庫裏も本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落な人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々した。禅を心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作が気に入ったのである。  世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。  こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来れば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦の方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠の方針である。  仰数春星一二三の句を得て、石磴を登りつくしたる時、朧にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句は纏める気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。  石を甃んで庫裡に通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣で、垣の向は墓場であろう。左は本堂だ。屋根瓦が高い所で、幽かに光る。数万の甍に、数万の月が落ちたようだと見上る。どこやらで鳩の声がしきりにする。棟の下にでも住んでいるらしい。気のせいか、廂のあたりに白いものが、点々見える。糞かも知れぬ。  雨垂れ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云うと岩佐又兵衛のかいた、鬼の念仏が、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。本堂の端から端まで、一列に行儀よく並んで躍っている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧夜にそそのかされて、鉦も撞木も、奉加帳も打ちすてて、誘い合せるや否やこの山寺へ踊りに来たのだろう。  近寄って見ると大きな覇王樹である。高さは七八尺もあろう、糸瓜ほどな青い黄瓜を、杓子のように圧しひしゃげて、柄の方を下に、上へ上へと継ぎ合せたように見える。あの杓子がいくつ継がったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにも廂を突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにも突飛である。こんな滑稽な樹はたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。いかなるこれ仏と問われて、庭前の柏樹子と答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下の覇王樹と応えるであろう。  少時、晁補之と云う人の記行文を読んで、いまだに暗誦している句がある。「時に九月天高く露清く、山空しく、月明かに、仰いで星斗を視れば皆光大、たまたま人の上にあるがごとし、窓間の竹数十竿、相摩戞して声切々やまず。竹間の梅棕森然として鬼魅の離立笑の状のごとし。二三子相顧み、魄動いて寝るを得ず。遅明皆去る」とまた口の内で繰り返して見て、思わず笑った。この覇王樹も時と場合によれば、余の魄を動かして、見るや否や山を追い下げたであろう。刺に手を触れて見ると、いらいらと指をさす。  石甃を行き尽くして左へ折れると庫裏へ出る。庫裏の前に大きな木蓮がある。ほとんど一と抱もあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙いている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明かである。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまで簇がって、どこまで咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然と望まれる。花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。専らに白いのは、ことさらに人の眼を奪う巧みが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥床しくも自らを卑下している。余は石甃の上に立って、このおとなしい花が累々とどこまでも空裏に蔓る様を見上げて、しばらく茫然としていた。眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。 木蓮の花ばかりなる空を瞻る と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。  庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗人はおらぬ国と見える。狗はもとより吠えぬ。 「御免」 と訪問れる。森として返事がない。 「頼む」 と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。 「頼みまああす」と大きな声を出す。 「おおおおおおお」と遥かの向で答えたものがある。人の家を訪うて、こんな返事を聞かされた事は決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙燭の影が、衝立の向側にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了念であった。 「和尚さんはおいでかい」 「おられる。何しにござった」 「温泉にいる画工が来たと、取次でおくれ」 「画工さんか。それじゃ御上り」 「断わらないでもいいのかい」 「よろしかろ」  余は下駄を脱いで上がる。 「行儀がわるい画工さんじゃな」 「なぜ」 「下駄を、よう御揃えなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計って、半紙を四つ切りにした上へ、何か認めてある。 「そおら。読めたろ。脚下を見よ、と書いてあるが」 「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。  和尚の室は廊下を鍵の手に曲って、本堂の横手にある。障子を恭しくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、 「あのう、志保田から、画工さんが来られました」と云う。はなはだ恐縮の体である。余はちょっとおかしくなった。 「そうか、これへ」  余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に囲炉裏を切って、鉄瓶が鳴る。和尚は向側に書見をしていた。 「さあこれへ」と眼鏡をはずして、書物を傍へおしやる。 「了念。りょううねええん」 「ははははい」 「座布団を上げんか」 「はははははい」と了念は遠くで、長い返事をする。 「よう、来られた。さぞ退屈だろ」 「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」 「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭の向うは、すぐ懸崖と見えて、眼の下に朧夜の海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁火がここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星に化けるつもりだろう。 「これはいい景色。和尚さん、障子をしめているのはもったいないじゃありませんか」 「そうよ。しかし毎晩見ているからな」 「何晩見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」 「ハハハハ。もっともあなたは画工だから、わしとは少し違うて」 「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」 「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達磨の画ぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この軸は先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」  なるほど達磨の画が小さい床に掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗気がない。拙を蔽おうと力めているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。 「無邪気な画ですね」 「わしらのかく画はそれで沢山じゃ。気象さえあらわれておれば……」 「上手で俗気があるのより、いいです」 「ははははまあ、そうでも、賞めて置いてもらおう。時に近頃は画工にも博士があるかの」 「画工の博士はありませんよ」 「あ、そうか。この間、何でも博士に一人逢うた」 「へええ」 「博士と云うとえらいものじゃろな」 「ええ。えらいんでしょう」 「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろう」 「そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならないでしょう」 「ハハハハまあ、そんなものかな。――何とか云う人じゃったて、この間逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」 「どこで御逢いです、東京ですか」 「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」 「つまらんものですよ。やかましくって」 「そうかな。蜀犬日に吠え、呉牛月に喘ぐと云うから、わしのような田舎者は、かえって困るかも知れんてのう」 「困りゃしませんがね。つまらんですよ」 「そうかな」  鉄瓶の口から煙が盛に出る。和尚は茶箪笥から茶器を取り出して、茶を注いでくれる。 「番茶を一つ御上り。志保田の隠居さんのような甘い茶じゃない」 「いえ結構です」 「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはり画をかくためかの」 「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでも構わないんです」 「はあ、それじゃ遊び半分かの」 「そうですね。そう云っても善いでしょう。屁の勘定をされるのが、いやですからね」  さすがの禅僧も、この語だけは解しかねたと見える。 「屁の勘定た何かな」 「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」 「どうして」 「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀の穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」 「はあ、やはり衛生の方かな」 「衛生じゃありません。探偵の方です」 「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」 「そうですね、画工には入りませんね」 「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介になった事がない」 「そうでしょう」 「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。澄ましていたら。自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」 「屁くらいで、どうかされちゃたまりません」 「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑をさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」 「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」 「それじゃ画工になり澄したらよかろ」 「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」 「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊っている、志保田の御那美さんも、嫁に入って帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法を問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳のわかった女になったじゃて」 「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」 「いやなかなか機鋒の鋭どい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安と云う若僧も、あの女のために、ふとした事から大事を窮明せんならん因縁に逢着して――今によい智識になるようじゃ」  静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに応うるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶のうちに微かなる、耀きを放つ。漁火は明滅す。 「あの松の影を御覧」 「奇麗ですな」 「ただ奇麗かな」 「ええ」 「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」  茶碗に余った渋茶を飲み干して、糸底を上に、茶托へ伏せて、立ち上る。 「門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が御帰だぞよ」  送られて、庫裏を出ると、鳩がくううくううと鳴く。 「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」  月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮は幾朶の雲華を空裏にげている。寥たる春夜の真中に、和尚ははたと掌を拍つ。声は風中に死して一羽の鳩も下りぬ。 「下りんかいな。下りそうなものじゃが」  了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。  山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。 十二  基督は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画と云う名のほとんど下すべからざる達磨の幅を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利くものと思っている。それにも関わらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢のように行き抜けである。何にも停滞しておらん。随処に動き去り、任意に作し去って、些の塵滓の腹部に沈澱する景色がない。もし彼の脳裏に一点の趣味を貼し得たならば、彼は之く所に同化して、行屎走尿の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁の数を勘定される間は、とうてい画家にはなれない。画架に向う事は出来る。小手板を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色のなかに五尺の痩躯を埋めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界に入れば美の天下はわが有に帰する。尺素を染めず、寸を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技において、ミケルアンゼロに及ばず、巧みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武を斉ゅうして、毫も遜るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画もかかない。絵の具箱は酔興に、担いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。  朝飯をすまして、一本の敷島をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞を離れて高く上っている。障子をあけて、後ろの山を眺めたら、蒼い樹が非常にすき通って、例になく鮮やかに見えた。  余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自ずから制限されるのもまた当前である。英国人のかいた山水に明るいものは一つもない。明るい画が嫌なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝っている、埃及または波斯辺の光景のみを択んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然出来上っている。  個人の嗜好はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色だとは云われない。やはり面のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几を担いで飛び出さなければならん。色は刹那に移る。一たび機を失すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端には、滅多にこの辺で見る事の出来ないほどな好い色が充ちている。せっかく来て、あれを逃すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。  襖をあけて、椽側へ出ると、向う二階の障子に身を倚たして、那美さんが立っている。顋を襟のなかへ埋めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶をしようと思う途端に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃くは稲妻か、二折れ三折れ胸のあたりを、するりと走るや否や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸五分の白鞘がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座を覗いた気で宿を出る。  門を出て、左へ切れると、すぐ岨道つづきの、爪上りになる。鶯が所々で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹の上で妙な節の唄をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃の音がする。何だと聞いたら、猟師が鴨をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。  あの女を役者にしたら、立派な女形が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活とでも云うのだろう。あの女の御蔭で画の修業がだいぶ出来た。  あの女の所作を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在って、余とあの女の間に纏綿した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡から、あの女を覗いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。  こんな考をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届きである。善は行い難い、徳は施こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人に取っても苦痛である。その苦痛を冒すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸のうちに籠る快感の別号に過ぎん。この趣きを解し得て、始めて吾人の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進の心を駆って、人道のために、鼎に烹らるるを面白く思う。もし人情なる狭き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏に潜んで、邪を避け正に就き、曲を斥け直にくみし、弱を扶け強を挫かねば、どうしても堪えられぬと云う一念の結晶して、燦として白日を射返すものである。  芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤うのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒うの愚を笑うのである。真に個中の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎の、わが卑しき心根に比較して他を賤しむに至っては許しがたい。昔し巌頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。余の視るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵に壮烈である、ただその死を促がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子の所作を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。  余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣りの没風流漢よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。  しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金のみを眺めて暮さなければならぬ。余自らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己れさえ、纏綿たる利害の累索を絶って、優に画布裏に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。  三丁ほど上ると、向うに白壁の一構が見える。蜜柑のなかの住居だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻をした娘が上ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛が出る。脛が出切ったら、藁草履になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負ている。  岨道を登り切ると、山の出鼻の平な所へ出た。北側は翠りを畳む春の峰で、今朝椽から仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩れた崖となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨いで向を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海である。  路は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分のつかぬところに変化があって面白い。  どこへ腰を据えたものかと、草のなかを遠近と徘徊する。椽から見たときは画になると思った景色も、いざとなると存外纏まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐った所がわが住居である。染み込んだ春の日が、深く草の根に籠って、どっかと尻を卸すと、眼に入らぬ陽炎を踏み潰したような心持ちがする。  海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片さえ持たぬ春の日影は、普ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸み渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一刷毛の紺青を平らに流したる所々に、しろかねの細鱗を畳んで濃やかに動いている。春の日は限り無き天が下を照らして、天が下は限りなき水を湛えたる間には、白き帆が小指の爪ほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往昔入貢の高麗船が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大千世界を極めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。  ごろりと寝る。帽子が額をすべって、やけに阿弥陀となる。所々の草を一二尺抽いて、木瓜の小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。  小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜を切って、面白く枝振を作って、筆架をこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見するのを机へ載せて楽んだ。その日は木瓜の筆架ばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚めるや否や、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審の念に堪えなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的である。  寝るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。  寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記して行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。 出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。  ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と唸りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払が聞えた。こいつは驚いた。  寝返りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木の間から、一人の男があらわれた。  茶の中折れを被っている。中折れの形は崩れて、傾く縁の下から眼が見える。眼の恰好はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍の縞物の尻を端折って、素足に下駄がけの出で立ちは、何だか鑑定がつかない。野生の髯だけで判断するとまさに野武士の価値はある。  男は岨道を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺に住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留る。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。  余はこの物騒な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画にしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出された。  二人は双方で互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮まって、原の真中で一点の狭き間に畳まれてしまう。二人は春の山を背に、春の海を前に、ぴたりと向き合った。  男は無論例の野武士である。相手は? 相手は女である。那美さんである。  余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐に呑んでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情の余もただ、ひやりとした。  男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂れた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。  山では鶯が啼く。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹と、垂れた首を挙げて、半ば踵を回らしかける。尋常の様ではない。女は颯と体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣らしい。男は昂然として、行きかかる。女は二歩ばかり、男の踵を縫うて進む。女は草履ばきである。男の留ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手は帯の間へ落ちた。あぶない!  するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布のような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐がふらふらと春風に揺れる。  片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸に、紫の包。これだけの姿勢で充分画にはなろう。  紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体のこなし具合で、うまい按排につながれている。不即不離とはこの刹那の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。  二人の姿勢がかくのごとく美妙な調和を保っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。  背のずんぐりした、色黒の、髯づらと、くっきり締った細面に、襟の長い、撫肩の、華奢姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着の銘仙さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反り身に控えたる痩形。はげた茶の帽子に、藍縞の尻切り出立ちと、陽炎さえ燃やすべき櫛目の通った鬢の色に、黒繻子のひかる奥から、ちらりと見せた帯上の、なまめかしさ。すべてが好画題である。  男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。  二人は左右へ分かれる。双方に気合がないから、もう画としては、支離滅裂である。雑木林の入口で男は一度振り返った。女は後をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行てくる。やがて余の真正面まで来て、 「先生、先生」 と二声掛けた。これはしたり、いつ目付かったろう。 「何です」 と余は木瓜の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。 「何をそんな所でしていらっしゃる」 「詩を作って寝ていました」 「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」 「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」 「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」 「実のところはたくさん拝見しました」 「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」  余は唯々として木瓜の中から出て行く。 「まだ木瓜の中に御用があるんですか」 「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」 「それじゃごいっしょに参りましょうか」 「ええ」  余は再び唯々として、木瓜の中に退いて、帽子を被り、絵の道具を纏めて、那美さんといっしょにあるき出す。 「画を御描きになったの」 「やめました」 「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」 「ええ」 「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」 「なにつまってるんです」 「おやそう。なぜ?」 「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描いたって、描かなくったって、つまるところは同じ事でさあ」 「そりゃ洒落なの、ホホホホ随分呑気ですねえ」 「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐がないじゃありませんか」 「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥かしくも何とも思いません」 「思わんでもいいでしょう」 「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」 「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」 「ホホホ善くあたりました。あなたは占いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」 「へえ、どこから来たのです」 「城下から来ました」 「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」 「何でも満洲へ行くそうです」 「何しに行くんですか」 「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」  この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解せぬ。 「あれは、わたくしの亭主です」  迅雷を掩うに遑あらず、女は突然として一太刀浴びせかけた。余は全く不意撃を喰った。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝け出そうとは考えていなかった。 「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。 「ええ、少々驚ろいた」 「今の亭主じゃありません、離縁された亭主です」 「なるほど、それで……」 「それぎりです」 「そうですか。――あの蜜柑山に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家なんですか」 「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」 「用でもあるんですか」 「ええちっと頼まれものがあります」 「いっしょに行きましょう」  岨道の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠が三四本あって、土塀の下はすぐ蜜柑畠である。  女はすぐ、椽鼻へ腰をかけて、云う。 「いい景色だ。御覧なさい」 「なるほど、いいですな」  障子のうちは、静かに人の気合もせぬ。女は音のう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下して平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。  しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午に逼る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸し返されて耀やいている。やがて、裏の納屋の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。 「おやもう。御午ですね。用事を忘れていた。――久一さん、久一さん」  女は及び腰になって、立て切った障子を、からりと開ける。内は空しき十畳敷に、狩野派の双幅が空しく春の床を飾っている。 「久一さん」  納屋の方でようやく返事がする。足音が襖の向でとまって、からりと、開くが早いか、白鞘の短刀が畳の上へ転がり出す。 「そら御伯父さんの餞別だよ」  帯の間に、いつ手が這入ったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下へ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一寸ばかり光った。 十三  川舟で久一さんを吉田の停車場まで見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論御招伴に過ぎん。  御招伴でも呼ばれれば行く。何の意味だか分らなくても行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。舟は筏に縁をつけたように、底が平たい。老人を中に、余と那美さんが艫、久一さんと、兄さんが、舳に座をとった。源兵衛は荷物と共に独り離れている。 「久一さん、軍さは好きか嫌いかい」と那美さんが聞く。 「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉快な事も出て来るんだろう」と戦争を知らぬ久一さんが云う。 「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が云う。 「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、 「そうさね」 と軽く首肯う。老人は髯を掀げて笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。 「そんな平気な事で、軍さが出来るかい」と女は、委細構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと眼を見合せた。 「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗談とも見えない。 「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」 「そんな乱暴な事を――まあまあ、めでたく凱旋をして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢える」  老人の言葉の尾を長く手繰と、尻が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまではだまを出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。  岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋いで、一人の男がしきりに垂綸を見詰めている。一行の舟が、ゆるく波足を引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。眼を見合せた両人の間には何らの電気も通わぬ。男は魚の事ばかり考えている。久一さんの頭の中には一尾の鮒も宿る余地がない。一行の舟は静かに太公望の前を通り越す。  日本橋を通る人の数は、一分に何百か知らぬ。もし橋畔に立って、行く人の心に蟠まる葛藤を一々に聞き得たならば、浮世は目眩しくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る。太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、何らの説明をも求めなかったのは幸である。顧り見ると、安心して浮標を見詰めている。おおかた日露戦争が済むまで見詰める気だろう。  川幅はあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷に倚って、水の上を滑って、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢ち合せをしたがるところまで行かねばやまぬ。腥き一点の血を眉間に印したるこの青年は、余ら一行を容赦なく引いて行く。運命の縄はこの青年を遠き、暗き、物凄き北の国まで引くが故に、ある日、ある月、ある年の因果に、この青年と絡みつけられたる吾らは、その因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばならぬ。因果の尽くるとき、彼と吾らの間にふっと音がして、彼一人は否応なしに運命の手元まで手繰り寄せらるる。残る吾らも否応なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰う訳には行かぬ。  舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆でも生えておりそうな。土堤の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁屋根を出し。煤けた窓を出し。時によると白い家鴨を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。  柳と柳の間に的と光るのは白桃らしい。とんかたんと機を織る音が聞える。とんかたんの絶間から女の唄が、はああい、いようう――と水の上まで響く。何を唄うのやらいっこう分らぬ。 「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。 「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、 春風にそら解け繻子の銘は何 と書いて見せる。女は笑いながら、 「こんな一筆がきでは、いけません。もっと私の気象の出るように、丁寧にかいて下さい」 「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画にならない」 「御挨拶です事。それじゃ、どうすれば画になるんです」 「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」 「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」 「持って生れた顔はいろいろになるものです」 「自分の勝手にですか」 「ええ」 「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」 「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」 「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」 「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」  女は黙って向をむく。川縁はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面のげんげんで埋っている。鮮やかな紅の滴々が、いつの雨に流されてか、半分溶けた花の海は霞のなかに果しなく広がって、見上げる半空には崢たる一峰が半腹から微かに春の雲を吐いている。 「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷から外へ出して、夢のような春の山を指す。 「天狗岩はあの辺ですか」 「あの翠の濃い下の、紫に見える所がありましょう」 「あの日影の所ですか」 「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」 「なあに凹んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」 「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」 「そうすると、七曲りはもう少し左りになりますね」 「七曲りは、向うへ、ずっと外れます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」 「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸ってるあたりでしょう」 「ええ、方角はあの辺です」  居眠をしていた老人は、舷から、肘を落して、ほいと眼をさます。 「まだ着かんかな」  胸膈を前へ出して、右の肘を後ろへ張って、左り手を真直に伸して、ううんと欠伸をするついでに、弓を攣く真似をして見せる。女はホホホと笑う。 「どうもこれが癖で、……」 「弓が御好と見えますね」と余も笑いながら尋ねる。 「若いうちは七分五厘まで引きました。押しは存外今でもたしかです」と左の肩を叩いて見せる。舳では戦争談が酣である。  舟はようやく町らしいなかへ這入る。腰障子に御肴と書いた居酒屋が見える。古風な縄暖簾が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙鳥がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場に向う。  いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢である。憐むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛みついて咆哮している。文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛からしめたる後、これを檻穽の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨めて、寝転んでいると同様な平和である。檻の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人に与えた。余は汽車の猛烈に、見界なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様を見るたびに、客車のうちに閉じ籠められたる個人と、個人の個性に寸毫の注意をだに払わざるこの鉄車とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。おさき真闇に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。  停車場前の茶店に腰を下ろして、蓬餅を眺めながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。  向うの床几には二人かけている。等しく草鞋穿きで、一人は赤毛布、一人は千草色の股引の膝頭に継布をあてて、継布のあたった所を手で抑えている。 「やっぱり駄目かね」 「駄目さあ」 「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」 「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪るくなりゃ、切ってしまえば済むから」  この田舎者は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭いも知らぬ。現代文明の弊をも見認めぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描き取った。  じゃらんじゃらんと号鈴が鳴る。切符はすでに買うてある。 「さあ、行きましょ」と那美さんが立つ。 「どうれ」と老人も立つ。一行は揃って改札場を通り抜けて、プラットフォームへ出る。号鈴がしきりに鳴る。  轟と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇が蜿蜒て来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。 「いよいよ御別かれか」と老人が云う。 「それでは御機嫌よう」と久一さんが頭を下げる。 「死んで御出で」と那美さんが再び云う。 「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。  蛇は吾々の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入ったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。  車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝の臭いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑って、むやみに転ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果はここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、御互の顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔っているだけで、因果はもう切れかかっている。  車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉てながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為った。老人は思わず窓側へ寄る。青年は窓から首を出す。 「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練のない鉄車の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。  茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。 「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。 底本:「夏目漱石全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年12月1日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 初出:「新小説」    1906(明治39)年9月 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年2月17日公開 2011年5月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 京に着ける 京に着ける夕 夏目漱石  汽車は流星の疾(はや)きに、二百里の春を貫(つらぬ)いて、行くわれを七条(しちじょう)のプラットフォームの上に振り落す。余(よ)が踵(かかと)の堅き叩(たた)きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉(のど)から火の粉(こ)をぱっと吐(は)いて、暗い国へ轟(ごう)と去った。  たださえ京は淋(さび)しい所である。原に真葛(まくず)、川に加茂(かも)、山に比叡(ひえ)と愛宕(あたご)と鞍馬(くらま)、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しかろう。この淋しい京を、春寒(はるさむ)の宵(よい)に、とく走る汽車から会釈(えしゃく)なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、灯(ひ)が尽きる北の果(はて)まで通らねばならぬ。 「遠いよ」と主人が後(うしろ)から云う。「遠いぜ」と居士(こじ)が前から云う。余は中の車に乗って顫(ふる)えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日(きのう)までは擦(す)れ合(あ)う身体(からだ)から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身(そうみ)に煮浸(にじ)み出はせぬかと感じた。東京はさほどに烈(はげ)しい所である。この刺激の強い都を去って、突然と太古(たいこ)の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏(さんぷく)の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽(しゅっこつ)とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。 「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅(かじ)を長く連(つら)ねて、狭(せば)く細い路(みち)を北へ北へと行く。静かな夜(よ)を、聞かざるかと輪(りん)を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に遮(さえぎ)られて、高く空に響く。かんかららん、かんかららん、と云う。石に逢(あ)えばかかん、かからんと云う。陰気な音ではない。しかし寒い響である。風は北から吹く。  細い路を窮屈に両側から仕切る家はことごとく黒い。戸は残りなく鎖(とざ)されている。ところどころの軒下に大きな小田原提灯(おだわらぢょうちん)が見える。赤くぜんざいとかいてある。人気(ひとけ)のない軒下にぜんざいはそもそも何を待ちつつ赤く染まっているのかしらん。春寒(はるさむ)の夜(よ)を深み、加茂川(かもがわ)の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇(かんむてんのう)の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。  桓武天皇の御宇(ぎょう)に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召したまえる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁(いんねん)で互に結びつけられている。始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規(まさおかしき)といっしょであった。麩屋町(ふやまち)の柊屋(ひいらぎや)とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜(よる)を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故(なにゆえ)かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日(こんにち)に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ弁(わきま)えぬ。汁粉(しるこ)であるか煮小豆(ゆであずき)であるか眼前(がんぜん)に髣髴(ほうふつ)する材料もないのに、あの赤い下品な肉太(にくぶと)な字を見ると、京都を稲妻(いなずま)の迅(すみや)かなる閃(ひらめ)きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜(へちま)のごとく干枯(ひから)びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を縮(ちぢ)めて京都を南から北へ抜ける。  車はかんかららんに桓武天皇の亡魂を驚(おどろ)かし奉(たてまつ)って、しきりに馳(か)ける。前なる居士(こじ)は黙って乗っている。後(うしろ)なる主人も言葉をかける気色(けしき)がない。車夫はただ細長い通りをどこまでもかんかららんと北へ走る。なるほど遠い。遠いほど風に当らねばならぬ。馳けるほど顫(ふる)えねばならぬ。余の膝掛(ひざかけ)と洋傘(ようがさ)とは余が汽車から振り落されたとき居士が拾ってしまった。洋傘は拾われても雨が降らねばいらぬ。この寒いのに膝掛を拾われては東京を出るとき二十二円五十銭を奮発した甲斐(かい)がない。  子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行(ある)いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑(なつみかん)を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑(なつみかん)の皮を剥(む)いて、一房(ひとふさ)ごとに裂いては噛(か)み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、いつの間(ま)にやら幅一間ぐらいの小路(しょうじ)に出た。この小路の左右に並ぶ家には門並(かどなみ)方一尺ばかりの穴を戸にあけてある。そうしてその穴の中から、もしもしと云う声がする。始めは偶然だと思うていたが行くほどに、穴のあるほどに、申し合せたように、左右の穴からもしもしと云う。知らぬ顔をして行き過ぎると穴から手を出して捕(とら)まえそうに烈(はげ)しい呼び方をする。子規を顧(かえり)みて何だと聞くと妓楼(ぎろう)だと答えた。余は夏蜜柑を食いながら、目分量(めぶんりょう)で一間幅の道路を中央から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする気分で、不偏不党(ふへんふとう)に練(ね)って行った。穴から手を出して制服の尻でも捕まえられては容易ならんと思ったからである。子規は笑っていた。膝掛をとられて顫(ふる)えている今の余を見たら、子規はまた笑うであろう。しかし死んだものは笑いたくても、顫えているものは笑われたくても、相談にはならん。  かんかららんは長い橋の袂(たもと)を左へ切れて長い橋を一つ渡って、ほのかに見える白い河原(かわら)を越えて、藁葺(わらぶき)とも思われる不揃(ふそろい)な家の間を通り抜けて、梶棒(かじぼう)を横に切ったと思ったら、四抱(よかかえ)か五抱(いつかかえ)もある大樹(たいじゅ)の幾本となく提灯(ちょうちん)の火にうつる鼻先で、ぴたりと留まった。寒い町を通り抜けて、よくよく寒い所へ来たのである。遥(はるか)なる頭の上に見上げる空は、枝のために遮(さえぎ)られて、手の平(ひら)ほどの奥に料峭(りょうしょう)たる星の影がきらりと光を放った時、余は車を降りながら、元来どこへ寝るのだろうと考えた。 「これが加茂(かも)の森(もり)だ」と主人が云う。「加茂の森がわれわれの庭だ」と居士(こじ)が云う。大樹(たいじゅ)を繞(め)ぐって、逆(ぎゃく)に戻ると玄関に灯(ひ)が見える。なるほど家があるなと気がついた。  玄関に待つ野明(のあき)さんは坊主頭(ぼうずあたま)である。台所から首を出した爺さんも坊主頭である。主人は哲学者である。居士は洪川和尚(こうせんおしょう)の会下(えか)である。そうして家は森の中にある。後(うしろ)は竹藪(たけやぶ)である。顫えながら飛び込んだ客は寒がりである。  子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思ったのはもう十五六年の昔になる。夏の夜(よ)の月円(まる)きに乗じて、清水(きよみず)の堂を徘徊(はいかい)して、明(あきら)かならぬ夜(よる)の色をゆかしきもののように、遠く眼(まなこ)を微茫(びぼう)の底に放って、幾点の紅灯(こうとう)に夢のごとく柔(やわら)かなる空想を縦(ほしい)ままに酔(え)わしめたるは、制服の釦(ボタン)の真鍮(しんちゅう)と知りつつも、黄金(こがね)と強(し)いたる時代である。真鍮は真鍮と悟ったとき、われらは制服を捨てて赤裸(まるはだか)のまま世の中へ飛び出した。子規は血を嘔(は)いて新聞屋となる、余は尻を端折(はしょ)って西国(さいこく)へ出奔(しゅっぽん)する。御互の世は御互に物騒(ぶっそう)になった。物騒の極(きょく)子規はとうとう骨になった。その骨も今は腐れつつある。子規の骨が腐れつつある今日(こんにち)に至って、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋になろうとは思わなかったろう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに来たと聞いたら、円山(まるやま)へ登った時を思い出しはせぬかと云うだろう。新聞屋になって、糺(ただす)の森(もり)の奥に、哲学者と、禅居士(ぜんこじ)と、若い坊主頭と、古い坊主頭と、いっしょに、ひっそり閑(かん)と暮しておると聞いたら、それはと驚くだろう。やっぱり気取っているんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であった。  若い坊さんが「御湯に御這入(おはい)り」と云う。主人と居士は余が顫(ふる)えているのを見兼て「公(こう)、まず這入れ」と云う。加茂(かも)の水の透(す)き徹(とお)るなかに全身を浸(つ)けたときは歯の根が合わぬくらいであった。湯に入(い)って顫えたものは古往今来(こおうこんらい)たくさんあるまいと思う。湯から出たら「公まず眠(ねぶ)れ」と云う。若い坊さんが厚い蒲団(ふとん)を十二畳の部屋に担(かつ)ぎ込(こ)む。「郡内(ぐんない)か」と聞いたら「太織(ふとおり)だ」と答えた。「公のために新調したのだ」と説明がある上は安心して、わがものと心得て、差支(さしつかえ)なしと考えた故、御免(ごめん)を蒙(こうぶ)って寝る。  寝心地はすこぶる嬉(うれ)しかったが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、ことごとく蒲団なので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹いて来る。車に寒く、湯に寒く、果(はて)は蒲団にまで寒かったのは心得ぬ。京都では袖(そで)のある夜着(よぎ)はつくらぬものの由を主人から承(うけたまわ)って、京都はよくよく人を寒がらせる所だと思う。  真夜中頃に、枕頭(まくらもと)の違棚(ちがいだな)に据(す)えてある、四角の紫檀製(したんせい)の枠(わく)に嵌(は)め込(こ)まれた十八世紀の置時計が、チーンと銀椀(ぎんわん)を象牙(ぞうげ)の箸(はし)で打つような音を立てて鳴った。夢のうちにこの響を聞いて、はっと眼を醒(さ)ましたら、時計はとくに鳴(な)りやんだが、頭のなかはまだ鳴っている。しかもその鳴りかたが、しだいに細く、しだいに遠く、しだいに濃(こまや)かに、耳から、耳の奥へ、耳の奥から、脳のなかへ、脳のなかから、心の底へ浸(し)み渡(わた)って、心の底から、心のつながるところで、しかも心の尾(つ)いて行く事のできぬ、遐(はる)かなる国へ抜け出して行くように思われた。この涼しき鈴(りん)の音(ね)が、わが肉体を貫(つらぬ)いて、わが心を透(すか)して無限の幽境に赴(おもむ)くからは、身も魂も氷盤のごとく清く、雪甌(せつおう)のごとく冷(ひやや)かでなくてはならぬ。太織の夜具のなかなる余はいよいよ寒かった。  暁(あかつき)は高い欅(けやき)の梢(こずえ)に鳴く烏(からす)で再度の夢を破られた。この烏はかあとは鳴かぬ。きゃけえ、くうと曲折して鳴く。単純なる烏ではない。への字烏、くの字烏である。加茂(かも)の明神(みょうじん)がかく鳴かしめて、うき我れをいとど寒がらしめ玉うの神意かも知れぬ。  かくして太織の蒲団を離れたる余は、顫えつつ窓を開けば、依稀(いき)たる細雨(さいう)は、濃かに糺の森を罩(こ)めて、糺の森はわが家(や)を遶(めぐ)りて、わが家の寂然(せきぜん)たる十二畳は、われを封じて、余は幾重(いくえ)ともなく寒いものに取り囲まれていた。   春寒(はるさむ)の社頭に鶴を夢みけり 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 1999年5月12日公開 1999年8月30日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 夏目漱石 京に着ける夕 京に着ける夕 夏目漱石  汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七条のプラットフォームの上に振り落す。余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱっと吐いて、暗い国へ轟と去った。  たださえ京は淋しい所である。原に真葛、川に加茂、山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しかろう。この淋しい京を、春寒の宵に、とく走る汽車から会釈なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、灯が尽きる北の果まで通らねばならぬ。 「遠いよ」と主人が後から云う。「遠いぜ」と居士が前から云う。余は中の車に乗って顫えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日までは擦れ合う身体から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身に煮浸み出はせぬかと感じた。東京はさほどに烈しい所である。この刺激の強い都を去って、突然と太古の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。 「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅を長く連ねて、狭く細い路を北へ北へと行く。静かな夜を、聞かざるかと輪を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に遮られて、高く空に響く。かんかららん、かんかららん、と云う。石に逢えばかかん、かからんと云う。陰気な音ではない。しかし寒い響である。風は北から吹く。  細い路を窮屈に両側から仕切る家はことごとく黒い。戸は残りなく鎖されている。ところどころの軒下に大きな小田原提灯が見える。赤くぜんざいとかいてある。人気のない軒下にぜんざいはそもそも何を待ちつつ赤く染まっているのかしらん。春寒の夜を深み、加茂川の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。  桓武天皇の御宇に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召したまえる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁で互に結びつけられている。始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規といっしょであった。麩屋町の柊屋とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ弁えぬ。汁粉であるか煮小豆であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅かなる閃きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を縮めて京都を南から北へ抜ける。  車はかんかららんに桓武天皇の亡魂を驚かし奉って、しきりに馳ける。前なる居士は黙って乗っている。後なる主人も言葉をかける気色がない。車夫はただ細長い通りをどこまでもかんかららんと北へ走る。なるほど遠い。遠いほど風に当らねばならぬ。馳けるほど顫えねばならぬ。余の膝掛と洋傘とは余が汽車から振り落されたとき居士が拾ってしまった。洋傘は拾われても雨が降らねばいらぬ。この寒いのに膝掛を拾われては東京を出るとき二十二円五十銭を奮発した甲斐がない。  子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房ごとに裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、いつの間にやら幅一間ぐらいの小路に出た。この小路の左右に並ぶ家には門並方一尺ばかりの穴を戸にあけてある。そうしてその穴の中から、もしもしと云う声がする。始めは偶然だと思うていたが行くほどに、穴のあるほどに、申し合せたように、左右の穴からもしもしと云う。知らぬ顔をして行き過ぎると穴から手を出して捕まえそうに烈しい呼び方をする。子規を顧みて何だと聞くと妓楼だと答えた。余は夏蜜柑を食いながら、目分量で一間幅の道路を中央から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする気分で、不偏不党に練って行った。穴から手を出して制服の尻でも捕まえられては容易ならんと思ったからである。子規は笑っていた。膝掛をとられて顫えている今の余を見たら、子規はまた笑うであろう。しかし死んだものは笑いたくても、顫えているものは笑われたくても、相談にはならん。  かんかららんは長い橋の袂を左へ切れて長い橋を一つ渡って、ほのかに見える白い河原を越えて、藁葺とも思われる不揃な家の間を通り抜けて、梶棒を横に切ったと思ったら、四抱か五抱もある大樹の幾本となく提灯の火にうつる鼻先で、ぴたりと留まった。寒い町を通り抜けて、よくよく寒い所へ来たのである。遥なる頭の上に見上げる空は、枝のために遮られて、手の平ほどの奥に料峭たる星の影がきらりと光を放った時、余は車を降りながら、元来どこへ寝るのだろうと考えた。 「これが加茂の森だ」と主人が云う。「加茂の森がわれわれの庭だ」と居士が云う。大樹を繞ぐって、逆に戻ると玄関に灯が見える。なるほど家があるなと気がついた。  玄関に待つ野明さんは坊主頭である。台所から首を出した爺さんも坊主頭である。主人は哲学者である。居士は洪川和尚の会下である。そうして家は森の中にある。後は竹藪である。顫えながら飛び込んだ客は寒がりである。  子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思ったのはもう十五六年の昔になる。夏の夜の月円きに乗じて、清水の堂を徘徊して、明かならぬ夜の色をゆかしきもののように、遠く眼を微茫の底に放って、幾点の紅灯に夢のごとく柔かなる空想を縦ままに酔わしめたるは、制服の釦の真鍮と知りつつも、黄金と強いたる時代である。真鍮は真鍮と悟ったとき、われらは制服を捨てて赤裸のまま世の中へ飛び出した。子規は血を嘔いて新聞屋となる、余は尻を端折って西国へ出奔する。御互の世は御互に物騒になった。物騒の極子規はとうとう骨になった。その骨も今は腐れつつある。子規の骨が腐れつつある今日に至って、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋になろうとは思わなかったろう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに来たと聞いたら、円山へ登った時を思い出しはせぬかと云うだろう。新聞屋になって、糺の森の奥に、哲学者と、禅居士と、若い坊主頭と、古い坊主頭と、いっしょに、ひっそり閑と暮しておると聞いたら、それはと驚くだろう。やっぱり気取っているんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であった。  若い坊さんが「御湯に御這入り」と云う。主人と居士は余が顫えているのを見兼て「公、まず這入れ」と云う。加茂の水の透き徹るなかに全身を浸けたときは歯の根が合わぬくらいであった。湯に入って顫えたものは古往今来たくさんあるまいと思う。湯から出たら「公まず眠れ」と云う。若い坊さんが厚い蒲団を十二畳の部屋に担ぎ込む。「郡内か」と聞いたら「太織だ」と答えた。「公のために新調したのだ」と説明がある上は安心して、わがものと心得て、差支なしと考えた故、御免を蒙って寝る。  寝心地はすこぶる嬉しかったが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、ことごとく蒲団なので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹いて来る。車に寒く、湯に寒く、果は蒲団にまで寒かったのは心得ぬ。京都では袖のある夜着はつくらぬものの由を主人から承って、京都はよくよく人を寒がらせる所だと思う。  真夜中頃に、枕頭の違棚に据えてある、四角の紫檀製の枠に嵌め込まれた十八世紀の置時計が、チーンと銀椀を象牙の箸で打つような音を立てて鳴った。夢のうちにこの響を聞いて、はっと眼を醒ましたら、時計はとくに鳴りやんだが、頭のなかはまだ鳴っている。しかもその鳴りかたが、しだいに細く、しだいに遠く、しだいに濃かに、耳から、耳の奥へ、耳の奥から、脳のなかへ、脳のなかから、心の底へ浸み渡って、心の底から、心のつながるところで、しかも心の尾いて行く事のできぬ、遐かなる国へ抜け出して行くように思われた。この涼しき鈴の音が、わが肉体を貫いて、わが心を透して無限の幽境に赴くからは、身も魂も氷盤のごとく清く、雪甌のごとく冷かでなくてはならぬ。太織の夜具のなかなる余はいよいよ寒かった。  暁は高い欅の梢に鳴く烏で再度の夢を破られた。この烏はかあとは鳴かぬ。きゃけえ、くうと曲折して鳴く。単純なる烏ではない。への字烏、くの字烏である。加茂の明神がかく鳴かしめて、うき我れをいとど寒がらしめ玉うの神意かも知れぬ。  かくして太織の蒲団を離れたる余は、顫えつつ窓を開けば、依稀たる細雨は、濃かに糺の森を罩めて、糺の森はわが家を遶りて、わが家の寂然たる十二畳は、われを封じて、余は幾重ともなく寒いものに取り囲まれていた。   春寒の社頭に鶴を夢みけり 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年5月12日公開 2011年5月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 教育と文芸 ――明治四十四年六月十八日長野県会議事院において―― 教育と文芸 ――明治四十四年六月十八日長野県会議事院において―― 夏目漱石  私は思いがけなく前から当地の教育会の御招待を受けました。凡そ一カ月前に御通知がありましたが、私は、その時になって見なければ、出られるか出られぬか分らぬために、直にお答をすることが出来ませんでした。しかし、御懇切の御招待ですから義理にもと思いまして体だけ出懸けて参りました。別に面白いお話も出来ません、前申した通り体だけ義理にもと出かけたわけであります。  私のやる演題はこういう教育会の会場での経験がないのでこまりました。が、名が教育会であるし、引受ける私は文学に関係あるものであるから、教育と文芸という事にするが能いと思いまして、こういう題にしました。この教育と文芸というのは、諸君が主であるからまげて教育をさきとしたのであります。  よく誤解される事がありますので、そんな事があっては済みませんから、ちょっと注意を申述べて置きます。教育といえばおもに学校教育であるように思われますが、今私の教育というのは社会教育及家庭教育までも含んだものであります。  また私のここにいわゆる文芸は文学である、日本における文学といえば先小説戯曲であると思います。順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今とに区別して相比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家として、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。  なお委しくいいますと聖人といえば孔子、仏といえば釈迦、節婦貞女忠臣孝子は、一種の理想の固まりで、世の中にあり得ないほどの、理想を以て進まねばならなかった。親が、子供のいう事を聞かぬ時は、二十四孝を引き出して子供を戒めると、子供は閉口するというような風であります。それで昔は上の方には束縛がなくて、上の下に対する束縛がある、これは能くない、親が子に対する理想はあるが子が親に対する理想はなかった。妻が夫に臣が君に対する理想はなかったのです。即ち忠臣貞女とかいうが如きものを完全なものとして孝子は親の事、忠臣は君の事、貞女は夫の事をばかり考えていた。誠にえらいものである。その原因は科学的精神が乏しかったためで、その理想を批評せず吟味せずにこれを行って行ったというのである。また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一は所が隔たっていて目のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大して考えられたものである、今は交通が便利であるためにそんな事がない、私などもあまり飛び出さないと大家と見られるであろう。  さて当時は理想を目前に置き、自分の理想を実現しようと一種の感激を前に置いてやるから、一種の感激教育となりまして、知の方は主でなく、インスピレーションともいうような情緒の教育でありました。なんでも出来ると思う、精神一到何事不成というような事を、事実と思っている。意気天を衝く。怒髪天をつく。炳として日月云々という如き、こういう詞を古人は盛に用いた。感激的というのはこんな有様で情緒的教育でありましたから一般の人の生活状態も、エモーショナルで努力主義でありました。そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よりこれが日本の主眼とする所でありました、それが明治になって非常に異ってきました。  四十余年間の歴史を見ると、昔は理想から出立した教育が、今は事実から出発する教育に変化しつつあるのであります、事実から出発する方は、理想はあるけれども実行は出来ぬ、概念的の精神に依って人は成立する者でない、人間は表裏のあるものであるとして、社会も己も教育するのであります。昔は公でも私でも何でも皆孝で押し通したものであるが今は一面に孝があれば他面に不孝があるものとしてやって行く。即ち昔は一元的、今は二元的である、すべて孝で貫き忠で貫く事はできぬ。これは想像の結果である。昔の感激主義に対して今の教育はそれを失わする教育である、西洋では迷より覚めるという、日本では意味が違うが、まあディスイリュージョン、さめる、というのであります。なぜ昔はそんな風であったか。話は余談に入るが、独逸の哲学者が概念を作って定義を作ったのであります。しかし巡査の概念として白い服を着てサーベルをさしているときめると一面には巡査が和服で兵児帯のこともあるから概念できめてしまうと窮屈になる。定義できめてしまっては世の中の事がわからなくなると仏国の学者はいうている。  物は常に変化して行く、世の中の事は常に変化する、それで孔子という概念をきめてこれを理想としてやって来たものが後にこれが間違であったということを悟るというような場合も出来て来る。こういう変化はなぜ起ったか、これは物理化学博物などの科学が進歩して物をよく見て、研究して見る。こういう科学的精神を、社会にも応用して来る。また階級もなくなる交通も便利になる、こういう色々な事情からついに今日の如き思想に変化して来たのであります。  道徳上の事で、古人の少しもゆるさなかったことを、今の人はよほど許容する、我儘をも許す、社会がゆるやかになる、畢竟道徳的価値の変化という事が出来て来た。即ち自分というものを発揮してそれで短所欠点悉くあらわす事をなんとも思わない。そして無理の事がなくなる。昔は負惜みをしたものだ、残酷な事も忍んだものだ。今はそれが段々なくなって、自分の弱点をそれほど恐れずに世の中に出す事を何とも思わない。それで古の人の弊はどんな事かというと、多少偽の点がありました。今の人は正直で自分を偽らずに現わす、こういう風で寛容的精神が発達して来た。しこうして社会もまたこれを容れて来たのであります。昔は一遍社会から葬られた者は、容易に恢復する事が出来なかったが、今日では人の噂も七十五日という如く寛大となったのであります。社会の制裁が弛んだというかも知れませんが一方からいいましたならば、事実にそういう欠点のあり得る事を二元的に認めて、これに寛容的の態度を示したのであります。畢竟無理がなくなり、概念の束縛がなくなり、事実が現われたのであります。昔スパルタの教育に、狐を隠してその狐が自分の腸をえぐり出しても、なお黙っていたということがあるが、今はそういう痩我慢はなくなったのである。現今の教育の結果は自分の特点をも露骨に正直に人の前に現わす事を非常なる恥辱とはしないのであります。これは事実という第一の物が一元的でないという事を予め許すからである。私の家へよく若い者が訪ねて参りますがその学生が帰って手紙を寄こす。その中にあなたの家を訪ねた時に思いきって這入ろうかイヤ這入るまいかと暫く躊躇した、なるべくならお留守であればよい、更に逢わぬといってくれれば可いと思ったというような露骨な事が書いてある。昔私らの書生の頃には、人を訪問していなければ可いがと思うてもそういう事をその人の前に告白するような正直な実際的な事はしなかったものである。痩我慢をして実は堂々たるものの如く装って人の前にもこれを吹聴したのである。感激的教育概念に囚れたる薫化がこういう不正直な痩我慢的な人間を作り出したのである。  さて一方文学を攷察して見まするにこれを大別してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。この両者を前に申述べた教育と対照いたしますと、ローマンチシズムと、昔の徳育即ち概念に囚れたる教育と、特徴を同うし、ナチュラリズムと現今の事実を主とする教育と、相通うのであります。以前文芸は道徳を超絶するという議論があり、またこれを論じた大家もあったのでありますけれども、これは大なる間違で、なるほど道徳と文芸は接触しない点もあるけれども、大部分は相連っている。ただ僅かに倫理と芸術と両立せないで、どちらかを捨てねばならぬ場合がないではありません。例えば私がこの机を推している、何時しかこの机と共に落ちたとします。この落ちたという事実に対して、諸君は必ず笑われるに違いない。しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があって然るべきである、殊に私のような招かれて来た者に対する礼儀としても笑うのは倫理的でない事は明である。けれども笑うという事と、気の毒だと思う事と、どちらか捨てねばならぬ場合に、滑稽趣味の上にこれを観賞するは、一種の芸術的の見方であります。けれども私が、脳振盪を起して倒れたとすれば、諸君の笑は必ず倫理的の同情に変ずるに違いありますまい。こういう風に或程度まで芸術と倫理と相離るる部分はあるけれども、最後または根柢には倫理的認容がなければならぬのであります。従って小説戯曲の材料は七分まで、徳義的批判に訴えて取捨選択せられるのであります。恋を描くにローマン主義の場合では途中で、単に顔を合せたばかりで直ぐに恋情が成立ち、このために盲目になったり、跛足になったりして、煩悶懊悩するというようなことになる。しかしこんな事実は、実際あり得ない事である。其処が感激派の小説で、或情緒を誇大して、即ち抽象的理想を具体化したようなものを作り上げたのであります、事実からは遠いけれど感激は多いのであります。  ローマンチックの道徳は何となしに対象物をして大きく偉く感じさせる。ナチュラリズムの道徳は、自己の欠点を暴露させる正直な可愛らしい所がある。  ローマンチシズムの芸術は情緒的エモーショナルで人をして偉く大きく思わせるし、ナチュラリズムの芸術は理智的で、正直に実際を思わしめる。即ち文学上から見てローマンチシズムは偽を伝えるがまた人の精神に偉大とか崇高とかの現象を認めしめるから、人の精神を未来に結合さする。ナチュラリズムは、材料の取扱い方が正直で、また現在の事実を発揮さすることに勉むるから、人の精神を現在に結合さする、例えば人間を始めから不完全な物と見て人の欠点を評したるものである。ローマンチシズムは、己以上の偉大なるものを材料として取扱うから、感激的であるけれども、その材料が読む者聞く者には全く、没交渉で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に写って何だか親しくしみじみと感得せしめる。能く能く考えて見ると人というものは、平時においては軽微の程度におけるローマンチシズムの主張者で、或者を批評したり要求するに自己の力以上のものを以てしている。  一体人間の心は自分以上のものを、渇仰する根本的の要求を持っている、今日よりは明日に一部の望みを有するのである。自分より豪いもの自分より高いものを望む如く、現在よりも将来に光明を発見せんとするものである。以上述べた如くローマンチシズムの思想即ち一の理想主義の流れは、永久に変ることなく、深く人心の奥底に永き生命を有しているものであります。従ってローマン主義の文学は永久に生存の権利を有しております。人心のこの響きに触れている限り、ローマン主義の思想は永久に伝わるものであります。これに反してナチュラリズムの道徳は前述の如く、寛容的精神に富んでいる。事実を事実としてありのままを描いたものが、真のナチュラリズムの文学である。自己解剖、自己批判、の傾向が段々と人心の間に広まりつつあり、精神が極めて平民的に、換言すれば平凡的になって来たのであります。人間の人間らしい所の写実をするのが自然主義の特徴で、ローマン主義の人間以上自己以上、殆んど望んで得べからざるほどの人物理想を描いたのに対して極めて通常のものをそのまま、そのままという所に重きを置いて世態をありのままに欠点も、弱点も、表裏ともに、一元にあらぬ二元以上にわたって実際を描き出すのであります。従ってカーライルの英雄崇拝的傾向の欲求が永久に存在する事は前述の通りであるが今はこれに多少の変化を来たしたという訳であります。  さてかく自然主義の道徳文学のために、自己改良の念が浅く向上渇仰の動機が薄くなるということは必ずあるに相違ない。これは慥に欠点であります。  従って現代の教育の傾向、文学の潮流が、自然主義的であるためにボツボツその弊害が表われて、日本の自然主義という言辞は甚だしく卑しむべきものになって来た。けれどもこれは間違である。自然主義はそんな非倫理的なものではない、自然主義そのものは日本の文学の一部に表われたようなものではなく、単に彼らはその欠点のみを示したのである。前にも言った通り如何に文学といえども決して倫理範囲を脱しているものではなく、少くも、倫理的渇仰の念を何所にか萌さしめなければならぬものであります。  人間の心の底に永久に、ローマン主義の英雄崇拝的情緒的の傾向の存する限り、この心は永存するものであるが、それを全く無視して、人間の弱点ばかりを示すのは、文学としての真価を有するものでない、片輪な出来損いの芸術であります。如何に人間の弱点を書いたものでも、その弱点の全体を読む内に何処にかこれに対する悪感とか、あるいは別に倫理的の要求とかが読者の心に萌え出づるような文学でなければならぬ。これが人心の自然の要求で、芸術もまたこの範囲にある。今の一部の小説が人に嫌われるは、自然主義そのものの欠点でなく取扱う同派の文学者の失敗で、畢竟過去の極端なるローマン主義の反動であります。反動は正動よりも常規を逸する。故にわれわれは反動として多少この間の消息を諒とせねばならぬ。  さて自然主義は遠慮なく事実そのままを人の前に暴露し、または描き出すため種々なる欠点を生ずるに至りましたが、これを救うは過去のローマン主義を復興するにあらずして、新ローマン主義ともいうべきものを興すにあろうかと思う。新ローマン主義というも、全く以前のローマン主義とは別物である。凡そ歴史は繰返すものなりというけれども、歴史は決して繰返さぬのである、繰返すというのは間違である。如何なる場合にも後戻りをすることなく前へ前へと走っている。  教育及び文芸とても、自然主義に弊害があるからとて、昔には戻らぬ。もし戻ってもそれは全く新なる形式内容を有するもので、浅薄なる観察者には昔時に戻りたる感じを起させるけれども、実はそうではないのであります。しこうして自然主義に反動したものとするならば、新ローマン主義ともいうべきものは、自然主義対ローマン主義の最後に生ずるはずである。新ローマン主義というとも決して、昔のローマン主義に返ったのではない、全く別物なのであります。  即ち新ローマン主義は、昔時のローマン主義のように空想に近い理想を立てずに、程度の低い実際に近い達成し得らるる目的を立てて、やって行くのである。社会は常に、二元である。ローマン主義の調和は時と場所に依り、その要求に応じて二者が適宜に調諧して、甲の場合には自然主義六分ローマン主義四分というように時代及び場所の要求に伴うて、両者の完全なる調和を保つ所に、新ローマン主義を認める。将来はこうなる事であろうと思う。  昔の感激的の教育と、当時の情緒的なローマン主義の文芸と今の科学上の真を重んずる教育主義と、空想的ならざる自然主義の文芸と、相連って両者の変遷及び関係が明瞭になるのであります。かくして人心に向上の念がある以上、永久にローマン主義の存続を認むると共に、総ての真に価値を発見する自然主義もまた充分なる生命を存して、この二者の調和が今後の重なる傾向となるべきものと思うのであります。  近頃教育者には文学はいらぬというものもあるが、自分の今までのお話は全く教育に関係がないという事が出来ぬ。現時の教育において小学校中等学校はローマン主義で大学などに至っては、ナチュラル主義のものとなる。この二者は密接なる関係を有して、二つであるけれどもつまりは一つに重なるものと見てよろしいのであります。故に前申した通り文学と教育とは決して離れないものであるのであります。(文責記者にあり) ――明治四四、七、一『信濃教育』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:福地博文 1999年8月4日公開 2003年10月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 倫敦消息 倫敦消息 夏目漱石         一 (前略)それだから今日すなわち四月九日の晩をまる潰しにして何か御報知をしようと思う。報知したいと思う事はたくさんあるよ。こちらへ来てからどう云うものかいやに人間が真面目になってね。いろいろな事を見たり聞たりするにつけて日本の将来と云う問題がしきりに頭の中に起る。柄にないといってひやかしたまうな。僕のようなものがかかる問題を考えるのは全く天気のせいや「ビステキ」のせいではない天の然らしむるところだね。この国の文学美術がいかに盛大で、その盛大な文学美術がいかに国民の品性に感化を及ぼしつつあるか、この国の物質的開化がどのくらい進歩してその進歩の裏面にはいかなる潮流が横わりつつあるか、英国には武士という語はないが紳士と〔いう〕言があって、その紳士はいかなる意味を持っているか、いかに一般の人間が鷹揚で勤勉であるか、いろいろ目につくと同時にいろいろ癪に障る事が持ち上って来る。時には英吉利がいやになって早く日本へ帰りたくなる。するとまた日本の社会のありさまが目に浮んでたのもしくない情けないような心持になる。日本の紳士が徳育、体育、美育の点において非常に欠乏しているという事が気にかかる。その紳士がいかに平気な顔をして得意であるか、彼らがいかに浮華であるか、彼らがいかに空虚であるか、彼らがいかに現在の日本に満足して己らが一般の国民を堕落の淵に誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるかなどというようないろいろな不平が持ち上ってくる。せんだって日本の上流社会の事に関して長い手紙を書いて親戚へやった。しかしこんな事はただ英国へ来てから余慶に感ずるようになったまででちっとも英国と関係のない話しだし、君らに聞せる必要もなし、聞きたい事でもなかろうから先ぬきとして何か話そう。何がいいか、話そうとすると出ないものでね、困るな。仕方がないから今日起きてから今手紙をかいているまでの出来事を「ほととぎす」で募集する日記体でかいて御目にかけよう。出来事だって風来山人の生活だから面白おかしい事はない、すこぶる平凡な物さ。「オキスフォード」で「アン」を見失ったとか、「チェヤリングクロス」で決闘を見たとか云うのだと張合があるが、いかにも憫然な生活だからくだらない。しかし僕が倫敦に来てどんな事をやっているかがちょっと分る。僕を知っている君らにはそこに少々興味があるだろう。  この前の金曜が「グード・フライデー」で「イースター」の御祭の初日だ。町の店はみんなやすんで買物などはいっさい禁制だ。明る土曜はまず平常の通りで、次が「イースター・サンデー」また買物を禁制される。翌日になってもう大丈夫と思うと、今度は「イースター・モンデー」だというのでまた店をとじる。火曜になってようやくもとに復する例である。内の夫婦は御祭中田舎の妻君の里へ旅行した。田中君は「シェクスピヤ」の旧跡を探るというので「ストラトフォドオンアヴォン」と云う長い名の所へ行かれた。跡は妻君の妹と下女のペンと吾輩と三人である。  朝目がさめると「シャッター」の隙間から朝日がさし込んで眩いくらいである。これは寝過したかと思って枕の下から例のニッケルの時計を引きずり出して見るとまだ七時二十分だ。まだ第一の銅鑼の鳴る時刻でない。起きたって仕方がないが別にねむくもない。そこでぐるりと壁の方から寝返りをして窓の方を見てやった。窓の両側から申訳のために金巾だか麻だか得体の分らない窓掛が左右に開かれている。その後に「シャッター」が下りていて、その一枚一枚のすき間から御天道様が御光来である。ハハーいよいよ春めいて来てありがたい、こんな天気は倫敦じゃ拝めなかろうと思っていたが、やはり人間の住んでる所だけあって日の当る事もあるんだなとちょっと悟りを開いた。それから天井を見た。不相変ひびが入っていて不景気だ。上で何かごとごという音が聞こえる。下女が四階の室で靴でもはいているんだろう。部屋はますますあかるくなる。銅鑼はまだ鳴りそうな景色がない。今度は天井から眼をおろしてぐるぐる部屋中を査した。しかし別に見るものも何にもない。まことに御恥しい部屋だ。窓の正面に箪笥がある。箪笥というのはもったいない、ペンキ塗の箱だね。上の引出に股引とカラとカフが這入っていて、下には燕尾服が這入っている。あの燕尾服は安かったがまだ一度も着た事がない。つまらないものを作ったものだなと考えた。箱の上に尺四方ばかりの姿見があってその左りに「カルルス」泉の瓶が立ている。その横から茶色のきたない皮の手袋が半分見える。箱の左側の下に靴が二足、赤と黒だ、並んでいる。毎日穿くのは戸の前に下女が磨いておいて行く。そのほかに礼服用の光る靴が戸棚にしまってある、靴ばかりは中々大臣だなと少々得意な感じがする。もしこの家を引越すとするとこの四足の靴をどうして持って行こうかと思い出した。一足は穿く、二足は革鞄につまるだろう、しかし余る一足は手にさげる訳には行かんな、裸で馬車の中へ投り込むか、しかし引越す前には一足はたしかに破れるだろう。靴はどうでもいいが大事の書物がずいぶん厄介だ。これは大変な荷物だなと思って板の間に並べてある本と、煖炉の上にある本と、机の上にある本と、書棚にある本を見廻した。せんだって「ロッチ」から古本の目録をよこした「ドッズレー」の「コレクション」がある。七十円は高いが欲い。それに製本が皮だからな。この前買った「ウァートン」の英詩の歴史は製本が「カルトーバー」で古色蒼然としていて実に安い掘出し物だ。しかし為替が来なくっては本も買えん、少々閉口するな、そのうち来るだろうから心配する事も入るまい、……ゴンゴンゴンそら鳴った。第一の銅鑼だ、これから起きて仕度をすると第二の「ゴング」が鳴る。そこでノソノソ下へ降りて行って朝食を食うのだよ。起きて股引を穿きながら、子にふし銅鑼に起きはどうだろうと思って一人でニヤニヤと笑った。それから寝台を離れて顔を洗う台の前へ立った。これから御化粧が始まるのだ。西洋へ来ると猫が顔を洗うように簡単に行かんのでまことに面倒である。瓶の水をジャーと金盥の中へあけてその中へ手を入れたがああしまった顔を洗う前に毎朝カルルス塩を飲まなければならないと気がついた。入れた手を盥から出した。拭くのが面倒だから壁へむいて二三返手をふってそれから「カルルス」塩の調合にとりかかった。飲んだ。それからちょっと顔をしめして「シェヴィング・ブラッシ」を攫んで顔中むやみに塗廻す。剃は安全髪剃だから仕まつがいい。大工がかんなをかけるようにスースーと髭をそる。いい心持だ。それから頭へ櫛を入れて、顔を拭て、白シャツを着て、襟をかけて、襟飾をつけて「シャッター」を捲き上ると、下女がボコンと部屋の前へ靴をたたきつけて行った。しばらくすると第二のゴンゴンが鳴る。ちょっと御誂通りにできてる。それから階子段を二つ下りて食堂へ這入る。例のごとく「オートミール」を第一に食う。これは蘇格土蘭人の常食だ。もっともあっちでは塩を入れて食う、我々は砂糖を入れて食う。麦の御粥みたようなもので我輩は大好だ。「ジョンソン」の字引には「オートミール」……蘇国にては人が食い英国にては馬が食うものなりとある。しかし今の英国人としては朝食にこれを用いるのが別段例外でもないようだ。英人が馬に近くなったんだろう。それから「ベーコン」が一片に玉子一つまたはベーコン二片と相場がきまっている。そのほかに焼パン二片茶一杯、それでおしまいだ。吾輩が二片の「ベーコン」を五分の四まで食い了ったところへ田中君が二階から下りて来た。先生は昨夜遅く旅から帰って来たのである。もっとも先生は毎朝遅刻する人でけっして定刻に二階から天下った事はない。「いや御早う」。妻君の妹が Good morning と答えた。吾輩も英語で Good morning といった。田中君はムシャムシャやっている。吾輩は Excuse me といって食卓の上にある手紙を開いた。「エッジヒル」夫人からこの十七日午後三時にゆるゆる御話しを伺いたいからおいでくだされまじきやという招待状だ。おやおやと思った。吾輩は日本におっても交際は嫌いだ。まして西洋へ来て無弁舌なる英語でもって窮窟な交際をやるのはもっとも厭いだ。加之倫敦は広いから交際などを始めるとむやみに時間をつぶす、おまけにきたない「シャツ」などは着て行かれず、「ズボン」の膝が前へせり出していてはまずいし雨のふる時などはなさけない金を出して馬車などを驕らねばならないし、それはそれは気骨が折れる、金がいる、時間が費える、真平だが仕方がない、たまにはこんな酔興な貴女があるんだから行かなければ義理がわるい、困ったなと思っていると、田中君が旅行談を始めた。吾輩に「シェクスピヤ」の石膏製の像と「アルバム」をやろうと云うからありがとうといって貰った。それから「シェクスピヤ」の墓碑の石摺の写真を見せて、こりゃ何だい君、英語の漢語だね、僕には読めないといった。やがて先生は会社へ出て行った。これから吾輩は例の通り「スタンダード」新聞を読むのだ。西洋の新聞は実にでがある。始からしまいまで残らず読めば五六時間はかかるだろう。吾輩はまず第一に支那事件のところを読むのだ。今日のには魯国新聞の日本に対する評論がある。もし戦争をせねばならん時には日本へ攻め寄せるは得策でないから朝鮮で雌雄を決するがよかろうという主意である。朝鮮こそ善い迷惑だと思った。その次に「トルストイ」の事が出ている。「トルストイ」は先日魯西亜の国教を蔑視すると云うので破門されたのである。天下の「トルストイ」を破門したのだから大騒ぎだ。或る絵画展覧会に「トルストイ」の肖像が出ているとその前に花が山をなす、それから皆が相談して「トルストイ」に何か進物をしようなんかんて「トルストイ」連は焼気になって政府に面当をしているという通信だ。面白い。そうこうする内に十時二十分だ。今日は例のごとく先生の家へ行かねばならない。まず便所へ行って三階の部屋へかけ上って仕度をして下りて見るとまだ十一時には二十分ばかり間がある。また新聞を見る。昨日は「イースター・モンデー」なのでところどころで興行物があった。その雑報がある。「アクエリアム」で熊使いが熊を使うと云う事が載っている。熊が馬へ乗って埒の周囲をかけ廻る、棒を飛び超える、輪抜けをすると書いてある。面白そうだ。此度は広告を見た。「ライシアム」で「アーヴィング」が「シェクスピヤ」の「コリオラナス」をやると出ている。せんだって「ハー・マジェスチー」座で「トリー」の「トェルフスナイト」を見た。脚本で見るより遥かに面白い。「アーヴィング」のも見たいものだ。十一時五分前になった。書物を抱えて家を出た。  僕の下宿は東京で云えばまず深川だね。橋向うの場末さ。下宿料が安いからかかる不景気なところにしばらく――じゃない、つまり在英中は始終蟄息しているのだ。その代り下町へは滅多に出ない。一週に一二度出るばかりだ。出るとなると厄介だ。まず「ケニントン」と云う処まで十五分ばかり徒行いて、それから地下電気でもって「テームス」川の底を通って、それから汽車を乗換えて、いわゆる「ウエスト・エンド」辺に行くのだ。停車場まで着て十銭払って「リフト」へ乗った。連が三四人ある。駅夫が入口をしめて「リフト」の縄をウンと引くと「リフト」がグーッとさがる、それで地面の下へ抜け出すという趣向さ。せり上る時はセビロの仁木弾正だね。穴の中は電気灯であかるい。汽車は五分ごとに出る。今日はすいている、善按排だ。隣りのものも前のものも次の車のものも皆新聞か雑誌を出して読んでいる。これが一種の習慣なのである。吾輩は穴の中ではどうしても本などは読めない。第一空気が臭い、汽車が揺れる、ただでも吐きそうだ。まことに不愉快極まる。停車場を四ばかりこすと「バンク」だ。ここで汽車を乗りかえて一の穴からまた他の穴へ移るのである。まるでもぐら持ちだね。穴の中を一町ばかり行くといわゆる two pence Tube さ。これは東「バンク」に始まって倫敦をズット西へ横断している新しい地下電気だ。どこで乗ってもどこで下りても二文すなわち日本の十銭だからこう云う名がついている。乗った。ゴーと云って向うの穴を反対の方角に列車が出るのを相図に、こっちの列車もゴーと云って負けない気で進行し始めた。車掌が next station Post-office といってガチャリと車の戸を閉めた。とまるたびにつぎの停車場の名を報告するのがこの鉄道の特色なのである。向うの方に若い女と四十恰好の女が差し向いに座を占めていた。吾輩の右に一間ばかり隔って婆さんと娘がベチャベチャ話しをしている。向うの連中は雑誌を読みながら「ビスケット」か何かかじっている。平凡な乗合だ。少しも小説にならない。 もう厭になったからこれで御免蒙る。実は僕の先生の話しをしたいのだがね。よほど奇人で面白いのだから。しかし少々頭がいたいからこれで御勘弁を願おう。四月九日夜。         二  また「ホトトギス」が届いたから出直して一度伺おう。我輩の下宿の体裁は前回申し述べたごとくすこぶる憐れっぽい始末だが、そういう境界に澄まし返って三十代の顔子然としていられるかと君方はきっと聞くに違いない。聞かなくっても聞く事にしないとこっちが不都合だからまず聞くと認める。ところで我輩が君らに答えるんだ、懸価のないところを答えるんだから、そのつもりで聞かなくっては行けない。  我輩も時には禅坊主みたような変哲学者のような悟りすました事も云って見るが、やはり大体のところが御存じのごとき俗物だからこんな窮屈な暮しをして回やその楽をあらためず賢なるかなと褒められる権利は毛頭ないのだよ。そんならなぜもっと愉快な所へ移らないかと云うかも知れないが、そこに大に理由の存するあり焉さ。まず聞きたまえ。なるほど留学生の学資は御話しにならないくらい少ない。倫敦ではなおなお少ない。少ないがこの留学費全体を投じて衣食住の方へ廻せば我輩といえども最少しは楽な生活ができるのさ。それは国にいる時分の体面を保つ事は覚束ないが(国にいれば高等官一等から五つ下へ勘定すれば直ぐ僕の番へ巡わってくるのだからね。もっとも下から勘定すれば四つで来てしまうんだから日本でもあまり威張れないが)とにかくこれよりもさっぱりした家へ這入れる。然るにあらゆる節倹ををしてかようなわびしい住居をしているのはね、一つは自分が日本におった時の自分ではない単に学生であると云う感じが強いのと、二つ目にはせっかく西洋へ来たものだから成る事なら一冊でも余計専門上の書物を買って帰りたい慾があるからさ。そこで家を持って下婢共を召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で雪駄のカカトのような「ビステキ」を食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構? まず結構だと思っているのさ。人は「カムバーウェル」のような貧乏町にくすぼってると云って笑うかも知れないがそんな事に頓着する必要はない。かような陋巷におったって引張りと近づきになった事もなし夜鷹と話をした事もない。心の底までは受合わないがまず挙動だけは君子のやるべき事をやっているんだ。実に立派なものだと自ら慰めている。  しかしながら冬の夜のヒューヒュー風が吹く時にストーヴから煙りが逆戻りをして室の中が真黒に一面に燻るときや、窓と戸の障子の隙間から寒い風が遠慮なく這込んで股から腰のあたりがたまらなく冷たい時や、板張の椅子が堅くって疝気持の尻のように痛くなるときや、自分の着ている着物がぜんぜん変色して来るにつれて自分がだんだん下落するような情ない心持のする時は、何のためにこんな切りつめた生活をするんだろうと思う事もある。エー構わない。本も何も買えなくても善いから為替はみんな下宿料にぶち込んで人間らしい暮しをしようという気になる。それからステッキでも振り回わしてその辺を散歩するのである。向へ出て見ると逢う奴も逢う奴も皆んな厭に背いが高い。おまけに愛嬌のない顔ばかりだ。こんな国ではちっと人間の背いに税をかけたら少しは倹約した小さな動物が出来るだろうなどと考えるが、それはいわゆる負惜しみの減らず口と云う奴で、公平な処が向うの方がどうしても立派だ。何となく自分が肩身の狭い心持ちがする。向うから人間並外れた低い奴が来た。占たと思ってすれ違って見ると自分より二寸ばかり高い。こんどは向うから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思うと、これすなわち乃公自身の影が姿見に写ったのである。やむをえず苦笑いをすると向うでも苦笑いをする。これは理の当然だ。それから公園へでも行くと角兵衛獅子に網を被せたような女がぞろぞろ歩行いている。その中には男もいる。職人もいる。感心に大概は日本の奏任官以上の服装をしている。この国では衣服では人の高下が分らない。牛肉配達などが日曜になるとシルクハットでフロックコートなどを着て澄している。しかし一般に人気が善い。我輩などを捕えて悪口をついたり罵ったりするものは一人もおらん。ふり向いても見ない。当地では万事鷹揚に平気にしているのが紳士の資格の一つとなっている。むやみに巾着切りのようにこせこせしたり物珍らしそうにじろじろ人の顔なんどを見るのは下品となっている。ことに婦人なぞは後ろをふりかえって見るのも品が悪いとなっている。指で人をさすなんかは失礼の骨頂だ。習慣がこうであるのにさすが倫敦は世界の勧工場だからあまり珍らしそうに外国人を玩弄しない。それからたいていの人間は非常に忙がしい。頭の中が金の事で充満しているから日本人などを冷かしている暇がないというような訳で、我々黄色人――黄色人とは甘くつけたものだ。全く黄色い。日本にいる時はあまり白い方ではないがまず一通りの人間色という色に近いと心得ていたが、この国ではついに人-間-を-去-る-三-舎-色と言わざるを得ないと悟った――その黄色人がポクポク人込の中を歩行いたり芝居や興行物などを見に行かれるのである。しかし時々は我輩に聞えぬように我輩の国元を気にして評する奴がある。この間或る所の店に立って見ていたら後ろから二人の女が来て“least poor Chinese”と評して行った。least poor とは物匂い形容詞だ。或る公園で男女二人連があれは支那人だいや日本人だと争っていたのを聞た事がある。二三日前さる所へ呼ばれてシルクハットにフロックで出かけたら、向うから来た二人の職工みたような者が a handsome Jap. といった。ありがたいんだか失敬なんだか分らない。せんだって或芝居へ行った。大入で這入れないからガレリーで立見をしていると傍のものが、あすこにいる二人は葡萄耳人だろうと評していた。――こんな事を話すつもりではなかった。話しの筋が分らなくなった。ちょっと一服してから出直そう。  まず散歩でもして帰るとちょっと気分が変って来て晴々する。何こんな生活もただ二三年の間だ。国へ帰れば普通の人間の着る物を着て普通の人間の食う物を食って普通の人の寝る処へ寝られる。少しの我慢だ、我慢しろ我慢しろ、と独り言をいって寝てしまう。寝てしまう時は善いが、寝られないでまた考え出す事がある。元来我慢しろと云うのは現在に安んぜざる訳だ――だんだん事件がむずかしくなって来る――時々やけの気味になるのは貧苦がつらいのだ。年来自分が考えたまた自分が多少実行し来りたる処世の方針はどこへ行った。前後を切断せよ、妄りに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働けというのが乃公の主義なのである。しかるに国へ帰れば楽ができるからそれを楽しみに辛防しようと云うのははかない考だ。国へ帰れば楽をさせると受合ったものは誰もない。自分がきめているばかりだ。自分がきめてもいいから楽ができなかった時にすぐ機鋒を転じて過去の妄想を忘却し得ればいいが、今のように未来に御願い申しているようではとうていその未来が満足せられずに過去と変じた時にこの過去をさらりと忘れる事はできまい。のみならず報酬を目的に働らくのは野暮の至りだ。死ねば天堂へ行かれる、未来は雨蛙といっしょに蓮の葉に往生ができるから、この世で善行をしようという下卑た考と一般の論法で、それよりもなお一層陋劣な考だ。国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さなかった。ただ現在に活動しただ現在に義務をつくし現在に悲喜憂苦を感ずるのみで、取越苦労や世迷言や愚痴は口の先ばかりでない腹の中にもたくさんなかった。それで少々得意になったので外国へ行っても金が少なくっても一箪の食一瓢の飲然と呑気に洒落にまた沈着に暮されると自負しつつあったのだ。自惚自惚! こんな事では道を去る事三千里。まず明日からは心を入れ換えて勉強専門の事。こう決心して寝てしまう。  かかるありさまでこの薄暗い汚苦しい有名なカンバーウェルと云う貧乏町の隣町に昨年の末から今日までおったのである。おったのみならずこの先も留学期限のきれるまではここにおったかも知れぬのである。しかるにここに或る出来事が起っていくらおりたくっても退去せねばならぬ事となった、というと何か小説的だが、その訳を聞くとすこぶる平凡さ。世の中の出来事の大半は皆平凡な物だから仕方がない。この家はもとからの下宿ではない。去年までは女学校であったので、ここの神さんと妹が経験もなく財産もなく将来の目的もしかと立たないのに自営の道を講ずるためにこの上品のような下等のような妙な商買を始めたのである。彼らは固より不正な人間ではない。正道を踏んで働けるだけ働いたのだ。しかし耶蘇教の神様も存外半間なもので、こういう時にちょっと人を助けてやる事を知らない。そこでもって家賃が滞る――倫敦の家賃は高い――借金ができる、寄宿生の中に熱病が流行る。一人退校する、二人退校する、しまいに閉校する。……運命が逆まに回転するとこう行くものだ。可憐なる彼ら――可憐は取消そう二人とも可憐という柄ではない――エー不憫なる――憫然なる彼らはあくまでも困難と奮戦しようという決心でついに下宿を開業した。その開業したての煙の出ているところへ我輩は飛び込んだのである。飛び込んでからだんだん事情を聞いたときにこんどこそはこの二人の少女、ではない我輩より三寸ばかり背いの高い女に成功あらしめたまえと私かに祈念を凝らした。誰れに祈念を凝らしたと聞かれると少々困る。祈るべき神に交際の無い拙者だから、ただあてどもなく祈念した。果せるかないっこう霊現がない。ちっとも客が来ない。「夏目さん、あなたの御存じの方でいらしっていただく方はありますまいか」「さよう、実に御気の毒だから周旋したいのだが、倫敦には別に朋友というものがないから――」。それでもせんだってまでは日本人が一人おった。この先生はすこぶる陽気な人でこんな家には向かない。我輩がほととぎすを読んでいるのを見て、君も天智天皇の方はやれるのかいと聴た男だ。その日本人がとうとう逃出す。残るは我輩一人だ。こうなると家を畳むより仕方がない。そこでこれから南の方にあたる倫敦の町外れ――町外れと云っても倫敦は広い、どこまで広がるか分らない――その町外れだからよほど辺鄙な処だ。そこに恰好な小奇麗な新宅があるので、そこへ引越そうという相談だ。或日亭主と神さんが出て行って我輩と妹が差し向いで食事をしていると陰気な声で「あなたもいっしょに引越して下さいますか」といった。この「下さいますか」が色気のある小説的の「下さいますか」ではない。色沢気抜きの世帯染た「下さいますか」である。我輩がこの語を聞いたときは非常にいやな可愛想な気持ちがした。元来我輩は江戸っ児だ。しかるに朱引内か朱引外か少々曖昧な所で生れた精か知らん今まで江戸っ児のやるような心持ちのいい慈善的事業をやった事がない。今何と答をしたかたしかに覚えておらん。いやしくも一遍の義侠心があるならば、うんあなたの移る処ならどこでも移ります、と答えるはずなのだ。そうは答えなかったらしい。ここにそう答えられない訳がある。なるほどこの妹はごく内気なおとなしいしかも非常に堅固な宗教家で、我輩はこの女と家を共にするのは毫も不愉快を感じないが、姉の方たる少々御転だ。この姉の経歴談も聞たが長くなるから抜きにして、ちょっと小生の気に入らない点を列挙するならば、第一生意気だ、第二知ったかぶりをする、第三つまらない英語を使ってあなたはこの字を知っておいでですかと聞く事がある。一々勘定すれば際限がない。せんだってトンネルと云う字を知っているかと聞た。それから straw すなわち藁という字を知っているかと聞た。英文学専門の留学生もこうなると怒る張合もない。近頃は少々見当がついたと見えてそんな失敬な事も言わない。また一般の挙動も大に叮嚀になった。これは漱石が一言の争もせず冥々の裡にこの御転婆を屈伏せしめたのである。――そんな得意談はどうでも善いとして、この国の女ことに婆さんとくると、いわゆる老婆親切と云う訳かも知れんが、自分の使う英語に頼みもせぬ註解を加えたり、この字は分りますかなどという事がたくさんある。この間さる処へ呼ばれてそこの奥さんと談しをした。するとその人が大の耶蘇信者だからたまらない。滔々と神徳を述べ立てた。まことに品の善い、しとやかな御婆さんだ。しかる処 evolution と云う字を御承知ですかと聞かれた。「世の中の事は乱雑で法則がないようですがよく御覧になると皆進化の道理に支配されております……進化……分りますか」。まるで赤ん坊に説教するようだ。向は親切に言ってくれるんだから、へーへーと云っているより仕方がない。それはこの婆さんのようにベラベラしゃべる事はできない。挨拶などもただ咽喉の処へせり上って来た字を使ってほっと一息つくくらいの仕儀なんだから向うでこっちを見くびるのは無理はないが、離れ離れの言語の数から云えばあなたよりも我輩の方が余計知っておりますよといってやりたいくらいだ。それからよく御婆さんを引合に出すが、もう一人御婆さんがある。この御婆さんがせんだって手紙をよこしてその中に folk という字を使っている。ただ使っているばかりなら不思議はないが、その字に foot note が付いている。これは英国古代の字なりとあった。「ノート」を自分の手紙へつけるのも面白いが、そのノートの文句がなおさら面白い。この御婆さんと船へ合乗をした時に、何か文章を書け、直してやるというから、日記の一節を出してよろしくおたのもうす事にした。すると大変感心したといって二三所一二字添削して返した。見ると直さなくってもけっして差支のない所を直している。そしてとんでもない間違った事が例のノート的で書いてある。この御婆さんはけっして下等な人でない。相応な身分のある中流の人である。かくのごとき人間に邂逅する英国だから、我下宿の妻君が生意気な事を云うのも別段相手にする必要はないが、同じ英国へ来たくらいなら今少し学問のある話せる人の家におって、汚ない狭いは苦にならないから、どうか朝夕交際がして見たい。こう云う望があるから、へー行きましょうとは答えなかったが、自分の望み通りの人で下宿人を置く処があるかそれがすこぶる疑わしい。広い世界にはあるだろう。けれどもそれに逢着するのは難中の難事である。我輩の先生の処が一間あいておれば置てもらうのだけれども、それは間がないのだからできない相談だ。こう云う時になると西洋の新聞は便利だ。万事広告の世界なのだから下宿の広告がいくらでもある。我輩が以前下宿をさがす時 Daily Telegraph の下宿の広告欄を見た事がある。始めから終りまで読むのに三時間かかった事を記臆している。今は「テレグラフ」を取っておらん、「スタンダード」だ。この新聞は上品な新聞だからここへ出る広告なら間違はないと思って四月十七日の分の広告欄を読み始めると、存外営業的のが多くって素人家へ置きたいと云うのが少ない。しかしいろいろのがある。「宿料低廉、風呂付、食物上等」こんなのは普通なのだ。「ハイドパークに面し地下電気へ三分地下鉄道へ五分、貴女と交際の便利あり」なんと云うのがある。「球突随意ピヤノあり gay society, late dinner」これも珍らしくない。「レートジンナー」と云うのはこの頃の流行なのだ。我輩などには至極不便だ。その中で下のようなのを見出した。「立派なる室を有する寡婦及その妹と共に同宿せんとするあまり派出やかならざる紳士を求む。御望の方は○○筆墨店へ御一報を乞う」。まずここへでも一つあたってみようと云う気になったから直ぐ手紙を書いて、宿料その他委細の事を報知して貰いたい、小生の身分はかくかく職業はかくかく、なるべく低廉でなるべく愉快な処に住みたいと勝手な事をかいてやった。  その夜の十時頃自分の室で読書をしていると、室の戸をコツコツ叩くものがある。“Yes, come in.”といったら宿の亭主がニコニコして這入って来た。「実はあなたも御承知の通りこの度引越す事にきまりましたが、どうでしょう、向うはここよりも大分奇麗でかつ器具などもよほど上等にしますが、来ていただく訳には参りますまいか」「それは君の方で僕に是非来てくれと言うのなら……」「イエ是非といって御無理を願う訳ではありませんが、御都合がよければ――実は御馴染にもなっておりますし家内や妹も大変それを希望致しますから」「君の新宅へ下宿人を置きたいという事は僕も承知していますが、あながち僕でなくっても善いだろうと思ってね」と実はこれこれだと話すと、亭主の顔が少々陰気になって来た。我輩も少々手持無沙汰である。「それじゃこうしよう、いずれ先方から返事が来る、来ればひとまず行って室を見て、それが気に入らなかったら君の方へ行くとしよう、ほかを探す事はやめにして。あの手紙を出す前に君の方の希望がどのくらいの程度だか分っていれば、聞き合せるまでもない御望みに応じたのだが、こうなっては仕方がない。まず先方の返事次第ですね。その代りほかはけっしてさがさない。あれがいけなければきっと君の方へ行きますよ」。亭主は御邪魔様といって下りて行った。  朝になって食堂へ行くと誰もいない。皆んな飯をすました後である。ああ今日も寝坊して気の毒だなと思って「テーブル」の上を見ると、薄紫色の状袋の四隅を一分ばかり濃い菫色に染めた封書がある。我輩に来た返事に違いない。こんな表の状袋を用るくらいでは少々我輩の手に合わん高等下宿だなと思ながら「ナイフ」で開封すると、「御問合せの件に付申上候。この家はレデー(このレデーという字の下に棒が引いてある)の所有にて室内の装飾の立派なるはもちろん室々はことごとく電気灯を用いよき召使を雇い高尚優雅なる生活に適するように意を用い候。宿料は一週三十三円に御座候。あるいは御気に召さぬかと存じ候えども、御出被下候えば喜こんで室々御案内可仕候、敬具」。飯を食いながら呼鈴を押して宿の神さんを呼んだ。「とうとうあなたの方へ行く事にしましたよ。一週三十三円の下宿料なんかとうてい我輩には払えんから君の方へ行きましょうよ」「はあそうですか、どうもありがとう、なるべく気をつけますからどうぞさよう願いたいもので」。細君が出て行った後から亭主の首が半分戸の間から出た。Thank you, Mr. Natsume, thank you. と言ってニコニコ笑った。我輩も少々嬉しいような心持ちがした。細君と妹は引越しの荷ごしらえで終日急がしい。七時に茶を飲むときに食堂で逢った。「今日は飼っていた鸚鵡を売りました」と妹がいった。姉もまけずに「前使った学校の招牌も売りました。十円に買って行きました」と云った。  運命の車は容赦なく廻転しつつある。我輩の前および彼ら二人の前にはいかなる出来事が横わりつつあるか。我らは三人ながら愚な事をしているかも知れぬ。愚かも知れぬ、また利口かも知れぬ。ただ我輩の運命が彼ら二人の運命と漸々接近しつつあるは事実である。後を顧みてかの薄紫の貴女及びその妹の事とその門構付の家を想像し、前を見てこの貧困なるしかし正直なる二人の姉妹とその未来の楽園と予期しつつある格子戸作りを想像して、両者の差違を趣味あるようにも感ずる。また貧富の懸隔はかように色気なき物かとも感ずる。またミカウバーと住んでおったデヴィッド・カッパーフィールドのような感じもする。四月二十日。         三  朋友その朋友と共に我輩が生活を共にするところの朋友姉妹の事については前回少しく述ぶるところあったが、このほかに我輩がもっとも敬服しもっとも辟易するところの朋友がまだ一人ある。姓はペン渾名は bedge pardon なる聖人の事を少しく報道しないでは何だか気がすまないから、同君の事をちょっと御話して、次回からは方面の変った目撃談観察談を御紹介仕ろう。そもそもこのペンすなわち内の下女なるペンになぜ我輩がこの渾名を呈したかと云うと、彼は舌が短かすぎるのか長すぎるのか呂律が少々廻り兼ねる善人なる故に I beg your pardon と云う代りにいつでも bedge pardon と云うからである。ベッジ・パードンは名のごとくいかにもベッジ・パードンである。しかし非常な能弁家で、彼の舌の先から唾液を容赦なく我輩の顔面に吹きかけて話し立てる時などは滔々滾々として惜い時間を遠慮なく人に潰させて毫も気の毒だと思わぬくらいの善人かつ雄弁家である。この善人にして雄弁家なるベッジパードンは倫敦に生れながらまるで倫敦の事を御存じない。田舎は無論御存じない。また御存じなさりたくもない様子だ。朝から晩まで晩から朝まで働き続けに働いてそれから四階のアッチックへ登って寝る。翌日日が出ると四階から天降ってまた働き始める。息をセッセとはずまして――彼は喘息持である――はたから見るのも気の毒なくらいだ。さりながら彼は毫も自分に対して気の毒な感じを持っておらぬ。Aの字かBの字か見当のつかぬ彼は少しも不自由らしい様子がない。我輩は朝夕この女聖人に接して敬慕の念に堪えんくらいの次第であるが、このペンに捕って話しかけられた時は幸か不幸かこれは他人に判断して貰うより仕方がない。日本にいる人は英語なら誰の使う英語でも大概似たもんだと思っているかも知れないが、やはり日本と同じ事で、国々の方言があり身分の高下がありなどして、それはそれは千違万別である。しかし教育ある上等社会の言語はたいてい通ずるから差支ないが、この倫敦のコックネーと称する言語に至っては我輩にはとうてい分らない。これは当地の中流以下の用うる語ばで字引にないような発音をするのみならず、前の言ばと後の言ばの句切りが分らないことほどさよう早く饒舌るのである。我輩はコックネーでは毎度閉口するが、ベッジパードンのコックネーに至っては閉口を通り過してもう一遍閉口するまで少々草臥るから開口一番ちょっと休まなければやり切れないくらいのものだ。我輩がここに下宿したてにはしばしばペンの襲撃を蒙って恐縮したのである。やむをえずこの旨を神さんに届け出ると、可愛想にペンは大変御小言を頂戴した。御客様にそんなぶしつけな方があるものか以後はたしなむが善かろうときめつけられた。それから従順なるペンはけっして我輩に口をきかない。ただし口をきかないのは妻君の内にいる時に限るので、山の神が外へ出た時には依然としてもとのペンである。もとのペンが無言の業をさせられた口惜しまぎれに折を見て元利共取返そうと云う勢でくるからたまらない。一週間無理に断食をした先生が八日目に御櫃を抱えて奮戦するの慨がある。  例のごとくデンマークヒルを散歩して帰ると、我輩のために戸を開いたるペンは直ちにしゃべり出した。果せるかな家内のものは皆新宅へ荷物を片付に行って伽藍堂の中に残るは我輩とペンばかりである。彼は立板に水を流すがごとく々十五分間ばかりノベツに何か云っているが毫もわからない。能弁なる彼は我輩に一言の質問をも挟さましめざるほどの速度をもって弁じかけつつある。我輩は仕方がないから話しは分らぬものと諦めてペンの顔の造作の吟味にとりかかった。温厚なる二重瞼と先が少々逆戻りをして根に近づいている鼻とあくまで紅いに健全なる顔色とそして自由自在に運動を縦ままにしている舌と、舌の両脇に流れてくる白き唾とをしばらくは無心に見つめていたが、やがて気の毒なような可愛想のようなまたおかしいような五目鮨司のような感じが起って来た。我輩はこの感じを現わすために唇を曲げて少しく微笑を洩らした。無邪気なるペンはその辺に気のつくはずはない。自分の噺に身が入って笑うのだと我点したと見えて赤い頬に笑靨をこしらえてケタケタ笑った。この頓珍漢なる出来事のために我輩はいよいよ変テコな心持になる、ペンはますます乗気になる、始末がつかない。彼の云う所をあそこで一言ここで一句、分ったところだけ綜合して見るとこういうのらしい。昨日差配人が談判に来た。内の女連はバツが悪いから留守を使って追い返した。この玄関払の使命を完うしたのがペンである。自分は嘘をつくのは嫌だ。神さまにすまない。しかし主命もだしがたしでやむをえず嘘をついた。まずたいていここら当りだろうと遠くの火事を見るように見当をつけてようやく自分の部屋へ引き下った。我輩のトランクと書籍は今朝三時頃主人が新宅へ運んでしまったので、残るのは身体ばかりだ。何となく寂漠の感がある。夜の八時頃にコツコツ戸を叩いて這入って来た――例のペンが――今日差配人が四度来たという注進だ。それから何かいうが少しも解しかねる。あまり面倒だから善い加減にして追さげる。……十時頃にまたペンが来た。今度差配が来たらどうしようという。今度は相談のためだ。心配するには及ばんといって慰めて引きさがらせる。十時半になるがまだ内のものは帰らない。もしここの亭主が詐欺師であって我輩を置き去りにして荷物だけ取って行ったとすれば我輩はアンポンタンの骨頂でさぞかし人に笑われるだろうと気がついた。やがて門の戸のあく音がする。帰ったらしい。まずアンポンタンにならずにすんだ。ありがたいと寝る。  翌日が四月二十五日、九時頃起きて下へ行くと主人夫婦が今朝飯をすましたところだ。我輩が食卓につくのを相図に昨夜の騒動を御存じですかと神さんが尋ねた。我輩は三階に寝るのである。下でどんな事があったか少しも知らない。騒動って何があったのですと聞くと、例の差配人との悶着一件である。昨夜彼らが新宅から帰って家へ這入る途端門口に待ち設けていた差配人は、亭主が戸をしめる余地のないほど早く彼らに続いて飛び込んで、なぜ断りなしにしかも深夜に引越をするそれでも君は紳士かと云うと、我輩が我輩の荷物をわきへ運ぶに誰に断わる必要がある。また何時に荷を出そうとこっちの勝手じゃないかと亭主が抗弁する。それからだんだん議論に花が咲いて壮語四隣を驚かすと云う騒ぎであったそうな。元来この家は神さんの名前でかりている。ところが七年前に少々家賃を滞おらしたのが今日まで祟っていて出る事ができん。しかも彼の財産は早晩家賃のかたに取られるという始末だ。しかし憐れなる姉妹は別段取押えられて困るような物も持っていない。差配もそれには目をつけておらん。ただこの老差配の目ざしているのは亭主その人の家財にある。亭主も二十世紀の人間だからその辺に抜かりはない。代言人の所へ行ってちゃんと相談している。日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を啣えて見物しておらねばならぬと云う事を承知している。それだから朝の三時頃から大八車を※[#「にんべん+雇」、675-13]って来て一晩寝ずにかかって自分の荷を新宅へ運んだのである。彼はすこぶる尨大なるシマリのない顔をしている。そこで申訳のために少々鼻の下へ髭をはやしてはいるが、なかなか差配に負けぬ抜目のない男と見える。  我輩は亭主に自分の身体はいつ移れるのかと聞いたら今日でもよいというから、午飯の後妻君と共に新宅へ引き移る事にした。  神さんと二人で午飯を食っていると亭主が代言人の所から帰って来て神さんに、御前一つ手紙をかいて差配の所へ郵便でやれ書留にしなくてはいかんといってまた出て行った。神さんはサラサラ何か書き始める。どんな手紙をかくか少々見たい心持でもある。やがて神さんは書き了って「ちょっと○○さんこういう手紙なんです聞いて下さい」と高慢な顔をして手紙を読み始める。「拝啓妾は驚入申候。……どうですもう少しゆっくり読みましょうか……妾は驚き入申候。昨日は三度ならず四度までも留守宅へ御来臨の上下婢に向って妾ら身の上に関する種々なる質問を発せられ、それのみならず無断にて人の家を捜索なされ、あまつさえ下婢に向って妾はレデーの資格なきものなりなど余計な事を吹聴せられ候由、元来右はいかなる御主意に御座候や伺度候。この乱暴なる貴下の挙動に対し妾は弁解を求むる権利ありと存候。……こう云うのです。これがね策なんですよ」と云うから我輩も少々驚き入申しておるところだが、策って云うのはどんな策なんですと聞くと、先生いよいよ得意だ。ようござんすか、御手紙を書いてちゃんとこの通り控えをとっておくでしょう、先方でもしこの事件を裁判沙汰にする日にはこれが証拠になって差配が乱暴を働いたという種になるのですよ。今までは女二人だと思ってずいぶん勝手な事ばかりしたのですが、今じゃ男がついているからそうばかり踏みつけられちゃいませんのさ、と間接に亭主の自慢を仰せられた。それから御待遠様それでは出かけましょうと云うから出かけた。我輩は手提革鞄の中へ雑物を押し込んですこぶる重い奴をさげてしかも左の手には蝙蝠とステッキを二本携えている。レデーは網袋の中へ渋紙包を四つ入れて右の手にさげている。この渋紙包の一つには我輩の寝巻とヘコ帯が這入っているんだ。左の手にはこれも我輩のシートを渋紙包にして抱えている。両人とも両手が塞がっている。とんだ道行だ。角まで出て鉄道馬車に乗る。ケニングトンまで二銭宛だ。レデーは私が払っておきますといって黒い皮の蟇口から一ペネー出して切符売に渡した。乗合は少ない。向側に派出ななりをしている若い女が乗っている。すると我輩の随行しているレデーが突然あなたはメリー・コレリのマスタークリスチアンを御読みなさいましたかと大きな声で聞た。これは近頃十五万部売れたというちょっと有名な本だ。我輩は書物は持っているがまだ読まないと答えた。「あの本はね、大変善くできているのですがね、どうも作者の宗旨が何だか分らないのですよ。私の知っている者なんか皆んなコレリの宗旨は何だろうって噂していますよ」とますます向側の婦人に聞えよがしである。自分だって読んだ事もないのに鉄道馬車の中なんかでよせば善いと思ったが、仕方がないからウンウンと生返事をしていた。やがてケニングトンに着た。ここで馬車を乗り換る。こんどは上へ上がろうと云うから階子を登ってトップへ乗った。「この左りにあるのが有名な孤児院でスパージョンの紀念のために作ったのです。「スパージョン」て云うのは有名な説教家ですよ」「スパージョン」ぐらい講釈しないだって知っていら、腹が立ったから黙っててやった。「だんだん木が青くなって好い心持ですね、二週間ぐらい前からズット景色が変って来ましたね」「さよう、時にあすこに並んでいるのは何んて云う樹ですか」「あれ? あれはポプラーでさあね」「ヘエーあれがポプラーですか、ナールほど」我輩は感嘆の辞を発した。神さんはすぐツケ上る。「ポプラーはよく詩に咏じてありますよ、「テニソン」などにも出ています。どんな風の無い日でも枝が動く。アスペンとも云います。これもたしか「テニソン」にあったと思います」と「テニソン」専売だ。そのくせ何の詩にあるとも云わない。我輩は面倒臭いという風でウンウン云うのみである。向うの敷石の上を立派な婦人が裾を長く引いて通る。「家の内での御引きずりには不賛成もありませんが、外であんな長い裾を引きずって歩行くのはあまり体裁の善いものではありませんね」と裾短かなるレデーは我輩に教うる処あった。ようやく「ツーチング」という処へつく。今度は円太郎馬車で新宅の横町の前まで来た。「どれが内ですか」と聞いた。向うに雑な煉瓦造りの長屋が四五軒並んでいる。前には何にもない。砂利を掘った大きな穴がある。東京の小石川辺の景色だ。長屋の端の一軒だけ塞がっていてあとはみんな貸家の札が張ってある。塞がっているのが大家さんの内でその隣が我輩の新下宿、彼らのいわゆる新パラダイスである。這入らない先から聞しに劣る殺風景な家だと思ったが、這入って見るとなおなお不風流だ。しかのみならずどの室にも荷物が抛り込んであってまるで類焼後の立退場のようだ。ただ我輩の陣取るべき二階の一間だけが少しく方付てオラレブルになっている。以前の部屋よりも奇麗だ。装飾もまず我慢できる。やがて亭主が出て来て窓掛をコツコツ打ちつける。ストーヴの上へ額をかけるが「ミッスルトー」という額はいかがです、あれは人によると嫌いますがちょっと御覧に入れましょうと云て持って来て見せた。何でもない裸体画の美人だ。「ハハー裸体画ですな、結構です」と冗談半分にいったら「へへへ私もちっとも構いませんがね」とコツコツ釘をうってかける。「どうですこれで角度は……もう少し下向に……裸体美人があなたの方を見下すように――よろしゅうございます」。それから我輩の書棚を作ってやるといって壁の寸法と書物の寸法をとって「グードナイト」といって出て行った。  門前を通る車は一台もない。往来の人声もしない。すこぶる寂寥たるものだ。主人夫婦は事件の落着するまでは毎晩旧宅へ帰って寝なければならぬ。新宅には三階に寝る妹とカーロー君とジャック君とアーネスト君である。カーロー君とジャック君は犬の名であってアーネスト君はここの主人の店に使っている若き人間の名である。我輩の敬服しかつ辟易するベッジパードンは解雇されてしまった。我輩は移転後にこの話を聞いて憮然として彼の未来を想像した。  魯西亜と日本は争わんとしては争わざらんとしつつある。支那は天子蒙塵の辱を受けつつある。英国はトランスヴールの金剛石を掘り出して軍費の穴を填めんとしつつある。この多事なる世界は日となく夜となく回転しつつ波瀾を生じつつある間に我輩のすむ小天地にも小回転と小波瀾があって我下宿の主人公はその尨大なる身体を賭してかの小冠者差配と雌雄を決せんとしつつある。しかして我輩は子規の病気を慰めんがためにこの日記をかきつつある。四月二十六日。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年11月13日公開 2004年2月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「にんべん+雇」    675-13    --> 夏目漱石 幻影の盾 幻影の盾 夏目漱石  一心不乱と云う事を、目に見えぬ怪力をかり、縹緲たる背景の前に写し出そうと考えて、この趣向を得た。これを日本の物語に書き下さなかったのはこの趣向とわが国の風俗が調和すまいと思うたからである。浅学にて古代騎士の状況に通ぜず、従って叙事妥当を欠き、描景真相を失する所が多かろう、読者の誨を待つ。  遠き世の物語である。バロンと名乗るものの城を構え濠を環らして、人を屠り天に驕れる昔に帰れ。今代の話しではない。  何時の頃とも知らぬ。只アーサー大王の御代とのみ言い伝えたる世に、ブレトンの一士人がブレトンの一女子に懸想した事がある。その頃の恋はあだには出来ぬ。思う人の唇に燃ゆる情けの息を吹く為には、吾肱をも折らねばならぬ、吾頚をも挫かねばならぬ、時としては吾血潮さえ容赦もなく流さねばならなかった。懸想されたるブレトンの女は懸想せるブレトンの男に向って云う、君が恋、叶えんとならば、残りなく円卓の勇士を倒して、われを世に類いなき美しき女と名乗り給え、アーサーの養える名高き鷹を獲て吾許に送り届け給えと、男心得たりと腰に帯びたる長き剣に盟えば、天上天下に吾志を妨ぐるものなく、遂に仙姫の援を得て悉く女の言うところを果す。鷹の足を纏える細き金の鎖の端に結びつけたる羊皮紙を読めば、三十一カ条の愛に関する法章であった。所謂「愛の庁」の憲法とはこれである。……盾の話しはこの憲法の盛に行われた時代に起った事と思え。  行く路を扼すとは、その上騎士の間に行われた習慣である。幅広からぬ往還に立ちて、通り掛りの武士に戦を挑む。二人の槍の穂先が撓って馬と馬の鼻頭が合うとき、鞍壺にたまらず落ちたが最後無難にこの関を踰ゆる事は出来ぬ。鎧、甲、馬諸共に召し上げらるる。路を扼する侍は武士の名を藉る山賊の様なものである。期限は三十日、傍の木立に吾旗を翻えし、喇叭を吹いて人や来ると待つ。今日も待ち明日も待ち明後日も待つ。五六三十日の期が満つるまでは必ず待つ。時には我意中の美人と共に待つ事もある。通り掛りの上臈は吾を護る侍の鎧の袖に隠れて関を抜ける。守護の侍は必ず路を扼する武士と槍を交える。交えねば自身は無論の事、二世かけて誓える女性をすら通す事は出来ぬ。千四百四十九年にバーガンデの私生子と称する豪のものがラ・ベル・ジャルダンと云える路を首尾よく三十日間守り終せたるは今に人の口碑に存する逸話である。三十日の間私生子と起居を共にせる美人は只「清き巡礼の子」という名にその本名を知る事が出来ぬのは遺憾である。……盾の話しはこの時代の事と思え。  この盾は何時の世のものとも知れぬ。パヴィースと云うて三角を倒まにして全身を蔽う位な大きさに作られたものとも違う。ギージという革紐にて肩から釣るす種類でもない。上部に鉄の格子を穿けて中央の孔から鉄砲を打つと云う仕懸の後世のものでは無論ない。いずれの時、何者が錬えた盾かは盾の主人なるウィリアムさえ知らぬ。ウィリアムはこの盾を自己の室の壁に懸けて朝夕眺めている。人が聞くと不可思議な盾だと云う。霊の盾だと云う。この盾を持って戦に臨むとき、過去、現在、未来に渉って吾願を叶える事のある盾だと云う。名あるかと聞けば只幻影の盾と答える。ウィリアムはその他を言わぬ。  盾の形は望の夜の月の如く丸い。鋼で饅頭形の表を一面に張りつめてあるから、輝やける色さえも月に似ている。縁を繞りて小指の先程の鋲が奇麗に五分程の間を置いて植えられてある。鋲の色もまた銀色である。鋲の輪の内側は四寸ばかりの円を画して匠人の巧を尽したる唐草が彫り付けてある。模様があまり細か過ぎるので一寸見ると只不規則の漣が、肌に答えぬ程の微風に、数え難き皺を寄する如くである。花か蔦か或は葉か、所々が劇しく光線を反射して余所よりも際立ちて視線を襲うのは昔し象嵌のあった名残でもあろう。猶内側へ這入ると延板の平らな地になる。そこは今も猶鏡の如く輝やいて面にあたるものは必ず写す。ウィリアムの顔も写る。ウィリアムの甲の挿毛のふわふわと風に靡く様も写る。日に向けたら日に燃えて日の影をも写そう。鳥を追えば、こだまさえ交えずに十里を飛ぶ俊鶻の影も写そう。時には壁から卸して磨くかとウィリアムに問えば否と云う。霊の盾は磨かねども光るとウィリアムは独り語の様に云う。  盾の真中が五寸ばかりの円を描いて浮き上る。これには怖ろしき夜叉の顔が隙間もなく鋳出されている。その顔は長しえに天と地と中間にある人とを呪う。右から盾を見るときは右に向って呪い、左から盾を覗くときは左に向って呪い、正面から盾に対う敵には固より正面を見て呪う。ある時は盾の裏にかくるる持主をさえ呪いはせぬかと思わるる程怖しい。頭の毛は春夏秋冬の風に一度に吹かれた様に残りなく逆立っている。しかもその一本一本の末は丸く平たい蛇の頭となってその裂け目から消えんとしては燃ゆる如き舌を出している。毛と云う毛は悉く蛇で、その蛇は悉く首を擡げて舌を吐いて縺るるのも、捻じ合うのも、攀じあがるのも、にじり出るのも見らるる。五寸の円の内部に獰悪なる夜叉の顔を辛うじて残して、額際から顔の左右を残なく填めて自然に円の輪廓を形ちづくっているのはこの毛髪の蛇、蛇の毛髪である。遠き昔しのゴーゴンとはこれであろうかと思わるる位だ。ゴーゴンを見る者は石に化すとは当時の諺であるが、この盾を熟視する者は何人もその諺のあながちならぬを覚るであろう。  盾には創がある。右の肩から左へ斜に切りつけた刀の痕が見える。玉を並べた様な鋲の一つを半ば潰して、ゴーゴン・メジューサに似た夜叉の耳のあたりを纏う蛇の頭を叩いて、横に延板の平な地へ微かな細長い凹みが出来ている。ウィリアムにこの創の因縁を聞くと何にも云わぬ。知らぬかと云えば知ると云う。知るかと云えば言い難しと答える。  人に云えぬ盾の由来の裏には、人に云えぬ恋の恨みが潜んでいる。人に云わぬ盾の歴史の中には世もいらぬ神もいらぬとまで思いつめたる望の綱が繋がれている。ウィリアムが日毎夜毎に繰り返す心の物語りはこの盾と浅からぬ因果の覊絆で結び付けられている。いざという時この盾を執って……望はこれである。心の奥に何者かほのめいて消え難き前世の名残の如きを、白日の下に引き出して明ら様に見極むるはこの盾の力である。いずくより吹くとも知らぬ業障の風の、隙多き胸に洩れて目に見えぬ波の、立ちては崩れ、崩れては立つを浪なき昔、風吹かぬ昔に返すはこの盾の力である。この盾だにあらばとウィリアムは盾の懸かれる壁を仰ぐ。天地人を呪うべき夜叉の姿も、彼が眼には画ける天女の微かに笑を帯べるが如く思わるる。時にはわが思う人の肖像ではなきかと疑う折さえある。只抜け出して語らぬが残念である。  思う人! ウィリアムが思う人はここには居らぬ。小山を三つ越えて大河を一つ渉りて二十哩先の夜鴉の城に居る。夜鴉の城とは名からして不吉であると、ウィリアムは時々考える事がある。然しその夜鴉の城へ、彼は小児の時度々遊びに行った事がある。小児の時のみではない成人してからも始終訪問れた。クララの居る所なら海の底でも行かずにはいられぬ。彼はつい近頃まで夜鴉の城へ行っては終日クララと語り暮したのである。恋と名がつけば千里も行く。二十哩は云うに足らぬ。夜を守る星の影が自ずと消えて、東の空に紅殻を揉み込んだ様な時刻に、白城の刎橋の上に騎馬の侍が一人あらわれる。……宵の明星が本丸の櫓の北角にピカと見え初むる時、遠き方より又蹄の音が昼と夜の境を破って白城の方へ近づいて来る。馬は総身に汗をかいて、白い泡を吹いているに、乗手は鞭を鳴らして口笛をふく。戦国のならい、ウィリアムは馬の背で人と成ったのである。  去年の春の頃から白城の刎橋の上に、暁方の武者の影が見えなくなった。夕暮の蹄の音も野に逼る黒きものの裏に吸い取られてか、聞えなくなった。その頃からウィリアムは、己れを己れの中へ引き入るる様に、内へ内へと深く食い入る気色であった。花も春も余所に見て、只心の中に貯えたる何者かを使い尽すまではどうあっても外界に気を転ぜぬ様に見受けられた。武士の命は女と酒と軍さである。吾思う人の為めにと箸の上げ下しに云う誰彼に傚って、わがクララの為めにと云わぬ事はないが、その声の咽喉を出る時は、塞がる声帯を無理に押し分ける様であった。血の如き葡萄の酒を髑髏形の盃にうけて、縁越すことをゆるさじと、髭の尾まで濡らして呑み干す人の中に、彼は只額を抑えて、斜めに泡を吹くことが多かった。山と盛る鹿の肉に好味の刀を揮う左も顧みず右も眺めず、只わが前に置かれたる皿のみを見詰めて済す折もあった。皿の上に堆かき肉塊の残らぬ事は少ない。武士の命を三分して女と酒と軍さがその三カ一を占むるならば、ウィリアムの命の三分二は既に死んだ様なものである。残る三分一は? 軍はまだない。  ウィリアムは身の丈六尺一寸、痩せてはいるが満身の筋肉を骨格の上へたたき付けて出来上った様な男である。四年前の戦に甲も棄て、鎧も脱いで丸裸になって城壁の裏に仕掛けたる、カタパルトを彎いた事がある。戦が済んでからその有様を見ていた者がウィリアムの腕には鉄の瘤が出るといった。彼の眼と髪は石炭の様に黒い。その髪は渦を巻いて、彼が頭を掉る度にきらきらする。彼の眼の奥には又一双の眼があって重なり合っている様な光りと深さとが見える。酒の味に命を失い、未了の恋に命を失いつつある彼は来るべき戦場にもまた命を失うだろうか。彼は馬に乗って終日終夜野を行くに疲れた事のない男である。彼は一片の麺麭も食わず一滴の水さえ飲まず、未明より薄暮まで働き得る男である。年は二十六歳。それで戦が出来ぬであろうか。それで戦が出来ぬ位なら武士の家に生れて来ぬがよい。ウィリアム自身もそう思っている。ウィリアムは幻影の盾を翳して戦う機会があれば……と思っている。  白城の城主狼のルーファスと夜鴉の城主とは二十年来の好みで家の子郎党の末に至るまで互に往き来せぬは稀な位打ち解けた間柄であった。確執の起ったのは去年の春の初からである。源因は私ならぬ政治上の紛議の果とも云い、あるは鷹狩の帰りに獲物争いの口論からと唱え、又は夜鴉の城主の愛女クララの身の上に係る衝突に本づくとも言触らす。過ぐる日の饗筵に、卓上の酒尽きて、居並ぶ人の舌の根のしどろに緩む時、首席を占むる隣り合せの二人が、何事か声高に罵る声を聞かぬ者はなかった。「月に吠ゆる狼の……ほざくは」と手にしたる盃を地に抛って、夜鴉の城主は立ち上る。盃の底に残れる赤き酒の、斑らに床を染めて飽きたらず、摧けたる片と共にルーファスの胸のあたりまで跳ね上る。「夜迷い烏の黒き翼を、切って落せば、地獄の闇ぞ」とルーファスは革に釣る重き剣に手を懸けてするすると四五寸ばかり抜く。一座の視線は悉く二人の上に集まる。高き窓洩る夕日を脊に負う、二人の黒き姿の、この世の様とも思われぬ中に、抜きかけた剣のみが寒き光を放つ。この時ルーファスの次に座を占めたるウィリアムが「渾名こそ狼なれ、君が剣に刻める文字に耻じずや」と右手を延ばしてルーファスの腰のあたりを指す。幅広き刃の鍔の真下に pro gloria et patria と云う銘が刻んである。水を打った様な静かな中に、只ルーファスが抜きかけた剣を元の鞘に収むる声のみが高く響いた。これより両家の間は長く中絶えて、ウィリアムの乗り馴れた栗毛の馬は少しく肥えた様に見えた。  近頃は戦さの噂さえ頻りである。睚眦の恨は人を欺く笑の衣に包めども、解け難き胸の乱れは空吹く風の音にもざわつく。夜となく日となく磨きに磨く刃の冴は、人を屠る遺恨の刃を磨くのである。君の為め国の為めなる美しき名を藉りて、毫釐の争に千里の恨を報ぜんとする心からである。正義と云い人道と云うは朝嵐に翻がえす旗にのみ染め出すべき文字で、繰り出す槍の穂先には瞋恚のが焼け付いている。狼は如何にして鴉と戦うべき口実を得たか知らぬ。鴉は何を叫んで狼を誣ゆる積りか分らぬ。只時ならぬ血潮とまで見えて迸ばしりたる酒の雫の、胸を染めたる恨を晴さでやとルーファスがセント・ジョージに誓えるは事実である。尊き銘は剣にこそ彫れ、抜き放ちたる光の裏に遠吠ゆる狼を屠らしめたまえとありとあらゆるセイントに夜鴉の城主が祈念を凝したるも事実である。両家の間の戦は到底免かれない。いつというだけが問題である。  末の世の尽きて、その末の世の残るまでと誓いたる、クララの一門に弓をひくはウィリアムの好まぬところである。手創負いて斃れんとする父とたよりなき吾とを、敵の中より救いたるルーファスの一家に事ありと云う日に、膝を組んで動かぬのはウィリアムの猶好まぬところである。封建の代のならい、主と呼び従と名乗る身の危きに赴かで、人に卑怯と嘲けらるるは彼の尤も好まぬところである。甲も着よう、鎧も繕おう、槍も磨こう、すわという時は真先に行こう……然しクララはどうなるだろう。負ければ打死をする。クララには逢えぬ。勝てばクララが死ぬかも知れぬ。ウィリアムは覚えず空に向って十字を切る。今の内姿を窶して、クララと落ち延びて北の方へでも行こうか。落ちた後で朋輩が何というだろう。ルーファスが人でなしと云うだろう。内懐からクララのくれた一束ねの髪の毛を出して見る。長い薄色の毛が、麻を砧で打って柔かにした様にゆるくうねってウィリアムの手から下がる。ウィリアムは髪を見詰めていた視線を茫然とわきへそらす。それが器械的に壁の上へ落ちる。壁の上にかけてある盾の真中で優しいクララの顔が笑っている。去年分れた時の顔と寸分違わぬ。顔の周囲を巻いている髪の毛が……ウィリアムは呪われたる人の如くに、千里の遠きを眺めている様な眼付で石の如く盾を見ている。日の加減か色が真青だ。……顔の周囲を巻いている髪の毛が、先っきから流れる水に漬けた様にざわざわと動いている。髪の毛ではない無数の蛇の舌が断間なく震動して五寸の円の輪を揺り廻るので、銀地に絹糸の様に細い炎が、見えたり隠れたり、隠れたり見えたり、渦を巻いたり、波を立てたりする。全部が一度に動いて顔の周囲を廻転するかと思うと、局部が纔かに動きやんで、すぐその隣りが動く。見る間に次へ次へと波動が伝わる様にもある。動く度に舌の摩れ合う音でもあろう微かな声が出る。微かではあるが只一つの声ではない、漸く鼓膜に響く位の静かな音のうちに――無数の音が交っている。耳に落つる一の音が聴けば聴く程多くの音がかたまって出来上った様に明かに聞き取られる。盾の上に動く物の数多きだけ、音の数も多く、又その動くものの定かに見えぬ如く、出る音も微かであららかには鳴らぬのである。……ウィリアムは手に下げたるクララの金毛を三たび盾に向って振りながら「盾! 最後の望は幻影の盾にある」と叫んだ。  戦は潮の河に上る如く次第に近付いて来る。鉄を打つ音、鋼を鍛える響、槌の音、やすりの響は絶えず中庭の一隅に聞える。ウィリアムも人に劣らじと出陣の用意はするが、時には殺伐な物音に耳を塞いで、高き角櫓に上って遙かに夜鴉の城の方を眺める事がある。霧深い国の事だから眼に遮ぎる程の物はなくても、天気の好い日に二十哩先は見えぬ。一面に茶渋を流した様な曠野が逼らぬ波を描いて続く間に、白金の筋が鮮かに割り込んでいるのは、日毎の様に浅瀬を馬で渡した河であろう。白い流れの際立ちて目を牽くに付けて、夜鴉の城はあの見当だなと見送る。城らしきものは霞の奥に閉じられて眸底には写らぬが、流るる銀の、烟と化しはせぬかと疑わるまで末広に薄れて、空と雲との境に入る程は、翳したる小手の下より遙かに双の眼に聚まってくる。あの空とあの雲の間が海で、浪の噛む切立ち岩の上に巨巌を刻んで地から生えた様なのが夜鴉の城であると、ウィリアムは見えぬ所を想像で描き出す。若しその薄黒く潮風に吹き曝された角窓の裏に一人物を画き足したなら死竜は忽ち活きて天に騰るのである。天晴に比すべきものは何人であろう、ウィリアムは聞かんでも能く知っている。  目の廻る程急がしい用意の為めに、昼の間はそれとなく気が散って浮き立つ事もあるが、初夜過ぎに吾が室に帰って、冷たい臥床の上に六尺一寸の長躯を投げる時は考え出す。初めてクララに逢ったときは十二三の小供で知らぬ人には口もきかぬ程内気であった。只髪の毛は今の様に金色であった……ウィリアムは又内懐からクララの髪の毛を出して眺める。クララはウィリアムを黒い眼の子、黒い眼の子と云ってからかった。クララの説によると黒い眼の子は意地が悪い、人がよくない、猶太人かジプシイでなければ黒い眼色のものはない。ウィリアムは怒って夜鴉の城へはもう来ぬと云ったらクララは泣き出して堪忍してくれと謝した事がある。……二人して城の庭へ出て花を摘んだ事もある。赤い花、黄な花、紫の花――花の名は覚えておらん――色々の花でクララの頭と胸と袖を飾ってクイーンだクイーンだとその前に跪ずいたら、槍を持たない者はナイトでないとクララが笑った。……今は槍もある、ナイトでもある、然しクララの前に跪く機会はもうあるまい。ある時は野へ出て蒲公英の蕊を吹きくらをした。花が散ってあとに残る、むく毛を束ねた様に透明な球をとってふっと吹く。残った種の数でうらないをする。思う事が成るかならぬかと云いながらクララが一吹きふくと種の数が一つ足りないので思う事が成らぬと云う辻うらであった。するとクララは急に元気がなくなって俯向いてしまった。何を思って吹いたのかと尋ねたら何でもいいと何時になく邪慳な返事をした。その日は碌々口もきかないで塞ぎ込んでいた。……春の野にありとあらゆる蒲公英をむしって息の続づかぬまで吹き飛ばしても思う様な辻占は出ぬ筈だとウィリアムは怒る如くに云う。然しまだ盾と云う頼みがあるからと打消すように添える。……これは互に成人してからの事である。夏を彩どる薔薇の茂みに二人座をしめて瑠璃に似た青空の、鼠色に変るまで語り暮した事があった。騎士の恋には四期があると云う事をクララに教えたのはその時だとウィリアムは当時の光景を一度に目の前に浮べる。「第一を躊躇の時期と名づける、これは女の方でこの恋を斥けようか、受けようかと思い煩う間の名である」といいながらクララの方を見た時に、クララは俯向いて、頬のあたりに微かなる笑を漏した。「この時期の間には男の方では一言も恋をほのめかすことを許されぬ。只眼にあまる情けと、息に漏るる嘆きとにより、昼は女の傍えを、夜は女の住居の辺りを去らぬ誠によりて、我意中を悟れかしと物言わぬうちに示す」クララはこの時池の向うに据えてある大理石の像を余念なく見ていた。「第二を祈念の時期と云う。男、女の前に伏して懇ろに我が恋叶えたまえと願う」クララは顔を背けて紅の薔薇の花を唇につけて吹く。一弁は飛んで波なき池の汀に浮ぶ。一弁は梅鉢の形ちに組んで池を囲える石の欄干に中りて敷石の上に落ちた。「次に来るは応諾の時期である。誠ありと見抜く男の心を猶も確めん為め女、男に草々の課役をかける。剣の力、槍の力で遂ぐべき程の事柄であるは言うまでもない」クララは吾を透す大いなる眼を翻して第四はと問う。「第四の時期を Druerie と呼ぶ。武夫が君の前に額付いて渝らじと誓う如く男、女の膝下に跪ずき手を合せて女の手の間に置く。女かたの如く愛の式を返して男に接吻する」クララ遠き代の人に語る如き声にて君が恋は何れの期ぞと問う。思う人の接吻さえ得なばとクララの方に顔を寄せる。クララ頬に紅して手に持てる薔薇の花を吾が耳のあたりに抛つ。花びらは雪と乱れて、ゆかしき香りの一群れが二人の足の下に散る。…… Druerie の時期はもう望めないわとウィリアムは六尺一寸の身を挙げてどさと寝返りを打つ。間にあまる壁を切りて、高く穿てる細き窓から薄暗き曙光が漏れて、物の色の定かに見えぬ中に幻影の盾のみが闇に懸る大蜘蛛の眼の如く光る。「盾がある、まだ盾がある」とウィリアムは烏の羽の様な滑かな髪の毛を握ってがばと跳ね起る。中庭の隅では鉄を打つ音、鋼を鍛える響、槌の音やすりの響が聞え出す。戦は日一日と逼ってくる。  その日の夕暮に一城の大衆が、無下に天井の高い食堂に会して晩餐の卓に就いた時、戦の時期は愈狼将軍の口から発布された。彼は先ず夜鴉の城主の武士道に背ける罪を数えて一門の面目を保つ為めに七日の夜を期して、一挙にその城を屠れと叫んだ。その声は堂の四壁を一周して、丸く組み合せたる高い天井に突き当ると思わるる位大きい。戦は固より近づきつつあった。ウィリアムは戦の近づきつつあるを覚悟の前でこの日この夜を過ごしていた。去れど今ルーファスの口から愈七日の後と聞いた時はさすがの覚悟も蟹の泡の、蘆の根を繞らぬ淡き命の如くにいずくへか消え失せてしまった。夢ならぬを夢と思いて、思い終せぬ時は、無理ながら事実とあきらめる事もある。去れどその事実を事実と証する程の出来事が驀地に現前せぬうちは、夢と思うてその日を過すが人の世の習いである。夢と思うは嬉しく、思わぬがつらいからである。戦は事実であると思案の臍を堅めたのは昨日や今日の事ではない。只事実に相違ないと思い定めた戦いが、起らんとして起らぬ為め、であれかしと願う夢の思いは却って「事実になる」の念を抑ゆる事もあったのであろう。一年は三百六十五日、過ぐるは束の間である。七日とは一年の五十分一にも足らぬ。右の手を挙げて左の指を二本加えればすぐに七である。名もなき鬼に襲われて、名なき故に鬼にあらずと、強いて思いたるに突然正体を見付けて今更眼力の違わぬを口惜しく思う時の感じと異なる事もあるまい。ウィリアムは真青になった。隣りに坐したシワルドが病気かと問う。否と答えて盃を唇につける。充たざる酒の何に揺れてか縁を越して卓の上を流れる。その時ルーファスは再び起って夜鴉の城を、城の根に張る巌もろともに海に落せと盃を眉のあたりに上げて隼の如く床の上に投げ下す。一座の大衆はフラーと叫んで血の如き酒を啜る。ウィリアムもフラーと叫んで血の如き酒を啜る。シワルドもフラーと叫んで血の如き酒を啜りながら尻目にウィリアムを見る。ウィリアムは独り立って吾室に帰りて、人の入らぬ様に内側から締りをした。  盾だ愈盾だとウィリアムは叫びながら室の中をあちらこちらと歩む。盾は依然として壁に懸っている。ゴーゴン・メジューサとも較ぶべき顔は例に由って天地人を合せて呪い、過去現世未来に渉って呪い、近寄るもの、触るるものは無論、目に入らぬ草も木も呪い悉さでは已まぬ気色である。愈この盾を使わねばならぬかとウィリアムは盾の下にとまって壁間を仰ぐ。室の戸を叩く音のする様な気合がする。耳を峙てて聞くと何の音でもない。ウィリアムは又内懐からクララの髪毛を出す。掌に乗せて眺めるかと思うと今度はそれを叮嚀に、室の隅に片寄せてある三本脚の丸いテーブルの上に置いた。ウィリアムは又内懐へ手を入れて胸の隠しの裏から何か書付の様なものを攫み出す。室の戸口まで行って横にさした鉄の棒の抜けはせぬかと振り動かして見る。締は大丈夫である。ウィリアムは丸机に倚って取り出した書付を徐ろに開く。紙か羊皮か慥かには見えぬが色合の古び具合から推すと昨今の物ではない。風なきに紙の表てが動くのは紙が己れと動くのか、持つ手の動くのか。書付の始めには「幻影の盾の由来」とかいてある。すれたものか文字のあとが微かに残っているばかりである。「汝が祖ウィリアムはこの盾を北の国の巨人に得たり。……」ここにウィリアムとあるはわが四世の祖だとウィリアムが独り言う。「黒雲の地を渡る日なり。北の国の巨人は雲の内より振り落されたる鬼の如くに寄せ来る。拳の如き瘤のつきたる鉄棒を片手に振り翳して骨も摧けよと打てば馬も倒れ人も倒れて、地を行く雲に血潮を含んで、鳴る風に火花をも見る。人を斬るの戦にあらず、脳を砕き胴を潰して、人という形を滅せざれば已まざる烈しき戦なり。……」ウィリアムは猛き者共よと眉をひそめて、舌を打つ。「わが渡り合いしは巨人の中の巨人なり。銅板に砂を塗れる如き顔の中に眼懸りて稲妻を射る。我を見て南方の犬尾を捲いて死ねと、かの鉄棒を脳天より下す。眼を遮らぬ空の二つに裂くる響して、鉄の瘤はわが右の肩先を滑べる。繋ぎ合せて肩を蔽える鋼鉄の延板の、尤も外に向えるが二つに折れて肉に入る。吾がうちし太刀先は巨人の盾を斜に斫って戞と鳴るのみ。……」ウィリアムは急に眼を転じて盾の方を見る。彼の四世の祖が打ち込んだ刀痕は歴然と残っている。ウィリアムは又読み続ける。「われ巨人を切る事三度、三度目にわが太刀は鍔元より三つに折れて巨人の戴く甲の鉢金の、内側に歪むを見たり。巨人の椎を下すや四たび、四たび目に巨人の足は、血を含む泥を蹴て、木枯の天狗の杉を倒すが如く、薊の花のゆらぐ中に、落雷も耻じよとばかりと横たわる。横たわりて起きぬ間を、疾くも縫えるわが短刀の光を見よ。吾ながら又なき手柄なり。……」ブラヴォーとウィリアムは小声に云う。「巨人は云う、老牛の夕陽に吼ゆるが如き声にて云う。幻影の盾を南方の豎子に付与す、珍重に護持せよと。われ盾を翳してその所以を問うに黙して答えず。強いて聞くとき、彼両手を揚げて北の空を指して曰く。ワルハラの国オジンの座に近く、火に溶けぬ黒鉄を、氷の如き白炎に鋳たるが幻影の盾なり。……」この時戸口に近く、石よりも堅き廊下の床を踏みならす音がする。ウィリアムは又起って扉に耳を付けて聴く。足音は部屋の前を通り越して、次第に遠ざかる下から、壁の射返す響のみが朗らかに聞える。何者か暗窖の中へ降りていったのであろう。「この盾何の奇特かあると巨人に問えば曰く。盾に願え、願うて聴かれざるなし只その身を亡ぼす事あり。人に語るな語るとき盾の霊去る。……汝盾を執って戦に臨めば四囲の鬼神汝を呪うことあり。呪われて後蓋天蓋地の大歓喜に逢うべし。只盾を伝え受くるものにこの秘密を許すと。南国の人この不祥の具を愛せずと盾を棄てて去らんとすれば、巨人手を振って云う。われ今浄土ワルハラに帰る、幻影の盾を要せず。百年の後南方に赤衣の美人あるべし。その歌のこの盾の面に触るるとき、汝の児孫盾を抱いて抃舞するものあらんと。……」汝の児孫とはわが事ではないかとウィリアムは疑う。表に足音がして室の戸の前に留った様である。「巨人は薊の中に斃れて、薊の中に残れるはこの盾なり」と読み終ってウィリアムが又壁の上の盾を見ると蛇の毛は又揺き始める。隙間なく縺れた中を下へ下へと潜りて盾の裏側まで抜けはせぬかと疑わるる事もあり、又上へ上へともがき出て五寸の円の輪廓だけが盾を離れて浮き出はせぬかと思わるる事もある。下に動くときも上に揺り出す時も同じ様に清水が滑かな石の間をる時の様な音が出る。只その音が一本々々の毛が鳴って一束の音にかたまって耳朶に達するのは以前と異なる事はない。動くものは必ず鳴ると見えるに、蛇の毛は悉く動いているからその音も蛇の毛の数だけはある筈であるが――如何にも低い。前の世の耳語きを奈落の底から夢の間に伝える様に聞かれる。ウィリアムは茫然としてこの微音を聞いている。戦も忘れ、盾も忘れ、我身をも忘れ、戸口に人足の留ったも忘れて聞いている。ことことと戸を敲くものがある。ウィリアムは魔がついた様な顔をして動こうともしない。ことことと再び敲く。ウィリアムは両手に紙片を捧げたまま椅子を離れて立ち上る。夢中に行く人の如く、身を向けて戸口の方に三歩ばかり近寄る。眼は戸の真中を見ているが瞳孔に写って脳裏に印する影は戸ではあるまい。外の方では気が急くか、厚い樫の扉を拳にて会釈なく夜陰に響けと叩く。三度目に敲いた音が、物静かな夜を四方に破ったとき、偶像の如きウィリアムは氷盤を空裏に撃砕する如く一時に吾に返った。紙片を急に懐へかくす。敲く音は益逼って絶間なく響く。開けぬかと云う声さえ聞える。 「戸を敲くは誰ぞ」と鉄の栓張をからりと外す。切り岸の様な額の上に、赤黒き髪の斜めにかかる下から、鋭どく光る二つの眼が遠慮なく部屋の中へ進んで来る。 「わしじゃ」とシワルドが、進めぬ先から腰懸の上にどさと尻を卸す。「今日の晩食に顔色が悪う見えたから見舞に来た」と片足を宙にあげて、残れる膝の上に置く。 「さした事もない」とウィリアムは瞬きして顔をそむける。 「夜鴉の羽搏きを聞かぬうちに、花多き国に行く気はないか」とシワルドは意味有気に問う。 「花多き国とは?」 「南の事じゃ、トルバダウの歌の聞ける国じゃ」 「主がいにたいと云うのか」 「わしは行かぬ、知れた事よ。もう六つ、日の出を見れば、夜鴉の栖を根から海へ蹴落す役目があるわ。日の永い国へ渡ったら主の顔色が善くなろうと思うての親切からじゃ。ワハハハハ」とシワルドは傍若無人に笑う。 「鳴かぬ烏の闇に滅り込むまでは……」と六尺一寸の身をのして胸板を拊つ。 「霧深い国を去らぬと云うのか。その金色の髪の主となら満更嫌でもあるまい」と丸テーブルの上を指す。テーブルの上にはクララの髪が元の如く乗っている。内懐へ収めるのをつい忘れた。ウィリアムは身を伸したまま口籠る。 「鴉に交る白い鳩を救う気はないか」と再び叢中に蛇を打つ。 「今から七日過ぎた後なら……」と叢中の蛇は不意を打れて已を得ず首を擡げかかる。 「鴉を殺して鳩だけ生かそうと云う注文か……それは少し無理じゃ。然し出来ぬ事もあるまい。南から来て南へ帰る船がある。待てよ」と指を折る。「そうじゃ六日目の晩には間に合うだろう。城の東の船付場へ廻して、あの金色の髪の主を乗せよう。不断は帆柱の先に白い小旗を揚げるが、女が乗ったら赤に易えさせよう。軍さは七日目の午過からじゃ、城を囲めば港が見える。柱の上に赤が見えたら天下太平……」 「白が見えたら……」とウィリアムは幻影の盾を睨む。夜叉の髪の毛は動きもせぬ、鳴りもせぬ。クララかと思う顔が一寸見えて又もとの夜叉に返る。 「まあ、よいわ、どうにかなる心配するな。それよりは南の国の面白い話でもしょう」とシワルドは渋色の髭を無雑作に掻いて、若き人を慰める為か話頭を転ずる。 「海一つ向へ渡ると日の目が多い、暖かじゃ。それに酒が甘くて金が落ちている。土一升に金一升……うそじゃ無い、本間の話じゃ。手を振るのは聞きとも無いと云うのか。もう落付いて一所に話す折もあるまい。シワルドの名残の談義だと思うて聞いてくれ。そう滅入らんでもの事よ」宵に浴びた酒の気がまだ醒めぬのかゲーと臭いのをウィリアムの顔に吹きかける。「いやこれは御無礼……何を話す積りであった。おおそれだ、その酒の湧く、金の土に交る海の向での」とシワルドはウィリアムを覗き込む。 「主が女に可愛がられたと云うのか」 「ワハハハ女にも数多近付はあるが、それじゃない。ボーシイルの会を見たと云う事よ」 「ボーシイルの会?」 「知らぬか。薄黒い島国に住んでいては、知らぬも道理じゃ。プロヴォンサルの伯とツールースの伯の和睦の会はあちらで誰れも知らぬものはないぞよ」 「ふむそれが?」とウィリアムは浮かぬ顔である。 「馬は銀の沓をはく、狗は珠の首輪をつける……」 「金の林檎を食う、月の露を湯に浴びる……」と平かならぬ人のならい、ウィリアムは嘲る様に話の糸を切る。 「まあ水を指さずに聴け。うそでも興があろう」と相手は切れた糸を接ぐ。 「試合の催しがあると、シミニアンの太守が二十四頭の白牛を駆って埒の内を奇麗に地ならしする。ならした後へ三万枚の黄金を蒔く。するとアグーの太守がわしは勝ち手にとらせる褒美を受持とうと十万枚の黄金を加える。マルテロはわしは御馳走役じゃと云うて蝋燭の火で煮焼した珍味を振舞うて、銀の皿小鉢を引出物に添える」 「もう沢山じゃ」とウィリアムが笑いながら云う。 「ま一つじゃ。仕舞にレイモンが今まで誰も見た事のない遊びをやると云うて先ず試合の柵の中へ三十本の杭を植える。それに三十頭の名馬を繋ぐ。裸馬ではない鞍も置き鐙もつけ轡手綱の華奢さえ尽してじゃ。よいか。そしてその真中へ鎧、刀これも三十人分、甲は無論小手脛当まで添えて並べ立てた。金高にしたらマルテロの御馳走よりも、嵩が張ろう。それから周りへ薪を山の様に積んで、火を掛けての、馬も具足も皆焼いてしもうた。何とあちらのものは豪興をやるではないか」と話し終ってカラカラと心地よげに笑う。 「そう云う国へ行って見よと云うに主も余程意地張りだなあ」と又ウィリアムの胸の底へ探りの石を投げ込む。 「そんな国に黒い眼、黒い髪の男は無用じゃ」とウィリアムは自ら嘲る如くに云う。 「やはりその金色の髪の主の居る所が恋しいと見えるな」 「言うまでもない」とウィリアムはきっとなって幻影の盾を見る。中庭の隅で鉄を打つ音、鋼を鍛える響、槌の音、ヤスリの響が聞え出す。夜はいつの間にかほのぼのと明け渡る。  七日に逼る戦は一日の命を縮めて愈六日となった。ウィリアムはシーワルドの勧むるままにクララへの手紙を認める。心が急くのと、わきが騒がしいので思う事の万分一も書けぬ。「御身の髪は猶わが懐にあり、只この使と逃げ落ちよ、疑えば魔多し」とばかりで筆を擱く。この手紙を受取ってクララに渡す者はいずこの何者か分らぬ。その頃流行る楽人の姿となって夜鴉の城に忍び込んで、戦あるべき前の晩にクララを奪い出して舟に乗せる。万一手順が狂えば隙を見て城へ火をかけても志を遂げる。これだけの事はシーワルドから聞いた、そのあとは……幻影の盾のみ知る。  逢うはうれし、逢わぬは憂し。憂し嬉しの源から珠を欺く涙が湧いて出る。この清き者に何故流れるぞと問えば知らぬと云う。知らぬとは自然と云う意か。マリアの像の前に、跪いて祈願を凝せるウィリアムが立ち上ったとき、長い睫がいつもより重た気に見えたが、なぜ重いのか彼にも分らなかった。誠は誠を自覚すれどもその他を知らぬ。その夜の夢に彼れは五彩の雲に乗るマリアを見た。マリアと見えたるはクララを祭れる姿で、クララとは地に住むマリアであろう。祈らるる神、祈らるる人は異なれど、祈る人の胸には神も人も同じ願の影法師に過ぎぬ。祭る聖母は恋う人の為め、人恋うは聖母に跪く為め。マリアとも云え、クララとも云え。ウィリアムの心の中に二つのものは宿らぬ。宿る余地あらばこの恋は嘘の恋じゃ。夢の続か中庭の隅で鉄を打つ音、鋼を鍛える響、槌の音、ヤスリの響が聞えて、例の如く夜が明ける。戦は愈せまる。  五日目から四日目に移るは俯せたる手を翻がえす間と思われ、四日目から三日目に進むは翻がえす手を故に還す間と見えて、三日、二日より愈戦の日を迎えたるときは、手さえ動かすひまなきに襲い来る如く感ぜられた。「飛ばせ」とシーワルドはウィリアムを顧みて云う。並ぶ轡の間から鼻嵐が立って、二つの甲が、月下に躍る細鱗の如く秋の日を射返す。「飛ばせ」とシーワルドが踵を半ば馬の太腹に蹴込む。二人の頭の上に長く挿したる真白な毛が烈しく風を受けて、振り落さるるまでに靡く。夜鴉の城壁を斜めに見て、小高き丘に飛ばせたるシーワルドが右手を翳して港の方を望む。「帆柱に掲げた旗は赤か白か」と後れたるウィリアムは叫ぶ。「白か赤か、赤か白か」と続け様に叫ぶ。鞍壺に延び上ったるシーワルドは体をおろすと等しく馬を向け直して一散に城門の方へ飛ばす。「続け、続け」とウィリアムを呼ぶ。「赤か、白か」とウィリアムは叫ぶ。「阿呆、丘へ飛ばすより壕の中へ飛ばせ」とシーワルドはひたすらに城門の方へ飛ばす。港の入口には、埠頭を洗う浪を食って、胴の高い船が心細く揺れている。魔に襲われて夢安からぬ有様である。左右に低き帆柱を控えて、中に高き一本の真上には――「白だッ」とウィリアムは口の中で言いながら前歯で唇を噛む。折柄戦の声は夜鴉の城を撼がして、淋しき海の上に響く。  城壁の高さは四丈、丸櫓の高さはこれを倍して、所々に壁を突き抜いて立つ。天の柱が落ちてその真中に刺された如く見ゆるは本丸であろう。高さ十九丈壁の厚は三丈四尺、これを四階に分って、最上の一層にのみ窓を穿つ。真上より真下に降る井戸の如き道ありて、所謂ダンジョンは尤も低く尤も暗き所に地獄と壁一重を隔てて設けらるる。本丸の左右に懸け離れたる二つの櫓は本丸の二階から家根付の橋を渡して出入の便りを計る。櫓を環る三々五々の建物には厩もある。兵士の住居もある。乱を避くる領内の細民が隠るる場所もある。後ろは切岸に海の鳴る音を聞き、砕くる浪の花の上に舞い下りては舞い上る鴎を見る。前は牛を呑むアーチの暗き上より、石に響く扉を下して、刎橋を鉄鎖に引けば人の踰えぬ濠である。  濠を渡せば門も破ろう、門を破れば天主も抜こう、志ある方に道あり、道ある方に向えとルーファスは打ち壊したる扉の隙より、黒金につつめる狼の顔を会釈もなく突き出す。あとに続けと一人が従えば、尻を追えと又一人が進む。一人二人の後は只我先にと乱れ入る。むくむくと湧く清水に、こまかき砂の浮き上りて一度に漾う如く見ゆる。壁の上よりは、ありとある弓を伏せて蝟の如く寄手の鼻頭に、鉤と曲る鏃を集める。空を行く長き箭の、一矢毎に鳴りを起せば数千の鳴りは一と塊りとなって、地上に蠢く黒影の響に和して、時ならぬ物音に、沖の鴎を驚かす。狂えるは鳥のみならず。秋の夕日を受けつ潜りつ、甲の浪鎧の浪が寄せては崩れ、崩れては退く。退くときは壁の上櫓の上より、傾く日を海の底へ震い落す程の鬨を作る。寄するときは甲の浪、鎧の浪の中より、吹き捲くる大風の息の根を一時にとめるべき声を起す。退く浪と寄する浪の間にウィリアムとシーワルドがはたと行き逢う。「生きておるか」とシーワルドが剣で招けば、「死ぬところじゃ」とウィリアムが高く盾を翳す。右に峙つ丸櫓の上より飛び来る矢が戞と夜叉の額を掠めてウィリアムの足の下へ落つる。この時崩れかかる人浪は忽ち二人の間を遮って、鉢金を蔽う白毛の靡きさえ、暫くの間に、旋る渦の中に捲き込まれて見えなくなる。戦は午を過ぐる二た時余りに起って、五時と六時の間にも未だ方付かぬ。一度びは猛き心に天主をも屠る勢であった寄手の、何にひるんでか蒼然たる夜の色と共に城門の外へなだれながら吐き出される。搏つ音の絶えたるは一時の間か。暫らくは鳴りも静まる。  日は暮れ果てて黒き夜の一寸の隙間なく人馬を蔽う中に、砕くる波の音が忽ち高く聞える。忽ち聞えるは始めて海の鳴るにあらず、吾が鳴りの暫らく已んで空しき心の迎えたるに過ぎぬ。この浪の音は何里の沖に萌してこの磯の遠きに崩るるか、思えば古き響きである。時の幾代を揺がして知られぬ未来に響く。日を捨てず夜を捨てず、二六時中繰り返す真理は永劫無極の響きを伝えて剣打つ音を嘲り、弓引く音を笑う。百と云い千と云う人の叫びの、はかなくて憐むべきを罵るときかれる。去れど城を守るものも、城を攻むるものも、おのが叫びの纔かにやんで、この深き響きを不用意に聞き得たるとき耻ずかしと思えるはなし。ウィリアムは盾に凝る血の痕を見て「汝われをも呪うか」と剣を以て三たび夜叉の面を叩く。ルーファスは「烏なれば闇にも隠れん月照らぬ間に斬って棄よ」と息捲く。シーワルドばかりは額の奥に嵌め込まれたる如き双の眼を放って高く天主を見詰めたるまま一言もいわぬ。  海より吹く風、海へ吹く風と変りて、砕くる浪と浪の間にも新たに天地の響を添える。塔を繞る音、壁にあたる音の次第に募ると思ううち、城の内にて俄かに人の騒ぐ気合がする。それが漸々烈しくなる。千里の深きより来る地震の秒を刻み分を刻んで押し寄せるなと心付けばそれが夜鴉の城の真下で破裂したかと思う響がする。――シーワルドの眉は毛虫を撲ちたるが如く反り返る。――櫓の窓から黒烟りが吹き出す。夜の中に夜よりも黒き烟りがむくむくと吹き出す。狭き出口を争うが為めか、烟の量は見る間に増して前なるは押され、後なるは押し、並ぶは互に譲るまじとて同時に溢れ出ずる様に見える。吹き募る野分は真ともに烟を砕いて、丸く渦を巻いて迸る鼻を、元の如く窓へ圧し返そうとする。風に喰い留められた渦は一度になだれて空に流れ込む。暫くすると吹き出す烟りの中に火の粉が交じり出す。それが見る間に殖える。殖えた火の粉は烟諸共風に捲かれて大空に舞い上る。城を蔽う天の一部が櫓を中心として大なる赤き円を描いて、その円は不規則に海の方へと動いて行く。火の粉を梨地に点じた蒔絵の、瞬時の断間もなく或は消え或は輝きて、動いて行く円の内部は一点として活きて動かぬ箇所はない。――「占めた」とシーワルドは手を拍って雀躍する。  黒烟りを吐き出して、吐き尽したる後は、太き火が棒となって、熱を追うて突き上る風諸共、夜の世界に流矢の疾きを射る。飴を煮て四斗樽大の喞筒の口から大空に注ぐとも形容される。沸ぎる火の闇に詮なく消ゆるあとより又沸ぎる火が立ち騰る。深き夜を焦せとばかり煮え返るの声は、地にわめく人の叫びを小癪なりとて空一面に鳴り渡る。鳴る中には砕けて砕けたる粉が舞い上り舞い下りつつ海の方へと広がる。濁る浪の憤る色は、怒る響と共に薄黒く認めらるる位なれば櫓の周囲は、煤を透す日に照さるるよりも明かである。一枚の火の、丸形に櫓を裏んで飽き足らず、横に這うての胸先にかかる。炎は尺を計って左へ左へと延びる。たまたま一陣の風吹いて、逆に舌先を払えば、左へ行くべき鋒を転じて上に向う。旋る風なれば後ろより不意を襲う事もある。順に撫でてを馳け抜ける時は上に向えるが又向き直りて行き過ぎし風を追う。左へ左へと溶けたる舌は見る間に長くなり、又広くなる。果は此所にも一枚の火が出来る、かしこにも一枚の火が出来る。火に包まれたるの上を黒き影が行きつ戻りつする。たまには暗き上から明るき中へ消えて入ったぎり再び出て来ぬのもある。  焦け爛れたる高櫓の、機熟してか、吹く風に逆いてしばらくはと共に傾くと見えしが、奈落までも落ち入らでやはと、三分二を岩に残して、倒しまに崩れかかる。取り巻くの一度にパッと天地を燬く時、の上に火の如き髪を振り乱して佇む女がある。「クララ!」とウィリアムが叫ぶ途端に女の影は消える。焼け出された二頭の馬が鞍付のまま宙を飛んで来る。  疾く走る尻尾を攫みて根元よりスパと抜ける体なり、先なる馬がウィリアムの前にて礑ととまる。とまる前足に力余りて堅き爪の半ばは、斜めに土に喰い入る。盾に当る鼻づらの、二寸を隔てて夜叉の面に火の息を吹く。「四つ足も呪われたか」とウィリアムは我とはなしに鬣を握りてひらりと高き脊に跨がる。足乗せぬ鐙は手持無沙汰に太腹を打って宙に躍る。この時何物か「南の国へ行け」と鉄被る剛き手を挙げて馬の尻をしたたかに打つ。「呪われた」とウィリアムは馬と共に空を行く。  ウィリアムの馬を追うにあらず、馬のウィリアムに追わるるにあらず、呪いの走るなり。風を切り、夜を裂き、大地に疳走る音を刻んで、呪いの尽くる所まで走るなり。野を走り尽せば丘に走り、丘を走り下れば谷に走り入る。夜は明けたのか日は高いのか、暮れかかるのか、雨か、霰か、野分か、木枯か――知らぬ。呪いは真一文字に走る事を知るのみじゃ。前に当るものは親でも許さぬ、石蹴る蹄には火花が鳴る。行手を遮るものは主でも斃せ、闇吹き散らす鼻嵐を見よ。物凄き音の、物凄き人と馬の影を包んで、あっと見る睫の合わぬ間に過ぎ去るばかりじゃ。人か馬か形か影かと惑うな、只呪いその物の吼り狂うて行かんと欲する所に行く姿と思え。  ウィリアムは何里飛ばしたか知らぬ。乗り斃した馬の鞍に腰を卸して、右手に額を抑えて何事をか考え出さんと力めている。死したる人の蘇る時に、昔しの我と今の我との、あるは別人の如く、あるは同人の如く、繋ぐ鎖りは情けなく切れて、然も何等かの関係あるべしと思い惑う様である。半時なりとも死せる人の頭脳には、喜怒哀楽の影は宿るまい。空しき心のふと吾に帰りて在りし昔を想い起せば、油然として雲の湧くが如くにその折々は簇がり来るであろう。簇がり来るものを入るる余地あればある程、簇がる物は迅速に脳裏を馳け廻るであろう。ウィリアムが吾に醒めた時の心が水の如く涼しかっただけ、今思い起すかれこれも送迎に遑なきまで、糸と乱れてその頭を悩ましている。出陣、帆柱の旗、戦……と順を立てて排列して見る。皆事実としか思われぬ。「その次に」と頭の奧を探るとぺらぺらと黄色なが見える。「火事だ!」とウィリアムは思わず叫ぶ。火事は構わぬが今心の眼に思い浮べたの中にはクララの髪の毛が漾っている。何故あの火の中へ飛び込んで同じ所で死ななかったのかとウィリアムは舌打ちをする。「盾の仕業だ」と口の内でつぶやく。見ると盾は馬の頭を三尺ばかり右へ隔てて表を空にむけて横わっている。 「これが恋の果か、呪いが醒めても恋は醒めぬ」とウィリアムは又額を抑えて、己れを煩悶の海に沈める。海の底に足がついて、世に疎きまで思い入るとき、何処よりか、微かなる糸を馬の尾で摩る様な響が聞える。睡るウィリアムは眼を開いてあたりを見廻す。ここは何処とも分らぬが、目の届く限りは一面の林である。林とは云え、枝を交えて高き日を遮ぎる一抱え二抱えの大木はない。木は一坪に一本位の割でその大さも径六七寸位のもののみであろう。不思議にもそれが皆同じ樹である。枝が幹の根を去る六尺位の所から上を向いて、しなやかな線を描いて生えている。その枝が聚まって、中が膨れ、上が尖がって欄干の擬宝珠か、筆の穂の水を含んだ形状をする。枝の悉くは丸い黄な葉を以て隙間なきまでに綴られているから、枝の重なる筆の穂は色の変る、面長な葡萄の珠で、穂の重なる林の態は葡萄の房の累々と連なる趣きがある。下より仰げば少しずつは空も青く見らるる。只眼を放つ遙か向の果に、樹の幹が互に近づきつ、遠かりつ黒くならぶ間に、澄み渡る秋の空が鏡の如く光るは心行く眺めである。時々鏡の面を羅が過ぎ行様まで横から見える。地面は一面の苔で秋に入って稍黄食んだと思われる所もあり、又は薄茶に枯れかかった辺もあるが、人の踏んだ痕がないから、黄は黄なり、薄茶は薄茶のまま、苔と云う昔しの姿を存している。ここかしこに歯朶の茂りが平かな面を破って幽情を添えるばかりだ。鳥も鳴かぬ風も渡らぬ。寂然として太古の昔を至る所に描き出しているが、樹の高からぬのと秋の日の射透すので、さほど静かな割合に怖しい感じが少ない。その秋の日は極めて明かな日である。真上から林を照らす光線が、かの丸い黄な無数の葉を一度に洗って、林の中は存外明るい。葉の向きは固より一様でないから、日を射返す具合も悉く違う。同じ黄ではあるが透明、半透明、濃き、薄き、様々の趣向をそれぞれに凝している。それが乱れ、雑り、重なって苔の上を照らすから、林の中に居るものは琥珀の屏を繞らして間接に太陽の光りを浴びる心地である。ウィリアムは醒めて苦しく、夢に落付くという容子に見える。糸の音が再び落ちつきかけた耳朶に響く。今度は怪しき音の方へ眼をむける。幹をすかして空の見える反対の方角を見ると――西か東か無論わからぬ――爰ばかりは木が重なり合て一畝程は際立つ薄暗さを地に印する中に池がある。池は大きくはない、出来損いの瓜の様に狭き幅を木陰に横たえている。これも太古の池で中に湛えるのは同じく太古の水であろう、寒気がする程青い。いつ散ったものか黄な小さき葉が水の上に浮いている。ここにも天が下の風は吹く事があると見えて、浮ぶ葉は吹き寄せられて、所々にかたまっている。群を離れて散っているのはもとより数え切れぬ。糸の音は三たび響く。滑かなる坂を、護謨の輪が緩々練り上る如く、低くきより自然に高き調子に移りてはたとやむ。  ウィリアムの腰は鞍を離れた。池の方に眼を向けたまま音ある方へ徐ろに歩を移す。ぼろぼろと崩るる苔の皮の、厚く柔らかなれば、あるく時も、坐れる時の如く林の中は森として静かである。足音に我が動くを知るものの、音なければ動く事を忘るるか、ウィリアムは歩むとは思わず只ふらふらと池の汀まで進み寄る。池幅の少しく逼りたるに、臥す牛を欺く程の岩が向側から半ば岸に沿うて蹲踞れば、ウィリアムと岩との間は僅か一丈余ならんと思われる。その岩の上に一人の女が、眩ゆしと見ゆるまでに紅なる衣を着て、知らぬ世の楽器を弾くともなしに弾いている。碧り積む水が肌に沁む寒き色の中に、この女の影を倒しまにす。投げ出したる足の、長き裳に隠くるる末まで明かに写る。水は元より動かぬ、女も動かねば影も動かぬ。只弓を擦る右の手が糸に沿うてゆるく揺く。頭を纏う、糸に貫いた真珠の飾りが、湛然たる水の底に明星程の光を放つ。黒き眼の黒き髪の女である。クララとは似ても似つかぬ。女はやがて歌い出す。 「岩の上なる我がまことか、水の下なる影がまことか」  清く淋しい声である。風の度らぬ梢から黄な葉がはらはらと赤き衣にかかりて、池の面に落ちる。静かな影がちょと動いて、又元に還る。ウィリアムは茫然として佇ずむ。 「まこととは思い詰めたる心の影を。心の影を偽りと云うが偽り」女静かに歌いやんで、ウィリアムの方を顧みる。ウィリアムは瞬きもせず女の顔を打ち守る。 「恋に口惜しき命の占を、盾に問えかし、まぼろしの盾」  ウィリアムは崖を飛ぶ牡鹿の如く、踵をめぐらして、盾をとって来る。女「只懸命に盾の面を見給え」と云う。ウィリアムは無言のまま盾を抱いて、池の縁に坐る。寥廓なる天の下、蕭瑟なる林の裏、幽冷なる池の上に音と云う程の音は何にも聞えぬ。只ウィリアムの見詰めたる盾の内輪が、例の如く環り出すと共に、昔しながらの微かな声が彼の耳を襲うのみである。「盾の中に何をか見る」と女は水の向より問う。「ありとある蛇の毛の動くは」とウィリアムが眼を放たずに答える。「物音は?」「鵞筆の紙を走る如くなり」 「迷いては、迷いてはしきりに動く心なり、音なき方に音をな聞きそ、音をな聞きそ」と女半ば歌うが如く、半ば語るが如く、岸を隔ててウィリアムに向けて手を波の如くふる。動く毛の次第にやみて、鳴る音も自から絶ゆ。見入る盾の模様は霞むかと疑われて程なく盾の面に黒き幕かかる。見れども見えず、聞けども聞えず、常闇の世に住む我を怪しみて「暗し、暗し」と云う。わが呼ぶ声のわれにすら聞かれぬ位幽かなり。 「闇に烏を見ずと嘆かば、鳴かぬ声さえ聞かんと恋わめ、――身をも命も、闇に捨てなば、身をも命も、闇に拾わば、嬉しかろうよ」と女の歌う声が百尺の壁を洩れて、蜘蛛の囲の細き通い路より来る。歌はしばし絶えて弓擦る音の風誘う遠きより高く低く、ウィリアムの耳に限りなき清涼の気を吹く。その時暗き中に一点白玉の光が点ぜらるる。見るうちに大きくなる。闇のひくか、光りの進むか、ウィリアムの眼の及ぶ限りは、四面空蕩万里の層氷を建て連らねたる如く豁かになる。頭を蔽う天もなく、足を乗する地もなく冷瓏虚無の真中に一人立つ。 「君は今いずくに居わすぞ」と遙かに問うはかの女の声である。 「無の中か、有の中か、玻璃瓶の中か」とウィリアムが蘇がえれる人の様に答える。彼の眼はまだ盾を離れぬ。  女は歌い出す。「以太利亜の、以太利亜の海紫に夜明けたり」 「広い海がほのぼのとあけて、……橙色の日が浪から出る」とウィリアムが云う。彼の眼は猶盾を見詰めている。彼の心には身も世も何もない。只盾がある。髪毛の末から、足の爪先に至るまで、五臓六腑を挙げ、耳目口鼻を挙げて悉く幻影の盾である。彼の総身は盾になり切っている。盾はウィリアムでウィリアムは盾である。二つのものが純一無雑の清浄界にぴたりと合うたとき――以太利亜の空は自から明けて、以太利亜の日は自から出る。  女は又歌う。「帆を張れば、舟も行くめり、帆柱に、何を掲げて……」 「赤だっ」とウィリアムは盾の中に向って叫ぶ。「白い帆が山影を横って、岸に近づいて来る。三本の帆柱の左右は知らぬ、中なる上に春風を受けて棚曳くは、赤だ、赤だクララの舟だ」……舟は油の如く平なる海を滑って難なく岸に近づいて来る。舳に金色の髪を日に乱して伸び上るは言うまでもない、クララである。  ここは南の国で、空には濃き藍を流し、海にも濃き藍を流してその中に横わる遠山もまた濃き藍を含んでいる。只春の波のちょろちょろと磯を洗う端だけが際限なく長い一条の白布と見える。丘には橄欖が深緑りの葉を暖かき日に洗われて、その葉裏には百千鳥をかくす。庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅の花――凡ての春の花が、凡ての色を尽くして、咲きては乱れ、乱れては散り、散りては咲いて、冬知らぬ空を誰に向って誇る。  暖かき草の上に二人が坐って、二人共に青絹を敷いた様な海の面を遙かの下に眺めている。二人共に斑入りの大理石の欄干に身を靠せて、二人共に足を前に投げ出している。二人の頭の上から欄干を斜めに林檎の枝が花の蓋をさしかける。花が散ると、あるときはクララの髪の毛にとまり、ある時はウィリアムの髪の毛にかかる。又ある時は二人の頭と二人の袖にはらはらと一度にかかる。枝から釣るす籠の内で鸚鵡が時々けたたましい音を出す。 「南方の日の露に沈まぬうちに」とウィリアムは熱き唇をクララの唇につける。二人の唇の間に林檎の花の一片がはさまって濡れたままついている。 「この国の春は長えぞ」とクララ窘める如くに云う。ウィリアムは嬉しき声に Druerie ! と呼ぶ。クララも同じ様に Druerie ! と云う。籠の中なる鸚鵡が Druerie ! と鋭どき声を立てる。遙か下なる春の海もドルエリと答える。海の向うの遠山もドルエリと答える。丘を蔽う凡ての橄欖と、庭に咲く黄な花、赤い花、紫の花、紅の花――凡ての春の花と、凡ての春の物が皆一斉にドルエリと答える。――これは盾の中の世界である。しかしてウィリアムは盾である。  百年の齢いは目出度も難有い。然しちと退屈じゃ。楽も多かろうが憂も長かろう。水臭い麦酒を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精を半滴味わう方が手間がかからぬ。百年を十で割り、十年を百で割って、剰すところの半時に百年の苦楽を乗じたらやはり百年の生を享けたと同じ事じゃ。泰山もカメラの裏に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情けを、分と縮め、懸命の甘きを点と凝らし得るなら――然しそれが普通の人に出来る事だろうか? ――この猛烈な経験を嘗め得たものは古往今来ウィリアム一人である。(二月十八日) 底本:「倫敦塔・幻影の盾」新潮文庫、新潮社    1952(昭和27)年7月10日初版発行    1968(昭和43)年9月15日20刷改版発行    1997(平成9)年4月25日69刷発行 ※底本本文では、「す」は、「くさかんむり/(酉+隹)」とつくってある。しかし、下記の異本とも照合の上、当該の箇所は「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」で入力した。    「倫敦塔・幻影の盾」岩波文庫、岩波書店    1930(昭和5)年12月20日第1刷発行    1990(平成2)年4月16日第23刷改版発行    1997(平成9)年9月5日第30刷発行    ちくま文庫「夏目漱石全集2」筑摩書房    1987(昭和62)年10月27日初版第1刷発行    親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房 入力:藤本篤子 校正:かとうかおり 1998年9月19日公開 2004年2月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 満韓ところどころ 満韓ところどころ 夏目漱石         一  南満鉄道会社っていったい何をするんだいと真面目に聞いたら、満鉄の総裁も少し呆れた顔をして、御前もよっぽど馬鹿だなあと云った。是公から馬鹿と云われたって怖くも何ともないから黙っていた。すると是公が笑いながら、どうだ今度いっしょに連れてってやろうかと云い出した。是公の連れて行ってやろうかは久しいもので、二十四五年前、神田の小川亭の前にあった怪しげな天麩羅屋へ連れて行ってくれた以来時々連れてってやろうかを余に向って繰返す癖がある。そのくせいまだ大した所へ連れて行ってくれた試がない。「今度いっしょに連れてってやろうか」もおおかたその格だろうと思ってただうんと答えておいた。この気のない返事を聞いた総裁は、まあ海外における日本人がどんな事をしているか、ちっと見て来るがいい。御前みたように何にも知らないで高慢な顔をしていられては傍が迷惑するからとすこぶる適切めいた事を云う。何でも是公に聞いて見ると馬関や何かで我々の不必要と認めるほどの御茶代などを宿屋へ置くんだそうだから、是公といっしょに歩いて、この尨大な御茶代が宿屋の主人下女下男にどんな影響を生ずるかちょっと見たくなった。そこで、じゃ君の供をしてへいへい云って歩いて見たいなと注文をつけたら、そりゃどうでも構わない、いっしょが厭なら別でも差支えないと云う返事であった。  それから御供をするのはいつだろうかと思って、面白半分に待っていると、八月半ばに使が来ていつでも立てる用意ができてるかと念を押した。立てると云えば立てるような身上だから立てると答えた。するとまた十日ほどしていつ何日の船で馬関から乗るが、好いかと云う手紙が来た。それも、ちゃんと心得た。次には用事ができたから一船延ばすがどうだと云う便りがあった。これも訳なく承知した。しかし承知している最中に、突然急性胃カタールでどっとやられてしまった。こうなるといかに約束を重んずる余も、出発までに全快するかしないか自分で保証し悪くなって来た。胸へ差し込みが来ると、約束どころじゃない。馬関も御茶代も、是公も大連もめちゃめちゃになってしまう。世界がただ真黒な塊に見えた。それでも御供旅行の好奇心はどこかに潜んでいたと見えて、先へ行ってくれと云う事は一口も是公に云わなかった。  そのうち胃のところがガスか何かでいっぱいになった。茶碗の音などを聞くと腹が立った。人間は何の必要があって飯などを食うのか気の知れない動物だ、こうして氷さえ噛っていれば清浄潔白で何も不足はないじゃないかと云う気になった。枕元で人が何か云うと、話をしなくっちあ生きていられないおしゃべりほど情ない下賤なものはあるまいと思った。眼を開いて本棚を見渡すと書物がぎっしり詰っている。その書物が一々違った色をしてそうしてことごとく別々な名を持っている。煩わしい事夥しい。何の酔興でこんな差別をつけたものだろう、また何の因果でそれを大事そうに列べ立てたものだろう。実にしち面倒臭い世の中だ。早く死んじまえと云う気になった。  禎二さんが蒲団の横へ来て、どうですと尋ねたが、返事をするのが馬鹿気ていて何とも云う了見にならない。代診が来て、これじゃ旅行は無理ですよ、医者として是非止めなくっちゃならないと説諭したが、御尤もだとも不尤もだとも答えるのが厭だった。  そのうち日は容赦なく経った。病気は依然として元のところに逗留していた。とうとう出発の前日になって、電話で中村へ断った。中村は御大事になさいと云って先へ立ってしまった。         二  小蒸気を出て鉄嶺丸の舷側を上るや否や、商船会社の大河平さんが、どうか総裁とごいっしょのように伺いましたがと云われる。船が動き出すと、事務長の佐治君が総裁と同じ船でおいでになると聞いていましたがと聞かれる。船長さんにサルーンの出口で出逢うと総裁と御同行のはずだと誰か云ってたようでしたがと質問を受ける。こうみんなが総裁総裁と云うと是公と呼ぶのが急に恐ろしくなる。仕方がないから、ええ総裁といっしょのはずでしたが、ええ総裁と同じ船に乗る約束でしたがと、たちまち二十五年来用い慣れた是公を倹約し始めた。この倹約は鉄嶺丸に始まって、大連から満洲一面に広がって、とうとう安東県を経て、韓国にまで及んだのだから少からず恐縮した。総裁という言葉は、世間にはどう通用するか知らないが、余が旧友中村是公を代表する名詞としては、あまりにえら過ぎて、あまりに大袈裟で、あまりに親しみがなくって、あまりに角が出過ぎている。いっこう味がない。たとい世間がどう云おうと、余一人はやはり昔の通り是公是公と呼び棄てにしたかったんだが、衆寡敵せず、やむをえず、せっかくの友達を、他人扱いにして五十日間通して来たのは遺憾である。  船の中は比較的楽だった。二百十日の明る日に神戸を立ったのだから、多少の波風は無論おいでなさるんだろうと思ってちゃんと覚悟をきめていたところが、天気が存外呑気にできたもので、神戸から大連に着くまでたいていは鈍り返っていた。甲板の上に若い英吉利の男が犬を抱いて穏かに寝ていたと云ったら、海のようすもたいていは想像されるだろうと思う。  ありゃ何ですかと事務長の佐治さんに聞くと、え、あれは英国の副領事だそうですと、佐治さんが答えた。副領事かも知れないが余には美しい二十一二の青年としか思われなかった、これに反して犬はすこぶる妙な顔をしていた。もっともブルドッグだから両親からしてすでに普通の顔とは縁の遠い方に違いない。したがって特にこいつだけを責めるのは残酷だが、一方から云うと、また不思議に妙な顔をしているんだからやむをえない。この犬はその後大連に渡って大和ホテルに投宿した。そうとはちっとも知らずに、食堂に入って飯を食っていると、突然この顔に出食わして一驚を喫した。固より犬の食堂じゃないんだけれども、犬の方で間違えて這入って来たものと見える。もっとも彼の主人もその時食堂にいた。主人は多数の人間のいるところで、犬と高声に談判するのを非紳士的と考えたと見えて、いきなりかの妙な顔を胴ぐるみ脇の下に抱えて食堂の外に出て行った。その退却の模様はすこぶる優美であった。彼は重い犬をあたかも風呂敷包のごとく安々と小脇に抱えて、多くの人の並んでいる食卓の間を、足音も立てず大股に歩んで戸の外に身体を隠した。その時犬はわんとも云わなかった。ぐうとも云わなかった。あたかも弾力ある暖かい器械の、素直に自然の力に従うように、おとなしく抱かれて行った。顔はたびたび云う通りはなはだ妙だが、行状に至ってはすこぶる気高いものであった。余はその後ついにこの犬に逢う機会を得なかった。         三  退屈だから甲板に出て向うを見ると、晴れたとも曇ったとも方のつかない天気の中に、黒い影が煙を吐いて、静かな空を濁しながら動いて行く。しばらくその痕を眺めていたが、やがてまた籐椅子の上に腰をおろした。例の英吉利の男が、今日は犬を椅子の足に鎖で縛りつけて、長い脛をその上に延ばして書物を読んでいる。もう一人の異人はサルーンで何かしきりに認め物をしている。その妻君はどこへ行ったか見えない。亜米利加の宣教師夫婦は席を船長室の傍へ移した。甲板の上はいつもの通り無事であった。ただ機関の音だけが足の裏へ響けるほど猛烈に鳴り渡った。その響の中でいつの間にかうとうとした。  眼が覚めてから、サルーンに入って亜米利加の絵入りの雑誌を引っ剥がして見た。傍には日本の雑誌も五六冊片寄せてあった。いずれも佐治文庫と云う判が押してある。これは事務長の佐治さんが、自分で読むために上陸の際に買入れて、読んでしまうと船の図書館に寄附するのだと佐治さん自身から聞いた。佐治さんは文学好と見えて、余の著書なども読んでいる。友人の畔柳芥舟と同郷だと云うから、差し向いで芥舟の評判を少しやった。  また室を出て海を眺めた。すると先刻黒い影を波の上に残して、遠くの向うを動いていた船が、すぐ眼の前に見える。大きさは鉄嶺丸とほぼ同じぐらいに思われるが、船足がだいぶ遅いと見えて、しばらくの間にもうこれほど追つかれたのである。欄干に頬杖を突いて、見ていると鉄嶺丸が刻一刻と後から逼って行くのがよく分る。しまいには黄色い文字で書いた営口丸の三字さえ明かに読めるようになった。やがて余の船の頭が営口丸の尻より先へ出た。そうして、尻から胴の方へじりじりと競り上げて行った。船は約一丁を隔ててほとんど並行の姿勢で進行している。もう七八分すると、余の船は全く営口丸を乗り切る事ができそうに思われた。時に約一丁もあろうと云う船と船の間隔が妙に逼って来た。向うの甲板にいる乗客の影が確に勘定ができるようになった。見るとことごとく西洋人である。中には眼鏡を出してこっちを眺めているのもあった。けれども見るうちに眼鏡は不必要になった。髪の色も眼鼻立も甲板に立っている人は御互に鮮かな顔を見合せるほど船は近くなった。その時は全く美しかった。と思うと、船は今までよりも倍以上の速力を鼓して刹那に近寄り始めた。海の水を細い谷川のように仕切って、営口丸の船体が、六尺ほどの眼の前に黒く切っ立った時は、ああ打つかるなと思った。途端に向うの舳は余の眼を掠めて過ぎ去りつつ、逼りつつ、とうとう中等甲板の角の所まで行ってどさりと当った。同時に甲板の上に釣るしてあった端艇が二艘ほどでんぐり返った。端艇を繋いであった鉄の棒は無雑作に曲った。営口丸の船員は手を拍ってわあと囃し立てた。余と並んで立っていた異人が、妙な声を出してダム何とか云った。  一時間の後佐治さんがやって来て、夏目さん身をかわすのかわすと云う字はどう書いたら好いでしょうと聞くから、そうですねと云って見たが、実は余も知らなかった。為替の替せると云う字じゃいけませんかとはなはだ文学者らしからぬ事を答えると、佐治さんは承知できない顔をして、だってあれは物を取り替える時に使うんでしょうとやり込めるから、やむをえず、じゃ仮名が好いでしょうと忠告した。佐治さんは呆れて出て行った。後で聞くと、衝突の始末を書くので、その中に、本船は身をかわしと云う文句を入れたかったのだそうである。         四  船が飯田河岸のような石垣へ横にぴたりと着くんだから海とは思えない。河岸の上には人がたくさん並んでいる。けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても汚ならしいが、二人寄るとなお見苦しい。こうたくさん塊るとさらに不体裁である。余は甲板の上に立って、遠くからこの群集を見下しながら、腹の中で、へえー、こいつは妙な所へ着いたねと思った。そのうち船がだんだん河岸に近づいてくるに従って、陸の方で帽子を振って知人に挨拶をするものなどができて来た。宣教師のウィンという人の妻君が、中村さんが多分迎えに来ておいででしょうと、笑いながら御世辞を云ったが、電報も打たず、いつ着くとも知らせなかった余の到着を、いくら権威赫々たる総裁だって予知し得る道理がない。余は欄干に頬杖を突きながら、なるほどこいつはどうしたものかな、ひとまず是公の家へ行って宿を聞いて、それからその宿へ移る事にでもするかなと思ってるうちに、船は鷹揚にかの汚ならしいクーリー団の前に横づけになって止まった。止まるや否や、クーリー団は、怒った蜂の巣のように、急に鳴動し始めた。その鳴動の突然なのには、ちょっと胆力を奪われたが、何しろ早晩地面の上へ下りるべき運命を持った身体なんだから、しまいにはどうかしてくれるだろうと思って、やっぱり頬杖を突いて河岸の上の混戦を眺めていた。すると佐治さんが来て、夏目さんどこへおいでになりますと聞いてくれた。まあひとまず総裁の家へでも行って見ましょうと答えていると、そこへ背の高い、紺色の夏服を着た立派な紳士が出て来て、懐中から名刺を出して叮嚀に挨拶をされた。それが秘書の沼田さんだったので、頬杖を突いて、いつまでも鳴動を眺めている余には、大変な好都合になった。沼田さんは今度郷里から呼び迎えられた老人を、自宅へ案内されるために、船まで来られたのだそうだが、同じ鉄嶺丸に余の乗っている事を聞いて、わざわざ刺を通じられたのである。  じゃホテルの馬車でと沼田さんが佐治さんに話している。河岸の上を見ると、なるほど馬車が並んでいた。力車もたくさんある、ところが力車はみんな鳴動連が引くので、内地のに比べるとはなはだ景気が好くない。馬車の大部分もまた鳴動連によって、御せられている様子である。したがっていずれも鳴動流に汚ないものばかりであった。ことに馬車に至っては、その昔日露戦争の当時、露助が大連を引上げる際に、このまま日本人に引渡すのは残念だと云うので、御叮嚀に穴を掘って、土の中に埋めて行ったのを、チャンが土の臭を嗅いで歩いて、とうとう嗅ぎあてて、一つ掘っては鳴動させ、二つ掘っては鳴動させ、とうとう大連を縦横十文字に鳴動させるまでに掘り尽くしたと云う評判のある、――評判だから、本当の事は分らないが、この評判があらゆる評判のうちでもっとも巧妙なものと、誰しも認めざるを得ないほどの泥だらけの馬車である。  その中に東京の真中でも容易に見る事のできないくらい、新しい奇麗なのが二台あった。御者が立派なリヴェリーを着て、光った長靴を穿いて、哈爾賓産の肥えた馬の手綱を取って控えていた。佐治さんは、船から河岸へ掛けた橋を渡って、鳴動の中を突き切って、わざわざ余をその奇麗な馬車の傍まで連れて行った。さあ御乗んなさいと勧めながら、すぐ御者台の方へ向いて、総裁の御宅までと注意を与えた。御者はすぐ鞭を執った。車は鳴動の中を揺ぎ出した。         五  門を這入って馬車の輪が砂利の上を二三間軋ったかと思うと、馬は大きな玄関の前へ来て静かに留まった。石段を上って、入口の所に立つや否や、色の白い十四五の給仕が、頑丈な樫の戸を内から開いて、余の顔を見ながら挨拶をした。もう御帰りかと尋ねると、まだでございますと云う。留守では仕方がない。どうしたものだろうと思って、石の上に佇ずんで首を傾けているところへ、後に足音がするようだからふり向くと、先刻鉄嶺丸で知己になった沼田さんである。さあ、どうぞと云われるので、中に入った。沼田さんは先へ立って、ホールの突き当りにある厚い戸を開いた。その戸の中へ首を突っ込んで、室の奥を見渡した時に、こりゃ滅法広いなと思った。数字の観念に乏しい性質だから何畳敷だかとんと要領を得ないが、何でも細長い御寺の本堂のような心持がした。その広い座敷がただ一枚の絨毯で敷きつめられて、四角だけがわずかばかり華やかな織物の色と映り合うために、薄暗く光っている。この大きな絨毯の上に、応接用の椅子と卓がちょんぼり二所に並べてある。一方の卓と一方の卓とは、まるで隣家の座敷ぐらい離れている。沼田さんは余をその一方に導いて席を与えられた。仰向いて見ると天井がむやみに高い。高いはずである。室の入口には二階がついていて、その二階の手摺から、余の坐っている所が一目に見下されるような構造なんだから、つまるところは、余の頭の上が、一階の天井兼二階の天井である。後に人の説明を聞いて始めて知ったのだが、このだだっ広い応接間は、実は舞踏室で、それを見下している手摺付の二階は、楽隊の楽を奏する所にできているのだそうだ。そんなら、そうと早くから教えてくれれば、安心するものを、断りなしに急に仏様のない本堂へ案内されたものだからまず一番に吃驚した。余は大連滞在中何度となくこの部屋を横切って、是公の書斎へ通ったので、喫驚する事は、最初の一度だけですんだが、通るたんびに、おりもせぬ阿弥陀様を思い出さない事はなかった。  室を這入って右は、往来を向いた窓で、左の中央から長い幕が次の部屋の仕切りに垂れている。正面に五尺ほどの盆栽を二鉢置いて、横に奇麗な象の置物が据えてある。大きさは豚の子ほどある。これは狸穴の支社の客間で見たものと同じだから、一対を二つに分けたものだろうと思った。そのほかには長い幕の上に、大な額がかかっていた。その左りの端に、小さく南満鉄道会社総裁後藤新平と書いてある。書体から云うと、上海辺で見る看板のような字で、筆画がすこぶる整っている。後藤さんも満洲へ来ていただけに、字が旨くなったものだと感心したが、その実感心したのは、後藤さんの揮毫ではなくって、清国皇帝の御筆であった。右の肩に賜うと云う字があるのを見落した上に後藤さんの名前が小さ過ぎるのでつい失礼をしたのである。後藤さんも清国皇帝に逢って、こう小さく呼び棄に書かれちゃたまらない。えらい人からは、滅多に賜わったり何かされない方がいいと思った。  沼田さんは給仕を呼んで、処々方々へ電話をかけさして、是公の行方を聞き合せてくれたが全く分らない。米国の艦隊が港内に碇泊しているので、驩迎のため、今日はベースボールがあるはずだから、あるいはそれを観に行ってるかも知れないと云う話であった。  そのうち広い部屋がようやく暗くなりかけた。じゃどこぞ宿屋へでも行って待ちましょうと云うと、社の宿屋ですから、やっぱり大和ホテルがいいでしょうと、沼田さんが親切に自分で余をホテルまで案内してくれた。         六  湯を立ててもらって、久しぶりに塩気のない真水の中に長くなって寝ている最中に、湯殿の戸をこつこつ叩くものがある。風呂場で訪問を受けた試しはいまだかつてないんだから、湯槽の中で身を浮かしながら少々逡巡していると、叩く方ではどうあっても訪問の礼を尽くさねばやまぬという決心と見えて、なおのこと、こつこつやる。いくらこつこつやったって、まさか赤裸で飛び出して、室の錠を明ける訳にも行かないから、風呂の中から大きな声で、おい何だと用事を聞いて見た。すると摺硝子の向側で、ちょっと明けなさいと云う声がする。この声なら明けても差支えないと思って、身体全体から雫を垂らしながら、素裸でボールトを外すと、はたして是公が杖を突いて戸口に立っていた。来るなら電報でもちょっとかければ好いものをと云う。どこへ行っていたんだと聞くと、ベースボールを観て、それから舟を漕いでいたと云う挨拶である。飯を食ったら遊びに来なさいと案内をするから、よろしいと答えてまた戸を締めた。締めながら、おいこの宿は少し窮屈だね、浴衣でぶらぶらする事は禁制なんだろうと聞いたら、ここが厭なら遼東ホテルへでも行けと云って帰って行った。  例刻に食堂へ下りて飯を食ったら、知らない西洋人といっしょの卓へ坐らせられた。その男が御免なさい、どうも嚏が出てと、手帛を鼻へ当てたが、嚏の音はちっともしなかったから、余はさあさあと、暗に嚏を奨励しておいた。この男は自分で英人だと名乗った。そうして御前は旅順を見たかと余に尋ねた。旅順を見ないなら教えるが、いつの汽車で行って、どことどこを見て、それからいつの汽車で帰るが好いと、自分のやった通りを委しく語って聞かせた。余はなるほどなるほどと聞いていた。次に御前は門司を見たかと聞いた。次にあすこの石炭はもう沢山は出まいと聞いた。沢山は出まいと答えた。実は沢山出るか出ないか知らなかったのである。  しばらくして、君は旅順に行った事があるかとまた同じ事を尋ね出した。少々変だが面倒だから、いやまだだと、こっちも前同様な返事をしておいた。すると旅順に行くには朝八時と十一時の汽車があって……とまた先刻と寸分違わないような案内者めいた事を云って聞かせた。先が先だから余も依然としてなるほどなるほどを繰り返した。最後に突然御前は日本人かと尋ねた。余はそうだと正直なところを答えたようなものの、今までは何国人と思われていたんだろうかと考えると、多少心細かった。  余は日本人なりの答を得るや否や、この男が、おれも四十年前横浜に行った事があるが、どうも日本人は叮嚀で親切で慇懃で実に模範的国民だなどとしきりに御世辞を振り廻し始めた。せっかくだとは思ったが、是公との約束もある事だから、好い加減なところで談話を切り上げて、この老人と別れた。  表へ出るとアカシヤの葉が朗らかな夜の空気の中にしんと落ちついて、人道を行く靴の音が向うから響いて来る。暗い所から白服を着けた西洋人が馬車で現れた。ホテルへ帰って行くのだろう。馬の蹄は玄関の前で留まったらしい。是公の家の屋根から突出した細長い塔が、瑠璃色の大空の一部分を黒く染抜いて、大連の初秋が、内地では見る事のできない深い色の奥に、数えるほどの星を輝つかせていた。         七  この間から米国の艦隊が四艘来ているんで、毎日いろいろな事をして遊ばせるのだが、翌日の晩は舞踏会をやるはずになっているから出て見ろと是公が勧めた。出て見ろったって、燕尾服も何も持って来やしないから駄目だよと断ると、是公が希知な奴だなと云った。燕尾服は其上倫敦留学中トテナムコートロードの怪しげな洋服屋で、もっとも安い奴を拵えた覚があるが、爾来箪笥の底に深く蔵しているのみで、親友といえども、持ってるか持ってないか知らないくらいである。いくら大連がハイカラだって、東京を立つ時に、この古燕尾服が役に立とうとは思いがけないから、やっぱり箪笥の底にしまったなりで出て来た。じゃ、おれの袴羽織を貸してやるから、日本服で出ろ、出て、まあ、どんな容子だか見るが好いと、是公は何でも引き摺り出そうとする。いっそ出るくらいなら踊らなくっちゃつまらないから、日本服ならまあ止そうと云いたかったが、是公は正直だから本当にすると好くないと思って、ただ羽織袴はいけないよと断った。是公はそれでも舞踏会を見せる気と見えて、翌日の午、社の二階で上田君を捕えて、君の燕尾服をこいつに貸してやらないか、君のならちょうど合いそうだと云っていた。上田君もこの突然な相談には辟易したに違ない。笑いながら、いえ私のは誰にも合いませんと謙遜された。  舞踏会はそれですんだが、しばらくすると、今度はこれから倶楽部に連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こうと云われるので、三人で涼しい夜の電灯の下に出た。広い通りを一二丁来ると日本橋である。名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、雅にも丈夫にもできている。三人は橋の手前にある一棟の煉瓦造りに這入った。誰かいるかなと、玉突場を覗いたが、ただ電灯が明るく点いているだけで玉の鳴る音はしなかった。読書室へ這入ったが、西洋の雑誌が、秩序よく列べてあるばかりで、ページを繰る手の影はどこにも見えなかった。将棋歌留多をやる所へ這入って腰をかけて見たが、三人の尻をおろしたほかは、椅子も洋卓もことごとく空いていた。今日は遅いので西洋人がいないからつまらないと是公が云う。是公の会話の下手な事は天品と云うくらいなものだから、不思議に思って、御前は平生ここに出入して赤髯と交際するのかと聞いたら、まあ来た事はないなと澄ましている。それじゃ西洋人がいなくってつまらないどころか、いなくって仕合せなくらいなものだろうと聞いて見ると、それでもおれはこの倶楽部の会長だよ、出席しないでも好いと云う条件で会長になったんだと呑気な説明をした。  会員の名札はなるほど外国流の綴が多い。国沢君は大きな本を拡げて、余の姓名を書き込ました上、是公に君ここへと催促した。是公はよろしいと答えて、自分の名の前に proposed by と付けた。それへ国沢君が、同く seconded by と加えてくれたので、大連滞在中はいつでも、倶楽部に出入する資格ができた。  それから三人でバーへ行った。バーは支那人がやっている。英語だか支那語だか日本語だか分らない言葉で注文を通して、妙に赤い酒を飲みながら話をした。酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの裡に星の光を認めた。国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。国沢君はこの十二時を聞きながら、では御休みなさいと云って、戻られた。         八  ホテルの玄関で、是公が馬車をと云うと、ブローアムに致しますかと給仕が聞いた。いや開いた奴が好いと命じている。余は石段の上に立って、玄関から一直線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が透き徹って、路も樹も屋根も煉瓦も、それぞれ鮮やかに眸の中に浮き出した。  やがて蹄の音がして、是公の馬車は二人の前に留まった。二人はこの麗かな空気の中をふわふわ揺られながら日本橋を渡った。橋向うは市街である。それを通り越すと満鉄の本社になる。馬車は市街の中へ這入らずに、すぐ右へ切れた。気がついて見ると、遥向うの岡の上に高いオベリスクが、白い剣のように切っ立って、青空に聳えている。その奥に同じく白い色の大きな棟が見える。屋根は鈍い赤で塗ってあった。オベリスクの手前には奇麗な橋がかかっていた。家も塔も橋も三つながら同じ色で、三つとも強い日を受けて輝いた。余は遠くからこの三つの建築の位地と関係と恰好とを眺めて、その釣合のうまく取れているのに感心した。  あれは何だいと車の上で聞くと、あれは電気公園と云って、内地にも無いものだ。電気仕掛でいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養をさせるために、会社で拵えてるんだと云う説明である。電気公園には恐縮したが、内地にもないくらいのものなら、すこぶる珍らしいに違ないと思って、娯楽ってどんな事をやるんだと重ねて聞き返すと、娯楽とは字のごとく娯楽でさあと、何だか少々危しくなって来た。よくよく糺明して見ると、実は今月末とかに開場するんで、何をやるんだか、その日になって見なければ、総裁にも分らないのだそうである。  そのうち馬車が、電車の軌道を敷いている所へ出た。電車も電気公園と同じく、今月末に開業するんだとか云って、会社では今支那人の車掌運転手を雇って、訓練のために、ある局部だけの試運転をやらしている。御忘れものはありませんか、ちんちん動きますを支那の口で稽古している最中なのだから、軌道がここまで延長して来るのは、別段怪しい事もないが、気がついて見ると、鉄軌の据え方が少々違うようである。第一内地のように石を敷かない計画らしい。御影石が払底なのかいと質問して見たら、すぐ、冗談云っちゃいけないとやられてしまった。これが最新式の敷方なんで、土台をどうとかして、どうとかして、鉄軌と鉄軌の間を混合金属で塗り固めて全線をたった一本の長い棒にしてしまって……とあたかも自分が技師であるかのごとき自慢である。内地から来たものはなるほど田舎もの取扱にされても仕方がない。そいつは感心だと、全く感心すると、技師を信任して、少しも口を出さずに、どうでも自分の思った通りをやらせるから、そんな仕事もできるのさと云った。内地では何でもやかましく干渉する奴がたくさん出て来るものと見える。  馬車が岡の上へ出た。そこはまだ道路が完成していないので、満洲特有の黄土が、見るうちに靴の先から洋袴の膝の上まで細かに積もった。この辺ももう少しすると、ホテルの前のように、カンカンした路に変化する事だろうが、そんな事を口外すれば、是公がますます得意になるばかりだから、わざと黙っていた。         九  これが豆油の精製しない方で、こっちが精製した方です。色が違うばかりじゃない、香も少し変っています。嗅いで御覧なさいと技師が注意するので嗅いで見た。  用いる途ですか、まあ料理用ですね。外国では動物性の油が高価ですから、こう云うのができたら便利でしょう。第一大変安いのです。これでオリーブ油の何分の一にしか当らないんだから。そうして効用は両方共ほぼ同じです。その点から見てもはなはだ重宝です。それにこの油の特色は他の植物性のもののように不消化でないです。動物性と同じくらいに消化れますと云われたので急に豆油がありがたくなった。やはり天麩羅などにできますかと聞くと、無論できますと答えたので、近き将来において一つ豆油の天麩羅を食ってみようと思ってその室を出た。  出がけに御邪魔でもこれをお持ちなさいと云って細長い箱をくれたから、何だろうと思って、即座に開けて見ると、石鹸が三つ並んでいた。これがやっぱり同じ材料から製造した石鹸ですと説明されたが、普通の石鹸と別に変ったところもないようだから、ただなるほどと云ったなり眺めていた。すると、この石鹸に面白いところは、塩水に溶解するから奇体ですよとの追加があったので、急に貰って行く気になって葢をした。  柞蚕から取った糸を並べて、これが従来の奴ですと云うのを見ると、なるほど色が黒い。こっちは精製した方でと、傍に出されると全く白い。かつ節なしにでき上っている。これで織ったのがありますかと聞いて見ると、あいにく有りませんと云う答である。しかしもし織ったらどんなものができるでしょうと聞くと、羽二重のようなものができるつもりですと云う。その上価段が半分だと云う。柞蚕から羽二重が織れて、それが内地の半額で買えたらさぞ善かろう。  高粱酒を出して洋盃に注ぎながら、こっちが普通の方で、こっちが精製した方でと、またやりだしたから、いや御酒はたくさんですと断った。さすが酒好きの是公も高粱酒の比較飲みは、思わしくないと見えて、並製も上製も同じく謝絶した。是公の話によると、この間高峯譲吉さんが来て、高粱からウィスキーを採るとか採らないとかしきりに研究していたそうである。ウィスキーがこの試験場でできるようになったら是公がさぞ喜んで飲む事だろう。  陶器を作っている部屋もあったようだが、これはほんの試験中で、並製も上製もないようであった。  中央試験所を出て、五六町来ると、馬車を下りて草の中に迷い込んだ。路のない谷へ下りたり、足場のない岡へ上ったりするので、汗が出て、顔の皮がひりひりして来た。その上胃がしきりに痛む。是公に聞いて見ると、射撃場へ連れて行ってやるんだと云うから、例の連れて行ってやると云う厚意に免じて、腹の痛いのを我慢して目的の家まで行ってすぐ椅子の上へ腰をかけてしまった。是公がしきりに鉄砲の話をするようであったが、とんと頭に響かない。何でもこの家だけは会社から寄附してやった。これでも二千円とか三千円とかかかったという事だけがようやく耳に這入った。  そこへ汚ない支那人が二三人、奇麗な鳥籠を提げてやって来た。支那人て奴は風雅なものだよ。着るものもない貧乏人のくせに、ああやって、鳥をぶら下げて、山の中をまごついて、鳥籠を樹の枝に釣るして、その下に坐って、食うものも食わずにおとなしく聞いているんだよ。それがもし二人集まれば鳴き競をするからね。ああ実に風雅なものだよ。としきりに支那人を賞めている。余はポッケットからゼムを出して呑んだ。         十  政樹公が大連の税関長になっていると聞いてちょっと驚いた。政樹公には十年前上海で出逢ったきりである。その時政樹公は、サー・ロバート・ハートの子分になって、やはりそこの税関に勤務していた。政樹公の大学を卒業したのは余より二年前で、二人共同じ英文科の出身だから、職業違いであるにかかわらず、比較的縁が近いのである。  政樹公の姓は立花と云って柳川藩だから、立派な御侍に違ない。それをなぜ立花さんと云わないで、政樹公と呼ぶかと云うに、同じ頃同じ文科に同藩から出た同姓の男がいた。しかも双方共寄宿舎に這入っていたものだから、立花君や立花さんでは紛れやすくていけない。で一方は政樹という名だから政樹公と呼び、一方は銑三郎という俗称だから銑さん銑さんと云った。なぜ片っ方が公なのに、片っ方はさんづけにされてしまったのか、ちょっと分らない。銑さんの方は、余と前後して洋行したが、不幸にして肺病に罹って、帰り路に香港で死んでしまった。そこで残るは政樹公ばかりになった。したがって政樹公をやめて立花君と云ったって、少しも混雑はしないのだが、つい立花よりは政樹公の方が先へ出る。やっぱり中村とも総裁とも云わないで是公と云い馴れたようなものだろう。  ここだと云うので、二人馬車を下りて税関に這入って見ると、あいにく政樹公は先刻具合が悪いとかで家へ帰った後であった。こっちの都合もあるし、所労の人に迷惑をかけるのも本意でないから、他日を期して税関を出た。すると今度は馬車が満鉄の本社へ横づけになった。広い階子段を二階へ上がって、右へ折れて、突き当りをまた左へ行くと、取付が重役の部屋である。重役は東京に行ってるもののほかは皆出ていた。それに一々紹介された。その中で昔見た田中君の顔を覚えていた。どうです始めて大連に御着きになった時の感想はと聞かれるから、そうです船から上がってこっちへ来る所は、まるで焼迹のようじゃありませんかと、正直な事を答えると、あすこはね、軍用地だものだから建物を拵える訳に行かないんで、誰もそう云う感じがするんですと教えられた。  しばらく椅子に腰を掛けて、おとなしく執務の様子を見ていると、じき午になった。さあ飯を食おうと、食堂へ案内された。ここへと云う席へ坐って、サーヴィエットを取り上げると、給仕が来て、それは国沢さんのですから、ただいま新しいのを持って参りますと云った。食堂は社の表二階にあたる大広間で、晩になれば、それが舞踏室に変化するほどの大きなものであった。これは社員全体に向って公開してあるのだそうだが、同じ食卓に着いた人の数を云うと、約三十人に過ぎなかった。この人数から推して、あるいは制限でもありはせぬのかと思ったのは余の想像に過ぎなかった。  料理は大和ホテルから持って来るのだそうで、同席の三十余人が、みな一様の皿を平らげていた。胃が痛いので肉刀と肉匙は人並に動かしたようなものの、その実は肉も野菜も咽喉の奥へ詰め込んだ姿である。一つどうですと向う側の田中君から瓢箪形の西洋梨を勧られた時は、手を出す勇気すらなかった。         十一  河村調査課長の前へ行って挨拶をすると、河村さんは、まあおかけなさいと椅子を勧めながら、何を御調べになりますかと叮嚀に聞かれる。何を調べるほどの人間でもないんだから、この問に逢った時は実は弱った。先刻重役室へ河村さんが這入って来たとき、是公が余を紹介して、河村さん満鉄の事業の種類その他について、あとでこの男にすっかり説明してやって下さいと云ったのが本で、とうとう余は調査課へ来るような訳になったものの、その実世間の知るごとき人間なんだから、こう真面目に、どう云う方面の研究をやる気かと尋ねられるとはなはだ迷ついてしまう。そうかと云って、けっして悪気があって冷かしに来た次第でない事もまた、世間の知る通りなんだから、河村さんに対して敬意を失するような冗談は云えた義理のものでない。やむをえず、しかつめらしい顔をして、満鉄のやっているいろいろな事業一般について知識を得たいと述べた。――何でも述べたつもりである。固より内心に確乎たる覚悟があって述べる事でないんだから、顔だけはしかつめらしいが、述べる事の内容は、すこぶる赤毛布式に縹緲とふわついていたに違ない。ただ今から顧みても、少し得意なのは、その時余の態度挙動は非常に落ちついて、魂がさも丹田に膠着しているかのごとく河村さんには見えたろうという自覚である。人を欺し終せて知らん顔をしているのは善くない事だから、ここで全く懺悔してしまうが、実を云うと、その時は胃がしくしく痛んで、言葉に抑揚をつけようにも、声に張りを見せようにも、身体に活気を漲ぎらせようにも、とうてい自己が自己以上に沈着してしまって、一寸もあがきが取れなかったのである。  そこへ大きな印刷ものが五六冊出て来た。一番上には第一回営業報告とある。二冊目は第二回で、三冊目は第三回で、四冊目は第四回の営業報告に違ない。この大冊子を机の上に置いて、たいていこれで分りますがねと河村さんが云い出した時は、さあ大変だと思った。今この胃の痛い最中にこの大部の営業報告を研究しなければすまない事になっては、とうてい持ち切れる訳のものではない。余はまだ営業報告を開けないうちに、早速一工夫してこう云った。――私は専門家でないんですから、そう詳い事を調査しても、とても分りますまいと思いますので、ただ諸君がいろいろな方面でどんな風に働いていられるか、ざあっとその状況を目撃さしていただけばたくさんですから、縦覧すべき箇所を御面倒でもちょっと書いて下さいませんか。  河村さんははあそうですかと、気軽にすぐ筆を執ってくれた。ところへどこからか突然妙な小さな男があらわれて、やあと声をかけた。見ると股野義郎である。昔「猫」を書いた時、その中に筑後の国は久留米の住人に、多々羅三平という畸人がいると吹聴した事がある。当時股野は三池の炭坑に在勤していたが、どう云う間違か、多々羅三平はすなわち股野義郎であると云う評判がぱっと立って、しまいには股野を捕まえて、おい多々羅君などと云うものがたくさん出て来たそうである。そこで股野は大いに憤慨して、至急親展の書面を余に寄せて、是非取り消してくれと請求に及んだ。余も気の毒に思ったが、多々羅三平の件をことごとく削除しては、全巻を改板する事になるから、簡潔明瞭に多々羅三平は股野義郎にあらずと新聞に広告しちゃいけないかと照会したら、いけないと云って来た。それから三度も四度も猛烈な手紙を寄こしたあとで、とうとうこう云う条件を出した。自分が三平と誤られるのは、双方とも筑後久留米の住人だからである。幸い、肥前唐津に多々羅の浜と云う名所があるから、せめて三平の戸籍だけでもそっちへ移してくれ。これだけは是非御願するとあったんで、余はとうとう三平の方を肥前唐津の住人に改めてしまった。今でも「猫」を御読みになれば分る。肥前の国は唐津の住人多々羅三平とちゃんと訂正してある。  こう云う訳で余と因縁の浅からざる股野に、ここでひょっくり出逢うとは全く思いがけなかった。しかも、その家へ呼ばれて御馳走になったり、二三日間朝から晩まで懇切に連れて歩いて貰ったり、昔日の紛議を忘れて、旧歓を暖める事ができたのは望外の仕合である。実を云うと、余は股野がまだ撫順にいる事とばかり思っていた。  余は大連で見物すべき満鉄の事業その他を、ここで河村さんと股野に、表のような形に拵えて貰った。         十二  腹がしきりに痛むので、寝室へ退いて、長椅子の上に横になっていると、窓を撲つ雨の音がしだいに繁くなった。これじゃ舞踏会に行く連中も、だいぶ御苦労様な事になったものだと思って、ポッケットから招待状を出して寝ながら、また眺めて見た。絵葉書ぐらいの大きさの厚紙の一面には、歌麿の美人が好い色に印刷されている。一面には中村是公同夫人連名で、夏目金之助を招待している。よくこんなものを拵える時間があったなと感心して、うとうとしかけたところへ、ボーイ頭が来て、ただいま総裁からの電話で、今夜舞踏会へおいでになるか伺えと云う事でございますがと云うから、行かないと返事をしてくれと頼んで、本当に寝てしまった。眼が覚めたら雨はいつの間にか歇んで、奇麗な空が磨き上げたように一色に広く見える中に、明かな月が出ていた。余は硝子越にこの大きな色を覗いて、思わず是公のために、舞踏会の成功を祝した。  後で本人に聞いて見ると、是公はその夜舞踏の済んだ後で、多数の亜米利加士官と共に倶楽部のバーに繰り込んだのだそうだ。そこで、士官連が是公に向って、今夜の会は大成功であるとか、非常に盛であったとか、口々に賛辞を呈したものだから、是公はやむをえず、大声を振り絞って gentlemen! と叫んだ。すると今までがやがや云っていた連中が、総裁の演説でも始まる事と思って、一度に口を閉じて、満場は水を打ったように静かになった。是公は固よりゼントルメンの後を何とかつけなければならない。ところがゼントルメン以外の英語があいにく一言も出て来なかった。英語と云う英語は頭の底からことごとく酒で洗い去られてしまっているので、仕方なしに、急に日本語に鞍換をして、ゼントルメンの次へもってきて、すぐ大いに飲みましょうと怒鳴った。ゼントルメン大いに飲みましょうは、たいていの亜米利加人に通じる訳のものではないが、そこがバーのバーたるところで、ゼントルメン大いに飲みましょうとやるや否や、士官連がわあっと云って主人公を胴上にしたそうである。  明治二十年の頃だったと思う。同じ下宿にごろごろしていた連中が七人ほど、江の島まで日着日帰りの遠足をやった事がある。赤毛布を背負って弁当をぶら下げて、懐中にはおのおの二十銭ずつ持って、そうして夜の十時頃までかかって、ようやく江の島のこっち側まで着いた事は着いたが、思い切って海を渡るものは誰もなかった。申し合せたように毛布に包まって砂浜の上に寝た。夜中に眼が覚めると、ぽつりぽつりと雨が顔へあたっていた。その上犬が来て真水英夫の脚絆を啣えて行った。夜が白んで物の色が仄に明るくなった頃、御互の顔を見渡すと、誰も彼も奇麗に砂だらけになっている。眼を擦ると砂が出る。耳を掘くると砂が出る。頭を掻いても砂が出る。七人はそれで江の島へ渡った。その時夜明けの風が島を繞って、山にはびこる樹がさあと靡いた。すると余の傍に立っていた是公が何と思ったものか、急にどうだ、あの樹を見ろ、戦々兢々としているじゃないかと云った。  草木の風に靡く様を戦々兢々と真面目に形容したのは是公が嚆矢なので、それから当分の間は是公の事を、みんなが戦々兢々と号していた。当人だけは、いまだに戦々兢々で差支えないと信じているかも知れないんだから、ゼントルメン大いに飲みましょうも、この際亜米利加語として士官側に通用したと心得ているんだろう。通じた証拠には胴上にしたじゃないかくらい、酔うと云いかねない男である。         十三  昨夕は川崎造船所の須田君からいっしょに晩食でも食おうと云う案内があったが、例のごとく腹が痛むので、残念ながら辞退して、寝室で肉汁を飲んで寝てしまった。朝起きるや否や、もう好かろうと思って、腹の近所へ神経をやって、探りを入れて見ると、やッぱり変だ。何だか自分の胃が朝から自分を裏切ろうと工んでいるような不安がある。さてどこが不安だろうと、局所を押えにかかると、どこも応じない。ただ曇った空のように、鈍痛が薄く一面に広がっている。苦い顔をして食堂へ下りて飯をすましてまた室へ帰ってぼんやりしていると、河村さんが戸口まで来て、今夜満鉄のものが主人役になってあなたがた二三名を扇芳亭へ招待したいからと云う叮嚀な御挨拶である。どうもせっかくですが、実はこれこれでと断ると、そうですか、実は総裁も今夜は所労で出られませんと答えて帰られた。  河村君が帰るや否や股野が案内もなくやって来た。今日は襟の開いた着物を着て、ちゃんと白い襯衣と白い襟をかけているから感心した。股野と少し話しているところへ、また御客があらわれた。ボイの持って来た名刺には東北大学教授橋本左五郎とあったので、おやと思った。  橋本左五郎とは、明治十七年の頃、小石川の極楽水の傍で御寺の二階を借りていっしょに自炊をしていた事がある。その時は間代を払って、隔日に牛肉を食って、一等米を焚いて、それで月々二円ですんだ。もっとも牛肉は大きな鍋へ汁をいっぱい拵えて、その中に浮かして食った。十銭の牛を七人で食うのだから、こうしなければ食いようがなかったのである。飯は釜から杓って食った。高い二階へ大きな釜を揚げるのは難義であった。余はここで橋本といっしょに予備門へ這入る準備をした。橋本は余よりも英語や数字において先輩であった。入学試験のとき代数がむずかしくって途方に暮れたから、そっと隣席の橋本から教えて貰って、その御蔭でやっと入学した。ところが教えた方の橋本は見事に落第した。入学をした余もすぐ盲腸炎に罹った。これは毎晩寺の門前へ売りに来る汁粉を、規則のごとく毎晩食ったからである。汁粉屋は門前まで来た合図に、きっと団扇をばたばたと鳴らした。そのばたばた云う音を聞くと、どうしても汁粉を食わずにはいられなかった。したがって、余はこの汁粉屋の爺のために盲腸炎にされたと同然である。  その後左五は――当時余等は橋本を呼んで、左五左五と云っていた。実際彼は岡山の農家の生れであった。――左五はその後追試験に及第したにはしたが、するかと思うとまた落第した。そうして、何だ下らないと云って北海道へ行って農学校へ這入ってしまった。それから独逸へ行った。独逸へ行って、いつまで経っても帰らない。とうとう五年か六年かいた。つまり留学期限の倍か倍以上も向うで暮した事になる、その費用はどうして拵えたものかとんと分らない。  この橋本が不思議にも余より二三月前に満鉄の依頼に応じて、蒙古の畜産事状を調査に来て、その調査が済んで今大連に帰ったばかりのところへ出っ食わしたのである。顔を見ると、昔から慓悍の相があったのだが、その慓悍が今蒙古と新しい関係がついたため、すこぶる活躍している。闥を排して這入って来るや否や、どうだ相変らず頑健かねと聞かざるを得なかったくらいである。         十四  ええまあ相変らずでと、橋本は案に相違した落ちつき方である。昔予備門に這入って及第だとか落第だとか騒いでいた時分にはけっしてこう穏かじゃなかった。彼の鼻の先が反返っているごとく、彼は剽軽でかつ苛辣であった。余はこの鼻のためによく凹まされた事を記憶している。  その頃は大勢で猿楽町の末富屋という下宿に陣取っていた。この同勢は前後を通じると約十人近くあったが、みんな揃いも揃った馬鹿の腕白で、勉強を軽蔑するのが自己の天職であるかのごとくに心得ていた。下読などはほとんどやらずに、一学期から一学期へ辛うじて綱渡りをしていた。英語は教場であてられた時に、分らない訳を好い加減につけるだけであった。数学はできるまで塗板の前に立っているのを常としていた。余のごときは毎々一時間ぶっ通しに立往生をしたものだ。みんなが代数書を抱えて今日も脚気になるかなど云っては出かけた。  こう云う連中だから、大概は級の尻の方に塊まって、いつでも雑然と陳列されていた。余のごときは、入学の当時こそ芳賀矢一の隣に坐っていたが、試験のあるたんびに下落して、しまいには土俵際からあまり遠くない所でやっと踏み応えていた。それでも、みんな得意であった。級の上にいるものを見て、なんだ点取がと云って威張っていたくらいである。そうして、稍ともすると、我々はポテンシャル・エナージーを養うんだと云って、むやみに牛肉を喰って端艇を漕いだ。試験が済むとその晩から机を重ねて縁側の隅へ積み上げて、誰も勉強のできないような工夫をして、比較的広くなった座敷へ集って腕押をやった。岡野という男はどこからか、玩具の大砲を買って来て、それをポンポン座敷の壁へ向って発射した。壁には穴がたくさん開いた。試験の成績が出ると、一人では恐いからみんなを駆り催して揃って見に行った。するとことごとく六十代で際どく引っ掛っている。橋本は威勢の好い男だから、ある時詩を作って連中一同に示した。韻も平仄もない長い詩であったが、その中に、何ぞ憂えん席序下算の便と云う句が出て来たので、誰にも分らなくなった。だんだん聞いて見ると席序下算の便とは、席順を上から勘定しないで、下から計算する方が早分りだと云う意味であった。まるで御籤みたような文句である。我々はみんなこの御籤にあたってひやひやしていた。  そのうち下算にも上算にもまるで勘定に這入らないものが、ぽつぽつできて来た。一人消え、二人消えるうちに橋本がいた。是公がいた。こう云う自分もいた。大連で是公に逢って、この落第の話が出た時、是公は、やあ、あの時貴様も落第したのかな。そいつは頼母しいやと大いに嬉しがるから、落第だって、落第の質が違わあ。おれのは名誉の負傷だと答えておいた。  是公だの、余だの、今の旅順の警視総長だのが落ちながら、ぶら下がっている間に、左五だけは決然として北海道へ落ち延びたのである。その落第の張本とも云うべき彼が、いくら年を取ったって、かほどに慇懃になろうとは思いも寄らぬ事であった。今日は午後から満鉄の社へ行って、蒙古旅行に関する話をするんだと云っている。         十五  河村さんの書いてくれた表を見ると、娯楽機関という題目のもとに、倶楽部とか会とか名のつくものが十ばかり並べてある。中にはゴルフ会だの、ヨット倶楽部だのと、名前からして洒落たのさえ、ちらほら見える。ヨット倶楽部の下に(ただし一艘)と括弧で註がついているのは、新設だからまだ一艘しかないという意味なんだろう。  参観すべき場所と云う標題のもとには、山城町の大連医院だの、児玉町の従業員養成所だの近江町の合宿所だの、浜町の発電所だの、何だのかだのみんなで十五六ほどある。なるほどこれでは大連に一週間ぐらいいなければ、満鉄の事業も一通り観る訳に行かないと云われるはずだ。しかも是公は是非共万遍なくよく観て行かなくっちゃいけないよと命令的に注意するんだから、容易じゃない。その上よく観て、何でも気がついた事があるなら、そう云いなさいと、あたかも余を視察家扱にするんだからなおさら痛み入る。余は手に持った表に一通り眼を通しながら、傍にいる股野に、おい少し出て見るかなと云った。股野は固より余を連れて、大連中ぐるぐる引き廻す気で来ている。もっとも別段社からつけてくれたという訳じゃないんだが、本人の特志で社の用事をすっぽかす了見らしい。そうしていつの間にか、ホテルへ馬車を云いつけている。  余は股野と相乗りで立派な馬車を走らして北公園に行った。と云うと大層だが、車の輪が五六度回転すると、もう公園で、公園に這入ったかと思うと、もう突き抜けてしまった。それから社員倶楽部と云うのに連れて行かれて、謡の先生の月給が百五十円だと云う事を聞いて、また馬車へ乗って、今度は川崎造船所の須田君の所の工場を外から覗き込んで、すぐ隣の事務所に這入って、須田君に昨日の御礼を述べた。事務所の前がすぐ海で、船渠の中が蒼く澄んでいる。あれで何噸ぐらいの船が這入りますかと聞いたら、三千噸ぐらいまでは入れる事ができますという須田君の答であった。船渠の入口は四十二尺だとか云った。余は高い日がまともに水の中に差し込んで、動きたがる波を、じっと締めつけているように静かな船渠の中を、窓から見下しながら、夏の盛りに、この大きな石で畳んだ風呂へ這入って泳ぎ回ったらさぞ結構だろうと思った。  今度はどこだと股野に聞いて見ると、今度は電気の工場へ行きましょうという事である。鉄嶺丸が大連の港へ這入ったときまず第一に余の眼に、高く赤く真直に映じたものはこの工場の煙突であった。船のものはあれが東洋第一の煙突だと云っていた。なるほど東洋第一の煙突を持っているだけに、中へ這入ると、凄じいものである。その一部分では、天井を突き抜いて、青空が見えるようにして、四方の壁を高く積み上げていた。屋根の高さを増す必要があっての事だろうが、青空が煉瓦の上に遠く見えるばかりか、尋常の会話はとうてい聞えないくらいに、恐ろしい音が響いている中に、塵を浴びて立った時は、妙な心持がした。ある所は足の下も掘り下げて、暗い所にさまざまの仕掛が猛烈に活動していた。工業世界にも、文学者の頭以上に崇高なものがあるなと感心して、すぐその棟を飛び出したくらいである。詮ずるに要領はただ凄まじい音を聞いて、同じく凄まじい運動を見たのみである。  股野はその間を馳け回って、おい誰さんはいないかねと、しきりに技師を探していた。技師は股野に捕まるほど閑でなかったと見えて、とうとう見当らなかった。         十六  今日は化物屋敷を見て来たと云うと、田中君が笑いながら、夏目さん、なぜ化物屋敷というんだか訳を知っていますかと聞いた。余は固より下級社員合宿所の標本として、化物屋敷の中を一覧したまでで、化物の因縁はまだ詮議していなかった。けれども化物屋敷はこれだと云われた時には、うんそうかと云って、少しも躊躇なく足を踏込んだ。なぜそんな恐ろしい名が、この建物に付纏っているのかと、立ちどまって疑って見る暇も何もなかった。いわゆる化物屋敷はそれほど陰気にでき上がっていた。でき上ったというと新規に拵えた意味を含んでいるから、この建築の形容としては、むしろ不適当であるかも知れない。化物屋敷はそのくらい古い色をしている。壁は煉瓦だろうが、外部は一面の灰色で、中には日の透りそうもない、薄暗い空気を湛えるごとくに思われた。  余はこの屋敷の長い廊下を一階二階三階と幾返か往来した。歩けば固い音がする。階段を上るときはなおさらこつこつ鳴った。階段は鉄でできていた。廊下の左右はことごとく部屋で、部屋という部屋は皆締め切ってあった。その戸の上に、室の所有者の標札がかかっている。烈しい光線に慣れた眼で、すぐその標札を読もうとすると、判然読めないくらい廊下は暗かった。余はちょっと立ちどまって室の中を見る訳には行かないのかなと股野に聞いて見た。股野はすぐ持っていた洋杖で右手の戸をとんと叩いた。しかしはいとも、這入れとも応えるものはなかった。股野はまた二番目の戸をとんとん叩いた。これも中はしんとしている。股野は毫も辟易した気色なく無遠慮にそこいら中こつこつ叩いて歩いたが、しまいまで人気のする室には打つからなかった。あたかも立ち退いた町の中を歩いているような感じがした。三階に来た時、細い廊下の曲り角で一人の女が鍋で御菜を煮ているのに出逢った。そこには台所があった。化物屋敷では五六軒寄って一つの台所を持っているのだそうだ。御神さん水は上にありますかと尋ねたら、いえ下から汲んで揚げますと答えた。余はこの暗い町内に、便所がどこにいくつあるか不審に思ったが、つい聞きもせず、女の前を行き過ぎて通ろうとすると、そっちは行きどまりでございますと注意された。道理で真闇であった。  田中君の話によると、この建物は日露戦争の当時の病院だとか云う事である。戦争が烈しくなって、負傷者の数が増して来るに従って、収容した人間に充分の手当ができないばかりでなく、気の毒ながら見殺しにしなければならない兵士がたくさんにできて、それらの創口から出る怨みの声が大連中に響き渡るほど凄じかったので、その以後はこの一廓を化物屋敷と呼ぶようになった。しかし本当だか嘘だか実は僕も保証しないと、田中君自身が笑っていたから、余はなおさら保証しない。  ただ満鉄の重役が始めて大連に渡ったとき、この化物屋敷に陣を構えた事だけは事実である。その時この建物は化物さえ住みかねるほどに荒れ果てて、残焼家屋として、骸骨のごとくに突っ立っていたそうである。陣取った連中は死物狂で、天候と欠乏と不便に対して戦後の戦争を開始した。汽車の中で炭を焚いて死に損なったり、貨車へ乗って、カンテラを点けて用を足そうとすると、そのカンテラが揺ぶれてすぐ消えてしまったり、サイホンを呑むと二三滴口へ這入るだけであとはすぐ氷の棒に変化したり、すべてが探険と同様であった。 「清野が毛織の襯衣を半ダース重ねて着たのは彼時だよ」 「清野は驚いて、あれっきりやって来ない」  余は田中君と是公がこんな話をするのを聞いて、つい化物屋敷の事を忘れてしまった。         十七  三階へ上って見ると豆ばかりである。ただ窓際だけが人の通る幅ぐらいの床になっている。余は静かに豆と壁の間をぐるぐる廻って歩いた。気をつけないと、足の裏で豆を踏み潰す恐れがある上に、人のいない天井裏を無益に響かすのが苦になったからである。豆は砂山のごとく脚下に起伏している。こちらの端から向うの端まで眺めて見ると、随分と長い豆の山脈ができ上っていた。その真中を通して三カ所ほどに井桁に似た恰好の穴が掘ってある。豆はその中から断えず下へ落ちて行って、平たく引割られるのだそうだ。時々どさっと音がして、三階の一隅に新しい砂山ができる。これはクーリーが下から豆の袋を背負って来て、加減の好い場所を見計らって、袋の口から、ばらに打ち撒けて行くのである。その時はぼうと咽るような煙が立って、数え切れぬほどの豆と豆の間に潜んでいる塵が一度に踊り上る。  クーリーはおとなしくて、丈夫で、力があって、よく働いて、ただ見物するのでさえ心持が好い。彼等の背中に担いでいる豆の袋は、米俵のように軽いものではないそうである。それを遥の下から、のそのそ背負って来ては三階の上へ空けて行く。空けて行ったかと思うとまた空けに来る。何人がかりで順々に運んでくるのか知れないが、その歩調から態度から時間から、間隔からことごとく一様である。通り路は長い厚板を坂に渡して、下から三階までを、普請の足場のように拵えてある。彼等はこの坂の一つを登って来て、その一つをまた下りて行く。上るものと下りるものが左右の坂の途中で顔を見合せてもほとんど口を利いた事がない。彼等は舌のない人間のように黙々として、朝から晩まで、この重い豆の袋を担ぎ続けに担いで、三階へ上っては、また三階を下るのである。その沈黙と、その規則ずくな運動と、その忍耐とその精力とはほとんど運命の影のごとくに見える。実際立って彼等を観察していると、しばらくするうちに妙に考えたくなるくらいである。  三階から落ちた豆が下へ回るや否や、大きな麻風呂敷が受取って、たちまち釜の中に運び込む。釜の中で豆を蒸すのは実に早いものである。入れるかと思うと、すぐ出している。出すときには、風呂敷の四隅を攫んで、濛々と湯気の立つやつを床の上に放り出す。赤銅のような肉の色が煙の間から、汗で光々するのが勇ましく見える。この素裸なクーリーの体格を眺めたとき、余はふと漢楚軍談を思い出した。昔韓信に股を潜らした豪傑はきっとこんな連中に違いない。彼等は胴から上の筋肉を逞しく露わして、大きな足に牛の生皮を縫合せた堅い靴を穿いている。蒸した豆を藺で囲んで、丸い枠を上から穿めて、二尺ばかりの高さになった時、クーリーはたちまちこの靴のまま枠の中に這入って、ぐんぐん豆を踏み固める。そうして、それを螺旋の締棒の下に押込んで、把をぐるぐると廻し始める。油は同時に搾られて床下の溝にどろどろに流れ込む。豆は全くの糟だけになってしまう。すべてが約二三分の仕事である。  この油が喞筒の力で一丈四方もあろうという大きな鉄の桶に吸上げられて、静に深そうに淀んでいるところを、二階へ上がって三つも四つも覗き込んだときには、恐ろしくなった。この中に落ちて死ぬ事がありますかと、案内に聞いたら、案内は平気な顔をして、まあ滅多に落ちるような事はありませんねと答えたが、余はどうしても落ちそうな気がしてならなかった。  クーリーは実にみごとに働きますね、かつ非常に静粛だ。と出がけに感心すると、案内は、とても日本人には真似もできません。あれで一日五六銭で食っているんですからね。どうしてああ強いのだか全く分りませんと、さも呆れたように云って聞かせた。         十八  股野が先生私の宅へ来なさらんか、八畳の間が空いています、夜具も蒲団もあります。ホテルにいるより呑気で好いでしょうと親切に云ってくれる。何でも股野の家の座敷からは、大連が一目に見渡されるのみならず、海が手に取るように眺められるのみならず、海の向うに連なる突兀極まる山脈さえ、坐っていると、窓の中に向うから這入って来てくれるという重宝な家なんだそうである。  始めのうちは股野の自慢を好加減に聞き流して、そうかそうかと答えていたが、せっかくの好意ではあるし、もともと気の多い男だから、都合によっては少し厄介になっても好いぐらいに思って、ついでの時是公にこの話をすると、そんな所へ行っちゃいかんとたちまち叱られてしまった。もしホテルが厭なら、おれの宅へ来い、あの部屋へ入れてやるからと云うんで、書斎の次の畳の敷いてある間を見せてくれるんだが、別に西洋流の宿屋に愛想をつかした訳でもないんだから、じゃ厄介になろうとも云わなかった。  是公は書斎の大きな椅子の上に胡坐をかいて、河豚の干物を噛って酒を呑んでいる。どうして、あんな堅いものが胃に収容できるかと思うと、実に恐ろしくなる。そうこうする内に、おいゼムを持っているなら少しくれ、何だかおれも胃が悪くなったようだと手を出した。そうして、胃が悪いときは、河豚の干物でも何でも、ぐんぐん喰って、胃病を驚かしてやらなければ駄目だ。そうすればきっと癒ると云った。酔っていたに違ない。  余はポッケットから注文の薬を出して相手にあてがった。これは二三日前是公といっしょに馬車に乗って、市中を乗り廻した時、是公の御者から二十銭借りて大連の薬屋で買ったものである。その時は是公の御者に対する態度のすこぶる叮嚀なのに気がついて少しく驚かされた。君ちょっとそこいらの薬屋へ寄って、ゼムを買ってやって下さいと云うんだから非凡である。  君は御者に対して叮嚀過ぎるよと忠告してやったら、うんあの時の二十銭をまだ払わなかったっけと思い出したように河豚の干物をまた噛っていた。  是公の御者には廿銭借があるだけだが、その別当に至っては全く奇抜である。第一日本人じゃない。辮髪を自慢そうに垂らして、黄色の洋袴に羅紗の長靴を穿いて、手に三尺ほどの払子をぶら下げている。そうして馬の先へ立って駆ける。よくあんな紳士的な服装をして汗も出さずに走られる事だと思うくらいに早く走ける。もっとも足も長かった。身の丈は六尺近くある。  別当と御者はこのくらいにしてまた股野にかえるが、余は是公に叱られたため、とうとう股野の家へは移らなかった。けれども遊びには行った。なるほど小山の上に建てられた好い社宅である。もっとも一軒立ではない。長い棟がいくつも灰色に並んでいるうちの一番はずれの棟の、一番最後の番号のその二階が彼の家族の領分であった。岡の下から見ると、まるで英国の避暑地へ行ったようだとある西洋人が評したほど、外部は厚い壁で洋式にできているが、中には日本の香がする奇麗な畳が敷いてあった。なるほど景色が好い。大連の市街が見える、大連の海が見える、大連の向うの山が見える。股野の家にはもったいないくらいである。余はそこで村井君に逢って、股野の細君に逢って、手厚い御馳走になって帰った。         十九  支那の宿屋を一つ見ましょうと云いながら、股野は路の左側にある戸を開けて中へ這入った。そこには日本人が三人ほど机を並べて事務を執っていた。股野はそのうちの紺の洋服を着た人を捕まえて、話を始めた。君ここは宿屋だろうと聞いている。宿屋じゃないよと立ちながら返事をしている。何だか様子が変になって来た。やがて余はこの紺服の人に紹介された。紹介されて見ると、これは商業学校出の谷村君で、無論旅屋の亭主ではなかった。谷村君はこの地で支那人と組んで豆の商売を営んでいる。したがって取引上の必要があって、奥の方から大連へ出て来る豆の荷主と接触しなければならないのだが、こっちの習慣として、こう云う荷主はけっして普通の旅籠を取らない。出て来ればきっと取引先へ宿って、用の済むまではいつまででもそこに滞在している。しかもその数は一人や二人ではない。したがって谷村君の奥座敷は一種の宿屋みたような組織にできている。  じゃその奥座敷をちょっと拝見できますかと云うと、谷村君はさあさあと自分から席を離れて、快よく案内に立たれる。余は谷村君の後へ追いて事務室の裏へ出た。股野も食付いて出た。裏は真四角な庭になっている。無論樹も草も花も見当らない、ただの平たい場所である。そこを突き抜けた正面の座敷が応接間であった。応接間の入口は低い板間で、突当りの高い所に蒲団が敷いてある。その上に腰をかけて談判をするのだそうだが、横着な事には大きな括枕さえ備えつけてある。しかし肱を突くためか、頭を載せるためかは聞き糺して見なかった。彼等は談判をしながら阿片を飲む。でなければ煙草を吸う。その煙管は煙管と云うよりも一種の器械と評した方が好いくらいである。錫の胴に水を盛って雁首から洩れる煙がこの水の中を通って吸口まで登ってくる仕掛なのだから、慣れないうちは水を吸い上げて口中へ入れる恐れがある。一服やって御覧なさいと勧められたから、やって見たが、ごぼごぼ音がしてまるで脂を呑むような心持がした。  二階が荷主の室だと云うんで、二階へ上って見ると、なるほど室がたくさん並んでいる。その中の一つでは四人で博奕を打っていた。博奕の道具はすこぶる雅なものであった。厚みも大きさも将棋の飛車角ぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた。その札は磨いた竹と薄い象牙とを背中合せに接いだもので、その象牙の方にはいろいろの模様が彫刻してあった。この模様の揃った札を何枚か並べて出すと勝になるようにも思われたが、要するに、竹と象牙がぱちぱち触れて鳴るばかりで、どこが博奕なんだか、実はいっこう解らなかった。ただこの象牙と竹を接ぎ合わした札を二三枚貰って来たかった。  一つの室では五六人寄って、そのうちの一人が笛を吹くのを聞いていた。幕を開けて首を出したら、ぱたりと笛を歇めてしまった。また吹き始めるかと思って、しばらく室の中に立っていたが、とうとう吹かなかった。室の中には妙な書が麗々と壁に貼りつけてある。いずれも下手いものだのに、何々先生のために何々書すと云ったようにもったいぶったのばかりであった。股野が何か云うと、向うの支那人も何か云う。しかし両方の云う事は両方へ通じないようである。         二十  波止場から上って真直に行くと、大連の町へ出る。それを真直に行かずに、すぐ左へ折れて長い上屋の影を向うへ、三四町通り越した所に相生さんの家がある。西洋館の二階を客間にして古い仏像やら鏡やら銅器陶器の類を奇麗に飾っているから、客間を見ただけではただ一通りの風流人としか見えない。相生さんは満鉄の社員として埠頭事務所の取締である。  もっと卑近な言葉で云うと、荷物の揚卸に使われる仲仕の親方をやっている。かつて門司の労働者が三井に対してストライキをやったときに、相生さんが進んでその衝に当ったため、手際よく解決が着いたとか云うので、満鉄から仲仕の親分として招聘されたようなものである。実際相生さんは親分気質にでき上っている。満鉄から任用の話があったとき、子供が病気で危篤であったのに、相生さんはさっさと大連へ来てしまった。来て一週間すると子供が死んだと云う便りがあった。相生さんは内地を去る時、すでにこの悲報を手にする覚悟をしていたのだそうだ。  相生さんは大連に来るや否や、仲仕その他すべて埠頭に関する事務を取り扱う連中を集めてここに一部落を築き上げた。相生さんの家を通り越すと、左右に並んでいる建物は皆自分の経営になったものばかりである。その中には図書館がある。倶楽部がある。運動場がある。演武場がある。部下の住宅は無論ある。  倶楽部では玉を突いていた。図書館には沙翁全集があった。ポルグレーヴの経済字彙があった。余の著書も二三冊あった。  ここは柔道の道場に使っていますが、時によると講談をやったり演説をやったりしますと云う相生さん自身の説明について、中を覗き込むと、なるほど道場にはちょうど好い建物がある。その奥に高座ができていて、いつでも寄席もしくは講演を開くような設備もある。講演てどんな講演ですかと聞き返したら、相生さんは、まあ内地から来られた人だとか何とかいうのを頼んでやりますと答えられた。ことによると、遠からぬうちに捕まって、ここへ引っ張り出されはしまいかと、その時すぐ気がついたが、真逆私はどうぞ廃しにして下さいと、頼まれもしないうちに断るのも失礼だと思って、はあなるほどと首肯いて通り過ぎた。  最後にもっとも長い二階建の一棟の前に出た。これが共同生活をやらしている所でと、相生さんが先へ這入る。中は勧工場のように真中を往来にして、同く勧工場の見世に当る所を長屋の上り口にしてある。だから長屋と長屋とは壁一重で仕切られながら、約一丁も並んでいるばかりか、三尺の往来を越すとすぐ向うの家になる。上り口を枕にして寝れば、吸付莨のやり取りぐらいはできるほど近い。相生さんが先へ立って、この狭い往来を通ると、裁縫をしたり、子供を寝かしたりしている神さん達が、みんな叮嚀に挨拶をする。しかし中には気がつかずに何か話しているのも見える。  この部落に住んでいる人間が総がかりになった上に、その何十倍か何百倍のクーリーを使っても、豆の出盛りには持て余すほど荷が後から後からと出てくる。相生さんの話によると、多い時は着荷の量が一日ならし五千噸あるそうである。これがため去年雨期を持ち越した噸数は四万噸で、今年はそれが十五万噸に上ったとか聞いた。  南北千五百尺東西四千二百尺の埠頭の側にこのくらい豆を積んだらずいぶん盛なものだろう。         二十一  旅順から電話がかかってこっちへはいつ来るかという問合わせである。おい誰がかけてくれるんだろうなと橋本に聞いて見ると、橋本はそうだなあと云うだけで要領を得ない。おい名前は分らないのかとやむをえずボイに尋ね返したら、ボイは依然として、ただ民政署だと云ってかけて参りましたと同じ事を繰返している。おおかた友熊だろうぐらいに橋本と二人で見当をつけて返事をさせた。これが白仁長官の好意から出た聞き合せであった事は旅順に着いて後始めて知った。  旅順には佐藤友熊と云う旧友があって、警視総長と云う厳しい役を勤めている。これは友熊の名前が広告する通りの薩州人で、顔も気質も看板のごとく精悍にでき上がっている。始めて彼を知ったのは駿河台の成立学舎という汚ない学校で、その学校へは佐藤も余も予備門に這入る準備のために通学したのであるからよほど古い事になる。佐藤はその頃筒袖に、脛の出る袴を穿いてやって来た。余のごとく東京に生れたものの眼には、この姿がすこぶる異様に感ぜられた。ちょうど白虎隊の一人が、腹を切り損なって、入学試験を受けに東京に出たとしか思われなかった。教場へは無論下駄を穿いたまま上った。もっともこれは佐藤ばかりじゃない。我等もことごとく下駄のままあがった。上草履や素足で歩くような学校じゃないのだから仕方がない。床に穴が開いていて、気をつけないと、縁の下へ落ちる拍子に、向脛を摺剥くだけが、普通の往来より悪いぐらいのものである。  古い屋敷をそのまま学校に用いているので玄関からがすでに教場であった。ある雨の降る日余はこの玄関に上って時間の来るのを待っていると、黒い桐油を着て饅頭笠を被った郵便脚夫が門から這入って来た。不思議な事にこの郵便屋が鉄瓶を提げている。しかも全くの素足である。足袋は無論の事、草鞋さえ穿いていない。そうして、普通なら玄関の前へ来て、郵便と大きな声を出すべきところを、無言のまますたすた敷台から教場の中へ這入って来た。この郵便屋がすなわち佐藤であったので大いに感心した。なぜ鉄瓶を提げていたものかその理由は今日までついに聞く機会がない。  その後佐藤は成立学舎の寄宿へ這入った。そこで賄征伐をやった時、どうした機勢か額に創をして、しばらくの間白布で頭を巻いていたが、それが、後鉢巻のようにいかにも勇ましく見えた。賄に擲られたなと調戯って苛い目に逢ったので今にその颯爽たる姿を覚えている。  佐藤はその頃頭に毛の乏い男であった。無論老朽した禿ではないのだが、まあ土質の悪い草原のように、一面に青々とは茂らなかったのである。漢語でいうと短髪種々とでも形容したら好いのかも知れない。風が吹けば毛の方で一本一本に靡く傾があった。この頭は予備門へ這入っても黒くならなかった。それで皆して佐藤の事を寒雀寒雀と囃していた。当時余は寒雀とはどんなものか知らなかった。けれども佐藤の頭のようなものが寒雀なんだろうと思って、いっしょになってやっぱり寒雀寒雀と調戯った。この渾名を発明した男はその後技師になって今は北海道にいる。  話が前後するようだが、旅順に来て十何年ぶりかに佐藤に逢って、例の頭を注意して見ると、不思議な事に、その頭には万遍なく綿密に毛が生えていた。もっとも黒いのばかりではなかった。近頃は正当防禦のために、こう短く刈っているんだと云って、三分刈の濃い頭を笑いながら掻いて見せた。  旅順から二度目の電話がかかった翌日の朝、橋本と余は、この旧友に逢うため、また日露の戦跡を観るため、大連から汽車に乗った。乗る時、是公が友熊によろしくと云った。是公は何か用事があったと見えて、国沢君と二人で停車場の構内を横切って妙な方角へ向いて歩いて行った。やがて二人の影は物に遮ぎられて、汽車の窓から見えなくなった。そうして満洲に有名な高粱の色が始めて眼底に映じ出した。汽車は広い野の中に出たのである。         二十二  おい旅順に着いたら久しぶりに日本流の宿屋へ泊ろうかと橋本に相談を掛けるとそうだな浴衣を着てごろごろするのも好いねという同意である。橋本は新しく蒙古から帰ったので、しきりに支那宿に降参した話を始めた。その支那宿には、名は塞北に馳せ、味は江南を圧すなどという広告の文字がべたべた壁に貼りつけてあるそうだ。橋本はこう云う文句をたくさん手帳に控えている。ほかに使い路のない文句だものだから、汽車の中で、それを残らず余に読んで聞かせてしまった。二人は笑いながら日本流の奇麗な宿屋を想像して旅順のプラットフォームに降りた。降りるとそこに馬車がある。我々の名前を聞くものがある。  この馬車が民政署の馬車で、我々を尋ねてくれた人が、渡辺秘書であるという事を発見した時は両人ともだいぶ恐縮した。橋本を振り返ると相変らず鼻の先を反らして、台湾パナマだか何だかペコペコになった帽子を被っている。おい宿屋はどうするんだいと小さな声で聞くと、うんそうさなと云ったが、そのうち二人とも馬車へ乗らなければならない段になった。いったい橋本といっしょにあるくときは、何でも橋本が進んで始末をつけてくれる事に昔からきまっているんだからこの際もどうかするだろうと思って放っておいた。すると予想通、日本流の宿屋へ行くつもりで来たんですがと渡辺さんに相談し始めた。ところが渡辺さんはどうも御泊りになられるような日本の宿屋は一軒もありませんから、やっぱり大和ホテルになさった方が好いでしょうと忠告している。  やがて馬車は新市街の方へ向いて動き出した。二人は十五分の後ホテルの二階に導かれて、行き通いのできる室を二つ並べて取った。そこで革鞄の中から刷毛を出して塵だらけの服を払ったあとで、しばらく休息のため安楽椅子に腰をおろして見ると、急に気がついたように四辺が森閑としている。ホテルの中には一人も客がいないように見える。ホテルの外にもいっさい人が住んでいるようには思われない。開廊へ出て往来を眺めると、往来はだいぶ広い。手摺の真下にある人道の石の中から草が生えて、茎の長さが一尺余りになったのが二三本見える。日中だけれども虫の音が微かに聞える。隣は主のない家と見えて、締め切った門やら戸やらに蔦が一面に絡んでいる。往来を隔てて向うを見ると、ホテルよりは広い赤煉瓦の家が一棟ある。けれども煉瓦が積んであるだけで屋根も葺いてなければ窓硝子もついてない。足場に使った材木さえ処々に残っているくらいの半建である。淋しい事には、工事を中止してから何年になるか知らないが、何年になってもこのままの姿で、とうてい変る事はあるまいと云う感じが起る。そうしてその感じが家にも往来にも、美しい空にも、一面に充ちている。余は開廊の手摺を掌で抑えながら、奥にいる橋本に、淋しいなあと云った。旅順の港は鏡のごとく暗緑に光った。港を囲む山はことごとく坊主であった。  まるで廃墟だと思いながら、また室の中に這入ると、寝床には雪のような敷布がかかっている。床には柔かい絨毯が敷いてある。豊かな安楽椅子が据えてある。器物はことごとく新式である。いっさいが整っている。外と内とは全く反対である。満鉄の経営にかかるこのホテルは、固より算盤を取っての儲け仕事でないと云う事を思い出すまでは、どうしても矛盾の念が頭を離れなかった。  食堂に下りて、窓の外に簇がる草花の香を嗅ぎながら、橋本と二人静かに午餐の卓に着いたときは、機会があったら、ここへ来て一夏気楽に暮したいと思った。         二十三  旅順に着いた時汽車の窓から首を出したら、つい鼻の先の山の上に、円柱のような高い塔が見えた。それがあまり高過ぎるので、肩から先を前の方へ突き出して、窮屈に仰向かなくては頂点まで見上げる訳に行かなかった。  馬車が新市街を通り越してまたこの塔の真下に出た時に、これが白玉山で、あの上の高い塔が表忠塔だと説明してくれた。よく見ると高い灯台のような恰好である。二百何尺とかと云う話であった。この山の麓を通り越して、旧市街を抜けると、また山路にかかる。その登り口を少し右へ這入った所に、戦利品陳列所がある。佐藤は第一番にそれを見せるつもりで両人を引張って来た。  陳列所は固より山の上の一軒家で、その山には樹と名のつくほどの青いものが一本も茂っていないのだから、はなはだ淋しい。当時の戦争に従事したと云う中尉のA君がただ独り番をしている。この尉官は陳列所に幾十種となく並べてある戦利品について、一々叮嚀に説明の労を取ってくれるのみならず、両人を鶏冠山の上まで連れて行って、草も木もない高い所から、遥の麓を指さしながら、自分の従軍当時の実歴譚をことごとく語って聞かせてくれた人である。始め佐藤から砲台案内を依頼したときには、今日はちと差支えがあるから四時頃までならと云う条件であったが、山の出鼻へ立って洋剣を鞭の代りにして、あちらこちらと方角を教える段になると、肝心の要事はまるでそっちのけにして、満洲の赤い日が、向うの山の頂に、大きくなって近づくまで帰ろうとは云わなかった。もし忘れたんじゃ気の毒だと思って、こっちから注意すると、何ようございます、構いませんと断りながら、ますます講釈をしてくれる。あんまり不思議だから、全体何の御用事が御有りなのですかと、詮索がましからぬ程度に聞いて見ると、実は妻が病気でと云う返事である。さすが横着な両人も、この際だけは、それじゃ御迷惑でもせっかくだからついでにもう少し案内を願おうと云う気にもなれなかった。言葉は無論出なかった。長い日が山の途中で暮れて、電気の力を借りなければ人の顔が判然分らない頃になって、我々の馬車がようやく旧市街まで戻った時、中尉はある煉瓦塀の所で、それじゃ私はここで失礼しますと挨拶して、馬車から下りて、門の中へ急いで這入って行かれた。この煉瓦の塀を回らした一構は病院であった。そうして中尉の妻君はこの病院の一室に寝ていたのである。  これほど世話になり、面倒を掛けた人の名前を忘れるのははなはだすまん事だが、どうしても思い出せない。佐藤に、よろしくと伝言を頼んだ時は、ただ、あの中尉君と書いた。ここに某中尉などとよそよそしく取り扱うのはあまり失礼だから、やむをえずA君としておいた。  A君の親切に説明してくれた戦利品の一々を叙述したら、この陳列所だけの記載でも、二十枚や三十枚の紙数では足るまいと思うが、残念な事にたいてい忘れてしまった。しかしたった一つ覚えているものがある。それは女の穿いた靴の片足である。地が繻子で、色は薄鼠であった。その他の手投弾や、鉄条網や、魚形水雷や、偽造の大砲は、ただ単なる言葉になって、今は頭の底に判然残っていないが、この一足の靴だけは色と云い、形と云い、いつなん時でも意志の起り次第鮮に思い浮べる事ができる。  戦争後ある露西亜の士官がこの陳列所一覧のためわざわざ旅順まで来た事がある。その時彼はこの靴を一目観て非常に驚いたそうだ。そうしてA君に、これは自分の妻の穿いていたものであると云って聞かしたそうだ。この小さな白い華奢な靴の所有者は、戦争の際に死んでしまったのか、またはいまだに生存しているものか、その点はつい聞き洩らした。         二十四  今までは白馬を着けた佐藤の馬車に澄まして乗っていたが、山へかかるや否や、例の泥だらけの掘出しものの中へ放り込まれてしまった。とうてい普通の馬車では上がれないと云うんだからやむをえない。それでも露西亜人だけあって、眼にあまる山のことごとくに砲台を構えて、その砲台のことごとくに、馬車を駆って頂辺まで登れるような広い路をつけたのは感心ですとA君が語られる。実際その当時は奇麗な馬車を傷めずに、心持よく砲台のある地点まで乗りつけられたものと見える。ところが戦争がすんで往復の必要がなくなったので、せっかくできた山路に手を入れる機会を失ったため、我々ごとき物数奇は、かように零落した馬車をさえ、時々復活させる始末になるのである。元来旅順ほど小山が四方に割拠して、禿頭を炎天に曝し合っている所はない。樹が乏しい土質へ、遠慮のない強雨がどっと突き通ると、傾斜の多い山路の側面が、すぐ往来へ崩れ出す。その崩れるものがけっして尋常の土じゃない。堅い石である。しかも頑固に角張っている。ある所などは、五寸から一尺ほどもあろうと云う火打石のために、累々と往来を塞がれている。零落した馬車は容赦なく鳴動してその上を通るのだから、凸凹の多い川床を渡るよりも危険である。二百三高地へ行く途中などでは、とうとうこの火打石に降参して、馬車から下りてしまった。そうして痛い腹を抱えながら、膏汗になって歩いたくらいである。鶏冠山を下りるとき、馬の足掻が何だか変になったので、気をつけて見ると、左の前足の爪の中に大きな石がいっぱいに詰っていた。よほど厚い石と見えて爪から余った先が一寸ほどもある。したがって馬は一寸がた跛を引いて車体を前へ運んで行く訳になる。席から首を延ばして、この様子を見た時は、安んじて車に乗っているのが気の毒なくらい、馬に対して痛わしい心持がした。御者に注意してやると、御者は支那語で何とか云いながら、鞭を棄てて下へ下りたが、非常に固く詰っていたと見えて、叩いても引っ張っても石が取れないので、またのそのそ御者台へ上がった。そうして、後にいる余の方をふりむいて、にやにや笑いながら、また鞭を鳴らし出した。馬も存外平気なもので、そのままとうとう大和ホテルまで帰って来た。  橋本と余はこう云う馬車の中で、こう云う路の上に揺振られべく旧市街から出立した。あれがステッセル将軍の家でと云うのを遠くから見ると、なかなか立派にできている。戦争の烈しくならない時は、将軍がみごとな馬車を駆ってそこいらを乗り廻しているのが遥の先から見えたそうである。A君の指して教えられた中で、ただ一つ質素な板囲の小さい家があった。それがまるで日本の内地で見る普通の木造なのだから珍らしかった。何とか云う有名な将軍の住宅だと説明されたが、不幸にしてその有名な将軍の名を忘れてしまった。何でも非常に人望のある人で、戦争のときも一番先に打死をしたのだそうである。ああ云う質素の家に住んでおられたのも、一つは人望のあった原因になっているのでありましょうとA君は丁寧に敬慕の意を表される。この将軍は戦争だけには熱心で、ほかの事にはよほど無頓着であった人らしい。この辺にある露国の将軍などの住宅は皆それ相応に立派なものばかりである。新市街の白仁長官の家を訪ねた時、結構な御住居だが、もとは誰のいた所ですかと聞いたら、何でもある大佐の家だそうですと答えられた。こう云う家に住んで、こういう景色を眼の下に見れば、内地を離れる賠償には充分なりますねと云ったら、白仁君も笑いながら、日本じゃとても這入れませんと云われたくらいである。  そのうち馬車は無鉄砲に山路を上って、旅順の市街を遥の下にうちやるようになった。A君は坂の途中で車を留めて、私は近路を歩いて、御先へ行って御待ち申しますと云いながら、左手の急な岨路をずんずん登って行った。我々の車はまたのそのそ動き出した。         二十五  下を見下すと、山の側面はそれほど急でないが、樹と名のつくような青いものはまるで眸を遮らない。一眼に麓まで透かされるのみならず、麓からさき一里余の畠が真直に眉の下に集まって来る。この辺の空気は内地よりも遥に澄んでいるから、遠くのものが、つい鼻の先にあるように鮮である。そのうちで高粱の色が一番多く眼を染めた。  あの先に、小指の頭のような小さい白いものが見えるでしょう、あすこからこっちの方へ向いて対溝を掘出したのですとA君が遠くの方を指さしながら云った。この辺に穴を掘るのは石を割ると一般なのだから一町掘るのだって容易な事ではない。現に外濠から窖道へ通ずる路をつけるときなどは、朝から晩まで一日働いて四十五サンチ掘ったのが一番の手柄であったそうだ。  余は余の立っている高い山の鼻と、遠くの先にある白いものとを見較べて、その中間に横わる距離を胸算用で割り出して見て、軍人の根気の好いのにことごとく敬服した。全体どこまで掘って来たのですかと聞き返すと、ついそこですと洋剣を向けて教えてくれた。何でも九月二日から十月二十日とかまで掘っていたと云うのだから恐るべき忍耐である。その時敵も砲台の方から反対窖道と云うのを掘って来た。日本の兵卒が例のごとく工事をしているとどこかでかんかん石を割る音が聞えたので、敵も暗い中を一寸二寸と近寄って来た事が知れたのだと云う。爆発薬の御蔭で外濠を潰したのはこの時の事でありますと、中尉はその潰れた土山の上に立って我々を顧みた。我々も無論その上に立っている。この下を掘ればいくらでも死骸が出て来るのだと云う。  土山の一隅が少し欠けて、下の方に暗い穴が半分見える。その天井が厚さ六尺もあろうと云うセメントででき上っている。身を横にして、その穴に這い込みながら、だらだらと石の廻廊に降りた時に、仰向いて見て始めてその堅固なのに気がついた。外濠を崩した上に、この厚い壁を破壊しなければ、砲台をどうする事もできないのは攻手に取って非常な困難である。しかもこの小さな裂け目から無理に割り込んで、一寸二寸とじりじりにセメントで築上げた窖道を専領するに至っては、全く人間以上の辛抱比べに違ない。その時両軍の兵士は、この暗い中で、わずかの仕切りを界に、ただ一尺ほどの距離を取って戦をした。仕切は土嚢を積んで作ったとかA君から聞いたように覚えている。上から頭を出せばすぐ撃たれるから身体を隠して乱射したそうだ。それに疲れると鉄砲をやめて、両側で話をやった事もあると云った。酒があるならくれと強請ったり、死体の収容をやるから少し待てと頼んだり、あんまり下らんから、もう喧嘩はやめにしようと相談したり、いろいろの事を云い合ったと云う話である。  三人は暗い廻廊を這い出して、また土山の上に立った。日は透き徹るように明かるく坊主山を照らしている。野菊に似た小さな花が処々に見える。じっと日を浴びて佇んでいると、微かに虫の音がする。草の裏で鳴いているのか、崩れ掛った窖内で鳴いているのか分らなかった。向うの方に支那人の影が二人見えたが、我々の姿を認めるや否や、草の中に隠れた。ああやって、何か掘りに来るんです。捕まると怖いものだから、すぐに逃げます、なかなか取り抑えるのが困難ですとA君が苦笑した。  後側へ回ると広い空堀の中に立派な二階建の兵舎がある。もとは橋をかけて渡ったものと思われるが、今では下りる事もできない。兵舎の背はもとより、山に囲われて、外からは見えなくなっている。三人は空濠を横に通り越してなお高く上った。とうとう四方にあるものは山の頭ばかりになった。そうしてそれが一つ残らず昔の砲台であった。中尉はそれらの名前をことごとく諳んじていた。余は遮るもののない高い空の真下に立って、数限りもない山の背を見渡しながら、砲台巡りも容易な事ではないと思った。         二十六  大連に着いてから二三日すると、満洲日々の伊藤君から滞留中に是非一度講演をやって貰いたいという依頼であった。ええ都合ができればと受合ったようなまた断ったような軽い挨拶をして旅順に来た。するとその伊藤君が我々より一日前に同じ大和ホテルに泊っていたので、ただ、やあ来ているねぐらいでは事がすまなくなった。伊藤君の話によると、余の承諾を得て講演を開くと云う事を、もう自分の新聞に広告してしまったと云うんだから、たちまち弱った。どうしてもやらなければならないように伊藤君は頼むし、何だかやれそうもない気分ではあるし、かたがた安楽椅子に尻を埋めて、苦く渋り出した。すると橋本がにやにや笑いながら、まあやってやるさと傍から余計な事を云う。実を云うと、講演は馬車でホテルに着くや否や、ここの和木君からも頼まれている。もっともこの方は暇がないので、頼まれ放しの体であるが、大連に帰ればそう多忙らしく見せる訳には行かない。橋本はそこをよく見破っているので、君そう云うときには快よく承諾するものだよとか君のような人はやる義務があるさとかいろいろな口を出す。余の大連でしゃべらせられたのは全くこの男の御蔭である。しかも短い時日のうちに二遍もやらせられた。その内の一遍では、云う事が無くって仕方がなかったから、私は今晩、なぜ講演というものが、そう容易にできるものでないか、すなわち講演ができない訳を講演致しますと云って、妙な事を弁じてしまった。それを是公が聞きに来ていて、うん貴様はなかなか旨い、これからどこへ出て演説しようと勝手だ、おれが許してやると評したからありがたい。けれども勧告の本人たる橋本は、平気な顔をして、どこか遊んで歩いていて聞きに来なかった。そのくせ営口でまた頼まれると早速、君やるさ、せっかく頼むんだものと例の通りやり出したので、やむをえず痛い腹の上にかけていた蒲団を跳ね退けて、演説をしに行った。その代りおれが先へやるよと断って、橋本のは聞かずに、すぐ宿屋へ帰って来て、また腹の上に蒲団を掛けていた。橋本はこう云うところを見ると、君演説をやってる間は苦しいかなどと気楽な質問をする。もっとも招待を断ったり何かするときには、いや実際この男は胃病でといつでも証人に立ってくれた。して見ると、橋本はただ演説に対してだけ冷刻なのかも知れない。奉天でも危うく高い所へ乗せられるところを、一日日取が狂ったため、いかな橋本にも、君頼まれたときにはやってやるべきだよを繰返す余地がなかった。京城では発着が前後した上に、宿屋さえ違ったものだから、泰然と講演を謝絶する余裕があった。これは偏に橋本のいなかった御蔭である。  面白い事に、この演説の勧誘家はその後札幌へ帰るや否や、自身と烈しい胃病に罹って、急に苦しみ出した。それで普通ならば毎週十時間余も講義を持たせられるところを、わずか一時間に減らして貰って、その一時間が済むとすぐに薬を呑むそうだ。旅行中は君の病気である事を知りながら、無理に講演を勧めて大いに悪かった。何事も自分で経験しないうちは分らぬもので、こうして胃病に悩まされて始めて気がついたが、痛いときに演説などができる訳のものでは、けっしてない。君があの際奮って演壇に立ったのは実際感心である、と大いに褒めたり詫まったりして来た。実際橋本の云う通りである。しかしはたして橋本の推察するほど胃が痛かったら、いかな余も、いくらせっかくだから君出るが好いよを繰返されたって、ついに講演を断ってしまったろう。         二十七  白仁さんから正餐の御馳走になったときは、民政部内の諸君がだいぶ見えた。みんな揃ってカーキー色の制服を着ていた。食事が済んで別室へ戻って話していると佐藤が、あしたは朝のうち二百三高地の方を見たら好かろう、案内を出すからと云ってくれる。余も好かろうと答えた。すると、大した案内にも及ぶまいと笑いながら相談を掛けた。我々は一私人で、ただ遊覧に来たのだから、公の職務を帯びている人を使ってはすまないが、せっかく案内をつけてくれると云うなら、小使でも何でも構わない。非番か閑散の人を一人世話してくれと頼んだ。これは正直恐れ入った本当の謙遜である。その時佐藤は懐中から自分の名刺を出して、端の方に鉛筆で何か書いて、じゃ明日の朝八時にこの人が来るから、来たらいっしょに行くが好いと云って分れた。  明日の朝の八時は例の通り強い日が空にも山にも港にも一面に輝いていた。馬車を棄てて山にかかったときなどは、その強い日の光が毛孔から総身に浸込むように空気が澄徹していた。相変らず樹のない山で、山の上には日があるばかりだから、眼の向く所は、左右ともに、また前後ともに、どこまでも朗らかである。その明かな足元から、ばっと音がして、何物だか飛び出した。案内の市川君が鶉ですと云ったので始めてそうかと気がついたくらい早く、鶉は眼を掠めて、空濶の中に消えてしまった。その迹を見上げると、遥なる大きい鏡である。  その時我々はもう頂近くにいた。ここいらへも砲丸が飛んで来たんでしょうなと聞くと、ここでやられたものは、多く味方の砲丸自身のためです。それも砲丸自身のためと云うより、砲丸が山へ当って、石の砕けたのを跳ね返したためです。こう云う傾斜のはなはだしい所ですから、いざと云う時に、すぐ遠くから駆け寄せて敵を追い退ける訳に行きませんので、みんなこう云うところへ平たくなって噛りついているのであります。そうして味方の砲丸が眼の前へ落ちて、一度に砂煙が揚がるとその虚に乗じて一間か二間ずつ這い上がるのですから、勢い砂煙に交る石のために身体中創だらけになるのです。と市川君は詳しい説明を与えられた。  味方の砲弾でやられなければ、勝負のつかないような烈しい戦は苛過ぎると思いながら、天辺まで上った。そこには道標に似た御影の角柱が立っていた。その右を少しだらだらと降りたところが新に土を掘返したごとく白茶けて見える。不思議な事にはところどころが黒ずんで色が変っている。これが石油を襤褸に浸み込まして、火を着けて、下から放り抛げたところですと、市川君はわざわざ崩れた土饅頭の上まで降りて来た。その時遥下の方を見渡して、山やら、谷やら、畠やら、一々実地の地形について、当時の日本軍がどう云う径路をとって、ここへじりじり攻め寄せたかをついでながら物語られた。不幸にして、二百三高地の上までは来たようなものの、どっちが東でどっちが西か、方角がまるで分らない。ただ広々として、山の頭がいくつとなく起伏している一角に、藍色の海が二カ処ほど平たく見えるだけである。余はただ朗かな空の下に立って、市川君の指さす方を眺めていた。  自分でここへ攻め寄せて来た経験をもっている市川君の話は、はなはだ詳しいものであった。市川君の云うところによると、六月から十二月まで屋根の下に寝た事は一度もなかったそうである。あるときは水の溜った溝の中に腰から下を濡らして何時間でも唇の色を変えて竦んでいた。食事は鉄砲を打たない時を見計って、いつでも構わず口中に運んだ。その食事さえ雨が降って車の輪が泥の中に埋って、馬の力ではどうしても運搬ができなかった事もある。今あんな真似をすれば一週間経たないうちに大病人になるにきまっていますが、医者に聞いて見ると、戦争のときは身体の組織がしばらくの間に変って、全く犬や猫と同様になるんだそうですと笑っていた。市川君は今旅順の巡査部長を勤めている。         二十八  旅順の港は袋の口を括ったように狭くなって外洋に続いている。袋の中はいつ見ても油を注したと思われるほど平らかである。始めてこの色を遠くから眺めたときは嬉しかった。しかし水の光が強く照り返して、湾内がただ一枚に堅く見えたので、あの上を舟で漕ぎ廻って見たいと云う気は少しも起らなかった。魚を捕る料簡は無論無かった。露西亜の軍艦がどこで沈没したろうかなどと思い浮かべる暇も出なかった。ただ頭へぴかぴかと、平たい研ぎ澄したものが映った。  余は大和ホテルの二階からもこの晴やかな色を眺めた。ホテルの玄関を出たり這入ったりするときにもこの鋭い光の断片に眼を何度となく射られた。それでも単に烈しい奇麗な色と光だなと感ずるだけであった。佐藤から港内を見せてやるからと案内されるまでは、とうてい港内は人間の這入るところではないくらいに、頭の底で、無意識ながら分別していたらしい。  さあ行くんだと催促された時は、なるほど旅順に来る以上、催促されなければならんはずの場処へ行くんだと思った。今日の同勢は朝大連から来た田中君を入れて五人である。港務部を這入るときに水兵がこの五人に礼をした。兵隊に礼をされたのは生れてこれが初てであった。佐藤が真先に中へ這入って、やがて出て来たから、もう舟に乗れるのかと思ったら、おい這入れ這入れという。我々は石垣の上に立っていた。足元にはすぐ小蒸気が繋いである。我々の足は、家の方より、むしろ水の方に向いていた。  十分の後五人はまた河野中佐といっしょに家を出てすぐ小蒸気に移った。海軍の将校が下士や水兵を使うのは実に簡潔明瞭である。船は河野中佐の云いなり次第の速力で、思う通りの方角へ出た。港の入口ではここかしこの潜水器へ船の上から空気を送っている。船の数は十艘近くあった。みんな波に揺られて上ったり下ったりしている。我々五人のも固より平ではない。鏡のように見えた湾の入口がこうまで動いているとは思いがけなかった。波で身体の調子が浮いたり沈んだりする上に、強い日が頭から射りつけるので、少し胸が悪くなった。河野さんは軍人だから、そんな事に気のつくはずがない。ああ云う喞筒で空気を送るのは旧式でね、時々潜水夫を殺してしまいますよと講釈をしている。田中君はふうんとさも感心したらしく聞いている。  河野さんの話によると、日露戦争の当時、この附近に沈んだ船は何艘あるか分らない。日本人が好んで自分で沈めに来た船だけでもよほどの数になる。戦争後何年かの今日いまだに引揚げ切れないところを見てもおおよその見当はつく。器械水雷なぞになるとこの近海に三千も装置したのだそうだ。  じゃ今でも危険ですねと聞くと、危険ですともと答えられたのでなるほどそんなものかと思った。沈んだ船を引揚げる方法も聞いて見たが、これは委しく覚えている、百キロぐらいな爆発薬で船体を部分部分に切り壊して、それを六吋の針金で結えて、そうして六百噸のブイアンシーのある船を、水で重くした上、干潮に乗じて作事をしておいて、それから満潮の勢いと喞筒の力で引き揚げるのだそうだ。しかし我々が眺めていた時は、いつまで立っても、何も揚って来そうになかった。  港の入口は左右から続いた山を掘り割ったように岸が聳えていて、その上に砲台がある。あすこから探海灯で照らされると、一番困る。まるで方角も何も分らなくなってしまうと河野さんが高い処を指さした。  やがて小蒸気は煙りを逆に吐いて港内に引返した。戦闘艦が並んで撃沈されたという前を横に曲ってまた元の石垣の下へ着いた。向う岸には戦利品のブイや錨がたくさん並んでいる。あれで約三十万円の価格ですと河野さんが云った。門の出口には防材の標本が一本寝かしてあった。その先から尖った剣のようなものが出ていた。         二十九  風呂を注文しておいたら、用意ができたと見えて、向うの部屋で、湯の迸ばしる音が盛にする。靴を脱いで、スリッパアをつっかけて、戸を開けに掛ると、まだ廊下に出ないうちに給仕がやって来た。田中さんがいっしょにスキ焼を食べにいらっしゃいませんかと云う案内である。スキ焼の名はこの際両人に取って珍らしい響がした。けれども白状すると、毫も食う気にはならなかった。スキ焼って家で拵えるのかいと尋ねると、いえ近所の料理屋ですと云う。近所の料理屋はスキ焼よりも一層不思議な言葉である。ホテルの窓から往来を一日眺めていたって、通行人は滅多に眼に触れないところである。外へ出て広い路を岡の上まで見通すと、左右の家は数えるほどしか並んでいない。そうしてそれがことごとく西洋館である。しかも三分の一は半建のまま雨露に曝されている。他の三分の一は空家である。残る三分の一には無論人が住んでいる。けれどもその主人はたいてい月給を取って衣食するものとしか受け取れない構である。新市街という名はあるにしても、その実は閑静な寂れた屋敷町に過ぎない。その屋敷のどこにスキ焼を食わす家があるかと思うと、一種小説に近い心持が起る。  ただ、昼の疲れを忘れるため、胃の不安を逃れるため、早く湯に入って、レースの蚊帳の中で、穏かに寝たかった。そこで給仕に、今湯に這入りかけているからね、少し時間が取れるかも知れないから、田中さんに、どうか御先へと云ってくれと頼んだ。すると傍にいる橋本が例のごとく、そりゃいかんよと云い出した。せっかく誘ってくれるものを、そんな挨拶をする法はないぜと、また長い説教が始まりそうで恐ろしくなったので、仕方がないからうんよしよし、それじゃあね、今湯に這入っていますから、すぐ行きますってそう云ってくれ、よく云うんだよ、分ったかねと念を押してすぐ風呂に飛込んだ。  そうして、少しも弱った顔を見せずにみんなと連れ立って、ホテルを出た。空はよく晴れて、星が遠くに見える晩であったが、月がないので往来は暗かった。危のうございますから御案内を致しましょうと云って、ホテルの小僧がついて来た。草の生えた四角な空地を横切って、瓦斯も電気もない所を、茫漠と二丁ほど来ると、門の奥から急に強い光が射した。玄関に女が二三人出ている。我々の来るのを待っていたような挨拶をした。座敷は畳が敷いて胡坐がかけるようになっていた。窓を見ると、壁の厚さが一尺ほどあったので、始めて普通の日本家屋でないと云う事が解った。窓の高さは畳から一尺に足りないから、足をかけると厚い壁の上に乗る事ができる。女が危のうございますと云った。外を覗いたら真闇に静かであった。  女は三四人で、いずれも東京の言葉を使わなかった。田中君はわざと名古屋訛を真似て調戯っていた。女は御上手だ事とか、御上手やなとか、何とか云って賞めていた。ところが前触のスキ焼はなかなか出て来ない。酒を飲まないで、肴を突っついて手持無沙汰であった。スキ焼があらわれても、胃の加減で旨くも何ともなかった。天下に何が旨いってスキ焼ほど旨いものは無いと思うがねと田中君が云った。田中君はスキ焼の主唱者だけあって、大変食べた。傍で見ていて羨ましいほど食べた。余はしようがないから畳の上に仰向に寝ていた。すると女の一人が枕を御貸し申しましょうかと云いながら、自分の膝を余の頭の傍へ持って来た。この枕では御気に入りますまいとか何とか弁じている。結構だから、もう少しこっちの方へ出してくれと頼んで、その女の膝の上に頭を乗せて寝ていた。不思議な事に、橋本も活動の余地がないものと見えて、余と同様の真似をして、向うの方に長くなっている。枕元では田中君が女を相手に碁石でキシャゴ弾きをやって大騒ぎをしている。余があまり静だものだから、膝を貸した女は眠ったのだと思って、顋の下をくすぐった。  帰るときには、神さんらしいものが、しきりに泊って行けと勧めた。門を出るとまた急に暗くなった。森閑として人の気合のない往来をホテルまで、影のように歩いて来て、今までの派出なスキ焼を眼前に浮かべると、やはり小説じみた心持がした。         三十  朝食に鶉を食わすから来いという案内である。朝飯の御馳走には、ケムブリジに行ったときたしか浜口君に呼ばれた事があると云う記憶がぼんやり残っているだけだから、大変珍らしかった。もっとも午前十一時に立つ客に晩餐を振舞う方法は、世界にないんだから仕方がない。鶉に至っては生れてからあんまり食った事がない。昔正岡子規に、手紙をもってわざわざ大宮公園に呼び寄せられたとき、鶉だよと云って喰わせられたのが初めてぐらいなものである。その鶉の朝飯を拵えるからと云って、特に招待するんだから、佐藤は物数奇に違いない。そうして、好いかほかに何にもない、鶉ばかりだよと念を押した。いったい鶉を何羽喰わせるつもりか知らんと思って、どこから貰ったのかと聞くと、いや鶉は旅順の名物だ、もう出る時分だからちょうど好かろうとすでに鶉を捕ったような事を云っていた。  白仁さんのところへ暇乞に行ったので少し後れて着くと、スキ焼を推挙した田中君がもう来ていた。田中君も鶉の御相伴と見える。佐藤は食卓の準備を見るために、出たり這入ったりする。立派な仙台平の袴を着けてはいるが、腰板の所が妙に口を開いて、まるで蛤を割ったようである。そうして、それを後下りに引き摺っている。それでもって、さあ食おうと云って、次の間の食堂へ案内した。西洋流の食卓の上に、会席膳を四つ並べて、いよいよ鶉の朝飯となった。  まず御椀の蓋を取ると、鶉がいる。いわゆる鶉の御椀だから不思議もなく食べてしまった。皿の上にもいるが、これはたしか醤油で焼かれたようだ。これも旨く食べた。第三は何でも芋か何かといっしょに煮られたように記憶している。しかし遺憾ながら、判然とその味を覚えていない。これらを漸次に平げると、佐藤はまだあるよと云って、次の皿を取り寄せた。それも無論鶉には相違なかった。けれどもただ西洋流の油揚にしてあるばかりで、ややともすると前の附焼と紛れやすかった。しかもこの紛れやすい油揚はだいぶ仕込んで有ったと見えて、まだ喰い切らない先に御代りが出て来た。  かくのごとく鶉が豊富であったため、つい食べ過ぎた。余の胃の中に這入った骨だけの分量でもずいぶんある。大連へ帰って胃の痛みが増したとき、あまり鶉の骨を喰ったせいじゃなかろうかと橋本に相談したら、橋本は全くそうだろうと答えた。食事が終ってから応接間へ帰って来ると、佐藤が突然、時に君は何かやるそうじゃないかと聞いた。是公に東京で逢ったとき、是公はにやにや笑いながら、いったい貴様は新聞社員だって、何か書いてるのかと聞いた。こう云う質問になると、是公も友熊も同程度のものである。  何かやるなら一つ書いて行くが好いと云って、妙な短冊を出した。それを傍へ置いて話をしていると、一つ書こうじゃないかと催促する。今考えているところだと弁解すると、ああそうかと云って、また話をする。しまいに墨を磨って、とうとう手を分つ古き都や鶉鳴くと書いた。佐藤の事だから何を書いたって解るまいと思ったが、佐藤は短冊を取上げて、何だ年を分つ古き都やと読んでいた。  鶉の腹を抱えたなり、ホテルへ帰って勘定を済まして、停車場へ駆つけると、プラットフォームに大きな網籠があった。その中に鶉の生きたのがいっぱい這入って雛鳥を詰めたようにむくむく動いている。発車の時間に少し間があったので、田中君は籠の傍へ行って所有主と談判を始めた。余が近寄ったときは、一羽が三銭だとか四銭だとか云っていた。ところへ駅員が来て、宜しゅうございます、この汽車へ積込んで御届け申しますと受合った。三人はとうとう鶉と別れて汽車へ乗った。         三十一  いよいよ腹が痛んだ。ゼムを噛んだり、宝丹を呑んだり、通じ薬をやったり、内地から持って来た散薬を用いたりする。毎日飯を食って呑気に出歩いているようなものの、内心ではこりゃたまらないと思うくらいであった。大連の病院を見に行ったとき、苦し紛れに、案内をしてくれた院長の河西君に向って、僕も一つ診察を願おうかなと云ったら、河西君はとんだお客様だというような顔もせず、明日の十時頃いらっしゃいと親切に引き受けてくれた。ところが明日の十時頃になると、診察の事はまるで忘れてしまって、相変らず鳥打帽子を被って、強い日の下を焦げながら、駆け廻った。  橋本が、全体どこまで行くつもりなんだいと聞くから、そうさまあ哈爾賓ぐらいまで行かなくっちゃ義理が悪いようだなと答えたが、その橋本はどうする料簡かちっとも分らない。考えて見ると、内地ではもう九月の学期が始って、教授連がそろそろ講義に取りかかる頃である。君はこれからどうするんだと反問して見た。さあ僕も哈爾賓ぐらいまで行って見たいのだが、何しろ六月から学校を空けているんだからねと決心しかねている。かように義務心の強い男を唆かして見当違の方角へ連れて行ったのは、全く余の力である。その代り哈爾賓を見て奉天へ帰るや否や、橋本は札幌から電報をかけられた。いよいよ催促を受けたと電報を見ながら苦笑しているので、いいや、急ぎ帰りつつありとかけておくさと、他の事だからはなはだ洒落な助言をした。  橋本がいよいよいっしょに北へ行くと云う事になってから、余はすべてのプログラムを橋本に委任してぶらぶらしていた。橋本は汽車の時間表を見たり、宿泊地の里程を計算したり二三日の間はしきりに手帳へ鉛筆で何か付け込んでいた。ときどき、おいどうも旨く行かんよ、ここを火曜の急行で出るとするとなどと相談を掛けるから、いいさ火曜がいけなければ水曜の急行にしようと、まるで無学な事を云っているので、橋本も呆れていた。よく聞いて見て始めて了解したが、実は哈爾賓へ接続する急行は、一週にたった二回しかないのだそうである。普通の客車でも、京浜間のようにむやみには出ない。一日にわずか二度か三度らしい。だから君のように呑気な事を云ったって駄目だよと橋本から叱られた。なるほど駄目である。しかも余の駄目は汽車にとどまらない。地理道程に至っても悉皆真闇であった。さすが遼陽だの奉天だのと云う名前は覚えているが、それがどの辺にあって、どっちが近いのだかいっさい知らなかった。その上、これから先どことどこへ泊って、どことどこを通り抜けるのかに至るまで、全く無頓着であったのだから橋本も呆れるはずである。しかし、おい鉄嶺へは降りるのかと聞いて、いや降りないと答えられれば、はあ、そうかと云ったなりで済ましていた。別に降りて見たい気にもならなかったからである。したがって橋本は実に順良な道伴を得た訳で、同時に余は結構な御供を雇った事になる。  いよいよプログラムがきまったので、是公に出立の事を持ち出すと、奉天へ行って、それから北京へ出て、上海へ来て、上海から満鉄の船で大連まで帰って、それからまた奉天へ行って、今度は安奉線を通って、朝鮮へ抜けたら好いだろうとすこぶる大袈裟な助言を与える。その上、銭が無ければやるよと註釈を付けた。銭が無くなれば無論貰う気でいた。しかし余っても困るから、むやみには手を出さなかった。  余は銭問題を離れて、単に時間の点から、この大袈裟な旅行の計画を、実行しなかった。そのくせ奉天を去っていよいよ朝鮮に移るとき、紙入の内容の充実していないのに気がついて、少々是公に無心をした。もとより返す気があっての無心でないから、今もって使い放しである。  立つ時には、是公はもとより、新たに近づきになった満鉄の社員諸氏に至るまで、ことごとく停車場まで送られた。貴様が生れてから、まだ乗った事のない汽車に乗せてやると云って、是公は橋本と余を小さい部屋へ案内してくれた。汽車が動き出してから、橋本が時間表を眺めながら、おいこの部屋は上等切符を買った上に、ほかに二十五弗払わなければ這入れない所だよと云った。なるほど表にちゃんとそう書いてある。専有の便所、洗面所、化粧室が附属した立派な室であった。余は痛い腹を忘れてその中に横になった。         三十二  トロと云うものに始めて乗って見た。停車場へ降りた時は、柵の外に五六軒長屋のような低い家が見えるばかりなので、何だか汽車から置き去りにされたような気持であったが、これからトロで十五分かかるんだと聞いて、やっと納得した。  トロは昔軍人の拵えたのを、手入もせずに、そのまま利用しているらしい。軌道の間から草が生えている。軌道の外にも草が生えている。先まで見渡すと、鉄色の筋が二本栄えない草の中を真直に貫ぬいている。しかし細い筋が草に隠れて、行方知れずになるまで眺め尽しても、建物らしいものは一軒も見当らなかった。そうして軌道の両側はことごとく高粱であった。その大きな穂先は、眼の届く限り代赭で染めたように日の光を吸っている。橋本と余と荷物とは、この広漠な畠の中を、トロに揺られながら、眩しそうに動いた。トロは頑丈な細長い涼み台に、鉄の車を着けたものと思えば差支えない。軌道の上を転がす所を、よそから見ていると、はなはだ滑らかで軽快に走るが、実地に乗れば、胃に響けるほど揺れる。押すものは無論支那人である。勢いよく二三十間突いておいて、ひょいと腰をかける。汗臭い浅黄色の股引が背広の裾に触るので気味が悪い事がある。すると、速力の鈍った頃を見計らって、また素足のまま飛び下りて、肩と手をいっしょにして、うんうん押す。押さなければいいと思うぐらい、車が早く廻るので、乗ってる人の臓器は少からず振盪する。余はこのトロに運搬されたため、悪い胃を著るしく悪くした。車の上では始終ゼムを含んで早く目的地へ着けば好いと思っていた。勢いよく駆けられれば、駆けられるほどなお辛かった。それでも台からぶら下げた足を折らなかったのが、まだ仕合せである。実際酒に酔って腰をかけたまま脛を折っぺしょった人があるそうだ。見ると橋本の帽子の鍔が風に吹かれてひらひらと靡いている。余は鳥打の前廂を深く下げてなるべく日に背を向けるようにしていた。  苦しい十五分か廿分の後車はようやく留まった。軌道の左側だけが、畠を切り開いて平らにしてある。眼を蔽う高粱の色を、百坪余り刈り取って、黒い砂地にした迹へ、左右に長い平屋を建てた。壁の色もまだ新しかった。玄関を這入って座敷へ通ると、窓の前は二間ほどしかない。その縁に朝顔のような草が繁っているが、絡まる竹も杖もないので、蔓と云わず、葉と云わず、花を包んで雑然と簇がるばかりである。朝顔の下はすぐ崖で、崖の向うは広い河原になる。水は崖の真下を少し流れるだけであった。  橋本と余は、申し合せたように立って窓から外を眺めていた。首を出すと、崖下にも家が一軒ある。しかし屋根瓦しか見えない。支那流の古い建物で、廻廊のような段々を藉りて、余のいる部分に続いているらしく思われる。あれは何だいと聞いて見た。料理場と子供を置く所になっていますと答えた。子供とは酌婦芸妓の類を指すものだろうと推察した。眼の下に橋が渡してある。厚くはあるが幅一尺足らずの板を八つ橋に継いだものに過ぎない。水はただ砂を洗うほどに流れている。足の甲を濡らしさえすれば徒歩渉るのは容易である。橋本の後に食付いて手拭をぶら下げて、この橋を渡った時、板の真中で立ち留まって、下を覗き込んで見たら、砂が動くばかりで水の色はまるでなかった。十里ほど上に遡ぼると鮎が漁れるそうだ。余は汽車の中で鮎のフライを食って満洲には珍らしい肴だと思った。おそらくこの上流からクーリーが売りに来たものだろう。         三十三  足駄を踏むとざぐりと這入る。踵を上げるとばらばらと散る。渚よりも恐ろしい砂地である。冷たくさえなければ、跣足になって歩いた方が心持が好い。俎を引摺っていては一足ごとに後しざるようで歯痒くなる。それを一町ほど行って板囲の小屋の中を覗き込むと、温泉があった。大きい四角な桶を縁まで地の中に埋け込んだと同じような槽である。温泉はいっぱい溜っていたが、澄み切って底まで見える。いつの間に附着したものやら底も縁も青い苔で色取られている。橋本と余は容赦なく湯の穴へ飛び込んだ。そうして遠くから見ると、砂の中へ生埋にされた人間のように、頭だけ地平線の上に出していた。支那人の中には、実際生埋になって湯治をやるものがある。この河原の幅は、向うに見える高粱の畠まで行きつめた事がないからどのくらいか分らないが、とにかく眼が平になるほど広いものである。その平らなどこを、どう掘っても、湯が湧いて来るのだから、裸体になって、手で砂を掻き分けて、凹んだ処へ横になれば、一文も使わないで事は済む。その上寝ながら腹の上へ砂を掛ければ、温泉の掻巻ができる訳である。ただ砂の中を潜って出る湯がいかにも熱い。じくじく湧いたものを、大きな湯槽に溜めて見ると、色だけは非常に奇麗だが、それに騙されてうっかり飛び込もうものなら苛い目に逢う。橋本と余は、勢いよく浴衣を抛げて、競争的に毛脛を突込んで、急に顔を見合せながら縮んだ事がある。大の男がわざわざ裸になって、その裸の始末をつけかねるのはきまりが好いものじゃないから、両人は顔を見合せて苦笑しながら小屋を飛び出して、四半丁ほど先の共同風呂まで行って、平気な風にどぼりと浸った。  風呂から出て砂の中に立ちながら、河の上流を見渡すと、河がぐるりと緩く折れ曲っている。その向う側に五六本の大きな柳が見える。奥には村があるらしい。牛と馬が五六頭水を渉って来た。距離が遠いので小さく動いているが、色だけは判然分る。皆茶褐色をして柳の下に近づいて行く。牛追は牛よりもなお小さかった。すべてが世間で云う南画と称するものに髣髴として面白かった。中にも高い柳が細い葉をことごとく枝に収めて、静まり返っているところは、全く支那めいていた。遠くから望んでも日本の柳とは趣が違うように思われた。水は柳の茂るところで見えなくなっているが、なおその先を辿って行くと、たちまち眼にぶつかるような大きな山脈がある。襞が鋭く刻まれているせいか、ある部分は雪が積ったほど白く映る。そのくらいに周囲はどす黒かった。漢語には崔嵬とかとか云って、こう云う山を形容する言葉がたくさんあるが、日本には一つも見当らない。あれは何と云う山だろうと傍にいる大重君に尋ねたら、大重君も知らなかった。大重君は支那語の通訳として橋本に随いて蒙古まで行った男である。余の質問を受けるや否やどこかへ消えて無くなったが、やがて帰って来て、高麗城子と云うんだそうですと教えてくれた。土人を捕まえて聞いて来たのだそうである。固より支那音で教わったのだが、それは忘れてしまった。  濡れ手拭を下げて、砂の中をぼくぼく橋の傍まで帰って来ると、崖の上から若い女が跣足で降りて来た。橋は一尺に足らぬ幅だからどっちかで待ち合せなければなるまいと思ったが、向うはまだ土堤を下りきらないので、こっちは躊躇せず橋板に足をかけた。下駄を二三度鳴らして、一間ほど来たとき、女も余と同じ平面に立った。そこで留まると思いのほか、ひらひらと板の上を舞うように進んで余に近づいた。余と女とは板と板の継目の所で行き合った。危ないよと注意すると、女は笑いながら軽い御辞儀をして、余の肩を擦って行き過ぎた。         三十四  明日は梨畑を見に行くんだと橋本から申し渡されたので、宜しいと受合った上、床についたようなものの実を云うと例のトロで揺られるのが内心苦になった。そのせいでもなかろうが、容易に寝つかれない。橋本はもう鼾をかいている。しかも豪宕な鼾である。緞子の夜具の中から出るべき声じゃない。まして裾の方には金屏風が立て回してある。  明日になると、空が曇って小雨が落ちている。窓から首を出して、一面に濡れた河原の色を眺めながら、おれは梨畑をやめて休養しようかしらと云い出した。橋本は合羽ももっているし、オヴァーシューも用意して来ているのでなかなか景気が好い。ことに農科の教授だけあって、梨を見たがったり、栗を見たがったり、豚や牛を見たがる事人一倍である。早速用意をして大重君を伴れて出て行った。余はただつくねんとして、窓の中に映る山と水と河原と高粱とを眼の底に陳列さしていた。薄く流れる河の厚さは昨日と同じようにほとんど二三寸しかないが、その真中に鉄の樋竹が、砂に埋れながら首を出しているのに気がついたので、あれは何だいと下女に聞いて見た。あれはボアリングをやった迹ですと下女が答えた。満洲の下女だけあって、述語を知っている。ついこの間雨が降って、上の方から砂を押し流して来るまでは、河の流れがまるで違った見当を通っていたので、あすこへ湯場を新築するつもりであったのだと云う。河の流れが一雨ごとに変るようでは、滅多なところへ風呂を建てる訳にも行くまい。現に窓の前の崖なども水にだいぶん喰われている。  そのうち雨が歇んだ。退屈だから横になった。約十分も立ったと思う頃、下女がまたやって来て、ただいま駅から電話がかかりまして、これから梨畑へおいでになるなら、駅からトロを仕立てますがと云う問い合せである。雨が歇んだので、座敷に寝ている口実はもう消滅してしまったが、この上トロを仕立てられては敵わないと思って、わざわざ晴かかった空を見上げて、八の字を寄せた。  今から行って間に合うのかなと尋ねると、器械トロだから汽車と同じぐらい早いんだと云う話である。胃は固より切ないほど不安であるが、汽車と同じ速度の器械トロなるものにも、心得のためちょっと乗って見たいような気がしたので、つい手軽に仕度を始めた。すると隣の部屋に泊っていた御客さんが三四人、十一時の汽車で大連へ行くとか云って、同じように仕度を始めた。それを送る下女も仕度を始めた。したがって同勢はだいぶんになった。その中に昨日橋の途中で行き合った女がいた。それが余と尻合せに同じ車に乗る事になった。互に尻を向けているので、別段口も利かなかった。顔もよくは見なかった。が、その言葉だけはたしかに聞いた。しかも支那語である。固より意味は通じない。しかし盛んにクーリーをきめつけていた。その達弁なのはまた驚くばかりである。昨日微笑しながら御辞儀をして、余の傍を摺り抜けた女とはどうしても思えなかった。この女は我々の立つ前の晩に、始めて御給仕に出て来た。洋灯の影で御白粉をつけている事は分ったが、依然として口は利かなかった。  苦しい十五分の後車はまた停車場に着いた。御客はすぐ汽車に乗って大連の方へ去った。下女はみんな温泉宿へ帰った。余は独り構内を徘徊した。いわゆる器械トロなるものは姿さえ見せない。そこへ駅員が来て、今松山を出たそうですからと断った。その松山は遥向うにある。余は軌道の上に立って、一直線の平たい路を視力のつづく限り眺めた。しかしトロの来る気色はまるでなかった。         三十五  宿屋の者ともつかず、駅の者ともつかない洋服を着た男がついて来た。この男の案内で村へ這入ると、路は全く砂である。深さは五六寸もあろうと思われた。土で造った門の外に女が立っていたが、我々の影を見るや否や逃げ込んだ。手に持った長い煙管が眼についた。犬が門の奥でしきりに吠える。そのうちに村は尽きて松山にかかった。と云うと大層だが、実は飛鳥山の大きいのに、桜を抜いて松を植替えたようなものだから、心持の好い平庭を歩るくと同じである。松も三四十年の若い木ばかり芝の上に並んでいる。春先弁当でも持って遊に来るには至極結構だが、ところが満洲だけになお珍らしい。余は痛い腹を抑えて、とうとう天辺まで登った。するとそこに小さな廟があった。正面に向って、聯などを読んでいると、すぐ傍で梭の音がする。廟守でもおりそうなので、白壁を切り抜いた入口を潜って中へ這入った。暗い土間を通り越して、奥を覗いて見たら、窓の傍に機を据えて、白い疎髯を生やした爺さんが、せっせと梭を抛げていた。織っていたものは粗い白布である。案内の男が二言三言支那語で何か云うと、老人は手を休めて、暢気な大きい声で返事をする。七十だそうですと案内が通訳してくれた。たった一人でここにいて、飯はどうするのだろうと、ついでに通訳を煩わして見た。下の家から運んでくるものを食っているそうであった。その下の家と云うのがすなわち梨畠の主人のところだと案内は説明した。  やがて、山を降りて梨畠へ行こうとしたが、正門から這入るのが面倒なので、どうです土堤を乗り越そうじゃありませんかと案内が云い出した。余はすぐ賛成して蒲鉾形の土塀を向側へ馳せ下りた。胃は実に痛かった。樹の下を潜って二十間も来ると、向うの方に橋本始め連中が床几に腰をかけて梨を食っている。腕に金筋を入れた駅長までいっしょである。余も同勢に交って一つ二つ食った。これは胃の中に何か入れると、一時痛みが止むからである。そうしてまた畠の中をぐるぐる歩き出した。ここの梨はまるで林檎のように赤い色をしている。大きさは日本の梨の半分もない。しかし小さいだけあって、鈴なりに枝を撓わして、累々とぶら下っているところがいかにもみごとに見える。主人がその中で一番旨い奴を――何と云ったか名は思い出せないが、下男に云いつけて、笊に一杯取り出さして、みんなに御馳走した。主人は背の高い大きな男で、支那人らしく落ちつきはらって立っている。案内の話では二千万とか二億万とかの財産家だそうだが、それは嘘だろう。脂の強い亜米利加煙草を吹かしていた。  梨にも喰い飽きた頃、橋本が通訳の大重君に、いろいろ御世話になってありがたいから、御礼のため梨を三十銭ほど買って帰りたいと云うような事を話してくれと頼んでいる。それを大重君がすこぶる厳粛な顔で支那語に訳していると、主人は中途で笑い出した。三十銭ぐらいなら上げるから持って御帰りなさいと云うんだそうである。橋本はじゃ貰って行こうとも云わず、また三十銭を三十円に改めようともしなかった。宿へ帰ったら、下女がある御客さんといっしょに梨畠へ行って、梨を七円ほど御土産に買って帰った話をして聞かせた。その時橋本は、うんそうか、おれはまた三十銭がた買って来ようと思ったら、三十銭ぐらいなら進上すると云ったよと澄ましていた。         三十六  壁と云うと鏝の力で塗り固めたような心持がするが、この壁は普通の泥が天日で干上ったものである。ただ大地と直角にでき上っている所だけが泥でなくって壁に似ている。その上部には西洋の御城のように、形儀よく四角な孔をいくつも開けて、一ぱし櫓の体裁を示している。しかし一番人の注意を惹くのは、この孔から見える赤い旗である。旗の数は孔の数だけあって、孔の数は一つや二つではないから、ちょっと賑かに思われる。始めてこの景色が眼に触れた時には、村のお祭りで、若いものが、面白半分に作り物でも拵えたのじゃなかろうかと推測した。ところがこの櫓は馬賊の来襲に備えるために、梨畑の主人が、わざわざ家の四隅に打ち建てたのだと聞いて、半分は驚いたが、半分はおかしかった。ただなぜあんな赤い旗を孔の間から一つずつ出しているかが、さっぱり分らなかった。裏側へ廻って、段々を上って見て、始めてこの赤旗の一つが一挺の鉄砲を代表している事を知った。鉄砲は博物館にでもありそうな古風な大きいもので、どれもこれも錆を吹いていた。弾丸を込めても恐らく筒から先へ出る気遣はあるまいと思われるほど、安全に立てかけられていた。もっとも赤い旗だけは丁寧に括りつけてある。そうしてちょうど壁孔から外に見えるくらいな所にぶら下げてある。番兵は汚ない顔を揃えて、後の小屋の中にごろごろしていた。馬賊の来襲に備えるために雇われたればこそ番兵だが、その実は、日当三四十銭の苦力である。櫓を下りて門を出る前に、家の内部を観る訳に行くまいかと通訳をもって頼んだら、主人はかぶりを振って聞かなかった。女のいる所は見せる訳に行かないと云うんだそうである。その代り客間へ案内してやろうと番頭を一人つけてくれた。その客間というのは往来を隔てて向う側にある一軒建の家であった。外には大きな柳が、静な葉を細長く空に曳いていた。長屋門を這入ると鼠色の騾馬が木の株に繋いである。余はこの騾馬を見るや否や、三国志を思い出した。何だか玄徳の乗った馬に似ている。全体騾馬というのを満洲へ来て始めて見たが、腹が太くって、背が低くって、総体が丸く逞しくって、万事邪気のないような好い動物である。橋本に騾馬の講義を聞くと、まず騾との区別から始めるので、真率な頭脳をただいたずらに混乱させるばかりだから、黙って鞍のない裸姿を眺めていた。騾馬は首を伏せてしきりに短い草を食っていた。  門の突き当りがいわゆる客間であるが、観音扉を左右に開けて這入るところなぞは御寺に似ている。中は汚ないものであった。客でも招待するときには、臨時に掃除をするのかと聞いたら、そうだと答えていた。主人に挨拶をしてまた松山を抜けたら、松の間に牛が放してあった。駅長が行く行く初茸を取った。どこから目付け出すか不思議なくらい目付け出した。橋本も余も面白半分少し探して見たが、全く駄目であった。山を下るとき、おい満洲を汽車で通ると、はなはだ不毛の地のようであるが、こうして高い所に登って見ると、沃野千里という感があるねと、橋本に話しかけたが、橋本にはそんな感がなかったと見えて、別に要領の好い返事をしなかった。余の沃野千里は全く色から割り出した感じであった。松山の上から見渡すと、高い日に映る、茶色や黄色が、縞になったり、段になったり、模様になったり、霞で薄くされて、雲に接くまで、一面に平野を蔽うている。満洲は大きな所であった。  宿へ帰ったら、御神さんが駅長の贈って来た初茸を汁にして、晩に御膳の上へ乗せてくれた。それを食って、梨畑や、馬賊や、土の櫓や、赤い旗の話しなぞをして寝た。         三十七  立つ用意をしているところへ御神さんが帳面を持って出て来た。これへ何か書いて行って下さいと云う。御神さんは余を二つ接ぎ合せたように肥えている。それで病気だそうだ。始めはどこのものだか分らなかったが、御神さんと知って、調子の下女と違っているのに驚いた。御神さんはその体格の示すごとき好い女であった。どうしてあんなすれっからしの下女を使いこなすかが疑問になったくらいである。帳面を前へ置いて、どうぞと手を膝の上に重ねた。その膝の厚さは八寸ぐらいある。  帳面を開けると、第一頁に林学博士のH君が「本邦の山水に似たり」と揮ってしまったあとである。その次にはどこどこ聯隊長何のなにがしと書いてある。宿帳だか、書画帖だか判然しないものの、第三頁に記念を遺す事に差し逼って来た。橋本は帳面を見るや否や、向を向いて澄ましている。余は仕方がないから、書くには書くが、少し待ってくれと頼んだ。すると御神さんが、そうおっしゃらずに、どうぞどうぞと二遍も繰返して御辞儀をする。無論嘘を吐く気は始めからないのだが、こう拝むようにされて書いてやるほどの名筆でもあるまいと思うと、困却と慚愧でほとほと持て余してしまう。時に橋本が例のごとく口を利いてくれた。この人は嘘を云う男じゃないから、大丈夫ですよ今に何か書きますよと笑っている。余はまた世間話をしながら、その間に発句でも考え出さなければならなくなった。  同情してくれる人はだいぶあると思うから白状するが、旅をして悪筆を懇望されるほど厄介な事はない。それも句作に熱心で壁柱へでも書き散らしかねぬ時代ならとにかく、書く材料の払底になった今頃、何か記念のためにと、短冊でも出された日には、節季に無心を申し込まれるよりも苛い。大連を立つとき、手荷物を悉皆革鞄の中へ詰め込んでしまって、さあ大丈夫だと立ち上った時、ふと気がついて見ると、化粧台の鏡の下に、細長い紙包があった。不思議に思って、折目を返して中を改めると、短冊である。いつ誰が持って来て載せたものか分らないが、その意味はたいてい推察ができる。俳句を書かせようと思って来たところが、あいにく留守なので、また出直して頼む気になって、わざと短冊だけ置いて行ったに違ない。余はこの時化粧台から紙包を取りおろして、革鞄の中へ押し込んで、ホテルを出た。この短冊はいまだに誰のものか分らない。数は五六枚で雲形の洒落たものであったが、朝鮮へ来て、句を懇望されるたびに、それへ書いてやってしまったから今では一枚も残っていない。長春の宿屋でも御神さんに捕まった。この御神さんは浜のものだとか云って、意気な言葉使いをしていたが、新しい折手本を二冊出して、これへどうぞ同なじものを二つ書いて下さいと云った。同じでなければいけないのかと尋ねると、ええと答える。その理由は、夫婦別れをしたときに、夫婦が一冊ずつ持っている事ができるためだそうだ。  こう書いて行くと、朝鮮の宴会で絖を持出された事まで云わなくてはならないから、好い加減に切り上げて、話を元へ戻して、肥った御神さんの始末をつけるが、余は切ない思いをして、汽車の時間に間に合うように一句浮かんだ。浮かぶや否や、帳面の第三頁へ熊岳城にてと前書をして、黍遠し河原の風呂へ渡る人と認めて、ほっと一息吐いた。そうして御神さんの御礼も何も受ける暇のないほど急いでトロに乗った。電話の柱に柳の幹を使ったのが、いつの間にか根を張って、針金の傍から青い葉を出しているのに気がついて、あれでも句にすればよかったと思った。         三十八  窓から覗いて見ると、いつの間にか高粱が無くなっている。先刻までは遠くの方に黄色い屋根が処々眺められたが、それもついに消えてしまった。この黄色い屋根は奇麗であった。あれは玉蜀黍が干してあるんだよと、橋本が説明してくれたので、ようやくそうかと想像し得たくらい、玉蜀黍を離れて余の頭に映った。朝鮮では同じく屋根の上に唐辛子を干していた。松の間から見える孤つ家が、秋の空の下で、燃え立つように赤かった。しかしそれが唐辛子であると云う事だけは一目ですぐ分った。満洲の屋根は距離が遠いせいか、ただ茫漠たる単調を破るための色彩としか思われなかった。ところがその屋根も高粱もことごとく影を隠してしまって、あるものはただの地面だけになった。その地面には赤黒い茨のような草が限りなく生えている。始めは蓼の種類かと思って、橋本に聞いて見たら橋本はすぐ冠を横に振った。蓼じゃない海草だよと云う。なるほど平原の尽きる辺りを、眼を細くして、見究めると、暗くなった奥の方に、一筋鈍く光るものがあるように思われる。海辺かなと橋本に聞いて見た。その時日はもう暮れかかっていた。際限もなく蔓っている赤い草のあなたは薄い靄に包まれて、幾らか蒼くなりかけた頃である。あからさまに目に映るすぐ傍をよくよく見つめると、乾いた土ではない。踏めば靴の底が濡れそうに水気を含んでいる。橋本は鹹気があるから穀物の種がおろせないのだと云った。豚も出ないようだねと余は橋本に聞き返した。汽車に乗って始めて満洲の豚を見たときは、実際一種の怪物に出逢ったような心持がした。あの黒い妙な動物は何だと真面目に質問したくらい、異な感じに襲われた。それ以来満洲の豚と怪物とは離せないようになった。この薄暗い、苔のように短い草ばかりの、不毛の沢地のどこかに、あの怪物はきっと点綴されるに違ないと云う気がなかなか抜けなかった。けれども一匹の怪物に出逢う前に、日は全く暮れてしまった。目に余る赤黒い草の影はしだいに一色の夜に変化した。ただ北の方の空に、夕日の名残のような明るい所が残ったのである。そうしてその明るい雲の下が目立って黒く見える。あたかも高い城壁の影が空を遮って長く続いているようである。余は高いこの影を眺めて、いつの間にか万里の長城に似た古迹の傍でも通るんだろうぐらいの空想を逞ゅうしていた。すると誰だかこの城壁の上を駆けて行くものがある。はてなと思ってしばらくするうちに、また誰か駆けて行く。不思議だと覚って瞬もせず城壁の上を見つめていると、また誰か駆けて行く。どう考えても人が通るに違いない。無論夜の事だから、どんな顔のどんな身装の人かは判然しないが、比較的明かな空を背景にして、黒い影法師が規則正しく壁の上を馳け抜ける事は確である。余は橋本の意見を問う暇もないほど面白くなって、一生懸命に、眼前を往来するこの黒い人間を眺めていた。同時に汽車は、刻々と城壁に向って近寄って来た。それが一定の距離まで来ると、俄然として失笑した。今までたしかに人間だと思い込んでいたものは、急に電信柱の頭に変化した。城壁らしく横長に続いていたのは大きな雲であった。汽車は容赦なく電信柱を追い越した。高い所で動くものがようやく眼底を払った。         三十九  狭い小路の左右は煉瓦の塀で、ちょっと見ると屋敷町のように人通りが少い。それを二十間ほど来て左手の門を這入った。ただ偶然に這入ったのだから、家の名も主人の名も知るはずがない。今から考えると、小路のうちには同じような家が何軒となく並んでいて、同じような門がまたいくつでも開いているのだから、とくにここだけを覗くべき誘致は少しもなかったのである。余はただ案内者の後に跟いて何の気なしに這入った。その案内者もまた好い加減に這入った。案内者は青林館と云う宿の主人である。かつて二葉亭といっしょに北の方を旅行して、露西亜人に苛い目に逢ったと話した。  門を這入ると、右も室、突き当りも室である。左りも隣の壁に隔てられなければ室であるべきはずなのだから、中の一筋だけが頭の上に空を仰ぐ訳になる。そこに立って右手の部屋を覗くと、狭い路次から浅草の仲店を看るような趣がある。実際仲店よりも低く小さい部屋であった。その一番目には幕が垂れていて、中は判然と分らなかったが、次を覗いて見る段になって驚いた。二畳敷ぐらいの土間の後の方を、上り框のように、腰をかけるだけの高さに仕切って、そこに若い女が三人いた。三人共腰をかけるでもなく、寝転ぶでもなく、互に靠れ合って身体を支えるごとくに、後の壁をいっぱいにした。三人の着物が隙間なく重なって、柔かい絹をしなやかに圧しつけるので、少し誇張して形容すると、三人が一枚の上衣を引き廻しているように見える。その間から小さな繻子の靴が出ていた。  三人の身体が並んでいる通り、三人の顔も並んでいた。その左右が比較的尋常なのに引きかえて、真中のは不思議に美しかった。色が白いので、眉がいかにも判然していた。眼も朗かであった。頬から顎を包む弧線は春のように軟かった。余が驚きながら、見惚れているので、女は眼を反らして、空を見た。余が立っている間、三人は少しも口を利かなかった。  青林館の主人は自分ほどこの女に興味がなかったと見えて、好加減に歩を移して、突き当りの部屋に這入った。そこも狭い土間で、中央には普通の卓上が据えてあった。それを囲んで三人の男が食事をしている。皿小鉢から箸茶碗に至るまで汚ない事はなはだしい。卓に着いている男に至ってはなおさら汚なかった。まるで大連の埠頭で見る苦力と同様である。余はこの体裁を一見するや否や、台所で下男が飯を掻き込んでるんじゃなかろうかと考えた。ところがつい隣の室でしきりに音楽をやっている。今見た美人のいる所とはつい三間とは離れていない。実に矛盾な感じである。  余は二歩ばかり洋卓を遠退いて、次の室の入口を覗いて見た。そうしてまた驚いた。向の壁に倚添えて一脚の机を置いて、その右に一人の男が腰をかけている。その左に女が三人立っている。その前には十二三の少女が男の方を向いて立ている。少し離れて室の入口には盲目が床几に腰をかけている。調子の高い胡弓と歌の声はこの一団から出るのである。歌の意味も節も分らない余の耳にはこの音楽が一種異様に凄じい響を伝えた。机の右にいる男が、右の手に筮竹のような物を持って、時々机の上を敲くと同時に左の掌に八橋と云う菓子に似た竹の片を二つ入れて、それをかちかちと打合せながら、歌の調子を取る。趣向はスペインの女の用いるカスタネットに似ているが、その男の顔を見ると、アルハンブラの昔を思い出すどころではない。蒼黒く土気づいた色を、一心不乱に少女の頭の上に乗しかけるように翳して、腸を絞るほど恐ろしい声を出す。少女はまた瞬きもせず、この男の方を見つめて、細い咽喉を合している。それが怖い魔物に魅入られて身動きのできない様子としか受取れない。盲目は彼の眼の暗いごとく、暗い顔をして、悲しい陰気な、しかも高い調子の胡弓を擦り続けに擦っている。左の方に立っている女の一人が余を見た。それが忌むべき藪睨であった。日の目の乏しくって暮やすい室のうちで、この怪しい団体はこの怪しい音楽を奏して夢中である。余は案内の袖を引いてすぐ外へ出た。         四十  橋本は遠い所へ豚を見に行った。何でも市街から一里余もあるとか云う話である。こんな痛い腹を抱えて今更豚でもあるまいと思って止めた。その代りにそこいらをぶらつくべく主人といっしょに馬車で出た。主人がまあ遼河を御覧なさいと云う。馬車を乗り棄てて河岸へ出ると眼いっぱいに見えた。色は出水の後の大川に似ている。灰のように動くものが、空を呑む勢で遠くから流れて来る。哈爾賓に行く途中で、木戸さんに聞いた話だが、満洲の黄土はその昔中央亜細亜の方から風の力で吹き寄せたもので、それを年々河の流れが御叮嚀に海へ押出しているのだそうである。地質学者の計算によると、五万年の後には今の渤海湾が全く埋ってしまう都合になっていますと木戸君が語られた。河辺に立って岸と岸との間を眺めていると、水の量が泥の量より少いくらい濁ったものが際限なく押し寄せて来る。五万年は愚か、一二カ月で河口はすっかり塞がってしまいそうである。それでも三千噸ぐらいな汽船は苦もなくのそのそ上って来ると云うんだから支那の河は無神経である。人間に至っては固より無神経で、古来からこの泥水を飲んで、悠然と子を生んで今日まで栄えている。  サンパンと云う船がここかしこに浮かんで形に合しては大き過ぎるぐらいな帆を上げている。帆の裏には細い竹を何本となく横に渡してあるから、帆に角が立つのみか、捲き上げる時にはがらがら鳴る。日本では見られない絵である。その間を横切って向岸へ着いた。向岸には何にもない。ただ停車場が一つある。北京への急行が出るとか云うので、客がたくさん列車に乗り込んでいる。下等室を覗いたら、腰かけも何もない平土間に、みんなごろごろ寝ころんでいた。帰りにはサンパンに乗って、泥の流を押し渡った。風が出ると難儀だそうである。春の初めには山のような氷が流れてくる。先が見えないので、氷と氷の間に挟まれると命を取られる。ある時氷に路を塞がれて仕方がないから、船を棄てて氷の上へ上って、乗り捨てた船を引き摺って向う側へ出て、ようやくまた船に乗ったと云う話がある。これは主人の実歴談である。  サンパンは妙なところへ着いた。岸は芦を畳んでできている。石垣ではなくて芦垣である。こうしなければ水の力で浚われる恐れがあると云う。芦はいくらでも水を吸い込んで平気でいるから無難だと見える。細い小路を突き抜けると、支那町の真中へ出た。妙な臭がする。先刻から胸が痛むのでポッケットから、粉薬を出して飲もうとするがあいにく水がない。一滴の飲料も用いずに散薬を呑み下す方法は、その後苦し紛れに発見した分別だが、この時はまだそれほど老練な患者でないので、拝むように主人を煩わした。主人はええ訳はありませんと云いつつも、ずいぶん烈しく引張り廻した上、ほとんど苦しくって道傍に竦みそうになった頃、ようやく一軒の店へ這入った。盆栽などの据えてある中庭を通り抜けて角の一部屋へ案内されたが、水はなかなか出る様子がない。そのうち、こちらへと云ってまた二階へ招ぜられた。虫のように段々を上って廊下から室へ這入ると、日本人が二三人事務を執っている。さあどうぞと椅子を与えられたので、挨拶をして始めて解ったが、水を貰いに飛び込んだところは日清豆粕会社で、さあどうぞと迎えてくれたのは、社員の倉田君である。倉田君は固より日本から漫遊もしくは視察の目的をもってわざわざ営口までやって来たものと余を信じている。服薬のために通りがかりのついでながら、日清豆粕会社の奥二階へ水を貰いに立ち寄ったと判じようはずがない。そこで水は容易に出ない。湯も出ない。今御茶を上げると云って、ボイがしきりに支度をしている。余は青林館の主人が恨めしくなった。けれども倉田君に対しては相応に体裁を具えた応対をしなければならない。豆が汽車で大連へ出るようになってから、河を下ってくる豆の量が減ったでしょうかてような事を、真面目くさって質問していた。         四十一  橋本が博士になったり、ならなかったりした話がある。大連の大和ホテルにいる時分、満鉄から封書が届いた。その表に橋本農学博士殿と叮嚀に書いてあったのを乙に眺めながら、これだから厭になっちまうと云って余の方を向いて苦笑したから、先生は学者ぶって、むやみに博士呼わりをされるのを苦にする意味なんだろうと鑑定して、取り合ってやらなかった。実際こんな事が苦になるくらいなら、始めから博士にならなければ好いと思ったからである。その時はそれですんだ。  余は橋本をもって固より農学博士と信じていた。是公もそう信じていた。現にある人に向って橋本って農学博士さと説明しているのを聞いた。余に至っては、いつかの新聞で、本人の博士になった事をたしかに承知した記憶がある。それで大連を立って北に行く時も、栄誉ある博士の同伴者だと云う自覚がちゃんとあった。ところが毎日毎晩一つ鍋のものを突ついて進行しているうちに、何かの拍子だったが、いやおれは博士じゃないよと急に橋本が云い出した。その時はいくら本人が証明したってなるほどと云う気になれないくらい驚いた。第一、十年近くも大学の教授をしている男を、博士にしない法はないと考えてる上、どうしても新聞でその授与式を拝見したとしか思われないんだから、余もできるだけは抗弁したが、やっぱり博士じゃないと頑固を張って云う事を聞かない。余もやむをえず、そうかと云って我を折った。この時から橋本は気の毒ながらとうとう、ただの人間になってしまった。  けれども、世間には迂濶ものが多いと見えて、どこへ行っても橋本博士、橋本博士と云う。新聞を折々読むときっと橋本博士と出ている。しまいにはおいまた博士だよと注意するのが面倒になった。橋本も澄し返っている。もっとも澄まし返さなくったって、一々博士じゃありませんと訂正して歩く訳に行くものじゃない。こう云う余にも覚がある。釜山から馬関へ渡る船中で、拓殖会社の峰八郎君の妻君に逢ったとき、八郎君は真面目な[#「な」は底本では「を」]顔をして、これは夏目博士と引き合した。すると妻君が御名前はかねて伺っておりますと叮嚀に御辞儀をされるから、余もやむをえず、はあと云ったなり博士らしく挨拶をした。だから橋本が博士に慣れ切って満洲を朝鮮へ渡るに何も不思議はない。余もいったんは彼の博士を撤回したようなものの、日を重ねるに従ってまた何だか博士らしい気持がし出した。それで道中つつがなく安奉線を通って、安東県までやって来た。ところがここで橋本の博士がちょっと気に食わなくなった。安東県の宿屋の番頭がどう云う不料簡か、橋本博士御手荷物のうちと云う札を余の革鞄にぴたぴた結いつけてしまった。腹が立ったが面倒だからそのままにしておくと次の宿屋で橋本と分れる事になって、向うの手荷物を停車場へ運び出す際に、余の奇麗な革鞄を橋本のものだと思い込んで、宿屋の小僧がずんずん停車場まで持って行ってしまった。余は冗談じゃないぜと云った。橋本は面白がって笑っていた。それだから、また博士にならない。         四十二  ここだと云うので、降りたには降りたが、夜の事だから方角も見当もまるで分らない。頼りに思う停車場は縁日の夜店ほどに小さいものであった。その軒を離れるとなおさら淋しい。空には星があるが、高い所に己と光るのみで、足元の景気にはならなかった。汽車路を通って行くと、鉄軌の色が前後五六尺ばかり、提灯の灯に照らされて、露のごとく映ってはまた消えて行く。そのほかに何も見えなかった。やがて右へ切れて堤のようなものをだらだらと下りる心持がしたが、それも六七歩を超えると、靴を置く土の感じが不断に戻ったので、また平地へ出たなと気がついた。すると虫の音が聞えだした。足元で少しばかり鳴いてるような家庭的なものではない。虫の音だと云う分別が出た時には、その声がもう左右前後に遠く続いていた。我々は一つの提灯を先にして、平原にはびこる無尽蔵の虫の音に包まれながら歩いた。  今考えると、なかなか風流である。筆を執って書いていても、魏叔子の大鉄椎の伝にある曠野の景色が眼の前に浮んでくる。けれども歩いている途中は実に苦しかった。飯の菜に奴豆腐を一丁食ったところが、その豆腐が腹へ這入るや否や急に石灰の塊に変化して、胃の中を塞いでいるような心持である。腮の奥から締めつけられて、やむをえない性質の唾液が流れ出す。それに誘われるままにしておくと、嘔きたくなる。せめて口中の折合でもと思って、少し抵抗しにかかると、足が竦んで動けなくなる。余は幾度か虫の音の中に苦しい尻を落ちつけようかと思った。ただ橋本に心配させるのが、気の毒である。支那の荷持に野糞を垂れてると誤解されたって手柄にもならない。そこで無理に歩いた。  遥向うに灯が一つ見える。余が歩いている路は平らである。灯はその真正面に当る。あすこへ行くんだろうと推測して星の下を無言に辿った。今日の午は営口で正金銀行の杉原君の御馳走を断った。晩は天春君の斡旋ですでに準備のできている宴会を断った。そうして逃げるように汽車に乗った。乗る時橋本にこの様子じゃ千山行は撤回だと云った。実際撤回しなければならないほど、容体が危しくなって来た。ただ向うに見える一点の灯火が、今夜の運命を決する孤つ家であると覚悟して、寂寞たる原を真直に横切った。原のなかには、この灯火よりほかに当になるものは一つも見つからないのだから心細かった。宿屋はたった一軒かと聞いたら、案内がええと答えた。湯崗子は温泉場だと橋本のプログラムの中にちゃんと出ているのだから、温泉がこの茫々たる原の底から湧いて出るのだろうとは、始めから想像する事ができたが、これほど淋しい野の面に、ただ一軒の宿屋がひっそり立っていようとは思いがけなかった。  そのうちようやく灯のある所へ着いた。平家作の西洋館で、床の高さが地面とすれすれになるほど低い。板間ではあるが無論靴で出入をする。宿の女は草履を穿いていた。遠くから見たと同じように浮き立たない家であった。造作のつかない広い空家へ洋灯を点して住っているのかと思った。這入るとすぐの大広間に置いてあったオルガンさえ、先の持主が忘れて置いて行ったものとしか受取れなかった。暗い廊下を突き当って右へ折れた翼の端の室へ案内された。中を二つに仕切ってある。低い床には、椅子と洋卓と色の褪めた長椅子とが置いてあった。高い方は畳を敷いて、日本らしく取り繕ってあった。ちょうど土間から座敷へ上るようにして、甲から乙に移る構造である。余はいきなり畳の上に倒れた。三四十分の後膳が出た。橋本がしきりに起きて食えと勧めたが、ついに起きなかった。第一食卓に何が盛られたかをさえ見なかった。眼を開ける勇気すら無かったのである。         四十三  朝起きると、馬が来たとか来ないとか云って橋本の連中が騒いでいる。連中は三人だから、一人が一つの馬に乗るとすれば、三匹要る訳になる。この茫漠たる原の中で、生きた馬を三匹生捕るとなると、手数のかかるのは一通りではあるまい。連中は格別早起きもしない癖に、今更苦情を並べたって始まらないと思って、同行を断念した余は、冷然と落ちついていた。本来を云うと、千山へ行くのが目的で、わざわざここに降りたには相違ないが、一旦自分が千山行を諦めたとなると、ほかの連中が予定通に行動するのが、いまいましくなる。第一橋本なんて農科の男は、千山を見る必要も何もないのである。千山は唐の時代に開いた梵刹で、今だに残っているのは、牛でもなければ豚でもない、ただ山と谷と巌と御寺と坊主だけであるから、農科の教授がわざわざ馬に乗って見物に行くべきところではけっしてない。と云ってせっかく行くと云うものを、意見までして思い止まらせるほどの口実は無論考え出せないから、なすがままにさせて放っておいた。そのうち不思議な事に、注文通馬が三匹出て来た。どこから出て来たものか聞いても見なかったが、たしかに出て来た。三人は癪に障るほど勇んで外へ飛び出した。余は仕方がないから西洋間と日本間の唯一の主人として、この一日を物静かに休養すべく準備した。まず何よりも横になるのが薬だろうと思って、狸だか狐だか分らない毛皮の上にごろりと転がった。すると窓の外から橋本の声で、おいおいちょっと出て見ろと呼んでいる。彼れまだそこいらを迷ついてるなと思うと、少し面白くなったから、請求通原の中へ草履のまま出た。すると広い牧場のようなところに、馬が三匹立っていた。それがいずれも小汚ない駄馬だったのではなはだ愉快であった。のみならず、その中の一匹がどうしても大重君を乗せようと云わない。傍へ行くと、飛んだり蹴たりする。馬が怖がるからだと云って、手拭で眼隠しをして、支那の小僧が両手で轡をしっかり抑えている。遠くから見ると、馬が鉢巻をしたようでおかしかった。その傍へ大重君が苦笑いをしながら近寄って行くところは、一層面白かった。しかも一度や二度ではない。よほど馬に遠慮する性質と見えて、容易に埒を明けないから、みんながなお喝采する。橋本は北海道の住人だから苦もなく鞍に跨った。もう一人――名前を忘れたから、もう一人というよりほかに仕方がないが――これは熊岳城の苗圃の長で、もと橋本に教わった事があると云うだけに、手綱を執る術を心得ている。余はこの時立ちながら心の中で、要するに千山行を撤回した方が、馬術家としての余の名誉を完うする所以ではなかろうかと考えた。  けれども、そんな気色は顔にも出さず、ただ残り惜しげに三人の後姿を眺めていた。そうして大重君の腰つきから推測して、千山まであれで乗り通すのは、定めて心配な事だろうと同情した。橋本は今夜のうちに帰るんだとか号して、しきりに馬を急がせるらしい。苗圃長も負けずに、続いて行く。独り大重君だけが後れた。馬はまだ眼隠をしている。やがて二人の影が高粱に遮ぎられて、どっちへ向いて行くかちょっと分らなくなった。先刻からそこいらを徘徊していた背の高い支那人もまた高粱の裡に姿を隠した。この支那人は肩から背へかけて長い鉄砲を釣っていた。人数は二人であった。始めて気がついたときは咄嗟の際に馬賊という聯想が起った。橋本と前後して高粱の底に没して、しばらくすると、どんと云う砲声が聞えて、またしばらくすると、三人の馬の前にどこからかあの背の高い奴が現われて来たら大事件だと想像して、また室の中へ帰って狸の皮の上に寝た。         四十四  手拭を下げて風呂に行く。一町ばかり原の中を歩かなければならない。四方を石で畳上げた中へ段々を三つほど床から下へ降りると湯泉に足が届く。軍政時代に軍人が建てたものだからかなり立派にできている代りにすこぶる殺風景である。入浴時間は十五分を超ゆべからずなどと云う布告めいたものがまだ入口に貼付けてある通りの構造である。犯則を承知の上で、石段に腰をかけたり、腹這に身を浮かしたり、頬杖を突いて倚りかかったり、いろいろの工夫を尽くした上、表へ出て風呂場の後へ廻ると、大きな池があった。若い男が破舟の中へ這入ってしきりに竿を動かしている。おいこの池は湯か水かと聞くと、若い男は類稀なる仏頂面をして湯だと答えた。あまり厭な奴だから、それぎり口を利くのをやめにした。岸の上から底を覗くと、時々泡のようなものが浮いて来る。少しは湯気が立ってるかとも思われる。実は魚がいないかと、念のため聞いて見たかったのだけれども、相手が相手だから歩を回らして宿の方へ帰った。後で、この池に魚が泳いでいる由を承知してはなはだ奇異の思いをなした。その上ここには水が一滴も出ないのだと教えられたときには全く驚いた。  驚いた事はまだある。湯から帰りがけに入口の大広間を通り抜けて、自分の室へ行こうとすると、そこに見慣れない女がいた。どこから来たものか分らないが、紫の袴を穿いて、深い靴を鳴らして、その辺を往ったり来たりする様子が、どうしても学校の教師か、女生徒である。東京でこそ外へさえ出れば、向うから眼の中へ飛び込んでくる図だが、渺茫たる草原のいずくを物色したって、斯様な文采は眸に落ちるべきはずでない。余はむしろ怪しい趣をもって、この女の姿をしばらく見つめていた。  室に帰ってまた寝た。眼が覚めると窓の外で虫の声がする。淋しくなったから、西洋間へ出て、長椅子の上に腰をかけて、謡をうたった。無論出鱈目である。そこへ下女が来た。先刻の女の事を聞いたら、何でも宅で知ってる人なんでしょうと云っただけで、ちっとも要領を得ない。昨夕飯を済まして煙草を呑んでいると急に広間の方で、オルガンを弾く音がしたが、あの女がやったんじゃないかと聞くと、いいえ昨夕のは宅の下女ですと云う。この原のなかに、それほどハイカラな下女がいようとは思いがけなかった。先刻の袴はもう帰ったそうである。  余は一人長椅子の上に坐った。そうして永い日が傾き尽して、原の色が寒く変るまでぽかんとしていた。すると静かな野の中でどうぞ、ちと御遊びに、私一人ですからと云う嬌かしい声がした。その音調は全くの東京ものである。余は突然立って、窓の外を眺めた。あいにく窓には寒冷紗が張ってあった。手早く硝子を開けて首を外へ出すと、外はもう一面に夕暮れていて、蒼い煙が女の姿を包んでしまったので誰だか分らなかった。  橋本の連中はその晩帰って来た。下女のしらせで、暗い背戸に出て見ると、豆のような灯が一つ遠くに見えた。下女はあれが連中だと云う。いくら野広いところだって、橋本以外にも灯が見える事もあるだろうと尋ねても、やっぱりあれだと云う。はたしてそうであった。灯は夕方宿から迎に出した支那人の持って行った提灯である。背戸口に馬を乗り捨てた橋本は、そう骨を折って見に行く所でもないよと云った。大重君は馬から三度落ちたそうである。         四十五  奉天へ行ったら満鉄公所に泊るがいいと、立つ前に是公が教えてくれた。満鉄公所には俳人肋骨がいるはずだから、世話になっても構わないくらいのずるい腹は無論あったのだが、橋本がいっしょなので、多少遠慮した方が紳士だろうという事に相談がいつか一決してしまった。停車場には宿屋の馬車が迎えに来ていた。やはり泥の中から掘出して、炎天で乾かしたように色が変っている。荷物と人間をぐるに乗せて、構内を離れるや否や、御者が凄じく鞭を鳴らした。峠を越す田舎の乗合馬車よりも手荒な取扱方である。広い通りはそれほどでもないが、しだいに城内に近づくに従って、今まで野原同然に茫々としていた往来が、左右の店の立込んで来ると共に狭くなる上に、鉄道馬車がその真中を駆けつつあるにもかかわらず、烈しい鞭の影は一分に一度ぐらいはきっと頭の上で閃めいた。馬は無理にも急がなければならない。けれども奉天だけあって、往来の人は馬車の右にも左にも、前にも後にも、のべつに動いている。そこへ騾馬を六頭も着けた荷車がくるのだから、牛を駆るようにのろく歩いたって危ない。それだのに無人の境を行くがごとくに飛ばして見せる。我々のような平和を喜ぶ輩はこの車に乗っているのがすでに苦痛である。御者はもちろんチャンチャンで、油に埃の食い込んだ辮髪を振り立てながら、時々満洲の声を出す。余は八の字を寄せて、馬の尻をすかしつつ眺めた。そうして、みだりに鞭を瘠せ骨に加えて、旅客の御機嫌を取るのは、女房を叱って佳賓をもてなすの類だと思った。  現に北陵から帰りがけに、宿近く乗りつけると、左り側に人が黒山のようにたかっている。その辺は支那の豆腐やら、肉饅頭やら、豆素麺などを売る汚ない店の隙間なく並んでいる所であったが、黒い頭の塊まった下を覗くと、六十ばかりの爺さんが大地に腰を据えて、両脛を折ったなり前の方へ出していた。その右の膝と足の甲の間を二寸ほど、強い力で刳り抜いたように、脛の肉が骨の上を滑って、下の方まで行って、いっしょに縮れ上っている。まるで柘榴を潰して叩きつけた風に見えた。こう云う光景には慣れているべきはずの案内も、少し寒くなったと見えて、すぐに馬車を留めて、支那語で何か尋ね出した。余も分らないながら耳を立てて、何だ何だと繰返して聞いた。不思議な事に、黒くなって集った支那人はいずれも口も利かずに老人の創を眺めている。動きもしないから至って静かなものである。なお感じたのは、地面の上に手を後へ突いて、創口をみんなの前に曝している老人の顔に、何らの表情もない事であった。痛みも刻まれていない。苦しみも現れていない。と云って、別に平然ともしていない。気がついたのは、ただその眼である。老人は曇よりと地面の上を見ていた。  馬車に引かれたのだそうですと案内が云った。医者はいないのかな、早く呼んでやったらいいだろうにと間接ながら窘なめたら、ええ今にどうかするでしょうという答である。この時案内はもう本来の気分を回復していたと見える。鞭の影は間もなくまた閃めいた。埃だらけの御者は人にも車にも往来にも遠慮なく、滅法無頼に馬を追った。帽も着物も黄色な粉を浴びて、宿の玄関へ下りた時は、ようやく残酷な支那人と縁を切ったような心持がして嬉しかった。         四十六  支那の古家をそのまま使ってるから、御寺の本堂を客間に仕切ったと同じようである。釣り廊下を渡って正面の座敷を覗くと、骨董がいっぱい並べてあったので、何事かと思ったら、北京へ買出しに行った道具屋が、帰り途にここで逗留中の見世を張ったのだと分ったから、冷し半分這入って見ているうちに、時間が来たので、外へ出た。今度は車だから好かろうと安心して、ちょっとハイカラに膝頭を重ねて反り返って見たが、やはりけっして無難ではない。人力は日本人の発明したものであるけれども、引子が支那人もしくは朝鮮人である間はけっして油断してはいけない。彼等はどうせ他の拵えたものだという料簡で、毫も人力に対して尊敬を払わない引き方をする。海城というところで高麗の古跡を見に行った時なぞは、尻が蒲団の上に落ちつく暇がないほど揺れた。一尺ばかり跳ね上げられる事は、一丁の間に一度は必ずあった。しまいに朝鮮人の頭をこきんと張つけてやりたくなったくらい残酷に取扱われた。奉天の道路は海城ほど凸凹にでき上っていないから、むやみに車の上で踊をおどる苦痛はないが、その引き方のいかにも無技巧で、ただ見境なく走けさえすれば車夫の能事畢ると心得ている点に至っては、全く朝鮮流である。余は車に揺られながら、乗客の神経に相応の注意を払わない車夫は、いかによく走けたって、ついに成功しない車夫だと考えた。  そのうち大きな門の下へ出た。奉天へ前後四泊した間に、この門を何度となく潜った覚がある。その名前も幾度となく耳にした。ところがそれを忘れてしまった。その恰好もはなはだ曖昧に頭に映るだけである。しかし奉天の市街に入って始めて埃だらけの屋根の上に、高くこの門を見上げた時は、はあと思った。その時の印象はいまだに消えない。橋本といっしょにこの門の傍にある小さな店に筆と墨を買いに行った折の事も、寂びた経験の一つとしてよく覚えている。その時橋本は敷居を跨いで、中へ這入った。余も橋本に続こうとして身体を半分廂から奥へ差し込んだが、支那の家に固有な一種の臭が、たちまち鼻に感じたので、一二歩往来の方へ出て佇んでいた。今云う門は十間ばかり先の四辻にあるので、余は鳥打帽の廂に高い角度を与えてわざわざ仰むいて見た。時刻は暮に近い頃だったから、日の色は瓦にも棟にも射さないで、眩しい局部もなく、総体が粛然と喧びすしい十字の街の上に超越していた。この門は色としては、古い心持を起す以外に、特別な采をいっこう具えていなかった。木も瓦も土もほぼ一色に映る中に、風鈴だけが器用に緑を吹いていただけである。瓦の崩れた間から長い草が見えた。廂の暗い影を掠めて白い鳩が二羽飛んだ。余は久しぶりに漢詩というものが作りたくなった。待っている間少し工夫して見たが、一句も纏まらないうちに、橋本が筆と墨を抱えて出て来たので興趣は破れてしまった。  このほかにこの門から得た経験は、暗い穴倉のなかで、車に突き当りはしまいかと云う心配と、煉瓦に封じ込められた塵埃を一度に頭から浴びると云う苦痛だけであった。余の車屋はこの暗い門の下を潜って、城内の満鉄公所まで、悪辣無双に引いて行った。余は生きた風呂敷包のごとく車の上で浮沈した。         四十七  茶を飲むと、酸いような塩はゆいような一種の味がする。少し妙だと思って、茶碗を下へ置いてゆっくり橋本の講釈を聞いた。その講釈によると、奉天には昔から今日に至るまで下水と云うものがない。両便の始末は無論不完全である。そこで古来から何百年となく奉天の民が垂れ流した糞小便が歳月の力で自然天然に地の底に浸み込んで、いまだに飲料水に祟りをなしているんだと云う。一応はもっともだが、説明が少し科学的でないようである。第一それほどの所なら穀類野菜ともに、もっとよくできなければならないはずだと思ったが、馬鹿気ているから議論もしなかった。橋本もこれは伝説だよと断った。伝説と云えば日本武尊の東夷征伐と同種類に属すべきもので、真偽以外に、重く取扱わねばならぬ筋の来歴を有しているに違いない。いかにも汚ない国民である。  湯を立てて貰って這入って見ると、濁っている。別に黄色く濁っている訳ではないが、御茶の味から演繹すればやっぱり酸っぱい湯に浸っているとよりほかに考えようがない。鹹水にも溶けるとか云って大連でくれた豆石鹸でも、行李の底から出せばよかったと思った。風呂場も風呂桶も小さいものである。その上下女が出て来て背中を流してくれる。窮屈に身体を曲げながら、御前は日本人だろう。日本はどこの生れだいなどと話をした。この下女は始めて宿へ着いた時、余を橋本の随行と間違えて、そら何とかさんもいっしょにいらしったと云った。その何とかさんは橋本が蒙古へ行くとき、彼と同じくここへ泊った事があるのだそうだ。顔が似ているから間違えたのか、様子が御供らしいから間違えたのかは、つい聞き糺して見なかった。窓の外に大きな甕が埋けてある。我々の汗や垢が例の酸っぱい水といっしょになって、朝に晩に流れ込んでいるのだから、時々汲み出さなければ溢れるほど溜ってしまう。それを支那の下男が石油缶へ移して天秤棒で担いで、どこかへ持って行く。風呂に浸りながら、どこへ持って行くんだろうなと考えた。余計な心配のようだが余はこの汚水が結局どう片づけられるかの処置を想像して見て、少しく恐ろしくなった。  これでいて御馳走がむやみに出る。胃の悪い余のごときものは、御膳の上を眺めただけで、腹がいっぱいになってしまう。夜は緞子の夜具に寝かしてくれる。店の方では電話が仕切なしにちりんちりんと鳴っている。品の好い御神さんが、はあもしもしを乃別に繰返す。或る時チョコレートの菓子が食いたくなったから、下女に有るかいと聞いて見ると、すぐもしもしで取り寄せてくれた。のみならず満鉄公所へ御馳走を受けに行けば、三鞭が現れる。領事館へ挨拶に行けば、英吉利の王様の写真などが恭々しく飾ってあって、まるで倫敦のような気持になる。そうかと思うと、宿の座敷の廊下の向うが白壁で、高い窓から光線が横に這入って来るのは仕方がないが、その窓に嵌めてある障子は、北斎の画いた絵入の三国志に出てくるような唐めいたものである。しかもあまり綺麗ではない。その上室の中が妙な臭を放つ。支那人が執拗く置き去にして行った臭だから、いくら綺麗好きの日本人が掃除をしたって、依然として臭い。宿では近々停車場附近へ新築をして引移るつもりだと云っていた。そうしたら、この臭だけは落ちるだろう。しかし酸っぱい御茶は奉天のあらん限り人畜に祟るものと覚悟しなければならない。         四十八  黒い柱が二本立っている。扉も黒く塗ってある。鋲は飯茶碗を伏せたように大きく見える。支那町の真中にこんな大名屋敷に似た門があろうとは思いがけなかった。門を這入るとまた門がある。これは支那流にできていた。それを通り越すと幅一間ほどの三和土が真直に正面まで通っている。もっとも左右共に家続きであるから、四角な箱の中をがらん胴にして、その屋根のない真中を、三和土を辿って突き当る訳になる。肋骨君の説明を聞いて知ったのだが、この突当りが正房で、左右が廂房である。肋骨君はこの正房の一棟に純粋の日本間さえ設けている。ちょっと見たまえと云って案内するから、後に跟いて行くと、思わざる所に玄関があって、次の間が見えて、その奥の座敷には立派な掛物がかかっていた。かと思うと左の廂房の扉を開いてここが支那流の応接間だと云う。なるほど紫檀の椅子ばかり並んでいる。もっとも西洋の客間と違って室の真中は塞いでいない。周囲に行儀よく据えつけてある。これじゃ客が来ても向い合って坐る事はできない訳だから、みんな隣同志で話をする男ばかりでなければならない。中にも正面の二脚は、玉座とも云うべきほどに手数の込んだもので、上に赤い角枕が一つずつ乗せてあった、支那人てえものは呑気なものでね、こうして倚っかかって談判をするんですと肋骨君が教えてくれた。肋骨君は支那通だけあって、支那の事は何でも心得ている。あるとき余に向って、辮髪まで弁護したくらいである。肋骨君の説によると、ああ云うぶくぶくの着物を着て、派出な色の背中へ細い髪を長く垂らしたところは、振え付きたくなるほど好いんだそうだから仕方がない。実際肋骨君が振え付きたくなると云う言葉を使ったには驚いた。今でもこの言葉を考え出しては驚いている。いっぺん汚ない爺さんが泥鰌のような奴をあたじけなく頸筋へ垂らしていたのを見て、ひどく興を覚したせいだろう。  これほどの肋骨君も正房の応接間は西洋流で我慢している。その隣の食堂では西洋料理を御馳走した。それから襯衣一枚で玉を突く。その様子はけっして支那じゃない。万事橋本から聞いたより倍以上活溌にできているところをもって見ると、振え付きたいは少々言い過ぎたのかも知れない。肋骨君は戦争で右か左かどっちかの足を失くした。ところがそれがどっちだか分らないくらい、自由自在に起ったり坐ったりする。そうして軍人に似合わないような東京弁を使う。どこで生れたか聞いて見たら、神田だと云った。神田じゃそのはずである。要するに肋骨君は支那好であると同時に、もっとも支那に縁の遠い性質の人である。  室は空いてるから来たまえとしきりに云ってくれるので、じゃ帰りに厄介になるかも知れないと云うとすぐ宜しいと快諾したところだけは旨かったが、帰りには夜半の汽車で奉天へ着く時間割だと橋本から聞くや否や、肋骨君はたちまち宿泊を断った。いや、あの汽車じゃ御免だと云う。もう一つの汽車が好いじゃないかと勧めるんだが、プログラムの全権があいにくこっちにないので、やむをえず、そんなら、もし夜半の汽車でなかったら泊めて貰おうと云う条件をつけた。すると肋骨君はまた宜しいと答えた。ところが帰りにはやっぱり予定通夜半着の汽車へ乗ったのでとうとう満鉄公所へは泊まれない事になった。満鉄公所で余の知らない所は寝室だけである。         四十九  右へ折れると往来とは云われないくらい広い所へ出たのでようやく安心した。これならば人を引殺す心配もなかろうと思って、案内をしてくれる、宿の番頭を相手に、行く行く話をした。満洲の日は例によって秋毫の先を鮮かに照らすほどに思い切ったものである。眉深に鳥打帽を被っても、三日月形の廂では頬から下をどうする事もできないので、直下に射りつけられる所は痛いくらいほてる。そこへ馬の蹄に掻き立てられた軽い埃が、車の下から濛々と飛んで来る。番頭は、結構な御日和です、少し風でも吹いたらこんなものじゃありませんと喜んでいる。そのうち馬車が家を離れて広い原へ出た。原だから無論樹も草も見えないのは当然だが、遠く眺めると、季節だけに青いものが際限のない地の上皮に、幾色かの影になって、一面に吹き出している。なぜこれほどの地面を空しく明けておくかは、家屋の発展に忙殺されつつある東京ものの眼には即時の疑問として起る訳であるが、この際はそれよりも窮屈な人間を通り抜けて晴々したと云う意識の方が一度に余の頭を照らした。路は固よりついていない。東西南北共に天に作った路であるから、轍の迹は行く人の心任せに思い思いの見当に延びて行く。  支那人の馬車が来た。屋根に蒲鉾形の丸味を取った棺のようなもののなかに、髪を油で練固めた女が坐っている。長柄は短いが、車の輪は厚く丈夫なものであった。云うまでもなく騾馬に引かしている。まず日本の昔に流行った牛車の小ぢんまりしたものと思えば差支えないが、見たところは牛車よりもかえって雅である。その代り乗ってる人間は苦しいそうだ。余はこの車のごろごろ行くところを見て、たり※[#「車+兀」、555-3]たりと形容したくなった。の字も※[#「車+兀」、555-3]の字も判然たる意味を知らないのだが、乗ってる人は定めて※[#「※」は「車+兀」、555-4]たるものに相違なかろうと思ったからである。実を云うと※[#「車+兀」、555-5]たるものは支那の車ばかりではない。こう云う自分もはなはだ危しかった。一望して原だよと澄ましていればそれまでの事で、仰のごとく平らにも見えるが、いざ時間に制限を切って、突切って見ろと云われると、恐ろしく凸凹ができてくる。おいここで馬車の引っくり返る事はあるまいなと番頭に念を押すと、番頭はええ、まあたいてい大丈夫でしょうと云うだけで、けっして万一を受け合わない。どうも並んでいる番頭の座が急に高くなって、番頭そのものが余の方に摺落ちて来そうになったり、またはあべこべに、余が番頭のシャッポの上に顛び落ちそうになるのは心好くないものである。余は神経質で臆病な性分だから、車が傾くたんびに飛び降りたくなる。しかるに人の気も知らないで、例の御者が無敵に馬を馳けさせる。いらぬ事だと冷や冷やしているうちに、一カ所路の悪い所へ出た。原因は解らないが、轍の迹が際立って三四十本並んでいる。しかもその幅がいずれも五六寸ある。そうして見るからに深そうに、日影を遮って、奥の方を黒くかつ暗くしている。我々の御者は平気にそこへ乗り込んだ。順当に乗り込んだのならまだよかったけれども、片方の輪だけが泥の中へぐしゃぐしゃと滅り込むと同時に、片方は依然として固い土に支えられている。余は泥側に席を占めていた。すると足が土と擦れ擦れになるまで車が濘海に沈んで来た。番頭は余の頭の上にあるごとく感ぜられた。余はたまらなくなって、泥の中へ飛び下りた。         五十  原が急に叢に変化するのは不思議であった。ここにこれだけの樹が生えるなら、原の中ももう少し茂って然るべきであると気がついた時はすでに車の両側が塞がっていた。竹こそないが、藪と云うのが適当と思われるくらいな緑の高さだから、日本の田舎道を歩くようなおとなしい感じである。ところどころ細い枝などが列を外れて往来へ差し出ているのを、通りながら潜り抜けたり、撓わしたりして行き過ぎるのが何より愉快だった。路も先刻よりは平たくなって、真白に草と木の間を貫いている。ある所には大きな松があった。葉の長さが日本の倍もあって色は海辺のそれよりも黒い。ある所は荒れ果てた庭園の体に見えた。そう云う場所へ来ると、馬車の上から低い雑木を一目に二丁も眺められる。向うに細長い石碑が立っていた。模様だけが薄く見えるが、刻字は無論分らなかった。  しばらくすると、路が尽きて高い門の下へ出た。門は石を畳んだ三つのアーチからでき上っているが、アーチの下まで行くにはだいぶ高い石段を登らなくてはならない。門の左右には大きな竜が壁に彫り込んであった。これが正門ですがね、締切りだから壁へ添いて廻るんですと云って、馬を土堤のような高い所へ上げた。右は煉瓦の壁である。それがところどころ崩れかかっている。左はだらだらの谷で野葡萄や雑木が隙間なく立て込んだ。路は馬車が辛うじて通れるぐらい狭い。そこを廻って横手の門から車を捨てて這入ると、眼がすっきりと静まった。一抱もある松ばかりが遥の向まで並んでいる下を、長方形の石で敷きつめた間から、短い草が物寂びて生えている。靴の底が石に落ちて一歩ごとに鳴った。一丁ばかり行って正面に曲ると、左右に石の象がいた。大きくって、鷹揚で、しかも石だからはなはだ静かである。突き当りにある楼門のような所へ這入ったら、今度は大きな亀の背に頌徳碑が立ててあった。亀も大きかったが、碑も高い。蒙古と満洲と支那の三国語で文章が刻ってある。後へ出ると隆恩門と云うのが空に聳えていた。積み上げたアーチの上を見ると三層あった。左右に回らしてある壁も尋常ではない。あの上を歩いて見たいと番頭に頼むと、ええ今乗って見ましょうと云って中へ這入った。中は真四角に仕切ってある。正面にある廟の横から石段を登って壁の上へ出ると、廟の後だけが半月形になっていわゆる北陵を取り巻いている。  支那の小僧が跣足で跟いて来た。番頭を捕まえてしきりにこそこそ何か云っている。番頭に聞くと、ええなにと曖昧な答をする。また聞き返したらこう云った。――屋根の廂の所に着けてある金の玉を、この間一つ落ちた時に、拾っておいたから、買ってくれと云うんです。表向にすると厳しいものですから、こうして見物に来た時、そうっと売りつけようてんで、支那人は実に狡猾ですからね。  支那の陵守も無論狡猾だろうが、金の玉を安く買おうと云う番頭もあまり正直な方じゃない。番頭はそっと銭をやって金の玉をポッケットへ入れたようである。  壁の上を歩くと太い樹が眼の下に見える。桑があんなに大きくなってますと番頭が指した。なるほど一抱もある。この四角な壁の一側は長さどのくらいかねと尋ねると、へえ今勘定して見ましょうと云いながら、一歩二尺の割で、一二三四と歩いて行った。余は壁の外を見下して、そこらを絡んでいる赤い木の実を眺めていた。せっかく番頭の勘定した壁の長さは忘れてしまった。         五十一  撫順は石炭の出る所である。そこの坑長を松田さんと云って、橋本が満洲に来る時、船中で知己になったとかで、その折の勧誘通り明日行くと云う電報を打った。汽車に乗ると西洋人が二人いた。朝早いので、客車内で持参の弁当か何か食っていたが、撫順に着いたら我々といっしょに汽車を降りた。出迎えのものが挨拶しているところを聞いて見ると、そのうちの一人は奉天の英国領事であった。我々もこの英人等といっしょに炭坑の事務室に行って、二階で松田さんに逢った。松田さんは縞の縮の襯衣の上に薄い背広を着ていた。背の低い気軽な人なので、とうてい坑長とは思えなかった。我々と英国人を二所に置いて、双方へ向けて等分に話をした。橋本も余も英語はいっさい口にしなかった。したがって英人とは言葉を交えなかった。  やがて松田さんが案内になって表へ出た。貯水池の土堤へ上ると、市街が一目に見える。まだ完全にはでき上っていないけれども、ことごとく煉瓦作りである上に、スチュジオにでも載りそうな建築ばかりなので、全く日本人の経営したものとは思われない。しかもその洒落た家がほとんど一軒ごとに趣を異にして、十軒十色とも云うべき風に変化しているには驚いた。その中には教会がある、劇場がある、病院がある、学校がある、坑員の邸宅は無論あったが、いずれも東京の山の手へでも持って来て眺めたいものばかりであった。松田さんに聞いたら皆日本の技師の拵えたものだと云われた。  市街から眼を放して反対の方角を眺めると、低い丘の起伏している向うに煙突の頭が二カ所ほど微かに見える。双方共距離はたしかに一里以上あるんだから広い炭坑に違ない。松田さんの話しによると、どこをどう掘っても一面の石炭だから、それを掘尽くすには百年でも二百年でもかかるんだそうである。我々の立っているつい傍でも、八百尺と九百尺のシャフトを抜いていた。  事務所へ帰って午餐の御馳走になったとき英国人は箸も持てず米も喰えず気の毒なものであった。この領事は支那に十八年とかいたと云うのに、二本の箸を如何ともする事のできないのは案外である。その代り官話は達者だそうだ。松田さんは用事が忙しいとかで、食卓へは出て来られなかった。接待役として松田さんに代った人は、英語で英国人に話したり、日本語で余等に話したりはなはだ多事であった。けれども橋本氏も余もこの時まで英語はいっさい使わなかった。元来英人と云うものはプラウドな気風を帯びていて、紹介されない以上は、他に向って容易に口を利かない。だから我々も英人に対しては同様にプラウドである。  食後は坑内を見物する事になった。田島君という技師が案内をしてくれた。入口で安全灯を五つ点して、杖を五本用意して、それを各自に分けて、一間四方ぐらいの穴をだらだらと下りた。十四五間行くか行かないに坑のなかは真暗になった。カンテラの灯は足元を照らすにさえ不足である。けれども路は存外平らで、天井もかなり高かった。右へ曲って、探るように下りて行くと、余のすぐ前にいる田島君がぴたりととまった。余もとまった。案内がとまったから、あとから続いて来たものもことごとくとまった。ここに腰かけがあります。坑へ這入るものはここで五六分休んで眼を慣らすんですと云った。五人は休みながらカンテラの灯で互の顔を見合わした。みんな立って黙っている。腰をおろすものは一人もない。静かな中で時の移るのは多少凄かった。そのうち暗い所が自然と明るくなって来た。田島君はやがて、もうよかろうと云って、またすぐ右へ曲って、奥へ奥へと下りて行った。余も続いて下りた。あとの三人も続いて下りて来た。 ここまで新聞に書いて来ると、大晦日になった。二年に亘るのも変だからひとまずやめる事にした。 底本:「夏目漱石全集7」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年4月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年6月20日公開 2004年2月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「車+兀」    555-3、555-3、555-4、555-5    --> 夏目漱石 明暗 明暗 夏目漱石 一  医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した。 「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この前探った時は、途中に瘢痕の隆起があったので、ついそこが行きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、今日疎通を好くするために、そいつをがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」 「そうしてそれが腸まで続いているんですか」 「そうです。五分ぐらいだと思っていたのが約一寸ほどあるんです」  津田の顔には苦笑の裡に淡く盛り上げられた失望の色が見えた。医者は白いだぶだぶした上着の前に両手を組み合わせたまま、ちょっと首を傾けた。その様子が「御気の毒ですが事実だから仕方がありません。医者は自分の職業に対して虚言を吐く訳に行かないんですから」という意味に受取れた。  津田は無言のまま帯を締め直して、椅子の背に投げ掛けられた袴を取り上げながらまた医者の方を向いた。 「腸まで続いているとすると、癒りっこないんですか」 「そんな事はありません」  医者は活溌にまた無雑作に津田の言葉を否定した。併せて彼の気分をも否定するごとくに。 「ただ今までのように穴の掃除ばかりしていては駄目なんです。それじゃいつまで経っても肉の上りこはないから、今度は治療法を変えて根本的の手術を一思いにやるよりほかに仕方がありませんね」 「根本的の治療と云うと」 「切開です。切開して穴と腸といっしょにしてしまうんです。すると天然自然割かれた面の両側が癒着して来ますから、まあ本式に癒るようになるんです」  津田は黙って点頭いた。彼の傍には南側の窓下に据えられた洋卓の上に一台の顕微鏡が載っていた。医者と懇意な彼は先刻診察所へ這入った時、物珍らしさに、それを覗かせて貰ったのである。その時八百五十倍の鏡の底に映ったものは、まるで図に撮影ったように鮮やかに見える着色の葡萄状の細菌であった。  津田は袴を穿いてしまって、その洋卓の上に置いた皮の紙入を取り上げた時、ふとこの細菌の事を思い出した。すると連想が急に彼の胸を不安にした。診察所を出るべく紙入を懐に収めた彼はすでに出ようとしてまた躊躇した。 「もし結核性のものだとすると、たとい今おっしゃったような根本的な手術をして、細い溝を全部腸の方へ切り開いてしまっても癒らないんでしょう」 「結核性なら駄目です。それからそれへと穴を掘って奥の方へ進んで行くんだから、口元だけ治療したって役にゃ立ちません」  津田は思わず眉を寄せた。 「私のは結核性じゃないんですか」 「いえ、結核性じゃありません」  津田は相手の言葉にどれほどの真実さがあるかを確かめようとして、ちょっと眼を医者の上に据えた。医者は動かなかった。 「どうしてそれが分るんですか。ただの診察で分るんですか」 「ええ。診察た様子で分ります」  その時看護婦が津田の後に廻った患者の名前を室の出口に立って呼んだ。待ち構えていたその患者はすぐ津田の背後に現われた。津田は早く退却しなければならなくなった。 「じゃいつその根本的手術をやっていただけるでしょう」 「いつでも。あなたの御都合の好い時でようござんす」  津田は自分の都合を善く考えてから日取をきめる事にして室外に出た。 二  電車に乗った時の彼の気分は沈んでいた。身動きのならないほど客の込み合う中で、彼は釣革にぶら下りながらただ自分の事ばかり考えた。去年の疼痛がありありと記憶の舞台に上った。白いベッドの上に横えられた無残な自分の姿が明かに見えた。鎖を切って逃げる事ができない時に犬の出すような自分の唸り声が判然聴えた。それから冷たい刃物の光と、それが互に触れ合う音と、最後に突然両方の肺臓から一度に空気を搾り出すような恐ろしい力の圧迫と、圧された空気が圧されながらに収縮する事ができないために起るとしか思われない劇しい苦痛とが彼の記憶を襲った。  彼は不愉快になった。急に気を換えて自分の周囲を眺めた。周囲のものは彼の存在にすら気がつかずにみんな澄ましていた。彼はまた考えつづけた。 「どうしてあんな苦しい目に会ったんだろう」  荒川堤へ花見に行った帰り途から何らの予告なしに突発した当時の疼痛について、彼は全くの盲目漢であった。その原因はあらゆる想像のほかにあった。不思議というよりもむしろ恐ろしかった。 「この肉体はいつ何時どんな変に会わないとも限らない。それどころか、今現にどんな変がこの肉体のうちに起りつつあるかも知れない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしい事だ」  ここまで働らいて来た彼の頭はそこでとまる事ができなかった。どっと後から突き落すような勢で、彼を前の方に押しやった。突然彼は心の中で叫んだ。 「精神界も同じ事だ。精神界も全く同じ事だ。いつどう変るか分らない。そうしてその変るところをおれは見たのだ」  彼は思わず唇を固く結んで、あたかも自尊心を傷けられた人のような眼を彼の周囲に向けた。けれども彼の心のうちに何事が起りつつあるかをまるで知らない車中の乗客は、彼の眼遣に対して少しの注意も払わなかった。  彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道の上を走って前へ進むだけであった。彼は二三日前ある友達から聞いたポアンカレーの話を思い出した。彼のために「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼に向ってこう云った。 「だから君、普通世間で偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」  彼は友達の言葉を、単に与えられた新らしい知識の断片として聞き流す訳に行かなかった。彼はそれをぴたりと自分の身の上に当て篏めて考えた。すると暗い不可思議な力が右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進むべき彼を後ろに引き戻したりするように思えた。しかも彼はついぞ今まで自分の行動について他から牽制を受けた覚がなかった。する事はみんな自分の力でし、言う事はことごとく自分の力で言ったに相違なかった。 「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう。それもおれが貰おうと思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに。偶然? ポアンカレーのいわゆる複雑の極致? 何だか解らない」  彼は電車を降りて考えながら宅の方へ歩いて行った。 三  角を曲って細い小路へ這入った時、津田はわが門前に立っている細君の姿を認めた。その細君はこっちを見ていた。しかし津田の影が曲り角から出るや否や、すぐ正面の方へ向き直った。そうして白い繊い手を額の所へ翳すようにあてがって何か見上げる風をした。彼女は津田が自分のすぐ傍へ寄って来るまでその態度を改めなかった。 「おい何を見ているんだ」  細君は津田の声を聞くとさも驚ろいたように急にこっちをふり向いた。 「ああ吃驚した。――御帰り遊ばせ」  同時に細君は自分のもっているあらゆる眼の輝きを集めて一度に夫の上に注ぎかけた。それから心持腰を曲めて軽い会釈をした。  半ば細君の嬌態に応じようとした津田は半ば逡巡して立ち留まった。 「そんな所に立って何をしているんだ」 「待ってたのよ。御帰りを」 「だって何か一生懸命に見ていたじゃないか」 「ええ。あれ雀よ。雀が御向うの宅の二階の庇に巣を食ってるんでしょう」  津田はちょっと向うの宅の屋根を見上げた。しかしそこには雀らしいものの影も見えなかった。細君はすぐ手を夫の前に出した。 「何だい」 「洋杖」  津田は始めて気がついたように自分の持っている洋杖を細君に渡した。それを受取った彼女はまた自分で玄関の格子戸を開けて夫を先へ入れた。それから自分も夫の後に跟いて沓脱から上った。  夫に着物を脱ぎ換えさせた彼女は津田が火鉢の前に坐るか坐らないうちに、また勝手の方から石鹸入を手拭に包んで持って出た。 「ちょっと今のうち一風呂浴びていらっしゃい。またそこへ坐り込むと臆劫になるから」  津田は仕方なしに手を出して手拭を受取った。しかしすぐ立とうとはしなかった。 「湯は今日はやめにしようかしら」 「なぜ。――さっぱりするから行っていらっしゃいよ。帰るとすぐ御飯にして上げますから」  津田は仕方なしにまた立ち上った。室を出る時、彼はちょっと細君の方をふり返った。 「今日帰りに小林さんへ寄って診て貰って来たよ」 「そう。そうしてどうなの、診察の結果は。おおかたもう癒ってるんでしょう」 「ところが癒らない。いよいよ厄介な事になっちまった」  津田はこう云ったなり、後を聞きたがる細君の質問を聞き捨てにして表へ出た。  同じ話題が再び夫婦の間に戻って来たのは晩食が済んで津田がまだ自分の室へ引き取らない宵の口であった。 「厭ね、切るなんて、怖くって。今までのようにそっとしておいたってよかないの」 「やっぱり医者の方から云うとこのままじゃ危険なんだろうね」 「だけど厭だわ、あなた。もし切り損ないでもすると」  細君は濃い恰好の好い眉を心持寄せて夫を見た。津田は取り合ずに笑っていた。すると細君が突然気がついたように訊いた。 「もし手術をするとすれば、また日曜でなくっちゃいけないんでしょう」  細君にはこの次の日曜に夫と共に親類から誘われて芝居見物に行く約束があった。 「まだ席を取ってないんだから構やしないさ、断わったって」 「でもそりゃ悪いわ、あなた。せっかく親切にああ云ってくれるものを断っちゃ」 「悪かないよ。相当の事情があって断わるんなら」 「でもあたし行きたいんですもの」 「御前は行きたければおいでな」 「だからあなたもいらっしゃいな、ね。御厭?」  津田は細君の顔を見て苦笑を洩らした。 四  細君は色の白い女であった。そのせいで形の好い彼女の眉が一際引立って見えた。彼女はまた癖のようによくその眉を動かした。惜しい事に彼女の眼は細過ぎた。おまけに愛嬌のない一重瞼であった。けれどもその一重瞼の中に輝やく瞳子は漆黒であった。だから非常によく働らいた。或時は専横と云ってもいいくらいに表情を恣ままにした。津田は我知らずこの小さい眼から出る光に牽きつけられる事があった。そうしてまた突然何の原因もなしにその光から跳ね返される事もないではなかった。  彼がふと眼を上げて細君を見た時、彼は刹那的に彼女の眼に宿る一種の怪しい力を感じた。それは今まで彼女の口にしつつあった甘い言葉とは全く釣り合わない妙な輝やきであった。相手の言葉に対して返事をしようとした彼の心の作用がこの眼つきのためにちょっと遮断された。すると彼女はすぐ美くしい歯を出して微笑した。同時に眼の表情があとかたもなく消えた。 「嘘よ。あたし芝居なんか行かなくってもいいのよ。今のはただ甘ったれたのよ」  黙った津田はなおしばらく細君から眼を放さなかった。 「何だってそんなむずかしい顔をして、あたしを御覧になるの。――芝居はもうやめるから、この次の日曜に小林さんに行って手術を受けていらっしゃい。それで好いでしょう。岡本へは二三日中に端書を出すか、でなければ私がちょっと行って断わって来ますから」 「御前は行ってもいいんだよ。せっかく誘ってくれたもんだから」 「いえ私も止しにするわ。芝居よりもあなたの健康の方が大事ですもの」  津田は自分の受けべき手術についてなお詳しい話を細君にしなければならなかった。 「手術ってたって、そう腫物の膿を出すように簡単にゃ行かないんだよ。最初下剤をかけてまず腸を綺麗に掃除しておいて、それからいよいよ切開すると、出血の危険があるかも知れないというので、創口へガーゼを詰めたまま、五六日の間はじっとして寝ているんだそうだから。だからたといこの次の日曜に行くとしたところで、どうせ日曜一日じゃ済まないんだ。その代り日曜が延びて月曜になろうとも火曜になろうとも大した違にゃならないし、また日曜を繰り上げて明日にしたところで、明後日にしたところで、やっぱり同じ事なんだ。そこへ行くとまあ楽な病気だね」 「あんまり楽でもないわあなた、一週間も寝たぎりで動く事ができなくっちゃ」  細君はまたぴくぴくと眉を動かして見せた。津田はそれに全く無頓着であると云った風に、何か考えながら、二人の間に置かれた長火鉢の縁に右の肘を靠たせて、その中に掛けてある鉄瓶の葢を眺めた。朱銅の葢の下では湯の沸る音が高くした。 「じゃどうしても御勤めを一週間ばかり休まなくっちゃならないわね」 「だから吉川さんに会って訳を話して見た上で、日取をきめようかと思っているところだ。黙って休んでも構わないようなもののそうも行かないから」 「そりゃあなた御話しになる方がいいわ。平生からあんなに御世話になっているんですもの」 「吉川さんに話したら明日からすぐ入院しろって云うかも知れない」  入院という言葉を聞いた細君は急に細い眼を広げるようにした。 「入院? 入院なさるんじゃないでしょう」 「まあ入院さ」 「だって小林さんは病院じゃないっていつかおっしゃったじゃないの。みんな外来の患者ばかりだって」 「病院というほどの病院じゃないが、診察所の二階が空いてるもんだから、そこへ入いる事もできるようになってるんだ」 「綺麗?」  津田は苦笑した。 「自宅よりは少しあ綺麗かも知れない」  今度は細君が苦笑した。 五  寝る前の一時間か二時間を机に向って過ごす習慣になっていた津田はやがて立ち上った。細君は今まで通りの楽な姿勢で火鉢に倚りかかったまま夫を見上げた。 「また御勉強?」  細君は時々立ち上がる夫に向ってこう云った。彼女がこういう時には、いつでもその語調のうちに或物足らなさがあるように津田の耳に響いた。ある時の彼は進んでそれに媚びようとした。ある時の彼はかえって反感的にそれから逃れたくなった。どちらの場合にも、彼の心の奥底には、「そう御前のような女とばかり遊んじゃいられない。おれにはおれでする事があるんだから」という相手を見縊った自覚がぼんやり働らいていた。  彼が黙って間の襖を開けて次の室へ出て行こうとした時、細君はまた彼の背後から声を掛けた。 「じゃ芝居はもうおやめね。岡本へは私から断っておきましょうね」  津田はちょっとふり向いた。 「だから御前はおいでよ、行きたければ。おれは今のような訳で、どうなるか分らないんだから」  細君は下を向いたぎり夫を見返さなかった。返事もしなかった。津田はそれぎり勾配の急な階子段をぎしぎし踏んで二階へ上った。  彼の机の上には比較的大きな洋書が一冊載せてあった。彼は坐るなりそれを開いて枝折の挿んである頁を目標にそこから読みにかかった。けれども三四日等閑にしておいた咎が祟って、前後の続き具合がよく解らなかった。それを考え出そうとするためには勢い前の所をもう一遍読み返さなければならないので、気の差した彼は、読む事の代りに、ただ頁をばらばらと翻して書物の厚味ばかりを苦にするように眺めた。すると前途遼遠という気が自から起った。  彼は結婚後三四カ月目に始めてこの書物を手にした事を思い出した。気がついて見るとそれから今日までにもう二カ月以上も経っているのに、彼の読んだ頁はまだ全体の三分の二にも足らなかった。彼は平生から世間へ出る多くの人が、出るとすぐ書物に遠ざかってしまうのを、さも下らない愚物のように細君の前で罵っていた。それを夫の口癖として聴かされた細君はまた彼を本当の勉強家として認めなければならないほど比較的多くの時間が二階で費やされた。前途遼遠という気と共に、面目ないという心持がどこからか出て来て、意地悪く彼の自尊心を擽った。  しかし今彼が自分の前に拡げている書物から吸収しようと力めている知識は、彼の日々の業務上に必要なものではなかった。それにはあまりに専門的で、またあまりに高尚過ぎた。学校の講義から得た知識ですら滅多に実際の役に立った例のない今の勤め向きとはほとんど没交渉と云ってもいいくらいのものであった。彼はただそれを一種の自信力として貯えておきたかった。他の注意を惹く粧飾としても身に着けておきたかった。その困難が今の彼に朧気ながら見えて来た時、彼は彼の己惚に訊いて見た。 「そう旨くは行かないものかな」  彼は黙って煙草を吹かした。それから急に気がついたように書物を伏せて立ち上った。そうして足早に階子段をまたぎしぎし鳴らして下へ降りた。 六 「おいお延」  彼は襖越しに細君の名を呼びながら、すぐ唐紙を開けて茶の間の入口に立った。すると長火鉢の傍に坐っている彼女の前に、いつの間にか取り拡げられた美くしい帯と着物の色がたちまち彼の眼に映った。暗い玄関から急に明るい電灯の点いた室を覗いた彼の眼にそれが常よりも際立って華麗に見えた時、彼はちょっと立ち留まって細君の顔と派出やかな模様とを等分に見較べた。 「今時分そんなものを出してどうするんだい」  お延は檜扇模様の丸帯の端を膝の上に載せたまま、遠くから津田を見やった。 「ただ出して見たのよ。あたしこの帯まだ一遍も締めた事がないんですもの」 「それで今度その服装で芝居に出かけようと云うのかね」  津田の言葉には皮肉に伴う或冷やかさがあった。お延は何にも答えずに下を向いた。そうしていつもする通り黒い眉をぴくりと動かして見せた。彼女に特異なこの所作は時として変に津田の心を唆かすと共に、時として妙に彼の気持を悪くさせた。彼は黙って縁側へ出て厠の戸を開けた。それからまた二階へ上がろうとした。すると今度は細君の方から彼を呼びとめた。 「あなた、あなた」  同時に彼女は立って来た。そうして彼の前を塞ぐようにして訊いた。 「何か御用なの」  彼の用事は今の彼にとって細君の帯よりも長襦袢よりもむしろ大事なものであった。 「御父さんからまだ手紙は来なかったかね」 「いいえ来ればいつもの通り御机の上に載せておきますわ」  津田はその予期した手紙が机の上に載っていなかったから、わざわざ下りて来たのであった。 「郵便函の中を探させましょうか」 「来れば書留だから、郵便函の中へ投げ込んで行くはずはないよ」 「そうね、だけど念のためだから、あたしちょいと見て来るわ」  御延は玄関の障子を開けて沓脱へ下りようとした。 「駄目だよ。書留がそんな中に入ってる訳がないよ」 「でも書留でなくってただのが入ってるかも知れないから、ちょっと待っていらっしゃい」  津田はようやく茶の間へ引き返して、先刻飯を食う時に坐った座蒲団が、まだ火鉢の前に元の通り据えてある上に胡坐をかいた。そうしてそこに燦爛と取り乱された濃い友染模様の色を見守った。  すぐ玄関から取って返したお延の手にははたして一通の書状があった。 「あってよ、一本。ことによると御父さまからかも知れないわ」  こう云いながら彼女は明るい電灯の光に白い封筒を照らした。 「ああ、やっぱりあたしの思った通り、御父さまからよ」 「何だ書留じゃないのか」  津田は手紙を受け取るなり、すぐ封を切って読み下した。しかしそれを読んでしまって、また封筒へ収めるために巻き返した時には、彼の手がただ器械的に動くだけであった。彼は自分の手元も見なければ、またお延の顔も見なかった。ぼんやり細君のよそ行着の荒い御召の縞柄を眺めながら独りごとのように云った。 「困るな」 「どうなすったの」 「なに大した事じゃない」  見栄の強い津田は手紙の中に書いてある事を、結婚してまだ間もない細君に話したくなかった。けれどもそれはまた細君に話さなければならない事でもあった。 七 「今月はいつも通り送金ができないからそっちでどうか都合しておけというんだ。年寄はこれだから困るね。そんならそうともっと早く云ってくれればいいのに、突然金の要る間際になって、こんな事を云って来て……」 「いったいどういう訳なんでしょう」  津田はいったん巻き収めた手紙をまた封筒から出して膝の上で繰り拡げた。 「貸家が二軒先月末に空いちまったんだそうだ。それから塞がってる分からも家賃が入って来ないんだそうだ。そこへ持って来て、庭の手入だの垣根の繕いだので、だいぶ臨時費が嵩んだから今月は送れないって云うんだ」  彼は開いた手紙を、そのまま火鉢の向う側にいるお延の手に渡した。御延はまた何も云わずにそれを受取ったぎり、別に読もうともしなかった。この冷かな細君の態度を津田は最初から恐れていたのであった。 「なにそんな家賃なんぞ当にしないだって、送ってさえくれようと思えばどうにでも都合はつくのさ。垣根を繕うたっていくらかかるものかね。煉瓦の塀を一丁も拵えやしまいし」  津田の言葉に偽はなかった。彼の父はよし富裕でないまでも、毎月息子夫婦のためにその生計の不足を補ってやるくらいの出費に窮する身分ではなかった。ただ彼は地味な人であった。津田から云えば地味過ぎるぐらい質素であった。津田よりもずっと派出好きな細君から見ればほとんど無意味に近い節倹家であった。 「御父さまはきっと私達が要らない贅沢をして、むやみに御金をぱっぱっと遣うようにでも思っていらっしゃるのよ。きっとそうよ」 「うんこの前京都へ行った時にも何だかそんな事を云ってたじゃないか。年寄はね、何でも自分の若い時の生計を覚えていて、同年輩の今の若いものも、万事自分のして来た通りにしなければならないように考えるんだからね。そりゃ御父さんの三十もおれの三十も年歯に変りはないかも知れないが、周囲はまるで違っているんだからそうは行かないさ。いつかも会へ行く時会費はいくらだと訊くから五円だって云ったら、驚ろいて恐ろしいような顔をした事があるよ」  津田は平生からお延が自分の父を軽蔑する事を恐れていた。それでいて彼は彼女の前にわが父に対する非難がましい言葉を洩らさなければならなかった。それは本当に彼の感じた通りの言葉であった。同時にお延の批判に対して先手を打つという点で、自分と父の言訳にもなった。 「で今月はどうするの。ただでさえ足りないところへ持って来て、あなたが手術のために一週間も入院なさると、またそっちの方でもいくらかかかるでしょう」  夫の手前老人に対する批評を憚かった細君の話頭は、すぐ実際問題の方へ入って来た。津田の答は用意されていなかった。しばらくして彼は小声で独語のように云った。 「藤井の叔父に金があると、あすこへ行くんだが……」  お延は夫の顔を見つめた。 「もう一遍御父さまのところへ云って上げる訳にゃ行かないの。ついでに病気の事も書いて」 「書いてやれない事もないが、また何とかかとか云って来られると面倒だからね。御父さんに捕まると、そりゃなかなか埒は開かないよ」 「でもほかに当がなければ仕方なかないの」 「だから書かないとは云わない。こっちの事情が好く向うへ通じるようにする事はするつもりだが、何しろすぐの間には合わないからな」 「そうね」  その時津田は真ともにお延の方を見た。そうして思い切ったような口調で云った。 「どうだ御前岡本さんへ行ってちょっと融通して貰って来ないか」 八 「厭よ、あたし」  お延はすぐ断った。彼女の言葉には何の淀みもなかった。遠慮と斟酌を通り越したその語気が津田にはあまりに不意過ぎた。彼は相当の速力で走っている自動車を、突然停められた時のような衝撃を受けた。彼は自分に同情のない細君に対して気を悪くする前に、まず驚ろいた。そうして細君の顔を眺めた。 「あたし、厭よ。岡本へ行ってそんな話をするのは」  お延は再び同じ言葉を夫の前に繰り返した。 「そうかい。それじゃ強いて頼まないでもいい。しかし……」  津田がこう云いかけた時、お延は冷かな(けれども落ちついた)夫の言葉を、掬って追い退けるように遮った。 「だって、あたしきまりが悪いんですもの。いつでも行くたんびに、お延は好い所へ嫁に行って仕合せだ、厄介はなし、生計に困るんじゃなしって云われつけているところへ持って来て、不意にそんな御金の話なんかすると、きっと変な顔をされるにきまっているわ」  お延が一概に津田の依頼を斥けたのは、夫に同情がないというよりも、むしろ岡本に対する見栄に制せられたのだという事がようやく津田の腑に落ちた。彼の眼のうちに宿った冷やかな光が消えた。 「そんなに楽な身分のように吹聴しちゃ困るよ。買い被られるのもいいが、時によるとかえってそれがために迷惑しないとも限らないからね」 「あたし吹聴した覚なんかないわ。ただ向うでそうきめているだけよ」  津田は追窮もしなかった。お延もそれ以上説明する面倒を取らなかった。二人はちょっと会話を途切らした後でまた実際問題に立ち戻った。しかし今まで自分の経済に関して余り心を痛めた事のない津田には、別にどうしようという分別も出なかった。「御父さんにも困っちまうな」というだけであった。  お延は偶然思いついたように、今までそっちのけにしてあった、自分の晴着と帯に眼を移した。 「これどうかしましょうか」  彼女は金の入った厚い帯の端を手に取って、夫の眼に映るように、電灯の光に翳した。津田にはその意味がちょっと呑み込めなかった。 「どうかするって、どうするんだい」 「質屋へ持ってったら御金を貸してくれるでしょう」  津田は驚ろかされた。自分がいまだかつて経験した事のないようなやりくり算段を、嫁に来たての若い細君が、疾くの昔から承知しているとすれば、それは彼にとって驚ろくべき価値のある発見に相違なかった。 「御前自分の着物かなんか質に入れた事があるのかい」 「ないわ、そんな事」  お延は笑いながら、軽蔑むような口調で津田の問を打ち消した。 「じゃ質に入れるにしたところで様子が分らないだろう」 「ええ。だけどそんな事何でもないでしょう。入れると事がきまれば」  津田は極端な場合のほか、自分の細君にそうした下卑た真似をさせたくなかった。お延は弁解した。 「時が知ってるのよ。あの婢は宅にいる時分よく風呂敷包を抱えて質屋へ使いに行った事があるんですって。それから近頃じゃ端書さえ出せば、向うから品物を受取りに来てくれるっていうじゃありませんか」  細君が大事な着物や帯を自分のために提供してくれるのは津田にとって嬉しい事実であった。しかしそれをあえてさせるのはまた彼にとっての苦痛にほかならなかった。細君に対して気の毒というよりもむしろ夫の矜りを傷けるという意味において彼は躊躇した。 「まあよく考えて見よう」  彼は金策上何らの解決も与えずにまた二階へ上って行った。 九  翌日津田は例のごとく自分の勤め先へ出た。彼は午前に一回ひょっくり階子段の途中で吉川に出会った。しかし彼は下りがけ、向は上りがけだったので、擦れ違に叮嚀な御辞儀をしたぎり、彼は何にも云わなかった。もう午飯に間もないという頃、彼はそっと吉川の室の戸を敲いて、遠慮がちな顔を半分ほど中へ出した。その時吉川は煙草を吹かしながら客と話をしていた。その客は無論彼の知らない人であった。彼が戸を半分ほど開けた時、今まで調子づいていたらしい主客の会話が突然止まった。そうして二人ともこっちを向いた。 「何か用かい」  吉川から先へ言葉をかけられた津田は室の入口で立ちどまった。 「ちょっと……」 「君自身の用事かい」  津田は固より表向の用事で、この室へ始終出入すべき人ではなかった。跋の悪そうな顔つきをした彼は答えた。 「そうです。ちょっと……」 「そんなら後にしてくれたまえ。今少し差支えるから」 「はあ。気がつかない事をして失礼しました」  音のしないように戸を締めた津田はまた自分の机の前に帰った。  午後になってから彼は二返ばかり同じ戸の前に立った。しかし二返共吉川の姿はそこに見えなかった。 「どこかへ行かれたのかい」  津田は下へ降りたついでに玄関にいる給使に訊いた。眼鼻だちの整ったその少年は、石段の下に寝ている毛の長い茶色の犬の方へ自分の手を長く出して、それを段上へ招き寄せる魔術のごとくに口笛を鳴らしていた。 「ええ先刻御客さまといっしょに御出かけになりました。ことによると今日はもうこちらへは御帰りにならないかも知れませんよ」  毎日人の出入の番ばかりして暮しているこの給使は、少なくともこの点にかけて、津田よりも確な予言者であった。津田はだれが伴れて来たか分らない茶色の犬と、それからその犬を友達にしようとして大いに骨を折っているこの給使とをそのままにしておいて、また自分の机の前に立ち戻った。そうしてそこで定刻まで例のごとく事務を執った。  時間になった時、彼はほかの人よりも一足後れて大きな建物を出た。彼はいつもの通り停留所の方へ歩きながら、ふと思い出したように、また隠袋から時計を出して眺めた。それは精密な時刻を知るためよりもむしろ自分の歩いて行く方向を決するためであった。帰りに吉川の私宅へ寄ったものか、止したものかと考えて、無意味に時計と相談したと同じ事であった。  彼はとうとう自分の家とは反対の方角に走る電車に飛び乗った。吉川の不在勝な事をよく知り抜いている彼は、宅まで行ったところで必ず会えるとも思っていなかった。たまさかいたにしたところで、都合が悪ければ会わずに帰されるだけだという事も承知していた。しかし彼としては時々吉川家の門を潜る必要があった。それは礼儀のためでもあった。義理のためでもあった。また利害のためでもあった。最後には単なる虚栄心のためでもあった。 「津田は吉川と特別の知り合である」  彼は時々こういう事実を背中に背負って見たくなった。それからその荷を背負ったままみんなの前に立ちたくなった。しかも自ら重んずるといった風の彼の平生の態度を毫も崩さずに、この事実を背負っていたかった。物をなるべく奥の方へ押し隠しながら、その押し隠しているところを、かえって他に見せたがるのと同じような心理作用の下に、彼は今吉川の玄関に立った。そうして彼自身は飽くまでも用事のためにわざわざここへ来たものと自分を解釈していた。 十  厳めしい表玄関の戸はいつもの通り締まっていた。津田はその上半部に透し彫のように篏め込まれた厚い格子の中を何気なく覗いた。中には大きな花崗石の沓脱が静かに横たわっていた。それから天井の真中から蒼黒い色をした鋳物の電灯笠が下がっていた。今までついぞここに足を踏み込んだ例のない彼はわざとそこを通り越して横手へ廻った。そうして書生部屋のすぐ傍にある内玄関から案内を頼んだ。 「まだ御帰りになりません」  小倉の袴を着けて彼の前に膝をついた書生の返事は簡単であった。それですぐ相手が帰るものと呑み込んでいるらしい彼の様子が少し津田を弱らせた。津田はとうとう折り返して訊いた。 「奥さんはおいでですか」 「奥さんはいらっしゃいます」  事実を云うと津田は吉川よりもかえって細君の方と懇意であった。足をここまで運んで来る途中の彼の頭の中には、すでに最初から細君に会おうという気分がだいぶ働らいていた。 「ではどうぞ奥さんに」  彼はまだ自分の顔を知らないこの新らしい書生に、もう一返取次を頼み直した。書生は厭な顔もせずに奥へ入った。それからまた出て来た時、少し改まった口調で、「奥さんが御目におかかりになるとおっしゃいますからどうぞ」と云って彼を西洋建の応接間へ案内した。  彼がそこにある椅子に腰をかけるや否や、まだ茶も莨盆も運ばれない先に、細君はすぐ顔を出した。 「今御帰りがけ?」  彼はおろした腰をまた立てなければならなかった。 「奥さんはどうなすって」  津田の挨拶に軽い会釈をしたなり席に着いた細君はすぐこう訊いた。津田はちょっと苦笑した。何と返事をしていいか分らなかった。 「奥さんができたせいか近頃はあんまり宅へいらっしゃらなくなったようね」  細君の言葉には遠慮も何もなかった。彼女は自分の前に年齢下の男を見るだけであった。そうしてその年齢下の男はかねて眼下の男であった。 「まだ嬉しいんでしょう」  津田は軽く砂を揚げて来る風を、じっとしてやり過ごす時のように、おとなしくしていた。 「だけど、もうよっぽどになるわね、結婚なすってから」 「ええもう半歳と少しになります」 「早いものね、ついこの間だと思っていたのに。――それでどうなのこの頃は」 「何がです」 「御夫婦仲がよ」 「別にどうという事もありません」 「じゃもう嬉しいところは通り越しちまったの。嘘をおっしゃい」 「嬉しいところなんか始めからないんですから、仕方がありません」 「じゃこれからよ。もし始めからないなら、これからよ、嬉しいところの出て来るのは」 「ありがとう、じゃ楽しみにして待っていましょう」 「時にあなた御いくつ?」 「もうたくさんです」 「たくさんじゃないわよ。ちょっと伺いたいから伺ったんだから、正直に淡泊とおっしゃいよ」 「じゃ申し上げます。実は三十です」 「すると来年はもう一ね」 「順に行けばまあそうなる勘定です」 「お延さんは?」 「あいつは三です」 「来年?」 「いえ今年」 十一  吉川の細君はこんな調子でよく津田に調戯った。機嫌の好い時はなおさらであった。津田も折々は向うを調戯い返した。けれども彼の見た細君の態度には、笑談とも真面目とも片のつかない或物が閃めく事がたびたびあった。そんな場合に出会うと、根強い性質に出来上っている彼は、談話の途中でよく拘泥った。そうしてもし事情が許すならば、どこまでも話の根を掘じって、相手の本意を突き留めようとした。遠慮のためにそこまで行けない時は、黙って相手の顔色だけを注視した。その時の彼の眼には必然の結果としていつでも軽い疑いの雲がかかった。それが臆病にも見えた。注意深くも見えた。または自衛的に慢ぶる神経の光を放つかのごとくにも見えた。最後に、「思慮に充ちた不安」とでも形容してしかるべき一種の匂も帯びていた。吉川の細君は津田に会うたんびに、一度か二度きっと彼をそこまで追い込んだ。津田はまたそれと自覚しながらいつの間にかそこへ引き摺り込まれた。 「奥さんはずいぶん意地が悪いですね」 「どうして? あなた方の御年歯を伺ったのが意地が悪いの」 「そう云う訳でもないですが、何だか意味のあるような、またないような訊き方をしておいて、わざとその後をおっしゃらないんだから」 「後なんかありゃしないわよ。いったいあなたはあんまり研究家だから駄目ね。学問をするには研究が必要かも知れないけれども、交際に研究は禁物よ。あなたがその癖をやめると、もっと人好のする好い男になれるんだけれども」  津田は少し痛かった。けれどもそれは彼の胸に来る痛さで、彼の頭に応える痛さではなかった。彼の頭はこの露骨な打撃の前に冷然として相手を見下していた。細君は微笑した。 「嘘だと思うなら、帰ってあなたの奥さんに訊いて御覧遊ばせ。お延さんもきっと私と同意見だから。お延さんばかりじゃないわ、まだほかにもう一人あるはずよ、きっと」  津田の顔が急に堅くなった。唇の肉が少し動いた。彼は眼を自分の膝の上に落したぎり何も答えなかった。 「解ったでしょう、誰だか」  細君は彼の顔を覗き込むようにして訊いた。彼は固よりその誰であるかをよく承知していた。けれども細君の云う事を肯定する気は毫もなかった。再び顔を上げた時、彼は沈黙の眼を細君の方に向けた。その眼が無言の裡に何を語っているか、細君には解らなかった。 「御気に障ったら堪忍してちょうだい。そう云うつもりで云ったんじゃないんだから」 「いえ何とも思っちゃいません」 「本当に?」 「本当に何とも思っちゃいません」 「それでやっと安心した」  細君はすぐ元の軽い調子を恢復した。 「あなたまだどこか子供子供したところがあるのね、こうして話していると。だから男は損なようでやっぱり得なのね。あなたはそら今おっしゃった通りちょうどでしょう、それからお延さんが今年三になるんだから、年歯でいうと、よっぽど違うんだけれども、様子からいうと、かえって奥さんの方が更けてるくらいよ。更けてると云っちゃ失礼に当るかも知れないけれども、何と云ったらいいでしょうね、まあ……」  細君は津田を前に置いてお延の様子を形容する言葉を思案するらしかった。津田は多少の好奇心をもって、それを待ち受けた。 「まあ老成よ。本当に怜悧な方ね、あんな怜悧な方は滅多に見た事がない。大事にして御上げなさいよ」  細君の語勢からいうと、「大事にしてやれ」という代りに、「よく気をつけろ」と云っても大した変りはなかった。 十二  その時二人の頭の上に下っている電灯がぱっと点いた。先刻取次に出た書生がそっと室の中へ入って来て、音のしないようにブラインドを卸ろして、また無言のまま出て行った。瓦斯煖炉の色のだんだん濃くなって来るのを、最前から注意して見ていた津田は、黙って書生の後姿を目送した。もう好い加減に話を切り上げて帰らなければならないという気がした。彼は自分の前に置かれた紅茶茶碗の底に冷たく浮いている檸檬の一切を除けるようにしてその余りを残りなく啜った。そうしてそれを相図に、自分の持って来た用事を細君に打ち明けた。用事は固より単簡であった。けれども細君の諾否だけですぐ決定されべき性質のものではなかった。彼の自由に使用したいという一週間前後の時日を、月のどこへ置いていいか、そこは彼女にもまるで解らなかった。 「いつだって構やしないんでしょう。繰合せさえつけば」  彼女はさも無雑作な口ぶりで津田に好意を表してくれた。 「無論繰合せはつくようにしておいたんですが……」 「じゃ好いじゃありませんか。明日から休んだって」 「でもちょっと伺った上でないと」 「じゃ帰ったら私からよく話しておきましょう。心配する事も何にもないわ」  細君は快よく引き受けた。あたかも自分が他のために働らいてやる用事がまた一つできたのを喜こぶようにも見えた。津田はこの機嫌のいい、そして同情のある夫人を自分の前に見るのが嬉しかった。自分の態度なり所作なりが原動力になって、相手をそうさせたのだという自覚が彼をなおさら嬉しくした。  彼はある意味において、この細君から子供扱いにされるのを好いていた。それは子供扱いにされるために二人の間に起る一種の親しみを自分が握る事ができたからである。そうしてその親しみをよくよく立ち割って見ると、やはり男女両性の間にしか起り得ない特殊な親しみであった。例えて云うと、或人が茶屋女などに突然背中を打やされた刹那に受ける快感に近い或物であった。  同時に彼は吉川の細君などがどうしても子供扱いにする事のできない自己を裕にもっていた。彼はその自己をわざと押し蔵して細君の前に立つ用意を忘れなかった。かくして彼は心置なく細君から嬲られる時の軽い感じを前に受けながら、背後はいつでも自分の築いた厚い重い壁に倚りかかっていた。  彼が用事を済まして椅子を離れようとした時、細君は突然口を開いた。 「また子供のように泣いたり唸ったりしちゃいけませんよ。大きな体をして」  津田は思わず去年の苦痛を思い出した。 「あの時は実際弱りました。唐紙の開閉が局部に応えて、そのたんびにぴくんぴくんと身体全体が寝床の上で飛び上ったくらいなんですから。しかし今度は大丈夫です」 「そう? 誰が受合ってくれたの。何だか解ったもんじゃないわね。あんまり口幅ったい事をおっしゃると、見届けに行きますよ」 「あなたに見舞に来ていただけるような所じゃありません。狭くって汚なくって変な部屋なんですから」 「いっこう構わないわ」  細君の様子は本気なのか調戯うのかちょっと要領を得なかった。医者の専門が、自分の病気以外の或方面に属するので、婦人などはあまりそこへ近づかない方がいいと云おうとした津田は、少し口籠って躊躇した。細君は虚に乗じて肉薄した。 「行きますよ、少しあなたに話す事があるから。お延さんの前じゃ話しにくい事なんだから」 「じゃそのうちまた私の方から伺います」  細君は逃げるようにして立った津田を、笑い声と共に応接間から送り出した。 十三  往来へ出た津田の足はしだいに吉川の家を遠ざかった。けれども彼の頭は彼の足ほど早く今までいた応接間を離れる訳に行かなかった。彼は比較的人通りの少ない宵闇の町を歩きながら、やはり明るい室内の光景をちらちら見た。  冷たそうに燦つく肌合の七宝製の花瓶、その花瓶の滑らかな表面に流れる華麗な模様の色、卓上に運ばれた銀きせの丸盆、同じ色の角砂糖入と牛乳入、蒼黒い地の中に茶の唐草模様を浮かした重そうな窓掛、三隅に金箔を置いた装飾用のアルバム、――こういうものの強い刺戟が、すでに明るい電灯の下を去って、暗い戸外へ出た彼の眼の中を不秩序に往来した。  彼は無論この渦まく色の中に坐っている女主人公の幻影を忘れる事ができなかった。彼は歩きながら先刻彼女と取り換わせた会話を、ぽつりぽつり思い出した。そうしてその或部分に来ると、あたかも炒豆を口に入れた人のように、咀嚼しつつ味わった。 「あの細君はことによると、まだあの事件について、おれに何か話をする気かも知れない。その話を実はおれは聞きたくないのだ。しかしまた非常に聞きたいのだ」  彼はこの矛盾した両面を自分の胸の中で自分に公言した時、たちまちわが弱点を曝露した人のように、暗い路の上で赤面した。彼はその赤面を通り抜けるために、わざとすぐ先へ出た。 「もしあの細君があの事件についておれに何か云い出す気があるとすると、その主意ははたしてどこにあるだろう」  今の津田はけっしてこの問題に解決を与える事ができなかった。 「おれに調戯うため?」  それは何とも云えなかった。彼女は元来他に調戯う事の好な女であった。そうして二人の間柄はその方面の自由を彼女に与えるに充分であった。その上彼女の地位は知らず知らずの間に今の彼女を放慢にした。彼を焦らす事から受け得られる単なる快感のために、遠慮の埒を平気で跨ぐかも知れなかった。 「もしそうでないとしたら、……おれに対する同情のため? おれを贔負にし過ぎるため?」  それも何とも云えなかった。今までの彼女は実際彼に対して親切でもあり、また贔負にもしてくれた。  彼は広い通りへ来てそこから電車へ乗った。堀端を沿うて走るその電車の窓硝子の外には、黒い水と黒い土手と、それからその土手の上に蟠まる黒い松の木が見えるだけであった。  車内の片隅に席を取った彼は、窓を透してこのさむざむしい秋の夜の景色にちょっと眼を注いだ後、すぐまたほかの事を考えなければならなかった。彼は面倒になって昨夕はそのままにしておいた金の工面をどうかしなければならない位地にあった。彼はすぐまた吉川の細君の事を思い出した。 「先刻事情を打ち明けてこっちから云い出しさえすれば訳はなかったのに」  そう思うと、自分が気を利かしたつもりで、こう早く席を立って来てしまったのが残り惜しくなった。と云って、今さらその用事だけで、また彼女に会いに行く勇気は彼には全くなかった。  電車を下りて橋を渡る時、彼は暗い欄干の下に蹲踞まる乞食を見た。その乞食は動く黒い影のように彼の前に頭を下げた。彼は身に薄い外套を着けていた。季節からいうとむしろ早過ぎる瓦斯煖炉の温かいをもう見て来た。けれども乞食と彼との懸隔は今の彼の眼中にはほとんど入る余地がなかった。彼は窮した人のように感じた。父が例月の通り金を送ってくれないのが不都合に思われた。 十四  津田は同じ気分で自分の宅の門前まで歩いた。彼が玄関の格子へ手を掛けようとすると、格子のまだ開かない先に、障子の方がすうと開いた。そうしてお延の姿がいつの間にか彼の前に現われていた。彼は吃驚したように、薄化粧を施こした彼女の横顔を眺めた。  彼は結婚後こんな事でよく自分の細君から驚ろかされた。彼女の行為は時として夫の先を越すという悪い結果を生む代りに、時としては非常に気の利いた証拠をも挙げた。日常瑣末の事件のうちに、よくこの特色を発揮する彼女の所作を、津田は時々自分の眼先にちらつく洋刀の光のように眺める事があった。小さいながら冴えているという感じと共に、どこか気味の悪いという心持も起った。  咄嗟の場合津田はお延が何かの力で自分の帰りを予感したように思った。けれどもその訳を訊く気にはならなかった。訳を訊いて笑いながらはぐらかされるのは、夫の敗北のように見えた。  彼は澄まして玄関から上へ上がった。そうしてすぐ着物を着換えた。茶の間の火鉢の前には黒塗の足のついた膳の上に布巾を掛けたのが、彼の帰りを待ち受けるごとくに据えてあった。 「今日もどこかへ御廻り?」  津田が一定の時刻に宅へ帰らないと、お延はきっとこういう質問を掛けた。勢い津田は何とか返事をしなければならなかった。しかしそう用事ばかりで遅くなるとも限らないので、時によると彼の答は変に曖昧なものになった。そんな場合の彼は、自分のために薄化粧をしたお延の顔をわざと見ないようにした。 「あてて見ましょうか」 「うん」  今日の津田はいかにも平気であった。 「吉川さんでしょう」 「よくあたるね」 「たいてい容子で解りますわ」 「そうかね。もっとも昨夜吉川さんに話をしてから手術の日取をきめる事にしようって云ったんだから、あたる訳は訳だね」 「そんな事がなくったって、妾あてるわ」 「そうか。偉いね」  津田は吉川の細君に頼んで来た要点だけをお延に伝えた。 「じゃいつから、その治療に取りかかるの」 「そういう訳だから、まあいつからでも構わないようなもんだけれども……」  津田の腹には、その治療にとりかかる前に、是非金の工面をしなければならないという屈託があった。その額は無論大したものではなかった。しかし大した額でないだけに、これという簡便な調達方の胸に浮ばない彼を、なお焦つかせた。  彼は神田にいる妹の事をちょっと思い浮べて見たが、そこへ足を向ける気にはどうしてもなれなかった。彼が結婚後家計膨脹という名義の下に、毎月の不足を、京都にいる父から填補して貰う事になった一面には、盆暮の賞与で、その何分かを返済するという条件があった。彼はいろいろの事情から、この夏その条件を履行しなかったために、彼の父はすでに感情を害していた。それを知っている妹はまた大体の上においてむしろ父の同情者であった。妹の夫の手前、金の問題などを彼女の前に持ち出すのを最初から屑よしとしなかった彼は、この事情のために、なおさら堅くなった。彼はやむをえなければ、お延の忠告通り、もう一返父に手紙を出して事情を訴えるよりほかに仕方がないと思った。それには今の病気を、少し手重に書くのが得策だろうとも考えた。父母に心配をかけない程度で、実際の事実に多少の光沢を着けるくらいの事は、良心の苦痛を忍ばないで誰にでもできる手加減であった。 「お延昨夜お前の云った通りもう一遍御父さんに手紙を出そうよ」 「そう。でも……」  お延は「でも」と云ったなり津田を見た。津田は構わず二階へ上って机の前に坐った。 十五  西洋流のレターペーパーを使いつけた彼は、机の抽斗からラヴェンダー色の紙と封筒とを取り出して、その紙の上へ万年筆で何心なく二三行書きかけた時、ふと気がついた。彼の父は洋筆や万年筆でだらしなく綴られた言文一致の手紙などを、自分の伜から受け取る事は平生からあまり喜こんでいなかった。彼は遠くにいる父の顔を眼の前に思い浮べながら、苦笑して筆を擱いた。手紙を書いてやったところでとうてい効能はあるまいという気が続いて起った。彼は木炭紙に似たざらつく厚い紙の余りへ、山羊髯を生やした細面の父の顔をいたずらにスケッチして、どうしようかと考えた。  やがて彼は決心して立ち上った。襖を開けて、二階の上り口の所に出て、そこから下にいる細君を呼んだ。 「お延お前の所に日本の巻紙と状袋があるかね。あるならちょいとお貸し」 「日本の?」  細君の耳にはこの形容詞が変に滑稽に聞こえた。 「女のならあるわ」  津田はまた自分の前に粋な模様入の半切を拡げて見た。 「これなら気に入るかしら」 「中さえよく解るように書いて上げたら紙なんかどうでもよかないの」 「そうは行かないよ。御父さんはあれでなかなかむずかしいんだからね」  津田は真面目な顔をしてなお半切を見つめていた。お延の口元には薄笑いの影が差した。 「時をちょいと買わせにやりましょうか」 「うん」  津田は生返事をした。白い巻紙と無地の封筒さえあれば、必ず自分の希望が成功するという訳にも行かなかった。 「待っていらっしゃい。じきだから」  お延はすぐ下へ降りた。やがて潜り戸が開いて下女の外へ出る足音が聞こえた。津田は必要の品物が自分の手に入るまで、何もせずに、ただ机の前に坐って煙草を吹かした。  彼の頭は勢い彼の父を離れなかった。東京に生れて東京に育ったその父は、何ぞというとすぐ上方の悪口を云いたがる癖に、いつか永住の目的をもって京都に落ちついてしまった。彼がその土地を余り好まない母に同情して多少不賛成の意を洩らした時、父は自分で買った土地と自分が建てた家とを彼に示して、「これをどうする気か」と云った。今よりもまだ年の若かった彼は、父の言葉の意味さえよく解らなかった。所置はどうでもできるのにと思った。父は時々彼に向って、「誰のためでもない、みんな御前のためだ」と云った。「今はそのありがた味が解らないかも知れないが、おれが死んで見ろ、きっと解る時が来るから」とも云った。彼は頭の中で父の言葉と、その言葉を口にする時の父の態度とを描き出した。子供の未来の幸福を一手に引き受けたような自信に充ちたその様子が、近づくべからざる予言者のように、彼には見えた。彼は想像の眼で見る父に向って云いたくなった。 「御父さんが死んだ後で、一度に御父さんのありがた味が解るよりも、お父さんが生きているうちから、毎月正確にお父さんのありがた味が少しずつ解る方が、どのくらい楽だか知れやしません」  彼が父の機嫌を損ないような巻紙の上へ、なるべく金を送ってくれそうな文句を、堅苦しい候文で認め出したのは、それから約十分後であった。彼はぎごちない思いをして、ようやくそれを書き上げた後で、もう一遍読み返した時に、自分の字の拙い事につくづく愛想を尽かした。文句はとにかく、こんな字ではとうてい成功する資格がないようにも思った。最後に、よし成功しても、こっちで要る期日までに金はとても来ないような気がした。下女にそれを投函させた後、彼は黙って床の中へ潜り込みながら、腹の中で云った。 「その時はその時の事だ」 十六  翌日の午後津田は呼び付けられて吉川の前に立った。 「昨日宅へ来たってね」 「ええちょっと御留守へ伺って、奥さんに御目にかかって参りました」 「また病気だそうじゃないか」 「ええ少し……」 「困るね。そうよく病気をしちゃ」 「何実はこの前の続きです」  吉川は少し意外そうな顔をして、今まで使っていた食後の小楊子を口から吐き出した。それから内隠袋を探って莨入を取り出そうとした。津田はすぐ灰皿の上にあった燐寸を擦った。あまり気を利かそうとして急いたものだから、一本目は役に立たないで直ぐ消えた。彼は周章てて二本目を擦って、それを大事そうに吉川の鼻の先へ持って行った。 「何しろ病気なら仕方がない、休んでよく養生したらいいだろう」  津田は礼を云って室を出ようとした。吉川は煙りの間から訊いた。 「佐々木には断ったろうね」 「ええ佐々木さんにもほかの人にも話して、繰り合せをして貰う事にしてあります」  佐々木は彼の上役であった。 「どうせ休むなら早い方がいいね。早く養生して早く好くなって、そうしてせっせと働らかなくっちゃ駄目だ」  吉川の言葉はよく彼の気性を現わしていた。 「都合がよければ明日からにしたまえ」 「へえ」  こう云われた津田は否応なしに明日から入院しなければならないような心持がした。  彼の身体が半分戸の外へ出かかった時、彼はまた後から呼びとめられた。 「おい君、お父さんは近頃どうしたね。相変らずお丈夫かね」  ふり返った津田の鼻を葉巻の好い香が急に冒した。 「へえ、ありがとう、お蔭さまで達者でございます」 「大方詩でも作って遊んでるんだろう。気楽で好いね。昨夕も岡本と或所で落ち合って、君のお父さんの噂をしたがね。岡本も羨ましがってたよ。あの男も近頃少し閑暇になったようなもののやっぱり、君のお父さんのようにゃ行かないからね」  津田は自分の父がけっしてこれらの人から羨やましがられているとは思わなかった。もし父の境遇に彼らをおいてやろうというものがあったなら、彼らは苦笑して、少なくとももう十年はこのままにしておいてくれと頼むだろうと考えた。それは固より自分の性格から割り出した津田の観察に過ぎなかった。同時に彼らの性格から割り出した津田の観察でもあった。 「父はもう時勢後れですから、ああでもして暮らしているよりほかに仕方がございません」  津田はいつの間にかまた室の中に戻って、元通りの位置に立っていた。 「どうして時勢後れどころじゃない、つまり時勢に先だっているから、ああした生活が送れるんだ」  津田は挨拶に窮した。向うの口の重宝なのに比べて、自分の口の不重宝さが荷になった。彼は手持無沙汰の気味で、緩く消えて行く葉巻の煙りを見つめた。 「お父さんに心配を掛けちゃいけないよ。君の事は何でもこっちに分ってるから、もし悪い事があると、僕からお父さんの方へ知らせてやるぜ、好いかね」  津田はこの子供に対するような、笑談とも訓戒とも見分のつかない言葉を、苦笑しながら聞いた後で、ようやく室外に逃れ出た。 十七  その日の帰りがけに津田は途中で電車を下りて、停留所から賑やかな通りを少し行った所で横へ曲った。質屋の暖簾だの碁会所の看板だの鳶の頭のいそうな格子戸作りだのを左右に見ながら、彼は彎曲した小路の中ほどにある擦硝子張の扉を外から押して内へ入った。扉の上部に取り付けられた電鈴が鋭どい音を立てた時、彼は玄関の突き当りの狭い部屋から出る四五人の眼の光を一度に浴びた。窓のないその室は狭いばかりでなく実際暗かった。外部から急に入って来た彼にはまるで穴蔵のような感じを与えた。彼は寒そうに長椅子の片隅へ腰をおろして、たった今暗い中から眼を光らして自分の方を見た人達を見返した。彼らの多くは室の真中に出してある大きな瀬戸物火鉢の周囲を取り巻くようにして坐っていた。そのうちの二人は腕組のまま、二人は火鉢の縁に片手を翳したまま、ずっと離れた一人はそこに取り散らした新聞紙の上へ甜めるように顔を押し付けたまま、また最後の一人は彼の今腰をおろした長椅子の反対の隅に、心持身体を横にして洋袴の膝頭を重ねたまま。  電鈴の鳴った時申し合せたように戸口をふり向いた彼らは、一瞥の後また申し合せたように静かになってしまった。みんな黙って何事をか考え込んでいるらしい態度で坐っていた。その様子が津田の存在に注意を払わないというよりも、かえって津田から注意されるのを回避するのだとも取れた。単に津田ばかりでなく、お互に注意され合う苦痛を憚かって、わざとそっぽへ眼を落しているらしくも見えた。  この陰気な一群の人々は、ほとんど例外なしに似たり寄ったりの過去をもっているものばかりであった。彼らはこうして暗い控室の中で、静かに自分の順番の来るのを待っている間に、むしろ華やかに彩られたその過去の断片のために、急に黒い影を投げかけられるのである。そうして明るい所へ眼を向ける勇気がないので、じっとその黒い影の中に立ち竦むようにして閉じ籠っているのである。  津田は長椅子の肱掛に腕を載せて手を額にあてた。彼は黙祷を神に捧げるようなこの姿勢のもとに、彼が去年の暮以来この医者の家で思いがけなく会った二人の男の事を考えた。  その一人は事実彼の妹婿にほかならなかった。この暗い室の中で突然彼の姿を認めた時、津田は吃驚した。そんな事に対して比較的無頓着な相手も、津田の驚ろき方が反響したために、ちょっと挨拶に窮したらしかった。  他の一人は友達であった。これは津田が自分と同性質の病気に罹っているものと思い込んで、向うから平気に声をかけた。彼らはその時二人いっしょに医者の門を出て、晩飯を食いながら、性と愛という問題についてむずかしい議論をした。  妹婿の事は一時の驚ろきだけで、大した影響もなく済んだが、それぎりで後のなさそうに思えた友達と彼との間には、その後異常な結果が生れた。  その時の友達の言葉と今の友達の境遇とを連結して考えなければならなかった津田は、突然衝撃を受けた人のように、眼を開いて額から手を放した。  すると診察所から紺セルの洋服を着た三十恰好の男が出て来て、すぐ薬局の窓の所へ行った。彼が隠袋から紙入を出して金を払おうとする途端に、看護婦が敷居の上に立った。彼女と見知り越の津田は、次の患者の名を呼んで再び診察所の方へ引き返そうとする彼女を呼び留めた。 「順番を待っているのが面倒だからちょっと先生に訊いて下さい。明日か明後日手術を受けに来て好いかって」  奥へ入った看護婦はすぐまた白い姿を暗い室の戸口に現わした。 「今ちょうど二階が空いておりますから、いつでも御都合の宜しい時にどうぞ」  津田は逃れるように暗い室を出た。彼が急いで靴を穿いて、擦硝子張の大きな扉を内側へ引いた時、今まで真暗に見えた控室にぱっと電灯が点いた。 十八  津田の宅へ帰ったのは、昨日よりはやや早目であったけれども、近頃急に短かくなった秋の日脚は疾くに傾いて、先刻まで往来にだけ残っていた肌寒の余光が、一度に地上から払い去られるように消えて行く頃であった。  彼の二階には無論火が点いていなかった。玄関も真暗であった。今角の車屋の軒灯を明らかに眺めて来たばかりの彼の眼は少し失望を感じた。彼はがらりと格子を開けた。それでもお延は出て来なかった。昨日の今頃待ち伏せでもするようにして彼女から毒気を抜かれた時は、余り好い心持もしなかったが、こうして迎える人もない真暗な玄関に立たされて見ると、やっぱり昨日の方が愉快だったという気が彼の胸のどこかでした。彼は立ちながら、「お延お延」と呼んだ。すると思いがけない二階の方で「はい」という返事がした。それから階子段を踏んで降りて来る彼女の足音が聞こえた。同時に下女が勝手の方から馳け出して来た。 「何をしているんだ」  津田の言葉には多少不満の響きがあった。お延は何にも云わなかった。しかしその顔を見上げた時、彼はいつもの通り無言の裡に自分を牽きつけようとする彼女の微笑を認めない訳に行かなかった。白い歯が何より先に彼の視線を奪った。 「二階は真暗じゃないか」 「ええ。何だかぼんやりして考えていたもんだから、つい御帰りに気がつかなかったの」 「寝ていたな」 「まさか」  下女が大きな声を出して笑い出したので、二人の会話はそれぎり切れてしまった。  湯に行く時、お延は「ちょっと待って」と云いながら、石鹸と手拭を例の通り彼女の手から受け取って火鉢の傍を離れようとする夫を引きとめた。彼女は後ろ向になって、重ね箪笥の一番下の抽斗から、ネルを重ねた銘仙の褞袍を出して夫の前へ置いた。 「ちょっと着てみてちょうだい。まだ圧が好く利いていないかも知れないけども」  津田は煙に巻かれたような顔をして、黒八丈の襟のかかった荒い竪縞の褞袍を見守もった。それは自分の買った品でもなければ、拵えてくれと誂えた物でもなかった。 「どうしたんだい。これは」 「拵えたのよ。あなたが病院へ入る時の用心に。ああいう所で、あんまり変な服装をしているのは見っともないから」 「いつの間に拵えたのかね」  彼が手術のため一週間ばかり家を空けなければならないと云って、その訳をお延に話したのは、つい二三日前の事であった。その上彼はその日から今日に至るまで、ついぞ針を持って裁物板の前に坐った細君の姿を見た事がなかった。彼は不思議の感に打たれざるを得なかった。お延はまた夫のこの驚きをあたかも自分の労力に対する報酬のごとくに眺めた。そうしてわざと説明も何も加えなかった。 「布は買ったのかい」 「いいえ、これあたしの御古よ。この冬着ようと思って、洗張をしたまま仕立てずにしまっといたの」  なるほど若い女の着る柄だけに、縞がただ荒いばかりでなく、色合もどっちかというとむしろ派出過ぎた。津田は袖を通したわが姿を、奴凧のような風をして、少しきまり悪そうに眺めた後でお延に云った。 「とうとう明日か明後日やって貰う事にきめて来たよ」 「そう。それであたしはどうなるの」 「御前はどうもしやしないさ」 「いっしょに随いて行っちゃいけないの。病院へ」  お延は金の事などをまるで苦にしていないらしく見えた。 十九  津田の明る朝眼を覚ましたのはいつもよりずっと遅かった。家の内はもう一片付かたづいた後のようにひっそり閑としていた。座敷から玄関を通って茶の間の障子を開けた彼は、そこの火鉢の傍にきちんと坐って新聞を手にしている細君を見た。穏やかな家庭を代表するような音を立てて鉄瓶が鳴っていた。 「気を許して寝ると、寝坊をするつもりはなくっても、つい寝過ごすもんだな」  彼は云い訳らしい事をいって、暦の上にかけてある時計を眺めた。時計の針はもう十時近くの所を指していた。  顔を洗ってまた茶の間へ戻った時、彼は何気なく例の黒塗の膳に向った。その膳は彼の着席を待ち受けたというよりも、むしろ待ち草臥れたといった方が適当であった。彼は膳の上に掛けてある布巾を除ろうとしてふと気がついた。 「こりゃいけない」  彼は手術を受ける前日に取るべき注意を、かつて医者から聞かされた事を思い出した。しかし今の彼はそれを明らかに覚えていなかった。彼は突然細君に云った。 「ちょっと訊いてくる」 「今すぐ?」  お延は吃驚して夫の顔を見た。 「なに電話でだよ。訳ゃない」  彼は静かな茶の間の空気を自分で蹴散らす人のように立ち上ると、すぐ玄関から表へ出た。そうして電車通りを半丁ほど右へ行った所にある自動電話へ馳けつけた。そこからまた急ぎ足に取って返した彼は玄関に立ったまま細君を呼んだ。 「ちょっと二階にある紙入を取ってくれ。御前の蟇口でも好い」 「何になさるの」  お延には夫の意味がまるで解らなかった。 「何でもいいから早く出してくれ」  彼はお延から受取った蟇口を懐中へ放り込んだまま、すぐ大通りの方へ引き返した。そうして電車に乗った。  彼がかなり大きな紙包を抱えてまた戻って来たのは、それから約三四十分後で、もう午に間もない頃であった。 「あの蟇口の中にゃ少しっきゃ入っていないんだね。もう少しあるのかと思ったら」  津田はそう云いながら腋に抱えた包みを茶の間の畳の上へ放り出した。 「足りなくって?」  お延は細かい事にまで気を遣わないではいられないという眼つきを夫の上に向けた。 「いや足りないというほどでもないがね」 「だけど何をお買いになるかあたしちっとも解らないんですもの。もしかすると髪結床かと思ったけれども」  津田は二カ月以上手を入れない自分の頭に気がついた。永く髪を刈らないと、心持番の小さい彼の帽子が、被るたんびに少しずつきしんで来るようだという、つい昨日の朝受けた新らしい感じまで思い出した。 「それにあんまり急いでいらっしったもんだから、つい二階まで取りに行けなかったのよ」 「実はおれの紙入の中にも、そうたくさん入ってる訳じゃないんだから、まあどっちにしたって大した変りはないんだがね」  彼は蟇口の悪口ばかり云えた義理でもなかった。  お延は手早く包紙を解いて、中から紅茶の缶と、麺麭と牛酪を取り出した。 「おやおやこれ召しゃがるの。そんなら時を取りにおやりになればいいのに」 「なにあいつじゃ分らない。何を買って来るか知れやしない」  やがて好い香のするトーストと濃いけむりを立てるウーロン茶とがお延の手で用意された。  朝飯とも午飯とも片のつかない、極めて単純な西洋流の食事を済ました後で、津田は独りごとのように云った。 「今日は病気の報知かたがた無沙汰見舞に、ちょっと朝の内藤井の叔父の所まで行って来ようと思ってたのに、とうとう遅くなっちまった」  彼の意味は仕方がないから午後にこの訪問の義務を果そうというのであった。 二十  藤井というのは津田の父の弟であった。広島に三年長崎に二年という風に、方々移り歩かなければならない官吏生活を余儀なくされた彼の父は、教育上津田を連れて任地任地を巡礼のように経めぐる不便と不利益とに痛く頭を悩ましたあげく、早くから彼をその弟に託して、いっさいの面倒を見て貰う事にした。だから津田は手もなくこの叔父に育て上げられたようなものであった。したがって二人の関係は普通の叔父甥の域を通り越していた。性質や職業の差違を問題のほかに置いて評すると、彼らは叔父甥というよりもむしろ親子であった。もし第二の親子という言葉が使えるなら、それは最も適切にこの二人の間柄を説明するものであった。  津田の父と違ってこの叔父はついぞ東京を離れた事がなかった。半生の間始終動き勝であった父に比べると、単にこの点だけでもそこに非常な相違があった。少なくとも非常な相違があるように津田の眼には映じた。 「緩慢なる人世の旅行者」  叔父がかつて津田の父を評した言葉のうちにこういう文句があった。それを何気なく小耳に挟んだ津田は、すぐ自分の父をそういう人だと思い込んでしまった。そうして今日までその言葉を忘れなかった。しかし叔父の使った文句の意味は、頭の発達しない当時よく解らなかったと同じように、今になっても判然しなかった。ただ彼は父の顔を見るたんびにそれを思い出した。肉の少ない細面の腮の下に、売卜者見たような疎髯を垂らしたその姿と、叔父のこの言葉とは、彼にとってほとんど同じものを意味していた。  彼の父は今から十年ばかり前に、突然遍路に倦み果てた人のように官界を退いた。そうして実業に従事し出した。彼は最後の八年を神戸で費やした後、その間に買っておいた京都の地面へ、新らしい普請をして、二年前にとうとうそこへ引き移った。津田の知らない間に、この閑静な古い都が、彼の父にとって隠栖の場所と定められると共に、終焉の土地とも変化したのである。その時叔父は鼻の頭へ皺を寄せるようにして津田に云った。 「兄貴はそれでも少し金が溜ったと見えるな。あの風船玉が、じっと落ちつけるようになったのは、全く金の重みのために違ない」  しかし金の重みのいつまで経ってもかからない彼自身は、最初から動かなかった。彼は始終東京にいて始終貧乏していた。彼はいまだかつて月給というものを貰った覚のない男であった。月給が嫌いというよりも、むしろくれ手がなかったほどわがままだったという方が適当かも知れなかった。規則ずくめな事に何でも反対したがった彼は、年を取ってその考が少し変って来た後でも、やはり以前の強情を押し通していた。これは今さら自分の主義を改めたところで、ただ人に軽蔑されるだけで、いっこう得にはならないという事をよく承知しているからでもあった。  実際の世の中に立って、端的な事実と組み打ちをして働らいた経験のないこの叔父は、一面において当然迂濶な人生批評家でなければならないと同時に、一面においてははなはだ鋭利な観察者であった。そうしてその鋭利な点はことごとく彼の迂濶な所から生み出されていた。言葉を換えていうと、彼は迂濶の御蔭で奇警な事を云ったり為たりした。  彼の知識は豊富な代りに雑駁であった。したがって彼は多くの問題に口を出したがった。けれどもいつまで行っても傍観者の態度を離れる事ができなかった。それは彼の位地が彼を余儀なくするばかりでなく、彼の性質が彼をそこに抑えつけておくせいでもあった。彼は或頭をもっていた。けれども彼には手がなかった。もしくは手があっても、それを使おうとしなかった。彼は始終懐手をしていたがった。一種の勉強家であると共に一種の不精者に生れついた彼は、ついに活字で飯を食わなければならない運命の所有者に過ぎなかった。 二十一  こういう人にありがちな場末生活を、藤井は市の西北にあたる高台の片隅で、この六七年続けて来たのである。ついこの間まで郊外に等しかったその高台のここかしこに年々建て増される大小の家が、年々彼の眼から蒼い色を奪って行くように感ぜられる時、彼は洋筆を走らす手を止めて、よく自分の兄の身の上を考えた。折々は兄から金でも借りて、自分も一つ住宅を拵えて見ようかしらという気を起した。その金を兄はとても貸してくれそうもなかった。自分もいざとなると貸して貰う性分ではなかった。「緩慢なる人生の旅行者」と兄を評した彼は、実を云うと、物質的に不安なる人生の旅行者であった。そうして多数の人の場合において常に見出されるごとく、物質上の不安は、彼にとってある程度の精神的不安に過ぎなかった。  津田の宅からこの叔父の所へ行くには、半分道ほど川沿の電車を利用する便利があった。けれどもみんな歩いたところで、一時間とかからない近距離なので、たまさかの散歩がてらには、かえってやかましい交通機関の援に依らない方が、彼の勝手であった。  一時少し前に宅を出た津田は、ぶらぶら河縁を伝って終点の方に近づいた。空は高かった。日の光が至る所に充ちていた。向うの高みを蔽っている深い木立の色が、浮き出したように、くっきり見えた。  彼は道々今朝買い忘れたリチネの事を思い出した。それを今日の午後四時頃に呑めと医者から命令された彼には、ちょっと薬種屋へ寄ってこの下剤を手に入れておく必要があった。彼はいつもの通り終点を右へ折れて橋を渡らずに、それとは反対な賑やかな町の方へ歩いて行こうとした。すると新らしく線路を延長する計劃でもあると見えて、彼の通路に当る往来の一部分が、最も無遠慮な形式で筋違に切断されていた。彼は残酷に在来の家屋を掻きって、無理にそれを取り払ったような凸凹だらけの新道路の角に立って、その片隅に塊まっている一群の人々を見た。群集はまばらではあるが三列もしくは五列くらいの厚さで、真中にいる彼とほぼ同年輩ぐらいな男の周囲に半円形をかたちづくっていた。  小肥りにふとったその男は双子木綿の羽織着物に角帯を締めて俎下駄を穿いていたが、頭には笠も帽子も被っていなかった。彼の後に取り残された一本の柳を盾に、彼は綿フラネルの裏の付いた大きな袋を両手で持ちながら、見物人を見廻した。 「諸君僕がこの袋の中から玉子を出す。この空っぽうの袋の中からきっと出して見せる。驚ろいちゃいけない、種は懐中にあるんだから」  彼はこの種の人間としてはむしろ不相応なくらい横風な言葉でこんな事を云った。それから片手を胸の所で握って見せて、その握った拳をまたぱっと袋の方へぶつけるように開いた。「そら玉子を袋の中へ投げ込んだぞ」と騙さないばかりに。しかし彼は騙したのではなかった。彼が手を袋の中へ入れた時は、もう玉子がちゃんとその中に入っていた。彼はそれを親指と人さし指の間に挟んで、一応半円形をかたちづくっている見物にとっくり眺めさした後で地面の上に置いた。  津田は軽蔑に嘆賞を交えたような顔をして、ちょっと首を傾けた。すると突然後から彼の腰のあたりを突っつくもののあるのに気がついた。軽い衝撃を受けた彼はほとんど反射作用のように後をふり向いた。そうしてそこにさも悪戯小僧らしく笑いながら立っている叔父の子を見出した。徽章の着いた制帽と、半洋袴と、背中にしょった背嚢とが、その子の来た方角を彼に語るには充分であった。 「今学校の帰りか」 「うん」  子供は「はい」とも「ええ」とも云わなかった。 二十二 「お父さんはどうした」 「知らない」 「相変らずかね」 「どうだか知らない」  自分が十ぐらいであった時の心理状態をまるで忘れてしまった津田には、この返事が少し意外に思えた。苦笑した彼は、そこへ気がつくと共に黙った。子供はまた一生懸命に手品遣いの方ばかり注意しだした。服装から云うと一夜作りとも見られるその男はこの時精一杯大きな声を張りあげた。 「諸君もう一つ出すから見ていたまえ」  彼は例の袋を片手でぐっと締扱いて、再び何か投げ込む真似を小器用にした後、麗々と第二の玉子を袋の底から取り出した。それでも飽き足らないと見えて、今度は袋を裏返しにして、薄汚ない棉フラネルの縞柄を遠慮なく群衆の前に示した。しかし第三の玉子は同じ手真似と共に安々と取り出された。最後に彼はあたかも貴重品でも取扱うような様子で、それを丁寧に地面の上へ並べた。 「どうだ諸君こうやって出そうとすれば、何個でも出せる。しかしそう玉子ばかり出してもつまらないから、今度は一つ生きた鶏を出そう」  津田は叔父の子供をふり返った。 「おい真事もう行こう。小父さんはこれからお前の宅へ行くんだよ」  真事には津田よりも生きた鶏の方が大事であった。 「小父さん先へ行ってさ。僕もっと見ているから」 「ありゃ嘘だよ。いつまで経ったって生きた鶏なんか出て来やしないよ」 「どうして? だって玉子はあんなに出たじゃないの」 「玉子は出たが、鶏は出ないんだよ。ああ云って嘘を吐いていつまでも人を散らさないようにするんだよ」 「そうしてどうするの」  そうしてどうするのかその後の事は津田にもちっとも解らなかった。面倒になった彼は、真事を置き去りにして先へ行こうとした。すると真事が彼の袂を捉えた。 「小父さん何か買ってさ」  宅で強請られるたんびに、この次この次といって逃げておきながら、その次行く時には、つい買ってやるのを忘れるのが常のようになっていた彼は、例の調子で「うん買ってやるさ」と云った。 「じゃ自動車、ね」 「自動車は少し大き過ぎるな」 「なに小さいのさ。七円五十銭のさ」  七円五十銭でも津田にはたしかに大き過ぎた。彼は何にも云わずに歩き出した。 「だってこの前もその前も買ってやるっていったじゃないの。小父さんの方があの玉子を出す人よりよっぽど嘘吐きじゃないか」 「あいつは玉子は出すが鶏なんか出せやしないんだよ」 「どうして」 「どうしてって、出せないよ」 「だから小父さんも自動車なんか買えないの」 「うん。――まあそうだ。だから何かほかのものを買ってやろう」 「じゃキッドの靴さ」  毒気を抜かれた津田は、返事をする前にまた黙って一二間歩いた。彼は眼を落して真事の足を見た。さほど見苦しくもないその靴は、茶とも黒ともつかない一種変な色をしていた。 「赤かったのを宅でお父さんが染めたんだよ」  津田は笑いだした。藤井が子供の赤靴を黒く染めたという事柄が、何だか彼にはおかしかった。学校の規則を知らないで拵らえた赤靴を規則通りに黒くしたのだという説明を聞いた時、彼はまた叔父の窮策を滑稽的に批判したくなった。そうしてその窮策から出た現在のお手際を擽ぐったいような顔をしてじろじろ眺めた。 二十三 「真事、そりゃ好い靴だよ、お前」 「だってこんな色の靴誰も穿いていないんだもの」 「色はどうでもね、お父さんが自分で染めてくれた靴なんか滅多に穿けやしないよ。ありがたいと思って大事にして穿かなくっちゃいけない」 「だってみんなが尨犬の皮だ尨犬の皮だって揶揄うんだもの」  藤井の叔父と尨犬の皮、この二つの言葉をつなげると、結果はまた新らしいおかしみになった。しかしそのおかしみは微かな哀傷を誘って、津田の胸を通り過ぎた。 「尨犬じゃないよ、小父さんが受け合ってやる。大丈夫尨犬じゃない立派な……」  津田は立派な何といっていいかちょっと行きつまった。そこを好い加減にしておく真事ではなかった。 「立派な何さ」 「立派な――靴さ」  津田はもし懐中が許すならば、真事のために、望み通りキッドの編上を買ってやりたい気がした。それが叔父に対する恩返しの一端になるようにも思われた。彼は胸算で自分の懐にある紙入の中を勘定して見た。しかし今の彼にそれだけの都合をつける余裕はほとんどなかった。もし京都から為替が届くならばとも考えたが、まだ届くか届かないか分らない前に、苦しい思いをして、それだけの実意を見せるにも及ぶまいという世間心も起った。 「真事、そんなにキッドが買いたければね、今度宅へ来た時、小母さんに買ってお貰い。小父さんは貧乏だからもっと安いもので今日は負けといてくれ」  彼は賺すようにまた宥めるように真事の手を引いて広い往来をぶらぶら歩いた。終点に近いその通りは、電車へ乗り降りの必要上、無数の人の穿物で絶えず踏み堅められる結果として、四五年この方町並が生れ変ったように立派に整のって来た。ところどころのショーウィンドーには、一概に場末ものとして馬鹿にできないような品が綺麗に飾り立てられていた。真事はその間を向う側へ馳け抜けて、朝鮮人の飴屋の前へ立つかと思うと、また此方側へ戻って来て、金魚屋の軒の下に佇立んだ。彼の馳け出す時には、隠袋の中でビー玉の音が、きっとじゃらじゃらした。 「今日学校でこんなに勝っちゃった」  彼は隠袋の中へ手をぐっと挿し込んで掌いっぱいにそのビー玉を載せて見せた。水色だの紫色だのの丸い硝子玉が迸ばしるように往来の真中へ転がり出した時、彼は周章ててそれを追いかけた。そうして後を振り向きながら津田に云った。 「小父さんも拾ってさ」  最後にこの目まぐるしい叔父の子のために一軒の玩具屋へ引き摺り込まれた津田は、とうとうそこで一円五十銭の空気銃を買ってやらなければならない事になった。 「雀ならいいが、むやみに人を狙っちゃいけないよ」 「こんな安い鉄砲じゃ雀なんか取れないだろう」 「そりゃお前が下手だからさ。下手ならいくら鉄砲が好くったって取れないさ」 「じゃ小父さんこれで雀打ってくれる? これから宅へ行って」  好い加減をいうとすぐ後から実行を逼られそうな様子なので、津田は生返事をしたなり話をほかへそらした。真事は戸田だの渋谷だの坂口だのと、相手の知りもしない友達の名前を勝手に並べ立てて、その友達を片端から批評し始めた。 「あの岡本って奴、そりゃ狡猾いんだよ。靴を三足も買ってもらってるんだもの」  話はまた靴へ戻って来た。津田はお延と関係の深いその岡本の子と、今自分の前でその子を評している真事とを心の中で比較した。 二十四 「御前近頃岡本の所へ遊びに行くかい」 「ううん、行かない」 「また喧嘩したな」 「ううん、喧嘩なんかしない」 「じゃなぜ行かないんだ」 「どうしてでも――」  真事の言葉には後がありそうだった。津田はそれが知りたかった。 「あすこへ行くといろんなものをくれるだろう」 「ううん、そんなにくれない」 「じゃ御馳走するだろう」 「僕こないだ岡本の所でライスカレーを食べたら、そりゃ辛かったよ」  ライスカレーの辛いぐらいは、岡本へ行かない理由になりそうもなかった。 「それで行くのが厭になった訳でもあるまい」 「ううん。だってお父さんが止せって云うんだもの。僕岡本の所へ行ってブランコがしたいんだけども」  津田は小首を傾けた。叔父が子供を岡本へやりたがらない理由は何だろうと考えた。肌合の相違、家風の相違、生活の相違、それらのものがすぐ彼の心に浮かんだ。始終机に向って沈黙の間に活字的の気を天下に散布している叔父は、実際の世間においてけっして筆ほどの有力者ではなかった。彼は暗にその距離を自覚していた。その自覚はまた彼を多少頑固にした。幾分か排外的にもした。金力権力本位の社会に出て、他から馬鹿にされるのを恐れる彼の一面には、その金力権力のために、自己の本領を一分でも冒されては大変だという警戒の念が絶えずどこかに働いているらしく見えた。 「真事なぜお父さんに訊いて見なかったのだい。岡本へ行っちゃなぜいけないんですって」 「僕訊いたよ」 「訊いたらお父さんは何と云った。――何とも云わなかったろう」 「ううん、云った」 「何と云った」  真事は少し羞恥んでいた。しばらくしてから、彼はぽつりぽつり句切を置くような重い口調で答えた。 「あのね、岡本へ行くとね、何でも一さんの持ってるものをね、宅へ帰って来てからね、買ってくれ、買ってくれっていうから、それでいけないって」  津田はようやく気がついた。富の程度に多少等差のある二人の活計向は、彼らの子供が持つ玩具の末に至るまでに、多少等差をつけさせなければならなかったのである。 「それでこいつ自動車だのキッドの靴だのって、むやみに高いものばかり強請んだな。みんな一さんの持ってるのを見て来たんだろう」  津田は揶揄い半分手を挙げて真事の背中を打とうとした。真事は跋の悪い真相を曝露された大人に近い表情をした。けれども大人のように言訳がましい事はまるで云わなかった。 「嘘だよ。嘘だよ」  彼は先刻津田に買ってもらった一円五十銭の空気銃を担いだままどんどん自分の宅の方へ逃げ出した。彼の隠袋の中にあるビー玉が数珠を劇しく揉むように鳴った。背嚢の中では弁当箱だか教科書だかが互にぶつかり合う音がごとりごとりと聞こえた。  彼は曲り角の黒板塀の所でちょっと立ちどまって鼬のように津田をふり返ったまま、すぐ小さい姿を小路のうちに隠した。津田がその小路を行き尽して突きあたりにある藤井の門を潜った時、突然ドンという銃声が彼の一間ばかり前で起った。彼は右手の生垣の間から大事そうに彼を狙撃している真事の黒い姿を苦笑をもって認めた。 二十五  座敷で誰かと話をしている叔父の声を聞いた津田は、格子の間から一足の客靴を覗いて見たなり、わざと玄関を開けずに、茶の間の縁側の方へ廻った。もと植木屋ででもあったらしいその庭先には木戸の用心も竹垣の仕切もないので、同じ地面の中に近頃建て増された新らしい貸家の勝手口を廻ると、すぐ縁鼻まで歩いて行けた。目隠しにしては少し低過ぎる高い茶の樹を二三本通り越して、彼の記憶にいつまでも残っている柿の樹の下を潜った津田は、型のごとくそこに叔母の姿を見出した。障子の篏入硝子に映るその横顔が彼の眼に入った時、津田は外部から声を掛けた。 「叔母さん」  叔母はすぐ障子を開けた。 「今日はどうしたの」  彼女は子供が買って貰った空気銃の礼も云わずに、不思議そうな眼を津田の上に向けた。四十の上をもう三つか四つ越したこの叔母の態度には、ほとんど愛想というものがなかった。その代り時と場合によると世間並の遠慮を超越した自然が出た。そのうちにはほとんど性の感じを離れた自然さえあった。津田はいつでもこの叔母と吉川の細君とを腹の中で比較した。そうしていつでもその相違に驚ろいた。同じ女、しかも年齢のそう違わない二人の女が、どうしてこんなに違った感じを他に与える事ができるかというのが、第一の疑問であった。 「叔母さんは相変らず色気がないな」 「この年齢になって色気があっちゃ気狂だわ」  津田は縁側へ腰をかけた。叔母は上れとも云わないで、膝の上に載せた紅絹の片へ軽い火熨斗を当てていた。すると次の間からほどき物を持って出て来たお金さんという女が津田にお辞儀をしたので、彼はすぐ言葉をかけた。 「お金さん、まだお嫁の口はきまりませんか。まだなら一つ好いところを周旋しましょうか」  お金さんはえへへと人の好さそうに笑いながら少し顔を赤らめて、彼のために座蒲団を縁側へ持って来ようとした。津田はそれを手で制して、自分から座敷の中に上り込んだ。 「ねえ叔母さん」 「ええ」  気のなさそうな生返事をした叔母は、お金さんが生温るい番茶を形式的に津田の前へ注いで出した時、ちょっと首をあげた。 「お金さん由雄さんによく頼んでおおきなさいよ。この男は親切で嘘を吐かない人だから」  お金さんはまだ逃げ出さずにもじもじしていた。津田は何とか云わなければすまなくなった。 「お世辞じゃありません、本当の事です」  叔母は別に取り合う様子もなかった。その時裏で真事の打つ空気銃の音がぽんぽんしたので叔母はすぐ聴耳を立てた。 「お金さん、ちょっと見て来て下さい。バラ丸を入れて打つと危険いから」  叔母は余計なものを買ってくれたと云わんばかりの顔をした。 「大丈夫ですよ。よく云い聞かしてあるんだから」 「いえいけません。きっとあれで面白半分にお隣りの鶏を打つに違ないから。構わないから丸だけ取り上げて来て下さい」  お金さんはそれを好い機に茶の間から姿をかくした。叔母は黙って火鉢に挿し込んだ鏝をまた取り上げた。皺だらけな薄い絹が、彼女の膝の上で、綺麗に平たく延びて行くのを何気なく眺めていた津田の耳に、客間の話し声が途切れ途切れに聞こえて来た。 「時に誰です、お客は」  叔母は驚ろいたようにまた顔を上げた。 「今まで気がつかなかったの。妙ねあなたの耳もずいぶん。ここで聞いてたってよく解るじゃありませんか」 二十六  津田は客間にいる声の主を、坐ったまま突き留めようと力めて見た。やがて彼は軽く膝を拍った。 「ああ解った。小林でしょう」 「ええ」  叔母は嫣然ともせずに、簡単な答を落ちついて与えた。 「何だ小林か。新らしい赤靴なんか穿き込んで厭にお客さんぶってるもんだから誰かと思ったら。そんなら僕も遠慮しずにあっちへ行けばよかった」  想像の眼で見るにはあまりに陳腐過ぎる彼の姿が津田の頭の中に出て来た。この夏会った時の彼の異な服装もおのずと思い出された。白縮緬の襟のかかった襦袢の上へ薩摩絣を着て、茶の千筋の袴に透綾の羽織をはおったその拵えは、まるで傘屋の主人が町内の葬式の供に立った帰りがけで、強飯の折でも懐に入れているとしか受け取れなかった。その時彼は泥棒に洋服を盗まれたという言訳を津田にした。それから金を七円ほど貸してくれと頼んだ。これはある友達が彼の盗難に同情して、もし自分の質に入れてある夏服を受け出す余裕が彼にあるならば、それを彼にやってもいいと云ったからであった。  津田は微笑しながら叔母に訊いた。 「あいつまた何だって今日に限って座敷なんかへ通って、堂々とお客ぶりを発揮しているんだろう」 「少し叔父さんに話があるのよ。それがここじゃちょっと云い悪い事なんでね」 「へえ、小林にもそんな真面目な話があるのかな。金の事か、それでなければ……」  こう云いかけた津田は、ふと真面目な叔母の顔を見ると共に、後を引っ込ましてしまった。叔母は少し声を低くした。その声はむしろ彼女の落ちついた調子に釣り合っていた。 「お金さんの縁談の事もあるんだからね。ここであんまり何かいうと、あの子がきまりを悪くするからね」  いつもの高調子と違って、茶の間で聞いているとちょっと誰だか分らないくらいな紳士風の声を、小林が出しているのは全くそれがためであった。 「もうきまったんですか」 「まあ旨く行きそうなのさ」  叔母の眼には多少の期待が輝やいた。少し乾燥ぎ気味になった津田はすぐ付け加えた。 「じゃ僕が骨を折って周旋しなくっても、もういいんだな」  叔母は黙って津田を眺めた。たとい軽薄とまで行かないでも、こういう巫山戯た空虚うな彼の態度は、今の叔母の生活気分とまるでかけ離れたものらしく見えた。 「由雄さん、お前さん自分で奥さんを貰う時、やっぱりそんな料簡で貰ったの」  叔母の質問は突然であると共に、どういう意味でかけられたのかさえ津田には見当がつかなかった。 「そんな料簡って、叔母さんだけ承知しているぎりで、当人の僕にゃ分らないんだから、ちょっと返事のしようがないがな」 「何も返事を聞かなくったって、叔母さんは困りゃしないけれどもね。――女一人を片づける方の身になって御覧なさい。たいていの事じゃないから」  藤井は四年前長女を片づける時、仕度をしてやる余裕がないのですでに相当の借金をした。その借金がようやく片づいたと思うと、今度はもう次女を嫁にやらなければならなくなった。だからここでもしお金さんの縁談が纏まるとすれば、それは正に三人目の出費に違なかった。娘とは格が違うからという意味で、できるだけ倹約したところで、現在の生計向に多少苦しい負担の暗影を投げる事はたしかであった。 二十七  こういう時に、せめて費用の半分でも、津田が進んで受け持つ事ができたなら、年頃彼の世話をしてきた藤井夫婦にとっては定めし満足な報酬であったろう。けれども今のところ財力の上で叔父叔母に捧げ得る彼の同情は、高々真事の穿きたがっているキッドの靴を買ってやるくらいなものであった。それさえ彼は懐都合で見合せなければならなかったのである。まして京都から多少の融通を仰いで、彼らの経済に幾分の潤沢をつけてやろうなどという親切気はてんで起らなかった。これは自分が事情を報告したところで動く父でもなし、父が動いたところで借りる叔父でもないと頭からきめてかかっているせいでもあった。それで彼はただ自分の所へさえ早く為替が届いてくれればいいという期待に縛られて、叔母の言葉にはあまり感激した様子も見せなかった。すると叔母が「由雄さん」と云い出した。 「由雄さん、じゃどんな料簡で奥さんを貰ったの、お前さんは」 「まさか冗談に貰やしません。いくら僕だってそう浮ついたところばかりから出来上ってるように解釈されちゃ可哀相だ」 「そりゃ無論本気でしょうよ。無論本気には違なかろうけれどもね、その本気にもまたいろいろ段等があるもんだからね」  相手次第では侮辱とも受け取られるこの叔母の言葉を、津田はかえって好奇心で聞いた。 「じゃ叔母さんの眼に僕はどう見えるんです。遠慮なく云って下さいな」  叔母は下を向いて、ほどき物をいじくりながら薄笑いをした。それが津田の顔を見ないせいだか何だか、急に気味の悪い心持を彼に与えた。しかし彼は叔母に対して少しも退避ぐ気はなかった。 「これでもいざとなると、なかなか真面目なところもありますからね」 「そりゃ男だもの、どこかちゃんとしたところがなくっちゃ、毎日会社へ出たって、勤まりっこありゃしないからね。だけども――」  こう云いかけた叔母は、そこで急に気を換えたようにつけ足した。 「まあ止しましょう。今さら云ったって始まらない事だから」  叔母は先刻火熨斗をかけた紅絹の片を鄭寧に重ねて、濃い渋を引いた畳紙の中へしまい出した。それから何となく拍子抜けのした、しかもどこかに物足らなそうな不安の影を宿している津田の顔を見て、ふと気がついたような調子で云った。 「由雄さんはいったい贅沢過ぎるよ」  学校を卒業してから以来の津田は叔母に始終こう云われつけていた。自分でもまたそう信じて疑わなかった。そうしてそれを大した悪い事のようにも考えていなかった。 「ええ少し贅沢です」 「服装や食物ばかりじゃないのよ。心が派出で贅沢に出来上ってるんだから困るっていうのよ。始終御馳走はないかないかって、きょろきょろそこいらを見廻してる人みたようで」 「じゃ贅沢どころかまるで乞食じゃありませんか」 「乞食じゃないけれども、自然真面目さが足りない人のように見えるのよ。人間は好い加減なところで落ちつくと、大変見っとも好いもんだがね」  この時津田の胸を掠めて、自分の従妹に当る叔母の娘の影が突然通り過ぎた。その娘は二人とも既婚の人であった。四年前に片づいた長女は、その後夫に従って台湾に渡ったぎり、今でもそこに暮していた。彼の結婚と前後して、ついこの間嫁に行った次女は、式が済むとすぐ連れられて福岡へ立ってしまった。その福岡は長男の真弓が今年から籍を置いた大学の所在地でもあった。  この二人の従妹のどっちも、貰おうとすれば容易く貰える地位にあった津田の眼から見ると、けっして自分の細君として適当の候補者ではなかった。だから彼は知らん顔をして過ぎた。当時彼の取った態度を、叔母の今の言葉と結びつけて考えた津田は、別にこれぞと云って疾ましい点も見出し得なかったので、何気ない風をして叔母の動作を見守っていた。その叔母はついと立って戸棚の中にある支那鞄の葢を開けて、手に持った畳紙をその中にしまった。 二十八  奥の四畳半で先刻からお金さんに学課の復習をして貰っていた真事が、突然お金さんにはまるで解らない仏蘭西語の読本を浚い始めた。ジュ・シュイ・ポリ、とか、チュ・エ・マラード、とか、一字一字の間にわざと長い句切を置いて読み上げる小学二年生の頓狂な声を、例ながらおかしく聞いている津田の頭の上で、今度は柱時計がボンボンと鳴った。彼はすぐ袂に入れてあるリチネを取り出して、飲みにくそうに、どろどろした油の色を眺めた。すると、客間でも時計の音に促がされたような叔父の声がした。 「じゃあっちへ行こう」  叔父と小林は縁伝いに茶の間へ入って来た。津田はちょっと居住居を直して叔父に挨拶をしたあとで、すぐ小林の方を向いた。 「小林君だいぶ景気が好いようだね。立派な服を拵えたじゃないか」  小林はホームスパンみたようなざらざらした地合の背広を着ていた。いつもと違ってその洋袴の折目がまだ少しも崩れていないので、誰の眼にも仕立卸しとしか見えなかった。彼は変り色の靴下を後へ隠すようにして、津田の前に坐り込んだ。 「へへ、冗談云っちゃいけない。景気の好いのは君の事だ」  彼の新調はどこかのデパートメント・ストアの窓硝子の中に飾ってある三つ揃に括りつけてあった正札を見つけて、その価段通りのものを彼が注文して拵えたのであった。 「これで君二十六円だから、ずいぶん安いものだろう。君見たいな贅沢やから見たらどうか知らないが、僕なんぞにゃこれでたくさんだからね」  津田は叔母の手前重ねて悪口を云う勇気もなかった。黙って茶碗を借り受けて、八の字を寄せながらリチネを飲んだ。そこにいるものがみんな不思議そうに彼の所作を眺めた。 「何だいそれは。変なものを飲むな。薬かい」  今日まで病気という病気をした例のない叔父の医薬に対する無知はまた特別のものであった。彼はリチネという名前を聞いてすら、それが何のために服用されるのか知らなかった。あらゆる疾病とほとんど没交渉なこの叔父の前に、津田が手術だの入院だのという言葉を使って、自分の現在を説明した時に、叔父は少しも感動しなかった。 「それでその報知にわざわざやって来た訳かね」  叔父は御苦労さまと云わぬばかりの顔をして、胡麻塩だらけの髯を撫でた。生やしていると云うよりもむしろ生えていると云った方が適当なその髯は、植木屋を入れない庭のように、彼の顔をところどころ爺々むさく見せた。 「いったい今の若いものは、から駄目だね。下らん病気ばかりして」  叔母は津田の顔を見てにやりと笑った。近頃急に「今の若いものは」という言葉を、癖のように使い出した叔父の歴史を心得ている津田も笑い返した。よほど以前この叔父から惑病は同源だの疾患は罪悪だのと、さも偉そうに云い聞かされた事を憶い出すと、それが病気に罹らない自分の自慢とも受け取れるので、なおのこと滑稽に感ぜられた。彼は薄笑いと共にまた小林の方を見た。小林はすぐ口を出した。けれども津田の予期とは全くの反対を云った。 「何今の若いものだって病気をしないものもあります。現に私なんか近頃ちっとも寝た事がありません。私考えるに、人間は金が無いと病気にゃ罹らないもんだろうと思います」  津田は馬鹿馬鹿しくなった。 「つまらない事をいうなよ」 「いえ全くだよ。現に君なんかがよく病気をするのは、するだけの余裕があるからだよ」  この不論理な断案は、云い手が真面目なだけに、津田をなお失笑させた。すると今度は叔父が賛成した。 「そうだよこの上病気にでも罹った日にゃどうにもこうにもやり切れないからね」  薄暗くなった室の中で、叔父の顔が一番薄暗く見えた。津田は立って電灯のスウィッチを捩った。 二十九  いつの間にか勝手口へ出て、お金さんと下女を相手に皿小鉢の音を立てていた叔母がまた茶の間へ顔を出した。 「由雄さん久しぶりだから御飯を食べておいで」  津田は明日の治療を控えているので断って帰ろうとした。 「今日は小林といっしょに飯を食うはずになっているところへお前が来たのだから、ことによると御馳走が足りないかも知れないが、まあつき合って行くさ」  叔父にこんな事を云われつけない津田は、妙な心持がして、また尻を据えた。 「今日は何事かあるんですか」 「何ね、小林が今度――」  叔父はそれだけ云って、ちょっと小林の方を見た。小林は少し得意そうににやにやしていた。 「小林君どうかしたのか」 「何、君、なんでもないんだ。いずれきまったら君の宅へ行って詳しい話をするがね」 「しかし僕は明日から入院するんだぜ」 「なに構わない、病院へ行くよ。見舞かたがた」  小林は追いかけて、その病院のある所だの、医者の名だのを、さも自分に必要な知識らしく訊いた。医者の名が自分と同じ小林なので「はあそれじゃあの堀さんの」と云ったが急に黙ってしまった。堀というのは津田の妹婿の姓であった。彼がある特殊な病気のために、つい近所にいるその医者のもとへ通ったのを小林はよく知っていたのである。  彼の詳しい話というのを津田はちょっと聞いて見たい気がした。それは先刻叔母の云ったお金さんの結婚問題らしくもあった。またそうでないらしくも見えた。この思わせぶりな小林の態度から、多少の好奇心を唆られた津田は、それでも彼に病院へ遊びに来いとは明言しなかった。  津田が手術の準備だと云って、せっかく叔母の拵えてくれた肉にも肴にも、日頃大好な茸飯にも手をつけないので、さすがの叔母も気の毒がって、お金さんに頼んで、彼の口にする事のできる麺麭と牛乳を買って来させようとした。ねとねとしてむやみに歯の間に挟まるここいらの麺麭に内心辟易しながら、また贅沢だと云われるのが少し怖いので、津田はただおとなしく茶の間を立つお金さんの後姿を見送った。  お金さんの出て行った後で、叔母はみんなの前で叔父に云った。 「どうかまああの子も今度の縁が纏まるようになると仕合せですがね」 「纏まるだろうよ」  叔父は苦のなさそうな返事をした。 「至極よさそうに思います」  小林の挨拶も気軽かった。黙っているのは津田と真事だけであった。  相手の名を聞いた時、津田はその男に一二度叔父の家で会ったような心持もしたが、ほとんど何らの記憶も残っていなかった。 「お金さんはその人を知ってるんですか」 「顔は知ってるよ。口は利いた事がないけれども」 「じゃ向うも口を利いた事なんかないんでしょう」 「当り前さ」 「それでよく結婚が成立するもんだな」  津田はこういって然るべき理窟が充分自分の方にあると考えた。それをみんなに見せるために、彼は馬鹿馬鹿しいというよりもむしろ不思議であるという顔つきをした。 「じゃどうすれば好いんだ。誰でもみんなお前が結婚した時のようにしなくっちゃいけないというのかね」  叔父は少し機嫌を損じたらしい語気で津田の方を向いた。津田はむしろ叔母に対するつもりでいたので、少し気の毒になった。 「そういう訳じゃないんです。そういう事情のもとにお金さんの結婚が成立しちゃ不都合だなんていう気は全くなかったのです。たといどんな事情だろうと結婚が成立さえすれば、無論結構なんですから」 三十  それでも座は白けてしまった。今まで心持よく流れていた談話が、急に堰き止められたように、誰も津田の言葉を受け継いで、順々に後へ送ってくれるものがなくなった。  小林は自分の前にある麦酒の洋盃を指して、ないしょのような小さい声で、隣りにいる真事に訊いた。 「真事さん、お酒を上げましょうか。少し飲んで御覧なさい」 「苦いから僕厭だよ」  真事はすぐ跳ねつけた。始めから飲ませる気のなかった小林は、それを機にははと笑った。好い相手ができたと思ったのか真事は突然小林に云った。 「僕一円五十銭の空気銃をもってるよ。持って来て見せようか」  すぐ立って奥の四畳半へ馳け込んだ彼が、そこから新らしい玩具を茶の間へ持ち出した時、小林は行きがかり上、ぴかぴかする空気銃の嘆賞者とならなければすまなかった。叔父も叔母も嬉しがっているわが子のために、一言の愛嬌を義務的に添える必要があった。 「どうも時計を買えの、万年筆を買えのって、貧乏な阿爺を責めて困る。それでも近頃馬だけはどうかこうか諦らめたようだから、まだ始末が好い」 「馬も存外安いもんですな。北海道へ行きますと、一頭五六円で立派なのが手に入ります」 「見て来たような事を云うな」  空気銃の御蔭で、みんながまた満遍なく口を利くようになった。結婚が再び彼らの話頭に上った。それは途切れた前の続きに相違なかった。けれどもそれを口にする人々は、少しずつ前と異った気分によって、彼らの表現を支配されていた。 「こればかりは妙なものでね。全く見ず知らずのものが、いっしょになったところで、きっと不縁になるとも限らないしね、またいくらこの人ならばと思い込んでできた夫婦でも、末始終和合するとは限らないんだから」  叔母の見て来た世の中を正直に纏めるとこうなるよりほかに仕方なかった。この大きな事実の一隅にお金さんの結婚を安全におこうとする彼女の態度は、弁護的というよりもむしろ説明的であった。そうしてその説明は津田から見ると最も不完全でまた最も不安全であった。結婚について津田の誠実を疑うような口ぶりを見せた叔母こそ、この点にかけて根本的な真面目さを欠いているとしか彼には思えなかった。 「そりゃ楽な身分の人の云い草ですよ」と叔母は開き直って津田に云った。「やれ交際だの、やれ婚約だのって、そんな贅沢な事を、我々風情が云ってられますか。貰ってくれ手、来てくれ手があれば、それでありがたいと思わなくっちゃならないくらいのものです」  津田はみんなの手前今のお金さんの場合についてかれこれ云いたくなかった。それをいうほどの深い関係もなくまた興味もない彼は、ただ叔母が自分に対してもつ、不真面目という疑念を塗り潰すために、向うの不真面目さを啓発しておかなくてはいけないという心持に制せられるので、黙ってしまう訳に行かなかった。彼は首を捻って考え込む様子をしながら云った。 「何もお金さんの場合をとやかく批評する気はないんだが、いったい結婚を、そう容易く考えて構わないものか知ら。僕には何だか不真面目なような気がしていけないがな」 「だって行く方で真面目に行く気になり、貰う方でも真面目に貰う気になれば、どこと云って不真面目なところが出て来ようはずがないじゃないか。由雄さん」 「そういう風に手っとり早く真面目になれるかが問題でしょう」 「なれればこそ叔母さんなんぞはこの藤井家へお嫁に来て、ちゃんとこうしているじゃありませんか」 「そりゃ叔母さんはそうでしょうが、今の若いものは……」 「今だって昔だって人間に変りがあるものかね。みんな自分の決心一つです」 「そう云った日にゃまるで議論にならない」 「議論にならなくっても、事実の上で、あたしの方が由雄さんに勝ってるんだから仕方がない。いろいろ選り好みをしたあげく、お嫁さんを貰った後でも、まだ選り好みをして落ちつかずにいる人よりも、こっちの方がどのくらい真面目だか解りゃしない」  先刻から肉を突ッついていた叔父は、自分の口を出さなければならない時機に到着した人のように、皿から眼を放した。 三十一 「だいぶやかましくなって来たね。黙って聞いていると、叔母甥の対話とは思えないよ」  二人の間にこう云って割り込んで来た叔父はその実行司でも審判官でもなかった。 「何だか双方敵愾心をもって云い合ってるようだが、喧嘩でもしたのかい」  彼の質問は、単に質問の形式を具えた注意に過ぎなかった。真事を相手にビー珠を転がしていた小林が偸むようにしてこっちを見た。叔母も津田も一度に黙ってしまった。叔父はついに調停者の態度で口を開かなければならなくなった。 「由雄、御前見たような今の若いものには、ちょっと理解出来悪いかも知れないがね、叔母さんは嘘を吐いてるんじゃないよ。知りもしないおれの所へ来るとき、もうちゃんと覚悟をきめていたんだからね。叔母さんは本当に来ない前から来た後と同じように真面目だったのさ」 「そりゃ僕だって伺わないでも承知しています」 「ところがさ、その叔母さんがだね。どういう訳でそんな大決心をしたかというとだね」  そろそろ酔の廻った叔父は、火熱った顔へ水分を供給する義務を感じた人のように、また洋盃を取り上げて麦酒をぐいと飲んだ。 「実を云うとその訳を今日までまだ誰にも話した事がないんだが、どうだ一つ話して聞かせようか」 「ええ」  津田も半分は真面目であった。 「実はだね。この叔母さんはこれでこのおれに意があったんだ。つまり初めからおれの所へ来たかったんだね。だからまだ来ないうちから、もう猛烈に自分の覚悟をきめてしまったんだ。――」 「馬鹿な事をおっしゃい。誰があなたのような醜男に意なんぞあるもんですか」  津田も小林も吹き出した。独りきょとんとした真事は叔母の方を向いた。 「お母さん意があるって何」 「お母さんは知らないからお父さんに伺って御覧」 「じゃお父さん、何さ、意があるってのは」  叔父はにやにやしながら、禿げた頭の真中を大事そうに撫で廻した。気のせいかその禿が普通の時よりは少し赤いように、津田の眼に映った。 「真事、意があるってえのはね。――つまりそのね。――まあ、好きなのさ」 「ふん。じゃ好いじゃないか」 「だから誰も悪いと云ってやしない」 「だって皆な笑うじゃないか」  この問答の途中へお金さんがちょうど帰って来たので、叔母はすぐ真事の床を敷かして、彼を寝間の方へ追いやった。興に乗った叔父の話はますます発展するばかりであった。 「そりゃ昔しだって恋愛事件はあったよ。いくらお朝が怖い顔をしたってあったに違ないが、だね。そこにまた今の若いものにはとうてい解らない方面もあるんだから、妙だろう。昔は女の方で男に惚れたけれども、男の方ではけっして女に惚れなかったもんだ。――ねえお朝そうだったろう」 「どうだか存じませんよ」  叔母は真事の立った後へ坐って、さっさと松茸飯を手盛にして食べ始めた。 「そう怒ったって仕方がない。そこに事実があると同時に、一種の哲学があるんだから。今おれがその哲学を講釈してやる」 「もうそんなむずかしいものは、伺わなくってもたくさんです」 「じゃ若いものだけに教えてやる。由雄も小林も参考のためによく聴いとくがいい。いったいお前達は他の娘を何だと思う」 「女だと思ってます」  津田は交ぜ返し半分わざと返事をした。 「そうだろう。ただ女だと思うだけで、娘とは思わないんだろう。それがおれ達とは大違いだて。おれ達は父母から独立したただの女として他人の娘を眺めた事がいまだかつてない。だからどこのお嬢さんを拝見しても、そのお嬢さんには、父母という所有者がちゃんと食っついてるんだと始めから観念している。だからいくら惚れたくっても惚れられなくなる義理じゃないか。なぜと云って御覧、惚れるとか愛し合うとかいうのは、つまり相手をこっちが所有してしまうという意味だろう。すでに所有権のついてるものに手を出すのは泥棒じゃないか。そういう訳で義理堅い昔の男はけっして惚れなかったね。もっとも女はたしかに惚れたよ。現にそこで松茸飯を食ってるお朝なぞも実はおれに惚れたのさ。しかしおれの方じゃかつて彼女を愛した覚がない」 「どうでもいいから、もう好い加減にして御飯になさい」  真事を寝かしつけに行ったお金さんを呼び返した叔母は、彼女にいいつけて、みんなの茶碗に飯をよそわせた。津田は仕方なしに、ひとり下味い食麺麭をにちゃにちゃ噛んだ。 三十二  食後の話はもうはずまなかった。と云って、別にしんみりした方面へ落ちて行くでもなかった。人々の興味を共通に支配する題目の柱が折れた時のように、彼らはてんでんばらばらに口を聞いた後で、誰もそれを会話の中心に纏めようと努力するもののないのに気が付いた。  餉台の上に両肱を突いた叔父が酔後の欠を続けざまに二つした。叔母が下女を呼んで残物を勝手へ運ばした。先刻から重苦しい空気の影響を少しずつ感じていた津田の胸に、今夜聞いた叔父の言葉が、月の面を過ぎる浮雲のように、時々薄い陰を投げた。そのたびに他人から見ると、麦酒の泡と共に消えてしまうべきはずの言葉を、津田はかえって意味ありげに自分で追いかけて見たり、また自分で追い戻して見たりした。そこに気のついた時、彼は我ながら不愉快になった。  同時に彼は自分と叔母との間に取り換わされた言葉の投げ合も思い出さずにはいられなかった。その投げ合の間、彼は始終自分を抑えつけて、なるべく心の色を外へ出さないようにしていた。そこに彼の誇りがあると共に、そこに一種の不快も潜んでいたことは、彼の気分が彼に教える事実であった。  半日以上の暇を潰したこの久しぶりの訪問を、単にこういう快不快の立場から眺めた津田は、すぐその対照として活溌な吉川夫人とその綺麗な応接間とを記憶の舞台に躍らした。つづいて近頃ようやく丸髷に結い出したお延の顔が眼の前に動いた。  彼は座を立とうとして小林を顧みた。 「君はまだいるかね」 「いや。僕ももう御暇しよう」  小林はすぐ吸い残した敷島の袋を洋袴の隠袋へねじ込んだ。すると彼らの立ち際に、叔父が偶然らしくまた口を開いた。 「お延はどうしたい。行こう行こうと思いながら、つい貧乏暇なしだもんだから、御無沙汰をしている。宜しく云ってくれ。お前の留守にゃ閑で困るだろうね、彼の女も。いったい何をして暮してるかね」 「何って別にする事もないでしょうよ」  こう散漫に答えた津田は、何と思ったか急に後からつけ足した。 「病院へいっしょに入りたいなんて気楽な事をいうかと思うと、やれ髪を刈れの湯に行けのって、叔母さんよりもよっぽどやかましい事を云いますよ」 「感心じゃないか。お前のようなお洒落にそんな注意をしてくれるものはほかにありゃしないよ」 「ありがたい仕合せだな」 「芝居はどうだい。近頃行くかい」 「ええ時々行きます。この間も岡本から誘われたんだけれども、あいにくこの病気の方の片をつけなけりゃならないんでね」  津田はそこでちょっと叔母の方を見た。 「どうです、叔母さん、近い内帝劇へでも御案内しましょうか。たまにゃああいう所へ行って見るのも薬ですよ、気がはればれしてね」 「ええありがとう。だけど由雄さんの御案内じゃ――」 「お厭ですか」 「厭より、いつの事だか分らないからね」  芝居場などを余り好まない叔母のこの返事を、わざと正面に受けた津田は頭を掻いて見せた。 「そう信用がなくなった日にゃ僕もそれまでだ」  叔母はふふんと笑った。 「芝居はどうでもいいが、由雄さん京都の方はどうして、それから」 「京都から何とか云って来ましたかこっちへ」  津田は少し真剣な表情をして、叔父と叔母の顔を見比べた。けれども二人は何とも答えなかった。 「実は僕の所へ今月は金を送れないから、そっちでどうでもしろって、お父さんが云って来たんだが、ずいぶん乱暴じゃありませんか」  叔父は笑うだけであった。 「兄貴は怒ってるんだろう」 「いったいお秀がまた余計な事を云ってやるからいけない」  津田は少し忌々しそうに妹の名前を口にした。 「お秀に咎はありません。始めから由雄さんの方が悪いにきまってるんだもの」 「そりゃそうかも知れないけれども、どこの国にあなた阿爺から送って貰った金を、きちんきちん返す奴があるもんですか」 「じゃ最初からきちんきちん返すって約束なんかしなければいいのに。それに……」 「もう解りましたよ、叔母さん」  津田はとても敵わないという心持をその様子に見せて立ち上がった。しかし敗北の結果急いで退却する自分に景気を添えるため、促がすように小林を引張って、いっしょに表へ出る事を忘れなかった。 三十三  戸外には風もなかった。静かな空気が足早に歩く二人の頬に冷たく触れた。星の高く輝やく空から、眼に見えない透明な露がしとしと降りているらしくも思われた。津田は自分で外套の肩を撫でた。その外套の裏側に滲み込んでくるひんやりした感じを、はっきり指先で味わって見た彼は小林を顧みた。 「日中は暖かだが、夜になるとやっぱり寒いね」 「うん。何と云ってももう秋だからな。実際外套が欲しいくらいだ」  小林は新調の三つ揃の上に何にも着ていなかった。ことさらに爪先を厚く四角に拵えたいかつい亜米利加型の靴をごとごと鳴らして、太い洋杖をわざとらしくふり廻す彼の態度は、まるで冷たい空気に抵抗する示威運動者に異ならなかった。 「君学校にいた時分作ったあの自慢の外套はどうした」  彼は突然意外な質問を津田にかけた。津田は彼にその外套を見せびらかした当時を思い出さない訳に行かなかった。 「うん、まだあるよ」 「まだ着ているのか」 「いくら僕が貧乏だって、書生時代の外套を、そう大事そうにいつまで着ているものかね」 「そうか、それじゃちょうど好い。あれを僕にくれ」 「欲しければやっても好い」  津田はむしろ冷やかに答えた。靴足袋まで新らしくしている男が、他の着古した外套を貰いたがるのは少し矛盾であった。少くとも、その人の生活に横わる、不規則な物質的の凸凹を証拠立てていた。しばらくしてから、津田は小林に訊いた。 「なぜその背広といっしょに外套も拵えなかったんだ」 「君と同なじように僕を考えちゃ困るよ」 「じゃどうしてその背広だの靴だのができたんだ」 「訊き方が少し手酷し過ぎるね。なんぼ僕だってまだ泥棒はしないから安心してくれ」  津田はすぐ口を閉じた。  二人は大きな坂の上に出た。広い谷を隔てて向に見える小高い岡が、怪獣の背のように黒く長く横わっていた。秋の夜の灯火がところどころに点々と少量の暖かみを滴らした。 「おい、帰りにどこかで一杯やろうじゃないか」  津田は返事をする前に、まず小林の様子を窺った。彼らの右手には高い土手があって、その土手の上には蓊欝した竹藪が一面に生い被さっていた。風がないので竹は鳴らなかったけれども、眠ったように見えるその笹の葉の梢は、季節相応な蕭索の感じを津田に与えるに充分であった。 「ここはいやに陰気な所だね。どこかの大名華族の裏に当るんで、いつまでもこうして放ってあるんだろう。早く切り開いちまえばいいのに」  津田はこういって当面の挨拶をごまかそうとした。しかし小林の眼に竹藪なぞはまるで入らなかった。 「おい行こうじゃないか、久しぶりで」 「今飲んだばかりだのに、もう飲みたくなったのか」 「今飲んだばかりって、あれっぱかり飲んだんじゃ飲んだ部へ入らないからね」 「でも君はもう充分ですって断っていたじゃないか」 「先生や奥さんの前じゃ遠慮があって酔えないから、仕方なしにああ云ったんだね。まるっきり飲まないんならともかくも、あのくらい飲ませられるのはかえって毒だよ。後から適当の程度まで酔っておいて止めないと身体に障るからね」  自分に都合の好い理窟を勝手に拵らえて、何でも津田を引張ろうとする小林は、彼にとって少し迷惑な伴侶であった。彼は冷かし半分に訊いた。 「君が奢るのか」 「うん奢っても好い」 「そうしてどこへ行くつもりなんだ」 「どこでも構わない。おでん屋でもいいじゃないか」  二人は黙って坂の下まで降りた。 三十四  順路からいうと、津田はそこを右へ折れ、小林は真直に行かなければならなかった。しかし体よく分れようとして帽子へ手をかけた津田の顔を、小林は覗き込むように見て云った。 「僕もそっちへ行くよ」  彼らの行く方角には飲み食いに都合のいい町が二三町続いていた。その中程にある酒場めいた店の硝子戸が、暖かそうに内側から照らされているのを見つけた時、小林はすぐ立ちどまった。 「ここが好い。ここへ入ろう」 「僕は厭だよ」 「君の気に入りそうな上等の宅はここいらにないんだから、ここで我慢しようじゃないか」 「僕は病気だよ」 「構わん、病気の方は僕が受け合ってやるから、心配するな」 「冗談云うな。厭だよ」 「細君には僕が弁解してやるからいいだろう」  面倒になった津田は、小林をそこへ置き去りにしたまま、さっさと行こうとした。すると彼とすれすれに歩を移して来た小林が、少し改まった口調で追究した。 「そんなに厭か、僕といっしょに酒を飲むのは」  実際そんなに厭であった津田は、この言葉を聞くとすぐとまった。そうして自分の傾向とはまるで反対な決断を外部へ現わした。 「じゃ飲もう」  二人はすぐ明るい硝子戸を引いて中へ入った。客は彼らのほかに五六人いたぎりであったが、店があまり広くないので、比較的込み合っているように見えた。割合楽に席の取れそうな片隅を択んで、差し向いに腰をおろした二人は、通した注文の来る間、多少物珍らしそうな眼を周囲へ向けた。  服装から見た彼らの相客中に、社会的地位のありそうなものは一人もなかった。湯帰りと見えて、縞の半纏の肩へ濡れ手拭を掛けたのだの、木綿物に角帯を締めて、わざとらしく平打の羽織の紐の真中へ擬物の翡翠を通したのだのはむしろ上等の部であった。ずっとひどいのは、まるで紙屑買としか見えなかった。腹掛股引も一人交っていた。 「どうだ平民的でいいじゃないか」  小林は津田の猪口へ酒を注ぎながらこう云った。その言葉を打ち消すような新調したての派出な彼の背広が、すぐことさららしく津田の眼に映ったが、彼自身はまるでそこに気がついていないらしかった。 「僕は君と違ってどうしても下等社界の方に同情があるんだからな」  小林はあたかもそこに自分の兄弟分でも揃っているような顔をして、一同を見廻した。 「見たまえ。彼らはみんな上流社会より好い人相をしているから」  挨拶をする勇気のなかった津田は、一同を見廻す代りに、かえって小林を熟視した。小林はすぐ譲歩した。 「少くとも陶然としているだろう」 「上流社会だって陶然とするからな」 「だが陶然としかたが違うよ」  津田は昂然として両者の差違を訊かなかった。それでも小林は少しも悄気ずに、ぐいぐい杯を重ねた。 「君はこういう人間を軽蔑しているね。同情に価しないものとして、始めから見くびっているんだ」  こういうや否や、彼は津田の返事も待たずに、向うにいる牛乳配達見たような若ものに声をかけた。 「ねえ君。そうだろう」  出し抜けに呼びかけられた若者は倔強な頸筋を曲げてちょっとこっちを見た。すると小林はすぐ杯をそっちの方へ出した。 「まあ君一杯飲みたまえ」  若者はにやにやと笑った。不幸にして彼と小林との間には一間ほどの距離があった。立って杯を受けるほどの必要を感じなかった彼は、微笑するだけで動かなかった。しかしそれでも小林には満足らしかった。出した杯を引込めながら、自分の口へ持って行った時、彼はまた津田に云った。 「そらあの通りだ。上流社会のように高慢ちきな人間は一人もいやしない」 三十五  インヴァネスを着た小作りな男が、半纏の角刈と入れ違に這入って来て、二人から少し隔った所に席を取った。廂を深くおろした鳥打を被ったまま、彼は一応ぐるりと四方を見廻した後で、懐へ手を入れた。そうしてそこから取り出した薄い小型の帳面を開けて、読むのだか考えるのだか、じっと見つめていた。彼はいつまで経っても、古ぼけたトンビを脱ごうとしなかった。帽子も頭へ載せたままであった。しかし帳面はそんなに長くひろげていなかった。大事そうにそれを懐へしまうと、今度は飲みながら、じろりじろりと他の客を、見ないようにして見始めた。その相間相間には、ちんちくりんな外套の羽根の下から手を出して、薄い鼻の下の髭を撫でた。  先刻から気をつけるともなしにこの様子に気をつけていた二人は、自分達の視線が彼の視線に行き合った時、ぴたりと真向になって互に顔を見合せた。小林は心持前へ乗り出した。 「何だか知ってるか」  津田は元の通りの姿勢を崩さなかった。ほとんど返事に価しないという口調で答えた。 「何だか知るもんか」  小林はなお声を低くした。 「あいつは探偵だぜ」  津田は答えなかった。相手より酒量の強い彼は、かえって相手ほど平生を失わなかった。黙って自分の前にある猪口を干した。小林はすぐそれへなみなみと注いだ。 「あの眼つきを見ろ」  薄笑いをした津田はようやく口を開いた。 「君見たいにむやみに上流社会の悪口をいうと、さっそく社会主義者と間違えられるぞ。少し用心しろ」 「社会主義者?」  小林はわざと大きな声を出して、ことさらにインヴァネスの男の方を見た。 「笑わかせやがるな。こっちゃ、こう見えたって、善良なる細民の同情者だ。僕に比べると、乙に上品ぶって取り繕ろってる君達の方がよっぽどの悪者だ。どっちが警察へ引っ張られて然るべきだかよく考えて見ろ」  鳥打の男が黙って下を向いているので、小林は津田に喰ってかかるよりほかに仕方がなかった。 「君はこうした土方や人足をてんから人間扱いにしないつもりかも知れないが」  小林はまたこう云いかけて、そこいらを見廻したが、あいにくどこにも土方や人足はいなかった。それでも彼はいっこう構わずにしゃべりつづけた。 「彼らは君や探偵よりいくら人間らしい崇高な生地をうぶのままもってるか解らないぜ。ただその人間らしい美しさが、貧苦という塵埃で汚れているだけなんだ。つまり湯に入れないから穢ないんだ。馬鹿にするな」  小林の語気は、貧民の弁護というよりもむしろ自家の弁護らしく聞こえた。しかしむやみに取り合ってこっちの体面を傷けられては困るという用心が頭に働くので、津田はわざと議論を避けていた。すると小林がなお追かけて来た。 「君は黙ってるが僕のいう事を信じないね。たしかに信じない顔つきをしている。そんなら僕が説明してやろう。君は露西亜の小説を読んだろう」  露西亜の小説を一冊も読んだ事のない津田はやはり何とも云わなかった。 「露西亜の小説、ことにドストエヴスキの小説を読んだものは必ず知ってるはずだ。いかに人間が下賤であろうとも、またいかに無教育であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれるほどありがたい、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る事を誰でも知ってるはずだ。君はあれを虚偽と思うか」 「僕はドストエヴスキを読んだ事がないから知らないよ」 「先生に訊くと、先生はありゃ嘘だと云うんだ。あんな高尚な情操をわざと下劣な器に盛って、感傷的に読者を刺戟する策略に過ぎない、つまりドストエヴスキがあたったために、多くの模倣者が続出して、むやみに安っぽくしてしまった一種の芸術的技巧に過ぎないというんだ。しかし僕はそうは思わない。先生からそんな事を聞くと腹が立つ。先生にドストエヴスキは解らない。いくら年齢を取ったって、先生は書物の上で年齢を取っただけだ。いくら若かろうが僕は……」  小林の言葉はだんだん逼って来た。しまいに彼は感慨に堪えんという顔をして、涙をぽたぽた卓布の上に落した。 三十六  不幸にして津田の心臓には、相手に釣り込まれるほどの酔が廻っていなかった。同化の埒外からこの興奮状態を眺める彼の眼はついに批判的であった。彼は小林を泣かせるものが酒であるか、叔父であるかを疑った。ドストエヴスキであるか、日本の下層社会であるかを疑った。そのどっちにしたところで、自分とあまり交渉のない事もよく心得ていた。彼はつまらなかった。また不安であった。感激家によって彼の前にふり落された涙の痕を、ただ迷惑そうに眺めた。  探偵として物色された男は、懐からまた薄い手帳を出して、その中へ鉛筆で何かしきりに書きつけ始めた。猫のように物静かでありながら、猫のようにすべてを注意しているらしい彼の挙動が、津田を変な気持にした。けれども小林の酔は、もうそんなところを通り越していた。探偵などはまるで眼中になかった。彼は新調の背広の腕をいきなり津田の鼻の先へ持って来た。 「君は僕が汚ない服装をすると、汚ないと云って軽蔑するだろう。またたまに綺麗な着物を着ると、今度は綺麗だと云って軽蔑するだろう。じゃ僕はどうすればいいんだ。どうすれば君から尊敬されるんだ。後生だから教えてくれ。僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」  津田は苦笑しながら彼の腕を突き返した。不思議にもその腕には抵抗力がなかった。最初の勢が急にどこかへ抜けたように、おとなしく元の方角へ戻って行った。けれども彼の口は彼の腕ほど素直ではなかった。手を引込ました彼はすぐ口を開いた。 「僕は君の腹の中をちゃんと知ってる。君は僕がこれほど下層社会に同情しながら、自分自身貧乏な癖に、新らしい洋服なんか拵えたので、それを矛盾だと云って笑う気だろう」 「いくら貧乏だって、洋服の一着ぐらい拵えるのは当り前だよ。拵えなけりゃ赤裸で往来を歩かなければなるまい。拵えたって結構じゃないか。誰も何とも思ってやしないよ」 「ところがそうでない。君は僕をただめかすんだと思ってる。お洒落だと解釈している。それが悪い」 「そうか。そりゃ悪かった」  もうやりきれないと観念した津田は、とうとう降参の便利を悟ったので、好い加減に調子を合せ出した。すると小林の調子も自然と変って来た。 「いや僕も悪い。悪かった。僕にも洒落気はあるよ。そりゃ僕も充分認める。認めるには認めるが、僕がなぜ今度この洋服を作ったか、その訳を君は知るまい」  そんな特別の理由を津田は固より知ろうはずがなかった。また知りたくもなかった。けれども行きがかり上訊いてやらない訳にも行かなかった。両手を左右へひろげた小林は、自分で自分の服装を見廻しながら、むしろ心細そうに答えた。 「実はこの着物で近々都落をやるんだよ。朝鮮へ落ちるんだよ」  津田は始めて意外な顔をして相手を見た。ついでに先刻から苦になっていた襟飾の横っちょに曲っているのを注意して直させた後で、また彼の話を聴きつづけた。  長い間叔父の雑誌の編輯をしたり、校正をしたり、その間には自分の原稿を書いて、金をくれそうな所へ方々持って廻ったりして、始終忙がしそうに見えた彼は、とうとう東京にいたたまれなくなった結果、朝鮮へ渡って、そこの或新聞社へ雇われる事に、はぼ相談がきまったのであった。 「こう苦しくっちゃ、いくら東京に辛防していたって、仕方がないからね。未来のない所に住んでるのは実際厭だよ」  その未来が朝鮮へ行けば、あらゆる準備をして自分を待っていそうな事をいう彼は、すぐまた前言を取り消すような口も利いた。 「要するに僕なんぞは、生涯漂浪して歩く運命をもって生れて来た人間かも知れないよ。どうしても落ちつけないんだもの。たとい自分が落ちつく気でも、世間が落ちつかせてくれないから残酷だよ。駈落者になるよりほかに仕方がないじゃないか」 「落ちつけないのは君ばかりじゃない。僕だってちっとも落ちついていられやしない」 「もったいない事をいうな。君の落ちつけないのは贅沢だからさ。僕のは死ぬまで麺麭を追かけて歩かなければならないんだから苦しいんだ」 「しかし落ちつけないのは、現代人の一般の特色だからね。苦しいのは君ばかりじゃないよ」  小林は津田の言葉から何らの慰藉を受ける気色もなかった。 三十七  先刻から二人の様子を眺めていた下女が、いきなり来て、わざとらしく食卓の上を片づけ始めた。それを相図のように、インヴァネスを着た男がすうと立ち上った。疾うに酒をやめて、ただ話ばかりしていた二人も澄ましている訳に行かなかった。津田は機会を捉えてすぐ腰を上げた。小林は椅子を離れる前に、まず彼らの間に置かれたM・C・C・の箱を取った。そうしてその中からまた新らしい金口を一本出してそれに火を点けた。行きがけの駄賃らしいこの所作が、煙草の箱を受け取って袂へ入れる津田の眼を、皮肉に擽ぐったくした。  時刻はそれほどでなかったけれども、秋の夜の往来は意外に更けやすかった。昼は耳につかない一種の音を立てて電車が遠くの方を走っていた。別々の気分に働らきかけられている二人の黒い影が、まだ離れずに河の縁をつたって動いて行った。 「朝鮮へはいつ頃行くんだね」 「ことによると君の病院へ入いっているうちかも知れない」 「そんなに急に立つのか」 「いやそうとも限らない。もう一遍先生が向うの主筆に会ってくれてからでないと、判然した事は分らないんだ」 「立つ日がかい、あるいは行く事がかい」 「うん、まあ――」  彼の返事は少し曖昧であった。津田がそれを追究もしないで、さっさと行き出した時、彼はまた云い直した。 「実を云うと、僕は行きたくもないんだがなあ」 「藤井の叔父が是非行けとでも云うのかい」 「なにそうでもないんだ」 「じゃ止したらいいじゃないか」  津田の言葉は誰にでも解り切った理窟なだけに、同情に飢えていそうな相手の気分を残酷に射貫いたと一般であった。数歩の後、小林は突然津田の方を向いた。 「津田君、僕は淋しいよ」  津田は返事をしなかった。二人はまた黙って歩いた。浅い河床の真中を、少しばかり流れている水が、ぼんやり見える橋杭の下で黒く消えて行く時、幽かに音を立てて、電車の通る相間相間に、ちょろちょろと鳴った。 「僕はやっぱり行くよ。どうしても行った方がいいんだからね」 「じゃ行くさ」 「うん、行くとも。こんな所にいて、みんなに馬鹿にされるより、朝鮮か台湾に行った方がよっぽど増しだ」  彼の語気は癇走っていた。津田は急に穏やかな調子を使う必要を感じた。 「あんまりそう悲観しちゃいけないよ。年歯さえ若くって身体さえ丈夫なら、どこへ行ったって立派に成効できるじゃないか。――君が立つ前一つ送別会を開こう、君を愉快にするために」  今度は小林の方がいい返事をしなかった。津田は重ねて跋を合せる態度に出た。 「君が行ったらお金さんの結婚する時困るだろう」  小林は今まで頭のなかになかった妹の事を、はっと思い出した人のように津田を見た。 「うん、あいつも可哀相だけれども仕方がない。つまりこんなやくざな兄貴をもったのが不仕合せだと思って、諦らめて貰うんだ」 「君がいなくったって、叔父や叔母がどうかしてくれるんだろう」 「まあそんな事になるよりほかに仕方がないからな。でなければこの結婚を断って、いつまでも下女代りに、先生の宅で使って貰うんだが、――そいつはまあどっちにしたって同じようなもんだろう。それより僕はまだ先生に気の毒な事があるんだ。もし行くとなると、先生から旅費を借りなければならないからね」 「向うじゃくれないのか」 「くれそうもないな」 「どうにかして出させたら好いだろう」 「さあ」  一分ばかりの沈黙を破った時、彼はまた独り言のように云った。 「旅費は先生から借りる、外套は君から貰う、たった一人の妹は置いてき堀にする、世話はないや」  これがその晩小林の口から出た最後の台詞であった。二人はついに分れた。津田は後をも見ずにさっさと宅の方へ急いだ。 三十八  彼の門は例の通り締まっていた。彼は潜り戸へ手をかけた。ところが今夜はその潜り戸もまた開かなかった。立てつけの悪いせいかと思って、二三度やり直したあげく、力任せに戸を引いた時、ごとりという重苦しいの抵抗力を裏側に聞いた彼はようやく断念した。  彼はこの予想外の出来事に首を傾けて、しばらく戸の前に佇立んだ。新らしい世帯を持ってから今日に至るまで、一度も外泊した覚のない彼は、たまに夜遅く帰る事があっても、まだこうした経験には出会わなかったのである。  今日の彼は灯点し頃から早く宅へ帰りたがっていた。叔父の家で名ばかりの晩飯を食ったのも仕方なしに食ったのであった。進みもしない酒を少し飲んだのも小林に対する義理に過ぎなかった。夕方以後の彼は、むしろお延の面影を心におきながら外で暮していた。その薄ら寒い外から帰って来た彼は、ちょうど暖かい家庭の灯火を慕って、それを目標に足を運んだのと一般であった。彼の身体が土塀に行き当った馬のようにとまると共に、彼の期待も急に門前で喰いとめられなければならなかった。そうしてそれを喰いとめたものがお延であるか、偶然であるかは、今の彼にとってけっして小さな問題でなかった。  彼は手を挙げて開かない潜り戸をとんとんと二つ敲いた。「ここを開けろ」というよりも「ここをなぜ締めた」といって詰問するような音が、更け渡りつつある往来の暗がりに響いた。すると内側ですぐ「はい」という返事がした。ほとんど反響に等しいくらい早く彼の鼓膜を打ったその声の主は、下女でなくてお延であった。急に静まり返った彼は戸の此方側で耳を澄ました。用のある時だけ使う事にしてある玄関先の電灯のスウィッチを捩る音が明らかに聞こえた。格子がすぐがらりと開いた。入口の開き戸がまだ閉ててない事はたしかであった。 「どなた?」  潜りのすぐ向う側まで来た足音が止まると、お延はまずこう云って誰何した。彼はなおの事急き込んだ。 「早く開けろ、おれだ」  お延は「あらッ」と叫んだ。 「あなただったの。御免遊ばせ」  ごとごと云わしてを外した後で夫を内へ入れた彼女はいつもより少し蒼い顔をしていた。彼はすぐ玄関から茶の間へ通り抜けた。  茶の間はいつもの通りきちんと片づいていた。鉄瓶が約束通り鳴っていた。長火鉢の前には、例によって厚いメリンスの座蒲団が、彼の帰りを待ち受けるごとくに敷かれてあった。お延の坐りつけたその向には、彼女の座蒲団のほかに、女持の硯箱が出してあった。青貝で梅の花を散らした螺鈿の葢は傍へ取り除けられて、梨地の中に篏め込んだ小さな硯がつやつやと濡れていた。持主が急いで座を立った証拠に、細い筆の穂先が、巻紙の上へ墨を滲ませて、七八寸書きかけた手紙の末を汚していた。  戸締りをして夫の後から入ってきたお延は寝巻の上へ平生着の羽織を引っかけたままそこへぺたりと坐った。 「どうもすみません」  津田は眼を上げて柱時計を見た。時計は今十一時を打ったばかりのところであった。結婚後彼がこのくらいな刻限に帰ったのは、例外にしたところで、けっして始めてではなかった。 「何だって締め出しなんか喰わせたんだい。もう帰らないとでも思ったのか」 「いいえ、さっきから、もうお帰りか、もうお帰りかと思って待ってたの。しまいにあんまり淋しくってたまらなくなったから、とうとう宅へ手紙を書き出したの」  お延の両親は津田の父母と同じように京都にいた。津田は遠くからその書きかけの手紙を眺めた。けれどもまだ納得ができなかった。 「待ってたものがなんで門なんか締めるんだ。物騒だからかね」 「いいえ。――あたし門なんか締めやしないわ」 「だって現に締まっていたじゃないか」 「時が昨夕締めっ放しにしたまんまなのよ、きっと。いやな人」  こう云ったお延はいつもする癖の通り、ぴくぴく彼女の眉を動かして見せた。日中用のない潜り戸のを、朝外し忘れたという弁解は、けっして不合理なものではなかった。 「時はどうしたい」 「もう先刻寝かしてやったわ」  下女を起してまで責任者を調べる必要を認めなかった津田は、潜り戸の事をそのままにして寝た。 三十九  あくる朝の津田は、顔も洗わない先から、昨夜寝るまで全く予想していなかった不意の観物によって驚ろかされた。  彼の床を離れたのは九時頃であった。彼はいつもの通り玄関を抜けて茶の間から勝手へ出ようとした。すると嬋娟に盛粧したお延が澄ましてそこに坐っていた。津田ははっと思った。寝起の顔へ水をかけられたような夫の様子に満足したらしい彼女は微笑を洩らした。 「今御眼覚?」  津田は眼をぱちつかせて、赤い手絡をかけた大丸髷と、派出な刺繍をした半襟の模様と、それからその真中にある化粧後の白い顔とを、さも珍らしい物でも見るような新らしい眼つきで眺めた。 「いったいどうしたんだい。朝っぱらから」  お延は平気なものであった。 「どうもしないわ。――だって今日はあなたがお医者様へいらっしゃる日じゃないの」  昨夜遅くそこへ脱ぎ捨てて寝たはずの彼の袴も羽織も、畳んだなり、ちゃんと取り揃えて、渋紙の上へ載せてあった。 「お前もいっしょに行くつもりだったのかい」 「ええ無論行くつもりだわ。行っちゃ御迷惑なの」 「迷惑って訳はないがね。――」  津田はまた改めて細君の服装を吟味するように見た。 「あんまりおつくりが大袈裟だからね」  彼はすぐ心の中でこの間見た薄暗い控室の光景を思い出した。そこに坐っている患者の一群とこの着飾った若い奥様とは、とても調和すべき性質のものでなかった。 「だってあなた今日は日曜よ」 「日曜だって、芝居やお花見に行くのとは少し違うよ」 「だって妾……」  津田に云わせれば、日曜はなおの事患者が朝から込み合うだけであった。 「どうもそういうでこでこな服装をして、あのお医者様へ夫婦お揃いで乗り込むのは、少し――」 「辟易?」  お延の漢語が突然津田を擽った。彼は笑い出した。ちょっと眉を動かしたお延はすぐ甘垂れるような口調を使った。 「だってこれから着物なんか着換えるのは時間がかかって大変なんですもの。せっかく着ちまったんだから、今日はこれで堪忍してちょうだいよ、ね」  津田はとうとう敗北した。顔を洗っているとき、彼は下女に俥を二台云いつけるお延の声を、あたかも自分が急き立てられでもするように世話しなく聞いた。  普通の食事を取らない彼の朝飯はほとんど五分とかからなかった。楊枝も使わないで立ち上った彼はすぐ二階へ行こうとした。 「病院へ持って行くものを纏めなくっちゃ」  津田の言葉と共に、お延はすぐ自分の後にある戸棚を開けた。 「ここに拵えてあるからちょっと見てちょうだい」  よそ行着を着た細君を労らなければならなかった津田は、やや重い手提鞄と小さな風呂敷包を、自分の手で戸棚から引き摺り出した。包の中には試しに袖を通したばかりの例の褞袍と平絎の寝巻紐が這入っているだけであったが、鞄の中からは、楊枝だの歯磨粉だの、使いつけたラヴェンダー色の書翰用紙だの、同じ色の封筒だの、万年筆だの、小さい鋏だの、毛抜だのが雑然と現われた。そのうちで一番重くて嵩張った大きな洋書を取り出した時、彼はお延に云った。 「これは置いて行くよ」 「そう、でもいつでも机の上に乗っていて、枝折が挟んであるから、お読みになるのかと思って入れといたのよ」  津田君は何にも云わずに、二カ月以上もかかってまだ読み切れない経済学の独逸書を重そうに畳の上に置いた。 「寝ていて読むにゃ重くって駄目だよ」  こう云った津田は、それがこの大部の書物を残して行く正当の理由であると知りながら、あまり好い心持がしなかった。 「そう、本はどれが要るんだか妾分らないから、あなた自分でお好きなのを択ってちょうだい」  津田は二階から軽い小説を二三冊持って来て、経済書の代りに鞄の中へ詰め込んだ。 四十  天気が好いので幌を畳ました二人は、鞄と風呂敷包を、各自の俥の上に一つずつ乗せて家を出た。小路の角を曲って電車通りを一二丁行くと、お延の車夫が突然津田の車夫に声をかけた。俥は前後ともすぐとまった。 「大変。忘れものがあるの」  車上でふり返った津田は、何にも云わずに細君の顔を見守った。念入に身仕舞をした若い女の口から出る刺戟性に富んだ言葉のために引きつけられたものは夫ばかりではなかった。車夫も梶棒を握ったまま、等しくお延の方へ好奇の視線を向けた。傍を通る往来の人さえ一瞥の注意を夫婦の上へ与えないではいられなかった。 「何だい。何を忘れたんだい」  お延は思案するらしい様子をした。 「ちょっと待っててちょうだい。すぐだから」  彼女は自分の俥だけを元へ返した。中ぶらりんの心的状態でそこに取り残された津田は、黙ってその後姿を見送った。いったん小路の中に隠れた俥がやがてまた現われると、劇しい速力でまた彼の待っている所まで馳けて来た。それが彼の眼の前でとまった時、車上のお延は帯の間から一尺ばかりの鉄製の鎖を出して長くぶら下げて見せた。その鎖の端には環があって、環の中には大小五六個の鍵が通してあるので、鎖を高く示そうとしたお延の所作と共に、じゃらじゃらという音が津田の耳に響いた。 「これ忘れたの。箪笥の上に置きっ放しにしたまま」  夫婦以外に下女しかいない彼らの家庭では、二人揃って外出する時の用心に、大事なものに錠を卸しておいて、どっちかが鍵だけ持って出る必要があった。 「お前預かっておいで」  じゃらじゃらするものを再び帯の間に押し込んだお延は、平手でぽんとその上を敲きながら、津田を見て微笑した。 「大丈夫」  俥は再び走け出した。  彼らの医者に着いたのは予定の時刻より少し後れていた。しかし午までの診察時間に間に合わないほどでもなかった。夫婦して控室に並んで坐るのが苦になるので、津田は玄関を上ると、すぐ薬局の口へ行った。 「すぐ二階へ行ってもいいでしょうね」  薬局にいた書生は奥から見習いの看護婦を呼んでくれた。まだ十六七にしかならないその看護婦は、何の造作もなく笑いながら津田にお辞儀をしたが、傍に立っているお延の姿を見ると、少し物々しさに打たれた気味で、いったいこの孔雀はどこから入って来たのだろうという顔つきをした。お延が先を越して、「御厄介になります」とこっちから挨拶をしたので、始めて気がついたように、看護婦も頭を下げた。 「君、こいつを一つ持ってくれたまえ」  津田は車夫から受取った鞄を看護婦に渡して、二階の上り口の方へ廻った。 「お延こっちだ」  控室の入口に立って、患者のいる部屋の中を覗き込んでいたお延は、すぐ津田の後に随いて階子段を上った。 「大変陰気な室ね、あすこは」  南東の開いた二階は幸に明るかった。障子を開けて縁側へ出た彼女は、つい鼻の先にある西洋洗濯屋の物干を見ながら、津田を顧みた。 「下と違ってここは陽気ね。そうしてちょっといいお部屋ね。畳は汚れているけれども」  もと請負師か何かの妾宅に手を入れて出来上ったその医院の二階には、どことなく粋な昔の面影が残っていた。 「古いけれども宅の二階よりましかも知れないね」  日に照らされてきらきらする白い洗濯物の色を、秋らしい気分で眺めていた津田は、こう云って、時代のために多少燻ぶった天井だの床柱だのを見廻した。 四十一  そこへ先刻の看護婦が急須へ茶を淹れて持って来た。 「今仕度をしておりますから、少しの間どうぞ」  二人は仕方なしに行儀よく差向いに坐ったなり茶を飲んだ。 「何だか気がそわそわして落ちつかないのね」 「まるでお客さまに行ったようだろう」 「ええ」  お延は帯の間から女持の時計を出して見た。津田は時間の事よりもこれから受ける手術の方が気になった。 「いったい何分ぐらいで済むのかなあ。眼で見ないでもあの刃物の音だけ聞いていると、好い加減変な心持になるからな」 「あたし怖いわ、そんなものを見るのは」  お延は実際怖そうに眉を動かした。 「だからお前はここに待っといでよ。わざわざ手術台の傍まで来て、穢ないところを見る必要はないんだから」 「でもこんな場合には誰か身寄のものが立ち合わなくっちゃ悪いんでしょう」  津田は真面目なお延の顔を見て笑い出した。 「そりゃ死ぬか生きるかっていうような重い病気の時の事だね。誰がこれしきの療治に立合人なんか呼んで来る奴があるものかね」  津田は女に穢ないものを見せるのが嫌な男であった。ことに自分の穢ないところを見せるは厭であった。もっと押しつめていうと、自分で自分の穢ないところを見るのでさえ、普通の人以上に苦痛を感ずる男であった。 「じゃ止しましょう」と云ったお延はまた時計を出した。 「お午までに済むでしょうか」 「済むだろうと思うがね。どうせこうなりゃいつだって同なじこっちゃないか」 「そりゃそうだけど……」  お延は後を云わなかった。津田も訊かなかった。  看護婦がまた階子段の上へ顔を出した。 「支度ができましたからどうぞ」  津田はすぐ立ち上った。お延も同時に立ち上ろうとした。 「お前はそこに待っといでと云うのに」 「診察室へ行くんじゃないのよ。ちょっとここの電話を借りるのよ」 「どこかへ用があるのかね」 「用じゃないけど、――ちょっとお秀さんの所へあなたの事を知らせておこうと思って」  同じ区内にある津田の妹の家はそこからあまり遠くはなかった。今度の病気について妹の事をあまり頭の中に入れていなかった津田は、立とうとするお延を留めた。 「いいよ、知らせないでも。お秀なんかに知らせるのはあんまり仰山過ぎるよ。それにあいつが来るとやかましくっていけないからね」  年は下でも、性質の違うこの妹は、津田から見たある意味の苦手であった。  お延は中腰のまま答えた。 「でも後でまた何か云われると、あたしが困るわ」  強いてとめる理由も見出し得なかった津田は仕方なしに云った。 「かけても構わないが、何も今に限った事はないだろう。あいつは近所だから、きっとすぐ来るよ。手術をしたばかりで、神経が過敏になってるところへもって来て、兄さんが何とかで、お父さんがかんとかだと云われるのは実際楽じゃないからね」  お延は微かな声で階下を憚かるような笑い方をした。しかし彼女の露わした白い歯は、気の毒だという同情よりも、滑稽だという単純な感じを明らかに夫に物語っていた。 「じゃお秀さんへかけるのは止すから」  こう云ったお延は、とうとう津田といっしょに立ち上った。 「まだほかにかける所があるのかい」 「ええ岡本へかけるのよ。午までにかけるって約束があるんだから、いいでしょう、かけても」  前後して階子段を下りた二人は、そこで別々になった。一人が電話口の前に立った時、一人は診察室の椅子へ腰をおろした。 四十二 「リチネはお飲みでしたろうね」  医者は糊の強い洗い立ての白い手術着をごわごわさせながら津田に訊いた。 「飲みましたが思ったほど効目がないようでした」  昨日の津田にはリチネの効目を気にするだけの暇さえなかった。それからそれへと忙がしく心を使わせられた彼がこの下剤から受けた影響は、ほとんど精神的に零であったのみならず、生理的にも案外微弱であった。 「じゃもう一度浣腸しましょう」  浣腸の結果も充分でなかった。  津田はそれなり手術台に上って仰向に寝た。冷たい防水布がじかに皮膚に触れた時、彼は思わず冷りとした。堅い括り枕に着けた彼の頭とは反対の方角からばかり光線が差し込むので、彼の眼は明りに向って寝る人のように、少しも落ちつけなかった。彼は何度も瞬きをして、何度も天井を見直した。すると看護婦が手術の器械を入れたニッケル製の四角な浅い盆みたようなものを持って彼の横を通ったので、白い金属性の光がちらちらと動いた。仰向けに寝ている彼には、それが自分の眼を掠めて通り過ぎるとしか思われなかった。見てならない気味の悪いものを、ことさらに偸み見たのだという心持がなおのこと募った。その時表の方で鳴る電話のベルが突然彼の耳に響いた。彼は今まで忘れていたお延の事を急に思い出した。彼女の岡本へかけた用事がやっと済んだ時に、彼の療治はようやく始まったのである。 「コカインだけでやります。なに大して痛い事はないでしょう。もし注射が駄目だったら、奥の方へ薬を吹き込みながら進んで行くつもりです。それで多分できそうですから」  局部を消毒しながらこんな事を云う医者の言葉を、津田は恐ろしいようなまた何でもないような一種の心持で聴いた。  局部魔睡は都合よく行った。まじまじと天井を眺めている彼は、ほとんど自分の腰から下に、どんな大事件が起っているか知らなかった。ただ時々自分の肉体の一部に、遠い所で誰かが圧迫を加えているような気がするだけであった。鈍い抵抗がそこに感ぜられた。 「どんなです。痛かないでしょう」  医者の質問には充分の自信があった。津田は天井を見ながら答えた。 「痛かありません。しかし重い感じだけはあります」  その重い感じというのを、どう云い現わしていいか、彼には適当な言葉がなかった。無神経な地面が人間の手で掘り割られる時、ひょっとしたらこんな感じを起しはしまいかという空想が、ひょっくり彼の頭の中に浮かんだ。 「どうも妙な感じです。説明のできないような」 「そうですか。我慢できますか」  途中で脳貧血でも起されては困ると思ったらしい医者の言葉つきが、何でもない彼をかえって不安にした。こういう場合予防のために葡萄酒などを飲まされるものかどうか彼は全く知らなかったが、何しろ特別の手当を受ける事は厭であった。 「大丈夫です」 「そうですか。もう直です」  こういう会話を患者と取り換わせながら、間断なく手を働らかせている医者の態度には、熟練からのみ来る手際が閃めいていそうに思われた。けれども手術は彼の言葉通りそう早くは片づかなかった。  切物の皿に当って鳴る音が時々した。鋏で肉をじょきじょき切るような響きが、強く誇張されて鼓膜を威嚇した。津田はそのたびにガーゼで拭き取られなければならない赤い血潮の色を、想像の眼で腥さそうに眺めた。じっと寝かされている彼の神経はじっとしているのが苦になるほど緊張して来た。むず痒い虫のようなものが、彼の身体を不安にするために、気味悪く血管の中を這い廻った。  彼は大きな眼を開いて天井を見た。その天井の上には綺麗に着飾ったお延がいた。そのお延が今何を考えているか、何をしているか、彼にはまるで分らなかった。彼は下から大きな声を出して、彼女を呼んで見たくなった。すると足の方で医者の声がした。 「やっと済みました」  むやみにガーゼを詰め込まれる、こそばゆい感じのした後で、医者はまた云った。 「瘢痕が案外堅いんで、出血の恐れがありますから、当分じっとしていて下さい」  最後の注意と共に、津田はようやく手術台から下ろされた。 四十三  診察室を出るとき、後から随いて来た看護婦が彼に訊いた。 「いかがです。気分のお悪いような事はございませんか」 「いいえ。――蒼い顔でもしているかね」  自分自身に多少懸念のあった津田はこう云って訊き返さなければならなかった。  創口にできるだけ多くのガーゼを詰め込まれた彼の感じは、他が想像する倍以上に重苦しいものであった。彼は仕方なしにのそのそ歩いた。それでも階子段を上る時には、割かれた肉とガーゼとが擦れ合ってざらざらするような心持がした。  お延は階段の上に立っていた。津田の顔を見ると、すぐ上から声を掛けた。 「済んだの? どうして?」  津田ははっきりした返事も与えずに室の中に這入った。そこには彼の予期通り、白いシーツに裹まれた蒲団が、彼の安臥を待つべく長々と延べてあった。羽織を脱ぎ捨てるが早いか、彼はすぐその上へ横になった。鼠地のネルを重ねた銘仙の褞袍を後から着せるつもりで、両手で襟の所を持ち上げたお延は、拍子抜けのした苦笑と共に、またそれを袖畳みにして床の裾の方に置いた。 「お薬はいただかなくっていいの」  彼女は傍にいる看護婦の方を向いて訊いた。 「別に内用のお薬は召し上らないでも差支えないのでございます。お食事の方はただいま拵えてこちらから持って参ります」  看護婦は立ちかけた。黙って寝ていた津田は急に口を開いた。 「お延、お前何か食うなら看護婦さんに頼んだらいいだろう」 「そうね」  お延は躊躇した。 「あたしどうしようかしら」 「だって、もう昼過だろう」 「ええ。十二時二十分よ。あなたの手術はちょうど二十八分かかったのね」  時計の葢を開けたお延は、それを眺めながら精密な時間を云った。津田が手術台の上で俎へ乗せられた魚のように、おとなしく我慢している間、お延はまた彼の見つめなければならなかった天井の上で、時計と睨めっ競でもするように、手術の時間を計っていたのである。  津田は再び訊いた。 「今から宅へ帰ったって仕方がないだろう」 「ええ」 「じゃここで洋食でも取って貰って食ったらいいじゃないか」 「ええ」  お延の返事はいつまで経っても捗々しくなかった。看護婦はとうとう下へ降りて行った。津田は疲れた人が光線の刺戟を避けるような気分で眼をねむった。するとお延が頭の上で、「あなた、あなた」というので、また眼を開かなければならなかった。 「心持が悪いの?」 「いいや」  念を押したお延はすぐ後を云った。 「岡本でよろしくって。いずれそのうち御見舞に上りますからって」 「そうか」  津田は軽い返事をしたなり、また眼をつぶろうとした。するとお延がそうさせなかった。 「あの岡本でね、今日是非芝居へいっしょに来いって云うんですが、行っちゃいけなくって」  気のよく廻る津田の頭に、今朝からのお延の所作が一度に閃めいた。病院へ随いて来るにしては派出過ぎる彼女の衣裳といい、出る前に日曜だと断った彼女の注意といい、ここへ来てから、そわそわして岡本へ電話をかけた彼女の態度といい、ことごとく芝居の二字に向って注ぎ込まれているようにも取れた。そういう眼で見ると、手術の時間を精密に計った彼女の動機さえ疑惑の種にならないではすまなかった。津田は黙って横を向いた。床の間の上に取り揃えて積み重ねてある、封筒だの書翰用紙だの鋏だの書物だのが彼の眼についた。それは先刻鞄へ入れて彼がここへ持って来たものであった。 「看護婦に小さい机を借りて、その上へ載せようと思ったんですけれども、まだ持って来てくれないから、しばらくの間、ああしておいたのよ。本でも御覧になって」  お延はすぐ立って床の間から書物をおろした。 四十四  津田は書物に手を触れなかった。 「岡本へは断ったんじゃないのか」  不審よりも不平な顔をした彼が、向を変えて寝返りを打った時に、堅固にできていない二階の床が、彼の意を迎えるように、ずしんと鳴った。 「断ったのよ」 「断ったのに是非来いっていうのかね」  この時津田は始めてお延の顔を見た。けれどもそこには彼の予期した何物も現われて来なかった。彼女はかえって微笑した。 「断ったのに是非来いっていうのよ」 「しかし……」  彼はちょっと行きつまった。彼の胸には云うべき事がまだ残っているのに、彼の頭は自分の思わく通り迅速に働らいてくれなかった。 「しかし――断ったのに是非来いなんていうはずがないじゃないか」 「それを云うのよ。岡本もよっぽどの没分暁漢ね」  津田は黙ってしまった。何といって彼女を追究していいか見当がつかなかった。 「あなたまだ何かあたしを疑ぐっていらっしゃるの。あたし厭だわ、あなたからそんなに疑ぐられちゃ」  彼女の眉がさもさも厭そうに動いた。 「疑ぐりゃしないが、何だか変だからさ」 「そう。じゃその変なところを云ってちょうだいな、いくらでも説明するから」  不幸にして津田にはその変なところが明暸に云えなかった。 「やっぱり疑ぐっていらっしゃるのね」  津田ははっきり疑っていないと云わなければ、何だか夫として自分の品格に関わるような気がした。と云って、女から甘く見られるのも、彼にとって少なからざる苦痛であった。二つの我が我を張り合って、彼の心のうちで闘う間、よそ目に見える彼は、比較的冷静であった。 「ああ」  お延は微かな溜息を洩らしてそっと立ち上った。いったん閉て切った障子をまた開けて、南向の縁側へ出た彼女は、手摺の上へ手を置いて、高く澄んだ秋の空をぼんやり眺めた。隣の洗濯屋の物干に隙間なく吊されたワイ襯衣だのシーツだのが、先刻見た時と同じように、強い日光を浴びながら、乾いた風に揺れていた。 「好いお天気だ事」  お延が小さな声で独りごとのようにこう云った時、それを耳にした津田は、突然籠の中にいる小鳥の訴えを聞かされたような心持がした。弱い女を自分の傍に縛りつけておくのが少し可哀相になった。彼はお延に言葉をかけようとして、接穂のないのに困った。お延も欄干に身を倚せたまますぐ座敷の中へ戻って来なかった。  そこへ看護婦が二人の食事を持って下から上って来た。 「どうもお待遠さま」  津田の膳には二個の鶏卵と一合のソップと麺麭がついているだけであった。その麺麭も半片の二分ノ一と分量はいつのまにか定められていた。  津田は床の上に腹這になったまま、むしゃむしゃ口を動かしながら、機会を見計らって、お延に云った。 「行くのか、行かないのかい」  お延はすぐ肉匙の手を休めた。 「あなた次第よ。あなたが行けとおっしゃれば行くし、止せとおっしゃれば止すわ」 「大変柔順だな」 「いつでも柔順だわ。――岡本だってあなたに伺って見た上で、もしいいとおっしゃったら連れて行ってやるから、御病気が大した事でなかったら、訊いて見ろって云うんですもの」 「だってお前の方から岡本へ電話をかけたんじゃないか」 「ええそりゃそうよ、約束ですもの。一返断ったけれども、模様次第では行けるかも知れないだろうから、もう一返その日の午までに電話で都合を知らせろって云って来たんですもの」 「岡本からそういう返事が来たのかい」 「ええ」  しかしお延はその手紙を津田に示していなかった。 「要するに、お前はどうなんだ。行きたいのか、行きたくないのか」  津田の顔色を見定めたお延はすぐ答えた。 「そりゃ行きたいわ」 「とうとう白状したな。じゃおいでよ」  二人はこういう会話と共に午飯を済ました。 四十五  手術後の夫を、やっと安静状態に寝かしておいて、自分一人下へ降りた時、お延はもう約束の時間をだいぶ後らせていた。彼女は自分の行先を車夫に教えるために、ただ一口劇場の名を云ったなり、すぐ俥に乗った。門前に待たせておいたその俥は、角の帳場にある四五台のうちで一番新らしいものであった。  小路を出た護謨輪は電車通りばかり走った。何の意味なしに、ただ賑やかな方角へ向けてのみ速力を出すといった風の、景気の好い車夫の駈方が、お延に感染した。ふっくらした厚い席の上で、彼女の身体が浮つきながら早く揺くと共に、彼女の心にも柔らかで軽快な一種の動揺が起った。それは自分の左右前後に紛として活躍する人生を、容赦なく横切って目的地へ行く時の快感であった。  車上の彼女は宅の事を考える暇がなかった。機嫌よく病院の二階へ寝かして来た津田の影像が、今日一日ぐらい安心して彼を忘れても差支えないという保証を彼女に与えるので、夫の事もまるで苦にならなかった。ただ目前の未来が彼女の俥とともに動いた。芝居その物に大した嗜好を始めからもっていない彼女は、時間が後れたのを気にするよりも、ただ早くそこに行き着くのを気にした。こうして新らしい俥で走っている道中が現に刺戟であると同様の意味で、そこへ行き着くのはさらに一層の刺戟であった。  俥は茶屋の前でとまった。挨拶をする下女にすぐ「岡本」と答えたお延の頭には、提灯だの暖簾だの、紅白の造り花などがちらちらした。彼女は俥を降りる時一度に眼に入ったこれらの色と形の影を、まだ片づける暇もないうちに、すぐ廊下伝いに案内されて、それよりも何層倍か錯綜した、また何層倍か濃厚な模様を、縦横に織り拡げている、海のような場内へ、ひょっこり顔を出した。それは茶屋の男が廊下の戸を開けて「こちらへ」と云った時、その隙間から遠くに前の方を眺めたお延の感じであった。好んでこういう場所へ出入したがる彼女にとって、別に珍らしくもないこの感じは、彼女にとって、永久に新らしい感じであった。だからまた永久に珍らしい感じであるとも云えた。彼女は暗闇を通り抜けて、急に明海へ出た人のように眼を覚ました。そうしてこの氛囲気の片隅に身を置いた自分は、眼の前に動く生きた大きな模様の一部分となって、挙止動作共ことごとくこれからその中に織り込まれて行くのだという自覚が、緊張した彼女の胸にはっきり浮んだ。  席には岡本の姿が見えなかった。細君に娘二人を入れても三人にしかならないので、お延の坐るべき余地は充分あった。それでも姉娘の継子は、お延の座があいにく自分の影になるのを気遣うように、後を向いて筋違に身体を延ばしながらお延に訊いた。 「見えて? 少しここと換ってあげましょうか」 「ありがとう。ここでたくさん」  お延は首を振って見せた。  お延のすぐ前に坐っていた十四になる妹娘の百合子は左利なので、左の手に軽い小さな象牙製の双眼鏡を持ったまま、その肱を、赤い布で裹んだ手摺の上に載せながら、後をふり返った。 「遅かったのね。あたし宅の方へいらっしゃるのかと思ってたのよ」  年の若い彼女は、まだ津田の病気について挨拶かたがたお延に何か云うほどの智慧をもたなかった。 「御用があったの?」 「ええ」  お延はただ簡単な返事をしたぎり舞台の方を見た。それは先刻から姉妹の母親が傍目もふらず熱心に見つめている方角であった。彼女とお延は最初顔を見合せた時に、ちょっと黙礼を取り替わせただけで、拍子木の鳴るまでついに一言も口を利かなかった。 四十六 「よく来られたのね。ことによると今日はむずかしいんじゃないかって、先刻継と話してたの」  幕が引かれてから、始めてうち寛ろいだ様子を示した細君は、ようやくお延に口を利き出した。 「そら御覧なさい、あたしの云った通りじゃなくって」  誇り顔に母の方を見てこう云った継子はすぐお延に向ってその後を云い足した。 「あたしお母さまと賭をしたのよ。今日あなたが来るか来ないかって。お母さまはことによると来ないだろうっておっしゃるから、あたしきっといらっしゃるに違ないって受け合ったの」 「そう。また御神籤を引いて」  継子は長さ二寸五分幅六分ぐらいの小さな神籤箱の所有者であった。黒塗の上へ篆書の金文字で神籤と書いたその箱の中には、象牙を平たく削った精巧の番号札が数通り百本納められていた。彼女はよく「ちょっと見て上げましょうか」と云いながら、小楊枝入を取り扱うような手つきで、短冊形の薄い象牙札を振り出しては、箱の大きさと釣り合うようにできた文句入の折手本を繰りひろげて見た。そうしてそこに書いてある蠅の頭ほどな細かい字を読むために、これも附属品として始めから添えてある小さな虫眼鏡を、羽二重の裏をつけた更紗の袋から取り出して、もったいらしくその上へ翳したりした。お延が津田と浅草へ遊びに行った時、玩具としては高過ぎる四円近くの代価を払って、仲見世から買って帰った精巧なこの贈物は、来年二十一になる継子にとって、処女の空想に神秘の色を遊戯的に着けてくれる無邪気な装飾品であった。彼女は時として帙入のままそれを机の上から取って帯の間に挟んで外出する事さえあった。 「今日も持って来たの?」  お延は調戯半分彼女に訊いて見たくなった。彼女は苦笑しながら首を振った。母が傍から彼女に代って返事をするごとくに云った。 「今日の予言はお神籤じゃないのよ。お神籤よりもっと偉い予言なの」 「そう」  お延は後が聞きたそうにして、母子を見比べた。 「継はね……」と母が云いかけたのを、娘はすぐ追被せるようにとめた。 「止してちょうだいよ、お母さま。そんな事ここで云っちゃ悪いわよ」  今まで黙って三人の会話を聴いていた妹娘の百合子が、くすくす笑い出した。 「あたし云ってあげてもいいわ」 「お止しなさいよ、百合子さん。そんな意地の悪い事するのは。いいわ、そんなら、もうピヤノを浚って上げないから」  母は隣りにいる人の注意を惹かないように、小さな声を出して笑った。お延もおかしかった。同時になお訳が訊きたかった。 「話してちょうだいよ、お姉さまに怒られたって構わないじゃないの。あたしがついてるから大丈夫よ」  百合子はわざと腮を前へ突き出すようにして姉を見た。心持小鼻をふくらませたその態度は、話す話さないの自由を我に握った人の勝利を、ものものしく相手に示していた。 「いいわ、百合子さん。どうでも勝手になさい」  こう云いながら立つと、継子は後の戸を開けてすぐ廊下へ出た。 「お姉さま怒ったのね」 「怒ったんじゃないよ。きまりが悪いんだよ」 「だってきまりの悪い事なんかなかないの。あんな事云ったって」 「だから話してちょうだいよ」  年歯の六つほど下な百合子の小供らしい心理状態を観察したお延は、それを旨く利用しようと試みた。けれども不意に座を立った姉の挙動が、もうすでにその状態を崩していたので、お延の慫慂は何の効目もなかった。母はとうとうすべてに対する責任を一人で背負わなければならなかった。 「なに何でもないんだよ。継がね、由雄さんはああいう優しい好い人で、何でも延子さんのいう通りになるんだから、今日はきっと来るに違ないって云っただけなんだよ」 「そう。由雄が継子さんにはそんなに頼母しく見えるの。ありがたいわね。お礼を云わなくっちゃならないわ」 「そうしたら百合子が、そんならお姉様も由雄さん見たような人の所へお嫁に行くといいって云ったんでね、それをお前の前で云われるのが恥ずかしいもんだから、ああやって出て行ったんだよ」 「まあ」  お延は弱い感投詞をむしろ淋しそうに投げた。 四十七  手前勝手な男としての津田が不意にお延の胸に上った。自分の朝夕尽している親切は、ずいぶん精一杯なつもりでいるのに、夫の要求する犠牲には際限がないのかしらんという、不断からの疑念が、濃い色でぱっと頭の中へ出た。彼女はその疑念を晴らしてくれる唯一の責任者が今自分の前にいるのだという自覚と共に、岡本の細君を見た。その細君は、遠くに離れている両親をもった彼女から云えば、東京中で頼りにするたった一人の叔母であった。 「良人というものは、ただ妻の情愛を吸い込むためにのみ生存する海綿に過ぎないのだろうか」  これがお延のとうから叔母にぶつかって、質して見たい問であった。不幸にして彼女には持って生れた一種の気位があった。見方次第では痩我慢とも虚栄心とも解釈のできるこの気位が、叔母に対する彼女を、この一点で強く牽制した。ある意味からいうと、毎日土俵の上で顔を合せて相撲を取っているような夫婦関係というものを、内側の二人から眺めた時に、妻はいつでも夫の相手であり、またたまには夫の敵であるにしたところで、いったん世間に向ったが最後、どこまでも夫の肩を持たなければ、体よく夫婦として結びつけられた二人の弱味を表へ曝すような気がして、恥ずかしくていられないというのがお延の意地であった。だから打ち明け話をして、何か訴えたくてたまらない時でも、夫婦から見れば、やっぱり「世間」という他人の部類へ入れべきこの叔母の前へ出ると、敏感のお延は外聞が悪くって何も云う気にならなかった。  その上彼女は、自分の予期通り、夫が親切に親切を返してくれないのを、足りない自分の不行届からでも出たように、傍から解釈されてはならないと日頃から掛念していた。すべての噂のうちで、愚鈍という非難を、彼女は火のように恐れていた。 「世間には津田よりも何層倍か気むずかしい男を、すぐ手の内に丸め込む若い女さえあるのに、二十三にもなって、自分の思うように良人を綾なして行けないのは、畢竟知恵がないからだ」  知恵と徳とをほとんど同じように考えていたお延には、叔母からこう云われるのが、何よりの苦痛であった。女として男に対する腕をもっていないと自白するのは、人間でありながら人間の用をなさないと自白するくらいの屈辱として、お延の自尊心を傷けたのである。時と場合が、こういう立ち入った談話を許さない劇場でないにしたところで、お延は黙っているよりほかに仕方がなかった。意味ありげに叔母の顔を見た彼女は、すぐ眼を外せた。  舞台一面に垂れている幕がふわふわ動いて、継目の少し切れた間から誰かが見物の方を覗いた。気のせいかそれがお延の方を見ているようなので、彼女は今向け換えたばかりの眼をまたよそに移した。下は席を出る人、座へ戻る人、途中を歩く人で、一度にざわつき始めていた。坐ったぎりの大多数も、前後左右に思い思いの姿勢を取ったり崩したりして、片時も休まなかった。無数の黒い頭が渦のように見えた。彼らの或者の派出な扮装が、色彩の運動から来る落ちつかない快感を、乱雑にちらちらさせた。  土間から眼を放したお延は、ついに谷を隔てた向う側を吟味し始めた。するとちょうどその時後をふり向いた百合子が不意に云った。 「あすこに吉川さんの奥さんが来ていてよ。見えたでしょう」  お延は少し驚ろかされた眼を、教わった通りの見当へつけて、そこに容易く吉川夫人らしい人の姿を発見した。 「百合子さん、眼が早いのね、いつ見つけたの」 「見つけやしないのよ。先刻から知ってるのよ」 「叔母さんや継子さんも知ってるの」 「ええ皆な知ってるのよ」  知らないのは自分だけだったのにようやく気のついたお延が、なおその方を百合子の影から見守っていると、故意だか偶然だか、いきなり吉川夫人の手にあった双眼鏡が、お延の席に向けられた。 「あたし厭だわ。あんなにして見られちゃ」  お延は隠れるように身を縮めた。それでも向側の双眼鏡は、なかなかお延の見当から離れなかった。 「そんならいいわ。逃げ出しちまうだけだから」  お延はすぐ継子の後を追かけて廊下へ出た。 四十八  そこから見渡した外部の光景も場所柄だけに賑わっていた。裏へ貫を打って取り除しのできるように拵らえた透しの板敷を、絶間なく知らない人が往ったり来たりした。廊下の端に立って、半ば柱に身を靠たせたお延が、継子の姿を見出すまでには多少の時間がかかった。それを向う側に並んでいる売店の前に認めた時、彼女はすぐ下へ降りた。そうして軽く足早に板敷を踏んで、目指す人のいる方へ渡った。 「何を買ってるの」  後から覗き込むようにして訊いたお延の顔と、驚ろいてふり返った継子の顔とが、ほとんど擦れ擦れになって、微笑み合った。 「今困ってるところなのよ。一さんが何かお土産を買ってくれって云うから、見ているんだけれども、あいにく何にもないのよ、あの人の喜びそうなものは」  疳違いをして、男の子の玩具を買おうとした継子は、それからそれへといろいろなものを並べられて、買うには買われず、止すには止されず、弱っているところであった。役者に縁故のある紋などを着けた花簪だの、紙入だの、手拭だのの前に立って、もじもじしていた彼女は、どうしたらよかろうという訴えの眼をお延に向けた。お延はすぐ口を利いてやった。 「駄目よ、あの子は、拳銃とか木剣とか、人殺しのできそうなものでなくっちゃ気に入らないんだから。そんな物こんな粋な所にあろうはずがないわ」  売店の男は笑い出した。お延はそれを機に年下の女の手を取った。 「とにかく叔母さんに訊いてからになさいよ。――どうもお気の毒さま、じゃいずれまた後ほど」  こう云ったなりさっさと歩き出した彼女は、気の毒そうにしている継子を、廊下の端まで引張るようにして連れて来た。そこでとまった二人は、また一本の軒柱を盾に立話をした。 「叔父さんはどうなすったの。今日はなぜいらっしゃらないの」 「来るのよ、今に」  お延は意外に思った。四人でさえ窮屈なところへ、あの大きな男が割り込んで来るのはたしかに一事件であった。 「あの上叔父さんに来られちゃ、あたし見たいに薄っぺらなものは、圧されてへしゃげちまうわ」 「百合子さんと入れ代るのよ」 「どうして」 「どうしてでもその方が都合が好いんでしょう。百合子さんはいてもいなくっても構わないんだから」 「そう。じゃもし、由雄が病気でなくって、あたしといっしょに来たらどうするの」 「その時はその時で、またどうかするつもりなんでしょう。もう一間取るとか、それでなければ、吉川さんの方といっしょになるとか」 「吉川さんとも前から約束があったの?」 「ええ」  継子はその後を云わなかった。岡本と吉川の家庭がそれほど接近しているとも考えていなかったお延は、そこに何か意味があるのではないかと、ちょっと不審を打って見たが、時間に余裕のある人の間に起りがちな、単に娯楽のための約束として、それを眺める余地も充分あるので、彼女はついに何にも訊かなかった。二人の話はただ吉川夫人の双眼鏡に触れただけであった。お延はわざと手真似までして見せた。 「こうやって真ともに向けるんだから、敵わないわね」 「ずいぶん無遠慮でしょう。だけど、あれ西洋風なんだって、宅のお父さまがそうおっしゃってよ」 「あら西洋じゃ構わないの。じゃあたしの方でも奥さんの顔をああやってつけつけ見ても好い訳ね。あたし見て上げようかしら」 「見て御覧なさい、きっと嬉しがってよ。延子さんはハイカラだって」  二人が声を出して笑い合っている傍に、どこからか来た一人の若い男がちょっと立ちどまった。無地の羽織に友縫の紋を付けて、セルの行灯袴を穿いたその青年紳士は、彼らと顔を見合せるや否や、「失礼」と挨拶でもして通り過ぎるように、鄭重な態度を無言のうちに示して、板敷へ下りて向うへ行った。継子は赧くなった。 「もう這入りましょうよ」  彼女はすぐお延を促がして内へ入った。 四十九  場中の様子は先刻見た時と何の変りもなかった。土間を歩く男女の姿が、まるで人の頭の上を渡っているように煩らわしく眺められた。できるだけ多くの注意を惹こうとする浮誇の活動さえ至る所に出現した。そうして次の色彩に席を譲るべくすぐ消滅した。眼中の小世界はただ動揺であった、乱雑であった、そうしていつでも粉飾であった。  比較的静かな舞台の裏側では、道具方の使う金槌の音が、一般の予期を唆るべく、折々場内へ響き渡った。合間合間には幕の後で拍子木を打つ音が、攪き廻された注意を一点に纏めようとする警柝の如に聞こえた。  不思議なのは観客であった。何もする事のないこの長い幕間を、少しの不平も云わず、かつて退屈の色も見せず、さも太平らしく、空疎な腹に散漫な刺戟を盛って、他愛なく時間のために流されていた。彼らは穏和かであった。彼らは楽しそうに見えた。お互の吐く呼息に酔っ払った彼らは、少し醒めかけると、すぐ眼を転じて誰かの顔を眺めた。そうしてすぐそこに陶然たる或物を認めた。すぐ相手の気分に同化する事ができた。  席に戻った二人は愉快らしく四辺を見廻した。それから申し合せたように問題の吉川夫人の方を見た。婦人の双眼鏡はもう彼らを覘っていなかった。その代り双眼鏡の主人もどこかへ行ってしまった。 「あらいらっしゃらないわ」 「本当ね」 「あたし探してあげましょうか」  百合子はすぐ自分の手に持ったこっちのオペラグラスを眼へ宛てがった。 「いない、いない、どこかへ行っちまった。あの奥さんなら二人前ぐらい肥ってるんだから、すぐ分るはずだけれども、やっぱりいないわよ」  そう云いながら百合子は象牙の眼鏡を下へ置いた。綺麗な友染模様の背中が隠れるほど、帯を高く背負った令嬢としては、言葉が少しもよそゆきでないので、姉はおかしさを堪えるような口元に、年上らしい威厳を示して、妹を窘なめた。 「百合子さん」  妹は少しも応えなかった。例の通りちょっと小鼻を膨らませて、それがどうしたんだといった風の表情をしながら、わざと継子を見た。 「あたしもう帰りたくなったわ。早くお父さまが来てくれると好いんだけどな」 「帰りたければお帰りよ。お父さまがいらっしゃらなくっても構わないから」 「でもいるわ」  百合子はやはり動かなかった。子供でなくってはふるまいにくいこの腕白らしい態度の傍に、お延が年相応の分別を出して叔母に向った。 「あたしちょっと行って吉川さんの奥さんに御挨拶をして来ましょうか。澄ましていちゃ悪いわね」  実を云うと彼女はこの夫人をあまり好いていなかった。向うでもこっちを嫌っているように思えた。しかも最初先方から自分を嫌い始めたために、この不愉快な現象が二人の間に起ったのだという朧気な理由さえあった。自分が嫌われるべき何らのきっかけも与えないのに、向うで嫌い始めたのだという自信も伴っていた。先刻双眼鏡を向けられた時、すでに挨拶に行かなければならないと気のついた彼女は、即座にそれを断行する勇気を起し得なかったので、内心の不安を質問の形に引き直して叔母に相談しかけながら、腹の中では、その義務を容易く果させるために、叔母が自分と連れ立って、夫人の所へ行ってくれはしまいかと暗に願っていた。  叔母はすぐ返事をした。 「ああ行った方がいいよ。行っといでよ」 「でも今いらっしゃらないから」 「なにきっと廊下にでも出ておいでなんだよ。行けば分るよ」 「でも、――じゃ行くから叔母さんもいっしょにいらっしゃいな」 「叔母さんは――」 「いらっしゃらない?」 「行ってもいいがね。どうせ今に御飯を食べる時に、いっしょになるはずになってるんだから、御免蒙ってその時にしようかと思ってるのよ」 「あらそんなお約束があるの。あたしちっとも知らなかったわ。誰と誰がいっしょに御飯を召上がるの」 「みんなよ」 「あたしも?」 「ああ」  意外の感に打たれたお延は、しばらくしてから答えた。 「そんならあたしもその時にするわ」 五十  岡本の来たのはそれから間もなくであった。茶屋の男に開けて貰った戸の隙間から中を覗いた彼は、おいでおいでをして百合子を廊下へ呼び出した。そこで二人がみんなの邪魔にならないような小声の立談を、二言三言取り換わした後で、百合子は約束通り男に送られてすぐ場外へ出た。そうして入れ代りに入って来た彼がその後へ窮屈そうに坐った。こんな場所ではちょっと身体の位置を変るのさえ臆劫そうに見える肥満な彼は、坐ってしまってからふと気のついたように、半分ばかり背後を向いた。 「お延、代ってやろうか。あんまり大きいのが前を塞いで邪魔だろう」  一夜作りの山が急に出来上ったような心持のしたお延は、舞台へ気を取られている四辺へ遠慮して動かなかった。毛織ものを肌へ着けた例のない岡本は、毛だらけな腕を組んで、これもおつき合だと云った風に、みんなの見ている方角へ視線を向けた。そこでは色の生っ白い変な男が柳の下をうろうろしていた。荒い縞の着物をぞろりと着流して、博多の帯をわざと下の方へ締めたその色男は、素足に雪駄を穿いているので、歩くたびにちゃらちゃらいう不愉快な音を岡本の耳に響かせた。彼は柳の傍にある橋と、橋の向うに並んでいる土蔵の白壁を見廻して、それからそのついでに観客の方へ眼を移した。然るに観客の顔はことごとく緊張していた。雪駄をちゃらちゃら鳴らして舞台の上を往ったり来たりするこの若い男の運動に、非常な重大の意味でもあるように、満場は静まり返って、咳一つするものがなかった。急に表から入って来た彼にとって、すぐこの特殊な空気に感染する事が困難であったのか、また馬鹿らしかったのか、しばらくすると彼はまた窮屈そうに半分後を向いて、小声でお延に話しかけた。 「どうだ面白いかね。――由雄さんはどうだ。――」  簡単な質問を次から次へと三つ四つかけて、一口ずつの返事をお延から受け取った彼は、最後に意味ありげな眼をしてさらに訊いた。 「今日はどうだったい。由雄さんが何とか云やしなかったかね。おおかたぐずぐず云ったんだろう。おれが病気で寝ているのに貴様一人芝居へ行くなんて不埒千万だとか何とか。え? きっとそうだろう」 「不埒千万だなんて、そんな事云やしないわ」 「でも何か云われたろう。岡本は不都合な奴だぐらい云われたに違あるまい。電話の様子がどうも変だったぜ」  小声でさえ話をするものが周囲に一人もない所で、自分だけ長い受け答をするのはきまりが悪かったので、お延はただ微笑していた。 「構わないよ。叔父さんが後で話をしてやるから、そんな事は心配しないでもいいよ」 「あたし心配なんかしちゃいないわ」 「そうか、それでも少しゃ気がかりだろう。結婚早々旦那様の御機嫌を損じちゃ」 「大丈夫よ。御機嫌なんか損じちゃいないって云うのに」  お延は煩さそうに眉を動かした。面白半分調戯って見た岡本は少し真面目になった。 「実は今日お前を呼んだのはね、ただ芝居を見せるためばかりじゃない、少し呼ぶ必要があったんだよ。それで由雄さんが病気のところを無理に来て貰ったような訳だが、その訳さえ由雄さんに後から話しておけば何でもない事さ。叔父さんがよく話しておくよ」  お延の眼は急に舞台を離れた。 「理由っていったい何」 「今ここじゃ話し悪いがね。いずれ後で話すよ」  お延は黙るよりほかに仕方なかった。岡本はつけ足すように云った。 「今日は吉川さんといっしょに食堂で晩食を食べる事になってるんだよ。知ってるかね。そら吉川もあすこへ来ているだろう」  先刻まで眼につかなかった吉川の姿がすぐお延の眼に入った。 「叔父さんといっしょに来たんだよ。倶楽部から」  二人の会話はそこで途切れた。お延はまた真面目に舞台の方を見出した。しかし十分経つか経たないうちに、彼女の注意がまたそっと後の戸を開ける茶屋の男によって乱された。男は叔母に何か耳語いた。叔母はすぐ叔父の方へ顔を寄せた。 「あのね吉川さんから、食事の用意を致させておきましたから、この次の幕間にどうぞ食堂へおいで下さいますようにって」  叔父はすぐ返事を伝えさせた。 「承知しました」  男はまた戸をそっと閉てて出て行った。これから何が始まるのだろうかと思ったお延は、黙って会食の時間を待った。 五十一  彼女が叔父叔母の後に随いて、継子といっしょに、二階の片隅にある奥行の深い食堂に入るべく席を立ったのは、それから小一時間後であった。彼女は自分と肩を並べて、すれすれに廊下を歩いて行く従妹に小声で訊いて見た。 「いったいこれから何が始まるの」 「知らないわ」  継子は下を向いて答えた。 「ただ御飯を食べるぎりなの」 「そうなんでしょう」  訊こうとすれば訊こうとするほど、継子の返事が曖昧になってくるように思われたので、お延はそれぎり口を閉じた。継子は前に行く父母に遠慮があるのかも知れなかった。また自分は何にも承知していないのかも分らなかった。あるいは承知していても、お延に話したくないので、わざと短かい返事を小さな声で与えないとも限らなかった。  鋭い一瞥の注意を彼らの上に払って行きがちな、廊下で出逢う多数の人々は、みんなお延よりも継子の方に余分の視線を向けた。忽然お延の頭に彼女と自分との比較が閃めいた。姿恰好は継子に立ち優っていても、服装や顔形で是非ひけを取らなければならなかった彼女は、いつまでも子供らしく羞恥んでいるような、またどこまでも気苦労のなさそうに初々しく出来上った、処女としては水の滴たるばかりの、この従妹を軽い嫉妬の眼で視た。そこにはたとい気の毒だという侮蔑の意が全く打ち消されていないにしたところで、ちょっと彼我の地位を易えて立って見たいぐらいな羨望の念が、著るしく働らいていた。お延は考えた。 「処女であった頃、自分にもかつてこんなお嬢さんらしい時期があったろうか」  幸か不幸か彼女はその時期を思い出す事ができなかった。平生継子を標準におかないで、何とも思わずに暮していた彼女は、今その従妹と肩を並べながら、賑やかな電灯で明るく照らされた廊下の上に立って、またかつて感じた事のない一種の哀愁に打たれた。それは軽いものであった。しかし涙に変化しやすい性質のものであった。そうして今嫉妬の眼で眺めたばかりの相手の手を、固く握り締めたくなるような種類のものであった。彼女は心の中で継子に云った。 「あなたは私より純潔です。私が羨やましがるほど純潔です。けれどもあなたの純潔は、あなたの未来の夫に対して、何の役にも立たない武器に過ぎません。私のように手落なく仕向けてすら夫は、けっしてこっちの思う通りに感謝してくれるものではありません。あなたは今に夫の愛を繋ぐために、その貴い純潔な生地を失わなければならないのです。それだけの犠牲を払って夫のために尽してすら、夫はことによるとあなたに辛くあたるかも知れません。私はあなたが羨ましいと同時に、あなたがお気の毒です。近いうちに破壊しなければならない貴い宝物を、あなたはそれと心づかずに、無邪気にもっているからです。幸か不幸か始めから私には今あなたのもっているような天然そのままの器が完全に具わっておりませんでしたから、それほどの損失もないのだと云えば、云われないこともないでしょうが、あなたは私と違います。あなたは父母の膝下を離れると共に、すぐ天真の姿を傷けられます。あなたは私よりも可哀相です」  二人の歩き方は遅かった。先に行った岡本夫婦が人に遮ぎられて見えなくなった時、叔母はわざわざ取って返した。 「早くおいでなね。何をぐずぐずしているの。もう吉川さんの方じゃ先へ来て待っていらっしゃるんだよ」  叔母の眼は継子の方にばかり注がれていた。言葉もとくに彼女に向ってかけられた。けれども吉川という名前を聞いたお延の耳には、それが今までの気分を一度に吹き散らす風のように響いた。彼女は自分のあまり好いていない、また向うでも自分をあまり好いていないらしい、吉川夫人の事をすぐ思い出した。彼女は自分の夫が、平生から一方ならぬ恩顧を受けている勢力家の妻君として、今その人の前に、能う限りの愛嬌と礼儀とを示さなければならなかった。平静のうちに一種の緊張を包んで彼女は、知らん顔をして、みんなの後に随いて食堂に入った。 五十二  叔母の云った通り、吉川夫婦は自分達より一足早く約束の場所へ来たものと見えて、お延の目標にするその夫人は、入口の方を向いて叔父と立談をしていた。大きな叔父の後姿よりも、向う側に食み出している大々した夫人のかっぷくが、まずお延の眼に入った。それと同時に、肉づきの豊かな頬に笑いを漲らしていた夫人の方でも、すぐ眸をお延の上に移した。しかし咄嗟の電火作用は起ると共に消えたので、二人は正式に挨拶を取り換すまで、ついに互を認め合わなかった。  夫人に投げかけた一瞥についで、お延はまたその傍に立っている若い紳士を見ない訳に行かなかった。それが間違もなく、先刻廊下で継子といっしょになって、冗談半分夫人の双眼鏡をはしたなく批評し合った時に、自分達を驚ろかした無言の男なので、彼女は思わずひやりとした。  簡単な挨拶が各自の間に行われる間、控目にみんなの後に立っていた彼女は、やがて自分の番が廻って来た時、ただ三好さんとしてこの未知の人に紹介された。紹介者は吉川夫人であったが、夫人の用いる言葉が、叔父に対しても、叔母に対しても、また継子に対しても、みんな自分に対するのと同じ事で、その間に少しも変りがないので、お延はついにその三好の何人であるかを知らずにしまった。  席に着くとき、夫人は叔父の隣りに坐った。一方の隣には三好が坐らせられた。叔母の席は食卓の角であった。継子のは三好の前であった。余った一脚の椅子へ腰を下ろすべく余儀なくされたお延は、少し躊躇した。隣りには吉川がいた。そうして前は吉川夫人であった。 「どうですかけたら」  吉川は催促するようにお延を横から見上げた。 「さあどうぞ」と気軽に云った夫人は正面から彼女を見た。 「遠慮しずにおかけなさいよ。もうみんな坐ってるんだから」  お延は仕方なしに夫人の前に着席した。先を越すつもりでいたのに、かえって先を越されたという拙い感じが胸のどこかにあった。自分の態度を礼儀から出た本当の遠慮と解釈して貰うように、これから仕向けて行かなければならないという意志もすぐ働らいた。その意志は自分と正反対な継子の初心らしい様子を、食卓越に眺めた時、ますます強固にされた。  継子はまたいつもよりおとなし過ぎた。ろくろく口も利かないで、下ばかり向いている彼女の態度の中には、ほとんど苦痛に近い或物が見透された。気の毒そうに彼女を一目見やったお延は、すぐ前にいる夫人の方へ、彼女に特有な愛嬌のある眼を移した。社交に慣れ切った夫人も黙っている人ではなかった。  調子の好い会話の断片が、二三度二人の間を往ったり来たりした。しかしそれ以上に発展する余地のなかった題目は、そこでぴたりととまってしまった。二人の間に共通な津田を話の種にしようと思ったお延が、それを自分から持ち出したものかどうかと遅疑しているうちに、夫人はもう自分を置き去りにして、遠くにいる三好に向った。 「三好さん、黙っていないで、ちっとあっちの面白い話でもして継子さんに聞かせてお上げなさい」  ちょうど叔母と話を途切らしていた三好は夫人の方を向いて静かに云った。 「ええ何でも致しましょう」 「ええ何でもなさい。黙ってちゃいけません」  命令的なこの言葉がみんなを笑わせた。 「また独逸を逃げ出した話でもするがいい」  吉川はすぐ細君の命令を具体的にした。 「独逸を逃げ出した話も、何度となく繰り返すんでね、近頃はもう他よりも自分の方が陳腐になってしまいました」 「あなたのような落ちついた方でも、少しは周章たでしょうね」 「少しどころなら好いですが、ほとんど夢中でしたろう。自分じゃよく分らないけれども」 「でも殺されるとは思わなかったでしょう」 「さよう」  三好が少し考えていると、吉川はすぐ隣りから口を出した。 「まさか殺されるとも思うまいね。ことにこの人は」 「なぜです。人間がずうずうしいからですか」 「という訳でもないが、とにかく非常に命を惜しがる男だから」  継子が下を向いたままくすくす笑った。戦争前後に独逸を引き上げて来た人だという事だけがお延に解った。 五十三  三好を中心にした洋行談がひとしきり弾んだ。相間相間に巧みなきっかけを入れて話の後を釣り出して行く吉川夫人のお手際を、黙って観察していたお延は、夫人がどんな努力で、彼ら四人の前に、この未知の青年紳士を押し出そうと試みつつあるかを見抜いた。穏和というよりもむしろ無口な彼は、自分でそうと気がつかないうちに、彼に好意をもった夫人の口車に乗せられて、最も有利な方面から自分をみんなの前に説明していた。  彼女はこの談話の進行中、ほとんど一言も口を挟さむ余地を与えられなかった。自然の勢い沈黙の謹聴者たるべき地位に立った彼女には批判の力ばかり多く働らいた。卒直と無遠慮の分子を多量に含んだ夫人の技巧が、毫も技巧の臭味なしに、着々成功して行く段取を、一歩ごとに眺めた彼女は、自分の天性と夫人のそれとの間に非常の距離がある事を認めない訳に行かなかった。しかしそれは上下の距離でなくって、平面の距離だという気がした。では恐るるに足りないかというとけっしてそうでなかった。一部分は得意な現在の地位からも出て来るらしい命令的の態度のほかに、夫人の技巧には時として恐るべき破壊力が伴なって来はしまいかという危険の感じが、お延の胸のどこかでした。 「こっちの気のせいかしらん」  お延がこう考えていると、問題の夫人が突然彼女の方に注意を移した。 「延子さんが呆れていらっしゃる。あたしがあんまりしゃべるもんだから」  お延は不意を打たれて退避ろいだ。津田の前でかつて挨拶に困った事のない彼女の智恵が、どう働いて好いか分らなくなった。ただ空疎な薄笑が瞬間の虚を充たした。しかしそれは御役目にもならない偽りの愛嬌に過ぎなかった。 「いいえ、大変面白く伺っております」と後から付け足した時は、お延自分でももう時機の後れている事に気がついていた。またやり損なったという苦い感じが彼女の口の先まで湧いて出た。今日こそ夫人の機嫌を取り返してやろうという気込が一度に萎えた。夫人は残酷に見えるほど早く調子を易えて、すぐ岡本に向った。 「岡本さんあなたが外国から帰っていらしってから、もうよっぽどになりますね」 「ええ。何しろ一昔前の事ですからな」 「一昔前って何年頃なの、いったい」 「さよう西暦……」  自然だか偶然だか叔父はもったいぶった考え方をした。 「普仏戦争時分?」 「馬鹿にしちゃいけません。これでもあなたの旦那様を案内して倫敦を連れて歩いて上げた覚があるんだから」 「じゃ巴理で籠城した組じゃないのね」 「冗談じゃない」  三好の洋行談をひとしきりで切り上げた夫人は、すぐ話頭を、それと関係の深い他の方面へ持って行った。自然吉川は岡本の相手にならなければすまなくなった。 「何しろ自動車のできたてで、あれが通ると、みんなふり返って見た時分だったからね」 「うん、あの鈍臭いバスがまだ幅を利かしていた時代だよ」  その鈍臭いバスが、そういう交通機関を自分で利用した記憶のないほかの者にとって、何の思い出にならなかったにも関わらず、当時を回顧する二人の胸には、やっぱり淡い一種の感慨を惹き起すらしく見えた。継子と三好を見較べた岡本は、苦笑しながら吉川に云った。 「お互に年を取ったもんだね。不断はちっとも気がつかずに、まだ若いつもりかなんかで、しきりにはしゃぎ廻っているが、こうして娘の隣に坐って見ると、少し考えるね」 「じゃ始終その子の傍に坐っていらっしったら好いでしょう」  叔母はすぐ叔父に向った。叔父もすぐ答えた。 「全くだよ。外国から帰って来た時にゃ、この子がまだ」と云いかけてちょっと考えた彼は、「幾つだっけかな」と訊いた。叔母がそんな呑気な人に返事をする義務はないといわぬばかりの顔をして黙っているので、吉川が傍から口を出した。 「今度はお爺さまお爺さまって云われる時機が、もう眼前に逼って来たんだ。油断はできません」  継子が顔を赧くして下を向いた。夫人はすぐ夫の方を見た。 「でも岡本さんにゃ自分の年歯を計る生きた時計が付いてるから、まだよいんです。あなたと来たら何にも反省器械を持っていらっしゃらないんだから、全く手に余るだけですよ」 「その代りお前だっていつまでもお若くっていらっしゃるじゃないか」  みんなが声を出して笑った。 五十四  彼らほど多人数でない、したがって比較的静かなほかの客が、まるで舞台をよそにして、気楽そうな話ばかりしているお延の一群を折々見た。時間を倹約するため、わざと軽い食事を取ったものたちが、珈琲も飲まずに、そろそろ立ちかける時が来ても、お延の前にはそれからそれへと新らしい皿が運ばれた。彼らは中途で拭布を放り出す訳に行かなかった。またそんな世話しない真似をする気もないらしかった。芝居を観に来たというよりも、芝居場へ遊びに来たという態度で、どこまでもゆっくり構えていた。 「もう始まったのかい」  急に静かになった食堂を見廻した叔父は、こう云って白服のボイに訊いた。ボイは彼の前に温かい皿を置きながら、鄭寧に答えた。 「ただ今開きました」 「いいや開いたって。この際眼よりも口の方が大事だ」  叔父はすぐ皮付の鶏の股を攻撃し始めた。向うにいる吉川も、舞台で何が起っていようとまるで頓着しないらしかった。彼はすぐ叔父の後へついて、劇とは全く無関係な食物の挨拶をした。 「君は相変らず旨そうに食うね。――奥さんこの岡本君が今よりもっと食って、もっと肥ってた時分、西洋人の肩車へ乗った話をお聞きですか」  叔母は知らなかった。吉川はまた同じ問を継子にかけた。継子も知らなかった。 「そうでしょうね、あんまり外聞の好い話じゃないから、きっと隠しているんですよ」 「何が?」  叔父はようやく皿から眼を上げて、不思議そうに相手を見た。すると吉川の夫人が傍から口を出した。 「おおかた重過ぎてその外国人を潰したんでしょう」 「そんならまだ自慢になるが、みんなに変な顔をしてじろじろ見られながら、倫敦の群衆の中で、大男の肩の上へ噛りついていたんだ。行列を見るためにね」  叔父はまだ笑いもしなかった。 「何を捏造する事やら。いったいそりゃいつの話だね」 「エドワード七世の戴冠式の時さ。行列を見ようとしてマンションハウスの前に立ってたところが、日本と違って向うのものがあんまり君より背丈が高過ぎるもんだから、苦し紛れにいっしょに行った下宿の亭主に頼んで、肩車に乗せて貰ったって云うじゃないか」 「馬鹿を云っちゃいけない。そりゃ人違だ。肩車へ乗った奴はちゃんと知ってるが、僕じゃない、あの猿だ」  叔父の弁解はむしろ真面目であった。その真面目な口から猿という言葉が突然出た時、みんなは一度に笑った。 「なるほどあの猿ならよく似合うね。いくら英吉利人が大きいたって、どうも君じゃ辻褄が合わな過ぎると思ったよ。――あの猿と来たらまたずいぶん矮小だからな」  知っていながらわざと間違えたふりをして見せたのか、あるいは最初から事実を知らなかったのか、とにかく吉川はやっと腑に落ちたらしい言葉遣いをして、なおその当人の猿という渾名を、一座を賑わせる滑稽の余音のごとく繰り返した。夫人は半ば好奇的で、半ば戒飭的な態度を取った。 「猿だなんて、いったい誰の事をおっしゃるの」 「なにお前の知らない人だ」 「奥さん心配なさらないでも好ござんす。たとい猿がこの席にいようとも、我々は表裏なく彼を猿々と呼び得る人間なんだから。その代り向うじゃ私の事を豚々って云ってるから、同なじ事です」  こんな他愛もない会話が取り換わされている間、お延はついに社交上の一員として相当の分前を取る事ができなかった。自分を吉川夫人に売りつける機会はいつまで経っても来なかった。夫人は彼女を眼中に置いていなかった。あるいはむしろ彼女を回避していた。そうして特に自分の一軒置いて隣りに坐っている継子にばかり話しかけた。たとい一分間でもこの従妹を、注意の中心として、みんなの前に引き出そうとする努力の迹さえありありと見えた。それを利用する事のできない継子が、感謝とは反対に、かえって迷惑そうな表情を、遠慮なく外部に示すたびに、すぐ彼女と自分とを比較したくなるお延の心には羨望の漣が立った。 「自分がもしあの従妹の地位に立ったなら」  会食中の彼女はしばしばこう思った。そうしてその後から暗に人馴れない継子を憐れんだ。最後には何という気の毒な女だろうという軽侮の念が例もの通り起った。 五十五  彼らの席を立ったのは、男達の燻らし始めた食後の葉巻に、白い灰が一寸近くも溜った頃であった。その時誰かの口から出た「もう何時だろう」というきっかけが、偶然お延の位地に変化を与えた。立ち上る前の一瞬間を捉えた夫人は突然お延に話しかけた。 「延子さん。津田さんはどうなすって」  いきなりこう云っておいて、お延の返事も待たずに、夫人はすぐその後を自分で云い足した。 「先刻から伺おう伺おうと思ってた癖に、つい自分の勝手な話ばかりして――」  この云訳をお延は腹の中で嘘らしいと考えた。それは相手の使う当座の言葉つきや態度から出た疑でなくって、彼女に云わせると、もう少し深い根拠のある推定であった。彼女は食堂へ這入って夫人に挨拶をした時、自分の使った言葉をよく覚えていた。それは自分のためというよりも、むしろ自分の夫のために使った言葉であった。彼女はこの夫人を見るや否や、恭しく頭を下げて、「毎度津田が御厄介になりまして」と云った。けれども夫人はその時その津田については一言も口を利かなかった。自分が挨拶を交換した最後の同席者である以上、そこにはそれだけの口を利く余裕が充分あったにも関わらず、夫人は、すぐよそを向いてしまった。そうして二三日前津田から受けた訪問などは、まるで忘れているような風をした。  お延は夫人のこの挙動を、自分が嫌われているからだとばかり解釈しなかった。嫌われている上に、まだ何か理由があるに違ないと思った。でなければ、いくら夫人でも、とくに津田の名前を回避するような素振を、彼の妻たるものに示すはずがないと思った。彼女は自分の夫がこの夫人の気に入っているという事実をよく承知していた。しかし単に夫を贔負にしてくれるという事が、何でその人を妻の前に談話の題目として憚かられるのだろう。お延は解らなかった。彼女が会食中、当然他に好かれべき女性としての自己の天分を、夫人の前に発揮するために、二人の間に存在する唯一の共通点とも見られる津田から出立しようと試みて、ついに出立し得なかったのも、一つはこれが胸に痞えていたからであった。それをいよいよ席を立とうとする間際になって、向うから切り出された時のお延は、ただ夫人の云訳に対してのみ、嘘らしいという疑を抱くだけではすまなかった。今頃になって夫の病気の見舞をいってくれる夫人の心の中には、やむをえない社交上の辞令以外に、まだ何か存在しているのではなかろうかと考えた。 「ありがとうございます。お蔭さまで」 「もう手術をなすったの」 「ええ今日」 「今日? それであなたよくこんな所へ来られましたね」 「大した病気でもございませんものですから」 「でも寝ていらっしゃるんでしょう」 「寝てはおります」  夫人はそれで構わないのかという様子をした。少なくとも彼女の黙っている様子がお延にはそう見えた。他に対して男らしく無遠慮にふるまっている夫人が、自分にだけは、まるで別な人間として出てくるのではないかと思われた。 「病院へ御入りになって」 「病院と申すほどの所ではございませんが、ちょうどお医者様の二階が空いておるので、五六日そこへおいていただく事にしております」  夫人は医者の名前と住所とを訊いた。見舞に行くつもりだとも何とも云わなかったけれども、実はそのために、わざわざ津田の話を持ち出したのじゃなかろうかという気のしたお延は、始めて夫人の意味が多少自分に呑み込めたような心持もした。  夫人と違って最初から津田の事をあまり念頭においていなかったらしい吉川は、この時始めて口を出した。 「当人に聞くと、去年から病気を持ち越しているんだってね。今の若さにそう病気ばかりしちゃ仕方がない。休むのは五六日に限った事もないんだから、癒るまでよく養生するように、そう云って下さい」  お延は礼を云った。  食堂を出た七人は、廊下でまた二組に分れた。 五十六  残りの時間を叔母の家族とともに送ったお延には、それから何の波瀾も来なかった。ただ褞袍を着て横臥した寝巻姿の津田の面影が、熱心に舞台を見つめている彼女の頭の中に、不意に出て来る事があった。その面影は今まで読みかけていた本を伏せて、ここに坐っている彼女を、遠くから眺めているらしかった。しかしそれは、彼女が喜こんで彼を見返そうとする刹那に、「いや疳違いをしちゃいけない、何をしているかちょっと覗いて見ただけだ。お前なんかに用のあるおれじゃない」という意味を、眼つきで知らせるものであった。騙されたお延は何だ馬鹿らしいという気になった。すると同時に津田の姿も幽霊のようにすぐ消えた。二度目にはお延の方から「もうあなたのような方の事は考えて上げません」と云い渡した。三度目に津田の姿が眼に浮んだ時、彼女は舌打をしたくなった。  食堂へ入る前の彼女はいまだかつて夫の事を念頭においていなかったので、お延に云わせると、こういう不可抗な心の作用は、すべて夕飯後に起った新らしい経験にほかならなかった。彼女は黙って前後二様の自分を比較して見た。そうしてこの急劇な変化の責任者として、胸のうちで、吉川夫人の名前を繰り返さない訳に行かなかった。今夜もし夫人と同じ食卓で晩餐を共にしなかったならば、こんな変な現象はけっして自分に起らなかったろうという気が、彼女の頭のどこかでした。しかし夫人のいかなる点が、この苦い酒を醸す醗酵分子となって、どんな具合に彼女の頭のなかに入り込んだのかと訊かれると、彼女はとても判然した返事を与えることができなかった。彼女はただ不明暸な材料をもっていた。そうして比較的明暸な断案に到着していた。材料に不足な掛念を抱かない彼女が、その断案を不備として疑うはずはなかった。彼女は総ての源因が吉川夫人にあるものと固く信じていた。  芝居が了ねていったん茶屋へ引き上げる時、お延はそこでまた夫人に会う事を恐れた。しかし会ってもう少し突ッ込んで見たいような気もした。帰りを急ぐ混雑した間際に、そんな機会の来るはずもないと、始めから諦らめている癖に、そうした好奇の心が、会いたくないという回避の念の蔭から、ちょいちょい首を出した。  茶屋は幸にして異っていた。吉川夫婦の姿はどこにも見えなかった。襟に毛皮の付いた重そうな二重廻しを引掛けながら岡本がコートに袖を通しているお延を顧みた。 「今日は宅へ来て泊って行かないかね」 「え、ありがとう」  泊るとも泊らないとも片づかない挨拶をしたお延は、微笑しながら叔母を見た。叔母はまた「あなたの気楽さ加減にも呆れますね」という表情で叔父を見た。そこに気がつかないのか、あるいは気がついても無頓着なのか、彼は同じ事を、前よりはもっと真面目な調子で繰り返した。 「泊って行くなら、泊っといでよ。遠慮は要らないから」 「泊っていけったって、あなた、宅にゃ下女がたった一人で、この子の帰るのを待ってるんですもの。そんな事無理ですわ」 「はあ、そうかね、なるほど。下女一人じゃ不用心だね」  そんなら止すが好かろうと云った風の様子をした叔父は、無論最初からどっちでも構わないものをちょっと問題にして見ただけであった。 「あたしこれでも津田へ行ってからまだ一晩も御厄介になった事はなくってよ」 「はあ、そうだったかね。それは感心に品行方正の至だね」 「厭だ事。――由雄だって外へ泊った事なんか、まだ有りゃしないわ」 「いや結構ですよ。御夫婦お揃で、お堅くっていらっしゃるのは――」 「何よりもって恐悦至極」  先刻聞いた役者の言葉を、小さな声で後へ付け足した継子は、そう云った後で、自分ながらその大胆さに呆れたように、薄赤くなった。叔父はわざと大きな声を出した。 「何ですって」  継子はきまりが悪いので、聞こえないふりをして、どんどん門口の方へ歩いて行った。みんなもその後に随いて表へ出た。  車へ乗る時、叔父はお延に云った。 「お前宅へ泊れなければ、泊らないでいいから、その代りいつかおいでよ、二三日中にね。少し訊きたい事があるんだから」 「あたしも叔父さんに伺わなくっちゃならない事があるから、今日のお礼かたがた是非上るわ。もしか都合ができたら明日にでも伺ってよ、好くって」 「オー、ライ」  四人の車はこの英語を相図に走け出した。 五十七  津田の宅とほぼ同じ方角に当る岡本の住居は、少し道程が遠いので、三人の後に随いたお延の護謨輪は、小路へ曲る例の角までいっしょに来る事ができた。そこで別れる時、彼女は幌の中から、前に行く人達に声をかけた。けれどもそれが向うへ通じたか通じないか分らないうちに、彼女の俥はもう電車通りを横に切れていた。しんとした小路の中で、急に一種の淋しさが彼女の胸を打った。今まで団体的に旋回していたものが、吾知らず調子を踏み外して、一人圏外にふり落された時のように、淡いながら頼りを失った心持で、彼女は自分の宅の玄関を上った。  下女は格子の音を聞いても出て来なかった。茶の間には電灯が明るく輝やいているだけで、鉄瓶さえいつものように快い音を立てなかった。今朝見たと何の変りもない室の中を、彼女は今朝と違った眼で見廻した。薄ら寒い感じが心細い気分を抱擁し始めた。その瞬間が過ぎて、ただの淋しさが不安の念に変りかけた時、歓楽に疲れた身体を、長火鉢の前に投げかけようとした彼女は、突然勝手口の方を向いて「時、時」と下女の名前を呼んだ。同時に勝手の横に付いている下女部屋の戸を開けた。  二畳敷の真中に縫物をひろげて、その上に他愛なく突ッ伏していたお時は、急に顔を上げた。そうしてお延を見るや否や、いきなり「はい」という返事を判然して立ち上った。それと共に、針仕事のため、わざと低目にした電灯の笠へ、崩れかかった束髪の頭をぶつけたので、あらぬ方へ波をうった電球が、なおのこと彼女を狼狽させた。  お延は笑いもしなかった。叱る気にもならなかった。こんな場合に自分ならという彼我の比較さえ胸に浮かばなかった。今の彼女には寝ぼけたお時でさえ、そこにいてくれるのが頼母しかった。 「早く玄関を締めてお寝。潜りのはあたしがかけて来たから」  下女を先へ寝かしたお延は、着物も着換えずにまた火鉢の前へ坐った。彼女は器械的に灰をほじくって消えかかった火種に新らしい炭を継ぎ足した。そうして家庭としては欠くべからざる要件のごとくに、湯を沸かした。しかし夜更に鳴る鉄瓶の音に、一人耳を澄ましている彼女の胸に、どこからともなく逼ってくる孤独の感が、先刻帰った時よりもなお劇しく募って来た。それが平生遅い夫の戻りを待ちあぐんで起す淋しみに比べると、遥かに程度が違うので、お延は思わず病院に寝ている夫の姿を、懐かしそうに心の眼で眺めた。 「やっぱりあなたがいらっしゃらないからだ」  彼女は自分の頭の中に描き出した夫の姿に向ってこう云った。そうして明日は何をおいても、まず病院へ見舞に行かなければならないと考えた。しかし次の瞬間には、お延の胸がもうぴたりと夫の胸に食ついていなかった。二人の間に何だか挟まってしまった。こっちで寄り添おうとすればするほど、中間にあるその邪魔ものが彼女の胸を突ッついた。しかも夫は平気で澄ましていた。半ば意地になった彼女の方でも、そんなら宜しゅうございますといって、夫に背中を向けたくなった。  こういう立場まで来ると、彼女の空想は会釈なく吉川夫人の上に飛び移らなければならなかった。芝居場で一度考えた通り、もし今夜あの夫人に会わなかったなら、最愛の夫に対して、これほど不愉快な感じを抱かずにすんだろうにという気ばかり強くした。  しまいに彼女はどこかにいる誰かに自分の心を訴えたくなった。昨夜書きかけた里へやる手紙の続を書こうと思って、筆を執りかけた彼女は、いつまで経っても、夫婦仲よく暮しているから安心してくれという意味よりほかに、自分の思いを巻紙の上に運ぶ事ができなかった。それは彼女が常に両親に対して是非云いたい言葉であった。しかし今夜は、どうしてもそれだけでは物足らない言葉であった。自分の頭を纏める事に疲れ果た彼女は、とうとう筆を投げ出した。着物もそこへ脱ぎ捨てたまま、彼女はついに床へ入った。長い間眼に映った劇場の光景が、断片的に幾通りもの強い色になって、興奮した彼女の頭をちらちら刺戟するので、彼女は焦らされる人のように、いつまでも眠に落ちる事ができなかった。 五十八  彼女は枕の上で一時を聴いた。二時も聴いた。それから何時だか分らない朝の光で眼を覚ました。雨戸の隙間から差し込んで来るその光は、明らかに例もより寝過ごした事を彼女に物語っていた。  彼女はその光で枕元に取り散らされた昨夕の衣裳を見た。上着と下着と長襦袢と重なり合って、すぽりと脱ぎ捨てられたまま、畳の上に崩れているので、そこには上下裏表の、しだらなく一度に入り乱れた色の塊りがあるだけであった。その色の塊りの下から、細長く折目の付いた端を出した金糸入りの檜扇模様の帯は、彼女の手の届く距離まで延びていた。  彼女はこの乱雑な有様を、いささか呆れた眼で眺めた。これがかねてから、几帳面を女徳の一つと心がけて来た自分の所作かと思うと、少しあさましいような心持にもなった。津田に嫁いで以後、かつてこんな不体裁を夫に見せた覚のない彼女は、その夫が今自分と同じ室の中に寝ていないのを見て、ほっと一息した。  だらしのないのは着物の事ばかりではなかった。もし夫が入院しないで、例もの通り宅にいたならば、たといどんなに夜更しをしようとも、こう遅くまで、気を許して寝ているはずがないと思った彼女は、眼が覚めると共に跳ね起きなかった自分を、どうしても怠けものとして軽蔑しない訳に行かなかった。  それでも彼女は容易に起き上らなかった。昨夕の不首尾を償うためか、自分の知らない間に起きてくれたお時の足音が、先刻から台所で聞こえるのを好い事にして、彼女はいつまでも肌触りの暖かい夜具の中に包まれていた。  そのうち眼を開けた瞬間に感じた、すまないという彼女の心持がだんだん弛んで来た。彼女はいくら女だって、年に一度や二度このくらいの事をしても差支えなかろうと考え直すようになった。彼女の関節が楽々しだした。彼女はいつにない暢びりした気分で、結婚後始めて経験する事のできたこの自由をありがたく味わった。これも畢竟夫が留守のお蔭だと気のついた時、彼女は当分一人になった今の自分を、むしろ祝福したいくらいに思った。そうして毎日夫と寝起を共にしていながら、つい心にもとめず、今日まで見過ごしてきた窮屈というものが、彼女にとって存外重い負担であったのに驚ろかされた。しかし偶発的に起ったこの瞬間の覚醒は無論長く続かなかった。いったん解放された自由の眼で、やきもきした昨夕の自分を嘲けるように眺めた彼女が床を離れた時は、もうすでに違った気分に支配されていた。  彼女は主婦としていつもやる通りの義務を遅いながら綺麗に片づけた。津田がいないので、だいぶ省ける手数を利用して、下女も煩わさずに、自分で自分の着物を畳んだ。それから軽い身仕舞をして、すぐ表へ出た彼女は、寄道もせずに、通りから半丁ほど行った所にある、新らしい自動電話の箱の中に入った。  彼女はそこで別々の電話を三人へかけた。その三人のうちで一番先に択ばれたものは、やはり津田であった。しかし自分で電話口へ立つ事のできない横臥状態にある彼の消息は、間接に取次の口から聞くよりほかに仕方がなかった。ただ別に異状のあるはずはないと思っていた彼女の予期は外れなかった。彼女は「順当でございます、お変りはございません」という保証の言葉を、看護婦らしい人の声から聞いた後で、どのくらい津田が自分を待ち受けているかを知るために、今日は見舞に行かなくってもいいかと尋ねて貰った。すると津田がなぜかと云って看護婦に訊き返させた。夫の声も顔も分らないお延は、判断に苦しんで電話口で首を傾けた。こんな場合に、彼は是非来てくれと頼むような男ではなかった。しかし行かないと、機嫌を悪くする男であった。それでは行けば喜こぶかというとそうでもなかった。彼はお延に親切の仕損をさせておいて、それが女の義務じゃないかといった風に、取り澄ました顔をしないとも限らなかった。ふとこんな事を考えた彼女は、昨夕吉川夫人から受け取ったらしく自分では思っている、夫に対する一種の感情を、つい電話口で洩らしてしまった。 「今日は岡本へ行かなければならないから、そちらへは参りませんって云って下さい」  それで病院の方を切った彼女は、すぐ岡本へかけ易えて、今に行ってもいいかと聞き合せた。そうして最後に呼び出した津田の妹へは、彼の現状を一口報告的に通じただけで、また宅へ帰った。 五十九  お時の御給仕で朝食兼帯の午の膳に着くのも、お延にとっては、結婚以来始めての経験であった。津田の不在から起るこの変化が、女王らしい気持を新らしく彼女に与えると共に、毎日の習慣に反して貪ぼり得たこの自由が、いつもよりはかえって彼女を囚えた。身体のゆっくりした割合に、心の落ちつけなかった彼女は、お時に向って云った。 「旦那様がいらっしゃらないと何だか変ね」 「へえ、御淋しゅうございます」  お延はまだ云い足りなかった。 「こんな寝坊をしたのは始めてね」 「ええ、その代りいつでもお早いんだから、たまには朝とお午といっしょでも、宜しゅうございましょう」 「旦那様がいらっしゃらないと、すぐあの通りだなんて、思やしなくって」 「誰がでございます」 「お前がさ」 「飛んでもない」  お時のわざとらしい大きな声は、下手な話し相手よりもひどくお延の趣味に応えた。彼女はすぐ黙ってしまった。  三十分ほど経って、お時の沓脱に揃えたよそゆきの下駄を穿いてまた表へ出る時、お延は玄関まで送って来た彼女を顧みた。 「よく気をつけておくれよ。昨夕見たいに寝てしまうと、不用心だからね」 「今夜も遅く御帰りになるんでございますか」  お延はいつ帰るかまるで考えていなかった。 「あんなに遅くはならないつもりだがね」  たまさかの夫の留守に、ゆっくり岡本で遊んで来たいような気が、お延の胸のどこかでした。 「なるたけ早く帰って来て上げるよ」  こう云い捨てて通りへ出た彼女の足は、すぐ約束の方角へ向った。  岡本の住居は藤井の家とほぼ同じ見当にあるので、途中までは例の川沿の電車を利用する事ができた。終点から一つか二つ手前の停留所で下りたお延は、そこに掛け渡した小さい木の橋を横切って、向う側の通りを少し歩いた。その通りは二三日前の晩、酒場を出た津田と小林とが、二人の境遇や性格の差違から来る縺れ合った感情を互に抱きながら、朝鮮行きだの、お金さんだのを問題にして歩いた往来であった。それを津田の口から聞かされていなかった彼女は、二人の様子を想像するまでもなく、彼らとは反対の方角に無心で足を運ばせた後で、叔父の宅へ行くには是非共上らなければならない細長い坂へかかった。すると偶然向うから来た継子に言葉をかけられた。 「昨日は」 「どこへ行くの」 「お稽古」  去年女学校を卒業したこの従妹は、余暇に任せていろいろなものを習っていた。ピアノだの、茶だの、花だの、水彩画だの、料理だの、何へでも手を出したがるその人の癖を知っているので、お稽古という言葉を聞いた時、お延は、つい笑いたくなった。 「何のお稽古? トーダンス?」  彼らはこんな楽屋落の笑談をいうほど親しい間柄であった。しかしお延から見れば、自分より余裕のある相手の境遇に対して、多少の皮肉を意味しないとも限らないこの笑談が、肝心の当人には、いっこう諷刺としての音響を伝えずにすむらしかった。 「まさか」  彼女はただこう云って機嫌よく笑った。そうして彼女の笑は、いかに鋭敏なお延でも、無邪気その物だと許さない訳に行かなかった。けれども彼女はついにどこへ何の稽古に行くかをお延に告げなかった。 「冷かすから厭よ」 「また何か始めたの」 「どうせ慾張だから何を始めるか分らないわ」  稽古事の上で、継子が慾張という異名を取っている事も、彼女の宅では隠れない事実であった。最初妹からつけられて、たちまち家族のうちに伝播したこの悪口は、近頃彼女自身によって平気に使用されていた。 「待っていらっしゃい。じき帰って来るから」  軽い足でさっさと坂を下りて行く継子の後姿を一度ふり返って見たお延の胸に、また尊敬と軽侮とを搗き交ぜたその人に対するいつもの感じが起った。 六十  岡本の邸宅へ着いた時、お延はまた偶然叔父の姿を玄関前に見出した。羽織も着ずに、兵児帯をだらりと下げて、その結び目の所に、後へ廻した両手を重ねた彼は、傍で鍬を動かしている植木屋としきりに何か話をしていたが、お延を見るや否や、すぐ向うから声を掛けた。 「来たね。今庭いじりをやってるところだ」  植木屋の横には、大きな通草の蔓が巻いたまま、地面の上に投げ出されてあった。 「そいつを今その庭の入口の門の上へ這わせようというんだ。ちょっと好いだろう」  お延は網代組の竹垣の中程にあるその茅門を支えている釿なぐりの柱と丸太の桁を見較べた。 「へえ。あの袖垣の所にあったのを抜いて来たの」 「うんその代りあすこへは玉縁をつけた目関垣を拵えたよ」  近頃身体に暇ができて、自分の意匠通り住居を新築したこの叔父の建築に関する単語は、いつの間にか急に殖えていた。言葉を聴いただけではとても解らないその目関垣というものを、お延はただ「へえ」と云って応答っているよりほかに仕方がなかった。 「食後の運動には好いわね。お腹が空いて」 「笑談じゃない、叔父さんはまだ午飯前なんだ」  お延を引張って、わざわざ庭先から座敷へ上った叔父は「住、住」と大きな声で叔母を呼んだ。 「腹が減って仕方がない、早く飯にしてくれ」 「だから先刻みんなといっしょに召上がれば好いのに」 「ところが、そう勝手元の御都合のいいようにばかりは参らんです、世の中というものはね。第一物に区切のあるという事をあなたは御承知ですか」  自業自得な夫に対する叔母の態度が澄ましたものであると共に、叔父の挨拶も相変らずであった。久しぶりで故郷の空気を吸ったような感じのしたお延は、心のうちで自分の目の前にいるこの一対の老夫婦と、結婚してからまだ一年と経たない、云わば新生活の門出にある彼ら二人とを比較して見なければならなかった。自分達も長の月日さえ踏んで行けば、こうなるのが順当なのだろうか、またはいくら永くいっしょに暮らしたところで、性格が違えば、互いの立場も末始終まで変って行かなければならないのか、年の若いお延には、それが智恵と想像で解けない一種の疑問であった。お延は今の津田に満足してはいなかった。しかし未来の自分も、この叔母のように膏気が抜けて行くだろうとは考えられなかった。もしそれが自分の未来に横わる必然の運命だとすれば、いつまでも現在の光沢を持ち続けて行こうとする彼女は、いつか一度悲しいこの打撃を受けなければならなかった。女らしいところがなくなってしまったのに、まだ女としてこの世の中に生存するのは、真に恐ろしい生存であるとしか若い彼女には見えなかった。  そんな距離の遠い感想が、この若い細君の胸に湧いているとは夢にも気のつきようはずのない叔父は、自分の前に据えられた膳に向って胡坐を掻きながら、彼女を見た。 「おい何をぼんやりしているんだ。しきりに考え込んでいるじゃないか」  お延はすぐ答えた。 「久しぶりにお給仕でもしましょう」  飯櫃があいにくそこにないので、彼女が座を立ちかけると叔母が呼びとめた。 「御給仕をしたくったって、麺麭だからできないよ」  下女が皿の上に狐色に焦げたトーストを持って来た。 「お延、叔父さんは情けない事になっちまったよ。日本に生れて米の飯が食えないんだから可哀想だろう」  糖尿病の叔父は既定の分量以外に澱粉質を摂取する事を主治医から厳禁されてしまったのである。 「こうして豆腐ばかり食ってるんだがね」  叔父の膳にはとても一人では平らげ切れないほどの白い豆腐が生のままで供えられた。  むくむくと肥え太った叔父の、わざとする情なさそうな顔を見たお延は、大して気の毒にならないばかりか、かえって笑いたくなった。 「少しゃ断食でもした方がいいんでしょう。叔父さんみたいに肥って生きてるのは、誰だって苦痛に違ないから」  叔父は叔母を顧みた。 「お延は元から悪口やだったが、嫁に行ってから一層達者になったようだね」 六十一  小さいうちから彼の世話になって成長したお延は、いろいろの角度で出没するこの叔父の特色を他人よりよく承知していた。  肥った身体に釣り合わない神経質の彼には、時々自分の室に入ったぎり、半日ぐらい黙って口を利かずにいる癖がある代りに、他の顔さえ見ると、また何かしらしゃべらないでは片時もいられないといった気作な風があった。それが元気のやり場所に困るからというよりも、なるべく相手を不愉快にしたくないという対人的な想いやりや、または客を前に置いて、ただのつそつとしている自分の手持無沙汰を避けるためから起る場合が多いので、用件以外の彼の談話には、彼の平生の心がけから来る一種の興味的中心があった。彼の成効に少なからぬ貢献をもたらしたらしく思われる、社交上極めて有利な彼のこの話術は、その所有者の天から稟けた諧謔趣味のために、一層派出な光彩を放つ事がしばしばあった。そうしてそれが子供の時分から彼の傍にいたお延の口に、いつの間にか乗り移ってしまった。機嫌のいい時に、彼を向うへ廻して軽口の吐き競をやるくらいは、今の彼女にとって何の努力も要らない第二の天性のようなものであった。しかし津田に嫁いでからの彼女は、嫁ぐとすぐにこの態度を改めた。ところが最初慎みのために控えた悪口は、二カ月経っても、三カ月経ってもなかなか出て来なかった。彼女はついにこの点において、岡本にいた時の自分とは別個の人間になって、彼女の夫に対しなければならなくなった。彼女は物足らなかった。同時に夫を欺むいているような気がしてならなかった。たまに来て、もとに変らない叔父の様子を見ると、そこに昔しの自由を憶い出させる或物があった。彼女は生豆腐を前に、胡坐を掻いている剽軽な彼の顔を、過去の記念のように懐かし気に眺めた。 「だってあたしの悪口は叔父さんのお仕込じゃないの。津田に教わった覚なんか、ありゃしないわ」 「ふん、そうでもあるめえ」  わざと江戸っ子を使った叔父は、そういう種類の言葉を、いっさい家庭に入れてはならないもののごとくに忌み嫌う叔母の方を見た。傍から注意するとなお面白がって使いたがる癖をよく知っているので、叔母は素知らぬ顔をして取り合わなかった。すると目標が外れた人のように叔父はまたお延に向った。 「いったい由雄さんはそんなに厳格な人かね」  お延は返事をしずに、ただにやにやしていた。 「ははあ、笑ってるところを見ると、やっぱり嬉しいんだな」 「何がよ」 「何がよって、そんなに白ばっくれなくっても、分っていらあな。――だが本当に由雄さんはそんなに厳格な人かい」 「どうだかあたしよく解らないわ。なぜまたそんな事を真面目くさってお訊きになるの」 「少しこっちにも料簡があるんだ、返答次第では」 「おお怖い事。じゃ云っちまうわ。由雄は御察しの通り厳格な人よ。それがどうしたの」 「本当にかい」 「ええ。ずいぶん叔父さんも苦呶いのね」 「じゃこっちでも簡潔に結論を云っちまう。はたして由雄さんが、お前のいう通り厳格な人ならばだ。とうてい悪口の達者なお前には向かないね」  こう云いながら叔父は、そこに黙って坐っている叔母の方を、頷でしゃくって見せた。 「この叔母さんなら、ちょうどお誂らえ向かも知れないがね」  淋しい心持が遠くから来た風のように、不意にお延の胸を撫でた。彼女は急に悲しい気分に囚えられた自分を見て驚ろいた。 「叔父さんはいつでも気楽そうで結構ね」  津田と自分とを、好過ぎるほど仲の好い夫婦と仮定してかかった、調戯半分の叔父の笑談を、ただ座興から来た出鱈目として笑ってしまうには、お延の心にあまり隙があり過ぎた。と云って、その隙を飽くまで取り繕ろって、他人の前に、何一つ不足のない夫を持った妻としての自分を示さなければならないとのみ考えている彼女は、心に感じた通りの何物をも叔父の前に露出する自由をもっていなかった。もう少しで涙が眼の中に溜まろうとしたところを、彼女は瞬きでごまかした。 「いくらお誂らえ向でも、こう年を取っちゃ仕方がない。ねえお延」  年の割にどこへ行っても若く見られる叔母が、こう云って水々した光沢のある眼をお延の方に向けた時、お延は何にも云わなかった。けれども自分の感情を隠すために、第一の機会を利用する事は忘れなかった。彼女はただ面白そうに声を出して笑った。 六十二  親身の叔母よりもかえって義理の叔父の方を、心の中で好いていたお延は、その報酬として、自分もこの叔父から特別に可愛がられているという信念を常にもっていた。洒落でありながら神経質に生れついた彼の気合をよく呑み込んで、その両面に行き渡った自分の行動を、寸分違わず叔父の思い通りに楽々と運んで行く彼女には、いつでも年齢の若さから来る柔軟性が伴っていたので、ほとんど苦痛というものなしに、叔父を喜こばし、また自分に満足を与える事ができた。叔父が鑑賞の眼を向けて、常に彼女の所作を眺めていてくれるように考えた彼女は、時とすると、変化に乏しい叔母の骨はどうしてあんなに堅いのだろうと怪しむ事さえあった。  いかにして異性を取り扱うべきかの修養を、こうして叔父からばかり学んだ彼女は、どこへ嫁に行っても、それをそのまま夫に応用すれば成効するに違ないと信じていた。津田といっしょになった時、始めて少し勝手の違うような感じのした彼女は、この生れて始めての経験を、なるほどという眼つきで眺めた。彼女の努力は、新らしい夫を叔父のような人間に熟しつけるか、またはすでに出来上った自分の方を、新らしい夫に合うように改造するか、どっちかにしなければならない場合によく出合った。彼女の愛は津田の上にあった。しかし彼女の同情はむしろ叔父型の人間に注がれた。こんな時に、叔父なら嬉しがってくれるものをと思う事がしばしば出て来た。すると自然の勢いが彼女にそれを逐一叔父に話してしまえと命令した。その命令に背くほど意地の強い彼女は、今までどうかこうか我慢して通して来たものを、今更告白する気にはとてもなれなかった。  こうして叔父夫婦を欺むいてきたお延には、叔父夫婦がまた何の掛念もなく彼女のために騙されているという自信があった。同時に敏感な彼女は、叔父の方でもまた彼女に打ち明けたくって、しかも打ち明けられない、津田に対する、自分のと同程度ぐらいなある秘密をもっているという事をよく承知していた。有体に見透した叔父の腹の中を、お延に云わせると、彼はけっして彼女に大切な夫としての津田を好いていなかったのである。それが二人の間に横わる気質の相違から来る事は、たとい二人を比較して見た上でなくても、あまり想像に困難のかからない仮定であった。少くとも結婚後のお延はじきそこに気がついた。しかし彼女はまだその上に材料をもっていた。粗放のようで一面に緻密な、無頓着のようで同時に鋭敏な、口先は冷淡でも腹の中には親切気のあるこの叔父は、最初会見の当時から、すでに直観的に津田を嫌っていたらしかった。「お前はああいう人が好きなのかね」と訊かれた裏側に、「じゃおれのようなものは嫌だったんだね」という言葉が、ともに響いたらしく感じた時、お延は思わずはっとした。しかし「叔父さんの御意見は」とこっちから問い返した時の彼は、もうその気下味い関を通り越していた。 「おいでよ、お前さえ行く気なら、誰にも遠慮は要らないから」と親切に云ってくれた。  お延の材料はまだ一つ残っていた。自分に対して何にも云わなかった叔父の、津田に関するもっと露骨な批評を、彼女は叔母の口を通して聞く事ができたのである。 「あの男は日本中の女がみんな自分に惚れなくっちゃならないような顔つきをしているじゃないか」  不思議にもこの言葉はお延にとって意外でも何でもなかった。彼女には自分が津田を精一杯愛し得るという信念があった。同時に、津田から精一杯愛され得るという期待も安心もあった。また叔父の例の悪口が始まったという気が何より先に起ったので、彼女は声を出して笑った。そうして、この悪口はつまり嫉妬から来たのだと一人腹の中で解釈して得意になった。叔母も「自分の若い時の己惚は、もう忘れているんだからね」と云って、彼女に相槌を打ってくれた。……  叔父の前に坐ったお延は自分の後にあるこんな過去を憶い出さない訳に行かなかった。すると「厳格」な津田の妻として、自分が向くとか向かないとかいう下らない彼の笑談のうちに、何か真面目な意味があるのではなかろうかという気さえ起った。 「おれの云った通りじゃないかね。なければ仕合せだ。しかし万一何かあるなら、また今ないにしたところで、これから先ひょっと出て来たなら遠慮なく打ち明けなけりゃいけないよ」  お延は叔父の眼の中に、こうした慈愛の言葉さえ読んだ。 六十三  感傷的の気分を笑に紛らした彼女は、その苦痛から逃れるために、すぐ自分の持って来た話題を叔父叔母の前に切り出した。 「昨日の事は全体どういう意味なの」  彼女は約束通り叔父に説明を求めなければならなかった。すると返答を与えるはずの叔父がかえって彼女に反問した。 「お前はどう思う」  特に「お前」という言葉に力を入れた叔父は、お延の腹でも読むような眼遣いをして彼女をじっと見た。 「解らないわ。藪から棒にそんな事訊いたって。ねえ叔母さん」  叔母はにやりと笑った。 「叔父さんはね、あたしのようなうっかりものには解らないが、お延にならきっと解る。あいつは貴様より気が利いてるからっておっしゃるんだよ」  お延は苦笑するよりほかに仕方なかった。彼女の頭には無論朧気ながらある臆測があった。けれども強いられないのに、悧巧ぶってそれを口外するほど、彼女の教育は蓮葉でなかった。 「あたしにだって解りっこないわ」 「まああてて御覧。たいてい見当はつくだろう」  どうしてもお延の方から先に何か云わせようとする叔父の気色を見て取った彼女は、二三度押問答の末、とうとう推察の通りを云った。 「見合じゃなくって」 「どうして。――お前にはそう見えるかね」  お延の推測を首肯う前に、彼女の叔父から受けた反問がそれからそれへと続いた。しまいに彼は大きな声を出して笑った。 「あたった、あたった。やっぱりお前の方が住より悧巧だね」  こんな事で、二人の間に優劣をつける気楽な叔父を、お住とお延が馬鹿にして冷評した。 「ねえ、叔母さんだってそのくらいの事ならたいてい見当がつくわね」 「お前も御賞にあずかったって、あんまり嬉しくないだろう」 「ええちっともありがたかないわ」  お延の頭に、一座を切り舞わした吉川夫人の斡旋ぶりがまた描き出された。 「どうもあたしそうだろうと思ったの。あの奥さんが始終継子さんと、それからあの三好さんて方を、引き立てよう、引き立てようとして、骨を折っていらっしゃるんですもの」 「ところがあのお継と来たら、また引き立たない事夥しいんだからな。引き立てようとすれば、かえって引き下がるだけで、まるで紙袋を被った猫見たいだね。そこへ行くと、お延のようなのはどうしても得だよ。少くとも当世向だ」 「厭にしゃあしゃあしているからでしょう。何だか賞められてるんだか、悪く云われてるんだか分らないわね。あたし継子さんのようなおとなしい人を見ると、どうかしてあんなになりたいと思うわ」  こう答えたお延は、叔父のいわゆる当世向を発揮する余地の自分に与えられなかった、したがって自分から見ればむしろ不成効に終った、昨夕の会合を、不愉快と不満足の眼で眺めた。 「何でまたあたしがあの席に必要だったの」 「お前は継子の従姉じゃないか」  ただ親類だからというのが唯一の理由だとすれば、お延のほかにも出席しなければならない人がまだたくさんあった。その上相手の方では当人がたった一人出て来ただけで、紹介者の吉川夫婦を除くと、向うを代表するものは誰もいなかった。 「何だか変じゃないの。そうするともし津田が病気でなかったら、やっぱり親類として是非出席しなければ悪い訳になるのね」 「それゃまた別口だ。ほかに意味があるんだ」  叔父の目的中には、昨夕の機会を利用して、津田とお延を、一度でも余計吉川夫婦に接近させてやろうという好意が含まれていたのである。それを叔父の口から判切聴かされた時、お延は日頃自分が考えている通りの叔父の気性がそこに現われているように思って、暗に彼の親切を感謝すると共に、そんならなぜあの吉川夫人ともっと親しくなれるように仕向けてくれなかったのかと恨んだ。二人を近づけるために同じ食卓に坐らせたには坐らせたが、結果はかえって近づけない前より悪くなるかも知れないという特殊な心理を、叔父はまるで承知していないらしかった。お延はいくら行き届いても男はやっぱり男だと批評したくなった。しかしその後から、吉川夫人と自分との間に横わる一種微妙な関係を知らない以上は、誰が出て来ても畢竟どうする事もできないのだから仕方がないという、嘆息を交えた寛恕の念も起って来た。 六十四  お延はその問題をそこへ放り出したまま、まだ自分の腑に落ちずに残っている要点を片づけようとした。 「なるほどそういう意味合だったの。あたし叔父さんに感謝しなくっちゃならないわね。だけどまだほかに何かあるんでしょう」 「あるかも知れないが、たといないにしたところで、単にそれだけでも、ああしてお前を呼ぶ価値は充分あるだろう」 「ええ、有るには有るわ」  お延はこう答えなければならなかった。しかしそれにしては勧誘の仕方が少し猛烈過ぎると腹の中で思った。叔父は果して最後の一物を胸に蔵い込んでいた。 「実はお前にお婿さんの眼利をして貰おうと思ったのさ。お前はよく人を見抜く力をもってるから相談するんだが、どうだろうあの男は。お継の未来の夫としていいだろうか悪いだろうか」  叔父の平生から推して、お延はどこまでが真面目な相談なのか、ちょっと判断に迷った。 「まあ大変な御役目を承わったのね。光栄の至りだ事」  こう云いながら、笑って自分の横にいる叔母を見たが、叔母の様子が案外沈着なので、彼女はすぐ調子を抑えた。 「あたしのようなものが眼利をするなんて、少し生意気よ。それにただ一時間ぐらいああしていっしょに坐っていただけじゃ、誰だって解りっこないわ。千里眼ででもなくっちゃ」 「いやお前にはちょっと千里眼らしいところがあるよ。だから皆なが訊きたがるんだよ」 「冷評しちゃ厭よ」  お延はわざと叔父を相手にしないふりをした。しかし腹の中では自分に媚びる一種の快感を味わった。それは自分が実際他にそう思われているらしいという把捉から来る得意にほかならなかった。けれどもそれは同時に彼女を失意にする覿面の事実で破壊されべき性質のものであった。彼女は反対に近い例証としてその裏面にすぐ自分の夫を思い浮べなければならなかった。結婚前千里眼以上に彼の性質を見抜き得たとばかり考えていた彼女の自信は、結婚後今日に至るまでの間に、明らかな太陽に黒い斑点のできるように、思い違い疳違の痕迹で、すでにそこここ汚れていた。畢竟夫に対する自分の直覚は、長い月日の経験によって、訂正されべく、補修されべきものかも知れないという心細い真理に、ようやく頭を下げかけていた彼女は、叔父に煽られてすぐ図に乗るほど若くもなかった。 「人間はよく交際って見なければ実際解らないものよ、叔父さん」 「そのくらいな事は御前に教わらないだって、誰だって知ってらあ」 「だからよ。一度会ったぐらいで何にも云える訳がないっていうのよ」 「そりゃ男の云い草だろう。女は一眼見ても、すぐ何かいうじゃないか。またよく旨い事を云うじゃないか。それを云って御覧というのさ、ただ叔父さんの参考までに。なにもお前に責任なんか持たせやしないから大丈夫だよ」 「だって無理ですもの。そんな予言者みたいな事。ねえ叔母さん」  叔母はいつものようにお延に加勢しなかった。さればと云って、叔父の味方にもならなかった。彼女の予言を強いる気色を見せない代りに、叔父の悪強いもとめなかった。始めて嫁にやる可愛い長女の未来の夫に関する批判の材料なら、それがどんなに軽かろうと、耳を傾むける値打は充分あるといった風も見えた。お延は当り障りのない事を一口二口云っておくよりほかに仕方がなかった。 「立派な方じゃありませんか。そうして若い割に大変落ちついていらっしゃるのね。……」  その後を待っていた叔父は、お延が何にも云わないので、また催促するように訊いた。 「それっきりかね」 「だって、あたしあの方の一軒置いてお隣へ坐らせられて、ろくろくお顔も拝見しなかったんですもの」 「予言者をそんな所へ坐らせるのは悪かったかも知れないがね。――何かありそうなもんじゃないか、そんな平凡な観察でなしに、もっとお前の特色を発揮するような、ただ一言で、ずばりと向うの急所へあたるような……」 「むずかしいのね。――何しろ一度ぐらいじゃ駄目よ」 「しかし一度だけで何か云わなければならない必要があるとしたらどうだい。何か云えるだろう」 「云えないわ」 「云えない? じゃお前の直覚は近頃もう役に立たなくなったんだね」 「ええ、お嫁に行ってから、だんだん直覚が擦り減らされてしまったの。近頃は直覚じゃなくって鈍覚だけよ」 六十五  口先でこんな押問答を長たらしく繰り返していたお延の頭の中には、また別の考えが絶えず並行して流れていた。  彼女は夫婦和合の適例として、叔父から認められている津田と自分を疑わなかった。けれども初対面の時から津田を好いてくれなかった叔父が、その後彼の好悪を改めるはずがないという事もよく承知していた。だから睦しそうな津田と自分とを、彼は始終不思議な眼で、眺めているに違ないと思っていた。それを他の言葉で云い換えると、どうしてお延のような女が、津田を愛し得るのだろうという疑問の裏に、叔父はいつでも、彼自身の先見に対する自信を持ち続けていた。人間を見損なったのは、自分でなくて、かえってお延なのだという断定が、時機を待って外部に揺曳するために、彼の心に下層にいつも沈澱しているらしかった。 「それだのに叔父はなぜ三好に対する自分の評を、こんなに執濃く聴こうとするのだろう」  お延は解しかねた。すでに自分の夫を見損なったものとして、暗に叔父から目指されているらしい彼女に、その自覚を差しおいて、おいそれと彼の要求に応ずる勇気はなかった。仕方がないので、彼女はしまいに黙ってしまった。しかし年来遠慮のなさ過ぎる彼女を見慣れて来た叔父から見ると、この際彼女の沈黙は、不思議に近い現象にほかならなかった。彼はお延を措いて叔母の方を向いた。 「この子は嫁に行ってから、少し人間が変って来たようだね。だいぶ臆病になった。それもやっぱり旦那様の感化かな。不思議なもんだな」 「あなたがあんまり苛めるからですよ。さあ云え、さあ云えって、責めるように催促されちゃ、誰だって困りますよ」  叔母の態度は、叔父を窘めるよりもむしろお延を庇護う方に傾いていた。しかしそれを嬉しがるには、彼女の胸が、あまり自分の感想で、いっぱいになり過ぎていた。 「だけどこりゃ第一が継子さんの問題じゃなくって。継子さんの考え一つできまるだけだとあたし思うわ、あたしなんかが余計な口を出さないだって」  お延は自分で自分の夫を択んだ当時の事を憶い起さない訳に行かなかった。津田を見出した彼女はすぐ彼を愛した。彼を愛した彼女はすぐ彼の許に嫁ぎたい希望を保護者に打ち明けた。そうしてその許諾と共にすぐ彼に嫁いだ。冒頭から結末に至るまで、彼女はいつでも彼女の主人公であった。また責任者であった。自分の料簡をよそにして、他人の考えなどを頼りたがった覚はいまだかつてなかった。 「いったい継子さんは何とおっしゃるの」 「何とも云わないよ。あいつはお前よりなお臆病だからね」 「肝心の当人がそれじゃ、仕方がないじゃありませんか」 「うん、ああ臆病じゃ実際仕方がない」 「臆病じゃないのよ、おとなしいのよ」 「どっちにしたって仕方がない、何にも云わないんだから。あるいは何にも云えないのかも知れないね、種がなくって」  そういう二人が漫然として結びついた時に、夫婦らしい関係が、はたして両者の間に成立し得るものかというのが、お延の胸に横わる深い疑問であった。「自分の結婚ですらこうだのに」という論理がすぐ彼女の頭に閃めいた。「自分の結婚だって畢竟は似たり寄ったりなんだから」という風に、この場合を眺める事のできなかった彼女は、一直線に自分の眼をつけた方ばかり見た。馬鹿らしいよりも恐ろしい気になった。なんという気楽な人だろうとも思った。 「叔父さん」と呼びかけた彼女は、呆れたように細い眼を強く張って彼を見た。 「駄目だよ。あいつは初めっから何にも云う気がないんだから。元来はそれでお前に立ち合って貰ったような訳なんだ、実を云うとね」 「だってあたしが立ち合えばどうするの」 「とにかく継が是非そうしてくれっておれ達に頼んだんだ。つまりあいつは自分よりお前の方をよっぽど悧巧だと思ってるんだ。そうしてたとい自分は解らなくっても、お前なら後からいろいろ云ってくれる事があるに違ないと思い込んでいるんだ」 「じゃ最初からそうおっしゃれば、あたしだってその気で行くのに」 「ところがまたそれは厭だというんだ。是非黙っててくれというんだ」 「なぜでしょう」  お延はちょっと叔母の方を向いた。「きまりが悪いからだよ」と答える叔母を、叔父は遮った。 「なにきまりが悪いばかりじゃない。成心があっちゃ、好い批評ができないというのが、あいつの主意なんだ。つまりお延の公平に得た第一印象を聞かして貰いたいというんだろう」  お延は初めて叔父に強いられる意味を理解した。 六十六  お延から見た継子は特殊の地位を占めていた。こちらの利害を心にかけてくれるという点において、彼女は叔母に及ばなかった。自分と気が合うという意味では叔父よりもずっと縁が遠かった。その代り血統上の親和力や、異性に基く牽引性以外に、年齢の相似から来る有利な接触面をもっていた。  若い女の心を共通に動かすいろいろな問題の前に立って、興味に充ちた眼を見張る時、自然の勢として、彼女は叔父よりも叔母よりも、継子に近づかなければならなかった。そうしてその場合における彼女は、天分から云って、いつでも継子の優者であった。経験から推せば、もちろん継子の先輩に違なかった。少なくともそういう人として、継子から一段上に見られているという事を、彼女はよく承知していた。  この小さい嘆美者には、お延のいうすべてを何でも真に受ける癖があった。お延の自覚から云えば、一つ家に寝起を共にしている長い間に、自分の優越を示す浮誇の心から、柔軟性に富んだこの従妹を、いつの間にかそう育て上げてしまったのである。 「女は一目見て男を見抜かなければいけない」  彼女はかつてこんな事を云って、無邪気な継子を驚ろかせた。彼女はまた充分それをやり終せるだけの活きた眼力を自分に具えているものとして継子に対した。そうして相手の驚きが、羨みから嘆賞に変って、しまいに崇拝の間際まで近づいた時、偶然彼女の自信を実現すべき、津田と彼女との間に起った相思の恋愛事件が、あたかも神秘ののごとく、継子の前に燃え上った。彼女の言葉は継子にとってついに永久の真理その物になった。一般の世間に向って得意であった彼女は、とくに継子に向って得意でなければならなかった。  お延の見た通りの津田が、すぐ継子に伝えられた。日常接触の機会を自分自身にもっていない継子は、わが眼わが耳の範囲外に食み出している未知の部分を、すべて彼女から与えられた間接の知識で補なって、容易に津田という理想的な全体を造り上げた。  結婚後半年以上を経過した今のお延の津田に対する考えは変っていた。けれども継子の彼に対する考えは毫も変らなかった。彼女は飽くまでもお延を信じていた。お延も今更前言を取り消すような女ではなかった。どこまでも先見の明によって、天の幸福を享ける事のできた少数の果報者として、継子の前に自分を標榜していた。  過去から持ち越したこういう二人の関係を、余儀なく記憶の舞台に躍らせて、この事件の前に坐らなければならなくなったお延は、辛いよりもむしろ快よくなかった。それは皆んなが寄ってたかって、今まで糊塗して来た自分の弱点を、早く自白しろと間接に責めるように思えたからである。こっちの「我」以上に相手が意地の悪い事をするように見えたからである。 「自分の過失に対しては、自分が苦しみさえすればそれでたくさんだ」  彼女の腹の中には、平生から貯蔵してあるこういう弁解があった。けれどもそれは何事も知らない叔父や叔母や継子に向って叩きつける事のできないものであった。もし叩きつけるとすれば、彼ら三人を無心に使嗾して、自分に当擦りをやらせる天に向ってするよりほかに仕方がなかった。  膳を引かせて、叔母の新らしく淹れて来た茶をがぶがぶ飲み始めた叔父は、お延の心にこんな交み入った蟠まりが蜿蜒っていようと思うはずがなかった。造りたての平庭を見渡しながら、晴々した顔つきで、叔母と二言三言、自分の考案になった樹や石の配置について批評しあった。 「来年はあの松の横の所へ楓を一本植えようと思うんだ。何だかここから見ると、あすこだけ穴が開いてるようでおかしいからね」  お延は何の気なしに叔父の指している見当を見た。隣家と地続きになっている塀際の土をわざと高く盛り上げて、そこへ小さな孟宗藪をこんもり繁らした根の辺が、叔父のいう通り疎らに隙いていた。先刻から問題を変えよう変えようと思って、暗に機会を待っていた彼女は、すぐ気転を利かした。 「本当ね。あすこを塞がないと、さもさも藪を拵えましたって云うようで変ね」  談話は彼女の予期した通りよその溝へ流れ込んだ。しかしそれが再びもとの道へ戻って来た時は、前より急な傾斜面を通らなければならなかった。 六十七  それは叔父が先刻玄関先で鍬を動かしていた出入の植木屋に呼ばれて、ちょっと席を外した後、また庭口から座敷へ上って来た時の事であった。  まだ学校から帰らない百合子や一の噂に始まった叔母とお延の談話は、その時また偶然にも継子の方に滑り込みつつあった。 「慾張屋さん、もう好い加減に帰りそうなもんだのにね、何をしているんだろう」  叔母はわざわざ百合子の命けた渾名で継子を呼んだ。お延はすぐその慾張屋の様子を思い出した。自分に許された小天地のうちでは飽くまで放恣なくせに、そこから一歩踏み出すと、急に謹慎の模型見たように竦んでしまう彼女は、まるで父母の監督によって仕切られた家庭という籠の中で、さも愉快らしく囀る小鳥のようなもので、いったん戸を開けて外へ出されると、かえってどう飛んでいいか、どう鳴いていいか解らなくなるだけであった。 「今日は何のお稽古に行ったの」  叔母は「あてて御覧」と云った後で、すぐ坂の途中から持って来たお延の好奇心を満足させてくれた。しかしその稽古の題目が近頃熱心に始め出した語学だと聞いた時に、彼女はまた改めて従妹の多慾に驚ろかされた。そんなにいろいろなものに手を出していったい何にするつもりだろうという気さえした。 「それでも語学だけには少し特別の意味があるんだよ」  叔母はこう云って、弁護かたがた継子の意味をお延に説明した。それが間接ながらやはり今度の結婚問題に関係しているので、お延は叔母の手前殊勝らしい顔をしてなるほどと首肯かなければならなかった。  夫の好むもの、でなければ夫の職業上妻が知っていると都合の好いもの、それらを予想して結婚前に習っておこうという女の心がけは、未来の良人に対する親切に違なかった。あるいは単に男の気に入るためとしても有利な手段に違なかった。けれども継子にはまだそれ以上に、人間としてまた細君としての大事な稽古がいくらでも残っていた。お延の頭に描き出されたその稽古は、不幸にして女を善くするものではなかった。しかし女を鋭敏にするものであった。悪く摩擦するには相違なかった。しかし怜悧に研ぎ澄すものであった。彼女はその初歩を叔母から習った。叔父のお蔭でそれを今日に発達させて来た。二人はそういう意味で育て上げられた彼女を、満足の眼で眺めているらしかった。 「それと同じ眼がどうしてあの継子に満足できるだろう」  従妹のどこにも不平らしい素振さえ見せた事のない叔父叔母は、この点においてお延に不可解であった。強いて解釈しようとすれば、彼らは姪と娘を見る眼に区別をつけているとでも云うよりほかに仕方がなかった。こういう考えに襲われると、お延は突然口惜しくなった。そういう考えがまた時々発作のようにお延の胸を掴んだ。しかし城府を設けない行き届いた叔父の態度や、取扱いに公平を欠いた事のない叔母の親切で、それはいつでも燃え上る前に吹き消された。彼女は人に見えない袖を顔へあてて内部の赤面を隠しながら、やっぱり不思議な眼をして、二人の心持を解けない謎のように不断から見つめていた。 「でも継子さんは仕合せね。あたし見たいに心配性でないから」 「あの子はお前よりもずっと心配性だよ。ただ宅にいると、いくら心配したくっても心配する種がないもんだから、ああして平気でいられるだけなのさ」 「でもあたしなんか、叔父さんや叔母さんのお世話になってた時分から、もっと心配性だったように思うわ」 「そりゃお前と継とは……」  中途で止めた叔母は何をいう気か解らなかった。性質が違うという意味にも、身分が違うという意味にも、また境遇が違うという意味にも取れる彼女の言葉を追究する前に、お延ははっと思った。それは今まで気のつかなかった或物に、突然ぶつかったような動悸がしたからである。 「昨日の見合に引き出されたのは、容貌の劣者として暗に従妹の器量を引き立てるためではなかったろうか」  お延の頭に石火のようなこの暗示が閃めいた時、彼女の意志も平常より倍以上の力をもって彼女に逼った。彼女はついに自分を抑えつけた。どんな色をも顔に現さなかった。 「継子さんは得な方ね。誰にでも好かれるんだから」 「そうも行かないよ。けれどもこれは人の好々だからね。あんな馬鹿でも……」  叔父が縁側へ上ったのと、叔母がこう云いかけたのとは、ほとんど同時であった。彼は大きな声で「継がどうしたって」と云いながらまた座敷へ入って来た。 六十八  すると今まで抑えつけていた一種の感情がお延の胸に盛り返して来た。飽くまで機嫌の好い、飽くまで元気に充ちた、そうして飽くまで楽天的に肥え太ったその顔が、瞬間のお延をとっさに刺戟した。 「叔父さんもずいぶん人が悪いのね」  彼女は藪から棒にこう云わなければならなかった。今日まで二人の間に何百遍となく取り換わされたこの常套な言葉を使ったお延の声は、いつもと違っていた。表情にも特殊なところがあった。けれども先刻からお延の腹の中にどんな潮の満干があったか、そこにまるで気のつかずにいた叔父は、平生の細心にも似ず、全く無邪気であった。 「そんなに人が悪うがすかな」  例の調子でわざと空っとぼけた彼は、澄まして刻煙草を雁首へ詰めた。 「おれの留守にまた叔母さんから何か聴いたな」  お延はまだ黙っていた。叔母はすぐ答えた。 「あなたの人の悪いぐらい今さら私から聴かないでもよく承知してるそうですよ」 「なるほどね。お延は直覚派だからな。そうかも知れないよ。何しろ一目見てこの男の懐中には金がいくらあって、彼はそれを犢鼻褌のミツへ挟んでいるか、または胴巻へ入れて臍の上に乗っけているか、ちゃんと見分ける女なんだから、なかなか油断はできないよ」  叔父の笑談はけっして彼の予期したような結果を生じなかった。お延は下を向いて眉と睫毛をいっしょに動かした。その睫毛の先には知らない間に涙がいっぱい溜った。勝手を違えた叔父の悪口もぱたりととまった。変な圧迫が一度に三人を抑えつけた。 「お延どうかしたのかい」  こう云った叔父は無言の空虚を充たすために、煙管で灰吹を叩いた。叔母も何とかその場を取り繕ろわなければならなくなった。 「何だね小供らしい。このくらいな事で泣くものがありますか。いつもの笑談じゃないか」  叔母の小言は、義理のある叔父の手前を兼た挨拶とばかりは聞えなかった。二人の関係を知り抜いた彼女の立場を認める以上、どこから見ても公平なものであった。お延はそれをよく承知していた。けれども叔母の小言をもっともと思えば思うほど、彼女はなお泣きたくなった。彼女の唇が顫えた。抑えきれない涙が後から後からと出た。それにつれて、今まで堰きとめていた口の関も破れた。彼女はついに泣きながら声を出した。 「何もそんなにまでして、あたしを苛めなくったって……」  叔父は当惑そうな顔をした。 「苛めやしないよ。賞めてるんだ。そらお前が由雄さんの所へ行く前に、あの人を評した言葉があるだろう。あれを皆な蔭で感心しているんだ。だから……」 「そんな事承わなくっても、もうたくさんです。つまりあたしが芝居へ行ったのが悪いんだから。……」  沈黙がすこし続いた。 「何だかとんだ事になっちまったんだね。叔父さんの調戯い方が悪かったのかい」 「いいえ。皆んなあたしが悪いんでしょう」 「そう皮肉を云っちゃいけない。どこが悪いか解らないから訊くんだ」 「だから皆なあたしが悪いんだって云ってるじゃありませんか」 「だが訳を云わないからさ」 「訳なんかないんです」 「訳がなくって、ただ悲しいのかい」  お延はなお泣き出した。叔母は苦々しい顔をした。 「何だねこの人は。駄々ッ子じゃあるまいし。宅にいた時分、いくら叔父さんに調戯われたって、そんなに泣いた事なんか、ありゃしないくせに。お嫁に行きたてで、少し旦那から大事にされると、すぐそうなるから困るんだよ、若い人は」  お延は唇を噛んで黙った。すべての原因が自分にあるものとのみ思い込んだ叔父はかえって気の毒そうな様子を見せた。 「そんなに叱ったってしようがないよ。おれが少し冷評し過ぎたのが悪かったんだ。――ねえお延そうだろう。きっとそうに違ない。よしよし叔父さんが泣かした代りに、今に好い物をやる」  ようやく発作の去ったお延は、叔父からこんな風に小供扱いにされる自分をどう取り扱って、跋の悪いこの場面に、平静な一転化を与えたものだろうと考えた。 六十九  ところへ何にも知らない継子が、語学の稽古から帰って来て、ひょっくり顔を出した。 「ただいま」  和解の心棒を失って困っていた三人は、突然それを見出した人のように喜こんだ。そうしてほとんど同時に挨拶を返した。 「お帰んなさい」 「遅かったのね。先刻から待ってたのよ」 「いや大変なお待兼だよ。継子さんはどうしたろう、どうしたろうって」  神経質な叔父の態度は、先刻の失敗を取り戻す意味を帯びているので、平生よりは一層快豁であった。 「何でも継子さんに逢って、是非話したい事があるんだそうだ」  こんな余計な事まで云って、自分の目的とは反対な影を、お延の上に逆まに投げておきながら、彼はかえって得意になっているらしかった。  しかし下女が襖越に手を突いて、風呂の沸いた事を知らせに来た時、彼は急に思いついたように立ち上った。 「まだ湯なんかに入っちゃいられない。少し庭に用が残ってるから。――お前達先へ入るなら入るがいい」  彼は気に入りの植木屋を相手に、残りの秋の日を土の上に費やすべく、再び庭へ下り立った。  けれどもいったん背中を座敷の方へ向けた後でまたふり返った。 「お延、湯に入って晩飯でも食べておいで」  こう云って二三間歩いたかと思うと彼はまた引き返して来た。お延は頭のよく働くその世話しない様子を、いかにも彼の特色らしく感心して眺めた。 「お延が来たから晩に藤井でも呼んでやろうか」  職業が違っても同じ学校出だけに古くから知り合の藤井は、津田との関係上、今では以前よりよほど叔父に縁の近い人であった。これも自分に対する好意からだと解釈しながら、お延は別に嬉しいと思う気にもなれなかった。藤井一家と津田、二つのものが離れているよりも、はるか余計に、彼女は彼らより離れていた。 「しかし来るかな」といった叔父の顔は、まさにお延の腹の中を物語っていた。 「近頃みんなおれの事を隠居隠居っていうが、あの男の隠居主義と来たら、遠い昔からの事で、とうていおれなどの及ぶところじゃないんだからな。ねえ、お延、藤井の叔父さんは飯を食いに来いったら、来るかい」 「そりゃどうだかあたしにゃ解らないわ」  叔母は婉曲に自己を表現した。 「おおかたいらっしゃらないでしょう」 「うん、なかなかおいそれとやって来そうもないね。じゃ止すか。――だがまあ試しにちょっと掛けてみるがいい」  お延は笑い出した。 「掛けてみるったって、あすこにゃ電話なんかありゃしないわ」 「じゃ仕方がない。使でもやるんだ」  手紙を書くのが面倒だったのか、時間が惜しかったのか、叔父はそう云ったなりさっさと庭口の方へ歩いて行った。叔母も「じゃあたしは御免蒙ってお先へお湯に入ろう」と云いながら立ち上った。  叔父の潔癖を知って、みんなが遠慮するのに、自分だけは平気で、こんな場合に、叔父の言葉通り断行して顧みない叔母の態度は、お延にとって羨ましいものであった。また忌わしいものであった。女らしくない厭なものであると同時に、男らしい好いものであった。ああできたらさぞ好かろうという感じと、いくら年をとってもああはやりたくないという感じが、彼女の心にいつもの通り交錯した。  立って行く叔母の後姿を彼女がぼんやり目送していると、一人残った継子が突然誘った。 「あたしのお部屋へ来なくって」  二人は火鉢や茶器で取り散らされた座敷をそのままにして外へ出た。 七十  継子の居間はとりも直さず津田に行く前のお延の居間であった。そこに机を並べて二人いた昔の心持が、まだ壁にも天井にも残っていた。硝子戸を篏めた小さい棚の上に行儀よく置かれた木彫の人形もそのままであった。薔薇の花を刺繍にした籃入のピンクッションもそのままであった。二人してお対に三越から買って来た唐草模様の染付の一輪挿もそのままであった。  四方を見廻したお延は、従妹と共に暮した処女時代の匂を至る所に嗅いだ。甘い空想に充ちたその匂が津田という対象を得てついに実現された時、忽然鮮やかなに変化した自己の感情の前に抃舞したのは彼女であった。眼に見えないでも、瓦斯があったから、ぱっと火が点いたのだと考えたのは彼女であった。空想と現実の間には何らの差違を置く必要がないと論断したのは彼女であった。顧みるとその時からもう半年以上経過していた。いつか空想はついに空想にとどまるらしく見え出して来た。どこまで行っても現実化されないものらしく思われた。あるいは極めて現実化され悪いものらしくなって来た。お延の胸の中には微かな溜息さえ宿った。 「昔は淡い夢のように、しだいしだいに確実な自分から遠ざかって行くのではなかろうか」  彼女はこういう観念の眼で、自分の前に坐っている従妹を見た。多分は自分と同じ径路を踏んで行かなければならない、またひょっとしたら自分よりもっと予期に外れた未来に突き当らなければならないこの処女の運命は、叔父の手にある諾否の賽が、畳の上に転がり次第、今明日中にでも、永久に片づけられてしまうのであった。  お延は微笑した。 「継子さん、今日はあたしがお神籤を引いて上げましょうか」 「なんで?」 「何でもないのよ。ただよ」 「だってただじゃつまらないわ。何かきめなくっちゃ」 「そう。じゃきめましょう。何がいいでしょうね」 「何がいいか、そりゃあたしにゃ解らないわ。あなたがきめて下さらなくっちゃ」  継子は容易に結婚問題を口へ出さなかった。お延の方からむやみに云い出されるのも苦痛らしかった。けれども間接にどこかでそこに触れて貰いたい様子がありありと見えた。お延は従妹を喜こばせてやりたかった。と云って、後で自分の迷惑になるような責任を持つのは厭であった。 「じゃあたしが引くから、あなた自分でおきめなさい、ね。何でも今あなたのお腹の中で、一番知りたいと思ってる事があるでしょう。それにするのよ、あなたの方で、自分勝手に。よくって」  お延は例の通り継子の机の上に乗っている彼ら夫婦の贈物を取ろうとした。すると継子が急にその手を抑えた。 「厭よ」  お延は手を引込めなかった。 「何が厭なの。いいからちょいとお貸しなさいよ。あなたの嬉しがるのを出して上げるから」  神籤に何の執着もなかったお延は、突然こうして継子と戯れたくなった。それは結婚以前の処女らしい自分を、彼女に憶い起させる良い媒介であった。弱いものの虚を衝くために用いられる腕の力が、彼女を男らしく活溌にした。抑えられた手を跳ね返した彼女は、もう最初の目的を忘れていた。ただ神籤箱を継子の机の上から奪い取りたかった。もしくはそれを言い前に、ただ継子と争いたかった。二人は争った。同時に女性の本能から来るわざとらしい声を憚りなく出して、遊技的な戦いに興を添えた。二人はついに硯箱の前に飾ってある大事な一輪挿を引っ繰り返した。紫檀の台からころころと転がり出したその花瓶は、中にある水を所嫌わず打ち空けながら畳の上に落ちた。二人はようやく手を引いた。そうして自然の位置から不意に放り出された可愛らしい花瓶を、同じように黙って眺めた。それから改めて顔を見合せるや否や、急に抵抗する事のできない衝動を受けた人のように、一度に笑い出した。 七十一  偶然の出来事がお延をなお小供らしくした。津田の前でかつて感じた事のない自由が瞬間に復活した。彼女は全く現在の自分を忘れた。 「継子さん早く雑巾を取っていらっしゃい」 「厭よ。あなたが零したんだから、あなた取っていらっしゃい」  二人はわざと譲り合った。わざと押問答をした。 「じゃジャン拳よ」と云い出したお延は、繊い手を握って勢よく継子の前に出した。継子はすぐ応じた。宝石の光る指が二人の間にちらちらした。二人はそのたんびに笑った。 「狡猾いわ」 「あなたこそ狡猾いわ」  しまいにお延が負けた時には零れた水がもう机掛と畳の目の中へ綺麗に吸い込まれていた。彼女は落ちつき払って袂から出した手巾で、濡れた所を上から抑えつけた。 「雑巾なんか要りゃしない。こうしておけば、それでたくさんよ。水はもう引いちまったんだから」  彼女は転がった花瓶を元の位置に直して、摧けかかった花を鄭寧にその中へ挿し込んだ。そうして今までの頓興をまるで忘れた人のように澄まし返った。それがまたたまらなくおかしいと見えて、継子はいつまでも一人で笑っていた。  発作が静まった時、継子は帯の間に隠した帙入の神籤を取り出して、傍にある本箱の抽斗へしまい易えた。しかもその上からぴちんと錠を下して、わざとお延の方を見た。  けれども継子にとっていつまでも続く事のできるらしいこの無意味な遊技的感興は、そう長くお延を支配する訳に行かなかった。ひとしきり我を忘れた彼女は、従妹より早く醒めてしまった。 「継子さんはいつでも気楽で好いわね」  彼女はこう云って継子を見返した。当り障りのない彼女の言葉はとても継子に通じなかった。 「じゃ延子さんは気楽でないの」  自分だって気楽な癖にと云わんばかりの語気のうちには、誰からでも、世間見ずの御嬢さん扱いにされる兼ての不平も交っていた。 「あなたとあたしといったいどこが違うんでしょう」  二人は年齢が違った。性質も違った。しかし気兼苦労という点にかけて二人のどこにどんな違があるか、それは継子のまだ考えた事のない問題であった。 「じゃ延子さんどんな心配があるの。少し話してちょうだいな」 「心配なんかないわ」 「そら御覧なさい。あなただってやっぱり気楽じゃないの」 「そりゃ気楽は気楽よ。だけどあなたの気楽さとは少し訳が違うのよ」 「どうしてでしょう」  お延は説明する訳に行かなかった。また説明する気になれなかった。 「今に解るわ」 「だけど延子さんとあたしとは三つ違よ、たった」  継子は結婚前と結婚後の差違をまるで勘定に入れていなかった。 「ただ年齢ばかりじゃないのよ。境遇の変化よ。娘が人の奥さんになるとか、奥さんがまた旦那様を亡くなして、未亡人になるとか」  継子は少し怪訝な顔をしてお延を見た。 「延子さんは宅にいた時と、由雄さんの所へ行ってからと、どっちが気楽なの」 「そりゃ……」  お延は口籠った。継子は彼女に返答を拵える余地を与えなかった。 「今の方が気楽なんでしょう。それ御覧なさい」  お延は仕方なしに答えた。 「そうばかりにも行かないわ。これで」 「だってあなたが御自分で望んでいらしった方じゃないの、津田さんは」 「ええ、だからあたし幸福よ」 「幸福でも気楽じゃないの」 「気楽な事も気楽よ」 「じゃ気楽は気楽だけれども、心配があるの」 「そう継子さんのように押しつめて来ちゃ敵わないわね」 「押しつめる気じゃないけれども、解らないから、ついそうなるのよ」 七十二  だんだん勾配の急になって来た会話は、いつの間にか継子の結婚問題に滑り込んで行った。なるべくそれを避けたかったお延には、今までの行きがかり上、またそれを避ける事のできない義理があった。経験に乏しい処女の期待するような予言はともかくも、男女関係に一日の長ある年上の女として、相当の注意を与えてやりたい親切もないではなかった。彼女は差し障りのない際どい筋の上を婉曲に渡って歩いた。 「そりゃ駄目よ。津田の時は自分の事だから、自分によく解ったんだけれども、他の事になるとまるで勝手が違って、ちっとも解らなくなるのよ」 「そんなに遠慮しないだってよかないの」 「遠慮じゃないのよ」 「じゃ冷淡なの」  お延は答える前にしばらく間をおいた。 「継子さん、あなた知ってて。女の眼は自分に一番縁故の近いものに出会った時、始めてよく働らく事ができるのだという事を。眼が一秒で十年以上の手柄をするのは、その時に限るのよ。しかもそんな場合は誰だって生涯にそうたんとありゃしないわ。ことによると生涯に一返も来ないですんでしまうかも分らないわ。だからあたしなんかの眼はまあ盲目同然よ。少なくとも平生は」 「だって延子さんはそういう明るい眼をちゃんと持っていらっしゃるんじゃないの。そんならなぜそれをあたしの場合に使って下さらなかったの」 「使わないんじゃない、使えないのよ」 「だって岡目八目って云うじゃありませんか。傍にいるあなたには、あたしより余計公平に分るはずだわ」 「じゃ継子さんは岡目八目で生涯の運命をきめてしまう気なの」 「そうじゃないけれども、参考にゃなるでしょう。ことに延子さんを信用しているあたしには」  お延はまたしばらく黙っていた。それから少し前よりは改った態度で口を利き出した。 「継子さん、あたし今あなたにお話ししたでしょう、あたしは幸福だって」 「ええ」 「なぜあたしが幸福だかあなた知ってて」  お延はそこで句切をおいた。そうして継子の何かいう前に、すぐ後を継ぎ足した。 「あたしが幸福なのは、ほかに何にも意味はないのよ。ただ自分の眼で自分の夫を択ぶ事ができたからよ。岡目八目でお嫁に行かなかったからよ。解って」  継子は心細そうな顔をした。 「じゃあたしのようなものは、とても幸福になる望はないのね」  お延は何とか云わなければならなかった。しかしすぐは何とも云えなかった。しまいに突然興奮したらしい急な調子が思わず彼女の口から迸しり出した。 「あるのよ、あるのよ。ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ。そうさえすれば幸福になる見込はいくらでもあるのよ」  こう云ったお延の頭の中には、自分の相手としての津田ばかりが鮮明に動いた。彼女は継子に話しかけながら、ほとんど三好の影さえ思い浮べなかった。幸いそれを自分のためとのみ解釈した継子は、真ともにお延の調子を受けるほど感激しなかった。 「誰を」と云った彼女は少し呆れたようにお延の顔を見た。「昨夕お目にかかったあの方の事?」 「誰でも構わないのよ。ただ自分でこうと思い込んだ人を愛するのよ。そうして是非その人に自分を愛させるのよ」  平生包み蔵しているお延の利かない気性が、しだいに鋒鋩を露わして来た。おとなしい継子はそのたびに少しずつ後へ退った。しまいに近寄りにくい二人の間の距離を悟った時、彼女は微かな溜息さえ吐いた。するとお延が忽然また調子を張り上げた。 「あなたあたしの云う事を疑っていらっしゃるの。本当よ。あたし嘘なんか吐いちゃいないわ。本当よ。本当にあたし幸福なのよ。解ったでしょう」  こう云って絶対に継子を首肯わせた彼女は、後からまた独り言のように付け足した。 「誰だってそうよ。たとい今その人が幸福でないにしたところで、その人の料簡一つで、未来は幸福になれるのよ。きっとなれるのよ。きっとなって見せるのよ。ねえ継子さん、そうでしょう」  お延の腹の中を知らない継子は、この予言をただ漠然と自分の身の上に応用して考えなければならなかった。しかしいくら考えてもその意味はほとんど解らなかった。 七十三  その時廊下伝いに聞こえた忙がしい足音の主ががらりと室の入口を開けた。そうして学校から帰った百合子が、遠慮なくつかつか入って来た。彼女は重そうに肩から釣るした袋を取って、自分の机の上に置きながら、ただ一口「ただいま」と云って姉に挨拶した。  彼女の机を据えた場所は、ちょうどもとお延の坐っていた右手の隅であった。お延が津田へ片づくや否や、すぐその後へ入る事のできた彼女は、従姉のいなくなったのを、自分にとって大変な好都合のように喜こんだ。お延はそれを知ってるので、わざと言葉をかけた。 「百合子さん、あたしまたお邪魔に上りましたよ。よくって」  百合子は「よくいらっしゃいました」とも云わなかった。机の角へ右の足を載せて、少し穴の開きそうになった黒い靴足袋の親指の先を、手で撫でていたが、足を畳の上へおろすと共に答えた。 「好いわ、来ても。追い出されたんでなければ」 「まあひどい事」と云って笑ったお延は、少し間をおいてから、また彼女を相手にした。 「百合子さん、もしあたしが津田を追い出されたら、少しは可哀相だと思って下さるでしょう」 「ええ、そりゃ可哀相だと思って上げてもいいわ」 「そんなら、その時はまたこのお部屋へおいて下すって」 「そうね」  百合子は少し考える様子をした。 「いいわ、おいて上げても。お姉さまがお嫁に行った後なら」 「いえ継子さんがお嫁にいらっしゃる前よ」 「前に追い出されるの? そいつは少し――まあ我慢してなるべく追い出されないようにしたらいいでしょう、こっちの都合もある事だから」  こう云った百合子は年上の二人と共に声を揃えて笑った。そうして袴も脱がずに、火鉢の傍へ来てその間に坐りながら、下女の持ってきた木皿を受取って、すぐその中にある餅菓子を食べ出した。 「今頃お八ツ? このお皿を見ると思い出すのね」  お延は自分が百合子ぐらいであった当時を回想した。学校から帰ると、待ちかねて各自の前に置かれる木皿へ手を出したその頃の様子がありありと目に浮かんだ。旨そうに食べる妹の顔を微笑して見ていた継子も同じ昔を思い出すらしかった。 「延子さんあなた今でもお八ツ召しゃがって」 「食べたり食べなかったりよ。わざわざ買うのは億劫だし、そうかって宅に何かあっても、昔しのように旨しくないのね、もう」 「運動が足りないからでしょう」  二人が話しているうちに、百合子は綺麗に木皿を空にした。そうして木に竹を接いだような調子で、二人の間に割り込んで来た。 「本当よ、お姉さまはもうじきお嫁に行くのよ」 「そう、どこへいらっしゃるの」 「どこだか知らないけれども行く事は行くのよ」 「じゃ何という方の所へいらっしゃるの」 「何という名だか知らないけれども、行くのよ」  お延は根気よく三度目の問を掛けた。 「それはどんな方なの」  百合子は平気で答えた。 「おおかた由雄さんみたいな方なんでしょう。お姉さまは由雄さんが大好きなんだから。何でも延子さんの云う通りになって、大変好い人だって、そう云っててよ」  薄赤くなった継子は急に妹の方へかかって行った。百合子は頓興な声を出してすぐそこを飛び退いた。 「おお大変大変」  入口の所でちょっと立ちどまってこう云った彼女は、お延と継子をそこへ残したまま、一人で室を逃げ出して行った。 七十四  お延が下女から食事の催促を受けて、二返目に継子と共に席を立ったのは、それから間もなくであった。  一家のものは明るい室に晴々した顔を揃えた。先刻何かに拗ねて縁の下へ這入ったなり容易に出て来なかったという一さえ、機嫌よく叔父と話をしていた。 「一さんは犬みたいよ」と百合子がわざわざ知らせに来た時、お延はこの小さい従妹から、彼がぱくりと口を開いて上から鼻の先へ出された餅菓子に食いついたという話を聞いたのであった。  お延は微笑しながらいわゆる犬みたいな男の子の談話に耳を傾けた。 「お父さま彗星が出ると何か悪い事があるんでしょう」 「うん昔の人はそう思っていた。しかし今は学問が開けたから、そんな事を考えるものは、もう一人もなくなっちまった」 「西洋では」  西洋にも同じ迷信が古代に行われたものかどうだか、叔父は知らないらしかった。 「西洋? 西洋にゃ昔からない」 「でもシーザーの死ぬ前に彗星が出たっていうじゃないの」 「うんシーザーの殺される前か」と云った彼は、ごまかすよりほかに仕方がないらしかった。 「ありゃ羅馬の時代だからな。ただの西洋とは訳が違うよ」  一はそれで納得して黙った。しかしすぐ第二の質問をかけた。前よりは一層奇抜なその質問は立派に三段論法の形式を具えていた。井戸を掘って水が出る以上、地面の下は水でなければならない、地面の下が水である以上、地面は落こちなければならない。しかるに地面はなぜ落こちないか。これが彼の要旨であった。それに対する叔父の答弁がまたすこぶるしどろもどろなので、傍のものはみんなおかしがった。 「そりゃお前落ちないさ」 「だって下が水なら落ちる訳じゃないの」 「そう旨くは行かないよ」  女連が一度に笑い出すと、一はたちまち第三の問題に飛び移った。 「お父さま、僕この宅が軍艦だと好いな。お父さまは?」 「お父さまは軍艦よりただの宅の方が好いね」 「だって地震の時宅なら潰れるじゃないの」 「ははあ軍艦ならいくら地震があっても潰れないか。なるほどこいつは気がつかなかった。ふうん、なるほど」  本式に感服している叔父の顔を、お延は微笑しながら眺めた。先刻藤井を晩餐に招待するといった彼は、もうその事を念頭においていないらしかった。叔母も忘れたように澄ましていた。お延はつい一に訊いて見たくなった。 「一さん藤井の真事さんと同級なんでしょう」 「ああ」と云った一は、すぐ真事についてお延の好奇心を満足させた。彼の話は、とうてい子供でなくては云えない、観察だの、批評だの、事実だのに富んでいた。食卓は一時彼の力で賑わった。  みんなを笑わせた真事の逸話の中に、下のようなのがあった。  ある時学校の帰りに、彼は一といっしょに大きな深い穴を覗き込んだ。土木工事のために深く掘り返されて、往来の真中に出来上ったその穴の上には、一本の杉丸太が掛け渡してあった。一は真事に、その丸太の上を渡ったら百円やると云った。すると無鉄砲な真事は、背嚢を背負って、尨犬の皮で拵えたといわれる例の靴を穿いたまま、「きっとくれる?」と云いながら、ほとんど平たい幅をもっていない、つるつる滑りそうな材木を渡り始めた。最初は今に落ちるだろうと思って見ていた一は、相手が一歩一歩と、危ないながらゆっくりゆっくり自分に近づいて来るのを見て、急に怖くなった。彼は深い穴の真上にある友達をそこへ置き去りにして、どんどん逃げだした。真事はまた始終足元に気を取られなければならないので、丸太を渡り切ってしまうまでは、一がどこへ行ったか全く知らずにいた。ようやく冒険を仕遂げて、約束通り百円貰おうと思って始めて眼を上げると、相手はいつの間にか逃げてしまって、一の影も形もまるで見えなかったというのである。 「一の方が少し小悧巧のようだな」と叔父が評した。 「藤井さんは近頃あんまり遊びに来ないようね」と叔母が云った。 七十五  小供が一つ学校の同級にいる事のほかに、お延の関係から近頃岡本と藤井の間に起った交際には多少の特色があった。否でも顔を合せなければならない祝儀不祝儀の席を未来に控えている彼らは、事情の許す限り、双方から接近しておく便宜を、平生から認めない訳に行かなかった。ことに女の利害を代表する岡本の方は、藤井よりも余計この必要を認めなければならない地位に立っていた。その上岡本の叔父には普通の成功者に附随する一種の如才なさがあった。持って生れた楽天的な広い横断面もあった。神経質な彼はまた誤解を恐れた。ことに生計向に不自由のないものが、比較的貧しい階級から受けがちな尊大不遜の誤解を恐れた。多年の多忙と勉強のために損なわれた健康を回復するために、当分閑地についた昨今の彼には、時間の余裕も充分あった。その時間の空虚なところを、自分の趣味に適う模細工で毎日埋めて行く彼は、今まで自分と全く縁故のないものとして、平気で通り過ぎた人や物にだんだん接近して見ようという意志ももっていた。  これらの原因が困絡がって、叔父は時々藤井の宅へ自分の方から出かけて行く事があった。排外的に見える藤井は、律義に叔父の訪問を返そうともしなかったが、そうかと云って彼を厭がる様子も見せなかった。彼らはむしろ快よく談じた。底まで打ち解けた話はできないにしたところで、ただ相互の世界を交換するだけでも、多少の興味にはなった。その世界はまた妙に食い違っていた。一方から見るといかにも迂濶なものが、他方から眺めるといかにも高尚であったり、片側で卑俗と解釈しなければならないものを、向うでは是非とも実際的に考えたがったりするところに、思わざる発見がひょいひょい出て来た。 「つまり批評家って云うんだろうね、ああ云う人の事を。しかしあれじゃ仕事はできない」  お延は批評家という意味をよく理解しなかった。実際の役に立たないから、口先で偉そうな事を云って他をごまかすんだろうと思った。「仕事ができなくって、ただ理窟を弄んでいる人、そういう人に世間はどんな用があるだろう。そういう人が物質上相当の報酬を得ないで困るのは当然ではないか」。これ以上進む事のできなかった彼女は微笑しながら訊いた。 「近頃藤井さんへいらしって」 「うんこないだもちょっと散歩の帰りに寄ったよ。草臥れた時、休むにはちょうど都合の好い所にある宅だからね、あすこは」 「また何か面白いお話しでもあって」 「相変らず妙な事を考えてるね、あの男は。こないだは、男が女を引張り、女がまた男を引張るって話をさかんにやって来た」 「あら厭だ」 「馬鹿らしい、好い年をして」  お延と叔母はこもごも呆れたような言葉を出す間に、継子だけはよそを向いた。 「いや妙な事があるんだよ。大将なかなか調べているから感心だ。大将のいうところによると、こうなんだ。どこの宅でも、男の子は女親を慕い、女の子はまた反対に男親を慕うのが当り前だというんだが、なるほどそう云えば、そうだね」  親身の叔母よりも義理の叔父を好いていたお延は少し真面目になった。 「それでどうしたの」 「それでこうなんだ。男と女は始終引張り合わないと、完全な人間になれないんだ。つまり自分に不足なところがどこかにあって、一人じゃそれをどうしても充たす訳に行かないんだ」  お延の興味は急に退きかけた。叔父の云う事は、自分の疾うに知っている事実に過ぎなかった。 「昔から陰陽和合っていうじゃありませんか」 「ところが陰陽和合が必然でありながら、その反対の陰陽不和がまた必然なんだから面白いじゃないか」 「どうして」 「いいかい。男と女が引張り合うのは、互に違ったところがあるからだろう。今云った通り」 「ええ」 「じゃその違ったところは、つまり自分じゃない訳だろう。自分とは別物だろう」 「ええ」 「それ御覧。自分と別物なら、どうしたっていっしょになれっこないじゃないか。いつまで経ったって、離れているよりほかに仕方がないじゃないか」  叔父はお延を征服した人のようにからからと笑った。お延は負けなかった。 「だけどそりゃ理窟よ」 「無論理窟さ。どこへ出ても立派に通る理窟さ」 「駄目よ、そんな理窟は。何だか変ですよ。ちょうど藤井の叔父さんがふり廻しそうな屁理窟よ」  お延は叔父をやり込める事ができなかった。けれども叔父のいう通りを信ずる気にはなれなかった。またどうあっても信ずるのは厭であった。 七十六  叔父は面白半分まだいろいろな事を云った。  男が女を得て成仏する通りに、女も男を得て成仏する。しかしそれは結婚前の善男善女に限られた真理である。一度夫婦関係が成立するや否や、真理は急に寝返りを打って、今までとは正反対の事実を我々の眼の前に突きつける。すなわち男は女から離れなければ成仏できなくなる。女も男から離れなければ成仏し悪くなる。今までの牽引力がたちまち反撥性に変化する。そうして、昔から云い習わして来た通り、男はやっぱり男同志、女はどうしても女同志という諺を永久に認めたくなる。つまり人間が陰陽和合の実を挙げるのは、やがて来るべき陰陽不和の理を悟るために過ぎない。……  叔父の言葉のどこまでが藤井の受売で、どこからが自分の考えなのか、またその考えのどこまでが真面目で、どこからが笑談なのか、お延にはよく分らなかった。筆を持つ術を知らない叔父は恐ろしく口の達者な人であった。ちょっとした心棒があると、その上に幾枚でも手製の着物を着せる事のできる人であった。俗にいう警句という種類のものが、いくらでも彼の口から出た。お延が反対すればするほど、膏が乗ってとめどなく出て来た。お延はとうとう好い加減にして切り上げなければならなかった。 「ずいぶんのべつね、叔父さんも」 「口じゃとても敵いっこないからお止しよ。こっちで何かいうと、なお意地になるんだから」 「ええ、わざわざ陰陽不和を醸すように仕向けるのね」  お延が叔母とこんな批評を取り換わせている間、叔父はにこにこして二人を眺めていたが、やがて会話の途切れるのを待って、徐ろに宣告を下した。 「とうとう降参しましたかな。降参したなら、降参したで宜しい。敗けたものを追窮はしないから。――そこへ行くと男にはまた弱いものを憐れむという美点があるんだからな、こう見えても」  彼はさも勝利者らしい顔を粧って立ち上がった。障子を開けて室の外へ出ると、もったいぶった足音が書斎の方に向いてだんだん遠ざかって行った。しばらくして戻って来た時、彼は片手に小型の薄っぺらな書物を四五冊持っていた。 「おいお延好いものを持って来た。お前明日にでも病院へ行くなら、これを由雄さんの所へ持ってッておやり」 「何よ」  お延はすぐ書物を受け取って表紙を見た。英語の標題が、外国語に熟しない彼女の眼を少し悩ませた。彼女は拾い読にぽつぽつ読み下した。ブック・オフ・ジョークス。イングリッシ・ウィット・エンド・ヒュモア。…… 「へええ」 「みんな滑稽なもんだ。洒落だとか、謎だとかね。寝ていて読むにはちょうど手頃で好いよ、肩が凝らなくってね」 「なるほど叔父さん向のものね」 「叔父さん向でもこのくらいな程度なら差支えあるまい。いくら由雄さんが厳格だって、まさか怒りゃしまい」 「怒るなんて、……」 「まあいいや、これも陰陽和合のためだ。試しに持ってッてみるさ」  お延が礼を云って書物を膝の上に置くと、叔父はまた片々の手に持った小さい紙片を彼女の前に出した。 「これは先刻お前を泣かした賠償金だ。約束だからついでに持っておいで」  お延は叔父の手から紙片を受取らない先に、その何であるかを知った。叔父はことさらにそれをふり廻した。 「お延、これは陰陽不和になった時、一番よく利く薬だよ。たいていの場合には一服呑むとすぐ平癒する妙薬だ」  お延は立っている叔父を見上げながら、弱い調子で抵抗した。 「陰陽不和じゃないのよ。あたし達のは本当の和合なのよ」 「和合ならなお結構だ。和合の時に呑めば、精神がますます健全になる。そうして身体はいよいよ強壮になる。どっちへ転んでも間違のない妙薬だよ」  叔父の手から小切手を受け取って、じっとそれを見つめていたお延の眼に涙がいっぱい溜った。 七十七  お延は叔父の送らせるという俥を断った。しかし停留所まで自身で送ってやるという彼の好意を断りかねた。二人はついに連れ立って長い坂を河縁の方へ下りて行った。 「叔父さんの病気には運動が一番いいんだからね。――なに歩くのは自分の勝手さ」  肥っていて呼息が短いので、坂を上るときおかしいほど苦しがる彼は、まるで帰りを忘れたような事を云った。  二人は途々夜の更けた昨夕の話をした。仮寝をして突ッ伏していたお時の様子などがお延の口に上った。もと叔父の家にいたという縁故で、新夫婦二人ぎりの家庭に住み込んだこの下女に対して、叔父は幾分か周旋者の責任を感じなければならなかった。 「ありゃ叔母さんがよく知ってるが、正直で好い女なんだよ。留守なんぞさせるには持って来いだって受合ったくらいだからね。だが独りで寝ちまっちゃ困るね、不用心で。もっともまだ年歯が年歯だからな。眠い事も眠いだろうよ」  いくら若くっても、自分ならそんな場合にぐっすり寝込まれる訳のものでないという事をよく承知していたお延は、叔父のこの想いやりをただ笑いながら聴いていた。彼女に云わせれば、こうして早く帰るのも、あんなに遅くなった昨日の結果を、今度は繰り返させたくないという主意からであった。  彼女は急いでそこへ来た電車に乗った。そうして車の中から叔父に向って「さよなら」といった。叔父は「さよなら、由雄さんによろしく」といった。二人が辛うじて別れの挨拶を交換するや否や、一種の音と動揺がすぐ彼女を支配し始めた。  車内のお延は別に纏まった事を考えなかった。入れ替り立ち替り彼女の眼の前に浮ぶ、昨日からの関係者の顔や姿は、自分の乗っている電車のように早く廻転するだけであった。しかし彼女はそうして目眩しい影像を一貫している或物を心のうちに認めた。もしくはその或物が根調で、そうした断片的な影像が眼の前に飛び廻るのだとも云えた。彼女はその或物を拈定しなければならなかった。しかし彼女の努力は容易に成効をもって酬いられなかった。団子を認めた彼女は、ついに個々を貫いている串を見定める事のできないうちに電車を下りてしまった。  玄関の格子を開ける音と共に、台所の方から駈け出して来たお時は、彼女の予期通り「お帰り」と云って、鄭寧な頭を畳の上に押し付けた。お延は昨日に違った下女の判切した態度を、さも自分の手柄ででもあるように感じた。 「今日は早かったでしょう」  下女はそれほど早いとも思っていないらしかった。得意なお延の顔を見て、仕方なさそうに、「へえ」と答えたので、お延はまた譲歩した。 「もっと早く帰ろうと思ったんだけれどもね、つい日が短かいもんだから」  自分の脱ぎ棄てた着物をお時に畳ませる時、お延は彼女に訊いた。 「あたしのいない留守に何にも用はなかったろうね」  お時は「いいえ」と答えた。お延は念のためもう一遍問を改めた。 「誰も来やしなかったろうね」  するとお時が急に忘れたものを思い出したように調子高な返事をした。 「あ、いらっしゃいました。あの小林さんとおっしゃる方が」  夫の知人としての小林の名はお延の耳に始めてではなかった。彼女には二三度その人と口を利いた記憶があった。しかし彼女はあまり彼を好いていなかった。彼が夫からはなはだ軽く見られているという事もよく呑み込んでいた。 「何しに来たんだろう」  こんなぞんざいな言葉さえ、つい口先へ出そうになった彼女は、それでも尋常な調子で、お時に訊き返した。 「何か御用でもおありだったの」 「ええあの外套を取りにいらっしゃいました」  夫から何にも聞かされていないお延に、この言葉はまるで通じなかった。 「外套? 誰の外套?」  周密なお延はいろいろな問をお時にかけて、小林の意味を知ろうとした。けれどもそれは全くの徒労であった。お延が訊けば訊くほど、お時が答えれば答えるほど、二人は迷宮に入るだけであった。しまいに自分達より小林の方が変だという事に気のついた二人は、声を出して笑った。津田の時々使うノンセンスと云う英語がお延の記憶に蘇生えった。「小林とノンセンス」こう結びつけて考えると、お延はたまらなくおかしくなった。発作のように込み上げてくる滑稽感に遠慮なく自己を託した彼女は、電車の中から持ち越して帰って来た、気がかりな宿題を、しばらく忘れていた。 七十八  お延はその晩京都にいる自分の両親へ宛てて手紙を書いた。一昨日も昨日も書きかけて止めにしたその音信を、今日は是非とも片づけてしまわなければならないと思い立った彼女の頭の中には、けっして両親の事ばかり働いているのではなかった。  彼女は落ちつけなかった。不安から逃れようとする彼女には注意を一つ所に集める必要があった。先刻からの疑問を解決したいという切な希望もあった。要するに京都へ手紙を書けば、ざわざわしがちな自分の心持を纏めて見る事ができそうに思えたのである。  筆を取り上げた彼女は、例の通り時候の挨拶から始めて、無沙汰の申し訳までを器械的に書き了った後で、しばらく考えた。京都へ何か書いてやる以上は、是非とも自分と津田との消息を的におかなければならなかった。それはどの親も新婚の娘から聞きたがる事項であった。どの娘もまた生家の父母に知らせなくってはすまない事項であった。それを差し措いて里へ手紙をやる必要はほとんどあるまいとまで平生から信じていたお延は、筆を持ったまま、目下自分と津田との間柄は、はたしてどんなところにどういう風に関係しているかを考えなければならなかった。彼女はありのままその物を父母に報知する必要に逼られてはいなかった。けれどもある男に嫁いだ一個の妻として、それを見極めておく要求を痛切に感じた。彼女はじっと考え込んだ。筆はそこでとまったぎり動かなくなった。その動かなくなった筆の事さえ忘れて、彼女は考えなければならなかった。しかも知ろうとすればするほど、確としたところは手に掴めなかった。  手紙を書くまでの彼女は、ざわざわした散漫な不安に悩まされていた。手紙を書き始めた今の彼女は、ようやく一つ所に落ちついた。そうしてまた一つ所に落ちついた不安に悩まされ始めた。先刻電車の中で、ちらちら眼先につき出したいろいろの影像は、みんなこの一点に向って集注するのだという事を、前後両様の比較から発見した彼女は、やっと自分を苦しめる不安の大根に辿りついた。けれどもその大根の正体はどうしても分らなかった。勢い彼女は問題を未来に繰り越さなければならなかった。 「今日解決ができなければ、明日解決するよりほかに仕方がない。明日解決ができなければ明後日解決するよりほかに仕方がない。明後日解決ができなければ……」  これが彼女の論法であった。また希望であった。最後の決心であった。そうしてその決心を彼女はすでに継子の前で公言していたのである。 「誰でも構わない、自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」  彼女はここまで行く事を改めて心に誓った。ここまで行って落ちつく事を自分の意志に命令した。  彼女の気分は少し軽くなった。彼女は再び筆を動かした。なるべく父母の喜こびそうな津田と自分の現況を憚りなく書き連ねた。幸福そうに暮している二人の趣が、それからそれへと描出された。感激に充ちた筆の穂先がさらさらと心持よく紙の上を走るのが彼女には面白かった。長い手紙がただ一息に出来上った。その一息がどのくらいの時間に相当しているかという事を、彼女はまるで知らなかった。  しまいに筆を擱いた彼女は、もう一遍自分の書いたものを最初から読み直して見た。彼女の手を支配したと同じ気分が、彼女の眼を支配しているので、彼女は訂正や添削の必要をどこにも認めなかった。日頃苦にして、使う時にはきっと言海を引いて見る、うろ覚えの字さえそのままで少しも気にかからなかった。てには違のために意味の通じなくなったところを、二三カ所ちょいちょいと取り繕っただけで、彼女は手紙を巻いた。そうして心の中でそれを受取る父母に断った。 「この手紙に書いてある事は、どこからどこまで本当です。嘘や、気休や、誇張は、一字もありません。もしそれを疑う人があるなら、私はその人を憎みます、軽蔑します、唾を吐きかけます。その人よりも私の方が真相を知っているからです。私は上部の事実以上の真相をここに書いています。それは今私にだけ解っている真相なのです。しかし未来では誰にでも解らなければならない真相なのです。私はけっしてあなた方を欺むいてはおりません。私があなた方を安心させるために、わざと欺騙の手紙を書いたのだというものがあったなら、その人は眼の明いた盲目です。その人こそ嘘吐です。どうぞこの手紙を上げる私を信用して下さい。神様はすでに信用していらっしゃるのですから」  お延は封書を枕元へ置いて寝た。 七十九  始めて京都で津田に会った時の事が思い出された。久しぶりに父母の顔を見に帰ったお延は、着いてから二三日して、父に使を頼まれた。一通の封書と一帙の唐本を持って、彼女は五六町隔った津田の宅まで行かなければならなかった。軽い神経痛に悩まされて、寝たり起きたりぶらぶらしていた彼女の父は、病中の徒然を慰めるために折々津田の父から書物を借り受けるのだという事を、お延はその時始めて彼の口から聞かされた。古いのを返して新らしいのを借りて来るのが彼女の用向であった。彼女は津田の玄関に立って案内を乞うた。玄関には大きな衝立が立ててあった。白い紙の上に躍っているように見える変な字を、彼女が驚ろいて眺めていると、その衝立の後から取次に現われたのは、下女でも書生でもなく、ちょうどその時彼女と同じように京都の家へ来ていた由雄であった。  二人は固よりそれまでに顔を合せた事がなかった。お延の方ではただ噂で由雄を知っているだけであった。近頃家へ帰って来たとか、または帰っているとかいう話は、その朝始めて父から聞いたぐらいのものであった。それも父に新らしく本を借りようという気が起って、彼がそのための手紙を書いた。事のついでに過ぎなかった。  由雄はその時お延から帙入の唐本を受取って、なぜだか、明詩別裁という厳めしい字で書いた標題を長らくの間見つめていた。その見つめている彼を、お延はまたいつまでも眺めていなければならなかった。すると彼が急に顔を上げたので、お延が今まで熱心に彼を見ていた事がすぐ発覚してしまった。しかし由雄の返事を待ち受ける位地に立たせられたお延から見れば、これもやむをえない所作に違なかった。顔を上げた由雄は、「父はあいにく今留守ですが」と云った。お延はすぐ帰ろうとした。すると由雄がまた呼びとめて、自分の父宛の手紙を、お延の見ている前で、断りも何にもせずに、開封した。この平気な挙動がまたお延の注意を惹いた。彼の遣口は不作法であった。けれども果断に違なかった。彼女はどうしても彼を粗野とか乱暴とかいう言葉で評する気にならなかった。  手紙を一目見た由雄は、お延を玄関先に待たせたまま、入用の書物を探しに奥へ這入った。しかし不幸にして父の借ろうとする漢籍は彼の眼のつく所になかった。十分ばかりしてまた出て来た彼は、お延を空しく引きとめておいた詫を述べた。指定の本はちょっと見つからないから、彼の父の帰り次第、こっちから届けるようにすると云った。お延は失礼だというので、それを断った。自分がまた明日にでも取りに来るからと約束して宅へ帰った。  するとその日の午後由雄が向うから望みの本をわざわざ持って来てくれた。偶然にもお延がその取次に出た。二人はまた顔を見合せた。そうして今度はすぐ両方で両方を認め合った。由雄の手に提げた書物は、今朝お延の返しに行ったものに比べると、約三倍の量があった。彼はそれを更紗の風呂敷に包んで、あたかも鳥籠でもぶら下げているような具合にしてお延に示した。  彼は招ぜられるままに座敷へ上ってお延の父と話をした。お延から云えば、とても若い人には堪えられそうもない老人向の雑談を、別に迷惑そうな様子もなく、方角違の父と取り換わせた。彼は自分の持って来た本については何事も知らなかった。お延の返しに行った本についてはなお知らなかった。劃の多い四角な字の重なっている書物は全く読めないのだと断った。それでもこちらから借りに行った呉梅村詩という四文字を的に、書棚をあっちこっちと探してくれたのであった。父はあつく彼の好意を感謝した。……  お延の眼にはその時の彼がちらちらした。その時の彼は今の彼と別人ではなかった。といって、今の彼と同人でもなかった。平たく云えば、同じ人が変ったのであった。最初無関心に見えた彼は、だんだん自分の方に牽きつけられるように変って来た。いったん牽きつけられた彼は、またしだいに自分から離れるように変って行くのではなかろうか。彼女の疑はほとんど彼女の事実であった。彼女はその疑を拭い去るために、その事実を引ッ繰り返さなければならなかった。 八十  強い意志がお延の身体全体に充ち渡った。朝になって眼を覚ました時の彼女には、怯懦ほど自分に縁の遠いものはなかった。寝起の悪過ぎた前の日の自分を忘れたように、彼女はすぐ飛び起きた。夜具を跳ね退けて、床を離れる途端に、彼女は自分で自分の腕の力を感じた。朝寒の刺戟と共に、締まった筋肉が一度に彼女を緊縮させた。  彼女は自分の手で雨戸を手繰った。戸外の模様はいつもよりまだよッぽど早かった。昨日に引き換えて、今日は津田のいる時よりもかえって早く起きたという事が、なぜだか彼女には嬉しかった。怠けて寝過した昨日の償い、それも満足の一つであった。  彼女は自分で床を上げて座敷を掃き出した後で鏡台に向った。そうして結ってから四日目になる髪を解いた。油で汚れた所へ二三度櫛を通して、癖がついて自由にならないのを、無理に廂に束ね上げた。それが済んでから始めて下女を起した。  食事のできるまでの時間を、下女と共に働らいた彼女は、膳に着いた時、下女から「今日は大変お早うございましたね」と云われた。何にも知らないお時は、彼女の早起を驚ろいているらしかった。また自分が主人より遅く起きたのをすまない事でもしたように考えているらしかった。 「今日は旦那様のお見舞に行かなければならないからね」 「そんなにお早くいらっしゃるんでございますか」 「ええ。昨日行かなかったから今日は少し早く出かけましょう」  お延の言葉遣は平生より鄭寧で片づいていた。そこに或落ちつきがあった。そうしてその落ちつきを裏切る意気があった。意気に伴なう果断も遠くに見えた。彼女の中にある心の調子がおのずと態度にあらわれた。  それでも彼女はすぐ出かけようとはしなかった。襷を外して盆を持ったお時を相手に、しばらく岡本の話などをした。もと世話になった覚のあるその家族は、お時にとっても、興味に充ちた題目なので、二人は同じ事を繰り返すようにしてまで、よく彼らについて語り合った。ことに津田のいない時はそうであった。というのは、もし津田がいると、ある場合には、彼一人が除外物にされたような変な結果に陥るからであった。ふとした拍子からそんな気下味い思いを一二度経験した後で、そこに気をつけ出したお延は、そのほかにまだ、富裕な自分の身内を自慢らしく吹聴したがる女と夫から解釈される不快を避けなければならない理由もあったので、お時にもかねてその旨を言い含めておいたのである。 「御嬢さまはまだどこへもおきまりになりませんのでございますか」 「何だかそんな話もあるようだけれどもね、まだどうなるかよく解らない様子だよ」 「早く好い所へいらっしゃるようになると、結構でございますがね」 「おおかたもうじきでしょう。叔父さんはあんな性急だから。それに継子さんはあたしと違って、ああいう器量好しだしね」  お時は何か云おうとした。お延は下女のお世辞を受けるのが苦痛だったので、すぐ自分でその後をつけた。 「女はどうしても器量が好くないと損ね。いくら悧巧でも、気が利いていても、顔が悪いと男には嫌われるだけね」 「そんな事はございません」  お時が弁護するように強くこういったので、お延はなお自分を主張したくなった。 「本当よ。男はそんなものなのよ」 「でも、それは一時の事で、年を取るとそうは参りますまい」  お延は答えなかった。しかし彼女の自信はそんな弱いものではなかった。 「本当にあたしのような不器量なものは、生れ変ってでも来なくっちゃ仕方がない」  お時は呆れた顔をしてお延を見た。 「奥様が不器量なら、わたくしなんか何といえばいいのでございましょう」  お時の言葉はお世辞でもあり、事実でもあった。両方の度合をよく心得ていたお延は、それで満足して立ち上った。  彼女が外出のため着物を着換えていると、戸外から誰か来たらしい足音がして玄関の号鈴が鳴った。取次に出たお時に、「ちょっと奥さんに」という声が聞こえた。お延はその声の主を判断しようとして首を傾けた。 八十一  袖を口へ当ててくすくす笑いながら茶の間へ駈け込んで来たお時は、容易に客の名を云わなかった。彼女はただおかしさを噛み殺そうとして、お延の前で悶え苦しんだ。わずか「小林」という言葉を口へ出すのでさえよほど手間取った。  この不時の訪問者をどう取り扱っていいか、お延は解らなかった。厚い帯を締めかけているので、自分がすぐ玄関へ出る訳に行かなかった。といって、掛取でも待たせておくように、いつまでも彼をそこに立たせるのも不作法であった。姿見の前に立ち竦んだ彼女は当惑の眉を寄せた。仕方がないので、今出がけだから、ゆっくり会ってはいられないがとわざわざ断らした後で、彼を座敷へ上げた。しかし会って見ると、満更知らない顔でもないので、用だけ聴いてすぐ帰って貰う事もできなかった。その上小林は斟酌だの遠慮だのを知らない点にかけて、たいていの人に引を取らないように、天から生みつけられた男であった。お延の時間が逼っているのを承知の癖に、彼は相手さえ悪い顔をしなければ、いつまで坐り込んでいても差支えないものと独りで合点しているらしかった。  彼は津田の病気をよく知っていた。彼は自分が今度地位を得て朝鮮に行く事を話した。彼のいうところによれば、その地位は未来に希望のある重要のものであった。彼はまた探偵に跟けられた話をした。それは津田といっしょに藤井から帰る晩の出来事だと云って、驚ろいたお延の顔を面白そうに眺めた。彼は探偵に跟けられるのが自慢らしかった。おおかた社会主義者として目指されているのだろうという説明までして聴かせた。  彼の談話には気の弱い女に衝撃を与えるような部分があった。津田から何にも聞いていないお延は、怖々ながらついそこに釣り込まれて大切な時間を度外においた。しかし彼の云う事を素直にはいはい聴いているとどこまで行ってもはてしがなかった。しまいにはこっちから催促して、早く向うに用事を切り出させるように仕向けるよりほかに途がなくなった。彼は少しきまりの悪そうな様子をしてようやく用向を述べた。それは昨夕お延とお時をさんざ笑わせた外套の件にほかならなかった。 「津田君から貰うっていう約束をしたもんですから」  彼の主意は朝鮮へ立つ前ちょっとその外套を着て見て、もしあんまり自分の身体に合わないようなら今のうちに直させたいというのであった。  お延はすぐ入用の品を箪笥の底から出してやろうかと思った。けれども彼女はまだ津田から何にも聞いていなかった。 「どうせもう着る事なんかなかろうとは思うんですが」といって逡巡った彼女は、こんな事に案外やかましい夫の気性をよく知っていた。着古した外套一つが本で、他日細君の手落呼わりなどをされた日には耐らないと思った。 「大丈夫ですよ、くれるって云ったに違ないんだから。嘘なんか吐きやしませんよ」  出してやらないと小林を嘘吐としてしまうようなものであった。 「いくら酔払っていたって気は確なんですからね。どんな事があったって貰う物を忘れるような僕じゃありませんよ」  お延はとうとう決心した。 「じゃしばらく待ってて下さい。電話でちょっと病院へ聞き合せにやりますから」 「奥さんは実に几帳面ですね」と云って小林は笑った。けれどもお延の暗に恐れていた不愉快そうな表情は、彼の顔のどこにも認められなかった。 「ただ念のためにですよ。あとでわたくしがまた何とか云われると困りますから」  お延はそれでも小林が気を悪くしない用心に、こんな弁解がましい事を附け加えずにはいられなかった。  お時が自働電話へ駈けつけて津田の返事を持って来る間、二人はなお対座した。そうして彼女の帰りを待ち受ける時間を談話で繋いだ。ところがその談話は突然な閃めきで、何にも予期していなかったお延の心臓を躍らせた。 八十二 「津田君は近頃だいぶおとなしくなったようですね。全く奥さんの影響でしょう」  お時が出て行くや否や、小林は藪から棒にこんな事を云い出した。お延は相手が相手なので、当らず障らずの返事をしておくに限ると思った。 「そうですか。私自身じゃ影響なんかまるでないように思っておりますがね」 「どうして、どうして。まるで人間が生れ変ったようなものです」  小林の云い方があまり大袈裟なので、お延はかえって相手を冷評し返してやりたくなった。しかし彼女の気位がそれを許さなかったので、彼女はわざと黙っていた。小林はまたそんな事を顧慮する男ではなかった。秩序も段落も構わない彼の話題は、突飛にここかしこを駈け回る代りに、時としては不作法なくらい一直線に進んだ。 「やッぱり細君の力には敵いませんね、どんな男でも。――僕のような独身ものには、ほとんど想像がつかないけれども、何かあるんでしょうね、そこに」  お延はとうとう自分を抑える事ができなくなった。彼女は笑い出した。 「ええあるわ。小林さんなんかにはとても見当のつかない神秘的なものがたくさんあるわ、夫婦の間には」 「あるなら一つ教えていただきたいもんですね」 「独りものが教わったって何にもならないじゃありませんか」 「参考になりますよ」  お延は細い眼のうちに、賢こそうな光りを見せた。 「それよりあなた御自分で奥さんをお貰いになるのが、一番捷径じゃありませんか」  小林は頭を掻く真似をした。 「貰いたくっても貰えないんです」 「なぜ」 「来てくれ手がなければ、自然貰えない訳じゃありませんか」 「日本は女の余ってる国よ、あなた。お嫁なんかどんなのでもそこいらにごろごろ転がってるじゃありませんか」  お延はこう云ったあとで、これは少し云い過ぎたと思った。しかし相手は平気であった。もっと強くて烈しい言葉に平生から慣れ抜いている彼の神経は全く無感覚であった。 「いくら女が余っていても、これから駈け落をしようという矢先ですからね、来ッこありませんよ」  駈落という言葉が、ふと芝居でやる男女二人の道行をお延に想い起させた。そうした濃厚な恋愛を象どる艶めかしい歌舞伎姿を、ちらりと胸に描いた彼女は、それと全く縁の遠い、他の着古した外套を貰うために、今自分の前に坐っている小林を見て微笑した。 「駈落をなさるのなら、いっそ二人でなすったらいいでしょう」 「誰とです」 「そりゃきまっていますわ。奥さんのほかに誰も伴れていらっしゃる方はないじゃありませんか」 「へえ」  小林はこう云ったなり畏まった。その態度が全くお延の予期に外れていたので、彼女は少し驚ろかされた。そうしてかえって予期以上おかしくなった。けれども小林は真面目であった。しばらく間をおいてから独り言のような口調で、彼は妙なことを云い出した。 「僕だって朝鮮三界まで駈落のお供をしてくれるような、実のある女があれば、こんな変な人間にならないで、すんだかも知れませんよ。実を云うと、僕には細君がないばかりじゃないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もっと広く云えば人間がないんだとも云われるでしょうが」  お延は生れて初めての人に会ったような気がした。こんな言葉をまだ誰の口からも聞いた事のない彼女は、その表面上の意味を理解するだけでも困難を感じた。相手をどう捌なしていいかの点になると、全く方角が立たなかった。すると小林の態度はなお感慨を帯びて来た。 「奥さん、僕にはたった一人の妹があるんです。ほかに何にもない僕には、その妹が非常に貴重に見えるのです。普通の人の場合よりどのくらい貴重だか分りゃしません。それでも僕はその妹をおいて行かなければならないのです。妹は僕のあとへどこまでも喰ッついて来たがります。しかし僕はまた妹をどうしても伴れて行く事ができないのです。二人いっしょにいるよりも、二人離れ離れになっている方が、まだ安全だからです。人に殺される危険がまだ少ないからです」  お延は少し気味が悪くなった。早く帰って来てくれればいいと思うお時はまだ帰らなかった。仕方なしに彼女は話題を変えてこの圧迫から逃れようと試みた。彼女はすぐ成功した。しかしそれがために彼女はまたとんでもない結果に陥った。 八十三  特殊の経過をもったその時の問答は、まずお延の言葉から始まった。 「しかしあなたのおっしゃる事は本当なんでしょうかね」  小林ははたして沈痛らしい今までの態度をすぐ改めた。そうしてお延の思わく通り向うから訊き返して来た。 「何がです、今僕の云った事がですか」 「いいえ、そんな事じゃないの」  お延は巧みに相手を岐路に誘い込んだ。 「あなた先刻おっしゃったでしょう。近頃津田がだいぶ変って来たって」  小林は元へ戻らなければならなかった。 「ええ云いました。それに違ないから、そう云ったんです」 「本当に津田はそんなに変ったでしょうか」 「ええ変りましたね」  お延は腑に落ちないような顔をして小林を見た。小林はまた何か証拠でも握っているらしい様子をしてお延を見た。二人がしばらく顔を見合せている間、小林の口元には始終薄笑いの影が射していた。けれどもそれは終に本式の笑いとなる機会を得ずに消えてしまわなければならなかった。お延は小林なんぞに調戯われる自分じゃないという態度を見せたのである。 「奥さん、あなた自分だって大概気がつきそうなものじゃありませんか」  今度は小林の方からこう云ってお延に働らきかけて来た。お延はたしかにそこに気がついていた。けれども彼女の気がついている夫の変化は、全く別ものであった。小林の考えている、少なくとも彼の口にしている、変化とはまるで反対の傾向を帯びていた。津田といっしょになってから、朧気ながらしだいしだいに明るくなりつつあるように感ぜられるその変化は、非常に見分けにくい色調の階段をそろりそろりと動いて行く微妙なものであった。どんな鋭敏な観察者が外部から覗いてもとうてい判りこない性質のものであった。そうしてそれが彼女の秘密であった。愛する人が自分から離れて行こうとする毫釐の変化、もしくは前から離れていたのだという悲しい事実を、今になって、そろそろ認め始めたという心持の変化。それが何で小林ごときものに知れよう。 「いっこう気がつきませんね。あれでどこか変ったところでもあるんでしょうか」  小林は大きな声を出して笑った。 「奥さんはなかなか空惚ける事が上手だから、僕なんざあとても敵わない」 「空惚けるっていうのはあなたの事じゃありませんか」 「ええ、まあ、そんならそうにしておきましょう。――しかし奥さんはそういう旨いお手際をもっていられるんですね。ようやく解った。それで津田君がああ変化して来るんですね、どうも不思議だと思ったら」  お延はわざと取り合わなかった。と云って別に煩さい顔もしなかった。愛嬌を見せた平気とでもいうような態度をとった。小林はもう一歩前へ進み出した。 「藤井さんでもみんな驚ろいていますよ」 「何を」  藤井という言葉を耳にした時、お延の細い眼がたちまち相手の上に動いた。誘き出されると知りながら、彼女はついこういって訊き返さなければならなかった。 「あなたのお手際にです。津田君を手のうちに丸め込んで自由にするあなたの霊妙なお手際にです」  小林の言葉は露骨過ぎた。しかし露骨な彼は、わざと愛嬌半分にそれをお延の前で披露するらしかった。お延はつんとして答えた。 「そうですか。わたくしにそれだけの力があるんですかね。自分にゃ解りませんが、藤井の叔父さんや叔母さんがそう云って下さるなら、おおかた本当なんでしょうよ」 「本当ですとも。僕が見たって、誰が見たって本当なんだから仕方がないじゃありませんか」 「ありがとう」  お延はさも軽蔑した調子で礼を云った。その礼の中に含まれていた苦々しい響は、小林にとって全く予想外のものであるらしかった。彼はすぐ彼女を宥めるような口調で云った。 「奥さんは結婚前の津田君を御承知ないから、それで自分の津田君に及ぼした影響を自覚なさらないんでしょうが、――」 「わたくしは結婚前から津田を知っております」 「しかしその前は御存じないでしょう」 「当り前ですわ」 「ところが僕はその前をちゃんと知っているんですよ」  話はこんな具合にして、とうとう津田の過去に溯って行った。 八十四  自分のまだ知らない夫の領分に這入り込んで行くのはお延にとって多大の興味に違なかった。彼女は喜こんで小林の談話に耳を傾けようとした。ところがいざ聴こうとすると、小林はけっして要領を得た事を云わなかった。云っても肝心のところはわざと略してしまった。例えば二人が深夜非常線にかかった時の光景には一口触れるが、そういう出来事に出合うまで、彼らがどこで夜深しをしていたかの点になると、彼は故意に暈しさって、全く語らないという風を示した。それを訊けば意味ありげににやにや笑って見せるだけであった。お延は彼がとくにこうして自分を焦燥しているのではなかろうかという気さえ起した。  お延は平生から小林を軽く見ていた。半ば夫の評価を標準におき、半ば自分の直覚を信用して成立ったこの侮蔑の裏には、まだ他に向って公言しない大きな因子があった。それは単に小林が貧乏であるという事に過ぎなかった。彼に地位がないという点にほかならなかった。売れもしない雑誌の編輯、そんなものはきまった職業として彼女の眼に映るはずがなかった。彼女の見た小林は、常に無籍もののような顔をして、世の中をうろうろしていた。宿なしらしい愚痴を零して、厭がらせにそこいらをまごつき歩くだけであった。  しかしこの種の軽蔑に、ある程度の不気味はいつでも附物であった。ことにそういう階級に馴らされない女、しかも経験に乏しい若い女には、なおさらの事でなければならなかった。少くとも小林の前に坐ったお延はそう感じた。彼女は今までに彼ぐらいな貧しさの程度の人に出合わないとは云えなかった。しかし岡本の宅へ出入りをするそれらの人々は、みんなその分を弁えていた。身分には段等があるものと心得て、みんなおのれに許された範囲内においてのみ行動をあえてした。彼女はいまだかつて小林のように横着な人間に接した例がなかった。彼のように無遠慮に自分に近づいて来るもの、富も位地もない癖に、彼のように大きな事を云うもの、彼のようにむやみに上流社会の悪体を吐くものにはけっして会った事がなかった。  お延は突然気がついた。 「自分の今相手にしているのは、平生考えていた通りの馬鹿でなくって、あるいは手に余る擦れッ枯らしじゃなかろうか」  軽蔑の裏に潜んでいる不気味な方面が強く頭を持上げた時、お延の態度は急に改たまった。すると小林はそれを見届けた証拠にか、またはそれに全くの無頓着でか、アははと笑い出した。 「奥さんまだいろいろ残ってますよ。あなたの知りたい事がね」 「そうですか。今日はもうそのくらいでたくさんでしょう。あんまり一度きに伺ってしまうと、これから先の楽しみがなくなりますから」 「そうですね、じゃ今日はこれで切り上げときますかな。あんまり奥さんに気を揉ませて、歇斯的里でも起されると、後でまた僕の責任だなんて、津田君に恨まれるだけだから」  お延は後を向いた。後は壁であった。それでも茶の間に近いその見当に、彼女はお時の消息を聞こうとする努力を見せた。けれども勝手口は今まで通り静かであった。疾うに帰るべきはずのお時はまだ帰って来なかった。 「どうしたんでしょう」 「なに今に帰って来ますよ。心配しないでも迷児になる気遣はないから大丈夫です」  小林は動こうともしなかった。お延は仕方がないので、茶を淹れ代えるのを口実に、席を立とうとした。小林はそれさえ遮ぎった。 「奥さん、時間があるなら、退屈凌ぎに幾らでも先刻の続きを話しますよ。しゃべって潰すのも、黙って潰すのも、どうせ僕見たいな穀潰しにゃ、同なし時間なんだから、ちっとも御遠慮にゃ及びません。どうです、津田君にはあれでまだあなたに打ち明けないような水臭いところがだいぶあるんでしょう」 「あるかも知れませんね」 「ああ見えてなかなか淡泊でないからね」  お延ははっと思った。腹の中で小林の批評を首肯わない訳に行かなかった彼女は、それがあたっているだけになおの事感情を害した。自分の立場を心得ない何という不作法な男だろうと思って小林を見た。小林は平気で前の言葉を繰り返した。 「奥さんあなたの知らない事がまだたくさんありますよ」 「あっても宜しいじゃございませんか」 「いや、実はあなたの知りたいと思ってる事がまだたくさんあるんですよ」 「あっても構いません」 「じゃ、あなたの知らなければならない事がまだたくさんあるんだと云い直したらどうです。それでも構いませんか」 「ええ、構いません」 八十五  小林の顔には皮肉の渦が漲った。進んでも退いてもこっちのものだという勝利の表情がありありと見えた。彼はその瞬間の得意を永久に引き延ばして、いつまでも自分で眺め暮したいような素振さえ示した。 「何という陋劣な男だろう」  お延は腹の中でこう思った。そうしてしばらくの間じっと彼と睨めっ競をしていた。すると小林の方からまた口を利き出した。 「奥さん津田君が変った例証として、是非あなたに聴かせなければならない事があるんですが、あんまりおびえていらっしゃるようだから、それは後廻しにして、その反対の方、すなわち津田君がちっとも変らないところを少し御参考までにお話しておきますよ。これはいやでも私の方で是非奥さんに聴いていただきたいのです。――どうです聴いて下さいますか」  お延は冷淡に「どうともあなたの御随意に」と答えた。小林は「ありがたい」と云って笑った。 「僕は昔から津田君に軽蔑されていました。今でも津田君に軽蔑されています。先刻からいう通り津田君は大変変りましたよ。けれども津田君の僕に対する軽蔑だけは昔も今も同様なのです。毫も変らないのです。これだけはいくら怜悧な奥さんの感化力でもどうする訳にも行かないと見えますね。もっともあなた方から見たら、それが理の当然なんでしょうけれどもね」  小林はそこで言葉を切って、少し苦しそうなお延の笑い顔に見入った。それからまた続けた。 「いや別に変って貰いたいという意味じゃありませんよ。その点について奥さんの御尽力を仰ぐ気は毛頭ないんだから、御安心なさい。実をいうと、僕は津田君にばかり軽蔑されている人間じゃないんです。誰にでも軽蔑されている人間なんです。下らない女にまで軽蔑されているんです。有体に云えば世の中全体が寄ってたかって僕を軽蔑しているんです」  小林の眼は据わっていた。お延は何という事もできなかった。 「まあ」 「それは事実です。現に奥さん自身でもそれを腹の中で認めていらっしゃるじゃありませんか」 「そんな馬鹿な事があるもんですか」 「そりゃ口の先では、そうおっしゃらなければならないでしょう」 「あなたもずいぶん僻んでいらっしゃるのね」 「ええ僻んでるかも知れません。僻もうが僻むまいが、事実は事実ですからね。しかしそりゃどうでもいいんです。もともと無能に生れついたのが悪いんだから、いくら軽蔑されたって仕方がありますまい。誰を恨む訳にも行かないのでしょう。けれども世間からのべつにそう取り扱われつけて来た人間の心持を、あなたは御承知ですか」  小林はいつまでもお延の顔を見て返事を待っていた。お延には何もいう事がなかった。まるっきり同情の起り得ない相手の心持、それが自分に何の関係があろう。自分にはまた自分で考えなければならない問題があった。彼女は小林のために想像の翼さえ伸ばしてやる気にならなかった。その様子を見た小林はまた「奥さん」と云い出した。 「奥さん、僕は人に厭がられるために生きているんです。わざわざ人の厭がるような事を云ったりしたりするんです。そうでもしなければ苦しくってたまらないんです。生きていられないのです。僕の存在を人に認めさせる事ができないんです。僕は無能です。幾ら人から軽蔑されても存分な讐討ができないんです。仕方がないからせめて人に嫌われてでも見ようと思うのです。それが僕の志願なのです」  お延の前にまるで別世界に生れた人の心理状態が描き出された。誰からでも愛されたい、また誰からでも愛されるように仕向けて行きたい、ことに夫に対しては、是非共そうしなければならない、というのが彼女の腹であった。そうしてそれは例外なく世界中の誰にでも当て篏って、毫も悖らないものだと、彼女は最初から信じ切っていたのである。 「吃驚りしたようじゃありませんか。奥さんはまだそんな人に会った事がないんでしょう。世の中にはいろいろの人がありますからね」  小林は多少溜飲の下りたような顔をした。 「奥さんは先刻から僕を厭がっている。早く帰ればいい、帰ればいいと思っている。ところがどうした訳か、下女が帰って来ないもんだから、仕方なしに僕の相手になっている。それがちゃんと僕には分るんです。けれども奥さんはただ僕を厭な奴だと思うだけで、なぜ僕がこんな厭な奴になったのか、その原因を御承知ない。だから僕がちょっとそこを説明して上げたのです。僕だってまさか生れたてからこんな厭な奴でもなかったんでしょうよ、よくは分りませんけれどもね」  小林はまた大きな声を出して笑った。 八十六  お延の心はこの不思議な男の前に入り乱れて移って行った。一には理解が起らなかった。二には同情が出なかった。三には彼の真面目さが疑がわれた。反抗、畏怖、軽蔑、不審、馬鹿らしさ、嫌悪、好奇心、――雑然として彼女の胸に交錯したいろいろなものはけっして一点に纏まる事ができなかった。したがってただ彼女を不安にするだけであった。彼女はしまいに訊いた。 「じゃあなたは私を厭がらせるために、わざわざここへいらしったと言明なさるんですね」 「いや目的はそうじゃありません。目的は外套を貰いに来たんです」 「じゃ外套を貰いに来たついでに、私を厭がらせようとおっしゃるんですか」 「いやそうでもありません。僕はこれで天然自然のつもりなんですからね。奥さんよりもよほど技巧は少ないと思ってるんです」 「そんな事はどうでも、私の問にはっきりお答えになったらいいじゃありませんか」 「だから僕は天然自然だと云うのです。天然自然の結果、奥さんが僕を厭がられるようになるというだけなのです」 「つまりそれがあなたの目的でしょう」 「目的じゃありません。しかし本望かも知れません」 「目的と本望とどこが違うんです」 「違いませんかね」  お延の細い眼から憎悪の光が射した。女だと思って馬鹿にするなという気性がありありと瞳子の裏に宿った。 「怒っちゃいけません」と小林が云った。「僕は自分の小さな料簡から敵打をしてるんじゃないという意味を、奥さんに説明して上げただけです。天がこんな人間になって他を厭がらせてやれと僕に命ずるんだから仕方がないと解釈していただきたいので、わざわざそう云ったのです。僕は僕に悪い目的はちっともない事をあなたに承認していただきたいのです。僕自身は始めから無目的だという事を知っておいていただきたいのです。しかし天には目的があるかも知れません。そうしてその目的が僕を動かしているかも知れません。それに動かされる事がまた僕の本望かも知れません」  小林の筋の運び方は、少し困絡かり過ぎていた。お延は彼の論理の間隙を突くだけに頭が錬れていなかった。といって無条件で受け入れていいか悪いかを見分けるほど整った脳力ももたなかった。それでいて彼女は相手の吹きかける議論の要点を掴むだけの才気を充分に具えていた。彼女はすぐ小林の主意を一口に纏めて見せた。 「じゃあなたは人を厭がらせる事は、いくらでも厭がらせるが、それに対する責任はけっして負わないというんでしょう」 「ええそこです。そこが僕の要点なんです」 「そんな卑怯な――」 「卑怯じゃありません。責任のない所に卑怯はありません」 「ありますとも。第一この私があなたに対してどんな悪い事をした覚があるんでしょう。まあそれから伺いますから、云って御覧なさい」 「奥さん、僕は世の中から無籍もの扱いにされている人間ですよ」 「それが私や津田に何の関係があるんです」  小林は待ってたと云わぬばかりに笑い出した。 「あなた方から見たらおおかたないでしょう。しかし僕から見れば、あり過ぎるくらいあるんです」 「どうして」  小林は急に答えなくなった。その意味は宿題にして自分でよく考えて見たらよかろうと云う顔つきをした彼は、黙って煙草を吹かし始めた。お延は一層の不快を感じた。もう好い加減に帰ってくれと云いたくなった。同時に小林の意味もよく突きとめておきたかった。それを見抜いて、わざと高を括ったように落ちついている小林の態度がまた癪に障った。そこへ先刻から心持ちに待ち受けていたお時がようやく帰って来たので、お延の蟠まりは、一定した様式の下に表現される機会の来ない先にまた崩されてしまわなければならなかった。 八十七  お時は縁側へ坐って外部から障子を開けた。 「ただいま。大変遅くなりました。電車で病院まで行って参りましたものですから」  お延は少し腹立たしい顔をしてお時を見た。 「じゃ電話はかけなかったのかい」 「いいえかけたんでございます」 「かけても通じなかったのかい」  問答を重ねているうちに、お時の病院へ行った意味がようやくお延に呑み込めるようになって来た。――始め通じなかった電話は、しまいに通じるだけは通じても用を弁ずる事ができなかった。看護婦を呼び出して用事を取次いで貰おうとしたが、それすらお時の思うようにはならなかった。書生だか薬局員だかが始終相手になって、何か云うけれども、それがまたちっとも要領を得なかった。第一言語が不明暸であった。それから判切聞こえるところも辻褄の合わない事だらけだった。要するにその男はお時の用事を津田に取次いでくれなかったらしいので、彼女はとうとう諦らめて、電話箱を出てしまった。しかし義務を果さないでそのまま宅へ帰るのが厭だったので、すぐその足で電車へ乗って病院へ向った。 「いったん帰って、伺ってからにしようかと思いましたけれども、ただ時間が長くかかるぎりでございますし、それにお客さまがこうして待っておいでの事をなまじい存じておるものでございますから」  お時のいう事はもっともであった。お延は礼を云わなければならなかった。しかしそのために、小林からさんざん厭な思いをさせられたのだと思うと、気を利かした下女がかえって恨めしくもあった。  彼女は立って茶の間へ入った。すぐそこに据えられた銅の金具の光る重ね箪笥の一番下の抽斗を開けた。そうして底の方から問題の外套を取り出して来て、それを小林の前へ置いた。 「これでしょう」 「ええ」と云った小林はすぐ外套を手に取って、品物を改める古着屋のような眼で、それを引ッ繰返した。 「思ったよりだいぶ汚れていますね」 「あなたにゃそれでたくさんだ」と云いたかったお延は、何にも答えずに外套を見つめた。外套は小林のいう通り少し色が変っていた。襟を返して日に当らない所を他の部分と比較して見ると、それが著じるしく目立った。 「どうせただ貰うんだからそう贅沢も云えませんかね」 「お気に召さなければ、どうぞ御遠慮なく」 「置いて行けとおっしゃるんですか」 「ええ」  小林はやッぱり外套を放さなかった。お延は痛快な気がした。 「奥さんちょっとここで着て見てもよござんすか」 「ええ、ええ」  お延はわざと反対を答えた。そうして窮屈そうな袖へ、もがくようにして手を通す小林を、坐ったまま皮肉な眼で眺めた。 「どうですか」  小林はこう云いながら、背中をお延の方に向けた。見苦しい畳み皺が幾筋もお延の眼に入った。アイロンの注意でもしてやるべきところを、彼女はまた逆に行った。 「ちょうど好いようですね」  彼女は誰も自分の傍にいないので、せっかく出来上った滑稽な後姿も、眼と眼で笑ってやる事ができないのを物足りなく思った。  すると小林がまたぐるりと向き直って、外套を着たなり、お延の前にどっさり胡坐をかいた。 「奥さん、人間はいくら変な着物を着て人から笑われても、生きている方がいいものなんですよ」 「そうですか」  お延は急に口元を締めた。 「奥さんのような窮った事のない方にゃ、まだその意味が解らないでしょうがね」 「そうですか。私はまた生きてて人に笑われるくらいなら、いっそ死んでしまった方が好いと思います」  小林は何にも答えなかった。しかし突然云った。 「ありがとう。御蔭でこの冬も生きていられます」  彼は立ち上った。お延も立ち上った。しかし二人が前後して座敷から縁側へ出ようとするとき、小林はたちまちふり返った。 「奥さん、あなたそういう考えなら、よく気をつけて他に笑われないようにしないといけませんよ」 八十八  二人の顔は一尺足らずの距離に接近した。お延が前へ出ようとする途端、小林が後を向いた拍子、二人はそこで急に運動を中止しなければならなかった。二人はぴたりと止まった。そうして顔を見合せた。というよりもむしろ眼と眼に見入った。  その時小林の太い眉が一層際立ってお延の視覚を侵した。下にある黒瞳はじっと彼女の上に据えられたまま動かなかった。それが何を物語っているかは、こっちの力で動かして見るよりほかに途はなかった。お延は口を切った。 「余計な事です。あなたからそんな御注意を受ける必要はありません」 「注意を受ける必要がないのじゃありますまい。おおかた注意を受ける覚がないとおっしゃるつもりなんでしょう。そりゃあなたは固より立派な貴婦人に違ないかも知れません。しかし――」 「もうたくさんです。早く帰って下さい」  小林は応じなかった。問答が咫尺の間に起った。 「しかし僕のいうのは津田君の事です」 「津田がどうしたというんです。わたくしは貴婦人だけれども、津田は紳士でないとおっしゃるんですか」 「僕は紳士なんてどんなものかまるで知りません。第一そんな階級が世の中に存在している事を、僕は認めていないのです」 「認めようと認めまいと、そりゃあなたの御随意です。しかし津田がどうしたというんです」 「聞きたいですか」  鋭どい稲妻がお延の細い眼からまともに迸しった。 「津田はわたくしの夫です」 「そうです。だから聞きたいでしょう」  お延は歯を噛んだ。 「早く帰って下さい」 「ええ帰ります。今帰るところです」  小林はこう云ったなりすぐ向き直った。玄関の方へ行こうとして縁側を二足ばかりお延から遠ざかった。その後姿を見てたまらなくなったお延はまた呼びとめた。 「お待ちなさい」 「何ですか」  小林はのっそり立ちどまった。そうして裄の長過ぎる古外套を着た両手を前の方に出して、ポンチ絵に似た自分の姿を鑑賞でもするように眺め廻した後で、にやにやと笑いながらお延を見た。お延の声はなお鋭くなった。 「なぜ黙って帰るんです」 「御礼は先刻云ったつもりですがね」 「外套の事じゃありません」  小林はわざと空々しい様子をした。はてなと考える態度まで粧って見せた。お延は詰責した。 「あなたは私の前で説明する義務があります」 「何をですか」 「津田の事をです。津田は私の夫です。妻の前で夫の人格を疑ぐるような言葉を、遠廻しにでも出した以上、それを綺麗に説明するのは、あなたの義務じゃありませんか」 「でなければそれを取消すだけの事でしょう。僕は義務だの責任だのって感じの少ない人間だから、あなたの要求通り説明するのは困難かも知れないけれども、同時に恥を恥と思わない男として、いったん云った事を取り消すぐらいは何でもありません。――じゃ津田君に対する失言を取消しましょう。そうしてあなたに詫まりましょう。そうしたらいいでしょう」  お延は黙然として答えなかった。小林は彼女の前に姿勢を正しくした。 「ここに改めて言明します。津田君は立派な人格を具えた人です。紳士です。(もし社会にそういう特別な階級が存在するならば)」  お延は依然として下を向いたまま口を利かなかった。小林は語を続けた。 「僕は先刻奥さんに、人から笑われないようによく気をおつけになったらよかろうという注意を与えました。奥さんは僕の注意などを受ける必要がないと云われました。それで僕もその後を話す事を遠慮しなければならなくなりました。考えるとこれも僕の失言でした。併せて取消します。その他もし奥さんの気に障った事があったら、総て取消します。みんな僕の失言です」  小林はこう云った後で、沓脱に揃えてある自分の靴を穿いた。そうして格子を開けて外へ出る最後に、またふり向いて「奥さんさよなら」と云った。  微かに黙礼を返したぎり、お延はいつまでもぼんやりそこに立っていた。それから急に二階の梯子段を駈け上って、津田の机の前に坐るや否や、その上に突ッ伏してわっと泣き出した。 八十九  幸いにお時が下から上って来なかったので、お延は憚りなく当座の目的を達する事ができた。彼女は他に顔を見られずに思う存分泣けた。彼女が満足するまで自分を泣き尽した時、涙はおのずから乾いた。  濡れた手巾を袂へ丸め込んだ彼女は、いきなり机の抽斗を開けた。抽斗は二つ付いていた。しかしそれを順々に調べた彼女の眼には別段目新らしい何物も映らなかった。それもそのはずであった。彼女は津田が病院へ入る時、彼に入用の手荷物を纏めるため、二三日前すでにそこを捜したのである。彼女は残された封筒だの、物指だの、会費の受取だのを見て、それをまた一々鄭寧に揃えた。パナマや麦藁製のいろいろな帽子が石版で印刷されている広告用の小冊子めいたものが、二人で銀座へ買物に行った初夏の夕暮を思い出させた。その時夏帽を買いに立寄った店から津田が貰って帰ったこの見本には、真赤に咲いた日比谷公園の躑躅だの、突当りに霞が関の見える大通りの片側に、薄暗い影をこんもり漂よわせている高い柳などが、離れにくい過去の匂のように、聯想としてつき纏わっていた。お延はそれを開いたまま、しばらくじっと考え込んだ。それから急に思い立ったように机の抽斗をがちゃりと閉めた。  机の横には同じく直線の多い様式で造られた本箱があった。そこにも抽斗が二つ付いていた。机を棄てたお延は、すぐ本箱の方に向った。しかしそれを開けようとして、手を環にかけた時、抽斗は双方とも何の抵抗もなく、するすると抜け出したので、お延は中を調べない先に、まず失望した。手応えのない所に、新らしい発見のあるはずはなかった。彼女は書き古したノートブックのようなものをいたずらに攪き廻した。それを一々読んで見るのは大変であった。読んだところで自分の知ろうと思う事が、そんな筆記の底に潜んでいようとは想像できなかった。彼女は用心深い夫の性質をよく承知していた。錠を卸さない秘密をそこいらへ放り出しておくには、あまりに細か過ぎるのが彼の持前であった。  お延は戸棚を開けて、錠を掛けたものがどこかにないかという眼つきをした。けれども中には何にもなかった。上には殺風景な我楽多が、無器用に積み重ねられているだけであった。下は長持でいっぱいになっていた。  再び机の前に取って返したお延は、その上に乗せてある状差の中から、津田宛で来た手紙を抜き取って、一々調べ出した。彼女はそんな所に、何にも怪しいものが落ちているはずがないとは思った。しかし一番最初眼につきながら、手さえ触れなかった幾通の書信は、やっぱり最後に眼を通すべき性質を帯びて、彼女の注意を誘いつつ、いつまでもそこに残っていたのである。彼女はつい念のためという口実の下に、それへ手を出さなければならなくなった。  封筒が次から次へと裏返された。中身が順々に繰りひろげられた。あるいは四半分、あるいは半分、残るものは全部、ことごとくお延によって黙読された。しかる後彼女はそれを元通りの順で、元通りの位置に復した。  突然疑惑の焔が彼女の胸に燃え上った。一束の古手紙へ油を濺いで、それを綺麗に庭先で焼き尽している津田の姿が、ありありと彼女の眼に映った。その時めらめらと火に化して舞い上る紙片を、津田は恐ろしそうに、竹の棒で抑えつけていた。それは初秋の冷たい風が肌を吹き出した頃の出来事であった。そうしてある日曜の朝であった。二人差向いで食事を済ましてから、五分と経たないうちに起った光景であった。箸を置くと、すぐ二階から細い紐で絡げた包を抱えて下りて来た津田は、急に勝手口から庭先へ廻ったと思うと、もうその包に火を点けていた。お延が縁側へ出た時には、厚い上包がすでに焦げて、中にある手紙が少しばかり見えていた。お延は津田に何でそれを焼き捨てるのかと訊いた。津田は嵩ばって始末に困るからだと答えた。なぜ反故にして、自分達の髪を結う時などに使わせないのかと尋ねたら、津田は何とも云わなかった。ただ底から現われて来る手紙をむやみに竹の棒で突ッついた。突ッつくたびに、火になり切れない濃い煙が渦を巻いて棒の先に起った。渦は青竹の根を隠すと共に、抑えつけられている手紙をも隠した。津田は煙に咽ぶ顔をお延から背けた。……  お時が午飯の催促に上って来るまで、お延はこんな事を考えつづけて作りつけの人形のようにじっと坐り込んでいた。 九十  時間はいつか十二時を過ぎていた。お延はまたお時の給仕で独り膳に向った。それは津田の会社へ出た留守に、二人が毎日繰り返す日課にほかならなかった。けれども今日のお延はいつものお延ではなかった。彼女の様子は剛張っていた。そのくせ心は纏まりなく動いていた。先刻出かけようとして着換えた着物まで、平生と違ったよそゆきの気持を余分に添える媒介となった。  もし今の自分に触れる問題が、お時の口から洩れなかったなら、お延はついに一言も云わずに、食事を済ましてしまったかも知れなかった。その食事さえ、実を云うと、まるで気が進まなかったのを、お時に疑ぐられるのが厭さに、ほんの形式的に片づけようとして、膳に着いただけであった。  お時も何だか遠慮でもするように、わざと談話を控えていた。しかしお延が一膳で箸を置いた時、ようやく「どうか遊ばしましたか」と訊いた。そうしてただ「いいえ」という返事を受けた彼女は、すぐ膳を引いて勝手へ立たなかった。 「どうもすみませんでした」  彼女は自分の専断で病院へ行った詫を述べた。お延はお延でまた彼女に尋ねたい事があった。 「先刻はずいぶん大きな声を出したでしょう。下女部屋の方まで聞こえたかい」 「いいえ」  お延は疑りの眼をお時の上に注いだ。お時はそれを避けるようにすぐ云った。 「あのお客さまは、ずいぶん――」  しかしお延は何にも答えなかった。静かに後を待っているだけなので、お時は自分の方で後をつけなければならなかった。二人の談話はこれが緒口で先へ進んだ。 「旦那様は驚ろいていらっしゃいました。ずいぶんひどい奴だって。こっちから取りに来いとも何とも云わないのに、断りもなく奥様と直談判を始めたり何かして、しかも自分が病院に入っている事をよく承知している癖にって」  お延は軽蔑んだ笑いを微かに洩らした。しかし自分の批評は加えなかった。 「まだほかに何かおっしゃりゃしなかったかい」 「外套だけやって早く返せっておっしゃいました。それから奥さんと話しをしているかと御訊きになりますから、話しをしていらっしゃいますと申し上げましたら、大変厭な顔をなさいました」 「そうかい。それぎりかい」 「いえ、何を話しているのかと御訊きになりました」 「それでお前は何とお答えをしたの」 「別にお答えをしようがございませんから、それは存じませんと申し上げました」 「そうしたら」 「そうしたら、なお厭な顔をなさいました。いったい座敷なんかへむやみに上り込ませるのが間違っている――」 「そんな事をおっしゃったの。だって昔からのお友達なら仕方がないじゃないの」 「だから私もそう申し上げたのでございました。それに奥さまはちょうどお召換をしていらっしゃいましたので、すぐ玄関へおでになる訳に行かなかったのだからやむをえませんて」 「そう。そうしたら」 「そうしたら、お前はもと岡本さんにいただけあって、奥さんの事というと、何でも熱心に弁護するから感心だって、冷評かされました」  お延は苦笑した。 「どうも御気の毒さま。それっきり」 「いえ、まだございます。小林は酒を飲んでやしなかったかとお訊きになるんです。私はよく気がつきませんでしたけれども、お正月でもないのに、まさか朝っぱらから酔払って、他の家へお客にいらっしゃる方もあるまいと思いましたから、――」 「酔っちゃいらっしゃらないと云ったの」 「ええ」  お延はまだ後があるだろうという様子を見せた。お時は果して話をそこで切り上げなかった。 「奥さま、あの旦那様が、帰ったらよく奥さまにそう云えとおっしゃいました」 「なんと」 「あの小林って奴は何をいうか分らない奴だ、ことに酔うとあぶない男だ。だから、あいつが何を云ってもけっして取り合っちゃいけない。まあみんな嘘だと思っていれば間違はないんだからって」 「そう」  お延はこれ以上何も云う気にならなかった。お時は一人でげらげら笑った。 「堀の奥さまも傍で笑っていらっしゃいました」  お延は始めて津田の妹が今朝病院へ見舞に来ていた事を知った。 九十一  お延より一つ年上のその妹は、もう二人の子持であった。長男はすでに四年前に生れていた。単に母であるという事実が、彼女の自覚を呼び醒ますには充分であった。彼女の心は四年以来いつでも母であった。母でない日はただの一日もなかった。  彼女の夫は道楽ものであった。そうして道楽ものによく見受けられる寛大の気性を具えていた。自分が自由に遊び廻る代りに、細君にもむずかしい顔を見せない、と云ってむやみに可愛がりもしない。これが彼のお秀に対する態度であった。彼はそれを得意にしていた。道楽の修業を積んで始めてそういう境界に達せられるもののように考えていた。人世観という厳めしい名をつけて然るべきものを、もし彼がもっているとすれば、それは取りも直さず、物事に生温く触れて行く事であった。微笑して過ぎる事であった。何にも執着しない事であった。呑気に、ずぼらに、淡泊に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて行く事であった。それが彼のいわゆる通であった。金に不自由のない彼は、今までそれだけで押し通して来た。またどこへ行っても不足を感じなかった。この好成蹟がますます彼を楽天的にした。誰からでも好かれているという自信をもった彼は、無論お秀からも好かれているに違ないと思い込んでいた。そうしてそれは間違でも何でもなかった。実際彼はお秀から嫌われていなかったのである。  器量望みで貰われたお秀は、堀の所へ片づいてから始めて夫の性質を知った。放蕩の酒で臓腑を洗濯されたような彼の趣もようやく解する事ができた。こんなに拘泥の少ない男が、また何の必要があって、是非自分を貰いたいなどと、真面目に云い出したものだろうかという不審さえ、すぐうやむやのうちに葬られてしまった。お延ほど根強くない彼女は、その意味を覚る前に、もう妻としての興味を夫から離して、母らしい輝やいた始めての眼を、新らしく生れた子供の上に注がなければならなくなった。  お秀のお延と違うところはこれだけではなかった。お延の新世帯が夫婦二人ぎりで、家族は双方とも遠い京都に離れているのに反して、堀には母があった。弟も妹も同居していた。親類の厄介者までいた。自然の勢い彼女は夫の事ばかり考えている訳に行かなかった。中でも母には、他の知らない気苦労をしなければならなかった。  器量望みで貰われただけあって、外側から見たお秀はいつまで経っても若かった。一つ年下のお延に比べて見てもやっぱり若かった。四歳の子持とはどうしても考えられないくらいであった。けれどもお延と違った家庭の事情の下に、過去の四五年を費やして来た彼女は、どこかにまたお延と違った心得をもっていた。お延より若く見られないとも限らない彼女は、ある意味から云って、たしかにお延よりも老けていた。言語態度が老けているというよりも、心が老けていた。いわば、早く世帯染みたのである。  こういう世帯染みた眼で兄夫婦を眺めなければならないお秀には、常に彼らに対する不満があった。その不満が、何か事さえあると、とかく彼女を京都にいる父母の味方にしたがった。彼女はそれでもなるべく兄と衝突する機会を避けるようにしていた。ことに嫂に気下味い事をいうのは、直接兄に当るよりもなお悪いと思って、平生から慎しんでいた。しかし腹の中はむしろ反対であった。何かいう兄よりも何も云わないお延の方に、彼女はいつでも余分の非難を投げかけていた。兄がもしあれほど派手好きな女と結婚しなかったならばという気が、始終胸の底にあった。そうしてそれは身贔負に過ぎない、お延に気の毒な批判であるという事には、かつて思い至らなかった。  お秀は自分の立場をよく承知しているつもりでいた。兄夫婦から煙たがられないまでも、けっして快よく思われていないぐらいの事には、気がついていた。しかし自分の立場を改めようという考は、彼女の頭のどこにも入って来なかった。第一には二人が厭がるからなお改めないのであった。自分の立場を厭がるのが、結局自分を厭がるのと同じ事に帰着してくるので、彼女はそこに反抗の意地を出したくなったのである。第二には正しいという良心が働らいていた。これはいくら厭がられても兄のためだと思えば構わないという主張であった。第三は単に派手好なお延が嫌だという一点に纏められてしまわなければならなかった。お延より余裕のある、またお延より贅沢のできる彼女にして、その点では自分以下のお延がなぜ気に喰わないのだろうか。それはお秀にとって何の問題にもならなかった。ただしお秀には姑があった。そうしてお延は夫を除けば全く自分自身の主人公であった。しかしお秀はこの問題に関聯してこの相違すら考えなかった。  お秀がお延から津田の消息を電話で訊かされて、その翌日病院へ見舞に出かけたのは、お時の行く小一時間前、ちょうど小林が外套を受取ろうとして、彼の座敷へ上り込んだ時分であった。 九十二  前の晩よく寝られなかった津田は、その朝看護婦の運んで来てくれた膳にちょっと手を出したぎり、また仰向になって、昨夕の不足を取り返すために、重たい眼を閉っていた。お秀の入って来たのは、ちょうど彼がうとうとと半睡状態に入りかけた間際だったので、彼は襖の音ですぐ眼を覚ました。そうして病人に斟酌を加えるつもりで、わざとそれを静かに開けたお秀と顔を見合せた。  こういう場合に彼らはけっして愛嬌を売り合わなかった。嬉しそうな表情も見せ合わなかった。彼らからいうと、それはむしろ陳腐過ぎる社交上の形式に過ぎなかった。それから一種の虚偽に近い努力でもあった。彼らには自分ら兄妹でなくては見られない、また自分ら以外の他人には通用し悪い黙契があった。どうせお互いに好く思われよう、好く思われようと意識して、上部の所作だけを人並に尽したところで、今さら始まらないんだから、いっそ下手に騙し合う手数を省いて、良心に背かない顔そのままで、面と向き合おうじゃないかという無言の相談が、多年の間にいつか成立してしまったのである。そうしてその良心に背かない顔というのは、取も直さず、愛嬌のない顔という事に過ぎなかった。  第一に彼らは普通の兄妹として親しい間柄であった。だから遠慮の要らないという意味で、不愛嬌な挨拶が苦にならなかった。第二に彼らはどこかに調子の合わないところをもっていた。それが災の元で、互の顔を見ると、互に弾き合いたくなった。  ふと首を上げてそこにお秀を見出した津田の眼には、まさにこうした二重の意味から来る不精と不関心があった。彼は何物をか待ち受けているように、いったんきっと上げた首をまた枕の上に横たえてしまった。お秀はまたお秀で、それにはいっこう頓着なく、言葉もかけずに、そっと室の内に入って来た。  彼女は何より先にまず、枕元にある膳を眺めた。膳の上は汚ならしかった。横倒しに引ッ繰り返された牛乳の罎の下に、鶏卵の殻が一つ、その重みで押し潰されている傍に、歯痕のついた焼麺麭が食欠のまま投げ出されてあった。しかもほかにまだ一枚手をつけないのが、綺麗に皿の上に載っていた。玉子もまだ一つ残っていた。 「兄さん、こりゃもう済んだの。まだ食べかけなの」  実際津田の片づけかたは、どっちにでも取れるような、だらしのないものであった。 「もう済んだんだよ」  お秀は眉をひそめて、膳を階子段の上り口まで運び出した。看護婦の手が隙かなかったためか、いつまでも兄の枕元に取り散らかされている朝食の残骸は、掃除の行き届いた自分の家を今出かけて来たばかりの彼女にとって、あまり見っともいいものではなかった。 「汚ならしい事」  彼女は誰に小言を云うともなく、ただ一人こう云って元の座に帰った。しかし津田は黙って取り合わなかった。 「どうしておれのここにいる事が知れたんだい」 「電話で知らせて下すったんです」 「お延がかい」 「ええ」 「知らせないでもいいって云ったのに」  今度はお秀の方が取り合わなかった。 「すぐ来ようと思ったんですけれども、あいにく昨日は少し差支えがあって――」  お秀はそれぎり後を云わなかった。結婚後の彼女には、こういう風に物を半分ぎりしか云わない癖がいつの間にか出て来た。場合によると、それが津田には変に受取れた。「嫁に行った以上、兄さんだってもう他人ですからね」という意味に解釈される事が時々あった。自分達夫婦の間柄を考えて見ても、そこに無理はないのだと思い返せないほど理窟の徹らない頭をもった津田では無論なかった。それどころか、彼はこの妹のような態度で、お延が外へ対してふるまってくれれば好いがと、暗に希望していたくらいであった。けれども自分がお秀にそうした素振を見せられて見るとけっして好い気持はしなかった。そうして自分こそ絶えずお秀に対してそういう素振を見せているのにと反省する暇も何にもなくなってしまった。  津田は後を訊かずに思う通りを云った。 「なに今日だって、忙がしいところをわざわざ来てくれるには及ばないんだ。大した病気じゃないんだから」 「だって嫂さんが、もし閑があったら行って上げて下さいって、わざわざ電話でおっしゃったから」 「そうかい」 「それにあたし少し兄さんに話したい用があるんですの」  津田はようやく頭をお秀の方へ向けた。 九十三  手術後局部に起る変な感じが彼を襲って来た。それはガーゼを詰め込んだ創口の周囲にある筋肉が一時に収縮するために起る特殊な心持に過ぎなかったけれども、いったん始まったが最後、あたかも呼吸か脈搏のように、規則正しく進行してやまない種類のものであった。  彼は一昨日の午後始めて第一の収縮を感じた。芝居へ行く許諾を彼から得たお延が、階子段を下へ降りて行った拍子に起ったこの経験は、彼にとって全然新らしいものではなかった。この前療治を受けた時、すでに同じ現象の発見者であった彼は、思わず「また始まったな」と心の中で叫んだ。すると苦い記憶をわざと彼のために繰り返してみせるように、収縮が規則正しく進行し出した。最初に肉が縮む、詰め込んだガーゼで荒々しくその肉を擦すられた気持がする、次にそれがだんだん緩和されて来る、やがて自然の状態に戻ろうとする、途端に一度引いた浪がまた磯へ打ち上げるような勢で、収縮感が猛烈にぶり返してくる。すると彼の意志はその局部に対して全く平生の命令権を失ってしまう。止めさせようと焦慮れば焦慮るほど、筋肉の方でなお云う事を聞かなくなる。――これが過程であった。  津田はこの変な感じとお延との間にどんな連絡があるか知らなかった。彼は籠の中の鳥見たように彼女を取扱うのが気の毒になった。いつまでも彼女を自分の傍に引きつけておくのを男らしくないと考えた。それで快よく彼女を自由な空気の中に放してやった。しかし彼女が彼の好意を感謝して、彼の病床を去るや否や、急に自分だけ一人取り残されたような気がし出した。彼は物足りない耳を傾むけて、お延の下へ降りて行く足音を聞いた。彼女が玄関の扉を開ける時、烈しく鳴らした号鈴の音さえ彼にはあまり無遠慮過ぎた。彼が局部から受ける厭な筋肉の感じはちょうどこの時に再発したのである。彼はそれを一種の刺戟に帰した。そうしてその刺戟は過敏にされた神経のお蔭にほかならないと考えた。ではお延の行為が彼の神経をそれほど過敏にしたのだろうか。お延の所作に対して突然不快を感じ出した彼も、そこまでは論断する事ができなかった。しかし全く偶然の暗合でない事も、彼に云わせると、自明の理であった。彼は自分だけの料簡で、二つの間にある関係を拵えた。同時にその関係を後からお延に云って聞かせてやりたくなった。単に彼女を気の毒がらせるために、病気で寝ている夫を捨てて、一日の歓楽に走った結果の悪かった事を、彼女に後悔させるために。けれども彼はそれを適当に云い現わす言葉を知らなかった。たとい云い現わしても彼女に通じない事はたしかであった。通じるにしても、自分の思い通りに感じさせる事はむずかしかった。彼は黙って心持を悪くしているよりほかに仕方がなかった。  お秀の方を向き直ったとっさに、また感じ始めた局部の収縮が、すぐ津田にこれだけの顛末を思い起させた。彼は苦い顔をした。  何にも知らないお秀にそんな細かい意味の分るはずはなかった。彼女はそれを兄がいつでも自分にだけして見せる例の表情に過ぎないと解釈した。 「お厭なら病院をお出になってから後にしましょうか」  別に同情のある態度も示さなかった彼女は、それでも幾分か斟酌しなければならなかった。 「どこか痛いの」  津田はただ首肯いて見せた。お秀はしばらく黙って彼の様子を見ていた。同時に津田の局部で収縮が規則正しく繰り返され始めた。沈黙が二人の間に続いた。その沈黙の続いている間彼は苦い顔を改めなかった。 「そんなに痛くっちゃ困るのね。嫂さんはどうしたんでしょう。昨日の電話じゃ痛みも何にもないようなお話しだったのにね」 「お延は知らないんだ」 「じゃ嫂さんが帰ってから後で痛み始めたの」 「なに本当はお延のお蔭で痛み始めたんだ」とも云えなかった津田は、この時急に自分が自分に駄々っ子らしく見えて来た。上部はとにかく、腹の中がいかにも兄らしくないのが恥ずかしくなった。 「いったいお前の用というのは何だい」 「なに、そんなに痛い時に話さなくってもいいのよ。またにしましょう」  津田は優に自分を偽る事ができた。しかしその時の彼は偽るのが厭であった。彼はもう局部の感じを忘れていた。収縮は忘れればやみ、やめば忘れるのをその特色にしていた。 「構わないからお話しよ」 「どうせあたしの話だから碌な事じゃないのよ。よくって」  津田にも大よその見当はついていた。 九十四 「またあの事だろう」  津田はしばらく間をおいて、仕方なしにこう云った。しかしその時の彼はもう例の通り聴きたくもないという顔つきに返っていた。お秀は心でこの矛盾を腹立たしく感じた。 「だからあたしの方じゃ先刻から用は今度の次にしようかと云ってるんじゃありませんか。それを兄さんがわざわざ催促するようにおっしゃるから、ついお話しする気にもなるんですわ」 「だから遠慮なく話したらいいじゃないか。どうせお前はそのつもりで来たんだろう」 「だって、兄さんがそんな厭な顔をなさるんですもの」  お秀は少くとも兄に対してなら厭な顔ぐらいで会釈を加える女ではなかった。したがって津田も気の毒になるはずがなかった。かえって妹の癖に余計な所で自分を非難する奴だぐらいに考えた。彼は取り合わずに先へ通り過した。 「また京都から何か云って来たのかい」 「ええまあそんなところよ」  津田の所へは父の方から、お秀の許へは母の側から、京都の消息が重に伝えられる事にほぼきまっていたので、彼は文通の主を改めて聞く必要を認めなかった。しかし目下の境遇から云って、お秀の母から受け取ったという手紙の中味にはまた冷淡であり得るはずがなかった。二度目の請求を京都へ出してから以後の彼は、絶えず送金の有無を心のうちで気遣っていたのである。兄妹の間に「あの事」として通用する事件は、なるべく聴くまいと用心しても、月末の仕払や病院の入費の出所に多大の利害を感じない訳に行かなかった津田は、またこの二つのものが互に困絡かって、離す事のできない事情の下にある意味合を、お秀よりもよく承知していた。彼はどうしても積極的に自分から押して出なければならなかった。 「何と云って来たい」 「兄さんの方へもお父さんから何か云って来たでしょう」 「うん云って来た。そりゃ話さないでもたいていお前に解ってるだろう」  お秀は解っているともいないとも答えなかった。ただ微かに薄笑の影を締りの好い口元に寄せて見せた。それがいかにも兄に打ち勝った得意の色をほのめかすように見えるのが津田には癪だった。平生は単に妹であるという因縁ずくで、少しも自分の眼につかないお秀の器量が、こう云う時に限って、悪く彼を刺戟した。なまじい容色が十人並以上なので、この女は余計他の感情を害するのではなかろうかと思う疑惑さえ、彼にとっては一度や二度の経験ではなかった。「お前は器量望みで貰われたのを、生涯自慢にする気なんだろう」と云ってやりたい事もしばしばあった。  お秀はやがてきちりと整った眼鼻を揃えて兄に向った。 「それで兄さんはどうなすったの」 「どうもしようがないじゃないか」 「お父さんの方へは何にも云っておあげにならなかったの」  津田はしばらく黙っていた。それからさもやむをえないといった風に答えた。 「云ってやったさ」 「そうしたら」 「そうしたら、まだ何とも返事がないんだ。もっとも家へはもう来ているかも知れないが、何しろお延が来て見なければ、そこも分らない」 「しかしお父さんがどんなお返事をお寄こしになるか、兄さんには見当がついて」  津田は何とも答えなかった。お延の拵らえてくれた袍の襟を手探りに探って、黒八丈の下から抜き取った小楊枝で、しきりに前歯をほじくり始めた。彼がいつまでも黙っているので、お秀は同じ意味の質問をほかの言葉でかけ直した。 「兄さんはお父さんが快よく送金をして下さると思っていらっしゃるの」 「知らないよ」  津田はぶっきら棒に答えた。そうして腹立たしそうに後をつけ加えた。 「だからお母さんはお前の所へ何と云って来たかって、先刻から訊いてるじゃないか」  お秀はわざと眼を反らして縁側の方を見た。それは彼の前でああ、ああと嘆息して見せる所作の代りに過ぎなかった。 「だから云わない事じゃないのよ。あたし始からこうなるだろうと思ってたんですもの」 九十五  津田はようやくお秀宛で来た手紙の中に、どんな事柄が書いてあるかを聞いた。妹の口から伝えられたその内容によると、父の怒りは彼の予期以上に烈しいものであった。月末の不足を自分で才覚するなら格別、もしそれさえできないというなら、これから先の送金も、見せしめのため、当分見合せるかも知れないというのが父の実際の考えらしかった。して見ると、この間彼の所へそう云って来た垣根の繕いだとか家賃の滞りだとかいうのは嘘でなければならなかった。よし嘘でないにしたところで、単に口先の云い前と思わなければならなかった。父がまた何で彼に対してそんなしらじらしい他人行儀を云って寄こしたものだろう。叱るならもっと男らしく叱ったらよさそうなものだのに。  彼は沈吟して考えた。山羊髯を生やして、万事にもったいをつけたがる父の顔、意味もないのに束髪を嫌って髷にばかり結いたがる母の頭、そのくらいの特色はこの場合を解釈する何の手がかりにもならなかった。 「いったい兄さんが約束通りになさらないから悪いのよ」とお秀が云った。事件以後何度となく彼女によって繰り返されるこの言葉ほど、津田の聞きたくないものはなかった。約束通りにしないのが悪いくらいは、妹に教わらないでも、よく解っていた。彼はただその必要を認めなかっただけなのである。そうしてその立場を他からも認めて貰いたかったのである。 「だってそりゃ無理だわ」とお秀が云った。「いくら親子だって約束は約束ですもの。それにお父さんと兄さんだけの事なら、どうでもいいでしょうけれども」  お秀には自分の良人の堀がそれに関係しているという事が一番重要な問題であった。 「良人でも困るのよ。あんな手紙をお母さんから寄こされると」  学校を卒業して、相当の職にありついて、新らしく家庭を構える以上、曲りなりにも親の厄介にならずに、独立した生計を営なんで行かなければならないという父の意見を翻がえさせたものは堀の力であった。津田から頼まれて、また無雑作にそれを引き受けた堀は、物価の騰貴、交際の必要、時代の変化、東京と地方との区別、いろいろ都合の好い材料を勝手に並べ立てて、勤倹一方の父を口説き落したのである。その代り盆暮に津田の手に渡る賞与の大部分を割いて、月々の補助を一度に幾分か償却させるという方針を立てたのも彼であった。その案の成立と共に責任のできた彼はまた至極呑気な男であった。約束の履行などという事は、最初から深く考えなかったのみならず、遂行の時期が来た時分には、もうそれを忘れていた。詰責に近い手紙を津田の父から受取った彼は、ほとんどこの事件を念頭においていなかっただけに、驚ろかされた。しかし現金の綺麗に消費されてしまった後で、気がついたところで、どうする訳にも行かなかった。楽天的な彼はただ申し訳の返事を書いて、それを終了と心得ていた。ところが世間は自分のズボラに適当するように出来上っていないという事を、彼は津田の父から教えられなければならなかった。津田の父はいつまで経っても彼を責任者扱いにした。  同時に津田の財力には不相応と見えるくらいな立派な指輪がお延の指に輝き始めた。そうして始めにそれを見つけ出したものはお秀であった。女同志の好奇心が彼女の神経を鋭敏にした。彼女はお延の指輪を賞めた。賞めたついでにそれを買った時と所とを突きとめようとした。堀が保証して成立した津田と父との約束をまるで知らなかったお延は、平生の用心にも似ず、その点にかけて、全く無邪気であった。自分がどのくらい津田に愛されているかを、お秀に示そうとする努力が、すべての顧慮に打ち勝った。彼女はありのままをお秀に物語った。  不断から派手過ぎる女としてお延を多少悪く見ていたお秀は、すぐその顛末を京都へ報告した。しかもお延が盆暮の約束を承知している癖に、わざと夫を唆のかして、返される金を返さないようにさせたのだという風な手紙の書方をした。津田が自分の細君に対する虚栄心から、内状をお延に打ち明けなかったのを、お秀はお延自身の虚栄心ででもあるように、頭からきめてかかったのである。そうして自分の誤解をそのまま京都へ伝えてしまったのである。今でも彼女はその誤解から逃れる事ができなかった。したがってこの事件に関係していうと、彼女の相手は兄の津田よりもむしろ嫂のお延だと云った方が適切かも知れなかった。 「いったい嫂さんはどういうつもりでいらっしゃるんでしょう。こんだの事について」 「お延に何にも関係なんかありゃしないじゃないか。あいつにゃ何にも話しゃしないんだもの」 「そう。じゃ嫂さんが一番気楽でいいわね」  お秀は皮肉な微笑を見せた。津田の頭には、芝居に行く前の晩、これを質にでも入れようかと云って、ぴかぴかする厚い帯を電灯の光に差し突けたお延の姿が、鮮かに見えた。 九十六 「いったいどうしたらいいんでしょう」  お秀の言葉は不謹慎な兄を困らせる意味にも取れるし、また自分の当惑を洩らす表現にもなった。彼女には夫の手前というものがあった。夫よりもなお遠慮勝な姑さえその奥には控えていた。 「そりゃ良人だって兄さんに頼まれて、口は利いたようなものの、そこまで責任をもつつもりでもなかったんでしょうからね。と云って、何もあれは無責任だと今さらお断りをする気でもないでしょうけれども。とにかく万一の場合にはこう致しますからって証文を入れた訳でもないんだから、そうお父さんのように、法律ずくめに解釈されたって、あたしが良人へ対して困るだけだわ」  津田は少くとも表面上妹の立場を認めるよりほかに道がなかった。しかし腹の中では彼女に対して気の毒だという料簡がどこにも起らないので、彼の態度は自然お秀に反響して来た。彼女は自分の前に甚だ横着な兄を見た。その兄は自分の便利よりほかにほとんど何にも考えていなかった。もし考えているとすれば新らしく貰った細君の事だけであった。そうして彼はその細君に甘くなっていた。むしろ自由にされていた。細君を満足させるために、外部に対しては、前よりは一層手前勝手にならなければならなかった。  兄をこう見ている彼女は、津田に云わせると、最も同情に乏しい妹らしからざる態度を取って兄に向った。それを遠慮のない言葉で云い現わすと、「兄さんの困るのは自業自得だからしようがないけれども、あたしの方の始末はどうつけてくれるのですか」というような露骨千万なものになった。  津田はどうするとも云わなかった。またどうする気もなかった。かえって想像に困難なものとして父の料簡を、お秀の前に問題とした。 「いったいお父さんこそどういうつもりなんだろう。突然金を送らないとさえ宣告すれば、由雄は工面するに違ないとでも思っているのか知ら」 「そこなのよ、兄さん」  お秀は意味ありげに津田の顔を見た。そうしてまたつけ加えた。 「だからあたしが良人に対して困るって云うのよ」  微かな暗示が津田の頭に閃めいた。秋口に見る稲妻のように、それは遠いものであった、けれども鋭どいものに違なかった。それは父の品性に関係していた。今まで全く気がつかずにいたという意味で遠いという事も云える代りに、いったん気がついた以上、父の平生から押して、それを是認したくなるという点では、子としての津田に、ずいぶん鋭どく切り込んで来る性質のものであった。心のうちで劈頭に「まさか」と叫んだ彼は、次の瞬間に「ことによると」と云い直さなければならなくなった。  臆断の鏡によって照らし出された、父の心理状態は、下のような順序で、予期通りの結果に到着すべく仕組まれていた。――最初に体よく送金を拒絶する。津田が困る。今までの行がかり上堀に訳を話す。京都に対して責任を感ずべく余儀なくされている堀は、津田の窮を救う事によって、始めて父に対する保証の義務を果す事ができる。それで否応なしに例月分を立て替えてくれる。父はただ礼を云って澄ましている。  こう段落をつけて考えて見ると、そこには或種の要心があった。相当な理窟もあった。或程度の手腕は無論認められた。同時に何らの淡泊さがそこには存在していなかった。下劣とまで行かないでも、狐臭い狡獪な所も少しはあった。小額の金に対する度外れの執着心が殊更に目立って見えた。要するにすべてが父らしくできていた。  ほかの点でどう衝突しようとも、父のこうした遣口に感心しないのは、津田といえどもお秀に譲らなかった。あらゆる意味で父の同情者でありながら、この一点になると、さすがのお秀も津田と同じように眉を顰めなければならなかった。父の品性。それはむしろ別問題であった。津田はお秀の補助を受ける事を快よく思わなかった。お秀はまた兄夫婦に対して好い感情をもっていなかった。その上夫や姑への義理もつらく考えさせられた。二人はまず実際問題をどう片づけていいかに苦しんだ。そのくせ口では双方とも底の底まで突き込んで行く勇気がなかった。互いの忖度から成立った父の料簡は、ただ会話の上で黙認し合う程度に発展しただけであった。 九十七  感情と理窟の縺れ合った所を解ごしながら前へ進む事のできなかった彼らは、どこまでもうねうね歩いた。局所に触るようなまた触らないような双方の態度が、心のうちで双方を焦烈ったくした。しかし彼らは兄妹であった。二人共ねちねちした性質を共通に具えていた。相手の淡泊しないところを暗に非難しながらも、自分の方から爆発するような不体裁は演じなかった。ただ津田は兄だけに、また男だけに、話を一点に括る手際をお秀より余計にもっていた。 「つまりお前は兄さんに対して同情がないと云うんだろう」 「そうじゃないわ」 「でなければお延に同情がないというんだろう。そいつはまあどっちにしたって同なじ事だがね」 「あら、嫂さんの事をあたし何とも云ってやしませんわ」 「要するにこの事件について一番悪いものはおれだと、結局こうなるんだろう。そりゃ今さら説明を伺わなくってもよく兄さんには解ってる。だから好いよ。兄さんは甘んじてその罰を受けるから。今月はお父さんからお金を貰わないで生きて行くよ」 「兄さんにそんな事ができて」  お秀の兄を冷笑けるような調子が、すぐ津田の次の言葉を喚び起した。 「できなければ死ぬまでの事さ」  お秀はついにきりりと緊った口元を少し緩めて、白い歯を微かに見せた。津田の頭には、電灯の下で光る厚帯を弄くっているお延の姿が、再び現れた。 「いっそ今までの経済事情を残らずお延に打ち明けてしまおうか」  津田にとってそれほど容易い解決法はなかった。しかし行きがかりから云うと、これほどまた困難な自白はなかった。彼はお延の虚栄心をよく知り抜いていた。それにできるだけの満足を与える事が、また取も直さず彼の虚栄心にほかならなかった。お延の自分に対する信用を、女に大切なその一角において突き崩すのは、自分で自分に打撲傷を与えるようなものであった。お延に気の毒だからという意味よりも、細君の前で自分の器量を下げなければならないというのが彼の大きな苦痛になった。そのくらいの事をと他から笑われるようなこんな小さな場合ですら、彼はすぐ動く気になれなかった。家には現に金がある、お延に対して自己の体面を保つには有余るほどの金がある。のにという勝手な事実の方がどうしても先に立った。  その上彼はどんな時にでもむかっ腹を立てる男ではなかった。己れを忘れるという事を非常に安っぽく見る彼は、また容易に己れを忘れる事のできない性質に父母から生みつけられていた。 「できなければ死ぬまでさ」と放り出すように云った後で、彼はまだお秀の様子を窺っていた。腹の中に言葉通りの断乎たる何物も出て来ないのが恥ずかしいとも何とも思えなかった。彼はむしろ冷やかに胸の天秤を働かし始めた。彼はお延に事情を打ち明ける苦痛と、お秀から補助を受ける不愉快とを商量した。そうしていっそ二つのうちで後の方を冒したらどんなものだろうかと考えた。それに応ずる力を充分もっていたお秀は、第一兄の心から後悔していないのを慊らなく思った。兄の後に御本尊のお延が澄まして控えているのを悪んだ。夫の堀をこの事件の責任者ででもあるように見傚して、京都の父が遠廻しに持ちかけて来るのがいかにも業腹であった。そんなこんなの蟠まりから、津田の意志が充分見え透いて来た後でも、彼女は容易に自分の方で積極的な好意を示す事をあえてしなかった。  同時に、器量望みで比較的富裕な家に嫁に行ったお秀に対する津田の態度も、また一種の自尊心に充ちていた。彼は成上りものに近いある臭味を結婚後のこの妹に見出した。あるいは見出したと思った。いつか兄という厳めしい具足を着けて彼女に対するような気分に支配され始めた。だから彼といえども妄りにお秀の前に頭を下げる訳には行かなかった。  二人はそれでどっちからも金の事を云い出さなかった。そうして両方共両方で云い出すのを待っていた。その煮え切らない不徹底な内輪話の最中に、突然下女のお時が飛び込んで来て、二人の拵らえかけていた局面を、一度に崩してしまったのである。 九十八  しかしお時のじかに来る前に、津田へ電話のかかって来た事もたしかであった。彼は階子段の途中で薬局生の面倒臭そうに取り次ぐ「津田さん電話ですよ」という声を聞いた。彼はお秀との対話をちょっとやめて、「どこからです」と訊き返した。薬局生は下りながら、「おおかたお宅からでしょう」と云った。冷笑なこの挨拶が、つい込み入った話に身を入れ過ぎた津田の心を横着にした。芝居へ行ったぎり、昨日も今日も姿を見せないお延の仕うちを暗に快よく思っていなかった彼をなお不愉快にした。 「電話で釣るんだ」  彼はすぐこう思った。昨日の朝もかけ、今日の朝もかけ、ことによると明日の朝も電話だけかけておいて、さんざん人の心を自分の方に惹き着けた後で、ひょっくり本当の顔を出すのが手だろうと鑑定した。お延の彼に対する平生の素振から推して見ると、この類測に満更な無理はなかった。彼は不用意の際に、突然としてしかも静粛に自分を驚ろかしに這入って来るお延の笑顔さえ想像した。その笑顔がまた変に彼の心に影響して来る事も彼にはよく解っていた。彼女は一刹那に閃めかすその鋭どい武器の力で、いつでも即座に彼を征服した。今まで持ち応えに持ち応え抜いた心機をひらりと転換させられる彼から云えば、見す見す彼女の術中に落ち込むようなものであった。  彼はお秀の注意もかかわらず、電話をそのままにしておいた。 「なにどうせ用じゃないんだ。構わないよ。放っておけ」  この挨拶がまたお秀にはまるで意外であった。第一はズボラを忌む兄の性質に釣り合わなかった。第二には何でもお延の云いなり次第になっている兄の態度でなかった。彼女は兄が自分の手前を憚かって、不断の甘いところを押し隠すために、わざと嫂に対して無頓着を粧うのだと解釈した。心のうちで多少それを小気味よく感じた彼女も、下から電話の催促をする薬局生の大きな声を聞いた時には、それでも兄の代りに立ち上らない訳に行かなかった。彼女はわざわざ下まで降りて行った。しかしそれは何の役にも立たなかった。薬局生が好い加減にあしらって、荒らし抜いた後の受話器はもう不通になっていた。  形式的に義務を済ました彼女が元の座に帰って、再び二人に共通な話題の緒口を取り上げた時、一方では急込んだお時が、とうとう我慢し切れなくなって自働電話を棄てて電車に乗ったのである。それから十五分と経たないうちに、津田はまた予想外な彼女の口から予想外な用事を聞かされて驚ろいたのである。  お時の帰った後の彼の心は容易に元へ戻らなかった。小林の性格はよく知り抜いているという自信はありながら、不意に自分の留守宅に押しかけて来て、それほど懇意でもないお延を相手に、話し込もうとも思わなかった彼は、驚ろかざるを得ないのみならず、また考えざるを得なかった。それは外套をやるやらないの問題ではなかった。問題は、外套とはまるで縁のない、しかし他の外套を、平気でよく知りもしない細君の手からじかに貰い受けに行くような彼の性格であった。もしくは彼の境遇が必然的に生み出した彼の第二の性格であった。もう一歩押して行くと、その性格がお延に向ってどう働らきかけるかが彼の問題であった。そこには突飛があった。自暴があった。満足の人間を常に不満足そうに眺める白い眼があった。新らしく結婚した彼ら二人は、彼の接触し得る満足した人間のうちで、得意な代表者として彼から選択される恐れがあった。平生から彼を軽蔑する事において、何の容赦も加えなかった津田には、またそういう素地を作っておいた自覚が充分あった。 「何をいうか分らない」  津田の心には突然一種の恐怖が湧いた。お秀はまた反対に笑い出した。いつまでもその小林という男を何とかかとか批評したがる兄の意味さえ彼女にはほとんど通じなかった。 「何を云ったって、構わないじゃありませんか、小林さんなんか。あんな人のいう事なんぞ、誰も本気にするものはありゃしないわ」  お秀も小林の一面をよく知っていた。しかしそれは多く彼が藤井の叔父の前で出す一面だけに限られていた。そうしてその一面は酒を呑んだ時などとは、生れ変ったように打って違った穏やかな一面であった。 「そうでないよ、なかなか」 「近頃そんなに人が悪くなったの。あの人が」  お秀はやっぱり信じられないという顔つきをした。 「だって燐寸一本だって、大きな家を焼こうと思えば、焼く事もできるじゃないか」 「その代り火が移らなければそれまででしょう、幾箱燐寸を抱え込んでいたって。嫂さんはあんな人に火をつけられるような女じゃありませんよ。それとも……」 九十九  津田はお秀の口から出た下半句を聞いた時、わざと眼を動かさなかった。よそを向いたまま、じっとその後を待っていた。しかし彼の聞こうとするその後はついに出て来なかった。お秀は彼の気になりそうな事を半分云ったぎりで、すぐ句を改めてしまった。 「何だって兄さんはまた今日に限って、そんなつまらない事を心配していらっしゃるの。何か特別な事情でもあるの」  津田はやはり元の所へ眼をつけていた。それはなるべく妹に自分の心を気取られないためであった。眼の色を彼女に読まれないためであった。そうして現にその不自然な所作から来る影響を受けていた。彼は何となく臆病な感じがした。彼はようやくお秀の方を向いた。 「別に心配もしていないがね」 「ただ気になるの」  この調子で押して行くと彼はただお秀から冷笑かされるようなものであった。彼はすぐ口を閉じた。  同時に先刻から催おしていた収縮感がまた彼の局部に起った。彼は二三度それを不愉快に経験した後で、あるいは今度も規則正しく一定の時間中繰り返さなければならないのかという掛念に制せられた。  そんな事に気のつかないお秀は、なぜだか同じ問題をいつまでも放さなかった。彼女はいったん緒口を失ったその問題を、すぐ別の形で彼の前に現わして来た。 「兄さんはいったい嫂さんをどんな人だと思っていらっしゃるの」 「なぜ改まって今頃そんな質問をかけるんだい。馬鹿らしい」 「そんならいいわ、伺わないでも」 「しかしなぜ訊くんだよ。その訳を話したらいいじゃないか」 「ちょっと必要があったから伺ったんです」 「だからその必要をお云いな」 「必要は兄さんのためよ」  津田は変な顔をした。お秀はすぐ後を云った。 「だって兄さんがあんまり小林さんの事を気になさるからよ。何だか変じゃありませんか」 「そりゃお前にゃ解らない事なんだ」 「どうせ解らないから変なんでしょうよ。じゃいったい小林さんがどんな事をどんな風に嫂さんに持ちかけるって云うの」 「持ちかけるとも何とも云っていやしないじゃないか」 「持ちかける恐れがあるという意味です。云い直せば」  津田は答えなかった。お秀は穴の開くようにその顔を見た。 「まるで想像がつかないじゃありませんか。たとえばいくらあの人が人が悪くなったにしたところで、何も云いようがないでしょう。ちょっと考えて見ても」  津田はまだ答えなかった。お秀はどうしても津田の答えるところまで行こうとした。 「よしんば、あの人が何か云うにしたところで、嫂さんさえ取り合わなければそれまでじゃありませんか」 「そりゃ聴かないでも解ってるよ」 「だからあたしが伺うんです。兄さんはいったい嫂さんをどう思っていらっしゃるかって。兄さんは嫂さんを信用していらっしゃるんですか、いらっしゃらないんですか」  お秀は急に畳みかけて来た。津田にはその意味がよく解らなかった。しかしそこに相手の拍子を抜く必要があったので、彼は判然した返事を避けて、わざと笑い出さなければならなかった。 「大変な権幕だね。まるで詰問でも受けているようじゃないか」 「ごまかさないで、ちゃんとしたところをおっしゃい」 「云えばどうするというんだい」 「私はあなたの妹です」 「それがどうしたというのかね」 「兄さんは淡泊でないから駄目よ」  津田は不思議そうに首を傾けた。 「何だか話が大変むずかしくなって来たようだが、お前少し癇違をしているんじゃないかい。僕はそんな深い意味で小林の事を云い出したんでも何でもないよ。ただ彼奴は僕の留守にお延に会って何をいうか分らない困った男だというだけなんだよ」 「ただそれだけなの」 「うんそれだけだ」  お秀は急に的の外れたような様子をした。けれども黙ってはいなかった。 「だけど兄さん、もし堀のいない留守に誰かあたしの所へ来て何か云うとするでしょう。それを堀が知って心配すると思っていらっしって」 「堀さんの事は僕にゃ分らないよ。お前は心配しないと断言する気かも知れないがね」 「ええ断言します」 「結構だよ。――それで?」 「あたしの方もそれだけよ」  二人は黙らなければならなかった。 百  しかし二人はもう因果づけられていた。どうしても或物を或所まで、会話の手段で、互の胸から敲き出さなければ承知ができなかった。ことに津田には目前の必要があった。当座に逼る金の工面、彼は今その財源を自分の前に控えていた。そうして一度取り逃せば、それは永久彼の手に戻って来そうもなかった。勢い彼はその点だけでもお秀に対する弱者の形勢に陥っていた。彼は失なわれた話頭を、どんな風にして取り返したものだろうと考えた。 「お秀病院で飯を食って行かないか」  時間がちょうどこんな愛嬌をいうに適していた。ことに今朝母と子供を連れて横浜の親類へ行ったという堀の家族は留守なので、彼はこの愛嬌に特別な意味をもたせる便宜もあった。 「どうせ家へ帰ったって用はないんだろう」  お秀は津田のいう通りにした。話は容易く二人の間に復活する事ができた。しかしそれは単に兄妹らしい話に過ぎなかった。そうして単に兄妹らしい話はこの場合彼らにとってちっとも腹の足にならなかった。彼らはもっと相手の胸の中へ潜り込もうとして機会を待った。 「兄さん、あたしここに持っていますよ」 「何を」 「兄さんの入用のものを」 「そうかい」  津田はほとんど取り合わなかった。その冷淡さはまさに彼の自尊心に比例していた。彼は精神的にも形式的にもこの妹に頭を下げたくなかった。しかし金は取りたかった。お秀はまた金はどうでもよかった。しかし兄に頭を下げさせたかった。勢い兄の欲しがる金を餌にして、自分の目的を達しなければならなかった。結果はどうしても兄を焦らす事に帰着した。 「あげましょうか」 「ふん」 「お父さんはどうしたって下さりっこありませんよ」 「ことによると、くれないかも知れないね」 「だってお母さんが、あたしの所へちゃんとそう云って来ていらっしゃるんですもの。今日その手紙を持って来て、お目にかけようと思ってて、つい忘れてしまったんですけれども」 「そりゃ知ってるよ。先刻もうお前から聞いたじゃないか」 「だからよ。あたしが持って来たって云うのよ」 「僕を焦らすためにかい、または僕にくれるためにかい」  お秀は打たれた人のように突然黙った。そうして見る見るうちに、美くしい眼の底に涙をいっぱい溜めた。津田にはそれが口惜涙としか思えなかった。 「どうして兄さんはこの頃そんなに皮肉になったんでしょう。どうして昔のように人の誠を受け入れて下さる事ができないんでしょう」 「兄さんは昔とちっとも違ってやしないよ。近頃お前の方が違って来たんだよ」  今度は呆れた表情がお秀の顔にあらわれた。 「あたしがいつどんな風に変ったとおっしゃるの。云って下さい」 「そんな事は他に訊かなくっても、よく考えて御覧、自分で解る事だから」 「いいえ、解りません。だから云って下さい。どうぞ云って聞かして下さい」  津田はむしろ冷やかな眼をして、鋭どく切り込んで来るお秀の様子を眺めていた。ここまで来ても、彼には相手の機嫌を取り返した方が得か、またはくしゃりと一度に押し潰した方が得かという利害心が働らいていた。その中間を行こうと決心した彼は徐ろに口を開いた。 「お秀、お前には解らないかも知れないがね、兄さんから見ると、お前は堀さんの所へ行ってっから以来、だいぶ変ったよ」 「そりゃ変るはずですわ、女が嫁に行って子供が二人もできれば誰だって変るじゃありませんか」 「だからそれでいいよ」 「けれども兄さんに対して、あたしがどんなに変ったとおっしゃるんです。そこを聞かして下さい」 「そりゃ……」  津田は全部を答えなかった。けれども答えられないのではないという事を、語勢からお秀に解るようにした。お秀は少し間をおいた。それからすぐ押し返した。 「兄さんのお腹の中には、あたしが京都へ告口をしたという事が始終あるんでしょう」 「そんな事はどうでもいいよ」 「いいえ、それできっとあたしを眼の敵にしていらっしゃるんです」 「誰が」  不幸な言葉は二人の間に伏字のごとく潜在していたお延という名前に点火したようなものであった。お秀はそれを松明のように兄の眼先に振り廻した。 「兄さんこそ違ったのです。嫂さんをお貰いになる前の兄さんと、嫂さんをお貰いになった後の兄さんとは、まるで違っています。誰が見たって別の人です」 百一  津田から見たお秀は彼に対する僻見で武装されていた。ことに最後の攻撃は誤解その物の活動に過ぎなかった。彼には「嫂さん、嫂さん」を繰り返す妹の声がいかにも耳障りであった。むしろ自己を満足させるための行為を、ことごとく細君を満足させるために起ったものとして解釈する妹の前に、彼は尠からぬ不快を感じた。 「おれはお前の考えてるような二本棒じゃないよ」 「そりゃそうかも知れません。嫂さんから電話がかかって来ても、あたしの前じゃわざと冷淡を装って、うっちゃっておおきになるくらいですから」  こういう言葉が所嫌わずお秀の口からひょいひょい続発して来るようになった時、津田はほとんど眼前の利害を忘れるべく余儀なくされた。彼は一二度腹の中で舌打をした。 「だからこいつに電話をかけるなと、あれだけお延に注意しておいたのに」  彼は神経の亢奮を紛らす人のように、しきりに短かい口髭を引張った。しだいしだいに苦い顔をし始めた。そうしてだんだん言葉少なになった。  津田のこの態度が意外の影響をお秀に与えた。お秀は兄の弱点が自分のために一皮ずつ赤裸にされて行くので、しまいに彼は恥じ入って、黙り込むのだとばかり考えたらしく、なお猛烈に進んだ。あたかももう一息で彼を全然自分の前に後悔させる事ができでもするような勢で。 「嫂さんといっしょになる前の兄さんは、もっと正直でした。少なくとももっと淡泊でした。私は証拠のない事を云うと思われるのが厭だから、有体に事実を申します。だから兄さんも淡泊に私の質問に答えて下さい。兄さんは嫂さんをお貰いになる前、今度のような嘘をお父さんに吐いた覚がありますか」  この時津田は始めて弱った。お秀の云う事は明らかな事実であった。しかしその事実はけっしてお秀の考えているような意味から起ったのではなかった。津田に云わせると、ただ偶然の事実に過ぎなかった。 「それでお前はこの事件の責任者はお延だと云うのかい」  お秀はそうだと答えたいところをわざと外した。 「いいえ、嫂さんの事なんか、あたしちっとも云ってやしません。ただ兄さんが変った証拠にそれだけの事実を主張するんです」  津田は表向どうしても負けなければならない形勢に陥って来た。 「お前がそんなに変ったと主張したければ、変ったでいいじゃないか」 「よかないわ。お父さんやお母さんにすまないわ」  すぐ「そうかい」と答えた津田は冷淡に「そんならそれでもいいよ」と付け足した。  お秀はこれでもまだ後悔しないのかという顔つきをした。 「兄さんの変った証拠はまだあるんです」  津田は素知らぬ風をした。お秀は遠慮なくその証拠というのを挙げた。 「兄さんは小林さんが兄さんの留守へ来て、嫂さんに何か云やしないかって、先刻から心配しているじゃありませんか」 「煩さいな。心配じゃないって先刻説明したじゃないか」 「でも気になる事はたしかなんでしょう」 「どうでも勝手に解釈するがいい」 「ええ。――どっちでも、とにかく、それが兄さんの変った証拠じゃありませんか」 「馬鹿を云うな」 「いいえ、証拠よ。たしかな証拠よ。兄さんはそれだけ嫂さんを恐れていらっしゃるんです」  津田はふと眼を転じた。そうして枕に頭を載せたまま、下からお秀の顔を覗き込むようにして見た。それから好い恰好をした鼻柱に冷笑の皺を寄せた。この余裕がお秀には全く突然であった。もう一息で懺悔の深谷へ真ッ逆さまに突き落すつもりでいた彼女は、まだ兄の後に平坦な地面が残っているのではなかろうかという疑いを始めて起した。しかし彼女は行けるところまで行かなければならなかった。 「兄さんはついこの間まで小林さんなんかを、まるで鼻の先であしらっていらっしったじゃありませんか。何を云っても取り合わなかったじゃありませんか。それを今日に限ってなぜそんなに怖がるんです。たかが小林なんかを怖がるようになったのは、その相手が嫂さんだからじゃありませんか」 「そんならそれでいいさ。僕がいくら小林を怖がったって、お父さんやお母さんに対する不義理になる訳でもなかろう」 「だからあたしの口を出す幕じゃないとおっしゃるの」 「まあその見当だろうね」  お秀は赫とした。同時に一筋の稲妻が彼女の頭の中を走った。 百二 「解りました」  お秀は鋭どい声でこう云い放った。しかし彼女の改まった切口上は外面上何の変化も津田の上に持ち来さなかった。彼はもう彼女の挑戦に応ずる気色を見せなかった。 「解りましたよ、兄さん」  お秀は津田の肩を揺ぶるような具合に、再び前の言葉を繰返した。津田は仕方なしにまた口を開いた。 「何が」 「なぜ嫂さんに対して兄さんがそんなに気をおいていらっしゃるかという意味がです」  津田の頭に一種の好奇心が起った。 「云って御覧」 「云う必要はないんです。ただ私にその意味が解ったという事だけを承知していただけばたくさんなんです」 「そんならわざわざ断る必要はないよ。黙って独りで解ったと思っているがいい」 「いいえよくないんです。兄さんは私を妹と見傚していらっしゃらない。お父さんやお母さんに関係する事でなければ、私には兄さんの前で何にもいう権利がないものとしていらっしゃる。だから私も云いません。しかし云わなくっても、眼はちゃんとついています。知らないで云わないと思っておいでだと間違いますから、ちょっとお断り致したのです」  津田は話をここいらで切り上げてしまうよりほかに道はないと考えた。なまじいかかり合えばかかり合うほど、事は面倒になるだけだと思った。しかし彼には妹に頭を下げる気がちっともなかった。彼女の前に後悔するなどという芝居じみた真似は夢にも思いつけなかった。そのくらいの事をあえてし得る彼は、平生から低く見ている妹にだけは、思いのほか高慢であった。そうしてその高慢なところを、他人に対してよりも、比較的遠慮なく外へ出した。したがっていくら口先が和解的でも大して役に立たなかった。お秀にはただ彼の中心にある軽蔑が、微温い表現を通して伝わるだけであった。彼女はもうやりきれないと云った様子を先刻から見せている津田を毫も容赦しなかった。そうしてまた「兄さん」と云い出した。  その時津田はそれまでにまだ見出し得なかったお秀の変化に気がついた。今までの彼女は彼を通して常に鋒先をお延に向けていた。兄を攻撃するのも嘘ではなかったが、矢面に立つ彼をよそにしても、背後に控えている嫂だけは是非射とめなければならないというのが、彼女の真剣であった。それがいつの間にか変って来た。彼女は勝手に主客の位置を改めた。そうして一直線に兄の方へ向いて進んで来た。 「兄さん、妹は兄の人格に対して口を出す権利がないものでしょうか。よし権利がないにしたところで、もしそうした疑を妹が少しでももっているなら、綺麗にそれを晴らしてくれるのが兄の義務――義務は取り消します、私には不釣合な言葉かも知れませんから。――少なくとも兄の人情でしょう。私は今その人情をもっていらっしゃらない兄さんを眼の前に見る事を妹として悲しみます」 「何を生意気な事を云うんだ。黙っていろ、何にも解りもしない癖に」  津田の癇癪は始めて破裂した。 「お前に人格という言葉の意味が解るか。たかが女学校を卒業したぐらいで、そんな言葉をおれの前で人並に使うのからして不都合だ」 「私は言葉に重きをおいていやしません。事実を問題にしているのです」 「事実とは何だ。おれの頭の中にある事実が、お前のような教養に乏しい女に捕まえられると思うのか。馬鹿め」 「そう私を軽蔑なさるなら、御注意までに申します。しかしよござんすか」 「いいも悪いも答える必要はない。人の病気のところへ来て何だ、その態度は。それでも妹だというつもりか」 「あなたが兄さんらしくないからです」 「黙れ」 「黙りません。云うだけの事は云います。兄さんは嫂さんに自由にされています。お父さんや、お母さんや、私などよりも嫂さんを大事にしています」 「妹より妻を大事にするのはどこの国へ行ったって当り前だ」 「それだけならいいんです。しかし兄さんのはそれだけじゃないんです。嫂さんを大事にしていながら、まだほかにも大事にしている人があるんです」 「何だ」 「それだから兄さんは嫂さんを怖がるのです。しかもその怖がるのは――」  お秀がこう云いかけた時、病室の襖がすうと開いた。そうして蒼白い顔をしたお延の姿が突然二人の前に現われた。 百三  彼女が医者の玄関へかかったのはその三四分前であった。医者の診察時間は午前と午後に分れていて、午後の方は、役所や会社へ勤める人の便宜を計るため、四時から八時までの規定になっているので、お延は比較的閑静な扉を開けて内へ入る事ができたのである。  実際彼女は三四日前に来た時のように、編上だの畳つきだのという雑然たる穿物を、一足も沓脱の上に見出さなかった。患者の影は無論の事であった。時間外という考えを少しも頭の中に入れていなかった彼女には、それがいかにも不思議であったくらい四囲は寂寞していた。  彼女はその森とした玄関の沓脱の上に、行儀よく揃えられたただ一足の女下駄を認めた。価段から云っても看護婦などの穿きそうもない新らしいその下駄が突然彼女の心を躍らせた。下駄はまさしく若い婦人のものであった。小林から受けた疑念で胸がいっぱいになっていた彼女は、しばらくそれから眼を放す事ができなかった。彼女は猛烈にそれを見た。  右手にある小さい四角な窓から書生が顔を出した。そうしてそこに動かないお延の姿を認めた時、誰何でもする人のような表情を彼女の上に注いだ。彼女はすぐ津田への来客があるかないかを確かめた。それが若い女であるかないかも訊いた。それからわざと取次を断って、ひとりで階子段の下まで来た。そうして上を見上げた。  上では絶えざる話し声が聞こえた。しかし普通雑談の時に、言葉が対話者の間を、淀みなく往ったり来たり流れているのとはだいぶ趣を異にしていた。そこには強い感情があった。亢奮があった。しかもそれを抑えつけようとする努力の痕がありありと聞こえた。他聞を憚かるとしか受取れないその談話が、お延の神経を針のように鋭どくした。下駄を見つめた時より以上の猛烈さがそこに現われた。彼女は一倍猛烈に耳を傾むけた。  津田の部屋は診察室の真上にあった。家の構造から云うと、階子段を上ってすぐ取つきが壁で、その右手がまた四畳半の小さい部屋になっているので、この部屋の前を廊下伝いに通り越さなければ、津田の寝ている所へは出られなかった。したがってお延の聴こうとする談話は、聴くに都合の好くない見当、すなわち彼女の後の方から洩れて来るのであった。  彼女はそっと階子段を上った。柔婉な体格をもった彼女の足音は猫のように静かであった。そうして猫と同じような成効をもって酬いられた。  上り口の一方には、落ちない用心に、一間ほどの手欄が拵えてあった。お延はそれに倚って、津田の様子を窺った。するとたちまち鋭どいお秀の声が彼女の耳に入った。ことに嫂さんがという特殊な言葉が際立って鼓膜に響いた。みごとに予期の外れた彼女は、またはっと思わせられた。硬い緊張が弛む暇なく再び彼女を襲って来た。彼女は津田に向ってお秀の口から抛げつけられる嫂さんというその言葉が、どんな意味に用いられているかを知らなければならなかった。彼女は耳を澄ました。  二人の語勢は聴いているうちに急になって来た。二人は明らかに喧嘩をしていた。その喧嘩の渦中には、知らない間に、自分が引き込まれていた。あるいは自分がこの喧嘩の主な原因かも分らなかった。  しかし前後の関係を知らない彼女は、ただそれだけで自分の位置をきめる訳に行かなかった。それに二人の使う、というよりもむしろお秀の使う言葉は霰のように忙がしかった。後から後から落ちてくる単語の意味を、一粒ずつ拾って吟味している閑などはとうていなかった。「人格」、「大事にする」、「当り前」、こんな言葉がそれからそれへとそこに佇立んでいる彼女の耳朶を叩きに来るだけであった。  彼女は事件が分明になるまでじっと動かずに立っていようかと考えた。するとその時お秀の口から最後の砲撃のように出た「兄さんは嫂さんよりほかにもまだ大事にしている人があるのだ」という句が、突然彼女の心を震わせた。際立って明暸に聞こえたこの一句ほどお延にとって大切なものはなかった。同時にこの一句ほど彼女にとって不明暸なものもなかった。後を聞かなければ、それだけで独立した役にはとても立てられなかった。お延はどんな犠牲を払っても、その後を聴かなければ気がすまなかった。しかしその後はまたどうしても聴いていられなかった。先刻から一言葉ごとに一調子ずつ高まって来た二人の遣取は、ここで絶頂に達したものと見傚すよりほかに途はなかった。もう一歩も先へ進めない極端まで来ていた。もし強いて先へ出ようとすれば、どっちかで手を出さなければならなかった。したがってお延は不体裁を防ぐ緩和剤として、どうしても病室へ入らなければならなかった。  彼女は兄妹の中をよく知っていた。彼らの不和の原因が自分にある事も彼女には平生から解っていた。そこへ顔を出すには、出すだけの手際が要った。しかし彼女にはその自信がないでもなかった。彼女は際どい刹那に覚悟をきめた。そうしてわざと静かに病室の襖を開けた。 百四  二人ははたしてぴたりと黙った。しかし暴風雨がこれから荒れようとする途中で、急にその進行を止められた時の沈黙は、けっして平和の象徴ではなかった。不自然に抑えつけられた無言の瞬間にはむしろ物凄い或物が潜んでいた。  二人の位置関係から云って、最初にお延を見たものは津田であった。南向の縁側の方を枕にして寝ている彼の眼に、反対の側から入って来たお延の姿が一番早く映るのは順序であった。その刹那に彼は二つのものをお延に握られた。一つは彼の不安であった。一つは彼の安堵であった。困ったという心持と、助かったという心持が、包み蔵す余裕のないうちに、一度に彼の顔に出た。そうしてそれが突然入って来たお延の予期とぴたりと一致した。彼女はこの時夫の面上に現われた表情の一部分から、或物を疑っても差支えないという証左を、永く心の中に掴んだ。しかしそれは秘密であった。とっさの場合、彼女はただ夫の他の半面に応ずるのを、ここへ来た刻下の目的としなければならなかった。彼女は蒼白い頬に無理な微笑を湛えて津田を見た。そうしてそれがちょうどお秀のふり返るのと同時に起った所作だったので、お秀にはお延が自分を出し抜いて、津田と黙契を取り換わせているように取れた。薄赤い血潮が覚えずお秀の頬に上った。 「おや」 「今日は」  軽い挨拶が二人の間に起った。しかしそれが済むと話はいつものように続かなかった。二人とも手持無沙汰に圧迫され始めなければならなかった。滅多な事の云えないお延は、脇に抱えて来た風呂敷包を開けて、岡本の貸してくれた英語の滑稽本を出して津田に渡した。その指の先には、お秀が始終腹の中で問題にしている例の指輪が光っていた。  津田は薄い小型な書物を一つ一つ取り上げて、さらさら頁を翻えして見たぎりで、再びそれを枕元へ置いた。彼はその一行さえ読む気にならなかった。批評を加える勇気などはどこからも出て来なかった。彼は黙っていた。お延はその間にまたお秀と二言三言ほど口を利いた。それもみんな彼女の方から話しかけて、必要な返事だけを、云わば相手の咽喉から圧し出したようなものであった。  お延はまた懐中から一通の手紙を出した。 「今来がけに郵便函の中を見たら入っておりましたから、持って参りました」  お延の言葉は几帳面に改たまっていた。津田と差向いの時に比べると、まるで別人のように礼儀正しかった。彼女はその形式的なよそよそしいところを暗に嫌っていた。けれども他人の前、ことにお秀の前では、そうした不自然な言葉遣いを、一種の意味から余儀なくされるようにも思った。  手紙は夫婦の間に待ち受けられた京都の父からのものであった。これも前便と同じように書留になっていないので、眼前の用を弁ずる中味に乏しいのは、お秀からまだ何にも聞かせられないお延にもほぼ見当だけはついていた。  津田は封筒を切る前に彼女に云った。 「お延駄目だとさ」 「そう、何が」 「お父さんはいくら頼んでももうお金をくれないんだそうだ」  津田の云い方は珍らしく真摯の気に充ちていた。お秀に対する反抗心から、彼はいつの間にかお延に対して平たい旦那様になっていた。しかもそこに自分はまるで気がつかずにいた。衒い気のないその態度がお延には嬉しかった。彼女は慰さめるような温味のある調子で答えた。言葉遣いさえ吾知らず、平生の自分に戻ってしまった。 「いいわ、そんなら。こっちでどうでもするから」  津田は黙って封を切った。中から出た父の手紙はさほど長いものではなかった。その上一目見ればすぐ要領を得られるくらいな大きな字で書いてあった。それでも女二人は滑稽本の場合のように口を利き合わなかった。ひとしく注意の視線を巻紙の上に向けているだけであった。だから津田がそれを読み了って、元通りに封筒の中へ入れたのを、そのまま枕元へ投げ出した時には、二人にも大体の意味はもう呑み込めていた。それでもお秀はわざと訊いた。 「何と書いてありますか、兄さん」  気のない顔をしていた津田は軽く「ふん」と答えた。お秀はちょっとよそを向いた。それからまた訊いた。 「あたしの云った通りでしょう」  手紙にははたして彼女の推察する通りの事が書いてあった。しかしそれ見た事かといったような妹の態度が、津田にはいかにも気に喰わなかった。それでなくっても先刻からの行がかり上、彼は天然自然の返事をお秀に与えるのが業腹であった。 百五  お延には夫の気持がありありと読めた。彼女は心の中で再度の衝突を惧れた。と共に、夫の本意をも疑った。彼女の見た平生の夫には自制の念がどこへでもついて廻った。自制ばかりではなかった。腹の奥で相手を下に見る時の冷かさが、それにいつでも付け加わっていた。彼女は夫のこの特色中に、まだ自分の手に余る或物が潜んでいる事をも信じていた。それはいまだに彼女にとっての未知数であるにもかかわらず、そこさえ明暸に抑えれば、苦もなく彼を満足に扱かい得るものとまで彼女は思い込んでいた。しかし外部に現われるだけの夫なら一口で評するのもそれほどむずかしい事ではなかった。彼は容易に怒らない人であった。英語で云えば、テンパーを失なわない例にもなろうというその人が、またどうして自分の妹の前にこう破裂しかかるのだろう。もっと、厳密に云えば、彼女が室に入って来る前に、どうしてあれほど露骨に破裂したのだろう。とにかく彼女は退きかけた波が再び寄せ返す前に、二人の間に割り込まなければならなかった。彼女は喧嘩の相手を自分に引き受けようとした。 「秀子さんの方へもお父さまから何かお音信があったんですか」 「いいえ母から」 「そう、やっぱりこの事について」 「ええ」  お秀はそれぎり何にも云わなかった。お延は後をつけた。 「京都でもいろいろお物費が多いでしょうからね。それに元々こちらが悪いんですから」  お秀にはこの時ほどお延の指にある宝石が光って見えた事はなかった。そうしてお延はまたさも無邪気らしくその光る指輪をお秀の前に出していた。お秀は云った。 「そういう訳でもないんでしょうけれどもね。年寄は変なもので、兄さんを信じているんですよ。そのくらいの工面はどうにでもできるぐらいに考えて」  お延は微笑した。 「そりゃ、いざとなればどうにかこうにかなりますよ、ねえあなた」  こう云って津田の方を見たお延は、「早くなるとおっしゃい」という意味を眼で知らせた。しかし津田には、彼女のして見せる眼の働らきが解っても、意味は全く通じなかった。彼はいつも繰り返す通りの事を云った。 「ならん事もあるまいがね、おれにはどうもお父さんの云う事が変でならないんだ。垣根を繕ろったの、家賃が滞ったのって、そんな費用は元来些細なものじゃないか」 「そうも行かないでしょう、あなた。これで自分の家を一軒持って見ると」 「我々だって一軒持ってるじゃないか」  お延は彼女に特有な微笑を今度はお秀の方に見せた。お秀も同程度の愛嬌を惜まずに答えた。 「兄さんはその底に何か魂胆があるかと思って、疑っていらっしゃるんですよ」 「そりゃあなた悪いわ、お父さまを疑ぐるなんて。お父さまに魂胆のあるはずはないじゃありませんか、ねえ秀子さん」 「いいえ、父や母よりもね、ほかにまだ魂胆があると思ってるんですのよ」 「ほかに?」  お延は意外な顔をした。 「ええ、ほかにあると思ってるに違ないのよ」  お延は再び夫の方に向った。 「あなた、そりゃまたどういう訳なの」 「お秀がそう云うんだから、お秀に訊いて御覧よ」  お延は苦笑した。お秀の口を利く順番がまた廻って来た。 「兄さんはあたし達が陰で、京都を突ッついたと思ってるんですよ」 「だって――」  お延はそれより以上云う事ができなかった。そうしてその云った事はほとんど意味をなさなかった。お秀はすぐその虚を充たした。 「それで先刻から大変御機嫌が悪いのよ。もっともあたしと兄さんと寄るときっと喧嘩になるんですけれどもね。ことにこの事件このかた」 「困るのね」とお延は溜息交りに答えた後で、また津田に訊きかけた。 「しかしそりゃ本当の事なの、あなた。あなただって真逆そんな男らしくない事を考えていらっしゃるんじゃないでしょう」 「どうだか知らないけれども、お秀にはそう見えるんだろうよ」 「だって秀子さん達がそんな事をなさるとすれば、いったい何の役に立つと、あなた思っていらっしゃるの」 「おおかた見せしめのためだろうよ。おれにはよく解らないけれども」 「何の見せしめなの? いったいどんな悪い事をあなたなすったの」 「知らないよ」  津田は蒼蠅そうにこう云った。お延は取りつく島もないといった風にお秀を見た。どうか助けて下さいという表情が彼女の細い眼と眉の間に現われた。 百六 「なに兄さんが強情なんですよ」とお秀が云い出した。嫂に対して何とか説明しなければならない位地に追いつめられた彼女は、こう云いながら腹の中でなおの事その嫂を憎んだ。彼女から見たその時のお延ほど、空々しいまたずうずうしい女はなかった。 「ええ良人は強情よ」と答えたお延はすぐ夫の方を向いた。 「あなた本当に強情よ。秀子さんのおっしゃる通りよ。そのくせだけは是非おやめにならないといけませんわ」 「いったい何が強情なんだ」 「そりゃあたしにもよく解らないけれども」 「何でもかでもお父さんから金を取ろうとするからかい」 「そうね」 「取ろうとも何とも云っていやしないじゃないか」 「そうね。そんな事おっしゃるはずがないわね。またおっしゃったところで効目がなければ仕方がありませんからね」 「じゃどこが強情なんだ」 「どこがってお聴きになっても駄目よ。あたしにもよく解らないんですから。だけど、どこかにあるのよ、強情なところが」 「馬鹿」  馬鹿と云われたお延はかえって心持ち好さそうに微笑した。お秀はたまらなくなった。 「兄さん、あなたなぜあたしの持って来たものを素直にお取りにならないんです」 「素直にも義剛にも、取るにも取らないにも、お前の方でてんから出さないんじゃないか」 「あなたの方でお取りになるとおっしゃらないから、出せないんです」 「こっちから云えば、お前の方で出さないから取らないんだ」 「しかし取るようにして取って下さらなければ、あたしの方だって厭ですもの」 「じゃどうすればいいんだ」 「解ってるじゃありませんか」  三人はしばらく黙っていた。  突然津田が云い出した。 「お延お前お秀に詫まったらどうだ」  お延は呆れたように夫を見た。 「なんで」 「お前さえ詫まったら、持って来たものを出すというつもりなんだろう。お秀の料簡では」 「あたしが詫まるのは何でもないわ。あなたが詫まれとおっしゃるなら、いくらでも詫まるわ。だけど――」  お延はここで訴えの眼をお秀に向けた。お秀はその後を遮った。 「兄さん、あなた何をおっしゃるんです。あたしがいつ嫂さんに詫まって貰いたいと云いました。そんな言がかりを捏造されては、あたしが嫂さんに対して面目なくなるだけじゃありませんか」  沈黙がまた三人の上に落ちた。津田はわざと口を利かなかった。お延には利く必要がなかった。お秀は利く準備をした。 「兄さん、あたしはこれでもあなた方に対して義務を尽しているつもりです。――」  お秀がやっとこれだけ云いかけた時、津田は急に質問を入れた。 「ちょっとお待ち。義務かい、親切かい、お前の云おうとする言葉の意味は」 「あたしにはどっちだって同なじ事です」 「そうかい。そんなら仕方がない。それで」 「それでじゃありません。だからです。あたしがあなた方の陰へ廻って、お父さんやお母さんを突ッついた結果、兄さんや嫂さんに不自由をさせるのだと思われるのが、あたしにはいかにも辛いんです。だからその額だけをどうかして上げようと云う好意から、今日わざわざここへ持って来たと云うんです。実は昨日嫂さんから電話がかかった時、すぐ来ようと思ったんですけれども、朝のうちは宅に用があったし、午からはその用で銀行へ行く必要ができたものですから、つい来損なっちまったんです。元々わずかな金額ですから、それについてとやかく云う気はちっともありませんけれども、あたしの方の心遣いは、まるで兄さんに通じていないんだから、それがただ残念だと云いたいんです」  お延はなお黙っている津田の顔を覗き込んだ。 「あなた何とかおっしゃいよ」 「何て」 「何てって、お礼をよ。秀子さんの親切に対してのお礼よ」 「たかがこれしきの金を貰うのに、そんなに恩に着せられちゃ厭だよ」 「恩に着せやしないって今云ったじゃありませんか」とお秀が少し癇走った声で弁解した。お延は元通りの穏やかな調子を崩さなかった。 「だから強情を張らずに、お礼をおっしゃいと云うのに。もしお金を拝借するのがお厭なら、お金はいただかないでいいから、ただお礼だけをおっしゃいよ」  お秀は変な顔をした。津田は馬鹿を云うなという態度を示した。 百七  三人は妙な羽目に陥った。行がかり上一種の関係で因果づけられた彼らはしだいに話をよそへ持って行く事が困難になってきた。席を外す事は無論できなくなった。彼らはそこへ坐ったなり、どうでもこうでも、この問題を解決しなければならなくなった。  しかも傍から見たその問題はけっして重要なものとは云えなかった。遠くから冷静に彼らの身分と境遇を眺める事のできる地位に立つ誰の眼にも、小さく映らなければならない程度のものに過ぎなかった。彼らは他から注意を受けるまでもなくよくそれを心得ていた。けれども彼らは争わなければならなかった。彼らの背後に背負っている因縁は、他人に解らない過去から複雑な手を延ばして、自由に彼らを操った。  しまいに津田とお秀の間に下のような問答が起った。 「始めから黙っていれば、それまでですけれども、いったん云い出しておきながら、持って来た物を渡さずにこのまま帰るのも心持が悪うござんすから、どうか取って下さいよ。兄さん」 「置いて行きたければ置いといでよ」 「だから取るようにして取って下さいな」 「いったいどうすればお前の気に入るんだか、僕には解らないがね、だからその条件をもっと淡泊に云っちまったらいいじゃないか」 「あたし条件なんてそんなむずかしいものを要求してやしません。ただ兄さんが心持よく受取って下されば、それでいいんです。つまり兄妹らしくして下されば、それでいいというだけです。それからお父さんにすまなかったと本気に一口おっしゃりさえすれば、何でもないんです」 「お父さんには、とっくの昔にもうすまなかったと云っちまったよ。お前も知ってるじゃないか。しかも一口や二口じゃないやね」 「けれどもあたしの云うのは、そんな形式的のお詫じゃありません。心からの後悔です」  津田はたかがこれしきの事にと考えた。後悔などとは思いも寄らなかった。 「僕の詫様が空々しいとでも云うのかね、なんぼ僕が金を欲しがるったって、これでも一人前の男だよ。そうぺこぺこ頭を下げられるものか、考えても御覧な」 「だけれども、兄さんは実際お金が欲しいんでしょう」 「欲しくないとは云わないさ」 「それでお父さんに謝罪ったんでしょう」 「でなければ何も詫る必要はないじゃないか」 「だからお父さんが下さらなくなったんですよ。兄さんはそこに気がつかないんですか」  津田は口を閉じた。お秀はすぐ乗しかかって行った。 「兄さんがそういう気でいらっしゃる以上、お父さんばかりじゃないわ、あたしだって上げられないわ」 「じゃお止しよ。何も無理に貰おうとは云わないんだから」 「ところが無理にでも貰おうとおっしゃるじゃありませんか」 「いつ」 「先刻からそう云っていらっしゃるんです」 「言がかりを云うな、馬鹿」 「言がかりじゃありません。先刻から腹の中でそう云い続けに云ってるじゃありませんか。兄さんこそ淡泊でないから、それが口へ出して云えないんです」  津田は一種嶮しい眼をしてお秀を見た。その中には憎悪が輝やいた。けれども良心に対して恥ずかしいという光はどこにも宿らなかった。そうして彼が口を利いた時には、お延でさえその意外なのに驚ろかされた。彼は彼に支配できる最も冷静な調子で、彼女の予期とはまるで反対の事を云った。 「お秀お前の云う通りだ。兄さんは今改めて自白する。兄さんにはお前の持って来た金が絶対に入用だ。兄さんはまた改めて公言する。お前は妹らしい情愛の深い女だ。兄さんはお前の親切を感謝する。だからどうぞその金をこの枕元へ置いて行ってくれ」  お秀の手先が怒りで顫えた。両方の頬に血が差した。その血は心のどこからか一度に顔の方へ向けて動いて来るように見えた。色が白いのでそれが一層鮮やかであった。しかし彼女の言葉遣いだけはそれほど変らなかった。怒りの中に微笑さえ見せた彼女は、不意に兄を捨てて、輝やいた眼をお延の上に注いだ。 「嫂さんどうしましょう。せっかく兄さんがああおっしゃるものですから、置いて行って上げましょうか」 「そうね、そりゃ秀子さんの御随意でよござんすわ」 「そう。でも兄さんは絶対に必要だとおっしゃるのね」 「ええ良人には絶対に必要かも知れませんわ。だけどあたしには必要でも何でもないのよ」 「じゃ兄さんと嫂さんとはまるで別ッこなのね」 「それでいて、ちっとも別ッこじゃないのよ。これでも夫婦だから、何から何までいっしょくたよ」 「だって――」  お延は皆まで云わせなかった。 「良人に絶対に必要なものは、あたしがちゃんと拵えるだけなのよ」  彼女はこう云いながら、昨日岡本の叔父に貰って来た小切手を帯の間から出した。 百八  彼女がわざとらしくそれをお秀に見せるように取扱いながら、津田の手に渡した時、彼女には夫に対する一種の注文があった。前後の行がかりと自分の性格から割り出されたその注文というのはほかでもなかった。彼女は夫が自分としっくり呼吸を合わせて、それを受け取ってくれれば好いがと心の中で祈ったのである。会心の微笑を洩らしながら首肯ずいて、それを鷹揚に枕元へ放り出すか、でなければ、ごく簡単な、しかし細君に対して最も満足したらしい礼をただ一口述べて、再びそれをお延の手に戻すか、いずれにしてもこの小切手の出所について、夫婦の間に夫婦らしい気脈が通じているという事実を、お秀に見せればそれで足りたのである。  不幸にして津田にはお延の所作も小切手もあまりに突然過ぎた。その上こんな場合にやる彼の戯曲的技巧が、細君とは少し趣を異にしていた。彼は不思議そうに小切手を眺めた。それからゆっくり訊いた。 「こりゃいったいどうしたんだい」  この冷やかな調子と、等しく冷やかな反問とが、登場の第一歩においてすでにお延の意気込を恨めしく摧いた。彼女の予期は外れた。 「どうしもしないわ。ただ要るから拵えただけよ」  こう云った彼女は、腹の中でひやひやした。彼女は津田が真面目くさってその後を訊く事を非常に恐れた。それは夫婦の間に何らの気脈が通じていない証拠を、お秀の前に暴露するに過ぎなかった。 「訳なんか病気中に訊かなくってもいいのよ。どうせ後で解る事なんだから」  これだけ云った後でもまだ不安心でならなかったお延は、津田がまだ何とも答えない先に、すぐその次を付け加えてしまった。 「よし解らなくったって構わないじゃないの。たかがこのくらいのお金なんですもの、拵えようと思えば、どこからでも出て来るわ」  津田はようやく手に持った小切手を枕元へ投げ出した。彼は金を欲しがる男であった。しかし金を珍重する男ではなかった。使うために金の必要を他人より余計痛切に感ずる彼は、その金を軽蔑する点において、お延の言葉を心から肯定するような性質をもっていた。それで彼は黙っていた。しかしそれだからまたお延に一口の礼も云わなかった。  彼女は物足らなかった。たとい自分に何とも云わないまでも、お秀には溜飲の下るような事を一口でいいから云ってくれればいいのにと、腹の中で思った。  先刻から二人の様子を見ていたそのお秀はこの時急に「兄さん」と呼んだ。そうして懐から綺麗な女持の紙入を出した。 「兄さん、あたし持って来たものをここへ置いて行きます」  彼女は紙入の中から白紙で包んだものを抜いて小切手の傍へ置いた。 「こうしておけばそれでいいでしょう」  津田に話しかけたお秀は暗にお延の返事を待ち受けるらしかった。お延はすぐ応じた。 「秀子さんそれじゃすみませんから、どうぞそんな心配はしないでおいて下さい。こっちでできないうちは、ともかくもですけれども、もう間に合ったんですから」 「だけどそれじゃあたしの方がまた心持が悪いのよ。こうしてせっかく包んでまで持って来たんですから、どうかそんな事を云わずに受取っておいて下さいよ」  二人は譲り合った。同じような問答を繰り返し始めた。津田はまた辛防強くいつまでもそれを聴いていた。しまいに二人はとうとう兄に向わなければならなくなった。 「兄さん取っといて下さい」 「あなたいただいてもよくって」  津田はにやにやと笑った。 「お秀妙だね。先刻はあんなに強硬だったのに、今度はまた馬鹿に安っぽく貰わせようとするんだね。いったいどっちが本当なんだい」  お秀は屹となった。 「どっちも本当です」  この答は津田に突然であった。そうしてその強い調子が、どこまでも冷笑的に構えようとする彼の機鋒を挫いた。お延にはなおさらであった。彼女は驚ろいてお秀を見た。その顔は先刻と同じように火熱っていた。けれども涼しい彼女の眼に宿る光りは、ただの怒りばかりではなかった。口惜しいとか無念だとかいう敵意のほかに、まだ認めなければならない或物がそこに陽炎った。しかしそれが何であるかは、彼女の口を通して聴くよりほかに途がなかった。二人は惹きつけられた。今まで持続して来た心の態度に角度の転換が必要になった。彼らは遮ぎる事なしに、その輝やきの説明を、彼女の言葉から聴こうとした。彼らの予期と同時に、その言葉はお秀の口を衝いて出た。 百九 「実は先刻から云おうか止そうかと思って、考えていたんですけれども、そんな風に兄さんから冷笑かされて見ると、私だって黙って帰るのが厭になります。だから云うだけの事はここで云ってしまいます。けれども一応お断りしておきますが、これから申し上げる事は今までのとは少し意味が違いますよ。それを今まで通りの態度で聴いていられると、私だって少し迷惑するかも知れません、というのは、ただ私が誤解されるのが厭だという意味でなくって、私の心持があなた方に通じなくなるという訳合からです」  お秀の説明はこういう言葉で始まった。それがすでに自分の態度を改めかかっている二人の予期に一倍の角度を与えた。彼らは黙ってその後を待った。しかしお秀はもう一遍念を押した。 「少しや真面目に聴いて下さるでしょうね。私の方が真面目になったら」  こう云ったお秀はその強い眼を津田の上からお延に移した。 「もっとも今までが不真面目という訳でもありませんけれどもね。何しろ嫂さんさえここにいて下されば、まあ大丈夫でしょう。いつもの兄妹喧嘩になったら、その時に止めていただけばそれまでですから」  お延は微笑して見せた。しかしお秀は応じなかった。 「私はいつかっから兄さんに云おう云おうと思っていたんです。嫂さんのいらっしゃる前でですよ。だけど、その機会がなかったから、今日まで云わずにいました。それを今改めてあなた方のお揃いになったところで申してしまうのです。それはほかでもありません。よござんすか、あなた方お二人は御自分達の事よりほかに何にも考えていらっしゃらない方だという事だけなんです。自分達さえよければ、いくら他が困ろうが迷惑しようが、まるでよそを向いて取り合わずにいられる方だというだけなんです」  この断案を津田はむしろ冷静に受ける事ができた。彼はそれを自分の特色と認める上に、一般人間の特色とも認めて疑わなかったのだから。しかしお延にはまたこれほど意外な批評はなかった。彼女はただ呆れるばかりであった。幸か不幸かお秀は彼女の口を開く前にすぐ先へ行った。 「兄さんは自分を可愛がるだけなんです。嫂さんはまた兄さんに可愛がられるだけなんです。あなた方の眼にはほかに何にもないんです。妹などは無論の事、お父さんもお母さんももうないんです」  ここまで来たお秀は急に後を継ぎ足した。二人の中の一人が自分を遮ぎりはしまいかと恐れでもするような様子を見せて。 「私はただ私の眼に映った通りの事実を云うだけです。それをどうして貰いたいというのではありません。もうその時機は過ぎました。有体にいうと、その時機は今日過ぎたのです。実はたった今過ぎました。あなた方の気のつかないうちに、過ぎました。私は何事も因縁ずくと諦らめるよりほかに仕方がありません。しかしその事実から割り出される結果だけは是非共あなた方に聴いていただきたいのです」  お秀はまた津田からお延の方に眼を移した。二人はお秀のいわゆる結果なるものについて、判然した観念がなかった。したがってそれを聴く好奇心があった。だから黙っていた。 「結果は簡単です」とお秀が云った。「結果は一口で云えるほど簡単です。しかし多分あなた方には解らないでしょう。あなた方はけっして他の親切を受ける事のできない人だという意味に、多分御自分じゃ気がついていらっしゃらないでしょうから。こう云っても、あなた方にはまだ通じないかも知れないから、もう一遍繰り返します。自分だけの事しか考えられないあなた方は、人間として他の親切に応ずる資格を失なっていらっしゃるというのが私の意味なのです。つまり他の好意に感謝する事のできない人間に切り下げられているという事なのです。あなた方はそれでたくさんだと思っていらっしゃるかも知れません。どこにも不足はないと考えておいでなのかも分りません。しかし私から見ると、それはあなた方自身にとってとんでもない不幸になるのです。人間らしく嬉しがる能力を天から奪われたと同様に見えるのです。兄さん、あなたは私の出したこのお金は欲しいとおっしゃるのでしょう。しかし私のこのお金を出す親切は不用だとおっしゃるのでしょう。私から見ればそれがまるで逆です。人間としてまるで逆なのです。だから大変な不幸なのです。そうして兄さんはその不幸に気がついていらっしゃらないのです。嫂さんはまた私の持って来たこのお金を兄さんが貰わなければいいと思っていらっしゃるんです。さっきから貰わせまい貰わせまいとしていらっしゃるんです。つまりこのお金を断ることによって、併せて私の親切をも排斥しようとなさるのです。そうしてそれが嫂さんには大変なお得意になるのです。嫂さんも逆です。嫂さんは妹の実意を素直に受けるために感じられる好い心持が、今のお得意よりも何層倍人間として愉快だか、まるで御存じない方なのです」  お延は黙っていられなくなった。しかしお秀はお延よりなお黙っていられなかった。彼女を遮ぎろうとするお延の出鼻を抑えつけるような熱した語気で、自分の云いたい事だけ云ってしまわなければ気がすまなかった。 百十 「嫂さん何かおっしゃる事があるなら、後でゆっくり伺いますから、御迷惑でも我慢して私に云うだけ云わせてしまって下さい。なにもう直です。そんなに長くかかりゃしません」  お秀の断り方は妙に落ちついていた。先刻津田と衝突した時に比べると、彼女はまるで反対の傾向を帯びて、激昂から沈静の方へ推し移って来た。それがこの場合いかにも案外な現象として二人の眼に映った。 「兄さん」とお秀が云った。「私はなぜもっと早くこの包んだ物を兄さんの前に出さなかったのでしょう。そうして今になってまた何できまりが悪くもなく、それをあなた方の前に出されたのでしょう。考えて下さい。嫂さんも考えて下さい」  考えるまでもなく、二人にはそれがお秀の詭弁としか受取れなかった。ことにお延にはそう見えた。しかしお秀は真面目であった。 「兄さん私はこれであなたを兄さんらしくしたかったのです。たかがそれほどの金でかと兄さんはせせら笑うでしょう。しかし私から云えば金額は問題じゃありません。少しでも兄さんを兄さんらしくできる機会があれば、私はいつでもそれを利用する気なのです。私は今日ここでできるだけの努力をしました。そうしてみごとに失敗しました。ことに嫂さんがおいでになってから以後、私の失敗は急に目立って来ました。私が妹として兄さんに対する執着を永久に放り出さなければならなくなったのはその時です。――嫂さん、後生ですから、もう少し我慢して聴いていて下さい」  お秀はまたこう云って何か云おうとするお延を制した。 「あなた方の態度はよく私に解りました。あなた方から一時間二時間の説明を伺うより、今ここで拝見しただけで、私が勝手に判断する方が、かえってよく解るように思われますから、私はもう何にも伺いません。しかし私には自分を説明する必要がまだあります。そこは是非聴いていただかなければなりません」  お延はずいぶん手前勝手な女だと思いながら黙っていた。しかし初手から勝利者の余裕が附着している彼女には、黙っていても大した不足はなかった。 「兄さん」とお秀が云った。「これを見て下さい。ちゃんと紙に包んであります。お秀が宅から用意して持って来たという証拠にはなるでしょう。そこにお秀の意味はあるのです」  お秀はわざわざ枕元の紙包を取り上げて見せた。 「これが親切というものです。あなた方にはどうしてもその意味がお解りにならないから、仕方なしに私が自分で説明します。そうして兄さんが兄さんらしくして下さらなくっても、私は宅から持って来た親切をここへ置いて行くよりほかに途はないのだという事もいっしょに説明します。兄さん、これは妹の親切ですか義務ですか。兄さんは先刻そういう問を私におかけになりました。私はどっちも同じだと云いました。兄さんが妹の親切を受けて下さらないのに、妹はまだその親切を尽くす気でいたら、その親切は義務とどこが違うんでしょう。私の親切を兄さんの方で義務に変化させてしまうだけじゃありませんか」 「お秀もう解ったよ」と津田がようやく云い出した。彼の頭に妹のいう意味は判然入った。けれども彼女の予期する感情は少しも起らなかった。彼は先刻から蒼蠅さいのを我慢して彼女の云い草を聴いていた。彼から見た妹は、親切でもなければ、誠実でもなかった。愛嬌もなければ気高くもなかった。ただ厄介なだけであった。 「もう解ったよ。それでいいよ。もうたくさんだよ」  すでに諦らめていたお秀は、別に恨めしそうな顔もしなかった。ただこう云った。 「これは良人が立て替えて上げるお金ではありませんよ、兄さん。良人が京都へ保証して成り立った約束を、兄さんがお破りになったために、良人ではお父さんの方へ義理ができて、仕方なしに立て替えた事になるとしたら、なんぼ兄さんだって、心持よく受け取る気にはなれないでしょう。私もそんな事で良人を煩わせるのは厭です。だからお断りをしておきますが、これは良人とは関係のないお金です。私のです。だから兄さんも黙ってお取りになれるでしょう。私の親切はお受けにならないでも、お金だけはお取りになれるでしょう。今の私はなまじいお礼を云っていただくより、ただ黙って受取っておいて下さる方が、かえって心持が好くなっているのです。問題はもう兄さんのためじゃなくなっているんです。単に私のためです。兄さん、私のためにどうぞそれを受取って下さい」  お秀はこれだけ云って立ち上った。お延は津田の顔を見た。その顔には何という合図の表情も見えなかった。彼女は仕方なしにお秀を送って階子段を降りた。二人は玄関先で尋常の挨拶を交り換せて別れた。 百十一  単に病院でお秀に出会うという事は、お延にとって意外でも何でもなかった。けれども出会った結果からいうと、また意外以上の意外に帰着した。自分に対するお秀の態度を平生から心得ていた彼女も、まさかこんな場面でその相手になろうとは思わなかった。相手になった後でも、それが偶然の廻り合せのように解釈されるだけであった。その必然性を認めるために、過去の因果を迹付けて見ようという気さえ起らなかった。この心理状態をもっと砕けた言葉で云い直すと、事件の責任は全く自分にないという事に過ぎなかった。すべてお秀が背負って立たなければならないという意味であった。したがってお延の心は存外平静であった。少くとも、良心に対して疚ましい点は容易に見出だされなかった。  この会見からお延の得た収獲は二つあった。一つは事後に起る不愉快さであった。その不愉快さのうちには、お秀を通して今後自分達の上に持ち来されそうに見える葛藤さえ織り込まれていた。彼女は充分それを切り抜けて行く覚悟をもっていた。ただしそれには、津田が飽くまで自分の肩を持ってくれなければ駄目だという条件が附帯していた。そこへ行くと彼女には七分通りの安心と、三分方の不安があった。その三分方の不安を、今日の自分が、どのくらいの程度に減らしているかは、彼女にとって重大な問題であった。少くとも今日の彼女は、夫の愛を買うために、もしくはそれを買い戻すために、できるだけの実を津田に見せたという意味で、幾分かの自信をその方面に得たつもりなのである。  これはお延自身に解っている側の消息中で、最も必要と認めなければならない一端であるが、そのほかにまだ彼女のいっこう知らない間に、自然自分の手に入るように仕組まれた収獲ができた。無論それは一時的のものに過ぎなかった。けれども当然自分の上に向けられるべき夫の猜疑の眼から、彼女は運よく免かれたのである。というのは、お秀という相手を引き受ける前の津田と、それに悩まされ出した後の彼とは、心持から云っても、意識の焦点になるべき対象から見ても、まるで違っていた。だからこの変化の強く起った際どい瞬間に姿を現わして、その変化の波を自然のままに拡げる役を勤めたお延は、吾知らず儲けものをしたのと同じ事になったのである。  彼女はなぜ岡本が強いて自分を芝居へ誘ったか、またなぜその岡本の宅へ昨日行かなければならなくなったか、そんな内情に関するすべての自分を津田の前に説明する手数を省く事ができた。むしろ自分の方から云い出したいくらいな小林の言葉についてすら、彼女は一口も語る余裕をもたなかった。お秀の帰ったあとの二人は、お秀の事で全く頭を占領されていた。  二人はそれを二人の顔つきから知った。そうして二人の顔を見合せたのは、お秀を送り出したお延が、階子段を上って、また室の入口にそのすらりとした姿を現わした刹那であった。お延は微笑した。すると津田も微笑した。そこにはほかに何にもなかった。ただ二人がいるだけであった。そうして互の微笑が互の胸の底に沈んだ。少なくともお延は久しぶりに本来の津田をそこに認めたような気がした。彼女は肉の上に浮び上ったその微笑が何の象徴であるかをほとんど知らなかった。ただ一種の恰好をとって動いた肉その物の形が、彼女には嬉しい記念であった。彼女は大事にそれを心の奥にしまい込んだ。  その時二人の微笑はにわかに変った。二人は歯を露わすまでに口を開けて、一度に声を出して笑い合った。 「驚ろいた」  お延はこう云いながらまた津田の枕元へ来て坐った。津田はむしろ落ちついて答えた。 「だから彼奴に電話なんかかけるなって云うんだ」  二人は自然お秀を問題にしなければならなかった。 「秀子さんは、まさか基督教じゃないでしょうね」 「なぜ」 「なぜでも――」 「金を置いて行ったからかい」 「そればかりじゃないのよ」 「真面目くさった説法をするからかい」 「ええまあそうよ。あたし始めてだわ。秀子さんのあんなむずかしい事をおっしゃるところを拝見したのは」 「彼奴は理窟屋だよ。つまりああ捏ね返さなければ気がすまない女なんだ」 「だってあたし始めてよ」 「お前は始めてさ。おれは何度だか分りゃしない。いったい何でもないのに高尚がるのが彼奴の癖なんだ。そうして生じい藤井の叔父の感化を受けてるのが毒になるんだ」 「どうして」 「どうしてって、藤井の叔父の傍にいて、あの叔父の議論好きなところを、始終見ていたもんだから、とうとうあんなに口が達者になっちまったのさ」  津田は馬鹿らしいという風をした。お延も苦笑した。 百十二  久しぶりに夫と直に向き合ったような気のしたお延は嬉しかった。二人の間にいつの間にかかけられた薄い幕を、急に切って落した時の晴々しい心持になった。  彼を愛する事によって、是非共自分を愛させなければやまない。――これが彼女の決心であった。その決心は多大の努力を彼女に促がした。彼女の努力は幸い徒労に終らなかった。彼女はついに酬いられた。少なくとも今後の見込を立て得るくらいの程度において酬いられた。彼女から見れば不慮の出来事と云わなければならないこの破綻は、取も直さず彼女にとって復活の曙光であった。彼女は遠い地平線の上に、薔薇色の空を、薄明るく眺める事ができた。そうしてその暖かい希望の中に、この破綻から起るすべての不愉快を忘れた。小林の残酷に残して行った正体の解らない黒い一点、それはいまだに彼女の胸の上にあった。お秀の口から迸ばしるように出た不審の一句、それも疑惑の星となって、彼女の頭の中に鈍い瞬きを見せた。しかしそれらはもう遠い距離に退いた。少くともさほど苦にならなかった。耳に入れた刹那に起った昂奮の記憶さえ、再び呼び戻す必要を認めなかった。 「もし万一の事があるにしても、自分の方は大丈夫だ」  夫に対するこういう自信さえ、その時のお延の腹にはできた。したがって、いざという場合に、どうでも臨機の所置をつけて見せるという余裕があった。相手を片づけるぐらいの事なら訳はないという気持も手伝った。 「相手? どんな相手ですか」と訊かれたら、お延は何と答えただろう。それは朧気に薄墨で描かれた相手であった。そうして女であった。そうして津田の愛を自分から奪う人であった。お延はそれ以外に何にも知らなかった。しかしどこかにこの相手が潜んでいるとは思えた。お秀と自分ら夫婦の間に起った波瀾が、ああまで際どくならずにすんだなら、お延は行がかり上、是非共津田の腹のなかにいるこの相手を、遠くから探らなければならない順序だったのである。  お延はそのプログラムを狂わせた自分を顧みて、むしろ幸福だと思った。気がかりを後へ繰り越すのが辛くて耐らないとはけっして考えなかった。それよりもこの機会を緊張できるだけ緊張させて、親切な今の自分を、強く夫の頭の中に叩き込んでおく方が得策だと思案した。  こう決心するや否や彼女は嘘を吐いた。それは些細の嘘であった。けれども今の場合に、夫を物質的と精神的の両面に亘って、窮地から救い出したものは、自分が持って来た小切手だという事を、深く信じて疑わなかった彼女には、むしろ重大な意味をもっていた。  その時津田は小切手を取り上げて、再びそれを眺めていた。そこに書いてある額は彼の要求するものよりかえって多かった。しかしそれを問題にする前、彼はお延に云った。 「お延ありがとう。お蔭で助かったよ」  お延の嘘はこの感謝の言葉の後に随いて、すぐ彼女の口を滑って出てしまった。 「昨日岡本へ行ったのは、それを叔父さんから貰うためなのよ」  津田は案外な顔をした。岡本へ金策をしに行って来いと夫から頼まれた時、それを断然跳ねつけたものは、この小切手を持って来たお延自身であった。一週間と経たないうちに、どこからそんな好意が急に湧いて出たのだろうと思うと、津田は不思議でならなかった。それをお延はこう説明した。 「そりゃ厭なのよ。この上叔父さんにお金の事なんかで迷惑をかけるのは。けれども仕方がないわ、あなた。いざとなればそのくらいの勇気を出さなくっちゃ、妻としてのあたしの役目がすみませんもの」 「叔父さんに訳を話したのかい」 「ええ、そりゃずいぶん辛かったの」  お延は津田へ来る時の支度を大部分岡本に拵えて貰っていた。 「その上お金なんかには、ちっとも困らない顔を今日までして来たんですもの。だからなおきまりが悪いわ」  自分の性格から割り出して、こういう場合のきまりの悪さ加減は、津田にもよく呑み込めた。 「よくできたね」 「云えばできるわ、あなた。無いんじゃないんですもの。ただ云い悪いだけよ」 「しかし世の中にはまたお父さんだのお秀だのっていう、むずかしやも揃っているからな」  津田はかえって自尊心を傷けられたような顔つきをした。お延はそれを取り繕ろうように云った。 「なにそう云う意味ばかりで貰って来た訳でもないのよ。叔父さんにはあたしに指輪を買ってくれる約束があるのよ。お嫁に行くとき買ってやらない代りに、今に買ってやるって、此間からそう云ってたのよ。だからそのつもりでくれたんでしょうおおかた。心配しないでもいいわ」  津田はお延の指を眺めた。そこには自分の買ってやった宝石がちゃんと光っていた。 百十三  二人はいつになく融け合った。  今までお延の前で体面を保つために武装していた津田の心が吾知らず弛んだ。自分の父が鄙吝らしく彼女の眼に映りはしまいかという掛念、あるいは自分の予期以下に彼女が父の財力を見縊りはしまいかという恐れ、二つのものが原因になって、なるべく京都の方面に曖昧な幕を張り通そうとした警戒が解けた。そうして彼はそれに気づかずにいた。努力もなく意志も働かせずに、彼は自然の力でそこへ押し流されて来た。用心深い彼をそっと持ち上げて、事件がお延のために彼をそこまで運んで来てくれたと同じ事であった。お延にはそれが嬉しかった。改めようとする決心なしに、改たまった夫の態度には自然があった。  同時に津田から見たお延にも、またそれと同様の趣が出た。余事はしばらく問題外に措くとして、結婚後彼らの間には、常に財力に関する妙な暗闘があった。そうしてそれはこう云う因果から来た。普通の人のように富を誇りとしたがる津田は、その点において、自分をなるべく高くお延から評価させるために、父の財産を実際より遥か余計な額に見積ったところを、彼女に向って吹聴した。それだけならまだよかった。彼の弱点はもう一歩先へ乗り越す事を忘れなかった。彼のお延に匂わせた自分は、今より大変楽な身分にいる若旦那であった。必要な場合には、いくらでも父から補助を仰ぐ事ができた。たとい仰がないでも、月々の支出に困る憂はけっしてなかった。お延と結婚した時の彼は、もうこれだけの言責を彼女に対して背負って立っていたのと同じ事であった。利巧な彼は、財力に重きを置く点において、彼に優るとも劣らないお延の性質をよく承知していた。極端に云えば、黄金の光りから愛その物が生れるとまで信ずる事のできる彼には、どうかしてお延の手前を取繕わなければならないという不安があった。ことに彼はこの点においてお延から軽蔑されるのを深く恐れた。堀に依頼して毎月父から助けて貰うようにしたのも、実は必要以外にこんな魂胆が潜んでいたからでもあった。それでさえ彼はどこかに煙たいところをもっていた。少くとも彼女に対する内と外にはだいぶんの距離があった。眼から鼻へ抜けるようなお延にはまたその距離が手に取るごとくに分った。必然の勢い彼女はそこに不満を抱かざるを得なかった。しかし彼女は夫の虚偽を責めるよりもむしろ夫の淡泊でないのを恨んだ。彼女はただ水臭いと思った。なぜ男らしく自分の弱点を妻の前に曝け出してくれないのかを苦にした。しまいには、それをあえてしないような隔りのある夫なら、こっちにも覚悟があると一人腹の中できめた。するとその態度がまた木精のように津田の胸に反響した。二人はどこまで行っても、直に向き合う訳に行かなかった。しかも遠慮があるので、なるべくそこには触れないように慎しんでいた。ところがお秀との悶着が、偶然にもお延の胸にあるこの扉を一度にがらりと敲き破った。しかもお延自身毫もそこに気がつかなかった。彼女は自分を夫の前に開放しようという努力も決心もなしに、天然自然自分を開放してしまった。だから津田にもまるで別人のように快よく見えた。  二人はこういう風で、いつになく融け合った。すると二人が融け合ったところに妙な現象がすぐ起った。二人は今まで回避していた問題を平気で取り上げた。二人はいっしょになって、京都に対する善後策を講じ出した。  二人には同じ予感が働いた。この事件はこれだけで片づくまいという不安が双方の心を引き締めた。きっとお秀が何かするだろう。すれば直接京都へ向ってやるに違いない。そうしてその結果は自然二人の不利益となるにきまっている。――ここまでは二人の一致する点であった。それから先が肝心の善後策になった。しかしそこへ来ると意見が区々で、容易に纏まらなかった。  お延は仲裁者として第一に藤井の叔父を指名した。しかし津田は首を掉った。彼は叔父も叔母もお秀の味方である事をよく承知していた。次に津田の方から岡本はどうだろうと云い出した。けれども岡本は津田の父とそれほど深い交際がないと云う理由で、今度はお延が反対した。彼女はいっそ簡単に自分が和解の目的で、お秀の所へ行って見ようかという案を立てた。これには津田も大した違存はなかった。たとい今度の事件のためでなくとも、絶交を希望しない以上、何らかの形式のもとに、両家の交際は復活されべき運命をもっていたからである。しかしそれはそれとして、彼らはもう少し有効な方法を同時に講じて見たかった。彼らは考えた。  しまいに吉川の名が二人の口から同じように出た。彼の地位、父との関係、父から特別の依頼を受けて津田の面倒を見てくれている目下の事情、――数えれば数えるほど、彼には有利な条件が具っていた。けれどもそこにはまた一種の困難があった。それほど親しく近づき悪い吉川に口を利いて貰おうとすれば、是非共その前に彼の細君を口説き落さなければならなかった。ところがその細君はお延にとって大の苦手であった。お延は津田の提議に同意する前に、少し首を傾けた。細君と仲善の津田はまた充分成効の見込がそこに見えているので、熱心にそれを主張した。しまいにお延はとうとう我を折った。  事件後の二人は打ち解けてこんな相談をした後で心持よく別れた。 百十四  前夜よく寝られなかった疲労の加わった津田はその晩案外気易く眠る事ができた。翌日もまた透き通るような日差を眼に受けて、晴々しい空気を篏硝子の外に眺めた彼の耳には、隣りの洗濯屋で例の通りごしごし云わす音が、どことなしに秋の情趣を唆った。 「……へ行くなら着て行かしゃんせ。シッシッシ」  洗濯屋の男は、俗歌を唄いながら、区切区切へシッシッシという言葉を入れた。それがいかにも忙がしそうに手を働かせている彼らの姿を津田に想像させた。  彼らは突然変な穴から白い物を担いで屋根へ出た。それから物干へ上って、その白いものを隙間なく秋の空へ広げた。ここへ来てから、日ごとに繰り返される彼らの所作は単調であった。しかし勤勉であった。それがはたして何を意味しているか津田には解らなかった。  彼は今の自分にもっと親切な事を頭の中で考えなければならなかった。彼は吉川夫人の姿を憶い浮べた。彼の未来、それを眼の前に描き出すのは、あまりに漠然過ぎた。それを纏めようとすると、いつでも吉川夫人が現われた。平生から自分の未来を代表してくれるこの焦点にはこの際特別な意味が附着していた。  一にはこの間訪問した時からの引かかりがあった。その時二人の間に封じ込められたある問題を、ぽたりと彼の頭に点じたのは彼女であった。彼にはその後を聴くまいとする努力があった。また聴こうとする意志も動いた。すでに封を切ったものが彼女であるとすれば、中味を披く権利は自分にあるようにも思われた。  二には京都の事が気になった。軽重を別にして考えると、この方がむしろ急に逼っていた。一日も早く彼女に会うのが得策のようにも見えた。まだ四五日はどうしても動く事のできない身体を持ち扱った彼は、昨日お延の帰る前に、彼女を自分の代りに夫人の所へやろうとしたくらいであった。それはお延に断られたので、成立しなかったけれども、彼は今でもその方が適当な遣口だと信じていた。  お延がなぜこういう用向を帯びて夫人を訪ねるのを嫌ったのか、津田は不思議でならなかった。黙っていてもそんな方面へ出入をしたがる女のくせに。と彼はその時考えた。夫人の前へ出られるためにわざと用事を拵らえて貰ったのと同じ事だのにとまで、自分の動議を強調して見た。しかしどうしても引き受けたがらないお延を、たって強いる気もまたその場合の彼には起らなかった。それは夫婦打ち解けた気分にも起因していたが、一方から見ると、またお延の辞退しようにも関係していた。彼女は自分が行くと必ず失敗するからと云った。しかしその理由を述べる代りに、津田ならきっと成効するに違ないからと云った。成効するにしても、病院を出た後でなければ会う訳に行かないんだから、遅くなる虞れがあると津田が注意した時、お延はまた意外な返事を彼に与えた。彼女は夫人がきっと病院へ見舞に来るに違ないと断言した。その時機を利用しさえすれば、一番自然にまた一番簡単に事が運ぶのだと主張した。  津田は洗濯屋の干物を眺めながら、昨日の問答をこんな風に、それからそれへと手元へ手繰り寄せて点検した。すると吉川夫人は見舞に来てくれそうでもあった。また来てくれそうにもなかった。つまりお延がなぜ来る方をそう堅く主張したのか解らなくなった。彼は芝居の食堂で晩餐の卓に着いたという大勢を眼先に想像して見た。お延と吉川夫人の間にどんな会話が取り換わされたかを、小説的に組み合せても見た。けれどもその会話のどこからこの予言が出て来たかの点になると、自分に解らないものとして投げてしまうよりほかに手はなかった。彼はすでに幾分の直覚、不幸にして天が彼に与えてくれなかった幾分の直覚を、お延に許していた。その点でいつでも彼女を少し畏れなければならなかった彼には、杜撰にそこへ触れる勇気がなかった。と同時に、全然その直覚に信頼する事のできない彼は、何とかしてこっちから吉川夫人を病院へ呼び寄せる工夫はあるまいかと考えた。彼はすぐ電話を思いついた。横着にも見えず、ことさらでもなし、自然に彼女がここまで出向いて来るような電話のかけ方はなかろうかと苦心した。しかしその苦心は水の泡を製造する努力とほぼ似たものであった。いくら骨を折って拵えても、すぐ後から消えて行くだけであった。根本的に無理な空想を実現させようと巧らんでいるのだから仕方がないと気がついた時、彼は一人で苦笑してまた硝子越に表を眺めた。  表はいつか風立った。洗濯屋の前にある一本の柳の枝が白い干物といっしょになって軽く揺れていた。それを掠めるようにかけ渡された三本の電線も、よそと調子を合せるようにふらふらと動いた。 百十五  下から上って来た医者には、その時の津田がいかにも退屈そうに見えた。顔を合せるや否や彼は「いかがです」と訊いた後で、「もう少しの我慢です」とすぐ慰めるように云った。それから彼は津田のためにガーゼを取り易えてくれた。 「まだ創口の方はそっとしておかないと、危険ですから」  彼はこう注意して、じかに局部を抑えつけている個所を少し緩めて見たら、血が煮染み出したという話を用心のためにして聴かせた。  取り易えられたガーゼは一部分に過ぎなかった。要所を剥がすと、血が迸しるかも知れないという身体では、津田も無理をして宅へ帰る訳に行かなかった。 「やッぱり予定通りの日数は動かずにいるよりほかに仕方がないでしょうね」  医者は気の毒そうな顔をした。 「なに経過次第じゃ、それほど大事を取るにも及ばないんですがね」  それでも医者は、時間と経済に不足のない、どこから見ても余裕のある患者として、津田を取扱かっているらしかった。 「別に大した用事がお有になる訳でもないんでしょう」 「ええ一週間ぐらいはここで暮らしてもいいんです。しかし臨時にちょっと事件が起ったので……」 「はあ。――しかしもう直です。もう少しの辛防です」  これよりほかに云いようのなかった医者は、外来患者の方がまだ込み合わないためか、そこへ坐って二三の雑談をした。中で、彼がまだ助手としてある大きな病院に勤めている頃に起ったという一口話が、思わず津田を笑わせた。看護婦が薬を間違えたために患者が死んだのだという嫌疑をかけて、是非その看護婦を殴らせろと、医局へ逼った人があったというその話は、津田から見るといかにも滑稽であった。こういう性質の人と正反対に生みつけられた彼は、そこに馬鹿らしさ以外の何物をも見出す事ができなかった。平たく云い直すと、彼は向うの短所ばかりに気を奪られた。そうしてその裏側へ暗に自分の長所を点綴して喜んだ。だから自分の短所にはけっして思い及ばなかったと同一の結果に帰着した。  医者の診察が済んだ後で、彼は下らない病気のために、一週間も一つ所に括りつけられなければならない現在の自分を悲観したくなった。気のせいか彼にはその現在が大変貴重に見えた。もう少し治療を後廻しにすれば好かったという後悔さえ腹の中には起った。  彼はまた吉川夫人の事を考え始めた。どうかして彼女をここへ呼びつける工夫はあるまいかと思うよりも、どうかして彼女がここへ来てくれればいいがと思う方に、心の調子がだんだん移って行った。自分を見破られるという意味で、平生からお延の直覚を悪く評価していたにもかかわらず、例外なこの場合だけには、それがあたって欲しいような気もどこかでした。  彼はお延の置いて行った書物の中から、その一冊を抽いた。岡本の所蔵にかかるだけあるなと首肯ずかせるような趣がそこここに見えた。不幸にして彼は諧謔を解する事を知らなかった。中に書いてある活字の意味は、頭に通じても胸にはそれほど応えなかった。頭にさえ呑み込めないのも続々出て来た。責任のない彼は、自分に手頃なのを見つけようとして、どしどし飛ばして行った。すると偶然下のようなのが彼の眼に触れた。 「娘の父が青年に向って、あなたは私の娘を愛しておいでなのですかと訊いたら、青年は、愛するの愛さないのっていう段じゃありません、お嬢さんのためなら死のうとまで思っているんです。あの懐かしい眼で、優しい眼遣いをただの一度でもしていただく事ができるなら、僕はもうそれだけで死ぬのです。すぐあの二百尺もあろうという崖の上から、岩の上へ落ちて、めちゃくちゃな血だらけな塊りになって御覧に入れます。と答えた。娘の父は首を掉って、実を云うと、私も少し嘘を吐く性分だが、私の家のような少人数な家族に、嘘付が二人できるのは、少し考えものですからね。と答えた」  嘘吐という言葉がいつもより皮肉に津田を苦笑させた。彼は腹の中で、嘘吐な自分を肯がう男であった。同時に他人の嘘をも根本的に認定する男であった。それでいて少しも厭世的にならない男であった。むしろその反対に生活する事のできるために、嘘が必要になるのだぐらいに考える男であった。彼は、今までこういう漠然とした人世観の下に生きて来ながら、自分ではそれを知らなかった。彼はただ行ったのである。だから少し深く入り込むと、自分で自分の立場が分らなくなるだけであった。 「愛と虚偽」  自分の読んだ一口噺からこの二字を暗示された彼は、二つのものの関係をどう説明していいかに迷った。彼は自分に大事なある問題の所有者であった。内心の要求上是非共それを解決しなければならない彼は、実験の機会が彼に与えられない限り、頭の中でいたずらに考えなければならなかった。哲学者でない彼は、自身に今まで行って来た人世観をすら、組織正しい形式の下に、わが眼の前に並べて見る事ができなかったのである。 百十六  津田は纏まらない事をそれからそれへと考えた。そのうちいつか午過ぎになってしまった。彼の頭は疲れていた。もう一つ事を長く思い続ける勇気がなくなった。しかし秋とは云いながら、独り寝ているには日があまりに長過ぎた。彼は退屈を感じ出した。そうしてまたお延の方に想いを馳せた。彼女の姿を今日も自分の眼の前に予期していた彼は横着であった。今まで彼女の手前憚からなければならないような事ばかりを、さんざん考え抜いたあげく、それが厭になると、すぐお延はもう来そうなものだと思って平気でいた。自然頭の中に湧いて出るものに対して、責任はもてないという弁解さえその時の彼にはなかった。彼の見たお延に不可解な点がある代りに、自分もお延の知らない事実を、胸の中に納めているのだぐらいの料簡は、遠くの方で働らいていたかも知れないが、それさえ、いざとならなければ判然した言葉になって、彼の頭に現われて来るはずがなかった。  お延はなかなか来なかった。お延以上に待たれる吉川夫人は固より姿を見せなかった。津田は面白くなかった。先刻から近くで誰かがやっている、彼の最も嫌な謡の声が、不快に彼の耳を刺戟した。彼の記憶にある謡曲指南という細長い看板が急に思い出された。それは洗濯屋の筋向うに当る二階建の家であった。二階が稽古をする座敷にでもなっていると見えて、距離の割に声の方がむやみに大きく響いた。他が勝手にやっているものを止めさせる権利をどこにも見出し得ない彼は、彼の不平をどうする事もできなかった。彼はただ早く退院したいと思うだけであった。  柳の木の後にある赤い煉瓦造りの倉に、山形の下に一を引いた屋号のような紋が付いていて、その左右に何のためとも解らない、大きな折釘に似たものが壁の中から突き出している所を、津田が見るとも見ないとも片のつかない眼で、ぼんやり眺めていた時、遠慮のない足音が急に聞こえて、誰かが階子段を、どしどし上って来た。津田はおやと思った。この足音の調子から、その主がもう七分通り、彼の頭の中では推定されていた。  彼の予覚はすぐ事実になった。彼が室の入口に眼を転ずると、ほとんどおッつかッつに、小林は貰い立ての外套を着たままつかつか入って来た。 「どうかね」  彼はすぐ胡坐をかいた。津田はむしろ苦しそうな笑いを挨拶の代りにした。何しに来たんだという心持が、顔を見ると共にもう起っていた。 「これだ」と彼は外套の袖を津田に突きつけるようにして見せた。 「ありがとう、お蔭でこの冬も生きて行かれるよ」  小林はお延の前で云ったと同じ言葉を津田の前で繰り返した。しかし津田はお延からそれを聴かされていなかったので、別に皮肉とも思わなかった。 「奥さんが来たろう」  小林はまたこう訊いた。 「来たさ。来るのは当り前じゃないか」 「何か云ってたろう」  津田は「うん」と答えようか、「いいや」と答えようかと思って、少し躊躇した。彼は小林がどんな事をお延に話したか、それを知りたかった。それを彼の口からここで繰り返させさえすれば、自分の答は「うん」だろうが、「いいえ」だろうが、同じ事であった。しかしどっちが成功するかそこはとっさの際にきめる訳に行かなかった。ところがその態度が意外な意味になって小林に反響した。 「奥さんが怒って来たな。きっとそんな事だろうと、僕も思ってたよ」  容易に手がかりを得た津田は、すぐそれに縋りついた。 「君があんまり苛めるからさ」 「いや苛めやしないよ。ただ少し調戯い過ぎたんだ、可哀想に。泣きゃしなかったかね」  津田は少し驚ろいた。 「泣かせるような事でも云ったのかい」 「なにどうせ僕の云う事だから出鱈目さ。つまり奥さんは、岡本さん見たいな上流の家庭で育ったので、天下に僕のような愚劣な人間が存在している事をまだ知らないんだ。それでちょっとした事まで苦にするんだろうよ。あんな馬鹿に取り合うなと君が平生から教えておきさえすればそれでいいんだ」 「そう教えている事はいるよ」と津田も負けずにやり返した。小林はハハと笑った。 「まだ少し訓練が足りないんじゃないか」  津田は言葉を改めた。 「しかし君はいったいどんな事を云って、彼奴に調戯ったのかい」 「そりゃもうお延さんから聴いたろう」 「いいや聴かない」  二人は顔を見合せた。互いの胸を忖度しようとする試みが、同時にそこに現われた。 百十七  津田が小林に本音を吹かせようとするところには、ある特別の意味があった。彼はお延の性質をその著るしい断面においてよく承知していた。お秀と正反対な彼女は、飽くまで素直に、飽くまで閑雅な態度を、絶えず彼の前に示す事を忘れないと共に、どうしてもまた彼の自由にならない点を、同様な程度でちゃんともっていた。彼女の才は一つであった。けれどもその応用は両面に亘っていた。これは夫に知らせてならないと思う事、または隠しておく方が便宜だときめた事、そういう場合になると、彼女は全く津田の手にあまる細君であった。彼女が柔順であればあるほど、津田は彼女から何にも掘り出す事ができなかった。彼女と小林の間に昨日どんなやりとりが起ったか、それはお秀の騒ぎで委細を訊く暇もないうちに、時間が経ってしまったのだから、事実やむをえないとしても、もしそういう故障のない時に、津田から詳しいありのままを問われたら、お延はおいそれと彼の希望通り、綿密な返事を惜まずに、彼の要求を満足させたろうかと考えると、そこには大きな疑問があった。お延の平生から推して、津田はむしろごまかされるに違ないと思った。ことに彼がもしやと思っている点を、小林が遠慮なくしゃべったとすれば、お延はなおの事、それを聴かないふりをして、黙って夫の前を通り抜ける女らしく見えた。少くとも津田の観察した彼女にはそれだけの余裕が充分あった。すでにお延の方を諦らめなければならないとすると、津田は自分に必要な知識の出所を、小林に向って求めるよりほかに仕方がなかった。  小林は何だかそこを承知しているらしかった。 「なに何にも云やしないよ。嘘だと思うなら、もう一遍お延さんに訊いて見たまえ。もっとも僕は帰りがけに悪いと思ったから、詫まって来たがね。実を云うと、何で詫まったか、僕自身にも解らないくらいのものさ」  彼はこう云って嘯いた。それからいきなり手を延べて、津田の枕元にある読みかけの書物を取り上げて、一分ばかりそれを黙読した。 「こんなものを読むのかね」と彼はさも軽蔑した口調で津田に訊いた。彼はぞんざいに頁を剥繰りながら、終りの方から逆に始めへ来た。そうしてそこに岡本という小さい見留印を見出した時、彼は「ふん」と云った。 「お延さんが持って来たんだな。道理で妙な本だと思った。――時に君、岡本さんは金持だろうね」 「そんな事は知らないよ」 「知らないはずはあるまい。だってお延さんの里じゃないか」 「僕は岡本の財産を調べた上で、結婚なんかしたんじゃないよ」 「そうか」  この単純な「そうか」が変に津田の頭に響いた。「岡本の財産を調べないで、君が結婚するものか」という意味にさえ取れた。 「岡本はお延の叔父だぜ、君知らないのか。里でも何でもありゃしないよ」 「そうか」  小林はまた同じ言葉を繰り返した。津田はなお不愉快になった。 「そんなに岡本の財産が知りたければ、調べてやろうか」  小林は「えへへ」と云った。「貧乏すると他の財産まで苦になってしようがない」  津田は取り合わなかった。それでその問題を切り上げるかと思っていると、小林はすぐ元へ帰って来た。 「しかしいくらぐらいあるんだろう、本当のところ」  こう云う態度はまさしく彼の特色であった。そうしていつでも二様に解釈する事ができた。頭から向うを馬鹿だと認定してしまえばそれまでであると共に、一度こっちが馬鹿にされているのだと思い出すと、また際限もなく馬鹿にされている訳にもなった。彼に対する津田は実のところ半信半疑の真中に立っていた。だからそこに幾分でも自分の弱点が潜在する場合には、馬鹿にされる方の解釈に傾むかざるを得なかった。ただ相手をつけあがらせない用心をするよりほかに仕方がなかった彼は、ただ微笑した。 「少し借りてやろうか」 「借りるのは厭だ。貰うなら貰ってもいいがね。――いや貰うのも御免だ、どうせくれる気遣はないんだから。仕方がなければ、まあ取るんだな」小林はははと笑った。「一つ朝鮮へ行く前に、面白い秘密でも提供して、岡本さんから少し取って行くかな」  津田はすぐ話をその朝鮮へ持って行った。 「時にいつ立つんだね」 「まだしっかり判らない」 「しかし立つ事は立つのかい」 「立つ事は立つ。君が催促しても、しなくっても、立つ日が来ればちゃんと立つ」 「僕は催促をするんじゃない。時間があったら君のために送別会を開いてやろうというのだ」  今日小林から充分な事が聴けなかったら、その送別会でも利用してやろうと思いついた津田は、こう云って予備としての第二の機会を暗に作り上げた。 百十八  故意だか偶然だか、津田の持って行こうとする方面へはなかなか持って行かれない小林に対して、この注意はむしろ必要かも知れなかった。彼はいつまでも津田の問に応ずるようなまた応じないような態度を取った。そうしてしつこく自分自身の話題にばかり纏綿わった。それがまた津田の訊こうとする事と、間接ではあるが深い関係があるので、津田は蒼蠅くもあり、じれったくもあった。何となく遠廻しに痛振られるような気もした。 「君吉川と岡本とは親類かね」と小林が云い出した。  津田にはこの質問が無邪気とは思えなかった。 「親類じゃない、ただの友達だよ。いつかも君が訊いた時に、そう云って話したじゃないか」 「そうか、あんまり僕に関係の遠い人達の事だもんだから、つい忘れちまった。しかし彼らは友達にしても、ただの友達じゃあるまい」 「何を云ってるんだ」  津田はついその後へ馬鹿野郎と付け足したかった。 「いや、よほどの親友なんだろうという意味だ。そんなに怒らなくってもよかろう」  吉川と岡本とは、小林の想像する通りの間柄に違なかった。単なる事実はただそれだけであった。しかしその裏に、津田とお延を貼りつけて、裏表の意味を同時に眺める事は自由にできた。 「君は仕合せな男だな」と小林が云った。「お延さんさえ大事にしていれば間違はないんだから」 「だから大事にしているよ。君の注意がなくったって、そのくらいの事は心得ているんだ」 「そうか」  小林はまた「そうか」という言葉を使った。この真面目くさった「そうか」が重なるたびに、津田は彼から脅やかされるような気がした。 「しかし君は僕などと違って聡明だからいい。他はみんな君がお延さんに降参し切ってるように思ってるぜ」 「他とは誰の事だい」 「先生でも奥さんでもさ」  藤井の叔父や叔母から、そう思われている事は、津田にもほぼ見当がついていた。 「降参し切っているんだから、そう見えたって仕方がないさ」 「そうか。――しかし僕のような正直者には、とても君の真似はできない。君はやッぱりえらい男だ」 「君が正直で僕が偽物なのか。その偽物がまた偉くって正直者は馬鹿なのか。君はいつまたそんな哲学を発明したのかい」 「哲学はよほど前から発明しているんだがね。今度改めてそれを発表しようと云うんだ、朝鮮へ行くについて」  津田の頭に妙な暗示が閃めかされた。 「君旅費はもうできたのか」 「旅費はどうでもできるつもりだがね」 「社の方で出してくれる事にきまったのかい」 「いいや。もう先生から借りる事にしてしまった」 「そうか。そりゃ好い具合だ」 「ちっとも好い具合じゃない。僕はこれでも先生の世話になるのが気の毒でたまらないんだ」  こういう彼は、平気で自分の妹のお金さんを藤井に片づけて貰う男であった。 「いくら僕が恥知らずでも、この上金の事で、先生に迷惑をかけてはすまないからね」  津田は何とも答えなかった。小林は無邪気に相談でもするような調子で云った。 「君どこかに強奪る所はないかね」 「まあないね」と云い放った津田は、わざとそっぽを向いた。 「ないかね。どこかにありそうなもんだがな」 「ないよ。近頃は不景気だから」 「君はどうだい。世間はとにかく、君だけはいつも景気が好さそうじゃないか」 「馬鹿云うな」  岡本から貰った小切手も、お秀の置いて行った紙包も、みんなお延に渡してしまった後の彼の財布は空と同じ事であった。よしそれが手元にあったにしたところで、彼はこの場合小林のために金銭上の犠牲を払う気は起らなかった。第一事がそこまで切迫して来ない限り、彼は相談に応ずる必要を毫も認めなかった。  不思議に小林の方でも、それ以上津田を押さなかった。その代り突然妙なところへ話を切り出して彼を驚ろかした。  その朝藤井へ行った彼は、そこで例もするように昼飯の馳走になって、長い時間を原稿の整理で過ごしているうちに、玄関の格子が開いたので、ひょいと自分で取次に出た。そうしてそこに偶然お秀の姿を見出したのである。  小林の話をそこまで聴いた時、津田は思わず腹の中で「畜生ッ先廻りをしたな」と叫んだ。しかしただそれだけではすまなかった。小林の頭にはまだ津田を驚ろかせる材料が残っていた。 百十九  しかし彼の驚ろかし方には、また彼一流の順序があった。彼は一番始めにこんな事を云って津田に調戯った。 「兄妹喧嘩をしたんだって云うじゃないか。先生も奥さんも、お秀さんにしゃべりつけられて弱ってたぜ」 「君はまた傍でそれを聴いていたのか」  小林は苦笑しながら頭を掻いた。 「なに聴こうと思って聴いた訳でもないがね。まあ天然自然耳へ入ったようなものだ。何しろしゃべる人がお秀さんで、しゃべらせる人が先生だからな」  お秀にはどこか片意地で一本調子な趣があった。それに一種の刺戟が加わると、平生の落ちつきが全く無くなって、不断と打って変った猛烈さをひょっくり出現させるところに、津田とはまるで違った特色があった。叔父はまた叔父で、何でも構わず底の底まで突きとめなければ承知のできない男であった。単に言葉の上だけでもいいから、前後一貫して俗にいう辻褄が合う最後まで行きたいというのが、こういう場合相手に対する彼の態度であった。筆の先で思想上の問題を始終取り扱かいつけている癖が、活字を離れた彼の日常生活にも憑り移ってしまった結果は、そこによく現われた。彼は相手にいくらでも口を利かせた。その代りまたいくらでも質問をかけた。それが或程度まで行くと、質問という性質を離れて、詰問に変化する事さえしばしばあった。  津田は心の中で、この叔父と妹と対坐した時の様子を想像した。ことによるとそこでまた一波瀾起したのではあるまいかという疑さえ出た。しかし小林に対する手前もあるので、上部はわざと高く出た。 「おおかためちゃくちゃに僕の悪口でも云ったんだろう」  小林は御挨拶にただ高笑いをした後で、こんな事を云った。 「だが君にも似合わないね、お秀さんと喧嘩をするなんて」 「僕だからしたのさ。彼奴だって堀の前なら、もっと遠慮すらあね」 「なるほどそうかな。世間じゃよく夫婦喧嘩っていうが、夫婦喧嘩より兄妹喧嘩の方が普通なものかな。僕はまだ女房を持った経験がないから、そっちのほうの消息はまるで解らないが、これでも妹はあるから兄妹の味ならよく心得ているつもりだ。君何だぜ。僕のような兄でも、妹と喧嘩なんかした覚はまだないぜ」 「そりゃ妹次第さ」 「けれどもそこはまた兄次第だろう」 「いくら兄だって、少しは腹の立つ場合もあるよ」  小林はにやにや笑っていた。 「だが、いくら君だって、今お秀さんを怒らせるのが得策だとは思ってやしまい」 「そりゃ当り前だよ。好んで誰が喧嘩なんかするもんか。あんな奴と」  小林はますます笑った。彼は笑うたびに一調子ずつ余裕を生じて来た。 「蓋しやむをえなかった訳だろう。しかしそれは僕の云う事だ。僕は誰と喧嘩したって構わない男だ。誰と喧嘩したって損をしっこない境遇に沈淪している人間だ。喧嘩の結果がもしどこかにあるとすれば、それは僕の損にゃならない。何となれば、僕はいまだかつて損になるべき何物をも最初からもっていないんだからね。要するに喧嘩から起り得るすべての変化は、みんな僕の得になるだけなんだから、僕はむしろ喧嘩を希望してもいいくらいなものだ。けれども君は違うよ。君の喧嘩はけっして得にゃならない。そうして君ほどまた損得利害をよく心得ている男は世間にたんとないんだ。ただ心得てるばかりじゃない、君はそうした心得の下に、朝から晩まで寝たり起きたりしていられる男なんだ。少くともそうしなければならないと始終考えている男なんだ。好いかね。その君にして――」  津田は面倒臭そうに小林を遮ぎった。 「よし解った。解ったよ。つまり他と衝突するなと注意してくれるんだろう。ことに君と衝突しちゃ僕の損になるだけだから、なるべく事を穏便にしろという忠告なんだろう、君の主意は」  小林は惚けた顔をしてすまし返った。 「何僕と? 僕はちっとも君と喧嘩をする気はないよ」 「もう解ったというのに」 「解ったらそれでいいがね。誤解のないように注意しておくが、僕は先刻からお秀さんの事を問題にしているんだぜ、君」 「それも解ってるよ」 「解ってるって、そりゃ京都の事だろう。あっちが不首尾になるという意味だろう」 「もちろんさ」 「ところが君それだけじゃないぜ。まだほかにも響いて来るんだぜ、気をつけないと」  小林はそこで句を切って、自分の言葉の影響を試験するために、津田の顔を眺めた。津田ははたして平気でいる事ができなかった。 百二十  小林はここだという時機を捕まえた。 「お秀さんはね君」と云い出した時の彼は、もう津田を擒にしていた。 「お秀さんはね君、先生の所へ来る前に、もう一軒ほかへ廻って来たんだぜ。その一軒というのはどこの事だか、君に想像がつくか」  津田には想像がつかなかった。少なくともこの事件について彼女が足を運びそうな所は、藤井以外にあるはずがなかった。 「そんな所は東京にないよ」 「いやあるんだ」  津田は仕方なしに、頭の中でまたあれかこれかと物色して見た。しかしいくら考えても、見当らないものはやッぱり見当らなかった。しまいに小林が笑いながら、その宅の名を云った時に、津田ははたして驚ろいたように大きな声を出した。 「吉川? 吉川さんへまたどうして行ったんだろう。何にも関係がないじゃないか」  津田は不思議がらざるを得なかった。  ただ吉川と堀を結びつけるだけの事なら、津田にも容易にできた。強い空想の援に依る必要も何にもなかった。津田夫婦の結婚するとき、表向媒妁の労を取ってくれた吉川夫婦と、彼の妹にあたるお秀と、その夫の堀とが社交的に関係をもっているのは、誰の眼にも明らかであった。しかしその縁故で、この問題を提さげたお秀が、とくに吉川の門に向う理由はどこにも発見できなかった。 「ただ訪問のために行っただけだろう。単に敬意を払ったんだろう」 「ところがそうでないらしいんだ。お秀さんの話を聴いていると」  津田はにわかにその話が聴きたくなった。小林は彼を満足させる代りに注意した。 「しかし君という男は、非常に用意周到なようでどこか抜けてるね。あんまり抜けまい抜けまいとするから、自然手が廻りかねる訳かね。今度の事だって、そうじゃないか、第一お秀さんを怒らせる法はないよ、君の立場として。それから怒らせた以上、吉川の方へ突ッ走らせるのは愚だよ。その上吉川の方へ向いて行くはずがないと思い込んで、初手から高を括っているなんぞは、君の平生にも似合わないじゃないか」  結果の上から見た津田の隙間を探し出す事は小林にも容易であった。 「いったい君のファーザーと吉川とは友達だろう。そうして君の事はファーザーから吉川に万事宜しく願ってあるんだろう。そこへお秀さんが馳け込むのは当り前じゃないか」  津田は病院へ来る前、社の重役室で吉川から聴かされた「年寄に心配をかけてはいけない。君が東京で何をしているか、ちゃんとこっちで解ってるんだから、もし不都合な事があれば、京都へ知らせてやるだけだ。用心しろ」という意味の言葉を思い出した。それは今から解釈して見ても冗談半分の訓戒に過ぎなかった。しかしもしそれをここで真面目一式な文句に転倒するものがあるとすれば、その作者はお秀であった。 「ずいぶん突飛な奴だな」  突飛という性格が彼の家伝にないだけ彼の批評には意外という観念が含まれていた。 「いったい何を云やがったろう、吉川さんで。――彼奴の云う事を真向に受けていると、いいのは自分だけで、ほかのものはみんな悪くなっちまうんだから困るよ」  津田の頭には直接の影響以上に、もっと遠くの方にある大事な結果がちらちらした。吉川に対する自分の信用、吉川と岡本との関係、岡本とお延との縁合、それらのものがお秀の遣口一つでどう変化して行くか分らなかった。 「女はあさはかなもんだからな」  この言葉を聴いた小林は急に笑い出した。今まで笑ったうちで一番大きなその笑い方が、津田をはっと思わせた。彼は始めて自分が何を云っているかに気がついた。 「そりゃどうでもいいが、お秀が吉川へ行ってどんな事をしゃべったのか、叔父に話していたところを君が聴いたのなら、教えてくれたまえ」 「何かしきりに云ってたがね。実をいうと、僕は面倒だから碌に聴いちゃいなかったよ」  こう云った小林は肝心なところへ来て、知らん顔をして圏外へ出てしまった。津田は失望した。その失望をしばらく味わった後で、小林はまた圏内へ帰って来た。 「しかしもう少し待ってたまえ。否でも応でも聴かされるよ」  津田はまさかお秀がまた来る訳でもなかろうと思った。 「なにお秀さんじゃない。お秀さんは直に来やしない。その代りに吉川の細君が来るんだ。嘘じゃないよ。この耳でたしかに聴いて来たんだもの。お秀さんは細君の来る時間まで明言したくらいだ。おおかたもう少ししたら来るだろう」  お延の予言はあたった。津田がどうかして呼びつけたいと思っている吉川夫人は、いつの間にか来る事になっていた。 百二十一  津田の頭に二つのものが相継いで閃めいた。一つはこれからここへ来るその吉川夫人を旨く取扱わなければならないという事前の暗示であった。彼女の方から病院まで足を運んでくれる事は、予定の計画から見て、彼の最も希望するところには違なかったが、来訪の意味がここに新らしく付け加えられた以上、それに対する彼の応答ぶりも変えなければならなかった。この場合における夫人の態度を想像に描いて見た彼は、多少の不安を感じた。お秀から偏見を注ぎ込まれた後の夫人と、まだ反感を煽られない前の夫人とは、彼の眼に映るところだけでも、だいぶ違っていた。けれどもそこには平生の自信もまた伴なっていた。彼には夫人の持ってくる偏見と反感を、一場の会見で、充分引繰り返して見せるという覚悟があった。少くともここでそれだけの事をしておかなければ、自分の未来が危なかった。彼は三分の不安と七分の信力をもって、彼女の来訪を待ち受けた。  残る一つの閃めきが、お延に対する態度を、もう一遍臨時に変更する便宜を彼に教えた。先刻までの彼は退屈のあまり彼女の姿を刻々に待ち設けていた。しかし今の彼には別途の緊張があった。彼は全然異なった方面の刺戟を予想した。お延はもう不用であった。というよりも、来られてはかえって迷惑であった。その上彼はただ二人、夫人と差向いで話してみたい特殊な問題も控えていた。彼はお延と夫人がここでいっしょに落ち合う事を、是非共防がなければならないと思い定めた。  附帯条件として、小林を早く追払う手段も必要になって来た。しかるにその小林は今にも吉川夫人が見えるような事を云いながら、自分の帰る気色をどこにも現わさなかった。彼は他の邪魔になる自分を苦にする男ではなかった。時と場合によると、それと知って、わざわざ邪魔までしかねない人間であった。しかもそこまで行って、実際気がつかずに迷惑がらせるのか、または心得があって故意に困らせるのか、その判断を確と他に与えずに平気で切り抜けてしまうじれったい人物であった。  津田は欠伸をして見せた。彼の心持と全く釣り合わないこの所作が彼を二つに割った。どこかそわそわしながら、いかにも所在なさそうに小林と応対するところに、中断された気分の特色が斑になって出た。それでも小林はすましていた。枕元にある時計をまた取り上げた津田は、それを置くと同時に、やむをえず質問をかけた。 「君何か用があるのか」 「ない事もないんだがね。なにそりゃ今に限った訳でもないんだ」  津田には彼の意味がほぼ解った。しかしまだ降参する気にはなれなかった。と云って、すぐ撃退する勇気はなおさらなかった。彼は仕方なしに黙っていた。すると小林がこんな事を云い出した。 「僕も吉川の細君に会って行こうかな」  冗談じゃないと津田は腹の中で思った。 「何か用があるのかい」 「君はよく用々って云うが、何も用があるから人に会うとは限るまい」 「しかし知らない人だからさ」 「知らない人だからちょっと会って見たいんだ。どんな様子だろうと思ってね。いったい僕は金持の家庭へ入った事もないし、またそんな人と交際った例もない男だから、ついこういう機会に、ちょっとでもいいから、会っておきたくなるのさ」 「見世物じゃあるまいし」 「いや単なる好奇心だ。それに僕は閑だからね」  津田は呆れた。彼は小林のようなみすぼらしい男を、友達の内にもっているという証拠を、夫人に見せるのが厭でならなかった。あんな人と付合っているのかと軽蔑された日には、自分の未来にまで関係すると考えた。 「君もよほど呑気だね。吉川の奥さんが今日ここへ何しに来るんだか、君だって知ってるじゃないか」 「知ってる。――邪魔かね」  津田は最後の引導を渡すよりほかに途がなくなった。 「邪魔だよ。だから来ないうちに早く帰ってくれ」  小林は別に怒った様子もしなかった。 「そうか、じゃ帰ってもいい。帰ってもいいが、その代り用だけは云って行こう、せっかく来たものだから」  面倒になった津田は、とうとう自分の方からその用を云ってしまった。 「金だろう。僕に相当の御用なら承ってもいい。しかしここには一文も持っていない。と云って、また外套のように留守へ取りに行かれちゃ困る」  小林はにやにや笑いながら、じゃどうすればいいんだという問を顔色でかけた。まだ小林に聴く事の残っている津田は、出立前もう一遍彼に会っておく方が便宜であった。けれども彼とお延と落ち合う掛念のある病院では都合が悪かった。津田は送別会という名の下に、彼らの出会うべき日と時と場所とを指定した後で、ようやくこの厄介者を退去させた。 百二十二  津田はすぐ第二の予防策に取りかかった。彼は床の上に置かれた小型の化粧箱を取り除けて、その下から例のレターペーパーを同じラヴェンダー色の封筒を引き抜くや否や、すぐ万年筆を走らせた。今日は少し都合があるから、見舞に来るのを見合せてくれという意味を、簡単に書き下した手紙は一分かかるかかからないうちに出来上った。気の急いた彼には、それを読み直す暇さえ惜かった。彼はすぐ封をしてしまった。そうして中味の不完全なために、お延がどんな疑いを起すかも知れないという事には、少しの顧慮も払わなかった。平生の用心を彼から奪ったこの場合は、彼を怱卒しくしたのみならず彼の心を一直線にしなければやまなかった。彼は手紙を持ったまま、すぐ二階を下りて看護婦を呼んだ。 「ちょっと急な用事だから、すぐこれを持たせて車夫を宅までやって下さい」  看護婦は「へえ」と云って封書を受け取ったなり、どこに急な用事ができたのだろうという顔をして、宛名を眺めた。津田は腹の中で往復に費やす車夫の時間さえ考えた。 「電車で行くようにして下さい」  彼は行き違いになる事を恐れた。手紙を受け取らない前にお延が病院へ来てはせっかくの努力も無駄になるだけであった。  二階へ帰って来た後でも、彼はそればかりが苦になった。そう思うと、お延がもう宅を出て、電車へ乗って、こっちの方角へ向いて動いて来るような気さえした。自然それといっしょに頭の中に纏付るのは小林であった。もし自分の目的が達せられない先に、細君が階子段の上に、すらりとしたその姿を現わすとすれば、それは全く小林の罪に相違ないと彼は考えた。貴重な時間を無駄に費やさせられたあげく、頼むようにして帰って貰った彼の後姿を見送った津田は、それでももう少しで刻下の用を弁ずるために、小林を利用するところであった。「面倒でも帰りにちょっと宅へ寄って、今日来てはいけないとお延に注意してくれ」。こういう言葉がつい口の先へ出かかったのを、彼は驚ろいて、引ッ込ましてしまったのである。もしこれが小林でなかったなら、この際どんなに都合がよかったろうにとさえ実は思ったのである。  津田が神経を鋭どくして、今来るか今来るかという細かい予期に支配されながら、吉川夫人を刻々に待ち受けている間に、彼の看護婦に渡したお延への手紙は、また彼のいまだ想いいたらない運命に到着すべく余儀なくされた。  手紙は彼の命令通り時を移さず車夫の手に渡った。車夫はまた看護婦の命令通り、それを手に持ったまますぐ電車へ乗った。それから教えられた通りの停留所で下りた。そこを少し行って、大通りを例の細い往来へ切れた彼は、何の苦もなくまた名宛の苗字を小綺麗な二階建の一軒の門札に見出した。彼は玄関へかかった。そこで手に持った手紙を取次に出たお時に渡した。  ここまではすべての順序が津田の思い通りに行った。しかしその後には、書面を認める時、まるで彼の頭の中に入っていなかった事実が横わっていた。手紙はすぐお延の手に落ちなかった。  しかし津田の懸念したように、宅にいなかったお延は、彼の懸念したように病院へ出かけたのではなかった。彼女は別に行先を控えていた。しかもそれは際どい機会を旨く利用しようとする敏捷な彼女の手腕を充分に発揮した結果であった。  その日のお延は朝から通例のお延であった。彼女は不断のように起きて、不断のように動いた。津田のいる時と万事変りなく働らいた彼女は、それでも夫の留守から必然的に起る、時間の余裕を持て余すほど楽な午前を過ごした。午飯を食べた後で、彼女は洗湯に行った。病院へ顔を出す前ちょっと綺麗になっておきたい考えのあった彼女は、そこでずいぶん念入に時間を費やした後、晴々した好い心持を湯上りの光沢しい皮膚に包みながら帰って来ると、お時から嘘ではないかと思われるような報告を聴いた。 「堀の奥さんがいらっしゃいました」  お延は下女の言葉を信ずる事ができないくらいに驚ろいた。昨日の今日、お秀の方からわざわざ自分を尋ねて来る。そんな意外な訪問があり得べきはずはなかった。彼女は二遍も三遍も下女の口を確かめた。何で来たかをさえ訊かなければ気がすまなかった。なぜ待たせておかなかったかも問題になった。しかし下女は何にも知らなかった。ただ藤井の帰りに通り路だからちょっと寄ったまでだという事だけが、お秀の下女に残して行った言葉で解った。  お延は既定のプログラムをとっさの間に変更した。病院は抜いて、お秀の方へ行先を転換しなければならないという覚悟をきめた。それは津田と自分との間に取り換わされた約束に過ぎなかった。何らの不自然に陥いる痕迹なしにその約束を履行するのは今であった。彼女はお秀の後を追かけるようにして宅を出た。 百二十三  堀の家は大略の見当から云って、病院と同じ方角にあるので、電車を二つばかり手前の停留所で下りて、下りた処から、すぐ右へ切れさえすれば、つい四五町の道を歩くだけで、すぐ門前へ出られた。  藤井や岡本の住居と違って、郊外に遠い彼の邸には、ほとんど庭というものがなかった。車廻し、馬車廻しは無論の事であった。往来に面して建てられたと云ってもいいその二階作りと門の間には、ただ三間足らずの余地があるだけであった。しかもそれが石で敷き詰められているので、地面の色はどこにも見えなかった。  市区改正の結果、よほど以前に取り広げられた往来には、比較的よそで見られない幅があった。それでいて商売をしている店は、町内にほとんど一軒も見当らなかった。弁護士、医者、旅館、そんなものばかりが並んでいるので、四辺が繁華な割に、通りはいつも閑静であった。  その上路の左右には柳の立木が行儀よく植えつけられていた。したがって時候の好い時には、殺風景な市内の風も、両側に揺く緑りの裡に一種の趣を見せた。中で一番大きいのが、ちょうど堀の塀際から斜めに門の上へ長い枝を差し出しているので、よそ目にはそれが家と調子を取るために、わざとそこへ移されたように体裁が好かった。  その他の特色を云うと、玄関の前に大きな鉄の天水桶があった。まるで下町の質屋か何かを聯想させるこの長物と、そのすぐ横にある玄関の構とがまたよく釣り合っていた。比較的間口の広いその玄関の入口はことごとく細い格子で仕切られているだけで、唐戸だの扉だのの装飾はどこにも見られなかった。  一口でいうと、ハイカラな仕舞うた屋と評しさえすれば、それですぐ首肯かれるこの家の職業は、少なくとも系統的に、家の様子を見ただけで外部から判断する事ができるのに、不思議なのはその主人であった。彼は自分がどんな宅へ入っているかいまだかつて知らなかった。そんな事を苦にする神経をもたない彼は、他から自分の家業柄を何とあげつらわれてもいっこう平気であった。道楽者だが、満更無教育なただの金持とは違って、人柄からいえば、こんな役者向の家に住うのはむしろ不適当かも知れないくらいな彼は、極めて我の少ない人であった。悪く云えば自己の欠乏した男であった。何でも世間の習俗通りにして行く上に、わが家庭に特有な習俗もまた改めようとしない気楽ものであった。かくして彼は、彼の父、彼の母に云わせるとすなわち先代、の建てた土蔵造りのような、そうしてどこかに芸人趣味のある家に住んで満足しているのであった。もし彼の美点がそこにもあるとすれば、わざとらしく得意がっていない彼の態度を賞めるよりほかに仕方がなかった。しかし彼はまた得意がるはずもなかった。彼の眼に映る彼の住宅は、得意がるにしては、彼にとってあまりに陳腐過ぎた。  お延は堀の家を見るたびに、自分と家との間に存在する不調和を感じた。家へ入いってからもその距離を思い出す事がしばしばあった。お延の考えによると、一番そこに落ちついてぴたりと坐っていられるものは堀の母だけであった。ところがこの母は、家族中でお延の最も好かない女であった。好かないというよりも、むしろ応対しにくい女であった。時代が違う、残酷に云えば隔世の感がある、もしそれが当らないとすれば、肌が合わない、出が違う、その他評する言葉はいくらでもあったが、結果はいつでも同じ事に帰着した。  次には堀その人が問題であった。お延から見たこの主人は、この家に釣り合うようでもあり、また釣り合わないようでもあった。それをもう一歩進めていうと、彼はどんな家へ行っても、釣り合うようでもあり、釣り合わないようでもあるというのとほとんど同じ意味になるので、始めから問題にしないのと、大した変りはなかった。この曖昧なところがまたお延の堀に対する好悪の感情をそのままに現わしていた。事実をいうと、彼女は堀を好いているようでもあり、また好いていないようでもあった。  最後に来るお秀に関しては、ただ要領を一口でいう事ができた。お延から見ると、彼女はこの家の構造に最も不向に育て上げられていた。この断案にもう少しもったいをつけ加えて、心理的に翻訳すると、彼女とこの家庭の空気とはいつまで行っても一致しっこなかった。堀の母とお秀、お延は頭の中にこの二人を並べて見るたびに一種の矛盾を強いられた。しかし矛盾の結果が悲劇であるか喜劇であるかは容易に判断ができなかった。  家と人とをこう組み合せて考えるお延の眼に、不思議と思われる事がただ一つあった。 「一番家と釣り合の取れている堀の母が、最も彼女を手古摺らせると同時に、その反対に出来上っているお秀がまた別の意味で、最も彼女に苦痛を与えそうな相手である」  玄関の格子を開けた時、お延の頭に平生からあったこんな考えを一度に蘇えらさせるべく号鈴がはげしく鳴った。 百二十四  昨日孫を伴れて横浜の親類へ行ったという堀の母がまだ帰っていなかったのは、座敷へ案内されたお延にとって、意外な機会であった。見方によって、好い都合にもなり、また悪い跋にもなるこの機会は、彼女から話しのしにくい年寄を追い除けてくれたと同時に、ただ一人面と向き合って、当の敵のお秀と応対しなければならない不利をも与えた。  お延に知れていないこの情実は、訪問の最初から彼女の勝手を狂わせた。いつもなら何をおいても小さな髷に結った母が一番先へ出て来て、義理ずぐめにちやほやしてくれるところを、今日に限って、劈頭にお秀が顔を出したばかりか、待ち設けた老女はその後からも現われる様子をいっこう見せないので、お延はいつもの予期から出てくる自然の調子をまず外させられた。その時彼女はお秀を一目見た眼の中に、当惑の色を示した。しかしそれはすまなかったという後悔の記念でも何でもなかった。単に昨日の戦争に勝った得意の反動からくる一種のきまり悪さであった。どんな敵を打たれるかも知れないという微かな恐怖であった。この場をどう切り抜けたらいいか知らという思慮の悩乱でもあった。  お延はこの一瞥をお秀に与えた瞬間に、もう今日の自分を相手に握られたという気がした。しかしそれは自分のもっている技巧のどうする事もできない高い源からこの一瞥が突如として閃めいてしまった後であった。自分の手の届かない暗中から不意に来たものを、喰い止める威力をもっていない彼女は、甘んじてその結果を待つよりほかに仕方がなかった。  一瞥ははたしてお秀の上によく働いた。しかしそれに反応してくる彼女の様子は、またいかにも予想外であった。彼女の平生、その平生が破裂した昨日、津田と自分と寄ってたかってその破裂を料理した始末、これらの段取を、不断から一貫して傍の人の眼に着く彼女の性格に結びつけて考えると、どうしても無事に納まるはずはなかった。大なり小なり次の波瀾が呼び起されずに片がつこうとは、いかに自分の手際に重きをおくお延にも信ぜられなかった。  だから彼女は驚ろいた。座に着いたお秀が案に相違していつもより愛嬌の好い挨拶をした時には、ほとんどわれを疑うくらいに驚ろいた。その疑いをまた少しも後へ繰り越させないように、手抜りなく仕向けて来る相手の態度を眼の前に見た時、お延はむしろ気味が悪くなった。何という変化だろうという驚ろきの後から、どういう意味だろうという不審が湧いて起った。  けれども肝心なその意味を、お秀はまたいつまでもお延に説明しようとしなかった。そればかりか、昨日病院で起った不幸な行き違についても、ついに一言も口を利く様子を見せなかった。  相手に心得があってわざと際どい問題を避けている以上、お延の方からそれを切り出すのは変なものであった。第一好んで痛いところに触れる必要はどこにもなかった。と云って、どこかで区切を付けて、双方さっぱりしておかないと、自分は何のために、今日ここまで足を運んだのか、主意が立たなくなった。しかし和解の形式を通過しないうちに、もう和解の実を挙げている以上、それをとやかく表面へ持ち出すのも馬鹿げていた。  怜悧なお延は弱らせられた。会話が滑らかにすべって行けば行くほど、一種の物足りなさが彼女の胸の中に頭を擡げて来た。しまいに彼女は相手のどこかを突き破って、その内側を覗いて見ようかと思い出した。こんな点にかけると、すこぶる冒険的なところのある彼女は、万一やり損なった暁に、この場合から起り得る危険を知らないではなかった。けれどもそこには自分の腕に対する相当の自信も伴っていた。  その上もし機会が許すならば、お秀の胸の格別なある一点に、打診を試ろみたいという希望が、お延の方にはあった。そこを敲かせて貰って局部から自然に出る本音を充分に聴く事は、津田と打ち合せを済ました訪問の主意でも何でもなかったけれども、お延自身からいうと、うまく媾和の役目をやり終せて帰るよりも遥かに重大な用向であった。  津田に隠さなければならないこの用向は、津田がお延にないしょにしなければならない事件と、その性質の上においてよく似通っていた。そうして津田が自分のいない留守に、小林がお延に何を話したかを気にするごとく、お延もまた自分のいない留守に、お秀が津田に何を話したかを確と突きとめたかったのである。  どこに引かかりを拵えたものかと思案した末、彼女は仕方なしに、藤井の帰りに寄ってくれたというお秀の訪問をまた問題にした。けれども座に着いた時すでに、「先刻いらしって下すったそうですが、あいにくお湯に行っていて」という言葉を、会話の口切に使った彼女が、今度は「何か御用でもおありだったの」という質問で、それを復活させにかかった時、お秀はただ簡単に「いいえ」と答えただけで、綺麗にお延を跳ねつけてしまった。 百二十五  お延は次に藤井から入って行こうとした。今朝この叔父の所を訪ねたというお秀の自白が、話しをそっちへ持って行くに都合のいい便利を与えた。けれどもお秀の門構は依然としてこの方面にも厳重であった。彼女は必要の起るたびに、わざわざその門の外へ出て来て、愛想よくお延に応対した。お秀がこの叔父の世話で人となった事実は、お延にもよく知れていた。彼女が精神的にその感化を受けた点もお延に解っていた。それでお延は順序としてまずこの叔父の人格やら生活やらについて、お秀の気に入りそうな言辞を弄さなければならなかった。ところがお秀から見ると、それがまた一々誇張と虚偽の響きを帯びているので、彼女は真面目に取り合う緒口をどこにも見出す事ができないのみならず、長く同じ筋道を辿って行くうちには、自然気色を悪くした様子を外に現わさなければすまなくなった。敏捷なお延は、相手を見縊り過ぎていた事に気がつくや否や、すぐ取って返した。するとお秀の方で、今度は岡本の事を喋々し始めた。お秀対藤井とちょうど同じ関係にあるその叔父は、お延にとって大事な人であると共に、お秀からいうと、親しみも何にも感じられない、あかの他人であった。したがって彼女の言葉には滑っこい皮膚があるだけで、肝心の中味に血も肉も盛られていなかった。それでもお延はお秀の手料理になるこのお世辞の返礼をさも旨そうに鵜呑にしなければならなかった。  しかし再度自分の番が廻って来た時、お延は二返目の愛嬌を手古盛りに盛り返して、悪くお秀に強いるほど愚かな女ではなかった。時機を見て器用に切り上げた彼女は、次に吉川夫人から煽って行こうとした。しかし前と同じ手段を用いて、ただ賞めそやすだけでは、同じ不成蹟に陥いるかも知れないという恐れがあった。そこで彼女は善悪の標準を度外に置いて、ただ夫人の名前だけを二人の間に点出して見た。そうしてその影響次第で後の段取をきめようと覚悟した。  彼女はお秀が自分の風呂の留守へ藤井の帰りがけに廻って来た事を知っていた。けれども藤井へ行く前に、彼女がもうすでに吉川夫人を訪問している事にはまるで想い到らなかった。しかも昨日病院で起った波瀾の結果として、彼女がわざわざそこまで足を運んでいようとは、夢にも知らなかった。この一点にかけると、津田と同じ程度に無邪気であった彼女は、津田が小林から驚ろかされたと同じ程度に、またお秀から驚ろかされなければならなかった。しかし驚ろかせられ方は二人共まるで違っていた。小林のは明らさまな事実の報告であった。お秀のは意味のありそうな無言であった。無言と共に来た薄赤い彼女の顔色であった。  最初夫人の名前がお延の唇から洩れた時、彼女は二人の間に一滴の霊薬が天から落されたような気がした。彼女はすぐその効果を眼の前に眺めた。しかし不幸にしてそれは彼女にとって何の役にも立たない効果に過ぎなかった。少くともどう利用していいか解らない効果であった。その予想外な性質は彼女をはっと思わせるだけであった。彼女は名前を口へ出すと共に、あるいはその場ですぐ失言を謝さなければならないかしらとまで考えた。  すると第二の予想外が継いで起った。お秀がちょっと顔を背けた様子を見た時に、お延はどうしても最初に受けた印象を改正しなければならなくなった。血色の変化はけっして怒りのためでないという事がその時始めて解った。年来陳腐なくらい見飽きている単純なきまりの悪さだと評するよりほかに仕方のないこの表情は、お延をさらに驚ろかさざるを得なかった。彼女はこの表情の意味をはっきり確かめた。しかしその意味の因って来るところは、お秀の説明を待たなければまた確かめられるはずがなかった。  お延がどうしようかと迷っているうちに、お秀はまるで木に竹を接いだように、突然話題を変化した。行がかり上全然今までと関係のないその話題は、三度目にまたお延を驚ろかせるに充分なくらい突飛であった。けれどもお延には自信があった。彼女はすぐそれを受けて立った。 百二十六  お秀の口を洩れた意外な文句のうちで、一番初めにお延の耳を打ったのは「愛」という言葉であった。この陳腐なありきたりの一語が、いかにお延の前に伏兵のような新らし味をもって起ったかは、前後の連絡を欠いて単独に突発したというのが重な原因に相違なかったが、一つにはまた、そんな言葉がまだ会話の材料として、二人の間に使われていなかったからである。  お延に比べるとお秀は理窟っぽい女であった。けれどもそういう結論に達するまでには、多少の説明が要った。お延は自分で自分の理窟を行為の上に運んで行く女であった。だから平生彼女の議論をしないのは、できないからではなくって、する必要がないからであった。その代り他から注ぎ込まれた知識になると、大した貯蓄も何にもなかった。女学生時代に読み馴れた雑誌さえ近頃は滅多に手にしないくらいであった。それでいて彼女はいまだかつて自分を貧弱と認めた事がなかった。虚栄心の強い割に、その方面の欲望があまり刺戟されずにすんでいるのは、暇が乏しいからでもなく、競争の話し相手がないからでもなく、全く自分に大した不足を感じないからであった。  ところがお秀は教育からしてが第一違っていた。読書は彼女を彼女らしくするほとんどすべてであった。少なくとも、すべてでなければならないように考えさせられて来た。書物に縁の深い叔父の藤井に教育された結果は、善悪両様の意味で、彼女の上に妙な結果を生じた。彼女は自分より書物に重きをおくようになった。しかしいくら自分を書物より軽く見るにしたところで、自分は自分なりに、書物と独立したまんまで、活きて働らいて行かなければならなかった。だから勢い本と自分とは離れ離れになるだけであった。それをもっと適切な言葉で云い現わすと、彼女は折々柄にもない議論を主張するような弊に陥った。しかし自分が議論のために議論をしているのだからつまらないと気がつくまでには、彼女の反省力から見て、まだ大分の道程があった。意地の方から行くと、あまりに我が強過ぎた。平たく云えば、その我がつまり自分の本体であるのに、その本体に副ぐわないような理窟を、わざわざ自分の尊敬する書物の中から引張り出して来て、そこに書いてある言葉の力で、それを守護するのと同じ事に帰着した。自然弾丸を込めて打ち出すべき大砲を、九寸五分の代りに、振り廻して見るような滑稽も時々は出て来なければならなかった。  問題ははたして或雑誌から始まった。月の発行にかかるその雑誌に発表された諸家の恋愛観を読んだお秀の質問は、実をいうとお延にとってそれほど興味のあるものでもなかった。しかしまだ眼を通していない事実を自白した時に、彼女の好奇心が突然起った。彼女はこの抽象的な問題を、どこかで自分の思い通り活かしてやろうと決心した。  彼女はややともすると空論に流れやすい相手の弱点をかなりよく呑み込んでいた。際どい実際問題にこれから飛び込んで行こうとする彼女に、それほど都合の悪い態度はなかった。ただ議論のために議論をされるくらいなら、最初から取り合わない方がよっぽどましだった。それで彼女にはどうしても相手を地面の上に縛りつけておく必要があった。ところが不幸にしてこの場合の相手は、最初からもう地面の上にいなかった。お秀の口にする愛は、津田の愛でも、堀の愛でも、乃至お延、お秀の愛でも何でもなかった。ただ漫然として空裏に飛揚する愛であった。したがってお延の努力は、風船玉のようなお秀の話を、まず下へ引き摺りおろさなければならなかった。  子供がすでに二人もあって、万事自分より世帯染みているお秀が、この意味において、遥かに自分より着実でない事を発見した時に、お延は口ではいはい向うのいう通りを首肯いながら、腹の中では、じれったがった。「そんな言葉の先でなく、裸でいらっしゃい、実力で相撲を取りますから」と云いたくなった彼女は、どうしたらこの議論家を裸にする事ができるだろうと思案した。  やがてお延の胸に分別がついた。分別とはほかでもなかった。この問題を活かすためには、お秀を犠牲にするか、または自分を犠牲にするか、どっちかにしなければ、とうてい思う壺に入って来る訳がないという事であった。相手を犠牲にするのに困難はなかった。ただどこからか向うの弱点を突ッ付きさえすれば、それで事は足りた。その弱点が事実であろうとも仮説的であろうとも、それはお延の意とするところではなかった。単に自然の反応を目的にして試みる刺戟に対して、真偽の吟味などは、要らざる斟酌であった。しかしそこにはまたそれ相応の危険もあった。お秀は怒るに違なかった。ところがお秀を怒らせるという事は、お延の目的であって、そうして目的でなかった。だからお延は迷わざるを得なかった。  最後に彼女はある時機を掴んで起った。そうしてその起った時には、もう自分を犠牲にする方に決心していた。 百二十七 「そう云われると、何と云っていいか解らなくなるわね、あたしなんか。津田に愛されているんだか、愛されていないんだか、自分じゃまるで夢中でいるんですもの。秀子さんは仕合せね、そこへ行くと。最初から御自分にちゃんとした保証がついていらっしゃるんだから」  お秀の器量望みで貰われた事は、津田といっしょにならない前から、お延に知れていた。それは一般の女、ことにお延のような女にとっては、羨やましい事実に違なかった。始めて津田からその話を聴かされた時、お延はお秀を見ない先に、まず彼女に対する軽い嫉妬を感じた。中味の薄っぺらな事実に過ぎなかったという意味があとで解った時には、淡い冷笑のうちに、復讐をしたような快感さえ覚えた。それより以後、愛という問題について、お秀に対するお延の態度は、いつも軽蔑であった。それを表向さも嬉しい消息ででもあるように取扱かって、彼我に共通するごとくに見せかけたのは、無論一片のお世辞に過ぎなかった。もっと悪く云えば、一種の嘲弄であった。  幸いお秀はそこに気がつかなかった。そうして気がつかない訳であった。と云うのは、言葉の上はとにかく、実際に愛を体得する上において、お秀はとてもお延の敵でなかった。猛烈に愛した経験も、生一本に愛された記憶ももたない彼女は、この能力の最大限がどのくらい強く大きなものであるかという事をまだ知らずにいる女であった。それでいて夫に満足している細君であった。知らぬが仏という諺がまさにこの場合の彼女をよく説明していた。結婚の当時、自分の未来に夫の手で押しつけられた愛の判を、普通の証文のようなつもりで、いつまでも胸の中へしまい込んでいた彼女は、お延の言葉を、その胸の中で、真面目に受けるほど無邪気だったのである。  本当に愛の実体を認めた事のないお秀は、彼女のいたずらに使う胡乱な言葉を通して、鋭どいお延からよく見透かされたのみではなかった。彼女は津田とお延の関係を、自分達夫婦から割り出して平気でいた。それはお延の言葉を聴いた彼女が実際驚ろいた顔をしたのでも解った。津田がお延を愛しているかいないかが今頃どうして問題になるのだろう。しかもそれが細君自身の口から出るとは何事だろう。ましてそれを夫の妹の前へ出すに至っては、どこにどんな意味があるのだろう。――これがお秀の表情であった。  実際お秀から見たお延は、現在の津田の愛に満足する事を知らない横着者か、さもなければ、自分が充分津田を手の中へ丸め込んでおきながら、わざとそこに気のつかないようなふりをする、空々しい女に過ぎなかった。彼女は「あら」と云った。 「まだその上に愛されてみたいの」  この挨拶は平生のお延の注文通りに来た。しかし今の場合におけるお延に満足を与えるはずはなかった。彼女はまた何とか云って、自分の意志を明らかにしなければならなかった。ところがそれを判然表現すると、「津田があたしのほかにまだ思っている人が別にあるとするなら、あたしだってとうてい今のままで満足できる訳がないじゃありませんか」という露骨な言葉になるよりほかに途はなかった。思い切って、そう打って出れば、自分で自分の計画をぶち毀すのと一般だと感づいた彼女は、「だって」と云いかけたまま、そこで逡巡ったなり動けなくなった。 「まだ何か不足があるの」  こう云ったお秀は眼を集めてお延の手を見た。そこには例の指環が遠慮なく輝やいていた。しかしお秀の鋭どい一瞥は何の影響もお延に与える事ができなかった。指輪に対する彼女の無邪気さは昨日と毫も変るところがなかった。お秀は少しもどかしくなった。 「だって延子さんは仕合せじゃありませんか。欲しいものは、何でも買って貰えるし、行きたい所へは、どこへでも連れていって貰えるし――」 「ええ。そこだけはまあ仕合せよ」  他に向って自分の仕合せと幸福を主張しなければ、わが弱味を外へ現わすようになって、不都合だとばかり考えつけて来たお延は、平生から持ち合せの挨拶をついこの場合にも使ってしまった。そうしてまた行きつまった。芝居に行った翌日、岡本へ行って継子と話をした時用いた言葉を、そのまま繰り返した後で、彼女は相手のお秀であるという事に気がついた。そのお秀は「そこだけが仕合せなら、それでたくさんじゃないか」という顔つきをした。  お延は自分がかりそめにも津田を疑っているという形迹をお秀に示したくなかった。そうかと云って、何事も知らない風を粧って、見す見すお秀から馬鹿にされるのはなお厭だった。したがって応対に非常な呼吸が要った。目的地へ漕ぎつけるまでにはなかなか骨が折れると思った。しかし彼女はとても見込のない無理な努力をしているという事には、ついに気がつかなかった。彼女はまた態度を一変した。 百二十八  彼女は思い切って一足飛びに飛んだ。情実に絡まれた窮屈な云い廻し方を打ちやって、面と向き合ったままお秀に相見しようとした。その代り言葉はどうしても抽象的にならなければならなかった。それでも論戦の刺撃で、事実の面影を突きとめる方が、まだましだと彼女は思った。 「いったい一人の男が、一人以上の女を同時に愛する事ができるものでしょうか」  この質問を基点として歩を進めにかかった時、お秀はそれに対してあらかじめ準備された答を一つももっていなかった。書物と雑誌から受けた彼女の知識は、ただ一般恋愛に関するだけで、毫もこの特殊な場合に利用するに足らなかった。腹に何の貯えもない彼女は、考える風をした。そうして正直に答えた。 「そりゃちょっと解らないわ」  お延は気の毒になった。「この人は生きた研究の材料として、堀という夫をすでにもっているではないか。その夫の婦人に対する態度も、朝夕傍にいて、見ているではないか」。お延がこう思う途端に、第二句がお秀の口から落ちた。 「解らないはずじゃありませんか。こっちが女なんですもの」  お延はこれも愚答だと思った。もしお秀のありのままがこうだとすれば、彼女の心の働らきの鈍さ加減が想いやられた。しかしお延はすぐこの愚答を活かしにかかった。 「じゃ女の方から見たらどうでしょう。自分の夫が、自分以外の女を愛しているという事が想像できるでしょうか」 「延子さんにはそれができないの?」と云われた時、お延はおやと思った。 「あたしは今そんな事を想像しなければならない地位にいるんでしょうか」 「そりゃ大丈夫よ」とお秀はすぐ受け合った。お延は直ちに相手の言葉を繰り返した。 「大丈夫」  疑問とも間投詞とも片のつかないその語尾は、お延にも何という意味だか解らなかった。 「大丈夫よ」  お秀も再び同じ言葉を繰り返した。その瞬間にお延は冷笑の影をちらりとお秀の唇のあたりに認めた。しかし彼女はすぐそれを切って捨てた。 「そりゃ秀子さんは大丈夫にきまってるわ。もともと堀さんへいらっしゃる時の条件が条件ですもの」 「じゃ延子さんはどうなの。やっぱり津田に見込まれたんじゃなかったの」 「嘘よ。そりゃあなたの事よ」  お秀は急に応じなくなった。お延も獲物のない同じ脈をそれ以上掘る徒労を省いた。 「いったい津田は女に関してどんな考えをもっているんでしょう」 「それは妹より奥さんの方がよく知ってるはずだわ」  お延は叩きつけられた後で、自分もお秀と同じような愚問をかけた事に気がついた。 「だけど兄妹としての津田は、あたしより秀子さんの方によく解ってるでしょう」 「ええ、だけど、いくら解ってたって、延子さんの参考にゃならないわ」 「参考に無論なるのよ。しかしその事ならあたしだって疾うから知ってるわ」  お延の鎌は際どいところで投げかけられた。お秀ははたしてかかった。 「けれども大丈夫よ。延子さんなら大丈夫よ」 「大丈夫だけれども危険いのよ。どうしても秀子さんから詳しい話しを聴かしていただかないと」 「あら、あたし何にも知らないわ」  こういったお秀は急に赧くなった。それが何の羞恥のために起ったのかは、いくら緊張したお延の神経でも揣摩できなかった。しかも彼女はこの訪問の最初に、同じ現象から受けた初度の記憶をまだ忘れずにいた。吉川夫人の名前を点じた時に見たその薄赧い顔と、今彼女の面前に再現したこの赤面の間にどんな関係があるのか、それはいくら物の異同を嗅ぎ分ける事に妙を得た彼女にも見当がつかなかった。彼女はこの場合無理にも二つのものを繋いでみたくってたまらなかった。けれどもそれを繋ぎ合せる綱は、どこをどう探したって、金輪際出て来っこなかった。お延にとって最も不幸な点は、現在の自分の力に余るこの二つのものの間に、きっと或る聯絡が存在しているに相違ないという推測であった。そうしてその聯絡が、今の彼女にとって、すこぶる重大な意味をもっているに相違ないという一種の予覚であった。自然彼女はそこをもっと突ッついて見るよりほかに仕方がなかった。 百二十九  とっさの衝動に支配されたお延は、自分の口を衝いて出る嘘を抑える事ができなかった。 「吉川の奥さんからも伺った事があるのよ」  こう云った時、お延は始めて自分の大胆さに気がついた。彼女はそこへとまって、冒険の結果を眺めなければならなかった。するとお秀が今までの赤面とは打って変った不思議そうな顔をしながら訊き返した。 「あら何を」 「その事よ」 「その事って、どんな事なの」  お延にはもう後がなかった。お秀には先があった。 「嘘でしょう」 「嘘じゃないのよ。津田の事よ」  お秀は急に応じなくなった。その代り冷笑の影を締りの好い口元にわざと寄せて見せた。それが先刻より著るしく目立って外へ現われた時、お延は路を誤まって一歩深田の中へ踏み込んだような気がした。彼女に特有な負け嫌いな精神が強く働らかなかったなら、彼女はお秀の前に頭を下げて、もう救を求めていたかも知れなかった。お秀は云った。 「変ね。津田の事なんか、吉川の奥さんがお話しになる訳がないのにね。どうしたんでしょう」 「でも本当よ、秀子さん」  お秀は始めて声を出して笑った。 「そりゃ本当でしょうよ。誰も嘘だと思うものなんかありゃしないわ。だけどどんな事なの、いったい」 「津田の事よ」 「だから兄の何よ」 「そりゃ云えないわ。あなたの方から云って下さらなくっちゃ」 「ずいぶん無理な御注文ね。云えったって、見当がつかないんですもの」  お秀はどこからでもいらっしゃいという落ちつきを見せた。お延の腋の下から膏汗が流れた。彼女は突然飛びかかった。 「秀子さん、あなたは基督教信者じゃありませんか」  お秀は驚ろいた様子を現わした。 「いいえ」 「でなければ、昨日のような事をおっしゃる訳がないと思いますわ」  昨日と今日の二人は、まるで地位を易えたような形勢に陥った。お秀はどこまでも優者の余裕を示した。 「そう。じゃそれでもいいわ。延子さんはおおかた基督教がお嫌いなんでしょう」 「いいえ好きなのよ。だからお願いするのよ。だから昨日のような気高い心持になって、この小さいお延を憐れんでいただきたいのよ。もし昨日のあたしが悪かったら、こうしてあなたの前に手を突いて詫まるから」  お延は光る宝石入の指輪を穿めた手を、お秀の前に突いて、口で云った通り、実際に頭を下げた。 「秀子さん、どうぞ隠さずに正直にして下さい。そうしてみんな打ち明けて下さい。お延はこの通り正直にしています。この通り後悔しています」  持前の癖を見せて、眉を寄せた時、お延の細い眼から涙が膝の上へ落ちた。 「津田はあたしの夫です。あなたは津田の妹です。あなたに津田が大事なように、津田はあたしにも大事です。ただ津田のためです。津田のために、みんな打ち明けて話して下さい。津田はあたしを愛しています。津田が妹としてあなたを愛しているように、妻としてあたしを愛しているのです。だから津田から愛されているあたしは津田のためにすべてを知らなければならないのです。津田から愛されているあなたもまた、津田のために万ずをあたしに打ち明けて下さるでしょう。それが妹としてのあなたの親切です。あなたがあたしに対する親切を、この場合お感じにならないでも、あたしはいっこう恨みとは思いません。けれども兄さんとしての津田には、まだ尽して下さる親切をもっていらっしゃるでしょう。あなたがそれを充分もっていらっしゃるのは、あなたの顔つきでよく解ります。あなたはそんな冷刻な人ではけっしてないのです。あなたはあなたが昨日御自分でおっしゃった通り親切な方に違いないのです」  お延がこれだけ云って、お秀の顔を見た時、彼女はそこに特別な変化を認めた。お秀は赧くなる代りに少し蒼白くなった。そうして度外れに急き込んだ調子で、お延の言葉を一刻も早く否定しなければならないという意味に取れる言葉遣いをした。 「あたしはまだ何にも悪い事をした覚はないんです。兄さんに対しても嫂さんに対しても、もっているのは好意だけです。悪意はちっとも有りません。どうぞ誤解のないようにして下さい」 百三十  お秀の言訳はお延にとって意外であった。また突然であった。その言訳がどこから出て来たのか、また何のためであるかまるで解らなかった。お延はただはっと思った。天恵のごとく彼女の前に露出されたこの時のお秀の背後に何が潜んでいるのだろう。お延はすぐその暗闇を衝こうとした。三度目の嘘が安々と彼女の口を滑って出た。 「そりゃ解ってるのよ。あなたのなすった事も、あなたのなすった精神も、あたしにはちゃんと解ってるのよ。だから隠しだてをしないで、みんな打ち明けてちょうだいな。お厭?」  こう云った時、お延は出来得る限りの愛嬌をその細い眼に湛えて、お秀を見た。しかし異性に対する場合の効果を予想したこの所作は全く外れた。お秀は驚ろかされた人のように、卒爾な質問をかけた。 「延子さん、あなた今日ここへおいでになる前、病院へ行っていらしったの」 「いいえ」 「じゃどこか外から廻っていらしったの」 「いいえ。宅からすぐ上ったの」  お秀はようやく安心したらしかった。その代り後は何にも云わなかった。お延はまだ縋りついた手を放さなかった。 「よう、秀子さんどうぞ話してちょうだいよ」  その時お秀の涼しい眼のうちに残酷な光が射した。 「延子さんはずいぶん勝手な方ね。御自分独り精一杯愛されなくっちゃ気がすまないと見えるのね」 「無論よ。秀子さんはそうでなくっても構わないの」 「良人を御覧なさい」  お秀はすぐこう云って退けた。お延は話頭からわざと堀を追い除けた。 「堀さんは問題外よ。堀さんはどうでもいいとして、正直の云いっ競よ。なんぼ秀子さんだって、気の多い人が好きな訳はないでしょう」 「だって自分よりほかの女は、有れども無きがごとしってような素直な夫が世の中にいるはずがないじゃありませんか」  雑誌や書物からばかり知識の供給を仰いでいたお秀は、この時突然卑近な実際家となってお延の前に現われた。お延はその矛盾を注意する暇さえなかった。 「あるわよ、あなた。なけりゃならないはずじゃありませんか、いやしくも夫と名がつく以上」 「そう、どこにそんな好い人がいるの」  お秀はまた冷笑の眼をお延に向けた。お延はどうしても津田という名前を大きな声で叫ぶ勇気がなかった。仕方なしに口の先で答えた。 「それがあたしの理想なの。そこまで行かなくっちゃ承知ができないの」  お秀が実際家になった通り、お延もいつの間にか理論家に変化した。今までの二人の位地は顛倒した。そうして二人ともまるでそこに気がつかずに、勢の運ぶがままに前の方へ押し流された。あとの会話は理論とも実際とも片のつかない、出たとこ勝負になった。 「いくら理想だってそりゃ駄目よ。その理想が実現される時は、細君以外の女という女がまるで女の資格を失ってしまわなければならないんですもの」 「しかし完全の愛はそこへ行って始めて味わわれるでしょう。そこまで行き尽さなければ、本式の愛情は生涯経ったって、感ずる訳に行かないじゃありませんか」 「そりゃどうだか知らないけれども、あなた以外の女を女と思わないで、あなただけを世の中に存在するたった一人の女だと思うなんて事は、理性に訴えてできるはずがないでしょう」  お秀はとうとうあなたという字に点火した。お延はいっこう構わなかった。 「理性はどうでも、感情の上で、あたしだけをたった一人の女と思っていてくれれば、それでいいんです」 「あなただけを女と思えとおっしゃるのね。そりゃ解るわ。けれどもほかの女を女と思っちゃいけないとなるとまるで自殺と同じ事よ。もしほかの女を女と思わずにいられるくらいな夫なら、肝心のあなただって、やッぱり女とは思わないでしょう。自分の宅の庭に咲いた花だけが本当の花で、世間にあるのは花じゃない枯草だというのと同じ事ですもの」 「枯草でいいと思いますわ」 「あなたにはいいでしょう。けれども男には枯草でないんだから仕方がありませんわ。それよりか好きな女が世の中にいくらでもあるうちで、あなたが一番好かれている方が、嫂さんにとってもかえって満足じゃありませんか。それが本当に愛されているという意味なんですもの」 「あたしはどうしても絶対に愛されてみたいの。比較なんか始めから嫌いなんだから」  お秀の顔に軽蔑の色が現われた。その奥には何という理解力に乏しい女だろうという意味がありありと見透かされた。お延はむらむらとした。 「あたしはどうせ馬鹿だから理窟なんか解らないのよ」 「ただ実例をお見せになるだけなの。その方が結構だわね」  お秀は冷然として話を切り上げた。お延は胸の奥で地団太を踏んだ。せっかくの努力はこれ以上何物をも彼女に与える事ができなかった。留守に彼女を待つ津田の手紙が来ているとも知らない彼女は、そのまま堀の家を出た。 百三十一  お延とお秀が対坐して戦っている間に、病院では病院なりに、また独立した予定の事件が進行した。  津田の待ち受けた吉川夫人がそこへ顔を出したのは、お延宛で書いた手紙を持たせてやった車夫がまだ帰って来ないうちで、時間からいうと、ちょうど小林の出て行った十分ほど後であった。  彼は看護婦の口から夫人の名前を聴いた時、この異人種に近い二人が、狭い室で鉢合せをしずにすんだ好都合を、何より先にまず祝福した。その時の彼はこの都合をつけるために払うべく余儀なくされた物質上の犠牲をほとんど顧みる暇さえなかった。  彼は夫人の姿を見るや否や、すぐ床の上に起き返ろうとした。夫人は立ちながら、それを止めた。そうして彼女を案内した看護婦の両手に、抱えるようにして持たせた植木鉢をちょっとふり返って見て、「どこへ置きましょう」と相談するように訊いた。津田は看護婦の白い胸に映る紅葉の色を美くしく眺めた。小さい鉢の中で、窮屈そうに三本の幹が調子を揃えて並んでいる下に、恰好の好い手頃な石さえあしらったその盆栽が床の間の上に置かれた後で、夫人は始めて席に着いた。 「どうです」  先刻から彼女の様子を見ていた津田は、この時始めて彼に対する夫人の態度を確かめる事ができた。もしやと思って、暗に心配していた彼の掛念の半分は、この一語で吹き晴らされたと同じ事であった。夫人はいつもほど陽気ではなかった。その代りいつもほど上っ調子でもなかった。要するに彼女は、津田がいまだかつて彼女において発見しなかった一種の気分で、彼の室に入って来たらしかった。それは一方で彼女の落ちつきを極度に示していると共に、他方では彼女の鷹揚さをやはり最高度に現わすものらしく見えた。津田は少し驚ろかされた。しかし好い意味で驚ろかされただけに、気味も悪くしなければならなかった。たといこの態度が、彼に対する反感を代表していないにせよ、その奥には何があるか解らなかった。今その奥に恐るべき何物がないにしても、これから先話をしているうちに、向うの心持はどう変化して来るか解らなかった。津田は他から機嫌を取られつけている夫人の常として、手前勝手にいくらでも変って行く、もしくは変って行っても差支えないと自分で許している、この夫人を、一種の意味で、女性の暴君と奉つらなければならない地位にあった。漢語でいうと彼女の一顰一笑が津田にはことごとく問題になった。この際の彼にはことにそうであった。 「今朝秀子さんがいらしってね」  お秀の訪問はまず第一の議事のごとくに彼女の口から投げ出された。津田は固より相手に応じなければならなかった。そうしてその応じ方は夫人の来ない前からもう考えていた。彼はお秀の夫人を尋ねた事を知って、知らない風をするつもりであった。誰から聴いたと問われた場合に、小林の名を出すのが厭だったからである。 「へえ、そうですか。平生あんまり御無沙汰をしているので、たまにはお詫に上らないと悪いとでも思ったのでしょう」 「いえそうじゃないの」  津田は夫人の言葉を聴いた後で、すぐ次の嘘を出した。 「しかしあいつに用のある訳もないでしょう」 「ところがあったんです」 「へええ」  津田はこう云ったなりその後を待った。 「何の用だかあてて御覧なさい」  津田は空っ惚けて、考える真似をした。 「そうですね、お秀の用事というと、――さあ何でしょうかしら」 「分りませんか」 「ちょっとどうも。――元来私とお秀とは兄妹でいながら、だいぶん質が違いますから」  津田はここで余計な兄妹関係をわざと仄めかした。それは事の来る前に、自分を遠くから弁護しておくためであった。それから自分の言葉を、夫人がどう受けてくれるか、その反響をちょっと聴いてみるためであった。 「少し理窟ッぽいのね」  この一語を聞くや否や、津田は得たり賢こしと虚につけ込んだ。 「あいつの理窟と来たら、兄の私でさえ悩まされるくらいですもの。誰だって、とてもおとなしく辛抱して聴いていられたものじゃございません。だから私はあいつと喧嘩をすると、いつでも好い加減にして投げてしまいます。するとあいつは好い気になって、勝ったつもりか何かで、自分の都合の好い事ばかりを方々へ行って触れ散らかすのです」  夫人は微笑した。津田はそれを確かに自分の方に同情をもった微笑と解釈する事ができた。すると夫人の言葉が、かえって彼の思わくとは逆の見当を向いて出た。 「まさかそうでもないでしょうけれどもね。――しかしなかなか筋の通った好い頭をもった方じゃありませんか。あたしあの方は好よ」  津田は苦笑した。 「そりゃお宅なんぞへ上って、むやみに地金を出すほどの馬鹿でもないでしょうがね」 「いえ正直よ、秀子さんの方が」  誰よりお秀が正直なのか、夫人は説明しなかった。 百三十二  津田の好奇心は動いた。想像もほぼついた。けれどもそこへ折れ曲って行く事は彼の主意に背いた。彼はただ夫人対お秀の関係を掘り返せばよかった。病気見舞を兼た夫人の用向も、無論それについての懇談にきまっていた。けれども彼女にはまた彼女に特有な趣があった。時間に制限のない彼女は、頼まれるまでもなく、機会さえあれば、他の内輪に首を突ッ込んで、なにかと眼下、ことに自分の気に入った眼下の世話を焼きたがる代りに、到るところでまた道楽本位の本性を露わして平気であった。或時の彼女はむやみに急いて事を纏めようとあせった。そうかと思うと、ある時の彼女は、また正反対であった。わざわざべんべんと引ッ張るところに、さも興味でもあるらしい様子を見せてすましていた。鼠を弄そぶ猫のようなこの時の彼女の態度が、たとい傍から見てどうあろうとも、自分では、閑散な時間に曲折した波瀾を与えるために必要な優者の特権だと解釈しているらしかった。この手にかかった時の相手には、何よりも辛防が大切であった。その代り辛防をし抜いた御礼はきっと来た。また来る事をもって彼女は相手を奨励した。のみならずそれを自分の倫理上の誇りとした。彼女と津田の間に取り換わされたこの黙契のために、津田の蒙った重大な損失が、今までにたった一つあった。その点で彼女が腹の中でいかに彼に対する責任を感じているかは、怜俐な津田の見逃すところでなかった。何事にも夫人の御意を主眼に置いて行動する彼といえども、暗にこの強味だけは恃みにしていた。しかしそれはいざという万一の場合に保留された彼の利器に過ぎなかった。平生の彼は甘んじて猫の前の鼠となって、先方の思う通りにじゃらされていなければならなかった。この際の夫人もなかなか要点へ来る前に時間を費やした。 「昨日秀子さんが来たでしょう。ここへ」 「ええ。参りました」 「延子さんも来たでしょう」 「ええ」 「今日は?」 「今日はまだ参りません」 「今にいらっしゃるんでしょう」  津田にはどうだか分らなかった。先刻来るなという手紙を出した事も、夫人の前では云えなかった。返事を受け取らなかった勝手違も、実は気にかかっていた。 「どうですかしら」 「いらっしゃるか、いらっしゃらないか分らないの」 「ええ、よく分りません。多分来ないだろうとは思うんですが」 「大変冷淡じゃありませんか」  夫人は嘲けるような笑い方をした。 「私がですか」 「いいえ、両方がよ」  苦笑した津田が口を閉じるのを待って、夫人の方で口を開いた。 「延子さんと秀子さんは昨日ここで落ち合ったでしょう」 「ええ」 「それから何かあったのね、変な事が」 「別に……」 「空ッ惚けちゃいけません。あったらあったと、判然おっしゃいな、男らしく」  夫人はようやく持前の言葉遣いと特色とを、発揮し出した。津田は挨拶に困った。黙って少し様子を見るよりほかに仕方がないと思った。 「秀子さんをさんざん苛めたって云うじゃありませんか。二人して」 「そんな事があるものですか。お秀の方が怒ってぷんぷん腹を立てて帰って行ったのです」 「そう。しかし喧嘩はしたでしょう。喧嘩といったって殴り合じゃないけれども」 「それだってお秀のいうような大袈裟なものじゃないんです」 「かも知れないけれども、多少にしろ有ったには有ったんですね」 「そりゃちょっとした行違ならございました」 「その時あなた方は二人がかりで秀子さんを苛めたでしょう」 「苛めやしません。あいつが耶蘇教のような気を吐いただけです」 「とにかくあなたがたは二人、向うは一人だったに違ないでしょう」 「そりゃそうかも知れません」 「それ御覧なさい。それが悪いじゃありませんか」  夫人の断定には意味も理窟もなかった。したがってどこが悪いんだか津田にはいっこう通じなかった。けれどもこういう場合にこんな風になって出て来る夫人の特色は、けっして逆らえないものとして、もう津田の頭に叩き込まれていた。素直に叱られているよりほかに彼の途はなかった。 「そういうつもりでもなかったんですけれども、自然の勢で、いつかそうなってしまったんでしょう」 「でしょうじゃいけません。ですと判然おっしゃい。いったいこういうと失礼なようですが、あなたがあんまり延子さんを大事になさり過ぎるからよ」  津田は首を傾けた。 百三十三  怜俐な性分に似合わず夫人対お延の関係は津田によく呑み込めていなかった。夫人に津田の手前があるように、お延にも津田におく気兼があったので、それが真向に双方を了解できる聡明な彼の頭を曇らせる原因になった。女の挨拶に相当の割引をして見る彼も、そこにはつい気がつかなかったため、彼は自分の前でする夫人のお延評を真に受けると同時に、自分の耳に聴こえるお延の夫人評もまた疑がわなかった。そうしてその評は双方共に美くしいものであった。  二人の女性が二人だけで心の内に感じ合いながら、今までそれを外に現わすまいとのみ力めて来た微妙な軋轢が、必然の要求に逼られて、しだいしだいに晴れ渡る靄のように、津田の前に展開されなければならなくなったのはこの時であった。  津田は夫人に向って云った。 「別段大事にするほどの女房でもありませんから、その辺の御心配は御無用です」 「いいえそうでないようですよ。世間じゃみんなそう思ってますよ」  世間という仰山な言葉が津田を驚ろかせた。夫人は仕方なしに説明した。 「世間って、みんなの事よ」  津田にはそのみんなさえ明暸に意識する事ができなかった。しかし世間だのみんなだのという誇張した言葉を強める夫人の意味は、けっして推察に困難なものではなかった。彼女はどうしてもその点を津田の頭に叩き込もうとするつもりらしかった。津田はわざと笑って見せた。 「みんなって、お秀の事なんでしょう」 「秀子さんは無論そのうちの一人よ」 「そのうちの一人でそうしてまた代表者なんでしょう」 「かも知れないわ」  津田は再び大きな声を出して笑った。しかし笑った後ですぐ気がついた。悪い結果になって夫人の上に反響して来たその笑いはもう取り返せなかった。文句を云わずに伏罪する事の便宜を悟った彼は、たちまち容ちを改ためた。 「とにかくこれからよく気をつけます」  しかし夫人はそれでもまだ満足しなかった。 「秀子さんばかりだと思うと間違いですよ。あなたの叔父さんや叔母さんも、同なじ考えなんだからそのつもりでいらっしゃい」 「はあそうですか」  藤井夫婦の消息が、お秀の口から夫人に伝えられたのも明らかであった。 「ほかにもまだあるんです」と夫人がまた付け加えた。津田はただ「はあ」と云って相手の顔を見た拍子に、彼の予期した通りの言葉がすぐ彼女の口から洩れた。 「実を云うと、私も皆さんと同なじ意見ですよ」  権威ででもあるような調子で、最後にこう云った夫人の前に、彼はもちろん反抗の声を揚げる勇気を出す必要を認めなかった。しかし腹の中では同時に妙な思わく違に想いいたった。彼は疑った。 「何でこの人が急にこんな態度になったのだろう。自分のお延を鄭重に取扱い過ぎるのが悪いといって非難する上に、お延自身をもその非難のうちに含めているのではなかろうか」  この疑いは津田にとって全く新らしいものであった。夫人の本意に到着する想像上の過程を描き出す事さえ彼には困難なくらい新らしいものであった。彼はこの疑問に立ち向う前に、まだ自分の頭の中に残っている一つの質問を掛けた。 「岡本さんでも、そんな評判があるんでしょうか」 「岡本は別よ。岡本の事なんか私の関係するところじゃありません」  夫人がすましてこう云い切った時、津田は思わずおやと思った。「じゃ岡本とあなたの方は別っこだったんですか」という次の問が、自然の順序として、彼の咽喉まで出かかった。  実を云うと、彼は「世間」の取沙汰通り、お延を大事にするのではなかった。誤解交りのこの評判が、どこからどうして起ったかを、他に説明しようとすれば、ずいぶん複雑な手数がかかるにしても、彼の頭の中にはちゃんとした明晰な観念があって、それを一々掌に指す事のできるほどに、事実の縞柄は解っていた。  第一の責任者はお延その人であった。自分がどのくらい津田から可愛がられ、また津田をどのくらい自由にしているかを、最も曲折の多い角度で、あらゆる方面に反射させる手際をいたるところに発揮して憚からないものは彼女に違なかった。第二の責任者はお秀であった。すでに一種の誇張がある彼女の眼を、一種の嫉妬が手伝って染めた。その嫉妬がどこから出て来るのか津田は知らなかった。結婚後始めて小姑という意味を悟った彼は、せっかく悟った意味を、解釈のできないために持て余した。第三の責任者は藤井の叔父夫婦であった。ここには誇張も嫉妬もない代りに、浮華に対する嫌悪があまり強く働らき過ぎた。だから結果はやはり誤解と同じ事に帰着した。 百三十四  津田にはこの誤解を誤解として通しておく特別な理由があった。そうしてその理由はすでに小林の看破した通りであった。だから彼はこの誤解から生じやすい岡本の好意を、できるだけ自分の便宜になるように保留しようと試みた。お延を鄭寧に取扱うのは、つまり岡本家の機嫌を取るのと同じ事で、その岡本と吉川とは、兄弟同様に親しい間柄である以上、彼の未来は、お延を大事にすればするほど確かになって来る道理であった。利害の論理に抜目のない機敏さを誇りとする彼は、吉川夫妻が表向の媒妁人として、自分達二人の結婚に関係してくれた事実を、単なる名誉として喜こぶほどの馬鹿ではなかった。彼はそこに名誉以外の重大な意味を認めたのである。  しかしこれはむしろ一般的の内情に過ぎなかった。もう一皮剥いて奥へ入ると、底にはまだ底があった。津田と吉川夫人とは、事件がここへ来るまでに、他人の関知しない因果でもう結びつけられていた。彼らにだけ特有な内外の曲折を経過して来た彼らは、他人より少し複雑な眼をもって、半年前に成立したこの新らしい関係を眺めなければならなかった。  有体にいうと、お延と結婚する前の津田は一人の女を愛していた。そうしてその女を愛させるように仕向けたものは吉川夫人であった。世話好な夫人は、この若い二人を喰っつけるような、また引き離すような閑手段を縦ままに弄して、そのたびにまごまごしたり、または逆せ上ったりする二人を眼の前に見て楽しんだ。けれども津田は固く夫人の親切を信じて疑がわなかった。夫人も最後に来るべき二人の運命を断言して憚からなかった。のみならず時機の熟したところを見計って、二人を永久に握手させようと企てた。ところがいざという間際になって、夫人の自信はみごとに鼻柱を挫かれた。津田の高慢も助かるはずはなかった。夫人の自信と共に一棒に撲殺された。肝心の鳥はふいと逃げたぎり、ついに夫人の手に戻って来なかった。  夫人は津田を責めた。津田は夫人を責めた。夫人は責任を感じた。しかし津田は感じなかった。彼は今日までその意味が解らずに、まだ五里霧中に彷徨していた。そこへお延の結婚問題が起った。夫人は再び第二の恋愛事件に関係すべく立ち上った。そうして夫と共に、表向の媒妁人として、綺麗な段落をそこへつけた。  その時の夫人の様子を細かに観察した津田はなるほどと思った。 「おれに対する賠償の心持だな」  彼はこう考えた。彼は未来の方針を大体の上においてこの心持から割り出そうとした。お延と仲善く暮す事は、夫人に対する義務の一端だと思い込んだ。喧嘩さえしなければ、自分の未来に間違はあるまいという鑑定さえ下した。  こういう心得に万遺のあるはずはないと初手からきめてかかって吉川夫人に対している津田が、たとい遠廻しにでもお延を非難する相手の匂いを嗅ぎ出した以上、おやと思うのは当然であった。彼は夫人に気に入るように自分の立場を改める前に、まず確かめる必要があった。 「私がお延を大事にし過ぎるのが悪いとおっしゃるほかに、お延自身に何か欠点でもあるなら、御遠慮なく忠告していただきたいと思います」 「実はそれで上ったのよ、今日は」  この言葉を聴いた時、津田の胸は夫人の口から何が出て来るかの好奇心に充ちた。夫人は語を継いだ。 「これは私でないと面と向って誰もあなたに云えない事だと思うから云いますがね。――お秀さんに智慧をつけられて来たと思っては困りますよ。また後でお秀さんに迷惑をかけるようだと、私がすまない事になるんだから、よござんすか。そりゃお秀さんもその事でわざわざ来たには違ないのよ。しかし主意は少し違うんです。お秀さんは重に京都の方を心配しているの。無論京都はあなたから云えばお父さんだから、けっして疎略にはできますまい。ことに良人でもああしてお父さんにあなたの世話を頼まれていて見ると、黙って放ってもおく訳にも行かないでしょう。けれどもね、つまりそっちは枝で、根は別にあるんだから、私は根から先へ療治した方が遥かに有効だと思うんです。でないと今度のような行違がまたきっと出て来ますよ。ただ出て来るだけならよござんすけれども、そのたんびにお秀さんがやって来るようだと、私も口を利くのに骨が折れるだけですからね」  夫人のいう禍の根というのはたしかにお延の事に違なかった。ではその根をどうして療治しようというのか。肉体上の病気でもない以上、離別か別居を除いて療治という言葉はたやすく使えるものでもないのにと津田は考えた。 百三十五  津田はやむをえず訊いた。 「要するにどうしたらいいんです」  夫人はこの子供らしい質問の前に母らしい得意の色を見せた。けれどもすぐ要点へは来なかった。彼女はそこだと云わぬばかりにただ微笑した。 「いったいあなたは延子さんをどう思っていらっしゃるの」  同じ問が同じ言葉で昨日かけられた時、お秀に何と答えたかを津田は思い出した。彼は夫人に対する特別な返事を用意しておかなかった。その代り何とでも答えられる自由な地位にあった。腹蔵のないところをいうと、どうなりとあなたの好きなお返事を致しますというのが彼の胸中であった。けれども夫人の頭にあるその好きな返事は、全く彼の想像のほかにあった。彼はへどもどするうちににやにやした。勢い夫人は一歩前へ進んで来る事になった。 「あなたは延子さんを可愛がっていらっしゃるでしょう」  ここでも津田の備えは手薄であった。彼は冗談半分に夫人をあしらう事なら幾通でもできた。しかし真面目に改まった、責任のある答を、夫人の気に入るような形で与えようとすると、その答はけっしてそうすらすら出て来なかった。彼にとって最も都合の好い事で、また最も都合の悪い事は、どっちにでも自由に答えられる彼の心の状態であった。というのは、事実彼はお延を愛してもいたし、またそんなに愛してもいなかったからである。  夫人はいよいよ真剣らしく構えた。そうして三度目の質問をのっぴきさせぬ調子で掛けた。 「私とあなただけの間の秘密にしておくから正直に云っとしまいなさい。私の聴きたいのは何でもないんです。ただあなたの思った通りのところを一口伺えばそれでいいんです」  見当の立たない津田はいよいよ迷ついた。夫人は云った。 「あなたもずいぶんじれったい方ね。云える事は男らしく、さっさと云っちまったらいいでしょう。そんなむずかしい事を誰も訊いていやしないんだから」  津田はとうとう口を開くべく余儀なくされた。 「お返事ができない訳でもありませんけれども、あんまり問題が漠然としているものですから……」 「じゃ仕方がないから私の方で云いましょうか。よござんすか」 「どうぞそう願います」 「あなたは」と云いかけた夫人はこの時ちょっと言葉を切ってまた継いだ。 「本当によござんすか。――あたしはこういう無遠慮な性分だから、よく自分の思ったままをずばずば云っちまった後で、取り返しのつかない事をしたと後悔する場合がよくあるんですが」 「なに構いません」 「でももしか、あなたに怒られるとそれっきりですからね。後でいくら詫まっても追つかないなんて馬鹿はしたくありませんもの」 「しかし私の方で何とも思わなければそれでいいでしょう」 「そこさえ確かなら無論いいのよ」 「大丈夫です。偽だろうが本当だろうが、奥さんのおっしゃる事ならけっして腹は立てませんから、遠慮なさらずに云って下さい」  すべての責任を向うに背負わせてしまう方が遥かに楽だと考えた津田は、こう受け合った後で、催促するように夫人を見た。何度となく駄目を押して保険をつけた夫人はその時ようやく口を開いた。 「もし間違ったら御免遊ばせよ。あなたはみんなが考えている通り、腹の中ではそれほど延子さんを大事にしていらっしゃらないでしょう。秀子さんと違って、あたしは疾うからそう睨んでいるんですが、どうです、あたしの観測はあたりませんかね」  津田は何ともなかった。 「無論です。だから先刻申し上げたじゃありませんか。そんなにお延を大事にしちゃいませんて」 「しかしそれは御挨拶におっしゃっただけね」 「いいえ私は本当のところを云ったつもりです」  夫人は断々乎として首肯わなかった。 「ごまかしっこなしよ。じゃ後を云ってもよござんすか」 「ええどうぞ」 「あなたは延子さんをそれほど大事にしていらっしゃらないくせに、表ではいかにも大事にしているように、他から思われよう思われようとかかっているじゃありませんか」 「お延がそんな事でも云ったんですか」 「いいえ」と夫人はきっぱり否定した。「あなたが云ってるだけよ。あなたの様子なり態度なりがそれだけの事をちゃんとあたしに解るようにして下さるだけよ」  夫人はそこでちょっと休んだ。それから後を付けた。 「どうですあたったでしょう。あたしはあなたがなぜそんな体裁を作っているんだか、その原因までちゃんと知ってるんですよ」 百三十六  津田は今日までこういう種類の言葉をまだ夫人の口から聴いた事がなかった。自分達夫婦の仲を、夫人が裏側からどんな眼で観察しているだろうという問題について、さほど神経を遣っていなかった彼は、ようやくそこに気がついた。そんならそうと早く注意してくれればいいのにと思いながら、彼はとにかく夫人の鑑定なり料簡なりをおとなしく結末まで聴くのが上分別だと考えた。 「どうぞ御遠慮なく何でもみんな云って下さい。私の向後の心得にもなる事ですから」  途中まで来た夫人は、たとい津田から誘われないでも、もうそこで止まる訳に行かないので、すぐ残りのものを津田の前に投げ出した。 「あなたは良人や岡本の手前があるので、それであんなに延子さんを大事になさるんでしょう。もっと露骨なのがお望みなら、まだ露骨にだって云えますよ。あなたは表向延子さんを大事にするような風をなさるのね、内側はそれほどでなくっても。そうでしょう」  津田は相手の観察が真逆これほど皮肉な点まで切り込んで来ていようとは思わなかった 「私の性質なり態度なりが奥さんにそう見えますか」 「見えますよ」  津田は一刀で斬られたと同じ事であった。彼は斬られた後でその理由を訊いた。 「どうして? どうしてそう見えるんですか」 「隠さないでもいいじゃありませんか」 「別に隠すつもりでもないんですが……」  夫人は自分の推定が十の十まであたったと信じてかかった。心の中でその六だけを首肯った津田の挨拶は、自然どこかに曖昧な節を残さなければならなかった。それがこの場合誤解の種になるのは見やすい道理であった。夫人はどこまでも同じ言葉を繰り返して、津田を自分の好きな方角へのみ追い込んだ。 「隠しちゃ駄目よ。あなたが隠すと後が云えなくなるだけだから」  津田は是非その後を聴きたかった。その後を聴こうとすれば、夫人の認定を一から十まで承知するよりほかに仕方がなかった。夫人は「それ御覧なさい」と津田をやりこめた後で歩を進めた。 「あなたにはてんから誤解があるのよ。あなたは私を良人といっしょに見ているんでしょう。それから良人と岡本をまたいっしょに見ているんでしょう。それが大間違よ。岡本と良人をいっしょに見るのはまだしも、私を良人や岡本といっしょにするのはおかしいじゃありませんか、この事件について。学問をした方にも似合わないのねあなたも、そんなところへ行くと」  津田はようやく夫人の立場を知る事ができた。しかしその立場の位置及びそれが自分に対してどんな関係になっているのかまだ解らなかった。夫人は云った。 「解り切ってるじゃありませんか。私だけはあなたと特別の関係があるんですもの」  特別の関係という言葉のうちに、どんな内容が盛られているか、津田にはよく解った。しかしそれは目下の問題ではなかった。なぜと云えば、その特別な関係をよく呑み込んでいればこそ、今日までの自分の行動にも、それ相当な一種の色と調子を与えて来たつもりだと彼は信じていたのだから。この特別な関係が夫人をどう支配しているか、そこをもっと明らかに突きとめたところに、新らしい問題は始めて起るのだと気がついた彼は、ただ自分の誤解を認めるだけではすまされなかった。  夫人は一口に云い払った。 「私はあなたの同情者よ」  津田は答えた。 「それは今までついぞ疑って見た例もありません。私は信じ切っています。そうしてその点で深くあなたに感謝しているものです。しかしどういう意味で? どういう意味で同情者になって下さるつもりなんですか、この場合。私は迂濶ものだから奥さんの意味がよく呑み込めません。だからもっと判然り話して下さい」 「この場合に同情者として私があなたにして上げる事がただ一つあると思うんです。しかしあなたは多分――」  夫人はこれだけ云って津田の顔を見た。津田はまた焦らされるのかと思った。しかしそうでないと断言した夫人の問は急に変った。 「私の云う事を聴きますか、聴きませんか」  津田にはまだ常識が残っていた。彼はここへ押しつめられた何人も考えなければならない事を考えた。しかし考えた通りを夫人の前で公然明言する勇気はなかった。勢い彼の態度は煮え切らないものであった。聴くとも聴かないとも云いかねた彼は躊躇した。 「まあ云って見て下さい」 「まあじゃいけません。あなたがもっと判切しなくっちゃ、私だって云う気にはなれません」 「だけれども――」 「だけれどもでも駄目よ。聴きますと男らしく云わなくっちゃ」 百三十七  どんな注文が夫人の口から出るか見当のつかない津田は、ひそかに恐れた。受け合った後で撤回しなければならないような窮地に陥いればそれぎりであった。彼はその場合の夫人を想像してみた。地位から云っても、性質から見ても、また彼に対する特別な関係から判断しても、夫人はけっして彼を赦す人ではなかった。永久夫人の前に赦されない彼は、あたかも蘇生の活手段を奪われた仮死の形骸と一般であった。用心深い彼は生還の望の確としない危地に入り込む勇気をもたなかった。  その上普通の人と違って夫人はどんな難題を持ち出すか解らなかった。自由の利き過ぎる境遇、そこに長く住み馴れた彼女の眼には、ほとんど自分の無理というものが映らなかった。云えばたいていの事は通った。たまに通らなければ、意地で通すだけであった。ことに困るのは、自分の動機を明暸に解剖して見る必要に逼られない彼女の余裕であった。余裕というよりもむしろ放慢な心の持方であった。他の世話を焼く時にする自分の行動は、すべて親切と好意の発現で、そのほかに何の私もないものと、てんからきめてかかる彼女に、不安の来るはずはなかった。自分の批判はほとんど当初から働らかないし、他の批判は耳へ入らず、また耳へ入れようとするものもないとなると、ここへ落ちて来るのは自然の結果でもあった。  夫人の前に押しつめられた時、津田の胸に、これだけの考えが蜿蜒り廻ったので、埒はますます開かなかった。彼の様子を見た夫人は、ついに笑い出した。 「何をそんなにむずかしく考えてるんです。おおかた私がまた無理でも云い出すんだと思ってるんでしょう。なんぼ私だってあなたにできっこないような不法は考えやしませんよ。あなたがやろうとさえ思えば、訳なくできる事なんです。そうして結果はあなたの得になるだけなんです」 「そんなに雑作なくできるんですか」 「ええまあ笑談みたいなものです。ごくごく大袈裟に云ったところで、面白半分の悪戯よ。だから思い切ってやるとおっしゃい」  津田にはすべてが謎であった。けれどもたかが悪戯ならという気がようやく彼の腹に起った。彼はついに決心した。 「何だか知らないがまあやってみましょう。話してみて下さい」  しかし夫人はすぐその悪戯の性質を説明しなかった。津田の保証を掴んだ後で、また話題を変えた。ところがそれは、あらゆる意味で悪戯とは全くかけ離れたものであった。少くとも津田には重大な関係をもっていた。  夫人は下のような言葉で、まずそれを二人の間に紹介した。 「あなたはその後清子さんにお会いになって」 「いいえ」  津田の少し吃驚したのは、ただ問題の唐突なばかりではなかった。不意に自分をふり棄てた女の名が、逃がした責任を半分背負っている夫人の口から急に洩れたからである。夫人は語を継いだ。 「じゃ今どうしていらっしゃるか、御存知ないでしょう」 「まるで知りません」 「まるで知らなくっていいの」 「よくないったって仕方がないじゃありませんか。もうよそへ嫁に行ってしまったんだから」 「清子さんの結婚の御披露の時にあなたはおいでになったんでしたかね」 「行きません。行こうたってちょっと行き悪いですからね」 「招待状は来たの」 「招待状は来ました」 「あなたの結婚の御披露の時に、清子さんはいらっしゃらなかったようね」 「ええ来やしません」 「招待状は出したの」 「招待状だけは出しました」 「じゃそれっきりなのね、両方共」 「無論それっきりです。もしそれっきりでなかったら問題ですもの」 「そうね。しかし問題にも寄り切りでしょう」  津田には夫人の云う意味がよく解らなかった。夫人はそれを説明する前にまたほかの道へ移った。 「いったい延子さんは清子さんの事を知ってるの」  津田は塞えた。小林を研究し尽した上でなければ確とした返事は与えられなかった。夫人は再び訊き直した。 「あなたが自分で話した事はなくって」 「ありゃしません」 「じゃ延子さんはまるで知らずにいるのね、あの事を」 「ええ、少くとも私からは何にも聴かされちゃいません」 「そう。じゃ全く無邪気なのね。それとも少しは癇づいているところがあるの」 「そうですね」  津田は考えざるを得なかった。考えても断案は控えざるを得なかった。 百三十八  話しているうちに、津田はまた思いがけない相手の心理に突き当った。今まで清子の事をお延に知らせないでおく方が、自分の都合でもあり、また夫人の意志でもあるとばかり解釈して疑わなかった彼は、この時始めて気がついた。夫人はどう考えてもお延にそれを気どっていて貰いたいらしかったからである。 「たいていの見当はつきそうなものですがね」と夫人は云った。津田はお延の性質を知っているだけになお答え悪くなった。 「そこが分らないといけないんですか」 「ええ」  津田はなぜだか知らなかった。けれども答えた。 「もし必要なら話しても好ござんすが……」  夫人は笑い出した。 「今さらあなたがそんな事をしちゃぶち壊しよ。あなたはしまいまで知らん顔をしていなくっちゃ」  夫人はこれだけ云って、言葉に区切を付けた後で、新たに出直した。 「私の判断を云いましょうか。延子さんはああいう怜俐な方だから、もうきっと感づいているに違ないと思うのよ。何、みんな判るはずもないし、またみんな判っちゃこっちが困るんです。判ったようでまた判らないようなのが、ちょうど持って来いという一番結構な頃合なんですからね。そこで私の鑑定から云うと、今の延子さんは、都合よく私のお誂え通りのところにいらっしゃるに違ないのよ」  津田は「そうですか」というよりほかに仕方がなかった。しかしそういう結論を夫人に与える材料はほとんどなかろうにと、腹の中では思った。しかるに夫人はあると云い出した。 「でなければ、ああ虚勢を張る訳がありませんもの」  お延の態度を虚勢と評したのは、夫人が始めてであった。この二字の前に怪訝な思いをしなければならなかった津田は、一方から見て、またその皮肉を第一に首肯わなければならない人であった。それにもかかわらず彼は躊躇なしに応諾を与える事ができなかった。夫人はまた事もなげに笑った。 「なに構わないのよ。万一全く気がつかずにいるようなら、その時はまたその時でこっちにいくらでも手があるんだから」  津田は黙ってその後を待った。すると後は出ずに、急に清子の方へ話が逆転して来た。 「あなたは清子さんにまだ未練がおありでしょう」 「ありません」 「ちっとも?」 「ちっともありません」 「それが男の嘘というものです」  嘘を云うつもりでもなかった津田は、全然本当を云っているのでもないという事に気がついた。 「これでも未練があるように見えますか」 「そりゃ見えないわ、あなた」 「じゃどうしてそう鑑定なさるんです」 「だからよ。見えないからそう鑑定するのよ」  夫人の論議は普通のそれとまるで反対であった。と云って、支離滅裂はどこにも含まれていなかった。彼女は得意にそれを引き延ばした。 「ほかの人には外側も内側も同なじとしか見えないでしょう。しかし私には外側へ出られないから、仕方なしに未練が内へ引込んでいるとしか考えられませんもの」 「奥さんは初手から私に未練があるものとして、きめてかかっていらっしゃるから、そうおっしゃるんでしょう」 「きめてかかるのにどこに無理がありますか」 「そう勝手に認定されてしまっちゃたまりません」 「私がいつ勝手に認定しました。私のは認定じゃありませんよ。事実ですよ。あなたと私だけに知れている事実を云うのですよ。事実ですもの、それをちゃんと知ってる私に隠せる訳がないじゃありませんか、いくらほかの人を騙す事ができたって。それもあなただけの事実ならまだしも、二人に共通な事実なんだから、両方で相談の上、どこかへ埋めちまわないうちは、記憶のある限り、消えっこないでしょう」 「じゃ相談ずくでここで埋めちゃどうです」 「なぜ埋めるんです。埋める必要がどこかにあるんですか。それよりなぜそれを活かして使わないんです」 「活かして使う? 私はこれでもまだ罪悪には近寄りたくありません」 「罪悪とは何です。そんな手荒な事をしろと私がいつ云いました」 「しかし……」 「あなたはまだ私の云う事をしまいまで聴かないじゃありませんか」  津田の眼は好奇心をもって輝やいた。 百三十九  夫人はもう未練のある証拠を眼の前に突きつけて津田を抑えたと同じ事であった。自白後に等しい彼の態度は二人の仕合に一段落をつけたように夫人を強くした。けれども彼女は津田が最初に考えたほどこの点において独断的な暴君ではなかった。彼女は思ったより細緻な注意を払って、津田の心理状態を観察しているらしかった。彼女はその実券を、いったん勝った後で彼に示した。 「ただ未練未練って、雲を掴むような騒ぎをやるんじゃありませんよ。私には私でまたちゃんと握ってるところがあるんですからね。これでもあなたの未練をこんなものだといって他に説明する事ができるつもりでいるんですよ」  津田には何が何だかさっぱり訳が解らなかった。 「ちょっと説明して見て下さいませんか」 「お望みなら説明してもよござんす。けれどもそうするとつまりあなたを説明する事になるんですよ」 「ええ構いません」  夫人は笑い出した。 「そう他の云う事が通じなくっちゃ困るのね。現在自分がちゃんとそこに控えていながら、その自分が解らないで、他に説明して貰うなんてえのは馬鹿気ているじゃありませんか」  はたして夫人の云う通りなら馬鹿気ているに違なかった。津田は首を傾けた。 「しかし解りませんよ」 「いいえ解ってるのよ」 「じゃ気がつかないんでしょう」 「いいえ気もついているのよ」 「じゃどうしたんでしょう。――つまり私が隠している事にでも帰着するんですか」 「まあそうよ」  津田は投げ出した。ここまで追いつめられながら、まだ隠し立をしようとはさすがの自分にも道理と思えなかった。 「馬鹿でも仕方がありません。馬鹿の非難は甘んじて受けますから、どうぞ説明して下さい」  夫人は微かに溜息を吐いた。 「ああああ張合がないのね、それじゃ。せっかく私が丹精して拵えて来て上げたのに、肝心のあなたがそれじゃ、まるで無駄骨を折ったと同然ね。いっそ何にも話さずに帰ろうか知ら」  津田は迷宮に引き込まれるだけであった。引き込まれると知りながら、彼は夫人の後を追かけなければならなかった。そこには自分の好奇心が強く働いた。夫人に対する義理と気兼も、けっして軽い因子ではなかった。彼は何度も同じ言葉を繰り返して夫人の説明を促がした。 「じゃ云いましょう」と最後に応じた時の夫人の様子はむしろ得意であった。「その代り訊きますよ」と断った彼女は、はたして劈頭に津田の毒気を抜いた。 「あなたはなぜ清子さんと結婚なさらなかったんです」  問は不意に来た。津田はにわかに息塞った。黙っている彼を見た上で夫人は言葉を改めた。 「じゃ質問を易えましょう。――清子さんはなぜあなたと結婚なさらなかったんです」  今度は津田が響の声に応ずるごとくに答えた。 「なぜだかちっとも解らないんです。ただ不思議なんです。いくら考えても何にも出て来ないんです」 「突然関さんへ行っちまったのね」 「ええ、突然。本当を云うと、突然なんてものは疾の昔に通り越していましたね。あっと云って後を向いたら、もう結婚していたんです」 「誰があっと云ったの」  この質問ほど津田にとって無意味なものはなかった。誰があっと云おうと余計なお世話としか彼には見えなかった。然るに夫人はそこへとまって動かなかった。 「あなたがあっと云ったんですか。清子さんがあっと云ったんですか。あるいは両方であっと云ったんですか」 「さあ」  津田はやむなく考えさせられた。夫人は彼より先へ出た。 「清子さんの方は平気だったんじゃありませんか」 「さあ」 「さあじゃ仕方がないわ、あなた。あなたにはどう見えたのよ、その時の清子さんが。平気には見えなかったの」 「どうも平気のようでした」  夫人は軽蔑の眼を彼の上に向けた。 「ずいぶん気楽ね、あなたも。清子さんの方が平気だったから、あなたがあっと云わせられたんじゃありませんか」 「あるいはそうかも知れません」 「そんならその時のあっの始末はどうつける気なの」 「別につけようがないんです」 「つけようがないけれども、実はつけたいんでしょう」 「ええ。だからいろいろ考えたんです」 「考えて解ったの」 「解らないんです。考えれば考えるほど解らなくなるだけなんです」 「それだから考えるのはもうやめちまったの」 「いいえやっぱりやめられないんです」 「じゃ今でもまだ考えてるのね」 「そうです」 「それ御覧なさい。それがあなたの未練じゃありませんか」  夫人はとうとう津田を自分の思うところへ押し込めた。 百四十  準備はほぼ出来上った。要点はそろそろ津田の前に展開されなければならなかった。夫人は機を見てしだいにそこへ入って行った。 「そんならもっと男らしくしちゃどうです」という漠然たる言葉が、最初に夫人の口を出た。その時津田はまたかと思った。先刻から「男らしくしろ」とか「男らしくない」とかいう文句を聴かされるたびに、彼は心の中で暗に夫人を冷笑した。夫人の男らしいという意味ははたしてどこにあるのだろうと疑ぐった。批判的な眼を拭って見るまでもなく、彼女は自分の都合ばかりを考えて、津田をやり込めるために、勝手なところへやたらにこの言葉を使うとしか解釈できなかった。彼は苦笑しながら訊いた。 「男らしくするとは?――どうすれば男らしくなれるんですか」 「あなたの未練を晴らすだけでさあね。分り切ってるじゃありませんか」 「どうして」 「全体どうしたら晴らされると思ってるんです、あなたは」 「そりゃ私には解りません」  夫人は急に勢い込んだ。 「あなたは馬鹿ね。そのくらいの事が解らないでどうするんです。会って訊くだけじゃありませんか」  津田は返事ができなかった。会うのがそれほど必要にしたところで、どんな方法でどこでどうして会うのか。その方が先決問題でなければならなかった。 「だから私が今日わざわざここへ来たんじゃありませんか」と夫人が云った時、津田は思わず彼女の顔を見た。 「実は疾うから、あなたの料簡をよく伺って見たいと思ってたところへね、今朝お秀さんがあの事で来たもんだから、それでちょうど好い機会だと思って出て来たような訳なんですがね」  腹に支度の整わない津田の頭はただまごまごするだけであった。夫人はそれを見澄してこういった。 「誤解しちゃいけませんよ。私は私、お秀さんはお秀さんなんだから。何もお秀さんに頼まれて来たからって、きっとあの方の肩ばかり持つとは限らないぐらいは、あなたにだって解るでしょう。先刻も云った通り、私はこれでもあなたの同情者ですよ」 「ええそりゃよく心得ています」  ここで問答に一区切を付けた夫人は、時を移さず要点に達する第二の段落に這入り込んで行った。 「清子さんが今どこにいらっしゃるか、あなた知ってらっしって」 「関の所にいるじゃありませんか」 「そりゃ不断の話よ。私のいうのは今の事よ。今どこにいらっしゃるかっていうのよ。東京か東京でないか」 「存じません」 「あてて御覧なさい」  津田はあてっこをしたってつまらないという風をして黙っていた。すると思いがけない場所の名前が突然夫人の口から点出された。一日がかりで東京から行かれるかなり有名なその温泉場の記憶は、津田にとってもそれほど旧いものではなかった。急にその辺の景色を思い出した彼は、ただ「へええ」と云ったぎり、後をいう智恵が出なかった。  夫人は津田のために親切な説明を加えてくれた。彼女の云うところによると、目的の人は静養のため、当分そこに逗留しているのであった。夫人は何で静養がその人に必要であるかをさえ知っていた。流産後の身体を回復するのが主眼だと云って聴かせた夫人は、津田を見て意味ありげに微笑した。津田は腹の中でほぼその微笑を解釈し得たような気がした。けれどもそんな事は、夫人にとっても彼にとっても、目前の問題ではなかった。一口の批評を加える気にもならなかった彼は、黙って夫人の聴き手になるつもりでおとなしくしていた。同時に夫人は第三の段落に飛び移った。 「あなたもいらっしゃいな」  津田の心はこの言葉を聴く前からすでに揺いていた。しかし行こうという決心は、この言葉を聴いた後でもつかなかった。夫人は一煽りに煽った。 「いらっしゃいよ。行ったって誰の迷惑になる事でもないじゃありませんか。行って澄ましていればそれまででしょう」 「それはそうです」 「あなたはあなたで始めっから独立なんだから構った事はないのよ。遠慮だの気兼だのって、なまじ余計なものを荷にし出すと、事が面倒になるだけですわ。それにあなたの病気には、ここを出た後で、ああいう所へちょっと行って来る方がいいんです。私に云わせれば、病気の方だけでも行く必要は充分あると思うんです。だから是非いらっしゃい。行って天然自然来たような顔をして澄ましているんです。そうして男らしく未練の片をつけて来るんです」  夫人は旅費さえ出してやると云って津田を促がした。 百四十一  旅費を貰って、勤向の都合をつけて貰って、病後の身体を心持の好い温泉場で静養するのは、誰にとっても望ましい事に違なかった。ことに自己の快楽を人間の主題にして生活しようとする津田には滅多にない誂え向きの機会であった。彼に云わせると、見す見すそれを取り外すのは愚の極であった。しかしこの場合に附帯している一種の条件はけっして尋常のものではなかった。彼は顧慮した。  彼を引きとめる心理作用の性質は一目暸然であった。けれども彼はその働きの顕著な力に気がついているだけで、その意味を返照する遑がなかった。この点においても夫人の方が、彼自身よりもかえってしっかりした心理の観察者であった。二つ返事で断行を誓うと思った津田のどこか渋っている様子を見た夫人はこう云った。 「あなたは内心行きたがってるくせに、もじもじしていらっしゃるのね。それが私に云わせると、男らしくないあなたの一番悪いところなんですよ」  男らしくないと評されても大した苦痛を感じない津田は答えた。 「そうかも知れませんけれども、少し考えて見ないと……」 「その考える癖があなたの人格に祟って来るんです」  津田は「へえ?」と云って驚ろいた。夫人は澄ましたものであった。 「女は考えやしませんよ。そんな時に」 「じゃ考える私は男らしい訳じゃありませんか」  この答えを聴いた時、夫人の態度が急に嶮しくなった。 「そんな生意気な口応えをするもんじゃありません。言葉だけで他をやり込めればどこがどうしたというんです、馬鹿らしい。あなたは学校へ行ったり学問をしたりした方のくせに、まるで自分が見えないんだからお気の毒よ。だから畢竟清子さんに逃げられちまったんです」  津田はまた「えッ?」と云った。夫人は構わなかった。 「あなたに分らなければ、私が云って聴かせて上げます。あなたがなぜ行きたがらないか、私にはちゃんと分ってるんです。あなたは臆病なんです。清子さんの前へ出られないんです」 「そうじゃありません。私は……」 「お待ちなさい。――あなたは勇気はあるという気なんでしょう。しかし出るのは見識に拘わるというんでしょう。私から云えば、そう見識ばるのが取りも直さずあなたの臆病なところなんですよ、好ござんすか。なぜと云って御覧なさい。そんな見識はただの見栄じゃありませんか。よく云ったところで、上っ面の体裁じゃありませんか。世間に対する手前と気兼を引いたら後に何が残るんです。花嫁さんが誰も何とも云わないのに、自分できまりを悪くして、三度の御飯を控えるのと同なじ事よ」  津田は呆気に取られた。夫人の小言はまだ続いた。 「つまり色気が多過ぎるから、そんな入らざるところに我を立てて見たくなるんでしょう。そうしてそれがあなたの己惚に生れ変って変なところへ出て来るんです」  津田は仕方なしに黙っていた。夫人は容赦なく一歩進んでその己惚を説明した。 「あなたはいつまでも品よく黙っていようというんです。じっと動かずにすまそうとなさるんです。それでいて内心ではあの事が始終苦になるんです。そこをもう少し押して御覧なさいな。おれがこうしているうちには、今に清子の方から何か説明して来るだろう来るだろうと思って――」 「そんな事を思ってるもんですか、なんぼ私だって」 「いえ、思っているのと同なじだというのです。実際どこにも変りがなければ、そう云われたってしようがないじゃありませんか」  津田にはもう反抗する勇気がなかった。機敏な夫人はそこへつけ込んだ。 「いったいあなたはずうずうしい性質じゃありませんか。そうしてずうずうしいのも世渡りの上じゃ一徳だぐらいに考えているんです」 「まさか」 「いえ、そうです。そこがまだ私に解らないと思ったら、大間違です。好いじゃありませんか、ずうずうしいで、私はずうずうしいのが好きなんだから。だからここで持前のずうずうしいところを男らしく充分発揮なさいな。そのために私がせっかく骨を折って拵えて来たんだから」 「ずうずうしさの活用ですか」と云った津田は言葉を改めた。 「あの人は一人で行ってるんですか」 「無論一人です」 「関は?」 「関さんはこっちよ。こっちに用があるんですもの」  津田はようやく行く事に覚悟をきめた。 百四十二  しかし夫人と津田の間には結末のつかないまだ一つの問題が残っていた。二人はそこをふり返らないで話を切り上げる訳に行かなかった。夫人が踵を回らさないうちに、津田は帰った。 「それで私が行くとしたら、どうなるんです、先刻おっしゃった事は」 「そこです。そこを今云おうと思っていたのよ。私に云わせると、これほど好い療治はないんですがね。どうでしょう、あなたのお考えは」  津田は答えなかった。夫人は念を押した。 「解ったでしょう。後は云わなくっても」  夫人の意味は説明を待たないでもほぼ津田に呑み込めた。しかしそれをどんな風にして、お延の上に影響させるつもりなのか、そこへ行くと彼には確とした観念がなかった。夫人は笑い出した。 「あなたは知らん顔をしていればいいんですよ。後は私の方でやるから」 「そうですか」と答えた津田の頭には疑惑があった。後を挙げて夫人に一任するとなると、お延の運命を他人に委ねると同じ事であった。多少夫人の手腕を恐れている彼は危ぶんだ。何をされるか解らないという掛念に制せられた。 「お任せしてもいいんですが、手段や方法が解っているなら伺っておく方が便利かと思います」 「そんな事はあなたが知らないでもいいのよ。まあ見ていらっしゃい、私がお延さんをもっと奥さんらしい奥さんにきっと育て上げて見せるから」  津田の眼に映るお延は無論不完全であった。けれども彼の気に入らない欠点が、必ずしも夫人の難の打ち所とは限らなかった。それをちゃんぽんに混同しているらしい夫人は、少くとも自分に都合のいいお延を鍛え上げる事が、すなわち津田のために最も適当な細君を作り出す所以だと誤解しているらしかった。それのみか、もう一歩夫人の胸中に立ち入って、その真底を探ると、とんでもない結論になるかも知れなかった。彼女はただお延を好かないために、ある手段を拵えて、相手を苛めにかかるのかも分らなかった。気に喰わないだけの根拠で、敵を打ち懲らす方法を講じているのかも分らなかった。幸に自分でそこを認めなければならないほどに、世間からも己れからも反省を強いられていない境遇にある彼女は、気楽であった。お延の教育。――こういう言葉が臆面なく彼女の口を洩れた。夫人とお延の間柄を、内面から看破る機会に出会った事のない津田にはまたその言葉を疑う資格がなかった。彼は大体の上で夫人の実意を信じてかかった。しかし実意の作用に至ると、勢い危惧の念が伴なわざるを得なかった。 「心配する事があるもんですか。細工はりゅうりゅう仕上を御覧うじろって云うじゃありませんか」  いくら津田が訊いても詳しい話しをしなかった夫人は、こんな高を括った挨拶をした後で、教えるように津田に云った。 「あの方は少し己惚れ過ぎてるところがあるのよ。それから内側と外側がまだ一致しないのね。上部は大変鄭寧で、お腹の中はしっかりし過ぎるくらいしっかりしているんだから。それに利巧だから外へは出さないけれども、あれでなかなか慢気が多いのよ。だからそんなものを皆んな取っちまわなくっちゃ……」  夫人が無遠慮な評をお延に加えている最中に、階子段の中途で足を止めた看護婦の声が二人の耳に入った。 「吉川の奥さんへ堀さんとおっしゃる方から電話でございます」  夫人は「はい」と応じてすぐ立ったが、敷居の所で津田を顧みた。 「何の用でしょう」  津田にも解らなかったその用を足すために下へ降りて行った夫人は、すぐまた上って来ていきなり云った。 「大変大変」 「何が? どうかしたんですか」  夫人は笑いながら落ちついて答えた。 「秀子さんがわざわざ注意してくれたの」 「何をです」 「今まで延子さんが秀子さんの所へ来て話していたんですって。帰りに病院の方へ廻るかも知れないから、ちょっとお知らせするって云うのよ。今秀子さんの門を出たばかりのところだって。――まあ好かった。悪口でも云ってるところへ来られようもんなら、大恥を掻かなくっちゃならない」  いったん坐った夫人は、間もなくまた立った。 「じゃ私はもうお暇にしますからね」  こんな打ち合せをした後でお延の顔を見るのは、彼女にとってもきまりが好くないらしかった。 「いらっしゃらないうちに、早く退却しましょう。どうぞよろしく」  一言の挨拶を彼女に残したまま、夫人はついに病室を出た。 百四十三  この時お延の足はすでに病院に向って動いていた。  堀の宅から医者の所へ行くには、門を出て一二丁町東へ歩いて、そこに丁字形を描いている大きな往来をまた一つ向うへ越さなければならなかった。彼女がこの曲り角へかかった時、北から来た一台の電車がちょうど彼女の前、方角から云えば少し筋違の所でとまった。何気なく首を上げた彼女は見るともなしにこちら側の窓を見た。すると窓硝子を通して映る乗客の中に一人の女がいた。位地の関係から、お延はただその女の横顔の半分もしくは三分の一を見ただけであったが、見ただけですぐはっと思った。吉川夫人じゃないかという気がたちまち彼女の頭を刺戟したからである。  電車はじきに動き出した。お延は自分の物色に満足な時間を与えずに走り去ったその後影をしばらく見送ったあとで、通りを東側へ横切った。  彼女の歩く往来はもう横町だけであった。その辺の地理に詳しい彼女は、いくつかの小路を右へ折れたり左へ曲ったりして、一番近い道をはやく病院へ行き着くつもりであった。けれども電車に会った後の彼女の足は急に重くなった。距離にすればもう二三丁という所まで来た時、彼女は病院へ寄らずに、いったん宅へ帰ろうかと思い出した。  彼女の心は堀の門を出た折からすでに重かった。彼女はむやみにお秀を突ッ付いて、かえってやり損なった不快を胸に包んでいた。そこには大事を明らさまに握る事ができずに、裏からわざわざ匂わせられた羽痒ゆさがあった。なまじいそれを嗅ぎつけた不安の色も、前よりは一層濃く染めつけられただけであった。何よりも先だつのは、こっちの弱点を見抜かれて、逆まに相手から翻弄されはしなかったかという疑惑であった。  お延はそれ以上にまだ敏い気を遠くの方まで廻していた。彼女は自分に対して仕組まれた謀計が、内密にどこかで進行しているらしいとまで癇づいた。首謀者は誰にしろ、お秀がその一人である事は確であった。吉川夫人が関係しているのも明かに推測された。――こう考えた彼女は急に心細くなった。知らないうちに重囲のうちに自分を見出した孤軍のような心境が、遠くから彼女を襲って来た。彼女は周囲を見廻した。しかしそこには夫を除いて依りになるものは一人もいなかった。彼女は何をおいてもまず津田に走らなければならなかった。その津田を疑ぐっている彼女にも、まだ信力は残っていた。どんな事があろうとも、夫だけは共謀者の仲間入はよもしまいと念じた彼女の足は、堀の門を出るや否や、ひとりでにすぐ病院の方へ向いたのである。  その心理作用が今喰いとめられなければならなくなった時、通りで会った電車の影をお延は腹の底から呪った。もし車中の人が吉川夫人であったとすれば、もし吉川夫人が津田の所へ見舞に行ったとすれば、もし見舞に行ったついでに、――。いかに怜俐なお延にも考える自由の与えられていないその後は容易に出て来なかった。けれども結果は一つであった。彼女の頭は急にお秀から、吉川夫人、吉川夫人から津田へと飛び移った。彼女は何がなしに、この三人を巴のように眺め始めた。 「ことによると三人は自分に感じさせない一種の電気を通わせ合っているかも知れない」  今まで避難場のつもりで夫の所へ駈け込もうとばかり思っていた彼女は考えざるを得なかった。 「この分じゃ、ただ行ったっていけない。行ってどうしよう」  彼女はどうしようという分別なしに歩いて来た事に気がついた。するとどんな態度で、どんな風に津田に会うのが、この場合最も有効だろうという問題が、さも重要らしく彼女に見え出して来た。夫婦のくせに、そんなよそ行の支度なんぞして何になるという非難をどこにも聴かなかったので、いったん宅へ帰って、よく気を落ちつけて、それからまた出直すのが一番の上策だと思い極めた彼女は、ついにもう五六分で病院へ行き着こうという小路の中ほどから取って返した。そうして柳の木の植っている大通りから賑やかな往来まで歩いてすぐ電車へ乗った。 百四十四  お延は日のとぼとぼ頃に宅へ帰った。電車から降りて一丁ほどの所を、身に染みるような夕暮の靄に包まれた後の彼女には、何よりも火鉢の傍が恋しかった。彼女はコートを脱ぐなりまずそこへ坐って手を翳した。  しかし彼女にはほとんど一分の休憩時間も与えられなかった。坐るや否や彼女はお時の手から津田の手紙を受け取った。手紙の文句は固より簡単であった。彼女は封を切る手数とほとんど同じ時間で、それを読み下す事ができた。けれども読んだ後の彼女は、もう読む前の彼女ではなかった。わずか三行ばかりの言葉は一冊の書物より強く彼女を動かした。一度に外から持って帰った気分に火を点けたその書翰の前に彼女の心は躍った。 「今日病院へ来ていけないという意味はどこにあるだろう」  それでなくっても、もう一遍出直すはずであった彼女は、時間に関う余裕さえなかった。彼女は台所から膳を運んで来たお時を驚ろかして、すぐ立ち上がった。 「御飯は帰ってからにするよ」  彼女は今脱いだばかりのコートをまた羽織って、門を出た。しかし電車通りまで歩いて来た時、彼女の足は、また小路の角でとまった。彼女はなぜだか病院へ行くに堪えないような気がした。この様子では行ったところで、役に立たないという思慮が不意に彼女に働らきかけた。 「夫の性質では、とても卒直にこの手紙の意味さえ説明してはくれまい」  彼女は心細くなって、自分の前を右へ行ったり左へ行ったりする電車を眺めていた。その電車を右へ利用すれば病院で、左へ乗れば岡本の宅であった。いっそ当初の計画をやめて、叔父の所へでも行こうかと考えついた彼女は、考えつくや否や、すぐその方面に横わる困難をも想像した。岡本へ行って相談する以上、彼女は打ち明け話をしなければならなかった。今まで隠していた夫婦関係の奥底を、曝け出さなければ、一歩も前へ出る訳には行かなかった。叔父と叔母の前に、自分の眼が利かなかった自白を綺麗にしなければならなかった。お延はまだそれほどの恥を忍ぶまでに事件は逼っていないと考えた。復活の見込が充分立たないのに、酔興で自分の虚栄心を打ち殺すような正直は、彼女の最も軽蔑するところであった。  彼女は決しかねて右と左へ少しずつ揺れた。彼女がこんなに迷っているとはまるで気のつかない津田は、この時床の上に起き上って、平気で看護婦の持って来た膳に向いつつあった。先刻お秀から電話のかかった時、すでにお延の来訪を予想した彼は、吉川夫人と入れ代りに細君の姿を病室に見るべく暗に心の調子を整えていたところが、その細君は途中から引き返してしまったので、軽い失望の間に、夕食の時間が来るまで、待ち草臥れたせいか、看護婦の顔を見るや否や、すぐ話しかけた。 「ようやく飯か。どうも一人でいると日が長くって困るな」  看護婦は体の小さい血色の好くない女であった。しかし年頃はどうしても津田に鑑定のつかない妙な顔をしていた。いつでも白い服を着けているのが、なおさら彼女を普通の女の群から遠ざけた。津田はつねに疑った。――この人が通常の着物を着る時に、まだ肩上を付けているだろうか、または除っているだろうか。彼はいつか真面目にこんな質問を彼女にかけて見た事があった。その時彼女はにやりと笑って、「私はまだ見習です」と答えたので、津田はおおよその見当を立てたくらいであった。  膳を彼の枕元へ置いた彼女はすぐ下へ降りなかった。 「御退屈さま」と云って、にやにや笑った彼女は、すぐ後を付け足した。 「今日は奥さんはお見えになりませんね」 「うん、来ないよ」  津田の口の中にはもう焦げた麺麭がいっぱい入っていた。彼はそれ以上何も云う事ができなかった。しかし看護婦の方は自由であった。 「その代り外のお客さまがいらっしゃいましたね」 「うん。あのお婆さんだろう。ずいぶん肥ってるね、あの奥さんは」  看護婦が悪口の相槌を打つ気色を見せないので、津田は一人でしゃべらなければならなかった。 「もっと若い綺麗な人が、どんどん見舞に来てくれると病気も早く癒るんだがな」と云って看護婦を笑わせた彼は、すぐ彼女から冷嘲かし返された。 「でも毎日女の方ばかりいらっしゃいますね。よっぽど間がいいと見えて」  彼女は小林の来た事を知らないらしかった。 「昨日いらしった奥さんは大変お綺麗ですね」 「あんまり綺麗でもないよ。あいつは僕の妹だからね。どこか似ているかね、僕と」  看護婦は似ているとも似ていないとも答えずに、やっぱりにやにやしていた。 百四十五  それは看護婦にとって意外な儲け日であった。下痢の気味でいつもの通り診察場に出られなかった医者に、代理を頼まれた彼の友人は、午前の都合を付けてくれただけで、午後から夜へかけての時間には、もう顔を出さなかった。 「今日は当直だから晩には来られないんだそうです」  彼女はこう云って、不断のような忙がしい様子をどこにも見せずに、ゆっくり津田の膳の前に坐っていた。  退屈凌ぎに好い相手のできた気になった津田の舌には締りがなかった。彼は面白半分いろいろな事を訊いた。 「君の国はどこかね」 「栃木県です」 「なるほどそう云われて見ると、そうかな」 「名前は何と云ったっけね」 「名前は知りません」  看護婦はなかなか名前を云わなかった。津田はそこに発見された抵抗が愉快なので、わざわざ何遍も同じ事を繰り返して訊いた。 「じゃこれから君の事を栃木県、栃木県って呼ぶよ。いいかね」 「ええよござんす」  彼女の名前の頭文字はつであった。 「露か」 「いいえ」 「なるほど露じゃあるまいな。じゃ土か」 「いいえ」 「待ちたまえよ、露でもなし、土でもないとすると。――ははあ、解った。つやだろう。でなければ、常か」  津田はいくらでもでたらめを云った。云うたびに看護婦は首を振って、にやにや笑った。笑うたびに、津田はまた彼女を追窮した。しまいに彼女の名がつきだと判然った時、彼はこの珍らしい名をまだ弄んだ。 「お月さんだね、すると。お月さんは好い名だ。誰が命けた」  看護婦は返答を与える代りに突然逆襲した。 「あなたの奥さんの名は何とおっしゃるんですか」 「あてて御覧」  看護婦はわざと二つ三つ女らしい名を並べた後で云った。 「お延さんでしょう」  彼女は旨くあてた。というよりも、いつの間にかお延の名を聴いて覚えていた。 「お月さんはどうも油断がならないなあ」  津田がこう云って興じているところへ、本人のお延がひょっくり顔を出したので、ふり返った看護婦は驚ろいて、すぐ膳を持ったなり立ち上った。 「ああ、とうとういらしった」  看護婦と入れ代りに津田の枕元へ坐ったお延はたちまち津田を見た。 「来ないと思っていらしったんでしょう」 「いやそうでもない。しかし今日はもう遅いからどうかとも思っていた」  津田の言葉に偽りはなかった。お延にはそれを認めるだけの眼があった。けれどもそうすれば事の矛盾はなお募るばかりであった。 「でも先刻手紙をお寄こしになったのね」 「ああやったよ」 「今日来ちゃいけないと書いてあるのね」 「うん、少し都合の悪い事があったから」 「なぜあたしが来ちゃ御都合が悪いの」  津田はようやく気がついた。彼はお延の様子を見ながら答えた。 「なに何でもないんだ。下らない事なんだ」 「でも、わざわざ使に持たせてお寄こしになるくらいだから、何かあったんでしょう」  津田はごまかしてしまおうとした。 「下らない事だよ。何でまたそんな事を気にかけるんだ。お前も馬鹿だね」  慰藉のつもりで云った津田の言葉はかえって反対の結果をお延の上に生じた。彼女は黒い眉を動かした。無言のまま帯の間へ手を入れて、そこから先刻の書翰を取り出した。 「これをもう一遍見てちょうだい」  津田は黙ってそれを受け取った。 「別段何にも書いちゃないじゃないか」と云った時、彼の腹はようやく彼の口を否定した。手紙は簡単であった。けれどもお延の疑いを惹くには充分であった。すでに疑われるだけの弱味をもっている彼は、やり損なったと思った。 「何にも書いてないから、その理由を伺うんです」とお延は云った。 「話して下すってもいいじゃありませんか。せっかく来たんだから」 「お前はそれを聴きに来たのかい」 「ええ」 「わざわざ?」 「ええ」  お延はどこまで行っても動かなかった。相手の手剛さを悟った時、津田は偶然好い嘘を思いついた。 「実は小林が来たんだ」  小林の二字はたしかにお延の胸に反響した。しかしそれだけではすまなかった。彼はお延を満足させるために、かえってそこを説明してやらなければならなくなった。 百四十六 「小林なんかに逢うのはお前も厭だろうと思ってね。それで気がついたからわざわざ知らしてやったんだよ」  こう云ってもお延はまだ得心した様子を見せなかったので、津田はやむをえず慰藉の言葉を延ばさなければならなかった。 「お前が厭でないにしたところで、おれが厭なんだ、あんな男にお前を合わせるのは。それにあいつがまたお前に聴かせたくないような厭な用事を持ち込んで来たもんだからね」 「あたしの聴いて悪い用事? じゃお二人の間の秘密なの?」 「そんな訳のものじゃないよ」と云った津田は、自分の上に寸分の油断なく据えられたお延の細い眼を見た時に、周章てて後を付け足した。 「また金を強乞りに来たんだ。ただそれだけさ」 「じゃあたしが聴いてなぜ悪いの」 「悪いとは云やしない。聴かせたくないというまでさ」 「するとただ親切ずくで寄こして下すった手紙なのね、これは」 「まあそうだ」  今まで夫に見入っていたお延の細い眼がなお細くなると共に、微かな笑が唇を洩れた。 「まあありがたい事」  津田は澄ましていられなくなった。彼は用意を欠いた文句を択り除ける余裕を失った。 「お前だって、あんな奴に会うのは厭なんじゃないか」 「いいえ、ちっとも」 「そりゃ嘘だ」 「どうして嘘なの」 「だって小林は何かお前に云ったそうじゃないか」 「ええ」 「だからさ。それでお前もあいつに会うのは厭だろうと云うんだ」 「じゃあなたはあたしが小林さんからどんな事を聴いたか知っていらっしゃるの」 「そりゃ知らないよ。だけどどうせあいつのことだから碌な事は云やしなかろう。いったいどんな事を云ったんだ」  お延は口へ出かかった言葉を殺してしまった。そうして反問した。 「ここで小林さんは何とおっしゃって」 「何とも云やしないよ」 「それこそ嘘です。あなたは隠していらっしゃるんです」 「お前の方が隠しているんじゃないかね。小林から好い加減な事を云われて、それを真に受けていながら」 「そりゃ隠しているかも知れません。あなたが隠し立てをなさる以上、あたしだって仕方がないわ」  津田は黙った。お延も黙った。二人とも相手の口を開くのを待った。しかしお延の辛防は津田よりも早く切れた。彼女は急に鋭どい声を出した。 「嘘よ、あなたのおっしゃる事はみんな嘘よ。小林なんて人はここへ来た事も何にもないのに、あなたはあたしをごまかそうと思って、わざわざそんな拵え事をおっしゃるのよ」 「拵えたって、別におれの利益になる訳でもなかろうじゃないか」 「いいえほかの人が来たのを隠すために、小林なんて人を、わざわざ引張り出すにきまってるわ」 「ほかの人? ほかの人とは」  お延の眼は床の上に載せてある楓の盆栽に落ちた。 「あれはどなたが持っていらしったんです」  津田は失敗ったと思った。なぜ早く吉川夫人の来た事を自白してしまわなかったかと後悔した。彼が最初それを口にしなかったのは分別の結果であった。話すのに訳はなかったけれども、夫人と相談した事柄の内容が、お延に対する彼を自然臆病にしたので、気の咎める彼は、まあ遠慮しておく方が得策だろうと思案したのである。  盆栽をふり返った彼が吉川夫人の名を云おうとして、ちょっと口籠った時、お延は機先を制した。 「吉川の奥さんがいらしったじゃありませんか」  津田は思わず云った。 「どうして知ってるんだ」 「知ってますわ。そのくらいの事」  お延の様子に注意していた津田はようやく度胸を取り返した。 「ああ来たよ。つまりお前の予言があたった訳になるんだ」 「あたしは奥さんが電車に乗っていらしった事までちゃんと知ってるのよ」  津田はまた驚ろいた。ことによると自動車が大通りに待っていたのかも知れないと思っただけで、彼は夫人の乗物にそれ以上細かい注意を払わなかった。 「お前どこかで会ったのかい」 「いいえ」 「じゃどうして知ってるんだ」  お延は答える代りに訊き返した。 「奥さんは何しにいらしったんです」  津田は何気なく答えた。 「そりゃ今話そうと思ってたところだ。――しかし誤解しちゃ困るよ。小林はたしかに来たんだからね。最初に小林が来て、その後へ奥さんが来たんだ。だからちょうど入れ違になった訳だ」 百四十七  お延は夫より自分の方が急き込んでいる事に気がついた。この調子で乗しかかって行ったところで、夫はもう圧し潰されないという見切をつけた時、彼女は自分の破綻を出す前に身を翻がえした。 「そう、そんならそれでもいいわ。小林さんが来たって来なくったって、あたしの知った事じゃないんだから。その代り吉川の奥さんの用事を話して聴かしてちょうだい。無論ただのお見舞でない事はあたしにも判ってるけれども」 「といったところで、大した用事で来た訳でもないんだよ。そんなに期待していると、また聴いてから失望するかも知れないから、ちょっと断っとくがね」 「構いません、失望しても。ただありのままを伺いさえすれば、それで念晴しになるんだから」 「本来が見舞で、用事はつけたりなんだよ、いいかね」 「いいわ、どっちでも」  津田は夫人の齎した温泉行の助言だけをごく淡泊り話した。お延にお延流の機略がある通り、彼には彼相当の懸引があるので、都合の悪いところを巧みに省略した、誰の耳にも真卒で合理的な説明がたやすく彼の口からお延の前に描き出された。彼女は表向それに対して一言の非難を挟さむ余地がなかった。  ただ落ちつかないのは互の腹であった。お延はこの単純な説明を透して、その奥を覗き込もうとした。津田は飽くまでもそれを見せまいと覚悟した。極めて平和な暗闘が度胸比べと技巧比べで演出されなければならなかった。しかし守る夫に弱点がある以上、攻める細君にそれだけの強味が加わるのは自然の理であった。だから二人の天賦を度外において、ただ二人の位地関係から見ると、お延は戦かわない先にもう優者であった。正味の曲直を標準にしても、競り合わない前に、彼女はすでに勝っていた。津田にはそういう自覚があった。お延にもこれとほぼ同じ意味で大体の見当がついていた。  戦争は、この内部の事実を、そのまま表面へ追い出す事ができるかできないかで、一段落つかなければならない道理であった。津田さえ正直ならばこれほどたやすい勝負はない訳でもあった。しかしもし一点不正直なところが津田に残っているとすると、これほどまた落し悪い城はけっしてないという事にも帰着した。気の毒なお延は、否応なしに津田を追い出すだけの武器をまだ造り上げていなかった。向うに開門を逼るよりほかに何の手段も講じ得ない境遇にある現在の彼女は、結果から見てほとんど無能力者と択ぶところがなかった。  なぜ心に勝っただけで、彼女は美くしく切り上げられないのだろうか。なぜ凱歌を形の上にまで運び出さなければ気がすまないのだろうか。今の彼女にはそんな余裕がなかったのである。この勝負以上に大事なものがまだあったのである。第二第三の目的をまだ後に控えていた彼女は、ここを突き破らなければ、その後をどうする訳にも行かなかったのである。  それのみか、実をいうと、勝負は彼女にとって、一義の位をもっていなかった。本当に彼女の目指すところは、むしろ真実相であった。夫に勝つよりも、自分の疑を晴らすのが主眼であった。そうしてその疑いを晴らすのは、津田の愛を対象に置く彼女の生存上、絶対に必要であった。それ自身がすでに大きな目的であった。ほとんど方便とも手段とも云われないほど重い意味を彼女の眼先へ突きつけていた。  彼女は前後の関係から、思量分別の許す限り、全身を挙げてそこへ拘泥らなければならなかった。それが彼女の自然であった。しかし不幸な事に、自然全体は彼女よりも大きかった。彼女の遥か上にも続いていた。公平な光りを放って、可憐な彼女を殺そうとしてさえ憚からなかった。  彼女が一口拘泥るたびに、津田は一足彼女から退ぞいた。二口拘泥れば、二足退いた。拘泥るごとに、津田と彼女の距離はだんだん増して行った。大きな自然は、彼女の小さい自然から出た行為を、遠慮なく蹂躙した。一歩ごとに彼女の目的を破壊して悔いなかった。彼女は暗にそこへ気がついた。けれどもその意味を悟る事はできなかった。彼女はただそんなはずはないとばかり思いつめた。そうしてついにまた心の平静を失った。 「あたしがこれほどあなたの事ばかり考えているのに、あなたはちっとも察して下さらない」  津田はやりきれないという顔をした。 「だからおれは何にもお前を疑ってやしないよ」 「当り前ですわ。この上あなたに疑ぐられるくらいなら、死んだ方がよっぽどましですもの」 「死ぬなんて大袈裟な言葉は使わないでもいいやね。第一何にもないじゃないか、どこにも。もしあるなら云って御覧な。そうすればおれの方でも弁解もしようし、説明もしようけれども、初手から根のない苦情じゃ手のつけようがないじゃないか」 「根はあなたのお腹の中にあるはずですわ」 「困るなそれだけじゃ。――お前小林から何かしゃくられたね。きっとそうに違ない。小林が何を云ったかそこで話して御覧よ。遠慮は要らないから」 百四十八  津田の言葉つきなり様子なりからして、お延は彼の心を明暸に推察する事ができた。――夫は彼の留守に小林の来た事を苦にしている。その小林が自分に何を話したかをなお気に病んでいる。そうしてその話の内容は、まだ判然掴んでいない。だから鎌をかけて自分を釣り出そうとする。  そこに明らかな秘密があった。材料として彼女の胸に蓄わえられて来たこれまでのいっさいは、疑もなく矛盾もなく、ことごとく同じ方角に向って注ぎ込んでいた。秘密は確実であった。青天白日のように明らかであった。同時に青天白日と同じ事で、どこにもその影を宿さなかった。彼女はそれを見つめるだけであった。手を出す術を知らなかった。  悩乱のうちにまだ一分の商量を余した利巧な彼女は、夫のかけた鎌を外さずに、すぐ向うへかけ返した。 「じゃ本当を云いましょう。実は小林さんから詳しい話をみんな聴いてしまったんです。だから隠したってもう駄目よ。あなたもずいぶんひどい方ね」  彼女の云い草はほとんどでたらめに近かった。けれどもそれを口にする気持からいうと、全くの真剣沙汰と何の異なるところはなかった。彼女は熱を籠めた語気で、津田を「ひどい方」と呼ばなければならなかった。  反響はすぐ夫の上に来た。津田はこのでたらめの前に退避ろぐ気色を見せた。お秀の所で遣り損なった苦い経験にも懲りず、また同じ冒険を試みたお延の度胸は酬いられそうになった。彼女は一躍して進んだ。 「なぜこうならない前に、打ち明けて下さらなかったんです」 「こうならない前」という言葉は曖昧であった。津田はその意味を捕捉するに苦しんだ。肝心のお延にはなお解らなかった。だから訊かれても説明しなかった。津田はただぼんやりと念を押した。 「まさか温泉へ行く事をいうんじゃあるまいね。それが不都合だと云うんなら、やめても構わないが」  お延は意外な顔をした。 「誰がそんな無理をいうもんですか。会社の方の都合がついて、病後の身体を回復する事ができれば、それほど結構な事はないじゃありませんか。それが悪いなんてむちゃくちゃを云い募るあたしだと思っていらっしゃるの、馬鹿らしい。ヒステリーじゃあるまいし」 「じゃ行ってもいいかい」 「よござんすとも」と云った時、お延は急に袂から手帛を出して顔へ当てたと思うと、しくしく泣き出した。あとの言葉は、啜り上げる声の間から、句をなさずに、途切れ途切れに、毀れ物のような形で出て来た。 「いくらあたしが、……わがままだって、……あなたの療養の……邪魔をするような、……そんな……あたしは不断からあなたがあたしに許して下さる自由に対して感謝の念をもっているんです……のにあたしがあなたの転地療養を……妨げるなんて……」  津田はようやく安心した。けれどもお延にはまだ先があった。発作が静まると共に、その先は比較的すらすら出た。 「あたしはそんな小さな事を考えているんじゃないんです。いくらあたしが女だって馬鹿だって、あたしにはまたあたしだけの体面というものがあります。だから女なら女なり、馬鹿なら馬鹿なりに、その体面を維持して行きたいと思うんです。もしそれを毀損されると……」  お延はこれだけ云いかけてまた泣き出した。あとはまた切れ切れになった。 「万一……もしそんな事があると……岡本の叔父に対しても……叔母に対しても……面目なくて、合わす顔がなくなるんです。……それでなくっても、あたしはもう秀子さんなんぞから馬鹿にされ切っているんです。……それをあなたは傍で見ていながら、……すまして……すまして……知らん顔をしていらっしゃるんです」  津田は急に口を開いた。 「お秀がお前を馬鹿にしたって? いつ? 今日お前が行った時にかい」  津田は我知らずとんでもない事を云ってしまった。お延が話さない限り、彼はその会見を知るはずがなかったのである。お延の眼ははたして閃めいた。 「それ御覧なさい。あたしが今日秀子さんの所へ行った事が、あなたにはもうちゃんと知れているじゃありませんか」 「お秀が電話をかけたよ」という返事がすぐ津田の咽喉から外へ滑り出さなかった。彼は云おうか止そうかと思って迷った。けれども時に一寸の容赦もなかった。反吐もどしていればいるほど形勢は危うくなるだけであった。彼はほとんど行きつまった。しかし間髪を容れずという際どい間際に、旨い口実が天から降って来た。 「車夫が帰って来てそう云ったもの。おおかたお時が車夫に話したんだろう」  幸いお延がお秀の後を追かけて出た事は、下女にも解っていた。偶発の言訳が偶中の功を奏した時、津田は再度の胸を撫で下した。 百四十九  遮二無二津田を突き破ろうとしたお延は立ちどまった。夫がそれほど自分をごまかしていたのでないと考える拍子に気が抜けたので、一息に進むつもりの彼女は進めなくなった。津田はそこを覘った。 「お秀なんぞが何を云ったって構わないじゃないか。お秀はお秀、お前はお前なんだから」  お延は答えた。 「そんなら小林なんぞがあたしに何を云ったって構わないじゃありませんか。あなたはあなた、小林は小林なんだから」 「そりゃ構わないよ。お前さえしっかりしていてくれれば。ただ疑ぐりだの誤解だのを起して、それをむやみに振り廻されると迷惑するから、こっちだって黙っていられなくなるだけさ」 「あたしだって同じ事ですわ。いくらお秀さんが馬鹿にしようと、いくら藤井の叔母さんが疎外しようと、あなたさえしっかりしていて下されば、苦になるはずはないんです。それを肝心のあなたが……」  お延は行きつまった。彼女には明暸な事実がなかった。したがって明暸な言葉が口へ出て来なかった。そこを津田がまた一掬い掬った。 「おおかたお前の体面に関わるような不始末でもすると思ってるんだろう。それよりか、もう少しおれに憑りかかって安心していたらいいじゃないか」  お延は急に大きな声を揚げた。 「あたしは憑りかかりたいんです。安心したいんです。どのくらい憑りかかりたがっているか、あなたには想像がつかないくらい、憑りかかりたいんです」 「想像がつかない?」 「ええ、まるで想像がつかないんです。もしつけば、あなたも変って来なくっちゃならないんです。つかないから、そんなに澄ましていらっしゃられるんです」 「澄ましてやしないよ」 「気の毒だとも可哀相だとも思って下さらないんです」 「気の毒だとも、可哀相だとも……」  これだけ繰り返した津田はいったん塞えた。その後で継ぎ足した文句はむしろ蹣跚として揺めいていた。 「思って下さらないたって。――いくら思おうと思っても。――思うだけの因縁があれば、いくらでも思うさ。しかしなけりゃ仕方がないじゃないか」  お延の声は緊張のために顫えた。 「あなた。あなた」  津田は黙っていた。 「どうぞ、あたしを安心させて下さい。助けると思って安心させて下さい。あなた以外にあたしは憑りかかり所のない女なんですから。あなたに外されると、あたしはそれぎり倒れてしまわなければならない心細い女なんですから。だからどうぞ安心しろと云って下さい。たった一口でいいから安心しろと云って下さい」  津田は答えた。 「大丈夫だよ。安心おしよ」 「本当?」 「本当に安心おしよ」  お延は急に破裂するような勢で飛びかかった。 「じゃ話してちょうだい。どうぞ話してちょうだい。隠さずにみんなここで話してちょうだい。そうして一思いに安心させてちょうだい」  津田は面喰った。彼の心は波のように前後へ揺き始めた。彼はいっその事思い切って、何もかもお延の前に浚け出してしまおうかと思った。と共に、自分はただ疑がわれているだけで、実証を握られているのではないとも推断した。もしお延が事実を知っているなら、ここまで押して来て、それを彼の顔に叩きつけないはずはあるまいとも考えた。  彼は気の毒になった。同時に逃げる余地は彼にまだ残っていた。道義心と利害心が高低を描いて彼の心を上下へ動かした。するとその片方に温泉行の重みが急に加わった。約束を断行する事は吉川夫人に対する彼の義務であった。必然から起る彼の要求でもあった。少くともそれを済ますまで打ち明けずにいるのが得策だという気が勝を制した。 「そんなくだくだしい事を云ってたって、お互いに顔を赤くするだけで、際限がないから、もう止そうよ。その代りおれが受け合ったらいいだろう」 「受け合うって」 「受け合うのさ。お前の体面に対して、大丈夫だという証書を入れるのさ」 「どうして」 「どうしてって、ほかに証文の入れようもないから、ただ口で誓うのさ」  お延は黙っていた。 「つまりお前がおれを信用すると云いさえすれば、それでいいんだ。万一の場合が出て来た時は引き受けて下さいって云えばいいんだ。そうすればおれの方じゃ、よろしい受け合ったと、こう答えるのさ。どうだねその辺のところで妥協はできないかね」 百五十  妥協という漢語がこの場合いかに不釣合に聞こえようとも、その時の津田の心事を説明するには極めて穏当であった。実際この言葉によって代表される最も適切な意味が彼の肚にあった事はたしかであった。明敏なお延の眼にそれが映った時、彼女の昂奮はようやく喰いとめられた。感情の潮がまだ上りはしまいかという掛念で、暗に頭を悩ませていた津田は助かった。次の彼には喰いとめた潮の勢を、反対な方向へ逆用する手段を講ずるだけの余裕ができた。彼はお延を慰めにかかった。彼女の気に入りそうな文句を多量に使用した。沈着な態度を外部側にもっている彼は、また臨機に自分を相手なりに順応させて行く巧者も心得ていた。彼の努力ははたして空しくなかった。お延は久しぶりに結婚以前の津田を見た。婚約当時の記憶が彼女の胸に蘇えった。 「夫は変ってるんじゃなかった。やっぱり昔の人だったんだ」  こう思ったお延の満足は、津田を窮地から救うに充分であった。暴風雨になろうとして、なり損ねた波瀾はようやく収まった。けれども事前の夫婦は、もう事後の夫婦ではなかった。彼らはいつの間にか吾知らず相互の関係を変えていた。  波瀾の収まると共に、津田は悟った。 「畢竟女は慰撫しやすいものである」  彼は一場の風波が彼に齎したこの自信を抱いてひそかに喜こんだ。今までの彼は、お延に対するごとに、苦手の感をどこかに起さずにいられた事がなかった。女だと見下ろしながら、底気味の悪い思いをしなければならない場合が、日ごとに現前した。それは彼女の直覚であるか、または直覚の活作用とも見傚される彼女の機略であるか、あるいはそれ以外の或物であるか、たしかな解剖は彼にもまだできていなかったが、何しろ事実は事実に違いなかった。しかも彼自身自分の胸に畳み込んでおくぎりで、いまだかつて他に洩らした事のない事実に違いなかった。だから事実と云い条、その実は一個の秘密でもあった。それならばなぜ彼がこの明白な事実をわざと秘密に附していたのだろう。簡単に云えば、彼はなるべく己れを尊く考がえたかったからである。愛の戦争という眼で眺めた彼らの夫婦生活において、いつでも敗者の位地に立った彼には、彼でまた相当の慢心があった。ところがお延のために征服される彼はやむをえず征服されるので、心から帰服するのではなかった。堂々と愛の擒になるのではなくって、常に騙し打に会っているのであった。お延が夫の慢心を挫くところに気がつかないで、ただ彼を征服する点においてのみ愛の満足を感ずる通りに、負けるのが嫌な津田も、残念だとは思いながら、力及ばず組み敷かれるたびに降参するのであった。この特殊な関係を、一夜の苦説が逆にしてくれた時、彼のお延に対する考えは変るのが至当であった。彼は今までこれほど猛烈に、また真正面に、上手を引くように見えて、実は偽りのない下手に出たお延という女を見た例がなかった。弱点を抱いて逃げまわりながら彼は始めてお延に勝つ事ができた。結果は明暸であった。彼はようやく彼女を軽蔑する事ができた。同時に以前よりは余計に、彼女に同情を寄せる事ができた。  お延にはまたお延で波瀾後の変化が起りつつあった。今までかつてこういう態度で夫に向った事のない彼女は、一気に津田の弱点を衝く方に心を奪われ過ぎたため、ついぞ露わした事のない自分の弱点を、かえって夫に示してしまったのが、何より先に残念の種になった。夫に愛されたいばかりの彼女には平常からわが腕に依頼する信念があった。自分は自分の見識を立て通して見せるという覚悟があった。もちろんその見識は複雑とは云えなかった。夫の愛が自分の存在上、いかに必要であろうとも、頭を下げて憐みを乞うような見苦しい真似はできないという意地に過ぎなかった。もし夫が自分の思う通り自分を愛さないならば、腕の力で自由にして見せるという堅い決心であった。のべつにこの決心を実行して来た彼女は、つまりのべつに緊張していると同じ事であった。そうしてその緊張の極度はどこかで破裂するにきまっていた。破裂すれば、自分で自分の見識をぶち壊すのと同じ結果に陥いるのは明暸であった。不幸な彼女はこの矛盾に気がつかずに邁進した。それでとうとう破裂した。破裂した後で彼女はようやく悔いた。仕合せな事に自然は思ったより残酷でなかった。彼女は自分の弱点を浚け出すと共に一種の報酬を得た。今までどんなに勝ち誇っても物足りた例のなかった夫の様子が、少し変った。彼は自分の満足する見当に向いて一歩近づいて来た。彼は明らかに妥協という字を使った。その裏に彼女の根限り掘り返そうと力めた秘密の潜在する事を暗に自白した。自白?。彼女はよく自分に念を押して見た。そうしてそれが黙認に近い自白に違いないという事を確かめた時、彼女は口惜しがると同時に喜こんだ。彼女はそれ以上夫を押さなかった。津田が彼女に対して気の毒という念を起したように、彼女もまた津田に対して気の毒という感じを持ち得たからである。 百五十一  けれども自然は思ったより頑愚であった。二人はこれだけで別れる事ができなかった。妙な機みからいったん収まりかけた風波がもう少しで盛り返されそうになった。  それは昂奮したお延の心持がやや平静に復した時の事であった。今切り抜けて来た波瀾の結果はすでに彼女の気分に働らきかけていた。酔を感ずる人が、その酔を利用するような態度で彼女は津田に向った。 「じゃいつごろその温泉へいらっしゃるの」 「ここを出たらすぐ行こうよ。身体のためにもその方が都合がよさそうだから」 「そうね。なるべく早くいらしった方がいいわ。行くと事がきまった以上」  津田はこれでまずよしと安心した。ところへお延は不意に出た。 「あたしもいっしょに行っていいんでしょう」  気の緩んだ津田は急にひやりとした。彼は答える前にまず考えなければならなかった。連れて行く事は最初から問題にしていなかった。と云って、断る事はなおむずかしかった。断り方一つで、相手はどう変化するかも分らなかった。彼が何と返事をしたものだろうと思って分別するうちに大切の機は過ぎた。お延は催促した。 「ね、行ってもいいんでしょう」 「そうだね」 「いけないの」 「いけない訳もないがね……」  津田は連れて行きたくない心の内を、しだいしだいに外へ押し出されそうになった。もし猜疑の眸が一度お延の眼の中に動いたら事はそれぎりであると見てとった彼は、実を云うと、お延と同じ心理状態の支配を受けていた。先刻の波瀾から来た影響は彼にもう憑り移っていた。彼は彼でそれを利用するよりほかに仕方がなかった。彼はすぐ「慰撫」の二字を思い出した。「慰撫に限る。女は慰撫さえすればどうにかなる」。彼は今得たばかりのこの新らしい断案を提さげて、お延に向った。 「行ってもいいんだよ。いいどころじゃない、実は行って貰いたいんだ。第一一人じゃ不自由だからね。世話をして貰うだけでも、その方が都合がいいにきまってるからね」 「ああ嬉しい、じゃ行くわ」 「ところがだね。……」  お延は厭な顔をした。 「ところがどうしたの」 「ところがさ。宅はどうする気かね」 「宅は時がいるから好いわ」 「好いわって、そんな子供見たいな呑気な事を云っちゃ困るよ」 「なぜ。どこが呑気なの。もし時だけで不用心なら誰か頼んで来るわ」  お延は続けざまに留守居として適当な人の名を二三挙げた。津田は拒めるだけそれを拒んだ。 「若い男は駄目だよ。時と二人ぎり置く訳にゃ行かないからね」  お延は笑い出した。 「まさか。――間違なんか起りっこないわ、わずかの間ですもの」 「そうは行かないよ。けっしてそうは行かないよ」  津田は断乎たる態度を示すと共に、考える風もして見せた。 「誰か適当な人はないもんかね。手頃なお婆さんか何かあるとちょうど持って来いだがな」  藤井にも岡本にもその他の方面にも、そんな都合の好い手の空いた人は一人もなかった。 「まあよく考えて見るさ」  この辺で話を切り上げようとした津田は的が外れた。お延は掴んだ袖をなかなか放さなかった。 「考えてない時には、どうするの。もしお婆さんがいなければ、あたしはどうしても行っちゃ悪いの」 「悪いとは云やしないよ」 「だってお婆さんなんかいる訳がないじゃありませんか。考えないだってそのくらいな事は解ってますわ。それより行って悪いなら悪いと判然云ってちょうだいよ」  せっぱつまった津田はこの時不思議にまた好い云訳を思いついた。 「そりゃいざとなれば留守番なんかどうでも構わないさ。しかし時一人を置いて行くにしたところで、まだ困る事があるんだ。おれは吉川の奥さんから旅費を貰うんだからね。他の金を貰って夫婦連れで遊んで歩くように思われても、あんまりよくないじゃないか」 「そんなら吉川の奥さんからいただかないでも構わないわ。あの小切手があるから」 「そうすると今月分の払の方が差支えるよ」 「それは秀子さんの置いて行ったのがあるのよ」  津田はまた行きつまった。そうしてまた危い血路を開いた。 「少し小林に貸してやらなくっちゃならないんだぜ」 「あんな人に」 「お前はあんな人にと云うがね、あれでも今度遠い朝鮮へ行くんだからね。可哀想だよ。それにもう約束してしまったんだから、どうする訳にも行かないんだ」  お延は固より満足な顔をするはずがなかった。しかし津田はこれでどうかこうかその場だけを切り抜ける事ができた。 百五十二  後は話が存外楽に進行したので、ほどなく第二の妥協が成立した。小林に対する友誼を満足させるため、かつはいったん約束した言責を果すため、津田はお延の貰って来た小切手の中から、その幾分を割いて朝鮮行の贐として小林に贈る事にした。名義は固より貸すのであったが、相手に返す腹のない以上、それを予算に組み込んで今後の的にする訳には行かないので、結果はつまりやる事になったのである。もちろんそこへ行き着くまでにはお延にも多少の難色があった。小林のような横着な男に金銭を恵むのはおろか、ちゃんとした証書を入れさせて、一時の用を足してやる好意すら、彼女の胸のどの隅からも出るはずはなかった。のみならず彼女はややともすると、強いてそれを断行しようとする夫の裏側を覗き込むので、津田はそのたびに少なからず冷々した。 「あんな人に何だってそんな親切を尽しておやりになるんだか、あたしにはまるで解らないわ」  こういう意味の言葉が二度も三度も彼女によって繰り返された。津田が人情一点張でそれを相手にする気色を見せないと、彼女はもう一歩先の事まで云った。 「だから訳をおっしゃいよ。こういう訳があるから、こうしなければ義理が悪いんだという事情さえ明暸になれば、あの小切手をみんな上げても構わないんだから」  津田にはここが何より大事な関所なので、どうしてもお延を通させる訳に行かなかった。彼は小林を弁護する代りに、二人の過去にある旧い交際と、その交際から出る懐かしい記憶とを挙げた。懐かしいという字を使って非難された時には、仕方なしに、昔の小林と今の小林の相違にまで、説明の手を拡げた。それでも腑に落ちないお延の顔を見た時には、急に談話の調子を高尚にして、人道まで云々した。しかし彼の口にする人道はついに一個の功利説に帰着するので、彼は吾知らず自分の拵えた陥穽に向って進んでいながら気がつかず、危うくお延から足を取られて、突き落されそうになる場合も出て来た。それを代表的な言葉でごく簡単に例で現わすと下のようになった。 「とにかく困ってるんだからね、内地にいたたまれずに、朝鮮まで落ちて行こうてんだから、少しは同情してやってもよかろうじゃないか。それにお前はあいつの人格をむやみに攻撃するが、そこに少し無理があるよ。なるほどあいつはしようのない奴さ。しようのない奴には違ないけれども、あいつがこうなった因りをよく考えて見ると、何でもないんだ。ただ不平だからだ。じゃなぜ不平だというと、金が取れないからだ。ところがあいつは愚図でもなし、馬鹿でもなし、相当な頭を持ってるんだからね。不幸にして正則の教育を受けなかったために、ああなったと思うと、そりゃ気の毒になるよ。つまりあいつが悪いんじゃない境遇が悪いんだと考えさえすればそれまでさ。要するに不幸な人なんだ」  これだけなら口先だけとしてもまず立派なのであるが、彼はついにそこで止まる事ができないのである。 「それにまだこういう事も考えなければならないよ。ああ自暴糞になってる人間に逆らうと何をするか解らないんだ。誰とでも喧嘩がしたい、誰と喧嘩をしても自分の得になるだけだって、現にここへ来て公言して威張ってるんだからね、実際始末に了えないよ。だから今もしおれがあいつの要求を跳ねつけるとすると、あいつは怒るよ。ただ怒るだけならいいが、きっと何かするよ。復讐をやるにきまってるよ。ところがこっちには世間体があり、向うにゃそんなものがまるでないんだから、いざとなると敵いっこないんだ。解ったかね」  ここまで来ると最初の人道主義はもうだいぶ崩れてしまう。しかしそれにしても、ここで切り上げさえすれば、お延は黙って点頭くよりほかに仕方がないのである。ところが彼はまだ先へ出るのである。 「それもあいつが主義としてただ上流社会を攻撃したり、または一般の金持を悪口するだけならいいがね。あいつのは、そうじゃないんだ、もっと実際的なんだ。まず最初に自分の手の届く所からだんだんに食い込んで行こうというんだ。だから一番災難なのはこのおれだよ。どう考えてもここでおれ相当の親切を見せて、あいつの感情を美くして、そうして一日も早く朝鮮へ立って貰うのが上策なんだ。でないといつどんな目に逢うか解ったもんじゃない」  こうなるとお延はどうしてもまた云いたくなるのである。 「いくら小林が乱暴だって、あなたの方にも何かなくっちゃ、そんなに怖がる因縁がないじゃありませんか」  二人がこんな押問答をして、小切手の片をつけるだけでも、ものの十分はかかった。しかし小林の方がきまると共に、残りの所置はすぐついた。それを自分の小遣として、任意に自分の嗜慾を満足するという彼女の条件は直ちに成立した。その代り彼女は津田といっしょに温泉へ行かない事になった。そうして温泉行の費用は吉川夫人の好意を受けるという案に同意させられた。  うそ寒の宵に、若い夫婦間に起った波瀾の消長はこれでようやく尽きた。二人はひとまず別れた。 百五十三  津田の辛防しなければならない手術後の経過は良好であった。というよりもむしろ順当に行った。五日目が来た時、医者は予定通り彼のために全部のガーゼを取り替えてくれた後で、それを保証した。 「至極好い具合です。出血も口元だけです。内部の方は何ともありません」  六日目にも同じ治療法が繰り返された。けれども局部は前日よりは健全になっていた。 「出血はどうです。まだ止まりませんか」 「いや、もうほとんど止まりました」  出血の意味を解し得ない津田は、この返事の意味をも解し得なかった。好い加減に「もう癒りました」という解釈をそれに付けて大変喜こんだ。しかし本式の事実は彼の考える通りにも行かなかった。彼と医者の間に起った一場の問答がその辺の消息を明らかにした。 「これが癒り損なったらどうなるんでしょう」 「また切るんです。そうして前よりも軽く穴が残るんです」 「心細いですな」 「なに十中八九は癒るにきまってます」 「じゃ本当の意味で全癒というと、まだなかなか時間がかかるんですね」 「早くて三週間遅くて四週間です」 「ここを出るのは?」 「出るのは明後日ぐらいで差支えありません」  津田はありがたがった。そうして出たらすぐ温泉に行こうと覚悟した。なまじい医者に相談して転地を禁じられでもすると、かえって神経を悩ますだけが損だと打算した彼はわざと黙っていた。それはほとんど平生の彼に似合わない粗忽な遣口であった。彼は甘んじてこの不謹慎を断行しようと決心しながら、肚の中ですでに自分の矛盾を承知しているので、何だか不安であった。彼は訊かないでもいい質問を医者にかけてみたりした。 「括約筋を切り残したとおっしゃるけれども、それでどうして下からガーゼが詰められるんですか」 「括約筋はとば口にゃありません。五分ほど引っ込んでます。それを下から斜に三分ほど削り上げた所があるのです」  津田はその晩から粥を食い出した。久しく麺麭だけで我慢していた彼の口には水ッぽい米の味も一種の新らしみであった。趣味として夜寒の粥を感ずる能力を持たない彼は、秋の宵の冷たさを対照に置く薄粥の暖かさを普通の俳人以上に珍重して啜る事ができた。  療治の必要上、長い事止められていた便の疎通を計るために、彼はまた軽い下剤を飲まなければならなかった。さほど苦にもならなかった腹の中が軽くなるに従って、彼の気分もいつか軽くなった。身体の楽になった彼は、寝転ろんでただ退院の日を待つだけであった。  その日も一晩明けるとすぐに来た。彼は車を持って迎いに来たお延の顔を見るや否や云った。 「やっと帰れる事になった訳かな。まあありがたい」 「あんまりありがたくもないでしょう」 「いやありがたいよ」 「宅の方が病院よりはまだましだとおっしゃるんでしょう」 「まあその辺かも知れないがね」  津田はいつもの調子でこう云った後で、急に思い出したように付け足した。 「今度はお前の拵えてくれた袍で助かったよ。綿が新らしいせいか大変着心地が好いね」  お延は笑いながら夫を冷嘲した。 「どうなすったの。なんだか急にお世辞が旨くおなりね。だけど、違ってるのよ、あなたの鑑定は」  お延は問題の袍を畳みながら、新らしい綿ばかりを入れなかった事実を夫に白状した。津田はその時着物を着換えていた。絞りの模様の入った縮緬の兵児帯をぐるぐる腰に巻く方が、彼にはむしろ大事な所作であった。それほど軽く袍の中味を見ていた彼の愛嬌は、正直なお延の返事を待ち受けるのでも何でもなかった。彼はただ「はあそうかい」と云ったぎりであった。 「お気に召したらどうぞ温泉へも持っていらしって下さい」 「そうして時々お前の親切でも思い出すかな」 「しかし宿屋で貸してくれる袍の方がずっとよかったり何かすると、いい恥っ掻きね、あたしの方は」 「そんな事はないよ」 「いえあるのよ。品質が悪いとどうしても損ね、そういう時には。親切なんかすぐどこかへ飛んでっちまうんだから」  無邪気なお延の言葉は、彼女の意味する通りの単純さで津田の耳へは響かなかった。そこには一種のアイロニーが顫動していた。袍は何かの象徴であるらしく受け取れた。多少気味の悪くなった津田は、お延に背中を向けたままで、兵児帯の先をこま結びに結んだ。  やがて二人は看護婦に送られて玄関に出ると、すぐそこに待たしてある車に乗った。 「さよなら」  多事な一週間の病院生活は、この一語でようやく幕になった。 百五十四  目的の温泉場へ立つ前の津田は、既定されたプログラムの順序として、まず小林に会わなければならなかった。約束の日が来た時、お延から入用の金を受け取った彼は笑いながら細君を顧みた。 「何だか惜しいな、あいつにこれだけ取られるのは」 「じゃ止した方が好いわ」 「おれも止したいよ」 「止したいのになぜ止せないの。あたしが代りに行って断って来て上げましょうか」 「うん、頼んでもいいね」 「どこであの人にお逢いになるの。場所さえおっしゃれば、あたし行って上げるわ」  お延が本気かどうかは津田にも分らなかった。けれどもこういう場合に、大丈夫だと思ってつい笑談に押すと、押したこっちがかえって手古摺らせられるくらいの事は、彼に困難な想像ではなかった。お延はいざとなると口で云った通りを真面に断行する女であった。たとい違約であろうとあるまいと、津田を代表して、小林を撃退する役割なら進んで引き受けないとも限らなかった。彼は危険区域へ踏み込まない用心をして、わざと話を不真面目な方角へ流してしまった。 「お前は見かけに寄らない勇気のある女だね」 「これでも自分じゃあると思ってるのよ。けれどもまだ出した例がないから、実際どのくらいあるか自分にも分らないわ」 「いやお前に分らなくっても、おれにはちゃんと分ってるから、それでたくさんだよ。女のくせにそうむやみに勇気なんか出された日にゃ、亭主が困るだけだからね」 「ちっとも困りゃしないわ。御亭主のために出す勇気なら、男だって困るはずがないじゃないの」 「そりゃありがたい場合もたまには出て来るだろうがね」と云った津田には固より本気に受け答えをするつもりもなかった。「今日までそれほど感服に値する勇気を拝見した覚もないようだね」 「そりゃその通りよ。だってちっとも外へ出さずにいるんですもの。これでも内側へ入って御覧なさい。なんぼあたしだってあなたの考えていらっしゃるほど太平じゃないんだから」  津田は答えなかった。しかしお延はやめなかった。 「あたしがそんなに気楽そうに見えるの、あなたには」 「ああ見えるよ。大いに気楽そうだよ」  この好い加減な無駄口の前に、お延は微かな溜息を洩らした後で云った。 「つまらないわね、女なんて。あたし何だって女に生れて来たんでしょう」 「そりゃおれにかけ合ったって駄目だ。京都にいるお父さんかお母さんへ尻を持ち込むよりほかに、苦情の持ってきどころはないんだから」  苦笑したお延はまだ黙らなかった。 「いいから、今に見ていらっしゃい」 「何を」と訊き返した津田は少し驚ろかされた。 「何でもいいから、今に見ていらっしゃい」 「見ているが、いったい何だよ」 「そりゃ実際に問題が起って来なくっちゃ云えないわ」 「云えないのはつまりお前にも解らないという意味なんじゃないか」 「ええそうよ」 「何だ下らない。それじゃまるで雲を掴むような予言だ」 「ところがその予言が今にきっとあたるから見ていらっしゃいというのよ」  津田は鼻の先でふんと云った。それと反対にお延の態度はだんだん真剣に近づいて来た。 「本当よ。何だか知らないけれども、あたし近頃始終そう思ってるの、いつか一度このお肚の中にもってる勇気を、外へ出さなくっちゃならない日が来るに違ないって」 「いつか一度? だからお前のは妄想と同なじ事なんだよ」 「いいえ生涯のうちでいつか一度じゃないのよ。近いうちなの。もう少ししたらのいつか一度なの」 「ますます悪くなるだけだ。近き将来において蛮勇なんか亭主の前で発揮された日にゃ敵わない」 「いいえ、あなたのためによ。だから先刻から云ってるじゃないの、夫のために出す勇気だって」  真面目なお延の顔を見ていると、津田もしだいしだいに釣り込まれるだけであった。彼の性格にはお延ほどの詩がなかった。その代り多少気味の悪い事実が遠くから彼を威圧していた。お延の詩、彼のいわゆる妄想は、だんだん活躍し始めた。今まで死んでいるとばかり思って、弄り廻していた鳥の翅が急に動き出すように見えた時、彼は変な気持がして、すぐ会話を切り上げてしまった。  彼は帯の間から時計を出して見た。 「もう時間だ、そろそろ出かけなくっちゃ」  こう云って立ち上がった彼の後を送って玄関に出たお延は、帽子かけから茶の中折を取って彼の手に渡した。 「行っていらっしゃい。小林さんによろしくってお延が云ってたと忘れずに伝えて下さい」  津田は振り向かないで夕方の冷たい空気の中に出た。 百五十五  小林と会見の場所は、東京で一番賑やかな大通りの中ほどを、ちょっと横へ切れた所にあった。向うから宅へ誘いに寄って貰う不快を避けるため、またこっちで彼の下宿を訪ねてやる面倒を省くため、津田は時間をきめてそこで彼に落ち合う手順にしたのである。  その時間は彼が電車に乗っているうちに過ぎてしまった。しかし着物を着換えて、お延から金を受け取って、少しの間坐談をしていたために起ったこの遅刻は、何らの痛痒を彼に与えるに足りなかった。有体に云えば、彼は小林に対して克明に律義を守る細心の程度を示したくなかった。それとは反対に、少し時間を後らせても、放縦な彼の鼻柱を挫いてやりたかった。名前は送別会だろうが何だろうが、その実金をやるものと貰うものとが顔を合せる席にきまっている以上、津田はたしかに優者であった。だからその優者の特権をできるだけ緊張させて、主客の位地をあらかじめ作っておく方が、相手の驕慢を未前に防ぐ手段として、彼には得策であった。利害を離れた単なる意趣返しとしてもその方が面白かった。  彼はごうごう鳴る電車の中で、時計を見ながら、ことによるとこれでもまだ横着な小林には早過ぎるかも知れないと考えた。もしあまり早く行き着いたら、一通り夜店でも素見して、慾の皮で硬く張った小林の予期を、もう少し焦らしてやろうとまで思案した。  停留所で降りた時、彼の眼の中を通り過ぎた燭光の数は、夜の都の活動を目覚しく物語るに充分なくらい、右往左往へちらちらした。彼はその間に立って、目的の横町へ曲る前に、これらの燭光と共に十分ぐらい動いて歩こうか歩くまいかと迷った。ところが顔の先へ押し付けられた夕刊を除けて、四辺を見廻した彼は、急におやと思わざるを得なかった。  もうだいぶ待ち草臥れているに違ないと仮定してかかった小林は、案外にも向う側に立っていた。位地は津田の降りた舗床と車道を一つ隔てた四つ角の一端なので、二人の視線が調子よく合わない以上、夜と人とちらちらする燭光が、相互の認識を遮ぎる便利があった。のみならず小林は真面にこっちを向いていなかった。彼は津田のまだ見知らない青年と立談をしていた。青年の顔は三分の二ほど、小林のは三分の一ほど、津田の方角から見えるだけなので、彼はほぼ露見の恐れなしに、自分の足の停まった所から、二人の模様を注意して観察する事ができた。二人はけっして余所見をしなかった。顔と顔を向き合せたまま、いつまでも同じ姿勢を崩さない彼らの体が、ありありと津田の眼に映るにつれて、真面目な用談の、互いの間に取り換わされている事は明暸に解った。  二人の後には壁があった。あいにく横側に窓が付いていないので、強い光はどこからも射さなかった。ところへ南から来た自働車が、大きな音を立てて四つ角を曲ろうとした。その時二人は自働車の前側に装置してある巨大な灯光を満身に浴びて立った。津田は始めて青年の容貌を明かに認める事ができた。蒼白い血色は、帽子の下から左右に垂れている、幾カ月となく刈り込まない々たる髪の毛と共に、彼の視覚を冒した。彼は自働車の過ぎ去ると同時に踵を回らした。そうして二人の立っている舗道を避けるように、わざと反対の方向へ歩き出した。  彼には何の目的もなかった。はなやかに電灯で照らされた店を一軒ごとに見て歩く興味は、ただ都会的で美くしいというだけに過ぎなかった。商買が違うにつれて品物が変化する以外に、何らの複雑な趣は見出されなかった。それにもかかわらず彼は到る処に視覚の満足を味わった。しまいに或唐物屋の店先に飾ってあるハイカラな襟飾を見た時に、彼はとうとうその家の中へ入って、自分の欲しいと思うものを手に取って、ひねくり廻したりなどした。  もうよかろうという時分に、彼は再び取って返した。舗道の上に立っていた二人の影ははたしてどこかへ行ってしまった。彼は少し歩調を早めた。約束の家の窓からは暖かそうな光が往来へ射していた。煉瓦作りで窓が高いのと、模様のある玉子色の布に遮ぎられて、間接に夜の中へ光線が放射されるので、通り際に見上げた津田の頭に描き出されたのは、穏やかな瓦斯煖炉を供えた品の好い食堂であった。  大きなブロックの片隅に、形容した言葉でいうと、むしろひっそり構えているその食堂は、大して広いものではなかった。津田がそこを知り出したのもつい近頃であった。長い間仏蘭西とかに公使をしていた人の料理番が開いた店だから旨いのだと友人に教えられたのが原で、四五遍食いに来た因縁を措くと、小林をそこへ招き寄せる理由は他に何にもなかった。  彼は容赦なく扉を押して内へ入った。そうしてそこに案のごとく少し手持無沙汰ででもあるような風をして、真面目な顔を夕刊か何かの前に向けている小林を見出した。 百五十六  小林は眼を上げてちょっと入口の方を見たが、すぐその眼を新聞の上に落してしまった。津田は仕方なしに無言のまま、彼の坐っている食卓の傍まで近寄って行ってこっちから声をかけた。 「失敬。少し遅くなった。よっぽど待たしたかね」  小林はようやく新聞を畳んだ。 「君時計をもってるだろう」  津田はわざと時計を出さなかった。小林は振り返って正面の壁の上に掛っている大きな柱時計を見た。針は指定の時間より四十分ほど先へ出ていた。 「実は僕も今来たばかりのところなんだ」  二人は向い合って席についた。周囲には二組ばかりの客がいるだけなので、そうしてその二組は双方ともに相当の扮装をした婦人づれなので、室内は存外静かであった。ことに一間ほど隔てて、二人の横に置かれた瓦斯煖炉の火の色が、白いものの目立つ清楚な室の空気に、恰好な温もりを与えた。  津田の心には、変な対照が描き出された。この間の晩小林のお蔭で無理に引っ張り込まれた怪しげな酒場の光景がありありと彼の眼に浮んだ。その時の相手を今度は自分の方でここへ案内したという事が、彼には一種の意味で得意であった。 「どうだね、ここの宅は。ちょっと綺麗で心持が好いじゃないか」  小林は気がついたように四辺を見廻した。 「うん。ここには探偵はいないようだね」 「その代り美くしい人がいるだろう」  小林は急に大きな声を出した。 「ありゃみんな芸者なんか君」  ちょっときまりの悪い思いをさせられた津田は叱るように云った。 「馬鹿云うな」 「いや何とも限らないからね。どこにどんなものがいるか分らない世の中だから」  津田はますます声を低くした。 「だって芸者はあんな服装をしやしないよ」 「そうか。君がそう云うなら確だろう。僕のような田舎ものには第一その区別が分らないんだから仕方がないよ。何でも綺麗な着物さえ着ていればすぐ芸者だと思っちまうんだからね」 「相変らず皮肉るな」  津田は少し悪い気色を外へ出した。小林は平気であった。 「いや皮肉るんじゃないよ。実際僕は貧乏の結果そっちの方の眼がまだ開いていないんだ。ただ正直にそう思うだけなんだ」 「そんならそれでいいさ」 「よくなくっても仕方がない訳だがね。しかし事実どうだろう君」 「何が」 「事実当世にいわゆるレデーなるものと芸者との間に、それほど区別があるのかね」  津田は空っ惚ける事の得意なこの相手の前に、真面目な返事を与える子供らしさを超越して見せなければならなかった。同時に何とかして、ゴツンと喰わしてやりたいような気もした。けれども彼は遠慮した。というよりも、ゴツンとやるだけの言葉が口へ出て来なかった。 「笑談じゃない」 「本当に笑談じゃない」と云った小林はひょいと眼を上げて津田の顔を見た。津田はふと気がついた。しかし相手に何か考えがあるんだなと悟った彼は、あまりに怜俐過ぎた。彼には澄ましてそこを通り抜けるだけの腹がなかった。それでいて当らず障らず話を傍へ流すくらいの技巧は心得ていた。彼は小林に捕まらなければならなかった。彼は云った。 「どうだ君ここの料理は」 「ここの料理もどこの料理もたいてい似たもんだね。僕のような味覚の発達しないものには」 「不味いかい」 「不味かない、旨いよ」 「そりゃ好い案配だ。亭主が自分でクッキングをやるんだから、ほかよりゃ少しはましかも知れない」 「亭主がいくら腕を見せたって、僕のような口に合っちゃ敵わないよ。泣くだけだあね」 「だけど旨けりゃそれでいいんだ」 「うん旨けりゃそれでいい訳だ。しかしその旨さが十銭均一の一品料理と同なじ事だと云って聞かせたら亭主も泣くだろうじゃないか」  津田は苦笑するよりほかに仕方がなかった。小林は一人でしゃべった。 「いったい今の僕にゃ、仏蘭西料理だから旨いの、英吉利料理だから不味いのって、そんな通をふり廻す余裕なんかまるでないんだ。ただ口へ入るから旨いだけの事なんだ」 「だってそれじゃなぜ旨いんだか、理由が解らなくなるじゃないか」 「解り切ってるよ。ただ飢じいから旨いのさ。その他に理窟も糸瓜もあるもんかね」  津田はまた黙らせられた。しかし二人の間に続く無言が重く胸に応えるようになった時、彼はやむをえずまた口を開こうとして、たちまち小林のために機先を制せられた。 百五十七 「君のような敏感者から見たら、僕ごとき鈍物は、あらゆる点で軽蔑に値しているかも知れない。僕もそれは承知している、軽蔑されても仕方がないと思っている。けれども僕には僕でまた相当の云草があるんだ。僕の鈍は必ずしも天賦の能力に原因しているとは限らない。僕に時を与えよだ、僕に金を与えよだ。しかる後、僕がどんな人間になって君らの前に出現するかを見よだ」  この時小林の頭には酒がもう少し廻っていた。笑談とも真面目とも片のつかない彼の気には、わざと酔の力を藉ろうとする欝散の傾きが見えて来た。津田は相手の口にする言葉の価値を正面から首肯うべく余儀なくされた上に、多少彼の歩き方につき合う必要を見出した。 「そりゃ君のいう通りだ。だから僕は君に同情しているんだ。君だってそのくらいの事は心得ていてくれるだろう。でなければ、こうやって、わざわざ会食までして君の朝鮮行を送る訳がないからね」 「ありがとう」 「いや嘘じゃないよ。現にこの間もお延にその訳をよく云って聴かせたくらいだもの」  胡散臭いなという眼が小林の眉の下で輝やいた。 「へええ。本当かい。あの細君の前で僕を弁護してくれるなんて、君にもまだ昔の親切が少しは残ってると見えるね。しかしそりゃ……。細君は何と云ったね」  津田は黙って懐へ手を入れた。小林はその所作を眺めながら、わざとそれを止めさせるように追加した。 「ははあ。弁護の必要があったんだな。どうも変だと思ったら」  津田は懐へ入れた手を、元の通り外へ出した。「お延の返事はここにある」といって、綺麗に持って来た金を彼に渡すつもりでいた彼は躊躇した。その代り話頭を前へ押し戻した。 「やはり人間は境遇次第だね」 「僕は余裕次第だというつもりだ」  津田は逆らわなかった。 「そうさ余裕次第とも云えるね」 「僕は生れてから今日までぎりぎり決着の生活をして来たんだ。まるで余裕というものを知らず生きて来た僕が、贅沢三昧わがまま三昧に育った人とどう違うと君は思う」  津田は薄笑いをした。小林は真面目であった。 「考えるまでもなくここにいるじゃないか。君と僕さ。二人を見較べればすぐ解るだろう、余裕と切迫で代表された生活の結果は」  津田は心の中でその幾分を点頭いた。けれども今さらそんな不平を聴いたって仕方がないと思っているところへ後が来た。 「それでどうだ。僕は始終君に軽蔑される、君ばかりじゃない、君の細君からも、誰からも軽蔑される。――いや待ちたまえまだいう事があるんだ。――それは事実さ、君も承知、僕も承知の事実さ。すべて先刻云った通りさ。だが君にも君の細君にもまだ解らない事がここに一つあるんだ。もちろん今さらそれを君に話したってお互いの位地が変る訳でもないんだから仕方がないようなものの、これから朝鮮へ行けば、僕はもう生きて再び君に会う折がないかも知れないから……」  小林はここまで来て少し昂奮したような気色を見せたが、すぐその後から「いや僕の事だから、行って見ると朝鮮も案外なので、厭になってまたすぐ帰って来ないとも限らないが」と正直なところを付け加えたので、津田は思わず笑い出してしまった。小林自身もいったん頓挫してからまた出直した。 「まあ未来の生活上君の参考にならないとも限らないから聴きたまえ。実を云うと、君が僕を軽蔑している通りに、僕も君を軽蔑しているんだ」 「そりゃ解ってるよ」 「いや解らない。軽蔑の結果はあるいは解ってるかも知れないが、軽蔑の意味は君にも君の細君にもまだ通じていないよ。だから君の今夕の好意に対して、僕はまた留別のために、それを説明して行こうてんだ。どうだい」 「よかろう」 「よくないたって、僕のような一文なしじゃほかに何も置いて行くものがないんだから仕方がなかろう」 「だからいいよ」 「黙って聴くかい。聴くなら云うがね。僕は今君の御馳走になって、こうしてぱくぱく食ってる仏蘭西料理も、この間の晩君を御招待申して叱られたあの汚ならしい酒場の酒も、どっちも無差別に旨いくらい味覚の発達しない男なんだ。そこを君は軽蔑するだろう。しかるに僕はかえってそこを自慢にして、軽蔑する君を逆に軽蔑しているんだ。いいかね、その意味が君に解ったかね。考えて見たまえ、君と僕がこの点においてどっちが窮屈で、どっちが自由だか。どっちが幸福で、どっちが束縛を余計感じているか。どっちが太平でどっちが動揺しているか。僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐ってないよ。厭なものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみに追かけたがってるよ。そりゃなぜだ。なぜでもない、なまじいに自由が利くためさ。贅沢をいう余地があるからさ。僕のように窮地に突き落されて、どうでも勝手にしやがれという気分になれないからさ」  津田はてんから相手を見縊っていた。けれども事実を認めない訳には行かなかった。小林はたしかに彼よりずうずうしく出来上っていた。 百五十八  しかし小林の説法にはまだ後があった。津田の様子を見澄ました彼は突然思いがけない所へ舞い戻って来た。それは会見の最初ちょっと二人の間に点綴されながら、前後の勢ですぐどこかへ流されてしまった問題にほかならなかった。 「僕の意味はもう君に通じている。しかし君はまだなるほどという心持になれないようだ。矛盾だね。僕はその訳を知ってるよ。第一に相手が身分も地位も財産も一定の職業もない僕だという事が、聡明な君を煩わしているんだ。もしこれが吉川夫人か誰かの口から出るなら、それがもっとずっとつまらない説でも、君は襟を正して聴くに違ないんだ。いや僕の僻でも何でもない、争うべからざる事実だよ。けれども君考えなくっちゃいけないぜ。僕だからこれだけの事が云えるんだという事を。先生だって奥さんだって、そこへ行くと駄目だという事も心得ておきたまえ。なぜだ? なぜでもないよ。いくら先生が貧乏したって、僕だけの経験は甞めていないんだからね。いわんや先生以上に楽をして生きて来た彼輩においてをやだ」  彼輩とは誰の事だか津田にもよく解らなかった。彼はただ腹の中で、おおかた吉川夫人だの岡本だのを指すのだろうと思ったぎりであった。実際小林は相手にそんな質問をかけさせる余地を与えないで、さっさと先へ行った。 「第二にはだね。君の目下の境遇が、今僕の云ったような助言――だか忠告だか、または単なる知識の供給だか、それは何でも構わないが、とにかくそんなものに君の注意を向ける必要を感じさせないのだ。頭では解る、しかし胸では納得しない、これが現在の君なんだ。つまり君と僕とはそれだけ懸絶しているんだから仕方がないと跳ねつけられればそれまでだが、そこに君の注意を払わせたいのが、実は僕の目的だ、いいかね。人間の境遇もしくは位地の懸絶といったところで大したものじゃないよ。本式に云えば十人が十人ながらほぼ同じ経験を、違った形式で繰り返しているんだ。それをもっと判然云うとね、僕は僕で、僕に最も切実な眼でそれを見るし、君はまた君で、君に最も適当な眼でそれを見る、まあそのくらいの違だろうじゃないか。だからさ、順境にあるものがちょっと面喰うか、迷児つくか、蹴爪ずくかすると、そらすぐ眼の球の色が変って来るんだ。しかしいくら眼の球の色が変ったって、急に眼の位置を変える訳には行かないだろう。つまり君に一朝事があったとすると、君は僕のこの助言をきっと思い出さなければならなくなるというだけの事さ」 「じゃよく気をつけて忘れないようにしておくよ」 「うん忘れずにいたまえ、必ず思い当る事が出て来るから」 「よろしい。心得たよ」 「ところがいくら心得たって駄目なんだからおかしいや」  小林はこう云って急に笑い出した。津田にはその意味が解らなかった。小林は訊かれない先に説明した。 「その時ひょっと気がつくとするぜ、いいかね。そうしたらその時の君が、やっという掛声と共に、早変りができるかい。早変りをしてこの僕になれるかい」 「そいつは解らないよ」 「解らなかない、解ってるよ。なれないにきまってるんだ。憚りながらここまで来るには相当の修業が要るんだからね。いかに痴鈍な僕といえども、現在の自分に対してはこれで血の代を払ってるんだ」  津田は小林の得意が癪に障った。此奴が狗のような毒血を払ってはたして何物を掴んでいる? こう思った彼はわざと軽蔑の色を面に現わして訊いて見た。 「それじゃ何のためにそんな話を僕にして聴かせるんだ。たとい僕が覚えていたって、いざという場合の役にゃ立たないじゃないか」 「役にゃ立つまいよ。しかし聴かないよりましじゃないか」 「聴かない方がましなくらいだ」  小林は嬉しそうに身体を椅子の背に靠せかけてまた笑い出した。 「そこだ。そう来るところがこっちの思う壺なんだ」 「何をいうんだ」 「何も云やしない、ただ事実を云うのさ。しかし説明だけはしてやろう。今に君がそこへ追いつめられて、どうする事もできなくなった時に、僕の言葉を思い出すんだ。思い出すけれども、ちっとも言葉通りに実行はできないんだ。これならなまじいあんな事を聴いておかない方がよかったという気になるんだ」  津田は厭な顔をした。 「馬鹿、そうすりゃどこがどうするんだ」 「どうしもしないさ。つまり君の軽蔑に対する僕の復讐がその時始めて実現されるというだけさ」  津田は言葉を改めた。 「それほど君は僕に敵意をもってるのか」 「どうして、どうして、敵意どころか、好意精一杯というところだ。けれども君の僕を軽蔑しているのはいつまで行っても事実だろう。僕がその裏を指摘して、こっちから見るとその君にもまた軽蔑すべき点があると注意しても、君は乙に高くとまって平気でいるじゃないか。つまり口じゃ駄目だ、実戦で来いという事になるんだから、僕の方でもやむをえずそこまで行って勝負を決しようというだけの話だあね」 「そうか、解った。――もうそれぎりかい、君のいう事は」 「いやどうして。これからいよいよ本論に入ろうというんだ」  津田は一気に洋盃を唇へあてがって、ぐっと麦酒を飲み干した小林の様子を、少し呆れながら眺めた。 百五十九  小林は言葉を継ぐ前に、洋盃を下へ置いて、まず室内を見渡した。女伴の客のうち、一組の相手は洗指盆の中へ入れた果物を食った後の手を、袂から出した美くしい手帛で拭いていた。彼の筋向うに席を取って、先刻から時々自分達の方を偸むようにして見る二十五六の方は、茶碗を手にしながら、男の吹かす煙草の煙を眺めて、しきりに芝居の話をしていた。両方とも彼らより先に来ただけあって、彼らより先に席を立つ順序に、食事の方の都合も進行しているらしく見えた時、小林は云った。 「やあちょうど好い。まだいる」  津田はまたはっと思った。小林はきっと彼らの気を悪くするような事を、彼らに聴こえようがしに云うに違なかった。 「おいもう好い加減に止せよ」 「まだ何にも云やしないじゃないか」 「だから注意するんだ。僕の攻撃はいくらでも我慢するが、縁もゆかりもない人の悪口などは、ちっと慎しんでくれ、こんな所へ来て」 「厭に小心だな。おおかた場末の酒場とここといっしょにされちゃたまらないという意味なんだろう」 「まあそうだ」 「まあそうだなら、僕のごとき無頼漢をこんな所へ招待するのが間違だ」 「じゃ勝手にしろ」 「口で勝手にしろと云いながら、内心ひやひやしているんだろう」  津田は黙ってしまった。小林は面白そうに笑った。 「勝ったぞ、勝ったぞ。どうだ降参したろう」 「それで勝ったつもりなら、勝手に勝ったつもりでいるがいい」 「その代り今後ますます貴様を軽蔑してやるからそう思えだろう。僕は君の軽蔑なんか屁とも思っちゃいないよ」 「思わなけりゃ思わないでもいいさ。五月蠅い男だな」  小林はむっとした津田の顔を覗き込むようにして見つめながら云った。 「どうだ解ったか、おい。これが実戦というものだぜ。いくら余裕があったって、金持に交際があったって、いくら気位を高く構えたって、実戦において敗北すりゃそれまでだろう。だから僕が先刻から云うんだ、実地を踏んで鍛え上げない人間は、木偶の坊と同なじ事だって」 「そうだそうだ。世の中で擦れっ枯らしと酔払いに敵うものは一人もないんだ」  何か云うはずの小林は、この時返事をする代りにまた女伴の方を一順見廻した後で、云った。 「じゃいよいよ第三だ。あの女の立たないうちに話してしまわないと気がすまない。好いかね、君、先刻の続きだぜ」  津田は黙って横を向いた。小林はいっこう構わなかった。 「第三にはだね。すなわち換言すると、本論に入って云えばだね。僕は先刻あすこにいる女達を捕まえて、ありゃ芸者かって君に聴いて叱られたね。君は貴婦人に対する礼義を心得ない野人として僕を叱ったんだろう。よろしい僕は野人だ。野人だから芸者と貴婦人との区別が解らないんだ。それで僕は君に訊いたね、いったい芸者と貴婦人とはどこがどう違うんだって」  小林はこう云いながら、三度目の視線をまた女伴の方に向けた。手帛で手を拭いていた人は、それを合図のように立ち上った。残る一人も給仕を呼んで勘定を払った。 「とうとう立っちまった。もう少し待ってると面白いところへ来るんだがな、惜しい事に」  小林は出て行く女伴の後影を見送った。 「おやおやもう一人も立つのか。じゃ仕方がない、相手はやっぱり君だけだ」  彼は再び津田の方へ向き直った。 「問題はそこだよ、君。僕が仏蘭西料理と英吉利料理を食い分ける事ができずに、糞と味噌をいっしょにして自慢すると、君は相手にしない。たかが口腹の問題だという顔をして高を括っている。しかし内容は一つものだぜ、君。この味覚が発達しないのも、芸者と貴婦人を混同するのも」  津田はそれがどうしたと云わぬばかりの眼を翻がえして小林を見た。 「だから結論も一つ所へ帰着しなければならないというのさ。僕は味覚の上において、君に軽蔑されながら、君より幸福だと主張するごとく、婦人を識別する上においても、君に軽蔑されながら、君より自由な境遇に立っていると断言して憚からないのだ。つまり、あれは芸者だ、これは貴婦人だなんて鑑識があればあるほど、その男の苦痛は増して来るというんだ。なぜと云って見たまえ。しまいには、あれも厭、これも厭だろう。あるいはこれでなくっちゃいけない、あれでなくっちゃいけないだろう。窮屈千万じゃないか」 「しかしその窮屈千万が好きなら仕方なかろう」 「来たな、とうとう。食物だと相手にしないが、女の事になると、やっぱり黙っていられなくなると見えるね。そこだよ、そこを実際問題について、これから僕が論じようというんだ」 「もうたくさんだ」 「いやたくさんじゃないらしいぜ」  二人は顔を見合わせて苦笑した。 百六十  小林は旨く津田を釣り寄せた。それと知った津田は考えがあるので、小林にわざと釣り寄せられた。二人はとうとう際どい所へ入り込まなければならなくなった。 「例えばだね」と彼が云い出した。「君はあの清子さんという女に熱中していたろう。ひとしきりは、何でもかでもあの女でなけりゃならないような事を云ってたろう。そればかりじゃない、向うでも天下に君一人よりほかに男はないと思ってるように解釈していたろう。ところがどうだい結果は」 「結果は今のごとくさ」 「大変淡泊りしているじゃないか」 「だってほかにしようがなかろう」 「いや、あるんだろう。あっても乙に気取って澄ましているんだろう。でなければ僕に隠して今でも何かやってるんだろう」 「馬鹿いうな。そんな出鱈目をむやみに口走るととんだ間違になる。少し気をつけてくれ」 「実は」と云いかけた小林は、その後を知ってるかと云わぬばかりの様子をした。津田はすぐ訊きたくなった。 「実はどうしたんだ」 「実はこの間君の細君にすっかり話しちまったんだ」  津田の表情がたちまち変った。 「何を?」  小林は相手の調子と顔つきを、噛んで味わいでもするように、しばらく間をおいて黙っていた。しかし返事を表へ出した時は、もう態度を一変していた。 「嘘だよ。実は嘘だよ。そう心配する事はないよ」 「心配はしない。今になってそのくらいの事を云つけられたって」 「心配しない? そうか、じゃこっちも本当だ。実は本当だよ。みんな話しちまったんだよ」 「馬鹿ッ」  津田の声は案外大きかった。行儀よく椅子に腰をかけていた給仕の女が、ちょっと首を上げて眼をこっちへ向けたので、小林はすぐそれを材料にした。 「貴婦人が驚ろくから少し静かにしてくれ。君のような無頼漢といっしょに酒を飲むと、どうも外聞が悪くていけない」  彼は給使の女の方を見て微笑して見せた。女も微笑した。津田一人怒る訳に行かなかった。小林はまたすぐその機に付け込んだ。 「いったいあの顛末はどうしたのかね。僕は詳しい事を聴かなかったし、君も話さなかった、のじゃない、僕が忘れちまったのか。そりゃどうでも構わないが、ありゃ向うで逃げたのかね、あるいは君の方で逃げたのかね」 「それこそどうでも構わないじゃないか」 「うん僕としては構わないのが当然だ。また実際構っちゃいない。が、君としてはそうは行くまい。君は大構いだろう」 「そりゃ当り前さ」 「だから先刻から僕が云うんだ。君には余裕があり過ぎる。その余裕が君をしてあまりに贅沢ならしめ過ぎる。その結果はどうかというと、好きなものを手に入れるや否や、すぐその次のものが欲しくなる。好きなものに逃げられた時は、地団太を踏んで口惜しがる」 「いつそんな様を僕がした」 「したともさ。それから現にしつつあるともさ。それが君の余裕に祟られている所以だね。僕の最も痛快に感ずるところだね。貧賤が富貴に向って復讐をやってる因果応報の理だね」 「そう頭から自分の拵えた型で、他を評価する気ならそれまでだ。僕には弁解の必要がないだけだから」 「ちっとも自分で型なんか拵えていやしないよ僕は。これでも実際の君を指摘しているつもりなんだから。分らなけりゃ、事実で教えてやろうか」  教えろとも教えるなとも云わなかった津田は、ついに教えられなければならなかった。 「君は自分の好みでお延さんを貰ったろう。だけれども今の君はけっしてお延さんに満足しているんじゃなかろう」 「だって世の中に完全なもののない以上、それもやむをえないじゃないか」 「という理由をつけて、もっと上等なのを探し廻る気だろう」 「人聞の悪い事を云うな、失敬な。君は実際自分でいう通りの無頼漢だね。観察の下卑て皮肉なところから云っても、言動の無遠慮で、粗野なところから云っても」 「そうしてそれが君の軽蔑に値する所以なんだ」 「もちろんさ」 「そらね。そう来るから畢竟口先じゃ駄目なんだ。やッぱり実戦でなくっちゃ君は悟れないよ。僕が予言するから見ていろ。今に戦いが始まるから。その時ようやく僕の敵でないという意味が分るから」 「構わない、擦れっ枯らしに負けるのは僕の名誉だから」 「強情だな。僕と戦うんじゃないぜ」 「じゃ誰と戦うんだ」 「君は今すでに腹の中で戦いつつあるんだ。それがもう少しすると実際の行為になって外へ出るだけなんだ。余裕が君を煽動して無役の負戦をさせるんだ」  津田はいきなり懐中から紙入を取り出して、お延と相談の上、餞別の用意に持って来た金を小林の前へ突きつけた。 「今渡しておくから受取っておけ。君と話していると、だんだんこの約束を履行するのが厭になるだけだから」  小林は新らしい十円紙幣の二つに折れたのを広げて丁寧に、枚数を勘定した。 「三枚あるね」 百六十一  小林は受け取ったものを、赤裸のまま無雑作に背広の隠袋の中へ投げ込んだ。彼の所作が平淡であったごとく、彼の礼の云い方も横着であった。 「サンクス。僕は借りる気だが、君はくれるつもりだろうね。いかんとなれば、僕に返す手段のない事を、また返す意志のない事を、君は最初から軽蔑の眼をもって、認めているんだから」  津田は答えた。 「無論やったんだ。しかし貰ってみたら、いかな君でも自分の矛盾に気がつかずにはいられまい」 「いやいっこう気がつかない。矛盾とはいったい何だ。君から金を貰うのが矛盾なのか」 「そうでもないがね」と云った津田は上から下を見下すような態度をとった。「まあ考えて見たまえ。その金はつい今まで僕の紙入の中にあったんだぜ。そうして転瞬の間に君の隠袋の裏に移転してしまったんだぜ。そんな小説的の言葉を使うのが厭なら、もっと判然云おうか。その金の所有権を急に僕から君に移したものは誰だ。答えて見ろ」 「君さ。君が僕にくれたのさ」 「いや僕じゃないよ」 「何を云うんだな禅坊主の寝言見たいな事を。じゃ誰だい」 「誰でもない、余裕さ。君の先刻から攻撃している余裕がくれたんだ。だから黙ってそれを受け取った君は、口でむちゃくちゃに余裕をぶちのめしながら、その実余裕の前にもう頭を下げているんだ。矛盾じゃないか」  小林は眼をぱちぱちさせた後でこう云った。 「なるほどな、そう云えばそんなものか知ら。しかし何だかおかしいよ。実際僕はちっともその余裕なるものの前に、頭を下げてる気がしないんだもの」 「じゃ返してくれ」  津田は小林の鼻の先へ手を出した。小林は女のように柔らかそうなその掌を見た。 「いや返さない。余裕は僕に返せと云わないんだ」  津田は笑いながら手を引き込めた。 「それみろ」 「何がそれみろだ。余裕は僕に返せと云わないという意味が君にはよく解らないと見えるね。気の毒なる貴公子よだ」  小林はこう云いながら、横を向いて戸口の方を見つつ、また一句を付け加えた。 「もう来そうなものだな」  彼の様子をよく見守った津田は、少し驚ろかされた。 「誰が来るんだ」 「誰でもない、僕よりもまだ余裕の乏しい人が来るんだ」  小林は裸のまま紙幣をしまい込んだ自分の隠袋を、わざとらしく軽く叩いた。 「君から僕にこれを伝えた余裕は、再びこれを君に返せとは云わないよ。僕よりもっと余裕の足りない方へ順送りに送れと命令するんだよ。余裕は水のようなものさ。高い方から低い方へは流れるが、下から上へは逆行しないよ」  津田はほぼ小林の言葉を、意解する事ができた。しかし事解する事はできなかった。したがって半醒半酔のような落ちつきのない状態に陥った。そこへ小林の次の挨拶がどさどさと侵入して来た。 「僕は余裕の前に頭を下げるよ、僕の矛盾を承認するよ、君の詭弁を首肯するよ。何でも構わないよ。礼を云うよ、感謝するよ」  彼は突然ぽたぽたと涙を落し始めた。この急劇な変化が、少し驚ろいている津田を一層不安にした。せんだっての晩手古摺らされた酒場の光景を思い出さざるを得なくなった彼は、眉をひそめると共に、相手を利用するのは今だという事に気がついた。 「僕が何で感謝なんぞ予期するものかね、君に対して。君こそ昔を忘れているんだよ。僕の方が昔のままでしている事を、君はみんな逆に解釈するから、交際がますます面倒になるんじゃないか。例えばだね、君がこの間僕の留守へ外套を取りに行って、そのついでに何か妻に云ったという事も――」  津田はこれだけ云って暗に相手の様子を窺った。しかし小林が下を向いているので、彼はまるでその心持の転化作用を忖度する事ができなかった。 「何も好んで友達の夫婦仲を割くような悪戯をしなくってもいい訳じゃないか」 「僕は君に関して何も云った覚はないよ」 「しかし先刻……」 「先刻は笑談さ。君が冷嘲すから僕も冷嘲したんだ」 「どっちが冷嘲し出したんだか知らないが、そりゃどうでもいいよ。ただ本当のところを僕に云ってくれたって好さそうなものだがね」 「だから云ってるよ。何にも君に関して云った覚はないと何遍も繰り返して云ってるよ。細君を訊き糺して見れば解る事じゃないか」 「お延は……」 「何と云ったい」 「何とも云わないから困るんだ。云わないで腹の中で思っていられちゃ、弁解もできず説明もできず、困るのは僕だけだからね」 「僕は何にも云わないよ。ただ君がこれから夫らしくするかしないかが問題なんだ」 「僕は――」  津田がこう云いかけた時、近寄る足音と共に新らしく入って来た人が、彼らの食卓の傍に立った。 百六十二  それが先刻大通りの角で、小林と立談をしていた長髪の青年であるという事に気のついた時、津田はさらに驚ろかされた。けれどもその驚ろきのうちには、暗にこの男を待ち受けていた期待も交っていた。明らさまな津田の感じを云えば、こんな人がここへ来るはずはないという断案と、もしここへ誰か来るとすれば、この人よりほかにあるまいという予想の矛盾であった。  実を云うと、自働車の燭光で照らされた時、彼の眸の裏に映ったこの人の影像は津田にとって奇異なものであった。自分から小林、小林からこの青年、と順々に眼を移して行くうちには、階級なり、思想なり、職業なり、服装なり、種々な点においてずいぶんな距離があった。勢い津田は彼を遠くに眺めなければならなかった。しかし遠くに眺めれば眺めるほど、強く彼を記憶しなければならなかった。 「小林はああいう人と交際ってるのかな」  こう思った津田は、その時そういう人と交際っていない自分の立場を見廻して、まあ仕合せだと考えた後なので、新来者に対する彼の態度も自ずから明白であった。彼は突然胡散臭い人間に挨拶をされたような顔をした。  上へ反っ繰り返った細い鍔の、ぐにゃぐにゃした帽子を脱って手に持ったまま、小林の隣りへ腰をおろした青年の眼には異様の光りがあった。彼は津田に対して現に不安を感じているらしかった。それは一種の反感と、恐怖と、人馴れない野育ちの自尊心とが錯雑して起す神経的な光りに見えた。津田はますます厭な気持になった。小林は青年に向って云った。 「おいマントでも取れ」  青年は黙って再び立ち上った。そうして釣鐘のような長い合羽をすぽりと脱いで、それを椅子の背に投げかけた。 「これは僕の友達だよ」  小林は始めて青年を津田に紹介せた。原という姓と芸術家という名称がようやく津田の耳に入った。 「どうした。旨く行ったかね」  これが小林の次にかけた質問であった。しかしこの質問は充分な返事を得る暇がなかった。小林は後からすぐこう云ってしまった。 「駄目だろう。駄目にきまってるさ、あんな奴。あんな奴に君の芸術が分ってたまるものか。いいからまあゆっくりして何か食いたまえ」  小林はたちまちナイフを倒さまにして、やけに食卓を叩いた。 「おいこの人の食うものを持って来い」  やがて原の前にあった洋盃の中に麦酒がなみなみと注がれた。  この様子を黙って眺めていた津田は、自分の持って来た用事のもう済んだ事にようやく気がついた。こんなお付合を長くさせられては大変だと思った彼は、機を見て好い加減に席を切り上げようとした。すると小林が突然彼の方を向いた。 「原君は好い絵を描くよ、君。一枚買ってやりたまえ。今困ってるんだから、気の毒だ」 「そうか」 「どうだ、この次の日曜ぐらいに、君の家へ持って行って見せる事にしたら」  津田は驚ろいた。 「僕に絵なんか解らないよ」 「いや、そんなはずはない、ねえ原。何しろ持って行って見せてみたまえ」 「ええ御迷惑でなければ」  津田の迷惑は無論であった。 「僕は絵だの彫刻だのの趣味のまるでない人間なんですから、どうぞ」  青年は傷けられたような顔をした。小林はすぐ応援に出た。 「嘘を云うな。君ぐらい鑑賞力の豊富な男は実際世間に少ないんだ」  津田は苦笑せざるを得なかった。 「また下らない事を云って、――馬鹿にするな」 「事実を云うんだ、馬鹿にするものか。君のように女を鑑賞する能力の発達したものが、芸術を粗末にする訳がないんだ。ねえ原、女が好きな以上、芸術も好きにきまってるね。いくら隠したって駄目だよ」  津田はだんだん辛防し切れなくなって来た。 「だいぶ話が長くなりそうだから、僕は一足先へ失敬しよう、――おい姉さん会計だ」  給仕が立ちそうにするところを、小林は大きな声を出して止めながら、また津田の方へ向き直った。 「ちょうど今一枚素敵に好いのが描いてあるんだ。それを買おうという望手の所へ価値の相談に行った帰りがけに、原君はここへ寄ったんだから、旨い機会じゃないか。是非買いたまえ。芸術家の足元へ付け込んで、むやみに価切り倒すなんて失敬な奴へは売らないが好いというのが僕の意見なんだ。その代りきっと買手を周旋してやるから、帰りにここへ寄るがいいと、先刻あすこの角で約束しておいたんだ、実を云うと。だから一つ買ってやるさ、訳ゃないやね」 「他に絵も何にも見せないうちから、勝手にそんな約束をしたってしようがないじゃないか」 「絵は見せるよ。――君今日持って帰らなかったのか」 「もう少し待ってくれっていうから置いて来た」 「馬鹿だな、君は。しまいにロハで捲き上げられてしまうだけだぜ」  津田はこの問答を聴いてほっと一息吐いた。 百六十三  二人は津田を差し置いて、しきりに絵画の話をした。時々耳にする三角派とか未来派とかいう奇怪な名称のほかに、彼は今までかつて聴いた事のないような片仮名をいくつとなく聴かされた。その何処にも興味を見出だし得なかった彼は、会談の圏外へ放逐されるまでもなく、自分から埒を脱け出したと同じ事であった。これだけでも一通り以上の退屈である上に、津田を厭がらせる積極的なものがまだ一つあった。彼は自分の眼前に見るこの二人、ことに小林を、むやみに新らしい芸術をふり廻したがる半可通として、最初から取扱っていた。彼はこの偏見の上へ、乙に識者ぶる彼らの態度を追加して眺めた。この点において無知な津田を羨やましがらせるのが、ほとんど二人の目的ででもあるように見え出した時、彼は無理にいったん落ちつけた腰をまた浮かしにかかった。すると小林がまた抑留した。 「もう直だ、いっしょに行くよ、少し待ってろ」 「いやあんまり遅くなるから……」 「何もそんなに他に恥を掻かせなくってもよかろう。それとも原君が食っちまうまで待ってると、紳士の体面に関わるとでも云うのか」  原は刻んだサラドをハムの上へ載せて、それを肉叉で突き差した手を止めた。 「どうぞお構いなく」  津田が軽く会釈を返して、いよいよ立ち上がろうとした時、小林はほとんど独りごとのように云った。 「いったいこの席を何と思ってるんだろう。送別会と号して他を呼んでおきながら、肝心のお客さんを残して、先へ帰っちまうなんて、侮辱を与える奴が世の中にいるんだから厭になるな」 「そんなつもりじゃないよ」 「つもりでなければ、もう少いろよ」 「少し用があるんだ」 「こっちにも少し用があるんだ」 「絵なら御免だ」 「絵も無理に買えとは云わないよ。吝な事を云うな」 「じゃ早くその用を片づけてくれ」 「立ってちゃ駄目だ。紳士らしく坐らなくっちゃ」  仕方なしにまた腰をおろした津田は、袂から煙草を出して火を点けた。ふと見ると、灰皿は敷島の残骸でもういっぱいになっていた。今夜の記念としてこれほど適当なものはないという気が、偶然津田の頭に浮かんだ。これから呑もうとする一本も、三分経つか経たないうちに、灰と煙と吸口だけに変形して、役にも立たない冷たさを皿の上にとどめるに過ぎないと思うと、彼は何となく厭な心持がした。 「何だい、その用事というのは。まさか無心じゃあるまいね、もう」 「だから吝な事を云うなと、先刻から云ってるじゃないか」  小林は右の手で背広の右前を掴んで、左の手を隠袋の中へ入れた。彼は暗闇で物を探るように、しばらく入れた手を、背広の裏側で動かしながら、その間始終眼を津田の顔へぴったり付けていた。すると急に突飛な光景が、津田の頭の中に描き出された。同時に変な妄想が、今呑んでいる煙草の煙のように、淡く彼の心を掠めて過ぎた。 「此奴は懐から短銃を出すんじゃないだろうか。そうしてそれをおれの鼻の先へ突きつけるつもりじゃないかしら」  芝居じみた一刹那が彼の予感を微かに揺ぶった時、彼の神経の末梢は、眼に見えない風に弄られる細い小枝のように顫動した。それと共に、妄りに自分で拵えたこの一場の架空劇をよそ目に見て、その荒誕を冷笑う理智の力が、もう彼の中心に働らいていた。 「何を探しているんだ」 「いやいろいろなものがいっしょに入ってるからな、手の先でよく探しあてた上でないと、滅多に君の前へは出されないんだ」 「間違えて先刻放り込んだ札でも出すと、厄介だろう」 「なに札は大丈夫だ。ほかの紙片と違って活きてるから。こうやって、手で障って見るとすぐ分るよ。隠袋の中で、ぴちぴち跳ねてる」  小林は減らず口を利きながら、わざと空しい手を出した。 「おやないぞ。変だな」  彼は左胸部にある表隠袋へ再び右の手を突き込んだ。しかしそこから彼の撮み出したものは皺だらけになった薄汚ない手帛だけであった。 「何だ手品でも使う気なのか、その手帛で」  小林は津田の言葉を耳にもかけなかった。真面目な顔をして、立ち上りながら、両手で腰の左右を同時に叩いた後で、いきなり云った。 「うんここにあった」  彼の洋袴の隠袋から引き摺り出したものは、一通の手紙であった。 「実は此奴を君に読ませたいんだ。それももう当分君に会う機会がないから、今夜に限るんだ。僕と原君と話している間に、ちょっと読んでくれ。何訳ゃないやね、少し長いけれども」  封書を受取った津田の手は、ほとんど器械的に動いた。 百六十四  ペンで原稿紙へ書きなぐるように認められたその手紙は、長さから云っても、無論普通の倍以上あった。のみならず宛名は小林に違なかったけれども、差出人は津田の見た事も聴いた事もない全く未知の人であった。津田は封筒の裏表を読んだ後で、それがはたして自分に何の関係があるのだろうと思った。けれども冷やかな無関心の傍に起った一種の好奇心は、すぐ彼の手を誘った。封筒から引き抜いた十行二十字詰の罫紙の上へ眼を落した彼は一気に読み下した。 「僕はここへ来た事をもう後悔しなければならなくなったのです。あなたは定めて飽っぽいと思うでしょう、しかしこれはあなたと僕の性質の差違から出るのだから仕方がないのです。またかと云わずに、まあ僕の訴えを聞いて下さい。女ばかりで夜が不用心だから銀行の整理のつくまで泊りに来て留守番をしてくれ、小説が書きたければ自由に書くがいい、図書館へ行くなら弁当を持って行くがいい、午後は画を習いに行くがいい。今に銀行を東京へ持って来ると外国語学校へ入れてやる、家の始末は心配するな、転居の金は出してやる。――僕はこんなありがたい条件に誘惑されたのです。もっとも一から十まで当にした訳でもないんですが、その何割かは本当に違いないと思い込んだのです。ところが来て見ると、本当は一つもないんです、頭から尻まで嘘の皮なんです。叔父は東京にいる方が多いばかりか、僕は書生代りに朝から晩まで使い歩きをさせられるだけなのです。叔父は僕の事を「宅の書生」といいます、しかも客の前でです、僕のいる前でです。こんな訳で酒一合の使から縁側の拭き掃除までみんな僕の役になってしまうのです。金はまだ一銭も貰ったことがありません。僕の穿いていた一円の下駄が割れたら十二銭のやつを買って穿かせました。叔父は明日金をやると云って、僕の家族を姉の所へ転居させたのですが、越してしまったら、金の事は噫にも出さないので、僕は帰る宅さえなくなりました。  叔父の仕事はまるで山です。金なんか少しもないのです。そうして彼ら夫婦は極めて冷やかな極めて吝嗇な人達です。だから来た当座僕は空腹に堪えかねて、三日に一遍ぐらい姉の家へ帰って飯を食わして貰いました。兵糧が尽きて焼芋や馬鈴薯で間に合せていたこともあります。もっともこれは僕だけです。叔母は極めて感じの悪い女です。万事が打算的で、体裁ばかりで、いやにこせこせ突ッ付き廻したがるんで、僕はちくちく刺されどうしに刺されているんです。叔父は金のないくせに酒だけは飲みます。そうして田舎へ行けば殿様だなどと云って威張るんです。しかし裏側へ入ってみると驚ろく事ばかりです。訴訟事件さえたくさん起っているくらいです。出発のたびに汽車賃がなくって、質屋へ駈けつけたり、姉の家へ行って、苦しいところを算段して来てやったりしていますが、叔父の方じゃ、僕の食費と差引にする気か何かで澄ましているのです。  叔母は最初から僕が原稿を書いて食扶持でも入れるものとでも思ってるんでしょう、僕がペンを持っていると、そんなにして書いたものはいったいどうなるの、なんて当擦りを云います。新聞の職業案内欄に出ている「事務員募集」の広告を突きつけて謎をかけたりします。  こういう事が繰り返されて見ると、僕は何しにここへ来たんだか、まるで訳が解らなくなるだけです。僕は変に考えさせられるのです。全く形をなさないこの家の奇怪な生活と、変幻窮りなきこの妙な家庭の内情が、朝から晩まで恐ろしい夢でも見ているような気分になって、僕の頭に祟ってくるんです。それを他に話したって、とうてい通じっこないと思うと、世界のうちで自分だけが魔に取り巻かれているとしか考えられないので、なお心細くなるのです、そうして時々は気が狂いそうになるのです。というよりももう気が狂っているのではないかしらと疑がい出すと、たまらなく恐くなって来るのです。土の牢の中で苦しんでいる僕には、日光がないばかりか、もう手も足もないような気がします。何となれば、手を挙げても足を動かしても、四方は真黒だからです。いくら訴えても、厚い冷たい壁が僕の声を遮ぎって世の中へ聴えさせないようにするからです。今の僕は天下にたった一人です。友達はないのです。あっても無いと同じ事なのです。幽霊のような僕の心境に触れてくれる事のできる頭脳をもったものは、有るべきはずがないからです。僕は苦しさの余りにこの手紙を書きました。救を求めるために書いたのではありません。僕はあなたの境遇を知っています。物質上の補助、そんなものをあなたの方角から受け取る気は毛頭ないのです。ただこの苦痛の幾分が、あなたの脈管の中に流れている人情の血潮に伝わって、そこに同情の波を少しでも立ててくれる事ができるなら、僕はそれで満足です。僕はそれによって、僕がまだ人間の一員として社会に存在しているという確証を握る事ができるからです。この悪魔の重囲の中から、広々した人間の中へ届く光線は一縷もないのでしょうか。僕は今それさえ疑っているのです。そうして僕はあなたから返事が来るか来ないかで、その疑いを決したいのです」  手紙はここで終っていた。 百六十五  その時先刻火を点けて吸い始めた巻煙草の灰が、いつの間にか一寸近くの長さになって、ぽたりと罫紙の上に落ちた。津田は竪横に走る藍色の枠の上に崩れ散ったこの粉末に視覚を刺撃されて、ふと気がついて見ると、彼は煙草を持った手をそれまで動かさずにいた。というより彼の口と手がいつか煙草の存在を忘れていた。その上手紙を読み終ったのと煙草の灰を落したのとは同時でないのだから、二つの間にはさまるぼんやりしたただの時間を認めなければならなかった。  その空虚な時間ははたして何のために起ったのだろう。元来をいうと、この手紙ほど津田に縁の遠いものはなかった。第一に彼はそれを書いた人を知らなかった。第二にそれを書いた人と小林との関係がどうなっているのか皆目解らなかった。中に述べ立ててある事柄に至ると、まるで別世界の出来事としか受け取れないくらい、彼の位置及び境遇とはかけ離れたものであった。  しかし彼の感想はそこで尽きる訳に行かなかった。彼はどこかでおやと思った。今まで前の方ばかり眺めて、ここに世の中があるのだときめてかかった彼は、急に後をふり返らせられた。そうして自分と反対な存在を注視すべく立ちどまった。するとああああこれも人間だという心持が、今日までまだ会った事もない幽霊のようなものを見つめているうちに起った。極めて縁の遠いものはかえって縁の近いものだったという事実が彼の眼前に現われた。  彼はそこでとまった。そうして徊した。けれどもそれより先へは一歩も進まなかった。彼は彼相応の意味で、この気味の悪い手紙を了解したというまでであった。  彼が原稿紙から煙草の灰を払い落した時、原を相手に何か話し続けていた小林はすぐ彼の方を向いた。用談を切り上げるためらしい言葉がただ一句彼の耳に響いた。 「なに大丈夫だ。そのうちどうにかなるよ、心配しないでもいいや」  津田は黙って手紙を小林の方へ出した。小林はそれを受け取る前に訊いた。 「読んだか」 「うん」 「どうだ」  津田は何とも答えなかった。しかし一応相手の主意を確かめて見る必要を感じた。 「いったい何のためにそれを僕に読ませたんだ」  小林は反問した。 「いったい何のために読ませたと思う」 「僕の知らない人じゃないか、それを書いた人は」 「無論知らない人さ」 「知らなくってもいいとして、僕に何か関係があるのか」 「この男がか、この手紙がか」 「どっちでも構わないが」 「君はどう思う」  津田はまた躊躇した。実を云うと、それは手紙の意味が彼に通じた証拠であった。もっと明暸にいうと、自分は自分なりにその手紙を解釈する事ができたという自覚が彼の返事を鈍らせたのと同様であった。彼はしばらくして云った。 「君のいう意味なら、僕には全く無関係だろう」 「僕のいう意味とは何だ?」 「解らないか」 「解らない。云って見ろ」 「いや、――まあ止そう」  津田は先刻の絵と同じ意味で、小林がこの手紙を自分の前に突きつけるのではなかろうかと疑った。何でもかでも彼を物質上の犠牲者にし終せた上で、後からざまを見ろ、とうとう降参したじゃないかという態度に出られるのは、彼にとって忍ぶべからざる侮辱であった。いくら貧乏の幽霊で威嚇したってその手に乗るものかという彼の気慨が、自然小林の上に働らきかけた。 「それより君の方でその主意を男らしく僕に説明したらいいじゃないか」 「男らしく? ふん」と云っていったん言葉を句切った小林は、後から付け足した。 「じゃ説明してやろう。この人もこの手紙も、乃至この手紙の中味も、すべて君には無関係だ。ただし世間的に云えばだぜ、いいかね。世間的という意味をまた誤解するといけないから、ついでにそれも説明しておこう。君はこの手紙の内容に対して、俗社会にいわゆる義務というものを帯びていないのだ」 「当り前じゃないか」 「だから世間的には無関係だと僕の方でも云うんだ。しかし君の道徳観をもう少し大きくして眺めたらどうだい」 「いくら大きくしたって、金をやらなければならないという義務なんか感じやしないよ」 「そうだろう、君の事だから。しかし同情心はいくらか起るだろう」 「そりゃ起るにきまってるじゃないか」 「それでたくさんなんだ、僕の方は。同情心が起るというのはつまり金がやりたいという意味なんだから。それでいて実際は金がやりたくないんだから、そこに良心の闘いから来る不安が起るんだ。僕の目的はそれでもう充分達せられているんだ」  こう云った小林は、手紙を隠袋へしまい込むと同時に、同じ場所から先刻の紙幣を三枚とも出して、それを食卓の上へ並べた。 「さあ取りたまえ。要るだけ取りたまえ」  彼はこう云って原の方を見た。 百六十六  小林の所作は津田にとって全くの意外であった。突然毒気を抜かれたところに十分以上の皮肉を味わわせられた彼の心は、相手に向って躍った。憎悪の電流とでも云わなければ形容のできないものが、とっさの間に彼の身体を通過した。  同時に聡明な彼の頭に一種の疑が閃めいた。 「此奴ら二人は共謀になって先刻からおれを馬鹿にしているんじゃないかしら」  こう思うのと、大通りの角で立談をしていた二人の姿と、ここへ来てからの小林の挙動と、途中から入って来た原の様子と、その後三人の間に起った談話の遣取とが、どれが原因ともどれが結果とも分らないような迅速の度合で、津田の頭の中を仕懸花火のようにくるくると廻転した。彼は白い食卓布の上に、行儀よく順次に並べられた新らしい三枚の十円紙幣を見て、思わず腹の中で叫んだ。 「これがこの摺れッ枯らしの拵え上げた狂言の落所だったのか。馬鹿奴、そう貴様の思わく通りにさせてたまるものか」  彼は傷けられた自分のプライドに対しても、この不名誉な幕切に一転化を与えた上で、二人と別れなければならないと考えた。けれどもどうしたらこう最後まで押しつめられて来た不利な局面を、今になって、旨くどさりと引繰り返す事ができるかの問題になると、あらかじめその辺の準備をしておかなかった彼は、全くの無能力者であった。  外観上の落ちつきを比較的平気そうに保っていた彼の裏側には、役にも立たない機智の作用が、はげしく往来した。けれどもその混雑はただの混雑に終るだけで、何らの帰着点を彼に示してくれないので、むらむらとした後の彼の心は、いたずらにわくわくするだけであった。そのわくわくがいつの間にか狼狽の姿に進化しつつある事さえ、残念ながら彼には意識された。  この危機一髪という間際に、彼はまた思いがけない現象に逢着した。それは小林の並べた十円紙幣が青年芸術家に及ぼした影響であった。紙幣の上に落された彼の眼から出る異様の光であった。そこには驚ろきと喜びがあった。一種の飢渇があった。掴みかかろうとする慾望の力があった。そうしてその驚ろきも喜びも、飢渇も慾望も、一々真その物の発現であった。作りもの、拵え事、馴れ合いの狂言とは、どうしても受け取れなかった。少くとも津田にはそうとしか思えなかった。  その上津田のこの判断を確めるに足る事実が後から継いで起った。原はそれほど欲しそうな紙幣へ手を出さなかった。と云って断然小林の親切を斥ぞける勇気も示さなかった。出したそうな手を遠慮して出さずにいる苦痛の色が、ありありと彼の顔つきで読まれた。もしこの蒼白い青年が、ついに紙幣の方へ手を出さないとすると、小林の拵えたせっかくの狂言も半分はぶち壊しになる訳であった。もしまた小林がいったん隠袋から出した紙幣を、当初の宣告通り、幾分でも原の手へ渡さずに、再びもとへ収めたなら、結果は一層の喜劇に変化する訳であった。どっちにしても自分の体面を繕うのには便宜な方向へ発展して行きそうなので、そこに一縷の望を抱いた津田は、もう少し黙って事の成行を見る事にきめた。  やがて二人の間に問答が起った。 「なぜ取らないんだ、原君」 「でもあんまり御気の毒ですから」 「僕は僕でまた君の方を気の毒だと思ってるんだ」 「ええ、どうもありがとう」 「君の前に坐ってるその男は男でまた僕の方を気の毒だと思ってるんだ」 「はあ」  原はさっぱり通じないらしい顔をして津田を見た。小林はすぐ説明した。 「その紙幣は三枚共、僕が今その男から貰ったんだ。貰い立てのほやほやなんだ」 「じゃなおどうも……」 「なおどうもじゃない。だからだ。だから僕も安々と君にやれるんだ。僕が安々と君にやれるんだから、君も安々と取れるんだ」 「そういう論理になるかしら」 「当り前さ。もしこれが徹夜して書き上げた一枚三十五銭の原稿から生れて来た金なら、何ぼ僕だって、少しは執着が出るだろうじゃないか。額からぽたぽた垂れる膏汗に対しても済まないよ。しかしこれは何でもないんだ。余裕が空間に吹き散らしてくれる浄財だ。拾ったものが功徳を受ければ受けるほど余裕は喜こぶだけなんだ。ねえ津田君そうだろう」  忌々しい関所をもう通り越していた津田は、かえって好いところで相談をかけられたと同じ事であった。鷹揚な彼の一諾は、今夜ここに落ち合った不調和な三人の会合に、少くとも形式上体裁の好い結末をつけるのに充分であった。彼は醜陋に見える自分の退却を避けるために眼前の機会を捕えた。 「そうだね。それが一番いいだろう」  小林は押問答の末、とうとう三枚のうち一枚を原の手に渡した。残る二枚を再びもとの隠袋へ収める時、彼は津田に云った。 「珍らしく余裕が下から上へ流れた。けれどもここから上へはもう逆戻りをしないそうだ。だからやっぱり君に対してサンクスだ」  表へ出た三人は濠端へ来て、電車を待ち合せる間大きな星月夜を仰いだ。 百六十七  間もなく三人は離れ離れになった。 「じゃ失敬、僕は停車場へ送って行かないよ」 「そうか、来たってよさそうなものだがね。君の旧友が朝鮮へ行くんだぜ」 「朝鮮でも台湾でも御免だ」 「情合のない事夥だしいものだ。そんなら立つ前にもう一遍こっちから暇乞に行くよ、いいかい」 「もうたくさんだ、来てくれなくっても」 「いや行く。でないと何だか気がすまないから」 「勝手にしろ。しかし僕はいないよ、来ても。明日から旅行するんだから」 「旅行? どこへ」 「少し静養の必要があるんでね」 「転地か、洒落てるな」 「僕に云わせると、これも余裕の賜物だ。僕は君と違って飽くまでもこの余裕に感謝しなければならないんだ」 「飽くまでも僕の注意を無意味にして見せるという気なんだね」 「正直のところを云えば、まあそこいらだろうよ」 「よろしい、どっちが勝つかまあ見ていろ。小林に啓発されるよりも、事実その物に戒飭される方が、遥かに覿面で切実でいいだろう」  これが別れる時二人の間に起った問答であった。しかしそれは宵から持ち越した悪感情、津田が小林に対して日暮以来貯蔵して来た悪感情、の発現に過ぎなかった。これで幾分か溜飲が下りたような気のした津田には、相手の口から出た最後の言葉などを考える余地がなかった。彼は理非の如何に関わらず、意地にも小林ごときものの思想なり議論なりを、切って棄てなければならなかった。一人になった彼は、電車の中ですぐ温泉場の様子などを想像に描き始めた。  明る朝は風が吹いた。その風が疎らな雨の糸を筋違に地面の上へ運んで来た。 「厄介だな」  時間通りに起きた津田は、縁鼻から空を見上げて眉を寄せた。空には雲があった。そうしてその雲は眼に見える風のように断えず動いていた。 「ことによると、お午ぐらいから晴れるかも知れないわね」  お延は既定の計画を遂行する方に賛成するらしい言葉つきを見せた。 「だって一日後れると一日徒為になるだけですもの。早く行って早く帰って来ていただく方がいいわ」 「おれもそのつもりだ」  冷たい雨によって乱されなかった夫婦間の取極は、出立間際になって、始めて少しの行違を生じた。箪笥の抽斗から自分の衣裳を取り出したお延は、それを夫の洋服と並べて渋紙の上へ置いた。津田は気がついた。 「お前は行かないでもいいよ」 「なぜ」 「なぜって訳もないが、この雨の降るのに御苦労千万じゃないか」 「ちっとも」  お延の言葉があまりに無邪気だったので、津田は思わず失笑した。 「来て貰うのが迷惑だから断るんじゃないよ。気の毒だからだよ。たかが一日とかからない所へ行くのに、わざわざ送って貰うなんて、少し滑稽だからね。小林が朝鮮へ立つんでさえ、おれは送って行かないって、昨夜断っちまったくらいだ」 「そう、でもあたし宅にいたって、何にもする事がないんですもの」 「遊んでおいでよ。構わないから」  お延がとうとう苦笑して、争う事をやめたので、津田は一人俥を駆って宅を出る事ができた。  周囲の混雑と対照を形成る雨の停車場の佗しい中に立って、津田が今買ったばかりの中等切符を、ぼんやり眺めていると、一人の書生が突然彼の前へ来て、旧知己のような挨拶をした。 「あいにくなお天気で」  それはこの間始めて見た吉川の書生であった。取次に出た時玄関で会ったよそよそしさに引き換えて、今日は鳥打を脱ぐ態度からしてが丁寧であった。津田は何の意味だかいっこう気がつかなかった。 「どなたかどちらへかいらっしゃるんですか」 「いいえ、ちょっとお見送りに」 「だからどなたを」  書生は弱らせられたような様子をした。 「実は奥さまが、今日は少し差支えがあるから、これを持って代りに行って来てくれとおっしゃいました」  書生は手に持った果物の籃を津田に示した。 「いやそりゃどうも、恐れ入りました」  津田はすぐその籃を受け取ろうとした。しかし書生は渡さなかった。 「いえ私が列車の中まで持って参ります」  汽車が出る時、黙って丁寧に会釈をした書生に、「どうぞ宜しく」と挨拶を返した津田は、比較的込み合わない車室の一隅に、ゆっくりと腰をおろしながら、「やっぱりお延に来て貰わない方がよかったのだ」と思った。 百六十八  お延の気を利かして外套の隠袋へ入れてくれた新聞を津田が取り出して、いつもより念入りに眼を通している頃に、窓外の空模様はだんだん悪くなって来た。先刻まで疎らに眺められた雨の糸が急に数を揃えて、見渡す限の空間を一度に充たして来る様子が、比較的展望に便利な汽車の窓から見ると、一層凄まじく感ぜられた。  雨の上には濃い雲があった。雨の横にも限界の遮ぎられない限りは雲があった。雲と雨との隙間なく連続した広い空間が、津田の視覚をいっぱいに冒した時、彼は荒涼なる車外の景色と、その反対に心持よく設備の行き届いた車内の愉快とを思い較べた。身体を安逸の境に置くという事を文明人の特権のように考えている彼は、この雨を衝いて外部へ出なければならない午後の心持を想像しながら、独り肩を竦めた。すると隣りに腰をかけて、ぽつりぽつりと窓硝子を打つたびに、点滴の珠を表面に残して砕けて行く雨の糸を、ぼんやり眺めていた四十恰好の男が少し上半身を前へ屈めて、向側に胡坐を掻いている伴侶に話しかけた。しかし雨の音と汽車の音が重なり合うので、彼の言葉は一度で相手に通じなかった。 「ひどく降って来たね。この様子じゃまた軽便の路が壊れやしないかね」  彼は仕方なしに津田の耳へも入るような大きな声を出してこう云った。 「なに大丈夫だよ。なんぼ名前が軽便だって、そう軽便に壊れられた日にゃ乗るものが災難だあね」  これが相手の答であった。相手というのは羅紗の道行を着た六十恰好の爺さんであった。頭には唐物屋を探しても見当りそうもない変な鍔なしの帽子を被っていた。煙草入だの、唐桟の小片だの、古代更紗だの、そんなものを器用にきちんと並べ立てて見世を張る袋物屋へでも行って、わざわざ注文しなければ、とうてい頭へ載せる事のできそうもないその帽子の主人は、彼の言葉遣いで東京生れの証拠を充分に挙げていた。津田は服装に似合わない思いのほか濶達なこの爺さんの元気に驚ろくと同時に、どっちかというと、ベランメーに接近した彼の口の利き方にも意外を呼んだ。  この挨拶のうちに偶然使用された軽便という語は、津田にとってたしかに一種の暗示であった。彼は午後の何時間かをその軽便に揺られる転地者であった。ことによると同じ方角へ遊びに行く連中かも知れないと思った津田の耳は、彼らの談話に対して急に鋭敏になった。転席の余地がないので、不便な姿勢と図抜けた大声を忍ばなければならなかった二人の云う事は一々津田に聴こえた。 「こんな天気になろうとは思わなかったね。これならもう一日延ばした方が楽だった」  中折に駱駝の外套を着た落ちつきのある男の方がこういうと、爺さんはすぐ答えた。 「何たかが雨だあね。濡れると思やあ、何でもねえ」 「だが荷物が厄介だよ。あの軽便へ雨曝しのまま載せられる事を考えると、少し心細くなるから」 「じゃおいらの方が雨曝しになって、荷物だけを室の中へ入れて貰う事にしよう」  二人は大きな声を出して笑った。その後で爺さんがまた云った。 「もっともこの前のあの騒ぎがあるからね。途中で汽缶へ穴が開いて動けなくなる汽車なんだから、全くのところ心細いにゃ違ない」 「あの時ゃどうして向うへ着いたっけ」 「なにあっちから来る奴を山の中ほどで待ち合せてさ。その方の汽缶で引っ張り上げて貰ったじゃないか」 「なるほどね、だが汽缶を取り上げられた方の車はどうしたっけね」 「違えねえ、こっちで取り上げりゃ、向うは困らあ」 「だからさ、取り残された方の車はどうしたろうっていうのさ。まさか他を救って、自分は立往生って訳もなかろう」 「今になって考えりゃ、それもそうだがね、あの時ゃ、てんで向うの車の事なんか考えちゃいられなかったからね。日は暮れかかるしさ、寒さは身に染みるしさ。顫えちまわあね」  津田の推測はだんだんたしかになって来た。二人はその軽便の通じている線路の左右にある三カ所の温泉場のうち、どこかへ行くに違ないという鑑定さえついた。それにしてもこれから自分の身を二時間なり三時間なり委せようとするその軽便が、彼らのいう通り乱暴至極のものならば、この雨中どんな災難に会わないとも限らなかった。けれどもそこには東京ものの持って生れた誇張というものがあった。そんなに不完全なものですかと訊いてみようとしてそこに気のついた津田は、腹の中で苦笑しながら、質問をかける手数を省いた。そうして今度は清子とその軽便とを聯結して「女一人でさえ楽々往来ができる所だのに」と思いながら、面白半分にする興味本位の談話には、それぎり耳を貸さなかった。 百六十九  汽車が目的の停車場に着く少し前から、三人によって気遣われた天候がしだいに穏かになり始めた時、津田は雨の収まり際の空を眺めて、そこに忙がしそうな雲の影を認めた。その雲は汽車の走る方角と反対の側に向って、ずんずん飛んで行った。そうして後から後からと、あたかも前に行くものを追かけるように、隙間なく詰め寄せた。そのうち動く空の中に、やや明るい所ができてきた。ほかの部分より比較的薄く見える箇所がしだいに多くなった。就中一角はもう少しすると風に吹き破られて、破れた穴から青い輝きを洩らしそうな気配を示した。  思ったより自分に好意をもってくれた天候の前に感謝して、汽車を下りた津田は、そこからすぐ乗り換えた電車の中で、また先刻会った二人伴の男を見出した。はたして彼の思わく通り、自分と同じ見当へ向いて、同じ交通機関を利用する連中だと知れた時、津田は気をつけて彼らの手荷物を注意した。けれども彼らの雨曝しになるのを苦に病んだほどの大嵩なものはどこにも見当らなかった。のみならず、爺さんは自分が先刻云った事さえもう忘れているらしかった。 「ありがたい、大当りだ。だからやっぱり行こうと思った時に立っちまうに限るよ。これでぐずぐずして東京にいて御覧な。ああつまらねえ、こうと知ったら、思い切って今朝立っちまえばよかったと後悔するだけだからね」 「そうさ。だが東京も今頃はこのくらい好い天気になってるんだろうか」 「そいつあ行って見なけりゃ、ちょいと分らねえ。何なら電話で訊いてみるんだ。だが大体間違はないよ。空は日本中どこへ行ったって続いてるんだから」  津田は少しおかしくなった。すると爺さんがすぐ話しかけた。 「あなたも湯治場へいらっしゃるんでしょう。どうもおおかたそうだろうと思いましたよ、先刻から」 「なぜですか」 「なぜって、そういう所へ遊びに行く人は、様子を見ると、すぐ分りますよ。ねえ」  彼はこう云って隣りにいる自分の伴侶を顧みた。中折の人は仕方なしに「ああ」と答えた。  この天眼通に苦笑を禁じ得なかった津田は、それぎり会話を切り上げようとしたところ、快豁な爺さんの方でなかなか彼を放さなかった。 「だが旅行も近頃は便利になりましたね。どこへ行くにも身体一つ動かせばたくさんなんですから、ありがたい訳さ。ことにこちとら見たいな気の早いものにはお誂向だあね。今度だって荷物なんか何にも持って来やしませんや、この合切袋とこの大将のあの鞄を差し引くと、残るのは命ばかりといいたいくらいのものだ。ねえ大将」  大将の名をもって呼ばれた人はまた「ああ」と答えたぎりであった。これだけの手荷物を車室内へ持ち込めないとすれば、彼らのいわゆる「軽便」なるものは、よほど込み合うのか、さもなければ、常識をもって測るべからざる程度において不完全でなければならなかった。そこを確かめて見ようかと思った津田は、すぐ確かめても仕方がないという気を起して黙ってしまった。  電車を下りた時、津田は二人の影を見失った。彼は停留所の前にある茶店で、写真版だの石版だのと、思い思いに意匠を凝らした温泉場の広告絵を眺めながら、昼食を認ためた。時間から云って、平常より一時間以上も後れていたその昼食は、膳を貪ぼる人としての彼を思う存分に発揮させた。けれども発車は目前に逼っていた。彼は箸を投げると共にすぐまた軽便に乗り移らなければならなかった。  基点に当る停車場は、彼の休んだ茶店のすぐ前にあった。彼は電車よりも狭いその車を眼の前に見つつ、下女から支度料の剰銭を受取ってすぐ表へ出た。切符に鋏を入れて貰う所と、プラットフォームとの間には距離というものがほとんどなかった。五六歩動くとすぐ足をかける階段へ届いてしまった。彼は車室のなかで、また先刻の二人連れと顔を合せた。 「やあお早うがす。こっちへおかけなさい」  爺さんは腰をずらして津田のために、彼の腕に抱えて来た膝かけを敷く余地を拵えてくれた。 「今日は空いてて結構です」  爺さんは避寒避暑二様の意味で、暮から正月へかけて、それから七八二月に渉って、この線路に集ってくる湯治客の、どんなに雑沓するかをさも面白そうに例の調子で話して聴かせた後で、自分の同伴者を顧みた。 「あんな時に女なんか伴れてくるのは実際罪だよ。尻が大きいから第一乗り切れねえやね。そうしてすぐ酔うから困らあ。鮨のように押しつめられてる中で、吐いたり戻したりさ。見っともねえ事ったら」  彼は自分の傍に腰をかけている婦人の存在をまるで忘れているらしい口の利き方をした。 百七十  軽便の中でも、津田の平和はややともすると年を取ったこの楽天家のために乱されそうになった。これから目的地へ着いた時の様子、その様子しだいで取るべき自分の態度、そんなものが想像に描き出された旅館だの山だの渓流だのの光景のうちに、取りとめもなくちらちら動いている際などに、老人は急に彼を夢の裡から叩き起した。 「まだ仮橋のままでやってるんだから、呑気なものさね。御覧なさい、土方があんなに働らいてるから」  本式の橋が去年の出水で押し流されたまままだ出来上らないのを、老人はさも会社の怠慢ででもあるように罵った後で、海へ注ぐ河の出口に、新らしく作られた一構の家を指して、また津田の注意を誘い出そうとした。 「あの家も去年波で浚われちまったんでさあ。でもすぐあんなに建てやがったから、軽便より少しゃ感心だ」 「この夏の避暑客を取り逃さないためでしょう」 「ここいらで一夏休むと、だいぶ応えるからね。やっぱり慾がなくっちゃ、何でも手っ取り早く仕事は片づかないものさね。この軽便だってそうでしょう、あなた、なまじいあの仮橋で用が足りてるもんだから、会社の方で、いつまでも横着をきめ込みやがって、掛けかえねえんでさあ」  津田は老人の人世観に一も二もなく調子を合すべく余儀なくされながら、談話の途切れ目には、眼を眠るように構えて、自分自身に勝手な事を考えた。  彼の頭の中は纏まらない断片的な映像のために絶えず往来された。その中には今朝見たお延の顔もあった。停車場まで来てくれた吉川の書生の姿も動いた。彼の車室内へ運んでくれた果物の籃もあった。その葢を開けて、二人の伴侶に夫人の贈物を配とうかという意志も働いた。その所作から起る手数だの煩わしさだの、こっちの好意を受け取る時、相手のやりかねない仰山な挨拶も鮮やかに描き出された。すると爺さんも中折も急に消えて、その代り肥った吉川夫人の影法師が頭の闥を排してつかつか這入って来た。連想はすぐこれから行こうとする湯治場の中心点になっている清子に飛び移った。彼の心は車と共に前後へ揺れ出した。  汽車という名をつけるのはもったいないくらいな車は、すぐ海に続いている勾配の急な山の中途を、危なかしくがたがた云わして駆けるかと思うと、いつの間にか山と山の間に割り込んで、幾度も上ったり下ったりした。その山の多くは隙間なく植付けられた蜜柑の色で、暖かい南国の秋を、美くしい空の下に累々と点綴していた。 「あいつは旨そうだね」 「なに根っから旨くないんだ、ここから見ている方がよっぽど綺麗だよ」  比較的嶮しい曲りくねった坂を一つ上った時、車はたちまちとまった。停車場でもないそこに見えるものは、多少の霜に彩どられた雑木だけであった。 「どうしたんだ」  爺さんがこう云って窓から首を出していると、車掌だの運転手だのが急に車から降りて、しきりに何か云い合った。 「脱線です」  この言葉を聞いた時、爺さんはすぐ津田と自分の前にいる中折を見た。 「だから云わねえこっちゃねえ。きっと何かあるに違ねえと思ってたんだ」  急に予言者らしい口吻を洩らした彼は、いよいよ自分の駄弁を弄する時機が来たと云わぬばかりにはしゃぎ出した。 「どうせ家を出る時に、水盃は済まして来たんだから、覚悟はとうからきめてるようなものの、いざとなって見ると、こんな所で弁慶の立往生は御免蒙りたいからね。といっていつまでこうやって待ってたって、なかなか元へ戻してくれそうもなしと。何しろ日の短かい上へ持って来て、気が短かいと来てるんだから、安閑としちゃいられねえ。――どうです皆さん一つ降りて車を押してやろうじゃありませんか」  爺さんはこう云いながら元気よく真先に飛び降りた。残るものは苦笑しながら立ち上った。津田も独り室内に坐っている訳に行かなくなったので、みんなといっしょに地面の上へ降り立った。そうして黄色に染められた芝草の上に、あっけらかんと立っている婦人を後にして、うんうん車を押した。 「や、いけねえ、行き過ぎちゃった」  車はまた引き戻された。それからまた前へ押し出された。押し出したり引き戻したり二三度するうちに、脱線はようやく片づいた。 「また後れちまったよ、大将、お蔭で」 「誰のお蔭でさ」 「軽便のお蔭でさ。だがこんな事でもなくっちゃ眠くっていけねえや」 「せっかく遊びに来た甲斐がないだろう」 「全くだ」  津田は後れた時間を案じながら、教えられた停車場で、この元気の好い老人と別れて、一人薄暮の空気の中に出た。 百七十一  靄とも夜の色とも片づかないものの中にぼんやり描き出された町の様はまるで寂寞たる夢であった。自分の四辺にちらちらする弱い電灯の光と、その光の届かない先に横わる大きな闇の姿を見較べた時の津田にはたしかに夢という感じが起った。 「おれは今この夢見たようなものの続きを辿ろうとしている。東京を立つ前から、もっと几帳面に云えば、吉川夫人にこの温泉行を勧められない前から、いやもっと深く突き込んで云えば、お延と結婚する前から、――それでもまだ云い足りない、実は突然清子に背中を向けられたその刹那から、自分はもうすでにこの夢のようなものに祟られているのだ。そうして今ちょうどその夢を追かけようとしている途中なのだ。顧みると過去から持ち越したこの一条の夢が、これから目的地へ着くと同時に、からりと覚めるのかしら。それは吉川夫人の意見であった。したがって夫人の意見に賛成し、またそれを実行する今の自分の意見でもあると云わなければなるまい。しかしそれははたして事実だろうか。自分の夢ははたして綺麗に拭い去られるだろうか。自分ははたしてそれだけの信念をもって、この夢のようにぼんやりした寒村の中に立っているのだろうか。眼に入る低い軒、近頃砂利を敷いたらしい狭い道路、貧しい電灯の影、傾むきかかった藁屋根、黄色い幌を下した一頭立の馬車、――新とも旧とも片のつけられないこの一塊の配合を、なおの事夢らしく粧っている肌寒と夜寒と闇暗、――すべて朦朧たる事実から受けるこの感じは、自分がここまで運んで来た宿命の象徴じゃないだろうか。今までも夢、今も夢、これから先も夢、その夢を抱いてまた東京へ帰って行く。それが事件の結末にならないとも限らない。いや多分はそうなりそうだ。じゃ何のために雨の東京を立ってこんな所まで出かけて来たのだ。畢竟馬鹿だから? いよいよ馬鹿と事がきまりさえすれば、ここからでも引き返せるんだが」  この感想は一度に来た。半分とかからないうちに、これだけの順序と、段落と、論理と、空想を具えて、抱き合うように彼の頭の中を通過した。しかしそれから後の彼はもう自分の主人公ではなかった。どこから来たとも知れない若い男が突然現われて、彼の荷物を受け取った。一分の猶予なく彼をすぐ前にある茶店の中へ引き込んで、彼の行こうとする宿屋の名を訊いたり、馬車に乗るか俥にするかを確かめたりした上に、彼の予期していないような愛嬌さえ、自由自在に忙がしい短時間の間に操縦して退けた。  彼はやがて否応なしにズックの幌を下した馬車の上へ乗せられた。そうして御免といいながら自分の前に腰をかける先刻の若い男を見出すべく驚ろかされた。 「君もいっしょに行くのかい」 「へえ、お邪魔でも、どうか」  若い男は津田の目指している宿屋の手代であった。 「ここに旗が立っています」  彼は首を曲げて御者台の隅に挿し込んである赤い小旗を見た。暗いので中に染め抜かれた文字は津田の眼に入らなかった。旗はただ馬車の速力で起す風のために、彼の座席の方へはげしく吹かれるだけであった。彼は首を縮めて外套の襟を立てた。 「夜中はもうだいぶお寒くなりました」  御者台を背中に背負ってる手代は、位地の関係から少しも風を受けないので、この云い草は何となく小賢しく津田の耳に響いた。  道は左右に田を控えているらしく思われた。そうして道と田の境目には小河の流れが時々聞こえるように感ぜられた。田は両方とも狭く細く山で仕切られているような気もした。  津田は帽子と外套の襟で隠し切れない顔の一部分だけを風に曝して、寒さに抵抗でもするように黙想の態度を手代に示した。手代もその方が便利だと見えて、強いて向うから口を利こうともしなかった。  すると突然津田の心が揺いた。 「お客はたくさんいるかい」 「へえありがとう、お蔭さまで」 「何人ぐらい」  何人とも答えなかった手代は、かえって弁解がましい返事をした。 「ただいまはあいにく季節が季節だもんでげすから、あんまりおいでがございません。寒い時は暮からお正月へかけまして、それから夏場になりますと、まあ七八二月ですな、繁昌するのは。そんな時にゃ臨時のお客さまを御断りする事が、毎日のようにございます」 「じゃ今がちょうど閑な時なんだね、そうか」 「へえ、どうぞごゆっくり」 「ありがとう」 「やっぱり御病気のためにわざわざおいでなんで」 「うんまあそうだ」  清子の事を訊く目的で話し始めた津田は、ここへ来て急に痞えた。彼は気がさした。彼女の名前を口にするに堪えなかった。その上後で面倒でも起ると悪いとも思い返した。手代から顔を離して馬車の背に倚りかかり直した彼は、再び沈黙の姿勢を回復した。 百七十二  馬車はやがて黒い大きな岩のようなものに突き当ろうとして、その裾をぐるりと廻り込んだ。見ると反対の側にも同じ岩の破片とも云うべきものが不行儀に路傍を塞いでいた。台上から飛び下りた御者はすぐ馬の口を取った。  一方には空を凌ぐほどの高い樹が聳えていた。星月夜の光に映る物凄い影から判断すると古松らしいその木と、突然一方に聞こえ出した奔湍の音とが、久しく都会の中を出なかった津田の心に不時の一転化を与えた。彼は忘れた記憶を思い出した時のような気分になった。 「ああ世の中には、こんなものが存在していたのだっけ、どうして今までそれを忘れていたのだろう」  不幸にしてこの述懐は孤立のまま消滅する事を許されなかった。津田の頭にはすぐこれから会いに行く清子の姿が描き出された。彼は別れて以来一年近く経つ今日まで、いまだこの女の記憶を失くした覚がなかった。こうして夜路を馬車に揺られて行くのも、有体に云えば、その人の影を一図に追かけている所作に違なかった。御者は先刻から時間の遅くなるのを恐れるごとく、止せばいいと思うのに、濫りなる鞭を鳴らして、しきりに痩馬の尻を打った。失われた女の影を追う彼の心、その心を無遠慮に翻訳すれば、取りも直さず、この痩馬ではないか。では、彼の眼前に鼻から息を吹いている憐れな動物が、彼自身で、それに手荒な鞭を加えるものは誰なのだろう。吉川夫人? いや、そう一概に断言する訳には行かなかった。ではやっぱり彼自身? この点で精確な解決をつける事を好まなかった津田は、問題をそこで投げながら、依然としてそれより先を考えずにはいられなかった。 「彼女に会うのは何のためだろう。永く彼女を記憶するため? 会わなくても今の自分は忘れずにいるではないか。では彼女を忘れるため? あるいはそうかも知れない。けれども会えば忘れられるだろうか。あるいはそうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない。松の色と水の音、それは今全く忘れていた山と渓の存在を憶い出させた。全く忘れていない彼女、想像の眼先にちらちらする彼女、わざわざ東京から後を跟けて来た彼女、はどんな影響を彼の上に起すのだろう」  冷たい山間の空気と、その山を神秘的に黒くぼかす夜の色と、その夜の色の中に自分の存在を呑み尽された津田とが一度に重なり合った時、彼は思わず恐れた。ぞっとした。  御者は馬の轡を取ったなり、白い泡を岩角に吹き散らして鳴りながら流れる早瀬の上に架け渡した橋の上をそろそろ通った。すると幾点の電灯がすぐ津田の眸に映ったので、彼はたちまちもう来たなと思った。あるいはその光の一つが、今清子の姿を照らしているのかも知れないとさえ考えた。 「運命の宿火だ。それを目標に辿りつくよりほかに途はない」  詩に乏しい彼は固よりこんな言葉を口にする事を知らなかった。けれどもこう形容してしかるべき気分はあった。彼は首を手代の方へ延ばした。 「着いたようじゃないか。君の家はどれだい」 「へえ、もう一丁ほど奥になります」  ようやく馬車の通れるくらいな温泉の町は狭かった。おまけに不規則な故意とらしい曲折を描いて、御者をして再び車台の上に鞭を鳴らす事を許さなかった。それでも宿へ着くまでに五六分しかかからなかった。山と谷がそれほど広いという意味で、町はそれほど狭かったのである。  宿は手代の云った通り森閑としていた。夜のためばかりでもなく、家の広いためばかりでもなく、全く客の少ないためとしか受け取れないほどの静かさのうちに、自分の室へ案内された彼は、好時季に邂逅せてくれたこの偶然に感謝した。性質から云えばむしろ人中を択ぶべきはずの彼には都合があった。彼は膳の向うに坐っている下女に訊いた。 「昼間もこの通りかい」 「へえ」 「何だかお客はどこにもいないようじゃないか」  下女は新館とか別館とか本館とかいう名前を挙げて、津田の不審を説明した。 「そんなに広いのか。案内を知らないものは迷児にでもなりそうだね」  彼は清子のいる見当を確かめなければならなかった。けれども手代に露骨な質問がかけられなかった通り、下女にも卒直な尋ね方はできなかった。 「一人で来る人は少ないだろうね、こんな所へ」 「そうでもございません」 「だが男だろう、そりゃ。まさか女一人で逗留しているなんてえのはなかろう」 「一人いらっしゃいます、今」 「へえ、病気じゃないか。そんな人は」 「そうかも知れません」 「何という人だい」  受持が違うので下女は名前を知らなかった。 「若い人かね」 「ええ、若いお美くしい方です」 「そうか、ちょっと見せて貰いたいな」 「お湯にいらっしゃる時、この室の横をお通りになりますから、御覧になりたければ、いつでも――」 「拝見できるのか、そいつはありがたい」  津田は女のいる方角だけ教わって、膳を下げさせた。 百七十三  寝る前に一風呂浴びるつもりで、下女に案内を頼んだ時、津田は始めて先刻彼女から聴かされたこの家の広さに気がついた。意外な廊下を曲ったり、思いも寄らない階子段を降りたりして、目的の湯壺を眼の前に見出した彼は、実際一人で自分の座敷へ帰れるだろうかと疑った。  風呂場は板と硝子戸でいくつにか仕切られていた。左右に三つずつ向う合せに並んでいる小型な浴槽のほかに、一つ離れて大きいのは、普通の洗湯に比べて倍以上の尺があった。 「これが一番大きくって心持がいいでしょう」と云った下女は、津田のために擦硝子の篏った戸をがらがらと開けてくれた。中には誰もいなかった。湯気が籠るのを防ぐためか、座敷で云えば欄間と云ったような部分にも、やはり硝子戸の設けがあって、半分ほど隙かされたその二枚の間から、冷たい一道の夜気が、袍を脱ぎにかかった津田の身体を、山里らしく襲いに来た。 「ああ寒い」  津田はざぶんと音を立てて湯壺の中へ飛び込んだ。 「ごゆっくり」  戸を閉めて出ようとした下女はいったんこう云った後で、また戻って来た。 「まだ下にもお風呂場がございますから、もしそちらの方がお気に入るようでしたら、どうぞ」  来る時もう階子段を一つか二つ下りている津田には、この浴槽の階下がまだあろうとは思えなかった。 「いったい何階なのかね、この家は」  下女は笑って答えなかった。しかし用事だけは云い残さなかった。 「ここの方が新らしくって綺麗は綺麗ですが、お湯は下の方がよく利くのだそうです。だから本当に療治の目的でおいでの方はみんな下へ入らっしゃいます。それから肩や腰を滝でお打たせになる事も下ならできます」  湯壺から首だけ出したままで津田は答えた。 「ありがとう。じゃ今度そっちへ入るから連れてってくれたまえ」 「ええ。旦那様はどこかお悪いんですか」 「うん、少し悪いんだ」  下女が去った後の津田は、しばらくの間、「本当に療治の目的で来た客」といった彼女の言葉を忘れる事ができなかった。 「おれははたしてそういう種類の客なんだろうか」  彼は自分をそう思いたくもあり、またそう思いたくもなかった。どっち本位で来たのか、それは彼の心がよく承知していた。けれども雨を凌いでここまで来た彼には、まだ商量の隙間があった。躊躇があった。幾分の余裕が残っていた。そうしてその余裕が彼に教えた。 「今のうちならまだどうでもできる。本当に療治の目的で来た客になろうと思えばなれる。なろうとなるまいと今のお前は自由だ。自由はどこまで行っても幸福なものだ。その代りどこまで行っても片づかないものだ、だから物足りないものだ。それでお前はその自由を放り出そうとするのか。では自由を失った暁に、お前は何物を確と手に入れる事ができるのか。それをお前は知っているのか。御前の未来はまだ現前しないのだよ。お前の過去にあった一条の不可思議より、まだ幾倍かの不可思議をもっているかも知れないのだよ。過去の不可思議を解くために、自分の思い通りのものを未来に要求して、今の自由を放り出そうとするお前は、馬鹿かな利巧かな」  津田は馬鹿とも利巧とも判断する訳に行かなかった。万事が結果いかんできめられようという矢先に、その結果を疑がい出した日には、手も足も動かせなくなるのは自然の理であった。  彼には最初から三つの途があった。そうして三つよりほかに彼の途はなかった。第一はいつまでも煮え切らない代りに、今の自由を失わない事、第二は馬鹿になっても構わないで進んで行く事、第三すなわち彼の目指すところは、馬鹿にならないで自分の満足の行くような解決を得る事。  この三カ条のうち彼はただ第三だけを目的にして東京を立った。ところが汽車に揺られ、馬車に揺られ、山の空気に冷やされ、煙の出る湯壺に漬けられ、いよいよ目的の人は眼前にいるという事実が分り、目的の主意は明日からでも実行に取りかかれるという間際になって、急に第一が顔を出した。すると第二もいつの間にか、微笑して彼の傍に立った。彼らの到着は急であった。けれども騒々しくはなかった。眼界を遮ぎる靄が、風の音も立てずにすうと晴れ渡る間から、彼は自分の視野を着実に見る事ができたのである。  思いのほかに浪漫的であった津田は、また思いのほかに着実であった。そうして彼はその両面の対照に気がついていなかった。だから自己の矛盾を苦にする必要はなかった。彼はただ決すればよかった。しかし決するまでには胸の中で一戦争しなければならなかった。――馬鹿になっても構わない、いや馬鹿になるのは厭だ、そうだ馬鹿になるはずがない。――戦争でいったん片づいたものが、またこういう風に三段となって、最後まで落ちて来た時、彼は始めて立ち上れるのである。  人のいない大きな浴槽のなかで、洗うとも摩るとも片のつかない手を動かして、彼はしきりに綺麗な温泉をざぶざぶ使った。 百七十四  その時不意にがらがらと開けられた硝子戸の音が、周囲をまるで忘れて、自分の中にばかり頭を突込んでいた津田をはっと驚ろかした。彼は思わず首を上げて入口を見た。そうしてそこに半身を現わしかけた婦人の姿を湯気のうちに認めた時、彼の心臓は、合図の警鐘のように、どきんと打った。けれども瞬間に起った彼の予感は、また瞬間に消える事ができた。それは本当の意味で彼を驚ろかせに来た人ではなかった。  生れてからまだ一度も顔を合せた覚のないその婦人は、寝掛と見えて、白昼なら人前を憚かるような慎しみの足りない姿を津田の前に露わした。尋常の場合では小袖の裾の先にさえ出る事を許されない、長い襦袢の派手な色が、惜気もなく津田の眼をはなやかに照した。  婦人は温泉煙の中に乞食のごとく蹲踞る津田の裸体姿を一目見るや否や、いったん入りかけた身体をすぐ後へ引いた。 「おや、失礼」  津田は自分の方で詫まるべき言葉を、相手に先へ奪られたような気がした。すると階子段を下りる上靴の音がまた聴こえた。それが硝子戸の前でとまったかと思うと男女の会話が彼の耳に入った。 「どうしたんだ」 「誰か入ってるの」 「塞がってるのか。好いじゃないか、こんでさえいなければ」 「でも……」 「じゃ小さい方へ入るさ。小さい方ならみんな空いてるだろう」 「勝さんはいないかしら」  津田はこの二人づれのために早く出てやりたくなった。同時に是非彼の入っている風呂へ入らなければ承知ができないといった調子のどこかに見える婦人の態度が気に喰わなかった。彼はここへ入りたければ御勝手にお入んなさい、御遠慮には及びませんからという度胸を据えて、また浴槽の中へ身体を漬けた。  彼は背の高い男であった。長い足を楽に延ばして、それを温泉の中で上下へ動かしながら、透き徹るもののうちに、浮いたり沈んだりする肉体の下肢を得意に眺めた。  時に突然婦人の要する勝さんらしい人の声がし出した。 「今晩は。大変お早うございますね」  勝さんのこの挨拶には男の答があった。 「うん、あんまり退屈だから今日は早く寝ようと思ってね」 「へえ、もうお稽古はお済みですか」 「お済みって訳でもないが」  次には女の言葉が聴こえた。 「勝さん、そこは塞がってるのね」 「おやそうですか」 「どこか新らしく拵えたのはないの」 「ございます。その代り少し熱いかも知れませんよ」  二人を案内したらしい風呂場の戸の開く音が、向うの方でした。かと思うと、また津田の浴槽の入口ががらりと鳴った。 「今晩は」  四角な顔の小作りな男が、またこう云いながら入って来た。 「旦那流しましょう」  彼はすぐ流しへ下り立って、小判なりの桶へ湯を汲んだ。津田は否応なしに彼に背中を向けた。 「君が勝さんてえのかい」 「ええ旦那はよく御承知ですね」 「今聴いたばかりだ」 「なるほど。そう云えば旦那も今見たばかりですね」 「今来たばかりだもの」  勝さんはははあと云って笑い出した。 「東京からおいでですか」 「そうだ」  勝さんは何時の下りだの、上りだのという言葉を遣って、津田に正確な答えをさせた。それから一人で来たのかとか、なぜ奥さんを伴れて来なかったのかとか、今の夫婦ものは浜の生糸屋さんだとか、旦那が細君に毎晩義太夫を習っているんだとか、宅のお上さんは長唄が上手だとか、いろいろの問をかけると共に、いろいろの知識を供給した。聴かないでもいい事まで聴かされた津田には、勝さんの触れないものが、たった一つしかないように思われた。そうしてその触れないものは取も直さず清子という名前であった。偶然から来たこの結果には、津田にとって多少の物足らなさが含まれていた。もちろん津田の方でも水を向ける用意もなかった。そんな暇のないうちに、勝さんはさっさとしゃべるだけしゃべって、洗う方を切り上げてしまった。 「どうぞごゆっくり」  こう云って出て行った勝さんの後影を見送った津田にも、もうゆっくりする必要がなかった。彼はすぐ身体を拭いて硝子戸の外へ出た。しかし濡手拭をぶら下げて、風呂場の階子段を上って、そこにある洗面所と姿見の前を通り越して、廊下を一曲り曲ったと思ったら、はたしてどこへ帰っていいのか解らなくなった。 百七十五  最初の彼はほとんど気がつかずに歩いた。これが先刻下女に案内されて通った路なのだろうかと疑う心さえ、淡い夢のように、彼の記憶を暈すだけであった。しかし廊下を踏んだ長さに比較して、なかなか自分の室らしいものの前に出られなかった時に、彼はふと立ちどまった。 「はてな、もっと後かしら。もう少し先かしら」  電灯で照らされた廊下は明るかった。どっちの方角でも行こうとすれば勝手に行かれた。けれども人の足音はどこにも聴えなかった。用事で往来をする下女の姿も見えなかった。手拭と石鹸をそこへ置いた津田は、宅の書斎でお延を呼ぶ時のように手を鳴らして見た。けれども返事はどこからも響いて来なかった。不案内な彼は、第一下女の溜りのある見当を知らなかった。個人の住宅とほとんど区別のつかない、植込の突当りにある玄関から上ったので、勝手口、台所、帳場などの所在は、すべて彼にとっての秘密と何の択ぶところもなかった。  手を鳴らす所作を一二度繰り返して見て、誰も応ずるもののないのを確かめた時、彼は苦笑しながらまた石鹸と手拭を取り上げた。これも一興だという気になった。ぐるぐる廻っているうちには、いつか自分の室の前に出られるだろうという酔興も手伝った。彼は生れて以来旅館における始めての経験を故意に味わう人のような心になってまた歩き出した。  廊下はすぐ尽きた。そこから筋違に二三度上るとまた洗面所があった。きらきらする白い金盥が四つほど並んでいる中へ、ニッケルの栓の口から流れる山水だか清水だか、絶えずざあざあ落ちるので、金盥は四つが四つともいっぱいになっているばかりか、縁を溢れる水晶のような薄い水の幕の綺麗に滑って行く様が鮮やかに眺められた。金盥の中の水は後から押されるのと、上から打たれるのとの両方で、静かなうちに微細な震盪を感ずるもののごとくに揺れた。  水道ばかりを使い慣れて来た津田の眼は、すぐ自分の居場所を彼に忘れさせた。彼はただもったいないと思った。手を出して栓を締めておいてやろうかと考えた時、ようやく自分の迂濶さに気がついた。それと同時に、白い瀬戸張のなかで、大きくなったり小さくなったりする不定な渦が、妙に彼を刺戟した。  あたりは静かであった。膳に向った時下女の云った通りであった。というよりも事実は彼女の言葉を一々首肯って、おおかたこのくらいだろうと暗に想像したよりも遥かに静かであった。客がどこにいるのかと怪しむどころではなく、人がどこにいるのかと疑いたくなるくらいであった。その静かさのうちに電灯は隈なく照り渡った。けれどもこれはただ光るだけで、音もしなければ、動きもしなかった。ただ彼の眼の前にある水だけが動いた。渦らしい形を描いた。そうしてその渦は伸びたり縮んだりした。  彼はすぐ水から視線を外した。すると同じ視線が突然人の姿に行き当ったので、彼ははっとして、眼を据えた。しかしそれは洗面所の横に懸けられた大きな鏡に映る自分の影像に過ぎなかった。鏡は等身と云えないまでも大きかった。少くとも普通床屋に具えつけてあるものぐらいの尺はあった。そうして位地の都合上、やはり床屋のそれのごとくに直立していた。したがって彼の顔、顔ばかりでなく彼の肩も胴も腰も、彼と同じ平面に足を置いて、彼と向き合ったままで映った。彼は相手の自分である事に気がついた後でも、なお鏡から眼を放す事ができなかった。湯上りの彼の血色はむしろ蒼かった。彼にはその意味が解せなかった。久しく刈込を怠った髪は乱れたままで頭に生い被さっていた。風呂で濡らしたばかりの色が漆のように光った。なぜだかそれが彼の眼には暴風雨に荒らされた後の庭先らしく思えた。  彼は眼鼻立の整った好男子であった。顔の肌理も男としてはもったいないくらい濃かに出来上っていた。彼はいつでもそこに自信をもっていた。鏡に対する結果としてはこの自信を確かめる場合ばかりが彼の記憶に残っていた。だからいつもと違った不満足な印象が鏡の中に現われた時に、彼は少し驚ろいた。これが自分だと認定する前に、これは自分の幽霊だという気がまず彼の心を襲った。凄くなった彼には、抵抗力があった。彼は眼を大きくして、なおの事自分の姿を見つめた。すぐ二足ばかり前へ出て鏡の前にある櫛を取上げた。それからわざと落ちついて綺麗に自分の髪を分けた。  しかし彼の所作は櫛を投げ出すと共に尽きてしまった。彼は再び自分の室を探すもとの我に立ち返った。彼は洗面所と向い合せに付けられた階子段を見上げた。そうしてその階子段には一種の特徴のある事を発見した。第一に、それは普通のものより幅が約三分一ほど広かった。第二に象が乗っても音がしまいと思われるくらい巌丈にできていた。第三に尋常のものと違って、擬いの西洋館らしく、一面に仮漆が塗っていた。  胡乱なうちにも、この階子段だけはけっして先刻下りなかったというたしかな記憶が彼にあった。そこを上っても自分の室へは帰れないと気がついた彼は、もう一遍後戻りをする覚悟で、鏡から離れた身体を横へ向け直した。 百七十六  するとその二階にある一室の障子を開けて、開けた後をまた閉て切る音が聴えた。階子段の構えから見ても、上にある室の数は一つや二つではないらしく思われるほど広い建物だのに、今津田の耳に入った音は、手に取るように判切しているので、彼はすぐその確的さの度合から押して、室の距離を定める事ができた。  下から見上げた階子段の上は、普通料理屋の建築などで、人のしばしば目撃するところと何の異なるところもなかった。そこには広い板の間があった。目の届かない幅は問題外として、突き当りを遮ぎる壁を目標に置いて、大凡の見当をつけると、畳一枚を竪に敷くだけの長さは充分あるらしく見えた。この板の間から、廊下が三方へ分れているか、あるいは二方に折れ曲っているか、そこは階段を上らない津田の想像で判断するよりほかに途はないとして、今聴えた障子の音の出所は、一番階段に近い室、すなわち下たから見える壁のすぐ後に違なかった。  ひっそりした中に、突然この音を聞いた津田は、始めて階上にも客のいる事を悟った。というより、彼はようやく人間の存在に気がついた。今までまるで方角違いの刺戟に気を奪られていた彼は驚ろいた。もちろんその驚きは微弱なものであった。けれども性質からいうと、すでに死んだと思ったものが急に蘇った時に感ずる驚ろきと同じであった。彼はすぐ逃げ出そうとした。それは部屋へ帰れずに迷児ついている今の自分に付着する間抜さ加減を他に見せるのが厭だったからでもあるが、実を云うと、この驚ろきによって、多少なりとも度を失なった己れの醜くさを人前に曝すのが恥ずかしかったからでもある。  けれども自然の成行はもう少し複雑であった。いったん歩を回らそうとした刹那に彼は気がついた。 「ことによると下女かも知れない」  こう思い直した彼の度胸はたちまち回復した。すでに驚ろきの上を超える事のできた彼の心には、続いて、なに客でも構わないという余裕が生れた。 「誰でもいい、来たら方角を教えて貰おう」  彼は決心して姿見の横に立ったまま、階子段の上を見つめた。すると静かな足音が彼の予期通り壁の後で聴え出した。その足音は実際静かであった。踵へ跳ね上る上靴の薄い尾がなかったなら、彼はついにそれを聴き逃してしまわなければならないほど静かであった。その時彼の心を卒然として襲って来たものがあった。 「これは女だ。しかし下女ではない。ことによると……」  不意にこう感づいた彼の前に、もしやと思ったその本人が容赦なく現われた時、今しがた受けたより何十倍か強烈な驚ろきに囚われた津田の足はたちまち立ち竦んだ。眼は動かなかった。  同じ作用が、それ以上強烈に清子をその場に抑えつけたらしかった。階上の板の間まで来てそこでぴたりととまった時の彼女は、津田にとって一種の絵であった。彼は忘れる事のできない印象の一つとして、それを後々まで自分の心に伝えた。  彼女が何気なく上から眼を落したのと、そこに津田を認めたのとは、同時に似て実は同時でないように見えた。少くとも津田にはそう思われた。無心が有心に変るまでにはある時がかかった。驚ろきの時、不可思議の時、疑いの時、それらを経過した後で、彼女は始めて棒立になった。横から肩を突けば、指一本の力でも、土で作った人形を倒すよりたやすく倒せそうな姿勢で、硬くなったまま棒立に立った。  彼女は普通の湯治客のする通り、寝しなに一風呂入って温まるつもりと見えて、手に小型のタウエルを提げていた。それから津田と同じようにニッケル製の石鹸入を裸のまま持っていた。棒のように硬く立った彼女が、なぜそれを床の上へ落さなかったかは、後からその刹那の光景を辿るたびに、いつでも彼の記憶中に顔を出したがる疑問であった。  彼女の姿は先刻風呂場で会った婦人ほど縦ままではなかった。けれどもこういう場所で、客同志が互いに黙認しあうだけの自由はすでに利用されていた。彼女は正式に幅の広い帯を結んでいなかった。赤だの青だの黄だの、いろいろの縞が綺麗に通っている派手な伊達巻を、むしろずるずるに巻きつけたままであった。寝巻の下に重ねた長襦袢の色が、薄い羅紗製の上靴を突かけた素足の甲を被っていた。  清子の身体が硬くなると共に、顔の筋肉も硬くなった。そうして両方の頬と額の色が見る見るうちに蒼白く変って行った。その変化がありありと分って来た中頃で、自分を忘れていた津田は気がついた。 「どうかしなければいけない。どこまで蒼くなるか分らない」  津田は思い切って声をかけようとした。するとその途端に清子の方が動いた。くるりと後を向いた彼女は止まらなかった。津田を階下に残したまま、廊下を元へ引き返したと思うと、今まで明らかに彼女を照らしていた二階の上り口の電灯がぱっと消えた。津田は暗闇の中で開けるらしい障子の音をまた聴いた。同時に彼の気のつかなかった、自分の立っているすぐ傍の小さな部屋で呼鈴の返しの音がけたたましく鳴った。  やがて遠い廊下をぱたぱた馳けて来る足音が聴こえた。彼はその足音の主を途中で喰いとめて、清子の用を聴きに行く下女から自分の室の在所を教えて貰った。 百七十七  その晩の津田はよく眠れなかった。雨戸の外でするさらさらいう音が絶えず彼の耳に付着した。それを離れる事のできない彼は疑った。雨が来たのだろうか、谿川が軒の近くを流れているのだろうか。雨としては庇に響がないし、谿川としては勢が緩漫過ぎるとまで考えた彼の頭は、同時にそれより遥か重大な主題のために悩まされていた。  彼は室に帰ると、いつの間にか気を利かせた下女の暖かそうに延べておいてくれた床を、わが座敷の真中に見出したので、すぐその中へ潜り込んだまま、偶然にも今自分が経過して来た冒険について思い耽ったのである。  彼はこの宵の自分を顧りみて、ほとんど夢中歩行者のような気がした。彼の行為は、目的もなく家中彷徨き廻ったと一般であった。ことに階子段の下で、静中に渦を廻転させる水を見たり、突然姿見に映る気味の悪い自分の顔に出会ったりした時は、事後一時間と経たない近距離から判断して見ても、たしかに常軌を逸した心理作用の支配を受けていた。常識に見捨てられた例の少ない彼としては珍らしいこの気分は、今床の中に安臥する彼から見れば、恥ずべき状態に違なかった。しかし外聞が悪いという事をほかにして、なぜあんな心持になったものだろうかと、ただその原因を考えるだけでも、説明はできなかった。  それはそれとして、なぜあの時清子の存在を忘れていたのだろうという疑問に推し移ると、津田は我ながら不思議の感に打たれざるを得なかった。 「それほど自分は彼女に対して冷淡なのだろうか」  彼は無論そうでないと信じていた。彼は食事の時、すでに清子のいる方角を、下女から教えて貰ったくらいであった。 「しかしお前はそれを念頭に置かなかったろう」  彼は実際廊下をうろうろ歩行いているうちに、清子をどこかへふり落した。けれども自分のどこを歩いているか知らないものが、他がどこにいるか知ろうはずはなかった。 「この見当だと心得てさえいたならば、ああ不意打を食うんじゃなかったのに」  こう考えた彼は、もう第一の機会を取り逃したような気がした。彼女が後を向いた様子、電気を消して上り口の案内を閉塞した所作、たちまち下女を呼び寄せるために鳴らした電鈴の音、これらのものを綜合して考えると、すべてが警戒であった。注意であった。そうして絶縁であった。  しかし彼女は驚ろいていた。彼よりも遥か余計に驚ろいていた。それは単に女だからとも云えた。彼には不意の裡に予期があり、彼女には突然の中にただ突然があるだけであったからとも云えた。けれども彼女の驚ろきはそれで説明し尽せているだろうか。彼女はもっと複雑な過去を覿面に感じてはいないだろうか。  彼女は蒼くなった。彼女は硬くなった。津田はそこに望みを繋いだ。今の自分に都合の好いようにそれを解釈してみた。それからまたその解釈を引繰返して、反対の側からも眺めてみた。両方を眺め尽した次にはどっちが合理的だろうという批判をしなければならなくなった。その批判は材料不足のために、容易に纏まらなかった。纏ってもすぐ打ち崩された。一方に傾くと彼の自信が壊しに来た。他方に寄ると幻滅の半鐘が耳元に鳴り響いた。不思議にも彼の自信、卑下して用いる彼自身の言葉でいうと彼の己惚は、胸の中にあるような気がした。それを攻めに来る幻滅の半鐘はまた反対にいつでも頭の外から来るような心持がした。両方を公平に取扱かっているつもりでいながら、彼は常に親疎の区別をその間に置いていた。というよりも、遠近の差等が自然天然属性として二つのものに元から具わっているらしく見えた。結果は分明であった。彼は叱りながら己惚の頭を撫でた。耳を傾けながら、半鐘の音を忌んだ。  かくして互いに追つ追われつしている彼の心に、静かな眠は来ようとしても来られなかった。万事を明日に譲る覚悟をきめた彼は、幾度かそれを招き寄せようとして失敗ったあげく、右を向いたり、左を下にしたり、ただ寝返りの数を重ねるだけであった。  彼は煙草へ火を点けようとして枕元にある燐寸を取った。その時袖畳みにして下女が衣桁へかけて行った袍が眼に入った。気がついて見ると、お延の鞄へ入れてくれたのはそのままにして、先刻宿で出したのを着たなり、自分は床の中へ入っていた。彼は病院を出る時、新調の袍に対してお延に使ったお世辞をたちまち思い出した。同時にお延の返事も記憶の舞台に呼び起された。 「どっちが好いか比べて御覧なさい」  袍ははたして宿の方が上等であった。銘仙と糸織の区別は彼の眼にも一目瞭然であった。袍を見較べると共に、細君を前に置いて、内々心の中で考えた当時の事が再び意識の域上に現われた。 「お延と清子」  独りこう云った彼はたちまち吸殻を灰吹の中へ打ち込んで、その底から出るじいという音を聴いたなり、すぐ夜具を頭から被った。  強いて寝ようとする決心と努力は、その決心と努力が疲れ果ててどこかへ行ってしまった時に始めて酬いられた。彼はとうとう我知らず夢の中に落ち込んだ。 百七十八  朝早く男が来て雨戸を引く音のために、いったん破りかけられたその夢は、半醒半睡の間に、辛うじて持続した。室の四角が寝ていられないほど明るくなって、外部に朝日の影が充ち渡ると思う頃、始めて起き上った津田の瞼はまだ重かった。彼は楊枝を使いながら障子を開けた。そうして昨夜来の魔境から今ようやく覚醒した人のような眼を放って、そこいらを見渡した。  彼の室の前にある庭は案外にも山里らしくなかった。不規則な池を人工的に拵えて、その周囲に稚い松だの躑躅だのを普通の約束通り配置した景色は平凡というよりむしろ卑俗であった。彼の室に近い築山の間から、谿水を導いて小さな滝を池の中へ落している上に、高くはないけれども、一度に五六筋の柱を花火のように吹き上げる噴水まで添えてあった。昨夜彼の睡眠を悩ました細工の源を、苦笑しながら明らさまに見た時、彼の聯想はすぐこの水音以上に何倍か彼を苦しめた清子の方へ推し移った。大根を洗えばそれもこの噴水同様に殺風景なものかも知れない、いやもしそれがこの噴水同様に無意味なものであったらたまらないと彼は考えた。  彼が銜え楊枝のまま懐手をして敷居の上にぼんやり立っていると、先刻から高箒で庭の落葉を掃いていた男が、彼の傍へ寄って来て丁寧に挨拶をした。 「お早う、昨夜はお疲れさまで」 「君だったかね、昨夕馬車へ乗ってここまでいっしょに来てくれたのは」 「へえ、お邪魔様で」 「なるほど君の云った通り閑静だね。そうしてむやみに広い家だね」 「いえ、御覧の通り平地の乏しい所でげすから、地ならしをしてはその上へ建て建てして、家が幾段にもなっておりますので、――廊下だけは仰せの通りむやみに広くって長いかも知れません」 「道理で。昨夕僕は風呂場へ行った帰りに迷児になって弱ったよ」 「はあ、そりゃ」  二人がこんな会話を取り換わせている間に、庭続の小山の上から男と女がこれも二人づれで下りて来た。黄葉と枯枝の隙間を動いてくる彼らの路は、稲妻形に林の裡を抜けられるように、また比較的急な勾配を楽に上られるように、作ってあるので、ついそこに見えている彼らの姿もなかなか庭先まで出るのに暇がかかった。それでも手代はじっとして彼らを待っていなかった。たちまち津田を放り出した現金な彼は、すぐ岡の裾まで駈け出して行って、下から彼らを迎いに来たような挨拶を与えた。  津田はこの時始めて二人の顔をよく見た。女は昨夕艶めかしい姿をして、彼の浴室の戸を開けた人に違なかった。風呂場で彼を驚ろかした大きな髷をいつの間にか崩して、尋常の束髪に結い更えたので、彼はつい同じ人と気がつかずにいた。彼はさらに声を聴いただけで顔を知らなかった伴の男の方を、よそながらの初対面といった風に、女と眺め比べた。短かく刈り込んだ当世風の髭を鼻の下に生やしたその男は、なるほど風呂番の云った通り、どこかに商人らしい面影を宿していた。津田は彼の顔を見るや否や、すぐお秀の夫を憶い出した。堀庄太郎、もう少し略して堀の庄さん、もっと詰めて当人のしばしば用いる堀庄という名前が、いかにも妹婿の様子を代表しているごとく、この男の名前もきっとその髭を虐殺するように町人染みていはしまいかと思われた。瞥見のついでに纏められた津田の想像はここにとどまらなかった。彼はもう一歩皮肉なところまで切り込んで、彼らがはたして本当の夫婦であるかないかをさえ疑問の中に置いた。したがって早起をして食前浴後の散歩に出たのだと明言する彼らは、津田にとっての違例な現象にほかならなかった。彼は楊枝で歯を磨りながらまだ元の所に立っていた。彼がよそ見をしているにもかかわらず、番頭を相手に二人のする談話はよく聴えた。  女は番頭に訊いた。 「今日は別館の奥さんはどうかなすって」  番頭は答えた。 「いえ、手前はちっとも存じませんが、何か――」 「別に何って事もないんですけれどもね、いつでも朝風呂場でお目にかかるのに、今日はいらっしゃらなかったから」 「はあさようで――、ことによるとまだお休みかも知れません」 「そうかも知れないわね。だけどいつでも両方の時間がちゃんときまってるのよ、朝お風呂に行く時の」 「へえ、なるほど」 「それに今朝ごいっしょに裏の山へ散歩に参りましょうってお約束をしたもんですからね」 「じゃちょっと伺って参りましょう」 「いいえ、もういいのよ。散歩はこの通り済んじまったんだから。ただもしやどこかお加減でも悪いのじゃないかしらと思って、ちょっと番頭さんに訊いてみただけよ」 「多分ただのお休みだろうと思いますが、それとも――」 「それともなんて、そう真面目くさらなくってもいいのよ。ただ訊いてみただけなんだから」  二人はそれぎり行き過ぎた。津田は歯磨粉で口中をいっぱいにしながら、また昨夜の風呂場を探しに廊下へ出た。 百七十九  しかし探すなどという大袈裟な言葉は、今朝の彼にとって全く無用であった。路に曲折の難はあったにせよ、一足の無駄も踏まずに、自然昨夜の風呂場へ下りられた時、彼の腹には、夜来の自分を我ながら馬鹿馬鹿しいと思う心がさらに新らしく湧いて出た。  風呂場には軒下に篏めた高い硝子戸を通して、秋の朝日がかんかん差し込んでいた。その硝子戸越に岩だか土堤だかの片影を、近く頭の上に見上げた彼は、全身を温泉に浸けながら、いかに浴槽の位置が、大地の平面以下に切り下げられているかを発見した。そうしてこの崖と自分のいる場所との間には、高さから云ってずいぶんの相違があると思った。彼は目分量でその距離を一間半乃至二間と鑑定した後で、もしこの下にも古い風呂場があるとすれば、段々が一つ家の中に幾層もあるはずだという事に気がついた。  崖の上には石蕗があった。あいにくそこに朝日が射していないので、時々風に揺れる硬く光った葉の色が、いかにも寒そうに見えた。山茶花の花の散って行く様も湯壺から眺められた。けれども景色は断片的であった。硝子戸の長さの許す二尺以外は、上下とも全く津田の眼に映らなかった。不可知な世界は無論平凡に違なかった。けれどもそれがなぜだか彼の好奇心を唆った。すぐ崖の傍へ来て急に鳴き出したらしい鵯も、声が聴えるだけで姿の見えないのが物足りなかった。  しかしそれはほんのつけたりの物足りなさであった。実を云うと、津田は腹のうちで遥かそれ以上気にかかる事件を捏ね返していたので、彼は風呂場へ下りた時からすでにある不足を暗々のうちに感じなければならなかった。明るい浴室に人影一つ見出さなかった彼は、万事君の跋扈に任せるといった風に寂寞を極めた建物の中に立って、廊下の左右に並んでいる小さい浴槽の戸を、念のため一々開けて見た。もっともこれはそのうちの一つの入口に、スリッパーが脱ぎ棄ててあったのが、彼に或暗示を与えたので、それが機縁になって、彼を動かした所作に過ぎないとも云えば云えない事もなかった。だから順々に戸を開けた手の番が廻って来て、いよいよスリッパーの前に閉て切られた戸にかかった時、彼は急に躊躇した。彼は固より無心ではなかった。その上失礼という感じがどこかで手伝った。仕方なしに外部から耳を峙てたけれども、中は森としているので、それに勢を得た彼の手は、思い切ってがらりと戸を開ける事ができた。そうしてほかと同じように空虚な浴室が彼の前に見出された時に、まあよかったという感じと、何だつまらないという失望が一度に彼の胸に起った。  すでに裸になって、湯壺の中に浸った後の彼には、この引続きから来る一種の予期が絶えず働らいた。彼は苦笑しながら、昨夕と今朝の間に自分の経過した変化を比較した。昨夕の彼は丸髷の女に驚ろかされるまではむしろ無邪気であった。今朝の彼はまだ誰も来ないうちから一種の待ち設けのために緊張を感じていた。  それは主のないスリッパーに唆のかされた罪かも知れなかった。けれどもスリッパーがなぜ彼を唆のかしたかというと、寝起に横浜の女と番頭の噂さに上った清子の消息を聴かされたからであった。彼女はまだ起きていなかった。少くともまだ湯に入っていなかった。もし入るとすれば今入っているか、これから入りに来るかどっちかでなければならなかった。  鋭敏な彼の耳は、ふと誰か階段を下りて来るような足音を聴いた。彼はすぐじゃぶじゃぶやる手を止めた。すると足音は聴えなくなった。しかし気のせいかいったんとまったその足音が今度は逆に階段を上って行くように思われた。彼はその源因を想像した。他の例にならって、自分のスリッパーを戸の前に脱ぎ捨てておいたのが悪くはなかったろうかと考えた。なぜそれを浴室の中まで穿き込まなかったのだろうかという後悔さえ萌した。  しばらくして彼はまた意外な足音を今度は浴槽の外側に聞いた。それは彼が石蕗の花を眺めた後、鵯鳥の声を聴いた前であった。彼の想像はすぐ前後の足音を結びつけた。風呂場を避けた前の足音の主が、わざと外へ出たのだという解釈が容易に彼に与えられた。するとたちまち女の声がした。しかしそれは足音と全く別な方角から来た。下から見上げた外部の様子によって考えると、崖の上は幾坪かの平地で、その平地を前に控えた一棟の建物が、風呂場の方を向いて建てられているらしく思われた。何しろ声はそっちの見当から来た。そうしてその主は、たしかに先刻散歩の帰りに番頭と清子の話をした女であった。  昨夕湯気を抜くために隙かされた庇の下の硝子戸が今日は閉て切られているので、彼女の言葉は明かに津田の耳に入らなかった。けれども語勢その他から推して、一事はたしかであった。彼女は崖の上から崖の下へ向けて話しかけていた。だから順序を云えば、崖の下からも是非受け応えの挨拶が出なければならないはずであった。ところが意外にもその方はまるで音沙汰なしで、互い違いに起る普通の会話はけっして聴かれなかった。しゃべる方はただ崖の上に限られていた。  その代り足音だけは先刻のようにとまらなかった。疑いもなく一人の女が庭下駄で不規則な石段を踏んで崖を上って行った。それが上り切ったと思う頃に、足を運ぶ女の裾が硝子戸の上部の方に少し現われた。そうしてすぐ消えた。津田の眼に残った瞬間の印象は、ただうつくしい模様の翻がえる様であった。彼は動き去ったその模様のうちに、昨夕階段の下から見たと同じ色を認めたような気がした。 百八十  室に帰って朝食の膳に着いた時、彼は給仕の下女と話した。 「浜のお客さんのいる所は、新らしい風呂場から見える崖の上だろう」 「ええ。あちらへ行って御覧になりましたか」 「いいや、おおかたそうだろうと思っただけさ」 「よく当りましたね。ちとお遊びにいらっしゃいまし、旦那も奥さんも面白い方です。退屈だ退屈だって毎日困ってらっしゃるんです」 「よっぽど長くいるのかい」 「ええもう十日ばかりになるでしょう」 「あれだね、義太夫をやるってえのは」 「ええ、よく御存じですね、もうお聴きになりましたか」 「まだだよ。ただ勝さんに教わっただけだ」  彼が聴くがままに、二人についての知識を惜気もなく供給した下女は、それでも分も心得ていた。急所へ来るとわざと津田の問を外した。 「時にあの女の人はいったい何だね」 「奥さんですよ」 「本当の奥さんかね」 「ええ、本当の奥さんでしょう」と云った彼女は笑い出した。「まさか嘘の奥さんてのもないでしょう、なぜですか」 「なぜって、素人にしちゃあんまり粋過ぎるじゃないか」  下女は答える代りに、突然清子を引合に出した。 「もう一人奥にいらっしゃる奥さんの方がお人柄です」  間取の関係から云って、清子の室は津田の後、二人づれの座敷は津田の前に当った。両方の中間に自分を見出した彼はようやく首肯いた。 「するとちょうど真中辺だね、ここは」  真中でも室が少し折れ込んでいるので、両方の通路にはなっていなかった。 「その奥さんとあの二人のお客とは友達なのかい」 「ええ御懇意です」 「元から?」 「さあどうですか、そこはよく存じませんが、――おおかたここへいらしってからお知合におなんなすったんでしょう。始終行ったり来たりしていらっしゃいます、両方ともお閑なもんですから。昨日も公園へいっしょにお出かけでした」  津田は問題を取り逃がさないようにした。 「その奥さんはなぜ一人でいるんだね」 「少し身体がお悪いんです」 「旦那さんは」 「いらっしゃる時は旦那さまもごいっしょでしたが、すぐお帰りになりました」 「置いてきぼりか、そりゃひどいな。それっきり来ないのかい」 「何でも近いうちにまたいらっしゃるとかいう事でしたが、どうなりましたか」 「退屈だろうね、奥さんは」 「ちと話しに行って、お上げになったらいかがです」 「話しに行ってもいいかね、後で聴いといてくれたまえ」 「へえ」と答えた下女はにやにや笑うだけで本気にしなかった。津田はまた訊いた。 「何をして暮しているのかね、その奥さんは」 「まあお湯に入ったり、散歩をしたり、義太夫を聴かされたり、――時々は花なんかお活けになります、それから夜よく手習をしていらっしゃいます」 「そうかい。本は?」 「本もお読みになるでしょう」と中途半端に答えた彼女は、津田の質問があまり煩瑣にわたるので、とうとうあははと笑い出した。津田はようやく気がついて、少し狼狽たように話を外らせた。 「今朝風呂場へスリッパーを忘れていったものがあるね、塞がってるのかと思ってはじめは遠慮していたが、開けて見たら誰もいなかったよ」 「おやそうですか、じゃまたあの先生でしょう」  先生というのは書の専門家であった。方々にかかっている額や看板でその落を覚えていた津田は「へええ」と云った。 「もう年寄だろうね」 「ええお爺さんです。こんなに白い髯を生やして」  下女は胸のあたりへ自分の手をやって書家に相応わしい髯の長さを形容して見せた。 「なるほど。やっぱり字を書いてるのかい」 「ええ何だかお墓に彫りつけるんだって、大変大きなものを毎日少しずつ書いていらっしゃいます」  書家はその墓碑銘を書くのが目的で、わざわざここへ来たのだと下女から聴かされた時、津田は驚ろいて感心した。 「あんなものを書くのにも、そんなに骨が折れるのかなあ。素人は半日ぐらいで、すぐ出来上りそうに考えてるんだが」  この感想は全く下女に響かなかった。しかし津田の胸には口へ出して云わないそれ以上の或物さえあった。彼は暗にこの老先生の用向と自分の用向とを見較べた。無事に苦しんで義太夫の稽古をするという浜の二人をさらにその傍に並べて見た。それから何の意味とも知れず花を活けたり手習をしたりするらしい清子も同列に置いて考えた。最後に、残る一人の客、その客は話もしなければ運動もせず、ただぽかんと座敷に坐って山を眺めているという下女の観察を聴いた時、彼は云った。 「いろんな人がいるんだね。五六人寄ってさえこうなんだから。夏や正月になったら大変だろう」 「いっぱいになるとどうしても百三四十人は入りますからね」  津田の意味をよく了解しなかったらしい下女は、ただ自分達の最も多忙を極めなければならない季節に、この家へ入り込んでくる客の人数を挙げた。 百八十一  食後の津田は床の脇に置かれた小机の前に向った。下女に頼んで取り寄せた絵端書へ一口ずつ文句を書き足して、その表へ名宛を記した。お延へ一枚、藤井の叔父へ一枚、吉川夫人へ一枚、それで必要な分は済んでしまったのに、下女の持って来た絵端書はまだ幾枚も余っていた。  彼は漫然と万年筆を手にしたまま、不動の滝だの、ルナ公園だのと、山里に似合わない変な題を付けた地方的の景色をぼんやり眺めた。それからまた印気を走らせた。今度はお秀の夫と京都にいる両親宛の分がまたたく間に出来上った。こう書き出して見ると、ついでだからという気も手伝って、ありたけの絵端書をみんな使ってしまわないと義理が悪いようにも思われた。最初は考えていなかった岡本だの、岡本の子供の一だの、その一の学校友達という連想から、また自分の親戚の方へ逆戻りをして、甥の真事だの、いろいろな名がたくさん並べられた。初手から気がついていながら、最後まで名を書かなかったのは小林だけであった。他の意味は別として、ただ在所を嗅ぎつけられるという恐れから、津田はどうしてもこの旅行先を彼に知らせたくなかったのである。その小林は不日朝鮮へ行くべき人であった。無検束をもって自ら任ずる彼は、海を渡る覚悟ですでにもう汽車に揺られているかも知れなかった。同時に不規律な彼はまた出立と公言した日が来ても動かずにいないとも限らなかった。絵端書を見て、(もし津田がそれを出すとすると、)すぐここへやって来ないという事はけっして断言できなかった。  津田は陰晴定めなき天気を相手にして戦うように厄介なこの友達、もっと適切にいうとこの敵、の事を考えて、思わず肩を峙だてた。するといったん緒口の開いた想像の光景はそこでとまらなかった。彼を拉してずんずん先へ進んだ。彼は突然玄関へ馬車を横付にする、そうして怒鳴り込むような大きな声を出して彼の室へ入ってくる小林の姿を眼前に髣髴した。 「何しに来た」 「何しにでもない、貴様を厭がらせに来たんだ」 「どういう理由で」 「理由も糸瓜もあるもんか。貴様がおれを厭がる間は、いつまで経ってもどこへ行っても、ただ追かけるんだ」 「畜生ッ」  津田は突然拳を固めて小林の横ッ面を撲らなければならなかった。小林は抵抗する代りに、たちまち大の字になって室の真中へ踏ん反り返らなければならなかった。 「撲ったな、この野郎。さあどうでもしろ」  まるで舞台の上でなければ見られないような活劇が演ぜられなければならなかった。そうしてそれが宿中の視聴を脅かさなければならなかった。その中には是非とも清子が交っていなければならなかった。万事は永久に打ち砕かれなければならなかった。  事実よりも明暸な想像の一幕を、描くともなく頭の中に描き出した津田は、突然ぞっとして我に返った。もしそんな馬鹿げた立ち廻りが実際生活の表面に現われたらどうしようと考えた。彼は羞恥と屈辱を遠くの方に感じた。それを象徴するために、頬の内側が熱って来るような気さえした。  しかし彼の批判はそれぎり先へ進めなかった。他に対して面目を失う事、万一そんな不始末をしでかしたら大変だ。これが彼の倫理観の根柢に横わっているだけであった。それを切りつめると、ついに外聞が悪いという意味に帰着するよりほかに仕方がなかった。だから悪い奴はただ小林になった。 「おれに何の不都合がある。彼奴さえいなければ」  彼はこう云って想像の幕に登場した小林を責めた。そうして自分を不面目にするすべての責任を相手に背負わせた。  夢のような罪人に宣告を下した後の彼は、すぐ心の調子を入れ代えて、紙入の中から一枚の名刺を出した。その裏に万年筆で、「僕は静養のため昨夜ここへ来ました」と書いたなり首を傾けた。それから「あなたがおいでの事を今朝聴きました」と付け足してまた考えた。 「これじゃ空々しくっていけない、昨夜会った事も何とか書かなくっちゃ」  しかし当り障りのないようにそこへ触れるのはちょっと困難であった。第一書く事が複雑になればなるほど、文字が多くなって一枚の名刺では事が足りなくなるだけであった。彼はなるべく淡泊した口上を伝えたかった。したがって小面倒な封書などは使いたくなかった。  思いついたように違い棚の上を眺めた彼は、まだ手をつけなかった吉川夫人の贈物が、昨日のままでちゃんと載せてあるのを見て、すぐそれを下へ卸した。彼は果物籃の葢の間へ、「御病気はいかがですか。これは吉川の奥さんからのお見舞です」と書いた名刺を挿し込んだ後で、下女を呼んだ。 「宅に関さんという方がおいでだろう」  今朝給仕をしたのと同じ下女は笑い出した。 「関さんが先刻お話した奥さんの事ですよ」 「そうか。じゃその奥さんでいいから、これを持って行って上げてくれ。そうしてね、もしお差支えがなければちょっとお目にかかりたいって」 「へえ」  下女はすぐ果物籃を提げて廊下へ出た。 百八十二  返事を待ち受ける間の津田は居据りの悪い置物のように落ちつかなかった。ことにすぐ帰って来べきはずの下女が思った通りすぐ帰って来ないので、彼はなおの事心を遣った。 「まさか断るんじゃあるまいな」  彼が吉川夫人の名を利用したのは、すでに万一を顧慮したからであった。夫人とそうして彼女の見舞品、この二つは、それを届ける津田に対して、清子の束縛を解く好い方便に違なかった。単に彼と応接する煩わしさ、もしくはそれから起り得る嫌疑を避けようとするのが彼女の当体であったにしたところで、果物籃の礼はそれを持って来た本人に会って云うのが、順であった。誰がどう考えても無理のない名案を工夫したと信ずるだけに、下女の遅いのを一層苦にしなければならなかった彼は、ふかしかけた煙草を捨てて、縁側へ出たり、何のためとも知れず、黙って池の中を動いている緋鯉を眺めたり、そこへしゃがんで、軒下に寝ている犬の鼻面へ手を延ばして見たりした。やっとの事で、下女の足音が廊下の曲り角に聴えた時に、わざと取り繕った余裕を外側へ示したくなるほど、彼の心はそわそわしていた。 「どうしたね」 「お待遠さま。大変遅かったでしょう」 「なにそうでもないよ」 「少しお手伝いをしていたもんですから」 「何の?」 「お部屋を片づけてね、それから奥さんの御髪を結って上げたんですよ。それにしちゃ早いでしょう」  津田は女の髷がそんなに雑作なく結える訳のものでないと思った。 「銀杏返しかい、丸髷かい」  下女は取り合わずにただ笑い出した。 「まあ行って御覧なさい」 「行って御覧なさいって、行っても好いのかい。その返事を先刻からこうして待ってるんじゃないか」 「おやどうもすみません、肝心のお返事を忘れてしまって。――どうぞおいで下さいましって」  やっと安心した津田は、立上りながらわざと冗談半分に駄目を押した。 「本当かい。迷惑じゃないかね。向へ行ってから気の毒な思いをさせられるのは厭だからね」 「旦那様はずいぶん疑り深い方ですね。それじゃ奥さんもさぞ――」 「奥さんとは誰だい、関の奥さんかい、それとも僕の奥さんかい」 「どっちだか解ってるじゃありませんか」 「いや解らない」 「そうでございますか」  兵児帯を締め直した津田の後ろへ廻った下女は、室を出ようとする背中から羽織をかけてくれた。 「こっちかい」 「今御案内を致します」  下女は先へ立った。夢遊病者として昨夕彷徨った記憶が、例の姿見の前へ出た時、突然津田の頭に閃めいた。 「ああここだ」  彼は思わずこう云った。事情を知らない下女は無邪気に訊き返した。 「何がです」  津田はすぐごまかした。 「昨夕僕が幽霊に出会ったのはここだというのさ」  下女は変な顔をした。 「馬鹿をおっしゃい。宅に幽霊なんか出るもんですか。そんな事をおっしゃると――」  客商売をする宿に対して悪い洒落を云ったと悟った津田は、賢こく二階を見上げた。 「この上だろう、関さんのお室は」 「ええ、よく知ってらっしゃいますね」 「うん、そりゃ知ってるさ」 「天眼通ですね」 「天眼通じゃない、天鼻通と云って万事鼻で嗅ぎ分けるんだ」 「まるで犬見たいですね」  階子段の途中で始まったこの会話は、上り口の一番近くにある清子の部屋からもう聴き取れる距離にあった。津田は暗にそれを意識した。 「ついでに僕が関さんの室を嗅ぎ分けてやるから見ていろ」  彼は清子の室の前へ来て、ぱたりとスリッパーの音を止めた。 「ここだ」  下女は横眼で津田の顔を睨めるように見ながら吹き出した。 「どうだ当ったろう」 「なるほどあなたの鼻はよく利きますね。猟犬よりたしかですよ」  下女はまた面白そうに笑ったが、室の中からはこの賑やかさに対する何の反応も出て来なかった。人がいるかいないかまるで分らない内側は、始めと同じように索寞していた。 「お客さまがいらっしゃいました」  下女は外部から清子に話しかけながら、建てつけの好い障子をすうと開けてくれた。 「御免下さい」  一言の挨拶と共に室の中に入った津田はおやと思った。彼は自分の予期通り清子をすぐ眼の前に見出し得なかった。 百八十三  室は二間続きになっていた。津田の足を踏み込んだのは、床のない控えの間の方であった。黒柿の縁と台の付いた長方形の鏡の前に横竪縞の厚い座蒲団を据えて、その傍に桐で拵らえた小型の長火鉢が、普通の家庭に見る茶の間の体裁を、小規模ながら髣髴せしめた。隅には黒塗の衣桁があった。異性に附着する花やかな色と手触りの滑こそうな絹の縞が、折り重なってそこに投げかけられていた。  間の襖は開け放たれたままであった。津田は正面に当る床の間に活立らしい寒菊の花を見た。前には座蒲団が二つ向い合せに敷いてあった。濃茶に染めた縮緬のなかに、牡丹か何かの模様をたった一つ丸く白に残したその敷物は、品柄から云っても、また来客を待ち受ける準備としても、物々しいものであった。津田は席につかない先にまず直感した。 「すべてが改まっている。これが今日会う二人の間に横わる運命の距離なのだろう」  突然としてここに気のついた彼は、今この室へ入り込んで来た自分をとっさに悔いようとした。  しかしこの距離はどこから起ったのだろう? 考えれば起るのが当り前であった。津田はただそれを忘れていただけであった。では、なぜそれを忘れていたのだろう? 考えれば、これも忘れているのが当り前かも知れなかった。  津田がこんな感想に囚えられて、控の間に立ったまま、室を出るでもなし、席につくでもなし、うっかり眼前の座蒲団を眺めている時に、主人側の清子は始めてその姿を縁側の隅から現わした。それまで彼女がそこで何をしていたのか、津田にはいっこう解せなかった。また何のために彼女がわざわざそこへ出ていたのか、それも彼には通じなかった。あるいは室を片づけてから、彼の来るのを待ち受ける間、欄干の隅に倚りかかりでもして、山に重なる黄葉の色でも眺めていたのかも知れなかった。それにしても様子が変であった。有体に云えば、客を迎えるというより偶然客に出喰わしたというのが、この時の彼女の態度を評するには適当な言葉であった。  しかし不思議な事に、この態度は、しかつめらしく彼の着席を待ち受ける座蒲団や、二人の間を堰くためにわざと真中に置かれたように見える角火鉢ほど彼の気色に障らなかった。というのは、それが元から彼の頭に描き出されている清子と、全く釣り合わないまでにかけ離れた態度ではなかったからである。  津田の知っている清子はけっしてせせこましい女でなかった。彼女はいつでも優悠していた。どっちかと云えばむしろ緩漫というのが、彼女の気質、またはその気質から出る彼女の動作について下し得る特色かも知れなかった。彼は常にその特色に信を置いていた。そうしてその特色に信を置き過ぎたため、かえって裏切られた。少くとも彼はそう解釈した。そう解釈しつつも当時に出来上った信はまだ不自覚の間に残っていた。突如として彼女が関と結婚したのは、身を翻がえす燕のように早かったかも知れないが、それはそれ、これはこれであった。二つのものを結びつけて矛盾なく考えようとする時、悩乱は始めて起るので、離して眺めれば、甲が事実であったごとく、乙もやッぱり本当でなければならなかった。 「あの緩い人はなぜ飛行機へ乗った。彼はなぜ宙返りを打った」  疑いはまさしくそこに宿るべきはずであった。けれども疑おうが疑うまいが、事実はついに事実だから、けっしてそれ自身に消滅するものでなかった。  反逆者の清子は、忠実なお延よりこの点において仕合せであった。もし津田が室に入って来た時、彼の気合を抜いて、間の合わない時分に、わざと縁側の隅から顔を出したものが、清子でなくって、お延だったなら、それに対する津田の反応ははたしてどうだろう。 「また何か細工をするな」  彼はすぐこう思うに違なかった。ところがお延でなくって、清子によって同じ所作が演ぜられたとなると結果は全然別になった。 「相変らず緩漫だな」  緩漫と思い込んだあげく、現に眼覚しい早技で取って投げられていながら、津田はこう評するよりほかに仕方がなかった。  その上清子はただ間を外しただけではなかった。彼女は先刻津田が吉川夫人の名前で贈りものにした大きな果物籃を両手でぶら提げたまま、縁側の隅から出て来たのである。どういうつもりか、今までそれを荷厄介にしているという事自身が、津田に対しての冷淡さを示す度盛にならないのは明かであった。それからその重い物を今まで縁側の隅で持っていたとすれば無論、いったん下へ置いてさらに取り上げたと解釈しても、彼女の所作は変に違なかった。少くとも不器用であった。何だか子供染みていた。しかし彼女の平生をよく知っている津田は、そこにいかにも清子らしい或物を認めざるを得なかった。 「滑稽だな。いかにもあなたらしい滑稽だ。そうしてあなたはちっともその滑稽なところに気がついていないんだ」  重そうに籃を提げている清子の様子を見た津田は、ほとんどこう云いたくなった。 百八十四  すると清子はその籃をすぐ下女に渡した。下女はどうしていいか解らないので、器械的に手を出してそれを受取ったなり、黙っていた。この単純な所作が双方の間に行われるあいだ、津田は依然として立っていなければならなかった。しかし普通の場合に起る手持無沙汰の感じの代りに、かえって一種の気楽さを味わった彼には何の苦痛も来ずにすんだ。彼はただ間の延びた挙動の引続きとして、平生の清子と矛盾しない意味からそれを眺めた。だから昨夜の記憶からくる不審も一倍に強かった。この逼らない人が、どうしてあんなに蒼くなったのだろう。どうしてああ硬く見えたのだろう。あの驚ろき具合とこの落ちつき方、それだけはどう考えても調和しなかった。彼は夜と昼の区別に生れて初めて気がついた人のような心持がした。  彼は招ぜられない先に、まず自分から設けの席に着いた。そうして立ちながら果物を皿に盛るべく命じている清子を見守った。 「どうもお土産をありがとう」  これが始めて彼女の口を洩れた挨拶であった。話頭はそのお土産を持って来た人から、その土産をくれた人の好意に及ばなければならなかった。もとより嘘を吐く覚悟で吉川夫人の名前を利用したその時の津田には、もうごまかすという意識すらなかった。 「道伴になったお爺さんに、もう少しで蜜柑をやっちまうところでしたよ」 「あらどうして」  津田は何と答えようが平気であった。 「あんまり重くって荷になって困るからです」 「じゃ来る途中始終手にでも提げていらしったの」  津田にはこの質問がいかにも清子らしく無邪気に聴えた。 「馬鹿にしちゃいけません。あなたじゃあるまいし、こんなものを提げて、縁側をあっちへ行ったりこっちへ来たりしていられるもんですか」  清子はただ微笑しただけであった。その微笑には弁解がなかった。云い換えれば一種の余裕があった。嘘から出立した津田の心はますます平気になるばかりであった。 「相変らずあなたはいつでも苦がなさそうで結構ですね」 「ええ」 「ちっとももとと変りませんね」 「ええ、だって同なじ人間ですもの」  この挨拶を聞くと共に、津田は急に何か皮肉を云いたくなった。その時皿の中へ問題の蜜柑を盛り分けていた下女が突然笑い出した。 「何を笑うんだ」 「でも、奥さんのおっしゃる事がおかしいんですもの」と弁解した彼女は、真面目な津田の様子を見て、後からそれを具体的に説明すべく余儀なくされた。 「なるほど、そうに違いございませんね。生きてるうちはどなたも同なじ人間で、生れ変りでもしなければ、誰だって違った人間になれっこないんだから」 「ところがそうでないよ。生きてるくせに生れ変る人がいくらでもあるんだから」 「へえそうですかね、そんな人があったら、ちっとお目にかかりたいもんだけれども」 「お望みなら逢わせてやってもいいがね」 「どうぞ」といった下女はまたげらげら笑い出した。「またこれでしょう」  彼女は人指指を自分の鼻の先へ持って行った。 「旦那様のこれにはとても敵いません。奥さまのお部屋をちゃんと臭で嗅ぎ分ける方なんですから」 「部屋どころじゃないよ。お前の年齢から原籍から、生れ故郷から、何から何まであてるんだよ。この鼻一つあれば」 「へえ恐ろしいもんでございますね。――どうも敵わない、旦那様に会っちゃ」  下女はこう云って立ち上った。しかし室を出がけにまた一句の揶揄を津田に浴びせた。 「旦那様はさぞ猟がお上手でいらっしゃいましょうね」  日当りの好い南向の座敷に取り残された二人は急に静かになった。津田は縁側に面して日を受けて坐っていた。清子は欄干を背にして日に背いて坐っていた。津田の席からは向うに見える山の襞が、幾段にも重なり合って、日向日裏の区別を明らさまに描き出す景色が手に取るように眺められた。それを彩どる黄葉の濃淡がまた鮮やかな陰影の等差を彼の眸中に送り込んだ。しかし眼界の豁い空間に対している津田と違って、清子の方は何の見るものもなかった。見れば北側の障子と、その障子の一部分を遮ぎる津田の影像だけであった。彼女の視線は窮屈であった。しかし彼女はあまりそれを苦にする様子もなかった。お延ならすぐ姿勢を改めずにはいられないだろうというところを、彼女はむしろ落ちついていた。  彼女の顔は、昨夕と反対に、津田の知っている平生の彼女よりも少し紅かった。しかしそれは強い秋の光線を直下に受ける生理作用の結果とも解釈された。山を眺めた津田の眼が、端なく上気した時のように紅く染った清子の耳朶に落ちた時、彼は腹のうちでそう考えた。彼女の耳朶は薄かった。そうして位置の関係から、肉の裏側に差し込んだ日光が、そこに寄った彼女の血潮を通過して、始めて津田の眼に映ってくるように思われた。 百八十五  こんな場合にどっちが先へ口を利き出すだろうか、もし相手がお延だとすると、事実は考えるまでもなく明暸であった。彼女は津田に一寸の余裕も与えない女であった。その代り自分にも五分の寛ぎさえ残しておく事のできない性質に生れついていた。彼女はただ随時随所に精一杯の作用をほしいままにするだけであった。勢い津田は始終受身の働きを余儀なくされた。そうして彼女に応戦すべく緊張の苦痛と努力の窮屈さを甞めなければならなかった。  ところが清子を前へ据えると、そこに全く別種の趣が出て来た。段取は急に逆になった。相撲で云えば、彼女はいつでも津田の声を受けて立った。だから彼女を向うへ廻した津田は、必ず積極的に作用した。それも十が十まで楽々とできた。  二人取り残された時の彼は、取り残された後で始めてこの特色に気がついた。気がつくと昔の女に対する過去の記憶がいつの間にか蘇生していた。今まで彼の予想しつつあった手持無沙汰の感じが、ちょうどその手持無沙汰の起らなければならないと云う間際へ来て、不思議にも急に消えた。彼は伸び伸びした心持で清子の前に坐っていた。そうしてそれは彼が彼女の前で、事件の起らない過去に経験したものと大して変っていなかった。少くとも同じ性質のものに違ないという自覚が彼の胸のうちに起った。したがって談話の途切れた時積極的に動き始めたものは、昔の通り彼であった。しかも昔しの通りな気分で動けるという事自身が、彼には思いがけない満足になった。 「関君はどうしました。相変らず御勉強ですか。その後御無沙汰をしていっこうお目にかかりませんが」  津田は何の気もつかなかった。会話の皮切に清子の夫を問題にする事の可否は、利害関係から見ても、今日まで自分ら二人の間に起った感情の行掛り上から考えても、またそれらの纏綿した情実を傍に置いた、自然不自然の批判から云っても、実は一思案しなければならない点であった。それを平生の細心にも似ず、一顧の掛念さえなく、ただ無雑作に話頭に上せた津田は、まさに居常お延に対する時の用意を取り忘れていたに違なかった。  しかし相手はすでにお延でなかった。津田がその用心を忘れても差支えなかったという証拠は、すぐ清子の挨拶ぶりで知れた。彼女は微笑して答えた。 「ええありがとう。まあ相変らずです。時々二人してあなたのお噂を致しております」 「ああそうですか。僕も始終忙がしいもんですから、方々へ失礼ばかりして……」 「良人も同なじよ、あなた。近頃じゃ閑暇な人は、まるで生きていられないのと同なじ事ね。だから自然御互いに遠々しくなるんですわ。だけどそれは仕方がないわ、自然の成行だから」 「そうですね」  こう答えた津田は、「そうですね」という代りに「そうですか」と訊いて見たいような気がした。「そうですか、ただそれだけで疎遠になったんですか。それがあなたの本音ですか」という詰問はこの時すでに無言の文句となって彼の腹の中に蔵れていた。  しかも彼はほとんど以前と同じように単純な、もしくは単純とより解釈のできない清子を眼前に見出した。彼女の態度には二人の間に関を話題にするだけの余裕がちゃんと具っていた。それを口にして苦にならないほどの淡泊さが現われていた。ただそれは津田の暗に予期して掛ったところのもので、同時に彼のかつて予想し得なかったところのものに違なかった。昔のままの女主人公に再び会う事ができたという満足は、彼女がその昔しのままの鷹揚な態度で、関の話を平気で津田の前にし得るという不満足といっしょに来なければならなかった。 「どうしてそれが不満足なのか」  津田は面と向ってこの質問に対するだけの勇気がなかった。関が現に彼女の夫である以上、彼は敬意をもって彼女のこの態度を認めなければならなかった。けれどもそれは表通りの沙汰であった。偶然往来を通る他人のする批評に過ぎなかった。裏には別な見方があった。そこには無関心な通りがかりの人と違った自分というものが頑張っていた。そうしてその自分に「私」という名を命ける事のできなかった津田は、飽くまでもそれを「特殊な人」と呼ぼうとしていた。彼のいわゆる特殊な人とはすなわち素人に対する黒人であった。無知者に対する有識者であった。もしくは俗人に対する専門家であった。だから通り一遍のものより余計に口を利く権利をもっているとしか、彼には思えなかった。  表で認めて裏で首肯わなかった津田の清子に対する心持は、何かの形式で外部へ発現するのが当然であった。 百八十六 「昨夕は失礼しました」  津田は突然こう云って見た。それがどんな風に相手を動かすだろうかというのが、彼の覘いどころであった。 「私こそ」  清子の返事はすらすらと出た。そこに何の苦痛も認められなかった時に津田は疑った。 「この女は今朝になってもう夜の驚ろきを繰り返す事ができないのかしら」  もしそれを憶い起す能力すら失っているとすると、彼の使命は善にもあれ悪にもあれ、はかないものであった。 「実はあなたを驚ろかした後で、すまない事をしたと思ったのです」 「じゃ止して下さればよかったのに」 「止せばよかったのです。けれども知らなければ仕方がないじゃありませんか。あなたがここにいらっしゃろうとは夢にも思いがけなかったのですもの」 「でも私への御土産を持って、わざわざ東京から来て下すったんでしょう」 「それはそうです。けれども知らなかった事も事実です。昨夕は偶然お眼にかかっただけです」 「そうですか知ら」  故意を昨夕の津田に認めているらしい清子の口吻が、彼を驚ろかした。 「だって、わざとあんな真似をする訳がないじゃありませんか、なんぼ僕が酔興だって」 「だけどあなたはだいぶあすこに立っていらしったらしいのね」  津田は水盤に溢れる水を眺めていたに違なかった。姿見に映るわが影を見つめていたに違なかった。最後にそこにある櫛を取って頭まで梳いてぐずぐずしていたに違なかった。 「迷児になって、行先が分らなくなりゃ仕方がないじゃありませんか」 「そう。そりゃそうね。けれども私にはそう思えなかったんですもの」 「僕が待ち伏せをしていたとでも思ってるんですか、冗談じゃない。いくら僕の鼻が万能だって、あなたの湯泉に入る時間まで分りゃしませんよ」 「なるほど、そりゃそうね」  清子の口にしたなるほどという言葉が、いかにもなるほどと合点したらしい調子を帯びているので、津田は思わず吹き出した。 「いったい何だって、そんな事を疑っていらっしゃるんです」 「そりゃ申し上げないだって、お解りになってるはずですわ」 「解りっこないじゃありませんか」 「じゃ解らないでも構わないわ。説明する必要のない事だから」  津田は仕方なしに側面から向った。 「それでは、僕が何のためにあなたを廊下の隅で待ち伏せていたんです。それを話して下さい」 「そりゃ話せないわ」 「そう遠慮しないでもいいから、是非話して下さい」 「遠慮じゃないのよ、話せないから話せないのよ」 「しかし自分の胸にある事じゃありませんか。話そうと思いさえすれば、誰にでも話せるはずだと思いますがね」 「私の胸に何にもありゃしないわ」  単純なこの一言は急に津田の機鋒を挫いた。同時に、彼の語勢を飛躍させた。 「なければどこからその疑いが出て来たんです」 「もし疑ぐるのが悪ければ、謝まります。そうして止します」 「だけど、もう疑ったんじゃありませんか」 「だってそりゃ仕方がないわ。疑ったのは事実ですもの。その事実を白状したのも事実ですもの。いくら謝まったってどうしたって事実を取り消す訳には行かないんですもの」 「だからその事実を聴かせて下さればいいんです」 「事実はすでに申し上げたじゃないの」 「それは事実の半分か、三分一です。僕はその全部が聴きたいんです」 「困るわね。何といってお返事をしたらいいんでしょう」 「訳ないじゃありませんか、こういう理由があるから、そういう疑いを起したんだって云いさえすれば、たった一口で済んじまう事です」  今まで困っていたらしい清子は、この時急に腑に落ちたという顔つきをした。 「ああ、それがお聴きになりたいの」 「無論です。先刻からそれが伺いたければこそ、こうしてしつこくあなたを煩わせているんじゃありませんか。それをあなたが隠そうとなさるから――」 「そんならそうと早くおっしゃればいいのに、私隠しも何にもしませんわ、そんな事。理由は何でもないのよ。ただあなたはそういう事をなさる方なのよ」 「待伏せをですか」 「ええ」 「馬鹿にしちゃいけません」 「でも私の見たあなたはそういう方なんだから仕方がないわ。嘘でも偽りでもないんですもの」 「なるほど」  津田は腕を拱いて下を向いた。 百八十七  しばらくして津田はまた顔を上げた。 「何だか話が議論のようになってしまいましたね。僕はあなたと問答をするために来たんじゃなかったのに」  清子は答えた。 「私にもそんな気はちっともなかったの。つい自然そこへ持って行かれてしまったんだから故意じゃないのよ」 「故意でない事は僕も認めます。つまり僕があんまりあなたを問いつめたからなんでしょう」 「まあそうね」  清子はまた微笑した。津田はその微笑のうちに、例の通りの余裕を認めた時、我慢しきれなくなった。 「じゃ問答ついでに、もう一つ答えてくれませんか」 「ええ何なりと」  清子はあらゆる津田の質問に応ずる準備を整えている人のような答えぶりをした。それが質問をかけない前に、少なからず彼を失望させた。 「何もかももう忘れているんだ、この人は」  こう思った彼は、同時にそれがまた清子の本来の特色である事にも気がついた。彼は駄目を押すような心持になって訊いた。 「しかし昨夕階子段の上で、あなたは蒼くなったじゃありませんか」 「なったでしょう。自分の顔は見えないから分りませんけれども、あなたが蒼くなったとおっしゃれば、それに違ないわ」 「へえ、するとあなたの眼に映ずる僕はまだ全くの嘘吐でもなかったんですね、ありがたい。僕の認めた事実をあなたも承認して下さるんですね」 「承認しなくっても、実際蒼くなったら仕方がないわ、あなた」 「そう。――それから硬くなりましたね」 「ええ、硬くなったのは自分にも分っていましたわ。もう少しあのままで我慢していたら倒れたかも知れないと思ったくらいですもの」 「つまり驚ろいたんでしょう」 「ええずいぶん吃驚したわ」 「それで」と云いかけた津田は、俯向加減になって鄭寧に林檎の皮を剥いている清子の手先を眺めた。滴るように色づいた皮が、ナイフの刃を洩れながら、ぐるぐると剥けて落ちる後に、水気の多そうな薄蒼い肉がしだいに現われて来る変化は彼に一年以上経った昔を憶い起させた。 「あの時この人は、ちょうどこういう姿勢で、こういう林檎を剥いてくれたんだっけ」  ナイフの持ち方、指の運び方、両肘を膝とすれすれにして、長い袂を外へ開いている具合、ことごとくその時の模写であったうちに、ただ一つ違うところのある点に津田は気がついた。それは彼女の指を飾る美くしい二個の宝石であった。もしそれが彼女の結婚を永久に記念するならば、そのぎらぎらした小さい光ほど、津田と彼女の間を鋭どく遮ぎるものはなかった。柔婉に動く彼女の手先を見つめている彼の眼は、当時を回想するうっとりとした夢の消息のうちに、燦然たる警戒の閃めきを認めなければならなかった。  彼はすぐ清子の手から眼を放して、その髪を見た。しかし今朝下女が結ってやったというその髪は通例の庇であった。何の奇も認められない黒い光沢が、櫛の歯を入れた痕を、行儀正しく竪に残しているだけであった。  津田は思い切って、いったん捨てようとした言葉をまた取り上げた。 「それで僕の訊きたいのはですね――」  清子は顔を上げなかった。津田はそれでも構わずに後を続けた。 「昨夕そんなに驚ろいたあなたが、今朝はまたどうしてそんなに平気でいられるんでしょう」  清子は俯向いたまま答えた。 「なぜ」 「僕にゃその心理作用が解らないから伺うんです」  清子はやっぱり津田を見ずに答えた。 「心理作用なんてむずかしいものは私にも解らないわ。ただ昨夕はああで、今朝はこうなの。それだけよ」 「説明はそれだけなんですか」 「ええそれだけよ」  もし芝居をする気なら、津田はここで一つ溜息を吐くところであった。けれども彼には押し切ってそれをやる勇気がなかった。この女の前にそんな真似をしても始まらないという気が、技巧に走ろうとする彼をどことなく抑えつけた。 「しかしあなたは今朝いつもの時間に起きなかったじゃありませんか」  清子はこの問をかけるや否や顔を上げた。 「あらどうしてそんな事を御承知なの」 「ちゃんと知ってるんです」  清子はちょっと津田を見た眼をすぐ下へ落した。そうして綺麗に剥いた林檎に刃を入れながら答えた。 「なるほどあなたは天眼通でなくって天鼻通ね。実際よく利くのね」  冗談とも諷刺とも真面目とも片のつかないこの一言の前に、津田は退避いだ。  清子はようやく剥き終った林檎を津田の前へ押しやった。 「あなたいかが」 百八十八  津田は清子の剥いてくれた林檎に手を触れなかった。 「あなたいかがです、せっかく吉川の奥さんがあなたのためにといって贈ってくれたんですよ」 「そうね、そうしてあなたがまたわざわざそれをここまで持って来て下すったんですね。その御親切に対してもいただかなくっちゃ悪いわね」  清子はこう云いながら、二人の間にある林檎の一片を手に取った。しかしそれを口へ持って行く前にまた訊いた。 「しかし考えるとおかしいわね、いったいどうしたんでしょう」 「何がどうしたんです」 「私吉川の奥さんにお見舞をいただこうとは思わなかったのよ。それからそのお見舞をまたあなたが持って来て下さろうとはなおさら思わなかったのよ」  津田は口のうちで「そうでしょう、僕でさえそんな事は思わなかったんだから」と云った。その顔をじっと見守った清子の眼に、判然した答を津田から待ち受けるような予期の光が射した。彼はその光に対する特殊な記憶を呼び起した。 「ああこの眼だっけ」  二人の間に何度も繰り返された過去の光景が、ありありと津田の前に浮き上った。その時分の清子は津田と名のつく一人の男を信じていた。だからすべての知識を彼から仰いだ。あらゆる疑問の解決を彼に求めた。自分に解らない未来を挙げて、彼の上に投げかけるように見えた。したがって彼女の眼は動いても静であった。何か訊こうとするうちに、信と平和の輝きがあった。彼はその輝きを一人で専有する特権をもって生れて来たような気がした。自分があればこそこの眼も存在するのだとさえ思った。  二人はついに離れた。そうしてまた会った。自分を離れた以後の清子に、昔のままの眼が、昔と違った意味で、やっぱり存在しているのだと注意されたような心持のした時、津田は一種の感慨に打たれた。 「それはあなたの美くしいところです。けれどももう私を失望させる美しさに過ぎなくなったのですか。判然教えて下さい」  津田の疑問と清子の疑問が暫時視線の上で行き合った後、最初に眼を引いたものは清子であった。津田はその退き方を見た。そうしてそこにも二人の間にある意気込の相違を認めた。彼女はどこまでも逼らなかった。どうでも構わないという風に、眼をよそへ持って行った彼女は、それを床の間に活けてある寒菊の花の上に落した。  眼で逃げられた津田は、口で追かけなければならなかった。 「なんぼ僕だってただ吉川の奥さんの使に来ただけじゃありません」 「でしょう、だから変なのよ」 「ちっとも変な事はありませんよ。僕は僕で独立してここへ来ようと思ってるところへ、奥さんに会って、始めてあなたのここにいらっしゃる事を聴かされた上に、ついお土産まで頼まれちまったんです」 「そうでしょう。そうでもなければ、どう考えたって変ですからね」 「いくら変だって偶然という事も世の中にはありますよ。そうあなたのように……」 「だからもう変じゃないのよ。訳さえ伺えば、何でも当り前になっちまうのね」  津田はつい「こっちでもその訳を訊きに来たんだ」と云いたくなった。しかし何にもそこに頓着していないらしい清子の質問は正直であった。 「それであなたもどこかお悪いの」  津田は言葉少なに病気の顛末を説明した。清子は云った。 「でも結構ね、あなたは。そういう時に会社の方の御都合がつくんだから。そこへ行くと良人なんか気の毒なものよ、朝から晩まで忙がしそうにして」 「関君こそ酔興なんだから仕方がない」 「可哀想に、まさか」 「いや僕のいうのは善い意味での酔興ですよ。つまり勉強家という事です」 「まあ、お上手だ事」  この時下から急ぎ足で階子段を上って来る草履の音が聴えたので、何か云おうとした津田は黙って様子を見た。すると先刻とは違った下女がそこへ顔を出した。 「あの浜のお客さまが、奥さまにお午から滝の方へ散歩においでになりませんか、伺って来いとおっしゃいました」 「お供しましょう」清子の返事を聴いた下女は、立ち際に津田の方を見ながら「旦那様もいっしょにいらっしゃいまし」と云った。 「ありがとう。時にもうお午なのかい」 「ええただいま御飯を持って参ります」 「驚ろいたな」  津田はようやく立ち上った。 「奥さん」と云おうとして、云い損なった彼はつい「清子さん」と呼び掛けた。 「あなたはいつごろまでおいでです」 「予定なんかまるでないのよ。宅から電報が来れば、今日にでも帰らなくっちゃならないわ」  津田は驚ろいた。 「そんなものが来るんですか」 「そりゃ何とも云えないわ」  清子はこう云って微笑した。津田はその微笑の意味を一人で説明しようと試みながら自分の室に帰った。 ――未完―― 底本:「夏目漱石全集9」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年6月28日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月から1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年8月12日公開 2018年2月2日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 道草 道草 夏目漱石 一  健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。  彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。  彼はこうした気分を有った人にありがちな落付のない態度で、千駄木から追分へ出る通りを日に二返ずつ規則のように往来した。  ある日小雨が降った。その時彼は外套も雨具も着けずに、ただ傘を差しただけで、何時もの通りを本郷の方へ例刻に歩いて行った。すると車屋の少しさきで思い懸けない人にはたりと出会った。その人は根津権現の裏門の坂を上って、彼と反対に北へ向いて歩いて来たものと見えて、健三が行手を何気なく眺めた時、十間位先から既に彼の視線に入ったのである。そうして思わず彼の眼をわきへ外させたのである。  彼は知らん顔をしてその人の傍を通り抜けようとした。けれども彼にはもう一遍この男の眼鼻立を確かめる必要があった。それで御互が二、三間の距離に近づいた頃また眸をその人の方角に向けた。すると先方ではもう疾くに彼の姿を凝と見詰めていた。  往来は静であった。二人の間にはただ細い雨の糸が絶間なく落ちているだけなので、御互が御互の顔を認めるには何の困難もなかった。健三はすぐ眼をそらしてまた真正面を向いたまま歩き出した。けれども相手は道端に立ち留まったなり、少しも足を運ぶ気色なく、じっと彼の通り過ぎるのを見送っていた。健三はその男の顔が彼の歩調につれて、少しずつ動いて回るのに気が着いた位であった。  彼はこの男に何年会わなかったろう。彼がこの男と縁を切ったのは、彼がまだ廿歳になるかならない昔の事であった。それから今日までに十五、六年の月日が経っているが、その間彼らはついぞ一度も顔を合せた事がなかったのである。  彼の位地も境遇もその時分から見るとまるで変っていた。黒い髭を生して山高帽を被った今の姿と坊主頭の昔の面影とを比べて見ると、自分でさえ隔世の感が起らないとも限らなかった。しかしそれにしては相手の方があまりに変らな過ぎた。彼はどう勘定しても六十五、六であるべきはずのその人の髪の毛が、何故今でも元の通り黒いのだろうと思って、心のうちで怪しんだ。帽子なしで外出する昔ながらの癖を今でも押通しているその人の特色も、彼には異な気分を与える媒介となった。  彼は固よりその人に出会う事を好まなかった。万一出会ってもその人が自分より立派な服装でもしていてくれれば好いと思っていた。しかし今目前見たその人は、あまり裕福な境遇にいるとは誰が見ても決して思えなかった。帽子を被らないのは当人の自由としても、羽織なり着物なりについて判断したところ、どうしても中流以下の活計を営んでいる町家の年寄としか受取れなかった。彼はその人の差していた洋傘が、重そうな毛繻子であった事にまで気が付いていた。  その日彼は家へ帰っても途中で会った男の事を忘れ得なかった。折々は道端へ立ち止まって凝と彼を見送っていたその人の眼付に悩まされた。しかし細君には何にも打ち明けなかった。機嫌のよくない時は、いくら話したい事があっても、細君に話さないのが彼の癖であった。細君も黙っている夫に対しては、用事の外決して口を利かない女であった。 二  次の日健三はまた同じ時刻に同じ所を通った。その次の日も通った。けれども帽子を被らない男はもうどこからも出て来なかった。彼は器械のようにまた義務のように何時もの道を往ったり来たりした。  こうした無事の日が五日続いた後、六日目の朝になって帽子を被らない男は突然また根津権現の坂の蔭から現われて健三を脅やかした。それがこの前とほぼ同じ場所で、時間も殆どこの前と違わなかった。  その時健三は相手の自分に近付くのを意識しつつ、何時もの通り器械のようにまた義務のように歩こうとした。けれども先方の態度は正反対であった。何人をも不安にしなければやまないほどな注意を双眼に集めて彼を凝視した。隙さえあれば彼に近付こうとするその人の心が曇よりした眸のうちにありありと読まれた。出来るだけ容赦なくその傍を通り抜けた健三の胸には変な予覚が起った。 「とてもこれだけでは済むまい」  しかしその日家へ帰った時も、彼はついに帽子を被らない男の事を細君に話さずにしまった。  彼と細君と結婚したのは今から七、八年前で、もうその時分にはこの男との関係がとくの昔に切れていたし、その上結婚地が故郷の東京でなかったので、細君の方ではじかにその人を知るはずがなかった。しかし噂としてだけならあるいは健三自身の口から既に話していたかも知れず、また彼の親類のものから聞いて知っていないとも限らなかった。それはいずれにしても健三にとって問題にはならなかった。  ただこの事件に関して今でも時々彼の胸に浮んでくる結婚後の事実が一つあった。五、六年前彼がまだ地方にいる頃、ある日女文字で書いた厚い封書が突然彼の勤め先の机の上へ置かれた。その時彼は変な顔をしてその手紙を読んだ。しかしいくら読んでも読んでも読み切れなかった。半紙廿枚ばかりへ隙間なく細字で書いたものの、五分の一ほど眼を通した後、彼はついにそれを細君の手に渡してしまった。  その時の彼には自分宛でこんな長い手紙をかいた女の素性を細君に説明する必要があった。それからその女に関聯して、是非ともこの帽子を被らない男を引合に出す必要もあった。健三はそうした必要にせまられた過去の自分を記憶している。しかし機嫌買な彼がどの位綿密な程度で細君に説明してやったか、その点になると彼はもう忘れていた。細君は女の事だからまだ判然覚えているだろうが、今の彼にはそんな事を改めて彼女に問い訊して見る気も起らなかった。彼はこの長い手紙を書いた女と、この帽子を被らない男とを一所に並べて考えるのが大嫌だった。それは彼の不幸な過去を遠くから呼び起す媒介となるからであった。  幸い彼の目下の状態はそんな事に屈托している余裕を彼に与えなかった。彼は家へ帰って衣服を着換えると、すぐ自分の書斎へ這入った。彼は始終その六畳敷の狭い畳の上に自分のする事が山のように積んであるような気持でいるのである。けれども実際からいうと、仕事をするよりも、しなければならないという刺戟の方が、遥かに強く彼を支配していた。自然彼はいらいらしなければならなかった。  彼が遠い所から持って来た書物の箱をこの六畳の中で開けた時、彼は山のような洋書の裡に胡坐をかいて、一週間も二週間も暮らしていた。そうして何でも手に触れるものを片端から取り上げては二、三頁ずつ読んだ。それがため肝心の書斎の整理は何時まで経っても片付かなかった。しまいにこの体たらくを見るに見かねた或友人が来て、順序にも冊数にも頓着なく、あるだけの書物をさっさと書棚の上に並べてしまった。彼を知っている多数の人は彼を神経衰弱だと評した。彼自身はそれを自分の性質だと信じていた。 三  健三は実際その日その日の仕事に追われていた。家へ帰ってからも気楽に使える時間は少しもなかった。その上彼は自分の読みたいものを読んだり、書きたい事を書いたり、考えたい問題を考えたりしたかった。それで彼の心は殆んど余裕というものを知らなかった。彼は始終机の前にこびり着いていた。  娯楽の場所へも滅多に足を踏み込めない位忙がしがっている彼が、ある時友達から謡の稽古を勧められて、体よくそれを断わったが、彼は心のうちで、他人にはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。そうして自分の時間に対する態度が、あたかも守銭奴のそれに似通っている事には、まるで気がつかなかった。  自然の勢い彼は社交を避けなければならなかった。人間をも避けなければならなかった。彼の頭と活字との交渉が複雑になればなるほど、人としての彼は孤独に陥らなければならなかった。彼は朧気にその淋しさを感ずる場合さえあった。けれども一方ではまた心の底に異様の熱塊があるという自信を持っていた。だから索寞たる曠野の方角へ向けて生活の路を歩いて行きながら、それがかえって本来だとばかり心得ていた。温かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思わなかった。  彼は親類から変人扱いにされていた。しかしそれは彼に取って大した苦痛にもならなかった。 「教育が違うんだから仕方がない」  彼の腹の中には常にこういう答弁があった。 「やっぱり手前味噌よ」  これは何時でも細君の解釈であった。  気の毒な事に健三はこうした細君の批評を超越する事が出来なかった。そういわれる度に気不味い顔をした。ある時は自分を理解しない細君を心から忌々しく思った。ある時は叱り付けた。またある時は頭ごなしに遣り込めた。すると彼の癇癪が細君の耳に空威張をする人の言葉のように響いた。細君は「手前味噌」の四字を「大風呂敷」の四字に訂正するに過ぎなかった。  彼には一人の腹違の姉と一人の兄があるぎりであった。親類といったところでこの二軒より外に持たない彼は、不幸にしてその二軒ともとあまり親しく往来をしていなかった。自分の姉や兄と疎遠になるという変な事実は、彼に取っても余り気持の好いものではなかった。しかし親類づきあいよりも自分の仕事の方が彼には大事に見えた。それから東京へ帰って以後既に三、四回彼らと顔を合せたという記憶も、彼には多少の言訳になった。もし帽子を被らない男が突然彼の行手を遮らなかったなら、彼は何時もの通り千駄木の町を毎日二返規則正しく往来するだけで、当分外の方角へは足を向けずにしまったろう。もしその間に身体の楽に出来る日曜が来たなら、ぐたりと疲れ切った四肢を畳の上に横たえて半日の安息を貪るに過ぎなかったろう。  しかし次の日曜が来たとき、彼はふと途中で二度会った男の事を思い出した。そうして急に思い立ったように姉の宅へ出掛けた。姉の宅は四ッ谷の津の守坂の横で、大通りから一町ばかり奥へ引込んだ所にあった。彼女の夫というのは健三の従兄にあたる男だから、つまり姉にも従兄であった。しかし年齢は同年か一つ違で、健三から見ると双方とも、一廻りも上であった。この夫がもと四ッ谷の区役所へ勤めた縁故で、彼が其所をやめた今日でも、まだ馴染の多い土地を離れるのが厭だといって、姉は今の勤先に不便なのも構わず、やっぱり元の古ぼけた家に住んでいるのである。 四  この姉は喘息持であった。年が年中ぜえぜえいっていた。それでも生れ付が非常な癇性なので、よほど苦しくないと決して凝としていなかった。何か用を拵えて狭い家の中を始終ぐるぐる廻って歩かないと承知しなかった。その落付のないがさつな態度が健三の眼には如何にも気の毒に見えた。  姉はまた非常に饒舌る事の好な女であった。そうしてその喋舌り方に少しも品位というものがなかった。彼女と対坐する健三はきっと苦い顔をして黙らなければならなかった。 「これが己の姉なんだからなあ」  彼女と話をした後の健三の胸には何時でもこういう述懐が起った。  その日健三は例の如く襷を掛けて戸棚の中を掻きまわしているこの姉を見出した。 「まあ珍らしく能く来てくれたこと。さあ御敷きなさい」  姉は健三に座蒲団を勧めて縁側へ手を洗いに行った。  健三はその留守に座敷のなかを見廻わした。欄間には彼が子供の時から見覚えのある古ぼけた額が懸っていた。その落款に書いてある筒井憲という名は、たしか旗本の書家か何かで、大変字が上手なんだと、十五、六の昔此所の主人から教えられた事を思い出した。彼はその主人をその頃は兄さん兄さんと呼んで始終遊びに行ったものである。そうして年からいえば叔父甥ほどの相違があるのに、二人して能く座敷の中で相撲をとっては姉から怒られたり、屋根へ登って無花果をいで食って、その皮を隣の庭へ投げたため、尻を持ち込まれたりした。主人が箱入りのコンパスを買って遣るといって彼を騙したなり何時まで経っても買ってくれなかったのを非常に恨めしく思った事もあった。姉と喧嘩をして、もう向うから謝罪って来ても勘忍してやらないと覚悟を極めたが、いくら待っていても、姉が詫まらないので、仕方なしにこちらからのこのこ出掛けて行ったくせに、手持無沙汰なので、向うで御這入りというまで、黙って門口に立っていた滑稽もあった。……  古い額を眺めた健三は、子供の時の自分に明らかな記憶の探照燈を向けた。そうしてそれほど世話になった姉夫婦に、今は大した好意を有つ事が出来にくくなった自分を不快に感じた。 「近頃は身体の具合はどうです。あんまり非道く起る事もありませんか」  彼は自分の前に坐った姉の顔を見ながらこう訊ねた。 「ええ有難う。御蔭さまで陽気が好いもんだから、まあどうかこうか家の事だけは遣ってるんだけれども、――でもやっぱり年が年だからね。とても昔しのようにがせいに働く事は出来ないのさ。昔健ちゃんの遊びに来てくれた時分にゃ、随分尻ッ端折りで、それこそ御釜の御尻まで洗ったもんだが、今じゃとてもそんな元気はありゃしない。だけど御蔭様でこう遣って毎日牛乳も飲んでるし……」  健三は些少ながら月々いくらかの小遣を姉に遣る事を忘れなかったのである。 「少し痩せたようですね」 「なにこりゃ私の持前だから仕方がない。昔から肥った事のない女なんだから。やッぱり癇が強いもんだからね。癇で肥る事が出来ないんだよ」  姉は肉のない細い腕を捲って健三の前に出して見せた。大きな落ち込んだ彼女の眼の下を薄黒い半円形の暈が、怠そうな皮で物憂げに染めていた。健三は黙ってそのぱさぱさした手の平を見詰めた。 「でも健ちゃんは立派になって本当に結構だ。御前さんが外国へ行く時なんか、もう二度と生きて会う事は六ずかしかろうと思ってたのに、それでもよくまあ達者で帰って来られたのね。御父さんや御母さんが生きて御出だったらさぞ御喜びだろう」  姉の眼にはいつか涙が溜っていた。姉は健三の子供の時分、「今に姉さんに御金が出来たら、健ちゃんに何でも好なものを買って上げるよ」と口癖のようにいっていた。そうかと思うと、「こんな偏窟じゃこの子はとても物にゃならない」ともいった。健三は姉の昔の言葉やら語気やらを思い浮べて、心の中で苦笑した。 五  そんな古い記憶を喚び起こすにつけても、久しく会わなかった姉の老けた様子が一層健三の眼についた。 「時に姉さんはいくつでしたかね」 「もう御婆さんさ。取って一だもの御前さん」  姉は黄色い疎らな歯を出して笑って見せた。実際五十一とは健三にも意外であった。 「すると私とは一廻以上違うんだね。私ゃまた精々違って十か十一だと思っていた」 「どうして一廻どころか。健ちゃんとは十六違うんだよ、姉さんは。良人が羊の三碧で姉さんが四緑なんだから。健ちゃんは慥か七赤だったね」 「何だか知らないが、とにかく三十六ですよ」 「繰って見て御覧、きっと七赤だから」  健三はどうして自分の星を繰るのか、それさえ知らなかった。年齢の話はそれぎりやめてしまった。 「今日は御留守なんですか」と比田の事を訊いて見た。 「昨夕も宿直でね。なに自分の分だけなら月に三度か四度で済むんだけれども、他に頼まれるもんだからね。それに一晩でも余計泊りさえすればやっぱりいくらかになるだろう、それでつい他の分まで引受ける気にもなるのさ。この頃じゃあっちへ寐るのとこっちへ帰るのと、まあ半々位なものだろう。ことによると、向へ泊る方がかえって多いかも知れないよ」  健三は黙って障子の傍に据えてある比田の机を眺めた。硯箱や状袋や巻紙がきちりと行儀よく並んでいる傍に、簿記用の帳面が赤い脊皮をこちらへ向けて、二、三冊立て懸けてあった。それから綺麗に光った小さい算盤もその下に置いてあった。  噂によると比田はこの頃変な女に関係をつけて、それを自分の勤め先のつい近くに囲っているという評番であった。宿直だ宿直だといって宅へ帰らないのは、あるいはそのせいじゃなかろうかと健三には思えた。 「比田さんは近頃どうです。大分年を取ったから元とは違って真面目になったでしょう」 「なにやッぱり相変らずさ。ありゃ一人で遊ぶために生れて来た男なんだから仕方がないよ。やれ寄席だ、やれ芝居だ、やれ相撲だって、御金さえありゃ年が年中飛んで歩いてるんだからね。でも奇体なもんで、年のせいだか何だか知らないが、昔に比べると、少しは優しくなったようだよ。もとは健ちゃんも知ってる通りの始末で、随分烈しかったもんだがね。蹴ったり、敲いたり、髪の毛を持って座敷中引摺廻したり……」 「その代り姉さんも負けてる方じゃなかったんだからな」 「なに妾ゃ手出しなんかした事あ、ついの一度だってありゃしない」  健三は勝気な姉の昔を考え出してつい可笑しくなった。二人の立ち廻りは今姉の自白するように受身のものばかりでは決してなかった。ことに口は姉の方が比田に比べると十倍も達者だった。それにしてもこの利かぬ気の姉が、夫に騙されて、彼が宅へ帰らない以上、きっと会社へ泊っているに違いないと信じ切っているのが妙に不憫に思われて来た。 「久しぶりに何か奢りましょうか」と姉の顔を眺めながらいった。 「ありがと、今御鮨をそういったから、珍らしくもあるまいけれども、食べてって御くれ」  姉は客の顔さえ見れば、時間に関係なく、何か食わせなければ承知しない女であった。健三は仕方がないから尻を落付けてゆっくり腹の中に持って来た話を姉に切り出す気になった。 六  近頃の健三は頭を余計遣い過ぎるせいか、どうも胃の具合が好くなかった。時々思い出したように運動して見ると、胸も腹もかえって重くなるだけであった。彼は要心して三度の食事以外にはなるべく物を口へ入れないように心掛ていた。それでも姉の悪強には敵わなかった。 「海苔巻なら身体に障りゃしないよ。折角姉さんが健ちゃんに御馳走しようと思って取ったんだから、是非食べて御くれな。厭かい」  健三は仕方なしに旨くもない海苔巻を頬張って、好い加減烟草で荒らされた口のうちをもぐもぐさせた。  姉が余り饒舌るので、彼は何時までも自分のいいたい事がいえなかった。訊きたい問題を持っていながら、こう受身な会話ばかりしているのが、彼には段々むず痒くなって来た。しかし姉にはそれが一向通じないらしかった。  他に物を食わせる事の好きなのと同時に、物を遣る事の好きな彼女は、健三がこの前賞めた古ぼけた達磨の掛物を彼に遣ろうかといい出した。 「あんなものあ、宅にあったって仕方がないんだから、持って御出でよ。なに比田だって要りゃしないやね、汚ない達磨なんか」  健三は貰うとも貰わないともいわずにただ苦笑していた。すると姉は何か秘密話でもするように急に調子を低くした。 「実は健ちゃん、御前さんが帰って来たら、話そう話そうと思って、つい今日まで黙ってたんだがね。健ちゃんも帰りたてでさぞ忙がしかろうし、それに姉さんが出掛けて行くにしたところで、御住さんがいちゃ、少し話し悪い事だしね。そうかって、手紙を書こうにも御存じの無筆だろう……」  姉の前置は長たらしくもあり、また滑稽でもあった。小さい時分いくら手習をさせても記憶が悪くって、どんなに平易しい字も、とうとう頭へ這入らずじまいに、五十の今日まで生きて来た女だと思うと、健三にはわが姉ながら気の毒でもありまたうら恥ずかしくもあった。 「それで姉さんの話ってえな、一体どんな話なんです。実は私も今日は少し姉さんに話があって来たんだが」 「そうかいそれじゃ御前さんの方のから先へ聴くのが順だったね。何故早く話さなかったの」 「だって話せないんだもの」 「そんなに遠慮しないでもいいやね。姉弟の間じゃないか、御前さん」  姉は自分の多弁が相手の口を塞いでいるのだという明白な事実には毫も気が付いていなかった。 「まあ姉さんの方から先へ片付けましょう。何ですか、あなたの話っていうのは」 「実は健ちゃんにはまことに気の毒で、いい悪いんだけれども、あたしも段々年を取って身体は弱くなるし、それに良人があの通りの男で、自分一人さえ好けりゃ女房なんかどうなったって、己の知った事じゃないって顔をしているんだから。――尤も月々の取高が少ない上に、交際もあるんだから、仕方がないといえばそれまでだけれどもね……」  姉のいう事は女だけに随分曲りくねっていた。なかなか容易な事で目的地へ達しそうになかったけれども、その主意は健三によく解った。つまり月々遣る小遣をもう少し増してくれというのだろうと思った。今でさえそれをよく夫から借りられてしまうという話を耳にしている彼には、この請求が憐れでもあり、また腹立たしくもあった。 「どうか姉さんを助けると思ってね。姉さんだってこの身体じゃどうせ長い事もあるまいから」  これが姉の口から出た最後の言葉であった。健三はそれでも厭だとはいいかねた。 七  彼はこれから宅へ帰って今夜中に片付けなければならない明日の仕事を有っていた。時間の価値というものを少しも認めないこの姉と対坐して、何時までも、べんべんと喋舌っているのは、彼にとって多少の苦痛に違なかった。彼は好加減に帰ろうとした。そうして帰る間際になってやっと帽子を被らない男の事をいい出した。 「実はこの間島田に会ったんですがね」 「へえどこで」  姉は吃驚したような声を出した。姉は無教育な東京ものによく見るわざとらしい仰山な表情をしたがる女であった。 「太田の原の傍です」 「じゃ御前さんのじき近所じゃないか。どうしたい、何か言葉でも掛けたかい」 「掛けるって、別に言葉の掛けようもないんだから」 「そうさね。健ちゃんの方から何とかいわなきゃ、向で口なんぞ利けた義理でもないんだから」  姉の言葉は出来るだけ健三の意を迎えるような調子であった。彼女は健三に「どんな服装をしていたい」と訊き足した後で、「じゃやッぱり楽でもないんだね」といった。其所には多少の同情も籠っているように見えた。しかし男の昔を話し出した時にはさもさも悪らしそうな語気を用い始めた。 「なんぼ因業だって、あんな因業な人ったらありゃしないよ。今日が期限だから、是が非でも取って行くって、いくら言訳をいっても、坐り込んで動かないんだもの。しまいにこっちも腹が立ったから、御気の毒さま、御金はありませんが、品物で好ければ、御鍋でも御釜でも持ってって下さいっていったらね、じゃ釜を持ってくっていうんだよ。あきれるじゃないか」 「釜を持って行くったって、重くってとても持てやしないでしょう」 「ところがあの業突張の事だから、どんな事をして持ってかないとも限らないのさ。そらその日の御飯をあたしに炊かせまいと思って、そういう意地の悪い事をする人なんだからね。どうせ先へ寄って好い事あないはずだあね」  健三の耳にはこの話がただの滑稽としては聞こえなかった。その人と姉との間に起ったこんな交渉のなかに引絡まっている古い自分の影法師は、彼に取って可笑しいというよりもむしろ悲しいものであった。 「私ゃ島田に二度会ったんですよ、姉さん。これから先また何時会うか分らないんだ」 「いいから知らん顔をして御出でよ。何度会ったって構わないじゃないか」 「しかしわざわざ彼所いらを通って、私の宅でも探しているんだか、また用があって通りがかりに偶然出ッくわしたんだか、それが分らないんでね」  この疑問は姉にも解けなかった。彼女はただ健三に都合の好さそうな言葉を無意味に使った。それが健三には空御世辞のごとく響いた。 「こちらへはその後まるで来ないんですか」 「ああこの二、三年はまるっきり来ないよ」 「その前は?」 「その前はね、ちょくちょくってほどでもないが、それでも時々は来たのさ。それがまた可笑しいんだよ。来ると何時でも十一時頃でね。鰻飯かなにか食べさせないと決して帰らないんだからね。三度の御まんまを一かたけでも好いから他の家で食べようっていうのがつまりあの人の腹なんだよ。そのくせ服装なんかかなりなものを着ているんだがね。……」  姉のいう事は脱線しがちであったけれども、それを聴いている健三には、やはり金銭上の問題で、自分が東京を去ったあとも、なお多少の交際が二人の間に持続されていたのだという見当はついた。しかしそれ以上何も知る事は出来なかった。目下の島田については全く分らなかった。 八 「島田は今でも元の所に住んでいるんだろうか」  こんな簡単な質問さえ姉には判然答えられなかった。健三は少し的が外れた。けれども自分の方から進んで島田の現在の居所を突き留めようとまでは思っていなかったので、大した失望も感じなかった。彼はこの場合まだそれほどの手数を尽す必要がないと信じていた。たとい尽すにしたところで、一種の好奇心を満足するに過ぎないとも考えていた。その上今の彼はこういう好奇心を軽蔑しなければならなかった。彼の時間はそんな事に使用するには余りに高価すぎた。  彼はただ想像の眼で、子供の時分見たその人の家と、その家の周囲とを、心のうちに思い浮べた。  其所には往来の片側に幅の広い大きな堀が一丁も続いていた。水の変らないその堀の中は腐った泥で不快に濁っていた。所々に蒼い色が湧いて厭な臭さえ彼の鼻を襲った。彼はその汚ならしい一廓を――様の御屋敷という名で覚えていた。  堀の向う側には長屋がずっと並んでいた。その長屋には一軒に一つ位の割で四角な暗い窓が開けてあった。石垣とすれすれに建てられたこの長屋がどこまでも続いているので、御屋敷のなかはまるで見えなかった。  この御屋敷と反対の側には小さな平家が疎らに並んでいた。古いのも新らしいのもごちゃごちゃに交っていたその町並は無論不揃であった。老人の歯のように所々が空いていた。その空いている所を少しばかり買って島田は彼の住居を拵えたのである。  健三はそれが何時出来上ったか知らなかった。しかし彼が始めてそこへ行ったのは新築後まだ間もないうちであった。四間しかない狭い家だったけれども、木口などはかなり吟味してあるらしく子供の眼にも見えた。間取にも工夫があった。六畳の座敷は東向で、松葉を敷き詰めた狭い庭に、大き過ぎるほど立派な御影の石燈籠が据えてあった。  綺麗好きな島田は、自分で尻端折りをして、絶えず濡雑巾を縁側や柱へ掛けた。それから跣足になって、南向の居間の前栽へ出て、草毟りをした。あるときは鍬を使って、門口の泥溝も浚った。その泥溝には長さ四尺ばかりの木の橋が懸っていた。  島田はまたこの住居以外に粗末な貸家を一軒建てた。そうして双方の家の間を通り抜けて裏へ出られるように三尺ほどの路を付けた。裏は野とも畠とも片のつかない湿地であった。草を踏むとじくじく水が出た。一番凹んだ所などはしょっちゅう浅い池のようになっていた。島田は追々其所へも小さな貸家を建てるつもりでいるらしかった。しかしその企ては何時までも実現されなかった。冬になると鴨が下りるから、今度は一つ捕ってやろうなどといっていた。……  健三はこういう昔の記憶をそれからそれへと繰り返した。今其所へ行って見たら定めし驚ろくほど変っているだろうと思いながら、彼はなお二十年前の光景を今日の事のように考えた。 「ことによると、良人では年始状位まだ出してるかも知れないよ」  健三の帰る時、姉はこんな事をいって、暗に比田の戻るまで話して行けと勧めたが、彼にはそれほどの必要もなかった。  彼はその日無沙汰見舞かたがた市ヶ谷の薬王寺前にいる兄の宅へも寄って、島田の事を訊いて見ようかと考えていたが、時間の遅くなったのと、どうせ訊いたって仕方がないという気が次第に強くなったのとで、それなり駒込へ帰った。その晩はまた翌日の仕事に忙殺されなければならなかった。そうして島田の事はまるで忘れてしまった。 九  彼はまた平生の我に帰った。活力の大部分を挙げて自分の職業に使う事が出来た。彼の時間は静かに流れた。しかしその静かなうちには始終いらいらするものがあって、絶えず彼を苦しめた。遠くから彼を眺めていなければならなかった細君は、別に手の出しようもないので、澄ましていた。それが健三には妻にあるまじき冷淡としか思えなかった。細君はまた心の中で彼と同じ非難を夫の上に投げ掛けた。夫の書斎で暮らす時間が多くなればなるほど、夫婦間の交渉は、用事以外に少なくならなければならないはずだというのが細君の方の理窟であった。  彼女は自然の勢い健三を一人書斎に遺して置いて、子供だけを相手にした。その子供たちはまた滅多に書斎へ這入らなかった。たまに這入ると、きっと何か悪戯をして健三に叱られた。彼は子供を叱るくせに、自分の傍へ寄り付かない彼らに対して、やはり一種の物足りない心持を抱いていた。  一週間後の日曜が来た時、彼はまるで外出しなかった。気分を変えるため四時頃風呂へ行って帰ったら、急にうっとりした好い気持に襲われたので、彼は手足を畳の上へ伸ばしたまま、つい仮寐をした。そうして晩食の時刻になって、細君から起されるまでは、首を切られた人のように何事も知らなかった。しかし起きて膳に向った時、彼には微かな寒気が脊筋を上から下へ伝わって行くような感じがあった。その後で烈しい嚏が二つほど出た。傍にいる細君は黙っていた。健三も何もいわなかったが、腹の中ではこうした同情に乏しい細君に対する厭な心持を意識しつつ箸を取った。細君の方ではまた夫が何故自分に何もかも隔意なく話して、能働的に細君らしく振舞わせないのかと、その方をかえって不愉快に思った。  その晩彼は明らかに多少風邪気味であるという事に気が付いた。用心して早く寐ようと思ったが、ついしかけた仕事に妨げられて、十二時過まで起きていた。彼の床に入る時には家内のものはもう皆な寐ていた。熱い葛湯でも飲んで、発汗したい希望をもっていた健三は、やむをえずそのまま冷たい夜具の裏に潜り込んだ。彼は例にない寒さを感じて、寐付が大変悪かった。しかし頭脳の疲労はほどなく彼を深い眠の境に誘った。  翌日眼を覚した時は存外安静であった。彼は床の中で、風邪はもう癒ったものと考えた。しかしいよいよ起きて顔を洗う段になると、何時もの冷水摩擦が退儀な位身体が倦怠くなってきた。勇気を鼓して食卓に着いて見たが、朝食は少しも旨くなかった。いつもは規定として三膳食べるところを、その日は一膳で済ました後、梅干を熱い茶の中に入れてふうふう吹いて呑んだ。しかしその意味は彼自身にも解らなかった。この時も細君は健三の傍に坐って給仕をしていたが、別に何にもいわなかった。彼にはその態度がわざと冷淡に構えている技巧の如く見えて多少腹が立った。彼はことさらな咳を二度も三度もして見せた。それでも細君は依然として取り合わなかった。  健三はさっさと頭から白襯衣を被って洋服に着換えたなり例刻に宅を出た。細君は何時もの通り帽子を持って夫を玄関まで送って来たが、この時の彼には、それがただ形式だけを重んずる女としか受取れなかったので、彼はなお厭な心持がした。  外ではしきりに悪感がした。舌が重々しくぱさついて、熱のある人のように身体全体が倦怠かった。彼は自分の脈を取って見て、その早いのに驚ろいた。指頭に触れるピンピンいう音が、秒を刻む袂時計の音と錯綜して、彼の耳に異様な節奏を伝えた。それでも彼は我慢して、するだけの仕事を外でした。 十  彼は例刻に宅へ帰った。洋服を着換える時、細君は何時もの通り、彼の不断着を持ったまま、彼の傍に立っていた。彼は不快な顔をしてそちらを向いた。 「床を取ってくれ。寐るんだ」 「はい」  細君は彼のいうがままに床を延べた。彼はすぐその中に入って寐た。彼は自分の風邪気の事を一口も細君にいわなかった。細君の方でも一向其所に注意していない様子を見せた。それで双方とも腹の中には不平があった。  健三が眼を塞いでうつらうつらしていると、細君が枕元へ来て彼の名を呼んだ。 「あなた御飯を召上がりますか」 「飯なんか食いたくない」  細君はしばらく黙っていた。けれどもすぐ立って部屋の外へ出て行こうとはしなかった。 「あなた、どうかなすったんですか」  健三は何にも答えずに、顔を半分ほど夜具の襟に埋めていた。細君は無言のまま、そっとその手を彼の額の上に加えた。  晩になって医者が来た。ただの風邪だろうという診察を下して、水薬と頓服を呉れた。彼はそれを細君の手から飲ましてもらった。  翌日は熱がなお高くなった。医者の注意によって護謨の氷嚢を彼の頭の上に載せた細君は、蒲団の下に差し込むニッケル製の器械を下女が買ってくるまで、自分の手で落ちないようにそれを抑えていた。  魔に襲われたような気分が二、三日つづいた。健三の頭にはその間の記憶というものが殆んどない位であった。正気に帰った時、彼は平気な顔をして天井を見た。それから枕元に坐っている細君を見た。そうして急にその細君の世話になったのだという事を思い出した。しかし彼は何にもいわずにまた顔を背けてしまった。それで細君の胸には夫の心持が少しも映らなかった。 「あなたどうなすったんです」 「風邪を引いたんだって、医者がいうじゃないか」 「そりゃ解ってます」  会話はそれで途切れてしまった。細君は厭な顔をしてそれぎり部屋を出て行った。健三は手を鳴らしてまた細君を呼び戻した。 「己がどうしたというんだい」 「どうしたって、――あなたが御病気だから、私だってこうして氷嚢を更えたり、薬を注いだりして上げるんじゃありませんか。それをあっちへ行けの、邪魔だのって、あんまり……」  細君は後をいわずに下を向いた。 「そんな事をいった覚はない」 「そりゃ熱の高い時仰しゃった事ですから、多分覚えちゃいらっしゃらないでしょう。けれども平生からそう考えてさえいらっしゃらなければ、いくら病気だって、そんな事を仰しゃる訳がないと思いますわ」  こんな場合に健三は細君の言葉の奥に果してどの位な真実が潜んでいるだろうかと反省して見るよりも、すぐ頭の力で彼女を抑えつけたがる男であった。事実の問題を離れて、単に論理の上から行くと、細君の方がこの場合も負けであった。熱に浮かされた時、魔睡薬に酔った時、もしくは夢を見る時、人間は必ずしも自分の思っている事ばかり物語るとは限らないのだから。しかしそうした論理は決して細君の心を服するに足りなかった。 「よござんす。どうせあなたは私を下女同様に取り扱うつもりでいらっしゃるんだから。自分一人さえ好ければ構わないと思って、……」  健三は座を立った細君の後姿を腹立たしそうに見送った。彼は論理の権威で自己を佯っている事にはまるで気が付かなかった。学問の力で鍛え上げた彼の頭から見ると、この明白な論理に心底から大人しく従い得ない細君は、全くの解らずやに違なかった。 十一  その晩細君は土鍋へ入れた粥をもって、また健三の枕元に坐った。それを茶碗に盛りながら、「御起になりませんか」と訊いた。  彼の舌にはまだ苔が一杯生えていた。重苦しいような厚ぼったいような口の中へ物を入れる気には殆んどなれなかった。それでも彼は何故だか床の上に起き返って、細君の手から茶碗を受取ろうとした。しかし舌障りの悪い飯粒が、ざらざらと咽喉の方へ滑り込んで行くだけなので、彼はたった一膳で口を拭ったなり、すぐ故の通り横になった。 「まだ食気が出ませんね」 「少しも旨くない」  細君は帯の間から一枚の名刺を出した。 「こういう人が貴方の寐ていらしゃるうちに来たんですが、御病気だから断って帰しました」  健三は寐ながら手を出して、鳥の子紙に刷ったその名刺を受取って、姓名を読んで見たが、まだ会った事も聞いた事もない人であった。 「何時来たのかい」 「たしか一昨日でしたろう。ちょっと御話ししようと思ったんですが、まだ熱が下らないから、わざと黙っていました」 「まるで知らない人だがな」 「でも島田の事でちょっと御主人に御目にかかりたいって来たんだそうですよ」  細君はとくに島田という二字に力を入れてこういいながら健三の顔を見た。すると彼の頭にこの間途中で会った帽子を被らない男の影がすぐひらめいた。熱から覚めた彼には、それまでこの男の事を思い出す機会がまるでなかったのである。 「御前島田の事を知ってるのかい」 「あの長い手紙が御常さんって女から届いた時、貴方が御話しなすったじゃありませんか」  健三は何とも答えずに一旦下へ置いた名刺をまた取り上げて眺めた。島田の事をその時どれほど詳しく彼女に話したか、それが彼には不確であった。 「ありゃ何時だったかね。よッぽど古い事だろう」  健三はその長々しい手紙を細君に見せた時の心持を思い出して苦笑した。 「そうね。もう七年位になるでしょう。私たちがまだ千本通りにいた時分ですから」  千本通りというのは、彼らがその頃住んでいた或都会の外れにある町の名であった。  細君はしばらくして、「島田の事なら、あなたに伺わないでも、御兄さんからも聞いて知ってますわ」といった。 「兄がどんな事をいったかい」 「どんな事って、――なんでも余り善くない人だっていう話じゃありませんか」  細君はまだその男の事について、健三の心を知りたい様子であった。しかし彼にはまた反対にそれを避けたい意向があった。彼は黙って眼を閉じた。盆に載せた土鍋と茶碗を持って席を立つ前、細君はもう一度こういった。 「その名刺の名前の人はまた来るそうですよ。いずれ御病気が御癒りになったらまた伺いますからって、帰って行ったそうですから」  健三は仕方なしにまた眼を開いた。 「来るだろう。どうせ島田の代理だと名乗る以上はまた来るに極ってるさ」 「しかしあなた御会いになって? もし来たら」  実をいうと彼は会いたくなかった。細君はなおの事夫をこの変な男に会わせたくなかった。 「御会いにならない方が好いでしょう」 「会っても好い。何も怖い事はないんだから」  細君には夫の言葉が、また例の我だと取れた。健三はそれを厭だけれども正しい方法だから仕方がないのだと考えた。 十二  健三の病気は日ならず全快した。活字に眼を曝したり、万年筆を走らせたり、または腕組をしてただ考えたりする時が再び続くようになった頃、一度無駄足を踏ませられた男が突然また彼の玄関先に現われた。  健三は鳥の子紙に刷った吉田虎吉という見覚のある名刺を受取って、しばらくそれを眺めていた。細君は小さな声で「御会いになりますか」と訊ねた。 「会うから座敷へ通してくれ」  細君は断りたさそうな顔をして少し躊躇していた。しかし夫の様子を見てとった彼女は、何もいわずにまた書斎を出て行った。  吉田というのは、でっぷり肥った、かっぷくの好い、四十恰好の男であった。縞の羽織を着て、その頃まで流行った白縮緬の兵児帯にぴかぴかする時計の鎖を巻き付けていた。言葉使いから見ても、彼は全くの町人であった。そうかといって、決して堅気の商人とは受取れなかった。「なるほど」というべきところを、わざと「なある」と引張ったり、「御尤も」の代りに、さも感服したらしい調子で、「いかさま」と答えたりした。  健三には会見の順序として、まず吉田の身元から訊いてかかる必要があった。しかし彼よりは能弁な吉田は、自分の方で聞かれない先に、素性の概略を説明した。  彼はもと高崎にいた。そうして其所にある兵営に出入して、糧秣を納めるのが彼の商買であった。 「そんな関係から、段々将校方の御世話になるようになりまして。その内でも柴野の旦那には特別御贔負になったものですから」  健三は柴野という名を聞いて急に思い出した。それは島田の後妻の娘が嫁に行った先の軍人の姓であった。 「その縁故で島田を御承知なんですね」  二人はしばらくその柴野という士官について話し合った。彼が今高崎にいない事や、もっと遠くの西の方へ転任してから幾年目になるという事や、相変らずの大酒で家計があまり裕でないという事や、すべてこれらは、健三に取って耳新らしい報知に違なかったが、同時に大した興味を惹く話題にもならなかった。この夫婦に対して何らの悪感も抱いていない健三は、ただそうかと思って平気に聞いているだけであった。しかし話が本筋に入って、いよいよ島田の事を持ち出された時彼は、自然厭な心持がした。  吉田はしきりにこの老人の窮迫の状を訴え始めた。 「人間があまり好過ぎるもんですから、つい人に騙されてみんな損っちまうんです。とても取れる見込のないのにむやみに金を出してやったり何かするもんですからな」 「人間が好過ぎるんでしょうか。あんまり慾張るからじゃありませんか」  たとい吉田のいう通り老人が困窮しているとしたところで、健三にはこうより外に解釈の道はなかった。しかも困窮というからしてが既に怪しかった。肝心の代表者たる吉田も強いてその点は弁護しなかった。「あるいはそうかも知れません」といったなり、後は笑に紛らしてしまった。そのくせ月々若干か貢いで遣ってくれる訳には行くまいかという相談をすぐその後から持ち出した。  正直な健三はつい自分の経済事状を打ち明けて、この一面識しかない男に話さなければならなくなった。彼は自己の手に入る百二、三十円の月収が、どう消費されつつあるかを詳しく説明して、月々あとに残るものは零だという事を相手に納得させようとした。吉田は例の「なある」と「いかさま」を時々使って、神妙に健三の弁解を聴いた。しかし彼がどこまで彼を信用して、どこから彼を疑い始めているか、その点は健三にも分らなかった。ただ先方はどこまでも下手に出る手段を主眼としているらしく見えた。不穏の言葉は無論、強請がましい様子は噫にも出さなかった。 十三  これで吉田の持って来た用件の片が付いたものと解釈した健三は、心のうちで暗に彼の帰るのを予期した。しかし彼の態度は明らかにこの予期の裏を行った。金の問題にはそれぎり触れなかったが、毒にも薬にもならない世間話を何時までも続けて動かなかった。そうして自然天然話頭をまた島田の身の上に戻して来た。 「どんなものでしょう。老人も取る年で近頃は大変心細そうな事ばかりいっていますが、――どうかして元通りの御交際は願えないものでしょうか」  健三はちょっと返答に窮した。仕方なしに黙って二人の間に置かれた烟草盆を眺めていた。彼の頭のなかには、重たそうに毛繻子の洋傘をさして、異様の瞳を彼の上に据えたその老人の面影がありありと浮かんだ。彼はその人の世話になった昔を忘れる訳に行かなかった。同時に人格の反射から来るその人に対しての嫌悪の情も禁ずる事が出来なかった。両方の間に板挟みとなった彼は、しばらく口を開き得なかった。 「手前も折角こうして上がったものですから、これだけはどうぞ曲げて御承知を願いたいもので」  吉田の様子はいよいよ丁寧になった。どう考えても交際のは厭でならなかった健三は、またどうしてもそれを断わるのを不義理と認めなければ済まなかった。彼は厭でも正しい方に従おうと思い極めた。 「そういう訳なら宜しゅう御座います。承知の旨を向へ伝えて下さい。しかし交際は致しても、昔のような関係ではとても出来ませんから、それも誤解のないように申し伝えて下さい。それから私の今の状況では、私の方から時々出掛けて行って老人に慰藉を与えるなんて事は六ずかしいのですが……」 「するとまあただ御出入をさせて頂くという訳になりますな」  健三には御出入という言葉を聞くのが辛かった。そうだともそうでないともいいかねて、また口を閉じた。 「いえなにそれで結構で、――昔と今とは事情もまるで違ますから」  吉田は自分の役目が漸く済んだという顔付をしてこういった後、今まで持ち扱っていた烟草入を腰へさしたなり、さっさと帰って行った。  健三は彼を玄関まで送り出すと、すぐ書斎へ入った。その日の仕事を早く片付けようという気があるので、いきなり机へ向ったが、心のどこかに引懸りが出来て、なかなか思う通りに捗取らなかった。  其所へ細君がちょっと顔を出した。「あなた」と二返ばかり声を掛けたが、健三は机の前に坐ったなり振り向かなかった。細君がそのまま黙って引込んだ後、健三は進まぬながら仕事を夕方まで続けた。  平生よりは遅くなって漸く夕食の食卓に着いた時、彼は始めて細君と言葉を換わした。 「先刻来た吉田って男は一体何なんですか」と細君が訊いた。 「元高崎で陸軍の用達か何かしていたんだそうだ」と健三が答えた。  問答は固よりそれだけで尽きるはずがなかった。彼女は吉田と柴野との関係やら、彼と島田との間柄やらについて、自分に納得の行くまで夫から説明を求めようとした。 「どうせ御金か何か呉れっていうんでしょう」 「まあそうだ」 「それで貴方どうなすって、――どうせ御断りになったでしょうね」 「うん、断った。断るより外に仕方がないからな」  二人は腹の中で、自分らの家の経済状態を別々に考えた。月々支出している、また支出しなければならない金額は、彼に取って随分苦しい労力の報酬であると同時に、それで凡てを賄って行く細君に取っても、少しも裕なものとはいわれなかった。 十四  健三はそれぎり座を立とうとした。しかし細君にはまだ訊きたい事が残っていた。 「それで素直に帰って行ったんですか、あの男は。少し変ね」 「だって断られれば仕方がないじゃないか。喧嘩をする訳にも行かないんだから」 「だけど、また来るんでしょう。ああして大人しく帰って置いて」 「来ても構わないさ」 「でも厭ですわ、蒼蠅くって」  健三は細君が次の間で先刻の会話を残らず聴いていたものと察した。 「御前聴いてたんだろう、悉皆」  細君は夫の言葉を肯定しない代りに否定もしなかった。 「じゃそれで好いじゃないか」  健三はこういったなりまた立って書斎へ行こうとした。彼は独断家であった。これ以上細君に説明する必要は始めからないものと信じていた。細君もそうした点において夫の権利を認める女であった。けれども表向夫の権利を認めるだけに、腹の中には何時も不平があった。事々について出て来る権柄ずくな夫の態度は、彼女に取って決して心持の好いものではなかった。何故もう少し打ち解けてくれないのかという気が、絶えず彼女の胸の奥に働らいた。そのくせ夫を打ち解けさせる天分も技倆も自分に充分具えていないという事実には全く無頓着であった。 「あなた島田と交際っても好いと受合っていらしったようですね」 「ああ」  健三はそれがどうしたといった風の顔付をした。細君は何時でも此所まで来て黙ってしまうのを例にしていた。彼女の性質として、夫がこういう態度に出ると、急に厭気がさして、それから先一歩も前へ出る気になれないのである。その不愛想な様子がまた夫の気質に反射して、益彼を権柄ずくにしがちであった。 「御前や御前の家族に関係した事でないんだから、構わないじゃないか、己一人で極めたって」 「そりゃ私に対して何も構って頂かなくっても宜ござんす。構ってくれったって、どうせ構って下さる方じゃないんだから、……」  学問をした健三の耳には、細君のいう事がまるで脱線であった。そうしてその脱線はどうしても頭の悪い証拠としか思われなかった。「また始まった」という気が腹の中でした。しかし細君はすぐ当の問題に立ち戻って、彼の注意を惹かなければならないような事をいい出した。 「しかし御父さまに悪いでしょう。今になってあの人と御交際いになっちゃあ」 「御父さまって己のおやじかい」 「無論貴方の御父さまですわ」 「己のおやじはとうに死んだじゃないか」 「しかし御亡くなりになる前、島田とは絶交だから、向後一切付合をしちゃならないって仰しゃったそうじゃありませんか」  健三は自分の父と島田とが喧嘩をして義絶した当時の光景をよく覚えていた。しかし彼は自分の父に対してさほど情愛の籠った優しい記憶を有っていなかった。その上絶交云々についても、そう厳重にいい渡された覚はなかった。 「御前誰からそんな事を聞いたのかい。己は話したつもりはないがな」 「貴方じゃありません。御兄さんに伺ったんです」  細君の返事は健三に取って不思議でも何でもなかった。同時に父の意志も兄の言葉も、彼には大した影響を与えなかった。 「おやじは阿爺、兄は兄、己は己なんだから仕方がない。己から見ると、交際を拒絶するだけの根拠がないんだから」  こういい切った健三は、腹の中でその交際が厭で厭で堪らないのだという事実を意識した。けれどもその腹の中はまるで細君の胸に映らなかった。彼女はただ自分の夫がまた例の頑固を張り通して、徒らに皆なの意見に反対するのだとばかり考えた。 十五  健三は昔その人に手を引かれて歩いた。その人は健三のために小さい洋服を拵らえてくれた。大人さえあまり外国の服装に親しみのない古い時分の事なので、裁縫師は子供の着るスタイルなどにはまるで頓着しなかった。彼の上着には腰のあたりに釦が二つ並んでいて、胸は開いたままであった。霜降の羅紗も硬くごわごわして、極めて手触が粗かった。ことに洋袴は薄茶色に竪溝の通った調馬師でなければ穿かないものであった。しかし当時の彼はそれを着て得意に手を引かれて歩いた。  彼の帽子もその頃の彼には珍らしかった。浅い鍋底のような形をしたフェルトをすぽりと坊主頭へ頭巾のように被るのが、彼に大した満足を与えた。例の如くその人に手を引かれて、寄席へ手品を見に行った時、手品師が彼の帽子を借りて、大事な黒羅紗の山の裏から表へ指を突き通して見せたので、彼は驚ろきながら心配そうに、再びわが手に帰った帽子を、何遍か撫でまわして見た事もあった。  その人はまた彼のために尾の長い金魚をいくつも買ってくれた。武者絵、錦絵、二枚つづき三枚つづきの絵も彼のいうがままに買ってくれた。彼は自分の身体にあう緋縅しの鎧と竜頭の兜さえ持っていた。彼は日に一度位ずつその具足を身に着けて、金紙で拵えた采配を振り舞わした。  彼はまた子供の差す位な短かい脇差の所有者であった。その脇差の目貫は、鼠が赤い唐辛子を引いて行く彫刻で出来上っていた。彼は銀で作ったこの鼠と珊瑚で拵えたこの唐辛子とを、自分の宝物のように大事がった。彼は時々この脇差が抜いて見たくなった。また何度も抜こうとした。けれども脇差は何時も抜けなかった。――この封建時代の装飾品もやはりその人の好意で小さな健三の手に渡されたのである。  彼はまたその人に連れられて、よく船に乗った。船にはきっと腰蓑を着けた船頭がいて網を打った。いなだの鰡だのが水際まで来て跳ね躍る様が小さな彼の眼に白金のような光を与えた。船頭は時々一里も二里も沖へ漕いで行って、海というものまで捕った。そういう場合には高い波が来て舟を揺り動かすので、彼の頭はすぐ重くなった。そうして舟の中へ寐てしまう事が多かった。彼の最も面白がったのは河豚の網にかかった時であった。彼は杉箸で河豚の腹をかんから太鼓のように叩いて、その膨れたり怒ったりする様子を見て楽しんだ。……  吉田と会見した後の健三の胸には、ふとこうした幼時の記憶が続々湧いて来る事があった。凡てそれらの記憶は、断片的な割に鮮明に彼の心に映るものばかりであった。そうして断片的ではあるが、どれもこれも決してその人と引き離す事は出来なかった。零砕の事実を手繰り寄せれば寄せるほど、種が無尽蔵にあるように見えた時、またその無尽蔵にある種の各自のうちには必ず帽子を披らない男の姿が織り込まれているという事を発見した時、彼は苦しんだ。 「こんな光景をよく覚えているくせに、何故自分の有っていたその頃の心が思い出せないのだろう」  これが健三にとって大きな疑問になった。実際彼は幼少の時分これほど世話になった人に対する当時のわが心持というものをまるで忘れてしまった。 「しかしそんな事を忘れるはずがないんだから、ことによると始めからその人に対してだけは、恩義相応の情合が欠けていたのかも知れない」  健三はこうも考えた。のみならず多分この方だろうと自分を解釈した。  彼はこの事件について思い出した幼少の時の記憶を細君に話さなかった。感情に脆い女の事だから、もしそうでもしたら、あるいは彼女の反感を和らげるに都合が好かろうとさえ思わなかった。 十六  待ち設けた日がやがて来た。吉田と島田とはある日の午後連れ立って健三の玄関に現れた。  健三はこの昔の人に対してどんな言葉を使って、どんな応対をして好いか解らなかった。思慮なしにそれらを極めてくれる自然の衝動が今の彼にはまるで欠けていた。彼は二十年余も会わない人と膝を突き合せながら、大した懐かしみも感じ得ずに、むしろ冷淡に近い受答えばかりしていた。  島田はかねて横風だという評判のある男であった。健三の兄や姉は単にそれだけでも彼を忌み嫌っている位であった。実は健三自身も心のうちでそれを恐れていた。今の健三は、単に言葉遣いの末でさえ、こんな男から自尊心を傷けられるには、あまりに高過ぎると、自分を評価していた。  しかし島田は思ったよりも鄭寧であった。普通初見の人が挨拶に用いる「ですか」とか、「ません」とかいうてにはで、言葉の語尾を切る注意をわざと怠らないように見えた。健三はむかしその人から健坊々々と呼ばれた幼い時分を思い出した。関係が絶えてからも、会いさえすれば、やはり同じ健坊々々で通すので、彼はそれを厭に感じた過去も、自然胸のうちに浮かんだ。 「しかしこの調子なら好いだろう」  健三はそれで、出来るだけ不快の顔を二人に見せまいと力めた。向うもなるべく穏かに帰るつもりと見えて、少しも健三の気を悪くするような事はいわなかった。それがために、当然双方の間に話題となるべき懐旧談なども殆ど出なかった。従って談話はややともすると途切れがちになった。  健三はふと雨の降った朝の出来事を考えた。 「この間二度ほど途中で御目にかかりましたが、時々あの辺を御通りになるんですか」 「実はあの高橋の総領の娘が片付いている所がついこの先にあるもんですから」  高橋というのは誰の事だか健三には一向解らなかった。 「はあ」 「そら知ってるでしょう。あの芝の」  島田の後妻の親類が芝にあって、其所の家は何でも神主か坊主だという事を健三は子供心に聞いて覚えているような気もした。しかしその親類の人には、要さんという彼とおない年位な男に二、三遍会ったぎりで、他のものに顔を合せた記憶はまるでなかった。 「芝というと、たしか御藤さんの妹さんに当る方の御嫁にいらしった所でしたね」 「いえ姉ですよ。妹ではないんです」 「はあ」 「要三だけは死にましたが、あとの姉妹はみんな好い所へ片付いてね、仕合せですよ。そら総領のは、多分知っておいでだろう、――へ行ったんです」  ――という名前はなるほど健三に耳新しいものではなかった。しかしそれはもうよほど前に死んだ人であった。 「あとが女と子供ばかりで困るもんだから、何かにつけて、叔父さん叔父さんて重宝がられましてね。それに近頃は宅に手入をするんで監督の必要が出来たものだから、殆ど毎日のように此所の前を通ります」  健三は昔この男につれられて、池の端の本屋で法帖を買ってもらった事をわれ知らず思い出した。たとい一銭でも二銭でも負けさせなければ物を買った例のないこの人は、その時も僅か五厘の釣銭を取るべく店先へ腰を卸して頑として動かなかった。董其昌の折手本を抱えて傍に佇立んでいる彼に取ってはその態度が如何にも見苦しくまた不愉快であった。 「こんな人に監督される大工や左官はさぞ腹の立つ事だろう」  健三はこう考えながら、島田の顔を見て苦笑を洩らした。しかし島田は一向それに気が付かないらしかった。 十七 「でも御蔭さまで、本を遺して行ってくれたもんですから、あの男が亡くなっても、あとはまあ困らないで、どうにかこうにか遣って行けるんです」  島田は――の作った書物を世の中の誰でもが知っていなければならないはずだといった風の口調でこういった。しかし健三は不幸にしてその著書の名前を知らなかった。字引か教科書だろうとは推察したが、別に訊いて見る気にもならなかった。 「本というものは実に有難いもので、一つ作って置くとそれが何時までも売れるんですからね」  健三は黙っていた。仕方なしに吉田が相手になって、何でも儲けるには本に限るような事をいった。 「御祝儀は済んだが、――が死んだ時後が女だけだもんだから、実は私が本屋に懸け合いましてね。それで年々いくらと極めて、向うから収めさせるようにしたんです」 「へえ、大したもんですな。なるほどどうも学問をなさる時は、それだけ資金が要るようで、ちょっと損な気もしますが、さて仕上げて見ると、つまりその方が利廻りの好い訳になるんだから、無学のものはとても敵いませんな」 「結局得ですよ」  彼らの応対は健三に何の興味も与えなかった。その上いくら相槌を打とうにも打たれないような変な見当へ向いて進んで行くばかりであった。手持無沙汰な彼は、やむをえず二人の顔を見比べながら、時々庭の方を眺めた。  その庭はまた見苦しく手入の届かないものであった。何時緑をとったか分らないような一本の松が、息苦しそうに蒼黒い葉を垣根の傍に茂らしている外に、木らしい木は殆どなかった。箒に馴染まない地面は小石交りに凸凹していた。 「こちらの先生も一つ御儲けになったら如何です」  吉田は突然健三の方を向いた。健三は苦笑しない訳に行かなかった。仕方なしに「ええ儲けたいものですね」といって跋を合せた。 「なに訳はないんです。洋行まですりゃ」  これは年寄の言葉であった。それがあたかも自分で学資でも出して、健三を洋行させたように聞こえたので、彼は厭な顔をした。しかし老人は一向そんな事に頓着する様子も見えなかった。迷惑そうな健三の体を見ても澄ましていた。しまいに吉田が例の烟草入を腰へ差して、「では今日はこれで御暇を致す事にしましょうか」と催促したので、彼は漸く帰る気になったらしかった。  二人を送り出してまたちょっと座敷へ戻った健三は、再び座蒲団の上に坐ったまま、腕組をして考えた。 「一体何のために来たのだろう。これじゃ他を厭がらせに来るのと同じ事だ。あれで向は面白いのだろうか」  彼の前には先刻島田の持って来た手土産がそのまま置いてあった。彼はぼんやりその粗末な菓子折を眺めた。  何にもいわずに茶碗だの烟草盆を片付け始めた細君は、しまいに黙って坐っている彼の前に立った。 「あなたまだ其処に坐っていらっしゃるんですか」 「いやもう立っても好い」  健三はすぐ立上ろうとした。 「あの人たちはまた来るんでしょうか」 「来るかも知れない」  彼はこう言い放ったまま、また書斎へ入った。一しきり箒で座敷を掃く音が聞えた。それが済むと、菓子折を奪り合う子供の声がした。凡てがやがて静になったと思う頃、黄昏の空からまた雨が落ちて来た。健三は買おう買おうと思いながら、ついまだ買わずにいるオヴァーシューの事を思い出した。 十八  雨の降る日が幾日も続いた。それがからりと晴れた時、染付けられたような空から深い輝きが大地の上に落ちた。毎日欝陶しい思いをして、縫針にばかり気をとられていた細君は、縁鼻へ出てこの蒼い空を見上げた。それから急に箪笥の抽斗を開けた。  彼女が服装を改ためて夫の顔を覗きに来た時、健三は頬杖を突いたまま盆槍汚ない庭を眺めていた。 「あなた何を考えていらっしゃるの」  健三はちょっと振り返って細君の余所行姿を見た。その刹那に爛熟した彼の眼はふとした新らし味を自分の妻の上に見出した。 「どこかへ行くのかい」 「ええ」  細君の答は彼に取って余りに簡潔過ぎた。彼はまたもとの佗びしい我に帰った。 「子供は」 「子供も連れて行きます。置いて行くと八釜しくって御蒼蠅いでしょうから」  その日曜の午後を健三は独り静かに暮らした。  細君の帰って来たのは、彼が夕飯を済ましてまた書斎へ引き取った後なので、もう灯が点いてから一、二時間経っていた。 「ただ今」  遅くなりましたとも何ともいわない彼女の無愛嬌が、彼には気に入らなかった。彼はちょっと振り向いただけで口を利かなかった。するとそれがまた細君の心に暗い影を投げる媒介となった。細君もそのまま立って茶の間の方へ行ってしまった。  話をする機会はそれぎり二人の間に絶えた。彼らは顔さえ見れば自然何かいいたくなるような仲の好い夫婦でもなかった。またそれだけの親しみを現わすには、御互が御互に取ってあまりに陳腐過ぎた。  二、三日経ってから細君は始めてその日外出した折の事を食事の時話題に上せた。 「此間宅へ行ったら、門司の叔父に会いましてね。随分驚ろいちまいました。まだ台湾にいるのかと思ったら、何時の間にか帰って来ているんですもの」  門司の叔父というのは油断のならない男として彼らの間に知られていた。健三がまだ地方にいる頃、彼は突然汽車で遣って来て、急に入用が出来たから、是非とも少し都合してくれまいかと頼むので、健三は地方の銀行に預けて置いた貯金を些少ながら用立てたら、立派に印紙を貼った証文を後から郵便で送って来た。その中に「但し利子の儀は」という文句まで書き添えてあったので、健三はむしろ堅過ぎる人だと思ったが、貸した金はそれぎり戻って来なかった。 「今何をしているのかね」 「何をしているんだか分りゃしません。何とかの会社を起すんで、是非健三さんにも賛成してもらいたいから、その内上るつもりだっていってました」  健三にはその後を訊く必要もなかった。彼が昔し金を借りられた時分にも、この叔父は何かの会社を建てているとかいうので彼はそれを本当にしていた。細君の父もそれを疑わなかった。叔父はその父を旨く説きつけて、門司まで引張って行った。そうしてこれが今建築中の会社だといって、縁もゆかりもない他人の建てている家を見せた。彼は実にこの手段で細君の父から何千かの資本を捲き上げたのである。  健三はこの人についてこれ以上何も知りたがらなかった。細君もいうのが厭らしかった。しかし何時もの通り会話は其所で切れてしまわなかった。 「あの日はあまり好い御天気だったから、久しぶりで御兄さんの所へも廻って来ました」 「そうか」  細君の里は小石川台町で、健三の兄の家は市ヶ谷薬王寺前だから、細君の訪問は大した迂回でもなかった。 十九 「御兄さんに島田の来た事を話したら驚ろいていらっしゃいましたよ。今更来られた義理じゃないんだって。健三もあんなものを相手にしなければ好いのにって」  細君の顔には多少諷諫の意が現われていた。 「それを聞きに、御前わざわざ薬王寺前へ廻ったのかい」 「またそんな皮肉を仰しゃる。あなたはどうしてそう他のする事を悪くばかり御取りになるんでしょう。妾あんまり御無沙汰をして済まないと思ったから、ただ帰りにちょっと伺っただけですわ」  彼が滅多に行った事のない兄の家へ、細君がたまに訪ねて行くのは、つまり夫の代りに交際の義理を立てているようなものなので、いかな健三もこれには苦情をいう余地がなかった。 「御兄さんは貴夫のために心配していらっしゃるんですよ。ああいう人と交際いだして、またどんな面倒が起らないとも限らないからって」 「面倒ってどんな面倒を指すのかな」 「そりゃ起って見なければ、御兄さんにだって分りっ子ないでしょうけれども、何しろ碌な事はないと思っていらっしゃるんでしょう」  碌な事があろうとは健三にも思えなかった。 「しかし義理が悪いからね」 「だって御金を遣って縁を切った以上、義理の悪い訳はないじゃありませんか」  手切の金は昔し養育料の名前の下に、健三の父の手から島田に渡されたのである。それはたしか健三が廿二の春であった。 「その上その御金をやる十四、五年も前から貴夫は、もう貴夫の宅へ引き取られていらしったんでしょう」  いくつの年からいくつの年まで、彼が全然島田の手で養育されたのか、健三にも判然分らなかった。 「三つから七つまでですって。御兄さんがそう御仰いましたよ」 「そうかしら」  健三は夢のように消えた自分の昔を回顧した。彼の頭の中には眼鏡で見るような細かい絵が沢山出た。けれどもその絵にはどれを見ても日付がついていなかった。 「証文にちゃんとそう書いてあるそうですから大丈夫間違はないでしょう」  彼は自分の離籍に関した書類というものを見た事がなかった。 「見ない訳はないわ。きっと忘れていらっしゃるんですよ」 「しかし八ッで宅へ帰ったにしたところで復籍するまでは多少往来もしていたんだから仕方がないさ。全く縁が切れたという訳でもないんだからね」  細君は口を噤んだ。それが何故だか健三には淋しかった。 「己も実は面白くないんだよ」 「じゃ御止しになれば好いのに。つまらないわ、貴夫、今になってあんな人と交際うのは。一体どういう気なんでしょう、先方は」 「それが己には些とも解らない。向でもさぞ詰らないだろうと思うんだがね」 「御兄さんは何でもまた金にしようと思って遣って来たに違いないから、用心しなくっちゃいけないっていっていらっしゃいましたよ」 「しかし金は始めから断っちまったんだから、構わないさ」 「だってこれから先何をいい出さないとも限らないわ」  細君の胸には最初からこうした予感が働らいていた。其所を既に防ぎ止めたとばかり信じていた理に強い健三の頭に、微かな不安がまた新らしく萌した。 二十  その不安は多少彼の仕事の上に即いて廻った。けれども彼の仕事はまたその不安の影をどこかへ埋めてしまうほど忙がしかった。そうして島田が再び健三の玄関へ現れる前に、月は早くも末になった。  細君は鉛筆で汚ならしく書き込んだ会計簿を持って彼の前に出た。  自分の外で働いて取る金額の全部を挙げて細君の手に委ねるのを例にしていた健三には、それが意外であった。彼はいまだかつて月末に細君の手から支出の明細書を突き付けられた例がなかった。 「まあどうにかしているんだろう」  彼は常にこう考えた。それで自分に金の要る時は遠慮なく細君に請求した。月々買う書物の代価だけでも随分の多額に上る事があった。それでも細君は澄ましていた。経済に暗い彼は時として細君の放漫をさえ疑った。 「月々の勘定はちゃんとして己に見せなければいけないぜ」  細君は厭な顔をした。彼女自身からいえば自分ほど忠実な経済家はどこにもいない気なのである。 「ええ」  彼女の返事はこれぎりであった。そうして月末が来ても会計簿はついに健三の手に渡らなかった。健三も機嫌の好い時はそれを黙認した。けれども悪い時は意地になってわざと見せろと逼る事があった。そのくせ見せられるとごちゃごちゃしてなかなか解らなかった。たとい帳面づらは細君の説明を聴いて解るにしても、実際月に肴をどれだけ食たものか、または米がどれほど要ったものか、またそれが高過ぎるのか、安過ぎるのか、更に見当が付かなかった。  この場合にも彼は細君の手から帳簿を受取って、ざっと眼を通しただけであった。 「何か変った事でもあるのかい」 「どうかして頂かないと……」  細君は目下の暮し向について詳しい説明を夫にして聞かせた。 「不思議だね。それで能く今日まで遣って来られたものだね」 「実は毎月余らないんです」  余ろうとは健三にも思えなかった。先月末に旧い友達が四、五人でどこかへ遠足に行くとかいうので、彼にも勧誘の端書をよこした時、彼は二円の会費がないだけの理由で、同行を断った覚もあった。 「しかしかつかつ位には行きそうなものだがな」 「行っても行かなくっても、これだけの収入で遣って行くより仕方がないんですけれども」  細君はいい悪そうに、箪笥の抽匣にしまって置いた自分の着物と帯を質に入れた顛末を話した。  彼は昔自分の姉や兄が彼らの晴着を風呂敷へ包んで、こっそり外へ持って出たりまた持って入ったりしたのをよく目撃した。他に知れないように気を配りがちな彼らの態度は、あたかも罪を犯した日影者のように見えて、彼の子供心に淋しい印象を刻み付けた。こうした聯想が今の彼を特更に佗びしく思わせた。 「質を置いたって、御前が自分で置きに行ったのかい」  彼自身いまだ質屋の暖簾を潜った事のない彼は、自分より貧苦の経験に乏しい彼女が、平気でそんな所へ出入するはずがないと考えた。 「いいえ頼んだんです」 「誰に」 「山野のうちの御婆さんにです。あすこには通いつけの質屋の帳面があって便利ですから」  健三はその先を訊かなかった。夫が碌な着物一枚さえ拵えてやらないのに、細君が自分の宅から持ってきたものを質に入れて、家計の足にしなければならないというのは、夫の恥に相違なかった。 二十一  健三はもう少し働らこうと決心した。その決心から来る努力が、月々幾枚かの紙幣に変形して、細君の手に渡るようになったのは、それから間もない事であった。  彼は自分の新たに受取ったものを洋服の内隠袋から出して封筒のまま畳の上へ放り出した。黙ってそれを取り上げた細君は裏を見て、すぐその紙幣の出所を知った。家計の不足はかくの如くにして無言のうちに補なわれたのである。  その時細君は別に嬉しい顔もしなかった。しかしもし夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっと嬉しい顔をする事が出来たろうにと思った。健三はまたもし細君が嬉しそうにそれを受取ってくれたら優しい言葉も掛けられたろうにと考えた。それで物質的の要求に応ずべく工面されたこの金は、二人の間に存在する精神上の要求を充たす方便としてはむしろ失敗に帰してしまった。  細君はその折の物足らなさを回復するために、二、三日経ってから、健三に一反の反物を見せた。 「あなたの着物を拵えようと思うんですが、これはどうでしょう」  細君の顔は晴々しく輝やいていた。しかし健三の眼にはそれが下手な技巧を交えているように映った。彼はその不純を疑がった。そうしてわざと彼女の愛嬌に誘われまいとした。細君は寒そうに座を立った。細君の座を立った後で、彼は何故自分の細君を寒がらせなければならない心理状態に自分が制せられたのかと考えて益不愉快になった。  細君と口を利く次の機会が来た時、彼はこういった。 「己は決して御前の考えているような冷刻な人間じゃない。ただ自分の有っている温かい情愛を堰き止めて、外へ出られないように仕向けるから、仕方なしにそうするのだ」 「誰もそんな意地の悪い事をする人はいないじゃありませんか」 「御前はしょっちゅうしているじゃないか」  細君は恨めしそうに健三を見た。健三の論理はまるで細君に通じなかった。 「貴夫の神経は近頃よっぽど変ね。どうしてもっと穏当に私を観察して下さらないのでしょう」  健三の心には細君の言葉に耳を傾ける余裕がなかった。彼は自分に不自然な冷かさに対して腹立たしいほどの苦痛を感じていた。 「あなたは誰も何にもしないのに、自分一人で苦しんでいらっしゃるんだから仕方がない」  二人は互に徹底するまで話し合う事のついに出来ない男女のような気がした。従って二人とも現在の自分を改める必要を感じ得なかった。  健三の新たに求めた余分の仕事は、彼の学問なり教育なりに取って、さして困難のものではなかった。ただ彼はそれに費やす時間と努力とを厭った。無意味に暇を潰すという事が目下の彼には何よりも恐ろしく見えた。彼は生きているうちに、何かし終せる、またし終せなければならないと考える男であった。  彼がその余分の仕事を片付けて家に帰るときは何時でも夕暮になった。  或日彼は疲れた足を急がせて、自分の家の玄関の格子を手荒く開けた。すると奥から出て来た細君が彼の顔を見るなり、「あなたあの人がまた来ましたよ」といった。細君は島田の事を始終あの人あの人と呼んでいたので、健三も彼女の様子と言葉から、留守のうちに誰が来たのかほぼ見当が付いた。彼は無言のまま茶の間へ上って、細君に扶けられながら洋服を和服に改めた。 二十二  彼が火鉢の傍に坐って、烟草を一本吹かしていると、間もなく夕飯の膳が彼の前に運ばれた。彼はすぐ細君に質問を掛けた。 「上ったのかい」  細君には何が上ったのか解らない位この質問は突然であった。ちょっと驚ろいて健三の顔を見た彼女は、返事を待ち受けている夫の様子から始めてその意味を悟った。 「あの人ですか。――でも御留守でしたから」  細君は座敷へ島田を上げなかったのが、あたかも夫の気に障る事でもしたような調子で、言訳がましい答をした。 「上げなかったのかい」 「ええ。ただ玄関でちょっと」 「何とかいっていたかい」 「とうに伺うはずだったけれども、少し旅行していたものだから御不沙汰をして済みませんって」  済みませんという言葉が一種の嘲弄のように健三の耳に響いた。 「旅行なんぞするのかな、田舎に用のある身体とも思えないが。御前にその行った先を話したかい」 「そりゃ何ともいいませんでした。ただ娘の所で来てくれって頼まれたから行って来たっていいました。大方あの御縫さんて人の宅なんでしょう」  御縫さんの嫁いた柴野という男には健三もその昔会った覚があった。柴野の今の任地先もこの間吉田から聞いて知っていた。それは師団か旅団のある中国辺の或都会であった。 「軍人なんですか、その御縫さんて人の御嫁に行った所は」  健三が急に話を途切らしたので、細君はしばらく間を置いたあとでこんな問を掛けた。 「能く知ってるね」 「何時か御兄さんから伺いましたよ」  健三は心のうちで昔見た柴野と御縫さんの姿を並べて考えた。柴野は肩の張った色の黒い人であったが、眼鼻立からいうとむしろ立派な部類に属すべき男に違なかった。御縫さんはまたすらりとした恰好の好い女で、顔は面長の色白という出来であった。ことに美くしいのは睫毛の多い切長のその眼のように思われた。彼らの結婚したのは柴野がまだ少尉か中尉の頃であった。健三は一度その新宅の門を潜った記憶を有っていた。その時柴野は隊から帰って来た身体を大きくして、長火鉢の猫板の上にある洋盃から冷酒をぐいぐい飲んだ。御縫さんは白い肌をあらわに、鏡台の前で鬢を撫でつけていた。彼はまた自分の分として取り配けられた握り鮨をしきりに皿の中から撮んで食べた。…… 「御縫さんて人はよっぽど容色が好いんですか」 「何故」 「だって貴夫の御嫁にするって話があったんだそうじゃありませんか」  なるほどそんな話もない事はなかった。健三がまだ十五、六の時分、ある友達を往来へ待たせて置いて、自分一人ちょっと島田の家へ寄ろうとした時、偶然門前の泥溝に掛けた小橋の上に立って往来を眺めていた御縫さんは、ちょっと微笑しながら出合頭の健三に会釈した。それを目撃した彼の友達は独乙語を習い始めの子供であったので、「フラウ門に倚って待つ」といって彼をひやかした。しかし御縫さんは年歯からいうと彼より一つ上であった。その上その頃の健三は、女に対する美醜の鑑別もなければ好悪も有たなかった。それから羞恥に似たような一種妙な情緒があって、女に近寄りたがる彼を、自然の力で、護謨球のように、かえって女から弾き飛ばした。彼と御縫さんとの結婚は、他に面倒のあるなしを差措いて、到底物にならないものとして放棄されてしまった。 二十三 「貴夫どうしてその御縫さんて人を御貰いにならなかったの」  健三は膳の上から急に眼を上げた。追憶の夢を愕ろかされた人のように。 「まるで問題にゃならない。そんな料簡は島田にあっただけなんだから。それに己はまだ子供だったしね」 「あの人の本当の子じゃないんでしょう」 「無論さ。御縫さんは御藤さんの連れっ子だもの」  御藤さんというのは島田の後妻の名であった。 「だけど、もしその御縫さんて人と一所になっていらしったら、どうでしょう。今頃は」 「どうなってるか判らないじゃないか、なって見なければ」 「でも殊によると、幸福かも知れませんわね。その方が」 「そうかも知れない」  健三は少し忌々しくなった。細君はそれぎり口を噤んだ。 「何故そんな事を訊くのだい。詰らない」  細君は窘なめられるような気がした。彼女にはそれを乗り越すだけの勇気がなかった。 「どうせ私は始めっから御気に入らないんだから……」  健三は箸を放り出して、手を頭の中に突込んだ。そうして其所に溜っている雲脂をごしごし落し始めた。  二人はそれなり別々の室で別々の仕事をした。健三は御機嫌ようと挨拶に来た子供の去った後で、例の如く書物を読んだ。細君はその子供を寐かした後で、昼の残りの縫物を始めた。  御縫さんの話がまた二人の間の問題になったのは、中一日置いた後の事で、それも偶然の切ッ懸けからであった。  その時細君は一枚の端書を持って、健三の部屋へ這入って来た。それを夫の手に渡した彼女は、何時ものようにそのまま立ち去ろうともせずに、彼の傍に腰を卸した。健三が受取った端書を手に持ったなり何時までも読みそうにしないので、我慢しきれなくなった細君はついに夫を促した。 「あなたその端書は比田さんから来たんですよ」  健三は漸やく書物から眼を放した。 「あの人の事で何か用事が出来たんですって」  なるほど端書には島田の事で会いたいからちょっと来てくれと書いた上に、日と時刻が明記してあった。わざわざ彼を呼び寄せる失礼も鄭寧に詫びてあった。 「どうしたんでしょう」 「まるで判明らないね。相談でもなかろうし。こっちから相談を持ち懸けた事なんかまるでないんだから」 「みんなで交際っちゃいけないって忠告でもなさるんじゃなくって。御兄さんもいらっしゃると書いてあるでしょう、其所に」  端書には細君のいった通りの事がちゃんと書いてあった。  兄の名前を見た時、健三の頭にふとまた御縫さんの影が差した。島田が彼とこの女を一所にして、後まで両家の関係をつなごうとした如く、この女の生母はまた彼の兄と自分の娘とを夫婦にしたいような希望を有っていたらしかったのである。 「健ちゃんの宅とこんな間柄にならないとね。あたしも始終健ちゃんの家へ行かれるんだけれども」  御藤さんが健三にこんな事をいったのも、顧りみれば古い昔であった。 「だって御縫さんが今嫁いてる先は元からの許嫁なんでしょう」 「許嫁でも場合によったら断る気だったんだろうよ」 「一体御縫さんはどっちへ行きたかったんでしょう」 「そんな事が判明るもんか」 「じゃ御兄さんの方はどうなの」 「それも判明らんさ」  健三の子供の時分の記憶の中には、細君の問に応ぜられるような人情がかった材料が一つもなかった。 二十四  健三はやがて返事の端書を書いて承知の旨を答えた。そうして指定の日が来た時、約束通りまた津の守坂へ出掛けた。  彼は時間に対して頗ぶる正確な男であった。一面において愚直に近い彼の性格は、一面においてかえって彼を神経的にした。彼は途中で二度ほど時計を出して見た。実際今の彼は起きると寐るまで、始終時間に追い懸けられているようなものであった。  彼は途々自分の仕事について考えた。その仕事は決して自分の思い通りに進行していなかった。一歩目的へ近付くと、目的はまた一歩彼から遠ざかって行った。  彼はまた彼の細君の事を考えた。その当時強烈であった彼女の歇私的里は、自然と軽くなった今でも、彼の胸になお暗い不安の影を投げてやまなかった。彼はまたその細君の里の事を考えた。経済上の圧迫が家庭を襲おうとしているらしい気配が、船に乗った時の鈍い動揺を彼の精神に与える種となった。  彼はまた自分の姉と兄と、それから島田の事も一所に纏めて考えなければならなかった。凡てが頽廃の影であり凋落の色であるうちに、血と肉と歴史とで結び付けられた自分をも併せて考えなければならなかった。  姉の家へ来た時、彼の心は沈んでいた。それと反対に彼の気は興奮していた。 「いやどうもわざわざ御呼び立て申して」と比田が挨拶した。これは昔の健三に対する彼の態度ではなかった。しかし変って行く世相のうちに、彼がひとり姉の夫たるこの人にだけ優者になり得たという誇りは、健三にとって満足であるよりも、むしろ苦痛であった。 「ちょっと上がろうにも、どうにもこうにも忙がしくって遣り切れないもんですから。現に昨夜なども宿直でしてね。今夜も実は頼まれたんですけれども、貴方と御約束があるから、断わってやっとの事で今帰って来たところで」  比田のいうところを黙って聴いていると、彼が変な女をその勤先の近所に囲っているという噂はまるで嘘のようであった。  古風な言葉で形容すれば、ただ算筆に達者だという事の外に、大した学問も才幹もない彼が、今時の会社で、そう重宝がられるはずがないのに。――健三の心にはこんな疑問さえ湧いた。 「姉さんは」 「それに御夏がまた例の喘息でね」  姉は比田のいう通り針箱の上に載せた括り枕に倚りかかって、ぜいぜいいっていた。茶の間を覗きに立った健三の眼に、その乱れた髪の毛がむごたらしく映った。 「どうです」  彼女は頭を真直に上る事さえ叶わないで、小さな顔を横にしたまま健三を見た。挨拶をしようと思う努力が、すぐ咽喉に障ったと見えて、今まで多少落ち付いていた咳嗽の発作が一度に来た。その咳嗽は一つがまだ済まないうちに、後から後から仕切りなしに出て来るので、傍で見ていても気が退けた。 「苦しそうだな」  彼は独り言のようにこう囁やいて、眉を顰めた。  見馴れない四十恰好の女が、姉の後から脊中を撫っている傍に、一本の杉箸を添えた水飴の入物が盆の上に載せてあった。女は健三に会釈した。 「どうも一昨日からね、あなた」  姉はこうして三日も四日も不眠絶食の姿で衰ろえて行ったあと、また活作用の弾力で、じりじり元へ戻るのを、年来の習慣としていた。それを知らない健三ではなかったが、目前この猛烈な咳嗽と消え入るような呼息遣とを見ていると、病気に罹った当人よりも自分の方がかえって不安で堪らなくなった。 「口を利こうとすると咳嗽を誘い出すのでしょう。静かにしていらっしゃい。私はあっちへ行くから」  発作の一仕切収まった時、健三はこういって、またもとの座敷へ帰った。 二十五  比田は平気な顔をして本を読んでいた。「いえなにまた例の持病ですから」といって、健三の慰問にはまるで取り合わなかった。同じ事を年に何度となく繰り返して行くうちに、自然と末枯れて来る気の毒な女房の姿は、この男にとって毫も感傷の種にならないように見えた。実際彼は三十年近くも同棲して来た彼の妻に、ただの一つ優しい言葉を掛けた例のない男であった。  健三の這入って来るのを見た彼は、すぐ読み懸けの本を伏せて、鉄縁の眼鏡を外した。 「今ちょっと貴方が茶の間へ行っていらしった間に、下らないものを読み出したんです」  比田と読書――これはまた極めて似つかわしくない取合わせであった。 「何ですか、それは」 「なに健ちゃんなんぞの読むもんじゃありません、古いもんで」  比田は笑いながら、机の上に伏せた本を取って健三に渡した。それが意外にも『常山紀談』だったので健三は少し驚ろいた。それにしても自分の細君が今にも絶息しそうな勢で咳き込んでいるのを、まるで余所事のように聴いて、こんなものを平気で読んでいられるところが、如何にも能くこの男の性質をあらわしていた。 「私ゃ旧弊だからこういう古い講談物が好きでしてね」  彼は『常山紀談』を普通の講談物と思っているらしかった。しかしそれを書いた湯浅常山を講釈師と間違えるほどでもなかった。 「やッぱり学者なんでしょうね、その男は。曲亭馬琴とどっちでしょう。私ゃ馬琴の『八犬伝』も持っているんだが」  なるほど彼は桐の本箱の中に、日本紙へ活版で刷った予約の『八犬伝』を綺麗に重ね込んでいた。 「健ちゃんは『江戸名所図絵』を御持ちですか」 「いいえ」 「ありゃ面白い本ですね。私ゃ大好きだ。なんなら貸して上げましょうか。なにしろ江戸といった昔の日本橋や桜田がすっかり分るんだからね」  彼は床の間の上にある別の本箱の中から、美濃紙版の浅黄の表紙をした古い本を一、二冊取り出した。そうしてあたかも健三を『江戸名所図絵』の名さえ聞いた事のない男のように取扱った。その健三には子供の時分その本を蔵から引き摺り出して来て、頁から頁へと丹念に挿絵を拾って見て行くのが、何よりの楽みであった時代の、懐かしい記憶があった。中にも駿河町という所に描いてある越後屋の暖簾と富士山とが、彼の記憶を今代表する焼点となった。 「この分ではとてもその頃の悠長な心持で、自分の研究と直接関係のない本などを読んでいる暇は、薬にしたくっても出て来まい」  健三は心のうちでこう考えた。ただ焦燥に焦燥ってばかりいる今の自分が、恨めしくもありまた気の毒でもあった。  兄が約束の時間までに顔を出さないので、比田はその間を繋ぐためか、しきりに書物の話をつづけようとした。書物の事なら何時まで話していても、健三にとって迷惑にならないという自信でも持っているように見えた。不幸にして彼の知識は、『常山紀談』を普通の講談ものとして考える程度であった。それでも彼は昔し出た『風俗画報』を一冊残らず綴じて持っていた。  本の話が尽きた時、彼は仕方なしに問題を変えた。 「もう来そうなもんですね、長さんも。あれほどいってあるんだから忘れるはずはないんだが。それに今日は明けの日だから、遅くとも十一時頃までには帰らなきゃならないんだから。何ならちょっと迎に遣りましょうか」  この時また変化が来たと見えて、火の着くように咳き入る姉の声が茶の間の方で聞こえた。 二十六  やがて門口の格子を開けて、沓脱へ下駄を脱ぐ音がした。 「やっと来たようですぜ」と比田がいった。  しかし玄関を通り抜けたその足音はすぐ茶の間へ這入った。 「また悪いの。驚ろいた。ちっとも知らなかった。何時から」  短かい言葉が感投詞のようにまた質問のように、座敷に坐っている二人の耳に響いた。その声は比田の推察通りやっぱり健三の兄であった。 「長さん、先刻から待ってるんだ」  性急な比田はすぐ座敷から声を掛けた。女房の喘息などはどうなっても構わないといった風のその調子が、如何にもこの男の特性をよく現わしていた。「本当に手前勝手な人だ」とみんなからいわれるだけあって、彼はこの場合にも、自分の都合より外に何にも考えていないように見えた。 「今行きますよ」  長太郎も少し癪だと見えて、なかなか茶の間から出て来なかった。 「重湯でも少し飲んだら好いでしょう。厭? でもそう何にも食べなくっちゃ身体が疲れるだけだから」  姉が息苦しくって、受答えが出来かねるので、脊中を撫っていた女が一口ごとに適宜な挨拶をした。平生健三よりは親しくその宅へ出入する兄は、見馴れないこの女とも近付と見えた。そのせいか彼らの応対は容易に尽きなかった。  比田はぷりっと膨れていた。朝起きて顔を洗う時のように、両手で黒い顔をごしごし擦った。しまいに健三の方を向いて、小さな声でこんな事をいった。 「健ちゃんあれだから困るんですよ。口ばかり多くってね。こっちも手がないから仕方なしに頼むんだが」  比田の非難は明らかに健三の見知らない女の上に投げ掛けられた。 「何ですあの人は」 「そら梳手の御勢ですよ。昔し健ちゃんの遊びに来る時分、よくいたじゃありませんか、宅に」 「へええ」  健三には比田の家でそんな女に会った覚が全くなかった。 「知りませんね」 「なに知らない事があるもんですか、御勢だもの。あいつはね、御承知の通りまことに親切で実意のある好い女なんだが、あれだから困るんです。喋舌るのが病なんだから」  よく事情を知らない健三には、比田のいう事が、ただ自分だけに都合のいい誇張のように聞こえるばかりで、大した感銘も与えなかった。  姉はまた咳き出した。その発作が一段落片付くまでは、さすがの比田も黙っていた。長太郎も茶の間を出て来なかった。 「何だか先刻より劇しいようですね」  少し不安になった健三は、そういいながら席を立とうとした。比田は一も二もなく留めた。 「なあに大丈夫、大丈夫。あれが持病なんですから大丈夫。知らない人が見るとちょっと吃驚しますがね。私なんざあもう年来馴れっ子になってるから平気なもんですよ。実際またあれを一々苦にしているようじゃ、とても今日まで一所に住んでる事は出来ませんからね」  健三は何とも答える訳に行かなかった。ただ腹の中で、自分の細君が歇私的里の発作に冒された時の苦しい心持を、自然の対照として描き出した。  姉の咳嗽が一収り収った時、長太郎は始めて座敷へ顔を出した。 「どうも済みません。もっと早く来るはずだったが、生憎珍らしく客があったもんだから」 「来たか長さん待ってたほい。冗談じゃないよ。使でも出そうかと思ってたところです」  比田は健三の兄に向ってこの位な気安い口調で話の出来る地位にあった。 二十七  三人はすぐ用談に取り掛った。比田が最初に口を開いた。  彼はちょっとした相談事にも仔細ぶる男であった。そうして仔細ぶればぶるほど、自分の存在が周囲から強く認められると考えているらしかった。「比田さん比田さんって、立てて置きさえすりゃ好いんだ」と皆なが蔭で笑っていた。 「時に長さんどうしたもんだろう」 「そう」 「どうもこりゃ天から筋が違うんだから、健ちゃんに話をするまでもなかろうと思うんだがね、私ゃ」 「そうさ。今更そんな事を持ち出して来たって、こっちで取り合う必要もないだろうじゃないか」 「だから私も突っ跳ねたのさ。今時分そんな事を持ち出すのは、まるで自分の殺した子供を、もう一返生かしてくれって、御寺様へ頼みに行くようなものだから御止しなさいって。だけど大将いくら何といっても、坐り込んで動かないんだからね、仕方がない。しかしあの男がああやって今頃私の宅へのんこのしゃあで遣って来るのも、実はというと、やっぱり昔し○の関係があったからの事さ。だってそりゃ昔しも昔し、ずっと昔しの話でさあ。その上ただで借りやしまいしね、……」 「またただで貸す風でもなしね」 「そうさ。口じゃ親類付合だとか何とかいってるくせに、金にかけちゃあかの他人より阿漕なんだから」 「来た時にそういって遣れば好いのに」  比田と兄との談話はなかなか元へ戻って来なかった。ことに比田は其所に健三のいるのさえ忘れてしまったように見えた。健三は好加減に何とか口を出さなければならなくなった。 「一体どうしたんです。島田がこちらへでも突然伺ったんですか」 「いやわざわざ御呼び立て申して置いて、つい自分の勝手ばかり喋舌って済みません。――じゃ長さん私から健ちゃんに一応その顛末を御話しする事にしようか」 「ええどうぞ」  話しは意外にも単純であった。――ある日島田が突然比田の所へ来た。自分も年を取って頼りにするものがいないので心細いという理由の下に、昔し通り島田姓に復帰してもらいたいからどうぞ健三にそう取り次いでくれと頼んだ。比田もその要求の突飛なのに驚ろいて最初は拒絶した。しかし何といっても動かないので、ともかくも彼の希望だけは健三に通じようと受合った。――ただこれだけなのである。 「少し変ですねえ」  健三にはどう考えても変としか思われなかった。 「変だよ」  兄も同じ意見を言葉にあらわした。 「どうせ変にゃ違ない、何しろ六十以上になって、少しやきが廻ってるからね」 「慾でやきが廻りゃしないか」  比田も兄も可笑しそうに笑ったが、健三は独りその仲間へ入る事が出来なかった。彼は何時までも変だと思う気分に制せられていた。彼の頭から判断すると、そんな事は到底ありようはずがなかった。彼は最初に吉田が来た時の談話を思い出した。次に吉田と島田が一所に来た時の光景を思い出した。最後に彼の留守に旅先から帰ったといって、島田が一人で訪ねて来た時の言葉を思い出した。しかしどこをどう思い出しても、其所からこんな結果が生れて来ようとは考えられなかった。 「どうしても変ですね」  彼は自分のために同じ言葉をもう一度繰り返して見た。それから漸と気を換えてこういった。 「しかしそりゃ問題にゃならないでしょう。ただ断りさえすりゃ好いんだから」 二十八  健三の眼から見ると、島田の要求は不思議な位理に合わなかった。従ってそれを片付けるのも容易であった。ただ簡単に断りさえすれば済んだ。 「しかし一旦は貴方の御耳まで入れて置かないと、私の落度になりますからね」と比田は自分を弁護するようにいった。彼はどこまでもこの会合を真面目なものにしなければ気が済まないらしかった。それで言う事も時によって変化した。 「それに相手が相手ですからね。まかり間違えば何をするか分らないんだから、用心しなくっちゃいけませんよ」 「焼が廻ってるなら構わないじゃないか」と兄が冗談半分に彼の矛盾を指摘すると、比田はなお真面目になった。 「焼が廻ってるから怖いんです。なに先が当り前の人間なら、私だってその場ですぐ断っちまいまさあ」  こんな曲折は会談中に時々起ったが、要するに話は最初に戻って、つまり比田が代表者として島田の要求を断るという事になった。それは三人が三人ながら始めから予期していた結局なので、其所へ行き着くまでの筋道は、健三から見ると、むしろ時間の空費に過ぎなかった。しかし彼はそれに対して比田に礼を述べる義理があった。 「いえ何御礼なんぞ御仰られると恐縮します」といった比田の方はかえって得意であった。誰が見ても宅へも帰らずに忙がしがっている人の様子とは受取れないほど、調子づいて来た。  彼は其所にある塩煎餅を取ってやたらにぼりぼり噛んだ。そうしてその相間々々には大きな湯呑へ茶を何杯も注ぎ易えて飲んだ。 「相変らず能く食べますね。今でも鰻飯を二つ位遣るんでしょう」 「いや人間も五十になるともう駄目ですね。もとは健ちゃんの見ている前で天ぷら蕎麦を五杯位ぺろりと片付けたもんでしたがね」  比田はその頃から食気の強い男であった。そうして余計食うのを自慢にしていた。それから腹の太いのを賞められたがって、時機さえあれば始終叩いて見せた。  健三は昔しこの人に連れられて寄席などに行った帰りに、能く二人して屋台店の暖簾を潜って、鮨や天麩羅の立食をした当時を思い出した。彼は健三にその寄席で聴いたしかおどりとかいう三味線の手を教えたり、またはさばを読むという隠語などを習い覚えさせたりした。 「どうもやっぱり立食に限るようですね。私もこの年になるまで、段々方々食って歩いて見たが。健ちゃん、一遍軽井沢で蕎麦を食って御覧なさい、騙されたと思って。汽車の停ってるうちに、降りて食うんです、プラットフォームの上へ立ってね。さすが本場だけあって旨うがすぜ」  彼は信心を名として能く方々遊び廻る男であった。 「それよか、善光寺の境内に元祖藤八拳指南所という看板が懸っていたには驚ろいたね、長さん」 「這入って一つ遣って来やしないか」 「だって束修が要るんだからね、君」  こんな談話を聞いていると、健三も何時か昔の我に帰ったような心持になった。同時に今の自分が、どんな意味で彼らから離れてどこに立っているかも明らかに意識しなければならなくなった。しかし比田は一向そこに気が付かなかった。 「健ちゃんはたしか京都へ行った事がありますね。彼所に、ちんちらでんき皿持てこ汁飲ましょって鳴く鳥がいるのを御存じですか」などと訊いた。  先刻から落付いていた姉が、また劇しく咳き出した時、彼は漸く口を閉じた。そうしてさもくさくさしたといわぬばかりに、左右の手の平を揃えて、黒い顔をごしごし擦った。  兄と健三はちょっと茶の間の様子を覗きに立った。二人とも発作の静まるまで姉の枕元に坐っていた後で、別々に比田の家を出た。 二十九  健三は自分の背後にこんな世界の控えている事を遂に忘れることが出来なくなった。この世界は平生の彼にとって遠い過去のものであった。しかしいざという場合には、突然現在に変化しなければならない性質を帯びていた。  彼の頭には願仁坊主に似た比田の毬栗頭が浮いたり沈んだりした。猫のように顋の詰った姉の息苦しく喘いでいる姿が薄暗く見えた。血の気の竭きかけた兄に特有なひすばった長い顔も出たり引込んだりした。  昔しこの世界に人となった彼は、その後自然の力でこの世界から独り脱け出してしまった。そうして脱け出したまま永く東京の地を踏まなかった。彼は今再びその中へ後戻りをして、久しぶりに過去の臭を嗅いだ。それは彼に取って、三分の一の懐かしさと、三分の二の厭らしさとを齎す混合物であった。  彼はまたその世界とはまるで関係のない方角を眺めた。すると其所には時々彼の前を横切る若い血と輝いた眼を有った青年がいた。彼はその人々の笑いに耳を傾むけた。未来の希望を打ち出す鐘のように朗かなその響が、健三の暗い心を躍らした。  或日彼はその青年の一人に誘われて、池の端を散歩した帰りに、広小路から切通しへ抜ける道を曲った。彼らが新らしく建てられた見番の前へ来た時、健三はふと思い出したように青年の顔を見た。  彼の頭の中には自分とまるで縁故のない或女の事が閃いた。その女は昔し芸者をしていた頃人を殺した罪で、二十年余も牢屋の中で暗い月日を送った後、漸と世の中へ顔を出す事が出来るようになったのである。 「さぞ辛いだろう」  容色を生命とする女の身になったら、殆んど堪えられない淋しみが其所にあるに違ないと健三は考えた。しかしいくらでも春が永く自分の前に続いているとしか思わない伴の青年には、彼の言葉が何ほどの効果にもならなかった。この青年はまだ二十三、四であった。彼は始めて自分と青年との距離を悟って驚ろいた。 「そういう自分もやっぱりこの芸者と同じ事なのだ」  彼は腹の中で自分と自分にこういい渡した。若い時から白髪の生えたがる性質の彼の頭には、気のせいか近頃めっきり白い筋が増して来た。自分はまだまだと思っているうちに、十年は何時の間にか過ぎた。 「しかし他事じゃないね君。その実僕も青春時代を全く牢獄の裡で暮したのだから」  青年は驚ろいた顔をした。 「牢獄とは何です」 「学校さ、それから図書館さ。考えると両方ともまあ牢獄のようなものだね」  青年は答えなかった。 「しかし僕がもし長い間の牢獄生活をつづけなければ、今日の僕は決して世の中に存在していないんだから仕方がない」  健三の調子は半ば弁解的であった。半ば自嘲的であった。過去の牢獄生活の上に現在の自分を築き上げた彼は、その現在の自分の上に、是非とも未来の自分を築き上げなければならなかった。それが彼の方針であった。そうして彼から見ると正しい方針に違なかった。けれどもその方針によって前へ進んで行くのが、この時の彼には徒らに老ゆるという結果より外に何物をも持ち来さないように見えた。 「学問ばかりして死んでしまっても人間は詰らないね」 「そんな事はありません」  彼の意味はついに青年に通じなかった。彼は今の自分が、結婚当時の自分と、どんなに変って、細君の眼に映るだろうかを考えながら歩いた。その細君はまた子供を生むたびに老けて行った。髪の毛なども気の引けるほど抜ける事があった。そうして今は既に三番目の子を胎内に宿していた。 三十  家へ帰ると細君は奥の六畳に手枕をしたなり寐ていた。健三はその傍に散らばっている赤い片端だの物指だの針箱だのを見て、またかという顔をした。  細君はよく寐る女であった。朝もことによると健三より遅く起きた。健三を送り出してからまた横になる日も少なくはなかった。こうしてあくまで眠りを貪ぼらないと、頭が痺れたようになって、その日一日何事をしても判然しないというのが、常に彼女の弁解であった。健三はあるいはそうかも知れないと思ったり、またはそんな事があるものかと考えたりした。ことに小言をいったあとで、寐られるときは、後の方の感じが強く起った。 「不貞寐をするんだ」  彼は自分の小言が、歇私的里性の細君に対して、どう反応するかを、よく観察してやる代りに、単なる面当のために、こうした不自然の態度を彼女が彼に示すものと解釈して、苦々しい囁きを口の内で洩らす事がよくあった。 「何故夜早く寐ないんだ」  彼女は宵っ張であった。健三にこういわれる度に、夜は眼が冴えて寐られないから起きているのだという答弁をきっとした。そうして自分の起きていたい時までは必ず起きて縫物の手をやめなかった。  健三はこうした細君の態度を悪んだ。同時に彼女の歇私的里を恐れた。それからもしや自分の解釈が間違っていはしまいかという不安にも制せられた。  彼は其所に立ったまま、しばらく細君の寐顔を見詰めていた。肱の上に載せられたその横顔はむしろ蒼白かった。彼は黙って立っていた。御住という名前さえ呼ばなかった。  彼はふと眼を転じて、あらわな白い腕の傍に放り出された一束の書物に気を付けた。それは普通の手紙の重なり合ったものでもなければ、また新らしい印刷物を一纏に括ったものとも見えなかった。惣体が茶色がかって既に多少の時代を帯びている上に、古風なかんじん撚で丁寧な結び目がしてあった。その書ものの一端は、殆んど細君の頭の下に敷かれていると思われる位、彼女の黒い髪で、健三の目を遮ぎっていた。  彼はわざわざそれを引き出して見る気にもならずに、また眼を蒼白い細君の額の上に注いだ。彼女の頬は滑り落ちるようにこけていた。 「まあ御痩せなすった事」  久しぶりに彼女を訪問した親族のある女は、近頃の彼女の顔を見て驚ろいたように、こんな評を加えた事があった。その時健三は何故だかこの細君を痩せさせた凡ての源因が自分一人にあるような心持がした。  彼は書斎に入った。  三十分も経ったと思う頃、門口を開ける音がして、二人の子供が外から帰って来た。坐っている健三の耳には、彼らと子守との問答が手に取るように聞こえた。子供はやがて馳け込むように奥へ入った。其所ではまた細君が蒼蠅いといって、彼らを叱る声がした。  それからしばらくして細君は先刻自分の枕元にあった一束の書ものを手に持ったまま、健三の前にあらわれた。 「先ほど御留守に御兄さんがいらっしゃいましてね」  健三は万年筆の手を止めて、細君の顔を見た。 「もう帰ったのかい」 「ええ。今ちょっと散歩に出掛ましたから、もうじき帰りましょうって御止めしたんですけれども、時間がないからって御上りになりませんでした」 「そうか」 「何でも谷中に御友達とかの御葬式があるんですって。それで急いで行かないと間に合わないから、上っていられないんだと仰ゃいました。しかし帰りに暇があったら、もしかすると寄るかも知れないから、帰ったら待ってるようにいってくれって、いい置いていらっしゃいました」 「何の用なのかね」 「やっぱりあの人の事なんだそうです」  兄は島田の事で来たのであった。 三十一  細君は手に持った書付の束を健三の前に出した。 「これを貴夫に上げてくれと仰しゃいました」  健三は怪訝な顔をしてそれを受取った。 「何だい」 「みんなあの人に関係した書類なんだそうです。健三に見せたら参考になるだろうと思って、用箪笥の抽匣の中にしまって置いたのを、今日出して持って来たって仰ゃいました」 「そんな書類があったのかしら」  彼は細君から受取った一括りの書付を手に載せたまま、ぼんやり時代の付いた紙の色を眺めた。それから何も意味なしに、裏表を引繰返して見た。書類は厚さにしてほぼ二寸もあったが、風の通らない湿気た所に長い間放り込んであったせいか、虫に食われた一筋の痕が偶然健三の眼を懐古的にした。彼はその不規則な筋を指の先でざらざら撫でて見た。けれども今更鄭寧に絡げたかんじん撚の結び目を解いて、一々中を検ためる気も起らなかった。 「開けて見たって何が出て来るものか」  彼の心はこの一句でよく代表されていた。 「御父さまが後々のためにちゃんと一纏めにして取って御置になったんですって」 「そうか」  健三は自分の父の分別と理解力に対して大した尊敬を払っていなかった。 「おやじの事だからきっと何でもかんでも取って置いたんだろう」 「しかしそれもみんな貴夫に対する御親切からなんでしょう。あんな奴だから己のいなくなった後に、どんな事をいって来ないとも限らない、その時にはこれが役に立つって、わざわざ一纏めにして、御兄さんに御渡になったんだそうですよ」 「そうかね、己は知らない」  健三の父は中気で死んだ。その父のまだ達者でいるずっと前から、彼はもう東京にいなかった。彼は親の死目にさえ会わなかった。こんな書付が自分の眼に触れないで、長い間兄の手元に保管されていたのも、別段の不思議ではなかった。  彼は漸やく書類の結目を解いて一所に重なっているものを、一々ほごし始めた。手続き書と書いたものや、取り替せ一札の事と書いたものや、明治二十一年子一月約定金請取の証と書いた半紙二つ折の帳面やらが順々にあらわれて来た。その帳面のしまいには、右本日受取右月賦金は皆済相成候事と島田の手蹟で書いて黒い判がべたりと捺してあった。 「おやじは月々三円か四円ずつ取られたんだな」 「あの人にですか」  細君はその帳面を逆さまに覗き込んでいた。 「〆ていくらになるかしら。しかしこの外にまだ一時に遣ったものがあるはずだ。おやじの事だから、きっとその受取を取って置いたに違ない。どこかにあるだろう」  書付はそれからそれへと続々出て来た。けれども、健三の眼にはどれもこれもごちゃごちゃして容易に解らなかった。彼はやがて四つ折にして一纏めに重ねた厚みのあるものを取り上げて中を開いた。 「小学校の卒業証書まで入れてある」  その小学校の名は時によって変っていた。一番古いものには第一大学区第五中学区第八番小学などという朱印が押してあった。 「何ですかそれは」 「何だか己も忘れてしまった」 「よっぽど古いものね」  証書のうちには賞状も二、三枚交っていた。昇り竜と降り竜で丸い輪廓を取った真中に、甲科と書いたり乙科と書いたりしてある下に、いつも筆墨紙と横に断ってあった。 「書物も貰った事があるんだがな」  彼は『勧善訓蒙』だの『輿地誌略』だのを抱いて喜びの余り飛んで宅へ帰った昔を思い出した。御褒美をもらう前の晩夢に見た蒼い竜と白い虎の事も思い出した。これらの遠いものが、平生と違って今の健三には甚だ近く見えた。 三十二  細君にはこの古臭い免状がなおの事珍らしかった。夫の一旦下へ置いたのをまた取り上げて、一枚々々鄭寧に剥繰って見た。 「変ですわね。下等小学第五級だの六級だのって。そんなものがあったんでしょうか」 「あったんだね」  健三はそのまま外の書付に手を着けた。読みにくい彼の父の手蹟が大いに彼を苦しめた。 「これを御覧、とても読む勇気がないね。ただでさえ判明らないところへ持って来て、むやみに朱を入れたり棒を引いたりしてあるんだから」  健三の父と島田との懸合について必要な下書らしいものが細君の手に渡された。細君は女だけあって、綿密にそれを読み下した。 「貴夫の御父さまはあの島田って人の世話をなすった事があるのね」 「そんな話は己も聞いてはいるが」 「此所に書いてありますよ。――同人幼少にて勤向相成りがたく当方へ引き取り五カ年間養育致候縁合を以てと」  細君の読み上げる文章は、まるで旧幕時代の町人が町奉行か何かへ出す訴状のように聞こえた。その口調に動かされた健三は、自然古風な自分の父を眼の前に髣髴した。その父から、将軍の鷹狩に行く時の模様などを、それ相当の敬語で聞かされた昔も思い合された。しかし事実の興味が主として働らきかけている細君の方ではまるで文体などに頓着しなかった。 「その縁故で貴夫はあの人の所へ養子に遣られたのね。此所にそう書いてありますよ」  健三は因果な自分を自分で憐れんだ。平気な細君はその続きを読み出した。 「右健三三歳のみぎり養子に差遣し置候処平吉儀妻常と不和を生じ、遂に離別と相成候につき当時八歳の健三を当方へ引き取り今日まで十四カ年間養育致し、――あとは真赤でごちゃごちゃして読めないわね」  細君は自分の眼の位置と書付の位置とを色々に配合して後を読もうと企てた。健三は腕組をして黙って待っていた。細君はやがてくすくす笑い出した。 「何が可笑しいんだ」 「だって」  細君は何にもいわずに、書付を夫の方に向け直した。そうして人さし指の頭で、細かく割註のように朱で書いた所を抑えた。 「ちょっと其所を読んで御覧なさい」  健三は八の字を寄せながら、その一行を六ずかしそうに読み下した。 「取扱い所勤務中遠山藤と申す後家へ通じ合い候が事の起り。――何だ下らない」 「しかし本当なんでしょう」 「本当は本当さ」 「それが貴夫の八ツの時なのね。それから貴夫は御自分の宅へ御帰りになった訳ね」 「しかし籍を返さないんだ」 「あの人が?」  細君はまたその書付を取り上げた。読めない所はそのままにして置いて、読める所だけ眼を通しても、自分のまだ知らない事実が出て来るだろうという興味が、少なからず彼女の好奇心を唆った。  書付のしまいの方には、島田が健三の戸籍を元通りにして置いて実家へ返さないのみならず、いつの間にか戸主に改めた彼の印形を濫用して金を借り散らした例などが挙げてあった。  いよいよ手を切る時に養育料として島田に渡した金の証文も出て来た。それには、しかる上は健三離縁本籍と引替に当金――円御渡し被下、残金――円は毎月三十日限り月賦にて御差入のつもり御対談云々と長たらしく書いてあった。 「凡て変梃な文句ばかりだね」 「親類取扱人比田寅八って下に印が押してあるから、大方比田さんでも書いたんでしょう」  健三はついこの間会った比田の万事に心得顔な様子と、この証文の文句とを引き比べて見た。 三十三  葬式の帰りに寄るかも知れないといった兄は遂に顔を見せなかった。 「あんまり遅くなったから、すぐ御帰りになったんでしょう」  健三にはその方が便宜であった。彼の仕事は前の日か前の晩を潰して調べたり考えたりしなければ義務を果す事の出来ない性質のものであった。従って必要な時間を他に食い削られるのは、彼に取って甚しい苦痛になった。  彼は兄の置いて行った書類をまた一纏めにして、元のかんじん撚で括ろうとした。彼が指先に力を入れた時、そのかんじん撚はぷつりと切れた。 「あんまり古くなって、弱ったのね」 「まさか」 「だって書付の方は虫が食ってる位ですもの、貴夫」 「そういえばそうかも知れない。何しろ抽斗に投げ込んだなり、今日まで放って置いたんだから。しかし兄貴も能くまあこんなものを取って置いたものだね。困っちゃ何でも売るくせに」  細君は健三の顔を見て笑い出した。 「誰も買い手がないでしょう。そんな虫の食った紙なんか」 「だがさ。能く紙屑籠の中へ入れてしまわなかったという事さ」  細君は赤と白で撚った細い糸を火鉢の抽斗から出して来て、其所に置かれた書類を新らしく絡げた上、それを夫に渡した。 「己の方にゃしまって置く所がないよ」  彼の周囲は書物で一杯になっていた。手文庫には文殻とノートがぎっしり詰っていた。空地のあるのは夜具蒲団のしまってある一間の戸棚だけであった。細君は苦笑して立ち上った。 「御兄さんは二、三日うちきっとまたいらっしゃいますよ」 「あの事でかい」 「それもそうですけれども、今日御葬式にいらっしゃる時に、袴が要るから借してくれって、此所で穿いていらしったんですもの。きっとまた返しにいらっしゃるに極っていますわ」  健三は自分の袴を借りなければ葬式の供に立てない兄の境遇を、ちょっと考えさせられた。始めて学校を卒業した時彼はその兄から貰ったべろべろの薄羽織を着て友達と一所に池の端で写真を撮った事をまだ覚えていた。その友達の一人が健三に向って、この中で一番先に馬車へ乗るものは誰だろうといった時に、彼は返事をしないで、ただ自分の着ている羽織を淋しそうに眺めた。その羽織は古い絽の紋付に違なかったが、悪くいえば申し訳のために破けずにいる位な見すぼらしい程度のものであった。懇意な友人の新婚披露に招かれて星が岡の茶寮に行った時も、着るものがないので、袴羽織とも凡て兄のを借りて間に合せた事もあった。  彼は細君の知らないこんな記憶を頭の中に呼び起した。しかしそれは今の彼を得意にするよりもかえって悲しくした。今昔の感――そういう在来の言葉で一番よく現せる情緒が自然と彼の胸に湧いた。 「袴位ありそうなものだがね」 「みんな長い間に失くして御しまいなすったんでしょう」 「困るなあ」 「どうせ宅にあるんだから、要る時に貸して上げさいすりゃそれで好いでしょう。毎日使うものじゃなし」 「宅にある間はそれで好いがね」  細君は夫に内所で自分の着物を質に入れたついこの間の事件を思い出した。夫には何時自分が兄と同じ境遇に陥らないものでもないという悲観的な哲学があった。  昔の彼は貧しいながら一人で世の中に立っていた。今の彼は切り詰めた余裕のない生活をしている上に、周囲のものからは、活力の心棒のように思われていた。それが彼には辛かった。自分のようなものが親類中で一番好くなっていると考えられるのはなおさら情なかった。 三十四  健三の兄は小役人であった。彼は東京の真中にある或大きな局へ勤めていた。その宏壮な建物のなかに永い間憐れな自分の姿を見出す事が、彼には一種の不調和に見えた。 「僕なんぞはもう老朽なんだからね。何しろ若くって役に立つ人が後から後からと出て来るんだから」  その建物のなかには何百という人間が日となく夜となく烈しく働らいていた。気力の尽きかけた彼の存在はまるで形のない影のようなものに違なかった。 「ああ厭だ」  活動を好まない彼の頭には常にこんな観念が潜んでいた。彼は病身であった。年歯より早く老けた。年歯より早く干乾びた。そうして色沢の悪い顔をしながら、死ににでも行く人のように働いた。 「何しろ夜寐ないんだから、身体に障ってね」  彼はよく風邪を引いて咳嗽をした。ある時は熱も出た。するとその熱が必ず肺病の前兆でなければならないように彼を脅かした。  実際彼の職業は強壮な青年にとっても苦しい性質のものに違なかった。彼は隔晩に局へ泊らせられた。そうして夜通し起きて働らかなければならなかった。翌日の朝彼はぼんやりして自分の宅へ帰って来た。その日一日は何をする勇気もなく、ただぐたりと寐て暮らす事さえあった。  それでも彼は自分のためまた家族のために働らくべく余儀なくされた。 「今度は少し危険いようだから、誰かに頼んでくれないか」  改革とか整理とかいう噂のあるたびに、健三はよくこんな言葉を彼の口から聞かされた。東京を離れている時などは、わざわざ手紙で依頼して来た事も一返や二返ではなかった。彼はその都度誰それにといって、わざわざ要路の人を指名した。しかし健三にはただ名前が知れているだけで、自分の兄の位置を保証してもらうほどの親しみのあるものは一人もなかった。健三は頬杖を突いて考えさせられるばかりであった。  彼はこうした不安を何度となく繰り返しながら、昔しから今日まで同じ職務に従事して、動きもしなければ発展もしなかった。健三よりも七つばかり年上な彼の半生は、あたかも変化を許さない器械のようなもので、次第に消耗して行くより外には何の事実も認められなかった。 「二十四、五年もあんな事をしている間には何か出来そうなものだがね」  健三は時々自分の兄をこんな言葉で評したくなった。その兄の派出好で勉強嫌であった昔も眼の前に見えるようであった。三味線を弾いたり、一絃琴を習ったり、白玉を丸めて鍋の中へ放り込んだり、寒天を煮て切溜で冷したり、凡ての時間はその頃の彼に取って食う事と遊ぶ事ばかりに費やされていた。 「みんな自業自得だといえば、まあそんなものさね」  これが今の彼の折々他に洩す述懐になる位彼は怠け者であった。  兄弟が死に絶えた後、自然健三の生家の跡を襲ぐようになった彼は、父が亡くなるのを待って、家屋敷をすぐ売り払ってしまった。それで元からある借金を済して、自分は小さな宅へ這入った。それから其所に納まり切らない道具類を売払った。  間もなく彼は三人の子の父になった。そのうちで彼の最も可愛がっていた惣領の娘が、年頃になる少し前から悪性の肺結核に罹ったので、彼はその娘を救うために、あらゆる手段を講じた。しかし彼のなし得る凡ては残酷な運命に対して全くの徒労に帰した。二年越煩った後で彼女が遂に斃れた時、彼の家の箪笥はまるで空になっていた。儀式に要る袴は無論、ちょっとした紋付の羽織さえなかった。彼は健三の外国で着古した洋服を貰って、それを大事に着て毎日局へ出勤した。 三十五  二、三日経って健三の兄は果して細君の予想通り袴を返しに来た。 「どうも遅くなって御気の毒さま。有難う」  彼は腰板の上に双方の端を折返して小さく畳んだ袴を、風呂敷の中から出して細君の前に置いた。大の見栄坊で、ちょっとした包物を持つのも厭がった昔に比べると、今の兄は全く色気が抜けていた。その代り膏気もなかった。彼はぱさぱさした手で、汚れた風呂敷の隅を抓んで、それを鄭寧に折った。 「こりゃ好い袴だね。近頃拵えたの」 「いいえ。なかなかそんな勇気はありません。昔からあるんです」  細君は結婚のときこの袴を着けて勿体らしく坐った夫の姿を思いだした。遠い所で極簡略に行われたその結婚の式に兄は列席していなかった。 「へええ。そうかね。なるほどそういわれるとどこかで見たような気もするが、しかし昔のものはやっぱり丈夫なんだね。ちっとも敗んでいないじゃないか」 「滅多に穿かないんですもの。それでも一人でいるうちに能くそんな物を買う気になれたのね、あの人が。私今でも不思議だと思いますわ」 「あるいは婚礼の時に穿くつもりでわざわざ拵えたのかも知れないね」  二人はその時の異様な結婚式について笑いながら話し合った。  東京からわざわざ彼女を伴れて来た細君の父は、娘に振袖を着せながら、自分は一通りの礼装さえ調えていなかった。セルの単衣を着流しのままでしまいには胡坐さえ掻いた。婆さん一人より外に誰も相談する相手のない健三の方ではなおの事困った。彼は結婚の儀式について全くの無方針であった。もともと東京へ帰ってから貰うという約束があったので、媒酌人もその地にはいなかった。健三は参考のためこの媒酌人が書いて送ってくれた注意書のようなものを読んで見た。それは立派な紙に楷書で認められた厳めしいものには違なかったが、中には『東鑑』などが例に引いてあるだけで、何の実用にも立たなかった。 「雌蝶も雄蝶もあったもんじゃないのよ貴方。だいち御盃の縁が欠けているんですもの」 「それで三々九度を遣ったのかね」 「ええ。だから夫婦中がこんなにがたぴしするんでしょう」  兄は苦笑した。 「健三もなかなかの気六ずかしやだから、御住さんも骨が折れるだろう」  細君はただ笑っていた。別段兄の言葉に取り合う気色も見えなかった。 「もう帰りそうなものですがね」 「今日は待ってて例の事件を話して行かなくっちゃあ、……」  兄はまだその後をいおうとした。細君はふいと立って茶の間へ時計を見に這入った。其所から出て来た時、彼女はこの間の書類を手にしていた。 「これが要るんでしょう」 「いえそれはただ参考までに持って来たんだから、多分要るまい。もう健三に見せてくれたんでしょう」 「ええ見せました」 「何といってたかね」  細君は何とも答えようがなかった。 「随分沢山色々な書付が這入っていますわね。この中には」 「御父さんが、今に何か事があるといけないって、丹念に取って置いたんだから」  細君は夫から頼まれてその中の最も大切らしい一部分を彼のために代読した事はいわなかった。兄もそれぎり書類について語らなくなった。二人は健三の帰るまでの時間をただの雑談に費やした。その健三は約三十分ほどして帰って来た。 三十六  彼が何時もの通り服装を改めて座敷へ出た時、赤と白と撚り合せた細い糸で括られた例の書類は兄の膝の上にあった。 「先達ては」  兄は油気の抜けた指先で、一度解きかけた糸の結び目を元の通りに締めた。 「今ちょっと見たらこの中には君に不必要なものが紛れ込んでいるね」 「そうですか」  この大事そうにしまい込まれてあった書付に、兄が長い間眼を通さなかった事を健三は知った。兄はまた自分の弟がそれほど熱心にそれを調べていない事に気が付いた。 「御由の送籍願が這入ってるんだよ」  御由というのは兄の妻の名であった。彼がその人と結婚する当時に必要であった区長宛の願書が其所から出て来ようとは、二人とも思いがけなかった。  兄は最初の妻を離別した。次の妻に死なれた。その二度目の妻が病気の時、彼は大して心配の様子もなく能く出歩いた。病症が悪阻だから大丈夫という安心もあるらしく見えたが、容体が険悪になって後も、彼は依然としてその態度を改める様子がなかったので、人はそれを気に入らない妻に対する仕打とも解釈した。健三もあるいはそうだろうと思った。  三度目の妻を迎える時、彼は自分から望みの女を指名して父の許諾を求めた。しかし弟には一言の相談もしなかった。それがため我の強い健三の、兄に対する不平が、罪もない義姉の方にまで影響した。彼は教育も身分もない人を自分の姉と呼ぶのは厭だと主張して、気の弱い兄を苦しめた。 「なんて捌けない人だろう」  陰で批評の口に上るこうした言葉は、彼を反省させるよりもかえって頑固にした。習俗を重んずるために学問をしたような悪い結果に陥って自ら知らなかった彼には、とかく自分の不見識を認めて見識と誇りたがる弊があった。彼は慚愧の眼をもって当時の自分を回顧した。 「送籍願が紛れ込んでいるなら、それを御返しするから、持って行ったら好いでしょう」 「いいえ写しだから、僕も要らないんだ」  兄は紅白の糸に手も触れなかった。健三はふとその日附が知りたくなった。 「一体何時頃でしたかね。それを区役所へ出したのは」 「もう古い事さ」  兄はこれだけいったぎりであった。その唇には微笑の影が差した。最初も二返目も失敗って、最後にやっと自分の気に入った女と一所になった昔を忘れるほど、彼は耄碌していなかった。同時にそれを口へ出すほど若くもなかった。 「御幾年でしたかね」と細君が訊いた。 「御由ですか。御由は御住さんと一つ違ですよ」 「まだ御若いのね」  兄はそれには何とも答えずに、先刻から膝の上に置いた書類の帯を急に解き始めた。 「まだこんなものが這入っていたよ。これも君にゃ関係のないものだ。さっき見て僕もちょいと驚ろいたが、こら」  彼はごたごたした故紙の中から、何の雑作もなく一枚の書付を取り出した。それは喜代子という彼の長女の出産届の下書であった。「右者本月二十三日午前十一時五十分出生致し候」という文句の、「本月二十三日」だけに棒が引懸けて消してある上に、虫の食った不規則な線が筋違に入っていた。 「これも御父さんの手蹟だ。ねえ」  彼はその一枚の反故を大事らしく健三の方へ向け直して見せた。 「御覧、虫が食ってるよ。尤もそのはずだね。出産届ばかりじゃない、もう死亡届まで出ているんだから」  結核で死んだその子の生年月を、兄は口のうちで静かに読んでいた。 三十七  兄は過去の人であった。華美な前途はもう彼の前に横わっていなかった。何かに付けて後を振り返りがちな彼と対坐している健三は、自分の進んで行くべき生活の方向から逆に引き戻されるような気がした。 「淋しいな」  健三は兄の道伴になるには余りに未来の希望を多く持ち過ぎた。そのくせ現在の彼もかなりに淋しいものに違なかった。その現在から順に推した未来の、当然淋しかるべき事も彼にはよく解っていた。  兄はこの間の相談通り島田の要求を断った旨を健三に話した。しかしどんな手続きでそれを断ったのか、また先方がそれに対してどんな挨拶をしたのか、そういう細かい点になると、全く要領を得た返事をしなかった。 「何しろ比田からそういって来たんだから慥だろう」  その比田が島田に会いに行って話を付けたとも、または手紙で会見の始末を知らせて遣ったとも、健三には判明らなかった。 「多分行ったんだろうと思うがね。それともあの人の事だから、手紙だけで済ましてしまったのか。其所はつい聴いて来るのを忘れたよ。尤もあの後一返姉さんの見舞かたがた行った時にゃ、比田が相変らず留守だったので、つい会う事が出来なかったのさ。しかしその時姉さんの話じゃ、何でも忙がしいんで、まだそのままにしてあるようだっていってたがね。あの男も随分無責任だから、ことによると行かないのかも知れないよ」  健三の知っている比田も無責任の男に相違なかった。その代り頼むと何でも引き受ける性質であった。ただ他から頭を下げて頼まれるのが嬉しくって物を受合いたがる彼は、頼み方が気に入らないと容易に動かなかった。 「しかしこんだの事なんざあ、島田がじかに比田の所へ持ち込んだんだからねえ」  兄は暗に比田自身が先方へ出向いて話し合を付けなければ義理の悪いような事をいった。そのくせ彼はこんな場合に決して自分で懸合事などに出掛ける人ではなかった。少し気を遣わなければならない面倒が起ると必ず顔を背けた。そうして事情の許す限り凝と辛防して独り苦しんだ。健三にはこの矛盾が腹立たしくも可笑しくもない代りに何となく気の毒に見えた。 「自分も兄弟だから他から見たらどこか似ているのかも知れない」  こう思うと、兄を気の毒がるのは、つまり自分を気の毒がるのと同じ事にもなった。 「姉さんはもう好いんですか」  問題を変えた彼は、姉の病気について経過を訊ねた。 「ああ。どうも喘息ってものは不思議だねえ。あんなに苦しんでいても直癒るんだから」 「もう話が出来ますか」 「出来るどころか、なかなか能く喋舌ってね。例の調子で。――姉さんの考じゃ、島田は御縫さんの所へ行って、智慧を付けられて来たんだろうっていうんだがね」 「まさか。それよりあの男だからあんな非常識な事をいって来るのだと解釈する方が適当でしょう」 「そう」  兄は考えていた。健三は馬鹿らしいという顔付をした。 「でなければね。きっと年を取って皆なから邪魔にされるんだろうって」  健三はまだ黙っていた。 「何しろ淋しいには違ないんだね。それもあいつの事だから、人情で淋しいんじゃない、慾で淋しいんだ」  兄はお縫さんの所から毎月彼女の母の方へ手宛が届く事をどうしてか知っていた。 「何でも金鵄勲章の年金か何かを御藤さんが貰ってるんだとさ。だから島田もどこからか貰わなくっちゃ淋しくって堪らなくなったんだろうよ。何しろあの位慾張ってるんだから」  健三は慾で淋しがってる人に対して大した同情も起し得なかった。 三十八  事件のない日がまた少し続いた。事件のない日は、彼に取って沈黙の日に過ぎなかった。  彼はその間に時々己れの追憶を辿るべく余儀なくされた。自分の兄を気の毒がりつつも、彼は何時の間にか、その兄と同じく過去の人となった。  彼は自分の生命を両断しようと試みた。すると綺麗に切り棄てられべきはずの過去が、かえって自分を追掛けて来た。彼の眼は行手を望んだ。しかし彼の足は後へ歩きがちであった。  そうしてその行き詰りには、大きな四角な家が建っていた。家には幅の広い階子段のついた二階があった。その二階の上も下も、健三の眼には同じように見えた。廊下で囲まれた中庭もまた真四角であった。  不思議な事に、その広い宅には人が誰も住んでいなかった。それを淋しいとも思わずにいられるほどの幼ない彼には、まだ家というものの経験と理解が欠けていた。  彼はいくつとなく続いている部屋だの、遠くまで真直に見える廊下だのを、あたかも天井の付いた町のように考えた。そうして人の通らない往来を一人で歩く気でそこいら中馳け廻った。  彼は時々表二階へ上って、細い格子の間から下を見下した。鈴を鳴らしたり、腹掛を掛けたりした馬が何匹も続いて彼の眼の前を過ぎた。路を隔てた真ん向うには大きな唐金の仏様があった。その仏様は胡坐をかいて蓮台の上に坐っていた。太い錫杖を担いでいた、それから頭に笠を被っていた。  健三は時々薄暗い土間へ下りて、其所からすぐ向側の石段を下りるために、馬の通る往来を横切った。彼はこうしてよく仏様へ攀じ上った。着物の襞へ足を掛けたり、錫杖の柄へ捉まったりして、後から肩に手が届くか、または笠に自分の頭が触れると、その先はもうどうする事も出来ずにまた下りて来た。  彼はまたこの四角な家と唐金の仏様の近所にある赤い門の家を覚えていた。赤い門の家は狭い往来から細い小路を二十間も折れ曲って這入った突き当りにあった。その奥は一面の高藪で蔽われていた。  この狭い往来を突き当って左へ曲ると長い下り坂があった。健三の記憶の中に出てくるその坂は、不規則な石段で下から上まで畳み上げられていた。古くなって石の位置が動いたためか、段の方々には凸凹があった。石と石の罅隙からは青草が風に靡いた。それでも其所は人の通行する路に違なかった。彼は草履穿のままで、何度かその高い石段を上ったり下ったりした。  坂を下り尽すとまた坂があって、小高い行手に杉の木立が蒼黒く見えた。丁度その坂と坂の間の、谷になった窪地の左側に、また一軒の萱葺があった。家は表から引込んでいる上に、少し右側の方へ片寄っていたが、往来に面した一部分には掛茶屋のような雑な構が拵えられて、常には二、三脚の床几さえ体よく据えてあった。  葭簀の隙から覗くと、奥には石で囲んだ池が見えた。その池の上には藤棚が釣ってあった。水の上に差し出された両端を支える二本の棚柱は池の中に埋まっていた。周囲には躑躅が多かった。中には緋鯉の影があちこちと動いた。濁った水の底を幻影のように赤くするその魚を健三は是非捕りたいと思った。  或日彼は誰も宅にいない時を見計って、不細工な布袋竹の先へ一枚糸を着けて、餌と共に池の中に投げ込んだら、すぐ糸を引く気味の悪いものに脅かされた。彼を水の底に引っ張り込まなければやまないその強い力が二の腕まで伝った時、彼は恐ろしくなって、すぐ竿を放り出した。そうして翌日静かに水面に浮いている一尺余りの緋鯉を見出した。彼は独り怖がった。…… 「自分はその時分誰と共に住んでいたのだろう」  彼には何らの記憶もなかった。彼の頭はまるで白紙のようなものであった。けれども理解力の索引に訴えて考えれば、どうしても島田夫婦と共に暮したといわなければならなかった。 三十九  それから舞台が急に変った。淋しい田舎が突然彼の記憶から消えた。  すると表に櫺子窓の付いた小さな宅が朧気に彼の前にあらわれた。門のないその宅は裏通りらしい町の中にあった。町は細長かった。そうして右にも左にも折れ曲っていた。  彼の記憶がぼんやりしているように、彼の家も始終薄暗かった。彼は日光とその家とを連想する事が出来なかった。  彼は其所で疱瘡をした。大きくなって聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘い出したのだとかいう話であった。彼は暗い櫺子のうちで転げ廻った。惣身の肉を所嫌わず掻きって泣き叫んだ。  彼はまた偶然広い建物の中に幼い自分を見出した。区切られているようで続いている仕切のうちには人がちらほらいた。空いた場所の畳だか薄縁だかが、黄色く光って、あたりを伽藍堂の如く淋しく見せた。彼は高い所にいた。其所で弁当を食った。そうして油揚の胴を干瓢で結えた稲荷鮨の恰好に似たものを、上から下へ落した。彼は勾欄につらまって何度も下を覗いて見た。しかし誰もそれを取ってくれるものはなかった。伴の大人はみんな正面に気を取られていた。正面ではぐらぐらと柱が揺れて大きな宅が潰れた。するとその潰れた屋根の間から、髭を生やした軍人が威張って出て来た。――その頃の健三はまだ芝居というものの観念を有っていなかったのである。  彼の頭にはこの芝居と外れ鷹とが何の意味なしに結び付けられていた。突然鷹が向うに見える青い竹藪の方へ筋違に飛んで行った時、誰だか彼の傍にいるものが、「外れた外れた」と叫けんだ。すると誰だかまた手を叩いてその鷹を呼び返そうとした。――健三の記憶は此所でぷつりと切れていた。芝居と鷹とどっちを先に見たのか、それさえ彼には不分明であった。従って彼が田圃や藪ばかり見える田舎に住んでいたのと、狭苦しい町内の往来に向いた薄暗い宅に住んでいたのと、どっちが先になるのか、それも彼にはよく判明らなかった。そうしてその時代の彼の記憶には、殆んど人というものの影が働らいていなかった。  しかし島田夫婦が彼の父母として明瞭に彼の意識に上ったのは、それから間もない後の事であった。  その時夫婦は変な宅にいた。門口から右へ折れると、他の塀際伝いに石段を三つほど上らなければならなかった。そこからは幅三尺ばかりの露地で、抜けると広くて賑やかな通りへ出た。左は廊下を曲って、今度は反対に二、三段下りる順になっていた。すると其所に長方形の広間があった。広間に沿うた土間も長方形であった。土間から表へ出ると、大きな河が見えた。その上を白帆を懸けた船が何艘となく往ったり来たりした。河岸には柵を結った中へ薪が一杯積んであった。柵と柵の間にある空地は、だらだら下りに水際まで続いた。石垣の隙間からは弁慶蟹がよく鋏を出した。  島田の家はこの細長い屋敷を三つに区切ったものの真中にあった。もとは大きな町人の所有で、河岸に面した長方形の広間がその店になっていたらしく思われるけれども、その持主の何者であったか、またどうして彼が其所を立ち退いたものか、それらは凡て健三の知識の外に横わる秘密であった。  一頃その広い部屋をある西洋人が借りて英語を教えた事があった。まだ西洋人を異人という昔の時代だったので、島田の妻の御常は、化物と同居でもしているように気味を悪がった。尤もこの西洋人は上靴を穿いて、島田の借りている部屋の縁側までのそのそ歩いてくる癖を有っていた。御常が癪の気味だとかいって蒼い顔をして寐ていると、其所の縁側へ立って座敷を覗き込みながら、見舞を述べたりした。その見舞の言葉は日本語か、英語か、またはただ手真似だけか、健三にはまるで解っていなかった。 四十  西洋人は何時の間にか去ってしまった。小さい健三がふと心付いて見ると、その広い室は既に扱所というものに変っていた。  扱所というのは今の区役所のようなものらしかった。みんなが低い机を一列に並べて事務を執っていた。テーブルや椅子が今日のように広く用いられない時分の事だったので、畳の上に長く坐るのが、それほどの不便でもなかったのだろう、呼び出されるものも、また自分から遣って来るものも、悉く自分の下駄を土間へ脱ぎ捨てて掛り掛りの机の前へ畏まった。  島田はこの扱所の頭であった。従って彼の席は入口からずっと遠い一番奥の突当りに設けられた。其所から直角に折れ曲って、河の見える櫺子窓の際までに、人の数が何人いたか、机の数が幾脚あったか、健三の記憶は慥かにそれを彼に語り得なかった。  島田の住居と扱所とは、もとより細長い一つ家を仕切ったまでの事なので、彼は出勤といわず退出といわず、少なからぬ便宜を有っていた。彼には天気の好い時でも土を踏む面倒がなかった。雨の降る日には傘を差す臆劫を省く事が出来た。彼は自宅から縁側伝いで勤めに出た。そうして同じ縁側を歩いて宅へ帰った。  こういう関係が、小さい健三を少なからず大胆にした。彼は時々公けの場所へ顔を出して、みんなから相手にされた。彼は好い気になって、書記の硯箱の中にある朱墨を弄ったり、小刀の鞘を払って見たり、他に蒼蠅がられるような悪戯を続けざまにした。島田はまた出来る限りの専横をもって、この小暴君の態度を是認した。  島田は吝嗇な男であった。妻の御常は島田よりもなお吝嗇であった。 「爪に火を点すってえのは、あの事だね」  彼が実家に帰ってから後、こんな評が時々彼の耳に入った。しかし当時の彼は、御常が長火鉢の傍へ坐って、下女に味噌汁をよそって遣るのを何の気もなく眺めていた。 「それじゃ何ぼ何でも下女が可哀そうだ」  彼の実家のものは苦笑した。  御常はまた飯櫃や御菜の這入っている戸棚に、いつでも錠を卸ろした。たまに実家の父が訪ねて来ると、きっと蕎麦を取り寄せて食わせた。その時は彼女も健三も同じものを食った。その代り飯時が来ても決して何時ものように膳を出さなかった。それを当然のように思っていた健三は、実家へ引き取られてから、間食の上に三度の食事が重なるのを見て、大いに驚ろいた。  しかし健三に対する夫婦は金の点に掛けてむしろ不思議な位寛大であった。外へ出る時は黄八丈の羽織を着せたり、縮緬の着物を買うために、わざわざ越後屋まで引っ張って行ったりした。その越後屋の店へ腰を掛けて、柄を択り分けている間に、夕暮の時間が逼ったので、大勢の小僧が広い間口の雨戸を、両側から一度に締め出した時、彼は急に恐ろしくなって、大きな声を揚げて泣き出した事もあった。  彼の望む玩具は無論彼の自由になった。その中には写し絵の道具も交っていた。彼はよく紙を継ぎ合わせた幕の上に、三番叟の影を映して、烏帽子姿に鈴を振らせたり足を動かさせたりして喜こんだ。彼は新らしい独楽を買ってもらって、時代を着けるために、それを河岸際の泥溝の中に浸けた。ところがその泥溝は薪積場の柵と柵との間から流れ出して河へ落ち込むので、彼は独楽の失くなるのが心配さに、日に何遍となく扱所の土間を抜けて行って、何遍となくそれを取り出して見た。そのたびに彼は石垣の間へ逃げ込む蟹の穴を棒で突ッついた。それから逃げ損なったものの甲を抑えて、いくつも生捕りにして袂へ入れた。……  要するに彼はこの吝嗇な島田夫婦に、よそから貰い受けた一人っ子として、異数の取扱いを受けていたのである。 四十一  しかし夫婦の心の奥には健三に対する一種の不安が常に潜んでいた。  彼らが長火鉢の前で差向いに坐り合う夜寒の宵などには、健三によくこんな質問を掛けた。 「御前の御父ッさんは誰だい」  健三は島田の方を向いて彼を指した。 「じゃ御前の御母さんは」  健三はまた御常の顔を見て彼女を指さした。  これで自分たちの要求を一応満足させると、今度は同じような事を外の形で訊いた。 「じゃ御前の本当の御父さんと御母さんは」  健三は厭々ながら同じ答を繰り返すより外に仕方がなかった。しかしそれが何故だか彼らを喜こばした。彼らは顔を見合せて笑った。  或時はこんな光景が殆んど毎日のように三人の間に起った。或時は単にこれだけの問答では済まなかった。ことに御常は執濃かった。 「御前はどこで生れたの」  こう聞かれるたびに健三は、彼の記憶のうちに見える赤い門――高藪で蔽われた小さな赤い門の家を挙げて答えなければならなかった。御常は何時この質問を掛けても、健三が差支なく同じ返事の出来るように、彼を仕込んだのである。彼の返事は無論器械的であった。けれども彼女はそんな事には一向頓着しなかった。 「健坊、御前本当は誰の子なの、隠さずにそう御いい」  彼は苦しめられるような心持がした。時には苦しいより腹が立った。向うの聞きたがる返事を与えずに、わざと黙っていたくなった。 「御前誰が一番好きだい。御父ッさん? 御母さん?」  健三は彼女の意を迎えるために、向うの望むような返事をするのが厭で堪らなかった。 彼は無言のまま棒のように立ッていた。それをただ年歯の行かないためとのみ解釈した御常の観察は、むしろ簡単に過ぎた。彼は心のうちで彼女のこうした態度を忌み悪んだのである。  夫婦は全力を尽して健三を彼らの専有物にしようと力めた。また事実上健三は彼らの専有物に相違なかった。従って彼らから大事にされるのは、つまり彼らのために彼の自由を奪われるのと同じ結果に陥った。彼には既に身体の束縛があった。しかしそれよりもなお恐ろしい心の束縛が、何も解らない彼の胸に、ぼんやりした不満足の影を投げた。  夫婦は何かに付けて彼らの恩恵を健三に意識させようとした。それで或時は「御父ッさんが」という声を大きくした。或時はまた「御母さんが」という言葉に力を入れた。御父ッさんと御母さんを離れたただの菓子を食ったり、ただの着物を着たりする事は、自然健三には禁じられていた。  自分たちの親切を、無理にも子供の胸に外部から叩き込もうとする彼らの努力は、かえって反対の結果をその子供の上に引き起した。健三は蒼蠅がった。 「なんでそんなに世話を焼くのだろう」 「御父ッさんが」とか「御母さんが」とかが出るたびに、健三は己れ独りの自由を欲しがった。自分の買ってもらう玩具を喜んだり、錦絵を飽かず眺めたりする彼は、かえってそれらを買ってくれる人を嬉しがらなくなった。少なくとも両つのものを綺麗に切り離して、純粋な楽みに耽りたかった。  夫婦は健三を可愛がっていた。けれどもその愛情のうちには変な報酬が予期されていた。金の力で美くしい女を囲っている人が、その女の好きなものを、いうがままに買ってくれるのと同じように、彼らは自分たちの愛情そのものの発現を目的として行動する事が出来ずに、ただ健三の歓心を得るために親切を見せなければならなかった。そうして彼らは自然のために彼らの不純を罰せられた。しかも自から知らなかった。 四十二  同時に健三の気質も損われた。順良な彼の天性は次第に表面から落ち込んで行った。そうしてその陥欠を補うものは強情の二字に外ならなかった。  彼の我儘には日増に募った。自分の好きなものが手に入らないと、往来でも道端でも構わずに、すぐ其所へ坐り込んで動かなかった。ある時は小僧の脊中から彼の髪の毛を力に任せてり取った。ある時は神社に放し飼の鳩をどうしても宅へ持って帰るのだと主張してやまなかった。養父母の寵を欲しいままに専有し得る狭い世界の中に起きたり寐たりする事より外に何にも知らない彼には、凡ての他人が、ただ自分の命令を聞くために生きているように見えた。彼はいえば通るとばかり考えるようになった。  やがて彼の横着はもう一歩深入りをした。  ある朝彼は親に起こされて、眠い眼を擦りながら縁側へ出た。彼は毎朝寐起に其所から小便をする癖を有っていた。ところがその日は何時もより眠かったので、彼は用を足しながらつい途中で寐てしまった。そうしてその後を知らなかった。  眼が覚めて見ると、彼は小便の上に転げ落ちていた。不幸にして彼の落ちた縁側は高かった。大通りから河岸の方へ滑り込んでいる地面の中途に当るので、普通の倍ほどあった。彼はその出来事のためにとうとう腰を抜かした。  驚ろいた養父母はすぐ彼を千住の名倉へ伴れて行って出来るだけの治療を加えた。しかし強く痛められた腰は容易に立たなかった。彼は醋の臭のする黄色いどろどろしたものを毎日局部に塗って座敷に寐ていた。それが幾日続いたか彼は知らなかった。 「まだ立てないかい。立って御覧」  御常は毎日のように催促した。しかし健三は動けなかった。動けるようになってもわざと動かなかった。彼は寐ながら御常のやきもきする顔を見てひそかに喜こんだ。  彼はしまいに立った。そうして平生と何の異なる所なく其所いら中歩き廻った。すると御常の驚ろいて嬉しがりようが、如何にも芝居じみた表情に充ちていたので、彼はいっそ立たずにもう少し寐ていればよかったという気になった。  彼の弱点が御常の弱点とまともに相摶つ事も少なくはなかった。  御常は非常に嘘を吐く事の巧い女であった。それからどんな場合でも、自分に利益があるとさえ見れば、すぐ涙を流す事の出来る重宝な女であった。健三をほんの小供だと思って気を許していた彼女は、その裏面をすっかり彼に曝露して自から知らなかった。  或日一人の客と相対して坐っていた御常は、その席で話題に上った甲という女を、傍で聴いていても聴きづらいほど罵った、ところがその客が帰ったあとで、甲がまた偶然彼女を訪ねて来た。すると御常は甲に向って、そらぞらしい御世辞を使い始めた。遂に、今誰さんとあなたの事を大変賞めていた所だというような不必要な嘘まで吐いた。健三は腹を立てた。 「あんな嘘を吐いてらあ」  彼は一徹な小供の正直をそのまま甲の前に披瀝した。甲の帰ったあとで御常は大変に怒った。 「御前と一所にいると顔から火の出るような思をしなくっちゃならない」  健三は御常の顔から早く火が出れば好い位に感じた。  彼の胸の底には彼女を忌み嫌う心が我知らず常にどこかに働らいていた。いくら御常から可愛がられても、それに酬いるだけの情合がこっちに出て来得ないような醜いものを、彼女は彼女の人格の中に蔵していたのである。そうしてその醜くいものを一番能く知っていたのは、彼女の懐に温められて育った駄々ッ子に外ならなかったのである。 四十三  その中変な現象が島田と御常との間に起った。  ある晩健三がふと眼を覚まして見ると、夫婦は彼の傍ではげしく罵り合っていた。出来事は彼に取って突然であった。彼は泣き出した。  その翌晩も彼は同じ争いの声で熟睡を破られた。彼はまた泣いた。  こうした騒がしい夜が幾つとなく重なって行くに連れて、二人の罵る声は次第に高まって来た。しまいには双方とも手を出し始めた。打つ音、踏む音、叫ぶ音が、小さな彼の心を恐ろしがらせた。最初彼が泣き出すとやんだ二人の喧嘩が、今では寐ようが覚めようが、彼に用捨なく進行するようになった。  幼稚な健三の頭では何のために、ついぞ見馴れないこの光景が、毎夜深更に起るのか、まるで解釈出来なかった。彼はただそれを嫌った。道徳も理非も持たない彼に、自然はただそれを嫌うように教えたのである。  やがて御常は健三に事実を話して聞かせた。その話によると、彼女は世の中で一番の善人であった。これに反して島田は大変な悪ものであった。しかし最も悪いのは御藤さんであった。「あいつが」とか「あの女が」とかいう言葉を使うとき、御常は口惜しくって堪まらないという顔付をした。眼から涙を流した。しかしそうした劇烈な表情はかえって健三の心持を悪くするだけで、外に何の効果もなかった。 「あいつは讐だよ。御母さんにも御前にも讐だよ。骨を粉にしても仇討をしなくっちゃ」  御常は歯をぎりぎり噛んだ。健三は早く彼女の傍を離れたくなった。  彼は始終自分の傍にいて、朝から晩まで彼を味方にしたがる御常よりも、むしろ島田の方を好いた。その島田は以前と違って、大抵は宅にいない事が多かった。彼の帰る時刻は何時も夜更らしかった。従って日中は滅多に顔を合せる機会がなかった。  しかし健三は毎晩暗い灯火の影で彼を見た。その険悪な眼と怒に顫える唇とを見た。咽喉から渦捲く烟のように洩れて出るその憤りの声を聞いた。  それでも彼は時々健三を伴れて以前の通り外へ出る事があった。彼は一口も酒を飲まない代りに大変甘いものを嗜んだ。ある晩彼は健三と御藤さんの娘の御縫さんとを伴れて、賑かな通りを散歩した帰りに汁粉屋へ寄った。健三の御縫さんに会ったのはこの時が始めてであった。それで彼らは碌に顔さえ見合せなかった。口はまるで利かなかった。  宅へ帰った時、健三は御常から、まず島田にどこへ伴れて行かれたかを訊かれた。それから御藤さんの宅へ寄りはしないかと念を押された。最後に汁粉屋へは誰と一所に行ったという詰問を受けた。健三は島田の注意にかかわらず、事実をありのままに告げた。しかし御常の疑いはそれでもなかなか解けなかった。彼女はいろいろな鎌を掛けて、それ以上の事実を釣り出そうとした。 「あいつも一所なんだろう。本当を御いい。いえば御母さんが好いものを上げるから御いい。あの女も行ったんだろう。そうだろう」  彼女はどうしても行ったといわせようとした。同時に健三はどうしてもいうまいと決心した。彼女は健三を疑った。健三は彼女を卑しんだ。 「じゃあの子に御父ッさんが何といったい。あの子の方に余計口を利くかい、御前の方にかい」  何の答もしなかった健三の心には、ただ不愉快の念のみ募った。しかし御常は其所で留まる女ではなかった。 「汁粉屋で御前をどっちへ坐らせたい。右の方かい、左の方かい」  嫉妬から出る質問は何時まで経っても尽きなかった。その質問のうちに自分の人格を会釈なく露わして顧り見ない彼女は、十にも足りないわが養い子から、愛想を尽かされて毫も気が付かずにいた。 四十四  間もなく島田は健三の眼から突然消えて失くなった。河岸を向いた裏通りと賑かな表通りとの間に挟まっていた今までの住居も急にどこへか行ってしまった。御常とたった二人ぎりになった健三は、見馴れない変な宅の中に自分を見出だした。  その家の表には門口に縄暖簾を下げた米屋だか味噌屋だかがあった。彼の記憶はこの大きな店と、茹でた大豆とを彼に連想せしめた。彼は毎日それを食った事をいまだに忘れずにいた。しかし自分の新らしく移った住居については何の影像も浮かべ得なかった。「時」は綺麗にこの佗びしい記念を彼のために払い去ってくれた。  御常は会う人ごとに島田の話をした。口惜しい口惜しいといって泣いた。 「死んで祟ってやる」  彼女の権幕は健三の心をますます彼女から遠ざける媒介となるに過ぎなかった。  夫と離れた彼女は健三を自分一人の専有物にしようとした。また専有物だと信じていた。 「これからは御前一人が依怙だよ。好いかい。確かりしてくれなくっちゃいけないよ」  こう頼まれるたびに健三はいい渋った。彼はどうしても素直な子供のように心持の好い返事を彼女に与える事が出来なかった。  健三を物にしようという御常の腹の中には愛に駆られる衝動よりも、むしろ慾に押し出される邪気が常に働いていた。それが頑是ない健三の胸に、何の理窟なしに、不愉快な影を投げた。しかしその他の点について彼は全くの無我夢中であった。  二人の生活は僅かの間しか続かなかった。物質的の欠乏が源因になったのか、または御常の再縁が現状の変化を余儀なくしたのか、年歯の行かない彼にはまるで解らなかった。何しろ彼女はまた突然健三の眼から消えて失くなった。そうして彼は何時の間にか彼の実家へ引き取られていた。 「考えるとまるで他の身の上のようだ。自分の事とは思えない」  健三の記憶に上せた事相は余りに今の彼と懸隔していた。それでも彼は他人の生活に似た自分の昔を思い浮べなければならなかった。しかも或る不快な意味において思い浮べなければならなかった。 「御常さんて人はその時にあの波多野とかいう宅へまた御嫁に行ったんでしょうか」  細君は何年前か夫の所へ御常から来た長い手紙の上書をまだ覚えていた。 「そうだろうよ。己も能く知らないが」 「その波多野という人は大方まだ生きてるんでしょうね」  健三は波多野の顔さえ見た事がなかった。生死などは無論考えの中になかった。 「警部だっていうじゃありませんか」 「何んだか知らないね」 「あら、貴夫が自分でそう御仰ったくせに」 「何時」 「あの手紙を私に御見せになった時よ」 「そうかしら」  健三は長い手紙の内容を少し思い出した。その中には彼女が幼い健三の世話をした時の辛苦ばかりが並べ立ててあった。乳がないので最初からおじやだけで育てた事だの、下性が悪くって寐小便の始末に困った事だの、凡てそうした顛末を、飽きるほど委しく述べた中に、甲府とかにいる親類の裁判官が、月々彼女に金を送ってくれるので、今では大変仕合だと書いてあった。しかし肝心の彼女の夫が警部であったかどうか、其所になると健三には全く覚がなかった。 「ことによると、もう死んだかも知れないね」 「生きているかも分りませんわ」  二人の間には波多野の事ともつかず、また御常の事ともつかず、こんな問答が取り換わされた。 「あの人が不意に遣って来たように、その女の人も、何時突然訪ねて来ないとも限らないわね」  細君は健三の顔を見た。健三は腕組をしたなり黙っていた。 四十五  健三も細君も御常の書いた手紙の傾向をよく覚えていた。彼女とはさして縁故のない人ですら、親切に毎月いくらかずつの送金をしてくれるのに、小さい時分あれほど世話になって置きながら、今更知らん顔をしていられた義理でもあるまいといった風の筆意が、一頁ごとに見透かされた。  その時彼はこの手紙を東京にいる兄の許に送った。勤先へこんなものを度々寄こされては迷惑するから、少し気を付けるように先方へ注意してくれと頼んだ。兄からはすぐ返事が来た。もともと養家先を離縁になって、他家へ嫁に行った以上は他人である、その上健三はその養家さえ既に出てしまった後なのだから、今になって直接本人へ文通などされては困るという理由を持ち出して、先方を承知させたから安心しろと、その返事には書いてあった。  御常の手紙はその後ふっつり来なくなった。健三は安心した。しかしどこかに心持の悪い所があった。彼は御常の世話を受けた昔を忘れる訳に行かなかった。同時に彼女を忌み嫌う念は昔の通り変らなかった。要するに彼の御常に対する態度は、彼の島田に対する態度と同じ事であった。そうして島田に対するよりも一層嫌悪の念が劇しかった。 「島田一人でもう沢山なところへ、また新らしくそんな女が遣って来られちゃ困るな」  健三は腹の中でこう思った。夫の過去について、それほど知識のない細君の腹の中はなおの事であった。細君の同情は今その生家の方にばかり注がれていた。もとかなりの地位にあった彼女の父は、久しく浪人生活を続けた結果、漸々経済上の苦境に陥いって来たのである。  健三は時々宅へ話しに来る青年と対坐して、晴々しい彼らの様子と自分の内面生活とを対照し始めるようになった。すると彼の眼に映ずる青年は、みんな前ばかり見詰めて、愉快に先へ先へと歩いて行くように見えた。  或日彼はその青年の一人に向ってこういった。 「君らは幸福だ。卒業したら何になろうとか、何をしようとか、そんな事ばかり考えているんだから」  青年は苦笑した。そうして答えた。 「それは貴方がた時代の事でしょう。今の青年はそれほど呑気でもありません。何になろうとか、何をしようとか思わない事は無論ないでしょうけれども、世の中が、そう自分の思い通りにならない事もまた能く承知していますから」  なるほど彼の卒業した時代に比べると、世間は十倍も世知辛くなっていた。しかしそれは衣食住に関する物質的の問題に過ぎなかった。従って青年の答には彼の思わくと多少喰い違った点があった。 「いや君らは僕のように過去に煩らわされないから仕合せだというのさ」  青年は解しがたいという顔をした。 「あなただって些とも過去に煩らわされているようには見えませんよ。やっぱり己の世界はこれからだという所があるようですね」  今度は健三の方が苦笑する番になった。彼はその青年に仏蘭西のある学者が唱え出した記憶に関する新説を話した。  人が溺れかかったり、または絶壁から落ようとする間際に、よく自分の過去全体を一瞬間の記憶として、その頭に描き出す事があるという事実に、この哲学者は一種の解釈を下したのである。 「人間は平生彼らの未来ばかり望んで生きているのに、その未来が咄嗟に起ったある危険のために突然塞がれて、もう己は駄目だと事が極ると、急に眼を転じて過去を振り向くから、そこで凡ての過去の経験が一度に意識に上るのだというんだね。その説によると」  青年は健三の紹介を面白そうに聴いた。けれども事状を一向知らない彼は、それを健三の身の上に引き直して見る事が出来なかった。健三も一刹那にわが全部の過去を思い出すような危険な境遇に置かれたものとして今の自分を考えるほどの馬鹿でもなかった。 四十六  健三の心を不愉快な過去に捲き込む端緒になった島田は、それから五、六日ほどして、ついにまた彼の座敷にあらわれた。  その時健三の眼に映じたこの老人は正しく過去の幽霊であった。また現在の人間でもあった。それから薄暗い未来の影にも相違なかった。 「どこまでこの影が己の身体に付いて回るだろう」  健三の胸は好奇心の刺戟に促されるよりもむしろ不安の漣に揺れた。 「この間比田の所をちょっと訪ねて見ました」  島田の言葉遣はこの前と同じように鄭重であった。しかし彼が何で比田の家へ足を運んだのか、その点になると、彼は全く知らん顔をして澄ましていた。彼の口ぶりはまるで無沙汰見舞かたがたそっちへ用のあったついでに立ち寄った人の如くであった。 「あの辺も昔と違って大分変りましたね」  健三は自分の前に坐っている人の真面目さの程度を疑った。果してこの男が彼の復籍を比田まで頼み込んだのだろうか、また比田が自分たちと相談の結果通り、断然それを拒絶したのだろうか、健三はその明白な事実さえ疑わずにはいられなかった。 「もとはそら彼処に瀑があって、みんな夏になると能く出掛けたものですがね」  島田は相手に頓着なくただ世間話を進めて行った。健三の方では無論自分から進んで不愉快な問題に触れる必要を認めないので、ただ老人の迹に跟いて引っ張られて行くだけであった。すると何時の間にか島田の言葉遣が崩れて来た。しまいに彼は健三の姉を呼び捨てにし始めた。 「御夏も年を取ったね。尤ももう大分久しく会わないには違ないが。昔はあれでなかなか勝気な女で、能く私に喰って掛ったり何かしたものさ。その代り元々兄弟同様の間柄だから、いくら喧嘩をしたって、仲の直るのもまた早いには早いが。何しろ困ると助けてくれって能く泣き付いて来るんで、私ゃ可哀想だからその度びにいくらかずつ都合して遣ったよ」  島田のいう事は、姉が蔭で聴いていたらさぞ怒るだろうと思うように横柄であった。それから手前勝手な立場からばかり見た歪んだ事実を他に押し付けようとする邪気に充ちていた。  健三は次第に言葉少なになった。しまいには黙ったなり凝と島田の顔を見詰た。  島田は妙に鼻の下の長い男であった。その上往来などで物を見るときは必ず口を開けていた。だからちょっと馬鹿のようであった。けれども善良な馬鹿としては決して誰の眼にも映ずる男ではなかった。落ち込んだ彼の眼はその底で常に反対の何物かを語っていた。眉はむしろ険しかった。狭くて高い彼の額の上にある髪は、若い時分から左右に分けられた例がなかった。法印か何ぞのように常に後へ撫で付けられていた。  彼はふと健三の眼を見た。そうして相手の腹を読んだ。一旦横風の昔に返った彼の言葉遣がまた何時の間にか現在の鄭寧さに立ち戻って来た。健三に対して過去の己れに返ろう返ろうとする試みを遂に断念してしまった。  彼は室の内をきょろきょろ見廻し始めた。殺風景を極めたその室の中には生憎額も掛物も掛っていなかった。 「李鴻章の書は好きですか」  彼は突然こんな問を発した。健三は好きとも嫌ともいい兼た。 「好きなら上げても好ござんす。あれでも価値にしたら今じゃよっぽどするでしょう」  昔し島田は藤田東湖の偽筆に時代を着けるのだといって、白髪蒼顔万死余云々と書いた半切の唐紙を、台所の竈の上に釣るしていた事があった。彼の健三にくれるという李鴻章も、どこの誰が書いたものか頗る怪しかった。島田から物を貰う気の絶対になかった健三は取り合わずにいた。島田は漸く帰った。 四十七 「何しに来たんでしょう、あの人は」  目的なしにただ来るはずがないという感じが細君には強くあった。健三も丁度同じ感じに多少支配されていた。 「解らないね、どうも。一体魚と獣ほど違うんだから」 「何が」 「ああいう人と己などとはさ」  細君は突然自分の家族と夫との関係を思い出した。両者の間には自然の造った溝があって、御互を離隔していた。片意地な夫は決してそれを飛び超えてくれなかった。溝を拵えたものの方で、それを埋めるのが当然じゃないかといった風の気分で何時までも押し通していた。里ではまた反対に、夫が自分の勝手でこの溝を掘り始めたのだから、彼の方で其所を平にしたら好かろうという考えを有っていた。細君の同情は無論自分の家族の方にあった。彼女はわが夫を世の中と調和する事の出来ない偏窟な学者だと解釈していた。同時に夫が里と調和しなくなった源因の中に、自分が主な要素として這入っている事も認めていた。  細君は黙って話を切り上げようとした。しかし島田の方にばかり気を取られていた健三にはその意味が通じなかった。 「御前はそう思わないかね」 「そりゃあの人と貴夫となら魚と獣位違うでしょう」 「無論外の人と己と比較していやしない」  話はまた島田の方へ戻って来た。細君は笑いながら訊いた。 「李鴻章の掛物をどうとかいってたのね」 「己に遣ろうかっていうんだ」 「御止しなさいよ。そんな物を貰ってまた後からどんな無心を持ち懸けられるかも知れないわ。遣るっていうのは、大方口の先だけなんでしょう。本当は買ってくれっていう気なんですよ、きっと」  夫婦には李鴻章の掛物よりもまだ外に買いたいものが沢山あった。段々大きくなって来る女の子に、相当の着物を着せて表へ出す事の出来ないのも、細君からいえば、夫の気の付かない心配に違なかった。二円五十銭の月賦で、この間拵えた雨合羽の代を、月々洋服屋に払っている夫も、あまり長閑な心持になれようはずがなかった。 「復籍の事は何にもいい出さなかったようですね」 「うん何にもいわない。まるで狐に抓まれたようなものだ」  始めからこっちの気を引くためにわざとそんな突飛な要求を持ち出したものか、または真面目な懸合として、それを比田へ持ち込んだ後、比田からきっぱり断られたので、始めて駄目だと覚ったものか、健三にはまるで見当が付かなかった。 「どっちでしょう」 「到底解らないよ、ああいう人の考えは」  島田は実際どっちでも遣りかねない男であった。  彼は三日ほどしてまた健三の玄関を開けた。その時健三は書斎に灯火を点けて机の前に坐っていた。丁度彼の頭に思想上のある問題が一筋の端緒を見せかけた所であった。彼は一図にそれを手近まで手繰り寄せようとして骨を折った。彼の思索は突然截ち切られた。彼は苦い顔をして室の入口に手を突いた下女の方を顧みた。 「何もそう度々来て、他の邪魔をしなくっても好さそうなものだ」  彼は腹の中でこう呟やいた。断然面会を謝絶する勇気を有たない彼は、下女を見たなり少時黙っていた。 「御通し申しますか」 「うん」  彼は仕方なしに答えた。それから「御奥さんは」と訊ねた。 「少し御気分が悪いと仰しゃって先刻から伏せっていらっしゃいます」  細君の寐るときは歇私的里の起った時に限るように健三には思えてならなかった。彼は漸く立ち上った。 四十八  電気燈のまだ戸ごとに点されない頃だったので、客間には例もの通り暗い洋燈が点いていた。  その洋燈は細長い竹の台の上に油壺を篏め込むように拵えたもので、鼓の胴の恰形に似た平たい底が畳へ据わるように出来ていた。  健三が客間へ出た時、島田はそれを自分の手元に引き寄せて心を出したり引っ込ましたりしながら灯火の具合を眺めていた。彼は改まった挨拶もせずに、「少し油煙がたまるようですね」といった。  なるほど火屋が薄黒く燻ぶっていた。丸心の切方が平に行かないところを、むやみに灯を高くすると、こんな変調を来すのがこの洋燈の特徴であった。 「換えさせましょう」  家には同じ型のものが三つばかりあった。健三は下女を呼んで茶の間にあるのと取り換えさせようとした。しかし島田は生返事をするぎりで、容易に煤で曇った火屋から眼を離さなかった。 「どういう加減だろう」  彼は独り言をいって、草花の模様だけを不透明に擦った丸い蓋の隙間を覗き込んだ。  健三の記憶にある彼は、こんな事を能く気にするという点において、頗る几帳面な男に相違なかった。彼はむしろ潔癖であった。持って生れた倫理上の不潔癖と金銭上の不潔癖の償いにでもなるように、座敷や縁側の塵を気にした。彼は尻をからげて、拭掃除をした。跣足で庭へ出て要らざる所まで掃いたり水を打ったりした。  物が壊れると彼はきっと自分で修復した。あるいは修復そうとした。それがためにどの位な時間が要っても、またどんな労力が必要になって来ても、彼は決して厭わなかった。そういう事が彼の性にあるばかりでなく、彼には手に握った一銭銅貨の方が、時間や労力よりも遥かに大切に見えたのである。 「なにそんなものは宅で出来る。金を出して頼むがものはない。損だ」  損をするという事が彼には何よりも恐ろしかった。そうして目に見えない損はいくらしても解らなかった。 「宅の人はあんまり正直過ぎるんで」  御藤さんは昔健三に向って、自分の夫を評するときに、こんな言葉を使った。世の中をまだ知らない健三にもその真実でない事はよく解っていた。ただ自分の手前、嘘と承知しながら、夫の品性を取り繕うのだろうと善意に解釈した彼は、その時御藤さんに向って何にもいわなかった。しかし今考えて見ると、彼女の批評にはもう少し慥な根底があるらしく思えた。 「必竟大きな損に気のつかない所が正直なんだろう」  健三はただ金銭上の慾を満たそうとして、その慾に伴なわない程度の幼稚な頭脳を精一杯に働らかせている老人をむしろ憐れに思った。そうして凹んだ眼を今擦り硝子の蓋の傍へ寄せて、研究でもする時のように、暗い灯を見詰めている彼を気の毒な人として眺めた。 「彼はこうして老いた」  島田の一生を煎じ詰めたような一句を眼の前に味わった健三は、自分は果してどうして老ゆるのだろうかと考えた。彼は神という言葉が嫌であった。しかしその時の彼の心にはたしかに神という言葉が出た。そうして、もしその神が神の眼で自分の一生を通して見たならば、この強慾な老人の一生と大した変りはないかも知れないという気が強くした。  その時島田は洋燈の螺旋を急に廻したと見えて、細長い火屋の中が、赤い火で一杯になった。それに驚ろいた彼は、また螺旋を逆に廻し過ぎたらしく、今度はただでさえ暗い灯火をなおの事暗くした。 「どうもどこか調子が狂ってますね」  健三は手を敲いて下女に新しい洋燈を持って来さした。 四十九  その晩の島田はこの前来た時と態度の上において何の異なる所もなかった。応対にはどこまでも健三を独立した人と認めるような言葉ばかり使った。  しかし彼はもう先達ての掛物についてはまるで忘れているかの如くに見えた。李鴻章の李の字も口にしなかった。復籍の事はなお更であった。噫にさえ出す様子を見せなかった。  彼はなるべくただの話をしようとした。しかし二人に共通した興味のある問題は、どこをどう探しても落ちているはずがなかった。彼のいう事の大部分は、健三に取って全くの無意味から余り遠く隔っているとも思えなかった。  健三は退屈した。しかしその退屈のうちには一種の注意が徹っていた。彼はこの老人が或日或物を持って、今より判明りした姿で、きっと自分の前に現れてくるに違ないという予覚に支配された。その或物がまた必ず自分に不愉快なもしくは不利益な形を具えているに違ないという推測にも支配された。  彼は退屈のうちに細いながらかなり鋭どい緊張を感じた。そのせいか、島田の自分を見る眼が、さっき擦硝子の蓋を通して油煙に燻ぶった洋燈の灯を眺めていた時とは全く変っていた。 「隙があったら飛び込もう」  落ち込んだ彼の眼は鈍いくせに明らかにこの意味を物語っていた。自然健三はそれに抵抗して身構えなければならなくなった。しかし時によると、その身構えをさらりと投げ出して、飢えたような相手の眼に、落付を与えて遣りたくなる場合もあった。  その時突然奥の間で細君の唸るような声がした。健三の神経はこの声に対して普通の人以上の敏感を有っていた。彼はすぐ耳を峙だてた。 「誰か病気ですか」と島田が訊いた。 「ええ妻が少し」 「そうですか、それはいけませんね。どこが悪いんです」  島田はまだ細君の顔を見た事がなかった。何時どこから嫁に来た女かさえ知らないらしかった。従って彼の言葉にはただ挨拶があるだけであった。健三もこの人から自分の妻に対する同情を求めようとは思っていなかった。 「近頃は時候が悪いから、能く気を付けないといけませんね」  子供は疾うに寐付いた後なので奥は寂としていた。下女は一番懸け離れた台所の傍の三畳にいるらしかった。こんな時に細君をたった一人で置くのが健三には何より苦しかった。彼は手を叩いて下女を呼んだ。 「ちょっと奥へ行って奥さんの傍に坐っててくれ」 「へええ」  下女は何のためだか解らないといった様子をして間の襖を締めた。健三はまた島田の方を向き直った。けれども彼の注意はむしろ老人を離れていた。腹の中で早く帰ってくれれば好いと思うので、その腹が言葉にも態度にもありありと現れた。  それでも島田は容易に立たなかった。話の接穂がなくなって、手持無沙汰で仕方なくなった時、始めて座蒲団から滑り落ちた。 「どうも御邪魔をしました。御忙がしいところを。いずれまたその内」  細君の病気については何事もいわなかった彼は、沓脱へ下りてからまた健三の方を振り向いた。 「夜分なら大抵御暇ですか」  健三は生返事をしたなり立っていた。 「実は少し御話ししたい事があるんですが」  健三は何の御用ですかとも聞き返さなかった。老人は健三の手に持った暗い灯影から、鈍い眼を光らしてまた彼を見上げた。その眼にはやっぱりどこかに隙があったら彼の懐に潜り込もうという人の悪い厭な色か動いていた。 「じゃ御免」  最後に格子を開けて外へ出た島田はこういってとうとう暗がりに消えた。健三の門には軒燈さえ点いていなかった。 五十  健三はすぐ奥へ来て細君の枕元に立った。 「どうかしたのか」  細君は眼を開けて天井を見た。健三は蒲団の横からまたその眼を見下した。  襖の影に置かれた洋燈の灯は客間のよりも暗かった。細君の眸がどこに向って注がれているのか能く分らない位暗かった。 「どうかしたのか」  健三は同じ問をまた繰り返さなければならなかった。それでも細君は答えなかった。  彼は結婚以来こういう現象に何度となく遭遇した。しかし彼の神経はそれに慣らされるには余りに鋭敏過ぎた。遭遇するたびに、同程度の不安を感ずるのが常であった。彼はすぐ枕元に腰を卸した。 「もうあっちへ行っても好い。此所には己がいるから」  ぼんやり蒲団の裾に坐って、退屈そうに健三の様子を眺めていた下女は無言のまま立ち上った。そうして「御休みなさい」と敷居の所へ手を突いて御辞儀をしたなり襖を立て切った。後には赤い筋を引いた光るものが畳の上に残った。彼は眉を顰めながら下女の振り落して行った針を取り上げた。何時もなら婢を呼び返して小言をいって渡すところを、今の彼は黙って手に持ったまま、しばらく考えていた。彼はしまいにその針をぷつりと襖に立てた。そうしてまた細君の方へ向き直った。  細君の眼はもう天井を離れていた。しかし判然どこを見ているとも思えなかった。黒い大きな瞳子には生きた光があった。けれども生きた働きが欠けていた。彼女は魂と直接に繋がっていないような眼を一杯に開けて、漫然と瞳孔の向いた見当を眺めていた。 「おい」  健三は細君の肩を揺った。細君は返事をせずにただ首だけをそろりと動かして心持健三の方に顔を向けた。けれども其所に夫の存在を認める何らの輝きもなかった。 「おい、己だよ。分るかい」  こういう場合に彼の何時でも用いる陳腐で簡略でしかもぞんざいなこの言葉のうちには、他に知れないで自分にばかり解っている憐憫と苦痛と悲哀があった。それから跪まずいて天に祷る時の誠と願もあった。 「どうぞ口を利いてくれ。後生だから己の顔を見てくれ」  彼は心のうちでこういって細君に頼むのである。しかしその痛切な頼みを決して口へ出していおうとはしなかった。感傷的な気分に支配されやすいくせに、彼は決して外表的になれない男であった。  細君の眼は突然平生の我に帰った。そうして夢から覚めた人のように健三を見た。 「貴夫?」  彼女の声は細くかつ長かった。彼女は微笑しかけた。しかしまだ緊張している健三の顔を認めた時、彼女はその笑を止めた。 「あの人はもう帰ったの」 「うん」  二人はしばらく黙っていた。細君はまた頸を曲げて、傍に寐ている子供の方を見た。 「能く寐ているのね」  子供は一つ床の中に小さな枕を並べてすやすや寐ていた。  健三は細君の額の上に自分の右の手を載せた。 「水で頭でも冷して遣ろうか」 「いいえ、もう好ござんす」 「大丈夫かい」 「ええ」 「本当に大丈夫かい」 「ええ。貴夫ももう御休みなさい」 「己はまだ寐る訳に行かないよ」  健三はもう一遍書斎へ入って静かな夜を一人更かさなければならなかった。 五十一  彼の眼が冴えている割に彼の頭は澄み渡らなかった。彼は思索の綱を中断された人のように、考察の進路を遮ぎる霧の中で苦しんだ。  彼は明日の朝多くの人より一段高い所に立たなければならない憐れな自分の姿を想い見た。その憐れな自分の顔を熱心に見詰めたり、または不得意な自分のいう事を真面目に筆記したりする青年に対して済まない気がした。自分の虚栄心や自尊心を傷けるのも、それらを超越する事の出来ない彼には大きな苦痛であった。 「明日の講義もまた纏まらないのかしら」  こう思うと彼は自分の努力が急に厭になった。愉快に考えの筋道が運んだ時、折々何者にか煽動されて起る、「己の頭は悪くない」という自信も己惚も忽ち消えてしまった。同時にこの頭の働らきを攪き乱す自分の周囲についての不平も常時よりは高まって来た。  彼はしまいに投げるように洋筆を放り出した。 「もうやめだ。どうでも構わない」  時計はもう一時過ぎていた。洋燈を消して暗闇を縁側伝いに廊下へ出ると、突当りの奥の間の障子二枚だけが灯に映って明るかった。健三はその一枚を開けて内に入った。  子供は犬ころのように塊まって寐ていた。細君も静かに眼を閉じて仰向に眠っていた。  音のしないように気を付けてその傍に坐った彼は、心持頸を延ばして、細君の顔を上から覗き込んだ。それからそっと手を彼女の寐顔の上に翳した。彼女は口を閉じていた。彼の掌には細君の鼻の穴から出る生暖かい呼息が微かに感ぜられた。その呼息は規則正しかった。また穏やかだった。  彼は漸く出した手を引いた。するともう一度細君の名を呼んで見なければまだ安心が出来ないという気が彼の胸を衝いて起った。けれども彼は直その衝動に打勝った。次に彼はまた細君の肩へ手を懸けて、再び彼女を揺り起そうとしたが、それもやめた。 「大丈夫だろう」  彼は漸く普通の人の断案に帰着する事が出来た。しかし細君の病気に対して神経の鋭敏になっている彼には、それが何人もこういう場合に取らなければならない尋常の手続きのように思われたのである。  細君の病気には熟睡が一番の薬であった。長時間彼女の傍に坐って、心配そうにその顔を見詰めている健三に何よりも有難いその眠りが、静かに彼女の瞼の上に落ちた時、彼は天から降る甘露をまのあたり見るような気が常にした。しかしその眠りがまた余り長く続き過ぎると、今度は自分の視線から隠された彼女の眼がかえって不安の種になった。ついに睫毛の鎖している奥を見るために、彼は正体なく寐入った細君を、わざわざ揺り起して見る事が折々あった。細君がもっと寐かして置いてくれれば好いのにという訴えを疲れた顔色に現わして重い瞼を開くと、彼はその時始めて後悔した。しかし彼の神経はこんな気の毒な真似をしてまでも、彼女の実在を確かめなければ承知しなかったのである。  やがて彼は寐衣を着換えて、自分の床に入った。そうして濁りながら動いているような彼の頭を、静かな夜の支配に任せた。夜はその濁りを清めてくれるには余りに暗過ぎた、しかし騒がしいその動きを止めるには充分静かであった。  翌朝彼は自分の名を呼ぶ細君の声で眼を覚ました。 「貴夫もう時間ですよ」  まだ床を離れない細君は、手を延ばして彼の枕元から取った袂時計を眺めていた。下女が俎板の上で何か刻む音が台所の方で聞こえた。 「婢はもう起きてるのか」 「ええ。先刻起しに行ったんです」  細君は下女を起して置いてまた床の中に這入ったのである。健三はすぐ起き上がった。細君も同時に立った。  昨夜の事は二人ともまるで忘れたように何にもいわなかった。 五十二  二人は自分たちのこの態度に対して何の注意も省察も払わなかった。二人は二人に特有な因果関係を有っている事を冥々の裡に自覚していた。そうしてその因果関係が一切の他人には全く通じないのだという事も能く呑み込んでいた。だから事状を知らない第三者の眼に、自分たちがあるいは変に映りはしまいかという疑念さえ起さなかった。  健三は黙って外へ出て、例の通り仕事をした。しかしその仕事の真際中に彼は突然細君の病気を想像する事があった。彼の眼の前に夢を見ているような細君の黒い眼が不意に浮んだ。すると彼はすぐ自分の立っている高い壇から降りて宅へ帰らなければならないような気がした。あるいは今にも宅から迎が来るような心持になった。彼は広い室の片隅にいて真ん向うの突当りにある遠い戸口を眺めた。彼は仰向いて兜の鉢金を伏せたような高い丸天井を眺めた。仮漆で塗り上げた角材を幾段にも組み上げて、高いものを一層高く見えるように工夫したその天井は、小さい彼の心を包むに足りなかった。最後に彼の眼は自分の下に黒い頭を並べて、神妙に彼のいう事を聴いている多くの青年の上に落ちた。そうしてまた卒然として現実に帰るべく彼らから余儀なくされた。  これほど細君の病気に悩まされていた健三は、比較的島田のために祟られる恐れを抱かなかった。彼はこの老人を因業で強慾な男と思っていた。しかし一方ではまたそれらの性癖を充分発揮する能力がないものとしてむしろ見縊ってもいた。ただ要らぬ会談に惜い時間を潰されるのが、健三には或種類の人の受ける程度より以上の煩いになった。 「何をいって来る気かしら、この次は」  襲われる事を予期して、暗にそれを苦にするような健三の口振が、細君の言葉を促がした。 「どうせ分っているじゃありませんか。そんな事を気になさるより早く絶交した方がよっぽど得ですわ」  健三は心の裡で細君のいう事を肯がった。しかし口ではかえって反対な返事をした。 「それほど気にしちゃいないさ、あんな者。もともと恐ろしい事なんかないんだから」 「恐ろしいって誰もいやしませんわ。けれども面倒臭いにゃ違いないでしょう、いくら貴夫だって」 「世の中にはただ面倒臭い位な単純な理由でやめる事の出来ないものがいくらでもあるさ」  多少片意地の分子を含んでいるこんな会話を細君と取り換わせた健三は、その次島田の来た時、例よりは忙がしい頭を抱えているにもかかわらず、ついに面会を拒絶する訳に行かなかった。  島田のちと話したい事があるといったのは、細君の推察通りやっぱり金の問題であった。隙があったら飛び込もうとして、この間から覘を付けていた彼は、何時まで待っても際限がないとでも思ったものか、機会のあるなしに頓着なく、ついに健三に肉薄し始めた。 「どうも少し困るので。外にどこといって頼みに行く所もない私なんだから、是非一つ」  老人の言葉のどこかには、義務として承知してもらわなくっちゃ困るといった風の横着さが潜んでいた。しかしそれは健三の神経を自尊心の一角において傷め付けるほど強くも現われていなかった。  健三は立って書斎の机の上から自分の紙入を持って来た。一家の会計を司どっていない彼の財嚢は無論軽かった。空のまま硯箱の傍に幾日も横たわっている事さえ珍らしくはなかった。彼はその中から手に触れるだけの紙幣を攫み出して島田の前に置いた。島田は変な顔をした。 「どうせ貴方の請求通り上げる訳には行かないんです。それでもありったけ悉皆上げたんですよ」  健三は紙入の中を開けて島田に見せた。そうして彼の帰ったあとで、空の財布を客間へ放り出したまままた書斎へ入った。細君には金を遣った事を一口もいわなかった。 五十三  翌日例刻に帰った健三は、机の前に坐って、大事らしく何時もの所に置かれた昨日の紙入に眼を付けた。革で拵らえた大型のこの二つ折は彼の持物としてむしろ立派過ぎる位上等な品であった。彼はそれを倫敦の最も賑やかな町で買ったのである。  外国から持って帰った記念が、何の興味も惹かなくなりつつある今の彼には、この紙入も無用の長物と見える外はなかった。細君が何故丁寧にそれを元の場所へ置いてくれたのだろうかとさえ疑った彼は、皮肉な一瞥を空っぽうの入物に与えたぎり、手も触れずに幾日かを過ごした。  その内何かで金の要る日が来た。健三は机の上の紙入を取り上げて細君の鼻の先へ出した。 「おい少し金を入れてくれ」  細君は右の手で物指を持ったまま夫の顔を下から見上げた。 「這入ってるはずですよ」  彼女はこの間島田の帰ったあとで何事も夫から聴こうとしなかった。それで老人に金を奪られたことも全く夫婦間の話題に上っていなかった。健三は細君が事状を知らないでこういうのかと思った。 「あれはもう遣っちゃったんだ。紙入は疾うから空っぽうになっているんだよ」  細君は依然として自分の誤解に気が付かないらしかった。物指を畳の上へ投げ出して手を夫の方へ差し延べた。 「ちょっと拝見」  健三は馬鹿々々しいという風をして、それを細君に渡した。細君は中を検ためた。中からは四、五枚の紙幣が出た。 「そらやっぱり入ってるじゃありませんか」  彼女は手垢の付いた皺だらけの紙幣を、指の間に挟んで、ちょっと胸のあたりまで上げて見せた。彼女の挙動は自分の勝利に誇るものの如く微かな笑に伴なった。 「何時入れたのか」 「あの人の帰った後でです」  健三は細君の心遣を嬉しく思うよりもむしろ珍らしく眺めた。彼の理解している細君はこんな気の利いた事を滅多にする女ではなかったのである。 「己が内所で島田に金を奪られたのを気の毒とでも思ったものかしら」  彼はこう考えた。しかし口へ出してその理由を彼女に訊き糺して見る事はしなかった。夫と同じ態度をついに失わずにいた彼女も、自ら進んで己れを説明する面倒を敢てしなかった。彼女の填補した金はかくして黙って受取られ、また黙って消費されてしまった。  その内細君の御腹が段々大きくなって来た。起居に重苦しそうな呼息をし始めた。気分も能く変化した。 「妾今度はことによると助からないかも知れませんよ」  彼女は時々何に感じてかこういって涙を流した。大抵は取り合わずにいる健三も、時として相手にさせられなければ済まなかった。 「何故だい」 「何故だかそう思われて仕方がないんですもの」  質問も説明もこれ以上には上る事の出来なかった言葉のうちに、ぼんやりした或ものが常に潜んでいた。その或ものは単純な言葉を伝わって、言葉の届かない遠い所へ消えて行った。鈴の音が鼓膜の及ばない幽かな世界に潜り込むように。  彼女は悪阻で死んだ健三の兄の細君の事を思い出した。そうして自分が長女を生む時に同じ病で苦しんだ昔と照し合せて見たりした。もう二、三日食物が通らなければ滋養灌腸をするはずだった際どいところを、よく通り抜けたものだなどと考えると、生きている方がかえって偶然のような気がした。 「女は詰らないものね」 「それが女の義務なんだから仕方がない」  健三の返事は世間並であった。けれども彼自身の頭で批判すると、全くの出鱈目に過ぎなかった。彼は腹の中で苦笑した。 五十四  健三の気分にも上り下りがあった。出任せにもせよ細君の心を休めるような事ばかりはいっていなかった。時によると、不快そうに寐ている彼女の体たらくが癪に障って堪らなくなった。枕元に突っ立ったまま、わざと樫貪に要らざる用を命じて見たりした。  細君も動かなかった。大きな腹を畳へ着けたなり打つとも蹴るとも勝手にしろという態度をとった。平生からあまり口数を利かない彼女は益沈黙を守って、それが夫の気を焦立たせるのを目の前に見ながら澄ましていた。 「つまりしぶといのだ」  健三の胸にはこんな言葉が細君の凡ての特色ででもあるかのように深く刻み付けられた。彼は外の事をまるで忘れてしまわなければならなかった。しぶといという観念だけがあらゆる注意の焦点になって来た。彼はよそを真闇にして置いて、出来るだけ強烈な憎悪の光をこの四字の上に投げ懸けた。細君はまた魚か蛇のように黙ってその憎悪を受取った。従って人目には、細君が何時でも品格のある女として映る代りに、夫はどうしても気違染みた癇癪持として評価されなければならなかった。 「貴夫がそう邪慳になさると、また歇私的里を起しますよ」  細君の眼からは時々こんな光が出た。どういうものか健三は非道くその光を怖れた。同時に劇しくそれを悪んだ。我慢な彼は内心に無事を祈りながら、外部では強いて勝手にしろという風を装った。その強硬な態度のどこかに何時でも仮装に近い弱点があるのを細君は能く承知していた。 「どうせ御産で死んでしまうんだから構やしない」  彼女は健三に聞えよがしに呟やいた。健三は死んじまえといいたくなった。  或晩彼はふと眼を覚まして、大きな眼を開いて天井を見詰ている細君を見た。彼女の手には彼が西洋から持って帰った髪剃があった。彼女が黒檀の鞘に折り込まれたその刃を真直に立てずに、ただ黒い柄だけを握っていたので、寒い光は彼の視覚を襲わずに済んだ。それでも彼はぎょっとした。半身を床の上に起して、いきなり細君の手から髪剃をぎ取った。 「馬鹿な真似をするな」  こういうと同時に、彼は髪剃を投げた。髪剃は障子に篏め込んだ硝子に中ってその一部分を摧いて向う側の縁に落ちた。細君は茫然として夢でも見ている人のように一口も物をいわなかった。  彼女は本当に情に逼って刃物三昧をする気なのだろうか、または病気の発作に自己の意志を捧げべく余儀なくされた結果、無我夢中で切れものを弄そぶのだろうか、あるいは単に夫に打ち勝とうとする女の策略からこうして人を驚かすのだろうか、驚ろかすにしてもその真意は果してどこにあるのだろうか。自分に対する夫を平和で親切な人に立ち返らせるつもりなのだろうか、またはただ浅墓な征服慾に駆られているのだろうか、――健三は床の中で一つの出来事を五条にも六条にも解釈した。そうして時々眠れない眼をそっと細君の方に向けてその動静をうかがった。寐ているとも起きているとも付かない細君は、まるで動かなかった。あたかも死を衒う人のようであった。健三はまた枕の上でまた自分の問題の解決に立ち帰った。  その解決は彼の実生活を支配する上において、学校の講義よりも遥かに大切であった。彼の細君に対する基調は、全その解決一つでちゃんと定められなければならなかった。今よりずっと単純であった昔、彼は一図に細君の不可思議な挙動を、病のためとのみ信じ切っていた。その時代には発作の起るたびに、神の前に己れを懺悔する人の誠を以て、彼は細君の膝下に跪ずいた。彼はそれを夫として最も親切でまた最も高尚な処置と信じていた。 「今だってその源因が判然分りさえすれば」  彼にはこういう慈愛の心が充ち満ちていた。けれども不幸にしてその源因は昔のように単純には見えなかった。彼はいくらでも考えなければならなかった。到底解決の付かない問題に疲れて、とろとろと眠るとまたすぐ起きて講義をしに出掛けなければならなかった。彼は昨夕の事について、ついに一言も細君に口を利く機会を得なかった。細君も日の出と共にそれを忘れてしまったような顔をしていた。 五十五  こういう不愉快な場面の後には大抵仲裁者としての自然が二人の間に這入って来た。二人は何時となく普通夫婦の利くような口を利き出した。  けれども或時の自然は全くの傍観者に過ぎなかった。夫婦はどこまで行っても背中合せのままで暮した。二人の関係が極端な緊張の度合に達すると、健三はいつも細君に向って生家へ帰れといった。細君の方ではまた帰ろうが帰るまいがこっちの勝手だという顔をした。その態度が憎らしいので、健三は同じ言葉を何遍でも繰り返して憚らなかった。 「じゃ当分子供を伴れて宅へ行っていましょう」  細君はこういって一旦里へ帰った事もあった。健三は彼らの食料を毎月送って遣るという条件の下に、また昔のような書生生活に立ち帰れた自分を喜んだ。彼は比較的広い屋敷に下女とたった二人ぎりになったこの突然の変化を見て、少しも淋しいとは思わなかった。 「ああ晴々して好い心持だ」  彼は八畳の座敷の真中に小さな餉台を据えてその上で朝から夕方までノートを書いた。丁度極暑の頃だったので、身体の強くない彼は、よく仰向になってばたりと畳の上に倒れた。何時替えたとも知れない時代の着いたその畳には、彼の脊中を蒸すような黄色い古びが心まで透っていた。  彼のノートもまた暑苦しいほど細かな字で書き下された。蠅の頭というより外に形容のしようのないその草稿を、なるべくだけ余計拵えるのが、その時の彼に取っては、何よりの愉快であった。そして苦痛であった。また義務であった。  巣鴨の植木屋の娘とかいう下女は、彼のために二、三の盆栽を宅から持って来てくれた。それを茶の間の縁に置いて、彼が飯を食う時給仕をしながら色々な話をした。彼は彼女の親切を喜こんだ。けれども彼女の盆栽を軽蔑した。それはどこの縁日へ行っても、二、三十銭出せば、鉢ごと買える安価な代物だったのである。  彼は細君の事をかつて考えずにノートばかり作っていた。彼女の里へ顔を出そうなどという気はまるで起らなかった。彼女の病気に対する懸念も悉く消えてしまった。 「病気になっても父母が付いているじゃないか。もし悪ければ何とかいって来るだろう」  彼の心は二人一所にいる時よりも遥に平静であった。  細君の関係者に会わないのみならず、彼はまた自分の兄や姉にも会いに行かなかった。その代り向うでも来なかった。彼はたった一人で、日中の勉強につづく涼しい夜を散歩に費やした。そうして継布のあたった青い蚊帳の中に入って寐た。  一カ月あまりすると細君が突然遣って来た。その時健三は日のかぎった夕暮の空の下に、広くもない庭先を逍遥していた。彼の歩みが書斎の縁側の前へ来た時、細君は半分朽ち懸けた枝折戸の影から急に姿を現わした。 「貴夫故のようになって下さらなくって」  健三は細君の穿いている下駄の表が変にささくれて、その後の方が如何にも見苦しく擦り減らされているのに気が付いた。彼は憐れになった。紙入の中から三枚の一円紙幣を出して細君の手に握らせた。 「見っともないからこれで下駄でも買ったら好いだろう」  細君が帰ってから幾日目か経った後、彼女の母は始めて健三を訪ずれた。用事は細君が健三に頼んだのと大同小異で、もう一遍彼らを引取ってくれという主意を畳の上で布衍したに過ぎなかった。既に本人に帰りたい意志があるのを拒絶するのは、健三から見ると無情な挙動であった。彼は一も二もなく承知した。細君はまた子供を連れて駒込へ帰って来た。しかし彼女の態度は里へ行く前と毫も違っていなかった。健三は心のうちで彼女の母に騙されたような気がした。  こうした夏中の出来事を自分だけで繰り返して見るたびに、彼は不愉快になった。これが何時まで続くのだろうかと考えたりした。 五十六  同時に島田はちょいちょい健三の所へ顔を出す事を忘れなかった。利益の方面で一度手掛りを得た以上、放したらそれっきりだという懸念がなおさら彼を蒼蠅くした。健三は時々書斎に入って、例の紙入を老人の前に持ち出さなければならなかった。 「好い紙入ですね。へええ。外国のものはやっぱりどこか違いますね」  島田は大きな二つ折を手に取って、さも感服したらしく、裏表を打返して眺めたりした。 「失礼ながらこれでどの位します。あちらでは」 「たしか十志だったと思います。日本の金にすると、まあ五円位なものでしょう」 「五円?――五円は随分好い価ですね。浅草の黒船町に古くから私の知ってる袋物屋があるが、彼所ならもっとずっと安く拵えてくれますよ。こんだ要る時にゃ、私が頼んで上げましょう」  健三の紙入は何時も充実していなかった。全く空虚の時もあった。そういう場合には、仕方がないので何時まで経っても立ち上がらなかった。島田も何かに事寄せて尻を長くした。 「小遣を遣らないうちは帰らない。厭な奴だ」  健三は腹の内で憤った。しかしいくら迷惑を感じても細君の方から特別に金を取って老人に渡す事はしなかった。細君もその位な事ならといった風をして別に苦情を鳴らさなかった。  そうこうしているうちに、島田の態度が段々積極的になって来た。二十、三十と纏った金を、平気に向うから請求し始めた。 「どうか一つ。私もこの年になって倚かる子はなし、依怙にするのは貴方一人なんだから」  彼は自分の言葉遣いの横着さ加減にさえ気が付いていなかった。それでも健三がむっとして黙っていると、凹んだ鈍い眼を狡猾らしく動かして、じろじろ彼の様子を眺める事を忘れなかった。 「これだけの生活をしていて、十や二十の金の出来ないはずはない」  彼はこんな事まで口へ出していった。  彼が帰ると、健三は厭な顔をして細君に向った。 「ありゃ成し崩しに己を侵蝕する気なんだね。始め一度に攻め落そうとして断られたもんだから、今度は遠巻にしてじりじり寄って来ようってんだ。実に厭な奴だ」  健三は腹が立ちさえすれば、よく実にとか一番とか大とかいう最大級を使って欝憤の一端を洩らしたがる男であった。こんな点になると細君の方はしぶとい代りに大分落付いていた。 「貴夫が引っ掛るから悪いのよ。だから始めから用心して寄せ付けないようになされば好いのに」  健三はその位の事なら最初から心得ているといわぬばかりの様子を、むっとした頬と唇とに見せた。 「絶交しようと思えば何時だって出来るさ」 「しかし今まで付合っただけが損になるじゃありませんか」 「そりゃ何の関係もない御前から見ればそうさ。しかし己は御前とは違うんだ」  細君には健三の意味が能く通じなかった。 「どうせ貴夫の眼から見たら、妾なんぞは馬鹿でしょうよ」  健三は彼女の誤解を正してやるのさえ面倒になった。  二人の間に感情の行違でもある時は、これだけの会話すら交換されなかった。彼は島田の後影を見送ったまま黙ってすぐ書斎へ入った。そこで書物も読まず筆も執らずただ凝と坐っていた。細君の方でも、家庭と切り離されたようなこの孤独な人に何時までも構う気色を見せなかった。夫が自分の勝手で座敷牢へ入っているのだから仕方がない位に考えて、まるで取り合ずにいた。 五十七  健三の心は紙屑を丸めたようにくしゃくしゃした。時によると肝癪の電流を何かの機会に応じて外へ洩らさなければ苦しくって居堪まれなくなった。彼は子供が母に強請って買ってもらった草花の鉢などを、無意味に縁側から下へ蹴飛ばして見たりした。赤ちゃけた素焼の鉢が彼の思い通りにがらがらと破るのさえ彼には多少の満足になった。けれども残酷たらしく摧かれたその花と茎の憐れな姿を見るや否や、彼はすぐまた一種の果敢ない気分に打ち勝たれた。何にも知らない我子の、嬉しがっている美しい慰みを、無慈悲に破壊したのは、彼らの父であるという自覚は、なおさら彼を悲しくした。彼は半ば自分の行為を悔いた。しかしその子供の前にわが非を自白する事は敢てし得なかった。 「己の責任じゃない。必竟こんな気違じみた真似を己にさせるものは誰だ。そいつが悪いんだ」  彼の腹の底には何時でもこういう弁解が潜んでいた。  平静な会話は波だった彼の気分を沈めるに必要であった。しかし人を避ける彼に、その会話の届きようはずはなかった。彼は一人いて一人自分の熱で燻ぶるような心持がした。常でさえ有難くない保険会社の勧誘員などの名刺を見ると、大きな声をして罪もない取次の下女を叱った。その声は玄関に立っている勧誘員の耳にまで明らかに響いた。彼はあとで自分の態度を恥た。少なくとも好意を以て一般の人類に接する事の出来ない己れを怒った。同時に子供の植木鉢を蹴飛ばした場合と同じような言訳を、堂々と心の裡で読み上げた。 「己が悪いのじゃない。己の悪くない事は、仮令あの男に解っていなくっても、己には能く解っている」  無信心な彼はどうしても、「神には能く解っている」という事が出来なかった。もしそういい得たならばどんなに仕合せだろうという気さえ起らなかった。彼の道徳は何時でも自己に始まった。そうして自己に終るぎりであった。  彼は時々金の事を考えた。何故物質的の富を目標として今日まで働いて来なかったのだろうと疑う日もあった。 「己だって、専門にその方ばかり遣りゃ」  彼の心にはこんな己惚もあった。  彼はけち臭い自分の生活状態を馬鹿らしく感じた。自分より貧乏な親類の、自分より切り詰めた暮し向に悩んでいるのを気の毒に思った。極めて低級な慾望で、朝から晩まで齷齪しているような島田をさえ憐れに眺めた。 「みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ」  こう考えて見ると、自分が今まで何をして来たのか解らなくなった。  彼は元来儲ける事の下手な男であった。儲けられてもその方に使う時間を惜がる男であった。卒業したてに、悉く他の口を断って、ただ一つの学校から四十円貰って、それで満足していた。彼はその四十円の半分を阿爺に取られた。残る二十円で、古い寺の座敷を借りて、芋や油揚ばかり食っていた。しかし彼はその間に遂に何事も仕出かさなかった。  その時分の彼と今の彼とは色々な点において大分変っていた。けれども経済に余裕のないのと、遂に何事も仕出かさないのとは、どこまで行っても変りがなさそうに見えた。  彼は金持になるか、偉くなるか、二つのうちどっちかに中途半端な自分を片付けたくなった。しかし今から金持になるのは迂闊な彼に取ってもう遅かった。偉くなろうとすればまた色々な塵労が邪魔をした。その塵労の種をよくよく調べて見ると、やっぱり金のないのが大源因になっていた。どうして好いか解らない彼はしきりに焦れた。金の力で支配出来ない真に偉大なものが彼の眼に這入って来るにはまだ大分間があった。 五十八  健三は外国から帰って来た時、既に金の必要を感じた。久しぶりにわが生れ故郷の東京に新らしい世帯を持つ事になった彼の懐中には一片の銀貨さえなかった。  彼は日本を立つ時、その妻子を細君の父に託した。父は自分の邸内にある小さな家を空けて彼らの住居に充てた。細君の祖父母が亡くなるまでいたその家は狭いながらさほど見苦しくもなかった。張交の襖には南湖の画だの鵬斎の書だの、すべて亡くなった人の趣味を偲ばせる記念と見るべきものさえ故の通り貼り付けてあった。  父は官吏であった。大して派出な暮しの出来る身分ではなかったけれども、留守中手元に預かった自分の娘や娘の子に、苦しい思いをさせるほど窮してもいなかった。その上健三の細君へは月々いくらかの手当が公けから下りた。健三は安心してわが家族を後に遺した。  彼が外国にいるうち内閣が変った。その時細君の父は比較的安全な閑職からまた引張出されて劇しく活動しなければならない或位置に就いた。不幸にしてその新らしい内閣はすぐ倒れた。父は崩壊の渦の中に捲き込まれなければならなかった。  遠い所でこの変化を聴いた健三は、同情に充ちた眼を故郷の空に向けた。けれども細君の父の経済状態に関しては別に顧慮する必要のないものとして、殆んど心を悩ませなかった。  迂闊な彼は帰ってからも其所に注意を払わなかった。また気も付かなかった。彼は細君が月々貰う二十円だけでも子供二人に下女を使って充分遣って行ける位に考えていた。 「何しろ家賃が出ないんだから」  こんな呑気な想像が、実際を見た彼の眼を驚愕で丸くさせた。細君は夫の留守中に自分の不断着をことごとく着切ってしまった。仕方がないので、しまいには健三の置いて行った地味な男物を縫い直して身に纏った。同時に蒲団からは綿が出た。夜具は裂けた。それでも傍に見ている父はどうして遣る訳にも行かなかった。彼は自分の位地を失った後、相場に手を出して、多くもない貯蓄を悉く亡くしてしまったのである。  首の回らないほど高い襟を掛けて外国から帰って来た健三は、この惨澹な境遇に置かれたわが妻子を黙って眺めなければならなかった。ハイカラな彼はアイロニーのために手非道く打ち据えられた。彼の唇は苦笑する勇気さえ有たなかった。  その内彼の荷物が着いた。細君に指輪一つ買って来なかった彼の荷物は、書籍だけであった。狭苦しい隠居所のなかで、彼はその箱の蓋さえ開ける事の出来ないのを馬鹿らしく思った。彼は新らしい家を探し始めた。同時に金の工面もしなければならなかった。  彼は唯一の手段として、今まで継続して来た自分の職を辞した。彼はその行為に伴なって起る必然な結果として、一時賜金を受取る事が出来た。一年勤めれば役をやめた時に月給の半額をくれるという規定に従って彼の手に入ったその金額は、無論大したものではなかった。けれども彼はそれで漸と日常生活に必要な家具家財を調えた。  彼は僅ばかりの金を懐にして、或る古い友達と一所に方々の道具屋などを見て歩いた。その友達がまた品物の如何にかかわらずむやみに価切り倒す癖を有っているので、彼はただ歩くために少なからぬ時間を費やさされた。茶盆、烟草盆、火鉢、丼鉢、眼に入るものはいくらでもあったが、買えるのは滅多に出て来なかった。これだけに負けて置けと命令するようにいって、もし主人がその通りにしないと、友達は健三を店先に残したまま、さっさと先へ歩いて行った。健三も仕方なしに後を追懸なければならなかった。たまに愚図々々していると、彼は大きな声を出して遠くから健三を呼んだ。彼は親切な男であった。同時に自分の物を買うのか他の物を買うのか、その区別を弁えていないように猛烈な男であった。 五十九  健三はまた日常使用する家具の外に、本棚だの机だのを新調しなければならなかった。彼は洋風の指物を渡世にする男の店先に立って、しきりに算盤を弾く主人と談判をした。  彼の誂えた本棚には硝子戸も後部も着いていなかった。塵埃の積る位は懐中に余裕のない彼の意とする所ではなかった。木がよく枯れていないので、重い洋書を載せると、棚板が気の引けるほど撓った。  こんな粗末な道具ばかりを揃えるのにさえ彼は少からぬ時間を費やした。わざわざ辞職して貰った金は何時の間にかもうなくなっていた。迂闊な彼は不思議そうな眼を開いて、索然たる彼の新居を見廻した。そうして外国にいる時、衣服を作る必要に逼られて、同宿の男から借りた金はどうして返して好いか分らなくなってしまったように思い出した。  そこへその男からもし都合が付くなら算段してもらいたいという催促状が届いた。健三は新らしく拵えた高い机の前に坐って、少時彼の手紙を眺めていた。  僅の間とはいいながら、遠い国で一所に暮したその人の記憶は、健三に取って淡い新しさを帯びていた。その人は彼と同じ学校の出身であった。卒業の年もそう違わなかった。けれども立派な御役人として、ある重要な事項取調のためという名義の下に、官命で遣って来たその人の財力と健三の給費との間には、殆んど比較にならないほどの懸隔があった。  彼は寝室の外に応接間も借りていた。夜になると繻子で作った刺繍のある綺麗な寝衣を着て、暖かそうに暖炉の前で書物などを読んでいた。北向の狭苦しい部屋で押し込められたように凝と竦んでいる健三は、ひそかに彼の境遇を羨んだ。  その健三には昼食を節約した憐れな経験さえあった。ある時の彼は表へ出た帰掛に途中で買ったサンドウィッチを食いながら、広い公園の中を目的もなく歩いた。斜めに吹きかける雨を片々の手に持った傘で防けつつ、片々の手で薄く切った肉と麺麭を何度にも頬張るのが非常に苦しかった。彼は幾たびか其所にあるベンチへ腰を卸そうとしては躊躇した。ベンチは雨のために悉く濡れていたのである。  ある時の彼は町で買って来たビスケットの缶を午になると開いた。そうして湯も水も呑まずに、硬くて脆いものをぼりぼり噛み摧いては、生唾の力で無理に嚥み下した。  ある時の彼はまた馭者や労働者と一所に如何わしい一膳飯屋で形ばかりの食事を済ました。其所の腰掛の後部は高い屏風のように切立っているので、普通の食堂の如く、広い室を一目に見渡す事は出来なかったが、自分と一列に並んでいるものの顔だけは自由に眺められた。それは皆な何時湯に入ったか分らない顔であった。  こんな生活をしている健三が、この同宿の男の眼にはさも気の毒に映ったと見えて、彼は能く健三を午餐に誘い出した。銭湯へも案内した。茶の時刻には向うから呼びに来た。健三が彼から金を借りたのはこうして彼と大分懇意になった時の事であった。  その時彼は反故でも棄てるように無雑作な態度を見せて、五磅のバンクノートを二枚健三の手に渡した。何時返してくれとは無論いわなかった。健三の方でも日本へ帰ったらどうにかなるだろう位に考えた。  日本へ帰った健三は能くこのバンクノートの事を覚えていた。けれども催促状を受取るまでは、それほど急に返す必要が出て来ようとは思わなかった。行き詰った彼は仕方なしに、一人の旧い友達の所へ出掛けて行った。彼はその友達の大した金持でない事を承知していた。しかし自分よりも少しは融通の利く地位にある事も呑み込んでいた。友達は果して彼の請求を容れて、要るだけの金を彼の前に揃えてくれた。彼は早速それを外国で恩を受けた人の許へ返しに行った。新らしく借りた友達へは月に十円ずつの割で成し崩しに取ってもらう事に極めた。 六十  こんな具合にして漸と東京に落付いた健三は、物質的に見た自分の、如何にも貧弱なのに気が付いた。それでも金力を離れた他の方面において自分が優者であるという自覚が絶えず彼の心に往来する間は幸福であった。その自覚が遂に金の問題で色々に攪き乱されてくる時、彼は始めて反省した。平生何心なく身に着けて外へ出る黒木綿の紋付さえ、無能力の証拠のように思われ出した。 「この己をまた強請りに来る奴がいるんだから非道い」  彼は最も質の悪いその種の代表者として島田の事を考えた。  今の自分がどの方角から眺めても島田より好い社会的地位を占めているのは明白な事実であった。それが彼の虚栄心に少しの反響も与えないのもまた明白な事実であった。昔し自分を呼び捨てにした人から今となって鄭寧な挨拶を受けるのは、彼に取って何の満足にもならなかった。小遣の財源のように見込まれるのは、自分を貧乏人と見傚している彼の立場から見て、腹が立つだけであった。  彼は念のために姉の意見を訊ねて見た。 「一体どの位困ってるんでしょうね、あの男は」 「そうさね。そう度々無心をいって来るようじゃ、随分苦しいのかも知れないね。だけど健ちゃんだってそうそう他にばかり貢いでいた日にゃ際限がないからね。いくら御金が取れたって」 「御金がそんなに取れるように見えますか」 「だって宅なんぞに比べれば、御前さん、御金がいくらでも取れる方じゃないか」  姉は自分の宅の活計を標準にしていた。相変らず口数の多い彼女は、比田が月々貰うものを満足に持って帰った例のない事や、俸給の少ない割に交際費の要る事や、宿直が多いので弁当代だけでも随分の額に上る事や、毎月の不足はやっと盆暮の賞与で間に合わせている事などを詳しく健三に話して聞かせた。 「その賞与だって、そっくり私の手に渡してくれるんじゃないんだからね。だけど近頃じゃ私たち二人はまあ隠居見たようなもので、月々食料を彦さんの方へ遣って賄なってもらってるんだから、少しは楽にならなけりゃならない訳さ」  養子と経済を別々にしながら一所の家に住んでいた姉夫婦は、自分たちの搗いた餅だの、自分たちの買った砂糖だのという特別な食物を有っていた。自分たちの所へ来た客に出す御馳走などもきっと自分たちの懐中から払う事にしているらしかった。健三は殆んど考えの及ばないような眼付をして、極端に近い一種の個人主義の下に存在しているこの一家の経済状態を眺めた。しかし主義も理窟も有たない姉にはまたこれほど自然な現象はなかったのである。 「健ちゃんなんざ、こんな真似をしなくっても済むんだから好いやあね。それに腕があるんだから、稼ぎさいすりゃいくらでも欲しいだけの御金は取れるしさ」  彼女のいう事を黙って聞いていると、島田などはどこへ行ったか分らなくなってしまいがちであった。それでも彼女は最後に付け加えた。 「まあ好いやね。面倒臭くなったら、その内都合の好い時に上げましょうとか何とかいって帰してしまえば。それでも蒼蠅いなら留守を御遣いよ。構う事はないから」  この注意は如何にも姉らしく健三の耳に響いた。  姉から要領を得られなかった彼はまた比田を捉まえて同じ質問を掛けて見た。比田はただ、大丈夫というだけであった。 「何しろ故の通りあの地面と家作を有ってるんだから、そう困っていない事は慥でさあ。それに御藤さんの方へは御縫さんの方からちゃんちゃんと送金はあるしさ。何でも好い加減な事をいって来るに違ないから放って御置きなさい」  比田のいう事もやっぱり好い加減の範囲を脱し得ない上っ調子のものには相違なかった。 六十一  しまいに健三は細君に向った。 「一体どういうんだろう、今の島田の実際の境遇っていうのは。姉に訊いても比田に訊いても、本当の所が能く分らないが」  細君は気のなさそうに夫の顔を見上げた。彼女は産に間もない大きな腹を苦しそうに抱えて、朱塗の船底枕の上に乱れた頭を載せていた。 「そんなに気になさるなら、御自分で直に調べて御覧になるが好いじゃありませんか。そうすればすぐ分るでしょう。御姉えさんだって、今あの人と交際っていらっしゃらないんだから、そんな確な事の知れているはずがないと思いますわ」 「己にはそんな暇なんかないよ」 「それじゃ放って御置きになればそれまででしょう」  細君の返事には、男らしくもないという意味で、健三を非難する調子があった。腹で思っている事でもそうむやみに口へ出していわない性質に出来上った彼女は、自分の生家と夫との面白くない間柄についてさえ、余り言葉に現わしてつべこべ弁じ立てなかった。自分と関係のない島田の事などはまるで知らないふりをして澄ましている日も少なくなかった。彼女の持った心の鏡に映る神経質な夫の影は、いつも度胸のない偏窟な男であった。 「放って置け?」  健三は反問した。細君は答えなかった。 「今までだって放って置いてるじゃないか」  細君はなお答えなかった。健三はぷいと立って書斎へ入った。  島田の事に限らず二人の間にはこういう光景が能く繰り返された。その代り前後の関係で反対の場合も時には起った。―― 「御縫さんが脊髄病なんだそうだ」 「脊髄病じゃ六ずかしいでしょう」 「とても助かる見込はないんだとさ。それで島田が心配しているんだ。あの人が死ぬと柴野と御藤さんとの縁が切れてしまうから、今まで毎月送ってくれた例の金が来なくなるかも知れないってね」 「可哀想ね今から脊髄病なんぞに罹っちゃ。まだ若いんでしょう」 「己より一つ上だって話したじゃないか」 「子供はあるの」 「何でも沢山あるような様子だ。幾人だか能く訊いて見ないが」  細君は成人しない多くの子供を後へ遺して死にに行く、まだ四十に充たない夫人の心持を想像に描いた。間近に逼ったわが産の結果も新たに気遣われ始めた。重そうな腹を眼の前に見ながら、それほど心配もしてくれない男の気分が、情なくもありまた羨ましくもあった。夫はまるで気が付かなかった。 「島田がそんな心配をするのも必竟は平生が悪いからなんだろうよ。何でも嫌われているらしいんだ。島田にいわせると、その柴野という男が酒食いで喧嘩早くって、それで何時まで経っても出世が出来なくって、仕方がないんだそうだけれども、どうもそればかりじゃないらしい。やっぱり島田の方が愛想を尽かされているに違ないんだ」 「愛想を尽かされなくったって、そんなに子供が沢山あっちゃどうする事も出来ないでしょう」 「そうさ。軍人だから大方己と同じように貧乏しているんだろうよ」 「一体あの人はどうしてその御藤さんて人と――」  細君は少し躊躇した。健三には意味が解らなかった。細君はいい直した。 「どうしてその御藤さんて人と懇意になったんでしょう」  御藤さんがまだ若い未亡人であった頃、何かの用で扱所へ出なければならない事の起った時、島田はそういう場所へ出つけない女一人を、気の毒に思って、色々親切に世話をして遣ったのが、二人の間に関係の付く始まりだと、健三は小さい時分に誰かから聴いて知っていた。しかし恋愛という意味をどう島田に応用して好いか、今の彼には解らなかった。 「慾も手伝ったに違ないね」  細君は何ともいわなかった。 六十二  不治の病気に悩まされているという御縫さんについての報知が健三の心を和げた。何年ぶりにも顔を合せた事のない彼とその人とは、度々会わなければならなかった昔でさえ、殆んど親しく口を利いた例がなかった。席に着くときも座を立つときも、大抵は黙礼を取り換わせるだけで済ましていた。もし交際という文字をこんな間柄にも使い得るならば、二人の交際は極めて淡くそうして軽いものであった。強烈な好い印象のない代りに、少しも不快の記憶に濁されていないその人の面影は、島田や御常のそれよりも、今の彼に取って遥かに尊かった。人類に対する慈愛の心を、硬くなりかけた彼から唆り得る点において。また漠然として散漫な人類を、比較的判明した一人の代表者に縮めてくれる点において。――彼は死のうとしているその人の姿を、同情の眼を開いて遠くに眺めた。  それと共に彼の胸には一種の利害心が働いた。何時起るかも知れない御縫さんの死は、狡猾な島田にまた彼を強請る口実を与えるに違なかった。明らかにそれを予想した彼は、出来る限りそれを避けたいと思った。しかし彼はこの場合どうして避けるかの策略を講ずる男ではなかった。 「衝突して破裂するまで行くより外に仕方がない」  彼はこう観念した。彼は手を拱いで島田の来るのを待ち受けた。その島田の来る前に突然彼の敵の御常が訪ねて来ようとは、彼も思い掛けなかった。  細君は何時もの通り書斎に坐っている彼の前に出て、「あの波多野って御婆さんがとうとう遣って来ましたよ」といった。彼は驚ろくよりもむしろ迷惑そうな顔をした。細君にはその態度が愚図々々している臆病もののように見えた。 「御会いになりますか」  それは、会うなら会う、断るなら断る、早くどっちかに極めたら好かろうという言葉の遣い方であった。 「会うから上げろ」  彼は島田の来た時と同じ挨拶をした。細君は重苦しそうに身を起して奥へ立った。  座敷へ出た時、彼は粗末な衣服を身に纏って、丸まっちく坐っている一人の婆さんを見た。彼の心で想像していた御常とは全く変っているその質朴な風采が、島田よりも遥かに強く彼を驚ろかした。  彼女の態度も島田に比べるとむしろ反対であった。彼女はまるで身分の懸隔でもある人の前へ出たような様子で、鄭寧に頭を下げた。言葉遣も慇懃を極めたものであった。  健三は小供の時分能く聞かされた彼女の生家の話を思い出した。田舎にあったその住居も庭園も、彼女の叙述によると、善を尽し美を尽した立派なものであった。床の下を水が縦横に流れているという特色が、彼女の何時でも繰り返す重要な点であった。南天の柱――そういう言葉もまだ健三の耳に残っていた。しかし小さい健三はその宏大な屋敷がどこの田舎にあるのかまるで知らなかった。それから一度も其所へ連れて行かれた覚がなかった。彼女自身も、健三の知っている限り、一度も自分の生れたその大きな家へ帰った事がなかった。彼女の性格を朧気ながら見抜くように、彼の批評眼がだんだん肥えて来た時、彼はそれもまた彼女の空想から出る例の法螺ではないかと考え出した。  健三は自分を出来るだけ富有に、上品に、そして善良に、見せたがったその女と、今彼の前に畏まって坐っている白髪頭の御婆さんとを比較して、時間の齎した対照に不思議そうな眼を注いだ。  御常は昔から肥り肉の女であった。今見る御常も依然として肥っていた。どっちかというと、昔よりも今の方がかえって肥っていはしまいかと疑れる位であった。それにもかかわらず、彼女は全く変化していた。どこから見ても田舎育ちの御婆さんであった。多少誇張していえば、籠に入れた麦焦しを背中へ脊負って近在から出て来る御婆さんであった。 六十三 「ああ変った」  顔を見合せた刹那に双方は同じ事を一度に感じ合った。けれどもわざわざ訪ねて来た御常の方には、この変化に対する予期と準備が充分にあった。ところが健三にはそれが殆んど欠けていた。従って不意に打たれたものは客よりもむしろ主人であった。それでも健三は大して驚ろいた様子を見せなかった。彼の性質が彼にそうしろと命令する外に、彼は御常の技巧から溢れ出る戯曲的動作を恐れた。今更この女の遣る芝居を事新らしく観せられるのは、彼に取って堪えがたい苦痛であった。なるべくなら彼は先方の弱点を未然に防ぎたかった。それは彼女のためでもあり、また自分のためでもあった。  彼は彼女から今までの経歴をあらまし聞き取った。その間には人世と切り離す事の出来ない多少の不幸が相応に纏綿しているらしく見えた。  島田と別れてから二度目に嫁づいた波多野と彼女との間にも子が生れなかったので、二人は或所から養女を貰って、それを育てる事にした。波多野が死んで何年目にか、あるいはまだ生きている時分にか、それは御常もいわなかったが、その貰い娘に養子が来たのである。  養子の商売は酒屋であった。店は東京のうちでも随分繁華な所にあった。どの位な程度の活計をしていたものか能く分らないが、困ったとか、窮したとかいう弱い言葉は御常の口を洩れなかった。  その内養子が戦争に出て死んだので、女だけでは店が持ち切れなくなった。親子はやむをえずそれを畳んで、郊外近くに住んでいる或身縁を頼りに、ずっと辺鄙な所へ引越した。其所で娘に二度目の夫が出来るまでは、死んだ養子の遺族へ毎年下がる扶助料だけで活計を立てて行った。……  御常の物語りは健三の予期に反してむしろ平静であった。誇張した身ぶりだの、仰山な言葉遣だの、当込の台詞だのは、それほど多く出て来なかった。それにもかかわらず彼は自分とこの御婆さんの間に、少しの気脈も通じていない事に気が付いた。 「ああそうですか、それはどうも」  健三の挨拶は簡単であった。普通の受答えとしても短過ぎるこの一句を彼女に与えたぎりで、彼は別段物足りなさを感じ得なかった。 「昔の因果が今でもやっぱり祟っているんだ」  こう思った彼はさすがに好い心持がしなかった。どっちかというと泣きたがらない質に生れながら、時々は何故本当に泣ける人や、泣ける場合が、自分の前に出て来てくれないのかと考えるのが彼の持前であった。 「己の眼は何時でも涙が湧いて出るように出来ているのに」  彼は丸まっちくなって座蒲団の上に坐っている御婆さんの姿を熟視した。そうして自分の眼に涙を宿す事を許さない彼女の性格を悲しく観じた。  彼は紙入の中にあった五円紙幣を出して彼女の前に置いた。 「失礼ですが、車へでも乗って御帰り下さい」  彼女はそういう意味で訪問したのではないといって一応辞退した上、健三からの贈りものを受け納めた。気の毒な事に、その贈り物の中には、疎い同情が入っているだけで、露わな真心は籠っていなかった。彼女はそれを能く承知しているように見えた。そうして何時の間にか離れ離れになった人間の心と心は、今更取り返しの付かないものだから、諦らめるより外に仕方がないという風にふるまった。彼は玄関に立って、御常の帰って行く後姿を見送った。 「もしあの憐な御婆さんが善人であったなら、私は泣く事が出来たろう。泣けないまでも、相手の心をもっと満足させる事が出来たろう。零落した昔しの養い親を引き取って死水を取って遣る事も出来たろう」  黙ってこう考えた健三の腹の中は誰も知る者がなかった。 六十四 「とうとう遣って来たのね、御婆さんも。今までは御爺さんだけだったのが、御爺さんと御婆さんと二人になったのね。これからは二人に祟られるんですよ、貴夫は」  細君の言葉は珍らしく乾燥いでいた。笑談とも付かず、冷評とも付かないその態度が、感想に沈んだ健三の気分を不快に刺戟した。彼は何とも答えなかった。 「またあの事をいったでしょう」  細君は同じ調子で健三に訊いた。 「あの事た何だい」 「貴夫が小さいうち寐小便をして、あの御婆さんを困らしたって事よ」  健三は苦笑さえしなかった。  けれども彼の腹の中には、御常が何故それをいわなかったかの疑問が既に横わっていた。彼女の名前を聞いた刹那の健三は、すぐその弁口に思い到った位、御常は能く喋舌る女であった。ことに自分を護る事に巧みな技倆を有っていた。他の口車に乗せられやすい、また見え透いた御世辞を嬉しがりがちな健三の実父は、何時でも彼女を賞める事を忘れなかった。 「感心な女だよ。だいち身上持が好いからな」  島田の家庭に風波の起った時、彼女はあるだけの言葉を父の前に並べ立てた。そうしてその言葉の上にまた悲しい涙と口惜しい涙とを多量に振り掛けた。父は全く感動した。すぐ彼女の味方になってしまった。  御世辞が上手だという点において健三の父は彼の姉をも大変可愛がっていた。無心に来られるたんびに、「そうそうは己だって困るよ」とか何とかいいながら、いつか入用だけの金子は手文庫から取出されていた。 「比田はあんな奴だが、御夏が可愛想だから」  姉の帰った後で、父は何時でも弁解らしい言葉を傍のものに聞こえるようにいった。  しかしこれほど父を自由にした姉の口先は、御常に比べると遥かに下手であった。真しやかという点において遠く及ばなかった。実際十六、七になった時の健三は、彼女と接触した自分以外のもので、果してその性格を見抜いたものが何人あるだろうかと、一時疑って見た位、彼女の口は旨かった。  彼女に会うときの健三が、心中迷惑を感じたのは大部分この口にあった。 「御前を育てたものはこの私だよ」  この一句を二時間でも三時間でも布衍して、幼少の時分恩になった記憶をまた新らしく復習させられるのかと思うと、彼は辟易した。 「島田は御前の敵だよ」  彼女は自分の頭の中に残っているこの古い主観を、活動写真のように誇張して、また彼の前に露け出すに極っていた。彼はそれにも辟易しない訳に行かなかった。  どっちを聴くにしても涙が交るに違なかった。彼は装飾的に使用されるその涙を見るに堪えないような心持がした。彼女は話す時に姉のような大きな声を出す女ではなかった。けれども自分の必要と思う場合には、その言葉に厭らしい強い力を入れた。円朝の人情噺に出て来る女が、長い火箸を灰の中に突き刺し突き刺し、他に騙された恨を述べて、相手を困らせるのとほぼ同じ態度でまた同じ口調であった。  彼の予期が外れた時、彼はそれを仕合せと考えるよりもむしろ不思議に思う位、御常の性格が牢として崩すべからざる判明した一種の型になって、彼の頭のどこかに入っていたのである。  細君は彼のために説明した。 「三十年近くにもなる古い事じゃありませんか。向うだって今となりゃ少しは遠慮があるでしょう。それに大抵の人はもう忘れてしまいまさあね。それから人間の性質だって長い間には少しずつ変って行きますからね」  遠慮、忘却、性質の変化、それらのものを前に並べて考えて見ても、健三には少しも合点が行かなかった。 「そんな淡泊した女じゃない」  彼は腹の中でこういわなければどうしても承知が出来なかった。 六十五  御常を知らない細君はかえって夫の執拗を笑った。 「それが貴方の癖だから仕方がない」  平生彼女の眼に映る健三の一部分はたしかにこうなのであった。ことに彼と自分の生家との関係について、夫のこの悪い癖が著るしく出ているように彼女は思っていた。 「己が執拗なのじゃない、あの女が執拗なのだ。あの女と交際った事のない御前には、己の批評の正しさ加減が解らないからそんなあべこべをいうのだ」 「だって現に貴夫の考えていた女とはまるで違った人になって貴夫の前へ出て来た以上は、貴夫の方で昔の考えを取り消すのが当然じゃありませんか」 「本当に違った人になったのなら何時でも取り消すが、そうじゃないんだ。違ったのは上部だけで腹の中は故の通りなんだ」 「それがどうして分るの。新らしい材料も何にもないのに」 「御前に分らないでも己にはちゃんと分ってるよ」 「随分独断的ね、貴夫も」 「批評が中ってさえいれば独断的で一向差支ないものだ」 「しかしもし中っていなければ迷惑する人が大分出て来るでしょう。あの御婆さんは私と関係のない人だから、どうでも構いませんけれども」  健三には細君の言葉が何を意味しているのか能く解った。しかし細君はそれ以上何もいわなかった。腹の中で自分の父母兄弟を弁護している彼女は、表向夫と遣り合って行ける所まで行く気はなかった。彼女は理智に富んだ性質ではなかった。 「面倒臭い」  少し込み入った議論の筋道を辿らなければならなくなると、彼女はきっとこういって当面の問題を投げた。そうして解決を付けるまで進まないために起る面倒臭さは何時までも辛抱した。しかしその辛抱は自分自身に取って決して快よいものではなかった。健三から見るとなおさら心持が悪かった。 「執拗だ」 「執拗だ」  二人は両方で同じ非難の言葉を御互の上に投げかけ合った。そうして御互に腹の中にある蟠まりを御互の素振から能く読んだ。しかもその非難に理由のある事もまた御互に認め合わなければならなかった。  我慢な健三は遂に細君の生家へ行かなくなった。何故行かないとも訊かず、また時々行ってくれとも頼まずにただ黙っていた細君は、依然として「面倒臭い」を心の中に繰り返すぎりで、少しもその態度を改めようとしなかった。 「これで沢山だ」 「己もこれで沢山だ」  また同じ言葉が双方の胸のうちでしばしば繰り返された。  それでも護謨紐のように弾力性のある二人の間柄には、時により日によって多少の伸縮があった。非常に緊張して何時切れるか分らないほどに行き詰ったかと思うと、それがまた自然の勢で徐々元へ戻って来た。そうした日和の好い精神状態が少し継続すると、細君の唇から暖かい言葉が洩れた。 「これは誰の子?」  健三の手を握って、自分の腹の上に載せた細君は、彼にこんな問を掛けたりした。その頃細君の腹はまだ今のように大きくはなかった。しかし彼女はこの時既に自分の胎内に蠢めき掛けていた生の脈搏を感じ始めたので、その微動を同情のある夫の指頭に伝えようとしたのである。 「喧嘩をするのはつまり両方が悪いからですね」  彼女はこんな事もいった。それほど自分が悪いと思っていない頑固な健三も、微笑するより外に仕方がなかった。 「離れればいくら親しくってもそれぎりになる代りに、一所にいさえすれば、たとい敵同志でもどうにかこうにかなるものだ。つまりそれが人間なんだろう」  健三は立派な哲理でも考え出したように首を捻った。 六十六  御常や島田の事以外に、兄と姉の消息も折々健三の耳に入った。  毎年時候が寒くなるときっと身体に故障の起る兄は、秋口からまた風邪を引いて一週間ほど局を休んだ揚句、気分の悪いのを押して出勤した結果、幾日経っても熱が除れないで苦しんでいた。 「つい無理をするもんだから」  無理をして月給の寿命を長くするか、養生をして免職の時期を早めるか、彼には二つの内どっちかを択ぶより外に仕方がないように見えたのである。 「どうも肋膜らしいっていうんだがね」  彼は心細い顔をした。彼は死を恐れた。肉の消滅について何人よりも強い畏怖の念を抱いていた。そうして何人よりも強い速度で、その肉塊を減らして行かなければならなかった。  健三は細君に向っていった。―― 「もう少し平気で休んでいられないものかな。責めて熱の失くなるまででも好いから」 「そうしたいのは山々なんでしょうけれども、やッぱりそうは出来ないんでしょう」  健三は時々兄が死んだあとの家族を、ただ活計の方面からのみ眺める事があった。彼はそれを残酷ながら自然の眺め方として許していた。同時にそういう観察から逃れる事の出来ない自分に対して一種の不快を感じた。彼は苦い塩を嘗めた。 「死にやしまいな」 「まさか」  細君は取り合わなかった。彼女はただ自分の大きな腹を持て余してばかりいた。生家と縁故のある産婆が、遠い所から俥に乗って時々遣て来た。彼はその産婆が何をしに来て、また何をして帰って行くのか全く知らなかった。 「腹でも揉むのかい」 「まあそうです」  細君ははかばかしい返事さえしなかった。  その内兄の熱がころりと除れた。 「御祈祷をなすったんですって」  迷信家の細君は加持、祈祷、占い、神信心、大抵の事を好いていた。 「御前が勧めたんだろう」 「いいえそれが私なんぞの知らない妙な御祈祷なのよ。何でも髪剃を頭の上へ載せて遣るんですって」  健三には髪剃の御蔭で、しこじらした体熱が除れようとも思えなかった。 「気のせいで熱が出るんだから、気のせいでそれがまた直除れるんだろうよ。髪剃でなくったって、杓子でも鍋蓋でも同じ事さ」 「しかしいくら御医者の薬を飲んでも癒らないもんだから、試しに遣って見たらどうだろうって勧められて、とうとう遣る気になったんですって、どうせ高い御祈祷代を払ったんじゃないんでしょう」  健三は腹の中で兄を馬鹿だと思った。また熱の除れるまで薬を飲む事の出来ない彼の内状を気の毒に思った。髪剃の御蔭でも何でも熱が除れさえすればまず仕合せだとも思った。  兄が癒ると共に姉がまた喘息で悩み出した。 「またかい」  健三は我知らずこういって、ふと女房の持病を苦にしない比田の様子を想い浮べた。 「しかし今度は何時もより重いんですって。ことによると六ずかしいかも知れないから、健三に見舞に行くようにそういってくれって仰ゃいました」  兄の注意を健三に伝えた細君は、重苦しそうに自分の尻を畳の上に着けた。 「少し立っていると御腹の具合が変になって来て仕方がないんです。手なんぞ延ばして棚に載っているものなんかとても取れやしません」  産が逼るほど妊婦は運動すべきものだ位に考えていた健三は意外な顔をした。下腹部だの腰の周囲の感じがどんなに退儀であるかは全く彼の想像の外にあった。彼は活動を強いる勇気も自信も失なった。 「私とても御見舞には参れませんよ」 「無論御前は行かなくっても好い。己が行くから」 六十七  その頃の健三は宅へ帰ると甚しい倦怠を感じた。ただ仕事をした結果とばかりは考えられないこの疲労が、一層彼を出不精にした。彼はよく昼寐をした。机に倚って書物を眼の前に開けている時ですら、睡魔に襲われる事がしばしばあった。愕然として仮寐の夢から覚めた時、失われた時間を取り返さなければならないという感じが一層強く彼を刺撃した。彼は遂に机の前を離れる事が出来なくなった。括り付けられた人のように書斎に凝としていた。彼の良心はいくら勉強が出来なくっても、いくら愚図々々していても、そういう風に凝と坐っていろと彼に命令するのである。  かくして四、五日は徒らに過ぎた。健三が漸く津の守坂へ出掛けた時は六ずかしいかも知れないといった姉が、もう回復期に向っていた。 「まあ結構です」  彼は尋常の挨拶をした。けれども腹の中では狐にでも抓まれたような気がした。 「ああ、でも御蔭さまでね。――姉さんなんざあ、生きていたってどうせ他の厄介になるばかりで何の役にも立たないんだから、好い加減な時分に死ぬと丁度好いんだけれども、やっぱり持って生れた寿命だと見えてこればかりは仕方がない」  姉は自分のいう裏を健三から聴きたい様子であった。しかし彼は黙って烟草を吹かしていた。こんな些細の点にも姉弟の気風の相違は現われた。 「でも比田のいるうちは、いくら病身でも無能でも私が生きていて遣らないと困るからね」  親類は亭主孝行という名で姉を評し合っていた。それは女房の心尽しなどに対して余りに無頓着過ぎる比田を一方に置いてこの姉の態度を見ると、むしろ気の毒な位親切だったからである。 「私ゃ本当に損な生れ付でね。良人とはまるであべこべなんだから」  姉の夫思いは全く天性に違なかった。けれども比田が時として理の徹らない我儘をいい募るように、彼女は訳の解らない実意立をしてかえって夫を厭がらせる事があった。それに彼女は縫針の道を心得ていなかった。手習をさせても遊芸を仕込んでも何一つ覚える事の出来なかった彼女は、嫁に来てから今日まで、ついぞ夫の着物一枚縫った例がなかった。それでいて彼女は人一倍勝気な女であった。子供の時分強情を張った罰として土蔵の中に押し込められた時、小用に行きたいから是非出してくれ、もし出さなければ倉の中で用を足すが好いかといって、網戸の内外で母と論判をした話はいまだに健三の耳に残っていた。  そう思うと自分とは大変懸け隔ったようでいて、その実どこか似通った所のあるこの腹違の姉の前に、彼は反省を強いられた。 「姉はただ露骨なだけなんだ。教育の皮を剥けば己だって大した変りはないんだ」  平生の彼は教育の力を信じ過ぎていた。今の彼はその教育の力でどうする事も出来ない野生的な自分の存在を明らかに認めた。かく事実の上において突然人間を平等に視た彼は、不断から軽蔑していた姉に対して多少極りの悪い思をしなければならなかった。しかし姉は何にも気が付かなかった。 「御住さんはどうです。もう直生れるんだろう」 「ええ落こちそうな腹をして苦しがっています」 「御産は苦しいもんだからね。私も覚があるが」  久しく不妊性と思われていた姉は、片付いて何年目かになって始めて一人の男の子を生んだ。年歯を取ってからの初産だったので、当人も傍のものも大分心配した割に、それほどの危険もなく胎児を分娩したが、その子はすぐ死んでしまった。 「軽はずみをしないように用心おしよ。――宅でも彼子がいると少しは依怙になるんだがね」 六十八  姉の言葉には昔し亡くしたわが子に対する思い出の外に、今の養子に飽き足らない意味も含まれていた。 「彦ちゃんがもう少し確乎していてくれると好いんだけれども」  彼女は時々傍のものにこんな述懐を洩らした。彦ちゃんは彼女の予期するような大した働き手でないにせよ、至極穏やかな好人物であった。朝っぱらから酒を飲まなくっちゃいられない人だという噂を耳にした事はあるが、その他の点について深い交渉を有たない健三には、どこが不足なのか能く解らなかった。 「もう少し御金を取ってくれると好いんだけどもね」  無論彦ちゃんは養父母を楽に養えるだけの収入を得ていなかった。しかし比田も姉も彼を育てた時の事を思えば、今更そんな贅沢のいえた義理でもなかった。彼らは彦ちゃんをどこの学校へも入れて遣らなかった。僅ばかりでも彼が月給を取るようになったのは、養父母に取ってむしろ僥倖といわなければならなかった。健三は姉の不平に対して眼に見えるほどの注意を払いかねた。昔し死んだ赤ん坊については、なおの事同情が起らなかった。彼はその生顔を見た事がなかった。その死顔も知らなかった。名前さえ忘れてしまった。 「何とかいいましたね、あの子は」 「作太郎さ。あすこに位牌があるよ」  姉は健三のために茶の間の壁を切り抜いて拵えた小さい仏壇を指し示した。薄暗いばかりでなく小汚ないその中には先祖からの位牌が五つ六つ並んでいた。 「あの小さい奴がそうですか」 「ああ、赤ん坊のだからね、わざと小さく拵えたんだよ」  立って行って戒名を読む気にもならなかった健三は、やはり故の所に坐ったまま、黒塗の上に金字で書いた小形の札のようなものを遠くから眺めていた。  彼の顔には何の表情もなかった。自分の二番目の娘が赤痢に罹って、もう少しで命を奪られるところだった時の心配と苦痛さえ聯想し得なかった。 「姉さんもこんなじゃ何時ああなるか分らないよ、健ちゃん」  彼女は仏壇から眼を放して健三を見た。健三はわざとその視線を避けた。  心細い事を口にしながら腹の中では決して死ぬと思っていない彼女のいい草には、世間並の年寄と少し趣を異にしている所があった。慢性の病気が何時までも継続するように、慢性の寿命がまた何時までも継続するだろうと彼女には見えたのである。  其所へ彼女の癇性が手伝った。彼女はどんなに気息苦しくっても、いくら他から忠告されても、どうしても居ながら用を足そうといわなかった。這うようにしてでも厠まで行った。それから子供の時からの習慣で、朝はきっと肌抜になって手水を遣った。寒い風が吹こうが冷たい雨が降ろうが決してやめなかった。 「そんな心細い事をいわずに、出来るだけ養生をしたら好いでしょう」 「養生はしているよ。健ちゃんから貰う御小遣の中で牛乳だけはきっと飲む事に極めているんだから」  田舎ものが米の飯を食うように、彼女は牛乳を飲むのが凡ての養生ででもあるかのような事をいった。日に日に損なわれて行くわが健康を意識しつつ、この姉に養生を勧める健三の心の中にも、「他事じゃない」という馬鹿らしさが遠くに働らいていた。 「私も近頃は具合が悪くってね。ことによると貴方より早く位牌になるかも知れませんよ」  彼の言葉は無論根のない笑談として姉の耳に響いた。彼もそれを承知の上でわざと笑った。しかし自ら健康を損いつつあると確に心得ながら、それをどうする事も出来ない境遇に置かれた彼は、姉よりもかえって自分の方を憐んだ。 「己のは黙って成し崩しに自殺するのだ。気の毒だといってくれるものは一人もありゃしない」  彼はそう思って姉の凹み込んだ眼と、痩けた頬と、肉のない細い手とを、微笑しながら見ていた。 六十九  姉は細かい所に気の付く女であった。従って細かい事にまでよく好奇心を働らかせたがった。一面において馬鹿正直な彼女は、一面においてまた変な廻り気を出す癖を有っていた。  健三が外国から帰って来た時、彼女は自家の生計について、他の同情に訴え得るような憐れっぽい事実を彼の前に並べた。しまいに兄の口を借りて、いくらでも好いから月々自分の小遣として送ってくれまいかという依頼を持ち出した。健三は身分相応な額を定めた上、また兄の手を経て先方へその旨を通知してもらう事にした。すると姉から手紙が来た。長さんの話では御前さんが月々いくらいくら私に遣るという事だが、実際御前さんの、呉れるといった金高はどの位なのか、長さんに内所でちょっと知らせてくれないかと書いてあった。姉はこれから毎月中取次をする役に当るかも知れない兄の心事を疑ぐったのである。  健三は馬鹿々々しく思った。腹立しくも感じた。しかし何より先に浅間しかった。「黙っていろ」と怒鳴り付けて遣りたくなった。彼の姉に宛てた返事は、一枚の端書に過ぎなかったけれども、こうした彼の気分を能く現わしていた。姉はそれぎり何ともいって来なかった。無筆な彼女は最初の手紙さえ他に頼んで書いてもらったのである。  この出来事が健三に対する姉を前よりは一層遠慮がちにした。何でも蚊でも訊きたがる彼女も、健三の家庭については、当り障りのない事の外、多く口を開かなかった。健三も自分ら夫婦の間柄を彼女の前で問題にしようなどとはかつて想い到らなかった。 「近頃御住さんはどうだい」 「まあ相変らずです」  会話はこの位で切り上げられる場合が多かった。  間接に細君の病気を知っている姉の質問には、好奇心以外に、親切から来る懸念も大分交っていた。しかしその懸念は健三に取って何の役にも立たなかった。従って彼女の眼に見える健三は、何時も親しみがたい無愛想な変人に過ぎなかった。  淋しい心持で、姉の家を出た健三は、足に任せて北へ北へと歩いて行った。そうしてついぞ見た事もない新開地のような汚ない、町の中へ入った。東京で生れた彼は方角の上において、自分の今踏んでいる場所を能く弁えていた。けれども其所には彼の追憶を誘う何物も残っていなかった。過去の記念が悉く彼の眼から奪われてしまった大地の上を、彼は不思議そうに歩いた。  彼は昔あった青田と、その青田の間を走る真直な径とを思い出した。田の尽る所には三、四軒の藁葺屋根が見えた。菅笠を脱いで床几に腰を掛けながら、心太を食っている男の姿などが眼に浮んだ。前には野原のように広い紙漉場があった。其所を折れ曲って町つづきへ出ると、狭い川に橋が懸っていた。川の左右は高い石垣で積み上げられているので、上から見下す水の流れには存外の距離があった。橋の袂にある古風な銭湯の暖簾や、その隣の八百屋の店先に並んでいる唐茄子などが、若い時の健三によく広重の風景画を聯想させた。  しかし今では凡てのものが夢のように悉く消え失せていた。残っているのはただ大地ばかりであった。 「何時こんなに変ったんだろう」  人間の変って行く事にのみ気を取られていた健三は、それよりも一層劇しい自然の変り方に驚ろかされた。  彼は子供の時分比田と将棋を差した事を偶然思いだした。比田は盤に向うと、これでも所沢の藤吉さんの御弟子だからなというのが癖であった。今の比田も将棋盤を前に置けば、きっと同じ事をいいそうな男であった。 「己自身は必竟どうなるのだろう」  衰ろえるだけで案外変らない人間のさまと、変るけれども日に栄えて行く郊外の様子とが、健三に思いがけない対照の材料を与えた時、彼は考えない訳に行かなかった。 七十  元気のない顔をして宅へ帰って来た彼の様子がすぐ細君の注意を惹いた。 「御病人はどうなの」  あるゆる人間が何時か一度は到着しなければならない最後の運命を、彼女は健三の口から判然聞こうとするように見えた。健三は答を与える先に、まず一種の矛盾を意識した。 「何もう好いんだ。寐てはいるが危篤でも何でもないんだ。まあ兄貴に騙されたようなものだね」  馬鹿らしいという気が幾分か彼の口振に出た。 「騙されてもその方がいくら好いか知れやしませんわ、貴夫。もしもの事でもあって御覧なさい、それこそ……」 「兄貴が悪いんじゃない。兄貴は姉に騙されたんだから。その姉はまた病気に騙されたんだ。つまり皆な騙されているようなものさ、世の中は。一番利口なのは比田かも知れないよ。いくら女房が煩らったって、決して騙されないんだからね」 「やっぱり宅にいないの」 「いるもんか。尤も非道く悪かった時はどうだか知らないが」  健三は比田の振下げている金時計と金鎖の事を思い出した。兄はそれを天麩羅だろうといって陰で評していたが、当人はどこまでも本物らしく見せびらかしたがった。金着せにせよ、本物にせよ、彼がどこでいくらで買ったのか知るものは誰もなかった。こういう点に掛けては無頓着でいられない性分の姉も、ただ好い加減にその出処を推察するに過ぎなかった。 「月賦で買ったに違ないよ」 「ことによると質の流れかも知れない」  姉は聴かれもしないのに、兄に向って色々な説明をした。健三には殆ど問題にならない事が、彼らの間に想像の種を幾個でも卸した。そうされればされるほどまた比田は得意らしく見えた。健三が毎月送る小遣さえ時々借りられてしまうくせに、姉はついに夫の手元に入る、または現在手元にある、金高を決して知る事が出来なかった。 「近頃は何でも債券を二、三枚持っているようだよ」  姉の言葉はまるで隣の宅の財産でもいい中てるように夫から遠ざかっていた。  姉をこういう地位に立たせて平気でいる比田は、健三から見ると領解しがたい人間に違なかった。それがやむをえない夫婦関係のように心得て辛抱している姉自身も健三には分らなかった。しかし金銭上あくまで秘密主義を守りながら、時々姉の予期に釣り合わないようなものを買い込んだり着込んだりして、妄りに彼女を驚ろかせたがる料簡に至っては想像さえ及ばなかった。妻に対する虚栄心の発現、焦らされながらも夫を腕利と思う妻の満足。――この二つのものだけでは到底充分な説明にならなかった。 「金の要る時も他人、病気の時も他人、それじゃただ一所にいるだけじゃないか」  健三の謎は容易に解けなかった。考える事の嫌な細君はまた何という評も加えなかった。 「しかし己たち夫婦も世間から見れば随分変ってるんだから、そう他の事ばかりとやかくいっちゃいられないかも知れない」 「やっぱり同なじ事ですわ。みんな自分だけは好いと思ってるんだから」  健三はすぐ癪に障った。 「御前でも自分じゃ好いつもりでいるのかい」 「いますとも。貴夫が好いと思っていらっしゃる通りに」  彼らの争いは能くこういう所から起った。そうして折角穏やかに静まっている双方の心を攪き乱した。健三はそれを慎みの足りない細君の責に帰した。細君はまた偏窟で強情な夫のせいだとばかり解釈した。 「字が書けなくっても、裁縫が出来なくっても、やっぱり姉のような亭主孝行な女の方が己は好きだ」 「今時そんな女がどこの国にいるもんですか」  細君の言葉の奥には、男ほど手前勝手なものはないという大きな反感が横わっていた。 七十一  筋道の通った頭を有っていない彼女には存外新らしい点があった。彼女は形式的な昔風の倫理観に囚われるほど厳重な家庭に人とならなかった。政治家を以て任じていた彼女の父は、教育に関して殆んど無定見であった。母はまた普通の女のように八釜しく子供を育て上る性質でなかった。彼女は宅にいて比較的自由な空気を呼吸した。そうして学校は小学校を卒業しただけであった。彼女は考えなかった。けれども考えた結果を野性的に能く感じていた。 「単に夫という名前が付いているからというだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分には出来ない。もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質を有った人間になって自分の前に出て来るが好い。夫という肩書などはなくっても構わないから」  不思議にも学問をした健三の方はこの点においてかえって旧式であった。自分は自分のために生きて行かなければならないという主義を実現したがりながら、夫のためにのみ存在する妻を最初から仮定して憚からなかった。 「あらゆる意味から見て、妻は夫に従属すべきものだ」  二人が衝突する大根は此所にあった。  夫と独立した自己の存在を主張しようとする細君を見ると健三はすぐ不快を感じた。ややともすると、「女のくせに」という気になった。それが一段劇しくなると忽ち「何を生意気な」という言葉に変化した。細君の腹には「いくら女だって」という挨拶が何時でも貯えてあった。 「いくら女だって、そう踏み付にされて堪るものか」  健三は時として細君の顔に出るこれだけの表情を明かに読んだ。 「女だから馬鹿にするのではない。馬鹿だから馬鹿にするのだ、尊敬されたければ尊敬されるだけの人格を拵えるがいい」  健三の論理は何時の間にか、細君が彼に向って投げる論理と同じものになってしまった。  彼らはかくして円い輪の上をぐるぐる廻って歩いた。そうしていくら疲れても気が付かなかった。  健三はその輪の上にはたりと立ち留る事があった。彼の留る時は彼の激昂が静まる時に外ならなかった。細君はその輪の上でふと動かなくなる事があった。しかし細君の動かなくなる時は彼女の沈滞が融け出す時に限っていた。その時健三は漸く怒号をやめた。細君は始めて口を利き出した。二人は手を携えて談笑しながら、やはり円い輪の上を離れる訳に行かなかった。  細君が産をする十日ばかり前に、彼女の父が突然健三を訪問した。生憎留守だった彼は、夕暮に帰ってから細君にその話を聞いて首を傾むけた。 「何か用でもあったのかい」 「ええ少し御話ししたい事があるんですって」 「何だい」  細君は答えなかった。 「知らないのかい」 「ええ。また二、三日うちに上って能く御話をするからって帰りましたから、今度参ったら直に聞いて下さい」  健三はそれより以上何もいう事が出来なかった。  久しく細君の父を訪ねないでいた彼は、用事のあるなしにかかわらず、向うがわざわざこっちへ出掛けて来ようなどとは夢にも予期しなかった。その不審が例より彼の口数を多くする源因になった。それとは反対に細君の言葉はかえって常よりも少なかった。しかしそれは彼がよく彼女において発見する不平や無愛嬌から来る寡言とも違っていた。  夜は何時の間にやら全くの冬に変化していた。細い燈火の影を凝と見詰めていると、灯は動かないで風の音だけが烈しく雨戸に当った。ひゅうひゅうと樹木の鳴るなかに、夫婦は静かな洋燈を間に置いて、しばらく森と坐っていた。 七十二 「今日父が来ました時、外套がなくって寒そうでしたから、貴方の古いのを出して遣りました」  田舎の洋服屋で拵えたその二重廻しは、殆んど健三の記憶から消えかかっている位古かった。細君がどうしてまたそれを彼女の父に与えたものか、健三には理解出来なかった。 「あんな汚ならしいもの」  彼は不思議というよりもむしろ恥かしい気がした。 「いいえ。喜こんで着て行きました」 「御父さんは外套を有っていないのかい」 「外套どころじゃない、もう何にも有っちゃいないんです」  健三は驚ろいた。細い灯に照らされた細君の顔が急に憐れに見えた。 「そんなに窮っているのかなあ」 「ええ。もうどうする事も出来ないんですって」  口数の寡ない細君は、自分の生家に関する詳しい話を今まで夫の耳に入れずに通して来たのである。職に離れて以来の不如意を薄々知っていながら、まさかこれほどとも思わずにいた健三は、急に眼を転じてその人の昔を見なければならなかった。  彼は絹帽にフロックコートで勇ましく官邸の石門を出て行く細君の父の姿を鮮やかに思い浮べた。堅木を久の字形に切り組んで作ったその玄関の床は、つるつる光って、時によると馴れない健三の足を滑らせた。前に広い芝生を控えた応接間を左へ折れ曲ると、それと接続いて長方形の食堂があった。結婚する前健三は其所で細君の家族のものと一緒に晩餐の卓に着いた事をいまだに覚えていた。二階には畳が敷いてあった。正月の寒い晩、歌留多に招かれた彼は、そのうちの一間で暖たかい宵を笑い声の裡に更した記憶もあった。  西洋館に続いて日本建も一棟付いていたこの屋敷には、家族の外に五人の下女と二人の書生が住んでいた。職務柄客の出入の多いこの家の用事には、それだけの召仕が必要かも知れなかったが、もし経済が許さないとすれば、その必要も充たされるはずはなかった。  健三が外国から帰って来た時ですら、細君の父はさほど困っているようには見えなかった。彼が駒込の奥に住居を構えた当座、彼の新宅を訪ねた父は、彼に向ってこういった。―― 「まあ自分の宅を有つという事が人間にはどうしても必要ですね。しかしそう急にも行くまいから、それは後廻しにして、精々貯蓄を心掛けたら好いでしょう。二、三千円の金を有っていないと、いざという場合に、大変困るもんだから。なに千円位出来ればそれで結構です。それを私に預けて御置きなさると、一年位経つうちには、じき倍にして上げますから」  貨殖の道に心得の足りない健三はその時不思議の感に打たれた。 「どうして一年のうちに千円が二千円になり得るだろう」  彼の頭ではこの疑問の解決がとても付かなかった。利慾を離れる事の出来ない彼は、驚愕の念を以て、細君の父にのみあって、自分には全く欠乏している、一種の怪力を眺めた。しかし千円拵えて預ける見込の到底付かない彼は、細君の父に向ってその方法を訊く気にもならずについ今日まで過ぎたのである。 「そんなに貧乏するはずがないだろうじゃないか。何ぼ何だって」 「でも仕方がありませんわ、廻り合せだから」  産という肉体の苦痛を眼前に控えている細君の気息遣はただでさえ重々しかった。健三は黙って気の毒そうなその腹と光沢の悪いその頬とを眺めた。  昔し田舎で結婚した時、彼女の父がどこからか浮世絵風の美人を描いた下等な団扇を四、五本買って持って来たので、健三はその一本をぐるぐる廻しながら、随分俗なものだと評したら、父はすぐ「所相応だろう」と答えた事があったが、健三は今自分がその地方で作った外套を細君の父に遣って、「阿爺相応だろう」という気にはとてもなれなかった。いくら困ったってあんなものをと思うとむしろ情なくなった。 「でもよく着られるね」 「見っともなくっても寒いよりは好いでしょう」  細君は淋しそうに笑った。 七十三  中一日置いて彼が来た時、健三は久しぶりで細君の父に会った。  年輩からいっても、経歴から見ても、健三より遥かに世間馴れた父は、何時も自分の娘婿に対して鄭寧であった。或時は不自然に陥る位鄭寧過ぎた。しかしそれが彼を現わす凡てではなかった。裏側には反対のものが所々に起伏していた。  官僚式に出来上った彼の眼には、健三の態度が最初から頗る横着に見えた。超えてはならない階段を無躾に飛び越すようにも思われた。その上彼はむやみに自ら任じているらしい健三の高慢ちきな所を喜こばなかった。頭にある事を何でも口外して憚らない健三の無作法も気に入らなかった。乱暴とより外に取りようのない一徹一図な点も非難の標的になった。  健三の稚気を軽蔑した彼は、形式の心得もなく無茶苦茶に近付いて来ようとする健三を表面上鄭寧な態度で遮った。すると二人は其所で留まったなり動けなくなった。二人は或る間隔を置いて、相手の短所を眺めなければならなかった。だから相手の長所も判明と理解する事が出来悪くなった。そうして二人とも自分の有っている欠点の大部分には決して気が付かなかった。  しかし今の彼は健三に対して疑もなく一時的の弱者であった。他に頭を下げる事の嫌な健三は窮迫の結果、余儀なく自分の前に出て来た彼を見た時、すぐ同じ眼で同じ境遇に置かれた自分を想像しない訳に行かなかった。 「如何にも苦しいだろう」  健三はこの一念に制せられた。そうして彼の持ち来した金策談に耳を傾むけた。けれども好い顔はし得なかった。心のうちでは好い顔をし得ないその自分を呪っていた。 「金の話だから好い顔が出来ないんじゃない。金とは独立した不愉快のために好い顔が出来ないのです。誤解してはいけません。私はこんな場合に敵討をするような卑怯な人間とは違ます」  細君の父の前にこれだけの弁解がしたくって堪らなかった健三は、黙って誤解の危険を冒すより外に仕方がなかった。  このぶっきら棒な健三に比べると、細君の父はよほど鄭寧であった。また落付いていた。傍から見れば遥に紳士らしかった。  彼は或人の名を挙げた。 「向うでは貴方を知ってるといいますが、貴方も知ってるんでしょうね」 「知っています」  健三は昔し学校にいた時分にその男を知っていた。けれども深い交際はなかった。卒業して独乙へ行って帰って来たら、急に職業がえをして或大きな銀行へ入ったとか人の噂に聞いた位より外に、彼の消息は健三に伝わっていなかった。 「まだ銀行にいるんですか」  細君の父は点頭いた。しかし二人がどこでどう知り合になったのか、健三には想像さえ付かなかった。またそれを詳しく訊いて見たところが仕方がなかった。要点はただその人が金を貸してくれるか、くれないかの問題にあった。 「で当人のいうには、貸しても好い、好いが慥な人を証人に立ててもらいたいとこういうんです」 「なるほど」 「じゃ誰を立てたら好いのかと聞くと、貴方ならば貸しても好いと、向うでわざわざ指名した訳なんです」  健三は自分自身を慥なものと認めるには躊躇しなかった。しかし自分自身の財力に乏しい事も職業の性質上他に知れていなければならないはずだと考えた。その上細君の父は交際範囲の極めて広い人であった。平生彼の口にする知合のうちには、健三よりどの位世間から信用されて好いか分らないほど有名な人がいくらでもいた。 「何故私の判が必要なんでしょう」 「貴方なら貸そうというのです」  健三は考えた。 七十四  彼は今日まで証書を入れて他から金を借りた経験のない男であった。つい義理で判を捺いて遣ったのが本で、立派な腕を有ちながら、生涯社会の底に沈んだまま、藻掻き通しに藻掻いている人の話は、いくら迂闊な彼の耳にもしばしば伝えられていた。彼は出来るなら自分の未来に関わるような所作を避けたいと思った。しかし頑固な彼の半面にはいたって気の弱い煮え切らない或物が能く働らきたがった。この場合断然連印を拒絶するのは、彼に取って如何にも無情で、冷刻で、心苦しかった。 「私でなくっちゃいけないのでしょうか」 「貴方なら好いというんです」  彼は同じ事を二度訊いて同じ答えを二度受けた。 「どうも変ですね」  世事に疎い彼は、細君の父がどこへ頼んでも、もう判を押してくれるものがないので、しまいに仕方なしに彼の所へ持って来たのだという明白な事情さえ推察し得なかった。彼は親しく交際った事もないその銀行家からそれほど信用されるのがかえって怖くなった。 「どんな目に逢わされるか分りゃしない」  彼の心には未来における自己の安全という懸念が充分に働らいた。同時にただそれだけの利害心でこの問題を片付けてしまうほど彼の性格は単純に出来ていなかった。彼の頭が彼に適当な解決を与えるまで彼は逡巡しなければならなかった。その解決が最後に来た時ですら、彼はそれを細君の父の前に持ち出すのに多大の努力を払った。 「印を捺す事はどうも危険ですからやめたいと思います。しかしその代り私の手で出来るだけの金を調えて上げましょう。無論貯蓄のない私の事だから、調えるにしたところで、どうせどこからか借りるより外に仕方がないのですが、出来るなら証文を書いたり判を押したりするような形式上の手続きを踏む金は借りたくないのです。私の有っている狭い交際の方面で安全な金を工面した方が私には心持が好いのですから、まずそっちの方を一つ中って見ましょう。無論御入用だけの額は駄目です。私の手で調のえる以上、私の手で返さなければならないのは無論の事ですから、身分不相当の借金は出来ません」  いくらでも融通が付けば付いただけ助かるといった風の苦しい境遇に置かれた細君の父は、それより以上健三を強いなかった。 「どうぞそれじゃ何分」  彼は健三の着古した外套に身を包んで、寒い日の下を歩いて帰って行った。書斎で話を済せた健三は、玄関からまた同じ書斎に戻ったなり細君の顔を見なかった。細君も父を玄関に送り出した時、夫と並んで沓脱の上に立っただけで、遂に書斎へは入って来なかった。金策の事は黙々のうちに二人に了解されていながら、遂に二人の間の話題に上らずにしまった。  けれども健三の心には既に責任の荷があった。彼はそれを果すために動かなければならなかった。彼は世帯を持つときに、火鉢や烟草盆を一所に買って歩いてもらった友達の宅へまた出掛けた。 「金を貸してくれないかね」  彼は藪から棒に質問を掛けた。金などを有っていない友達は驚ろいた顔をして彼を見た。彼は火鉢に手を翳しながら友達の前に逐一事情を話した。 「どうだろう」  三年間支那のある学堂で教鞭を取っていた頃に蓄えた友達の金は、みんな電鉄か何かの株に変形していた。 「じゃ清水に頼んで見てくれないか」  友達の妹婿に当る清水は、下町のかなり繁華な場所で、病院を開いていた。 「さあどうかなあ。あいつもその位な金はあるだろうが、動かせるようになっているかしら。まあ訊いて見てやろう」  友達の好意は幸い徒労にならずに済んだ。健三の借り受けた四百円の金が、細君の父の手に入ったのは、それから四、五日経って後の事であった。 七十五 「己は精一杯の事をしたのだ」  健三の腹にはこういう安心があった。従って彼は自分の調達した金の価値について余り考えなかった。さぞ嬉しがるだろうとも思わない代りに、これ位の補助が何の役に立つものかという気も起さなかった。それがどの方面にどう消費されたかの問題になると、全くの無知識で澄ましていた。細君の父も其所まで内状を打ち明けるほど彼に接近して来なかった。  従来の牆壁を取り払うにはこの機会があまりに脆弱過ぎた。もしくは二人の性格があまりに固着し過ぎていた。  父は健三よりも世間的に虚栄心の強い男であった。なるべく自分を他に能く了解させようと力めるよりも、出来るだけ自分の価値を明るい光線に触てさせたがる性質であった。従って彼を囲繞する妻子近親に対する彼の様子は幾分か誇大に傾むきがちであった。  境遇が急に失意の方面に一転した時、彼は自分の平生を顧みない訳に行かなかった。彼はそれを糊塗するため、健三に向って能う限りさあらぬ態度を装った。それで遂に押し通せなくなった揚句、彼はとうとう健三に連印を求めたのである。けれども彼がどの位の負債にどう苦しめられているかという巨細の事実は、遂に健三の耳に入らなかった。健三も訊かなかった。  二人は今までの距離を保ったままで互に手を出し合った。一人が渡す金を一人が受け取った時、二人は出した手をまた引き込めた。傍でそれを見ていた細君は黙って何ともいわなかった。  健三が外国から帰った当座の二人は、まだこれほどに離れていなかった。彼が新宅を構えて間もない頃、彼は細君の父がある鉱山事業に手を出したという話を聞いて驚ろいた事があった。 「山を掘るんだって?」 「ええ、何でも新らしく会社を拵えるんだそうです」  彼は眉を顰めた。同時に彼は父の怪力に幾分かの信用を置いていた。 「旨く行くのかね」 「どうですか」  健三と細君との間にこんな簡単な会話が取り換わされた後、彼はその用事を帯びて北国のある都会へ向けて出発したという父の報知を細君から受け取った。すると一週間ばかりして彼女の母が突然健三の所へ遣って来た。父が旅先で急に病気に罹ったので、これから自分も行かなければならないと思うが、それについて旅費の都合は出来まいかというのが母の用向であった。 「ええええ旅費位どうでもして上ますから、すぐ行って御上なさい」  宿屋に寐ている苦しい人と、汽車で立って行く寒い人とを心から気の毒に思った健三は、自分のまだ見た事もない遠くの空の佗びしさまで想像の眼に浮べた。 「何しろ電報が来ただけで、詳しい事はまるで分りませんのですから」 「じゃなお御心配でしょう。なるべく早く御立ちになる方が好いでしょう」  幸いにして父の病気は軽かった。しかし彼の手を着けかけたという鉱山事業はそれぎり立消になってしまった。 「まだ何にも見付からないのかね、口は」 「あるにはあるようですけれども旨く纏らないんですって」  細君は父がある大きな都会の市長の候補者になった話をして聞かせた。その運動費は財力のある彼の旧友の一人が負担してくれているようであった。しかし市の有志家が何名か打ち揃って上京した時に、有名な政治家のある伯爵に会って、父の適不適を問い訊したら、その伯爵がどうも不向だろうと答えたので、話はそれぎりでやめになったのだそうである。 「どうも困るね」 「今に何とかなるでしょう」  細君は健三よりも自分の父の方を遥かに余計信用していた。健三も例の怪力を知らないではなかった。 「ただ気の毒だからそういうだけさ」  彼の言葉に嘘はなかった。 七十六  けれどもその次に細君の父が健三を訪問した時には、二人の関係がもう変っていた。自ら進んで母に旅費を用立った女婿は、一歩退ぞかなければならなかった。彼は比較的遠い距離に立って細君の父を眺めた。しかし彼の眼に漂よう色は冷淡でも無頓着でもなかった。むしろ黒い瞳から閃めこうとする反感の稲妻であった。力めてその稲妻を隠そうとした彼は、やむをえずこの鋭どく光るものに冷淡と無頓着の仮装を着せた。  父は悲境にいた。まのあたり見る父は鄭寧であった。この二つのものが健三の自然に圧迫を加えた。積極的に突掛る事の出来ない彼は控えなければならなかった。単なる無愛想の程度で我慢すべく余儀なくされた彼には、相手の苦しい現状と慇懃な態度とが、かえってわが天真の流露を妨げる邪魔物になった。彼からいえば、父はこういう意味において彼を苦しめに来たと同じ事であった。父からいえば、普通の人としてさえ不都合に近い愚劣な応対ぶりを、自分の女婿に見出すのは、堪えがたい馬鹿らしさに違なかった。前後と関係のないこの場だけの光景を眺める傍観者の眼にも健三はやはり馬鹿であった。それを承知している細君にすら、夫は決して賢こい男ではなかった。 「私も今度という今度は困りました」  最初にこういった父は健三からはかばかしい返事すら得なかった。  父はやがて財界で有名な或人の名を挙げた。その人は銀行家でもあり、また実業家でもあった。 「実はこの間ある人の周旋で会って見ましたが、どうか旨く出来そうですよ。三井と三菱を除けば日本ではまあ彼所位なもんですから、使用人になったからといって、別に私の体面に関わる事もありませんし、それに仕事をする区域も広いようですから、面白く働けるだろうと思うんです」  この財力家によって細君の父に予約された位地というのは、関西にある或私立の鉄道会社の社長であった。会社の株の大部分を一人で所有しているその人は、自分の意志のままに、其所の社長を選ぶ特権を有していたのである。しかし何十株か何百株かの持主として、予じめ資格を作って置かなければならない父は、どうして金の工面をするだろう。事状に通じない健三にはこの疑問さえ解けなかった。 「一時必要な株数だけを私の名儀に書換てもらうんです」  健三は父の言葉に疑を挟むほど、彼の才能を見縊っていなかった。彼と彼の家族とを目下の苦境から解脱させるという意味においても、その成功を希望しない訳に行かなかった。しかし依然として元の立場に立っている事も改める訳に行かなかった。彼の挨拶は形式的であった。そうして幾分か彼の心の柔らかい部分をわざと堅苦しくした。老巧な父はまるで其所に注意を払わないように見えた。 「しかし困る事に、これは今が今という訳に行かないのです。時機があるものですからな」  彼は懐からまた一枚の辞令見たようなものを出して健三に見せた。それには或保険会社が彼に顧問を嘱託するという文句と、その報酬として月々彼に百円を贈与するという条件が書いてあった。 「今御話した一方の方が出来たらこれはやめるか、または出来ても続けてやるか、その辺はまだ分らないんですが、とにかく百円でも当座の凌ぎにはなりますから」  昔し彼が政府の内意で或官職を抛った時、当路の人は山陰道筋のある地方の知事なら転任させても好いという条件を付けた事があった。しかし彼は断然それを斥ぞけた。彼が今大して隆盛でもない保険会社から百円の金を貰って、別に厭な顔をしないのも、やはり境遇の変化が彼の性格に及ぼす影響に相違なかった。  こうした懸け隔てのない父の態度は、ややともすると健三を自分の立場から前へ押し出そうとした。その傾向を意識するや否や彼はまた後戻りをしなければならなかった。彼の自然は不自然らしく見える彼の態度を倫理的に認可したのである。 七十七  細君の父は事務家であった。ややともすると仕事本位の立場からばかり人を評価したがった。乃木将軍が一時台湾総督になって間もなくそれをやめた時、彼は健三に向ってこんな事をいった。―― 「個人としての乃木さんは義に堅く情に篤く実に立派なものです。しかし総督としての乃木さんが果して適任であるかどうかという問題になると、議論の余地がまだ大分あるように思います。個人の徳は自分に親しく接触する左右のものには能く及ぶかも知れませんが、遠く離れた被治者に利益を与えようとするには不充分です。其所へ行くとやっぱり手腕ですね。手腕がなくっちゃ、どんな善人でもただ坐っているより外に仕方がありませんからね」  彼は在職中の関係から或会の事務一切を管理していた。侯爵を会頭に頂くその会は、彼の力で設立の主意を綺麗に事業の上で完成した後、彼の手元に二万円ほどの剰余金を委ねた。官途に縁がなくなってから、不如意に不如意の続いた彼は、ついその委託金に手を付けた。そうして何時の間にか全部を消費してしまった。しかし彼は自家の信用を維持するために誰にもそれを打ち明けなかった。従って彼はこの預金から当然生まれて来る百円近くの利子を毎月調達して、体面を繕ろわなければならなかった。自家の経済よりもかえってこの方を苦に病んでいた彼が、公生涯の持続に絶対に必要なその百円を、月々保険会社から貰うようになったのは、当時の彼の心中に立入って考えて見ると、全く嬉しいに違なかった。  よほど後になって始めてこの話を細君から聴いた健三は、彼女の父に対して新たな同情を感じただけで、不徳義漢として彼を悪む気は更に起らなかった。そういう男の娘と夫婦になっているのが恥ずかしいなどとは更に思わなかった。しかし細君に対しての健三は、この点に関して殆んど無言であった。細君は時々彼に向っていった。―― 「妾、どんな夫でも構いませんわ、ただ自分に好くしてくれさえすれば」 「泥棒でも構わないのかい」 「ええええ、泥棒だろうが、詐欺師だろうが何でも好いわ。ただ女房を大事にしてくれれば、それで沢山なのよ。いくら偉い男だって、立派な人間だって、宅で不親切じゃ妾にゃ何にもならないんですもの」  実際細君はこの言葉通りの女であった。健三もその意見には賛成であった。けれども彼の推察は月の暈のように細君の言外まで滲み出した。学問ばかりに屈託している自分を、彼女がこういう言葉でよそながら非難するのだという臭がどこやらでした。しかしそれよりも遥かに強く、夫の心を知らない彼女がこんな態度で暗に自分の父を弁護するのではないかという感じが健三の胸を打った。 「己はそんな事で人と離れる人間じゃない」  自分を細君に説明しようと力めなかった彼も、独りで弁解の言葉を繰り返す事は忘れなかった。  しかし細君の父と彼との交情に、自然の溝渠が出来たのは、やはり父の重きを置き過ぎている手腕の結果としか彼には思えなかった。  健三は正月に父の所へ礼に行かなかった。恭賀新年という端書だけを出した。父はそれを寛仮さなかった。表向それを咎める事もしなかった。彼は十二、三になる末の子に、同じく恭賀新年という曲りくねった字を書かして、その子の名前で健三に賀状の返しをした。こういう手腕で彼に返報する事を巨細に心得ていた彼は、何故健三が細君の父たる彼に、賀正を口ずから述べなかったかの源因については全く無反省であった。  一事は万事に通じた。利が利を生み、子に子が出来た。二人は次第に遠ざかった。やむをえないで犯す罪と、遣らんでも済むのにわざと遂行する過失との間に、大変な区別を立てている健三は、性質の宜しくないこの余裕を非常に悪み出した。 七十八 「与しやすい男だ」  実際において与しやすい或物を多量に有っていると自覚しながらも、健三は他からこう思われるのが癪に障った。  彼の神経はこの肝癪を乗り超えた人に向って鋭どい懐しみを感じた。彼は群衆のうちにあって直そういう人を物色する事の出来る眼を有っていた。けれども彼自身はどうしてもその域に達せられなかった。だからなおそういう人が眼に着いた。またそういう人を余計尊敬したくなった。  同時に彼は自分を罵った。しかし自分を罵らせるようにする相手をば更に烈しく罵った。  かくして細君の父と彼との間には自然の造った溝渠が次第に出来上った。彼に対する細君の態度も暗にそれを手伝ったには相違なかった。  二人の間柄がすれすれになると、細君の心は段々生家の方へ傾いて行った。生家でも同情の結果、冥々の裡に細君の肩を持たなければならなくなった。しかし細君の肩を持つという事は、或場合において、健三を敵とするという意味に外ならなかった。二人は益離れるだけであった。  幸にして自然は緩和剤としての歇私的里を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯伏になって倒れている細君を抱き起して床の上まで連れて来た。真夜中に雨戸を一枚明けた縁側の端に蹲踞っている彼女を、後から両手で支えて、寝室へ戻って来た経験もあった。  そんな時に限って、彼女の意識は何時でも朦朧として夢よりも分別がなかった。瞳孔が大きく開いていた。外界はただ幻影のように映るらしかった。  枕辺に坐って彼女の顔を見詰めている健三の眼には何時でも不安が閃めいた。時としては不憫の念が凡てに打ち勝った。彼は能く気の毒な細君の乱れかかった髪に櫛を入れて遣った。汗ばんだ額を濡れ手拭で拭いて遣った。たまには気を確にするために、顔へ霧を吹き掛けたり、口移しに水を飲ませたりした。  発作の今よりも劇しかった昔の様も健三の記憶を刺戟した。  或時の彼は毎夜細い紐で自分の帯と細君の帯とを繋いで寐た。紐の長さを四尺ほどにして、寐返りが充分出来るように工夫されたこの用意は、細君の抗議なしに幾晩も繰り返された。  或時の彼は細君の鳩尾へ茶碗の糸底を宛がって、力任せに押し付けた。それでも踏ん反り返ろうとする彼女の魔力をこの一点で喰い留めなければならない彼は冷たい油汗を流した。  或時の彼は不思議な言葉を彼女の口から聞かされた。 「御天道さまが来ました。五色の雲へ乗って来ました。大変よ、貴夫」 「妾の赤ん坊は死んじまった。妾の死んだ赤ん坊が来たから行かなくっちゃならない。そら其所にいるじゃありませんか。桔槹の中に。妾ちょっと行って見て来るから放して下さい」  流産してから間もない彼女は、抱き竦めにかかる健三の手を振り払って、こういいながら起き上がろうとしたのである。……  細君の発作は健三に取っての大いなる不安であった。しかし大抵の場合にはその不安の上に、より大いなる慈愛の雲が靉靆いていた。彼は心配よりも可哀想になった。弱い憐れなものの前に頭を下げて、出来得る限り機嫌を取った。細君も嬉しそうな顔をした。  だから発作に故意だろうという疑の掛からない以上、また余りに肝癪が強過ぎて、どうでも勝手にしろという気にならない以上、最後にその度数が自然の同情を妨げて、何でそう己を苦しめるのかという不平が高まらない以上、細君の病気は二人の仲を和らげる方法として、健三に必要であった。  不幸にして細君の父と健三との間にはこういう重宝な緩和剤が存在していなかった。従って細君が本で出来た両者の疎隔は、たとい夫婦関係が常に復した後でも、ちょっと埋める訳に行かなかった。それは不思議な現象であった。けれども事実に相違なかった。 七十九  不合理な事の嫌な健三は心の中でそれを苦に病んだ。けれども別にどうする了簡も出さなかった。彼の性質はむきでもあり一図でもあったと共に頗る消極的な傾向を帯びていた。 「己にそんな義務はない」  自分に訊いて、自分に答を得た彼は、その答を根本的なものと信じた。彼は何時までも不愉快の中で起臥する決心をした。成行が自然に解決を付けてくれるだろうとさえ予期しなかった。  不幸にして細君もまたこの点においてどこまでも消極的な態度を離れなかった。彼女は何か事件があれば動く女であった。他から頼まれて男より邁進する場合もあった。しかしそれは眼前に手で触れられるだけの明瞭な或物を捉まえた時に限っていた。ところが彼女の見た夫婦関係には、そんな物がどこにも存在していなかった。自分の父と健三の間にもこれというほどの破綻は認められなかった。大きな具象的な変化でなければ事件と認めない彼女はその他を閑却した。自分と、自分の父と、夫との間に起る精神状態の動揺は手の着けようのないものだと観じていた。 「だって何にもないじゃありませんか」  裏面にその動揺を意識しつつ彼女はこう答えなければならなかった。彼女に最も正当と思われたこの答が、時として虚偽の響をもって健三の耳を打つ事があっても、彼女は決して動かなかった。しまいにどうなっても構わないという投げ遣りの気分が、単に消極的な彼女をなおの事消極的に練り堅めて行った。  かくして夫婦の態度は悪い所で一致した。相互の不調和を永続するためにと評されても仕方のないこの一致は、根強い彼らの性格から割り出されていた。偶然というよりもむしろ必然の結果であった。互に顔を見合せた彼らは、相手の人相で自分の運命を判断した。  細君の父が健三の手で調達された金を受取って帰ってから、それを特別の問題ともしなかった夫婦は、かえって余事を話し合った。 「産婆は何時頃生れるというのかい」 「何時って判然いいもしませんが、もう直ですわ」 「用意は出来てるのかい」 「ええ奥の戸棚の中に入っています」  健三には何が這入っているのか分らなかった。細君は苦しそうに大きな溜息を吐いた。 「何しろこう重苦しくっちゃ堪らない。早く生れてくれなくっちゃ」 「今度は死ぬかも知れないっていってたじゃないか」 「ええ、死んでも何でも構わないから、早く生んじまいたいわ」 「どうも御気の毒さまだな」 「好いわ、死ねば貴夫のせいだから」  健三は遠い田舎で細君が長女を生んだ時の光景を憶い出した。不安そうに苦い顔をしていた彼が、産婆から少し手を貸してくれといわれて産室へ入った時、彼女は骨に応えるような恐ろしい力でいきなり健三の腕に獅噛み付いた。そうして拷問でもされる人のように唸った。彼は自分の細君が身体の上に受けつつある苦痛を精神的に感じた。自分が罪人ではないかという気さえした。 「産をするのも苦しいだろうが、それを見ているのも辛いものだぜ」 「じゃどこかへ遊びにでもいらっしゃいな」 「一人で生めるかい」  細君は何とも答えなかった。夫が外国へ行っている留守に、次の娘を生んだ時の事などはまるで口にしなかった。健三も訊いて見ようとは思わなかった。生れ付心配性な彼は、細君の唸り声を余所にして、ぶらぶら外を歩いていられるような男ではなかった。  産婆が次に顔を出した時、彼は念を押した。 「一週間以内かね」 「いえもう少し後でしょう」  健三も細君もその気でいた。 八十  日取が狂って予期より早く産気づいた細君は、苦しそうな声を出して、傍に寐ている夫の夢を驚ろかした。 「先刻から急に御腹が痛み出して……」 「もう出そうなのかい」  健三にはどの位な程度で細君の腹が痛んでいるのか分らなかった。彼は寒い夜の中に夜具から顔だけ出して、細君の様子をそっと眺めた。 「少し撫って遣ろうか」  起き上る事の臆劫な彼は出来るだけ口先で間に合せようとした。彼は産についての経験をただ一度しか有っていなかった。その経験も大方は忘れていた。けれども長女の生れる時には、こういう痛みが、潮の満干のように、何度も来たり去ったりしたように思えた。 「そう急に生れるもんじゃないだろうな、子供ってものは。一仕切痛んではまた一仕切治まるんだろう」 「何だか知らないけれども段々痛くなるだけですわ」  細君の態度は明らかに彼女の言葉を証拠立てた。凝と蒲団の上に落付いていられない彼女は、枕を外して右を向いたり左へ動いたりした。男の健三には手の着けようがなかった。 「産婆を呼ぼうか」 「ええ、早く」  職業柄産婆の宅には電話が掛っていたけれども、彼の家にそんな気の利いた設備のあろうはずはなかった。至急を要する場合が起るたびに、彼は何時でも掛りつけの近所の医者の所へ馳け付けるのを例にしていた。  初冬の暗い夜はまだ明け離れるのに大分間があった。彼はその人とその人の門を敲く下女の迷惑を察した。しかし夜明まで安閑と待つ勇気がなかった。寝室の襖を開けて、次の間から茶の間を通って、下女部屋の入口まで来た彼は、すぐ召使の一人を急き立てて暗い夜の中へ追い遣った。  彼が細君の枕元へ帰って来た時、彼女の痛みは益劇しくなった。彼の神経は一分ごとに門前で停る車の響を待ち受けなければならないほどに緊張して来た。  産婆は容易に来なかった。細君の唸る声が絶間なく静かな夜の室を不安に攪き乱した。五分経つか経たないうちに、彼女は「もう生れます」と夫に宣告した。そうして今まで我慢に我慢を重ねて怺えて来たような叫び声を一度に揚げると共に胎児を分娩した。 「確かりしろ」  すぐ立って蒲団の裾の方に廻った健三は、どうして好いか分らなかった。その時例の洋燈は細長い火蓋の中で、死のように静かな光を薄暗く室内に投げた。健三の眼を落している辺は、夜具の縞柄さえ判明しないぼんやりした陰で一面に裹まれていた。  彼は狼狽した。けれども洋燈を移して其所を輝すのは、男子の見るべからざるものを強いて見るような心持がして気が引けた。彼はやむをえず暗中に摸索した。彼の右手は忽ち一種異様の触覚をもって、今まで経験した事のない或物に触れた。その或物は寒天のようにぷりぷりしていた。そうして輪廓からいっても恰好の判然しない何かの塊に過ぎなかった。彼は気味の悪い感じを彼の全身に伝えるこの塊を軽く指頭で撫でて見た。塊りは動きもしなければ泣きもしなかった。ただ撫でるたんびにぷりぷりした寒天のようなものが剥げ落ちるように思えた。もし強く抑えたり持ったりすれば、全体がきっと崩れてしまうに違ないと彼は考えた。彼は恐ろしくなって急に手を引込めた。 「しかしこのままにして放って置いたら、風邪を引くだろう、寒さで凍えてしまうだろう」  死んでいるか生きているかさえ弁別のつかない彼にもこういう懸念が湧いた。彼は忽ち出産の用意が戸棚の中に入れてあるといった細君の言葉を思い出した。そうしてすぐ自分の後部にある唐紙を開けた。彼は其所から多量の綿を引き摺り出した。脱脂綿という名さえ知らなかった彼は、それをむやみに千切って、柔かい塊の上に載せた。 八十一  その内待に待った産婆が来たので、健三は漸く安心して自分の室へ引き取った。  夜は間もなく明けた。赤子の泣く声が家の中の寒い空気を顫わせた。 「御安産で御目出とう御座います」 「男かね女かね」 「女の御子さんで」  産婆は少し気の毒そうに中途で句を切った。 「また女か」  健三にも多少失望の色が見えた。一番目が女、二番目が女、今度生れたのもまた女、都合三人の娘の父になった彼は、そう同じものばかり生んでどうする気だろうと、心の中で暗に細君を非難した。しかしそれを生ませた自分の責任には思い到らなかった。  田舎で生まれた長女は肌理の濃やかな美くしい子であった。健三はよくその子を乳母車に乗せて町の中を後から押して歩いた。時によると、天使のように安らかな眠に落ちた顔を眺めながら宅へ帰って来た。しかし当にならないのは想像の未来であった。健三が外国から帰った時、人に伴れられて彼を新橋に迎えたこの娘は、久しぶりに父の顔を見て、もっと好い御父さまかと思ったと傍のものに語った如く、彼女自身の容貌もしばらく見ないうちに悪い方に変化していた。彼女の顔は段々丈が詰って来た。輪廓に角が立った。健三はこの娘の容貌の中にいつか成長しつつある自分の相好の悪い所を明らかに認めなければならなかった。  次女は年が年中腫物だらけの頭をしていた。風通しが悪いからだろうというのが本で、とうとう髪の毛をじょぎじょぎに剪ってしまった。顋の短かい眼の大きなその子は、海坊主の化物のような風をして、其所いらをうろうろしていた。  三番目の子だけが器量好く育とうとは親の慾目にも思えなかった。 「ああいうものが続々生れて来て、必竟どうするんだろう」  彼は親らしくもない感想を起した。その中には、子供ばかりではない、こういう自分や自分の細君なども、必竟どうするんだろうという意味も朧気に交っていた。  彼は外へ出る前にちょっと寝室へ顔を出した。細君は洗い立てのシーツの上に穏かに寐ていた。子供も小さい附属物のように、厚い綿の入った新調の夜具蒲団に包まれたまま、傍に置いてあった。その子供は赤い顔をしていた。昨夜暗闇で彼の手に触れた寒天のような肉塊とは全く感じの違うものであった。  一切も綺麗に始末されていた。其所いらには汚れ物の影さえ見えなかった。夜来の記憶は跡方もない夢らしく見えた。彼は産婆の方を向いた。 「蒲団は換えて遣ったのかい」 「ええ、蒲団も敷布も換えて上げました」 「よくこう早く片付けられるもんだね」  産婆は笑うだけであった。若い時から独身で通して来たこの女の声や態度はどことなく男らしかった。 「貴夫がむやみに脱脂綿を使って御しまいになったものだから、足りなくって大変困りましたよ」 「そうだろう。随分驚ろいたからね」  こう答えながら健三は大して気の毒な思いもしなかった。それよりも多量に血を失なって蒼い顔をしている細君の方が懸念の種になった。 「どうだ」  細君は微かに眼を開けて、枕の上で軽く肯ずいた。健三はそのまま外へ出た。  例刻に帰った時、彼は洋服のままでまた細君の枕元に坐った。 「どうだ」  しかし細君はもう肯ずかなかった。 「何だか変なようです」  彼女の顔は今朝見た折と違って熱で火照っていた。 「心持が悪いのかい」 「ええ」 「産婆を呼びに遣ろうか」 「もう来るでしょう」  産婆は来るはずになっていた。 八十二  やがて細君の腋の下に験温器が宛がわれた。 「熱が少し出ましたね」  産婆はこういって度盛の柱の中に上った水銀を振り落した。彼女は比較的言葉寡なであった。用心のため産科の医者を呼んで診てもらったらどうだという相談さえせずに帰ってしまった。 「大丈夫なのかな」 「どうですか」  健三は全くの無知識であった。熱さえ出ればすぐ産褥熱じゃなかろうかという危惧の念を起した。母から掛り付けて来た産婆に信頼している細君の方がかえって平気であった。 「どうですかって、御前の身体じゃないか」  細君は何とも答えなかった。健三から見ると、死んだって構わないという表情がその顔に出ているように思えた。 「人がこんなに心配して遣るのに」  この感じを翌る日まで持ち続けた彼は、何時もの通り朝早く出て行った。そうして午後に帰って来て、細君の熱がもう退めている事に気が付いた。 「やっぱり何でもなかったのかな」 「ええ。だけど何時また出て来るか分りませんわ」 「産をすると、そんなに熱が出たり引っ込んだりするものかね」  健三は真面目であった。細君は淋しい頬に微笑を洩らした。  熱は幸にしてそれぎり出なかった。産後の経過は先ず順当に行った。健三は既定の三週間を床の上に過すべく命ぜられた細君の枕元へ来て、時々話をしながら坐った。 「今度は死ぬ死ぬっていいながら、平気で生きているじゃないか」 「死んだ方が好ければ何時でも死にます」 「それは御随意だ」  夫の言葉を笑談半分に聴いていられるようになった細君は、自分の生命に対して鈍いながらも一種の危険を感じたその当時を顧みなければならなかった。 「実際今度は死ぬと思ったんですもの」 「どういう訳で」 「訳はないわ、ただ思うのに」  死ぬと思ったのにかえって普通の人より軽い産をして、予想と事実が丁度裏表になった事さえ、細君は気に留めていなかった。 「御前は呑気だね」 「貴夫こそ呑気よ」  細君は嬉しそうに自分の傍に寐ている赤ん坊の顔を見た。そうして指の先で小さい頬片を突ついて、あやし始めた。その赤ん坊はまだ人間の体裁を具えた眼鼻を有っているとはいえないほど変な顔をしていた。 「産が軽いだけあって、少し小さ過ぎるようだね」 「今に大きくなりますよ」  健三はこの小さい肉の塊りが今の細君のように大きくなる未来を想像した。それは遠い先にあった。けれども中途で命の綱が切れない限り何時か来るに相違なかった。 「人間の運命はなかなか片付かないもんだな」  細君には夫の言葉があまりに突然過ぎた。そうしてその意味が解らなかった。 「何ですって」  健三は彼女の前に同じ文句を繰り返すべく余儀なくされた。 「それがどうしたの」 「どうしもしないけれども、そうだからそうだというのさ」 「詰らないわ。他に解らない事さえいいや、好いかと思って」  細君は夫を捨ててまた自分の傍に赤ん坊を引き寄せた。健三は厭な顔もせずに書斎へ入った。  彼の心のうちには死なない細君と、丈夫な赤ん坊の外に、免職になろうとしてならずにいる兄の事があった。喘息で斃れようとしてまだ斃れずにいる姉の事があった。新らしい位地が手に入るようでまだ手に入らない細君の父の事があった。その他島田の事も御常の事もあった。そうして自分とこれらの人々との関係が皆なまだ片付かずにいるという事もあった。 八十三  子供は一番気楽であった。生きた人形でも買ってもらったように喜んで、閑さえあると、新らしい妹の傍に寄りたがった。その妹の瞬き一つさえ驚嘆の種になる彼らには、嚏でも欠でも何でもかでも不可思議な現象と見えた。 「今にどんなになるだろう」  当面に忙殺される彼らの胸にはかつてこうした問題が浮かばなかった。自分たち自身の今にどんなになるかをすら領解し得ない子供らは、無論今にどうするだろうなどと考えるはずがなかった。  この意味で見た彼らは細君よりもなお遠く健三を離れていた。外から帰った彼は、時々洋服も脱がずに、敷居の上に立ちながら、ぼんやりこれらの一団を眺めた。 「また塊っているな」  彼はすぐ踵を回らして部屋の外へ出る事があった。  時によると彼は服も改めずにすぐ其所へ胡坐をかいた。 「こう始終湯婆ばかり入れていちゃ子供の健康に悪い。出してしまえ。第一いくつ入れるんだ」  彼は何にも解らないくせに好い加減な小言をいってかえって細君から笑われたりした。  日が重なっても彼は赤ん坊を抱いて見る気にならなかった。それでいて一つ室に塊っている子供と細君とを見ると、時々別な心持を起した。 「女は子供を専領してしまうものだね」  細君は驚ろいた顔をして夫を見返した。其所には自分が今まで無自覚で実行して来た事を、夫の言葉で突然悟らされたような趣もあった。 「何で藪から棒にそんな事を仰ゃるの」 「だってそうじゃないか。女はそれで気に入らない亭主に敵討をするつもりなんだろう」 「馬鹿を仰ゃい。子供が私の傍へばかり寄り付くのは、貴夫が構い付けて御遣りなさらないからです」 「己を構い付けなくさせたものは、取も直さず御前だろう」 「どうでも勝手になさい。何ぞというと僻みばかりいって。どうせ口の達者な貴夫には敵いませんから」  健三はむしろ真面目であった。僻みとも口巧者とも思わなかった。 「女は策略が好きだからいけない」  細君は床の上で寐返りをしてあちらを向いた。そうして涙をぽたぽたと枕の上に落した。 「そんなに何も私を虐めなくっても……」  細君の様子を見ていた子供はすぐ泣き出しそうにした。健三の胸は重苦しくなった。彼は征服されると知りながらも、まだ産褥を離れ得ない彼女の前に慰藉の言葉を並べなければならなかった。しかし彼の理解力は依然としてこの同情とは別物であった。細君の涙を拭いてやった彼は、その涙で自分の考えを訂正する事が出来なかった。  次に顔を合せた時、細君は突然夫の弱点を刺した。 「貴夫何故その子を抱いて御遣りにならないの」 「何だか抱くと険呑だからさ。頸でも折ると大変だからね」 「嘘を仰しゃい。貴夫には女房や子供に対する情合が欠けているんですよ」 「だって御覧な、ぐたぐたして抱き慣けない男に手なんか出せやしないじゃないか」  実際赤ん坊はぐたぐたしていた。骨などはどこにあるかまるで分らなかった。それでも細君は承知しなかった。彼女は昔し一番目の娘に水疱瘡の出来た時、健三の態度が俄かに一変した実例を証拠に挙げた。 「それまで毎日抱いて遣っていたのに、それから急に抱かなくなったじゃありませんか」  健三は事実を打ち消す気もなかった。同時に自分の考えを改めようともしなかった。 「何といったって女には技巧があるんだから仕方がない」  彼は深くこう信じていた。あたかも自分自身は凡ての技巧から解放された自由の人であるかのように。 八十四  退屈な細君は貸本屋から借りた小説を能く床の上で読んだ。時々枕元に置いてある厚紙の汚ならしいその表紙が健三の注意を惹く時、彼は細君に向って訊いた。 「こんなものが面白いのかい」  細君は自分の文学趣味の低い事を嘲けられるような気がした。 「いいじゃありませんか、貴夫に面白くなくったって、私にさえ面白けりゃ」  色々な方面において自分と夫の隔離を意識していた彼女は、すぐこんな口が利きたくなった。  健三の所へ嫁ぐ前の彼女は、自分の父と自分の弟と、それから官邸に出入する二、三の男を知っているぎりであった。そうしてその人々はみんな健三とは異った意味で生きて行くものばかりであった。男性に対する観念をその数人から抽象して健三の所へ持って来た彼女は、全く予期と反対した一個の男を、彼女の夫において見出した。彼女はそのどっちかが正しくなければならないと思った。無論彼女の眼には自分の父の方が正しい男の代表者の如くに見えた。彼女の考えは単純であった。今にこの夫が世間から教育されて、自分の父のように、型が変って行くに違ないという確信を有っていた。  案に相違して健三は頑強であった。同時に細君の膠着力も固かった。二人は二人同志で軽蔑し合った。自分の父を何かにつけて標準に置きたがる細君は、ややともすると心の中で夫に反抗した。健三はまた自分を認めない細君を忌々しく感じた。一刻な彼は遠慮なく彼女を眼下に見下す態度を公けにして憚らなかった。 「じゃ貴夫が教えて下されば好いのに。そんなに他を馬鹿にばかりなさらないで」 「御前の方に教えてもらおうという気がないからさ。自分はもうこれで一人前だという腹があっちゃ、己にゃどうする事も出来ないよ」  誰が盲従するものかという気が細君の胸にあると同時に、到底啓発しようがないではないかという弁解が夫の心に潜んでいた。二人の間に繰り返されるこうした言葉争いは古いものであった。しかし古いだけで埓は一向開かなかった。  健三はもう飽きたという風をして、手摺のした貸本を投げ出した。 「読むなというんじゃない。それは御前の随意だ。しかし余まり眼を使わないようにしたら好いだろう」  細君は裁縫が一番好きであった。夜眼が冴えて寐られない時などは、一時でも二時でも構わずに、細い針の目を洋燈の下に運ばせていた。長女か次女が生れた時、若い元気に任せて、相当の時期が経過しないうちに、縫物を取上げたのが本で、大変視力を悪くした経験もあった。 「ええ、針を持つのは毒ですけれども、本位構わないでしょう。それも始終読んでいるんじゃありませんから」 「しかし疲れるまで読み続けない方が好かろう。でないと後で困る」 「なに大丈夫です」  まだ三十に足りない細君には過労の意味が能く解らなかった。彼女は笑って取り合わなかった。 「御前が困らなくっても己が困る」  健三はわざと手前勝手らしい事をいった。自分の注意を無にする細君を見ると、健三はよくこんな言葉遣いをしたがった。それがまた夫の悪い癖の一つとして細君には数えられていた。  同時に彼のノートは益細かくなって行った。最初蠅の頭位であった字が次第に蟻の頭ほどに縮まって来た。何故そんな小さな文字を書かなければならないのかとさえ考えて見なかった彼は、殆んど無意味に洋筆を走らせてやまなかった。日の光りの弱った夕暮の窓の下、暗い洋燈から出る薄い灯火の影、彼は暇さえあれば彼の視力を濫費して顧みなかった。細君に向ってした注意をかつて自分に払わなかった彼は、それを矛盾とも何とも思わなかった。細君もそれで平気らしく見えた。 八十五  細君の床が上げられた時、冬はもう荒れ果てた彼らの庭に霜柱の錐を立てようとしていた。 「大変荒れた事、今年は例より寒いようね」 「血が少なくなったせいで、そう思うんだろう」 「そうでしょうかしら」  細君は始めて気が付いたように、両手を火鉢の上に翳して、自分の爪の色を見た。 「鏡を見たら顔の色でも分りそうなものだのにね」 「ええ、そりゃ分ってますわ」  彼女は再び火の上に差し延べた手を返して蒼白い頬を二、三度撫でた。 「しかし寒い事も寒いんでしょう、今年は」  健三には自分の説明を聴かない細君が可笑しく見えた。 「そりゃ冬だから寒いに極まっているさ」  細君を笑う健三はまた人よりも一倍寒がる男であった。ことに近頃の冬は彼の身体に厳しく中った。彼はやむをえず書斎に炬燵を入れて、両膝から腰のあたりに浸み込む冷を防いだ。神経衰弱の結果こう感ずるのかも知れないとさえ思わなかった彼は、自分に対する注意の足りない点において、細君と異る所がなかった。  毎朝夫を送り出してから髪に櫛を入れる細君の手には、長い髪の毛が何本となく残った。彼女は梳くたびに櫛の歯に絡まるその抜毛を残り惜気に眺めた。それが彼女には失なわれた血潮よりもかえって大切らしく見えた。 「新らしく生きたものを拵え上げた自分は、その償いとして衰えて行かなければならない」  彼女の胸には微かにこういう感じが湧いた。しかし彼女はその微かな感じを言葉に纏めるほどの頭を有っていなかった。同時にその感じには手柄をしたという誇りと、罰を受けたという恨みと、が交っていた。いずれにしても、新らしく生れた子が可愛くなるばかりであった。  彼女はぐたぐたして手応えのない赤ん坊を手際よく抱き上げて、その丸い頬へ自分の唇を持って行った。すると自分から出たものはどうしても自分の物だという気が理窟なしに起った。  彼女は自分の傍にその子を置いて、また裁もの板の前に坐った。そうして時々針の手をやめては、暖かそうに寐ているその顔を、心配そうに上から覗き込んだ。 「そりゃ誰の着物だい」 「やっぱりこの子のです」 「そんなにいくつも要るのかい」 「ええ」  細君は黙って手を運ばしていた。  健三は漸と気が付いたように、細君の膝の上に置かれた大きな模様のある切地を眺めた。 「それは姉から祝ってくれたんだろう」 「そうです」 「下らない話だな。金もないのに止せば好いのに」  健三から貰った小遣の中を割いて、こういう贈り物をしなければ気の済まない姉の心持が、彼には理解出来なかった。 「つまり己の金で己が買ったと同じ事になるんだからな」 「でも貴夫に対する義理だと思っていらっしゃるんだから仕方がありませんわ」  姉は世間でいう義理を克明に守り過ぎる女であった。他から物を貰えばきっとそれ以上のものを贈り返そうとして苦しがった。 「どうも困るね、そう義理々々って、何が義理だかさっぱり解りゃしない。そんな形式的な事をするより、自分の小遣を比田に借りられないような用心でもする方がよっぽど増しだ」  こんな事に掛けると存外無神経な細君は、強いて姉を弁護しようともしなかった。 「今にまた何か御礼をしますからそれで好いでしょう」  他を訪問する時に殆んど土産ものを持参した例のない健三は、それでもまだ不審そうに細君の膝の上にあるめりんすを見詰めていた。 八十六 「だから元は御姉さんの所へ皆なが色んな物を持って来たんですって」  細君は健三の顔を見て突然こんな事をいい出した。―― 「十のものには十五の返しをなさる御姉さんの気性を知ってるもんだから、皆なその御礼を目的に何か呉れるんだそうですよ」 「十のものに十五の返しをするったって、高が五十銭が七十五銭になるだけじゃないか」 「それで沢山なんでしょう。そういう人たちは」  他から見ると酔興としか思われないほど細かなノートばかり拵えている健三には、世の中にそんな人間が生きていようとさえ思えなかった。 「随分厄介な交際だね。だいち馬鹿々々しいじゃないか」 「傍から見れば馬鹿々々しいようですけれども、その中に入ると、やっぱり仕方がないんでしょう」  健三はこの間よそから臨時に受取った三十円を、自分がどう消費してしまったかの問題について考えさせられた。  今から一カ月余り前、彼はある知人に頼まれてその男の経営する雑誌に長い原稿を書いた。それまで細かいノートより外に何も作る必要のなかった彼に取ってのこの文章は、違った方面に働いた彼の頭脳の最初の試みに過ぎなかった。彼はただ筆の先に滴る面白い気分に駆られた。彼の心は全く報酬を予期していなかった。依頼者が原稿料を彼の前に置いた時、彼は意外なものを拾ったように喜んだ。  兼てからわが座敷の如何にも殺風景なのを苦に病んでいた彼は、すぐ団子坂にある唐木の指物師の所へ行って、紫檀の懸額を一枚作らせた。彼はその中に、支那から帰った友達に貰った北魏の二十品という石摺のうちにある一つを択り出して入れた。それからその額を環の着いた細長い胡麻竹の下へ振ら下げて、床の間の釘へ懸けた。竹に丸味があるので壁に落付かないせいか、額は静かな時でも斜に傾いた。  彼はまた団子坂を下りて谷中の方へ上って行った。そうして其所にある陶器店から一個の花瓶を買って来た。花瓶は朱色であった。中に薄い黄で大きな草花が描かれていた。高さは一尺余りであった。彼はすぐそれを床の間の上へ載せた。大きな花瓶とふらふらする比較的小さい懸額とはどうしても釣合が取れなかった。彼は少し失望したような眼をしてこの不調和な配合を眺めた。けれどもまるで何にもないよりは増しだと考えた。趣味に贅沢をいう余裕のない彼は、不満足のうちに満足しなければならなかった。  彼はまた本郷通りにある一軒の呉服屋へ行って反物を買った。織物について何の知識もない彼はただ番頭が見せてくれるもののうちから、好い加減な選択をした。それはむやみに光る絣であった。幼稚な彼の眼には光らないものより光るものの方が上等に見えた。番頭に揃いの羽織と着物を拵えるべく勧められた彼は、遂に一匹の伊勢崎銘仙を抱えて店を出た。その伊勢崎銘仙という名前さえ彼はそれまでついぞ聞いた事がなかった。  これらの物を買い調えた彼は毫も他人について考えなかった。新らしく生れる子供さえ眼中になかった。自分より困っている人の生活などはてんから忘れていた。俗社会の義理を過重する姉に比べて見ると、彼は憐れなものに対する好意すら失なっていた。 「そう損をしてまでも義理が尽されるのは偉いね。しかし姉は生れ付いての見栄坊なんだから、仕方がない。偉くない方がまだ増しだろう」 「親切気はまるでないんでしょうか」 「そうさな」  健三はちょっと考えなければならなかった。姉は親切気のある女に違いなかった。 「ことによると己の方が不人情に出来ているのかも知れない」 八十七  この会話がまだ健三の記憶を新しく彩っていた頃、彼は御常から第二回の訪問を受けた。  先達て見た時とほぼ同じように粗末な服装をしている彼女の恰好は、寒さと共に襦袢胴着の類でも重ねたのだろう、前よりは益丸まっちくなっていた。健三は客のために出した火鉢をすぐその人の方へ押し遣った。 「いえもう御構い下さいますな。今日は大分御暖かで御座いますから」  外部には穏やかな日が、障子に篏めた硝子越に薄く光っていた。 「あなたは年を取って段々御肥りになるようですね」 「ええ御蔭さまで身体の方はまことに丈夫で御座います」 「そりゃ結構です」 「その代り身上の方はただ痩せる一方で」  健三には老後になってからこうむくむく肥る人の健康が疑がわれた。少なくとも不自然に思われた。どこか不気味に見えるところもあった。 「酒でも飲むんじゃなかろうか」  こんな推察さえ彼の胸を横切った。  御常の肌身に着けているものは悉とく古びていた。幾度水を潜ったか分らないその着物なり羽織なりは、どこかに絹の光が残っているようで、また変にごつごつしていた。ただどんなに時代を食っても、綺麗に洗張が出来ている所に彼女の気性が見えるだけであった。健三は丸いながら如何にも窮屈そうなその人の姿を眺めて、彼女の生活状態と彼女の口に距離のない事を知った。 「どこを見ても困る人だらけで弱りますね」 「こちらなどが困っていらしっちゃあ、世の中に困らないものは一人も御座いません」  健三は弁解する気にさえならなかった。彼はすぐ考えた。 「この人は己を自分より金持と思っているように、己を自分より丈夫だとも思っているのだろう」  近頃の健三は実際健康を損なっていた。それを自覚しつつ彼は医者にも診てもらわなかった。友達にも話さなかった。ただ一人で不愉快を忍んでいた。しかし身体の未来を想像するたんびに彼はむしゃくしゃした。或時は他が自分をこんなに弱くしてしまったのだというような気を起して、相手のないのに腹を立てた。 「年が若くって起居に不自由さえなければ丈夫だと思うんだろう。門構の宅に住んで下女さえ使っていれば金でもあると考えるように」  健三は黙って御常の顔を眺めていた。同時に彼は新らしく床の間に飾られた花瓶とその後に懸っている懸額とを眺めた。近いうちに袖を通すべきぴかぴかする反物も彼の心のうちにあった。彼は何故この年寄に対して同情を起し得ないのだろうかと怪しんだ。 「ことによると己の方が不人情なのかも知れない」  彼は姉の上に加えた評をもう一遍腹の中で繰り返した。そうして「何不人情でも構うものか」という答を得た。  御常は自分の厄介になっている娘婿の事について色々な話をし始めた。世間一般によく見る通り、その人の手腕がすぐ彼女の問題になった。彼女の手腕というのは、つまり月々入る金の意味で、その金より外に人間の価値を定めるものは、彼女に取って、広い世界に一つも見当らないらしかった。 「何しろ取高が少ないもんですから仕方が御座いません。もう少し稼いでくれると好いのですけれども」  彼女は自分の娘婿を捉まえて愚図だとも無能だともいわない代りに、毎月彼の労力が産み出す収入の高を健三の前に並べて見せた。あたかも物指で反物の寸法さえ計れば、縞柄だの地質だのは、まるで問題にならないといった風に。  生憎健三はそうした尺度で自分を計ってもらいたくない商売をしている男であった。彼は冷淡に彼女の不平を聞き流さなければならなかった。 八十八  好い加減な時分に彼は立って書斎に入った。机の上に載せてある紙入を取って、そっと中を改めると、一枚の五円札があった。彼はそれを手に握ったまま元の座敷へ帰って、御常の前へ置いた。 「失礼ですがこれで俥へでも乗って行って下さい」 「そんな御心配を掛けては済みません。そういうつもりで上ったのでは御座いませんから」  彼女は辞退の言葉と共に紙幣を受け納めて懐へ入れた。  小遣を遣る時の健三がこの前と同じ挨拶を用いたように、それを貰う御常の辞令も最初と全く違わなかった。その上偶然にも五円という金高さえ一致していた。 「この次来た時に、もし五円札がなかったらどうしよう」  健三の紙入がそれだけの実質で始終充たされていない事はその所有主の彼に知れているばかりで、御常に分るはずがなかった。三度目に来る御常を予想した彼が、三度目に遣る五円を予想する訳に行かなかった時、彼はふと馬鹿々々しくなった。 「これからあの人が来ると、何時でも五円遣らなければならないような気がする。つまり姉が要らざる義理立をするのと同じ事なのかしら」  自分の関係した事じゃないといった風に熨斗を動かしていた細君は、手を休めずにこういった。―― 「ないときは遣らないでも好いじゃありませんか。何もそう見栄を張る必要はないんだから」 「ない時に遣ろうったって、遣れないのは分ってるさ」  二人の問答はすぐ途切れてしまった。消えかかった炭を熨斗から火鉢へ移す音がその間に聞こえた。 「どうしてまた今日は五円入っていたんです。貴夫の紙入に」  健三は床の間に釣り合わない大きな朱色の花瓶を買うのに四円いくらか払った。懸額を誂らえるとき五円なにがしか取られた。指物師が百円に負けて置くから買わないかといった立派な紫檀の書棚をじろじろ見ながら、彼はその二十分の一にも足らない代価を大事そうに懐中から出して匠人の手に渡した。彼はまたぴかぴかする一匹の伊勢崎銘仙を買うのに十円余りを費やした。友達から受取った原稿料がこう形を変えたあとに、手垢の付いた五円札がたった一枚残ったのである。 「実はまだ買いたいものがあるんだがな」 「何を御買いになるつもりだったの」  健三は細君の前に特別な品物の名前を挙げる事が出来なかった。 「沢山あるんだ」  慾に際限のない彼の言葉は簡単であった。夫と懸け離れた好尚を有っている細君は、それ以上追窮する面倒を省いた代りに、外の質問を彼に掛けた。 「あの御婆さんは御姉さんなんぞよりよっぽど落ち付いているのね。あれじゃ島田って人と宅で落ち合っても、そう喧嘩もしないでしょう」 「落ち合わないからまだ仕合せなんだ。二人が一所の座敷で顔を見合せでもして見るがいい、それこそ堪らないや。一人ずつ相手にしているんでさえ沢山な所へ持って来て」 「今でもやっぱり喧嘩が始まるでしょうか」 「喧嘩はとにかく、己の方が厭じゃないか」 「二人ともまだ知らないようね。片っ方が宅へ来る事を」 「どうだか」  島田はかつて御常の事を口にしなかった。御常も健三の予期に反して、島田については何にも語らなかった。 「あの御婆さんの方がまだあの人より好いでしょう」 「どうして」 「五円貰うと黙って帰って行くから」  島田の請求慾の訪問ごとに増長するのに比べると、御常の態度は尋常に違なかった。 八十九  日ならず鼻の下の長い島田の顔がまた健三の座敷に現われた時、彼はすぐ御常の事を聯想した。  彼らだって生れ付いての敵同志でない以上、仲の好い昔もあったに違ない。他から爪に灯を点すようだといわれるのも構わずに、金ばかり溜めた当時は、どんなに楽しかったろう。どんな未来の希望に支配されていただろう。彼らに取って睦ましさの唯一の記念とも見るべきその金がどこかへ飛んで行ってしまった後、彼らは夢のような自分たちの過去を、果してどう眺めているだろう。  健三はもう少しで御常の話を島田にするところであった。しかし過去に無感覚な表情しか有たない島田の顔は、何事も覚えていないように鈍かった。昔の憎悪、古い愛執、そんなものは当時の金と共に彼の心から消え失せてしまったとしか思われなかった。  彼は腰から烟草入を出して、刻み烟草を雁首へ詰めた。吸殻を落すときには、左の掌で烟管を受けて、火鉢の縁を敲かなかった。脂が溜っていると見えて、吸う時にじゅじゅ音がした。彼は無言で懐中を探った。それから健三の方を向いた。 「少し紙はありませんか、生憎烟管が詰って」  彼は健三から受取った半紙を割いて小撚を拵えた。それで二返も三返も羅宇の中を掃除した。彼はこういう事をするのに最も馴れた人であった。健三は黙ってその手際を見ていた。 「段々暮になるんでさぞ御忙がしいでしょう」  彼は疎通の好くなった烟管をぷっぷっと心持好さそうに吹きながらこういった。 「我々の家業は暮も正月もありません。年が年中同じ事です」 「そりゃ結構だ。大抵の人はそうは行きませんよ」  島田がまだ何かいおうとしているうちに、奥で子供が泣き出した。 「おや赤ん坊のようですね」 「ええ、つい此間生れたばかりです」 「そりゃどうも。些とも知りませんでした。男ですか女ですか」 「女です」 「へええ、失礼だがこれで幾人目ですか」  島田は色々な事を訊いた。それに相当な受応をしている健三の胸にどんな考えが浮かんでいるかまるで気が付かなかった。  出産率が殖えると死亡率も増すという統計上の議論を、つい四、五日前ある外国の雑誌で読んだ健三は、その時赤ん坊がどこかで一人生れれば、年寄が一人どこかで死ぬものだというような理窟とも空想とも付かない変な事を考えていた。 「つまり身代りに誰かが死ななければならないのだ」  彼の観念は夢のようにぼんやりしていた。詩として彼の頭をぼうっと侵すだけであった。それをもっと明瞭になるまで理解の力で押し詰めて行けば、その身代りは取も直さず赤ん坊の母親に違なかった。次には赤ん坊の父親でもあった。けれども今の健三は其所まで行く気はなかった。ただ自分の前にいる老人にだけ意味のある眼を注いだ。何のために生きているか殆んど意義の認めようのないこの年寄は、身代りとして最も適当な人間に違なかった。 「どういう訳でこう丈夫なのだろう」  健三は殆んど自分の想像の残酷さ加減さえ忘れてしまった。そうして人並でないわが健康状態については、毫も責任がないものの如き忌々しさを感じた。その時島田は彼に向って突然こういった。―― 「御縫もとうとう亡くなってね。御祝儀は済んだが」  とても助からないという事だけは、脊髄病という名前から推して、とうに承知していたようなものの、改まってそういわれて見ると、健三も急に気の毒になった。 「そうですか。可愛想に」 「なに病気が病気だからとても癒りっこないんです」  島田は平然としていた。死ぬのが当り前だといったように烟草の輪を吹いた。 九十  しかしこの不幸な女の死に伴なって起る経済上の影響は、島田に取って死そのものよりも遥に重大であった。健三の予想はすぐ事実となって彼の前に現れなければならなかった。 「それについて是非一つ聞いてもらわないと困る事があるんですが」  此所まで来て健三の顔を見た島田の様子は緊張していた。健三は聴かない先からその後を推察する事が出来た。 「また金でしょう」 「まあそうで。御縫が死んだんで、柴野と御藤との縁が切れちまったもんだから、もう今までのように月々送らせる訳に行かなくなったんでね」  島田の言葉は変にぞんざいになったり、また鄭寧になったりした。 「今までは金鵄勲章の年金だけはちゃんちゃんとこっちへ来たんですがね。それが急になくなると、まるで目的が外れるような始末で、私も困るんです」  彼はまた調子を改めた。 「とにかくこうなっちゃ、御前を措いてもう外に世話をしてもらう人は誰もありゃしない。だからどうかしてくれなくっちゃ困る」 「そう他にのし懸って来たって仕方がありません。今の私にはそれだけの事をしなければならない因縁も何もないんだから」  島田は凝と健三の顔を見た。半ば探りを入れるような、半ば弱いものを脅かすようなその眼付は、単に相手の心を激昂させるだけであった。健三の態度から深入の危険を知った島田は、すぐ問題を区切って小さくした。 「永い間の事はまた緩々御話しをするとして、じゃこの急場だけでも一つ」  健三にはどういう急場が彼らの間に持ち上っているのか解らなかった。 「この暮を越さなくっちゃならないんだ。どこの宅だって暮になりゃ百と二百と纏った金の要るのは当り前だろう」  健三は勝手にしろという気になった。 「私にそんな金はありませんよ」 「笑談いっちゃいけない。これだけの構をしていて、その位の融通が利かないなんて、そんなはずがあるもんか」 「あってもなくっても、ないからないというだけの話です」 「じゃいうが、御前の収入は月に八百円あるそうじゃないか」  健三はこの無茶苦茶な言掛りに怒らされるよりはむしろ驚ろかされた。 「八百円だろうが千円だろうが、私の収入は私の収入です。貴方の関係した事じゃありません」  島田は其所まで来て黙った。健三の答が自分の予期に外れたというような風も見えた。ずうずうしい割に頭の発達していない彼は、それ以上相手をどうする事も出来なかった。 「じゃいくら困っても助けてくれないというんですね」 「ええ、もう一文も上ません」  島田は立ち上った。沓脱へ下りて、開けた格子を締める時に、彼はまた振り返った。 「もう参上りませんから」  最後であるらしい言葉を一句遺した彼の眼は暗い中に輝やいた。健三は敷居の上に立って明らかにその眼を見下した。しかし彼はその輝きのうちに何らの凄さも怖ろしさもまた不気味さも認めなかった。彼自身の眸から出る怒りと不快とは優にそれらの襲撃を跳ね返すに充分であった。  細君は遠くから暗に健三の気色を窺った。 「一体どうしたんです」 「勝手にするが好いや」 「また御金でも呉れろって来たんですか」 「誰が遣るもんか」  細君は微笑しながら、そっと夫を眺めるような態度を見せた。 「あの御婆さんの方が細く長く続くからまだ安全ね」 「島田の方だって、これで片付くもんかね」  健三は吐き出すようにこういって、来るべき次の幕さえ頭の中に予想した。 九十一  同時に今まで眠っていた記憶も呼び覚まされずには済まなかった。彼は始めて新らしい世界に臨む人の鋭どい眼をもって、実家へ引き取られた遠い昔を鮮明かに眺めた。  実家の父に取っての健三は、小さな一個の邪魔物であった。何しにこんな出来損いが舞い込んで来たかという顔付をした父は、殆んど子としての待遇を彼に与えなかった。今までと打って変った父のこの態度が、生の父に対する健三の愛情を、根こぎにして枯らしつくした。彼は養父母の手前始終自分に対してにこにこしていた父と、厄介物を背負い込んでからすぐ慳貪に調子を改めた父とを比較して一度は驚ろいた。次には愛想をつかした。しかし彼はまだ悲観する事を知らなかった。発育に伴なう彼の生気は、いくら抑え付けられても、下からむくむくと頭を擡げた。彼は遂に憂欝にならずに済んだ。  子供を沢山有っていた彼の父は、毫も健三に依怙る気がなかった。今に世話になろうという下心のないのに、金を掛けるのは一銭でも惜しかった。繋がる親子の縁で仕方なしに引き取ったようなものの、飯を食わせる以外に、面倒を見て遣るのは、ただ損になるだけであった。  その上肝心の本人は帰って来ても籍は復らなかった。いくら実家で丹精して育て上たにしたところで、いざという時に、また伴れて行かれればそれまでであった。 「食わすだけは仕方がないから食わして遣る。しかしその外の事はこっちじゃ構えない。先方でするのが当然だ」  父の理窟はこうであった。  島田はまた島田で自分に都合の好い方からばかり事件の成行を観望していた。 「なに実家へ預けて置きさえすればどうにかするだろう。その内健三が一人前になって少しでも働らけるようになったら、その時表沙汰にしてでもこっちへ奪還くってしまえばそれまでだ」  健三は海にも住めなかった。山にもいられなかった。両方から突き返されて、両方の間をまごまごしていた。同時に海のものも食い、時には山のものにも手を出した。  実父から見ても養父から見ても、彼は人間ではなかった。むしろ物品であった。ただ実父が我楽多として彼を取り扱ったのに対して、養父には今に何かの役に立てて遣ろうという目算があるだけであった。 「もうこっちへ引き取って、給仕でも何でもさせるからそう思うがいい」  健三が或日養家を訪問した時に、島田は何かのついでにこんな事をいった。健三は驚ろいて逃げ帰った。酷薄という感じが子供心に淡い恐ろしさを与えた。その時の彼は幾歳だったか能く覚えていないけれども、何でも長い間の修業をして立派な人間になって世間に出なければならないという慾が、もう充分萌している頃であった。 「給仕になんぞされては大変だ」  彼は心のうちで何遍も同じ言葉を繰り返した。幸にしてその言葉は徒労に繰り返されなかった。彼はどうかこうか給仕にならずに済んだ。 「しかし今の自分はどうして出来上ったのだろう」  彼はこう考えると不思議でならなかった。その不思議のうちには、自分の周囲と能く闘い終せたものだという誇りも大分交っていた。そうしてまだ出来上らないものを、既に出来上ったように見る得意も無論含まれていた。  彼は過去と現在との対照を見た。過去がどうしてこの現在に発展して来たかを疑がった。しかもその現在のために苦しんでいる自分にはまるで気が付かなかった。  彼と島田との関係が破裂したのは、この現在の御蔭であった。彼が御常を忌むのも、姉や兄と同化し得ないのもこの現在の御蔭であった。細君の父と段々離れて行くのもまたこの現在の御蔭に違なかった。一方から見ると、他と反が合わなくなるように、現在の自分を作り上げた彼は気の毒なものであった。 九十二  細君は健三に向っていった。―― 「貴夫に気に入る人はどうせどこにもいないでしょうよ。世の中はみんな馬鹿ばかりですから」  健三の心はこうした諷刺を笑って受けるほど落付いていなかった。周囲の事情は雅量に乏しい彼を益窮屈にした。 「御前は役に立ちさえすれば、人間はそれで好いと思っているんだろう」 「だって役に立たなくっちゃ何にもならないじゃありませんか」  生憎細君の父は役に立つ男であった。彼女の弟もそういう方面にだけ発達する性質であった。これに反して健三は甚だ実用に遠い生れ付であった。  彼には転宅の手伝いすら出来なかった。大掃除の時にも彼は懐手をしたなり澄ましていた。行李一つ絡げるにさえ、彼は細紐をどう渡すべきものやら分らなかった。 「男のくせに」  動かない彼は、傍のものの眼に、如何にも気の利かない鈍物のように映った。彼はなおさら動かなかった。そうして自分の本領を益反対の方面に移して行った。  彼はこの見地から、昔し細君の弟を、自分の住んでいる遠い田舎へ伴れて行って教育しようとした。その弟は健三から見ると如何にも生意気であった。家庭のうちを横行して誰にも遠慮会釈がなかった。ある理学士に毎日自宅で課業の復習をしてもらう時、彼はその人の前で構わず胡坐をかいた。またその人の名を何君何君と君づけに呼んだ。 「あれじゃ仕方がない。私に御預けなさい。私が田舎へ連れて行って育てるから」  健三の申出は細君の父によって黙って受け取られた。そうして黙って捨てられた。彼は眼前に横暴を恣まにする我子を見て、何という未来の心配も抱いていないように見えた。彼ばかりか、細君の母も平気であった。細君も一向気に掛ける様子がなかった。 「もし田舎へ遣って貴夫と衝突したり何かすると、折合が悪くなって、後が困るから、それでやめたんだそうです」  細君の弁解を聞いた時、健三は満更の嘘とも思わなかった。けれどもその他にまだ意味が残っているようにも考えた。 「馬鹿じゃありません。そんな御世話にならなくっても大丈夫です」  周囲の様子から健三は謝絶の本意がかえって此所にあるのではなかろうかと推察した。  なるほど細君の弟は馬鹿ではなかった。むしろ怜悧過ぎた。健三にもその点はよく解っていた。彼が自分と細君の未来のために、彼女の弟を教育しようとしたのは、全く見当の違った方面にあった。そうして遺憾ながらその方面は、今日に至るまでいまだに細君の父母にも細君にも了解されていなかった。 「役に立つばかりが能じゃない。その位の事が解らなくってどうするんだ」  健三の言葉は勢い権柄ずくであった。傷けられた細君の顔には不満の色がありありと見えた。  機嫌の直った時細君はまた健三に向った。―― 「そう頭からがみがみいわないで、もっと解るようにいって聞かして下すったら好いでしょう」 「解るようにいおうとすれば、理窟ばかり捏ね返すっていうじゃないか」 「だからもっと解りやすいように。私に解らないような小六ずかしい理窟はやめにして」 「それじゃどうしたって説明しようがない。数字を使わずに算術を遣れと注文するのと同じ事だ」 「だって貴夫の理窟は、他を捻じ伏せるために用いられるとより外に考えようのない事があるんですもの」 「御前の頭が悪いからそう思うんだ」 「私の頭も悪いかも知れませんけれども、中味のない空っぽの理窟で捻じ伏せられるのは嫌ですよ」  二人はまた同じ輪の上をぐるぐる廻り始めた。 九十三  面と向って夫としっくり融け合う事の出来ない時、細君はやむをえず彼に背中を向けた。そうして其所に寐ている子供を見た。彼女は思い出したように、すぐその子供を抱き上げた。  章魚のようにぐにゃぐにゃしている肉の塊りと彼女との間には、理窟の壁も分別の牆もなかった。自分の触れるものが取も直さず自分のような気がした。彼女は温かい心を赤ん坊の上に吐き掛けるために、唇を着けて所嫌わず接吻した。 「貴夫が私のものでなくっても、この子は私の物よ」  彼女の態度からこうした精神が明らかに読まれた。  その赤ん坊はまだ眼鼻立さえ判明していなかった。頭には何時まで待っても殆んど毛らしい毛が生えて来なかった。公平な眼から見ると、どうしても一個の怪物であった。 「変な子が出来たものだなあ」  健三は正直な所をいった。 「どこの子だって生れたては皆なこの通りです」 「まさかそうでもなかろう。もう少しは整ったのも生れるはずだ」 「今に御覧なさい」  細君はさも自信のあるような事をいった。健三には何という見当も付かなかった。けれども彼は細君がこの赤ん坊のために夜中何度となく眼を覚ますのを知っていた。大事な睡眠を犠牲にして、少しも不愉快な顔を見せないのも承知していた。彼は子供に対する母親の愛情が父親のそれに比べてどの位強いかの疑問にさえ逢着した。  四、五日前少し強い地震のあった時、臆病な彼はすぐ縁から庭へ飛び下りた。彼が再び座敷へ上って来た時、細君は思いも掛けない非難を彼の顔に投げ付けた。 「貴夫は不人情ね。自分一人好ければ構わない気なんだから」  何故子供の安危を自分より先に考えなかったかというのが細君の不平であった。咄嗟の衝動から起った自分の行為に対して、こんな批評を加えられようとは夢にも思っていなかった健三は驚ろいた。 「女にはああいう時でも子供の事が考えられるものかね」 「当り前ですわ」  健三は自分が如何にも不人情のような気がした。  しかし今の彼は我物顔に子供を抱いている細君を、かえって冷かに眺めた。 「訳の分らないものが、いくら束になったって仕様がない」  しばらくすると彼の思索がもっと広い区域にわたって、現在から遠い未来に延びた。 「今にその子供が大きくなって、御前から離れて行く時期が来るに極っている。御前は己と離れても、子供とさえ融け合って一つになっていれば、それで沢山だという気でいるらしいが、それは間違だ。今に見ろ」  書斎に落付いた時、彼の感想がまた急に科学的色彩を帯び出した。 「芭蕉に実が結ると翌年からその幹は枯れてしまう。竹も同じ事である。動物のうちには子を生むために生きているのか、死ぬために子を生むのか解らないものがいくらでもある。人間も緩漫ながらそれに準じた法則にやッぱり支配されている。母は一旦自分の所有するあらゆるものを犠牲にして子供に生を与えた以上、また余りのあらゆるものを犠牲にして、その生を守護しなければなるまい。彼女が天からそういう命令を受けてこの世に出たとするならば、その報酬として子供を独占するのは当り前だ。故意というよりも自然の現象だ」  彼は母の立場をこう考え尽した後、父としての自分の立場をも考えた。そうしてそれが母の場合とどう違っているかに思い到った時、彼は心のうちでまた細君に向っていった。 「子供を有った御前は仕合せである。しかしその仕合を享ける前に御前は既に多大な犠牲を払っている。これから先も御前の気の付かない犠牲をどの位払うか分らない。御前は仕合せかも知れないが、実は気の毒なものだ」 九十四  年は段々暮れて行った。寒い風の吹く中に細かい雪片がちらちらと見え出した。子供は日に何度となく「もういくつ寐ると御正月」という唄をうたった。彼らの心は彼らの口にする唱歌の通りであった。来るべき新年の希望に充ちていた。  書斎にいる健三は時々手に洋筆を持ったまま、彼らの声に耳を傾けた。自分にもああいう時代があったのかしらなどと考えた。  子供はまた「旦那の嫌な大晦日」という毬歌をうたった。健三は苦笑した。しかしそれも今の自分の身の上には痛切に的中らなかった。彼はただ厚い四つ折の半紙の束を、十も二十も机の上に重ねて、それを一枚ごとに読んで行く努力に悩まされていた。彼は読みながらその紙へ赤い印気で棒を引いたり丸を書いたり三角を附けたりした。それから細かい数字を並べて面倒な勘定もした。  半紙に認ためられたものは悉く鉛筆の走り書なので、光線の暗い所では字画さえ判然しないのが多かった。乱暴で読めないのも時々出て来た。疲れた眼を上げて、積み重ねた束を見る健三は落胆した。「ペネロピーの仕事」という英語の俚諺が何遍となく彼の口に上った。 「何時まで経ったって片付きゃしない」  彼は折々筆を擱いて溜息をついた。  しかし片付かないものは、彼の周囲前後にまだいくらでもあった。彼は不審な顔をしてまた細君の持って来た一枚の名刺に眼を注がなければならなかった。 「何だい」 「島田の事についてちょっと御目に掛りたいっていうんです」 「今差支るからって返してくれ」  一度立った細君はすぐまた戻って来た。 「何時伺ったら好いか御都合を聞かして頂きたいんですって」  健三はそれどころじゃないという顔をしながら、自分の傍に高く積み重ねた半紙の束を眺めた。細君は仕方なしに催促した。 「何といいましょう」 「明後日の午後に来て下さいといってくれ」  健三も仕方なしに時日を指定した。  仕事を中絶された彼はぼんやり烟草を吹かし始めた。ところへ細君がまた入って来た。 「帰ったかい」 「ええ」  細君は夫の前に広げてある赤い印の附いた汚ならしい書きものを眺めた。夜中に何度となく赤ん坊のために起こされる彼女の面倒が健三に解らないように、この半紙の山を綿密に読み通す夫の困難も細君には想像出来なかった。――  調べ物を度外に置いた彼女は、坐るとすぐ夫に訊ねた。―― 「また何かそういって来る気でしょうね。執ッ濃い」 「暮のうちにどうかしようというんだろう。馬鹿らしいや」  細君はもう島田を相手にする必要がないと思った。健三の心はかえって昔の関係上多少の金を彼に遣る方に傾いていた。しかし話は其所まで発展する機会を得ずによそへ外れてしまった。 「御前の宅の方はどうだい」 「相変らず困るんでしょう」 「あの鉄道会社の社長の口はまだ出来ないのかい」 「あれは出来るんですって。けれどもそうこっちの都合の好いように、ちょっくらちょいとという訳には行かないんでしょう」 「この暮のうちには六ずかしいのかね」 「とても」 「困るだろうね」 「困っても仕方がありませんわ。何もかもみんな運命なんだから」  細君は割合に落付いていた。何事も諦らめているらしく見えた。 九十五  見知らない名刺の持参者が、健三の指定した通り、中一日置いて再び彼の玄関に現れた時、彼はまだささくれた洋筆先で、粗末な半紙の上に、丸だの三角だのと色々な符徴を附けるのに忙がしかった。彼の指頭は赤い印気で所々汚れていた。彼は手も洗わずにそのまま座敷へ出た。  島田のために来たその男は、前の吉田に比べると少し型を異にしていたが、健三からいえば、双方とも殆んど差別のない位懸け離れた人間であった。  彼は縞の羽織に角帯を締めて白足袋を穿いていた。商人とも紳士とも片の付かない彼の様子なり言葉遣なりは、健三に差配という一種の人柄を思い起させた。彼は自分の身分や職業を打ら明ける前に、卒然として健三に訊いた。―― 「貴方は私の顔を覚えて御出ですか」  健三は驚ろいてその人を見た。彼の顔には何らの特徴もなかった。強いていえば、今日までただ世帯染みて生きて来たという位のものであった。 「どうも分りませんね」  彼は勝ち誇った人のように笑った。 「そうでしょう。もう忘れても好い時分ですから」  彼は区切を置いてまた附け加えた。 「しかし私ゃこれでも貴方の坊ちゃん坊ちゃんていわれた昔をまだ覚えていますよ」 「そうですか」  健三は素ッ気ない挨拶をしたなり、その人の顔を凝と見守った。 「どうしても思い出せませんかね。じゃ御話ししましょう。私ゃ昔し島田さんが扱所を遣っていなすった頃、あすこに勤めていたものです。ほら貴方が悪戯をして、小刀で指を切って、大騒ぎをした事があるでしょう。あの小刀は私の硯箱の中にあったんでさあ。あの時金盥に水を取って、貴方の指を冷したのも私ですぜ」  健三の頭にはそうした事実が明らかにまだ保存されていた。しかし今自分の前に坐っている人のその時の姿などは夢にも憶い出せなかった。 「その縁故で今度また私が頼まれて、島田さんのために上ったような訳合なんです」  彼は直本題に入った。そうして健三の予期していた通り金の請求をし始めた。 「もう再び御宅へは伺わないといってますから」 「この間帰る時既にそういって行ったんです」 「で、どうでしょう、此所いらで綺麗に片を付ける事にしたら。それでないと何時まで経っても貴方が迷惑するぎりですよ」  健三は迷惑を省いてやるから金を出せといった風な相手の口気を快よく思わなかった。 「いくら引っ懸っていたって、迷惑じゃありません。どうせ世の中の事は引っ懸りだらけなんですから。よし迷惑だとしても、出すまじき金を出す位なら、出さないで迷惑を我慢していた方が、私にはよッぽど心持が好いんです」  その人はしばらく考えていた。少し困ったという様子も見えた。しかしやがて口を開いた時は思いも寄らない事をいい出した。 「それに貴方も御承知でしょうが、離縁の際貴方から島田へ入れた書付がまだ向うの手にありますから、この際いくらでも纏めたものを渡して、あの書付と引き易えになすった方が好くはありませんか」  健三はその書付を慥に覚えていた。彼が実家へ復籍する事になった時、島田は当人の彼から一札入れてもらいたいと主張したので、健三の父もやむをえず、何でも好いから書いて遣れと彼に注意した。何も書く材料のない彼は仕方なしに筆を執った。そうして今度離縁になったについては、向後御互に不義理不人情な事はしたくないものだという意味を僅二行余に綴って先方へ渡した。 「あんなものは反故同然ですよ。向で持っていても役に立たず、私が貰っても仕方がないんだ。もし利用出来る気ならいくらでも利用したら好いでしょう」  健三にはそんな書付を売り付けに掛るその人の態度がなお気に入らなかった。 九十六  話が行き詰るとその人は休んだ。それから好い加減な時分にまた同じ問題を取り上げた。いう事は散漫であった。理で押せなければ情に訴えるという風でもなかった。ただ物にさえすれば好いという料簡が露骨に見透かされた。収束するところなく共に動いていた健三はしまいに飽きた。 「書付を買えの、今に迷惑するのが厭なら金を出せのといわれるとこっちでも断るより外に仕方がありませんが、困るからどうかしてもらいたい、その代り向後一切無心がましい事はいって来ないと保証するなら、昔の情義上少しの工面はして上げても構いません」 「ええそれがつまり私の来た主意なんですから、出来るならどうかそう願いたいもんで」  健三はそんなら何故早くそういわないのかと思った。同時に相手も、何故もっと早くそういってくれないのかという顔付をした。 「じゃどの位出して下さいます」  健三は黙って考えた。しかしどの位が相当のところだか判明した目安の出て来ようはずはなかった。その上なるべく少ない方が彼の便宜であった。 「まあ百円位なものですね」 「百円」  その人はこう繰り返した。 「どうでしょう、責めて三百円位にして遣る訳には行きますまいか」 「出すべき理由さえあれば何百円でも出します」 「御尤もだが、島田さんもああして困ってるもんだから」 「そんな事をいやあ、私だって困っています」 「そうですか」  彼の語気はむしろ皮肉であった。 「元来一文も出さないといったって、貴方の方じゃどうする事も出来ないんでしょう。百円で悪けりゃ御止しなさい」  相手は漸く懸引をやめた。 「じゃともかくも本人によくそう話して見ます。その上でまた上る事にしますから、どうぞ何分」  その人が帰った後で健三は細君に向った。 「とうとう来た」 「どうしたっていうんです」 「また金を取られるんだ。人さえ来れば金を取られるに極ってるから厭だ」 「馬鹿らしい」  細君は別に同情のある言葉を口へ出さなかった。 「だって仕方がないよ」  健三の返事も簡単であった。彼は其所へ落付くまでの筋道を委しく細君に話してやるのさえ面倒だった。 「そりゃ貴夫の御金を貴夫が御遣りになるんだから、私何もいう訳はありませんわ」 「金なんかあるもんか」  健三は擲き付けるようにこういって、また書斎へ入った。其所には鉛筆で一面に汚された紙が所々赤く染ったまま机の上で彼を待っていた。彼はすぐ洋筆を取り上げた。そうして既に汚れたものをなおさら赤く汚さなければならなかった。  客に会う前と会った後との気分の相違が、彼を不公平にしはしまいかとの恐れが彼の心に起った時、彼は一旦読みおわったものを念のためまた読んだ。それですら三時間前の彼の標準が今の標準であるかどうか、彼には全く分らなかった。 「神でない以上公平は保てない」  彼はあやふやな自分を弁護しながら、ずんずん眼を通し始めた。しかし積重ねた半紙の束は、いくら速力を増しても尽きる期がなかった。漸く一組を元のように折るとまた新らしく一組を開かなければならなかった。 「神でない以上辛抱だってし切れない」  彼はまた洋筆を放り出した。赤い印気が血のように半紙の上に滲んだ。彼は帽子を被って寒い往来へ飛び出した。 九十七  人通りの少ない町を歩いている間、彼は自分の事ばかり考えた。 「御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ」  彼の頭のどこかでこういう質問を彼に掛けるものがあった。彼はそれに答えたくなかった。なるべく返事を避けようとした。するとその声がなお彼を追窮し始めた。何遍でも同じ事を繰り返してやめなかった。彼は最後に叫んだ。 「分らない」  その声は忽ちせせら笑った。 「分らないのじゃあるまい。分っていても、其所へ行けないのだろう。途中で引懸っているのだろう」 「己のせいじゃない。己のせいじゃない」  健三は逃げるようにずんずん歩いた。  賑やかな通りへ来た時、迎年の支度に忙しい外界は驚異に近い新らしさを以て急に彼の眼を刺撃した。彼の気分は漸く変った。  彼は客の注意を惹くために、あらゆる手段を尽して飾り立てられた店頭を、それからそれと覗き込んで歩いた。或時は自分と全く交渉のない、珊瑚樹の根懸だの、蒔絵の櫛笄だのを、硝子越に何の意味もなく長い間眺めていた。 「暮になると世の中の人はきっと何か買うものかしら」  少なくとも彼自身は何にも買わなかった。細君も殆んど何にも買わないといってよかった。彼の兄、彼の姉、細君の父、どれを見ても、買えるような余裕のあるものは一人もなかった。みんな年を越すのに苦しんでいる連中ばかりであった。中にも細君の父は一番非道そうに思われた。 「貴族院議員になってさえいれば、どこでも待ってくれるんだそうですけれども」  借金取に責められている父の事情を夫に打ち明けたついでに、細君はかつてこんな事をいった。  それは内閣の瓦解した当時であった。細君の父を閑職から引っ張り出して、彼の辞職を余儀なくさせた人は、自分たちの退ぞく間際に、彼を貴族院議員に推挙して、幾分か彼に対する義理を立てようとした。しかし多数の候補者の中から、限られた人員を選ばなければならなかった総理大臣は、細君の父の名前の上に遠慮なく棒を引いてしまった。彼はついに選に洩れた。何かの意味で保険の付いていない人にのみ酷薄であった債権者は直ちに彼の門に逼った。官邸を引き払った時に召仕の数を減らした彼は、少時くして自用俥を廃した。しまいにわが住宅を挙げて人手に渡した頃は、もうどうする事も出来なかった。日を重ね月を追って益悲境に沈んで行った。 「相場に手を出したのが悪いんですよ」  細君はこんな事もいった。 「御役人をしている間は相場師の方で儲けさせてくれるんですって。だから好いけれども、一旦役を退くと、もう相場師が構ってくれないから、みんな駄目になるんだそうです」 「何の事だか要領を得ないね。だいち意味さえ解らない」 「貴方に解らなくったって、そうなら仕方がないじゃありませんか」 「何をいってるんだ。それじゃ相場師は決して損をしっこないものに極っちまうじゃないか。馬鹿な女だな」  健三はその時細君と取り換わせた談話まで憶い出した。  彼はふと気が付いた。彼と擦れ違う人はみんな急ぎ足に行き過ぎた。みんな忙がしそうであった。みんな一定の目的を有っているらしかった。それを一刻も早く片付けるために、せっせと活動するとしか思われなかった。  或者はまるで彼の存在を認めなかった。或者は通り過ぎる時、ちょっと一瞥を与えた。 「御前は馬鹿だよ」  稀にはこんな顔付をするものさえあった。  彼はまた宅へ帰って赤い印気を汚ない半紙へなすくり始めた。 九十八  二、三日すると島田に頼まれた男がまた刺を通じて面会を求めに来た。行掛り上断る訳に行かなかった健三は、座敷へ出て差配じみたその人の前に、再び坐るべく余儀なくされた。 「どうも御忙がしいところを度々出まして」  彼は世事慣れた男であった。口で気の毒そうな事をいう割に、それほど殊勝な様子を彼の態度のどこにも現わさなかった。 「実はこの間の事を島田によく話しましたところ、そういう訳なら致し方がないから、金額はそれで宜しい、その代りどうか年内に頂戴致したい、とこういうんですがね」  健三にはそんな見込がなかった。 「年内たってもう僅かの日数しかないじゃありませんか」 「だから向うでも急ぐような訳でしてね」 「あれば今すぐ上げても好いんです。しかしないんだから仕方がないじゃありませんか」 「そうですか」  二人は少時無言のままでいた。 「どうでしょう、其所のところを一つ御奮発は願われますまいか。私も折角こうして忙がしい中を、島田さんのために、わざわざ遣って来たもんですから」  それは彼の勝手であった。健三の心を動かすに足るほどの手数でも面倒でもなかった。 「御気の毒ですが出来ませんね」  二人はまた沈黙を間に置いて相対した。 「じゃ何時頃頂けるんでしょう」  健三には何時という目的もなかった。 「いずれ来年にでもなったらどうにかしましょう」 「私もこうして頼まれて上った以上、何とか向へ返事をしなくっちゃなりませんから、せめて日限でも一つ御取極を願いたいと思いますが」 「御尤もです。じゃ正月一杯とでもして置きましょう」  健三はそれより外にいいようがなかった。相手は仕方なしに帰って行った。  その晩寒さと倦怠を凌ぐために蕎麦湯を拵えてもらった健三は、どろどろした鼠色のものを啜りながら、盆を膝の上に置いて傍に坐っている細君と話し合った。 「また百円どうかしなくっちゃならない」 「貴夫が遣らないでも好いものを遣るって約束なんぞなさるから後で困るんですよ」 「遣らないでもいいのだけれども、己は遣るんだ」  言葉の矛盾がすぐ細君を不快にした。 「そう依故地を仰しゃればそれまでです」 「御前は人を理窟ぽいとか何とかいって攻撃するくせに、自分にゃ大変形式ばった所のある女だね」 「貴夫こそ形式が御好きなんです。何事にも理窟が先に立つんだから」 「理窟と形式とは違うさ」 「貴夫のは同なじですよ」 「じゃいって聞かせるがね、己は口にだけ論理を有っている男じゃない。口にある論理は己の手にも足にも、身体全体にもあるんだ」 「そんなら貴夫の理窟がそう空っぽうに見えるはずがないじゃありませんか」 「空っぽうじゃないんだもの。丁度ころ柿の粉のようなもので、理窟が中から白く吹き出すだけなんだ。外部から喰付けた砂糖とは違うさ」  こんな説明が既に細君には空っぽうな理窟であった。何でも眼に見えるものを、しっかと手に掴まなくっては承知出来ない彼女は、この上夫と議論する事を好まなかった。またしようと思っても出来なかった。 「御前が形式張るというのはね。人間の内側はどうでも、外部へ出た所だけを捉まえさえすれば、それでその人間が、すぐ片付けられるものと思っているからさ。丁度御前の御父さんが法律家だもんだから、証拠さえなければ文句を付けられる因縁がないと考えているようなもので……」 「父はそんな事をいった事なんぞありゃしません。私だってそう外部ばかり飾って生きてる人間じゃありません。貴夫が不断からそんな僻んだ眼で他を見ていらっしゃるから……」  細君の瞼から涙がぽたぽた落ちた。いう事がその間に断絶した。島田に遣る百円の話しが、飛んだ方角へ外れた。そうして段々こんがらかって来た。 九十九  また二、三日して細君は久しぶりに外出した。 「無沙汰見舞かたがた少し歳暮に廻って来ました」  乳呑児を抱いたまま健三の前へ出た彼女は、寒い頬を赤くして、暖かい空気の裡に尻を落付た。 「御前の宅はどうだい」 「別に変った事もありません。ああなると心配を通り越して、かえって平気になるのかも知れませんね」  健三は挨拶の仕様もなかった。 「あの紫檀の机を買わないかっていうんですけれども、縁起が悪いから止しました」  舞葡萄とかいう木の一枚板で中を張り詰めたその大きな唐机は、百円以上もする見事なものであった。かつて親類の破産者からそれを借金の抵当に取った細君の父は、同じ運命の下に、早晩それをまた誰かに持って行かれなければならなかったのである。 「縁起はどうでも好いが、そんな高価いものを買う勇気は当分こっちにもなさそうだ」  健三は苦笑しながら烟草を吹かした。 「そういえば貴夫、あの人に遣る御金を比田さんから借りなくって」  細君は藪から棒にこんな事をいった。 「比田にそれだけの余裕があるのかい」 「あるのよ。比田さんは今年限り株式の方をやめられたんですって」  健三はこの新らしい報知を当然とも思った。また異様にも感じた。 「もう老朽だろうからね。しかしやめられれば、なお困るだろうじゃないか」 「追ってはどうなるか知れないでしょうけれども、差当り困るような事はないんですって」  彼の辞職は自分を引き立ててくれた重役の一人が、社と関係を絶った事に起因しているらしかった。けれども永年勤続して来た結果、権利として彼の手に入るべき金は、一時彼の経済状態を潤おすには充分であった。 「居食をしていても詰らないから、確かな人があったら貸したいからどうか世話をしてくれって、今日頼まれて来たんです」 「へえ、とうとう金貸を遣るようになったのかい」  健三は平生から島田の因業を嗤っていた比田だの姉だのを憶い浮べた。自分たちの境遇が変ると、昨日まで軽蔑していた人の真似をして恬として気の付かない姉夫婦は、反省の足りない点においてむしろ子供染みていた。 「どうせ高利なんだろう」  細君は高利だか低利だかまるで知らなかった。 「何でも旨く運転すると月に三、四十円の利子になるから、それを二人の小遣にして、これから先細く長く遣って行くつもりだって、御姉えさんがそう仰ゃいましたよ」  健三は姉のいう利子の高から胸算用で元金を勘定して見た。 「悪くすると、またみんな損っちまうだけだ。それよりそう慾張ないで、銀行へでも預けて置いて相当の利子を取る方が安全だがな」 「だから確な人に貸したいっていうんでしょう」 「確な人はそんな金は借りないさ。怖いからね」 「だけど普通の利子じゃ遣って行けないんでしょう」 「それじゃ己だって借りるのは厭ださ」 「御兄いさんも困っていらしってよ」  比田は今後の方針を兄に打ち明けると同時に、先ずその手始として、兄に金を借りてくれと頼んだのだそうである。 「馬鹿だな。金を借りてくれ、借りてくれって、こっちから頼む奴もないじゃないか。兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして借りる必要もあるまいからね」  健三は苦々しいうちにも滑稽を感じた。比田の手前勝手な気性がこの一事でも能く窺われた。それを傍で見て澄ましている姉の料簡も彼には不可思議であった。血が続いていても姉弟という心持は全くしなかった。 「御前己が借りるとでもいったのかい」 「そんな余計な事いやしません」 百  利子の安い高いは別問題として、比田から融通してもらうという事が、健三にはとても真面目に考えられなかった。彼は毎月いくらかずつの小遣を姉に送る身分であった。その姉の亭主から今度はこっちで金を借りるとなると、矛盾は誰の眼にも映る位明白であった。 「辻褄の合わない事は世の中にいくらでもあるにはあるが」  こういい掛けた彼は突然笑いたくなった。 「何だか変だな。考えると可笑しくなるだけだ。まあ好いや己が借りて遣らなくってもどうにかなるんだろうから」 「ええ、そりゃ借手はいくらでもあるんでしょう。現にもう一口ばかり貸したんですって。彼所いらの待合か何かへ」  待合という言葉が健三の耳になおさら滑稽に響いた。彼は我を忘れたように笑った。細君にも夫の姉の亭主が待合へ小金を貸したという事実が不調和に見えた。けれども彼女はそれを夫の名前に関わると思うような性質ではなかった。ただ夫と一所になって面白そうに笑っていた。  滑稽の感じが去った後で反動が来た。健三は比田について不愉快な昔まで思い出させられた。  それは彼の二番目の兄が病死する前後の事であった。病人は平生から自分の持っている両蓋の銀側時計を弟の健三に見せて、「これを今に御前に遣ろう」と殆んど口癖のようにいっていた。時計を所有した経験のない若い健三は、欲しくて堪らないその装飾品が、何時になったら自分の帯に巻き付けられるのだろうかと想像して、暗に未来の得意を予算に組み込みながら、一、二カ月を暮した。  病人が死んだ時、彼の細君は夫の言葉を尊重して、その時計を健三に遣るとみんなの前で明言した。一つは亡くなった人の記念とも見るべきこの品物は、不幸にして質に入れてあった。無論健三にはそれを受出す力がなかった。彼は義姉から所有権だけを譲り渡されたと同様で、肝心の時計には手も触れる事が出来ずに幾日かを過ごした。  或日皆なが一つ所に落合った。するとその席上で比田が問題の時計を懐中から出した。時計は見違えるように磨かれて光っていた。新らしい紐に珊瑚樹の珠が装飾として付け加えられた。彼はそれを勿体らしく兄の前に置いた。 「それではこれは貴方に上げる事にしますから」  傍にいた姉も殆んど比田と同じような口上を述べた。 「どうも色々御手数を掛けまして、有難う。じゃ頂戴します」  兄は礼をいってそれを受取った。  健三は黙って三人の様子を見ていた。三人は殆んど彼の其所にいる事さえ眼中に置いていなかった。しまいまで一言も発しなかった彼は、腹の中で甚しい侮辱を受けたような心持がした。しかし彼らは平気であった。彼らの仕打を仇敵の如く憎んだ健三も、何故彼らがそんな面中がましい事をしたのか、どうしても考え出せなかった。  彼は自分の権利も主張しなかった。また説明も求めなかった。ただ無言のうちに愛想を尽かした。そうして親身の兄や姉に対して愛想を尽かす事が、彼らに取って一番非道い刑罰に違なかろうと判断した。 「そんな事をまだ覚えていらっしゃるんですか。貴夫も随分執念深いわね。御兄いさんが御聴きになったらさぞ御驚ろきなさるでしょう」  細君は健三の顔を見て暗にその気色を伺った。健三はちっとも動かなかった。 「執念深かろうが、男らしくなかろうが、事実は事実だよ。よし事実に棒を引いたって、感情を打ち殺す訳には行かないからね。その時の感情はまだ生きているんだ。生きて今でもどこかで働いているんだ。己が殺しても天が復活させるから何にもならない」 「御金なんか借りさえしなきゃあ、それで好いじゃありませんか」  こういった細君の胸には、比田たちばかりでなく、自分の事も、自分の生家の事も勘定に入れてあった。 百一  歳が改たまった時、健三は一夜のうちに変った世間の外観を、気のなさそうな顔をして眺めた。 「すべて余計な事だ。人間の小刀細工だ。」  実際彼の周囲には大晦日も元日もなかった。悉く前の年の引続きばかりであった。彼は人の顔を見て御目出とうというのさえ厭になった。そんな殊更な言葉を口にするよりも誰にも会わずに黙っている方がまだ心持が好かった。  彼は普通の服装をしてぶらりと表へ出た。なるべく新年の空気の通わない方へ足を向けた。冬木立と荒た畠、藁葺屋根と細い流、そんなものが盆槍した彼の眼に入った。しかし彼はこの可憐な自然に対してももう感興を失っていた。  幸い天気は穏かであった。空風の吹き捲らない野面には春に似た靄が遠く懸っていた。その間から落ちる薄い日影もおっとりと彼の身体を包んだ。彼は人もなく路もない所へわざわざ迷い込んだ。そうして融けかかった霜で泥だらけになった靴の重いのに気が付いて、しばらく足を動かさずにいた。彼は一つ所に佇立んでいる間に、気分を紛らそうとして絵を描いた。しかしその絵があまり不味いので、写生はかえって彼を自暴にするだけであった。彼は重たい足を引き摺ってまた宅へ帰って来た。途中で島田に遣るべき金の事を考えて、ふと何か書いて見ようという気を起した。  赤い印気で汚ない半紙をなすくる業は漸く済んだ。新らしい仕事の始まるまでにはまだ十日の間があった。彼はその十日を利用しようとした。彼はまた洋筆を執って原稿紙に向った。  健康の次第に衰えつつある不快な事実を認めながら、それに注意を払わなかった彼は、猛烈に働らいた。あたかも自分で自分の身体に反抗でもするように、あたかもわが衛生を虐待するように、また己れの病気に敵討でもしたいように。彼は血に餓えた。しかも他を屠る事が出来ないのでやむをえず自分の血を啜って満足した。  予定の枚数を書きおえた時、彼は筆を投げて畳の上に倒れた。 「ああ、ああ」  彼は獣と同じような声を揚げた。  書いたものを金に換える段になって、彼は大した困難にも遭遇せずに済んだ。ただどんな手続きでそれを島田に渡して好いかちょっと迷った。直接の会見は彼も好まなかった。向うももう参上りませんといい放った最後の言葉に対して、彼の前へ出て来る気のない事は知れていた。どうしても中へ入って取り次ぐ人の必要があった。 「やっぱり御兄さんか比田さんに御頼みなさるより外に仕方がないでしょう。今までの行掛りもあるんだから」 「まあそうでもするのが、一番適当なところだろう。あんまり有難くはないが。公けな他人を頼むほどの事でもないから」  健三は津守坂へ出掛て行った。 「百円遣るの」  驚ろいた姉は勿体なさそうな眼を丸くして健三を見た。 「でも健ちゃんなんぞは顔が顔だからね。そうしみったれた真似も出来まいし、それにあの島田って爺さんが、ただの爺さんと違って、あの通りの悪党だから、百円位仕方がないだろうよ」  姉は健三の腹にない事まで一人合点でべらべら喋舌った。 「だけど御正月早々御前さんも随分好い面の皮さね」 「好い面の皮鯉の滝登りか」  先刻から傍に胡坐をかいて新聞を見ていた比田は、この時始めて口を利いた。しかしその言葉は姉に通じなかった。健三にも解らなかった。それをさも心得顔にあははと笑う姉の方が、健三にはかえって可笑しかった。 「でも健ちゃんは好いね。御金を取ろうとすればいくらでも取れるんだから」 「こちとらとは少し頭の寸法が違うんだ。右大将頼朝公の髑髏と来ているんだから」  比田は変梃な事ばかりいった。しかし頼んだ事は一も二もなく引き受けてくれた。 百二  比田と兄が揃って健三の宅を訪問れたのは月の半ば頃であつた。松飾の取り払われた往来にはまだどことなく新年の香がした。暮も春もない健三の座敷の中に坐った二人は、落付かないように其所いらを見廻した。  比田は懐から書付を二枚出して健三の前に置いた。 「まあこれで漸く片が付きました」  その一枚には百円受取った事と、向後一切の関係を断つという事が古風な文句で書いてあった。手蹟は誰のとも判断が付かなかったが、島田の印は確かに捺してあった。  健三は「しかる上は後日に至り」とか、「后日のため誓約件の如し」とかいう言葉を馬鹿にしながら黙読した。 「どうも御手数でした、ありがとう」 「こういう証文さえ入れさせて置けばもう大丈夫だからね。それでないと何時まで蒼蠅く付け纏わられるか分ったもんじゃないよ。ねえ長さん」 「そうさ。これで漸く一安心出来たようなものだ」  比田と兄の会話は少しの感銘も健三に与えなかった。彼には遣らないでもいい百円を好意的に遣ったのだという気ばかり強く起った。面倒を避けるために金の力を藉りたとはどうしても思えなかった。  彼は無言のままもう一枚の書付を開いて、其所に自分が復籍する時島田に送った文言を見出した。 「私儀今般貴家御離縁に相成、実父より養育料差出候については、今後とも互に不実不人情に相成ざるよう心掛たくと存候」  健三には意味も論理も能く解らなかった。 「それを売り付けようというのが向うの腹さね」 「つまり百円で買って遣ったようなものだね」  比田と兄はまた話し合った。健三はその間に言葉を挟むのさえ厭だった。  二人が帰ったあとで、細君は夫の前に置いてある二通の書付を開いて見た。 「こっちの方は虫が食ってますね」 「反故だよ。何にもならないもんだ。破いて紙屑籠へ入れてしまえ」 「わざわざ破かなくっても好いでしょう」  健三はそのまま席を立った。再び顔を合わせた時、彼は細君に向って訊いた。―― 「先刻の書付はどうしたい」 「箪笥の抽斗にしまって置きました。」  彼女は大事なものでも保存するような口振でこう答えた。健三は彼女の所置を咎めもしない代りに、賞める気にもならなかった。 「まあ好かった。あの人だけはこれで片が付いて」  細君は安心したといわぬばかりの表情を見せた。 「何が片付いたって」 「でも、ああして証文を取って置けば、それで大丈夫でしょう。もう来る事も出来ないし、来たって構い付けなければそれまでじゃありませんか」 「そりゃ今までだって同じ事だよ。そうしようと思えば何時でも出来たんだから」 「だけど、ああして書いたものをこっちの手に入れて置くと大変違いますわ」 「安心するかね」 「ええ安心よ。すっかり片付いちゃったんですもの」 「まだなかなか片付きゃしないよ」 「どうして」 「片付いたのは上部だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」  細君の顔には不審と反抗の色が見えた。 「じゃどうすれば本当に片付くんです」 「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」  健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。 「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰ゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」  細君はこういいいい、幾度か赤い頬に接吻した。 底本:「道草」岩波文庫、岩波書店    1942(昭和17)年8月25日第1刷発行    1990(平成2)年4月16日第43刷改版発行    1995(平成7)年2月15日第49刷発行 底本の親本:「漱石全集 第6巻」岩波書店    1985(昭和60)年 初出:「朝日新聞」    1915(大正4)年6月3日~9月14日 入力:らんむろ・さてぃ 校正:細渕紀子 1999年1月22日公開 2013年3月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 三山居士 三山居士 夏目漱石  二月二十八日には生暖(なまあた)たかい風が朝から吹いた。その風が土の上を渡る時、地面は一度に濡(ぬ)れ尽くした。外を歩くと自分の踏む足の下から、熱に冒(おか)された病人の呼息(いき)のようなものが、下駄(げた)の歯に蹴返(けかえ)されるごとに、行く人の眼鼻口を悩ますべく、風のために吹き上げられる気色(けしき)に見えた。家へ帰って護謨合羽(ゴムがっぱ)を脱ぐと、肩当(かたあて)の裏側がいつの間(ま)にか濡(ぬ)れて、電灯の光に露(つゆ)のような光を投げ返した。不思議だからまた羽織を脱ぐと、同じ場所が大きく二カ所ほど汗で染め抜かれていた。余はその下に綿入(わたいれ)を重ねた上、フラネルの襦袢(じゅばん)と毛織の襯衣(シャツ)を着ていたのだから、いくら不愉快な夕暮でも、肌に煮染(にじ)んだ汗の珠(たま)がここまで浸み出そうとは思えなかった。試(ここ)ろみに綿入の背中を撫(な)で廻して貰(もら)うと、はたしてどこも湿(しめ)っていなかった。余はどうして一番上に着た護謨合羽と羽織だけが、これほど烈(はげ)しく濡れたのだろうかと考えて、私(ひそ)かに不審を抱いた。  池辺(いけべ)君の容体(ようだい)が突然変ったのは、その日の十時半頃からで、一時は注射の利目(ききめ)が見えるくらい、落ちつきかけたのだそうである。それが午過(ひるすぎ)になってまただんだん険悪に陥(おちい)ったあげく、とうとう絶望の状態まで進んで来た時は、余が毎日の日課として筆を執(と)りつつある「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」をようやく書き上げたと同じ刻限である。池辺君が胸部に末期(まつご)の苦痛を感じて膏汗(あぶらあせ)を流しながらもがいている間、余は池辺君に対して何らの顧慮も心配も払う事ができなかったのは、君の朋友(ほうゆう)として、朋友にあるまじき無頓着(むとんじゃく)な心持を抱(いだ)いていたと云う点において、いかにも残念な気がする。余が修善寺(しゅぜんじ)で生死の間に迷うほどの心細い病み方をしていた時、池辺君は例(いつも)の通りの長大な躯幹(からだ)を東京から運んで来て、余の枕辺(まくらべ)に坐(すわ)った。そうして苦(にが)い顔をしながら、医者に騙(だま)されて来て見たと云った。医者に騙されたという彼は、固(もと)より余を騙すつもりでこういう言葉を発したのである。彼の死ぬ時には、こういう言葉を考える余地すら余に与えられなかった。枕辺に坐って目礼をする一分時(いっぷんじ)さえ許されなかった。余はただその晩の夜半(やはん)に彼の死顔(しにがお)を一目見ただけである。  その夜は吹荒(ふきす)さむ生温(なまぬる)い風の中に、夜着の数を減(へ)して、常よりは早く床についたが、容易に寝つかれない晩であった。締(しま)りをした門(かど)を揺り動かして、使いのものが、余を驚かすべく池辺君の訃(ふ)をもたらしたのは十一時過であった。余はすぐに白い毛布(けっと)の中から出て服を改めた。車に乗るとき曇(どん)よりした不愉快な空を仰いで、風の吹く中へ車夫を駈(か)けさした。路は歯の廻らないほど泥濘(ぬか)っているので、車夫のはあはあいう息遣(いきづかい)が、風に攫(さら)われて行く途中で、折々余の耳を掠(かす)めた。不断なら月の差すべき夜(よ)と見えて、空を蔽(おお)う気味の悪い灰色の雲が、明らさまに東から西へ大きな幅の広い帯を二筋ばかり渡していた。その間が白く曇って左右の鼠(ねずみ)をかえって浮き出すように彩(いろど)った具合がことさらに凄(すご)かった。余が池辺邸(てい)に着くまで空の雲は死んだようにまるで動かなかった。  二階へ上(あが)って、しばらく社のものと話した後(あと)、余は口の利けない池辺君に最後の挨拶(あいさつ)をするために、階下の室(へや)へ下りて行った。そこには一人の僧が経を読んでいた。女が三四人次の間に黙って控えていた。遺骸(いがい)は白い布(ぬの)で包んでその上に池辺君の平生(ふだん)着たらしい黒紋付(くろもんつき)が掛けてあった。顔も白い晒(さら)しで隠してあった。余が枕辺近く寄って、その晒しを取(と)り除(の)けた時、僧は読経(どきょう)の声をぴたりと止(と)めた。夜半(やはん)の灯(ひ)に透(す)かして見た池辺君の顔は、常と何の変る事もなかった。刈り込んだ髯(ひげ)に交る白髪(しらが)が、忘るべからざる彼の特徴のごとくに余の眼を射た。ただ血の漲(みな)ぎらない両頬の蒼褪(あおざ)めた色が、冷たそうな無常の感じを余の胸に刻(きざ)んだだけである。  余が最後に生きた池辺君を見たのは、その母堂の葬儀の日であった。柩(ひつぎ)の門を出ようとする間際(まぎわ)に駈(か)けつけた余が、門側(もんがわ)に佇(たたず)んで、葬列の通過を待つべく余儀なくされた時、余と池辺君とは端(はし)なく目礼(もくれい)を取り換わしたのである。その時池辺君が帽を被(かぶ)らずに、草履(ぞうり)のまま質素な服装(なり)をして柩(ひつぎ)の後(あと)に続いた姿を今見るように覚えている。余は生きた池辺君の最後の記念としてその姿を永久に深く頭の奥にしまっておかなければならなくなったかと思うと、その時言葉を交わさなかったのが、はなはだ名残惜(なごりお)しく思われてならない。池辺君はその時からすでに血色が大変悪かった。けれどもその時なら口を利(き)く事が充分できたのである。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 1999年5月12日公開 1999年8月30日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 夏目漱石 三山居士 三山居士 夏目漱石  二月二十八日には生暖たかい風が朝から吹いた。その風が土の上を渡る時、地面は一度に濡れ尽くした。外を歩くと自分の踏む足の下から、熱に冒された病人の呼息のようなものが、下駄の歯に蹴返されるごとに、行く人の眼鼻口を悩ますべく、風のために吹き上げられる気色に見えた。家へ帰って護謨合羽を脱ぐと、肩当の裏側がいつの間にか濡れて、電灯の光に露のような光を投げ返した。不思議だからまた羽織を脱ぐと、同じ場所が大きく二カ所ほど汗で染め抜かれていた。余はその下に綿入を重ねた上、フラネルの襦袢と毛織の襯衣を着ていたのだから、いくら不愉快な夕暮でも、肌に煮染んだ汗の珠がここまで浸み出そうとは思えなかった。試ろみに綿入の背中を撫で廻して貰うと、はたしてどこも湿っていなかった。余はどうして一番上に着た護謨合羽と羽織だけが、これほど烈しく濡れたのだろうかと考えて、私かに不審を抱いた。  池辺君の容体が突然変ったのは、その日の十時半頃からで、一時は注射の利目が見えるくらい、落ちつきかけたのだそうである。それが午過になってまただんだん険悪に陥ったあげく、とうとう絶望の状態まで進んで来た時は、余が毎日の日課として筆を執りつつある「彼岸過迄」をようやく書き上げたと同じ刻限である。池辺君が胸部に末期の苦痛を感じて膏汗を流しながらもがいている間、余は池辺君に対して何らの顧慮も心配も払う事ができなかったのは、君の朋友として、朋友にあるまじき無頓着な心持を抱いていたと云う点において、いかにも残念な気がする。余が修善寺で生死の間に迷うほどの心細い病み方をしていた時、池辺君は例の通りの長大な躯幹を東京から運んで来て、余の枕辺に坐った。そうして苦い顔をしながら、医者に騙されて来て見たと云った。医者に騙されたという彼は、固より余を騙すつもりでこういう言葉を発したのである。彼の死ぬ時には、こういう言葉を考える余地すら余に与えられなかった。枕辺に坐って目礼をする一分時さえ許されなかった。余はただその晩の夜半に彼の死顔を一目見ただけである。  その夜は吹荒さむ生温い風の中に、夜着の数を減して、常よりは早く床についたが、容易に寝つかれない晩であった。締りをした門を揺り動かして、使いのものが、余を驚かすべく池辺君の訃をもたらしたのは十一時過であった。余はすぐに白い毛布の中から出て服を改めた。車に乗るとき曇よりした不愉快な空を仰いで、風の吹く中へ車夫を駈けさした。路は歯の廻らないほど泥濘っているので、車夫のはあはあいう息遣が、風に攫われて行く途中で、折々余の耳を掠めた。不断なら月の差すべき夜と見えて、空を蔽う気味の悪い灰色の雲が、明らさまに東から西へ大きな幅の広い帯を二筋ばかり渡していた。その間が白く曇って左右の鼠をかえって浮き出すように彩った具合がことさらに凄かった。余が池辺邸に着くまで空の雲は死んだようにまるで動かなかった。  二階へ上って、しばらく社のものと話した後、余は口の利けない池辺君に最後の挨拶をするために、階下の室へ下りて行った。そこには一人の僧が経を読んでいた。女が三四人次の間に黙って控えていた。遺骸は白い布で包んでその上に池辺君の平生着たらしい黒紋付が掛けてあった。顔も白い晒しで隠してあった。余が枕辺近く寄って、その晒しを取り除けた時、僧は読経の声をぴたりと止めた。夜半の灯に透かして見た池辺君の顔は、常と何の変る事もなかった。刈り込んだ髯に交る白髪が、忘るべからざる彼の特徴のごとくに余の眼を射た。ただ血の漲ぎらない両頬の蒼褪めた色が、冷たそうな無常の感じを余の胸に刻んだだけである。  余が最後に生きた池辺君を見たのは、その母堂の葬儀の日であった。柩の門を出ようとする間際に駈けつけた余が、門側に佇んで、葬列の通過を待つべく余儀なくされた時、余と池辺君とは端なく目礼を取り換わしたのである。その時池辺君が帽を被らずに、草履のまま質素な服装をして柩の後に続いた姿を今見るように覚えている。余は生きた池辺君の最後の記念としてその姿を永久に深く頭の奥にしまっておかなければならなくなったかと思うと、その時言葉を交わさなかったのが、はなはだ名残惜しく思われてならない。池辺君はその時からすでに血色が大変悪かった。けれどもその時なら口を利く事が充分できたのである。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年5月12日公開 2011年6月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 門 門 夏目漱石 一  宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩[#ルビの「まぼ」はママ]しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。 「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、 「ええ」と云ったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしまった。しばらくすると今度は細君の方から、 「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と云った。しかしその時は宗助がただうんと云う生返事を返しただけであった。  二三分して、細君は障子の硝子の所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗いて見た。夫はどう云う了見か両膝を曲げて海老のように窮屈になっている。そうして両手を組み合わして、その中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肱に挟まれて顔がちっとも見えない。 「あなたそんな所へ寝ると風邪引いてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京のような、東京でないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。  宗助は両肱の中で大きな眼をぱちぱちさせながら、 「寝やせん、大丈夫だ」と小声で答えた。  それからまた静かになった。外を通る護謨車のベルの音が二三度鳴った後から、遠くで鶏の時音をつくる声が聞えた。宗助は仕立おろしの紡績織の背中へ、自然と浸み込んで来る光線の暖味を、襯衣の下で貪ぼるほど味いながら、表の音を聴くともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで、 「御米、近来の近の字はどう書いたっけね」と尋ねた。細君は別に呆れた様子もなく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず、 「近江のおうの字じゃなくって」と答えた。 「その近江のおうの字が分らないんだ」  細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、その先で近の字を縁側へ書いて見せて、 「こうでしょう」と云ったぎり、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺め入った。宗助は細君の顔も見ずに、 「やっぱりそうか」と云ったが、冗談でもなかったと見えて、別に笑もしなかった。細君も近の字はまるで気にならない様子で、 「本当に好い御天気だわね」と半ば独り言のように云いながら、障子を開けたまままた裁縫を始めた。すると宗助は肱で挟んだ頭を少し擡げて、 「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。 「なぜ」 「なぜって、いくら容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違ったような気がする。しまいには見れば見るほど今らしくなくなって来る。――御前そんな事を経験した事はないかい」 「まさか」 「おれだけかな」と宗助は頭へ手を当てた。 「あなたどうかしていらっしゃるのよ」 「やっぱり神経衰弱のせいかも知れない」 「そうよ」と細君は夫の顔を見た。夫はようやく立ち上った。  針箱と糸屑の上を飛び越すように跨いで、茶の間の襖を開けると、すぐ座敷である。南が玄関で塞がれているので、突き当りの障子が、日向から急に這入って来た眸には、うそ寒く映った。そこを開けると、廂に逼るような勾配の崖が、縁鼻から聳えているので、朝の内は当って然るべきはずの日も容易に影を落さない。崖には草が生えている。下からして一側も石で畳んでないから、いつ壊れるか分らない虞があるのだけれども、不思議にまだ壊れた事がないそうで、そのためか家主も長い間昔のままにして放ってある。もっとも元は一面の竹藪だったとかで、それを切り開く時に根だけは掘り返さずに土堤の中に埋めて置いたから、地は存外緊っていますからねと、町内に二十年も住んでいる八百屋の爺が勝手口でわざわざ説明してくれた事がある。その時宗助はだって根が残っていれば、また竹が生えて藪になりそうなものじゃないかと聞き返して見た。すると爺は、それがね、ああ切り開かれて見ると、そう甘く行くもんじゃありませんよ。しかし崖だけは大丈夫です。どんな事があったって壊えっこはねえんだからと、あたかも自分のものを弁護でもするように力んで帰って行った。  崖は秋に入っても別に色づく様子もない。ただ青い草の匂が褪めて、不揃にもじゃもじゃするばかりである。薄だの蔦だのと云う洒落たものに至ってはさらに見当らない。その代り昔の名残りの孟宗が中途に二本、上の方に三本ほどすっくりと立っている。それが多少黄に染まって、幹に日の射すときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味を眺められるような心持がする。宗助は朝出て四時過に帰る男だから、日の詰まるこの頃は、滅多に崖の上を覗く暇を有たなかった。暗い便所から出て、手水鉢の水を手に受けながら、ふと廂の外を見上げた時、始めて竹の事を思い出した。幹の頂に濃かな葉が集まって、まるで坊主頭のように見える。それが秋の日に酔って重く下を向いて、寂そりと重なった葉が一枚も動かない。  宗助は障子を閉てて座敷へ帰って、机の前へ坐った。座敷とは云いながら客を通すからそう名づけるまでで、実は書斎とか居間とか云う方が穏当である。北側に床があるので、申訳のために変な軸を掛けて、その前に朱泥の色をした拙な花活が飾ってある。欄間には額も何もない。ただ真鍮の折釘だけが二本光っている。その他には硝子戸の張った書棚が一つある。けれども中には別にこれと云って目立つほどの立派なものも這入っていない。  宗助は銀金具の付いた机の抽出を開けてしきりに中を検べ出したが、別に何も見つけ出さないうちに、はたりと締めてしまった。それから硯箱の葢を取って、手紙を書き始めた。一本書いて封をして、ちょっと考えたが、 「おい、佐伯のうちは中六番町何番地だったかね」と襖越に細君に聞いた。 「二十五番地じゃなくって」と細君は答えたが、宗助が名宛を書き終る頃になって、 「手紙じゃ駄目よ、行ってよく話をして来なくっちゃ」と付け加えた。 「まあ、駄目までも手紙を一本出しておこう。それでいけなかったら出掛けるとするさ」と云い切ったが、細君が返事をしないので、 「ねえ、おい、それで好いだろう」と念を押した。  細君は悪いとも云い兼ねたと見えて、その上争いもしなかった。宗助は郵便を持ったまま、座敷から直ぐ玄関に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、座を立ったが、これは茶の間の縁伝いに玄関に出た。 「ちょっと散歩に行って来るよ」 「行っていらっしゃい」と細君は微笑しながら答えた。  三十分ばかりして格子ががらりと開いたので、御米はまた裁縫の手をやめて、縁伝いに玄関へ出て見ると、帰ったと思う宗助の代りに、高等学校の制帽を被った、弟の小六が這入って来た。袴の裾が五六寸しか出ないくらいの長い黒羅紗のマントの釦を外しながら、 「暑い」と云っている。 「だって余まりだわ。この御天気にそんな厚いものを着て出るなんて」 「何、日が暮れたら寒いだろうと思って」と小六は云訳を半分しながら、嫂の後に跟いて、茶の間へ通ったが、縫い掛けてある着物へ眼を着けて、 「相変らず精が出ますね」と云ったなり、長火鉢の前へ胡坐をかいた。嫂は裁縫を隅の方へ押しやっておいて、小六の向へ来て、ちょっと鉄瓶をおろして炭を継ぎ始めた。 「御茶ならたくさんです」と小六が云った。 「厭?」と女学生流に念を押した御米は、 「じゃ御菓子は」と云って笑いかけた。 「あるんですか」と小六が聞いた。 「いいえ、無いの」と正直に答えたが、思い出したように、「待ってちょうだい、あるかも知れないわ」と云いながら立ち上がる拍子に、横にあった炭取を取り退けて、袋戸棚を開けた。小六は御米の後姿の、羽織が帯で高くなった辺を眺めていた。何を探すのだかなかなか手間が取れそうなので、 「じゃ御菓子も廃しにしましょう。それよりか、今日は兄さんはどうしました」と聞いた。 「兄さんは今ちょいと」と後向のまま答えて、御米はやはり戸棚の中を探している。やがてぱたりと戸を締めて、 「駄目よ。いつの間にか兄さんがみんな食べてしまった」と云いながら、また火鉢の向へ帰って来た。 「じゃ晩に何か御馳走なさい」 「ええしてよ」と柱時計を見ると、もう四時近くである。御米は「四時、五時、六時」と時間を勘定した。小六は黙って嫂の顔を見ていた。彼は実際嫂の御馳走には余り興味を持ち得なかったのである。 「姉さん、兄さんは佐伯へ行ってくれたんですかね」と聞いた。 「この間から行く行くって云ってる事は云ってるのよ。だけど、兄さんも朝出て夕方に帰るんでしょう。帰ると草臥れちまって、御湯に行くのも大儀そうなんですもの。だから、そう責めるのも実際御気の毒よ」 「そりゃ兄さんも忙がしいには違なかろうけれども、僕もあれがきまらないと気がかりで落ちついて勉強もできないんだから」と云いながら、小六は真鍮の火箸を取って火鉢の灰の中へ何かしきりに書き出した。御米はその動く火箸の先を見ていた。 「だから先刻手紙を出しておいたのよ」と慰めるように云った。 「何て」 「そりゃ私もつい見なかったの。けれども、きっとあの相談よ。今に兄さんが帰って来たら聞いて御覧なさい。きっとそうよ」 「もし手紙を出したのなら、その用には違ないでしょう」 「ええ、本当に出したのよ。今兄さんがその手紙を持って、出しに行ったところなの」  小六はこれ以上弁解のような慰藉のような嫂の言葉に耳を借したくなかった。散歩に出る閑があるなら、手紙の代りに自分で足を運んでくれたらよさそうなものだと思うと余り好い心持でもなかった。座敷へ来て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁を剥って見ていた。 二  そこに気のつかなかった宗助は、町の角まで来て、切手と「敷島」を同じ店で買って、郵便だけはすぐ出したが、その足でまた同じ道を戻るのが何だか不足だったので、啣え煙草の煙を秋の日に揺つかせながら、ぶらぶら歩いているうちに、どこか遠くへ行って、東京と云う所はこんな所だと云う印象をはっきり頭の中へ刻みつけて、そうしてそれを今日の日曜の土産に家へ帰って寝ようと云う気になった。彼は年来東京の空気を吸って生きている男であるのみならず、毎日役所の行通には電車を利用して、賑やかな町を二度ずつはきっと往ったり来たりする習慣になっているのではあるが、身体と頭に楽がないので、いつでも上の空で素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中に活きていると云う自覚は近来とんと起った事がない。もっとも平生は忙がしさに追われて、別段気にも掛からないが、七日に一返の休日が来て、心がゆったりと落ちつける機会に出逢うと、不断の生活が急にそわそわした上調子に見えて来る。必竟自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京というものを見た事がないんだという結論に到着すると、彼はそこにいつも妙な物淋しさを感ずるのである。  そう云う時には彼は急に思い出したように町へ出る。その上懐に多少余裕でもあると、これで一つ豪遊でもしてみようかと考える事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思い切った極端に駆り去るほどに、強烈の程度なものでないから、彼がそこまで猛進する前に、それも馬鹿馬鹿しくなってやめてしまう。のみならず、こんな人の常態として、紙入の底が大抵の場合には、軽挙を戒める程度内に膨らんでいるので、億劫な工夫を凝らすよりも、懐手をして、ぶらりと家へ帰る方が、つい楽になる。だから宗助の淋しみは単なる散歩か勧工場縦覧ぐらいなところで、次の日曜まではどうかこうか慰藉されるのである。  この日も宗助はともかくもと思って電車へ乗った。ところが日曜の好天気にもかかわらず、平常よりは乗客が少ないので例になく乗心地が好かった。その上乗客がみんな平和な顔をして、どれもこれも悠たりと落ちついているように見えた。宗助は腰を掛けながら、毎朝例刻に先を争って席を奪い合いながら、丸の内方面へ向う自分の運命を顧みた。出勤刻限の電車の道伴ほど殺風景なものはない。革にぶら下がるにしても、天鵞絨に腰を掛けるにしても、人間的な優しい心持の起った試はいまだかつてない。自分もそれでたくさんだと考えて、器械か何ぞと膝を突き合せ肩を並べたかのごとくに、行きたい所まで同席して不意と下りてしまうだけであった。前の御婆さんが八つぐらいになる孫娘の耳の所へ口を付けて何か云っているのを、傍に見ていた三十恰好の商家の御神さんらしいのが、可愛らしがって、年を聞いたり名を尋ねたりするところを眺めていると、今更ながら別の世界に来たような心持がした。  頭の上には広告が一面に枠に嵌めて掛けてあった。宗助は平生これにさえ気がつかなかった。何心なしに一番目のを読んで見ると、引越は容易にできますと云う移転会社の引札であった。その次には経済を心得る人は、衛生に注意する人は、火の用心を好むものは、と三行に並べておいてその後に瓦斯竈を使えと書いて、瓦斯竈から火の出ている画まで添えてあった。三番目には露国文豪トルストイ伯傑作「千古の雪」と云うのと、バンカラ喜劇小辰大一座と云うのが、赤地に白で染め抜いてあった。  宗助は約十分もかかって、すべての広告を丁寧に三返ほど読み直した。別に行って見ようと思うものも、買って見たいと思うものも無かったが、ただこれらの広告が判然と自分の頭に映って、そうしてそれを一々読み終せた時間のあった事と、それをことごとく理解し得たと云う心の余裕が、宗助には少なからぬ満足を与えた。彼の生活はこれほどの余裕にすら誇りを感ずるほどに、日曜以外の出入りには、落ちついていられないものであった。  宗助は駿河台下で電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓硝子の中に美しく並べてある洋書に眼がついた。宗助はしばらくその前に立って、赤や青や縞や模様の上に、鮮かに叩き込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解るが、手に取って、中を検べて見ようという好奇心はちっとも起らなかった。本屋の前を通ると、きっと中へ這入って見たくなったり、中へ這入ると必ず何か欲しくなったりするのは、宗助から云うと、すでに一昔し前の生活である。ただ History of Gambling(博奕史)と云うのが、ことさらに美装して、一番真中に飾られてあったので、それが幾分か彼の頭に突飛な新し味を加えただけであった。  宗助は微笑しながら、急忙しい通りを向側へ渡って、今度は時計屋の店を覗き込んだ。金時計だの金鎖が幾つも並べてあるが、これもただ美しい色や恰好として、彼の眸に映るだけで、買いたい了簡を誘致するには至らなかった。その癖彼は一々絹糸で釣るした価格札を読んで、品物と見較べて見た。そうして実際金時計の安価なのに驚ろいた。  蝙蝠傘屋の前にもちょっと立ちどまった。西洋小間物を売る店先では、礼帽の傍にかけてあった襟飾りに眼がついた。自分の毎日かけているのよりも大変柄が好かったので、価を聞いてみようかと思って、半分店の中へ這入りかけたが、明日から襟飾りなどをかけ替えたところが下らない事だと思い直すと、急に蟇口の口を開けるのが厭になって行き過ぎた。呉服店でもだいぶ立見をした。鶉御召だの、高貴織だの、清凌織だの、自分の今日まで知らずに過ぎた名をたくさん覚えた。京都の襟新と云う家の出店の前で、窓硝子へ帽子の鍔を突きつけるように近く寄せて、精巧に刺繍をした女の半襟を、いつまでも眺めていた。その中にちょうど細君に似合いそうな上品なのがあった。買って行ってやろうかという気がちょっと起るや否や、そりゃ五六年前の事だと云う考が後から出て来て、せっかく心持の好い思いつきをすぐ揉み消してしまった。宗助は苦笑しながら窓硝子を離れてまた歩き出したが、それから半町ほどの間は何だかつまらないような気分がして、往来にも店先にも格段の注意を払わなかった。  ふと気がついて見ると角に大きな雑誌屋があって、その軒先には新刊の書物が大きな字で広告してある。梯子のような細長い枠へ紙を張ったり、ペンキ塗の一枚板へ模様画みたような色彩を施こしたりしてある。宗助はそれを一々読んだ。著者の名前も作物の名前も、一度は新聞の広告で見たようでもあり、また全く新奇のようでもあった。  この店の曲り角の影になった所で、黒い山高帽を被った三十ぐらいの男が地面の上へ気楽そうに胡坐をかいて、ええ御子供衆の御慰みと云いながら、大きな護謨風船を膨らましている。それが膨れると自然と達磨の恰好になって、好加減な所に眼口まで墨で書いてあるのに宗助は感心した。その上一度息を入れると、いつまでも膨れている。かつ指の先へでも、手の平の上へでも自由に尻が据る。それが尻の穴へ楊枝のような細いものを突っ込むとしゅうっと一度に収縮してしまう。  忙がしい往来の人は何人でも通るが、誰も立ちどまって見るほどのものはない。山高帽の男は賑やかな町の隅に、冷やかに胡坐をかいて、身の周囲に何事が起りつつあるかを感ぜざるもののごとくに、ええ御子供衆の御慰みと云っては、達磨を膨らましている。宗助は一銭五厘出して、その風船を一つ買って、しゅっと縮ましてもらって、それを袂へ入れた。奇麗な床屋へ行って、髪を刈りたくなったが、どこにそんな奇麗なのがあるか、ちょっと見つからないうちに、日が限って来たので、また電車へ乗って、宅の方へ向った。  宗助が電車の終点まで来て、運転手に切符を渡した時には、もう空の色が光を失いかけて、湿った往来に、暗い影が射し募る頃であった。降りようとして、鉄の柱を握ったら、急に寒い心持がした。いっしょに降りた人は、皆な離れ離れになって、事あり気に忙がしく歩いて行く。町のはずれを見ると、左右の家の軒から家根へかけて、仄白い煙りが大気の中に動いているように見える。宗助も樹の多い方角に向いて早足に歩を移した。今日の日曜も、暢びりした御天気も、もうすでにおしまいだと思うと、少しはかないようなまた淋しいような一種の気分が起って来た。そうして明日からまた例によって例のごとく、せっせと働らかなくてはならない身体だと考えると、今日半日の生活が急に惜しくなって、残る六日半の非精神的な行動が、いかにもつまらなく感ぜられた。歩いているうちにも、日当の悪い、窓の乏しい、大きな部屋の模様や、隣りに坐っている同僚の顔や、野中さんちょっとと云う上官の様子ばかりが眼に浮かんだ。  魚勝と云う肴屋の前を通り越して、その五六軒先の露次とも横丁ともつかない所を曲ると、行き当りが高い崖で、その左右に四五軒同じ構の貸家が並んでいる。ついこの間までは疎らな杉垣の奥に、御家人でも住み古したと思われる、物寂た家も一つ地所のうちに混っていたが、崖の上の坂井という人がここを買ってから、たちまち萱葺を壊して、杉垣を引き抜いて、今のような新らしい普請に建て易えてしまった。宗助の家は横丁を突き当って、一番奥の左側で、すぐの崖下だから、多少陰気ではあるが、その代り通りからはもっとも隔っているだけに、まあ幾分か閑静だろうと云うので、細君と相談の上、とくにそこを択んだのである。  宗助は七日に一返の日曜ももう暮れかかったので、早く湯にでも入って、暇があったら髪でも刈って、そうして緩くり晩食を食おうと思って、急いで格子を開けた。台所の方で皿小鉢の音がする。上がろうとする拍子に、小六の脱ぎ棄てた下駄の上へ、気がつかずに足を乗せた。曲んで位置を調えているところへ小六が出て来た。台所の方で御米が、 「誰? 兄さん?」と聞いた。宗助は、 「やあ、来ていたのか」と云いながら座敷へ上った。先刻郵便を出してから、神田を散歩して、電車を降りて家へ帰るまで、宗助の頭には小六の小の字も閃めかなかった。宗助は小六の顔を見た時、何となく悪い事でもしたようにきまりが好くなかった。 「御米、御米」と細君を台所から呼んで、 「小六が来たから、何か御馳走でもするが好い」と云いつけた。細君は、忙がしそうに、台所の障子を開け放したまま出て来て、座敷の入口に立っていたが、この分り切った注意を聞くや否や、 「ええ今直」と云ったなり、引き返そうとしたが、また戻って来て、 「その代り小六さん、憚り様。座敷の戸を閉てて、洋灯を点けてちょうだい。今私も清も手が放せないところだから」と依頼んだ。小六は簡単に、 「はあ」と云って立ち上がった。  勝手では清が物を刻む音がする。湯か水をざあと流しへ空ける音がする。「奥様これはどちらへ移します」と云う声がする。「姉さん、ランプの心を剪る鋏はどこにあるんですか」と云う小六の声がする。しゅうと湯が沸って七輪の火へかかった様子である。  宗助は暗い座敷の中で黙然と手焙へ手を翳していた。灰の上に出た火の塊まりだけが色づいて赤く見えた。その時裏の崖の上の家主の家の御嬢さんがピヤノを鳴らし出した。宗助は思い出したように立ち上がって、座敷の雨戸を引きに縁側へ出た。孟宗竹が薄黒く空の色を乱す上に、一つ二つの星が燦めいた。ピヤノの音は孟宗竹の後から響いた。 三  宗助と小六が手拭を下げて、風呂から帰って来た時は、座敷の真中に真四角な食卓を据えて、御米の手料理が手際よくその上に並べてあった。手焙の火も出がけよりは濃い色に燃えていた。洋灯も明るかった。  宗助が机の前の座蒲団を引き寄せて、その上に楽々と胡坐を掻いた時、手拭と石鹸を受取った御米は、 「好い御湯だった事?」と聞いた。宗助はただ一言、 「うん」と答えただけであったが、その様子は素気ないと云うよりも、むしろ湯上りで、精神が弛緩した気味に見えた。 「なかなか好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。 「しかしああ込んじゃ溜らないよ」と宗助が机の端へ肱を持たせながら、倦怠るそうに云った。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退けて、家へ帰ってからの事だから、ちょうど人の立て込む夕食前の黄昏である。彼はこの二三カ月間ついぞ、日の光に透かして湯の色を眺めた事がない。それならまだしもだが、ややともすると三日も四日もまるで銭湯の敷居を跨がずに過してしまう。日曜になったら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗な湯に首だけ浸ってみようと、常は考えているが、さてその日曜が来て見ると、たまに悠くり寝られるのは、今日ばかりじゃないかと云う気になって、つい床のうちでぐずぐずしているうちに、時間が遠慮なく過ぎて、ええ面倒だ、今日はやめにして、その代り今度の日曜に行こうと思い直すのが、ほとんど惰性のようになっている。 「どうかして、朝湯にだけは行きたいね」と宗助が云った。 「その癖朝湯に行ける日は、きっと寝坊なさるのね」と細君は調戯うような口調であった。小六は腹の中でこれが兄の性来の弱点であると思い込んでいた。彼は自分で学校生活をしているにもかかわらず、兄の日曜が、いかに兄にとって貴といかを会得できなかった。六日間の暗い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいる。だからやりたい事があり過ぎて、十の二三も実行できない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると、かえってそのために費やす時間の方が惜しくなって来て、ついまた手を引込めて、じっとしているうちに日曜はいつか暮れてしまうのである。自分の気晴しや保養や、娯楽もしくは好尚についてですら、かように節倹しなければならない境遇にある宗助が、小六のために尽さないのは、尽さないのではない、頭に尽す余裕のないのだとは、小六から見ると、どうしても受取れなかった。兄はただ手前勝手な男で、暇があればぶらぶらして細君と遊んでばかりいて、いっこう頼りにも力にもなってくれない、真底は情合に薄い人だぐらいに考えていた。  けれども、小六がそう感じ出したのは、つい近頃の事で、実を云うと、佐伯との交渉が始まって以来の話である。年の若いだけ、すべてに性急な小六は、兄に頼めば今日明日にも方がつくものと、思い込んでいたのに、何日までも埒が明かないのみか、まだ先方へ出かけてもくれないので、だいぶ不平になったのである。  ところが今日帰りを待ち受けて逢って見ると、そこが兄弟で、別に御世辞も使わないうちに、どこか暖味のある仕打も見えるので、つい云いたい事も後廻しにして、いっしょに湯になんぞ這入って、穏やかに打ち解けて話せるようになって来た。  兄弟は寛ろいで膳についた。御米も遠慮なく食卓の一隅を領した。宗助も小六も猪口を二三杯ずつ干した。飯にかかる前に、宗助は笑いながら、 「うん、面白いものが有ったっけ」と云いながら、袂から買って来た護謨風船の達磨を出して、大きく膨らませて見せた。そうして、それを椀の葢の上へ載せて、その特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がって、ふわふわした玉を見ていた。しまいに小六が、ふうっと吹いたら達磨は膳の上から畳の上へ落ちた。それでも、まだ覆らなかった。 「それ御覧」と宗助が云った。  御米は女だけに声を出して笑ったが、御櫃の葢を開けて、夫の飯を盛いながら、 「兄さんも随分呑気ね」と小六の方を向いて、半ば夫を弁護するように云った。宗助は細君から茶碗を受取って、一言の弁解もなく食事を始めた。小六も正式に箸を取り上げた。  達磨はそれぎり話題に上らなかったが、これが緒になって、三人は飯の済むまで無邪気に長閑な話をつづけた。しまいに小六が気を換えて、 「時に伊藤さんもとんだ事になりましたね」と云い出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の号外を見たとき、御米の働いている台所へ出て来て、「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と云って、手に持った号外を御米のエプロンの上に乗せたなり書斎へ這入ったが、その語気からいうと、むしろ落ちついたものであった。 「あなた大変だって云う癖に、ちっとも大変らしい声じゃなくってよ」と御米が後から冗談半分にわざわざ注意したくらいである。その後日ごとの新聞に伊藤公の事が五六段ずつ出ない事はないが、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分らないほど、暗殺事件については平気に見えた。夜帰って来て、御米が飯の御給仕をするときなどに、「今日も伊藤さんの事が何か出ていて」と聞く事があるが、その時には「うんだいぶ出ている」と答えるぐらいだから、夫の隠袋の中に畳んである今朝の読殻を、後から出して読んで見ないと、その日の記事は分らなかった。御米もつまりは夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出すぐらいのところだから、宗助が進まない方向へは、たって話を引張りたくはなかった。それでこの二人の間には、号外発行の当日以後、今夜小六がそれを云い出したまでは、公けには天下を動かしつつある問題も、格別の興味をもって迎えられていなかったのである。 「どうして、まあ殺されたんでしょう」と御米は号外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事をまた小六に向って聞いた。 「短銃をポンポン連発したのが命中したんです」と小六は正直に答えた。 「だけどさ。どうして、まあ殺されたんでしょう」  小六は要領を得ないような顔をしている。宗助は落ちついた調子で、 「やっぱり運命だなあ」と云って、茶碗の茶を旨そうに飲んだ。御米はこれでも納得ができなかったと見えて、 「どうしてまた満洲などへ行ったんでしょう」と聞いた。 「本当にな」と宗助は腹が張って充分物足りた様子であった。 「何でも露西亜に秘密な用があったんだそうです」と小六が真面目な顔をして云った。御米は、 「そう。でも厭ねえ。殺されちゃ」と云った。 「おれみたような腰弁は、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓へ行って殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利いた。 「あら、なぜ」 「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ」 「なるほどそんなものかも知れないな」と小六は少し感服したようだったが、やがて、 「とにかく満洲だの、哈爾賓だのって物騒な所ですね。僕は何だか危険なような心持がしてならない」と云った。 「そりゃ、色んな人が落ち合ってるからね」  この時御米は妙な顔をして、こう答えた夫の顔を見た。宗助もそれに気がついたらしく、 「さあ、もう御膳を下げたら好かろう」と細君を促がして、先刻の達磨をまた畳の上から取って、人指指の先へ載せながら、 「どうも妙だよ。よくこう調子好くできるものだと思ってね」と云っていた。  台所から清が出て来て、食い散らした皿小鉢を食卓ごと引いて行った後で、御米も茶を入れ替えるために、次の間へ立ったから、兄弟は差向いになった。 「ああ奇麗になった。どうも食った後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顔をした。勝手の方で清がしきりに笑っている。 「何がそんなにおかしいの、清」と御米が障子越に話しかける声が聞えた。清はへえと云ってなお笑い出した。兄弟は何にも云わず、半ば下女の笑い声に耳を傾けていた。  しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を両手に持って、また出て来た。藤蔓の着いた大きな急須から、胃にも頭にも応えない番茶を、湯呑ほどな大きな茶碗に注いで、両人の前へ置いた。 「何だって、あんなに笑うんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顔は見ずにかえって菓子皿の中を覗いていた。 「あなたがあんな玩具を買って来て、面白そうに指の先へ乗せていらっしゃるからよ。子供もない癖に」  宗助は意にも留めないように、軽く「そうか」と云ったが、後から緩くり、 「これでも元は子供があったんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味わっている風につけ足して、生温い眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙ってしまった。 「あなた御菓子食べなくって」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、 「ええ食べます」と云う小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いになった。  電車の終点から歩くと二十分近くもかかる山の手の奥だけあって、まだ宵の口だけれども、四隣は存外静かである。時々表を通る薄歯の下駄の響が冴えて、夜寒がしだいに増して来る。宗助は懐手をして、 「昼間は暖たかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿じゃもう蒸汽を通しているかい」と聞いた。 「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっちゃ、蒸汽なんか焚きゃしません」 「そうかい。それじゃ寒いだろう」 「ええ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりですが」と云ったまま、小六はすこし云い淀んでいたが、しまいにとうとう思い切って、 「兄さん、佐伯の方はいったいどうなるんでしょう。先刻姉さんから聞いたら、今日手紙を出して下すったそうですが」 「ああ出した。二三日中に何とか云って来るだろう。その上でまたおれが行くともどうともしようよ」  小六は兄の平気な態度を、心の中では飽足らず眺めた。しかし宗助の様子にどこと云って、他を激させるような鋭どいところも、自らを庇護うような卑しい点もないので、喰ってかかる勇気はさらに出なかった。ただ 「じゃ今日まであのままにしてあったんですか」と単に事実を確めた。 「うん、実は済まないがあのままだ。手紙も今日やっとの事で書いたくらいだ。どうも仕方がないよ。近頃神経衰弱でね」と真面目に云う。小六は苦笑した。 「もし駄目なら、僕は学校をやめて、いっそ今のうち、満洲か朝鮮へでも行こうかと思ってるんです」 「満洲か朝鮮? ひどくまた思い切ったもんだね。だって、御前先刻満洲は物騒で厭だって云ったじゃないか」  用談はこんなところに往ったり来たりして、ついに要領を得なかった。しまいに宗助が、 「まあ、好いや、そう心配しないでも、どうかなるよ。何しろ返事の来しだい、おれがすぐ知らせてやる。その上でまた相談するとしよう」と云ったので、談話に区切がついた。  小六が帰りがけに茶の間を覗いたら、御米は何にもしずに、長火鉢に倚りかかっていた。 「姉さん、さようなら」と声を掛けたら、「おや御帰り」と云いながらようやく立って来た。 四  小六の苦にしていた佐伯からは、予期の通り二三日して返事があったが、それは極めて簡単なもので、端書でも用の足りるところを、鄭重に封筒へ入れて三銭の切手を貼った、叔母の自筆に過ぎなかった。  役所から帰って、筒袖の仕事着を、窮屈そうに脱ぎ易えて、火鉢の前へ坐るや否や、抽出から一寸ほどわざと余して差し込んであった状袋に眼が着いたので、御米の汲んで出す番茶を一口呑んだまま、宗助はすぐ封を切った。 「へえ、安さんは神戸へ行ったんだってね」と手紙を読みながら云った。 「いつ?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢のままで聞いた。 「いつとも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには帰京仕るべく候間と書いてあるから、もうじき帰って来るんだろう」 「遠からぬうちなんて、やっぱり叔母さんね」  宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかった。読んだ手紙を巻き納めて、投げるようにそこへ放り出して、四五日目になる、ざらざらした腮を、気味わるそうに撫で廻した。  御米はすぐその手紙を拾ったが、別に読もうともしなかった。それを膝の上へ乗せたまま、夫の顔を見て、 「遠からぬうちには帰京仕るべく候間、どうだって云うの」と聞いた。 「いずれ帰ったら、安之助と相談して何とか御挨拶を致しますと云うのさ」 「遠からぬうちじゃ曖昧ね。いつ帰るとも書いてなくって」 「いいや」  御米は念のため、膝の上の手紙を始めて開いて見た。そうしてそれを元のように畳んで、 「ちょっとその状袋を」と手を夫の方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挟まっている青い封筒を取って細君に渡した。御米はそれをふっと吹いて、中を膨らまして手紙を収めた。そうして台所へ立った。  宗助はそれぎり手紙の事には気を留めなかった。今日役所で同僚が、この間英吉利から来遊したキチナー元帥に、新橋の傍で逢ったと云う話を思い出して、ああ云う人間になると、世界中どこへ行っても、世間を騒がせるようにできているようだが、実際そういう風に生れついて来たものかも知れない。自分の過去から引き摺ってきた運命や、またその続きとして、これから自分の眼前に展開されべき[#「展開されべき」はママ]将来を取って、キチナーと云う人のそれに比べて見ると、とうてい同じ人間とは思えないぐらい懸け隔たっている。  こう考えて宗助はしきりに煙草を吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から襲って来るような音がする。それが時々やむと、やんだ間は寂として、吹き荒れる時よりはなお淋しい。宗助は腕組をしながら、もうそろそろ火事の半鐘が鳴り出す時節だと思った。  台所へ出て見ると、細君は七輪の火を赤くして、肴の切身を焼いていた。清は流し元に曲んで漬物を洗っていた。二人とも口を利かずにせっせと自分のやる事をやっている。宗助は障子を開けたなり、しばらく肴から垂る汁か膏の音を聞いていたが、無言のまままた障子を閉てて元の座へ戻った。細君は眼さえ肴から離さなかった。  食事を済まして、夫婦が火鉢を間に向い合った時、御米はまた 「佐伯の方は困るのね」と云い出した。 「まあ仕方がない。安さんが神戸から帰るまで待つよりほかに道はあるまい」 「その前にちょっと叔母さんに逢って話をしておいた方が好かなくって」 「そうさ。まあそのうち何とか云って来るだろう。それまで打遣っておこうよ」 「小六さんが怒ってよ。よくって」と御米はわざと念を押しておいて微笑した。宗助は下眼を使って、手に持った小楊枝を着物の襟へ差した。  中一日置いて、宗助はようやく佐伯からの返事を小六に知らせてやった。その時も手紙の尻に、まあそのうちどうかなるだろうと云う意味を、例のごとく付け加えた。そうして当分はこの事件について肩が抜けたように感じた。自然の経過がまた窮屈に眼の前に押し寄せて来るまでは、忘れている方が面倒がなくって好いぐらいな顔をして、毎日役所へ出てはまた役所から帰って来た。帰りも遅いが、帰ってから出かけるなどという億劫な事は滅多になかった。客はほとんど来ない。用のない時は清を十時前に寝かす事さえあった。夫婦は毎夜同じ火鉢の両側に向き合って、食後一時間ぐらい話をした。話の題目は彼らの生活状態に相応した程度のものであった。けれども米屋の払を、この三十日にはどうしたものだろうという、苦しい世帯話は、いまだかつて一度も彼らの口には上らなかった。と云って、小説や文学の批評はもちろんの事、男と女の間を陽炎のように飛び廻る、花やかな言葉のやりとりはほとんど聞かれなかった。彼らはそれほどの年輩でもないのに、もうそこを通り抜けて、日ごとに地味になって行く人のようにも見えた。または最初から、色彩の薄い極めて通俗の人間が、習慣的に夫婦の関係を結ぶために寄り合ったようにも見えた。  上部から見ると、夫婦ともそう物に屈托する気色はなかった。それは彼らが小六の事に関して取った態度について見てもほぼ想像がつく。さすが女だけに御米は一二度、 「安さんは、まだ帰らないんでしょうかね。あなた今度の日曜ぐらいに番町まで行って御覧なさらなくって」と注意した事があるが、宗助は、 「うん、行っても好い」ぐらいな返事をするだけで、その行っても好い日曜が来ると、まるで忘れたように済ましている。御米もそれを見て、責める様子もない。天気が好いと、 「ちと散歩でもしていらっしゃい」と云う。雨が降ったり、風が吹いたりすると、 「今日は日曜で仕合せね」と云う。  幸にして小六はその後一度もやって来ない。この青年は、至って凝り性の神経質で、こうと思うとどこまでも進んで来るところが、書生時代の宗助によく似ている代りに、ふと気が変ると、昨日の事はまるで忘れたように引っ繰り返って、けろりとした顔をしている。そこも兄弟だけあって、昔の宗助にそのままである。それから、頭脳が比較的明暸で、理路に感情を注ぎ込むのか、または感情に理窟の枠を張るのか、どっちか分らないが、とにかく物に筋道を付けないと承知しないし、また一返筋道が付くと、その筋道を生かさなくってはおかないように熱中したがる。その上体質の割合に精力がつづくから、若い血気に任せて大抵の事はする。  宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生して、自分の眼の前に活動しているような気がしてならなかった。時には、はらはらする事もあった。また苦々しく思う折もあった。そう云う場合には、心のうちに、当時の自分が一図に振舞った苦い記憶を、できるだけしばしば呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼の前に据え付けるのではなかろうかと思った。そうして非常に恐ろしくなった。こいつもあるいはおれと同一の運命に陥るために生れて来たのではなかろうかと考えると、今度は大いに心がかりになった。時によると心がかりよりは不愉快であった。  けれども、今日まで宗助は、小六に対して意見がましい事を云った事もなければ、将来について注意を与えた事もなかった。彼の弟に対する待遇方はただ普通凡庸のものであった。彼の今の生活が、彼のような過去を有っている人とは思えないほどに、沈んでいるごとく、彼の弟を取り扱う様子にも、過去と名のつくほどの経験を有った年長者の素振は容易に出なかった。  宗助と小六の間には、まだ二人ほど男の子が挟まっていたが、いずれも早世してしまったので、兄弟とは云いながら、年は十ばかり違っている。その上宗助はある事情のために、一年の時京都へ転学したから、朝夕いっしょに生活していたのは、小六の十二三の時までである。宗助は剛情な聴かぬ気の腕白小僧としての小六をいまだに記憶している。その時分は父も生きていたし、家の都合も悪くはなかったので、抱車夫を邸内の長屋に住まわして、楽に暮していた。この車夫に小六よりは三つほど年下の子供があって、始終小六の御相手をして遊んでいた。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿のさきへ菓子袋を括り付けて、大きな柿の木の下で蝉の捕りくらをしているのを、宗助が見て、兼坊そんなに頭を日に照らしつけると霍乱になるよ、さあこれを被れと云って、小六の古い夏帽を出してやった。すると、小六は自分の所有物を兄が無断で他にくれてやったのが、癪に障ったので、突然兼坊の受取った帽子を引ったくって、それを地面の上へ抛げつけるや否や、馳け上がるようにその上へ乗って、くしゃりと麦藁帽を踏み潰してしまった。宗助は縁から跣足で飛んで下りて、小六の頭を擲りつけた。その時から、宗助の眼には、小六が小悪らしい小僧として映った。  二年の時宗助は大学を去らなければならない事になった。東京の家へも帰えれない事になった。京都からすぐ広島へ行って、そこに半年ばかり暮らしているうちに父が死んだ。母は父よりも六年ほど前に死んでいた。だから後には二十五六になる妾と、十六になる小六が残っただけであった。  佐伯から電報を受け取って、久しぶりに出京した宗助は、葬式を済ました上、家の始末をつけようと思ってだんだん調べて見ると、あると思った財産は案外に少なくって、かえって無いつもりの借金がだいぶあったに驚ろかされた。叔父の佐伯に相談すると、仕方がないから邸を売るが好かろうと云う話であった。妾は相当の金をやってすぐ暇を出す事にきめた。小六は当分叔父の家に引き取って世話をして貰う事にした。しかし肝心の家屋敷はすぐ右から左へと売れる訳には行かなかった。仕方がないから、叔父に一時の工面を頼んで、当座の片をつけて貰った。叔父は事業家でいろいろな事に手を出しては失敗する、云わば山気の多い男であった。宗助が東京にいる時分も、よく宗助の父を説きつけては、旨い事を云って金を引き出したものである。宗助の父にも慾があったかも知れないが、この伝で叔父の事業に注ぎ込んだ金高はけっして少ないものではなかった。  父の亡くなったこの際にも、叔父の都合は元と余り変っていない様子であったが、生前の義理もあるし、またこう云う男の常として、いざと云う場合には比較的融通のつくものと見えて、叔父は快よく整理を引き受けてくれた。その代り宗助は自分の家屋敷の売却方についていっさいの事を叔父に一任してしまった。早く云うと、急場の金策に対する報酬として土地家屋を提供したようなものである。叔父は、 「何しろ、こう云うものは買手を見て売らないと損だからね」と云った。  道具類も積ばかり取って、金目にならないものは、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二三点の骨董品だけは、やはり気長に欲しがる人を探さないと損だと云う叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。すべてを差し引いて手元に残った有金は、約二千円ほどのものであったが、宗助はそのうちの幾分を、小六の学資として、使わなければならないと気がついた。しかし月々自分の方から送るとすると、今日の位置が堅固でない当時、はなはだ実行しにくい結果に陥りそうなので、苦しくはあったが、思い切って、半分だけを叔父に渡して、何分宜しくと頼んだ。自分が中途で失敗ったから、せめて弟だけは物にしてやりたい気もあるので、この千円が尽きたあとは、またどうにか心配もできようしまたしてくれるだろうぐらいの不慥な希望を残して、また広島へ帰って行った。  それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとうとう売れたから安心しろと云う手紙が来たが、いくらに売れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間ほど経っての返事に、優に例の立替を償うに足る金額だから心配しなくても好いとあった。宗助はこの返事に対して少なからず不満を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細はいずれ御面会の節云々とあったので、すぐにも東京へ行きたいような気がして、実はこうこうだがと、相談半分細君に話して見ると、御米は気の毒そうな顔をして、 「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云って、例のごとく微笑した。その時宗助は始めて細君から宣告を受けた人のように、しばらく腕組をして考えたが、どう工夫したって、抜ける事のできないような位地と事情の下に束縛されていたので、ついそれなりになってしまった。  仕方がないから、なお三四回書面で往復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行で押したようにいずれ御面会の節を繰り返して来るだけであった。 「これじゃしようがないよ」と宗助は腹が立ったような顔をして御米を見た。三カ月ばかりして、ようやく都合がついたので、久し振りに御米を連れて、出京しようと思う矢先に、つい風邪を引いて寝たのが元で、腸窒扶斯に変化したため、六十日余りを床の上に暮らした上に、あとの三十日ほどは充分仕事もできないくらい衰えてしまった。  病気が本復してから間もなく、宗助はまた広島を去って福岡の方へ移らなければならない身となった。移る前に、好い機会だからちょっと東京まで出たいものだと考えているうちに、今度もいろいろの事情に制せられて、ついそれも遂行せずに、やはり下り列車の走る方に自己の運命を托した。その頃は東京の家を畳むとき、懐にして出た金は、ほとんど使い果たしていた。彼の福岡生活は前後二年を通じて、なかなかの苦闘であった。彼は書生として京都にいる時分、種々の口実の下に、父から臨時随意に多額の学資を請求して、勝手しだいに消費した昔をよく思い出して、今の身分と比較しつつ、しきりに因果の束縛を恐れた。ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己の栄華の頂点だったんだと、始めて醒めた眼に遠い霞を眺める事もあった。いよいよ苦しくなった時、 「御米、久しく放っておいたが、また東京へ掛合ってみようかな」と云い出した。御米は無論逆いはしなかった。ただ下を向いて、 「駄目よ。だって、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細そうに答えた。 「向うじゃこっちに信用がないかも知れないが、こっちじゃまた向うに信用がないんだ」と宗助は威張って云い出したが、御米の俯目になっている様子を見ると、急に勇気が挫ける風に見えた。こんな問答を最初は月に一二返ぐらい繰り返していたが、後には二月に一返になり、三月に一返になり、とうとう、 「好いや、小六さえどうかしてくれれば。あとの事はいずれ東京へ出たら、逢った上で話をつけらあ。ねえ御米、そうすると、しようじゃないか」と云い出した。 「それで、好ござんすとも」と御米は答えた。  宗助は佐伯の事をそれなり放ってしまった。単なる無心は、自分の過去に対しても、叔父に向って云い出せるものでないと、宗助は考えていた。したがってその方の談判は、始めからいまだかつて筆にした事がなかった。小六からは時々手紙が来たが、極めて短かい形式的のものが多かった。宗助は父の死んだ時、東京で逢った小六を覚えているだけだから、いまだに小六を他愛ない小供ぐらいに想像するので、自分の代理に叔父と交渉させようなどと云う気は無論起らなかった。  夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪えかねて、抱き合って暖を取るような具合に、御互同志を頼りとして暮らしていた。苦しい時には、御米がいつでも、宗助に、 「でも仕方がないわ」と云った。宗助は御米に、 「まあ我慢するさ」と云った。  二人の間には諦めとか、忍耐とか云うものが断えず動いていたが、未来とか希望と云うものの影はほとんど射さないように見えた。彼らは余り多く過去を語らなかった。時としては申し合わせたように、それを回避する風さえあった。御米が時として、 「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」と夫を慰さめるように云う事があった。すると、宗助にはそれが、真心ある妻の口を藉りて、自分を翻弄する運命の毒舌のごとくに感ぜられた。宗助はそう云う場合には何にも答えずにただ苦笑するだけであった。御米がそれでも気がつかずに、なにか云い続けると、 「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君はようやく気がついて口を噤んでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、いつの間にか、自分達は自分達の拵えた、過去という暗い大きな窖の中に落ちている。  彼らは自業自得で、彼らの未来を塗抹した。だから歩いている先の方には、花やかな色彩を認める事ができないものと諦らめて、ただ二人手を携えて行く気になった。叔父の売り払ったと云う地面家作についても、固より多くの期待は持っていなかった。時々考え出したように、 「だって、近頃の相場なら、捨売にしたって、あの時叔父の拵らえてくれた金の倍にはなるんだもの。あんまり馬鹿馬鹿しいからね」と宗助が云い出すと、御米は淋しそうに笑って、 「また地面? いつまでもあの事ばかり考えていらっしゃるのね。だって、あなたが万事宜しく願いますと、叔父さんにおっしゃったんでしょう」と云う。 「そりゃ仕方がないさ。あの場合ああでもしなければ方がつかないんだもの」と宗助が云う。 「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家と地面を貰ったつもりでいらっしゃるかも知れなくってよ」と御米が云う。  そう云われると、宗助も叔父の処置に一理あるようにも思われて、口では、 「そのつもりが好くないじゃないか」と答弁するようなものの、この問題はその都度しだいしだいに背景の奥に遠ざかって行くのであった。  夫婦がこんな風に淋しく睦まじく暮らして来た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、学生時代には大変懇意であった杉原と云う男に偶然出逢った。杉原は卒業後高等文官試験に合格して、その時すでに或省に奉職していたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになって、東京からわざわざやって来たのである。宗助は所の新聞で、杉原のいつ着いて、どこに泊っているかをよく知ってはいたが、失敗者としての自分に顧みて、成効者の前に頭を下げる対照を恥ずかしく思った上に、自分は在学当時の旧友に逢うのを、特に避けたい理由を持っていたので、彼の旅館を訪ねる気は毛頭なかった。  ところが杉原の方では、妙な引掛りから、宗助のここに燻ぶっている事を聞き出して、強いて面会を希望するので、宗助もやむを得ず我を折った。宗助が福岡から東京へ移れるようになったのは、全くこの杉原の御蔭である。杉原から手紙が来て、いよいよ事がきまったとき、宗助は箸を置いて、 「御米、とうとう東京へ行けるよ」と云った。 「まあ結構ね」と御米が夫の顔を見た。  東京に着いてから二三週間は、眼の回るように日が経った。新らしく世帯を有って、新らしい仕事を始める人に、あり勝ちな急忙しなさと、自分達を包む大都の空気の、日夜劇しく震盪する刺戟とに駆られて、何事をもじっと考える閑もなく、また落ちついて手を下す分別も出なかった。  夜汽車で新橋へ着いた時は、久しぶりに叔父夫婦の顔を見たが、夫婦とも灯のせいか晴れやかな色には宗助の眼に映らなかった。途中に事故があって、着の時間が珍らしく三十分ほど後れたのを、宗助の過失ででもあるかのように、待草臥れた気色であった。  宗助がこの時叔母から聞いた言葉は、 「おや宗さん、しばらく御目に掛からないうちに、大変御老けなすった事」という一句であった。御米はその折始めて叔父夫婦に紹介された。 「これがあの……」と叔母は逡巡って宗助の方を見た。御米は何と挨拶のしようもないので、無言のままただ頭を下げた。  小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎いに来ていた。宗助は一眼その姿を見たとき、いつの間にか自分を凌ぐように大きくなった、弟の発育に驚ろかされた。小六はその時中学を出て、これから高等学校へ這入ろうという間際であった。宗助を見て、「兄さん」とも「御帰りなさい」とも云わないで、ただ不器用に挨拶をした。  宗助と御米は一週ばかり宿屋住居をして、それから今の所に引き移った。その時は叔父夫婦がいろいろ世話を焼いてくれた。細々しい台所道具のようなものは買うまでもあるまい、古いのでよければと云うので、小人数に必要なだけ一通り取り揃えて送って来た。その上、 「御前も新世帯だから、さぞ物要が多かろう」と云って金を六十円くれた。  家を持ってかれこれ取り紛れているうちに、早半月余も経ったが、地方にいる時分あんなに気にしていた家邸の事は、ついまだ叔父に言い出さずにいた。ある時御米が、 「あなたあの事を叔父さんにおっしゃって」と聞いた。宗助はそれで急に思い出したように、 「うん、まだ云わないよ」と答えた。 「妙ね、あれほど気にしていらしったのに」と御米がうす笑をした。 「だって、落ちついて、そんな事を云い出す暇がないんだもの」と宗助が弁解した。  また十日ほど経った。すると今度は宗助の方から、 「御米、あの事はまだ云わないよ。どうも云うのが面倒で厭になった」と云い出した。 「厭なのを無理におっしゃらなくってもいいわ」と御米が答えた。 「好いかい」と宗助が聞き返した。 「好いかいって、もともとあなたの事じゃなくって。私は先からどうでも好いんだわ」と御米が答えた。  その時宗助は、 「じゃ、鹿爪らしく云い出すのも何だか妙だから、そのうち機会があったら、聞くとしよう。なにそのうち聞いて見る機会がきっと出て来るよ」と云って延ばしてしまった。  小六は何不足なく叔父の家に寝起していた。試験を受けて高等学校へ這入れれば、寄宿へ入舎しなければならないと云うので、その相談まですでに叔父と打合せがしてあるようであった。新らしく出京した兄からは別段学資の世話を受けないせいか、自分の身の上については叔父ほどに親しい相談も持ち込んで来なかった。従兄弟の安之助とは今までの関係上大変仲が好かった。かえってこの方が兄弟らしかった。  宗助は自然叔父の家に足が遠くなるようになった。たまに行っても、義理一遍の訪問に終る事が多いので、帰り路にはいつもつまらない気がしてならなかった。しまいには時候の挨拶を済ますと、すぐ帰りたくなる事もあった。こう云う時には三十分と坐って、世間話に時間を繋ぐのにさえ骨が折れた。向うでも何だか気が置けて窮屈だと云う風が見えた。 「まあいいじゃありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、そうすると、なおさらいにくい心持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで気が咎めるような不安を感ずるので、また行くようになった。折々は、 「どうも小六が御厄介になりまして」とこっちから頭を下げて礼を云う事もあった。けれども、それ以上は、弟の将来の学資についても、また自分が叔父に頼んで、留守中に売り払って貰った地所家作についても、口を切るのがつい面倒になった。しかし宗助が興味を有たない叔父の所へ、不精無精にせよ、時たま出掛けて行くのは、単に叔父甥の血属関係を、世間並に持ち堪えるための義務心からではなくって、いつか機会があったら、片をつけたい或物を胸の奥に控えていた結果に過ぎないのは明かであった。 「宗さんはどうもすっかり変っちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があった。すると叔父は、 「そうよなあ。やっぱり、ああ云う事があると、永くまで後へ響くものだからな」と答えて、因果は恐ろしいと云う風をする。叔母は重ねて、 「本当に、怖いもんですね。元はあんな寝入った子じゃなかったが――どうもはしゃぎ過ぎるくらい活溌でしたからね。それが二三年見ないうちに、まるで別の人みたように老けちまって。今じゃあなたより御爺さん御爺さんしていますよ」と云う。 「真逆」と叔父がまた答える。 「いえ、頭や顔は別として、様子がさ」と叔母がまた弁解する。  こんな会話が老夫婦の間に取り換わされたのは、宗助が出京して以来一度や二度ではなかった。実際彼は叔父の所へ来ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。  御米はどう云うものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、かつて叔父の家の敷居を跨いだ事がない。むこうから見えれば叔父さん叔母さんと丁寧に接待するが、帰りがけに、 「どうです、ちと御出かけなすっちゃ」などと云われると、ただ、 「ありがとう」と頭を下げるだけで、ついぞ出掛けた試はなかった。さすがの宗助さえ一度は、 「叔父さんの所へ一度行って見ちゃ、どうだい」と勧めた事があるが、 「でも」と変な顔をするので、宗助はそれぎりけっしてその事を云い出さなかった。  両家族はこの状態で約一年ばかりを送った。すると宗助よりも気分は若いと許された叔父が突然死んだ。病症は脊髄脳膜炎とかいう劇症で、二三日風邪の気味で寝ていたが、便所へ行った帰りに、手を洗おうとして、柄杓を持ったまま卒倒したなり、一日経つか経たないうちに冷たくなってしまったのである。 「御米、叔父はとうとう話をしずに死んでしまったよ」と宗助が云った。 「あなたまだ、あの事を聞くつもりだったの、あなたも随分執念深いのね」と御米が云った。  それからまた一年ばかり経ったら、叔父の子の安之助が大学を卒業して、小六が高等学校の二年生になった。叔母は安之助といっしょに中六番町に引き移った。  三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行った。そこに一月余りも滞在しているうちに九月になり掛けたので、保田から向うへ突切って、上総の海岸を九十九里伝いに、銚子まで来たが、そこから思い出したように東京へ帰った。宗助の所へ見えたのは、帰ってから、まだ二三日しか立たない、残暑の強い午後である。真黒に焦げた顔の中に、眼だけ光らして、見違えるように蛮色を帯びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入ったなり横になって、兄の帰りを待ち受けていたが、宗助の顔を見るや否や、むっくり起き上がって、 「兄さん、少し御話があって来たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた気味で、暑苦しい洋服さえ脱ぎ更えずに、小六の話を聞いた。  小六の云うところによると、二三日前彼が上総から帰った晩、彼の学資はこの暮限り、気の毒ながら出してやれないと叔母から申し渡されたのだそうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以来、学校へも行けるし、着物も自然にできるし、小遣も適宜に貰えるので、父の存生中と同じように、何不足なく暮らせて来た惰性から、その日その晩までも、ついぞ学資と云う問題を頭に思い浮べた事がなかったため、叔母の宣告を受けた時は、茫然してとかくの挨拶さえできなかったのだと云う。  叔母は気の毒そうに、なぜ小六の世話ができなくなったかを、女だけに、一時間も掛かって委しく説明してくれたそうである。それには叔父の亡くなった事やら、継いで起る経済上の変化やら、また安之助の卒業やら、卒業後に控えている結婚問題やらが這入っていたのだと云う。 「できるならば、せめて高等学校を卒業するまでと思って、今日までいろいろ骨を折ったんだけれども」  叔母はこう云ったと小六は繰り返した。小六はその時ふと兄が、先年父の葬式の時に出京して、万事を片づけた後、広島へ帰るとき、小六に、御前の学資は叔父さんに預けてあるからと云った事があるのを思い出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顔をして、 「そりゃ、あの時、宗さんが若干か置いて行きなすった事は、行きなすったが、それはもうありゃしないよ。叔父さんのまだ生きて御出の時分から、御前の学資は融通して来たんだから」と答えた。  小六は兄から自分の学資がどれほどあって、何年分の勘定で、叔父に預けられたかを、聞いておかなかったから、叔母からこう云われて見ると、一言も返しようがなかった。 「御前も一人じゃなし、兄さんもある事だからよく相談をして見たら好いだろう。その代り私も宗さんに逢って、とっくり訳を話しましょうから。どうも、宗さんも余まり近頃は御出でないし、私も御無沙汰ばかりしているのでね、つい御前の事は御話をする訳にも行かなかったんだよ」と叔母は最後につけ加えたそうである。  小六から一部始終を聞いた時、宗助はただ弟の顔を眺めて、一口、 「困ったな」と云った。昔のように赫と激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける気色もなければ、今まで自分に対して、世話にならないでも済む人のように、よそよそしく仕向けて来た弟の態度が、急に方向を転じたのを、悪いと思う様子も見えなかった。  自分の勝手に作り上げた美くしい未来が、半分壊れかかったのを、さも傍の人のせいででもあるかのごとく心を乱している小六の帰る姿を見送った宗助は、暗い玄関の敷居の上に立って、格子の外に射す夕日をしばらく眺めていた。  その晩宗助は裏から大きな芭蕉の葉を二枚剪って来て、それを座敷の縁に敷いて、その上に御米と並んで涼みながら、小六の事を話した。 「叔母さんは、こっちで、小六さんの世話をしろって云う気なんじゃなくって」と御米が聞いた。 「まあ、逢って聞いて見ないうちは、どう云う料簡か分らないがね」と宗助が云うと、御米は、 「きっとそうよ」と答えながら、暗がりで団扇をはたはた動かした。宗助は何も云わずに、頸を延ばして、庇と崖の間に細く映る空の色を眺めた。二人はそのまましばらく黙っていたが、良あって、 「だってそれじゃ無理ね」と御米がまた云った。 「人間一人大学を卒業させるなんて、おれの手際じゃ到底駄目だ」と宗助は自分の能力だけを明らかにした。  会話はそこで別の題目に移って、再び小六の上にも叔母の上にも帰って来なかった。それから二三日するとちょうど土曜が来たので、宗助は役所の帰りに、番町の叔母の所へ寄って見た。叔母は、 「おやおや、まあ御珍らしい事」と云って、いつもよりは愛想よく宗助を款待してくれた。その時宗助は厭なのを我慢して、この四五年来溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固よりできるだけは弁解しない訳に行かなかった。  叔母の云うところによると、宗助の邸宅を売払った時、叔父の手に這入った金は、たしかには覚えていないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、なお四千五百円とか四千三百円とか余ったそうである。ところが叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行ったのだから、たといいくら余ろうと、余った分は自分の所得と見傚して差支ない。しかし宗助の邸宅を売って儲けたと云われては心持が悪いから、これは小六の名義で保管して置いて、小六の財産にしてやる。宗助はあんな事をして廃嫡にまでされかかった奴だから、一文だって取る権利はない。 「宗さん怒っちゃいけませんよ。ただ叔父さんの云った通りを話すんだから」と叔母が断った。宗助は黙ってあとを聞いていた。  小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑やかな表通りの家屋に変形した。そうして、まだ保険をつけないうちに、火事で焼けてしまった。小六には始めから話してない事だから、そのままにして、わざと知らせずにおいた。 「そう云う訳でね、まことに宗さんにも、御気の毒だけれども、何しろ取って返しのつかない事だから仕方がない。運だと思って諦らめて下さい。もっとも叔父さんさえ生きていれば、またどうともなるんでしょうさ。小六一人ぐらいそりゃ訳はありますまいよ。よしんば、叔父さんがいなさらない、今にしたって、こっちの都合さえ好ければ、焼けた家と同じだけのものを、小六に返すか、それでなくっても、当人の卒業するまでぐらいは、どうにかして世話もできるんですけれども」と云って叔母はまたほかの内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業についてであった。  安之助は叔父の一人息子で、この夏大学を出たばかりの青年である。家庭で暖かに育った上に、同級の学生ぐらいよりほかに交際のない男だから、世の中の事にはむしろ迂濶と云ってもいいが、その迂濶なところにどこか鷹揚な趣を具えて実社会へ顔を出したのである。専門は工科の器械学だから、企業熱の下火になった今日といえども、日本中にたくさんある会社に、相応の口の一つや二つあるのは、もちろんであるが、親譲りの山気がどこかに潜んでいるものと見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら専有の工場を月島辺に建てて、独立の経営をやっている先輩に出逢ったのが縁となって、その先輩と相談の上、自分も幾分かの資本を注ぎ込んで、いっしょに仕事をしてみようという考になった。叔母の内幕話と云ったのはそこである。 「でね、少しあった株をみんなその方へ廻す事にしたもんだから、今じゃ本当に一文なし同然な仕儀でいるんですよ。それは世間から見ると、人数は少なし、家邸は持っているし、楽に見えるのも無理のないところでしょうさ。この間も原の御母さんが来て、まああなたほど気楽な方はない、いつ来て見ても万年青の葉ばかり丹念に洗っているってね。真逆そうでも無いんですけれども」と叔母が云った。  宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりしてとかくの返事が容易に出なかった。心のなかで、これは神経衰弱の結果、昔のように機敏で明快な判断を、すぐ作り上げる頭が失くなった証拠だろうと自覚した。叔母は自分の云う通りが、宗助に本当と受けられないのを気にするように、安之助から持ち出した資本の高まで話した。それは五千円ほどであった。安之助は当分の間、わずかな月給と、この五千円に対する利益配当とで暮らさなければならないのだそうである。 「その配当だって、まだどうなるか分りゃしないんでさあね。旨く行ったところで、一割か一割五分ぐらいなものでしょうし、また一つ間違えばまるで煙にならないとも限らないんですから」と叔母がつけ加えた。  宗助は叔母の仕打に、これと云う目立った阿漕なところも見えないので、心の中では少なからず困ったが、小六の将来について一口の掛合もせずに帰るのはいかにも馬鹿馬鹿しい気がした。そこで今までの問題はそこに据えっきりにして置いて、自分が当時小六の学資として叔父に預けて行った千円の所置を聞き糺して見ると、叔母は、 「宗さん、あれこそ本当に小六が使っちまったんですよ。小六が高等学校へ這入ってからでも、もうかれこれ七百円は掛かっているんですもの」と答えた。  宗助はついでだから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書画や骨董品の成行を確かめて見た。すると、叔母は、 「ありあとんだ馬鹿な目に逢って」と云いかけたが、宗助の様子を見て、 「宗さん、何ですか、あの事はまだ御話をしなかったんでしたかね」と聞いた。宗助がいいえと答えると、 「おやおや、それじゃ叔父さんが忘れちまったんですよ」と云いながら、その顛末を語って聞かした。  宗助が広島へ帰ると間もなく、叔父はその売捌方を真田とかいう懇意の男に依頼した。この男は書画骨董の道に明るいとかいうので、平生そんなものの売買の周旋をして諸方へ出入するそうであったが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某が何を欲しいと云うから、ちょっと拝見とか、何々氏がこう云う物を希望だから、見せましょうとか号して、品物を持って行ったぎり、返して来ない。催促すると、まだ先方から戻って参りませんからとか何とか言訳をするだけでかつて埒の明いた試がなかったが、とうとう持ち切れなくなったと見えて、どこかへ姿を隠してしまった。 「でもね、まだ屏風が一つ残っていますよ。この間引越の時に、気がついて、こりゃ宗さんのだから、今度ついでがあったら届けて上げたらいいだろうって、安がそう云っていましたっけ」  叔母は宗助の預けて行った品物にはまるで重きを置いていないような、ものの云い方をした。宗助も今日まで放っておくくらいだから、あまりその方面には興味を有ち得なかったので、少しも良心に悩まされている気色のない叔母の様子を見ても、別に腹は立たなかった。それでも、叔母が、 「宗さん、どうせ家じゃ使っていないんだから、なんなら持っておいでなすっちゃどうです。この頃はああいうものが、大変価が出たと云う話じゃありませんか」と云ったときは、実際それを持って帰る気になった。  納戸から取り出して貰って、明るい所で眺めると、たしかに見覚のある二枚折であった。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、真丸な月を銀で出して、その横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた辺から、葛の葉の風に裏を返している色の乾いた様から、大福ほどな大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつくづくと見て、父の生きている当時を憶い起さずにはいられなかった。  父は正月になると、きっとこの屏風を薄暗い蔵の中から出して、玄関の仕切りに立てて、その前へ紫檀の角な名刺入を置いて、年賀を受けたものである。その時はめでたいからと云うので、客間の床には必ず虎の双幅を懸けた。これは岸駒じゃない岸岱だと父が宗助に云って聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶していた。この虎の画には墨が着いていた。虎が舌を出して谷の水を呑んでいる鼻柱が少し汚されたのを、父は苛く気にして、宗助を見るたびに、御前ここへ墨を塗った事を覚えているか、これは御前の小さい時分の悪戯だぞと云って、おかしいような恨めしいような一種の表情をした。  宗助は屏風の前に畏まって、自分が東京にいた昔の事を考えながら、 「叔母さん、じゃこの屏風はちょうだいして行きましょう」と云った。 「ああああ、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げましょう」と叔母は好意から申し添えた。  宗助は然るべく叔母に頼んで、その日はそれで切り上げて帰った。晩食の後御米といっしょにまた縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣を並べて、涼みながら、画の話をした。 「安さんには、御逢いなさらなかったの」と御米が聞いた。 「ああ、安さんは土曜でも何でも夕方まで、工場にいるんだそうだ」 「随分骨が折れるでしょうね」  御米はそう云ったなり、叔父や叔母の処置については、一言の批評も加えなかった。 「小六の事はどうしたものだろう」と宗助が聞くと、 「そうね」と云うだけであった。 「理窟を云えば、こっちにも云い分はあるが、云い出せば、とどのつまりは裁判沙汰になるばかりだから、証拠も何もなければ勝てる訳のものじゃなし」と宗助が極端を予想すると、 「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米がすぐ云ったので、宗助は苦笑してやめた。 「つまりおれがあの時東京へ出られなかったからの事さ」 「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったんですもの」  夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇の下から覗いて見て、明日の天気を語り合って蚊帳に這入った。  次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云った通りを残らず話して聞かせて、 「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかったのは、短兵急な御前の性質を知ってるせいか、それともまだ小供だと思ってわざと略してしまったのか、そこはおれにも分らないが、何しろ事実は今云った通りなんだよ」と教えた。  小六にはいかに詳しい説明も腹の足しにはならなかった。ただ、 「そうですか」と云ってむずかしい不満な顔をして宗助を見た。 「仕方がないよ。叔母さんだって、安さんだって、そう悪い料簡はないんだから」 「そりゃ、分っています」と弟は峻しい物の云い方をした。 「じゃおれが悪いって云うんだろう。おれは無論悪いよ。昔から今日まで悪いところだらけな男だもの」  宗助は横になって煙草を吹かしながら、これより以上は何とも語らなかった。小六も黙って、座敷の隅に立ててあった二枚折の抱一の屏風を眺めていた。 「御前あの屏風を覚えているかい」とやがて兄が聞いた。 「ええ」と小六が答えた。 「一昨日佐伯から届けてくれた。御父さんの持ってたもので、おれの手に残ったのは、今じゃこれだけだ。これが御前の学資になるなら、今すぐにでもやるが、剥げた屏風一枚で大学を卒業する訳にも行かずな」と宗助が云った。そうして苦笑しながら、 「この暑いのに、こんなものを立てて置くのは、気狂じみているが、入れておく所がないから、仕方がない」と云う述懐をした。  小六はこの気楽なような、ぐずのような、自分とは余りに懸け隔たっている兄を、いつも物足りなくは思うものの、いざという場合に、けっして喧嘩はし得なかった。この時も急に癇癪の角を折られた気味で、 「屏風はどうでも好いが、これから先僕はどうしたもんでしょう」と聞き出した。 「それは問題だ。何しろことしいっぱいにきまれば好い事だから、まあよく考えるさ。おれも考えて置こう」と宗助が云った。  弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌である、学校へ出ても落ちついて稽古もできず、下調も手につかないような境遇は、とうてい自分には堪えられないと云う訴を切にやり出したが、宗助の態度は依然として変らなかった。小六があまり癇の高い不平を並べると、 「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ。学校をやめたって、いっこう差支ない。御前の方がおれよりよっぽどえらいよ」と兄が云ったので、話はそれぎり頓挫して、小六はとうとう本郷へ帰って行った。  宗助はそれから湯を浴びて、晩食を済まして、夜は近所の縁日へ御米といっしょに出掛けた。そうして手頃な花物を二鉢買って、夫婦して一つずつ持って帰って来た。夜露にあてた方がよかろうと云うので、崖下の雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。  蚊帳の中へ這入った時、御米は、 「小六さんの事はどうなって」と夫に聞くと、 「まだどうもならないさ」と宗助は答えたが、十分ばかりの後夫婦ともすやすや寝入った。  翌日眼が覚めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考える暇を有たなかった。家へ帰って、のっそりしている時ですら、この問題を確的眼の前に描いて明らかにそれを眺める事を憚かった。髪の毛の中に包んである彼の脳は、その煩わしさに堪えなかった。昔は数学が好きで、随分込み入った幾何の問題を、頭の中で明暸な図にして見るだけの根気があった事を憶い出すと、時日の割には非常に烈しく来たこの変化が自分にも恐ろしく映った。  それでも日に一度ぐらいは小六の姿がぼんやり頭の奥に浮いて来る事があって、その時だけは、あいつの将来も何とか考えておかなくっちゃならないと云う気も起った。しかしすぐあとから、まあ急ぐにも及ぶまいぐらいに、自分と打ち消してしまうのが常であった。そうして、胸の筋が一本鉤に引っ掛ったような心を抱いて、日を暮らしていた。  そのうち九月も末になって、毎晩天の河が濃く見えるある宵の事、空から降ったように安之助がやって来た。宗助にも御米にも思い掛けないほど稀な客なので、二人とも何か用があっての訪問だろうと推したが、はたして小六に関する件であった。  この間月島の工場へひょっくり小六がやって来て云うには、自分の学資についての詳しい話は兄から聞いたが、自分も今まで学問をやって来て、とうとう大学へ這入れずじまいになるのはいかにも残念だから、借金でも何でもして、行けるところまで行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談をかけるので、安之助はよく宗さんにも話して見ようと答えると、小六はたちまちそれを遮ぎって、兄はとうてい相談になってくれる人じゃない。自分が大学を卒業しないから、他も中途でやめるのは当然だぐらいに考えている。元来今度の事も元を糺せば兄が責任者であるのに、あの通りいっこう平気なもので、他が何を云っても取り合ってくれない。だから、ただ頼りにするのは君だけだ。叔母さんに正式に断わられながら、また君に依頼するのはおかしいようだが、君の方が叔母さんより話が分るだろうと思って来たと云って、なかなか動きそうもなかったそうである。  安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事ではだいぶ心配して、近いうちまた家へ相談に来るはずになっているんだからと慰めて、小六を帰したんだと云う。帰るときに、小六は袂から半紙を何枚も出して、欠席届が入用だからこれに判を押してくれと請求して、僕は退学か在学か片がつくまでは勉強ができないから、毎日学校へ出る必要はないんだと云ったそうである。  安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して帰って行ったが、小六の所置については、両人の間に具体的の案は別に出なかった。いずれ緩くりみんなで寄ってきめよう、都合がよければ小六も列席するが好かろうというのが別れる時の言葉であった。二人になったとき、御米は宗助に、 「何を考えていらっしゃるの」と聞いた。宗助は両手を兵児帯の間に挟んで、心持肩を高くしたなり、 「おれももう一返小六みたようになって見たい」と云った。「こっちじゃ、向がおれのような運命に陥るだろうと思って心配しているのに、向じゃ兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」  御米は茶器を引いて台所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、また床を延べて寝た。夢の上に高い銀河が涼しく懸った。  次の週間には、小六も来ず、佐伯からの音信もなく、宗助の家庭はまた平日の無事に帰った。夫婦は毎朝露に光る頃起きて、美しい日を廂の上に見た。夜は煤竹の台を着けた洋灯の両側に、長い影を描いて坐っていた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音だけが聞える事も稀ではなかった。  それでも夫婦はこの間に小六の事を相談した。小六がもしどうしても学問を続ける気なら無論の事、そうでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れているが、そうすればまた佐伯へ帰るか、あるいは宗助の所へ置くよりほかに途はない。佐伯ではいったんああ云い出したようなものの、頼んで見たら、当分宅へ置くぐらいの事は、好意上してくれまいものでもない。が、その上修業をさせるとなると、月謝小遣その他は宗助の方で担任しなければ義理が悪い。ところがそれは家計上宗助の堪えるところでなかった。月々の収支を事細かに計算して見た両人は、 「とうてい駄目だね」 「どうしたって無理ですわ」と云った。  夫婦の坐っている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間ある。下女を入れて三人の小人数だから、この六畳には余り必要を感じない御米は、東向の窓側にいつも自分の鏡台を置いた。宗助も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、ここへ来て着物を脱ぎ更えた。 「それよりか、あの六畳を空けて、あすこへ来ちゃいけなくって」と御米が云い出した。御米の考えでは、こうして自分の方で部屋と食物だけを分担して、あとのところを月々いくらか佐伯から助て貰ったら、小六の望み通り大学卒業までやって行かれようと云うのである。 「着物は安さんの古いのや、あなたのを直して上げたら、どうかなるでしょう」と御米が云い添えた。実は宗助にもこんな考が、多少頭に浮かんでいた。ただ御米に遠慮がある上に、それほど気が進まなかったので、つい口へ出さなかったまでだから、細君からこう反対に相談を掛けられて見ると、固よりそれを拒むだけの勇気はなかった。  小六にその通りを通知して、御前さえそれで差支なければ、おれがもう一遍佐伯へ行って掛合って見るがと、手紙で問い合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘に音を立ててやって来て、もう学資ができでもしたように嬉しがった。 「何、叔母さんの方じゃ、こっちでいつまでもあなたの事を放り出したまんま、構わずにおくもんだから、それでああおっしゃるのよ。なに兄さんだって、もう少し都合が好ければ、疾うにもどうにかしたんですけれども、御存じの通りだから実際やむを得なかったんですわ。しかしこっちからこう云って行けば、叔母さんだって、安さんだって、それでも否だとは云われないわ。きっとできるから安心していらっしゃい。私受合うわ」  御米にこう受合って貰った小六は、また雨の音を頭の上に受けて本郷へ帰って行った。しかし中一日置いて、兄さんはまだ行かないんですかと聞きに来た。また三日ばかり過ぎてから、今度は叔母さんの所へ行って聞いたら、兄さんはまだ来ないそうだから、なるべく早く行くように勧めてくれと催促して行った。  宗助が行く行くと云って、日を暮らしているうちに世の中はようやく秋になった。その朗らかな或日曜の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後れるので、この要件を手紙に認めて番町へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行って留守だと云う返事が来たのである。 五  佐伯の叔母の尋ねて来たのは、土曜の午後の二時過であった。その日は例になく朝から雲が出て、突然と風が北に変ったように寒かった。叔母は竹で編んだ丸い火桶の上へ手を翳して、 「何ですね、御米さん。この御部屋は夏は涼しそうで結構だが、これからはちと寒うござんすね」と云った。叔母は癖のある髪を、奇麗に髷に結って、古風な丸打の羽織の紐を、胸の所で結んでいた。酒の好きな質で、今でも少しずつは晩酌をやるせいか、色沢もよく、でっぷり肥っているから、年よりはよほど若く見える。御米は叔母が来るたんびに、叔母さんは若いのねと、後でよく宗助に話した。すると宗助がいつでも、若いはずだ、あの年になるまで、子供をたった一人しか生まないんだからと説明した。御米は実際そうかも知れないと思った。そうしてこう云われた後では、折々そっと六畳へ這入って、自分の顔を鏡に映して見た。その時は何だか自分の頬が見るたびに瘠けて行くような気がした。御米には自分と子供とを連想して考えるほど辛い事はなかったのである。裏の家主の宅に、小さい子供が大勢いて、それが崖の上の庭へ出て、ブランコへ乗ったり、鬼ごっこをやったりして騒ぐ声が、よく聞えると、御米はいつでも、はかないような恨めしいような心持になった。今自分の前に坐っている叔母は、たった一人の男の子を生んで、その男の子が順当に育って、立派な学士になったればこそ、叔父が死んだ今日でも、何不足のない顔をして、腮などは二重に見えるくらいに豊なのである。御母さんは肥っているから剣呑だ、気をつけないと卒中でやられるかも知れないと、安之助が始終心配するそうだけれども、御米から云わせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享け合っているものとしか思われなかった。 「安さんは」と御米が聞いた。 「ええようやくね、あなた。一昨日の晩帰りましてね。それでついつい御返事も後れちまって、まことに済みませんような訳で」と云ったが、返事の方はそれなりにして、話はまた安之助へ戻って来た。 「あれもね、御蔭さまでようやく学校だけは卒業しましたが、これからが大事のところで、心配でございます。――それでもこの九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあさいわいとこの分で勉強さえして行ってくれれば、この末ともに、そう悪い事も無かろうかと思ってるんですけれども、まあ若いものの事ですから、これから先どう変化るか分りゃしませんよ」  御米はただ結構でございますとか、おめでとうございますとか云う言葉を、間々に挟んでいた。 「神戸へ参ったのも、全くその方の用向なので。石油発動機とか何とか云うものを鰹船へ据え付けるんだとかってねあなた」  御米にはまるで意味が分らなかった。分らないながらただへええと受けていると、叔母はすぐ後を話した。 「私にも何のこったか、ちっとも分らなかったんですが、安之助の講釈を聞いて始めて、おやそうかいと云うような訳でしてね。――もっとも石油発動機は今もって分らないんですけれども」と云いながら、大きな声を出して笑った。「何でも石油を焚いて、それで船を自由にする器械なんだそうですが、聞いて見るとよほど重宝なものらしいんですよ。それさえ付ければ、舟を漕ぐ手間がまるで省けるとかでね。五里も十里も沖へ出るのに、大変楽なんですとさ。ところがあなた、この日本全国で鰹船の数ったら、それこそ大したものでしょう。その鰹船が一つずつこの器械を具え付けるようになったら、莫大な利益だって云うんで、この頃は夢中になってその方ばっかりに掛っているようですよ。莫大な利益はありがたいが、そう凝って身体でも悪くしちゃつまらないじゃないかって、この間も笑ったくらいで」  叔母はしきりに鰹船と安之助の話をした。そうして大変得意のように見えたが、小六の事はなかなか云い出さなかった。もう疾に帰るはずの宗助もどうしたか帰って来なかった。  彼はその日役所の帰りがけに駿河台下まで来て、電車を下りて、酸いものを頬張ったような口を穿めて一二町歩いた後、ある歯医者の門を潜ったのである。三四日前彼は御米と差向いで、夕飯の膳に着いて、話しながら箸を取っている際に、どうした拍子か、前歯を逆にぎりりと噛んでから、それが急に痛み出した。指で揺かすと、根がぐらぐらする。食事の時には湯茶が染みる。口を開けて息をすると風も染みた。宗助はこの朝歯を磨くために、わざと痛い所を避けて楊枝を使いながら、口の中を鏡に照らして見たら、広島で銀を埋めた二枚の奥歯と、研いだように磨り減らした不揃の前歯とが、にわかに寒く光った。洋服に着換える時、 「御米、おれは歯の性がよっぽど悪いと見えるね。こうやると大抵動くぜ」と下歯を指で動かして見せた。御米は笑いながら、 「もう御年のせいよ」と云って白い襟を後へ廻って襯衣へ着けた。  宗助はその日の午後とうとう思い切って、歯医者へ寄ったのである。応接間へ通ると、大きな洋卓の周囲に天鵞絨で張った腰掛が并んでいて、待ち合している三四人が、うずくまるように腮を襟に埋めていた。それが皆女であった。奇麗な茶色の瓦斯暖炉には火がまだ焚いてなかった。宗助は大きな姿見に映る白壁の色を斜めに見て、番の来るのを待っていたが、あまり退屈になったので、洋卓の上に重ねてあった雑誌に眼を着けた。一二冊手に取って見ると、いずれも婦人用のものであった。宗助はその口絵に出ている女の写真を、何枚も繰り返して眺めた。それから「成功」と云う雑誌を取り上げた。その初めに、成効の秘訣というようなものが箇条書にしてあったうちに、何でも猛進しなくってはいけないと云う一カ条と、ただ猛進してもいけない、立派な根底の上に立って、猛進しなくってはならないと云う一カ条を読んで、それなり雑誌を伏せた。「成功」と宗助は非常に縁の遠いものであった。宗助はこういう名の雑誌があると云う事さえ、今日まで知らなかった。それでまた珍らしくなって、いったん伏せたのをまた開けて見ると、ふと仮名の交らない四角な字が二行ほど並んでいた。それには風碧落を吹いて浮雲尽き、月東山に上って玉一団とあった。宗助は詩とか歌とかいうものには、元から余り興味を持たない男であったが、どう云う訳かこの二句を読んだ時に大変感心した。対句が旨くできたとか何とか云う意味ではなくって、こんな景色と同じような心持になれたら、人間もさぞ嬉しかろうと、ひょっと心が動いたのである。宗助は好奇心からこの句の前に付いている論文を読んで見た。しかしそれはまるで無関係のように思われた。ただこの二句が雑誌を置いた後でも、しきりに彼の頭の中を徘徊した。彼の生活は実際この四五年来こういう景色に出逢った事がなかったのである。  その時向うの戸が開いて、紙片を持った書生が野中さんと宗助を手術室へ呼び入れた。  中へ這入ると、そこは応接間よりは倍も広かった。光線がなるべく余計取れるように明るく拵らえた部屋の二側に、手術用の椅子を四台ほど据えて、白い胸掛をかけた受持の男が、一人ずつ別々に療治をしていた。宗助は一番奥の方にある一脚に案内されて、これへと云われるので、踏段のようなものの上へ乗って、椅子へ腰をおろした。書生が厚い縞入の前掛で丁寧に膝から下を包んでくれた。  こう穏やかに寝かされた時、宗助は例の歯がさほど苦になるほど痛んでいないと云う事を発見した。そればかりか、肩も背も、腰の周りも、心安く落ちついて、いかにも楽に調子が取れている事に気がついた。彼はただ仰向いて天井から下っている瓦斯管を眺めた。そうしてこの構と設備では、帰りがけに思ったより高い療治代を取られるかも知れないと気遣った。  ところへ顔の割に頭の薄くなり過ぎた肥った男が出て来て、大変丁寧に挨拶をしたので、宗助は少し椅子の上で狼狽たように首を動かした。肥った男は一応容体を聞いて、口中を検査して、宗助の痛いと云う歯をちょっと揺って見たが、 「どうもこう弛みますと、とても元のように緊る訳には参りますまいと思いますが。何しろ中がエソになっておりますから」と云った。  宗助はこの宣告を淋しい秋の光のように感じた。もうそんな年なんでしょうかと聞いて見たくなったが、少しきまりが悪いので、ただ、 「じゃ癒らないんですか」と念を押した。  肥った男は笑いながらこう云った。―― 「まあ癒らないと申し上げるよりほかに仕方がござんせんな。やむを得なければ、思い切って抜いてしまうんですが、今のところでは、まだそれほどでもございますまいから、ただ御痛みだけを留めておきましょう。何しろエソ――エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中がまるで腐っております」  宗助は、そうですかと云って、ただ肥った男のなすがままにしておいた。すると彼は器械をぐるぐる廻して、宗助の歯の根へ穴を開け始めた。そうしてその中へ細長い針のようなものを刺し通しては、その先を嗅いでいたが、しまいに糸ほどな筋を引き出して、神経がこれだけ取れましたと云いながら、それを宗助に見せてくれた。それから薬でその穴を埋めて、明日またいらっしゃいと注意を与えた。  椅子を下りるとき、身体が真直ぐになったので、視線の位置が天井からふと庭先に移ったら、そこにあった高さ五尺もあろうと云う大きな鉢栽の松が宗助の眼に這入った。その根方の所を、草鞋がけの植木屋が丁寧に薦で包んでいた。だんだん露が凝って霜になる時節なので、余裕のあるものは、もう今時分から手廻しをするのだと気がついた。  帰りがけに玄関脇の薬局で、粉薬のまま含嗽剤を受取って、それを百倍の微温湯に溶解して、一日十数回使用すべき注意を受けた時、宗助は会計の請求した治療代の案外廉なのを喜んだ。これならば向うで云う通り四五回通ったところが、さして困難でもないと思って、靴を穿こうとすると、今度は靴の底がいつの間にか破れている事に気がついた。  宅へ着いた時は一足違で叔母がもう帰ったあとであった。宗助は、 「おお、そうだったか」と云いながら、はなはだ面倒そうに洋服を脱ぎ更えて、いつもの通り火鉢の前に坐った。御米は襯衣や洋袴や靴足袋を一抱にして六畳へ這入った。宗助はぼんやりして、煙草を吹かし始めたが、向うの部屋で、刷毛を掛ける音がし出した時、 「御米、佐伯の叔母さんは何とか云って来たのかい」と聞いた。  歯痛が自から治まったので、秋に襲われるような寒い気分は、少し軽くなったけれども、やがて御米が隠袋から取り出して来た粉薬を、温ま湯に溶いて貰って、しきりに含嗽を始めた。その時彼は縁側へ立ったまま、 「どうも日が短かくなったなあ」と云った。  やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口から寂としていた。夫婦は例の通り洋灯の下に寄った。広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われた。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋灯の力の届かない暗い社会は忘れていた。彼らは毎晩こう暮らして行く裡に、自分達の生命を見出していたのである。  この静かな夫婦は、安之助の神戸から土産に買って来たと云う養老昆布の缶をがらがら振って、中から山椒入りの小さく結んだ奴を撰り出しながら、緩くり佐伯からの返事を語り合った。 「しかし月謝と小遣ぐらいは都合してやってくれても好さそうなもんじゃないか」 「それができないんだって。どう見積っても両方寄せると、十円にはなる。十円と云う纏った御金を、今のところ月々出すのは骨が折れるって云うのよ」 「それじゃことしの暮まで二十何円ずつか出してやるのも無理じゃないか」 「だから、無理をしても、もう一二カ月のところだけは間に合せるから、そのうちにどうかして下さいと、安さんがそう云うんだって」 「実際できないのかな」 「そりゃ私には分らないわ。何しろ叔母さんが、そう云うのよ」 「鰹舟で儲けたら、そのくらい訳なさそうなもんじゃないか」 「本当ね」  御米は低い声で笑った。宗助もちょっと口の端を動かしたが、話はそれで途切れてしまった。しばらくしてから、 「何しろ小六は家へ来るときめるよりほかに道はあるまいよ。後はその上の事だ。今じゃ学校へは出ているんだね」と宗助が云った。 「そうでしょう」と御米が答えるのを聞き流して、彼は珍らしく書斎に這入った。一時間ほどして、御米がそっと襖を開けて覗いて見ると、机に向って、何か読んでいた。 「勉強? もう御休みなさらなくって」と誘われた時、彼は振り返って、 「うん、もう寝よう」と答えながら立ち上った。  寝る時、着物を脱いで、寝巻の上に、絞りの兵児帯をぐるぐる巻きつけながら、 「今夜は久し振に論語を読んだ」と云った。 「論語に何かあって」と御米が聞き返したら、宗助は、 「いや何にもない」と答えた。それから、「おい、おれの歯はやっぱり年のせいだとさ。ぐらぐらするのはとても癒らないそうだ」と云いつつ、黒い頭を枕の上に着けた。 六  小六はともかくも都合しだい下宿を引き払って兄の家へ移る事に相談が調った。御米は六畳に置きつけた桑の鏡台を眺めて、ちょっと残り惜しい顔をしたが、 「こうなると少し遣場に困るのね」と訴えるように宗助に告げた。実際ここを取り上げられては、御米の御化粧をする場所が無くなってしまうのである。宗助は何の工夫もつかずに、立ちながら、向うの窓側に据えてある鏡の裏を斜に眺めた。すると角度の具合で、そこに御米の襟元から片頬が映っていた。それがいかにも血色のわるい横顔なのに驚ろかされて、 「御前、どうかしたのかい。大変色が悪いよ」と云いながら、鏡から眼を放して、実際の御米の姿を見た。鬢が乱れて、襟の後の辺が垢で少し汚れていた。御米はただ、 「寒いせいなんでしょう」と答えて、すぐ西側に付いている。一間の戸棚を明けた。下には古い創だらけの箪笥があって、上には支那鞄と柳行李が二つ三つ載っていた。 「こんなもの、どうしたって片づけようがないわね」 「だからそのままにしておくさ」  小六のここへ引移って来るのは、こう云う点から見て、夫婦のいずれにも、多少迷惑であった。だから来ると云って約束しておきながら、今だに来ない小六に対しては、別段の催促もしなかった。一日延びれば延びただけ窮屈が逃げたような気がどこかでした。小六にもちょうどそれと同じ憚があったので、いられる限は下宿にいる方が便利だと胸をきめたものか、つい一日一日と引越を前へ送っていた。その癖彼の性質として、兄夫婦のごとく、荏苒の境に落ちついてはいられなかったのである。  そのうち薄い霜が降りて、裏の芭蕉を見事に摧いた。朝は崖上の家主の庭の方で、鵯が鋭どい声を立てた。夕方には表を急ぐ豆腐屋の喇叭に交って、円明寺の木魚の音が聞えた。日はますます短かくなった。そうして御米の顔色は、宗助が鏡の中に認めた時よりも、爽かにはならなかった。夫が役所から帰って来て見ると、六畳で寝ている事が一二度あった。どうかしたかと尋ねると、ただ少し心持が悪いと答えるだけであった。医者に見て貰えと勧めると、それには及ばないと云って取り合わなかった。  宗助は心配した。役所へ出ていてもよく御米の事が気にかかって、用の邪魔になるのを意識する時もあった。ところがある日帰りがけに突然電車の中で膝を拍った。その日は例になく元気よく格子を明けて、すぐと勢よく今日はどうだいと御米に聞いた。御米がいつもの通り服や靴足袋を一纏めにして、六畳へ這入る後から追いて来て、 「御米、御前子供ができたんじゃないか」と笑いながら云った。御米は返事もせずに俯向いてしきりに夫の背広の埃を払った。刷毛の音がやんでもなかなか六畳から出て来ないので、また行って見ると、薄暗い部屋の中で、御米はたった一人寒そうに、鏡台の前に坐っていた。はいと云って立ったが、その声が泣いた後の声のようであった。  その晩夫婦は火鉢に掛けた鉄瓶を、双方から手で掩うようにして差し向った。 「どうですな世の中は」と宗助が例にない浮いた調子を出した。御米の頭の中には、夫婦にならない前の、宗助と自分の姿が奇麗に浮んだ。 「ちっと、面白くしようじゃないか。この頃はいかにも不景気だよ」と宗助がまた云った。二人はそれから今度の日曜にはいっしょにどこへ行こうか、ここへ行こうかと、しばらくそればかり話し合っていた。それから二人の春着の事が題目になった。宗助の同僚の高木とか云う男が、細君に小袖とかを強請られた時、おれは細君の虚栄心を満足させるために稼いでるんじゃないと云って跳ねつけたら、細君がそりゃ非道い、実際寒くなっても着て出るものがないんだと弁解するので、寒ければやむを得ない、夜具を着るとか、毛布を被るとかして、当分我慢しろと云った話を、宗助はおかしく繰り返して御米を笑わした。御米は夫のこの様子を見て、昔がまた眼の前に戻ったような気がした。 「高木の細君は夜具でも構わないが、おれは一つ新らしい外套を拵えたいな。この間歯医者へ行ったら、植木屋が薦で盆栽の松の根を包んでいたので、つくづくそう思った」 「外套が欲しいって」 「ああ」  御米は夫の顔を見て、さも気の毒だと云う風に、 「御拵らえなさいな。月賦で」と云った。宗助は、 「まあ止そうよ」と急に侘しく答えた。そうして「時に小六はいつから来る気なんだろう」と聞いた。 「来るのは厭なんでしょう」と御米が答えた。御米には、自分が始めから小六に嫌われていると云う自覚があった。それでも夫の弟だと思うので、なるべくは反を合せて、少しでも近づけるように近づけるようにと、今日まで仕向けて来た。そのためか、今では以前と違って、まあ普通の小舅ぐらいの親しみはあると信じているようなものの、こんな場合になると、つい実際以上にも気を回して、自分だけが小六の来ない唯一の原因のように考えられるのであった。 「そりゃ下宿からこんな所へ移るのは好かあないだろうよ。ちょうどこっちが迷惑を感ずる通り、向うでも窮屈を感ずる訳だから。おれだって、小六が来ないとすれば、今のうち思い切って外套を作るだけの勇気があるんだけれども」  宗助は男だけに思い切ってこう云ってしまった。けれどもこれだけでは御米の心を尽していなかった。御米は返事もせずに、しばらく黙っていたが、細い腮を襟の中へ埋めたまま、上眼を使って、 「小六さんは、まだ私の事を悪んでいらっしゃるでしょうか」と聞き出した。宗助が東京へ来た当座は、時々これに類似の質問を御米から受けて、その都度慰めるのにだいぶ骨の折れた事もあったが、近来は全く忘れたように何も云わなくなったので、宗助もつい気に留めなかったのである。 「またヒステリーが始まったね。好いじゃないか小六なんぞが、どう思ったって。おれさえついてれば」 「論語にそう書いてあって」  御米はこんな時に、こういう冗談を云う女であった。宗助は 「うん、書いてある」と答えた。それで二人の会話がしまいになった。  翌日宗助が眼を覚ますと、亜鉛張の庇の上で寒い音がした。御米が襷掛のまま枕元へ来て、 「さあ、もう時間よ」と注意したとき、彼はこの点滴の音を聞きながら、もう少し暖かい蒲団の中に温もっていたかった。けれども血色のよくない御米の、かいがいしい姿を見るや否や、 「おい」と云って直起き上った。  外は濃い雨に鎖されていた。崖の上の孟宗竹が時々鬣を振うように、雨を吹いて動いた。この侘びしい空の下へ濡れに出る宗助に取って、力になるものは、暖かい味噌汁と暖かい飯よりほかになかった。 「また靴の中が濡れる。どうしても二足持っていないと困る」と云って、底に小さい穴のあるのを仕方なしに穿いて、洋袴の裾を一寸ばかりまくり上げた。  午過に帰って来て見ると、御米は金盥の中に雑巾を浸けて、六畳の鏡台の傍に置いていた。その上の所だけ天井の色が変って、時々雫が落ちて来た。 「靴ばかりじゃない。家の中まで濡れるんだね」と云って宗助は苦笑した。御米はその晩夫のために置炬燵へ火を入れて、スコッチの靴下と縞羅紗の洋袴を乾かした。  明る日もまた同じように雨が降った。夫婦もまた同じように同じ事を繰り返した。その明る日もまだ晴れなかった。三日目の朝になって、宗助は眉を縮めて舌打をした。 「いつまで降る気なんだ。靴がじめじめして我慢にも穿けやしない」 「六畳だって困るわ、ああ漏っちゃ」  夫婦は相談して、雨が晴れしだい、家根を繕って貰うように家主へ掛け合う事にした。けれども靴の方は何ともしようがなかった。宗助はきしんで這入らないのを無理に穿いて出て行った。  幸にその日は十一時頃からからりと晴れて、垣に雀の鳴く小春日和になった。宗助が帰った時、御米は例より冴え冴えしい顔色をして、 「あなた、あの屏風を売っちゃいけなくって」と突然聞いた。抱一の屏風はせんだって佐伯から受取ったまま、元の通り書斎の隅に立ててあったのである。二枚折だけれども、座敷の位置と広さから云っても、実はむしろ邪魔な装飾であった。南へ廻すと、玄関からの入口を半分塞いでしまうし、東へ出すと暗くなる、と云って、残る一方へ立てれば床の間を隠すので、宗助は、 「せっかく親爺の記念だと思って、取って来たようなものの、しようがないねこれじゃ、場塞げで」と零した事も一二度あった。その都度御米は真丸な縁の焼けた銀の月と、絹地からほとんど区別できないような穂芒の色を眺めて、こんなものを珍重する人の気が知れないと云うような見えをした。けれども、夫を憚って、明白さまには何とも云い出さなかった。ただ一返 「これでもいい絵なんでしょうかね」と聞いた事があった。その時宗助は始めて抱一の名を御米に説明して聞かした。しかしそれは自分が昔し父から聞いた覚のある、朧気な記憶を好加減に繰り返すに過ぎなかった。実際の画の価値や、また抱一についての詳しい歴史などに至ると宗助にもその実はなはだ覚束なかったのである。  ところがそれが偶然御米のために妙な行為の動機を構成る原因となった。過去一週間夫と自分の間に起った会話に、ふとこの知識を結びつけて考え得た彼女はちょっと微笑んだ。この日雨が上って、日脚がさっと茶の間の障子に射した時、御米は不断着の上へ、妙な色の肩掛とも、襟巻ともつかない織物を纏って外へ出た。通りを二丁目ほど来て、それを電車の方角へ曲って真直に来ると、乾物屋と麺麭屋の間に、古道具を売っているかなり大きな店があった。御米はかつてそこで足の畳み込める食卓を買った記憶がある。今火鉢に掛けてある鉄瓶も、宗助がここから提げて帰ったものである。  御米は手を袖にして道具屋の前に立ち留まった。見ると相変らず新らしい鉄瓶がたくさん並べてあった。そのほかには時節柄とでも云うのか火鉢が一番多く眼に着いた。しかし骨董と名のつくほどのものは、一つもないようであった。ひとり何とも知れぬ大きな亀の甲が、真向に釣るしてあって、その下から長い黄ばんだ払子が尻尾のように出ていた。それから紫檀の茶棚が一つ二つ飾ってあったが、いずれも狂の出そうな生なものばかりであった。しかし御米にはそんな区別はいっこう映らなかった。ただ掛物も屏風も一つも見当らない事だけ確かめて、中へ這入った。  御米は無論夫が佐伯から受取った屏風を、いくらかに売り払うつもりでわざわざここまで足を運んだのであるが、広島以来こう云う事にだいぶ経験を積んだ御蔭で、普通の細君のような努力も苦痛も感ぜずに、思い切って亭主と口を利く事ができた。亭主は五十恰好の色の黒い頬の瘠けた男で、鼈甲の縁を取った馬鹿に大きな眼鏡を掛けて、新聞を読みながら、疣だらけの唐金の火鉢に手を翳していた。 「そうですな、拝見に出てもようがす」と軽く受合ったが、別に気の乗った様子もないので、御米は腹の中で少し失望した。しかし自分からがすでに大した望を抱いて出て来た訳でもないので、こう簡易に受けられると、こっちから頼むようにしても、見て貰わなければならなかった。 「ようがす。じゃのちほど伺いましょう。今小僧がちょっと出ておりませんからな」  御米はこの存在な言葉を聞いてそのまま宅へ帰ったが、心の中では、はたして道具屋が来るか来ないかはなはだ疑わしく思った。一人でいつものように簡単な食事を済まして、清に膳を下げさしていると、いきなり御免下さいと云って、大きな声を出して道具屋が玄関からやって来た。座敷へ上げて、例の屏風を見せると、なるほどと云って裏だの縁だのを撫でていたが、 「御払になるなら」と少し考えて、「六円に頂いておきましょう」と否々そうに価を付けた。御米には道具屋の付けた相場が至当のように思われた。けれども一応宗助に話してからでなくっては、余り専断過ぎると心づいた上、品物の歴史が歴史だけに、なおさら遠慮して、いずれ帰ったらよく相談して見た上でと答えたまま、道具屋を帰そうとした。道具屋は出掛に、 「じゃ、奥さんせっかくだから、もう一円奮発しましょう。それで御払い下さい」と云った。御米はその時思い切って、 「でも、道具屋さん、ありゃ抱一ですよ」と答えて、腹の中ではひやりとした。道具屋は、平気で、 「抱一は近来流行りませんからな」と受け流したが、じろじろ御米の姿を眺めた上、 「じゃなおよく御相談なすって」と云い捨てて帰って行った。  御米はその時の模様を詳しく話した後で、 「売っちゃいけなくって」とまた無邪気に聞いた。  宗助の頭の中には、この間から物質上の欲求が、絶えず動いていた。ただ地味な生活をしなれた結果として、足らぬ家計を足ると諦らめる癖がついているので、毎月きまって這入るもののほかには、臨時に不意の工面をしてまで、少しでも常以上に寛ろいでみようと云う働は出なかった。話を聞いたとき彼はむしろ御米の機敏な才覚に驚ろかされた。同時にはたしてそれだけの必要があるかを疑った。御米の思わくを聞いて見ると、ここで十円足らずの金が入れば、宗助の穿く新らしい靴を誂らえた上、銘仙の一反ぐらいは買えると云うのである。宗助はそれもそうだと思った。けれども親から伝わった抱一の屏風を一方に置いて、片方に新らしい靴及び新らしい銘仙を並べて考えて見ると、この二つを交換する事がいかにも突飛でかつ滑稽であった。 「売るなら売っていいがね。どうせ家に在ったって邪魔になるばかりだから。けれどもおれはまだ靴は買わないでも済むよ。この間中みたように、降り続けに降られると困るが、もう天気も好くなったから」 「だってまた降ると困るわ」  宗助は御米に対して永久に天気を保証する訳にも行かなかった。御米も降らない前に是非屏風を売れとも云いかねた。二人は顔を見合して笑っていた。やがて、 「安過ぎるでしょうか」と御米が聞いた。 「そうさな」と宗助が答えた。  彼は安いと云われれば、安いような気がした。もし買手があれば、買手の出すだけの金はいくらでも取りたかった。彼は新聞で、近来古書画の入札が非常に高価になった事を見たような心持がした。せめてそんなものが一幅でもあったらと思った。けれどもそれは自分の呼吸する空気の届くうちには、落ちていないものと諦めていた。 「買手にも因るだろうが、売手にも因るんだよ。いくら名画だって、おれが持っていた分にはとうていそう高く売れっこはないさ。しかし七円や八円てえな、余り安いようだね」  宗助は抱一の屏風を弁護すると共に、道具屋をも弁護するような語気を洩らした。そうしてただ自分だけが弁護に価しないもののように感じた。御米も少し気を腐らした気味で、屏風の話はそれなりにした。  翌日宗助は役所へ出て、同僚の誰彼にこの話をした。すると皆申し合せたように、それは価じゃないと云った。けれども誰も自分が周旋して、相当の価に売払ってやろうと云うものはなかった。またどう云う筋を通れば、馬鹿な目に逢わないで済むという手続を教えてくれるものもなかった。宗助はやっぱり横町の道具屋に屏風を売るよりほかに仕方がなかった。それでなければ元の通り、邪魔でも何でも座敷へ立てておくよりほかに仕方がなかった。彼は元の通りそれを座敷へ立てておいた。すると道具屋が来て、あの屏風を十五円に売ってくれと云い出した。夫婦は顔を見合して微笑んだ。もう少し売らずに置いてみようじゃないかと云って、売らずにおいた。すると道具屋がまた来た。また売らなかった。御米は断るのが面白くなって来た。四度目には知らない男を一人連れて来たが、その男とこそこそ相談して、とうとう三十五円に価を付けた。その時夫婦も立ちながら相談した。そうしてついに思い切って屏風を売り払った。 七  円明寺の杉が焦げたように赭黒くなった。天気の好い日には、風に洗われた空の端ずれに、白い筋の嶮しく見える山が出た。年は宗助夫婦を駆って日ごとに寒い方へ吹き寄せた。朝になると欠かさず通る納豆売の声が、瓦を鎖す霜の色を連想せしめた。宗助は床の中でその声を聞きながら、また冬が来たと思い出した。御米は台所で、今年も去年のように水道の栓が氷ってくれなければ助かるがと、暮から春へ掛けての取越苦労をした。夜になると夫婦とも炬燵にばかり親しんだ。そうして広島や福岡の暖かい冬を羨やんだ。 「まるで前の本多さんみたようね」と御米が笑った。前の本多さんと云うのは、やはり同じ構内に住んで、同じ坂井の貸家を借りている隠居夫婦であった。小女を一人使って、朝から晩までことりと音もしないように静かな生計を立てていた。御米が茶の間で、たった一人裁縫をしていると、時々御爺さんと云う声がした。それはこの本多の御婆さんが夫を呼ぶ声であった。門口などで行き逢うと、丁寧に時候の挨拶をして、ちと御話にいらっしゃいと云うが、ついぞ行った事もなければ、向うからも来た試がない。したがって夫婦の本多さんに関する知識は極めて乏しかった。ただ息子が一人あって、それが朝鮮の統監府とかで、立派な役人になっているから、月々その方の仕送で、気楽に暮らして行かれるのだと云う事だけを、出入の商人のあるものから耳にした。 「御爺さんはやっぱり植木を弄っているかい」 「だんだん寒くなったから、もうやめたんでしょう。縁の下に植木鉢がたくさん並んでるわ」  話はそれから前の家を離れて、家主の方へ移った。これは、本多とはまるで反対で、夫婦から見ると、この上もない賑やかそうな家庭に思われた。この頃は庭が荒れているので、大勢の小供が崖の上へ出て騒ぐ事はなくなったが、ピヤノの音は毎晩のようにする。折々は下女か何ぞの、台所の方で高笑をする声さえ、宗助の茶の間まで響いて来た。 「ありゃいったい何をする男なんだい」と宗助が聞いた。この問は今までも幾度か御米に向って繰り返されたものであった。 「何にもしないで遊んでるんでしょう。地面や家作を持って」と御米が答えた。この答も今までにもう何遍か宗助に向って繰り返されたものであった。  宗助はこれより以上立ち入って、坂井の事を聞いた事がなかった。学校をやめた当座は、順境にいて得意な振舞をするものに逢うと、今に見ろと云う気も起った。それがしばらくすると、単なる憎悪の念に変化した。ところが一二年このかたは全く自他の差違に無頓着になって、自分は自分のように生れついたもの、先は先のような運を持って世の中へ出て来たもの、両方共始から別種類の人間だから、ただ人間として生息する以外に、何の交渉も利害もないのだと考えるようになってきた。たまに世間話のついでとして、ありゃいったい何をしている人だぐらいは聞きもするが、それより先は、教えて貰う努力さえ出すのが面倒だった。御米にもこれと同じ傾きがあった。けれどもその夜は珍らしく、坂井の主人は四十恰好の髯のない人であると云う事やら、ピヤノを弾くのは惣領の娘で十二三になると云う事やら、またほかの家の小供が遊びに来ても、ブランコへ乗せてやらないと云う事やらを話した。 「なぜほかの家の子供はブランコへ乗せないんだい」 「つまり吝なんでしょう。早く悪くなるから」  宗助は笑い出した。彼はそのくらい吝嗇な家主が、屋根が漏ると云えば、すぐ瓦師を寄こしてくれる、垣が腐ったと訴えればすぐ植木屋に手を入れさしてくれるのは矛盾だと思ったのである。  その晩宗助の夢には本多の植木鉢も坂井のブランコもなかった。彼は十時半頃床に入って、万象に疲れた人のように鼾をかいた。この間から頭の具合がよくないため、寝付の悪いのを苦にしていた御米は、時々眼を開けて薄暗い部屋を眺めた。細い灯が床の間の上に乗せてあった。夫婦は夜中灯火を点けておく習慣がついているので、寝る時はいつでも心を細目にして洋灯をここへ上げた。  御米は気にするように枕の位置を動かした。そうしてそのたびに、下にしている方の肩の骨を、蒲団の上で滑らした。しまいには腹這になったまま、両肱を突いて、しばらく夫の方を眺めていた。それから起き上って、夜具の裾に掛けてあった不断着を、寝巻の上へ羽織ったなり、床の間の洋灯を取り上げた。 「あなたあなた」と宗助の枕元へ来て曲みながら呼んだ。その時夫はもう鼾をかいていなかった。けれども、元の通り深い眠から来る呼吸を続けていた。御米はまた立ち上って、洋灯を手にしたまま、間の襖を開けて茶の間へ出た。暗い部屋が茫漠手元の灯に照らされた時、御米は鈍く光る箪笥の環を認めた。それを通り過ぎると黒く燻ぶった台所に、腰障子の紙だけが白く見えた。御米は火の気のない真中に、しばらく佇ずんでいたが、やがて右手に当る下女部屋の戸を、音のしないようにそっと引いて、中へ洋灯の灯を翳した。下女は縞も色も判然映らない夜具の中に、土竜のごとく塊まって寝ていた。今度は左側の六畳を覗いた。がらんとして淋しい中に、例の鏡台が置いてあって、鏡の表が夜中だけに凄く眼に応えた。  御米は家中を一回回った後、すべてに異状のない事を確かめた上、また床の中へ戻った。そうしてようやく眼を眠った。今度は好い具合に、眼蓋のあたりに気を遣わないで済むように覚えて、しばらくするうちに、うとうととした。  するとまたふと眼が開いた。何だかずしんと枕元で響いたような心持がする。耳を枕から離して考えると、それはある大きな重いものが、裏の崖から自分達の寝ている座敷の縁の外へ転がり落ちたとしか思われなかった。しかし今眼が覚めるすぐ前に起った出来事で、けっして夢の続じゃないと考えた時、御米は急に気味を悪くした。そうして傍に寝ている夫の夜具の袖を引いて、今度は真面目に宗助を起し始めた。  宗助はそれまで全くよく寝ていたが、急に眼が覚めると、御米が、 「あなたちょっと起きて下さい」と揺っていたので、半分は夢中に、 「おい、好し」とすぐ蒲団の上へ起き直った。御米は小声で先刻からの様子を話した。 「音は一遍した限なのかい」 「だって今したばかりなのよ」  二人はそれで黙った。ただじっと外の様子を伺っていた。けれども世間は森と静であった。いつまで耳を峙てていても、再び物の落ちて来る気色はなかった。宗助は寒いと云いながら、単衣の寝巻の上へ羽織を被って、縁側へ出て、雨戸を一枚繰った。外を覗くと何にも見えない。ただ暗い中から寒い空気がにわかに肌に逼って来た。宗助はすぐ戸を閉てた。  をおろして座敷へ戻るや否や、また蒲団の中へ潜り込んだが、 「何にも変った事はありゃしない。多分御前の夢だろう」と云って、宗助は横になった。御米はけっして夢でないと主張した。たしかに頭の上で大きな音がしたのだと固執した。宗助は夜具から半分出した顔を、御米の方へ振り向けて、 「御米、お前は神経が過敏になって、近頃どうかしているよ。もう少し頭を休めてよく寝る工夫でもしなくっちゃいけない」と云った。  その時次の間の柱時計が二時を打った。その音で二人ともちょっと言葉を途切らして、黙って見ると、夜はさらに静まり返ったように思われた。二人は眼が冴えて、すぐ寝つかれそうにもなかった。御米が、 「でもあなたは気楽ね。横になると十分経たないうちに、もう寝ていらっしゃるんだから」と云った。 「寝る事は寝るが、気が楽で寝られるんじゃない。つまり疲れるからよく寝るんだろう」と宗助が答えた。  こんな話をしているうちに、宗助はまた寝入ってしまった。御米は依然として、のつそつ床の中で動いていた。すると表をがらがらと烈しい音を立てて車が一台通った。近頃御米は時々夜明前の車の音を聞いて驚ろかされる事があった。そうしてそれを思い合わせると、いつも似寄った刻限なので、必竟は毎朝同じ車が同じ所を通るのだろうと推測した。多分牛乳を配達するためかなどで、ああ急ぐに違ないときめていたから、この音を聞くと等しく、もう夜が明けて、隣人の活動が始ったごとくに、心丈夫になった。そうこうしていると、どこかで鶏の声が聞えた。またしばらくすると、下駄の音を高く立てて往来を通るものがあった。そのうち清が下女部屋の戸を開けて厠へ起きた模様だったが、やがて茶の間へ来て時計を見ているらしかった。この時床の間に置いた洋灯の油が減って、短かい心に届かなくなったので、御米の寝ている所は真暗になっていた。そこへ清の手にした灯火の影が、襖の間から射し込んだ。 「清かい」と御米が声を掛けた。  清はそれからすぐ起きた。三十分ほど経って御米も起きた。また三十分ほど経って宗助もついに起きた。平常は好い時分に御米がやって来て、 「もう起きてもよくってよ」と云うのが例であった。日曜とたまの旗日には、それが、 「さあもう起きてちょうだい」に変るだけであった。しかし今日は昨夕の事が何となく気にかかるので、御米の迎に来ないうち宗助は床を離れた。そうして直崖下の雨戸を繰った。  下から覗くと、寒い竹が朝の空気に鎖されてじっとしている後から、霜を破る日の色が射して、幾分か頂を染めていた。その二尺ほど下の勾配の一番急な所に生えている枯草が、妙に摺り剥けて、赤土の肌を生々しく露出した様子に、宗助はちょっと驚ろかされた。それから一直線に降りて、ちょうど自分の立っている縁鼻の土が、霜柱を摧いたように荒れていた。宗助は大きな犬でも上から転がり落ちたのじゃなかろうかと思った。しかし犬にしてはいくら大きいにしても、余り勢が烈し過ぎると思った。  宗助は玄関から下駄を提げて来て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲って突き出しているので、いとど狭い崖下が、裏へ抜ける半間ほどの所はなおさら狭苦しくなっていた。御米は掃除屋が来るたびに、この曲り角を気にしては、 「あすこがもう少し広いといいけれども」と危険がるので、よく宗助から笑われた事があった。  そこを通り抜けると、真直に台所まで細い路が付いている。元は枯枝の交った杉垣があって、隣の庭の仕切りになっていたが、この間家主が手を入れた時、穴だらけの杉葉を奇麗に取り払って、今では節の多い板塀が片側を勝手口まで塞いでしまった。日当りの悪い上に、樋から雨滴ばかり落ちるので、夏になると秋海棠がいっぱい生える。その盛りな頃は青い葉が重なり合って、ほとんど通り路がなくなるくらい茂って来る。始めて越した年は、宗助も御米もこの景色を見て驚ろかされたくらいである。この秋海棠は杉垣のまだ引き抜かれない前から、何年となく地下に蔓っていたもので、古家の取り毀たれた今でも、時節が来ると昔の通り芽を吹くものと解った時、御米は、 「でも可愛いわね」と喜んだ。  宗助が霜を踏んで、この記念の多い横手へ出た時、彼の眼は細長い路次の一点に落ちた。そうして彼は日の通わない寒さの中にはたと留まった。  彼の足元には黒塗の蒔絵の手文庫が放り出してあった。中味はわざわざそこへ持って来て置いて行ったように、霜の上にちゃんと据っているが、蓋は二三尺離れて、塀の根に打ちつけられたごとくに引っ繰り返って、中を張った千代紙の模様が判然見えた。文庫の中から洩れた、手紙や書付類が、そこいらに遠慮なく散らばっている中に、比較的長い一通がわざわざ二尺ばかり広げられて、その先が紙屑のごとく丸めてあった。宗助は近づいて、この揉苦茶になった紙の下を覗いて覚えず苦笑した。下には大便が垂れてあった。  土の上に散らばっている書類を一纏にして、文庫の中へ入れて、霜と泥に汚れたまま宗助は勝手口まで持って来た。腰障子を開けて、清に 「おいこれをちょっとそこへ置いてくれ」と渡すと、清は妙な顔をして、不思議そうにそれを受取った。御米は奥で座敷へ払塵を掛けていた。宗助はそれから懐手をして、玄関だの門の辺をよく見廻ったが、どこにも平常と異なる点は認められなかった。  宗助はようやく家へ入った。茶の間へ来て例の通り火鉢の前へ坐ったが、すぐ大きな声を出して御米を呼んだ。御米は、 「起き抜けにどこへ行っていらしったの」と云いながら奥から出て来た。 「おい昨夜枕元で大きな音がしたのは、やっぱり夢じゃなかったんだ。泥棒だよ。泥棒が坂井さんの崖の上から宅の庭へ飛び下りた音だ。今裏へ回って見たら、この文庫が落ちていて、中にはいっていた手紙なんぞが、むちゃくちゃに放り出してあった。おまけに御馳走まで置いて行った」  宗助は文庫の中から、二三通の手紙を出して御米に見せた。それには皆坂井の名宛が書いてあった。御米は吃驚して立膝のまま、 「坂井さんじゃほかに何か取られたでしょうか」と聞いた。宗助は腕組をして、 「ことに因ると、まだ何かやられたね」と答えた。  夫婦はともかくもと云うので、文庫をそこへ置いたなり朝飯の膳に着いた。しかし箸を動かす間も泥棒の話は忘れなかった。御米は自分の耳と頭のたしかな事を夫に誇った。宗助は耳と頭のたしかでない事を幸福とした。 「そうおっしゃるけれど、これが坂井さんでなくって、宅で御覧なさい。あなたみたように、ぐうぐう寝ていらしったら困るじゃないの」と御米が宗助をやり込めた。 「なに、宅なんぞへ這入る気遣はないから大丈夫だ」と宗助も口の減らない返事をした。  そこへ清が突然台所から顔を出して、 「この間拵えた旦那様の外套でも取られようものなら、それこそ騒ぎでございましたね。御宅でなくって坂井さんだったから、本当に結構でございます」と真面目に悦の言葉を述べたので、宗助も御米も少し挨拶に窮した。  食事を済ましても、出勤の時刻にはまだだいぶ間があった。坂井では定めて騒いでるだろうと云うので、文庫は宗助が自分で持って行ってやる事にした。蒔絵ではあるが、ただ黒地に亀甲形を金で置いただけの事で、別に大して金目の物とも思えなかった。御米は唐桟の風呂敷を出してそれを包んだ。風呂敷が少し小さいので、四隅を対う同志繋いで、真中にこま結びを二つ拵えた。宗助がそれを提げたところは、まるで進物の菓子折のようであった。  座敷で見ればすぐ崖の上だが、表から廻ると、通りを半町ばかり来て、坂を上って、また半町ほど逆に戻らなければ、坂井の門前へは出られなかった。宗助は石の上へ芝を盛って扇骨木を奇麗に植えつけた垣に沿うて門内に入った。  家の内はむしろ静か過ぎるくらいしんとしていた。摺硝子の戸が閉ててある玄関へ来て、ベルを二三度押して見たが、ベルが利かないと見えて誰も出て来なかった。宗助は仕方なしに勝手口へ廻った。そこにも摺硝子の嵌まった腰障子が二枚閉ててあった。中では器物を取り扱う音がした。宗助は戸を開けて、瓦斯七輪を置いた板の間に蹲踞んでいる下女に挨拶をした。 「これはこちらのでしょう。今朝私の家の裏に落ちていましたから持って来ました」と云いながら、文庫を出した。  下女は「そうでございましたか、どうも」と簡単に礼を述べて、文庫を持ったまま、板の間の仕切まで行って、仲働らしい女を呼び出した。そこで小声に説明をして、品物を渡すと、仲働はそれを受取ったなり、ちょっと宗助の方を見たがすぐ奥へ入った。入れ違に、十二三になる丸顔の眼の大きな女の子と、その妹らしい揃のリボンを懸けた子がいっしょに馳けて来て、小さい首を二つ並べて台所へ出した。そうして宗助の顔を眺めながら、泥棒よと耳語やった。宗助は文庫を渡してしまえば、もう用が済んだのだから、奥の挨拶はどうでもいいとして、すぐ帰ろうかと考えた。 「文庫は御宅のでしょうね。いいんでしょうね」と念を押して、何にも知らない下女を気の毒がらしているところへ、最前の仲働が出て来て、 「どうぞ御通り下さい」と丁寧に頭を下げたので、今度は宗助の方が少し痛み入るようになった。下女はいよいよしとやかに同じ請求を繰り返した。宗助は痛み入る境を通り越して、ついに迷惑を感じ出した。ところへ主人が自分で出て来た。  主人は予想通り血色の好い下膨の福相を具えていたが、御米の云ったように髭のない男ではなかった。鼻の下に短かく刈り込んだのを生やして、ただ頬から腮を奇麗に蒼くしていた。 「いやどうもとんだ御手数で」と主人は眼尻に皺を寄せながら礼を述べた。米沢の絣を着た膝を板の間に突いて、宗助からいろいろ様子を聞いている態度が、いかにも緩くりしていた。宗助は昨夕から今朝へかけての出来事を一通り掻い撮んで話した上、文庫のほかに何か取られたものがあるかないかを尋ねて見た。主人は机の上に置いた金時計を一つ取られた由を答えた。けれどもまるで他のものでも失くなした時のように、いっこう困ったと云う気色はなかった。時計よりはむしろ宗助の叙述の方に多くの興味を有って、泥棒が果して崖を伝って裏から逃げるつもりだったろうか、または逃げる拍子に、崖から落ちたものだろうかと云うような質問を掛けた。宗助は固より返答ができなかった。  そこへ最前の仲働が、奥から茶や莨を運んで来たので、宗助はまた帰りはぐれた。主人はわざわざ座蒲団まで取り寄せて、とうとうその上へ宗助の尻を据えさした。そうして今朝早く来た刑事の話をし始めた。刑事の判定によると、賊は宵から邸内に忍び込んで、何でも物置かなぞに隠れていたに違ない。這入口はやはり勝手である。燐寸を擦って蝋燭を点して、それを台所にあった小桶の中へ立てて、茶の間へ出たが、次の部屋には細君と子供が寝ているので、廊下伝いに主人の書斎へ来て、そこで仕事をしていると、この間生れた末の男の子が、乳を呑む時刻が来たものか、眼を覚まして泣き出したため、賊は書斎の戸を開けて庭へ逃げたらしい。 「平常のように犬がいると好かったんですがね。あいにく病気なので、四五日前病院へ入れてしまったもんですから」と主人は残念がった。宗助も、 「それは惜しい事でした」と答えた。すると主人はその犬の種やら血統やら、時々猟に連れて行く事や、いろいろな事を話し始めた。 「猟は好ですから。もっとも近来は神経痛で少し休んでいますが。何しろ秋口から冬へ掛けて鴫なぞを打ちに行くと、どうしても腰から下は田の中へ浸って、二時間も三時間も暮らさなければならないんですから、全く身体には好くないようです」  主人は時間に制限のない人と見えて、宗助が、なるほどとか、そうですか、とか云っていると、いつまでも話しているので、宗助はやむを得ず中途で立ち上がった。 「これからまた例の通り出かけなければなりませんから」と切り上げると、主人は始めて気がついたように、忙がしいところを引き留めた失礼を謝した。そうしていずれまた刑事が現状を見に行くかも知れないから、その時はよろしく願うと云うような事を述べた。最後に、 「どうかちと御話に。私も近頃はむしろ閑な方ですから、また御邪魔に出ますから」と丁寧に挨拶をした。門を出て急ぎ足に宅へ帰ると、毎朝出る時刻よりも、もう三十分ほど後れていた。 「あなたどうなすったの」と御米が気を揉んで玄関へ出た。宗助はすぐ着物を脱いで洋服に着換えながら、 「あの坂井と云う人はよっぽど気楽な人だね。金があるとああ緩くりできるもんかな」と云った。 八 「小六さん、茶の間から始めて。それとも座敷の方を先にして」と御米が聞いた。  小六は四五日前とうとう兄の所へ引き移った結果として、今日の障子の張替を手伝わなければならない事となった。彼は昔し叔父の家にいた時、安之助といっしょになって、自分の部屋の唐紙を張り替えた経験がある。その時は糊を盆に溶いたり、箆を使って見たり、だいぶ本式にやり出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるという段になると、二枚とも反っ繰り返って敷居の溝へ嵌まらなかった。それからこれも安之助と共同して失敗した仕事であるが、叔母の云いつけで、障子を張らせられたときには、水道でざぶざぶ枠を洗ったため、やっぱり乾いた後で、惣体に歪ができて非常に困難した。 「姉さん、障子を張るときは、よほど慎重にしないと失策るです。洗っちゃ駄目ですぜ」と云いながら、小六は茶の間の縁側からびりびり破き始めた。  縁先は右の方に小六のいる六畳が折れ曲って、左には玄関が突き出している。その向うを塀が縁と平行に塞いでいるから、まあ四角な囲内と云っていい。夏になるとコスモスを一面に茂らして、夫婦とも毎朝露の深い景色を喜んだ事もあるし、また塀の下へ細い竹を立てて、それへ朝顔を絡ませた事もある。その時は起き抜けに、今朝咲いた花の数を勘定し合って二人が楽にした。けれども秋から冬へかけては、花も草もまるで枯れてしまうので、小さな砂漠みたように、眺めるのも気の毒なくらい淋しくなる。小六はこの霜ばかり降りた四角な地面を背にして、しきりに障子の紙を剥がしていた。  時々寒い風が来て、後から小六の坊主頭と襟の辺を襲った。そのたびに彼は吹き曝しの縁から六畳の中へ引っ込みたくなった。彼は赤い手を無言のまま働らかしながら、馬尻の中で雑巾を絞って障子の桟を拭き出した。 「寒いでしょう、御気の毒さまね。あいにく御天気が時雨れたもんだから」と御米が愛想を云って、鉄瓶の湯を注ぎ注ぎ、昨日煮た糊を溶いた。  小六は実際こんな用をするのを、内心では大いに軽蔑していた。ことに昨今自分がやむなく置かれた境遇からして、この際多少自己を侮辱しているかの観を抱いて雑巾を手にしていた。昔し叔父の家で、これと同じ事をやらせられた時は、暇潰しの慰みとして、不愉快どころかかえって面白かった記憶さえあるのに、今じゃこのくらいな仕事よりほかにする能力のないものと、強いて周囲から諦めさせられたような気がして、縁側の寒いのがなおのこと癪に触った。  それで嫂には快よい返事さえ碌にしなかった。そうして頭の中で、自分の下宿にいた法科大学生が、ちょっと散歩に出るついでに、資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸と歯磨を買うのにさえ、五円近くの金を払う華奢を思い浮べた。するとどうしても自分一人が、こんな窮境に陥るべき理由がないように感ぜられた。それから、こんな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦がいかにも憫然に見えた。彼らは障子を張る美濃紙を買うのにさえ気兼をしやしまいかと思われるほど、小六から見ると、消極的な暮し方をしていた。 「こんな紙じゃ、またすぐ破けますね」と云いながら、小六は巻いた小口を一尺ほど日に透かして、二三度力任せに鳴らした。 「そう? でも宅じゃ小供がないから、それほどでもなくってよ」と答えた御米は糊を含ました刷毛を取ってとんとんとんと桟の上を渡した。  二人は長く継いだ紙を双方から引き合って、なるべく垂るみのできないように力めたが、小六が時々面倒臭そうな顔をすると、御米はつい遠慮が出て、好加減に髪剃で小口を切り落してしまう事もあった。したがってでき上ったものには、所々のぶくぶくがだいぶ目についた。御米は情なさそうに、戸袋に立て懸けた張り立ての障子を眺めた。そうして心の中で、相手が小六でなくって、夫であったならと思った。 「皺が少しできたのね」 「どうせ僕の御手際じゃ旨く行かない」 「なに兄さんだって、そう御上手じゃなくってよ。それに兄さんはあなたよりよっぽど無精ね」  小六は何にも答えなかった。台所から清が持って来た含嗽茶碗を受け取って、戸袋の前へ立って、紙が一面に濡れるほど霧を吹いた。二枚目を張ったときは、先に霧を吹いた分がほぼ乾いて皺がおおかた平らになっていた。三枚目を張ったとき、小六は腰が痛くなったと云い出した。実を云うと御米の方は今朝から頭が痛かったのである。 「もう一枚張って、茶の間だけ済ましてから休みましょう」と云った。  茶の間を済ましているうちに午になったので、二人は食事を始めた。小六が引き移ってからこの四五日、御米は宗助のいない午飯を、いつも小六と差向で食べる事になった。宗助といっしょになって以来、御米の毎日膳を共にしたものは、夫よりほかになかった。夫の留守の時は、ただ独り箸を執るのが多年の習慣であった。だから突然この小舅と自分の間に御櫃を置いて、互に顔を見合せながら、口を動かすのが、御米に取っては一種異な経験であった。それも下女が台所で働らいているときは、まだしもだが、清の影も音もしないとなると、なおのこと変に窮屈な感じが起った。無論小六よりも御米の方が年上であるし、また従来の関係から云っても、両性を絡みつける艶っぽい空気は、箝束的な初期においてすら、二人の間に起り得べきはずのものではなかった。御米は小六と差向に膳に着くときのこの気ぶっせいな心持が、いつになったら消えるだろうと、心の中で私に疑ぐった。小六が引き移るまでは、こんな結果が出ようとは、まるで気がつかなかったのだからなおさら当惑した。仕方がないからなるべく食事中に話をして、せめて手持無沙汰な隙間だけでも補おうと力めた。不幸にして今の小六は、この嫂の態度に対してほどの好い調子を出すだけの余裕と分別を頭の中に発見し得なかったのである。 「小六さん、下宿は御馳走があって」  こんな質問に逢うと、小六は下宿から遊びに来た時分のように、淡泊な遠慮のない答をする訳に行かなくなった。やむを得ず、 「なにそうでもありません」ぐらいにしておくと、その語気がからりと澄んでいないので、御米の方では、自分の待遇が悪いせいかと解釈する事もあった。それがまた無言の間に、小六の頭に映る事もあった。  ことに今日は頭の具合が好くないので、膳に向っても、御米はいつものように力めるのが退儀であった。力めて失敗するのはなお厭であった。それで二人とも障子を張るときよりも言葉少なに食事を済ました。  午後は手が慣れたせいか、朝に比べると仕事が少し果取った。しかし二人の気分は飯前よりもかえって縁遠くなった。ことに寒い天気が二人の頭に応えた。起きた時は、日を載せた空がしだいに遠退いて行くかと思われるほどに、好く晴れていたが、それが真蒼に色づく頃から急に雲が出て、暗い中で粉雪でも醸しているように、日の目を密封した。二人は交る交る火鉢に手を翳した。 「兄さんは来年になると月給が上がるんでしょう」  ふと小六がこんな問を御米にかけた。御米はその時畳の上の紙片を取って、糊に汚れた手を拭いていたが、全く思も寄らないという顔をした。 「どうして」 「でも新聞で見ると、来年から一般に官吏の増俸があると云う話じゃありませんか」  御米はそんな消息を全く知らなかった。小六から詳しい説明を聞いて、始めてなるほどと首肯いた。 「全くね。これじゃ誰だって、やって行けないわ。御肴の切身なんか、私が東京へ来てからでも、もう倍になってるんですもの」と云った。肴の切身の値段になると小六の方が全く無識であった。御米に注意されて始めてそれほどむやみに高くなるものかと思った。  小六にちょっとした好奇心の出たため、二人の会話は存外素直に流れて行った。御米は裏の家主の十八九時代に物価の大変安かった話を、この間宗助から聞いた通り繰り返した。その時分は蕎麦を食うにしても、盛かけが八厘、種ものが二銭五厘であった。牛肉は普通が一人前四銭で、ロースは六銭であった。寄席は三銭か四銭であった。学生は月に七円ぐらい国から貰えば中の部であった。十円も取るとすでに贅沢と思われた。 「小六さんも、その時分だと訳なく大学が卒業できたのにね」と御米が云った。 「兄さんもその時分だと大変暮しやすい訳ですね」と小六が答えた。  座敷の張易が済んだときにはもう三時過になった。そうこうしているうちには、宗助も帰って来るし、晩の支度も始めなくってはならないので、二人はこれを一段落として、糊や髪剃を片づけた。小六は大きな伸を一つして、握り拳で自分の頭をこんこんと叩いた。 「どうも御苦労さま。疲れたでしょう」と御米は小六を労わった。小六はそれよりも口淋しい思がした。この間文庫を届けてやった礼に、坂井からくれたと云う菓子を、戸棚から出して貰って食べた。御米は御茶を入れた。 「坂井と云う人は大学出なんですか」 「ええ、やっぱりそうなんですって」  小六は茶を飲んで煙草を吹いた。やがて、 「兄さんは増俸の事をまだあなたに話さないんですか」と聞いた。 「いいえ、ちっとも」と御米が答えた。 「兄さんみたようになれたら好いだろうな。不平も何もなくって」  御米は特別の挨拶もしなかった。小六はそのまま起って六畳へ這入ったが、やがて火が消えたと云って、火鉢を抱えてまた出て来た。彼は兄の家に厄介になりながら、もう少し立てば都合がつくだろうと慰めた安之助の言葉を信じて、学校は表向休学の体にして一時の始末をつけたのである。 九  裏の坂井と宗助とは文庫が縁になって思わぬ関係がついた。それまでは月に一度こちらから清に家賃を持たしてやると、向からその受取を寄こすだけの交渉に過ぎなかったのだから、崖の上に西洋人が住んでいると同様で、隣人としての親みは、まるで存在していなかったのである。  宗助が文庫を届けた日の午後に、坂井の云った通り、刑事が宗助の家の裏手から崖下を検べに来たが、その時坂井もいっしょだったので、御米は始めて噂に聞いた家主の顔を見た。髭のないと思ったのに、髭を生やしているのと、自分なぞに対しても、存外丁寧な言葉を使うのが、御米には少し案外であった。 「あなた、坂井さんはやっぱり髭を生やしていてよ」と宗助が帰ったとき、御米はわざわざ注意した。  それから二日ばかりして、坂井の名刺を添えた立派な菓子折を持って、下女が礼に来たが、せんだってはいろいろ御世話になりまして、ありがとう存じます、いずれ主人が自身に伺うはずでございますがと云いおいて、帰って行った。  その晩宗助は到来の菓子折の葢を開けて、唐饅頭を頬張りながら、 「こんなものをくれるところをもって見ると、それほど吝でもないようだね。他の家の子をブランコへ乗せてやらないって云うのは嘘だろう」と云った。御米も、 「きっと嘘よ」と坂井を弁護した。  夫婦と坂井とは泥棒の這入らない前より、これだけ親しみの度が増したようなものの、それ以上に接近しようと云う念は、宗助の頭にも、御米の胸にも宿らなかった。利害の打算から云えば無論の事、単に隣人の交際とか情誼とか云う点から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇気を有たなかったのである。もし自然がこのままに無為の月日を駆ったなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井になり、宗助は元の宗助になって、崖の上と崖の下に互の家が懸け隔るごとく、互の心も離れ離れになったに違なかった。  ところがそれからまた二日置いて、三日目の暮れ方に、獺の襟の着いた暖かそうな外套を着て、突然坂井が宗助の所へやって来た。夜間客に襲われつけない夫婦は、軽微の狼狽を感じたくらい驚ろかされたが、座敷へ上げて話して見ると、坂井は丁寧に先日の礼を述べた後、 「御蔭で取られた品物がまた戻りましたよ」と云いながら、白縮緬の兵児帯に巻き付けた金鎖を外して、両葢の金時計を出して見せた。  規則だから警察へ届ける事は届けたが、実はだいぶ古い時計なので、取られてもそれほど惜しくもないぐらいに諦らめていたら、昨日になって、突然差出人の不明な小包が着いて、その中にちゃんと自分の失くしたのが包んであったんだと云う。 「泥棒も持ち扱かったんでしょう。それとも余り金にならないんで、やむを得ず返してくれる気になったんですかね。何しろ珍らしい事で」と坂井は笑っていた。それから、 「何私から云うと、実はあの文庫の方がむしろ大切な品でしてね。祖母が昔し御殿へ勤めていた時分、戴いたんだとか云って、まあ記念のようなものですから」と云うような事も説明して聞かした。  その晩坂井はそんな話を約二時間もして帰って行ったが、相手になった宗助も、茶の間で聞いていた御米も、大変談話の材料に富んだ人だと思わぬ訳に行かなかった。後で、 「世間の広い方ね」と御米が評した。 「閑だからさ」と宗助が解釈した。  次の日宗助が役所の帰りがけに、電車を降りて横町の道具屋の前まで来ると、例の獺の襟を着けた坂井の外套がちょっと眼に着いた。横顔を往来の方へ向けて、主人を相手に何か云っている。主人は大きな眼鏡を掛けたまま、下から坂井の顔を見上げている。宗助は挨拶をすべき折でもないと思ったから、そのまま行き過ぎようとして、店の正面まで来ると、坂井の眼が往来へ向いた。 「やあ昨夜は。今御帰りですか」と気軽に声をかけられたので、宗助も愛想なく通り過ぎる訳にも行かなくなって、ちょっと歩調を緩めながら、帽子を取った。すると坂井は、用はもう済んだと云う風をして、店から出て来た。 「何か御求めですか」と宗助が聞くと、 「いえ、何」と答えたまま、宗助と並んで家の方へ歩き出した。六七間来たとき、 「あの爺い、なかなか猾い奴ですよ。崋山の偽物を持って来て押付ようとしやがるから、今叱りつけてやったんです」と云い出した。宗助は始めて、この坂井も余裕ある人に共通な好事を道楽にしているのだと心づいた。そうしてこの間売り払った抱一の屏風も、最初からこう云う人に見せたら、好かったろうにと、腹の中で考えた。 「あれは書画には明るい男なんですか」 「なに書画どころか、まるで何も分らない奴です。あの店の様子を見ても分るじゃありませんか。骨董らしいものは一つも並んでいやしない。もとが紙屑屋から出世してあれだけになったんですからね」  坂井は道具屋の素性をよく知っていた。出入の八百屋の阿爺の話によると、坂井の家は旧幕の頃何とかの守と名乗ったもので、この界隈では一番古い門閥家なのだそうである。瓦解の際、駿府へ引き上げなかったんだとか、あるいは引き上げてまた出て来たんだとか云う事も耳にしたようであるが、それは判然宗助の頭に残っていなかった。 「小さい内から悪戯ものでね。あいつが餓鬼大将になってよく喧嘩をしに行った事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事まで一口洩らした。それがまたどうして崋山の贋物を売り込もうと巧んだのかと聞くと、坂井は笑って、こう説明した。―― 「なに親父の代から贔屓にしてやってるものですから、時々何だ蚊だって持って来るんです。ところが眼も利かない癖に、ただ慾ばりたがってね、まことに取扱い悪い代物です。それについこの間抱一の屏風を買って貰って、味を占めたんでね」  宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮ぎる訳に行かなかったので、黙っていた。坂井は道具屋がそれ以来乗気になって、自身に分りもしない書画類をしきりに持ち込んで来る事やら、大坂出来の高麗焼を本物だと思って、大事に飾っておいた事やら話した末、 「まあ台所で使う食卓か、たかだか新の鉄瓶ぐらいしか、あんな所じゃ買えたもんじゃありません」と云った。  そのうち二人は坂の上へ出た。坂井はそこを右へ曲る、宗助はそこを下へ下りなければならなかった。宗助はもう少しいっしょに歩いて、屏風の事を聞きたかったが、わざわざ回り路をするのも変だと心づいて、それなり分れた。分れる時、 「近い中御邪魔に出てもようございますか」と聞くと、坂井は、 「どうぞ」と快よく答えた。  その日は風もなくひとしきり日も照ったが、家にいると底冷のする寒さに襲われるとか云って、御米はわざわざ置炬燵に宗助の着物を掛けて、それを座敷の真中に据えて、夫の帰りを待ち受けていた。  この冬になって、昼のうち炬燵を拵らえたのは、その日が始めてであった。夜は疾うから用いていたが、いつも六畳に置くだけであった。 「座敷の真中にそんなものを据えて、今日はどうしたんだい」 「でも、御客も何もないからいいでしょう。だって六畳の方は小六さんがいて、塞がっているんですもの」  宗助は始めて自分の家に小六のいる事に気がついた。襯衣の上から暖かい紡績織を掛けて貰って、帯をぐるぐる巻きつけたが、 「ここは寒帯だから炬燵でも置かなくっちゃ凌げない」と云った。小六の部屋になった六畳は、畳こそ奇麗でないが、南と東が開いていて、家中で一番暖かい部屋なのである。  宗助は御米の汲んで来た熱い茶を湯呑から二口ほど飲んで、 「小六はいるのかい」と聞いた。小六は固よりいたはずである。けれども六畳はひっそりして人のいるようにも思われなかった。御米が呼びに立とうとするのを、用はないからいいと留めたまま、宗助は炬燵蒲団の中へ潜り込んで、すぐ横になった。一方口に崖を控えている座敷には、もう暮方の色が萌していた。宗助は手枕をして、何を考えるともなく、ただこの暗く狭い景色を眺めていた。すると御米と清が台所で働く音が、自分に関係のない隣の人の活動のごとくに聞えた。そのうち、障子だけがただ薄白く宗助の眼に映るように、部屋の中が暮れて来た。彼はそれでもじっとして動かずにいた。声を出して洋灯の催促もしなかった。  彼が暗い所から出て、晩食の膳に着いた時は、小六も六畳から出て来て、兄の向うに坐った。御米は忙しいので、つい忘れたと云って、座敷の戸を締めに立った。宗助は弟に夕方になったら、ちと洋灯を点けるとか、戸を閉てるとかして、忙しい姉の手伝でもしたら好かろうと注意したかったが、昨今引き移ったばかりのものに、気まずい事を云うのも悪かろうと思ってやめた。  御米が座敷から帰って来るのを待って、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。その時宗助はようやく今日役所の帰りがけに、道具屋の前で坂井に逢った事と、坂井があの大きな眼鏡を掛けている道具屋から、抱一の屏風を買ったと云う話をした。御米は、 「まあ」と云ったなり、しばらく宗助の顔を見ていた。 「じゃきっとあれよ。きっとあれに違ないわね」  小六は始めのうち何にも口を出さなかったが、だんだん兄夫婦の話を聞いているうちに、ほぼ関係が明暸になったので、 「全体いくらで売ったのです」と聞いた。御米は返事をする前にちょっと夫の顔を見た。  食事が終ると、小六はじきに六畳へ這入った。宗助はまた炬燵へ帰った。しばらくして御米も足を温めに来た。そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、一つ屏風を見て来たらいいだろうと云うような事を話し合った。  次の日曜になると、宗助は例の通り一週に一返の楽寝を貪ぼったため、午前半日をとうとう空に潰してしまった。御米はまた頭が重いとか云って、火鉢の縁に倚りかかって、何をするのも懶そうに見えた。こんな時に六畳が空いていれば、朝からでも引込む場所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳をあてがった事が、間接に御米の避難場を取り上げたと同じ結果に陥るので、ことに済まないような気がした。  心持が悪ければ、座敷へ床を敷いて寝たら好かろうと注意しても、御米は遠慮して容易に応じなかった。それではまた炬燵でも拵えたらどうだ、自分も当るからと云って、とうとう櫓と掛蒲団を清に云いつけて、座敷へ運ばした。  小六は宗助が起きる少し前に、どこかへ出て行って、今朝は顔さえ見せなかった。宗助は御米に向って別段その行先を聞き糺しもしなかった。この頃では小六に関係した事を云い出して、御米にその返事をさせるのが、気の毒になって来た。御米の方から、進んで弟の讒訴でもするようだと、叱るにしろ、慰さめるにしろ、かえって始末が好いと考える時もあった。  午になっても御米は炬燵から出なかった。宗助はいっそ静かに寝かしておく方が身体のためによかろうと思ったので、そっと台所へ出て、清にちょっと上の坂井まで行ってくるからと告げて、不断着の上へ、袂の出る短いインヴァネスを纏って表へ出た。  今まで陰気な室にいた所為か、通へ来ると急にからりと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覚えたので、宗助は御米もああ家にばかり置いては善くない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気を呼吸させるようにしてやらなくては毒だと思いながら歩いた。  坂井の家の門を入ったら、玄関と勝手口の仕切になっている生垣の目に、冬に似合わないぱっとした赤いものが見えた。傍へ寄ってわざわざ検べると、それは人形に掛ける小さい夜具であった。細い竹を袖に通して、落ちないように、扇骨木の枝に寄せ掛けた手際が、いかにも女の子の所作らしく殊勝に思われた。こう云う悪戯をする年頃の娘は固よりの事、子供と云う子供を育て上げた経験のない宗助は、この小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有様をしばらく立って眺めていた。そうして二十年も昔に父母が、死んだ妹のために飾った、赤い雛段と五人囃と、模様の美くしい干菓子と、それから甘いようで辛い白酒を思い出した。  坂井の主人は在宅ではあったけれども、食事中だと云うので、しばらく待たせられた。宗助は座に着くや否や、隣の室で小さい夜具を干した人達の騒ぐ声を耳にした。下女が茶を運ぶために襖を開けると、襖の影から大きな眼が四つほどすでに宗助を覗いていた。火鉢を持って出ると、その後からまた違った顔が見えた。始めてのせいか、襖の開閉のたびに出る顔がことごとく違っていて、子供の数が何人あるか分らないように思われた。ようやく下女が退がりきりに退がると、今度は誰だか唐紙を一寸ほど細目に開けて、黒い光る眼だけをその間から出した。宗助も面白くなって、黙って手招ぎをして見た。すると唐紙をぴたりと閉てて、向う側で三四人が声を合して笑い出した。  やがて一人の女の子が、 「よう、御姉様またいつものように叔母さんごっこしましょうよ」と云い出した。すると姉らしいのが、 「ええ、今日は西洋の叔母さんごっこよ。東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだからママって云うのよ。よくって」と説明した。その時また別の声で、 「おかしいわね。ママだって」と云って嬉しそうに笑ったものがあった。 「私それでもいつも御祖母さまなのよ。御祖母さまの西洋の名がなくっちゃいけないわねえ。御祖母さまは何て云うの」と聞いたものもあった。 「御祖母さまはやっぱりババでいいでしょう」と姉がまた説明した。  それから当分の間は、御免下さいましだの、どちらからいらっしゃいましたのと盛に挨拶の言葉が交換されていた。その間にはちりんちりんと云う電話の仮色も交った。すべてが宗助には陽気で珍らしく聞えた。  そこへ奥の方から足音がして、主人がこっちへ出て来たらしかったが、次の間へ入るや否や、 「さあ、御前達はここで騒ぐんじゃない。あっちへ行っておいで。御客さまだから」と制した。その時、誰だかすぐに、 「厭だよ。御父っちゃんべい。大きい御馬買ってくれなくっちゃ、あっちへ行かないよ」と答えた。声は小さい男の子の声であった。年が行かないためか、舌がよく回らないので、抗弁のしようがいかにも億劫で手間がかかった。宗助はそこを特に面白く思った。  主人が席に着いて、長い間待たした失礼を詫びている間に、子供は遠くへ行ってしまった。 「大変御賑やかで結構です」と宗助が今自分の感じた通を述べると、主人はそれを愛嬌と受取ったものと見えて、 「いや御覧のごとく乱雑な有様で」と言訳らしい返事をしたが、それを緒に、子供の世話の焼けて、夥だしく手のかかる事などをいろいろ宗助に話して聞かした。その中で綺麗な支那製の花籃のなかへ炭団を一杯盛って床の間に飾ったと云う滑稽と、主人の編上の靴のなかへ水を汲み込んで、金魚を放したと云う悪戯が、宗助には大変耳新しかった。しかし、女の子が多いので服装に物が要るとか、二週間も旅行して帰ってくると、急にみんなの背が一寸ずつも伸びているので、何だか後から追いつかれるような心持がするとか、もう少しすると、嫁入の支度で忙殺されるのみならず、きっと貧殺されるだろうとか云う話になると、子供のない宗助の耳にはそれほどの同情も起し得なかった。かえって主人が口で子供を煩冗がる割に、少しもそれを苦にする様子の、顔にも態度にも見えないのを羨ましく思った。  好い加減な頃を見計って宗助は、せんだって話のあった屏風をちょっと見せて貰えまいかと、主人に申し出た。主人はさっそく引き受けて、ぱちぱちと手を鳴らして、召使を呼んだが、蔵の中にしまってあるのを取り出して来るように命じた。そうして宗助の方を向いて、 「つい二三日前までそこへ立てておいたのですが、例の子供が面白半分にわざと屏風の影へ集まって、いろいろな悪戯をするものですから、傷でもつけられちゃ大変だと思ってしまい込んでしまいました」と云った。  宗助は主人のこの言葉を聞いた時、今更手数をかけて、屏風を見せて貰うのが、気の毒にもなり、また面倒にもなった。実を云うと彼の好奇心は、それほど強くなかったのである。なるほどいったん他の所有に帰したものは、たとい元が自分のであったにしろ、無かったにしろ、そこを突き留めたところで、実際上には何の効果もない話に違なかった。  けれども、屏風は宗助の申し出た通り、間もなく奥から縁伝いに運び出されて、彼の眼の前に現れた。そうしてそれが予想通りついこの間まで自分の座敷に立ててあった物であった。この事実を発見した時、宗助の頭には、これと云って大した感動も起らなかった。ただ自分が今坐っている畳の色や、天井の柾目や、床の置物や、襖の模様などの中に、この屏風を立てて見て、それに、召使が二人がかりで、蔵の中から大事そうに取り出して来たと云う所作を付け加えて考えると、自分が持っていた時よりは、たしかに十倍以上貴とい品のように眺められただけであった。彼は即座に云うべき言葉を見出し得なかったので、いたずらに、見慣れたものの上に、さらに新らしくもない眼を据えていた。  主人は宗助をもってある程度の鑑賞家と誤解した。立ちながら屏風の縁へ手を掛けて、宗助の面と屏風の面とを比較していたが、宗助が容易に批評を下さないので、 「これは素性のたしかなものです。出が出ですからね」と云った。宗助は、ただ 「なるほど」と云った。  主人はやがて宗助の後へ回って来て、指でそこここを指しながら、品評やら説明やらした。その中には、さすが御大名だけあって、好い絵の具を惜気もなく使うのがこの画家の特色だから、色がいかにもみごとであると云うような、宗助には耳新らしいけれども、普通一般に知れ渡った事もだいぶ交っていた。  宗助は好い加減な頃を見計らって、丁寧に礼を述べて元の席に復した。主人も蒲団の上に直った。そうして、今度は野路や空云々という題句やら書体やらについて語り出した。宗助から見ると、主人は書にも俳句にも多くの興味を有っていた。いつの間にこれほどの知識を頭の中へ貯え得らるるかと思うくらい、すべてに心得のある男らしく思われた。宗助は己れを恥じて、なるべく物数を云わないようにして、ただ向うの話だけに耳を借す事を力めた。  主人は客がこの方面の興味に乏しい様子を見て、再び話を画の方へ戻した。碌なものはないけれども、望ならば所蔵の画帖や幅物を見せてもいいと親切に申し出した。宗助はせっかくの好意を辞退しない訳に行かなかった。その代りに、失礼ですがと前置をして、主人がこの屏風を手に入れるについて、どれほどの金額を払ったかを尋ねた。 「まあ掘出し物ですね。八十円で買いました」と主人はすぐ答えた。  宗助は主人の前に坐って、この屏風に関するいっさいの事を自白しようか、しまいかと思案したが、ふと打ち明けるのも一興だろうと心づいて、とうとう実はこれこれだと、今までの顛末を詳しく話し出した。主人は時々へえ、へえと驚ろいたような言葉を挟んで聞いていたが、しまいに、 「じゃあなたは別に書画が好きで、見にいらしった訳でもないんですね」と自分の誤解を、さも面白い経験でもしたように笑い出した。同時に、そう云う訳なら、自分が直に宗助から相当の値で譲って貰えばよかったに、惜しい事をしたと云った。最後に横町の道具屋をひどく罵しって、怪しからん奴だと云った。  宗助と坂井とはこれからだいぶ親しくなった。 十  佐伯の叔母も安之助もその後とんと宗助の宅へは見えなかった。宗助は固より麹町へ行く余暇を有たなかった。またそれだけの興味もなかった。親類とは云いながら、別々の日が二人の家を照らしていた。  ただ小六だけが時々話しに出かける様子であったが、これとても、そう繁々足を運ぶ訳でもないらしかった。それに彼は帰って来て、叔母の家の消息をほとんど御米に語らないのを常としておった。御米はこれを故意から出る小六の仕打かとも疑った。しかし自分が佐伯に対して特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動静を耳にしない方を、かえって喜こんだ。  それでも時々は、先方の様子を、小六と兄の対話から聞き込む事もあった。一週間ほど前に、小六は兄に、安之助がまた新発明の応用に苦心している話をした。それは印気の助けを借らないで、鮮明な印刷物を拵らえるとか云う、ちょっと聞くとすこぶる重宝な器械についてであった。話題の性質から云っても、自分とは全く利害の交渉のないむずかしい事なので、御米は例の通り黙って口を出さずにいたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、どうして印気を使わずに印刷ができるかなどと問い糺していた。  専門上の知識のない小六が、精密な返答をし得るはずは無論なかった。彼はただ安之助から聞いたままを、覚えている限り念を入れて説明した。この印刷術は近来英国で発明になったもので、根本的にいうとやはり電気の利用に過ぎなかった。電気の一極を活字と結びつけておいて、他の一極を紙に通じて、その紙を活字の上へ圧しつけさえすれば、すぐできるのだと小六が云った。色は普通黒であるが、手加減しだいで赤にも青にもなるから色刷などの場合には、絵の具を乾かす時間が省けるだけでも大変重宝で、これを新聞に応用すれば、印気や印気ロールの費を節約する上に、全体から云って、少くとも従来の四分の一の手数がなくなる点から見ても、前途は非常に有望な事業であると、小六はまた安之助の話した通りを繰り返した。そうしてその有望な前途を、安之助がすでに手の中に握ったかのごとき口気であった。かつその多望な安之助の未来のなかには、同じく多望な自分の影が、含まれているように、眼を輝やかした。その時宗助はいつもの調子で、むしろ穏やかに、弟の云う事を聞いていたが、聞いてしまった後でも、別にこれという眼立った批評は加えなかった。実際こんな発明は、宗助から見ると、本当のようでもあり、また嘘のようでもあり、いよいよそれが世間に行われるまでは、賛成も反対もできかねたのである。 「じゃ鰹船の方はもう止したの」と、今まで黙っていた御米が、この時始めて口を出した。 「止したんじゃないんですが、あの方は費用が随分かかるので、いくら便利でも、そう誰も彼も拵える訳に行かないんだそうです」と小六が答えた。小六は幾分か安之助の利害を代表しているような口振であった。それから三人の間に、しばらく談話が交換されたが、しまいに、 「やっぱり何をしたって、そう旨く行くもんじゃあるまいよ」と云った宗助の言葉と、 「坂井さんみたように、御金があって遊んでいるのが一番いいわね」と云った御米の言葉を聞いて、小六はまた自分の部屋へ帰って行った。  こう云う機会に、佐伯の消息は折々夫婦の耳へ洩れる事はあるが、そのほかには、全く何をして暮らしているか、互に知らないで過す月日が多かった。  ある時御米は宗助にこんな問を掛けた。 「小六さんは、安さんの所へ行くたんびに、小遣でも貰って来るんでしょうか」  今まで小六について、それほどの注意を払っていなかった宗助は、突然この問に逢って、すぐ、「なぜ」と聞き返した。御米はしばらく逡巡った末、 「だって、この頃よく御酒を呑んで帰って来る事があるのよ」と注意した。 「安さんが例の発明や、金儲けの話をするとき、その聞き賃に奢るのかも知れない」と云って宗助は笑っていた。会話はそれなりでつい発展せずにしまった。  越えて三日目の夕方に、小六はまた飯時を外して帰って来なかった。しばらく待ち合せていたが、宗助はついに空腹だとか云い出して、ちょっと湯にでも行って時間を延ばしたらという御米の小六に対する気兼に頓着なく、食事を始めた。その時御米は夫に、 「小六さんに御酒を止めるように、あなたから云っちゃいけなくって」と切り出した。 「そんなに意見しなければならないほど飲むのか」と宗助は少し案外な顔をした。  御米はそれほどでもないと、弁護しなければならなかった。けれども実際は誰もいない昼間のうちなどに、あまり顔を赤くして帰って来られるのが、不安だったのである。宗助はそれなり放っておいた。しかし腹の中では、はたして御米の云うごとく、どこかで金を借りるか、貰うかして、それほど好きもしないものを、わざと飲むのではなかろうかと疑ぐった。  そのうち年がだんだん片寄って、夜が世界の三分の二を領するように押しつまって来た。風が毎日吹いた。その音を聞いているだけでも生活に陰気な響を与えた。小六はどうしても、六畳に籠って、一日を送るに堪えなかった。落ちついて考えれば考えるほど、頭が淋しくって、いたたまれなくなるばかりであった。茶の間へ出て嫂と話すのはなお厭であった。やむを得ず外へ出た。そうして友達の宅をぐるぐる回って歩いた。友達も始のうちは、平生の小六に対するように、若い学生のしたがる面白い話をいくらでもした。けれども小六はそう云う話が尽きても、まだやって来た。それでしまいには、友達が、小六は、退屈の余りに訪問をして、談話の復習に耽るものだと評した。たまには学校の下読やら研究やらに追われている多忙の身だと云う風もして見せた。小六は友達からそう呑気な怠けもののように取り扱われるのを、大変不愉快に感じた。けれども宅に落ちついては、読書も思索も、まるでできなかった。要するに彼ぐらいの年輩の青年が、一人前の人間になる階梯として、修むべき事、力むべき事には、内部の動揺やら、外部の束縛やらで、いっさい手が着かなかったのである。  それでも冷たい雨が横に降ったり、雪融の道がはげしく泥ったりする時は、着物を濡らさなければならず、足袋の泥を乾かさなければならない面倒があるので、いかな小六も時によると、外出を見合せる事があった。そう云う日には、実際困却すると見えて、時々六畳から出て来て、のそりと火鉢の傍へ坐って、茶などを注いで飲んだ。そうしてそこに御米でもいると、世間話の一つや二つはしないとも限らなかった。 「小六さん御酒好き」と御米が聞いた事があった。 「もう直御正月ね。あなた御雑煮いくつ上がって」と聞いた事もあった。  そう云う場合が度重なるに連れて、二人の間は少しずつ近寄る事ができた。しまいには、姉さんちょっとここを縫って下さいと、小六の方から進んで、御米に物を頼むようになった。そうして御米が絣の羽織を受取って、袖口の綻を繕っている間、小六は何にもせずにそこへ坐って、御米の手先を見つめていた。これが夫だと、いつまでも黙って針を動かすのが、御米の例であったが、相手が小六の時には、そう投遣にできないのが、また御米の性質であった。だからそんな時には力めても話をした。話の題目で、ややともすると小六の口に宿りたがるものは、彼の未来をどうしたら好かろうと云う心配であった。 「だって小六さんなんか、まだ若いじゃありませんか。何をしたってこれからだわ。そりゃ兄さんの事よ。そう悲観してもいいのは」  御米は二度ばかりこういう慰め方をした。三度目には、 「来年になれば、安さんの方でどうか都合して上げるって受合って下すったんじゃなくって」と聞いた。小六はその時不慥な表情をして、 「そりゃ安さんの計画が、口でいう通り旨く行けば訳はないんでしょうが、だんだん考えると、何だか少し当にならないような気がし出してね。鰹船もあんまり儲からないようだから」と云った。御米は小六の憮然としている姿を見て、それを時々酒気を帯びて帰って来る、どこかに殺気を含んだ、しかも何が癪に障るんだか訳が分らないでいてはなはだ不平らしい小六と比較すると、心の中で気の毒にもあり、またおかしくもあった。その時は、 「本当にね。兄さんにさえ御金があると、どうでもして上げる事ができるんだけれども」と、御世辞でも何でもない、同情の意を表した。  その夕暮であったか、小六はまた寒い身体を外套に包んで出て行ったが、八時過に帰って来て、兄夫婦の前で、袂から白い細長い袋を出して、寒いから蕎麦掻を拵らえて食おうと思って、佐伯へ行った帰りに買って来たと云った。そうして御米が湯を沸かしているうちに、煮出しを拵えるとか云って、しきりに鰹節を掻いた。  その時宗助夫婦は、最近の消息として、安之助の結婚がとうとう春まで延びた事を聞いた。この縁談は安之助が学校を卒業すると間もなく起ったもので、小六が房州から帰って、叔母に学資の供給を断わられる時分には、もうだいぶ話が進んでいたのである。正式の通知が来ないので、いつ纏ったか、宗助はまるで知らなかったが、ただ折々佐伯へ行っては、何か聞いて来る小六を通じてのみ、彼は年内に式を挙げるはずの新夫婦を予想した。その他には、嫁の里がある会社員で、有福な生計をしている事と、その学校が女学館であるという事と、兄弟がたくさんあると云う事だけを、同じく小六を通じて耳にした。写真にせよ顔を知ってるのは小六ばかりであった。 「好い器量?」と御米が聞いた事がある。 「まあ好い方でしょう」と小六が答えた事がある。  その晩はなぜ暮のうちに式を済まさないかと云うのが、蕎麦掻のでき上る間、三人の話題になった。御米は方位でも悪いのだろうと臆測した。宗助は押しつまって日がないからだろうと考えた。独り小六だけが、 「やっぱり物質的の必要かららしいです。先が何でもよほど派出な家なんで、叔母さんの方でもそう単簡に済まされないんでしょう」といつにない世帯染みた事を云った。 十一  御米のぶらぶらし出したのは、秋も半ば過ぎて、紅葉の赤黒く縮れる頃であった。京都にいた時分は別として、広島でも福岡でも、あまり健康な月日を送った経験のない御米は、この点に掛けると、東京へ帰ってからも、やはり仕合せとは云えなかった。この女には生れ故郷の水が、性に合わないのだろうと、疑ぐれば疑ぐられるくらい、御米は一時悩んだ事もあった。  近頃はそれがだんだん落ちついて来て、宗助の気を揉む機会も、年に幾度と勘定ができるくらい少なくなったから、宗助は役所の出入に、御米はまた夫の留守の立居に、等しく安心して時間を過す事ができたのである。だからことしの秋が暮れて、薄い霜を渡る風が、つらく肌を吹く時分になって、また少し心持が悪くなり出しても、御米はそれほど苦にもならなかった。始のうちは宗助にさえ知らせなかった。宗助が見つけて、医者に掛かれと勧めても、容易に掛からなかった。  そこへ小六が引越して来た。宗助はその頃の御米を観察して、体質の状態やら、精神の模様やら、夫だけによく知っていたから、なるべくは、人数を殖やして宅の中を混雑かせたくないとは思ったが、事情やむを得ないので、成るがままにしておくよりほかに、手段の講じようもなかった。ただ口の先で、なるべく安静にしていなくてはいけないと云う矛盾した助言は与えた。御米は微笑して、 「大丈夫よ」と云った。この答を得た時、宗助はなおの事安心ができなくなった。ところが不思議にも、御米の気分は、小六が引越して来てから、ずっと引立った。自分に責任の少しでも加わったため、心が緊張したものと見えて、かえって平生よりは、かいがいしく夫や小六の世話をした。小六にはそれがまるで通じなかったが、宗助から見ると、御米が在来よりどれほど力めているかがよく解った。宗助は心のうちで、このまめやかな細君に新らしい感謝の念を抱くと同時に、こう気を張り過ぎる結果が、一度に身体に障るような騒ぎでも引き起してくれなければいいがと心配した。  不幸にも、この心配が暮の二十日過になって、突然事実になりかけたので、宗助は予期の恐怖に火が点いたように、いたく狼狽した。その日は判然土に映らない空が、朝から重なり合って、重い寒さが終日人の頭を抑えつけていた。御米は前の晩にまた寝られないで、休ませ損なった頭を抱えながら、辛抱して働らき出したが、起ったり動いたりするたびに、多少脳に応える苦痛はあっても、比較的明るい外界の刺戟に紛れたためか、じっと寝ていながら、頭だけが冴えて痛むよりは、かえって凌ぎやすかった。とかくして夫を送り出すまでは、しばらくしたらまたいつものように折り合って来る事と思って我慢していた。ところが宗助がいなくなって、自分の義務に一段落が着いたという気の弛みが出ると等しく、濁った天気がそろそろ御米の頭を攻め始めた。空を見ると凍っているようであるし、家の中にいると、陰気な障子の紙を透して、寒さが浸み込んで来るかと思われるくらいだのに、御米の頭はしきりに熱って来た。仕方がないから、今朝あげた蒲団をまた出して来て、座敷へ延べたまま横になった。それでも堪えられないので、清に濡手拭を絞らして頭へ乗せた。それが直生温くなるので、枕元に金盥を取り寄せて時々絞り易えた。  午までこんな姑息手段で断えず額を冷やして見たが、いっこうはかばかしい験もないので、御米は小六のために、わざわざ起きて、いっしょに食事をする根気もなかった。清にいいつけて膳立をさせて、それを小六に薦めさしたまま、自分はやはり床を離れずにいた。そうして、平生夫のする柔かい括枕を持って来て貰って、堅いのと取り替えた。御米は髪の損れるのを、女らしく苦にする勇気にさえ乏しかったのである。  小六は六畳から出て来て、ちょっと襖を開けて、御米の姿を覗き込んだが、御米が半ば床の間の方を向いて、眼を塞いでいたので、寝ついたとでも思ったものか、一言の口も利かずに、またそっと襖を閉めた。そうして、たった一人大きな食卓を専領して、始めからさらさらと茶漬を掻き込む音をさせた。  二時頃になって、御米はやっとの事、とろとろと眠ったが、眼が覚めたら額を捲いた濡れ手拭がほとんど乾くくらい暖かになっていた。その代り頭の方は少し楽になった。ただ肩から背筋へ掛けて、全体に重苦しいような感じが新らしく加わった。御米は何でも精をつけなくては毒だという考から、一人で起きて遅い午飯を軽く食べた。 「御気分はいかがでございます」と清が御給仕をしながら、しきりに聞いた。御米はだいぶいいようだったので、床を上げて貰って、火鉢に倚ったなり、宗助の帰りを待ち受けた。  宗助は例刻に帰って来た。神田の通りで、門並旗を立てて、もう暮の売出しを始めた事だの、勧工場で紅白の幕を張って楽隊に景気をつけさしている事だのを話した末、 「賑やかだよ。ちょっと行って御覧。なに電車に乗って行けば訳はない」と勧めた。そうして自分は寒さに腐蝕されたように赤い顔をしていた。  御米はこう宗助から労わられた時、何だか自分の身体の悪い事を訴たえるに忍びない心持がした。実際またそれほど苦しくもなかった。それでいつもの通り何気ない顔をして、夫に着物を着換えさしたり、洋服を畳んだりして夜に入った。  ところが九時近くになって、突然宗助に向って、少し加減が悪いから先へ寝たいと云い出した。今まで平生の通り機嫌よく話していただけに、宗助はこの言葉を聞いてちょっと驚ろいたが、大した事でもないと云う御米の保証に、ようやく安心してすぐ休む支度をさせた。  御米が床へ這入ってから、約二十分ばかりの間、宗助は耳の傍に鉄瓶の音を聞きながら、静な夜を丸心の洋灯に照らしていた。彼は来年度に一般官吏に増俸の沙汰があるという評判を思い浮べた。またその前に改革か淘汰が行われるに違ないという噂に思い及んだ。そうして自分はどっちの方へ編入されるのだろうと疑った。彼は自分を東京へ呼んでくれた杉原が、今もなお課長として本省にいないのを遺憾とした。彼は東京へ移ってから不思議とまだ病気をした事がなかった。したがってまだ欠勤届を出した事がなかった。学校を中途でやめたなり、本はほとんど読まないのだから、学問は人並にできないが、役所でやる仕事に差支えるほどの頭脳ではなかった。  彼はいろいろな事情を綜合して考えた上、まあ大丈夫だろうと腹の中できめた。そうして爪の先で軽く鉄瓶の縁を敲いた。その時座敷で、 「あなたちょっと」と云う御米の苦しそうな声が聞えたので、我知らず立ち上がった。  座敷へ来て見ると、御米は眉を寄せて、右の手で自分の肩を抑えながら、胸まで蒲団の外へ乗り出していた。宗助はほとんど器械的に、同じ所へ手を出した。そうして御米の抑えている上から、固く骨の角を攫んだ。 「もう少し後の方」と御米が訴えるように云った。宗助の手が御米の思う所へ落ちつくまでには、二度も三度もそこここと位置を易えなければならなかった。指で圧してみると、頸と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝っていた。御米は男の力いっぱいにそれを抑えてくれと頼んだ。宗助の額からは汗が煮染み出した。それでも御米の満足するほどは力が出なかった。  宗助は昔の言葉で早打肩というのを覚えていた。小さい時祖父から聞いた話に、ある侍が馬に乗ってどこかへ行く途中で、急にこの早打肩に冒されたので、すぐ馬から飛んで下りて、たちまち小柄を抜くや否や、肩先を切って血を出したため、危うい命を取り留めたというのがあったが、その話が今明らかに記憶の焼点に浮んで出た。その時宗助はこれはならんと思った。けれどもはたして刃物を用いて、肩の肉を突いていいものやら、悪いものやら、決しかねた。  御米はいつになく逆上せて、耳まで赤くしていた。頭が熱いかと聞くと苦しそうに熱いと答えた。宗助は大きな声を出して清に氷嚢へ冷たい水を入れて来いと命じた。氷嚢があいにく無かったので、清は朝の通り金盥に手拭を浸けて持って来た。清が頭を冷やしているうち、宗助はやはり精いっぱい肩を抑えていた。時々少しはいいかと聞いても、御米は微かに苦しいと答えるだけであった。宗助は全く心細くなった。思い切って、自分で馳け出して医者を迎に行こうとしたが、後が心配で一足も表へ出る気にはなれなかった。 「清、御前急いで通りへ行って、氷嚢を買って医者を呼んで来い。まだ早いから起きてるだろう」  清はすぐ立って茶の間の時計を見て、 「九時十五分でございます」と云いながら、それなり勝手口へ回って、ごそごそ下駄を探しているところへ、旨い具合に外から小六が帰って来た。例の通り兄には挨拶もしないで、自分の部屋へ這入ろうとするのを、宗助はおい小六と烈しく呼び止めた。小六は茶の間で少し躊躇していたが、兄からまた二声ほど続けざまに大きな声を掛けられたので、やむを得ず低い返事をして、襖から顔を出した。その顔は酒気のまだ醒めない赤い色を眼の縁に帯びていた。部屋の中を覗き込んで、始めて吃驚した様子で、 「どうかなすったんですか」と酔が一時に去ったような表情をした。  宗助は清に命じた通りを、小六に繰り返して、早くしてくれと急き立てた。小六は外套も脱がずに、すぐ玄関へ取って返した。 「兄さん、医者まで行くのは急いでも時間が掛かりますから、坂井さんの電話を借りて、すぐ来るように頼みましょう」 「ああ。そうしてくれ」と宗助は答えた。そうして小六の帰る間、清に何返となく金盥の水を易えさしては、一生懸命に御米の肩を圧しつけたり、揉んだりしてみた。御米の苦しむのを、何もせずにただ見ているに堪えなかったから、こうして自分の気を紛らしていたのである。  この時の宗助に取って、医者の来るのを今か今かと待ち受ける心ほど苛いものはなかった。彼は御米の肩を揉みながらも、絶えず表の物音に気を配った。  ようやく医者が来たときは、始めて夜が明けたような心持がした。医者は商売柄だけあって、少しも狼狽えた様子を見せなかった。小さい折鞄を脇に引き付けて、落ちつき払った態度で、慢性病の患者でも取り扱うように緩くりした診察をした。その逼らない顔色を傍で見ていたせいか、わくわくした宗助の胸もようやく治まった。  医者は芥子を局部へ貼る事と、足を湿布で温める事と、それから頭を氷で冷す事とを、応急手段として宗助に注意した。そうして自分で芥子を掻いて、御米の肩から頸の根へ貼りつけてくれた。湿布は清と小六とで受持った。宗助は手拭の上から氷嚢を額の上に当てがった。  とかくするうち約一時間も経った。医者はしばらく経過を見て行こうと云って、それまで御米の枕元に坐っていた。世間話も折々は交えたが、おおかたは無言のまま二人共に御米の容体を見守る事が多かった。夜は例のごとく静に更けた。 「だいぶ冷えますな」と医者が云った。宗助は気の毒になったので、あとの注意をよく聞いた上、遠慮なく引き取ってくれるようにと頼んだ。その時御米は先刻よりはだいぶ軽快になっていたからである。 「もう大丈夫でしょう。頓服を一回上げますから今夜飲んで御覧なさい。多分寝られるだろうと思います」と云って医者は帰った。小六はすぐその後を追って出て行った。  小六が薬取に行った間に、御米は 「もう何時」と云いながら、枕元の宗助を見上げた。宵とは違って頬から血が退いて、洋灯に照らされた所が、ことに蒼白く映った。宗助は黒い毛の乱れたせいだろうと思って、わざわざ鬢の毛を掻き上げてやった。そうして、 「少しはいいだろう」と聞いた。 「ええよっぽど楽になったわ」と御米はいつもの通り微笑を洩らした。御米は大抵苦しい場合でも、宗助に微笑を見せる事を忘れなかった。茶の間では、清が突伏したまま鼾をかいていた。 「清を寝かしてやって下さい」と御米が宗助に頼んだ。  小六が薬取りから帰って来て、医者の云いつけ通り服薬を済ましたのは、もうかれこれ十二時近くであった。それから二十分と経たないうちに、病人はすやすや寝入った。 「好い塩梅だ」と宗助が御米の顔を見ながら云った。小六もしばらく嫂の様子を見守っていたが、 「もう大丈夫でしょう」と答えた。二人は氷嚢を額からおろした。  やがて小六は自分の部屋へ這入る。宗助は御米の傍へ床を延べていつものごとく寝た。五六時間の後冬の夜は錐のような霜を挟さんで、からりと明け渡った。それから一時間すると、大地を染める太陽が、遮ぎるもののない蒼空に憚りなく上った。御米はまだすやすや寝ていた。  そのうち朝餉も済んで、出勤の時刻がようやく近づいた。けれども御米は眠りから覚める気色もなかった。宗助は枕辺に曲んで、深い寝息を聞きながら、役所へ行こうか休もうかと考えた。 十二  朝の内は役所で常のごとく事務を執っていたが、折々昨夕の光景が眼に浮ぶに連れて、自然御米の病気が気に罹るので、仕事は思うように運ばなかった。時には変な間違をさえした。宗助は午になるのを待って、思い切って宅へ帰って来た。  電車の中では、御米の眼がいつ頃覚めたろう、覚めた後は心持がだいぶ好くなったろう、発作ももう起る気遣なかろうと、すべて悪くない想像ばかり思い浮べた。いつもと違って、乗客の非常に少ない時間に乗り合わせたので、宗助は周囲の刺戟に気を使う必要がほとんどなかった。それで自由に頭の中へ現われる画を何枚となく眺めた。そのうちに、電車は終点に来た。  宅の門口まで来ると、家の中はひっそりして、誰もいないようであった。格子を開けて、靴を脱いで、玄関に上がっても、出て来るものはなかった。宗助はいつものように縁側から茶の間へ行かずに、すぐ取付の襖を開けて、御米の寝ている座敷へ這入った。見ると、御米は依然として寝ていた。枕元の朱塗の盆に散薬の袋と洋杯が載っていて、その洋杯の水が半分残っているところも朝と同じであった。頭を床の間の方へ向けて、左の頬と芥子を貼った襟元が少し見えるところも朝と同じであった。呼息よりほかに現実世界と交通のないように思われる深い眠も朝見た通りであった。すべてが今朝出掛に頭の中へ収めて行った光景と少しも変っていなかった。宗助は外套も脱がずに、上から曲んで、すうすういう御米の寝息をしばらく聞いていた。御米は容易に覚めそうにも見えなかった。宗助は昨夕御米が散薬を飲んでから以後の時間を指を折って勘定した。そうしてようやく不安の色を面に表わした。昨夕までは寝られないのが心配になったが、こう前後不覚に長く寝るところを眼のあたりに見ると、寝る方が何かの異状ではないかと考え出した。  宗助は蒲団へ手を掛けて二三度軽く御米を揺振った。御米の髪が括枕の上で、波を打つように動いたが、御米は依然としてすうすう寝ていた。宗助は御米を置いて、茶の間から台所へ出た。流し元の小桶の中に茶碗と塗椀が洗わないまま浸けてあった。下女部屋を覗くと、清が自分の前に小さな膳を控えたなり、御櫃に倚りかかって突伏していた。宗助はまた六畳の戸を引いて首を差し込んだ。そこには小六が掛蒲団を一枚頭から引被って寝ていた。  宗助は一人で着物を着換えたが、脱ぎ捨てた洋服も、人手を借りずに自分で畳んで、押入にしまった。それから火鉢へ火を継いで、湯を沸かす用意をした。二三分は火鉢に持たれて考えていたが、やがて立ち上がって、まず小六から起しにかかった。次に清を起した。二人とも驚ろいて飛び起きた。小六に御米の今朝から今までの様子を聞くと、実は余り眠いので、十一時半頃飯を食って寝たのだが、それまでは御米もよく熟睡していたのだと云う。 「医者へ行ってね。昨夜の薬を戴いてから寝出して、今になっても眼が覚めませんが、差支ないでしょうかって聞いて来てくれ」 「はあ」  小六は簡単な返事をして出て行った。宗助はまた座敷へ来て御米の顔を熟視した。起してやらなくっては悪いような、また起しては身体へ障るような、分別のつかない惑を抱いて腕組をした。  間もなく小六が帰って来て、医者はちょうど往診に出かけるところであった、訳を話したら、では今から一二軒寄ってすぐ行こうと答えた、と告げた。宗助は医者が見えるまで、こうして放っておいて構わないのかと小六に問い返したが、小六は医者が以上よりほかに何にも語らなかったと云うだけなので、やむを得ず元のごとく枕辺にじっと坐っていた。そうして心の中で、医者も小六も不親切過ぎるように感じた。彼はその上昨夕御米を介抱している時に帰って来た小六の顔を思い出して、なお不愉快になった。小六が酒を呑む事は、御米の注意で始めて知ったのであるが、その後気をつけて弟の様子をよく見ていると、なるほど何だか真面目でないところもあるようなので、いつかみっちり異見でもしなければなるまいくらいに考えてはいたが、面白くもない二人の顔を御米に見せるのが、気の毒なので、今日までわざと遠慮していたのである。 「云い出すなら御米の寝ている今である。今ならどんな気不味いことを双方で言い募ったって、御米の神経に障る気遣はない」  ここまで考えついたけれども、知覚のない御米の顔を見ると、またその方が気がかりになって、すぐにでも起したい心持がするので、つい決し兼てぐずぐずしていた。そこへようやく医者が来てくれた。  昨夕の折鞄をまた丁寧に傍へ引きつけて、緩くり巻煙草を吹かしながら、宗助の云うことを、はあはあと聞いていたが、どれ拝見致しましょうと御米の方へ向き直った。彼は普通の場合のように病人の脈を取って、長い間自分の時計を見つめていた。それから黒い聴診器を心臓の上に当てた。それを丁寧にあちらこちらと動かした。最後に丸い穴の開いた反射鏡を出して、宗助に蝋燭を点けてくれと云った。宗助は蝋燭を持たないので、清に洋灯を点けさした。医者は眠っている御米の眼を押し開けて、仔細に反射鏡の光を睫の奥に集めた。診察はそれで終った。 「少し薬が利き過ぎましたね」と云って宗助の方へ向き直ったが、宗助の眼の色を見るや否や、すぐ、 「しかし御心配になる事はありません。こう云う場合に、もし悪い結果が起るとすると、きっと心臓か脳を冒すものですが、今拝見したところでは双方共異状は認められませんから」と説明してくれた。宗助はそれでようやく安心した。医者はまた自分の用いた眠り薬が比較的新らしいもので、学理上、他の睡眠剤のように有害でない事や、またその効目が患者の体質に因って、程度に大変な相違のある事などを語って帰った。帰るとき宗助は、 「では寝られるだけ寝かしておいても差支ありませんか」と聞いたら、医者は用さえなければ別に起す必要もあるまいと答えた。  医者が帰ったあとで、宗助は急に空腹になった。茶の間へ出ると、先刻掛けておいた鉄瓶がちんちん沸っていた。清を呼んで、膳を出せと命ずると、清は困った顔つきをして、まだ何の用意もできていないと答えた。なるほど晩食には少し間があった。宗助は楽々と火鉢の傍に胡坐を掻いて、大根の香の物を噛みながら湯漬を四杯ほどつづけざまに掻き込んだ。それから約三十分ほどしたら御米の眼がひとりでに覚めた。 十三  新年の頭を拵らえようという気になって、宗助は久し振に髪結床の敷居を跨いだ。暮のせいか客がだいぶ立て込んでいるので、鋏の音が二三カ所で、同時にちょきちょき鳴った。この寒さを無理に乗り越して、一日も早く春に入ろうと焦慮るような表通の活動を、宗助は今見て来たばかりなので、その鋏の音が、いかにも忙しない響となって彼の鼓膜を打った。  しばらく煖炉の傍で煙草を吹かして待っている間に、宗助は自分と関係のない大きな世間の活動に否応なしに捲き込まれて、やむを得ず年を越さなければならない人のごとくに感じた。正月を眼の前へ控えた彼は、実際これという新らしい希望もないのに、いたずらに周囲から誘われて、何だかざわざわした心持を抱いていたのである。  御米の発作はようやく落ちついた。今では平日のごとく外へ出ても、家の事がそれほど気にかからないぐらいになった。余所に比べると閑静な春の支度も、御米から云えば、年に一度の忙がしさには違なかったので、あるいはいつも通りの準備さえ抜いて、常よりも簡単に年を越す覚悟をした宗助は、蘇生ったようにはっきりした妻の姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退いた時のごとくに、胸を撫でおろした。しかしその悲劇がまたいついかなる形で、自分の家族を捕えに来るか分らないと云う、ぼんやりした掛念が、折々彼の頭のなかに霧となってかかった。  年の暮に、事を好むとしか思われない世間の人が、故意と短い日を前へ押し出したがって齷齪する様子を見ると、宗助はなおの事この茫漠たる恐怖の念に襲われた。成ろうことなら、自分だけは陰気な暗い師走の中に一人残っていたい思さえ起った。ようやく自分の番が来て、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、ふとこの影は本来何者だろうと眺めた。首から下は真白な布に包まれて、自分の着ている着物の色も縞も全く見えなかった。その時彼はまた床屋の亭主が飼っている小鳥の籠が、鏡の奥に映っている事に気がついた。鳥が止り木の上をちらりちらりと動いた。  頭へ香のする油を塗られて、景気のいい声を後から掛けられて、表へ出たときは、それでも清々した心持であった。御米の勧め通り髪を刈った方が、結局気を新たにする効果があったのを、冷たい空気の中で、宗助は自覚した。  水道税の事でちょっと聞き合せる必要が生じたので、宗助は帰り路に坂井へ寄った。下女が出て来て、こちらへと云うから、いつもの座敷へ案内するかと思うと、そこを通り越して、茶の間へ導びいていった。すると茶の間の襖が二尺ばかり開いていて、中から三四人の笑い声が聞えた。坂井の家庭は相変らず陽気であった。  主人は光沢の好い長火鉢の向側に坐っていた。細君は火鉢を離れて、少し縁側の障子の方へ寄って、やはりこちらを向いていた。主人の後に細長い黒い枠に嵌めた柱時計がかかっていた。時計の右が壁で、左が袋戸棚になっていた。その張交に石摺だの、俳画だの、扇の骨を抜いたものなどが見えた。  主人と細君のほかに、筒袖の揃いの模様の被布を着た女の子が二人肩を擦りつけ合って坐っていた。片方は十二三で、片方は十ぐらいに見えた。大きな眼を揃えて、襖の陰から入って来た宗助の方を向いたが、二人の眼元にも口元にも、今笑ったばかりの影が、まだゆたかに残っていた。宗助は一応室の内を見回して、この親子のほかに、まだ一人妙な男が、一番入口に近い所に畏まっているのを見出した。  宗助は坐って五分と立たないうちに、先刻の笑声は、この変な男と坂井の家族との間に取り換わされた問答から出る事を知った。男は砂埃でざらつきそうな赤い毛と、日に焼けて生涯褪めっこない強い色を有っていた。瀬戸物の釦の着いた白木綿の襯衣を着て、手織の硬い布子の襟から財布の紐みたような長い丸打をかけた様子は、滅多に東京などへ出る機会のない遠い山の国のものとしか受け取れなかった。その上男はこの寒いのに膝小僧を少し出して、紺の落ちた小倉の帯の尻に差した手拭を抜いては鼻の下を擦った。 「これは甲斐の国から反物を背負ってわざわざ東京まで出て来る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、 「どうか旦那、一つ買っておくれ」と挨拶をした。  なるほど銘仙だの御召だの、白紬だのがそこら一面に取り散らしてあった。宗助はこの男の形装や言葉遣のおかしい割に、立派な品物を背中へ乗せて歩行くのをむしろ不思議に思った。主人の細君の説明によると、この織屋の住んでいる村は焼石ばかりで、米も粟も収れないから、やむを得ず桑を植えて蚕を飼うんだそうであるが、よほど貧しい所と見えて、柱時計を持っている家が一軒だけで、高等小学へ通う小供が三人しかないという話であった。 「字の書けるものは、この人ぎりなんだそうですよ」と云って細君は笑った。すると織屋も、 「本当のこんだよ、奥さん。読み書き算筆のできるものは、おれよりほかにねえんだからね。全く非道い所にゃ違ない」と真面目に細君の云う事を首肯った。  織屋はいろいろの反物を主人や細君の前へ突きつけては、「買っておくれ」という言葉をしきりに繰り返した。そりゃ高いよいくらいくらに御負けなどと云われると、「値じゃねえね」とか、「拝むからそれで買っておくれ」とか、「まあ目方を見ておくれ」とかすべて異様な田舎びた答をした。そのたびに皆が笑った。主人夫婦はまた閑だと見えて、面白半分にいつまでも織屋を相手にした。 「織屋、御前そうして荷を背負って、外へ出て、時分どきになったら、やっぱり御膳を食べるんだろうね」と細君が聞いた。 「飯を食わねえでいられるもんじゃないよ。腹の減る事ちゅうたら」 「どんな所で食べるの」 「どんな所で食べるちゅうて、やっぱり茶屋で食うだね」  主人は笑いながら茶屋とは何だと聞いた。織屋は、飯を食わす所が茶屋だと答えた。それから東京へ出立には飯が非常に旨いので、腹を据えて食い出すと、大抵の宿屋は叶わない、三度三度食っちゃ気の毒だと云うような事を話して、また皆を笑わした。  織屋はしまいに撚糸の紬と、白絽を一匹細君に売りつけた。宗助はこの押しつまった暮に、夏の絽を買う人を見て余裕のあるものはまた格別だと感じた。すると、主人が宗助に向って、 「どうですあなたも、ついでに何か一つ。奥さんの不断着でも」と勧めた。細君もこう云う機会に買って置くと、幾割か値安に買える便宜を説いた。そうして、 「なに、御払はいつでもいいんです」と受合ってくれた。宗助はとうとう御米のために銘仙を一反買う事にした。主人はそれをさんざん値切って三円に負けさした。  織屋は負けた後でまた、 「全く値じゃねえね。泣きたくなるね」と云ったので、大勢がまた一度に笑った。  織屋はどこへ行ってもこういう鄙びた言葉を使って通しているらしかった。毎日馴染みの家をぐるぐる回って歩いているうちには、背中の荷がだんだん軽くなって、しまいに紺の風呂敷と真田紐だけが残る。その時分にはちょうど旧の正月が来るので、ひとまず国元へ帰って、古い春を山の中で越して、それからまた新らしい反物を背負えるだけ背負って出て来るのだと云った。そうして養蚕の忙しい四月の末か五月の初までに、それを悉皆金に換えて、また富士の北影の焼石ばかりころがっている小村へ帰って行くのだそうである。 「宅へ来出してから、もう四五年になりますが、いつ見ても同じ事で、少しも変らないんですよ」と細君が注意した。 「実際珍らしい男です」と主人も評語を添えた。三日も外へ出ないと、町幅がいつの間にか取り広げられていたり、一日新聞を読まないと、電車の開通を知らずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、こう山男の特色をどこまでも維持して行くのは、実際珍らしいに違なかった。宗助はつくづくこの織屋の容貌やら態度やら服装やら言葉使やらを観察して、一種気の毒な思をなした。  彼は坂井を辞して、家へ帰る途中にも、折々インヴァネスの羽根の下に抱えて来た銘仙の包を持ち易えながら、それを三円という安い価で売った男の、粗末な布子の縞と、赤くてばさばさした髪の毛と、その油気のない硬い髪の毛が、どういう訳か、頭の真中で立派に左右に分けられている様を、絶えず眼の前に浮べた。  宅では御米が、宗助に着せる春の羽織をようやく縫い上げて、圧の代りに坐蒲団の下へ入れて、自分でその上へ坐っているところであった。 「あなた今夜敷いて寝て下さい」と云って、御米は宗助を顧みた。夫から、坂井へ来ていた甲斐の男の話を聞いた時は、御米もさすがに大きな声を出して笑った。そうして宗助の持って帰った銘仙の縞柄と地合を飽かず眺めては、安い安いと云った。銘仙は全く品の良いものであった。 「どうして、そう安く売って割に合うんでしょう」としまいに聞き出した。 「なに中へ立つ呉服屋が儲け過ぎてるのさ」と宗助はその道に明るいような事を、この一反の銘仙から推断して答えた。  夫婦の話はそれから、坂井の生活に余裕のある事と、その余裕のために、横町の道具屋などに意外な儲け方をされる代りに、時とするとこう云う織屋などから、差し向き不用のものを廉価に買っておく便宜を有している事などに移って、しまいにその家庭のいかにも陽気で、賑やかな模様に落ちて行った。宗助はその時突然語調を更えて、 「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ」と御米を覚した。  その云い方が、自分達の淋しい生涯を、多少自ら窘めるような苦い調子を、御米の耳に伝えたので、御米は覚えず膝の上の反物から手を放して夫の顔を見た。宗助は坂井から取って来た品が、御米の嗜好に合ったので、久しぶりに細君を喜ばせてやった自覚があるばかりだったから、別段そこには気がつかなかった。御米もちょっと宗助の顔を見たなりその時は何にも云わなかった。けれども夜に入って寝る時間が来るまで御米はそれをわざと延ばしておいたのである。  二人はいつもの通り十時過床に入ったが、夫の眼がまだ覚めている頃を見計らって、御米は宗助の方を向いて話しかけた。 「あなた先刻小供がないと淋しくっていけないとおっしゃってね」  宗助はこれに類似の事を普般的に云った覚はたしかにあった。けれどもそれは強がちに、自分達の身の上について、特に御米の注意を惹くために口にした、故意の観察でないのだから、こう改たまって聞き糺されると、困るよりほかはなかった。 「何も宅の事を云ったのじゃないよ」  この返事を受けた御米は、しばらく黙っていた。やがて、 「でも宅の事を始終淋しい淋しいと思っていらっしゃるから、必竟あんな事をおっしゃるんでしょう」と前とほぼ似たような問を繰り返した。宗助は固よりそうだと答えなければならない或物を頭の中に有っていた。けれども御米を憚って、それほど明白地な自白をあえてし得なかった。この病気上りの細君の心を休めるためには、かえってそれを冗談にして笑ってしまう方が善かろうと考えたので、 「淋しいと云えば、そりゃ淋しくないでもないがね」と調子を易えてなるべく陽気に出たが、そこで詰まったぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思いつけなかった。やむを得ず、 「まあいいや。心配するな」と云った。御米はまた何とも答えなかった。宗助は話題を変えようと思って、 「昨夕も火事があったね」と世間話をし出した。すると御米は急に、 「私は実にあなたに御気の毒で」と切なそうに言訳を半分して、またそれなり黙ってしまった。洋灯はいつものように床の間の上に据えてあった。御米は灯に背いていたから、宗助には顔の表情が判然分らなかったけれども、その声は多少涙でうるんでいるように思われた。今まで仰向いて天井を見ていた彼は、すぐ妻の方へ向き直った。そうして薄暗い影になった御米の顔をじっと眺めた。御米も暗い中からじっと宗助を見ていた。そうして、 「疾からあなたに打ち明けて謝罪まろう謝罪まろうと思っていたんですが、つい言い悪かったもんだから、それなりにしておいたのです」と途切れ途切れに云った。宗助には何の意味かまるで解らなかった。多少はヒステリーのせいかとも思ったが、全然そうとも決しかねて、しばらく茫然していた。すると御米が思い詰めた調子で、 「私にはとても子供のできる見込はないのよ」と云い切って泣き出した。  宗助はこの可憐な自白をどう慰さめていいか分別に余って当惑していたうちにも、御米に対してはなはだ気の毒だという思が非常に高まった。 「子供なんざ、無くてもいいじゃないか。上の坂井さんみたようにたくさん生れて御覧、傍から見ていても気の毒だよ。まるで幼稚園のようで」 「だって一人もできないときまっちまったら、あなただって好かないでしょう」 「まだできないときまりゃしないじゃないか。これから生れるかも知れないやね」  御米はなおと泣き出した。宗助も途方に暮れて、発作の治まるのを穏やかに待っていた。そうして、緩くり御米の説明を聞いた。  夫婦は和合同棲という点において、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣人よりも不幸であった。それも始から宿る種がなかったのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取り落したのだから、さらに不幸の感が深かった。  始めて身重になったのは、二人が京都を去って、広島に瘠世帯を張っている時であった。懐妊と事がきまったとき、御米はこの新らしい経験に対して、恐ろしい未来と、嬉しい未来を一度に夢に見るような心持を抱いて日を過ごした。宗助はそれを眼に見えない愛の精に、一種の確証となるべき形を与えた事実と、ひとり解釈して少なからず喜んだ。そうして自分の命を吹き込んだ肉の塊が、目の前に踊る時節を指を折って楽しみに待った。ところが胎児は、夫婦の予期に反して、五カ月まで育って突然下りてしまった。その時分の夫婦の活計は苦しい苛い月ばかり続いていた。宗助は流産した御米の蒼い顔を眺めて、これも必竟は世帯の苦労から起るんだと判じた。そうして愛情の結果が、貧のために打ち崩されて、永く手の裡に捕える事のできなくなったのを残念がった。御米はひたすら泣いた。  福岡へ移ってから間もなく、御米はまた酸いものを嗜む人となった。一度流産すると癖になると聞いたので、御米は万に注意して、つつましやかに振舞っていた。そのせいか経過は至極順当に行ったが、どうした訳か、これという原因もないのに、月足らずで生れてしまった。産婆は首を傾けて、一度医者に見せるように勧めた。医者に診て貰うと、発育が充分でないから、室内の温度を一定の高さにして、昼夜とも変らないくらい、人工的に暖めなければいけないと云った。宗助の手際では、室内に煖炉を据えつける設備をするだけでも容易ではなかった。夫婦はわが時間と算段の許す限りを尽して、専念に赤児の命を護った。けれどもすべては徒労に帰した。一週間の後、二人の血を分けた情の塊はついに冷たくなった。御米は幼児の亡骸を抱いて、 「どうしましょう」と啜り泣いた。宗助は再度の打撃を男らしく受けた。冷たい肉が灰になって、その灰がまた黒い土に和するまで、一口も愚痴らしい言葉は出さなかった。そのうちいつとなく、二人の間に挟まっていた影のようなものが、しだいに遠退いて、ほどなく消えてしまった。  すると三度目の記憶が来た。宗助が東京に移って始ての年に、御米はまた懐妊したのである。出京の当座は、だいぶん身体が衰ろえていたので、御米はもちろん、宗助もひどくそこを気遣ったが、今度こそはという腹は両方にあったので、張のある月を無事にだんだんと重ねて行った。ところがちょうど五月目になって、御米はまた意外の失敗をやった。その頃はまだ水道も引いてなかったから、朝晩下女が井戸端へ出て水を汲んだり、洗濯をしなければならなかった。御米はある日裏にいる下女に云いつける用ができたので、井戸流の傍に置いた盥の傍まで行って話をしたついでに、流を向へ渡ろうとして、青い苔の生えている濡れた板の上へ尻持を突いた。御米はまたやり損なったとは思ったが、自分の粗忽を面目ながって、宗助にはわざと何事も語らずにその場を通した。けれどもこの震動が、いつまで経っても胎児の発育にこれという影響も及ぼさず、したがって自分の身体にも少しの異状を引き起さなかった事がたしかに分った時、御米はようやく安心して、過去の失を改めて宗助の前に告げた。宗助は固より妻を咎める意もなかった。ただ、 「よく気をつけないと危ないよ」と穏やかに注意を加えて過ぎた。  とかくするうちに月が満ちた。いよいよ生れるという間際まで日が詰ったとき、宗助は役所へ出ながらも、御米の事がしきりに気にかかった。帰りにはいつも、今日はことによると留守のうちになどと案じ続けては、自分の家の格子の前に立った。そうして半ば予期している赤児の泣声が聞えないと、かえって何かの変でも起ったらしく感じて、急いで宅へ飛び込んで、自分と自分の粗忽を恥ずる事があった。  幸に御米の産気づいたのは、宗助の外に用のない夜中だったので、傍にいて世話のできると云う点から見ればはなはだ都合が好かった。産婆も緩くり間に合うし、脱脂綿その他の準備もことごとく不足なく取り揃えてあった。産も案外軽かった。けれども肝心の小児は、ただ子宮を逃れて広い所へ出たというまでで、浮世の空気を一口も呼吸しなかった。産婆は細い硝子の管のようなものを取って、小さい口の内へ強い呼息をしきりに吹き込んだが、効目はまるでなかった。生れたものは肉だけであった。夫婦はこの肉に刻みつけられた、眼と鼻と口とを髣髴した。しかしその咽喉から出る声はついに聞く事ができなかった。  産婆は出産のあったつい一週間前に来て、丁寧に胎児の心臓まで聴診して、至極御健全だと保証して行ったのである。よし産婆の云う事に間違があって、腹の児の発育が今までのうちにどこかで止っていたにしたところで、それが直取り出されない以上、母体は今日まで平気に持ち応える訳がなかった。そこをだんだん調べて見て、宗助は自分がいまだかつて聞いた事のない事実を発見した時に、思わず恐れ驚ろいた。胎児は出る間際まで健康であったのである。けれども臍帯纏絡と云って、俗に云う胞を頸へ捲きつけていた。こう云う異常の場合には、固より産婆の腕で切り抜けるよりほかにしようのないもので、経験のある婆さんなら、取り上げる時に、旨く頸に掛かった胞を外して引き出すはずであった。宗助の頼んだ産婆もかなり年を取っているだけに、このくらいのことは心得ていた。しかし胎児の頸を絡んでいた臍帯は、時たまあるごとく一重ではなかった。二重に細い咽喉を巻いている胞を、あの細い所を通す時に外し損なったので、小児はぐっと気管を絞められて窒息してしまったのである。  罪は産婆にもあった。けれどもなかば以上は御米の落度に違なかった。臍帯纏絡の変状は、御米が井戸端で滑って痛く尻餅を搗いた五カ月前すでに自ら醸したものと知れた。御米は産後の蓐中にその始末を聞いて、ただ軽く首肯いたぎり何にも云わなかった。そうして、疲労に少し落ち込んだ眼を霑ませて、長い睫毛をしきりに動かした。宗助は慰さめながら、手帛で頬に流れる涙を拭いてやった。  これが子供に関する夫婦の過去であった。この苦い経験を甞めた彼らは、それ以後幼児について余り多くを語るを好まなかった。けれども二人の生活の裏側は、この記憶のために淋しく染めつけられて、容易に剥げそうには見えなかった。時としては、彼我の笑声を通してさえ、御互の胸に、この裏側が薄暗く映る事もあった。こういう訳だから、過去の歴史を今夫に向って新たに繰り返そうとは、御米も思い寄らなかったのである。宗助も今更妻からそれを聞かせられる必要は少しも認めていなかったのである。  御米の夫に打ち明けると云ったのは、固より二人の共有していた事実についてではなかった。彼女は三度目の胎児を失った時、夫からその折の模様を聞いて、いかにも自分が残酷な母であるかのごとく感じた。自分が手を下した覚がないにせよ、考えようによっては、自分と生を与えたものの生を奪うために、暗闇と明海の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であったからである。こう解釈した時、御米は恐ろしい罪を犯した悪人と己を見傚さない訳に行かなかった。そうして思わざる徳義上の苛責を人知れず受けた。しかもその苛責を分って、共に苦しんでくれるものは世界中に一人もなかった。御米は夫にさえこの苦しみを語らなかったのである。  彼女はその時普通の産婦のように、三週間を床の中で暮らした。それは身体から云うと極めて安静の三週間に違なかった。同時に心から云うと、恐るべき忍耐の三週間であった。宗助は亡児のために、小さい柩を拵らえて、人の眼に立たない葬儀を営なんだ。しかる後、また死んだもののために小さな位牌を作った。位牌には黒い漆で戒名が書いてあった。位牌の主は戒名を持っていた。けれども俗名は両親といえども知らなかった。宗助は最初それを茶の間の箪笥の上へ載せて、役所から帰ると絶えず線香を焚いた。その香が六畳に寝ている御米の鼻に時々通った。彼女の官能は当時それほどに鋭どくなっていたのである。しばらくしてから、宗助は何を考えたか、小さい位牌を箪笥の抽出の底へしまってしまった。そこには福岡で亡くなった小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に綿で包んで丁寧に入れてあった。東京の家を畳むとき宗助は先祖の位牌を一つ残らず携えて、諸所を漂泊するの煩わしさに堪えなかったので、新らしい父の分だけを鞄の中に収めて、その他はことごとく寺へ預けておいたのである。  御米は宗助のするすべてを寝ながら見たり聞いたりしていた。そうして布団の上に仰向になったまま、この二つの小さい位牌を、眼に見えない因果の糸を長く引いて互に結びつけた。それからその糸をなお遠く延ばして、これは位牌にもならずに流れてしまった、始めから形のない、ぼんやりした影のような死児の上に投げかけた。御米は広島と福岡と東京に残る一つずつの記憶の底に、動かしがたい運命の厳かな支配を認めて、その厳かな支配の下に立つ、幾月日の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると観じた時、時ならぬ呪詛の声を耳の傍に聞いた。彼女が三週間の安静を、蒲団の上に貪ぼらなければならないように、生理的に強いられている間、彼女の鼓膜はこの呪詛の声でほとんど絶えず鳴っていた。三週間の安臥は、御米に取って実に比類のない忍耐の三週間であった。  御米はこの苦しい半月余りを、枕の上でじっと見つめながら過ごした。しまいには我慢して横になっているのが、いかにも苛かったので、看護婦の帰った明る日に、こっそり起きてぶらぶらして見たが、それでも心に逼る不安は、容易に紛らせなかった。退儀な身体を無理に動かす割に、頭の中は少しも動いてくれないので、また落胆りして、ついには取り放しの夜具の下へ潜り込んで、人の世を遠ざけるように、眼を堅く閉ってしまう事もあった。  そのうち定期の三週間も過ぎて、御米の身体は自からすっきりなった。御米は奇麗に床を払って、新らしい気のする眉を再び鏡に照らした。それは更衣の時節であった。御米も久しぶりに綿の入った重いものを脱ぎ棄てて、肌に垢の触れない軽い気持を爽やかに感じた。春と夏の境をぱっと飾る陽気な日本の風物は、淋しい御米の頭にも幾分かの反響を与えた。けれども、それはただ沈んだものを掻き立てて、賑やかな光りのうちに浮かしたまでであった。御米の暗い過去の中にその時一種の好奇心が萌したのである。  天気の勝れて美くしいある日の午前、御米はいつもの通り宗助を送り出してから直に、表へ出た。もう女は日傘を差して外を行くべき時節であった。急いで日向を歩くと額の辺が少し汗ばんだ。御米は歩き歩き、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思わず一番目の抽出の底にしまってあった、新らしい位牌に手が触れた事を思いつづけて、とうとうある易者の門を潜った。  彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持っていた。けれども平生はその迷信がまた多数の文明人と同じように、遊戯的に外に現われるだけで済んでいた。それが実生活の厳かな部分を冒すようになったのは、全く珍らしいと云わなければならなかった。御米はその時真面目な態度と真面目な心を有って、易者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、また子を育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確めた。易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭で占なう人と、少しも違った様子もなく、算木をいろいろに並べて見たり、筮竹を揉んだり数えたりした後で、仔細らしく腮の下の髯を握って何か考えたが、終りに御米の顔をつくづく眺めた末、 「あなたには子供はできません」と落ちつき払って宣告した。御米は無言のまま、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり砕いたりした。それから顔を上げて、 「なぜでしょう」と聞き返した。その時御米は易者が返事をする前に、また考えるだろうと思った。ところが彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまま、すぐ 「あなたは人に対してすまない事をした覚がある。その罪が祟っているから、子供はけっして育たない」と云い切った。御米はこの一言に心臓を射抜かれる思があった。くしゃりと首を折ったなり家へ帰って、その夜は夫の顔さえろくろく見上げなかった。  御米の宗助に打ち明けないで、今まで過したというのは、この易者の判断であった。宗助は床の間に乗せた細い洋灯の灯が、夜の中に沈んで行きそうな静かな晩に、始めて御米の口からその話を聞いたとき、さすがに好い気味はしなかった。 「神経の起った時、わざわざそんな馬鹿な所へ出かけるからさ。銭を出して下らない事を云われてつまらないじゃないか。その後もその占の宅へ行くのかい」 「恐ろしいから、もうけっして行かないわ」 「行かないがいい。馬鹿気ている」  宗助はわざと鷹揚な答をしてまた寝てしまった。 十四  宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかった。いっしょになってから今日まで六年ほどの長い月日を、まだ半日も気不味く暮した事はなかった。言逆に顔を赤らめ合った試はなおなかった。二人は呉服屋の反物を買って着た。米屋から米を取って食った。けれどもその他には一般の社会に待つところのきわめて少ない人間であった。彼らは、日常の必要品を供給する以上の意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。  自然の勢として、彼らの生活は単調に流れない訳に行かなかった。彼らは複雑な社会の煩を避け得たと共に、その社会の活動から出るさまざまの経験に直接触れる機会を、自分と塞いでしまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を棄てたような結果に到着した。彼らも自分達の日常に変化のない事は折々自覚した。御互が御互に飽きるの、物足りなくなるのという心は微塵も起らなかったけれども、御互の頭に受け入れる生活の内容には、刺戟に乏しい或物が潜んでいるような鈍い訴があった。それにもかかわらず、彼らが毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日を倦まず渡って来たのは、彼らが始から一般の社会に興味を失っていたためではなかった。社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背を向けた結果にほかならなかった。外に向って生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向って深く延び始めたのである。彼らの生活は広さを失なうと同時に、深さを増して来た。彼らは六年の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を掘り出した。彼らの命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。二人は世間から見れば依然として二人であった。けれども互から云えば、道義上切り離す事のできない一つの有機体になった。二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合ってでき上っていた。彼らは大きな水盤の表に滴たった二点の油のようなものであった。水を弾いて二つがいっしょに集まったと云うよりも、水に弾かれた勢で、丸く寄り添った結果、離れる事ができなくなったと評する方が適当であった。  彼らはこの抱合の中に、尋常の夫婦に見出しがたい親和と飽満と、それに伴なう倦怠とを兼ね具えていた。そうしてその倦怠の慵い気分に支配されながら、自己を幸福と評価する事だけは忘れなかった。倦怠は彼らの意識に眠のような幕を掛けて、二人の愛をうっとり霞ます事はあった。けれども簓で神経を洗われる不安はけっして起し得なかった。要するに彼らは世間に疎いだけそれだけ仲の好い夫婦であったのである。  彼らは人並以上に睦ましい月日を渝らずに今日から明日へと繋いで行きながら、常はそこに気がつかずに顔を見合わせているようなものの、時々自分達の睦まじがる心を、自分で確と認める事があった。その場合には必ず今まで睦まじく過ごした長の歳月を溯のぼって、自分達がいかな犠牲を払って、結婚をあえてしたかと云う当時を憶い出さない訳には行かなかった。彼らは自然が彼らの前にもたらした恐るべき復讐の下に戦きながら跪ずいた。同時にこの復讐を受けるために得た互の幸福に対して、愛の神に一弁の香を焚く事を忘れなかった。彼らは鞭たれつつ死に赴くものであった。ただその鞭の先に、すべてを癒やす甘い蜜の着いている事を覚ったのである。  宗助は相当に資産のある東京ものの子弟として、彼らに共通な派出な嗜好を、学生時代には遠慮なく充たした男である。彼はその時服装にも、動作にも、思想にも、ことごとく当世らしい才人の面影を漲らして、昂い首を世間に擡げつつ、行こうと思う辺りを濶歩した。彼の襟の白かったごとく、彼の洋袴の裾が奇麗に折り返されていたごとく、その下から見える彼の靴足袋が模様入のカシミヤであったごとく、彼の頭は華奢な世間向きであった。  彼は生れつき理解の好い男であった。したがって大した勉強をする気にはなれなかった。学問は社会へ出るための方便と心得ていたから、社会を一歩退ぞかなくっては達する事のできない、学者という地位には、余り多くの興味を有っていなかった。彼はただ教場へ出て、普通の学生のする通り、多くのノートブックを黒くした。けれども宅へ帰って来て、それを読み直したり、手を入れたりした事は滅多になかった。休んで抜けた所さえ大抵はそのままにして放って置いた。彼は下宿の机の上に、このノートブックを奇麗に積み上げて、いつ見ても整然と秩序のついた書斎を空にしては、外を出歩るいた。友達は多く彼の寛濶を羨んだ。宗助も得意であった。彼の未来は虹のように美くしく彼の眸を照らした。  その頃の宗助は今と違って多くの友達を持っていた。実を云うと、軽快な彼の眼に映ずるすべての人は、ほとんど誰彼の区別なく友達であった。彼は敵という言葉の意味を正当に解し得ない楽天家として、若い世をのびのびと渡った。 「なに不景気な顔さえしなければ、どこへ行ったって驩迎されるもんだよ」と学友の安井によく話した事があった。実際彼の顔は、他を不愉快にするほど深刻な表情を示し得た試がなかった。 「君は身体が丈夫だから結構だ」とよくどこかに故障の起る安井が羨ましがった。この安井というのは国は越前だが、長く横浜にいたので、言葉や様子は毫も東京ものと異なる点がなかった。着物道楽で、髪の毛を長くして真中から分ける癖があった。高等学校は違っていたけれども、講義のときよく隣合せに並んで、時々聞き損なった所などを後から質問するので、口を利き出したのが元になって、つい懇意になった。それが学年の始りだったので、京都へ来て日のまだ浅い宗助にはだいぶんの便宜であった。彼は安井の案内で新らしい土地の印象を酒のごとく吸い込んだ。二人は毎晩のように三条とか四条とかいう賑やかな町を歩いた。時によると京極も通り抜けた。橋の真中に立って鴨川の水を眺めた。東山の上に出る静かな月を見た。そうして京都の月は東京の月よりも丸くて大きいように感じた。町や人に厭きたときは、土曜と日曜を利用して遠い郊外に出た。宗助は至る所の大竹藪に緑の籠る深い姿を喜んだ。松の幹の染めたように赤いのが、日を照り返して幾本となく並ぶ風情を楽しんだ。ある時は大悲閣へ登って、即非の額の下に仰向きながら、谷底の流を下る櫓の音を聞いた。その音が雁の鳴声によく似ているのを二人とも面白がった。ある時は、平八茶屋まで出掛けて行って、そこに一日寝ていた。そうして不味い河魚の串に刺したのを、かみさんに焼かして酒を呑んだ。そのかみさんは、手拭を被って、紺の立付みたようなものを穿いていた。  宗助はこんな新らしい刺戟の下に、しばらくは慾求の満足を得た。けれどもひととおり古い都の臭を嗅いで歩くうちに、すべてがやがて、平板に見えだして来た。その時彼は美くしい山の色と清い水の色が、最初ほど鮮明な影を自分の頭に宿さないのを物足らず思い始めた。彼は暖かな若い血を抱いて、その熱りを冷す深い緑に逢えなくなった。そうかといって、この情熱を焚き尽すほどの烈しい活動には無論出会わなかった。彼の血は高い脈を打って、いたずらにむず痒く彼の身体の中を流れた。彼は腕組をして、坐ながら四方の山を眺めた。そうして、 「もうこんな古臭い所には厭きた」と云った。  安井は笑いながら、比較のため、自分の知っている或友達の故郷の物語をして宗助に聞かした。それは浄瑠璃の間の土山雨が降るとある有名な宿の事であった。朝起きてから夜寝るまで、眼に入るものは山よりほかにない所で、まるで擂鉢の底に住んでいると同じ有様だと告げた上、安井はその友達の小さい時分の経験として、五月雨の降りつづく折などは、小供心に、今にも自分の住んでいる宿が、四方の山から流れて来る雨の中に浸かってしまいそうで、心配でならなかったと云う話をした。宗助はそんな擂鉢の底で一生を過す人の運命ほど情ないものはあるまいと考えた。 「そう云う所に、人間がよく生きていられるな」と不思議そうな顔をして安井に云った。安井も笑っていた。そうして土山から出た人物の中では、千両函を摩り替えて磔になったのが一番大きいのだと云う一口話をやはり友達から聞いた通り繰り返した。狭い京都に飽きた宗助は、単調な生活を破る色彩として、そう云う出来事も百年に一度ぐらいは必要だろうとまで思った。  その時分の宗助の眼は、常に新らしい世界にばかり注がれていた。だから自然がひととおり四季の色を見せてしまったあとでは、再び去年の記憶を呼び戻すために、花や紅葉を迎える必要がなくなった。強く烈しい命に生きたと云う証券を飽くまで握りたかった彼には、活きた現在と、これから生れようとする未来が、当面の問題であったけれども、消えかかる過去は、夢同様に価の乏しい幻影に過ぎなかった。彼は多くの剥げかかった社と、寂果てた寺を見尽して、色の褪めた歴史の上に、黒い頭を振り向ける勇気を失いかけた。寝耄けた昔に徊するほど、彼の気分は枯れていなかったのである。  学年の終りに宗助と安井とは再会を約して手を分った。安井はひとまず郷里の福井へ帰って、それから横浜へ行くつもりだから、もしその時には手紙を出して通知をしよう、そうしてなるべくならいっしょの汽車で京都へ下ろう、もし時間が許すなら、興津あたりで泊って、清見寺や三保の松原や、久能山でも見ながら緩くり遊んで行こうと云った。宗助は大いによかろうと答えて、腹のなかではすでに安井の端書を手にする時の心持さえ予想した。  宗助が東京へ帰ったときは、父は固よりまだ丈夫であった。小六は子供であった。彼は一年ぶりに殷んな都の炎熱と煤煙を呼吸するのをかえって嬉しく感じた。燬くような日の下に、渦を捲いて狂い出しそうな瓦の色が、幾里となく続く景色を、高い所から眺めて、これでこそ東京だと思う事さえあった。今の宗助なら目を眩しかねない事々物々が、ことごとく壮快の二字を彼の額に焼き付けべく、その時は反射して来たのである。  彼の未来は封じられた蕾のように、開かない先は他に知れないばかりでなく、自分にも確とは分らなかった。宗助はただ洋々の二字が彼の前途に棚引いている気がしただけであった。彼はこの暑い休暇中にも卒業後の自分に対する謀を忽がせにはしなかった。彼は大学を出てから、官途につこうか、または実業に従おうか、それすら、まだ判然と心にきめていなかったにかかわらず、どちらの方面でも構わず、今のうちから、進めるだけ進んでおく方が利益だと心づいた。彼は直接父の紹介を得た。父を通して間接にその知人の紹介を得た。そうして自分の将来を影響し得るような人を物色して、二三の訪問を試みた。彼らのあるものは、避暑という名義の下に、すでに東京を離れていた。あるものは不在であった。またあるものは多忙のため時を期して、勤務先で会おうと云った。宗助は日のまだ高くならない七時頃に、昇降器で煉瓦造の三階へ案内されて、そこの応接間に、もう七八人も自分と同じように、同じ人を待っている光景を見て驚ろいた事もあった。彼はこうして新らしい所へ行って、新らしい物に接するのが、用向の成否に関わらず、今まで眼に付かずに過ぎた活きた世界の断片を頭へ詰め込むような気がして何となく愉快であった。  父の云いつけで、毎年の通り虫干の手伝をさせられるのも、こんな時には、かえって興味の多い仕事の一部分に数えられた。彼は冷たい風の吹き通す土蔵の戸前の湿っぽい石の上に腰を掛けて、古くから家にあった江戸名所図会と、江戸砂子という本を物珍しそうに眺めた。畳まで熱くなった座敷の真中へ胡坐を掻いて、下女の買って来た樟脳を、小さな紙片に取り分けては、医者でくれる散薬のような形に畳んだ。宗助は小供の時から、この樟脳の高い香と、汗の出る土用と、炮烙灸と、蒼空を緩く舞う鳶とを連想していた。  とかくするうちに節は立秋に入った。二百十日の前には、風が吹いて、雨が降った。空には薄墨の煮染んだような雲がしきりに動いた。寒暖計が二三日下がり切りに下がった。宗助はまた行李を麻縄で絡げて、京都へ向う支度をしなければならなくなった。  彼はこの間にも安井と約束のある事は忘れなかった。家へ帰った当座は、まだ二カ月も先の事だからと緩くり構えていたが、だんだん時日が逼るに従って、安井の消息が気になってきた。安井はその後一枚の端書さえ寄こさなかったのである。宗助は安井の郷里の福井へ向けて手紙を出して見た。けれども返事はついに来なかった。宗助は横浜の方へ問い合わせて見ようと思ったが、つい番地も町名も聞いて置かなかったので、どうする事もできなかった。  立つ前の晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求通り、普通の旅費以外に、途中で二三日滞在した上、京都へ着いてからの当分の小遣を渡して、 「なるたけ節倹しなくちゃいけない」と諭した。  宗助はそれを、普通の子が普通の親の訓戒を聞く時のごとくに聞いた。父はまた、 「来年また帰って来るまでは会わないから、随分気をつけて」と云った。その帰って来る時節には、宗助はもう帰れなくなっていたのである。そうして帰って来た時は、父の亡骸がもう冷たくなっていたのである。宗助は今に至るまでその時の父の面影を思い浮べてはすまないような気がした。  いよいよ立つと云う間際に、宗助は安井から一通の封書を受取った。開いて見ると、約束通りいっしょに帰るつもりでいたが、少し事情があって先へ立たなければならない事になったからと云う断を述べた末に、いずれ京都で緩くり会おうと書いてあった。宗助はそれを洋服の内懐に押し込んで汽車に乗った。約束の興津へ来たとき彼は一人でプラットフォームへ降りて、細長い一筋町を清見寺の方へ歩いた。夏もすでに過ぎた九月の初なので、おおかたの避暑客は早く引き上げた後だから、宿屋は比較的閑静であった。宗助は海の見える一室の中に腹這になって、安井へ送る絵端書へ二三行の文句を書いた。そのなかに、君が来ないから僕一人でここへ来たという言葉を入れた。  翌日も約束通り一人で三保と竜華寺を見物して、京都へ行ってから安井に話す材料をできるだけ拵えた。しかし天気のせいか、当にした連のないためか、海を見ても、山へ登っても、それほど面白くなかった。宿にじっとしているのは、なお退屈であった。宗助は匆々にまた宿の浴衣を脱ぎ棄てて、絞りの三尺と共に欄干に掛けて、興津を去った。  京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、往来の日影を知らずに暮らした。二日目になってようやく学校へ出て見ると、教師はまだ出揃っていなかった。学生も平日よりは数が不足であった。不審な事には、自分より三四っ日前に帰っているべきはずの安井の顔さえどこにも見えなかった。宗助はそれが気にかかるので、帰りにわざわざ安井の下宿へ回って見た。安井のいる所は樹と水の多い加茂の社の傍であった。彼は夏休み前から、少し閑静な町外れへ移って勉強するつもりだとか云って、わざわざこの不便な村同様な田舎へ引込んだのである。彼の見つけ出した家からが寂た土塀を二方に回らして、すでに古風に片づいていた。宗助は安井から、そこの主人はもと加茂神社の神官の一人であったと云う話を聞いた。非常に能弁な京都言葉を操る四十ばかりの細君がいて、安井の世話をしていた。 「世話って、ただ不味い菜を拵らえて、三度ずつ室へ運んでくれるだけだよ」と安井は移り立てからこの細君の悪口を利いていた。宗助は安井をここに二三度訪ねた縁故で、彼のいわゆる不味い菜を拵らえる主を知っていた。細君の方でも宗助の顔を覚えていた。細君は宗助を見るや否や、例の柔かい舌で慇懃な挨拶を述べた後、こっちから聞こうと思って来た安井の消息を、かえって向うから尋ねた。細君の云うところによると、彼は郷里へ帰ってから当日に至るまで、一片の音信さえ下宿へは出さなかったのである。宗助は案外な思で自分の下宿へ帰って来た。  それから一週間ほどは、学校へ出るたんびに、今日は安井の顔が見えるか、明日は安井の声がするかと、毎日漠然とした予期を抱いては教室の戸を開けた。そうして毎日また漠然とした不足を感じては帰って来た。もっとも最後の三四日における宗助は早く安井に会いたいと思うよりも、少し事情があるから、失敬して先へ立つとわざわざ通知しながら、いつまで待っても影も見せない彼の安否を、関係者としてむしろ気にかけていたのである。彼は学友の誰彼に万遍なく安井の動静を聞いて見た。しかし誰も知るものはなかった。ただ一人が、昨夕四条の人込の中で、安井によく似た浴衣がけの男を見たと答えた事があった。しかし宗助にはそれが安井だろうとは信じられなかった。ところがその話を聞いた翌日、すなわち宗助が京都へ着いてから約一週間の後、話の通りの服装をした安井が、突然宗助の所へ尋ねて来た。  宗助は着流しのまま麦藁帽を手に持った友達の姿を久し振に眺めた時、夏休み前の彼の顔の上に、新らしい何物かがさらに付け加えられたような気がした。安井は黒い髪に油を塗って、目立つほど奇麗に頭を分けていた。そうして今床屋へ行って来たところだと言訳らしい事を云った。  その晩彼は宗助と一時間余りも雑談に耽った。彼の重々しい口の利き方、自分を憚かって、思い切れないような話の調子、「しかるに」と云う口癖、すべて平生の彼と異なる点はなかった。ただ彼はなぜ宗助より先へ横浜を立ったかを語らなかった。また途中どこで暇取ったため、宗助より後れて京都へ着いたかを判然告げなかった。しかし彼は三四日前ようやく京都へ着いた事だけを明かにした。そうして、夏休み前にいた下宿へはまだ帰らずにいると云った。 「それでどこに」と宗助が聞いたとき、彼は自分の今泊っている宿屋の名前を、宗助に教えた。それは三条辺の三流位の家であった。宗助はその名前を知っていた。 「どうして、そんな所へ這入ったのだ。当分そこにいるつもりなのかい」と宗助は重ねて聞いた。安井はただ少し都合があってとばかり答えたが、 「下宿生活はもうやめて、小さい家でも借りようかと思っている」と思いがけない計画を打ち明けて、宗助を驚ろかした。  それから一週間ばかりの中に、安井はとうとう宗助に話した通り、学校近くの閑静な所に一戸を構えた。それは京都に共通な暗い陰気な作りの上に、柱や格子を黒赤く塗って、わざと古臭く見せた狭い貸家であった。門口に誰の所有ともつかない柳が一本あって、長い枝がほとんど軒に触りそうに風に吹かれる様を宗助は見た。庭も東京と違って、少しは整っていた。石の自由になる所だけに、比較的大きなのが座敷の真正面に据えてあった。その下には涼しそうな苔がいくらでも生えた。裏には敷居の腐った物置が空のままがらんと立っている後に、隣の竹藪が便所の出入りに望まれた。  宗助のここを訪問したのは、十月に少し間のある学期の始めであった。残暑がまだ強いので宗助は学校の往復に、蝙蝠傘を用いていた事を今に記憶していた。彼は格子の前で傘を畳んで、内を覗き込んだ時、粗い縞の浴衣を着た女の影をちらりと認めた。格子の内は三和土で、それが真直に裏まで突き抜けているのだから、這入ってすぐ右手の玄関めいた上り口を上らない以上は、暗いながら一筋に奥の方まで見える訳であった。宗助は浴衣の後影が、裏口へ出る所で消えてなくなるまでそこに立っていた。それから格子を開けた。玄関へは安井自身が現れた。  座敷へ通ってしばらく話していたが、さっきの女は全く顔を出さなかった。声も立てず、音もさせなかった。広い家でないから、つい隣の部屋ぐらいにいたのだろうけれども、いないのとまるで違わなかった。この影のように静かな女が御米であった。  安井は郷里の事、東京の事、学校の講義の事、何くれとなく話した。けれども、御米の事については一言も口にしなかった。宗助も聞く勇気に乏しかった。その日はそれなり別れた。  次の日二人が顔を合したとき、宗助はやはり女の事を胸の中に記憶していたが、口へ出しては一言も語らなかった。安井も何気ない風をしていた。懇意な若い青年が心易立に話し合う遠慮のない題目は、これまで二人の間に何度となく交換されたにもかかわらず、安井はここへ来て、息詰ったごとくに見えた。宗助もそこを無理にこじ開けるほどの強い好奇心は有たなかった。したがって女は二人の意識の間に挟まりながら、つい話頭に上らないで、また一週間ばかり過ぎた。  その日曜に彼はまた安井を訪うた。それは二人の関係している或会について用事が起ったためで、女とは全く縁故のない動機から出た淡泊な訪問であった。けれども座敷へ上がって、同じ所へ坐らせられて、垣根に沿うた小さな梅の木を見ると、この前来た時の事が明らかに思い出された。その日も座敷の外は、しんとして静であった。宗助はその静かなうちに忍んでいる若い女の影を想像しない訳に行かなかった。同時にその若い女はこの前と同じように、けっして自分の前に出て来る気遣はあるまいと信じていた。  この予期の下に、宗助は突然御米に紹介されたのである。その時御米はこの間のように粗い浴衣を着てはいなかった。これからよそへ行くか、または今外から帰って来たと云う風な粧をして、次の間から出て来た。宗助にはそれが意外であった。しかし大した綺羅を着飾った訳でもないので、衣服の色も、帯の光も、それほど彼を驚かすまでには至らなかった。その上御米は若い女にありがちの嬌羞というものを、初対面の宗助に向って、あまり多く表わさなかった。ただ普通の人間を静にして言葉寡なに切りつめただけに見えた。人の前へ出ても、隣の室に忍んでいる時と、あまり区別のないほど落ちついた女だという事を見出した宗助は、それから推して、御米のひっそりしていたのは、穴勝恥かしがって、人の前へ出るのを避けるためばかりでもなかったんだと思った。  安井は御米を紹介する時、 「これは僕の妹だ」という言葉を用いた。宗助は四五分対坐して、少し談話を取り換わしているうちに、御米の口調のどこにも、国訛らしい音の交っていない事に気がついた。 「今まで御国の方に」と聞いたら、御米が返事をする前に安井が、 「いや横浜に長く」と答えた。  その日は二人して町へ買物に出ようと云うので、御米は不断着を脱ぎ更えて、暑いところをわざわざ新らしい白足袋まで穿いたものと知れた。宗助はせっかくの出がけを喰い留めて、邪魔でもしたように気の毒な思をした。 「なに宅を持ち立てだものだから、毎日毎日要るものを新らしく発見するんで、一週に一二返は是非都まで買い出しに行かなければならない」と云いながら安井は笑った。 「途までいっしょに出掛けよう」と宗助はすぐ立ち上がった。ついでに家の様子を見てくれと安井の云うに任せた。宗助は次の間にある亜鉛の落しのついた四角な火鉢や、黄な安っぽい色をした真鍮の薬鑵や、古びた流しの傍に置かれた新らし過ぎる手桶を眺めて、門へ出た。安井は門口へ錠をおろして、鍵を裏の家へ預けるとか云って、走けて行った。宗助と御米は待っている間、二言、三言、尋常な口を利いた。  宗助はこの三四分間に取り換わした互の言葉を、いまだに覚えていた。それはただの男がただの女に対して人間たる親みを表わすために、やりとりする簡略な言葉に過ぎなかった。形容すれば水のように浅く淡いものであった。彼は今日まで路傍道上において、何かの折に触れて、知らない人を相手に、これほどの挨拶をどのくらい繰り返して来たか分らなかった。  宗助は極めて短かいその時の談話を、一々思い浮べるたびに、その一々が、ほとんど無着色と云っていいほどに、平淡であった事を認めた。そうして、かく透明な声が、二人の未来を、どうしてああ真赤に、塗りつけたかを不思議に思った。今では赤い色が日を経て昔の鮮かさを失っていた。互を焚き焦がしたは、自然と変色して黒くなっていた。二人の生活はかようにして暗い中に沈んでいた。宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、この淡泊な挨拶が、いかに自分らの歴史を濃く彩ったかを、胸の中であくまで味わいつつ、平凡な出来事を重大に変化させる運命の力を恐ろしがった。  宗助は二人で門の前に佇んでいる時、彼らの影が折れ曲って、半分ばかり土塀に映ったのを記憶していた。御米の影が蝙蝠傘で遮ぎられて、頭の代りに不規則な傘の形が壁に落ちたのを記憶していた。少し傾むきかけた初秋の日が、じりじり二人を照り付けたのを記憶していた。御米は傘を差したまま、それほど涼しくもない柳の下に寄った。宗助は白い筋を縁に取った紫の傘の色と、まだ褪め切らない柳の葉の色を、一歩遠退いて眺め合わした事を記憶していた。  今考えるとすべてが明らかであった。したがって何らの奇もなかった。二人は土塀の影から再び現われた安井を待ち合わして、町の方へ歩いた。歩く時、男同志は肩を並べた。御米は草履を引いて後に落ちた。話も多くは男だけで受持った。それも長くはなかった。途中まで来て宗助は一人分れて、自分の家へ帰ったからである。  けれども彼の頭にはその日の印象が長く残っていた。家へ帰って、湯に入って、灯火の前に坐った後にも、折々色の着いた平たい画として、安井と御米の姿が眼先にちらついた。それのみか床に入ってからは、妹だと云って紹介された御米が、果して本当の妹であろうかと考え始めた。安井に問いつめない限り、この疑の解決は容易でなかったけれども、臆断はすぐついた。宗助はこの臆断を許すべき余地が、安井と御米の間に充分存在し得るだろうぐらいに考えて、寝ながらおかしく思った。しかもその臆断に、腹の中で徊する事の馬鹿馬鹿しいのに気がついて、消し忘れた洋灯をようやくふっと吹き消した。  こう云う記憶の、しだいに沈んで痕迹もなくなるまで、御互の顔を見ずに過すほど、宗助と安井とは疎遠ではなかった。二人は毎日学校で出合うばかりでなく、依然として夏休み前の通り往来を続けていた。けれども宗助が行くたびに、御米は必ず挨拶に出るとは限らなかった。三返に一返ぐらい、顔を見せないで、始ての時のように、ひっそり隣りの室に忍んでいる事もあった。宗助は別にそれを気にも留めなかった。それにもかかわらず、二人はようやく接近した。幾何ならずして冗談を云うほどの親みができた。  そのうちまた秋が来た。去年と同じ事情の下に、京都の秋を繰り返す興味に乏しかった宗助は、安井と御米に誘われて茸狩に行った時、朗らかな空気のうちにまた新らしい香を見出した。紅葉も三人で観た。嵯峨から山を抜けて高雄へ歩く途中で、御米は着物の裾を捲くって、長襦袢だけを足袋の上まで牽いて、細い傘を杖にした。山の上から一町も下に見える流れに日が射して、水の底が明らかに遠くから透かされた時、御米は 「京都は好い所ね」と云って二人を顧みた。それをいっしょに眺めた宗助にも、京都は全く好い所のように思われた。  こう揃って外へ出た事も珍らしくはなかった。家の中で顔を合わせる事はなおしばしばあった。或時宗助が例のごとく安井を尋ねたら、安井は留守で、御米ばかり淋しい秋の中に取り残されたように一人坐っていた。宗助は淋しいでしょうと云って、つい座敷に上り込んで、一つ火鉢の両側に手を翳しながら、思ったより長話をして帰った。或時宗助がぽかんとして、下宿の机に倚りかかったまま、珍らしく時間の使い方に困っていると、ふと御米がやって来た。そこまで買物に出たから、ついでに寄ったんだとか云って、宗助の薦める通り、茶を飲んだり菓子を食べたり、緩くり寛ろいだ話をして帰った。  こんな事が重なって行くうちに、木の葉がいつの間にか落ちてしまった。そうして高い山の頂が、ある朝真白に見えた。吹き曝しの河原が白くなって、橋を渡る人の影が細く動いた。その年の京都の冬は、音を立てずに肌を透す陰忍な質のものであった。安井はこの悪性の寒気にあてられて、苛いインフルエンザに罹った。熱が普通の風邪よりもよほど高かったので、始は御米も驚ろいたが、それは一時の事で、すぐ退いたには退いたから、これでもう全快と思うと、いつまで立っても判然しなかった。安井は黐のような熱に絡みつかれて、毎日その差し引きに苦しんだ。  医者は少し呼吸器を冒されているようだからと云って、切に転地を勧めた。安井は心ならず押入の中の柳行李に麻縄を掛けた。御米は手提鞄に錠をおろした。宗助は二人を七条まで見送って、汽車が出るまで室の中へ這入って、わざと陽気な話をした。プラットフォームへ下りた時、窓の内から、 「遊びに来たまえ」と安井が云った。 「どうぞ是非」と御米が言った。  汽車は血色の好い宗助の前をそろそろ過ぎて、たちまち神戸の方に向って煙を吐いた。  病人は転地先で年を越した。絵端書は着いた日から毎日のように寄こした。それにいつでも遊びに来いと繰り返して書いてない事はなかった。御米の文字も一二行ずつは必ず交っていた。宗助は安井と御米から届いた絵端書を別にして机の上に重ねて置いた。外から帰るとそれが直眼に着いた。時々はそれを一枚ずつ順に読み直したり、見直したりした。しまいにもうすっかり癒ったから帰る。しかしせっかくここまで来ながら、ここで君の顔を見ないのは遺憾だから、この手紙が着きしだい、ちょっとでいいから来いという端書が来た。無事と退屈を忌む宗助を動かすには、この十数言で充分であった。宗助は汽車を利用してその夜のうちに安井の宿に着いた。  明るい灯火の下に三人が待設けた顔を合わした時、宗助は何よりもまず病人の色沢の回復して来た事に気がついた。立つ前よりもかえって好いくらいに見えた。安井自身もそんな心持がすると云って、わざわざ襯衣の袖を捲り上げて、青筋の入った腕を独で撫でていた。御米も嬉しそうに眼を輝かした。宗助にはその活溌な目遣がことに珍らしく受取れた。今まで宗助の心に映じた御米は、色と音の撩乱する裏に立ってさえ、極めて落ちついていた。そうしてその落ちつきの大部分はやたらに動かさない眼の働らきから来たとしか思われなかった。  次の日三人は表へ出て遠く濃い色を流す海を眺めた。松の幹から脂の出る空気を吸った。冬の日は短い空を赤裸々に横切っておとなしく西へ落ちた。落ちる時、低い雲を黄に赤に竈の火の色に染めて行った。風は夜に入っても起らなかった。ただ時々松を鳴らして過ぎた。暖かい好い日が宗助の泊っている三日の間続いた。  宗助はもっと遊んで行きたいと云った。御米はもっと遊んで行きましょうと云った。安井は宗助が遊びに来たから好い天気になったんだろうと云った。三人はまた行李と鞄を携えて京都へ帰った。冬は何事もなく北風を寒い国へ吹きやった。山の上を明らかにした斑な雪がしだいに落ちて、後から青い色が一度に芽を吹いた。  宗助は当時を憶い出すたびに、自然の進行がそこではたりと留まって、自分も御米もたちまち化石してしまったら、かえって苦はなかったろうと思った。事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まって、散り尽した桜の花が若葉に色を易える頃に終った。すべてが生死の戦であった。青竹を炙って油を絞るほどの苦しみであった。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上がった時はどこもかしこもすでに砂だらけであったのである。彼らは砂だらけになった自分達を認めた。けれどもいつ吹き倒されたかを知らなかった。  世間は容赦なく彼らに徳義上の罪を背負した。しかし彼ら自身は徳義上の良心に責められる前に、いったん茫然として、彼らの頭が確であるかを疑った。彼らは彼らの眼に、不徳義な男女として恥ずべく映る前に、すでに不合理な男女として、不可思議に映ったのである。そこに言訳らしい言訳が何にもなかった。だからそこに云うに忍びない苦痛があった。彼らは残酷な運命が気紛に罪もない二人の不意を打って、面白半分穽の中に突き落したのを無念に思った。  曝露の日がまともに彼らの眉間を射たとき、彼らはすでに徳義的に痙攣の苦痛を乗り切っていた。彼らは蒼白い額を素直に前に出して、そこにに似た烙印を受けた。そうして無形の鎖で繋がれたまま、手を携えてどこまでも、いっしょに歩調を共にしなければならない事を見出した。彼らは親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれらから棄てられた。学校からは無論棄てられた。ただ表向だけはこちらから退学した事になって、形式の上に人間らしい迹を留めた。  これが宗助と御米の過去であった。 十五  この過去を負わされた二人は、広島へ行っても苦しんだ。福岡へ行っても苦しんだ。東京へ出て来ても、依然として重い荷に抑えつけられていた。佐伯の家とは親しい関係が結べなくなった。叔父は死んだ。叔母と安之助はまだ生きているが、生きている間に打ち解けた交際はできないほど、もう冷淡の日を重ねてしまった。今年はまだ歳暮にも行かなかった。向からも来なかった。家に引取った小六さえ腹の底では兄に敬意を払っていなかった。二人が東京へ出たてには、単純な小供の頭から、正直に御米を悪んでいた。御米にも宗助にもそれがよく分っていた。夫婦は日の前に笑み、月の前に考えて、静かな年を送り迎えた。今年ももう尽きる間際まで来た。  通町では暮の内から門並揃の注連飾をした。往来の左右に何十本となく並んだ、軒より高い笹が、ことごとく寒い風に吹かれて、さらさらと鳴った。宗助も二尺余りの細い松を買って、門の柱に釘付にした。それから大きな赤い橙を御供の上に載せて、床の間に据えた。床にはいかがわしい墨画の梅が、蛤の格好をした月を吐いてかかっていた。宗助にはこの変な軸の前に、橙と御供を置く意味が解らなかった。 「いったいこりゃ、どう云う了見だね」と自分で飾りつけた物を眺めながら、御米に聞いた。御米にも毎年こうする意味はとんと解らなかった。 「知らないわ。ただそうしておけばいいのよ」と云って台所へ去った。宗助は、 「こうしておいて、つまり食うためか」と首を傾けて御供の位置を直した。  伸餅は夜業に俎を茶の間まで持ち出して、みんなで切った。庖丁が足りないので、宗助は始からしまいまで手を出さなかった。力のあるだけに小六が一番多く切った。その代り不同も一番多かった。中には見かけの悪い形のものも交った。変なのができるたびに清が声を出して笑った。小六は庖丁の背に濡布巾をあてがって、硬い耳の所を断ち切りながら、 「格好はどうでも、食いさいすればいいんだ」と、うんと力を入れて耳まで赤くした。  そのほかに迎年の支度としては、小殿原を熬って、煮染を重詰にするくらいなものであった。大晦日の夜に入って、宗助は挨拶かたがた屋賃を持って、坂井の家に行った。わざと遠慮して勝手口へ回ると、摺硝子へ明るい灯が映って、中はざわざわしていた。上り框に帳面を持って腰をかけた掛取らしい小僧が、立って宗助に挨拶をした。茶の間には主人も細君もいた。その片隅に印袢天を着た出入のものらしいのが、下を向いて、小さい輪飾をいくつも拵えていた。傍に譲葉と裏白と半紙と鋏が置いてあった。若い下女が細君の前に坐って、釣銭らしい札と銀貨を畳に並べていた。主人は宗助を見て、 「いやどうも」と云った。「押しつまってさぞ御忙しいでしょう。この通りごたごたです。さあどうぞこちらへ。何ですな、御互に正月にはもう飽きましたな。いくら面白いものでも四十辺以上繰り返すと厭になりますね」  主人は年の送迎に煩らわしいような事を云ったが、その態度にはどこと指してくさくさしたところは認められなかった。言葉遣は活溌であった。顔はつやつやしていた。晩食に傾けた酒の勢が、まだ頬の上に差しているごとく思われた。宗助は貰い煙草をして二三十分ばかり話して帰った。  家では御米が清を連れて湯に行くとか云って、石鹸入を手拭に包んで、留守居を頼む夫の帰を待ち受けていた。 「どうなすったの、随分長かったわね」と云って時計を眺めた。時計はもう十時近くであった。その上清は湯の戻りに髪結の所へ回って頭を拵えるはずだそうであった。閑静な宗助の活計も、大晦日にはそれ相応の事件が寄せて来た。 「払はもう皆済んだのかい」と宗助は立ちながら御米に聞いた。御米はまだ薪屋が一軒残っていると答えた。 「来たら払ってちょうだい」と云って懐の中から汚れた男持の紙入と、銀貨入の蟇口を出して、宗助に渡した。 「小六はどうした」と夫はそれを受取ながら云った。 「先刻大晦日の夜の景色を見て来るって出て行ったのよ。随分御苦労さまね。この寒いのに」と云う御米の後に追いて、清は大きな声を出して笑った。やがて、 「御若いから」と評しながら、勝手口へ行って、御米の下駄を揃えた。 「どこの夜景を見る気なんだ」 「銀座から日本橋通のだって」  御米はその時もう框から下りかけていた。すぐ腰障子を開ける音がした。宗助はその音を聞き送って、たった一人火鉢の前に坐って、灰になる炭の色を眺めていた。彼の頭には明日の日の丸が映った。外を乗り回す人の絹帽子の光が見えた。洋剣の音だの、馬の嘶だの、遣羽子の声が聞えた。彼は今から数時間の後また年中行事のうちで、もっとも人の心を新にすべく仕組まれた景物に出逢わなければならなかった。  陽気そうに見えるもの、賑かそうに見えるものが、幾組となく彼の心の前を通り過ぎたが、その中で彼の臂を把って、いっしょに引張って行こうとするものは一つもなかった。彼はただ饗宴に招かれない局外者として、酔う事を禁じられたごとくに、また酔う事を免かれた人であった。彼は自分と御米の生命を、毎年平凡な波瀾のうちに送る以上に、面前大した希望も持っていなかった。こうして忙がしい大晦日に、一人家を守る静かさが、ちょうど彼の平生の現実を代表していた。  御米は十時過に帰って来た。いつもより光沢の好い頬を灯に照らして、湯の温のまだ抜けない襟を少し開けるように襦袢を重ねていた。長い襟首がよく見えた。 「どうも込んで込んで、洗う事も桶を取る事もできないくらいなの」と始めて緩くり息を吐いた。  清の帰ったのは十一時過であった。これも綺麗な頭を障子から出して、ただ今、どうも遅くなりましたと挨拶をしたついでに、あれから二人とか三人とか待ち合したと云う話をした。  ただ小六だけは容易に帰らなかった。十二時を打ったとき、宗助はもう寝ようと云い出した。御米は今日に限って、先へ寝るのも変なものだと思って、できるだけ話を繋いでいた。小六は幸にして間もなく帰った。日本橋から銀座へ出てそれから、水天宮の方へ廻ったところが、電車が込んで何台も待ち合わしたために遅くなったという言訳をした。  白牡丹へ這入って、景物の金時計でも取ろうと思ったが、何も買うものがなかったので、仕方なしに鈴の着いた御手玉を一箱買って、そうして幾百となく器械で吹き上げられる風船を一つ攫んだら、金時計は当らないで、こんなものがあたったと云って、袂から倶楽部洗粉を一袋出した。それを御米の前に置いて、 「姉さんに上げましょう」と云った。それから鈴を着けた、梅の花の形に縫った御手玉を宗助の前に置いて、 「坂井の御嬢さんにでも御上げなさい」と云った。  事に乏しい一小家族の大晦日は、それで終りを告げた。 十六  正月は二日目の雪を率て注連飾の都を白くした。降りやんだ屋根の色がもとに復る前、夫婦は亜鉛張の庇を滑り落ちる雪の音に幾遍か驚ろかされた。夜半にはどさと云う響がことにはなはだしかった。小路の泥濘は雨上りと違って一日や二日では容易に乾かなかった。外から靴を汚して帰って来る宗助が、御米の顔を見るたびに、 「こりゃいけない」と云いながら玄関へ上った。その様子があたかも御米を路を悪くした責任者と見傚している風に受取られるので、御米はしまいに、 「どうも済みません。本当に御気の毒さま」と云って笑い出した。宗助は別に返すべき冗談も有たなかった。 「御米ここから出かけるには、どこへ行くにも足駄を穿かなくっちゃならないように見えるだろう。ところが下町へ出ると大違だ。どの通もどの通もからからで、かえって埃が立つくらいだから、足駄なんぞ穿いちゃきまりが悪くって歩けやしない。つまりこう云う所に住んでいる我々は一世紀がた後れる事になるんだね」  こんな事を口にする宗助は、別に不足らしい顔もしていなかった。御米も夫の鼻の穴を潜る煙草の煙を眺めるくらいな気で、それを聞いていた。 「坂井さんへ行って、そう云っていらっしゃいな」と軽い返事をした。 「そうして屋賃でも負けて貰う事にしよう」と答えたまま、宗助はついに坂井へは行かなかった。  その坂井には元日の朝早く名刺を投げ込んだだけで、わざと主人の顔を見ずに門を出たが、義理のある所を一日のうちにほぼ片づけて夕方帰って見ると、留守の間に坂井がちゃんと来ていたので恐縮した。二日は雪が降っただけで何事もなく過ぎた。三日目の日暮に下女が使に来て、御閑ならば、旦那様と奥さまと、それから若旦那様に是非今晩御遊びにいらっしゃるようにと云って帰った。 「何をするんだろう」と宗助は疑ぐった。 「きっと歌加留多でしょう。小供が多いから」と御米が云った。「あなた行っていらっしゃい」 「せっかくだから御前行くが好い。おれは歌留多は久しく取らないから駄目だ」 「私も久しく取らないから駄目ですわ」  二人は容易に行こうとはしなかった。しまいに、では若旦那がみんなを代表して行くが宜かろうという事になった。 「若旦那行って来い」と宗助が小六に云った。小六は苦笑いして立った。夫婦は若旦那と云う名を小六に冠らせる事を大変な滑稽のように感じた。若旦那と呼ばれて、苦笑いする小六の顔を見ると、等しく声を出して笑い出した。小六は春らしい空気の中から出た。そうして一町ほどの寒さを横切って、また春らしい電灯の下に坐った。  その晩小六は大晦日に買った梅の花の御手玉を袂に入れて、これは兄から差上げますとわざわざ断って、坂井の御嬢さんに贈物にした。その代り帰りには、福引に当った小さな裸人形を同じ袂へ入れて来た。その人形の額が少し欠けて、そこだけ墨で塗ってあった。小六は真面目な顔をして、これが袖萩だそうですと云って、それを兄夫婦の前に置いた。なぜ袖萩だか夫婦には分らなかった。小六には無論分らなかったのを、坂井の奥さんが叮嚀に説明してくれたそうであるが、それでも腑に落ちなかったので、主人がわざわざ半切に洒落と本文を並べて書いて、帰ったらこれを兄さんと姉さんに御見せなさいと云って渡したとかいう話であった。小六は袂を探ってその書付を取り出して見せた。それに「此垣一重が黒鉄の」と認めた後に括弧をして、(此餓鬼額が黒欠の)とつけ加えてあったので、宗助と御米はまた春らしい笑を洩らした。 「随分念の入った趣向だね。いったい誰の考だい」と兄が聞いた。 「誰ですかな」と小六はやっぱりつまらなそうな顔をして、人形をそこへ放り出したまま、自分の室に帰った。  それから二三日して、たしか七日の夕方に、また例の坂井の下女が来て、もし御閑ならどうぞ御話にと、叮嚀に主人の命を伝えた。宗助と御米は洋灯を点けてちょうど晩食を始めたところであった。宗助はその時茶碗を持ちながら、 「春もようやく一段落が着いた」と語っていた。そこへ清が坂井からの口上を取り次いだので、御米は夫の顔を見て微笑した。宗助は茶碗を置いて、 「まだ何か催おしがあるのかい」と少し迷惑そうな眉をした。坂井の下女に聞いて見ると、別に来客もなければ、何の支度もないという事であった。その上細君は子供を連れて親類へ呼ばれて行って留守だという話までした。 「それじゃ行こう」と云って宗助は出掛けた。宗助は一般の社交を嫌っていた。やむを得なければ会合の席などへ顔を出す男でなかった。個人としての朋友も多くは求めなかった。訪問はする暇を有たなかった。ただ坂井だけは取除であった。折々は用もないのにこっちからわざわざ出掛けて行って、時を潰して来る事さえあった。その癖坂井は世の中でもっとも社交的の人であった。この社交的な坂井と、孤独な宗助が二人寄って話ができるのは、御米にさえ妙に見える現象であった。坂井は、 「あっちへ行きましょう」と云って、茶の間を通り越して、廊下伝いに小さな書斎へ入った。そこには棕梠の筆で書いたような、大きな硬い字が五字ばかり床の間にかかっていた。棚の上に見事な白い牡丹が活けてあった。そのほか机でも蒲団でもことごとく綺麗であった。坂井は始め暗い入口に立って、 「さあどうぞ」と云いながら、どこかぴちりと捩って、電気灯を点けた。それから、 「ちょっと待ちたまえ」と云って、燐寸で瓦斯煖炉を焚いた。瓦斯煖炉は室に比例したごく小さいものであった。坂井はしかる後蒲団を薦めた。 「これが僕の洞窟で、面倒になるとここへ避難するんです」  宗助も厚い綿の上で、一種の静かさを感じた。瓦斯の燃える音が微かにしてしだいに背中からほかほか煖まって来た。 「ここにいると、もうどことも交渉はない。全く気楽です。悠くりしていらっしゃい。実際正月と云うものは予想外に煩瑣いものですね。私も昨日まででほとんどへとへとに降参させられました。新年が停滞ているのは実に苦しいですよ。それで今日の午から、とうとう塵世を遠ざけて、病気になってぐっと寝込んじまいました。今しがた眼を覚まして、湯に入って、それから飯を食って、煙草を呑んで、気がついて見ると、家内が子供を連れて親類へ行って留守なんでしょう。なるほど静かなはずだと思いましてね。すると今度は急に退屈になったのです。人間も随分わがままなものですよ。しかしいくら退屈だって、この上おめでたいものを、見たり聞いたりしちゃ骨が折れますし、また御正月らしいものを呑んだり食ったりするのも恐れますから、それで、御正月らしくない、と云うと失礼だが、まあ世の中とあまり縁のないあなた、と云ってもまだ失敬かも知れないが、つまり一口に云うと、超然派の一人と話しがして見たくなったんで、それでわざわざ使を上げたような訳なんです」と坂井は例の調子で、ことごとくすらすらしたものであった。宗助はこの楽天家の前では、よく自分の過去を忘れる事があった。そうして時によると、自分がもし順当に発展して来たら、こんな人物になりはしなかったろうかと考えた。  そこへ下女が三尺の狭い入口を開けて這入って来たが、改ためて宗助に鄭重な御辞儀をした上、木皿のような菓子皿のようなものを、一つ前に置いた。それから同じ物をもう一つ主人の前に置いて、一口もものを云わずに退がった。木皿の上には護謨毬ほどな大きな田舎饅頭が一つ載せてあった。それに普通の倍以上もあろうと思われる楊枝が添えてあった。 「どうです暖かい内に」と主人が云ったので、宗助は始めてこの饅頭の蒸して間もない新らしさに気がついた。珍らしそうに黄色い皮を眺めた。 「いやできたてじゃありません」と主人がまた云った。「実は昨夜ある所へ行って、冗談半分に賞めたら、御土産に持っていらっしゃいと云うから貰って来たんです。その時は全く暖たかだったんですがね。これは今上げようと思って蒸し返さしたのです」  主人は箸とも楊枝とも片のつかないもので、無雑作に饅頭を割って、むしゃむしゃ食い始めた。宗助も顰に傚った。  その間に主人は昨夕行った料理屋で逢ったとか云って妙な芸者の話をした。この芸者はポッケット論語が好きで、汽車へ乗ったり遊びに行ったりするときは、いつでもそれを懐にして出るそうであった。 「それでね孔子の門人のうちで、子路が一番好だって云うんですがね。そのいわれを聞くと、子路と云う男は、一つ何か教わって、それをまだ行わないうちに、また新らしい事を聞くと苦にするほど正直だからだって云うんです。実のところ私も子路はあまりよく知らないから困ったが、何しろ一人好い人ができて、それと夫婦にならない前に、また新らしく好い人ができると苦になるようなものじゃないかって、聞いて見たんです……」  主人はこんな事をはなはだ気楽そうに述べ立てた。その話の様子からして考えると、彼はのべつにこういう場所に出入して、その刺戟にはとうに麻痺しながら、因習の結果、依然として月に何度となく同じ事を繰り返しているらしかった。よく聞き糺して見ると、しかく平気な男も、時々は歓楽の飽満に疲労して、書斎のなかで精神を休める必要が起るのだそうであった。  宗助はそういう方面にまるで経験のない男ではなかったので、強いて興味を装う必要もなく、ただ尋常な挨拶をするところが、かえって主人の気に入るらしかった。彼は平凡な宗助の言葉のなかから、一種異彩のある過去を覗くような素振を見せた。しかしそちらへは宗助が進みたがらない痕迹が少しでも出ると、すぐ話を転じた。それは政略よりもむしろ礼譲からであった。したがって宗助には毫も不愉快を与えなかった。  そのうち小六の噂が出た。主人はこの青年について、肉身の兄が見逃すような新らしい観察を、二三有っていた。宗助は主人の評語を、当ると当らないとに論なく、面白く聞いた。そのなかに、彼は年に合わしては複雑な実用に適しない頭を有っていながら、年よりも若い単純な性情を平気で露わす子供じゃないかという質問があった。宗助はすぐそれを首肯った。しかし学校教育だけで社会教育のないものは、いくら年を取ってもその傾があるだろうと答えた。 「さよう、それと反対で、社会教育だけあって学校教育のないものは、随分複雑な性情を発揮する代りに、頭はいつまでも小供ですからね。かえって始末が悪いかも知れない」  主人はここでちょっと笑ったが、やがて、 「どうです、私の所へ書生に寄こしちゃ、少しは社会教育になるかも知れない」と云った。主人の書生は彼の犬が病気で病院へ這入る一カ月前とかに、徴兵検査に合格して入営したぎり今では一人もいないのだそうであった。  宗助は小六の所置をつける好機会が、求めざるに先だって、春と共に自から回って来たのを喜こんだ。同時に、今まで世間に向って、積極的に好意と親切を要求する勇気を有たなかった彼は、突然この主人の申し出に逢って少しまごつくくらい驚ろいた。けれどもできるならなりたけ早く弟を坂井に預けて置いて、この変動から出る自分の余裕に、幾分か安之助の補助を足して、そうして本人の希望通り、高等の教育を受けさしてやろうという分別をした。そこで打ち明けた話を腹蔵なく主人にすると、主人はなるほどなるほどと聞いているだけであったが、しまいに雑作なく、 「そいつは好いでしょう」と云ったので、相談はほぼその座で纏まった。  宗助はそこで辞して帰ればよかったのである。また辞して帰ろうとしたのである。ところが主人からまあ緩くりなさいと云って留められた。主人は夜は長い、まだ宵だと云って時計まで出して見せた。実際彼は退屈らしかった。宗助も帰ればただ寝るよりほかに用のない身体なので、ついまた尻を据えて、濃い煙草を新らしく吹かし始めた。しまいには主人の例に傚って、柔らかい座蒲団の上で膝さえ崩した。  主人は小六の事に関聯して、 「いや弟などを有っていると、随分厄介なものですよ。私も一人やくざなのを世話をした覚がありますがね」と云って、自分の弟が大学にいるとき金のかかった事などを、自分が学生時代の質朴さに比べていろいろ話した。宗助はこの派出好な弟が、その後どんな径路を取って、どう発展したかを、気味の悪い運命の意思を窺う一端として、主人に聞いて見た。主人は卒然 「冒険者」と、頭も尾もない一句を投げるように吐いた。  この弟は卒業後主人の紹介で、ある銀行に這入ったが、何でも金を儲けなくっちゃいけないと口癖のように云っていたそうで、日露戦争後間もなく、主人の留めるのも聞かずに、大いに発展して見たいとかとなえてついに満洲へ渡ったのだと云う。そこで何を始めるかと思うと、遼河を利用して、豆粕大豆を船で下す、大仕掛な運送業を経営して、たちまち失敗してしまったのだそうである。元より当人は、資本主ではなかったのだけれども、いよいよという暁に、勘定して見ると大きな欠損と事がきまったので、無論事業は継続する訳に行かず、当人は必然の結果、地位を失ったぎりになった。 「それから後私もどうしたかよく知らなかったんですが、その後ようやく聞いて見ると、驚ろきましたね。蒙古へ這入って漂浪いているんです。どこまで山気があるんだか分らないんで、私も少々剣呑になってるんですよ。それでも離れているうちは、まあどうかしているだろうぐらいに思って放っておきます。時たま音便があったって、蒙古という所は、水に乏しい所で、暑い時には往来へ泥溝の水を撒くとかね、またはその泥溝の水が無くなると、今度は馬の小便を撒くとか、したがってはなはだ臭いとか、まあそんな手紙が来るだけですから、――そりゃあ金の事も云って来ますが、なに東京と蒙古だから打遣っておけばそれまでです。だから離れてさえいれば、まあいいんですが、そいつが去年の暮突然出て来ましてね」  主人は思いついたように、床の柱にかけた、綺麗な房のついた一種の装飾物を取りおろした。  それは錦の袋に這入った一尺ばかりの刀であった。鞘は何とも知れぬ緑色の雲母のようなものでできていて、その所々が三カ所ほど巻いてあった。中身は六寸ぐらいしかなかった。したがって刃も薄かった。けれども鞘の格好はあたかも六角の樫の棒のように厚かった。よく見ると、柄の後に細い棒が二本並んで差さっていた。結果は鞘を重ねて離れないために銀の鉢巻をしたと同じであった。主人は 「土産にこんなものを持って来ました。蒙古刀だそうです」と云いながら、すぐ抜いて見せた。後に差してあった象牙のような棒も二本抜いて見せた。 「こりゃ箸ですよ。蒙古人は始終これを腰へぶら下げていて、いざ御馳走という段になると、この刀を抜いて肉を切って、そうしてこの箸で傍から食うんだそうです」  主人はことさらに刀と箸を両手に持って、切ったり食ったりする真似をして見せた。宗助はひたすらにその精巧な作りを眺めた。 「まだ蒙古人の天幕に使うフェルトも貰いましたが、まあ昔の毛氈と変ったところもありませんね」  主人は蒙古人の上手に馬を扱う事や、蒙古犬の瘠せて細長くて、西洋のグレー・ハウンドに似ている事や、彼らが支那人のためにだんだん押し狭められて行く事や、――すべて近頃あっちから帰ったという弟に聞いたままを宗助に話した。宗助はまた自分のいまだかつて耳にした事のない話だけに、一々少なからぬ興味を有ってそれを聞いて行った。そのうちに、元来この弟は蒙古で何をしているのだろうという好奇心が出た。そこでちょっと主人に尋ねて見ると、主人は、 「冒険者」と再び先刻の言葉を力強く繰り返した。「何をしているか分らない。私には、牧畜をやっています。しかも成功していますと云うんですがね、いっこう当にはなりません。今までもよく法螺を吹いて私を欺したもんです。それに今度東京へ出て来た用事と云うのがよっぽど妙です。何とか云う蒙古王のために、金を二万円ばかり借りたい。もし借してやらないと自分の信用に関わるって奔走しているんですからね。そのとっぱじめに捕まったのは私だが、いくら蒙古王だって、いくら広い土地を抵当にするったって、蒙古と東京じゃ催促さえできやしませんもの。で、私が断ると、蔭へ廻って妻に、兄さんはあれだから大きな仕事ができっこないって、威張っているんです。しようがない」  主人はここで少し笑ったが、妙に緊張した宗助の顔を見て、 「どうです一遍逢って御覧になっちゃ、わざわざ毛皮の着いただぶだぶしたものなんか着て、ちょっと面白いですよ。何なら御紹介しましょう。ちょうど明後日の晩呼んで飯を食わせる事になっているから。――なに引っ掛っちゃいけませんがね。黙って向に喋舌らして、聞いている分には、少しも危険はありません。ただ面白いだけです」としきりに勧め出した。宗助は多少心を動かした。 「おいでになるのは御令弟だけですか」 「いやほかに一人弟の友達で向からいっしょに来たものが、来るはずになっています。安井とか云って私はまだ逢った事もない男ですが、弟がしきりに私に紹介したがるから、実はそれで二人を呼ぶ事にしたんです」  宗助はその夜蒼い顔をして坂井の門を出た。 十七  宗助と御米の一生を暗く彩どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊のような思をどこかに抱かしめた。彼らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過した。  当初彼らの頭脳に痛く応えたのは、彼らの過が安井の前途に及ぼした影響であった。二人の頭の中で沸き返った凄い泡のようなものがようやく静まった時、二人は安井もまた半途で学校を退いたという消息を耳にした。彼らは固より安井の前途を傷けた原因をなしたに違なかった。次に安井が郷里に帰ったという噂を聞いた。次に病気に罹って家に寝ているという報知を得た。二人はそれを聞くたびに重い胸を痛めた。最後に安井が満洲に行ったと云う音信が来た。宗助は腹の中で、病気はもう癒ったのだろうかと思った。または満洲行の方が嘘ではなかろうかと考えた。安井は身体から云っても、性質から云っても、満洲や台湾に向く男ではなかったからである。宗助はできるだけ手を回して、事の真疑を探った。そうして、或る関係から、安井がたしかに奉天にいる事を確め得た。同時に彼の健康で、活溌で、多忙である事も確め得た。その時夫婦は顔を見合せて、ほっという息を吐いた。 「まあよかろう」と宗助が云った。 「病気よりはね」と御米が云った。  二人はそれから以後安井の名を口にするのを避けた。考え出す事さえもあえてしなかった。彼らは安井を半途で退学させ、郷里へ帰らせ、病気に罹らせ、もしくは満洲へ駆りやった罪に対して、いかに悔恨の苦しみを重ねても、どうする事もできない地位に立っていたからである。 「御米、御前信仰の心が起った事があるかい」と或時宗助が御米に聞いた。御米は、ただ、 「あるわ」と答えただけで、すぐ「あなたは」と聞き返した。  宗助は薄笑いをしたぎり、何とも答えなかった。その代り推して、御米の信仰について、詳しい質問も掛けなかった。御米には、それが仕合せかも知れなかった。彼女はその方面に、これというほど判然した凝り整った何物も有っていなかったからである。二人はとかくして会堂の腰掛にも倚らず、寺院の門も潜らずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日と云う緩和剤の力だけで、ようやく落ちついた。時々遠くから不意に現れる訴も、苦しみとか恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまり微かに、あまり薄く、あまりに肉体と慾得を離れ過ぎるようになった。必竟ずるに、彼らの信仰は、神を得なかったため、仏に逢わなかったため、互を目標として働らいた。互に抱き合って、丸い円を描き始めた。彼らの生活は淋しいなりに落ちついて来た。その淋しい落ちつきのうちに、一種の甘い悲哀を味わった。文芸にも哲学にも縁のない彼らは、この味を舐め尽しながら、自分で自分の状態を得意がって自覚するほどの知識を有たなかったから、同じ境遇にある詩人や文人などよりも、一層純粋であった。――これが七日の晩に坂井へ呼ばれて、安井の消息を聞くまでの夫婦の有様であった。  その夜宗助は家に帰って御米の顔を見るや否や、 「少し具合が悪いから、すぐ寝よう」と云って、火鉢に倚りながら、帰を待ち受けていた御米を驚ろかした。 「どうなすったの」と御米は眼を上げて宗助を眺めた。宗助はそこに突っ立っていた。  宗助が外から帰って来て、こんな風をするのは、ほとんど御米の記憶にないくらい珍らしかった。御米は卒然何とも知れない恐怖の念に襲われたごとくに立ち上がったが、ほとんど器械的に、戸棚から夜具蒲団を取り出して、夫の云いつけ通り床を延べ始めた。その間宗助はやっぱり懐手をして傍に立っていた。そうして床が敷けるや否や、そこそこに着物を脱ぎ捨てて、すぐその中に潜り込んだ。御米は枕元を離れ得なかった。 「どうなすったの」 「何だか、少し心持が悪い。しばらくこうしてじっとしていたら、よくなるだろう」  宗助の答は半ば夜着の下から出た。その声が籠ったように御米の耳に響いた時、御米は済まない顔をして、枕元に坐ったなり動かなかった。 「あっちへ行っていてもいいよ。用があれば呼ぶから」  御米はようやく茶の間へ帰った。  宗助は夜具を被ったまま、ひとり硬くなって眼を眠っていた。彼はこの暗い中で、坂井から聞いた話を何度となく反覆した。彼は満洲にいる安井の消息を、家主たる坂井の口を通して知ろうとは、今が今まで予期していなかった。もう少しの事で、その安井と同じ家主の家へ同時に招かれて、隣り合せか、向い合せに坐る運命になろうとは、今夜晩食を済ますまで、夢にも思いがけなかった。彼は寝ながら過去二三時間の経過を考えて、そのクライマックスが突如として、いかにも不意に起ったのを不思議に感じた。かつ悲しく感じた。彼はこれほど偶然な出来事を借りて、後から断りなしに足絡をかけなければ、倒す事のできないほど強いものとは、自分ながら任じていなかったのである。自分のような弱い男を放り出すには、もっと穏当な手段でたくさんでありそうなものだと信じていたのである。  小六から坂井の弟、それから満洲、蒙古、出京、安井、――こう談話の迹を辿れば辿るほど、偶然の度はあまりにはなはだしかった。過去の痛恨を新にすべく、普通の人が滅多に出逢わないこの偶然に出逢うために、千百人のうちから撰り出されなければならないほどの人物であったかと思うと、宗助は苦しかった。また腹立たしかった。彼は暗い夜着の中で熱い息を吐いた。  この二三年の月日でようやく癒りかけた創口が、急に疼き始めた。疼くに伴れて熱って来た。再び創口が裂けて、毒のある風が容赦なく吹き込みそうになった。宗助はいっそのこと、万事を御米に打ち明けて、共に苦しみを分って貰おうかと思った。 「御米、御米」と二声呼んだ。  御米はすぐ枕元へ来て、上から覗き込むように宗助を見た。宗助は夜具の襟から顔を全く出した。次の間の灯が御米の頬を半分照らしていた。 「熱い湯を一杯貰おう」  宗助はとうとう言おうとした事を言い切る勇気を失って、嘘を吐いてごまかした。  翌日宗助は例のごとく起きて、平日と変る事なく食事を済ました。そうして給仕をしてくれる御米の顔に、多少安心の色が見えたのを、嬉しいような憐れなような一種の情緒をもって眺めた。 「昨夕は驚ろいたわ。どうなすったのかと思って」  宗助は下を向いて茶碗に注いだ茶を呑んだだけであった。何と答えていいか、適当な言葉を見出さなかったからである。  その日は朝からから風が吹き荒んで、折々埃と共に行く人の帽を奪った。熱があると悪いから、一日休んだらと云う御米の心配を聞き捨てにして、例の通り電車へ乗った宗助は、風の音と車の音の中に首を縮めて、ただ一つ所を見つめていた。降りる時、ひゅうという音がして、頭の上の針線が鳴ったのに気がついて、空を見たら、この猛烈な自然の力の狂う間に、いつもより明らかな日がのそりと出ていた。風は洋袴の股を冷たくして過ぎた。宗助にはその砂を捲いて向うの堀の方へ進んで行く影が、斜めに吹かれる雨の脚のように判然見えた。  役所では用が手に着かなかった。筆を持って頬杖を突いたまま何か考えた。時々は不必要な墨を妄りに磨りおろした。煙草はむやみに呑んだ。そうしては、思い出したように窓硝子を通して外を眺めた。外は見るたびに風の世界であった。宗助はただ早く帰りたかった。  ようやく時間が来て家へ帰ったとき、御米は不安らしく宗助の顔を見て、 「どうもなくって」と聞いた。宗助はやむを得ず、どうもないが、ただ疲れたと答えて、すぐ炬燵の中へ入ったなり、晩食まで動かなかった。そのうち風は日と共に落ちた。昼の反動で四隣は急にひっそり静まった。 「好い案排ね、風が無くなって。昼間のように吹かれると、家に坐っていても何だか気味が悪くってしようがないわ」  御米の言葉には、魔物でもあるかのように、風を恐れる調子があった。宗助は落ちついて、 「今夜は少し暖たかいようだね。穏やかで好い御正月だ」と云った。飯を済まして煙草を一本吸う段になって、突然、 「御米、寄席へでも行って見ようか」と珍らしく細君を誘った。御米は無論否む理由を有たなかった。小六は義太夫などを聞くより、宅にいて餅でも焼いて食った方が勝手だというので、留守を頼んで二人出た。  少し時間が遅れたので、寄席はいっぱいであった。二人は座蒲団を敷く余地もない一番後の方に、立膝をするように割り込まして貰った。 「大変な人ね」 「やっぱり春だから入るんだろう」  二人は小声で話しながら、大きな部屋にぎっしり詰まった人の頭を見回した。その頭のうちで、高座に近い前の方は、煙草の煙で霞んでいるようにぼんやり見えた。宗助にはこの累々たる黒いものが、ことごとくこう云う娯楽の席へ来て、面白く半夜を潰す事のできる余裕のある人らしく思われた。彼はどの顔を見ても羨ましかった。  彼は高座の方を正視して、熱心に浄瑠璃を聞こうと力めた。けれどもいくら力めても面白くならなかった。時々眼を外らして、御米の顔を偸み見た。見るたびに御米の視線は正しい所を向いていた。傍に夫のいる事はほとんど忘れて、真面目に聴いているらしかった。宗助は羨やましい人のうちに、御米まで勘定しなければならなかった。  中入の時、宗助は御米に、 「どうだ、もう帰ろうか」と云い掛けた。御米はその唐突なのに驚ろかされた。 「厭なの」と聞いた。宗助は何とも答えなかった。御米は、 「どうでもいいわ」と半分夫の意に忤らわないような挨拶をした。宗助はせっかく連れて来た御米に対して、かえって気の毒な心が起った。とうとうしまいまで辛抱して坐っていた。  家へ帰ると、小六は火鉢の前に胡坐を掻いて、背表紙の反り返るのも構わずに、手に持った本を上から翳して読んでいた。鉄瓶は傍へ卸したなり、湯は生温るく冷めてしまった。盆の上に焼き余りの餅が三切か四片載せてあった。網の下から小皿に残った醤油の色が見えた。  小六は席を立って、 「面白かったですか」と聞いた。夫婦は十分ほど身体を炬燵で暖めた上すぐ床へ入った。  翌日になっても宗助の心に落ちつきが来なかった事は、ほぼ前の日と同じであった。役所が退けて、例の通り電車へ乗ったが、今夜自分と前後して、安井が坂井の家へ客に来ると云う事を想像すると、どうしても、わざわざその人と接近するために、こんな速力で、家へ帰って行くのが不合理に思われた。同時に安井はその後どんなに変化したろうと思うと、よそから一目彼の様子が眺めたくもあった。  坂井が一昨日の晩、自分の弟を評して、一口に「冒険者」と云った、その音が今宗助の耳に高く響き渡った。宗助はこの一語の中に、あらゆる自暴と自棄と、不平と憎悪と、乱倫と悖徳と、盲断と決行とを想像して、これらの一角に触れなければならないほどの坂井の弟と、それと利害を共にすべく満洲からいっしょに出て来た安井が、いかなる程度の人物になったかを、頭の中で描いて見た。描かれた画は無論冒険者の字面の許す範囲内で、もっとも強い色彩を帯びたものであった。  かように、堕落の方面をとくに誇張した冒険者を頭の中で拵え上げた宗助は、その責任を自身一人で全く負わなければならないような気がした。彼はただ坂井へ客に来る安井の姿を一目見て、その姿から、安井の今日の人格を髣髴したかった。そうして、自分の想像ほど彼は堕落していないという慰藉を得たかった。  彼は坂井の家の傍に立って、向に知れずに、他を窺うような便利な場所はあるまいかと考えた。不幸にして、身を隠すべきところを思いつき得なかった。もし日が落ちてから来るとすれば、こちらが認められない便宜があると同時に、暗い中を通る人の顔の分らない不都合があった。  そのうち電車が神田へ来た。宗助はいつもの通りそこで乗り換えて家の方へ向いて行くのが苦痛になった。彼の神経は一歩でも安井の来る方角へ近づくに堪えなかった。安井をよそながら見たいという好奇心は、始めからさほど強くなかっただけに、乗換の間際になって、全く抑えつけられてしまった。彼は寒い町を多くの人のごとく歩いた。けれども多くの人のごとくに判然した目的は有っていなかった。そのうち店に灯が点いた。電車も灯火を照もした。宗助はある牛肉店に上がって酒を呑み出した。一本は夢中に呑んだ。二本目は無理に呑んだ。三本目にも酔えなかった。宗助は背を壁に持たして、酔って相手のない人のような眼をして、ぼんやりどこかを見つめていた。  時刻が時刻なので、夕飯を食いに来る客は入れ代り立ち代り来た。その多くは用弁的に飲食を済まして、さっさと勘定をして出て行くだけであった。宗助は周囲のざわつく中に黙然として、他の倍も三倍も時を過ごしたごとくに感じた末、ついに坐り切れずに席を立った。  表は左右から射す店の灯で明らかであった。軒先を通る人は、帽も衣装もはっきり物色する事ができた。けれども広い寒さを照らすには余りに弱過ぎた。夜は戸ごとの瓦斯と電灯を閑却して、依然として暗く大きく見えた。宗助はこの世界と調和するほどな黒味の勝った外套に包まれて歩いた。その時彼は自分の呼吸する空気さえ灰色になって、肺の中の血管に触れるような気がした。  彼はこの晩に限って、ベルを鳴らして忙がしそうに眼の前を往ったり来たりする電車を利用する考が起らなかった。目的を有って途を行く人と共に、抜目なく足を運ばす事を忘れた。しかも彼は根の締らない人間として、かく漂浪の雛形を演じつつある自分の心を省みて、もしこの状態が長く続いたらどうしたらよかろうと、ひそかに自分の未来を案じ煩った。今日までの経過から推して、すべての創口を癒合するものは時日であるという格言を、彼は自家の経験から割り出して、深く胸に刻みつけていた。それが一昨日の晩にすっかり崩れたのである。  彼は黒い夜の中を歩るきながら、ただどうかしてこの心から逃れ出たいと思った。その心はいかにも弱くて落ちつかなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知に見えた。彼は胸を抑えつける一種の圧迫の下に、いかにせば、今の自分を救う事ができるかという実際の方法のみを考えて、その圧迫の原因になった自分の罪や過失は全くこの結果から切り放してしまった。その時の彼は他の事を考える余裕を失って、ことごとく自己本位になっていた。今までは忍耐で世を渡って来た。これからは積極的に人世観を作り易えなければならなかった。そうしてその人世観は口で述べるもの、頭で聞くものでは駄目であった。心の実質が太くなるものでなくては駄目であった。  彼は行く行く口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれどもその響は繰り返す後からすぐ消えて行った。攫んだと思う煙が、手を開けるといつの間にか無くなっているように、宗教とははかない文字であった。  宗教と関聯して宗助は坐禅という記憶を呼び起した。昔し京都にいた時分彼の級友に相国寺へ行って坐禅をするものがあった。当時彼はその迂濶を笑っていた。「今の世に……」と思っていた。その級友の動作が別に自分と違ったところもないようなのを見て、彼はますます馬鹿馬鹿しい気を起した。  彼は今更ながら彼の級友が、彼の侮蔑に値する以上のある動機から、貴重な時間を惜しまずに、相国寺へ行ったのではなかろうかと考え出して、自分の軽薄を深く恥じた。もし昔から世俗で云う通り安心とか立命とかいう境地に、坐禅の力で達する事ができるならば、十日や二十日役所を休んでも構わないからやって見たいと思った。けれども彼はこの道にかけては全くの門外漢であった。したがって、これより以上明瞭な考も浮ばなかった。  ようやく家へ辿り着いた時、彼は例のような御米と、例のような小六と、それから例のような茶の間と座敷と洋灯と箪笥を見て、自分だけが例にない状態の下に、この四五時間を暮していたのだという自覚を深くした。火鉢には小さな鍋が掛けてあって、その葢の隙間から湯気が立っていた。火鉢の傍には彼の常に坐る所に、いつもの座蒲団を敷いて、その前にちゃんと膳立がしてあった。  宗助は糸底を上にしてわざと伏せた自分の茶碗と、この二三年来朝晩使い慣れた木の箸を眺めて、 「もう飯は食わないよ」と云った。御米は多少不本意らしい風もした。 「おやそう。余り遅いから、おおかたどこかで召上がったろうとは思ったけれど、もしまだだといけないから」と云いながら、布巾で鍋の耳を撮んで、土瓶敷の上におろした。それから清を呼んで膳を台所へ退げさした。  宗助はこういう風に、何ぞ事故ができて、役所の退出からすぐ外へ回って遅くなる場合には、いつでもその顛末の大略を、帰宅早々御米に話すのを例にしていた。御米もそれを聞かないうちは気がすまなかった。けれども今夜に限って彼は神田で電車を降りた事も、牛肉屋へ上った事も、無理に酒を呑んだ事も、まるで話したくなかった。何も知らない御米はまた平常の通り無邪気にそれからそれへと聞きたがった。 「何別にこれという理由もなかったのだけれども、――ついあすこいらで牛が食いたくなっただけの事さ」 「そうして御腹を消化すために、わざわざここまで歩るいていらしったの」 「まあ、そうだ」  御米はおかしそうに笑った。宗助はむしろ苦しかった。しばらくして、 「留守に坂井さんから迎いに来なかったかい」と聞いた。 「いいえ、なぜ」 「一昨日の晩行ったとき、御馳走するとか云っていたからさ」 「また?」  御米は少し呆れた顔をした。宗助はそれなり話を切り上げて寝た。頭の中をざわざわ何か通った。時々眼を開けて見ると、例のごとく洋灯が暗くして床の間の上に載せてあった。御米はさも心地好さそうに眠っていた。ついこの間までは、自分の方が好く寝られて、御米は幾晩も睡眠の不足に悩まされたのであった。宗助は眼を閉じながら、明らかに次の間の時計の音を聞かなければならない今の自分をさらに心苦しく感じた。その時計は最初は幾つも続けざまに打った。それが過ぎると、びんとただ一つ鳴った。その濁った音が彗星の尾のようにほうと宗助の耳朶にしばらく響いていた。次には二つ鳴った。はなはだ淋しい音であった。宗助はその間に、何とかして、もっと鷹揚に生きて行く分別をしなければならないと云う決心だけをした。三時は朦朧として聞えたような聞えないようなうちに過ぎた。四時、五時、六時はまるで知らなかった。ただ世の中が膨れた。天が波を打って伸びかつ縮んだ。地球が糸で釣るした毬のごとくに大きな弧線を描いて空間に揺いた。すべてが恐ろしい魔の支配する夢であった。七時過に彼ははっとして、この夢から覚めた。御米がいつもの通り微笑して枕元に曲んでいた。冴えた日は黒い世の中を疾にどこかへ追いやっていた。 十八  宗助は一封の紹介状を懐にして山門を入った。彼はこれを同僚の知人の某から得た。その同僚は役所の往復に、電車の中で洋服の隠袋から菜根譚を出して読む男であった。こう云う方面に趣味のない宗助は、固より菜根譚の何物なるかを知らなかった。ある日一つ車の腰掛に膝を並べて乗った時、それは何だと聞いて見た。同僚は小形の黄色い表紙を宗助の前に出して、こんな妙な本だと答えた。宗助は重ねてどんな事が書いてあるかと尋ねた。その時同僚は、一口に説明のできる格好な言葉を有っていなかったと見えて、まあ禅学の書物だろうというような妙な挨拶をした。宗助は同僚から聞いたこの返事をよく覚えていた。  紹介状を貰う四五日前、彼はこの同僚の傍へ行って、君は禅学をやるのかと、突然質問を掛けた。同僚は強く緊張した宗助の顔を見てすこぶる驚ろいた様子であったが、いややらない、ただ慰み半分にあんな書物を読むだけだと、すぐ逃げてしまった。宗助は多少失望に弛んだ下唇を垂れて自分の席に帰った。  その日帰りがけに、彼らはまた同じ電車に乗り合わした。先刻宗助の様子を、気の毒に観察した同僚は、彼の質問の奥に雑談以上のある意味を認めたものと見えて、前よりはもっと親切にその方面の話をして聞かした。しかし自分はいまだかつて参禅という事をした経験がないと自白した。もし詳しい話が聞きたければ、幸い自分の知り合によく鎌倉へ行く男があるから紹介してやろうと云った。宗助は車の中でその人の名前と番地を手帳に書き留めた。そうして次の日同僚の手紙を持ってわざわざ回り道をして訪問に出かけた。宗助の懐にした書状はその折席上で認めて貰ったものであった。  役所は病気になって十日ばかり休む事にした。御米の手前もやはり病気だと取り繕った。 「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊んで来るよ」と云った。御米はこの頃の夫の様子のどこかに異状があるらしく思われるので、内心では始終心配していた矢先だから、平生煮え切らない宗助の果断を喜んだ。けれどもその突然なのにも全く驚ろいた。 「遊びに行くって、どこへいらっしゃるの」と眼を丸くしないばかりに聞いた。 「やっぱり鎌倉辺が好かろうと思っている」と宗助は落ちついて答えた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とはほとんど縁の遠いものであった。突然二つのものを結びつけるのは滑稽であった。御米も微笑を禁じ得なかった。 「まあ御金持ね。私もいっしょに連れてってちょうだい」と云った。宗助は愛すべき細君のこの冗談を味わう余裕を有たなかった。真面目な顔をして、 「そんな贅沢な所へ行くんじゃないよ。禅寺へ留めて貰って、一週間か十日、ただ静かに頭を休めて見るだけの事さ。それもはたして好くなるか、ならないか分らないが、空気のいい所へ行くと、頭には大変違うと皆云うから」と弁解した。 「そりゃ違いますわ。だから行っていらっしゃいとも。今のは本当の冗談よ」  御米は善良な夫に調戯ったのを、多少済まないように感じた。宗助はその翌日すぐ貰って置いた紹介状を懐にして、新橋から汽車に乗ったのである。  その紹介状の表には釈宜道様と書いてあった。 「この間まで侍者をしていましたが、この頃では塔頭にある古い庵室に手を入れて、そこに住んでいるとか聞きました。どうですか、まあ着いたら尋ねて御覧なさい。庵の名はたしか一窓庵でした」と書いてくれる時、わざわざ注意があったので、宗助は礼を云って手紙を受取りながら、侍者だの塔頭だのという自分には全く耳新らしい言葉の説明を聞いて帰ったのである。  山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮っているために、路が急に暗くなった。その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚った。静かな境内の入口に立った彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の悪寒を催した。  彼はまず真直に歩るき出した。左右にも行手にも、堂のようなものや、院のようなものがちょいちょい見えた。けれども人の出入はいっさいなかった。ことごとく寂寞として錆び果てていた。宗助はどこへ行って、宜道のいる所を教えて貰おうかと考えながら、誰も通らない路の真中に立って四方を見回した。  山の裾を切り開いて、一二丁奥へ上るように建てた寺だと見えて、後の方は樹の色で高く塞がっていた。路の左右も山続か丘続の地勢に制せられて、けっして平ではないようであった。その小高い所々に、下から石段を畳んで、寺らしい門を高く構えたのが二三軒目に着いた。平地に垣を繞らして、点在しているのは、幾多もあった。近寄って見ると、いずれも門瓦の下に、院号やら庵号やらが額にしてかけてあった。  宗助は箔の剥げた古い額を一二枚読んで歩いたが、ふと一窓庵から先へ探し出して、もしそこに手紙の名宛の坊さんがいなかったら、もっと奥へ行って尋ねる方が便利だろうと思いついた。それから逆戻りをして塔頭を一々調べにかかると、一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあった。丘外れなので、日当の好い、からりとした玄関先を控えて、後の山の懐に暖まっているような位置に冬を凌ぐ気色に見えた。宗助は玄関を通り越して庫裡の方から土間に足を入れた。上り口の障子の立ててある所まで来て、たのむたのむと二三度呼んで見た。しかし誰も出て来てくれるものはなかった。宗助はしばらくそこに立ったまま、中の様子を窺っていた。いつまで立っていても音沙汰がないので、宗助は不思議な思いをして、また庫裡を出て門の方へ引返した。すると石段の下から剃立の頭を青く光らした坊さんが上って来た。年はまだ二十四五としか見えない若い色白の顔であった。宗助は門の扉の所に待ち合わして、 「宜道さんとおっしゃる方はこちらにおいででしょうか」と聞いた。 「私が宜道です」と若い僧は答えた。宗助は少し驚ろいたが、また嬉しくもあった。すぐ懐中から例の紹介状を出して渡すと、宜道は立ちながら封を切って、その場で読み下した。やがて手紙を巻き返して封筒へ入れると、 「ようこそ」と云って、叮嚀に会釈したなり、先に立って宗助を導いた。二人は庫裡に下駄を脱いで、障子を開けて内へ這入った。そこには大きな囲炉裏が切ってあった。宜道は鼠木綿の上に羽織っていた薄い粗末な法衣を脱いで釘にかけて、 「御寒うございましょう」と云って、囲炉裏の中に深く埋けてあった炭を灰の下から掘り出した。  この僧は若いに似合わずはなはだ落ちついた話振をする男であった。低い声で何か受答えをした後で、にやりと笑う具合などは、まるで女のような感じを宗助に与えた。宗助は心のうちに、この青年がどういう機縁の元に、思い切って頭を剃ったものだろうかと考えて、その様子のしとやかなところを、何となく憐れに思った。 「大変御静なようですが、今日はどなたも御留守なんですか」 「いえ、今日に限らず、いつも私一人です。だから用のあるときは構わず明け放しにして出ます。今もちょっと下まで行って用を足して参りました。それがためせっかくおいでのところを失礼致しました」  宜道はこの時改めて遠来の人に対して自分の不在を詫びた。この大きな庵を、たった一人で預かっているさえ、相応に骨が折れるのに、その上に厄介が増したらさぞ迷惑だろうと、宗助は少し気の毒な色をほかに動かした。すると宜道は、 「いえ、ちっとも御遠慮には及びません。道のためでございますから」とゆかしい事を云った。そうして、目下自分の所に、宗助のほかに、まだ一人世話になっている居士のある旨を告げた。この居士は山へ来てもう二年になるとかいう話であった。宗助はそれから二三日して、始めてこの居士を見たが、彼は剽軽な羅漢のような顔をしている気楽そうな男であった。細い大根を三四本ぶら下げて、今日は御馳走を買って来たと云って、それを宜道に煮てもらって食った。宜道も宗助もその相伴をした。この居士は顔が坊さんらしいので、時々僧堂の衆に交って、村の御斎などに出かける事があるとか云って宜道が笑っていた。  そのほか俗人で山へ修業に来ている人の話もいろいろ聞いた。中に筆墨を商う男がいた。背中へ荷をいっぱい負って、二十日なり三十日なり、そこら中回って歩いて、ほぼ売り尽してしまうと山へ帰って来て坐禅をする。それからしばらくして食うものがなくなると、また筆墨を背に載せて行商に出る。彼はこの両面の生活を、ほとんど循環小数のごとく繰り返して、飽く事を知らないのだと云う。  宗助は一見こだわりの無さそうなこれらの人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて、その懸隔の甚だしいのに驚ろいた。そんな気楽な身分だから坐禅ができるのか、あるいは坐禅をした結果そういう気楽な心になれるのか迷った。 「気楽ではいけません。道楽にできるものなら、二十年も三十年も雲水をして苦しむものはありません」と宜道は云った。  彼は坐禅をするときの一般の心得や、老師から公案の出る事や、その公案に一生懸命噛りついて、朝も晩も昼も夜も噛りつづけに噛らなくてはいけない事やら、すべて今の宗助には心元なく見える助言を与えた末、 「御室へ御案内しましょう」と云って立ち上がった。  囲炉裏の切ってある所を出て、本堂を横に抜けて、その外れにある六畳の座敷の障子を縁から開けて、中へ案内された時、宗助は始めて一人遠くに来た心持がした。けれども頭の中は、周囲の幽静な趣と反照するためか、かえって町にいるときよりも動揺した。  約一時間もしたと思う頃宜道の足音がまた本堂の方から響いた。 「老師が相見になるそうでございますから、御都合が宜しければ参りましょう」と云って、丁寧に敷居の上に膝を突いた。  二人はまた寺を空にして連立って出た。山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池があった。寒い時分だから池の中はただ薄濁りに淀んでいるだけで、少しも清浄な趣はなかったが、向側に見える高い石の崖外れまで、縁に欄干のある座敷が突き出しているところが、文人画にでもありそうな風致を添えた。 「あすこが老師の住んでいられる所です」と宜道は比較的新らしいその建物を指した。  二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上って、その正面にある大きな伽藍の屋根を仰いだまま直左りへ切れた。玄関へ差しかかった時、宜道は 「ちょっと失礼します」と云って、自分だけ裏口の方へ回ったが、やがて奥から出て来て、 「さあどうぞ」と案内をして、老師のいる所へ伴れて行った。  老師というのは五十格好に見えた。赭黒い光沢のある顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごとく緊って、どこにも怠のないところが、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛みが見えた。その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩が閃めいた。宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思があった。 「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう」  宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟何物だか、その本体を捕まえて見ろと云う意味だろうと判断した。それより以上口を利くには、余り禅というものの知識に乏しかったので、黙ってまた宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。  晩食の時宜道は宗助に、入室の時間の朝夕二回あることと、提唱の時間が午前である事などを話した上、 「今夜はまだ見解もできないかも知れませんから、明朝か明晩御誘い申しましょう」と親切に云ってくれた。それから最初のうちは、つめて坐わるのは難儀だから線香を立てて、それで時間を計って、少しずつ休んだら好かろうと云うような注意もしてくれた。  宗助は線香を持って、本堂の前を通って自分の室ときまった六畳に這入って、ぼんやりして坐った。彼から云うといわゆる公案なるものの性質が、いかにも自分の現在と縁の遠いような気がしてならなかった。自分は今腹痛で悩んでいる。その腹痛と言う訴を抱いて来て見ると、あにはからんや、その対症療法として、むずかしい数学の問題を出して、まあこれでも考えたらよかろうと云われたと一般であった。考えろと云われれば、考えないでもないが、それは一応腹痛が治まってからの事でなくては無理であった。  同時に彼は勤を休んで、わざわざここまで来た男であった。紹介状を書いてくれた人、万事に気をつけてくれる宜道に対しても、あまりに軽卒な振舞はできなかった。彼はまず現在の自分が許す限りの勇気を提さげて、公案に向おうと決心した。それがいずれのところに彼を導びいて、どんな結果を彼の心に持ち来すかは、彼自身といえども全く知らなかった。彼は悟という美名に欺かれて、彼の平生に似合わぬ冒険を試みようと企てたのである。そうして、もしこの冒険に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救う事ができはしまいかと、はかない望を抱いたのである。  彼は冷たい火鉢の灰の中に細い線香を燻らして、教えられた通り座蒲団の上に半跏を組んだ。昼のうちはさまでとは思わなかった室が、日が落ちてから急に寒くなった。彼は坐りながら、背中のぞくぞくするほど温度の低い空気に堪えなかった。  彼は考えた。けれども考える方向も、考える問題の実質も、ほとんど捕まえようのない空漠なものであった。彼は考えながら、自分は非常に迂濶な真似をしているのではなかろうかと疑った。火事見舞に行く間際に、細かい地図を出して、仔細に町名や番地を調べているよりも、ずっと飛び離れた見当違の所作を演じているごとく感じた。  彼の頭の中をいろいろなものが流れた。そのあるものは明らかに眼に見えた。あるものは混沌として雲のごとくに動いた。どこから来てどこへ行くとも分らなかった。ただ先のものが消える、すぐ後から次のものが現われた。そうして仕切りなしにそれからそれへと続いた。頭の往来を通るものは、無限で無数で無尽蔵で、けっして宗助の命令によって、留まる事も休む事もなかった。断ち切ろうと思えば思うほど、滾々として湧いて出た。  宗助は怖くなって、急に日常の我を呼び起して、室の中を眺めた。室は微かな灯で薄暗く照らされていた。灰の中に立てた線香は、まだ半分ほどしか燃えていなかった。宗助は恐るべく時間の長いのに始めて気がついた。  宗助はまた考え始めた。すると、すぐ色のあるもの、形のあるものが頭の中を通り出した。ぞろぞろと群がる蟻のごとくに動いて行く、あとからまたぞろぞろと群がる蟻のごとくに現われた。じっとしているのはただ宗助の身体だけであった。心は切ないほど、苦しいほど、堪えがたいほど動いた。  そのうちじっとしている身体も、膝頭から痛み始めた。真直に延ばしていた脊髄がしだいしだいに前の方に曲って来た。宗助は両手で左の足の甲を抱えるようにして下へおろした。彼は何をする目的もなく室の中に立ち上がった。障子を明けて表へ出て、門前をぐるぐる駈け回って歩きたくなった。夜はしんとしていた。寝ている人も起きている人もどこにもおりそうには思えなかった。宗助は外へ出る勇気を失った。じっと生きながら妄想に苦しめられるのはなお恐ろしかった。  彼は思い切ってまた新らしい線香を立てた。そうしてまたほぼ前と同じ過程を繰り返した。最後に、もし考えるのが目的だとすれば、坐って考えるのも寝て考えるのも同じだろうと分別した。彼は室の隅に畳んであった薄汚ない蒲団を敷いて、その中に潜り込んだ。すると先刻からの疲れで、何を考える暇もないうちに、深い眠りに落ちてしまった。  眼が覚めると枕元の障子がいつの間にか明るくなって、白い紙にやがて日の逼るべき色が動いた。昼も留守を置かずに済む山寺は、夜に入っても戸を閉てる音を聞かなかったのである。宗助は自分が坂井の崖下の暗い部屋に寝ていたのでないと意識するや否や、すぐ起き上がった。縁へ出ると、軒端に高く大覇王樹の影が眼に映った。宗助はまた本堂の仏壇の前を抜けて、囲炉裏の切ってある昨日の茶の間へ出た。そこには昨日の通り宜道の法衣が折釘にかけてあった。そうして本人は勝手の竈の前に蹲踞まって、火を焚いていた。宗助を見て、 「御早う」と慇懃に礼をした。「先刻御誘い申そうと思いましたが、よく御寝のようでしたから、失礼して一人参りました」  宗助はこの若い僧が、今朝夜明がたにすでに参禅を済まして、それから帰って来て、飯を炊いでいるのだという事を知った。  見ると彼は左の手でしきりに薪を差し易えながら、右の手に黒い表紙の本を持って、用の合間合間にそれを読んでいる様子であった。宗助は宜道に書物の名を尋ねた。それは碧巌集というむずかしい名前のものであった。宗助は腹の中で、昨夕のように当途もない考に耽って脳を疲らすより、いっそその道の書物でも借りて読む方が、要領を得る捷径ではなかろうかと思いついた。宜道にそう云うと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥した。 「書物を読むのはごく悪うございます。有体に云うと、読書ほど修業の妨になるものは無いようです。私共でも、こうして碧巌などを読みますが、自分の程度以上のところになると、まるで見当がつきません。それを好加減に揣摩する癖がつくと、それが坐る時の妨になって、自分以上の境界を予期して見たり、悟を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべきところに頓挫ができます。大変毒になりますから、御止しになった方がよいでしょう。もし強いて何か御読みになりたければ、禅関策進というような、人の勇気を鼓舞したり激励したりするものが宜しゅうございましょう。それだって、ただ刺戟の方便として読むだけで、道その物とは無関係です」  宗助には宜道の意味がよく解らなかった。彼はこの生若い青い頭をした坊さんの前に立って、あたかも一個の低能児であるかのごとき心持を起した。彼の慢心は京都以来すでに銷磨し尽していた。彼は平凡を分として、今日まで生きて来た。聞達ほど彼の心に遠いものはなかった。彼はただありのままの彼として、宜道の前に立ったのである。しかも平生の自分より遥かに無力無能な赤子であると、さらに自分を認めざるを得なくなった。彼に取っては新らしい発見であった。同時に自尊心を根絶するほどの発見であった。  宜道が竈の火を消して飯をむらしている間に、宗助は台所から下りて庭の井戸端へ出て顔を洗った。鼻の先にはすぐ雑木山が見えた。その裾の少し平な所を拓いて、菜園が拵えてあった。宗助は濡れた頭を冷たい空気に曝して、わざと菜園まで下りて行った。そうして、そこに崖を横に掘った大きな穴を見出した。宗助はしばらくその前に立って、暗い奥の方を眺めていた。やがて、茶の間へ帰ると、囲炉裏には暖かい火が起って、鉄瓶に湯の沸る音が聞えた。 「手がないものだから、つい遅くなりまして御気の毒です。すぐ御膳に致しましょう。しかしこんな所だから上げるものがなくって困ります。その代り明日あたりは御馳走に風呂でも立てましょう」と宜道が云ってくれた。宗助はありがたく囲炉裏の向に坐った。  やがて食事を了えて、わが室へ帰った宗助は、また父母未生以前と云う稀有な問題を眼の前に据えて、じっと眺めた。けれども、もともと筋の立たない、したがって発展のしようのない問題だから、いくら考えてもどこからも手を出す事はできなかった。そうして、すぐ考えるのが厭になった。宗助はふと御米にここへ着いた消息を書かなければならない事に気がついた。彼は俗用の生じたのを喜こぶごとくに、すぐ鞄の中から巻紙と封じ袋を取り出して、御米にやる手紙を書き始めた。まずここの閑静な事、海に近いせいか、東京よりはよほど暖かい事、空気の清朗な事、紹介された坊さんの親切な事、食事の不味い事、夜具蒲団の綺麗に行かない事、などを書き連ねているうちに、はや三尺余りの長さになったので、そこで筆を擱いたが、公案に苦しめられている事や、坐禅をして膝の関節を痛くしている事や、考えるためにますます神経衰弱が劇しくなりそうな事は、噫にも出さなかった。彼はこの手紙に切手を貼って、ポストに入れなければならない口実を求めて、早速山を下った。そうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅かされながら、村の中をうろついて帰った。  午には、宜道から話のあった居士に会った。この居士は茶碗を出して、宜道に飯を盛って貰うとき、憚かり様とも何とも云わずに、ただ合掌して礼を述べたり、相図をしたりした。このくらい静かに物事を為るのが法だとか云った。口を利かず、音を立てないのは、考えの邪魔になると云う精神からだそうであった。それほど真剣にやるべきものをと、宗助は昨夜からの自分が、何となく恥ずかしく思われた。  食後三人は囲炉裏の傍でしばらく話した。その時居士は、自分が坐禅をしながら、いつか気がつかずにうとうとと眠ってしまっていて、はっと正気に帰る間際に、おや悟ったなと喜ぶことがあるが、さていよいよ眼を開いて見ると、やっぱり元の通の自分なので失望するばかりだと云って、宗助を笑わした。こう云う気楽な考で、参禅している人もあると思うと、宗助も多少は寛ろいだ。けれども三人が分れ分れに自分の室に入る時、宜道が、 「今夜は御誘い申しますから、これから夕方までしっかり御坐りなさいまし」と真面目に勧めたとき、宗助はまた一種の責任を感じた。消化れない堅い団子が胃に滞おっているような不安な胸を抱いて、わが室へ帰って来た。そうしてまた線香を焚いて坐わり出した。その癖夕方までは坐り続けられなかった。どんな解答にしろ一つ拵らえておかなければならないと思いながらも、しまいには根気が尽きて、早く宜道が夕食の報知に本堂を通り抜けて来てくれれば好いと、そればかり気にかかった。  日は懊悩と困憊の裡に傾むいた。障子に映る時の影がしだいに遠くへ立ち退くにつれて、寺の空気が床の下から冷え出した。風は朝から枝を吹かなかった。縁側に出て、高い庇を仰ぐと、黒い瓦の小口だけが揃って、長く一列に見える外に、穏かな空が、蒼い光をわが底の方に沈めつつ、自分と薄くなって行くところであった。 十九 「危険うございます」と云って宜道は一足先へ暗い石段を下りた。宗助はあとから続いた。町と違って夜になると足元が悪いので、宜道は提灯を点けてわずか一丁ばかりの路を照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から二人の頭に蔽い被さるように空を遮った。闇だけれども蒼い葉の色が二人の着物の織目に染み込むほどに宗助を寒がらせた。提灯の灯にもその色が多少映る感じがあった。その提灯は一方に大きな樹の幹を想像するせいか、はなはだ小さく見えた。光の地面に届く尺数もわずかであった。照らされた部分は明るい灰色の断片となって暗い中にほっかり落ちた。そうして二人の影が動くに伴れて動いた。  蓮池を行き過ぎて、左へ上る所は、夜はじめての宗助に取って、少し足元が滑かに行かなかった。土の中に根を食っている石に、一二度下駄の台を引っ掛けた。蓮池の手前から横に切れる裏路もあるが、この方は凸凹が多くて、慣れない宗助には近くても不便だろうと云うので、宜道はわざわざ広い方を案内したのである。  玄関を入ると、暗い土間に下駄がだいぶ並んでいた。宗助は曲んで、人の履物を踏まないようにそっと上へのぼった。室は八畳ほどの広さであった。その壁際に列を作って、六七人の男が一側に並んでいた。中に頭を光らして、黒い法衣を着た僧も交っていた。他のものは大概袴を穿いていた。この六七人の男は上り口と奥へ通ずる三尺の廊下口を残して、行儀よく鉤の手に並んでいた。そうして、一言も口を利かなかった。宗助はこれらの人の顔を一目見て、まずその峻刻なのに気を奪われた。彼らは皆固く口を結んでいた。事ありげな眉を強く寄せていた。傍にどんな人がいるか見向きもしなかった。いかなるものが外から入って来ても、全く注意しなかった。彼らは活きた彫刻のように己れを持して、火の気のない室に粛然と坐っていた。宗助の感覚には、山寺の寒さ以上に、一種厳かな気が加わった。  やがて寂寞の中に、人の足音が聞えた。初は微かに響いたが、しだいに強く床を踏んで、宗助の坐っている方へ近づいて来た。しまいに一人の僧が廊下口からぬっと現れた。そうして宗助の傍を通って、黙って外の暗がりへ抜けて行った。すると遠くの奥の方で鈴を振る音がした。  この時宗助と並んで厳粛に控えていた男のうちで、小倉の袴を着けた一人が、やはり無言のまま立ち上がって、室の隅の廊下口の真正面へ来て着座した。そこには高さ二尺幅一尺ほどの木の枠の中に、銅鑼のような形をした、銅鑼よりも、ずっと重くて厚そうなものがかかっていた。色は蒼黒く貧しい灯に照らされていた。袴を着けた男は、台の上にある撞木を取り上げて、銅鑼に似た鐘の真中を二つほど打ち鳴らした。そうして、ついと立って、廊下口を出て、奥の方へ進んで行った。今度は前と反対に、足音がだんだん遠くの方へ去るに従って、微かになった。そうして一番しまいにぴたりとどこかで留まった。宗助は坐ながら、はっとした。彼はこの袴を着けた男の身の上に、今何事が起りつつあるだろうかを想像したのである。けれども奥はしんとして静まり返っていた。宗助と並んでいるものも、一人として顔の筋肉を動かすものはなかった。ただ宗助は心の中で、奥からの何物かを待ち受けた。すると忽然として鈴を振る響が彼の耳に応えた。同時に長い廊下を踏んで、こちらへ近づく足音がした。袴を着けた男はまた廊下口から現われて、無言のまま玄関を下りて、霜の裡に消え去った。入れ代ってまた新らしい男が立って、最前の鐘を打った。そうして、また廊下を踏み鳴らして奥の方へ行った。宗助は沈黙の間に行われるこの順序を見ながら、膝に手を載せて、自分の番の来るのを待っていた。  自分より一人置いて前の男が立って行った時は、ややしばらくしてから、わっと云う大きな声が、奥の方で聞えた。その声は距離が遠いので、劇しく宗助の鼓膜を打つほど、強くは響かなかったけれども、たしかに精一杯威を振ったものであった。そうしてただ一人の咽喉から出た個人の特色を帯びていた。自分のすぐ前の人が立った時は、いよいよわが番が回って来たと云う意識に制せられて、一層落ちつきを失った。  宗助はこの間の公案に対して、自分だけの解答は準備していた。けれども、それははなはだ覚束ない薄手のものに過ぎなかった。室中に入る以上は、何か見解を呈しない訳に行かないので、やむを得ず納まらないところを、わざと納まったように取繕った、その場限りの挨拶であった。彼はこの心細い解答で、僥倖にも難関を通過して見たいなどとは、夢にも思い設けなかった。老師をごまかす気は無論なかった。その時の宗助はもう少し真面目であったのである。単に頭から割り出した、あたかも画にかいた餅のような代物を持って、義理にも室中に入らなければならない自分の空虚な事を恥じたのである。  宗助は人のするごとくに鐘を打った。しかも打ちながら、自分は人並にこの鐘を撞木で敲くべき権能がないのを知っていた。それを人並に鳴らして見る猿のごとき己れを深く嫌忌した。  彼は弱味のある自分に恐れを抱きつつ、入口を出て冷たい廊下へ足を踏み出した。廊下は長く続いた。右側にある室はことごとく暗かった。角を二つ折れ曲ると、向の外れの障子に灯影が差した。宗助はその敷居際へ来て留まった。  室中に入るものは老師に向って三拝するのが礼であった。拝しかたは普通の挨拶のように頭を畳に近く下げると同時に、両手の掌を上向に開いて、それを頭の左右に並べたまま、少し物を抱えた心持に耳の辺まで上げるのである。宗助は敷居際に跪ずいて形のごとく拝を行なった。すると座敷の中で、 「一拝で宜しい」と云う会釈があった。宗助はあとを略して中へ入った。  室の中はただ薄暗い灯に照らされていた。その弱い光は、いかに大字な書物をも披見せしめぬ程度のものであった。宗助は今日までの経験に訴えて、これくらい微かな灯火に、夜を営なむ人間を憶い起す事ができなかった。その光は無論月よりも強かった。かつ月のごとく蒼白い色ではなかった。けれどももう少しで朦朧の境に沈むべき性質のものであった。  この静かな判然しない灯火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道のいわゆる老師なるものを認めた。彼の顔は例によって鋳物のように動かなかった。色は銅であった。彼は全身に渋に似た柿に似た茶に似た色の法衣を纏っていた。足も手も見えなかった。ただ頸から上が見えた。その頸から上が、厳粛と緊張の極度に安んじて、いつまで経っても変る恐を有せざるごとくに人を魅した。そうして頭には一本の毛もなかった。  この面前に気力なく坐った宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。 「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ」とたちまち云われた。「そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える」  宗助は喪家の犬のごとく室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。 二十  障子の外で野中さん、野中さんと呼ぶ声が二度ほど聞えた。宗助は半睡の裡にはいと応えたつもりであったが、返事を仕切らない先に、早く知覚を失って、また正体なく寝入ってしまった。  二度目に眼が覚めた時、彼は驚ろいて飛び起きた。縁側へ出ると、宜道が鼠木綿の着物に襷を掛けて、甲斐甲斐しくそこいらを拭いていた。赤く凍んだ手で、濡雑巾を絞りながら、例のごとく柔和しいにこやかな顔をして、 「御早う」と挨拶した。彼は今朝もまたとくに参禅を済ました後、こうして庵に帰って働いていたのである。宗助はわざわざ呼び起されても起き得なかった自分の怠慢を省みて、全くきまりの悪い思をした。 「今朝もつい寝忘れて失礼しました」  彼はこそこそ勝手口から井戸端の方へ出た。そうして冷たい水を汲んでできるだけ早く顔を洗った。延びかかった髯が、頬の辺で手を刺すようにざらざらしたが、今の宗助にはそれを苦にするほどの余裕はなかった。彼はしきりに宜道と自分とを対照して考えた。  紹介状を貰うときに東京で聞いたところによると、この宜道という坊さんは、大変性質のいい男で、今では修業もだいぶでき上がっていると云う話だったが、会って見ると、まるで一丁字もない小廝のように丁寧であった。こうして襷掛で働いているところを見ると、どうしても一個の独立した庵の主人らしくはなかった。納所とも小坊主とも云えた。  この矮小な若僧は、まだ出家をしない前、ただの俗人としてここへ修業に来た時、七日の間結跏したぎり少しも動かなかったのである。しまいには足が痛んで腰が立たなくなって、厠へ上る折などは、やっとの事壁伝いに身体を運んだのである。その時分の彼は彫刻家であった。見性した日に、嬉しさの余り、裏の山へ馳け上って、草木国土悉皆成仏と大きな声を出して叫んだ。そうしてついに頭を剃ってしまった。  この庵を預かるようになってから、もう二年になるが、まだ本式に床を延べて、楽に足を延ばして寝た事はないと云った。冬でも着物のまま壁に倚れて坐睡するだけだと云った。侍者をしていた頃などは、老師の犢鼻褌まで洗わせられたと云った。その上少しの暇を偸んで坐りでもすると、後から来て意地の悪い邪魔をされる、毒吐かれる、頭の剃り立てには何の因果で坊主になったかと悔む事が多かったと云った。 「ようやくこの頃になって少し楽になりました。しかしまだ先がございます。修業は実際苦しいものです。そう容易にできるものなら、いくら私共が馬鹿だって、こうして十年も二十年も苦しむ訳がございません」  宗助はただ惘然とした。自己の根気と精力の足らない事をはがゆく思う上に、それほど歳月を掛けなければ成就できないものなら、自分は何しにこの山の中までやって来たか、それからが第一の矛盾であった。 「けっして損になる気遣はございません。十分坐れば、十分の功があり、二十分坐れば二十分の徳があるのは無論です。その上最初を一つ奇麗にぶち抜いておけば、あとはこう云う風に始終ここにおいでにならないでも済みますから」  宗助は義理にもまた自分の室へ帰って坐らなければならなかった。  こんな時に宜道が来て、 「野中さん提唱です」と誘ってくれると、宗助は心から嬉しい気がした。彼は禿頭を捕まえるような手の着けどころのない難題に悩まされて、坐ながらじっと煩悶するのを、いかにも切なく思った。どんなに精力を消耗する仕事でもいいから、もう少し積極的に身体を働らかしたく思った。  提唱のある場所は、やはり一窓庵から一町も隔っていた。蓮池の前を通り越して、それを左へ曲らずに真直に突き当ると、屋根瓦を厳めしく重ねた高い軒が、松の間に仰がれた。宜道は懐に黒い表紙の本を入れていた。宗助は無論手ぶらであった。提唱と云うのが、学校でいう講義の意味である事さえ、ここへ来て始めて知った。  室は高い天井に比例して広くかつ寒かった。色の変った畳の色が古い柱と映り合って、昔を物語るように寂び果てていた。そこに坐っている人々も皆地味に見えた。席次不同に思い思いの座を占めてはいるが、高声に語るもの、笑うものは一人もなかった。僧は皆紺麻の法衣を着て、正面の曲の左右に列を作って向い合せに並んだ。その曲は朱で塗ってあった。  やがて老師が現われた。畳を見つめていた宗助には、彼がどこを通って、どこからここへ出たかさっぱり分らなかった。ただ彼の落ちつき払って曲に倚る重々しい姿を見た。一人の若い僧が立ちながら、紫の袱紗を解いて、中から取り出した書物を、恭しく卓上に置くところを見た。またその礼拝して退ぞく態を[#「態を」は底本では「熊を」]見た。  この時堂上の僧は一斉に合掌して、夢窓国師の遺誡を誦し始めた。思い思いに席を取った宗助の前後にいる居士も皆同音に調子を合せた。聞いていると、経文のような、普通の言葉のような、一種の節を帯びた文字であった。 「我に三等の弟子あり。いわゆる猛烈にして諸縁を放下し、専一に己事を究明するこれを上等と名づく。修業純ならず駁雑学を好む、これを中等と云う」と云々という、余り長くはないものであった。宗助は始め夢窓国師の何人なるかを知らなかった。宜道からこの夢窓国師と大燈国師とは、禅門中興の祖であると云う事を教わったのである。平生跛で充分に足を組む事ができないのを憤って、死ぬ間際に、今日こそおれの意のごとくにして見せると云いながら、悪い方の足を無理に折っぺしょって、結跏したため、血が流れて法衣を煮染ましたという大燈国師の話もその折宜道から聞いた。  やがて提唱が始まった。宜道は懐から例の書物を出して、頁を半ば擦らして宗助の前へ置いた。それは宗門無尽燈論と云う書物であった。始めて聞きに出た時、宜道は、 「ありがたい結構な本です」と宗助に教えてくれた。白隠和尚の弟子の東嶺和尚とかいう人の編輯したもので、重に禅を修行するものが、浅い所から深い所へ進んで行く径路やら、それに伴なう心境の変化やらを秩序立てて書いたものらしかった。  中途から顔を出した宗助には、よくも解せなかったけれども、講者は能弁の方で、黙って聞いているうちに、大変面白いところがあった。その上参禅の士を鼓舞するためか、古来からこの道に苦しんだ人の閲歴譚などを取り交ぜて、一段の精彩を着けるのが例であった。この日もその通りであったが、或所へ来ると、突然語調を改めて、 「この頃室中に来って、どうも妄想が起っていけないなどと訴えるものがあるが」と急に入室者の不熱心を戒しめ出したので、宗助は覚えずぎくりとした。室中に入って、その訴をなしたものは実に彼自身であった。  一時間の後宜道と宗助は袖をつらねてまた一窓庵に帰った。その帰り路に宜道は、 「ああして提唱のある時に、よく参禅者の不心得を諷せられます」と云った。宗助は何も答えなかった。 二十一  そのうち、山の中の日は、一日一日と経った。御米からはかなり長い手紙がもう二本来た。もっとも二本とも新たに宗助の心を乱すような心配事は書いてなかった。宗助は常の細君思いに似ずついに返事を出すのを怠った。彼は山を出る前に、何とかこの間の問題に片をつけなければ、せっかく来た甲斐がないような、また宜道に対してすまないような気がしていた。眼が覚めている時は、これがために名状しがたい一種の圧迫を受けつづけに受けた。したがって日が暮れて夜が明けて、寺で見る太陽の数が重なるにつけて、あたかも後から追いかけられでもするごとく気を焦った。けれども彼は最初の解決よりほかに、一歩もこの問題にちかづく術を知らなかった。彼はまたいくら考えてもこの最初の解決は確なものであると信じていた。ただ理窟から割り出したのだから、腹の足にはいっこうならなかった。彼はこの確なものを放り出して、さらにまた確なものを求めようとした。けれどもそんなものは少しも出て来なかった。  彼は自分の室で独り考えた。疲れると、台所から下りて、裏の菜園へ出た。そうして崖の下に掘った横穴の中へ這入って、じっと動かずにいた。宜道は気が散るようでは駄目だと云った。だんだん集注して凝り固まって、しまいに鉄の棒のようにならなくては駄目だと云った。そう云う事を聞けば聞くほど、実際にそうなるのが、困難になった。 「すでに頭の中に、そうしようと云う下心があるからいけないのです」と宜道がまた云って聞かした。宗助はいよいよ窮した。忽然安井の事を考え出した。安井がもし坂井の家へ頻繁に出入でもするようになって、当分満洲へ帰らないとすれば、今のうちあの借家を引き上げて、どこかへ転宅するのが上分別だろう。こんな所にぐずぐずしているより、早く東京へ帰ってその方の所置をつけた方がまだ実際的かも知れない。緩くり構えて、御米にでも知れるとまた心配が殖えるだけだと思った。 「私のようなものにはとうてい悟は開かれそうに有りません」と思いつめたように宜道を捕まえて云った。それは帰る二三日前の事であった。 「いえ信念さえあれば誰でも悟れます」と宜道は躊躇もなく答えた。「法華の凝り固まりが夢中に太鼓を叩くようにやって御覧なさい。頭の巓辺から足の爪先までがことごとく公案で充実したとき、俄然として新天地が現前するのでございます」  宗助は自分の境遇やら性質が、それほど盲目的に猛烈な働をあえてするに適しない事を深く悲しんだ。いわんや自分のこの山で暮らすべき日はすでに限られていた。彼は直截に生活の葛藤を切り払うつもりで、かえって迂濶に山の中へ迷い込んだ愚物であった。  彼は腹の中でこう考えながら、宜道の面前で、それだけの事を言い切る力がなかった。彼は心からこの若い禅僧の勇気と熱心と真面目と親切とに敬意を表していたのである。 「道は近きにあり、かえってこれを遠きに求むという言葉があるが実際です。つい鼻の先にあるのですけれども、どうしても気がつきません」と宜道はさも残念そうであった。宗助はまた自分の室に退いて線香を立てた。  こう云う状態は、不幸にして宗助の山を去らなければならない日まで、目に立つほどの新生面を開く機会なく続いた。いよいよ出立の朝になって宗助は潔よく未練を抛げ棄てた。 「永々御世話になりました。残念ですが、どうも仕方がありません。もう当分御眼にかかる折もございますまいから、随分御機嫌よう」と宜道に挨拶をした。宜道は気の毒そうであった。 「御世話どころか、万事不行届でさぞ御窮屈でございましたろう。しかしこれほど御坐りになってもだいぶ違います。わざわざおいでになっただけの事は充分ございます」と云った。しかし宗助にはまるで時間を潰しに来たような自覚が明らかにあった。それをこう取り繕ろって云って貰うのも、自分の腑甲斐なさからであると、独り恥じ入った。 「悟の遅速は全く人の性質で、それだけでは優劣にはなりません。入りやすくても後で塞えて動かない人もありますし、また初め長く掛かっても、いよいよと云う場合に非常に痛快にできるのもあります。けっして失望なさる事はございません。ただ熱心が大切です。亡くなられた洪川和尚などは、もと儒教をやられて、中年からの修業でございましたが、僧になってから三年の間と云うものまるで一則も通らなかったです。それで私は業が深くて悟れないのだと云って、毎朝厠に向って礼拝されたくらいでありましたが、後にはあのような知識になられました。これなどはもっとも好い例です」  宜道はこんな話をして、暗に宗助が東京へ帰ってからも、全くこの方を断念しないようにあらかじめ間接の注意を与えるように見えた。宗助は謹んで、宜道のいう事に耳を借した。けれども腹の中では大事がもうすでに半分去ったごとくに感じた。自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。彼はどうしたらこの門の閂を開ける事ができるかを考えた。そうしてその手段と方法を明らかに頭の中で拵えた。けれどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事ができなかった。したがって自分の立っている場所は、この問題を考えない昔と毫も異なるところがなかった。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り残された。彼は平生自分の分別を便に生きて来た。その分別が今は彼に祟ったのを口惜く思った。そうして始から取捨も商量も容れない愚なものの一徹一図を羨んだ。もしくは信念に篤い善男善女の、知慧も忘れ思議も浮ばぬ精進の程度を崇高と仰いだ。彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもって生れて来たものらしかった。それは是非もなかった。けれども、どうせ通れない門なら、わざわざそこまで辿りつくのが矛盾であった。彼は後を顧みた。そうしてとうていまた元の路へ引き返す勇気を有たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固な扉がいつまでも展望を遮ぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。  宗助は立つ前に、宜道と連れだって、老師の許へちょっと暇乞に行った。老師は二人を蓮池の上の、縁に勾欄の着いた座敷に通した。宜道は自ら次の間に立って、茶を入れて出た。 「東京はまだ寒いでしょう」と老師が云った。「少しでも手がかりができてからだと、帰ったあとも楽だけれども。惜しい事で」  宗助は老師のこの挨拶に対して、丁寧に礼を述べて、また十日前に潜った山門を出た。甍を圧する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後に聳えた。 二十二  家の敷居を跨いだ宗助は、己れにさえ憫然な姿を描いた。彼は過去十日間毎朝頭を冷水で濡らしたなり、いまだかつて櫛の歯を通した事がなかった。髭は固より剃る暇を有たなかった。三度とも宜道の好意で白米の炊いだのを食べたには食べたが、副食物と云っては、菜の煮たのか、大根の煮たのぐらいなものであった。彼の顔は自から蒼かった。出る前よりも多少面窶れていた。その上彼は一窓庵で考えつづけに考えた習慣がまだ全く抜け切らなかった。どこかに卵を抱く牝鶏のような心持が残って、頭が平生の通り自由に働らかなかった。その癖一方では坂井の事が気にかかった。坂井と云うよりも、坂井のいわゆる冒険者として宗助の耳に響いたその弟と、その弟の友達として彼の胸を騒がした安井の消息が気にかかった。けれども彼は自身に家主の宅へ出向いて、それを聞き糺す勇気を有たなかった。間接にそれを御米に問うことはなおできなかった。彼は山にいる間さえ、御米がこの事件について何事も耳にしてくれなければいいがと気遣わない日はなかったくらいである。宗助は年来住み慣れた家の座敷に坐って、 「汽車に乗ると短かい道中でも気のせいか疲れるね。留守中に別段変った事はなかったかい」と聞いた。実際彼は短かい汽車旅行にさえ堪えかねる顔つきをしていた。  御米はいかな場合にも夫の前に忘れなかった笑顔さえ作り得なかった。と云って、せっかく保養に行った転地先から今帰って来たばかりの夫に、行かない前よりかえって健康が悪くなったらしいとは、気の毒で露骨に話し悪かった。わざと活溌に、 「いくら保養でも、家へ帰ると、少しは気疲が出るものよ。けれどもあなたは余まり爺々汚いわ。後生だから一休したら御湯に行って頭を刈って髭を剃って来てちょうだい」と云いながら、わざわざ机の引出から小さな鏡を出して見せた。  宗助は御米の言葉を聞いて、始めて一窓庵の空気を風で払ったような心持がした。一たび山を出て家へ帰ればやはり元の宗助であった。 「坂井さんからはその後何とも云って来ないかい」 「いいえ何とも」 「小六の事も」 「いいえ」  その小六は図書館へ行って留守だった。宗助は手拭と石鹸を持って外へ出た。  明る日役所へ出ると、みんなから病気はどうだと聞かれた。中には少し瘠せたようですねと云うものもあった。宗助にはそれが無意識の冷評の意味に聞えた。菜根譚を読む男はただどうです旨く行きましたかと尋ねた。宗助はこの問にもだいぶ痛い思をした。  その晩はまた御米と小六から代る代る鎌倉の事を根掘り葉掘り問われた。 「気楽でしょうね。留守居も何もおかないで出られたら」と御米が云った。 「それで一日いくら出すと置いてくれるんです」と小六が聞いた。「鉄砲でも担いで行って、猟でもしたら面白かろう」とも云った。 「しかし退屈ね。そんなに淋しくっちゃ。朝から晩まで寝ていらっしゃる訳にも行かないでしょう」と御米がまた云った。 「もう少し滋養物が食える所でなくっちゃあ、やっぱり身体によくないでしょう」と小六がまた云った。  宗助はその夜床の中へ入って、明日こそ思い切って、坂井へ行って安井の消息をそれとなく聞き糺して、もし彼がまだ東京にいて、なおしばしば坂井と往復があるようなら、遠くの方へ引越してしまおうと考えた。  次の日は平凡に宗助の頭を照らして、事なき光を西に落した。夜に入って彼は、 「ちょっと坂井さんまで行って来る」と云い捨てて門を出た。月のない坂を上って、瓦斯灯に照らされた砂利を鳴らしながら潜戸を開けた時、彼は今夜ここで安井に落ち合うような万一はまず起らないだろうと度胸を据えた。それでもわざと勝手口へ回って、御客来ですかと聞くことは忘れなかった。 「よくおいでです。どうも相変らず寒いじゃありませんか」と云う常の通り元気の好い主人を見ると、子供を大勢自分の前へ並べて、その中の一人と掛声をかけながら、じゃん拳をやっていた。相手の女の子の年は、六つばかりに見えた。赤い幅のあるリボンを蝶々のように頭の上にくっつけて、主人に負けないほどの勢で、小さな手を握り固めてさっと前へ出した。その断然たる様子と、その握り拳の小ささと、これに反して主人の仰山らしく大きな拳骨が、対照になって皆の笑を惹いた。火鉢の傍に見ていた細君は、 「そら今度こそ雪子の勝だ」と云って愉快そうに綺麗な歯を露わした。子供の膝の傍には白だの赤だの藍だのの硝子玉がたくさんあった。主人は、 「とうとう雪子に負けた」と席を外して、宗助の方を向いたが、「どうですまた洞窟へでも引き込みますかな」と云って立ち上がった。  書斎の柱には、例のごとく錦の袋に入れた蒙古刀が振ら下がっていた。花活にはどこで咲いたか、もう黄色い菜の花が挿してあった。宗助は床柱の中途を華やかに彩どる袋に眼を着けて、 「相変らず掛かっておりますな」と云った。そうして主人の気色を頭の奥から窺った。主人は、 「ええちと物数奇過ぎますね、蒙古刀は」と答えた。「ところが弟の野郎そんな玩具を持って来ては、兄貴を籠絡するつもりだから困りものじゃありませんか」 「御舎弟はその後どうなさいました」と宗助は何気ない風を示した。 「ええようやく四五日前帰りました。ありゃ全く蒙古向ですね。御前のような夷狄は東京にゃ調和しないから早く帰れったら、私もそう思うって帰って行きました。どうしても、ありゃ万里の長城の向側にいるべき人物ですよ。そうしてゴビの沙漠の中で金剛石でも捜していればいいんです」 「もう一人の御伴侶は」 「安井ですか、あれも無論いっしょです。ああなると落ちついちゃいられないと見えますね。何でも元は京都大学にいたこともあるんだとか云う話ですが。どうして、ああ変化したものですかね」  宗助は腋の下から汗が出た。安井がどう変って、どう落ちつかないのか、全く聞く気にはならなかった。ただ自分が主人に安井と同じ大学にいた事を、まだ洩らさなかったのを天祐のようにありがたく思った。けれども主人はその弟と安井とを晩餐に呼ぶとき、自分をこの二人に紹介しようと申し出た男である。辞退をしてその席へ顔を出す不面目だけはやっと免かれたようなものの、その晩主人が何かの機会につい自分の名を二人に洩らさないとは限らなかった。宗助は後暗い人の、変名を用いて世を渡る便利を切に感じた。彼は主人に向って、「あなたはもしや私の名を安井の前で口にしやしませんか」と聞いて見たくて堪らなかった。けれども、それだけはどうしても聞けなかった。  下女が平たい大きな菓子皿に妙な菓子を盛って出た。一丁の豆腐ぐらいな大きさの金玉糖の中に、金魚が二疋透いて見えるのを、そのまま庖丁の刃を入れて、元の形を崩さずに、皿に移したものであった。宗助は一目見て、ただ珍らしいと感じた。けれども彼の頭はむしろ他の方面に気を奪われていた。すると主人が、 「どうです一つ」と例の通りまず自分から手を出した。 「これはね、昨日ある人の銀婚式に呼ばれて、貰って来たのだから、すこぶるおめでたいのです。あなたも一切ぐらい肖ってもいいでしょう」  主人は肖りたい名の下に、甘垂るい金玉糖を幾切か頬張った。これは酒も呑み、茶も呑み、飯も菓子も食えるようにできた、重宝で健康な男であった。 「何実を云うと、二十年も三十年も夫婦が皺だらけになって生きていたって、別におめでたくもありませんが、そこが物は比較的なところでね。私はいつか清水谷の公園の前を通って驚ろいた事がある」と変な方面へ話を持って行った。こういう風に、それからそれへと客を飽かせないように引張って行くのが、社交になれた主人の平生の調子であった。  彼の云うところによると、清水谷から弁慶橋へ通じる泥溝のような細い流の中に、春先になると無数の蛙が生れるのだそうである。その蛙が押し合い鳴き合って生長するうちに、幾百組か幾千組の恋が泥渠の中で成立する。そうしてそれらの愛に生きるものが重ならないばかりに隙間なく清水谷から弁慶橋へ続いて、互に睦まじく浮いていると、通り掛りの小僧だの閑人が、石を打ちつけて、無残にも蛙の夫婦を殺して行くものだから、その数がほとんど勘定し切れないほど多くなるのだそうである。 「死屍累々とはあの事ですね。それが皆夫婦なんだから実際気の毒ですよ。つまりあすこを二三丁通るうちに、我々は悲劇にいくつ出逢うか分らないんです。それを考えると御互は実に幸福でさあ。夫婦になってるのが悪らしいって、石で頭を破られる恐れは、まあ無いですからね。しかも双方ともに二十年も三十年も安全なら、全くおめでたいに違ありませんよ。だから一切ぐらい肖っておく必要もあるでしょう」と云って、主人はわざと箸で金玉糖を挟んで、宗助の前に出した。宗助は苦笑しながら、それを受けた。  こんな冗談交りの話を、主人はいくらでも続けるので、宗助はやむを得ず或る辺までは釣られて行った。けれども腹の中はけっして主人のように太平楽には行かなかった。辞して表へ出て、また月のない空を眺めた時は、その深く黒い色の下に、何とも知れない一種の悲哀と物凄さを感じた。  彼は坂井の家に、ただいやしくも免かれんとする料簡で行った。そうして、その目的を達するために、恥と不愉快を忍んで、好意と真率の気に充ちた主人に対して、政略的に談話を駆った。しかも知ろうと思う事はことごとく知る事ができなかった。己れの弱点に付いては、一言も彼の前に自白するの勇気も必要も認めなかった。  彼の頭を掠めんとした雨雲は、辛うじて、頭に触れずに過ぎたらしかった。けれども、これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければすまないような虫の知らせがどこかにあった。それを繰り返させるのは天の事であった。それを逃げて回るのは宗助の事であった。 二十三  月が変ってから寒さがだいぶ緩んだ。官吏の増俸問題につれて必然起るべく、多数の噂に上った局員課員の淘汰も、月末までにほぼ片づいた。その間ぽつりぽつりと首を斬られる知人や未知人の名前を絶えず耳にした宗助は、時々家へ帰って御米に、 「今度はおれの番かも知れない」と云う事があった。御米はそれを冗談とも聞き、また本気とも聞いた。まれには隠れた未来を故意に呼び出す不吉な言葉とも解釈した。それを口にする宗助の胸の中にも、御米と同じような雲が去来した。  月が改って、役所の動揺もこれで一段落だと沙汰せられた時、宗助は生き残った自分の運命を顧りみて、当然のようにも思った。また偶然のようにも思った。立ちながら、御米を見下して、 「まあ助かった」とむずかし気に云った。その嬉しくも悲しくもない様子が、御米には天から落ちた滑稽に見えた。  また二三日して宗助の月給が五円昇った。 「原則通り二割五分増さないでも仕方があるまい。休められた人も、元給のままでいる人もたくさんあるんだから」と云った宗助は、この五円に自己以上の価値をもたらし帰ったごとく満足の色を見せた。御米は無論の事心のうちに不足を訴えるべき余地を見出さなかった。  翌日の晩宗助はわが膳の上に頭つきの魚の、尾を皿の外に躍らす態を眺めた。小豆の色に染まった飯の香を嗅いだ。御米はわざわざ清をやって、坂井の家に引き移った小六を招いた。小六は、 「やあ御馳走だなあ」と云って勝手から入って来た。  梅がちらほらと眼に入るようになった。早いのはすでに色を失なって散りかけた。雨は煙るように降り始めた。それが霽れて、日に蒸されるとき、地面からも、屋根からも、春の記憶を新にすべき湿気がむらむらと立ち上った。背戸に干した雨傘に、小犬がじゃれかかって、蛇の目の色がきらきらする所に陽炎が燃えるごとく長閑に思われる日もあった。 「ようやく冬が過ぎたようね。あなた今度の土曜に佐伯の叔母さんのところへ回って、小六さんの事をきめていらっしゃいよ。あんまりいつまでも放っておくと、また安さんが忘れてしまうから」と御米が催促した。宗助は、 「うん、思い切って行って来よう」と答えた。小六は坂井の好意で、そこの書生に住み込んだ。その上に宗助と安之助が、不足のところを分担する事ができたらと小六に云って聞かしたのは、宗助自身であった。小六は兄の運動を待たずに、すぐ安之助に直談判をした。そうして、形式的に宗助の方から依頼すればすぐ安之助が引き受けるまでに自分で埒を明けたのである。  小康はかくして事を好まない夫婦の上に落ちた。ある日曜の午宗助は久しぶりに、四日目の垢を流すため横町の洗場に行ったら、五十ばかりの頭を剃った男と、三十代の商人らしい男が、ようやく春らしくなったと云って、時候の挨拶を取り換わしていた。若い方が、今朝始めて鶯の鳴声を聞いたと話すと、坊さんの方が、私は二三日前にも一度聞いた事があると答えていた。 「まだ鳴きはじめだから下手だね」 「ええ、まだ充分に舌が回りません」  宗助は家へ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、 「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。 底本:「夏目漱石全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年3月29日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集5」筑摩書房    1971(昭和46)年 初出:「朝日新聞」    1910(明治43)年3月1日~6月12日 入力:柴田卓治 校正:高橋知仁 1999年4月22日公開 2015年3月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 夏目漱石 無題 無題 夏目漱石  私はこの学校は初めてで――エー来るのは初めてだけれども、御依頼を受けたのは決して初めてではありません。二、三年前、田中さんから頼まれたのです。その頃頼みに来て下さった方はもう御卒業なさったでしょう。それ以来十数回の御依頼を受けましたが、みんな御断りしました。断るのが面白いからではなく、やむをえないからで、このやむをえない事が度重なって御気の毒なので、その結果今日やって来ました。言わば根くらべで根がつきて出て来たようなしまつであります。だから面白い御話も出来兼ねます。今からとにかく一時間ばかり御話します。それ故、題なんかありません。  私は専門があなた方とは全然違っています。こんな機会でなければ顔を合わすことはありませんが、これでも私は工業の部門に属する専門家になろうとした事がありました。私は建築家になろうと思ったのです。何故っていうような問題ではない。けれどもついでだから話します。  まだ子供のとき、財産がなかったので、一人で食わなければならないという事は知っていました。忙がしくなく時間づくめでなくて飯が食えるという事について非常に考えました。しかし立派な技術を持ってさえいれば、変人でも頑固でも人が頼むだろうと思いました。佐々木東洋という医者があります。この医者が大へんな変人で、患者をまるで玩具か人形のように扱う、愛嬌のない人です。それではやらないかといえば不思議なほどはやって、門前市をなす有様です。あんな無愛想な人があれだけはやるのはやはり技術があるからだと思いました。それだから建築家になったら、私も門前市をなすだろうと思いました。丁度それは高等学校時分の事で、親友に米山保三郎という人があって、この人は夭折しましたが、この人が私に説諭しました。セント・ポールズのような家は我国にははやらない。下らない家を建てるより文学者になれといいました。当人が文学者になれといったのはよほどの自信があったからでしょう。私はそれで建築家になる事をふっつり思い止まりました。私の考は金をとって、門前市をなして、頑固で、変人で、というのでしたけれども、米山は私よりは大変えらいような気がした。二人くらべると私が如何にも小ぽけなように思われたので、今までの考をやめてしまったのです。そして文学者になりました。その結果は――分りません。恐らく死ぬまで分らないでしょう。それで私とあなた方とは専門が違う事になったのですが、この会は文芸の会で、ベルグソンなども出るようですから、多少は共通している処もあるようにも思われます。それでまあ私も御話をするというような訳であります。よく講演なんていうと西洋人の名前なんか出て来てききにくい人もあるようですが、私の今日の御話には片仮名の名前なんか一つもでてきません。  私はかつて或所で頼まれて講演した時、「日本現代の開化」という題で話しました。今日は題はない。分らなかったから、こしらえませんでした。  その講演のとき開化の definition を定めました。開化とは人間の energy の発現の径路で、この活力が二つの異った方向に延びて行って入り乱れて出来たので、その一つは活力節約の移動といって energy を節約せんとする吾人の努力、他の一つは活力を消耗せんとする趣向、即ち consumption of energy である。この二つが開化を構成する大なる factors で、これ以外には何もない。故にこの二つのものは開化の factors として sufficient and necessary である。  それで第一の活力を節約せんとする努力は種々の方向へ出るが、先ず距離をつめる、時間を節約する。手でやれば一時間かかる事も、機械で三十分でやってしまう。あるいは手でやれば一時間かかって一つ出来る所を、十も二十もつくる。そうしてわれわれの生活の便を計るのです。これがあなた方の専門のものであります。他の factor 即ち consumption of energy の努力は積極的のもので、或種の人達からは国力等の立場より見做して消極的なものと誤解されている、文学、美術、音楽、演劇等はこの方面に属します。これらのものはなくてすむものであります、しかもありたいものなのです。これらは、幾分か片方で切りつめて余った energy をこちらの方に向ける、どちらかといえば押しのふとい方なのです。私らはこの方面へ向って行く。この方面からいえば時間距離なんていう考はありません。飛行機――飛行機のような早いものの必要もなく、堅牢なものの必要もなく、数でこなす必要もない。生涯にたった一つだっていいものを書けばいいのです。即ち私どもとあなた方とはかく反対になっているのです。――二つのものの性質を概括していうと、あなた方の方は規律で行き、私どもの方は不規律で行く。その代り報酬は極悪い。金持になる人、なりたい人は、規律に服従せねばならない。あなた方の方は mechanical science の応用で、私どもの方は mental なのだから割がいいようだが、実は大変に損をしているのです。しかしあなた方は自由が少いが、私どもは自由というものがなければ出来ない仕事であります。なおいいかえれば、あなた方は仕事に服従して我というものをなくなさなければ出来ないのです。各自個々勝手な方面へ行ったなら、仕事はできない。私どもの方は我を発揮しなければ、何も出来ません。  そこで、あなた方の方でする仕事というものを見ると、普遍的即ち universal の性質を持っている。私どもの方は universal でなくて personal の性質を持っています。なお敷衍していえば、あなた方はまず公式を頭の中に入れて、その application が必要である。それは人間が考えたものに違いないけれども、私がこのものがいやだといっても御免蒙ることはできない。universal ということは personality という個人としての人格じゃなく、personality を eliminate し得る仕事なのです。この鉄道は誰が敷設したという事は素人にはあまり参考になりません。この講堂は誰が作ったって問題にならない。あすこにぶらさがってるランプだか、電気だか何だか知らないが、これには何の personality もない。即ち自然の法則を apply しただけなのであります。  しからばわれわれの文芸は法則を全然無視しているかというと、そうでもない。ベルグソンの哲学には一種の法則みたいなものがある。フランスではベルグソンを立場として、フランスの文芸が近頃出て来ている。しかしわれわれの方では sex の問題とか naturalism とか世間に知れわたった法則等から出立するものは、その abstraction の輪廓を画いてその中につめこんだのでは、生きて来ない。内から発生した事にならない。拵えものになる。即ちわれわれの方面では、abstraction からは出立されないのです。しからば文学者の作ったものから一つの法則を reduce することはできないかというと、それはできる。しかしそれは作者が自然天然に書いたものを、他の人が見てそれに philosophical の解釈を与えたときに、その作物の中からつかみ出されるもので、初めから法則をつかまえてそれから肉をつけるというのではありません。われわれの方でも時には法則が必要です。何故に必要であるかといえば、これがために作物の depth が出てくるからである。あなた方の法則は universal のものであるが、われわれの方では personal なものの奥に law があるのです。というのは既に出来た作物を読む人々の頭の間をつなぐ共通のあるものがあった時、そこに abstract の law が存在しているという証拠になるのです。personal のものが、universal ではなくても、百人なり二百人なりの読者を得たとき、その読者の頭をつなぐ共通なものが、なくてはならぬ。これが即ち一つの law である。  文芸は law によって govern されてはいけない。personal である。free である。しからばまるで無茶なものかというと、決してそうではないというのであります。  かようにあなた方の出発点とわれわれ文芸家の出発点とは違っている。  そのものの性質よりいえば、われわれの方のものは personal のもので、作物を見て作った人に思い及ぶ。電車の軌道は誰が敷いたかと考える必要はないが、芸術家のものでは、誰が作ったということがじき問題になる。従って製作品に対する情緒がこれにうつって行って、作物に対する好悪の念が作家にうつって行く。なおひろがって作家自身の好悪となり、結局道徳的の問題となる。それ故当然作物からのみ得られべき感情が作家に及ぼして、しまいには justice という事がなくなって、贔負というものが出来る。芸人にはこの贔負が特に甚だしい。相撲なんかそれです。私の友人に相撲のすきな人があるが、この人は勝った方がすきだと申します。この人なんか正義の人で、公平で、決して贔負ではない。贔負になるとこんな事が出来ない。かく芸を離れて当人になってくるのは角力か役者に多い。作物になるとさほどでもないようにも見える。  これほどまでに芸術とか文芸とかいうものは personal である。personal であるから自己に重きを置く。自己がなくなったら personal でなくなるのはあたり前であるが、その自己がなくなれば芸術は駄目である。  あなた方に尊ぶことは、自己でなくして腕である。腕さえあれば能事了れりというてもよい。工場では人間がいらないほどあっても、その人間は機械の一部分のようなものである。mechanical に働く、機械よりも巧妙に働く、腕が必要である。が、われわれの方は人間であるという事が大切な事で、社会上よりいうときは御互に社会の一員であるけれども、われわれの方は貴方がたに比べて人間という事が大事になる。  ところがここに腕の人でもなく頭の人でもない一種の人がある。資本家というものがそれである。この capitalist になると、腕も人間も大切でなく、唯金が大切なのである。capitalist から金をとり上げればゼロである。何にも出来ない。同様にあなた方から腕をとり上げても駄目である。われわれは腕も金もとり上げられてもいいが、人間をとり上げられてはそれこそ大変である。  あなた方の方では技術と自然との間に何らの矛盾もない。しかし私どもの方には矛盾がある。即ちごまかしがきくのです。悲しくもないのに泣いたり、嬉しくもないのに笑ったり、腹も立たないのに怒ったり、こんな講壇の上などに立ってあなた方から偉く見られようとしたりするので――これは或程度まで成功します。これは一種の art である。art と人間の間には距離を生じて矛盾を生じやすい。あなた方にも人格にない art を弄している事がたくさんある。即ちねむいのに、睡くないようなふりをするなどはその一例です。かく art は恐ろしい。われわれにとっては art は二の次で、人格が第一なのです。孔子様でなければ人格がない、なんていうのじゃない。人格といったってえらいという事でもなければ、偉くないという事でもない。個人の思想なり観念なりを中心として考えるということである。  一口にいえば、文芸家の仕事の本体即ち essence は人間であって、他のものは附属品装飾品である。  この見地より世の中を見わたせば面白いものです。こういうのは私一人かも知れませんが、世の中は自分を中心としなければいけない。尤も私は親が生んだので、親はまたその親が生んだのですから、私は唯一人でぽつりと木の股から生れた訳ではない。そこでこういう問題が出て来る。人間は自分を通じて先祖を後世に伝える方便として生きているのか、または自分その者を後世に伝えるために生きているのか。これはどっちでもいい事ですけれども、とりようでは二様にとれる。親が死んだからその代理に生きているともとれるし、そうでなくて己は自分が生きているんで、親はこの己を生むための方便だ、自分が消えると気の毒だから、子に伝えてやる、という事に考えても差支ない。この論法からいうと、芸術家が昔の芸術を後世に伝えるために生きているというのも、不見識ではあるが、やっぱり必要でしょう。ことに旧芝居や御能なんかはいい例です。絵画にもそれがある。私は狩野元信のために生きているので、決して私のためには生きているのではないと看板をかける人もたくさんある。こういうのは身を殺して仁をなすというものでしょう。しかし personality の論法で行くと、これは問題にならない。こんな人はとりのけて、ほんとに自覚したらどうだろう。即ち personality から出立しようとする、狩野のために生きるのをよして自分のために生きようとする事にしたらどうだろう。世の中には全く同じ事は決して再び起らない。science ではどうだか知らないけれども、精神界では全く同じものが二つは来ない。故にいくら旧様を守ろうとしても、全然旧には復らない。なお他の一つは旧にかえるのではなく新しい departure をする。これらによって essential な personality を発揮する事ができる。  導体的の文芸家美術家も、必要かも知れないが、人間の本分として、凡ての人は自覚しなければならない。此所が大切な所で充分に説明しなければいけないんですが、今日は時間がないからこれでやめます。  私のいうた事は、あなた方と私どもとの職業の違いから出立して、私どもの方の事を精しくいったのでありますけれども、同時にまたあなた方の方にも或程度までは応用が利くかと思います。あなた方の職業の方面において幾分か参考になる事がありはしないかと思うのです。尤も文芸部の会ですから応用が利かなくっても、威張ってそういう権利があります。しかし個人としてなり職業としてなり、あなた方の御参考になれば、私は非常に嬉しいのであります。――それだけです。 (東京高等工業学校校友会雑誌所載の略記による) ――大正三年一月十七日東京高等工業学校において―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 ※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。 入力:柴田卓治 校正:木本敦子 1999年9月2日公開 2004年2月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 夏目漱石 博士問題とマードック先生と余 博士問題とマードック先生と余 夏目漱石        上  余が博士に推薦されたという報知が新聞紙上で世間に伝えられたとき、余を知る人のうちの或者は特に書を寄せて余の栄選を祝した。余が博士を辞退した手紙が同じく新聞紙上で発表されたときもまた余は故旧新知もしくは未知の或ものからわざわざ賛成同情の意義に富んだ書状を幾通も受取った。伊予にいる一旧友は余が学位を授与されたという通信を読んで賀状を書こうと思っていた所に、辞退の報知を聞いて今度は辞退の方を目出たく思ったそうである。貰っても辞してもどっちにしても賀すべき事だというのがこの友の感想であるとかいって来た。そうかと思うと悪戯好の社友は、余が辞退したのを承知の上で、故さらに余を厭がらせるために、夏目文学博士殿と上書をした手紙を寄こした。この手紙の内容は御退院を祝すというだけなんだから一行で用が足りている。従って夏目文学博士殿と宛名を書く方が本文よりも少し手数が掛った訳である。  しかし凡てこれらの手紙は受取る前から予期していなかったと同時に、受取ってもそれほど意外とも感じなかったものばかりである。ただ旧師マードック先生から同じくこの事件について突然封書が届いた時だけは全く驚ろかされた。  マードック先生とは二十年前に分れたぎり顔を合せた事もなければ信書の往復をした事もない。全くの疎遠で今日まで打ち過ぎたのである。けれどもその当時は毎週五、六時間必ず先生の教場へ出て英語や歴史の授業を受けたばかりでなく、時々は私宅まで押し懸けて行って話を聞いた位親しかったのである。  先生はもと母国の大学で希臘語の教授をしておられた。それがある事情のため断然英国を後にして単身日本へ来る気になられたので、余らの教授を受ける頃は、まだ日本化しない純然たる蘇国語を使って講義やら説明やら談話やらを見境なく遣られた。それがため同級生は悉く辟易の体で、ただ烟に捲かれるのを生徒の分と心得ていた。先生もそれで平気のように見えた。大方どうせこんな下らない事を教えているんだから、生徒なんかに分っても分らなくても構わないという気だったのだろう。けれども先生の性質が如何にも淡泊で丁寧で、立派な英国風の紳士と極端なボヘミアニズムを合併したような特殊の人格を具えているのに敬服して教授上の苦情をいうものは一人もなかった。  先生の白襯衣を着た所は滅多に見る事が出来なかった。大抵は鼠色のフラネルに風呂敷の切れ端のような襟飾を結んで済ましておられた。しかもその風呂敷に似た襟飾が時々胴着の胸から抜け出して風にひらひらするのを見受けた事があった。高等学校の教授が黒いガウンを着出したのはその頃からの事であるが、先生も当時は例の鼠色のフラネルの上へ繻子か何かのガウンを法衣のように羽織ていられた。ガウンの袖口には黄色い平打の紐が、ぐるりと縫い廻してあった。これは装飾のためとも見られるし、または袖口を括る用意とも受取れた。ただし先生には全く両様の意義を失った紐に過ぎなかった。先生が教場で興に乗じて自分の面白いと思う問題を講じ出すと、殆んどガウンも鼠の襯衣も忘れてしまう。果はわがいる所が教場であるという事さえ忘れるらしかった。こんな時には大股で教壇を下りて余らの前へ髯だらけの顔を持ってくる。もし余らの前に欠席者でもあって、一脚の机が空いていれば、必ずその上へ腰を掛ける。そうして例のガウンの袖口に着いている黄色い紐を引張って、一尺程の長さを拵らえて置いて、それでぴしゃりぴしゃりと机の上を敲いたものである。  当時余はほんの小供であったから、先生の学殖とか造詣とかを批判する力はまるでなかった。第一先生の使う言葉からが余自身の英語とは頗る縁の遠いものであった。それでも余は他の同級生よりも比較的熱心な英語の研究者であったから、分らないながらも出来得る限りの耳と頭を整理して先生の前へ出た。時には先生の家までも出掛けた。先生の家は先生のフラネルの襯衣と先生の帽子――先生はくしゃくしゃになった中折帽に自分勝手に変な鉢巻を巻き付けて被っていた事があった。――凡てこれら先生の服装に調和するほどに、先生の生活は単純なものであるらしかった。        中  その頃の余は西洋の礼式というものを殆んど心得なかったから、訪問時間などという観念を少しも挟さむ気兼なしに、時ならず先生を襲う不作法を敢てして憚からなかった。ある日朝早く行くと、先生は丁度朝食を認めている最中であった。家が狭いためか、または余を別室に導く手数を省いたためか、先生は余を自分の食卓の前に坐らして、君はもう飯を食ったかと聞かれた。先生はその時卵のフライを食っていた。なるほど西洋人というものはこんなものを朝食うのかと思って、余はひたすら食事の進行を眺めていた。実は今考えるとその時まで卵のフライというものを味わった事がないような気がする。卵のフライという言葉もそれからずっと後に覚えたように思われる。  先生はやがて肉刀と肉匙を中途で置いた。そうして椅子を立ち上がって、書棚の中から黒い表紙の小形の本を出して、そのうちの或頁を朗々と読み始めた。しばらくすると、本を伏せてどうだと聞かれた。正直の所余には一言も解らなかったから、一体それは英語ですかと聞いた。すると先生は天来の滑稽を不用意に感得したように憚りなく笑い出した。そうしてこれは希臘の詩だと答えられた。英国の表現に、珍紛漢の事を、それは希臘語さというのがある。希臘語は彼地でもそれ位六ずかしい物にしてあるのだろう。高等学校生徒の余などに解るはずは無論ない。それを何故先生が読んで聞かせたのかというと、詳しい理由は今思い出せないが、何でも希臘の文学を推称した揚句の事ではなかったかと思う。とにかく先生はそういう性質の人なのである。  先生の作った「日本におけるドン・ジュアンの孫」という長詩も慥か聞かされたように思う。けれどもそのうちの或行にアラス、アラック、という感投詞が二つ続いていたと記憶するだけで、あとはまるで忘れてしまった。  ベインの『論理学』を読めといって先生が貸してくれた事もあった。余はそれを通読するつもりで宅へ持って帰ったが、何分課業その他が忙がしいので段々延び延びになって、何時まで立っても目的を果し得なかった。ほど経て先生が、久しい前君に貸したベインの本は僕の先生の著作だから保存して置きたいから、もし読んでしまったなら返してくれといわれた。その本は大分丹念に使用したものと見えて裏表とも表紙が千切れていた。それを借りたときにも返した時にも、先生は哲学の方の素養もあるのかと考えて、小供心に羨ましかった。  あるときどんな英語の本を読んだら宜かろうという余の問に応じて、先生は早速手近にある紙片に、十種ほどの書目を認めて余に与えられた。余は時を移さずその内の或物を読んだ。即座に手に入らなかったものは、機会を求めて得る度にこれを読んだ。どうしても眼に触れなかったものは、倫敦へ行ったとき買って読んだ。先生の書いてくれた紙片が、余の袂に落ちてから、約十年の後に余は始めて先生の挙げた凡てを読む事が出来たのである。先生はあの紙片にそれほどの重きを置いていなかったのだろう。凡てを読んでからまた十年も経った今日から見れば、それほど先生の紙片に重きを置いた余の方でも可笑しい気がする。  外国から帰った当時、先生の消息を人伝に聞いて、先生は今鹿児島の高等学校に相変らず英語を教えているという事が分った。鹿児島から人が出てくる度に余はマードックさんはどうしたと尋ねない事はなかった。けれども音信はその後二人の間に全く絶えていたのである。ただ余が先生について得た最後の報知は、先生がとうとう学校をやめてしまって、市外の高台に居を卜しつつ、果樹の栽培に余念がないらしいという事であった。先生は「日本における英国の隠者」というような高尚な生活を送っているらしく思われた。博士問題に関して突然余の手元に届いた一封の書翰は、実にこの隠者が二十余年来の無音を破る価ありと信じて、とくに余のために認めてくれたものと見える。        下  手紙には日常の談話と異ならない程度の平易な英語で、真率に余の学位辞退を喜こぶ旨が書いてあった。その内に、今回の事は君がモラル・バックボーンを有している証拠になるから目出たいという句が見えた。モラル・バックボーンという何でもない英語を翻訳すると、徳義的脊髄という新奇でかつ趣のある字面が出来る。余の行為がこの有用な新熟語に価するかどうかは、先生の見識に任せて置くつもりである。(余自身はそれほど新らしい脊髄がなくても、不便宜なしに誰にでも出来る所作だと思うけれども)  先生はまたグラッドストーンやカーライルやスペンサーの名を引用して、君の御仲間も大分あるといわれた。これには恐縮した。余が博士を辞する時に、これら前人の先例は、毫も余が脳裏に閃めかなかったからである。――余が決断を促がす動機の一部分をも形づくらなかったからである。尤も先生がこれら知名の人の名を挙げたのは、辞任の必ずしも非礼でないという実証を余に紹介されたまでで、これら知名の人を余に比較するためでなかったのは無論である。  先生いう、――われらが流俗以上に傑出しようと力めるのは、人として当然である。けれどもわれらは社会に対する栄誉の貢献によってのみ傑出すべきである。傑出を要求するの最上権利は、凡ての時において、われらの人物如何とわれらの仕事如何によってのみ決せらるべきである。  先生のこの主義を実行している事は、先生の日常生活を別にしても、その著作『日本歴史』において明かに窺う事が出来る。自白すれば余はまだこの標準的述作を読んでいないのである。それにもかかわらず、先生が十年の歳月と、十年の精力と、同じく十年の忍耐を傾け尽して、悉くこれをこの一書の中に注ぎ込んだ過去の苦心談は、先生の愛弟子山県五十雄君から精しく聞いて知っている。先生は稿を起すに当って、殆んどあらゆる国語で出版された日本に関する凡ての記事を読破したという事である。山県君は第一その語学の力に驚ろいていた。和蘭語でも何でも自由に読むといって呆れたような顔をして余に語った。述作の際非常に頭を使う結果として、しまいには天を仰いで昏倒多時にわたる事があるので、奥さんが大変心配したという話も聞いた。そればかりではない、先生は単にこの著作を完成するために、日本語と漢字の研究まで積まれたのである。山県君は先生の技倆を疑って、六ずかしい漢字を先生に書かして見たら、旨くはないが、劃だけは間違なく立派に書いたといって感心していた。これらの準備からなる先生の『日本歴史』は、悉く材料を第一の源から拾い集めて大成したもので、儲からない保証があると同時に、学者の良心に対して毫も疚ましからぬ徳義的な著作であるのはいうまでもない。 「余は人間に能う限りの公平と無私とを念じて、栄誉ある君の国の歴史を今になお述作しつつある。従って余の著書は一部人士の不満を招くかも知れない。けれどもそれはやむを得ない。ジョン・モーレーのいった通り何人にもあれ誠実を妨ぐるものは、人類進歩の活力を妨ぐると一般であって、その真正なる日本の進歩は余の心を深くかつ真面目に動かす題目に外ならぬからである。」  余は先生の人となりと先生の目的とを信じて、ここに先生の手紙の一節をありのままに訳出した。先生は新刊第三巻の冒頭にある緒論をとくに思慮ある日本人に見てもらいたいといわれる。先生から同書の寄贈を受ける日それを一読して満足な批評を書き得るならば、そうして先生の著書を天下に紹介する事が出来得るならば余の幸である。先生の意は、学位を辞退した人間としての夏目なにがしに自分の著述を読んでもらって、同じく博士を辞退した人間としての夏目なにがしに、その著述を天下に紹介してもらいたいという所にあるのだろうと思うからである。 ――明治四四、三、六―八『東京朝日新聞』―― 底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店    1986(昭和61)年10月16日第1刷発行    1998(平成10)年7月24日第26刷発行 入力:柴田卓治 校正:しず 1999年8月5日公開 2003年10月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 中味と形式 中味と形式 ――明治四十四年八月堺において述―― 夏目漱石  私はこの地方にいるものではありません、東京の方に平生住(すま)っております。今度大阪の社の方で講演会を諸所で開きますについて、助勢をしろという命令――だか通知だか依頼だかとにかく催しに参加しなければならないような相談を受けました。それでわざわざ出て参りました。もっともこの堺だけで御話をしてすぐ東京表(とうきょうおもて)へ立ち帰るという訳でもないので、現に明石(あかし)の方へ行きましたり、和歌山の方へ参りましたり、明日はまた大阪でやる手順になっております。無論話すことさえあれば、どこへ行って何をやっても差支(さしつかえ)ないはずですが、暑中の際そうそう身体(からだ)も続きませぬから、好い加減のところで断りたいと思っております。しかしこの堺は当初からの約束で是非何か講話をすべきはずになっておりましたから私の方もそれは覚悟の上で参りました。したがってしっかりした御話らしい御話をしなければならない訳でありますが、どうもそう旨(うま)く行かないからはなはだ御気の毒です。ただいまは高原君が樺太旅行談つけたり海豹島(かいひょうとう)などの話をされましたが実地の見聞談で誠に有益でもあり、かつ面白く聴いておりました。私のは諸君に興味または利益を与えるという点において、とても高原君ほどに参りませぬ。高原君は御覧の通りフロックコートを着ておりましたが、私はこの通り背広で御免蒙(ごめんこうむ)るような訳で、御話の面白さもまたこの服装の相違くらい懸隔(けんかく)しているかも知れませんから、まずその辺のところと思って辛抱してお聴きを願います。高原君はしきりに聴衆諸君に向って厭(いや)になったら遠慮なく途中で御帰りなさいと云われたようですが私は厭になっても是非聴いていていただきたいので、その代り高原君ほど長くはやりません。この暑いのにそう長くやっては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですからできるだけ縮(ちぢ)めてさっさと片づけますから、その間は帰らずに、暑くても我慢をして、終った時に拍手喝采(かっさい)をして、そうしてめでたく閉会をして下さい。  私は先年堺へ来たことがあります。これはよほど前私がまだ書生時代の事で、明治二十何年になりますか、何でもよほど久しい事のように記憶しております。実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派なお弟子を持っているくらいでありますから、私もよほど年を取りました。その私がまだ若い時の事ですからまあ昔といっても宜(よろ)しゅうございましょう。今考えるとほとんどその時に見た堺の記憶と云うものはありませんが、何でも妙国寺と云うお寺へ行って蘇鉄(そてつ)を探したように覚えております。それからその御寺の傍に小刀や庖丁(ほうちょう)を売る店があって記念のためちょっとした刃物をそこで求めたようにも覚えています。それから海岸へ行ったら大きな料理店があったようにも記憶しています。その料理店の名はたしか一力(いちりき)とか云いました。すべてがぼんやりして思い出すとまるで夢のようであります。その夢のような堺へ今日図(はか)らずも来て再び昔の町を車に揺られながら通ってみると非常に広いような心持がする。停車場からこの会場までの道程(みちのり)も大分ある。こう申しては失礼であるが昔見た時はごくケチな所であったかのようにしか、頭に映じないのであります。それで車の上で感服したような驚いたような顔をして、きょろきょろ見廻して来ると所々の辻々(つじつじ)に講演の看板と云いますか、広告と云いますか、夏目漱石君などと云うような名前が墨黒々と書いて壁に貼(は)りつけてある。何だか雲右衛門か何かが興行のため乗り込んだようである。社の方から云えばあの方がよいのでしょうが、夏目漱石氏から云えばああ曝(さら)しものになるのはあまりありがたくない。なお車の上で観察すると往来の幅がはなはだ狭い。がそれは問題ではない、私の妙に感じたのはその細い往来がヒッソリして非常に静かに昼寝(ひるね)でもしているように見えた事であります。もっとも夏の真午(まひる)だからあまり人が戸外に出る必要のない時間だったのでしょう、私がここに着いたのはちょうど十二時少し過でありました。二階へ上って長い廊下のはずれに見える会場の入口から中の方を見渡すと、少し人の頭が黒く見えたぐらいで、市内がヒッソリしているごとく聴衆もまたヒッソリしている。これは幸いだ――とは思いません、また困ったとまでも思いません。けれどもまあ不入りだろうと考えながら控席へ入って休息していると、いつの間(ま)にやらこんなに人が集って来た。この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推(お)すと堺と云う所はけっして吝(けち)な所ではない、偉(えら)い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だろうと思われる。私もせっかく東京からわざわざ出て来たものでありますから、なろうことならば講演趣味の最も発達した堺のような所で、一度でも講演をすれば誠に心持がよい。だから諸君もその志(こころざし)を諒(りょう)として、終(しま)いまで静粛にお聴きにならんことを希望します。このくらいにしてここに張り出した「中味(なかみ)と形式」という題にでも移りますかな。  第一、題からしてあまり面白そうには見えません。中味は無論つまらなそうです。私は学会の演説は時々依頼を受けてやる事がありますが、こう云う公衆、すなわち種々の職業をもった方がお集まりになった席ではあまり御話をした経験がありません。また頼みにも来ません。頼まれてもたいていは断ります。と申すのは種々の職業をもっておられる方々の総(すべ)てに興味のあるようなことは、私の研究の範囲、あるいは興味の範囲からしてとても力に及ばないという掛念(けねん)があるからです。でなるべくは避けておりますが、やむをえず今日のような場合には、できるだけ一般の人に興味のあるために、社会問題と云うようなものを択(えら)みます。けれどもその社会の見方とかあるいは人間の観察の仕方とかがまた自然私の今日までやった学問やら研究に煩(わずら)わされてどうも好きな方ばかりへ傾(かたむ)きやすいのは免(まぬ)かれがたいところでありますから、職業の如何(いかん)、興味の如何に依っては、誠に面白くない駄弁に始って下らない饒舌(じょうぜつ)に終ることだろうと思うのです。のみならずこれからやる中味と形式という問題が今申した通りあまり乾燥して光沢気(つやけ)の乏しいみだしなのでことさら懸念(けねん)をいたします。が言訳はこのくらいでたくさんでしょうからそろそろ先へ進みましょう。  私は家に子供がたくさんおります。女が五人に男が二人、〆(し)めて七人、それで一番上の子供が十三ですから赤ん坊に至るまでズッと順よく並んでまあ体裁よく揃(そろ)っております。それはどうでも宜しいがかように子供が多うございますから、時々いろいろの請求を受けます。跳(は)ねる馬を買ってくれとか動く電車を買ってくれとかいろいろ強請(ねだ)られるうちに、活動写真へ連れて行けと云う注文が折々出ます。元来私は活動写真と云うものをあまり好きません。どうも芝居の真似(まね)などをしたり変な声色(こわいろ)を使ったりして厭気(いやけ)のさすものです。その上何ぞというと擲(なぐ)ったり蹴飛(けとば)したり惨酷(ざんこく)な写真を入れるので子供の教育上はなはだ宜(よろ)しくないからなるべくやりたくないのですが、子供の方ではしきりに行きたかがるので――もっとも活動写真と云ったって必ず女が出て来て妙な科(しな)をするとはきまっていない、中には馬鹿気て滑稽(こっけい)なのもたくさんありますから子供の見たがるのも無理ではないかも知れません。で三度に一度は頑固(がんこ)な私もつい連れ出される事があります。監督者と云いますか、何と云いますか、まず案内者あるいはお傅(もり)とでも云う格なんでしょう。暑い所へ入って鼻の頭へ汗の玉を並べて我慢をして動かずにいる事があります。すると子供からよく質問を受けて弱るのです。もっとも滑稽物や何かで帽子を飛ばして町内中逐(おい)かけて行くと云ったような仕草(しぐさ)は、ただそのままのおかしみで子供だって見ていさえすれば分りますから質問の出る訳もありませんが、人情物、芝居がかった続き物になると時々聞かれます。その問ははなはだ簡単でただ何方が善人で何方が悪人かと云うだけなんです。私から云えば何方も人間にはなっていない、善人にも悪人にもなっておらない。よしなっていたって、幼稚にしろ筋は子供の頭より込入(こみい)っているからそう一口に判断を下してやる訳には行かない。それでどうも迷児(まご)つかされる事がたびたび出て来るのです。大人から云えば、ただ見ていて事件の進行と筋の運び方さえ腑(ふ)に落ちればそれですむのですけれども、悲しいかな子供にはそれほど一部始終を呑(の)み込(こ)む頭がない。と云ってただ茫然(ぼうぜん)と幕に映る人物の影がしきりに活動するのを眺めている訳にも行かない。どうかしてこの込み入った画の配合や人間の立ち廻りを鷲抓(わしづか)みに引っくるめてその特色を最も簡明な形式で頭へ入れたいについてはすでに幼稚な頭の中に幾分でも髣髴(ほうふつ)できる倫理上の二大性質――善か悪かを取(と)りきめてこの錯雑(さくざつ)した光景を締(し)め括(くく)りたい希望からこういう質問をかけるものと思われます。活動写真はまだよい。ところがお伽噺(とぎばなし)や歴史の本などを見て、昔の英雄などについてやはり同様に簡単な質問をかけられる事がある。太閤様(たいこうさま)と正成(まさしげ)とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山(ひたちやま)と弁慶と相撲(すもう)を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏(まと)め得る程度以上に纏めた簡略な形式にして見せろと逼(せま)られるのだから困ります。もっとも近来は小学校などでも生徒に問題を出して日本の現代の人物中で誰が一番偉いかなどと聞く先生がある。この間私が或る地方へ行ったらある新聞でそういう問題を出して小学生徒から答案の投書を募(つの)っていました。その中で自分の叔父さんが一番偉いという答を寄こしたのがあると聞いてはなはだ面白く感じました。自分の親父が天下一の人物だなどは至極(しごく)好い了見(りょうけん)で結構です。それは余事であるが、とにかく先生や新聞などからして、日本にたった一人偉い人があって、その人は甲にも乙にも丙にも凌駕(りょうが)しているからあててみろというような数学的の問題を出す世の中だから子供から質問が出るのも無理はない。しかし困ります。楠正成と豊臣秀吉とどっちが偉いと云うが、見方でいろいろな結論もできるし、そう白でなければ黒といった風に手早く相場をつける訳にも行かないし、要するに複雑な智識があればあるほど面喰(めんくら)うようになります。  こんな例を御話しするのはただ馬鹿らしいから御笑草に御聞きに入れるまでの事だと御思いになるかも知れんが、実はそうではない。こう批評して見るとなるほど子供は幼稚で気の毒なものだとしかとれませんが、その幼稚で気の毒の事を大人たる我々があえてしているのだからはなはだ情ない次第で、私は大人として子供はかくのごとくたわいないものだという証拠に自分の娘や何かを例に引いたのではなく、かえって大人もまたこの例に洩(も)れぬ迂愚(うぐ)なものだという事を証明したいと思ってちょっと分りやすい小児を例に用いたのであります。すべて政治家なり文学者なりあるいは実業家なりを比較する場合に誰より誰の方が偉いとか優(まさ)っているとか云って、一概に上下の区別を立てようとするのはたいていの場合においてその道に暗い素人(しろうと)のやる事であります。専門の智識が豊かでよく事情が精(くわ)しく分っていると、そう手短かに纏(まと)めた批評を頭の中に貯えて安心する必要もなく、また批評をしようとすれば複雑な関係が頭に明暸(めいりょう)に出てくるからなかなか「甲より乙が偉い」という簡潔な形式によって判断が浮んで来ないのであります。幼稚な智識をもった者、没分暁漢(ぼつぶんぎょうかん)あるいは門外漢になると知らぬ事を知らないですましているのが至当であり、また本人もそのつもりで平気でいるのでしょうが、どうも処世上の便宜からそう無頓着(むとんじゃく)でいにくくなる場合があるのと、一つは物数奇(ものずき)にせよ問題の要点だけは胸に畳み込んでおく方が心丈夫なので、とかく最後の判断のみを要求したがります。さてその最後の判断と云えば善悪とか優劣とかそう範疇(はんちゅう)はたくさんないのですが無理にもこの尺度に合うようにどんな複雑なものでも委細御構(おかまい)なく切り約(つづ)められるものと仮定してかかるのであります。中味は込入っていて眼がちらちらするだけだからせめて締括(しめくく)った総勘定(そうかんじょう)だけ知りたいと云うなら、まだ穏当な点もあるが、どんな動物を見ても要するにこれは牛かい馬かい牛馬一点張りですべて四つ足を品隲(ひんしつ)されては大分無理ができる。門外漢というものはこの無理に気がつかない、また気がついても構わない。どんな無理な判断でも与えてくれさえすれば安心する。だからお上(かみ)でも高等官一等を拵(こしら)えてみたり、二等を拵えてみたり、あるいは学士、博士を拵えてみたりして門外漢に対して便宜を与え、一種の締括(しめくく)りある二字か三字の記号を本来の区別と心得て満足する連中に安慰を与えている。以上を一口にして云えば物の内容を知り尽した人間、中味の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥(こうでい)しないし、また無理な形式を喜ばない傾(かたむき)があるが、門外漢になると中味が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる、そうしてその形式がいかにその物を現すに不適当であっても何でも構わずに一種の智識として尊重すると云う事になるのであります。  これは複雑の事を簡略の例で御話をするのでありますから、そのつもりでお聴きを願いますが、ここに一つの平面があって、それに他の平面が交叉しているとすると、この二つの平面の関係は何で示すかというと、申すまでもなくその両面の喰違った角度である。どっちが高いのでもないどっちが低いのでもない。三十度の角度をなしているとか、六十度の角度をなしているとか云えば極(きわ)めて明暸でそれより以外に説明する事も質問する事も何(なん)にもないのであります。それをこの二面がいつでも偶然平らに並行でもしているかのごとき了見(りょうけん)で、全体どっちが高いのですと聞かなければ承知ができないのは痛み入ります。人間と人間、事件と事件が衝突したり、捲(ま)き合ったり、ぐるぐる回転したりする時その優劣上下が明かに分るような性質程度で、その成行が比較さえできればいい訳だが、惜(お)しい哉(かな)この比較をするだけの材料、比較をするだけの頭、纏(まと)めるだけの根気がないために、すなわち門外漢であるがために、どうしても角度を知ることができないために、上下とか優劣とか持ち合せの定規(じょうぎ)で間に合せたくなるのは今申す通り門外漢の通弊でありますが、私の見るところでは豈独(あにひと)り門外漢のみならんやで、専門の学者もまたそう威張れた義理でもないような概括をして平気でいるのだから驚かれるのです。  学者と云うものは、いろいろの事実を集めて法則を作ったり概括を致します。あるいは何主義とか号してその主義を一纏(ひとまと)めに致します。これは科学にあっても哲学にあっても必要の事であり、また便宜な事で誰しもそれに異存のあるはずはございません。例えば進化論とか、勢力保存とか云うとその言葉自身が必要であるばかりでなく、実際の事実の上において役に立っています。けれども悪くすると前(ぜん)申した子供や門外漢と同じように、内容にあまり合わない形式を拵えてただ表面上の纏りで満足している事が往々あるように思います。この間私は或学者の書いた本を読みました。それはオイケンと云って、近頃独逸(ドイツ)で、有名な学者の著わしたものであります。もっともたくさんの著述のうちでごく短かい一冊を読んだだけでありますが、とにかくその人の説の中にこういう事が書いてありました。現代の人はしきりに自由とか開放とかいうような事を主張する。同時に秩序とか組織とか云うものを要求している。一方では束縛を解いて自由にして貰(もら)わなければたまらないと云っていながら、一方では(例えば資本家というようなものが)秩序とか組織を立てなければ事業が発展しないと騒いでいる。が、この二つの要求を較(くら)べると明かに矛盾である。――ここまでは宜(よろ)しいのです。しかしオイケンはこの矛盾はどっちかに片づけなければならず、また片づけらるべきものであるかのごとき語気で論じていたように記憶していますが――すなわちそういうように相反する事を同時に唱(とな)えておっては矛盾だから、モッと一纏(ひとまと)めにして、意味のある生活を人がやって行かなければならぬというような事を言うのです。ですがあなた方(がた)はまあどうお考えになりますか。オイケンの云う通りでよいと御思いですか、はたしてこの矛盾が一纏めになるものとお思いになりますか。また明かに矛盾しているというお考えでありますか。あなた方にこんな質問をかけたってつまらない、また掛ける必要もありません。が私はどう考えてもオイケンの説は無理だと思うのです。なぜ無理だと言いますと、資本家とかあるいは政府とか、あるいは教育者とか云うものが、総(すべ)て多数の人間を相手にしてそうして、何か事を手早く運び、手際(てぎわ)よく片づけようと云うためには、どうしたって統一と云う事と、組織と云う事と、秩序と云う事を真向(まっこう)に振翳(ふりかざ)さなければできない話である。例えば実業家が事業をする。そのために人夫を百人雇う。職工を千人雇う。そうして彼らの間に規律と云うものが無かったならば、――彼らのうちには今日は頭が痛いから休むというものもできようし、朝の七時からは厭(いや)だからおれは午後から出るとわがままを云うものもできようし、あるいは今日は少し早く切り上げて寄席(よせ)へ行くとか、あるいは今日は朝出がけに酒を飲むんだとか各々勝手な事を、ばらばらに行動されてはせっかく一箇月でできる事業も一年かかるか二年かかるか見込が立たなくなります。けれどもどうでしょうこういう軍人教育者実業家などが公務をしまって家へ帰ってさあこれからがおれの身体(からだ)だという場合に、やはり同じような窮屈極まる生活に甘んずるでしょうか。人によっては寝食の時間など大変規則正しい人もあるかも知れないが、原則から云えば楽に自由な骨休めをしたいと願いまたできるだけその呑気主義を実行するのが一般の習慣であります。すると彼らには明かに背馳(はいち)した両面の生活がある事になる。業務についた自分と業務を離れた自分とはどう見たって矛盾である。しかしこの矛盾は生活の性質から出るやむをえざる矛盾だから、形式から云えばいかにも矛盾のようであるけれども、実際の内面生活から云えばかく二様になる方がかえって本来の調和であって、無理にそれを片づけようとするならばそれこそ真の矛盾に陥(おちい)る訳じゃなかろうかと思います。なぜというと、一つは人を支配するための生活で、一つは自分の嗜慾(しよく)を満足させるための生活なのだから、意味が全く違う。意味が違えば様子も違うのがもっともだといったような話であります。反対の例を挙(あ)げて今度は同じ事を逆に説明してみましょう。世間には芸術家という一種の職業がある。これはすこぶる気まぐれ商売で、共同的にはけっして仕事ができない性質のものであります。幾らやかましい小言(こごと)を云われても個人的にこつこつやって行くのが原則になっています。しかもその個人が気の向いた時でなければけっして働けない。また働かないというはなはだわがままな自己本位の家業になっている。だから朝七時から十二時まで働かなければならないという秩序や組織や順序があったところで、それだけ手際(てぎわ)の良い仕事はできるものでない。すなわち自分の気の向いた時にやったものが一番気の乗った製作となって現われる。したがって芸術家に対しては今申した資本家教育者などの執務ぶりや授業ぶりはあてはまらない。がその個人的に出来上った芸術家でも、彼ら同業者の利益を団体として保護するためには、会なり倶楽部(クラブ)なり、組合なりを組織して、規則その他の束縛を受ける必要ができてくる。彼らの或者は今現にこれを実行しつつある。してみれば放縦不羈(ほうじゅうふき)を生命とする芸術家ですらも時と場合には組織立った会を起し、秩序ある行動を取り、統一のある機関を備えるのである。私はこれを生活の両面に伴う調和と名づけて、けっして矛盾の名を下したくない。矛盾には違なかろうがそれは単に形式上の矛盾であって内面の消息から云えばかえって生活の融合なのである。  ここに学者なるものがあって、突然声を大にして、それは明かに矛盾である、どっちか一方が善くって一方が悪いにきまっている、あるいは一方が一方より小さくて一方が大きいに違いないから、一纏(ひとまと)めにしてモッと大きなもので括(くく)らなければならないと云ったならば、この学者は統一好きな学者の精神はあるにもかかわらず、実際には疎(うと)い人と云わなければならない。現にオイケンと云う人の著述を数多くは読んでおりませんが、私の読んだ限りで云えば、こんな非難を加えることができるようにも思います。こう論じてくると何だか学者は無用の長物のようにも見えるでしょうが私はけっしてそんな過激の説を抱(いだ)いているものではありません。学者は無論有益のものであります。学者のやる統一、概括と云うものの御蔭(おかげ)で我々は日常どのくらい便宜(べんぎ)を得ているか分りません。前に挙(あ)げた進化論と云う三字の言葉だけでも大変重宝なものであります。しかしながら彼ら学者にはすべてを統一したいという念が強いために、出来得る限り何(なん)でもかでも統一しようとあせる結果、また学者の常態として冷然たる傍観者の地位に立つ場合が多いため、ただ形式だけの統一で中味の統一にも何にもならない纏(まと)め方(かた)をして得意になる事も少なくないのは争うべからざる事実であると私は断言したいのです。  冷然たる傍観者の態度がなぜにこの弊を醸(かも)すかとの御質問があるなら私はこう説明したい。ちょっと考えると、彼らは常人より判明(はっきり)した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏(まと)めたものに間違はないはずだと、こういうことになりますが、彼らは彼らの取扱う材料から一歩退(しりぞ)いて佇立(たたず)む癖がある。云い換えれば研究の対象をどこまでも自分から離して眼の前に置こうとする。徹頭徹尾観察者である。観察者である以上は相手と同化する事はほとんど望めない。相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣が違う。幾ら科学者が綿密に自然を研究したって、必竟(ひっきょう)ずるに自然は元の自然で自分も元の自分で、けっして自分が自然に変化する時期が来ないごとく、哲学者の研究もまた永久局外者としての研究で当の相手たる人間の性情に共通の脈を打たしていない場合が多い。学校の倫理の先生が幾ら偉い事を言ったって、つまり生徒は生徒、自分は自分と離れているから生徒の動作だけを形式的に研究する事はできても、事実生徒になって考える事は覚束(おぼつか)ないのと一般である。傍観者と云うものは岡目八目とも云い、当局者は迷うと云う諺(ことわざ)さえあるくらいだから、冷静に構える便宜があって観察する事物がよく分る地位には違ありませんが、その分り方は要するに自分の事が自分に分るのとは大いに趣を異にしている。こういう分り方で纏(まと)め上げたものは器械的に流れやすいのは当然でありましょう。換言すれば形式の上ではよく纏まるけれども、中味から云うといっこう纏っていないというような場合が出て来るのであります。がつまり外からして観察をして相手を離れてその形をきめるだけで内部へ入り込んでその裏面の活動からして自(おのず)から出る形式を捉(とら)え得ないという事になるのです。  これに反して自(みず)から活動しているものはその活動の形式が明かに自分の頭に纏って出て来ないかも知れない代りに、観察者の態度を維持しがちの学者のように表面上の矛盾などを無理に纏めようとする弊害には陥る憂(うれい)がない。さきほどオイケンの批評をやって形式上の矛盾を中味の矛盾と取り違えて是非纏めようとするは迂濶(うかつ)だと云って非難しましたが、あの例にしてからが、もしオイケン自身がこの矛盾のごとく見える生活の両面を親しく体現して、一方では秩序を重んじ一方では開放の必要を同時に感じていたならば、たとい形式上こういう結論に到着したところで、どうも変だどこかに手落があるはずだとまず自(みず)から疑いを起して内省もし得たろうと思うのです。いくら哲学的でも、概括的でも、自分の生活に親しみのない以上は、この概括をあえてすると同時にハテおかしいぞ変だなと勘づかなければなりません。勘づいて内省の結果だんだん分解の歩を進めて見ると、なるほど形式の方にはそれだけの手落があり、抜目があると云うことが判然して来るべきです。だからして中味を持っているものすなわち実生活の経験を甞(な)めているものはその実生活がいかなる形式になるかよく考える暇さえないかも知れないけれども、内容だけはたしかに体得しているし、また外形を纏める人は、誠に綺麗(きれい)に手際(てぎわ)よく纏めるかも知れぬけれども、どこかに手落があり勝である。ちょうど文法というものを中学の生徒などが習いますが、文法を習ったからといってそれがため会話が上手にはなれず、文法は不得意でも話は達者にもやれる通弁などいうものもあって、その方が実際役に立つと同じ事です。同じような例ですが歌を作る規則を知っているから、和歌が上手だと云ったらおかしいでしょう、上手の作った歌がその内に自然と歌の規則を含んでいるのでしょう。文法家に名文家なく、歌の規則などを研究する人に歌人が乏しいとはよく人のいうところですが、もしそうするとせっかく拵(こしら)えた文法に妙に融通の利(き)かない杓子定規(しゃくしじょうぎ)のところができたり、また苦心して纏めた歌の法則も時には好い歌を殺す道具になるように、実地の生活の波濤(はとう)をもぐって来ない学者の概括は中味の性質に頓着(とんじゃく)なくただ形式的に纏めたような弱点が出てくるのもやむをえない訳であります。なおこの理を適切に申しますと、幾ら形と云うものがはっきり頭に分っておっても、どれほどこうならなければならぬという確信があっても、単に形式の上でのみ纏っているだけで、事実それを実現して見ないときには、いつでも不安心のものであります。それはあなた方(がた)の御経験でも分りましょう。四五年前日露戦争と云うものがありました。露西亜(ロシア)と日本とどっちが勝つかというずいぶんな大戦争でありました。日本の国是(こくぜ)はつまり開戦説で、とうとうあの露西亜と戦をして勝ちましたが、あの戦を開いたのはけっして無謀にやったのではありますまい。必ず相当の論拠があり、研究もあって、露西亜の兵隊が何万満洲へ繰出(くりだ)すうちには、日本ではこれだけ繰出せるとか、あるいは大砲は何門あるとか、兵糧(ひょうりょう)はどのくらいあるとか、軍資はどのくらいであるとかたいていの見込は立てたものでありましょう。見込が立たなければ戦争などはできるはずのものではありません。がその戦争をやる前、やる間際(まぎわ)、及びやりつつある間、どのくらい心配をしたか分らない。と云うのはいかに見込のちゃんと明かに立ったものにせよただ形式の上で纏(まとま)っただけでは不安でたまらないのであります。当初の計画通りを実行してそうして旨(うま)く見込に違わない成績をふり返って見て、なるほどと始めて合点(がてん)して納得(なっとく)の行ったような顔をするのは、いくら綺麗(きれい)に形だけが纏っていても実際の経験がそれを証拠立ててくれない以上は大いに心細いのであります。つまり外形というものはそれほどの強味がないという事に帰着するのです。近頃流行(はや)る飛行機でもその通りで、いろいろ学理的に考えた結果、こういう風(ふう)に羽翼(うよく)を附けてこういうように飛ばせば飛ばぬはずはないと見込がついた上でさて雛形(ひながた)を拵(こしら)えて飛ばして見ればはたして飛ぶ。飛ぶことは飛ぶので一応安心はするようなもののそれに自分が乗っていざという時飛べるかどうかとなると飛んで見ないうちはやっぱり不安心だろうと思います。学理通り飛行機が自分を乗せて動いてくれたところで、始めて形式に中味がピッタリ喰っついている事を証明するのだから、経験の裏書を得ない形式はいくら頭の中で完備していると認められても不完全な感じを与えるのであります。  して見ると、要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容ができるのではないと云う訳になる。もう一歩進めて云いますと、内容が変れば外形と云うものは自然の勢いで変って来なければならぬという理窟(りくつ)にもなる。傍観者の態度に甘んずる学者の局外の観察から成る規則法則乃至(ないし)すべての形式や型のために我々生活の内容が構造されるとなると少しく筋が逆になるので、我々の実際生活がむしろ彼ら学者(時によれば法律家と云っても政治家といっても教育家と云っても構いません。とにかく学者的態度で観察一方から形式を整える方面の人を指すのです)に向って研究の材料を与えその結果として一種の形式を彼らが抽象する事ができるのです。その形式が未来の実施上参考にならんとは限らんけれども本来から云えばどうしてもこれが原則でなければならない。しかるに今この順序主客を逆(さかさ)まにしてあらかじめ一種の形式を事実より前に備えておいて、その形式から我々の生活を割出そうとするならば、ある場合にはそこに大変な無理が出なければならない。しかもその無理を遂行しようとすれば、学校なら騒動が起る、一国では革命が起る。政治にせよ教育にせよあるいは会社にせよ、わが朝日社のごとき新聞にあってすらそうである。だから世間でもそう規則ずくめにされちゃたまらないとよく云います。規則や形式が悪いのじゃない。その規則をあてはめられる人間の内面生活は自然に一つの規則を布衍(ふえん)している事は前(ぜん)申し上げた説明ですでに明かな事実なのだから、その内面生活と根本義において牴触(ていしょく)しない規則を抽象して標榜(ひょうぼう)しなくては長持がしない。いたずらに外部から観察して綺麗(きれい)に纏(まと)め上げた規則をさし突けてこれは学者の拵(こしら)えたものだから間違はないと思ってはかえって間違になるのです。  お前の云う通りにすると、大変おかしいことがある。例えて見れば芝居の型だ。また音楽の型とも云うべき譜である。または謡曲のごま節や何かのようなものである。これらにはすべて一定の型があって、その形式をまず手本にしてかえって形式の内容をかたちづくる声とか身ぶりとか云う方をこの型にあて嵌(はま)るように拵(こし)らえて行くではないか。そうしてその声なり身ぶりなりが自然と安らかに毫(ごう)も不満を感ぜずに示された型通り旨(うま)く合うように練習の結果としてできるではないか。あるいは旧派の芝居を見ても、能の仕草を見ても、ここで足をこのくらい前へ出すとか、また手をこのくらい上へ挙(あ)げると一々型の通りにして、しかも自分の活力をそこに打込んで少しも困らないではないか。型を手本に与えておいてその中に精神を打ち込んで働けない法はない。とこういう人があるかも知れない。けれどもこういう場合にはこの型なり形式なりの盛らるべき実質、すなわち音楽で云えば声、芝居で云えば手足などだが、これらの実質はいつも一様に働き得る、いわば変化のないものと見ての話であります。もし形式の中に盛らるべき内容の性質に変化を来すならば、昔の型が今日の型として行わるべきはずのものではない、昔の譜が今日に通用して行くはずはないのであります。例えて見れば人間の声が鳥の声に変化したらどうしたって今日(こんにち)までの音楽の譜は通用しない。四肢胸腰(ししきょうよう)の運動だっても人間の体質や構造に今までとは違ったところができて筋肉の働き方が一筋間違ってきたって、従来の能の型などは崩(くず)れなければならないでしょう。人間の思想やその思想に伴って推移する感情も石や土と同じように、古今永久変らないものと看做(みな)したなら一定不変の型の中に押込めて教育する事もできるし支配する事も容易でしょう。現に封建時代の平民と云うものが、どのくらい長い間一種の型の中に窮屈に身を縮(ちぢ)めて、辛抱しつつ、これは自分の天性に合った型だと認めておったか知れません。仏蘭西(フランス)の革命の時に、バステユと云う牢屋を打壊(うちこわ)して中から罪人を引出してやったら、喜こぶと思いのほか、かえって日の眼を見るのを恐れて、依然として暗い中に這入(はい)っていたがったという話があります。ちょっとおかしな話であるが、日本でも乞食を三日すれば忘れられないと云いますからあるいは本当かも知れません。乞食の型とか牢屋の型とか云うのも妙な言葉ですが、長い年月の間には人間本来の傾向もそういう風に矯(た)めることができないとも限りません。こんな例ばかり見れば既成の型でどこまでも押して行けるという結論にもなりましょうが、それならなぜ徳川氏が亡(ほろ)びて、維新の革命がどうして起ったか。つまり一つの型を永久に持続する事を中味の方で拒(こば)むからなんでしょう。なるほど一時は在来の型で抑(おさ)えられるかも知れないが、どうしたって内容に伴(つ)れ添(そ)わない形式はいつか爆発しなければならぬと見るのが穏当で合理的な見解であると思う。  元来この型そのものが、何のために存在の権利を持っているかというと、前にもお話した通り内容実質を内面の生活上経験することができないにもかかわらずどうでも纏(まと)めて一括(ひとくく)りにしておきたいという念にほかならんので、会社の決算とか学校の点数と同じように表の上で早呑込(はやのみこみ)をする一種の智識慾、もしくは実際上の便宜のためにほかならんのでありますから、厳密な意味でいうと、型自身が独立して自然に存在する訳のものではない。例えばここに茶碗がある。茶碗の恰好(かっこう)といえば誰にでも分るが、その恰好(かっこう)だけを残して実質を取り去ろうとすれば、とうてい取り去る事はできない。実質を取れば形も無くなってしまう。強(し)いて形を存しようとすればただ想像的な抽象物として頭の中に残っているだけである。ちょうど家を造るために図面を引くと一般で、八畳、十畳、床の間と云うように仕切はついていても図面はどこまでも図面で、家としては存在できないにきまっている。要するに図面は家の形式なのである。したがっていくら形式を拵(こしら)えてもそれを構成する物質次第では思いのままの家はできかぬるかも知れないのです。いわんや活(い)きた人間、変化のある人間と云うものは、そう一定不変の型で支配されるはずがない。政(まつりごと)をなす人とか、教育をする人とかは無論、総(すべ)て多くの人を統御(とうぎょ)していこうと云う人も無論、個人が個人と交渉する場合に在(あ)ってすら型は必要なものである。会う時にお時儀(じぎ)をするとか手を握るとか云う型がなければ、社交は成立しない事さえある。けれども相手が物質でない以上は、すなわち動くものである以上は、種々の変化を受ける以上は、時と場合に応じて無理のない型を拵えてやらなければとうていこっちの要求通りに運ぶ訳のものではない。  そこで現今日本の社会状態と云うものはどうかと考えてみると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴(つ)れて我々の内面生活と云うものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元のままに据(す)えておいて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。我々が自分の娘もしくは妻に対する関係の上において御維新前と今日とはどのくらい違うかと云うことを、あなた方(がた)が御認めになったならば、この辺の消息はすぐ御分りになるでしょう。要するにかくのごとき社会を総(す)べる形式というものはどうしても変えなければ社会が動いて行かない。乱れる、纏(まと)まらないということに帰着するだろうと思う。自分の妻女に対してさえも前(ぜん)申した通りである。否わが家(や)の下女に対しても昔とは趣きが違うならば、教育者が一般の学生に向い、政府が一般の人民に対するのも無論手心がなければならないはずである。内容の変化に注意もなく頓着(とんじゃく)もなく、一定不変の型を立てて、そうしてその型はただ在来あるからという意味で、またその型を自分が好いているというだけで、そうして傍観者たる学者のような態度をもって、相手の生活の内容に自分が触れることなしに推(お)していったならば危ない。  一言にして云えば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形造るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです。この頃は個人主義がどうであるとか、自然派の小説がどうであるとか云って、はなはだやかましいけれども、こういう現象が出て来るのは、皆我々の生活の内容が昔と自然に違って来たと云う証拠であって、在来の型と或る意味でどこかしらで衝突するために、昔の型を守ろうと云う人は、それを押潰(おしつぶ)そうとするし、生活の内容に依って自分自身の型を造ろうと云う人は、それに反抗すると云うような場合が大変ありはしないかと思うのです。ちょうど音楽の譜で、声を譜の中に押込めて、声自身がいかに自由に発現しても、その型に背(そむ)かないで行雲流水と同じく極(きわ)めて自然に流れると一般に、我々も一種の型を社会に与えて、その型を社会の人に則(のっと)らしめて、無理がなく行くものか、あるいはここで大いに考えなければならぬものかと云うことは、あなた方の問題でもあり、また一般の人の問題でもあるし、最も多く人を教育する人、最も多く人を支配する人の問題でもある。我々は現に社会の一人である以上、親ともなり子ともなり、朋友(ほうゆう)ともなり、同時に市民であって、政府からも支配され、教育も受けまた或る意味では教育もしなければならない身体(からだ)である。その辺の事をよく考えて、そうして相手の心理状態と自分とピッタリと合せるようにして、傍観者でなく、若い人などの心持にも立入って、その人に適当であり、また自分にももっともだと云うような形式を与えて教育をし、また支配して行かなければならぬ時節ではないかと思われるし、また受身の方から云えばかくのごとき新らしい形式で取扱われなければ一種云うべからざる苦痛を感ずるだろうと考えるのです。  中味と形式と云うことについて、なぜお話をしたかと云うと、以上のような訳でこの問題について我々が考うべき必要があるように思ったからであります。それを具体的にどう現わしてよいかと云うことは、諸君の御判断であります。下らぬことをだいぶ長く述べ立てまして御気の毒です。だいぶ御疲れでしょう。最後まで静粛に御聴き下すったのは講演者として深く謝するところであります。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月に刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 1999年12月1日公開 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 夏目漱石 中味と形式 ――明治四十四年八月堺において述―― 中味と形式 ――明治四十四年八月堺において述―― 夏目漱石  私はこの地方にいるものではありません、東京の方に平生住っております。今度大阪の社の方で講演会を諸所で開きますについて、助勢をしろという命令――だか通知だか依頼だかとにかく催しに参加しなければならないような相談を受けました。それでわざわざ出て参りました。もっともこの堺だけで御話をしてすぐ東京表へ立ち帰るという訳でもないので、現に明石の方へ行きましたり、和歌山の方へ参りましたり、明日はまた大阪でやる手順になっております。無論話すことさえあれば、どこへ行って何をやっても差支ないはずですが、暑中の際そうそう身体も続きませぬから、好い加減のところで断りたいと思っております。しかしこの堺は当初からの約束で是非何か講話をすべきはずになっておりましたから私の方もそれは覚悟の上で参りました。したがってしっかりした御話らしい御話をしなければならない訳でありますが、どうもそう旨く行かないからはなはだ御気の毒です。ただいまは高原君が樺太旅行談つけたり海豹島などの話をされましたが実地の見聞談で誠に有益でもあり、かつ面白く聴いておりました。私のは諸君に興味または利益を与えるという点において、とても高原君ほどに参りませぬ。高原君は御覧の通りフロックコートを着ておりましたが、私はこの通り背広で御免蒙るような訳で、御話の面白さもまたこの服装の相違くらい懸隔しているかも知れませんから、まずその辺のところと思って辛抱してお聴きを願います。高原君はしきりに聴衆諸君に向って厭になったら遠慮なく途中で御帰りなさいと云われたようですが私は厭になっても是非聴いていていただきたいので、その代り高原君ほど長くはやりません。この暑いのにそう長くやっては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですからできるだけ縮めてさっさと片づけますから、その間は帰らずに、暑くても我慢をして、終った時に拍手喝采をして、そうしてめでたく閉会をして下さい。  私は先年堺へ来たことがあります。これはよほど前私がまだ書生時代の事で、明治二十何年になりますか、何でもよほど久しい事のように記憶しております。実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派なお弟子を持っているくらいでありますから、私もよほど年を取りました。その私がまだ若い時の事ですからまあ昔といっても宜しゅうございましょう。今考えるとほとんどその時に見た堺の記憶と云うものはありませんが、何でも妙国寺と云うお寺へ行って蘇鉄を探したように覚えております。それからその御寺の傍に小刀や庖丁を売る店があって記念のためちょっとした刃物をそこで求めたようにも覚えています。それから海岸へ行ったら大きな料理店があったようにも記憶しています。その料理店の名はたしか一力とか云いました。すべてがぼんやりして思い出すとまるで夢のようであります。その夢のような堺へ今日図らずも来て再び昔の町を車に揺られながら通ってみると非常に広いような心持がする。停車場からこの会場までの道程も大分ある。こう申しては失礼であるが昔見た時はごくケチな所であったかのようにしか、頭に映じないのであります。それで車の上で感服したような驚いたような顔をして、きょろきょろ見廻して来ると所々の辻々に講演の看板と云いますか、広告と云いますか、夏目漱石君などと云うような名前が墨黒々と書いて壁に貼りつけてある。何だか雲右衛門か何かが興行のため乗り込んだようである。社の方から云えばあの方がよいのでしょうが、夏目漱石氏から云えばああ曝しものになるのはあまりありがたくない。なお車の上で観察すると往来の幅がはなはだ狭い。がそれは問題ではない、私の妙に感じたのはその細い往来がヒッソリして非常に静かに昼寝でもしているように見えた事であります。もっとも夏の真午だからあまり人が戸外に出る必要のない時間だったのでしょう、私がここに着いたのはちょうど十二時少し過でありました。二階へ上って長い廊下のはずれに見える会場の入口から中の方を見渡すと、少し人の頭が黒く見えたぐらいで、市内がヒッソリしているごとく聴衆もまたヒッソリしている。これは幸いだ――とは思いません、また困ったとまでも思いません。けれどもまあ不入りだろうと考えながら控席へ入って休息していると、いつの間にやらこんなに人が集って来た。この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推すと堺と云う所はけっして吝な所ではない、偉い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だろうと思われる。私もせっかく東京からわざわざ出て来たものでありますから、なろうことならば講演趣味の最も発達した堺のような所で、一度でも講演をすれば誠に心持がよい。だから諸君もその志を諒として、終いまで静粛にお聴きにならんことを希望します。このくらいにしてここに張り出した「中味と形式」という題にでも移りますかな。  第一、題からしてあまり面白そうには見えません。中味は無論つまらなそうです。私は学会の演説は時々依頼を受けてやる事がありますが、こう云う公衆、すなわち種々の職業をもった方がお集まりになった席ではあまり御話をした経験がありません。また頼みにも来ません。頼まれてもたいていは断ります。と申すのは種々の職業をもっておられる方々の総てに興味のあるようなことは、私の研究の範囲、あるいは興味の範囲からしてとても力に及ばないという掛念があるからです。でなるべくは避けておりますが、やむをえず今日のような場合には、できるだけ一般の人に興味のあるために、社会問題と云うようなものを択みます。けれどもその社会の見方とかあるいは人間の観察の仕方とかがまた自然私の今日までやった学問やら研究に煩わされてどうも好きな方ばかりへ傾きやすいのは免かれがたいところでありますから、職業の如何、興味の如何に依っては、誠に面白くない駄弁に始って下らない饒舌に終ることだろうと思うのです。のみならずこれからやる中味と形式という問題が今申した通りあまり乾燥して光沢気の乏しいみだしなのでことさら懸念をいたします。が言訳はこのくらいでたくさんでしょうからそろそろ先へ進みましょう。  私は家に子供がたくさんおります。女が五人に男が二人、〆めて七人、それで一番上の子供が十三ですから赤ん坊に至るまでズッと順よく並んでまあ体裁よく揃っております。それはどうでも宜しいがかように子供が多うございますから、時々いろいろの請求を受けます。跳ねる馬を買ってくれとか動く電車を買ってくれとかいろいろ強請られるうちに、活動写真へ連れて行けと云う注文が折々出ます。元来私は活動写真と云うものをあまり好きません。どうも芝居の真似などをしたり変な声色を使ったりして厭気のさすものです。その上何ぞというと擲ったり蹴飛したり惨酷な写真を入れるので子供の教育上はなはだ宜しくないからなるべくやりたくないのですが、子供の方ではしきりに行きたかがるので――もっとも活動写真と云ったって必ず女が出て来て妙な科をするとはきまっていない、中には馬鹿気て滑稽なのもたくさんありますから子供の見たがるのも無理ではないかも知れません。で三度に一度は頑固な私もつい連れ出される事があります。監督者と云いますか、何と云いますか、まず案内者あるいはお傅とでも云う格なんでしょう。暑い所へ入って鼻の頭へ汗の玉を並べて我慢をして動かずにいる事があります。すると子供からよく質問を受けて弱るのです。もっとも滑稽物や何かで帽子を飛ばして町内中逐かけて行くと云ったような仕草は、ただそのままのおかしみで子供だって見ていさえすれば分りますから質問の出る訳もありませんが、人情物、芝居がかった続き物になると時々聞かれます。その問ははなはだ簡単でただ何方が善人で何方が悪人かと云うだけなんです。私から云えば何方も人間にはなっていない、善人にも悪人にもなっておらない。よしなっていたって、幼稚にしろ筋は子供の頭より込入っているからそう一口に判断を下してやる訳には行かない。それでどうも迷児つかされる事がたびたび出て来るのです。大人から云えば、ただ見ていて事件の進行と筋の運び方さえ腑に落ちればそれですむのですけれども、悲しいかな子供にはそれほど一部始終を呑み込む頭がない。と云ってただ茫然と幕に映る人物の影がしきりに活動するのを眺めている訳にも行かない。どうかしてこの込み入った画の配合や人間の立ち廻りを鷲抓みに引っくるめてその特色を最も簡明な形式で頭へ入れたいについてはすでに幼稚な頭の中に幾分でも髣髴できる倫理上の二大性質――善か悪かを取りきめてこの錯雑した光景を締め括りたい希望からこういう質問をかけるものと思われます。活動写真はまだよい。ところがお伽噺や歴史の本などを見て、昔の英雄などについてやはり同様に簡単な質問をかけられる事がある。太閤様と正成とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山と弁慶と相撲を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏め得る程度以上に纏めた簡略な形式にして見せろと逼られるのだから困ります。もっとも近来は小学校などでも生徒に問題を出して日本の現代の人物中で誰が一番偉いかなどと聞く先生がある。この間私が或る地方へ行ったらある新聞でそういう問題を出して小学生徒から答案の投書を募っていました。その中で自分の叔父さんが一番偉いという答を寄こしたのがあると聞いてはなはだ面白く感じました。自分の親父が天下一の人物だなどは至極好い了見で結構です。それは余事であるが、とにかく先生や新聞などからして、日本にたった一人偉い人があって、その人は甲にも乙にも丙にも凌駕しているからあててみろというような数学的の問題を出す世の中だから子供から質問が出るのも無理はない。しかし困ります。楠正成と豊臣秀吉とどっちが偉いと云うが、見方でいろいろな結論もできるし、そう白でなければ黒といった風に手早く相場をつける訳にも行かないし、要するに複雑な智識があればあるほど面喰うようになります。  こんな例を御話しするのはただ馬鹿らしいから御笑草に御聞きに入れるまでの事だと御思いになるかも知れんが、実はそうではない。こう批評して見るとなるほど子供は幼稚で気の毒なものだとしかとれませんが、その幼稚で気の毒の事を大人たる我々があえてしているのだからはなはだ情ない次第で、私は大人として子供はかくのごとくたわいないものだという証拠に自分の娘や何かを例に引いたのではなく、かえって大人もまたこの例に洩れぬ迂愚なものだという事を証明したいと思ってちょっと分りやすい小児を例に用いたのであります。すべて政治家なり文学者なりあるいは実業家なりを比較する場合に誰より誰の方が偉いとか優っているとか云って、一概に上下の区別を立てようとするのはたいていの場合においてその道に暗い素人のやる事であります。専門の智識が豊かでよく事情が精しく分っていると、そう手短かに纏めた批評を頭の中に貯えて安心する必要もなく、また批評をしようとすれば複雑な関係が頭に明暸に出てくるからなかなか「甲より乙が偉い」という簡潔な形式によって判断が浮んで来ないのであります。幼稚な智識をもった者、没分暁漢あるいは門外漢になると知らぬ事を知らないですましているのが至当であり、また本人もそのつもりで平気でいるのでしょうが、どうも処世上の便宜からそう無頓着でいにくくなる場合があるのと、一つは物数奇にせよ問題の要点だけは胸に畳み込んでおく方が心丈夫なので、とかく最後の判断のみを要求したがります。さてその最後の判断と云えば善悪とか優劣とかそう範疇はたくさんないのですが無理にもこの尺度に合うようにどんな複雑なものでも委細御構なく切り約められるものと仮定してかかるのであります。中味は込入っていて眼がちらちらするだけだからせめて締括った総勘定だけ知りたいと云うなら、まだ穏当な点もあるが、どんな動物を見ても要するにこれは牛かい馬かい牛馬一点張りですべて四つ足を品隲されては大分無理ができる。門外漢というものはこの無理に気がつかない、また気がついても構わない。どんな無理な判断でも与えてくれさえすれば安心する。だからお上でも高等官一等を拵えてみたり、二等を拵えてみたり、あるいは学士、博士を拵えてみたりして門外漢に対して便宜を与え、一種の締括りある二字か三字の記号を本来の区別と心得て満足する連中に安慰を与えている。以上を一口にして云えば物の内容を知り尽した人間、中味の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式を喜ばない傾があるが、門外漢になると中味が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる、そうしてその形式がいかにその物を現すに不適当であっても何でも構わずに一種の智識として尊重すると云う事になるのであります。  これは複雑の事を簡略の例で御話をするのでありますから、そのつもりでお聴きを願いますが、ここに一つの平面があって、それに他の平面が交叉しているとすると、この二つの平面の関係は何で示すかというと、申すまでもなくその両面の喰違った角度である。どっちが高いのでもないどっちが低いのでもない。三十度の角度をなしているとか、六十度の角度をなしているとか云えば極めて明暸でそれより以外に説明する事も質問する事も何にもないのであります。それをこの二面がいつでも偶然平らに並行でもしているかのごとき了見で、全体どっちが高いのですと聞かなければ承知ができないのは痛み入ります。人間と人間、事件と事件が衝突したり、捲き合ったり、ぐるぐる回転したりする時その優劣上下が明かに分るような性質程度で、その成行が比較さえできればいい訳だが、惜しい哉この比較をするだけの材料、比較をするだけの頭、纏めるだけの根気がないために、すなわち門外漢であるがために、どうしても角度を知ることができないために、上下とか優劣とか持ち合せの定規で間に合せたくなるのは今申す通り門外漢の通弊でありますが、私の見るところでは豈独り門外漢のみならんやで、専門の学者もまたそう威張れた義理でもないような概括をして平気でいるのだから驚かれるのです。  学者と云うものは、いろいろの事実を集めて法則を作ったり概括を致します。あるいは何主義とか号してその主義を一纏めに致します。これは科学にあっても哲学にあっても必要の事であり、また便宜な事で誰しもそれに異存のあるはずはございません。例えば進化論とか、勢力保存とか云うとその言葉自身が必要であるばかりでなく、実際の事実の上において役に立っています。けれども悪くすると前申した子供や門外漢と同じように、内容にあまり合わない形式を拵えてただ表面上の纏りで満足している事が往々あるように思います。この間私は或学者の書いた本を読みました。それはオイケンと云って、近頃独逸で、有名な学者の著わしたものであります。もっともたくさんの著述のうちでごく短かい一冊を読んだだけでありますが、とにかくその人の説の中にこういう事が書いてありました。現代の人はしきりに自由とか開放とかいうような事を主張する。同時に秩序とか組織とか云うものを要求している。一方では束縛を解いて自由にして貰わなければたまらないと云っていながら、一方では(例えば資本家というようなものが)秩序とか組織を立てなければ事業が発展しないと騒いでいる。が、この二つの要求を較べると明かに矛盾である。――ここまでは宜しいのです。しかしオイケンはこの矛盾はどっちかに片づけなければならず、また片づけらるべきものであるかのごとき語気で論じていたように記憶していますが――すなわちそういうように相反する事を同時に唱えておっては矛盾だから、モッと一纏めにして、意味のある生活を人がやって行かなければならぬというような事を言うのです。ですがあなた方はまあどうお考えになりますか。オイケンの云う通りでよいと御思いですか、はたしてこの矛盾が一纏めになるものとお思いになりますか。また明かに矛盾しているというお考えでありますか。あなた方にこんな質問をかけたってつまらない、また掛ける必要もありません。が私はどう考えてもオイケンの説は無理だと思うのです。なぜ無理だと言いますと、資本家とかあるいは政府とか、あるいは教育者とか云うものが、総て多数の人間を相手にしてそうして、何か事を手早く運び、手際よく片づけようと云うためには、どうしたって統一と云う事と、組織と云う事と、秩序と云う事を真向に振翳さなければできない話である。例えば実業家が事業をする。そのために人夫を百人雇う。職工を千人雇う。そうして彼らの間に規律と云うものが無かったならば、――彼らのうちには今日は頭が痛いから休むというものもできようし、朝の七時からは厭だからおれは午後から出るとわがままを云うものもできようし、あるいは今日は少し早く切り上げて寄席へ行くとか、あるいは今日は朝出がけに酒を飲むんだとか各々勝手な事を、ばらばらに行動されてはせっかく一箇月でできる事業も一年かかるか二年かかるか見込が立たなくなります。けれどもどうでしょうこういう軍人教育者実業家などが公務をしまって家へ帰ってさあこれからがおれの身体だという場合に、やはり同じような窮屈極まる生活に甘んずるでしょうか。人によっては寝食の時間など大変規則正しい人もあるかも知れないが、原則から云えば楽に自由な骨休めをしたいと願いまたできるだけその呑気主義を実行するのが一般の習慣であります。すると彼らには明かに背馳した両面の生活がある事になる。業務についた自分と業務を離れた自分とはどう見たって矛盾である。しかしこの矛盾は生活の性質から出るやむをえざる矛盾だから、形式から云えばいかにも矛盾のようであるけれども、実際の内面生活から云えばかく二様になる方がかえって本来の調和であって、無理にそれを片づけようとするならばそれこそ真の矛盾に陥る訳じゃなかろうかと思います。なぜというと、一つは人を支配するための生活で、一つは自分の嗜慾を満足させるための生活なのだから、意味が全く違う。意味が違えば様子も違うのがもっともだといったような話であります。反対の例を挙げて今度は同じ事を逆に説明してみましょう。世間には芸術家という一種の職業がある。これはすこぶる気まぐれ商売で、共同的にはけっして仕事ができない性質のものであります。幾らやかましい小言を云われても個人的にこつこつやって行くのが原則になっています。しかもその個人が気の向いた時でなければけっして働けない。また働かないというはなはだわがままな自己本位の家業になっている。だから朝七時から十二時まで働かなければならないという秩序や組織や順序があったところで、それだけ手際の良い仕事はできるものでない。すなわち自分の気の向いた時にやったものが一番気の乗った製作となって現われる。したがって芸術家に対しては今申した資本家教育者などの執務ぶりや授業ぶりはあてはまらない。がその個人的に出来上った芸術家でも、彼ら同業者の利益を団体として保護するためには、会なり倶楽部なり、組合なりを組織して、規則その他の束縛を受ける必要ができてくる。彼らの或者は今現にこれを実行しつつある。してみれば放縦不羈を生命とする芸術家ですらも時と場合には組織立った会を起し、秩序ある行動を取り、統一のある機関を備えるのである。私はこれを生活の両面に伴う調和と名づけて、けっして矛盾の名を下したくない。矛盾には違なかろうがそれは単に形式上の矛盾であって内面の消息から云えばかえって生活の融合なのである。  ここに学者なるものがあって、突然声を大にして、それは明かに矛盾である、どっちか一方が善くって一方が悪いにきまっている、あるいは一方が一方より小さくて一方が大きいに違いないから、一纏めにしてモッと大きなもので括らなければならないと云ったならば、この学者は統一好きな学者の精神はあるにもかかわらず、実際には疎い人と云わなければならない。現にオイケンと云う人の著述を数多くは読んでおりませんが、私の読んだ限りで云えば、こんな非難を加えることができるようにも思います。こう論じてくると何だか学者は無用の長物のようにも見えるでしょうが私はけっしてそんな過激の説を抱いているものではありません。学者は無論有益のものであります。学者のやる統一、概括と云うものの御蔭で我々は日常どのくらい便宜を得ているか分りません。前に挙げた進化論と云う三字の言葉だけでも大変重宝なものであります。しかしながら彼ら学者にはすべてを統一したいという念が強いために、出来得る限り何でもかでも統一しようとあせる結果、また学者の常態として冷然たる傍観者の地位に立つ場合が多いため、ただ形式だけの統一で中味の統一にも何にもならない纏め方をして得意になる事も少なくないのは争うべからざる事実であると私は断言したいのです。  冷然たる傍観者の態度がなぜにこの弊を醸すかとの御質問があるなら私はこう説明したい。ちょっと考えると、彼らは常人より判明した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏めたものに間違はないはずだと、こういうことになりますが、彼らは彼らの取扱う材料から一歩退いて佇立む癖がある。云い換えれば研究の対象をどこまでも自分から離して眼の前に置こうとする。徹頭徹尾観察者である。観察者である以上は相手と同化する事はほとんど望めない。相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣が違う。幾ら科学者が綿密に自然を研究したって、必竟ずるに自然は元の自然で自分も元の自分で、けっして自分が自然に変化する時期が来ないごとく、哲学者の研究もまた永久局外者としての研究で当の相手たる人間の性情に共通の脈を打たしていない場合が多い。学校の倫理の先生が幾ら偉い事を言ったって、つまり生徒は生徒、自分は自分と離れているから生徒の動作だけを形式的に研究する事はできても、事実生徒になって考える事は覚束ないのと一般である。傍観者と云うものは岡目八目とも云い、当局者は迷うと云う諺さえあるくらいだから、冷静に構える便宜があって観察する事物がよく分る地位には違ありませんが、その分り方は要するに自分の事が自分に分るのとは大いに趣を異にしている。こういう分り方で纏め上げたものは器械的に流れやすいのは当然でありましょう。換言すれば形式の上ではよく纏まるけれども、中味から云うといっこう纏っていないというような場合が出て来るのであります。がつまり外からして観察をして相手を離れてその形をきめるだけで内部へ入り込んでその裏面の活動からして自から出る形式を捉え得ないという事になるのです。  これに反して自から活動しているものはその活動の形式が明かに自分の頭に纏って出て来ないかも知れない代りに、観察者の態度を維持しがちの学者のように表面上の矛盾などを無理に纏めようとする弊害には陥る憂がない。さきほどオイケンの批評をやって形式上の矛盾を中味の矛盾と取り違えて是非纏めようとするは迂濶だと云って非難しましたが、あの例にしてからが、もしオイケン自身がこの矛盾のごとく見える生活の両面を親しく体現して、一方では秩序を重んじ一方では開放の必要を同時に感じていたならば、たとい形式上こういう結論に到着したところで、どうも変だどこかに手落があるはずだとまず自から疑いを起して内省もし得たろうと思うのです。いくら哲学的でも、概括的でも、自分の生活に親しみのない以上は、この概括をあえてすると同時にハテおかしいぞ変だなと勘づかなければなりません。勘づいて内省の結果だんだん分解の歩を進めて見ると、なるほど形式の方にはそれだけの手落があり、抜目があると云うことが判然して来るべきです。だからして中味を持っているものすなわち実生活の経験を甞めているものはその実生活がいかなる形式になるかよく考える暇さえないかも知れないけれども、内容だけはたしかに体得しているし、また外形を纏める人は、誠に綺麗に手際よく纏めるかも知れぬけれども、どこかに手落があり勝である。ちょうど文法というものを中学の生徒などが習いますが、文法を習ったからといってそれがため会話が上手にはなれず、文法は不得意でも話は達者にもやれる通弁などいうものもあって、その方が実際役に立つと同じ事です。同じような例ですが歌を作る規則を知っているから、和歌が上手だと云ったらおかしいでしょう、上手の作った歌がその内に自然と歌の規則を含んでいるのでしょう。文法家に名文家なく、歌の規則などを研究する人に歌人が乏しいとはよく人のいうところですが、もしそうするとせっかく拵えた文法に妙に融通の利かない杓子定規のところができたり、また苦心して纏めた歌の法則も時には好い歌を殺す道具になるように、実地の生活の波濤をもぐって来ない学者の概括は中味の性質に頓着なくただ形式的に纏めたような弱点が出てくるのもやむをえない訳であります。なおこの理を適切に申しますと、幾ら形と云うものがはっきり頭に分っておっても、どれほどこうならなければならぬという確信があっても、単に形式の上でのみ纏っているだけで、事実それを実現して見ないときには、いつでも不安心のものであります。それはあなた方の御経験でも分りましょう。四五年前日露戦争と云うものがありました。露西亜と日本とどっちが勝つかというずいぶんな大戦争でありました。日本の国是はつまり開戦説で、とうとうあの露西亜と戦をして勝ちましたが、あの戦を開いたのはけっして無謀にやったのではありますまい。必ず相当の論拠があり、研究もあって、露西亜の兵隊が何万満洲へ繰出すうちには、日本ではこれだけ繰出せるとか、あるいは大砲は何門あるとか、兵糧はどのくらいあるとか、軍資はどのくらいであるとかたいていの見込は立てたものでありましょう。見込が立たなければ戦争などはできるはずのものではありません。がその戦争をやる前、やる間際、及びやりつつある間、どのくらい心配をしたか分らない。と云うのはいかに見込のちゃんと明かに立ったものにせよただ形式の上で纏っただけでは不安でたまらないのであります。当初の計画通りを実行してそうして旨く見込に違わない成績をふり返って見て、なるほどと始めて合点して納得の行ったような顔をするのは、いくら綺麗に形だけが纏っていても実際の経験がそれを証拠立ててくれない以上は大いに心細いのであります。つまり外形というものはそれほどの強味がないという事に帰着するのです。近頃流行る飛行機でもその通りで、いろいろ学理的に考えた結果、こういう風に羽翼を附けてこういうように飛ばせば飛ばぬはずはないと見込がついた上でさて雛形を拵えて飛ばして見ればはたして飛ぶ。飛ぶことは飛ぶので一応安心はするようなもののそれに自分が乗っていざという時飛べるかどうかとなると飛んで見ないうちはやっぱり不安心だろうと思います。学理通り飛行機が自分を乗せて動いてくれたところで、始めて形式に中味がピッタリ喰っついている事を証明するのだから、経験の裏書を得ない形式はいくら頭の中で完備していると認められても不完全な感じを与えるのであります。  して見ると、要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容ができるのではないと云う訳になる。もう一歩進めて云いますと、内容が変れば外形と云うものは自然の勢いで変って来なければならぬという理窟にもなる。傍観者の態度に甘んずる学者の局外の観察から成る規則法則乃至すべての形式や型のために我々生活の内容が構造されるとなると少しく筋が逆になるので、我々の実際生活がむしろ彼ら学者(時によれば法律家と云っても政治家といっても教育家と云っても構いません。とにかく学者的態度で観察一方から形式を整える方面の人を指すのです)に向って研究の材料を与えその結果として一種の形式を彼らが抽象する事ができるのです。その形式が未来の実施上参考にならんとは限らんけれども本来から云えばどうしてもこれが原則でなければならない。しかるに今この順序主客を逆まにしてあらかじめ一種の形式を事実より前に備えておいて、その形式から我々の生活を割出そうとするならば、ある場合にはそこに大変な無理が出なければならない。しかもその無理を遂行しようとすれば、学校なら騒動が起る、一国では革命が起る。政治にせよ教育にせよあるいは会社にせよ、わが朝日社のごとき新聞にあってすらそうである。だから世間でもそう規則ずくめにされちゃたまらないとよく云います。規則や形式が悪いのじゃない。その規則をあてはめられる人間の内面生活は自然に一つの規則を布衍している事は前申し上げた説明ですでに明かな事実なのだから、その内面生活と根本義において牴触しない規則を抽象して標榜しなくては長持がしない。いたずらに外部から観察して綺麗に纏め上げた規則をさし突けてこれは学者の拵えたものだから間違はないと思ってはかえって間違になるのです。  お前の云う通りにすると、大変おかしいことがある。例えて見れば芝居の型だ。また音楽の型とも云うべき譜である。または謡曲のごま節や何かのようなものである。これらにはすべて一定の型があって、その形式をまず手本にしてかえって形式の内容をかたちづくる声とか身ぶりとか云う方をこの型にあて嵌るように拵らえて行くではないか。そうしてその声なり身ぶりなりが自然と安らかに毫も不満を感ぜずに示された型通り旨く合うように練習の結果としてできるではないか。あるいは旧派の芝居を見ても、能の仕草を見ても、ここで足をこのくらい前へ出すとか、また手をこのくらい上へ挙げると一々型の通りにして、しかも自分の活力をそこに打込んで少しも困らないではないか。型を手本に与えておいてその中に精神を打ち込んで働けない法はない。とこういう人があるかも知れない。けれどもこういう場合にはこの型なり形式なりの盛らるべき実質、すなわち音楽で云えば声、芝居で云えば手足などだが、これらの実質はいつも一様に働き得る、いわば変化のないものと見ての話であります。もし形式の中に盛らるべき内容の性質に変化を来すならば、昔の型が今日の型として行わるべきはずのものではない、昔の譜が今日に通用して行くはずはないのであります。例えて見れば人間の声が鳥の声に変化したらどうしたって今日までの音楽の譜は通用しない。四肢胸腰の運動だっても人間の体質や構造に今までとは違ったところができて筋肉の働き方が一筋間違ってきたって、従来の能の型などは崩れなければならないでしょう。人間の思想やその思想に伴って推移する感情も石や土と同じように、古今永久変らないものと看做したなら一定不変の型の中に押込めて教育する事もできるし支配する事も容易でしょう。現に封建時代の平民と云うものが、どのくらい長い間一種の型の中に窮屈に身を縮めて、辛抱しつつ、これは自分の天性に合った型だと認めておったか知れません。仏蘭西の革命の時に、バステユと云う牢屋を打壊して中から罪人を引出してやったら、喜こぶと思いのほか、かえって日の眼を見るのを恐れて、依然として暗い中に這入っていたがったという話があります。ちょっとおかしな話であるが、日本でも乞食を三日すれば忘れられないと云いますからあるいは本当かも知れません。乞食の型とか牢屋の型とか云うのも妙な言葉ですが、長い年月の間には人間本来の傾向もそういう風に矯めることができないとも限りません。こんな例ばかり見れば既成の型でどこまでも押して行けるという結論にもなりましょうが、それならなぜ徳川氏が亡びて、維新の革命がどうして起ったか。つまり一つの型を永久に持続する事を中味の方で拒むからなんでしょう。なるほど一時は在来の型で抑えられるかも知れないが、どうしたって内容に伴れ添わない形式はいつか爆発しなければならぬと見るのが穏当で合理的な見解であると思う。  元来この型そのものが、何のために存在の権利を持っているかというと、前にもお話した通り内容実質を内面の生活上経験することができないにもかかわらずどうでも纏めて一括りにしておきたいという念にほかならんので、会社の決算とか学校の点数と同じように表の上で早呑込をする一種の智識慾、もしくは実際上の便宜のためにほかならんのでありますから、厳密な意味でいうと、型自身が独立して自然に存在する訳のものではない。例えばここに茶碗がある。茶碗の恰好といえば誰にでも分るが、その恰好だけを残して実質を取り去ろうとすれば、とうてい取り去る事はできない。実質を取れば形も無くなってしまう。強いて形を存しようとすればただ想像的な抽象物として頭の中に残っているだけである。ちょうど家を造るために図面を引くと一般で、八畳、十畳、床の間と云うように仕切はついていても図面はどこまでも図面で、家としては存在できないにきまっている。要するに図面は家の形式なのである。したがっていくら形式を拵えてもそれを構成する物質次第では思いのままの家はできかぬるかも知れないのです。いわんや活きた人間、変化のある人間と云うものは、そう一定不変の型で支配されるはずがない。政をなす人とか、教育をする人とかは無論、総て多くの人を統御していこうと云う人も無論、個人が個人と交渉する場合に在ってすら型は必要なものである。会う時にお時儀をするとか手を握るとか云う型がなければ、社交は成立しない事さえある。けれども相手が物質でない以上は、すなわち動くものである以上は、種々の変化を受ける以上は、時と場合に応じて無理のない型を拵えてやらなければとうていこっちの要求通りに運ぶ訳のものではない。  そこで現今日本の社会状態と云うものはどうかと考えてみると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴れて我々の内面生活と云うものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元のままに据えておいて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。我々が自分の娘もしくは妻に対する関係の上において御維新前と今日とはどのくらい違うかと云うことを、あなた方が御認めになったならば、この辺の消息はすぐ御分りになるでしょう。要するにかくのごとき社会を総べる形式というものはどうしても変えなければ社会が動いて行かない。乱れる、纏まらないということに帰着するだろうと思う。自分の妻女に対してさえも前申した通りである。否わが家の下女に対しても昔とは趣きが違うならば、教育者が一般の学生に向い、政府が一般の人民に対するのも無論手心がなければならないはずである。内容の変化に注意もなく頓着もなく、一定不変の型を立てて、そうしてその型はただ在来あるからという意味で、またその型を自分が好いているというだけで、そうして傍観者たる学者のような態度をもって、相手の生活の内容に自分が触れることなしに推していったならば危ない。  一言にして云えば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形造るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです。この頃は個人主義がどうであるとか、自然派の小説がどうであるとか云って、はなはだやかましいけれども、こういう現象が出て来るのは、皆我々の生活の内容が昔と自然に違って来たと云う証拠であって、在来の型と或る意味でどこかしらで衝突するために、昔の型を守ろうと云う人は、それを押潰そうとするし、生活の内容に依って自分自身の型を造ろうと云う人は、それに反抗すると云うような場合が大変ありはしないかと思うのです。ちょうど音楽の譜で、声を譜の中に押込めて、声自身がいかに自由に発現しても、その型に背かないで行雲流水と同じく極めて自然に流れると一般に、我々も一種の型を社会に与えて、その型を社会の人に則らしめて、無理がなく行くものか、あるいはここで大いに考えなければならぬものかと云うことは、あなた方の問題でもあり、また一般の人の問題でもあるし、最も多く人を教育する人、最も多く人を支配する人の問題でもある。我々は現に社会の一人である以上、親ともなり子ともなり、朋友ともなり、同時に市民であって、政府からも支配され、教育も受けまた或る意味では教育もしなければならない身体である。その辺の事をよく考えて、そうして相手の心理状態と自分とピッタリと合せるようにして、傍観者でなく、若い人などの心持にも立入って、その人に適当であり、また自分にももっともだと云うような形式を与えて教育をし、また支配して行かなければならぬ時節ではないかと思われるし、また受身の方から云えばかくのごとき新らしい形式で取扱われなければ一種云うべからざる苦痛を感ずるだろうと考えるのです。  中味と形式と云うことについて、なぜお話をしたかと云うと、以上のような訳でこの問題について我々が考うべき必要があるように思ったからであります。それを具体的にどう現わしてよいかと云うことは、諸君の御判断であります。下らぬことをだいぶ長く述べ立てまして御気の毒です。だいぶ御疲れでしょう。最後まで静粛に御聴き下すったのは講演者として深く謝するところであります。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年12月1日公開 2011年9月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード 夏目漱石 吾輩は猫である 吾輩は猫である 夏目漱石 一  吾輩は猫である。名前はまだ無い。  どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。  この書生の掌の裏でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗に眼が廻る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。  ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一疋も見えぬ。肝心の母親さえ姿を隠してしまった。その上今までの所とは違って無暗に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子がおかしいと、のそのそ這い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。  ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入ったら、どうにかなると思って竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍に餓死したかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云ったものだ。この垣根の穴は今日に至るまで吾輩が隣家の三毛を訪問する時の通路になっている。さて邸へは忍び込んだもののこれから先どうして善いか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩は彼の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋をつかんで表へ抛り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩は再びおさんの隙を見て台所へ這い上った。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬を偸んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞が下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿なしの小猫がいくら出しても出しても御台所へ上って来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を撚りながら吾輩の顔をしばらく眺めておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入ってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜しそうに吾輩を台所へ抛り出した。かくして吾輩はついにこの家を自分の住家と極める事にしたのである。  吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度に何とかかんとか不平を鳴らしている。  吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行っても跳ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍にいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝の上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずその背中に乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上、天気のよい昼は椽側へ寝る事とした。しかし一番心持の好いのは夜に入ってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入って一間へ寝る。吾輩はいつでも彼等の中間に己れを容るべき余地を見出してどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼を醒ますが最後大変な事になる。小供は――ことに小さい方が質がわるい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人は必ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現にせんだってなどは物指で尻ぺたをひどく叩かれた。  吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が時々同衾する小供のごときに至っては言語同断である。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと畳で爪を磨いだら細君が非常に怒ってそれから容易に座敷へ入れない。台所の板の間で他が顫えていても一向平気なものである。吾輩の尊敬する筋向の白君などは逢う度毎に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四疋産まれたのである。ところがそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅せねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大に憤慨している。元来我々同族間では目刺の頭でも鰡の臍でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善いくらいのものだ。しかるに彼等人間は毫もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪せらるるのである。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを奪ってすましている。白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。  我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この主人は何といって人に勝れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝ったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架の中で謡をうたって、近所で後架先生と渾名をつけられているにも関せず一向平気なもので、やはりこれは平の宗盛にて候を繰返している。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあわただしく帰って来た。何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。当人もあまり甘くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。 「どうも甘くかけないものだね。人のを見ると何でもないようだが自ら筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。なるほど詐りのない処だ。彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。昔し以太利の大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰あり。地に露華あり。飛ぶに禽あり。走るに獣あり。池に金魚あり。枯木に寒鴉あり。自然はこれ一幅の大活画なりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」 「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は無暗に感心している。金縁の裏には嘲けるような笑が見えた。  その翌日吾輩は例のごとく椽側に出て心持善く昼寝をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後ろで何かしきりにやっている。ふと眼が覚めて何をしているかと一分ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極め込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十分寝た。欠伸がしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆を執っているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しておった。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩っている。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫に勝るとは決して思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩は波斯産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入りの皮膚を有している。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事は眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫だか寝ている猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。しかしその熱心には感服せざるを得ない。なるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。身内の筋肉はむずむずする。最早一分も猶予が出来ぬ仕儀となったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大なる欠伸をした。さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。どうせ主人の予定は打ち壊わしたのだから、ついでに裏へ行って用を足そうと思ってのそのそ這い出した。すると主人は失望と怒りを掻き交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴った。この主人は人を罵るときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、無暗に馬鹿野郎呼わりは失敬だと思う。それも平生吾輩が彼の背中へ乗る時に少しは好い顔でもするならこの漫罵も甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とは酷い。元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来て窘めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。  我儘もこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある。  吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園がある。広くはないが瀟洒とした心持ち好く日の当る所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然の気を養うのが例である。ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後快よく一睡した後、運動かたがたこの茶園へと歩を運ばした。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾輩の近づくのも一向心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きな鼾をして長々と体を横えて眠っている。他の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡られるものかと、吾輩は窃かにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。彼は純粋の黒猫である。わずかに午を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛げかけて、きらきらする柔毛の間より眼に見えぬ炎でも燃え出ずるように思われた。彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立して余念もなく眺めていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐の枝を軽く誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はかっとその真丸の眼を開いた。今でも記憶している。その眼は人間の珍重する琥珀というものよりも遥かに美しく輝いていた。彼は身動きもしない。双眸の奥から射るごとき光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて、御めえは一体何だと云った。大王にしては少々言葉が卑しいと思ったが何しろその声の底に犬をも挫しぐべき力が籠っているので吾輩は少なからず恐れを抱いた。しかし挨拶をしないと険呑だと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気を装って冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼は大に軽蔑せる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。全てえどこに住んでるんだ」随分傍若無人である。「吾輩はここの教師の家にいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやに瘠せてるじゃねえか」と大王だけに気焔を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしその膏切って肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「己れあ車屋の黒よ」昂然たるものだ。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義の的になっている奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮の念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかを試してみようと思って左の問答をして見た。 「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」 「車屋の方が強いに極っていらあな。御めえのうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」 「君も車屋の猫だけに大分強そうだ。車屋にいると御馳走が食えると見えるね」 「何におれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。御めえなんかも茶畠ばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっと己の後へくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」 「追ってそう願う事にしよう。しかし家は教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」 「箆棒め、うちなんかいくら大きくたって腹の足しになるもんか」  彼は大に肝癪に障った様子で、寒竹をそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の黒と知己になったのはこれからである。  その後吾輩は度々黒と邂逅する。邂逅する毎に彼は車屋相当の気焔を吐く。先に吾輩が耳にしたという不徳事件も実は黒から聞いたのである。  或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠の中で寝転びながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話しをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向って下のごとく質問した。「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがに極りが善くはなかった。けれども事実は事実で詐る訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだ捕らない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張っている長い髭をびりびりと震わせて非常に笑った。元来黒は自慢をする丈にどこか足りないところがあって、彼の気焔を感心したように咽喉をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御しやすい猫である。吾輩は彼と近付になってから直にこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじい己れを弁護してますます形勢をわるくするのも愚である、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すに若くはないと思案を定めた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分とったろう」とそそのかして見た。果然彼は墻壁の欠所に吶喊して来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向って酷い目に逢った」「へえなるほど」と相槌を打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云う。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰の袋を持って椽の下へ這い込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰って飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こん畜生って気で追っかけてとうとう泥溝の中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采してやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後っ屁をこきゃがった。臭えの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気を今なお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君に睨まれては百年目だろう。君はあまり鼠を捕るのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出した。彼は喟然として大息していう。「考げえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃ誰が捕ったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんか己の御蔭でもう壱円五十銭くらい儲けていやがる癖に、碌なものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあ体の善い泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟はわかると見えてすこぶる怒った容子で背中の毛を逆立てている。吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化して家へ帰った。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。しかし黒の子分になって鼠以外の御馳走を猟ってあるく事もしなかった。御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師の家にいると猫も教師のような性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。  教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底水彩画において望のない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。 ○○と云う人に今日の会で始めて出逢った。あの人は大分放蕩をした人だと云うがなるほど通人らしい風采をしている。こう云う質の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、羨ましい事である。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思って済している。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入るから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉の水彩画家になり得る理窟だ。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧なる通人よりも山出しの大野暮の方が遥かに上等だ。  通人論はちょっと首肯しかねる。また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知の明あるにも関せずその自惚心はなかなか抜けない。中二日置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。 昨夜は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛って置いたのを誰かが立派な額にして欄間に懸けてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだと独りで眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚めてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。  主人は夢の裡まで水彩画の未練を背負ってあるいていると見える。これでは水彩画家は無論夫子の所謂通人にもなれない質だ。  主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美学者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭第一に「画はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を力めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋では昔しから写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだわられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造した話だ。君がそんなに真面目に信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦の体である。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事が記さるるであろうかと予め想像せざるを得なかった。この美学者はこんな好加減な事を吹き散らして人を担ぐのを唯一の楽にしている男である。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線にいかなる響を伝えたかを毫も顧慮せざるもののごとく得意になって下のような事を饒舌った。「いや時々冗談を言うと人が真に受けるので大に滑稽的美感を挑撥するのは面白い。せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった。ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだ面白い話がある。せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノの話しが出たから僕はあれは歴史小説の中で白眉である。ことに女主人公が死ぬところは鬼気人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった。それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。「そんな出鱈目をいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺くのは差支ない、ただ化の皮があらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである。美学者は少しも動じない。「なにその時ゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある。主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている。美学者はそれだから画をかいても駄目だという目付で「しかし冗談は冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうだ。なるほど雪隠などに這入って雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ。君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「また欺すのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした。しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。  車屋の黒はその後跛になった。彼の光沢ある毛は漸々色が褪めて抜けて来る。吾輩が琥珀よりも美しいと評した彼の眼には眼脂が一杯たまっている。ことに著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾輩が例の茶園で彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」といった。  赤松の間に二三段の紅を綴った紅葉は昔しの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁をこぼした紅白の山茶花も残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯の吹かない日はほとんど稀になってから吾輩の昼寝の時間も狭められたような気がする。  主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立て籠る。人が来ると、教師が厭だ厭だという。水彩画も滅多にかかない。タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、毬をついて、時々吾輩を尻尾でぶら下げる。  吾輩は御馳走も食わないから別段肥りもしないが、まずまず健康で跛にもならずにその日その日を暮している。鼠は決して取らない。おさんは未だに嫌いである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯この教師の家で無名の猫で終るつもりだ。 二  吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。  元朝早々主人の許へ一枚の絵端書が来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞っているところをパステルで書いてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪から眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだを拗じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと膝が揺れて険呑でたまらない。ようやくの事で動揺があまり劇しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云う。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半ば開いて、落ちつき払って見ると紛れもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトを極め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫の中でも他の猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派に描いてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。しかし人間というものは到底吾輩猫属の言語を解し得るくらいに天の恵に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。  ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間の糟から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入って見るとなかなか複雑なもので十人十色という人間界の語はそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。髯の張り具合から耳の立ち按排、尻尾の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋の数を悉くして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔しからある語だそうだがその通り、餅屋は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等が自ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の悪い牡蠣のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開いた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したような面構をしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。  吾輩が主人の膝の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書を持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍っている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側に書を読むや躍るや猫の春一日という俳句さえ認められてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻って、はてな今年は猫の年かなと独言を言った。吾輩がこれほど有名になったのを未だ気が着かずにいると見える。  ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、傍らに乍恐縮かの猫へも宜しく御伝声奉願上候とある。いかに迂遠な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。  おりから門の格子がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋の梅公がくる時のほかは出ない事に極めているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性をあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月さんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話しである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄いような艶っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。 「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大に活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽く叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大に吾輩を賞める。「近頃大分大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三挺とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私がその中へまじりましたが、自分でも善く弾けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨ましそうに問いかける。元来主人は平常枯木寒巌のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚れる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着するという事が諷刺的に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男が何故牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質だからだとも云う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし寒月君の女連れを羨まし気に尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうに口取の蒲鉾を箸で挟んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人とも去る所の令嬢ですよ、御存じの方じゃありません」と余所余所しい返事をする。「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもう善い加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促がして見る。主人は旅順の陥落より女連の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念とかいう二十年来着古るした結城紬の綿入を着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装には師走も正月もない。ふだん着も余所ゆきもない。出るときは懐手をしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。  両人が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾の残りを頂戴した。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕以後の猫か、グレーの金魚を偸んだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固より眼中にない。蒲鉾の一切くらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食をするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三などはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付を受けつつあると細君から吹聴せられている小児ですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対い合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺が卓の上に置かれて匙さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少らく両人は睨み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人の皿には山盛の砂糖が堆くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼を擦りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優っているかも知れぬが、智慧はかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞めてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃の上から黙って見物していた。  寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓に就いたのは九時頃であった。例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮を食っている。代えては食い、代えては食う。餅の切れは小さいが、何でも六切か七切食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうと箸を置いた。他人がそんな我儘をすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中に焦げ爛れた餅の死骸を見て平気ですましている。妻君が袋戸の奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利かないから飲まん」という。「でもあなた澱粉質のものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固に出る。「あなたはほんとに厭きっぽい」と細君が独言のようにいう。「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句のような返事をする。「そんなに飲んだり止めたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣いはありません、もう少し辛防がよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えた御三を顧みる。「それは本当のところでございます。もう少し召し上ってご覧にならないと、とても善い薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非詰腹を切らせようとする。主人は何にも云わず立って書斎へ這入る。細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。こんなときに後からくっ付いて行って膝の上へ乗ると、大変な目に逢わされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へ上って障子の隙から覗いて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本を披いて見ておった。もしそれが平常の通りわかるならちょっとえらいところがある。五六分するとその本を叩き付けるように机の上へ抛り出す。大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して下のような事を書きつけた。 寒月と、根津、上野、池の端、神田辺を散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着をきて羽根をついていた。衣装は美しいが顔はすこぶるまずい。何となくうちの猫に似ていた。  何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜多床へ行って顔さえ剃って貰やあ、そんなに人間と異ったところはありゃしない。人間はこう自惚れているから困る。 宝丹の角を曲るとまた一人芸者が来た。これは背のすらりとした撫肩の恰好よく出来上った女で、着ている薄紫の衣服も素直に着こなされて上品に見えた。白い歯を出して笑いながら「源ちゃん昨夕は――つい忙がしかったもんだから」と云った。ただしその声は旅鴉のごとく皺枯れておったので、せっかくの風采も大に下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手のまま御成道へ出た。寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。  人間の心理ほど解し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだかさっぱり見当が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属に至ると行住坐臥、行屎送尿ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数をして、己れの真面目を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。 神田の某亭で晩餐を食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスターゼは無論いかん。誰が何と云っても駄目だ。どうしたって利かないものは利かないのだ。  無暗にタカジヤスターゼを攻撃する。独りで喧嘩をしているようだ。今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこう云う辺に存するのかも知れない。 せんだって○○は朝飯を廃すると胃がよくなると云うたから二三日朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。△△は是非香の物を断てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源を涸らす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったが別段の験も見えなかったから近頃はまた食い出した。××に聞くとそれは按腹揉療治に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流という古流な揉み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。安井息軒も大変この按摩術を愛していた。坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸まで出掛けて揉まして見た。ところが骨を揉まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度顛倒しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉み方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者の迷亭がこの体を見て、産気のついた男じゃあるまいし止すがいいと冷かしたからこの頃は廃してしまった。C先生は蕎麦を食ったらよかろうと云うから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりで何等の功能もなかった。余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目がある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。  これも決して長く続く事はあるまい。主人の心は吾輩の眼球のように間断なく変化している。何をやっても永持のしない男である。その上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向は大に痩我慢をするからおかしい。せんだってその友人で某という学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした。大分研究したものと見えて、条理が明晰で秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁するほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいる際だから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極め付けたので主人は黙然としていた。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えて見ると今朝雑煮をあんなにたくさん食ったのも昨夜寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。  吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の黒のように横丁の肴屋まで遠征をする気力はないし、新道の二絃琴の師匠の所の三毛のように贅沢は無論云える身分でない。従って存外嫌は少ない方だ。小供の食いこぼした麺麭も食うし、餅菓子のもなめる。香の物はすこぶるまずいが経験のため沢庵を二切ばかりやった事がある。食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。あれは嫌だ、これは嫌だと云うのは贅沢な我儘で到底教師の家にいる猫などの口にすべきところでない。主人の話しによると仏蘭西にバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢屋で――もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。バルザックが或る日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入らない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。友人は固より何も知らずに連れ出されたのであるが、バルザックは兼ねて自分の苦心している名を目付ようという考えだから往来へ出ると何もしないで店先の看板ばかり見て歩行いている。ところがやはり気に入った名がない。友人を連れて無暗にあるく。友人は訳がわからずにくっ付いて行く。彼等はついに朝から晩まで巴理を探険した。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名がかいてある。バルザックは手を拍って「これだこれだこれに限る。マーカスは好い名じゃないか。マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申し分のない名が出来る。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意とらしいところがあって面白くない。ようやくの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一日巴理を探険しなくてはならぬようでは随分手数のかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食い剰した雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へ廻って見る。  今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着している。白状するが餅というものは今まで一辺も口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉を掻き寄せる。爪を見ると餅の上皮が引き掛ってねばねばする。嗅いで見ると釜の底の飯を御櫃へ移す時のような香がする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那に猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否椀底の様子を熟視すればするほど気味が悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気もなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくら躇していても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中を覗き込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸ばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一辺噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳づいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方のつく期はあるまいと思われた。この煩悶の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫も愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三が来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳け出して来るに相違ない。煩悶の極尻尾をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾は餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲を撫で廻す。撫でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左りの方を伸して口を中心として急劇に円を劃して見る。そんな呪いで魔は落ちない。辛防が肝心だと思って左右交る交るに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻き廻す。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起っていられたものだと思う。第三の真理が驀地に現前する。「危きに臨めば平常なし能わざるところのものを為し能う。之を天祐という」幸に天祐を享けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合である。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起となって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ち遣って勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は縮緬の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾を既倒に何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分見聞したが、この時ほど恨めしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消え失せて、在来の通り四つ這になって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧みる。御三は御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情け容赦もなく引張るのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入ってしまっておった。  こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気を易えて新道の二絃琴の御師匠さんの所の三毛子でも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている。うちで主人の苦い顔を見たり、御三の険突を食って気分が勝れん時は必ずこの異性の朋友の許を訪問していろいろな話をする。すると、いつの間にか心が晴々して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大なものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾の曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振る景色なども到底形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品よく控えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛を欺くほどの滑らかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚として眺めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音だと感心している間に、吾輩の傍に来て「あら先生、おめでとう」と尾を左りへ振る。吾等猫属間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠さんに買って頂いたの、宜いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善い音ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音でしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべて暗に欣羨の意を洩らす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔を三角にして咽喉仏を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたの所の御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠さんだわ。二絃琴の御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔しは立派な方なんでしょうな」「ええ」 君を待つ間の姫小松……………  障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾き出す。「宜い声でしょう」と三毛子は自慢する。「宜いようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間が抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹の御嫁に入った先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。分ったでしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。詰るところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰の虚言を吐かねばならぬ事がある。  障子の中で二絃琴の音がぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、私し帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。まさか雑煮を食って踊りを踊ったとも云われないから「何別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだろうと思って実は出掛けて来たのですよ」「そう。御大事になさいまし。さようなら」少しは名残り惜し気に見えた。これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持になった。帰りに例の茶園を通り抜けようと思って霜柱の融けかかったのを踏みつけながら建仁寺の崩れから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上に背を山にして欠伸をしている。近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。黒の性質として他が己れを軽侮したと認むるや否や決して黙っていない。「おい、名なしの権兵衛、近頃じゃ乙う高く留ってるじゃあねえか。いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきな面らあするねえ。人つけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。説明してやりたいが到底分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙るに若くはないと決心した。「いや黒君おめでとう。不相変元気がいいね」と尻尾を立てて左へくるりと廻わす。黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、この吹い子の向う面め」吹い子の向うづらという句は罵詈の言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっと伺がうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体をつかれてる癖に、その訳を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬに極まっているから、面と対ったまま無言で立っておった。いささか手持無沙汰の体である。すると突然黒のうちの神さんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いた鮭がない。大変だ。またあの黒の畜生が取ったんだよ。ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」と怒鳴る。初春の長閑な空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代を大に俗了してしまう。黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角な顋を前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。「君不相変やってるな」と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。「何がやってるでえ、この野郎。しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。人を見縊びった事をいうねえ。憚りながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足を逆かに肩の辺まで掻き上げた。「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」「知ってるのに、相変らずやってるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのを頻りに吹き懸ける。人間なら胸倉をとられて小突き廻されるところである。少々辟易して内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。牛肉を一斤すぐ持って来るんだよ。いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣の寂寞を破る。「へん年に一遍牛肉を誂えると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえ阿魔だ」と黒は嘲りながら四つ足を踏張る。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のために誂えたもののごとくいう。「今度は本当の御馳走だ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。「御めっちの知った事じゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と云いながら突然後足で霜柱の崩れた奴を吾輩の頭へばさりと浴びせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っている間に黒は垣根を潜って、どこかへ姿を隠した。大方西川の牛を覘に行ったものであろう。  家へ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。はてなと明け放した椽側から上って主人の傍へ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。頭を奇麗に分けて、木綿の紋付の羽織に小倉の袴を着けて至極真面目そうな書生体の男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗りの巻煙草入れと並んで越智東風君を紹介致候水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。主客の対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。 「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行って午飯を食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶を続ぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあの方の事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、膝の上に乗った吾輩の頭をぽかと叩く。少し痛い。「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立を見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「誂らえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首を捻ってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨のロースか小牛のチャップなどは如何ですと云うと、先生は、そんな月並を食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君仏蘭西や英吉利へ行くと随分天明調や万葉調が食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版で圧したようで、どうも西洋料理へ這入る気がしないと云うような大気で――全体あの方は洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落なんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつの間に洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話や蛙のシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」と花瓶の水仙を眺める。少しく残念の気色にも取られる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挟む。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽を詫びているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボーを二人前持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目な貌でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽なんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様でメンチボーなら御二人前すぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐がない。どうかトチメンボーを都合して食わせてもらう訳には行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来て真に御生憎で、御誂ならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私しも仕方がないから、懐から日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数が掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席を前める。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾ですな、遺憾極るですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝が揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着なく笑う。アンドレア・デル・サルトに罹ったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、橡面坊を種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯の時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉を鳴らす音が主客の耳に入る。  東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済ます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注す。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏でも附けて、詩歌文章の類を読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々は同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天の琵琶行のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村の春風馬堤曲の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物をやりました」「近松? あの浄瑠璃の近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松に極っている。それを聞き直す主人はよほど愚だと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀に撫でている。藪睨みから惚れられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬は決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子は主人の顔色を窺う。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極めてやるんですか」「役を極めて懸合でやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。白はなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚でも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装と書割がないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せて芳原へ行く所なんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首を傾ける。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳を掠めて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大変な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁と仲居と遣手と見番だけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名をきいてちょっと苦い顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。「仲居というのは娼家の下婢にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋の助役見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色を使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋に隷属するもので、遣手は娼家に起臥する者ですね。次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所を指すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何を司どっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外真面目である。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口髯を生やして、女の甘ったるいせりふを使かうのですからちょっと妙でした。それにその花魁が癪を起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「私しは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務まるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を洩らす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾に終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。私しが船頭の仮色を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで耐らえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極りが悪るい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても後がつづけられないので、とうとうそれ限りで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭を撫でてくれる。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞を述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版の帳面を出す。「これへどうか御署名の上御捺印を願いたいので」と帳面を主人の膝の前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃をしている。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生は掛念の体に見える。「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表し被下ればそれで結構です」「そんなら這入ります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないと云う事が分っておれば謀叛の連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。加之こう知名の学者が名前を列ねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張る。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩は今朝の雑煮事件をちょっと思い出す。主人が書斎から印形を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。主人は菓子皿のカステラが一切足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。  東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間にか迷亭先生の手紙が来ている。 「新年の御慶目出度申納候。……」  いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後別に恋着せる婦人も無之、いず方より艶書も参らず、先ず先ず無事に消光罷り在り候間、乍憚御休心可被下候」と云うのが来たくらいである。それに較べるとこの年始状は例外にも世間的である。 「一寸参堂仕り度候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以て、此千古未曾有の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候……」  なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。 「昨日は一刻のひまを偸み、東風子にトチメンボーの御馳走を致さんと存じ候処、生憎材料払底の為め其意を果さず、遺憾千万に存候。……」  そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。 「明日は某男爵の歌留多会、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」  うるさいなと、主人は読みとばす。 「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候為め、不得已賀状を以て拝趨の礼に易え候段不悪御宥恕被下度候。……」  別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。 「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度心得に御座候。寒厨何の珍味も無之候えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候。……」  まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。 「然しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候も計りがたきにつき、其節は孔雀の舌でも御風味に入れ可申候。……」  両天秤をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。 「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半ばにも足らぬ程故健啖なる大兄の胃嚢を充たす為には……」  うそをつけと主人は打ち遣ったようにいう。 「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可らずと存候。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔には一向見当り不申、苦心此事に御座候。……」  独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫も感謝の意を表しない。 「此孔雀の舌の料理は往昔羅馬全盛の砌り、一時非常に流行致し候ものにて、豪奢風流の極度と平生よりひそかに食指を動かし居候次第御諒察可被下候。……」  何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。 「降って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候。レスター伯がエリザベス女皇をケニルウォースに招待致し候節も慥か孔雀を使用致し候様記憶致候。有名なるレンブラントが画き候饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘卓上に横わり居り候……」  孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。 「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成るは必定……」  大兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。 「歴史家の説によれば羅馬人は日に二度三度も宴会を開き候由。日に二度も三度も方丈の食饌に就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を醸すべく、従って自然は大兄の如く……」  また大兄のごとくか、失敬な。 「然るに贅沢と衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味を貪ると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致し候……」  はてねと主人は急に熱心になる。 「彼等は食後必ず入浴致候。入浴後一種の方法によりて浴前に嚥下せるものを悉く嘔吐し、胃内を掃除致し候。胃内廓清の功を奏したる後又食卓に就き、飽く迄珍味を風好し、風好し了れば又湯に入りて之を吐出致候。かくの如くすれば好物は貪ぼり次第貪り候も毫も内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申かと愚考致候……」  なるほど一挙両得に相違ない。主人は羨ましそうな顔をする。 「廿世紀の今日交通の頻繁、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬人に傚って此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候事と自信致候。左もなくば切角の大国民も近き将来に於て悉く大兄の如く胃病患者と相成る事と窃かに心痛罷りあり候……」  また大兄のごとくか、癪に障る男だと主人が思う。 「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂禍を未萌に防ぐの功徳にも相成り平素逸楽を擅に致し候御恩返も相立ち可申と存候……」  何だか妙だなと首を捻る。 「依て此間中よりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟致し居候えども未だに発見の端緒をも見出し得ざるは残念の至に存候。然し御存じの如く小生は一度思い立ち候事は成功するまでは決して中絶仕らざる性質に候えば嘔吐方を再興致し候も遠からぬうちと信じ居り候次第。右は発見次第御報道可仕候につき、左様御承知可被下候。就てはさきに申上候トチメンボー及び孔雀の舌の御馳走も可相成は右発見後に致し度、左すれば小生の都合は勿論、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にも御便宜かと存候草々不備」  何だとうとう担がれたのか、あまり書き方が真面目だものだからつい仕舞まで本気にして読んでいた。新年匆々こんな悪戯をやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云った。  それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。白磁の水仙がだんだん凋んで、青軸の梅が瓶ながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度三毛子を訪問して見たが逢われない。最初は留守だと思ったが、二返目には病気で寝ているという事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをしているのを手水鉢の葉蘭の影に隠れて聞いているとこうであった。 「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだ何にも食べません、あったかにして御火燵に寝かしておきました」何だか猫らしくない。まるで人間の取扱を受けている。  一方では自分の境遇と比べて見て羨ましくもあるが、一方では己が愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。 「どうも困るね、御飯をたべないと、身体が疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私共でさえ一日御をいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」  下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際この家では下女より猫の方が大切かも知れない。 「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風邪でも引いたのかって私の脈をとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、抛っておいたら今に癒るだろうってんですもの、あんまり苛いじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでも大事の猫なんですって、三毛を懐へ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」 「ほんにねえ」は到底吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはり天璋院様の何とかの何とかでなくては使えない、はなはだ雅であると感心した。 「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いて咽喉が痛むんでございますよ。風邪を引くと、どなたでも御咳が出ますからね……」  天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿叮嚀な言葉を使う。 「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかり殖えた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者に碌な者はないから御前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」  下女は大に感動している。 「風邪を引くといってもあまり出あるきもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」  下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。 「悪い友達?」「ええあの表通りの教師の所にいる薄ぎたない雄猫でございますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝鳥が絞め殺されるような声を出す人でござんす」  鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽をやる時、楊枝で咽喉をつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやる。つまり機嫌のいい時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやる。細君の話しではここへ引越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してから今日まで一日もやめた事がないという。ちょっと厄介な癖であるが、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾等猫などには到底想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。 「あんな声を出して何の呪いになるか知らん。御維新前は中間でも草履取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」  下女は無暗に感服しては、無暗にねえを使用する。 「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫さ、今度来たら少し叩いておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっと讐をとってやります」  飛んだ冤罪を蒙ったものだ。こいつは滅多に近か寄れないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。  帰って見ると主人は書斎の中で何か沈吟の体で筆を執っている。二絃琴の御師匠さんの所で聞いた評判を話したら、さぞ怒るだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。  ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然とやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? 誰れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本の中にあると云う事さ」「冗談じゃない。孔雀の舌の讐を際どいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹きとは違うさ」と口髯を捻る。泰然たるものだ。「昔しある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子の書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家のような事を云う。主人は禅坊主が大燈国師の遺誡を読むような声を出して読み始める。「巨人、引力」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「雑ぜかえしてはいかんよ」と予じめ念を押してまた読み始める。 ケートは窓から外面を眺める。小児が球を投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲つ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」 「それぎりかい」「むむ、甘いじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボーの御返礼に預った」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆あらんとは、全く此度という今度は担がれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌る。主人には一向通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。凄いものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近無差別黒白平等の水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になる」と主人はあくまでも疳違いをしている。  ところへ寒月君が先日は失礼しましたと這入って来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治られたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけは左のみ浮かれた気色もない。「先日は君の紹介で越智東風と云う人が来たよ」「ああ上りましたか、あの越智東風と云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上っても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風と云うのを音で読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮の煙草入から煙草をつまみ出す。「私しの名は越智東風ではありません、越智こちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井を腹の底まで呑み込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語になる、のみならずその姓名が韻を踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風を音で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔まで吐き返す。途中で煙が戸迷いをして咽喉の出口へ引きかかる。先生は煙管を握ってごほんごほんと咽び返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管で膝頭を叩く。吾輩は険呑になったから少し傍を離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰んで金色夜叉にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮ですといったのさ。東風の御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀の舌とトチメンボーの復讐を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳の俎と云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管を大神楽のごとく指の尖で廻わす。「どんな経験か、聞かし玉え」と主人は行徳の俎を遠く後に見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左のごとくである。 「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先き触れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚いて室を煖かにしてやらないと風邪を引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気な僕もその時だけは大に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦をして御国のために働らいているのに節季師走でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以て来て、僕の小学校時代の朋友で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番仕舞にね。私しも取る年に候えば初春の御雑煮を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免蒙る事に極めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手三番町の方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠の向うから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変淋しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳け廻る。よく人が首を縊ると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつの間にか例の松の真下に来ているのさ」 「例の松た、何だい」と主人が断句を投げ入れる。 「首懸の松さ」と迷亭は領を縮める。 「首懸の松は鴻の台でしょう」寒月が波紋をひろげる。 「鴻の台のは鐘懸の松で、土手三番町のは首懸の松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、昔しからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首が縊りたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊りだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっている。年に二三返はきっとぶら下がっている。どうしても他の松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ好い枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か来ないかしらと、四辺を見渡すと生憎誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうか知らん。いやいや自分が下がっては命がない、危ないからよそう。しかし昔の希臘人は宴会の席で首縊りの真似をして余興を添えたと云う話しがある。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首を入れる途端に他のものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるという趣向である。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合に撓る。撓り按排が実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もし東風が来て待っていると気の毒だと考え出した。それではまず東風に逢って約束通り話しをして、それから出直そうと云う気になってついにうちへ帰ったのさ」 「それで市が栄えたのかい」と主人が聞く。 「面白いですな」と寒月がにやにやしながら云う。 「うちへ帰って見ると東風は来ていない。しかし今日は無拠処差支えがあって出られぬ、いずれ永日御面晤を期すという端書があったので、やっと安心して、これなら心置きなく首が縊れる嬉しいと思った。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云って主人と寒月の顔を見てすましている。 「見るとどうしたんだい」と主人は少し焦れる。 「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織の紐をひねくる。 「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は死神に取り着かれたんだね。ゼームスなどに云わせると副意識下の幽冥界と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応したんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。  主人はまたやられたと思いながら何も云わずに空也餅を頬張って口をもごもご云わしている。  寒月は火鉢の灰を丁寧に掻き馴らして、俯向いてにやにや笑っていたが、やがて口を開く。極めて静かな調子である。 「なるほど伺って見ると不思議な事でちょっと有りそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑がう気になりません」 「おや君も首を縊りたくなったのかい」 「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」 「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。 「その日は向島の知人の家で忘年会兼合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンを携えて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。晩餐もすみ合奏もすんで四方の話しが出て時刻も大分遅くなったから、もう暇乞いをして帰ろうかと思っていますと、某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きますので、実はその両三日前に逢った時は平常の通りどこも悪いようには見受けませんでしたから、私も驚ろいて精しく様子を聞いて見ますと、私しの逢ったその晩から急に発熱して、いろいろな譫語を絶間なく口走るそうで、それだけなら宜いですがその譫語のうちに私の名が時々出て来るというのです」  主人は無論、迷亭先生も「御安くないね」などという月並は云わず、静粛に謹聴している。 「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱が劇しいので脳を犯しているから、もし睡眠剤が思うように功を奏しないと危険であると云う診断だそうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起ったのです。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつけるごとく思われました。帰り道にもその事ばかりが頭の中にあって苦しくてたまらない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」 「ちょっと失敬だが待ってくれ給え。さっきから伺っていると○○子さんと云うのが二返ばかり聞えるようだが、もし差支えがなければ承わりたいね、君」と主人を顧みると、主人も「うむ」と生返事をする。 「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れませんから廃しましょう」 「すべて曖々然として昧々然たるかたで行くつもりかね」 「冷笑なさってはいけません、極真面目な話しなんですから……とにかくあの婦人が急にそんな病気になった事を考えると、実に飛花落葉の感慨で胸が一杯になって、総身の活気が一度にストライキを起したように元気がにわかに滅入ってしまいまして、ただ蹌々として踉々という形ちで吾妻橋へきかかったのです。欄干に倚って下を見ると満潮か干潮か分りませんが、黒い水がかたまってただ動いているように見えます。花川戸の方から人力車が一台馳けて来て橋の上を通りました。その提灯の火を見送っていると、だんだん小くなって札幌ビールの処で消えました。私はまた水を見る。すると遥かの川上の方で私の名を呼ぶ声が聞えるのです。はてな今時分人に呼ばれる訳はないが誰だろうと水の面をすかして見ましたが暗くて何にも分りません。気のせいに違いない早々帰ろうと思って一足二足あるき出すと、また微かな声で遠くから私の名を呼ぶのです。私はまた立ち留って耳を立てて聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干に捕まっていながら膝頭ががくがく悸え出したのです。その声は遠くの方か、川の底から出るようですが紛れもない○○子の声なんでしょう。私は覚えず「はーい」と返事をしたのです。その返事が大きかったものですから静かな水に響いて、自分で自分の声に驚かされて、はっと周囲を見渡しました。人も犬も月も何にも見えません。その時に私はこの「夜」の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいと云う気がむらむらと起ったのです。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救を求めるように私の耳を刺し通したので、今度は「今直に行きます」と答えて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ声が浪の下から無理に洩れて来るように思われましてね。この水の下だなと思いながら私はとうとう欄干の上に乗りましたよ。今度呼んだら飛び込もうと決心して流を見つめているとまた憐れな声が糸のように浮いて来る。ここだと思って力を込めて一反飛び上がっておいて、そして小石か何ぞのように未練なく落ちてしまいました」 「とうとう飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問う。 「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。 「飛び込んだ後は気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこも濡れた所も何もない、水を飲んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだが実に不思議だ。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前と後ろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったのです」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織の紐を荷厄介にしている。 「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。 「二三日前年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いていましたから病気は全快したものと見えます」  主人は最前から沈思の体であったが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。 「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。 「僕のも去年の暮の事だ」 「みんな去年の暮は暗合で妙ですな」と寒月が笑う。欠けた前歯のうちに空也餅が着いている。 「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。 「いや日は違うようだ。何でも二十日頃だよ。細君が御歳暮の代りに摂津大掾を聞かしてくれろと云うから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷だと云うのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川だからいいでしょうと云う。堀川は三味線もので賑やかなばかりで実がないからよそうと云うと、細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂です、私は是非摂津の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌いか知らないが、私に聞かせるのだからいっしょに行って下すっても宜いでしょうと手詰の談判をする。御前がそんなに行きたいなら行っても宜ろしい、しかし一世一代と云うので大変な大入だから到底突懸けに行ったって這入れる気遣いはない。元来ああ云う場所へ行くには茶屋と云うものが在ってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念だが今日はやめようと云うと、細君は凄い眼付をして、私は女ですからそんなむずかしい手続きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて来たんですから、いくらあなたが教師だからって、そう手数のかかる見物をしないでもすみましょう、あなたはあんまりだと泣くような声を出す。それじゃ駄目でもまあ行く事にしよう。晩飯をくって電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向うへ着くようにしなくっちゃいけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に勢がいい。なぜ四時までに行かなくては駄目なんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃ這入れないからですと鈴木の君代さんから教えられた通りを述べる。それじゃ四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、ええ駄目ですともと答える。すると君不思議な事にはその時から急に悪寒がし出してね」 「奥さんがですか」と寒月が聞く。 「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のように一度に萎縮する感じが起ると思うと、もう眼がぐらぐらして動けなくなった」 「急病だね」と迷亭が註釈を加える。 「ああ困った事になった。細君が年に一度の願だから是非叶えてやりたい。平生叱りつけたり、口を聞かなかったり、身上の苦労をさせたり、小供の世話をさせたりするばかりで何一つ洒掃薪水の労に酬いた事はない。今日は幸い時間もある、嚢中には四五枚の堵物もある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだろう、僕も連れて行ってやりたい。是非連れて行ってやりたいがこう悪寒がして眼がくらんでは電車へ乗るどころか、靴脱へ降りる事も出来ない。ああ気の毒だ気の毒だと思うとなお悪寒がしてなお眼がくらんでくる。早く医者に見てもらって服薬でもしたら四時前には全快するだろうと、それから細君と相談をして甘木医学士を迎いにやると生憎昨夜が当番でまだ大学から帰らない。二時頃には御帰りになりますから、帰り次第すぐ上げますと云う返事である。困ったなあ、今杏仁水でも飲めば四時前にはきっと癒るに極っているんだが、運の悪い時には何事も思うように行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て楽もうと云う予算も、がらりと外れそうになって来る。細君は恨めしい顔付をして、到底いらっしゃれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直って見せるから安心しているがいい。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っているがいい、と口では云ったようなものの胸中は無限の感慨である。悪寒はますます劇しくなる、眼はいよいよぐらぐらする。もしや四時までに全快して約束を履行する事が出来なかったら、気の狭い女の事だから何をするかも知れない。情けない仕儀になって来た。どうしたら善かろう。万一の事を考えると今の内に有為転変の理、生者必滅の道を説き聞かして、もしもの変が起った時取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、夫の妻に対する義務ではあるまいかと考え出した。僕は速かに細君を書斎へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云う西洋の諺くらいは心得ているだろうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使って人にからかうのだから、宜しゅうございます、どうせ英語なんかは出来ないんですから、そんなに英語が御好きなら、なぜ耶蘇学校の卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんです。あなたくらい冷酷な人はありはしないと非常な権幕なんで、僕もせっかくの計画の腰を折られてしまった。君等にも弁解するが僕の英語は決して悪意で使った訳じゃない。全く妻を愛する至情から出たので、それを妻のように解釈されては僕も立つ瀬がない。それにさっきからの悪寒と眩暈で少し脳が乱れていたところへもって来て、早く有為転変、生者必滅の理を呑み込ませようと少し急き込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云う事を忘れて、何の気も付かずに使ってしまった訳さ。考えるとこれは僕が悪るい、全く手落ちであった。この失敗で悪寒はますます強くなる。眼はいよいよぐらぐらする。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行って両肌を脱いで御化粧をして、箪笥から着物を出して着換える。もういつでも出掛けられますと云う風情で待ち構えている。僕は気が気でない。早く甘木君が来てくれれば善いがと思って時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろそろ出掛けましょうか」と妻君が書斎の開き戸を明けて顔を出す。自分の妻を褒めるのはおかしいようであるが、僕はこの時ほど細君を美しいと思った事はなかった。もろ肌を脱いで石鹸で磨き上げた皮膚がぴかついて黒縮緬の羽織と反映している。その顔が石鹸と摂津大掾を聞こうと云う希望との二つで、有形無形の両方面から輝やいて見える。どうしてもその希望を満足させて出掛けてやろうと云う気になる。それじゃ奮発して行こうかな、と一ぷくふかしているとようやく甘木先生が来た。うまい注文通りに行った。が容体をはなすと、甘木先生は僕の舌を眺めて、手を握って、胸を敲いて背を撫でて、目縁を引っ繰り返して、頭蓋骨をさすって、しばらく考え込んでいる。「どうも少し険呑のような気がしまして」と僕が云うと、先生は落ちついて、「いえ格別の事もございますまい」と云う。「あのちょっとくらい外出致しても差支えはございますまいね」と細君が聞く。「さよう」と先生はまた考え込む。「御気分さえ御悪くなければ……」「気分は悪いですよ」と僕がいう。「じゃともかくも頓服と水薬を上げますから」「へえどうか、何だかちと、危ないようになりそうですな」「いや決して御心配になるほどの事じゃございません、神経を御起しになるといけませんよ」と先生が帰る。三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。細君の厳命で馳け出して行って、馳け出して返ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今まで何とも無かったのに、急に嘔気を催おして来た。細君は水薬を茶碗へ注いで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中からげーと云う者が吶喊して出てくる。やむをえず茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲みになったら宜いでしょう」と逼る。早く飲んで早く出掛けなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうとまた茶碗を唇へつけるとまたゲーが執念深く妨害をする。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いていると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打った。さあ四時だ愚図愚図してはおられんと茶碗をまた取り上げると、不思議だねえ君、実に不思議とはこの事だろう、四時の音と共に吐き気がすっかり留まって水薬が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名医という事も始めて理解する事が出来たんだが、背中がぞくぞくするのも、眼がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つ事も出来まいと思った病気がたちまち全快したのは嬉しかった」 「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。 「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入れないと云う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたら僕の義理も立つし、妻も満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に残念な事をした。考え出すとあぶないところだったと今でも思うのさ」  語り了った主人はようやく自分の義務をすましたような風をする。これで両人に対して顔が立つと云う気かも知れん。  寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と云う。  迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な夫を持った妻君は実に仕合せだな」と独り言のようにいう。障子の蔭でエヘンと云う細君の咳払いが聞える。  吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰すために強いて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思った。吾輩の主人の我儘で偏狭な事は前から承知していたが、平常は言葉数を使わないので何だか了解しかねる点があるように思われていた。その了解しかねる点に少しは恐しいと云う感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽蔑したくなった。かれはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になって愚にもつかぬ駄弁を弄すれば何の所得があるだろう。エピクテタスにそんな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平の逸民で、彼等は糸瓜のごとく風に吹かれて超然と澄し切っているようなものの、その実はやはり娑婆気もあり慾気もある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒している俗骨共と一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通のごとく、文切り形の厭味を帯びてないのはいささかの取り得でもあろう。  こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見て来ようかと二絃琴の御師匠さんの庭口へ廻る。門松注目飾りはすでに取り払われて正月も早や十日となったが、うららかな春日は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面も元日の曙光を受けた時より鮮かな活気を呈している。椽側に座蒲団が一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠さんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠さんは留守でも構わんが、三毛子は少しは宜い方か、それが気掛りである。ひっそりして人の気合もしないから、泥足のまま椽側へ上って座蒲団の真中へ寝転ろんで見るといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寝をしていると、急に障子のうちで人声がする。 「御苦労だった。出来たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。 「はい遅くなりまして、仏師屋へ参りましたらちょうど出来上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出来た、これで三毛も浮かばれましょう。金は剥げる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位牌よりも持つと申しておりました。……それから猫誉信女の誉の字は崩した方が恰好がいいから少し劃を易えたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」  三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫誉信女、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と御師匠さんの声がする。 「御前も回向をしておやりなさい」  チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動悸がして来た。座蒲団の上に立ったまま、木彫の猫のように眼も動かさない。 「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいと風邪を引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一体あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様の事を悪く云うものではない。これも寿命だから」  三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。 「つまるところ表通りの教師のうちの野良猫が無暗に誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜生が三毛のかたきでございますよ」  少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと唾を呑んで聞いている。話しはしばし途切れる。 「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは早死をするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人とはおりませんからね」  二匹と云う代りに二たりといった。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう云えばこの下女の顔は吾等猫属とはなはだ類似している。 「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良が死ぬと御誂え通りに参ったんでございますがねえ」  御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いので火消壺の中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上から蓋をした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代りになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、誰のためでも死にたくはない。 「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、戒名をこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」「そうでございますとも、全く果報者でございますよ。ただ慾を云うとあの坊さんの御経があまり軽少だったようでございますね」「少し短か過ぎたようだったから、大変御早うございますねと御尋ねをしたら、月桂寺さんは、ええ利目のあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで充分浄土へ行かれますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」  吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。 「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」  吾輩はその後野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いをした。その後二絃琴の御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向を受けているだろう。  近頃は外出する勇気もない。何だか世間が慵うく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫となった。主人が書斎にのみ閉じ籠っているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。  鼠はまだ取った事がないので、一時は御三から放逐論さえ呈出された事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの家に起臥している。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼に対して敬服の意を表するに躊躇しないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎が出て来て、吾輩の肖像を楼門の柱に刻み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描くようになったら、彼等鈍瞎漢は始めて自己の不明を恥ずるであろう。 三  三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞の感はあるが、幸い人間に知己が出来たのでさほど退屈とも思わぬ。せんだっては主人の許へ吾輩の写真を送ってくれと手紙で依頼した男がある。この間は岡山の名産吉備団子をわざわざ吾輩の名宛で届けてくれた人がある。だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、己が猫である事はようやく忘却してくる。猫よりはいつの間にか人間の方へ接近して来たような心持になって、同族を糾合して二本足の先生と雌雄を決しようなどと云う量見は昨今のところ毛頭ない。それのみか折々は吾輩もまた人間世界の一人だと思う折さえあるくらいに進化したのはたのもしい。あえて同族を軽蔑する次第ではない。ただ性情の近きところに向って一身の安きを置くは勢のしからしむるところで、これを変心とか、軽薄とか、裏切りとか評せられてはちと迷惑する。かような言語を弄して人を罵詈するものに限って融通の利かぬ貧乏性の男が多いようだ。こう猫の習癖を脱化して見ると三毛子や黒の事ばかり荷厄介にしている訳には行かん。やはり人間同等の気位で彼等の思想、言行を評隲したくなる。これも無理はあるまい。ただそのくらいな見識を有している吾輩をやはり一般猫児の毛の生えたものくらいに思って、主人が吾輩に一言の挨拶もなく、吉備団子をわが物顔に喰い尽したのは残念の次第である。写真もまだ撮って送らぬ容子だ。これも不平と云えば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然異なるのは致し方もあるまい。吾輩はどこまでも人間になりすましているのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆に上りにくい。迷亭、寒月諸先生の評判だけで御免蒙る事に致そう。  今日は上天気の日曜なので、主人はのそのそ書斎から出て来て、吾輩の傍へ筆硯と原稿用紙を並べて腹這になって、しきりに何か唸っている。大方草稿を書き卸す序開きとして妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくして筆太に「香一」とかいた。はてな詩になるか、俳句になるか、香一とは、主人にしては少し洒落過ぎているがと思う間もなく、彼は香一を書き放しにして、新たに行を改めて「さっきから天然居士の事をかこうと考えている」と筆を走らせた。筆はそれだけではたと留ったぎり動かない。主人は筆を持って首を捻ったが別段名案もないものと見えて筆の穂を甞めだした。唇が真黒になったと見ていると、今度はその下へちょいと丸をかいた。丸の中へ点を二つうって眼をつける。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った、これでは文章でも俳句でもない。主人も自分で愛想が尽きたと見えて、そこそこに顔を塗り消してしまった。主人はまた行を改める。彼の考によると行さえ改めれば詩か賛か語か録か何かになるだろうとただ宛もなく考えているらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である」と言文一致体で一気呵成に書き流した、何となくごたごたした文章である。それから主人はこれを遠慮なく朗読して、いつになく「ハハハハ面白い」と笑ったが「鼻汁を垂らすのは、ちと酷だから消そう」とその句だけへ棒を引く。一本ですむところを二本引き三本引き、奇麗な併行線を描く、線がほかの行まで食み出しても構わず引いている。線が八本並んでもあとの句が出来ないと見えて、今度は筆を捨てて髭を捻って見る。文章を髭から捻り出して御覧に入れますと云う見幕で猛烈に捻ってはねじ上げ、ねじ下ろしているところへ、茶の間から妻君が出て来てぴたりと主人の鼻の先へ坐わる。「あなたちょっと」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅鑼を叩くような声を出す。返事が気に入らないと見えて妻君はまた「あなたちょっと」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りませんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとく眺めている。「それでもあなたが御飯を召し上らんで麺麭を御食べになったり、ジャムを御舐めになるものですから」「元来ジャムは幾缶舐めたのかい」「今月は八つ入りましたよ」「八つ? そんなに舐めた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入った体で、ふっと吹いて見る。粘着力が強いので決して飛ばない。「いやに頑固だな」と主人は一生懸命に吹く。「ジャムばかりじゃないんです、ほかに買わなけりゃ、ならない物もあります」と妻君は大に不平な気色を両頬に漲らす。「あるかも知れないさ」と主人はまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交る中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴の開くほど眺めていた主人は指の股へ挟んだまま、その鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「ちょっと見ろ、鼻毛の白髪だ」と主人は大に感動した様子である。さすがの妻君も笑いながら茶の間へ這入る。経済問題は断念したらしい。主人はまた天然居士に取り懸る。  鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうと焦る体であるがなかなか筆は動かない。「焼芋を食うも蛇足だ、割愛しよう」とついにこの句も抹殺する。「香一もあまり唐突だから已めろ」と惜気もなく筆誅する。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」と云う一句になってしまった。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章は御廃しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮って原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫」と意味不明な語を連ねているところへ例のごとく迷亭が這入って来る。迷亭は人の家も自分の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然と舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男である。 「また巨人引力かね」と立ったまま主人に聞く。「そう、いつでも巨人引力ばかり書いてはおらんさ。天然居士の墓銘を撰しているところなんだ」と大袈裟な事を云う。「天然居士と云うなあやはり偶然童子のような戒名かね」と迷亭は不相変出鱈目を云う。「偶然童子と云うのもあるのかい」「なに有りゃしないがまずその見当だろうと思っていらあね」「偶然童子と云うのは僕の知ったものじゃないようだが天然居士と云うのは、君の知ってる男だぜ」「一体だれが天然居士なんて名を付けてすましているんだい」「例の曾呂崎の事だ。卒業して大学院へ這入って空間論と云う題目で研究していたが、あまり勉強し過ぎて腹膜炎で死んでしまった。曾呂崎はあれでも僕の親友なんだからな」「親友でもいいさ、決して悪いと云やしない。しかしその曾呂崎を天然居士に変化させたのは一体誰の所作だい」「僕さ、僕がつけてやったんだ。元来坊主のつける戒名ほど俗なものは無いからな」と天然居士はよほど雅な名のように自慢する。迷亭は笑いながら「まあその墓碑銘と云う奴を見せ給え」と原稿を取り上げて「何だ……空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫」と大きな声で読み上る。「なるほどこりゃあ善い、天然居士相当のところだ」主人は嬉しそうに「善いだろう」と云う。「この墓銘を沢庵石へ彫り付けて本堂の裏手へ力石のように抛り出して置くんだね。雅でいいや、天然居士も浮かばれる訳だ」「僕もそうしようと思っているのさ」と主人は至極真面目に答えたが「僕あちょっと失敬するよ、じき帰るから猫にでもからかっていてくれ給え」と迷亭の返事も待たず風然と出て行く。  計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられて無愛想な顔もしていられないから、ニャーニャーと愛嬌を振り蒔いて膝の上へ這い上って見た。すると迷亭は「イヨー大分肥ったな、どれ」と無作法にも吾輩の襟髪を攫んで宙へ釣るす。「あと足をこうぶら下げては、鼠は取れそうもない、……どうです奥さんこの猫は鼠を捕りますかね」と吾輩ばかりでは不足だと見えて、隣りの室の妻君に話しかける。「鼠どころじゃございません。御雑煮を食べて踊りをおどるんですもの」と妻君は飛んだところで旧悪を暴く。吾輩は宙乗りをしながらも少々極りが悪かった。迷亭はまだ吾輩を卸してくれない。「なるほど踊りでもおどりそうな顔だ。奥さんこの猫は油断のならない相好ですぜ。昔しの草双紙にある猫又に似ていますよ」と勝手な事を言いながら、しきりに細君に話しかける。細君は迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。 「どうも御退屈様、もう帰りましょう」と茶を注ぎ易えて迷亭の前へ出す。「どこへ行ったんですかね」「どこへ参るにも断わって行った事の無い男ですから分りかねますが、大方御医者へでも行ったんでしょう」「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人に捕まっちゃ災難ですな」「へえ」と細君は挨拶のしようもないと見えて簡単な答えをする。迷亭は一向頓着しない。「近頃はどうです、少しは胃の加減が能いんですか」「能いか悪いか頓と分りません、いくら甘木さんにかかったって、あんなにジャムばかり甞めては胃病の直る訳がないと思います」と細君は先刻の不平を暗に迷亭に洩らす。「そんなにジャムを甞めるんですかまるで小供のようですね」「ジャムばかりじゃないんで、この頃は胃病の薬だとか云って大根卸しを無暗に甞めますので……」「驚ろいたな」と迷亭は感嘆する。「何でも大根卸の中にはジヤスターゼが有るとか云う話しを新聞で読んでからです」「なるほどそれでジャムの損害を償おうと云う趣向ですな。なかなか考えていらあハハハハ」と迷亭は細君の訴を聞いて大に愉快な気色である。「この間などは赤ん坊にまで甞めさせまして……」「ジャムをですか」「いいえ大根卸を……あなた。坊や御父様がうまいものをやるからおいでてって、――たまに小供を可愛がってくれるかと思うとそんな馬鹿な事ばかりするんです。二三日前には中の娘を抱いて箪笥の上へあげましてね……」「どう云う趣向がありました」と迷亭は何を聞いても趣向ずくめに解釈する。「なに趣向も何も有りゃしません、ただその上から飛び下りて見ろと云うんですわ、三つや四つの女の子ですもの、そんな御転婆な事が出来るはずがないです」「なるほどこりゃ趣向が無さ過ぎましたね。しかしあれで腹の中は毒のない善人ですよ」「あの上腹の中に毒があっちゃ、辛防は出来ませんわ」と細君は大に気焔を揚げる。「まあそんなに不平を云わんでも善いでさあ。こうやって不足なくその日その日が暮らして行かれれば上の分ですよ。苦沙弥君などは道楽はせず、服装にも構わず、地味に世帯向きに出来上った人でさあ」と迷亭は柄にない説教を陽気な調子でやっている。「ところがあなた大違いで……」「何か内々でやりますかね。油断のならない世の中だからね」と飄然とふわふわした返事をする。「ほかの道楽はないですが、無暗に読みもしない本ばかり買いましてね。それも善い加減に見計らって買ってくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮なんか、月々のが溜って大変困りました」「なあに書物なんか取って来るだけ取って来て構わんですよ。払いをとりに来たら今にやる今にやると云っていりゃ帰ってしまいまさあ」「それでも、そういつまでも引張る訳にも参りませんから」と妻君は憮然としている。「それじゃ、訳を話して書籍費を削減させるさ」「どうして、そんな言を云ったって、なかなか聞くものですか、この間などは貴様は学者の妻にも似合わん、毫も書籍の価値を解しておらん、昔し羅馬にこう云う話しがある。後学のため聞いておけと云うんです」「そりゃ面白い、どんな話しですか」迷亭は乗気になる。細君に同情を表しているというよりむしろ好奇心に駆られている。「何んでも昔し羅馬に樽金とか云う王様があって……」「樽金? 樽金はちと妙ですぜ」「私は唐人の名なんかむずかしくて覚えられませんわ。何でも七代目なんだそうです」「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなたまで冷かしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればいいじゃありませんか、人の悪い」と、細君は迷亭へ食って掛る。「何冷かすなんて、そんな人の悪い事をする僕じゃない。ただ七代目樽金は振ってると思ってね……ええお待ちなさいよ羅馬の七代目の王様ですね、こうっとたしかには覚えていないがタークイン・ゼ・プラウドの事でしょう。まあ誰でもいい、その王様がどうしました」「その王様の所へ一人の女が本を九冊持って来て買ってくれないかと云ったんだそうです」「なるほど」「王様がいくらなら売るといって聞いたら大変な高い事を云うんですって、あまり高いもんだから少し負けないかと云うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべて焚いてしまったそうです」「惜しい事をしましたな」「その本の内には予言か何かほかで見られない事が書いてあるんですって」「へえー」「王様は九冊が六冊になったから少しは価も減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうです、それは乱暴だと云うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったと見えて、余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと云うそうです。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘も引かない、それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかも知れないので、王様はとうとう高い御金を出して焚け余りの三冊を買ったんですって……どうだこの話しで少しは書物のありがた味が分ったろう、どうだと力味むのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあ分りませんね」と細君は一家の見識を立てて迷亭の返答を促がす。さすがの迷亭も少々窮したと見えて、袂からハンケチを出して吾輩をじゃらしていたが「しかし奥さん」と急に何か考えついたように大きな声を出す。「あんなに本を買って矢鱈に詰め込むものだから人から少しは学者だとか何とか云われるんですよ。この間ある文学雑誌を見たら苦沙弥君の評が出ていましたよ」「ほんとに?」と細君は向き直る。主人の評判が気にかかるのは、やはり夫婦と見える。「何とかいてあったんです」「なあに二三行ばかりですがね。苦沙弥君の文は行雲流水のごとしとありましたよ」細君は少しにこにこして「それぎりですか」「その次にね――出ずるかと思えば忽ち消え、逝いては長えに帰るを忘るとありましたよ」細君は妙な顔をして「賞めたんでしょうか」と心元ない調子である。「まあ賞めた方でしょうな」と迷亭は済ましてハンケチを吾輩の眼の前にぶら下げる。「書物は商買道具で仕方もござんすまいが、よっぽど偏屈でしてねえ」迷亭はまた別途の方面から来たなと思って「偏屈は少々偏屈ですね、学問をするものはどうせあんなですよ」と調子を合わせるような弁護をするような不即不離の妙答をする。「せんだってなどは学校から帰ってすぐわきへ出るのに着物を着換えるのが面倒だものですから、あなた外套も脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるのです。御膳を火燵櫓の上へ乗せまして――私は御櫃を抱えて坐っておりましたがおかしくって……」「何だかハイカラの首実検のようですな。しかしそんなところが苦沙弥君の苦沙弥君たるところで――とにかく月並でない」と切ない褒め方をする。「月並か月並でないか女には分りませんが、なんぼ何でも、あまり乱暴ですわ」「しかし月並より好いですよ」と無暗に加勢すると細君は不満な様子で「一体、月並月並と皆さんが、よくおっしゃいますが、どんなのが月並なんです」と開き直って月並の定義を質問する、「月並ですか、月並と云うと――さようちと説明しにくいのですが……」「そんな曖昧なものなら月並だって好さそうなものじゃありませんか」と細君は女人一流の論理法で詰め寄せる。「曖昧じゃありませんよ、ちゃんと分っています、ただ説明しにくいだけの事でさあ」「何でも自分の嫌いな事を月並と云うんでしょう」と細君は我知らず穿った事を云う。迷亭もこうなると何とか月並の処置を付けなければならぬ仕儀となる。「奥さん、月並と云うのはね、まず年は二八か二九からぬと言わず語らず物思いの間に寝転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に遊ぶ連中を云うんです」「そんな連中があるでしょうか」と細君は分らんものだから好加減な挨拶をする。「何だかごたごたして私には分りませんわ」とついに我を折る。「それじゃ馬琴の胴へメジョオ・ペンデニスの首をつけて一二年欧州の空気で包んでおくんですね」「そうすると月並が出来るでしょうか」迷亭は返事をしないで笑っている。「何そんな手数のかかる事をしないでも出来ます。中学校の生徒に白木屋の番頭を加えて二で割ると立派な月並が出来上ります」「そうでしょうか」と細君は首を捻ったまま納得し兼ねたと云う風情に見える。 「君まだいるのか」と主人はいつの間にやら帰って来て迷亭の傍へ坐わる。「まだいるのかはちと酷だな、すぐ帰るから待ってい給えと言ったじゃないか」「万事あれなんですもの」と細君は迷亭を顧みる。「今君の留守中に君の逸話を残らず聞いてしまったぜ」「女はとかく多弁でいかん、人間もこの猫くらい沈黙を守るといいがな」と主人は吾輩の頭を撫でてくれる。「君は赤ん坊に大根卸しを甞めさしたそうだな」「ふむ」と主人は笑ったが「赤ん坊でも近頃の赤ん坊はなかなか利口だぜ。それ以来、坊や辛いのはどこと聞くときっと舌を出すから妙だ」「まるで犬に芸を仕込む気でいるから残酷だ。時に寒月はもう来そうなものだな」「寒月が来るのかい」と主人は不審な顔をする。「来るんだ。午後一時までに苦沙弥の家へ来いと端書を出しておいたから」「人の都合も聞かんで勝手な事をする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」「なあに今日のはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとか云うのでね。その稽古をやるから僕に聴いてくれと云うから、そりゃちょうどいい苦沙弥にも聞かしてやろうと云うのでね。そこで君の家へ呼ぶ事にしておいたのさ――なあに君はひま人だからちょうどいいやね――差支えなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭は独りで呑み込んでいる。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断を憤ったもののごとくに云う。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学と云う脱俗超凡な演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首を縊り損くなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で悪寒がするくらいの人間だから聞かれないと云う結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人を顧みながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭を撫でる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。  それから約七分くらいすると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌をするというので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟を聳やかして、男振りを二割方上げて、「少し後れまして」と落ちつき払って、挨拶をする。「さっきから二人で大待ちに待ったところなんだ。早速願おう、なあ君」と主人を見る。主人もやむを得ず「うむ」と生返事をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しましょう」と云う。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求とおいでなさるだろう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠しから草稿を取り出して徐ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置をして、いよいよ演舌の御浚いを始める。 「罪人を絞罪の刑に処すると云う事は重にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、それより古代に溯って考えますと首縊りは重に自殺の方法として行われた者であります。猶太人中に在っては罪人を石を抛げつけて殺す習慣であったそうでございます。旧約全書を研究して見ますといわゆるハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣または肉食鳥の餌食とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人はエジプトを去る以前から夜中死骸を曝されることを痛く忌み嫌ったように思われます。エジプト人は罪人の首を斬って胴だけを十字架に釘付けにして夜中曝し物にしたそうで御座います。波斯人は……」「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「これから本論に這入るところですから、少々御辛防を願います。……さて波斯人はどうかと申しますとこれもやはり処刑には磔を用いたようでございます。但し生きているうちに張付けに致したものか、死んでから釘を打ったものかその辺はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈そうに欠伸をする。「まだいろいろ御話し致したい事もございますが、御迷惑であらっしゃいましょうから……」「あらっしゃいましょうより、いらっしゃいましょうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君」とまた迷亭が咎め立をすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「さていよいよ本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品な詞を使って貰いたいね」と迷亭先生また交ぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでしょう」と寒月君は少々むっとした調子で問いかける。「迷亭のは聴いているのか、交ぜ返しているのか判然しない。寒月君そんな弥次馬に構わず、さっさとやるが好い」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらず飄然たる事を云う。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、オディセーの二十二巻目に出ております。即ち彼のテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するという条りでございます。希臘語で本文を朗読しても宜しゅうございますが、ちと衒うような気味にもなりますからやめに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語云々はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方が奥床しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人は毫も希臘語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。  この絞殺を今から想像して見ますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、彼のテレマカスがユーミアス及びフリーシャスの援を藉りて縄の一端を柱へ括りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方の端をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんだろう」「その通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女の頸を入れておいて、いざと云う時に女の足台を取りはずすと云う趣向なのです」「たとえて云うと縄暖簾の先へ提灯玉を釣したような景色と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云う玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺のところかと思います。――それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云う事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云うと「うん面白い」と主人も一致する。 「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋いでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做し、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」  迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下のごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。 「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中に絞首架即ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再度同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース・プローマンの中には仮令兇漢でも二度絞める法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝って往生さしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死に損いだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊ると背が一寸ばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙弥などはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらい背が延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目に極っています。釣られて脊髄が延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うより壊れるんですからね」「それじゃ、まあ止めよう」と主人は断念する。  演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊のような珍語を挟むのと、主人が時々遠慮なく欠伸をするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁を振ったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れよう訳がない。  二三日は事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃また迷亭先生は例のごとく空々として偶然童子のごとく舞い込んで来た。座に着くと、いきなり「君、越智東風の高輪事件を聞いたかい」と旅順陥落の号外を知らせに来たほどの勢を示す。「知らん、近頃は合わんから」と主人は平生の通り陰気である。「きょうはその東風子の失策物語を御報道に及ぼうと思って忙しいところをわざわざ来たんだよ」「またそんな仰山な事を云う、君は全体不埒な男だ」「ハハハハハ不埒と云わんよりむしろ無埒の方だろう。それだけはちょっと区別しておいて貰わんと名誉に関係するからな」「おんなし事だ」と主人は嘯いている。純然たる天然居士の再来だ。「この前の日曜に東風子が高輪泉岳寺に行ったんだそうだ。この寒いのによせばいいのに――第一今時泉岳寺などへ参るのはさも東京を知らない、田舎者のようじゃないか」「それは東風の勝手さ。君がそれを留める権利はない」「なるほど権利は正にない。権利はどうでもいいが、あの寺内に義士遺物保存会と云う見世物があるだろう。君知ってるか」「うんにゃ」「知らない? だって泉岳寺へ行った事はあるだろう」「いいや」「ない? こりゃ驚ろいた。道理で大変東風を弁護すると思った。江戸っ子が泉岳寺を知らないのは情けない」「知らなくても教師は務まるからな」と主人はいよいよ天然居士になる。「そりゃ好いが、その展覧場へ東風が這入って見物していると、そこへ独逸人が夫婦連で来たんだって。それが最初は日本語で東風に何か質問したそうだ。ところが先生例の通り独逸語が使って見たくてたまらん男だろう。そら二口三口べらべらやって見たとさ。すると存外うまく出来たんだ――あとで考えるとそれが災の本さね」「それからどうした」と主人はついに釣り込まれる。「独逸人が大鷹源吾の蒔絵の印籠を見て、これを買いたいが売ってくれるだろうかと聞くんだそうだ。その時東風の返事が面白いじゃないか、日本人は清廉の君子ばかりだから到底駄目だと云ったんだとさ。その辺は大分景気がよかったが、それから独逸人の方では恰好な通弁を得たつもりでしきりに聞くそうだ」「何を?」「それがさ、何だか分るくらいなら心配はないんだが、早口で無暗に問い掛けるものだから少しも要領を得ないのさ。たまに分るかと思うと鳶口や掛矢の事を聞かれる。西洋の鳶口や掛矢は先生何と翻訳して善いのか習った事が無いんだから弱わらあね」「もっともだ」と主人は教師の身の上に引き較べて同情を表する。「ところへ閑人が物珍しそうにぽつぽつ集ってくる。仕舞には東風と独逸人を四方から取り巻いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初めの勢に引き易えて先生大弱りの体さ」「結局どうなったんだい」「仕舞に東風が我慢出来なくなったと見えてさいならと日本語で云ってぐんぐん帰って来たそうだ、さいならは少し変だ君の国ではさよならをさいならと云うかって聞いて見たら何やっぱりさよならですが相手が西洋人だから調和を計るために、さいならにしたんだって、東風子は苦しい時でも調和を忘れない男だと感心した」「さいならはいいが西洋人はどうした」「西洋人はあっけに取られて茫然と見ていたそうだハハハハ面白いじゃないか」「別段面白い事もないようだ。それをわざわざ報知に来る君の方がよっぽど面白いぜ」と主人は巻煙草の灰を火桶の中へはたき落す。折柄格子戸のベルが飛び上るほど鳴って「御免なさい」と鋭どい女の声がする。迷亭と主人は思わず顔を見合わせて沈黙する。  主人のうちへ女客は稀有だなと見ていると、かの鋭どい声の所有主は縮緬の二枚重ねを畳へ擦り付けながら這入って来る。年は四十の上を少し超したくらいだろう。抜け上った生え際から前髪が堤防工事のように高く聳えて、少なくとも顔の長さの二分の一だけ天に向ってせり出している。眼が切り通しの坂くらいな勾配で、直線に釣るし上げられて左右に対立する。直線とは鯨より細いという形容である。鼻だけは無暗に大きい。人の鼻を盗んで来て顔の真中へ据え付けたように見える。三坪ほどの小庭へ招魂社の石灯籠を移した時のごとく、独りで幅を利かしているが、何となく落ちつかない。その鼻はいわゆる鍵鼻で、ひと度は精一杯高くなって見たが、これではあんまりだと中途から謙遜して、先の方へ行くと、初めの勢に似ず垂れかかって、下にある唇を覗き込んでいる。かく著るしい鼻だから、この女が物を言うときは口が物を言うと云わんより、鼻が口をきいているとしか思われない。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、以来はこの女を称して鼻子鼻子と呼ぶつもりである。鼻子は先ず初対面の挨拶を終って「どうも結構な御住居ですこと」と座敷中を睨め廻わす。主人は「嘘をつけ」と腹の中で言ったまま、ぷかぷか煙草をふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありゃ雨洩りか、板の木目か、妙な模様が出ているぜ」と暗に主人を促がす。「無論雨の洩りさ」と主人が答えると「結構だなあ」と迷亭がすまして云う。鼻子は社交を知らぬ人達だと腹の中で憤る。しばらくは三人鼎坐のまま無言である。 「ちと伺いたい事があって、参ったんですが」と鼻子は再び話の口を切る。「はあ」と主人が極めて冷淡に受ける。これではならぬと鼻子は、「実は私はつい御近所で――あの向う横丁の角屋敷なんですが」「あの大きな西洋館の倉のあるうちですか、道理であすこには金田と云う標札が出ていますな」と主人はようやく金田の西洋館と、金田の倉を認識したようだが金田夫人に対する尊敬の度合は前と同様である。「実は宿が出まして、御話を伺うんですが会社の方が大変忙がしいもんですから」と今度は少し利いたろうという眼付をする。主人は一向動じない。鼻子の先刻からの言葉遣いが初対面の女としてはあまり存在過ぎるのですでに不平なのである。「会社でも一つじゃ無いんです、二つも三つも兼ねているんです。それにどの会社でも重役なんで――多分御存知でしょうが」これでも恐れ入らぬかと云う顔付をする。元来ここの主人は博士とか大学教授とかいうと非常に恐縮する男であるが、妙な事には実業家に対する尊敬の度は極めて低い。実業家よりも中学校の先生の方がえらいと信じている。よし信じておらんでも、融通の利かぬ性質として、到底実業家、金満家の恩顧を蒙る事は覚束ないと諦らめている。いくら先方が勢力家でも、財産家でも、自分が世話になる見込のないと思い切った人の利害には極めて無頓着である。それだから学者社会を除いて他の方面の事には極めて迂濶で、ことに実業界などでは、どこに、だれが何をしているか一向知らん。知っても尊敬畏服の念は毫も起らんのである。鼻子の方では天が下の一隅にこんな変人がやはり日光に照らされて生活していようとは夢にも知らない。今まで世の中の人間にも大分接して見たが、金田の妻ですと名乗って、急に取扱いの変らない場合はない、どこの会へ出ても、どんな身分の高い人の前でも立派に金田夫人で通して行かれる、いわんやこんな燻り返った老書生においてをやで、私の家は向う横丁の角屋敷ですとさえ云えば職業などは聞かぬ先から驚くだろうと予期していたのである。 「金田って人を知ってるか」と主人は無雑作に迷亭に聞く。「知ってるとも、金田さんは僕の伯父の友達だ。この間なんざ園遊会へおいでになった」と迷亭は真面目な返事をする。「へえ、君の伯父さんてえな誰だい」「牧山男爵さ」と迷亭はいよいよ真面目である。主人が何か云おうとして云わぬ先に、鼻子は急に向き直って迷亭の方を見る。迷亭は大島紬に古渡更紗か何か重ねてすましている。「おや、あなたが牧山様の――何でいらっしゃいますか、ちっとも存じませんで、はなはだ失礼を致しました。牧山様には始終御世話になると、宿で毎々御噂を致しております」と急に叮嚀な言葉使をして、おまけに御辞儀までする、迷亭は「へええ何、ハハハハ」と笑っている。主人はあっ気に取られて無言で二人を見ている。「たしか娘の縁辺の事につきましてもいろいろ牧山さまへ御心配を願いましたそうで……」「へえー、そうですか」とこればかりは迷亭にもちと唐突過ぎたと見えてちょっと魂消たような声を出す。「実は方々からくれくれと申し込はございますが、こちらの身分もあるものでございますから、滅多な所へも片付けられませんので……」「ごもっともで」と迷亭はようやく安心する。「それについて、あなたに伺おうと思って上がったんですがね」と鼻子は主人の方を見て急に存在な言葉に返る。「あなたの所へ水島寒月という男が度々上がるそうですが、あの人は全体どんな風な人でしょう」「寒月の事を聞いて、何にするんです」と主人は苦々しく云う。「やはり御令嬢の御婚儀上の関係で、寒月君の性行の一斑を御承知になりたいという訳でしょう」と迷亭が気転を利かす。「それが伺えれば大変都合が宜しいのでございますが……」「それじゃ、御令嬢を寒月におやりになりたいとおっしゃるんで」「やりたいなんてえんじゃ無いんです」と鼻子は急に主人を参らせる。「ほかにもだんだん口が有るんですから、無理に貰っていただかないだって困りゃしません」「それじゃ寒月の事なんか聞かんでも好いでしょう」と主人も躍起となる。「しかし御隠しなさる訳もないでしょう」と鼻子も少々喧嘩腰になる。迷亭は双方の間に坐って、銀煙管を軍配団扇のように持って、心の裡で八卦よいやよいやと怒鳴っている。「じゃあ寒月の方で是非貰いたいとでも云ったのですか」と主人が正面から鉄砲を喰わせる。「貰いたいと云ったんじゃないんですけれども……」「貰いたいだろうと思っていらっしゃるんですか」と主人はこの婦人鉄砲に限ると覚ったらしい。「話しはそんなに運んでるんじゃありませんが――寒月さんだって満更嬉しくない事もないでしょう」と土俵際で持ち直す。「寒月が何かその御令嬢に恋着したというような事でもありますか」あるなら云って見ろと云う権幕で主人は反り返る。「まあ、そんな見当でしょうね」今度は主人の鉄砲が少しも功を奏しない。今まで面白気に行司気取りで見物していた迷亭も鼻子の一言に好奇心を挑撥されたものと見えて、煙管を置いて前へ乗り出す。「寒月が御嬢さんに付け文でもしたんですか、こりゃ愉快だ、新年になって逸話がまた一つ殖えて話しの好材料になる」と一人で喜んでいる。「付け文じゃないんです、もっと烈しいんでさあ、御二人とも御承知じゃありませんか」と鼻子は乙にからまって来る。「君知ってるか」と主人は狐付きのような顔をして迷亭に聞く。迷亭も馬鹿気た調子で「僕は知らん、知っていりゃ君だ」とつまらんところで謙遜する。「いえ御両人共御存じの事ですよ」と鼻子だけ大得意である。「へえー」と御両人は一度に感じ入る。「御忘れになったら私しから御話をしましょう。去年の暮向島の阿部さんの御屋敷で演奏会があって寒月さんも出掛けたじゃありませんか、その晩帰りに吾妻橋で何かあったでしょう――詳しい事は言いますまい、当人の御迷惑になるかも知れませんから――あれだけの証拠がありゃ充分だと思いますが、どんなものでしょう」と金剛石入りの指環の嵌った指を、膝の上へ併べて、つんと居ずまいを直す。偉大なる鼻がますます異彩を放って、迷亭も主人も有れども無きがごとき有様である。  主人は無論、さすがの迷亭もこの不意撃には胆を抜かれたものと見えて、しばらくは呆然として瘧の落ちた病人のように坐っていたが、驚愕の箍がゆるんでだんだん持前の本態に復すると共に、滑稽と云う感じが一度に吶喊してくる。両人は申し合せたごとく「ハハハハハ」と笑い崩れる。鼻子ばかりは少し当てがはずれて、この際笑うのははなはだ失礼だと両人を睨みつける。「あれが御嬢さんですか、なるほどこりゃいい、おっしゃる通りだ、ねえ苦沙弥君、全く寒月はお嬢さんを恋ってるに相違ないね……もう隠したってしようがないから白状しようじゃないか」「ウフン」と主人は云ったままである。「本当に御隠しなさってもいけませんよ、ちゃんと種は上ってるんですからね」と鼻子はまた得意になる。「こうなりゃ仕方がない。何でも寒月君に関する事実は御参考のために陳述するさ、おい苦沙弥君、君が主人だのに、そう、にやにや笑っていては埒があかんじゃないか、実に秘密というものは恐ろしいものだねえ。いくら隠しても、どこからか露見するからな。――しかし不思議と云えば不思議ですねえ、金田の奥さん、どうしてこの秘密を御探知になったんです、実に驚ろきますな」と迷亭は一人で喋舌る。「私しの方だって、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり顔をする。「あんまり、ぬかりが無さ過ぎるようですぜ。一体誰に御聞きになったんです」「じきこの裏にいる車屋の神さんからです」「あの黒猫のいる車屋ですか」と主人は眼を丸くする。「ええ、寒月さんの事じゃ、よっぽど使いましたよ。寒月さんが、ここへ来る度に、どんな話しをするかと思って車屋の神さんを頼んで一々知らせて貰うんです」「そりゃ苛い」と主人は大きな声を出す。「なあに、あなたが何をなさろうとおっしゃろうと、それに構ってるんじゃないんです。寒月さんの事だけですよ」「寒月の事だって、誰の事だって――全体あの車屋の神さんは気に食わん奴だ」と主人は一人怒り出す。「しかしあなたの垣根のそとへ来て立っているのは向うの勝手じゃありませんか、話しが聞えてわるけりゃもっと小さい声でなさるか、もっと大きなうちへ御這入んなさるがいいでしょう」と鼻子は少しも赤面した様子がない。「車屋ばかりじゃありません。新道の二絃琴の師匠からも大分いろいろな事を聞いています」「寒月の事をですか」「寒月さんばかりの事じゃありません」と少し凄い事を云う。主人は恐れ入るかと思うと「あの師匠はいやに上品ぶって自分だけ人間らしい顔をしている、馬鹿野郎です」「憚り様、女ですよ。野郎は御門違いです」と鼻子の言葉使いはますます御里をあらわして来る。これではまるで喧嘩をしに来たようなものであるが、そこへ行くと迷亭はやはり迷亭でこの談判を面白そうに聞いている。鉄枴仙人が軍鶏の蹴合いを見るような顔をして平気で聞いている。  悪口の交換では到底鼻子の敵でないと自覚した主人は、しばらく沈黙を守るのやむを得ざるに至らしめられていたが、ようやく思い付いたか「あなたは寒月の方から御嬢さんに恋着したようにばかりおっしゃるが、私の聞いたんじゃ、少し違いますぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救いを求める。「うん、あの時の話しじゃ御嬢さんの方が、始め病気になって――何だか譫語をいったように聞いたね」「なにそんな事はありません」と金田夫人は判然たる直線流の言葉使いをする。「それでも寒月はたしかに○○博士の夫人から聞いたと云っていましたぜ」「それがこっちの手なんでさあ、○○博士の奥さんを頼んで寒月さんの気を引いて見たんでさあね」「○○の奥さんは、それを承知で引き受けたんですか」「ええ。引き受けて貰うたって、ただじゃ出来ませんやね、それやこれやでいろいろ物を使っているんですから」「是非寒月君の事を根堀り葉堀り御聞きにならなくっちゃ御帰りにならないと云う決心ですかね」と迷亭も少し気持を悪くしたと見えて、いつになく手障りのあらい言葉を使う。「いいや君、話したって損の行く事じゃなし、話そうじゃないか苦沙弥君――奥さん、私でも苦沙弥でも寒月君に関する事実で差支えのない事は、みんな話しますからね、――そう、順を立ててだんだん聞いて下さると都合がいいですね」  鼻子はようやく納得してそろそろ質問を呈出する。一時荒立てた言葉使いも迷亭に対してはまたもとのごとく叮嚀になる。「寒月さんも理学士だそうですが、全体どんな事を専門にしているのでございます」「大学院では地球の磁気の研究をやっています」と主人が真面目に答える。不幸にしてその意味が鼻子には分らんものだから「へえー」とは云ったが怪訝な顔をしている。「それを勉強すると博士になれましょうか」と聞く。「博士にならなければやれないとおっしゃるんですか」と主人は不愉快そうに尋ねる。「ええ。ただの学士じゃね、いくらでもありますからね」と鼻子は平気で答える。主人は迷亭を見ていよいよいやな顔をする。「博士になるかならんかは僕等も保証する事が出来んから、ほかの事を聞いていただく事にしよう」と迷亭もあまり好い機嫌ではない。「近頃でもその地球の――何かを勉強しているんでございましょうか」「二三日前は首縊りの力学と云う研究の結果を理学協会で演説しました」と主人は何の気も付かずに云う。「おやいやだ、首縊りだなんて、よっぽど変人ですねえ。そんな首縊りや何かやってたんじゃ、とても博士にはなれますまいね」「本人が首を縊っちゃあむずかしいですが、首縊りの力学なら成れないとも限らんです」「そうでしょうか」と今度は主人の方を見て顔色を窺う。悲しい事に力学と云う意味がわからんので落ちつきかねている。しかしこれしきの事を尋ねては金田夫人の面目に関すると思ってか、ただ相手の顔色で八卦を立てて見る。主人の顔は渋い。「そのほかになにか、分り易いものを勉強しておりますまいか」「そうですな、せんだって団栗のスタビリチーを論じて併せて天体の運行に及ぶと云う論文を書いた事があります」「団栗なんぞでも大学校で勉強するものでしょうか」「さあ僕も素人だからよく分らんが、何しろ、寒月君がやるくらいなんだから、研究する価値があると見えますな」と迷亭はすまして冷かす。鼻子は学問上の質問は手に合わんと断念したものと見えて、今度は話題を転ずる。「御話は違いますが――この御正月に椎茸を食べて前歯を二枚折ったそうじゃございませんか」「ええその欠けたところに空也餅がくっ付いていましてね」と迷亭はこの質問こそ吾縄張内だと急に浮かれ出す。「色気のない人じゃございませんか、何だって楊子を使わないんでしょう」「今度逢ったら注意しておきましょう」と主人がくすくす笑う。「椎茸で歯がかけるくらいじゃ、よほど歯の性が悪いと思われますが、如何なものでしょう」「善いとは言われますまいな――ねえ迷亭」「善い事はないがちょっと愛嬌があるよ。あれぎり、まだ填めないところが妙だ。今だに空也餅引掛所になってるなあ奇観だぜ」「歯を填める小遣がないので欠けなりにしておくんですか、または物好きで欠けなりにしておくんでしょうか」「何も永く前歯欠成を名乗る訳でもないでしょうから御安心なさいよ」と迷亭の機嫌はだんだん回復してくる。鼻子はまた問題を改める。「何か御宅に手紙かなんぞ当人の書いたものでもございますならちょっと拝見したいもんでございますが」「端書なら沢山あります、御覧なさい」と主人は書斎から三四十枚持って来る。「そんなに沢山拝見しないでも――その内の二三枚だけ……」「どれどれ僕が好いのを撰ってやろう」と迷亭先生は「これなざあ面白いでしょう」と一枚の絵葉書を出す。「おや絵もかくんでございますか、なかなか器用ですね、どれ拝見しましょう」と眺めていたが「あらいやだ、狸だよ。何だって撰りに撰って狸なんぞかくんでしょうね――それでも狸と見えるから不思議だよ」と少し感心する。「その文句を読んで御覧なさい」と主人が笑いながら云う。鼻子は下女が新聞を読むように読み出す。「旧暦の歳の夜、山の狸が園遊会をやって盛に舞踏します。その歌に曰く、来いさ、としの夜で、御山婦美も来まいぞ。スッポコポンノポン」「何ですこりゃ、人を馬鹿にしているじゃございませんか」と鼻子は不平の体である。「この天女は御気に入りませんか」と迷亭がまた一枚出す。見ると天女が羽衣を着て琵琶を弾いている。「この天女の鼻が少し小さ過ぎるようですが」「何、それが人並ですよ、鼻より文句を読んで御覧なさい」文句にはこうある。「昔しある所に一人の天文学者がありました。ある夜いつものように高い台に登って、一心に星を見ていますと、空に美しい天女が現われ、この世では聞かれぬほどの微妙な音楽を奏し出したので、天文学者は身に沁む寒さも忘れて聞き惚れてしまいました。朝見るとその天文学者の死骸に霜が真白に降っていました。これは本当の噺だと、あのうそつきの爺やが申しました」「何の事ですこりゃ、意味も何もないじゃありませんか、これでも理学士で通るんですかね。ちっと文芸倶楽部でも読んだらよさそうなものですがねえ」と寒月君さんざんにやられる。迷亭は面白半分に「こりゃどうです」と三枚目を出す。今度は活版で帆懸舟が印刷してあって、例のごとくその下に何か書き散らしてある。「よべの泊りの十六小女郎、親がないとて、荒磯の千鳥、さよの寝覚の千鳥に泣いた、親は船乗り波の底」「うまいのねえ、感心だ事、話せるじゃありませんか」「話せますかな」「ええこれなら三味線に乗りますよ」「三味線に乗りゃ本物だ。こりゃ如何です」と迷亭は無暗に出す。「いえ、もうこれだけ拝見すれば、ほかのは沢山で、そんなに野暮でないんだと云う事は分りましたから」と一人で合点している。鼻子はこれで寒月に関する大抵の質問を卒えたものと見えて、「これははなはだ失礼を致しました。どうか私の参った事は寒月さんへは内々に願います」と得手勝手な要求をする。寒月の事は何でも聞かなければならないが、自分の方の事は一切寒月へ知らしてはならないと云う方針と見える。迷亭も主人も「はあ」と気のない返事をすると「いずれその内御礼は致しますから」と念を入れて言いながら立つ。見送りに出た両人が席へ返るや否や迷亭が「ありゃ何だい」と云うと主人も「ありゃ何だい」と双方から同じ問をかける。奥の部屋で細君が怺え切れなかったと見えてクツクツ笑う声が聞える。迷亭は大きな声を出して「奥さん奥さん、月並の標本が来ましたぜ。月並もあのくらいになるとなかなか振っていますなあ。さあ遠慮はいらんから、存分御笑いなさい」  主人は不満な口気で「第一気に喰わん顔だ」と悪らしそうに云うと、迷亭はすぐ引きうけて「鼻が顔の中央に陣取って乙に構えているなあ」とあとを付ける。「しかも曲っていらあ」「少し猫背だね。猫背の鼻は、ちと奇抜過ぎる」と面白そうに笑う。「夫を剋する顔だ」と主人はなお口惜しそうである。「十九世紀で売れ残って、二十世紀で店曝しに逢うと云う相だ」と迷亭は妙な事ばかり云う。ところへ妻君が奥の間から出て来て、女だけに「あんまり悪口をおっしゃると、また車屋の神さんにいつけられますよ」と注意する。「少しいつける方が薬ですよ、奥さん」「しかし顔の讒訴などをなさるのは、あまり下等ですわ、誰だって好んであんな鼻を持ってる訳でもありませんから――それに相手が婦人ですからね、あんまり苛いわ」と鼻子の鼻を弁護すると、同時に自分の容貌も間接に弁護しておく。「何ひどいものか、あんなのは婦人じゃない、愚人だ、ねえ迷亭君」「愚人かも知れんが、なかなかえら者だ、大分引き掻かれたじゃないか」「全体教師を何と心得ているんだろう」「裏の車屋くらいに心得ているのさ。ああ云う人物に尊敬されるには博士になるに限るよ、一体博士になっておかんのが君の不了見さ、ねえ奥さん、そうでしょう」と迷亭は笑いながら細君を顧みる。「博士なんて到底駄目ですよ」と主人は細君にまで見離される。「これでも今になるかも知れん、軽蔑するな。貴様なぞは知るまいが昔しアイソクラチスと云う人は九十四歳で大著述をした。ソフォクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、ほとんど百歳の高齢だった。シモニジスは八十で妙詩を作った。おれだって……」「馬鹿馬鹿しいわ、あなたのような胃病でそんなに永く生きられるものですか」と細君はちゃんと主人の寿命を予算している。「失敬な、――甘木さんへ行って聞いて見ろ――元来御前がこんな皺苦茶な黒木綿の羽織や、つぎだらけの着物を着せておくから、あんな女に馬鹿にされるんだ。あしたから迷亭の着ているような奴を着るから出しておけ」「出しておけって、あんな立派な御召はござんせんわ。金田の奥さんが迷亭さんに叮嚀になったのは、伯父さんの名前を聞いてからですよ。着物の咎じゃございません」と細君うまく責任を逃がれる。  主人は伯父さんと云う言葉を聞いて急に思い出したように「君に伯父があると云う事は、今日始めて聞いた。今までついに噂をした事がないじゃないか、本当にあるのかい」と迷亭に聞く。迷亭は待ってたと云わぬばかりに「うんその伯父さ、その伯父が馬鹿に頑物でねえ――やはりその十九世紀から連綿と今日まで生き延びているんだがね」と主人夫婦を半々に見る。「オホホホホホ面白い事ばかりおっしゃって、どこに生きていらっしゃるんです」「静岡に生きてますがね、それがただ生きてるんじゃ無いです。頭にちょん髷を頂いて生きてるんだから恐縮しまさあ。帽子を被れってえと、おれはこの年になるが、まだ帽子を被るほど寒さを感じた事はないと威張ってるんです――寒いから、もっと寝ていらっしゃいと云うと、人間は四時間寝れば充分だ。四時間以上寝るのは贅沢の沙汰だって朝暗いうちから起きてくるんです。それでね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、永年修業をしたもんだ、若いうちはどうしても眠たくていかなんだが、近頃に至って始めて随処任意の庶境に入ってはなはだ嬉しいと自慢するんです。六十七になって寝られなくなるなあ当り前でさあ。修業も糸瓜も入ったものじゃないのに当人は全く克己の力で成功したと思ってるんですからね。それで外出する時には、きっと鉄扇をもって出るんですがね」「なににするんだい」「何にするんだか分らない、ただ持って出るんだね。まあステッキの代りくらいに考えてるかも知れんよ。ところがせんだって妙な事がありましてね」と今度は細君の方へ話しかける。「へえー」と細君が差し合のない返事をする。「此年の春突然手紙を寄こして山高帽子とフロックコートを至急送れと云うんです。ちょっと驚ろいたから、郵便で問い返したところが老人自身が着ると云う返事が来ました。二十三日に静岡で祝捷会があるからそれまでに間に合うように、至急調達しろと云う命令なんです。ところがおかしいのは命令中にこうあるんです。帽子は好い加減な大きさのを買ってくれ、洋服も寸法を見計らって大丸へ注文してくれ……」「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白木屋と間違えたんだあね」「寸法を見計ってくれたって無理じゃないか」「そこが伯父の伯父たるところさ」「どうした?」「仕方がないから見計らって送ってやった」「君も乱暴だな。それで間に合ったのかい」「まあ、どうにか、こうにかおっついたんだろう。国の新聞を見たら、当日牧山翁は珍らしくフロックコートにて、例の鉄扇を持ち……」「鉄扇だけは離さなかったと見えるね」「うん死んだら棺の中へ鉄扇だけは入れてやろうと思っているよ」「それでも帽子も洋服も、うまい具合に着られて善かった」「ところが大間違さ。僕も無事に行ってありがたいと思ってると、しばらくして国から小包が届いたから、何か礼でもくれた事と思って開けて見たら例の山高帽子さ、手紙が添えてあってね、せっかく御求め被下候えども少々大きく候間、帽子屋へ御遣わしの上、御縮め被下度候。縮め賃は小為替にて此方より御送可申上候とあるのさ」「なるほど迂濶だな」と主人は己れより迂濶なものの天下にある事を発見して大に満足の体に見える。やがて「それから、どうした」と聞く。「どうするったって仕方がないから僕が頂戴して被っていらあ」「あの帽子かあ」と主人がにやにや笑う。「その方が男爵でいらっしゃるんですか」と細君が不思議そうに尋ねる。「誰がです」「その鉄扇の伯父さまが」「なあに漢学者でさあ、若い時聖堂で朱子学か、何かにこり固まったものだから、電気灯の下で恭しくちょん髷を頂いているんです。仕方がありません」とやたらに顋を撫で廻す。「それでも君は、さっきの女に牧山男爵と云ったようだぜ」「そうおっしゃいましたよ、私も茶の間で聞いておりました」と細君もこれだけは主人の意見に同意する。「そうでしたかなアハハハハハ」と迷亭は訳もなく笑う。「そりゃ嘘ですよ。僕に男爵の伯父がありゃ、今頃は局長くらいになっていまさあ」と平気なものである。「何だか変だと思った」と主人は嬉しそうな、心配そうな顔付をする。「あらまあ、よく真面目であんな嘘が付けますねえ。あなたもよっぽど法螺が御上手でいらっしゃる事」と細君は非常に感心する。「僕より、あの女の方が上わ手でさあ」「あなただって御負けなさる気遣いはありません」「しかし奥さん、僕の法螺は単なる法螺ですよ。あの女のは、みんな魂胆があって、曰く付きの嘘ですぜ。たちが悪いです。猿智慧から割り出した術数と、天来の滑稽趣味と混同されちゃ、コメディーの神様も活眼の士なきを嘆ぜざるを得ざる訳に立ち至りますからな」主人は俯目になって「どうだか」と云う。妻君は笑いながら「同じ事ですわ」と云う。  吾輩は今まで向う横丁へ足を踏み込んだ事はない。角屋敷の金田とは、どんな構えか見た事は無論ない。聞いた事さえ今が始めてである。主人の家で実業家が話頭に上った事は一返もないので、主人の飯を食う吾輩までがこの方面には単に無関係なるのみならず、はなはだ冷淡であった。しかるに先刻図らずも鼻子の訪問を受けて、余所ながらその談話を拝聴し、その令嬢の艶美を想像し、またその富貴、権勢を思い浮べて見ると、猫ながら安閑として椽側に寝転んでいられなくなった。しかのみならず吾輩は寒月君に対してはなはだ同情の至りに堪えん。先方では博士の奥さんやら、車屋の神さんやら、二絃琴の天璋院まで買収して知らぬ間に、前歯の欠けたのさえ探偵しているのに、寒月君の方ではただニヤニヤして羽織の紐ばかり気にしているのは、いかに卒業したての理学士にせよ、あまり能がなさ過ぎる。と言って、ああ云う偉大な鼻を顔の中に安置している女の事だから、滅多な者では寄り付ける訳の者ではない。こう云う事件に関しては主人はむしろ無頓着でかつあまりに銭がなさ過ぎる。迷亭は銭に不自由はしないが、あんな偶然童子だから、寒月に援けを与える便宜は尠かろう。して見ると可哀相なのは首縊りの力学を演説する先生ばかりとなる。吾輩でも奮発して、敵城へ乗り込んでその動静を偵察してやらなくては、あまり不公平である。吾輩は猫だけれど、エピクテタスを読んで机の上へ叩きつけるくらいな学者の家に寄寓する猫で、世間一般の痴猫、愚猫とは少しく撰を殊にしている。この冒険をあえてするくらいの義侠心は固より尻尾の先に畳み込んである。何も寒月君に恩になったと云う訳もないが、これはただに個人のためにする血気躁狂の沙汰ではない。大きく云えば公平を好み中庸を愛する天意を現実にする天晴な美挙だ。人の許諾を経ずして吾妻橋事件などを至る処に振り廻わす以上は、人の軒下に犬を忍ばして、その報道を得々として逢う人に吹聴する以上は、車夫、馬丁、無頼漢、ごろつき書生、日雇婆、産婆、妖婆、按摩、頓馬に至るまでを使用して国家有用の材に煩を及ぼして顧みざる以上は――猫にも覚悟がある。幸い天気も好い、霜解は少々閉口するが道のためには一命もすてる。足の裏へ泥が着いて、椽側へ梅の花の印を押すくらいな事は、ただ御三の迷惑にはなるか知れんが、吾輩の苦痛とは申されない。翌日とも云わずこれから出掛けようと勇猛精進の大決心を起して台所まで飛んで出たが「待てよ」と考えた。吾輩は猫として進化の極度に達しているのみならず、脳力の発達においてはあえて中学の三年生に劣らざるつもりであるが、悲しいかな咽喉の構造だけはどこまでも猫なので人間の言語が饒舌れない。よし首尾よく金田邸へ忍び込んで、充分敵の情勢を見届けたところで、肝心の寒月君に教えてやる訳に行かない。主人にも迷亭先生にも話せない。話せないとすれば土中にある金剛石の日を受けて光らぬと同じ事で、せっかくの智識も無用の長物となる。これは愚だ、やめようかしらんと上り口で佇んで見た。  しかし一度思い立った事を中途でやめるのは、白雨が来るかと待っている時黒雲共隣国へ通り過ぎたように、何となく残り惜しい。それも非がこっちにあれば格別だが、いわゆる正義のため、人道のためなら、たとい無駄死をやるまでも進むのが、義務を知る男児の本懐であろう。無駄骨を折り、無駄足を汚すくらいは猫として適当のところである。猫と生れた因果で寒月、迷亭、苦沙弥諸先生と三寸の舌頭に相互の思想を交換する技倆はないが、猫だけに忍びの術は諸先生より達者である。他人の出来ぬ事を成就するのはそれ自身において愉快である。吾一箇でも、金田の内幕を知るのは、誰も知らぬより愉快である。人に告げられんでも人に知られているなと云う自覚を彼等に与うるだけが愉快である。こんなに愉快が続々出て来ては行かずにはいられない。やはり行く事に致そう。  向う横町へ来て見ると、聞いた通りの西洋館が角地面を吾物顔に占領している。この主人もこの西洋館のごとく傲慢に構えているんだろうと、門を這入ってその建築を眺めて見たがただ人を威圧しようと、二階作りが無意味に突っ立っているほかに何等の能もない構造であった。迷亭のいわゆる月並とはこれであろうか。玄関を右に見て、植込の中を通り抜けて、勝手口へ廻る。さすがに勝手は広い、苦沙弥先生の台所の十倍はたしかにある。せんだって日本新聞に詳しく書いてあった大隈伯の勝手にも劣るまいと思うくらい整然とぴかぴかしている。「模範勝手だな」と這入り込む。見ると漆喰で叩き上げた二坪ほどの土間に、例の車屋の神さんが立ちながら、御飯焚きと車夫を相手にしきりに何か弁じている。こいつは剣呑だと水桶の裏へかくれる。「あの教師あ、うちの旦那の名を知らないのかね」と飯焚が云う。「知らねえ事があるもんか、この界隈で金田さんの御屋敷を知らなけりゃ眼も耳もねえ片輪だあな」これは抱え車夫の声である。「なんとも云えないよ。あの教師と来たら、本よりほかに何にも知らない変人なんだからねえ。旦那の事を少しでも知ってりゃ恐れるかも知れないが、駄目だよ、自分の小供の歳さえ知らないんだもの」と神さんが云う。「金田さんでも恐れねえかな、厄介な唐変木だ。構あ事あねえ、みんなで威嚇かしてやろうじゃねえか」「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰わないのって――そりゃあ酷い事を云うんだよ。自分の面あ今戸焼の狸見たような癖に――あれで一人前だと思っているんだからやれ切れないじゃないか」「顔ばかりじゃない、手拭を提げて湯に行くところからして、いやに高慢ちきじゃないか。自分くらいえらい者は無いつもりでいるんだよ」と苦沙弥先生は飯焚にも大に不人望である。「何でも大勢であいつの垣根の傍へ行って悪口をさんざんいってやるんだね」「そうしたらきっと恐れ入るよ」「しかしこっちの姿を見せちゃあ面白くねえから、声だけ聞かして、勉強の邪魔をした上に、出来るだけじらしてやれって、さっき奥様が言い付けておいでなすったぜ」「そりゃ分っているよ」と神さんは悪口の三分の一を引き受けると云う意味を示す。なるほどこの手合が苦沙弥先生を冷やかしに来るなと三人の横を、そっと通り抜けて奥へ這入る。  猫の足はあれども無きがごとし、どこを歩いても不器用な音のした試しがない。空を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水中に磬を打つがごとく、洞裏に瑟を鼓するがごとく、醍醐の妙味を甞めて言詮のほかに冷暖を自知するがごとし。月並な西洋館もなく、模範勝手もなく、車屋の神さんも、権助も、飯焚も、御嬢さまも、仲働きも、鼻子夫人も、夫人の旦那様もない。行きたいところへ行って聞きたい話を聞いて、舌を出し尻尾を掉って、髭をぴんと立てて悠々と帰るのみである。ことに吾輩はこの道に掛けては日本一の堪能である。草双紙にある猫又の血脈を受けておりはせぬかと自ら疑うくらいである。蟇の額には夜光の明珠があると云うが、吾輩の尻尾には神祇釈教恋無常は無論の事、満天下の人間を馬鹿にする一家相伝の妙薬が詰め込んである。金田家の廊下を人の知らぬ間に横行するくらいは、仁王様が心太を踏み潰すよりも容易である。この時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、これも普段大事にする尻尾の御蔭だなと気が付いて見るとただ置かれない。吾輩の尊敬する尻尾大明神を礼拝してニャン運長久を祈らばやと、ちょっと低頭して見たが、どうも少し見当が違うようである。なるべく尻尾の方を見て三拝しなければならん。尻尾の方を見ようと身体を廻すと尻尾も自然と廻る。追付こうと思って首をねじると、尻尾も同じ間隔をとって、先へ馳け出す。なるほど天地玄黄を三寸裏に収めるほどの霊物だけあって、到底吾輩の手に合わない、尻尾を環る事七度び半にして草臥れたからやめにした。少々眼がくらむ。どこにいるのだかちょっと方角が分らなくなる。構うものかと滅茶苦茶にあるき廻る。障子の裏で鼻子の声がする。ここだと立ち留まって、左右の耳をはすに切って、息を凝らす。「貧乏教師の癖に生意気じゃありませんか」と例の金切り声を振り立てる。「うん、生意気な奴だ、ちと懲らしめのためにいじめてやろう。あの学校にゃ国のものもいるからな」「誰がいるの?」「津木ピン助や福地キシャゴがいるから、頼んでからかわしてやろう」吾輩は金田君の生国は分らんが、妙な名前の人間ばかり揃った所だと少々驚いた。金田君はなお語をついで、「あいつは英語の教師かい」と聞く。「はあ、車屋の神さんの話では英語のリードルか何か専門に教えるんだって云います」「どうせ碌な教師じゃあるめえ」あるめえにも尠なからず感心した。「この間ピン助に遇ったら、私の学校にゃ妙な奴がおります。生徒から先生番茶は英語で何と云いますと聞かれて、番茶は Savage tea であると真面目に答えたんで、教員間の物笑いとなっています、どうもあんな教員があるから、ほかのものの、迷惑になって困りますと云ったが、大方あいつの事だぜ」「あいつに極っていまさあ、そんな事を云いそうな面構えですよ、いやに髭なんか生やして」「怪しからん奴だ」髭を生やして怪しからなければ猫などは一疋だって怪しかりようがない。「それにあの迷亭とか、へべれけとか云う奴は、まあ何てえ、頓狂な跳返りなんでしょう、伯父の牧山男爵だなんて、あんな顔に男爵の伯父なんざ、有るはずがないと思ったんですもの」「御前がどこの馬の骨だか分らんものの言う事を真に受けるのも悪い」「悪いって、あんまり人を馬鹿にし過ぎるじゃありませんか」と大変残念そうである。不思議な事には寒月君の事は一言半句も出ない。吾輩の忍んで来る前に評判記はすんだものか、またはすでに落第と事が極って念頭にないものか、その辺は懸念もあるが仕方がない。しばらく佇んでいると廊下を隔てて向うの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。後れぬ先に、とその方角へ歩を向ける。  来て見ると女が独りで何か大声で話している。その声が鼻子とよく似ているところをもって推すと、これが即ち当家の令嬢寒月君をして未遂入水をあえてせしめたる代物だろう。惜哉障子越しで玉の御姿を拝する事が出来ない。従って顔の真中に大きな鼻を祭り込んでいるか、どうだか受合えない。しかし談話の模様から鼻息の荒いところなどを綜合して考えて見ると、満更人の注意を惹かぬ獅鼻とも思われない。女はしきりに喋舌っているが相手の声が少しも聞えないのは、噂にきく電話というものであろう。「御前は大和かい。明日ね、行くんだからね、鶉の三を取っておいておくれ、いいかえ――分ったかい――なに分らない? おやいやだ。鶉の三を取るんだよ。――なんだって、――取れない? 取れないはずはない、とるんだよ――へへへへへ御冗談をだって――何が御冗談なんだよ――いやに人をおひゃらかすよ。全体御前は誰だい。長吉だ? 長吉なんぞじゃ訳が分らない。お神さんに電話口へ出ろって御云いな――なに? 私しで何でも弁じます?――お前は失敬だよ。妾しを誰だか知ってるのかい。金田だよ。――へへへへへ善く存じておりますだって。ほんとに馬鹿だよこの人あ。――金田だってえばさ。――なに?――毎度御贔屓にあずかりましてありがとうございます?――何がありがたいんだね。御礼なんか聞きたかあないやね――おやまた笑ってるよ。お前はよっぽど愚物だね。――仰せの通りだって?――あんまり人を馬鹿にすると電話を切ってしまうよ。いいのかい。困らないのかよ――黙ってちゃ分らないじゃないか、何とか御云いなさいな」電話は長吉の方から切ったものか何の返事もないらしい。令嬢は癇癪を起してやけにベルをジャラジャラと廻す。足元で狆が驚ろいて急に吠え出す。これは迂濶に出来ないと、急に飛び下りて椽の下へもぐり込む。  折柄廊下を近く足音がして障子を開ける音がする。誰か来たなと一生懸命に聞いていると「御嬢様、旦那様と奥様が呼んでいらっしゃいます」と小間使らしい声がする。「知らないよ」と令嬢は剣突を食わせる。「ちょっと用があるから嬢を呼んで来いとおっしゃいました」「うるさいね、知らないてば」と令嬢は第二の剣突を食わせる。「……水島寒月さんの事で御用があるんだそうでございます」と小間使は気を利かして機嫌を直そうとする。「寒月でも、水月でも知らないんだよ――大嫌いだわ、糸瓜が戸迷いをしたような顔をして」第三の剣突は、憐れなる寒月君が、留守中に頂戴する。「おや御前いつ束髪に結ったの」小間使はほっと一息ついて「今日」となるべく単簡な挨拶をする。「生意気だねえ、小間使の癖に」と第四の剣突を別方面から食わす。「そうして新しい半襟を掛けたじゃないか」「へえ、せんだって御嬢様からいただきましたので、結構過ぎて勿体ないと思って行李の中へしまっておきましたが、今までのがあまり汚れましたからかけ易えました」「いつ、そんなものを上げた事があるの」「この御正月、白木屋へいらっしゃいまして、御求め遊ばしたので――鶯茶へ相撲の番附を染め出したのでございます。妾しには地味過ぎていやだから御前に上げようとおっしゃった、あれでございます」「あらいやだ。善く似合うのね。にくらしいわ」「恐れ入ります」「褒めたんじゃない。にくらしいんだよ」「へえ」「そんなによく似合うものをなぜだまって貰ったんだい」「へえ」「御前にさえ、そのくらい似合うなら、妾しにだっておかしい事あないだろうじゃないか」「きっとよく御似合い遊ばします」「似あうのが分ってる癖になぜ黙っているんだい。そうしてすまして掛けているんだよ、人の悪い」剣突は留めどもなく連発される。このさき、事局はどう発展するかと謹聴している時、向うの座敷で「富子や、富子や」と大きな声で金田君が令嬢を呼ぶ。令嬢はやむを得ず「はい」と電話室を出て行く。吾輩より少し大きな狆が顔の中心に眼と口を引き集めたような面をして付いて行く。吾輩は例の忍び足で再び勝手から往来へ出て、急いで主人の家に帰る。探険はまず十二分の成績である。  帰って見ると、奇麗な家から急に汚ない所へ移ったので、何だか日当りの善い山の上から薄黒い洞窟の中へ入り込んだような心持ちがする。探険中は、ほかの事に気を奪われて部屋の装飾、襖、障子の具合などには眼も留らなかったが、わが住居の下等なるを感ずると同時に彼のいわゆる月並が恋しくなる。教師よりもやはり実業家がえらいように思われる。吾輩も少し変だと思って、例の尻尾に伺いを立てて見たら、その通りその通りと尻尾の先から御託宣があった。座敷へ這入って見ると驚いたのは迷亭先生まだ帰らない、巻煙草の吸い殻を蜂の巣のごとく火鉢の中へ突き立てて、大胡坐で何か話し立てている。いつの間にか寒月君さえ来ている。主人は手枕をして天井の雨洩を余念もなく眺めている。あいかわらず太平の逸民の会合である。 「寒月君、君の事を譫語にまで言った婦人の名は、当時秘密であったようだが、もう話しても善かろう」と迷亭がからかい出す。「御話しをしても、私だけに関する事なら差支えないんですが、先方の迷惑になる事ですから」「まだ駄目かなあ」「それに○○博士夫人に約束をしてしまったもんですから」「他言をしないと云う約束かね」「ええ」と寒月君は例のごとく羽織の紐をひねくる。その紐は売品にあるまじき紫色である。「その紐の色は、ちと天保調だな」と主人が寝ながら云う。主人は金田事件などには無頓着である。「そうさ、到底日露戦争時代のものではないな。陣笠に立葵の紋の付いたぶっ割き羽織でも着なくっちゃ納まりの付かない紐だ。織田信長が聟入をするとき頭の髪を茶筌に結ったと云うがその節用いたのは、たしかそんな紐だよ」と迷亭の文句はあいかわらず長い。「実際これは爺が長州征伐の時に用いたのです」と寒月君は真面目である。「もういい加減に博物館へでも献納してはどうだ。首縊りの力学の演者、理学士水島寒月君ともあろうものが、売れ残りの旗本のような出で立をするのはちと体面に関する訳だから」「御忠告の通りに致してもいいのですが、この紐が大変よく似合うと云ってくれる人もありますので――」「誰だい、そんな趣味のない事を云うのは」と主人は寝返りを打ちながら大きな声を出す。「それは御存じの方なんじゃないんで――」「御存じでなくてもいいや、一体誰だい」「去る女性なんです」「ハハハハハよほど茶人だなあ、当てて見ようか、やはり隅田川の底から君の名を呼んだ女なんだろう、その羽織を着てもう一返御駄仏を極め込んじゃどうだい」と迷亭が横合から飛び出す。「へへへへへもう水底から呼んではおりません。ここから乾の方角にあたる清浄な世界で……」「あんまり清浄でもなさそうだ、毒々しい鼻だぜ」「へえ?」と寒月は不審な顔をする。「向う横丁の鼻がさっき押しかけて来たんだよ、ここへ、実に僕等二人は驚いたよ、ねえ苦沙弥君」「うむ」と主人は寝ながら茶を飲む。「鼻って誰の事です」「君の親愛なる久遠の女性の御母堂様だ」「へえー」「金田の妻という女が君の事を聞きに来たよ」と主人が真面目に説明してやる。驚くか、嬉しがるか、恥ずかしがるかと寒月君の様子を窺って見ると別段の事もない。例の通り静かな調子で「どうか私に、あの娘を貰ってくれと云う依頼なんでしょう」と、また紫の紐をひねくる。「ところが大違さ。その御母堂なるものが偉大なる鼻の所有主でね……」迷亭が半ば言い懸けると、主人が「おい君、僕はさっきから、あの鼻について俳体詩を考えているんだがね」と木に竹を接いだような事を云う。隣の室で妻君がくすくす笑い出す。「随分君も呑気だなあ出来たのかい」「少し出来た。第一句がこの顔に鼻祭りと云うのだ」「それから?」「次がこの鼻に神酒供えというのさ」「次の句は?」「まだそれぎりしか出来ておらん」「面白いですな」と寒月君がにやにや笑う。「次へ穴二つ幽かなりと付けちゃどうだ」と迷亭はすぐ出来る。すると寒月が「奥深く毛も見えずはいけますまいか」と各々出鱈目を並べていると、垣根に近く、往来で「今戸焼の狸今戸焼の狸」と四五人わいわい云う声がする。主人も迷亭もちょっと驚ろいて表の方を、垣の隙からすかして見ると「ワハハハハハ」と笑う声がして遠くへ散る足の音がする。「今戸焼の狸というな何だい」と迷亭が不思議そうに主人に聞く。「何だか分らん」と主人が答える。「なかなか振っていますな」と寒月君が批評を加える。迷亭は何を思い出したか急に立ち上って「吾輩は年来美学上の見地からこの鼻について研究した事がございますから、その一斑を披瀝して、御両君の清聴を煩わしたいと思います」と演舌の真似をやる。主人はあまりの突然にぼんやりして無言のまま迷亭を見ている。寒月は「是非承りたいものです」と小声で云う。「いろいろ調べて見ましたが鼻の起源はどうも確と分りません。第一の不審は、もしこれを実用上の道具と仮定すれば穴が二つでたくさんである。何もこんなに横風に真中から突き出して見る必用がないのである。ところがどうしてだんだん御覧のごとく斯様にせり出して参ったか」と自分の鼻を抓んで見せる。「あんまりせり出してもおらんじゃないか」と主人は御世辞のないところを云う。「とにかく引っ込んではおりませんからな。ただ二個の孔が併んでいる状体と混同なすっては、誤解を生ずるに至るかも計られませんから、予め御注意をしておきます。――で愚見によりますと鼻の発達は吾々人間が鼻汁をかむと申す微細なる行為の結果が自然と蓄積してかく著明なる現象を呈出したものでございます」「佯りのない愚見だ」とまた主人が寸評を挿入する。「御承知の通り鼻汁をかむ時は、是非鼻を抓みます、鼻を抓んで、ことにこの局部だけに刺激を与えますと、進化論の大原則によって、この局部はこの刺激に応ずるがため他に比例して不相当な発達を致します。皮も自然堅くなります、肉も次第に硬くなります。ついに凝って骨となります」「それは少し――そう自由に肉が骨に一足飛に変化は出来ますまい」と理学士だけあって寒月君が抗議を申し込む。迷亭は何喰わぬ顔で陳べ続ける。「いや御不審はごもっともですが論より証拠この通り骨があるから仕方がありません。すでに骨が出来る。骨は出来ても鼻汁は出ますな。出ればかまずにはいられません。この作用で骨の左右が削り取られて細い高い隆起と変化して参ります――実に恐ろしい作用です。点滴の石を穿つがごとく、賓頭顱の頭が自から光明を放つがごとく、不思議薫不思議臭の喩のごとく、斯様に鼻筋が通って堅くなります」[#「なります」」は底本では「なります。」]「それでも君のなんぞ、ぶくぶくだぜ」「演者自身の局部は回護の恐れがありますから、わざと論じません。かの金田の御母堂の持たせらるる鼻のごときは、もっとも発達せるもっとも偉大なる天下の珍品として御両君に紹介しておきたいと思います」寒月君は思わずヒヤヤヤと云う。「しかし物も極度に達しますと偉観には相違ございませんが何となく怖しくて近づき難いものであります。あの鼻梁などは素晴しいには違いございませんが、少々峻嶮過ぎるかと思われます。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミスもしくはサッカレーの鼻などは構造の上から云うと随分申し分はございましょうがその申し分のあるところに愛嬌がございます。鼻高きが故に貴からず、奇なるがために貴しとはこの故でもございましょうか。下世話にも鼻より団子と申しますれば美的価値から申しますとまず迷亭くらいのところが適当かと存じます」寒月と主人は「フフフフ」と笑い出す。迷亭自身も愉快そうに笑う。「さてただ今まで弁じましたのは――」「先生弁じましたは少し講釈師のようで下品ですから、よしていただきましょう」と寒月君は先日の復讐をやる。「さようしからば顔を洗って出直しましょうかな。――ええ――これから鼻と顔の権衡に一言論及したいと思います。他に関係なく単独に鼻論をやりますと、かの御母堂などはどこへ出しても恥ずかしからぬ鼻――鞍馬山で展覧会があっても恐らく一等賞だろうと思われるくらいな鼻を所有していらせられますが、悲しいかなあれは眼、口、その他の諸先生と何等の相談もなく出来上った鼻であります。ジュリアス・シーザーの鼻は大したものに相違ございません。しかしシーザーの鼻を鋏でちょん切って、当家の猫の顔へ安置したらどんな者でございましょうか。喩えにも猫の額と云うくらいな地面へ、英雄の鼻柱が突兀として聳えたら、碁盤の上へ奈良の大仏を据え付けたようなもので、少しく比例を失するの極、その美的価値を落す事だろうと思います。御母堂の鼻はシーザーのそれのごとく、正しく英姿颯爽たる隆起に相違ございません。しかしその周囲を囲繞する顔面的条件は如何な者でありましょう。無論当家の猫のごとく劣等ではない。しかし癲癇病みの御かめのごとく眉の根に八字を刻んで、細い眼を釣るし上げらるるのは事実であります。諸君、この顔にしてこの鼻ありと嘆ぜざるを得んではありませんか」迷亭の言葉が少し途切れる途端、裏の方で「まだ鼻の話しをしているんだよ。何てえ剛突く張だろう」と云う声が聞える。「車屋の神さんだ」と主人が迷亭に教えてやる。迷亭はまたやり初める。「計らざる裏手にあたって、新たに異性の傍聴者のある事を発見したのは演者の深く名誉と思うところであります。ことに宛転たる嬌音をもって、乾燥なる講筵に一点の艶味を添えられたのは実に望外の幸福であります。なるべく通俗的に引き直して佳人淑女の眷顧に背かざらん事を期する訳でありますが、これからは少々力学上の問題に立ち入りますので、勢御婦人方には御分りにくいかも知れません、どうか御辛防を願います」寒月君は力学と云う語を聞いてまたにやにやする。「私の証拠立てようとするのは、この鼻とこの顔は到底調和しない。ツァイシングの黄金律を失していると云う事なんで、それを厳格に力学上の公式から演繹して御覧に入れようと云うのであります。まずHを鼻の高さとします。αは鼻と顔の平面の交叉より生ずる角度であります。Wは無論鼻の重量と御承知下さい。どうです大抵お分りになりましたか。……」「分るものか」と主人が云う。「寒月君はどうだい」「私にもちと分りかねますな」「そりゃ困ったな。苦沙弥はとにかく、君は理学士だから分るだろうと思ったのに。この式が演説の首脳なんだからこれを略しては今までやった甲斐がないのだが――まあ仕方がない。公式は略して結論だけ話そう」「結論があるか」と主人が不思議そうに聞く。「当り前さ結論のない演舌は、デザートのない西洋料理のようなものだ、――いいか両君能く聞き給え、これからが結論だぜ。――さて以上の公式にウィルヒョウ、ワイスマン諸家の説を参酌して考えて見ますと、先天的形体の遺伝は無論の事許さねばなりません。またこの形体に追陪して起る心意的状況は、たとい後天性は遺伝するものにあらずとの有力なる説あるにも関せず、ある程度までは必然の結果と認めねばなりません。従ってかくのごとく身分に不似合なる鼻の持主の生んだ子には、その鼻にも何か異状がある事と察せられます。寒月君などは、まだ年が御若いから金田令嬢の鼻の構造において特別の異状を認められんかも知れませんが、かかる遺伝は潜伏期の長いものでありますから、いつ何時気候の劇変と共に、急に発達して御母堂のそれのごとく、咄嗟の間に膨脹するかも知れません、それ故にこの御婚儀は、迷亭の学理的論証によりますと、今の中御断念になった方が安全かと思われます、これには当家の御主人は無論の事、そこに寝ておらるる猫又殿にも御異存は無かろうと存じます」主人はようよう起き返って「そりゃ無論さ。あんなものの娘を誰が貰うものか。寒月君もらっちゃいかんよ」と大変熱心に主張する。吾輩もいささか賛成の意を表するためににゃーにゃーと二声ばかり鳴いて見せる。寒月君は別段騒いだ様子もなく「先生方の御意向がそうなら、私は断念してもいいんですが、もし当人がそれを気にして病気にでもなったら罪ですから――」「ハハハハハ艶罪と云う訳だ」主人だけは大にむきになって「そんな馬鹿があるものか、あいつの娘なら碌な者でないに極ってらあ。初めて人のうちへ来ておれをやり込めに掛った奴だ。傲慢な奴だ」と独りでぷんぷんする。するとまた垣根のそばで三四人が「ワハハハハハ」と云う声がする。一人が「高慢ちきな唐変木だ」と云うと一人が「もっと大きな家へ這入りてえだろう」と云う。また一人が「御気の毒だが、いくら威張ったって蔭弁慶だ」と大きな声をする。主人は椽側へ出て負けないような声で「やかましい、何だわざわざそんな塀の下へ来て」と怒鳴る。「ワハハハハハサヴェジ・チーだ、サヴェジ・チーだ」と口々に罵しる。主人は大に逆鱗の体で突然起ってステッキを持って、往来へ飛び出す。迷亭は手を拍って「面白い、やれやれ」と云う。寒月は羽織の紐を撚ってにやにやする。吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往来へ出て見たら、真中に主人が手持無沙汰にステッキを突いて立っている。人通りは一人もない、ちょっと狐に抓まれた体である。 四  例によって金田邸へ忍び込む。  例によってとは今更解釈する必要もない。しばしばを自乗したほどの度合を示す語である。一度やった事は二度やりたいもので、二度試みた事は三度試みたいのは人間にのみ限らるる好奇心ではない、猫といえどもこの心理的特権を有してこの世界に生れ出でたものと認定していただかねばならぬ。三度以上繰返す時始めて習慣なる語を冠せられて、この行為が生活上の必要と進化するのもまた人間と相違はない。何のために、かくまで足繁く金田邸へ通うのかと不審を起すならその前にちょっと人間に反問したい事がある。なぜ人間は口から煙を吸い込んで鼻から吐き出すのであるか、腹の足しにも血の道の薬にもならないものを、恥かし気もなく吐呑して憚からざる以上は、吾輩が金田に出入するのを、あまり大きな声で咎め立てをして貰いたくない。金田邸は吾輩の煙草である。  忍び込むと云うと語弊がある、何だか泥棒か間男のようで聞き苦しい。吾輩が金田邸へ行くのは、招待こそ受けないが、決して鰹の切身をちょろまかしたり、眼鼻が顔の中心に痙攣的に密着している狆君などと密談するためではない。――何探偵?――もってのほかの事である。およそ世の中に何が賤しい家業だと云って探偵と高利貸ほど下等な職はないと思っている。なるほど寒月君のために猫にあるまじきほどの義侠心を起して、一度は金田家の動静を余所ながら窺った事はあるが、それはただの一遍で、その後は決して猫の良心に恥ずるような陋劣な振舞を致した事はない。――そんなら、なぜ忍び込むと云うような胡乱な文字を使用した?――さあ、それがすこぶる意味のある事だて。元来吾輩の考によると大空は万物を覆うため大地は万物を載せるために出来ている――いかに執拗な議論を好む人間でもこの事実を否定する訳には行くまい。さてこの大空大地を製造するために彼等人類はどのくらいの労力を費やしているかと云うと尺寸の手伝もしておらぬではないか。自分が製造しておらぬものを自分の所有と極める法はなかろう。自分の所有と極めても差し支えないが他の出入を禁ずる理由はあるまい。この茫々たる大地を、小賢しくも垣を囲らし棒杭を立てて某々所有地などと劃し限るのはあたかもかの蒼天に縄張して、この部分は我の天、あの部分は彼の天と届け出るような者だ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有権を売買するなら我等が呼吸する空気を一尺立方に割って切売をしても善い訳である。空気の切売が出来ず、空の縄張が不当なら地面の私有も不合理ではないか。如是観によりて、如是法を信じている吾輩はそれだからどこへでも這入って行く。もっとも行きたくない処へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別は入らぬ、平気な顔をして、のそのそと参る。金田ごときものに遠慮をする訳がない。――しかし猫の悲しさは力ずくでは到底人間には叶わない。強勢は権利なりとの格言さえあるこの浮世に存在する以上は、いかにこっちに道理があっても猫の議論は通らない。無理に通そうとすると車屋の黒のごとく不意に肴屋の天秤棒を喰う恐れがある。理はこっちにあるが権力は向うにあると云う場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目を掠めて我理を貫くかと云えば、吾輩は無論後者を択ぶのである。天秤棒は避けざるべからざるが故に、忍ばざるべからず。人の邸内へは這入り込んで差支えなき故込まざるを得ず。この故に吾輩は金田邸へ忍び込むのである。  忍び込む度が重なるにつけ、探偵をする気はないが自然金田君一家の事情が見たくもない吾輩の眼に映じて覚えたくもない吾輩の脳裏に印象を留むるに至るのはやむを得ない。鼻子夫人が顔を洗うたんびに念を入れて鼻だけ拭く事や、富子令嬢が阿倍川餅を無暗に召し上がらるる事や、それから金田君自身が――金田君は妻君に似合わず鼻の低い男である。単に鼻のみではない、顔全体が低い。小供の時分喧嘩をして、餓鬼大将のために頸筋を捉まえられて、うんと精一杯に土塀へ圧し付けられた時の顔が四十年後の今日まで、因果をなしておりはせぬかと怪まるるくらい平坦な顔である。至極穏かで危険のない顔には相違ないが、何となく変化に乏しい。いくら怒っても平かな顔である。――その金田君が鮪の刺身を食って自分で自分の禿頭をぴちゃぴちゃ叩く事や、それから顔が低いばかりでなく背が低いので、無暗に高い帽子と高い下駄を穿く事や、それを車夫がおかしがって書生に話す事や、書生がなるほど君の観察は機敏だと感心する事や、――一々数え切れない。  近頃は勝手口の横を庭へ通り抜けて、築山の陰から向うを見渡して障子が立て切って物静かであるなと見極めがつくと、徐々上り込む。もし人声が賑かであるか、座敷から見透かさるる恐れがあると思えば池を東へ廻って雪隠の横から知らぬ間に椽の下へ出る。悪い事をした覚はないから何も隠れる事も、恐れる事もないのだが、そこが人間と云う無法者に逢っては不運と諦めるより仕方がないので、もし世間が熊坂長範ばかりになったらいかなる盛徳の君子もやはり吾輩のような態度に出ずるであろう。金田君は堂々たる実業家であるから固より熊坂長範のように五尺三寸を振り廻す気遣はあるまいが、承る処によれば人を人と思わぬ病気があるそうである。人を人と思わないくらいなら猫を猫とも思うまい。して見れば猫たるものはいかなる盛徳の猫でも彼の邸内で決して油断は出来ぬ訳である。しかしその油断の出来ぬところが吾輩にはちょっと面白いので、吾輩がかくまでに金田家の門を出入するのも、ただこの危険が冒して見たいばかりかも知れぬ。それは追って篤と考えた上、猫の脳裏を残りなく解剖し得た時改めて御吹聴仕ろう。  今日はどんな模様だなと、例の築山の芝生の上に顎を押しつけて前面を見渡すと十五畳の客間を弥生の春に明け放って、中には金田夫婦と一人の来客との御話最中である。生憎鼻子夫人の鼻がこっちを向いて池越しに吾輩の額の上を正面から睨め付けている。鼻に睨まれたのは生れて今日が始めてである。金田君は幸い横顔を向けて客と相対しているから例の平坦な部分は半分かくれて見えぬが、その代り鼻の在所が判然しない。ただ胡麻塩色の口髯が好い加減な所から乱雑に茂生しているので、あの上に孔が二つあるはずだと結論だけは苦もなく出来る。春風もああ云う滑かな顔ばかり吹いていたら定めて楽だろうと、ついでながら想像を逞しゅうして見た。御客さんは三人の中で一番普通な容貌を有している。ただし普通なだけに、これぞと取り立てて紹介するに足るような雑作は一つもない。普通と云うと結構なようだが、普通の極平凡の堂に上り、庸俗の室に入ったのはむしろ憫然の至りだ。かかる無意味な面構を有すべき宿命を帯びて明治の昭代に生れて来たのは誰だろう。例のごとく椽の下まで行ってその談話を承わらなくては分らぬ。 「……それで妻がわざわざあの男の所まで出掛けて行って容子を聞いたんだがね……」と金田君は例のごとく横風な言葉使である。横風ではあるが毫も峻嶮なところがない。言語も彼の顔面のごとく平板尨大である。 「なるほどあの男が水島さんを教えた事がございますので――なるほど、よい御思い付きで――なるほど」となるほどずくめのは御客さんである。 「ところが何だか要領を得んので」 「ええ苦沙弥じゃ要領を得ない訳で――あの男は私がいっしょに下宿をしている時分から実に煮え切らない――そりゃ御困りでございましたろう」と御客さんは鼻子夫人の方を向く。 「困るの、困らないのってあなた、私しゃこの年になるまで人のうちへ行って、あんな不取扱を受けた事はありゃしません」と鼻子は例によって鼻嵐を吹く。 「何か無礼な事でも申しましたか、昔しから頑固な性分で――何しろ十年一日のごとくリードル専門の教師をしているのでも大体御分りになりましょう」と御客さんは体よく調子を合せている。 「いや御話しにもならんくらいで、妻が何か聞くとまるで剣もほろろの挨拶だそうで……」 「それは怪しからん訳で――一体少し学問をしているととかく慢心が萌すもので、その上貧乏をすると負け惜しみが出ますから――いえ世の中には随分無法な奴がおりますよ。自分の働きのないのにゃ気が付かないで、無暗に財産のあるものに喰って掛るなんてえのが――まるで彼等の財産でも捲き上げたような気分ですから驚きますよ、あははは」と御客さんは大恐悦の体である。 「いや、まことに言語同断で、ああ云うのは必竟世間見ずの我儘から起るのだから、ちっと懲らしめのためにいじめてやるが好かろうと思って、少し当ってやったよ」 「なるほどそれでは大分答えましたろう、全く本人のためにもなる事ですから」と御客さんはいかなる当り方か承らぬ先からすでに金田君に同意している。 「ところが鈴木さん、まあなんて頑固な男なんでしょう。学校へ出ても福地さんや、津木さんには口も利かないんだそうです。恐れ入って黙っているのかと思ったらこの間は罪もない、宅の書生をステッキを持って追っ懸けたってんです――三十面さげて、よく、まあ、そんな馬鹿な真似が出来たもんじゃありませんか、全くやけで少し気が変になってるんですよ」 「へえどうしてまたそんな乱暴な事をやったんで……」とこれには、さすがの御客さんも少し不審を起したと見える。 「なあに、ただあの男の前を何とか云って通ったんだそうです、すると、いきなり、ステッキを持って跣足で飛び出して来たんだそうです。よしんば、ちっとやそっと、何か云ったって小供じゃありませんか、髯面の大僧の癖にしかも教師じゃありませんか」 「さよう教師ですからな」と御客さんが云うと、金田君も「教師だからな」と云う。教師たる以上はいかなる侮辱を受けても木像のようにおとなしくしておらねばならぬとはこの三人の期せずして一致した論点と見える。 「それに、あの迷亭って男はよっぽどな酔興人ですね。役にも立たない嘘八百を並べ立てて。私しゃあんな変梃な人にゃ初めて逢いましたよ」 「ああ迷亭ですか、あいかわらず法螺を吹くと見えますね。やはり苦沙弥の所で御逢いになったんですか。あれに掛っちゃたまりません。あれも昔し自炊の仲間でしたがあんまり人を馬鹿にするものですから能く喧嘩をしましたよ」 「誰だって怒りまさあね、あんなじゃ。そりゃ嘘をつくのも宜うござんしょうさ、ね、義理が悪るいとか、ばつを合せなくっちゃあならないとか――そんな時には誰しも心にない事を云うもんでさあ。しかしあの男のは吐かなくってすむのに矢鱈に吐くんだから始末に了えないじゃありませんか。何が欲しくって、あんな出鱈目を――よくまあ、しらじらしく云えると思いますよ」 「ごもっともで、全く道楽からくる嘘だから困ります」 「せっかくあなた真面目に聞きに行った水島の事も滅茶滅茶になってしまいました。私ゃ剛腹で忌々しくって――それでも義理は義理でさあ、人のうちへ物を聞きに行って知らん顔の半兵衛もあんまりですから、後で車夫にビールを一ダース持たせてやったんです。ところがあなたどうでしょう。こんなものを受取る理由がない、持って帰れって云うんだそうで。いえ御礼だから、どうか御取り下さいって車夫が云ったら――悪くいじゃあありませんか、俺はジャムは毎日舐めるがビールのような苦い者は飲んだ事がないって、ふいと奥へ這入ってしまったって――言い草に事を欠いて、まあどうでしょう、失礼じゃありませんか」 「そりゃ、ひどい」と御客さんも今度は本気に苛いと感じたらしい。 「そこで今日わざわざ君を招いたのだがね」としばらく途切れて金田君の声が聞える。「そんな馬鹿者は陰から、からかってさえいればすむようなものの、少々それでも困る事があるじゃて……」と鮪の刺身を食う時のごとく禿頭をぴちゃぴちゃ叩く。もっとも吾輩は椽の下にいるから実際叩いたか叩かないか見えようはずがないが、この禿頭の音は近来大分聞馴れている。比丘尼が木魚の音を聞き分けるごとく、椽の下からでも音さえたしかであればすぐ禿頭だなと出所を鑑定する事が出来る。「そこでちょっと君を煩わしたいと思ってな……」 「私に出来ます事なら何でも御遠慮なくどうか――今度東京勤務と云う事になりましたのも全くいろいろ御心配を掛けた結果にほかならん訳でありますから」と御客さんは快よく金田君の依頼を承諾する。この口調で見るとこの御客さんはやはり金田君の世話になる人と見える。いやだんだん事件が面白く発展してくるな、今日はあまり天気が宜いので、来る気もなしに来たのであるが、こう云う好材料を得ようとは全く思い掛けなんだ。御彼岸にお寺詣りをして偶然方丈で牡丹餅の御馳走になるような者だ。金田君はどんな事を客人に依頼するかなと、椽の下から耳を澄して聞いている。 「あの苦沙弥と云う変物が、どう云う訳か水島に入れ智慧をするので、あの金田の娘を貰っては行かんなどとほのめかすそうだ――なあ鼻子そうだな」 「ほのめかすどころじゃないんです。あんな奴の娘を貰う馬鹿がどこの国にあるものか、寒月君決して貰っちゃいかんよって云うんです」 「あんな奴とは何だ失敬な、そんな乱暴な事を云ったのか」 「云ったどころじゃありません、ちゃんと車屋の神さんが知らせに来てくれたんです」 「鈴木君どうだい、御聞の通りの次第さ、随分厄介だろうが?」 「困りますね、ほかの事と違って、こう云う事には他人が妄りに容喙するべきはずの者ではありませんからな。そのくらいな事はいかな苦沙弥でも心得ているはずですが。一体どうした訳なんでしょう」 「それでの、君は学生時代から苦沙弥と同宿をしていて、今はとにかく、昔は親密な間柄であったそうだから御依頼するのだが、君当人に逢ってな、よく利害を諭して見てくれんか。何か怒っているかも知れんが、怒るのは向が悪るいからで、先方がおとなしくしてさえいれば一身上の便宜も充分計ってやるし、気に障わるような事もやめてやる。しかし向が向ならこっちもこっちと云う気になるからな――つまりそんな我を張るのは当人の損だからな」 「ええ全くおっしゃる通り愚な抵抗をするのは本人の損になるばかりで何の益もない事ですから、善く申し聞けましょう」 「それから娘はいろいろと申し込もある事だから、必ず水島にやると極める訳にも行かんが、だんだん聞いて見ると学問も人物も悪くもないようだから、もし当人が勉強して近い内に博士にでもなったらあるいはもらう事が出来るかも知れんくらいはそれとなくほのめかしても構わん」 「そう云ってやったら当人も励みになって勉強する事でしょう。宜しゅうございます」 「それから、あの妙な事だが――水島にも似合わん事だと思うが、あの変物の苦沙弥を先生先生と云って苦沙弥の云う事は大抵聞く様子だから困る。なにそりゃ何も水島に限る訳では無論ないのだから苦沙弥が何と云って邪魔をしようと、わしの方は別に差支えもせんが……」 「水島さんが可哀そうですからね」と鼻子夫人が口を出す。 「水島と云う人には逢った事もございませんが、とにかくこちらと御縁組が出来れば生涯の幸福で、本人は無論異存はないのでしょう」 「ええ水島さんは貰いたがっているんですが、苦沙弥だの迷亭だのって変り者が何だとか、かんだとか云うものですから」 「そりゃ、善くない事で、相当の教育のあるものにも似合わん所作ですな。よく私が苦沙弥の所へ参って談じましょう」 「ああ、どうか、御面倒でも、一つ願いたい。それから実は水島の事も苦沙弥が一番詳しいのだがせんだって妻が行った時は今の始末で碌々聞く事も出来なかった訳だから、君から今一応本人の性行学才等をよく聞いて貰いたいて」 「かしこまりました。今日は土曜ですからこれから廻ったら、もう帰っておりましょう。近頃はどこに住んでおりますか知らん」 「ここの前を右へ突き当って、左へ一丁ばかり行くと崩れかかった黒塀のあるうちです」と鼻子が教える。 「それじゃ、つい近所ですな。訳はありません。帰りにちょっと寄って見ましょう。なあに、大体分りましょう標札を見れば」 「標札はあるときと、ないときとありますよ。名刺を御饌粒で門へ貼り付けるのでしょう。雨がふると剥がれてしまいましょう。すると御天気の日にまた貼り付けるのです。だから標札は当にゃなりませんよ。あんな面倒臭い事をするよりせめて木札でも懸けたらよさそうなもんですがねえ。ほんとうにどこまでも気の知れない人ですよ」 「どうも驚きますな。しかし崩れた黒塀のうちと聞いたら大概分るでしょう」 「ええあんな汚ないうちは町内に一軒しかないから、すぐ分りますよ。あ、そうそうそれで分らなければ、好い事がある。何でも屋根に草が生えたうちを探して行けば間違っこありませんよ」 「よほど特色のある家ですなアハハハハ」  鈴木君が御光来になる前に帰らないと、少し都合が悪い。談話もこれだけ聞けば大丈夫沢山である。椽の下を伝わって雪隠を西へ廻って築山の陰から往来へ出て、急ぎ足で屋根に草の生えているうちへ帰って来て何喰わぬ顔をして座敷の椽へ廻る。  主人は椽側へ白毛布を敷いて、腹這になって麗かな春日に甲羅を干している。太陽の光線は存外公平なもので屋根にペンペン草の目標のある陋屋でも、金田君の客間のごとく陽気に暖かそうであるが、気の毒な事には毛布だけが春らしくない。製造元では白のつもりで織り出して、唐物屋でも白の気で売り捌いたのみならず、主人も白と云う注文で買って来たのであるが――何しろ十二三年以前の事だから白の時代はとくに通り越してただ今は濃灰色なる変色の時期に遭遇しつつある。この時期を経過して他の暗黒色に化けるまで毛布の命が続くかどうだかは、疑問である。今でもすでに万遍なく擦り切れて、竪横の筋は明かに読まれるくらいだから、毛布と称するのはもはや僭上の沙汰であって、毛の字は省いて単にットとでも申すのが適当である。しかし主人の考えでは一年持ち、二年持ち、五年持ち十年持った以上は生涯持たねばならぬと思っているらしい。随分呑気な事である。さてその因縁のある毛布の上へ前申す通り腹這になって何をしているかと思うと両手で出張った顋を支えて、右手の指の股に巻煙草を挟んでいる。ただそれだけである。もっとも彼がフケだらけの頭の裏には宇宙の大真理が火の車のごとく廻転しつつあるかも知れないが、外部から拝見したところでは、そんな事とは夢にも思えない。  煙草の火はだんだん吸口の方へ逼って、一寸ばかり燃え尽した灰の棒がぱたりと毛布の上に落つるのも構わず主人は一生懸命に煙草から立ち上る煙の行末を見詰めている。その煙りは春風に浮きつ沈みつ、流れる輪を幾重にも描いて、紫深き細君の洗髪の根本へ吹き寄せつつある。――おや、細君の事を話しておくはずだった。忘れていた。  細君は主人に尻を向けて――なに失礼な細君だ? 別に失礼な事はないさ。礼も非礼も相互の解釈次第でどうでもなる事だ。主人は平気で細君の尻のところへ頬杖を突き、細君は平気で主人の顔の先へ荘厳なる尻を据えたまでの事で無礼も糸瓜もないのである。御両人は結婚後一ヵ年も立たぬ間に礼儀作法などと窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦である。――さてかくのごとく主人に尻を向けた細君はどう云う了見か、今日の天気に乗じて、尺に余る緑の黒髪を、麩海苔と生卵でゴシゴシ洗濯せられた者と見えて癖のない奴を、見よがしに肩から背へ振りかけて、無言のまま小供の袖なしを熱心に縫っている。実はその洗髪を乾かすために唐縮緬の布団と針箱を椽側へ出して、恭しく主人に尻を向けたのである。あるいは主人の方で尻のある見当へ顔を持って来たのかも知れない。そこで先刻御話しをした煙草の煙りが、豊かに靡く黒髪の間に流れ流れて、時ならぬ陽炎の燃えるところを主人は余念もなく眺めている。しかしながら煙は固より一所に停まるものではない、その性質として上へ上へと立ち登るのだから主人の眼もこの煙りの髪毛と縺れ合う奇観を落ちなく見ようとすれば、是非共眼を動かさなければならない。主人はまず腰の辺から観察を始めて徐々と背中を伝って、肩から頸筋に掛ったが、それを通り過ぎてようよう脳天に達した時、覚えずあっと驚いた。――主人が偕老同穴を契った夫人の脳天の真中には真丸な大きな禿がある。しかもその禿が暖かい日光を反射して、今や時を得顔に輝いている。思わざる辺にこの不思議な大発見をなした時の主人の眼は眩ゆい中に充分の驚きを示して、烈しい光線で瞳孔の開くのも構わず一心不乱に見つめている。主人がこの禿を見た時、第一彼の脳裏に浮んだのはかの家伝来の仏壇に幾世となく飾り付けられたる御灯明皿である。彼の一家は真宗で、真宗では仏壇に身分不相応な金を掛けるのが古例である。主人は幼少の時その家の倉の中に、薄暗く飾り付けられたる金箔厚き厨子があって、その厨子の中にはいつでも真鍮の灯明皿がぶら下って、その灯明皿には昼でもぼんやりした灯がついていた事を記憶している。周囲が暗い中にこの灯明皿が比較的明瞭に輝やいていたので小供心にこの灯を何遍となく見た時の印象が細君の禿に喚び起されて突然飛び出したものであろう。灯明皿は一分立たぬ間に消えた。この度は観音様の鳩の事を思い出す。観音様の鳩と細君の禿とは何等の関係もないようであるが、主人の頭では二つの間に密接な聯想がある。同じく小供の時分に浅草へ行くと必ず鳩に豆を買ってやった。豆は一皿が文久二つで、赤い土器へ這入っていた。その土器が、色と云い大さと云いこの禿によく似ている。 「なるほど似ているな」と主人が、さも感心したらしく云うと「何がです」と細君は見向きもしない。 「何だって、御前の頭にゃ大きな禿があるぜ。知ってるか」 「ええ」と細君は依然として仕事の手をやめずに答える。別段露見を恐れた様子もない。超然たる模範妻君である。 「嫁にくるときからあるのか、結婚後新たに出来たのか」と主人が聞く。もし嫁にくる前から禿げているなら欺されたのであると口へは出さないが心の中で思う。 「いつ出来たんだか覚えちゃいませんわ、禿なんざどうだって宜いじゃありませんか」と大に悟ったものである。 「どうだって宜いって、自分の頭じゃないか」と主人は少々怒気を帯びている。 「自分の頭だから、どうだって宜いんだわ」と云ったが、さすが少しは気になると見えて、右の手を頭に乗せて、くるくる禿を撫でて見る。「おや大分大きくなった事、こんなじゃ無いと思っていた」と言ったところをもって見ると、年に合わして禿があまり大き過ぎると云う事をようやく自覚したらしい。 「女は髷に結うと、ここが釣れますから誰でも禿げるんですわ」と少しく弁護しだす。 「そんな速度で、みんな禿げたら、四十くらいになれば、から薬缶ばかり出来なければならん。そりゃ病気に違いない。伝染するかも知れん、今のうち早く甘木さんに見て貰え」と主人はしきりに自分の頭を撫で廻して見る。 「そんなに人の事をおっしゃるが、あなただって鼻の孔へ白髪が生えてるじゃありませんか。禿が伝染するなら白髪だって伝染しますわ」と細君少々ぷりぷりする。 「鼻の中の白髪は見えんから害はないが、脳天が――ことに若い女の脳天がそんなに禿げちゃ見苦しい。不具だ」 「不具なら、なぜ御貰いになったのです。御自分が好きで貰っておいて不具だなんて……」 「知らなかったからさ。全く今日まで知らなかったんだ。そんなに威張るなら、なぜ嫁に来る時頭を見せなかったんだ」 「馬鹿な事を! どこの国に頭の試験をして及第したら嫁にくるなんて、ものが在るもんですか」 「禿はまあ我慢もするが、御前は背いが人並外れて低い。はなはだ見苦しくていかん」 「背いは見ればすぐ分るじゃありませんか、背の低いのは最初から承知で御貰いになったんじゃありませんか」 「それは承知さ、承知には相違ないがまだ延びるかと思ったから貰ったのさ」 「廿にもなって背いが延びるなんて――あなたもよっぽど人を馬鹿になさるのね」と細君は袖なしを抛り出して主人の方に捩じ向く。返答次第ではその分にはすまさんと云う権幕である。 「廿になったって背いが延びてならんと云う法はあるまい。嫁に来てから滋養分でも食わしたら、少しは延びる見込みがあると思ったんだ」と真面目な顔をして妙な理窟を述べていると門口のベルが勢よく鳴り立てて頼むと云う大きな声がする。いよいよ鈴木君がペンペン草を目的に苦沙弥先生の臥竜窟を尋ねあてたと見える。  細君は喧嘩を後日に譲って、倉皇針箱と袖なしを抱えて茶の間へ逃げ込む。主人は鼠色の毛布を丸めて書斎へ投げ込む。やがて下女が持って来た名刺を見て、主人はちょっと驚ろいたような顔付であったが、こちらへ御通し申してと言い棄てて、名刺を握ったまま後架へ這入った。何のために後架へ急に這入ったか一向要領を得ん、何のために鈴木藤十郎君の名刺を後架まで持って行ったのかなおさら説明に苦しむ。とにかく迷惑なのは臭い所へ随行を命ぜられた名刺君である。  下女が更紗の座布団を床の前へ直して、どうぞこれへと引き下がった、跡で、鈴木君は一応室内を見廻わす。床に掛けた花開万国春とある木菴の贋物や、京製の安青磁に活けた彼岸桜などを一々順番に点検したあとで、ふと下女の勧めた布団の上を見るといつの間にか一疋の猫がすまして坐っている。申すまでもなくそれはかく申す吾輩である。この時鈴木君の胸のうちにちょっとの間顔色にも出ぬほどの風波が起った。この布団は疑いもなく鈴木君のために敷かれたものである。自分のために敷かれた布団の上に自分が乗らぬ先から、断りもなく妙な動物が平然と蹲踞している。これが鈴木君の心の平均を破る第一の条件である。もしこの布団が勧められたまま、主なくして春風の吹くに任せてあったなら、鈴木君はわざと謙遜の意を表して、主人がさあどうぞと云うまでは堅い畳の上で我慢していたかも知れない。しかし早晩自分の所有すべき布団の上に挨拶もなく乗ったものは誰であろう。人間なら譲る事もあろうが猫とは怪しからん。乗り手が猫であると云うのが一段と不愉快を感ぜしめる。これが鈴木君の心の平均を破る第二の条件である。最後にその猫の態度がもっとも癪に障る。少しは気の毒そうにでもしている事か、乗る権利もない布団の上に、傲然と構えて、丸い無愛嬌な眼をぱちつかせて、御前は誰だいと云わぬばかりに鈴木君の顔を見つめている。これが平均を破壊する第三の条件である。これほど不平があるなら、吾輩の頸根っこを捉えて引きずり卸したら宜さそうなものだが、鈴木君はだまって見ている。堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬと云う事は有ろうはずがないのに、なぜ早く吾輩を処分して自分の不平を洩らさないかと云うと、これは全く鈴木君が一個の人間として自己の体面を維持する自重心の故であると察せらるる。もし腕力に訴えたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下し得るであろうが、体面を重んずる点より考えるといかに金田君の股肱たる鈴木藤十郎その人もこの二尺四方の真中に鎮座まします猫大明神を如何ともする事が出来ぬのである。いかに人の見ていぬ場所でも、猫と座席争いをしたとあってはいささか人間の威厳に関する。真面目に猫を相手にして曲直を争うのはいかにも大人気ない。滑稽である。この不名誉を避けるためには多少の不便は忍ばねばならぬ。しかし忍ばねばならぬだけそれだけ猫に対する憎悪の念は増す訳であるから、鈴木君は時々吾輩の顔を見ては苦い顔をする。吾輩は鈴木君の不平な顔を拝見するのが面白いから滑稽の念を抑えてなるべく何喰わぬ顔をしている。  吾輩と鈴木君の間に、かくのごとき無言劇が行われつつある間に主人は衣紋をつくろって後架から出て来て「やあ」と席に着いたが、手に持っていた名刺の影さえ見えぬところをもって見ると、鈴木藤十郎君の名前は臭い所へ無期徒刑に処せられたものと見える。名刺こそ飛んだ厄運に際会したものだと思う間もなく、主人はこの野郎と吾輩の襟がみを攫んでえいとばかりに椽側へ擲きつけた。 「さあ敷きたまえ。珍らしいな。いつ東京へ出て来た」と主人は旧友に向って布団を勧める。鈴木君はちょっとこれを裏返した上で、それへ坐る。 「ついまだ忙がしいものだから報知もしなかったが、実はこの間から東京の本社の方へ帰るようになってね……」 「それは結構だ、大分長く逢わなかったな。君が田舎へ行ってから、始めてじゃないか」 「うん、もう十年近くになるね。なにその後時々東京へは出て来る事もあるんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬するような訳さ。悪るく思ってくれたもうな。会社の方は君の職業とは違って随分忙がしいんだから」 「十年立つうちには大分違うもんだな」と主人は鈴木君を見上げたり見下ろしたりしている。鈴木君は頭を美麗に分けて、英国仕立のトウィードを着て、派手な襟飾りをして、胸に金鎖りさえピカつかせている体裁、どうしても苦沙弥君の旧友とは思えない。 「うん、こんな物までぶら下げなくちゃ、ならんようになってね」と鈴木君はしきりに金鎖りを気にして見せる。 「そりゃ本ものかい」と主人は無作法な質問をかける。 「十八金だよ」と鈴木君は笑いながら答えたが「君も大分年を取ったね。たしか小供があるはずだったが一人かい」 「いいや」 「二人?」 「いいや」 「まだあるのか、じゃ三人か」 「うん三人ある。この先幾人出来るか分らん」 「相変らず気楽な事を云ってるぜ。一番大きいのはいくつになるかね、もうよっぽどだろう」 「うん、いくつか能く知らんが大方六つか、七つかだろう」 「ハハハ教師は呑気でいいな。僕も教員にでもなれば善かった」 「なって見ろ、三日で嫌になるから」 「そうかな、何だか上品で、気楽で、閑暇があって、すきな勉強が出来て、よさそうじゃないか。実業家も悪くもないが我々のうちは駄目だ。実業家になるならずっと上にならなくっちゃいかん。下の方になるとやはりつまらん御世辞を振り撒いたり、好かん猪口をいただきに出たり随分愚なもんだよ」 「僕は実業家は学校時代から大嫌だ。金さえ取れれば何でもする、昔で云えば素町人だからな」と実業家を前に控えて太平楽を並べる。 「まさか――そうばかりも云えんがね、少しは下品なところもあるのさ、とにかく金と情死をする覚悟でなければやり通せないから――ところがその金と云う奴が曲者で、――今もある実業家の所へ行って聞いて来たんだが、金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないと云うのさ――義理をかく、人情をかく、恥をかくこれで三角になるそうだ面白いじゃないかアハハハハ」 「誰だそんな馬鹿は」 「馬鹿じゃない、なかなか利口な男なんだよ、実業界でちょっと有名だがね、君知らんかしら、ついこの先の横丁にいるんだが」 「金田か? 何んだあんな奴」 「大変怒ってるね。なあに、そりゃ、ほんの冗談だろうがね、そのくらいにせんと金は溜らんと云う喩さ。君のようにそう真面目に解釈しちゃ困る」 「三角術は冗談でもいいが、あすこの女房の鼻はなんだ。君行ったんなら見て来たろう、あの鼻を」 「細君か、細君はなかなかさばけた人だ」 「鼻だよ、大きな鼻の事を云ってるんだ。せんだって僕はあの鼻について俳体詩を作ったがね」 「何だい俳体詩と云うのは」 「俳体詩を知らないのか、君も随分時勢に暗いな」 「ああ僕のように忙がしいと文学などは到底駄目さ。それに以前からあまり数奇でない方だから」 「君シャーレマンの鼻の恰好を知ってるか」 「アハハハハ随分気楽だな。知らんよ」 「エルリントンは部下のものから鼻々と異名をつけられていた。君知ってるか」 「鼻の事ばかり気にして、どうしたんだい。好いじゃないか鼻なんか丸くても尖んがってても」 「決してそうでない。君パスカルの事を知ってるか」 「また知ってるかか、まるで試験を受けに来たようなものだ。パスカルがどうしたんだい」 「パスカルがこんな事を云っている」 「どんな事を」 「もしクレオパトラの鼻が少し短かかったならば世界の表面に大変化を来したろうと」 「なるほど」 「それだから君のようにそう無雑作に鼻を馬鹿にしてはいかん」 「まあいいさ、これから大事にするから。そりゃそうとして、今日来たのは、少し君に用事があって来たんだがね――あの元君の教えたとか云う、水島――ええ水島ええちょっと思い出せない。――そら君の所へ始終来ると云うじゃないか」 「寒月か」 「そうそう寒月寒月。あの人の事についてちょっと聞きたい事があって来たんだがね」 「結婚事件じゃないか」 「まあ多少それに類似の事さ。今日金田へ行ったら……」 「この間鼻が自分で来た」 「そうか。そうだって、細君もそう云っていたよ。苦沙弥さんに、よく伺おうと思って上ったら、生憎迷亭が来ていて茶々を入れて何が何だか分らなくしてしまったって」 「あんな鼻をつけて来るから悪るいや」 「いえ君の事を云うんじゃないよ。あの迷亭君がおったもんだから、そう立ち入った事を聞く訳にも行かなかったので残念だったから、もう一遍僕に行ってよく聞いて来てくれないかって頼まれたものだからね。僕も今までこんな世話はした事はないが、もし当人同士が嫌やでないなら中へ立って纏めるのも、決して悪い事はないからね――それでやって来たのさ」 「御苦労様」と主人は冷淡に答えたが、腹の内では当人同士と云う語を聞いて、どう云う訳か分らんが、ちょっと心を動かしたのである。蒸し熱い夏の夜に一縷の冷風が袖口を潜ったような気分になる。元来この主人はぶっ切ら棒の、頑固光沢消しを旨として製造された男であるが、さればと云って冷酷不人情な文明の産物とは自からその撰を異にしている。彼が何ぞと云うと、むかっ腹をたててぷんぷんするのでも這裏の消息は会得できる。先日鼻と喧嘩をしたのは鼻が気に食わぬからで鼻の娘には何の罪もない話しである。実業家は嫌いだから、実業家の片割れなる金田某も嫌に相違ないがこれも娘その人とは没交渉の沙汰と云わねばならぬ。娘には恩も恨みもなくて、寒月は自分が実の弟よりも愛している門下生である。もし鈴木君の云うごとく、当人同志が好いた仲なら、間接にもこれを妨害するのは君子のなすべき所作でない。――苦沙弥先生はこれでも自分を君子と思っている。――もし当人同志が好いているなら――しかしそれが問題である。この事件に対して自己の態度を改めるには、まずその真相から確めなければならん。 「君その娘は寒月の所へ来たがってるのか。金田や鼻はどうでも構わんが、娘自身の意向はどうなんだ」 「そりゃ、その――何だね――何でも――え、来たがってるんだろうじゃないか」鈴木君の挨拶は少々曖昧である。実は寒月君の事だけ聞いて復命さえすればいいつもりで、御嬢さんの意向までは確かめて来なかったのである。従って円転滑脱の鈴木君もちょっと狼狽の気味に見える。 「だろうた判然しない言葉だ」と主人は何事によらず、正面から、どやし付けないと気がすまない。 「いや、これゃちょっと僕の云いようがわるかった。令嬢の方でもたしかに意があるんだよ。いえ全くだよ――え?――細君が僕にそう云ったよ。何でも時々は寒月君の悪口を云う事もあるそうだがね」 「あの娘がか」 「ああ」 「怪しからん奴だ、悪口を云うなんて。第一それじゃ寒月に意がないんじゃないか」 「そこがさ、世の中は妙なもので、自分の好いている人の悪口などは殊更云って見る事もあるからね」 「そんな愚な奴がどこの国にいるものか」と主人は斯様な人情の機微に立ち入った事を云われても頓と感じがない。 「その愚な奴が随分世の中にゃあるから仕方がない。現に金田の妻君もそう解釈しているのさ。戸惑いをした糸瓜のようだなんて、時々寒月さんの悪口を云いますから、よっぽど心の中では思ってるに相違ありませんと」  主人はこの不可思議な解釈を聞いて、あまり思い掛けないものだから、眼を丸くして、返答もせず、鈴木君の顔を、大道易者のように眤と見つめている。鈴木君はこいつ、この様子では、ことによるとやり損なうなと疳づいたと見えて、主人にも判断の出来そうな方面へと話頭を移す。 「君考えても分るじゃないか、あれだけの財産があってあれだけの器量なら、どこへだって相応の家へやれるだろうじゃないか。寒月だってえらいかも知れんが身分から云や――いや身分と云っちゃ失礼かも知れない。――財産と云う点から云や、まあ、だれが見たって釣り合わんのだからね。それを僕がわざわざ出張するくらい両親が気を揉んでるのは本人が寒月君に意があるからの事じゃあないか」と鈴木君はなかなかうまい理窟をつけて説明を与える。今度は主人にも納得が出来たらしいのでようやく安心したが、こんなところにまごまごしているとまた吶喊を喰う危険があるから、早く話しの歩を進めて、一刻も早く使命を完うする方が万全の策と心付いた。 「それでね。今云う通りの訳であるから、先方で云うには何も金銭や財産はいらんからその代り当人に附属した資格が欲しい――資格と云うと、まあ肩書だね、――博士になったらやってもいいなんて威張ってる次第じゃない――誤解しちゃいかん。せんだって細君の来た時は迷亭君がいて妙な事ばかり云うものだから――いえ君が悪いのじゃない。細君も君の事を御世辞のない正直ないい方だと賞めていたよ。全く迷亭君がわるかったんだろう。――それでさ本人が博士にでもなってくれれば先方でも世間へ対して肩身が広い、面目があると云うんだがね、どうだろう、近々の内水島君は博士論文でも呈出して、博士の学位を受けるような運びには行くまいか。なあに――金田だけなら博士も学士もいらんのさ、ただ世間と云う者があるとね、そう手軽にも行かんからな」  こう云われて見ると、先方で博士を請求するのも、あながち無理でもないように思われて来る。無理ではないように思われて来れば、鈴木君の依頼通りにしてやりたくなる。主人を活かすのも殺すのも鈴木君の意のままである。なるほど主人は単純で正直な男だ。 「それじゃ、今度寒月が来たら、博士論文をかくように僕から勧めて見よう。しかし当人が金田の娘を貰うつもりかどうだか、それからまず問い正して見なくちゃいかんからな」 「問い正すなんて、君そんな角張った事をして物が纏まるものじゃない。やっぱり普通の談話の際にそれとなく気を引いて見るのが一番近道だよ」 「気を引いて見る?」 「うん、気を引くと云うと語弊があるかも知れん。――なに気を引かんでもね。話しをしていると自然分るもんだよ」 「君にゃ分るかも知れんが、僕にゃ判然と聞かん事は分らん」 「分らなけりゃ、まあ好いさ。しかし迷亭君見たように余計な茶々を入れて打ち壊わすのは善くないと思う。仮令勧めないまでも、こんな事は本人の随意にすべきはずのものだからね。今度寒月君が来たらなるべくどうか邪魔をしないようにしてくれ給え。――いえ君の事じゃない、あの迷亭君の事さ。あの男の口にかかると到底助かりっこないんだから」と主人の代理に迷亭の悪口をきいていると、噂をすれば陰の喩に洩れず迷亭先生例のごとく勝手口から飄然と春風に乗じて舞い込んで来る。 「いやー珍客だね。僕のような狎客になると苦沙弥はとかく粗略にしたがっていかん。何でも苦沙弥のうちへは十年に一遍くらいくるに限る。この菓子はいつもより上等じゃないか」と藤村の羊羹を無雑作に頬張る。鈴木君はもじもじしている。主人はにやにやしている。迷亭は口をもがもがさしている。吾輩はこの瞬時の光景を椽側から拝見して無言劇と云うものは優に成立し得ると思った。禅家で無言の問答をやるのが以心伝心であるなら、この無言の芝居も明かに以心伝心の幕である。すこぶる短かいけれどもすこぶる鋭どい幕である。 「君は一生旅烏かと思ってたら、いつの間にか舞い戻ったね。長生はしたいもんだな。どんな僥倖に廻り合わんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に対しても主人に対するごとく毫も遠慮と云う事を知らぬ。いかに自炊の仲間でも十年も逢わなければ、何となく気のおけるものだが迷亭君に限って、そんな素振も見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのかちょっと見当がつかぬ。 「可哀そうに、そんなに馬鹿にしたものでもない」と鈴木君は当らず障らずの返事はしたが、何となく落ちつきかねて、例の金鎖を神経的にいじっている。 「君電気鉄道へ乗ったか」と主人は突然鈴木君に対して奇問を発する。 「今日は諸君からひやかされに来たようなものだ。なんぼ田舎者だって――これでも街鉄を六十株持ってるよ」 「そりゃ馬鹿に出来ないな。僕は八百八十八株半持っていたが、惜しい事に大方虫が喰ってしまって、今じゃ半株ばかりしかない。もう少し早く君が東京へ出てくれば、虫の喰わないところを十株ばかりやるところだったが惜しい事をした」 「相変らず口が悪るい。しかし冗談は冗談として、ああ云う株は持ってて損はないよ、年々高くなるばかりだから」 「そうだ仮令半株だって千年も持ってるうちにゃ倉が三つくらい建つからな。君も僕もその辺にぬかりはない当世の才子だが、そこへ行くと苦沙弥などは憐れなものだ。株と云えば大根の兄弟分くらいに考えているんだから」とまた羊羹をつまんで主人の方を見ると、主人も迷亭の食い気が伝染して自ずから菓子皿の方へ手が出る。世の中では万事積極的のものが人から真似らるる権利を有している。 「株などはどうでも構わんが、僕は曾呂崎に一度でいいから電車へ乗らしてやりたかった」と主人は喰い欠けた羊羹の歯痕を撫然として眺める。 「曾呂崎が電車へ乗ったら、乗るたんびに品川まで行ってしまうは、それよりやっぱり天然居士で沢庵石へ彫り付けられてる方が無事でいい」 「曾呂崎と云えば死んだそうだな。気の毒だねえ、いい頭の男だったが惜しい事をした」と鈴木君が云うと、迷亭は直ちに引き受けて 「頭は善かったが、飯を焚く事は一番下手だったぜ。曾呂崎の当番の時には、僕あいつでも外出をして蕎麦で凌いでいた」 「ほんとに曾呂崎の焚いた飯は焦げくさくって心があって僕も弱った。御負けに御菜に必ず豆腐をなまで食わせるんだから、冷たくて食われやせん」と鈴木君も十年前の不平を記憶の底から喚び起す。 「苦沙弥はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩いっしょに汁粉を食いに出たが、その祟りで今じゃ慢性胃弱になって苦しんでいるんだ。実を云うと苦沙弥の方が汁粉の数を余計食ってるから曾呂崎[#「曾呂崎」は底本では「曾兄崎」]より先へ死んで宜い訳なんだ」 「そんな論理がどこの国にあるものか。俺の汁粉より君は運動と号して、毎晩竹刀を持って裏の卵塔婆へ出て、石塔を叩いてるところを坊主に見つかって剣突を食ったじゃないか」と主人も負けぬ気になって迷亭の旧悪を曝く。 「アハハハそうそう坊主が仏様の頭を叩いては安眠の妨害になるからよしてくれって言ったっけ。しかし僕のは竹刀だが、この鈴木将軍のは手暴だぜ。石塔と相撲をとって大小三個ばかり転がしてしまったんだから」 「あの時の坊主の怒り方は実に烈しかった。是非元のように起せと云うから人足を傭うまで待ってくれと云ったら人足じゃいかん懺悔の意を表するためにあなたが自身で起さなくては仏の意に背くと云うんだからね」 「その時の君の風采はなかったぜ、金巾のしゃつに越中褌で雨上りの水溜りの中でうんうん唸って……」 「それを君がすました顔で写生するんだから苛い。僕はあまり腹を立てた事のない男だが、あの時ばかりは失敬だと心から思ったよ。あの時の君の言草をまだ覚えているが君は知ってるか」 「十年前の言草なんか誰が覚えているものか、しかしあの石塔に帰泉院殿黄鶴大居士安永五年辰正月と彫ってあったのだけはいまだに記憶している。あの石塔は古雅に出来ていたよ。引き越す時に盗んで行きたかったくらいだ。実に美学上の原理に叶って、ゴシック趣味な石塔だった」と迷亭はまた好い加減な美学を振り廻す。 「そりゃいいが、君の言草がさ。こうだぜ――吾輩は美学を専攻するつもりだから天地間の面白い出来事はなるべく写生しておいて将来の参考に供さなければならん、気の毒だの、可哀相だのと云う私情は学問に忠実なる吾輩ごときものの口にすべきところでないと平気で云うのだろう。僕もあんまりな不人情な男だと思ったから泥だらけの手で君の写生帖を引き裂いてしまった」 「僕の有望な画才が頓挫して一向振わなくなったのも全くあの時からだ。君に機鋒を折られたのだね。僕は君に恨がある」 「馬鹿にしちゃいけない。こっちが恨めしいくらいだ」 「迷亭はあの時分から法螺吹だったな」と主人は羊羹を食い了って再び二人の話の中に割り込んで来る。 「約束なんか履行した事がない。それで詰問を受けると決して詫びた事がない何とか蚊とか云う。あの寺の境内に百日紅が咲いていた時分、この百日紅が散るまでに美学原論と云う著述をすると云うから、駄目だ、到底出来る気遣はないと云ったのさ。すると迷亭の答えに僕はこう見えても見掛けに寄らぬ意志の強い男である、そんなに疑うなら賭をしようと云うから僕は真面目に受けて何でも神田の西洋料理を奢りっこかなにかに極めた。きっと書物なんか書く気遣はないと思ったから賭をしたようなものの内心は少々恐ろしかった。僕に西洋料理なんか奢る金はないんだからな。ところが先生一向稿を起す景色がない。七日立っても二十日立っても一枚も書かない。いよいよ百日紅が散って一輪の花もなくなっても当人平気でいるから、いよいよ西洋料理に有りついたなと思って契約履行を逼ると迷亭すまして取り合わない」 「また何とか理窟をつけたのかね」と鈴木君が相の手を入れる。 「うん、実にずうずうしい男だ。吾輩はほかに能はないが意志だけは決して君方に負けはせんと剛情を張るのさ」 「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をする。 「無論さ、その時君はこう云ったぜ。吾輩は意志の一点においてはあえて何人にも一歩も譲らん。しかし残念な事には記憶が人一倍無い。美学原論を著わそうとする意志は充分あったのだがその意志を君に発表した翌日から忘れてしまった。それだから百日紅の散るまでに著書が出来なかったのは記憶の罪で意志の罪ではない。意志の罪でない以上は西洋料理などを奢る理由がないと威張っているのさ」 「なるほど迷亭君一流の特色を発揮して面白い」と鈴木君はなぜだか面白がっている。迷亭のおらぬ時の語気とはよほど違っている。これが利口な人の特色かも知れない。 「何が面白いものか」と主人は今でも怒っている様子である。 「それは御気の毒様、それだからその埋合せをするために孔雀の舌なんかを金と太鼓で探しているじゃないか。まあそう怒らずに待っているさ。しかし著書と云えば君、今日は一大珍報を齎らして来たんだよ」 「君はくるたびに珍報を齎らす男だから油断が出来ん」 「ところが今日の珍報は真の珍報さ。正札付一厘も引けなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起したのを知っているか。寒月はあんな妙に見識張った男だから博士論文なんて無趣味な労力はやるまいと思ったら、あれでやっぱり色気があるからおかしいじゃないか。君あの鼻に是非通知してやるがいい、この頃は団栗博士の夢でも見ているかも知れない」  鈴木君は寒月の名を聞いて、話してはいけぬ話してはいけぬと顋と眼で主人に合図する。主人には一向意味が通じない。さっき鈴木君に逢って説法を受けた時は金田の娘の事ばかりが気の毒になったが、今迷亭から鼻々と云われるとまた先日喧嘩をした事を思い出す。思い出すと滑稽でもあり、また少々は悪らしくもなる。しかし寒月が博士論文を草しかけたのは何よりの御見やげで、こればかりは迷亭先生自賛のごとくまずまず近来の珍報である。啻に珍報のみならず、嬉しい快よい珍報である。金田の娘を貰おうが貰うまいがそんな事はまずどうでもよい。とにかく寒月の博士になるのは結構である。自分のように出来損いの木像は仏師屋の隅で虫が喰うまで白木のまま燻っていても遺憾はないが、これは旨く仕上がったと思う彫刻には一日も早く箔を塗ってやりたい。 「本当に論文を書きかけたのか」と鈴木君の合図はそっち除けにして、熱心に聞く。 「よく人の云う事を疑ぐる男だ。――もっとも問題は団栗だか首縊りの力学だか確と分らんがね。とにかく寒月の事だから鼻の恐縮するようなものに違いない」  さっきから迷亭が鼻々と無遠慮に云うのを聞くたんびに鈴木君は不安の様子をする。迷亭は少しも気が付かないから平気なものである。 「その後鼻についてまた研究をしたが、この頃トリストラム・シャンデーの中に鼻論があるのを発見した。金田の鼻などもスターンに見せたら善い材料になったろうに残念な事だ。鼻名を千載に垂れる資格は充分ありながら、あのままで朽ち果つるとは不憫千万だ。今度ここへ来たら美学上の参考のために写生してやろう」と相変らず口から出任せに喋舌り立てる。 「しかしあの娘は寒月の所へ来たいのだそうだ」と主人が今鈴木君から聞いた通りを述べると、鈴木君はこれは迷惑だと云う顔付をしてしきりに主人に目くばせをするが、主人は不導体のごとく一向電気に感染しない。 「ちょっと乙だな、あんな者の子でも恋をするところが、しかし大した恋じゃなかろう、大方鼻恋くらいなところだぜ」 「鼻恋でも寒月が貰えばいいが」 「貰えばいいがって、君は先日大反対だったじゃないか。今日はいやに軟化しているぜ」 「軟化はせん、僕は決して軟化はせんしかし……」 「しかしどうかしたんだろう。ねえ鈴木、君も実業家の末席を汚す一人だから参考のために言って聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものの息女などを天下の秀才水島寒月の令夫人と崇め奉るのは、少々提灯と釣鐘と云う次第で、我々朋友たる者が冷々黙過する訳に行かん事だと思うんだが、たとい実業家の君でもこれには異存はあるまい」 「相変らず元気がいいね。結構だ。君は十年前と容子が少しも変っていないからえらい」と鈴木君は柳に受けて、胡麻化そうとする。 「えらいと褒めるなら、もう少し博学なところを御目にかけるがね。昔しの希臘人は非常に体育を重んじたものであらゆる競技に貴重なる懸賞を出して百方奨励の策を講じたものだ。しかるに不思議な事には学者の智識に対してのみは何等の褒美も与えたと云う記録がなかったので、今日まで実は大に怪しんでいたところさ」 「なるほど少し妙だね」と鈴木君はどこまでも調子を合せる。 「しかるについ両三日前に至って、美学研究の際ふとその理由を発見したので多年の疑団は一度に氷解。漆桶を抜くがごとく痛快なる悟りを得て歓天喜地の至境に達したのさ」  あまり迷亭の言葉が仰山なので、さすが御上手者の鈴木君も、こりゃ手に合わないと云う顔付をする。主人はまた始まったなと云わぬばかりに、象牙の箸で菓子皿の縁をかんかん叩いて俯つ向いている。迷亭だけは大得意で弁じつづける。 「そこでこの矛盾なる現象の説明を明記して、暗黒の淵から吾人の疑を千載の下に救い出してくれた者は誰だと思う。学問あって以来の学者と称せらるる彼の希臘の哲人、逍遥派の元祖アリストートルその人である。彼の説明に曰くさ――おい菓子皿などを叩かんで謹聴していなくちゃいかん。――彼等希臘人が競技において得るところの賞与は彼等が演ずる技芸その物より貴重なものである。それ故に褒美にもなり、奨励の具ともなる。しかし智識その物に至ってはどうである。もし智識に対する報酬として何物をか与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし智識以上の珍宝が世の中にあろうか。無論あるはずがない。下手なものをやれば智識の威厳を損する訳になるばかりだ。彼等は智識に対して千両箱をオリムパスの山ほど積み、クリーサスの富を傾け尽しても相当の報酬を与えんとしたのであるが、いかに考えても到底釣り合うはずがないと云う事を観破して、それより以来と云うものは奇麗さっぱり何にもやらない事にしてしまった。黄白青銭が智識の匹敵でない事はこれで十分理解出来るだろう。さてこの原理を服膺した上で時事問題に臨んで見るがいい。金田某は何だい紙幣に眼鼻をつけただけの人間じゃないか、奇警なる語をもって形容するならば彼は一個の活動紙幣に過ぎんのである。活動紙幣の娘なら活動切手くらいなところだろう。翻って寒月君は如何と見ればどうだ。辱けなくも学問最高の府を第一位に卒業して毫も倦怠の念なく長州征伐時代の羽織の紐をぶら下げて、日夜団栗のスタビリチーを研究し、それでもなお満足する様子もなく、近々の中ロード・ケルヴィンを圧倒するほどな大論文を発表しようとしつつあるではないか。たまたま吾妻橋を通り掛って身投げの芸を仕損じた事はあるが、これも熱誠なる青年に有りがちの発作的所為で毫も彼が智識の問屋たるに煩いを及ぼすほどの出来事ではない。迷亭一流の喩をもって寒月君を評すれば彼は活動図書館である。智識をもって捏ね上げたる二十八珊の弾丸である。この弾丸が一たび時機を得て学界に爆発するなら、――もし爆発して見給え――爆発するだろう――」迷亭はここに至って迷亭一流と自称する形容詞が思うように出て来ないので俗に云う竜頭蛇尾の感に多少ひるんで見えたがたちまち「活動切手などは何千万枚あったって粉な微塵になってしまうさ。それだから寒月には、あんな釣り合わない女性は駄目だ。僕が不承知だ、百獣の中でもっとも聡明なる大象と、もっとも貪婪なる小豚と結婚するようなものだ。そうだろう苦沙弥君」と云って退けると、主人はまた黙って菓子皿を叩き出す。鈴木君は少し凹んだ気味で 「そんな事も無かろう」と術なげに答える。さっきまで迷亭の悪口を随分ついた揚句ここで無暗な事を云うと、主人のような無法者はどんな事を素っ破抜くか知れない。なるべくここは好加減に迷亭の鋭鋒をあしらって無事に切り抜けるのが上分別なのである。鈴木君は利口者である。いらざる抵抗は避けらるるだけ避けるのが当世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得ている。人生の目的は口舌ではない実行にある。自己の思い通りに着々事件が進捗すれば、それで人生の目的は達せられたのである。苦労と心配と争論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極楽流に達せられるのである。鈴木君は卒業後この極楽主義によって成功し、この極楽主義によって金時計をぶら下げ、この極楽主義で金田夫婦の依頼をうけ、同じくこの極楽主義でまんまと首尾よく苦沙弥君を説き落して当該事件が十中八九まで成就したところへ、迷亭なる常規をもって律すべからざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪まるる風来坊が飛び込んで来たので少々その突然なるに面喰っているところである。極楽主義を発明したものは明治の紳士で、極楽主義を実行するものは鈴木藤十郎君で、今この極楽主義で困却しつつあるものもまた鈴木藤十郎君である。 「君は何にも知らんからそうでもなかろうなどと澄し返って、例になく言葉寡なに上品に控え込むが、せんだってあの鼻の主が来た時の容子を見たらいかに実業家贔負の尊公でも辟易するに極ってるよ、ねえ苦沙弥君、君大に奮闘したじゃないか」 「それでも君より僕の方が評判がいいそうだ」 「アハハハなかなか自信が強い男だ。それでなくてはサヴェジ・チーなんて生徒や教師にからかわれてすまして学校へ出ちゃいられん訳だ。僕も意志は決して人に劣らんつもりだが、そんなに図太くは出来ん敬服の至りだ」 「生徒や教師が少々愚図愚図言ったって何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今独歩の評論家であるが巴里大学で講義をした時は非常に不評判で、彼は学生の攻撃に応ずるため外出の際必ず匕首を袖の下に持って防禦の具となした事がある。ブルヌチェルがやはり巴里の大学でゾラの小説を攻撃した時は……」 「だって君ゃ大学の教師でも何でもないじゃないか。高がリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雑魚が鯨をもって自ら喩えるようなもんだ、そんな事を云うとなおからかわれるぜ」 「黙っていろ。サントブーヴだって俺だって同じくらいな学者だ」 「大変な見識だな。しかし懐剣をもって歩行くだけはあぶないから真似ない方がいいよ。大学の教師が懐剣ならリードルの教師はまあ小刀くらいなところだな。しかしそれにしても刃物は剣呑だから仲見世へ行っておもちゃの空気銃を買って来て背負ってあるくがよかろう。愛嬌があっていい。ねえ鈴木君」と云うと鈴木君はようやく話が金田事件を離れたのでほっと一息つきながら 「相変らず無邪気で愉快だ。十年振りで始めて君等に逢ったんで何だか窮屈な路次から広い野原へ出たような気持がする。どうも我々仲間の談話は少しも油断がならなくてね。何を云うにも気をおかなくちゃならんから心配で窮屈で実に苦しいよ。話は罪がないのがいいね。そして昔しの書生時代の友達と話すのが一番遠慮がなくっていい。ああ今日は図らず迷亭君に遇って愉快だった。僕はちと用事があるからこれで失敬する」と鈴木君が立ち懸けると、迷亭も「僕もいこう、僕はこれから日本橋の演芸矯風会に行かなくっちゃならんから、そこまでいっしょに行こう」「そりゃちょうどいい久し振りでいっしょに散歩しよう」と両君は手を携えて帰る。 五  二十四時間の出来事を洩れなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ない。従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行を弄するにも関らず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾である。遺憾ではあるがやむを得ない。休養は猫といえども必要である。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯しのはたと吹き息んで、しんしんと降る雪の夜のごとく静かになった。主人は例のごとく書斎へ引き籠る。小供は六畳の間へ枕をならべて寝る。一間半の襖を隔てて南向の室には細君が数え年三つになる、めん子さんと添乳して横になる。花曇りに暮れを急いだ日は疾く落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町の下宿で明笛を吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底に折々鈍い刺激を与える。外面は大方朧であろう。晩餐に半ぺんの煮汁で鮑貝をからにした腹ではどうしても休養が必要である。  ほのかに承われば世間には猫の恋とか称する俳諧趣味の現象があって、春さきは町内の同族共の夢安からぬまで浮かれ歩るく夜もあるとか云うが、吾輩はまだかかる心的変化に遭逢した事はない。そもそも恋は宇宙的の活力である。上は在天の神ジュピターより下は土中に鳴く蚯蚓、おけらに至るまでこの道にかけて浮身を窶すのが万物の習いであるから、吾輩どもが朧うれしと、物騒な風流気を出すのも無理のない話しである。回顧すればかく云う吾輩も三毛子に思い焦がれた事もある。三角主義の張本金田君の令嬢阿倍川の富子さえ寒月君に恋慕したと云う噂である。それだから千金の春宵を心も空に満天下の雌猫雄猫が狂い廻るのを煩悩の迷のと軽蔑する念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。吾輩目下の状態はただ休養を欲するのみである。こう眠くては恋も出来ぬ。のそのそと小供の布団の裾へ廻って心地快く眠る。……  ふと眼を開いて見ると主人はいつの間にか書斎から寝室へ来て細君の隣に延べてある布団の中にいつの間にか潜り込んでいる。主人の癖として寝る時は必ず横文字の小本を書斎から携えて来る。しかし横になってこの本を二頁と続けて読んだ事はない。ある時は持って来て枕元へ置いたなり、まるで手を触れぬ事さえある。一行も読まぬくらいならわざわざ提げてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細君が笑っても、止せと云っても、決して承知しない。毎夜読まない本をご苦労千万にも寝室まで運んでくる。ある時は慾張って三四冊も抱えて来る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えて来たくらいである。思うにこれは主人の病気で贅沢な人が竜文堂に鳴る松風の音を聞かないと寝つかれないごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであろう、して見ると主人に取っては書物は読む者ではない眠を誘う器械である。活版の睡眠剤である。  今夜も何か有るだろうと覗いて見ると、赤い薄い本が主人の口髯の先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっている。主人の左の手の拇指が本の間に挟まったままであるところから推すと奇特にも今夜は五六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時計が春に似合わぬ寒き色を放っている。  細君は乳呑児を一尺ばかり先へ放り出して口を開いていびきをかいて枕を外している。およそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。猫などは生涯こんな恥をかいた事がない。元来口は音を出すため鼻は空気を吐呑するための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無精になってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞して口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりも見ともないと思う。第一天井から鼠の糞でも落ちた時危険である。  小供の方はと見るとこれも親に劣らぬ体たらくで寝そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだと云わぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子はその復讐に姉の腹の上に片足をあげて踏反り返っている。双方共寝た時の姿勢より九十度はたしかに廻転している。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も云わずおとなしく熟睡している。  さすがに春の灯火は格別である。天真爛漫ながら無風流極まるこの光景の裏に良夜を惜しめとばかり床しげに輝やいて見える。もう何時だろうと室の中を見廻すと四隣はしんとしてただ聞えるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯軋りをする音のみである。この下女は人から歯軋りをすると云われるといつでもこれを否定する女である。私は生れてから今日に至るまで歯軋りをした覚はございませんと強情を張って決して直しましょうとも御気の毒でございますとも云わず、ただそんな覚はございませんと主張する。なるほど寝ていてする芸だから覚はないに違ない。しかし事実は覚がなくても存在する事があるから困る。世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えているものがある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却する訳には行かぬ。こう云う紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思う。――夜は大分更けたようだ。  台所の雨戸にトントンと二返ばかり軽く中った者がある。はてな今頃人の来るはずがない。大方例の鼠だろう、鼠なら捕らん事に極めているから勝手にあばれるが宜しい。――またトントンと中る。どうも鼠らしくない。鼠としても大変用心深い鼠である。主人の内の鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中でも夜中でも乱暴狼藉の練修に余念なく、憫然なる主人の夢を驚破するのを天職のごとく心得ている連中だから、かくのごとく遠慮する訳がない。今のはたしかに鼠ではない。せんだってなどは主人の寝室にまで闖入して高からぬ主人の鼻の頭を囓んで凱歌を奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまり臆病すぎる。決して鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、同時に腰障子を出来るだけ緩やかに、溝に添うて滑らせる。いよいよ鼠ではない。人間だ。この深夜に人間が案内も乞わず戸締を外ずして御光来になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないに極っている。御高名だけはかねて承わっている泥棒陰士ではないか知らん。いよいよ陰士とすれば早く尊顔を拝したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足ばかり進んだ模様である。三足目と思う頃揚板に蹶いてか、ガタリと夜に響くような音を立てた。吾輩の背中の毛が靴刷毛で逆に擦すられたような心持がする。しばらくは足音もしない。細君を見ると未だ口をあいて太平の空気を夢中に吐呑している。主人は赤い本に拇指を挟まれた夢でも見ているのだろう。やがて台所でマチを擦る音が聞える。陰士でも吾輩ほど夜陰に眼は利かぬと見える。勝手がわるくて定めし不都合だろう。  この時吾輩は蹲踞まりながら考えた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであろうか、または左へ折れ玄関を通過して書斎へと抜けるであろうか。――足音は襖の音と共に椽側へ出た。陰士はいよいよ書斎へ這入った。それぎり音も沙汰もない。  吾輩はこの間に早く主人夫婦を起してやりたいものだとようやく気が付いたが、さてどうしたら起きるやら、一向要領を得ん考のみが頭の中に水車の勢で廻転するのみで、何等の分別も出ない。布団の裾を啣えて振って見たらと思って、二三度やって見たが少しも効用がない。冷たい鼻を頬に擦り付けたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらを否やと云うほど突き飛ばした。鼻は猫にとっても急所である。痛む事おびただしい。此度は仕方がないからにゃーにゃーと二返ばかり鳴いて起こそうとしたが、どう云うものかこの時ばかりは咽喉に物が痞えて思うような声が出ない。やっとの思いで渋りながら低い奴を少々出すと驚いた。肝心の主人は覚める気色もないのに突然陰士の足音がし出した。ミチリミチリと椽側を伝って近づいて来る。いよいよ来たな、こうなってはもう駄目だと諦らめて、襖と柳行李の間にしばしの間身を忍ばせて動静を窺がう。  陰士の足音は寝室の障子の前へ来てぴたりと已む。吾輩は息を凝らして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。あとで考えたが鼠を捕る時は、こんな気分になれば訳はないのだ、魂が両方の眼から飛び出しそうな勢である。陰士の御蔭で二度とない悟を開いたのは実にありがたい。たちまち障子の桟の三つ目が雨に濡れたように真中だけ色が変る。それを透して薄紅なものがだんだん濃く写ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしの間に暗い中に消える。入れ代って何だか恐しく光るものが一つ、破れた孔の向側にあらわれる。疑いもなく陰士の眼である。妙な事にはその眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、ただ柳行李の後に隠れていた吾輩のみを見つめているように感ぜられた。一分にも足らぬ間ではあったが、こう睨まれては寿命が縮まると思ったくらいである。もう我慢出来んから行李の影から飛出そうと決心した時、寝室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらわれた。  吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄誉を有する訳であるが、その前ちょっと卑見を開陳してご高慮を煩わしたい事がある。古代の神は全智全能と崇められている。ことに耶蘇教の神は二十世紀の今日までもこの全智全能の面を被っている。しかし俗人の考うる全智全能は、時によると無智無能とも解釈が出来る。こう云うのは明かにパラドックスである。しかるにこのパラドックスを道破した者は天地開闢以来吾輩のみであろうと考えると、自分ながら満更な猫でもないと云う虚栄心も出るから、是非共ここにその理由を申し上げて、猫も馬鹿に出来ないと云う事を、高慢なる人間諸君の脳裏に叩き込みたいと考える。天地万有は神が作ったそうな、して見れば人間も神の御製作であろう。現に聖書とか云うものにはその通りと明記してあるそうだ。さてこの人間について、人間自身が数千年来の観察を積んで、大に玄妙不思議がると同時に、ますます神の全智全能を承認するように傾いた事実がある。それは外でもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界中に一人もいない。顔の道具は無論極っている、大さも大概は似たり寄ったりである。換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられている、同じ材料で出来ているにも関らず一人も同じ結果に出来上っておらん。よくまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついた者だと思うと、製造家の伎倆に感服せざるを得ない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化は出来んのである。一代の画工が精力を消耗して変化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出来んのをもって推せば、人間の製造を一手で受負った神の手際は格別な者だと驚嘆せざるを得ない。到底人間社会において目撃し得ざる底の伎倆であるから、これを全能的伎倆と云っても差し支えないだろう。人間はこの点において大に神に恐れ入っているようである、なるほど人間の観察点から云えばもっともな恐れ入り方である。しかし猫の立場から云うと同一の事実がかえって神の無能力を証明しているとも解釈が出来る。もし全然無能でなくとも人間以上の能力は決してない者であると断定が出来るだろうと思う。神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したと云うが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫も杓子も同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうてい旨く行かなくて出来るのも出来るのも作り損ねてこの乱雑な状態に陥ったものか、分らんではないか。彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるると同時に失敗の痕迹とも判ぜらるるではないか。全能とも云えようが、無能と評したって差し支えはない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時に見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入らんのは気の毒な次第である。立場を換えて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのだが、本人逆せ上がって、神に呑まれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚を示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅見せろと逼ると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方がかえって困難かも知れぬ。弘法大師に向って昨日書いた通りの筆法で空海と願いますと云う方がまるで書体を換えてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用うる国語は全然模傚主義で伝習するものである。彼等人間が母から、乳母から、他人から実用上の言語を習う時には、ただ聞いた通りを繰り返すよりほかに毛頭の野心はないのである。出来るだけの能力で人真似をするのである。かように人真似から成立する国語が十年二十年と立つうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚の能力がないと云う事を証明している。純粋の模傚はかくのごとく至難なものである。従って神が彼等人間を区別の出来ぬよう、悉皆焼印の御かめのごとく作り得たならばますます神の全能を表明し得るもので、同時に今日のごとく勝手次第な顔を天日に曝らさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。  吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。本を忘却するのは人間にさえありがちの事であるから猫には当然の事さと大目に見て貰いたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥見した時、以上の感想が自然と胸中に湧き出でたのである。なぜ湧いた?――なぜと云う質問が出れば、今一応考え直して見なければならん。――ええと、その訳はこうである。  吾輩の眼前に悠然とあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――平常神の製作についてその出来栄をあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼の眉目がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜二つであると云う事実である。吾輩は無論泥棒に多くの知己は持たぬが、その行為の乱暴なところから平常想像して私かに胸中に描いていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨くらいの眼をつけた、毬栗頭にきまっていると自分で勝手に極めたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像は決して逞くするものではない。この陰士は背のすらりとした、色の浅黒い一の字眉の、意気で立派な泥棒である。年は二十六七歳でもあろう、それすら寒月君の写生である。神もこんな似た顔を二個製造し得る手際があるとすれば、決して無能をもって目する訳には行かぬ。いや実際の事を云うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して来たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒く髯の芽生えが植え付けてないのでさては別人だと気が付いた。寒月君は苦味ばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用において決して寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の眼付や口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にも惚れ込まなくては義理が悪い。義理はとにかく、論理に合わない。ああ云う才気のある、何でも早分りのする性質だからこのくらいの事は人から聞かんでもきっと分るであろう。して見ると寒月君の代りにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟調和の実を挙げらるるに相違ない。万一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件である。  陰士は小脇になにか抱えている。見ると先刻主人が書斎へ放り込んだ古毛布である。唐桟の半纏に、御納戸の博多の帯を尻の上にむすんで、生白い脛は膝から下むき出しのまま今や片足を挙げて畳の上へ入れる。先刻から赤い本に指を噛まれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りを堂と打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。陰士は毛布を落して、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向脛が二本立ったまま微かに動くのが見える。主人はうーん、むにゃむにゃと云いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病みのようにぼりぼり掻く。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。寒月だと云ったのは全く我知らずの寝言と見える。陰士はしばらく椽側に立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見済してまた片足を畳の上に入れる。今度は寒月だと云う声も聞えぬ。やがて残る片足も踏み込む。一穂の春灯で豊かに照らされていた六畳の間は、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李の辺から吾輩の頭の上を越えて壁の半ばが真黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然と動いている。好男子も影だけ見ると、八つ頭の化け物のごとくまことに妙な恰好である。陰士は細君の寝顔を上から覗き込んで見たが何のためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。  細君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付けにした箱が大事そうに置いてある。これは肥前の国は唐津の住人多々良三平君が先日帰省した時御土産に持って来た山の芋である。山の芋を枕元へ飾って寝るのはあまり例のない話しではあるがこの細君は煮物に使う三盆を用箪笥へ入れるくらい場所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋は愚か、沢庵が寝室に在っても平気かも知れん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭重に肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分目方が懸りそうなのですこぶる満足の体である。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかし滅多に声を立てると危険であるからじっと怺えている。  やがて陰士は山の芋の箱を恭しく古毛布にくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸い主人が寝る時に解きすてた縮緬の兵古帯がある。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかり括って、苦もなく背中へしょう。あまり女が好く体裁ではない。それから小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめり安の股引の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨れて青大将が蛙を飲んだような――あるいは青大将の臨月と云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好になった。嘘だと思うなら試しにやって見るがよろしい。陰士はめり安をぐるぐる首っ環へ捲きつけた。その次はどうするかと思うと主人の紬の上着を大風呂敷のように拡げてこれに細君の帯と主人の羽織と繻絆とその他あらゆる雑物を奇麗に畳んでくるみ込む。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細君の帯上げとしごきとを続ぎ合わせてこの包みを括って片手にさげる。まだ頂戴するものは無いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂へ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプに翳して火を点ける。旨まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞ってまだ消えぬ間に、陰士の足音は椽側を次第に遠のいて聞えなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外迂濶なものである。  吾輩はまた暫時の休養を要する。のべつに喋舌っていては身体が続かない。ぐっと寝込んで眼が覚めた時は弥生の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。 「それでは、ここから這入って寝室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向気がつかなかったのですな」 「ええ」と主人は少し極りがわるそうである。 「それで盗難に罹ったのは何時頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分るくらいなら何にも盗まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。 「何時頃かな」 「そうですね」と細君は考える。考えれば分ると思っているらしい。 「あなたは夕べ何時に御休みになったんですか」 「俺の寝たのは御前よりあとだ」 「ええ私しの伏せったのは、あなたより前です」 「眼が覚めたのは何時だったかな」 「七時半でしたろう」 「すると盗賊の這入ったのは、何時頃になるかな」 「なんでも夜なかでしょう」 「夜中は分りきっているが、何時頃かと云うんだ」 「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向痛痒を感じないのである。嘘でも何でも、いい加減な事を答えてくれれば宜いと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々焦れたくなったと見えて 「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で 「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに 「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸を外してどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴及候也という書面をお出しなさい。届ではない告訴です。名宛はない方がいい」 「品物は一々かくんですか」 「ええ羽織何点代価いくらと云う風に表にして出すんです。――いや這入って見たって仕方がない。盗られたあとなんだから」と平気な事を云って帰って行く。  主人は筆硯を座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云え。さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調で云う。 「あら厭だ、さあ云えだなんて、そんな権柄ずくで誰が云うもんですか」と細帯を巻き付けたままどっかと腰を据える。 「その風はなんだ、宿場女郎の出来損い見たようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」 「これで悪るければ買って下さい。宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないじゃありませんか」 「帯までとって行ったのか、苛い奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」 「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子と縮緬の腹合せの帯です」 「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋――価はいくらくらいだ」 「六円くらいでしょう」 「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭くらいのにしておけ」 「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だと云うんです。女房なんどは、どんな汚ない風をしていても、自分さい宜けりゃ、構わないんでしょう」 「まあいいや、それから何だ」 「糸織の羽織です、あれは河野の叔母さんの形身にもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」 「そんな講釈は聞かんでもいい。値段はいくらだ」 「十五円」 「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」 「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」 「その次は何だ」 「黒足袋が一足」 「御前のか」 「あなたんでさあね。代価が二十七銭」 「それから?」 「山の芋が一箱」 「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」 「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」 「いくらするか」 「山の芋のねだんまでは知りません」 「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」 「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」 「しかし御前は知らんと云うじゃないか」 「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」 「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」 「何ですって」 「オタンチン・パレオロガスだよ」 「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」 「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向出て来んじゃないか」 「あとは何でも宜うござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴」 「意味も何にもあるもんか」 「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」 「愚な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」 「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」 「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」 「そんなら、品物の方もあとはありません」 「頑愚だな。それでは勝手にするがいい。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」 「私も品数を教えて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」 「それじゃ廃そう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入る。細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。両人共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子を睨め付けている。  ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者多々良三平君が上ってくる。多々良三平君はもとこの家の書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。これも実業家の芽生で、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の関係から時々旧先生の草廬を訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄である。 「奥さん。よか天気でござります」と唐津訛りか何かで細君の前にズボンのまま立て膝をつく。 「おや多々良さん」 「先生はどこぞ出なすったか」 「いいえ書斎にいます」 「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」 「わたしに言っても駄目だから、あなたが先生にそうおっしゃい」 「そればってんが……」と言い掛けた三平君は座敷中を見廻わして「今日は御嬢さんも見えんな」と半分妻君に聞いているや否や次の間からとん子とすん子が馳け出して来る。 「多々良さん、今日は御寿司を持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭を掻きながら 「よう覚えているのう、この次はきっと持って来ます。今日は忘れた」と白状する。 「いやーだ」と姉が云うと妹もすぐ真似をして「いやーだ」とつける。細君はようやく御機嫌が直って少々笑顔になる。 「寿司は持って来んが、山の芋は上げたろう。御嬢さん喰べなさったか」 「山の芋ってなあに?」と姉がきくと妹が今度もまた真似をして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。 「まだ食いなさらんか、早く御母あさんに煮て御貰い。唐津の山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気が付いて 「多々良さんせんだっては御親切に沢山ありがとう」 「どうです、喰べて見なすったか、折れんように箱を誂らえて堅くつめて来たから、長いままでありましたろう」 「ところがせっかく下すった山の芋を夕べ泥棒に取られてしまって」 「ぬす盗が? 馬鹿な奴ですなあ。そげん山の芋の好きな男がおりますか?」と三平君大に感心している。 「御母あさま、夕べ泥棒が這入ったの?」と姉が尋ねる。 「ええ」と細君は軽く答える。 「泥棒が這入って――そうして――泥棒が這入って――どんな顔をして這入ったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君も何と答えてよいか分らんので 「恐い顔をして這入りました」と返事をして多々良君の方を見る。 「恐い顔って多々良さん見たような顔なの」と姉が気の毒そうにもなく、押し返して聞く。 「何ですね。そんな失礼な事を」 「ハハハハ私の顔はそんなに恐いですか。困ったな」と頭を掻く。多々良君の頭の後部には直径一寸ばかりの禿がある。一カ月前から出来だして医者に見て貰ったが、まだ容易に癒りそうもない。この禿を第一番に見付けたのは姉のとん子である。 「あら多々良さんの頭は御母さまのように光かってよ」 「だまっていらっしゃいと云うのに」 「御母あさま夕べの泥棒の頭も光かってて」とこれは妹の質問である。細君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまり煩わしくて話も何も出来ぬので「さあさあ御前さん達は少し御庭へ出て御遊びなさい。今に御母あさまが好い御菓子を上げるから」と細君はようやく子供を追いやって 「多々良さんの頭はどうしたの」と真面目に聞いて見る。 「虫が食いました。なかなか癒りません。奥さんも有んなさるか」 「やだわ、虫が食うなんて、そりゃ髷で釣るところは女だから少しは禿げますさ」 「禿はみんなバクテリヤですばい」 「わたしのはバクテリヤじゃありません」 「そりゃ奥さん意地張りたい」 「何でもバクテリヤじゃありません。しかし英語で禿の事を何とか云うでしょう」 「禿はボールドとか云います」 「いいえ、それじゃないの、もっと長い名があるでしょう」 「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」 「先生はどうしても教えて下さらないから、あなたに聞くんです」 「私はボールドより知りませんが。長かって、どげんですか」 「オタンチン・パレオロガスと云うんです。オタンチンと云うのが禿と云う字で、パレオロガスが頭なんでしょう」 「そうかも知れませんたい。今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調べて上げましょう。しかし先生もよほど変っていなさいますな。この天気の好いのに、うちにじっとして――奥さん、あれじゃ胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勧めなさい」 「あなたが連れ出して下さい。先生は女の云う事は決して聞かない人ですから」 「この頃でもジャムを舐めなさるか」 「ええ相変らずです」 「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうも妻が俺のジャムの舐め方が烈しいと云って困るが、俺はそんなに舐めるつもりはない。何か勘定違いだろうと云いなさるから、そりゃ御嬢さんや奥さんがいっしょに舐めなさるに違ない――」 「いやな多々良さんだ、何だってそんな事を云うんです」 「しかし奥さんだって舐めそうな顔をしていなさるばい」 「顔でそんな事がどうして分ります」 「分らんばってんが――それじゃ奥さん少しも舐めなさらんか」 「そりゃ少しは舐めますさ。舐めたって好いじゃありませんか。うちのものだもの」 「ハハハハそうだろうと思った――しかし本の事、泥棒は飛んだ災難でしたな。山の芋ばかり持って行たのですか」 「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、不断着をみんな取って行きました」 「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。奥さん犬の大か奴を是非一丁飼いなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でも捕りますか」 「一匹もとった事はありません。本当に横着な図々図々しい猫ですよ」 「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさい。私が貰って行って煮て食おうか知らん」 「あら、多々良さんは猫を食べるの」 「食いました。猫は旨うござります」 「随分豪傑ね」  下等な書生のうちには猫を食うような野蛮人がある由はかねて伝聞したが、吾輩が平生眷顧を辱うする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業の日は浅きにも係わらず堂々たる一個の法学士で、六つ井物産会社の役員であるのだから吾輩の驚愕もまた一と通りではない。人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君の御蔭によって始めて感得した真理である。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人に碌なものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱と共に成仏する方が得策かも知れんと考えて隅の方に小さくなっていると、最前細君と喧嘩をして一反書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。 「先生泥棒に逢いなさったそうですな。なんちゅ愚な事です」と劈頭一番にやり込める。 「這入る奴が愚なんだ」と主人はどこまでも賢人をもって自任している。 「這入る方も愚だばってんが、取られた方もあまり賢こくはなかごたる」 「何にも取られるものの無い多々良さんのようなのが一番賢こいんでしょう」と細君が此度は良人の肩を持つ。 「しかし一番愚なのはこの猫ですばい。ほんにまあ、どう云う了見じゃろう。鼠は捕らず泥棒が来ても知らん顔をしている。――先生この猫を私にくんなさらんか。こうしておいたっちゃ何の役にも立ちませんばい」 「やっても好い。何にするんだ」 「煮て喰べます」  主人は猛烈なるこの一言を聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑を洩らしたが、別段の返事もしないので、多々良君も是非食いたいとも云わなかったのは吾輩にとって望外の幸福である。主人はやがて話頭を転じて、 「猫はどうでも好いが、着物をとられたので寒くていかん」と大に銷沈の体である。なるほど寒いはずである。昨日までは綿入を二枚重ねていたのに今日は袷に半袖のシャツだけで、朝から運動もせず枯坐したぎりであるから、不充分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へは少しも巡回して来ない。 「先生教師などをしておったちゃとうていあかんですばい。ちょっと泥棒に逢っても、すぐ困る――一丁今から考を換えて実業家にでもなんなさらんか」 「先生は実業家は嫌だから、そんな事を言ったって駄目よ」  と細君が傍から多々良君に返事をする。細君は無論実業家になって貰いたいのである。 「先生学校を卒業して何年になんなさるか」 「今年で九年目でしょう」と細君は主人を顧みる。主人はそうだとも、そうで無いとも云わない。 「九年立っても月給は上がらず。いくら勉強しても人は褒めちゃくれず、郎君独寂寞ですたい」と中学時代で覚えた詩の句を細君のために朗吟すると、細君はちょっと分りかねたものだから返事をしない。 「教師は無論嫌だが、実業家はなお嫌いだ」と主人は何が好きだか心の裏で考えているらしい。 「先生は何でも嫌なんだから……」 「嫌でないのは奥さんだけですか」と多々良君柄に似合わぬ冗談を云う。 「一番嫌だ」主人の返事はもっとも簡明である。細君は横を向いてちょっと澄したが再び主人の方を見て、 「生きていらっしゃるのも御嫌なんでしょう」と充分主人を凹ましたつもりで云う。 「あまり好いてはおらん」と存外呑気な返事をする。これでは手のつけようがない。 「先生ちっと活溌に散歩でもしなさらんと、からだを壊してしまいますばい。――そうして実業家になんなさい。金なんか儲けるのは、ほんに造作もない事でござります」 「少しも儲けもせん癖に」 「まだあなた、去年やっと会社へ這入ったばかりですもの。それでも先生より貯蓄があります」 「どのくらい貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。 「もう五十円になります」 「一体あなたの月給はどのくらいなの」これも細君の質問である。 「三十円ですたい。その内を毎月五円宛会社の方で預って積んでおいて、いざと云う時にやります。――奥さん小遣銭で外濠線の株を少し買いなさらんか、今から三四個月すると倍になります。ほんに少し金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」 「そんな御金があれば泥棒に逢ったって困りゃしないわ」 「それだから実業家に限ると云うんです。先生も法科でもやって会社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百円の収入はありますのに、惜しい事でござんしたな。――先生あの鈴木藤十郎と云う工学士を知ってなさるか」 「うん昨日来た」 「そうでござんすか、せんだってある宴会で逢いました時先生の御話をしたら、そうか君は苦沙弥君のところの書生をしていたのか、僕も苦沙弥君とは昔し小石川の寺でいっしょに自炊をしておった事がある、今度行ったら宜しく云うてくれ、僕もその内尋ねるからと云っていました」 「近頃東京へ来たそうだな」 「ええ今まで九州の炭坑におりましたが、こないだ東京詰になりました。なかなか旨いです。私なぞにでも朋友のように話します。――先生あの男がいくら貰ってると思いなさる」 「知らん」 「月給が二百五十円で盆暮に配当がつきますから、何でも平均四五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一狐裘じゃ馬鹿気ておりますなあ」 「実際馬鹿気ているな」と主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間と異なるところはない。否困窮するだけに人一倍金が欲しいのかも知れない。多々良君は充分実業家の利益を吹聴してもう云う事が無くなったものだから 「奥さん、先生のところへ水島寒月と云う人が来ますか」 「ええ、善くいらっしゃいます」 「どげんな人物ですか」 「大変学問の出来る方だそうです」 「好男子ですか」 「ホホホホ多々良さんくらいなものでしょう」 「そうですか、私くらいなものですか」と多々良君真面目である。 「どうして寒月の名を知っているのかい」と主人が聞く。 「せんだって或る人から頼まれました。そんな事を聞くだけの価値のある人物でしょうか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えている。 「君よりよほどえらい男だ」 「そうでございますか、私よりえらいですか」と笑いもせず怒りもせぬ。これが多々良君の特色である。 「近々博士になりますか」 「今論文を書いてるそうだ」 「やっぱり馬鹿ですな。博士論文をかくなんて、もう少し話せる人物かと思ったら」 「相変らず、えらい見識ですね」と細君が笑いながら云う。 「博士になったら、だれとかの娘をやるとかやらんとか云うていましたから、そんな馬鹿があろうか、娘を貰うために博士になるなんて、そんな人物にくれるより僕にくれる方がよほどましだと云ってやりました」 「だれに」 「私に水島の事を聞いてくれと頼んだ男です」 「鈴木じゃないか」 「いいえ、あの人にゃ、まだそんな事は云い切りません。向うは大頭ですから」 「多々良さんは蔭弁慶ね。うちへなんぞ来ちゃ大変威張っても鈴木さんなどの前へ出ると小さくなってるんでしょう」 「ええ。そうせんと、あぶないです」 「多々良、散歩をしようか」と突然主人が云う。先刻から袷一枚であまり寒いので少し運動でもしたら暖かになるだろうと云う考から主人はこの先例のない動議を呈出したのである。行き当りばったりの多々良君は無論逡巡する訳がない。 「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁を揮ってるうちに主人はもう帽子を被って沓脱へ下りる。  吾輩はまた少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、また尾行する勇気もないからずっと略してその間休養せんければならん。休養は万物の旻天から要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有して蠢動する者は、生息の義務を果すために休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝は働くために生れたり寝るために生れたるに非ずと云わば吾輩はこれに答えて云わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたり故に働くために休養を乞うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強漢ですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令猫といえども主人以上に休養を要するは勿論の事である。ただ先刻多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物のごとくに罵ったのは少々気掛りである。とかく物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉らんのは厄介である。何でも尻でも端折って、汗でも出さないと働らいていないように考えている。達磨と云う坊さんは足の腐るまで座禅をして澄ましていたと云うが、仮令壁の隙から蔦が這い込んで大師の眼口を塞ぐまで動かないにしろ、寝ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖などと乙な理窟を考え込んでいる。儒家にも静坐の工夫と云うのがあるそうだ。これだって一室の中に閉居して安閑と躄の修行をするのではない。脳中の活力は人一倍熾に燃えている。ただ外見上は至極沈静端粛の態であるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもって昏睡仮死の庸人と見做して無用の長物とか穀潰しとか入らざる誹謗の声を立てるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、――しかも彼の多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋に故障を挟む景色のない事である。しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑するのも、あながち無理ではない。大声は俚耳に入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしの喩も古い昔からある事だ。形体以外の活動を見る能わざる者に向って己霊の光輝を見よと強ゆるは、坊主に髪を結えと逼るがごとく、鮪に演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものである。必竟無理な注文に過ぎん。しかしながら猫といえども社会的動物である。社会的動物である以上はいかに高く自ら標置するとも、或る程度までは社会と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至御さん、三平連が吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剥いで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上すような無分別をやられては由々しき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆に出現したほどの古今来の猫であれば、非常に大事な身体である。千金の子は堂陲に坐せずとの諺もある事なれば、好んで超邁を宗として、徒らに吾身の危険を求むるのは単に自己の災なるのみならず、また大いに天意に背く訳である。猛虎も動物園に入れば糞豚の隣りに居を占め、鴻雁も鳥屋に生擒らるれば雛鶏と俎を同じゅうす。庸人と相互する以上は下って庸猫と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠を捕らざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極めた。  せんだってじゅうから日本は露西亜と大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本贔負である。出来得べくんば混成猫旅団を組織して露西亜兵を引っ掻いてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺盛な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なく捕れる。昔しある人当時有名な禅師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠を覘うようにさしゃれと答えたそうだ。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすれば外ずれっこはござらぬと云う意味である。女賢しゅうしてと云う諺はあるが猫賢しゅうして鼠捕り損うと云う格言はまだ無いはずだ。して見ればいかに賢こい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪が台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線は勿論あまり広かろうはずがない。畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺がぴかぴかして、後ろは羽目板の間を二尺遺して吾輩の鮑貝の所在地である。茶の間に近き六尺は膳椀皿小鉢を入れる戸棚となって狭き台所をいとど狭く仕切って、横に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢が仰向けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木が並んで懸[#ルビの「か」は底本では「け」]けてある傍らに火消壺だけが悄然と控えている。真黒になった樽木の交叉した真中から一本の自在を下ろして、先へは平たい大きな籠をかける。その籠が時々風に揺れて鷹揚に動いている。この籠は何のために釣るすのか、この家へ来たてには一向要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへ入れると云う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じた。  これから作戦計画だ。どこで鼠と戦争するかと云えば無論鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜な地形だからと云って一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと台所の真中に立って四方を見廻わす。何だか東郷大将のような心持がする。下女はさっき湯に行って戻って来ん。小供はとくに寝ている。主人は芋坂の団子を喰って帰って来て相変らず書斎に引き籠っている。細君は――細君は何をしているか知らない。大方居眠りをして山芋の夢でも見ているのだろう。時々門前を人力が通るが、通り過ぎた後は一段と淋しい。わが決心と云い、わが意気と云い台所の光景と云い、四辺の寂寞と云い、全体の感じが悉く悲壮である。どうしても猫中の東郷大将としか思われない。こう云う境界に入ると物凄い内に一種の愉快を覚えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が横わっているのを発見した。鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何疋来ても恐くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を綜合して見ると鼠賊の逸出するのには三つの行路がある。彼れらがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ廻るに相違ない。その時は火消壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。あるいは溝へ湯を抜く漆喰の穴より風呂場を迂回して勝手へ不意に飛び出すかも知れない。そうしたら釜の蓋の上に陣取って眼の下に来た時上から飛び下りて一攫みにする。それからとまたあたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形に喰い破られて、彼等の出入に便なるかの疑がある。鼻を付けて臭いで見ると少々鼠臭い。もしここから吶喊して出たら、柱を楯にやり過ごしておいて、横合からあっと爪をかける。もし天井から来たらと上を仰ぐと真黒な煤がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際では上る事も、下る事も出来ん。まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒を解く事にする。それにしても三方から攻撃される懸念がある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕るべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。さればと云って車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたら好かろう。どうしたら好かろうと考えて好い智慧が出ない時は、そんな事は起る気遣はないと決めるのが一番安心を得る近道である。また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。まず世間を見渡して見給え。きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではないか、しかし聟殿は玉椿千代も八千代もなど、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと極める。  それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自ら明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶である。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対する計がある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに極めねばならぬとなると大に当惑する。東郷大将はバルチック艦隊が対馬海峡を通るか、津軽海峡へ出るか、あるいは遠く宗谷海峡を廻るかについて大に心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。  吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子が開いて御三の顔がぬうと出る。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目でよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然眸底に落つるからである。御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜に懲りてか、早くから勝手の戸締をする。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞える。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水の壮士を気取って、竜鳴を聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日はステッキ、明日は何になるだろう。  夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前に一と休養を要する。  主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間と云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。惜し気もなく散る彼岸桜を誘うて、颯と吹き込む風に驚ろいて眼を覚ますと、朧月さえいつの間に差してか、竈の影は斜めに揚板の上にかかる。寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子を窺うと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。  戸棚の中でことことと音がしだす。小皿の縁を足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色はない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向うに現在敵が暴行を逞しくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話だ。鼠は旅順椀の中で盛に舞踏会を催うしている。せめて吾輩の這入れるだけ御三がこの戸を開けておけば善いのに、気の利かぬ山出しだ。  今度はへっついの影で吾輩の鮑貝がことりと鳴る。敵はこの方面へも来たなと、そーっと忍び足で近寄ると手桶の間から尻尾がちらと見えたぎり流しの下へ隠れてしまった。しばらくすると風呂場でうがい茶碗が金盥にかちりと当る。今度は後方だと振りむく途端に、五寸近くある大な奴がひらりと歯磨の袋を落して椽の下へ馳け込む。逃がすものかと続いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠を捕るのは思ったよりむずかしい者である。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。  吾輩が風呂場へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、台所の真中に頑張っていると三方面共少々ずつ騒ぎ立てる。小癪と云おうか、卑怯と云おうかとうてい彼等は君子の敵でない。吾輩は十五六回はあちら、こちらと気を疲らし心を労らして奔走努力して見たがついに一度も成功しない。残念ではあるがかかる小人を敵にしてはいかなる東郷大将も施こすべき策がない。始めは勇気もあり敵愾心もあり悲壮と云う崇高な美感さえあったがついには面倒と馬鹿気ているのと眠いのと疲れたので台所の真中へ坐ったなり動かない事になった。しかし動かんでも八方睨みを極め込んでいれば敵は小人だから大した事は出来んのである。目ざす敵と思った奴が、存外けちな野郎だと、戦争が名誉だと云う感じが消えて悪くいと云う念だけ残る。悪くいと云う念を通り過すと張り合が抜けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ気の利いた事は出来ないのだからと軽蔑の極眠たくなる。吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなった。吾輩は眠る。休養は敵中に在っても必要である。  横向に庇を向いて開いた引窓から、また花吹雪を一塊りなげ込んで、烈しき風の吾を遶ると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出した者が、避くる間もあらばこそ、風を切って吾輩の左の耳へ喰いつく。これに続く黒い影は後ろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾へぶら下がる。瞬く間の出来事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上る。満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が横顔に懸る。護謨管のごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入る。屈竟の手懸りに、砕けよとばかり尾を啣えながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上に跳ね返る。起き上がるところを隙間なく乗し掛れば、毬を蹴たるごとく、吾輩の鼻づらを掠めて釣り段の縁に足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。その中に月の光りが、大幅の帯を空に張るごとく横に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。前足だけは首尾よく棚の縁にかかったが後足は宙にもがいている。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰い下っている。吾輩は危うい。前足を懸け易えて足懸りを深くしようとする。懸け易える度に尻尾の重みで浅くなる。二三分滑れば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危うい。棚板を爪で掻きむしる音ががりがりと聞える。これではならぬと左の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下った。自分と尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと廻わる。この時まで身動きもせずに覘いをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りる。吾輩の爪は一縷のかかりを失う。三つの塊まりが一つとなって月の光を竪に切って下へ落ちる。次の段に乗せてあった摺鉢と、摺鉢の中の小桶とジャムの空缶が同じく一塊となって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕の中、半分は板の間の上へ転がり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。 「泥棒!」と主人は胴間声を張り上げて寝室から飛び出して来る。見ると片手にはランプを提げ、片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼よりは身分相応の炯々たる光を放っている。吾輩は鮑貝の傍におとなしくして蹲踞る。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切ほどに細くなった。 六  こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入の毛衣だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭のかからない生涯を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾を潜った事はない。折々は団扇でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢なものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢に漬けて見たり、味噌をつけて見たり好んで余計な手数を懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、蚕の御世話になったり、綿畠の御情けさえ受けるに至っては贅沢は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫も合点が行かぬ。第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、放っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好をこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾で包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛とか称する無意味な鋸様の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨の上へ人為的の区劃を立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過して後ろまで食み出しているのがある。まるで贋造の芭蕉葉のようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。丸い頭へ四角な枠をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身を窶してどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈のように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫より閑なもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人がよると障わると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。毛衣では全く熱つ過ぎる。  これでは一手専売の昼寝も出来ない。何かないかな、永らく人間社会の観察を怠ったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪する様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分である。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしても一向観察する張合がない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来ても好い時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと家中に響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法な真似をやるものはほかにはない。迷亭に極っている。  いよいよ来たな、これで今日半日は潰せると思っていると、先生汗を拭いて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥さん、苦沙弥君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へ抛り出す。細君は隣座敷で針箱の側へ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、醒めぬ眼をわざとって座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。 「おやいらしゃいまし」と云ったが少々狼狽の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたまま御辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場で御三に水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両三日は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」「私しなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気な事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「私なんざ、寝たくない、質でね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見ると羨しいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載せてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。髷の重みだけでも横になりたくなりますよ」と云うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好から露見したと思って「ホホホ口の悪い」と云いながら頭をいじって見る。  迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天日は思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。 「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣では寒いくらいでございましたのに、一昨日から急に暑くなりましてね」「蟹なら横に這うところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。倒行して逆施すまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果せるかな細君は分らない。しかし最前の倒行して逆施すで少々懲りているから、今度はただ「へえー」と云ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出した甲斐がない。「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と云うと細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と云った。「昔しハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」「牛飼じゃありませんよ。牛飼やいろはの亭主じゃありません。その節は希臘にまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘のお話しなの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君は希臘と云う国名だけは心得ている。「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスなら希臘なんですか」「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」「その男がね奥さん見たように眠くなってぐうぐう寝ている――」「あらいやだ」「寝ている間に、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンて何です」「ヴァルカンは鍛冶屋ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛の尻尾を持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが眼を覚まして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分らないんです。分らないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんじゃありませんもの、後ろへ後ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。 「時に御主人はどうしました。相変らず午睡ですかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数だがちょっと起していらっしゃい」と催促すると細君は同感と見えて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪るくなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴する。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きませんで――それじゃ何もございませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いですよ」「それでも、あなた、どうせ御口に合うようなものはございませんが」と細君少々厭味を並べる。迷亭は悟ったもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走を誂らえて来ましたから、そいつを一つここでいただきますよ」ととうてい素人には出来そうもない事を述べる。細君はたった一言「まあ!」と云ったがそのまあの中には驚ろいたまあと、気を悪るくしたまあと、手数が省けてありがたいと云うまあが合併している。  ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかに扱かれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来る。「相変らずやかましい男だ。せっかく好い心持に寝ようとしたところを」と欠伸交りに仏頂面をする。「いや御目覚かね。鳳眠を驚かし奉ってはなはだ相済まん。しかしたまには好かろう。さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をする。主人は無言のまま座に着いて寄木細工の巻煙草入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向の隅に転がっている迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云った。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫で廻わす。「奥さんこの帽子は重宝ですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と拳骨をかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとく拳ほどな穴があいた。細君が「へえ」と驚く間もなく、この度は拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張ると釜の頭がぽかりと尖んがる。次には帽子を取って鍔と鍔とを両側から圧し潰して見せる。潰れた帽子は麺棒で延した蕎麦のように平たくなる。それを片端から蓆でも巻くごとくぐるぐる畳む。「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せる。「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一の手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものと見えて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口から引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を載せてくるくると廻す。もう休めるかと思ったら最後にぽんと後ろへ放げてその上へ堂っさりと尻餅を突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸念らしい顔をする。細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもし壊わしでもしちゃあ大変ですから、もう好い加減になすったら宜うござんしょう」と注意をする。得意なのは持主だけで「ところが壊われないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好にたちまち回復する。「実に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこう云う帽子なんです」と迷亭は帽子を被ったまま細君に返事をしている。 「あなたも、あんな帽子を御買になったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。「だって苦沙弥君は立派な麦藁の奴を持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって小供があれを踏み潰してしまいまして」「おやおやそりゃ措しい[#「措しい」はママ]事をしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思いますんで」と細君はパナマの価段を知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。  迷亭君は今度は右の袂の中から赤いケース入りの鋏を取り出して細君に見せる。「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝な奴で、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運を免かれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖の仕合せだと吾輩は看破した。「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三日月形の欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規の用をする。また刃の裏には度盛がしてあるから物指の代用も出来る。こちらの表にはヤスリが付いているこれで爪を磨りまさあ。ようがすか。この先きを螺旋鋲の頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌にも使える。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付の箱なんざあ苦もなく蓋がとれる。まった、こちらの刃の先は錐に出来ている。ここん所は書き損いの字を削る場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。一番しまいに――さあ奥さん、この一番しまいが大変面白いんです、ここに蠅の眼玉くらいな大きさの球がありましょう、ちょっと、覗いて御覧なさい」「いやですわまたきっと馬鹿になさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だが欺されたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。え? 厭ですか、ちょっとでいいから」と鋏を細君に渡す。細君は覚束なげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けてしきりに覘をつけている。「どうです」「何だか真黒ですわ」「真黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう」「そこが面白いところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものと見えて「おい俺にもちょっと覧せろ」と云うと細君は鋏を顔へ押し付けたまま「実に奇麗です事、裸体の美人ですね」と云ってなかなか離さない。「おいちょっと御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美くしい髪ですね。腰までありますよ。少し仰向いて恐ろしい背の高い女だ事、しかし美人ですね」「おい御見せと云ったら、大抵にして見せるがいい」と主人は大に急き込んで細君に食って掛る。「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三が御客さまの御誂が参りましたと、二個の笊蕎麦を座敷へ持って来る。 「奥さんこれが僕の自弁の御馳走ですよ。ちょっと御免蒙って、ここでぱくつく事に致しますから」と叮嚀に御辞儀をする。真面目なような巫山戯たような動作だから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。主人はようやく写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦は毒だぜ」と云った。「なあに大丈夫、好きなものは滅多に中るもんじゃない」と蒸籠の蓋をとる。「打ち立てはありがたいな。蕎麦の延びたのと、人間の間が抜けたのは由来たのもしくないもんだよ」と薬味をツユの中へ入れて無茶苦茶に掻き廻わす。「君そんなに山葵を入れると辛らいぜ」と主人は心配そうに注意した。「蕎麦はツユと山葵で食うもんだあね。君は蕎麦が嫌いなんだろう」「僕は饂飩が好きだ」「饂飩は馬子が食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」と云いながら杉箸をむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。初心の者に限って、無暗にツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも、こう、一としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃いをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂れの上に纏綿している。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユを三分一つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込むところがねうちだよ」と思い切って箸を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。左手に受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんに浸すと、アーキミジスの理論によって、蕎麦の浸った分量だけツユの嵩が増してくる。ところが茶碗の中には元からツユが八分目這入っているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分も浸らない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。迷亭の箸は茶碗を去る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでも卸せばツユが溢れるばかりである。迷亭もここに至って少し躇の体であったが、たちまち脱兎の勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛が一二度上下へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴眼尻から頬へ流れ出した。山葵が利いたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際を激賞した。迷亭は何にも云わないで箸を置いて胸を二三度敲いたが「奥さん笊は大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数を掛けちゃ旨く食えませんよ」とハンケチで口を拭いてちょっと一息入れている。  ところへ寒月君が、どう云う了見かこの暑いのに御苦労にも冬帽を被って両足を埃だらけにしてやってくる。「いや好男子の御入来だが、喰い掛けたものだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座の裏にあって臆面もなく残った蒸籠を平げる。今度は先刻のように目覚しい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息を入れると云う不体裁もなく、蒸籠二つを安々とやってのけたのは結構だった。 「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もその後から「金田令嬢がお待ちかねだから早々呈出したまえ」と云う。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑を洩らして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、よほど労力の入る研究を要するのですから」と本気の沙汰とも思われない事を本気の沙汰らしく云う。「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言う通りにもならないね。もっともあの鼻なら充分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的に真面目なのは主人である。「君の論文の問題は何とか云ったっけな」「蛙の眼球の電動作用に対する紫外光線の影響と云うのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の眼球は振ってるよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前にその問題だけでも金田家へ報知しておいては」主人は迷亭の云う事には取り合わないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな単簡なものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸い硝子の球をこしらえてそれからやろうと思っています」「硝子の球なんかガラス屋へ行けば訳ないじゃないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々反身になる。「元来円とか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、廃したらよかろう」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上差し支えないくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「出来たかい」と主人が訳のないようにきく。「出来るものですか」と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて「どうもむずかしいです。だんだん磨って少しこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持落すと、さあ大変今度は向側が長くなる。そいつを骨を折ってようやく磨り潰したかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いが出来ます。始めは林檎ほどな大きさのものがだんだん小さくなって苺ほどになります。それでも根気よくやっていると大豆ほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円は出来ませんよ。私も随分熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本当だか見当のつかぬところを喋々と述べる。「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯のときちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近頃忙がしい忙がしいと云って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠を磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠作りの博士となって入り込みしは――と云うところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。実は先日僕がある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然老梅君に出逢ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用がしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求に是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。主人は少し真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。「まあこの容子じゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人より呑気に見受けられる。「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早い方です、事によると廿年くらいかかります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来ませんから……」  寒月君はちょっと句を切って「何、そんなにご心配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってる事はよく承知しています。実は二三日前行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟易の体であったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切れた時、極りの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。「先月大磯へ行ったものに両三日前東京で逢うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。奥さんのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生涯恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんな事をおっしゃるの。随分軽蔑なさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君だって恋煩いなんかした事はなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。「そりゃ僕の艶聞などは、いくら有ってもみんな七十五日以上経過しているから、君方の記憶には残っていないかも知れないが――実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。「ホホホホ面白い事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学のために伺いたいもので」と相変らずにやにやする。 「僕のも大分神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、実のところ話す張合もないんだが、せっかくだから打ち開けるよ。その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取り掛る。「回顧すると今を去る事――ええと――何年前だったかな――面倒だからほぼ十五六年前としておこう」「冗談じゃない」と主人は鼻からフンと息をした。「大変物覚えが御悪いのね」と細君がひやかした。寒月君だけは約束を守って一言も云わずに、早くあとが聴きたいと云う風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は蒲原郡筍谷を通って、蛸壺峠へかかって、これからいよいよ会津領[#ルビの「あいづりょう」は底本では「あいずりょう」]へ出ようとするところだ」「妙なところだな」と主人がまた邪魔をする。「だまって聴いていらっしゃいよ。面白いから」と細君が制する。「ところが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋を敲いて、これこれかようかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸蝋燭を僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶると悸えたがね。僕はその時から恋と云う曲者の魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文金の高島田に髪を結いましてね」「へえー」と細君はあっけに取られている。「這入って見ると八畳の真中に大きな囲炉裏が切ってあって、その周りに娘と娘の爺さんと婆さんと僕と四人坐ったんですがね。さぞ御腹が御減りでしょうと云いますから、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんです。すると爺さんがせっかくの御客さまだから蛇飯でも炊いて上げようと云うんです。さあこれからがいよいよ失恋に取り掛るところだからしっかりして聴きたまえ」「先生しっかりして聴く事は聴きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟にばかり拘泥してはいられないからね。鏡花の小説にゃ雪の中から蟹が出てくるじゃないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復した。 「その時分の僕は随分悪もの食いの隊長で、蝗、なめくじ、赤蛙などは食い厭きていたくらいなところだから、蛇飯は乙だ。早速御馳走になろうと爺さんに返事をした。そこで爺さん囲炉裏の上へ鍋をかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議な事にはその鍋の蓋を見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯気がぷうぷう吹くから、旨い工夫をしたものだ、田舎にしては感心だと見ていると、爺さんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きな笊を小脇に抱い込んで帰って来た。何気なくこれを囲炉裏の傍へ置いたから、その中を覗いて見ると――いたね。長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろの捲きくらをやって塊まっていましたね」「もうそんな御話しは廃しになさいよ。厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。「どうしてこれが失恋の大源因になるんだからなかなか廃せませんや。爺さんはやがて左手に鍋の蓋をとって、右手に例の塊まった長い奴を無雑作につかまえて、いきなり鍋の中へ放り込んで、すぐ上から蓋をしたが、さすがの僕もその時ばかりははっと息の穴が塞ったかと思ったよ」「もう御やめになさいよ。気味の悪るい」と細君しきりに怖がっている。「もう少しで失恋になるからしばらく辛抱していらっしゃい。すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首がひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと云ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋中蛇の面だらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺さんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆さんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々に蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白いように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くの事骨抜だ、器用な事をやるじゃないか。それから蓋を取って、杓子でもって飯と肉を矢鱈に掻き交ぜて、さあ召し上がれと来た」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦い顔をして「もう廃しになさいよ、胸が悪るくって御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯忘れられませんぜ」「おお、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分御饌も頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおく事はないと考えていると、御休みなさいましと云うので、旅の労れもある事だから、仰に従って、ごろりと横になると、すまん訳だが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。「それから明朝になって眼を覚してからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。朝起きて巻煙草をふかしながら裏の窓から見ていると、向うの筧の傍で、薬缶頭が顔を洗っているんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。「それがさ、僕にも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬缶がこちらを向く段になって驚ろいたね。それが僕の初恋をした昨夜の娘なんだもの」「だって娘は島田に結っているとさっき云ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかも見事な島田さ。ところが翌朝は丸薬缶さ」「人を馬鹿にしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議の極内心少々怖くなったから、なお余所ながら容子を窺っていると、薬缶はようやく顔を洗い了って、傍えの石の上に置いてあった高島田の鬘を無雑作に被って、すましてうちへ這入ったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったようなもののその時から、とうとう失恋の果敢なき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになったら、先生はなお元気かも知れませんよ、とにかくせっかくの娘が禿であったのは千秋の恨事ですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「僕もそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「しかしあなたは、どこも何ともなくて結構でございましたね」「僕は禿にはならずにすんだが、その代りにこの通りその時から近眼になりました」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀に拭いている。しばらくして主人は思い出したように「全体どこが神秘的なんだい」と念のために聞いて見る。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えても未だに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君はまた眼鏡を元のごとく鼻の上へかける。「まるで噺し家の話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。  迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡でも嵌められないうちはとうてい黙っている事が出来ぬ性と見えて、また次のような事をしゃべり出した。 「僕の失恋も苦い経験だが、あの時あの薬缶を知らずに貰ったが最後生涯の目障りになるんだから、よく考えないと険呑だよ。結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだところに傷口が隠れているのを見出す事がある者だから。寒月君などもそんなに憧憬したりしたり独りでむずかしがらないで、篤と気を落ちつけて珠を磨るがいいよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易したような顔付をする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅君などになるとすこぶる奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいて承わる。「なあに、こう云う訳さ。先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。――たった一と晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も随分呑気だが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋に御夏さんと云う有名な別嬪がいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、実を云うと僕と老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜が食いたくなったんだがね」「何だって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。迷亭は構わずどんどん話を進行させる。「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんと唸ったが少しも利目がないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはありますよと云って、天地玄黄とかいう千字文を盗んだような名前のドクトルを連れて来た。翌朝になって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬の詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者は塵である。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものは無である。――よく穿ってるだろう。女なんか仕方がない」と妙なところで力味んで見せる。これを承った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだか賞めるのだか曖昧な事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍して、下のごとく述べられた。 「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それなら唖を女房にしていると同じ事で僕などは一向ありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名はことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体で出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女が必ずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云いますがね。なに昔はこれより烈しかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目じゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子のように籠へ入れて天秤棒で担いで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。 「本当さ。現に僕のおやじが価を付けた事がある。その時僕は何でも六つくらいだったろう。おやじといっしょに油町から通町へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴ってくる。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源と云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間で蔵が五つ戸前あって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚兵衛と云ってね。いつでも御袋が三日前に亡くなりましたと云うような顔をして帳場の所へ控えている。甚兵衛君の隣りには初さんという二十四五の若い衆が坐っているが、この初さんがまた雲照律師に帰依して三七二十一日の間蕎麦湯だけで通したと云うような青い顔をしている。初さんの隣りが長どんでこれは昨日火事で焚き出されたかのごとく愁然と算盤に身を凭している。長どんと併んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。実はこの伊勢源についてもすこぶる奇譚があるんだが、それは割愛して今日は人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日と明治初年頃の女子の品性の比較について大なる参考になる材料だから、そんなに容易くやめられるものか――それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那女の子の仕舞物はどうです、安く負けておくから買っておくんなさいと云いながら天秤棒をおろして汗を拭いているのさ。見ると籠の中には前に一人後ろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向って安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎今日はみんな売り尽してたった二つになっちまいました。どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子か何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭を叩いて見て、ははあかなりな音だと云った。それからいよいよ談判が始まって散々価切った末おやじが、買っても好いが品はたしかだろうなと聞くと、ええ前の奴は始終見ているから間違はありませんがね後ろに担いでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひびが入ってるかも知れません。こいつの方なら受け合えない代りに価段を引いておきますと云った。僕はこの問答を未だに記憶しているんだがその時小供心に女と云うものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。――しかし明治三十八年の今日こんな馬鹿な真似をして女の子を売ってあるくものもなし、眼を放して後ろへ担いだ方は険呑だなどと云う事も聞かないようだ。だから、僕の考ではやはり泰西文明の御蔭で女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」  寒月君は返事をする前にまず鷹揚な咳払を一つして見せたが、それからわざと落ちついた低い声で、こんな観察を述べられた。「この頃の女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買って頂戴な、あらおいや? などと自分で自分を売りにあるいていますから、そんな八百屋のお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依托販売をやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくると自然こんな風になるものです。老人なんぞはいらぬ取越苦労をして何とかかとか云いますが、実際を云うとこれが文明の趨勢ですから、私などは大に喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買う方だって頭を敲いて品物は確かかなんて聞くような野暮は一人もいないんですからその辺は安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そんな手数をする日にゃあ、際限がありませんからね。五十になったって六十になったって亭主を持つ事も嫁に行く事も出来やしません」寒月君は二十世紀の青年だけあって、大に当世流の考を開陳しておいて、敷島の煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けた。迷亭は敷島の煙くらいで辟易する男ではない。「仰せの通り方今の女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮まで出来ていて、何でも男子に負けないところが敬服の至りだ。僕の近所の女学校の生徒などと来たらえらいものだぜ。筒袖を穿いて鉄棒へぶら下がるから感心だ。僕は二階の窓から彼等の体操を目撃するたんびに古代希臘の婦人を追懐するよ」「また希臘か」と主人が冷笑するように云い放つと「どうも美な感じのするものは大抵希臘から源を発しているから仕方がない。美学者と希臘とはとうてい離れられないやね。――ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべり立てる。「またむずかしい名前が出て来ましたね」と寒月君は依然としてにやにやする。「Agnodice はえらい女だよ、僕は実に感心したね。当時亜典の法律で女が産婆を営業する事を禁じてあった。不便な事さ。Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「何だい、その――何とか云うのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれないのは情けない、不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手を拱いて考え込んだね。ちょうど三日目の暁方に、隣の家で赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁然大悟して、それから早速長い髪を切って男の着物をきて Hierophilus の講義をききに行った。首尾よく講義をきき終せて、もう大丈夫と云うところでもって、いよいよ産婆を開業した。ところが、奥さん流行りましたね。あちらでもおぎゃあと生れるこちらでもおぎゃあと生れる。それがみんな Agnodice の世話なんだから大変儲かった。ところが人間万事塞翁の馬、七転び八起き、弱り目に祟り目で、ついこの秘密が露見に及んでついに御上の御法度を破ったと云うところで、重き御仕置に仰せつけられそうになりました」「まるで講釈見たようです事」「なかなか旨いでしょう。ところが亜典の女連が一同連署して嘆願に及んだから、時の御奉行もそう木で鼻を括ったような挨拶も出来ず、ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業勝手たるべき事と云う御布令さえ出てめでたく落着を告げました」「よくいろいろな事を知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概の事は知っていますよ。知らないのは自分の馬鹿な事くらいなものです。しかしそれも薄々は知ってます」「ホホホホ面白い事ばかり……」と細君相形を崩して笑っていると、格子戸のベルが相変らず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまた御客様だ」と細君は茶の間へ引き下がる。細君と入れ違いに座敷へ這入って来たものは誰かと思ったらご存じの越智東風君であった。  ここへ東風君さえくれば、主人の家へ出入する変人はことごとく網羅し尽したとまで行かずとも、少なくとも吾輩の無聊を慰むるに足るほどの頭数は御揃になったと云わねばならぬ。これで不足を云っては勿体ない。運悪るくほかの家へ飼われたが最後、生涯人間中にかかる先生方が一人でもあろうとさえ気が付かずに死んでしまうかも知れない。幸にして苦沙弥先生門下の猫児となって朝夕虎皮の前に侍べるので先生は無論の事迷亭、寒月乃至東風などと云う広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千載一遇の光栄である。御蔭様でこの暑いのに毛袋でつつまれていると云う難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出来るのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まれば只事ではすまない。何か持ち上がるだろうと襖の陰から謹んで拝見する。 「どうもご無沙汰を致しました。しばらく」と御辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはり奇麗に光っている。頭だけで評すると何か緞帳役者のようにも見えるが、白い小倉の袴のゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪らしく穿いているところは榊原健吉の内弟子としか思えない。従って東風君の身体で普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分の家らしい挨拶をする。「先生には大分久しく御目にかかりません」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりだったね。朗読会と云えば近頃はやはり御盛かね。その後御宮にゃなりませんか。あれは旨かったよ。僕は大に拍手したぜ、君気が付いてたかい」「ええ御蔭で大きに勇気が出まして、とうとうしまいまで漕ぎつけました」「今度はいつ御催しがありますか」と主人が口を出す。「七八両月は休んで九月には何か賑やかにやりたいと思っております。何か面白い趣向はございますまいか」「さよう」と主人が気のない返事をする。「東風君僕の創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手になる。「君の創作なら面白いものだろうが、一体何かね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちょっと毒気をぬかれて、申し合せたように本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生なお澄し返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は旧劇とか新劇とか大部やかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇と云うのを作って見たのさ」「俳劇たどんなものだい」「俳句趣味の劇と云うのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云うと主人も迷亭も多少煙に捲かれて控えている。「それでその趣向と云うのは?」と聞き出したのはやはり東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいた」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これも極簡単なのがいい。舞台の真中へ大きな柳を一本植え付けてね。それからその柳の幹から一本の枝を右の方へヌッと出させて、その枝へ烏を一羽とまらせる」「烏がじっとしていればいいが」と主人が独り言のように心配した。「何わけは有りません、烏の足を糸で枝へ縛り付けておくんです。でその下へ行水盥を出しましてね。美人が横向きになって手拭を使っているんです」「そいつは少しデカダンだね。第一誰がその女になるんだい」と迷亭が聞く。「何これもすぐ出来ます。美術学校のモデルを雇ってくるんです」「そりゃ警視庁がやかましく云いそうだな」と主人はまた心配している。「だって興行さえしなければ構わんじゃありませんか。そんな事をとやかく云った日にゃ学校で裸体画の写生なんざ出来っこありません」「しかしあれは稽古のためだから、ただ見ているのとは少し違うよ」「先生方がそんな事を云った日には日本もまだ駄目です。絵画だって、演劇だって、おんなじ芸術です」と寒月君大いに気焔を吹く。「まあ議論はいいが、それからどうするのだい」と東風君、ことによると、やる了見と見えて筋を聞きたがる。「ところへ花道から俳人高浜虚子がステッキを持って、白い灯心入りの帽子を被って、透綾の羽織に、薩摩飛白の尻端折りの半靴と云うこしらえで出てくる。着付けは陸軍の御用達見たようだけれども俳人だからなるべく悠々として腹の中では句案に余念のない体であるかなくっちゃいけない。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。そこで虚子先生大に俳味に感動したと云う思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木を入れて幕を引く。――どうだろう、こう云う趣向は。御気に入りませんかね。君御宮になるより虚子になる方がよほどいいぜ」東風君は何だか物足らぬと云う顔付で「あんまり、あっけないようだ。もう少し人情を加味した事件が欲しいようだ」と真面目に答える。今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでもだまっているような男ではない。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国の音だそうだが、敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんなつまらない物をやって見給え。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室で珠を磨いてる方がいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国の音じゃ駄目だ」寒月君は少々憤として、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでも構わん事を弁解しかける。「虚子がですね。虚子先生が女に惚れる烏かなと烏を捕えて女に惚れさしたところが大に積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。是非御講釈を伺がいましょう」「理学士として考えて見ると烏が女に惚れるなどと云うのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理な事を無雑作に言い放って少しも無理に聞えません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。「なぜ無理に聞えないかと云うと、これは心理的に説明するとよく分ります。実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であります。しかるところあの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと云う訳じゃない、必竟自分が惚れているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水しているところを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつも俺と同じく参ってるなと癇違いをしたのです。癇違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。説明だけは積極だが、実際あの劇をやられた日には、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎるように思います」と真面目な顔をして答えた。  主人は少々談話の局面を展開して見たくなったと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段これと云って御目にかけるほどのものも出来ませんが、近日詩集を出して見ようと思いまして――稿本を幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」と懐から紫の袱紗包を出して、その中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と云って見ると第一頁に 世の人に似ずあえかに見え給う    富子嬢に捧ぐ と二行にかいてある。主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一頁を無言のまま眺めているので、迷亭は横合から「何だい新体詩かね」と云いながら覗き込んで「やあ、捧げたね。東風君、思い切って富子嬢に捧げたのはえらい」としきりに賞める。主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子と云うのは本当に存在している婦人なのですか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招待した婦人の一人です。ついこの御近所に住んでおります。実はただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、生憎先月から大磯へ避暑に行って留守でした」と真面目くさって述べる。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗読するさ。しかし東風君この捧げ方は少しまずかったね。このあえかにと云う雅言は全体何と言う意味だと思ってるかね」「蚊弱いとかたよわくと云う字だと思います」「なるほどそうも取れん事はないが本来の字義を云うと危う気にと云う事だぜ。だから僕ならこうは書かないね」「どう書いたらもっと詩的になりましょう」「僕ならこうさ。世の人に似ずあえかに見え給う富子嬢の鼻の下に捧ぐとするね。わずかに三字のゆきさつだが鼻の下があるのとないのとでは大変感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君は解しかねたところを無理に納得した体にもてなす。  主人は無言のままようやく一頁をはぐっていよいよ巻頭第一章を読み出す。 倦んじて薫ずる香裏に君の 霊か相思の煙のたなびき おお我、ああ我、辛きこの世に あまく得てしか熱き口づけ 「これは少々僕には解しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々振い過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なああるほど」と云って東風君に返す。 「先生御分りにならんのはごもっともで、十年前の詩界と今日の詩界とは見違えるほど発達しておりますから。この頃の詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではとうてい分りようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです。註釈や訓義は学究のやる事で私共の方では頓と構いません。せんだっても私の友人で送籍と云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧として取り留めがつかないので、当人に逢って篤と主意のあるところを糺して見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡に送籍君を打ち留めた。東風君はこれだけではまだ弁じ足りない。「送籍は吾々仲間のうちでも取除けですが、私の詩もどうか心持ちその気で読んでいただきたいので。ことに御注意を願いたいのはからきこの世と、あまき口づけと対をとったところが私の苦心です」「よほど苦心をなすった痕迹が見えます」「あまいとからいと反照するところなんか十七味調唐辛子調で面白い。全く東風君独特の伎倆で敬々服々の至りだ」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいる。  主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくる。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天然居士の墓碑銘ならもう二三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさい。東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい」「是非伺がいましょう」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。 「大和魂! と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした」 「起し得て突兀ですね」と寒月君がほめる。 「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」 「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。 「東郷大将が大和魂を有っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師、山師、人殺しも大和魂を有っている」 「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」 「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」 「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」 「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」 「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。 「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」  主人は一結杳然と云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽く「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。  不思議な事に迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁を振わなかったが、やがて向き直って、「君も短篇を集めて一巻として、そうして誰かに捧げてはどうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやろうか」と聴くと迷亭は「真平だ」と答えたぎり、先刻細君に見せびらかした鋏をちょきちょき云わして爪をとっている。寒月君は東風君に向って「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから、懇意になってそれからは始終交際をしている。僕はあの令嬢の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌を詠んでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああ云う異性の朋友からインスピレーションを受けるからだろうと思う。それで僕はあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。昔しから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄合でもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手は大分下火になった。吾輩も彼等の変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂を探しに出た。梧桐の緑を綴る間から西に傾く日が斑らに洩れて、幹にはつくつく法師が懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかも知れない。 七  吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利いた風だと一概に冷罵し去る手合にちょっと申し聞けるが、そう云う人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人とか称えて、懐手をして座布団から腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下って暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠って当分霞を食えのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気に罹り出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずその砌りは浮世の風中にふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年に懸け合うと云ってもよろしい。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いに係らず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分仕るところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜を同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬である。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない。世を憂い時を憤る吾輩などに較べると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたって毫も驚くに足りない。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間に極っている。人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々運動の功能を吹聴したり、海水浴の利益を喋々して大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何疋おるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかった試しがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだが利かなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去を、落ちると唱え、人間の寂滅をごねると号している。洋行をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だ。いくら往復したって一匹も波の上に今呼吸を引き取った――呼吸ではいかん、魚の事だから潮を引き取ったと云わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々たる、あの漫々たる、大海を日となく夜となく続けざまに石炭を焚いて探がしてあるいても古往今来一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う断案はすぐに下す事が出来る。それならなぜ魚がそんなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかる後に知らざるなりで、訳はない。すぐ分る。全く潮水を呑んで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著である。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席全快と大袈裟な広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。但し今はいけない。物には時機がある。御維新前の日本人が海水浴の功能を味わう事が出来ずに死んだごとく、今日の猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇しておらん。せいては事を仕損んずる、今日のように築地へ打っちゃられに行った猫が無事に帰宅せん間は無暗に飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が狂瀾怒濤に対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば猫が死んだと云う代りに猫が上がったと云う語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴は出来ん。  海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取り極めた。どうも二十世紀の今日運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助と笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做されている。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変化する。吾輩の眼玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品隲とくると真逆かさまにひっくり返る。ひっくり返っても差し支えはない。物には両面がある、両端がある。両端を叩いて黒白の変化を同一物の上に起こすところが人間の融通のきくところである。方寸を逆かさまにして見ると寸方となるところに愛嬌がある。天の橋立を股倉から覗いて見るとまた格別な趣が出る。セクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。偶には股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩しないだろう。だから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来をあるき廻ったって一向不思議はない。ただ猫が運動するのを利いた風だなどと笑いさえしなければよい。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審を抱く者があるかも知れんから一応説明しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出来ん。だからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買う訳に行かない。この二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文いらず器械なしと名づくべき種類に属する者と思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいは鮪の切身を啣えて馳け出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力に順って、大地を横行するのは、あまり単簡で興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖を汚がす者だろうと思う。勿論ただの運動でもある刺激の下にはやらんとは限らん。鰹節競争、鮭探しなどは結構だがこれは肝心の対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然として没趣味なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がして見たい。吾輩はいろいろ考えた。台所の廂から家根に飛び上がる方、家根の天辺にある梅花形の瓦の上に四本足で立つ術、物干竿を渡る事――これはとうてい成功しない、竹がつるつる滑べって爪が立たない。後ろから不意に小供に飛びつく事、――これはすこぶる興味のある運動の一だが滅多にやるとひどい目に逢うから、高々月に三度くらいしか試みない。紙袋を頭へかぶせらるる事――これは苦しいばかりではなはだ興味の乏しい方法である。ことに人間の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引き掻く事、――これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かない。これらは吾輩のいわゆる旧式運動なる者である。新式のうちにはなかなか興味の深いのがある。第一に蟷螂狩り。――蟷螂狩りは鼠狩りほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない。夏の半から秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂をさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作もない。さて見付け出した蟷螂君の傍へはっと風を切って馳けて行く。するとすわこそと云う身構をして鎌首をふり上げる。蟷螂でもなかなか健気なもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い。振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲る。この時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分ある。ところを一足飛びに君の後ろへ廻って今度は背面から君の羽根を軽く引き掻く。あの羽根は平生大事に畳んであるが、引き掻き方が烈しいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれる。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねで乙に極まっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えて見える。先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出す。それを我無洒落に向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂である。もし相手がこの野蛮な振舞をやると、向って来たところを覘いすまして、いやと云うほど張り付けてやる。大概は二三尺飛ばされる者である。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくる。蟷螂君はまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げ惑うのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根を振って一大活躍を試みる事がある。元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、独逸語のごとく毫も実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない。名前は活躍だが事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだから仕方がない。御免蒙ってたちまち前面へ馳け抜ける。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくる。その鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたまま仆れる。その上をうんと前足で抑えて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまた抑える。七擒七縦孔明の軍略で攻めつける。約三十分この順序を繰り返して、身動きも出来なくなったところを見すましてちょっと口へ啣えて振って見る。それからまた吐き出す。今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるところをまた抑えつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまう。ついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまり旨い物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである。蟷螂狩りに次いで蝉取りと云う運動をやる。単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくて行かん。みんみんは横風で困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て来ない。八つ口の綻びから秋風が断わりなしに膚を撫でてはっくしょ風邪を引いたと云う頃熾に尾を掉り立ててなく。善く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初はこいつを取る。これを称して蝉取り運動と云う。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上に転がってはおらん。地面の上に落ちているものには必ず蟻がついている。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝転んでいる奴ではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕えるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。人間の猫に優るところはこんなところに存するので、人間の自ら誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしても差し支えはない。ただ声をしるべに木を上って行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりである。しかし木登りに至っては大分吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫たる人間にもなかなか侮るべからざる手合がいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱とは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君と違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何の択むところなしと云う悲運に際会する事がないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼を覘ってしょぐってくるようだ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際に溺りを仕るのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊の墨を吐き、ベランメーの刺物を見せ、主人が羅甸語を弄する類と同じ綱目に入るべき事項となる。これも蝉学上忽かせにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐だからやはり集注にする。――蝉のもっとも集注するのは青桐である。漢名を梧桐と号するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆団扇くらいな大さであるから、彼等が生い重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えずと云う俗謡はとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉になっているから、ここで一休息して葉裏から蝉の所在地を探偵する。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない。真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す。漸々二叉に到着する時分には満樹寂として片声をとどめざる事がある。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気がないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと、叉の上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつの間にか眠くなって、つい黒甜郷裡に遊んだ。おやと思って眼が醒めたら、二叉の黒甜郷裡から庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登る度に一つは取って来る。ただ興味の薄い事には樹の上で口に啣えてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時は大方死んでいる。いくらじゃらしても引っ掻いても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君が一生懸命に尻尾を延ばしたり縮ましたりしているところを、わっと前足で抑える時にある。この時つくつく君は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である。余はつくつく君を抑える度にいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになるとご免を蒙って口の内へ頬張ってしまう。蝉によると口の内へ這入ってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑りである。これは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両者の差である。元来松は常磐にて最明寺の御馳走をしてから以来今日に至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない。手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない。――換言すれば爪懸りのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成に馳け上る。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一は上ったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見では、どうせ降りるのだから下向に馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間違ってる。君等は義経が鵯越を落としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論下た向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽蔑するものではない。猫の爪はどっちへ向いて生えていると思う。みんな後ろへ折れている。それだから鳶口のように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹の巓に留まるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちる。しかし手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。これ即ち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思ったほどの事ではない。落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩めて降りなければならない。即ちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前申す通り皆後ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力は悉く、落ちる勢に逆って利用出来る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる。実に見易き道理である。しかるにまた身を逆にして義経流に松の木越をやって見給え。爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の体量を持ち答える事は出来なくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企てた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越はむずかしい。猫のうちでこの芸が出来る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのである。最後に垣巡りについて一言する。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。椽側と平行している一片は八九間もあろう。左右は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやり損う事もままあるが、首尾よく行くとお慰になる。ことに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜がある。今日は出来がよかったので朝から昼までに三返やって見たが、やるたびにうまくなる。うまくなる度に面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほど巡りかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまった。これは推参な奴だ。人の運動の妨をする、ことにどこの烏だか籍もない分在で、人の塀へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおい除きたまえと声をかけた。真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭を眺めている。三羽目は嘴を垣根の竹で拭いている。何か食って来たに違ない。吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予を与えて、垣の上に立っていた。烏は通称を勘左衛門と云うそうだが、なるほど勘左衛門だ。吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き出した。すると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけである。この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退くのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。従って気に入ればいつまでも逗留するだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分労れている。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こんな黒装束が、三個も前途を遮っては容易ならざる不都合だ。いよいよとなれば自ら運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体である。口嘴が乙に尖がって何だか天狗の啓し子のようだ。どうせ質のいい奴でないには極っている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向をした烏が阿呆と云った。次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧にも阿呆阿呆と二声叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過出来ない。第一自己の邸内で烏輩に侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ない。諺にも烏合の衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸を据えて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪に障る。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくら怒っても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒を去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏をして一二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外ずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上から嘴を揃えて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨めつけてやったが一向利かない。背を丸くして、少々唸ったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていた。それが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかに応えるのだが生憎相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥先生を圧倒しようとあせるごとく、西行に銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞をひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすと行かぬ者で、からだ全体が何となく緊りがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない。毛穴から染み出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏のようにねばり付く。背中がむずむずする。汗でむずむずするのと蚤が這ってむずむずするのは判然と区別が出来る。口の届く所なら噛む事も出来る、足の達する領分は引き掻く事も心得にあるが、脊髄の縦に通う真中と来たら自分の及ぶ限でない。こう云う時には人間を見懸けて矢鱈にこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一を択ばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間は愚なものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫でられ声で膝の傍へ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わが為すままに任せるのみか折々は頭さえ撫でてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中にのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多に寄り添うと、必ず頸筋を持って向うへ抛り出される。わずかに眼に入るか入らぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想をつかしたと見える。手を翻せば雨、手を覆せば雲とはこの事だ。高がのみの千疋や二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変したので、いくら痒ゆくても人力を利用する事は出来ん。だから第二の方法によって松皮摩擦法をやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側から降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いた。と云うのはほかでもない。松には脂がある。この脂たるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延する。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊を愛する茶人的猫である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深い奴は大嫌だ。たとい天下の美猫といえどもご免蒙る。いわんや松脂においてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞と択ぶところなき身分をもって、この淡灰色の毛衣を大なしにするとは怪しからん。少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣はない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるに極っている。こんな無分別な頓痴奇を相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細い。今において一工夫しておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気に罹るかも知れない。何か分別はあるまいかなと、後と足を折って思案したが、ふと思い出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸をもって飄然といずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧たる顔色が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦しい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少し利目があるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気に罹って一歳何が月で夭折するような事があっては天下の蒼生に対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひま潰しに案出した洗湯なるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだから碌なものでないには極っているがこの際の事だから試しに這入って見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だ。しかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪量があるだろうか。これが疑問である。主人がすまして這入るくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先ず容子を見に行くに越した事はない。見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭を啣えて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた上でのそのそと洗湯へ出掛けた。  横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立して先から薄い煙を吐いている。これ即ち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯とか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬半分に囃し立てる繰り言である。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成方の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑してはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪が山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴を食ったり、獣を食ったりいろいろの悪もの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫である。行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中を覗くとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側で何かしきりに人間の声がする。いわゆる洗湯はこの声の発する辺に相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓があって、そのそとに丸い小桶が三角形即ちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒とした。小桶の南側は四五尺の間板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂えの上等である。よろしいと云いながらひらりと身を躍らすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、未だ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目に逢わなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観はまたとあるまい。  何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするを憚かるほどの奇観だ。この硝子窓の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃である。二十世紀のアダムである。そもそも衣装の歴史を繙けば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去る事六十年前これも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳である。でありますから妾等は出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米舂にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具である。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布を三十五反八分七買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくの事滞りなく式をすましたと云う話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生れてから今日に至るまで一日も裸体になった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体は希臘、羅馬の遺風が文芸復興時代の淫靡の風に誘われてから流行りだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常から裸体を見做れていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとは毫も思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸や英吉利で裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となった後に、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、獣と思う。それだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做せばいいのである。こう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。怪しからん事だ。十四世紀頃までは彼等の出で立ちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽術師流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々たるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的作用によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。それが口惜しければ日中でも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸けるではないか。その因縁を尋ねると何にもない。ただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう。長いものには捲かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧されろと、そうれろ尽しでは気が利かんではないか。気が利かんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。  衣服はかくのごとく人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云うくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物に邂逅したようだ。化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大に困却する事になるばかりだ。その昔し自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸である。もし人間の本性が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐がない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消る物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股を発明してすぐさまこれを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日の車夫の先祖である。単簡なる猿股を発明するのに十年の長日月を費やしたのはいささか異な感もあるが、それは今日から古代に溯って身を蒙昧の世界に置いて断定した結論と云うもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」という三つ子にでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧には出来過ぎると云わねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩するのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明した。すると猿股の勢力は頓に衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋、生薬屋、呉服屋は皆この大発明家の末流である。猿股期、羽織期の後に来るのが袴期である。これは、何だ羽織の癖にと癇癪を起した化物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物共がわれもわれもと異を衒い新を競って、ついには燕の尾にかたどった畸形まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目に、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝ってさまざまの新形となったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りに被っているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出来る。それはほかでもない。自然は真空を忌むごとく、人間は平等を嫌うと云う事だ。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけ纏う今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥の公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない。帰った連中を開明人の目から見れば化物である。仮令世界何億万の人口を挙げて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。赤裸は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている。  しかるに今吾輩が眼下に見下した人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至袴もことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視の裡に露出して平々然と談笑を縦まにしている。吾輩が先刻一大奇観と云ったのはこの事である。吾輩は文明の諸君子のためにここに謹んでその一般を紹介するの栄を有する。  何だかごちゃごちゃしていて何にから記述していいか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽から述べよう。湯槽だか何だか分らないが、大方湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、長は一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入っている。何でも薬湯とか号するのだそうで、石灰を溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏ぎって、重た気に濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易えないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由だがこれまたもって透明、瑩徹などとは誓って申されない。天水桶を攪き混ぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これからが化物の記述だ。大分骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若造が二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いい慰みだ。双方共色の黒い点において間然するところなきまでに発達している。この化物は大分逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫で廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。「だってこの左の方だぜ」た左肺の方を指す。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺を叩いて見せると、金さんは「そりゃ疝気だあね」と云った。ところへ二十五六の薄い髯を生やした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いていた石鹸が垢と共に浮きあがる。鉄気のある水を透かして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭の禿げた爺さんが五分刈を捕えて何か弁じている。双方共頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者には叶わないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御維新前牛込に曲淵と云う旗本があって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよ。それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったか分らない。事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながら槽から上る。髯を生やしている男は雲母のようなものを自分の廻りに蒔き散らしながら独りでにやにや笑っていた。入れ代って飛び込んで来たのは普通一般の化物とは違って背中に模様画をほり付けている。岩見重太郎が大刀を振り翳して蟒を退治るところのようだが、惜しい事に未だ竣功の期に達せんので、蟒はどこにも見えない。従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒に温るいや」と云った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色とも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶をする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、頭が高けえんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれで一っぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町にも古い人が亡くなってね、今じゃ桶屋の元さんと煉瓦屋の大将と親方ぐれえな者だあな。こちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どう云うもんか人に好かれねえ。人が交際わねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。  天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入で、湯の中に人が這入ってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々たる物で、先刻から這入るものはあるが出る物は一人もない。こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽の中を見渡すと、左の隅に圧しつけられて苦沙弥先生が真赤になってすくんでいる。可哀そうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色も見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だ。なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気にあがるがと主思いの吾輩は窓の棚から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちと利き過ぎるようだ、どうも背中の方から熱い奴がじりじり湧いてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。「なあにこれがちょうどいい加減です。薬湯はこのくらいでないと利きません。わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一体この湯は何に利くんでしょう」と手拭を畳んで凸凹頭をかくした男が一同に聞いて見る。「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね。豪気だあね」と云ったのは瘠せた黄瓜のような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等は這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨れ返った男である。これは多分垢肥りだろう。「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。「冷えた後などは一杯飲んで寝ると、奇体に小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。  湯槽の方はこれぐらいにして板間を見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んで各勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っている。その中にもっとも驚ろくべきのは仰向けに寝て、高い明かり取を眺めているのと、腹這いになって、溝の中を覗き込んでいる両アダムである。これはよほど閑なアダムと見える。坊主が石壁を向いてしゃがんでいると後ろから、小坊主がしきりに肩を叩いている。これは師弟の関係上三介の代理を務めるのであろう。本当の三介もいる。風邪を引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形の桶からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股に呉絽の垢擦りを挟んでいる。こちらの方では小桶を慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸を使え使えと云いながらしきりに長談議をしている。何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は斬り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだ。どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内の時にゃ無かったね。和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変学のできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。それでその義経のむすこが大明を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使をよこして三千人の兵隊を借してくれろと云うと、三代様がそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか云ったっけ。――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎を見せたんだがね。その女郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた。……」何を云うのかさっぱり分らない。その後ろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物か何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌ってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中が見える。尻の中から寒竹を押し込んだように背骨の節が歴々と出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤く爛れて周囲に膿をもっているのもある。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際にはその一斑さえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易していると入口の方に浅黄木綿の着物をきた七十ばかりの坊主がぬっと見われた。坊主は恭しくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩くり――どうぞ白い湯へ出たり這入ったりして、ゆるりと御あったまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛嬌ものだね。あれでなくては商買は出来ないよ」と大に爺さんを激賞した。吾輩は突然この異な爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今上り立ての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴を揚げてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐い? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだからたちまち機鋒を転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋へ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。あの戸の潜りの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行んだげな。御巡りさんか夜番でも見えたものであろう」と大に泥棒の無謀を憫笑したがまた一人を捉らまえて「はいはい御寒う。あなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。  しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中から消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある。見ると紛れもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいた。これは正しく熱湯の中に長時間のあいだ我慢をして浸っておったため逆上したに相違ないと咄嗟の際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為なら咎むる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声を出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意気書生を相手に大人気もない喧嘩を始めたのである。「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入っていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万人のうちに一人くらいは高山彦九郎が山賊を叱したようだくらいに解釈してくれるかも知れん。当人自身もそのつもりでやった芝居かも分らんが、相手が山賊をもって自らおらん以上は予期する結果は出て来ないに極っている。書生は後ろを振り返って「僕はもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態度と云い言語と云い、山賊として罵り返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っているはずだ。しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、先刻からこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、利いた風の事ばかり併べていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものと見える。だから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人の桶へ汚ない水をぴちゃぴちゃ跳ねかす奴があるか」と喝し去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快哉を呼んだが、学校教員たる主人の言動としては穏かならぬ事と思うた。元来主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたき殻見たようにかさかさしてしかもいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山を超える時に、路の真中に当って大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな岩へ醋をかけて火を焚いて、柔かにしておいて、それから鋸でこの大岩を蒲鉾のように切って滞りなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんな利目のある薬湯へ煮だるほど這入っても少しも功能のない男はやはり醋をかけて火炙りにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑固は癒りっこない。この湯槽に浮いているもの、この流しにごろごろしているものは文明の人間に必要な服装を脱ぎ棄てる化物の団体であるから、無論常規常道をもって律する訳にはいかん。何をしたって構わない。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかし一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息する娑婆へ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。従って人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいるところは敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓言愉色、円転滑脱の世界に逆戻りをしようと云う間際である。その間際ですらかくのごとく頑固であるなら、この頑固は本人にとって牢として抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯正する事は出来まい。この病気を癒す方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職して貰う事即ちこれなり。免職になれば融通の利かぬ主人の事だからきっと路頭に迷うに極ってる。路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌である。死なない程度において病気と云う一種の贅沢がしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞと嚇かせば臆病なる主人の事だからびりびりと悸え上がるに相違ない。この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでの事さ。  いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはない。一飯君恩を重んずと云う詩人もある事だから猫だって主人の身の上を思わない事はあるまい。気の毒だと云う念が胸一杯になったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠たっていると、突然白い湯槽の方面に向って口々に罵る声が聞える。ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狭い柘榴口に一寸の余地もないくらいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り乱れて動いている。折から初秋の日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立て籠める。かの化物の犇く様がその間から朦朧と見える。熱い熱いと云う声が吾輩の耳を貫ぬいて左右へ抜けるように頭の中で乱れ合う。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互に畳なりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内に漲らす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声と云うのみで、ほかには何の役にも立たない声である。吾輩は茫然としてこの光景に魅入られたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーと云う声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬと云う点まで張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返している群の中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼の身の丈を見ると他の先生方よりはたしかに三寸くらいは高い。のみならず顔から髯が生えているのか髯の中に顔が同居しているのか分らない赤つらを反り返して、日盛りに破れ鐘をつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々と縺れ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁だ。と思って見ていると湯槽の後ろでおーいと答えたものがある。おやとまたもそちらに眸をそらすと、暗憺として物色も出来ぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三介が砕けよと一塊りの石炭を竈の中に投げ入れるのが見えた。竈の蓋をくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴るときに、三介の半面がぱっと明るくなる。同時に三介の後ろにある煉瓦の壁が暗を通して燃えるごとく光った。吾輩は少々物凄くなったから早々窓から飛び下りて家に帰る。帰りながらも考えた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等になろうと力める赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。  帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐を食っている。吾輩が椽側から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいているんだろうと云った。膳の上を見ると、銭のない癖に二三品御菜をならべている。そのうちに肴の焼いたのが一疋ある。これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日あたり御台場近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘を保つ方がよほど結構だ。こう考えて膳の傍に坐って、隙があったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく装っていた。こんな装い方を知らないものはとうていうまい肴は食えないと諦めなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないと云う顔付をして箸を置いた。正面に控えたる妻君はこれまた無言のまま箸の上下に運動する様子、主人の両顎の離合開闔の具合を熱心に研究している。 「おい、その猫の頭をちょっと撲って見ろ」と主人は突然細君に請求した。 「撲てば、どうするんですか」 「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」  こうですかと細君は平手で吾輩の頭をちょっと敲く。痛くも何ともない。 「鳴かんじゃないか」 「ええ」 「もう一返やって見ろ」 「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細君また平手でぽかと参る。やはり何ともないから、じっとしていた。しかしその何のためたるやは智慮深き吾輩には頓と了解し難い。これが了解出来れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろだから、撲つ細君も困るし、撲たれる吾輩も困る。主人は二度まで思い通りにならんので、少々焦れ気味で「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」と云った。  細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのだ。主人はかくのごとく愚物だから厭になる。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手数はしなくてもすむし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのだ。ただ打って見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでない。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事だ。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんと云うものだ。猫を馬鹿にしている。主人の蛇蝎のごとく嫌う金田君ならやりそうな事だが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかし実のところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡猾の極に出でたのではない。つまり智慧の足りないところから湧いた孑孑のようなものと思惟する。飯を食えば腹が張るに極まっている。切れば血が出るに極っている。殺せば死ぬに極まっている。それだから打てば鳴くに極っていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅を食えば必ず下痢する事になる。月給をもらえば必ず出勤する事になる。書物を読めば必ずえらくなる事になる。必ずそうなっては少し困る人が出来てくる。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚されては猫と生れた甲斐がない。まず腹の中でこれだけ主人を凹ましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった。  すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。  細君はあまり突然な問なので、何にも云わない。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合壁有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中の奴が神経病だと頑張っている。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼等を豚々と呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こう云う男だからこんな奇問を細君に対って呈出するのも、主人に取っては朝食前の小事件かも知れないが、聞く方から云わせるとちょっと神経病に近い人の云いそうな事だ。だから細君は煙に捲かれた気味で何とも云わない。吾輩は無論何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で 「おい」と呼びかけた。  細君は吃驚して「はい」と答えた。 「そのはいは感投詞か副詞か、どっちだ」 「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」 「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」 「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」 「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」 「そう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。「それで、どっちだか分ったんですか」 「重要な問題だからそう急には分らんさ」と例の肴をむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚と芋のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑の調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯を出す。 「今夜はなかなかあがるのね。もう大分赤くなっていらっしゃいますよ」 「飲むとも――御前世界で一番長い字を知ってるか」 「ええ、前の関白太政大臣でしょう」 「それは名前だ。長い字を知ってるか」 「字って横文字ですか」 「うん」 「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」 「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」 「ええ。そうしたら御飯ですよ」 「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字だ」 「出鱈目でしょう」 「出鱈目なものか、希臘語だ」 「何という字なの、日本語にすれば」 「意味はしらん。ただ綴りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」  他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗にのむ。平生なら猪口に二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸のようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に 「もう御よしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」と苦々しい顔をする。 「なに苦しくってもこれから少し稽古するんだ。大町桂月が飲めと云った」 「桂月って何です」さすがの桂月も細君に逢っては一文の価値もない。 「桂月は現今一流の批評家だ。それが飲めと云うのだからいいに極っているさ」 「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事ですわ」 「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」 「なおわるいじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……」 「道楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」 「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始められちゃあ大変ですよ」 「大変だと云うならよしてやるから、その代りもう少し夫を大事にして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」 「これが精一杯のところですよ」 「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が這入り次第やる事にして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜豚肉三片と塩焼の頭を頂戴した。 八  垣巡りと云う運動を説明した時に、主人の庭を結い繞らしてある竹垣の事をちょっと述べたつもりであるが、この竹垣の外がすぐ隣家、即ち南隣の次郎ちゃんとこと思っては誤解である。家賃は安いがそこは苦沙弥先生である。与っちゃんや次郎ちゃんなどと号する、いわゆるちゃん付きの連中と、薄っ片な垣一重を隔てて御隣り同志の親密なる交際は結んでおらぬ。この垣の外は五六間の空地であって、その尽くるところに檜が蓊然と五六本併んでいる。椽側から拝見すると、向うは茂った森で、ここに往む先生は野中の一軒家に、無名の猫を友にして日月を送る江湖の処士であるかのごとき感がある。但し檜の枝は吹聴するごとく密生しておらんので、その間から群鶴館という、名前だけ立派な安下宿の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのにはよほど骨の折れるのは無論である。しかしこの下宿が群鶴館なら先生の居はたしかに臥竜窟くらいな価値はある。名前に税はかからんから御互にえらそうな奴を勝手次第に付ける事として、この幅五六間の空地が竹垣を添うて東西に走る事約十間、それから、たちまち鉤の手に屈曲して、臥竜窟の北面を取り囲んでいる。この北面が騒動の種である。本来なら空地を行き尽してまたあき地、とか何とか威張ってもいいくらいに家の二側を包んでいるのだが、臥竜窟の主人は無論窟内の霊猫たる吾輩すらこのあき地には手こずっている。南側に檜が幅を利かしているごとく、北側には桐の木が七八本行列している。もう周囲一尺くらいにのびているから下駄屋さえ連れてくればいい価になるんだが、借家の悲しさには、いくら気が付いても実行は出来ん。主人に対しても気の毒である。せんだって学校の小使が来て枝を一本切って行ったが、そのつぎに来た時は新らしい桐の俎下駄を穿いて、この間の枝でこしらえましたと、聞きもせんのに吹聴していた。ずるい奴だ。桐はあるが吾輩及び主人家族にとっては一文にもならない桐である。玉を抱いて罪ありと云う古語があるそうだが、これは桐を生やして銭なしと云ってもしかるべきもので、いわゆる宝の持ち腐れである。愚なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主の伝兵衛である。いないかな、いないかな、下駄屋はいないかなと桐の方で催促しているのに知らん面をして屋賃ばかり取り立てにくる。吾輩は別に伝兵衛に恨もないから彼の悪口をこのくらいにして、本題に戻ってこの空地が騒動の種であると云う珍譚を紹介仕るが、決して主人にいってはいけない。これぎりの話しである。そもそもこの空地に関して第一の不都合なる事は垣根のない事である。吹き払い、吹き通し、抜け裏、通行御免天下晴れての空地である。あると云うと嘘をつくようでよろしくない。実を云うとあったのである。しかし話しは過去へ溯らんと源因が分からない。源因が分からないと、医者でも処方に迷惑する。だからここへ引き越して来た当時からゆっくりと話し始める。吹き通しも夏はせいせいして心持ちがいいものだ、不用心だって金のないところに盗難のあるはずはない。だから主人の家に、あらゆる塀、垣、乃至は乱杭、逆茂木の類は全く不要である。しかしながらこれは空地の向うに住居する人間もしくは動物の種類如何によって決せらるる問題であろうと思う。従ってこの問題を決するためには勢い向う側に陣取っている君子の性質を明かにせんければならん。人間だか動物だか分らない先に君子と称するのははなはだ早計のようではあるが大抵君子で間違はない。梁上の君子などと云って泥棒さえ君子と云う世の中である。但しこの場合における君子は決して警察の厄介になるような君子ではない。警察の厄介にならない代りに、数でこなした者と見えて沢山いる。うじゃうじゃいる。落雲館と称する私立の中学校――八百の君子をいやが上に君子に養成するために毎月二円の月謝を徴集する学校である。名前が落雲館だから風流な君子ばかりかと思うと、それがそもそもの間違になる。その信用すべからざる事は群鶴館に鶴の下りざるごとく、臥竜窟に猫がいるようなものである。学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君のごとき気違のある事を知った以上は落雲館の君子が風流漢ばかりでないと云う事がわかる訳だ。それがわからんと主張するならまず三日ばかり主人のうちへ宿りに来て見るがいい。  前申すごとく、ここへ引き越しの当時は、例の空地に垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒のごとく、のそのそと桐畠に這入り込んできて、話をする、弁当を食う、笹の上に寝転ぶ――いろいろの事をやったものだ。それからは弁当の死骸即ち竹の皮、古新聞、あるいは古草履、古下駄、ふると云う名のつくものを大概ここへ棄てたようだ。無頓着なる主人は存外平気に構えて、別段抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかったのか、知っても咎めんつもりであったのか分らない。ところが彼等諸君子は学校で教育を受くるに従って、だんだん君子らしくなったものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕食を企だてて来た。蚕食と云う語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但しほかに言葉がないのである。彼等は水草を追うて居を変ずる沙漠の住民のごとく、桐の木を去って檜の方に進んで来た。檜のある所は座敷の正面である。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずである。一両日の後彼等の大胆はさらに一層の大を加えて大々胆となった。教育の結果ほど恐しいものはない。彼等は単に座敷の正面に逼るのみならず、この正面において歌をうたいだした。何と云う歌か忘れてしまったが、決して三十一文字の類ではない、もっと活溌で、もっと俗耳に入り易い歌であった。驚ろいたのは主人ばかりではない、吾輩までも彼等君子の才芸に嘆服して覚えず耳を傾けたくらいである。しかし読者もご案内であろうが、嘆服と云う事と邪魔と云う事は時として両立する場合がある。この両者がこの際図らずも合して一となったのは、今から考えて見ても返す返す残念である。主人も残念であったろうが、やむを得ず書斎から飛び出して行って、ここは君等の這入る所ではない、出給えと云って、二三度追い出したようだ。ところが教育のある君子の事だから、こんな事でおとなしく聞く訳がない。追い出されればすぐ這入る。這入れば活溌なる歌をうたう。高声に談話をする。しかも君子の談話だから一風違って、おめえだの知らねえのと云う。そんな言葉は御維新前は折助と雲助と三助の専門的知識に属していたそうだが、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうだ。一般から軽蔑せられたる運動が、かくのごとく今日歓迎せらるるようになったのと同一の現象だと説明した人がある。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉にもっとも堪能なる一人を捉まえて、なぜここへ這入るかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ、知らねえ」の上品な言葉を忘れて「ここは学校の植物園かと思いました」とすこぶる下品な言葉で答えた。主人は将来を戒めて放してやった。放してやるのは亀の子のようでおかしいが、実際彼は君子の袖を捉えて談判したのである。このくらいやかましく云ったらもうよかろうと主人は思っていたそうだ。ところが実際は女氏の時代から予期と違うもので、主人はまた失敗した。今度は北側から邸内を横断して表門から抜ける、表門をがらりとあけるから御客かと思うと桐畠の方で笑う声がする。形勢はますます不穏である。教育の功果はいよいよ顕著になってくる。気の毒な主人はこいつは手に合わんと、それから書斎へ立て籠って、恭しく一書を落雲館校長に奉って、少々御取締をと哀願した。校長も鄭重なる返書を主人に送って、垣をするから待ってくれと云った。しばらくすると二三人の職人が来て半日ばかりの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺ばかりの四つ目垣が出来上がった。これでようよう安心だと主人は喜こんだ。主人は愚物である。このくらいの事で君子の挙動の変化する訳がない。  全体人にからかうのは面白いものである。吾輩のような猫ですら、時々は当家の令嬢にからかって遊ぶくらいだから、落雲館の君子が、気の利かない苦沙弥先生にからかうのは至極もっともなところで、これに不平なのは恐らく、からかわれる当人だけであろう。からかうと云う心理を解剖して見ると二つの要素がある。第一からかわれる当人が平気ですましていてはならん。第二からかう者が勢力において人数において相手より強くなくてはいかん。この間主人が動物園から帰って来てしきりに感心して話した事がある。聞いて見ると駱駝と小犬の喧嘩を見たのだそうだ。小犬が駱駝の周囲を疾風のごとく廻転して吠え立てると、駱駝は何の気もつかずに、依然として背中へ瘤をこしらえて突っ立ったままであるそうだ。いくら吠えても狂っても相手にせんので、しまいには犬も愛想をつかしてやめる、実に駱駝は無神経だと笑っていたが、それがこの場合の適例である。いくらからかうものが上手でも相手が駱駝と来ては成立しない。さればと云って獅子や虎のように先方が強過ぎても者にならん。からかいかけるや否や八つ裂きにされてしまう。からかうと歯をむき出して怒る、怒る事は怒るが、こっちをどうする事も出来ないと云う安心のある時に愉快は非常に多いものである。なぜこんな事が面白いと云うとその理由はいろいろある。まずひまつぶしに適している。退屈な時には髯の数さえ勘定して見たくなる者だ。昔し獄に投ぜられた囚人の一人は無聊のあまり、房の壁に三角形を重ねて画いてその日をくらしたと云う話がある。世の中に退屈ほど我慢の出来にくいものはない、何か活気を刺激する事件がないと生きているのがつらいものだ。からかうと云うのもつまりこの刺激を作って遊ぶ一種の娯楽である。但し多少先方を怒らせるか、じらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかうと云う娯楽に耽るものは人の気を知らない馬鹿大名のような退屈の多い者、もしくは自分のなぐさみ以外は考うるに暇なきほど頭の発達が幼稚で、しかも活気の使い道に窮する少年かに限っている。次には自己の優勢な事を実地に証明するものにはもっとも簡便な方法である。人を殺したり、人を傷けたり、または人を陥れたりしても自己の優勢な事は証明出来る訳であるが、これらはむしろ殺したり、傷けたり、陥れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事はこの手段を遂行した後に必然の結果として起る現象に過ぎん。だから一方には自分の勢力が示したくって、しかもそんなに人に害を与えたくないと云う場合には、からかうのが一番御恰好である。多少人を傷けなければ自己のえらい事は事実の上に証拠だてられない。事実になって出て来ないと、頭のうちで安心していても存外快楽のうすいものである。人間は自己を恃むものである。否恃み難い場合でも恃みたいものである。それだから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だと云う事を、人に対して実地に応用して見ないと気がすまない。しかも理窟のわからない俗物や、あまり自己が恃みになりそうもなくて落ちつきのない者は、あらゆる機会を利用して、この証券を握ろうとする。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事である。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱い奴に、ただの一返でいいから出逢って見たい、素人でも構わないから抛げて見たいと至極危険な了見を抱いて町内をあるくのもこれがためである。その他にも理由はいろいろあるが、あまり長くなるから略する事に致す。聞きたければ鰹節の一折も持って習いにくるがいい、いつでも教えてやる。以上に説くところを参考して推論して見ると、吾輩の考では奥山の猿と、学校の教師がからかうには一番手頃である。学校の教師をもって、奥山の猿に比較しては勿体ない。――猿に対して勿体ないのではない、教師に対して勿体ないのである。しかしよく似ているから仕方がない、御承知の通り奥山の猿は鎖で繋がれている。いくら歯をむき出しても、きゃっきゃっ騒いでも引き掻かれる気遣はない。教師は鎖で繋がれておらない代りに月給で縛られている。いくらからかったって大丈夫、辞職して生徒をぶんなぐる事はない。辞職をする勇気のあるようなものなら最初から教師などをして生徒の御守りは勤めないはずである。主人は教師である。落雲館の教師ではないが、やはり教師に相違ない。からかうには至極適当で、至極安直で、至極無事な男である。落雲館の生徒は少年である。からかう事は自己の鼻を高くする所以で、教育の功果として至当に要求してしかるべき権利とまで心得ている。のみならずからかいでもしなければ、活気に充ちた五体と頭脳を、いかに使用してしかるべきか十分の休暇中持てあまして困っている連中である。これらの条件が備われば主人は自からからかわれ、生徒は自からからかう、誰から云わしても毫も無理のないところである。それを怒る主人は野暮の極、間抜の骨頂でしょう。これから落雲館の生徒がいかに主人にからかったか、これに対して主人がいかに野暮を極めたかを逐一かいてご覧に入れる。  諸君は四つ目垣とはいかなる者であるか御承知であろう。風通しのいい、簡便な垣である。吾輩などは目の間から自由自在に往来する事が出来る。こしらえたって、こしらえなくたって同じ事だ。然し落雲館の校長は猫のために四つ目垣を作ったのではない、自分が養成する君子が潜られんために、わざわざ職人を入れて結い繞らせたのである。なるほどいくら風通しがよく出来ていても、人間には潜れそうにない。この竹をもって組み合せたる四寸角の穴をぬける事は、清国の奇術師張世尊その人といえどもむずかしい。だから人間に対しては充分垣の功能をつくしているに相違ない。主人がその出来上ったのを見て、これならよかろうと喜んだのも無理はない。しかし主人の論理には大なる穴がある。この垣よりも大いなる穴がある。呑舟の魚をも洩らすべき大穴がある。彼は垣は踰ゆべきものにあらずとの仮定から出立している。いやしくも学校の生徒たる以上はいかに粗末の垣でも、垣と云う名がついて、分界線の区域さえ判然すれば決して乱入される気遣はないと仮定したのである。次に彼はその仮定をしばらく打ち崩して、よし乱入する者があっても大丈夫と論断したのである。四つ目垣の穴を潜り得る事は、いかなる小僧といえどもとうてい出来る気遣はないから乱入の虞は決してないと速定してしまったのである。なるほど彼等が猫でない限りはこの四角の目をぬけてくる事はしまい、したくても出来まいが、乗り踰える事、飛び越える事は何の事もない。かえって運動になって面白いくらいである。  垣の出来た翌日から、垣の出来ぬ前と同様に彼等は北側の空地へぽかりぽかりと飛び込む。但し座敷の正面までは深入りをしない。もし追い懸けられたら逃げるのに、少々ひまがいるから、予め逃げる時間を勘定に入れて、捕えらるる危険のない所で遊弋をしている。彼等が何をしているか東の離れにいる主人には無論目に入らない。北側の空地に彼等が遊弋している状態は、木戸をあけて反対の方角から鉤の手に曲って見るか、または後架の窓から垣根越しに眺めるよりほかに仕方がない。窓から眺める時はどこに何がいるか、一目明瞭に見渡す事が出来るが、よしや敵を幾人見出したからと云って捕える訳には行かぬ。ただ窓の格子の中から叱りつけるばかりである。もし木戸から迂回して敵地を突こうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかりぽかりと捉まる前に向う側へ下りてしまう。膃肭臍がひなたぼっこをしているところへ密猟船が向ったような者だ。主人は無論後架で張り番をしている訳ではない。と云って木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛び出す用意もない。もしそんな事をやる日には教師を辞職して、その方専門にならなければ追っつかない。主人方の不利を云うと書斎からは敵の声だけ聞えて姿が見えないのと、窓からは姿が見えるだけで手が出せない事である。この不利を看破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書斎に立て籠っていると探偵した時には、なるべく大きな声を出してわあわあ云う。その中には主人をひやかすような事を聞こえよがしに述べる。しかもその声の出所を極めて不分明にする。ちょっと聞くと垣の内で騒いでいるのか、あるいは向う側であばれているのか判定しにくいようにする。もし主人が出懸けて来たら、逃げ出すか、または始めから向う側にいて知らん顔をする。また主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架後架ときたない字を使用するのを別段の光栄とも思っておらん、実は迷惑千万であるが、この戦争を記述する上において必要であるからやむを得ない。――即ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊してわざと主人の眼につくようにする。主人がもし後架から四隣に響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章てる気色もなく悠然と根拠地へ引きあげる。この軍略を用いられると主人ははなはだ困却する。たしかに這入っているなと思ってステッキを持って出懸けると寂然として誰もいない。いないかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っている。主人は裏へ廻って見たり、後架から覗いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻って見たり、何度言っても同じ事だが、何度云っても同じ事を繰り返している。奔命に疲れるとはこの事である。教師が職業であるか、戦争が本務であるかちょっと分らないくらい逆上して来た。この逆上の頂点に達した時に下の事件が起ったのである。  事件は大概逆上から出る者だ。逆上とは読んで字のごとく逆かさに上るのである、この点に関してはゲーレンもパラセルサスも旧弊なる扁鵲も異議を唱うる者は一人もない。ただどこへ逆かさに上るかが問題である。また何が逆かさに上るかが議論のあるところである。古来欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種の液が循環しておったそうだ。第一に怒液と云う奴がある。これが逆かさに上ると怒り出す。第二に鈍液と名づくるのがある。これが逆かさに上ると神経が鈍くなる。次には憂液、これは人間を陰気にする。最後が血液、これは四肢を壮んにする。その後人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつの間にかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環していると云う話しだ。だからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われる。しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんと極まっている。性分によって多少の増減はあるが、まず大抵一人前に付五升五合の割合である。だによって、この五升五合が逆かさに上ると、上ったところだけは熾んに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。ちょうど交番焼打の当時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなったようなものだ。あれも医学上から診断をすると警察の逆上と云う者である。でこの逆上を癒やすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。そうするには逆かさに上った奴を下へ降さなくてはならん。その方にはいろいろある。今は故人となられたが主人の先君などは濡れ手拭を頭にあてて炬燵にあたっておられたそうだ。頭寒足熱は延命息災の徴と傷寒論にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住の沙門雲水行脚の衲僧は必ず樹下石上を宿とすとある。樹下石上とは難行苦行のためではない。全くのぼせを下げるために六祖が米を舂きながら考え出した秘法である。試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当り前だろう。尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にして毫も疑を挟むべき余地はない。かようにいろいろな方法を用いてのぼせを下げる工夫は大分発明されたが、まだのぼせを引き起す良方が案出されないのは残念である。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。職業によると逆上はよほど大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事がある。その中でもっとも逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱いて飯を食うよりほかに何等の能もない凡人になってしまう。もっとも逆上は気違の異名で、気違にならないと家業が立ち行かんとあっては世間体が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってしない。申し合せてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体そうに称えている。これは彼等が世間を瞞着するために製造した名でその実は正に逆上である。プレートーは彼等の肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。しかし蒲鉾の種が山芋であるごとく、観音の像が一寸八分の朽木であるごとく、鴨南蛮の材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋が馬肉であるごとくインスピレーションも実は逆上である。逆上であって見れば臨時の気違である。巣鴨へ入院せずに済むのは単に臨時気違であるからだ。ところがこの臨時の気違を製造する事が困難なのである。一生涯の狂人はかえって出来安いが、筆を執って紙に向う間だけ気違にするのは、いかに巧者な神様でもよほど骨が折れると見えて、なかなか拵えて見せない。神が作ってくれん以上は自力で拵えなければならん。そこで昔から今日まで逆上術もまた逆上とりのけ術と同じく大に学者の頭脳を悩ました。ある人はインスピレーションを得るために毎日渋柿を十二個ずつ食った。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るという理論から来たものだ。またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するに極っていると考えたのである。その人の説によるとこれで成功しなければ葡萄酒の湯をわかして這入れば一返で功能があると信じ切っている。しかし金がないのでついに実行する事が出来なくて死んでしまったのは気の毒である。最後に古人の真似をしたらインスピレーションが起るだろうと思いついた者がある。これはある人の態度動作を真似ると心的状態もその人に似てくると云う学説を応用したのである。酔っぱらいのように管を捲いていると、いつの間にか酒飲みのような心持になる、坐禅をして線香一本の間我慢しているとどことなく坊主らしい気分になれる。だから昔からインスピレーションを受けた有名の大家の所作を真似れば必ず逆上するに相違ない。聞くところによればユーゴーは快走船の上へ寝転んで文章の趣向を考えたそうだから、船へ乗って青空を見つめていれば必ず逆上受合である。スチーヴンソンは腹這に寝て小説を書いたそうだから、打つ伏しになって筆を持てばきっと血が逆かさに上ってくる。かようにいろいろな人がいろいろの事を考え出したが、まだ誰も成功しない。まず今日のところでは人為的逆上は不可能の事となっている。残念だが致し方がない。早晩随意にインスピレーションを起し得る時機の到来するは疑もない事で、吾輩は人文のためにこの時機の一日も早く来らん事を切望するのである。  逆上の説明はこのくらいで充分だろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る弊竇である。主人の逆上も小事件に逢う度に一層の劇甚を加えて、ついに大事件を引き起したのであるからして、幾分かその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れない。せっかく逆上しても人から天晴な逆上と謡われなくては張り合がないだろう。これから述べる事件は大小に係らず主人に取って名誉な者ではない。事件その物が不名誉であるならば、責めて逆上なりとも、正銘の逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたい。主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性質を有しておらん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がない。  落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分の休暇、もしくは放課後に至って熾に北側の空地に向って砲火を浴びせかける。このダムダム弾は通称をボールと称えて、擂粉木の大きな奴をもって任意これを敵中に発射する仕掛である。いくらダムダムだって落雲館の運動場から発射するのだから、書斎に立て籠ってる主人に中る気遣はない。敵といえども弾道のあまり遠過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はない。いわんや一発を送る度に総軍力を合せてわーと威嚇性大音声を出すにおいてをやである。主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ない。煩悶の極そこいらを迷付いている血が逆さに上るはずである。敵の計はなかなか巧妙と云うてよろしい。昔し希臘にイスキラスと云う作家があったそうだ。この男は学者作家に共通なる頭を有していたと云う。吾輩のいわゆる学者作家に共通なる頭とは禿と云う意味である。なぜ頭が禿げるかと云えば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相違ない。学者作家はもっとも多く頭を使うものであって大概は貧乏に極っている。だから学者作家の頭はみんな営養不足でみんな禿げている。さてイスキラスも作家であるから自然の勢禿げなくてはならん。彼はつるつる然たる金柑頭を有しておった。ところがある日の事、先生例の頭――頭に外行も普段着もないから例の頭に極ってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいていた。これが間違いのもとである。禿げ頭を日にあてて遠方から見ると、大変よく光るものだ。高い木には風があたる、光かる頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲が舞っていたが、見るとどこかで生捕った一疋の亀を爪の先に攫んだままである。亀、スッポンなどは美味に相違ないが、希臘時代から堅い甲羅をつけている。いくら美味でも甲羅つきではどうする事も出来ん。海老の鬼殻焼はあるが亀の子の甲羅煮は今でさえないくらいだから、当時は無論なかったに極っている。さすがの鷲も少々持て余した折柄、遥かの下界にぴかと光った者がある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅は正しく砕けるに極わまった。砕けたあとから舞い下りて中味を頂戴すれば訳はない。そうだそうだと覗を定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎作家の頭の方が亀の甲より軟らかであったものだから、禿はめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無惨の最後を遂げた。それはそうと、解しかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知って落したのか、または禿岩と間違えて落したものか、解決しよう次第で、落雲館の敵とこの鷲とを比較する事も出来るし、また出来なくもなる。主人の頭はイスキラスのそれのごとく、また御歴々の学者のごとくぴかぴか光ってはおらん。しかし六畳敷にせよいやしくも書斎と号する一室を控えて、居眠りをしながらも、むずかしい書物の上へ顔を翳す以上は、学者作家の同類と見傚さなければならん。そうすると主人の頭の禿げておらんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、その内に禿げるだろうとは近々この頭の上に落ちかかるべき運命であろう。して見れば落雲館の生徒がこの頭を目懸けて例のダムダム丸を集注するのは策のもっとも時宜に適したものと云わねばならん。もし敵がこの行動を二週間継続するならば、主人の頭は畏怖と煩悶のため必ず営養の不足を訴えて、金柑とも薬缶とも銅壺とも変化するだろう。なお二週間の砲撃を食えば金柑は潰れるに相違ない。薬缶は洩るに相違ない。銅壺ならひびが入るにきまっている。この睹易き結果を予想せんで、あくまでも敵と戦闘を継続しようと苦心するのは、ただ本人たる苦沙弥先生のみである。  ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側へ出て午睡をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁が食いたい、雁鍋へ行って誂らえて来いと云うと、蕪の香の物と、塩煎餅といっしょに召し上がりますと雁の味が致しますと例のごとく茶羅ッ鉾を云うから、大きな口をあいて、うーと唸って嚇してやったら、迷亭は蒼くなって山下の雁鍋は廃業致しましたがいかが取り計いましょうかと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折って馳け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、椽側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、たちまち家中に響く大きな声がしてせっかくの牛も食わぬ間に夢がさめて吾に帰った。すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いのほかの主人が、いきなり後架から飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云うほど蹴たから、おやと思ううち、たちまち庭下駄をつっかけて木戸から廻って、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極りが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこの権幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れてしまった。同時に主人がいよいよ出馬して敵と交戦するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後を慕って裏口へ出た。同時に主人がぬすっとうと怒鳴る声が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強な奴が一人、四ツ目垣を向うへ乗り越えつつある。やあ遅かったと思ううち、彼の制帽は馳け足の姿勢をとって根拠地の方へ韋駄天のごとく逃げて行く。主人はぬすっとうが大に成功したので、またもぬすっとうと高く叫びながら追いかけて行く。しかしかの敵に追いつくためには主人の方で垣を越さなければならん。深入りをすれば主人自らが泥棒になるはずである。前申す通り主人は立派なる逆上家である。こう勢に乗じてぬすっとうを追い懸ける以上は、夫子自身がぬすっとうに成っても追い懸けるつもりと見えて、引き返す気色もなく垣の根元まで進んだ。今一歩で彼はぬすっとうの領分に入らなければならんと云う間際に、敵軍の中から、薄い髯を勢なく生やした将官がのこのこと出馬して来た。両人は垣を境に何か談判している。聞いて見るとこんなつまらない議論である。 「あれは本校の生徒です」 「生徒たるべきものが、何で他の邸内へ侵入するのですか」 「いやボールがつい飛んだものですから」 「なぜ断って、取りに来ないのですか」 「これから善く注意します」 「そんなら、よろしい」  竜騰虎闘の壮観があるだろうと予期した交渉はかくのごとく散文的なる談判をもって無事に迅速に結了した。主人の壮んなるはただ意気込みだけである。いざとなると、いつでもこれでおしまいだ。あたかも吾輩が虎の夢から急に猫に返ったような観がある。吾輩の小事件と云うのは即ちこれである。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。  主人は座敷の障子を開いて腹這になって、何か思案している。恐らく敵に対して防禦策を講じているのだろう。落雲館は授業中と見えて、運動場は存外静かである。ただ校舎の一室で、倫理の講義をしているのが手に取るように聞える。朗々たる音声でなかなかうまく述べ立てているのを聴くと、全く昨日敵中から出馬して談判の衝に当った将軍である。 「……で公徳と云うものは大切な事で、あちらへ行って見ると、仏蘭西でも独逸でも英吉利でも、どこへ行っても、この公徳の行われておらん国はない。またどんな下等な者でもこの公徳を重んぜぬ者はない。悲しいかな、我が日本に在っては、未だこの点において外国と拮抗する事が出来んのである。で公徳と申すと何か新しく外国から輸入して来たように考える諸君もあるかも知れんが、そう思うのは大なる誤りで、昔人も夫子の道一以て之を貫く、忠恕のみ矣と云われた事がある。この恕と申すのが取りも直さず公徳の出所である。私も人間であるから時には大きな声をして歌などうたって見たくなる事がある。しかし私が勉強している時に隣室のものなどが放歌するのを聴くと、どうしても書物の読めぬのが私の性分である。であるからして自分が唐詩選でも高声に吟じたら気分が晴々してよかろうと思う時ですら、もし自分のように迷惑がる人が隣家に住んでおって、知らず知らずその人の邪魔をするような事があってはすまんと思うて、そう云う時はいつでも控えるのである。こう云う訳だから諸君もなるべく公徳を守って、いやしくも人の妨害になると思う事は決してやってはならんのである。……」  主人は耳を傾けて、この講話を謹聴していたが、ここに至ってにやりと笑った。ちょっとこのにやりの意味を説明する必要がある。皮肉家がこれをよんだらこのにやりの裏には冷評的分子が交っていると思うだろう。しかし主人は決して、そんな人の悪い男ではない。悪いと云うよりそんなに智慧の発達した男ではない。主人はなぜ笑ったかと云うと全く嬉しくって笑ったのである。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこの後は永久ダムダム弾の乱射を免がれるに相違ない。当分のうち頭も禿げずにすむ、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次回復するだろう、濡れ手拭を頂いて、炬燵にあたらなくとも、樹下石上を宿としなくとも大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。借金は必ず返す者と二十世紀の今日にもやはり正直に考えるほどの主人がこの講話を真面目に聞くのは当然であろう。  やがて時間が来たと見えて、講話はぱたりとやんだ。他の教室の課業も皆一度に終った。すると今まで室内に密封された八百の同勢は鬨の声をあげて、建物を飛び出した。その勢と云うものは、一尺ほどな蜂の巣を敲き落したごとくである。ぶんぶん、わんわん云うて窓から、戸口から、開きから、いやしくも穴の開いている所なら何の容赦もなく我勝ちに飛び出した。これが大事件の発端である。  まず蜂の陣立てから説明する。こんな戦争に陣立ても何もあるものかと云うのは間違っている。普通の人は戦争とさえ云えば沙河とか奉天とかまた旅順とかそのほかに戦争はないもののごとくに考えている。少し詩がかった野蛮人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずって、トロイの城壁を三匝したとか、燕ぴと張飛が長坂橋に丈八の蛇矛を横えて、曹操の軍百万人を睨め返したとか大袈裟な事ばかり連想する。連想は当人の随意だがそれ以外の戦争はないものと心得るのは不都合だ。太古蒙昧の時代に在ってこそ、そんな馬鹿気た戦争も行われたかも知れん、しかし太平の今日、大日本国帝都の中心においてかくのごとき野蛮的行動はあり得べからざる奇蹟に属している。いかに騒動が持ち上がっても交番の焼打以上に出る気遣はない。して見ると臥竜窟主人の苦沙弥先生と落雲館裏八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えてもしかるべきものだ。左氏が陵の戦を記するに当ってもまず敵の陣勢から述べている。古来から叙述に巧みなるものは皆この筆法を用いるのが通則になっている。だによって吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細なかろう。それでまず蜂の陣立ていかんと見てあると、四つ目垣の外側に縦列を形ちづくった一隊がある。これは主人を戦闘線内に誘致する職務を帯びた者と見える。「降参しねえか」「しねえしねえ」「駄目だ駄目だ」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえはずはねえ」「吠えて見ろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」これから先は縦隊総がかりとなって吶喊の声を揚げる。縦隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布いている。臥竜窟に面して一人の将官が擂粉木の大きな奴を持って控える。これと相対して五六間の間隔をとってまた一人立つ、擂粉木のあとにまた一人、これは臥竜窟に顔をむけて突っ立っている。かくのごとく一直線にならんで向い合っているのが砲手である。ある人の説によるとこれはベースボールの練習であって、決して戦闘準備ではないそうだ。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢である。しかし聞くところによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日中学程度以上の学校に行わるる運動のうちでもっとも流行するものだそうだ。米国は突飛な事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかも知れない。また米国人はこれをもって真に一種の運動遊戯と心得ているのだろう。しかし純粋の遊戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有している以上は使いようで砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼をもって観察したところでは、彼等はこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われない。物は云いようでどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐偽を働らき、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下に戦争をなさんとも限らない。或る人の説明は世間一般のベースボールの事であろう。今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボール即ち攻城的砲術である。これからダムダム弾を発射する方法を紹介する。直線に布かれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右の手に握って擂粉木の所有者に抛りつける。ダムダム弾は何で製造したか局外者には分らない。堅い丸い石の団子のようなものを御鄭寧に皮でくるんで縫い合せたものである。前申す通りこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んで行くと、向うに立った一人が例の擂粉木をやっと振り上げて、これを敲き返す。たまには敲き損なった弾丸が流れてしまう事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てて弾ね返る。その勢は非常に猛烈なものである。神経性胃弱なる主人の頭を潰すくらいは容易に出来る。砲手はこれだけで事足るのだが、その周囲附近には弥次馬兼援兵が雲霞のごとく付き添うている。ポカーンと擂粉木が団子に中るや否やわー、ぱちぱちぱちと、わめく、手を拍つ、やれやれと云う。中ったろうと云う。これでも利かねえかと云う。恐れ入らねえかと云う。降参かと云う。これだけならまだしもであるが、敲き返された弾丸は三度に一度必ず臥竜窟邸内へころがり込む。これがころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。ダムダム弾は近来諸所で製造するが随分高価なものであるから、いかに戦争でもそう充分な供給を仰ぐ訳に行かん。大抵一隊の砲手に一つもしくは二つの割である。ポンと鳴る度にこの貴重な弾丸を消費する訳には行かん。そこで彼等はたま拾と称する一部隊を設けて落弾を拾ってくる。落ち場所がよければ拾うのに骨も折れないが、草原とか人の邸内へ飛び込むとそう容易くは戻って来ない。だから平生ならなるべく労力を避けるため、拾い易い所へ打ち落すはずであるが、この際は反対に出る。目的が遊戯にあるのではない、戦争に存するのだから、わざとダムダム弾を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へ這入って拾わなければならん。邸内に這入るもっとも簡便な方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騒動すれば主人が怒り出さなければならん。しからずんば兜を脱いで降参しなければならん。苦心のあまり頭がだんだん禿げて来なければならん。  今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準誤たず、四つ目垣を通り越して桐の下葉を振い落して、第二の城壁即ち竹垣に命中した。随分大きな音である。ニュートンの運動律第一に曰くもし他の力を加うるにあらざれば、一度び動き出したる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。もしこの律のみによって物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にイスキラスと運命を同じくしたであろう。幸にしてニュートンは第一則を定むると同時に第二則も製造してくれたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則に曰く運動の変化は、加えられたる力に比例す、しかしてその力の働く直線の方向において起るものとす。これは何の事だか少しくわかり兼ねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子を裂き破って主人の頭を破壊しなかったところをもって見ると、ニュートンの御蔭に相違ない。しばらくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと覚しく、「ここか」「もっと左の方か」などと棒でもって笹の葉を敲き廻わる音がする。すべて敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそり這入って、こっそり拾っては肝心の目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かも知れないが、主人にからかうのはダムダム弾以上に大事である。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然している。竹垣に中った音も知っている。中った場所も分っている、しかしてその落ちた地面も心得ている。だからおとなしくして拾えば、いくらでもおとなしく拾える。ライプニッツの定義によると空間は出来得べき同在現象の秩序である。いろはにほへとはいつでも同じ順にあらわれてくる。柳の下には必ず鰌がいる。蝙蝠に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。しかし毎日毎日ボールを人の邸内に抛り込む者の眼に映ずる空間はたしかにこの排列に慣れている。一眼見ればすぐ分る訳だ。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは必竟ずるに主人に戦争を挑む策略である。  こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として馳け出した。驀然として敵の一人を生捕った。主人にしては大出来である。大出来には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯の生えている主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで沢山だと思ったのだろう。詫び入るのを無理に引っ張って椽側の前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言する必要がある、敵は主人が昨日の権幕を見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧がつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図理窟を捏ね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気もなく相手にする主人の恥辱になるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極もっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀そうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間もあらばこそ、庭前に引き据えられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣もちょっ着もつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿に黒い縁をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者もある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波の国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞しく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼等は申し合せたごとく、素足に股引を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然として一言も発しない。主人も口を開かない。しばらくの間双方共睨めくらをしているなかにちょっと殺気がある。 「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問した。大気である。奥歯で囓み潰した癇癪玉が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒って見える。越後獅子の鼻は人間が怒った時の恰好を形どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。 「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」 「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」 「しかしこの通りちゃんと学校の徽章のついている帽子を被っています」 「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」 「ボールが飛び込んだものですから」 「なぜボールを飛び込ました」 「つい飛び込んだんです」 「怪しからん奴だ」 「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」 「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入するのを、そう容易く許されると思うか」 「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」 「落雲館の生徒なら何年生だ」 「三年生です」 「きっとそうか」 「ええ」  主人は奥の方を顧みながら、おいこらこらと云う。  埼玉生れの御三が襖をあけて、へえと顔を出す。 「落雲館へ行って誰か連れてこい」 「誰を連れて参ります」 「誰でもいいから連れてこい」  下女は「へえ」と答えたが、あまり庭前の光景が妙なのと、使の趣が判然しないのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせずにやにや笑っている。主人はこれでも大戦争をしているつもりである。逆上的敏腕を大に振っているつもりである。しかるところ自分の召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。ますます逆上せざるを得ない。 「誰でも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……」 「あの校長さんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知らないのである。 「校長でも、幹事でも教頭でもと云っているのにわからんか」 「誰もおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」 「馬鹿を云え。小使などに何が分かるものか」  ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行った。使の主意はやはり飲み込めんのである。小使でも引張って来はせんかと心配していると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。平然と座に就くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかる。 「ただ今邸内にこの者共が乱入致して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが「本当に御校の生徒でしょうか」と少々皮肉に語尾を切った。  倫理の先生は別段驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見廻わした上、もとのごとく瞳を主人の方にかえして、下のごとく答えた。 「さようみんな学校の生徒であります。こんな事のないように始終訓戒を加えておきますが……どうも困ったもので……なぜ君等は垣などを乗り越すのか」  さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向っては一言もないと見えて何とも云うものはない。おとなしく庭の隅にかたまって羊の群が雪に逢ったように控えている。 「丸が這入るのも仕方がないでしょう。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来ましょう。しかし……あまり乱暴ですからな。仮令垣を乗り越えるにしても知れないように、そっと拾って行くなら、まだ勘弁のしようもありますが……」 「ごもっともで、よく注意は致しますが何分多人数の事で……よくこれから注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻って、御断りをして取らなければいかん。いいか。――広い学校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動は教育上必要なものでありますから、どうもこれを禁ずる訳には参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるような事が出来ますが、これは是非御容赦を願いたいと思います。その代り向後はきっと表門から廻って御断りを致した上で取らせますから」 「いや、そう事が分かればよろしいです。球はいくら御投げになっても差支えはないです。表からきてちょっと断わって下されば構いません。ではこの生徒はあなたに御引き渡し申しますからお連れ帰りを願います。いやわざわざ御呼び立て申して恐縮です」と主人は例によって例のごとく竜頭蛇尾の挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩のいわゆる大事件はこれで一とまず落着を告げた。何のそれが大事件かと笑うなら、笑うがいい。そんな人には大事件でないまでだ。吾輩は主人の大事件を写したので、そんな人の大事件を記したのではない。尻が切れて強弩の末勢だなどと悪口するものがあるなら、これが主人の特色である事を記憶して貰いたい。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存する事を記憶して貰いたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云うなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまえて未だ稚気を免がれずと云うている。  吾輩はすでに小事件を叙し了り、今また大事件を述べ了ったから、これより大事件の後に起る余瀾を描き出だして、全篇の結びを付けるつもりである。すべて吾輩のかく事は、口から出任せのいい加減と思う読者もあるかも知れないが決してそんな軽率な猫ではない。一字一句の裏に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話と思ってうっかりと読んでいたものが忽然豹変して容易ならざる法語となるんだから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとに一度に読むのだなどと云う無礼を演じてはいけない。柳宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水で手を清めたと云うくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したい。これから述べるのは、吾輩自ら余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんに極っている、読まんでもよかろうなどと思うと飛んだ後悔をする。是非しまいまで精読しなくてはいかん。  大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自宅へ帰るところ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両人がばったりと出逢ったのである。近来は金田の邸内も珍らしくなくなったから、滅多にあちらの方角へは足が向かなかったが、こう御目に懸って見ると、何となく御懐かしい。鈴木にも久々だから余所ながら拝顔の栄を得ておこう。こう決心してのそのそ御両君の佇立しておらるる傍近く歩み寄って見ると、自然両君の談話が耳に入る。これは吾輩の罪ではない。先方が話しているのがわるいのだ。金田君は探偵さえ付けて主人の動静を窺がうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したって怒らるる気遣はあるまい。もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聴いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。 「只今御宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所で御目にかかりました」と藤さんは鄭寧に頭をぴょこつかせる。 「うむ、そうかえ。実はこないだから、君にちょっと逢いたいと思っていたがね。それはよかった」 「へえ、それは好都合でございました。何かご用で」 「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいいんだが、君でないと出来ない事なんだ」 「私に出来る事なら何でもやりましょう。どんな事で」 「ええ、そう……」と考えている。 「何なら、御都合のとき出直して伺いましょう。いつが宜しゅう、ございますか」 「なあに、そんな大した事じゃ無いのさ。――それじゃせっかくだから頼もうか」 「どうか御遠慮なく……」 「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃないか」 「ええ苦沙弥がどうかしましたか」 「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸糞がわるくってね」 「ごもっともで、全く苦沙弥は剛慢ですから……少しは自分の社会上の地位を考えているといいのですけれども、まるで一人天下ですから」 「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ――とか何とか、いろいろ小生意気な事を云うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。こないだから大分弱らしているんだが、やっぱり頑張っているんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」 「どうも損得と云う観念の乏しい奴ですから無暗に痩我慢を張るんでしょう。昔からああ云う癖のある男で、つまり自分の損になる事に気が付かないんですから度し難いです」 「あはははほんとに度し難い。いろいろ手を易え品を易えてやって見るんだがね。とうとうしまいに学校の生徒にやらした」 「そいつは妙案ですな。利目がございましたか」 「これにゃあ、奴も大分困ったようだ。もう遠からず落城するに極っている」 「そりゃ結構です。いくら威張っても多勢に無勢ですからな」 「そうさ、一人じゃあ仕方がねえ。それで大分弱ったようだが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」 「はあ、そうですか。なに訳はありません。すぐ行って見ましょう。容子は帰りがけに御報知を致す事にして。面白いでしょう、あの頑固なのが意気銷沈しているところは、きっと見物ですよ」 「ああ、それじゃ帰りに御寄り、待っているから」 「それでは御免蒙ります」  おや今度もまた魂胆だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻のような主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が蠅滑りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功力を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。今まではわからずやの窮措大の家に養なわれて実業家の御利益を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥頑不霊の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危ない。主人のもっとも貴重する命があぶない。彼は鈴木君に逢ってどんな挨拶をするのか知らん。その模様で彼の悟り具合も自から分明になる。愚図愚図してはおられん、猫だって主人の事だから大に心配になる。早々鈴木君をすり抜けて御先へ帰宅する。  鈴木君はあいかわらず調子のいい男である。今日は金田の事などはおくびにも出さない、しきりに当り障りのない世間話を面白そうにしている。 「君少し顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」 「別にどこも何ともないさ」 「でも蒼いぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出来るかね」 「うん」 「何か心配でもありゃしないか、僕に出来る事なら何でもするぜ。遠慮なく云い給え」 「心配って、何を?」 「いえ、なければいいが、もしあればと云う事さ。心配が一番毒だからな。世の中は笑って面白く暮すのが得だよ。どうも君はあまり陰気過ぎるようだ」 「笑うのも毒だからな。無暗に笑うと死ぬ事があるぜ」 「冗談云っちゃいけない。笑う門には福来るさ」 「昔し希臘にクリシッパスと云う哲学者があったが、君は知るまい」 「知らない。それがどうしたのさ」 「その男が笑い過ぎて死んだんだ」 「へえー、そいつは不思議だね、しかしそりゃ昔の事だから……」 「昔しだって今だって変りがあるものか。驢馬が銀の丼から無花果を食うのを見て、おかしくってたまらなくって無暗に笑ったんだ。ところがどうしても笑いがとまらない。とうとう笑い死にに死んだんだあね」 「はははしかしそんなに留め度もなく笑わなくってもいいさ。少し笑う――適宜に、――そうするといい心持ちだ」  鈴木君がしきりに主人の動静を研究していると、表の門ががらがらとあく、客来かと思うとそうでない。 「ちょっとボールが這入りましたから、取らして下さい」  下女は台所から「はい」と答える。書生は裏手へ廻る。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。 「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」 「裏の書生? 裏に書生がいるのかい」 「落雲館と云う学校さ」 「ああそうか、学校か。随分騒々しいだろうね」 「騒々しいの何のって。碌々勉強も出来やしない。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやる」 「ハハハ大分怒ったね。何か癪に障る事でも有るのかい」 「あるのないのって、朝から晩まで癪に障り続けだ」 「そんなに癪に障るなら越せばいいじゃないか」 「誰が越すもんか、失敬千万な」 「僕に怒ったって仕方がない。なあに小供だあね、打ちゃっておけばいいさ」 「君はよかろうが僕はよくない。昨日は教師を呼びつけて談判してやった」 「それは面白かったね。恐れ入ったろう」 「うん」  この時また門口をあけて「ちょっとボールが這入りましたから取らして下さい」と云う声がする。 「いや大分来るじゃないか、またボールだぜ君」 「うん、表から来るように契約したんだ」 「なるほどそれであんなにくるんだね。そうーか、分った」 「何が分ったんだい」 「なに、ボールを取りにくる源因がさ」 「今日はこれで十六返目だ」 「君うるさくないか。来ないようにしたらいいじゃないか」 「来ないようにするったって、来るから仕方がないさ」 「仕方がないと云えばそれまでだが、そう頑固にしていないでもよかろう。人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに角がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中じゃなし、そう自分の思うように人はならないさ。まあ何だね。どうしても金のあるものに、たてを突いちゃ損だね。ただ神経ばかり痛めて、からだは悪くなる、人は褒めてくれず。向うは平気なものさ。坐って人を使いさえすればすむんだから。多勢に無勢どうせ、叶わないのは知れているさ。頑固もいいが、立て通すつもりでいるうちに、自分の勉強に障ったり、毎日の業務に煩を及ぼしたり、とどのつまりが骨折り損の草臥儲けだからね」 「ご免なさい。今ちょっとボールが飛びましたから、裏口へ廻って、取ってもいいですか」 「そらまた来たぜ」と鈴木君は笑っている。 「失敬な」と主人は真赤になっている。  鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思ったから、それじゃ失敬ちと来たまえと帰って行く。  入れ代ってやって来たのが甘木先生である。逆上家が自分で逆上家だと名乗る者は昔しから例が少ない、これは少々変だなと覚った時は逆上の峠はもう越している。主人の逆上は昨日の大事件の際に最高度に達したのであるが、談判も竜頭蛇尾たるに係らず、どうかこうか始末がついたのでその晩書斎でつくづく考えて見ると少し変だと気が付いた。もっとも落雲館が変なのか、自分が変なのか疑を存する余地は充分あるが、何しろ変に違ない。いくら中学校の隣に居を構えたって、かくのごとく年が年中肝癪を起しつづけはちと変だと気が付いた。変であって見ればどうかしなければならん。どうするったって仕方がない、やはり医者の薬でも飲んで肝癪の源に賄賂でも使って慰撫するよりほかに道はない。こう覚ったから平生かかりつけの甘木先生を迎えて診察を受けて見ようと云う量見を起したのである。賢か愚か、その辺は別問題として、とにかく自分の逆上に気が付いただけは殊勝の志、奇特の心得と云わなければならん。甘木先生は例のごとくにこにこと落ちつき払って、「どうです」と云う。医者は大抵どうですと云うに極まってる。吾輩は「どうです」と云わない医者はどうも信用をおく気にならん。 「先生どうも駄目ですよ」 「え、何そんな事があるものですか」 「一体医者の薬は利くものでしょうか」  甘木先生も驚ろいたが、そこは温厚の長者だから、別段激した様子もなく、 「利かん事もないです」と穏かに答えた。 「私の胃病なんか、いくら薬を飲んでも同じ事ですぜ」 「決して、そんな事はない」 「ないですかな。少しは善くなりますかな」と自分の胃の事を人に聞いて見る。 「そう急には、癒りません、だんだん利きます。今でももとより大分よくなっています」 「そうですかな」 「やはり肝癪が起りますか」 「起りますとも、夢にまで肝癪を起します」 「運動でも、少しなさったらいいでしょう」 「運動すると、なお肝癪が起ります」  甘木先生もあきれ返ったものと見えて、 「どれ一つ拝見しましょうか」と診察を始める。診察を終るのを待ちかねた主人は、突然大きな声を出して、 「先生、せんだって催眠術のかいてある本を読んだら、催眠術を応用して手癖のわるいんだの、いろいろな病気だのを直す事が出来ると書いてあったですが、本当でしょうか」と聞く。 「ええ、そう云う療法もあります」 「今でもやるんですか」 「ええ」 「催眠術をかけるのはむずかしいものでしょうか」 「なに訳はありません、私などもよく懸けます」 「先生もやるんですか」 「ええ、一つやって見ましょうか。誰でも懸らなければならん理窟のものです。あなたさえ善ければ懸けて見ましょう」 「そいつは面白い、一つ懸けて下さい。私もとうから懸かって見たいと思ったんです。しかし懸かりきりで眼が覚めないと困るな」 「なに大丈夫です。それじゃやりましょう」  相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術を懸けらるる事となった。吾輩は今までこんな事を見た事がないから心ひそかに喜んでその結果を座敷の隅から拝見する。先生はまず、主人の眼からかけ始めた。その方法を見ていると、両眼の上瞼を上から下へと撫でて、主人がすでに眼を眠っているにも係らず、しきりに同じ方向へくせを付けたがっている。しばらくすると先生は主人に向って「こうやって、瞼を撫でていると、だんだん眼が重たくなるでしょう」と聞いた。主人は「なるほど重くなりますな」と答える。先生はなお同じように撫でおろし、撫でおろし「だんだん重くなりますよ、ようござんすか」と云う。主人もその気になったものか、何とも云わずに黙っている。同じ摩擦法はまた三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開きませんぜ」と云われた。可哀想に主人の眼はとうとう潰れてしまった。「もう開かんのですか」「ええもうあきません」主人は黙然として目を眠っている。吾輩は主人がもう盲目になったものと思い込んでしまった。しばらくして先生は「あけるなら開いて御覧なさい。とうていあけないから」と云われる。「そうですか」と云うが早いか主人は普通の通り両眼を開いていた。主人はにやにや笑いながら「懸かりませんな」と云うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、懸りません」と云う。催眠術はついに不成功に了る。甘木先生も帰る。  その次に来たのが――主人のうちへこのくらい客の来た事はない。交際の少ない主人の家にしてはまるで嘘のようである。しかし来たに相違ない。しかも珍客が来た。吾輩がこの珍客の事を一言でも記述するのは単に珍客であるがためではない。吾輩は先刻申す通り大事件の余瀾を描きつつある。しかしてこの珍客はこの余瀾を描くに方って逸すべからざる材料である。何と云う名前か知らん、ただ顔の長い上に、山羊のような髯を生やしている四十前後の男と云えばよかろう。迷亭の美学者たるに対して、吾輩はこの男を哲学者と呼ぶつもりである。なぜ哲学者と云うと、何も迷亭のように自分で振り散らすからではない、ただ主人と対話する時の様子を拝見しているといかにも哲学者らしく思われるからである。これも昔しの同窓と見えて両人共応対振りは至極打ち解けた有様だ。 「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩のようにふわふわしているね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと云って引っ張り込んだそうだが随分呑気だね」 「それでどうしたい」 「どうしたか聞いても見なかったが、――そうさ、まあ天稟の奇人だろう、その代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。しかし奥行きがないから落ちつきがなくって駄目だ。円滑円滑と云うが、円滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁で括った蒟蒻だね。ただわるく滑かでぶるぶる振えているばかりだ」  主人はこの奇警な比喩を聞いて、大に感心したものらしく、久し振りでハハハと笑った。 「そんなら君は何だい」 「僕か、そうさな僕なんかは――まあ自然薯くらいなところだろう。長くなって泥の中に埋ってるさ」 「君は始終泰然として気楽なようだが、羨ましいな」 「なに普通の人間と同じようにしているばかりさ。別に羨まれるに足るほどの事もない。ただありがたい事に人を羨む気も起らんから、それだけいいね」 「会計は近頃豊かかね」 「なに同じ事さ。足るや足らずさ。しかし食うているから大丈夫。驚かないよ」 「僕は不愉快で、肝癪が起ってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」 「不平もいいさ。不平が起ったら起してしまえば当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、そう自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、自分の麺麭は自分の勝手に切るのが一番都合がいいようだ。上手な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下手の裁縫屋に誂えたら当分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服の方で、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手際よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし出来損こなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はなかろう」 「しかし僕なんか、いつまで立っても合いそうにないぜ、心細いね」 「あまり合わない背広を無理にきると綻びる。喧嘩をしたり、自殺をしたり騒動が起るんだね。しかし君なんかただ面白くないと云うだけで自殺は無論しやせず、喧嘩だってやった事はあるまい。まあまあいい方だよ」 「ところが毎日喧嘩ばかりしているさ。相手が出て来なくっても怒っておれば喧嘩だろう」 「なるほど一人喧嘩だ。面白いや、いくらでもやるがいい」 「それがいやになった」 「そんならよすさ」 「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものじゃない」 「まあ全体何がそんなに不平なんだい」  主人はここにおいて落雲館事件を始めとして、今戸焼の狸から、ぴん助、きしゃごそのほかあらゆる不平を挙げて滔々と哲学者の前に述べ立てた。哲学者先生はだまって聞いていたが、ようやく口を開いて、かように主人に説き出した。 「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせ下らんのだから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔しの日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない。向に檜があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人の遣り口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまで焦ったって片付く事があるものか。寡人政治がいかんから、代議政体にする。代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道を堀る。交通が面倒だと云って鉄道を布く。それで永久満足が出来るものじゃない。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観るのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日を回らす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚な事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細なかろう。何でも昔しの坊主は人に斬り付けられた時電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落れた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤まっているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢に無勢の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。衆を恃む小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」  主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入って書物も読まずに何か考えていた。  鈴木の藤さんは金と衆とに従えと主人に教えたのである。甘木先生は催眠術で神経を沈めろと助言したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいずれを択ぶかは主人の随意である。ただこのままでは通されないに極まっている。 九  主人は痘痕面である。御維新前はあばたも大分流行ったものだそうだが日英同盟の今日から見ると、こんな顔はいささか時候後れの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその迹を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえども毫も疑を挟む余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面を有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人が即ち主人である。はなはだ気の毒である。  吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利いたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天に挽回せずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風に顔一面を占領しているのか知らん。そうするとこのあばたは決して軽蔑の意をもって視るべきものでない。滔々たる流俗に抗する万古不磨の穴の集合体であって、大に吾人の尊敬に値する凸凹と云って宜しい。ただきたならしいのが欠点である。  主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯と云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡を続いだら葛根湯がアンチピリンに化けるかも知れない。かごに乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をして澄していたものは旧弊な亡者と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。  主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露しつつ毎日登校してリードルを教えている。  かくのごとき前世紀の紀念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大なる訓戒を垂れつつあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作もなく解釈して、不言の間にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁には彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人を髣髴すると同程度の労力を費やさねばならぬ。この点から見ると主人の痘痕も冥々の裡に妙な功徳を施こしている。  もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡を種え付けたのではない。これでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間にか顔へ伝染していたのである。その頃は小供の事で今のように色気もなにもなかったものだから、痒い痒いと云いながら無暗に顔中引き掻いたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様で西洋人が振り反って見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえある。なるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。  いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心がついて以来と云うもの主人は大にあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態を揉み潰そうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばた面を勘定してあるくそうだ。今日何人あばたに出逢って、その主は男か女か、その場所は小川町の勧工場であるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。彼はあばたに関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多にないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした。友人は気のない顔で「あっても乞食か立ん坊だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った。  哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立て籠ってしきりに何か考えている。彼の忠告を容れて静坐の裡に霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手ばかりしていては碌な結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節でも習った方が遥かにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈な男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣はないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。  今日はあれからちょうど七日目である。禅家などでは一七日を限って大悟して見せるなどと凄じい勢で結跏する連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側から書斎の入口まで来て室内の動静を偵察に及んだ。  書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机が据えてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である。無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼机として製造せしめたる稀代の品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓とわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物を担ぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出すごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子に椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。  机の前には薄っぺらなメリンスの座布団があって、煙草の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多に寄り付くべき帯ではない。  まだ考えているのか下手の考と云う喩もあるのにと後ろから覗き込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度瞬をしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。鏡と云えば風呂場にあるに極まっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他の事に無精なるだけそれだけ頭を叮嚀にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はない。必ず二寸くらいの長さにして、それを御大そうに左の方で分けるのみか、右の端をちょっと跳ね返して澄している。これも精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方はこの机と一向調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云う訳である。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕せるのみならず、とくの昔しに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意に入らんのは勿論の事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済にしたいくらいなところだから、ただで生える毛を銭を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨の上まで天然痘にやられましたよと吹聴する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。  風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病に罹ったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔し或る学者が何とかいう智識を訪うたら、和尚両肌を抜いで甎を磨しておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分物騒になって来たなと、そっと窺っている。  かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子をもって一張来の鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜蝋燭を立てて、広い部屋のなかで一人鏡を覗き込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などは始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天して屋敷のまわりを三度馳け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔が怖くなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」と独り言を云った。自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子から云うとたしかに気違の所作だが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、己れの醜悪な事が怖くなる。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない。苦労人でないととうてい解脱は出来ない。主人もここまで来たらついでに「おお怖い」とでも云いそうなものであるがなかなか云わない。「なるほどきたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっと頬っぺたを膨らました。そうしてふくれた頬っぺたを平手で二三度叩いて見る。何のまじないだか分らない。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがした。よくよく考えて見るとそれは御三の顔である。ついでだから御三の顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。この間さる人が穴守稲荷から河豚の提灯をみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯のようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので眼は両方共紛失している。もっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸にふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのだから、まるで水気になやんでいる六角時計のようなものだ。御三が聞いたらさぞ怒るだろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもって頬っぺたをふくらませたる彼は前申す通り手のひらで頬ぺたを叩きながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも眼につかん」とまた独り語をいった。  こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方が平に見える。奇体な物だなあ」と大分感心した様子であった。それから右の手をうんと伸して、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことを云う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額や眉を一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容貌が出来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審の体で鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫でて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取り紙の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏が丸るく紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹した指頭を転じてぐいと右眼の下瞼を裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退けた。あばたを研究しているのか、鏡と睨め競をしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。それどころではない。もし善意をもって蒟蒻問答的に解釈してやれば主人は見性自覚の方便としてかように鏡を相手にいろいろな仕草を演じているのかも知れない。すべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川と云い日月と云い星辰と云うも皆自己の異名に過ぎぬ。自己を措いて他に研究すべき事項は誰人にも見出し得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だ。朝に法を聴き、夕に道を聴き、梧前灯下に書巻を手にするのは皆この自証を挑撥するの方便の具に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至は五車にあまる蠧紙堆裏に自己が存在する所以がない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊より優るかも知れない。影を追えば本体に逢着する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているなら大分話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑にして学者ぶるよりも遥かにましだと思う。  鏡は己惚の醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動する道具はない。昔から増上慢をもって己を害し他をうた事蹟の三分の二はたしかに鏡の所作である。仏国革命の当時物好きな御医者さんが改良首きり器械を発明して飛んだ罪をつくったように、始めて鏡をこしらえた人も定めし寝覚のわるい事だろう。しかし自分に愛想の尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。妍醜瞭然だ。こんな顔でよくまあ人で候と反りかえって今日まで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生涯中もっともありがたい期節である。自分で自分の馬鹿を承知しているほど尊とく見える事はない。この自覚性馬鹿の前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然として吾を軽侮嘲笑しているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見て己れの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかし吾が顔に印せられる痘痕の銘くらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤しきを会得する楷梯にもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ。  かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼をこすり始めた。大方痒いのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こう擦ってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛の眼玉のごとく腐爛するにきまってる。やがて眼を開いて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北国の冬空のように曇っていた。もっとも平常からあまり晴れ晴れしい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌として黒眼と白眼が剖判しないくらい漠然としている。彼の精神が朦朧として不得要領底に一貫しているごとく、彼の眼も曖々然昧々然として長えに眼窩の奥に漂うている。これは胎毒のためだとも云うし、あるいは疱瘡の余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐あらばこそ、今日まで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない。彼の眼玉がかように晦渋溷濁の悲境に彷徨しているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明の実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛の極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚なるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭のごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。  今度は髯をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとって生えている。いくら個人主義が流行る世の中だって、こう町々に我儘を尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここに鑑みるところあって近頃は大に訓練を与えて、出来る限り系統的に按排するように尽力している。その熱心の功果は空しからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯が生えておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢するくらいになった。熱心は成効の度に応じて鼓舞せられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯に向って鞭撻を加える。彼のアムビションは独逸皇帝陛下のように、向上の念の熾な髯を蓄えるにある。それだから毛孔が横向であろうとも、下向であろうとも聊か頓着なく十把一とからげに握っては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否でも応でもさかに扱き上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性を撓めて、僕の手柄を見給えと誇るようなもので毫も非難すべき理由はない。  主人が満腔の熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性の御三が郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎の中へ出した。右手に髯をつかみ、左手に鏡を持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる。八の字の尾に逆か立ちを命じたような髯を見るや否や御多角はいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜の蓋へ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠々と鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある。読んで見ると 拝啓愈御多祥奉賀候回顧すれば日露の戦役は連戦連勝の勢に乗じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声裡に凱歌を奏し国民の歓喜何ものか之に若かん曩に宣戦の大詔煥発せらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万里の異境に在りて克く寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事し命を国家に捧げたるの至誠は永く銘して忘るべからざる所なり而して軍隊の凱旋は本月を以て殆んど終了を告げんとす依って本会は来る二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表し以て一大凱旋祝賀会を開催し兼て軍人遺族を慰藉せんが為め熱誠之を迎え聊感謝の微衷を表し度就ては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を挙行するの幸を得ば本会の面目不過之と存候間何卒御賛成奮って義捐あらんことを只管希望の至に堪えず候敬具 とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過の後直ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などは恐らくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、逢う人毎に義捐をとられた、とられたと吹聴しているくらいである。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極っている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当である。しかるにも関せず、盗難にでも罹ったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だと云って、いかに華族様の勧誘だと云って、強談で持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙くらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人から云えば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである。自分を歓迎した後なら大抵のものは歓迎しそうであるが、自分が朝夕に差し支える間は、歓迎は華族様に任せておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と云った。 時下秋冷の候に候処貴家益々御隆盛の段奉賀上候陳れば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ一時其極に達し候得共是れ皆不肖針作が足らざる所に起因すと存じ深く自ら警むる所あり臥薪甞胆其の苦辛の結果漸く茲に独力以て我が理想に適するだけの校舎新築費を得るの途を講じ候其は別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の義に御座候本書は不肖針作が多年苦心研究せる工芸上の原理原則に法とり真に肉を裂き血を絞るの思を為して著述せるものに御座候因って本書を普く一般の家庭へ製本実費に些少の利潤を附して御購求を願い一面斯道発達の一助となすと同時に又一面には僅少の利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算に御座候依っては近頃何共恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附被成下と御思召し茲に呈供仕候秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分与被成下候て御賛同の意を御表章被成下度伏して懇願仕候々敬具 大日本女子裁縫最高等大学院 校長  縫田針作 九拝 とある。主人はこの鄭重なる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠の中へ抛り込んだ。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆も何の役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる。第三信はすこぶる風変りの光彩を放っている。状袋が紅白のだんだらで、飴ん棒の看板のごとくはなやかなる真中に珍野苦沙弥先生虎皮下と八分体で肉太に認めてある。中からお太さんが出るかどうだか受け合わないが表だけはすこぶる立派なものだ。 若し我を以て天地を律すれば一口にして西江の水を吸いつくすべく、若し天地を以て我を律すれば我は則ち陌上の塵のみ。すべからく道え、天地と我と什麼の交渉かある。……始めて海鼠を食い出せる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚を喫せる漢は其勇気に於て重んずべし。海鼠を食えるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり。苦沙弥先生の如きに至っては只干瓢の酢味噌を知るのみ。干瓢の酢味噌を食って天下の士たるものは、われ未だ之を見ず。…… 親友も汝を売るべし。父母も汝に私あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴は固より頼みがたかるべし。爵禄は一朝にして失うべし。汝の頭中に秘蔵する学問には黴が生えるべし。汝何を恃まんとするか。天地の裡に何をたのまんとするか。神? 神は人間の苦しまぎれに捏造せる土偶のみ。人間のせつな糞の凝結せる臭骸のみ。恃むまじきを恃んで安しと云う。咄々、酔漢漫りに胡乱の言辞を弄して、蹣跚として墓に向う。油尽きて灯自ら滅す。業尽きて何物をか遺す。苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。…… 人を人と思わざれば畏るる所なし。人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世を憤るは如何。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如し。只他の吾を吾と思わぬ時に於て怫然として色を作す。任意に色を作し来れ。馬鹿野郎。…… 吾の人を人と思うとき、他の吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的に天降る。此発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参多し先生何が故に服せざる。 在巣鴨  天道公平 再拝  針作君は九拝であったが、この男は単に再拝だけである。寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風に構えている。寄附金の依頼ではないがその代りすこぶる分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断に引き裂いてしまうだろうと思のほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味を究めようという決心かも知れない。およそ天地の間にわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るものだ。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事だ。それどころではない。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむほどの命題ではない。山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云っても差し支えはない。烏が白くて小町が醜婦で苦沙弥先生が君子でも通らん事はない。だからこんな無意味な手紙でも何とか蚊とか理窟さえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである。天気の悪るいのになぜグード・モーニングですかと生徒に問われて七日間考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢の酢味噌が天下の士であろうと、朝鮮の仁参を食って革命を起そうと随意な意味は随処に湧き出る訳である。主人はしばらくしてグード・モーニング流にこの難解な言句を呑み込んだと見えて「なかなか意味深長だ。何でもよほど哲理を研究した人に違ない。天晴な見識だ」と大変賞賛した。この一言でも主人の愚なところはよく分るが、翻って考えて見るといささかもっともな点もある。主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限った事でもなかろう。分らぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高い心持が起るものだ。それだから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴するにも係らず、学者はわかった事をわからぬように講釈する。大学の講義でもわからん事を喋舌る人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。その主旨が那辺に存するかほとんど捕え難いからである。急に海鼠が出て来たり、せつな糞が出てくるからである。だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家で道徳経を尊敬し、儒家で易経を尊敬し、禅家で臨済録を尊敬すると一般で全く分らんからである。但し全然分らんでは気がすまんから勝手な註釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである。――主人は恭しく八分体の名筆を巻き納めて、これを机上に置いたまま懐手をして冥想に沈んでいる。  ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある。声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだが懐手のまま毫も動こうとしない。取次に出るのは主人の役目でないという主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がない。下女は先刻洗濯石鹸を買いに出た。細君は憚りである。すると取次に出べきものは吾輩だけになる。吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓脱から敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで来た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うと襖を二三度あけたり閉てたりして、今度は書斎の方へやってくる。 「おい冗談じゃない。何をしているんだ、御客さんだよ」 「おや君か」 「おや君かもないもんだ。そこにいるなら何とか云えばいいのに、まるで空家のようじゃないか」 「うん、ちと考え事があるもんだから」 「考えていたって通れくらいは云えるだろう」 「云えん事もないさ」 「相変らず度胸がいいね」 「せんだってから精神の修養を力めているんだもの」 「物好きだな。精神を修養して返事が出来なくなった日には来客は御難だね。そんなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。実は僕一人来たんじゃないよ。大変な御客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て逢ってくれ給え」 「誰を連れて来たんだい」 「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ。是非君に逢いたいと云うんだから」 「誰だい」 「誰でもいいから立ちたまえ」  主人は懐手のままぬっと立ちながら「また人を担ぐつもりだろう」と椽側へ出て何の気もつかずに客間へ這入り込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然と端坐して控えている。主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙の傍へ尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない。昔堅気の人は礼義はやかましいものだ。 「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促がす。主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、その後ある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間の変化したもので、上使が坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑と構えているのだから上座どころではない。挨拶さえ碌には出来ない。一応頭をさげて 「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した。 「いやそれでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」 「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。 「どうもそう、御謙遜では恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」 「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤になって口をもごもご云わせている。精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は襖の影から笑いながら立見をしていたが、もういい時分だと思って、後ろから主人の尻を押しやりながら 「まあ出たまえ。そう唐紙へくっついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまえ」と無理に割り込んでくる。主人はやむを得ず前の方へすり出る。 「苦沙弥君これが毎々君に噂をする静岡の伯父だよ。伯父さんこれが苦沙弥君です」 「いや始めて御目にかかります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の上御高話を拝聴致そうと存じておりましたところ、幸い今日は御近所を通行致したもので、御礼旁伺った訳で、どうぞ御見知りおかれまして今後共宜しく」と昔し風な口上を淀みなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風な爺さんとはほとんど出会った事がないのだから、最初から多少場うての気味で辟易していたところへ、滔々と浴びせかけられたのだから、朝鮮仁参も飴ん棒の状袋もすっかり忘れてしまってただ苦しまぎれに妙な返事をする。 「私も……私も……ちょっと伺がうはずでありましたところ……何分よろしく」と云い終って頭を少々畳から上げて見ると老人は未だに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。  老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷も在って、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解の折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。今来て見るとまるで方角も分らんくらいで、――迷亭にでも伴れてあるいてもらわんと、とても用達も出来ません。滄桑の変とは申しながら、御入国以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生面倒だと心得て 「伯父さん将軍家もありがたいかも知れませんが、明治の代も結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」 「それはない。赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様の御顔を拝むなどと云う事は明治の御代でなくては出来ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭でこの通り今日の総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もうこれで死んでもいい」 「まあ久し振りで東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね。今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、今日いっしょに上野へ出掛けたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。袖が長過ぎて、襟がおっ開いて、背中へ池が出来て、腋の下が釣るし上がっている。いくら不恰好に作ろうと云ったって、こうまで念を入れて形を崩す訳にはゆかないだろう。その上白シャツと白襟が離れ離れになって、仰むくと間から咽喉仏が見える。第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然しない。フロックはまだ我慢が出来るが白髪のチョン髷ははなはだ奇観である。評判の鉄扇はどうかと目を注けると膝の横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、逢って見ると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョン髷や鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある。主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って 「だいぶ人が出ましたろう」と極めて尋常な問をかけた。 「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので――どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔しはあんなではなかったが」 「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしい事を云う。これはあながち主人が知っ高振りをした訳ではない。ただ朦朧たる頭脳から好い加減に流れ出す言語と見れば差し支えない。 「それにな。皆この甲割りへ目を着けるので」 「その鉄扇は大分重いものでございましょう」 「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たして御覧なさい」  老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷で参詣人が蓮生坊の太刀を戴くようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した。 「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割と称えて鉄扇とはまるで別物で……」 「へえ、何にしたものでございましょう」 「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃ちとったものでがす。楠正成時代から用いたようで……」 「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」 「いえ、これは誰のかわからん。しかし時代は古い。建武時代の作かも知れない」 「建武時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」 「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性のいい鉄だから決してそんな虞れはない」 「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないです」 「寒月というのは、あのガラス球を磨っている男かい。今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」 「可愛想に、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」 「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土では玉人と称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。 「なるほど」と主人はかしこまっている。 「すべて今の世の学問は皆形而下の学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍は皆命懸けの商買だから、いざと云う時に狼狽せぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯ったりするような容易いものではなかったのでがすよ」 「なるほど」とやはりかしこまっている。 「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手をして坐り込んでるんでしょう」 「それだから困る。決してそんな造作のないものではない。孟子は求放心と云われたくらいだ。邵康節は心要放と説いた事もある。また仏家では中峯和尚と云うのが具不退転と云う事を教えている。なかなか容易には分らん」 「とうてい分りっこありませんね。全体どうすればいいんです」 「御前は沢菴禅師の不動智神妙録というものを読んだ事があるかい」 「いいえ、聞いた事もありません」 「心をどこに置こうぞ。敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。人の構に心を置けば、人の構に心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとある」 「よく忘れずに暗誦したものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君分ったかい」 「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。 「なあ、あなた、そうでござりましょう。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」 「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心得ているんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」 「や、それは御奇特な事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」 「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」 「実際遊んでるじゃないかの」 「ところが閑中自から忙ありでね」 「そう、粗忽だから修業をせんといかないと云うのよ、忙中自ら閑ありと云う成句はあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がない。なあ苦沙弥さん」 「ええ、どうも聞きませんようで」 「ハハハハそうなっちゃあ敵わない。時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻でも食っちゃあ。竹葉でも奢りましょう。これから電車で行くとすぐです」 「鰻も結構だが、今日はこれからすい原へ行く約束があるから、わしはこれで御免を蒙ろう」 「ああ杉原ですか、あの爺さんも達者ですね」 「杉原ではない、すい原さ。御前はよく間違ばかり云って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」 「だって杉原とかいてあるじゃありませんか」 「杉原と書いてすい原と読むのさ」 「妙ですね」 「なに妙な事があるものか。名目読みと云って昔からある事さ。蚯蚓を和名でみみずと云う。あれは目見ずの名目よみで。蝦蟆の事をかいると云うのと同じ事さ」 「へえ、驚ろいたな」 「蝦蟆を打ち殺すと仰向きにかえる。それを名目読みにかいると云う。透垣をすい垣、茎立をくく立、皆同じ事だ。杉原をすぎ原などと云うのは田舎ものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」 「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。困ったな」 「なに厭なら御前は行かんでもいい。わし一人で行くから」 「一人で行けますかい」 「あるいてはむずかしい。車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」  主人は畏まって直ちに御三を車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭へ山高帽をいただいて帰って行く。迷亭はあとへ残る。 「あれが君の伯父さんか」 「あれが僕の伯父さんさ」 「なるほど」と再び座蒲団の上に坐ったなり懐手をして考え込んでいる。 「ハハハ豪傑だろう。僕もああ云う伯父さんを持って仕合せなものさ。どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君驚ろいたろう」と迷亭君は主人を驚ろかしたつもりで大に喜んでいる。 「なにそんなに驚きゃしない」 「あれで驚かなけりゃ、胆力の据ったもんだ」 「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞは大に敬服していい」 「敬服していいかね。君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの廻り持ちなんか気が利かないよ」 「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいんだぜ。第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大に味がある。心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てる。 「えらい事になって来たぜ。何だか八木独仙君のような事を云ってるね」  八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。実はせんだって臥竜窟を訪問して主人を説服に及んで悠然と立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪らしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受売なのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻を挫いた訳になる。 「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑だから念を推して見る。 「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日と少しも変りゃしない」 「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」 「まあそんな贔負があるから独仙もあれで立ち行くんだね。第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。あの髯が君全く山羊だからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好で生えていたんだ。名前の独仙なども振ったものさ。昔し僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もう寝ようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方は大変眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩鼠が出て独仙君の鼻のあたまを噛ってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総身にまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それから仕方がないから台所へ行って紙片へ飯粒を貼ってごまかしてやったあね」 「どうして」 「これは舶来の膏薬で、近来独逸の名医が発明したので、印度人などの毒蛇に噛まれた時に用いると即効があるんだから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」 「君はその時分からごまかす事に妙を得ていたんだね」 「……すると独仙君はああ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑がぶらさがって例の山羊髯に引っかかっていたのは滑稽だったよ」 「しかしあの時分より大分えらくなったようだよ」 「君近頃逢ったのかい」 「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行った」 「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思った」 「実はその時大に感心してしまったから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」 「奮発は結構だがね。あんまり人の云う事を真に受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」 「あれには当人大分説があるようじゃないか」 「そうさ、当人に云わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒は峻峭なもので、いわゆる石火の機となると怖いくらい早く物に応ずる事が出来る。ほかのものが地震だと云って狼狽えているところを自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと云って、跛を引きながらうれしがっていた。負惜みの強い男だ。一体禅とか仏とか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」 「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。 「この間来た時禅宗坊主の寝言見たような事を何か云ってったろう」 「うん電光影裏に春風をきるとか云う句を教えて行ったよ」 「その電光さ。あれが十年前からの御箱なんだからおかしいよ。無覚禅師の電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏を逆さまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見たまえ。向で落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒して妙な事を云うよ」 「君のようないたずらものに逢っちゃ叶わない」 「どっちがいたずら者だか分りゃしない。僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌だ。僕の近所に南蔵院と云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこの間の白雨の時寺内へ雷が落ちて隠居のいる庭先の松の木を割いてしまった。ところが和尚泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾なんだね。それじゃ泰然たる訳さ。大概そんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややともすると人を誘い出すから悪い。現に独仙の御蔭で二人ばかり気狂にされているからな」 「誰が」 「誰がって。一人は理野陶然さ。独仙の御蔭で大に禅学に凝り固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。円覚寺の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔さ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火に入って焼けず、水に入って溺れぬ金剛不壊のからだだと号して寺内の蓮池へ這入ってぶくぶくあるき廻ったもんだ」 「死んだかい」 「その時も幸、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦飯や万年漬を食ったせいだから、つまるところは間接に独仙が殺したようなものさ」 「むやみに熱中するのも善し悪ししだね」と主人はちょっと気味のわるいという顔付をする。 「本当にさ。独仙にやられたものがもう一人同窓中にある」 「あぶないね。誰だい」 「立町老梅君さ。あの男も全く独仙にそそのかされて鰻が天上するような事ばかり言っていたが、とうとう君本物になってしまった」 「本物たあ何だい」 「とうとう鰻が天上して、豚が仙人になったのさ」 「何の事だい、それは」 「八木が独仙なら、立町は豚仙さ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地と禅坊主のわる意地が併発したのだから助からない。始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べていたよ。僕のうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾が板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のどぶへ金とんを掘りに行きましょうと促がすに至っては僕も降参したね。それから二三日するとついに豚仙になって巣鴨へ収容されてしまった。元来豚なんぞが気狂になる資格はないんだが、全く独仙の御蔭であすこまで漕ぎ付けたんだね。独仙の勢力もなかなかえらいよ」 「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」 「いるだんじゃない。自大狂で大気焔を吐いている。近頃は立町老梅なんて名はつまらないと云うので、自ら天道公平と号して、天道の権化をもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行って見たまえ」 「天道公平?」 「天道公平だよ。気狂の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平とも書く事がある。それで何でも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいと云うので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰ったが、中にはなかなか長い奴があって不足税を二度ばかりとられたよ」 「それじゃ僕の所へ来たのも老梅から来たんだ」 「君の所へも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」 「うん、真中が赤くて左右が白い。一風変った状袋だ」 「あれはね、わざわざ支那から取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在って赤しと云う豚仙の格言を示したんだって……」 「なかなか因縁のある状袋だね」 「気狂だけに大に凝ったものさ。そうして気狂になっても食意地だけは依然として存しているものと見えて、毎回必ず食物の事がかいてあるから奇妙だ。君の所へも何とか云って来たろう」 「うん、海鼠の事がかいてある」 「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」 「それから河豚と朝鮮仁参か何か書いてある」 「河豚と朝鮮仁参の取り合せは旨いね。おおかた河豚を食って中ったら朝鮮仁参を煎じて飲めとでも云うつもりなんだろう」 「そうでもないようだ」 「そうでなくても構わないさ。どうせ気狂だもの。それっきりかい」 「まだある。苦沙弥先生御茶でも上がれと云う句がある」 「アハハハ御茶でも上がれはきびし過ぎる。それで大に君をやり込めたつもりに違ない。大出来だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生は面白がって、大に笑い出す。主人は少からざる尊敬をもって反覆読誦した書翰の差出人が金箔つきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋癲病者の文章をさほど心労して翫味したかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧と、心配の合併した状態で何だか落ちつかない顔付をして控えている。  折から表格子をあららかに開けて、重い靴の音が二た足ほど沓脱に響いたと思ったら「ちょっと頼みます、ちょっと頼みます」と大きな声がする。主人の尻の重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、御三の取次に出るのも待たず、通れと云いながら隔ての中の間を二た足ばかりに飛び越えて玄関に躍り出した。人のうちへ案内も乞わずにつかつか這入り込むところは迷惑のようだが、人のうちへ這入った以上は書生同様取次を務めるからはなはだ便利である。いくら迷亭でも御客さんには相違ない、その御客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生である。平気に座布団の上へ尻を落ちつけている。但し落ちつけているのと、落ちついているのとは、その趣は大分似ているが、その実質はよほど違う。  玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。主人はやむを得ず懐手のままのそりのそりと出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査吉田虎蔵とある。虎蔵君と並んで立っているのは二十五六の背の高い、いなせな唐桟ずくめの男である。妙な事にこの男は主人と同じく懐手をしたまま、無言で突立っている。何だか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。この間深夜御来訪になって山の芋を持って行かれた泥棒君である。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。 「おいこの方は刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろと云うんで、わざわざおいでになったんだよ」  主人はようやく刑事が踏み込んだ理由が分ったと見えて、頭をさげて泥棒の方を向いて鄭寧に御辞儀をした。泥棒の方が虎蔵君より男振りがいいので、こっちが刑事だと早合点をしたのだろう。泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさか私が泥棒ですよと断わる訳にも行かなかったと見えて、すまして立っている。やはり懐手のままである。もっとも手錠をはめているのだから、出そうと云っても出る気遣はない。通例のものならこの様子でたいていはわかるはずだが、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。御上の御威光となると非常に恐しいものと心得ている。もっとも理論上から云うと、巡査なぞは自分達が金を出して番人に雇っておくのだくらいの事は心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。主人のおやじはその昔場末の名主であったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮した習慣が、因果となってかように子に酬ったのかも知れない。まことに気の毒な至りである。  巡査はおかしかったと見えて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに日本堤の分署まで来て下さい。――盗難品は何と何でしたかね」 「盗難品は……」と云いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは多々良三平の山の芋だけである。山の芋などはどうでも構わんと思ったが、盗難品は……と云いかけてあとが出ないのはいかにも与太郎のようで体裁がわるい。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答が出来んのは一人前ではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。  泥棒はこの時よほどおかしかったと見えて、下を向いて着物の襟へあごを入れた。迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったと見えるね」と云った。巡査だけは存外真面目である。 「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがい戻ったようです。――まあ来て見たら分るでしょう。それでね、下げ渡したら請書が入るから、印形を忘れずに持っておいでなさい。――九時までに来なくってはいかん。日本堤分署です。――浅草警察署の管轄内の日本堤分署です。――それじゃ、さようなら」と独りで弁じて帰って行く。泥棒君も続いて門を出る。手が出せないので、門をしめる事が出来ないから開け放しのまま行ってしまった。恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしゃりと立て切った。 「アハハハ君は刑事を大変尊敬するね。つねにああ云う恭謙な態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに鄭寧なんだから困る」 「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」 「知らせに来るったって、先は商売だよ。当り前にあしらってりゃ沢山だ」 「しかしただの商売じゃない」 「無論ただの商売じゃない。探偵と云ういけすかない商売さ。あたり前の商売より下等だね」 「君そんな事を云うと、ひどい目に逢うぜ」 「ハハハそれじゃ刑事の悪口はやめにしよう。しかし刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるを得んよ」 「誰が泥棒を尊敬したい」 「君がしたのさ」 「僕が泥棒に近付きがあるもんか」 「あるもんかって君は泥棒にお辞儀をしたじゃないか」 「いつ?」 「たった今平身低頭したじゃないか」 「馬鹿あ云ってら、あれは刑事だね」 「刑事があんななりをするものか」 「刑事だからあんななりをするんじゃないか」 「頑固だな」 「君こそ頑固だ」 「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなに懐手なんかして、突立っているものかね」 「刑事だって懐手をしないとは限るまい」 「そう猛烈にやって来ては恐れ入るがね。君がお辞儀をする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」 「刑事だからそのくらいの事はあるかも知れんさ」 「どうも自信家だな。いくら云っても聞かないね」 「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと云ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けた訳じゃないんだから。ただそう思って独りで強情を張ってるんだ」  迷亭もここにおいてとうてい済度すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙ってしまった。主人は久し振りで迷亭を凹ましたと思って大得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から云うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんな頓珍漢な事はままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場は遥かに下落してしまう。不思議な事に頑固の本人は死ぬまで自分は面目を施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑して相手にしてくれないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。 「ともかくもあした行くつもりかい」 「行くとも、九時までに来いと云うから、八時から出て行く」 「学校はどうする」 「休むさ。学校なんか」と擲きつけるように云ったのは壮なものだった。 「えらい勢だね。休んでもいいのかい」 「いいとも僕の学校は月給だから、差し引かれる気遣はない、大丈夫だ」と真直に白状してしまった。ずるい事もずるいが、単純なことも単純なものだ。 「君、行くのはいいが路を知ってるかい」 「知るものか。車に乗って行けば訳はないだろう」とぷんぷんしている。 「静岡の伯父に譲らざる東京通なるには恐れ入る」 「いくらでも恐れ入るがいい」 「ハハハ日本堤分署と云うのはね、君ただの所じゃないよ。吉原だよ」 「何だ?」 「吉原だよ」 「あの遊廓のある吉原か?」 「そうさ、吉原と云やあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行って見る気かい」と迷亭君またからかいかける。  主人は吉原と聞いて、そいつはと少々逡巡の体であったが、たちまち思い返して「吉原だろうが、遊廓だろうが、いったん行くと云った以上はきっと行く」と入らざるところに力味で見せた。愚人は得てこんなところに意地を張るものだ。  迷亭君は「まあ面白かろう、見て来たまえ」と云ったのみである。一波瀾を生じた刑事事件はこれで一先ず落着を告げた。迷亭はそれから相変らず駄弁を弄して日暮れ方、あまり遅くなると伯父に怒られると云って帰って行った。  迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再び拱手して下のように考え始めた。 「自分が感服して、大に見習おうとした八木独仙君も迷亭の話しによって見ると、別段見習うにも及ばない人間のようである。のみならず彼の唱道するところの説は何だか非常識で、迷亭の云う通り多少瘋癲的系統に属してもおりそうだ。いわんや彼は歴乎とした二人の気狂の子分を有している。はなはだ危険である。滅多に近寄ると同系統内に引き摺り込まれそうである。自分が文章の上において驚嘆の余、これこそ大見識を有している偉人に相違ないと思い込んだ天道公平事実名立町老梅は純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居している。迷亭の記述が棒大のざれ言にもせよ、彼が瘋癲院中に盛名を擅ままにして天道の主宰をもって自ら任ずるは恐らく事実であろう。こう云う自分もことによると少々ござっているかも知れない。同気相求め、同類相集まると云うから、気狂の説に感服する以上は――少なくともその文章言辞に同情を表する以上は――自分もまた気狂に縁の近い者であるだろう。よし同型中に鋳化せられんでも軒を比べて狂人と隣り合せに居を卜するとすれば、境の壁を一重打ち抜いていつの間にか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。こいつは大変だ。なるほど考えて見るとこのほどじゅうから自分の脳の作用は我ながら驚くくらい奇上に妙を点じ変傍に珍を添えている。脳漿一勺の化学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化する辺には不思議にも中庸を失した点が多い。舌上に竜泉なく、腋下に清風を生ぜざるも、歯根に狂臭あり、筋頭に瘋味あるをいかんせん。いよいよ大変だ。ことによるともうすでに立派な患者になっているのではないかしらん。まだ幸に人を傷けたり、世間の邪魔になる事をし出かさんからやはり町内を追払われずに、東京市民として存在しているのではなかろうか。こいつは消極の積極のと云う段じゃない。まず脈搏からして検査しなくてはならん。しかし脈には変りはないようだ。頭は熱いかしらん。これも別に逆上の気味でもない。しかしどうも心配だ。」 「こう自分と気狂ばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気狂の領分を脱する事は出来そうにもない。これは方法がわるかった。気狂を標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にしてその傍へ自分を置いて考えて見たらあるいは反対の結果が出るかも知れない。それにはまず手近から始めなくてはいかん。第一に今日来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようだ。第二に寒月はどうだ。朝から晩まで弁当持参で球ばかり磨いている。これも棒組だ。第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職のように心得ている。全く陽性の気狂に相違ない。第四はと……金田の妻君。あの毒悪な根性は全く常識をはずれている。純然たる気じるしに極ってる。第五は金田君の番だ。金田君には御目に懸った事はないが、まずあの細君を恭しくおっ立てて、琴瑟調和しているところを見ると非凡の人間と見立てて差支えあるまい。非凡は気狂の異名であるから、まずこれも同類にしておいて構わない。それからと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢から云うとまだ芽生えだが、躁狂の点においては一世を空しゅうするに足る天晴な豪のものである。こう数え立てて見ると大抵のものは同類のようである。案外心丈夫になって来た。ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。気狂が集合して鎬を削ってつかみ合い、いがみ合い、罵り合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のように崩れたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではないか知らん。その中で多少理窟がわかって、分別のある奴はかえって邪魔になるから、瘋癲院というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されているものは普通の人で、院外にあばれているものはかえって気狂である。気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を濫用して多くの小気狂を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと云われている例は少なくない。何が何だか分らなくなった」  以上は主人が当夜煢々たる孤灯の下で沈思熟慮した時の心的作用をありのままに描き出したものである。彼の頭脳の不透明なる事はここにも著るしくあらわれている。彼はカイゼルに似た八字髯を蓄うるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなし得ぬくらいの凡倉である。のみならず彼はせっかくこの問題を提供して自己の思索力に訴えながら、ついに何等の結論に達せずしてやめてしまった。何事によらず彼は徹底的に考える脳力のない男である。彼の結論の茫漠として、彼の鼻孔から迸出する朝日の煙のごとく、捕捉しがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。  吾輩は猫である。猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑うものがあるかも知れんが、このくらいな事は猫にとって何でもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんな余計な事は聞かんでもいい。ともかくも心得ている。人間の膝の上へ乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔かな毛衣をそっと人間の腹にこすり付ける。すると一道の電気が起って彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩の心眼に映ずる。せんだってなどは主人がやさしく吾輩の頭を撫で廻しながら、突然この猫の皮を剥いでちゃんちゃんにしたらさぞあたたかでよかろうと飛んでもない了見をむらむらと起したのを即座に気取って覚えずひやっとした事さえある。怖い事だ。当夜主人の頭のなかに起った以上の思想もそんな訳合で幸にも諸君にご報道する事が出来るように相成ったのは吾輩の大に栄誉とするところである。但し主人は「何が何だか分らなくなった」まで考えてそのあとはぐうぐう寝てしまったのである、あすになれば何をどこまで考えたかまるで忘れてしまうに違ない。向後もし主人が気狂について考える事があるとすれば、もう一返出直して頭から考え始めなければならぬ。そうすると果してこんな径路を取って、こんな風に「何が何だか分らなくなる」かどうだか保証出来ない。しかし何返考え直しても、何条の径路をとって進もうとも、ついに「何が何だか分らなくなる」だけはたしかである。 十 「あなた、もう七時ですよ」と襖越しに細君が声を掛けた。主人は眼がさめているのだか、寝ているのだか、向うむきになったぎり返事もしない。返事をしないのはこの男の癖である。ぜひ何とか口を切らなければならない時はうんと云う。このうんも容易な事では出てこない。人間も返事がうるさくなるくらい無精になると、どことなく趣があるが、こんな人に限って女に好かれた試しがない。現在連れ添う細君ですら、あまり珍重しておらんようだから、その他は推して知るべしと云っても大した間違はなかろう。親兄弟に見離され、あかの他人の傾城に、可愛がらりょうはずがない、とある以上は、細君にさえ持てない主人が、世間一般の淑女に気に入るはずがない。何も異性間に不人望な主人をこの際ことさらに暴露する必要もないのだが、本人において存外な考え違をして、全く年廻りのせいで細君に好かれないのだなどと理窟をつけていると、迷の種であるから、自覚の一助にもなろうかと親切心からちょっと申し添えるまでである。  言いつけられた時刻に、時刻がきたと注意しても、先方がその注意を無にする以上は、向をむいてうんさえ発せざる以上は、その曲は夫にあって、妻にあらずと論定したる細君は、遅くなっても知りませんよと云う姿勢で箒とはたきを担いで書斎の方へ行ってしまった。やがてぱたぱた書斎中を叩き散らす音がするのは例によって例のごとき掃除を始めたのである。一体掃除の目的は運動のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ吾輩の関知するところでないから、知らん顔をしていれば差し支えないようなものの、ここの細君の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと云わざるを得ない。何が無意義であるかと云うと、この細君は単に掃除のために掃除をしているからである。はたきを一通り障子へかけて、箒を一応畳の上へ滑らせる。それで掃除は完成した者と解釈している。掃除の源因及び結果に至っては微塵の責任だに背負っておらん。かるが故に奇麗な所は毎日奇麗だが、ごみのある所、ほこりの積っている所はいつでもごみが溜ってほこりが積っている。告朔の羊と云う故事もある事だから、これでもやらんよりはましかも知れない。しかしやっても別段主人のためにはならない。ならないところを毎日毎日御苦労にもやるところが細君のえらいところである。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくって頑として結びつけられているにもかかわらず、掃除の実に至っては、妻君がいまだ生れざる以前のごとく、はたきと箒が発明せられざる昔のごとく、毫も挙っておらん。思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろう。  吾輩は主人と違って、元来が早起の方だから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちのものさえ膳に向わぬさきから、猫の身分をもって朝めしに有りつける訳のものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁の香が鮑貝の中から、うまそうに立ち上っておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。はかない事を、はかないと知りながら頼みにするときは、ただその頼みだけを頭の中に描いて、動かずに落ちついている方が得策であるが、さてそうは行かぬ者で、心の願と実際が、合うか合わぬか是非とも試験して見たくなる。試験して見れば必ず失望するにきまってる事ですら、最後の失望を自ら事実の上に受取るまでは承知出来んものである。吾輩はたまらなくなって台所へ這出した。まずへっついの影にある鮑貝の中を覗いて見ると案に違わず、夕べ舐め尽したまま、闃然として、怪しき光が引窓を洩る初秋の日影にかがやいている。御三はすでに炊き立の飯を、御櫃に移して、今や七輪にかけた鍋の中をかきまぜつつある。釜の周囲には沸き上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾条となくこびりついて、あるものは吉野紙を貼りつけたごとくに見える。もう飯も汁も出来ているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば自分の望通りにならなくったって元々で損は行かないのだから、思い切って朝飯の催促をしてやろう、いくら居候の身分だってひもじいに変りはない。と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨ずるがごとく泣いて見た。御三はいっこう顧みる景色がない。生れついてのお多角だから人情に疎いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起させるのが、こっちの手際である。今度はにゃごにゃごとやって見た。その泣き声は吾ながら悲壮の音を帯びて天涯の遊子をして断腸の思あらしむるに足ると信ずる。御三は恬として顧みない。この女は聾なのかも知れない。聾では下女が勤まる訳がないが、ことによると猫の声だけには聾なのだろう。世の中には色盲というのがあって、当人は完全な視力を具えているつもりでも、医者から云わせると片輪だそうだが、この御三は声盲なのだろう。声盲だって片輪に違いない。片輪のくせにいやに横風なものだ。夜中なぞでも、いくらこっちが用があるから開けてくれろと云っても決して開けてくれた事がない。たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれない。夏だって夜露は毒だ。いわんや霜においてをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛いかとうてい想像が出来るものではない。この間しめ出しを食った時なぞは野良犬の襲撃を蒙って、すでに危うく見えたところを、ようやくの事で物置の家根へかけ上って、終夜顫えつづけた事さえある。これ等は皆御三の不人情から胚胎した不都合である。こんなものを相手にして鳴いて見せたって、感応のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除けて、中から堅炭の四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。それからその長い奴を七輪の角でぽんぽんと敲いたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉で真黒くなった。少々は汁の中へも這入ったらしい。御三はそんな事に頓着する女ではない。直ちにくだけたる三個の炭を鍋の尻から七輪の中へ押し込んだ。とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。仕方がないから悄然と茶の間の方へ引きかえそうとして風呂場の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁昌している。  顔を洗うと云ったところで、上の二人が幼稚園の生徒で、三番目は姉の尻についてさえ行かれないくらい小さいのだから、正式に顔が洗えて、器用に御化粧が出来るはずがない。一番小さいのがバケツの中から濡れ雑巾を引きずり出してしきりに顔中撫で廻わしている。雑巾で顔を洗うのは定めし心持ちがわるかろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわと云う子だからこのくらいの事はあっても驚ろくに足らん。ことによると八木独仙君より悟っているかも知れない。さすがに長女は長女だけに、姉をもって自ら任じているから、うがい茶碗をからからかんと抛出して「坊やちゃん、それは雑巾よ」と雑巾をとりにかかる。坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の云う事なんか聞きそうにしない。「いやーよ、ばぶ」と云いながら雑巾を引っ張り返した。このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪を起した時に折々ご使用になるばかりだ。雑巾はこの時姉の手と、坊やちゃんの手で左右に引っ張られるから、水を含んだ真中からぽたぽた雫が垂れて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するが膝のあたりがしたたか濡れる。坊やはこれでも元禄を着ているのである。元禄とは何の事だとだんだん聞いて見ると、中形の模様なら何でも元禄だそうだ。一体だれに教わって来たものか分らない。「坊やちゃん、元禄が濡れるから御よしなさい、ね」と姉が洒落れた事を云う。その癖この姉はついこの間まで元禄と双六とを間違えていた物識りである。  元禄で思い出したからついでに喋舌ってしまうが、この子供の言葉ちがいをやる事は夥しいもので、折々人を馬鹿にしたような間違を云ってる。火事で茸が飛んで来たり、御茶の味噌の女学校へ行ったり、恵比寿、台所と並べたり、或る時などは「わたしゃ藁店の子じゃないわ」と云うから、よくよく聞き糺して見ると裏店と藁店を混同していたりする。主人はこんな間違を聞くたびに笑っているが、自分が学校へ出て英語を教える時などは、これよりも滑稽な誤謬を真面目になって、生徒に聞かせるのだろう。  坊やは――当人は坊やとは云わない。いつでも坊ばと云う――元禄が濡れたのを見て「元どこがべたい」と云って泣き出した。元禄が冷たくては大変だから、御三が台所から飛び出して来て、雑巾を取上げて着物を拭いてやる。この騒動中比較的静かであったのは、次女のすん子嬢である。すん子嬢は向うむきになって棚の上からころがり落ちた、お白粉の瓶をあけて、しきりに御化粧を施している。第一に突っ込んだ指をもって鼻の頭をキューと撫でたから竪に一本白い筋が通って、鼻のありかがいささか分明になって来た。次に塗りつけた指を転じて頬の上を摩擦したから、そこへもってきて、これまた白いかたまりが出来上った。これだけ装飾がととのったところへ、下女がはいって来て坊ばの着物を拭いたついでに、すん子の顔もふいてしまった。すん子は少々不満の体に見えた。  吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来てもう起きたかとひそかに様子をうかがって見ると、主人の頭がどこにも見えない。その代り十文半の甲の高い足が、夜具の裾から一本食み出している。頭が出ていては起こされる時に迷惑だと思って、かくもぐり込んだのであろう。亀の子のような男である。ところへ書斎の掃除をしてしまった妻君がまた箒とはたきを担いでやってくる。最前のように襖の入口から 「まだお起きにならないのですか」と声をかけたまま、しばらく立って、首の出ない夜具を見つめていた。今度も返事がない。細君は入口から二歩ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承わる。この時主人はすでに目が覚めている。覚めているから、細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立て籠ったのである。首さえ出さなければ、見逃してくれる事もあろうかと、詰まらない事を頼みにして寝ていたところ、なかなか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少くとも一間の間隔があったから、まず安心と腹のうちで思っていると、とんと突いた箒が何でも三尺くらいの距離に追っていたにはちょっと驚ろいた。のみならず第二の「まだなんですか、あなた」が距離においても音量においても前よりも倍以上の勢を以て夜具のなかまで聞えたから、こいつは駄目だと覚悟をして、小さな声でうんと返事をした。 「九時までにいらっしゃるのでしょう。早くなさらないと間に合いませんよ」 「そんなに言わなくても今起きる」と夜着の袖口から答えたのは奇観である。妻君はいつでもこの手を食って、起きるかと思って安心していると、また寝込まれつけているから、油断は出来ないと「さあお起きなさい」とせめ立てる。起きると云うのに、なお起きろと責めるのは気に食わんものだ。主人のごとき我儘者にはなお気に食わん。ここにおいてか主人は今まで頭から被っていた夜着を一度に跳ねのけた。見ると大きな眼を二つとも開いている。 「何だ騒々しい。起きると云えば起きるのだ」 「起きるとおっしゃってもお起きなさらんじゃありませんか」 「誰がいつ、そんな嘘をついた」 「いつでもですわ」 「馬鹿を云え」 「どっちが馬鹿だか分りゃしない」と妻君ぷんとして箒を突いて枕元に立っているところは勇ましかった。この時裏の車屋の子供、八っちゃんが急に大きな声をしてワーと泣き出す。八っちゃんは主人が怒り出しさえすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人が怒るたんびに八っちゃんを泣かして小遣になるかも知れんが、八っちゃんこそいい迷惑だ。こんな御袋を持ったが最後朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならない。少しはこの辺の事情を察して主人も少々怒るのを差し控えてやったら、八っちゃんの寿命が少しは延びるだろうに、いくら金田君から頼まれたって、こんな愚な事をするのは、天道公平君よりもはげしくおいでになっている方だと鑑定してもよかろう。怒るたんびに泣かせられるだけなら、まだ余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを傭って今戸焼をきめ込むたびに、八っちゃんは泣かねばならんのである。主人が怒るか怒らぬか、まだ判然しないうちから、必ず怒るべきものと予想して、早手廻しに八っちゃんは泣いているのである。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手数は掛らない、ちょっと八っちゃんに剣突を食わせれば何の苦もなく、主人の横っ面を張った訳になる。昔し西洋で犯罪者を所刑にする時に、本人が国境外に逃亡して、捕えられん時は、偶像をつくって人間の代りに火あぶりにしたと云うが、彼等のうちにも西洋の故事に通暁する軍師があると見えて、うまい計略を授けたものである。落雲館と云い、八っちゃんの御袋と云い、腕のきかぬ主人にとっては定めし苦手であろう。そのほか苦手はいろいろある。あるいは町内中ことごとく苦手かも知れんが、ただいまは関係がないから、だんだん成し崩しに紹介致す事にする。  八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほど癇癪が起ったと見えて、たちまちがばと布団の上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表皮のむけるほど、頭中引き掻き廻す。一ヵ月も溜っているフケは遠慮なく、頸筋やら、寝巻の襟へ飛んでくる。非常な壮観である。髯はどうだと見るとこれはまた驚ろくべく、ぴん然とおっ立っている。持主が怒っているのに髯だけ落ちついていてはすまないとでも心得たものか、一本一本に癇癪を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢をもって突進している。これとてもなかなかの見物である。昨日は鏡の手前もある事だから、おとなしく独乙皇帝陛下の真似をして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあった者ではない、直ちに本来の面目に帰って思い思いの出で立に戻るのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭うがごとく奇麗に消え去って、生れついての野猪的本領が直ちに全面を暴露し来るのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、始めて日本の広い事がわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へ端書を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。  この時主人は、昨日紹介した混沌たる太古の眼を精一杯に見張って、向うの戸棚をきっと見た。これは高さ一間を横に仕切って上下共各二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布団の裾とすれすれの距離にあるから、起き直った主人が眼をあきさえすれば、天然自然ここに視線がむくように出来ている。見ると模様を置いた紙がところどころ破れて妙な腸があからさまに見える。腸にはいろいろなのがある。あるものは活版摺で、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人はこの腸を見ると同時に、何がかいてあるか読みたくなった。今までは車屋のかみさんでも捕えて、鼻づらを松の木へこすりつけてやろうくらいにまで怒っていた主人が、突然この反古紙を読んで見たくなるのは不思議のようであるが、こう云う陽性の癇癪持ちには珍らしくない事だ。小供が泣くときに最中の一つもあてがえばすぐ笑うと一般である。主人が昔し去る所の御寺に下宿していた時、襖一と重を隔てて尼が五六人いた。尼などと云うものは元来意地のわるい女のうちでもっとも意地のわるいものであるが、この尼が主人の性質を見抜いたものと見えて自炊の鍋をたたきながら、今泣いた烏がもう笑った、今泣いた烏がもう笑ったと拍子を取って歌ったそうだ、主人が尼が大嫌になったのはこの時からだと云うが、尼は嫌にせよ全くそれに違ない。主人は泣いたり、笑ったり、嬉しがったり、悲しがったり人一倍もする代りにいずれも長く続いた事がない。よく云えば執着がなくて、心機がむやみに転ずるのだろうが、これを俗語に翻訳してやさしく云えば奥行のない、薄っ片の、鼻っ張だけ強いだだっ子である。すでにだだっ子である以上は、喧嘩をする勢で、むっくと刎ね起きた主人が急に気をかえて袋戸の腸を読みにかかるのももっともと云わねばなるまい。第一に眼にとまったのが伊藤博文の逆か立ちである。上を見ると明治十一年九月廿八日とある。韓国統監もこの時代から御布令の尻尾を追っ懸けてあるいていたと見える。大将この時分は何をしていたんだろうと、読めそうにないところを無理によむと大蔵卿とある。なるほどえらいものだ、いくら逆か立ちしても大蔵卿である。少し左の方を見ると今度は大蔵卿横になって昼寝をしている。もっともだ。逆か立ちではそう長く続く気遣はない。下の方に大きな木板で汝はと二字だけ見える、あとが見たいがあいにく露出しておらん。次の行には早くの二字だけ出ている。こいつも読みたいがそれぎれで手掛りがない。もし主人が警視庁の探偵であったら、人のものでも構わずに引っぺがすかも知れない。探偵と云うものには高等な教育を受けたものがないから事実を挙げるためには何でもする。あれは始末に行かないものだ。願くばもう少し遠慮をしてもらいたい。遠慮をしなければ事実は決して挙げさせない事にしたらよかろう。聞くところによると彼等は羅織虚構をもって良民を罪に陥れる事さえあるそうだ。良民が金を出して雇っておく者が、雇主を罪にするなどときてはこれまた立派な気狂である。次に眼を転じて真中を見ると真中には大分県が宙返りをしている。伊藤博文でさえ逆か立ちをするくらいだから、大分県が宙返りをするのは当然である。主人はここまで読んで来て、双方へ握り拳をこしらえて、これを高く天井に向けて突きあげた。あくびの用意である。  このあくびがまた鯨の遠吠のようにすこぶる変調を極めた者であったが、それが一段落を告げると、主人はのそのそと着物をきかえて顔を洗いに風呂場へ出掛けて行った。待ちかねた細君はいきなり布団をまくって夜着を畳んで、例の通り掃除をはじめる。掃除が例の通りであるごとく、主人の顔の洗い方も十年一日のごとく例の通りである。先日紹介をしたごとく依然としてがーがー、げーげーを持続している。やがて頭を分け終って、西洋手拭を肩へかけて、茶の間へ出御になると、超然として長火鉢の横に座を占めた。長火鉢と云うと欅の如輪木か、銅の総落しで、洗髪の姉御が立膝で、長煙管を黒柿の縁へ叩きつける様を想見する諸君もないとも限らないが、わが苦沙弥先生の長火鉢に至っては決して、そんな意気なものではない、何で造ったものか素人には見当のつかんくらい古雅なものである。長火鉢は拭き込んでてらてら光るところが身上なのだが、この代物は欅か桜か桐か元来不明瞭な上に、ほとんど布巾をかけた事がないのだから陰気で引き立たざる事夥しい。こんなものをどこから買って来たかと云うと、決して買った覚はない。そんなら貰ったかと聞くと、誰もくれた人はないそうだ。しからば盗んだのかと糺して見ると、何だかその辺が曖昧である。昔し親類に隠居がおって、その隠居が死んだ時、当分留守番を頼まれた事がある。ところがその後一戸を構えて、隠居所を引き払う際に、そこで自分のもののように使っていた火鉢を何の気もなく、つい持って来てしまったのだそうだ。少々たちが悪いようだ。考えるとたちが悪いようだがこんな事は世間に往々ある事だと思う。銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委托した代理人のようなものだ。ところが委任された権力を笠に着て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについて何らの喙を容るる理由がないものだなどと狂ってくる。こんな人が世の中に充満している以上は長火鉢事件をもって主人に泥棒根性があると断定する訳には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。  長火鉢の傍に陣取って、食卓を前に控えたる主人の三面には、先刻雑巾で顔を洗った坊ばと御茶の味噌の学校へ行くとん子と、お白粉罎に指を突き込んだすん子が、すでに勢揃をして朝飯を食っている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南蛮鉄の刀の鍔のような輪廓を有している。すん子も妹だけに多少姉の面影を存して琉球塗の朱盆くらいな資格はある。ただ坊ばに至っては独り異彩を放って、面長に出来上っている。但し竪に長いのなら世間にその例もすくなくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化し易くったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考える事がある。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長の速かなる事は禅寺の筍が若竹に変化する勢で大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後ろから追手にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空漠なる主人でもこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。女である以上はどうにか片付けなくてはならんくらいも承知している。承知しているだけで片付ける手腕のない事も自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。人間の定義を云うとほかに何にもない。ただ入らざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。  さすがに子供はえらい。これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽しそうにご飯をたべる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪い奴を無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽しているのである。その因って来るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶で癒せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。  坊ばは隣りから分捕った偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威を擅にしている。使いこなせない者をむやみに使おうとするのだから、勢暴威を逞しくせざるを得ない。坊ばはまず箸の根元を二本いっしょに握ったままうんと茶碗の底へ突込んだ。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、その上に味噌汁が一面に漲っている。箸の力が茶碗へ伝わるやいなや、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいな事で辟易する訳がない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎ね上げた。同時に小さな口を縁まで持って行って、刎ね上げられた米粒を這入るだけ口の中へ受納した。打ち洩らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬っぺたと顋とへ、やっと掛声をして飛びついた。飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算の限りでない。随分無分別な飯の食い方である。吾輩は謹んで有名なる金田君及び天下の勢力家に忠告する。公等の他をあつかう事、坊ばの茶碗と箸をあつかうがごとくんば、公等の口へ飛び込む米粒は極めて僅少のものである。必然の勢をもって飛び込むにあらず、戸迷をして飛び込むのである。どうか御再考を煩わしたい。世故にたけた敏腕家にも似合しからぬ事だ。  姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪されて、不相応に小さな奴をもってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、一杯にもった積りでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。したがって頻繁に御はちの方へ手が出る。もう四膳かえて、今度は五杯目である。とん子は御はちの蓋をあけて大きなしゃもじを取り上げて、しばらく眺めていた。これは食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものと見えて、焦げのなさそうなところを見計って一掬いしゃもじの上へ乗せたまでは無難であったが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入りきらん飯は塊まったまま畳の上へ転がり出した。とん子は驚ろく景色もなく、こぼれた飯を鄭寧に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんな御はちの中へ入れてしまった。少しきたないようだ。  坊ばが一大活躍を試みて箸を刎ね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそい了った時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、大変よ、顔が御ぜん粒だらけよ」と云いながら、早速坊ばの顔の掃除にとりかかる。第一に鼻のあたまに寄寓していたのを取払う。取払って捨てると思のほか、すぐ自分の口のなかへ入れてしまったのには驚ろいた。それから頬っぺたにかかる。ここには大分群をなして数にしたら、両方を合せて約二十粒もあったろう。姉は丹念に一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔中にある奴を一つ残らず食ってしまった。この時ただ今まではおとなしく沢庵をかじっていたすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋のくずれたのをしゃくい出して、勢よく口の内へ抛り込んだ。諸君も御承知であろうが、汁にした薩摩芋の熱したのほど口中にこたえる者はない。大人ですら注意しないと火傷をしたような心持ちがする。ましてすん子のごとき、薩摩芋に経験の乏しい者は無論狼狽する訳である。すん子はワッと云いながら口中の芋を食卓の上へ吐き出した。その二三片がどう云う拍子か、坊ばの前まですべって来て、ちょうどいい加減な距離でとまる。坊ばは固より薩摩芋が大好きである。大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで来たのだから、早速箸を抛り出して、手攫みにしてむしゃむしゃ食ってしまった。  先刻からこの体たらくを目撃していた主人は、一言も云わずに、専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んで、この時はすでに楊枝を使っている最中であった。主人は娘の教育に関して絶体的放任主義を執るつもりと見える。今に三人が海老茶式部か鼠式部かになって、三人とも申し合せたように情夫をこしらえて出奔しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。働きのない事だ。しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。中学などの少年輩までが見様見真似に、こうしなくては幅が利かないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々と履行して未来の紳士だと思っている。これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびに撲ってやりたくなる。こんなものが一人でも殖えれば国家はそれだけ衰える訳である。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。情ない事だ。こんなごろつき手に比べると主人などは遥かに上等な人間と云わなくてはならん。意気地のないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口才でないところが上等なのである。  かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝食を済ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。格子をあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。あの遊廓のある吉原の近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々滑稽であった。  主人が珍らしく車で玄関から出掛けたあとで、妻君は例のごとく食事を済ませて「さあ学校へおいで。遅くなりますよ」と催促すると、小供は平気なもので「あら、でも今日は御休みよ」と支度をする景色がない。「御休みなもんですか、早くなさい」と叱るように言って聞かせると「それでも昨日、先生が御休だって、おっしゃってよ」と姉はなかなか動じない。妻君もここに至って多少変に思ったものか、戸棚から暦を出して繰り返して見ると、赤い字でちゃんと御祭日と出ている。主人は祭日とも知らずに学校へ欠勤届を出したのだろう。細君も知らずに郵便箱へ抛り込んだのだろう。ただし迷亭に至っては実際知らなかったのか、知って知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。この発明におやと驚ろいた妻君はそれじゃ、みんなでおとなしく御遊びなさいと平生の通り針箱を出して仕事に取りかかる。  その後三十分間は家内平穏、別段吾輩の材料になるような事件も起らなかったが、突然妙な人が御客に来た。十七八の女学生である。踵のまがった靴を履いて、紫色の袴を引きずって、髪を算盤珠のようにふくらまして勝手口から案内も乞わずに上って来た。これは主人の姪である。学校の生徒だそうだが、折々日曜にやって来て、よく叔父さんと喧嘩をして帰って行く雪江とか云う奇麗な名のお嬢さんである。もっとも顔は名前ほどでもない、ちょっと表へ出て一二町あるけば必ず逢える人相である。 「叔母さん今日は」と茶の間へつかつか這入って来て、針箱の横へ尻をおろした。 「おや、よく早くから……」 「今日は大祭日ですから、朝のうちにちょっと上がろうと思って、八時半頃から家を出て急いで来たの」 「そう、何か用があるの?」 「いいえ、ただあんまり御無沙汰をしたから、ちょっと上がったの」 「ちょっとでなくっていいから、緩くり遊んでいらっしゃい。今に叔父さんが帰って来ますから」 「叔父さんは、もう、どこへかいらしったの。珍らしいのね」 「ええ今日はね、妙な所へ行ったのよ。……警察へ行ったの、妙でしょう」 「あら、何で?」 「この春這入った泥棒がつらまったんだって」 「それで引き合に出されるの? いい迷惑ね」 「なあに品物が戻るのよ。取られたものが出たから取りに来いって、昨日巡査がわざわざ来たもんですから」 「おや、そう、それでなくっちゃ、こんなに早く叔父さんが出掛ける事はないわね。いつもなら今時分はまだ寝ていらっしゃるんだわ」 「叔父さんほど、寝坊はないんですから……そうして起こすとぷんぷん怒るのよ。今朝なんかも七時までに是非おこせと云うから、起こしたんでしょう。すると夜具の中へ潜って返事もしないんですもの。こっちは心配だから二度目にまたおこすと、夜着の袖から何か云うのよ。本当にあきれ返ってしまうの」 「なぜそんなに眠いんでしょう。きっと神経衰弱なんでしょう」 「何ですか」 「本当にむやみに怒る方ね。あれでよく学校が勤まるのね」 「なに学校じゃおとなしいんですって」 「じゃなお悪るいわ。まるで蒟蒻閻魔ね」 「なぜ?」 「なぜでも蒟蒻閻魔なの。だって蒟蒻閻魔のようじゃありませんか」 「ただ怒るばかりじゃないのよ。人が右と云えば左、左と云えば右で、何でも人の言う通りにした事がない、――そりゃ強情ですよ」 「天探女でしょう。叔父さんはあれが道楽なのよ。だから何かさせようと思ったら、うらを云うと、こっちの思い通りになるのよ。こないだ蝙蝠傘を買ってもらう時にも、いらない、いらないって、わざと云ったら、いらない事があるものかって、すぐ買って下すったの」 「ホホホホ旨いのね。わたしもこれからそうしよう」 「そうなさいよ。それでなくっちゃ損だわ」 「こないだ保険会社の人が来て、是非御這入んなさいって、勧めているんでしょう、――いろいろ訳を言って、こう云う利益があるの、ああ云う利益があるのって、何でも一時間も話をしたんですが、どうしても這入らないの。うちだって貯蓄はなし、こうして小供は三人もあるし、せめて保険へでも這入ってくれるとよっぽど心丈夫なんですけれども、そんな事は少しも構わないんですもの」 「そうね、もしもの事があると不安心だわね」と十七八の娘に似合しからん世帯染みたことを云う。 「その談判を蔭で聞いていると、本当に面白いのよ。なるほど保険の必要も認めないではない。必要なものだから会社も存在しているのだろう。しかし死なない以上は保険に這入る必要はないじゃないかって強情を張っているんです」 「叔父さんが?」 「ええ、すると会社の男が、それは死ななければ無論保険会社はいりません。しかし人間の命と云うものは丈夫なようで脆いもので、知らないうちに、いつ危険が逼っているか分りませんと云うとね、叔父さんは、大丈夫僕は死なない事に決心をしているって、まあ無法な事を云うんですよ」 「決心したって、死ぬわねえ。わたしなんか是非及第するつもりだったけれども、とうとう落第してしまったわ」 「保険社員もそう云うのよ。寿命は自分の自由にはなりません。決心で長が生きが出来るものなら、誰も死ぬものはございませんって」 「保険会社の方が至当ですわ」 「至当でしょう。それがわからないの。いえ決して死なない。誓って死なないって威張るの」 「妙ね」 「妙ですとも、大妙ですわ。保険の掛金を出すくらいなら銀行へ貯金する方が遥かにましだってすまし切っているんですよ」 「貯金があるの?」 「あるもんですか。自分が死んだあとなんか、ちっとも構う考なんかないんですよ」 「本当に心配ね。なぜ、あんななんでしょう、ここへいらっしゃる方だって、叔父さんのようなのは一人もいないわね」 「いるものですか。無類ですよ」 「ちっと鈴木さんにでも頼んで意見でもして貰うといいんですよ。ああ云う穏やかな人だとよっぽど楽ですがねえ」 「ところが鈴木さんは、うちじゃ評判がわるいのよ」 「みんな逆なのね。それじゃ、あの方がいいでしょう――ほらあの落ちついてる――」 「八木さん?」 「ええ」 「八木さんには大分閉口しているんですがね。昨日迷亭さんが来て悪口をいったものだから、思ったほど利かないかも知れない」 「だっていいじゃありませんか。あんな風に鷹揚に落ちついていれば、――こないだ学校で演説をなすったわ」 「八木さんが?」 「ええ」 「八木さんは雪江さんの学校の先生なの」 「いいえ、先生じゃないけども、淑徳婦人会のときに招待して、演説をして頂いたの」 「面白かって?」 「そうね、そんなに面白くもなかったわ。だけども、あの先生が、あんな長い顔なんでしょう。そうして天神様のような髯を生やしているもんだから、みんな感心して聞いていてよ」 「御話しって、どんな御話なの?」と妻君が聞きかけていると椽側の方から、雪江さんの話し声をききつけて、三人の子供がどたばた茶の間へ乱入して来た。今までは竹垣の外の空地へ出て遊んでいたものであろう。 「あら雪江さんが来た」と二人の姉さんは嬉しそうに大きな声を出す。妻君は「そんなに騒がないで、みんな静かにして御坐わりなさい。雪江さんが今面白い話をなさるところだから」と仕事を隅へ片付ける。 「雪江さん何の御話し、わたし御話しが大好き」と云ったのはとん子で「やっぱりかちかち山の御話し?」と聞いたのはすん子である。「坊ばも御はなち」と云い出した三女は姉と姉の間から膝を前の方に出す。ただしこれは御話を承わると云うのではない、坊ばもまた御話を仕ると云う意味である。「あら、また坊ばちゃんの話だ」と姉さんが笑うと、妻君は「坊ばはあとでなさい。雪江さんの御話がすんでから」と賺かして見る。坊ばはなかなか聞きそうにない。「いやーよ、ばぶ」と大きな声を出す。「おお、よしよし坊ばちゃんからなさい。何と云うの?」と雪江さんは謙遜した。 「あのね。坊たん、坊たん、どこ行くのって」 「面白いのね。それから?」 「わたちは田圃へ稲刈いに」 「そう、よく知ってる事」 「御前がくうと邪魔になる」 「あら、くうとじゃないわ、くるとだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相変らず「ばぶ」と一喝して直ちに姉を辟易させる。しかし中途で口を出されたものだから、続きを忘れてしまって、あとが出て来ない。「坊ばちゃん、それぎりなの?」と雪江さんが聞く。 「あのね。あとでおならは御免だよ。ぷう、ぷうぷうって」 「ホホホホ、いやだ事、誰にそんな事を、教わったの?」 「御三に」 「わるい御三ね、そんな事を教えて」と妻君は苦笑をしていたが「さあ今度は雪江さんの番だ。坊やはおとなしく聞いているのですよ」と云うと、さすがの暴君も納得したと見えて、それぎり当分の間は沈黙した。 「八木先生の演説はこんなのよ」と雪江さんがとうとう口を切った。「昔ある辻の真中に大きな石地蔵があったんですってね。ところがそこがあいにく馬や車が通る大変賑やかな場所だもんだから邪魔になって仕様がないんでね、町内のものが大勢寄って、相談をして、どうしてこの石地蔵を隅の方へ片づけたらよかろうって考えたんですって」 「そりゃ本当にあった話なの?」 「どうですか、そんな事は何ともおっしゃらなくってよ。――でみんながいろいろ相談をしたら、その町内で一番強い男が、そりゃ訳はありません、わたしがきっと片づけて見せますって、一人でその辻へ行って、両肌を抜いで汗を流して引っ張ったけれども、どうしても動かないんですって」 「よっぽど重い石地蔵なのね」 「ええ、それでその男が疲れてしまって、うちへ帰って寝てしまったから、町内のものはまた相談をしたんですね。すると今度は町内で一番利口な男が、私に任せて御覧なさい、一番やって見ますからって、重箱のなかへ牡丹餅を一杯入れて、地蔵の前へ来て、『ここまでおいで』と云いながら牡丹餅を見せびらかしたんだって、地蔵だって食意地が張ってるから牡丹餅で釣れるだろうと思ったら、少しも動かないんだって。利口な男はこれではいけないと思ってね。今度は瓢箪へお酒を入れて、その瓢箪を片手へぶら下げて、片手へ猪口を持ってまた地蔵さんの前へ来て、さあ飲みたくはないかね、飲みたければここまでおいでと三時間ばかり、からかって見たがやはり動かないんですって」 「雪江さん、地蔵様は御腹が減らないの」ととん子がきくと「牡丹餅が食べたいな」とすん子が云った。 「利口な人は二度共しくじったから、その次には贋札を沢山こしらえて、さあ欲しいだろう、欲しければ取りにおいでと札を出したり引っ込ましたりしたがこれもまるで益に立たないんですって。よっぽど頑固な地蔵様なのよ」 「そうね。すこし叔父さんに似ているわ」 「ええまるで叔父さんよ、しまいに利口な人も愛想をつかしてやめてしまったんですとさ。それでそのあとからね、大きな法螺を吹く人が出て、私ならきっと片づけて見せますからご安心なさいとさも容易い事のように受合ったそうです」 「その法螺を吹く人は何をしたんです」 「それが面白いのよ。最初にはね巡査の服をきて、付け髯をして、地蔵様の前へきて、こらこら、動かんとその方のためにならんぞ、警察で棄てておかんぞと威張って見せたんですとさ。今の世に警察の仮声なんか使ったって誰も聞きゃしないわね」 「本当ね、それで地蔵様は動いたの?」 「動くもんですか、叔父さんですもの」 「でも叔父さんは警察には大変恐れ入っているのよ」 「あらそう、あんな顔をして? それじゃ、そんなに怖い事はないわね。けれども地蔵様は動かないんですって、平気でいるんですとさ。それで法螺吹は大変怒って、巡査の服を脱いで、付け髯を紙屑籠へ抛り込んで、今度は大金持ちの服装をして出て来たそうです。今の世で云うと岩崎男爵のような顔をするんですとさ。おかしいわね」 「岩崎のような顔ってどんな顔なの?」 「ただ大きな顔をするんでしょう。そうして何もしないで、また何も云わないで地蔵の周りを、大きな巻煙草をふかしながら歩行いているんですとさ」 「それが何になるの?」 「地蔵様を煙に捲くんです」 「まるで噺し家の洒落のようね。首尾よく煙に捲いたの?」 「駄目ですわ、相手が石ですもの。ごまかしもたいていにすればいいのに、今度は殿下さまに化けて来たんだって。馬鹿ね」 「へえ、その時分にも殿下さまがあるの?」 「有るんでしょう。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿下様に化けたんだって、恐れ多い事だが化けて来たって――第一不敬じゃありませんか、法螺吹きの分際で」 「殿下って、どの殿下さまなの」 「どの殿下さまですか、どの殿下さまだって不敬ですわ」 「そうね」 「殿下さまでも利かないでしょう。法螺吹きもしようがないから、とても私の手際では、あの地蔵はどうする事も出来ませんと降参をしたそうです」 「いい気味ね」 「ええ、ついでに懲役にやればいいのに。――でも町内のものは大層気を揉んで、また相談を開いたんですが、もう誰も引き受けるものがないんで弱ったそうです」 「それでおしまい?」 「まだあるのよ。一番しまいに車屋とゴロツキを大勢雇って、地蔵様の周りをわいわい騒いであるいたんです。ただ地蔵様をいじめて、いたたまれないようにすればいいと云って、夜昼交替で騒ぐんだって」 「御苦労様ですこと」 「それでも取り合わないんですとさ。地蔵様の方も随分強情ね」 「それから、どうして?」ととん子が熱心に聞く。 「それからね、いくら毎日毎日騒いでも験が見えないので、大分みんなが厭になって来たんですが、車夫やゴロツキは幾日でも日当になる事だから喜んで騒いでいましたとさ」 「雪江さん、日当ってなに?」とすん子が質問をする。 「日当と云うのはね、御金の事なの」 「御金をもらって何にするの?」 「御金を貰ってね。……ホホホホいやなすん子さんだ。――それで叔母さん、毎日毎晩から騒ぎをしていますとね。その時町内に馬鹿竹と云って、何も知らない、誰も相手にしない馬鹿がいたんですってね。その馬鹿がこの騒ぎを見て御前方は何でそんなに騒ぐんだ、何年かかっても地蔵一つ動かす事が出来ないのか、可哀想なものだ、と云ったそうですって――」 「馬鹿の癖にえらいのね」 「なかなかえらい馬鹿なのよ。みんなが馬鹿竹の云う事を聞いて、物はためしだ、どうせ駄目だろうが、まあ竹にやらして見ようじゃないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騒ぎをしないでまあ静かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄然と地蔵様の前へ出て来ました」 「雪江さん飄然て、馬鹿竹のお友達?」ととん子が肝心なところで奇問を放ったので、細君と雪江さんはどっと笑い出した。 「いいえお友達じゃないのよ」 「じゃ、なに?」 「飄然と云うのはね。――云いようがないわ」 「飄然て、云いようがないの?」 「そうじゃないのよ、飄然と云うのはね――」 「ええ」 「そら多々良三平さんを知ってるでしょう」 「ええ、山の芋をくれてよ」 「あの多々良さん見たようなを云うのよ」 「多々良さんは飄然なの?」 「ええ、まあそうよ。――それで馬鹿竹が地蔵様の前へ来て懐手をして、地蔵様、町内のものが、あなたに動いてくれと云うから動いてやんなさいと云ったら、地蔵様はたちまちそうか、そんなら早くそう云えばいいのに、とのこのこ動き出したそうです」 「妙な地蔵様ね」 「それからが演説よ」 「まだあるの?」 「ええ、それから八木先生がね、今日は御婦人の会でありますが、私がかような御話をわざわざ致したのは少々考があるので、こう申すと失礼かも知れませんが、婦人というものはとかく物をするのに正面から近道を通って行かないで、かえって遠方から廻りくどい手段をとる弊がある。もっともこれは御婦人に限った事でない。明治の代は男子といえども、文明の弊を受けて多少女性的になっているから、よくいらざる手数と労力を費やして、これが本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解しているものが多いようだが、これ等は開化の業に束縛された畸形児である。別に論ずるに及ばん。ただ御婦人に在ってはなるべくただいま申した昔話を御記憶になって、いざと云う場合にはどうか馬鹿竹のような正直な了見で物事を処理していただきたい。あなた方が馬鹿竹になれば夫婦の間、嫁姑の間に起る忌わしき葛藤の三分一はたしかに減ぜられるに相違ない。人間は魂胆があればあるほど、その魂胆が祟って不幸の源をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、全くこの魂胆があり過ぎるからである。どうか馬鹿竹になって下さい、と云う演説なの」 「へえ、それで雪江さんは馬鹿竹になる気なの」 「やだわ、馬鹿竹だなんて。そんなものになりたくはないわ。金田の富子さんなんぞは失敬だって大変怒ってよ」 「金田の富子さんて、あの向横町の?」 「ええ、あのハイカラさんよ」 「あの人も雪江さんの学校へ行くの?」 「いいえ、ただ婦人会だから傍聴に来たの。本当にハイカラね。どうも驚ろいちまうわ」 「でも大変いい器量だって云うじゃありませんか」 「並ですわ。御自慢ほどじゃありませんよ。あんなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわ」 「それじゃ雪江さんなんぞはそのかたのように御化粧をすれば金田さんの倍くらい美しくなるでしょう」 「あらいやだ。よくってよ。知らないわ。だけど、あの方は全くつくり過ぎるのね。なんぼ御金があったって――」 「つくり過ぎても御金のある方がいいじゃありませんか」 「それもそうだけれども――あの方こそ、少し馬鹿竹になった方がいいでしょう。無暗に威張るんですもの。この間もなんとか云う詩人が新体詩集を捧げたって、みんなに吹聴しているんですもの」 「東風さんでしょう」 「あら、あの方が捧げたの、よっぽど物数奇ね」 「でも東風さんは大変真面目なんですよ。自分じゃ、あんな事をするのが当前だとまで思ってるんですもの」 「そんな人があるから、いけないんですよ。――それからまだ面白い事があるの。此間だれか、あの方の所へ艶書を送ったものがあるんだって」 「おや、いやらしい。誰なの、そんな事をしたのは」 「誰だかわからないんだって」 「名前はないの?」 「名前はちゃんと書いてあるんだけれども聞いた事もない人だって、そうしてそれが長い長い一間ばかりもある手紙でね。いろいろな妙な事がかいてあるんですとさ。私があなたを恋っているのは、ちょうど宗教家が神にあこがれているようなものだの、あなたのためならば祭壇に供える小羊となって屠られるのが無上の名誉であるの、心臓の形ちが三角で、三角の中心にキューピッドの矢が立って、吹き矢なら大当りであるの……」 「そりゃ真面目なの?」 「真面目なんですとさ。現にわたしの御友達のうちでその手紙を見たものが三人あるんですもの」 「いやな人ね、そんなものを見せびらかして。あの方は寒月さんのとこへ御嫁に行くつもりなんだから、そんな事が世間へ知れちゃ困るでしょうにね」 「困るどころですか大得意よ。こんだ寒月さんが来たら、知らして上げたらいいでしょう。寒月さんはまるで御存じないんでしょう」 「どうですか、あの方は学校へ行って球ばかり磨いていらっしゃるから、大方知らないでしょう」 「寒月さんは本当にあの方を御貰になる気なんでしょうかね。御気の毒だわね」 「なぜ? 御金があって、いざって時に力になって、いいじゃありませんか」 「叔母さんは、じきに金、金って品がわるいのね。金より愛の方が大事じゃありませんか。愛がなければ夫婦の関係は成立しやしないわ」 「そう、それじゃ雪江さんは、どんなところへ御嫁に行くの?」 「そんな事知るもんですか、別に何もないんですもの」  雪江さんと叔母さんは結婚事件について何か弁論を逞しくしていると、さっきから、分らないなりに謹聴しているとん子が突然口を開いて「わたしも御嫁に行きたいな」と云いだした。この無鉄砲な希望には、さすが青春の気に満ちて、大に同情を寄すべき雪江さんもちょっと毒気を抜かれた体であったが、細君の方は比較的平気に構えて「どこへ行きたいの」と笑ながら聞いて見た。 「わたしねえ、本当はね、招魂社へ御嫁に行きたいんだけれども、水道橋を渡るのがいやだから、どうしようかと思ってるの」  細君と雪江さんはこの名答を得て、あまりの事に問い返す勇気もなく、どっと笑い崩れた時に、次女のすん子が姉さんに向ってかような相談を持ちかけた。 「御ねえ様も招魂社がすき? わたしも大すき。いっしょに招魂社へ御嫁に行きましょう。ね? いや? いやなら好いわ。わたし一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ」 「坊ばも行くの」とついには坊ばさんまでが招魂社へ嫁に行く事になった。かように三人が顔を揃えて招魂社へ嫁に行けたら、主人もさぞ楽であろう。  ところへ車の音ががらがらと門前に留ったと思ったら、たちまち威勢のいい御帰りと云う声がした。主人は日本堤分署から戻ったと見える。車夫が差出す大きな風呂敷包を下女に受け取らして、主人は悠然と茶の間へ這入って来る。「やあ、来たね」と雪江さんに挨拶しながら、例の有名なる長火鉢の傍へ、ぽかりと手に携えた徳利様のものを抛り出した。徳利様と云うのは純然たる徳利では無論ない、と云って花活けとも思われない、ただ一種異様の陶器であるから、やむを得ずしばらくかように申したのである。 「妙な徳利ね、そんなものを警察から貰っていらしったの」と雪江さんが、倒れた奴を起しながら叔父さんに聞いて見る。叔父さんは、雪江さんの顔を見ながら、「どうだ、いい恰好だろう」と自慢する。 「いい恰好なの? それが? あんまりよかあないわ? 油壺なんか何で持っていらっしったの?」 「油壺なものか。そんな趣味のない事を云うから困る」 「じゃ、なあに?」 「花活さ」 「花活にしちゃ、口が小いさ過ぎて、いやに胴が張ってるわ」 「そこが面白いんだ。御前も無風流だな。まるで叔母さんと択ぶところなしだ。困ったものだな」と独りで油壺を取り上げて、障子の方へ向けて眺めている。 「どうせ無風流ですわ。油壺を警察から貰ってくるような真似は出来ないわ。ねえ叔母さん」叔母さんはそれどころではない、風呂敷包を解いて皿眼になって、盗難品を検べている。「おや驚ろいた。泥棒も進歩したのね。みんな、解いて洗い張をしてあるわ。ねえちょいと、あなた」 「誰が警察から油壺を貰ってくるものか。待ってるのが退屈だから、あすこいらを散歩しているうちに堀り出して来たんだ。御前なんぞには分るまいがそれでも珍品だよ」 「珍品過ぎるわ。一体叔父さんはどこを散歩したの」 「どこって日本堤界隈さ。吉原へも這入って見た。なかなか盛な所だ。あの鉄の門を観た事があるかい。ないだろう」 「だれが見るもんですか。吉原なんて賤業婦のいる所へ行く因縁がありませんわ。叔父さんは教師の身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。本当に驚ろいてしまうわ。ねえ叔母さん、叔母さん」 「ええ、そうね。どうも品数が足りないようだ事。これでみんな戻ったんでしょうか」 「戻らんのは山の芋ばかりさ。元来九時に出頭しろと云いながら十一時まで待たせる法があるものか、これだから日本の警察はいかん」 「日本の警察がいけないって、吉原を散歩しちゃなおいけないわ。そんな事が知れると免職になってよ。ねえ叔母さん」 「ええ、なるでしょう。あなた、私の帯の片側がないんです。何だか足りないと思ったら」 「帯の片側くらいあきらめるさ。こっちは三時間も待たされて、大切の時間を半日潰してしまった」と日本服に着代えて平気に火鉢へもたれて油壺を眺めている。細君も仕方がないと諦めて、戻った品をそのまま戸棚へしまい込んで座に帰る。 「叔母さん、この油壺が珍品ですとさ。きたないじゃありませんか」 「それを吉原で買っていらしったの? まあ」 「何がまあだ。分りもしない癖に」 「それでもそんな壺なら吉原へ行かなくっても、どこにだってあるじゃありませんか」 「ところがないんだよ。滅多に有る品ではないんだよ」 「叔父さんは随分石地蔵ね」 「また小供の癖に生意気を云う。どうもこの頃の女学生は口が悪るくっていかん。ちと女大学でも読むがいい」 「叔父さんは保険が嫌でしょう。女学生と保険とどっちが嫌なの?」 「保険は嫌ではない。あれは必要なものだ。未来の考のあるものは、誰でも這入る。女学生は無用の長物だ」 「無用の長物でもいい事よ。保険へ這入ってもいない癖に」 「来月から這入るつもりだ」 「きっと?」 「きっとだとも」 「およしなさいよ、保険なんか。それよりかその懸金で何か買った方がいいわ。ねえ、叔母さん」叔母さんはにやにや笑っている。主人は真面目になって 「お前などは百も二百も生きる気だから、そんな呑気な事を云うのだが、もう少し理性が発達して見ろ、保険の必要を感ずるに至るのは当前だ。ぜひ来月から這入るんだ」 「そう、それじゃ仕方がない。だけどこないだのように蝙蝠傘を買って下さる御金があるなら、保険に這入る方がましかも知れないわ。ひとがいりません、いりませんと云うのを無理に買って下さるんですもの」 「そんなにいらなかったのか?」 「ええ、蝙蝠傘なんか欲しかないわ」 「そんなら還すがいい。ちょうどとん子が欲しがってるから、あれをこっちへ廻してやろう。今日持って来たか」 「あら、そりゃ、あんまりだわ。だって苛いじゃありませんか、せっかく買って下すっておきながら、還せなんて」 「いらないと云うから、還せと云うのさ。ちっとも苛くはない」 「いらない事はいらないんですけれども、苛いわ」 「分らん事を言う奴だな。いらないと云うから還せと云うのに苛い事があるものか」 「だって」 「だって、どうしたんだ」 「だって苛いわ」 「愚だな、同じ事ばかり繰り返している」 「叔父さんだって同じ事ばかり繰り返しているじゃありませんか」 「御前が繰り返すから仕方がないさ。現にいらないと云ったじゃないか」 「そりゃ云いましたわ。いらない事はいらないんですけれども、還すのは厭ですもの」 「驚ろいたな。没分暁で強情なんだから仕方がない。御前の学校じゃ論理学を教えないのか」 「よくってよ、どうせ無教育なんですから、何とでもおっしゃい。人のものを還せだなんて、他人だってそんな不人情な事は云やしない。ちっと馬鹿竹の真似でもなさい」 「何の真似をしろ?」 「ちと正直に淡泊になさいと云うんです」 「お前は愚物の癖にやに強情だよ。それだから落第するんだ」 「落第したって叔父さんに学資は出して貰やしないわ」  雪江さんは言ここに至って感に堪えざるもののごとく、潸然として一掬の涙を紫の袴の上に落した。主人は茫乎として、その涙がいかなる心理作用に起因するかを研究するもののごとく、袴の上と、俯つ向いた雪江さんの顔を見つめていた。ところへ御三が台所から赤い手を敷居越に揃えて「お客さまがいらっしゃいました」と云う。「誰が来たんだ」と主人が聞くと「学校の生徒さんでございます」と御三は雪江さんの泣顔を横目に睨めながら答えた。主人は客間へ出て行く。吾輩も種取り兼人間研究のため、主人に尾して忍びやかに椽へ廻った。人間を研究するには何か波瀾がある時を択ばないと一向結果が出て来ない。平生は大方の人が大方の人であるから、見ても聞いても張合のないくらい平凡である。しかしいざとなるとこの平凡が急に霊妙なる神秘的作用のためにむくむくと持ち上がって奇なもの、変なもの、妙なもの、異なもの、一と口に云えば吾輩猫共から見てすこぶる後学になるような事件が至るところに横風にあらわれてくる。雪江さんの紅涙のごときはまさしくその現象の一つである。かくのごとく不可思議、不可測の心を有している雪江さんも、細君と話をしているうちはさほどとも思わなかったが、主人が帰ってきて油壺を抛り出すやいなや、たちまち死竜に蒸汽喞筒を注ぎかけたるごとく、勃然としてその深奥にして窺知すべからざる、巧妙なる、美妙なる、奇妙なる、霊妙なる、麗質を、惜気もなく発揚し了った。しかしてその麗質は天下の女性に共通なる麗質である。ただ惜しい事には容易にあらわれて来ない。否あらわれる事は二六時中間断なくあらわれているが、かくのごとく顕著に灼然炳乎として遠慮なくはあらわれて来ない。幸にして主人のように吾輩の毛をややともすると逆さに撫でたがる旋毛曲りの奇特家がおったから、かかる狂言も拝見が出来たのであろう。主人のあとさえついてあるけば、どこへ行っても舞台の役者は吾知らず動くに相違ない。面白い男を旦那様に戴いて、短かい猫の命のうちにも、大分多くの経験が出来る。ありがたい事だ。今度のお客は何者であろう。  見ると年頃は十七八、雪江さんと追っつ、返っつの書生である。大きな頭を地の隙いて見えるほど刈り込んで団子っ鼻を顔の真中にかためて、座敷の隅の方に控えている。別にこれと云う特徴もないが頭蓋骨だけはすこぶる大きい。青坊主に刈ってさえ、ああ大きく見えるのだから、主人のように長く延ばしたら定めし人目を惹く事だろう。こんな顔にかぎって学問はあまり出来ない者だとは、かねてより主人の持説である。事実はそうかも知れないがちょっと見るとナポレオンのようですこぶる偉観である。着物は通例の書生のごとく、薩摩絣か、久留米がすりかまた伊予絣か分らないが、ともかくも絣と名づけられたる袷を袖短かに着こなして、下には襯衣も襦袢もないようだ。素袷や素足は意気なものだそうだが、この男のはなはだむさ苦しい感じを与える。ことに畳の上に泥棒のような親指を歴然と三つまで印しているのは全く素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちゃんと坐って、さも窮屈そうに畏しこまっている。一体かしこまるべきものがおとなしく控えるのは別段気にするにも及ばんが、毬栗頭のつんつるてんの乱暴者が恐縮しているところは何となく不調和なものだ。途中で先生に逢ってさえ礼をしないのを自慢にするくらいの連中が、たとい三十分でも人並に坐るのは苦しいに違ない。ところを生れ得て恭謙の君子、盛徳の長者であるかのごとく構えるのだから、当人の苦しいにかかわらず傍から見ると大分おかしいのである。教場もしくは運動場であんなに騒々しいものが、どうしてかように自己を箝束する力を具えているかと思うと、憐れにもあるが滑稽でもある。こうやって一人ずつ相対になると、いかに愚なる主人といえども生徒に対して幾分かの重みがあるように思われる。主人も定めし得意であろう。塵積って山をなすと云うから、微々たる一生徒も多勢が聚合すると侮るべからざる団体となって、排斥運動やストライキをしでかすかも知れない。これはちょうど臆病者が酒を飲んで大胆になるような現象であろう。衆を頼んで騒ぎ出すのは、人の気に酔っ払った結果、正気を取り落したるものと認めて差支えあるまい。それでなければかように恐れ入ると云わんよりむしろ悄然として、自ら襖に押し付けられているくらいな薩摩絣が、いかに老朽だと云って、苟めにも先生と名のつく主人を軽蔑しようがない。馬鹿に出来る訳がない。  主人は座布団を押しやりながら、「さあお敷き」と云ったが毬栗先生はかたくなったまま「へえ」と云って動かない。鼻の先に剥げかかった更紗の座布団が「御乗んなさい」とも何とも云わずに着席している後ろに、生きた大頭がつくねんと着席しているのは妙なものだ。布団は乗るための布団で見詰めるために細君が勧工場から仕入れて来たのではない。布団にして敷かれずんば、布団はまさしくその名誉を毀損せられたるもので、これを勧めたる主人もまた幾分か顔が立たない事になる。主人の顔を潰してまで、布団と睨めくらをしている毬栗君は決して布団その物が嫌なのではない。実を云うと、正式に坐った事は祖父さんの法事の時のほかは生れてから滅多にないので、先っきからすでにしびれが切れかかって少々足の先は困難を訴えているのである。それにもかかわらず敷かない。布団が手持無沙汰に控えているにもかかわらず敷かない。主人がさあお敷きと云うのに敷かない。厄介な毬栗坊主だ。このくらい遠慮するなら多人数集まった時もう少し遠慮すればいいのに、学校でもう少し遠慮すればいいのに、下宿屋でもう少し遠慮すればいいのに。すまじきところへ気兼をして、すべき時には謙遜しない、否大に狼藉を働らく。たちの悪るい毬栗坊主だ。  ところへ後ろの襖をすうと開けて、雪江さんが一碗の茶を恭しく坊主に供した。平生なら、そらサヴェジ・チーが出たと冷やかすのだが、主人一人に対してすら痛み入っている上へ、妙齢の女性が学校で覚え立ての小笠原流で、乙に気取った手つきをして茶碗を突きつけたのだから、坊主は大に苦悶の体に見える。雪江さんは襖をしめる時に後ろからにやにやと笑った。して見ると女は同年輩でもなかなかえらいものだ。坊主に比すれば遥かに度胸が据わっている。ことに先刻の無念にはらはらと流した一滴の紅涙のあとだから、このにやにやがさらに目立って見えた。  雪江さんの引き込んだあとは、双方無言のまま、しばらくの間は辛防していたが、これでは業をするようなものだと気がついた主人はようやく口を開いた。 「君は何とか云ったけな」 「古井……」 「古井? 古井何とかだね。名は」 「古井武右衛門」 「古井武右衛門――なるほど、だいぶ長い名だな。今の名じゃない、昔の名だ。四年生だったね」 「いいえ」 「三年生か?」 「いいえ、二年生です」 「甲の組かね」 「乙です」 「乙なら、わたしの監督だね。そうか」と主人は感心している。実はこの大頭は入学の当時から、主人の眼についているんだから、決して忘れるどころではない。のみならず、時々は夢に見るくらい感銘した頭である。しかし呑気な主人はこの頭とこの古風な姓名とを連結して、その連結したものをまた二年乙組に連結する事が出来なかったのである。だからこの夢に見るほど感心した頭が自分の監督組の生徒であると聞いて、思わずそうかと心の裏で手を拍ったのである。しかしこの大きな頭の、古い名の、しかも自分の監督する生徒が何のために今頃やって来たのか頓と推諒出来ない。元来不人望な主人の事だから、学校の生徒などは正月だろうが暮だろうがほとんど寄りついた事がない。寄りついたのは古井武右衛門君をもって嚆矢とするくらいな珍客であるが、その来訪の主意がわからんには主人も大に閉口しているらしい。こんな面白くない人の家へただ遊びにくる訳もなかろうし、また辞職勧告ならもう少し昂然と構え込みそうだし、と云って武右衛門君などが一身上の用事相談があるはずがないし、どっちから、どう考えても主人には分らない。武右衛門君の様子を見るとあるいは本人自身にすら何で、ここまで参ったのか判然しないかも知れない。仕方がないから主人からとうとう表向に聞き出した。 「君遊びに来たのか」 「そうじゃないんです」 「それじゃ用事かね」 「ええ」 「学校の事かい」 「ええ、少し御話ししようと思って……」 「うむ。どんな事かね。さあ話したまえ」と云うと武右衛門君下を向いたぎり何にも言わない。元来武右衛門君は中学の二年生にしてはよく弁ずる方で、頭の大きい割に脳力は発達しておらんが、喋舌る事においては乙組中鏘々たるものである。現にせんだってコロンバスの日本訳を教えろと云って大に主人を困らしたはまさにこの武右衛門君である。その鏘々たる先生が、最前から吃の御姫様のようにもじもじしているのは、何か云わくのある事でなくてはならん。単に遠慮のみとはとうてい受け取られない。主人も少々不審に思った。 「話す事があるなら、早く話したらいいじゃないか」 「少し話しにくい事で……」 「話しにくい?」と云いながら主人は武右衛門君の顔を見たが、先方は依然として俯向になってるから、何事とも鑑定が出来ない。やむを得ず、少し語勢を変えて「いいさ。何でも話すがいい。ほかに誰も聞いていやしない。わたしも他言はしないから」と穏やかにつけ加えた。 「話してもいいでしょうか?」と武右衛門君はまだ迷っている。 「いいだろう」と主人は勝手な判断をする。 「では話しますが」といいかけて、毬栗頭をむくりと持ち上げて主人の方をちょっとまぼしそうに見た。その眼は三角である。主人は頬をふくらまして朝日の煙を吹き出しながらちょっと横を向いた。 「実はその……困った事になっちまって……」 「何が?」 「何がって、はなはだ困るもんですから、来たんです」 「だからさ、何が困るんだよ」 「そんな事をする考はなかったんですけれども、浜田が借せ借せと云うもんですから……」 「浜田と云うのは浜田平助かい」 「ええ」 「浜田に下宿料でも借したのかい」 「何そんなものを借したんじゃありません」 「じゃ何を借したんだい」 「名前を借したんです」 「浜田が君の名前を借りて何をしたんだい」 「艶書を送ったんです」 「何を送った?」 「だから、名前は廃して、投函役になると云ったんです」 「何だか要領を得んじゃないか。一体誰が何をしたんだい」 「艶書を送ったんです」 「艶書を送った? 誰に?」 「だから、話しにくいと云うんです」 「じゃ君が、どこかの女に艶書を送ったのか」 「いいえ、僕じゃないんです」 「浜田が送ったのかい」 「浜田でもないんです」 「じゃ誰が送ったんだい」 「誰だか分らないんです」 「ちっとも要領を得ないな。では誰も送らんのかい」 「名前だけは僕の名なんです」 「名前だけは君の名だって、何の事だかちっとも分らんじゃないか。もっと条理を立てて話すがいい。元来その艶書を受けた当人はだれか」 「金田って向横丁にいる女です」 「あの金田という実業家か」 「ええ」 「で、名前だけ借したとは何の事だい」 「あすこの娘がハイカラで生意気だから艶書を送ったんです。――浜田が名前がなくちゃいけないって云いますから、君の名前をかけって云ったら、僕のじゃつまらない。古井武右衛門の方がいいって――それで、とうとう僕の名を借してしまったんです」 「で、君はあすこの娘を知ってるのか。交際でもあるのか」 「交際も何もありゃしません。顔なんか見た事もありません」 「乱暴だな。顔も知らない人に艶書をやるなんて、まあどう云う了見で、そんな事をしたんだい」 「ただみんながあいつは生意気で威張ってるて云うから、からかってやったんです」 「ますます乱暴だな。じゃ君の名を公然とかいて送ったんだな」 「ええ、文章は浜田が書いたんです。僕が名前を借して遠藤が夜あすこのうちまで行って投函して来たんです」 「じゃ三人で共同してやったんだね」 「ええ、ですけれども、あとから考えると、もしあらわれて退学にでもなると大変だと思って、非常に心配して二三日は寝られないんで、何だか茫やりしてしまいました」 「そりゃまた飛んでもない馬鹿をしたもんだ。それで文明中学二年生古井武右衛門とでもかいたのかい」 「いいえ、学校の名なんか書きゃしません」 「学校の名を書かないだけまあよかった。これで学校の名が出て見るがいい。それこそ文明中学の名誉に関する」 「どうでしょう退校になるでしょうか」 「そうさな」 「先生、僕のおやじさんは大変やかましい人で、それにお母さんが継母ですから、もし退校にでもなろうもんなら、僕あ困っちまうです。本当に退校になるでしょうか」 「だから滅多な真似をしないがいい」 「する気でもなかったんですが、ついやってしまったんです。退校にならないように出来ないでしょうか」と武右衛門君は泣き出しそうな声をしてしきりに哀願に及んでいる。襖の蔭では最前から細君と雪江さんがくすくす笑っている。主人は飽くまでももったいぶって「そうさな」を繰り返している。なかなか面白い。  吾輩が面白いというと、何がそんなに面白いと聞く人があるかも知れない。聞くのはもっともだ。人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である。己を知る事が出来さえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。その時は吾輩もこんないたずらを書くのは気の毒だからすぐさまやめてしまうつもりである。しかし自分で自分の鼻の高さが分らないと同じように、自己の何物かはなかなか見当がつき悪くいと見えて、平生から軽蔑している猫に向ってさえかような質問をかけるのであろう。人間は生意気なようでもやはり、どこか抜けている。万物の霊だなどとどこへでも万物の霊を担いであるくかと思うと、これしきの事実が理解出来ない。しかも恬として平然たるに至ってはちと一を催したくなる。彼は万物の霊を背中へ担いで、おれの鼻はどこにあるか教えてくれ、教えてくれと騒ぎ立てている。それなら万物の霊を辞職するかと思うと、どう致して死んでも放しそうにしない。このくらい公然と矛盾をして平気でいられれば愛嬌になる。愛嬌になる代りには馬鹿をもって甘じなくてはならん。  吾輩がこの際武右衛門君と、主人と、細君及雪江嬢を面白がるのは、単に外部の事件が鉢合せをして、その鉢合せが波動を乙なところに伝えるからではない。実はその鉢合の反響が人間の心に個々別々の音色を起すからである。第一主人はこの事件に対してむしろ冷淡である。武右衛門君のおやじさんがいかにやかましくって、おっかさんがいかに君を継子あつかいにしようとも、あんまり驚ろかない。驚ろくはずがない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大に趣が違う。千人近くの生徒がみんな退校になったら、教師も衣食の途に窮するかも知れないが、古井武右衛門君一人の運命がどう変化しようと、主人の朝夕にはほとんど関係がない。関係の薄いところには同情も自から薄い訳である。見ず知らずの人のために眉をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決して自然の傾向ではない。人間がそんなに情深い、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくい。ただ世の中に生れて来た賦税として、時々交際のために涙を流して見たり、気の毒な顔を作って見せたりするばかりである。云わばごまかし性表情で、実を云うと大分骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやるものを芸術的良心の強い人と云って、これは世間から大変珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る。この点において主人はむしろ拙な部類に属すると云ってよろしい。拙だから珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隠すところもなく発表している。彼が武右衛門君に対して「そうさな」を繰り返しているのでも這裏の消息はよく分る。諸君は冷淡だからと云って、けっして主人のような善人を嫌ってはいけない。冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうと力めないのは正直な人である。もし諸君がかかる際に冷淡以上を望んだら、それこそ人間を買い被ったと云わなければならない。正直ですら払底な世にそれ以上を予期するのは、馬琴の小説から志乃や小文吾が抜けだして、向う三軒両隣へ八犬伝が引き越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまずこのくらいにして、次には茶の間で笑ってる女連に取りかかるが、これは主人の冷淡を一歩向へ跨いで、滑稽の領分に躍り込んで嬉しがっている。この女連には武右衛門君が頭痛に病んでいる艶書事件が、仏陀の福音のごとくありがたく思われる。理由はないただありがたい。強いて解剖すれば武右衛門君が困るのがありがたいのである。諸君女に向って聞いて御覧、「あなたは人が困るのを面白がって笑いますか」と。聞かれた人はこの問を呈出した者を馬鹿と云うだろう、馬鹿と云わなければ、わざとこんな問をかけて淑女の品性を侮辱したと云うだろう。侮辱したと思うのは事実かも知れないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これから私の品性を侮辱するような事を自分でしてお目にかけますから、何とか云っちゃいやよと断わるのと一般である。僕は泥棒をする。しかしけっして不道徳と云ってはならん。もし不道徳だなどと云えば僕の顔へ泥を塗ったものである。僕を侮辱したものである。と主張するようなものだ。女はなかなか利口だ、考えに筋道が立っている。いやしくも人間に生れる以上は踏んだり、蹴たり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必用であるのみならず、唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に、大きな声で笑われるのを快よく思わなくてはならない。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと交際は出来ない。武右衛門先生もちょっとしたはずみから、とんだ間違をして大に恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってるものを蔭で笑うのは失敬だとくらいは思うかも知れないが、それは年が行かない稚気というもので、人が失礼をした時に怒るのを気が小さいと先方では名づけるそうだから、そう云われるのがいやならおとなしくするがよろしい。最後に武右衛門君の心行きをちょっと紹介する。君は心配の権化である。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功名心をもって充満せるがごとく、まさに心配をもってはちきれんとしている。時々その団子っ鼻がぴくぴく動くのは心配が顔面神経に伝って、反射作用のごとく無意識に活動するのである。彼は大きな鉄砲丸を飲み下したごとく、腹の中にいかんともすべからざる塊まりを抱いて、この両三日処置に窮している。その切なさの余り、別に分別の出所もないから監督と名のつく先生のところへ出向いたら、どうか助けてくれるだろうと思って、いやな人の家へ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生学校で主人にからかったり、同級生を煽動して、主人を困らしたりした事はまるで忘れている。いかにからかおうとも困らせようとも監督と名のつく以上は心配してくれるに相違ないと信じているらしい。随分単純なものだ。監督は主人が好んでなった役ではない。校長の命によってやむを得ずいただいている、云わば迷亭の叔父さんの山高帽子の種類である。ただ名前である。ただ名前だけではどうする事も出来ない。名前がいざと云う場合に役に立つなら雪江さんは名前だけで見合が出来る訳だ。武右衛門君はただに我儘なるのみならず、他人は己れに向って必ず親切でなくてはならんと云う、人間を買い被った仮定から出立している。笑われるなどとは思も寄らなかったろう。武右衛門君は監督の家へ来て、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼はこの真理のために将来ますます本当の人間になるだろう。人の心配には冷淡になるだろう、人の困る時には大きな声で笑うだろう。かくのごとくにして天下は未来の武右衛門君をもって充たされるであろう。金田君及び金田令夫人をもって充たされるであろう。吾輩は切に武右衛門君のために瞬時も早く自覚して真人間になられん事を希望するのである。しからずんばいかに心配するとも、いかに後悔するとも、いかに善に移るの心が切実なりとも、とうてい金田君のごとき成功は得られんのである。いな社会は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであろう。文明中学の退校どころではない。  かように考えて面白いなと思っていると、格子ががらがらとあいて、玄関の障子の蔭から顔が半分ぬうと出た。 「先生」  主人は武右衛門君に「そうさな」を繰り返していたところへ、先生と玄関から呼ばれたので、誰だろうとそっちを見ると半分ほど筋違に障子から食み出している顔はまさしく寒月君である。「おい、御這入り」と云ったぎり坐っている。 「御客ですか」と寒月君はやはり顔半分で聞き返している。 「なに構わん、まあ御上がり」 「実はちょっと先生を誘いに来たんですがね」 「どこへ行くんだい。また赤坂かい。あの方面はもう御免だ。せんだっては無闇にあるかせられて、足が棒のようになった」 「今日は大丈夫です。久し振りに出ませんか」 「どこへ出るんだい。まあ御上がり」 「上野へ行って虎の鳴き声を聞こうと思うんです」 「つまらんじゃないか、それよりちょっと御上り」  寒月君はとうてい遠方では談判不調と思ったものか、靴を脱いでのそのそ上がって来た。例のごとく鼠色の、尻につぎの中ったずぼんを穿いているが、これは時代のため、もしくは尻の重いために破れたのではない、本人の弁解によると近頃自転車の稽古を始めて局部に比較的多くの摩擦を与えるからである。未来の細君をもって矚目された本人へ文をつけた恋の仇とは夢にも知らず、「やあ」と云って武右衛門君に軽く会釈をして椽側へ近い所へ座をしめた。 「虎の鳴き声を聞いたって詰らないじゃないか」 「ええ、今じゃいけません、これから方々散歩して夜十一時頃になって、上野へ行くんです」 「へえ」 「すると公園内の老木は森々として物凄いでしょう」 「そうさな、昼間より少しは淋しいだろう」 「それで何でもなるべく樹の茂った、昼でも人の通らない所を択ってあるいていると、いつの間にか紅塵万丈の都会に住んでる気はなくなって、山の中へ迷い込んだような心持ちになるに相違ないです」 「そんな心持ちになってどうするんだい」 「そんな心持ちになって、しばらく佇んでいるとたちまち動物園のうちで、虎が鳴くんです」 「そう旨く鳴くかい」 「大丈夫鳴きます。あの鳴き声は昼でも理科大学へ聞えるくらいなんですから、深夜闃寂として、四望人なく、鬼気肌に逼って、魑魅鼻を衝く際に……」 「魑魅鼻を衝くとは何の事だい」 「そんな事を云うじゃありませんか、怖い時に」 「そうかな。あんまり聞かないようだが。それで」 「それで虎が上野の老杉の葉をことごとく振い落すような勢で鳴くでしょう。物凄いでさあ」 「そりゃ物凄いだろう」 「どうです冒険に出掛けませんか。きっと愉快だろうと思うんです。どうしても虎の鳴き声は夜なかに聞かなくっちゃ、聞いたとはいわれないだろうと思うんです」 「そうさな」と主人は武右衛門君の哀願に冷淡であるごとく、寒月君の探検にも冷淡である。  この時まで黙然として虎の話を羨ましそうに聞いていた武右衛門君は主人の「そうさな」で再び自分の身の上を思い出したと見えて、「先生、僕は心配なんですが、どうしたらいいでしょう」とまた聞き返す。寒月君は不審な顔をしてこの大きな頭を見た。吾輩は思う仔細あってちょっと失敬して茶の間へ廻る。  茶の間では細君がくすくす笑いながら、京焼の安茶碗に番茶を浪々と注いで、アンチモニーの茶托の上へ載せて、 「雪江さん、憚りさま、これを出して来て下さい」 「わたし、いやよ」 「どうして」と細君は少々驚ろいた体で笑いをはたと留める。 「どうしてでも」と雪江さんはやにすました顔を即席にこしらえて、傍にあった読売新聞の上にのしかかるように眼を落した。細君はもう一応協商を始める。 「あら妙な人ね。寒月さんですよ。構やしないわ」 「でも、わたし、いやなんですもの」と読売新聞の上から眼を放さない。こんな時に一字も読めるものではないが、読んでいないなどとあばかれたらまた泣き出すだろう。 「ちっとも恥かしい事はないじゃありませんか」と今度は細君笑いながら、わざと茶碗を読売新聞の上へ押しやる。雪江さんは「あら人の悪るい」と新聞を茶碗の下から、抜こうとする拍子に茶托に引きかかって、番茶は遠慮なく新聞の上から畳の目へ流れ込む。「それ御覧なさい」と細君が云うと、雪江さんは「あら大変だ」と台所へ馳け出して行った。雑巾でも持ってくる了見だろう。吾輩にはこの狂言がちょっと面白かった。  寒月君はそれとも知らず座敷で妙な事を話している。 「先生障子を張り易えましたね。誰が張ったんです」 「女が張ったんだ。よく張れているだろう」 「ええなかなかうまい。あの時々おいでになる御嬢さんが御張りになったんですか」 「うんあれも手伝ったのさ。このくらい障子が張れれば嫁に行く資格はあると云って威張ってるぜ」 「へえ、なるほど」と云いながら寒月君障子を見つめている。 「こっちの方は平ですが、右の端は紙が余って波が出来ていますね」 「あすこが張りたてのところで、もっとも経験の乏しい時に出来上ったところさ」 「なるほど、少し御手際が落ちますね。あの表面は超絶的曲線でとうてい普通のファンクションではあらわせないです」と、理学者だけにむずかしい事を云うと、主人は 「そうさね」と好い加減な挨拶をした。  この様子ではいつまで嘆願をしていても、とうてい見込がないと思い切った武右衛門君は突然かの偉大なる頭蓋骨を畳の上に圧しつけて、無言の裡に暗に訣別の意を表した。主人は「帰るかい」と云った。武右衛門君は悄然として薩摩下駄を引きずって門を出た。可愛想に。打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。元を糺せば金田令嬢のハイカラと生意気から起った事だ。もし武右衛門君が死んだら、幽霊になって令嬢を取り殺してやるがいい。あんなものが世界から一人や二人消えてなくなったって、男子はすこしも困らない。寒月君はもっと令嬢らしいのを貰うがいい。 「先生ありゃ生徒ですか」 「うん」 「大変大きな頭ですね。学問は出来ますか」 「頭の割には出来ないがね、時々妙な質問をするよ。こないだコロンバスを訳して下さいって大に弱った」 「全く頭が大き過ぎますからそんな余計な質問をするんでしょう。先生何とおっしゃいました」 「ええ? なあに好い加減な事を云って訳してやった」 「それでも訳す事は訳したんですか、こりゃえらい」 「小供は何でも訳してやらないと信用せんからね」 「先生もなかなか政治家になりましたね。しかし今の様子では、何だか非常に元気がなくって、先生を困らせるようには見えないじゃありませんか」 「今日は少し弱ってるんだよ。馬鹿な奴だよ」 「どうしたんです。何だかちょっと見たばかりで非常に可哀想になりました。全体どうしたんです」 「なに愚な事さ。金田の娘に艶書を送ったんだ」 「え? あの大頭がですか。近頃の書生はなかなかえらいもんですね。どうも驚ろいた」 「君も心配だろうが……」 「何ちっとも心配じゃありません。かえって面白いです。いくら、艶書が降り込んだって大丈夫です」 「そう君が安心していれば構わないが……」 「構わんですとも私はいっこう構いません。しかしあの大頭が艶書をかいたと云うには、少し驚ろきますね」 「それがさ。冗談にしたんだよ。あの娘がハイカラで生意気だから、からかってやろうって、三人が共同して……」 「三人が一本の手紙を金田の令嬢にやったんですか。ますます奇談ですね。一人前の西洋料理を三人で食うようなものじゃありませんか」 「ところが手分けがあるんだ。一人が文章をかく、一人が投函する、一人が名前を借す。で今来たのが名前を借した奴なんだがね。これが一番愚だね。しかも金田の娘の顔も見た事がないって云うんだぜ。どうしてそんな無茶な事が出来たものだろう」 「そりゃ、近来の大出来ですよ。傑作ですね。どうもあの大頭が、女に文をやるなんて面白いじゃありませんか」 「飛んだ間違にならあね」 「なになったって構やしません、相手が金田ですもの」 「だって君が貰うかも知れない人だぜ」 「貰うかも知れないから構わないんです。なあに、金田なんか、構やしません」 「君は構わなくっても……」 「なに金田だって構やしません、大丈夫です」 「それならそれでいいとして、当人があとになって、急に良心に責められて、恐ろしくなったものだから、大に恐縮して僕のうちへ相談に来たんだ」 「へえ、それであんなに悄々としているんですか、気の小さい子と見えますね。先生何とか云っておやんなすったんでしょう」 「本人は退校になるでしょうかって、それを一番心配しているのさ」 「何で退校になるんです」 「そんな悪るい、不道徳な事をしたから」 「何、不道徳と云うほどでもありませんやね。構やしません。金田じゃ名誉に思ってきっと吹聴していますよ」 「まさか」 「とにかく可愛想ですよ。そんな事をするのがわるいとしても、あんなに心配させちゃ、若い男を一人殺してしまいますよ。ありゃ頭は大きいが人相はそんなにわるくありません。鼻なんかぴくぴくさせて可愛いです」 「君も大分迷亭見たように呑気な事を云うね」 「何、これが時代思潮です、先生はあまり昔し風だから、何でもむずかしく解釈なさるんです」 「しかし愚じゃないか、知りもしないところへ、いたずらに艶書を送るなんて、まるで常識をかいてるじゃないか」 「いたずらは、たいがい常識をかいていまさあ。救っておやんなさい。功徳になりますよ。あの容子じゃ華厳の滝へ出掛けますよ」 「そうだな」 「そうなさい。もっと大きな、もっと分別のある大僧共がそれどころじゃない、わるいいたずらをして知らん面をしていますよ。あんな子を退校させるくらいなら、そんな奴らを片っ端から放逐でもしなくっちゃ不公平でさあ」 「それもそうだね」 「それでどうです上野へ虎の鳴き声をききに行くのは」 「虎かい」 「ええ、聞きに行きましょう。実は二三日中にちょっと帰国しなければならない事が出来ましたから、当分どこへも御伴は出来ませんから、今日は是非いっしょに散歩をしようと思って来たんです」 「そうか帰るのかい、用事でもあるのかい」 「ええちょっと用事が出来たんです。――ともかくも出ようじゃありませんか」 「そう。それじゃ出ようか」 「さあ行きましょう。今日は私が晩餐を奢りますから、――それから運動をして上野へ行くとちょうど好い刻限です」としきりに促がすものだから、主人もその気になって、いっしょに出掛けて行った。あとでは細君と雪江さんが遠慮のない声でげらげらけらけらからからと笑っていた。 十一  床の間の前に碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対坐している。 「ただはやらない。負けた方が何か奢るんだぜ。いいかい」と迷亭君が念を押すと、独仙君は例のごとく山羊髯を引っ張りながら、こう云った。 「そんな事をすると、せっかくの清戯を俗了してしまう。かけなどで勝負に心を奪われては面白くない。成敗を度外において、白雲の自然に岫を出でて冉々たるごとき心持ちで一局を了してこそ、個中の味はわかるものだよ」 「また来たね。そんな仙骨を相手にしちゃ少々骨が折れ過ぎる。宛然たる列仙伝中の人物だね」 「無絃の素琴を弾じさ」 「無線の電信をかけかね」 「とにかく、やろう」 「君が白を持つのかい」 「どっちでも構わない」 「さすがに仙人だけあって鷹揚だ。君が白なら自然の順序として僕は黒だね。さあ、来たまえ。どこからでも来たまえ」 「黒から打つのが法則だよ」 「なるほど。しからば謙遜して、定石にここいらから行こう」 「定石にそんなのはないよ」 「なくっても構わない。新奇発明の定石だ」  吾輩は世間が狭いから碁盤と云うものは近来になって始めて拝見したのだが、考えれば考えるほど妙に出来ている。広くもない四角な板を狭苦しく四角に仕切って、目が眩むほどごたごたと黒白の石をならべる。そうして勝ったとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいる。高が一尺四方くらいの面積だ。猫の前足で掻き散らしても滅茶滅茶になる。引き寄せて結べば草の庵にて、解くればもとの野原なりけり。入らざるいたずらだ。懐手をして盤を眺めている方が遥かに気楽である。それも最初の三四十目は、石の並べ方では別段目障りにもならないが、いざ天下わけ目と云う間際に覗いて見ると、いやはや御気の毒な有様だ。白と黒が盤から、こぼれ落ちるまでに押し合って、御互にギューギュー云っている。窮屈だからと云って、隣りの奴にどいて貰う訳にも行かず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめて、じっとして身動きもせず、すくんでいるよりほかに、どうする事も出来ない。碁を発明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表していると云っても差支えない。人間の性質が碁石の運命で推知する事が出来るものとすれば、人間とは天空海濶の世界を、我からと縮めて、己れの立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬように、小刀細工で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない。人間とはしいて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう。  呑気なる迷亭君と、禅機ある独仙君とは、どう云う了見か、今日に限って戸棚から古碁盤を引きずり出して、この暑苦しいいたずらを始めたのである。さすがに御両人御揃いの事だから、最初のうちは各自任意の行動をとって、盤の上を白石と黒石が自由自在に飛び交わしていたが、盤の広さには限りがあって、横竪の目盛りは一手ごとに埋って行くのだから、いかに呑気でも、いかに禅機があっても、苦しくなるのは当り前である。 「迷亭君、君の碁は乱暴だよ。そんな所へ這入ってくる法はない」 「禅坊主の碁にはこんな法はないかも知れないが、本因坊の流儀じゃ、あるんだから仕方がないさ」 「しかし死ぬばかりだぜ」 「臣死をだも辞せず、いわんや肩をやと、一つ、こう行くかな」 「そうおいでになったと、よろしい。薫風南より来って、殿閣微涼を生ず。こう、ついでおけば大丈夫なものだ」 「おや、ついだのは、さすがにえらい。まさか、つぐ気遣はなかろうと思った。ついで、くりゃるな八幡鐘をと、こうやったら、どうするかね」 「どうするも、こうするもないさ。一剣天に倚って寒し――ええ、面倒だ。思い切って、切ってしまえ」 「やや、大変大変。そこを切られちゃ死んでしまう。おい冗談じゃない。ちょっと待った」 「それだから、さっきから云わん事じゃない。こうなってるところへは這入れるものじゃないんだ」 「這入って失敬仕り候。ちょっとこの白をとってくれたまえ」 「それも待つのかい」 「ついでにその隣りのも引き揚げて見てくれたまえ」 「ずうずうしいぜ、おい」 「Do you see the boy か。――なに君と僕の間柄じゃないか。そんな水臭い事を言わずに、引き揚げてくれたまえな。死ぬか生きるかと云う場合だ。しばらく、しばらくって花道から馳け出してくるところだよ」 「そんな事は僕は知らんよ」 「知らなくってもいいから、ちょっとどけたまえ」 「君さっきから、六返待ったをしたじゃないか」 「記憶のいい男だな。向後は旧に倍し待ったを仕り候。だからちょっとどけたまえと云うのだあね。君もよッぽど強情だね。座禅なんかしたら、もう少し捌けそうなものだ」 「しかしこの石でも殺さなければ、僕の方は少し負けになりそうだから……」 「君は最初から負けても構わない流じゃないか」 「僕は負けても構わないが、君には勝たしたくない」 「飛んだ悟道だ。相変らず春風影裏に電光をきってるね」 「春風影裏じゃない、電光影裏だよ。君のは逆だ」 「ハハハハもうたいてい逆かになっていい時分だと思ったら、やはりたしかなところがあるね。それじゃ仕方がないあきらめるかな」 「生死事大、無常迅速、あきらめるさ」 「アーメン」と迷亭先生今度はまるで関係のない方面へぴしゃりと一石を下した。  床の間の前で迷亭君と独仙君が一生懸命に輸贏を争っていると、座敷の入口には、寒月君と東風君が相ならんでその傍に主人が黄色い顔をして坐っている。寒月君の前に鰹節が三本、裸のまま畳の上に行儀よく排列してあるのは奇観である。  この鰹節の出処は寒月君の懐で、取り出した時は暖たかく、手のひらに感じたくらい、裸ながらぬくもっていた。主人と東風君は妙な眼をして視線を鰹節の上に注いでいると、寒月君はやがて口を開いた。 「実は四日ばかり前に国から帰って来たのですが、いろいろ用事があって、方々馳けあるいていたものですから、つい上がられなかったのです」 「そう急いでくるには及ばないさ」と主人は例のごとく無愛嬌な事を云う。 「急いで来んでもいいのですけれども、このおみやげを早く献上しないと心配ですから」 「鰹節じゃないか」 「ええ、国の名産です」 「名産だって東京にもそんなのは有りそうだぜ」と主人は一番大きな奴を一本取り上げて、鼻の先へ持って行って臭いをかいで見る。 「かいだって、鰹節の善悪はわかりませんよ」 「少し大きいのが名産たる所以かね」 「まあ食べて御覧なさい」 「食べる事はどうせ食べるが、こいつは何だか先が欠けてるじゃないか」 「それだから早く持って来ないと心配だと云うのです」 「なぜ?」 「なぜって、そりゃ鼠が食ったのです」 「そいつは危険だ。滅多に食うとペストになるぜ」 「なに大丈夫、そのくらいかじったって害はありません」 「全体どこで噛ったんだい」 「船の中でです」 「船の中? どうして」 「入れる所がなかったから、ヴァイオリンといっしょに袋のなかへ入れて、船へ乗ったら、その晩にやられました。鰹節だけなら、いいのですけれども、大切なヴァイオリンの胴を鰹節と間違えてやはり少々噛りました」 「そそっかしい鼠だね。船の中に住んでると、そう見境がなくなるものかな」と主人は誰にも分らん事を云って依然として鰹節を眺めている。 「なに鼠だから、どこに住んでてもそそっかしいのでしょう。だから下宿へ持って来てもまたやられそうでね。剣呑だから夜るは寝床の中へ入れて寝ました」 「少しきたないようだぜ」 「だから食べる時にはちょっとお洗いなさい」 「ちょっとくらいじゃ奇麗にゃなりそうもない」 「それじゃ灰汁でもつけて、ごしごし磨いたらいいでしょう」 「ヴァイオリンも抱いて寝たのかい」 「ヴァイオリンは大き過ぎるから抱いて寝る訳には行かないんですが……」と云いかけると 「なんだって? ヴァイオリンを抱いて寝たって? それは風流だ。行く春や重たき琵琶のだき心と云う句もあるが、それは遠きその上の事だ。明治の秀才はヴァイオリンを抱いて寝なくっちゃ古人を凌ぐ訳には行かないよ。かい巻に長き夜守るやヴァイオリンはどうだい。東風君、新体詩でそんな事が云えるかい」と向うの方から迷亭先生大きな声でこっちの談話にも関係をつける。  東風君は真面目で「新体詩は俳句と違ってそう急には出来ません。しかし出来た暁にはもう少し生霊の機微に触れた妙音が出ます」 「そうかね、生霊はおがらを焚いて迎え奉るものと思ってたが、やっぱり新体詩の力でも御来臨になるかい」と迷亭はまだ碁をそっちのけにして調戯ている。 「そんな無駄口を叩くとまた負けるぜ」と主人は迷亭に注意する。迷亭は平気なもので 「勝ちたくても、負けたくても、相手が釜中の章魚同然手も足も出せないのだから、僕も無聊でやむを得ずヴァイオリンの御仲間を仕るのさ」と云うと、相手の独仙君はいささか激した調子で 「今度は君の番だよ。こっちで待ってるんだ」と云い放った。 「え? もう打ったのかい」 「打ったとも、とうに打ったさ」 「どこへ」 「この白をはすに延ばした」 「なあるほど。この白をはすに延ばして負けにけりか、そんならこっちはと――こっちは――こっちはこっちはとて暮れにけりと、どうもいい手がないね。君もう一返打たしてやるから勝手なところへ一目打ちたまえ」 「そんな碁があるものか」 「そんな碁があるものかなら打ちましょう。――それじゃこのかど地面へちょっと曲がって置くかな。――寒月君、君のヴァイオリンはあんまり安いから鼠が馬鹿にして噛るんだよ、もう少しいいのを奮発して買うさ、僕が以太利亜から三百年前の古物を取り寄せてやろうか」 「どうか願います。ついでにお払いの方も願いたいもので」 「そんな古いものが役に立つものか」と何にも知らない主人は一喝にして迷亭君を極めつけた。 「君は人間の古物とヴァイオリンの古物と同一視しているんだろう。人間の古物でも金田某のごときものは今だに流行しているくらいだから、ヴァイオリンに至っては古いほどがいいのさ。――さあ、独仙君どうか御早く願おう。けいまさのせりふじゃないが秋の日は暮れやすいからね」 「君のようなせわしない男と碁を打つのは苦痛だよ。考える暇も何もありゃしない。仕方がないから、ここへ一目入れて目にしておこう」 「おやおや、とうとう生かしてしまった。惜しい事をしたね。まさかそこへは打つまいと思って、いささか駄弁を振って肝胆を砕いていたが、やッぱり駄目か」 「当り前さ。君のは打つのじゃない。ごまかすのだ」 「それが本因坊流、金田流、当世紳士流さ。――おい苦沙弥先生、さすがに独仙君は鎌倉へ行って万年漬を食っただけあって、物に動じないね。どうも敬々服々だ。碁はまずいが、度胸は据ってる」 「だから君のような度胸のない男は、少し真似をするがいい」と主人が後ろ向のままで答えるやいなや、迷亭君は大きな赤い舌をぺろりと出した。独仙君は毫も関せざるもののごとく、「さあ君の番だ」とまた相手を促した。 「君はヴァイオリンをいつ頃から始めたのかい。僕も少し習おうと思うのだが、よっぽどむずかしいものだそうだね」と東風君が寒月君に聞いている。 「うむ、一と通りなら誰にでも出来るさ」 「同じ芸術だから詩歌の趣味のあるものはやはり音楽の方でも上達が早いだろうと、ひそかに恃むところがあるんだが、どうだろう」 「いいだろう。君ならきっと上手になるよ」 「君はいつ頃から始めたのかね」 「高等学校時代さ。――先生私しのヴァイオリンを習い出した顛末をお話しした事がありましたかね」 「いいえ、まだ聞かない」 「高等学校時代に先生でもあってやり出したのかい」 「なあに先生も何もありゃしない。独習さ」 「全く天才だね」 「独習なら天才と限った事もなかろう」と寒月君はつんとする。天才と云われてつんとするのは寒月君だけだろう。 「そりゃ、どうでもいいが、どう云う風に独習したのかちょっと聞かしたまえ。参考にしたいから」 「話してもいい。先生話しましょうかね」 「ああ話したまえ」 「今では若い人がヴァイオリンの箱をさげて、よく往来などをあるいておりますが、その時分は高等学校生で西洋の音楽などをやったものはほとんどなかったのです。ことに私のおった学校は田舎の田舎で麻裏草履さえないと云うくらいな質朴な所でしたから、学校の生徒でヴァイオリンなどを弾くものはもちろん一人もありません。……」 「何だか面白い話が向うで始まったようだ。独仙君いい加減に切り上げようじゃないか」 「まだ片づかない所が二三箇所ある」 「あってもいい。大概な所なら、君に進上する」 「そう云ったって、貰う訳にも行かない」 「禅学者にも似合わん几帳面な男だ。それじゃ一気呵成にやっちまおう。――寒月君何だかよっぽど面白そうだね。――あの高等学校だろう、生徒が裸足で登校するのは……」 「そんな事はありません」 「でも、皆なはだしで兵式体操をして、廻れ右をやるんで足の皮が大変厚くなってると云う話だぜ」 「まさか。だれがそんな事を云いました」 「だれでもいいよ。そうして弁当には偉大なる握り飯を一個、夏蜜柑のように腰へぶら下げて来て、それを食うんだって云うじゃないか。食うと云うよりむしろ食いつくんだね。すると中心から梅干が一個出て来るそうだ。この梅干が出るのを楽しみに塩気のない周囲を一心不乱に食い欠いて突進するんだと云うが、なるほど元気旺盛なものだね。独仙君、君の気に入りそうな話だぜ」 「質朴剛健でたのもしい気風だ」 「まだたのもしい事がある。あすこには灰吹きがないそうだ。僕の友人があすこへ奉職をしている頃吐月峰の印のある灰吹きを買いに出たところが、吐月峰どころか、灰吹と名づくべきものが一個もない。不思議に思って、聞いて見たら、灰吹きなどは裏の藪へ行って切って来れば誰にでも出来るから、売る必要はないと澄まして答えたそうだ。これも質朴剛健の気風をあらわす美譚だろう、ねえ独仙君」 「うむ、そりゃそれでいいが、ここへ駄目を一つ入れなくちゃいけない」 「よろしい。駄目、駄目、駄目と。それで片づいた。――僕はその話を聞いて、実に驚いたね。そんなところで君がヴァイオリンを独習したのは見上げたものだ。独にして不羣なりと楚辞にあるが寒月君は全く明治の屈原だよ」 「屈原はいやですよ」 「それじゃ今世紀のウェルテルさ。――なに石を上げて勘定をしろ? やに物堅い性質だね。勘定しなくっても僕は負けてるからたしかだ」 「しかし極りがつかないから……」 「それじゃ君やってくれたまえ。僕は勘定所じゃない。一代の才人ウェルテル君がヴァイオリンを習い出した逸話を聞かなくっちゃ、先祖へ済まないから失敬する」と席をはずして、寒月君の方へすり出して来た。独仙君は丹念に白石を取っては白の穴を埋め、黒石を取っては黒の穴を埋めて、しきりに口の内で計算をしている。寒月君は話をつづける。 「土地柄がすでに土地柄だのに、私の国のものがまた非常に頑固なので、少しでも柔弱なものがおっては、他県の生徒に外聞がわるいと云って、むやみに制裁を厳重にしましたから、ずいぶん厄介でした」 「君の国の書生と来たら、本当に話せないね。元来何だって、紺の無地の袴なんぞ穿くんだい。第一あれからして乙だね。そうして塩風に吹かれつけているせいか、どうも、色が黒いね。男だからあれで済むが女があれじゃさぞかし困るだろう」と迷亭君が一人這入ると肝心の話はどっかへ飛んで行ってしまう。 「女もあの通り黒いのです」 「それでよく貰い手があるね」 「だって一国中ことごとく黒いのだから仕方がありません」 「因果だね。ねえ苦沙弥君」 「黒い方がいいだろう。生じ白いと鏡を見るたんびに己惚が出ていけない。女と云うものは始末におえない物件だからなあ」と主人は喟然として大息を洩らした。 「だって一国中ことごとく黒ければ、黒い方で己惚れはしませんか」と東風君がもっともな質問をかけた。 「ともかくも女は全然不必要な者だ」と主人が云うと、 「そんな事を云うと妻君が後でご機嫌がわるいぜ」と笑いながら迷亭先生が注意する。 「なに大丈夫だ」 「いないのかい」 「小供を連れて、さっき出掛けた」 「どうれで静かだと思った。どこへ行ったのだい」 「どこだか分らない。勝手に出てあるくのだ」 「そうして勝手に帰ってくるのかい」 「まあそうだ。君は独身でいいなあ」と云うと東風君は少々不平な顔をする。寒月君はにやにやと笑う。迷亭君は 「妻を持つとみんなそう云う気になるのさ。ねえ独仙君、君なども妻君難の方だろう」 「ええ? ちょっと待った。四六二十四、二十五、二十六、二十七と。狭いと思ったら、四十六目あるか。もう少し勝ったつもりだったが、こしらえて見ると、たった十八目の差か。――何だって?」 「君も妻君難だろうと云うのさ」 「アハハハハ別段難でもないさ。僕の妻は元来僕を愛しているのだから」 「そいつは少々失敬した。それでこそ独仙君だ」 「独仙君ばかりじゃありません。そんな例はいくらでもありますよ」と寒月君が天下の妻君に代ってちょっと弁護の労を取った。 「僕も寒月君に賛成する。僕の考では人間が絶対の域に入るには、ただ二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。夫婦の愛はその一つを代表するものだから、人間は是非結婚をして、この幸福を完うしなければ天意に背く訳だと思うんだ。――がどうでしょう先生」と東風君は相変らず真面目で迷亭君の方へ向き直った。 「御名論だ。僕などはとうてい絶対の境に這入れそうもない」 「妻を貰えばなお這入れやしない」と主人はむずかしい顔をして云った。 「ともかくも我々未婚の青年は芸術の霊気にふれて向上の一路を開拓しなければ人生の意義が分からないですから、まず手始めにヴァイオリンでも習おうと思って寒月君にさっきから経験譚をきいているのです」 「そうそう、ウェルテル君のヴァイオリン物語を拝聴するはずだったね。さあ話し給え。もう邪魔はしないから」と迷亭君がようやく鋒鋩を収めると、 「向上の一路はヴァイオリンなどで開ける者ではない。そんな遊戯三昧で宇宙の真理が知れては大変だ。這裡の消息を知ろうと思えばやはり懸崖に手を撒して、絶後に再び蘇える底の気魄がなければ駄目だ」と独仙君はもったい振って、東風君に訓戒じみた説教をしたのはよかったが、東風君は禅宗のぜの字も知らない男だから頓と感心したようすもなく 「へえ、そうかも知れませんが、やはり芸術は人間の渇仰の極致を表わしたものだと思いますから、どうしてもこれを捨てる訳には参りません」 「捨てる訳に行かなければ、お望み通り僕のヴァイオリン談をして聞かせる事にしよう、で今話す通りの次第だから僕もヴァイオリンの稽古をはじめるまでには大分苦心をしたよ。第一買うのに困りましたよ先生」 「そうだろう麻裏草履がない土地にヴァイオリンがあるはずがない」 「いえ、ある事はあるんです。金も前から用意して溜めたから差支えないのですが、どうも買えないのです」 「なぜ?」 「狭い土地だから、買っておればすぐ見つかります。見つかれば、すぐ生意気だと云うので制裁を加えられます」 「天才は昔から迫害を加えられるものだからね」と東風君は大に同情を表した。 「また天才か、どうか天才呼ばわりだけは御免蒙りたいね。それでね毎日散歩をしてヴァイオリンのある店先を通るたびにあれが買えたら好かろう、あれを手に抱えた心持ちはどんなだろう、ああ欲しい、ああ欲しいと思わない日は一日もなかったのです」 「もっともだ」と評したのは迷亭で、「妙に凝ったものだね」と解しかねたのが主人で、「やはり君、天才だよ」と敬服したのは東風君である。ただ独仙君ばかりは超然として髯を撚している。 「そんな所にどうしてヴァイオリンがあるかが第一ご不審かも知れないですが、これは考えて見ると当り前の事です。なぜと云うとこの地方でも女学校があって、女学校の生徒は課業として毎日ヴァイオリンを稽古しなければならないのですから、あるはずです。無論いいのはありません。ただヴァイオリンと云う名が辛うじてつくくらいのものであります。だから店でもあまり重きをおいていないので、二三梃いっしょに店頭へ吊るしておくのです。それがね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手が障ったりして、そら音を出す事があります。その音を聞くと急に心臓が破裂しそうな心持で、いても立ってもいられなくなるんです」 「危険だね。水癲癇、人癲癇と癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇だ」と迷亭君が冷やかすと、 「いやそのくらい感覚が鋭敏でなければ真の芸術家にはなれないですよ。どうしても天才肌だ」と東風君はいよいよ感心する。 「ええ実際癲癇かも知れませんが、しかしあの音色だけは奇体ですよ。その後今日まで随分ひきましたがあのくらい美しい音が出た事がありません。そうさ何と形容していいでしょう。とうてい言いあらわせないです」 「琳琅鏘として鳴るじゃないか」とむずかしい事を持ち出したのは独仙君であったが、誰も取り合わなかったのは気の毒である。 「私が毎日毎日店頭を散歩しているうちにとうとうこの霊異な音を三度ききました。三度目にどうあってもこれは買わなければならないと決心しました。仮令国のものから譴責されても、他県のものから軽蔑されても――よし鉄拳制裁のために絶息しても――まかり間違って退校の処分を受けても――、こればかりは買わずにいられないと思いました」 「それが天才だよ。天才でなければ、そんなに思い込める訳のものじゃない。羨しい。僕もどうかして、それほど猛烈な感じを起して見たいと年来心掛けているが、どうもいけないね。音楽会などへ行って出来るだけ熱心に聞いているが、どうもそれほどに感興が乗らない」と東風君はしきりに羨やましがっている。 「乗らない方が仕合せだよ。今でこそ平気で話すようなもののその時の苦しみはとうてい想像が出来るような種類のものではなかった。――それから先生とうとう奮発して買いました」 「ふむ、どうして」 「ちょうど十一月の天長節の前の晩でした。国のものは揃って泊りがけに温泉に行きましたから、一人もいません。私は病気だと云って、その日は学校も休んで寝ていました。今晩こそ一つ出て行って兼て望みのヴァイオリンを手に入れようと、床の中でその事ばかり考えていました」 「偽病をつかって学校まで休んだのかい」 「全くそうです」 「なるほど少し天才だね、こりゃ」と迷亭君も少々恐れ入った様子である。 「夜具の中から首を出していると、日暮れが待遠でたまりません。仕方がないから頭からもぐり込んで、眼を眠って待って見ましたが、やはり駄目です。首を出すと烈しい秋の日が、六尺の障子へ一面にあたって、かんかんするには癇癪が起りました。上の方に細長い影がかたまって、時々秋風にゆすれるのが眼につきます」 「何だい、その細長い影と云うのは」 「渋柿の皮を剥いて、軒へ吊るしておいたのです」 「ふん、それから」 「仕方がないから、床を出て障子をあけて椽側へ出て、渋柿の甘干しを一つ取って食いました」 「うまかったかい」と主人は小供みたような事を聞く。 「うまいですよ、あの辺の柿は。とうてい東京などじゃあの味はわかりませんね」 「柿はいいがそれから、どうしたい」と今度は東風君がきく。 「それからまたもぐって眼をふさいで、早く日が暮れればいいがと、ひそかに神仏に念じて見た。約三四時間も立ったと思う頃、もうよかろうと、首を出すとあにはからんや烈しい秋の日は依然として六尺の障子を照らしてかんかんする、上の方に細長い影がかたまって、ふわふわする」 「そりゃ、聞いたよ」 「何返もあるんだよ。それから床を出て、障子をあけて、甘干しの柿を一つ食って、また寝床へ這入って、早く日が暮れればいいと、ひそかに神仏に祈念をこらした」 「やっぱりもとのところじゃないか」 「まあ先生そう焦かずに聞いて下さい。それから約三四時間夜具の中で辛抱して、今度こそもうよかろうとぬっと首を出して見ると、烈しい秋の日は依然として六尺の障子へ一面にあたって、上の方に細長い影がかたまって、ふわふわしている」 「いつまで行っても同じ事じゃないか」 「それから床を出て障子を開けて、椽側へ出て甘干しの柿を一つ食って……」 「また柿を食ったのかい。どうもいつまで行っても柿ばかり食ってて際限がないね」 「私もじれったくてね」 「君より聞いてる方がよっぽどじれったいぜ」 「先生はどうも性急だから、話がしにくくって困ります」 「聞く方も少しは困るよ」と東風君も暗に不平を洩らした。 「そう諸君が御困りとある以上は仕方がない。たいていにして切り上げましょう。要するに私は甘干しの柿を食ってはもぐり、もぐっては食い、とうとう軒端に吊るした奴をみんな食ってしまいました」 「みんな食ったら日も暮れたろう」 「ところがそう行かないので、私が最後の甘干しを食って、もうよかろうと首を出して見ると、相変らず烈しい秋の日が六尺の障子へ一面にあたって……」 「僕あ、もう御免だ。いつまで行っても果てしがない」 「話す私も飽き飽きします」 「しかしそのくらい根気があればたいていの事業は成就するよ。だまってたら、あしたの朝まで秋の日がかんかんするんだろう。全体いつ頃にヴァイオリンを買う気なんだい」とさすがの迷亭君も少し辛抱し切れなくなったと見える。ただ独仙君のみは泰然として、あしたの朝まででも、あさっての朝まででも、いくら秋の日がかんかんしても動ずる気色はさらにない。寒月君も落ちつき払ったもので 「いつ買う気だとおっしゃるが、晩になりさえすれば、すぐ買いに出掛けるつもりなのです。ただ残念な事には、いつ頭を出して見ても秋の日がかんかんしているものですから――いえその時の私しの苦しみと云ったら、とうてい今あなた方の御じれになるどころの騒ぎじゃないです。私は最後の甘干を食っても、まだ日が暮れないのを見て、然として思わず泣きました。東風君、僕は実に情けなくって泣いたよ」 「そうだろう、芸術家は本来多情多恨だから、泣いた事には同情するが、話はもっと早く進行させたいものだね」と東風君は人がいいから、どこまでも真面目で滑稽な挨拶をしている。 「進行させたいのは山々だが、どうしても日が暮れてくれないものだから困るのさ」 「そう日が暮れなくちゃ聞く方も困るからやめよう」と主人がとうとう我慢がし切れなくなったと見えて云い出した。 「やめちゃなお困ります。これからがいよいよ佳境に入るところですから」 「それじゃ聞くから、早く日が暮れた事にしたらよかろう」 「では、少しご無理なご注文ですが、先生の事ですから、枉げて、ここは日が暮れた事に致しましょう」 「それは好都合だ」と独仙君が澄まして述べられたので一同は思わずどっと噴き出した。 「いよいよ夜に入ったので、まず安心とほっと一息ついて鞍懸村の下宿を出ました。私は性来騒々しい所が嫌ですから、わざと便利な市内を避けて、人迹稀な寒村の百姓家にしばらく蝸牛の庵を結んでいたのです……」 「人迹の稀なはあんまり大袈裟だね」と主人が抗議を申し込むと「蝸牛の庵も仰山だよ。床の間なしの四畳半くらいにしておく方が写生的で面白い」と迷亭君も苦情を持ち出した。東風君だけは「事実はどうでも言語が詩的で感じがいい」と褒めた。独仙君は真面目な顔で「そんな所に住んでいては学校へ通うのが大変だろう。何里くらいあるんですか」と聞いた。 「学校まではたった四五丁です。元来学校からして寒村にあるんですから……」 「それじゃ学生はその辺にだいぶ宿をとってるんでしょう」と独仙君はなかなか承知しない。 「ええ、たいていな百姓家には一人や二人は必ずいます」 「それで人迹稀なんですか」と正面攻撃を喰わせる。 「ええ学校がなかったら、全く人迹は稀ですよ。……で当夜の服装と云うと、手織木綿の綿入の上へ金釦の制服外套を着て、外套の頭巾をすぽりと被ってなるべく人の目につかないような注意をしました。折柄柿落葉の時節で宿から南郷街道へ出るまでは木の葉で路が一杯です。一歩運ぶごとにがさがさするのが気にかかります。誰かあとをつけて来そうでたまりません。振り向いて見ると東嶺寺の森がこんもりと黒く、暗い中に暗く写っています。この東嶺寺と云うのは松平家の菩提所で、庚申山の麓にあって、私の宿とは一丁くらいしか隔っていない、すこぶる幽邃な梵刹です。森から上はのべつ幕なしの星月夜で、例の天の河が長瀬川を筋違に横切って末は――末は、そうですね、まず布哇の方へ流れています……」 「布哇は突飛だね」と迷亭君が云った。 「南郷街道をついに二丁来て、鷹台町から市内に這入って、古城町を通って、仙石町を曲って、喰代町を横に見て、通町を一丁目、二丁目、三丁目と順に通り越して、それから尾張町、名古屋町、鯱鉾町、蒲鉾町……」 「そんなにいろいろな町を通らなくてもいい。要するにヴァイオリンを買ったのか、買わないのか」と主人がじれったそうに聞く。 「楽器のある店は金善即ち金子善兵衛方ですから、まだなかなかです」 「なかなかでもいいから早く買うがいい」 「かしこまりました。それで金善方へ来て見ると、店にはランプがかんかんともって……」 「またかんかんか、君のかんかんは一度や二度で済まないんだから難渋するよ」と今度は迷亭が予防線を張った。 「いえ、今度のかんかんは、ほんの通り一返のかんかんですから、別段御心配には及びません。……灯影にすかして見ると例のヴァイオリンが、ほのかに秋の灯を反射して、くり込んだ胴の丸みに冷たい光を帯びています。つよく張った琴線の一部だけがきらきらと白く眼に映ります。……」 「なかなか叙述がうまいや」と東風君がほめた。 「あれだな。あのヴァイオリンだなと思うと、急に動悸がして足がふらふらします……」 「ふふん」と独仙君が鼻で笑った。 「思わず馳け込んで、隠袋から蝦蟇口を出して、蝦蟇口の中から五円札を二枚出して……」 「とうとう買ったかい」と主人がきく。 「買おうと思いましたが、まてしばし、ここが肝心のところだ。滅多な事をしては失敗する。まあよそうと、際どいところで思い留まりました」 「なんだ、まだ買わないのかい。ヴァイオリン一梃でなかなか人を引っ張るじゃないか」 「引っ張る訳じゃないんですが、どうも、まだ買えないんですから仕方がありません」 「なぜ」 「なぜって、まだ宵の口で人が大勢通るんですもの」 「構わんじゃないか、人が二百や三百通ったって、君はよっぽど妙な男だ」と主人はぷんぷんしている。 「ただの人なら千が二千でも構いませんがね、学校の生徒が腕まくりをして、大きなステッキを持って徘徊しているんだから容易に手を出せませんよ。中には沈澱党などと号して、いつまでもクラスの底に溜まって喜んでるのがありますからね。そんなのに限って柔道は強いのですよ。滅多にヴァイオリンなどに手出しは出来ません。どんな目に逢うかわかりません。私だってヴァイオリンは欲しいに相違ないですけれども、命はこれでも惜しいですからね。ヴァイオリンを弾いて殺されるよりも、弾かずに生きてる方が楽ですよ」 「それじゃ、とうとう買わずにやめたんだね」と主人が念を押す。 「いえ、買ったのです」 「じれったい男だな。買うなら早く買うさ。いやならいやでいいから、早くかたをつけたらよさそうなものだ」 「えへへへへ、世の中の事はそう、こっちの思うように埒があくもんじゃありませんよ」と云いながら寒月君は冷然と「朝日」へ火をつけてふかし出した。  主人は面倒になったと見えて、ついと立って書斎へ這入ったと思ったら、何だか古ぼけた洋書を一冊持ち出して来て、ごろりと腹這になって読み始めた。独仙君はいつの間にやら、床の間の前へ退去して、独りで碁石を並べて一人相撲をとっている。せっかくの逸話もあまり長くかかるので聴手が一人減り二人減って、残るは芸術に忠実なる東風君と、長い事にかつて辟易した事のない迷亭先生のみとなる。  長い煙をふうと世の中へ遠慮なく吹き出した寒月君は、やがて前同様の速度をもって談話をつづける。 「東風君、僕はその時こう思ったね。とうていこりゃ宵の口は駄目だ、と云って真夜中に来れば金善は寝てしまうからなお駄目だ。何でも学校の生徒が散歩から帰りつくして、そうして金善がまだ寝ない時を見計らって来なければ、せっかくの計画が水泡に帰する。けれどもその時間をうまく見計うのがむずかしい」 「なるほどこりゃむずかしかろう」 「で僕はその時間をまあ十時頃と見積ったね。それで今から十時頃までどこかで暮さなければならない。うちへ帰って出直すのは大変だ。友達のうちへ話しに行くのは何だか気が咎めるようで面白くなし、仕方がないから相当の時間がくるまで市中を散歩する事にした。ところが平生ならば二時間や三時間はぶらぶらあるいているうちに、いつの間にか経ってしまうのだがその夜に限って、時間のたつのが遅いの何のって、――千秋の思とはあんな事を云うのだろうと、しみじみ感じました」とさも感じたらしい風をしてわざと迷亭先生の方を向く。 「古人を待つ身につらき置炬燵と云われた事があるからね、また待たるる身より待つ身はつらいともあって軒に吊られたヴァイオリンもつらかったろうが、あてのない探偵のようにうろうろ、まごついている君はなおさらつらいだろう。累々として喪家の犬のごとし。いや宿のない犬ほど気の毒なものは実際ないよ」 「犬は残酷ですね。犬に比較された事はこれでもまだありませんよ」 「僕は何だか君の話をきくと、昔しの芸術家の伝を読むような気持がして同情の念に堪えない。犬に比較したのは先生の冗談だから気に掛けずに話を進行したまえ」と東風君は慰藉した。慰藉されなくても寒月君は無論話をつづけるつもりである。 「それから徒町から百騎町を通って、両替町から鷹匠町へ出て、県庁の前で枯柳の数を勘定して病院の横で窓の灯を計算して、紺屋橋の上で巻煙草を二本ふかして、そうして時計を見た。……」 「十時になったかい」 「惜しい事にならないね。――紺屋橋を渡り切って川添に東へ上って行くと、按摩に三人あった。そうして犬がしきりに吠えましたよ先生……」 「秋の夜長に川端で犬の遠吠をきくのはちょっと芝居がかりだね。君は落人と云う格だ」 「何かわるい事でもしたんですか」 「これからしようと云うところさ」 「可哀相にヴァイオリンを買うのが悪い事じゃ、音楽学校の生徒はみんな罪人ですよ」 「人が認めない事をすれば、どんないい事をしても罪人さ、だから世の中に罪人ほどあてにならないものはない。耶蘇もあんな世に生れれば罪人さ。好男子寒月君もそんな所でヴァイオリンを買えば罪人さ」 「それじゃ負けて罪人としておきましょう。罪人はいいですが十時にならないのには弱りました」 「もう一返、町の名を勘定するさ。それで足りなければまた秋の日をかんかんさせるさ。それでもおっつかなければまた甘干しの渋柿を三ダースも食うさ。いつまでも聞くから十時になるまでやりたまえ」  寒月先生はにやにやと笑った。 「そう先を越されては降参するよりほかはありません。それじゃ一足飛びに十時にしてしまいましょう。さて御約束の十時になって金善の前へ来て見ると、夜寒の頃ですから、さすが目貫の両替町もほとんど人通りが絶えて、向からくる下駄の音さえ淋しい心持ちです。金善ではもう大戸をたてて、わずかに潜り戸だけを障子にしています。私は何となく犬に尾けられたような心持で、障子をあけて這入るのに少々薄気味がわるかったです……」  この時主人はきたならしい本からちょっと眼をはずして、「おいもうヴァイオリンを買ったかい」と聞いた。「これから買うところです」と東風君が答えると「まだ買わないのか、実に永いな」と独り言のように云ってまた本を読み出した。独仙君は無言のまま、白と黒で碁盤を大半埋めてしまった。 「思い切って飛び込んで、頭巾を被ったままヴァイオリンをくれと云いますと、火鉢の周囲に四五人小僧や若僧がかたまって話をしていたのが驚いて、申し合せたように私の顔を見ました。私は思わず右の手を挙げて頭巾をぐいと前の方に引きました。おいヴァイオリンをくれと二度目に云うと、一番前にいて、私の顔を覗き込むようにしていた小僧がへえと覚束ない返事をして、立ち上がって例の店先に吊るしてあったのを三四梃一度に卸して来ました。いくらかと聞くと五円二十銭だと云います……」 「おいそんな安いヴァイオリンがあるのかい。おもちゃじゃないか」 「みんな同価かと聞くと、へえ、どれでも変りはございません。みんな丈夫に念を入れて拵らえてございますと云いますから、蝦蟇口のなかから五円札と銀貨を二十銭出して用意の大風呂敷を出してヴァイオリンを包みました。この間、店のものは話を中止してじっと私の顔を見ています。顔は頭巾でかくしてあるから分る気遣はないのですけれども何だか気がせいて一刻も早く往来へ出たくて堪りません。ようやくの事風呂敷包を外套の下へ入れて、店を出たら、番頭が声を揃えてありがとうと大きな声を出したのにはひやっとしました。往来へ出てちょっと見廻して見ると、幸誰もいないようですが、一丁ばかり向から二三人して町内中に響けとばかり詩吟をして来ます。こいつは大変だと金善の角を西へ折れて濠端を薬王師道へ出て、はんの木村から庚申山の裾へ出てようやく下宿へ帰りました。下宿へ帰って見たらもう二時十分前でした」 「夜通しあるいていたようなものだね」と東風君が気の毒そうに云うと「やっと上がった。やれやれ長い道中双六だ」と迷亭君はほっと一と息ついた。 「これからが聞きどころですよ。今までは単に序幕です」 「まだあるのかい。こいつは容易な事じゃない。たいていのものは君に逢っちゃ根気負けをするね」 「根気はとにかく、ここでやめちゃ仏作って魂入れずと一般ですから、もう少し話します」 「話すのは無論随意さ。聞く事は聞くよ」 「どうです苦沙弥先生も御聞きになっては。もうヴァイオリンは買ってしまいましたよ。ええ先生」 「こん度はヴァイオリンを売るところかい。売るところなんか聞かなくってもいい」 「まだ売るどこじゃありません」 「そんならなお聞かなくてもいい」 「どうも困るな、東風君、君だけだね、熱心に聞いてくれるのは。少し張合が抜けるがまあ仕方がない、ざっと話してしまおう」 「ざっとでなくてもいいから緩くり話したまえ。大変面白い」 「ヴァイオリンはようやくの思で手に入れたが、まず第一に困ったのは置き所だね。僕の所へは大分人が遊びにくるから滅多な所へぶらさげたり、立て懸けたりするとすぐ露見してしまう。穴を掘って埋めちゃ掘り出すのが面倒だろう」 「そうさ、天井裏へでも隠したかい」と東風君は気楽な事を云う。 「天井はないさ。百姓家だもの」 「そりゃ困ったろう。どこへ入れたい」 「どこへ入れたと思う」 「わからないね。戸袋のなかか」 「いいえ」 「夜具にくるんで戸棚へしまったか」 「いいえ」  東風君と寒月君はヴァイオリンの隠れ家についてかくのごとく問答をしているうちに、主人と迷亭君も何かしきりに話している。 「こりゃ何と読むのだい」と主人が聞く。 「どれ」 「この二行さ」 「何だって? Quid aliud est mulier nisi amiciti[#「amiciti」は底本では「amiticiae」] inimica……こりゃ君羅甸語じゃないか」 「羅甸語は分ってるが、何と読むのだい」 「だって君は平生羅甸語が読めると云ってるじゃないか」と迷亭君も危険だと見て取って、ちょっと逃げた。 「無論読めるさ。読める事は読めるが、こりゃ何だい」 「読める事は読めるが、こりゃ何だは手ひどいね」 「何でもいいからちょっと英語に訳して見ろ」 「見ろは烈しいね。まるで従卒のようだね」 「従卒でもいいから何だ」 「まあ羅甸語などはあとにして、ちょっと寒月君のご高話を拝聴仕ろうじゃないか。今大変なところだよ。いよいよ露見するか、しないか危機一髪と云う安宅の関へかかってるんだ。――ねえ寒月君それからどうしたい」と急に乗気になって、またヴァイオリンの仲間入りをする。主人は情けなくも取り残された。寒月君はこれに勢を得て隠し所を説明する。 「とうとう古つづらの中へ隠しました。このつづらは国を出る時御祖母さんが餞別にくれたものですが、何でも御祖母さんが嫁にくる時持って来たものだそうです」 「そいつは古物だね。ヴァイオリンとは少し調和しないようだ。ねえ東風君」 「ええ、ちと調和せんです」 「天井裏だって調和しないじゃないか」と寒月君は東風先生をやり込めた。 「調和はしないが、句にはなるよ、安心し給え。秋淋しつづらにかくすヴァイオリンはどうだい、両君」 「先生今日は大分俳句が出来ますね」 「今日に限った事じゃない。いつでも腹の中で出来てるのさ。僕の俳句における造詣と云ったら、故子規子も舌を捲いて驚ろいたくらいのものさ」 「先生、子規さんとは御つき合でしたか」と正直な東風君は真率な質問をかける。 「なにつき合わなくっても始終無線電信で肝胆相照らしていたもんだ」と無茶苦茶を云うので、東風先生あきれて黙ってしまった。寒月君は笑いながらまた進行する。 「それで置き所だけは出来た訳だが、今度は出すのに困った。ただ出すだけなら人目を掠めて眺めるくらいはやれん事はないが、眺めたばかりじゃ何にもならない。弾かなければ役に立たない。弾けば音が出る。出ればすぐ露見する。ちょうど木槿垣を一重隔てて南隣りは沈澱組の頭領が下宿しているんだから剣呑だあね」 「困るね」と東風君が気の毒そうに調子を合わせる。 「なるほど、こりゃ困る。論より証拠音が出るんだから、小督の局も全くこれでしくじったんだからね。これがぬすみ食をするとか、贋札を造るとか云うなら、まだ始末がいいが、音曲は人に隠しちゃ出来ないものだからね」 「音さえ出なければどうでも出来るんですが……」 「ちょっと待った。音さえ出なけりゃと云うが、音が出なくても隠し了せないのがあるよ。昔し僕等が小石川の御寺で自炊をしている時分に鈴木の藤さんと云う人がいてね、この藤さんが大変味淋がすきで、ビールの徳利へ味淋を買って来ては一人で楽しみに飲んでいたのさ。ある日藤さんが散歩に出たあとで、よせばいいのに苦沙弥君がちょっと盗んで飲んだところが……」 「おれが鈴木の味淋などをのむものか、飲んだのは君だぜ」と主人は突然大きな声を出した。 「おや本を読んでるから大丈夫かと思ったら、やはり聞いてるね。油断の出来ない男だ。耳も八丁、目も八丁とは君の事だ。なるほど云われて見ると僕も飲んだ。僕も飲んだには相違ないが、発覚したのは君の方だよ。――両君まあ聞きたまえ。苦沙弥先生元来酒は飲めないのだよ。ところを人の味淋だと思って一生懸命に飲んだものだから、さあ大変、顔中真赤にはれ上ってね。いやもう二目とは見られないありさまさ……」 「黙っていろ。羅甸語も読めない癖に」 「ハハハハ、それで藤さんが帰って来てビールの徳利をふって見ると、半分以上足りない。何でも誰か飲んだに相違ないと云うので見廻して見ると、大将隅の方に朱泥を練りかためた人形のようにかたくなっていらあね……」  三人は思わず哄然と笑い出した。主人も本をよみながら、くすくすと笑った。独り独仙君に至っては機外の機を弄し過ぎて、少々疲労したと見えて、碁盤の上へのしかかって、いつの間にやら、ぐうぐう寝ている。 「まだ音がしないもので露見した事がある。僕が昔し姥子の温泉に行って、一人のじじいと相宿になった事がある。何でも東京の呉服屋の隠居か何かだったがね。まあ相宿だから呉服屋だろうが、古着屋だろうが構う事はないが、ただ困った事が一つ出来てしまった。と云うのは僕は姥子へ着いてから三日目に煙草を切らしてしまったのさ。諸君も知ってるだろうが、あの姥子と云うのは山の中の一軒屋でただ温泉に這入って飯を食うよりほかにどうもこうも仕様のない不便の所さ。そこで煙草を切らしたのだから御難だね。物はないとなるとなお欲しくなるもので、煙草がないなと思うやいなや、いつもそんなでないのが急に呑みたくなり出してね。意地のわるい事に、そのじじいが風呂敷に一杯煙草を用意して登山しているのさ。それを少しずつ出しては、人の前で胡坐をかいて呑みたいだろうと云わないばかりに、すぱすぱふかすのだね。ただふかすだけなら勘弁のしようもあるが、しまいには煙を輪に吹いて見たり、竪に吹いたり、横に吹いたり、乃至は邯鄲夢の枕と逆に吹いたり、または鼻から獅子の洞入り、洞返りに吹いたり。つまり呑みびらかすんだね……」 「何です、呑みびらかすと云うのは」 「衣装道具なら見せびらかすのだが、煙草だから呑みびらかすのさ」 「へえ、そんな苦しい思いをなさるより貰ったらいいでしょう」 「ところが貰わないね。僕も男子だ」 「へえ、貰っちゃいけないんですか」 「いけるかも知れないが、貰わないね」 「それでどうしました」 「貰わないで偸んだ」 「おやおや」 「奴さん手拭をぶらさげて湯に出掛けたから、呑むならここだと思って一心不乱立てつづけに呑んで、ああ愉快だと思う間もなく、障子がからりとあいたから、おやと振り返ると煙草の持ち主さ」 「湯には這入らなかったのですか」 「這入ろうと思ったら巾着を忘れたのに気がついて、廊下から引き返したんだ。人が巾着でもとりゃしまいし第一それからが失敬さ」 「何とも云えませんね。煙草の御手際じゃ」 「ハハハハじじいもなかなか眼識があるよ。巾着はとにかくだが、じいさんが障子をあけると二日間の溜め呑みをやった煙草の煙りがむっとするほど室のなかに籠ってるじゃないか、悪事千里とはよく云ったものだね。たちまち露見してしまった」 「じいさん何とかいいましたか」 「さすが年の功だね、何にも言わずに巻煙草を五六十本半紙にくるんで、失礼ですが、こんな粗葉でよろしければどうぞお呑み下さいましと云って、また湯壺へ下りて行ったよ」 「そんなのが江戸趣味と云うのでしょうか」 「江戸趣味だか、呉服屋趣味だか知らないが、それから僕は爺さんと大に肝胆相照らして、二週間の間面白く逗留して帰って来たよ」 「煙草は二週間中爺さんの御馳走になったんですか」 「まあそんなところだね」 「もうヴァイオリンは片ついたかい」と主人はようやく本を伏せて、起き上りながらついに降参を申し込んだ。 「まだです。これからが面白いところです、ちょうどいい時ですから聞いて下さい。ついでにあの碁盤の上で昼寝をしている先生――何とか云いましたね、え、独仙先生、――独仙先生にも聞いていただきたいな。どうですあんなに寝ちゃ、からだに毒ですぜ。もう起してもいいでしょう」 「おい、独仙君、起きた起きた。面白い話がある。起きるんだよ。そう寝ちゃ毒だとさ。奥さんが心配だとさ」 「え」と云いながら顔を上げた独仙君の山羊髯を伝わって垂涎が一筋長々と流れて、蝸牛の這った迹のように歴然と光っている。 「ああ、眠かった。山上の白雲わが懶きに似たりか。ああ、いい心持ちに寝たよ」 「寝たのはみんなが認めているのだがね。ちっと起きちゃどうだい」 「もう、起きてもいいね。何か面白い話があるかい」 「これからいよいよヴァイオリンを――どうするんだったかな、苦沙弥君」 「どうするのかな、とんと見当がつかない」 「これからいよいよ弾くところです」 「これからいよいよヴァイオリンを弾くところだよ。こっちへ出て来て、聞きたまえ」 「まだヴァイオリンかい。困ったな」 「君は無絃の素琴を弾ずる連中だから困らない方なんだが、寒月君のは、きいきいぴいぴい近所合壁へ聞えるのだから大に困ってるところだ」 「そうかい。寒月君近所へ聞えないようにヴァイオリンを弾く方を知らんですか」 「知りませんね、あるなら伺いたいもので」 「伺わなくても露地の白牛を見ればすぐ分るはずだが」と、何だか通じない事を云う。寒月君はねぼけてあんな珍語を弄するのだろうと鑑定したから、わざと相手にならないで話頭を進めた。 「ようやくの事で一策を案出しました。あくる日は天長節だから、朝からうちにいて、つづらの蓋をとって見たり、かぶせて見たり一日そわそわして暮らしてしまいましたがいよいよ日が暮れて、つづらの底でが鳴き出した時思い切って例のヴァイオリンと弓を取り出しました」 「いよいよ出たね」と東風君が云うと「滅多に弾くとあぶないよ」と迷亭君が注意した。 「まず弓を取って、切先から鍔元までしらべて見る……」 「下手な刀屋じゃあるまいし」と迷亭君が冷評した。 「実際これが自分の魂だと思うと、侍が研ぎ澄した名刀を、長夜の灯影で鞘払をする時のような心持ちがするものですよ。私は弓を持ったままぶるぶるとふるえました」 「全く天才だ」と云う東風君について「全く癲癇だ」と迷亭君がつけた。主人は「早く弾いたらよかろう」と云う。独仙君は困ったものだと云う顔付をする。 「ありがたい事に弓は無難です。今度はヴァイオリンを同じくランプの傍へ引き付けて、裏表共よくしらべて見る。この間約五分間、つづらの底では始終が鳴いていると思って下さい。……」 「何とでも思ってやるから安心して弾くがいい」 「まだ弾きゃしません。――幸いヴァイオリンも疵がない。これなら大丈夫とぬっくと立ち上がる……」 「どっかへ行くのかい」 「まあ少し黙って聞いて下さい。そう一句毎に邪魔をされちゃ話が出来ない。……」 「おい諸君、だまるんだとさ。シーシー」 「しゃべるのは君だけだぜ」 「うん、そうか、これは失敬、謹聴謹聴」 「ヴァイオリンを小脇に抱い込んで、草履を突かけたまま二三歩草の戸を出たが、まてしばし……」 「そらおいでなすった。何でも、どっかで停電するに違ないと思った」 「もう帰ったって甘干しの柿はないぜ」 「そう諸先生が御まぜ返しになってははなはだ遺憾の至りだが、東風君一人を相手にするより致し方がない。――いいかね東風君、二三歩出たがまた引き返して、国を出るとき三円二十銭で買った赤毛布を頭から被ってね、ふっとランプを消すと君真暗闇になって今度は草履の所在地が判然しなくなった」 「一体どこへ行くんだい」 「まあ聞いてたまい。ようやくの事草履を見つけて、表へ出ると星月夜に柿落葉、赤毛布にヴァイオリン。右へ右へと爪先上りに庚申山へ差しかかってくると、東嶺寺の鐘がボーンと毛布を通して、耳を通して、頭の中へ響き渡った。何時だと思う、君」 「知らないね」 「九時だよ。これから秋の夜長をたった一人、山道八丁を大平と云う所まで登るのだが、平生なら臆病な僕の事だから、恐しくってたまらないところだけれども、一心不乱となると不思議なもので、怖いにも怖くないにも、毛頭そんな念はてんで心の中に起らないよ。ただヴァイオリンが弾きたいばかりで胸が一杯になってるんだから妙なものさ。この大平と云う所は庚申山の南側で天気のいい日に登って見ると赤松の間から城下が一目に見下せる眺望佳絶の平地で――そうさ広さはまあ百坪もあろうかね、真中に八畳敷ほどな一枚岩があって、北側は鵜の沼と云う池つづきで、池のまわりは三抱えもあろうと云う樟ばかりだ。山のなかだから、人の住んでる所は樟脳を採る小屋が一軒あるばかり、池の近辺は昼でもあまり心持ちのいい場所じゃない。幸い工兵が演習のため道を切り開いてくれたから、登るのに骨は折れない。ようやく一枚岩の上へ来て、毛布を敷いて、ともかくもその上へ坐った。こんな寒い晩に登ったのは始めてなんだから、岩の上へ坐って少し落ち着くと、あたりの淋しさが次第次第に腹の底へ沁み渡る。こう云う場合に人の心を乱すものはただ怖いと云う感じばかりだから、この感じさえ引き抜くと、余るところは皎々冽々たる空霊の気だけになる。二十分ほど茫然としているうちに何だか水晶で造った御殿のなかに、たった一人住んでるような気になった。しかもその一人住んでる僕のからだが――いやからだばかりじゃない、心も魂もことごとく寒天か何かで製造されたごとく、不思議に透き徹ってしまって、自分が水晶の御殿の中にいるのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだか、わからなくなって来た……」 「飛んだ事になって来たね」と迷亭君が真面目にからかうあとに付いて、独仙君が「面白い境界だ」と少しく感心したようすに見えた。 「もしこの状態が長くつづいたら、私はあすの朝まで、せっかくのヴァイオリンも弾かずに、茫やり一枚岩の上に坐ってたかも知れないです……」 「狐でもいる所かい」と東風君がきいた。 「こう云う具合で、自他の区別もなくなって、生きているか死んでいるか方角のつかない時に、突然後ろの古沼の奥でギャーと云う声がした。……」 「いよいよ出たね」 「その声が遠く反響を起して満山の秋の梢を、野分と共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った……」 「やっと安心した」と迷亭君が胸を撫でおろす真似をする。 「大死一番乾坤新なり」と独仙君は目くばせをする。寒月君にはちっとも通じない。 「それから、我に帰ってあたりを見廻わすと、庚申山一面はしんとして、雨垂れほどの音もしない。はてな今の音は何だろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大き過ぎるし、猿の声にしては――この辺によもや猿はおるまい。何だろう? 何だろうと云う問題が頭のなかに起ると、これを解釈しようと云うので今まで静まり返っていたやからが、紛然雑然糅然としてあたかもコンノート殿下歓迎の当時における都人士狂乱の態度を以て脳裏をかけ廻る。そのうちに総身の毛穴が急にあいて、焼酎を吹きかけた毛脛のように、勇気、胆力、分別、沈着などと号するお客様がすうすうと蒸発して行く。心臓が肋骨の下でステテコを踊り出す。両足が紙鳶のうなりのように震動をはじめる。これはたまらん。いきなり、毛布を頭からかぶって、ヴァイオリンを小脇に掻い込んでひょろひょろと一枚岩を飛び下りて、一目散に山道八丁を麓の方へかけ下りて、宿へ帰って布団へくるまって寝てしまった。今考えてもあんな気味のわるかった事はないよ、東風君」 「それから」 「それでおしまいさ」 「ヴァイオリンは弾かないのかい」 「弾きたくっても、弾かれないじゃないか。ギャーだもの。君だってきっと弾かれないよ」 「何だか君の話は物足りないような気がする」 「気がしても事実だよ。どうです先生」と寒月君は一座を見廻わして大得意のようすである。 「ハハハハこれは上出来。そこまで持って行くにはだいぶ苦心惨憺たるものがあったのだろう。僕は男子のサンドラ・ベロニが東方君子の邦に出現するところかと思って、今が今まで真面目に拝聴していたんだよ」と云った迷亭君は誰かサンドラ・ベロニの講釈でも聞くかと思のほか、何にも質問が出ないので「サンドラ・ベロニが月下に竪琴を弾いて、以太利亜風の歌を森の中でうたってるところは、君の庚申山へヴァイオリンをかかえて上るところと同曲にして異巧なるものだね。惜しい事に向うは月中の嫦娥を驚ろかし、君は古沼の怪狸におどろかされたので、際どいところで滑稽と崇高の大差を来たした。さぞ遺憾だろう」と一人で説明すると、 「そんなに遺憾ではありません」と寒月君は存外平気である。 「全体山の上でヴァイオリンを弾こうなんて、ハイカラをやるから、おどかされるんだ」と今度は主人が酷評を加えると、 「好漢この鬼窟裏に向って生計を営む。惜しい事だ」と独仙君は嘆息した。すべて独仙君の云う事は決して寒月君にわかったためしがない。寒月君ばかりではない、おそらく誰にでもわからないだろう。 「そりゃ、そうと寒月君、近頃でも矢張り学校へ行って珠ばかり磨いてるのかね」と迷亭先生はしばらくして話頭を転じた。 「いえ、こないだうちから国へ帰省していたもんですから、暫時中止の姿です。珠ももうあきましたから、実はよそうかと思ってるんです」 「だって珠が磨けないと博士にはなれんぜ」と主人は少しく眉をひそめたが、本人は存外気楽で、 「博士ですか、エヘヘヘヘ。博士ならもうならなくってもいいんです」 「でも結婚が延びて、双方困るだろう」 「結婚って誰の結婚です」 「君のさ」 「私が誰と結婚するんです」 「金田の令嬢さ」 「へええ」 「へえって、あれほど約束があるじゃないか」 「約束なんかありゃしません、そんな事を言い触らすなあ、向うの勝手です」 「こいつは少し乱暴だ。ねえ迷亭、君もあの一件は知ってるだろう」 「あの一件た、鼻事件かい。あの事件なら、君と僕が知ってるばかりじゃない、公然の秘密として天下一般に知れ渡ってる。現に万朝なぞでは花聟花嫁と云う表題で両君の写真を紙上に掲ぐるの栄はいつだろう、いつだろうって、うるさく僕のところへ聞きにくるくらいだ。東風君なぞはすでに鴛鴦歌と云う一大長篇を作って、三箇月前から待ってるんだが、寒月君が博士にならないばかりで、せっかくの傑作も宝の持ち腐れになりそうで心配でたまらないそうだ。ねえ、東風君そうだろう」 「まだ心配するほど持ちあつかってはいませんが、とにかく満腹の同情をこめた作を公けにするつもりです」 「それ見たまえ、君が博士になるかならないかで、四方八方へ飛んだ影響が及んでくるよ。少ししっかりして、珠を磨いてくれたまえ」 「へへへへいろいろ御心配をかけて済みませんが、もう博士にはならないでもいいのです」 「なぜ」 「なぜって、私にはもう歴然とした女房があるんです」 「いや、こりゃえらい。いつの間に秘密結婚をやったのかね。油断のならない世の中だ。苦沙弥さんただ今御聞き及びの通り寒月君はすでに妻子があるんだとさ」 「子供はまだですよ。そう結婚して一と月もたたないうちに子供が生れちゃ事でさあ」 「元来いつどこで結婚したんだ」と主人は予審判事見たような質問をかける。 「いつって、国へ帰ったら、ちゃんと、うちで待ってたのです。今日先生の所へ持って来た、この鰹節は結婚祝に親類から貰ったんです」 「たった三本祝うのはけちだな」 「なに沢山のうちを三本だけ持って来たのです」 「じゃ御国の女だね、やっぱり色が黒いんだね」 「ええ、真黒です。ちょうど私には相当です」 「それで金田の方はどうする気だい」 「どうする気でもありません」 「そりゃ少し義理がわるかろう。ねえ迷亭」 「わるくもないさ。ほかへやりゃ同じ事だ。どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをするようなものだ。要するに鉢合せをしないでもすむところをわざわざ鉢合せるんだから余計な事さ。すでに余計な事なら誰と誰の鉢が合ったって構いっこないよ。ただ気の毒なのは鴛鴦歌を作った東風君くらいなものさ」 「なに鴛鴦歌は都合によって、こちらへ向け易えてもよろしゅうございます。金田家の結婚式にはまた別に作りますから」 「さすが詩人だけあって自由自在なものだね」 「金田の方へ断わったかい」と主人はまだ金田を気にしている。 「いいえ。断わる訳がありません。私の方でくれとも、貰いたいとも、先方へ申し込んだ事はありませんから、黙っていれば沢山です。――なあに黙ってても沢山ですよ。今時分は探偵が十人も二十人もかかって一部始終残らず知れていますよ」  探偵と云う言語を聞いた、主人は、急に苦い顔をして 「ふん、そんなら黙っていろ」と申し渡したが、それでも飽き足らなかったと見えて、なお探偵について下のような事をさも大議論のように述べられた。 「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を偸むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風上に置けるものではない。そんな奴の云う事を聞くと癖になる。決して負けるな」 「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整えて襲撃したって怖くはありません。珠磨りの名人理学士水島寒月でさあ」 「ひやひや見上げたものだ。さすが新婚学士ほどあって元気旺盛なものだね。しかし苦沙弥さん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、その探偵を使う金田君のごときものは何の同類だろう」 「熊坂長範くらいなものだろう」 「熊坂はよかったね。一つと見えたる長範が二つになってぞ失せにけりと云うが、あんな烏金で身代をつくった向横丁の長範なんかは業つく張りの、慾張り屋だから、いくつになっても失せる気遣はないぜ。あんな奴につかまったら因果だよ。生涯たたるよ、寒月君用心したまえ」 「なあに、いいですよ。ああら物々し盗人よ。手並はさきにも知りつらん。それにも懲りず打ち入るかって、ひどい目に合せてやりまさあ」と寒月君は自若として宝生流に気を吐いて見せる。 「探偵と云えば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳だろう」と独仙君は独仙君だけに時局問題には関係のない超然たる質問を呈出した。 「物価が高いせいでしょう」と寒月君が答える。 「芸術趣味を解しないからでしょう」と東風君が答える。 「人間に文明の角が生えて、金米糖のようにいらいらするからさ」と迷亭君が答える。  今度は主人の番である。主人はもったい振った口調で、こんな議論を始めた。 「それは僕が大分考えた事だ。僕の解釈によると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強過ぎるのが原因になっている。僕の自覚心と名づけるのは独仙君の方で云う、見性成仏とか、自己は天地と同一体だとか云う悟道の類ではない。……」 「おや大分むずかしくなって来たようだ。苦沙弥君、君にしてそんな大議論を舌頭に弄する以上は、かく申す迷亭も憚りながら御あとで現代の文明に対する不平を堂々と云うよ」 「勝手に云うがいい、云う事もない癖に」 「ところがある。大にある。君なぞはせんだっては刑事巡査を神のごとく敬い、また今日は探偵をスリ泥棒に比し、まるで矛盾の変怪だが、僕などは終始一貫父母未生以前からただ今に至るまで、かつて自説を変じた事のない男だ」 「刑事は刑事だ。探偵は探偵だ。せんだってはせんだってで今日は今日だ。自説が変らないのは発達しない証拠だ。下愚は移らずと云うのは君の事だ。……」 「これはきびしい。探偵もそうまともにくると可愛いところがある」 「おれが探偵」 「探偵でないから、正直でいいと云うのだよ。喧嘩はおやめおやめ。さあ。その大議論のあとを拝聴しよう」 「今の人の自覚心と云うのは自己と他人の間に截然たる利害の鴻溝があると云う事を知り過ぎていると云う事だ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むにしたがって一日一日と鋭敏になって行くから、しまいには一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになる。ヘンレーと云う人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかかった部屋に入って、鏡の前を通る毎に自己の影を写して見なければ気が済まぬほど瞬時も自己を忘るる事の出来ない人だと評したのは、よく今日の趨勢を言いあらわしている。寝てもおれ、覚めてもおれ、このおれが至るところにつけまつわっているから、人間の行為言動が人工的にコセつくばかり、自分で窮屈になるばかり、世の中が苦しくなるばかり、ちょうど見合をする若い男女の心持ちで朝から晩までくらさなければならない。悠々とか従容とか云う字は劃があって意味のない言葉になってしまう。この点において今代の人は探偵的である。泥棒的である。探偵は人の目を掠めて自分だけうまい事をしようと云う商売だから、勢自覚心が強くならなくては出来ん。泥棒も捕まるか、見つかるかと云う心配が念頭を離れる事がないから、勢自覚心が強くならざるを得ない。今の人はどうしたら己れの利になるか、損になるかと寝ても醒めても考えつづけだから、勢探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒詛だ。馬鹿馬鹿しい」 「なるほど面白い解釈だ」と独仙君が云い出した。こんな問題になると独仙君はなかなか引込んでいない男である。「苦沙弥君の説明はよく我意を得ている。昔しの人は己れを忘れろと教えたものだ。今の人は己れを忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己れと云う意識をもって充満している。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が薬だと云って己れを忘れるより薬な事はない。三更月下入無我とはこの至境を咏じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいている。英吉利のナイスなどと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっている。英国の天子が印度へ遊びに行って、印度の王族と食卓を共にした時に、その王族が天子の前とも心づかずに、つい自国の我流を出して馬鈴薯を手攫みで皿へとって、あとから真赤になって愧じ入ったら、天子は知らん顔をしてやはり二本指で馬鈴薯を皿へとったそうだ……」 「それが英吉利趣味ですか」これは寒月君の質問であった。 「僕はこんな話を聞いた」と主人が後をつける。「やはり英国のある兵営で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事がある。御馳走が済んで手を洗う水を硝子鉢へ入れて出したら、この下士官は宴会になれんと見えて、硝子鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしまった。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云いながら、やはりフンガー・ボールの水を一息に飲み干したそうだ。そこで並みいる士官も我劣らじと水盃を挙げて下士官の健康を祝したと云うぜ」 「こんな噺もあるよ」とだまってる事の嫌な迷亭君が云った。「カーライルが始めて女皇に謁した時、宮廷の礼に嫻わぬ変物の事だから、先生突然どうですと云いながら、どさりと椅子へ腰をおろした。ところが女皇の後ろに立っていた大勢の侍従や官女がみんなくすくす笑い出した――出したのではない、出そうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、ちょっと何か相図をしたら、多勢の侍従官女がいつの間にかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面目を失わなかったと云うんだが随分御念の入った親切もあったもんだ」 「カーライルの事なら、みんなが立ってても平気だったかも知れませんよ」と寒月君が短評を試みた。 「親切の方の自覚心はまあいいがね」と独仙君は進行する。「自覚心があるだけ親切をするにも骨が折れる訳になる。気の毒な事さ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通云うが大間違いさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、御互の間は非常に苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真中で四つに組んで動かないようなものだろう。はたから見ると平穏至極だが当人の腹は波を打っているじゃないか」 「喧嘩も昔しの喧嘩は暴力で圧迫するのだからかえって罪はなかったが、近頃じゃなかなか巧妙になってるからなおなお自覚心が増してくるんだね」と番が迷亭先生の頭の上に廻って来る。「ベーコンの言葉に自然の力に従って始めて自然に勝つとあるが、今の喧嘩は正にベーコンの格言通りに出来上ってるから不思議だ。ちょうど柔術のようなものさ。敵の力を利用して敵を斃す事を考える……」 「または水力電気のようなものですね。水の力に逆らわないでかえってこれを電力に変化して立派に役に立たせる……」と寒月君が言いかけると、独仙君がすぐそのあとを引き取った。「だから貧時には貧に縛せられ、富時には富に縛せられ、憂時には憂に縛せられ、喜時には喜に縛せられるのさ。才人は才に斃れ、智者は智に敗れ、苦沙弥君のような癇癪持ちは癇癪を利用さえすればすぐに飛び出して敵のぺてんに罹る……」 「ひやひや」と迷亭君が手をたたくと、苦沙弥君はにやにや笑いながら「これでなかなかそう甘くは行かないのだよ」と答えたら、みんな一度に笑い出した。 「時に金田のようなのは何で斃れるだろう」 「女房は鼻で斃れ、主人は因業で斃れ、子分は探偵で斃れか」 「娘は?」 「娘は――娘は見た事がないから何とも云えないが――まず着倒れか、食い倒れ、もしくは呑んだくれの類だろう。よもや恋い倒れにはなるまい。ことによると卒塔婆小町のように行き倒れになるかも知れない」 「それは少しひどい」と新体詩を捧げただけに東風君が異議を申し立てた。 「だから応無所住而生其心と云うのは大事な言葉だ、そう云う境界に至らんと人間は苦しくてならん」と独仙君しきりに独り悟ったような事を云う。 「そう威張るもんじゃないよ。君などはことによると電光影裏にさか倒れをやるかも知れないぜ」 「とにかくこの勢で文明が進んで行った日にや僕は生きてるのはいやだ」と主人がいい出した。 「遠慮はいらないから死ぬさ」と迷亭が言下に道破する。 「死ぬのはなおいやだ」と主人がわからん強情を張る。 「生れる時には誰も熟考して生れるものは有りませんが、死ぬ時には誰も苦にすると見えますね」と寒月君がよそよそしい格言をのべる。 「金を借りるときには何の気なしに借りるが、返す時にはみんな心配するのと同じ事さ」とこんな時にすぐ返事の出来るのは迷亭君である。 「借りた金を返す事を考えないものは幸福であるごとく、死ぬ事を苦にせんものは幸福さ」と独仙君は超然として出世間的である。 「君のように云うとつまり図太いのが悟ったのだね」 「そうさ、禅語に鉄牛面の鉄牛心、牛鉄面の牛鉄心と云うのがある」 「そうして君はその標本と云う訳かね」 「そうでもない。しかし死ぬのを苦にするようになったのは神経衰弱と云う病気が発明されてから以後の事だよ」 「なるほど君などはどこから見ても神経衰弱以前の民だよ」  迷亭と独仙が妙な掛合をのべつにやっていると、主人は寒月東風二君を相手にしてしきりに文明の不平を述べている。 「どうして借りた金を返さずに済ますかが問題である」 「そんな問題はありませんよ。借りたものは返さなくちゃなりませんよ」 「まあさ。議論だから、だまって聞くがいい。どうして借りた金を返さずに済ますかが問題であるごとく、どうしたら死なずに済むかが問題である。いな問題であった。錬金術はこれである。すべての錬金術は失敗した。人間はどうしても死ななければならん事が分明になった」 「錬金術以前から分明ですよ」 「まあさ、議論だから、だまって聞いていろ。いいかい。どうしても死ななければならん事が分明になった時に第二の問題が起る」 「へえ」 「どうせ死ぬなら、どうして死んだらよかろう。これが第二の問題である。自殺クラブはこの第二の問題と共に起るべき運命を有している」 「なるほど」 「死ぬ事は苦しい、しかし死ぬ事が出来なければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりもはなはだしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのが厭だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。ただたいていのものは智慧が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかし一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新な名案を呈出するに違ない。だからして世界向後の趨勢は自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法をもってこの世を去るに違ない」 「大分物騒な事になりますね」 「なるよ。たしかになるよ。アーサー・ジョーンスと云う人のかいた脚本のなかにしきりに自殺を主張する哲学者があって……」 「自殺するんですか」 「ところが惜しい事にしないのだがね。しかし今から千年も立てばみんな実行するに相違ないよ。万年の後には死と云えば自殺よりほかに存在しないもののように考えられるようになる」 「大変な事になりますね」 「なるよきっとなる。そうなると自殺も大分研究が積んで立派な科学になって、落雲館のような中学校で倫理の代りに自殺学を正科として授けるようになる」 「妙ですな、傍聴に出たいくらいのものですね。迷亭先生御聞きになりましたか。苦沙弥先生の御名論を」 「聞いたよ。その時分になると落雲館の倫理の先生はこう云うね。諸君公徳などと云う野蛮の遺風を墨守してはなりません。世界の青年として諸君が第一に注意すべき義務は自殺である。しかして己れの好むところはこれを人に施こして可なる訳だから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。ことに表の窮措大珍野苦沙弥氏のごときものは生きてござるのが大分苦痛のように見受けらるるから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。もっとも昔と違って今日は開明の時節であるから槍、薙刀もしくは飛道具の類を用いるような卑怯な振舞をしてはなりません。ただあてこすりの高尚なる技術によって、からかい殺すのが本人のため功徳にもなり、また諸君の名誉にもなるのであります。……」 「なるほど面白い講義をしますね」 「まだ面白い事があるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを第一の目的としている。ところがその時分になると巡査が犬殺しのような棍棒をもって天下の公民を撲殺してあるく。……」 「なぜです」 「なぜって今の人間は生命が大事だから警察で保護するんだが、その時分の国民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲のために打ち殺してくれるのさ。もっとも少し気の利いたものは大概自殺してしまうから、巡査に打殺されるような奴はよくよく意気地なしか、自殺の能力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。それで殺されたい人間は門口へ張札をしておくのだね。なにただ、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけておけば巡査が都合のいい時に巡ってきて、すぐ志望通り取計ってくれるのさ。死骸かね。死骸はやっぱり巡査が車を引いて拾ってあるくのさ。まだ面白い事が出来てくる。……」 「どうも先生の冗談は際限がありませんね」と東風君は大に感心している。すると独仙君は例の通り山羊髯を気にしながら、のそのそ弁じ出した。 「冗談と云えば冗談だが、予言と云えば予言かも知れない。真理に徹底しないものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫の夢幻を永久の事実と認定したがるものだから、少し飛び離れた事を云うと、すぐ冗談にしてしまう」 「燕雀焉んぞ大鵬の志を知らんやですね」と寒月君が恐れ入ると、独仙君はそうさと云わぬばかりの顔付で話を進める。 「昔しスペインにコルドヴァと云う所があった……」 「今でもありゃしないか」 「あるかも知れない。今昔の問題はとにかく、そこの風習として日暮れの鐘がお寺で鳴ると、家々の女がことごとく出て来て河へ這入って水泳をやる……」 「冬もやるんですか」 「その辺はたしかに知らんが、とにかく貴賤老若の別なく河へ飛び込む。但し男子は一人も交らない。ただ遠くから見ている。遠くから見ていると暮色蒼然たる波の上に、白い肌が模糊として動いている……」 「詩的ですね。新体詩になりますね。なんと云う所ですか」と東風君は裸体が出さえすれば前へ乗り出してくる。 「コルドヴァさ。そこで地方の若いものが、女といっしょに泳ぐ事も出来ず、さればと云って遠くから判然その姿を見る事も許されないのを残念に思って、ちょっといたずらをした……」 「へえ、どんな趣向だい」といたずらと聞いた迷亭君は大に嬉しがる。 「お寺の鐘つき番に賄賂を使って、日没を合図に撞く鐘を一時間前に鳴らした。すると女などは浅墓なものだから、そら鐘が鳴ったと云うので、めいめい河岸へあつまって半襦袢、半股引の服装でざぶりざぶりと水の中へ飛び込んだ。飛び込みはしたものの、いつもと違って日が暮れない」 「烈しい秋の日がかんかんしやしないか」 「橋の上を見ると男が大勢立って眺めている。恥ずかしいがどうする事も出来ない。大に赤面したそうだ」 「それで」 「それでさ、人間はただ眼前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものだから気をつけないと駄目だと云う事さ」 「なるほどありがたい御説教だ。眼前の習慣に迷わされの御話しを僕も一つやろうか。この間ある雑誌をよんだら、こう云う詐欺師の小説があった。僕がまあここで書画骨董店を開くとする。で店頭に大家の幅や、名人の道具類を並べておく。無論贋物じゃない、正直正銘、うそいつわりのない上等品ばかり並べておく。上等品だからみんな高価にきまってる。そこへ物数奇な御客さんが来て、この元信の幅はいくらだねと聞く。六百円なら六百円と僕が云うと、その客が欲しい事はほしいが、六百円では手元に持ち合せがないから、残念だがまあ見合せよう」 「そう云うときまってるかい」と主人は相変らず芝居気のない事を云う。迷亭君はぬからぬ顔で、 「まあさ、小説だよ。云うとしておくんだ。そこで僕がなに代は構いませんから、お気に入ったら持っていらっしゃいと云う。客はそうも行かないからと躊躇する。それじゃ月賦でいただきましょう、月賦も細く、長く、どうせこれから御贔屓になるんですから――いえ、ちっとも御遠慮には及びません。どうです月に十円くらいじゃ。何なら月に五円でも構いませんと僕が極きさくに云うんだ。それから僕と客の間に二三の問答があって、とど僕が狩野法眼元信の幅を六百円ただし月賦十円払込の事で売渡す」 「タイムスの百科全書見たようですね」 「タイムスはたしかだが、僕のはすこぶる不慥だよ。これからがいよいよ巧妙なる詐偽に取りかかるのだぜ。よく聞きたまえ月十円ずつで六百円なら何年で皆済になると思う、寒月君」 「無論五年でしょう」 「無論五年。で五年の歳月は長いと思うか短かいと思うか、独仙君」 「一念万年、万年一念。短かくもあり、短かくもなしだ」 「何だそりゃ道歌か、常識のない道歌だね。そこで五年の間毎月十円ずつ払うのだから、つまり先方では六十回払えばいいのだ。しかしそこが習慣の恐ろしいところで、六十回も同じ事を毎月繰り返していると、六十一回にもやはり十円払う気になる。六十二回にも十円払う気になる。六十二回六十三回、回を重ねるにしたがってどうしても期日がくれば十円払わなくては気が済まないようになる。人間は利口のようだが、習慣に迷って、根本を忘れると云う大弱点がある。その弱点に乗じて僕が何度でも十円ずつ毎月得をするのさ」 「ハハハハまさか、それほど忘れっぽくもならないでしょう」と寒月君が笑うと、主人はいささか真面目で、 「いやそう云う事は全くあるよ。僕は大学の貸費を毎月毎月勘定せずに返して、しまいに向から断わられた事がある」と自分の恥を人間一般の恥のように公言した。 「そら、そう云う人が現にここにいるからたしかなものだ。だから僕の先刻述べた文明の未来記を聞いて冗談だなどと笑うものは、六十回でいい月賦を生涯払って正当だと考える連中だ。ことに寒月君や、東風君のような経験の乏しい青年諸君は、よく僕らの云う事を聞いてだまされないようにしなくっちゃいけない」 「かしこまりました。月賦は必ず六十回限りの事に致します」 「いや冗談のようだが、実際参考になる話ですよ、寒月君」と独仙君は寒月君に向いだした。「たとえばですね。今苦沙弥君か迷亭君が、君が無断で結婚したのが穏当でないから、金田とか云う人に謝罪しろと忠告したら君どうです。謝罪する了見ですか」 「謝罪は御容赦にあずかりたいですね。向うがあやまるなら特別、私の方ではそんな慾はありません」 「警察が君にあやまれと命じたらどうです」 「なおなお御免蒙ります」 「大臣とか華族ならどうです」 「いよいよもって御免蒙ります」 「それ見たまえ。昔と今とは人間がそれだけ変ってる。昔は御上の御威光なら何でも出来た時代です。その次には御上の御威光でも出来ないものが出来てくる時代です。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかかる事が出来ない世の中です。はげしく云えば先方に権力があればあるほど、のしかかられるものの方では不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今の世は昔しと違って、御上の御威光だから出来ないのだと云う新現象のあらわれる時代です、昔しのものから考えると、ほとんど考えられないくらいな事柄が道理で通る世の中です。世態人情の変遷と云うものは実に不思議なもので、迷亭君の未来記も冗談だと云えば冗談に過ぎないのだが、その辺の消息を説明したものとすれば、なかなか味があるじゃないですか」 「そう云う知己が出てくると是非未来記の続きが述べたくなるね。独仙君の御説のごとく今の世に御上の御威光を笠にきたり、竹槍の二三百本を恃にして無理を押し通そうとするのは、ちょうどカゴへ乗って何でも蚊でも汽車と競争しようとあせる、時代後れの頑物――まあわからずやの張本、烏金の長範先生くらいのものだから、黙って御手際を拝見していればいいが――僕の未来記はそんな当座間に合せの小問題じゃない。人間全体の運命に関する社会的現象だからね。つらつら目下文明の傾向を達観して、遠き将来の趨勢を卜すると結婚が不可能の事になる。驚ろくなかれ、結婚の不可能。訳はこうさ。前申す通り今の世は個性中心の世である。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格はまるでなかった。あっても認められなかった。それががらりと変ると、あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになる。ふたりの人が途中で逢えばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中で喧嘩を買いながら行き違う。それだけ個人が強くなった。個人が平等に強くなったから、個人が平等に弱くなった訳になる。人がおのれを害する事が出来にくくなった点において、たしかに自分は強くなったのだが、滅多に人の身の上に手出しがならなくなった点においては、明かに昔より弱くなったんだろう。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのは誰もありがたくないから、人から一毫も犯されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛でも人を侵してやろうと、弱いところは無理にも拡げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる。出来るだけ自分を張りつめて、はち切れるばかりにふくれ返って苦しがって生存している。苦しいから色々の方法で個人と個人との間に余裕を求める。かくのごとく人間が自業自得で苦しんで、その苦し紛れに案出した第一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へ這入って見給え。一家一門ことごとく一軒のうちにごろごろしている。主張すべき個性もなく、あっても主張しないから、あれで済むのだが文明の民はたとい親子の間でもお互に我儘を張れるだけ張らなければ損になるから勢い両者の安全を保持するためには別居しなければならない。欧洲は文明が進んでいるから日本より早くこの制度が行われている。たまたま親子同居するものがあっても、息子がおやじから利息のつく金を借りたり、他人のように下宿料を払ったりする。親が息子の個性を認めてこれに尊敬を払えばこそ、こんな美風が成立するのだ。この風は早晩日本へも是非輸入しなければならん。親類はとくに離れ、親子は今日に離れて、やっと我慢しているようなものの個性の発展と、発展につれてこれに対する尊敬の念は無制限にのびて行くから、まだ離れなくては楽が出来ない。しかし親子兄弟の離れたる今日、もう離れるものはない訳だから、最後の方案として夫婦が分れる事になる。今の人の考ではいっしょにいるから夫婦だと思ってる。それが大きな了見違いさ。いっしょにいるためにはいっしょにいるに充分なるだけ個性が合わなければならないだろう。昔しなら文句はないさ、異体同心とか云って、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前なんだからね。それだから偕老同穴とか号して、死んでも一つ穴の狸に化ける。野蛮なものさ。今はそうは行かないやね。夫はあくまでも夫で妻はどうしたって妻だからね。その妻が女学校で行灯袴を穿いて牢乎たる個性を鍛え上げて、束髪姿で乗り込んでくるんだから、とても夫の思う通りになる訳がない。また夫の思い通りになるような妻なら妻じゃない人形だからね。賢夫人になればなるほど個性は凄いほど発達する。発達すればするほど夫と合わなくなる。合わなければ自然の勢夫と衝突する。だから賢妻と名がつく以上は朝から晩まで夫と衝突している。まことに結構な事だが、賢妻を迎えれば迎えるほど双方共苦しみの程度が増してくる。水と油のように夫婦の間には截然たるしきりがあって、それも落ちついて、しきりが水平線を保っていればまだしもだが、水と油が双方から働らきかけるのだから家のなかは大地震のように上がったり下がったりする。ここにおいて夫婦雑居はお互の損だと云う事が次第に人間に分ってくる。……」 「それで夫婦がわかれるんですか。心配だな」と寒月君が云った。 「わかれる。きっとわかれる。天下の夫婦はみんな分れる。今まではいっしょにいたのが夫婦であったが、これからは同棲しているものは夫婦の資格がないように世間から目されてくる」 「すると私なぞは資格のない組へ編入される訳ですね」と寒月君は際どいところでのろけを云った。 「明治の御代に生れて幸さ。僕などは未来記を作るだけあって、頭脳が時勢より一二歩ずつ前へ出ているからちゃんと今から独身でいるんだよ。人は失恋の結果だなどと騒ぐが、近眼者の視るところは実に憐れなほど浅薄なものだ。それはとにかく、未来記の続きを話すとこうさ。その時一人の哲学者が天降って破天荒の真理を唱道する。その説に曰くさ。人間は個性の動物である。個性を滅すれば人間を滅すると同結果に陥る。いやしくも人間の意義を完からしめんためには、いかなる価を払うとも構わないからこの個性を保持すると同時に発達せしめなければならん。かの陋習に縛せられて、いやいやながら結婚を執行するのは人間自然の傾向に反した蛮風であって、個性の発達せざる蒙昧の時代はいざ知らず、文明の今日なおこの弊竇に陥って恬として顧みないのははなはだしき謬見である。開化の高潮度に達せる今代において二個の個性が普通以上に親密の程度をもって連結され得べき理由のあるべきはずがない。この覩易き理由はあるにも関らず無教育の青年男女が一時の劣情に駆られて、漫に合の式を挙ぐるは悖徳没倫のはなはだしき所為である。吾人は人道のため、文明のため、彼等青年男女の個性保護のため、全力を挙げこの蛮風に抵抗せざるべからず……」 「先生私はその説には全然反対です」と東風君はこの時思い切った調子でぴたりと平手で膝頭を叩いた。「私の考では世の中に何が尊いと云って愛と美ほど尊いものはないと思います。吾々を慰藉し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く両者の御蔭であります。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗錬するのは全く両者の御蔭であります。だから吾人はいつの世いずくに生れてもこの二つのものを忘れることが出来ないです。この二つの者が現実世界にあらわれると、愛は夫婦と云う関係になります。美は詩歌、音楽の形式に分れます。それだからいやしくも人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と芸術は決して滅する事はなかろうと思います」 「なければ結構だが、今哲学者が云った通りちゃんと滅してしまうから仕方がないと、あきらめるさ。なに芸術だ? 芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個性の発展というのは個性の自由と云う意味だろう。個性の自由と云う意味はおれはおれ、人は人と云う意味だろう。その芸術なんか存在出来る訳がないじゃないか。芸術が繁昌するのは芸術家と享受者の間に個性の一致があるからだろう。君がいくら新体詩家だって踏張っても、君の詩を読んで面白いと云うものが一人もなくっちゃ、君の新体詩も御気の毒だが君よりほかに読み手はなくなる訳だろう。鴛鴦歌をいく篇作ったって始まらないやね。幸いに明治の今日に生れたから、天下が挙って愛読するのだろうが……」 「いえそれほどでもありません」 「今でさえそれほどでなければ、人文の発達した未来即ち例の一大哲学者が出て非結婚論を主張する時分には誰もよみ手はなくなるぜ。いや君のだから読まないのじゃない。人々個々おのおの特別の個性をもってるから、人の作った詩文などは一向面白くないのさ。現に今でも英国などではこの傾向がちゃんとあらわれている。現今英国の小説家中でもっとも個性のいちじるしい作品にあらわれた、メレジスを見給え、ジェームスを見給え。読み手は極めて少ないじゃないか。少ない訳さ。あんな作品はあんな個性のある人でなければ読んで面白くないんだから仕方がない。この傾向がだんだん発達して婚姻が不道徳になる時分には芸術も完く滅亡さ。そうだろう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなった日にゃ、君と僕の間には芸術も糞もないじゃないか」 「そりゃそうですけれども私はどうも直覚的にそう思われないんです」 「君が直覚的にそう思われなければ、僕は曲覚的にそう思うまでさ」 「曲覚的かも知れないが」と今度は独仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんか担ぎ出すのも全くこの窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあんな哲学に変形したものだね。ちょっと見るとあれがあの男の理想のように見えるが、ありゃ理想じゃない、不平さ。個性の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多に寝返りも打てないから、大将少しやけになってあんな乱暴をかき散らしたのだね。あれを読むと壮快と云うよりむしろ気の毒になる。あの声は勇猛精進の声じゃない、どうしても怨恨痛憤の音だ。それもそのはずさ昔は一人えらい人があれば天下翕然としてその旗下にあつまるのだから、愉快なものさ。こんな愉快が事実に出てくれば何もニーチェ見たように筆と紙の力でこれを書物の上にあらわす必要がない。だからホーマーでもチェヴィ・チェーズでも同じく超人的な性格を写しても感じがまるで違うからね。陽気ださ。愉快にかいてある。愉快な事実があって、この愉快な事実を紙に写しかえたのだから、苦味はないはずだ。ニーチェの時代はそうは行かないよ。英雄なんか一人も出やしない。出たって誰も英雄と立てやしない。昔は孔子がたった一人だったから、孔子も幅を利かしたのだが、今は孔子が幾人もいる。ことによると天下がことごとく孔子かも知れない。だからおれは孔子だよと威張っても圧が利かない。利かないから不平だ。不平だから超人などを書物の上だけで振り廻すのさ。吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などはちょっといいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋じゃ昔しから心の修行をした。その方が正しいのさ。見給え個性発展の結果みんな神経衰弱を起して、始末がつかなくなった時、王者の民蕩々たりと云う句の価値を始めて発見するから。無為にして化すと云う語の馬鹿に出来ない事を悟るから。しかし悟ったってその時はもうしようがない。アルコール中毒に罹って、ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ」 「先生方は大分厭世的な御説のようだが、私は妙ですね。いろいろ伺っても何とも感じません。どう云うものでしょう」と寒月君が云う。 「そりゃ妻君を持ち立てだからさ」と迷亭君がすぐ解釈した。すると主人が突然こんな事を云い出した。 「妻を持って、女はいいものだなどと思うと飛んだ間違になる。参考のためだから、おれが面白い物を読んで聞かせる。よく聴くがいい」と最前書斎から持って来た古い本を取り上げて「この本は古い本だが、この時代から女のわるい事は歴然と分ってる」と云うと、寒月君が 「少し驚きましたな。元来いつ頃の本ですか」と聞く。「タマス・ナッシと云って十六世紀の著書だ」 「いよいよ驚ろいた。その時分すでに私の妻の悪口を云ったものがあるんですか」 「いろいろ女の悪口があるが、その内には是非君の妻も這入る訳だから聞くがいい」 「ええ聞きますよ。ありがたい事になりましたね」 「まず古来の賢哲が女性観を紹介すべしと書いてある。いいかね。聞いてるかね」 「みんな聞いてるよ。独身の僕まで聞いてるよ」 「アリストートル曰く女はどうせ碌でなしなれば、嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大きな碌でなしより、小さな碌でなしの方が災少なし……」 「寒月君の妻君は大きいかい、小さいかい」 「大きな碌でなしの部ですよ」 「ハハハハ、こりゃ面白い本だ。さああとを読んだ」 「或る人問う、いかなるかこれ最大奇蹟。賢者答えて曰く、貞婦……」 「賢者ってだれですか」 「名前は書いてない」 「どうせ振られた賢者に相違ないね」 「次にはダイオジニスが出ている。或る人問う、妻を娶るいずれの時においてすべきか。ダイオジニス答えて曰く青年は未だし、老年はすでに遅し。とある」 「先生樽の中で考えたね」 「ピサゴラス曰く天下に三の恐るべきものあり曰く火、曰く水、曰く女」 「希臘の哲学者などは存外迂濶な事を云うものだね。僕に云わせると天下に恐るべきものなし。火に入って焼けず、水に入って溺れず……」だけで独仙君ちょっと行き詰る。 「女に逢ってとろけずだろう」と迷亭先生が援兵に出る。主人はさっさとあとを読む。 「ソクラチスは婦女子を御するは人間の最大難事と云えり。デモスセニス曰く人もしその敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となく夜となく彼を困憊起つあたわざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無学をもって世界における二大厄とし、マーカス・オーレリアスは女子は制御し難き点において船舶に似たりと云い、プロータスは女子が綺羅を飾るの性癖をもってその天稟の醜を蔽うの陋策にもとづくものとせり。ヴァレリアスかつて書をその友某におくって告げて曰く天下に何事も女子の忍んでなし得ざるものあらず。願わくは皇天憐を垂れて、君をして彼等の術中に陥らしむるなかれと。彼また曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや。避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、蜜に似たる毒にあらずや。もし女子を棄つるが不徳ならば、彼等を棄てざるは一層の呵責と云わざるべからず。……」 「もう沢山です、先生。そのくらい愚妻のわる口を拝聴すれば申し分はありません」 「まだ四五ページあるから、ついでに聞いたらどうだ」 「もうたいていにするがいい。もう奥方の御帰りの刻限だろう」と迷亭先生がからかい掛けると、茶の間の方で 「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ声がする。 「こいつは大変だ。奥方はちゃんといるぜ、君」 「ウフフフフ」と主人は笑いながら「構うものか」と云った。 「奥さん、奥さん。いつの間に御帰りですか」  茶の間ではしんとして答がない。 「奥さん、今のを聞いたんですか。え?」  答はまだない。 「今のはね、御主人の御考ではないですよ。十六世紀のナッシ君の説ですから御安心なさい」 「存じません」と妻君は遠くで簡単な返事をした。寒月君はくすくすと笑った。 「私も存じませんで失礼しましたアハハハハ」と迷亭君は遠慮なく笑ってると、門口をあらあらしくあけて、頼むとも、御免とも云わず、大きな足音がしたと思ったら、座敷の唐紙が乱暴にあいて、多々良三平君の顔がその間からあらわれた。  三平君今日はいつに似ず、真白なシャツに卸立てのフロックを着て、すでに幾分か相場を狂わせてる上へ、右の手へ重そうに下げた四本の麦酒を縄ぐるみ、鰹節の傍へ置くと同時に挨拶もせず、どっかと腰を下ろして、かつ膝を崩したのは目覚しい武者振である。 「先生胃病は近来いいですか。こうやって、うちにばかりいなさるから、いかんたい」 「まだ悪いとも何ともいやしない」 「いわんばってんが、顔色はよかなかごたる。先生顔色が黄ですばい。近頃は釣がいいです。品川から舟を一艘雇うて――私はこの前の日曜に行きました」 「何か釣れたかい」 「何も釣れません」 「釣れなくっても面白いのかい」 「浩然の気を養うたい、あなた。どうですあなたがた。釣に行った事がありますか。面白いですよ釣は。大きな海の上を小舟で乗り廻わしてあるくのですからね」と誰彼の容赦なく話しかける。 「僕は小さな海の上を大船で乗り廻してあるきたいんだ」と迷亭君が相手になる。 「どうせ釣るなら、鯨か人魚でも釣らなくっちゃ、詰らないです」と寒月君が答えた。 「そんなものが釣れますか。文学者は常識がないですね。……」 「僕は文学者じゃありません」 「そうですか、何ですかあなたは。私のようなビジネス・マンになると常識が一番大切ですからね。先生私は近来よっぽど常識に富んで来ました。どうしてもあんな所にいると、傍が傍だから、おのずから、そうなってしまうです」 「どうなってしまうのだ」 「煙草でもですね、朝日や、敷島をふかしていては幅が利かんです」と云いながら、吸口に金箔のついた埃及煙草を出して、すぱすぱ吸い出した、 「そんな贅沢をする金があるのかい」 「金はなかばってんが、今にどうかなるたい。この煙草を吸ってると、大変信用が違います」 「寒月君が珠を磨くよりも楽な信用でいい、手数がかからない。軽便信用だね」と迷亭が寒月にいうと、寒月が何とも答えない間に、三平君は 「あなたが寒月さんですか。博士にゃ、とうとうならんですか。あなたが博士にならんものだから、私が貰う事にしました」 「博士をですか」 「いいえ、金田家の令嬢をです。実は御気の毒と思うたですたい。しかし先方で是非貰うてくれ貰うてくれと云うから、とうとう貰う事に極めました、先生。しかし寒月さんに義理がわるいと思って心配しています」 「どうか御遠慮なく」と寒月君が云うと、主人は 「貰いたければ貰ったら、いいだろう」と曖昧な返事をする。 「そいつはおめでたい話だ。だからどんな娘を持っても心配するがものはないんだよ。だれか貰うと、さっき僕が云った通り、ちゃんとこんな立派な紳士の御聟さんが出来たじゃないか。東風君新体詩の種が出来た。早速とりかかりたまえ」と迷亭君が例のごとく調子づくと三平君は 「あなたが東風君ですか、結婚の時に何か作ってくれませんか。すぐ活版にして方々へくばります。太陽へも出してもらいます」 「ええ何か作りましょう、いつ頃御入用ですか」 「いつでもいいです。今まで作ったうちでもいいです。その代りです。披露のとき呼んで御馳走するです。シャンパンを飲ませるです。君シャンパンを飲んだ事がありますか。シャンパンは旨いです。――先生披露会のときに楽隊を呼ぶつもりですが、東風君の作を譜にして奏したらどうでしょう」 「勝手にするがいい」 「先生、譜にして下さらんか」 「馬鹿云え」 「だれか、このうちに音楽の出来るものはおらんですか」 「落第の候補者寒月君はヴァイオリンの妙手だよ。しっかり頼んで見たまえ。しかしシャンパンくらいじゃ承知しそうもない男だ」 「シャンパンもですね。一瓶四円や五円のじゃよくないです。私の御馳走するのはそんな安いのじゃないですが、君一つ譜を作ってくれませんか」 「ええ作りますとも、一瓶二十銭のシャンパンでも作ります。なんならただでも作ります」 「ただは頼みません、御礼はするです。シャンパンがいやなら、こう云う御礼はどうです」と云いながら上着の隠袋のなかから七八枚の写真を出してばらばらと畳の上へ落す。半身がある。全身がある。立ってるのがある。坐ってるのがある。袴を穿いてるがある。振袖がある。高島田がある。ことごとく妙齢の女子ばかりである。 「先生候補者がこれだけあるです。寒月君と東風君にこのうちどれか御礼に周旋してもいいです。こりゃどうです」と一枚寒月君につき付ける。 「いいですね。是非周旋を願いましょう」 「これでもいいですか」とまた一枚つきつける。 「それもいいですね。是非周旋して下さい」 「どれをです」 「どれでもいいです」 「君なかなか多情ですね。先生、これは博士の姪です」 「そうか」 「この方は性質が極いいです。年も若いです。これで十七です。――これなら持参金が千円あります。――こっちのは知事の娘です」と一人で弁じ立てる。 「それをみんな貰う訳にゃいかないでしょうか」 「みんなですか、それはあまり慾張りたい。君一夫多妻主義ですか」 「多妻主義じゃないですが、肉食論者です」 「何でもいいから、そんなものは早くしまったら、よかろう」と主人は叱りつけるように言い放ったので、三平君は 「それじゃ、どれも貰わんですね」と念を押しながら、写真を一枚一枚にポッケットへ収めた。 「何だいそのビールは」 「お見やげでござります。前祝に角の酒屋で買うて来ました。一つ飲んで下さい」  主人は手を拍って下女を呼んで栓を抜かせる。主人、迷亭、独仙、寒月、東風の五君は恭しくコップを捧げて、三平君の艶福を祝した。三平君は大に愉快な様子で 「ここにいる諸君を披露会に招待しますが、みんな出てくれますか、出てくれるでしょうね」と云う。 「おれはいやだ」と主人はすぐ答える。 「なぜですか。私の一生に一度の大礼ですばい。出てくんなさらんか。少し不人情のごたるな」 「不人情じゃないが、おれは出ないよ」 「着物がないですか。羽織と袴くらいどうでもしますたい。ちと人中へも出るがよかたい先生。有名な人に紹介して上げます」 「真平ご免だ」 「胃病が癒りますばい」 「癒らんでも差支えない」 「そげん頑固張りなさるならやむを得ません。あなたはどうです来てくれますか」 「僕かね、是非行くよ。出来るなら媒酌人たるの栄を得たいくらいのものだ。シャンパンの三々九度や春の宵。――なに仲人は鈴木の藤さんだって? なるほどそこいらだろうと思った。これは残念だが仕方がない。仲人が二人出来ても多過ぎるだろう、ただの人間としてまさに出席するよ」 「あなたはどうです」 「僕ですか、一竿風月閑生計、人釣白蘋紅蓼間」 「何ですかそれは、唐詩選ですか」 「何だかわからんです」 「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでしょうね。今までの関係もあるから」 「きっと出る事にします、僕の作った曲を楽隊が奏するのを、きき落すのは残念ですからね」 「そうですとも。君はどうです東風君」 「そうですね。出て御両人の前で新体詩を朗読したいです」 「そりゃ愉快だ。先生私は生れてから、こんな愉快な事はないです。だからもう一杯ビールを飲みます」と自分で買って来たビールを一人でぐいぐい飲んで真赤になった。  短かい秋の日はようやく暮れて、巻煙草の死骸が算を乱す火鉢のなかを見れば火はとくの昔に消えている。さすが呑気の連中も少しく興が尽きたと見えて、「大分遅くなった。もう帰ろうか」とまず独仙君が立ち上がる。つづいて「僕も帰る」と口々に玄関に出る。寄席がはねたあとのように座敷は淋しくなった。  主人は夕飯をすまして書斎に入る。妻君は肌寒の襦袢の襟をかき合せて、洗い晒しの不断着を縫う。小供は枕を並べて寝る。下女は湯に行った。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かも知れないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨りをやめてとうとうお国から奥さんを連れて来た。これが順当だ。しかし順当が永く続くと定めし退屈だろう。東風君も今十年したら、無暗に新体詩を捧げる事の非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がむずかしい。生涯三鞭酒を御馳走して得意と思う事が出来れば結構だ。鈴木の藤さんはどこまでも転がって行く。転がれば泥がつく。泥がついても転がれぬものよりも幅が利く。猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、先達てカーテル・ムルと云う見ず知らずの同族が突然大気を揚げたので、ちょっと吃驚した。よくよく聞いて見たら、実は百年前に死んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥土から出張したのだそうだ。この猫は母と対面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の肴を啣えて出掛けたところ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、自分で食ってしまったと云うほどの不孝ものだけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時などは詩を作って主人を驚かした事もあるそうだ。こんな豪傑がすでに一世紀も前に出現しているなら、吾輩のような碌でなしはとうに御暇を頂戴して無何有郷に帰臥してもいいはずであった。  主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木の葉は大概落ち尽した。死ぬのが万物の定業で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢こいかも知れない。諸先生の説に従えば人間の運命は自殺に帰するそうだ。油断をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか気がくさくさして来た。三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろう。  勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間にか消えているが、月夜と思われて窓から影がさす。コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。硝子の中のものは湯でも冷たい気がする。まして夜寒の月影に照らされて、静かに火消壺とならんでいるこの液体の事だから、唇をつけぬ先からすでに寒くて飲みたくもない。しかしものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、真赤になって、熱苦しい息遣いをした。猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにしておく事だ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔やんでもおっつかない。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性が合わない。これは大変だと一度は出した舌を引込めて見たが、また考え直した。人間は口癖のように良薬口に苦しと言って風邪などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸だ。この問題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中までにがくなったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲け者で、近所の猫へ教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。眼をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。  吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭うがごとく腹内に収めた。  それからしばらくの間は自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食えと云う気になる。金田のじいさんを引掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。起ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。  陶然とはこんな事を云うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、しないような心持でしまりのない足をいい加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寝ているのだか、あるいてるのだか判然しない。眼はあけるつもりだが重い事夥しい。こうなればそれまでだ。海だろうが、山だろうが驚ろかないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、――やられた。どうやられたのか考える間がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしまった。  我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈に掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応があった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きな甕の中に落ちている。この甕は夏まで水葵と称する水草が茂っていたがその後烏の勘公が来て葵を食い尽した上に行水を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。近来は大分減って烏が見えないなと先刻思ったが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使おうなどとは思いも寄らなかった。  水から縁までは四寸余もある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気にしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気は焦るが、足はさほど利かなくなる。ついにはもぐるために甕を掻くのか、掻くためにもぐるのか、自分でも分りにくくなった。  その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらも掻いても、あせっても、百年の間身を粉にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹っているのは馬鹿気ている。 「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。  次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。 底本:「夏目漱石全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年9月29日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 1」筑摩書房    1971(昭和46)年4月5日初版 初出:「ホトトギス」    1905(明治38)年1月、2月、4月、6月、7月、10月    1906(明治39)年1月、3月、4月、8月 ※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。 入力:柴田卓治 校正:渡部峰子(一)、おのしげひこ(二、五)、田尻幹二(三)、高橋真也(四、七、八、十、十一)、しず(六)、瀬戸さえ子(九) 1999年9月17日公開 2018年2月5日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 アクセント符号付きラテン文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 吾輩ハ猫デアル 吾輩ハ猫デアル 夏目漱石  序  「吾輩は猫である」は雜誌ホトヽギスに連載した續き物である。固より纒つた話の筋を讀ませる普通の小説ではないから、どこで切つて一册としても興味の上に於て左したる影響のあらう筈がない。然し自分の考ではもう少し書いた上でと思つて居たが、書肆が頻りに催促をするのと、多忙で意の如く稿を續ぐ餘暇がないので[#「ないので」は底本では「なので」]、差し當り是丈を出版する事にした。  自分が既に雜誌へ出したものを再び單行本の體裁として公にする以上は、之を公にする丈の價値があると云ふ意味に解釋されるかも知れぬ。「吾輩は猫である」が果してそれ丈の價値があるかないかは著者の分として言ふべき限りでないと思ふ。たゞ自分の書いたものが自分の思ふ樣な體裁で世の中へ出るのは、内容の價値如何に關らず、自分丈は嬉しい感じがする。自分に對しては此事實が出版を促がすに充分な動機である。  此書を公けにするに就て中村不折氏は數葉の挿畫をかいてくれた。橋口五葉氏は表紙其他の模樣を意匠してくれた。兩君の御蔭に因つて文章以外に一種の趣味を添へ得たるは余の深く徳とする所である。[#「。」は底本では「、」]  自分が今迄「吾輩は猫である」を草しつゝあつた際、一面識もない人が時々書信又は繪端書抔をわざ/\寄せて意外の褒辭を賜はつた事がある。自分が書いたものが斯んな見ず知らずの人から同情を受けて居ると云ふ事を發見するのは非常に難有い。今出版の機を利用して是等の諸君に向つて一言感謝の意を表する。  此書は趣向もなく、搆造もなく、尾頭の心元なき海鼠の樣な文章であるから、たとひ此一卷で消えてなくなつた所で一向差し支へはない。又實際消えてなくなるかも知れん。然し將來忙中に閑を偸んで硯の塵を吹く機會があれは再び稿を續ぐ積である。猫が生きて居る間は――猫が丈夫で居る間は――猫が氣が向くときは――余も亦筆を執らねばならぬ。  明治三十八年九月  夏目漱石  第一  吾輩は猫である。名前はまだ無い。  どこで生まれたか頓と見當がつかぬ。何ても暗薄いじめじめした所でニャー/\泣いて居た事丈は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ人間で一番獰惡な種族であつたさうだ。此書生といふのは時々我々を捕へて煮て食ふといふ話である。然し其當時は何といふ考もなかつたから別段恐しいとも思はなかつた。但彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフハフハした感じが有つた許りである。掌の上で少し落ち付いて書生の顏を見たが所謂人間といふものゝ見始であらう。此の時妙なものだと思つた感じが今でも殘つて居る。第一毛を以て裝飾されべき筈の顏がつる/\して丸で藥罐だ。其後猫にも大分逢つたがこんな片輪には一度も出會はした事がない。加之顏の眞中が餘りに突起して居る。そうして其穴の中から時々ぷう/\と烟を吹く。どうも咽せぽくて實に弱つた。是が人間の飮む烟草といふものである事は漸く此頃知つた。  此書生の掌の裏でしばらくはよい心持に坐つて居つたが、暫くすると非常な速力で運轉し始めた。書生が動くのか自分丈が動くのか分らないが無暗に眼が廻る。胸が惡くなる。到底助からないと思つて居ると、どさりと音がして眼から火が出た。夫迄は記憶して居るがあとは何の事やらいくら考へ出さうとしても分らない。  ふと氣が付いて見ると書生は居ない。澤山居つた兄弟が一疋も見えぬ。肝心の母親さへ姿を隱して仕舞つた。其上今迄の所とは違つて無暗に明るい。眼を明いて居られぬ位だ。果てな何でも容子が可笑いと、のそ/\這ひ出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。  漸くの思ひで笹原を這ひ出すと向ふに大きな池がある。吾輩は池の前に坐つてどうしたらよからうと考へて見た。別に是といふ分別も出ない。暫くして泣いたら書生が又迎に來てくれるかと考へ付いた。ニャー、ニャーと試みにやつて見たが誰も來ない。其内池の上をさら/\と風が渡つて日が暮れかゝる。腹が非常に減つて來た。泣き度ても聲が出ない。仕方がない、何でもよいから食物のある所迄あるかうと决心をしてそろりそろりと池を左りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這つて行くと漸くの事で何となく人間臭ひ所へ出た。此所へ這入つたら、どうにかなると思つて竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もし此竹垣が破れて居なかつたなら、吾輩は遂に路傍に餓死したかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云つたものだ。此垣根の穴は今日に至る迄吾輩が隣家の三毛を訪問する時の通路になつて居る。偖邸へは忍び込んだものの是から先どうして善いか分らない。其内に暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降て來るといふ始末でもう一刻も猶豫が出來なくなつた。仕方がないから兎に角明るくて暖かさうな方へ方へとあるいて行く。今から考へると其時は既に家の内に這入つてたのだ。こゝで余は彼の書生以外の人間を再び見るべき機會に遭遇したのである。第一に逢つたのがおさんである。是は前の書生より一層亂暴な方で我輩を見るや否やいきなり頸筋をつかんで表へ抛り出した。いや是は駄目だと思つたから眼をねぶつて運を天に任せて居た。然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出來ん。吾輩は再びおさんの隙を見て臺所へ這ひ上つた。すると間もなく又投げ出された。吾輩は投げ出されては這ひ上り、這ひ上つては投げ出され何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶して居る。其時におさんと云ふ者はつく/″\いやになつた。此間おさんの三馬を偸んで此返報をしてやつてから、やつと胸の痞が下りた。吾輩が最後につまみ出され樣としたときに、此家の主人が騷々しい何だといひながら出て來た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けて此宿なしの小猫がいくら出しても出しても御臺所へ上つて來て困りますといふ。主人は鼻の下の黒い毛を撚りながら吾輩の顏を暫らく眺めて居つたが。やがてそんなら内へ置いてやれといつたまゝ奧へ這入つて仕舞つた。主人は餘り口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜しさうに吾輩を臺所へ抛り出した。かくして吾輩は遂に此家を自分の住家と極める事にしたのである。  吾輩の主人は滅多に吾輩と顏を合せる事がない。職業は教師ださうだ。學校から歸ると終日書齋に這入つたぎり殆んど出て來る事がない。家のものは大變な勉強家だと思つて居る。當人も勉強家であるかの如く見せて居る。然し實際はうちのものがいふ樣な勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書齋を覗いて見るが、彼はよく晝寐をして居る事がある。時々讀みかけてある本の上に涎をたらして居る。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帶びて彈力のない不活溌な徴候をあらはして居る。其癖に大飯を食ふ。大飯を食つた後で「タカチヤスターゼ」を飮む。飮んだ後で書物をひろげる。二三ページ讀むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。是が彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考へる事がある。教師といふものは實に樂なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寐て居て勤まるものなら猫にでも出來ぬ事はないと。夫でも主人に云はせると教師程つらいものはないさうで彼は友達が來る度に何とかゝんとか不平を鳴らして居る。  吾輩が此家へ住み込んだ當時は、主人以外のものには甚だ不人望であつた。どこへ行つても跳ね付けられて相手にしてくれ手がなかつた。如何に珍重されなかつたかは、今日に至る迄名前さへつけてくれないのでも分る。我輩は仕方がないから、出來得る限り我輩を入れてくれた主人の傍に居る事をつとめた。朝主人が新聞を讀むときは必ず彼の膝の上に乘る。彼が晝寐をするときは必ず其脊中に乘る。是はあながち主人が好きといふ譯ではないが別に構ひ手がなかつたから已を得んのである。其後色々經驗の上、朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上、天氣のよい晝は椽側へ寐る事とした。然し一番心持の好いのは夜に入つてこゝのうちの小供の寐床へもぐり込んで一所にねる事である。此小供といふのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入つて一間へ寐る。余はいつでも彼等の中間に己れを容るべき餘地を見出してどうにか、かうにか割り込むのであるが運惡く小供の一人が眼を醒ますが最後大變な事になる。小供は―殊に小さい方が質がわるい―猫が來た/\といつて夜中でも何でも大きな聲で泣き出すのである。すると例の神經胃弱性の主人は必ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現に先達て抔は物指で尻ぺたをひどく叩かれた。  吾輩は人間と同居して彼等を觀察すればする程、彼等は我儘なものだと斷言せざるを得ない樣になつた。殊に吾輩が時々同衾する小供の如きに至つては言語同斷である。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり。抛り出したり。へ―つ―つ―いの中へ押し込んだりする。而も我輩の方で少しでも手出しを仕樣ものなら家内總がゝりで追ひ廻して迫害を加へる。此間も一寸疊で爪を磨いたら細君が非常に怒つてそれから容易に座敷へ入れない。臺所の板の間で他(ひと)が顫へて居ても一向平氣なものである。吾輩の尊敬する筋向の白君抔は逢ふ度毎に人間程不人情なものはないと言つて居らるゝ。白君は先日玉の樣な猫子を四疋産まれたのである。所がそこの家の書生が三日目にそいつを裏の池へ持て行つて四疋ながら棄てゝ來たさうだ。白君は涙を流して其一部始終を話した上、どうしても我等猫族が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戰つて之を剿滅せねばならぬといはれた。一々尤の議論と思ふ。又隣りの三毛君抔は人間が所有權といふ事を解して居ないといつて大に憤慨して居る。元來我々同族間では目刺の頭でも鰡の臍でも一番先に見付たものが之を食ふ權利があるものとなつて居る。もし相手が此規約を守らなければ腕力に訴へて善い位のものだ。然るに彼等人間は毫も此觀念がないと見えて我等が見付た御馳走は必ず彼等の爲に掠奪せらるゝのである。彼等は其強力を頼んで正當に吾人が食ひ得べきものを奪つて澄して居る。白君は軍人の家に居り、三毛君は代言の主人を持つて居る。吾輩は教師の家に住んで居る丈、こんな事に關すると兩君よりも寧ろ樂天である。唯其日/\が何うにか斯うにか送られゝばよい。いくら人間だつて、さういつ迄も榮へる事もあるまい。まあ氣を永く猫の時節を待つがよからう。  我儘で思ひ出したから一寸吾輩の家の主人が此我儘で失敗した話をし樣。元來此主人は何といつて人に勝れて出來る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやつてほとゝぎす[#「ほとゝぎす」に傍点]へ投書をしたり、新體詩を明星[#「明星」に傍点]へ出したり、間違ひだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝つたり、謠を習つたり、又あるときはワ゛イオリン[#「ワ゛」は「ワ」に濁点の一字]抔をブー/\鳴らしたりするが、氣の毒な事には、どれもこれも物になつて居らん。其癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架の中で謠をうたつて、近所で後架先生と渾名をつけられて居るにも關せず一向平氣なもので、矢張是は平の宗盛にて候を繰返して居る。皆んながそら宗盛だと吹き出す位である。此主人がどういふ考になつたものか吾輩の住み込んでから一月許り後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあはたゞしく歸つて來た。何を買つて來たのかと思ふと水彩繪具と毛筆とワットマンといふ紙で今日から謠や俳句をやめて繪をかく决心と見えた。果して翌日から當分の間といふものは毎日々々書齋で晝寐もしないで繪許りかいて居る。然し其かき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。當人もあまり甘くないと思つたものか、ある日其友人で美學とかをやつて居る人が來た時に下の樣な話をして居るのを聞いた。 「どうも甘くかけないものだね。人のを見ると何でもない樣だが自ら筆をとつて見ると今更の樣に六づかしく感ずる」是は主人の述懷である。成程詐りのない處だ。彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顏を見ながら、「さう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像許りで畫がかける譯のものではない。昔し以太利の大家アンドレア、デルサルトが言つた事がある。畫をかくなら何でも自然其物を寫せ。天に星辰あり。地に露華あり。飛ぶに禽あり。走るに獸あり。池に金魚あり。枯木に寒鴉[#底本は、「鴉」の「牙」の上に「一」がついている]あり。自然は是一幅の大活畫なりと。どうだ君も畫らしい畫をかゝうと思ふならちと寫生をしたら」 「へえアンドレア、デル、サルトがそんな事をいつた事があるかい。ちつとも知らなかつた。成程こりや尤もだ。實に其通りだ」と主人は無暗に感心して居る。金縁の裏には嘲ける樣な笑が見えた。  其翌日吾輩は例の如く椽側に出て心持善く晝寐をして居たら、主人が例になく書齋から出て來て吾輩の後ろで何かしきりにやつて居る。不圖眼が覺めて何をして居るかと一分許り細目に眼をあけて見ると、彼は餘念もなくアンドレア、デル、サルトを極め込んで居る。余は此有樣を見て覺えず失笑するのを禁じ得なかつた。彼は彼の友に揶揄せられたる結果として先づ手初めに吾輩を寫生しつゝあるのである。我輩は既に十分寢た。欠伸がしたくて堪らない。然し切角主人が熱心に筆を執つて居るのを動いては氣の毒だと思ふて、ぢつと辛棒して居つた。彼は今我輩の輪廓をかき上げて顏のあたりを色彩つて居る。我輩は自白する。我輩は猫として决して上乘の出來ではない。脊といひ毛並といひ顏の造作といひ敢て他の猫に勝るとは决して思つて居らん。然しいくら不器量の我輩でも、今我輩の主人に描き出されつゝある樣な妙な姿とは、どうしても思はれない。第一色が違ふ。我輩は波斯産の猫の如く黄を含める淡灰色に漆の如き斑入りの皮膚を有して居る。是丈は誰が見ても疑ふべからざる事實と思ふ。然るに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色でもない、去ればとて是等を交ぜた色でもない。只一種の色であるといふより外に評し方のない色である。其上不思議な事は眼がない。尤も是は寢て居る所を寫生したのだから無理もないが眼らしい所さへ見えないから盲猫(めくら)[#「盲」の「目」は、底本では「月」]だか寢て居る猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア、デル、サルトでも是では仕樣がないと思つた。然し其熱心には感服せざるを得ない。可成なら動かずに居つてやり度と思つたが、先っき[#「っ」は底本のまま]から小便が催ふして居る。身内の筋肉はむづ/\する。最早一分も猶豫が出來ぬ仕儀となつたから、不已得失敬して兩足を前へ存分のして、首を低く押し出してあ―あと大なる欠伸をした。さてかうなつて見ると、もう大人しくして居ても仕方がない。どうせ主人の豫定は打ち壞はしたのだから、序に裏へ行つて用を足さうと思つてのそ/\這ひ出した。すると主人は失望と怒りを掻き交ぜた樣な聲をして、座敷の中から此―馬鹿―野―郎と怒鳴つた。此主人は人を罵るときは必す馬鹿野郎といふのが癖である。外に惡口の言ひ樣を知らないのだから仕方がないが、今迄辛棒した人の氣も知らないで、無暗に馬鹿野郎呼はりは失敬だと思ふ。それも平生吾輩が彼の脊中へ乘る時に少しは好い顏でもするなら此漫罵も甘んじて受けるが、こつちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立つたのを馬鹿野郎とは酷い。元來人間といふものは自己の力量に慢じて皆んな増長して居る。少し人間より強いものが出て來て窘めてやらなく[#「やらなく」は底本では「やならく」]ては此先どこ迄増長するか分らない。  我儘も此位なら我慢するが余輩は人間の不徳について是よりも數倍悲しむべき報道を耳にした事がある。  我輩の家の裏に十坪許りの茶園がある。廣くはないが瀟洒(さつぱり)とした心持ち好く日の當る所だ。うちの小供があまり騷いで樂々晝樂[#「晝樂」は底本のまま]の出來ない時や、餘り退屈で腹加減のよくない折抔は、吾輩はいつでも此所へ出て浩然の氣を養ふのが例である。ある小春の穩かな日の二時頃であつたが、吾輩は晝飯後快よく一睡した後、運動かたがたこの茶園へと歩を運ばした。茶の木の根を一本/\臭ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒して其上に大きな猫が前後不覺に寐て居る。彼は吾輩の近付くのも一向心付かざる如く、又心付くも無頓着なる如く、大きな鼾をして長々と體を横へて眠て居る。他の庭内に忍び入りたるものが斯く迄平氣に睡られるものかと、吾輩は竊かに其大膽なる度胸に驚かざるを得なかつた。彼は純粹の黒猫である。僅かに午を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛げかけて、きら/\する柔毛の間より、眼に見えぬ炎でも燃え出づる樣に思はれた。彼は猫中の大王とも云ふべき程の偉大なる體格を有して居る。吾輩の倍は慥かにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立して餘念もなく眺めて居ると、靜かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐の枝を輕く誘つてばら/\と二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はくわつと其眞丸の眼を開いた。今でも記憶して居る。其眼は人間の珍重する琥珀といふものよりも遙かに美しく輝いて居た。彼は身動きもしない。双眸の奧から射る如き光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて。御―め―へは一體何だと云つた。大王にしては少々言葉が卑しいと思つたが何しろ其聲の底に犬をも挫しくべき力が籠つて居るので吾輩は少なからず恐れを抱いた。然し拶挨をしないと險呑だと思つたから「吾輩は猫である。名前はまだない」と可成平氣を裝つて冷然と答へた。然し此時余の心臟は慥かに平時よりも烈しく鼓動して居つた。彼は大に輕蔑せる調子で「何、猫だ?猫が聞いてあきれらあ。全てえ何こに住んでるんだ」隨分傍若無人である。「吾輩はこゝの教師の家に居るのだ」「どうせそんな事だらうと思つた。いやに瘠てるぢやねえか」と大王丈に氣焔を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思はれない。然し其膏切つて肥滿して居る所を見ると御馳走を食つてるらしい、豐かに暮して居るらしい。吾輩は「さう云ふ君は一體誰だい」と聞かざるを得なかつた。「己れあ車屋の黒よ」昂然たるものだ。車屋の黒は此近邊で知らぬ者なき亂暴猫である。然し車屋丈に強い許りでちつとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義の的になつて居る奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々輕侮の念も生じたのである。吾輩は先づ彼がどの位無學であるかを試して見樣と思つて左の問答をして見た。 「一體車屋と教師とはどつちがえらいだらう。」 「車屋の方が強いた極つて居らあな。御―め―へのう―ちの主人を見ねえ、丸で骨と皮ばかりだぜ。」 「君も車屋の猫丈に大分強さうだ。車屋に居ると御馳走が食へると見えるね。」 「何にお―れなんざ、どこの國へ行つたつて食ひ物に不自由はしねえ積りだ。御―め―へなんかも茶畠ばかりぐるぐる廻つて居ねえで、ちつと己の後(あと)へくつ付いて來て見ねえ。一と月たゝねえうちに見違へる樣に太れるぜ。」 「追つてさう願ふ事に仕樣。然し家は教師の方が車屋より大きいのに住んで居る樣に思はれる。」 「箆棒め、うちなんかいくら大きくたつて腹の足しになるもんか。」  彼は大に肝癪に障つた樣子で、寒竹をそいだ樣な耳を頻りとぴく付かせてあらゝかに立ち去つた。余が車屋の黒と知己になつたのはこれからである。[#「。」は底本にはない]  其後吾輩は度々黒と邂逅する。邂逅する毎に彼は車屋相當の氣焔を吐く。先に吾輩が耳にしたといふ不徳事件も實は黒から聞いたのである。  或る日例の如く吾輩と黒は暖かい茶畠の中で寐轉びながら色々雜談をして居ると、彼はいつもの自慢話しを左も新しさうに繰り返したあとで、吾輩に向つて下の如く質問した。「御―め―へは今迄に鼠を何匹とつた事がある」智識は黒よりも餘程發達して居る積りだが腕力と勇氣とに至つては到底黒の比較にはならないと覺悟はして居たものゝ、此問に接したる時は、さすがに極りが善くはなかつた。けれども事實は事實で詐る譯には行かないから、吾輩は「實はとらう/\と思つてまだ捕らない」と答へた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張つて居る長い髭をびり/\と震はせて非常に笑つた。元來黒は自慢をする丈にどこか足りない所があつて、彼の氣焔を感心した樣に咽喉をころ/\鳴らして謹聽して居れば甚だ御し易い猫である。吾輩は彼と近付になつてから直に此呼吸を飮み込んだから[#「から」は底本では「たら」]此塲合にもなまじい己れを辯護して益形勢をわるくするのも愚である、いつその事彼に自分の手柄話をしやべらして御茶を濁すに若くはないと思案を定めた。そこで大人なしく「君抔は年が年であるから大分とつたらう」とそゝのかして見た。果然彼は墻壁の缺所に吶喊して來た。「たんとでもねえが三四十はとつたらう」とは得意氣なる彼の答であつた。彼は猶語をつゞけて[#「て」は底本では「で」]「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがい―た―ちつてえ奴は手に合はねえ。一度い―た―ちに向つて酷い目に逢つた。」「へえ成程」と相槌を打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云ふ。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰の袋を持つて椽の下へ這ひ込んだら御―め―え大きない―た―ちの野郎が面喰つて飛び出したと思ひねえ」「ふん」と感心して見せる。「い―た―ちつてけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。此畜生つて氣で追つかけてとう/\泥溝(どぶ)の中へ追ひ込んだと思ひねえ」「うまく遣つたね」と喝采してやる。「所が御め―えい―ざって―え段になると奴め最後っ屁をこきやがつた。臭えの臭くねえのって夫からってえものはい―た―ちを見ると胸が惡くならあ」彼は是に至つて恰も去年の臭氣を今猶感ずる如く前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻はした。吾輩も少々氣の毒な感じがする。ちつと景氣を付けてやらうと思つて「然し鼠なら君に睨まれては百年目だらう。君は餘り鼠を捕るのが名人で鼠許り食ふものだからそんなに肥つて色つやが善いのだらう」黒の御機嫌をとる爲めの此質問は不思議にも反對の結果を呈出した。彼は喟然として大息していふ。「考げえると誥らねえ。いくら稼いで鼠をとつたつて――一てえ人間程ふてえ奴は世の中に居ねえぜ。人のとつた鼠を皆んな取り上げやがって交番へ持つて行きあがる。交番じや誰が捕つたか分らねえから其た―ん―びに五錢宛くれるぢやねえか。うちの亭主なんか己の御蔭でもう壹圓五十錢位儲けて居やがる癖に、碌なものを食せた事もありやしねえ。おい人間てものあ體の善い泥棒だぜ」さすが無學の黒も此位の理窟はわかると見えて頗る怒つた容子で脊中の毛を逆立てゝ居る。吾輩は少々氣味が惡くなつたから善い加減に其塲を胡魔化して家へ歸つた。此時から吾輩は决して鼠をとるまいと决心した。然し黒の子分になつて鼠以外の御馳走を獵つてあるく事もしなかつた。御馳走を食ふよりも寢て居た方が氣樂でいゝ。教師の家に居ると猫も教師の樣な性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。  教師といへば吾輩の主人も近頃に至つては到底水彩畫に於て望のない事を悟つたものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。[#「。」は底本にはない] [#引用文、本文より2字下げ] ○○と云ふ人に今日の會で始めて出逢つた。あの人は大分放蕩をした人だと云ふが成程通人らしい風采をして居る。かう云ふ質の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云ふよりも放蕩をする可く餘儀なくせられたと云ふのが適當であらう。あの人の妻君は藝者ださうだ、羨[#「羨」の さんずい は、底本では にすい]しい事である。元來放蕩家を惡くいふ人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。又放蕩家を以つて自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。是等は餘儀なくされないのに無理に進んでやるのである。恰も我輩の水彩畫に於るが如きもので到底卒業する氣づかひはない。然るにも關せず、自分丈は通人だと思つて濟して居る。料理屋の酒を飮んだり待合へ這入るから通人となり得るといふ論が立つなら、我輩も一廉の水彩畫家になり得る理窟だ。我輩の水彩畫の如きはかゝない方がましであると同じ樣に、愚昧なる通人よりも山出しの大野暮の方が遙かに上等だ。 [#引用文、ここまで]  通人論は一寸首肯しかねる。又藝者の妻君を羨[#「羨」の さんずい は、底本では にすい]しい抔といふ所は教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩畫に於ける批評眼丈は慥かなものだ。主人は斯の如く自知の明あるにも關せず其自惚心は中々拔けない。中二日置いて十二月四日の日記にこんな事を書いて居る。[#「。」は底本では「、」] [#引用文、本文より2字下げ] 昨夜は僕が水彩畫をかいて到底物にならんと思つて、そこらに抛つて置たのを誰かゞ立派な額にして欄間に懸けて呉れた夢を見た。偖額になつた所を見ると我ながら急に上手になつた。非常に嬉しい。是なら立派なものだと獨りで眺め暮らして居ると、夜が明けて眼が覺めて、矢張り元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になつて仕舞つた。 [#引用文、ここまで] 主人は夢の裡迄水彩畫の未練を負脊つてあるいて居ると見える。是では水彩畫家は無論夫子の所謂通人にもなれない質だ。  主人が水彩畫を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美學者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭第一に「畫はどうかね」と口を切つた。主人は平氣な顏をして「君の忠告に從つて寫生を力めて居るが、成程寫生をすると今迄氣のつかなかつた物の形や、色の精細な變化抔がよく分る樣だ。西洋では昔しから寫生を主張した結果今日の樣に發達したものと思はれる。さすがアンドレア、デル、サルト、だ」と日記の事はおくびにも出さないで、又アンドレア、デル、サルトに感心する。美學者は笑ひながら「實は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだ※はられた事に氣がつかない。「何がつて君の頻りに感服して居るアンドレア、デル、サルトさ。あれは僕の一寸捏造した話しだ。君がそんなに眞面目に信じ樣とは思はなかつたハヽヽヽ」と大喜悦の體である。吾輩は椽側で此對話を聞いて彼の今日の日記には如何なる事が記るさるゝであらうかと豫め想像せざるを得なかつた。此美學者はこんな好加減な事を吹き散らして人を擔ぐのを唯一の樂にして居る男である。彼はアンドレア、デル、サルト事件が主人の情線に如何なる響を傳へたかを毫も顧慮せざるものゝ如く得意になつて下の樣な事を饒舌つた。「いや時々冗談を言ふと人が眞に受けるので大に滑稽的美感を挑撥するのは面白い。先達である學生にニコラス、ニツクルベーがギポンに忠告して彼の一世の大著述なる佛國革命史を佛語で書くのをやめにして英文で出版させたと言つたら、其學生が又馬鹿に記憶の善い男で、日本文學會の演説會で眞面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であつた。所が其時の傍聽者は約百名許りであつたが、皆熱心にそれを傾聽して居つた。夫からまだ面白い話がある。先達て或る文學者の居る席でハリソンの歴史小説セオフアーノの話しが出たから僕はあれは歴史小説の中で白眉である。ことに女主人公が死ぬ所は鬼氣人を襲ふ樣だと評したら、僕の向ふに坐つて居る知らんと云つた事のない先生が、さう/\あすこは實に名文だといつた。それで僕は此男も矢張僕同樣此小説を讀んで居らないといふ事を知つた」神經胃弱性の主人は眼を丸くして問ひかけた。「そんな出鱈目をいつて若し相手が讀んで居たらうどうする積りだ」恰も人を欺くのは差支ない、只化の皮があらはれた時は困るじやないかと感じたるものゝ如くである。美學者は少しも動じない。「なに其時や別の本と間違へたとか何とか云ふ許りさ」と云つてけら/\笑つて居る。此美學者は金縁の眼鏡は掛て居るが其性質が車屋の黒に似た所がある。主人は默つて日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇氣はないと云はん許りの顏をして居る。美學者はそれだから畫をかいても駄目だといふ眼付で「然し冗談は冗談だが畫といふものは實際六づか敷ものだよレオナルド、ダ、井゛ンチ[#「井゛」は「井」に濁点の一字]は門下生に寺院の壁のし―みを寫せと教へた事があるさうだ。なる程雪隱抔に這入つて雨の漏る壁を餘念なく眺めて居ると、中々うまい模樣畫が自然に出來て居るぜ。君注意して寫生して見給へ屹度面白いものが出來るから」「又欺すのだらう」「いへ是丈は慥かだよ。實際奇警な語ぢやないかヰ゛ンチ[#「ヰ゛」は「ヰ」に濁点の一字]でもいひさうな事だあね」「成程奇警には相違ないな」と主人は半分降參をした。然し彼はまだ雪隱で寫生はせぬ樣だ。  車屋の黒は其後跛になつた。彼の光澤ある毛は漸々色が褪めて拔けて來る。吾輩が琥珀よりも美いと評した彼の眼には眼脂が一杯たまつて居る。殊に著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元氣の消沈と其體格の惡くなつた事である。吾輩が例の茶園で彼に逢つた最後の日、どうだと云つて尋ねたら「い―た―ちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」といつた。  赤松の間に二三段の紅を綴つた紅葉は昔しの夢の如く散つてつ―く―ば―ひに近く代る/″\[#「/″\」は底本では「/\」]花瓣をこぼした紅白の山茶花も殘りなく落ち盡した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が傾いて木枯の吹かない日は殆んど稀になつてから吾輩の晝寢の時間も狹められた樣な氣がする。  主人は毎日學校へ行く。歸ると書齋へ立て籠る。人が來ると、教師が厭だ/\といふ。水彩畫も滅多にかゝない。タカチヤスターゼも功能がないといつてやめて仕舞た。小供は感心に休まないで幼稚園へかよふ。歸ると唱歌を歌つて、毬をついて、時々吾輩を尻尾でぶら下げる。  吾輩は御馳走も食はないから別段肥りもしないが、先々健康で跛にもならずに其日/\を暮して居る。鼠は决して取らない。おさんは未だに嫌ひである。名前はまだつけて呉れないが、欲をいつても際限がないから生涯此教師の家で無名の猫で終る積りだ。 [#本文中の「丸」は、「九」の中に「ヽ」の小さいものを打った字] [#本文中の「減」の さんずい は、底本では にすい] [#本文中の「熱」は、底本では「執に れっか」] [#本文中の「焔」は、底本では 火偏に「稲」の旁] 底本:「新選 名著復刻全集 近代文学館 吾輩ハ猫デアル」財団法人 日本近代文学館    1974(昭和49)年12月1日発行 第13刷 入力:柴田卓治、かなゐ 校正:かなゐ ファイル作成:野口英司 1999年9月17日公開 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について 本文中の/\は、二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) 本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。 ※はられた事に氣がつかない 第4水準2-88-74 夏目漱石 野分 野分 夏目漱石 一  白井道也は文学者である。  八年前大学を卒業してから田舎の中学を二三箇所流して歩いた末、去年の春飄然と東京へ戻って来た。流すとは門附に用いる言葉で飄然とは徂徠に拘わらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。縺れたる糸の片端も眼を着すればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。ただ一筋の出処の裏には十重二十重の因縁が絡んでいるかも知れぬ。鴻雁の北に去りて乙鳥の南に来るさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。  始めて赴任したのは越後のどこかであった。越後は石油の名所である。学校の在る町を四五町隔てて大きな石油会社があった。学校のある町の繁栄は三分二以上この会社の御蔭で維持されている。町のものに取っては幾個の中学校よりもこの石油会社の方が遥かにありがたい。会社の役員は金のある点において紳士である。中学の教師は貧乏なところが下等に見える。この下等な教師と金のある紳士が衝突すれば勝敗は誰が眼にも明かである。道也はある時の演説会で、金力と品性と云う題目のもとに、両者の必ずしも一致せざる理由を説明して、暗に会社の役員らの暴慢と、青年子弟の何らの定見もなくしていたずらに黄白万能主義を信奉するの弊とを戒めた。  役員らは生意気な奴だと云った。町の新聞は無能の教師が高慢な不平を吐くと評した。彼の同僚すら余計な事をして学校の位地を危うくするのは愚だと思った。校長は町と会社との関係を説いて、漫に平地に風波を起すのは得策でないと説諭した。道也の最後に望を属していた生徒すらも、父兄の意見を聞いて、身のほどを知らぬ馬鹿教師と云い出した。道也は飄然として越後を去った。  次に渡ったのは九州である。九州を中断してその北部から工業を除けば九州は白紙となる。炭礦の煙りを浴びて、黒い呼吸をせぬ者は人間の資格はない。垢光りのする背広の上へ蒼い顔を出して、世の中がこうの、社会がああの、未来の国民がなんのかのと白銅一個にさえ換算の出来ぬ不生産的な言説を弄するものに存在の権利のあろうはずがない。権利のないものに存在を許すのは実業家の御慈悲である。無駄口を叩く学者や、蓄音機の代理をする教師が露命をつなぐ月々幾片の紙幣は、どこから湧いてくる。手の掌をぽんと叩けば、自から降る幾億の富の、塵の塵の末を舐めさして、生かして置くのが学者である、文士である、さては教師である。  金の力で活きておりながら、金を誹るのは、生んで貰った親に悪体をつくと同じ事である。その金を作ってくれる実業家を軽んずるなら食わずに死んで見るがいい。死ねるか、死に切れずに降参をするか、試めして見ようと云って抛り出された時、道也はまた飄然と九州を去った。  第三に出現したのは中国辺の田舎である。ここの気風はさほどに猛烈な現金主義ではなかった。ただ土着のものがむやみに幅を利かして、他県のものを外国人と呼ぶ。外国人と呼ぶだけならそれまでであるが、いろいろに手を廻わしてこの外国人を征服しようとする。宴会があれば宴会でひやかす。演説があれば演説であてこする。それから新聞で厭味を並べる。生徒にからかわせる。そうしてそれが何のためでもない。ただ他県のものが自分と同化せぬのが気に懸るからである。同化は社会の要素に違ない。仏蘭西のタルドと云う学者は社会は模倣なりとさえ云うたくらいだ。同化は大切かも知れぬ。その大切さ加減は道也といえども心得ている。心得ているどころではない、高等な教育を受けて、広義な社会観を有している彼は、凡俗以上に同化の功徳を認めている。ただ高いものに同化するか低いものに同化するかが問題である。この問題を解釈しないでいたずらに同化するのは世のためにならぬ。自分から云えば一分が立たぬ。  ある時旧藩主が学校を参観に来た。旧藩主は殿様で華族様である。所のものから云えば神様である。この神様が道也の教室へ這入って来た時、道也は別に意にも留めず授業を継続していた。神様の方では無論挨拶もしなかった。これから事が六ずかしくなった。教場は神聖である。教師が教壇に立って業を授けるのは侍が物の具に身を固めて戦場に臨むようなものである。いくら華族でも旧藩主でも、授業を中絶させる権利はないとは道也の主張であった。この主張のために道也はまた飄然として任地を去った。去る時に土地のものは彼を目して頑愚だと評し合うたそうである。頑愚と云われたる道也はこの嘲罵を背に受けながら飄然として去った。  三たび飄然と中学を去った道也は飄然と東京へ戻ったなり再び動く景色がない。東京は日本で一番世地辛い所である。田舎にいるほどの俸給を受けてさえ楽には暮せない。まして教職を抛って両手を袂へ入れたままで遣り切るのは、立ちながらみいらとなる工夫と評するよりほかに賞めようのない方法である。  道也には妻がある。妻と名がつく以上は養うべき義務は附随してくる。自からみいらとなるのを甘んじても妻を干乾にする訳には行かぬ。干乾にならぬよほど前から妻君はすでに不平である。  始めて越後を去る時には妻君に一部始終を話した。その時妻君はごもっともでござんすと云って、甲斐甲斐しく荷物の手拵を始めた。九州を去る時にもその顛末を云って聞かせた。今度はまたですかと云ったぎり何にも口を開かなかった。中国を出る時の妻君の言葉は、あなたのように頑固ではどこへいらしっても落ちつけっこありませんわと云う訓戒的の挨拶に変化していた。七年の間に三たび漂泊して、三たび漂泊するうちに妻君はしだいと自分の傍を遠退くようになった。  妻君が自分の傍を遠退くのは漂泊のためであろうか、俸禄を棄てるためであろうか。何度漂泊しても、漂泊するたびに月給が上がったらどうだろう。妻君は依然として「あなたのように……」と不服がましい言葉を洩らしたろうか。博士にでもなって、大学教授に転任してもやはり「あなたのように……」が繰り返されるであろうか。妻君の了簡は聞いて見なければ分らぬ。  博士になり、教授になり、空しき名を空しく世間に謳わるるがため、その反響が妻君の胸に轟いて、急に夫の待遇を変えるならばこの細君は夫の知己とは云えぬ。世の中が夫を遇する朝夕の模様で、夫の価値を朝夕に変える細君は、夫を評価する上において、世間並の一人である。嫁がぬ前、名を知らぬ前、の己れと異なるところがない。従って夫から見ればあかの他人である。夫を知る点において嫁ぐ前と嫁ぐ後とに変りがなければ、少なくともこの点において細君らしいところがないのである。世界はこの細君らしからぬ細君をもって充満している。道也は自分の妻をやはりこの同類と心得ているだろうか。至る所に容れられぬ上に、至る所に起居を共にする細君さえ自分を解してくれないのだと悟ったら、定めて心細いだろう。  世の中はかかる細君をもって充満していると云った。かかる細君をもって充満しておりながら、皆円満にくらしている。順境にある者が細君の心事をここまでに解剖する必要がない。皮膚病に罹ればこそ皮膚の研究が必要になる。病気も無いのに汚ないものを顕微鏡で眺めるのは、事なきに苦しんで肥柄杓を振り廻すと一般である。ただこの順境が一転して逆落しに運命の淵へころがり込む時、いかな夫婦の間にも気まずい事が起る。親子の覊絆もぽつりと切れる。美くしいのは血の上を薄く蔽う皮の事であったと気がつく。道也はどこまで気がついたか知らぬ。  道也の三たび去ったのは、好んで自から窮地に陥るためではない。罪もない妻に苦労を掛けるためではなおさらない。世間が己れを容れぬから仕方がないのである。世が容れぬならなぜこちらから世に容れられようとはせぬ? 世に容れられようとする刹那に道也は奇麗に消滅してしまうからである。道也は人格において流俗より高いと自信している。流俗より高ければ高いほど、低いものの手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である。高いと知りながらも低きにつくのは、自から多年の教育を受けながら、この教育の結果がもたらした財宝を床下に埋むるようなものである。自分の人格を他に及ぼさぬ以上は、せっかくに築き上げた人格は、築きあげぬ昔と同じく無功力で、築き上げた労力だけを徒費した訳になる。英語を教え、歴史を教え、ある時は倫理さえ教えたのは、人格の修養に附随して蓄えられた、芸を教えたのである。単にこの芸を目的にして学問をしたならば、教場で書物を開いてさえいれば済む。書物を開いて飯を食って満足しているのは綱渡りが綱を渡って飯を食い、皿廻しが皿を廻わして飯を食うのと理論において異なるところはない。学問は綱渡りや皿廻しとは違う。芸を覚えるのは末の事である。人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重の等差を知る、好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬まらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。  道也はこう考えている。だから芸を售って口を糊するのを恥辱とせぬと同時に、学問の根底たる立脚地を離るるのを深く陋劣と心得た。彼が至る所に容れられぬのは、学問の本体に根拠地を構えての上の去就であるから、彼自身は内に顧みて疚しいところもなければ、意気地がないとも思いつかぬ。頑愚などと云う嘲罵は、掌へ載せて、夏の日の南軒に、虫眼鏡で検査しても了解が出来ん。  三度教師となって三度追い出された彼は、追い出されるたびに博士よりも偉大な手柄を立てたつもりでいる。博士はえらかろう、しかしたかが芸で取る称号である。富豪が製艦費を献納して従五位をちょうだいするのと大した変りはない。道也が追い出されたのは道也の人物が高いからである。正しき人は神の造れるすべてのうちにて最も尊きものなりとは西の国の詩人の言葉だ。道を守るものは神よりも貴しとは道也が追わるるごとに心のうちで繰り返す文句である。ただし妻君はかつてこの文句を道也の口から聞いた事がない。聞いても分かるまい。  わからねばこそ餓え死にもせぬ先から、夫に対して不平なのである。不平な妻を気の毒と思わぬほどの道也ではない。ただ妻の歓心を得るために吾が行く道を曲げぬだけが普通の夫と違うのである。世は単に人と呼ぶ。娶れば夫である。交われば友である。手を引けば兄、引かるれば弟である。社会に立てば先覚者にもなる。校舎に入れば教師に違いない。さるを単に人と呼ぶ。人と呼んで事足るほどの世間なら単純である。妻君は常にこの単純な世界に住んでいる。妻君の世界には夫としての道也のほかには学者としての道也もない、志士としての道也もない。道を守り俗に抗する道也はなおさらない。夫が行く先き先きで評判が悪くなるのは、夫の才が足らぬからで、到る所に職を辞するのは、自から求むる酔興にほかならんとまで考えている。  酔興を三たび重ねて、東京へ出て来た道也は、もう田舎へは行かぬと言い出した。教師ももうやらぬと妻君に打ち明けた。学校に愛想をつかした彼は、愛想をつかした社会状態を矯正するには筆の力によらねばならぬと悟ったのである。今まではいずこの果で、どんな職業をしようとも、己れさえ真直であれば曲がったものは苧殻のように向うで折れべきものと心得ていた。盛名はわが望むところではない。威望もわが欲するところではない。ただわが人格の力で、未来の国民をかたちづくる青年に、向上の眼を開かしむるため、取捨分別の好例を自家身上に示せば足るとのみ思い込んで、思い込んだ通りを六年余り実行して、見事に失敗したのである。渡る世間に鬼はないと云うから、同情は正しき所、高き所、物の理窟のよく分かる所に聚まると早合点して、この年月を今度こそ、今度こそ、と経験の足らぬ吾身に、待ち受けたのは生涯の誤りである。世はわが思うほどに高尚なものではない、鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるものにのみ随う影にほかならぬ。  ここまで進んでおらぬ世を買い被って、一足飛びに田舎へ行ったのは、地ならしをせぬ地面の上へ丈夫な家を建てようとあせるようなものだ。建てかけるが早いか、風と云い雨と云う曲者が来て壊してしまう。地ならしをするか、雨風を退治るかせぬうちは、落ちついてこの世に住めぬ。落ちついて住めぬ世を住めるようにしてやるのが天下の士の仕事である。  金も勢もないものが天下の士に恥じぬ事業を成すには筆の力に頼らねばならぬ。舌の援を藉らねばならぬ。脳味噌を圧搾して利他の智慧を絞らねばならぬ。脳味噌は涸れる、舌は爛れる、筆は何本でも折れる、それでも世の中が云う事を聞かなければそれまでである。  しかし天下の士といえども食わずには働けない。よし自分だけは食わんで済むとしても、妻は食わずに辛抱する気遣はない。豊かに妻を養わぬ夫は、妻の眼から見れば大罪人である。今年の春、田舎から出て来て、芝琴平町の安宿へ着いた時、道也と妻君の間にはこんな会話が起った。 「教師をおやめなさるって、これから何をなさるおつもりですか」 「別にこれと云うつもりもないがね、まあ、そのうち、どうかなるだろう」 「その内どうかなるだろうって、それじゃまるで雲を攫むような話しじゃありませんか」 「そうさな。あんまり判然としちゃいない」 「そう呑気じゃ困りますわ。あなたは男だからそれでようござんしょうが、ちっとは私の身にもなって見て下さらなくっちゃあ……」 「だからさ、もう田舎へは行かない、教師にもならない事にきめたんだよ」 「きめるのは御勝手ですけれども、きめたって月給が取れなけりゃ仕方がないじゃありませんか」 「月給がとれなくっても金がとれれば、よかろう」 「金がとれれば……そりゃようござんすとも」 「そんなら、いいさ」 「いいさって、御金がとれるんですか、あなた」 「そうさ、まあ取れるだろうと思うのさ」 「どうして?」 「そこは今考え中だ。そう着、早々計画が立つものか」 「だから心配になるんですわ。いくら東京にいるときめたって、きめただけの思案じゃ仕方がないじゃありませんか」 「どうも御前はむやみに心配性でいけない」 「心配もしますわ、どこへいらしっても折合がわるくっちゃ、おやめになるんですもの。私が心配性なら、あなたはよっぽど癇癪持ちですわ」 「そうかも知れない。しかしおれの癇癪は……まあ、いいや。どうにか東京で食えるようにするから」 「御兄さんの所へいらしって御頼みなすったら、どうでしょう」 「うん、それも好いがね。兄はいったい人の世話なんかする男じゃないよ」 「あら、そう何でも一人できめて御しまいになるから悪るいんですわ。昨日もあんなに親切にいろいろ言って下さったじゃありませんか」 「昨日か。昨日はいろいろ世話を焼くような事を言った。言ったがね……」 「言ってもいけないんですか」 「いけなかないよ。言うのは結構だが……あんまり当にならないからな」 「なぜ?」 「なぜって、その内だんだんわかるさ」 「じゃ御友達の方にでも願って、あしたからでも運動をなすったらいいでしょう」 「友達って別に友達なんかありゃしない。同級生はみんな散ってしまった」 「だって毎年年始状を御寄こしになる足立さんなんか東京で立派にしていらっしゃるじゃありませんか」 「足立か、うん、大学教授だね」 「そう、あなたのように高くばかり構えていらっしゃるから人に嫌われるんですよ。大学教授だねって、大学の先生になりゃ結構じゃありませんか」 「そうかね。じゃ足立の所へでも行って頼んで見ようよ。しかし金さえ取れれば必ず足立の所へ行く必要はなかろう」 「あら、まだあんな事を云っていらっしゃる。あなたはよっぽど強情ね」 「うん、おれはよっぽど強情だよ」 二  午に逼る秋の日は、頂く帽を透して頭蓋骨のなかさえ朗かならしめたかの感がある。公園のロハ台はそのロハ台たるの故をもってことごとくロハ的に占領されてしまった。高柳君は、どこぞ空いた所はあるまいかと、さっきからちょうど三度日比谷を巡回した。三度巡回して一脚の腰掛も思うように我を迎えないのを発見した時、重そうな足を正門のかたへ向けた。すると反対の方から同年輩の青年が早足に這入って来て、やあと声を掛けた。 「やあ」と高柳君も同じような挨拶をした。 「どこへ行ったんだい」と青年が聞く。 「今ぐるぐる巡って、休もうと思ったが、どこも空いていない。駄目だ、ただで掛けられる所はみんな人が先へかけている。なかなか抜目はないもんだな」 「天気がいいせいだよ。なるほど随分人が出ているね。――おい、あの孟宗藪を回って噴水の方へ行く人を見たまえ」 「どれ。あの女か。君の知ってる人かね」 「知るものか」 「それじゃ何で見る必要があるのだい」 「あの着物の色さ」 「何だか立派なものを着ているじゃないか」 「あの色を竹藪の傍へ持って行くと非常にあざやかに見える。あれは、こう云う透明な秋の日に照らして見ないと引き立たないんだ」 「そうかな」 「そうかなって、君そう感じないか」 「別に感じない。しかし奇麗は奇麗だ」 「ただ奇麗だけじゃ可哀想だ。君はこれから作家になるんだろう」 「そうさ」 「それじゃもう少し感じが鋭敏でなくっちゃ駄目だぜ」 「なに、あんな方は鈍くってもいいんだ。ほかに鋭敏なところが沢山あるんだから」 「ハハハハそう自信があれば結構だ。時に君せっかく逢ったものだから、もう一遍あるこうじゃないか」 「あるくのは、真平だ。これからすぐ電車へ乗って帰えらないと午食を食い損なう」 「その午食を奢ろうじゃないか」 「うん、また今度にしよう」 「なぜ? いやかい」 「厭じゃない――厭じゃないが、始終御馳走にばかりなるから」 「ハハハ遠慮か。まあ来たまえ」と青年は否応なしに高柳君を公園の真中の西洋料理屋へ引っ張り込んで、眺望のいい二階へ陣を取る。  注文の来る間、高柳君は蒼い顔へ両手で突っかい棒をして、さもつかれたと云う風に往来を見ている。青年は独りで「ふんだいぶ広いな」「なかなか繁昌すると見える」「なんだ、妙な所へ姿見の広告などを出して」などと半分口のうちで云うかと思ったら、やがて洋袴の隠袋へ手を入れて「や、しまった。煙草を買ってくるのを忘れた」と大きな声を出した。 「煙草なら、ここにあるよ」と高柳君は「敷島」の袋を白い卓布の上へ抛り出す。  ところへ下女が御誂を持ってくる。煙草に火を点ける間はなかった。 「これは樽麦酒だね。おい君樽麦酒の祝杯を一つ挙げようじゃないか」と青年は琥珀色の底から湧き上がる泡をぐいと飲む。 「何の祝杯を挙げるのだい」と高柳君は一口飲みながら青年に聞いた。 「卒業祝いさ」 「今頃卒業祝いか」と高柳君は手のついた洋盃を下へおろしてしまった。 「卒業は生涯にたった一度しかないんだから、いつまで祝ってもいいさ」 「たった一度しかないんだから祝わないでもいいくらいだ」 「僕とまるで反対だね。――姉さん、このフライは何だい。え? 鮭か。ここん所へ君、このオレンジの露をかけて見たまえ」と青年は人指指と親指の間からちゅうと黄色い汁を鮭の衣の上へ落す。庭の面にはらはらと降る時雨のごとく、すぐ油の中へ吸い込まれてしまった。 「なるほどそうして食うものか。僕は装飾についてるのかと思った」  姿見の札幌麦酒の広告の本に、大きくなって構えていた二人の男が、この時急に大きな破れるような声を出して笑い始めた。高柳君はオレンジをつまんだまま、厭な顔をして二人を見る。二人はいっこう構わない。 「いや行くよ。いつでも行くよ。エヘヘヘヘ。今夜行こう。あんまり気が早い。ハハハハハ」 「エヘヘヘヘ。いえね、実はね、今夜あたり君を誘って繰り出そうと思っていたんだ。え? ハハハハ。なにそれほどでもない。ハハハハ。そら例のが、あれでしょう。だから、どうにもこうにもやり切れないのさ。エヘヘヘヘ、アハハハハハハ」  土鍋の底のような赭い顔が広告の姿見に写って崩れたり、かたまったり、伸びたり縮んだり、傍若無人に動揺している。高柳君は一種異様な厭な眼つきを転じて、相手の青年を見た。 「商人だよ」と青年が小声に云う。 「実業家かな」と高柳君も小声に答えながら、とうとうオレンジを絞るのをやめてしまった。  土鍋の底は、やがて勘定を払って、ついでに下女にからかって、二階を買い切ったような大きな声を出して、そうして出て行った。 「おい中野君」 「むむ?」と青年は鳥の肉を口いっぱい頬張っている。 「あの連中は世の中を何と思ってるだろう」 「何とも思うものかね。ただああやって暮らしているのさ」 「羨やましいな。どうかして――どうもいかんな」 「あんなものが羨しくっちゃ大変だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだろう。さあもう一杯景気よく飲んだ」 「あの人が羨ましいのじゃないが、ああ云う風に余裕があるような身分が羨ましい。いくら卒業したってこう奔命に疲れちゃ、少しも卒業のありがた味はない」 「そうかなあ、僕なんざ嬉しくってたまらないがなあ。我々の生命はこれからだぜ。今からそんな心細い事を云っちゃあしようがない」 「我々の生命はこれからだのに、これから先が覚束ないから厭になってしまうのさ」 「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、大にやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼は消化がいいって云うぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀を揮って厚切りの一片を中央から切断した。 「なあるほど、赤い。赤いよ君、見たまえ。血が出るよ」  高柳君は何にも答えずにむしゃむしゃ赤いビステキを食い始めた。いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった。  人にわが不平を訴えんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把な慰藉を与えらるるのは快よくないものだ。わが不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞に気の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減を眺めながら、相手はなぜこう感情が粗大だろうと思った。もう少し切り込みたいと云う矢先へ持って来て、ざああと水を懸けるのが中野君の例である。不親切な人、冷淡な人ならば始めからそれ相応の用意をしてかかるから、いくら冷たくても驚ろく気遣はない。中野君がかような人であったなら、出鼻をはたかれてもさほどに口惜しくはなかったろう。しかし高柳君の眼に映ずる中野輝一は美しい、賢こい、よく人情を解して事理を弁えた秀才である。この秀才が折々この癖を出すのは解しにくい。  彼らは同じ高等学校の、同じ寄宿舎の、同じ窓に机を並べて生活して、同じ文科に同じ教授の講義を聴いて、同じ年のこの夏に同じく学校を卒業したのである。同じ年に卒業したものは両手の指を二三度屈するほどいる。しかしこの二人ぐらい親しいものはなかった。  高柳君は口数をきかぬ、人交りをせぬ、厭世家の皮肉屋と云われた男である。中野君は鷹揚な、円満な、趣味に富んだ秀才である。この両人が卒然と交を訂してから、傍目にも不審と思われるくらい昵懇な間柄となった。運命は大島の表と秩父の裏とを縫い合せる。  天下に親しきものがただ一人あって、ただこの一人よりほかに親しきものを見出し得ぬとき、この一人は親でもある、兄弟でもある。さては愛人である。高柳君は単なる朋友をもって中野君を目してはおらぬ。その中野君がわが不平を残りなく聞いてくれぬのは残念である。途中で夕立に逢って思う所へ行かずに引き返したようなものである。残りなく聞いてくれぬ上に、呑気な慰藉をかぶせられるのはなおさら残念だ。膿を出してくれと頼んだ腫物を、いい加減の真綿で、撫で廻わされたってむず痒いばかりである。  しかしこう思うのは高柳君の無理である。御雛様に芸者の立て引きがないと云って攻撃するのは御雛様の恋を解せぬものの言草である。中野君は富裕な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵へあたって、椽側の硝子戸越に眺めたばかりである。友禅の模様はわかる、金屏の冴えも解せる、銀燭の耀きもまばゆく思う。生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの木強漢では無論ない。ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。たまには歩いていて、気がつかぬとも限らぬ。しかしさぞ暗い事だろうと身に沁みてぞっとする事はあるまい。高柳君はこの暗い所に淋しく住んでいる人間である。中野君とはただ大地を踏まえる足の裏が向き合っているというほかに何らの交渉もない。縫い合わされた大島の表と秩父の裏とは覚束なき針の目を忍んで繋ぐ、細い糸の御蔭である。この細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河が横わっている。歯を病んだ事のないものに、歯の痛みを持って行くよりも、早く歯医者に馳けつけるのが近道だ。そう痛がらんでもいいさと云われる病人は、けっして慰藉を受けたとは思うまい。 「君などは悲観する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で断念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもがもがさせながら、右の手を首と共に左右に振ったのは、高柳君に同意を表しないのと見える。 「僕が悲観する必要がない? 悲観する必要がないとすると、つまりおめでたい人間と云う意味になるね」  高柳君は覚えず、薄い唇を動かしかけたが、微かな漣は頬まで広がらぬ先に消えた。相手はなお言葉をつづける。 「僕だって三年も大学にいて多少の哲学書や文学書を読んでるじゃないか。こう見えても世の中が、どれほど悲観すべきものであるかぐらいは知ってるつもりだ」 「書物の上でだろう」と高柳君は高い山から谷底を見下ろしたように云う。 「書物の上――書物の上では無論だが、実際だって、これでなかなか苦痛もあり煩悶もあるんだよ」 「だって、生活には困らないし、時間は充分あるし、勉強はしたいだけ出来るし、述作は思う通りにやれるし。僕に較べると君は実に幸福だ」と高柳君今度はさも羨ましそうに嘆息する。 「ところが裏面はなかなかそんな気楽なんじゃないさ。これでもいろいろ心配があって、いやになるのだよ」と中野君は強いて心配の所有権を主張している。 「そうかなあ」と相手は、なかなか信じない。 「そう君まで茶かしちゃ、いよいよつまらなくなる。実は今日あたり、君の所へでも出掛けて、大に同情してもらおうかと思っていたところさ」 「訳をきかせなくっちゃ同情も出来ないね」 「訳はだんだん話すよ。あんまり、くさくさするから、こうやって散歩に来たくらいなものさ。ちっとは察しるがいい」  高柳君は今度は公然とにやにやと笑った。ちっとは察しるつもりでも、察しようがないのである。 「そうして、君はまたなんで今頃公園なんか散歩しているんだね」と中野君は正面から高柳君の顔を見たが、 「や、君の顔は妙だ。日の射している右側の方は大変血色がいいが、影になってる方は非常に色沢が悪い。奇妙だな。鼻を境に矛盾が睨めこをしている。悲劇と喜劇の仮面を半々につぎ合せたようだ」と息もつがず、述べ立てた。  この無心の評を聞いた、高柳君は心の秘密を顔の上で読まれたように、はっと思うと、右の手で額の方から顋のあたりまで、ぐるりと撫で廻わした。こうして顔の上の矛盾をかき混ぜるつもりなのかも知れない。 「いくら天気がよくっても、散歩なんかする暇はない。今日は新橋の先まで遺失品を探がしに行ってその帰りがけにちょっとついでだから、ここで休んで行こうと思って来たのさ」と顔を攪き廻した手を顎の下へかって依然として浮かぬ様子をする。悲劇の面と喜劇の面をまぜ返えしたから通例の顔になるはずであるのに、妙に濁ったものが出来上ってしまった。 「遺失品て、何を落したんだい」 「昨日電車の中で草稿を失って――」 「草稿? そりゃ大変だ。僕は書き上げた原稿が雑誌へ出るまでは心配でたまらない。実際草稿なんてものは、吾々に取って、命より大切なものだからね」 「なに、そんな大切な草稿でも書ける暇があるようだといいんだけれども――駄目だ」と自分を軽蔑したような口調で云う。 「じゃ何の草稿だい」 「地理教授法の訳だ。あしたまでに届けるはずにしてあるのだから、今なくなっちゃ原稿料も貰えず、またやり直さなくっちゃならず、実に厭になっちまう」 「それで、探がしに行っても出て来ないのかい」 「来ない」 「どうしたんだろう」 「おおかた車掌が、うちへ持って行って、はたきでも拵えたんだろう」 「まさか、しかし出なくっちゃ困るね」 「困るなあ自分の不注意と我慢するが、その遺失品係りの厭な奴だ事って――実に不親切で、形式的で――まるで版行におしたような事をぺらぺらと一通り述べたが以上、何を聞いても知りません知りませんで持ち切っている。あいつは廿世紀の日本人を代表している模範的人物だ。あすこの社長もきっとあんな奴に違ない」 「ひどく癪に障ったものだね。しかし世の中はその遺失品係りのようなのばかりじゃないからいいじゃないか」 「もう少し人間らしいのがいるかい」 「皮肉な事を云う」 「なに世の中が皮肉なのさ。今の世のなかは冷酷の競進会見たようなものだ」と云いながら呑みかけの「敷島」を二階の欄干から、下へ抛げる途端に、ありがとうと云う声がして、ぬっと門口を出た二人連の中折帽の上へ、うまい具合に燃殻が乗っかった。男は帽子から煙を吐いて得意になって行く。 「おい、ひどい事をするぜ」と中野君が云う。 「なに過ちだ。――ありゃ、さっきの実業家だ。構うもんか抛って置け」 「なるほどさっきの男だ。何で今までぐずぐずしていたんだろう。下で球でも突いていたのか知らん」 「どうせ遺失品係りの同類だから何でもするだろう」 「そら気がついた――帽子を取ってはたいている」 「ハハハハ滑稽だ」と高柳君は愉快そうに笑った。 「随分人が悪いなあ」と中野君が云う。 「なるほど善くないね。偶然とは申しながら、あんな事で仇を打つのは下等だ。こんな真似をして嬉しがるようでは文学士の価値もめちゃめちゃだ」と高柳君は瞬時にしてまた元の浮かぬ顔にかえる。 「そうさ」と中野君は非難するような賛成するような返事をする。 「しかし文学士は名前だけで、その実は筆耕だからな。文学士にもなって、地理教授法の翻訳の下働きをやってるようじゃ、心細い訳だ。これでも僕が卒業したら、卒業したらって待っててくれた親もあるんだからな。考えると気の毒なものだ。この様子じゃいつまで待っててくれたって仕方がない」 「まだ卒業したばかりだから、そう急に有名にはなれないさ。そのうち立派な作物を出して、大に本領を発揮する時に天下は我々のものとなるんだよ」 「いつの事やら」 「そう急いたって、いけない。追々新陳代謝してくるんだから、何でも気を永くして尻を据えてかからなくっちゃ、駄目だ。なに、世間じゃ追々我々の真価を認めて来るんだからね。僕なんぞでも、こうやって始終書いていると少しは人の口に乗るからね」 「君はいいさ。自分の好きな事を書く余裕があるんだから。僕なんか書きたい事はいくらでもあるんだけれども落ちついて述作なぞをする暇はとてもない。実に残念でたまらない。保護者でもあって、気楽に勉強が出来ると名作も出して見せるがな。せめて、何でもいいから、月々きまって六十円ばかり取れる口があるといいのだけれども、卒業前から自活はしていたのだが、卒業してもやっぱりこんなに困難するだろうとは思わなかった」 「そう困難じゃ仕方がない。僕のうちの財産が僕の自由になると、保護者になってやるんだがな」 「どうか願います。――実に厭になってしまう。君、今考えると田舎の中学の教師の口だって、容易にあるもんじゃないな」 「そうだろうな」 「僕の友人の哲学科を出たものなんか、卒業してから三年になるが、まだ遊んでるぜ」 「そうかな」 「それを考えると、子供の時なんか、訳もわからずに悪い事をしたもんだね。もっとも今とその頃とは時勢が違うから、教師の口も今ほど払底でなかったかも知れないが」 「何をしたんだい」 「僕の国の中学校に白井道也と云う英語の教師がいたんだがね」 「道也た妙な名だね。釜の銘にありそうじゃないか」 「道也と読むんだか、何だか知らないが、僕らは道也、道也って呼んだものだ。その道也先生がね――やっぱり君、文学士だぜ。その先生をとうとうみんなして追い出してしまった」 「どうして」 「どうしてって、ただいじめて追い出しちまったのさ。なに良い先生なんだよ。人物や何かは、子供だからまるでわからなかったが、どうも悪るい人じゃなかったらしい……」 「それで、なぜ追い出したんだい」 「それがさ、中学校の教師なんて、あれでなかなか悪るい奴がいるもんだぜ。僕らあ煽動されたんだね、つまり。今でも覚えているが、夜る十五六人で隊を組んで道也先生の家の前へ行ってワーって吶喊して二つ三つ石を投げ込んで来るんだ」 「乱暴だね。何だって、そんな馬鹿な真似をするんだい」 「なぜだかわからない。ただ面白いからやるのさ。おそらく吾々の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」 「気楽だね」 「実に気楽さ。知ってるのは僕らを煽動した教師ばかりだろう。何でも生意気だからやれって云うのさ」 「ひどい奴だな。そんな奴が教師にいるかい」 「いるとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、いるよ」 「それで道也先生どうしたい」 「辞職しちまった」 「可哀想に」 「実に気の毒な事をしたもんだ。定めし転任先をさがす間活計に困ったろうと思ってね。今度逢ったら大に謝罪の意を表するつもりだ」 「今どこにいるんだい」 「どこにいるか知らない」 「じゃいつ逢うか知れないじゃないか」 「しかしいつ逢うかわからない。ことによると教師の口がなくって死んでしまったかも知れないね。――何でも先生辞職する前に教場へ出て来て云った事がある」 「何て」 「諸君、吾々は教師のために生きべきものではない。道のために生きべきものである。道は尊いものである。この理窟がわからないうちは、まだ一人前になったのではない。諸君も精出してわかるようにおなり」 「へえ」 「僕らは不相変教場内でワーっと笑ったあね。生意気だ、生意気だって笑ったあね。――どっちが生意気か分りゃしない」 「随分田舎の学校などにゃ妙な事があるものだね」 「なに東京だって、あるんだよ。学校ばかりじゃない。世の中はみんなこれなんだ。つまらない」 「時にだいぶ長話しをした。どうだ君。これから品川の妙花園まで行かないか」 「何しに」 「花を見にさ」 「これから帰って地理教授法を訳さなくっちゃならない」 「一日ぐらい遊んだってよかろう。ああ云う美くしい所へ行くと、好い心持ちになって、翻訳もはかが行くぜ」 「そうかな。君は遊びに行くのかい」 「遊かたがたさ。あすこへ行って、ちょっと写生して来て、材料にしようと思ってるんだがね」 「何の材料に」 「出来たら見せるよ。小説をかいているんだ。そのうちの一章に女が花園のなかに立って、小さな赤い花を余念なく見詰めていると、その赤い花がだんだん薄くなってしまいに真白になってしまうと云うところを書いて見たいと思うんだがね」 「空想小説かい」 「空想的で神秘的で、それで遠い昔しが何だかなつかしいような気持のするものが書きたい。うまく感じが出ればいいが。まあ出来たら読んでくれたまえ」 「妙花園なんざ、そんな参考にゃならないよ。それよりかうちへ帰ってホルマン・ハントの画でも見る方がいい。ああ、僕も書きたい事があるんだがな。どうしても時がない」 「君は全体自然がきらいだから、いけない」 「自然なんて、どうでもいいじゃないか。この痛切な二十世紀にそんな気楽な事が云っていられるものか。僕のは書けば、そんな夢見たようなものじゃないんだからな。奇麗でなくっても、痛くっても、苦しくっても、僕の内面の消息にどこか、触れていればそれで満足するんだ。詩的でも詩的でなくっても、そんな事は構わない。たとい飛び立つほど痛くっても、自分で自分の身体を切って見て、なるほど痛いなと云うところを充分書いて、人に知らせてやりたい。呑気なものや気楽なものはとうてい夢にも想像し得られぬ奥の方にこんな事実がある、人間の本体はここにあるのを知らないかと、世の道楽ものに教えて、おやそうか、おれは、まさか、こんなものとは思っていなかったが、云われて見るとなるほど一言もない、恐れ入ったと頭を下げさせるのが僕の願なんだ。君とはだいぶ方角が違う」 「しかしそんな文学は何だか心持ちがわるい。――そりゃ御随意だが、どうだい妙花園に行く気はないかい」 「妙花園へ行くひまがあれば一頁でも僕の主張をかくがなあ。何だか考えると身体がむずむずするようだ。実際こんなに呑気にして、生焼のビステッキなどを食っちゃいられないんだ」 「ハハハハまたあせる。いいじゃないか、さっきの商人見たような連中もいるんだから」 「あんなのがいるから、こっちはなお仕事がしたくなる。せめて、あの連中の十分一の金と時があれば、書いて見せるがな」 「じゃ、どうしても妙花園は不賛成かね」 「遅くなるもの。君は冬服を着ているが、僕はいまだに夏服だから帰りに寒くなって風でも引くといけない」 「ハハハハ妙な逃げ路を発見したね。もう冬服の時節だあね。着換えればいい事を。君は万事無精だよ」 「無精で着換えないんじゃない。ないから着換えないんだ。この夏服だって、まだ一文も払っていやしない」 「そうなのか」と中野君は気の毒な顔をした。  午飯の客は皆去り尽して、二人が椅子を離れた頃はところどころの卓布の上に麺麭屑が淋しく散らばっていた。公園の中は最前よりも一層賑かである。ロハ台は依然として、どこの何某か知らぬ男と知らぬ女で占領されている。秋の日は赫として夏服の背中を通す。 三  檜の扉に銀のような瓦を載せた門を這入ると、御影の敷石に水を打って、斜めに十歩ばかり歩ませる。敷石の尽きた所に擦り硝子の開き戸が左右から寂然と鎖されて、秋の更くるに任すがごとく邸内は物静かである。  磨き上げた、柾の柱に象牙の臍をちょっと押すと、しばらくして奥の方から足音が近づいてくる。がちゃと鍵をひねる。玄関の扉は左右に開かれて、下は鏡のようなたたきとなる。右の方に周囲一尺余の朱泥まがいの鉢があって、鉢のなかには棕梠竹が二三本靡くべき風も受けずに、ひそやかに控えている。正面には高さ四尺の金屏に、三条の小鍛冶が、異形のものを相槌に、霊夢に叶う、御門の太刀を丁と打ち、丁と打っている。  取次に出たのは十八九のしとやかな下女である。白井道也と云う名刺を受取ったまま、あの若旦那様で? と聞く。道也先生は首を傾けてちょっと考えた。若旦那にも大旦那にも中野と云う人に逢うのは今が始めてである。ことによるとまるで逢えないで帰るかも計られん。若旦那か大旦那かは逢って始めてわかるのである。あるいは分らないで生涯それぎりになるかも知れない。今まで訪問に出懸けて、年寄か、小供か、跛か、眼っかちか、要領を得る前に門前から追い還された事は何遍もある。追い還されさえしなければ大旦那か若旦那かは問うところでない。しかし聞かれた以上はどっちか片づけなければならん。どうでもいい事を、どうでもよくないように決断しろと逼らるる事は賢者が愚物に対して払う租税である。 「大学を御卒業になった方の……」とまで云ったが、ことによると、おやじも大学を卒業しているかも知れんと心づいたから 「あの文学をおやりになる」と訂正した。下女は何とも云わずに御辞儀をして立って行く。白足袋の裏だけが目立ってよごれて見える。道也先生の頭の上には丸く鉄を鋳抜いた、かな灯籠がぶら下がっている。波に千鳥をすかして、すかした所に紙が張ってある。このなかへ、どうしたら灯がつけられるのかと、先生は仰向いて長い鎖りを眺めながら考えた。  下女がまた出てくる。どうぞこちらへと云う。道也先生は親指の凹んで、前緒のゆるんだ下駄を立派な沓脱へ残して、ひょろ長い糸瓜のようなからだを下女の後ろから運んで行く。  応接間は西洋式に出来ている。丸い卓には、薔薇の花を模様に崩した五六輪を、淡い色で織り出したテーブル掛を、雑作もなく引き被せて、末は同じ色合の絨毯と、続づくがごとく、切れたるがごとく、波を描いて床の上に落ちている。暖炉は塞いだままの一尺前に、二枚折の小屏風を穴隠しに立ててある。窓掛は緞子の海老茶色だから少々全体の装飾上調和を破るようだが、そんな事は道也先生の眼には入らない。先生は生れてからいまだかつてこんな奇麗な室へ這入った事はないのである。  先生は仰いで壁間の額を見た。京の舞子が友禅の振袖に鼓を調べている。今打って、鼓から、白い指が弾き返されたばかりの姿が、小指の先までよくあらわれている。しかし、そんな事に気のつく道也先生ではない。先生はただ気品のない画を掛けたものだと思ったばかりである。向の隅にヌーボー式の書棚があって、美しい洋書の一部が、窓掛の隙間から洩れて射す光線に、金文字の甲羅を干している。なかなか立派である。しかし道也先生これには毫も辟易しなかった。  ところへ中野君が出てくる。紬の綿入に縮緬の兵子帯をぐるぐる巻きつけて、金縁の眼鏡越に、道也先生をまぼしそうに見て、「や、御待たせ申しまして」と椅子へ腰をおろす。  道也先生は、あやしげな、銘仙の上を蔽うに黒木綿の紋付をもってして、嘉平次平の下へ両手を入れたまま、 「どうも御邪魔をします」と挨拶をする。泰然たるものだ。  中野君は挨拶が済んでからも、依然としてまぼしそうにしていたが、やがて思い切った調子で 「あなたが、白井道也とおっしゃるんで」と大なる好奇心をもって聞いた。聞かんでも名刺を見ればわかるはずだ。それをかように聞くのは世馴れぬ文学士だからである。 「はい」と道也先生は落ちついている。中野君のあては外れた。中野君は名刺を見た時はっと思って、頭のなかは追い出された中学校の教師だけになっている。可哀想だと云う念頭に尾羽うち枯らした姿を目前に見て、あなたが、あの中学校で生徒からいじめられた白井さんですかと聞き糺したくてならない。いくら気の毒でも白井違いで気の毒がったのでは役に立たない。気の毒がるためには、聞き糺すためには「あなたが白井道也とおっしゃるんで」と切り出さなくってはならなかった。しかしせっかくの切り出しようも泰然たる「はい」のために無駄死をしてしまった。初心なる文学士は二の句をつぐ元気も作略もないのである。人に同情を寄せたいと思うとき、向が泰然の具足で身を固めていては芝居にはならん。器用なものはこの泰然の一角を針で突き透しても思を遂げる。中野君は好人物ながらそれほどに人を取り扱い得るほど世の中を知らない。 「実は今日御邪魔に上がったのは、少々御願があって参ったのですが」と今度は道也先生の方から打って出る。御願は同情の好敵手である。御願を持たない人には同情する張り合がない。 「はあ、何でも出来ます事なら」と中野君は快く承知した。 「実は今度江湖雑誌で現代青年の煩悶に対する解決と云う題で諸先生方の御高説を発表する計画がありまして、それで普通の大家ばかりでは面白くないと云うので、なるべく新しい方もそれぞれ訪問する訳になりましたので――そこで実はちょっと往って来てくれと頼まれて来たのですが、御差支がなければ、御話を筆記して参りたいと思います」  道也先生は静かに懐から手帳と鉛筆を取り出した。取り出しはしたものの別に筆記したい様子もなければ強いて話させたい景色も見えない。彼はかかる愚な問題を、かかる青年の口から解決して貰いたいとは考えていない。 「なるほど」と青年は、耀やく眼を挙げて、道也先生を見たが、先生は宵越の麦酒のごとく気の抜けた顔をしているので、今度は「さよう」と長く引っ張って下を向いてしまった。 「どうでしょう、何か御説はありますまいか」と催促を義理ずくめにする。ありませんと云ったら、すぐ帰る気かも知れない。 「そうですね。あったって、僕のようなものの云う事は雑誌へ載せる価値はありませんよ」 「いえ結構です」 「全体どこから、聞いていらしったんです。あまり突然じゃ纏った話の出来るはずがないですから」 「御名前は社主が折々雑誌の上で拝見するそうで」 「いえ、どうしまして」と中野君は横を向いた。 「何でもよいですから、少し御話し下さい」 「そうですね」と青年は窓の外を見て躊躇している。 「せっかく来たものですから」 「じゃ何か話しましょう」 「はあ、どうぞ」と道也先生鉛筆を取り上げた。 「いったい煩悶と云う言葉は近頃だいぶはやるようだが、大抵は当座のもので、いわゆる三日坊主のものが多い。そんな種類の煩悶は世の中が始まってから、世の中がなくなるまで続くので、ちっとも問題にはならないでしょう」 「ふん」と道也先生は下を向いたなり、鉛筆を動かしている。紙の上を滑らす音が耳立って聞える。 「しかし多くの青年が一度は必ず陥る、また必ず陥るべく自然から要求せられている深刻な煩悶が一つある。……」  鉛筆の音がする。 「それは何だと云うと――恋である……」  道也先生はぴたりと筆記をやめて、妙な顔をして、相手を見た。中野君は、今さら気がついたようにちょっとしょげ返ったが、すぐ気を取り直して、あとをつづけた。 「ただ恋と云うと妙に御聞きになるかも知れない。また近頃はあまり恋愛呼ばりをするのを人が遠慮するようであるが、この種の煩悶は大なる事実であって、事実の前にはいかなるものも頭を下げねばならぬ訳だからどうする事も出来ないのである」  道也先生はまた顔をあげた。しかし彼の長い蒼白い相貌の一微塵だも動いておらんから、彼の心のうちは無論わからない。 「我々が生涯を通じて受ける煩悶のうちで、もっとも痛切なもっとも深刻な、またもっとも劇烈な煩悶は恋よりほかにないだろうと思うのです。それでですね、こう云う強大な威力のあるものだから、我々が一度びこの煩悶の炎火のうちに入ると非常な変形をうけるのです」 「変形? ですか」 「ええ形を変ずるのです。今まではただふわふわ浮いていた。世の中と自分の関係がよくわからないで、のんべんぐらりんに暮らしていたのが、急に自分が明瞭になるんです」 「自分が明瞭とは?」 「自分の存在がです。自分が生きているような心持ちが確然と出てくるのです。だから恋は一方から云えば煩悶に相違ないが、しかしこの煩悶を経過しないと自分の存在を生涯悟る事が出来ないのです。この浄罪界に足を入れたものでなければけっして天国へは登れまいと思うのです。ただ楽天だってしようがない。恋の苦みを甞めて人生の意義を確かめた上の楽天でなくっちゃ、うそです。それだから恋の煩悶はけっして他の方法によって解決されない。恋を解決するものは恋よりほかにないです。恋は吾人をして煩悶せしめて、また吾人をして解脱せしむるのである。……」 「そのくらいなところで」と道也先生は三度目に顔を挙げた。 「まだ少しあるんですが……」 「承るのはいいですが、だいぶ多人数の意見を載せるつもりですから、かえってあとから削除すると失礼になりますから」 「そうですか、それじゃそのくらいにして置きましょう。何だかこんな話をするのは始めてですから、さぞ筆記しにくかったでしょう」 「いいえ」と道也先生は手帳を懐へ入れた。  青年は筆記者が自分の説を聴いて、感心の余り少しは賛辞でも呈するかと思ったが、相手は例のごとく泰然としてただいいえと云ったのみである。 「いやこれは御邪魔をしました」と客は立ちかける。 「まあいいでしょう」と中野君はとめた。せめて自分の説を少々でも批評して行って貰いたいのである。それでなくても、せんだって日比谷で聞いた高柳君の事をちょっと好奇心から、あたって見たいのである。一言にして云えば中野君はひまなのである。 「いえ、せっかくですが少々急ぎますから」と客はもう椅子を離れて、一歩テーブルを退いた。いかにひまな中野君も「それでは」とついに降参して御辞儀をする。玄関まで送って出た時思い切って 「あなたは、もしや高柳周作と云う男を御存じじゃないですか」と念晴らしのため聞いて見る。 「高柳? どうも知らんようです」と沓脱から片足をタタキへおろして、高い背を半分後ろへ捩じ向けた。 「ことし大学を卒業した……」 「それじゃ知らん訳だ」と両足ともタタキの上へ運んだ。  中野君はまだ何か云おうとした時、敷石をがらがらと車の軋る音がして梶棒は硝子の扉の前にとまった。道也先生が扉を開く途端に車上の人はひらり厚い雪駄を御影の上に落した。五色の雲がわが眼を掠めて過ぎた心持ちで往来へ出る。  時計はもう四時過ぎである。深い碧りの上へ薄いセピヤを流した空のなかに、はっきりせぬ鳶が一羽舞っている。雁はまだ渡って来ぬ。向から袴の股立ちを取った小供が唱歌を謡いながら愉快そうにあるいて来た。肩に担いだ笹の枝には草の穂で作った梟が踊りながらぶら下がって行く。おおかた雑子ヶ谷へでも行ったのだろう。軒の深い菓物屋の奥の方に柿ばかりがあかるく見える。夕暮に近づくと何となくうそ寒い。  薬王寺前に来たのは、帽子の庇の下から往来の人の顔がしかと見分けのつかぬ頃である。三十三所と彫ってある石標を右に見て、紺屋の横町を半丁ほど西へ這入るとわが家の門口へ出る、家のなかは暗い。 「おや御帰り」と細君が台所で云う。台所も玄関も大した相違のないほど小さな家である。 「下女はどっかへ行ったのか」と二畳の玄関から、六畳の座敷へ通る。 「ちょっと、柳町まで使に行きました」と細君はまた台所へ引き返す。  道也先生は正面の床の片隅に寄せてあった、洋灯を取って、椽側へ出て、手ずから掃除を始めた。何か原稿用紙のようなもので、油壺を拭き、ほやを拭き、最後に心の黒い所を好い加減になすくって、丸めた紙は庭へ棄てた。庭は暗くなって様子が頓とわからない。  机の前へ坐った先生は燐寸を擦って、しゅっと云う間に火をランプに移した。室はたちまち明かになる。道也先生のために云えばむしろ明かるくならぬ方が増しである。床はあるが、言訳ばかりで、現に幅も何も懸っておらん。その代り累々と書物やら、原稿紙やら、手帳やらが積んである。机は白木の三宝を大きくしたくらいな単簡なもので、インキ壺と粗末な筆硯のほかには何物をも載せておらぬ。装飾は道也先生にとって不必要であるのか、または必要でもこれに耽る余裕がないのかは疑問である。ただ道也先生がこの一点の温気なき陋室に、晏如として筆硯を呵するの勇気あるは、外部より見て争うべからざる事実である。ことによると先生は装飾以外のあるものを目的にして、生活しているのかも知れない。ただこの争うべからざる事実を確めれば、確かめるほど細君は不愉快である。女は装飾をもって生れ、装飾をもって死ぬ。多数の女はわが運命を支配する恋さえも装飾視して憚からぬものだ。恋が装飾ならば恋の本尊たる愛人は無論装飾品である。否、自己自身すら装飾品をもって甘んずるのみならず、装飾品をもって自己を目してくれぬ人を評して馬鹿と云う。しかし多数の女はしかく人世を観ずるにもかかわらず、しかく観ずるとはけっして思わない。ただ自己の周囲を纏綿する事物や人間がこの装飾用の目的に叶わぬを発見するとき、何となく不愉快を受ける。不愉快を受けると云うのに周囲の事物人間が依然として旧態をあらためぬ時、わが眼に映ずる不愉快を左右前後に反射して、これでも改めぬかと云う。ついにはこれでもか、これでもかと念入りの不愉快を反射する。道也の細君がここまで進歩しているかは疑問である。しかし普通一般の女性であるからには装飾気なきこの空気のうちに生息する結果として、自然この方向に進行するのが順当であろう。現に進行しつつあるかも知れぬ。  道也先生はやがて懐から例の筆記帳を出して、原稿紙の上へ写し始めた。袴を着けたままである。かしこまったままである。袴を着けたまま、かしこまったままで、中野輝一の恋愛論を筆記している。恋とこの室、恋とこの道也とはとうてい調和しない。道也は何と思って浄書しているかしらん。人は様々である、世も様々である。様々の世に、様々の人が動くのもまた自然の理である。ただ大きく動くものが勝ち、深く動くものが勝たねばならぬ。道也は、あの金縁の眼鏡を掛けた恋愛論よりも、小さくかつ浅いと自覚して、かく慎重に筆記を写し直しているのであろうか。床の後ろでが鳴いている。  細君が襖をすうと開けた。道也は振り向きもしない。「まあ」と云ったなり細君の顔は隠れた。  下女は帰ったようである。煮豆が切れたから、てっか味噌を買って来たと云っている。豆腐が五厘高くなったと云っている。裏の専念寺で夕の御務めをかあんかあんやっている。  細君の顔がまた襖の後ろから出た。 「あなた」  道也先生は、いつの間にやら、筆記帳を閉じて、今度はまた別の紙へ、何か熱心に認めている。 「あなた」と妻君は二度呼んだ。 「何だい」 「御飯です」 「そうか、今行くよ」  道也先生はちょっと細君と顔を合せたぎり、すぐ机へ向った。細君の顔もすぐ消えた。台所の方でくすくす笑う声がする。道也先生はこの一節をかき終るまでは飯も食いたくないのだろう。やがて句切りのよい所へ来たと見えて、ちょっと筆を擱いて、傍へ積んだ草稿をはぐって見て「二百三十一頁」と独語した。著述でもしていると見える。  立って次の間へ這入る。小さな長火鉢に平鍋がかかって、白い豆腐が煙りを吐いて、ぷるぷる顫えている。 「湯豆腐かい」 「はあ、何にもなくて、御気の毒ですが……」 「何、なんでもいい。食ってさえいれば何でも構わない」と、膳にして重箱をかねたるごとき四角なものの前へ坐って箸を執る。 「あら、まだ袴を御脱ぎなさらないの、随分ね」と細君は飯を盛った茶碗を出す。 「忙がしいものだから、つい忘れた」 「求めて、忙がしい思をしていらっしゃるのだから、……」と云ったぎり、細君は、湯豆腐の鍋と鉄瓶とを懸け換える。 「そう見えるかい」と道也先生は存外平気である。 「だって、楽で御金の取れる口は断っておしまいなすって、忙がしくって、一文にもならない事ばかりなさるんですもの、誰だって酔興と思いますわ」 「思われてもしようがない。これがおれの主義なんだから」 「あなたは主義だからそれでいいでしょうさ。しかし私は……」 「御前は主義が嫌だと云うのかね」 「嫌も好もないんですけれども、せめて――人並には――なんぼ私だって……」 「食えさえすればいいじゃないか、贅沢を云や誰だって際限はない」 「どうせ、そうでしょう。私なんざどんなになっても御構いなすっちゃ下さらないのでしょう」 「このてっか味噌は非常に辛いな。どこで買って来たのだ」 「どこですか」  道也先生は頭をあげて向の壁を見た。鼠色の寒い色の上に大きな細君の影が写っている。その影と妻君とは同じように無意義に道也の眼に映じた。  影の隣りに糸織かとも思われる、女の晴衣が衣紋竹につるしてかけてある。細君のものにしては少し派出過ぎるが、これは多少景気のいい時、田舎で買ってやったものだと今だに記憶している。あの時分は今とはだいぶ考えも違っていた。己れと同じような思想やら、感情やら持っているものは珍らしくあるまいと信じていた。したがって文筆の力で自分から卒先して世間を警醒しようと云う気にもならなかった。  今はまるで反対だ。世は名門を謳歌する、世は富豪を謳歌する、世は博士、学士までをも謳歌する。しかし公正な人格に逢うて、位地を無にし、金銭を無にし、もしくはその学力、才芸を無にして、人格そのものを尊敬する事を解しておらん。人間の根本義たる人格に批判の標準を置かずして、その上皮たる附属物をもってすべてを律しようとする。この附属物と、公正なる人格と戦うとき世間は必ず、この附属物に雷同して他の人格を蹂躙せんと試みる。天下一人の公正なる人格を失うとき、天下一段の光明を失う。公正なる人格は百の華族、百の紳商、百の博士をもってするも償いがたきほど貴きものである。われはこの人格を維持せんがために生れたるのほか、人世において何らの意義をも認め得ぬ。寒に衣し、餓に食するはこの人格を維持するの一便法に過ぎぬ。筆を呵し硯を磨するのもまたこの人格を他の面上に貫徹するの方策に過ぎぬ。――これが今の道也の信念である。この信念を抱いて世に処する道也は細君の御機嫌ばかり取ってはおれぬ。  壁に掛けてあった小袖を眺めていた道也はしばらくして、夕飯を済ましながら、 「どこぞへ行ったのかい」と聞く。 「ええ」と細君は二字の返事を与えた。道也は黙って、茶を飲んでいる。末枯るる秋の時節だけにすこぶる閑静な問答である。 「そう、べんべんと真田の方を引っ張っとく訳にも行きませず、家主の方もどうかしなければならず、今月の末になると米薪の払でまた心配しなくっちゃなりませんから、算段に出掛けたんです」と今度は細君の方から切り出した。 「そうか、質屋へでも行ったのかい」 「質に入れるようなものは、もうありゃしませんわ」と細君は恨めしそうに夫の顔を見る。 「じゃ、どこへ行ったんだい」 「どこって、別に行く所もありませんから、御兄さんの所へ行きました」 「兄の所? 駄目だよ。兄の所なんぞへ行ったって、何になるものか」 「そう、あなたは、何でも始から、けなしておしまいなさるから、よくないんです。いくら教育が違うからって、気性が合わないからって、血を分けた兄弟じゃありませんか」 「兄弟は兄弟さ。兄弟でないとは云わん」 「だからさ、膝とも談合と云うじゃありませんか。こんな時には、ちっと相談にいらっしゃるがいいじゃありませんか」 「おれは、行かんよ」 「それが痩我慢ですよ。あなたはそれが癖なんですよ。損じゃあ、ありませんか、好んで人に嫌われて……」  道也先生は空然として壁に動く細君の影を見ている。 「それで才覚が出来たのかい」 「あなたは何でも一足飛ね」 「なにが」 「だって、才覚が出来る前にはそれぞれ魂胆もあれば工面もあるじゃありませんか」 「そうか、それじゃ最初から聞き直そう。で、御前が兄のうちへ行ったんだね。おれに内所で」 「内所だって、あなたのためじゃありませんか」 「いいよ、ためでいいよ。それから」 「で御兄さんに、御目に懸っていろいろ今までの御無沙汰の御詫やら、何やらして、それから一部始終の御話をしたんです」 「それから」 「すると御兄さんが、そりゃ御前には大変気の毒だって大変私に同情して下さって……」 「御前に同情した。ふうん。――ちょっとその炭取を取れ。炭をつがないと火種が切れる」 「で、そりゃ早く整理しなくっちゃ駄目だ。全体なぜ今まで抛って置いたんだっておっしゃるんです」 「旨い事を云わあ」 「まだ、あなたは御兄さんを疑っていらっしゃるのね。罰があたりますよ」 「それで、金でも貸したのかい」 「ほらまた一足飛びをなさる」  道也先生は少々おかしくなったと見えて、にやりと下を向きながら、黒く積んだ炭を吹き出した。 「まあどのくらいあれば、これまでの穴が奇麗に埋るのかと御聞きになるから、――よっぽど言い悪かったんですけれども――とうとう思い切ってね……」でちょっと留めた。道也はしきりに吹いている。 「ねえ、あなた。とうとう思い切ってね――あなた。聞いていらっしゃらないの」 「聞いてるよ」と赫気で赤くなった顔をあげた。 「思い切って百円ばかりと云ったの」 「そうか。兄は驚ろいたろう」 「そうしたらね。ふうんて考えて、百円と云う金は、なかなか容易に都合がつく訳のものじゃない……」 「兄の云いそうな事だ」 「まあ聞いていらっしゃい。まだ、あとが有るんです。――しかし、ほかの事とは違うから、是非なければ困ると云うならおれが保証人になって、人から借りてやってもいいって仰しゃるんです」 「あやしいものだ」 「まあさ、しまいまで御聞きなさい。――それで、ともかくも本人に逢って篤と了簡を聞いた上にしようと云うところまでに漕ぎつけて来たのです」  細君は大功名をしたように頬骨の高い顔を持ち上げて、夫を覗き込んだ。細君の眼つきが云う。夫は意気地なしである。終日終夜、机と首っ引をして、兀々と出精しながら、妻と自分を安らかに養うほどの働きもない。 「そうか」と道也は云ったぎり、この手腕に対して、別段に感謝の意を表しようともせぬ。 「そうかじゃ困りますわ。私がここまで拵えたのだから、あとは、あなたが、どうとも為さらなくっちゃあ。あなたの楫のとりようでせっかくの私の苦心も何の役にも立たなくなりますわ」 「いいさ、そう心配するな。もう一ヵ月もすれば百や弐百の金は手に這入る見込があるから」と道也先生は何の苦もなく云って退けた。  江湖雑誌の編輯で二十円、英和字典の編纂で十五円、これが道也のきまった収入である。但しこのほかに仕事はいくらでもする。新聞にかく、雑誌にかく。かく事においては毎日毎夜筆を休ませた事はないくらいである。しかし金にはならない。たまさか二円、三円の報酬が彼の懐に落つる時、彼はかえって不思議に思うのみである。  この物質的に何らの功能もない述作的労力の裡には彼の生命がある。彼の気魄が滴々の墨汁と化して、一字一画に満腔の精神が飛動している。この断篇が読者の眼に映じた時、瞳裏に一道の電流を呼び起して、全身の骨肉が刹那に震えかしと念じて、道也は筆を執る。吾輩は道を載す。道を遮ぎるものは神といえども許さずと誓って紙に向う。誠は指頭より迸って、尖る毛穎の端に紙を焼く熱気あるがごとき心地にて句を綴る。白紙が人格と化して、淋漓として飛騰する文章があるとすれば道也の文章はまさにこれである。されども世は華族、紳商、博士、学士の世である。附属物が本体を踏み潰す世である。道也の文章は出るたびに黙殺せられている。妻君は金にならぬ文章を道楽文章と云う。道楽文章を作るものを意気地なしと云う。  道也の言葉を聞いた妻君は、火箸を灰のなかに刺したまま、 「今でも、そんな御金が這入る見込があるんですか」と不思議そうに尋ねた。 「今は昔より下落したと云うのかい。ハハハハハ」と道也先生は大きな声を出して笑った。妻君は毒気を抜かれて口をあける。 「どうりゃ一勉強やろうか」と道也は立ち上がる。その夜彼は彼の著述人格論を二百五十頁までかいた。寝たのは二時過である。 四 「どこへ行く」と中野君が高柳君をつらまえた。所は動物園の前である。太い桜の幹が黒ずんだ色のなかから、銀のような光りを秋の日に射返して、梢を離れる病葉は風なき折々行人の肩にかかる。足元には、ここかしこに枝を辞したる古い奴ががさついている。  色は様々である。鮮血を日に曝して、七日の間日ごとにその変化を葉裏に印して、注意なく一枚のなかに畳み込めたら、こんな色になるだろうと高柳君はさっきから眺めていた。血を連想した時高柳君は腋の下から何か冷たいものが襯衣に伝わるような気分がした。ごほんと取り締りのない咳を一つする。  形も様々である。火にあぶったかき餅の状は千差万別であるが、我も我もとみんな反り返る。桜の落葉もがさがさに反り返って、反り返ったまま吹く風に誘われて行く。水気のないものには未練も執着もない。飄々としてわが行末を覚束ない風に任せて平気なのは、死んだ後の祭りに、から騒ぎにはしゃぐ了簡かも知れぬ。風にめぐる落葉と攫われて行くかんな屑とは一種の気狂である。ただ死したるものの気狂である。高柳君は死と気狂とを自然界に点綴した時、瘠せた両肩を聳やかして、またごほんと云ううつろな咳を一つした。  高柳君はこの瞬間に中野君からつらまえられたのである。ふと気がついて見ると世は太平である。空は朗らかである。美しい着物をきた人が続々行く。相手は薄羅紗の外套に恰好のいい姿を包んで、顋の下に真珠の留針を輝かしている。――高柳君は相手の姿を見守ったなり黙っていた。 「どこへ行く」と青年は再び問うた。 「今図書館へ行った帰りだ」と相手はようやく答えた。 「また地理学教授法じゃないか。ハハハハ。何だか不景気な顔をしているね。どうかしたかい」 「近頃は喜劇の面をどこかへ遺失してしまった」 「また新橋の先まで探がしに行って、拳突を喰ったんじゃないか。つまらない」 「新橋どころか、世界中探がしてあるいても落ちていそうもない。もう、御やめだ」 「何を」 「何でも御やめだ」 「万事御やめか。当分御やめがよかろう。万事御やめにして僕といっしょに来たまえ」 「どこへ」 「今日はそこに慈善音楽会があるんで、切符を二枚買わされたんだが、ほかに誰も行き手がないから、ちょうどいい。君行きたまえ」 「いらない切符などを買うのかい。もったいない事をするんだな」 「なに義理だから仕方がない。おやじが買ったんだが、おやじは西洋音楽なんかわからないからね」 「それじゃ余った方を送ってやればいいのに」 「実は君の所へ送ろうと思ったんだが……」 「いいえ。あすこへさ」 「あすことは。――うん。あすこか。何、ありゃ、いいんだ。自分でも買ったんだ」  高柳君は何とも返事をしないで、相手を真正面から見ている。中野君は少々恐縮の微笑を洩らして、右の手に握ったままの、山羊の手袋で外套の胸をぴしゃぴしゃ敲き始めた。 「穿めもしない手袋を握ってあるいてるのは何のためだい」 「なに、今ちょっと隠袋から出したんだ」と云いながら中野君は、すぐ手袋をかくしの裏に収めた。高柳君の癇癪はこれで少々治まったようである。  ところへ後ろからエーイと云う掛声がして蹄の音が風を動かしてくる。両人は足早に道傍へ立ち退いた。黒塗のランドーの蓋を、秋の日の暖かきに、払い退けた、中には絹帽が一つ、美しい紅いの日傘が一つ見えながら、両人の前を通り過ぎる。 「ああ云う連中が行くのかい」と高柳君が顋で馬車の後ろ影を指す。 「あれは徳川侯爵だよ」と中野君は教えた。 「よく、知ってるね。君はあの人の家来かい」 「家来じゃない」と中野君は真面目に弁解した。高柳君は腹のなかでまたちょっと愉快を覚えた。 「どうだい行こうじゃないか。時間がおくれるよ」 「おくれると逢えないと云うのかね」  中野君は、すこし赤くなった。怒ったのか、弱点をつかれたためか、恥ずかしかったのか、わかるのは高柳君だけである。 「とにかく行こう。君はなんでも人の集まる所やなにかを嫌ってばかりいるから、一人坊っちになってしまうんだよ」  打つものは打たれる。参るのは今度こそ高柳君の番である。一人坊っちと云う言葉を聞いた彼は、耳がしいんと鳴って、非常に淋しい気持がした。 「いやかい。いやなら仕方がない。僕は失敬する」  相手は同情の笑を湛えながら半歩踵をめぐらしかけた。高柳君はまた打たれた。 「いこう」と単簡に降参する。彼が音楽会へ臨むのは生れてから、これが始めてである。  玄関にかかった時は受付が右へ左りへの案内で忙殺されて、接待掛りの胸につけた、青いリボンを見失うほど込み合っていた。突き当りを右へ折れるのが上等で、左りへ曲がるのが並等である。下等はないそうだ。中野君は無論上等である。高柳君を顧みながら、こっちだよと、さも物馴れたさまに云う。今日に限って、特別に下等席を設けて貰って、そこへ自分だけ這入って聴いて見たいと一人坊っちの青年は、中野君のあとをつきながら階段を上ぼりつつ考えた。己れの右を上る人も、左りを上る人も、またあとからぞろぞろついて来るものも、皆異種類の動物で、わざと自分を包囲して、のっぴきさせず二階の大広間へ押し上げた上、あとから、慰み半分に手を拍って笑う策略のように思われた。後ろを振り向くと、下から緑りの滴たる束髪の脳巓が見える。コスメチックで奇麗な一直線を七分三分の割合に錬り出した頭蓋骨が見える。これらの頭が十も二十も重なり合って、もう高柳周作は一歩でも退く事はならぬとせり上がってくる。  楽堂の入口を這入ると、霞に酔うた人のようにぽうっとした。空を隠す茂みのなかを通り抜けて頂に攀じ登った時、思いも寄らぬ、眼の下に百里の眺めが展開する時の感じはこれである。演奏台は遥かの谷底にある。近づくためには、登り詰めた頂から、規則正しく排列された人間の間を一直線に縫うがごとくに下りて、自然と逼る擂鉢の底に近寄らねばならぬ。擂鉢の底は半円形を劃して空に向って広がる内側面には人間の塀が段々に横輪をえがいている。七八段を下りた高柳君は念のために振り返って擂鉢の側面を天井まで見上げた時、目がちらちらしてちょっと留った。excuse me と云って、大きな異人が、高柳君を蔽いかぶせるようにして、一段下へ通り抜けた。駝鳥の白い毛が鼻の先にふらついて、品のいい香りがぷんとする。あとから、脳巓の禿げた大男が絹帽を大事そうに抱えて身を横にして女につきながら、二人を擦り抜ける。 「おい、あすこに椅子が二つ空いている」と物馴れた中野君は階段を横へ切れる。並んでいる人は席を立って二人を通す。自分だけであったら、誰も席を立ってくれるものはあるまいと高柳君は思った。 「大変な人だね」と椅子に腰をおろしながら中野君は満場を見廻わす。やがて相手の服装に気がついた時、急に小声になって、 「おい、帽子をとらなくっちゃ、いけないよ」と云う。  高柳君は卒然として帽子を取って、左右をちょっと見た。三四人の眼が自分の頭の上に注がれていたのを発見した時、やっぱり包囲攻撃だなと思った。なるほど帽子を被っていたものはこの広い演奏場に自分一人である。 「外套は着ていてもいいのか」と中野君に聞いて見る。 「外套は構わないんだ。しかしあつ過ぎるから脱ごうか」と中野君はちょっと立ち上がって、外套の襟を三寸ばかり颯と返したら、左の袖がするりと抜けた、右の袖を抜くとき、領のあたりをつまんだと思ったら、裏を表てに、外套ははや畳まれて、椅子の背中を早くも隠した。下は仕立ておろしのフロックに、近頃流行る白いスリップが胴衣の胸開を沿うて細い筋を奇麗にあらわしている。高柳君はなるほどいい手際だと羨ましく眺めていた。中野君はどう云ものか容易に坐らない。片手を椅子の背に凭たせて、立ちながら後ろから、左右へかけて眺めている。多くの人の視線は彼の上に落ちた。中野君は平気である。高柳君はこの平気をまた羨ましく感じた。  しばらくすると、中野君は千以上陳列せられたる顔のなかで、ようやくあるものを物色し得たごとく、豊かなる双頬に愛嬌の渦を浮かして、軽く何人にか会釈した。高柳君は振り向かざるを得ない。友の挨拶はどの辺に落ちたのだろうと、こそばゆくも首を捩じ向けて、斜めに三段ばかり上を見ると、たちまち目つかった。黒い髪のただ中に黄の勝った大きなリボンの蝶を颯とひらめかして、細くうねる頸筋を今真直に立て直す女の姿が目つかった。紅いは眼の縁を薄く染めて、潤った眼睫の奥から、人の世を夢の底に吸い込むような光りを中野君の方に注いでいる。高柳君はすわやと思った。  わが穿く袴は小倉である。羽織は染めが剥げて、濁った色の上に垢が容赦なく日光を反射する。湯には五日前に這入ったぎりだ。襯衣を洗わざる事は久しい。音楽会と自分とはとうてい両立するものでない。わが友と自分とは?――やはり両立しない。友のハイカラ姿とこの魔力ある眼の所有者とは、千里を隔てても無線の電気がかかるべく作られている。この一堂の裡に綺羅の香りを嗅ぎ、和楽の温かみを吸うて、落ち合うからは、二人の魂は無論の事、溶けて流れて、かき鳴らす箏の線の細きうちにも、めぐり合わねばならぬ。演奏会は数千の人を集めて、数千の人はことごとく双手を挙げながらこの二人を歓迎している。同じ数千の人はことごとく五指を弾いて、われ一人を排斥している。高柳君はこんな所へ来なければよかったと思った。友はそんな事を知りようがない。 「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷った曲目を見ながら云う。 「そうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。  一、バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何物たるを知らぬ。二、ソナタ……ベートーベン作とある。名前だけは心得ている。三、アダジョ……パァージャル作とある。これも知らぬ。四、と読みかけた時拍手の音が急に梁を動かして起った。演奏者はすでに台上に現われている。  やがて三部合奏曲は始まった。満場は化石したかのごとく静かである。右手の窓の外に、高い樅の木が半分見えて後ろは遐かの空の国に入る。左手の碧りの窓掛けを洩れて、澄み切った秋の日が斜めに白い壁を明らかに照らす。  曲は静かなる自然と、静かなる人間のうちに、快よく進行する。中野は絢爛たる空気の振動を鼓膜に聞いた。声にも色があると嬉しく感じている。高柳は樅の枝を離るる鳶の舞う様を眺めている。鳶が音楽に調子を合せて飛んでいる妙だなと思った。  拍手がまた盛に起る。高柳君ははっと気がついた。自分はやはり異種類の動物のなかに一人坊っちでおったのである。隣りを見ると中野君は一生懸命に敲いている。高い高い鳶の空から、己れをこの窮屈な谷底に呼び返したものの一人は、われを無理矢理にここへ連れ込んだ友達である。  演奏は第二に移る。千余人の呼吸は一度にやむ。高柳君の心はまた豊かになった。窓の外を見ると鳶はもう舞っておらぬ。眼を移して天井を見る。周囲一尺もあろうと思われる梁の六角形に削られたのが三本ほど、楽堂を竪に貫ぬいている、後ろはどこまで通っているか、頭を回らさないから分らぬ。所々に模様に崩した草花が、長い蔓と共に六角を絡んでいる。仰向いて見ていると広い御寺のなかへでも這入った心持になる。そうして黄色い声や青い声が、梁を纏う唐草のように、縺れ合って、天井から降ってくる。高柳君は無人の境に一人坊っちで佇んでいる。  三度目の拍手が、断わりもなくまた起る。隣りの友達は人一倍けたたましい敲き方をする。無人の境におった一人坊っちが急に、霰のごとき拍手のなかに包囲された一人坊っちとなる。包囲はなかなか已まぬ。演奏者が闥を排してわが室に入らんとする間際になおなお烈しくなった。ヴァイオリンを温かに右の腋下に護りたる演奏者は、ぐるりと戸側に体を回らして、薄紅葉を点じたる裾模様を台上に動かして来る。狂うばかりに咲き乱れたる白菊の花束を、飄える袖の影に受けとって、なよやかなる上躯を聴衆の前に、少しくかがめたる時、高柳は感じた。――この女の楽を聴いたのは、聴かされたのではない。聴かさぬと云うを、ひそかに忍び寄りて、偸み聴いたのである。  演奏は喝采のどよめきの静まらぬうちにまた始まる。聴衆はとっさの際にことごとく死んでしまう。高柳君はまた自由になった。何だか広い原にただ一人立って、遥かの向うから熟柿のような色の暖かい太陽が、のっと上ってくる心持ちがする。小供のうちはこんな感じがよくあった。今はなぜこう窮屈になったろう。右を見ても左を見ても人は我を擯斥しているように見える。たった一人の友達さえ肝心のところで無残の手をぱちぱち敲く。たよる所がなければ親の所へ逃げ帰れと云う話もある。その親があれば始からこんなにはならなかったろう。七つの時おやじは、どこかへ行ったなり帰って来ない。友達はそれから自分と遊ばなくなった。母に聞くと、おとっさんは今に帰る今に帰ると云った。母は帰らぬ父を、帰ると云ってだましたのである。その母は今でもいる。住み古るした家を引き払って、生れた町から三里の山奥に一人佗びしく暮らしている。卒業をすれば立派になって、東京へでも引き取るのが子の義務である。逃げて帰れば親子共餓えて死ななければならん。――たちまち拍手の声が一面に湧き返る。 「今のは面白かった。今までのうち一番よく出来た。非常に感じをよく出す人だ。――どうだい君」と中野君が聞く。 「うん」 「君面白くないか」 「そうさな」 「そうさなじゃ困ったな。――おいあすこの西洋人の隣りにいる、細かい友禅の着物を着ている女があるだろう。――あんな模様が近頃流行んだ。派出だろう」 「そうかなあ」 「君はカラー・センスのない男だね。ああ云う派出な着物は、集会の時や何かにはごくいいのだね。遠くから見て、見醒めがしない。うつくしくっていい」 「君のあれも、同じようなのを着ているね」 「え、そうかしら、何、ありゃ、いい加減に着ているんだろう」 「いい加減に着ていれば弁解になるのかい」  中野君はちょっと会話をやめた。左の方に鼻眼鏡をかけて揉上を容赦なく、耳の上で剃り落した男が帳面を出してしきりに何か書いている。 「ありゃ、音楽の批評でもする男かな」と今度は高柳君が聞いた。 「どれ、――あの男か、あの黒服を着た。なあに、あれはね。画工だよ。いつでも来る男だがね、来るたんびに写生帖を持って来て、人の顔を写している」 「断わりなしにか」 「まあ、そうだろう」 「泥棒だね。顔泥棒だ」  中野君は小さい声でくくと笑った。休憩時間は十分である。廊下へ出るもの、喫煙に行くもの、用を足して帰るもの、が高柳君の眼に写る。女は小供の時見た、豊国の田舎源氏を一枚一枚はぐって行く時の心持である。男は芳年の書いた討ち入り当夜の義士が動いてるようだ。ただ自分が彼らの眼にどう写るであろうかと思うと、早く帰りたくなる。自分の左右前後は活動している。うつくしく活動している。しかし衣食のために活動しているのではない。娯楽のために活動している。胡蝶の花に戯むるるがごとく、浮藻の漣に靡くがごとく、実用以上の活動を示している。この堂に入るものは実用以上に余裕のある人でなくてはならぬ。  自分の活動は食うか食わぬかの活動である。和煦の作用ではない粛殺の運行である。儼たる天命に制せられて、無条件に生を享けたる罪業を償わんがために働らくのである。頭から云えば胡蝶のごとく、かく翩々たる公衆のいずれを捕え来って比較されても、少しも恥かしいとは思わぬ。云いたき事、云うて人が点頭く事、云うて人が尊ぶ事はないから云わぬのではない。生活の競争にすべての時間を捧げて、云うべき機会を与えてくれぬからである。吾が云いたくて云われぬ事は、世が聞きたくても聞かれぬ事は、天がわが手を縛するからである。人がわが口を箝するからである。巨万の富をわれに与えて、一銭も使うなかれと命ぜられたる時は富なき昔しの心安きに帰る能わずして、命を下せる人を逆しまに詛わんとす。われは呪い死にに死なねばならぬか。――たちまち咽喉が塞がって、ごほんごほんと咳き入る。袂からハンケチを出して痰を取る。買った時の白いのが、妙な茶色に変っている。顔を挙げると、肩から観世よりのように細い金鎖りを懸けて、朱に黄を交えた厚板の帯の間に時計を隠した女が、列のはずれに立って、中野君に挨拶している。 「よう、いらっしゃいました」と可愛らしい二重瞼を細めに云う。 「いや、だいぶ盛会ですね。冬田さんは非常な出来でしたな」と中野君は半身を、女の方へ向けながら云う。 「ええ、大喜びで……」と云い捨てて下りて行く。 「あの女を知ってるかい」 「知るものかね」と高柳君は拳突を喰わす。  相手は驚ろいて黙ってしまった。途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉の苜蓿花」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒めたように我に帰る。この過程を二三度繰り返して、最後の幻覚から喚び醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼を敲き大喇叭を吹くところであった。  やがて、千余人の影は一度に動き出した。二人の青年は揉まれながらに門を出た。  日はようやく暮れかかる。図書館の横手に聳える松の林が緑りの色を微かに残して、しだいに黒い影に変って行く。 「寒くなったね」  高柳君の答は力の抜けた咳二つであった。 「君さっきから、咳をするね。妙な咳だぜ。医者にでも見て貰ったら、どうだい」 「何、大丈夫だ」と云いながら高柳君は尖った肩を二三度ゆすぶった。松林を横切って、博物館の前に出る。大きな銀杏に墨汁を点じたような滴々の烏が乱れている。暮れて行く空に輝くは無数の落葉である。今は風さえ出た。 「君二三日前に白井道也と云う人が来たぜ」 「道也先生?」 「だろうと思うのさ。余り沢山ある名じゃないから」 「聞いて見たかい」 「聞こうと思ったが、何だかきまりが悪るかったからやめた」 「なぜ」 「だって、あなたは中学校で生徒から追い出された事はありませんかとも聞けまいじゃないか」 「追い出されましたかと聞かなくってもいいさ」 「しかし容易に聞きにくい男だよ。ありゃ、困る人だ。用事よりほかに云わない人だ」 「そんなになったかも知れない。元来何の用で君の所へなんぞ来たのだい」 「なあに、江湖雑誌の記者だって、僕の所へ談話の筆記に来たのさ」 「君の談話をかい。――世の中も妙な事になるものだ。やっぱり金が勝つんだね」 「なぜ」 「なぜって。――可哀想に、そんなに零落したかなあ。――君道也先生、どんな、服装をしていた」 「そうさ、あんまり立派じゃないね」 「立派でなくっても、まあどのくらいな服装をしていた」 「そうさ。どのくらいとも云い悪いが、そうさ、まあ君ぐらいなところだろう」 「え、このくらいか、この羽織ぐらいなところか」 「羽織はもう少し色が好いよ」 「袴は」 「袴は木綿じゃないが、その代りもっと皺苦茶だ」 「要するに僕と伯仲の間か」 「要するに君と伯仲の間だ」 「そうかなあ。――君、背の高い、ひょろ長い人だぜ」 「背の高い、顔の細長い人だ」 「じゃ道也先生に違ない。――世の中は随分無慈悲なものだなあ。――君番地を知ってるだろう」 「番地は聞かなかった」 「聞かなかった?」 「うん。しかし江湖雑誌で聞けばすぐわかるさ。何でもほかの雑誌や新聞にも関係しているかも知れないよ。どこかで白井道也と云う名を見たようだ」  音楽会の帰りの馬車や車は最前から絡繹として二人を後ろから追い越して夕暮を吾家へ急ぐ。勇ましく馳けて来た二梃の人力がまた追い越すのかと思ったら、大仏を横に見て、西洋軒のなかに掛声ながら引き込んだ。黄昏の白き靄のなかに、逼り来る暮色を弾き返すほどの目覚しき衣は由ある女に相違ない。中野君はぴたりと留まった。 「僕はこれで失敬する。少し待ち合せている人があるから」 「西洋軒で会食すると云う約束か」 「うんまあ、そうさ。じゃ失敬」と中野君は向へ歩き出す。高柳君は往来の真中へたった一人残された。  淋しい世の中を池の端へ下る。その時一人坊っちの周作はこう思った。「恋をする時間があれば、この自分の苦痛をかいて、一篇の創作を天下に伝える事が出来るだろうに」  見上げたら西洋軒の二階に奇麗な花瓦斯がついていた。 五  ミルクホールに這入る。上下を擦り硝子にして中一枚を透き通しにした腰障子に近く据えた一脚の椅子に腰をおろす。焼麺麭を噛って、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。ただ今地理学教授法の原稿を四十一頁渡して金に換えて来たばかりである。一頁五十銭の割合になる。一頁五十銭を超ゆべからず、一ヵ月五十頁を超ゆべからずと申し渡されてある。  これで今月はどうか、こうか食える。ほかからくれる十円近くの金は故里の母に送らなければならない。故里はもう落鮎の時節である。ことによると崩れかかった藁屋根に初霜が降ったかも知れない。鶏が菊の根方を暴らしている事だろう。母は丈夫かしら。  向うの机を占領している学生が二人、西洋菓子を食いながら、団子坂の菊人形の収入について大に論じている。左に蜜柑をむきながら、その汁を牛乳の中へたらしている書生がある。一房絞っては、文芸倶楽部の芸者の写真を一枚はぐり、一房絞っては一枚はぐる。芸者の絵が尽きた時、彼はコップの中を匙で攪き廻して妙な顔をしている。酸で牛乳が固まったので驚ろいているのだろう。  高柳君はそこに重ねてある新聞の下から雑誌を引きずり出して、あれこれと見る。目的の江湖雑誌は朝日新聞の下に折れていた。折れてはいるがまだ新らしい。四五日前に出たばかりのである。折れた所は六号活字で何だか色鉛筆の赤い圏点が一面についている。僕の恋愛観と云う表題の下に中野春台とある。春台は無論輝一の号である。高柳君は食い欠いた焼麺麭を皿の上へ置いたなり「僕の恋愛観」を見ていたがやがて、にやりと笑った。恋愛観の結末に同じく色鉛筆で色情狂※[#感嘆符三つ、320-13] と書いてある。高柳君は頁をはぐった。六号活字はだいぶ長い。もっともいろいろの人の名前が出ている。一番始めには現代青年の煩悶に対する諸家の解決とある。高柳君は急に読んで見る気になった。――第一は静心の工夫を積めと云う注意だ。積めとはどう積むのかちっともわからない。第二は運動をして冷水摩擦をやれと云う。簡単なものである。第三は読書もせず、世間も知らぬ青年が煩悶する法がないと論じている。無いと云っても有れば仕方がない。第四は休暇ごとに必ず旅行せよと勧告している。しかし旅費の出処は明記してない。――高柳君はあとを読むのが厭になった。颯と引っくりかえして、第一頁をあける。「解脱と拘泥……憂世子」と云うのがある。標題が面白いのでちょっと目を通す。 「身体の局部がどこぞ悪いと気にかかる。何をしていても、それがコダワって来る。ところが非常に健康な人は行住坐臥ともにわが身体の存在を忘れている。一点の局部だにわが注意を集注すべき患所がないから、かく安々と胖かなのである。瘠せて蒼い顔をしている人に、君は胃が悪いだろうと尋ねて見た事がある。するとその男が答えて、胃は少しも故障がない、その証拠には僕はこの年になるが、いまだに胃がどこにあるか知らないと云うた。その時は笑って済んだが、後で考えて見ると大に悟った言葉である。この人は全く胃が健康だから胃に拘泥する必要がない、必要がないから胃がどこにあっても構わないのと見える。自在飲、自在食、いっこう平気である。この男は胃において悟を開いたものである。……」  高柳君はこれは少し妙だよと口のなかで云った。胃の悟りは妙だと云った。 「胃について道い得べき事は、惣身についても道い得べき事である。惣身について道い得べき事は、精神についても道い得べき事である。ただ精神生活においては得失の両面において等しく拘泥を免かれぬところが、身体より煩いになる。 「一能の士は一能に拘泥し、一芸の人は一芸に拘泥して己れを苦しめている。芸能は気の持ちようではすぐ忘れる事も出来る。わが欠点に至っては容易に解脱は出来ぬ。 「百円や二百円もする帯をしめて女が音楽会へ行くとこの帯が妙に気になって音楽が耳に入らぬ事がある。これは帯に拘泥するからである。しかしこれは自慢の例じゃ。得意の方は前云う通り祟りを避け易い。しかし不面目の側はなかなか強情に祟る。昔しさる所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で礼をして双方共頭を下げた。下げながら、向うの足を見るとその男の靴足袋の片々が破れて親指の爪が出ている。こちらが頭を下げると同時に彼は満足な足をあげて、破れ足袋の上に加えた。この人は足袋の穴に拘泥していたのである。……」  おれも拘泥している。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思いながら先へ進む。 「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛そのものは避けがたい世であろう。しかし拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日、七日に延長する苦痛である。いらざる苦痛である。避けなければならぬ。 「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、つまりは他人が拘泥するからである。……」  高柳君は音楽会の事を思いだした。 「したがって拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目を峙てても、耳を聳やかしても、冷評しても罵詈しても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門は盥で登城した事がある。……」  高柳君は彦左衛門が羨ましくなった。 「立派な衣装を馬士に着せると馬士はすぐ拘泥してしまう。華族や大名はこの点において解脱の方を得ている。華族や大名に馬士の腹掛をかけさすと、すぐ拘泥してしまう。釈迦や孔子はこの点において解脱を心得ている。物質界に重を置かぬものは物質界に拘泥する必要がないからである。……」  高柳君は冷めかかった牛乳をぐっと飲んで、ううと云った。 「第二の解脱法は常人の解脱法である。常人の解脱法は拘泥を免かるるのではない、拘泥せねばならぬような苦しい地位に身を置くのを避けるのである。人の視聴を惹くの結果、われより苦痛が反射せぬようにと始めから用心するのである。したがって始めより流俗に媚びて一世に附和する心底がなければ成功せぬ。江戸風な町人はこの解脱法を心得ている。芸妓通客はこの解脱法を心得ている。西洋のいわゆる紳士はもっともよくこの解脱法を心得たものである。……」  芸者と紳士がいっしょになってるのは、面白いと、青年はまた焼麺麭の一片を、横合から半円形に食い欠いた。親指についた牛酪をそのまま袴の膝へなすりつけた。 「芸妓、紳士、通人から耶蘇孔子釈迦を見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥している。拘泥のうちに拘泥を脱し得たりと得意なるものは彼らである。両者の解脱は根本義において一致すべからざるものである。……」  高柳君は今まで解脱の二字においてかつて考えた事はなかった。ただ文界に立って、ある物になりたい、なりたいがなれない、なれんのではない、金がない、時がない、世間が寄ってたかって己れを苦しめる、残念だ無念だとばかり思っていた。あとを読む気になる。 「解脱は便法に過ぎぬ。下れる世に立って、わが真を貫徹し、わが善を標榜し、わが美を提唱するの際、泥帯水の弊をまぬがれ、勇猛精進の志を固くして、現代下根の衆生より受くる迫害の苦痛を委却するための便法である。この便法を証得し得ざる時、英霊の俊児、またついに鬼窟裏に堕在して彼のいわゆる芸妓紳士通人と得失を較するの愚を演じて憚からず。国家のため悲しむべき事である。 「解脱は便法である。この方便門を通じて出頭し来る行為、動作、言説の是非は解脱の関するところではない。したがって吾人は解脱を修得する前に正鵠にあたれる趣味を養成せねばならぬ。下劣なる趣味を拘泥なく一代に塗抹するは学人の恥辱である。彼らが貴重なる十年二十年を挙げて故紙堆裏に兀々たるは、衣食のためではない、名聞のためではない、ないし爵禄財宝のためではない。微かなる墨痕のうちに、光明の一炬を点じ得て、点じ得たる道火を解脱の方便門より担い出して暗黒世界を遍照せんがためである。 「このゆえに真に自家証得底の見解あるもののために、拘泥の煩を払って、でき得る限り彼らをして第一種の解脱に近づかしむるを道徳と云う。道徳とは有道の士をして道を行わしめんがために、吾人がこれに対して与うる自由の異名である。この大道徳を解せざるものを俗人と云う。 「天下の多数は俗人である。わが位に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。わが富に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。下れるものは、わが酒とわが女に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。 「光明は趣味の先駆である。趣味は社会の油である。油なき社会は成立せぬ。汚れたる油に廻転する社会は堕落する。かの紳士、通人、芸妓の徒は、汚れたる油の上を滑って墓に入るものである。華族と云い貴顕と云い豪商と云うものは門閥の油、権勢の油、黄白の油をもって一世を逆しまに廻転せんと欲するものである。 「真正の油は彼らの知るところではない。彼らは生れてより以来この油について何らの工夫も費やしておらん。何らの工夫を費やさぬものが、この大道徳を解せぬのは許す。光明の学徒を圧迫せんとするに至っては、俗人の域を超越して罪人の群に入る。 「三味線を習うにも五六年はかかる。巧拙を聴き分くるさえ一カ月の修業では出来ぬ。趣味の修養が三味の稽古より易いと思うのは間違っている。茶の湯を学ぶ彼らはいらざる儀式に貴重な時間を費やして、一々に師匠の云う通りになる。趣味は茶の湯より六ずかしいものじゃ。茶坊主に頭を下げる謙徳があるならば、趣味の本家たる学者の考はなおさら傾聴せねばならぬ。 「趣味は人間に大切なものである。楽器を壊つものは社会から音楽を奪う点において罪人である。書物を焼くものは社会から学問を奪う点において罪人である。趣味を崩すものは社会そのものを覆えす点において刑法の罪人よりもはなはだしき罪人である。音楽はなくとも吾人は生きている、学問がなくても吾人はいきている。趣味がなくても生きておられるかも知れぬ。しかし趣味は生活の全体に渉る社会の根本要素である。これなくして生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると一般である。 「ここに一人がある。この一人が単に自己の思うようにならぬと云う源因のもとに、多勢が朝に晩に、この一人を突つき廻わして、幾年の後この一人の人格を堕落せしめて、下劣なる趣味に誘い去りたる時、彼らは殺人より重い罪を犯したのである。人を殺せば殺される。殺されたものは社会から消えて行く。後患は遺さない。趣味の堕落したものは依然として現存する。現存する以上は堕落した趣味を伝染せねばやまぬ。彼はペストである。ペストを製造したものはもちろん罪人である。 「趣味の世界にペストを製造して罰せられんのは人殺しをして罰せられんのと同様である。位地の高いものはもっともこの罪を犯しやすい。彼らは彼らの社会的地位からして、他に働きかける便宜の多い場所に立っている。他に働きかける便宜を有して、働きかける道を弁えぬものは危険である。 「彼らは趣味において専門の学徒に及ばぬ。しかも学徒以上他に働きかけるの能力を有している。能力は権利ではない。彼らのあるものはこの区別さえ心得ておらん。彼らの趣味を教育すべくこの世に出現せる文学者を捕えてすらこれを逆しまに吾意のごとくせんとする。彼らは単に大道徳を忘れたるのみならず、大不道徳を犯して恬然として社会に横行しつつあるのである。 「彼らの意のごとくなる学徒があれば、自己の天職を自覚せざる学徒である。彼らを教育する事の出来ぬ学徒があれば腰の抜けたる学徒である。学徒は光明を体せん事を要す。光明より流れ出ずる趣味を現実せん事を要す。しかしてこれを現実せんがために、拘泥せざらん事を要す。拘泥せざらんがために解脱を要す」  高柳君は雑誌を開いたまま、茫然として眼を挙げた。正面の柱にかかっている、八角時計がぼうんと一時を打つ。柱の下の椅子にぽつ然と腰を掛けていた小女郎が時計の音と共に立ち上がった。丸テーブルの上には安い京焼の花活に、浅ましく水仙を突きさして、葉の先が黄ばんでいるのを、いつまでもそのままに水をやらぬ気と見える。小女郎は水仙の花にちょっと手を触れて、花活のそばにある新聞をとり上げた。読むかと思ったら四つに畳んで傍に置いた。この女は用もないのに立ち上がったのである。退屈のあまり、ぼうんを聞いて器械的に立ち上がったのである。羨ましい女だと高柳君はすぐ思う。  菊人形の収入についての議論は片づいたと見えて、二人の学生は煙草をふかして往来を見ている。 「おや、富田が通る」と一人が云う。 「どこに」と一人が聞く。富田君は三寸ばかり開いていた硝子戸の間をちらと通り抜けたのである。 「あれは、よく食う奴じゃな」 「食う、食う」と答えたところによるとよほど食うと見える。 「人間は食う割に肥らんものだな。あいつはあんなに食う癖にいっこう肥えん」 「書物は沢山読むが、ちっとも、えろうならんのがおると同じ事じゃ」 「そうよ。御互に勉強はなるべくせん方がいいの」 「ハハハハ。そんなつもりで云ったんじゃない」 「僕はそう云うつもりにしたのさ」 「富田は肥らんがなかなか敏捷だ。やはり沢山食うだけの事はある」 「敏捷な事があるものか」 「いや、この間四丁目を通ったら、後ろから出し抜けに呼ぶものがあるから、振り反ると富田だ。頭を半分刈ったままで、大きな敷布のようなものを肩から纏うている」 「元来どうしたのか」 「床屋から飛び出して来たのだ」 「どうして」 「髪を刈っておったら、僕の影が鏡に写ったものだから、すぐ馳け出したんだそうだ」 「ハハハハそいつは驚ろいた」 「おれも驚ろいた。そうして尚志会の寄附金を無理に取って、また床屋へ引き返したぜ」 「ハハハハなるほど敏捷なものだ。それじゃ御互になるべく食う事にしよう。敏捷にせんと、卒業してから困るからな」 「そうよ。文学士のように二十円くらいで下宿に屏息していては人間と生れた甲斐はないからな」  高柳君は勘定をして立ち上った。ありがとうと云う下女の声に、文芸倶楽部の上につっ伏していた書生が、赤い眼をとろつかせて、睨めるように高柳君を見た。牛の乳のなかの酸に中毒でもしたのだろう。 六 「私は高柳周作と申すもので……」と丁寧に頭を下げた。高柳君が丁寧に頭を下げた事は今まで何度もある。しかしこの時のように快よく頭を下げた事はない。教授の家を訪問しても、翻訳を頼まれる人に面会しても、その他の先輩に対しても皆丁寧に頭をさげる。せんだって中野のおやじに紹介された時などはいよいよもって丁寧に頭をさげた。しかし頭を下げるうちにいつでも圧迫を感じている。位地、年輩、服装、住居が睥睨して、頭を下げぬか、下げぬかと催促されてやむを得ず頓首するのである。道也先生に対しては全く趣が違う。先生の服装は中野君の説明したごとく、自分と伯仲の間にある。先生の書斎は座敷をかねる点において自分の室と同様である。先生の机は白木なるの点において、丸裸なるの点において、またもっとも無趣味に四角張ったる点において自分の机と同様である。先生の顔は蒼い点において瘠せた点において自分と同様である。すべてこれらの諸点において、先生と弟たりがたく兄たりがたき間柄にありながら、しかも丁寧に頭を下げるのは、逼まられて仕方なしに下げるのではない。仕方あるにもかかわらず、こっちの好意をもって下げるのである。同類に対する愛憐の念より生ずる真正の御辞儀である。世間に対する御辞儀はこの野郎がと心中に思いながらも、公然には反比例に丁寧を極めたる虚偽の御辞儀でありますと断わりたいくらいに思って、高柳君は頭を下げた。道也先生はそれと覚ったかどうか知らぬ。 「ああ、そうですか、私が白井道也で……」とつくろった景色もなく云う。高柳君にはこの挨拶振りが気に入った。両人はしばらくの間黙って控えている。道也は相手の来意がわからぬから、先方の切り出すのを待つのが当然と考える。高柳君は昔しの関係を残りなく打ち開けて、一刻も早く同類相憐むの間柄になりたい。しかしあまり突然であるから、ちょっと言い出しかねる。のみならず、一昔し前の事とは申しながら、自分達がいじめて追い出した先生が、そのためにかく零落したのではあるまいかと思うと、何となく気がひけて云い切れない。高柳君はこんなところになるとすこぶる勇気に乏しい。謝罪かたがた尋ねはしたが、いよいよと云う段になると少々怖くて罪滅しが出来かねる。心にいろいろな冒頭を作って見たが、どれもこれもきまりがわるい。 「だんだん寒くなりますね」と道也先生は、こっちの了簡を知らないから、超然たる時候の挨拶をする。 「ええ、だいぶ寒くなったようで……」  高柳君の脳中の冒頭はこれでまるで打ち壊されてしまった。いっその事自白はこの次にしようという気になる。しかし何だか話して行きたい気がする。 「先生御忙がしいですか……」 「ええ、なかなか忙がしいんで弱ります。貧乏閑なしで」  高柳君はやり損なったと思う。再び出直さねばならん。 「少し御話を承りたいと思って上がったんですが……」 「はあ、何か雑誌へでも御載せになるんですか」  あてはまたはずれる。おれの態度がどうしても向には酌み取れないと見えると青年は心中少しく残念に思った。 「いえ、そうじゃないので――ただ――ただっちゃ失礼ですが。――御邪魔ならまた上がってもよろしゅうございますが……」 「いえ邪魔じゃありません。談話と云うからちょっと聞いて見たのです。――わたしのうちへ話なんか聞きにくるものはありませんよ」 「いいえ」と青年は妙な言葉をもって先生の辞を否定した。 「あなたは何の学問をなさるですか」 「文学の方を――今年大学を出たばかりです」 「はあそうですか。ではこれから何かおやりになるんですね」 「やれれば、やりたいのですが、暇がなくって……」 「暇はないですね。わたしなども暇がなくって困っています。しかし暇はかえってない方がいいかも知れない。何ですね。暇のあるものはだいぶいるようだが、余り誰も何もやっていないようじゃありませんか」 「それは人に依りはしませんか」と高柳君はおれが暇さえあればと云うところを暗にほのめかした。 「人にも依るでしょう。しかし今の金持ちと云うものは……」と道也は句を半分で切って、机の上を見た。机の上には二寸ほどの厚さの原稿がのっている。障子には洗濯した足袋の影がさす。 「金持ちは駄目です。金がなくって困ってるものが……」 「金がなくって困ってるものは、困りなりにやればいいのです」と道也先生困ってる癖に太平な事を云う。高柳君は少々不満である。 「しかし衣食のために勢力をとられてしまって……」 「それでいいのですよ。勢力をとられてしまったら、ほかに何にもしないで構わないのです」  青年は唖然として、道也を見た。道也は孔子様のように真面目である。馬鹿にされてるんじゃたまらないと高柳君は思う。高柳君は大抵の事を馬鹿にされたように聞き取る男である。 「先生ならいいかも知れません」とつるつると口を滑らして、はっと言い過ぎたと下を向いた。道也は何とも思わない。 「わたしは無論いい。あなただって好いですよ」と相手までも平気に捲き込もうとする。 「なぜですか」と二三歩逃げて、振り向きながら佇む狐のように探りを入れた。 「だって、あなたは文学をやったと云われたじゃありませんか。そうですか」 「ええやりました」と力を入れる。すべて他の点に関しては断乎たる返事をする資格のない高柳君は自己の本領においては何人の前に出てもひるまぬつもりである。 「それならいい訳だ。それならそれでいい訳だ」と道也先生は繰り返して云った。高柳君には何の事か少しも分らない。また、なぜですと突き込むのも、何だか伏兵に罹る気持がして厭である。ちょっと手のつけようがないので、黙って相手の顔を見た。顔を見ているうちに、先方でどうか解決してくれるだろうと、暗に催促の意を籠めて見たのである。 「分りましたか」と道也先生が云う。顔を見たのはやっぱり何の役にも立たなかった。 「どうも」と折れざるを得ない。 「だってそうじゃありませんか。――文学はほかの学問とは違うのです」と道也先生は凜然と云い放った。 「はあ」と高柳君は覚えず応答をした。 「ほかの学問はですね。その学問や、その学問の研究を阻害するものが敵である。たとえば貧とか、多忙とか、圧迫とか、不幸とか、悲酸な事情とか、不和とか、喧嘩とかですね。これがあると学問が出来ない。だからなるべくこれを避けて時と心の余裕を得ようとする。文学者も今まではやはりそう云う了簡でいたのです。そう云う了簡どころではない。あらゆる学問のうちで、文学者が一番呑気な閑日月がなくてはならんように思われていた。おかしいのは当人自身までがその気でいた。しかしそれは間違です。文学は人生そのものである。苦痛にあれ、困窮にあれ、窮愁にあれ、凡そ人生の行路にあたるものはすなわち文学で、それらを甞め得たものが文学者である。文学者と云うのは原稿紙を前に置いて、熟語字典を参考して、首をひねっているような閑人じゃありません。円熟して深厚な趣味を体して、人間の万事を臆面なく取り捌いたり、感得したりする普通以上の吾々を指すのであります。その取り捌き方や感得し具合を紙に写したのが文学書になるのです、だから書物は読まないでも実際その事にあたれば立派な文学者です。したがってほかの学問ができ得る限り研究を妨害する事物を避けて、しだいに人世に遠かるに引き易えて文学者は進んでこの障害のなかに飛び込むのであります」 「なるほど」と高柳君は妙な顔をして云った。 「あなたは、そうは考えませんか」  そう考えるにも、考えぬにも生れて始めて聞いた説である。批評的の返事が出るときは大抵用意のある場合に限る。不意撃に応ずる事が出来れば不意撃ではない。 「ふうん」と云って高柳君は首を低れた。文学は自己の本領である。自己の本領について、他人が答弁さえ出来ぬほどの説を吐くならばその本領はあまり鞏固なものではない。道也先生さえ、こんな見すぼらしい家に住んで、こんな、きたならしい着物をきているならば、おれは当然二十円五十銭の月給で沢山だと思った。何だか急に広い世界へ引き出されたような感じがする。 「先生はだいぶ御忙しいようですが……」 「ええ。進んで忙しい中へ飛び込んで、人から見ると酔興な苦労をします。ハハハハ」と笑う。これなら苦労が苦労にたたない。 「失礼ながら今はどんな事をやっておいでで……」 「今ですか、ええいろいろな事をやりますよ。飯を食う方と本領の方と両方やろうとするからなかなか骨が折れます。近頃は頼まれてよく方々へ談話の筆記に行きますがね」 「随分御面倒でしょう」 「面倒と云いや、面倒ですがね。そう面倒と云うよりむしろ馬鹿気ています。まあいい加減に書いては来ますが」 「なかなか面白い事を云うのがおりましょう」と暗に中野春台の事を釣り出そうとする。 「面白いの何のって、この間はうま、うまの講釈を聞かされました」 「うま、うまですか?」 「ええ、あの小供が食物の事をうまうまと云いましょう。あれの来歴ですね。その人の説によると小供が舌が回り出してから一番早く出る発音がうまうまだそうです。それでその時分は何を見てもうまうま、何を見なくってもうまうまだからつまりは何にもつけなくてもいいのだそうだが、そこが小供に取って一番大切なものは食物だから、とうとう食物の方で、うまうまを専有してしまったのだそうです。そこで大人もその癖がのこって、美味なものをうまいと云うようになった。だから人生の煩悶は要するに元へ還ってうまうまの二字に帰着すると云うのです。何だか寄席へでも行ったようじゃないですか」 「馬鹿にしていますね」 「ええ、大抵は馬鹿にされに行くんですよ」 「しかしそんなつまらない事を云うって失敬ですね」 「なに、失敬だっていいでさあ、どうせ、分らないんだから。そうかと思うとね。非常に真面目だけれどもなかなか突飛なのがあってね。この間は猛烈な恋愛論を聞かされました。もっとも若い人ですがね」 「中野じゃありませんか」 「君、知ってますか。ありゃ熱心なものだった」 「私の同級生です」 「ああ、そうですか。中野春台とか云う人ですね。よっぽど暇があるんでしょう。あんな事を真面目に考えているくらいだから」 「金持ちです」 「うん立派な家にいますね。君はあの男と親密なのですか」 「ええ、もとはごく親密でした。しかしどうもいかんです。近頃は――何だか――未来の細君か何か出来たんで、あんまり交際してくれないのです」 「いいでしょう。交際しなくっても。損にもなりそうもない。ハハハハハ」 「何だかしかし、こう、一人坊っちのような気がして淋しくっていけません」 「一人坊っちで、いいでさあ」と道也先生またいいでさあを担ぎ出した。高柳君はもう「先生ならいいでしょう」と突き込む勇気が出なかった。 「昔から何かしようと思えば大概は一人坊っちになるものです。そんな一人の友達をたよりにするようじゃ何も出来ません。ことによると親類とも仲違になる事が出来て来ます。妻にまで馬鹿にされる事があります。しまいに下女までからかいます」 「私はそんなになったら、不愉快で生きていられないだろうと思います」 「それじゃ、文学者にはなれないです」  高柳君はだまって下を向いた。 「わたしも、あなたぐらいの時には、ここまでとは考えていなかった。しかし世の中の事実は実際ここまでやって来るんです。うそじゃない。苦しんだのは耶蘇や孔子ばかりで、吾々文学者はその苦しんだ耶蘇や孔子を筆の先でほめて、自分だけは呑気に暮して行けばいいのだなどと考えてるのは偽文学者ですよ。そんなものは耶蘇や孔子をほめる権利はないのです」  高柳君は今こそ苦しいが、もう少し立てば喬木にうつる時節があるだろうと、苦しいうちに絹糸ほどな細い望みを繋いでいた。その絹糸が半分ばかり切れて、暗い谷から上へ出るたよりは、生きているうちは容易に来そうに思われなくなった。 「高柳さん」 「はい」 「世の中は苦しいものですよ」 「苦しいです」 「知ってますか」と道也先生は淋し気に笑った。 「知ってるつもりですけれど、いつまでもこう苦しくっちゃ……」 「やり切れませんか。あなたは御両親が御在りか」 「母だけ田舎にいます」 「おっかさんだけ?」 「ええ」 「御母さんだけでもあれば結構だ」 「なかなか結構でないです。――早くどうかしてやらないと、もう年を取っていますから。私が卒業したら、どうか出来るだろうと思ってたのですが……」 「さよう、近頃のように卒業生が殖えちゃ、ちょっと、口を得るのが困難ですね。――どうです、田舎の学校へ行く気はないですか」 「時々は田舎へ行こうとも思うんですが……」 「またいやになるかね。――そうさ、あまり勧められもしない。私も田舎の学校はだいぶ経験があるが」 「先生は……」と言いかけたが、また昔の事を云い出しにくくなった。 「ええ?」と道也は何も知らぬ気である。 「先生は――あの――江湖雑誌を御編輯になると云う事ですが、本当にそうなんで」 「ええ、この間から引き受けてやっています」 「今月の論説に解脱と拘泥と云うのがありましたが、あの憂世子と云うのは……」 「あれは、わたしです。読みましたか」 「ええ、大変面白く拝見しました。そう申しちゃ失礼ですが、あれは私の云いたい事を五六段高くして、表出したようなもので、利益を享けた上に痛快に感じました」 「それはありがたい。それじゃ君は僕の知己ですね。恐らく天下唯一の知己かも知れない。ハハハハ」 「そんな事はないでしょう」と高柳君はやや真面目に云った。 「そうですか、それじゃなお結構だ。しかし今まで僕の文章を見てほめてくれたものは一人もない。君だけですよ」 「これから皆んな賞めるつもりです」 「ハハハハそう云う人がせめて百人もいてくれると、わたしも本望だが――随分頓珍漢な事がありますよ。この間なんか妙な男が尋ねて来てね。……」 「何ですか」 「なあに商人ですがね。どこから聞いて来たか、わたしに、あなたは雑誌をやっておいでだそうだが文章を御書きなさるだろうと云うのです」 「へえ」 「書く事は書くとまあ云ったんです。するとねその男がどうぞ一つ、眼薬の広告をかいてもらいたいと云うんです」 「馬鹿な奴ですね」 「その代り雑誌へ眼薬の広告を出すから是非一つ願いたいって――何でも点明水とか云う名ですがね……」 「妙な名をつけて――。御書きになったんですか」 「いえ、とうとう断わりましたがね。それでまだおかしい事があるのですよ。その薬屋で売出しの日に大きな風船を揚げるんだと云うのです」 「御祝いのためですか」 「いえ、やはり広告のために。ところが風船は声も出さずに高い空を飛んでいるのだから、仰向けば誰にでも見えるが、仰向かせなくっちゃいけないでしょう」 「へえ、なるほど」 「それでわたしにその、仰向かせの役をやってくれって云うのです」 「どうするのです」 「何、往来をあるいていても、電車へ乗っていてもいいから、風船を見たら、おや風船だ風船だ、何でもありゃ点明水の広告に違いないって何遍も何遍も云うのだそうです」 「ハハハ随分思い切って人を馬鹿にした依頼ですね」 「おかしくもあり馬鹿馬鹿しくもあるが、何もそれだけの事をするにはわたしでなくてもよかろう。車引でも雇えば訳ないじゃないかと聞いて見たのです。するとその男がね。いえ、車引なんぞばかりでは信用がなくっていけません。やっぱり髭でも生やしてもっともらしい顔をした人に頼まないと、人がだまされませんからと云うのです」 「実に失敬な奴ですね。全体何物でしょう」 「何物ってやはり普通の人間ですよ。世の中をだますために人を雇いに来たのです。呑気なものさハハハハ」 「どうも驚ろいちまう。私なら撲ぐってやる」 「そんなのを撲った日にゃ片っ端から撲らなくっちゃあならない。君そう怒るが、今の世の中はそんな男ばかりで出来てるんですよ」  高柳君はまさかと思った。障子にさした足袋の影はいつしか消えて、開け放った一枚の間から、靴刷毛の端が見える。椽は泥だらけである。手の平ほどな庭の隅に一株の菊が、清らかに先生の貧を照らしている。自然をどうでもいいと思っている高柳君もこの菊だけは美くしいと感じた。杉垣の遥か向に大きな柿の木が見えて、空のなかへ五分珠の珊瑚をかためて嵌め込んだように奇麗に赤く映る。鳴子の音がして烏がぱっと飛んだ。 「閑静な御住居ですね」 「ええ。蛸寺の和尚が烏を追っているんです。毎日がらんがらん云わして、烏ばかり追っている。ああ云う生涯も閑静でいいな」 「大変たくさん柿が生っていますね」 「渋柿ですよ。あの和尚は何が惜しくて、ああ渋柿の番ばかりするのかな。――君妙な咳を時々するが、身体は丈夫ですか。だいぶ瘠せてるようじゃありませんか。そう瘠せてちゃいかん。身体が資本だから」 「しかし先生だって随分瘠せていらっしゃるじゃありませんか」 「わたし? わたしは瘠せている。瘠せてはいるが大丈夫」 七 白き蝶の、白き花に、 小き蝶の、小き花に、      みだるるよ、みだるるよ。 長き憂は、長き髪に、 暗き憂は、暗き髪に、      みだるるよ、みだるるよ。 いたずらに、吹くは野分の、 いたずらに、住むか浮世に、 白き蝶も、黒き髪も、      みだるるよ、みだるるよ。 と女はうたい了る。銀椀に珠を盛りて、白魚の指に揺かしたらば、こんな声がでようと、男は聴きとれていた。 「うまく、唱えました。もう少し稽古して音量が充分に出ると大きな場所で聴いても、立派に聴けるに違いない。今度演奏会でためしにやって見ませんか」 「厭だわ、ためしだなんて」 「それじゃ本式に」 「本式にゃなおできませんわ」 「それじゃ、つまりおやめと云う訳ですか」 「だってたくさん人のいる前なんかで、――恥ずかしくって、声なんか出やしませんわ」 「その新体詩はいいでしょう」 「ええ、わたし大好き」 「あなたが、そうやって、唱ってるところを写真に一つ取りましょうか」 「写真に?」 「ええ、厭ですか」 「厭じゃないわ。だけれども、取って人に御見せなさるでしょう」 「見せてわるければ、わたし一人で見ています」  女は何にも云わずに眼を横に向けた。こぼれ梅を一枚の半襟の表に掃き集めた真中に、明星と見まがうほどの留針が的と耀いて、男の眼を射る。  女の振り向いた方には三尺の台を二段に仕切って、下には長方形の交趾の鉢に細き蘭が揺るがんとして、香の煙りのたなびくを待っている。上段にはメロスの愛神の模像を、ほの暗き室の隅に夢かとばかり据えてある。女の眼は端なくもこの裸体像の上に落ちた。 「あの像は」と聞く。 「無論模造です。本物は巴理のルーヴルにあるそうです。しかし模造でもみごとですね。腰から上の少し曲ったところと両足の方向とが非常に釣合がよく取れている。――これが全身完全だと非常なものですが、惜しい事に手が欠けてます」 「本物も欠けてるんですか」 「ええ、本物が欠けてるから模造もかけてるんです」 「何の像でしょう」 「ヴィーナス。愛の神です」と男はことさらに愛と云う字を強く云った。 「ヴィーナス!」  深い眼睫の奥から、ヴィーナスは溶けるばかりに見詰められている。冷やかなる石膏の暖まるほど、丸き乳首の、呼吸につれて、かすかに動くかと疑しまるるほど、女は瞳を凝らしている。女自身も艶なるヴィーナスである。 「そう」と女はやがて、かすかな声で云う。 「あんまり見ているとヴィーナスが動き出しますよ」 「これで愛の神でしょうか」と女はようやく頭を回らした。  あなたの方が愛の神らしいと云おうとしたが、女と顔を見合した時、男は急に躊躇した。云えば女の表情が崩れる。この、訝るがごとく、訴うるがごとく、深い眼のうちに我を頼るがごとき女の表情を一瞬たりとも、我から働きかけて打ち壊すのは、メロスのヴィーナスの腕を折ると同じく大なる罪科である。 「気高過ぎて……」と男の我を援けぬをもどかしがって女は首を傾けながら、我からと顔の上なる姿を変えた。男はしまったと思う。 「そう、すこし堅過ぎます。愛と云う感じがあまり現われていない」 「何だか冷めたいような心持がしますわ」 「その通りだ。冷めたいと云うのが適評だ。何だか妙だと思っていたが、どうも、いい言葉が出て来なかったんです。冷めたい――冷めたい、と云うのが一番いい」 「なぜこんなに、拵らえたんでしょう」 「やっぱりフジアス式だから厳格なんでしょう」 「あなたは、こう云うのが御好き」  女は石像をさえ、自分と比較して愛人の心を窺って見る。ヴィーナスを愛するものは、自分を愛してはくれまいと云う掛念がある。女はヴィーナスの、神である事を忘れている。 「好きって、いいじゃありませんか、古今の傑作ですよ」  女の批判は直覚的である。男の好尚は半ば伝説的である。なまじいに美学などを聴いた因果で、男はすぐ女に同意するだけの勇気を失っている。学問は己れを欺くとは心づかぬと見える。自から学問に欺かれながら、欺かれぬ女の判断を、いたずらに誤まれりとのみ見る。 「古今の傑作ですよ」と再び繰り返したのは、半ば女の趣味を教育するためであった。 「そう」と女は云ったばかりである。石火を交えざる刹那に、はっと受けた印象は、学者の一言のために打ち消されるものではない。 「元来ヴィーナスは、どう云うものか僕にはいやな聯想がある」 「どんな聯想なの」と女はおとなしく聞きつつ、双の手を立ちながら膝の上に重ねる。手頸からさきが二寸ほど白く見えて、あとは、しなやかなる衣のうちに隠れる。衣は薄紅に銀の雨を濃く淡く、所まだらに降らしたような縞柄である。  上になった手の甲の、五つに岐れた先の、しだいに細まりてかつ丸く、つやある爪に蔽われたのが好い感じである。指は細く長く、すらりとした姿を崩さぬほどに、柔らかな肉を持たねばならぬ。この調える姿が五本ごとに異ならねばならぬ。異なる五本が一つにかたまって、纏まる調子をつくらねばならぬ。美くしき手を持つ人は、美くしき顔を持つ人よりも少ない。美くしき手を持つ人には貴き飾りが必要である。  女は燦たるものを、細き肉に戴いている。 「その指輪は見馴れませんね」 「これ?」と重ねた手は解けて、右の指に耀くものをなぶる。 「この間父様に買っていただいたの」 「金剛石ですか」 「そうでしょう。天賞堂から取ったんですから」 「あんまり御父さんを苛めちゃいけませんよ」 「あら、そうじゃないのよ。父様の方から買って下さったのよ」 「そりゃ珍らしい現象ですね」 「ホホホホ本当ね。あなたその訳を知ってて」 「知るものですか、探偵じゃあるまいし」 「だから御存じないでしょうと云うのですよ」 「だから知りませんよ」 「教えて上げましょうか」 「ええ教えて下さい」 「教えて上げるから笑っちゃいけませんよ」 「笑やしません。この通り真面目でさあ」 「この間ね、池上に競馬があったでしょう。あの時父様があすこへいらしってね。そうして……」 「そうして、どうしたんです。――拾って来たんですか」 「あら、いやだ。あなたは失敬ね」 「だって、待っててもあとをおっしゃらないですもの」 「今云うところなのよ。そうして賭をなすったんですって」 「こいつは驚ろいた。あなたの御父さんもやるんですか」 「いえ、やらないんだけれども、試しにやって見たんだって」 「やっぱりやったんじゃありませんか」 「やった事はやったの。それで御金を五百円ばかり御取りになったんだって」 「へえ。それで買って頂いたのですか」 「まあ、そうよ」 「ちょっと拝見」と手を出す。男は耀くものを軽く抑えた。  指輪は魔物である。沙翁は指輪を種に幾多の波瀾を描いた。若い男と若い女を目に見えぬ空裏に繋ぐものは恋である。恋をそのまま手にとらすものは指輪である。  三重にうねる細き金の波の、環と合うて膨れ上るただ中を穿ちて、動くなよと、安らかに据えたる宝石の、眩ゆさは天が下を射れど、毀たねば波の中より奪いがたき運命は、君ありての妾、妾故にの君である。男は白き指もろ共に指輪を見詰めている。 「こんな指輪だったのか知らん」と男が云う。女は寄り添うて同じ長椅子を二人の間に分つ。 「昔しさる好事家がヴィーナスの銅像を掘り出して、吾が庭の眺めにと橄欖の香の濃く吹くあたりに据えたそうです」 「それは御話? 突然なのね」 「それから或日テニスをしていたら……」 「あら、ちっとも分らないわ。誰がテニスをするの。銅像を掘り出した人なの?」 「銅像を掘り出したのは人足で、テニスをしたのは銅像を掘り出さした主人の方です」 「どっちだって同じじゃありませんか」 「主人と人足と同じじゃ少し困る」 「いいえさ、やっぱり掘り出した人がテニスをしたんでしょう」 「そう強情を御張りになるなら、それでよろしい。――では掘り出した人がテニスをする……」 「強情じゃない事よ。じゃ銅像を掘り出さした方がテニスをするの、ね。いいでしょう」 「どっちでも同じでさあ」 「あら、あなた、御怒りなすったの。だから掘り出さした方だって、あやまっているじゃありませんか」 「ハハハハあやまらなくってもいいです。それでテニスをしているとね。指輪が邪魔になって、ラケットが思うように使えないんです。そこで、それをはずしてね、どこかへ置こうと思ったが小さいものだから置きなくすといけない。――大事な指輪ですよ。結納の指輪なんです」 「誰と結婚をなさるの?」 「誰とって、そいつは少し――やっぱりさる令嬢とです」 「あら、お話しになってもいじゃありませんか」 「隠す訳じゃないが……」 「じゃ話してちょうだい。ね、いいでしょう。相手はどなたなの?」 「そいつは弱りましたね。実は忘れちまった」 「それじゃ、ずるいわ」 「だって、メリメの本を貸しちまってちょっと調べられないですもの」 「どうせ、御貸しになったんでしょうよ。ようございます」 「困ったな。せっかくのところで名前を忘れたもんだから進行する事が出来なくなった。――じゃ今日は御やめにして今度その令嬢の名を調べてから御話をしましょう」 「いやだわ。せっかくのところでよしたり、なんかして」 「だって名前を知らないんですもの」 「だからその先を話してちょうだいな」 「名前はなくってもいいのですか」 「ええ」 「そうか、そんなら早くすればよかった。――それでいろいろ考えた末、ようやく考えついて、ヴィーナスの小指へちょっとはめたんです」 「うまいところへ気がついたのね。詩的じゃありませんか」 「ところがテニスが済んでから、すっかりそれを忘れてしまって、しかも例の令嬢を連れに田舎へ旅行してから気がついたのです。しかしいまさらどうもする事が出来ないから、それなりにして、未来の細君にはちょっとしたでき合の指環を買って結納にしたのです」 「厭な方ね。不人情だわ」 「だって忘れたんだから仕方がない」 「忘れるなんて、不人情だわ」 「僕なら忘れないんだが、異人だから忘れちまったんです」 「ホホホホ異人だって」 「そこで結納も滞りなく済んでから、うちへ帰っていよいよ結婚の晩に――」でわざと句を切る。 「結婚の晩にどうしたの」 「結婚の晩にね。庭のヴィーナスがどたりどたりと玄関を上がって……」 「おおいやだ」 「どたりどたりと二階を上がって」 「怖いわ」 「寝室の戸をあけて」 「気味がわるいわ」 「気味がわるければ、そこいらで、やめて置きましょう」 「だけれど、しまいにどうなるの」 「だから、どたり、どたりと寝室の戸をあけて」 「そこは、よしてちょうだい。ただしまいにどうなるの」 「では間を抜きましょう。――あした見たら男は冷めたくなって死んでたそうです。ヴィーナスに抱きつかれたところだけ紫色に変ってたと云います」 「おお、厭だ」と眉をあつめる。艶なる人の眉をあつめたるは愛嬌に醋をかけたようなものである。甘き恋に酔い過ぎたる男は折々のこの酸味に舌を打つ。  濃くひける新月の寄り合いて、互に頭を擡げたる、うねりの下に、朧に見ゆる情けの波のかがやきを男はひたすらに打ち守る。 「奥さんはどうしたでしょう」女を憐むものは女である。 「奥さんは病気になって、病院に這入るのです」 「癒るのですか」 「そうさ。そこまでは覚えていない。どうしたっけかな」 「癒らない法はないでしょう。罪も何もないのに」  薄きにもかかわらず豊なる下唇はぷりぷりと動いた。男は女の不平を愚かなりとは思わず、情け深しと興がる。二人の世界は愛の世界である。愛はもっとも真面目なる遊戯である。遊戯なるが故に絶体絶命の時には必ず姿を隠す。愛に戯むるる余裕のある人は至幸である。  愛は真面目である。真面目であるから深い。同時に愛は遊戯である。遊戯であるから浮いている。深くして浮いているものは水底の藻と青年の愛である。 「ハハハハ心配なさらんでもいいです。奥さんはきっと癒ります」と男はメリメに相談もせず受合った。  愛は迷である。また悟りである。愛は天地万有をその中に吸収して刻下に異様の生命を与える。故に迷である。愛の眼を放つとき、大千世界はことごとく黄金である。愛の心に映る宇宙は深き情けの宇宙である。故に愛は悟りである。しかして愛の空気を呼吸するものは迷とも悟とも知らぬ。ただおのずから人を引きまた人に引かるる。自然は真空を忌み愛は孤立を嫌う。 「わたし、本当に御気の毒だと思いますわ。わたしが、そんなになったら、どうしようと思うと」  愛は己れに対して深刻なる同情を有している。ただあまりに深刻なるが故に、享楽の満足ある場合に限りて、自己を貫き出でて、人の身の上にもまた普通以上の同情を寄せる事ができる。あまりに深刻なるが故に失恋の場合において、自己を貫き出でて、人の身の上にもまた普通以上の怨恨を寄せる事が出来る。愛に成功するものは必ず自己を善人と思う。愛に失敗するものもまた必ず自己を善人と思う。成敗に論なく、愛は一直線である。ただ愛の尺度をもって万事を律する。成功せる愛は同情を乗せて走る馬車馬である。失敗せる愛は怨恨を乗せて走る馬車馬である。愛はもっともわがままなるものである。  もっともわがままなる善人が二人、美くしく飾りたる室に、深刻なる遊戯を演じている。室外の天下は蕭寥たる秋である。天下の秋は幾多の道也先生を苦しめつつある。幾多の高柳君を淋しがらせつつある。しかして二人はあくまでも善人である。 「この間の音楽会には高柳さんとごいっしょでしたね」 「ええ、別に約束した訳でもないんですが、途中で逢ったものですから誘ったのです。何だか動物園の前で悲しそうに立って、桜の落葉を眺めているんです。気の毒になってね」 「よく誘って御上げになったのね。御病気じゃなくって」 「少し咳をしていたようです。たいした事じゃないでしょう」 「顔の色が大変御わるかったわ」 「あの男はあんまり神経質だもんだから、自分で病気をこしらえるんです。そうして慰めてやると、かえって皮肉を云うのです。何だか近来はますます変になるようです」 「御気の毒ね。どうなすったんでしょう」 「どうしたって、好んで一人坊っちになって、世の中をみんな敵のように思うんだから、手のつけようがないです」 「失恋なの」 「そんな話もきいた事もないですがね。いっそ細君でも世話をしたらいいかも知れない」 「御世話をして上げたらいいでしょう」 「世話をするって、ああ気六ずかしくっちゃ、駄目ですよ。細君が可哀想だ」 「でも。御持ちになったら癒るでしょう」 「少しは癒るかも知れないが、元来が性分なんですからね。悲観する癖があるんです。悲観病に罹ってるんです」 「ホホホホどうして、そんな病気が出たんでしょう」 「どうしてですかね。遺伝かも知れません。それでなければ小供のうち何かあったんでしょう」 「何か御聞になった事はなくって」 「いいえ、僕ああまりそんな事を聞くのが嫌だから、それに、あの男はいっこう何にも打ち明けない男でね。あれがもっと淡泊に思った事を云う風だと慰めようもあるんだけれども」 「困っていらっしゃるんじゃなくって」 「生活にですか、ええ、そりゃ困ってるんです。しかし無暗に金をやろうなんていったら擲きつけますよ」 「だって御自分で御金がとれそうなものじゃありませんか、文学士だから」 「取れるですとも。だからもう少し待ってるといいですが、どうも性急で卒業したあくる日からして、立派な創作家になって、有名になって、そうして楽に暮らそうって云うのだから六ずかしい」 「御国は一体どこなの」 「国は新潟県です」 「遠い所なのね。新潟県は御米の出来る所でしょう。やっぱり御百姓なの」 「農、なんでしょう。――ああ新潟県で思い出した。この間あなたが御出のとき行き違に出て行った男があるでしょう」 「ええ、あの長い顔の髭を生やした。あれはなに、わたしあの人の下駄を見て吃驚したわ。随分薄っぺらなのね。まるで草履よ」 「あれで泰然たるものですよ。そうしてちっとも愛嬌のない男でね。こっちから何か話しかけても、何にも応答をしない」 「それで何しに来たの」 「江湖雑誌の記者と云うんで、談話の筆記に来たんです」 「あなたの? 何か話しておやりになって?」 「ええ、あの雑誌を送って来ているからあとで見せましょう。――それであの男について妙な話しがあるんです。高柳が国の中学にいた時分あの人に習ったんです――あれで文学士ですよ」 「あれで? まあ」 「ところが高柳なんぞが、いろいろな、いたずらをして、苛めて追い出してしまったんです」 「あの人を? ひどい事をするのね」 「それで高柳は今となって自分が生活に困難しているものだから、後悔して、さぞ先生も追い出されたために難義をしたろう、逢ったら謝罪するって云ってましたよ」 「全く追い出されたために、あんなに零落したんでしょうか。そうすると気の毒ね」 「それからせんだって江湖雑誌の記者と云う事が分ったでしょう。だから音楽会の帰りに教えてやったんです」 「高柳さんはいらしったでしょうか」 「行ったかも知れませんよ」 「追い出したんなら、本当に早く御詫をなさる方がいいわね」  善人の会話はこれで一段落を告げる。 「どうです、あっちへ行って、少しみんなと遊ぼうじゃありませんか。いやですか」 「写真は御やめなの」 「あ、すっかり忘れていた。写真は是非取らして下さい。僕はこれでなかなか美術的な奴を取るんです。うん、商売人の取るのは下等ですよ。――写真も五六年この方大変進歩してね。今じゃ立派な美術です。普通の写真はだれが取ったって同じでしょう。近頃のは個人個人の趣味で調子がまるで違ってくるんです。いらないものを抜いたり、いったいの調子を和げたり、際どい光線の作用を全景にあらわしたり、いろいろな事をやるんです。早いものでもう景色専門家や人物専門家が出来てるんですからね」 「あなたは人物の専門家なの」 「僕? 僕は――そうさ、――あなただけの専門家になろうと思うのです」 「厭なかたね」  金剛石がきらりとひらめいて、薄紅の袖のゆるる中から細い腕が男の膝の方に落ちて来た。軽くあたったのは指先ばかりである。  善人の会話は写真撮影に終る。 八  秋は次第に行く。虫の音はようやく細る。  筆硯に命を籠むる道也先生は、ただ人生の一大事因縁に着して、他を顧みるの暇なきが故に、暮るる秋の寒きを知らず、虫の音の細るを知らず、世の人のわれにつれなきを知らず、爪の先に垢のたまるを知らず、蛸寺の柿の落ちた事は無論知らぬ。動くべき社会をわが力にて動かすが道也先生の天職である。高く、偉いなる、公けなる、あるものの方に一歩なりとも動かすが道也先生の使命である。道也先生はその他を知らぬ。  高柳君はそうは行かぬ。道也先生の何事をも知らざるに反して、彼は何事をも知る。往来の人の眼つきも知る。肌寒く吹く風の鋭どきも知る。かすれて渡る雁の数も知る。美くしき女も知る。黄金の貴きも知る。木屑のごとく取り扱わるる吾身のはかなくて、浮世の苦しみの骨に食い入る夕々を知る。下宿の菜の憐れにして芋ばかりなるはもとより知る。知り過ぎたるが君の癖にして、この癖を増長せしめたるが君の病である。天下に、人間は殺しても殺し切れぬほどある。しかしこの病を癒してくれるものは一人もない。この病を癒してくれぬ以上は何千万人いるも、おらぬと同様である。彼は一人坊っちになった。己れに足りて人に待つ事なき呑気な一人坊っちではない。同情に餓え、人間に渇してやるせなき一人坊っちである。中野君は病気と云う、われも病気と思う。しかし自分を一人坊っちの病気にしたものは世間である。自分を一人坊っちの病気にした世間は危篤なる病人を眼前に控えて嘯いている。世間は自分を病気にしたばかりでは満足せぬ。半死の病人を殺さねばやまぬ。高柳君は世間を呪わざるを得ぬ。  道也先生から見た天地は人のためにする天地である。高柳君から見た天地は己れのためにする天地である。人のためにする天地であるから、世話をしてくれ手がなくても恨とは思わぬ。己れのためにする天地であるから、己れをかまってくれぬ世を残酷と思う。  世話をするために生れた人と、世話をされに生れた人とはこれほど違う。人を指導するものと、人にたよるものとはこれほど違う。同じく一人坊っちでありながらこれほど違う。高柳君にはこの違いがわからぬ。  垢染みた布団を冷やかに敷いて、五分刈りが七分ほどに延びた頭を薄ぎたない枕の上に横えていた高柳君はふと眼を挙げて庭前の梧桐を見た。高柳君は述作をして眼がつかれると必ずこの梧桐を見る。地理学教授法を訳して、くさくさすると必ずこの梧桐を見る。手紙を書いてさえ行き詰まるときっとこの梧桐を見る。見るはずである。三坪ほどの荒庭に見るべきものは一本の梧桐を除いてはほかに何にもない。  ことにこの間から、気分がわるくて、仕事をする元気がないので、あやしげな机に頬杖を突いては朝な夕なに梧桐を眺めくらして、うつらうつらとしていた。  一葉落ちてと云う句は古い。悲しき秋は必ず梧桐から手を下す。ばっさりと垣にかかる袷の頃は、さまでに心を動かす縁ともならぬと油断する翌朝またばさりと落ちる。うそ寒いからと早く繰る雨戸の外にまたばさりと音がする。葉はようやく黄ばんで来る。  青いものがしだいに衰える裏から、浮き上がるのは薄く流した脂の色である。脂は夜ごとを寒く明けて、濃く変って行く。婆娑たる命は旦夕に逼る。  風が吹く。どこから来るか知らぬ風がすうと吹く。黄ばんだ梢は動ぐとも見えぬ先に一葉二葉がはらはら落ちる。あとはようやく助かる。  脂は夜ごとの秋の霜にだんだん濃くなる。脂のなかに黒い筋が立つ。箒で敲けば煎餅を折るような音がする。黒い筋は左右へ焼けひろがる。もう危うい。  風がくる。垣の隙から、椽の下から吹いてくる。危ういものは落ちる。しきりに落ちる。危ういと思う心さえなくなるほど梢を離れる。明らさまなる月がさすと枝の数が読まれるくらいあらわに骨が出る。  わずかに残る葉を虫が食う。渋色の濃いなかにぽつりと穴があく。隣りにもあく、その隣りにもぽつりぽつりとあく。一面が穴だらけになる。心細いと枯れた葉が云う。心細かろうと見ている人が云う。ところへ風が吹いて来る。葉はみんな飛んでしまう。  高柳君がふと眼を挙げた時、梧桐はすべてこれらの径路を通り越して、から坊主になっていた。窓に近く斜めに張った枝の先にただ一枚の虫食葉がかぶりついている。 「一人坊っちだ」と高柳君は口のなかで云った。  高柳君は先月あたりから、妙な咳をする。始めは気にもしなかった。だんだん腹に答えのない咳が出る。咳だけではない。熱も出る。出るかと思うとやむ。やんだから仕事をしようかと思うとまた出る。高柳君は首を傾けた。  医者に行って見てもらおうかと思ったが、見てもらうと決心すれば、自分で自分を病気だと認定した事になる。自分で自分の病気を認定するのは、自分で自分の罪悪を認定するようなものである。自分の罪悪は判決を受けるまでは腹のなかで弁護するのが人情である。高柳君は自分の身体を医師の宣告にかからぬ先に弁護した。神経であると弁護した。神経と事実とは兄弟であると云う事を高柳君は知らない。  夜になると時々寝汗をかく。汗で眼がさめる事がある。真暗ななかで眼がさめる。この真暗さが永久続いてくれればいいと思う。夜があけて、人の声がして、世間が存在していると云う事がわかると苦痛である。  暗いなかをなお暗くするために眼を眠って、夜着のなかへ頭をつき込んで、もうこれぎり世の中へ顔が出したくない。このまま眠りに入って、眠りから醒めぬ間に、あの世に行ったら結構だろうと考えながら寝る。あくる日になると太陽は無慈悲にも赫奕として窓を照らしている。  時計を出しては一日に脈を何遍となく験して見る。何遍験しても平脈ではない。早く打ち過ぎる。不規則に打ち過ぎる。どうしても尋常には打たない。痰を吐くたびに眼を皿のようにして眺める。赤いものの見えないのが、せめてもの慰安である。  痰に血の交らぬのを慰安とするものは、血の交る時にはただ生きているのを慰安とせねばならぬ。生きているだけを慰安とする運命に近づくかも知れぬ高柳君は、生きているだけを厭う人である。人は多くの場合においてこの矛盾を冒す。彼らは幸福に生きるのを目的とする。幸福に生きんがためには、幸福を享受すべき生そのものの必要を認めぬ訳には行かぬ。単なる生命は彼らの目的にあらずとするも、幸福を享け得る必須条件として、あらゆる苦痛のもとに維持せねばならぬ。彼らがこの矛盾を冒して塵界に流転するとき死なんとして死ぬ能わず、しかも日ごとに死に引き入れらるる事を自覚する。負債を償うの目的をもって月々に負債を新たにしつつあると変りはない。これを悲酸なる煩悶と云う。  高柳君は床のなかから這い出した。瓦斯糸の蚊絣の綿入の上から黒木綿の羽織を着る。机に向う。やっぱり翻訳をする了簡である。四五日そのままにして置いた机の上には、障子の破れから吹き込んだ砂が一面に軽くたまっている。硯のなかは白く見える。高柳君は面倒だと見えて、塵も吹かずに、上から水をさした。水入に在る水ではない。五六輪の豆菊を挿した硝子の小瓶を花ながら傾けて、どっと硯の池に落した水である。さかに磨り減らした古梅園をしきりに動かすと、じゃりじゃり云う。高柳君は不愉快の眉をあつめた。不愉快の起る前に、不愉快を取り除く面倒をあえてせずして、不愉快の起った時に唇を噛むのはかかる人の例である。彼は不愉快を忍ぶべく余り鋭敏である。しかしてあらかじめこれに備うべくあまり自棄である。  机上に原稿紙を展べた彼は、一時間ほど呻吟してようやく二三枚黒くしたが、やがて打ちやるように筆を擱いた。窓の外には落ち損なった一枚の桐の葉が淋しく残っている。 「一人坊っちだ」と高柳君は口のうちでまた繰り返した。  見るうちに、葉は少しく上に揺れてまた下に揺れた。いよいよ落ちる。と思う間に風ははたとやんだ。  高柳君は巻紙を出して、今度は故里の御母さんの所へ手紙を書き始めた。「寒気相加わり候処如何御暮し被遊候や。不相変御丈夫の事と奉遥察候。私事も無事」とまでかいて、しばらく考えていたが、やがてこの五六行を裂いてしまった。裂いた反古を口へ入れてくちゃくちゃ噛んでいると思ったら、ぽっと黒いものを庭へ吐き出した。  一人坊っちの葉がまた揺れる。今度は右へ左へ二三度首を振る。その振りがようやく収ったと思う頃、颯と音がして、病葉はぽたりと落ちた。 「落ちた。落ちた」と高柳君はさも落ちたらしく云った。  やがて三尺の押入を開けて茶色の中折を取り出す。門口へ出て空を仰ぐと、行く秋を重いものが上から囲んでいる。 「御婆さん、御婆さん」  はいと婆さんが雑巾を刺す手をやめて出て来る。 「傘をとって下さい。わたしの室の椽側にある」  降れば傘をさすまでも歩く考である。どこと云う目的もないがただ歩くつもりなのである。電車の走るのは電車が走るのだが、なぜ走るのだかは電車にもわかるまい。高柳君は自分があるくだけは承知している。しかしなぜあるくのだかは電車のごとく無意識である。用もなく、あてもなく、またあるきたくもないものを無理にあるかせるのは残酷である。残酷があるかせるのだから敵は取れない。敵が取りたければ、残酷を製造した発頭人に向うよりほかに仕方がない。残酷を製造した発頭人は世間である。高柳君はひとり敵の中をあるいている。いくら、あるいてもやっぱり一人坊っちである。  ぽつりぽつりと折々降ってくる。初時雨と云うのだろう。豆腐屋の軒下に豆を絞った殻が、山のように桶にもってある。山の頂がぽくりと欠けて四面から煙が出る。風に連れて煙は往来へ靡く。塩物屋に鮭の切身が、渋びた赤い色を見せて、並んでいる。隣りに、しらす干がかたまって白く反り返る。鰹節屋の小僧が一生懸命に土佐節をささらで磨いている。ぴかりぴかりと光る。奥に婚礼用の松が真青に景気を添える。葉茶屋では丁稚が抹茶をゆっくりゆっくり臼で挽いている。番頭は往来を睨めながら茶を飲んでいる。――「えっ、あぶねえ」と高柳君は突き飛ばされた。  黒紋付の羽織に山高帽を被った立派な紳士が綱曳で飛んで行く。車へ乗るものは勢がいい。あるくものは突き飛ばされても仕方がない。「えっ、あぶねえ」と拳突を喰わされても黙っておらねばならん。高柳君は幽霊のようにあるいている。  青銅の鳥居をくぐる。敷石の上に鳩が五六羽、時雨の中を遠近している。唐人髷に結った半玉が渋蛇の目をさして鳩を見ている。あらい八丈の羽織を長く着て、素足を爪皮のなかへさし込んで立った姿を、下宿の二階窓から書生が顔を二つ出して評している。柏手を打って鈴を鳴らして御賽銭をなげ込んだ後姿が、見ている間にこっちへ逆戻をする。黒縮緬へ三つ柏の紋をつけた意気な芸者がすれ違うときに、高柳君の方に一瞥の秋波を送った。高柳君は鉛を背負ったような重い心持ちになる。  石段を三十六おりる。電車がごうっごうっと通る。岩崎の塀が冷酷に聳えている。あの塀へ頭をぶつけて壊してやろうかと思う。時雨はいつか休んで電車の停留所に五六人待っている。背の高い黒紋付が蝙蝠傘を畳んで空を仰いでいた。 「先生」と一人坊っちの高柳君は呼びかけた。 「やあ妙な所で逢いましたね。散歩かね」 「ええ」と高柳君は答えた。 「天気のわるいのによく散歩するですね。――岩崎の塀を三度周るといい散歩になる。ハハハハ」  高柳君はちょっといい心持ちになった。 「先生は?」 「僕ですか、僕はなかなか散歩する暇なんかないです。不相変多忙でね。今日はちょっと上野の図書館まで調べ物に行ったです」  高柳君は道也先生に逢うと何だか元気が出る。一人坊っちでありながら、こう平気にしている先生が現在世のなかにあると思うと、多少は心丈夫になると見える。 「先生もう少し散歩をなさいませんか」 「そう、少しなら、してもいい。どっちの方へ。上野はもうよそう。今通って来たばかりだから」 「私はどっちでもいいのです」 「じゃ坂を上って、本郷の方へ行きましょう。僕はあっちへ帰るんだから」  二人は電車の路を沿うてあるき出した。高柳君は一人坊っちが急に二人坊っちになったような気がする。そう思うと空も広く見える。もう綱曳から突き飛ばされる気遣はあるまいとまで思う。 「先生」 「何ですか」 「さっき、車屋から突き飛ばされました」 「そりゃ、あぶなかった。怪我をしやしませんか」 「いいえ、怪我はしませんが、腹は立ちました」 「そう。しかし腹を立てても仕方がないでしょう。――しかし腹も立てようによるですな。昔し渡辺崋山が松平侯の供先に粗忽で突き当ってひどい目に逢った事がある。崋山がその時の事を書いてね。――松平侯御横行――と云ってるですが。この御横行の三字が非常に面白いじゃないですか。尊んで御の字をつけてるがその裏に立派な反抗心がある。気概がある。君も綱引御横行と日記にかくさ」 「松平侯って、だれですか」 「だれだか知れやしない。それが知れるくらいなら御横行はしないですよ。その時発憤した崋山はいまだに生きてるが、松平某なるものは誰も知りゃしない」 「そう思うと愉快ですが、岩崎の塀などを見ると頭をぶつけて、壊してやりたくなります」 「頭をぶつけて、壊せりゃ、君より先に壊してるものがあるかも知れない。そんな愚な事を云わずに正々堂々と創作なら、創作をなされば、それで君の寿命は岩崎などよりも長く伝わるのです」 「その創作をさせてくれないのです」 「誰が」 「誰がって訳じゃないですが、出来ないのです」 「からだでも悪いですか」と道也先生横から覗き込む。高柳君の頬は熱を帯びて、蒼い中から、ほてっている。道也は首を傾けた。 「君坂を上がると呼吸が切れるようだが、どこか悪いじゃないですか」  強いて自分にさえ隠そうとする事を言いあてられると、言いあてられるほど、明白な事実であったかと落胆する。言いあてられた高柳君は暗い穴の中へ落ちた。人は知らず、かかる冷酷なる同情を加えて憚からぬが多い。 「先生」と高柳君は往来に立ち留まった。 「何ですか」 「私は病人に見えるでしょうか」 「ええ、まあ、――少し顔色は悪いです」 「どうしても肺病でしょうか」 「肺病? そんな事はないです」 「いいえ、遠慮なく云って下さい」 「肺の気でもあるんですか」 「遺伝です。おやじは肺病で死にました」 「それは……」と云ったが先生返答に窮した。  膀胱にはち切れるばかり水を詰めたのを針ほどの穴に洩らせば、針ほどの穴はすぐ白銅ほどになる。高柳君は道也の返答をきかぬがごとくに、しゃべってしまう。 「先生、私の歴史を聞いて下さいますか」 「ええ、聞きますとも」 「おやじは町で郵便局の役人でした。私が七つの年に拘引されてしまいました」  道也先生は、だまったまま、話し手といっしょにゆるく歩を運ばして行く。 「あとで聞くと官金を消費したんだそうで――その時はなんにも知りませんでした。母にきくと、おとっさんは今に帰る、今に帰ると云ってました。――しかしとうとう帰って来ません。帰らないはずです。肺病になって、牢屋のなかで死んでしまったんです。それもずっとあとで聞きました。母は家を畳んで村へ引き込みました。……」  向から威勢のいい車が二梃束髪の女を乗せてくる。二人はちょっとよける。話はとぎれる。 「先生」 「何ですか」 「だから私には肺病の遺伝があるんです。駄目です」 「医者に見せたですか」 「医者には――見せません。見せたって見せなくったって同じ事です」 「そりゃ、いけない。肺病だって癒らんとは限らない」  高柳君は気味の悪い笑いを洩らした。時雨がはらはらと降って来る。からたち寺の門の扉に碧巌録提唱と貼りつけた紙が際立って白く見える。女学校から生徒がぞろぞろ出てくる。赤や、紫や、海老茶の色が往来へちらばる。 「先生、罪悪も遺伝するものでしょうか」と女学生の間を縫いながら歩を移しつつ高柳君が聞く。 「そんな事があるものですか」 「遺伝はしないでも、私は罪人の子です。切ないです」 「それは切ないに違いない。しかし忘れなくっちゃいけない」  警察署から手錠をはめた囚人が二人、巡査に護送されて出てくる。時雨が囚人の髪にかかる。 「忘れても、すぐ思い出します」  道也先生は少し大きな声を出した。 「しかしあなたの生涯は過去にあるんですか未来にあるんですか。君はこれから花が咲く身ですよ」 「花が咲く前に枯れるんです」 「枯れる前に仕事をするんです」  高柳君はだまっている。過去を顧みれば罪である。未来を望めば病気である。現在は麺麭のためにする写字である。  道也先生は高柳君の耳の傍へ口を持って来て云った。 「君は自分だけが一人坊っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです」  高柳君にはこの言葉の意味がわからなかった。 「わかったですか」と道也先生がきく。 「崇高――なぜ……」 「それが、わからなければ、とうてい一人坊っちでは生きていられません。――君は人より高い平面にいると自信しながら、人がその平面を認めてくれないために一人坊っちなのでしょう。しかし人が認めてくれるような平面ならば人も上ってくる平面です。芸者や車引に理会されるような人格なら低いにきまってます。それを芸者や車引も自分と同等なものと思い込んでしまうから、先方から見くびられた時腹が立ったり、煩悶するのです。もしあんなものと同等なら創作をしたって、やっぱり同等の創作しか出来ない訳だ。同等でなければこそ、立派な人格を発揮する作物も出来る。立派な人格を発揮する作物が出来なければ、彼らからは見くびられるのはもっともでしょう」 「芸者や車引はどうでもいいですが……」 「例はだれだって同じ事です。同じ学校を同じに卒業した者だって変りはありません。同じ卒業生だから似たものだろうと思うのは教育の形式が似ているのを教育の実体が似ているものと考え違した議論です。同じ大学の卒業生が同じ程度のものであったら、大学の卒業生はことごとく後世に名を残すか、またはことごとく消えてしまわなくってはならない。自分こそ後世に名を残そうと力むならば、たとい同じ学校の卒業生にもせよ、ほかのものは残らないのだと云う事を仮定してかからなければなりますまい。すでにその仮定があるなら自分と、ほかの人とは同様の学士であるにもかかわらずすでに大差別があると自認した訳じゃありませんか。大差別があると自任しながら他が自分を解してくれんと云って煩悶するのは矛盾です」 「それで先生は後世に名を残すおつもりでやっていらっしゃるんですか」 「わたしのは少し、違います。今の議論はあなたを本位にして立てた議論です。立派な作物を出して後世に伝えたいと云うのが、あなたの御希望のようだから御話しをしたのです」 「先生のが承る事が出来るなら、教えて頂けますまいか」 「わたしは名前なんてあてにならないものはどうでもいい。ただ自分の満足を得るために世のために働くのです。結果は悪名になろうと、臭名になろうと気狂になろうと仕方がない。ただこう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。こう働かなくって満足が出来ないところをもって見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に従うよりほかにやりようのないものだ。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番貴いのだろうと思っています。道に従う人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀なんか何でもない。ハハハハ」  剥げかかった山高帽を阿弥陀に被って毛繻子張りの蝙蝠傘をさした、一人坊っちの腰弁当の細長い顔から後光がさした。高柳君ははっと思う。  往来のものは右へ左へ行く。往来の店は客を迎え客を送る。電車は出来るだけ人を載せて東西に走る。織るがごとき街の中に喪家の犬のごとく歩む二人は、免職になりたての属官と、堕落した青書生と見えるだろう。見えても仕方がない。道也はそれでたくさんだと思う。周作はそれではならぬと思う。二人は四丁目の角でわかれた。 九  小春の日に温め返された別荘の小天地を開いて結婚の披露をする。  愛は偏狭を嫌う、また専有をにくむ。愛したる二人の間に有り余る情を挙げて、博く衆生を潤おす。有りあまる財を抛って多くの賓格を会す。来らざるものは和楽の扇に麾く風を厭うて、寒き雪空に赴く鳧雁の類である。  円満なる愛は触るるところのすべてを円満にす。二人の愛は曇り勝ちなる時雨の空さえも円満にした。――太陽の真上に照る日である。照る事は誰でも知るが、だれも手を翳して仰ぎ見る事のならぬくらい明かに照る日である。得意なるものに明かなる日の嫌なものはない。客は車を駆って東西南北より来る。  杉の葉の青きを択んで、丸柱の太きを装い、頭の上一丈にて二本を左右より平に曲げて続ぎ合せたるをアーチと云う。杉の葉の青きはあまりに厳に過ぐ。愛の郷に入るものは、ただおごそかなる門を潜るべからず。青きものは暖かき色に和げられねばならぬ。  裂けば煙る蜜柑の味はしらず、色こそ暖かい。小春の色は黄である。点々と珠を綴る杉の葉影に、ゆたかなる南海の風は通う。紫に明け渡る夜を待ちかねて、ぬっと出る旭日が、岡より岡を射て、万顆の黄玉は一時に耀く紀の国から、偸み来た香りと思われる。この下を通るものは酔わねば出る事を許されぬ掟である。  緑門の下には新しき夫婦が立っている。すべての夫婦は新らしくなければならぬ。新しき夫婦は美しくなければならぬ。新しく美しき夫婦は幸福でなければならぬ。彼らはこの緑門の下に立って、迎えたる賓客にわが幸福の一分を与え、送り出す朋友にわが幸福の一分を与えて、残る幸福に共白髪の長き末までを耽るべく、新らしいのである、また美くしいのである。  男は黒き上着に縞の洋袴を穿く。折々は雪を欺く白き手拭が黒き胸のあたりに漂う。女は紋つきである。裾を色どる模様の華やかなるなかから浮き上がるがごとく調子よくすらりと腰から上が抜け出でている。ヴィーナスは浪のなかから生れた。この女は裾模様のなかから生れている。  日は明かに女の頸筋に落ちて、角だたぬ咽喉の方はほの白き影となる。横から見るときその影が消えるがごとく薄くなって、判然としたやさしき輪廓に終る。その上に紫のうずまくは一朶の暗き髪を束ねながらも額際に浮かせたのである。金台に深紅の七宝を鏤めたヌーボー式の簪が紫の影から顔だけ出している。  愛は堅きものを忌む。すべての硬性を溶化せねばやまぬ。女の眼に耀く光りは、光りそれ自からの溶けた姿である。不可思議なる神境から双眸の底に漂うて、視界に入る万有を恍惚の境に逍遥せしむる。迎えられたる賓客は陶然として園内に入る。 「高柳さんはいらっしゃるでしょうか」と女が小さな声で聞く。 「え?」と男は耳を持ってくる。園内では楽隊が越後獅子を奏している。客は半分以上集まった。夫婦はなかへ這入って接待をせねばならん。 「そうさね。忘れていた」と男が云う。 「もうだいぶ御客さまがいらしったから、向へ行かないじゃわるいでしょう」 「そうさね。もう行く方がいいだろう。しかし高柳がくると可哀想だからね」 「ここにいらっしゃらないとですか」 「うん。あの男は、わたしが、ここに見えないと門まで来て引き返すよ」 「なぜ?」 「なぜって、こんな所へ来た事はないんだから――一人で一人坊っちになる男なんだから――、ともかくもアーチを潜らせてしまわないと安心が出来ない」 「いらっしゃるんでしょうね」 「来るよ、わざわざ行って頼んだんだから、いやでも来ると約束すると来ずにいられない男だからきっとくるよ」 「御厭なんですか」 「厭って、なに別に厭な事もないんだが、つまりきまりがわるいのさ」 「ホホホホ妙ですわね」  きまりのわるいのは自信がないからである。自信がないのは、人が馬鹿にすると思うからである。中野君はただきまりが悪いからだと云う。細君はただ妙ですわねと思う。この夫婦は自分達のきまりを悪るがる事は忘れている。この夫婦の境界にある人は、いくらきまりを悪るがる性分でも、きまりをわるがらずに生涯を済ませる事が出来る。 「いらっしゃるなら、ここにいて上げる方がいいでしょう」 「来る事は受け合うよ。――いいさ、奥はおやじや何かだいぶいるから」  愛は善人である。善人はその友のために自家の不都合を犠牲にするを憚からぬ。夫婦は高柳君のためにアーチの下に待っている。高柳君は来ねばならぬ。  馬車の客、車の客の間に、ただ一人高柳君は蹌踉として敵地に乗り込んで来る。この海のごとく和気の漲りたる園遊会――新夫婦の面に湛えたる笑の波に酔うて、われ知らず幸福の同化を享くる園遊会――行く年をしばらくは春に戻して、のどかなる日影に、窮陰の面のあたりなるを忘るべき園遊会は高柳君にとって敵地である。  富と勢と得意と満足の跋扈する所は東西球を極めて高柳君には敵地である。高柳君はアーチの下に立つ新しき夫婦を十歩の遠きに見て、これがわが友であるとはたしかに思わなかった。多少の不都合を犠牲にしてまで、高柳君を待ち受けたる夫婦の眼に高柳君の姿がちらと映じた時、待ち受けたにもかかわらず、待ち受け甲斐のある御客とは夫婦共に思わなかった。友誼の三分一は服装が引き受ける者である。頭のなかで考えた友達と眼の前へ出て来た友達とはだいぶ違う。高柳君の服装はこの日の来客中でもっとも憐れなる服装である。愛は贅沢である。美なるもののほかには価値を認めぬ。女はなおさらに価値を認めぬ。  夫婦が高柳君と顔を見合せた時、夫婦共「これは」と思った。高柳君が夫婦と顔を見合せた時、同じく「これは」と思った。  世の中は「これは」と思った時、引き返せぬものである。高柳君は蹌踉として進んでくる。夫婦の胸にはっときざした「これは」は、すぐと愛の光りに姿をかくす。 「やあ、よく来てくれた。あまり遅いから、どうしたかと思って心配していたところだった」偽りもない事実である。ただ「これは」と思った事だけを略したまでである。 「早く来ようと思ったが、つい用があって……」これも事実である。けれどもやはり「これは」が略されている。人間の交際にはいつでも「これは」が略される。略された「これは」が重なると、喧嘩なしの絶交となる。親しき夫婦、親しき朋友が、腹のなかの「これは、これは」でなし崩しに愛想をつかし合っている。 「これが妻だ」と引き合わせる。一人坊っちに美しい妻君を引き合わせるのは好意より出た罪悪である。愛の光りを浴びたものは、嬉しさがはびこって、そんな事に頓着はない。  何にも云わぬ細君はただしとやかに頭を下げた。高柳君はぼんやりしている。 「さあ、あちらへ――僕もいっしょに行こう」と歩を運らす。十間ばかりあるくと、夫婦はすぐ胡麻塩おやじにつらまった。 「や、どうもみごとな御庭ですね。こう広くはあるまいと思ってたが――いえ始めてで。おとっさんから時々御招きはあったが、いつでも折悪しく用事があって――どうも、よく御手入れが届いて、実に結構ですね……」  と胡麻塩はのべつに述べたてて容易に動かない。ところへまた二三人がやってくる。 「結構だ」「何坪ですかな」「私も年来この辺を心掛けておりますが」などと新夫婦を取り捲いてしまう。高柳君は憮然として中心をはずれて立っている。  すると向うから、襷がけの女が駈けて来て、いきなり塩瀬の五つ紋をつらまえた。 「さあ、いらっしゃい」 「いらっしゃいたって、もうほかで御馳走になっちまったよ」 「ずるいわ、あなたは、他にこれほど馳けずり廻らせて」 「旨いものも、ない癖に」 「あるわよ、あなた。まあいいからいらっしゃいてえのに」とぐいぐい引っ張る。塩瀬は羽織が大事だから引かれながら行く、途端に高柳君に突き当った。塩瀬はちょっと驚ろいて振り向いたまでは、粗忽をして恐れ入ったと云う面相をしていたが、高柳君の顔から服装を見るや否や、急に表情を変えた。 「やあ、こりゃ」と上からさげすむように云って、しかも立って見ている。 「いらっしゃいよ。いいからいらっしゃいよ。構わないでも、いいからいらっしゃいよ」と女は高柳君を後目にかけたなり塩瀬を引っ張って行く。  高柳君はぽつぽつ歩き出した。若夫婦は遥かあなたに遮られていっしょにはなれぬ。芝生の真中に長い天幕を張る。中を覗いて見たら、暗い所に大きな菊の鉢がならべてある。今頃こんな菊がまだあるかと思う。白い長い花弁が中心から四方へ数百片延び尽して、延び尽した端からまた随意に反り返りつつ、あらん限りの狂態を演じているのがある。背筋の通った黄な片が中へ中へと抱き合って、真中に大切なものを守護するごとく、こんもりと丸くなったのもある。松の鉢も見える。玻璃盤に堆かく林檎を盛ったのが、白い卓布の上に鮮やかに映る。林檎の頬が、暗きうちにも光っている。蜜柑を盛った大皿もある。傍でけらけらと笑う声がする。驚ろいて振り向くと、しるくはっとを被った二人の若い男が、二人共相好を崩している。 「妙だよ。実に」と一人が云う。 「珍だね。全く田舎者なんだよ」と一人が云う。  高柳君はじっと二人を見た。一人は胸開の狭い。模様のある胴衣を着て、右手の親指を胴衣のぽっけっとへ突き込んだまま肘を張っている。一人は細い杖に言訳ほどに身をもたせて、護謨びき靴の右の爪先を、竪に地に突いて、左足一本で細長いからだの中心を支えている。 「まるで給仕人だ」と一本足が云う。  高柳君は自分の事を云うのかと思った。すると色胴衣が 「本当にさ。園遊会に燕尾服を着てくるなんて――洋行しないだってそのくらいな事はわかりそうなものだ」と相鎚を打っている。向うを見るとなるほど燕尾服がいる。しかも二人かたまって、何か話をしている。同類相集まると云う訳だろう。高柳君はようやくあれを笑ってるのだなと気がついた。しかしなぜ燕尾服が園遊会に適しないかはとうてい想像がつかなかった。  芝生の行き当りに葭簀掛けの踊舞台があって、何かしきりにやっている。正面は紅白の幕で庇をかこって、奥には赤い毛氈を敷いた長い台がある。その上に三味線を抱えた女が三人、抱えないのが二人並んでいる。弾くものと唄うものと分業にしたのである。舞台の真中に金紙の烏帽子を被って、真白に顔を塗りたてた女が、棹のようなものを持ったり、落したり、舞扇を開いたり、つぼめたり、長い赤い袖を翳したり、翳さなかったり、何でもしきりに身振をしている。半紙に墨黒々と朝妻船とかいて貼り出してあるから、おおかた朝妻船と云うものだろうと高柳君はしばらく後ろの方から小さくなって眺めていた。  舞台を左へ切れると、御影の橋がある。橋の向の築山の傍手には松が沢山ある。松の間から暖簾のようなものがちらちら見える。中で女がききと笑っている。橋を渡りかけた高柳君はまた引き返した。楽隊が一度に満庭の空気を動かして起る。  そろそろと天幕の所まで帰って来る。今度は中を覗くのをやめにした。中は大勢でがやがやしている。入口へ回って見ると人で埋って皿の音がしきりにする。若夫婦はどこにいるか見えぬ。  しばらく様子を窺っていると突然万歳と云う声がした。楽隊の音は消されてしまう。石橋の向うで万歳と云う返事がある。これは迷子の万歳である。高柳君はのそりと疳違をした客のように天幕のうちに這入った。  皿だけ高く差し上げて人と人の間を抜けて来たものがある。 「さあ、御上んなさい。まだあるんだが人が込んでて容易に手が届かない」と云う。高柳君は自分にくれるにしては目の見当が少し違うと思ったら、後ろの方で「ありがとう」と云う涼しい声がした。十七八の桃色縮緬の紋付をきた令嬢が皿をもらったまま立っている。  傍にいた紳士が、天幕の隅から一脚の椅子を持って来て、 「さあこの上へ御乗せなさい」と令嬢の前に据えた。高柳君は一間ばかり左へ進む。天幕の柱に倚りかかって洋服と和服が煙草をふかしている。 「葉巻はやめたのかい」 「うん、頭にわるいそうだから――しかしあれを呑みつけると、何だね、紙巻はとうてい呑めないね。どんな好い奴でも駄目だ」 「そりゃ、価段だけだから――一本三十銭と三銭とは比較にならないからな」 「君は何を呑むのだい」 「これを一つやって見たまえ」と洋服が鰐皮の煙草入から太い紙巻を出す。 「なるほどエジプシアンか。これは百本五六円するだろう」 「安い割にはうまく呑めるよ」 「そうか――僕も紙巻でも始めようか。これなら日に二十本ずつにしても二十円ぐらいであがるからね」  二十円は高柳君の全収入である。この紳士は高柳君の全収入を煙にするつもりである。  高柳君はまた左へ四尺ほど進んだ。二三人話をしている。 「この間ね、野添が例の人造肥料会社を起すので……」と頭の禿げた鼻の低い金歯を入れた男が云う。 「うん。ありゃ当ったね。旨くやったよ」と真四角な色の黒い、煙草入の金具のような顔が云う。 「君も賛成者のうちに名が見えたじゃないか」と胡麻塩頭の最前中野君を中途で強奪したおやじが云う。 「それさ」と今度は禿げの番である。「野添が、どうです少し持ってくれませんかと云うから、さようさ、わたしは今回はまあよしましょうと断わったのさ。ところが、まあ、そう云わずと、せめて五百株でも、実はもう貴所の名前にしてあるんだからと云うのさ、面倒だからいい加減に挨拶をして置いたら先生すぐ九州へ立って行った。それから二週間ほどして社へ出ると書記が野添さんの株が大変上りました。五十円株が六十五円になりました。合計三万二千五百円になりましたと云うのさ」 「そりゃ豪勢だ、実は僕も少し持とうと思ってたんだが」と四角が云うと 「ありゃ実際意外だった。あんなに、とんとん拍子にあがろうとは思わなかった」と胡麻塩がしきりに胡麻塩頭を掻く。 「もう少し踏み込んで沢山僕の名にして置けばよかった」と禿は三万二千五百円以外に残念がっている。  高柳君は恐る恐る三人の傍を通り抜けた。若夫婦に逢って挨拶して早く帰りたいと思って、見廻わすと一番奥の方に二人は黒いフロックと五色の袖に取り巻かれて、なかなか寄りつけそうもない。食卓はようやく人数が減った。しかし残っている食品はほとんどない。 「近頃は出掛けるかね」と云う声がする。仙台平をずるずる地びたへ引きずって白足袋に鼠緒の雪駄をかすかに出した三十恰好の男だ。 「昨日須崎の種田家の別荘へ招待されて鴨猟をやった」と五分刈の浅黒いのが答えた。 「鴨にはまだ早いだろう」 「もういいね。十羽ばかり取ったがね。僕が十羽、大谷が七羽、加瀬と山内が八羽ずつ」 「じゃ君が一番か」 「いいや、斎藤は十五羽だ」 「へえ」と仙台平は感心している。  同期の卒業生は多いなかに、たった五六人しか見えん。しかもあまり親しくないものばかりである。高柳君は挨拶だけして別段話もしなかったが、今となって見ると何だか恋しい心持ちがする。どこぞにおりはせぬかと見廻したが影も見えぬ。ことによると帰ったかも知れぬ。自分も帰ろう。  主客は一である。主を離れて客なく、客を離れて主はない。吾々が主客の別を立てて物我の境を判然と分劃するのは生存上の便宜である。形を離れて色なく、色を離れて形なき強いて個別するの便宜、着想を離れて技巧なく技巧を離れて着想なきをしばらく両体となすの便宜と同様である。一たびこの差別を立したる時吾人は一の迷路に入る。ただ生存は人生の目的なるが故に、生存に便宜なるこの迷路は入る事いよいよ深くして出ずる事いよいよかたきを感ず。独り生存の欲を一刻たりとも擺脱したるときにこの迷は破る事が出来る。高柳君はこの欲を刹那も除去し得ざる男である。したがって主客を方寸に一致せしむる事のできがたき男である。主は主、客は客としてどこまでも膠着するが故に、一たび優勢なる客に逢うとき、八方より無形の太刀を揮って、打ちのめさるるがごとき心地がする。高柳君はこの園遊会において孤軍重囲のうちに陥ったのである。  蹌踉としてアーチを潜った高柳君はまた蹌踉としてアーチを出ざるを得ぬ。遠くから振り返って見ると青い杉の環の奥の方に天幕が小さく映って、幕のなかから、奇麗な着物がかたまってあらわれて来た。あのなかに若い夫婦も交ってるのであろう。  夫婦の方では高柳をさがしている。 「時に高柳はどうしたろう。御前あれから逢ったかい」 「いいえ。あなたは」 「おれは逢わない」 「もう御帰りになったんでしょうか」 「そうさ、――しかし帰るなら、ちっとは帰る前に傍へ来て話でもしそうなものだ」 「なぜ皆さんのいらっしゃる所へ出ていらっしゃらないのでしょう」 「損だね、ああ云う人は。あれで一人じゃやっぱり不愉快なんだ。不愉快なら出てくればいいのになおなお引き込んでしまう。気の毒な男だ」 「せっかく愉快にしてあげようと思って、御招きするのにね」 「今日は格別色がわるかったようだ」 「きっと御病気ですよ」 「やっぱり一人坊っちだから、色が悪いのだよ」  高柳君は往来をあるきながら、ぞっと悪寒を催した。 十  道也先生長い顔を長くして煤竹で囲った丸火桶を擁している。外を木枯が吹いて行く。 「あなた」と次の間から妻君が出てくる。紬の羽織の襟が折れていない。 「何だ」とこっちを向く。机の前におりながら、終日木枯に吹き曝されたかのごとくに見える。 「本は売れたのですか」 「まだ売れないよ」 「もう一ヵ月も立てば百や弐百の金は這入る都合だとおっしゃったじゃありませんか」 「うん言った。言ったには相違ないが、売れない」 「困るじゃござんせんか」 「困るよ。御前よりおれの方が困る。困るから今考えてるんだ」 「だって、あんなに骨を折って、三百枚も出来てるものを――」 「三百枚どころか四百三十五頁ある」 「それで、どうして売れないんでしょう」 「やっぱり不景気なんだろうよ」 「だろうよじゃ困りますわ。どうか出来ないでしょうか」 「南溟堂へ持って行った時には、有名な人の御序文があればと云うから、それから足立なら大学教授だから、よかろうと思って、足立にたのんだのさ。本も借金と同じ事で保証人がないと駄目だぜ」 「借金は借りるんだから保証人もいるでしょうが――」と妻君頭のなかへ人指ゆびを入れてぐいぐい掻く。束髪が揺れる。道也はその頭を見ている。 「近頃の本は借金同様だ。信用のないものは連帯責任でないと出版が出来ない」 「本当につまらないわね。あんなに夜遅くまでかかって」 「そんな事は本屋の知らん事だ」 「本屋は知らないでしょうさ。しかしあなたは御存じでしょう」 「ハハハハ当人は知ってるよ。御前も知ってるだろう」 「知ってるから云うのでさあね」 「言ってくれても信用がないんだから仕方がない」 「それでどうなさるの」 「だから足立の所へ持って行ったんだよ」 「足立さんが書いてやるとおっしゃって」 「うん、書くような事を云うから置いて来たら、またあとから書けないって断わって来た」 「なぜでしょう」 「なぜだか知らない。厭なのだろう」 「それであなたはそのままにして御置きになるんですか」 「うん、書かんのを無理に頼む必要はないさ」 「でもそれじゃ、うちの方が困りますわ。この間御兄さんに判を押して借りて頂いた御金ももう期限が切れるんですから」 「おれもその方を埋めるつもりでいたんだが――売れないから仕方がない」 「馬鹿馬鹿しいのね。何のために骨を折ったんだか、分りゃしない」  道也先生は火桶のなかの炭団を火箸の先で突つきながら「御前から見れば馬鹿馬鹿しいのさ」と云った。妻君はだまってしまう。ひゅうひゅうと木枯が吹く。玄関の障子の破れが紙鳶のうなりのように鳴る。 「あなた、いつまでこうしていらっしゃるの」と細君は術なげに聞いた。 「いつまでとも考はない。食えればいつまでこうしていたっていいじゃないか」 「二言目には食えれば食えればとおっしゃるが、今こそ、どうにかこうにかして行きますけれども、このぶんで押して行けば今に食べられなくなりますよ」 「そんなに心配するのかい」  細君はむっとした様子である。 「だって、あなたも、あんまり無考じゃござんせんか。楽に暮せる教師の口はみんな断っておしまいなすって、そうして何でも筆で食うと頑固を御張りになるんですもの」 「その通りだよ。筆で食うつもりなんだよ。御前もそのつもりにするがいい」 「食べるものが食べられれば私だってそのつもりになりますわ。私も女房ですもの、あなたの御好きでおやりになる事をとやかく云うような差し出口はききゃあしません」 「それじゃ、それでいいじゃないか」 「だって食べられないんですもの」 「たべられるよ」 「随分ね、あなたも。現に教師をしていた方が楽で、今の方がよっぽど苦しいじゃありませんか。あなたはやっぱり教師の方が御上手なんですよ。書く方は性に合わないんですよ」 「よくそんな事がわかるな」  細君は俯向いて、袂から鼻紙を出してちいんと鼻をかんだ。 「私ばかりじゃ、ありませんわ。御兄さんだって、そうおっしゃるじゃありませんか」 「御前は兄の云う事をそう信用しているのか」 「信用したっていいじゃありませんか、御兄さんですもの、そうして、あんなに立派にしていらっしゃるんですもの」 「そうか」と云ったなり道也先生は火鉢の灰を丁寧に掻きならす。中から二寸釘が灰だらけになって出る。道也先生は、曲った真鍮の火箸で二寸釘をつまみながら、片手に障子をあけて、ほいと庭先へ抛り出した。  庭には何にもない。芭蕉がずたずたに切れて、茶色ながら立往生をしている。地面は皮が剥けて、蓆を捲きかけたように反っくり返っている。道也先生は庭の面を眺めながら 「だいぶ吹いてるな」と独語のように云った。 「もう一遍足立さんに願って御覧になったらどうでしょう」 「厭なものに頼んだって仕方がないさ」 「あなたは、それだから困るのね。どうせ、あんな、豪い方になれば、すぐ、おいそれと書いて下さる事はないでしょうから……」 「あんな豪い方って――足立がかい」 「そりゃ、あなたも豪いでしょうさ――しかし向はともかくも大学校の先生ですから頭を下げたって損はないでしょう」 「そうか、それじゃおおせに従って、もう一返頼んで見ようよ。――時に何時かな。や、大変だ、ちょっと社まで行って、校正をしてこなければならない。袴を出してくれ」  道也先生は例のごとく茶の千筋の嘉平治を木枯にぺらつかすべく一着して飄然と出て行った。居間の柱時計がぼんぼんと二時を打つ。  思う事積んでは崩す炭火かなと云う句があるが、細君は恐らく知るまい。細君は道也先生の丸火桶の前へ来て、火桶の中を、丸るく掻きならしている。丸い火桶だから丸く掻きならす。角な火桶なら角に掻きならすだろう。女は与えられたものを正しいものと考える。そのなかで差し当りのないように暮らすのを至善と心得ている。女は六角の火桶を与えられても、八角の火鉢を与えられても、六角にまた八角に灰を掻きならす。それより以上の見識は持たぬ。  立ってもおらぬ、坐ってもおらぬ、細君の腰は宙に浮いて、膝頭は火桶の縁につきつけられている。坐わるには所を得ない、立っては考えられない。細君の姿勢は中途半把で、細君の心も中途半把である。  考えると嫁に来たのは間違っている。娘のうちの方が、いくら気楽で面白かったか知れぬ。人の女房はこんなものと、誰か教えてくれたら、来ぬ前によすはずであった。親でさえ、あれほどに親切を尽してくれたのだから、二世の契りと掟にさえ出ている夫は、二重にも三重にも可愛がってくれるだろう、また可愛がって下さるよと受合われて、住み馴れた家を今日限りと出た。今日限りと出た家へ二度とは帰られない。帰ろうと思ってもおとっさんもお母さんも亡くなってしまった。可愛がられる目的ははずれて、可愛がってくれる人はもうこの世にいない。  細君は赤い炭団の、灰の皮を剥いて、火箸の先で突つき始めた。炭火なら崩しても積む事が出来る。突ついた炭団は壊れたぎり、丸い元の姿には帰らぬ。細君はこの理を心得ているだろうか。しきりに突ついている。  今から考えて見ると嫁に来た時の覚悟が間違っている。自分が嫁に来たのは自分のために来たのである。夫のためと云う考はすこしも持たなかった。吾が身が幸福になりたいばかりに祝言の盃もした。父、母もそのつもりで高砂を聴いていたに違ない。思う事はみんなはずれた。この頃の模様を父、母に話したら定めし道也はけしからぬと怒るであろう。自分も腹の中では怒っている。  道也は夫の世話をするのが女房の役だと済ましているらしい。それはこっちで云いたい事である。女は弱いもの、年の足らぬもの、したがって夫の世話を受くべきものである。夫を世話する以上に、夫から世話されるべきものである。だから夫に自分の云う通りになれと云う。夫はけっして聞き入れた事がない。家庭の生涯はむしろ女房の生涯である。道也は夫の生涯と心得ているらしい。それだから治まらない。世間の夫は皆道也のようなものかしらん。みんな道也のようだとすれば、この先結婚をする女はだんだん減るだろう。減らないところで見るとほかの旦那様は旦那様らしくしているに違ない。広い世界に自分一人がこんな思をしているかと気がつくと生涯の不幸である。どうせ嫁に来たからには出る訳には行かぬ。しかし連れ添う夫がこんなでは、臨終まで本当の妻と云う心持ちが起らぬ。これはどうかせねばならぬ。どうにかして夫を自分の考え通りの夫にしなくては生きている甲斐がない。――細君はこう思案しながら、火鉢をいじくっている。風が枯芭蕉を吹き倒すほど鳴る。  表に案内がある。寒そうな顔を玄関の障子から出すと、道也の兄が立っている。細君は「おや」と云った。  道也の兄は会社の役員である。その会社の社長は中野君のおやじである。長い二重廻しを玄関へ脱いで座敷へ這入ってくる。 「だいぶ吹きますね」と薄い更紗の上へ坐って抜け上がった額を逆に撫でる。 「御寒いのによく」 「ええ、今日は社の方が早く引けたものだから……」 「今御帰り掛けですか」 「いえ、いったんうちへ帰ってね。それから出直して来ました。どうも洋服だと坐ってるのが窮屈で……」  兄は糸織の小袖に鉄御納戸の博多の羽織を着ている。 「今日は――留守ですか」 「はあ、たった今しがた出ました。おっつけ帰りましょう。どうぞ御緩くり」と例の火鉢を出す。 「もう御構なさるな。――どうもなかなか寒い」と手を翳す。 「だんだん押し詰りましてさぞ御忙がしゅう、いらっしゃいましょう」 「へ、ありがとう。毎年暮になると大頭痛、ハハハハ」と笑った。世の中の人はおかしい時ばかり笑うものではない。 「でも御忙がしいのは結構で……」 「え、まあ、どうか、こうかやってるんです。――時に道也はやはり不相変ですか」 「ありがとう。この方はただ忙がしいばかりで……」 「結構でないかね。ハハハハ。どうも困った男ですねえ、御政さん。あれほど訳がわからないとまでは思わなかったが」 「どうも御心配ばかり懸けまして、私もいろいろ申しますが、女の云う事だと思ってちっとも取り上げませんので、まことに困り切ります」 「そうでしょう、私の云う事だって聞かないんだから。――わたしも傍にいるとつい気になるから、ついとやかく云いたくなってね」 「ごもっともでございますとも。みんな当人のためにおっしゃって下さる事ですから……」 「田舎にいりゃ、それまでですが、こっちにこうしていると、当人の気にいっても、いらなくっても、やっぱり兄の義務でね。つい云いたくなるんです。――するとちっとも寄りつかない。全く変人だね。おとなしくして教師をしていりゃそれまでの事を、どこへ行っても衝突して……」 「あれが全く心配で、私もあのためには、どんなに苦労したか分りません」 「そうでしょうとも。わたしも、そりゃよく御察し申しているんです」 「ありがとうございます。いろいろ御厄介にばかりなりまして」 「東京へ来てからでも、こんなくだらん事をしないでも、どうにでも成るんでさあ。それをせっかく云ってやると、まるで取り合わない。取り合わないでもいいから、自分だけ立派にやって行けばいい」 「それを私も申すのでござんすけれども」 「いざとなると、やっぱりどうかしてくれと云うんでしょう」 「まことに御気の毒さまで……」 「いえ、あなたに何も云うつもりはない。当人がさ。まるで無鉄砲ですからね。大学を卒業して七八年にもなって筆耕の真似をしているものが、どこの国にいるものですか。あれの友達の足立なんて人は大学の先生になって立派にしているじゃありませんか」 「自分だけはあれでなかなかえらいつもりでおりますから」 「ハハハハえらいつもりだって。いくら一人でえらがったって、人が相手にしなくっちゃしようがない」 「近頃は少しどうかしているんじゃないかと思います」 「何とも云えませんね。――何でもしきりに金持やなにかを攻撃するそうじゃありませんか。馬鹿ですねえ。そんな事をしたってどこが面白い。一文にゃならず、人からは擯斥される。つまり自分の錆になるばかりでさあ」 「少しは人の云う事でも聞いてくれるといいんですけれども」 「しまいにゃ人にまで迷惑をかける。――実はね、きょう社でもって赤面しちまったんですがね。課長が私を呼んで聞けば君の弟だそうだが、あの白井道也とか云う男は無暗に不穏な言論をして富豪などを攻撃する。よくない事だ。ちっと君から注意したらよかろうって、さんざん叱られたんです」 「まあどうも。どうしてそんな事が知れましたんでしょう」 「そりゃ、会社なんてものは、それぞれ探偵が届きますからね」 「へえ」 「なに道也なんぞが、何をかいたって、あんな地位のないものに世間が取り合う気遣はないが、課長からそう云われて見ると、放って置けませんからね」 「ごもっともで」 「それで実は今日は相談に来たんですがね」 「生憎出まして」 「なに当人はいない方がかえっていい。あなたと相談さえすればいい。――で、わたしも今途中でだんだん考えて来たんだが、どうしたものでしょう」 「あなたから、とくと異見でもしていただいて、また教師にでも奉職したら、どんなものでございましょう」 「そうなればいいですとも。あなたも仕合せだし、わたしも安心だ。――しかし異見でおいそれと、云う通りになる男じゃありませんよ」 「そうでござんすね。あの様子じゃ、とても駄目でございましょうか」 「わたしの鑑定じゃ、とうてい駄目だ。――それでここに一つの策があるんだが、どうでしょう当人の方から雑誌や新聞をやめて、教師になりたいと云う気を起させるようにするのは」 「そうなれば私は実にありがたいのですが、どうしたら、そう旨い具合に参りましょう」 「あのこの間中当人がしきりに書いていた本はどうなりました」 「まだそのままになっております」 「まだ売れないですか」 「売れるどころじゃございません。どの本屋もみんな断わりますそうで」 「そう。それが売れなけりゃかえって結構だ」 「え?」 「売れない方がいいんですよ。――で、せんだってわたしが周旋した百円の期限はもうじきでしょう」 「たしかこの月の十五日だと思います」 「今日が十一日だから。十二、十三、十四、十五、ともう四日ですね」 「ええ」 「あの方を手厳しく催促させるのです。――実はあなただから、今打ち明けて御話しするが、あれは、わたしが印を押している体にはなっているが本当はわたしが融通したのです。――そうしないと当人が安心していけないから。――それであの方を今云う通り責める――何かほかに工面の出来る所がありますか」 「いいえ、ちっともございません」 「じゃ大丈夫、その方でだんだん責めて行く。――いえ、わたしは黙って見ている。証文の上の貸手が催促に来るのです。あなたも済していなくっちゃいけません。――何を云っても冷淡に済ましていなくっちゃいけません。けっしてこちらから、一言も云わないのです。――それで当人いくら頑固だって苦しいから、また、わたしの方へ頭を下げて来る。いえ来なけりゃならないです。その、頭を下げて来た時に、取って抑えるのです。いいですか。そうたよって来るなら、おれの云う事を聞くがいい。聞かなければおれは構わん。と云いやあ、向でも否とは云われんです。そこでわたしが、御政さんだって、あんなに苦労してやっている。雑誌なんかで法螺ばかり吹き立てていたって始まらない、これから性根を入れかえて、もっと着実な世間に害のないような職業をやれ、教師になる気なら心当りを奔走してやろう、と持ち懸けるのですね。――そうすればきっと我々の思わく通りになると思うが、どうでしょう」 「そうなれば私はどんなに安心が出来るか知れません」 「やって見ましょうか」 「何分宜しく願います」 「じゃ、それはきまったと。そこでもう一つあるんですがね。今日社の帰りがけに、神田を通ったら清輝館の前に、大きな広告があって、わたしは吃驚させられましたよ」 「何の広告でござんす」 「演説の広告なんです。――演説の広告はいいが道也が演説をやるんですぜ」 「へえ、ちっとも存じませんでした」 「それで題が大きいから面白い、現代の青年に告ぐと云うんです。まあ何の事やら、あんなものの云う事を聞きにくる青年もなさそうじゃありませんか。しかし剣呑ですよ。やけになって何を云うか分らないから。わたしも課長から忠告された矢先だから、すぐ社へ電話をかけて置いたから、まあ好いですが、何なら、やらせたくないものですね」 「何の演説をやるつもりでござんしょう。そんな事をやるとまた人様に御迷惑がかかりましょうね」 「どうせまた過激な事でも云うのですよ。無事に済めばいいが、つまらない事を云おうものなら取って返しがつかないからね。――どうしてもやめさせなくっちゃ、いけないね」 「どうしたらやめるでござんしょう」 「これもよせったって、頑固だから、よす気遣はない。やっぱり欺すより仕方がないでしょう」 「どうして欺したらいいでしょう」 「そうさ。あした時刻にわたしが急用で逢いたいからって使をよこして見ましょうか」 「そうでござんすね。それで、あなたの方へ参るようだと宜しゅうございますが……」 「聞かないかも知れませんね。聞かなければそれまでさ」  初冬の日はもう暗くなりかけた。道也先生は風のなかを帰ってくる。 十一  今日もまた風が吹く。汁気のあるものをことごとく乾鮭にするつもりで吹く。 「御兄さんの所から御使です」と細君が封書を出す。道也は坐ったまま、体をそらして受け取った。 「待ってるかい」 「ええ」  道也は封を切って手紙を読み下す。やがて、終りから巻き返して、再び状袋のなかへ収めた。何にも云わない。 「何か急用ででもござんすか」  道也は「うん」と云いながら、墨を磨って、何かさらさらと返事を認めている。 「何の御用ですか」 「ええ? ちょっと待った。書いてしまうから」  返事はわずか五六行である。宛名をかいて、「これを」と出す。細君は下女を呼んで渡してやる。自分は動かない。 「何の御用なんですか」 「何の用かわからない。ただ、用があるから、すぐ来てくれとかいてある」 「いらっしゃるでしょう」 「おれは行かれない。なんならお前行って見てくれ」 「私が? 私は駄目ですわ」 「なぜ」 「だって女ですもの」 「女でも行かないよりいいだろう」 「だって。あなたに来いと書いてあるんでしょう」 「おれは行かれないもの」 「どうして?」 「これから出掛けなくっちゃならん」 「雑誌の方なら、一日ぐらい御休みになってもいいでしょう」 「編輯ならいいが、今日は演説をやらなくっちゃならん」 「演説を? あなたがですか?」 「そうよ、おれがやるのさ。そんなに驚ろく事はなかろう」 「こんなに風が吹くのに、よしになさればいいのに」 「ハハハハ風が吹いてやめるような演説なら始めからやりゃしない」 「ですけれども滅多な事はなさらない方がよござんすよ」 「滅多な事とは。何がさ」 「いいえね。あんまり演説なんかなさらない方が、あなたの得だと云うんです」 「なに得な事があるものか」 「あとが困るかも知れないと申すのです」 「妙な事を云うね御前は。――演説をしちゃいけないと誰か云ったのかね」 「誰がそんな事を云うものですか。――云いやしませんが、御兄さんからこうやって、急用だって、御使が来ているんですから行って上げなくっては義理がわるいじゃありませんか」 「それじゃ演説をやめなくっちゃならない」 「急に差支が出来たって断わったらいいでしょう」 「今さらそんな不義理が出来るものか」 「では御兄さんの方へは不義理をなすっても、いいとおっしゃるんですか」 「いいとは云わない。しかし演説会の方は前からの約束で――それに今日の演説はただの演説ではない。人を救うための演説だよ」 「人を救うって、誰を救うのです」 「社のもので、この間の電車事件を煽動したと云う嫌疑で引っ張られたものがある。――ところがその家族が非常な惨状に陥って見るに忍びないから、演説会をしてその収入をそちらへ廻してやる計画なんだよ」 「そんな人の家族を救うのは結構な事に相違ないでしょうが、社会主義だなんて間違えられるとあとが困りますから……」 「間違えたって構わないさ。国家主義も社会主義もあるものか、ただ正しい道がいいのさ」 「だって、もしあなたが、その人のようになったとして御覧なさい。私はやっぱり、その人の奥さん同様な、ひどい目に逢わなけりゃならないでしょう。人を御救いなさるのも結構ですが、ちっとは私の事も考えて、やって下さらなくっちゃ、あんまりですわ」  道也先生はしばらく沈吟していたが、やがて、机の前を立ちながら「そんな事はないよ。そんな馬鹿な事はないよ。徳川政府の時代じゃあるまいし」と云った。  例の袴を突っかけると支度は一分たたぬうちに出来上った。玄関へ出る。外はいまだに強く吹いている。道也先生の姿は風の中に消えた。  清輝館の演説会はこの風の中に開かれる。  講演者は四名、聴衆は三百名足らずである。書生が多い。その中に文学士高柳周作がいる。彼はこの風の中を襟巻に顔を包んで咳をしながらやって来た。十銭の入場料を払って、二階に上った時は、広い会場はまばらに席をあましてむしろ寂寞の感があった。彼は南側のなるべく暖かそうな所に席をとった。演説はすでに始まっている。 「……文士保護は独立しがたき文士の言う事である。保護とは貴族的時代に云うべき言葉で、個人平等の世にこれを云々するのは恥辱の極である。退いて保護を受くるより進んで自己に適当なる租税を天下から払わしむべきである」と云ったと思ったら、引き込んだ。聴衆は喝采する。隣りに薩摩絣の羽織を着た書生がいて話している。 「今のが、黒田東陽か」 「うん」 「妙な顔だな。もっと話せる顔かと思った」 「保護を受けたら、もう少し顔らしくなるだろう」  高柳君は二人を見た。二人も高柳君を見た。 「おい」 「何だ」 「いやに睨めるじゃねえか」 「おっかねえ」 「こんだ誰の番だ。――見ろ見ろ出て来た」 「いやに、ひょろ長いな。この風にどうして出て来たろう」  ひょろながい道也先生は綿服のまま壇上にあらわれた。かれはこの風の中を金釘のごとく直立して来たのである。から風に吹き曝されたる彼は、からからの古瓢箪のごとくに見える。聴衆は一度に手をたたく。手をたたくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。独り高柳君のみは粛然として襟を正した。 「自己は過去と未来の連鎖である」  道也先生の冒頭は突如として来た。聴衆はちょっと不意撃を食った。こんな演説の始め方はない。 「過去を未来に送り込むものを旧派と云い、未来を過去より救うものを新派と云うのであります」  聴衆はいよいよ惑った。三百の聴衆のうちには、道也先生をひやかす目的をもって入場しているものがある。彼らに一寸の隙でも与えれば道也先生は壇上に嘲殺されねばならぬ。角力は呼吸である。呼吸を計らんでひやかせばかえって自分が放り出されるばかりである。彼らは蛇のごとく鎌首を持ち上げて待構えている。道也先生の眼中には道の一字がある。 「自己のうちに過去なしと云うものは、われに父母なしと云うがごとく、自己のうちに未来なしと云うものは、われに子を生む能力なしというと一般である。わが立脚地はここにおいて明瞭である。われは父母のために存在するか、われは子のために存在するか、あるいはわれそのものを樹立せんがために存在するか、吾人生存の意義はこの三者の一を離るる事が出来んのである」  聴衆は依然として、だまっている。あるいは煙に捲かれたのかも知れない。高柳君はなるほどと聴いている。 「文芸復興は大なる意味において父母のために存在したる大時期である。十八世紀末のゴシック復活もまた大なる意味において父母のために存在したる小時期である。同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。すなわち子孫のために存在したる時期である。自己を樹立せんがために存在したる時期の好例はエリザベス朝の文学である。個人について云えばイブセンである。メレジスである。ニイチェである。ブラウニングである。耶蘇教徒は基督のために存在している。基督は古えの人である。だから耶蘇教徒は父のために存在している。儒者は孔子のために生きている。孔子も昔えの人である。だから儒者は父のために生きている。……」 「もうわかった」と叫ぶものがある。 「なかなかわかりません」と道也先生が云う。聴衆はどっと笑った。 「袷は単衣のために存在するですか、綿入のために存在するですか。または袷自身のために存在するですか」と云って、一応聴衆を見廻した。笑うにはあまり、奇警である。慎しむにはあまり飄きんである。聴衆は迷うた。 「六ずかしい問題じゃ、わたしにもわからん」と済ました顔で云ってしまう。聴衆はまた笑った。 「それはわからんでも差支ない。しかし吾々は何のために存在しているか? これは知らなくてはならん。明治は四十年立った。四十年は短かくはない。明治の事業はこれで一段落を告げた……」 「ノー、ノー」と云うものがある。 「どこかでノー、ノーと云う声がする。わたしはその人に賛成である。そう云う人があるだろうと思うて待っていたのである」  聴衆はまた笑った。 「いや本当に待っていたのである」  聴衆は三たび鬨を揚げた。 「私は四十年の歳月を短かくはないと申した。なるほど住んで見れば長い。しかし明治以外の人から見たらやはり長いだろうか。望遠鏡の眼鏡は一寸の直径である。しかし愛宕山から見ると品川の沖がこの一寸のなかに這入ってしまう。明治の四十年を長いと云うものは明治のなかに齷齪しているものの云う事である。後世から見ればずっと縮まってしまう。ずっと遠くから見ると一弾指の間に過ぎん。――一弾指の間に何が出来る」と道也はテーブルの上をとんと敲いた。聴衆はちょっと驚ろいた。 「政治家は一大事業をしたつもりでいる。学者も一大事業をしたつもりでいる。実業家も軍人もみんな一大事業をしたつもりでいる。したつもりでいるがそれは自分のつもりである。明治四十年の天地に首を突き込んでいるから、したつもりになるのである。――一弾指の間に何が出来る」  今度は誰も笑わなかった。 「世の中の人は云うている。明治も四十年になる、まだ沙翁が出ない、まだゲーテが出ない。四十年を長いと思えばこそ、そんな愚痴が出る。一弾指の間に何が出る」 「もうでるぞ」と叫んだものがある。 「もうでるかも知れん。しかし今までに出ておらん事は確かである。――一言にして云えば」と句を切った。満場はしんとしている。 「明治四十年の日月は、明治開化の初期である。さらに語を換えてこれを説明すれば今日の吾人は過去を有たぬ開化のうちに生息している。したがって吾人は過去を伝うべきために生れたのではない。――時は昼夜を舎てず流れる。過去のない時代はない。――諸君誤解してはなりません。吾人は無論過去を有している。しかしその過去は老耄した過去か、幼稚な過去である。則とるに足るべき過去は何にもない。明治の四十年は先例のない四十年である」  聴衆のうちにそうかなあと云う顔をしている者がある。 「先例のない社会に生れたものほど自由なものはない。余は諸君がこの先例のない社会に生れたのを深く賀するものである」 「ひや、ひや」と云う声が所々に起る。 「そう早合点に賛成されては困る。先例のない社会に生れたものは、自から先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を享けるものは、すでに自由のために束縛されている。この自由をいかに使いこなすかは諸君の権利であると同時に大なる責任である。諸君。偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落であります」  言い切った道也先生は、両手を机の上に置いて満場を見廻した。雷が落ちたような気合である。 「個人について論じてもわかる。過去を顧みる人は半白の老人である。少壮の人に顧みるべき過去はないはずである。前途に大なる希望を抱くものは過去を顧みて恋々たる必要がないのである。――吾人が今日生きている時代は少壮の時代である。過去を顧みるほどに老い込んだ時代ではない。政治に伊藤侯や山県侯を顧みる時代ではない。実業に渋沢男や岩崎男を顧みる時代ではない。……」 「大気」と評したのは高柳君の隣りにいた薩摩絣である。高柳君はむっとした。 「文学に紅葉氏一葉氏を顧みる時代ではない。これらの人々は諸君の先例になるがために生きたのではない。諸君を生むために生きたのである。最前の言葉を用いればこれらの人々は未来のために生きたのである。子のために存在したのである。しかして諸君は自己のために存在するのである。――およそ一時代にあって初期の人は子のために生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は自己のために生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は父のために生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立った。まず初期と見て差支なかろう。すると現代の青年たる諸君は大に自己を発展して中期をかたちづくらねばならぬ。後ろを顧みる必要なく、前を気遣う必要もなく、ただ自我を思のままに発展し得る地位に立つ諸君は、人生の最大愉快を極むるものである」  満場は何となくどよめき渡った。 「なぜ初期のものが先例にならん? 初期はもっとも不秩序の時代である。偶然の跋扈する時代である。僥倖の勢を得る時代である。初期の時代において名を揚げたるもの、家を起したるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは必ずしも自己の力量に由って成功したとは云われぬ。自己の力量によらずして成功するは士のもっとも恥辱とするところである。中期のものはこの点において遥かに初期の人々よりも幸福である。事を成すのが困難であるから幸福である。困難にもかかわらず僥倖が少ないから幸福である。困難にもかかわらず力量しだいで思うところへ行けるほどの余裕があり、発展の道があるから幸福である。後期に至るとかたまってしまう。ただ前代を祖述するよりほかに身動きがとれぬ。身動きがとれなくなって、人間が腐った時、また波瀾が起る。起らねば化石するよりほかにしようがない。化石するのがいやだから、自から波瀾を起すのである。これを革命と云うのである。 「以上は明治の天下にあって諸君の地位を説明したのである。かかる愉快な地位に立つ諸君はこの愉快に相当する理想を養わねばならん」  道也先生はここにおいて一転語を下した。聴衆は別にひやかす気もなくなったと見える。黙っている。 「理想は魂である。魂は形がないからわからない。ただ人の魂の、行為に発現するところを見て髣髴するに過ぎん。惜しいかな現代の青年はこれを髣髴することが出来ん。これを過去に求めてもない、これを現代に求めてはなおさらない。諸君は家庭に在って父母を理想とする事が出来ますか」  あるものは不平な顔をした。しかしだまっている。 「学校に在って教師を理想とする事が出来ますか」 「ノー、ノー」 「社会に在って紳士を理想とする事が出来ますか」 「ノー、ノー」 「事実上諸君は理想をもっておらん。家に在っては父母を軽蔑し、学校に在っては教師を軽蔑し、社会に出でては紳士を軽蔑している。これらを軽蔑し得るのは見識である。しかしこれらを軽蔑し得るためには自己により大なる理想がなくてはならん。自己に何らの理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。現代の青年は滔々として日に堕落しつつある」  聴衆は少しく色めいた。「失敬な」とつぶやくものがある。道也先生は昂然として壇下を睥睨している。 「英国風を鼓吹して憚からぬものがある。気の毒な事である。己れに理想のないのを明かに暴露している。日本の青年は滔々として堕落するにもかかわらず、いまだここまでは堕落せんと思う。すべての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である。奴隷をもって甘んずるのみならず、争って奴隷たらんとするものに何らの理想が脳裏に醗酵し得る道理があろう。 「諸君。理想は諸君の内部から湧き出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となりついに諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。付焼刃は何にもならない」  道也先生はひやかされるなら、ひやかして見ろと云わぬばかりに片手の拳骨をテーブルの上に乗せて、立っている。汚ない黒木綿の羽織に、べんべらの袴は最前ほどに目立たぬ。風の音がごうと鳴る。 「理想のあるものは歩くべき道を知っている。大なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子とは違う。どうあってもこの道をあるかねばやまぬ。迷いたくても迷えんのである。魂がこちらこちらと教えるからである。 「諸君のうちには、どこまで歩くつもりだと聞くものがあるかも知れぬ。知れた事である。行ける所まで行くのが人生である。誰しも自分の寿命を知ってるものはない。自分に知れない寿命は他人にはなおさらわからない。医者を家業にする専門家でも人間の寿命を勘定する訳には行かぬ。自分が何歳まで生きるかは、生きたあとで始めて言うべき事である。八十歳まで生きたと云う事は八十歳まで生きた事実が証拠立ててくれねばならん。たとい八十歳まで生きる自信があって、その自信通りになる事が明瞭であるにしても、現に生きたと云う事実がない以上は誰も信ずるものはない。したがって言うべきものでない。理想の黙示を受けて行くべき道を行くのもその通りである。自己がどれほどに自己の理想を現実にし得るかは自己自身にさえ計られん。過去がこうであるから、未来もこうであろうぞと臆測するのは、今まで生きていたから、これからも生きるだろうと速断するようなものである。一種の山である。成功を目的にして人生の街頭に立つものはすべて山師である」  高柳君の隣りにいた薩摩絣は妙な顔をした。 「社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年前の志士は生死の間に出入して維新の大業を成就した。諸君の冒すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。諸君は覚悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覚悟をせねばならぬ。斃るる覚悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手して成功を冀う輩は、行くべき道に躓いて非業に死したる失敗の児よりも、人間の価値は遥かに乏しいのである。 「諸君は道を行かんがために、道を遮ぎるものを追わねばならん。彼らと戦うときに始めて、わが生涯の内生命に、勤王の諸士があえてしたる以上の煩悶と辛惨とを見出し得るのである。――今日は風が吹く。昨日も風が吹いた。この頃の天候は不穏である。しかし胸裏の不穏はこんなものではない」  道也先生は、がたつく硝子窓を通して、往来の方を見た。折から一陣の風が、会釈なく往来の砂を捲き上げて、屋の棟に突き当って、虚空を高く逃れて行った。 「諸君。諸君のどれほどに剛健なるかは、わたしには分らん。諸君自身にも知れぬ。ただ天下後世が証拠だてるのみである。理想の大道を行き尽して、途上に斃るる刹那に、わが過去を一瞥のうちに縮め得て始めて合点が行くのである。諸君は諸君の事業そのものに由って伝えられねばならぬ。単に諸君の名に由って伝えられんとするは軽薄である」  高柳君は何となくきまりがわるかった。道也の輝やく眼が自分の方に注いでいるように思れる。 「理想は人によって違う。吾々は学問をする。学問をするものの理想は何であろう」  聴衆は黙然として応ずるものがない。 「学問をするものの理想は何であろうとも――金でない事だけはたしかである」  五六ヵ所に笑声が起る。道也先生の裕福ならぬ事はその服装を見たものの心から取り除けられぬ事実である。道也先生は羽織のゆきを左右の手に引っ張りながら、まず徐ろにわが右の袖を見た。次に眼を転じてまた徐ろにわが左の袖を見た。黒木綿の織目のなかに砂がいっぱいたまっている。 「随分きたない」と落ちつき払って云った。  笑声が満場に起る。これはひやかしの笑声ではない。道也先生はひやかしの笑声を好意の笑声で揉み潰したのである。 「せんだって学問を専門にする人が来て、私も妻をもろうて子が出来た。これから金を溜めねばならぬ。是非共子供に立派な教育をさせるだけは今のうちに貯蓄して置かねばならん。しかしどうしたら貯蓄が出来るでしょうかと聞いた。 「どうしたら学問で金がとれるだろうと云う質問ほど馬鹿気た事はない。学問は学者になるものである。金になるものではない。学問をして金をとる工夫を考えるのは北極へ行って虎狩をするようなものである」  満場はまたちょっとどよめいた。 「一般の世人は労力と金の関係について大なる誤謬を有している。彼らは相応の学問をすれば相応の金がとれる見込のあるものだと思う。そんな条理は成立する訳がない。学問は金に遠ざかる器械である。金がほしければ金を目的にする実業家とか商買人になるがいい。学者と町人とはまるで別途の人間であって、学者が金を予期して学問をするのは、町人が学問を目的にして丁稚に住み込むようなものである」 「そうかなあ」と突飛な声を出す奴がいる。聴衆はどっと笑った。道也先生は平然として笑のしずまるのを待っている。 「だから学問のことは学者に聞かなければならん。金が欲しければ町人の所へ持って行くよりほかに致し方はない」 「金が欲しい」とまぜかえす奴が出る。誰だかわからない。道也先生は「欲しいでしょう」と云ったぎり進行する。 「学問すなわち物の理がわかると云う事と生活の自由すなわち金があると云う事とは独立して関係のないのみならず、かえって反対のものである。学者であればこそ金がないのである。金を取るから学者にはなれないのである。学者は金がない代りに物の理がわかるので、町人は理窟がわからないから、その代りに金を儲ける」  何か云うだろうと思って道也先生は二十秒ほど絶句して待っている。誰も何も云わない。 「それを心得んで金のある所には理窟もあると考えているのは愚の極である。しかも世間一般はそう誤認している。あの人は金持ちで世間が尊敬しているからして理窟もわかっているに違ない、カルチュアーもあるにきまっていると――こう考える。ところがその実はカルチュアーを受ける暇がなければこそ金をもうける時間が出来たのである。自然は公平なもので一人の男に金ももうけさせる、同時にカルチュアーも授けると云うほど贔屓にはせんのである。この見やすき道理も弁ぜずして、かの金持ち共は己惚れて……」 「ひや、ひや」「焼くな」「しっ、しっ」だいぶ賑やかになる。 「自分達は社会の上流に位して一般から尊敬されているからして、世の中に自分ほど理窟に通じたものはない。学者だろうが、何だろうがおれに頭をさげねばならんと思うのは憫然のしだいで、彼らがこんな考を起す事自身がカルチュアーのないと云う事実を証明している」  高柳君の眼は輝やいた。血が双頬に上ってくる。 「訳のわからぬ彼らが己惚はとうてい済度すべからざる事とするも、天下社会から、彼らの己惚をもっともだと是認するに至っては愛想の尽きた不見識と云わねばならぬ。よく云う事だが、あの男もあのくらいな社会上の地位にあって相応の財産も所有している事だから万更そんな訳のわからない事もなかろう。豈計らんやある場合には、そんな社会上の地位を得て相当の財産を有しておればこそ訳がわからないのである」  高柳君は胸の苦しみを忘れて、ひやひやと手を打った。隣の薩摩絣はえへんと嘲弄的な咳払をする。 「社会上の地位は何できまると云えば――いろいろある。第一カルチュアーできまる場合もある。第二門閥できまる場合もある。第三には芸能できまる場合もある。最後に金できまる場合もある。しかしてこれはもっとも多い。かようにいろいろの標準があるのを混同して、金で相場がきまった男を学問で相場がきまった男と相互に通用し得るように考えている。ほとんど盲目同然である」  エヘン、エヘンと云う声が散らばって五六ヵ所に起る。高柳君は口を結んで、鼻から呼吸をはずませている。 「金で相場のきまった男は金以外に融通は利かぬはずである。金はある意味において貴重かも知れぬ。彼らはこの貴重なものを擁しているから世の尊敬を受ける。よろしい。そこまでは誰も異存はない。しかし金以外の領分において彼らは幅を利かし得る人間ではない、金以外の標準をもって社会上の地位を得る人の仲間入は出来ない。もしそれが出来ると云えば学者も金持ちの領分へ乗り込んで金銭本位の区域内で威張っても好い訳になる。彼らはそうはさせぬ。しかし自分だけは自分の領分内におとなしくしている事を忘れて他の領分までのさばり出ようとする。それが物のわからない、好い証拠である」  高柳君は腰を半分浮かして拍手をした。人間は真似が好である。高柳君に誘い出されて、ぱちぱちの声が四方に起る。冷笑党は勢の不可なるを知って黙した。 「金は労力の報酬である。だから労力を余計にすれば金は余計にとれる。ここまでは世間も公平である。(否これすらも不公平な事がある。相場師などは労力なしに金を攫んでいる)しかし一歩進めて考えて見るが好い。高等な労力に高等な報酬が伴うであろうか――諸君どう思います――返事がなければ説明しなければならん。報酬なるものは眼前の利害にもっとも影響の多い事情だけできめられるのである。だから今の世でも教師の報酬は小商人の報酬よりも少ないのである。眼前以上の遠い所高い所に労力を費やすものは、いかに将来のためになろうとも、国家のためになろうとも、人類のためになろうとも報酬はいよいよ減ずるのである。だによって労力の高下では報酬の多寡はきまらない。金銭の分配は支配されておらん。したがって金のあるものが高尚な労力をしたとは限らない。換言すれば金があるから人間が高尚だとは云えない。金を目安にして人物の価値をきめる訳には行かない」  滔々として述べて来た道也はちょっとここで切って、満場の形勢を観望した。活版に押した演説は生命がない。道也は相手しだいで、どうとも変わるつもりである。満場は思ったより静かである。 「それを金があるからと云うてむやみにえらがるのは間違っている。学者と喧嘩する資格があると思ってるのも間違っている。気品のある人々に頭を下げさせるつもりでいるのも間違っている。――少しは考えても見るがいい。いくら金があっても病気の時は医者に降参しなければなるまい。金貨を煎じて飲む訳には行かない……」  あまり熱心な滑稽なので、思わず噴き出したものが三四人ある。道也先生は気がついた。 「そうでしょう――金貨を煎じたって下痢はとまらないでしょう。――だから御医者に頭を下げる。その代り御医者は――金に頭を下げる」  道也先生はにやにやと笑った。聴衆もおとなしく笑う。 「それで好いのです。金に頭を下げて結構です――しかし金持はいけない。医者に頭を下げる事を知ってながら、趣味とか、嗜好とか、気品とか人品とか云う事に関して、学問のある、高尚な理窟のわかった人に頭を下げることを知らん。のみならずかえって金の力で、それらの頭をさげさせようとする。――盲目蛇に怖じずとはよく云ったものですねえ」 と急に会話調になったのは曲折があった。 「学問のある人、訳のわかった人は金持が金の力で世間に利益を与うると同様の意味において、学問をもって、わけの分ったところをもって社会に幸福を与えるのである。だからして立場こそ違え、彼らはとうてい冒し得べからざる地位に確たる尻を据えているのである。 「学者がもし金銭問題にかかれば、自己の本領を棄てて他の縄張内に這入るのだから、金持ちに頭を下げるが順当であろう。同時に金以上の趣味とか文学とか人生とか社会とか云う問題に関しては金持ちの方が学者に恐れ入って来なければならん。今、学者と金持の間に葛藤が起るとする。単に金銭問題ならば学者は初手から無能力である。しかしそれが人生問題であり、道徳問題であり、社会問題である以上は彼ら金持は最初から口を開く権能のないものと覚悟をして絶対的に学者の前に服従しなければならん。岩崎は別荘を立て連らねる事において天下の学者を圧倒しているかも知れんが、社会、人生の問題に関しては小児と一般である。十万坪の別荘を市の東西南北に建てたから天下の学者を凹ましたと思うのは凌雲閣を作ったから仙人が恐れ入ったろうと考えるようなものだ……」  聴衆は道也の勢と最後の一句の奇警なのに気を奪われて黙っている。独り高柳君がたまらなかったと見えて大きな声を出して喝采した。 「商人が金を儲けるために金を使うのは専門上の事で誰も容喙が出来ぬ。しかし商買上に使わないで人事上にその力を利用するときは、訳のわかった人に聞かねばならぬ。そうしなければ社会の悪を自ら醸造して平気でいる事がある。今の金持の金のある一部分は常にこの目的に向って使用されている。それと云うのも彼ら自身が金の主であるだけで、他の徳、芸の主でないからである。学者を尊敬する事を知らんからである。いくら教えても人の云う事が理解出来んからである。災は必ず己れに帰る。彼らは是非共学者文学者の云う事に耳を傾けねばならぬ時期がくる。耳を傾けねば社会上の地位が保てぬ時期がくる」  聴衆は一度にどっと鬨を揚げた。高柳君は肺病にもかかわらずもっとも大なる鬨を揚げた。生れてから始めてこんな痛快な感じを得た。襟巻に半分顔を包んでから風のなかをここまで来た甲斐はあると思う。  道也先生は予言者のごとく凜として壇上に立っている。吹きまくる木枯は屋を撼かして去る。 十二 「ちっとは、好い方かね」と枕元へ坐る。  六畳の座敷は、畳がほけて、とんと打ったら夜でも埃りが見えそうだ。宮島産の丸盆に薬瓶と験温器がいっしょに乗っている。高柳君は演説を聞いて帰ってから、とうとう喀血してしまった。 「今日はだいぶいい」と床の上に起き返って後から掻巻を背の半分までかけている。  中野君は大島紬の袂から魯西亜皮の巻莨入を出しかけたが、 「うん、煙草を飲んじゃ、わるかったね」とまた袂のなかへ落す。 「なに構わない。どうせ煙草ぐらいで癒りゃしないんだから」と憮然としている。 「そうでないよ。初が肝心だ。今のうち養生しないといけない。昨日医者へ行って聞いて見たが、なに心配するほどの事もない。来たかい医者は」 「今朝来た。暖かにしていろと云った」 「うん。暖かにしているがいい。この室は少し寒いねえ」と中野君は侘し気に四方を見廻した。 「あの障子なんか、宿の下女にでも張らしたらよかろう。風が這入って寒いだろう」 「障子だけ張ったって……」 「転地でもしたらどうだい」 「医者もそう云うんだが」 「それじゃ、行くがいい。今朝そう云ったのかね」 「うん」 「それから君は何と答えた」 「何と答えるったって、別に答えようもないから……」 「行けばいいじゃないか」 「行けばいいだろうが、ただはいかれない」  高柳君は元気のない顔をして、自分の膝頭へ眼を落した。瓦斯双子の端から鼠色のフラネルが二寸ばかり食み出している。寸法も取らず別々に仕立てたものだろう。 「それは心配する事はない。僕がどうかする」  高柳君は潤のない眼を膝から移して、中野君の幸福な顔を見た。この顔しだいで返答はきまる。 「僕がどうかするよ。何だって、そんな眼をして見るんだ」  高柳君は自分の心が自分の両眼から、外を覗いていたのだなと急に気がついた。 「君に金を借りるのか」 「借りないでもいいさ……」 「貰うのか」 「どうでもいいさ。そんな事を気に掛ける必要はない」 「借りるのはいやだ」 「じゃ借りなくってもいいさ」 「しかし貰う訳には行かない」 「六ずかしい男だね。何だってそんなにやかましくいうのだい。学校にいる時分は、よく君の方から金を借せの、西洋料理を奢れのとせびったじゃないか」 「学校にいた時分は病気なんぞありゃしなかったよ」 「平生ですら、そうなら病気の時はなおさらだ。病気の時に友達が世話をするのは、誰から云ったっておかしくはないはずだ」 「そりゃ世話をする方から云えばそうだろう」 「じゃ君は何か僕に対して不平な事でもあるのかい」 「不平はないさありがたいと思ってるくらいだ」 「それじゃ心快く僕の云う事を聞いてくれてもよかろう。自分で不愉快の眼鏡を掛けて世の中を見て、見られる僕らまでを不愉快にする必要はないじゃないか」  高柳君はしばらく返事をしない。なるほど自分は世の中を不愉快にするために生きてるのかも知れない。どこへ出ても好かれた事がない。どうせ死ぬのだから、なまじい人の情を恩に着るのはかえって心苦しい。世の中を不愉快にするくらいな人間ならば、中野一人を愉快にしてやったって五十歩百歩だ。世の中を不愉快にするくらいな人間なら、また一日も早く死ぬ方がましである。 「君の親切を無にしては気の毒だが僕は転地なんか、したくないんだから勘弁してくれ」 「またそんなわからずやを云う。こう云う病気は初期が大切だよ。時期を失すると取り返しがつかないぜ」 「もう、とうに取り返しがつかないんだ」と山の上から飛び下りたような事を云う。 「それが病気だよ。病気のせいでそう悲観するんだ」 「悲観するって希望のないものは悲観するのは当り前だ。君は必要がないから悲観しないのだ」 「困った男だなあ」としばらく匙を投げて、すいと起って障子をあける。例の梧桐が坊主の枝を真直に空に向って曝している。 「淋しい庭だなあ。桐が裸で立っている」 「この間まで葉が着いてたんだが、早いものだ。裸の桐に月がさすのを見た事があるかい。凄い景色だ」 「そうだろう。――しかし寒いのに夜る起きるのはよくないぜ。僕は冬の月は嫌だ。月は夏がいい。夏のいい月夜に屋根舟に乗って、隅田川から綾瀬の方へ漕がして行って銀扇を水に流して遊んだら面白いだろう」 「気楽云ってらあ。銀扇を流すたどうするんだい」 「銀泥を置いた扇を何本も舟へ乗せて、月に向って投げるのさ。きらきらして奇麗だろう」 「君の発明かい」 「昔しの通人はそんな風流をして遊んだそうだ」 「贅沢な奴らだ」 「君の机の上に原稿があるね。やっぱり地理学教授法か」 「地理学教授法はやめたさ。病気になって、あんなつまらんものがやれるものか」 「じゃ何だい」 「久しく書きかけて、それなりにして置いたものだ」 「あの小説か。君の一代の傑作か。いよいよ完成するつもりなのかい」 「病気になると、なおやりたくなる。今まではひまになったらと思っていたが、もうそれまで待っちゃいられない。死ぬ前に是非書き上げないと気が済まない」 「死ぬ前は過激な言葉だ。書くのは賛成だが、あまり凝るとかえって身体がわるくなる」 「わるくなっても書けりゃいいが、書けないから残念でたまらない。昨夜は続きを三十枚かいた夢を見た」 「よっぽど書きたいのだと見えるね」 「書きたいさ。これでも書かなくっちゃ何のために生れて来たのかわからない。それが書けないときまった以上は穀潰し同然ださ。だから君の厄介にまでなって、転地するがものはないんだ」 「それで転地するのがいやなのか」 「まあ、そうさ」 「そうか、それじゃ分った。うん、そう云うつもりなのか」と中野君はしばらく考えていたが、やがて 「それじゃ、君は無意味に人の世話になるのが厭なんだろうから、そこのところを有意味にしようじゃないか」と云う。 「どうするんだ」 「君の目下の目的は、かねて腹案のある述作を完成しようと云うのだろう。だからそれを条件にして僕が転地の費用を担任しようじゃないか。逗子でも鎌倉でも、熱海でも君の好な所へ往って、呑気に養生する。ただ人の金を使って呑気に養生するだけでは心が済まない。だから療養かたがた気が向いた時に続きをかくさ。そうして身体がよくなって、作が出来上ったら帰ってくる。僕は費用を担任した代り君に一大傑作を世間へ出して貰う。どうだい。それなら僕の主意も立ち、君の望も叶う。一挙両得じゃないか」  高柳君は膝頭を見詰めて考えていた。 「僕が君の所へ、僕の作を持って行けば、僕の君に対する責任は済む訳なんだね」 「そうさ。同時に君が天下に対する責任の一分が済むようになるのさ」 「じゃ、金を貰おう。貰いっ放しに死んでしまうかも知れないが――いいや、まあ、死ぬまで書いて見よう――死ぬまで書いたら書けない事もなかろう」 「死ぬまでかいちゃ大変だ。暖かい相州辺へ行って気を楽にして、時々一頁二頁ずつ書く――僕の条件に期限はないんだぜ、君」 「うん、よしきっと書いて持って行く。君の金を使って茫然としていちゃ済まない」 「そんな済むの済まないのと考えてちゃいけない」 「うん、よし分った。ともかくも転地しよう。明日から行こう」 「だいぶ早いな。早い方がいいだろう。いくら早くっても構わない。用意はちゃんと出来てるんだから」と懐中から七子の三折れの紙入を出して、中から一束の紙幣をつかみ出す。 「ここに百円ある。あとはまた送る。これだけあったら当分はいいだろう」 「そんなにいるものか」 「なにこれだけ持って行くがいい。実はこれは妻の発議だよ。妻の好意だと思って持って行ってくれたまえ」 「それじゃ、百円だけ持って行くか」 「持って行くがいいとも。せっかく包んで来たんだから」 「じゃ、置いて行ってくれたまえ」 「そこでと、じゃ明日立つね。場所か? 場所はどこでもいいさ。君の気の向いた所がよかろう。向へ着いてからちょっと手紙を出してくれればいいよ。――護送するほどの大病人でもないから僕は停車場へも行かないよ。――ほかに用はなかったかな。――なに少し急ぐんだ。実は今日は妻を連れて親類へ行く約束があるんで、待ってるから、僕は失敬しなくっちゃならない」 「そうか、もう帰るか。それじゃ奥さんによろしく」  中野君は欣然として帰って行く。高柳君は立って、着物を着換えた。  百円の金は聞いた事がある。が見たのはこれが始めてである。使うのはもちろんの事始めてである。かねてから自分を代表するほどの作物を何か書いて見たいと思うていた。生活難の合間合間に一頁二頁と筆を執った事はあるが、興が催すと、すぐやめねばならぬほど、饑は寒は容赦なくわれを追うてくる。この容子では当分仕事らしい仕事は出来そうもない。ただ地理学教授法を訳して露命を繋いでいるようでは馬車馬が秣を食って終日馳けあるくと変りはなさそうだ。おれにはおれがある。このおれを出さないでぶらぶらと死んでしまうのはもったいない。のみならず親の手前世間の手前面目ない。人から土偶のようにうとまれるのも、このおれを出す機会がなくて、鈍根にさえ立派に出来る翻訳の下働きなどで日を暮らしているからである。どうしても無念だ。石に噛みついてもと思う矢先に道也の演説を聞いて床についた。医者は大胆にも結核の初期だと云う。いよいよ結核なら、とても助からない。命のあるうちにとまた旧稿に向って見たが、綯る縄は遅く、逃げる泥棒は早い。何一つ見やげも置かないで、消えて行くかと思うと、熱さえ余計に出る。これ一つ纏めれば死んでも言訳は立つ。立つ言訳を作るには手当もしなければならん。今の百円は他日の万金よりも貴い。  百円を懐にして室のなかを二度三度廻る。気分も爽かに胸も涼しい。たちまち思い切ったように帽を取って師走の市に飛び出した。黄昏の神楽坂を上ると、もう五時に近い。気の早い店では、はや瓦斯を点じている。  毘沙門の提灯は年内に張りかえぬつもりか、色が褪めて暗いなかで揺れている。門前の屋台で職人が手拭を半襷にとって、しきりに寿司を握っている。露店の三馬は光るほどに色が寒い。黒足袋を往来へ並べて、頬被りに懐手をしたのがある。あれでも足袋は売れるかしらん。今川焼は一銭に三つで婆さんの自製にかかる。六銭五厘の万年筆は安過ぎると思う。  世は様々だ、今ここを通っているおれは、翌の朝になると、もう五六十里先へ飛んで行く。とは寿司屋の職人も今川焼の婆さんも夢にも知るまい。それから、この百円を使い切ると金の代りに金より貴いあるものを懐にしてまた東京へ帰って来る。とも誰も思うものはあるまい。世は様々である。  道也先生に逢って、実はこれこれだと云ったら先生はそうかと微笑するだろう。あす立ちますと云ったらあるいは驚ろくだろう。一世一代の作を仕上げてかえるつもりだと云ったらさぞ喜ぶであろう。――空想は空想の子である。もっとも繁殖力に富むものを脳裏に植えつけた高柳君は、病の身にある事を忘れて、いつの間にか先生の門口に立った。  誰か来客のようであるが、せっかく来たのをとわざと遠慮を抜いて「頼む」と声をかけて見た。「どなた」と奥から云うのは先生自身である。 「私です。高柳……」 「はあ、御這入り」と云ったなり、出てくる景色もない。  高柳君は玄関から客間へ通る。推察の通り先客がいた。市楽の羽織に、くすんだ縞ものを着て、帯の紋博多だけがいちじるしく眼立つ。額の狭い頬骨の高い、鈍栗眼である。高柳君は先生に挨拶を済ました、あとで鈍栗に黙礼をした。 「どうしました。だいぶ遅く来ましたね。何か用でも……」 「いいえ、ちょっと――実は御暇乞に上がりました」 「御暇乞? 田舎の中学へでも赴任するんですか」  間の襖をあけて、細君が茶を持って出る。高柳君と御辞儀の交換をして居間へ退く。 「いえ、少し転地しようかと思いまして」 「それじゃ身体でも悪いんですね」 「大した事もなかろうと思いますが、だんだん勧める人もありますから」 「うん。わるけりゃ、行くがいいですとも。いつ? あした? そうですか。それじゃまあ緩くり話したまえ。――今ちょっと用談を済ましてしまうから」と道也先生は鈍栗の方へ向いた。 「それで、どうも御気の毒だが――今申す通りの事情だから、少し待ってくれませんか」 「それは待って上げたいのです。しかし私の方の都合もありまして」 「だから利子を上げればいいでしょう。利子だけ取って元金は春まで猶予してくれませんか」 「利子は今まででも滞りなくちょうだいしておりますから、利子さえ取れれば好い金なら、いつまででも御用立てて置きたいのですが……」 「そうはいかんでしょうか」 「せっかくの御頼だから、出来れば、そうしたいのですが……」 「いけませんか」 「どうもまことに御気の毒で……」 「どうしても、いかんですか」 「どうあっても百円だけ拵えていただかなくっちゃならんので」 「今夜中にですか」 「ええ、まあ、そうですな。昨日が期限でしたね」 「期限の切れたのは知ってるです。それを忘れるような僕じゃない。だからいろいろ奔走して見たんだが、どうも出来ないから、わざわざ君の所へ使をあげたのです」 「ええ、御手紙はたしかに拝見しました。何か御著述があるそうで、それを本屋の方へ御売渡しになるまで延期の御申込でした」 「さよう」 「ところがですて、この金の性質がですて――ただ利子を生ませる目的でないものですから――実は年末には是非入用だがと念を押して御兄さんに伺ったくらいなのです。ところが御兄さんが、いやそりゃ大丈夫、ほかのものなら知らないが、弟に限ってけっして、そんな不都合はない。受合う。とおっしゃるものですから、それで私も安心して御用立て申したので――今になって御違約でははなはだ迷惑します」  道也先生は黙然としている。鈍栗は煙草をすぱすぱ呑む。 「先生」と高柳君が突然横合から口を出した。 「ええ」と道也先生は、こっちを向く。別段赤面した様子も見えない。赤面するくらいなら用談中と云って面会を謝絶するはずである。 「御話し中はなはだ失礼ですが。ちょっと伺っても、ようございましょうか」 「ええ、いいです。何ですか」 「先生は今御著作をなさったと承わりましたが、失礼ですが、その原稿を見せていただく訳には行きますまいか」 「見るなら御覧、待ってるうち、読むのですか」  高柳君は黙っている。道也先生は立って、床の間に積みかさねた書籍の間から、厚さ三寸ほどの原稿を取り出して、青年に渡しながら 「見て御覧」という。表紙には人格論と楷書でかいてある。 「ありがとう」と両手に受けた青年は、しばしこの人格論の三字をしけじけと眺めていたが、やがて眼を挙げて鈍栗の方を見た。 「君、この原稿を百円に買って上げませんか」 「エヘヘヘヘ。私は本屋じゃありません」 「じゃ買わないですね」 「エヘヘヘ御冗談を」 「先生」 「何ですか」 「この原稿を百円で私に譲って下さい」 「その原稿?……」 「安過ぎるでしょう。何万円だって安過ぎるのは知っています。しかし私は先生の弟子だから百円に負けて譲って下さい」  道也先生は茫然として青年の顔を見守っている。 「是非譲って下さい。――金はあるんです。――ちゃんとここに持っています。――百円ちゃんとあります」  高柳君は懐から受取ったままの金包を取り出して、二人の間に置いた。 「君、そんな金を僕が君から……」と道也先生は押し返そうとする。 「いいえ、いいんです。好いから取って下さい。――いや間違ったんです。是非この原稿を譲って下さい。――先生私はあなたの、弟子です。――越後の高田で先生をいじめて追い出した弟子の一人です。――だから譲って下さい」  愕然たる道也先生を残して、高柳君は暗き夜の中に紛れ去った。彼は自己を代表すべき作物を転地先よりもたらし帰る代りに、より偉大なる人格論を懐にして、これをわが友中野君に致し、中野君とその細君の好意に酬いんとするのである。 底本:「夏目漱石全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年12月1日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 2」筑摩書房    1972(昭和47)年1月 初出:「ホトトギス」    1907(明治40)年1月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年2月24日公開 2015年4月18日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 感嘆符三つ    320-13    --> ●図書カード 夏目漱石 思い出す事など 思い出す事など 夏目漱石 一  ようやくの事でまた病院まで帰って来た。思い出すとここで暑い朝夕を送ったのももう三カ月の昔になる。その頃は二階の廂から六尺に余るほどの長い葭簀を日除に差し出して、熱りの強い縁側を幾分か暗くしてあった。その縁側に是公から貰った楓の盆栽と、時々人の見舞に持って来てくれる草花などを置いて、退屈も凌ぎ暑さも紛らしていた。向に見える高い宿屋の物干に真裸の男が二人出て、日盛を事ともせず、欄干の上を危なく渡ったり、または細長い横木の上にわざと仰向に寝たりして、ふざけまわる様子を見て自分もいつか一度はもう一遍あんな逞しい体格になって見たいと羨んだ事もあった。今はすべてが過去に化してしまった。再び眼の前に現れぬと云う不慥な点において、夢と同じくはかない過去である。  病院を出る時の余は医師の勧めに従って転地する覚悟はあった。けれども、転地先で再度の病に罹って、寝たまま東京へ戻って来ようとは思わなかった。東京へ戻ってもすぐ自分の家の門は潜らずに釣台に乗ったまま、また当時の病院に落ちつく運命になろうとはなおさら思いがけなかった。  帰る日は立つ修善寺も雨、着く東京も雨であった。扶けられて汽車を下りるときわざわざ出迎えてくれた人の顔は半分も眼に入らなかった。目礼をする事のできたのはその中の二三に過ぎなかった。思うほどの会釈もならないうちに余は早く釣台の上に横えられていた。黄昏の雨を防ぐために釣台には桐油を掛けた。余は坑の底に寝かされたような心持で、時々暗い中で眼を開いた。鼻には桐油の臭がした。耳には桐油を撲つ雨の音と、釣台に付添うて来るらしい人の声が微かながらとぎれとぎれに聞えた。けれども眼には何物も映らなかった。汽車の中で森成さんが枕元の信玄袋の口に挿し込んでくれた大きな野菊の枝は、降りる混雑の際に折れてしまったろう。   釣台に野菊も見えぬ桐油哉  これはその時の光景を後から十七字にちぢめたものである。余はこの釣台に乗ったまま病院の二階へ舁き上げられて、三カ月前に親しんだ白いベッドの上に、安らかに瘠せた手足を延べた。雨の音の多い静かな夜であった。余の病室のある棟には患者が三四名しかいないので、人声も自然絶え勝に、秋は修善寺よりもかえってひっそりしていた。  この静かな宵を心地よく白い毛布の中に二時間ほど送った時、余は看護婦から二通の電報を受取った。一通を開けて見ると「無事御帰京を祝す」と書いてあった。そうしてその差出人は満洲にいる中村是公であった。他の一通を開けて見ると、やはり無事御帰京を祝すと云う文句で、前のと一字の相違もなかった。余は平凡ながらこの暗合を面白く眺めつつ、誰が打ってくれたのだろうと考えて差出人の名前を見た。ところがステトとあるばかりでいっこうに要領を得なかった。ただかけた局が名古屋とあるのでようやく判断がついた。ステトと云うのは、鈴木禎次と鈴木時子の頭文字を組み合わしたもので、妻の妹とその夫の事であった。余は二ツの電報を折り重ねて、明朝また来るべき妻の顔を見たら、まずこの話をしようかと思い定めた。  病室は畳も青かった。襖も張り易えてあった。壁も新に塗ったばかりであった。万居心よく整っていた。杉本副院長が再度修善寺へ診察に来た時、畳替をして待っていますと妻に云い置かれた言葉をすぐに思い出したほど奇麗である。その約束の日から指を折って勘定して見ると、すでに十六七日目になる。青い畳もだいぶ久しく人を待ったらしい。 思いけりすでに幾夜の蟋蟀  その夜から余は当分またこの病院を第二の家とする事にした。 二  病院に帰り着いた十一日の晩、回診の後藤さんにこの頃院長の御病気はどうですかと聞いたら、ええひとしきりはだいぶ好い方でしたが、近来また少し寒くなったものですから……と云う答だったので、余はどうぞ御逢いの節は宜しくと挨拶した。その晩はそれぎり何の気もつかずに寝てしまった。すると明日の朝妻が来て枕元に坐るや否や、実はあなたに隠しておりましたが長与さんは先月五日に亡くなられました。葬式には東さんに代理を頼みました。悪くなったのは八月末ちょうどあなたの危篤だった時分ですと云う。余はこの時始めて附添のものが、院長の訃をことさらに秘して、余に告げなかった事と、またその告げなかった意味とを悟った。そうして生き残る自分やら、死んだ院長やらをとかくに比較して、しばらくは茫然としたまま黙っていた。  院長は今年の春から具合が悪かったので、この前入院した時にも六週間の間ついぞ顔を見合せた事がなかった。余の病気の由を聞いて、それは残念だ、自分が健康でさえあれば治療に尽力して上げるのにと云う言伝があった。その後も副院長を通じて、よろしくと云う言伝が時々あった。  修善寺で病気がぶり返して、社から見舞のため森成さんを特別に頼んでくれた時、着いた森成さんが、病院の都合上とても長くはと云っているその晩に、院長はわざわざ直接森成さんに電報を打って、できるだけ余の便宜を計らってくれた。その文句は寝ている余の目には無論触れなかった。けれども枕元にいる雪鳥君から聞いたその文句の音だけは、いまだに好意の記憶として余の耳に残っている。それは当分その地に留まり、充分看護に心を尽くすべしとか云う、森成さんに取ってはずいぶん厳かに聞える命令的なものであった。  院長の容態が悪くなったのは余の危篤に陥ったのとほぼ同時だそうである。余が鮮血を多量に吐いて傍人からとうてい回復の見込がないように思われた二三日後、森成さんが病院の用事だからと云って、ちょっと東京へ帰ったのは、生前に一度院長に会うためで、それから十日ほど経って、また病院の用事ができて二度東京へ戻ったのは院長の葬式に列するためであったそうである。  当初から余に好意を表して、間接に治療上の心配をしてくれた院長はかくのごとくしだいに死に近づきつつある間に、余は不思議にも命の幅の縮まってほとんど絹糸のごとく細くなった上を、ようやく無難に通り越した。院長の死が一基の墓標で永く確められたとき、辛抱強く骨の上に絡みついていてくれた余の命の根は、辛うじて冷たい骨の周囲に、血の通う新しい細胞を営み初めた。院長の墓の前に供えられる花が、幾度か枯れ、幾度か代って、萩、桔梗、女郎花から白菊と黄菊に秋を進んで来た一カ月余の後、余はまたその一カ月余の間に盛返し得るほどの血潮を皮下に盛得て、再び院長の建てたこの胃腸病院に帰って来た。そうしてその間いまだかつて院長の死んだと云う事を知らなかった。帰る明る朝妻が来て実はこれこれでと話をするまで、院長は余の病気の経過を東京にいて承知しているものと信じていた。そうして回復の上病院を出たら礼にでも行こうと思っていた。もし病院で会えたら篤く謝意でも述べようと思っていた。   逝く人に留まる人に来る雁  考えると余が無事に東京まで帰れたのは天幸である。こうなるのが当り前のように思うのは、いまだに生きているからの悪度胸に過ぎない。生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の有様も思い浮べて、幸福な自分と照らし合せて見ないと、わがありがたさも分らない、人の気の毒さも分らない。 ただ一羽来る夜ありけり月の雁 三  ジェームス教授の訃に接したのは長与院長の死を耳にした明日の朝である。新着の外国雑誌を手にして、五六頁繰って行くうちに、ふと教授の名前が眼にとまったので、また新らしい著書でも公けにしたのか知らんと思いながら読んで見ると、意外にもそれが永眠の報道であった。その雑誌は九月初めのもので、項中には去る日曜日に六十九歳をもって逝かるとあるから、指を折って勘定して見ると、ちょうど院長の容体がしだいに悪い方へ傾いて、傍のものが昼夜眉を顰めている頃である。また余が多量の血を一度に失って、死生の境に彷徨していた頃である。思うに教授の呼息を引き取ったのは、おそらく余の命が、瘠せこけた手頸に、有るとも無いとも片付かない脈を打たして、看護の人をはらはらさせていた日であろう。  教授の最後の著書「多元的宇宙」を読み出したのは今年の夏の事である。修善寺へ立つとき、向へ持って行って読み残した分を片付けようと思って、それを五六巻の書物とともに鞄の中に入れた。ところが着いた明日から心持が悪くて、出歩く事もならない始末になった。けれども宿の二階に寝転びながら、一日二日は少しずつでも前の続きを読む事ができた。無論病勢の募るに伴れて読書は全く廃さなければならなくなったので、教授の死ぬ日まで教授の書を再び手に取る機会はなかった。  病牀にありながら、三たび教授の多元的宇宙を取り上げたのは、教授が死んでから幾日目になるだろう。今から顧みると当時の余は恐ろしく衰弱していた。仰向に寝て、両方の肘を蒲団に支えて、あのくらいの本を持ち応えているのにずいぶんと骨が折れた。五分と経たないうちに、貧血の結果手が麻痺れるので、持ち直して見たり、甲を撫でて見たりした。けれども頭は比較的疲れていなかったと見えて、書いてある事は苦もなく会得ができた。頭だけはもう使えるなと云う自信の出たのは大吐血以後この時が始てであった。嬉しいので、妻を呼んで、身体の割に頭は丈夫なものだねと云って訳を話すと、妻がいったいあなたの頭は丈夫過ぎます。あの危篤かった二三日の間などは取り扱い悪くて大変弱らせられましたと答えた。  多元的宇宙は約半分ほど残っていたのを、三日ばかりで面白く読み了った。ことに文学者たる自分の立場から見て、教授が何事によらず具体的の事実を土台として、類推で哲学の領分に切り込んで行く所を面白く読み了った。余はあながちに弁証法を嫌うものではない。また妄りに理知主義を厭いもしない。ただ自分の平生文学上に抱いている意見と、教授の哲学について主張するところの考とが、親しい気脈を通じて彼此相倚るような心持がしたのを愉快に思ったのである。ことに教授が仏蘭西の学者ベルグソンの説を紹介する辺りを、坂に車を転がすような勢で馳け抜けたのは、まだ血液の充分に通いもせぬ余の頭に取って、どのくらい嬉しかったか分らない。余が教授の文章にいたく推服したのはこの時である。  今でも覚えている。一間おいて隣にいる東君をわざわざ枕元へ呼んで、ジェームスは実に能文家だと教えるように云って聞かした。その時東君は別にこれという明暸な答をしなかったので、余は、君、西洋人の書物を読んで、この人のは流暢だとか、あの人のは細緻だとか、すべて特色のあるところがその書きぶりで、読みながら解るかいと失敬な事を問い糺した。  教授の兄弟にあたるヘンリーは、有名な小説家で、非常に難渋な文章を書く男である。ヘンリーは哲学のような小説を書き、ウィリアムは小説のような哲学を書く、と世間で云われているくらいヘンリーは読みづらく、またそのくらい教授は読みやすくて明快なのである。――病中の日記を検べて見ると九月二十三日の部に、「午前ジェームスを読み了る。好い本を読んだと思う」と覚束ない文字で認めてある。名前や標題に欺されて下らない本を読んだ時ほど残念な事はない。この日記は正にこの裏を云ったものである。  余の病気について治療上いろいろ好意を表してくれた長与病院長は、余の知らない間にいつか死んでいた。余の病中に、空漠なる余の頭に陸離の光彩を抛げ込んでくれたジェームス教授も余の知らない間にいつか死んでいた。二人に謝すべき余はただ一人生き残っている。   菊の雨われに閑ある病哉   菊の色縁に未し此晨 (ジェームス教授の哲学思想が、文学の方面より見て、どう面白いかここに詳説する余地がないのは余の遺憾とするところである。また教授の深く推賞したベルグソンの著書のうち第一巻は昨今ようやく英訳になってゾンネンシャインから出版された。その標題は Time and Free Will(時と自由意思)と名づけてある。著者の立場は無論故教授と同じく反理知派である。) 四  病の重かった時は、固よりその日その日に生きていた。そうしてその日その日に変って行った。自分にもわが心の水のように流れ去る様がよく分った。自白すれば雲と同じくかつ去りかつ来るわが脳裡の現象は、極めて平凡なものであった。それも自覚していた。生涯に一度か二度の大患に相応するほどの深さも厚さもない経験を、恥とも思わず無邪気に重ねつつ移って行くうちに、それでも他日の参考に日ごとの心を日ごとに書いておく事ができたならと思い出した。その時の余は無論手が利かなかった。しかも日は容易に暮れ容易に明けた。そうして余の頭を掠めて去る心の波紋は、随って起るかと思えば随って消えてしまった。余は薄ぼけて微かに遠きに行くわが記憶の影を眺めては、寝ながらそれを呼び返したいような心持がした。ミュンステルベルグと云う学者の家に賊が入った引合で、他日彼が法庭へ呼び出されたとき、彼の陳述はほとんど事実に相違する事ばかりであったと云う話がある。正確を旨とする几帳面な学者の記憶でも、記憶はこれほどに不慥なものである。「思い出す事など」の中に思い出す事が、日を経れば経るに従って色彩を失うのはもちろんである。  わが手の利かぬ先にわが失えるものはすでに多い。わが手筆を持つの力を得てより逸するものまた少からずと云っても嘘にはならない。わが病気の経過と、病気の経過に伴れて起る内面の生活とを、不秩序ながら断片的にも叙しておきたいと思い立ったのはこれがためである。友人のうちには、もうそれほど好くなったかと喜んでくれたものもある。あるいはまたあんな軽挙をしてやり損なわなければいいがと心配してくれたものもある。  その中で一番苦い顔をしたのは池辺三山君であった。余が原稿を書いたと聞くや否や、たちまち余計な事だと叱りつけた。しかもその声はもっとも無愛想な声であった。医者の許可を得たのだから、普通の人の退屈凌ぎぐらいなところと見たらよかろうと余は弁解した。医者の許可もさる事だが、友人の許可を得なければいかんと云うのが三山君の挨拶であった。それから二三日して三山君が宮本博士に会ってこの話をすると、博士は、なるほど退屈をすると胃に酸が湧く恐れがあるからかえって悪いだろうと調停してくれたので、余はようやく助かった。  その時余は三山君に、 遺却新詩無処尋。 然隔対遥林。 斜陽満径照僧遠。 黄葉一村蔵寺深。 懸偈壁間焚仏意。 見雲天上抱琴心。 人間至楽江湖老。 犬吠鶏鳴共好音。 と云う詩を遺った。巧拙は論外として、病院にいる余が窓から寺を望む訳もなし、また室内に琴を置く必要もないから、この詩は全くの実況に反しているには違ないが、ただ当時の余の心持を咏じたものとしてはすこぶる恰好である。宮本博士が退屈をすると酸がたまると云ったごとく、忙殺されて酸が出過ぎる事も、余は親しく経験している。詮ずるところ、人間は閑適の境界に立たなくては不幸だと思うので、その閑適をしばらくなりとも貪り得る今の身の嬉しさが、この五十六字に形を変じたのである。  もっとも趣から云えばまことに旧い趣である。何の奇もなく、何の新もないと云ってもよい。実際ゴルキーでも、アンドレーフでも、イブセンでもショウでもない。その代りこの趣は彼ら作家のいまだかつて知らざる興味に属している。また彼らのけっして与からざる境地に存している。現今の吾らが苦しい実生活に取り巻かれるごとく、現今の吾等が苦しい文学に取りつかれるのも、やむをえざる悲しき事実ではあるが、いわゆる「現代的気風」に煽られて、三百六十五日の間、傍目もふらず、しかく人世を観じたら、人世は定めし窮屈でかつ殺風景なものだろう。たまにはこんな古風の趣がかえって一段の新意を吾らの内面生活上に放射するかも知れない。余は病に因ってこの陳腐な幸福と爛熟な寛裕を得て、初めて洋行から帰って平凡な米の飯に向った時のような心持がした。 「思い出す事など」は忘れるから思い出すのである。ようやく生き残って東京に帰った余は、病に因って纔かに享けえたこの長閑な心持を早くも失わんとしつつある。まだ床を離れるほどに足腰が利かないうちに、三山君に遺った詩が、すでにこの太平の趣をうたうべき最後の作ではなかろうかと、自分ながら掛念しているくらいである。「思い出す事など」は平凡で低調な個人の病中における述懐と叙事に過ぎないが、その中にはこの陳腐ながら払底な趣が、珍らしくだいぶ這入って来るつもりであるから、余は早く思い出して、早く書いて、そうして今の新らしい人々と今の苦しい人々と共に、この古い香を懐かしみたいと思う。 五  修善寺にいる間は仰向に寝たままよく俳句を作っては、それを日記の中に記け込んだ。時々は面倒な平仄を合わして漢詩さえ作って見た。そうしてその漢詩も一つ残らず未定稿として日記の中に書きつけた。  余は年来俳句に疎くなりまさった者である。漢詩に至っては、ほとんど当初からの門外漢と云ってもいい。詩にせよ句にせよ、病中にでき上ったものが、病中の本人にはどれほど得意であっても、それが専門家の眼に整って(ことに現代的に整って)映るとは無論思わない。  けれども余が病中に作り得た俳句と漢詩の価値は、余自身から云うと、全くその出来不出来に関係しないのである。平生はいかに心持の好くない時でも、いやしくも塵事に堪え得るだけの健康をもっていると自信する以上、またもっていると人から認められる以上、われは常住日夜共に生存競争裏に立つ悪戦の人である。仏語で形容すれば絶えず火宅の苦を受けて、夢の中でさえいらいらしている。時には人から勧められる事もあり、たまには自ら進む事もあって、ふと十七字を並べて見たりまたは起承転結の四句ぐらい組み合せないとも限らないけれどもいつもどこかに間隙があるような心持がして、隈も残さず心を引き包んで、詩と句の中に放り込む事ができない。それは歓楽を嫉む実生活の鬼の影が風流に纏るためかも知れず、または句に熱し詩に狂するのあまり、かえって句と詩に翻弄されて、いらいらすまじき風流にいらいらする結果かも知れないが、それではいくら佳句と好詩ができたにしても、贏ち得る当人の愉快はただ二三同好の評判だけで、その評判を差し引くと、後に残るものは多量の不安と苦痛に過ぎない事に帰着してしまう。  ところが病気をするとだいぶ趣が違って来る。病気の時には自分が一歩現実の世を離れた気になる。他も自分を一歩社会から遠ざかったように大目に見てくれる。こちらには一人前働かなくてもすむという安心ができ、向うにも一人前として取り扱うのが気の毒だという遠慮がある。そうして健康の時にはとても望めない長閑かな春がその間から湧いて出る。この安らかな心がすなわちわが句、わが詩である。したがって、出来栄の如何はまず措いて、できたものを太平の記念と見る当人にはそれがどのくらい貴いか分らない。病中に得た句と詩は、退屈を紛らすため、閑に強いられた仕事ではない。実生活の圧迫を逃れたわが心が、本来の自由に跳ね返って、むっちりとした余裕を得た時、油然と漲ぎり浮かんだ天来の彩紋である。吾ともなく興の起るのがすでに嬉しい、その興を捉えて横に咬み竪に砕いて、これを句なり詩なりに仕立上げる順序過程がまた嬉しい。ようやく成った暁には、形のない趣を判然と眼の前に創造したような心持がしてさらに嬉しい。はたしてわが趣とわが形に真の価値があるかないかは顧みる遑さえない。  病中は知ると知らざるとを通じて四方の同情者から懇切な見舞を受けた。衰弱の今の身ではその一々に一々の好意に背かないほどに詳しい礼状を出して、自分がつい死にもせず今日に至った経過を報ずる訳にも行かない。「思い出す事など」を牀上に書き始めたのは、これがためである。――各々に向けて云い送るべきはずのところを、略して文芸欄の一隅にのみ載せて、余のごときもののために時と心を使われたありがたい人々にわが近況を知らせるためである。  したがって「思い出す事など」の中に詩や俳句を挟むのは、単に詩人俳人としての余の立場を見て貰うつもりではない。実を云うとその善悪などはむしろどうでも好いとまで思っている。ただ当時の余はかくのごとき情調に支配されて生きていたという消息が、一瞥の迅きうちに、読者の胸に伝われば満足なのである。   秋の江に打ち込む杭の響かな  これは生き返ってから約十日ばかりしてふとできた句である。澄み渡る秋の空、広き江、遠くよりする杭の響、この三つの事相に相応したような情調が当時絶えずわが微かなる頭の中を徂徠した事はいまだに覚えている。   秋の空浅黄に澄めり杉に斧  これも同じ心の耽りを他の言葉で云い現したものである。   別るるや夢一筋の天の川  何という意味かその時も知らず、今でも分らないが、あるいは仄に東洋城と別れる折の連想が夢のような頭の中に這回って、恍惚とでき上ったものではないかと思う。  当時の余は西洋の語にほとんど見当らぬ風流と云う趣をのみ愛していた。その風流のうちでもここに挙げた句に現れるような一種の趣だけをとくに愛していた。   秋風や唐紅の咽喉仏 という句はむしろ実況であるが、何だか殺気があって含蓄が足りなくて、口に浮かんだ時からすでに変な心持がした。 風流人未死。 病裡領清閑。 日々山中事。 朝々見碧山。  詩に圏点のないのは障子に紙が貼ってないような淋しい感じがするので、自分で丸を付けた。余のごとき平仄もよく弁えず、韻脚もうろ覚えにしか覚えていないものが何を苦しんで、支那人にだけしか利目のない工夫をあえてしたかと云うと、実は自分にも分らない。けれども(平仄韻字はさておいて)、詩の趣は王朝以後の伝習で久しく日本化されて今日に至ったものだから、吾々くらいの年輩の日本人の頭からは、容易にこれを奪い去る事ができない。余は平生事に追われて簡易な俳句すら作らない。詩となると億劫でなお手を下さない。ただ斯様に現実界を遠くに見て、杳な心にすこしの蟠りのないときだけ、句も自然と湧き、詩も興に乗じて種々な形のもとに浮んでくる。そうして後から顧みると、それが自分の生涯の中で一番幸福な時期なのである。風流を盛るべき器が、無作法な十七字と、佶屈な漢字以外に日本で発明されたらいざ知らず、さもなければ、余はかかる時、かかる場合に臨んで、いつでもその無作法とその佶屈とを忍んで、風流を這裏に楽しんで悔いざるものである。そうして日本に他の恰好な詩形のないのを憾みとはけっして思わないものである。 六  始めて読書欲の萌した頃、東京の玄耳君から小包で酔古堂剣掃と列仙伝を送ってくれた。この列仙伝は帙入の唐本で、少し手荒に取扱うと紙がぴりぴり破れそうに見えるほどの古い――古いと云うよりもむしろ汚ない――本であった。余は寝ながらこの汚ない本を取り上げて、その中にある仙人の挿画を一々丁寧に見た。そうしてこれら仙人の髯の模様だの、頭の恰好だのを互に比較して楽んだ。その時は画工の筆癖から来る特色を忘れて、こう云う頭の平らな男でなければ仙人になる資格がないのだろうと思ったり、またこう云う疎な髯を風に吹かせなければ仙人の群に入る事は覚束ないのだろうと思ったりして、ひたすら彼等の容貌に表われてくる共通な骨相を飽かず眺めた。本文も無論読んで見た。平生気の短かい時にはとても見出す事のできない悠長な心をめでたく意識しながら読んで見た。――余は今の青年のうちに列仙伝を一枚でも読む勇気と時間をもっているものは一人もあるまいと思う。年を取った余も実を云うとこの時始めて列仙伝と云う書物を開けたのである。  けれども惜しい事に本文は挿画ほど雅に行かなかった。中には欲の塊が羽化したような俗な仙人もあった。それでも読んで行くうちには多少気に入ったのもできてきた。一番無雑作でかつおかしいと思ったのは、何ぞと云うと、手の垢や鼻糞を丸めて丸薬を作って、それを人にやる道楽のある仙人であったが、今ではその名を忘れてしまった。  しかし挿画よりも本文よりも余の注意を惹いたのは巻末にある附録であった。これは手軽にいうと長寿法とか養生訓とか称するものを諸方から取り集めて来て、いっしょに並べたもののように思われた。もっとも仙に化するための注意であるから、普通の深呼吸だの冷水浴だのとは違って、すこぶる抽象的で、実際解るとも解らぬとも片のつかぬ文字であるが、病中の余にはそれが面白かったと見えて、その二三節をわざわざ日記の中に書き抜いている。日記を検べて見ると「静これを性となせば心其中にあり、動これを心となせば性其中にあり、心生ずれば性滅し、心滅すれば性生ず」というようなむずかしい漢文が曲がりくねりに半頁ばかりを埋めている。  その時の余は印気の切れた万年筆の端を撮んで、ペン先へ墨の通うように一二度揮るのがすこぶる苦痛であった。実際健康な人が片手で樫の六尺棒を振り廻すよりも辛いくらいであった。それほど衰弱の劇しい時にですら、わざわざとこんな道経めいた文句を写す余裕が心にあったのは、今から考えても真に愉快である。子供の時聖堂の図書館へ通って、徂徠の園十筆をむやみに写し取った昔を、生涯にただ一度繰り返し得たような心持が起って来る。昔の余の所作が単に写すという以外には全く無意味であったごとく、病後の余の所作もまたほとんど同様に無意味である。そうしてその無意味なところに、余は一種の価値を見出して喜んでいる。長生の工夫のための列仙伝が、長生もしかねまじきほど悠長な心の下に、病後の余からかく気楽に取扱われたのは、余に取って全くの偶然であり、また再び来るまじき奇縁である。  仏蘭西の老画家アルピニーはもう九十一二の高齢である。それでも人並の気力はあると見えて、この間のスチュージオには目醒しい木炭画が十種ほど載っていた。国朝六家詩鈔の初にある沈徳潜の序には、乾隆丁亥夏五長洲沈徳潜書す時に年九十有五。とわざわざ断ってある。長生の結構な事は云うまでもない。長生をしてこの二人のように頭がたしかに使えるのはなおさらめでたい。不惑の齢を越すと間もなく死のうとして、わずかに助かった余は、これからいつまで生きられるか固より分らない。思うに一日生きれば一日の結構で、二日生きれば二日の結構であろう。その上頭が使えたらなおありがたいと云わなければなるまい。ハイズンは世間から二返も死んだと評判された。一度は弔詩まで作ってもらった。それにもかかわらず彼は依然として生きていた。余も当時はある新聞から死んだと書かれたそうである。それでも実は死なずにいた。そうして列仙伝を読んで子供の時の無邪気な努力を繰り返し得るほどに生き延びた。それだけでも弱い余に取っては非常な幸福である。その頃ある知らない人から、先生死にたもう事なかれ、先生死にたもうことなかれと書いた見舞を受けた。余は列仙伝を読むべく生き延びた余を悦ぶと同時に、この同情ある青年のために生き延びた余を悦んだ。 七  ウォードの著わした社会学の標題には力学的という形容詞をわざわざ冠してあるが、これは普通の社会学でない、力学的に論じたのだという事を特に断ったものと思われる。ところがこの本のかつて魯西亜語に翻訳された時、魯国の当局者は直ちにその発売を禁止してしまった。著者は不審の念に打たれて、その理由を在魯の友人に聞き合せた。すると友人から、自分にもよくは分らぬが、おそらく標題に力学的という字と社会学という字があるので、当局者は一も二もなくダイナマイト及び社会主義に関係のある恐ろしい著述と速断して、この暴挙をあえてしたのだろうという返事が来たそうである。  魯国の当局者ではないが、余もこの力学的という言葉には少からぬ注意を払った一人である。平生から一般の学者がこの一字に着眼しないで、あたかも動きの取れぬ死物のように、研究の材料を取り扱いながらかえって平気でいるのを、常に飽き足らず眺めていたのみならず、自分と親密の関係を有する文芸上の議論が、ことにこの弊に陥りやすく、また陥りつつあるように見えるのを遺憾と批判していたから、参考のため、一度は魯国当局者を恐れしめたというこの力学的社会学なるものを一読したいと思っていた。実は自分の恥を白状するようではなはだきまりが悪いが、これはけっして新しい本ではない。製本の体裁からしてがすでにスペンサーの綜合哲学に類した古風なものである。けれどもまた恐ろしく分厚に書き上げた著作で、上下二巻を通じて千五百頁ほどある大冊子だから、四五日はおろか一週間かかっても楽に読みこなす事はでき悪い。それでやむをえず時機の来るまでと思って、本箱の中へしまっておいたのを、小説類に興味を失したこの頃の読物としては適当だろうとふと考えついたので、それを宅から取り寄せてとうとう力学的に社会学を病院で研究する事にした。  ところが読み出して見ると、恐ろしく玄関の広い前置の長い本であった。そうして肝心の社会学そのものになるとすこぶる不完全で、かつせっかくの頼みと思っているいわゆる力学的がはなはだ心細くなるほどに手荒に取扱われていた。今更ウォードの著述に批評を下すのは余の目的でない、ただついでに云うだけではあるが、今に本当の力学的が出るだろう、今に高潮の力学的が出るだろうと、どこまでも著者を信用して、とうとう千五百頁の最後の一頁の最後の文字まで読み抜けて、そうして期待したほどのものがどこからも出て来なかった時には、ちょうどハレー彗星の尾で地球が包まれべき当日を、何の変化もなく無事に経過したほどあっけない心持がした。  けれども道中は、道草を食うべく余儀なくされるだけそれだけ多趣多様で面白かった。その中で宇宙創造論と云う厳めしい標題を掲げた所へ来た時、余は覚えず昔し学校で先生から教わった星雲説の記憶を呼び起して微笑せざるを得なかった。そうしてふと考えた。――  自分は今危険な病気からやっと回復しかけて、それを非常な仕合のように喜んでいる。そうして自分の癒りつつある間に、容赦なく死んで行く知名の人々や惜しい人々を今少し生かしておきたいとのみ冀っている。自分の介抱を受けた妻や医者や看護婦や若い人達をありがたく思っている。世話をしてくれた朋友やら、見舞に来てくれた誰彼やらには篤い感謝の念を抱いている。そうしてここに人間らしいあるものが潜んでいると信じている。その証拠にはここに始めて生き甲斐のあると思われるほど深い強い快よい感じが漲っているからである。  しかしこれは人間相互の関係である。よし吾々を宇宙の本位と見ないまでも、現在の吾々以外に頭を出して、世界のぐるりを見回さない時の内輪の沙汰である。三世に亘る生物全体の進化論と、(ことに)物理の原則に因って無慈悲に運行し情義なく発展する太陽系の歴史を基礎として、その間に微かな生を営む人間を考えて見ると、吾らごときものの一喜一憂は無意味と云わんほどに勢力のないという事実に気がつかずにはいられない。  限りなき星霜を経て固まりかかった地球の皮が熱を得て溶解し、なお膨脹して瓦斯に変形すると同時に、他の天体もまたこれに等しき革命を受けて、今日まで分離して運行した軌道と軌道の間が隙間なく充たされた時、今の秩序ある太陽系は日月星辰の区別を失って、爛たる一大火雲のごとくに盤旋するだろう。さらに想像を逆さまにして、この星雲が熱を失って収縮し、収縮すると共に回転し、回転しながらに外部の一片を振りちぎりつつ進行するさまを思うと、海陸空気歴然と整えるわが地球の昔は、すべてこれ々たる一塊の瓦斯に過ぎないという結論になる。面目の髣髴たる今日から溯って、科学の法則を、想像だも及ばざる昔に引張れば、一糸も乱れぬ普遍の理で、山は山となり、水は水となったものには違かなろうが、この山とこの水とこの空気と太陽の御蔭によって生息する吾ら人間の運命は、吾らが生くべき条件の備わる間の一瞬時――永劫に展開すべき宇宙歴史の長きより見たる一瞬時――を貪ぼるに過ぎないのだから、はかないと云わんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない。  平生の吾らはただ人を相手にのみ生きている。その生きるための空気については、あるのが当然だと思っていまだかつて心遣さえした事がない。その心根を糺すと、吾らが生れる以上、空気は無ければならないはずだぐらいに観じているらしい。けれども、この空気があればこそ人間が生れるのだから、実を云えば、人間のためにできた空気ではなくて、空気のためにできた人間なのである。今にもあれこの空気の成分に多少の変化が起るならば、――地球の歴史はすでにこの変化を予想しつつある――活溌なる酸素が地上の固形物と抱合してしだいに減却するならば、炭素が植物に吸収せられて黒い石炭層に運び去らるるならば、月球の表面に瓦斯のかからぬごとくに、吾らの世界もまた冷却し尽くすならば、吾らはことごとく死んでしまわねばならない。今の余のように生き延びた自分を祝い、遠く逝く他人を悲しみ、友を懐しみ敵を悪んで、内輪だけの活計に甘んじて得意にその日を渡る訳には行くまい。  進んで無機有機を通じ、動植両界を貫き、それらを万里一条の鉄のごとくに隙間なく発展して来た進化の歴史と見傚すとき、そうして吾ら人類がこの大歴史中の単なる一頁を埋むべき材料に過ぎぬ事を自覚するとき、百尺竿頭に上りつめたと自任する人間の自惚はまた急に脱落しなければならない。支那人が世界の地図を開いて、自分のいる所だけが中華でないと云う事を発見した時よりも、無気味な黒船が来て日本だけが神国でないという事を覚った時よりも、さらに溯っては天動説が打ち壊されて、地球が宇宙の中心でなかった事を無理に合点せしめられた時よりも、進化論を知り、星雲説を想像する現代の吾らは辛きジスイリュージョンを甞めている。  種類保存のためには個々の滅亡を意とせぬのが進化論の原則である。学者の例証するところによると、一疋の大口魚が毎年生む子の数は百万疋とか聞く。牡蠣になるとそれが二百万の倍数に上るという。そのうちで生長するのはわずか数匹に過ぎないのだから、自然は経済的に非常な濫費者であり、徳義上には恐るべく残酷な父母である。人間の生死も人間を本位とする吾らから云えば大事件に相違ないが、しばらく立場を易えて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当の成行で、そこに喜びそこに悲しむ理窟は毫も存在していないだろう。  こう考えた時、余ははなはだ心細くなった。またはなはだつまらなくなった。そこでことさらに気分を易えて、この間大磯で亡くなった大塚夫人の事を思い出しながら、夫人のために手向の句を作った。 有る程の菊抛げ入れよ棺の中 八  忘るべからざる八月二十四日の来る二週間ほど前から余はすでに病んでいた。縁側を絶えず通る湯治客に、吾姿を見せるのが苦になって、蒸し暑い時ですら障子は常に閉て切っていた。三度三度献立を持って誂を聞きにくる婆さんに、二品三品口に合いそうなものを注文はしても、膳の上に揃った皿を眺めると共に、どこからともなく反感が起って、箸を執る気にはまるでなれなかった。そのうちに嘔気が来た。  始めは煎薬に似た黄黒い水をしたたかに吐いた。吐いた後は多少気分が癒るので、いささかの物は咽喉を越した。しかし越した嬉しさがまだ消えないうちに、またそのいささかの胃の滞うる重き苦しみに堪え切れなくなって来た。そうしてまた吐いた。吐くものは大概水である。その色がだんだん変って、しまいには緑青のような美くしい液体になった。しかも一粒の飯さえあえて胃に送り得ぬ恐怖と用心の下に、卒然として容赦なく食道を逆さまに流れ出た。  青いものがまた色を変えた。始めて熊の胆を水に溶き込んだように黒ずんだ濃い汁を、金盥になみなみと反した時、医者は眉を寄せて、こういうものが出るようでは、今のうち安静にして東京に帰った方が好かろうと注告した。余は金盥の中を指していったい何が出るのかと質問した。医者は興のない顔つきで、これは血だと答えた。けれども余の眼にはこの黒いものが血とは思えなかった。するとまた吐いた。その時は熊の胆の色が少し紅を含んで、咽喉を出る時腥い臭がぷんと鼻を衝いたので、余は胸を抑えながら自分で血だ血だと云った。玄耳君が驚ろいて森成さんに坂元君を添えてわざわざ修善寺まで寄こしてくれたのは、この報知が長距離電話で胃腸病院へ伝って、そこからまた直に社へ通じたからである。別館から馳けて来た東洋城が枕辺に立って、今日東京から医者と社員が来るはずになったと知らしてくれた時は全く救われたような気がした。  この時の余はほとんど人間らしい複雑な命を有して生きてはいなかった。苦痛のほかは何事をも容れ得ぬほどに烈しく活動する胸を懐いて朝夕悩んでいたのである。四十年来の経験を刻んでなお余りあると見えた余の頭脳は、ただこの截然たる一苦痛を秒ごとに深く印し来るばかりを能事とするように思われた。したがって余の意識の内容はただ一色の悶に塗抹されて、臍上方三寸の辺を日夜にうねうね行きつ戻りつするのみであった。余は明け暮れ自分の身体の中で、この部分だけを早く切り取って犬に投げてやりたい気がした。それでなければこの恐ろしい単調な意識を、一刻も早くどこへか打ちやってしまいたい気がした。またできるならば、このまま睡魔に冒されて、前後も知らず一週間ほど寝込んで、しかる後鷹揚な心持をゆたかに抱いて、爽かな秋の日の光りに、両の眼を颯と開けたかった。少くとも汽車に揺られもせず車に乗せられもせず、すうと東京へ帰って、胃腸病院の一室に這入って、そこに仰向けに倒れていたかった。  森成さんが来てもこの苦しみはちょっと除れなかった。胸の中を棒で攪き混ぜられるような、また胃の腑が不規則な大波をその全面に向って層々と描き出すような、異な心持に堪えかねて、床の上に起き返りながら、吐いて見ましょうかと云って、腥いものを面のあたり咽喉の奥から金盥の中に傾けた事もあった。森成さんの御蔭でこの苦しみがだいぶ退いた時ですら、動くたびに腥い噫は常に鼻を貫ぬいた。血は絶えず腸に向って流れていたのである。  この煩悶に比べると、忘るべからざる二十四日の出来事以後に生きた余は、いかに安住の地を得て静穏に生を営んだか分らない。その静穏の日がすなわち余の一生涯にあって最も恐るべき危険の日であったのだと云う事を後から知った時、余は下のような詩を作った。 円覚曾参棒喝禅。 瞎児何処触機縁。 青山不拒庸人骨。 回首九原月在天。 九  忘るべからざる二十四日の出来事を書こうと思って、原稿紙に向いかけると、何だか急に気が進まなくなったのでまた記憶を逆まに向け直して、後戻りをした。  東京を立つときから余は劇しく咽喉を痛めていた。いっしょに来るべきはずでつい乗り後れた東洋城の電報を汽車中で受け取って、その意のごとくに御殿場で一時間ほど待ち合せていた間に、余は不用になった一枚の切符代を割り戻して貰うために、駅長室へ這入って行った。するとそこに腰囲何尺とでも形容すべきほど大きな西洋人が、椅子に腰をかけてしきりに絵端書の表に何か認めていた。余は駅長に向って当用を弁ずる傍、思いがけない所に思いがけない人がいるものだという好奇心を禁じ得なかった。するとその大男が突然立ち上がって、あなたは英語を話すかと聞くから、嗄れた声でわずかにイエスと答えた。男は次にこれから京都へ行くにはどの汽車へ乗ったら好いか教えてくれと云った。はなはだ簡単な用向であるから平生ならばどうとも挨拶ができるのだけれども、声量を全く失っていた当時の余には、それが非常の困難であった。固より云う事はあるのだから、何か云おうとするのだが、その云おうとする言葉が咽喉を通るとき千条に擦り切れでもするごとくに、口へ出て来る時分には全く光沢を失ってほとんど用をなさなかった。余は英語に通ずる駅員の助を藉りて、ようやくのことこの大男を無事に京都へ送り届けた事とは思うが、その時の不愉快はいまだに忘れない。  修善寺に着いてからも咽喉はいっこう好くならなかった。医者から薬を貰ったり、東洋城の拵えてくれた手製の含漱を用いたりなどして、辛く日常の用を弁ずるだけの言葉を使ってすましていた。その頃修善寺には北白川の宮がおいでになっていた。東洋城は始終そちらの方の務に追われて、つい一丁ほどしか隔っていない菊屋の別館からも、容易に余の宿までは来る事ができない様子であった。すべてを片づけてから、夜の十時過になって、始めて蚊の外まで来て、一言見舞を云うのが常であった。  そういう夜の事であったか、または昼の話であったか今は忘れたが、ある時いつものように顔を合わせると、東洋城が突然、殿下からあなたに何か講話をして貰いたいという御注文があったと云い出した。この思いがけない御所望を耳にした余は少からず驚いた。けれども自分でさえ聞かずにすめば、聞かずにいたいような不愉快な声を出して、殿下に御話などをする勇気はとても出なかった。その上羽織も袴も持ち合せなかった。そうして余のごとき位階のないものが、妄りに貴い殿下の前に出てしかるべきであるかないかそれが第一分らなかった。実際は東洋城も独断で先例のない事をあえてするのを憚って、確とした御受はしなかったのだそうである。  余の苦痛が咽喉から胃に移る間もなく、東洋城は故郷にある母の病を見舞うべく、去る人と入れ代ってひとまず東京に帰った。殿下もそれからほどなく御立になった。そうして忘るべからざる二十四日の来た頃、東洋城は余に関する何の消息も知らずに、また東海道を汽車で西へ下って行った。その時彼は四五分の停車時間を偸んで、三島から余にわざわざ一通の手紙を書いた。その手紙は途中で紛失してしまって、つい宿へ着かなかったけれども、東洋城が御暇乞に上がった時、余の病気の事を御忘れにならなかった殿下から、もし逢う機会があったなら、どうか大事にするようにというような篤い意味の御言葉を承ったため、それをわざわざ病中の余に知らせたのだそうである。咽喉の病も癒え、胃の苦しみも去った今の余は、謹んで殿下に御礼を申上げなければならない。また殿下の健康を祈らなければならない。 十  雨がしきりに降った。裏山の絶壁を真逆に下る筧の竹が、青く冷たく光って見えた幾日を、物憂く室の中に呻吟しつつ暮していた。人が寝静まると始めて夢を襲う(欄干から六尺余りの所を流れる)水の音も、風と雨に打ち消されて全く聞えなくなった。そのうち水が出るとか出たとか云う声がどこからともなく耳に響いた。  お仙と云う下女が来て、昨夕桂川の水が増したので門の前の小家ではおおかたの荷を拵えて、預けに来たという話をした。ついでにどことかでは家がまるで流されてしまって、そうしてその家の宝物がどことかから掘り出されたと云う話もした。この下女は伊東の生れで、浜辺か畑中に立って人を呼ぶような大きな声を出す癖のあるすこぶる殺風景な女であったが、雨に鎖された山の中の宿屋で、こういう昔の物語めいた、嘘か真か分らないことを聞かされたときは、御伽噺でも読んだ子供の時のような気がして、何となく古めかしい香に包まれた。その上家が流されたのがどこで、宝物を掘出したのがどこか、まるで不明なのをいっこう構わずに、それが当然であるごとくに話して行く様子が、いかにも自分の今いる温泉の宿を、浮世から遠くへ離隔して、どんな便りも噂のほかには這入ってこられない山里に変化してしまったところに一種の面白味があった。  とかくするうちにこの楽い空想が、不便な事実となって現れ始めた。東京から来る郵便も新聞もことごとく後れ出した。たまたま着くものは墨がにじむほどびしょびしょに濡れていた。湿った頁を破けないように開けて見て、始めて都には今洪水が出盛っているという報道を、鮮やかな活字の上にまのあたり見たのは、何日の事であったか、今たしかには覚えていないけれども、不安な未来を眼先に控えて、その日その日の出来栄を案じながら病む身には、けっして嬉しい便りではなかった。夜中に胃の痛みで自然と眼が覚めて、身体の置所がないほど苦い時には、東京と自分とを繋ぐ交通の縁が当分切れたその頃の状態を、多少心細いものに観じない訳に行かなかった。余の病気は帰るには余り劇し過ぎた。そうして東京の方から余のいる所まで来るには、道路があまり打壊れ過ぎた。のみならず東京その物がすでに水に浸っていた。余はほとんど崖と共に崩れる吾家の光景と、茅が崎で海に押し流されつつある吾子供らを、夢に見ようとした。雨のしたたか降る前に余は妻に宛てて手紙を出しておいた。それには好い部屋がないから四五日したら帰ると書いた。また病気が再発して苦んでいると云う事はわざと知らせずにおいた。そうしてその手紙も着いたか着かないか分らないくらいに考えて寝ていた。  そこへ電報が来た。それは恐るべき長い時間と労力を費して、やっとの事無事に宛名の人に通ずるや否や、その宛名の人をして封を切らぬ先に少しはっと思わせた電報であった。しかし中は、今度の水害でこちらは無事だが、そちらはどうかという、見舞と平信をかねたものに過ぎなかった。出した局の名が本郷とあるのを見てこれは草平君を煩わしたものと知った。  雨はますます降り続いた。余の病気はしだいに悪い方へ傾いて行った。その時、余は夜の十二時頃長距離電話をかけられて、硬い胸を抑えながら受信器を耳に着けた。茅ヶ崎の子供も無事、東京の家も無事という事だけが微かに分った。しかしその他は全く不得要領で、ほとんど風と話をするごとくに纏まらない雑音がぼうぼうと鼓膜に響くのみであった。第一かけた当人がわが妻であるという事さえ覚らずにこちらからあなたという敬語を何遍か繰返したくらい漠然した電話であった。東京の音信が雨と風と洪水の中に、悩んでいる余の眼に始めて暸然と映ったのは、坐る暇もないほど忙しい思いをした妻が、当時の事情をありのままに認めた巨細の手紙がようやく余の手に落ちた時の事であった。余はその手紙を見て自分の病を忘れるほど驚いた。 病んで夢む天の川より出水かな 十一  妻の手紙は全部の引用を許さぬほど長いものであった。冒頭に東洋城から余の病気の報知を受けた由と、それがため少からず心を悩ましている旨を記して、看病に行きたいにも汽車が不通で仕方がないから、せめて電話だけでもと思って、その日の中には通じかねるところを、無理な至急報にして貰って、夜半に山田の奥さんの所からかけたという説明が書いてあった。茅ヶ崎にいる子供の安否についても一方ならぬ心配をしたものらしかった。十間坂下という所は水害の恐れがないけれども、もし万一の事があれば、郵便局から電報で宅まで知らせて貰うはずになっていると、余に安心させるため、わざわざ断ってあった。そのほか市中たいていの平地は水害を受けて、現に江戸川通などは矢来の交番の少し下まで浸ったため、舟に乗って往来をしているという報知も書き込んであった。しかしその頃は後れながらも新聞が着いたから、一般の模様は妻の便りがなくてもほぼ分っていた。余の心を動かすべき現象は漠然たる大社会の雨や水やと戦う有様にあると云うよりも、むしろ己だけに密接の関係ある個人の消息にあった。そうしてその個人の二人までに、この雨と水が命の間際まで祟った顛末を、余はこの書面の中に見出したのである。  一つは横浜に嫁いだ妻の妹の運命に関した報知であった。手紙にはこう書いてある。 「……梅子事末の弟を伴れて塔の沢の福住へ参り居り候処、水害のため福住は浪に押し流され、浴客六十名のうち十五名行方不明との事にて、生死の程も分らず、如何とも致し方なく、横浜へは汽車不通にて参る事叶わず、電話は申込者多数にて一日を待たねば通じ不申……」  後には、いろいろ込み入った工面をして電話をかけた手続が書いてあって、その末に会社の小使とかが徒歩で箱根まで探しに行ったあげく、幽霊のように哀れな姿をした彼女を伴れて戻った模様が述べてあった。余はそこまで読んで来て、つい二三日前宿の下女から、ある所で水が出て家が流されて、その家の宝物がまたある所から掘り出されたという昔話のような物語を聞きながら、その裏には自分と利害の糸を絡み合せなければならない恐ろしい事実が潜んでいるとも気がつかずに、尾頭もない夢とのみ打ち興じてすましていた自分の無智に驚いた。またその無智を人間に強いる運命の威力を恐れた。  もう一つ余の心を躍らしたのは、草平君に関する報知であった。妻が本郷の親類で用を足した帰りとかに、水見舞のつもりで柳町の低い町から草平君の住んでいる通りまで来て、ここらだがと思いながら、表から奥を覗いて見ると、かねて見覚のある家がくしゃりと潰れていたそうである。 「家の人達は無事ですか、どこへ行きましたかと聞いたら、薪屋の御上さんが、昨晩の十二時頃に崖が崩れましたが、幸いにどなたも御怪我はございません。ひとまず柳町のこういう所へ御引移りになりましたと、教えてくれましたから、柳町へ来て見ると、まだ水の引き切らない床下のぴたぴたに濡れた貸家に畳建具も何も入れずに、荷物だけ運んでありました。実に何と云って好いか憐れな姿でお種さんが、私の顔を見ると馳け出して来ました。……晩の御飯を拵える事もできないだろうと思って、御寿司を誂えて御夕飯の代りに上げました……」  草平君は平生から崖崩れを恐れて、できるだけ表へ寄って寝るとか聞いていたが、家の潰れた時には、外のものがまるで無難であったにもかかわらず、自分だけは少し顔へ怪我をしたそうである。その怪我の事も手紙の中に書いてあった。余はそれを読んで怪我だけでまず仕合せだと思った。  家を流し崖を崩す凄まじい雨と水の中に都のものは幾万となく恐るべき叫び声を揚げた。同じ雨と同じ水の中に余と関係の深い二人は身をもって免れた。そうして余は毫も二人の災難を知らずに、遠い温泉の村に雲と煙と、雨の糸を眺め暮していた。そうして二人の安全であるという報知が着いたときは、余の病がしだいしだいに危険の方へ進んで行った時であった。 風に聞け何れか先に散る木の葉 十二  つづく雨の或る宵に、すこし病の閑を偸んで、下の風呂場へ降りて見ると、半切を三尺ばかりの長に切って、それを細長く竪に貼りつけた壁の色が、暗く映る灯の陰に、ふと余の視線を惹いた。余は湯壺の傍に立ちながら、身体を濡めす前に、まずこの異様の広告めいたものを読む気になった。真中に素人落語大会と書いて、その下に催主裸連と記してある。場所は「山荘にて」と断って、催しのあるべき日取をその傍に書き添えた。余はすぐ裸連の何人なるかを覚り得た。裸連とは余の隣座敷にいる泊り客の自撰にかかる異名である。昨日の午襖越に聞いていると、太郎冠者がどうのこうのと長い評議の末、そこんところでやるまいぞ、やるまいぞにしたら好いじゃねえかと云うような相談があった。その趣向は寝ている余とは固より無関係だから、知ろうはずもなかったが、とにかくこの議決が山荘での催しに一異彩を加えた事はたしかに違ないと思った。余は風呂場の貼紙に注意してある日付と、裸連の趣向を凝らしていた時刻を照らし合せつつ、この落語会なるものの、すでに滞りなくすんだ昨日の午後を顧みて、裸連――少くとも裸連の首脳の構成る隣座敷の泊り客……の成功を祝せざるを得なかった。  この泊り客は五人連で一間に這入っていた。その中の一番年嵩に見える三十代の男に、その妻君と娘を合せるとすでに三人になる。妻君は品のいい静かな女であった。子供はなおさらおとなしかった。その代り夫はすこぶる騒々しかった。あとの二人はいずれも二十代の青年で、その一人は一行のうちでもっともやかましくふるまっていた。  誰でも中年以後になって、二十一二時代の自分を眼の前に憶い浮べて見ると、いろいろ回想の簇がる中に、気恥かしくて冷汗の流れそうな一断面を見出すものである。余は隣の室に呻吟しながら、この若い男の言葉使いや起居を注意すべく余儀なくされた結果として、二十年の昔に経過した、自分の生涯のうちで、はなはだ不面目と思わざるを得ない生意気さ加減を今更のように恐れた。  この男は何の必要があってか知らないけれども、絶えず大道で講演でもするように大きな声を出して得意であった。そうして下女が来ると、必ず通客めいた粋がりを連発した。それを隣坐敷で聞いていると、ウィットにもならなければヒューモーにもなっていないのだから、いかにも無理やりに、(しかも大得意に、)半可もしくは四半可を殺風景に怒鳴りつけているとしか思われなかった。ところが下女の方では、またそれを聞くたびに不必要にふんだんな笑い方をした。本気とも御世辞とも片のつかない笑い方だけれども、声帯に異状のあるような恐ろしい笑い方をした。病気にのみ屈託する余も、これには少からず悩まされた。  裸連の一部は下座敷にもいた。すべてで九人いるので、自ら九人組とも称えていた。その九人組が丸裸になって幅六尺の縁側へ出て踊をおどって一晩跳ね廻った。便所へ行く必要があって、障子の外へ出たら、九人組は躍り草臥れて、素裸のまま縁側に胡坐をかいていた。余は邪魔になる尻や脛の間を跨いで用を足して来た。  長い雨がようやく歇んで、東京への汽車がほぼ通ずるようになった頃、裸連は九人とも申し合せたように、どっと東京へ引き上げた。それと入れ代りに、森成さんと雪鳥君と妻とが前後して東京から来てくれた。そうして裸連のいた部屋を借り切った。その次の部屋もまた借り切った。しまいには新築の二階座敷を四間ともに吾有とした。余は比較的閑寂な月日の下に、吸飲から牛乳を飲んで生きていた。一度は匙で突き砕いた水瓜の底から湧いて出る赤い汁を飲まして貰った。弘法様で花火の揚った宵は、縁近く寝床を摺らして、横になったまま、初秋の天を夜半近くまで見守っていた。そうして忘るべからざる二十四日の来るのを無意識に待っていた。 萩に置く露の重きに病む身かな 十三  その日は東京から杉本さんが診察に来る手筈になっていた。雪鳥君が大仁まで迎に出たのは何時頃か覚えていないが、山の中を照らす日がまだ山の下に隠れない午過であったと思う。その山の中を照らす日を、床を離れる事のできない、また室を出る事の叶わない余は、朝から晩までほとんど仰ぎ見た試しがないのだから、こう云うのも実は廂の先に余る空の端だけを目当に想像した刻限である。――余は修善寺に二月と五日ほど滞在しながら、どちらが東で、どちらが西か、どれが伊東へ越す山で、どれが下田へ出る街道か、まるで知らずに帰ったのである。  杉本さんは予定のごとく宿へ着いた。余はその少し前に、妻の手から吸飲を受け取って、細長い硝子の口から生温い牛乳を一合ほど飲んだ。血が出てから、安静状態と流動食事とは固く守らなければならない掟のようになっていたからである。その上できるだけ病人に営養を与えて、体力の回復の方から、潰瘍の出血を抑えつけるという療治法を受けつつあった際だから、否応なしに飲んだ。実を云うとこの日は朝から食慾が萌さなかったので、吸飲の中に、動く事のできぬほど濁った白い色の漲ぎる様を見せられた時は、すぐと重苦しく舌の先に溜るしつ濃い乳の味を予想して、手に取らない前からすでに反感を起した。強いられた時、余はやむなく細長く反り返った硝子の管を傾けて、湯とも水とも捌けない液を、舌の上に辷らせようと試みた。それが流れて咽喉を下る後には、潔よからぬ粘り強い香が妄りに残った。半分は口直しのつもりであとから氷クリームを一杯取って貰った。ところがいつもの爽かさに引き更えて、咽喉を越すときいったん溶けたものが、胃の中で再び固まったように妙に落ちつきが悪かった。それから二時間ほどして余は杉本さんの診察を受けたのである。  診察の結果として意外にもさほど悪くないと云う報告を得た時、平生森成さんから病気の質が面白くないと聞いていた雪鳥君は、喜びの余りすぐ社へ向けて好いという電報を打ってしまった。忘るべからざる八百グラムの吐血は、この吉報を逆襲すべく、診察後一時間後の暮方に、突如として起ったのである。  かく多量の血を一度に吐いた余は、その暮方の光景から、日のない真夜中を通して、明る日の天明に至る有様を巨細残らず記憶している気でいた。程経て妻の心覚につけた日記を読んで見て、その中に、ノウヒンケツ(狼狽した妻は脳貧血をかくのごとく書いている)を起し人事不省に陥るとあるのに気がついた時、余は妻は枕辺に呼んで、当時の模様を委しく聞く事ができた。徹頭徹尾明暸な意識を有して注射を受けたとのみ考えていた余は、実に三十分の長い間死んでいたのであった。  夕暮間近く、にわかに胸苦しいある物のために襲われた余は、悶えたさの余りに、せっかく親切に床の傍に坐っていてくれた妻に、暑苦しくていけないから、もう少しそっちへ退いてくれと邪慳に命令した。それでも堪えられなかったので、安静に身を横うべき医師からの注意に背いて、仰向の位地から右を下に寝返ろうと試みた。余の記憶に上らない人事不省の状態は、寝ながら向を換えにかかったこの努力に伴う脳貧血の結果だと云う。  余はその時さっと迸しる血潮を、驚ろいて余に寄り添おうとした妻の浴衣に、べっとり吐きかけたそうである。雪鳥君は声を顫わしながら、奥さんしっかりしなくてはいけませんと云ったそうである。社へ電報をかけるのに、手が戦いて字が書けなかったそうである。医師は追っかけ追っかけ注射を試みたそうである。後から森成さんにその数を聞いたら、十六筒までは覚えていますと答えた。 淋漓絳血腹中文。 嘔照黄昏漾綺紋。 入夜空疑身是骨。 臥牀如石夢寒雲。 十四  眼を開けて見ると、右向になったまま、瀬戸引の金盥の中に、べっとり血を吐いていた。金盥が枕に近く押付けてあったので、血は鼻の先に鮮かに見えた。その色は今日までのように酸の作用を蒙った不明暸なものではなかった。白い底に大きな動物の肝のごとくどろりと固まっていたように思う。その時枕元で含嗽を上げましょうという森成さんの声が聞えた。  余は黙って含嗽をした。そうして、つい今しがた傍にいる妻に、少しそっちへ退いてくれと云ったほどの煩悶が忽然どこかへ消えてなくなった事を自覚した。余は何より先にまあよかったと思った。金盥に吐いたものが鮮血であろうと何であろうと、そんな事はいっこう気にかからなかった。日頃からの苦痛の塊を一度にどさりと打ちやり切ったという落ちつきをもって、枕元の人がざわざわする様子をほとんどよそごとのように見ていた。余は右の胸の上部に大きな針を刺されてそれから多量の食塩水を注射された。その時、食塩を注射されるくらいだから、多少危険な容体に逼っているのだろうとは思ったが、それもほとんど心配にはならなかった。ただ管の先から水が洩れて肩の方へ流れるのが厭であった。左右の腕にも注射を受けたような気がした。しかしそれは確然覚えていない。  妻が杉本さんに、これでも元のようになるでしょうかと聞く声が耳に入った。さよう潰瘍ではこれまで随分多量の血を止めた事もありますが……と云う杉本さんの返事が聞えた。すると床の上に釣るした電気灯がぐらぐらと動いた。硝子の中に彎曲した一本の光が、線香煙花のように疾く閃めいた。余は生れてからこの時ほど強くまた恐ろしく光力を感じた事がなかった。その咄嗟の刹那にすら、稲妻を眸に焼きつけるとはこれだと思った。時に突然電気灯が消えて気が遠くなった。  カンフル、カンフルと云う杉本さんの声が聞えた。杉本さんは余の右の手頸をしかと握っていた。カンフルは非常によく利くね、注射し切らない内から、もう反響があると杉本さんがまた森成さんに云った。森成さんはええと答えたばかりで、別にはかばかしい返事はしなかった。それからすぐ電気灯に紙の蔽をした。  傍がひとしきり静かになった。余の左右の手頸は二人の医師に絶えず握られていた。その二人は眼を閉じている余を中に挟んで下のような話をした(その単語はことごとく独逸語であった)。 「弱い」 「ええ」 「駄目だろう」 「ええ」 「子供に会わしたらどうだろう」 「そう」  今まで落ちついていた余はこの時急に心細くなった。どう考えても余は死にたくなかったからである。またけっして死ぬ必要のないほど、楽な気持でいたからである。医師が余を昏睡の状態にあるものと思い誤って、忌憚なき話を続けているうちに、未練な余は、瞑目不動の姿勢にありながら、半無気味な夢に襲われていた。そのうち自分の生死に関する斯様に大胆な批評を、第三者として床の上にじっと聞かせられるのが苦痛になって来た。しまいには多少腹が立った。徳義上もう少しは遠慮してもよさそうなものだと思った。ついに先がそう云う料簡ならこっちにも考えがあるという気になった。――人間が今死のうとしつつある間際にも、まだこれほどに機略を弄し得るものかと、回復期に向った時、余はしばしば当夜の反抗心を思い出しては微笑んでいる。――もっとも苦痛が全く取れて、安臥の地位を平静に保っていた余には、充分それだけの余裕があったのであろう。  余は今まで閉じていた眼を急に開けた。そうしてできるだけ大きな声と明暸な調子で、私は子供などに会いたくはありませんと云った。杉本さんは何事をも意に介せぬごとく、そうですかと軽く答えたのみであった。やがて食いかけた食事を済まして来るとか云って室を出て行った。それからは左右の手を左右に開いて、その一つずつを森成さんと雪鳥君に握られたまま、三人とも無言のうちに天明に達した。 冷やかな脈を護りぬ夜明方 十五  強いて寝返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。ほど経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかりは死んでいらしったのですと聞いた折は全く驚いた。子供のとき悪戯をして気絶をした事は二三度あるから、それから推測して、死とはおおかたこんなものだろうぐらいにはかねて想像していたが、半時間の長き間、その経験を繰返しながら、少しも気がつかずに一カ月あまりを当然のごとくに過したかと思うと、はなはだ不思議な心持がする。実を云うとこの経験――第一経験と云い得るかが疑問である。普通の経験と経験の間に挟まって毫もその連結を妨げ得ないほど内容に乏しいこの――余は何と云ってそれを形容していいかついに言葉に窮してしまう。余は眠から醒めたという自覚さえなかった。陰から陽に出たとも思わなかった。微かな羽音、遠きに去る物の響、逃げて行く夢の匂い、古い記憶の影、消える印象の名残――すべて人間の神秘を叙述すべき表現を数え尽してようやく髣髴すべき霊妙な境界を通過したとは無論考えなかった。ただ胸苦しくなって枕の上の頭を右に傾むけようとした次の瞬間に、赤い血を金盥の底に認めただけである。その間に入り込んだ三十分の死は、時間から云っても、空間から云っても経験の記憶として全く余に取って存在しなかったと一般である。妻の説明を聞いた時余は死とはそれほどはかないものかと思った。そうして余の頭の上にしかく卒然と閃めいた生死二面の対照の、いかにも急劇でかつ没交渉なのに深く感じた。どう考えてもこの懸隔った二つの現象に、同じ自分が支配されたとは納得できなかった。よし同じ自分が咄嗟の際に二つの世界を横断したにせよ、その二つの世界がいかなる関係を有するがために、余をしてたちまち甲から乙に飛び移るの自由を得せしめたかと考えると、茫然として自失せざるを得なかった。  生死とは緩急、大小、寒暑と同じく、対照の連想からして、日常一束に使用される言葉である。よし輓近の心理学者の唱うるごとく、この二つのものもまた普通の対照と同じく同類連想の部に属すべきものと判ずるにしたところで、かく掌を翻えすと一般に、唐突なるかけ離れた二象面が前後して我を擒にするならば、我はこのかけ離れた二象面を、どうして同性質のものとして、その関係を迹付ける事ができよう。  人が余に一個の柿を与えて、今日は半分喰え、明日は残りの半分の半分を喰え、その翌日はまたその半分の半分を喰え、かくして毎日現に余れるものの半分ずつを喰えと云うならば、余は喰い出してから幾日目かに、ついにこの命令に背いて、残る全部をことごとく喰い尽すか、または半分に割る能力の極度に達したため、手を拱いて空しく余れる柿の一片を見つめなければならない時機が来るだろう。もし想像の論理を許すならば、この条件の下に与えられたる一個の柿は、生涯喰っても喰い切れる訳がない。希臘の昔ゼノが足の疾きアキリスと歩みの鈍い亀との間に成立する競争に辞を託して、いかなるアキリスもけっして亀に追いつく事はできないと説いたのは取も直さずこの消息である。わが生活の内容を構成る個々の意識もまたかくのごとくに、日ごとか月ごとに、その半ずつを失って、知らぬ間にいつか死に近づくならば、いくら死に近づいても死ねないと云う非事実な論理に愚弄されるかも知れないが、こう一足飛びに片方から片方に落ち込むような思索上の不調和を免かれて、生から死に行く径路を、何の不思議もなく最も自然に感じ得るだろう。俄然として死し、俄然として吾に還るものは、否、吾に還ったのだと、人から云い聞かさるるものは、ただ寒くなるばかりである。 縹緲玄黄外。 死生交謝時。 寄託冥然去。 我心何所之。 帰来覓命根。 杳竟難知。 孤愁空遶夢。 宛動粛瑟悲。 江山秋已老。 粥薬将衰。 廓寥天尚在。 高樹独余枝。 晩懐如此澹。 風露入詩遅。 十六  安らかな夜はしだいに明けた。室を包む影法師が床を離れて遠退くに従って、余はまた常のごとく枕辺に寄る人々の顔を見る事ができた。その顔は常の顔であった。そうして余の心もまた常の心であった。病のどこにあるかを知り得ぬほどに落ちついた身を床の上に横えて、少しだに動く必要をもたぬ余に、死のなお近く徘徊していようとは全く思い設けぬところであった。眼を開けた時余は昨夕の騒ぎを(たとい忘れないまでも)ただ過去の夢のごとく遠くに眺めた。そうして死は明け渡る夜と共に立ち退いたのだろうぐらいの度胸でも据ったものと見えて、何らの掛念もない気分を、障子から射し込む朝日の光に、心地よく曝していた。実は無知な余を詐わり終せた死は、いつの間にか余の血管に潜り込んで、乏しい血を追い廻しつつ流れていたのだそうである。「容体を聞くと、危険なれどごく安静にしていれば持ち直すかも知れぬという」とは、妻のこの日の朝の部に書き込んだ日記の一句である。余が夜明まで生きようとは、誰も期待していなかったのだとは後から聞いて始めて知った。  余は今でも白い金盥の底に吐き出された血の色と恰好とを、ありありとわが眼の前に思い浮べる事ができる。ましてその当分は寒天のように固まりかけた腥いものが常に眼先に散らついていた。そうして吾が想像に映る血の分量と、それに起因した衰弱とを比較しては、どうしてあれだけの出血が、こう劇しく身体に応えるのだろうといつでも不審に堪えなかった。人間は脈の中の血を半分失うと死に、三分の一失うと昏睡するものだと聞いて、それに吾とも知らず妻の肩に吐きかけた生血の容積を想像の天秤に盛って、命の向う側に重りとして付け加えた時ですら、余はこれほど無理な工面をして生き延びたのだとは思えなかった。  杉本さんが東京へ帰るや否や、――杉本さんはその朝すぐ東京へ帰った。もっとおりたいが忙がしいから失礼します、その代り手当は充分するつもりでありますと云って、新らしい襟と襟飾を着け易えて、余の枕辺に坐ったとき、余は昨夕夜半に、裄丈の足りない宿の浴衣を着たまま、そっと障子を開けながら、どうかと一言森成さんに余の様子を聞いていた彼人の様子を思い出した。余の記憶にはただそれだけしかとまらなかった杉本さんが、出がけに妻を顧みて、もう一遍吐血があれば、どうしても回復の見込はないものと御諦らめなさらなければいけませんと注意を与えたそうである。実は昨夕にもこの恐るべき再度の吐血が来そうなので、わざわざモルヒネまで注射してそれを防ぎ止めたのだとは、後になってその顛末を審らかにした余に取って、全く思いがけない報知であった。あれほど胸の中は落ちついていたものをと云いたいくらいに、余は平常の心持で苦痛なくその夜を明したのである。――話がつい外れてしまった。  杉本さんは東京へ帰るや否や、自分で電話を看護婦会へかけて、看護婦を二人すぐ余の出先へ送るように頼んでくれた。その時、早く行かんと間に合わないかも知れないからと電話口で急いたので、看護婦は汽車で走る途々も、もういけない頃ではなかろうかと、絶えず余の生命に疑いを挟さんでいた。せっかく行っても、行き着いて見たら、遅過ぎて間に合わなかったと云うような事があってはつまらないと語り合って来た。――これも回復期に向いた頃、病牀の徒然に看護婦と世間話をしたついでに、彼等の口からじかに聞いたたよりである。  かくすべての人に十の九まで見放された真中に、何事も知らぬ余は、曠野に捨てられた赤子のごとく、ぽかんとしていた。苦痛なき生は余に向って何らの煩悶をも与えなかった。余は寝ながらただ苦痛なく生きておるという一事実を認めるだけであった。そうしてこの事実が、はからざる病のために、周囲の人の丁重な保護を受けて、健康な時に比べると、一歩浮世の風の当り悪い安全な地に移って来たように感じた。実際余と余の妻とは、生存競争の辛い空気が、直に通わない山の底に住んでいたのである。 露けさの里にて静なる病 十七  臆病者の特権として、余はかねてより妖怪に逢う資格があると思っていた。余の血の中には先祖の迷信が今でも多量に流れている。文明の肉が社会の鋭どき鞭の下に萎縮するとき、余は常に幽霊を信じた。けれども虎烈剌を畏れて虎烈剌に罹らぬ人のごとく、神に祈って神に棄てられた子のごとく、余は今日までこれと云う不思議な現象に遭遇する機会もなく過ぎた。それを残念と思うほどの好奇心もたまには起るが、平生はまず出逢わないのを当然と心得てすまして来た。  自白すれば、八九年前アンドリュ・ラングの書いた「夢と幽霊」という書物を床の中に読んだ時は、鼻の先の灯火を一時に寒く眺めた。一年ほど前にも「霊妙なる心力」と云う標題に引かされてフランマリオンという人の書籍を、わざわざ外国から取り寄せた事があった。先頃はまたオリヴァー・ロッジの「死後の生」を読んだ。  死後の生! 名からしてがすでに妙である。我々の個性が我々の死んだ後までも残る、活動する、機会があれば、地上の人と言葉を換す。スピリチズムの研究をもって有名であったマイエルはたしかにこう信じていたらしい。そのマイエルに自己の著述を捧げたロッジも同じ考えのように思われる。ついこの間出たポドモアの遺著もおそらくは同系統のものだろう。  独乙のフェヒナーは十九世紀の中頃すでに地球その物に意識の存すべき所以を説いた。石と土と鉱に霊があると云うならば、有るとするを妨げる自分ではない。しかしせめてこの仮定から出立して、地球の意識とは如何なる性質のものであろうぐらいの想像はあってしかるべきだと思う。  吾々の意識には敷居のような境界線があって、その線の下は暗く、その線の上は明らかであるとは現代の心理学者が一般に認識する議論のように見えるし、またわが経験に照らしても至極と思われるが、肉体と共に活動する心的現象に斯様の作用があったにしたところで、わが暗中の意識すなわちこれ死後の意識とは受取れない。  大いなるものは小さいものを含んで、その小さいものに気がついているが、含まれたる小さいものは自分の存在を知るばかりで、己らの寄り集って拵らえている全部に対しては風馬牛のごとく無頓着であるとは、ゼームスが意識の内容を解き放したり、また結び合せたりして得た結論である。それと同じく、個人全体の意識もまたより大いなる意識の中に含まれながら、しかもその存在を自覚せずに、孤立するごとくに考えているのだろうとは、彼がこの類推より下し来るスピリチズムに都合よき仮定である。  仮定は人々の随意であり、また時にとって研究上必要の活力でもある。しかしただ仮定だけでは、いかに臆病の結果幽霊を見ようとする、また迷信の極不可思議を夢みんとする余も、信力をもって彼らの説を奉ずる事ができない。  物理学者は分子の容積を計算して蚕の卵にも及ばぬ(長さ高さともに一ミリメターの)立方体に一千万を三乗した数が這入ると断言した。一千万を三乗した数とは一の下に零を二十一付けた莫大なものである。想像を恣まにする権利を有する吾々もこの一の下に二十一の零を付けた数を思い浮べるのは容易でない。  形而下の物質界にあってすら、――相当の学者が綿密な手続を経て発表した数字上の結果すら、吾々はただ数理的の頭脳にのみもっともと首肯くだけである。数量のあらましさえ応用の利かぬ心の現象に関しては云うまでもない。よし物理学者の分子に対するごとき明暸な知識が、吾人の内面生活を照らす機会が来たにしたところで、余の心はついに余の心である。自分に経験のできない限り、どんな綿密な学説でも吾を支配する能力は持ち得まい。  余は一度死んだ。そうして死んだ事実を、平生からの想像通りに経験した。はたして時間と空間を超越した。しかしその超越した事が何の能力をも意味しなかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。ただ失った事だけが明白なばかりである。どうして幽霊となれよう。どうして自分より大きな意識と冥合できよう。臆病にしてかつ迷信強き余は、ただこの不可思議を他人に待つばかりである。 迎火を焚いて誰待つ絽の羽織 十八  ただ驚ろかれたのは身体の変化である。騒動のあった明る朝、何かの必要に促がされて、肋の左右に横たえた手を、顔の所まで持って来ようとすると、急に持主でも変ったように、自分の腕ながらまるで動かなかった。人を煩らわす手数を厭って、無理に肘を杖として、手頸から起しかけたはかけたが、わずか何寸かの距離を通して、宙に短かい弧線を描く努力と時間とは容易のものでなかった。ようやく浮き上った筋の力を利用して、高い方へ引くだけの精気に乏しいので、途中から断念して、再び元の位置にわが腕を落そうとすると、それがまた安くは落ちなかった。無論そのままにして心を放せば、自然の重みでもとに倒れるだけの事ではあるが、その倒れる時の激動が、いかに全身に響き渡るかと考えると、非常に恐ろしくなって、ついに思い切る勇気が出なかった。余はおろす事も上げる事も、また半途に支える事もできない腕を意識しつつそのやりどころに窮した。ようやく傍のものの気がついて、自分の手をわが手に添えて、無理のないように顔の所まで持って来てくれて、帰りにもまた二つ腕をいっしょにしてやっと床の上まで戻した時には、どうしてこう自己が空虚になったものか、我ながらほとんど想像がつかなかった。後から考えて見て、あれは全く護謨風船に穴が開いて、その穴から空気が一度に走り出したため、風船の皮がたちまちしゅっという音と共に収縮したと一般の吐血だから、それでああ身体に応えたのだろうと判断した。それにしても風船はただ縮まるだけである。不幸にして余の皮は血液のほかに大きな長い骨をたくさんに包んでいた。その骨が――  余は生れてより以来この時ほど吾骨の硬さを自覚した事がない。その朝眼が覚めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった。そうしてその痛みが、宵に、酒を被った勢で、多数を相手に劇しい喧嘩を挑んだ末、さんざんに打ち据えられて、手も足も利かなくなった時のごとくに吾を鈍く叩きこなしていた。砧に擣たれた布は、こうもあろうかとまで考えた。それほど正体なくきめつけられ了った状態を適当に形容するには、ぶちのめすと云う下等社会で用いる言葉が、ただ一つあるばかりである。少しでも身体を動かそうとすると、関節がみしみしと鳴った。  昨日まで狭い布団に劃された余の天地は、急にまた狭くなった。その布団のうちの一部分よりほかに出る能力を失った今の余には、昨日まで狭く感ぜられた布団がさらに大きく見えた。余の世界と接触する点は、ここに至ってただ肩と背中と細長く伸べた足の裏側に過ぎなくなった。――頭は無論枕に着いていた。  これほどに切りつめられた世界に住む事すら、昨夕は許されそうに見えなかったのにと、傍のものは心の中で余のために観じてくれたろう。何事も弁えぬ余にさえそれが憐れであった。ただ身の布団に触れる所のみがわが世界であるだけに、そうしてその触れる所が少しも変らないために、我と世界との関係は、非常に単純であった。全くスタチック(静)であった。したがって安全であった。綿を敷いた棺の中に長く寝て、われ棺を出でず、人棺を襲わざる亡者の気分は――もし亡者に気分が有り得るならば、――この時の余のそれと余りかけ隔ってはいなかったろう。  しばらくすると、頭が麻痺れ始めた。腰の骨が骨だけになって板の上に載せられているような気がした。足が重くなった。かくして社会的の危険から安全に保証された余一人の狭い天地にもまた相応の苦しみができた。そうしてその苦痛を逃れるべく余は一寸のほかにさえ出る能力を持たなかった。枕元にどんな人がどうして坐っているか、まるで気がつかなかった。余を看護するために、余の視線の届かぬ傍らを占めた人々の姿は、余に取って神のそれと一般であった。  余はこの安らかながら痛み多き小世界にじっと仰向に寝たまま、身の及ばざるところに時々眼を走らした。そうして天井から釣った長い氷嚢の糸をしばしば見つめた。その糸は冷たい袋と共に、胃の上でぴくりぴくりと鋭どい脈を打っていた。 朝寒や生きたる骨を動かさず 十九  余はこの心持をどう形容すべきかに迷う。  力を商いにする相撲が、四つに組んで、かっきり合った時、土俵の真中に立つ彼等の姿は、存外静かに落ちついている。けれどもその腹は一分と経たないうちに、恐るべき波を上下に描かなければやまない。そうして熱そうな汗の球が幾条となく背中を流れ出す。  最も安全に見える彼等の姿勢は、この波とこの汗の辛うじて齎らす努力の結果である。静かなのは相剋する血と骨の、わずかに平均を得た象徴である。これを互殺の和という。二三十秒の現状を維持するに、彼等がどれほどの気魄を消耗せねばならぬかを思うとき、看る人は始めて残酷の感を起すだろう。  自活の計に追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、まさにこの相撲のごとく苦しいものである。吾らは平和なる家庭の主人として、少くとも衣食の満足を、吾らと吾らの妻子とに与えんがために、この相撲に等しいほどの緊張に甘んじて、日々自己と世間との間に、互殺の平和を見出そうと力めつつある。戸外に出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの中に殺伐の気に充ちた我を見出すならば、さらにこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、背の汗を想像するならば、最後にわが必死の努力の、回向院のそれのように、一分足らずで引分を期する望みもなく、命のあらん限は一生続かなければならないという苦しい事実に想い至るならば、我等は神経衰弱に陥るべき極度に、わが精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまで言いたくなる。  かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中はことごとく敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友もある意味において敵であるし、妻子もある意味において敵である。そう思う自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある。疲れてもやめえぬ戦いを持続しながら、然として独りその間に老ゆるものは、見惨と評するよりほかに評しようがない。  古臭い愚痴を繰返すなという声がしきりに聞えた。今でも聞える。それを聞き捨てにして、古臭い愚痴を繰返すのは、しみじみそう感じたからばかりではない、しみじみそう感じた心持を、急に病気が来て顛覆したからである。  血を吐いた余は土俵の上に仆れた相撲と同じ事であった。自活のために戦う勇気は無論、戦わねば死ぬという意識さえ持たなかった。余はただ仰向けに寝て、わずかな呼吸をあえてしながら、怖い世間を遠くに見た。病気が床の周囲を屏風のように取り巻いて、寒い心を暖かにした。  今までは手を打たなければ、わが下女さえ顔を出さなかった。人に頼まなければ用は弁じなかった。いくらしようと焦慮っても、調わない事が多かった。それが病気になると、がらりと変った。余は寝ていた。黙って寝ていただけである。すると医者が来た。社員が来た。妻が来た。しまいには看護婦が二人来た。そうしてことごとく余の意志を働かさないうちに、ひとりでに来た。 「安心して療養せよ」と云う電報が満洲から、血を吐いた翌日に来た。思いがけない知己や朋友が代る代る枕元に来た。あるものは鹿児島から来た。あるものは山形から来た。またあるものは眼の前に逼る結婚を延期して来た。余はこれらの人に、どうして来たと聞いた。彼等は皆新聞で余の病気を知って来たと云った。仰向に寝た余は、天井を見つめながら、世の人は皆自分より親切なものだと思った。住み悪いとのみ観じた世界にたちまち暖かな風が吹いた。  四十を越した男、自然に淘汰せられんとした男、さしたる過去を持たぬ男に、忙しい世が、これほどの手間と時間と親切をかけてくれようとは夢にも待設けなかった余は、病に生き還ると共に、心に生き還った。余は病に謝した。また余のためにこれほどの手間と時間と親切とを惜しまざる人々に謝した。そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打壊す者を、永久の敵とすべく心に誓った。 馬上青年老。 鏡中白髪新。 幸生天子国。 願作太平民。 二十  ツルゲニェフ以上の芸術家として、有力なる方面の尊敬を新たにしつつあるドストイェフスキーには、人の知るごとく、小供の時分から癲癇の発作があった。われら日本人は癲癇と聞くと、ただ白い泡を連想するに過ぎないが、西洋では古くこれを神聖なる疾と称えていた。この神聖なる疾に冒かされる時、あるいはその少し前に、ドストイェフスキーは普通の人が大音楽を聞いて始めて到り得るような一種微妙の快感に支配されたそうである。それは自己と外界との円満に調和した境地で、ちょうど天体の端から、無限の空間に足を滑らして落ちるような心持だとか聞いた。 「神聖なる疾」に罹った事のない余は、不幸にしてこの年になるまで、そう云う趣に一瞬間も捕われた記憶をもたない。ただ大吐血後五六日――経つか経たないうちに、時々一種の精神状態に陥った。それからは毎日のように同じ状態を繰り返した。ついには来ぬ先にそれを予期するようになった。そうして自分とは縁の遠いドストイェフスキーの享けたと云う不可解の歓喜をひそかに想像してみた。それを想像するか思い出すほどに、余の精神状態は尋常を飛び越えていたからである。ドクインセイの細かに書き残した驚くべき阿片の世界も余の連想に上った。けれども読者の心目を眩惑するに足る妖麗な彼の叙述が、鈍い色をした卑しむべき原料から人工的に生れたのだと思うと、それを自分の精神状態に比較するのが急に厭になった。  余は当時十分と続けて人と話をする煩わしさを感じた。声となって耳に響く空気の波が心に伝って、平らかな気分をことさらに騒つかせるように覚えた。口を閉じて黄金なりという古い言葉を思い出して、ただ仰向けに寝ていた。ありがたい事に室の廂と、向うの三階の屋根の間に、青い空が見えた。その空が秋の露に洗われつつしだいに高くなる時節であった。余は黙ってこの空を見つめるのを日課のようにした。何事もない、また何物もないこの大空は、その静かな影を傾むけてことごとく余の心に映じた。そうして余の心にも何事もなかった。また何物もなかった。透明な二つのものがぴたりと合った。合って自分に残るのは、縹緲とでも形容してよい気分であった。  そのうち穏かな心の隅が、いつか薄く暈されて、そこを照らす意識の色が微かになった。すると、ヴェイルに似た靄が軽く全面に向って万遍なく展びて来た。そうして総体の意識がどこもかしこも稀薄になった。それは普通の夢のように濃いものではなかった。尋常の自覚のように混雑したものでもなかった。またその中間に横わる重い影でもなかった。魂が身体を抜けると云ってはすでに語弊がある。霊が細かい神経の末端にまで行き亘って、泥でできた肉体の内部を、軽く清くすると共に、官能の実覚から杳かに遠からしめた状態であった。余は余の周囲に何事が起りつつあるかを自覚した。同時にその自覚が窈窕として地の臭を帯びぬ一種特別のものであると云う事を知った。床の下に水が廻って、自然と畳が浮き出すように、余の心は己の宿る身体と共に、蒲団から浮き上がった。より適当に云えば、腰と肩と頭に触れる堅い蒲団がどこかへ行ってしまったのに、心と身体は元の位置に安く漂っていた。発作前に起るドストイェフスキーの歓喜は、瞬刻のために十年もしくは終生の命を賭しても然るべき性質のものとか聞いている。余のそれはさように強烈のものではなかった。むしろ恍惚として幽かな趣を生活面の全部に軽くかつ深く印し去ったのみであった。したがって余にはドストイェフスキーの受けたような憂欝性の反動が来なかった。余は朝からしばしばこの状態に入った。午過にもよくこの蕩漾を味った。そうして覚めたときはいつでもその楽しい記憶を抱いて幸福の記念としたくらいであった。  ドストイェフスキーの享け得た境界は、生理上彼の病のまさに至らんとする予言である。生を半に薄めた余の興致は、単に貧血の結果であったらしい。 仰臥人如唖。 黙然見大空。 大空雲不動。 終日杳相同。 二十一  同じドストイェフスキーもまた死の門口まで引き摺られながら、辛うじて後戻りをする事のできた幸福な人である。けれども彼の命を危めにかかった災は、余の場合におけるがごとき悪辣な病気ではなかった。彼は人の手に作り上げられた法と云う器械の敵となって、どんと心臓を打ち貫かれようとしたのである。  彼は彼の倶楽部で時事を談じた。やむなくんばただ一揆あるのみと叫んだ。そうして囚われた。八カ月の長い間薄暗い獄舎の日光に浴したのち、彼は蒼空の下に引き出されて、新たに刑壇の上に立った。彼は自己の宣告を受けるため、二十一度の霜に、襯衣一枚の裸姿となって、申渡の終るのを待った。そうして銃殺に処すの一句を突然として鼓膜に受けた。「本当に殺されるのか」とは、自分の耳を信用しかねた彼が、傍に立つ同囚に問うた言葉である。……白い手帛を合図に振った。兵士は覘を定めた銃口を下に伏せた。ドストイェフスキーはかくして法律の捏ね丸めた熱い鉛の丸を呑まずにすんだのである。その代り四年の月日をサイベリヤの野に暮した。  彼の心は生から死に行き、死からまた生に戻って、一時間と経たぬうちに三たび鋭どい曲折を描いた。そうしてその三段落が三段落ともに、妥協を許さぬ強い角度で連結された。その変化だけでも驚くべき経験である。生きつつあると固く信ずるものが、突然これから五分のうちに死ななければならないと云う時、すでに死ぬときまってから、なお余る五分の命を提げて、まさに来るべき死を迎えながら、四分、三分、二分と意識しつつ進む時、さらに突き当ると思った死が、たちまちとんぼ返りを打って、新たに生と名づけられる時、――余のごとき神経質ではこの三象面の一つにすら堪え得まいと思う。現にドストイェフスキーと運命を同じくした同囚の一人は、これがためにその場で気が狂ってしまった。  それにもかかわらず、回復期に向った余は、病牀の上に寝ながら、しばしばドストイェフスキーの事を考えた。ことに彼が死の宣告から蘇えった最後の一幕を眼に浮べた。――寒い空、新らしい刑壇、刑壇の上に立つ彼の姿、襯衣一枚のまま顫えている彼の姿、――ことごとく鮮やかな想像の鏡に映った。独り彼が死刑を免かれたと自覚し得た咄嗟の表情が、どうしても判然映らなかった。しかも余はただこの咄嗟の表情が見たいばかりに、すべての画面を組み立てていたのである。  余は自然の手に罹って死のうとした。現に少しの間死んでいた。後から当時の記憶を呼び起した上、なおところどころの穴へ、妻から聞いた顛末を埋めて、始めて全くでき上る構図をふり返って見ると、いわゆる慄然と云う感じに打たれなければやまなかった。その恐ろしさに比例して、九仞に失った命を一簣に取り留める嬉しさはまた特別であった。この死この生に伴う恐ろしさと嬉しさが紙の裏表のごとく重なったため、余は連想上常にドストイェフスキーを思い出したのである。 「もし最後の一節を欠いたなら、余はけっして正気ではいられなかったろう」と彼自身が物語っている。気が狂うほどの緊張を幸いに受けずとすんだ余には、彼の恐ろしさ嬉しさの程度を料り得ぬと云う方がむしろ適当かも知れぬ。それであればこそ、画竜点睛とも云うべき肝心の刹那の表情が、どう想像しても漠として眼の前に描き出せないのだろう。運命の擒縦を感ずる点において、ドストイェフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの相違がある。  それにもかかわらず、余はしばしばドストイェフスキーを想像してやまなかった。そうして寒い空と、新らしい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、襯衣一枚で顫えている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来ってやまなかった。  今はこの想像の鏡もいつとなく曇って来た。同時に、生き返ったわが嬉しさが日に日にわれを遠ざかって行く。あの嬉しさが始終わが傍にあるならば、――ドストイェフスキーは自己の幸福に対して、生涯感謝する事を忘れぬ人であった。 二十二  余はうとうとしながらいつの間にか夢に入った。すると鯉の跳ねる音でたちまち眼が覚めた。  余が寝ている二階座敷の下はすぐ中庭の池で、中には鯉がたくさんに飼ってあった。その鯉が五分に一度ぐらいは必ず高い音を立ててぱしゃりと水を打つ。昼のうちでも折々は耳に入った。夜はことに甚しい。隣りの部屋も、下の風呂場も、向うの三階も、裏の山もことごとく静まり返った真中に、余は絶えずこの音で眼を覚ました。  犬の眠りと云う英語を知ったのはいつの昔か忘れてしまったが、犬の眠りと云う意味を実地に経験したのはこの頃が始めてであった。余は犬の眠りのために夜ごと悩まされた。ようやく寝ついてありがたいと思う間もなく、すぐ眼が開いて、まだ空は白まないだろうかと、幾度も暁を待ち佗びた。床に縛りつけられた人の、しんとした夜半に、ただ独り生きている長さは存外な長さである。――鯉が勢よく水を切った。自分の描いた波の上を叩く尾の音で、余は眼を覚ました。  室の中は夕暮よりもなお暗い光で照らされていた。天井から下がっている電気灯の珠は黒布で隙間なく掩がしてあった。弱い光りはこの黒布の目を洩れて、微かに八畳の室を射た。そうしてこの薄暗い灯影に、真白な着物を着た人間が二人坐っていた。二人とも口を利かなかった。二人とも動かなかった。二人とも膝の上へ手を置いて、互いの肩を並べたままじっとしていた。  黒い布で包んだ球を見たとき、余は紗で金箔を巻いた弔旗の頭を思い出した。この喪章と関係のある球の中から出る光線によって、薄く照らされた白衣の看護婦は、静かなる点において、行儀の好い点において、幽霊の雛のように見えた。そうしてその雛は必要のあるたびに無言のまま必ず動いた。  余は声も出さなかった。呼びもしなかった。それでも余の寝ている位置に、少しの変化さえあれば彼等はきっと動いた。手を毛布のうちで、もじつかせても、心持肩を右から左へ揺っても、頭を――頭は眼が覚めるたびに必ず麻痺れていた。あるいは麻痺れるので眼が覚めるのかも知れなかった。――その頭を枕の上で一寸摺らしても、あるいは足――足はよく寝覚めの種となった。平生の癖で時々、片方を片方の上へ重ねて、そのままとろとろとなると、下になった方の骨が沢庵石でも載せられたように、みしみしと痛んで眼が覚めた。そうして余は必ず強い痛さと重たさとを忍んで足の位置を変えなければならなかった。――これらのあらゆる場合に、わが変化に応じて、白い着物の動かない事はけっしてなかった。時にはわが動作を予期して、向うから動くと思われる場合もあった。時には手も足も頭も動かさないのに、眠りが尽きてふと眼を開けさえすれば、白い着物はすぐ顔の傍へ来た。余には白い着物を着ている女の心持が少しも分らなかった。けれども白い着物を着ている女は余の心を善く悟った。そうして影の形に随うごとくに変化した。響の物に応ずるごとくに働らいた。黒い布の目から洩れる薄暗い光の下に、真白な着物を着た女が、わが肉体の先を越して、ひそひそと、しかも規則正しく、わが心のままに動くのは恐ろしいものであった。  余はこの気味の悪い心持を抱いて、眼を開けると共に、ぼんやり眸に映る室の天井を眺めた。そうして黒い布で包んだ電気灯の珠と、その黒い布の織目から洩れてくる光に照らされた白い着物を着た女を見た。見たか見ないうちに白い着物が動いて余に近づいて来た。 秋風鳴万木。 山雨撼高楼。 病骨稜如剣。 一灯青欲愁。 二十三  余は好意の干乾びた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感じた。  人が自分に対して相応の義務を尽くしてくれるのは無論ありがたい。けれども義務とは仕事に忠実なる意味で、人間を相手に取った言葉でも何でもない。したがって義務の結果に浴する自分は、ありがたいと思いながらも、義務を果した先方に向って、感謝の念を起し悪い。それが好意となると、相手の所作が一挙一動ことごとく自分を目的にして働いてくるので、活物の自分にその一挙一動がことごとく応える。そこに互を繋ぐ暖い糸があって、器械的な世を頼母しく思わせる。電車に乗って一区を瞬く間に走るよりも、人の背に負われて浅瀬を越した方が情が深い。  義務さえ素直には尽くして呉れる人のない世の中に、また自分の義務さえ碌に尽くしもしない世の中に、こんな贅沢を並べるのは過分である。そうとは知りながら余は好意の干乾びた社会に存在する自分を切にぎごちなく感じた。――或る人の書いたものの中に、余りせち辛い世間だから、自用車を節倹する格で、当分良心を質に入れたとあったが、質に入れるのは固より一時の融通を計る便宜に過ぎない。今の大多数は質に置くべき好意さえ天で持っているものが少なそうに見えた。いかに工面がついても受出そうとは思えなかった。とは悟りながらやはり好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく感じた。  今の青年は、筆を執っても、口を開いても、身を動かしても、ことごとく「自我の主張」を根本義にしている。それほど世の中は切りつめられたのである。それほど世の中は今の青年を虐待しているのである。「自我の主張」を正面から承れば、小憎しい申し分が多い。けれども彼等をしてこの「自我の主張」をあえてして憚かるところなきまでに押しつめたものは今の世間である。ことに今の経済事情である。「自我の主張」の裏には、首を縊ったり身を投げたりすると同程度に悲惨な煩悶が含まれている。ニーチェは弱い男であった。多病な人であった。また孤独な書生であった。そうしてザラツストラはかくのごとく叫んだのである。  こうは解釈するようなものの、依然として余は常に好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく感じた。自分が人に向ってぎごちなくふるまいつつあるにもかかわらず、自らぎごちなく感じた。そうして病に罹った。そうして病の重い間、このぎごちなさをどこへか忘れた。  看護婦は五十グラムの粥をコップの中に入れて、それを鯛味噌と混ぜ合わして、一匙ずつ自分の口に運んでくれた。余は雀の子か烏の子のような心持がした。医師は病の遠ざかるに連れて、ほとんど五日目ぐらいごとに、余のために食事の献立表を作った。ある時は三通りも四通りも作って、それを比較して一番病人に好さそうなものを撰んで、あとはそれぎり反故にした。  医師は職業である。看護婦も職業である。礼も取れば、報酬も受ける。ただで世話をしていない事はもちろんである。彼等をもって、単に金銭を得るが故に、その義務に忠実なるのみと解釈すれば、まことに器械的で、実も葢もない話である。けれども彼等の義務の中に、半分の好意を溶き込んで、それを病人の眼から透かして見たら、彼等の所作がどれほど尊とくなるか分らない。病人は彼等のもたらす一点の好意によって、急に生きて来るからである。余は当時そう解釈して独りで嬉しかった。そう解釈された医師や看護婦も嬉しかろうと思う。  子供と違って大人は、なまじい一つの物を十筋二十筋の文からできたように見窮める力があるから、生活の基礎となるべき純潔な感情を恣ままに吸収する場合が極めて少ない。本当に嬉しかった、本当にありがたかった、本当に尊かったと、生涯に何度思えるか、勘定すれば幾何もない。たとい純潔でなくても、自分に活力を添えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中に保存したいと願っている。そうしてこの感情が遠からず単に一片の記憶と変化してしまいそうなのを切に恐れている。――好意の干乾びた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感ずるからである。 天下自多事。 被吹天下風。 高秋悲鬢白。 衰病夢顔紅。 送鳥天無尽。 看雲道不窮。 残存吾骨貴。 慎勿妄磨※[#「石+龍」、638-7]。 二十四  小供のとき家に五六十幅の画があった。ある時は床の間の前で、ある時は蔵の中で、またある時は虫干の折に、余は交る交るそれを見た。そうして懸物の前に独り蹲踞まって、黙然と時を過すのを楽とした。今でも玩具箱を引繰り返したように色彩の乱調な芝居を見るよりも、自分の気に入った画に対している方が遥かに心持が好い。  画のうちでは彩色を使った南画が一番面白かった。惜しい事に余の家の蔵幅にはその南画が少なかった。子供の事だから画の巧拙などは無論分ろうはずはなかった。好き嫌いと云ったところで、構図の上に自分の気に入った天然の色と形が表われていればそれで嬉しかったのである。  鑑識上の修養を積む機会をもたなかった余の趣味は、その後別段に新らしい変化を受けないで生長した。したがって山水によって画を愛するの弊はあったろうが、名前によって画を論ずるの譏りも犯さずにすんだ。ちょうど画を前後して余の嗜好に上った詩と同じく、いかな大家の筆になったものでも、いかに時代を食ったものでも、自分の気に入らないものはいっこう顧みる義理を感じなかった。(余は漢詩の内容を三分して、いたくその一分を愛すると共に、大いに他の一分をけなしている。残る三分の一に対しては、好むべきか悪むべきかいずれとも意見を有していない。)  ある時、青くて丸い山を向うに控えた、また的と春に照る梅を庭に植えた、また柴門の真前を流れる小河を、垣に沿うて緩く繞らした、家を見て――無論画絹の上に――どうか生涯に一遍で好いからこんな所に住んで見たいと、傍にいる友人に語った。友人は余の真面目な顔をしけじけ眺めて、君こんな所に住むと、どのくらい不便なものだか知っているかとさも気の毒そうに云った。この友人は岩手のものであった。余はなるほどと始めて自分の迂濶を愧ずると共に、余の風流心に泥を塗った友人の実際的なのを悪んだ。  それは二十四五年も前の事であった。その二十四五年の間に、余もやむをえず岩手出身の友人のようにしだいに実際的になった。崖を降りて渓川へ水を汲みに行くよりも、台所へ水道を引く方が好くなった。けれども南画に似た心持は時々夢を襲った。ことに病気になって仰向に寝てからは、絶えず美くしい雲と空が胸に描かれた。  すると小宮君が歌麿の錦絵を葉書に刷ったのを送ってくれた。余はその色合の長い間に自と寂びたくすみ方に見惚れて、眼を放さずそれを眺めていたが、ふと裏を返すと、私はこの画の中にあるような人間に生れたいとか何とか、当時の自分の情調とは似ても似つかぬ事が書いてあったので、こんなやにっこい色男は大嫌だ、おれは暖かな秋の色とその色の中から出る自然の香が好きだと答えてくれと傍のものに頼んだ。ところが今度は小宮君が自身で枕元へ坐って、自然も好いが人間の背景にある自然でなくっちゃとか何とか病人に向って古臭い説を吐きかけるので、余は小宮君を捕えて御前は青二才だと罵った。――それくらい病中の余は自然を懐かしく思っていた。  空が空の底に沈み切ったように澄んだ。高い日が蒼い所を目の届くかぎり照らした。余はその射返しの大地に洽ねき内にしんとして独り温もった。そうして眼の前に群がる無数の赤蜻蛉を見た。そうして日記に書いた。――「人よりも空、語よりも黙。……肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」  これは東京へ帰った以後の景色である。東京へ帰ったあともしばらくは、絶えず美くしい自然の画が、子供の時と同じように、余を支配していたのである。 秋露下南。 黄花粲照顔。 欲行沿澗遠。 却得与雲還。 二十五  子供が来たから見てやれと妻が耳の傍へ口を着けて云う。身体を動かす力がないので余は元の姿勢のままただ視線だけをその方に移すと、子供は枕を去る六尺ほどの所に坐っていた。  余の寝ている八畳に付いた床の間は、余の足の方にあった。余の枕元は隣の間を仕切る襖で半塞いであった。余は左右に開かれた襖の間から敷居越しに余の子供を見たのである。  頭の上の方にいるものを室を隔てて見る視力が、不自然な努力を要するためか、そこに坐っている子供の姿は存外遠方に見えた。無理な一瞥の下に余の眸に映った顔は、逢うたと記すよりもむしろ眺めたと書く方が適当なくらい離れていた。余はこの一瞥よりほかにまた子供の影を見なかった。余の眸はすぐと自然の角度に復した。けれども余はこの一瞥の短きうちにすべてを見た。  子供は三人いた。十二から十、十から八つと順に一列になって隣座敷の真中に並ばされていた。そうして三人ともに女であった。彼等は未来の健康のため、一夏を茅が崎に過すべく、父母から命ぜられて、兄弟五人で昨日まで海辺を駆け廻っていたのである。父が危篤の報知によって、親戚のものに伴れられて、わざわざ砂深い小松原を引き上げて、修善寺まで見舞に来たのである。  けれども危篤の何を意味しているかを知るには彼らはあまり小さ過ぎた。彼らは死と云う名前を覚えていた。けれども死の恐ろしさと怖さとは、彼らの若い額の奥に、いまだかつて影さえ宿さなかった。死に捕えられた父の身体が、これからどう変化するか彼らには想像ができなかった。父が死んだあとで自分らの運命にどんな結果が来るか、彼らには無論考え得られなかった。彼らはただ人に伴われて父の病気を見舞うべく、父の旅先まで汽車に乗って来たのである。  彼らの顔にはこの会見が最後かも知れぬと云う愁の表情がまるでなかった。彼らは親子の哀別以上に無邪気な顔をもっていた。そうしていろいろ人のいる中に、三人特別な席に並んで坐らせられて、厳粛な空気にじっと行儀よく取りすます窮屈を、切なく感じているらしく思われた。  余はただ一瞥の努力に彼らを見ただけであった。そうして病を解し得ぬ可憐な小さいものを、わざわざ遠くまで引張り出して、殊勝に枕元に坐らせておくのをかえって残酷に思った。妻を呼んで、せっかく来たものだから、そこいらを見物させてやれと命じた。もしその時の余に、あるいはこれが親子の見納めになるかも知れないと云う懸念があったならば、余はもう少ししみじみ彼らの姿を見守ったかも知れなかった。しかし余は医師や傍のものが余に対して抱いていたような危険を余の病の上に自ら感じていなかったのである。  子供はじきに東京へ帰った。一週間ほどしてから、彼らは各々に見舞状を書いて、それを一つ封に入れて、余の宿に届けた。十二になる筆子のは、四角な字を入れた整わない候文で、「御祖母様が雨がふっても風がふいても毎日毎日一日もかかさず御しゃか様へ御詣を遊ばす御百度をなされ御父様の御病気一日も早く御全快を祈り遊ばされまた高田の御伯母様どこかの御宮へか御詣り遊ばすとのことに御座候ふさ、きよみ、むめの三人の連中は毎日猫の墓へ水をとりかえ花を差し上げて早く御父様の全快を御祈りに居り候」とあった。十になる恒子のは尋常であった。八になるえい子のは全く片仮名だけで書いてあった。字を埋めて読みやすくすると、「御父様の御病気はいかがでございますか、私は無事に暮しておりますから御安心なさいませ。御父様も私の事を思わずに御病気を早く直して早く御帰りなさいませ。私は毎日休まずに学校へ行って居ります。また御母様によろしく」と云うのである。  余は日記の一頁を寝ながら割いて、それに、留守の中はおとなしく御祖母様の云う事を聞かなくてはいけない、今についでのあった時修善寺の御土産を届けてやるからと書いて、すぐ郵便で妻に出さした。子供は余が東京へ帰ってからも、平気で遊んでいる。修善寺の土産はもう壊してしまったろう。彼等が大きくなったとき父のこの文を読む機会がもしあったなら、彼等ははたしてどんな感じがするだろう。 傷心秋已到。 嘔血骨猶存。 病起期何日。 夕陽還一村。 二十六  五十グラムと云うと日本の二勺半にしか当らない。ただそれだけの飲料で、この身体を終日持ち応えていたかと思えば、自分ながら気の毒でもあるし、可愛らしくもある。また馬鹿らしくもある。  余は五十グラムの葛湯を恭やしく飲んだ。そうして左右の腕に朝夕二回ずつの注射を受けた。腕は両方とも針の痕で埋まっていた。医師は余に今日はどっちの腕にするかと聞いた。余はどっちにもしたくなかった。薬液を皿に溶いたり、それを注射器に吸い込ましたり、針を丁寧に拭ったり、針の先に泡のように細かい薬を吹かして眺めたりする注射の準備ははなはだ物奇麗で心持が好いけれども、その針を腕にぐさと刺して、そこへ無理に薬を注射するのは不愉快でたまらなかった。余は医師に全体その鳶色の液は何だと聞いた。森成さんはブンベルンとかブンメルンとか答えて、遠慮なく余の腕を痛がらせた。  やがて日に二回の注射が一回に減じた。その一回もまたしばらくすると廃めになった。そうして葛湯の分量が少しずつ増して来た。同時に口の中が執拗く粘り始めた。爽かな飲料で絶えず舌と顋と咽喉を洗っていなくてはいたたまれなかった。余は医師に氷を請求した。医師は固い片らが滑って胃の腑に落ち込む危険を恐れた。余は天井を眺めながら、腹膜炎を患らった廿歳の昔を思い出した。その時は病気に障るとかで、すべての飲物を禁ぜられていた。ただ冷水で含嗽をするだけの自由を医師から得たので、余は一時間のうちに、何度となく含嗽をさせて貰った。そうしてそのつど人に知れないように、そっと含嗽の水を幾分かずつ胃の中に飲み下して、やっと熬りつくような渇を紛らしていた。  昔の計を繰り返す勇気のなかった余は、口中を潤すための氷を歯で噛み砕いては、正直に残らず吐き出した。その代り日に数回平野水を一口ずつ飲まして貰う事にした。平野水がくんくんと音を立てるような勢で、食道から胃へ落ちて行く時の心持は痛快であった。けれども咽喉を通り越すや否やすぐとまた飲みたくなった。余は夜半にしばしば看護婦から平野水を洋盃に注いで貰って、それをありがたそうに飲んだ当時をよく記憶している。  渇はしだいに歇んだ。そうして渇よりも恐ろしい餓じさが腹の中を荒して歩くようになった。余は寝ながら美くしい食膳を何通りとなく想像で拵らえて、それを眼の前に並べて楽んでいた。そればかりではない、同じ献立を何人前も調えておいて、多数の朋友にそれを想像で食わして喜こんだ。今考えると普通のものの嬉しがるような食物はちっともなかった。こう云う自分にすらあまりありがたくはない御膳ばかりを眼の前に浮べていたのである。  森成さんがもう葛湯も厭きたろうと云って、わざわざ東京から米を取り寄せて重湯を作ってくれた時は、重湯を生れて始めて啜る余には大いな期待があった。けれども一口飲んで始めてその不味いのに驚ろいた余は、それぎり重湯というものを近づけなかった。その代りカジノビスケットを一片貰った折の嬉しさはいまだに忘れられない。わざわざ看護婦を医師の室までやって、特に礼を述べたくらいである。  やがて粥を許された。その旨さはただの記憶となって冷やかに残っているだけだから実感としては今思い出せないが、こんな旨いものが世にあるかと疑いつつ舌を鳴らしたのは確かである。それからオートミールが来た。ソーダビスケットが来た。余はすべてをありがたく食った。そうして、より多く食いたいと云う事を日課のように繰り返して森成さんに訴えた。森成さんはしまいに余の病床に近づくのを恐れた。東君はわざわざ妻の所へ行って、先生はあんなもっともな顔をしている癖に、子供のように始終食物の話ばかりしていておかしいと告げた。 腸に春滴るや粥の味 二十七  オイッケンは精神生活と云う事を真向に主張する学者である。学者の習慣として、自己の説を唱うる前には、あらゆる他のイズムを打破する必要を感ずるものと見えて、彼は彼のいわゆる精神生活を新たならしむるため、その用意として、現代生活に影響を与うる在来からの処生上の主義に一も二もなく非難を加えた。自然主義もやられる、社会主義も叩かれる。すべての主義が彼の眼から見て存在の権利を失ったかのごとくに説き去られた時、彼は始めて精神生活の四字を拈出した。そうして精神生活の特色は自由である、自由であると連呼した。  試みに彼に向って自由なる精神生活とはどんな生活かと問えば、端的にこんなものだとはけっして答えない。ただ立派な言葉を秩序よく並べ立てる。むずかしそうな理窟を蜿蜒と幾重にも重ねて行く。そこに学者らしい手際はあるかも知れないが、とぐろの中に巻き込まれる素人は茫然してしまうだけである。  しばらく哲学者の言葉を平民に解るように翻訳して見ると、オイッケンのいわゆる自由なる精神生活とは、こんなものではなかろうか。――我々は普通衣食のために働らいている。衣食のための仕事は消極的である。換言すると、自分の好悪撰択を許さない強制的の苦しみを含んでいる。そう云う風にほかから圧しつけられた仕事では精神生活とは名づけられない。いやしくも精神的に生活しようと思うなら、義務なきところに向って自ら進む積極のものでなければならない。束縛によらずして、己れ一個の意志で自由に営む生活でなければならない。こう解釈した時、誰も彼の精神生活を評してつまらないとは云うまい。コムトは倦怠をもって社会の進歩を促がす原因と見たくらいである。倦怠の極やむをえずして仕事を見つけ出すよりも、内に抑えがたき或るものが蟠まって、じっと持ち応えられない活力を、自然の勢から生命の波動として描出し来る方が実際実の入った生き法と云わなければなるまい。舞踏でも音楽でも詩歌でも、すべて芸術の価値はここに存していると評しても差支えない。  けれども学者オイッケンの頭の中で纏め上げた精神生活が、現に事実となって世の中に存在し得るや否やに至っては自から別問題である。彼オイッケン自身が純一無雑に自由なる精神生活を送り得るや否やを想像して見ても分明な話ではないか。間断なきこの種の生活に身を託せんとする前に、吾人は少なくとも早くすでに職業なき閑人として存在しなければならないはずである。  豆腐屋が気に向いた朝だけ石臼を回して、心の機まないときはけっして豆を挽かなかったなら商買にはならない。さらに進んで、己れの好いた人だけに豆腐を売って、いけ好かない客をことごとく謝絶したらなおの事商買にはならない。すべての職業が職業として成立するためには、店に公平の灯を点けなければならない。公平と云う美しそうな徳義上の言葉を裏から言い直すと、器械的と云う醜い本体を有しているに過ぎない。一分の遅速なく発着する汽車の生活と、いわゆる精神的生活とは、正に両極に位する性質のものでなければならない。そうして普通の人は十が十までこの両端を七分三分とか六分四分とかに交ぜ合わして自己に便宜なようにまた世間に都合の好いように(すなわち職業に忠実なるように)生活すべく天から余儀なくされている。これが常態である。たまたま芸術の好きなものが、好きな芸術を職業とするような場合ですら、その芸術が職業となる瞬間において、真の精神生活はすでに汚されてしまうのは当然である。芸術家としての彼は己れに篤き作品を自然の気乗りで作り上げようとするに反して、職業家としての彼は評判のよきもの、売高の多いものを公けにしなくてはならぬからである。  すでに個人の性格及び教育次第で融通の利かなくなりそうなオイッケンのいわゆる自由なる精神生活は、現今の社会組織の上から見ても、これほど応用の範囲の狭いものになる。それを一般に行き亘って実行のできる大主義のごとくに説き去る彼は、学者の通弊として統一病に罹ったのだと酷評を加えてもよいが、たまたま文芸を好んで文芸を職業としながら、同時に職業としての文芸を忌んでいる余のごときものの注意を呼び起して、その批評心を刺戟する力は充分ある。大患に罹った余は、親の厄介になった子供の時以来久しぶりで始めてこの精神生活の光に浴した。けれどもそれはわずか一二カ月の中であった。病が癒るに伴れ、自己がしだいに実世間に押し出されるに伴れ、こう云う議論を公けにして得意なオイッケンを羨やまずにはいられなくなって来た。 二十八  学校を出た当時小石川のある寺に下宿をしていた事がある。そこの和尚は内職に身の上判断をやるので、薄暗い玄関の次の間に、算木と筮竹を見るのが常であった。固より看板をかけての公表な商買でなかったせいか、占を頼に来るものは多くて日に四五人、少ない時はまるで筮竹を揉む音さえ聞えない夜もあった。易断に重きを置かない余は、固よりこの道において和尚と無縁の姿であったから、ただ折々襖越しに、和尚の、そりゃ当人の望み通りにした方が好うがすななどと云う縁談に関する助言を耳に挟さむくらいなもので、面と向き合っては互に何も語らずに久しく過ぎた。  ある時何かのついでに、話がつい人相とか方位とか云う和尚の縄張り内に摺り込んだので、冗談半分私の未来はどうでしょうと聞いて見たら、和尚は眼を据えて余の顔をじっと眺めた後で、大して悪い事もありませんなと答えた。大して悪い事もないと云うのは、大して好い事もないと云ったも同然で、すなわち御前の運命は平凡だと宣告したようなものである。余は仕方がないから黙っていた。すると和尚が、あなたは親の死目には逢えませんねと云った。余はそうですかと答えた。すると今度はあなたは西へ西へと行く相があると云った。余はまたそうですかと答えた。最後に和尚は、早く顋の下へ髯を生やして、地面を買って居宅を御建てなさいと勧めた。余は地面を買って居宅を建て得る身分なら何も君の所に厄介になっちゃいないと答えたかった。けれども顋の下の髯と、地面居宅とはどんな関係があるか知りたかったので、それだけちょっと聞き返して見た。すると和尚は真面目な顔をして、あなたの顔を半分に割ると上の方が長くって、下の方が短か過ぎる。したがって落ちつかない。だから早く顋髯を生やして上下の釣合を取るようにすれば、顔の居坐りがよくなって動かなくなりますと答えた。余は余の顔の雑作に向って加えられたこの物理的もしくは美学的の批判が、優に余の未来の運命を支配するかのごとく容易に説き去った和尚を少しおかしく感じた。そうしてなるほどと答えた。  一年ならずして余は松山に行った。それからまた熊本に移った。熊本からまた倫敦に向った。和尚の云った通り西へ西へと赴いたのである。余の母は余の十三四の時に死んだ。その時は同じ東京におりながら、つい臨終の席には侍らなかった。父の死んだ電報を東京から受け取ったのは、熊本にいる頃の事であった。これで見ると、親の死目に逢えないと云った和尚の言葉もどうかこうか的中している。ただ顋の髯に至ってはその時から今日に至るまで、寧日なく剃り続けに剃っているから、地面と居宅がはたして髯と共にわが手に入るかどうかいまだに判然せずにいた。  ところが修善寺で病気をして寝つくや否や、頬がざらざらし始めた。それが五六日すると一本一本に撮めるようになった。またしばらくすると、頬から顋が隙間なく隠れるようになった。和尚の助言は十七八年ぶりで始めて役に立ちそうな気色に髯は延びて来た。妻はいっそ御生やしなすったら好いでしょうと云った。余も半分その気になって、しきりにその辺を撫で廻していた。ところが幾日となく洗いも櫛ずりもしない髪が、膏と垢で余の頭を埋め尽くそうとする汚苦しさに堪えられなくなって、ある日床屋を呼んで、不充分ながら寝たまま頭に手を入れて顔に髪剃を当てた。その時地面と居宅の持主たるべき資格をまた奇麗に失ってしまった。傍のものは若くなった若くなったと云ってしきりに囃し立てた。独り妻だけはおやすっかり剃っておしまいになったんですかと云って、少し残り惜しそうな顔をした。妻は夫の病気が本復した上にも、なお地面と居宅が欲しかったのである。余といえども、髯を落さなければ地面と居宅がきっと手に入ると保証されるならば、あの顋はそのままに保存しておいたはずである。  その後髯は始終剃った。朝早く床の上に起き直って、向うの三階の屋根と吾室の障子の間にわずかばかり見える山の頂を眺めるたびに、わが頬の潔よく剃り落してある滑らかさを撫で廻しては嬉しがった。地面と居宅は当分断念したか、または老後の楽しみにあとあとまで取っておくつもりだったと見える。 客夢回時一鳥鳴。 夜来山雨暁来晴。 孤峯頂上孤松色。 早映紅暾欝々明。 二十九  修善寺が村の名で兼て寺の名であると云う事は、行かぬ前から疾に承知していた。しかしその寺で鐘の代りに太鼓を叩こうとはかつて想い至らなかった。それを始めて聞いたのはいつの頃であったか全く忘れてしまった。ただ今でも余が鼓膜の上に、想像の太鼓がどん――どんと時々響く事がある。すると余は必ず去年の病気を憶い出す。  余は去年の病気と共に、新らしい天井と、新らしい床の間にかけた大島将軍の従軍の詩を憶い出す。そうしてその詩を朝から晩までに何遍となく読み返した当時を明らさまに憶い出す。新らしい天井と、新らしい床の間と、新らしい柱と、新らし過ぎて開閉の不自由な障子は、今でも眼の前にありありと浮べる事ができるが、朝から晩までに何遍となく読み返した大島将軍の詩は、読んでは忘れ、読んでは忘れして、今では白壁のように白い絹の上を、どこまでも同じ幅で走って、尾頭ともにぷつりと折れてしまう黒い線を認めるだけである。句に至っては、始めの剣戟という二字よりほか憶い出せない。  余は余の鼓膜の上に、想像の太鼓がどん――どんと響くたびに、すべてこれらのものを憶い出す。これらのものの中に、じっと仰向いて、尻の痛さを紛らしつつ、のつそつ夜明を待ち佗びたその当時を回顧すると、修禅寺の太鼓の音は、一種云うべからざる連想をもって、いつでも余の耳の底に卒然と鳴り渡る。  その太鼓は最も無風流な最も殺風景な音を出して、前後を切り捨てた上、中間だけを、自暴に夜陰に向って擲きつけるように、ぶっきら棒な鳴り方をした。そうして、一つどんと素気なく鳴ると共にぱたりと留った。余は耳を峙だてた。一度静まった夜の空気は容易に動こうとはしなかった。やや久らくして、今のは錯覚ではなかろうかと思い直す頃に、また一つどんと鳴った。そうして愛想のない音は、水に落ちた石のように、急に夜の中に消えたぎり、しんとした表に何の活動も伝えなかった。寝られない余は、待ち伏せをする兵士のごとく次の音の至るを思いつめて待った。その次の音はやはり容易には来なかった。ようやくのこと第一第二と同じく極めて乾び切った響が――響とは云い悪い。黒い空気の中に、突然無遠慮な点をどっと打って直筆を隠したような音が、余の耳朶を叩いて去る後で、余はつくづくと夜を長いものに観じた。  もっとも夜は長くなる頃であった。暑さもしだいに過ぎて、雨の降る日はセルに羽織を重ねるか、思い切って朝から袷を着るかしなければ、肌寒を防ぐ便とならなかった時節である。山の端に落ち込む日は、常の短かい日よりもなおの事短かく昼を端折って、灯は容易に点いた。そうして夜は中々明けなかった。余はじりじりと昼に食い入る夜長を夜ごとに恐れた。眼が開くときっと夜であった。これから何時間ぐらいこうしてしんと夜の中に生きながら埋もっている事かと思うと、我ながらわが病気に堪えられなかった。新らしい天井と、新らしい柱と、新らしい障子を見つめるに堪えなかった。真白な絹に書いた大きな字の懸物には最も堪えなかった。ああ早く夜が明けてくれればいいのにと思った。  修禅寺の太鼓はこの時にどんと鳴るのである。そうしてことさらに余を待ち遠しがらせるごとく疎らな間隔を取って、暗い夜をぽつりぽつりと縫い始める。それが五分と経ち七分と経つうちに、しだいに調子づいて、ついに夕立の雨滴よりも繁く逼って来る変化は、余から云うともう日の出に間もないと云う報知であった。太鼓を打ち切ってしばらくの後に、看護婦がやっと起きて室の廊下の所だけ雨戸を開けてくれるのは何よりも嬉しかった。外はいつでも薄暗く見えた。  修善寺に行って、寺の太鼓を余ほど精密に研究したものはあるまい。その結果として余は今でも時々どんと云う余音のないぶっ切ったような響を余の鼓膜の上に錯覚のごとく受ける。そうして一種云うべからざる心持を繰り返している。 夢繞星露幽。 夜分形影暗灯愁。 旗亭病近修禅寺。 一疎鐘已九秋。 三十  山を分けて谷一面の百合を飽くまで眺めようと心にきめた翌日から床の上に仆れた。想像はその時限りなく咲き続く白い花を碁石のように点々と見た。それを小暗く包もうとする緑の奥には、重い香が沈んで、風に揺られる折々を待つほどに、葉は息苦しく重なり合った。――この間宿の客が山から取って来て瓶に挿した一輪の白さと大きさと香から推して、余は有るまじき広々とした画を頭の中に描いた。  聖書にある野の百合とは今云う唐菖蒲の事だと、その唐菖蒲を床に活けておいた時、始めて芥舟君から教わって、それではまるで野の百合の感じが違うようだがと話し合った一月前も思い出された。聖書と関係の薄い余にさえ、檜扇を熱帯的に派出に仕立てたような唐菖蒲は、深い沈んだ趣を表わすにはあまり強過ぎるとしか思われなかった。唐菖蒲はどうでもよい。余が想像に描いた幽かな花は、一輪も見る機会のないうちに立秋に入った。百合は露と共に摧けた。  人は病むもののために裏の山に入って、ここかしこから手の届く幾茎の草花を折って来た。裏の山は余の室から廊下伝いにすぐ上る便のあるくらい近かった。障子さえ明けておけば、寝ながら縁側と欄間の間を埋める一部分を鼻の先に眺める事もできた。その一部分は岩と草と、岩の裾を縫うて迂回して上る小径とから成り立っていた。余は余のために山に上るものの姿が、縁の高さを辞して欄間の高さに達するまでに、一遍影を隠して、また反対の位地から現われて、ついに余の視線のほかに没してしまうのを大いなる変化のごとくに眺めた。そうして同じ彼等の姿が再び欄間の上から曲折して下って来るのを疎い眼で眺めた。彼らは必ず粗い縞の貸浴衣を着て、日の照る時は手拭で頬冠りをしていた。岨道を行くべきものとも思われないその姿が、花を抱えて岩の傍にぬっと現われると、一種芝居にでも有りそうな感じを病人に与えるくらい釣合がおかしかった。  彼等の採って来てくれるものは色彩の極めて乏しい野生の秋草であった。  ある日しんとした真昼に、長い薄が畳に伏さるように活けてあったら、いつどこから来たとも知れない蟋蟀がたった一つ、おとなしく中ほどに宿っていた。その時薄は虫の重みで撓いそうに見えた。そうして袋戸に張った新らしい銀の上に映る幾分かの緑が、暈したように淡くかつ不分明に、眸を誘うので、なおさら運動の感覚を刺戟した。  薄は大概すぐ縮れた。比較的長く持つ女郎花さえ眺めるにはあまり色素が足りなかった。ようやく秋草の淋しさを物憂く思い出した時、始めて蜀紅葵とか云う燃えるような赤い花弁を見た。留守居の婆さんに銭をやって、もっと折らせろと云ったら、銭は要りません、花は預かり物だから上げられませんと断わったそうである。余はその話を聞いて、どんな所に花が咲いていて、どんな婆さんがどんな顔をして花の番をしているか、見たくてたまらなかった。蜀紅葵の花弁は燃えながら、翌日散ってしまった。  桂川の岸伝いに行くといくらでも咲いていると云うコスモスも時々病室を照らした。コスモスはすべての中で最も単簡でかつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片と、空に浮んだように超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子に似ていると評した。なぜですかと聞いたものがあった。範頼の墓守の作ったと云う菊を分けて貰って来たのはそれからよほど後の事である。墓守は鉢に植えた菊を貸して上げようかと云ったそうである。この墓守の顔も見たかった。しまいには畠山の城址からあけびと云うものを取って来て瓶に挿んだ。それは色の褪めた茄子の色をしていた。そうしてその一つを鳥が啄いて空洞にしていた。――瓶に挿す草と花がしだいに変るうちに気節はようやく深い秋に入った。 日似三春永。 心随野水空。 牀頭花一片。 閑落小眠中。 三十一  若い時兄を二人失った。二人とも長い間床についていたから、死んだ時はいずれも苦しみ抜いた病の影を肉の上に刻んでいた。けれどもその長い間に延びた髪と髯は、死んだ後までも漆のように黒くかつ濃かった。髪はそれほどでもないが、剃る事のできないで不本意らしく爺々汚そうに生えた髯に至っては、見るから憐れであった。余は一人の兄の太く逞しい髯の色をいまだに記憶している。死ぬ頃の彼の顔がいかにも気の毒なくらい瘠せ衰えて小さく見えるのに引き易えて、髯だけは健康な壮者を凌ぐ勢で延びて来た一種の対照を、気味悪くまた情なく感じたためでもあろう。  大患に罹って生か死かと騒がれる余に、幾日かの怪しき時間は、生とも死とも片づかぬ空裏に過ぎた。存亡の領域がやや明かになった頃、まず吾存在を確めたいと云う願から、とりあえず鏡を取ってわが顔を照らして見た。すると何年か前に世を去った兄の面影が、卒然として冷かな鏡の裏を掠めて去った。骨ばかり意地悪く高く残った頬、人間らしい暖味を失った蒼く黄色い皮、落ち込んで動く余裕のない眼、それから無遠慮に延びた髪と髯、――どう見ても兄の記念であった。  ただ兄の髪と髯が死ぬまで漆のように黒かったのにかかわらず、余のそれらにはいつの間にか銀の筋が疎らに交っていた。考えて見ると兄は白髪の生える前に死んだのである。死ぬとすればその方が屑よいかも知れない。白髪に鬢や頬をぽつぽつ冒されながら、まだ生き延びる工夫に余念のない余は、今を盛りの年頃に容赦なく世を捨てて逝く壮者に比べると、何だかきまりが悪いほど未練らしかった。鏡に映るわが表情のうちには、無論はかないと云う心持もあったが、死に損なったと云う恥も少しは交っていた。また「ヴァージニバス・ピュエリスク」の中に、人はいくら年を取っても、少年の時と同じような性情を失わないものだと書いてあったのを、なるほどと首肯いて読んだ当時を憶い出して、ただその当時に立ち戻りたいような気もした。 「ヴァージニバス・ピュエリスク」の著者は、長い病苦に責められながらも、よくその快活の性情を終焉まで持ち続けたから、嘘は云わない男である。けれども惜しい事に髪の黒いうちに死んでしまった。もし彼が生きて六十七十の高齢に達したら、あるいはこうは云い切れなかったろうと思えば、思われない事もない。自分が二十の時、三十の人を見れば大変に懸隔があるように思いながら、いつか三十が来ると、二十の昔と同じ気分な事が分ったり、わが三十の時、四十の人に接すると、非常な差違を認めながら、四十に達して三十の過去をふり返れば、依然として同じ性情に活きつつある自己を悟ったりするので、スチーヴンソンの言葉ももっともと受けて、今日まで世を経たようなものの、外部から萌して来る老頽の徴候を、幾茎かの白髪に認めて、健康の常時とは心意の趣を異にする病裡の鏡に臨んだ刹那の感情には、若い影はさらに射さなかったからである。  白髪に強いられて、思い切りよく老の敷居を跨いでしまおうか、白髪を隠して、なお若い街巷に徘徊しようか、――そこまでは鏡を見た瞬間には考えなかった。また考える必要のないまでに、病める余は若い人々を遠くに見た。病気に罹る前、ある友人と会食したら、その友人が短かく刈った余の揉上を眺めて、そこから白髪に冒されるのを苦にしてだんだん上の方へ剃り上げるのではないかと聞いた。その時の余にはこう聞かれるだけの色気は充分あった。けれども病に罹った余は、白髪を看板にして事をしたいくらいまでに諦めよく落ちついていた。  病の癒えた今日の余は、病中の余を引き延ばした心に活きているのだろうか、または友人と食卓についた病気前の若さに立ち戻っているだろうか。はたしてスチーヴンソンの云った通りを歩く気だろうか、または中年に死んだ彼の言葉を否定してようやく老境に進むつもりだろうか。――白髪と人生の間に迷うものは若い人たちから見たらおかしいに違ない。けれども彼等若い人達にもやがて墓と浮世の間に立って去就を決しかねる時期が来るだろう。 桃花馬上少年時。 笑拠銀鞍払柳枝。 緑水至今迢逓去。 月明来照鬢如糸。 三十二  初めはただ漠然と空を見て寝ていた。それからしばらくしていつ帰れるのだろうと思い出した。ある時はすぐにも帰りたいような心持がした。けれども床の上に起き直る気力すらないものが、どうして汽車に揺られて半日の遠きを行くに堪え得ようかと考えると、帰りたいと念ずる自分がかなり馬鹿気て見えた。したがって傍のものに自分はいつ帰れるかと問い糺した事もなかった。同時に秋は幾度の昼夜を巻いて、わが心の前を過ぎた。空はしだいに高くかつ蒼くわが上を掩い始めた。  もう動かしても大事なかろうと云う頃になって、東京から別に二人の医者を迎えてその意見を確めたら、今二週間の後にと云う挨拶であった。挨拶があった翌日から余は自分の寝ている地と、寝ている室を見捨るのが急に惜しくなった。約束の二週間がなるべくゆっくり廻転するようにと冀った。かつて英国にいた頃、精一杯英国を悪んだ事がある。それはハイネが英国を悪んだごとく因業に英国を悪んだのである。けれども立つ間際になって、知らぬ人間の渦を巻いて流れている倫敦の海を見渡したら、彼らを包む鳶色の空気の奥に、余の呼吸に適する一種の瓦斯が含まれているような気がし出した。余は空を仰いで町の真中に佇ずんだ。二週間の後この地を去るべき今の余も、病む躯を横えて、床の上に独り佇ずまざるを得なかった。余は特に余のために造って貰った高さ一尺五寸ほどの偉大な藁蒲団に佇ずんだ。静かな庭の寂寞を破る鯉の水を切る音に佇ずんだ。朝露に濡れた屋根瓦の上を遠近と尾を揺かし歩く鶺鴒に佇ずんだ。枕元の花瓶にも佇ずんだ。廊下のすぐ下をちょろちょろと流れる水の音にも佇ずんだ。かくわが身を繞る多くのものに徊しつつ、予定の通り二週間の過ぎ去るのを待った。  その二週間は待ち遠いはがゆさもなく、またあっけない不足もなく普通の二週間のごとくに来て、尋常の二週間のごとくに去った。そうして雨の濛々と降る暁を最後の記念として与えた。暗い空を透かして、余は雨かと聞いたら、人は雨だと答えた。  人は余を運搬する目的をもって、一種妙なものを拵らえて、それを座敷の中に舁き入れた。長さは六尺もあったろう、幅はわずか二尺に足らないくらい狭かった。その一部は畳を離れて一尺ほどの高さまで上に反り返るように工夫してあった。そうして全部を白い布で捲いた。余は抱かれて、この高く反った前方に背を託して、平たい方に足を長く横たえた時、これは葬式だなと思った。生きたものに葬式と云う言葉は穏当でないが、この白い布で包んだ寝台とも寝棺とも片のつかないものの上に横になった人は、生きながら葬われるとしか余には受け取れなかった。余は口の中で、第二の葬式と云う言葉をしきりに繰り返した。人の一度は必ずやって貰う葬式を、余だけはどうしても二返執行しなければすまないと思ったからである。  舁かれて室を出るときは平であったが、階子段を降りる際には、台が傾いて、急に輿から落ちそうになった。玄関に来ると同宿の浴客が大勢並んで、左右から白い輿を目送していた。いずれも葬式の時のように静かに控えていた。余の寝台はその間を通り抜けて、雨の降る庇の外に担ぎ出された。外にも見物人はたくさんいた。やがて輿を竪に馬車の中に渡して、前後相対する席と席とで支えた。あらかじめ寸法を取って拵らえたので、輿はきっしりと旨く馬車の中に納った。馬は降る中を動き出した。余は寝ながら幌を打つ雨の音を聞いた。そうして、御者台と幌の間に見える窮屈な空間から、大きな岩や、松や、水の断片をありがたく拝した。竹藪の色、柿紅葉、芋の葉、槿垣、熟した稲の香、すべてを見るたびに、なるほど今はこんなものの有るべき季節であると、生れ返ったように憶い出しては嬉しがった。さらに進んでわが帰るべき所には、いかなる新らしい天地が、寝ぼけた古い記憶を蘇生せしむるために展開すべく待ち構えているだろうかと想像して独り楽しんだ。同時に昨日まで徊した藁蒲団も鶺鴒も秋草も鯉も小河もことごとく消えてしまった。 万事休時一息回。 余生豈忍比残灰。 風過古澗秋声起。 日落幽篁瞑色来。 漫道山中三月滞。 知門外一天開。 帰期勿後黄花節。 恐有羇魂夢旧苔。 三十三  正月を病院でした経験は生涯にたった一遍しかない。  松飾りの影が眼先に散らつくほど暮が押しつまった頃、余は始めてこの珍らしい経験を目前に控えた自分を異様に考え出した。同時にその考が単に頭だけに働らいて、毫も心臓の鼓動に響を伝えなかったのを不思議に思った。  余は白い寝床の上に寝ては、自分と病院と来るべき春とをかくのごとくいっしょに結びつける運命の酔興さ加減を懇ろに商量した。けれども起き直って机に向ったり、膳に着いたりする折は、もうここが我家だと云う気分に心を任して少しも怪しまなかった。それで歳は暮れても春は逼っても別に感慨と云うほどのものは浮ばなかった。余はそれほど長く病院にいて、それほど親しく患者の生活に根をおろしたからである。  いよいよ大晦日が来た時、余は小さい松を二本買って、それを自分の病室の入口に立てようかと思った。しかし松を支えるために釘を打ち込んで美くしい柱に創をつけるのも悪いと思ってやめにした。看護婦が表へ出て梅でも買って参りましょうと云うから買って貰う事にした。  この看護婦は修善寺以来余が病院を出るまで半年の間始終余の傍に附き切りに附いていた女である。余はことさらに彼の本名を呼んで町井石子嬢町井石子嬢と云っていた。時々は間違えて苗字と名前を顛倒して、石井町子嬢とも呼んだ。すると看護婦は首を傾げながらそう改めた方が好いようでございますねと云った。しまいには遠慮がなくなって、とうとう鼬と云う渾名をつけてやった。ある時何かのついでに、時に御前の顔は何かに似ているよと云ったら、どうせ碌なものに似ているのじゃございますまいと答えたので、およそ人間として何かに似ている以上は、まず動物にきまっている。ほかに似ようたって容易に似られる訳のものじゃないと言って聞かせると、そりゃ植物に似ちゃ大変ですと絶叫して以来、とうとう鼬ときまってしまったのである。  鼬の町井さんはやがて紅白の梅を二枝提げて帰って来た。白い方を蔵沢の竹の画の前に挿して、紅い方は太い竹筒の中に投げ込んだなり、袋戸の上に置いた。この間人から貰った支那水仙もくるくると曲って延びた葉の間から、白い香をしきりに放った。町井さんは、もうだいぶん病気がよくおなりだから、明日はきっと御雑煮が祝えるに違ないと云って余を慰めた。  除夜の夢は例年の通り枕の上に落ちた。こう云う大患に罹ったあげく、病院の人となって幾つの月を重ねた末、雑煮までここで祝うのかと考えると、頭の中にはアイロニーと云う羅馬字が明らかに綴られて見える。それにもかかわらず、感に堪えぬ趣は少しも胸を刺さずに、四十四年の春は自ずから南向の縁から明け放れた。そうして町井さんの予言の通り形ばかりとは云いながら、小さい一切の餅が元日らしく病人の眸に映じた。余はこの一椀の雑煮に自家頭上を照らすある意義を認めながら、しかも何等の詩味をも感ぜずに、小さな餅の片を平凡にかつ一口に、ぐいと食ってしまった。  二月の末になって、病室前の梅がちらほら咲き出す頃、余は医師の許を得て、再び広い世界の人となった。ふり返って見ると、入院中に、余と運命の一角を同じくしながら、ついに広い世界を見る機会が来ないで亡くなった人は少なくない。ある北国の患者は入院以後病勢がしだいに募るので、附添の息子が心配して、大晦日の夜になって、無理に郷里に連れて帰ったら、汽車がまだ先へ着かないうちに途中で死んでしまった。一間置いて隣りの人は自分で死期を自覚して、諦らめてしまえば死ぬと云う事は何でもないものだと云って、気の毒なほどおとなしい往生を遂げた。向うの外れにいた潰瘍患者の高い咳嗽が日ごとに薄らいで行くので、大方落ちついたのだろうと思って町井さんに尋ねて見ると、衰弱の結果いつの間にか死んでいた。そうかと思うと、癌で見込のない病人の癖に、から景気をつけて、回診の時に医師の顔を見るや否や、すぐ起き直って尻を捲るというのがあった。附添の女房を蹴たり打ったりするので、女房が洗面所へ来て泣いているのを、看護婦が見兼て慰めていましたと町井さんが話した事も覚えている。ある食道狭窄の患者は病院には這入っているようなものの迷いに迷い抜いて、灸点師を連れて来て灸を据えたり、海草を採って来て煎じて飲んだりして、ひたすら不治の癌症を癒そうとしていた。……  余はこれらの人と、一つ屋根の下に寝て、一つ賄の給仕を受けて、同じく一つ春を迎えたのである。退院後一カ月余の今日になって、過去を一攫にして、眼の前に並べて見ると、アイロニーの一語はますます鮮やかに頭の中に拈出される。そうしていつの間にかこのアイロニーに一種の実感が伴って、両つのものが互に纏綿して来た。鼬の町井さんも、梅の花も、支那水仙も、雑煮も、――あらゆる尋常の景趣はことごとく消えたのに、ただ当時の自分と今の自分との対照だけがはっきりと残るためだろうか。 底本:「夏目漱石全集7」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年4月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999年6月26日公開 2011年1月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。 「石+龍」    638-7    --> ●図書カード 夏目漱石 作物の批評 作物の批評 夏目漱石  中学には中学の課目があり、高等学校には高等学校の課目があって、これを修了せねば卒業の資格はないとしてある。その課目の数やその按排の順は皆文部省が制定するのだから各担任の教師は委託をうけたる学問をその時間の範囲内において出来得る限りの力を尽すべきが至当と云わねばならぬ。  しかるに各課担任の教師はその学問の専門家であるがため、専門以外の部門に無識にして無頓着なるがため、自己研究の題目と他人教授の課業との権衡を見るの明なきがため、往々わが範囲以外に飛び超えて、わが学問の有効を、他の領域内に侵入してまでも主張しようとする事がある。たとえば英語の教師が英語に熱心なるのあまり学生を鞭撻して、地理数学の研修に利用すべき当然の時間を割いてまでも難句集を暗誦させるようなものである。ただにそれのみではない、わが専攻する課目のほか、わが担任する授業のほかには天下又一の力を用いるに足るものなきを吹聴し来るのである。吹聴し来るだけならまだいい。はてはあらゆる他の課目を罵倒し去るのである。  かかる行動に出ずる人の中で、相当の論拠があって公然文部省所定の課目に服せぬものはここに引き合に出す限りではない。それほどの見識のある人ならば結構である。四角に仕切った芝居小屋の枡みたような時間割のなかに立て籠って、土竜のごとく働いている教師より遥かに結構である。しかし英語だけの本城に生涯の尻を落ちつけるのみならず、櫓から首を出して天下の形勢を視察するほどの能力さえなきものが、いたずらに自尊の念と固陋の見を綯り合せたるごとき没分暁の鞭を振って学生を精根のつづく限りたたいたなら、見じめなのは学生である。熱心は敬服すべきである。精神は嘉すべきである。その善意的なるもまた多とすべきである。あるにもかかわらず学生は迷惑である。当該課目における智識が欠乏するためではない、当該課目以外の智識が全然欠乏しているからである。ただ欠乏しているからではない。その結果としていらぬところまでのさばり出て、要もない課目を打ちのめさねばやまぬていの勇気があるから迷惑なのである。  これらの人は自己の主張を守るの点において志士である。主張を貫かんとするの点において勇士である。主張の長所を認むるの点において智者である。他意なく人のために尽さんとするの点において善人である。ただ自他の関係を知らず、眼を全局に注ぐ能わざるがため、わが縄張りを設けて、いい加減なところに幅を利かして満足すべきところを、足に任せて天下を横行して、憚からぬのが災になる。人が咎めれば云う。おれの地面と君の地面との境はどこだ。境は自分がきめぬだけで、人の方ではとうから定めている。再び咎めれば云う。この通り足が達者でどこへでも歩いて行かれるじゃないか。足の達者なのは御意の通りである。足に任せて人の畠を荒らされては困ると云うのである。かの志士と云い、勇士と云い、智者と云い、善人と云われたるものもここにおいてかたちまちに浪人となり、暴士となり、盲者となり、悪人となる。  今の評家のあるものは、ある点においてこの教師に似ていると思う。もっとも尊敬すべき言語をもって評家を翻訳すれば教師である。もっとも謙遜したる意義において作家を解釈すれば生徒である。生徒の点数は教師によって定まる。生徒の父兄朋友といえどもこの権利をいかんともする事はできん。学業の成蹟は一に教師の判断に任せて、不平をさしはさまざるのみならず、かえってこれによって彼らの優劣を定めんとしつつある。一般の世間が評家に望むところは正にこれにほかならぬ。  ただ学校の教師には専門がある。担任がある。評家はここまで発達しておらぬ。たまには詩のみ評するもの、劇のみ品するものもあるが、しかしそれすら寥々たるものである。のみならずこれらの分類は形式に属する分類であるから、専門として独立する価値があるかないかすでに疑問である。して見ると、つまりは純文学の批評家は純文学の方面に関するあらゆる創作を検閲して採点しつつある事になる。前例を布衍して云うと地理、数学、物理、歴史、語学の試験をただ一人で担任すると同様な結果になる。  純文学と云えばはなはだ単簡である。しかしその内容を論ずれば千差万別である。実は文学の標榜するところは何と何でその表現し得る題目はいかなる範囲に跨がって、その人を動かす点は幾ヵ条あって、これらが未来の開化に触るるときどこまで押拡げ得るものであるか、いまだ何人も組織的に研究したものがおらんのである。またすこぶるできにくいのである。  こう云うては分らんかも知らぬ。例を挙げて二三を語ればすぐに合点が行く。古い話であるが昔しの人は劇の三統一と云う事を必要条件のように説いた。ところが沙翁の劇はこれを破っている。しかも立派にできている。してみると統一が劇の必要であると云う趣味から沙翁の作物を見れば失望するにきまっている。あるいは駄作になるかも知れぬ。しかしこれがために統一論の価値がなくなったのではない。その価値がモジフハイされたのであると思う。だからこの条件を充たした劇を見ればやはりそれなりに面白い。その代り沙翁の劇を賞翫する態度でかかってはならぬ。読者の方で融通を利かして、その作物と同じ平面に立つだけの余裕がなくてはならぬ。ほかに一例をあげる。また沙翁を引合に出すが、あの男のかいたものはすごぶる乱暴な所がある。劇の一段がたった五六行で、始まるかと思うとすぐしまわねばならぬと思うのに、作者は大胆にも平気でいくらでも、こんな連鎖を設けている。無論マクベスの発端のように行数は短かくても、興味の上において全篇を貫く重みのあるものは論外であるが、平々凡々たるしかも十行内外の一段を設けるのは、話しの続きをあらわすためやむをえず挿入したのだと見え透くように思われる。換言すれば彼の戯曲のあるものは齣幕の組織において明かに比例を失している。だから比例だけを眼中に置いてマーチャント・オブ・ヴェニスを読むものは必ず失敗の作だと云うだろう。マーチャント・オブ・ヴェニスはこの点から読むべきものでないと云う事がわかる。また沙翁を引き合に出す。オセロは四大悲劇の一である。しかし読んでけっして好い感じの起るものではない。不愉快である。(今はその理由を説明する余地がないから略す)もし感じ一方をもってあの作に対すれば全然愚作である。幸にしてオセロは事件の綜合と人格の発展が非常にうまく配合されて自然と悲劇に運び去る手際がある。読者はそれを見ればいい。日本の芝居の仕組は支離滅裂である。馬鹿馬鹿しい。結構とか性格とか云う点からあれを見たならば抱腹するのが多いだろう。しかし幕に変化がある。出来事が走馬灯のごとく人を驚かして続々出る。ここだけを面白がって、そのほかを忘れておればやはり幾分の興味がある。一九は御覧の通りの作者である。一九を読んで崇高の感がないと云うのは非難しようもない。崇高の感がないから排斥すべしと云うのは、文学と崇高の感と内容において全部一致した暁でなければ云えぬ事である。一九に点を与えるときには滑稽が下卑であるから五十とか、諧謔が自然だから九十とかきめなければならぬ。メリメのカルメンはカルメンと云う女性を描いて躍然たらしめている。あれを読んで人生問題の根元に触れていないから駄作だと云うのは数学の先生が英語の答案を見て方程式にあてはまらないから落第だと云うようなものである。デフォーは一種の写実家である。ロビンソンクルーソーを読んでテニソンのイノック・アーデンのように詩趣がないと云う。ここまではなるほどと降参せねばならぬ。しかしそれだからロビンソンクルーソーは作物にならないと云うのは歌麿の風俗画には美人があるが、ギド・レニのマグダレンは女になっておらんと主張するようなものである。――例を挙げれば際限がないからやめる。  作家が評家に呈出する答案はかくのごとく多種多面である。評家は中学の教師のごとく部門をわけて採点するかまたは一人で物理、数学、地理、歴史の智識を兼ねなければならぬ。今の評家は後者である。いやしくも評家であって、専門の分岐せぬ今の世に立つからには、多様の作家が呈出する答案を検閲するときにあたって、いろいろに立場を易えて、作家の精神を汲まねばならぬ。融通のきかぬ一本調子の趣味に固執して、その趣味以外の作物を一気に抹殺せんとするのは、英語の教師が物理、化学、歴史を受け持ちながら、すべての答案を英語の尺度で採点してしまうと一般である。その尺度に合せざる作家はことごとく落第の悲運に際会せざるを得ない。世間は学校の採点を信ずるごとく、評家を信ずるの極ついにその落第を当然と認定するに至るだろう。  ここにおいて評家の責任が起る。評家はまず世間と作家とに向って文学はいかなる者ぞと云う解決を与えねばならん。文学上の述作を批判するにあたって(詩は詩、劇は劇、小説は小説、すべてに共有なる点は共有なる点として)批判すべき条項を明かに備えねばならぬ。あたかも中学及び高等学校の規定が何と何と、これこれとを修め得ざるものは学生にあらずと宣告するがごとくせねばならん。この条項を備えたる評家はこの条項中のあるものについて百より〇に至るまでの点数を作家に附与せねばならん。この条項のうちわが趣味の欠乏して自己に答案を検査するの資格なしと思惟するときは作家と世間とに遠慮して点数を付与する事を差し控えねばならん。評家は自己の得意なる趣味において専門教師と同等の権力を有するを得べきも、その縄張以外の諸点においては知らぬ、わからぬと云い切るか、または何事をも云わぬが礼であり、徳義である。  これらの条項を机の上に貼り附けるのは、学校の教師が、学校の課目全体を承知の上で、自己の受持に当るようなもので、自他の関係を明かにして、文学の全体を一目に見渡すと同時に、自己の立脚地を知るの便宜になる。今の評家はこの便宜を認めていない。認めても作っていない。ただ手当り次第にやる。述作に対すると思いついた事をいい加減に述べる。だから評し尽したのだか、まだ残っているのか当人にも判然しない。西洋も日本も同じ事である。  これらの条項を遺憾なく揃えるためには過去の文学を材料とせねばならぬ。過去の批評を一括してその変遷を知らねばならぬ。したがって上下数千年に渉って抽象的の工夫を費やさねばならぬ。右から見ている人と左から眺めている人との関係を同じ平面にあつめて比較せねばならぬ。昔しの人の述作した精神と、今の人の支配を受くる潮流とを地図のように指し示さねばならぬ。要するに一人の事業ではない。一日の事業でもない。  この条項を備えたる人にして始めて、この条項中に差等をつける事を考えてもよいと思う。人力も人を載せる。電車も人も載せる。両者を知ったものが始めて両者の利害長短を比較するの権利を享ける。中学の課目は数においてきまっている。時間の多少は一様ではない。必要の度の高い英語のごときは比較的多くの時間を占領している。批評の条項についても諸人の合意でこれらの高下を定める事ができるかも知れぬ。(できぬかも知れぬ)崇高感を第一位に置くもよい。純美感を第一にするもよい。あるいは人間の機微に触れた内部の消息を伝えた作品を第一位に据えてもいい。あるいは平々淡々のうちに人を引き着ける垢抜けのした著述を推すもいい。猛烈なものでも、沈静なものでも、形式の整ったものでも、放縦にしてまとまらぬうちに面白味のあるものでも、精緻を極めたものでも、一気に呵成したものでも、神秘的なものでも、写実的なものでも、朧のなかに影を認めるような糢糊たるものでも、青天白日の下に掌をさすがごとき明暸なものでもいい――。相当の理由があって第一位に置かんとならば、相当の理由があって等差を附するならば差支ない。ただしできるかできぬかは疑問である。  これらの条項に差等をつけると同時にこれらの条項中のあるものは性質において併立して存在すべきも、甲乙を従属せしむべきものでないと云う事に気がつくかも知れぬ。しかもその併立せるものが一見反対の趣味で相容れぬと云う事実も認め得るかも知れぬ――批評家は反対の趣味も同時に胸裏に蓄える必要がある。  物理学者が物質を材料とするごとく、動物学者が動物を材料とするごとく、批評家もまた過去の文学を材料として以上の条項とこの条項に従て起る趣味の法則を得ねばならぬ。されどもこの条項とこの法則とは過去の材料より得たる事実を忘れてはならぬ。したがって古に拘泥してあらゆる未来の作物にこれらを応用して得たりと思うは誤りである。死したる自然は古今来を通じて同一である。活動せる人間精神の発現は版行で押したようには行かぬ。過去の文学は未来の文学を生む。生まれたものは同じ訳には行かぬ。同じ訳に行かぬものを、同じ法則で品隲せんとするのは舟を刻んで剣を求むるの類である。過去を綜合して得たる法則は批評家の参考で、批評家の尺度ではない。尺度は伸縮自在にして常に彼の胸中に存在せねばならぬ。批評の法則が立つと文学が衰えるとはこのためである。法則がわるいのではない。法則を利用する評家が変通の理を解せんのである。  作家は造物主である。造物主である以上は評家の予期するものばかりは拵らえぬ。突然として破天荒の作物を天降らせて評家の脳を奪う事がある。中学の課目は文部省できめてある。課目以外の答案を出して採点を求める生徒は一人もない。したがって教師は融通が利かなくてもよい。造物主は白い烏を一夜に作るかも知れぬ。動物学者は白い烏を見た以上は烏は黒いものなりとの定義を変ずる必要を認めねばならぬごとく、批評家もまた古来の法則に遵わざる、また過去の作中より挙げ尽したる評価的条項以外の条項を有する文辞に接せぬとは限らぬ。これに接したるとき、白い烏を烏と認むるほどの、見識と勇気と説明がなくてはならぬ。これができるためには以上の条項と法則を知れねばならぬ。知って融通の才を利かさねばならぬ。拘泥すればそれまでである。  現代評家の弊はこの条項とこの法則を知らざるにある。ある人は煩悶を描かねば文学でないと云う。あるものは他にいかほどの採るべき点があっても、事件に少しでも不自然があれば文学でないと云う。あるものは人間交渉の際卒然として起る際どき真味がなければ文学でないと云う。あるものは平淡なる写生文に事件の発展がないのを見て文学でないと云う。しかして評家が従来の読書及び先輩の薫陶、もしくは自己の狭隘なる経験より出でたる一縷の細長き趣味中に含まるるもののみを見て真の文学だ、真の文学だと云う。余はこれを不快に思う。  余は評家ではない。前段に述べたる資格を有する評家では無論ない。したがって評家としての余の位地を高めんがためにこの篇を草したのではない。時間の許す限り世の評家と共に過去を研究して、出来得る限りこの根拠地を作りたいと思う。思うについては自分一人でやるより広く天下の人と共にやる方がわが文界の慶事であるから云うのである。今の評家はかほどの事を知らぬ訳ではあるまいから、御互にこう云う了見で過去を研究して、御互に得た結果を交換して自然と吾邦将来の批評の土台を築いたらよかろうと相談をするのである。実は西洋でもさほど進歩しておらんと思う。  余は今日までに多少の創作をした。この創作が世間に解せられずして不平だからこの言をなすのでないのは無論である。余の作物は余の予期以上に歓迎されておる。たといある人々から種々の注文が出ても、その注文者の立場は余によくわかっておる。したがってこれらの人に対して不平はなおさらない。だから余の云う事は自己の作物のためでない事は明かである。余はただ吾邦未来の文運のために云うのである。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年9月15日公開 2004年2月26日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。 夏目漱石 三四郎 三四郎 夏目漱石 一  うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。  女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。  三輪田のお光さんと同じ色である。国を立つまぎわまでは、お光さんは、うるさい女であった。そばを離れるのが大いにありがたかった。けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くはない。  ただ顔だちからいうと、この女のほうがよほど上等である。口に締まりがある。目がはっきりしている。額がお光さんのようにだだっ広くない。なんとなくいい心持ちにできあがっている。それで三四郎は五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の目がゆきあたることもあった。じいさんが女の隣へ腰をかけた時などは、もっとも注意して、できるだけ長いあいだ、女の様子を見ていた。その時女はにこりと笑って、さあおかけと言ってじいさんに席を譲っていた。それからしばらくして、三四郎は眠くなって寝てしまったのである。  その寝ているあいだに女とじいさんは懇意になって話を始めたものとみえる。目をあけた三四郎は黙って二人の話を聞いていた。女はこんなことを言う。――  子供の玩具はやっぱり広島より京都のほうが安くっていいものがある。京都でちょっと用があって降りたついでに、蛸薬師のそばで玩具を買って来た。久しぶりで国へ帰って子供に会うのはうれしい。しかし夫の仕送りがとぎれて、しかたなしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉にいて長らく海軍の職工をしていたが戦争中は旅順の方に行っていた。戦争が済んでからいったん帰って来た。まもなくあっちのほうが金がもうかるといって、また大連へ出かせぎに行った。はじめのうちは音信もあり、月々のものもちゃんちゃんと送ってきたからよかったが、この半年ばかり前から手紙も金もまるで来なくなってしまった。不実な性質ではないから、大丈夫だけれども、いつまでも遊んで食べているわけにはゆかないので、安否のわかるまではしかたがないから、里へ帰って待っているつもりだ。  じいさんは蛸薬師も知らず、玩具にも興味がないとみえて、はじめのうちはただはいはいと返事だけしていたが、旅順以後急に同情を催して、それは大いに気の毒だと言いだした。自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。いったい戦争はなんのためにするものだかわからない。あとで景気でもよくなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんなばかげたものはない。世のいい時分に出かせぎなどというものはなかった。みんな戦争のおかげだ。なにしろ信心が大切だ。生きて働いているに違いない。もう少し待っていればきっと帰って来る。――じいさんはこんな事を言って、しきりに女を慰めていた。やがて汽車がとまったら、ではお大事にと、女に挨拶をして元気よく出て行った。  じいさんに続いて降りた者が四人ほどあったが、入れ代って、乗ったのはたった一人しかない。もとから込み合った客車でもなかったのが、急に寂しくなった。日の暮れたせいかもしれない。駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯のついたランプをさしこんでゆく。三四郎は思い出したように前の停車場で買った弁当を食いだした。  車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。この時女の帯の色がはじめて三四郎の目にはいった。三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながらしきりに食っている。  女はやがて帰って来た[#「帰って来た」は底本では「帰った来た」]。今度は正面が見えた。三四郎の弁当はもうしまいがけである。下を向いて一生懸命に箸を突っ込んで二口三口ほおばったが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい。もしやと思って、ひょいと目を上げて見るとやっぱり正面に立っていた。しかし三四郎が目を上げると同時に女は動きだした。ただ三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべきところを、すぐと前へ来て、からだを横へ向けて、窓から首を出して、静かに外をながめだした。風が強くあたって、鬢がふわふわするところが三四郎の目にはいった。この時三四郎はからになった弁当の折を力いっぱいに窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の蓋が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。顔はあいにく列車の外に出ていた。けれども、女は静かに首を引っ込めて更紗のハンケチで額のところを丁寧にふき始めた。三四郎はともかくもあやまるほうが安全だと考えた。 「ごめんなさい」と言った。  女は「いいえ」と答えた。まだ顔をふいている。三四郎はしかたなしに黙ってしまった。女も黙ってしまった。そうしてまた首を窓から出した。三、四人の乗客は暗いランプの下で、みんな寝ぼけた顔をしている。口をきいている者はだれもない。汽車だけがすさまじい音をたてて行く。三四郎は目を眠った。  しばらくすると「名古屋はもうじきでしょうか」と言う女の声がした。見るといつのまにか向き直って、及び腰になって、顔を三四郎のそばまでもって来ている。三四郎は驚いた。 「そうですね」と言ったが、はじめて東京へ行くんだからいっこう要領を得ない。 「この分では遅れますでしょうか」 「遅れるでしょう」 「あんたも名古屋へお降りで……」 「はあ、降ります」  この汽車は名古屋どまりであった。会話はすこぶる平凡であった。ただ女が三四郎の筋向こうに腰をかけたばかりである。それで、しばらくのあいだはまた汽車の音だけになってしまう。  次の駅で汽車がとまった時、女はようやく三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内してくれと言いだした。一人では気味が悪いからと言って、しきりに頼む。三四郎ももっともだと思った。けれども、そう快く引き受ける気にもならなかった。なにしろ知らない女なんだから、すこぶる躊躇したにはしたが、断然断る勇気も出なかったので、まあいいかげんな生返事をしていた。そのうち汽車は名古屋へ着いた。  大きな行李は新橋まで預けてあるから心配はない。三四郎はてごろなズックの鞄と傘だけ持って改札場を出た。頭には高等学校の夏帽をかぶっている。しかし卒業したしるしに徽章だけはもぎ取ってしまった。昼間見るとそこだけ色が新しい。うしろから女がついて来る。三四郎はこの帽子に対して少々きまりが悪かった。けれどもついて来るのだからしかたがない。女のほうでは、この帽子をむろん、ただのきたない帽子と思っている。  九時半に着くべき汽車が四十分ほど遅れたのだから、もう十時はまわっている。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口のようににぎやかだ。宿屋も目の前に二、三軒ある。ただ三四郎にはちとりっぱすぎるように思われた。そこで電気燈のついている三階作りの前をすまして通り越して、ぶらぶら歩いて行った。むろん不案内の土地だからどこへ出るかわからない。ただ暗い方へ行った。女はなんともいわずについて来る。すると比較的寂しい横町の角から二軒目に御宿という看板が見えた。これは三四郎にも女にも相応なきたない看板であった。三四郎はちょっと振り返って、一口女にどうですと相談したが、女は結構だというんで、思いきってずっとはいった。上がり口で二人連れではないと断るはずのところを、いらっしゃい、――どうぞお上がり――御案内――梅の四番などとのべつにしゃべられたので、やむをえず無言のまま二人とも梅の四番へ通されてしまった。  下女が茶を持って来るあいだ二人はぼんやり向かい合ってすわっていた。下女が茶を持って来て、お風呂をと言った時は、もうこの婦人は自分の連れではないと断るだけの勇気が出なかった。そこで手ぬぐいをぶら下げて、お先へと挨拶をして、風呂場へ出て行った。風呂場は廊下の突き当りで便所の隣にあった。薄暗くって、だいぶ不潔のようである。三四郎は着物を脱いで、風呂桶の中へ飛び込んで、少し考えた。こいつはやっかいだとじゃぶじゃぶやっていると、廊下に足音がする。だれか便所へはいった様子である。やがて出て来た。手を洗う。それが済んだら、ぎいと風呂場の戸を半分あけた。例の女が入口から、「ちいと流しましょうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、 「いえ、たくさんです」と断った。しかし女は出ていかない。かえってはいって来た。そうして帯を解きだした。三四郎といっしょに湯を使う気とみえる。べつに恥かしい様子も見えない。三四郎はたちまち湯槽を飛び出した。そこそこにからだをふいて座敷へ帰って、座蒲団の上にすわって、少なからず驚いていると、下女が宿帳を持って来た。  三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女のところへいってまったく困ってしまった。湯から出るまで待っていればよかったと思ったが、しかたがない。下女がちゃんと控えている。やむをえず同県同郡同村同姓花二十三年とでたらめを書いて渡した。そうしてしきりに団扇を使っていた。  やがて女は帰って来た。「どうも、失礼いたしました」と言っている。三四郎は「いいや」と答えた。  三四郎は鞄の中から帳面を取り出して日記をつけだした。書く事も何もない。女がいなければ書く事がたくさんあるように思われた。すると女は「ちょいと出てまいります」と言って部屋を出ていった。三四郎はますます日記が書けなくなった。どこへ行ったんだろうと考え出した。  そこへ下女が床をのべに来る。広い蒲団を一枚しか持って来ないから、床は二つ敷かなくてはいけないと言うと、部屋が狭いとか、蚊帳が狭いとか言ってらちがあかない。めんどうがるようにもみえる。しまいにはただいま番頭がちょっと出ましたから、帰ったら聞いて持ってまいりましょうと言って、頑固に一枚の蒲団を蚊帳いっぱいに敷いて出て行った。  それから、しばらくすると女が帰って来た。どうもおそくなりましてと言う。蚊帳の影で何かしているうちに、がらんがらんという音がした。子供にみやげの玩具が鳴ったに違いない。女はやがて風呂敷包みをもとのとおりに結んだとみえる。蚊帳の向こうで「お先へ」と言う声がした。三四郎はただ「はあ」と答えたままで、敷居に尻を乗せて、団扇を使っていた。いっそこのままで夜を明かしてしまおうかとも思った。けれども蚊がぶんぶん来る。外ではとてもしのぎきれない。三四郎はついと立って、鞄の中から、キャラコのシャツとズボン下を出して、それを素肌へ着けて、その上から紺の兵児帯を締めた。それから西洋手拭を二筋持ったまま蚊帳の中へはいった。女は蒲団の向こうのすみでまだ団扇を動かしている。 「失礼ですが、私は癇症でひとの蒲団に寝るのがいやだから……少し蚤よけの工夫をやるから御免なさい」  三四郎はこんなことを言って、あらかじめ、敷いてある敷布の余っている端を女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻きだした。そうして蒲団のまん中に白い長い仕切りをこしらえた。女は向こうへ寝返りを打った。三四郎は西洋手拭を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、その上に細長く寝た。その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外には一寸も出なかった。女は一言も口をきかなかった。女も壁を向いたままじっとして動かなかった。  夜はようよう明けた。顔を洗って膳に向かった時、女はにこりと笑って、「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」と聞いた。三四郎は「ええ、ありがとう、おかげさまで」というようなことをまじめに答えながら、下を向いて、お猪口の葡萄豆をしきりに突っつきだした。  勘定をして宿を出て、停車場へ着いた時、女ははじめて関西線で四日市の方へ行くのだということを三四郎に話した。三四郎の汽車はまもなく来た。時間のつごうで女は少し待ち合わせることとなった。改札場のきわまで送って来た女は、 「いろいろごやっかいになりまして、……ではごきげんよう」と丁寧にお辞儀をした。三四郎は鞄と傘を片手に持ったまま、あいた手で例の古帽子を取って、ただ一言、 「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、 「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。三四郎はプラットフォームの上へはじき出されたような心持ちがした。車の中へはいったら両方の耳がいっそうほてりだした。しばらくはじっと小さくなっていた。やがて車掌の鳴らす口笛が長い列車の果から果まで響き渡った。列車は動きだす。三四郎はそっと窓から首を出した。女はとくの昔にどこかへ行ってしまった。大きな時計ばかりが目についた。三四郎はまたそっと自分の席に帰った。乗合いはだいぶいる。けれども三四郎の挙動に注意するような者は一人もない。ただ筋向こうにすわった男が、自分の席に帰る三四郎をちょっと見た。  三四郎はこの男に見られた時、なんとなくきまりが悪かった。本でも読んで気をまぎらかそうと思って、鞄をあけてみると、昨夜の西洋手拭が、上のところにぎっしり詰まっている。そいつをそばへかき寄せて、底のほうから、手にさわったやつをなんでもかまわず引き出すと、読んでもわからないベーコンの論文集が出た。ベーコンには気の毒なくらい薄っぺらな粗末な仮綴である。元来汽車の中で読む了見もないものを、大きな行李に入れそくなったから、片づけるついでに提鞄の底へ、ほかの二、三冊といっしょにほうり込んでおいたのが、運悪く当選したのである。三四郎はベーコンの二十三ページを開いた。他の本でも読めそうにはない。ましてベーコンなどはむろん読む気にならない。けれども三四郎はうやうやしく二十三ページを開いて、万遍なくページ全体を見回していた。三四郎は二十三ページの前で一応昨夜のおさらいをする気である。  元来あの女はなんだろう。あんな女が世の中にいるものだろうか。女というものは、ああおちついて平気でいられるものだろうか。無教育なのだろうか、大胆なのだろうか。それとも無邪気なのだろうか。要するにいけるところまでいってみなかったから、見当がつかない。思いきってもう少しいってみるとよかった。けれども恐ろしい。別れぎわにあなたは度胸のないかただと言われた時には、びっくりした。二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。親でもああうまく言いあてるものではない。――  三四郎はここまで来て、さらにしょげてしまった。どこの馬の骨だかわからない者に、頭の上がらないくらいどやされたような気がした。ベーコンの二十三ページに対しても、はなはだ申し訳がないくらいに感じた。  どうも、ああ狼狽しちゃだめだ。学問も大学生もあったものじゃない。はなはだ人格に関係してくる。もう少しはしようがあったろう。けれども相手がいつでもああ出るとすると、教育を受けた自分には、あれよりほかに受けようがないとも思われる。するとむやみに女に近づいてはならないというわけになる。なんだか意気地がない。非常に窮屈だ。まるで不具にでも生まれたようなものである。けれども……  三四郎は急に気をかえて、別の世界のことを思い出した。――これから東京に行く。大学にはいる。有名な学者に接触する。趣味品性の備わった学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間で喝采する。母がうれしがる。というような未来をだらしなく考えて、大いに元気を回復してみると、べつに二十三ページのなかに顔を埋めている必要がなくなった。そこでひょいと頭を上げた。すると筋向こうにいたさっきの男がまた三四郎の方を見ていた。今度は三四郎のほうでもこの男を見返した。  髭を濃くはやしている。面長のやせぎすの、どことなく神主じみた男であった。ただ鼻筋がまっすぐに通っているところだけが西洋らしい。学校教育を受けつつある三四郎は、こんな男を見るときっと教師にしてしまう。男は白地の絣の下に、鄭重に白い襦袢を重ねて、紺足袋をはいていた。この服装からおして、三四郎は先方を中学校の教師と鑑定した。大きな未来を控えている自分からみると、なんだかくだらなく感ぜられる。男はもう四十だろう。これよりさきもう発展しそうにもない。  男はしきりに煙草をふかしている。長い煙を鼻の穴から吹き出して、腕組をしたところはたいへん悠長にみえる。そうかと思うとむやみに便所か何かに立つ。立つ時にうんと伸びをすることがある。さも退屈そうである。隣に乗り合わせた人が、新聞の読みがらをそばに置くのに借りてみる気も出さない。三四郎はおのずから妙になって、ベーコンの論文集を伏せてしまった。ほかの小説でも出して、本気に読んでみようとも考えたが、面倒だからやめにした。それよりは前にいる人の新聞を借りたくなった。あいにく前の人はぐうぐう寝ている。三四郎は手を延ばして新聞に手をかけながら、わざと「おあきですか」と髭のある男に聞いた。男は平気な顔で「あいてるでしょう。お読みなさい」と言った。新聞を手に取った三四郎のほうはかえって平気でなかった。  あけてみると新聞にはべつに見るほどの事ものっていない。一、二分で通読してしまった。律義に畳んでもとの場所へ返しながら、ちょっと会釈すると、向こうでも軽く挨拶をして、 「君は高等学校の生徒ですか」と聞いた。  三四郎は、かぶっている古帽子の徽章の痕が、この男の目に映ったのをうれしく感じた。 「ええ」と答えた。 「東京の?」と聞き返した時、はじめて、 「いえ、熊本です。……しかし……」と言ったなり黙ってしまった。大学生だと言いたかったけれども、言うほどの必要がないからと思って遠慮した。相手も「はあ、そう」と言ったなり煙草を吹かしている。なぜ熊本の生徒が今ごろ東京へ行くんだともなんとも聞いてくれない。熊本の生徒には興味がないらしい。この時三四郎の前に寝ていた男が「うん、なるほど」と言った。それでいてたしかに寝ている。ひとりごとでもなんでもない。髭のある人は三四郎を見てにやにやと笑った。三四郎はそれを機会に、 「あなたはどちらへ」と聞いた。 「東京」とゆっくり言ったぎりである。なんだか中学校の先生らしくなくなってきた。けれども三等へ乗っているくらいだからたいしたものでないことは明らかである。三四郎はそれで談話を切り上げた。髭のある男は腕組をしたまま、時々下駄の前歯で、拍子を取って、床を鳴らしたりしている。よほど退屈にみえる。しかしこの男の退屈は話したがらない退屈である。  汽車が豊橋へ着いた時、寝ていた男がむっくり起きて目をこすりながら降りて行った。よくあんなにつごうよく目をさますことができるものだと思った。ことによると寝ぼけて停車場を間違えたんだろうと気づかいながら、窓からながめていると、けっしてそうでない。無事に改札場を通過して、正気の人間のように出て行った。三四郎は安心して席を向こう側へ移した。これで髭のある人と隣り合わせになった。髭のある人は入れ代って、窓から首を出して、水蜜桃を買っている。  やがて二人のあいだに果物を置いて、 「食べませんか」と言った。  三四郎は礼を言って、一つ食べた。髭のある人は好きとみえて、むやみに食べた。三四郎にもっと食べろと言う。三四郎はまた一つ食べた。二人が水蜜桃を食べているうちにだいぶ親密になっていろいろな話を始めた。  その男の説によると、桃は果物のうちでいちばん仙人めいている。なんだか馬鹿みたような味がする。第一核子の恰好が無器用だ。かつ穴だらけでたいへんおもしろくできあがっていると言う。三四郎ははじめて聞く説だが、ずいぶんつまらないことを言う人だと思った。  次にその男がこんなことを言いだした。子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。――三四郎は笑って聞いていた。けれども子規の話だけには興味があるような気がした。もう少し子規のことでも話そうかと思っていると、 「どうも好きなものにはしぜんと手が出るものでね。しかたがない。豚などは手が出ない代りに鼻が出る。豚をね、縛って動けないようにしておいて、その鼻の先へ、ごちそうを並べて置くと、動けないものだから、鼻の先がだんだん延びてくるそうだ。ごちそうに届くまでは延びるそうです。どうも一念ほど恐ろしいものはない」と言って、にやにや笑っている。まじめだか冗談だか、判然と区別しにくいような話し方である。 「まあお互に豚でなくってしあわせだ。そうほしいものの方へむやみに鼻が延びていったら、今ごろは汽車にも乗れないくらい長くなって困るに違いない」  三四郎は吹き出した。けれども相手は存外静かである。 「じっさいあぶない。レオナルド・ダ・ヴィンチという人は桃の幹に砒石を注射してね、その実へも毒が回るものだろうか、どうだろうかという試験をしたことがある。ところがその桃を食って死んだ人がある。あぶない。気をつけないとあぶない」と言いながら、さんざん食い散らした水蜜桃の核子やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へなげ出した。  今度は三四郎も笑う気が起こらなかった。レオナルド・ダ・ヴィンチという名を聞いて少しく辟易したうえに、なんだかゆうべの女のことを考え出して、妙に不愉快になったから、謹んで黙ってしまった。けれども相手はそんなことにいっこう気がつかないらしい。やがて、 「東京はどこへ」と聞きだした。 「じつははじめてで様子がよくわからんのですが……さしあたり国の寄宿舎へでも行こうかと思っています」と言う。 「じゃ熊本はもう……」 「今度卒業したのです」 「はあ、そりゃ」と言ったがおめでたいとも結構だともつけなかった。ただ「するとこれから大学へはいるのですね」といかにも平凡であるかのごとく聞いた。  三四郎はいささか物足りなかった。その代り、 「ええ」という二字で挨拶を片づけた。 「科は?」とまた聞かれる。 「一部です」 「法科ですか」 「いいえ文科です」 「はあ、そりゃ」とまた言った。三四郎はこのはあ、そりゃを聞くたびに妙になる。向こうが大いに偉いか、大いに人を踏み倒しているか、そうでなければ大学にまったく縁故も同情もない男に違いない。しかしそのうちのどっちだか見当がつかないので、この男に対する態度もきわめて不明瞭であった。  浜松で二人とも申し合わせたように弁当を食った。食ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四、五人列車の前を行ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦とみえて、暑いのに手を組み合わせている。女は上下ともまっ白な着物で、たいへん美しい。三四郎は生まれてから今日に至るまで西洋人というものを五、六人しか見たことがない。そのうちの二人は熊本の高等学校の教師で、その二人のうちの一人は運悪くせむしであった。女では宣教師を一人知っている。ずいぶんとんがった顔で、鱚またはに類していた。だから、こういう派手なきれいな西洋人は珍しいばかりではない。すこぶる上等に見える。三四郎は一生懸命にみとれていた。これではいばるのももっともだと思った。自分が西洋へ行って、こんな人のなかにはいったらさだめし肩身の狭いことだろうとまで考えた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いてみたがちっともわからない。熊本の教師とはまるで発音が違うようだった。  ところへ例の男が首を後から出して、 「まだ出そうもないのですかね」と言いながら、今行き過ぎた西洋の夫婦をちょいと見て、 「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸をした。三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、 「どうも西洋人は美しいですね」と言った。  三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、 「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。 「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、 「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」  この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。  その晩三四郎は東京に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。三四郎は東京へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。 二  三四郎が東京で驚いたものはたくさんある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。次に丸の内で驚いた。もっとも驚いたのは、どこまで行っても東京がなくならないということであった。しかもどこをどう歩いても、材木がほうり出してある、石が積んである、新しい家が往来から二、三間引っ込んでいる、古い蔵が半分とりくずされて心細く前の方に残っている。すべての物が破壊されつつあるようにみえる。そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるようにみえる。たいへんな動き方である。  三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却した。不愉快でたまらない。  この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。洞が峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。  三四郎は東京のまん中に立って電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、こう感じた。けれども学生生活の裏面に横たわる思想界の活動には毫も気がつかなかった。――明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。  三四郎が動く東京のまん中に閉じ込められて、一人でふさぎこんでいるうちに、国元の母から手紙が来た。東京で受け取った最初のものである。見るといろいろ書いてある。まず今年は豊作でめでたいというところから始まって、からだを大事にしなくってはいけないという注意があって、東京の者はみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届くようにするから安心しろとあって、勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心の名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮宗八どのと書いてあった。この欄外にはそのほか二、三件ある。作の青馬が急病で死んだんで、作は大弱りである。三輪田のお光さんが鮎をくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから、家内で食べてしまった、等である。  三四郎はこの手紙を見て、なんだか古ぼけた昔から届いたような気がした。母にはすまないが、こんなものを読んでいる暇はないとまで考えた。それにもかかわらず繰り返して二へん読んだ。要するに自分がもし現実世界と接触しているならば、今のところ母よりほかにないのだろう。その母は古い人で古いいなかにおる。そのほかには汽車の中で乗り合わした女がいる。あれは現実世界の稲妻である。接触したというには、あまりに短くってかつあまりに鋭すぎた。――三四郎は母の言いつけどおり野々宮宗八を尋ねることにした。  あくる日は平生よりも暑い日であった。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町の門からはいった。往来は埃が二寸も積もっていて、その上に下駄の歯や、靴の底や、草鞋の裏がきれいにできあがってる。車の輪と自転車のあとは幾筋だかわからない。むっとするほどたまらない道だったが、構内へはいるとさすがに木の多いだけに気分がせいせいした。とっつきの戸をあたってみたら錠が下りている。裏へ回ってもだめであった。しまいに横へ出た。念のためと思って押してみたら、うまいぐあいにあいた。廊下の四つ角に小使が一人居眠りをしていた。来意を通じると、しばらくのあいだは、正気を回復するために、上野の森をながめていたが、突然「おいでかもしれません」と言って奥へはいって行った。すこぶる閑静である。やがてまた出て来た。 「おいででやす。おはいんなさい」と友だちみたように言う。小使にくっついて行くと四つ角を曲がって和土の廊下を下へ降りた。世界が急に暗くなる。炎天で目がくらんだ時のようであったがしばらくすると瞳がようやくおちついて、あたりが見えるようになった。穴倉だから比較的涼しい。左の方に戸があって、その戸があけ放してある。そこから顔が出た。額の広い目の大きな仏教に縁のある相である。縮みのシャツの上へ背広を着ているが、背広はところどころにしみがある。背はすこぶる高い。やせているところが暑さに釣り合っている。頭と背中を一直線に前の方へ延ばしてお辞儀をした。 「こっちへ」と言ったまま、顔を部屋の中へ入れてしまった。三四郎は戸の前まで来て部屋の中をのぞいた。すると野々宮君はもう椅子へ腰をかけている。もう一ぺん「こっちへ」と言った。こっちへと言うところに台がある。四角な棒を四本立てて、その上を板で張ったものである。三四郎は台の上へ腰をかけて初対面の挨拶をする。それからなにぶんよろしく願いますと言った。野々宮君はただはあ、はあと言って聞いている。その様子がいくぶんか汽車の中で水蜜桃を食った男に似ている。ひととおり口上を述べた三四郎はもう何も言う事がなくなってしまった。野々宮君もはあ、はあ言わなくなった。  部屋の中を見回すとまん中に大きな長い樫のテーブルが置いてある。その上にはなんだかこみいった、太い針金だらけの器械が乗っかって、そのわきに大きなガラスの鉢に水が入れてある。そのほかにやすりとナイフと襟飾りが一つ落ちている。最後に向こうのすみを見ると、三尺ぐらいの花崗石の台の上に、福神漬の缶ほどな複雑な器械が乗せてある。三四郎はこの缶の横っ腹にあいている二つの穴に目をつけた。穴が蟒蛇の目玉のように光っている。野々宮君は笑いながら光るでしょうと言った。そうして、こういう説明をしてくれた。 「昼間のうちに、あんな準備をしておいて、夜になって、交通その他の活動が鈍くなるころに、この静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの目玉のようなものをのぞくのです。そうして光線の圧力を試験する。今年の正月ごろからとりかかったが、装置がなかなかめんどうなのでまだ思うような結果が出てきません。夏は比較的こらえやすいが、寒夜になると、たいへんしのぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくてやりきれない。……」  三四郎は大いに驚いた。驚くとともに光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦しんだ。  その時野々宮君は三四郎に、「のぞいてごらんなさい」と勧めた。三四郎はおもしろ半分、石の台の二、三間手前にある望遠鏡のそばへ行って右の目をあてがったが、なんにも見えない。野々宮君は「どうです、見えますか」と聞く。「いっこう見えません」と答えると、「うんまだ蓋が取らずにあった」と言いながら、椅子を立って望遠鏡の先にかぶせてあるものを除けてくれた。  見ると、ただ輪郭のぼんやりした明るいなかに、物差しの度盛りがある。下に2の字が出た。野々宮君がまた「どうです」と聞いた。「2の字が見えます」と言うと、「いまに動きます」と言いながら向こうへ回って何かしているようであった。  やがて度盛りが明るいなかで動きだした。2が消えた。あとから3が出る。そのあとから4が出る。5が出る。とうとう10まで出た。すると度盛りがまた逆に動きだした。10が消え、9が消え、8から7、7から6と順々に1まで来てとまった。野々宮君はまた「どうです」と言う。三四郎は驚いて、望遠鏡から目を放してしまった。度盛りの意味を聞く気にもならない。  丁寧に礼を述べて穴倉を上がって、人の通る所へ出て見ると世の中はまだかんかんしている。暑いけれども深い息をした。西の方へ傾いた日が斜めに広い坂を照らして、坂の上の両側にある工科の建築のガラス窓が燃えるように輝いている。空は深く澄んで、澄んだなかに、西の果から焼ける火の炎が、薄赤く吹き返してきて、三四郎の頭の上までほてっているように思われた。横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へはいった。その森も同じ夕日を半分背中に受けている。黒ずんだ青い葉と葉のあいだは染めたように赤い。太い欅の幹で日暮らしが鳴いている。三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ。  非常に静かである。電車の音もしない。赤門の前を通るはずの電車は、大学の抗議で小石川を回ることになったと国にいる時分新聞で見たことがある。三四郎は池のはたにしゃがみながら、ふとこの事件を思い出した。電車さえ通さないという大学はよほど社会と離れている。  たまたまその中にはいってみると、穴倉の下で半年余りも光線の圧力の試験をしている野々宮君のような人もいる。野々宮君はすこぶる質素な服装をして、外で会えば電燈会社の技手くらいな格である。それで穴倉の底を根拠地として欣然とたゆまずに研究を専念にやっているから偉い。しかし望遠鏡の中の度盛りがいくら動いたって現実世界と交渉のないのは明らかである。野々宮君は生涯現実世界と接触する気がないのかもしれない。要するにこの静かな空気を呼吸するから、おのずからああいう気分にもなれるのだろう。自分もいっそのこと気を散らさずに、生きた世の中と関係のない生涯を送ってみようかしらん。  三四郎がじっとして池の面を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるかな心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。そうして、野々宮君の穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞を覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静かな竜田山に上ったり、月見草ばかりはえている運動場に寝たりして、まったく世の中を忘れた気になったことは幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今はじめて起こった。  活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。  ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇を額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋の色も目についた。鼻緒の色はとにかく草履をはいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持っていない。ただ額に少し皺を寄せて、向こう岸からおいかぶさりそうに、高く池の面に枝を伸ばした古木の奥をながめていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白いほうは一足土堤の縁からさがっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋かいに見える。  この時三四郎の受けた感じはただきれいな色彩だということであった。けれどもいなか者だから、この色彩がどういうふうにきれいなのだか、口にも言えず、筆にも書けない。ただ白いほうが看護婦だと思ったばかりである。  三四郎はまたみとれていた。すると白いほうが動きだした。用事のあるような動き方ではなかった。自分の足がいつのまにか動いたというふうであった。見ると団扇を持った女もいつのまにかまた動いている。二人は申し合わせたように用のない歩き方をして、坂を降りて来る。三四郎はやっぱり見ていた。  坂の下に石橋がある。渡らなければまっすぐに理科大学の方へ出る。渡れば水ぎわを伝ってこっちへ来る。二人は石橋を渡った。  団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来る。かぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、目は伏せている。それで三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいととまった。 「これはなんでしょう」と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目のもらないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水ぎわまで張り出していた。 「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。 「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那を意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。  二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白い薄を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇を一つさしている。その薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。  三四郎はぼんやりしていた。やがて、小さな声で「矛盾だ」と言った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目つきが矛盾なのだか、あの女を見て汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二道に矛盾しているのか、または非常にうれしいものに対して恐れをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出の青年には、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。  三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。すると突然向こうで自分の名を呼んだ者がある。  三四郎は花から目を放した。見ると野々宮君が石橋の向こうに長く立っている。 「君まだいたんですか」と言う。三四郎は答をするまえに、立ってのそのそ歩いて行った。石橋の上まで来て、 「ええ」と言った。なんとなくまが抜けている。けれども野々宮君は、少しも驚かない。 「涼しいですか」と聞いた。三四郎はまた、 「ええ」と言った。  野々宮君はしばらく池の水をながめていたが、右の手をポケットへ入れて何か捜しだした。ポケットから半分封筒がはみ出している。その上に書いてある字が女の手跡らしい。野々宮君は思う物を捜しあてなかったとみえて、もとのとおりの手を出してぶらりと下げた。そうして、こう言った。 「きょうは少し装置が狂ったので晩の実験はやめだ。これから本郷の方を散歩して帰ろうと思うが、君どうです、いっしょに歩きませんか」  三四郎は快く応じた。二人で坂を上がって、丘の上へ出た。野々宮君はさっき女の立っていたあたりでちょっととまって、向こうの青い木立のあいだから見える赤い建物と、崖の高いわりに、水の落ちた池をいちめんに見渡して、 「ちょっといい景色でしょう。あの建築の角度のところだけが少し出ている。木のあいだから。ね。いいでしょう。君気がついていますか。あの建物はなかなかうまくできていますよ。工科もよくできてるがこのほうがうまいですね」  三四郎は野々宮君の鑑賞力に少々驚いた。実をいうと自分にはどっちがいいかまるでわからないのである。そこで今度は三四郎のほうが、はあ、はあと言い出した。 「それから、この木と水の感じがね。――たいしたものじゃないが、なにしろ東京のまん中にあるんだから――静かでしょう。こういう所でないと学問をやるにはいけませんね。近ごろは東京があまりやかましくなりすぎて困る。これが御殿」と歩きだしながら、左手の建物をさしてみせる。「教授会をやる所です。うむなに、ぼくなんか出ないでいいのです。ぼくは穴倉生活をやっていればすむのです。近ごろの学問は非常な勢いで動いているので、少しゆだんすると、すぐ取り残されてしまう。人が見ると穴倉の中で冗談をしているようだが、これでもやっている当人の頭の中は劇烈に働いているんですよ。電車よりよっぽど激しく働いているかもしれない。だから夏でも旅行をするのが惜しくってね」と言いながら仰向いて大きな空を見た。空にはもう日の光が乏しい。  青い空の静まり返った、上皮に白い薄雲が刷毛先でかき払ったあとのように、筋かいに長く浮いている。 「あれを知ってますか」と言う。三四郎は仰いで半透明の雲を見た。 「あれは、みんな雪の粉ですよ。こうやって下から見ると、ちっとも動いていない。しかしあれで地上に起こる颶風以上の速力で動いているんですよ。――君ラスキンを読みましたか」  三四郎は憮然として読まないと答えた。野々宮君はただ 「そうですか」と言ったばかりである。しばらくしてから、 「この空を写生したらおもしろいですね。――原口にでも話してやろうかしら」と言った。三四郎はむろん原口という画工の名前を知らなかった。  二人はベルツの銅像の前から枳殻寺の横を電車の通りへ出た。銅像の前で、この銅像はどうですかと聞かれて三四郎はまた弱った。表はたいへんにぎやかである。電車がしきりなしに通る。 「君電車はうるさくはないですか」とまた聞かれた。三四郎はうるさいよりすさまじいくらいである。しかしただ「ええ」と答えておいた。すると野々宮君は「ぼくもうるさい」と言った。しかしいっこううるさいようにもみえなかった。 「ぼくは車掌に教わらないと、一人で乗換えが自由にできない。この二、三年むやみにふえたのでね。便利になってかえって困る。ぼくの学問と同じことだ」と言って笑った。  学期の始まりぎわなので新しい高等学校の帽子をかぶった生徒がだいぶ通る。野々宮君は愉快そうに、この連中を見ている。 「だいぶ新しいのが来ましたね」と言う。「若い人は活気があっていい。ときに君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いたとおりを答えた。すると、 「それじゃぼくより七つばかり若い。七年もあると、人間はたいていの事ができる。しかし月日はたちやすいものでね。七年ぐらいじきですよ」と言う。どっちが本当なんだか、三四郎にはわからなかった。  四角近くへ来ると左右に本屋と雑誌屋がたくさんある。そのうちの二、三軒には人が黒山のようにたかっている、そうして雑誌を読んでいる。そうして買わずに行ってしまう。野々宮君は、 「みんなずるいなあ」と言って笑っている。もっとも当人もちょいと太陽をあけてみた。  四角へ出ると、左手のこちら側に西洋小間物屋があって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、 「あすこでちょいと買物をしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚に櫛だの花簪だのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉の羽根のようなリボンをぶら下げて、 「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、鮎のお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。  それから真砂町で野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまい家だそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。しかし食べることはみんな食べた。  西洋料理屋の前で野々宮君に別れて、追分に帰るところを丁寧にもとの四角まで出て、左へ折れた。下駄を買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏の化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。それから家へ帰るあいだ、大学の池の縁で会った女の、顔の色ばかり考えていた。――その色は薄く餅をこがしたような狐色であった。そうして肌理が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。 三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義の時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏の並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根が突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦に一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分の発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学は封建時代の西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことなく雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎は大学者になったような心持ちがした。  けれども教室へはいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室へはいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎は自分で自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生がベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語で講義を始めた。三四郎はその時 answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaru から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事に手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生も演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎はおもしろがって聞いていると、しまいにはドイツの哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものとみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから、三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前の喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかしのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵をかいた男が来て、 「大学の講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断ができないのである。しかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致の手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかわからないから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義のあいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校の地位を競争している噂だなどと話している者があった。三四郎は漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下で熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席の看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵をかいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。赤門をはいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答えた。  それから当分のあいだ三四郎は毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方、与次郎は三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町へはいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才である。あんな芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまい。しかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較のほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言で三四郎ははじめて図書館にはいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間の講義をほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館にはいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫は入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物がいくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人である。なかには必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎は一年生だから書庫へはいる権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものである。しかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実を発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラ・ベーンという作家の小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツだけがましなくらいなものである。三四郎は様子を見ているうちにたしかに水蜜桃だと物色した。大学の講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎はそばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。  三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。  その日は葡萄酒の景気と、一種の精神作用とで、例になくおもしろい勉強ができたので、三四郎は大いにうれしく思った。二時間ほど読書三昧に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。 「ヘーゲルのベルリン大学に哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学の講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来永劫に試験制度を呪詛することを記憶せよ」  とある。署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。 「ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」  と、のっぺらぼうを二へん繰り返している。三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎を図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である。 「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。さっそく本を置いて入口の新聞を閲覧する所まで出て行ったが、野々宮君がいない。玄関まで出てみたがやっぱりいない。石段を降りて、首を延ばしてその辺を見回したが影も形も見えない。やむを得ず引き返した。もとの席へ来てみると、与次郎が、例のヘーゲル論をさして、小さな声で、 「だいぶ振ってる。昔の卒業生に違いない。昔のやつは乱暴だが、どこかおもしろいところがある。実際このとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったらしい。三四郎は 「野々宮さんはおらんぜ」と言う。 「さっき入口にいたがな」 「何か用があるようだったか」 「あるようでもあった」  二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓している広田先生の、もとの弟子でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。  三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。  その翌日はちょうど日曜なので、学校では野々宮君に会うわけにゆかない。しかしきのう自分を捜していたことが気がかりになる。さいわいまだ新宅を訪問したことがないから、こっちから行って用事を聞いてきようという気になった。  思い立ったのは朝であったが、新聞を読んでぐずぐずしているうちに昼になる。昼飯を食べたから、出かけようとすると、久しぶりに熊本出の友人が来る。ようやくそれを帰したのはかれこれ四時過ぎである。ちとおそくなったが、予定のとおり出た。  野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前大久保へ越した。しかし電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場の近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田の高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段まで来て、ついでに飯田橋まで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線へ乗り換えて、御茶の水から、神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸を数寄屋橋の方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線は一筋だと、かねて聞いているから安心して乗った。  大久保の停車場を降りて、仲百人の通りを戸山学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪がある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置に筋かいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。  台所のわきにりっぱな生垣があって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きな萩が人の背より高く延びて、座敷の椽側を少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋の雑誌を読んでいた。三四郎のはいって来たのを見て、 「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇していた。するとまた 「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあいに西洋の書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡の試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、 「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、 「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。 「それでわざわざ来てくれたんですか」 「なに、そういうわけでもありません」 「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構なものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」 「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」 「ええ赤い魚の粕漬なんですがね」 「じゃひめいちでしょう」  三四郎はつまらんものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎は特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。  二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶をしかけるところへ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。  三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、 「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、 「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。 「どこかへおいでになるのですか」 「ええ、妹がこのあいだから病気をして、大学の病院にはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。 「じゃ、よほどお悪いんですな」 「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものだから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。 「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」 「さよう。四、五日行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」 「おいでになるにしくはないでしょう」  野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢には頼まなかったが、相手の三四郎が、そう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知してしまった。  下女が御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩の間から大きな声を出して、 「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろいものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」  と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。  まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。  飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分が代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太のぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。  三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱に寂がある。その代り唐紙の立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。もの好きならば当人の随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか、大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……  宵の口ではあるが、場所が場所だけにしんとしている。庭の先で虫の音がする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、 「ああああ、もう少しの間だ」  と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実の独白と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然としていた三四郎は、石火のごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種の因果で結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。  三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧の刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子のあいだから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。  すると停車場の方から提灯をつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。 「もう少し先だ」  足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手を這い降りて、提灯のあとを追っかけて行った。  五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。―― 「轢死じゃないですか」  三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人だろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人は灯をかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ。  三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、踵をめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手を這い上がって、座敷へもどったら、動悸が打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなと覚った。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。  三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇へ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。  三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力を研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎は自分の経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力を試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものだから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味がほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである。自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強の妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものだからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田の学校へ行く日で、大学のほうは休みだから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生の広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車の時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎はおかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎は広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃の先生と青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子をかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートとインキ壺を持って、八番の教室にはいる時分である。一、二時間の講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科の玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦が草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。この婦人は三四郎のからだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものとみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれた風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である。三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいだから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎は赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいまさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこから来たか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。 四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義がおもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義がおもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから、三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎は世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会の消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎は下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観のハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三の青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通の人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井の墓地だの、巣鴨の監獄だの、護国寺だの、――三四郎は新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合の火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎はふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである。三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しかし想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのん気である。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてからだ総体がしまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草をのんで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかわからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本の高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生。高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである。広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である。三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎は植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田と三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎は翻訳の意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである。与次郎ののん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから、与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷の入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものだから、時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎は簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから、明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎も広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。  与次郎も三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹の下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方に本郷の下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日を暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通の講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘的である。三四郎は講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義の価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき、三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月あまり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎に責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生から締まりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかないかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校の先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校の先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生の先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんものと理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生、東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかんいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生は東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからああなるんだね。その代り西洋は写真で研究している。パリの凱旋門だの、ロンドンの議事堂だの、たくさん持っている。あの写真で日本を律するんだからたまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しかし先生は哲学者だね」 「学校で哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているからおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生、自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎はまさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである。三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎は勉強家というよりむしろ徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘的講義の最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。  手紙には新蔵が蜂蜜をくれたから、焼酎を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪が強いので、時々女房を薪でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、ことごとく生捕にした。それからこれを箱へ入れて、出入りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。すると蜂がだんだんふえてくる。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする。というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。毎年夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。が、今年は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。  平太郎がおやじの石塔を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石でできていたそうである。平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那は大学校へはいっているくらいだから、石の善悪はきっとわかる。今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。――三四郎はひとりでくすくす笑い出した。千駄木の石門よりよほど激しい。  大学の制服を着た写真をよこせとある。三四郎はいつか撮ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学を卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。――お光さんもうれしがるだろう。――東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ。  三四郎は手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いたまま目を眠った。鼠が急に天井であばれだしたが、やがて静まった。  三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである。三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に徊して旧歓をあたためる。  第二の世界のうちには、苔のはえた煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある。この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊い塵である。静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である。  第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるから幸いである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。  第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻と一般である。三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分が自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。  三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかから一つの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。  結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから、思索の労力を打算して、結論の価値を上下しやすい思索家自身からみると、それほど平凡ではなかった。  ただこうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性を翻訳するといろいろになる。――三四郎は広田先生にならって、翻訳という字を使ってみた。――いやしくも人格上の言葉に翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己の個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性に接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである。  三四郎は論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったからである。  翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分の交番の前まで来ると、ばったり与次郎に出会った。 「アハハハ。アハハハ」  偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番の巡査さえ薄笑いをしている。 「なんだ」 「なんだもないものだ。もう少し普通の人間らしく歩くがいい。まるでロマンチック・アイロニーだ」  三四郎にはこの洋語の意味がよくわからなかった。しかたがないから、 「家はあったか」と聞いた。 「その事で今君の所へ行ったんだ――あすいよいよ引っ越す。手伝いに来てくれ」 「どこへ越す」 「西片町十番地への三号。九時までに向こうへ行って掃除をしてね。待っててくれ。あとから行くから。いいか、九時までだぜ。への三号だよ。失敬」  与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館でロマンチック・アイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。  あくる日は約束だから、天長節にもかかわらず、例刻に起きて、学校へ行くつもりで西片町十番地へはいって、への三号を調べてみると、妙に細い通りの中ほどにある。古い家だ。  玄関の代りに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある。座敷のうしろが茶の間で、茶の間の向こうが勝手、下女部屋と順に並んでいる。ほかに二階がある。ただし何畳だかわからない。  三四郎は掃除を頼まれたのだが、べつに掃除をする必要もないと認めた。むろんきれいじゃない。しかし何といって、取って捨てべきものも見当らない。しいて捨てれば畳建具ぐらいなものだと考えながら、雨戸だけをあけて、座敷の椽側へ腰をかけて庭をながめていた。  大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分をおかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話の妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である。  そのうち高等学校で天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎はベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。  二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである。  この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。 「失礼でございますが……」  女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸に映った。  二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。しかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。 「広田さんのお移転になるのは、こちらでございましょうか」 「はあ、ここです」  女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである。三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。 「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。 「まだ来ません。もう来るでしょう」  女はしばしためらった。手に大きな籃をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである。  上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。 「あなたは……」  風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。 「掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから、三四郎は自分でおかしくなった。すると女も笑いながら、 「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、 「あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。  名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町だから谷を越すとすぐ向こうである。三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。 「あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔をあげた。 「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。 「まだある」 「それから池の端で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、 「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、 「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人は桜の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越しの荷物はなかなかやってこない。 「なにか先生に御用なんですか」  三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である。 「私もお手伝いに頼まれました」  三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。 「砂でたいへんだ。着物がよごれます」 「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、 「掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。 「まだやらんです」 「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」  三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰をかけたまま、箒やはたきのありかを聞く。三四郎は、ただてぶらで来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行って買ってこようかと聞くと、それはむだだから、隣で借りるほうがよかろうと言う。三四郎はすぐ隣へ行った。さっそく箒とはたきと、それからバケツと雑巾まで借りて急いで帰ってくると、女は依然としてもとの所へ腰をかけて、高い桜の枝をながめていた。 「あって……」と一口言っただけである。  三四郎は箒を肩へかついで、バケツを右の手へぶら下げて「ええありました」とあたりまえのことを答えた。  女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいな色である。女は箒を取った。 「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端からは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。  美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。  三四郎がバケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。 「ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。 「なんですか」とバケツをさげた三四郎が梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎はバケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。 「なんですか」 「なんだか暗くってわからないの」 「なぜ」 「なぜでも」  三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。 「まだあからなくって」  美禰子は反対の側へ行った。 「こっちです」  三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。  裏の窓もあける。窓には竹の格子がついている。家主の庭が見える。鶏を飼っている。美禰子は例のごとく掃き出した。三四郎は四つ這いになって、あとから拭き出した。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、 「まあ」と言った。  やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾をバケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。 「何を見ているんです」 「あててごらんなさい」 「鶏ですか」 「いいえ」 「あの大きな木ですか」 「いいえ」 「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」 「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」  なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。 「駝鳥の襟巻に似ているでしょう」  三四郎はボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、 「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、 「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、 「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、 「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。 「なぜです」 「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」 「そうですか」 「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」 「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」 「ええ」  美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。  ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。  三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎が玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。 「早いな」と与次郎がまず声をかけた。 「おそいな」と三四郎が答えた。美禰子とは反対である。 「おそいって、荷物を一度に出したんだからしかたがない。それにぼく一人だから。あとは下女と車屋ばかりでどうすることもできない」 「先生は」 「先生は学校」  二人が話を始めているうちに、車屋が荷物をおろし始めた。下女もはいって来た。台所の方を下女と車屋に頼んで、与次郎と三四郎は書物を西洋間へ入れる。書物がたくさんある。並べるのは一仕事だ。 「里見のお嬢さんは、まだ来ていないか」 「来ている」 「どこに」 「二階にいる」 「二階に何をしている」 「何をしているか、二階にいる」 「冗談じゃない」  与次郎は本を一冊持ったまま、廊下伝いに梯子段の下まで行って、例のとおりの声で、 「里見さん、里見さん。書物をかたづけるから、ちょっと手伝ってください」と言う。 「ただ今参ります」  箒とはたきを持って、美禰子は静かに降りて来た。 「何をしていたんです」と下から与次郎がせきたてるように聞く。 「二階のお掃除」と上から返事があった。  降りるのを待ちかねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力のおろした書物がいっぱい積んである。三四郎がその中へ、向こうむきにしゃがんで、しきりに何か読み始めている。 「まあたいへんね。これをどうするの」と美禰子が言った時、三四郎はしゃがみながら振り返った。にやにや笑っている。 「たいへんもなにもありゃしない。これを部屋の中へ入れて、片づけるんです。いまに先生も帰って来て手伝うはずだからわけはない。――君、しゃがんで本なんぞ読みだしちゃ困る。あとで借りていってゆっくり読むがいい」と与次郎が小言を言う。  美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。 「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り回す。 「だってないんですもの」 「なにないことがあるものか」 「あった、あった」と三四郎が言う。 「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリー・オフ・インテレクチュアル・デベロップメント。あらあったのね」 「あらあったもないもんだ。早くお出しなさい」  三人は約三十分ばかり根気に働いた。しまいにはさすがの与次郎もあまりせっつかなくなった。見ると書棚の方を向いてあぐらをかいて黙っている。美禰子は三四郎の肩をちょっと突っついた。三四郎は笑いながら、 「おいどうした」と聞く。 「うん。先生もまあ、こんなにいりもしない本を集めてどうする気かなあ。まったく人泣かせだ。いまこれを売って株でも買っておくともうかるんだが、しかたがない」と嘆息したまま、やはり壁を向いてあぐらをかいている。  三四郎と美禰子は顔を見合わせて笑った。肝心の主脳が動かないので、二人とも書物をそろえるのを控えている。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝の上に開いた。勝手の方では臨時雇いの車夫と下女がしきりに論判している。たいへん騒々しい。 「ちょっと御覧なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪で香水のにおいがする。  絵はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴がぐるりと腰を回って、向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛ですきながら、すき余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である。 「人魚」 「人魚」  頭をすりつけた二人は同じ事をささやいた。この時あぐらをかいていた与次郎がなんと思ったか、 「なんだ、何を見ているんだ」と言いながら廊下へ出て来た。三人は首をあつめて画帖を一枚ごとに繰っていった。いろいろな批評が出る。みんないいかげんである。  ところへ広田先生がフロックコートで天長節の式から帰ってきた、三人は挨拶をする時に画帖を伏せてしまった。先生が書物だけはやく片づけようというので、三人がまた根気にやり始めた。今度は主人公がいるので、そう油を売ることもできなかったとみえて、一時間後には、どうか、こうか廊下の書物が書棚の中へ詰まってしまった。四人は立ち並んできれいに片づいた書物を一応ながめた。 「あとの整理はあしただ」と与次郎が言った。これでがまんなさいといわぬばかりである。 「だいぶお集めになりましたね」と美禰子が言う。 「先生これだけみんなお読みになったですか」と最後に三四郎が聞いた。三四郎はじっさい参考のため、この事実を確かめておく必要があったとみえる。 「みんな読めるものか、佐々木なら読むかもしれないが」  与次郎は頭をかいている。三四郎はまじめになって、じつはこのあいだから大学の図書館で、少しずつ本を借りて読むが、どんな本を借りても、必ずだれか目を通している。試しにアフラ・ベーンという人の小説を借りてみたが、やっぱりだれか読んだあとがあるので、読書範囲の際限が知りたくなったから聞いてみたと言う。 「アフラ・ベーンならぼくも読んだ」  広田先生のこの一言には三四郎も驚いた。 「驚いたな。先生はなんでも人の読まないものを読む癖がある」と与次郎が言った。  広田は笑って座敷の方へ行く。着物を着換えるためだろう。美禰子もついて出た。あとで与次郎が三四郎にこう言った。 「あれだから偉大な暗闇だ。なんでも読んでいる。けれどもちっとも光らない。もう少し流行るものを読んで、もう少し出しゃばってくれるといいがな」  与次郎の言葉はけっして冷評ではなかった。三四郎は黙って本箱をながめていた。すると座敷から美禰子の声が聞こえた。 「ごちそうをあげるからお二人ともいらっしゃい」  二人が書斎から廊下伝いに、座敷へ来てみると、座敷のまん中に美禰子の持って来た籃が据えてある。蓋が取ってある。中にサンドイッチがたくさんはいっている。美禰子はそのそばにすわって、籃の中のものを小皿へ取り分けている。与次郎と美禰子の問答が始まった。 「よく忘れずに持ってきましたね」 「だって、わざわざ御注文ですもの」 「その籃も買ってきたんですか」 「いいえ」 「家にあったんですか」 「ええ」 「たいへん大きなものですね。車夫でも連れてきたんですか。ついでに、少しのあいだ置いて働かせればいいのに」 「車夫はきょうは使いに出ました。女だってこのくらいなものは持てますわ」 「あなただから持つんです。ほかのお嬢さんなら、まあやめますね」 「そうでしょうか。それなら私もやめればよかった」  美禰子は食い物を小皿へ取りながら、与次郎と応対している。言葉に少しもよどみがない。しかもゆっくりおちついている。ほとんど与次郎の顔を見ないくらいである。三四郎は敬服した。  台所から下女が茶を持って来る。籃を取り巻いた連中は、サンドイッチを食い出した。少しのあいだは静かであったが、思い出したように与次郎がまた広田先生に話しかけた。 「先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」 「アフラ・ベーンか」 「ぜんたいなんです、そのアフラ・ベーンというのは」 「英国の閨秀作家だ。十七世紀の」 「十七世紀は古すぎる。雑誌の材料にゃなりませんね」 「古い。しかし職業として小説に従事したはじめての女だから、それで有名だ」 「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」 「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」  三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚だとして後世に信ぜられているという話である。 「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。 「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」 「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」 「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、 「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。  広田先生は例によって煙草をのみ出した。与次郎はこれを評して鼻から哲学の煙の吐くと言った。なるほど煙の出方が少し違う。悠然として太くたくましい棒が二本穴を抜けて来る。与次郎はその煙柱をながめて、半分背を唐紙に持たしたまま黙っている。三四郎の目はぼんやり庭の上にある。引っ越しではない。まるで小集のていに見える。談話もしたがって気楽なものである。ただ美禰子だけが広田先生の陰で、先生がさっき脱ぎ捨てた洋服を畳み始めた。先生に和服を着せたのも美禰子の所為とみえる。 「今のオルノーコの話だが、君はそそっかしいから間違えるといけないからついでに言うがね」と先生の煙がちょっととぎれた。 「へえ、伺っておきます」と与次郎が几帳面に言う。 「あの小説が出てから、サザーンという人がその話を脚本に仕組んだのが別にある。やはり同じ名でね。それをいっしょにしちゃいけない」 「へえ、いっしょにしやしません」  洋服を畳んでいた美禰子はちょっと与次郎の顔を見た。 「その脚本のなかに有名な句がある。Pity's akin to love という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。 「日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、 「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。  そこで三人がぜんぜん翻訳権を与次郎に委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、 「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ」 「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。この笑い声がまだやまないうちに、庭の木戸がぎいと開いて、野々宮さんがはいって来た。 「もうたいてい片づいたんですか」と言いながら、野々宮さんは椽側の正面の所まで来て、部屋の中にいる四人をのぞくように見渡した。 「まだ片づきませんよ」と与次郎がさっそく言う。 「少し手伝っていただきましょうか」と美禰子が与次郎に調子を合わせた。野々宮さんはにやにや笑いながら、 「だいぶにぎやかなようですね。何かおもしろい事がありますか」と言って、ぐるりと後向きに椽側へ腰をかけた。 「今ぼくが翻訳をして先生にしかられたところです」 「翻訳を? どんな翻訳ですか」 「なにつまらない――かわいそうだたほれたってことよというんです」 「へえ」と言った野々宮君は椽側で筋かいに向き直った。「いったいそりゃなんですか。ぼくにゃ意味がわからない」 「だれだってわからんさ」と今度は先生が言った。 「いや、少し言葉をつめすぎたから――あたりまえにのばすと、こうです。かあいそうだとはほれたということよ」 「アハハハ。そうしてその原文はなんというのです」 「Pity's akin to love」と美禰子が繰り返した。美しいきれいな発音であった。  野々宮さんは、椽側から立って、二、三歩庭の方へ歩き出したが、やがてまたぐるりと向き直って、部屋を正面に留まった。 「なるほどうまい訳だ」  三四郎は野々宮君の態度と視線とを注意せずにはいられなかった。  美禰子は台所へ立って、茶碗を洗って、新しい茶をついで、椽側の端まで持って出る。 「お茶を」と言ったまま、そこへすわった。「よし子さんは、どうなすって」と聞く。 「ええ、からだのほうはもう回復しましたが」とまた腰をかけて茶を飲む。それから、少し先生の方へ向いた。 「先生、せっかく大久保へ越したが、またこっちの方へ出なければならないようになりそうです」 「なぜ」 「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのがいやだと言いだしましてね。それにぼくが夜実験をやるものですから、おそくまで待っているのがさむしくっていけないんだそうです。もっとも今のうちは母がいるからかまいませんが、もう少しして、母が国へ帰ると、あとは下女だけになるものですからね。臆病者の二人ではとうていしんぼうしきれないのでしょう。――じつにやっかいだな」と冗談半分の嘆声をもらしたが、「どうです里見さん、あなたの所へでも食客に置いてくれませんか」と美禰子の顔を見た。 「いつでも置いてあげますわ」 「どっちです。宗八さんのほうをですか、よし子さんのほうをですか」と与次郎が口を出した。 「どちらでも」  三四郎だけ黙っていた。広田先生は少しまじめになって、 「そうして君はどうする気なんだ」 「妹の始末さえつけば、当分下宿してもいいです。それでなければ、またどこかへ引っ越さなければならない。いっそ学校の寄宿舎へでも入れようかと思うんですがね。なにしろ子供だから、ぼくがしじゅう行けるか、向こうがしじゅう来られる所でないと困るんです」 「それじゃ里見さんの所に限る」と与次郎がまた注意を与えた。広田さんは与次郎を相手にしない様子で、 「ぼくの所の二階へ置いてやってもいいが、なにしろ佐々木のような者がいるから」と言う。 「先生、二階へはぜひ佐々木を置いてやってください」と与次郎自身が依頼した。野々宮君は笑いながら、 「まあ、どうかしましょう。――身長ばかり大きくってばかだからじつに弱る。あれで団子坂の菊人形が見たいから、連れていけなんて言うんだから」 「連れていっておあげなさればいいのに。私だって見たいわ」 「じゃいっしょに行きましょうか」 「ええぜひ。小川さんもいらっしゃい」 「ええ行きましょう」 「佐々木さんも」 「菊人形は御免だ。菊人形を見るくらいなら活動写真を見に行きます」 「菊人形はいいよ」と今度は広田先生が言いだした。「あれほどに人工的なものはおそらく外国にもないだろう。人工的によくこんなものをこしらえたというところを見ておく必要がある。あれが普通の人間にできていたら、おそらく団子坂へ行く者は一人もあるまい。普通の人間なら、どこの家でも四、五人は必ずいる。団子坂へ出かけるにはあたらない」 「先生一流の論理だ」と与次郎が評した。 「昔教場で教わる時にも、よくあれでやられたものだ」と野々宮君が言った。 「じゃ先生もいらっしゃい」と美禰子が最後に言う。先生は黙っている。みんな笑いだした。  台所からばあさんが「どなたかちょいと」と言う。与次郎は「おい」とすぐ立った。三四郎はやはりすわっていた。 「どれぼくも失礼しようか」と野々宮さんが腰を上げる。 「あらもうお帰り。ずいぶんね」と美禰子が言う。 「このあいだのものはもう少し待ってくれたまえ」と広田先生が言うのを、「ええ、ようござんす」と受けて、野々宮さんが庭から出ていった。その影が折戸の外へ隠れると、美禰子は急に思い出したように「そうそう」と言いながら、庭先に脱いであった下駄をはいて、野々宮のあとを追いかけた。表で何か話している。  三四郎は黙ってすわっていた。 五  門をはいると、このあいだの萩が、人の丈より高く茂って、株の根に黒い影ができている。この黒い影が地の上をはって、奥の方へゆくと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏まで上ってくるようにも思われる。それほど表には濃い日があたっている。手洗水のそばに南天がある。これも普通よりは背が高い。三本寄ってひょろひょろしている。葉は便所の窓の上にある。  萩と南天の間に椽側が少し見える。椽側は南天を基点としてはすに向こうへ走っている。萩の影になった所は、いちばん遠いはずれになる。それで萩はいちばん手前にある。よし子はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけて。  三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は椽から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎はいまさらその背の高いのに驚いた。 「おはいりなさい」  依然として三四郎を待ち設けたような言葉づかいである。三四郎は病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。 「お掛けなさい」  三四郎は靴をはいている。命のごとく腰をかけた。よし子は座蒲団を取って来た。 「お敷きなさい」  三四郎は蒲団を敷いた。門をはいってから、三四郎はまだ一言も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である。三四郎は子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。  野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 「ええ、いつでも夜おそくでなくっちゃ帰りません」  これは三四郎も知ってる事である。三四郎は挨拶に窮した。見ると椽側に絵の具箱がある。かきかけた水彩がある。 「絵をお習いですか」 「ええ、好きだからかきます」 「先生はだれですか」 「先生に習うほどじょうずじゃないの」 「ちょっと拝見」 「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿の木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。 「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。 「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである。三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。  三四郎はいまさら自分の言葉を冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑されそうである。三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。  椽側から座敷を見回すと、しんと静かである。茶の間はむろん、台所にも人はいないようである。 「おっかさんはもうお国へお帰りになったんですか」 「まだ帰りません。近いうちに立つはずですけれど」 「今、いらっしゃるんですか」 「今ちょっと買物に出ました」 「あなたが里見さんの所へお移りになるというのは本当ですか」 「どうして」 「どうしてって――このあいだ広田先生の所でそんな話がありましたから」 「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」  三四郎は少しく要領を得た。 「野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか」 「ええ。お友だちなの」  男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい。けれども三四郎はそれ以上を聞きえなかった。 「広田先生は野々宮さんのもとの先生だそうですね」 「ええ」  話は「ええ」でつかえた。 「あなたは里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」 「私? そうね。でも美禰子さんのお兄いさんにお気の毒ですから」 「美禰子さんのにいさんがあるんですか」 「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」 「やっぱり理学士ですか」 「いいえ、科は違います。法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」 「おとっさんやおっかさんは」  よし子は少し笑いながら、 「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在を想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものとみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。 「そういう関係で美禰子さんは広田先生の家へ出入をなさるんですね」 「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良しだったそうです。それに美禰子さんは英語が好きだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」 「こちらへも来ますか」  よし子はいつのまにか、水彩画の続きをかき始めた。三四郎がそばにいるのがまるで苦になっていない。それでいて、よく返事をする。 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺屋根に影をつけたが、 「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、 「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、 「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。 「たびたび?」 「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。  しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、 「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだから、しかたがない。三四郎は気の毒になった。 「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」  よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎を見た。大きな潤いのある目である。三四郎はますます気の毒になった。すると女が急に笑いだした。 「ばかね。二時間ばかり損をして」と言いながら、せっかくかいた水彩の上へ、横縦に二、三本太い棒を引いて、絵の具箱の蓋をぱたりと伏せた。 「もうよしましょう。座敷へおはいりなさい。お茶をあげますから」と言いながら、自分は上へ上がった。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、やはり椽側に腰をかけていた。腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。  茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっとも女性的な顔であると思った。  よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。いろいろ話しているうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞きだした。それは、自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである。人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。自分の兄は理学者だものだから、自分を研究していけない。自分を研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。  三四郎はこの説を聞いて、大いにもっともなような、またどこか抜けているような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、頭がぼんやりして、ちょっとわからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった。ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。同時に、東京の女学生はけっしてばかにできないものだということを悟った。  三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。はがきが来ている。「明日午後一時ごろから菊人形を見にまいりますから、広田先生の家までいらっしゃい。美禰子」  その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書に似ているので、三四郎は何べんも読み直してみた。  翌日は日曜である。三四郎は昼飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光った靴をはいている。静かな横町を広田先生の前まで来ると、人声がする。  先生の家は門をはいると、左手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかからずに、座敷の椽へ出られる。三四郎は要目垣のあいだに見える桟をはずそうとして、ふと、庭の中の話し声を耳にした。話は野々宮と美禰子のあいだに起こりつつある。 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。 「死んでも、そのほうがいいと思います」これは女の答である。 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は十分ある」 「残酷な事をおっしゃる」  三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽をかぶっている。美禰子は、すぐ、 「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。  椽側には主人が洋服を着て腰をかけて、相変らず哲学を吹いている。これは西洋の雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。両手をうしろに突いて、からだを空に持たせながら、伸ばした足にはいた厚い草履をながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられていたとみえる。  主人は雑誌をなげ出した。 「では行くかな。とうとう引っぱり出された」 「御苦労さま」と野々宮さんが言った。女は二人で顔を見合わせて、ひとに知れないような笑をもらした。庭を出る時、女が二人つづいた。 「背が高いのね」と美禰子があとから言った。 「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、「だから、なりたけ草履をはくの」と弁解をした。三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てきた。 「行くのか」と聞く。 「うん、君は」 「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」 「いっしょに行こう。家にいたってしようがないじゃないか」 「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなかそれどころじゃない」  三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である。三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。  四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。  三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、 「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。 「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」 「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」 「我慢しなければ、死ぬばかりですもの」 「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」  野々宮さんは返事をやめて、広田先生の方を向いたが、 「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、 「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。 「今のは何のお話なんですか」 「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおちを聞くような気がした。  それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。 「君あの乞食に銭をやりましたか」 「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。 「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。 「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。 「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。 「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」 「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。  三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。  行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。 「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。 「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。 「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。 「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。 「追っかけるのはいや」 「なぜ」 「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」 「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。 「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。 「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。  坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、 「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。  一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装の恰好となるように作ったものである。  よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。  ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、 「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。 「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。 「もう出ましょう」  眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。  二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。 「どうかしましたか」  女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。 「ここはどこでしょう」 「こっちへ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」 「そう。私心持ちが悪くって……」  三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。 「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。  谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。 「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。 「歩きます」  二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。  三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。 「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」  女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。 「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。 「休みましょうか」 「ええ」 「もう少し歩けますか」 「ええ」 「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」 「ええ」  一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。  向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。 「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。 「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。 「ありがとう。これでたくさん」 「やっぱり心持ちが悪いですか」 「あんまり疲れたから」  三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。  ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。 「空の色が濁りました」と美禰子が言った。  三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音の乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田の言葉をよほどおかしく受けたからである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものとみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子だから捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子の英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である。咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間であると自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものとあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子のそばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎はこちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりとこちら側へ渡った。あまりに下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。 六  ベルが鳴って、講師は教室から出ていった。三四郎はインキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。 「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」  与次郎は三四郎のノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。 「なんだこれは」 「講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」 「そう不勉強ではいかん。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」 「どうだとか言った」 「聞いていなかったのか」 「いいや」 「まるで stray sheep だ。しかたがない」  与次郎は自分のノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、 「おいちょっと来い」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。  ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎が入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験を都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史を与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎は俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしかし与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から、文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。 「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものである。しかし零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。 「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。 「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」 「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたものか標題でわかるだろう」 「広田先生の事か」 「うん。こうして輿論を喚起しておいてね。そうして、先生が大学へはいれる下地を作る……」 「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」  三四郎は雑誌の名前さえ知らなかった。 「いや無勢力だから、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。 「何部ぐらい売れるのか」  与次郎は何部売れるとも言わない。 「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。  だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌に関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎と文壇との交渉を聞いたくらいのものである。しかし与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。  いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。 「君は九州のいなかから出たばかりだから、中央文壇の趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか。文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」  三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。 「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」 「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しかし雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎に相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気である。ベルが激しく鳴りだした。 「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」  二人は玄関を上がって、教室へはいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートのそばに文芸時評をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。 「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。  講義が終るやいなや、与次郎は三四郎に向かって、 「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間の経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。 「今晩出席するだろうな」と与次郎が西片町へはいる横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、 「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろへペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である。三四郎は承知した。  下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep の意味がこれでようやくはっきりした。  与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。  手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。  しばらくしてから、三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣り込まれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句を読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。  しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆に感服した。  論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当の日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生は十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給と無名に甘んじている。しかし真正の学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会と交渉のある教授を担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。  その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月を田子の浦の名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは、広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈に比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分が広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代の遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。  よく考えてみると、与次郎の論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本を代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。  袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手口からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そばに与次郎がかしこまってお給仕をしている。 「先生どうですか」と聞いている。  先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。  三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。 「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである。 「妙なものを食うな」と聞くと、 「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる」 「どこから」 「日本橋から」  三四郎はおかしくなった。こういうところになると、さっきの論文の調子とは少し違う。 「先生、どうです」 「堅いね」 「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」 「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」 「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」 「なぜ」と三四郎が聞いた。 「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」 「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。 「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」 「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」 「里見のは乱暴の内訌ですか」  三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議であった。  与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、 「ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。 「先生は里見のお嬢さんを乱暴だと言ったね」 「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」 「先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか」 「うん乱暴だと言った。なぜ」 「どういうところを乱暴というのか」 「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代の女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」 「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか」 「言った」 「イブセンのだれに似ているつもりなのか」 「だれって……似ているよ」  三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。 「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」 「ぼくはあんまり、かぶれていない」 「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」 「それはないだろう」 「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」 「君はそう思うか」 「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」 「君の家の先生もそんな考えか」 「うちの先生? 先生はわからない」 「だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」 「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」  と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。 「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」 「きょうあれから家へ帰って読んだ」 「どうだ」 「先生はなんと言った」 「先生は読むものかね。まるで知りゃしない」 「そうさな。おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」 「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」  与次郎の用事というのはこうである。――今夜の会で自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから、三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振は事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当な日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎は与次郎に口を添えて極力先生を賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎が広田の食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩いが広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいるから、大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから、三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来が性質のいい運動だから、三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町の神社の鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久とかいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎は憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造の廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌や新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわりあいにおちついて静かである。煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから、煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎は熊本で赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である。熊本の学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉屋である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフとフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手が与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しかし与次郎の相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎はますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代の青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生はハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったものは自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である。演説めいたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合はビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通の会合である。しかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間は普通の人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己の運命の膨脹を自覚しえた。  政治の自由を説いたのは昔の事である。言論の自由を説いたのも過去の事である。自由とは単にこれらの表面にあらわれやすい事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代の青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代の青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋の文芸を研究する者である。しかし研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋の文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通の人間とは異なっている。文芸は技術でもない、事務でもない。より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である。我々はこの意味において文芸を研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合に一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会の産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己の運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールとコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通のビールとコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールとコーヒーである。  演説の意味はざっとこんなものである。演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎はもっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないから大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代の青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎が与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい。三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店の看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっとも三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である。与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまり洗わずに出た。ゆうべから急に新時代の青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである。休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学の陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授が鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎は運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである。与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆく価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口は運動場の南のすみにある。大きな日の丸とイギリスの国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリスの国旗はなんのためだかわからない。三四郎は日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟と大学の陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しかし外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎が失望したのは婦人席が別になっていて、普通の人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代の青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からだからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離だから顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体が総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである。決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎の視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しかし婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎は自分も無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはいて婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である。三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。  砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。  それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。  三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。  三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。 「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。  美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。 「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。 「今まで見ていたんですが、つまらないからやめて来たのです」  よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、 「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。 「もう宅へ帰るんですか」  女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。 「どこかへ行くんですか」 「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。 「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」  美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。 「この上には何かおもしろいものがあって?」  この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。 「なんにもないです」 「そう」と疑いを残したように言った。 「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。 「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。 「いいからいらっしゃいよ」  よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、 「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」  美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。 「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。 「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。  やがて女二人のあいだに用談が始まった。 「あなた、いらしって」と美禰子が言う。 「ええ。あなたは」とよし子が言う。 「どうしましょう」 「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」 「そうね」  なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。  よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。  三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。 「あの木を知っていらしって」と言う。 「あれは椎」  女は笑い出した。 「よく覚えていらっしゃること」 「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」 「ええ」 「よし子さんの看護婦とは違うんですか」 「違います。これは椎――といった看護婦です」  今度は三四郎が笑い出した。 「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」  二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。 「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」 「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」 「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」 「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。 「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」 「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」 「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」 「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」 「なぜですか」 「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」  三四郎はまた話頭を転じた。 「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」 「会場で?」 「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。 「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」  三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。 「あなた、原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。 「知りません」 「そう」 「どうかしましたか」 「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」  美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。 「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」 「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」  三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。  三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。  三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。  三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、 「お兄いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、 「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。 「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。  学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。  三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、 「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。 七  裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎は勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生は書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今晩食がすんだばかりのところらしい。  三四郎は茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎の入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背が研究を隠している。三四郎は入口に近くすわって、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろへねじ向けた。髭の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎は広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」  三四郎はちょっと挨拶ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でもできたんですか」 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」  三四郎はしかたがないから、 「なかなか気楽ですな」と言った。 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろしてしまう。帰ってみると、松が温気でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」  実をいうと三四郎はこのあいだ与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評社から原稿料が取れるはずだから、それまで立替えてくれろと言う。事理を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しかし先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇」その他すべて広田先生に関する与次郎の所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生にしかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。  三四郎が広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生は太平である。先生は高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である。三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七分方この意味である。  訪問理由の第三はだいぶ矛盾している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」 「ええ、下宿したそうです」 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」 「わからない。また突然家を持つかもしれない」 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」  三四郎は苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」 「国の者は勧めますが」 「国のだれが」 「母です」 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」 「なかなかなりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑った。わりあいにきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。―― 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 「いいえ」 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋をとれば肥桶で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」  三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。 「いったい何を話していたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである。三四郎はべつに腹も立たなかった。 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善家なのは、どういう意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「ええ、まあ愉快です」 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身が目的でない場合」 「そんな場合があるでしょうか」 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」 「そりゃ……」 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校で教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党の領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  ここまでの理屈は三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである。三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。  その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」 「どんなのです」 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善としか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善を偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語はあくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっとも優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行らなくなる」  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場を説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたかも教場で講義を聞くと一般の感を起こさせる。しかし三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである。三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。  ところへ玄関に足音がした。案内も乞わずに廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎が書斎の入口にすわって、 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。  与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調である。そばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎は原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎は交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。  やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎はそれから黙って二人の談話を承っていた。  原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学の教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから、形式はまったく不必要である。目的はただおおぜい寄って晩餐を食う。それから文芸上有益な談話を交換する。そんなものである。  広田先生は一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。  広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。 「やっぱり一中節を稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないか。もっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来が四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」  広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子をお習いなさらないかと勧めた者があってね。大笑いさ」 「そりゃ本当かい」 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通の人間にでもできそうだ」 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」 「かこうともしないんじゃないか」 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあいだ大学の運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかいて展覧会にでも出そうかと思って」 「だれの」 「里見の妹の。どうも普通の日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇をかざして、木立をうしろに、明るい方を向いているところを等身に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味でいけないが、日本の団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由にいかなくなるかもしれないから」  三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議の因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。 「でも当人の希望なんだもの。団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」 「君もらっちゃどうだ」 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」 「なぜ」 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節を買い込んで、これでパリーの下宿に籠城するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄からでも聞いたんだろう」 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」  それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎は広田先生の西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄を捜していると、先生が梯子段の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。  戸外は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に蕎麦屋がある。三四郎は今度は思い切って暖簾をくぐった。少し酒を飲むためである。  高等学校の生徒が三人いる。近ごろ学校の先生が昼の弁当に蕎麦を食う者が多くなったと話している。蕎麦屋の担夫が午砲が鳴ると、蒸籠や種ものを山のように肩へ載せて、急いで校門をはいってくる。ここの蕎麦屋はあれでだいぶもうかるだろうと話している。なんとかいう先生は夏でも釜揚饂飩を食うが、どういうものだろうと言っている。おおかた胃が悪いんだろうと言っている。そのほかいろいろの事を言っている。教師の名はたいてい呼び棄てにする。なかに一人広田さんと言った者がある。それからなぜ広田さんは独身でいるかという議論を始めた。広田さんの所へ行くと女の裸体画がかけてあるから、女がきらいなんじゃなかろうという説である。もっともその裸体画は西洋人だからあてにならない。日本の女はきらいかもしれないという説である。いや失恋の結果に違いないという説も出た。失恋してあんな変人になったのかと質問した者もあった。しかし若い美人が出入するという噂があるが本当かと聞きただした者もあった。  だんだん聞いているうちに、要するに広田先生は偉い人だということになった。なぜ偉いか三四郎にもよくわからないが、とにかくこの三人は三人ながら与次郎の書いた「偉大なる暗闇」を読んでいる。現にあれを読んでから、急に広田さんが好きになったと言っている。時々は「偉大なる暗闇」のなかにある警句などを引用してくる。そうしてさかんに与次郎の文章をほめている。零余子とはだれだろうと不思議がっている。なにしろよほどよく広田さんを知っている男に相違ないということには三人とも同意した。  三四郎はそばにいて、なるほどと感心した。与次郎が「偉大なる暗闇」を書くはずである。文芸時評の売れ高の少ないのは当人の自白したとおりであるのに、麗々しく彼のいわゆる大論文を掲げて得意がるのは、虚栄心の満足以外になんのためになるだろうと疑っていたが、これでみると活版の勢力はやはりたいしたものである。与次郎の主張するとおり、一言でも半句でも言わないほうが損になる。人の評判はこんなところからあがり、またこんなところから落ちると思うと、筆を執るものの責任が恐ろしくなって、三四郎は蕎麦屋を出た。  下宿へ帰ると、酒はもうさめてしまった。なんだかつまらなくっていけない。机の前にすわって、ぼんやりしていると、下女が下から湯沸に熱い湯を入れて持ってきたついでに、封書を一通置いていった。また母の手紙である。三四郎はすぐ封を切った。きょうは母の手跡を見るのがはなはだうれしい。  手紙はかなり長いものであったが、べつだんの事も書いてない。ことに三輪田のお光さんについては一口も述べてないので大いにありがたかった。けれどもなかに妙な助言がある。  お前は子供の時から度胸がなくっていけない。度胸の悪いのはたいへんな損で、試験の時なぞにはどのくらい困るかしれない。興津の高さんは、あんなに学問ができて、中学校の先生をしているが、検定試験を受けるたびに、からだがふるえて、うまく答案ができないんで、気の毒なことにいまだに月給が上がらずにいる。友だちの医学士とかに頼んでふるえのとまる丸薬をこしらえてもらって、試験前に飲んで出たがやっぱりふるえたそうである。お前のはぶるぶるふるえるほどでもないようだから、平生から持薬に度胸のすわる薬を東京の医者にこしらえてもらって飲んでみろ。直らないこともなかろうというのである。  三四郎はばかばかしいと思った。けれどもばかばかしいうちに大いなる感謝を見出した。母は本当に親切なものであると、つくづく感心した。その晩一時ごろまでかかって長い返事を母にやった。そのなかには東京はあまりおもしろい所ではないという一句があった。 八  三四郎が与次郎に金を貸したてんまつは、こうである。  このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨にぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。 「じつは金をなくしてね。困っちまった」  そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎は煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。  与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないからである。先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校の受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。 「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然としている。これをいつもの活発溌地と比べると与次郎なるものが二人いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。 「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。 「先生はまだ知らないのか」と聞くと、 「まだ知らない」 「野々宮さんは」 「むろん、まだ知らない」 「金はいつ受け取ったのか」 「金はこの月始まりだから、きょうでちょうど二週間ほどになる」 「馬券を買ったのは」 「受け取ったあくる日だ」 「それからきょうまでそのままにしておいたのか」 「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月末までこのままにしておこう」 「今月末になればできる見込みでもあるのか」 「文芸時評社から、どうかなるだろう」  三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、 「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、 「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。  二人は十時すぎ雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋へはいった。三四郎が蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定は与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である。  それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日近くなった。もう一日二日しか余っていない。間違ったら下宿の勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。  三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から、与次郎を見下して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶が上下で一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引っ込める。与次郎は梯子段をとんとん上がってきた。 「待っていやしないか。君のことだから下宿の勘定を心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」 「文芸時評から原稿料をくれたか」 「原稿料って、原稿料はみんな取ってしまった」 「だってこのあいだは月末に取るように言っていたじゃないか」 「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」 「おかしいな。だって君はたしかにそう言ったぜ」 「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからん。わずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった」 「じゃ金はできないのか」 「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」 「そうか。それは気の毒だ」 「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」 「どこへ」 「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」 「野々宮さんの妹がいやしないか」 「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」 「そうか」 「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立て申しますと言うんだがね」 「あの女は自分の金があるのかい」 「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい」 「取りにいかなければ、国へ電報でもかけるんだな」 「電報はよそう。ばかげている。いくら君だって借りにいけるだろう」 「いける」  これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。  運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめいが自分の存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。それでなければ、自分の存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生の名前をあまり出さないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。  与次郎はこの方法で運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりである。もっとも会合だけはほんの形式だから略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……  聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なからず与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこのあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。 「あの晩、原口さんが、先生に文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男と広田先生を接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である。先生は変人だから、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。…… 「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」  与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。 「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」 「そうか」 「そうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから」 「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」 「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士とかいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」 「どこであるのか」 「たぶん上野の精養軒になるだろう」 「ぼくはあんな所へ、はいったことがない。高い会費を取るんだろう」 「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから」  三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議におかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座のどことかへ天麩羅を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野へ寄って、与次郎は栗饅頭をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。  三四郎はその晩与次郎の性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれてから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である。独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから、迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗けたり除ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十通りにも二十通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎は本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。  ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいだから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから、一刀両断の解決などは思いもよらぬことである。もし三四郎の安心のために解決が必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後の判決を自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真は写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。  最後にうれしいことを思いついた。美禰子は与次郎に金を貸すと言った。けれども与次郎には渡さないと言った。じっさい与次郎は金銭のうえにおいては、信用しにくい男かもしれない。しかしその意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑わしい。もしその意味でないとすると、自分にははなはだたのもしいことになる。ただ金を貸してくれるだけでも十分の好意である。自分に会って手渡しにしたいというのは――三四郎はここまで己惚れてみたが、たちまち、 「やっぱり愚弄じゃないか」と考えだして、急に赤くなった。もし、ある人があって、その女はなんのために君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎はおそらく答ええなかったろう。しいて考えてみろと言われたら、三四郎は愚弄そのものに興味をもっている女だからとまでは答えたかもしれない。自分の己惚れを罰するためとはまったく考ええなかったに違いない。――三四郎は美禰子のために己惚れしめられたんだと信じている。  翌日はさいわい教師が二人欠席して、昼からの授業が休みになった。下宿へ帰るのもめんどうだから、途中で一品料理の腹をこしらえて、美禰子の家へ行った。前を通ったことはなんべんでもある。けれどもはいるのははじめてである。瓦葺の門の柱に里見恭助という標札が出ている。三四郎はここを通るたびに、里見恭助という人はどんな男だろうと思う。まだ会ったことがない。門は締まっている。潜りからはいると玄関までの距離は存外短かい。長方形の御影石が飛び飛びに敷いてある。玄関は細いきれいな格子でたてきってある。ベルを押す。取次ぎの下女に、「美禰子さんはお宅ですか」と言った時、三四郎は自分ながら気恥ずかしいような妙な心持ちがした。ひとの玄関で、妙齢の女の在否を尋ねたことはまだない。はなはだ尋ねにくい気がする。下女のほうは案外まじめである。しかもうやうやしい。いったん奥へはいって、また出て来て、丁寧にお辞儀をして、どうぞと言うからついて上がると応接間へ通した。重い窓掛けの掛かっている西洋室である。少し暗い。  下女はまた、「しばらく、どうか……」と挨拶して出て行った。三四郎は静かな部屋の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉がある。その上が横に長い鏡になっていて前に蝋燭立が二本ある。三四郎は左右の蝋燭立のまん中に自分の顔を写して見て、またすわった。  すると奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背によりかかって、もう少しやればいいがと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎はバイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリックの連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでぱったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋の音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎の情緒によく合った。不意に天から二、三粒落ちて来た、でたらめの雹のようである。  三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。 「いらっしゃい」  女の声はうしろで聞こえた。三四郎は振り向かなければならなかった。女と男はじかに顔を見合わせた。その時女は廂の広い髪をちょっと前に動かして礼をした。礼をするにはおよばないくらいに親しい態度であった。男のほうはかえって椅子から腰を浮かして頭を下げた。女は知らぬふうをして、向こうへ回って、鏡を背に、三四郎の正面に腰をおろした。 「とうとういらしった」  同じような親しい調子である。三四郎にはこの一言が非常にうれしく聞こえた。女は光る絹を着ている。さっきからだいぶ待たしたところをもってみると、応接間へ出るためにわざわざきれいなのに着換えたのかもしれない。それで端然とすわっている。目と口に笑を帯びて無言のまま三四郎を見守った姿に、男はむしろ甘い苦しみを感じた。じっとして見らるるに堪えない心の起こったのは、そのくせ女の腰をおろすやいなやである。三四郎はすぐ口を開いた。ほとんど発作に近い。 「佐々木が」 「佐々木さんが、あなたの所へいらしったでしょう」と言って例の白い歯を現わした。女のうしろにはさきの蝋燭立がマントルピースの左右に並んでいる。金で細工をした妙な形の台である。これを蝋燭立と見たのは三四郎の臆断で、じつはなんだかわからない。この不可思議の蝋燭立のうしろに明らかな鏡がある。光線は厚い窓掛けにさえぎられて、十分にはいらない。そのうえ天気は曇っている。三四郎はこのあいだに美禰子の白い歯を見た。 「佐々木が来ました」 「なんと言っていらっしゃいました」 「ぼくにあなたの所へ行けと言って来ました」 「そうでしょう。――それでいらしったの」とわざわざ聞いた。 「ええ」と言って少し躊躇した。あとから「まあ、そうです」と答えた。女はまったく歯を隠した。静かに席を立って、窓の所へ行って、外面をながめだした。 「曇りましたね。寒いでしょう、戸外は」 「いいえ、存外暖かい。風はまるでありません」 「そう」と言いながら席へ帰って来た。 「じつは佐々木が金を……」と三四郎から言いだした。 「わかってるの」と中途でとめた。三四郎も黙った。すると 「どうしておなくしになったの」と聞いた。 「馬券を買ったのです」  女は「まあ」と言った。まあと言ったわりに顔は驚いていない。かえって笑っている。すこしたって、「悪いかたね」とつけ加えた。三四郎は答えずにいた。 「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」 「ぼくが馬券を買ったんじゃありません」 「あら。だれが買ったの」 「佐々木が買ったのです」  女は急に笑いだした。三四郎もおかしくなった。 「じゃ、あなたがお金がお入用じゃなかったのね。ばかばかしい」 「いることはぼくがいるのです」 「ほんとうに?」 「ほんとうに」 「だってそれじゃおかしいわね」 「だから借りなくってもいいんです」 「なぜ。おいやなの?」 「いやじゃないが、お兄いさんに黙って、あなたから借りちゃ、好くないからです」 「どういうわけで? でも兄は承知しているんですもの」 「そうですか。じゃ借りてもいい。――しかし借りないでもいい。家へそう言ってやりさえすれば、一週間ぐらいすると来ますから」 「御迷惑なら、しいて……」  美禰子は急に冷淡になった。今までそばにいたものが一町ばかり遠のいた気がする。三四郎は借りておけばよかったと思った。けれども、もうしかたがない。蝋燭立を見てすましている。三四郎は自分から進んで、ひとのきげんをとったことのない男である。女も遠ざかったぎり近づいて来ない。しばらくするとまた立ち上がった。窓から戸外をすかして見て、 「降りそうもありませんね」と言う。三四郎も同じ調子で、「降りそうもありません」と答えた。 「降らなければ、私ちょっと出て来ようかしら」と窓の所で立ったまま言う。三四郎は帰ってくれという意味に解釈した。光る絹を着換えたのも自分のためではなかった。 「もう帰りましょう」と立ち上がった。美禰子は玄関まで送って来た。沓脱へ降りて、靴をはいていると、上から美禰子が、 「そこまでごいっしょに出ましょう。いいでしょう」と言った。三四郎は靴の紐を結びながら、「ええ、どうでも」と答えた。女はいつのまにか、和土の上へ下りた。下りながら三四郎の耳のそばへ口を持ってきて、「おこっていらっしゃるの」とささやいた。ところへ下女があわてながら、送りに出て来た。  二人は半町ほど無言のまま連れだって来た。そのあいだ三四郎はしじゅう美禰子の事を考えている。この女はわがままに育ったに違いない。それから家庭にいて、普通の女性以上の自由を有して、万事意のごとくふるまうに違いない。こうして、だれの許諾も経ずに、自分といっしょに、往来を歩くのでもわかる。年寄りの親がなくって、若い兄が放任主義だから、こうもできるのだろうが、これがいなかであったらさぞ困ることだろう。この女に三輪田のお光さんのような生活を送れと言ったら、どうする気かしらん。東京はいなかと違って、万事があけ放しだから、こちらの女は、たいていこうなのかもわからないが、遠くから想像してみると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。ただし俗礼にかかわらないところだけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。そこはわからない。  そのうち本郷の通りへ出た。いっしょに歩いている二人は、いっしょに歩いていながら、相手がどこへ行くのだか、まったく知らない。今までに横町を三つばかり曲がった。曲がるたびに、二人の足は申し合わせたように無言のまま同じ方角へ曲がった。本郷の通りを四丁目の角へ来る途中で、女が聞いた。 「どこへいらっしゃるの」 「あなたはどこへ行くんです」  二人はちょっと顔を見合わせた。三四郎はしごくまじめである。女はこらえきれずにまた白い歯をあらわした。 「いっしょにいらっしゃい」  二人は四丁目の角を切り通しの方へ折れた。三十間ほど行くと、右側に大きな西洋館がある。美禰子はその前にとまった。帯の間から薄い帳面と、印形を出して、 「お願い」と言った。 「なんですか」 「これでお金を取ってちょうだい」  三四郎は手を出して、帳面を受取った。まん中に小口当座預金通帳とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎は帳面と印形を持ったまま、女の顔を見て立った。 「三十円」と女が金高を言った。あたかも毎日銀行へ金を取りに行きつけた者に対する口ぶりである。さいわい、三四郎は国にいる時分、こういう帳面を持ってたびたび豊津まで出かけたことがある。すぐ石段を上って、戸をあけて、銀行の中へはいった。帳面と印形を係りの者に渡して、必要の金額を受け取って出てみると、美禰子は待っていない。もう切り通しの方へ二十間ばかり歩きだしている。三四郎は急いで追いついた。すぐ受け取ったものを渡そうとして、ポッケットへ手を入れると、美禰子が、 「丹青会の展覧会を御覧になって」と聞いた。 「まだ見ません」 「招待券を二枚もらったんですけれども、つい暇がなかったものだからまだ行かずにいたんですが、行ってみましょうか」 「行ってもいいです」 「行きましょう。もうじき閉会になりますから。私、一ぺんは見ておかないと原口さんに済まないのです」 「原口さんが招待券をくれたんですか」 「ええ。あなた原口さんを御存じなの?」 「広田先生の所で一度会いました」 「おもしろいかたでしょう。馬鹿囃子を稽古なさるんですって」 「このあいだは鼓をならいたいと言っていました。それから――」 「それから?」 「それから、あなたの肖像をかくとか言っていました。本当ですか」 「ええ、高等モデルなの」と言った。男はこれより以上に気の利いたことが言えない性質である。それで黙ってしまった。女はなんとか言ってもらいたかったらしい。  三四郎はまた隠袋へ手を入れた。銀行の通帳と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間にはさんでおいたはずである。しかるに女が、 「お金は」と言った。見ると、間にはない。三四郎はまたポッケットを探った。中から手ずれのした札をつかみ出した。女は手を出さない。 「預かっておいてちょうだい」と言った。三四郎はいささか迷惑のような気がした。しかしこんな時に争うことを好まぬ男である。そのうえ往来だからなおさら遠慮をした。せっかく握った札をまたもとの所へ収めて、妙な女だと思った。  学生が多く通る。すれ違う時にきっと二人を見る。なかには遠くから目をつけて来る者もある。三四郎は池の端へ出るまでの道をすこぶる長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人とものそのそ歩いている。会場へ着いたのはほとんど三時近くである。妙な看板が出ている。丹青会という字も、字の周囲についている図案も、三四郎の目にはことごとく新しい。しかし熊本では見ることのできない意味で新しいので、むしろ一種異様の感がある。中はなおさらである。三四郎の目にはただ油絵と水彩画の区別が判然と映ずるくらいのものにすぎない。  それでも好悪はある。買ってもいいと思うのもある。しかし巧拙はまったくわからない。したがって鑑別力のないものと、初手からあきらめた三四郎は、いっこう口をあかない。  美禰子がこれはどうですかと言うと、そうですなという。これはおもしろいじゃありませんかと言うと、おもしろそうですなという。まるで張り合いがない。話のできないばかか、こっちを相手にしない偉い男か、どっちかにみえる。ばかとすればてらわないところに愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならないところが憎らしい。  長い間外国を旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。 「ベニスでしょう」  これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、 「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。 「兄さんとは……」 「この絵は兄さんのほうでしょう」 「だれの?」  美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。 「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」  三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。 「違うんですか」 「一人と思っていらしったの」 「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、 「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。 「里見さん」  だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。  美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、 「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、 「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物も帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。 「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である。来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死の勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである。迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。 「その代りここん所へかけるつもりです」  原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。 「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。 「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。 「三井です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」  原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。 「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。 「まだ」 「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャーに相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」  美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。 「せっかく来たものだから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」  三四郎はええと言った。 「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから」 「ありがとう」 「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。  女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。 「これもベニスですね」と女が寄って来た。 「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。 「さっき何を言ったんですか」  女は「さっき?」と聞き返した。 「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」  女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。 「用でなければ聞かなくってもいいです」 「用じゃないのよ」  三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。 「野々宮さん。ね、ね」 「野々宮さん……」 「わかったでしょう」  美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。 「野々宮さんを愚弄したのですか」 「なんで?」  女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。 「あなたを愚弄したんじゃないのよ」  三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。 「それでいいです」 「なぜ悪いの?」 「だからいいです」  女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。 「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。 「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。 「精養軒へ行きますか」  美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。 「あの木の陰へはいりましょう」  少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。 「悪くって? さっきのこと」 「いいです」 「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」  女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、 「だから、いいです」と答えた。  雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所はわずかしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、 「さっきのお金をお使いなさい」と言った。 「借りましょう。要るだけ」と答えた。 「みんな、お使いなさい」と言った。 九  与次郎が勧めるので、三四郎はとうとう精養軒の会へ出た。その時三四郎は黒い紬の羽織を着た。この羽織は、三輪田のお光さんのおっかさんが織ってくれたのを、紋付に染めて、お光さんが縫い上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。小包みが届いた時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚へ入れておいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う。三四郎が着なければ、自分が持っていって着そうな勢いであったから、つい着る気になった。着てみると悪くはないようだ。  三四郎はこのいでたちで、与次郎と二人で精養軒の玄関に立っていた。与次郎の説によると、お客はこうして迎えべきものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった。第一自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい受け付けの気がする。制服を着てくればよかったと思った。そのうち会員がだんだん来る。与次郎は来る人をつらまえてきっとなんとか話をする。ことごとく旧知のようにあしらっている。お客が帽子と外套を給仕に渡して、広い梯子段の横を、暗い廊下の方へ折れると、三四郎に向かって、今のは誰某だと教えてくれる。三四郎はおかげで知名な人の顔をだいぶ覚えた。  そのうちお客はほぼ集まった。約三十人足らずである。広田先生もいる。野々宮さんもいる。――これは理学者だけれども、絵や文学が好きだからというので、原口さんが、むりに引っ張り出したのだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て、世話を焼いたり、愛嬌を振りまいたり、フランス式の髯をつまんでみたり、万事忙しそうである。  やがて着席となった。めいめいかってな所へすわる。譲る者もなければ、争う者もない。そのうちでも広田先生はのろいにも似合わずいちばんに腰をおろしてしまった。ただ与次郎と三四郎だけがいっしょになって、入口に近く座を占めた。その他はことごとく偶然の向かい合わせ、隣同志であった。  野々宮さんと広田先生のあいだに縞の羽織を着た批評家がすわった。向こうには庄司という博士が座に着いた。これは与次郎のいわゆる文科で有力な教授である。フロックを着た品格のある男であった。髪を普通の倍以上長くしている。それが電燈の光で、黒く渦をまいて見える。広田先生の坊主頭と比べるとだいぶ相違がある。原口さんはだいぶ離れて席を取った。あちらの角だから、遠く三四郎と真向かいになる。折襟に、幅の広い黒襦子を結んださきがぱっと開いて胸いっぱいになっている。与次郎が、フランスの画工は、みんなああいう襟飾りを着けるものだと教えてくれた。三四郎は肉汁を吸いながら、まるで兵児帯の結び目のようだと考えた。そのうち談話がだんだん始まった。与次郎はビールを飲む。いつものように口をきかない。さすがの男もきょうは少々謹んでいるとみえる。三四郎が、小さな声で、 「ちと、ダーターファブラをやらないか」と言うと、「きょうはいけない」と答えたが、すぐ横を向いて、隣の男と話を始めた。あなたの、あの論文を拝見して、大いに利益を得ましたとかなんとか礼を述べている。ところがその論文は、彼が自分の前で、さかんに罵倒したものだから、三四郎にはすこぶる不思議の思いがある。与次郎はまたこっちを向いた。 「その羽織はなかなかりっぱだ。よく似合う」と白い紋をことさら注意してながめている。その時向こうの端から、原口さんが、野々宮に話しかけた。元来が大きな声の人だから、遠くで応対するにはつごうがいい。今まで向かい合わせに言葉をかわしていた広田先生と庄司という教授は、二人の応答を途中でさえぎることを恐れて、談話をやめた。その他の人もみんな黙った。会の中心点がはじめてできあがった。 「野々宮さん光線の圧力の試験はもう済みましたか」 「いや、まだなかなかだ」 「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」 「絵はインスピレーションですぐかけるからいいが、物理の実験はそううまくはいかない」 「インスピレーションには辟易する。この夏ある所を通ったらばあさんが二人で問答をしていた。聞いてみると梅雨はもう明けたんだろうか、どうだろうかという研究なんだが、一人のばあさんが、昔は雷さえ鳴れば梅雨は明けるにきまっていたが、近ごろじゃそうはいかないとこぼしている。すると一人がどうしてどうして、雷ぐらいで明けることじゃありゃしないと憤慨していた。――絵もそのとおり、今の絵はインスピレーションぐらいでかけることじゃありゃしない。ねえ田村さん、小説だって、そうだろう」  隣に田村という小説家がすわっていた。この男は自分のインスピレーションは原稿の催促以外になんにもないと答えたので、大笑いになった。田村は、それから改まって、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞きだした。野々宮さんの答はおもしろかった。――  雲母か何かで、十六武蔵ぐらいの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣るして、真空のうちに置いて、この円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動く。と言うのである。  一座は耳を傾けて聞いていた。なかにも三四郎は腹のなかで、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだろうと、上京のさい、望遠鏡で驚かされた昔を思い出した。 「君、水晶の糸があるのか」と小さい声で与次郎に聞いてみた。与次郎は頭を振っている。 「野々宮さん、水晶の糸がありますか」 「ええ、水晶の粉をね。酸水素吹管の炎で溶かしておいて、両方の手で、左右へ引っ張ると細い糸ができるのです」  三四郎は「そうですか」と言ったぎり、引っ込んだ。今度は野々宮さんの隣にいる縞の羽織の批評家が口を出した。 「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」 「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験で証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」  批評家はだいぶ感心したらしい。 「思いつきもおもしろいが、第一大きくていいですね」と言った。 「大きいばかりじゃない、罪がなくって愉快だ」と広田先生が言った。 「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」と原口さんが笑っている。 「いや、どうもあたっているらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片からできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ」  野々宮は、ついまじめになった。すると原口が例の調子で、 「罪がない代りに、たいへん計算がめんどうになってきた。やっぱり一利一害だ」と言った。この一言で、人々はもとのとおりビールの気分に復した。広田先生が、こんな事を言う。 「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」  物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 「それはどういう意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生は説明しなければならなくなった。 「だって、光線の圧力を試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然の献立のうちに、光線の圧力という事実は印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力が物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」 「しかし浪漫派でもないだろう」と原口さんがまぜ返した。 「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通の自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」 「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだから、それからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。 「すると、物理学者は浪漫的自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士が比較を持ち出した。 「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然の法則に従っているか疑わしい」これは縞の羽織の批評家の言葉であった。 「そうかもしれないが、こういうことは人間の研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力と権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものだから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。 「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。広田先生は、すぐ、 「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。「じっさい人間たる我々は、人間らしからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」  小説家はそれで黙った。今度は博士がまた口をきいた。 「物理学者でも、ガリレオが寺院の釣りランプの一振動の時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートンが林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」 「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。 「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。vrit vraie. なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」 「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。  食後には卓上演説も何もなかった。ただ原口さんが、しきりに九段の上の銅像の悪口を言っていた。あんな銅像をむやみに立てられては、東京市民が迷惑する。それより、美しい芸者の銅像でもこしらえるほうが気が利いているという説であった。与次郎は三四郎に九段の銅像は原口さんと仲の悪い人が作ったんだと教えた。  会が済んで、外へ出るといい月であった。今夜の広田先生は庄司博士によい印象を与えたろうかと与次郎が聞いた。三四郎は与えたろうと答えた。与次郎は共同水道栓のそばに立って、この夏、夜散歩に来て、あまり暑いからここで水を浴びていたら、巡査に見つかって、擂鉢山へ駆け上がったと話した。二人は擂鉢山の上で月を見て帰った。  帰り道に与次郎が三四郎に向かって、突然借金の言い訳をしだした。月のさえた比較的寒い晩である。三四郎はほとんど金の事などは考えていなかった。言い訳を聞くのでさえ本気ではない。どうせ返すことはあるまいと思っている。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情をいろいろに話す。その話し方のほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分の知ってるさる男が、失恋の結果、世の中がいやになって、とうとう自殺をしようと決心したが、海もいや川もいや、噴火口はなおいや、首をくくるのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃を買ってきた。買ってきて、まだ目的を遂行しないうちに、友だちが金を借りにきた。金はないと断ったが、ぜひどうかしてくれと訴えるので、しかたなしに、大事の短銃を貸してやった。友だちはそれを質に入れて一時をしのいだ。つごうがついて、質を受け出して返しにきた時は、肝心の短銃の主はもう死ぬ気がなくなっていた。だからこの男の命は金を借りにこられたために助かったと同じ事である。 「そういう事もあるからなあ」と与次郎が言った。三四郎にはただおかしいだけである。そのほかにはなんらの意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である。与次郎は、 「笑っちゃいかん」と注意した。三四郎はなおおかしくなった。 「笑わないで、よく考えてみろ。おれが金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることができたんだろう」  三四郎は笑うのをやめた。 「それで?」 「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女を愛しているんだろう」  与次郎はよく知っている。三四郎はふんと言って、また高い月を見た。月のそばに白い雲が出た。 「君、あの女には、もう返したのか」 「いいや」 「いつまでも借りておいてやれ」  のん気な事を言う。三四郎はなんとも答えなかった。しかしいつまでも借りておく気はむろんなかった。じつは必要な二十円を下宿へ払って、残りの十円をそのあくる日すぐ里見の家へ届けようと思ったが、今返してはかえって、好意にそむいて、よくないと考え直して、せっかく門内に、はいられる機会を犠牲にしてまでも引き返した。その時何かの拍子で、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜の会費もそのうちから出ている。自分ばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円残っている。三四郎はそれで冬シャツを買おうと思った。  じつは与次郎がとうてい返しそうもないから、三四郎は思いきって、このあいだ国元へ三十円の不足を請求した。十分な学資を月々もらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘をついたことのない男だから、請求の理由にいたって困却した。しかたがないからただ友だちが金をなくして弱っていたから、つい気の毒になって貸してやった。その結果として、今度はこっちが弱るようになった。どうか送ってくれと書いた。  すぐ返事を出してくれれば、もう届く時分であるのにまだ来ない。今夜あたりはことによると来ているかもしれぬくらいに考えて、下宿へ帰ってみると、はたして、母の手蹟で書いた封筒がちゃんと机の上に乗っている。不思議なことに、いつも必ず書留で来るのが、きょうは三銭切手一枚で済ましてある。開いてみると、中はいつになく短かい。母としては不親切なくらい、用事だけで申し納めてしまった。依頼の金は野々宮さんの方へ送ったから、野々宮さんから受け取れというさしずにすぎない。三四郎は床を取ってねた。  翌日もその翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかった。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間ほどたった。しまいに野々宮さんから、下宿の下女を使いに手紙をよこした。おっかさんから頼まれものがあるから、ちょっと来てくれろとある。三四郎は講義の隙をみて、また理科大学の穴倉へ降りていった。そこで立談のあいだに事を済ませようと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏は野々宮さんだけで専領していた部屋に髭のはえた人が二、三人いる。制服を着た学生も二、三人いる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日のあたる世界をよそにして、研究をやっている。そのうちで野々宮さんはもっとも多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎をちょっと見て、無言のまま近寄ってきた。 「国から、金が届いたから、取りに来てくれたまえ。今ここに持っていないから。それからまだほかに話す事もある」  三四郎ははあと答えた。今夜でもいいかと尋ねた。野々宮はすこしく考えていたが、しまいに思いきってよろしいと言った。三四郎はそれで穴倉を出た。出ながら、さすがに理学者は根気のいいものだと感心した。この夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然としてもとのとおりの位置に備えつけてあった。  次の講義の時間に与次郎に会ってこれこれだと話すと、与次郎はばかだと言わないばかりに三四郎をながめて、 「だからいつまでも借りておいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄りには心配をかける。宗八さんにはお談義をされる。これくらい愚な事はない」とまるで自分から事が起こったとは認めていない申し分である。三四郎もこの問題に関しては、もう与次郎の責任を忘れてしまった。したがって与次郎の頭にかかってこない返事をした。 「いつまでも借りておくのは、いやだから、家へそう言ってやったんだ」 「君はいやでも、向こうでは喜ぶよ」 「なぜ」  このなぜが三四郎自身にはいくぶんか虚偽の響らしく聞こえた。しかし相手にはなんらの影響も与えなかったらしい。 「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって、同じことだ。ぼくに金が余っているとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸しておくほうがいい心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」  三四郎は返事をしないで、講義を筆記しはじめた。二、三行書きだすと、与次郎がまた、耳のそばへ口を持ってきた。 「おれだって、金のある時はたびたび人に貸したことがある。しかしだれもけっして返したものがない。それだからおれはこのとおり愉快だ」  三四郎はまさか、そうかとも言えなかった。薄笑いをしただけで、またペンを走らしはじめた。与次郎もそれからはおちついて、時間の終るまで口をきかなかった。  ベルが鳴って、二人肩を並べて教場を出る時、与次郎が、突然聞いた。 「あの女は君にほれているのか」  二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手の玄関から、図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。 「よくわからない」  与次郎はしばらく三四郎を見ていた。 「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」  三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実そのものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である。三四郎は首を傾けた。 「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。 「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」  三四郎の顔は彫りつけたようにまじめであった。与次郎は一口、 「知らん」と言った。三四郎は黙っている。 「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。 「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。  三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、 「せんだってはありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。  手紙の文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものである。しかし感謝以外には、なんにも書いてない。それだから、自然の勢い、感謝が感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙をポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままである。それから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。  二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水の相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。  表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。  三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。 「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」 「そう、お遊びに?」 「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」 「いいえ、私も御用なの」  両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである。 「バイオリンを買いましたか」 「どうして御存じ」  三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。 「いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」  三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎を非難した。  二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。  三四郎の下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから、三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。  きょうは夜だから、屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。 「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリンは和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。  三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。 「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝があってよ」 「そうか」 「うれしいでしょう。うれしくなくって?」  野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。 「ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。 「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」  三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。 「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行ってちょうだいって」 「里見さんといっしょに行ったらよかろう」 「御用があるんですって」 「お前も行くのか」 「むろんだわ」  野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんなのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、 「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、 「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。 「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別だとあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」  野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。 「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族が半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。 「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。 「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活のありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。 「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。 「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしかに佐々木に貸したんですね」  三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないから一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。 「佐々木が馬券を買って、自分の金をなくしたんだってね」 「ええ」  よし子はまた大きな声を出して笑った。 「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」  三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。 「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。 「よくってよ」と妹が拒絶した。 「よくはないよ」 「よくってよ。知らないわ」  兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。 「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」  三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。  人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分の下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。  下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分の運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯者である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上の風である。  三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命の翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。  三四郎はそれなり寝ついた。運命も与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京の火事はこれで二へん目である。三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎は寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である。制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものだからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか、講義の最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなものを白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師がちゃんとこっちを見ている。白紙を丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎は与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。 一〇  広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、 「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。 「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。 「なるほど」と言っている。 「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」  三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。 「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」 「ええ、もうよろしい」  三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。 「柿を買って来ました」  広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。  三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。  広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。 「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」  三四郎は礼を述べて書物を受け取った。 「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。 「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。 「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」  これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。  贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。  子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。  三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。  曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。  玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。  描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。 「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。 「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、 「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、 「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。  それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。  静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。 「また苦しくなったようですね」  女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。  原口さんは丸テーブルのそばまで来て、三四郎に、 「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。  絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。  三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。 「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」  原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなたが単衣を着てくれないものだから、着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものだから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会の原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいものを代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎の真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎は原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああいう姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから、見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか、恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのものが一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかいた美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄だから、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかしいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目をかいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエルの聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎は画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたからである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性の情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益か不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本の社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である。三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである。三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単なものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎は事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎はがっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女から話しかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口が広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである。三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなたは団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子をかぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学の小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあいに三四郎は追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。 一一  このごろ与次郎が学校で文芸協会の切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授はハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館へはいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。  与次郎に切符の販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場にはいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかには義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましている。  与次郎が切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面にわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益だからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本で百科全書を売った方法に比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。 「相手は東京帝国大学学生だよ」 「いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」 「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまりは協会の借金になることは明らかだから」  三四郎は念のため、それは君の意見か、協会の意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた。  与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。  与次郎は第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為の青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。  与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎は与次郎のために演芸会万歳を唱えた。  万歳を唱える晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢のそばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。 「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。 「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、 「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。  一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出しに大学の純文科とある。  大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。 「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。 「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。 「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。 「しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから」 「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。  今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文は零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前が出て来た。  三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、 「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。 「君、これをどう思う」と言う。 「どう思うとは」 「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」 「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」  与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから、 「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。 「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」  与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。 「君、先生に話したか」と聞いた。 「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」  三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。 「先生は新聞を読んだんだろうか」 「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」 「すると、もう知ってるな」 「むろん知ってるだろう」 「君にはなんとも言わないか」 「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろいものか」 「先生に話したら、君、しかられるだろう」 「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生の哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである。 「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」  与次郎はそれで腕組をした。 「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」 「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」 「君はあやまる必要はない」 「じゃ弁解してくる」  与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やすい心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。  夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。  暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母からの書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。  通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後に比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台の時計は常に狂っている。もしくは留まっている。  門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。  学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義のあいだに懐から母の手紙を出して読んだ。  この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかわからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから、東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。  長い手紙を巻き収めていると、与次郎がそばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、 「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。 「里見のお嬢さんからじゃないのか」 「いいや」 「君、里見のお嬢さんのことを聞いたか」 「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。  与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である。勉強が佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎は学校で取り逃してしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。  三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。  三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。  そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎はもっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである。先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙のあいだに、棒になって出る。 「ありがとう。書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題がわからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生はあくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生が三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいだから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものだから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞の記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんなものだと思ってるから、若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎は社員に知った者があるから、その男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分の雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか。存在を無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木が自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章は佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍の太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞の記事はもっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから、三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまったから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子をかぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙の法則は変らないが、法則に支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である。黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操の教師が竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身を余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレットは結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子が結婚に信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しかし先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生はハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」 一二  演芸会は比較的寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。  それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎が広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由を説明して聞かせた。三四郎は承知した。  夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。 「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しかし三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。 「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから」  先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである。 「雨になるかもしれない」 「降ると困るでしょう」 「出入りにね。日本の芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」 「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかないからでしょう」 「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」  三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。 「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋で簡単な芝居ができそうなものだ」 「先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」 「君ギリシアの芝居を知っているか」 「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」 「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」  また与次郎の悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しかつ斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかわからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。  先生はそれからギリシアの劇場の構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orchstra, Skn, Prosknion などという字の講釈を聞いた。なんとかいうドイツ人の説によるとアテンの劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうである。もっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。  さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である。 「どうです、せっかくだからおはいりになりませんか」 「いやはいらない」  先生はまた暗い方へ向いて行った。  三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである。  入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする。自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである。  舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっとも与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎の記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。  幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かいの談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどももし与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。  あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである。三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。  隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。  すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。  そのそばにいる男は背中を三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいぐあいにその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎のあいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。  すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎の背中をたたいた。与次郎はくるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。  この連中の一挙一動を演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分もひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。  そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎は広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレットの写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。  このハムレットは動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。  その代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎はハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうである。しかし三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。  したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。  ハムレットがオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなものに結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。  幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下から出はいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。  本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。  夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……  あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎がはいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。 「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」  三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。 「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」 「演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」 「いけないたって、しかたがないじゃないか」 「しかたがないったって、いけない」  三四郎の言葉はだんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、 「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである。 「風邪だろう」 「風邪だろう」  両方で同じ事を言った。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。 「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」 「美禰子さんの事を? どこで?」 「学校で」 「学校で? いつ」  与次郎はまだ思い出せない様子である。三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、 「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。 「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか」 「きまったのか」 「きまったように聞いたが、よくわからない」 「野々宮さんの所か」 「いや、野々宮さんじゃない」 「じゃ……」と言いかけてやめた。 「君、知ってるのか」 「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。 「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」  三四郎は、その不思議な事を、すぐ話せばいいと思うのに、与次郎は平気なもので、一人でのみこんで、一人で不思議がっている。三四郎はしばらく我慢していたが、とうとう焦れったくなって、与次郎に、美禰子に関するすべての事実を隠さずに話してくれと請求した。与次郎は笑いだした。そうして慰謝のためかなんだか、とんだところへ話頭を持っていってしまった。 「ばかだなあ、あんな女を思って。思ったってしかたがないよ。第一、君と同年ぐらいじゃないか。同年ぐらいの男にほれるのは昔の事だ。八百屋お七時代の恋だ」  三四郎は黙っていた。けれども与次郎の意味はよくわからなかった。 「なぜというに。二十前後の同じ年の男女を二人並べてみろ。女のほうが万事上手だあね。男は馬鹿にされるばかりだ。女だって、自分の軽蔑する男の所へ嫁へ行く気は出ないやね。もっとも自分が世界でいちばん偉いと思ってる女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮らすよりほかに方法はないんだから。よく金持ちの娘や何かにそんなのがあるじゃないか、望んで嫁に来ておきながら、亭主を軽蔑しているのが。美禰子さんはそれよりずっと偉い。その代り、夫として尊敬のできない人の所へははじめから行く気はないんだから、相手になるものはその気でいなくっちゃいけない。そういう点で君だのぼくだのは、あの女の夫になる資格はないんだよ」  三四郎はとうとう与次郎といっしょにされてしまった。しかし依然として黙っていた。 「そりゃ君だって、ぼくだって、あの女よりはるかに偉いさ。お互いにこれでも、なあ。けれども、もう五、六年たたなくっちゃ、その偉さ加減がかの女の目に映ってこない。しかして、かの女は五、六年じっとしている気づかいはない。したがって、君があの女と結婚する事は風馬牛だ」  与次郎は風馬牛という熟字を妙なところへ使った。そうして一人で笑っている。 「なに、もう五、六年もすると、あれより、ずっと上等なのが、あらわれて来るよ。日本じゃ今女のほうが余っているんだから。風邪なんか引いて熱を出したってはじまらない。――なに世の中は広いから、心配するがものはない。じつはぼくにもいろいろあるんだが、ぼくのほうであんまりうるさいから、御用で長崎へ出張すると言ってね」 「なんだ、それは」 「なんだって、ぼくの関係した女さ」  三四郎は驚いた。 「なに、女だって、君なんぞのかつて近寄ったことのない種類の女だよ。それをね、長崎へ黴菌の試験に出張するから当分だめだって断わっちまった。ところがその女が林檎を持って停車場まで送りに行くと言いだしたんで、ぼくは弱ったね」  三四郎はますます驚いた。驚きながら聞いた。 「それで、どうした」 「どうしたか知らない。林檎を持って、停車場に待っていたんだろう」 「ひどい男だ。よく、そんな悪い事ができるね」 「悪い事で、かあいそうな事だとは知ってるけれども、しかたがない。はじめから次第次第に、そこまで運命に持っていかれるんだから。じつはとうのさきからぼくが医科の学生になっていたんだからなあ」 「なんで、そんなよけいな嘘をつくんだ」 「そりゃ、またそれぞれの事情のあることなのさ。それで、女が病気の時に、診断を頼まれて困ったこともある」  三四郎はおかしくなった。 「その時は舌を見て、胸をたたいて、いいかげんにごまかしたが、その次に病院へ行って、見てもらいたいがいいかと聞かれたには閉口した」  三四郎はとうとう笑いだした。与次郎は、 「そういうこともたくさんあるから、まあ安心するがよかろう」と言った。なんの事だかわからない。しかし愉快になった。  与次郎はその時はじめて、美禰子に関する不思議を説明した。与次郎の言うところによると、よし子にも結婚の話がある。それから美禰子にもある。それだけならばいいが、よし子の行く所と、美禰子の行く所が、同じ人らしい。だから不思議なのだそうだ。  三四郎も少しばかにされたような気がした。しかしよし子の結婚だけはたしかである。現に自分がその話をそばで聞いていた。ことによるとその話を美禰子のと取り違えたのかもしれない。けれども美禰子の結婚も、まったく嘘ではないらしい。三四郎ははっきりしたところが知りたくなった。ついでだから、与次郎に教えてくれと頼んだ。与次郎はわけなく承知した。よし子を見舞いに来るようにしてやるから、じかに聞いてみろという。うまい事を考えた。 「だから、薬を飲んで、待っていなくってはいけない」 「病気が直っても、寝て待っている」  二人は笑って別れた。帰りがけに与次郎が、近所の医者に来てもらう手続きをした。  晩になって、医者が来た。三四郎は自分で医者を迎えた覚えがないんだから、はじめは少し狼狽した。そのうち脈を取られたのでようやく気がついた。年の若い丁寧な男である。三四郎は代診と鑑定した。五分ののち病症はインフルエンザときまった。今夜頓服を飲んで、なるべく風にあたらないようにしろという注意である。  翌日目がさめると、頭がだいぶ軽くなっている。寝ていれば、ほとんど常体に近い。ただ枕を離れると、ふらふらする。下女が来て、だいぶ部屋の中が熱臭いと言った。三四郎は飯も食わずに、仰向けに天井をながめていた。時々うとうと眠くなる。明らかに熱と疲れとにとらわれたありさまである。三四郎は、とらわれたまま、逆らわずに、寝たりさめたりするあいだに、自然に従う一種の快感を得た。病症が軽いからだと思った。  四時間、五時間とたつうちに、そろそろ退屈を感じだした。しきりに寝返りを打つ。外はいい天気である。障子にあたる日が、次第に影を移してゆく。雀が鳴く。三四郎はきょうも与次郎が遊びに来てくれればいいと思った。  ところへ下女が障子をあけて、女のお客様だと言う。よし子が、そう早く来ようとは待ち設けなかった。与次郎だけに敏捷な働きをした。寝たまま、あけ放しの入口に目をつけていると、やがて高い姿が敷居の上へ現われた。きょうは紫の袴をはいている。足は両方とも廊下にある。ちょっとはいるのを躊躇した様子が見える。三四郎は肩を床から上げて、「いらっしゃい」と言った。  よし子は障子をたてて、枕元へすわった。六畳の座敷が、取り乱してあるうえに、けさは掃除をしないから、なお狭苦しい。女は、三四郎に、 「寝ていらっしゃい」と言った。三四郎はまた頭を枕へつけた。自分だけは穏やかである。 「臭くはないですか」と聞いた。 「ええ、少し」と言ったが、べつだん臭い顔もしなかった。「熱がおありなの。なんなんでしょう、御病気は。お医者はいらしって」 「医者はゆうべ来ました。インフルエンザだそうです」 「けさ早く佐々木さんがおいでになって、小川が病気だから見舞いに行ってやってください。何病だかわからないが、なんでも軽くはないようだっておっしゃるものだから、私も美禰子さんもびっくりしたの」  与次郎がまた少しほらを吹いた。悪く言えば、よし子を釣り出したようなものである。三四郎は人がいいから、気の毒でならない。「どうもありがとう」と言って寝ている。よし子は風呂敷包みの中から、蜜柑の籠を出した。 「美禰子さんの御注意があったから買ってきました」と正直な事を言う。どっちのお見舞だかわからない。三四郎はよし子に対して礼を述べておいた。 「美禰子さんもあがるはずですが、このごろ少し忙しいものですから――どうぞよろしくって……」 「何か特別に忙しいことができたのですか」 「ええ。できたの」と言った。大きな黒い目が、枕についた三四郎の顔の上に落ちている。三四郎は下から、よし子の青白い額を見上げた。はじめてこの女に病院で会った昔を思い出した。今でもものうげに見える。同時に快活である。頼りになるべきすべての慰謝を三四郎の枕の上にもたらしてきた。 「蜜柑をむいてあげましょうか」  女は青い葉の間から、果物を取り出した。渇いた人は、香にほとばしる甘い露を、したたかに飲んだ。 「おいしいでしょう。美禰子さんのお見舞よ」 「もうたくさん」  女は袂から白いハンケチを出して手をふいた。 「野々宮さん、あなたの御縁談はどうなりました」 「あれぎりです」 「美禰子さんにも縁談の口があるそうじゃありませんか」 「ええ、もうまとまりました」 「だれですか、さきは」 「私をもらうと言ったかたなの。ほほほおかしいでしょう。美禰子さんのお兄いさんのお友だちよ。私近いうちにまた兄といっしょに家を持ちますの。美禰子さんが行ってしまうと、もうご厄介になってるわけにゆかないから」 「あなたはお嫁には行かないんですか」 「行きたい所がありさえすれば行きますわ」  女はこう言い捨てて心持ちよく笑った。まだ行きたい所がないにきまっている。  三四郎はその日から四日ほど床を離れなかった。五日目にこわごわながら湯にはいって、鏡を見た。亡者の相がある。思い切って床屋へ行った。そのあくる日は日曜である。  朝飯後、シャツを重ねて、外套を着て、寒くないようにして美禰子の家へ行った。玄関によし子が立って、今沓脱へ降りようとしている。今兄の所へ行くところだと言う。美禰子はいない。三四郎はいっしょに表へ出た。 「もうすっかりいいんですか」 「ありがとう。もう直りました。――里見さんはどこへ行ったんですか」 「にいさん?」 「いいえ、美禰子さんです」 「美禰子さんは会堂」  美禰子の会堂へ行くことは、はじめて聞いた。どこの会堂か教えてもらって、三四郎はよし子に別れた。横町を三つほど曲がると、すぐ前へ出た。三四郎はまったく耶蘇教に縁のない男である。会堂の中はのぞいて見たこともない。前へ立って、建物をながめた。説教の掲示を読んだ。鉄柵の所を行ったり来たりした。ある時は寄りかかってみた。三四郎はともかくもして、美禰子の出てくるのを待つつもりである。  やがて唱歌の声が聞こえた。賛美歌というものだろうと考えた。締め切った高い窓のうちのでき事である。音量から察するとよほどの人数らしい。美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた。歌はやんだ。風が吹く。三四郎は外套の襟を立てた。空に美禰子の好きな雲が出た。  かつて美禰子といっしょに秋の空を見たこともあった。所は広田先生の二階であった。田端の小川の縁にすわったこともあった。その時も一人ではなかった。迷羊。迷羊。雲が羊の形をしている。  忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る。美禰子は終りから四番目であった。縞の吾妻コートを着て、うつ向いて、上り口の階段を降りて来た。寒いとみえて、肩をすぼめて、両手を前で重ねて、できるだけ外界との交渉を少なくしている。美禰子はこのすべてにあがらざる態度を門ぎわまで持続した。その時、往来の忙しさに、はじめて気がついたように顔を上げた。三四郎の脱いだ帽子の影が、女の目に映った。二人は説教の掲示のある所で、互いに近寄った。 「どうなすって」 「今お宅までちょっと出たところです」 「そう、じゃいらっしゃい」  女はなかば歩をめぐらしかけた。相変らず低い下駄をはいている。男はわざと会堂の垣に身を寄せた。 「ここでお目にかかればそれでよい。さっきから、あなたの出て来るのを待っていた」 「おはいりになればよいのに。寒かったでしょう」 「寒かった」 「お風邪はもうよいの。大事になさらないと、ぶり返しますよ。まだ顔色がよくないようね」  男は返事をしずに、外套の隠袋から半紙に包んだものを出した。 「拝借した金です。ながながありがとう。返そう返そうと思って、ついおそくなった」  美禰子はちょっと三四郎の顔を見たが、そのまま逆らわずに、紙包みを受け取った。しかし手に持ったなり、しまわずにながめている。三四郎もそれをながめている。言葉が少しのあいだ切れた。やがて、美禰子が言った。 「あなた、御不自由じゃなくって」 「いいえ、このあいだからそのつもりで国から取り寄せておいたのだから、どうか取ってください」 「そう。じゃいただいておきましょう」  女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香がぷんとする。 「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎。四丁目の夕暮。迷羊。迷羊。空には高い日が明らかにかかる。 「結婚なさるそうですね」  美禰子は白いハンケチを袂へ落とした。 「御存じなの」と言いながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。そのくせ眉だけははっきりおちついている。三四郎の舌が上顎へひっついてしまった。  女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。 「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」  聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。下宿へ帰ったら母からの電報が来ていた。あけて見ると、いつ立つとある。 一三  原口さんの絵はでき上がった。丹青会はこれを一室の正面にかけた。そうしてその前に長い腰掛けを置いた。休むためでもある。絵を見るためでもある。休みかつ味わうためでもある。丹青会はこうして、この大作に徊する多くの観覧者に便利を与えた。特別の待遇である。絵が特別のできだからという。あるいは人の目をひく題だからともいう。少数のものは、あの女を描いたからだといった。会員の一、二はまったく大きいからだと弁解した。大きいには違いない。幅五寸に余る金の縁をつけて見ると、見違えるように大きくなった。  原口さんは開会の前日検分のためちょっと来た。腰掛けに腰をおろして、久しいあいだパイプをくわえてながめていた。やがて、ぬっと立って、場内を一巡丁寧に回った。それからまたもとの腰掛けへ帰って、第二のパイプをゆっくり吹かした。 「森の女」の前には開会の当日から人がいっぱいたかった。せっかくの腰掛けは無用の長物となった。ただ疲れた者が、絵を見ないために休んでいた。それでも休みながら「森の女」の評をしていた者がある。  美禰子は夫に連られて二日目に来た。原口さんが案内をした。「森の女」の前へ出た時、原口さんは「どうです」と二人を見た。夫は「結構です」と言って、眼鏡の奥からじっと眸を凝らした。 「この団扇をかざして立った姿勢がいい。さすが専門家は違いますね。よくここに気がついたものだ。光線が顔へあたるぐあいがうまい。陰と日向の段落がかっきりして――顔だけでも非常におもしろい変化がある」 「いや皆御当人のお好みだから。ぼくの手柄じゃない」 「おかげさまで」と美禰子が礼を述べた。 「私も、おかげさまで」と今度は原口さんが礼を述べた。  夫は細君の手柄だと聞いてさもうれしそうである。三人のうちでいちばん鄭重な礼を述べたのは夫である。  開会後第一の土曜の昼過ぎにはおおぜいいっしょに来た。――広田先生と野々宮さんと与次郎と三四郎と。四人はよそをあと回しにして、第一に「森の女」の部屋にはいった。与次郎が「あれだ、あれだ」と言う。人がたくさんたかっている。三四郎は入口でちょっと躊躇した。野々宮さんは超然としてはいった。  おおぜいのうしろから、のぞきこんだだけで、三四郎は退いた。腰掛けによってみんなを待ち合わしていた。 「すてきに大きなもの描いたな」と与次郎が言った。 「佐々木に買ってもらうつもりだそうだ」と広田先生が言った。 「ぼくより」と言いかけて、見ると、三四郎はむずかしい顔をして腰掛けにもたれている。与次郎は黙ってしまった。 「色の出し方がなかなか洒落ていますね。むしろ意気な絵だ」と野々宮さんが評した。 「少し気がききすぎているくらいだ。これじゃ鼓の音のようにぽんぽんする絵はかけないと自白するはずだ」と広田先生が評した。 「なんですぽんぽんする絵というのは」 「鼓の音のように間が抜けていて、おもしろい絵の事さ」  二人は笑った。二人は技巧の評ばかりする。与次郎が異を立てた。 「里見さんを描いちゃ、だれが描いたって、間が抜けてるようには描けませんよ」  野々宮さんは目録へ記号をつけるために、隠袋へ手を入れて鉛筆を捜した。鉛筆がなくって、一枚の活版刷りのはがきが出てきた。見ると、美禰子の結婚披露の招待状であった。披露はとうに済んだ。野々宮さんは広田先生といっしょにフロックコートで出席した。三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期はすでに過ぎていた。  野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に捨てた。やがて先生とともにほかの絵の評に取りかかる。与次郎だけが三四郎のそばへ来た。 「どうだ森の女は」 「森の女という題が悪い」 「じゃ、なんとすればよいんだ」  三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊、迷羊と繰り返した。 底本:「三四郎」角川文庫クラシックス、角川書店    1951(昭和26)年10月20日初版発行    1997(平成9)年6月10日127刷 初出:「朝日新聞」    1908(明治41)年9月1日~12月29日 入力:古村充 校正:かとうかおり 2000年7月1日公開 2014年6月19日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。 アクセント符号付きラテン文字は、画像化して埋め込みました。 ●図書カード 子規の画 子規の画 夏目漱石  余は子規(しき)の描いた画(え)をたった一枚持っている。亡友の記念(かたみ)だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数(ねんすう)の経(た)つに伴(つ)れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ散逸するかも知れないから、今のうちに表具屋へやって懸物(かけもの)にでも仕立てさせようと云う気が起った。渋紙の袋を引き出して塵(ちり)を払(はた)いて中を検(しら)べると、画は元のまま湿(しめ)っぽく四折(よつおり)に畳んであった。画のほかに、無いと思った子規の手紙も幾通か出て来た。余はその中(うち)から子規が余に宛(あ)てて寄こした最後のものと、それから年月の分らない短いものとを選び出して、その中間に例の画を挟(はさ)んで、三つを一纏(ひとまと)めに表装させた。  画は一輪花瓶(いちりんざし)に挿(さ)した東菊(あずまぎく)で、図柄(ずがら)としては極(きわ)めて単簡(たんかん)な者である。傍(わき)に「是(これ)は萎(しぼ)み掛(か)けた所と思い玉え。下手(まず)いのは病気の所為(せい)だと思い玉え。嘘(うそ)だと思わば肱(ひじ)を突いて描いて見玉え」という註釈が加えてあるところをもって見ると、自分でもそう旨(うま)いとは考えていなかったのだろう。子規がこの画を描いた時は、余はもう東京にはいなかった。彼はこの画に、東菊活(い)けて置きけり火の国に住みける君の帰り来るがねと云う一首の歌を添えて、熊本まで送って来たのである。  壁に懸(か)けて眺めて見るといかにも淋(さび)しい感じがする。色は花と茎と葉と硝子(ガラス)の瓶(びん)とを合せてわずかに三色(みいろ)しか使ってない。花は開いたのが一輪に蕾(つぼみ)が二つだけである。葉の数を勘定(かんじょう)して見たら、すべてでやっと九枚あった。それに周囲が白いのと、表装の絹地が寒い藍(あい)なので、どう眺めても冷たい心持が襲って来てならない。  子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかったように見える。わずか三茎(みくき)の花に、少くとも五六時間の手間(てま)をかけて、どこからどこまで丹念に塗り上げている。これほどの骨折は、ただに病中の根気仕事としてよほどの決心を要するのみならず、いかにも無雑作(むぞうさ)に俳句や歌を作り上げる彼の性情から云っても、明かな矛盾である。思うに画と云う事に初心(しょしん)な彼は当時絵画における写生の必要を不折(ふせつ)などから聞いて、それを一草一花の上にも実行しようと企(くわだ)てながら、彼が俳句の上ですでに悟入した同一方法を、この方面に向って適用する事を忘れたか、または適用する腕がなかったのであろう。  東菊によって代表された子規の画は、拙(まず)くてかつ真面目(まじめ)である。才を呵(か)して直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸(ひた)ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦(すく)んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子(きょし)が来てこの幅(ふく)を見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。余はその時、だってあれだけの単純な平凡な特色を出すのに、あのくらい時間と労力を費さなければならなかったかと思うと、何だか正岡の頭と手が、いらざる働きを余儀なくされた観があるところに、隠し切れない拙(せつ)が溢(あふ)れていると思うと答えた。馬鹿律義(ばかりちぎ)なものに厭味(いやみ)も利(き)いた風もありようはない。そこに重厚な好所(こうしょ)があるとすれば、子規の画はまさに働きのない愚直ものの旨さである。けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、とっさに弁ずる手際(てぎわ)がないために、やむをえず省略の捷径(しょうけい)を棄(す)てて、几帳面(きちょうめん)な塗抹(とまつ)主義を根気に実行したとすれば、拙の一字はどうしても免(まぬか)れがたい。  子規は人間として、また文学者として、最も「拙」の欠乏した男であった。永年(えいねん)彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉(とら)え得(え)た試(ためし)がない。また彼の拙に惚(ほ)れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日(こんにち)、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中(うち)に、確(たしか)にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余にとっては多大の興味がある。ただ画がいかにも淋しい。でき得るならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、淋しさの償(つぐない)としたかった。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月にかけて刊行 入力:柴田卓治 校正:大野晋 ファイル作成:野口英司 1999年5月12日公開 1999年8月30日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 夏目漱石 子規の画 子規の画 夏目漱石  余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数の経つに伴れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ散逸するかも知れないから、今のうちに表具屋へやって懸物にでも仕立てさせようと云う気が起った。渋紙の袋を引き出して塵を払いて中を検べると、画は元のまま湿っぽく四折に畳んであった。画のほかに、無いと思った子規の手紙も幾通か出て来た。余はその中から子規が余に宛てて寄こした最後のものと、それから年月の分らない短いものとを選び出して、その中間に例の画を挟んで、三つを一纏めに表装させた。  画は一輪花瓶に挿した東菊で、図柄としては極めて単簡な者である。傍に「是は萎み掛けた所と思い玉え。下手いのは病気の所為だと思い玉え。嘘だと思わば肱を突いて描いて見玉え」という註釈が加えてあるところをもって見ると、自分でもそう旨いとは考えていなかったのだろう。子規がこの画を描いた時は、余はもう東京にはいなかった。彼はこの画に、東菊活けて置きけり火の国に住みける君の帰り来るがねと云う一首の歌を添えて、熊本まで送って来たのである。  壁に懸けて眺めて見るといかにも淋しい感じがする。色は花と茎と葉と硝子の瓶とを合せてわずかに三色しか使ってない。花は開いたのが一輪に蕾が二つだけである。葉の数を勘定して見たら、すべてでやっと九枚あった。それに周囲が白いのと、表装の絹地が寒い藍なので、どう眺めても冷たい心持が襲って来てならない。  子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかったように見える。わずか三茎の花に、少くとも五六時間の手間をかけて、どこからどこまで丹念に塗り上げている。これほどの骨折は、ただに病中の根気仕事としてよほどの決心を要するのみならず、いかにも無雑作に俳句や歌を作り上げる彼の性情から云っても、明かな矛盾である。思うに画と云う事に初心な彼は当時絵画における写生の必要を不折などから聞いて、それを一草一花の上にも実行しようと企てながら、彼が俳句の上ですでに悟入した同一方法を、この方面に向って適用する事を忘れたか、または適用する腕がなかったのであろう。  東菊によって代表された子規の画は、拙くてかつ真面目である。才を呵して直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子が来てこの幅を見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。余はその時、だってあれだけの単純な平凡な特色を出すのに、あのくらい時間と労力を費さなければならなかったかと思うと、何だか正岡の頭と手が、いらざる働きを余儀なくされた観があるところに、隠し切れない拙が溢れていると思うと答えた。馬鹿律義なものに厭味も利いた風もありようはない。そこに重厚な好所があるとすれば、子規の画はまさに働きのない愚直ものの旨さである。けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、とっさに弁ずる手際がないために、やむをえず省略の捷径を棄てて、几帳面な塗抹主義を根気に実行したとすれば、拙の一字はどうしても免れがたい。  子規は人間として、また文学者として、最も「拙」の欠乏した男であった。永年彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉え得た試がない。また彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中に、確にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余にとっては多大の興味がある。ただ画がいかにも淋しい。でき得るならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、淋しさの償としたかった。 底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房    1988(昭和63)年7月26日第1刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房    1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 入力:柴田卓治 校正:大野晋 1999年5月12日公開 2011年6月3日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 ●図書カード